現 代 史 資 料
39
太 平 洋 戦 争
五
み す ず 書 房
米国戦略爆撃調査団 「 太平洋戦争 報告書第54」(「 対 日輸送攻撃戦 」)表紙
イ ンパール作戦 開始 に関す る 大本営陸軍部 指示
ミ ッ ド...
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現 代 史 資 料
39
太 平 洋 戦 争
五
み す ず 書 房
米国戦略爆撃調査団 「 太平洋戦争 報告書第54」(「 対 日輸送攻撃戦 」)表紙
イ ンパール作戦 開始 に関す る 大本営陸軍部 指示
ミ ッ ドウ ェー 島,ア リュ ー シャ ン列 島 攻 略 に関 す る大 本 営 海軍 部 命 令
太平洋戦争開戦準備 を命ずる大本営陸 軍部命令
凡
例
一 本巻 は ﹃現 代 史 資 料 ﹄ の ﹁太 平 洋 戦争 ﹂全 五巻 の最 終巻 であ る。 こ こに は1 主 と し て 一九 四 一年 か ら四 五年 八月 に い
た る期 間 の 日本 の戦争 経 済 お よび 軍需 工業 の状 況 。 2 同時 期 の ア メリ カ軍 の対 日 作 戦 と そ の成 果 。 3戦 争 終 結 前後 にお
け る 日本 指 導 者 層 の動 静 な ど に関 す る資 料 を 収 め、 さ ら に4 日 本 の主 要 作 戦 にお け る ﹁陸 海 軍 中 央協 定 ﹂ と ﹁作 戦 指 導
(一九 四 六 ︱ 四 七) (The Uni t ed
大 綱 ﹂ と 連 合 軍 の作 戦 計 画 。 5 陸戦 ・海 戦 ・空戦 の参 加 兵 力 と 損害 に関 す る 統 計 を付 録 と し た。 本 巻 の資 料源 は、 米 国 戦 略爆 撃 調 査 団 が作 製 し た ﹁太 平 洋戦 争 報 告 書 ﹂ 一〇 八巻
対 日船 舶 撃 滅 戦 (報 告 第 七 三 )
対 日 輸 送 攻撃 戦 (報告 第 五四 )
造 船 工業 (報 告 第 四 八 )
造 艦 工 業 (報 告 第 四 六 )
航 空 機 工 業 (報 告 第 一五 )
軍 需 工 業 (報 告第 四 三 )
太 平 洋 戦 争 総 合報 告 書 (報 告 第 一)
冨永謙吾
冨永謙吾
冨 永謙 吾
実松
実松
実松
実松
譲
譲
譲
譲
冨永謙吾
本巻 の編 集 分 担 は次 の と おり であ る。
Stat es Strategi c Bombi ng Survey 1941︱ 1945. の 一部 )、 お よび 防 衛 庁 防 衛 研修 所 戦 史 室 所 蔵 文書 であ る。
二
三
B 29 部 隊 の対 日戦 略 爆 撃 作 戦 (報 告 第 六 六 )
日 本 の終 戦 努 力 (報告 第 二)
冨永謙吾
作戦 計 画 二
一 作戦計画一 連 合軍
日本 冨 永謙 吾
冨 永謙 吾
大 井 篤 ・冨 永 謙 吾
付録 二
重 臣、 陸海 軍 人 尋 問 録 (報 告 第 七 二 )
付録 冨永謙吾
︹ ︺ 内 の注 記 は編 者 の付 し たも の であ る。
太平 洋 戦 争 諸 統 計
四
本巻 刊行 に当 って 各方 面 から 寄 せら れ た御 協 力 と引 用 文 献 の著 者 、 訳者 の方 々 には厚 く謝 意 を表 明 す る。
三
五 本 巻 編集 は冨 永 謙 吾 が これ に当 った 。
付録
六
凡例
目
報告第 一
次
(米 国戦 略 爆 撃 調 査 団 一九四六︱四七) 抄
むすび
第三章 日本
第五章日本 の降伏 ( 四六)
第二章 連合軍 の反撃 (一〇) 第四章日本戦 争経済 の崩壊 (三二)
まえがき (四) 第 一章日本軍 の進撃 (六)
太 平 洋戦 争 総 合 報 告書
一 総 合 報 告書
太 平洋 戦 争 報告 書
資料解説
一 緒言 (三)
日 本 の諸 工業
軍事戦力 の壊滅 (二五) (五六)
二
三
一
二
三
四
報 告 第 四三
軍需 工業
第 一章報告 の範囲 (六九)
第 三章日本 の軍需工業力 と要求 (七二)
第四章 一
第五章 ピーク生産時まで日本 の戦時生産を制限した諸要因 (七八)
第二章要約 (六九)
九 四 一︱ 四五年 の生産 (七五)
航 空 機 工業 第二章 日本の航空機工業 (一〇八)
第三章 日本 の航空機︱生産 (一七〇)
第 六章 一九四四年 から終戦時まで日本 の戦時生産 の低下に影響した諸要因 (七九)
報 告 第 一五 第 一章要約 (一〇〇)
第四章航空機生産 の材料 (一九〇) 第 五章部品と構成部分 の製造 (二〇二) 第 六章航空機工業 に対
付録第 5米国戦略爆撃調査団の質問に対す る岡野保次郎 の回答 (二五六)
付録第 7構成部分と付属品の下請業リ スト (二六三)
す る航空攻撃 (二 一二) 付録第 6軍需会社法と軍需省官制 (二五八)
付録10統計 (二六八)
造 艦 工業
第七章 生産 (三 一七)
第 八章隘路と対応策
第三章諸計画 (三〇七) 第 四章優先順位 (三〇八)
第
付録第3
付録第1日本海軍艦艇 の 一九三 一年 から の隻数とトン
第 六章組織 (三 一〇)
第二章機構 (三〇六)
付録第 8金属の主要供給者 リスト (二六六)
報 告第 四 六 第 一章要約 (三〇三)
第九章爆撃 による損害 (三二六)
第五章艦隊 の整備 (三 一〇) ( 三二 一)
造 船 工業
第三章戦時中 の造船工業 (三四七)
一九四五年価格による 一九四 一︱四五年会計年度別艦種別建造 の価値 (三三七)
数 (三二九) 付録第 2 一九 四 一︱四五会計年 度別 日本海軍艦艇建造 の月別指数 (三三二)
報告第四八
第二章戦前 の造船 (三四六)
付録第 1日本 の五七造船所 の戦時中 の施設と生産高 (三九八)
付
六 九
一 〇〇
三〇三
三四二
四章造船 工業 に対する要求 (三六二) 第 五章計画と生産 ( 三六八) 第六章造船工業 の隘路 (三七九)
第 一章要約と結論 (三四二)
第七章航空攻撃 の影響 (三九〇)
一
二
三
録第 2 一〇 〇 総 ト ン以 上 の鋼 船 の会 計年 度別 船 種 別完 成 合 計 ト ン数 (四〇 二)
付 録第 4標準 船 の詳
付 録第 3海 軍艦 政 本部
第三
付 録 第 6 民間
第 二章 日 本 の平時 経済 にお け る運 輸 (四三 六)
付 録 第 5造 船 の毎 月円 価値 投 入 と指 数 (一九四 一︱ 四五 年) (四〇 六)
の計 画 に よ る 五〇〇 総 ト ン以 上 の商 船建 造 計 画 (一九 四 二︱ 四五 年 ) (四〇 三) 細 ( 四〇 五)
米 軍 の対 日攻 撃
第 一章 要約 と結 論 (四 二二)
対 日輸 送 攻撃 戦
三
造 船 所 に対 す る 質問 事 項 (四 一六)
報 告 第 五 四 緒言 ( 四 二 一)
付 録A
第 五章運 輸攻 撃 の効 果 (四
第 七章 輸 送 攻撃 の経 済 的 効果 (五 二 四)
第 四章 海 上輸 送 に対 す る攻撃 ( 四 五〇 )
第 六章 一九 四五 年 に おけ る輸 送 (五〇 四)
章戦 前 の運 輸 諸 機関 ( 四 四 二) 六 三)
対 日船 舶 撃滅 戦
四二一
五五八
五六九
三 日本 の船舶 運 営 と護 衛 組 織 (五 五九 )
(一九 四四年 八月 ) ( 五六
2超 重爆 部 隊 の任 務 (五七 一)
5機 材 、 搭 乗員 の損 失 ( 五 七 六)
第 一章 1戦 局 の状 況 (五七 〇)
七終 戦 時 の 日本 船 舶状 況 (五 六八)
五 日本 ついに 五〇 〇 万 ト ン喪失
二開 戦 と船 舶 護 衛 ( 五 五八)
潜 水艦 によ る 日本 油 送船 の撃沈 ( 五 四 七)
報 告 第 七 三
一日 本 の海 洋 依存 性 (五 五 八)
緒 言 (五 六九)
B 29 部 隊 の 対 日 戦 略 爆 撃 作 戦
六日 本船 舶 攻撃 最 高 潮 に 達す (一九四 五年 ) (五 六 六)
四日 本船 舶 に対 す る本格 的 猛 攻 (五 六三) 四)
報 告 第 六 六
ま えが き (五 六九)
第 二章 要 約、 B 29 超 重爆 部 隊 の対 日戦 略 爆撃 作
4戦 略爆 撃 の成 果 (五七 五) 7終 戦 直 後 の作 戦 (五九 一)
3編 制 お よび 戦 闘 装備 (五 七 一) 6爆 撃 作 戦 ( 五 七 七)
一
二
付 録 A都 市地 域 目標 の破 壊 (五九 七)
終
戦
付 録B 航 空機 工場 の破 壊 (六〇 一)
付 録C そ
第 五章 本 土戦 略 爆撃
第 二章 東 条 将軍 退 陣 の背 景 (六〇 九)
第 四章 鈴 木終 戦 内閣 の登 場 (六 一五)
第 一章 日本 の政 治機 構 の若 干 の特 質 (六〇 八)
日 本 の終 戦 努 力
四
の他 の 工業 目標 の破 壊 (石 油関 係 ) (六〇 四)
戦 (五九 四)
報 告第 二 緒 言 (六〇 七) 第 三 章無 為 に終 った小 磯 政 権 (六 一 一)
A ︱ 3開 戦 時 に おけ る日米 両 国 の軍 事 力比 較 (六
5
六〇七
六五七
と政 治 的 目標 (六 二 二) 付 録A ︱ 1開 戦 の場合 の日本 国 力 推移 判 断 ︱昭 和 一六年 一二月 現 在 ( 六 三〇 )
8鈴 木貫 太 郎 (七 五 一)
4野村 吉 三郎 (七〇 八)
A ︱ 5近衛 公 上 奏文 控 (六 四四)
7近 衛文 麿 (七 四四)
3豊 田副 武 (六七 九)
A ︱ 4終 戦 時 に おけ る 日米 両 国 の軍 事 力 比 較 (六 四 一)
A︱ 2国 力 ノ現 状 ︱ 昭和 二十年 六月 八 日 (六 三 三) 三 七)
6木 戸幸 一 (七 三九)
2米 内光 政 (六 六六)
重臣 、 陸 海 軍 人 尋問 録
付 録B 日本 側戦 時 指 導者 の略 歴 (六 四六)
報 告第 七 二 1永 野 修 身 (六五 七)
録
高木惣吉 ( 七 三 三)
付
五
四
三
二
一
南 東 方 面 作 戦 ニ関 ス ル 両 部 申 合 覚
﹁ケ ﹂ 号 作 戦 ニ関 ス ル 陸 海 軍 中 央 協 定
南太 平 洋 方 面作 戦 陸 海 軍 中央 協 定
南 太平 洋 方 面 作 戦 陸海 軍 中 央協 定
情 勢 ニ応 ズ ル 東 部 ﹁ニ ユー ギ ニ ヤ﹂ ﹁ソ ロ モ ン﹂ 群 島 ニ関 ス ル陸 海 軍 中 央 協 定
﹁ミ ッド ウ ェ ー﹂ 島 作 戦 ニ関 ス ル 陸 海 軍 中 央 協 定
作戦 計 画
七七一
七七〇
七六九
七六六
七六二
七六一
七五九
七五九
日本
六 南 東 方 面陸 海 軍 中 央協 定
七七五
一
七
中南 部 太平 洋 方 面作 戦 陸 海 軍 中央 協 定
一
八
七八一
七八二
中 部 太 平 洋 方 面 作 戦 ニ関 ス ル 陸 海 軍 中 央 協 定 陸海 軍爾 後 ノ作戦 指 導 大 綱
七八四
九 一〇
帝 国陸 海 軍作 戦計 画 大綱
七九一
一一
作戦 計 画
七九一
連合国
南 西 太 平 洋 方 面 最 高 指 揮 官 へ の指 令
七九一
二
一
太 平 洋方 面最 高 指 揮官 への指 令
二
二
六
五
四
三
一九 四 三 ︱ 四 四 年 の 太 平 洋 進 攻 作 戦 (要 旨 )
日 本 撃 破 の た め の 戦 略 計 画 (要 旨 )
一九 四 三 年 の 南 お よ び 南 西 太 平 洋 作 戦 (要 旨 )
一九 四 三 年 に お け る 太 平 洋 戦 域 の戦 争 指 導 方 針 (要 旨 )
南 西 太 平 洋 方 面 へ の作 戦 指 令 (要 旨 )
七九四
七九四
七九三
七九三
七九二
七九七
七
日本 を屈 伏 さ せ る方 策
七九八
七九五
一〇 日 本 打 倒 計 画 (要 旨 )
七九八
日 本 撃 破 の た め の 一九 四 四 年 の 作 戦
一一 日本 打倒 戦 略 方 針
七九九
八
一二
九 州 進 攻 作 戦 (オ リ ンピ ッ ク作 戦 )
八〇〇
七九六
一三 対 日最 終 作 戦 計 画
八〇〇
太平 洋 進 攻 目標 の指 令
一四 原爆 投 下 命令
九
一五
八〇三
八〇二
太 平洋 戦 争諸 統 計
八〇三
第 二 次 大 戦 連 合 国 首 脳 会 談 一覧
日 米 軍 事 力 の 推 移 (人 員 数 、 艦 艇 数 、 航 空 機 数 の 推 移 )
八〇四
一六
一
開 戦 時 、 日 本 、 連 合 国 海 軍 兵 力 一覧 (太 平 洋 方 面 )
三
二
六
五
四
三
主 要 海 空 戦 要 目 一覧 二
主 要 海 空 戦 要 目 一覧 一
主要 海 空 戦 日米 呼 称 対 照 表
戦 時 中 日 本、 米 国 の建 艦 状 況
八〇八
八〇七
八〇六
八〇五
八一九
八一 四
日 本 艦 艇 沈 没 損 傷 残 存 状 況 一
八二〇
日 米 航 空 兵 力 の推 移 一覧 (太 平 洋 方 面 、 第 一線 機 の み )
日 本 艦 艇 沈 没 損 傷 残 存 状 況 二
八二一
七
日米 両 軍 死傷 者 数
八二一
八一 五
一一
地 域 別 日 本 陸 軍 戦 死 者 数 一覧
八二二
後 期 主 要 陸 戦 要 目 一覧
一二
戦 時 中 、 日 本 陸 海 軍 機 第 一線 機 損 粍 数 (月 別 )
八二三
八
一三
終 戦 時 に おけ る 日本 軍 事 力
八二四
八一八
一四
終 戦 時 、 米 軍 の 太 平 洋 方 面 展 開 兵 力 一覧
八二四
特 攻 (神 風 、 桜 花 、 震 洋 、 回 天 ) に よ る 攻 撃 一覧 表
一五
戦 時 中、 日米 商 船 建 造 量 比較
八二五
九
一六
日 本 商 船 撃 沈 ト ン数 の 三 大 原 因 別 毎 月 比 較 図
八二六
一〇
一七
対 日 海 上 交 通 破 壊 戦 と 日 本 船 舶 の推 移
(年 別 )
一八
解
説
米 国 戦 略 爆 撃調 査 団 の組 織 と任 務
一、 ﹁太 平 洋 戦 争 報 告 書 ﹂ の 成 立 に つ い て
一
米 国 戦 略 爆 撃調 査 団 の創 設 の目 的 お よ び組 織 、 任 務 に つ いて は、 本文 の冒 頭 (三 頁 以 下) に簡 潔 に示 され て いる。 こ
こ に いう ﹁戦略 爆 撃 ﹂ と は、 ヨー ロッパ戦 線 に お いて は、 B 24 お よ びB 29 爆 撃 機 によ る ド イ ツ本 土爆 撃 を 、太 平 洋 戦 線
で は、 一九 四四 年 十 一月 に開 始 さ れ た マリ ア ナ基 地 か ら のB 29 爆撃 機 に よる 日 本本 土爆 撃 を 指 し て いる。 そ の報 告 書 は、
ヨー ロッパ戦 線 二 〇 八巻 、 太 平 洋戦 争 一〇 八 巻 と し て調 査 団 によ り印 刷 に付 さ れ た。 全 巻 の内 容 はx i i i頁 以下 の通 り であ
る。 (凸 版 六 頁 は、 報 告 第 五 四 ﹁対 日 輸 送 攻撃 戦 ﹂ 一九 四 七、 の巻 末 に付 せ られ たも のに よ る)
団 長 ド オ リ エはプ リ ューデ ン シ ャル保 険会 社 の社 長 であ った 人 であ る。 調査 対 象 毎 に専 門 家 よ り成 る各 チ ー ムは、 日
本 の都 市と 工場 の爆 撃 跡 を 実 地 に調 査 し、 生 産記 録 を 検 討 し、 医 学 的 心 理 学的 研 究 を 行 な い、 あ る いは 日本 の防 衛手 段
( 対空射撃、戦 闘機 による邀撃、 工場および民間 の疎開等 々) を精 査 したが 、彼 ら はす で にド イ ツに お い て連 合国 陸 軍 部 隊 に従
軍 し て、 こ の種 の任 務 に たず さ わり 、蒐 集 し た証 拠 の評価 に お い て は貴 重 な経 験 を 身 に つけ て い た の で、 彼 ら に と って 調 査 は既 に試験 済 の作 業 であ った。
米 国 戦 略爆 撃 調 査 団 は ﹁対 日戦 におけ るあ ら ゆ る形 式 の航 空 攻撃 の効 果 の研 究 ﹂ の命令 を受 け 、 さ ら に別 の調 査 面 を
受 け 持 つこと にな ったが 、 そ れ は特 別 の困 難が 予 想 さ れ る も のであ り 、 調査 団 が あ ま り経 験 を 有 し て いな い方 面 であ っ た。
彼 ら は戦 略爆 撃 と 同 等 に戦 術 的 爆 撃 と攻 撃 を も 考慮 し なけ れ ば な らず 、 さ ら に、 陸 軍 航 空 部 隊 の作 戦 と海 軍 航 空 部隊
B
の行 な った作 戦 を も 考察 す る こと と な った。 日 本 に与 え た 戦 略爆 撃 の効 果 を 、他 の陸 、 海 、 空各 軍 の攻撃 効 果 か ら き り
離 し て、独 立 した 問 題 と し て取 り扱 う こと に は、 非常 に困 難 が あ った こと は認 め られ よう。 たと えば そ の 一例 は︱
29 部 隊 の攻 勢 は、 主 と し て米 ・潜 水艦 が 実 施 し た対 日封 鎖 の結 果 が 日本 の戦 争 遂 行 能 力 に甚 大な 打 撃 を与 え た後 に な っ
て 、 は じ め て真 の有 効 性 を 発揮 し て い る。 対 日戦 の場 合 は 、対 ドイ ツ の場合 と は戦 略 爆 撃 は かな り 異 な ってお り、 か つ、 よ り に複 雑 な 問 題 を提 起 し て いた の であ る 。
こ の調 査 団 は戦 時 日本 の軍 事 計 画 と 、 そ れが 実 施 さ れ た各 作 戦 と 戦闘 の大 部 分 を 再 現 し (軍 事 方面 研 究)、 ま た、 産
業 や工 場 を 主 とす る 日 本 の戦 争 経 済 や戦 時 生 産 の かな り正 確 な 統 計 を 入 手 し て いる (戦時 経済 研 究)。 さ ら に また 、 日
本 の戦 略計 画 (いわゆ る ﹃国防国策﹄)や 戦 争 突 入 の背 景 、 無 条 件降 伏 の受 諾 に至 る ま で の国 内 に おけ る 論議 や 交 渉 (本 部
報 告 )、 国 民 の健 康 や 戦 意 の推 移 、 日 本 の民防 空組 織 の効率 に つい ても 各種 の研 究 (民 間方 面 研 究 ) を行 な った。
こう し て、 ﹁太平 洋 戦 争報 告 書 ﹂ は、 一九 四 六年 七 月 以 降相 次 い でま と め られ たが、 そ の内 容 は 全般 要 約 (三巻 )、民
間 方 面 研究 (十 一巻 )、 戦 争経 済 研 究 (四 六巻 )、 軍 事方 面 研 究 (四 八 巻) の四 大 部 門 に分 れ、 合 計 一〇 八巻 に 上 って いる 。
UNITED
STATES
STRATEGIC LIST
OF
The following is a bibliography.ofreports resulting from the Survey's studiesof the European and Pacific wars.Those reports marked with an asterisk(*)may be purchased from the Superintendent of Documents at the Government Printing Office,Washington,D.C.
European War OFFICE *1 *2 *3
OF
THE
AIRCRAFT *4 5
CHAIRMAN
The United States Strategic Bombing Survey: Summary Report (European War) The United States Strategic Bombing Survey: 0ver-all Report(European War) The Effectsof StrategicBombing on the German War Economy DIVISION
(By.Division and Branch) Aircraft Division Industry Report Inspection Visits to Various Targete(Special Report)
BOMBING REPORTS
Light 20
Light Metals of Germany
Over-all Report Part A Part B Appendices I,II,III
{
11
Mesaerschmitt A G, Augsburg,Germany
12
Dornier Works,Friedrlchshafen & Munich,Ger many Gerhard Fieaeler Werke G m b H,Kassel,Ger many Wiener Neustaedter Flugzeugwerke,Wiener Neuatadt,Austria
13 14
Bussing NAG Flugmotorenwerke G m b H, Brunswick,Germany 16 Mittel-DeutacheMotorenwerke G m b H,Taucha, Germany 17 Bavarian Motor Works Inc,Eisennach & Dur rerhof,Germany 18 Bayerische Motorenwerke A G(BMW)Munich, Germnny 19 Henschel Flugmotorenwerke,Kasael,Germany
{part I,Aluminum Part II,Magnesium
Vereinigte Deutsche Metallwerke,Hildesheim, Germany MetallguasgesellschaftG m b H,Leipzig,Ger many 23 Aluminiumwerk G m b H,Plant No.2 Bitter feld,Germany 24 Gebrueder Giulini G m b H,Ludwigshafen,Ger many 25 Luftschiffbau,ZeppelinG m b H,Friedrichshafen on Bodensee,Germany 26 Wieland Werke A G,Ulm,Germany 27 Rudolph Rautenbach Leichmetallgiessereien,Sol ingen,Germany 28 Lippewerke Vereinigte Aluminiumwerko A G, Lunen,Germany 29 Vereinigte Deutsche Metsllwerke,Heddernheim, Germany 30 Duerener Metallwerke A G,Duren Wittenau Berlin & Waren,Germany AREA 32 33 34 35 36 37 38 39
Aero Engines Branch 15
Branch
22
*31
Junkers Aircraft and Aero Engine Works,Dea sau,Germany 7 Erla Maschinenwerke G m b H,Heiterblick, Germany 8 A T G Masehinenbau,G m b H,Leipzig(Moc kau),Germany 9 Gothaer Waggonfabrik,A G,Gotha,Germany 10 Focke Wulf Aircraft Plant,Bremen,Germany
Mctal
Industry
21
Airframes Branch 6
SURVEY
Area
STUDIES
A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Hamburg A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Wuppertal A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Dusseldorf A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Solingen A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Remscheid A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Darmstadt A Detailed Study of the Effects of Area Bomb ing on Lubeck A Brief Study of the Effects of Ares Bombing on Berlin,Augsburg,Bochum,Leipzig,Hagen, Dortmund,Oberhausen,Schweinfurt,Bremen
CIVILIAN *40 41 42 43 44
DIVISION
Studies I)ivision Report
DEFENSE
DIVISION
45 46
CivilianDefense Division-Final Report Cologne Field Report Aonn Field Report Hanover Field Report Hamburg Field Report-Vol I.Text;Vol II,Ex hibita Bad OldesloeField Report Augsburg Field Report
47
Reception
「米 国 戦 略爆 撃 調 査 団 報 告 」(1941-1945)の
Areas
in Bavaria,Germany
内 容(1)
EQUIPMENTDIVISION Electrical *48 49
German
Electrical
Bmwn
Boveri
Equipment
et
Industry
Cie,Mannheim
*50
and and
August
73
Friedrich Germany
74
Dortmund
Report
Precision Precision
Instrument Instrument
Branch Industry
52
The
German
Hoesch
76
Bochumor Verein Bochum,Germsny
Re
Mayer
and
*77 *78
Branch
Abrasive
Industry
Schmidt,Offenbach
on
Main,Ger
many
Anti-Friction *53
The
German
Machine
Bearings
Tools
Machine
Tools
& Machinery
*55
Machine
Tool
Industry
56
Herman
Kolb
Co.,Cologno,Germany
59
Collet
58
Naxos
snd
A
G,Dortmund,Germany
MILITARY
ANALYSIS
Vehicles
German Tank
Motor Industry
Gusstahlfabrikation
and
Tanks
Vehicles Report
Benz
A
A
G,
Branch
Industry
Report
ReniltMotor Vehicles Plant,Billancourt,Paris Adam Opel,Russelheim,Germany
82
Daimler
83
many Masclilnenfabrlk
G,Unterturkheim,Garmany
Bemz-Gaggenau
Works,Gaggenau,Ger Augsburg-Nurmberg,Nurn
84
Auto Union many
Equipment
85
Henschel
&
86
Maybach
A
Motor
G,Chemnitz
and
Zwickau,Ger
Sohn,Kaesel,Germany Works,Friedrichshafen,Ger
87
many Volgtlander,Maschinenfabrik
Main,Germany
88
Volkswagenwerke,Fallersleben,Germany
DIVISION
89 90
Bussing Muehlenbau
Engelhard,Offenbach,Germany on
fuer
berg,Germnny
Germany
Uniom,Frankfort
G,Dort
Daimler
Industry
as Capital in
Plant,Essen,
Huettenverein,A
80 81
Branch
*54
G,Hamborn,Germany
G,Borbeck
79
Branch
Anti-Friction
A
A
Hoerder
Motor Abrasives
Huette
Krupp
75
Fort
*51
Thyssen
mund,Germany
Kaferta1,Ger
many Optical Optikal
72 Branch
A
G,Plnuen,Ger
many NAG,Brunewick,Germany Induatrie A G(Miag)Brunswick,
Germany 59
The
60
V-Weapons(Crossbow)Campaign
Defeat
of
61
Air
62
Weather
Factors
63
ations Bombing
in the European Accuracy,USAAF
64 64a
Description The Impact
Force
the
Rate
Bomhers
in
German
of
Air
the
Bombardment Theatre Heavy
Bombing Ailied Atr
Effects
of
Strategtc I
&
Effort
on
Gcrman
The
Effect Care
in
German
93
Maechinenfabrik Augeburg,Germany
94
Blobm
95 96
Deutschewerke Deutsche Schiff
of
Bombing
on
German
on
Industry
Report
Augeburg-Nurnberg
Voss
A
G,
Shipyards,Hamburg,Germany A G,Kiel,Germany und Maschinenhau,Bremen,Ger
Friedrich Howaldtswerke Submarine
Health
and
Bremer
Krupp
Germaniawerft,Kiel,Germany
A G,Hamburg,Germany Assembly Shelter,Farge,Germany
Vulkan,Vegesack,Germany
Medical Ordnance
Blranch
Germany
MUNITIONS Heavy The
and
97
100 Branch
Bombing
Branch
Submarlne
98 99
*101
*66
Grusonwerke,Magdeburg,Ger
many
II)
Medical *65
92
DIVISION
Morale(Vol
Krupp
Submarine
Medium
ETO
RAF the
MORALE The
Friedrfch many
Oper
and
Logistics
*64b
91
Operation in Comlbat
of of
Force
Coking Plant
Industry Report
Branch Report
Industry
Friedrich Germany Bochumer
Krupp
Grusonwerke
103
Verein
fuer
104 105
Hensehel & Sohn,Kasael,Germany Rheinmetall-Boraig,Dusaeldorf,Germsny
102
DIVISION Industry
Ordnance
on
67
Coking
68 69
Gutehoffnungshuette,Oberhausen,Germany Friedrich-Alfred Huette,Rhelnhaueen,Germamy
106
Hermann Goering lendorf,Germany
70
Neunkirehen
107
Hannoverische
71
Reichewerke Germany
108
Gusstahlfabrlk many
Eisenwerke
A
A,B,C,&
G,Neunkirchen,Ger
A
G
Magdeburg,
Guestahlfabrikatian
Bochum,Germany Germsuy
No.1,Sections
Report
D
many
Werke,Braunschweig,Hal Mnachinenbsu,Hanover,Ger
many Hermann
Goering
A
G,Hallendorf,
「米 国戦 略 爆 撃 調 査 団 報 告 」(1941-1945)内
Friedrlch
容 2
Krupp,Essen,Ger
A
G,
OIL *109
Oil
Division
*110
Oil
Division
*111
Powder
OVER-ALL
DIVISION
134
,Final
Report
,Final
Report,Appendix
,Explosives,Special
pellants,War terial Report
Gases No.1)
Herman and
Smoke
Acid(Minis
112
Underground Germany
and
Dispersal
l13
The
Plsnts
Oil
Industry,Ministerial
JetPro
in
Ministerial
Report
on
Groae
G
m
b
H,Leuna,
Appendices
Braunkohle many
Benzin Wintershall
A
G,Zeitz and Bohlen,Gor A G,Leutzkendorf,Ger
many 117
Lugwigahafen-Oppau Works duatrle A G,Ludwlgshafen,Germany
118
Ruhroel Hydrogenation many,Vol.I,Vol.II
119
120 121
of
I
G
A
Ossag
helmsburg 122
Gewerkachaft
123
Europaeische
Ger
G,Harburg
A
G,Gras
MineraloelwerkeA
G,Wi1
Refinery,Hamburg,Germany
&
Vol.II Tanklager
und
Transport
A
C,
Hamburg,Germany Ebamo
Asphalt
Werke
A
134b
Physical
135
Villacoublay
136
Railroad
Repair
Yards,Malines,Belgium
137
Railroad
Repair
Yards,Louvain,Belgium
138
Railroad
Repair
Yards,Hasaelt,Belgium
139
Railroad
Repair
Yards,Namur,Belgium
140
Submarine
141
Powder
142
Powder
Plant,Bergerac,France
143
Coking
Plants,Montigny
144
Fort
145
Gnome
146
Michelin Prance
147
Gnome
Meerbeck
G,Harburg
&
Deutscha
Refinery,
Synthetic
Oil
Plant-
Dunlop
128
Huels
129
Ministerial
Co,Hanau
Rubber
on
Main,
Report
on
Plant German
Elektrochemiechewerke,Munich,Germany
131
Schoenebeck
of
Explosive G
m
Rubber
Industry
Branch
130
Plants
Plant,Lignose
b H,Bad
Deutaehe Germany
Airdrome,Paris,France
Pens,Brest,France Plant,Angouleme,France
St.Blaise
&
Verdun
Liege,Belgium
Group,Metz,France
et
Rhone,Limogea,France Tire
Factory,Clermont-Ferrand,
et
Rhone
Aero
Engine
Factory,Le
Mans,
many Louis
Bearing
150
S.N.G.A.S.E.Aircraft
151
A.I.A.Aircraft
152
V
153
City
154
Puhlic
155
Goldenberg
Breguet
Ball
Plant,Ebelsbach,Ger
Aircraft
Plamt,Toulouse,France Plant,Toulouse,
Plant,Toulouse,France
Weapons
in
Area
London
of
Air
Krefeld
Raid
Shelters
Thermal
in
Germany
Electric
Power
Station,
Switching
Station,
156
Brauweiler
157 158
Storage Depot,Nahbollembach,Germany RailwayandRoad Bridge,Bad
Transformer
&
159
Railway
Dynamit
A
Sprengchemie G
Munater,Ger
G,Vormal,Alfred
Nobel and
m
b
H,Kraiburg,
Bridge,Eller,Germsny
160
Gustloff-Werke
161
Henschell
Weimar,Weimar,Germany
162
Area
163 164
Hanomag,Hanover,Germany M A N Werke Augsburg,Augaburg,Germany
165
Frledrich
166
Erla Maschinenwerke,G Germany
167
A
168
Erla Maechinenwerke many
169
Bayerische
170
Mittel-Deuteche cha,Germany
171
Submarine
&
Survey
T
G
Sohn at
C
m
b
H,Kassel,Germany
Pirmasens,Germany
Krupp
A
G,Essen,Germany m
Maschinembau
G m
b
H,Heiterblick,
b
H,Mockau,Ger
b
H,Mockau,Ger
many
Sprengs
Salzemen,Germany
& Co,Troiedorf,Clausthal,Drummel Duneberg,Germany 133
DIVISION Report(ETO)
many
Gummiwerke,Hsnover,Germsny
Propellants
132
DAMAGE
Kugelfischer
Branch Gummi
Synthetic
toll Werke
Productivity
Brauweiler,Germany
Germany Continental
and
DamageDivision
149
Vol.II
Rubber
127
Output
Knapsack,Germany
Rheinpreusaen
Vol.I
126
Sales
148
Hamburg,Germany 125
{
Product…
Industrial
France
Victor,Castrop-Rauxel,Germany,
Vol.I
124
National
184a
France
Ossag Minersloelwerke Refinery,Hamburg,Germany
Rhemania
Farbenin
Plant,Bottrop-Bogy
Rhenania Ossag Mineraloelwerke Reffinery,Hamburg,Germany Rhenania brook
Special papers which together comprise the above report
Works…
Agriculture…
Report
Chemicals
Merseburg
DIVISION
Greater
Branch
Ammoniakwerke Germany-2
116
and
PHYSICAL German 78
Oil 115
Goering
Food
Team 114
EFFECTS
Kriegaollbcrichte… Rockets and
ECONOMIC
0ver-al1 Economic Effects Division Report
G
Motopenwerkeg,Durrerhof,Germany Motoremwerke Pens
G
m
Deutsehe-Werft,Hamburg,
Germany
「米 国 戦 略 爆 撃調 査 団 報 告 」(1941-1945)の
m
内容 3
b
H,Tau
172 Multi-StoriedStructures,Hamburg,Germany 173 Continental Gummiwerke,Hanover,Germany 174 Kassel Marahalling Yards,Kassel,Germany 175 Ammoniawerke Merseburg,Leuna,Germany 176 Brown Boveri et Cie,Mannheim,Kafertal,Ger Many 177 Adam OppelA G,Russe1sheim,Germany 176 Daimler-Benz A G,Unterturkheim,Germany 179 Valentin-Submarine Assembly,Farge,Germany 180 Volkawaggonwerke,Fallersleban,Germany 181 Raiiway Viaduct at Bielefeld,Germany 182 Ship Yards Howaldtswerke,Hamburg,Germany 183 Blohm and Voss Shipyards,Hamburg,Germany 184 Daimler-Benz A G,Mannheim,Germany 185 Synthetic Oil Plant,Meerbeck-Hamburg,Ger many 186 Gewerkschaft Victor,Castrop-Rsuxel,Germany 187 Klockner HumUoldt Deutz,Ulm,Germany 188 Ruhroel Hydrogenation Plant,Bottroh-Boy,Ger many 189 Neukirchen Eisenwerke A G,Neukirchen,Ger many 190 Railway Viaduct at Aitenbecken,Germany 191 Railway Viaduct at Arnsburg,Germnny 192 Deurag-Nerag Refineries,Misburg,Germany 193 Fire Raids on German Cities 194 I G Farbeninduatrie,Lndwigshafen,Germany, Vol I & Vol II 195 Roundhovse in Marshalling Yard,Ulm,Ger many 196 I G Farbendustrie,Leverkusen,Germany 197 Chemischne-Werke,Heuis,Germany 198 Gremberg Marshalling Yard,Gremberg,Ger many 199 Locomotive Shops and Bridgeg at Hamm Ger many TRANSPORTATION DIVISION *200 The Effects of Strategic Bombing on Germany Transportation 201 Rail Operations Over the Brenner Pass 202 Effectsof Bombing on Railroad Installationsin Regensburg,Nurnberg and Munich Divisions 203 German Locomotive Industry During the War 204 German Military Railroad Traffic
CIVILIAN
STUDIES
Civilian
Defense
Report
Division
4
Field
5
Field Report Covering Air Allied Subfects,Nagasaki,Japan Field Raport Covering Air
Allied
*6
Covering
Air
Raid
Protection
and
Raid
Protection
and
Raid
Protection
and
SubJects,Tokyo,Japan
Allied
Subjects,Kyoto,Jnpan
7
Field Report Covering Air Allied Subjects,Kobe,Japan
Raid
Protection
and
8
Field
Raid
Protection
and
9
Allied Subjects,Osaka,Japan Field Report Covering Air
Report
*10
Allied Summary
*11
and Final
Coveing
Air
Subjects,Hiroshima,Japan-No.1 Report Covering Air Allied Report
Allied
Subjects Covering
Subjects
The
Effects
*13
Servlcea The Effects Medical
on
Japan of Atomic
Services
Effects
Protection
and
Division
Bombing
of
Health
Bombs
in
Morale The
Protection
in Japan
of in
and
Raid
in Japan Air Raid
Medical *12
*14
RaldProtection
and on
Hiroshima
Medical
Health and
and
Nagasaki
Division
Strategic
Bombing
on
Japanese
Morale
ECONOMIC
STUDIES
Aircraft *15
The
*16
MitsuUishi Heavy
Japanese
Division
Aircrnft
Industry
Industries,Ltd.
Corporation Reporort NO・I (Mitsuhishi *17
Corporation
*18
Jukogyo
(Airframes Aircraft
Makajima
Kawanishi
KK)
& Engines) Company,Ltd. Report
No.II
(Nakajima
Hikok
(Airframes Aircraft
& Engines) Company
KK)
Corporation Report No.III
UTILITIES DIVISION *205 German Electric UtilitiesIndustry Report 206 1 to 10 in Vol "Utilities Diviston Plant Re ports" 207 11 to 20 in Vol II"UtilitiesDivision Plant Re ports" 208 21 Rheinieche-Weatfalische Elektrizitaetswerk A G
*I9
(Kawanlshi (Airframea) Aircrnft
Kawasnki
Corporation
Report
(Kawasaki Kaisha) *20
Pacific War *1 *2 *3
*21
Sumitomo
Kaisha)
Company,Inc.
No.IV
Report
(Aichi
Kabuahiki
Kokuki
(Airframes & Aircraft Company
Aichi
Corporation
OFFICE OF THE CHAIRMAN Summary Report(Pnciflc War) Japan's Struggle to End Tte War The Effectsof Atomic Bombs on Hiroshimo and . Nagasaki
Kokuki Industries
Kokaki
Kogyo
Kabuahiki
Engines) No.V KK)
(Airframes & Engines) Metal Industries,Propeller
Division
Corporation Report No.VI
「米 国 戦略 爆 繋 調 査 団 報 告 」(1941-1945)の
(Suinitomo Kinzoku era Setzosho) (Propellers)
内容 4
Kogyo
KK,Purop
*22
*23
*24
*25
*26
*27
*28
*29
*30
*31
*32
*33
*34 *35
*36
Hitachi Aircraft Company Corporation Report No.VII (Hitachi Kokuki KK) (Airframes & Engines) Japan InternationalAir Industries ,Ltd, Corporation Report No.VIII (Nippon Kokusai Koku Kogyo KK) (Ailframes) Japan Musical Instrument Manufacturing Com Pany Corporation Report No.IX (Nippon Gakki Seizo KK) (Propellers) Tachikaws Aircraft Company Corporation Report No.X (Tachikawa Hikoki KK) (Airfrnmes) Fuki Airplane Company Corporation Report No.XI (Fuki Hikoki KK) (Airframes) Showa Airplane Company Corporation Report No.XII (Shorwa Hikoki Kogyo KK) (Airframes) Ishikawajima Aircraft Industrtes Company ,L td. Corporation ReportNo.XIII (lshikawajima Koku Kogyo Kabushiki Kaisha) (Engines) Nippon Airplane Company Corporation Report No.XIV (Nippon Hikoki KK) (Airframes) Kyushu Airplane Company Corporation Report No.XV (Kyushu Hikoki KK) (Airframes) Shoda Engineering Company CorporationReport No.XVI (Shada Seisakujo) (Components) Mitaka Aircraft Industries Corporation Report No.XVII (Mitaka Koku Kogyo Kabuahiki Kai sha) (Components) Nissan Automobile Company . Corporation Report No.XVIII (Nissan Jidoaha KK) (Engines) Army Air Arsenal & Navy Air Depots Corporation Report No.XIX (Airframes & Engines) Japan Aircraft Underground Report No.XX Basic Materials Division Coal and Metals in Japan's War Economy
Capital Goods,Equipment
and Construction Division
*37 The Japanese Consteuction Industry *38 Japanese ElectricalEquipment *39 The Japanese Machine Building Industry ElectricPower Division *40 The ElectricPower Industry of Japan *41 The Electric Power Industry of Japan(Plant Reports) Manpower,Food
and Civilian Supplies Division
*42 The Japanese Wartime Standard of Living an d Utilizationof Manpower Military Supplies Division *43 *44 *45 *46 *47 *48
Japanese Japanese Japanese Japanese Japanese Japanese
War Production Industries Naval Ordnance Army Ordnance Naval Shipbuilding Motor Vehicle Industry Merchant Shlipbuilding
Oil and Chemical Division 49 5O 51 52
Chemicals in Japan's War Chemicals in Japan's War-Appendix Oil in Japan's War Oil in Japan's War-Appendix Over-all Economic
EffectsDivision
*53 The Effects of Strategic Bombing on Japan's War Economy(Including Appendix A:U.S. Economic Intelligenceon Japan-Anslysis and Comparison;Appendix B:Gross National Product on Japan and Its Components;Appendix C:Statistical Sources). Transportation Division *54
*55 *56 *57 *58 59 60
The War Against 1941-1945
Japanese
Transportation,
Urban Arcas Division Effectaof Air Attack on Japanese Urban Econo my(Summary Report) Effectsof Air Attack on Urban Complex Tokyo Kawasaki-Yokohama Effectsof Air Attack on the City of Nagoya Effectsof Air Attack on Osaka-Kobe-Kyoto Effectsof Air Attack on the City of Nagasaki Effectsof Air Attack on the City of Hiroshima MILITARY
STUDIES
Military Analysis Division 61 Air Forces Allied with the United Stntes in the War Againat Japan
「米 国戦 略 爆 撃 調 査 団 報 告 」(1941-1945)の
内容 5
62
Japanese
63 64
Japanese Air Weapons and The Effect of Air Action
Air
65
Employment of cific Command
Forces
66
The
Air
Army
Power
Reports
Strategic
Under
the
Southwest
Operattons in
(Twentieth Air Operations
the
of
War
Pa
Very
Heavy
The
69
The
Against
Effect
91
The
Japan
Air Force) in China,Burma,India-World
Air Japan
Transport
Command
Thirteenth
Air
in the
Force in
War
the
War
The
Seventh Against
War 71
The
Fifth
71a
Air
Campaigns
and
Eleventh Japan
Air
Force of
Air
in the the
Agsinat Against
Forces
War
Pacific
of the
(a
Report
in
Against
Naval
Analysis
Interrogations
the
Atomic
93
Effects
of
the
Atomic
94
Effects of Japanese
*73
andⅡ) Campaigns
*74
The
Reduction
*75
The
Allied
76
The
American loelap,Mille,and The Reduction
Campaign Against Wotje,Ma Jaluit(Vols,Ⅰ,ⅡandⅢ) of Truk
The
Mine
the
of
Pacific
of Wake
Ships
Against
Rabaul
Laying
Campaign
Bombardment
95
Report
81
(Enclosure Report of
A),Kamaishi Ships Bombardment
82
(Enclosure Report of
B),Hamamatsu Ships Bombardment
83
(Enclosure Report of
C),Hitachi Area Shlps Bombardment
Bombardment
Effects
of
Two
Psrty
Survey
Party
87
G and H),Shionomi-Saki Areas Ships Bombardment Survey
of
Ships
Party
Survoy
(Enclosures Nojima-Saki Report of
I),Comments Ammunition
Party
Survoy
86
Area Survey
Party
Survoy
Party
Survey
and
Data
and
Data
Bombardment
(Enclosure J),Comments racy of Firing
Inci
Hiroshima,Japan
on
Nagasaki,Japan Pound on
Bomb Five
on Inci
Pound
Report
Report mary
on
Thousand,and
Bombs Eight
on Physical Report)
Japanese
98
Evaluation Japanese
99
Evaluation Japanese
of Photographic Homeland,Part
Evaluation
of
on
Japgnese
Tar
Incidents)
Damage
in
Japan(Sum
Military
Division and
Naval
Intelligence
of Photographic Homeland,Part
Intelligence In I,Comprehensive
the
Report
Area
E),Muroran Area Ships Bombardment F),Shimizu Area Ships Bombardment
Report
Bomb
Nine
Japanese Plotting
Intelligence Ⅱ,Airfields
in
the
Intelligence
in
the
Photographic
Homeland,PartⅢ,Computed
101 Evaluation Japanese
Bomb
of Photographic Homeland,Part
Intelligence Ⅳ,Urban
in the Area
Analysis
(Enclosure Report of (Enclosure Report of
88
on
Thousand,One
Hundred
97
Party-
Survey
D),Hakodate Ships Bombardment
(Enclosure tiveness of
Bomb
A
Area
(Enclosure Report of
85
on
Thousand Report
96
Against
Sugvey
80
84
Report
War
Foreword,Introduction,Conclusions,and General Summary of
Japan
dents)
100 Ships
on
Pound
Officials(Vols.Ⅰ
Island
Campaign
Thousand
Bomb
the Four Targets(a
G-2 of
Offensive Japan
Report
Japanese
Attacks
Cities)
Ten
Targets(a
of
Five
Division
of
the
Effects
the
Japan
The
79
Party Bombnrd
Control Bomb
Eight
of
92
War
*72
78
Survey
of Surface Potential
Damage
on
Effects
gets(a
*77
Bombardment
Incendiary
on Japanese dents)
Japan 70
Ships
K),Effects Japanese War
Physical 90
WarⅡ 68
of
(Enclosure ments on
Ground
Logistics
Bombardment 67
89 Tactics on Japanese
Party
102
Evaluation Japanese
of Photographic Homeland,Part
Intelligence Ⅴ,Camouflage
103
Evaluation Japanese
of Photographic Homeland,Part
104
Evaluation Japanese
of Photographic Homeland,Part
105
Evaluation
of
Japanese *106
and Party on
Survey
Party on
*107
Accu
the
Intelligence Ⅵ,Shipping
in
the
Intelligence Ⅶ,Electronics
in
the
Intelligence
in
the
Homeland,PartⅧ,Beach
ligence Evaluntion
of
Japanese
Photographic
Homeland,Part
Evaluation
of
Japanese
Effec
Photographic
in
Intel Intelligence
in
the
in
the
Ⅸ,Artillery
Photographic
Homeland,Part
Intelligence Ⅹ,Roads
and
Rail
roads 108
Evaluation Japanese
of
Photographic Homeland,Part
Intelligence in the 〓,Industrial Ana
lysis
☆ U.S.GOVERMENT
「米 国戦 略 爆撃 調査 団報 告 」(1941-1946)の
内 容(6)
PRINTING
OFFICE:1947―741066
二
太 平 洋 戦 争報 告 書 の内 容
﹁報 告 書 ﹂ の内 容 は、 大 別 す れば 四 部 門 に分 た れ る。 まず 、 A 調 査 団 本 部 か ら は ﹁太 平 洋 戦争 総 合 報 告 書 ﹂、 ﹁日 本 の
終 戦努 力﹂、﹁広 島 と長 崎 に おけ る 原 爆 の効果 ﹂ の三報 告 が 刊 行 さ れ て い る。 つづ く各 部 門 はB 民 間事 情 調 査 とC 経 済 方 面 調査 お よび D軍 事 方 面 調 査 に三大 別 さ れ て いる。
B 民 間 事 情 調査 に は民 間 防 空 、 医療 、 戦 意 の三 部門 (十 一巻 )が あ り、 C 経 済方 面 調 査 は 航 空機 、 基 礎 原料 、 資 本 財
そ の他 、 電 力 、労 働 力 そ の他、 軍 需 品 、 石 油 そ の他 、 電 力 そ の他 、 軍 需 品 、石 油 そ の他 、総 合的 経 済 効 果、 輸 送 、 都 市
地 域 の十 部 門 (四 十 六 巻 ) に分 れ て い る。D 軍 事 方 面 調 査 は陸 軍 分 析 、 海 軍分 析 、 物 質 的損 害 、 情 報 の四部 門 (四十 八 巻 ) と な って い る。
以 上 の諸 調査 中 D 軍事 方 面 調 査 に おけ る海 軍 分 析 部門 は、 対 日戦 調 査 に当 って新 設 さ れ たも の であ る。 そ し て海 軍 少
民間事情調査
(上の数字 は巻 数を示す)
将 R ・A ・オ フ ステ ィを長 と す る 海 軍分 析 部 は、﹁日 本官 吏尋 問 録 ﹂ (二巻 ) を 基 盤 と し て、 ﹁太 平 洋戦 争 の諸作 戦 ﹂ と いう 包括 的 研 究 を作 成 し て いる 。
米 国 戦 略 爆撃 調 査 団 報告 書 (太 平 洋 戦争 ) の区 分 と 内容 B
〃
〃
4 東京地区の空襲防護と関連事項に関す る現地報告
1民間防衛部門
1 太平洋戦争総合報告書
5 長崎地区
調査団本部
2 日本 の終戦努力
6 京都地区
A
3 広島と長崎におけ る原爆の効果
7 大阪 地 区
神戸地区
〃
〃
〃
26
25
24
23
石川 島 航 空 工業 会 社 (
昭 和 飛 行機 工業 会 社 (
富 士 飛 行 機会 社 (
立 川 飛 行機 会 社 (
〃
日本 楽 器製 造 会 社 (
〃
〃
〃
日本 国 際航 空 工 業会 社 (
第 14号 )
第 13 号)
第 12 号)
第 11号)
第 10号)
2医 療 部 門
三 鷹 航空 工 業 会社 (
正 田製 作 所 (
第 9号)
31
日 産 自動 車 会 社 (
第 16号 ) 32
〃
第 18 号)
第 17号 ) 33
陸 軍 航空 廠 およ び海 軍 航 空廠 (
第 19 号)
第 20号)
日 本 の戦 争 経 済 に お け る石 炭と 金 属
〃
日本 の建 設 工業
〃
34
日 本 航 空機 の地 下 生産 (
36
日本 の電 気 施設
〃
35
37
日本 の機 械建 設 工業
日 本 の電 力 工業
7電力部門
6 資本 財 、 設 備 お よび 建 設部 門
38
40
39
5 基礎 原料 部 門
第 8号)
8 広島地区
27
〃
〃
9 日本 に お け る防 空 と関 連 事 項 に関 す る要 約 報 告
28
日本 飛 行 機 会 社 (
第 15号 )
第 2号 )
三菱 重 工業 会 社 ( 会 社 報 告第 1号 )
日本 の航空 機 工 業
〃
第 3号 )
〃
10 最終報告
29
〃
〃
日本 の保 健 お よび 医療 施 設 に対 す る爆 撃 の効 果
九 州飛 行 機 会 社 (
11
12
30
15
中 島 飛行 機 会 社 (
〃
〃
〃
広 島 、 長 崎 の保 健 、 医療 施 設 に対 す る原爆 の効 果
16
川 西 航 空機 会 社 (
第 5 号)
第 7号)
第 6号)
13 3戦 意 部 門 日 本人 の戦 意 に及 ぼ し た戦 略 爆 撃 の影 響
経 済 方 面 調査
17
川 崎 航 空機 工業 会 社 (
14
C
18
愛 知 航 空機 会 社 (
4 航 空機 部 門
19
住 友 金 属 工業 (プ ロペ ラ) 会 社 (
第 4号)
20
〃
〃
21
日 立航 空 機会 社 (
〃
22
44
43
日本 の陸軍 兵 器
日本 の海軍 兵 器
日本 の軍需 工業
9 軍 需 品部 門
日本 の戦 時生 活 水準 と労働 力 の利 用
8 労 働 力、 食 糧 お よび 民需 品部 門
60
59
58
57
56
対 日戦 で米 国 と 連 合 し た空 軍部 隊
1 4陸 軍分 析 部 門
D
広 島 市 に対 す る空 襲 の効 果
長 崎 市 に対 す る空 襲 の効果
大 阪 ・神 戸 ・京 都 に対 す る空襲 の影 響
名 古 屋 市 に対 す る空襲 の効 果
複合都市 ( 東 京 ・川崎 ・横 浜) への空 襲 の影 響
日本 の電 力 工業 (工 場報 告)
45 日本 の造艦 工業
61
日本 の航 空戦 力
41
46 日本 の自動 車 工業
62
日 本 の戦 時 化 学 工業
65
64
63
B 29部 隊 の対 日戦 略 爆 撃 作戦
南 西太 平 洋 方 面 航 空部 隊 の用法
日 本地 上 軍 の後 方 活 動 に対 す る航 空攻 撃 の効 果
日 本 の航 空 兵 器 お よび 航 空戦 術
42
47 日本 の造船 工業
49 日 本 の戦 時 化 学 工業 ( 付録)
66
中 国 ・ビ ル マ ・イ ンド におけ る航 空作 戦
軍 事 方面 調 査
48
50 戦 時 日本 の油
6 7
10 石油 およ び化 学 製 品部 門
5 1 戦時 日本 の油 ( 付録)
70
69
68
対 日戦 におけ る第 7お よび 第 11 航空 軍
対 日戦 にお け る第 13 航 空 軍
対 日戦 にお け る航 空 輸 送 部隊
日本 戦 争 経済 への戦略 爆 撃 の影響 12 輸 送 部 門
対 日戦 に おけ る 第 5航 空軍
日本 官吏 尋 問 録 (2巻 )
15 海 軍分 析 部 門
71 13 都 市 地域 部 門
日本 の都 市経 済 への空 襲 の影 響
72
対 日輸 送 攻撃 戦
11 総 合 的 経 済効 果 部 門
52
53
54
55
75
74
73
ウ オ ッゼ 、 マ ロ エ ラ ップ 、 ミ レ、 ヤ ル ー ト に 対 す る
ラバ ウル に対 す る連 合 軍 の作戦
ウ エーク島 の陥落
太 平 洋戦 争 の諸 作戦
ト ラ ッ ク 島 の陥 落
米 軍 の作 戦 (3巻 )
76
77
95
94
93
92
91
日本 の目 標 に対 す る 二 千ポ ンド、 五 百 ポ ンド 爆弾 の
日本 の 目標 に対 す る 四 千 ポ ンド爆 弾 の効果 (5例)
長 崎 に おけ る原爆 の効 果
広 島 に おけ る 原爆 の効 果 (9例)
日 本 の 目標 に対 す る 一万 ポ ンド爆 弾 の効果 (9例)
同 右 (別 冊B) 浜松 地 区
右 (別冊 A ) 釜 石地 区
艦 艇 砲 撃 調査 班 報 告 (まえ が き、 序 言、 結 言 ) 97
96
日本 陸 海 軍 の情 報
日本 爆 撃 の物 質 的 損 害 ( 要 約 報告 )
効 果 (8例)
79
同
同
日本 本 土 の写 真 情報 の情 報 の評 価 ( 第 1部 ) 総 合報 告
87
86
85
8 4
83
82
同
同
同
同
同
同
同
右 (別 冊K ) 日 本 の戦 争 能 力 に対 す る艦 砲 射 撃 の
右 ( 別 冊J ) 効 果確 実 に関す る所 見 と デ ー タ
右 ( 別 冊I ) 弾 薬 効果 に関 す る所 見 と デ ー タ
右 ( 別 冊 G、 H ) 潮 岬 お よび 野 島崎 地 区
右 (別冊 F) 清 水 地 区
右 ( 別 冊 E) 室 蘭 地 区
右 ( 別 冊 D) 函舘 地 区
右 ( 別 冊 C) 日 立地 区
106
05
04
03
02
01
00
同
同
同
同
同
同
同
同
右 ( 第 8部) 海 浜 の状 況
右
右 ( 第 6部) 船 舶
右 ( 第 5部) 偽 装
右 ( 第 4部)都市地域分析
右 ( 第 3部)爆撃区域測定
右 ( 第 2部) 飛行 場 99
⑰G- 2 ( 情 報) 部 門
80
78 対 日機雷敷設攻勢作戦
81
98
88 同
107
右 ( 第 11部) 産 業分 析
右 ( 第 10部 ) 道 路 と鉄 道
右 ( 第 9部) 砲 台
(第 7部 ) エ レ ク ト ロ ニク ス
89 効果
同
対 日焼 夷弾 攻 撃 の効果 (8都 市 に関 す る報 告 )
⑯物質的損害部門
108
90
1
二 、 ﹁太 平 洋 戦 争 報 告 書 ﹂ の訳 編 に つ い て
こ れ ら の 厖 大 な 一連 の 米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 が 編 集 し た ﹁太 平 洋 戦 争 報 告 書 ﹂ (以 下 ﹁報 告 書 ﹂ と略 す) は 、 比 肩 す る も の の な い広 汎 か つ貴 重 な き わ め て 権 威 のあ る 歴 史 的 文 献 の 一 つ で あ る 。
た と え ば ﹁報 告 第 五 三 ﹂ は ﹃日 本 経 済 の 崩 壊 ﹄ と 題 し て 正 木 千 冬 氏 に よ り 訳 出 さ れ て い る が (昭 和 二 五年 、 日本 評 論社 )、 こ の 本 に 寄 せ ら れ た 有 沢 広 巳 氏 の序 文 に は 次 の よ う に の べ ら れ て い る 。
中 日戦 以 後 の 日本 経 済 の発 展= 崩 壊 の過 程 を事 実 に即 し て跡 づ け よ うと す る とき 、 直 ち に ぶ つかる 難関 は基 本的 資 料 の欠 除 と いう
こと であ る。戦 争 中 国 民 は国 家 機 密 の鉄 壁 の蔭 に、 何 一つ真 相 を 示 され て いな か った 。 し かも 敗 戦 と 同時 に、鉄 壁 の奥深 く 堆 積 され
て い たあ ら ゆ る戦 時 記 録 が焼 か れ てし ま った。 終 戦 報告 の議 会 に政府 が 提 出 し た若 干 の軍 需 品 生産 の記録 と 、臨 時 軍 事費 特 別会 計 の
決 算報 告 く ら いが 僅 か に手が かり と し て利 用 さ れう る だ け であ る。焼 かれ た と い って も、 も ちろ ん 部分 的 な 資料 はど こ か に残 っても
いるだ ろう し、 関 係 者 の記 憶 によ って再 現 さ せ る こと は 必ず し も 不 可能 で は な い。 し か しそ れ には 恐 らく 非 常 な る労 力 と費 用 と、 ま た 時 間 が か か る であ ろ う。
だが 、 幸 い に し て合衆 国政 府 の爆 撃 調 査 団報 告 が 、我 々 の必 要 と し て いる資 料 の多く を 整 理 し、 日本 経 済 の研 究 に 利用 し う る よう にな って いる こと が判 った。
ま た 訳 者 の 正 木 氏 も 自 序 の 一節 に こ う 書 か れ て い る 。
本 書 及 び附 録 統 計 表が 日本 の太 平 洋 戦 争 に おけ る戦 争 経 済 史 資料 と して いか に貴 重 なも ので あ る か は、 自 ら の手 で戦 時 中 の諸 記 録
を破 棄 して し ま った わ れ われ 日本 の経 済 学徒 にと って身 にし み て痛 感 さ れ る と ころ であ る。 戦 争中 の政 府 の極端 な 秘密 主 義︱ ︱そ の
秘 密 資 料 の壊 滅 ︱ ︱戦 時 諸 機 関 の解 散 に よ って、 日本 の学 徒 は自 国 の最 近 経 済 史 を書 く こと も解 釈 す る こ とも 殆 んど 不可能 な事 態 に
おかれていたと いう ことができ る。僅 かに壊滅 を免れた資料と いえば財政 ・金 融関係 の数字 か、若 干の基礎産業に関する資料 で、現
実的軍事 力とな った兵器工業 の成長と崩壊 の過程を物語 る資料に欠けている。企画院や軍需省 の ﹁ 物動計画﹂ は全くの紙 の計画指令
であり、そ の立案者自身がその指令によ って幾許 の兵器、航空機、軍艦が製造される筈 であ ったかさえ知らなかったと いうことは、
今 日は公知 の事実とな っている。戦争経済史は 一面政治史であり、また戦局 の発展 の正確な知識と相手国 の戦略 ・攻撃企図も 一応明
かにな っていないと書く ことはできない。この点 でもわれわれ は多くの ハンデ ィキャ ップを持 って いた。
や や経 済 史 研 究 の視 点 が 強 調 さ れ て いる が、 こ の両 氏 の序 文 をも ってし て も、 こ の ﹁報 告 書 ﹂ の価 値 は十 分 に認 めら れ る であ ろう 。
敗 戦 直 後 に多 く の文 書 が 焼 却 、湮 滅 さ れ た。 辛 う じ て残 さ れ た文 書 でも そ の主 要 な も のは、 当 時 絶 大 の権 力 をも って
いた占 領 軍 に押 収 され 、 あ る いは提 出 を命 ぜ ら れ て、 占 領 軍司 令 部 や戦 略爆 撃 調 査 団 に渡 って しま った。 そ し て ﹁合 衆
国公 刊 戦 史 ﹂、 ﹁マ ッカ ー サ ー戦 史 ﹂、 ﹁戦略 爆 撃 調 査 団 報 告 書﹂ 等 の素 材 と し て縦 横 に活 用 さ れ た の であ った。 例 え ば 陸
軍 の基 本 資 料 の 一つであ る ﹁大 日記 ﹂ は明 治 元 年 以 降 終 戦 ま で各 年 毎 の文 書 綴 り であ るが 、 ﹁昭 和 十 八 年﹂、 ﹁昭 和 十 九
年 ﹂、 ﹁昭 和 二十 年 ﹂ の三 年度 の ﹁大 日記 ﹂ は市 ケ谷 台 の陸 軍省 に置 か れ て い た の で敗 戦 後 直 ち に焼 却 され てし ま った。
し か しそ れ 以前 の ﹁大 日 記﹂ は、 倉庫 に し まわ れ て いた た め占 領 軍 に押 収 され ア メリ カ に送 ら れ たが 、 昭 和 三四 年 頃 か
ら、 日本 に返還 され てき た。 し か し ﹁大 日記 ﹂ の各 巻 の目 次 にあ っても 実 際 の綴 ぢ込 み か ら抜 か れ て ついに行 方 のわ か ら ぬ文 書 もあ る の であ る。
こ の ﹁報 告 書 ﹂ は、 押 収 ま たは提 出 さ せた 日 本 側 の文 書 を生 の形 で随 所 に収 め て いる の で、 日 本文 ← 英 文← 日本 文 と
いう 経 過 を へて は いるが 、 ﹁報告 書 ﹂ 以外 に原 文 書 の みら れ ぬも のを 含 む のであ る。 (勿 論 、 可能 な限 り 現在 残 さ れ て い る日 本 語 文 書 を探 し、 そ れが 存 在 す る場 合 に は直 接 こ の原 資 料 を採 用 し た)
これ を詳 しく 検 討 す れば 、 これ ら の ﹁報 告 書 ﹂ は 対 日戦 に おけ る米 国 側 の戦 略 爆撃 の効 果 や 影 響 の記 述 はも ち ろ ん の
こと であ るが 、 さら に、 そ の中 に は 日本 側 の戦 争 計 画 を はじ め と し て戦 力 の消 長 、軍 事 作 戦 、 封 鎖 戦法 の経 過 、 日 本 の
敗 戦 ま で の過程 など 太 平 洋 戦 争 の全局 面 を あ ま す所 なく 論 述 す る にとど まら ず 、 戦争 経済 の崩 壊 な ら び に敗 因 の綿密 な 分 析 や探 求 にま で 及 ん で いる 。
し かも 、 これ ら の ﹁報 告 書 ﹂ の随 所 に ふ んだ ん に挿 入 され た 驚 く べき 分 量 に のぼ る統 計 や 数字 や資 料 の殆 んど 全部 が 、
当 時 写 しを と る 暇 も なく 提 出 を命 ぜ ら れ たた め、 現 在 日本 に はま ったく 見 当 ら な い貴 重 なも の であ る。
これ ら の 一〇 八巻 に のぼ る ﹁報 告 書 ﹂ の内 訳 は、 ﹁報 告 第 一八、 川 西 航 空 機 会社 ﹂ の九 四 九 頁 を筆 頭 と し て、 二〇 〇
頁 以 上 のも の約 三〇 巻 を 数 え 、 ﹁報 告 書 ﹂ 総頁 は約 一万 三 千 頁 と見 積 られ て いる。 し たが って、 も し こ の ﹁報 告書 ﹂を
全訳 す る と す れば 、 そ の訳 文 は大 体 四 百 字 詰 で 二万 八千 枚 内 外 と な り、 おそ ら く 十巻 以上 の大 出版 物 と な る であ ろ う。
し かし 、 現 在 ま で に邦 訳 さ れ た報 告書 は全 訳 、 抄訳 合 せ て十 冊 内 外 にす ぎ な い のが 現 状 であ る 。
わ れ わ れ は これ ら の ﹁報告 書﹂ の構 成 や 内容 をく わ し く 検 討 、 研究 の 上、 特 殊 の調 査 や専 門 的 と 思 われ る 資 料 は割 愛 し、 全 般 的 か つ総 合 的 な 内 容 の重 要資 料 の みを 慎 重 に選 定 の上 訳 出 す る 方針 と し た 。
米 国 戦 略 爆撃 調査 団 の最 終 的結 論 に よれ ば、 ﹁日 本 の敗戦 の根 本 原 因 は 、 日 本 の戦 争 計 画 の失 敗 であ って、 短期 戦 に
賭 け た のが 外 れ、 そ の貧 弱 な 経済 を駈 って は る か に優 勢 な ︱︱ 十倍 以 上 の経 済 力 を有 す る 強 大 国家 と の長 期 にわ た る対 抗 を 余 儀 な く さ れ た こと ﹂ にあ る。
まず 、潜 水艦 お よび 飛 行機 に よ る海 上 交 通線 の封 鎖 によ る 日 本商 船 隊 の壊 滅 は、 日米 両 国 の戦 争 能 力 の不 均衡 を 拡 大 し、 つ い には 日本 を経 済 的 破 局 に 追 い こんだ。
一方 、 封 鎖と 平 行 す る 連 合 軍 の仮 借 のな い軍 事 作 戦 の圧 力 は 、 次第 に 日本 戦 力 を し て消 耗 と 崩壊 の 一途 を た ど ら せる
に至 った 。 こう し て戦 争 の帰 趨 は 日本 本 土 戦 略爆 撃 が 本 格 的 に行 な われ る以 前 に、 す で に、 太平 洋 上 で、 ま た そ の他 の 外 郭 防 衛 線 上 の上陸 海 岸 で決 定 さ れ つ つあ った。
こう し て、 日本 の都 市 に対 す る 空襲 は、 日本 の敗 北 の基 本 的 原 因 で はな く 、敗 戦 は本 土 爆 撃が 開 始 さ れ る 以 前 にも は
や 確 定的 と な って いた の であ る 。 そ し て空 襲 は 日 本 の指 導 者 た ち に、 こ の事 実 の認 識 を否 応 な し に説 得 す る 効果 を 持 つ
た のであ った。 戦 略 爆 撃 はむ ろ ん、 日本 の降 伏 を決 定 す る上 には き わ め て大 き な 役割 を演 じ たが 、 決 し て唯 一無 二 の要
因 で はな か った。 日本 軍 の陸 海 空 三方 面 におけ る相 次 ぐ 軍事 的 敗 北 、 連 合 軍 の潜 水艦 と飛 行 機 の攻 撃 よ る 日 本船 舶 の莫
大 な損 失 、 原爆 と 通 常 爆 弾 によ る 直接 空襲 な ど 、 それ ら 一切 のも のが 相 合 し て、 日本 を降 伏 に いたら し めた のであ る。
あ らゆ る事 実 の詳 細 な 調 査 に 基づ き 、 ま た生 き 残 った 日本 側 責 任 者 の証 言 に照 し た上 到 達 し た、 戦 略 爆撃 調 査 団 の結
論 は、 ﹃たと え 原 爆が 投下 され なか った と し ても 、 ま た、 ソ連 の対 日 参戦 が な か った と し ても 、 ま た、 米 軍 の日 本 本土
上陸 作 戦 が 計画 、 企図 さ れ て いな か ったと し ても 、 一九 四 五年 末 以 前 には 必ず や、 おそ ら くも っと 早く 十 一月 一日 以前 に は、降 伏 し て いた であ ろ う ﹄(本書五六頁) と し て いる。
こう し て、 一〇 八 巻 の ﹁報 告書 ﹂ の中 か ら、 次 の十 三巻 (合 計 約 四 、 七 四〇 枚 分 ) が 選ば れ た。 す な わ ち、 戦争 全般
の要 約 、 日本 お よび 連 合 国 の戦 争 計 画 な ら び に作 戦 計 画 、封 鎖 に よる 船 舶 攻撃 の効 果 、 軍 事諸 作 戦 の経 過 と 戦 力 の消 長 、
表題 (*印は本書の表題)
収録枚数
七〇
枚 数
主要 軍需 工業 の推 移 、 対 日戦 略爆 撃 作 戦 と戦 争 経 済 への影響 、 お よび 日 本側 の戦 意 、 終戦 努 力 な ど を取 り扱 った。 報告番号
四 五〇
二二〇 ( 注記とも) 七〇
七〇
一七〇
四五五
一七〇
太平洋戦争総合報告書
七〇
四〇〇
A第 一
A第 一五 日本の航空機工業
一七〇
日本 の軍需 工業
A第 四 六 日本 の造艦工業
七〇〇
A第 四三
A第 四八 日本 の造船工業
一、三六〇
B第五四 対 日輸送攻撃戦 B第七三 太平洋戦 争の諸作戦
B第六六 B29部隊 の対 日戦略爆撃作戦 一八五
一四五
一八五
一〇〇
五〇
日本の終戦努力
*対日船舶撃 滅戦 ( 第 一六章)
A第 二 七六〇
二、〇七五
三六〇
日本官吏尋問録 *重臣、陸海軍人尋問録 三、〇八五
B第七二
計
以 上 の ﹁報 告 書 ﹂ の本文 お よび 付 録 、付 表 を 各巻 毎 に検 討 の結 果、 A 本 文 を 残 らず 訳 出 す べき 総 括 的 なグ ループ (六
(冨 永 謙 吾 )
巻 )、 B 本 文 、 付 録 そ の他 重 要 部分 の みを 訳 出す れば 可 な る グ ループ (三巻 )、 の二分 類 と し、 そ れ ぞ れ訳 出 した 次第 で ある。
資 料 解 題
の は、的 はず れ と いう べ き で ある 。 ﹂ (五六 頁) と いう最 終 的 結論 を
それ はxxvi 頁 にす で に紹 介 した よ う に︱ ︱再 び 繰 り返 す が︱ ︱日
下 し て い る の であ る。
本 軍 の空 海 地 上 三方 面 に おけ る軍事 的 敗 北、 連 合 軍 の潜 水 艦 と航 空
兵力 の攻 撃 に よ る 日本 船舶 の損 失、 原 爆 と通 常 爆 弾 に よ る直 接空 襲
去 った のであ る。 こう し て、 調査 団 の最終 意 見 は 、 日本 は ﹁たと え
が相 合 し てあ ら ゆ る戦 争 継続 に対 す る日 本 の意 志 と 能力 と を 破壊 し
原爆 に よる 攻撃 が 実 施 さ れな く ても ﹂ 無条 件 降 伏 せざ るを 得 な か っ
総 合 報告 書
一九 四六年 ( 昭 和 二 一年 ) 七 月 一日 に刊行 され た 米 国戦 略爆 撃 調
一
査 団 の最 初 の報 告 ︱︱ 太平 洋 戦 争 総合 報 告書 ︱ ︱ はそ の緒 言 の中 で、
査 に基 づ き、 また 、 坐 き残 った 日本 の指導 者 たち の証 言 も 参 考 にし
たと 結 んだ。 これ ら は 、調 査 団 が 一切 の事 実 の詳 細 にし て慎 重な 調
でも な け れば 、 ま た、 連 合 軍 の各 種 の構 成兵 力 が 、ど の よう に 勝利
﹁こ の総 合報 告 書 にお い ては 、 太平 洋 戦 争 史 を書 こう と試 み た わ け
に寄 与 し た か の割 合を 決 めよ うと す る も のでも な い。 そ の企 図す る
いて 米国 が いか にし て そ の制 空 権 の確 立、 獲 得 、 およ び 行使 の逐 次
この ﹁ 総 合 報告 書 ﹂ は さ ら に、 こ の報 告 の主 題 は、 太 平 洋戦 争 にお
の全 般的 評 価 を試 みよ う と す る にす ぎ な い﹂ (四 頁 )と のべ て いる 。
月 ま で に軍 事 的 に敗 北 し て いた こと 、 また 、 二発 の原 爆 投下 、 そ の
要 因 であ った と 断定 す る こと は不 可 能 であ る 。す で に 一九 四 五年 八
﹁⋮ ⋮ ⋮⋮ 原 爆 だ け が、 あ る いは ソ連 の参 戦 だ け が戦 争 終 結 の決 定 的
モ ー ト ン博 士 は︱ ︱ ﹁米 陸 軍 公刊 戦 史﹂ 太 平 洋 班長 であ った︱ ︱ 、
ソ連 の対 日参 戦 が 戦 争終 結 にど う作 用 し た か に つ いては 、 た とえば
一方 、 日本 降 伏 の極 め手 に関す る、 従来 多 種 多様 の諸 家 の見 解 や、
て到 達 し た最 終 意 見 であ った。
拡 大 に よ って 日本 軍 の進 撃 を阻 止 し、 撃 破 し、 ついに は これ を 敗 北
間 に おけ る ソ連 の参 戦 およ び爆 撃 続行 の威嚇 が、 日 本 の降 伏 決 定 の
と ころ は、 調 査 団 の収 集 し た事 実 の資 料 を分 析 し 、将 来 のた め にそ
のこ とは対 日戦 にお い て航 空 兵 力が 果 し た役 割 に つい て の調 査 と い
さ せ たか と いう 航 空 戦推 移 の物 語 り であ る こ と を強 調 し て いる 。 こ
触媒 と な った こと は言 え る であ ろ う。 これ ら の諸 事 実 が 重 な って極
度 の危 機 を 生 み 出 した ので、 天 皇 の異 例 の乗 出し によ って降 伏 が実
う 本来 の目的 に添 った も の であ ろう。 ﹁報 告第 一﹂ の執筆 者 は、自 分 たち の青務 を忠 実 に守 り 、 主 と し て戦 争 の航 空 作 戦方 面 に焦 点 を合 せ つ つも、 し かも航 空 優 越 の党 派
き わ め て公 正 に し て傾 聴す べき 結 論 とし て権 威 を 高 め 、そ の後各 方
いず に せよ、 日本 降 伏 の諸 要 因 に関 す る 調査 団 の思慮 深 い見解 は
現 し たも ので あ る。﹂ と のべ て いる 。
の崩 壊 を招 来 し た、 相 合 し 相重 な って作 用 した 諸 原因 の いず れ か 一
面 に お い て是 認、 同 意 さ れ る こと に な った。 特 に ﹁米 陸空 軍 公刊 戦
根 性 に陥 ると いう過 失 は 犯 し て は いな い。 す な わ ち、 彼 らは ﹁日本
つだ け に、 日 本 の無 条 件 降 伏 の原 因 を 帰 す る こと を試 み よう とす る
史﹂( 第 五巻 ) が そ の対 日 戦 の最 終 評 価 に お いて、 米 国 戦 略爆 撃 調
一﹂ は本文わずか三二頁 の分量 の中にきわ めて 周到な 配
査団 の ﹁ 報 告 第 一﹂ の結 論 を全 面 的 に支 持 した のは注 目 し て い い。
﹁報告第 慮 の下 に、 諸 報告 のう ち 主要 な も の約 十 二巻 の要 点 を 抽 出 し て十 九 項 目 に これ を簡 潔 にま と め てお り、 そ の総 合的 要 約 は、 本 書 の序論
日本 の諸 工 業
わし く 言 及 し て、 研 究 の便 宜 を 図 る こと に努 めた。
二
(冨永 謙 吾 )
使 用 され た基 礎資 料 の内 訳 は 一部 (原爆 効 果 ) を のぞ き 本資 料 に
(昭 和 十 六年 七 月) に端 を 発 し た米 英 両 国を 中 心 とす る 連 合 国 ( 反
討 を 必要 とす る 。 し か し直 接的 原 因 の 一つは 日 本 の 南 部 仏 印 進 駐
断 定 す る に は、 広 範 囲 に わた り 、 か つ学 問的 にも長 期 間 に わ た る検
太 平 洋 戦争 の原 因 は種 々重 な りあ っており 、 な にが 原 因 だ った と
訳 出 され る諸 報告 を殆 ん ど漏 れな く網 羅 し て いる。 な お第 一章 日本
と も な り う る と考 え た の であ る。
軍 の進 撃以 下 第 五章 まで の見 出 しと 区分 は、 編者 が 内 容 の項 目 に応
に あ った こと は論 を 俟 た ぬ。 仏 印進 駐 に つい ては ﹃現 代 史資 料1 0日
枢 軸国 家 ) が行 な った 在 外 日本 資 産凍 結 、特 に石 油 の対 日全 面禁 輸
﹁報 告 第 一﹂ は航 空作 戦 の推 移 に重 点 を置 く 関 係 上 、 原 爆 の効 果
中 戦 争 3 ﹄ にゆ ず ると し て、 と も かく 石 油 の全 面 禁輸 は、和 戦 の決
じ て便 宜上 付 与 し たも ので あ る。
や 日本 経 済 に対 す る 空襲 の効 果 、 さ ら に航 空戦 力 の開発 強 化 、 航 空
定 を 戦 争 へと急 速 に日本 を 転 換 さ せた 重 大な 動 機 であ った。
に説 得 力 を も って明 確 な印 象 を 与 え る こと に かな り の成功 を示 し て
いて は、 随 処 に適 切 な 具体 的 数 宇 を挿 入し てこれ を 基 礎 と し て即 座
めら れ て いる 。 ま た、 日 本 軍事 戦 力 お よび 日 本戦 争 経 済 の崩 壊 に つ
駐 ま では 、 ほぼ 変 化 が みら れ な か った。 し かし 日中 戦 争 の進 行 、 つ
昭 和十 二年 七 月 に 日中 戦争 が 勃 発 し て いた が、 十 六年 七月 の仏印 進
た。( 防衛庁防衛研修所戦史室 ﹃ 海軍軍戦備 1﹄七 一 二 頁)。 この趨 勢 は
度 はそ れぞ れ 六 七% (二三一 万 竏 )、 七 四%
昭 和 十年 から 十 二年 度 実 績 で、 日本 の石油 と 重油 の ア メリ カ依存
作 戦 の結果 に多 く の紙 数 を 割 く の は当 然 のこと で あ るが 、 一方 、 一
い るが 、 これ は こ の総 合報 告 を か な り の程度 まで の包括 な 太 平 洋戦
いで第 二次 世界 大 戦 の勃 発 (昭 和 十四 年 九 月) と 急激 に変 転 し て い
般 作 戦 の経 過 も 簡 に し て要 を 得 た要 約 に よ ってか な り手 際 よ く まと
争 小 史 にま で近 づ け て い ると 言 え よう 。 し か しな が ら、 本 報 告 は頁
ア メリ カ の準 敵 国 化 と いう 状況 を も た ら した 。 なぜ 三国 同 盟 を締 結
く 世 界 情勢 は、 三 国 同盟 によ る 日本 の枢軸 国 と の 一体化 に よ って、
一つに は実 は ド イ ツが 開発 した 人 造 石油 製 法 の技 術 ( 装 置 の設 計 図
し た か は、 イデ オ ロギ ー の面や 戦 況 判断 から も考 え られ るが 、 そ の
(三 五 三万竏 ) であ っ
で、若 干補 足 す る こと によ って 一般 研 究者 の全 局 面 の理解 を より よ
数 の制 限 のた めに、 そ の記述 は要 旨 だ け で簡潔 にす ぎ る感 も あ る の
の見 地 か ら約 三十 個 所 に わ たり 、 主 と して 編者 注 を 加 え て補 足 す る
も 含 め て) の無 条 件 譲 渡 と いう 日 本 の強 い希望 も 作 用 し て いた の で
く 深 め得 ると 思 われ る点 が少 なく な い と考 え ら れ る の で、 編 者 は こ
こと と し た (約 五十 枚 ) 。 ま た資 料 の出 所 に つい て も で き るだ け く
あ った。 ま た昭 和 十 五年 五 月 の ド イ ツ軍 の西 部 戦線 の攻 撃 開 始 に続
す べて は 石油 であ る。 同 時 に蘭 印 の石油 を恒 久 的 に取 得 す る にも 一
日 の三 国 同盟 締 結 は、 日 本 を し て蘭 印 の自 由 処 理 さ え期 待 さ せ た。
地 たる蘭 印 への日本 の異 常 な る関 心 を呼 び 起 こし た。 同 年 九 月 二七
長が 午 前 七時 から 一時 間 会 談 して い るが 、 そ こで は、
時 に開 かれ て いる 。 こ の会 に先 立 ち東 条陸 相 (首相 ) と 杉山 参謀 総
い る。 翌十 一月 一日 に は第 六 十 六回 の大本 営 政府 連 絡 会議 が 午前 九
胆 の場 合 の検 討 資 料﹂ ( 前出 ﹃日中戦争 3﹄ 六 一七頁以下) と題 され て
に先 立 つ十 月 三 十 一日 の企 画 院決 定 の物 的 国 力判 断 でさ え ﹁臥薪 嘗
また 日米 開 戦 を 事 実 上決 定 した昭 和 十 六年 十 一月 五日 の御 前会 議
記 され てい る こと であ る。
面 交 渉、 一面 武 力 制圧 の 二 つの政 策 が うず を 巻 いて い た。 ﹃現 代 史
く 圧 勝 は、 ド イ ツ軍 のオ ラ ンダ の完 全 占 領 とな り 、 オ ラ ンダ の植 民
資 料 43国 家 総 動 員 1﹄ 収 録 、昭 和 十 五 年 七月 二三 日、 企 画 院 作 成 の
直 ニ開 戦 ヲ決 意 シテ作 戦 準備 ヲグ ング ン進 メ、 外交 ヲ
戦 争 セズ、 臥 薪 嘗 胆 ス
一 本 日 ハ結 論 ト シテ 第 一案
﹁南 方 施策 要 綱 ﹂ に ﹁五、 以 上南 方 政 策 を強 行 し東 亜自 主 体 制 を 確
第 二案
最 小限 度 ニテ 之 ヲ進 メ ル
戦 争 決意 ノ下 ニ作戦 準 備 ヲ ス ス メ ルガ外 交交 渉 ハア ノ
従 ト ス ルモ ノ
立 す る 為 に は帝 国 の経 済 力 及武 力 を根 基 とす る平 戦 両様 の姿 勢 に よ
第 三案
り 、 必要 あ れ ば 軍 事行 動 を 発動 し、 所期 の目 的 を完 遂 す ﹂ とあ るが 、 結 果 的 に みれ ば 、 仏印 進 駐 ← 石油 対 日禁 輸 が ヒキ 金 とな って ﹁平 戦 両 様 ﹂ のう ち ﹁戦﹂ を 選 び、 ﹁軍 事 行 動﹂ を ﹁発動 し﹂ た のが 太 平
(﹃ 杉山 メモ﹄上巻、三七〇︱七 一頁、原書房)
ノ三案 ニ就 テ研究 スル ガ総 理 ト シテ ハ第 三 案 ヲ採 リ 度 イ ト思 フ
洋 戦 争 な の であ った。 し か しま た 一部 の観 念 的 いな狂 信 的 一撃 論 者 を 別 とす れば 、 少 く とも ア メリ カ の生 産力 、 資 源 が 日本 と隔 絶 した
ロ戦 争 発 起 ハ十 二月 初 頭 ト ス
イ戦 争 ヲ決 意 ス
に代 表 され る よ う に次 のご とき な 重 大 な決 定 に達 した 。
この打 ち合 せ にも か かわ らず 、 この第 六 十 六 回 の連 絡会 議 は、 ︹ 海軍軍令部総長︺ 永 野 今! 戦 機 ハアト ニハ来 ヌ ( 強 キ 語 調 ニテ)
と会 議 の前 に杉 山総 長 と 東 条 首相 は打 ち合 せを し て いる。
も のであ る こと を 承知 し てい た人 々に は、 単 純 に ﹁軍 事 行 動 ﹂ の ﹁発 動﹂ に は ふみ切 れ な か った ので あ る。 こ の人 々のう ち に は 軍 需 生 産 そ のも の にたず さ わ って いた 軍人 も いた が、 な によ り も ﹃現 代 史 資 料 34 太 平洋 戦 争 1﹄ に みら れ る昭 和 十 六年 二月 か ら 開戦 ま で の
に は 、太 平 洋戦 争 開 戦 時 の陸 軍 省 整備 局 戦 備 課 長 岡 田菊 三郎 少 将 の
ハ 外 交 ハ十 二月 一日零 時 迄 ト シ之 迄 ニ外 交 成 功 セバ 戦 争 発起 ヲ
日 米 交渉 の跡 を検 討 す れば 明瞭 で あ ろう 。 前 記 の ﹃国 家 総動 員 1 ﹄
﹁開 戦前 の物 的 国力 判 断﹂ が 収 めら れ、 こ の間 の事 情 を 人 造 石 油 問
( ﹃ 杉 山メモ﹄上巻、三七五頁)
こ の会 議 に出席 し た参 謀 次 長塚 田攻中 将 の所感 が 残 され て い るが 、
中止 ス
題 を中 心 と し て明 ら か にされ て いるが 、 特 に注 目さ れ る の は、 昭 和
一日 開戦 ) ﹂ の強硬 論 とな ら ん で ﹁二、 絶 対 避 戦隠 忍 建 設﹂ 案 が 並
十 六年 春 に おい ても ﹁一、 昭 和 十 六年 春 季 に 於 て対 米 英 開戦 (四 月
これ は太 平洋 戦 争 の開戦 決 意 を 定 めた 我 国最 高 首 脳 部 の判 断 と精 神 状 況 を 実 に よ く 示 し て い る 。 (﹃杉 山 メ モ﹄ 上巻 、 三七 八頁 ) 塚 田 次長 所 感
嶋 田 ハ永 野 ノ言 フ如 ク今 ヤ ル ヨリ外 ニナ シ
一 今 戦 争 ヲ ヤ ラネ バ ナ ラ ヌ ト ノ意 志 ハ永 野 ハ強 ク明 カ ナ リ然 シ将 来 ノ 戦 争 見 透 シ ハ不 明 ト言 フ
日本 の戦 略︱ ︱右 の塚 田所 感 に も みら れ る よう に、 日本 の対 米 戦
略 は、我 国 の最 高 首 脳 部が 日米 両 国 の戦 力 を冷 静 に徹 底 的 に研 究 し、
周 到 な考 察 を な し た 上 で つく り上 げ ら れ たも ので は決 し てな か った。
米 国 と日 本 の経済 的 戦 争 能 力 は、 海 軍 の 一部 の軍 人 、 企画 院 や 陸軍
省 の戦 備 課 ではあ る程 度考 慮 さ れ 、 臥薪 嘗 胆、 避 戦 隠忍 策 も最 高 国
策 と し て出 て き て い るが、 これ は殆 んど 現 実 に は作 用 しな か った。
なぜ なら 問 題 は長 期 におけ る彼 我 の優 劣 や 比較 では なく 、 石油 の ス
ト考 ヘ居 ル様 子 ナ ル モ 慣極 的 ニ言 ハヌ
ト ック減 少 と いう 切 実 な事 態 に大き く 動 かされ 、 坐 して ジ リ貧 に陥
陸 軍 作 戦 ハ海 上交 通 確 保 ト 共 ニ占 領地 確 保
ニ自 信 ア リト強 ク言 フ賀 屋 、 東 郷 ハ最 後 迄 数 年 先 ノ戦 争 ノ事 ハ不 明 ナ
本 に有 利 に終 ら せ るよ う な決 定 を 生 み出 す であ ろ う、 これ が開 戦 決
る ま で に は、 国際 的 諸 要 因︱︱ ド イ ツの勝 利︱ ︱ は 必ず や 戦 争を 日
か に先 の こと であ ろう 。 米 国が そ の戦争 能 力 を十 分 に開 発 し 展開 す
そ の生 産力 が 戦 争 の上 で大 き な力 と な って現 わ れ てく る の は、 は る
た と え米 国 の軍 需 生産 力 が 日本 の数倍 の大 き さ であ ったと し ても 、
る危 機 感 があ った か ら であ る。
杉 山 総 長 ハ戦 機 ハ今 ナ リ
ル ニ付 決 心 シ兼 ネ ル ト テ大 体 臥 薪嘗 胆 ノ人 ラ シク 看取 セラ ル 鈴 木 ハ賀 屋 、東 郷 ニ対 シ種 々心 配 ア ラ ンモ今 戦 争 ヲ決 意 ス ル以 外 ニ手 段 ナ シ又物 的 関 係 ヨ リ モ今 戦 争 ス ル方 ヨ ロシト 説 ク 一般 ニ前 途 ニ戦 争 ノ光 明 ナ シト ス ル コト、 及何 ト カ平 和 ニテ ユク方
ト 言 フ者 ナ ク去 リト テ現 状 維 持 ハ不 可 、 故 ニ巳 ムナ ク戦 争 スト ノ結 論
塚 田 ト シ テ ハ今 度 ノ戦 争 ハ避 ケラ レ ヌ、 時期 ハ今 、 今 ヤ ラ ザ ル モ来
痛 打 が 戦争 の運 命 を 大 半決 す るも のと 期待 さ れ て いた のであ った。
まさ し く緒 戦 では 成功 が 保 証 され て いた 。 そし て緒 戦 で敵 に与 え る
力を 持 って い た。 空 、 陸、 海 に即時 展 開 でき る攻撃 軍 は強 力 であ り、
昭 和 十 六年 十 二月 八 日 と決 定 し た開 戦 に、 日本 は準 備 さ れ た軍 事
意 の根 基 と な った 判 断 であ った。
ニ落 付 キ タ リ
法 ナキ ヤ ト考 フ ル為 ニ、 ﹁長期 戦 ニナ ル モ大丈 夫 戦 争 ヲ引 キ 受 ケ ル﹂
二
三
年 カ再 来 年 ノ問 題 ダ、 時 ハ今 ダ 、 神 州 ノ 正気 ハ此 場 合 ニ光 ヲ放 ツ戦 争 ヲ ヤ リ南 ヲト ル方 ガ国 防 国 策 遂 行 上光 明 ア リ、 而 シ テ戦 争 ノ終 結 ニ就
次 ニ ﹁ソ﹂ ヲ屈 セ シ ム ル
テ ハ日 本 ノ南 進 ニ ヨ リ独 伊 ヲ シ テ英 ヲ屈 服 セ シ ム ル公算 大 ト ナ ル、支 那 ヲ屈 セ シ ム ル公算 ハ現 在 ヨリ モ大 ト ナ ル
日本 が 戦争 を はじ め ると す れば 、 こ のよう な期 待 感 に立 つ作 戦 し か
コト モ出来 ル、 南 ヲト レバ 米 ノ国防 資源 ニモ大打 撃 ヲ与 フ ル コト ヲ得 、 即 鉄 壁 ヲ築 キ其 中 ニテ亜 細 亜 ノ敵 性 国 家 群 ヲ各 個 ニ撃 破 シ他 面 米 英 ヲ
考 え ら れな か った。 日本 の国 民経 済 の持 つ力 は、 こ の作戦 の範 囲内
争 第 三 年 ニア ルノナ ラ戦 争 ヤ ル ノ モ宜 シイ ガ永 野 ノ説 明 ニヨ レバ 此
も なれ ば ど う か。 さ き の十 一月 一日 の連 絡 会議 の席 上、 ﹁勝 算 ガ 戦
の戦争 なら ば 十分 強 力 に推進 でき た で あ ろう。 が しか し、 長 期戦 と
五 年先 キ ハト
倒 スベ キ ナ リ、 英 ガ倒 ル レバ 米 モ考 ヘル コト ア ルベ シ 問 ハ ルレバ 作 戦 政 治 、外 交 何 レ モ皆 ワカ ヲ ヌ ノ ハ当 然 ダ
日 本 の 戦略 と 経 済 戦 力
カ ラ結 論 ト シ テ今 戦 争 ス ル ノガ良 イ ト ハ思 ハヌ﹂ (﹃ 杉山 メモ﹄上巻、
点 不 明ダ 、 然 モ自 分 ハ米 ガ戦 争 シ カ ケテ来 ル公算 ハ少 イ ト判 断 ス ル
方 策 も な か った し、 日本 の生 産 力が 新 た な る戦 略 的要 求 に対 処 し え
た戦 争 で あ る かぎ り、 日 本 は これ ら の事 態 に対 処 す る適 切 な準 備 も
推 移 に より、 日本 の有 利 に戦 は終 わ る であ ろう と の期 待 のみ で始 め
日本 の経 済 戦 力︱ ︱ 開 戦 時 、 日本 の航 空 機 工 業 は毎 月 五五〇 機 の
あ る。
深 さや ひ ろが り ︱ ︱補 給 ・消 耗 戦 の実 相︱ ︱を 思 い知 ら され た ので
日本 の指 導 者 たち は、 こ の時 はじ め て戦 争 の経 済 的要 求 の驚 く べ き
の船 舶 喪 失 は急 激 に上 昇 し 日本 側 に恐 怖 を与 え ず に は おかな か った。
戦 争 の米 軍 勝利 の第 一歩 であ った 。十 一月 に は情 勢 は 一変 し、 日 本
昭 和 十 七年 八月 に米 軍 は ガダ ルカ ナ ル島 に地 歩 を占 めた。 太 平洋
か った のは当 然 であ った 。
三七三頁)と非 戦 論 を とな え て いた大 蔵 大 臣賀 屋 興 宣 は、 南方作戦開始 ノ機 ハ我 ニ在リト スルモ決戦 ノ機 ハ依然米国ノ掌中 ニ在 リ蓋 シ米国主力艦隊 ハ遠 ク退避 シテ機 ノ至ルヲ待 テバ ナリ勿論南方戦略 要点 ハ我が有 ニ帰 シア ルモ二年後 即チ米国が決戦 ヲ挑 ム時 期 ニ至 レバ 我 ハ軍需其他 ニ於 テ幾多困難 ヲ生ズ ル ニ至ルベク確算 ナキ モノ ノ如 シ ( ﹃ 杉山 メモ﹄上、 三八二頁) と 主 張 し た。 前 出 の塚 田次 長 所 感 にあ るよ う に、 ﹁現状 維 持 は 不 可﹂ 長 期 戦 に
略計画 は ﹁ 我 ハ集 結 セ ル戦 力 ヲ急 襲 的 ニ使 用 シ敵 ヲ各個 ニ撃 破 ス ル
生産 を あげ 、 そ し て、 各 種 型 式 の航 空機 およ そ 七、 五〇 〇 機 に のぼ
自 信あ る者 無 しと いう 状況 で開戦 し た ので あ る から 、当 初 の日 本戦
コト﹂ ( 昭和十 六年十 一月 五日、第七回御前会議 にての杉 山参 謀総長説明 よ
を 可能 にす る よう な 、 比較 的 限定 さ れ た 太 平洋 防 衛圏 を つく りあ げ
聯 合 艦 隊 に追 加 さ れ た。 なお 昭 和十 七年 一月 の弾 薬 貯 蔵 量 はそ の年
達 し、 昭 和十 六 ︱ 十 七年 度 には 三 三 一隻 (四五 万 ト ン弱) の艦 艇 が
る陸 海 軍航 空 兵 力 を保 有 して いた。 海軍 の造 艦 計 画 は空前 の兵力 に
る こと にあ った。 し か し現 実 には最 初 に 予 定 した線 を は る かに越 え
の生 産高 の 五 カ年 分 に当 り、 地 上武 器 用弾 薬 は 六 カ年分 の生産 を こ
り。﹃杉山メ モ﹄上巻、四二九頁) にあ り 、現 兵 力 や補 給 品 の集 中 使 用
て四 方 に部 隊 を 進 出 さ せて し ま った 。 こ の過 度 の進 出作 戦 の背 景 に
え て いた。
日 本 の軍 需 工業 は航 窒 機 生 産 と造 艦、 造 船 とが 中 心 であ ったが 、
は、 米 国 の緒 戦 の打 撃 から の立直 り と反 撃 に転勢 す る速 度 と 強度 に
そ れ は対 米 戦 争 を 目標 に お いた から であ る。 商船 隊 拡 充 の必要 は、
対 す る 過小 評 価 、逆 に拡 大 さ れた 防 術圏 の防 衛戦 力 に対 す る 過大 評 価 が あ った 。 さ ら に こ のよ う な戦 略 に必然 的 にとも な う 経済 的 計 画
ト ンに達 し て いた 。 し か し、 平常 の輸 出 入 に限 っても 自国 船 だけ に
六年 に は約 五〇 万 ト ンが 商 船隊 に増 加さ れ 、開 戦 時 に は約 六〇 〇 万
戦 前 の日本 の軍備 計 画 の大 き な 一面 をな す も ので、 昭和 十 五年 と 十
る た め の重 い負担 、 船 舶 の予 想 外 の大損 失 、 分散 し て いる前 進 基 地
頼 り得 る状 態 に は程 遠 か った 。
緒 戦 の大 作 戦が 一段 落 す る や、 日 本 は長 く 延 び た補 給 線 を維 持 す
への考 慮 が 大 き く欠 如 し て いた の であ る。
の防衛 の困 難 な ど に直 面 し た。 も と も と短 期 決戦 の後 は 世 界情 勢 の
開戦 ま で の 一〇 年 間 に おけ る 日本 の努力 と経 済 的 成果 は 、驚 嘆 に
戦前 の日 米海 軍 兵力 比 較 な らび に推移 判 断
性 を有 して いた の であ った 。 し かも 、 日本 の軍需 工業 は 比較 的 小 さ
存 し て いた 。 この よう に封 鎖 作 戦 に対 し て は、 日 本 は絶 望的 な脆 弱
料 と 近代 工業 国 の血 液 とも いう べき 石 油 は全 面 的 に海 外 の生産 に依
た ま ま だ った 。す な わ ち、 食 糧 は自 給 自 足 しえず 、 重 要 な基 礎 的 原
側 に お いて は就 役艦 艇 中 に戦 備 不 完 のも のは る かに多 数 に上 るべ き
〇 、 〇 〇 〇 ト ン) の老朽 行 動 不能 艦 艇 を有 し て いた の に対 し、 米 国
軍 に お いて は富 士 、北 上 、 ︹二艦とも巡洋艦︺潜 水艦 等 計 一四 隻 (六
の判断 は、米 の 一〇 に対 し 日本 六、八 であ る けれ ど も開 戦 時 日 本 海
開戦 前 におけ る 日米 両 国海 軍 の保 有艦 艇 勢力 比 に関 す る 日本 海 軍
( 昭 和 二 五年 作 成)
く か つ新 しく建 設 さ れ たも のであ る から、 能 力 に は余 力 と いう も の
比 は米 一〇 に対 し 日本 七、五程 度 に は達 す るも のと判 断 して いた 。
状 況 をも窺 知 し 得 た結 果、 現 実 に洋上 にお いて 作戦 可能 の艦 艇 勢力
値 す る。 し かしな が ら 日本 は依 然 と して 重大 な 経済 的 弱 点 を か かえ
が な か った 。 ま た大 量 生産 の設備 のす く な い日本 で は、 工業 的 に機
散 し当 面対 日正 面 に充当 可能 の兵 力 は米陸 海 軍 を合 す るも 二、 六〇
当 され た兵 力 は、 一、 六 六九 機 であ った 。米 航 空兵 力 も 各方 面 に分
軍 の実 用機 計 三、 三〇 〇機 のう ち 聯合 艦 隊 に編 入 され 進 攻作 戦 に充
米陸 軍 戦略 爆 撃機 一、 〇 〇 〇機 以 上 と推 定 され た の に対 し、 日 本海
ま た海 上作 戦 可能 の航 空兵 力 は、 米 海 軍機 約 五、 五〇 〇機 およ び
械 的 に熟 練 し た労 働 力 を つく り あげ るこ とが でき な か った。 これ は 戦争 の進 む に つれ 経 済が 大 規 模 な作 戦 のた め に窮 迫 した とき 、未 熟 さ、 創 意 の不 足、 能 力 の欠 如 と な って現 われ た。 要す る に、 日本 は経済 力 、 資源 から みれ ば 小国 であ り、 輸 入 原料
日本 の経 済的 戦 争 能力 はあ る範 囲 で の短 期 限定 戦 争 を支 え 得 る力
に依存 す る外 はな い産 業構 造 を 持 った国 であ った。
〇 機 を 出 な いも のと推 断 され た ので、 日 本陸 軍航 空 兵 力 を加 算す れ
て は次 の通 り 判断 し てい た。 す な わち 、艦 艇 兵力 に つい て は、当 時
し か な か った。 多 年 にわ た って営 々と し て蓄 積 され た 武器 、 弾薬 、
の日 本海 軍 の既定 軍 備計 画 によ れば 、 昭和 一九年 度 末 ま で に増勢 す
次 に昭 和 十 七年 以 降 に おけ る 日米 両 国海 軍 兵力 の増 勢推 移 に関 し
回 限 りだ け 可能 だ った の であ る。 こ の 一回 の奇襲 が 平 和を も た らさ
べき 艦艇 は約 三 八万 ト ン ( 年 間約 一 三万 ト ン) であ って、 これ に出
ば 、 初 期 の航 空戦 は日本 側 に有 利 に展 開す るも のと 予 期 し て いた。
な いとき 、 日本 の運 命 はき ま って いた 。山 本 提督 が 述 べ た よう に、
師 準 備計 画 によ る戦 時急 増 艦 艇 お よび近 き 将 来 に発 足 を 予期 され た
石油 、 船 舶 を 投入 し て、 ま だ 動員 や 戦時 体 制 の完 了 して いな い敵 に
"日 本 は せ いぜ い 一年 か 一年 半 し か米 国を 相 手 に暴 れ ま わ る こ と は
第 五 次軍 備 補 充計 画 に基 く 緊 急整 備 の艦 艇 等 を加 え ても 、 年 間 二〇
対 し思 いも よ らな い痛 打を 浴 せ る こと は でき る。 ただ し、 そ れ は 一
で き な い" 国 だ った 。賀 屋 蔵 相 の危 惧 は現 実 と なり 、 彼 の予 言通 り
た。
万 ト ンの艦 艇 竣 工を 予期 す るこ と は相当 困 難 を伴 う も のと 考 えら れ
に戦 争 は進 行 し た の であ る。
(参考 )
上 の軍 備 実行 は可能 と は認 め られ た が、 そ の場合 と いえ ど も 経費 、
力 を最 重 点的 に造艦 お よび造 船 に集 約す る こ と に成功 す れ ば 、右 以
勿 論 開 戦 と同 時 に国 家 総動 員 計画 を発 動 し、 しかも 、 国家 生 産 能
米 国 は 日本 に七︱ 八倍 し て いると 推 定 され た 。
利 に よ る補 給能 力 低 下を 三 割程 度 と見 込 ん でも 補 給能 力 の比率 は、
て 仮 に米 側 に他 正 面 充当 の必要 あ る い は長 大 な補 給輸 送 路経 由 の不
技 術、 性 能 等 の点 から して ほと ん ど期 待 し得 な い所 であ った。 従 っ
如 上 の判 断 に基 く 日本海 軍 の作 戦 は、 緒 戦 にお い て米艦 隊 に痛 撃
加速 度 的 に逓 進 す るも のと覚 悟 せね ば なら な か った。
生 ず る こと は必 然 であ り、 し かも 日 を経 る に従 ってわが 方 の劣 勢 は
従 って航 空 兵力 の比率 は艦艇 のそ れ に比 し は る かに大 な る懸 隔 を
資 材、 能 力 、技 術 等 の総 合 的力 を 検 討 す る時 は、 年 間 三〇 万 ト ンを 超 ゆ る艦 艇 の竣 工 は不 可能 と 判 断 され た。 一方 、 米 国 の造 船 能力 は当 時優 に日 本 の三 倍 を超 ゆ るも のと 予想 さ れ たば かり で なく、 さら に米 国が 多 数 の優 秀商 船 を 艦艇 に改 装す
を 加え る と共 にそ の後 も敵 兵 力 の撃 破 に努 め つ つ早 期 海上 決 戦を 行
る こと を企 図 し (日本 側 の艦 艇 増 勢予 想 に はす で に これ を見 込 みあ り)、 か つ真 剣 に艦 艇 増強 に関 す る量 産方 式 を 採用 す る に お い て は
開 戦 前後 軍令 部 作 戦 課長
い彼 我 兵 力 比 の大 懸隔 を 来 さな い よう に特 に留 意 し て指導 せられ た。
︹ 冨 永 謙吾 ︺
吉 田英 三
富 岡定俊
日本 側 の五倍 乃 至 六倍 の艦 艇 を 竣 工 せ しむ る こと は決 して 困難 では
元海 軍少 将
な いと判 断 さ れ て いた。 昭和 十 六年 末 におけ る建 造中 お よび 計画 中 の艦艇 は、 米 国 の約 一
元海 軍 大佐
開戦 前 よ り終 戦 ま で海 軍雀 軍 務 局員
軍 需 工業
九 〇 万余 ト ンに対 し 日本 はわず か に三 二万 ト ン弱 な る こ と等 を も較
1
計 し て、 将来 に対 す る 日米 艦 艇勢 力 比 は、 日 本側 に有 利 に判 断 す る も 、 昭和 十 八年 に至 らば 対 米 五割 内 外 、昭 和 十 九年 にお い て は三割 あ る いはそ れ 以下 にも 低下 す るも のと 判断 せねば な ら な か った 。
国 四 七、 九〇 〇
昭 和十 六年 十 二月 の開戦 のさ い、 日本 陸 軍 は 四、 八 六〇 機 、海 軍
米
航 空機 に ついて は、 日 米 生産 ( 保 有) 能 力 に関 す る 予想 は、
四、 〇 〇 〇
は 二、 一二〇 機 の航 空 兵力 を 保有 し、昭 和 十 六年 の生産 高 は五、 〇
日本 ( 海 軍 のみ)
八 五、 〇〇 〇
昭 和 十 七年 度
八、 〇 〇〇
八 八機 に達 し て いた。 ま た、 艦 艇 の完 成 ト ン数 は同 年 には 二二 五、
昭 和 十 八年 度
一五 九 ト ンに上 り 、十 カ年間 の完 成総 ト ン数 は七 〇 一、 九 二九 ト ン
一〇 〇、 〇 〇〇
であ って米 国 は十 倍 以 上 の優 位 を 示 して いた。 勿論 日本 側 に お いて
に及 ん で いた。
一二、 〇 〇 〇
は海 軍 機 と ほぼ同 数 の陸軍 機 の生産 ( 保有 ) を 予察 して い たが 、 元
昭 和 十九 年 度
来 陸 軍 航空 兵 力 は これ を対 米 正 面海 洋 作戦 に指 向す る こと は、 訓 練、
戦車 そ の他 の装 甲 車 輛 の生 産 は昭 和 十 六年 には 二、 四 四 六輛 にの
潜 水艦 探 知 器が A級 にな った の は昭 和十 八年 の こと であ り、 重 要性
る。 造 船 量が 昭 和十 六年 は 二 四万 ト ン、 十 七年 には 三 六万 ト ンと い
さら に由 々し いこ とは 船 舶 の建 造 に重 点 を お かな か った こと であ
への順応 が い か におく れ た か を 示 し て いる。
う数 字 は、 あ ま り にも 状 況 への判 断が 誤 って いた と いわ ねば な ら ぬ。
五 カ年 分 の弾薬 を貯 蔵 し て おり、 武 器 の方 は陸 軍省 の統計 で は優 に
ぼ り、 そ の他 の自 動 車 は四万 七 千台 を 数 え て いた。 ま た同年 に は約
九 五 コ師 団 の装 備 を 賄 なう こと が でき た。 商 船 の保 有 量 は 六百 万 ト
し たが って これ だ け の艦 艇 、 航空 機、 商 船 、兵 器 および 弾 薬 があ
ン に達 し て いた 。
ら 三 カ年 の間 に造 ら れ た 油送 船 (タ ンカ ー) はわず か に六万 ト ンで
計 画 の失敗 は建 造 さ れ る べき 船 のタ イプ にもあ った。 昭 和十 五年 か
り多 く の機 数 と新 型 機 が要 望 され た。 しか し、機 械 の入 れ替 え と か
力 は約 七 千機 であ った が、 陸 軍 の第 一線 機 は約 一千 機 にす ぎ ず、 よ
航 空 機 の生 産 に つ いて は かな り進 歩 が 見 られ た。 開 戦時 の航空 兵
この過 誤 は取 り 返 せ るよ う なも ので はな か った。
あ った が、 昭 和十 九 年 にあ わ てて油 送 船 に最 優 先を 与 え たと ころ で、
れ ば、 占 領 地 を確 保 す るだ け の戦争 を はじ める に は充 分 だ ろう と 日 本 軍 部 は考 え てい た。 日本 の軍 需品 生 産 計 画 の力 点︱ ︱ そ れ は ミ ッド ウ ェーお よび ガダ
上 と 空中 に移 り、 日本 は守 勢 に立 たさ れ武 器 の選択 の主 導権 が 米 国
新 工場 の鋼 材 の不足 と いう 障害 も 少 なく な か った。
ルカ ナ ル以 後 立 て直 さ ねば な ら なく な った が 、 これ は戦争 が 主 に海
レ ーダ ー、 航 空兵 器、 弾 薬 、 空 母、 小 艦艇 に変更 せね ば な ら なく な
終 製 品 の分 配が 適 切 で な か った。 兵 器 に つ いて いえば 、 昭 和 十 七年
そ の上、 戦 争 が当 面 し て る要 請 への理解 が 不 十分 だ った た め、最
他 の装 甲車 輛 の生 産 はす で に十 七年 が ピ ーク であ り、 地上 部 隊用 弾
本 のあ がき と も いえ る風船 爆 弾 によ るも のだ った。 一方、 戦 車 そ の
器 は おく れ て 二十年 二月 であ った。 これ は主と し て最 後 の無 益 な 日
る。 商 船建 造 のピ ー クは 十 九年 一月、 海 軍艦 艇 は同 年 八 月、 陸軍 兵
であ ったが 、 この時 は航 空機 と海 軍兵 器 の生産 ピ ー クが 一致 して い
軍 需 生産 のピ ー クと需 要 ︱ ︱ 全 生産 高 のピ ーク は昭 和十 九 年 九月
の本 土 上 陸が 切迫 す るに つれ て昭和 二十 年 に は再 びB に戻 った。
戦 車 は昭 和 十 六年 の順位 A から 十 九年 に はD に落 さ れ た か、 米 軍
口を して い た。
変 更 さ れ た ので生 産 も落 ち、 技 師 た ちは 陸海 軍 は モデ ル狂だ と かげ
一方 で は爆 撃機 から 戦 闘機 への生産 転 換 があ り、 計 画 も しば しば
側 に帰 した か ら であ る。 そ の結 果兵 器 生産 の重 点 は航 空機 、 無 線機 、
った。 商 船 に対す る敵 潜 水艦 の恐 るべ き脅 威 に対抗 す るた め には、
軍需品生産計画のあやまり︱︱ 完成兵器 の生産は昭和十六年 から
護 衛艦 艇 は六 万 ト ン級 戦艦 より も はる か に重 要 な艦 種 と な った 。
十 七年 に かけ て 三〇 % 上昇 した が、 特 に船 舶 と 大砲 と 航空 機 部 門が 好 成 績 を示 した 。 し か し、 これ ら の増 産を 過 大 に評 価 す る こと は で き な い。 なぜ な ら昭 和 十 六年 の絶対 量 そ れ自 体 が き わ めて貧 弱 だ っ
の優 先表 で、 A級 は三 種 で戦車 、 大 型 ラジ オ、 無 線 検 波 器だ った。
た から であ る。
た と えば 、 今 度 の戦 争 で急 に重 要性 を 加 え た航 空兵 器 、航 空弾 薬 や
薬 に つい ても同 様 であ る。 陸軍 砲 の生 産 は十 八年 にピ ー ク に達 した が 、 高 射砲 のみ は十 九年 ま で上昇 を たど った 。 増 加率 だ け か ら見 る と最 高 生産 高 は非 常 に高 いよう に思 われ るが 、
日 本軍 需 産業 の状 況︱ ︱ そ の情 勢 を 明ら か にす るた めに外 国 と 比
較 し て みる と、 軍 需 生産 の最高 年 次 であ る 昭和 十 九年 に つい て日米
海 軍艦 艇 は 一一 ・三 %、 商 船 は 一七 %、 戦 車 四%、 ト ラ ック 八%、
機体 生産 高 は、 日本 は米 国 の 一 一 ・五%、 航 空 発動 機 は 一四%、
を比 較 すれ ば 次 の と おり であ る 。
げ た も のは商 船 で、喪 失 は新 造 船を はる か に上 まわ って いた。 す な
九% 等 であ った 。 これ ら の比 率 を全 部 平均 す れば 日 本 の生産 高 は米
小 兵 器 四 ・四 %、 爆 弾 一六 ・七% 、 大 砲 一一 ・八%、 弾 薬 類 一五 ・
しか し全 戦線 の需 要 を 満 たす には程 遠 いも のだ った 。最 も不 足 を告
わち 、戦 時 中 の延造 船 ト ン数 約 三 二〇 万 ト ン に対 し八 六 〇万 ト ンを
いま 、 日本 を ド イ ツ および 英 国 と比 較す れ ば 日本 の地位 はや や良
国 の約 一〇 % にすぎ な いこと が 明白 と な る。
喪 失 し て い る。 一ト ン つく って 三 ト ン沈 めら れ たわ け であ る。
好 とな って い る。 す なわ ち、 日本 の航 空機 生 産 は機 数 で は昭 和 十九
航 空 機 生産 高 も昭 和 十 七年 以 降、 ど の戦 線 にお いて も 制空 権 を獲 得 す るま で に は つい に達 し な か った。 た と え、 生産 が 当 時 の水 準 以
産 よ りも む し ろ輸 送 補給 の問 題 だ った 。昭 和 十 八年 に前線 に輸 送さ
に保 存 し てお く と いう に は十分 と は行 かな か った。 これ は しか し生
器 類 を 本土 に持 ち帰 る こと は不 可能 であ った し、 さ れば と い って守
る こと に決 定 し た時 、 軍需 補 給上 の新 た な問 題 を生 じ た。 前 線 の兵
切 の兵力 と 補給 を本 土 に集 中 し、 海 外 派遣 軍 は孤 立 の状 態 に置 かれ
昭 和 二十 年 の日本 軍 需生 産︱ ︱ 二十年 のは じ め 本土決 戦 のた め 一
% と な って いる。
本 は 同年 九 月) が 、最 終 月 は ピ ー ク の五五% 、 日 本 はピ ー ク の五 九
産 傾向 を 比較 す ると、 ドイ ツは昭 和 十 九年 七 月ピ ー ク に達 し た (日
年 は ドイ ツの七 〇% 、 英 国 の 一〇 六% であ った。 日独 両 国 の武 器生
上 に増 大 し て いた と して も、 燃 料 不足 によ ってパ イ ロ ット の訓 練 が 大 いに制 約 され て い たた め、 おそ らく 優 秀 な パイ ロ ットを 十分 に養 成 す る こと はでき な か っただ ろ う。 地 上部 隊 の武器 や弾 薬 の生産 も 、 太平 洋 の広 範 囲 に 展開 して いる
れ た 陸軍 補 給 品 のう ち 、 一七 % は船 舶 沈没 のた め喪 失 し たが 、 十 九
備 隊 に補給 す る 術も なか った。
守 備隊 に対 す る補 給 や長 途 の海 上 輸 送 の後 、 さら に適 当 に予備 を常
年 には これ が 三 三% に のぼ り 、 さら に二十 年 前半 には 五〇 % にも達
接 戦 用 の特 殊兵 器 が 必要 と な り、 練 習機 と旧式 機 が 神風 特 攻兵 器
し た のであ る。 十九 年 に フ ィリ ピ ンの激戦 地 に送ら れ た軍 需 品 は半
と して 航空 兵 力 に 加え ら れ た。 二十年 八 月、 航 空機 は陸海 合 せて 一
ま た、 海軍 艦 艇 建 造 の露 点も す っか り変 って、 殆 んど 小型 の水 上 と
〇 、 七 〇〇 機 、 そ のう ち 戦闘 機 と特 攻 兵 器用 のも のが 五〇 % だ った。
爆 弾 、航 空 魚 雷、 高角 砲 およ び弾 薬 、艦 船 用 機銃 等 の海 軍 兵 器 の
分 し か現地 にと ど かな か った。
補 給 も 不足 勝 ち だ った。 昭 和 十 八年 、 十 九年 には軍 民 小型 艦 船 の建
水中 特 攻 兵 器 に かぎ られ る こと にな った。 す なわ ち、 戦 艦 の竣 工は
造 が 増 加 し て機 関砲 の不足 が 生 じ、 艦 船 の武 装 は半 分 にも達 しな い こと にな った。 (七 二︱ 七 四頁 )
兵 器 工業
兵 器生 産努 力 ︱ ︱ 航空 機 と艦 船 以外 の兵 器生 産 も 一般 に加速 度的
2
な増 産 の傾向 を た ど り、 昭和 十 九 年 の初 秋 にピ ー クに達 し た。 し か
の年 の終 り に、駆 逐 艦 の建 造 は 二十年 に打切 ら れ た ので あ った 。
昭 和 十 七年 以 後 はな く 、 巡 洋艦 の建造 は十 九年 はじ め に、空 母 は そ
大 型 、中 型 の潜 水 艦 の造 艦も 大 幅 に縮 少 され た のに反 し、 特 別 攻
った。 航 空関 係 、 海 軍砲 部 門 は 二十年 のピ ークま で は航 空機 や 艦船
し そ の後 は ひ ど い低落 を た どり 昭 和 二十 年 夏 に はみ じ めな 有様 と な
の増 加率 と なら ん で増産 を つづ け た 。航 空 拡張 に関 連 のな い部 門 の
いえ ば 、油 送 船 だけ は八〇 % も 増 大 し たが 、 これ も間 も な く打 ち き ら れ た。 中 火 器 と戦 車 の生産 が 復 活 し て力 を 入れ る こと に な った。
撃 艇 隊 用 の艦 は大 量 建 造 さ れ る こと にな った。 ま た、 商 船 に つ いて
た こと は著 しく 生産 能 力 を 阻害 し た。
海 軍 砲 の生 産 は中 止 さ れ た。 こ のよ う に重 点 と生 産計 画が 変 更 さ れ
な ど は供 給 が十 分 で き た。 し か し レーダ ー に つい て の低 い技術 的 水
海 軍 兵 器 の中 で 特 に機 関 砲 とそ の弾 薬 、 それ と ラジ オや電 気 装置
兵 器 は 一般 に軽 視 さ れ る か無視 され た。
に は、 鋼材 そ の他原 材 料 の枯 渇 、 局 地輸 送 の不如 意 、熟 練 工 の不 足
日本 の軍 需 生産 を阻 害 し た 主因 ︱︱ これ は空 襲 が激 化 さ れ る以前
と欠 勤 が 主 な原 因 だ った 。 日本 の軍需 生 産 は航 空 機 工業 を除 け ば 集
陸 軍兵 器 の生 産 は 大体 適 切 でな か ったが 、戦 地 への補 給 の不足 を
準 はこ の成 果 を引 き 下げ てし ま った。
んど す べ て の陸 海 軍 の兵 器 生産 に つ いて は、 鋼材 の枯 渇 こそが 十 九
中 爆 撃 の目標 と は な らな か った。 商 船 と艦 艇 、自 動 車生 産 お よび 殆
ト ラ ック生 産 の低 下 は戦 争 に直 接影 響 は な か ったが 、 工場 疎開 のた
ぼ した。
め輸 送が 激 増 し て国 内 経済 が 混乱 し、 そ れが 軍需 生産 に悪 影響 を及
生 じ た 主因 は、 む しろ船 舶 の不足 と 沈没 に よる補 給 品 の喪 失だ った。
十 九 年 末 に かけ て の航 空 機 の生 産 低下 は、 主 と して発 動 機 の払 底
年 末 と 二十 年初 め の生産 低 下 の主因 であ った。
によ るも のであ り 、溯 れ ば 鉄 合金 の欠 乏 に基 づき 、 一部 は熟 練 工 の
れ ば 、 それ は兵 器生 産 総額 中 か ら陸 軍 関係 兵 器 の数 量 が相 対的 に減
日本 の軍 需 生産 状 況 の顕 著 な 動 向︱︱ まず 陸 軍兵 器 に ついて のべ
ら の大規 模 攻撃 の第 一目標 ではあ ったが 、 しか し 二十年 三月 以前 の
少 した こ と であ る。 す な わ ち、 全兵 器 生 産高 に対 す る陸軍 兵 器 生産
不足 によ るも ので あ る。 日 本 の航 空 機 工業 は 米軍 の マリ ア ナ基地 か
投 弾 量は 比 較的 少 量 だ った 。 発動 機 工場 は三、 四月 に、 機 体 工場 は
の割 合 は、 昭 和十 六年 の六 四% か ら毎 年減 少 し 、 二十 年 に は三〇 %
こ の傾向 には 三 つの基 本的 理 由 があ る 。第 一に米軍 が 攻撃 の重点
六 、 七月 に集 中 攻 撃 され た 。 工場 疎 開 は約 二、 八〇 〇機 の損 失と 見
(冨永 謙吾 )
に低 下 し て いる。
ム の欠乏 によ ってひ どく 阻 害 され た であ ろう 。
積 ら れる 。空 爆 の損失 が な か ったと しても 航 空機 生 産 は ア ルミ ニウ
を置 いた地 域 の防 衛 責 任 は海 軍 の受 け持 ち であ り、 米 軍 の攻 撃 の矢
面 に立 ち向 った も の は主 と して 日 本 の艦 隊 と海 軍 航空 兵 力 であ った
か ら であ る。 陸 軍航 空 兵力 が大 き な損 耗 を 受け た のは、 海 軍 航空 兵
海 軍兵 器 生 産 の方 は 、戦 争 の期 間 に戦前 十 ヵ年 平 均 よ りも 約十 倍
色 が あ った。
に増 大 した 。 海軍 砲 は減 産 したが 、 高角 砲 や機関 砲 はう な ぎ 上 り に
力が 殆 んど 全 滅 に瀕 した ので、 航 空兵 力 増強 のた め 在満 洲 の航空 兵
ン戦 以 後 と ニ ューギ ニア戦線 にお け る場 合 であ る。
力 を す べ て南 方 戦域 に集 中す る必要 を生 じ た十 九 年後 半 の フリ ィピ
て いる。 砲 弾生 産 の傾向 も 殆 ん ど大 砲 の場合 と同 様 であ る。 航空 機
増 産 し た。 例 えば 、 航空 機 用 機 銃 は十 八年 に二 三、 四〇 〇 挺 に上 っ
用 弾薬 は最 大 の増 加 を示 した ( 昭 和 十 八年 の七、 一九 八万 発 が 一九
第 二 に、 戦 争 の最 初 の二 ヵ年 半 は、 米 軍 の進 攻 は 主 とし て 孤立 し た戦 略 的島 嶼 に対 し て行 な われ たが 、 これ ら の島 は兵 力 増 強 の途 が
年 には計 画 の六 八% で八、 四 二五 万発 ) 。
無 線 と 電 気装 備 の生産 高 は十 六年 から十 九 年 の間 に六倍 半 に増 大
殆 んど鎖 さ れ て いた ので、 武 器 の損 耗 はそ の島 の守 備 隊 が保 有 し て
し 、海 軍 兵 器 総額 の四分 の 一を占 めた。 日本 海軍 は ミ ッド ウ ェー戦
い るだ け であ った。 第 三 に、 太 平洋 戦 争 は主 と し て海 上 戦 な らび に 航 空 戦 であ った ため 、 大 量 の重 砲、 戦 車等 の従 来 の地上 兵 器 は緊 要
った。 しか し、 と も かく レ ーダ ー の生産 は十 八年 には 一、 八 五〇 台
の後 ま で レ ーダ ーを持 たず 、 こ の 工業 を基 礎 から 始 めね ば な らな か
日本 は 開戦 前 に レ ーダ ー の情報 を入手 す ること が でき ず 、 強力 な
高 一 一、 九 四 二台 のう ち航 空 機用 は 二、 九 五 九台 であ った 。
と な った が 、 そ のう ち航 空 機 用 は 四〇〇 台 、 ま た、 十九 年 には生 産
不可 欠 と いう わけ で は な か った。 そ こで 、野 砲 、弾 薬 、 装 甲車 類 は
顕著 に上昇 を 示 し た。
減 少 し、 一方 航 空 兵 器 、弾 薬 、 ラジ オ、光 学 機 械、 海 上 輸 送器 材 は
日 本陸 軍 は上 陸 用舟 艇 の みな らず 、 補給 用 と し て陸 軍 用潜 水 艇 の 建 造 を 主張 し てや ま な か った。 陸軍 はま た風 船爆 弾 の生産 に力 を 入 れ 、 そ の経費 は昭 和 一九年 一〇 月 の 一〇〇 万 円 か ら 二十 年 二月 には
ーに比 べ 性能 が 劣 り 粗悪 だ った。 陸 海 軍間 の協力 も ま った く行 な わ
永 久磁 石 や 超 短波 送 信管 を 製 作 でき な か った た め に、米 国 の レーダ
れ な か った。
四 、 九〇 〇 万円 に達 し た。 約 九 千箇 (一四、 一〇 〇 万 円) を米 国 に 向 け て放 ったが 何 の反 響 も 起 こさな か った ので、 二十 年 三月 に中 止
一方 、 昭和 二十年 の後 半 、連 合 軍 の本 土 進 攻 の可 能 性が 増 大 す る
れ らを 生産 す る工廠 や 工場 は殆 んど空 襲 は 受け な か った が、 生 産 は
産 低下 の主 な原 因 は十 九 年 中 期以 降 の鋼 材 割当 の低 下 であ った。 こ
海 軍 兵 器生 産 高 の三分 の 二を占 めた大 砲 、弾 薬 、爆 弾 、 機雷 の生
に つれ 事 態 は再 転 し た。 航 空機 関 係 は依 然 高 順位 を 占 め て いたが 、
え て いた。 な お鋼 材 ほど 重要 で はな いが 、 銅 の不 足 ( 薬 莢用 ) と 局
す で に五〇 % 以 上減 退 し遊 休 工場 能力 が 戦 災 工場能 力 を は る か に超
し た の であ る。
大砲 は順 位C か らB に、 ま た戦 車 類 はD からB に上 り 、海 上 輸 送器
いたが 、減 少 す る鋼 材 を す こ し でも当 面 の基 本 的 用 途 に まわ す た め、
は五 月 中ご ろま で は資 材 不足 、 そ の後 は空襲 によ る混 乱 が減 産 の主
地 輸 送 力 の不 足 と疎 開 を あげ ね ば な らな い。 したが って 、生 産 低 下
材 や通 信 装置 は軽 視 され る こと にな った。 時す で に遅き に失 し て は
計 画 を 絶 えず縫 い つく ろ って行 な ったと ころ に日 本 の兵 器 生 産 の特
入れ た結 果 、 電池 、 コンパ ス類 が 不足 を来 した 。 日本 の レーダ ーは
二十年 に は本 土 上陸 迎 撃 のた め特 攻 兵 器 が重 視 され 、 豆潜 に力 を
な量 要 船種 でも 二〇 挺 予定 のと ころ四 ︱ 八挺 しか装 備 でき なか った。
日本 の兵 器生 産 はど の程 度 要求 を 充 た し たか︱︱ これ はむず か し
非 常 におく れ て 工場 施 設 や数 量 よ りも 品質 に お いて欠 陥 があ り、 使
因 だ った と いえ よう 。
い問 題 で単 に生産 数 量 を 挙げ るだ け で は答 え にな ら な い。 ま た、 輸
〇 ・六% 、 大 口径 の大砲 と 海軍 砲 は二二 ・ %、 戦 車 は 四 ・七% 、 高
わ ち 、臼 砲 の生 産 高 は米 国 の四% 、 小火 器 弾薬 は 六 ・五% 、爆 弾 は
日 本 の兵 羅生 産 高 ︱︱ む ろ ん米 国 と 比較 す る と僅 少 であ る。 す な
用 者 の要 求 に添 わ なか った。 (七 三︱ 七 四頁 )
送途 上 の亡失 が 大 き な問 題 であ る。 まず 、 輸送 途 上 の補 給 品 の損失 に つ いて のべれ ば 、 そ の数 量 は増
年 の 一六 万 ト ン ( 積 出 軍 需 品 の三 %) から 十 八年 には 一 三九 万 ト ン
射 砲 弾 八%等 であ った。
加 の 一途 を たど り莫 大 な ト ン数 に上 って いる。 す な わ ち、 昭和 十 七
(一七 %)、 十 九年 に は 一、 四〇 五 万 ト ン (三 三%) に上 った。 ま た 、
第 二に 日本 は大 規 模 で はな い にせ よ、 長期 にわ た る消 耗戦 に引 き
側 は大 童 に な って奮 闘 、努 力 し たが 、 資 材 と製 作 技術 の両方 か ら制
同様 にす べ て の需 要 を充 足 し得 な か った ことを 指 摘 し て いる。 日 本
数字 で表 わす こと は でき な いが 、 あ らゆ る証 言 は兵 器も 他 のも のと
て よう や く航 空 機 に 必要 な 兵器 を 補給 す る こと が でき た のであ る。
日本 は地 上部 隊 、海 上 兵力 な ら び に商 船 保護 な ど の兵 器 を削 減 し
十 九 年 に フ ィリ ピ ンに送 られ た補 給品 の半分 は海 没 し、 二十年 には 仕 向 け た軍 需 物 資 の約 五〇 % に当 る 三四 万 ト ンが海 底 のも くず と な
込 まれ てし ま った。 例 えば 、 小 火 器 の補 給 は派 遣 部隊 用 に は十 分 で
って いる。 (海 没 の総 計 は 一、 六〇〇 万 ト ン)
あ ったが 、 米 軍 の本 土 上陸 の脅威 に当 面 し て、 本 土部 隊 の装 備 を 準
約 を受 け た のであ る 。(七 三︱ 七 四頁 。七 七 ︱ 七八 頁 )(冨永 謙 吾)
第 三 に需 要 と 不足 が そ の時 々 によ って変 り、 ま た戦 局 の推 移 に し
航 空機 工 業
(四頁) また 、﹁フィリ ピ ン、 マ レーお よび 蘭 印 に展 開 し て いた連 合
襲 はわず か に飛 行機 二九機 を 失 っただ け で実 施 され た も の であ る。 ﹂
ったく 想像 を 絶 す る意 表外 の出来 事 であ った。 こ の前代 未 聞 の大 奇
の行 動 距離 と いい、 艦 上機 の水上 艦 艇 に対 す る攻 撃 威力 と いい、 ま
日本 と航 空 兵力 の役 割︱ ︱ ﹁真 珠湾 攻 撃 は、 日 本 の空 母 機 動 部 隊
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備 し はじ め ると 大 量 の不 足 を生 じ て し ま った。
たが って変 化 し た こと で あ る。 ミ ッド ウ ェー以 後 は航 空 兵力 の強 化 に重 点 が お かれ た の で、航 空 機 関 係 の要 求 は 四倍 と なり 、弾薬 は 三 倍 に増 加 した 。零 戦 に装備 の 二〇 ミ リ機銃 に は特 に力 点が おか れ、 豊 川 工廠 は 二五 ミリ (艦船 用 ) の生産 を 二〇 ミリ に切 り換 え た ほど だ った。
要 が 激 増 した 。十 八年 には生 産 を十 倍 にす る計画 が たて られ 、 十 九
一方 、船 舶 攻撃 と 護 衛艦 建 造 計画 が 進 む に つれ て、 艦船 機 銃 の需
年 には さら に五〇 % 増 とな ったが 、 生 産が 迫 い つかず 油送 船 のよう
軍 航 空兵 力 ( 約 七 〇〇 機 ) は、開 戦 から 数 日 のう ち に、 大 部 分 は奇
頁 にあ るが 、 な お爆 撃機 、 偵 察機 の生産 高 を加 え て左 に示 し ておく 。
ク は十九 年 の第 三 ・四 半期 )。 日本 の航 空 機 の生 産高 は本書 一〇 一
土輸 入は 一四 七、 〇 〇 〇 ト ン にすぎ な か った)、 粘 土 の使 用 への工
供 給 の不足 を 補 い得 たほ ど十 分 にあ った と しても ( 昭和 十 九 年 の粘
の転 換 が強 力 に推 し進 め られ た 。 し かし粘 土 の輸 入が ボ ー キサ イ ト
イ ト の スト ックは殆 んど 無く な って、 お そ まき なが ら 粘土 の使用 へ
一九 年 度 に は三 四七 、 三 三 五 ト ンに落 ち た。 十 九年 末 に はボ ー キ サ
三 四 ト ンから 十 八年 度 は最 高 記 録 の 八 二〇 、 五 三 四 ト ンに上 ったが 、
は低 落 し 始 め て いた。 ボ ーキ サイ ト の輸 入 は十 七年 度 の四 五〇、 一
たが 、 そ の時 す で に こ の生産 に最 緊要 資材 たる ア ルミ ニゥ ムの生 産
日本 の航空 機 工 業 は昭 和十 九 年 度 の前 半中 生産 を増 大 し つつあ っ
機 種別 航空 機 生 産高
襲 を 受け て地 上撃 破 によ り殆 んど 一掃 され てし ま った 。 ﹂ (五 頁) こ う し て日 本軍 が 制 空 権を 獲 得 す るや ﹁わず か数 週 間 のうち に﹂ 広 大 な 地 域 は ﹁日本 陸 軍 に席 捲 さ れ てし ま った 。 ﹂ (五頁 )﹁以 上 の日 本 軍 の輝 や か し い緒 戦 の成 果 が 示す よ う に、 日 本側 は、 主な 攻 勢作 戦 は 、 そ の地域 の制空 権 な し には企 てる べき で な い こと を十 分 に心 得 て この戦 争 に乗 り 出 した 。﹂﹁ま た、 陸上 と 海 上 の目 標 は、 ど ちら も 航 空 攻撃 に対 し脆 弱性 を 持 って いる こと を 認識 し て いた。 し かし な が ら、 日本 側 は制 空 権 を 持 続す るた め の必要 条 件 の全範 囲 と複 雑 性 を 正 しく 評価 す る こ と には 失 敗し た 。 ﹂ (五頁 ) のであ る。 ﹁日本 の開 戦時 に おけ る 航空 機 生産 計 画 は、 そ の後 日 本 側 で も 悟 った よう に、 単 に米 国 のそ れ と の比較 にお い てば か りで なく 、 自国 の経 済 能力 と の釣 合 い にお い てさ えも ま さ しく 不 十 分 で あ った 。 ﹂ ﹁航空 兵力 の訓練 、 整 備、 後 方 業 務、 技 術的 発 達﹂ の ﹁ 計 画 と実 施 も適 切 を欠 い てい た。﹂ (五 頁) 日本 機 の生 産高 ︱︱ 昭和 十 六年 の生 産高 は昭和 十 一年 の 四倍 に上
年 の約 六倍 に達 した 。 さら に十 六年 には全 体 の六〇 % を占 めた戦 闘
場 の転 換 は余 り に おく れす ぎ て いた。 ア ルミ ニウ ム生産 の激 減 は十
ったが、 真 の生産 拡 充 は十 八︱ 十九 年 に はじ ま り、 十 九年 に は十 六
用 航 空機 は十 九年 には 七 五% に昇 った。 しか し、 機 体 だ けが 六倍 に
九 年 度 の内 に始 ま った。
機 種別 の比率 は、爆 撃 機 が 十 六年 の二九 % か ら 二十 年 に は 一七%
空 機 工業 に流 し込 む こと に より償 なわ れ た。 十 八年 第 四 ・四 半期 に
ン へのア ル ミ ニゥ ム地 金 の減 産 は、 供 給 を 一段 と厳 重 に統 制 し て航
昭 和十 八年 の 一四 一、 〇 八四 ト ンから十 九 年 の 一一〇 、 三 九 八ト
拡 張 し た の に対 し 発 動機 は 四倍 以下 にとど ま った。 これが 第 一の隘
に低 下 した のに対 し、 戦闘 機 は二 一% から 四 九% に上 昇 し、 そ の機
は まだ 一八% も の原 生 地 金が 航 空機 工業 以外 の用途 に使 用 さ れ て い
路 であ った。
数 は十 七年 の約 三千機 から 四 四年 に は約 一万 四千 機 に達 し た (ピ ー
た。 十 九年 に はこ の比率 は急 低 下 し、 航 空機 工業 のた め必要 な ア ル
日本側 も も は や 回復 の望 み はな いと 観 念 せざ る を得 なく な った。
に激増 した 結 果、 つ い に航 空 機 の生 産 は損 耗 に追 い つけ なく なり、
太 平洋 戦 線 の 日米 航空 兵 力 比
でき た かど う か は、 次 の二 つ の比較 表 を見 れば 一目瞭 然 で あ ろう。
日本 の航 空 機が はた し て米 航空 機 と 対抗 でき る数 の航 空機 を生産
ミ ニウ ムは民 間 か ら の廃 品回 収 な ど でや っと補 って い た。 しか し、 戦 争 中 日本 は航 空 機 の生産 に最も 努 力 し、 そ の成果 も ま た見 るべ きも のが あ った 。昭 和 十 六年 一二月 か ら 二十年 八月 ま で に
は、 種 々な制 約 下 で運 営 され ね ば な らな か った 日本 の戦時 経 済 とし
造 られ た 機体 六五 、九 七 一機 、 発 動機 一〇 三、 六五 〇 台 と いう成 績
航空 機 生産 の計 画 と実 績︱ ︱ 生 産高 は現 実 に昭 和 十 八年 ま では上
て は決 し て少 な いと は いえ な い ので あ る。 (一〇 一頁 )
昇 し、 計 画 遂行 率 は平 均 九 〇% であ ったが 、 軍需 省 が 設 立 ( 昭 和十 八年 十 一月 一日) され て以来 は計 画 と実 績 が 大き く 離 れ、 計 画線 だ
十 九年 一月 から 二十 年 八月 ま で の達成 目 標 は 六六 、〇 〇 〇 機 であ
間 に米 国 は極 力 増産 に努 め 一七年 ︱ 十 八年 に はそ の比率 を 二〇% に
に は米 国 の 二九% であ ったが 、 日本 が 自 己満 足 し て足踏 みし て いる
戦 時中 の各 国 航空 機 生産 高 ︱︱ 日本 の航 空 機 生産 高 は昭 和十 六年
った が、 実 際 に引 渡 さ れ たも の は約 四 万機 で計 画 の 六〇% だ った。
下げ た。 も つと も そ の後 日本 は十 八年 の後 半 と 十九 年 に大 いに努 力
りだ った。
け が上 昇 して生 産 線 は下 降 し て行 き 両者 の間 隙 はま す ま す開 くば か
また 、 一〇 五、〇 〇 〇 台 の発 動 機生 産 計画 のう ち引 渡 さ れ たも のは
し て比 率 を再 び 三 〇% ま で高 めて い る。
戦 時 中 の各 国 航空 機 生 産高 は 一〇 一頁 にあ るが、 米 国 の生産 機 は
足も 出 な い のが 実 情 であ った。
し かし、 結 局 のと こ ろ圧倒 的 な米 国 の航空 兵力 の前 に日 本 は手 も
約 五万 六千 台 で 五三 % であ った。 軍 需 省 の計 画 は、 現 在 か らみ れば 、 き わ めて 夢想 的 であ る が、 お そ らく 戦 争 に勝 利 を得 んと すれ ば 、必
計 画 の重大 な 欠陥 は機 体と 発 動機 の生 産計 画 に所 要 資 材が 見 合 っ
然的 に、 この数 字が 算 出 され た のであ ろう。
土 か ら離 れ た地 域 で行 な われ て いた時 期 ま で は生 産高 は損耗 を 上 ま
日本 の航空 機 生産 は戦 時需 要 には十 分 だ った か︱ ︱ 戦 闘 が 日本 本
に、 米 国空 軍 大学 から よ せら れ た 回答 に よる も ので あ る。
月、 戦 時 中 の米 国 航空 機 総 生産 高 に ついて の、 防衛 庁 戦 史室 の質 問
否 か で 一〇 一頁 の数 字 と若 干 ちが ってく るが 、 次 の数 字 は、 本 年 一
機数 の 八〇% 内 外 と 推定 さ れ る。 ま たグ ライダ ーを生 産機 に含 む か
武器 貸 与法 に よる機 数 を含 ん で いるが 、 陸海 軍 に供 与 す る機 数 は全
わ って いたが 、 十 九年 に損耗 が いち じ るし く増 大 し た た め両者 の間
て いな か った所 にあ った 。
隔 は せば ま った。 二十 年 に は生 産 は落 ち、 損耗 は十 九年 よ り も さら
日本 機 の性 能 は要 求 に応 えた か︱︱ 生 産 重点 の変 更、 さ ら に初 期
って しま って い た。
(冨永 謙吾 )
優 秀な 飛 行 機が でき た こ ろに は燃 料 不足 で訓 練 も ろく にでき なく な
造 艦 工業
開戦 時 の日 本保 有 艦 艇︱︱ 開戦 時 の日本 海軍 は戦闘 艦 艇 だけ で 二
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軍 間 の対 立等 のた め日本 は戦時 中 非常 に多 数 の型 式 を採 用 した。 こ
三七隻 、 全 部 の就 役 艦 艇 は千 二百隻 にも上 って い だ。 これ に対 し、
の日本 の機租 が そ の後 時 代 おく れ と な った こと、 これ に加 え て陸 海
れ ら は結 局 のと ころ、 計 画 をく ず し、 生 産 を減 退 さ せ、 ま た能 率 の
な おこ の外 に極 東 方 面 には英 国 三九 隻、 オ ラ ンダ 二五隻 が あ り、 連
米 国 の太 平 洋艦 隊 は 一五 七隻 ( 戦 闘 艦 艇 のみ) と いう数 字 だ った。
日 本 は開 戦当 初 に当 って、海 軍 の零式 艦 戦 と 一式 陸 攻 をも って米
低 下 の大 き な要 因 と な った。
日 ・米だ け の海 軍 兵力 比 は、本 書 巻末 の ﹁太平 洋 戦争 諸 統計 ﹂ を
合 軍 合 計 二 二三隻 で、 な お 日本が 優 勢 だ った と い える。
み られ た い。 な お そ の ﹁比較 一覧 表﹂ に日本 は水 上機 母艦 五 隻 を有
て いる こと が 明白 にな る に至 って、 型式 変 更 のラ ッシ ュが はじ ま っ
国 機 に勝 てる も の と考 え て いたが 、 非常 に燃 え 易 くか つ火力 に欠け
た。 海軍 は五 三種 の基 本型 式 と 一 一二 の変 種 を 考 え出 し、 陸 軍 は 三
し て いた ことを 加 え て おく 。
開 戦 か ら終 戦 に至 るま で の日 本建 艦 計画 ︱︱ そ れ はま る で猫 の目
七種 の基 本 型 式 と 五 二 の変 種 を、 つま り合 計 す ると九 〇 糧 の型 式 と
も ち ろん 全部 の機 種が 随 時製 作 さ れ た の では な いが 、 昭和 二十年
一六四 の変 種 を設 計 し た。
各型 小 艦 艇が 要 望 され る。 昭和 十 八年 夏 から は離 島な ど への強行 補
の急 と さ れ て いたが 、 ガダ ルカ ナ ル撤 退 ( 昭 和 十 八年 二月) ま で は
開 戦 前 には潜 水 艦が 最 も 要望 さ れ、 開 戦後 は 一時 空 母 増強 が焦 眉
の よう に変 り、 改 訂 に つぐ 改訂 の連続 だ った。
輸 送 機 お よび 飛行 艇 各 一種 、 練習 機 五種 を製 作 し た。 ま た、 陸 軍 に
給、 船 団 護衛 用 と し て輸 送 艦、 潜 水艦 T 型
の はじ め に は海軍 は戦 闘 機 三種、 急 降 下爆 撃 機 四 種、 雷 撃機 二種、
は戦 闘 機 四種 、爆 撃 機 三種 、偵 察 機 二種、 輸 送 機 一種 、練 習 機 四種
戦 闘 機 に はも はや対 抗 でき なく な った 。 こ うし て、優 秀 な パ イ ロッ
さ れ る こと にな り、 昭 和十 八年 末 に登 場 のF 6F (ヘルキ ャ ット)
緒 戦期 に無敵 を誇 って いた零戦 も 次第 に米 国 の新鋭 機 の出 現 に押
し、 小艦 艇 、 水中 、 水 上 特攻 艇 に全 力 を 注ぎ 、 つい に特 攻艇 のみ に
大 型艦 はす べ て断 念 し、 進 水 後 の空 母 など は 工事 中 止 の上 避泊 疎 開
雷艇 の急 造 に全 力 を あげ る。 昭和 十九 年 か ら 二十 年初 め にかけ て は
(揚陸 掩 護、 船 団護 衛 用 低 速 対空 、対 潜 水 艦用 重 視 艦)、 海防 艦 、魚
( 輸 送 用)、 T型 駆 逐艦
が あ った 。
トが ま だ残 って いた時 には 旧式機 を使 って彼 等 を戦死 さ せて し ま い、
この造 艦 計画 の変 更 の跡 を 艦 種 別 にの べ ると 次 のと おり であ る。
て の工事 を中 止 し、 昭 和 十七 年 六月 ミ ゥド ウ ェー海 戦後 、 空 母 に改
ク で建 造中 であ り、 工程 は やや 遅 れぎ み で、 開 戦 と同 時 に戦 艦 と し
にあ った が、 第 四次計 画 艦 で は ﹁信濃 ﹂ が横 須賀 工廠 新 設第 六 ド ッ
す なわ ち 、 昭和 十 六年 に は艦艇 建 造 注文 の五〇 % 以 上が 戦 艦 と空 母
造 の上建 造 続行 とき ま った。 呉 工廠 で建造 中 の第 一 一一号 艦 は 工程
切 りか え られ る に至 った 。 (三〇 九︱ 三 一〇 頁)
に充 てら れ たが 、 昭和 二十年 に はそれ は殆 んど 皆 無 に近 く 、代 って
進 まず 、 中 止解 体 さ れ、 そ の他建 造 中 か未 起 工 の艦 は いず れも 中 止
艦 の建造 は 一九 四 二年 ﹁ 武 蔵﹂ の竣 工以後 はゼ ロにな った。 十 七 年
に集中 、 第 五 次計 画 は改 正第 五 次計 画 と な って急 ぎ 実行 に移 され た。
兵 力 を中 心と す る こと が 明ら か に な ってから 一時 建 艦 の中 心 は空 母
四隻 を 一挙 に失 い 、機 動 部隊 は潰 滅 に瀕 し、 ま た海 戦 の主体 が 航空
十 七 年 六月 の ミ ッド ウ ェー海 戦 で空 母赤城 、 加 賀、 蒼 龍、 飛 龍 の
かあ る いは逆 に竣 工 を いそ が され た 。
五〇 % 以 上 は潜 水 艦 と海 防 艦 に向 け られ た。 ま た 、 昭和 十 六年 に は巡洋 艦 、 駆逐 艦、 駆潜 艇等 は 二〇 % であ る
には 駆逐 艦 が造 艦 の八% (ト ン数 ) の比率 を 占 め て いたが 、 十 八年
が 、 ご 十年 にな る と 二五% は特攻 艇 や 上陸 用 舟 艇 に充 てら れ た。 戦
に は 三% にな り、 十 九年 に は 一% 以 下 にな った。
て いたが 、 戦況 の悪 化 に よ って竣 工 に畏 期 間 を要 す る空 母 の建 造 は
この改 正 計画 は 四百 十 三隻 よ り なり 空 母 二十隻 の急 造 を 主体 と し
しく は作 業発 注 額 の絶 頂 は 昭和 十 八年 で、 一九 年 にな ると 激減 した 。
一部 分 だ け続 け ら れ、 ま た 他 の艦 種も 間 も なく 緊急 必 要 とな った護
竣 工し た空 母 の引 渡 し は 十九 年 な かば ま で続 いた が、 建 造作 業 も
二十 年 に な ると 空 母 の引渡 し は 一隻 も なく 、 事 実 上空 母 の建 造 作 業
も 六 隻 の駆 逐 艦が 完 成 し た。 潜水 艦 建造 の最 高潮 を示 し た の は十 八
(基 準 三 万 三百 六十 ト ン) 五隻 と飛 龍 改型 十 五隻 を 含 み、 実 際 は飛
空 母 二十 隻 中 に は改 一三〇 号艦 ( 大 鳳 改型 ) た る大型 重 防禦 空 母
取 りや め艦 は実 に三百 三 十 八隻 に達 し た。
衛 艦 艇 、特 殊 艦 艇 の建 造 に切 り か えら れ 、 四百 十 三隻 のう ち 、建 造
年 で あ ったが 、 こ の作業 は 二十年 初 頭 に いた っても な お相 当 率 で続
龍 改 型天 城 、葛 城 の こ隻 が 完 成、 笠 置 、 阿蘇、 生 駒 の 三隻が 厳装 工
駆 逐艦 の引 渡 し は 一九年 が 最高 で、 三 一隻 が竣 工 した。 二十 年 に
は皆 無 に等 しか った。
け ら れ た。 そ の引 渡 し の最 高 は十 八年 の四 〇 隻 で、 十 九年 は三 七隻 、
程 ま で に こぎ つけ た のみ で他 は起 工 前 に中 止 とな って いる。
水 上 爆 撃機 三機 を搭 載 し、 こ の格 納筒 、 射 出機 、 ク レー ン の設計 は
実際 は四隻 建 造 、 内 三隻 が 完成 し た 。常 備 排水 量 五千 ト ンを 超 え、
世 界 最 大 の潜 水 艦 た る伊 四〇 〇 型 は、 この計 画 で十 八隻 計 上 され 、
二 十年 度 頭 初 の四 カ月 は 二二隻 であ った 。 そ の後 は潜 水 艦 の建 造 作
日 本 は潜 水 艦 の建 造 を維 持 す る た めに多 大 の努力 を払 った。 し か
業 は ま ったく 停 止 し た。
し、 戦 争中 十 分 にそ れ を使 い こなす ことが でき な か った し、 特 に戦
さ ら に昭 和 十 八、 十 九、 二十年 度 にわ た って戦 時 艦船 建 造補 充 計
非 常 な努 力 を 要 しき わめ て特 徴 あ る艦 だ った。
戦 時中 の造 艦状 況 ︱︱ 開 戦 時 の計 画艦 は いずれ も 完 成 か完 成寸 前
争 末 期 には燃 料 の不 足 が 致命 的 で あ った。
画 (略称 ﹁戦﹂ 計 画) が た てら れ、 これ には多 種 多様 な 艦 艇を 含 ん だ が、 相 当 数 は戦 況 の状 況 に即 応 し て、 予算 を 融 通 さ せ、議 会 の承 認 に先 立 って建 造 され て いた。 戦 時 中 の戦闘 艦 艇 状況︱ ︱ 開 戦後 着 工 し て完 成 した も のは、 空 母 三 ( 雲 龍 、 天城 、 葛 城) 三隻 と軽 巡 一 (酒 匂) にすぎ な か ったが、 昭 和 十六 年 以後 の戦 闘艦 艇 の引 渡 し は三 〇 五頁 の表 のと お り であ る。 日本 海 軍 はま た昭 和十 九︱ 二十年 に いわ ゆ る特 攻艇 約 六、 八〇 〇 隻 を建 造 し たが 、 これら の艇 は主 と して 米軍 の本 土 上陸 を 考慮 し て 上 陸 軍 に対 し損 害 を与 え る 目的 で造 られ た。 種 類 は 上陸 用 舟艇 、 沿
特 攻 用 舟艇 に は水 上 特 攻 艇 (震 洋 )、 豆 潜 ( 海 龍、 蚊 龍 ) 、人 間
岸 防備 艇 、 特攻 用 舟 艇等 より成 って いた 。
魚雷 ( 回 天) が あ ったが 、 日本 海軍 で は これら を 艦 艇 と見 倣 さず に 消耗 備 品 と し て分 類 し て いた。 そ し て こ の種 の雑 多 な特 攻 艇 の集 計 が 十 九年 と 二十 年 の海軍 艦艇 製 造 の半ば 以上 を 占 め て いた 。 し かし
用 量 は主 要 艦艇 より は る か に少 な く てす ん だ。 (三 〇 三︱ 三 〇 五頁)
特 攻 艇 や 上陸 用 舟艇 の多 く は大 部分 が 木造 であ った から 、 鋼材 の使
海 軍 造艦 の低 下 した 原 因︱ ︱ 海軍 造艦 は 昭和 十 九年 を 頂 点と して 低 下 した が、 そ の主 因 は鋼材 の欠乏 であ った。 一方 、艦艇 引 渡 し ト ン数 ( 四 六 六、 二〇 八 ト ン) は十 九年 に最 高 潮 に達 した が 、 これ は 完 成軍 艦 の多 く は 以前 に着 工 して 十 八年前 の投 入 鋼 材 で造 ら れた 空 母 や 駆逐 艦 、潜 水 艦 であ った から で あ る。
ンで は事 実上 停 止 の状 態 に な った。 (三〇 五 ︱ 三〇 六頁 )
十 六年 の五% に落 ち こん で しま った。 四 ヵ月 間 にわ ず か 一万 六千 ト
日本 の艦 艇 建造 高 は要 求 に応 じ たか︱︱ 日本 が 営 々とし て多 年 に
わた って蓄 積 し た軍 備 を も って、緒 戦 で は有利 に展 開 した 所望 の戦
で は戦 争 は終 結 せず 、 つい に日 本 が恐 れ て いた長 期 の補 給 ・消 耗 戦
局 は決 し て長 く は続 かな か った。 つま り、 念願 し て いた短 期限 定 戦
の泥 沼 に突 入せ ざ るを 得 な く な った。 戦争 能 力 や兵 力 の懸 絶 は日 を
追 う てひ どく な るば かり だ った。 こう し て、 海軍 戦 闘艦 艇 に ついて
戦艦
重巡
軽巡
潜水艦
米駆 逐 艦 には護 衛 駆逐 艦 四 一二隻 を含 む。
計
英 海 軍 に駆逐 艦 五 〇隻、 ソ連 そ の他 にも譲 渡 し た。
米 ・空 母 の中 に は護衛 空 母七 六隻 を含 む。
駆逐艦
いえば 、 一対 一〇 と いう 日 米両 国力 の差 をまざ まざ と表 現 した も の
考
艦秘 空母
日米両国戦時中 の就役主要艦艇 一覧
が 次 の数 字 であ る。
国別
備
米海 軍 はこ の外 沈 没 戦艦 四隻 を 引 き揚 げ た。
また 、 太 平洋 戦 争中 の重 要戦 局 におけ る 日米 保 有海 軍 兵力 比 を示 せば次 のと おり 。
六九 ・五
対米比率
三九 ・四
五 五 ・六
開戦 時 (昭 16 ・12 ・8)
ギ ルバ ー ト進 攻 前 ( 昭 18 ・11)
ガダ ル カナ ル放 棄後 ( 昭 18 ・1 ・末 )
海 軍 は昭和 一九 年 に は商 船建 造 に当 て る た め に、 艦艇 用 鋼 材 の消
つぶ した 上 、 二十 年 第 一 ・四半 期 の鋼 材 入 手量 は十 九 度 の 三〇% 、
費 を 手控 え た。 し か し、 十 九年 の大き な 建造 率 が 鋼 材 の在 庫 を食 い
沖縄作戦前 ( 昭 20 ・2)
レイ テ湾 海戦 後 (昭 19 ・10 )
マリ ア ナ海戦 後 (昭 19 ・7)
六 ・五
一三 ・八
一八 ・〇
二八 ・三
本 が自 国 の船 舶 事 情 の前 途 にいさ さ かも 不安 を感 じ て いな か った反
備 拡 張 の歩 調 と、 昭 和十 六年 の造 船 量 の低下 に見 ら れ る よう に、 日
こう し て、 日本 が 船舶 の建造 に重 点 を置 かな か った の は緩 慢 な 設
(冨 永謙 吾 )
見 込 みは、 戦 争第 一年 は 八〇 ︱ 一〇 〇 万 ト ンに対 し、 三〇 万 ト ン、
も っと も開 戦直 前 に企画 院 が 立案 し た喪 失量 見 込 みト ン数 と補 充
とき め こん で、 相 手を 見 くび って いた の であ る。
水艦 を 好 まず 、 これを 攻撃 兵 器 と し て積 極 的 に は使 用 し な いだ ろう
非 常 に いやが って い ると実 際 に信 じ て いた よう で あ る。 米国 人 は潜
を 決 して う まく 使 いこな せず 、 水 兵 た ちが 潜水 艦 に勤 務 す る ことを
は、 欧 州戦 でド イ ツのU ボ ー ト の活 躍 に か かわら ず、 米 国 は潜 水艦
減 す る こと にな って いた。 造 船 関 係 の役 人 た ちや 海 軍軍 人 の 一部 に
れば 、 十 七年 に は商船 建 造 はや や 増 加す るが、 そ の後 は引き 続 き漸
で 、 そ の主 務官 庁 で あ った逓 信 省 (後 の運 輸省 ) の最 初 の計 画 によ
事 実、 昭 和十 七年 七月 に造 船 業 務 の 一切 が海 軍省 に移 管 され る ま
映 と 考え ら れ る。
終 戦 時 (昭 20 ・8 ・15) こう し て. 終戦 時 にお け る次 の日米 保 有戦 闘 艦艇 兵 力 ほ ど 日米 の
造船工業
国力 と 戦争 の結 末 を雄 弁 に物 語 るも の はな いであ ろ う。
5
第 二年 は 七〇 ︱ 八〇 万 ト ンに対 し 五〇 万 ト ン、 第 三年 目 は七 〇︱ 八
と ころ で、 日 本が 戦 争第 三年 目 に は見 込 みよ り 四倍 以上 の喪失 す
〇万 ト ンに対 し 六〇 万 ト ンと な り、 かな り 現実 的 に推定 され て いた 。
日 本 の海 上 輸送 依 存︱ ︱ 日 本 が昭 和 十 六年 から 二十 年 ま で の戦 争
った で あ ろう 。 と いう のは、 日本 はあ ら ゆ る必要 物 資 を輸 入 に頼 っ
る こと にな ろう と は夢 にも 思 って いな か ったし 、 ま た、 当 時 可能 と
期 間 中 に海 上 輸送 に依 存 した 程 度 は多 分英 国 よ りも はる か に大き か
て いた だけ でなく 、 さ ら に石 炭等 の重 要物 資 の国 内 輸 送も ま た海 運
ン に ふえ た ので、 開 戦 前 に日 本 はも う 十分 に完成 し た商船 隊 を持 っ
い る のは、 爆 撃調 査 団 の算 出 し た造 船 着 工高 の月 別指数 であ る。 そ
造 船 に対 す る努 力 の強 度 と そ の経 過 ︱ ︱ これ を最 も 明瞭 に示 し て
ったと ころ であ る。
考 え て いた量 の二倍 以 上を 建 造 でき ると は、 これ ま た予想 も し な か
た と いう 自 信 を抱 き 、造 船 力 をも っぱ ら艦 艇 の改 装 強 化 に ふり向 け
れ に よる と開 戦当 初 十 一ヵ月 間 にお け る新 船建 造 の ため の努 力 の大
昭 和 五︱ 十年 の十 年 間 に保 有船 腹 が 四〇 〇 万 ト ンから 六〇 〇万 ト
によ って い た から であ る 。
た。
き さ は、 事 実 上 前年 のそ れ を超 え て いな か った のであ る。 造 船 のた
三 ・六ヵ月 分 に減 った。 こ のよう な少 量 の スト ック では部 品 を 先 に
ト ックも 十 七年 には 七 ・六 ヵ月 分 あ った のが 、 十 九 年 に は 僅 か に
船 の骨 格 が仕 上 って も製 鉄 所 に発 注 し た鋼 板が 出 来 て来 な い よう な
め の真剣 な 努 力が 始 ま った の は昭 和十 七年 十 一月 にな って か らで あ
場合 も あ った。 鋼 の規 格が 下げ ら れ た。 十 九年 には張 力 の規 格 を下
そう した造 船 工程 を 短縮 す る方 法 を採 用 す る こと も困 難 であ った。
九年 一月 で、 そ の指数 は十 六年 を 一〇 〇 と し て六 八〇 に達 した 。 中
げ て 一〇 % 余分 の鋼材 を 材 料試 験 に合 格 さ せる こと にした 。 そし て
造 ってお い て組 方式 にす る と か、龍 骨 据 付 前 に作業 を 進 め ると か、
でも 最 も大 き く 増 大 し た のは油 送 船 であ って、 そ れ は年 度 を越 し て
った。十 七 年 十 月 から 一九年 一月 に 至 る十 五 ヵ月間 の努 力 の大 き さ
も増 大 し つづ け 、 四 月 (一九年 ) の如 き も 油 送船 のた め の努 力 の指
った 。最 後 の年 にな ると 加 熱 せず に曲げ よう とす ると ひびが いり 、
年 末 にな って鋼 質 が 更 に低 下 す ると 再 び張 力 の規 格 を下 げ た の であ
は、 十 六年 の 六倍 に増 大 し た。 着 工高 で測 った建設 努 力 の頂 点 は十
数 は通 常年 度 末 の繁 忙 の後 に生ず る後 退を 打 ち消 す状 況 であ った。
溶 接 し よう と し ても 融着 しな いよう な鋼 板 が 引き 渡 され る状態 であ
貨 物 船 のた め の努力 は油 送船 建 造 の努 力 に圧迫 さ れ て 一月 以降 引 き 続 い て減 退 した 。 後 に完 成 した T A 型油 送 船 一 三隻 の中 、 そ の 一
った。 (三 四 二頁)
造 船 計画 と 実績 ︱︱ 昭 和十 八︱ 十 九年 に かけ て 日本が 造 船 を拡 張
一隻 の龍 骨が 据 えら れ た のが 十 九年 の五、六、七 の三 ヵ 月間 であ った。 十 九年 四月 か ら七 月 ま で の間 、鋼 船 全 体と し て の建 造 努力 が 漸減 し て いる のは、 貨 物 船 の建 造 から油 送 船 の建 造 に転 換 した こと にも 一
船 舶 状 況 の急 速 な悪 化 に応 じ 日本 は造船 計 画 を 幾度 も改 訂 した 。
し た背 後 に は、 航空 機 の増 産 に拍車 を か け た のと 同じ条 件 が あ った 。
す な わち 十 八︱ 十 九年 にか け て の主要 な る 計画 の改 訂 と 生産 実績 は
部 の原因 が あ る。 油 送 船 の建 造努 力 は七 月 に頂点 に達 し、 爾 後 十 月 ま で の 三ヵ月 間 は漸 減 し て いる。 造 船 業全 体 と し て は、十 九年 の 一
次 の如 く で あ る。
昭 和十 八年 三月 案 に よ る⋮ ⋮⋮ ⋮ ⋮⋮ ⋮八 一八、 八 八〇 ト ン
昭和 十 七年 三月 案 に よる ⋮⋮ ⋮ ⋮ ⋮⋮ ⋮ 六 八九 、 三 一〇 ト ン
昭 和 十 八 度造 船 計画 目標
造 船 計画 な ら び に実績
月 か ら 五月 にかけ て戦 争 全期 間 を 通 じて最 高 度 の操 業 を行 な って い た と い え る。 十月 以 後 の減 退 は極 わ めて激 烈 で、 一九 年 十 月 から 十
日本 の造 船 努力 は資 材 の不足 と いう 固有 の制 約 を受 け て い たが、
昭 和十 八 年度 造 船 実績⋮ ⋮⋮ ⋮⋮ ⋮一 、 一一〇 、 五 五 三 ト ン
ヵ 月 経 つ間 に、十 月 の生産 水 準 の 一〇 分 の 一以下 に落 ち た の であ る。
そ の中 で最 も 重要 な のは 日本 の鋼 材 生 産 額が 低 か った こと であ った。
昭 和 十 七年 三 月案 によ る ⋮⋮ ⋮⋮⋮⋮ ⋮ 六七 五、 五 八〇 ト ン
昭 和十 九 年 度造 船 計画 目標
船 舶 事情 の重 大性 が 認 識 さ れ て、 十 九年 には そ のた め の努力 が 最 高 潮 に達 した が、 そ の年 度 の商 船 建造 用 の鋼 材配 当 を捻 出 す る に は、 そ の他 の用 途 に対 し て苛 烈 な規 制 を行 な った し、 そ のた め には海 軍 造 艦 用 の配 当 さ え大 き く 削減 した のであ った。 造 船 業者 の鋼 材 の ス
昭 和 十 九 年 八 月 案 に よ る ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 一、 九 六 六 、 四 八 〇 ト ン
昭 和 十 九 年 三 月 案 に よ る ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 二 、 六 三 一、 三 五 〇 ト ン
昭 和 十 八 年 十 二 月 案 に よ る ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 一、 八 九 八、 一 一〇 ト ン
年 初 頭 に はす でに危 篤 状態 にな って しま った。
度 の造 船 活動 さえ 不 可能 にな ってし ま った。 そ の結果 、 日本 は二十
船 が 制 約 され るこ と にな り、 日本 は つい には喪 失 船腹 を 補充 す る程
日本 商船 隊 の推 移 ︱︱ 日本 が船 舶 保 有 量 の純 増 を記 録す る ことが
てし ま って目 標 を引 き 下げた 計 画 を採 用 せ ねば な ら なく な った。 十
た 。然 し十 九年 前 半 の終 りと な る と、 生産 は計 画 よ りも 遙 か に遅 れ
昭 和十 九年 三月 ま で は 計画 を 上向 き に改訂 す る のが 特 徴 的 で あ っ
し 結 局 そ の開き を 埋 め る こと は でき な か った のであ る。 仮 に引 き続
船 高 を あげた 十九 年 には喪 失高 の 二分 の 一近 く に追 い ついた。 し か
加 し 開戦 当 初 の四 ヵ月 は喪 失高 の四 分 の 一であ った のが 、 最 大 の造
で はな く拿 捕 や浮 揚 によ るも のであ った。 そ の後 新 造 分も 次第 に増
できた の は開 戦当 初 の四ヵ 月 だけ であ って、 そ れ は造 船 によ るも の
九 年 八月 案 は年 間 計画 と して は前半 年 の遅 れた 分 だ け を 削減 し て作
き も つと生 産 を増 加 し得 た と ても 、 喪 失率 と 相殺 す る こと は 日本 の
昭 和 十 九 年 度 造 船 実 績 ⋮ ⋮⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 一、 六 〇 〇 、 〇 四 九 ト ン
ら れ て い るが 、 それ でも年 度 後 半 に し ては年 産 比率 にな お せば 二五
用 不能 に した 五〇 〇 総 ト ン以 上 の日本 商船 は八 九〇 万 ト ン (二、 五
わ ま る国 内 資源 で は戦 争 経済 を支 え る こ と の出来 な い日本 にと って、
日 本 の完 全 な 孤立 化 を意味 す るも のだ った 。 それ は、 ま た、 貧 弱き
商船 保 有 量が こ のよう に激 減 した こと は、 輸 入 の事 実 上 の切 断 と
造 船能 力 のとう て い企 て得 る 所 で はな か った。
三 四隻 ) に のぼ った 。 これ は日 本 の船 舶事 情 にと って は、 ま こ と に
現有 資 材 を使 い果 した 暁 に はそ の経済 活 動 が完 全 に停 止す る ことを
日本 商 船 隊 の喪 失 状 況︱︱ 戦 争中 に連合 軍 が撃 沈 、 撃 破 ま た は使
〇 万 ト ンの生 産 を要 求 し て いた 。
決 定的 な 事 実 であ り 致 命 的な 打 撃 であ った。 日本 は 一ト ン造 る毎 に
意 味 し て いた 。
う。
日本 船腹 の動 向 ( 単位千総 トン)
る。 次 の 二 つの表 は 日本商 船 隊 の運 命 を 遺憾 なく 示す も のと 言 え よ
要す る に、 商 船 隊 の壊滅 だけ で勝 敗 はす で に決 ま ってい た のであ
三 ト ン沈 めら れた のだ か ら、 不 充分 な 商船 を 保有 のま ま 甘 い予 想 の 下 に戦 争 に に突 入し た 日本 の商 船隊 が 、 やが て皆 無 にな る運 命 にあ った のは 必然 のこと であ った。 こ の事 態 は、 輸 入 原 料 への大 きな 依 存性 と 関連 し て日 本 を破 滅 の 淵 に追 い こん だ の であ る。 南 方 資源 地 帯 の占 領が や が て 不敗 態 勢 の
てし ま った。
確 立 に つな が る と思 い こん で いた素 朴 な夢 想 は跡 方 も な く粉 砕 さ れ
悪循 環 が 加 速度 的 に発 展し て行 った 。 つま り、 船 舶 喪 失 のた め原 料 輸 入が 困 難 になり 、 鉄鋼 生 産 が激 減 した 。 こ のた め逆 に今 度 は造
現 有 量 (ト ン)
日本 商 船 隊 の推 移 月末
経過 月 数
二四
昭 和十 七 年 一 一月 ⋮ ⋮⋮ 五 、 九 四六、 〇 〇〇 ⋮⋮ 一 三 昭和 十 八年 一二月 ⋮ ⋮⋮ 四、 九 四四、 〇 〇〇 二七
す で に数 万 の軍 隊 が ガダ ルカ ナ ル島 や ソ ロ モン群島 に取 り残 さ れ
て無 力 とな って し ま った上 に、 同 様 の運 命 が ラボ ー ル方 面 の将 兵 に
も 襲 って いた。 そ れ ら は海 上補 給 遮 断 の結 果 だ った のだ し、 そ こを
無 理 押 し に日本 本 土 か ら補 給 を続 け よ うと す れば 、 途中 でさら に多
く の船舶 が 次ぎ 次 ぎ と撃 沈 さ れ て補 給 ど こ ろで はな か った。 いや そ
れ ま で にす で に そう し た無 理 押 し を続 けす ぎ て、 日 本船 腹 の総 量が
激 減 をき た し、 軍 需 工業 用 原 料 や国 民 生活 用物 資 や の輸 送 に充 てら
昔 か ら ﹁腹が へ って は戦 が でき な い﹂ と いうが 、 太平 洋 と いう 舞
れ るべき 船 腹 の方 を かな り食 込 ん でし ま って いた。
台 の戦争 で は、 船 舶 と いう腹 、 つまり 船腹 が へれば 国民 の腹 をも 将
三四
兵 の腹 をも 満 たす ことが でき な く なる。 した が って、政 治 指遂 も 戦
一〇 月 ⋮ ⋮⋮ 二、 九 一一、 〇 〇〇
略 指 導も 力 抜 け のも のと な らざ る をえ な い。 さ すが にこれ を誰 より
昭 和十 九 年 三月 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮三 、 九 六六 、〇 〇 〇
( 冨永謙吾)
も のが 海 上 輸 送保 護 の成 否 であ る こと を痛 感 さ せら れ た。 そ の期 間
い。 私 は こ の期 間 に、 日 本 の運命 を決 し つ つあ る そ の最も 根 本 的 な
と の こと だ った 。 これ は私が 戦 後 マ ッカ ーサ ー司 令部 の歴史 課 で、
る に当 って、 彼 ら にと って最 後 的 な問 題 と な ったも のは 二 つあ った
これ よ り先 、 そも そ も 日本 の主戦 論 者 を し て対 米開 戦 を決 意 さ せ
う にし よう と の発 想 の決 定 だ った のであ る。
戦用 船腹 を節 約 し、 代 り に民 需 用船 腹 はな るべ く多 く温 存 でき る よ
線 へと思 い切 って後 退 さ せ る こと に決 定 し た。 戦線 縮少 に よ って作
と いえ る御 前 会議 ま で開 い て、対 米 防 衛線 を マリ ア ナ ・カ ロリ ンの
条 首 相 で、 彼 の強 い主 張 に より昭 和 十 八 年九 月、 開 戦 いら い初 め て
も 痛 切 に感 じ た の は戦 争指 導 の全体 にわ た って最 大 の関 心を抱 く 東
三九
対 日 船 舶撃 滅 作戦
昭和 二十 年 四月 ⋮⋮ ⋮ ⋮ 一、 九 六 一、 〇 〇 〇
三
こ の解 説 を のべ る前 に私が 昭 和十 八年 七月 か ら十 月 ま で軍 令 部 で
の私 は職 業 柄 、 東 条総 理 大 臣 ほか ほ ん の 一握 り の戦 争 指導 最 高 責 任
ことだ が 、服 部 氏 はそ の経 歴 から み ても これを 語 るだ け の十分 の資
太平 洋 戦争 史 の編 集を と も にし て いた服 部卓 四郎 氏 から直 接 き いた
戦 争 指導 に関 す る事 務 を担 当 さ せ られ て いた こ と から 説 明を 始 め た
者 た ち し か見 る こと のでき な い機 密 書 類 に目 を ふ れ る機会 が あ った
格 をも つ人だ った 。彼 によ れば 第 一は、 欧 州戦 局 は ドイ ツの優 勢 の
わ け だが 、 これ に よ って 私 の胸 にた だな ら ぬ重 圧 と して感 ぜ ら れ た も のは船 舶 事 情 の急 速 な 悪化 と いう こと であ った。
なも のと はな ら ず 、船 腹 事 情 の窮 迫 のた め に作 戦 は 国 民生 活 に支 障
う と の判 断。 第 二は、 海 上 輸 送 に対 す る 敵 の攻 撃 は た いし て致 命 的
部 は大 西洋 方 面 に牽 制 さ れ て、 米 国 の対 日攻 勢 には 限界 が あ るだ ろ
も と に進 展を 続 け るだ ろう か ら、 そ れ に よ って米 国 の戦 争 能力 の大
と、 新 造 船 に よ って日本 の保 有船 腹 は損 耗 を補 う こと は容 易 なだ け
限 られた 機 関 に最 高 機密 資 料 と し て通 報 した 。 こ の見積 り の通 りだ
〇 万 な いし 八〇 万 総 ト ンと して、 これ を 企画 院 や参 謀 本 部 など ご く
開 戦 第 一年 度 が 八〇 万な いし 一〇〇 万 総 ト ン、 同 第 二年 度 以降 が 六
こ の図 演 の結 果 、 軍令 部 は、 日本 の船 舶被 害 見 積 り ( 年 間) は、
こ の場 合 も し軍 令 部が 船 舶 被害 防止 の対策 を 大 いに強 化 す る のだ
展望 が そ こ に開 け て いた こ と にな る 。
でな く 、 む し ろ増 加 と な る見 込 みが 十 分 あ る こと にな り、 バ ラ色 の
をき たす と いう こと に は な らな いだ ろう と の判 断 。 こ れら 二 つの判 断 に到 達 した た め に開戦 を決 意 した と いう こ とだ った。 服 部 氏 はこれ を 彼が 開戦 当 時 の参 謀 本 部作 戦 課 長 の要 職 にあ って 、
と いう 計 画 を も同 時 に立 て て、 そ う した 計画 の推 進 に努 め て いたと
開戦 可否 の議 に参 画 した 経 験 に基づ いて 私 に話 して く れ た こと で、 た し か に主戦 論 者 と し て の問 題 の捉 え方 には 的 を射た も のが あ った
す れば 、 あ る い は、 前 記 の見 積 り のワ ク内 に船 舶 被 害 を とど め え た
戦 で の対 米 海 軍力 比 が 六割 の劣 勢 だ ったし、 実 はそ の六割 の比率 を
のかも し れ な いが 、 そ こが 致 命 的 に抜 け て いた。 日 本海 軍 は艦 隊 決
と い え る。 そ し て第 二 の判断 は、軍 令 部 が 真 珠湾 攻 撃 の二ヵ 月ば か
と だ った ので、 当 時 の様 子を そ の図 上 演 習 を 実際 に指 導 した 西 川享
維 持 るだ け で も国 力 に大き な無 理 を し て いた。 船 舶 被害 防 止 に当 る
り 前 に行 な った図 上 演 習 の結 果 から導 き 出 さ れた も のだ ったと の こ
海 軍 大佐 に尋 ね たと こ ろ、 こ の図 演 のやり 方 には かな り の作 為 があ
海 軍兵 力 は艦 隊決 戦 に当 るも のと は別 個 に準備 し編 成 し運 用 せ ら る
いろ いろ な結 果 を生 み出 す よ う に、 図 上演 習 も それ に用 いられ る演
対 米戦 争 の暴 挙 性も は っき りした はず だ し 、 それ でも 尚 且 つ戦 争 不
当 然 のこと であ る。 こ の辺 の問 題 点 を し っか りと 検 討 した な らば 、
を 優 先す ると す れば 船 舶 被害 防 止 のた め の兵力 は犠 牲 と され る の は
べ き性 質 のも のな のだが 、 右 のよ う な国 力 国情 のも と で は艦隊 決 戦
った こと が判 った。
習 法 則 の定 め方 やデ ー タ の選 び方 次第 でそ の結 果が ど う に でも な る。
電 子 計算 機 が ソフ ト ウ ェア の在 り方 、 イ ンプ ット の与 え方 次 第 で
西 川 氏 の話 によ る と軍 令 部作 戦 課 の神 重徳 部 員 が 明 ら か に日本 側 に
可 避 とす れ ば 、 戦略 の立 て方 も 違 ったも のと な った はず だ。
ら れた し、 他 に これ を確 める方 法 は私 に はな か った。た だ明 白 な事
た も のか は 西川 氏 に尋 ね ても わ から な か った し、 神 氏 は戦 死し て お
前 記 の軍 令 部 図 上演 習 が この点 を ど のよう に辻 褄 合 わ せ て行 な っ
は有 利 で 米軍 側 に不利 と み ら れ る演 習 ルー ルを 設 けた り 、デ ー タを
示 した のだ と の こと だ った。 神 氏 は こ の図演 の計 画 担当 であ る作 戦
揃 え たり し て、 そ れ ら に準 拠 し つつ図 演 を指 導 す る よう 西 川氏 に指
し て いた にす ぎ ず 、 また 兵 学 校 期別 でも神 氏 より 三 期も 後 輩 だ った
課 の先 任 部員 だ し、 西川 氏 は出 師準 備 ( 動 員 ) 課 で輸 送部 門 を担 当
し て艦 隊 決戦 優 先 を 採 り つづ け たと いう こと 、 そ し て、船 舶被 害 防
実 は、現 実 問 題 と し て、 海 軍が ついに対 米 開 戦 に同 意 を与 え、 一貫
ので、 神 氏 の指 示 に従 う ほ かな か ったも のと みえ る。
止 をも ふく ん で の海 上 輸 送 保 護 に任 ず べき 機 構 が 、 組織 的 にも兵 力 的 にも 、 す べ て の面 で、 劣 弱 そ のも の の状 態 に放 置 さ れた と いう こ
った のだが 、 太 平 洋 戦争 に臨 む 日本 海 軍 は こ のイギ リ スの戦 訓 を ま
戦 中 にお け る海 上 輸 送保 護 機構 は海 軍大 学 校 の戦 史 学 の重 要 教 材 だ
そ の最 も 中 枢 的問 題 を捉 え てこ れ を例 証 す る とす れば 、 そ れ は軍
対策 担当 機 構 を 強化 拡 充 し、 一九 一七年 十 二月 におけ るそ の陣 容 は
な る と判 断 さ れ る よう に な る に つれ て着 々と軍 令 部内 にお け るそ の
上輸 送 保 護 機構 を概 観す るな らば 、 船 舶 被害 が イ ギ リ ス の命 取 り に
ったく 無 視 した 。 こ の第 一次 大戦 中 にお け るイ ギ リ ス軍 令部 内 の海
令 部 機 構 の中 で占 め て いた海 上 輸 送 保護 担 当 部門 の構 成 の貧 弱 さ を
次 のよ う な豪 華 版 と な って いた。
と だ ったの であ る。
説 明 した ら よ いだ ろう 。 これ は海 上 輸 送護 衛 組織 全体 を 一人 の人 間
た少 佐 課員 だ った。 温 厚 な 人柄 で、 黙 々と 業 務 に励 む彼 の姿 は いじ
い て海 上交 通 保護 に専 念 す る最 高 担 当者 は軍 令 部第 十 二課 に配 さ れ
日 本 海 軍 の実 情 はあ われ ど こ ろ か、 あき れ はて て絶 句 す る ほ かな い
中 堅 将校 だけ で 百 十数 名 にのぼ るも のが 勤 務 し て いた。 これ に 比べ 、
航 路 を開 通 す る 班 の四 班 を設 け 、 班長 は いず れ も 大佐 で、 そ の下 に
商 を担 当 す る 班、 敵 潜 水艦 の克 服 に当 る班、 敵 機 雷を 掃 海 し て船 舶
した 。 そ し て そ の副 次長 に直 属 し て、 商 船 の行 動 を管 理 す る班 、 通
設 け ら れ 、 こ の軍 令部 副 次 長 は事 ら ﹁通商 保 護 と対 潜 作戦 ﹂ に専 念
つま り 、軍 令 部 次長 と 並 ん で軍 令 部副 次 長 な る将 官級 の特 別 職が
に たと え れば 、 そ の頭 脳 ・神 経中 枢 の劣弱 さ の故 に身 体 全 体 の発 育 が 不完 全 と な り、 緑 な活 動 も でき なく な る こ とと 同 じ結 果 を も たら す。
ら しく さ え あ った 。第 十 二課 は前 記 の図 上演 習 から 一年 も た った昭
前述 の昭 和 十 八年 九 月 の御 前 会議 の段 階 にお い ても 、大 本 営 に お
和十 七 年 十 月十 日 にな って始 め て新 設 さ れ たも の で、課 長 の下 に専
部﹂ と称 す る も のが 新 設 された 。 そ れ は聯合 艦 隊 司令 長 官 よ りも 古
軍 令部 内 の機 構 は従 来 通 り に据 え置 かれ 、新た に ﹁海 上 護衛 総 司 令
早 速 、 海 上輸 送保 護 の中央 機 構 を思 い切 り強 化 す る こと に な ったが、
太 平 洋 戦争 に おけ る 日本 でも 、前 述 の御 前 会 議 を契 機 と し、 まず
貧 弱 さ だ った。
上交 通保 護 と か と い って い た) 担当 が 一名 。他 に業 務 課員 が 二名 い
任 課員 と し て港 湾 防 備担 当 が 一名 、 海 上 運輸 保 護 (通商 保 護 と か海
た が 、 それ は他 課 のも のが いわ ば 連 絡係 のよ う な役 目 を す るも のだ
参 で、 開 戦 二 カ月前 ま で 海軍 大 臣 と いう 海 軍 の最 高 職 にあ った及川
。
これ に比 べ 艦隊 決 戦 担当 の第 一課 ( 俗 に作 戦 課) は専任 課員 だ け
った
でも 十 名 に近 く 、 そ れが 全 海軍 中 堅 将校 の エリ ート中 の エリ ー ト の
古 志 郎 大将 が 海 上護 衛 司 令 長官 とし て こ の機 構 の長 と なら れた 。私
明白 だ った。 当時 の日 本海 軍 は、艦 隊 決戦 第 一主 義 の作 戦 大方 針 を
こ のよ う な機 構 改 革が い か に中途 半 端 なも のであ る かは当 初 から
は軍 令 部 戦争 指 導 班 から こ の司令 長 官 の下 の作戦 参 謀 に任 命 さ れた。
粒 ぞ ろ いだ った。
し、 日本 そ のも のが また 、 そ の致 命 的 に高 度 な海 上 輸 送依 存 度 に お
も と も と 日本 海 軍 は イギ リ ス海 軍 に範 を と って育 ってきた も のだ
いて、 イギ リ スそ っく り な点 が あ る。 そ のイ ギ リ ス海 軍 の第 一次 大
放 棄 す る のでな け れば 、 海 上 輸 送保 護 の強化 に必 要 とす る兵 力 の確 あ った。
る状 態 だ った。 これ は海軍 中 央 機 構 の陣 容 に つい ても いえ る も の で
によ って日 本船 舶 に対 す る行 動 を 開始 した。 船 舶 の船 客 、 乗員 の安
﹁日本 に対 し 無制 限 の潜 水艦 戦 およ び航 空 戦 を実 施 す べ し﹂ と の 命
真 珠 湾 奇 襲 に対 す る報 復 と い う 意 味 で、 米海 軍 は 、 開 戦 当 日、
を概 観す るな ら ば 、 お おむ ね 次 の よう なも のだ った。
さ てこ の辺 で、 開戦 いら い の米 海 軍 の日本 船舶 に対 す る攻 撃 ぶ り
保 が 不 可能 な こと が 明 々白 々だ ったか ら であ る。 前述 し たよ う に、 も と も と た った 六割 の劣 勢 をも って、 ます ま す 優 勢率 を加 え つ つあ る米艦 隊 と決 戦 す る とな れ ば、 日本 海 軍 の全 兵 力 を艦 隊 決戦 の ため に投 入 し ても 、尚 まだ ま だ 不足 な のだ。 大 本 営海 軍部 (軍令 部 ) に お いて艦 隊 決戦 を担 当 す る 作戦 課 にし て みれば 、 艦 隊 決 戦 に必 要 な 兵 力 を他 に割 く余 裕 はま ったく な いの であ る。 こ のよ う な情 況 のも と で、 海 上 輸 送保 護 作 戦 の強 化 を 図 る場 合 、 それ に充 当す べ き 兵力
全 など 一切 お か ま いな く、 手 当 り 次第 に日本 船 を 攻撃 撃 沈す ると い
だが 、 不 幸 に し て、す で に第 二次大 戦 が ヨー ロッパ で始 めら れ 、 そ
だけ は同 条約 の軍 縮 条 項 の失 効 後も 有 効 と され て い たも のだ った。
日本 海 軍 と し て艦 隊 決戦 第 一主 義を 厳 守 す る か、 そ れ とも そ れ を
を 何 処 に求 めれば よ い の か。
る。 だ か ら海 上 輸 送 保護 を強 化 す る に は軍令 部 そ のも の の機 構 を そ
こ で は この よう な禁 止条 項 には 目も く れず 、 船 船 に対 し て の無 制限
ロ ンド ン条約 第 二十 二条 によ って禁 じら れ て いたも の で、 こ の条 項
れ に応 じ て改 革 す べ き であ って 、 それ を せず に、 海軍 作 戦 方針 の決
う のが ﹁無制 限 ﹂ の潜 水艦 戦 ・航空 戦 な のだ が 、 こ れ は昭 和 五年 の
定 に何 の発 言を 持 たず 、 艦 隊 決戦 第 一主 義 を制 肘 す る の に何 の力 も
潜 水 艦 戦、 都 市 に対 し て の無 差 別航 空 戦が 乱 舞 し て いた。 真 珠 湾奇
改 め て海 上 輸送 保 護 に 重点 を移 す かを 定 める の は軍 令部 の任 務 であ
な い機 構 ( 海 上 護 衛 総 司令 部) だけ 新 設 し てみ た と こ ろ で、ど う な
と い っても 米 潜水 艦 部 隊が 開 戦 早 々にし て 日本 船 舶 に大 被害 を与
の は当 然 の こと だ った の かも し れな い。
襲 を 日本 軍 の国 際法 違 反 と き め つけ た 米国 が 右 のよ う な態 度 に出 た
え た と いう わ け で はな か った。 米 国 で は潜 水艦 用魚 雷が 重 大 な欠 陥
軍 令部 で戦 争 指 導事 務 にたず さわ って い たと き の私 が 心 の中 で真
るも の でも な い。
ア の脱落 を機 と し、 す みや か に諸 和 の策 を 探 る べき で、 講 和 の条 件
剣 に考 え て みた こ と は、 も はや勝 算 を失 った日本 と し ては 、 イ タ リ
を う け た とき 、 二三三 本 と いう 多 数 の魚 雷 を 一瞬 に失 い、 米本 国 か
る。 マ ニラ近 郊 にあ った 対 日作 戦 用魚 雷 貯 蔵庫 が 日本 海 軍機 の爆 撃
ら の補 充 も な か な か追 い付 かず 、 昭 和 十八年 に は いる まで 、魚 雷 不
を も って いた ば か り でな く、 数 量 的 にも 非 常 に 不足 だ った から であ
放 棄 す べき だ った の であ る。 ただ 実 に困 った こと に、時 の戦 争 指 導
足 が続 い た。 そ の上 、 魚 雷 の炸 裂 発 火装 置が 故 障 だ らけ で 、 目標 の
を 少 し でも 有 利 にす るた め 、艦 隊 決 戦 主力 の兵力 はな る べ く温 存 す
の実 権 が 、 いぜ んと し て 、戦 争 一木槍 の人 び と の手 に固 く握 ら れ て
べ き で はな いか と いう こと であ った 。 つまり 、艦 隊 決 戦第 一主 義 は
い た こと も あ って、 講 和政 策 は これ を 口 に出す こと さ え危 険 と さ れ
米国 こに も米 国 戦 争 遂行 能 力 の余 裕綽 々ぶ りが あ らわ れ て い る。 海 ( 軍
)
ず っと手 前 で炸裂 して し ま った り 、命 中 し て も炸 裂 し な か った り と
協会 一九 四九年発行 の ﹁ 第 二次大戦にお
"Uni t ed St at esSubmari ne
Oper at i ons i n W or l d W ar Ⅱ" Publ i s hed by Uni t ed St at e s
け だ が、 米 海 軍 の右 の 資 料 の 出 所
も っとも 右 のう ち には 大 西洋 方 面 に配 備 さ れ て いたも のを 含む わ
二四 六 ︱八 ( 喪 失 )+ 三九 (新就 役 )=二七 七隻
一九四 五年 の推 移
一九 七 ︱ 一九 (喪失 )+六 八 ( 新 就 役)= 二四 六隻
一九四 四 年 の推 移
一四 八 ︱ 一七 ( 喪 失 )+六 六 ( 新 就役 )= 一九七 隻
一九 四 三年 の推 移
一 一 一︱八 ( 喪 失 )+三 五 ( 新 就役 )= 一四 八隻
一九 四 二年 の推 移
一 一 一隻
開 戦時
け る米 潜 水艦 作 戦 ﹂ の資 料 に よ り計 算
いう も のが 多 か った。 だ が 日本 海 軍 は そう し た 敵側 の 一時 的 な 欠 陥 暴 露 に 油 断 し て、 ﹁敵 潜 恐 る る に足 らず ﹂ と 思 い込 んだ。 こ の こと も 日本 海 軍 を して 海 上輸 送 保 護 に対 す る努 力 を怠 ら し め、 いや が 上 にも艦 隊 決 戦第 一
と ころ が 米海 軍 は、 潜 水 艦 魚雷 の欠 陥 を昭 和 十 八年 夏 ま で には完
主義 へと 凝 り固 まる よう にさ せ た 一要 因 だ ったと 私 に は思 わ れ る。
全 に取 り除 き、 魚 雷 供給 の能 力 も す で に十分 なも のと な った 。 そ の 上 、 こ の間 に、 魚 雷 の代 り に、 機雷 を使 用 し て 日本 船 舶 の泊 地 や航 路 の使 用 を 不 可能 にす る戦 法 の開 発 を進 めた。 こと に昭 和 十九 年 三
こ の米軍 の機 雷作 戦 によ って 日本 側 は長 年 にわ た る戦 備 の裏 を完 全
月 末 の パ ラ オ港 に対 す る航 空 機 を も ってす る磁 気機 雷 敷 設以 後 は、
に掻 か れ ると いう醜 態 を 演 じ た。
NavalI ns ti t ut e ,1 949 が 殆 んど 全 巻を 通 じ対 日 作 戦 で埋 められ て
と ころ で、 前 述 の昭 和 十 八年 (一九 四 三年) 九月 の御 前会 議 は米 海 軍 の対 日船 舶 攻 撃能 力 が こ の よう にし て、 開 戦第 一年 当時 の弱 体
いる こと から 、 前 掲 米潜 の殆 んど 全 部が 対 日 作戦 に指向 さ れ て いた
実 のと こ ろ、 こ の昭和 十 八年秋 の段階 は太 平 ・大 西 両洋 にわ た る
状 態 から す っかり 立直 り 、本 格 的 威 力 を発 揮 し 初 め て後 に開 かれ た
第 二次 大戦 全 局 面 で の 一大 転 換 期 だ った た ので あ る。 当時 私 は大 本
も のと 推 測 し ても 大 き な誤 り は な い ので はな いか。
取 得 し た 経験 ・戦 訓を 、 逆 に、 日本船 舶 に対 す る 攻撃 の ため の戦 法
も のだ った。 そ の上、 米 海 軍 は それ ま で に、 大 西 洋戦 域 にお け るド
を 開 発 す る上 に役 立 て つ つあ った こと は推 測 に難 く な い。 そ れが 米
の起 案 に参 画 し たが 、 イ タリ ア はそ の夏 米 英軍 に降 伏 し て日独 伊 三
営 海 軍 部 の戦 争 指 導 班員 と し て御 前会 議 に提 出 す る﹁世 界 情勢 判 断﹂
イ ツ潜 水艦 と の格 闘 に お いて ほぼ 勝 利 を収 め て いた ので、 そ の間 に
国 の偉 大 な科 学 技術 力 と 工業 力 とを 存分 に動 員 し 、新 式 兵 器 など も
も のと なり 、 そ の圧力 に押 さ れ て ドイ ツ軍 の戦 線 はジ リ ジ リと 後 退
国同 盟 の 一角 は崩 れ たし、 独 ソ戦 線 は ソ連 軍 の優 勢が す で に明 白 な
続 々と 開 発 し てや ってく る のだ から 、 日本 の海 上 輸 送保 護 は恐 るべ き 敵 と立 ち 向 か わさ れ て い たわ け であ る。 尚 こ こで米 潜 水 艦 隻数 の推 移 を示 せば 次 のよ うな 計 算 と なり 、 こ
し つ つあ った。 そ し て それ ら連 合 軍 側 の優 勢 の 一大基 礎 とな った も の は大 西洋 に おけ る連 合 軍 側海 上輸 送 路 の確 保 で あ った こと はほぼ 疑 いな いと こ
二倍 を十 分 に超 過 し 、 し かも そ れ が 月毎 に悪 化 の度 を 加 え つ つあ っ
本 の船 舶建 造 は毎 月 五、 六万 総 ト ンそ こそ こで、 喪 失 量 の方が こ の
す で に述 べ た よう に、 日本 は昭 和 十 八年 九 月 三十 日御 前 会議 を契
た か ら であ る 。
よう にな った と は いえ、 それ は 太 平洋 戦 争 の本 質 を 底深 く 検討 し直
機 と し て、後 れ馳 せなが らも 、 こ の重 大 問 題 を本 格 的 に取 り上 げ る
ろ であ った。 戦 争 の長 期 化 と いう こと は消 耗 戦 的 性格 をま す ま す特 徴 づ け る こと にな り、 したが って補 給 力が モ ノを いう こと にな るわ
し て のも ので はな く 、 ただ たん に当 面 の船 舶被 害 の激増 に驚 い て の
け だが 、 連 合 国 側 は米 国 と いう 強 大 豊 富 な補 給 源 を も って いた。 そ
も の にすぎ な か った 。 それ ど ころ か、 海 軍 戦略 の指 導者 たちが こ の
海 軍 戦略 の最 高 指 導者 た る軍 令 部 総長 が 海 上護 衛 総 司令 部 の創 設
れ は戦 争が 続 け ば 続く ほど 増 強 され るよ う に思 わ れ る 雄大 ・無 尽蔵
に際 し、海 軍 に 二大 作戦 が あ って 、 それ は ﹁ 敵 艦 隊 撃滅 の作 戦 と海
事 実 の重 要性 をど の程度 ま で深 く 認識 し て いた か に疑 いが あ った。
こ のよ うな こと は、 戦 争 中 の日本 のわ れ われ にも わ か って いた こ
上輸 送 保護 の作 戦 と で あ る﹂ と い った よう な 大本 営 海軍 部 指 示 な る
な 補 給 能力 の発 揮 源だ った のだ から 、 海 上輸 送 さ え確 保 さ れ る なら
とだ った。 例 え ば 私が 大 本 営海 軍 部 の戦 争指 導 班 勤務 中 にリ スボ ン
ば 、 連 合 軍第 一線 の戦 力 も 日 と とも に強 化 でき た ので あ る。
駐 在 日 本 公使 発 信 で 一九 四三年 前 半 期 の英米 側 船 舶 量 の推 移 経 過を
ら な いか に つい て は黙 し たま ま だ った。 し かも 軍 令 部機 構 の実 体 は、
も のを 発布 は し たも の の、 こ の両作 戦 の いず れ に重 点 を お かねば な
前 述 した よ う に、 ﹁敵艦 隊撃 滅 作 戦﹂担 当 課 の圧 倒 的優 勢 の下 に ﹁海
報 じた も のに依 る と、 独 伊 軍 の攻 撃 によ る船 舶 被 害 は同 年 三 月 を頂
船 腹量 は 、同 年 一月 に は明 白 に喪 失 量 を補 充 し て余 りあ る も のとな
で に全 海軍 に深 く 根 を張 ってし ま って いた 艦隊 決 戦 第 一主 義体 制 を
上 輸 送 保 護作 戦 ﹂ 担 当 課 は圧 倒 さ れ て い るま まだ った のだ か ら、 す
点 とし て 明白 に減 少 の傾 向 を 示 し始 め た 半面 、 米 国 に おけ る新 建 造
り、 同 年 四 月 に は喪 失 量 (四 二 三、 〇 〇 〇総 ト ン) に対 し そ の二倍
ま で に越 され て いた﹂ と 述 べ、 やや 控 え 目 な表 現 を用 いて い るが 、
ソ ン博 士 は大 西 洋 戦 の タ ー ニング ・ポ イ ントが ﹁一九 四三年 五 月末
1943-M ay 1 945" と題 す る 一巻 のあ る こ と は象 徴 的 であ る。 モ リ
優 勢 が 決定 的 とな って い た。 だ か ら 日本 海 軍 に は、 も はや (い や、
の強 化 のた め に投 入 し ても ま だ ま だ足 り な いと いう ほど 、 米艦 隊 の
勢 とな り つ つあ った こと であ る。 そ れ は日 本海 軍 の全力 を 聯合 艦 隊
す る敵 米艦 隊 に比 べ 、 そ の実 力が 、 質 的 にも数 的 にも、 ま す ます 劣
さら に困 った こと に、 艦 隊 決 戦 の任 務 を 帯 び る聯 合艦 隊 が、 来 攻
変 容 さ せ る こ と は でき る はず も な か った。
以 上 (九 六 四、 〇 〇〇 総 ト ン) を 建 造 竣 工さ せる ま で にな って いた 。 ﹁モ リ ソ ン戦 史﹂ の愛 称 を も って世 界 的 に有 名 な ﹃第 二次 大 戦 米 国
まさ し く右 リ スボ ン公 使 電 に み た通 り で あ る。 と に かく 私 は こ の リ
実 はも と も と)、 敵 艦 隊撃 滅 の作 戦 と海 輸 送 保護 の作 戦 と を 併 行 的
海 軍 作 戦 史﹄ 叢 書 のな か に、 "The At l ant i c Bat t l e W on, M ay
スボ ン電 に接 し た とき の シ ョ ックを 今 で も忘 れ な い。当 時 のわが 日
に実 施 でき る 能力 が な か った ので あ る。
これ でも わ か るよう に、 軍令 部 ( 大 本 営海 軍 部) は、 開戦 当 初 か
よ うな 戦 争指 導 方 針 ( 戦 争 終 末促 進 方 針) が 採 択 され ていた 事 実 を、
ら戦 争 指 導 の方 針 に反 す る作 戦 方針 を 採 用 し てき たわ け だが 、 この
た 太平 洋戦 争 を、 何 が な ん でも、 決 行 せ ねば な ら な か った と す るな
あ の資 源 面 でも 工 業 方面 でも 日本 に比 し遙 か に優 る米 国 を敵 と し
らば 、 日本 海 軍 の採 る べき 作 戦 の根 本方 針 は、 こ の戦 争 が 経済 上 の
月 十 五 日付 創 設 いら い終 始 を 通 じ て、最 も 苦 労 し た こと は兵 力 の不
だ が 何 は とも あ れ、 海 上 護衛 総 司令 部 にと って、 昭 和十 八年十 一
置 され た ま まだ った の であ る。
体 的 に進 め られ る べき で あ った わけ だが 、 実 はこ の努 力も 無 残 に放
に は ﹁戦 争終 末 促 進﹂、 つま り、 講 和促 進 のた め の熱 心 な努 力 を具
く 、 海 上輸 送保 護第 一主 義 の方 針 をと る べき で あ った 。 む ろん そ こ
し ても 、 ま た日 米戦 力 比 から み ても 、 も はや 艦 隊決 戦 第 一主 義 で な
実 問 題 と し て、 昭 和十 八年 秋 の段 階 にお い て は、 世界 情 勢 から判 断
て いた か は、 私 にはわ から な い。 だが そ れ はと にかく と し ても、 現
軍 令 部 の高 官 でさ え、 はた し て、 ど れ ほ ど ま でし っかり と意 にと め
持 久 戦 と い う状 態 に追 い込 ま れな いう ち に早 く 勝 負 を つけ る こと に 在 った。 つま り 一〇〇 % 完 全 な短 期 決 戦 の作 戦 方針 を採 る ほ かな か った の であ る。 実 にそ れ こそ は 日本 海 軍軍 人 の常 識 だ った のであ り 、 艦 隊 決 戦第 一主 義 も そう し た意 味 で のみ正 し か った の であ る。 と こ ろが 開 戦直 前 に大本 営 ・政 府連 絡 会 議 で採 択 さ れ た ﹁戦 争 終末 促 進 に関 す る腹 案 ﹂ によ る と、 そ れ と はむ し ろ反 対 の構 想 に立 て い た。
る米 英 蘭
それ は次 の よう な ことが ﹁要 領﹂ の第 一と し て掲げ られ て いた こと でも わ かる 。 "帝 国 は迅 速 な る武 力 戦 を遂 行 し 東 亜及 南 太 平洋 に おけ
の根 拠を 覆 滅 し、 戦 略 上優 位 の態 勢 を確 立 す ると 共 に、 重要 資 源
つま り、 本 質 的 に は経 済 上 の持 久 戦 を挑 も う とす る ので あ り、艦 隊
凡有 手段 を 尽 し て適 時 米海 軍 主 力 を誘 致 し 之 を撃 破 す る に勉 む 。 "
注 入 し てき た 日本 海 軍 に し て みれ ば、 海 上 輸 送保 護 のた め の兵力 や
す る こと にあ り とあ ら ゆ る力 を 、 数 十年 の長 き に わた って、 集中 ・
から で あ る。 は る か に優 勢 な米 艦 隊 の来 攻 を想 定 し て、 そ れ を撃 滅
こ の兵力 の不 足 と兵 器装 備 の 旧式 さが あ まり にも ひど いも のだ った
足 と 兵 器装 備 の旧式 さ を 如 何 に し て克 服す るか と いう こと であ った。
決 戦 は付 け た り な のだ 。 ま さ しく 米 国 の国 力 の雄 大 さ をも ってす る
兵 器 装備 にま で準 備 す る余 力 が な か った であ ろう こと は、 前述 に繰
地 域 竝 主要 交 通線 を確 保 し て、 長 期自 給 自 足 の態 勢 を 整 う。
持 久戦 の恐 し さ を頭 から軽 蔑 したも のだ った わけ で、 情勢 判 断 の上
り 返 し てき た こと でも容 易 に想 像 でき る。 だが 、 こう した 想像 を 是
のだ し、 現 に海 軍 も こ の決 定 に参 画 し賛 成 し た のだ から 、 開戦 を 前
継続 を前 提 と し て長 期持 久 戦 を 続 け ると いう計 画 で開 戦 を 決定 した
こ れま た 前述 した よう に、 こん ど の太 平洋 戦 争 は南 方 資 源 の輸 入
認 す る こと によ ってこ の問 題 を 片 付け るわ け に い かな い。
でも 作 戦 構 想 の上 でも 根本 的 誤 り を犯 し て い たと いわ ざ るを え な い。 し か し、 と にも かく にも こう し た戦 争 指導 構 想 にし たが って、戦 争 を指 導 す るも の とす る な らば 、 南方 資 源 地域 と の海 上交 通 線 を確 保 す る た めの ﹁海 上 輸 送保 護 ﹂ を海 軍 作 戦方 針 の主 とす べき で あ った はず で ﹁艦 隊 決 戦﹂ の方 は、 次善 的 にす べき も の のはず だ った。
変 更 し て か か るべ き だ った 。数 十 年 の伝 統 をそ のま ま に踏 襲 し て艦
にし て、 こう し た 計画 に応 じ、 兵 力 や 兵 器装 備 や の準 備 の在 り方 を
戦争 が 無 残 な 形 で終 ってみ ると 、 あ ら た め てこれ を 裏 付け てくれ る
よ う にな り、 それ 以 来 これ が 頭 に こび り つ いたわ け だが 、 いよ いよ
さ わ ってみ て、 ﹁戦 争 を 決す るも のは これ だ﹂ と ほん とう に感ず る
と こ ろが、 太 平 洋 戦 争中 期 にな って 大本 営 の戦 争 指 導業 務 にたず
十 八臨 時 議 会 で は、 東 久邇 内 閣 が 敗 戦 の最 も根 本 要 因 と し て船 舶 の
隊 決 戦 一本槍 の態 勢 に固 執 し続 け たと いう こ と に基 本 的 な問 題が あ
極 度 の損 耗 を あげ て いた。 そ の後 ま も なく 米 大統 領 派 遣 の戦 略爆 撃
多 く の見 解 に接 す る ことが でき た 。 まず 終 戦 直後 に召 集さ れ た第 八
海 上 護 衛 総 司令 部 の最 大 の苦 心も 努 力 も、 そ れ を 根 本的 に突 き 詰
調査 団 海 軍 分析 部 長 オ フ ステ ィ提 督 は、 米 海 軍協 会 機 関雑 誌 に寄 せ
った ので あ る。 そ し て こ の艦 隊決 戦 第 一主 義 を、 最 後 の最 後 ま で改
め る なら ば 、右 の よう な 日本 海 軍 の姿 勢 を 、 い か にし て改 変 し て も
め な か った だけ に、 問 題 の深 刻 さ は尚 更 だ った。
らう かと いう 一点 に帰 す るも のだ った。 少 く とも 同 司 令部 の作 戦 担
た 論文 の中 で こう述 べ てい た。
﹁太平 洋 で のわ れ われ の敵 (日本 ) は 島 国 でし かも 工業 化 さ れ た
当 者 と し て、 同司 令 部 の発 足 か ら終 戦 解 体 ま で 勤務 し た 私 は、 当 時 も 現 在も 、 そ う 信 じ て疑 わ な い。
これ ら原 料 を船 舶 によ って本 国 に輸 送 し、 工業 機 械 を し て生産 を
帝 国 であ った。 そ れ は海 外 資 源 に依存 す る国だ った 。⋮ ⋮ ⋮敵 は
続 け さ せねば なら な か った。 そ し て 次 にま た船 舶 輸 送 によ ってそ
そ う し た根 本 問題 を 離 れ て、 日本 海 軍 が 太平 洋 戦 争 に お い て、 具
の製 品 を 遙 か 遠く の外方 防 術 線 に駐屯 す る軍隊 に運 ん でや らな け
体 的 に、ど のよ う な組 織制 度 、編制 、兵 力 、兵 器装 備 、 戦法 を も って、 ど のよう な海 域 でど のよ う な作 戦 ぶ りを 展 開 し た かと いう よう な こ
れば なら な か った。 ⋮ ⋮ ⋮以 上 のよ うな 状 況 で明 ら かな こと は、
と は、 こ こ では省 略 さ せ ても ら いた い。 そ れ ら は防 衛 庁戦 史 室 編 集
す べき も のが あ る。 私自 身 、 昭和 十 八 年 七月 大 本 営海 軍 部 の戦 争 指
さ せる よ う な出 版 物が 乏 し すぎ る。 これ に は私 自 身 に おお いに反 省
たが 、少 な くと も 私 の知 る 限 り、 海 上輸 送保 護 問 題 の重 要性 を感 じ
他 方 、 日本 経 済 の研究 に関 し て は米 人 学者 中第 一人 者 と いわ れ る
の であ る。﹂
が 破 壊 され たら、 日本 の軍事 力 は不 可避 的 に崩 壊 せざ るを え な い
動 脈 そ のも のに ひ と し いも の であ った。 い った ん こ の海 上 交 通線
た。 こ の目 標 こ そ は帝 国 を建 設 せん と の大 望 を抱 く 日本 にと って、
米国 側 が まず 手初 め に有 効 な 脅 威 を 加 え得 る戦 略 目 標 はた だ 一つ
の戦 史叢 書 の 一巻 ﹁海 上 護衛 戦 ﹂ ( 朝雲新聞社) に譲 る こと にす る 。
導 班 に勤 務 す るま では、 こ の問題 の重 要 性 をあ ま り自 覚 して いな か
J ・コー ヘン博 士 はそ の著 ﹃戦時 戦 後 の日 本経 済﹄ の中 で、 ﹁日本
だ と いう こと だ った。 そ の目標 と は、 日本 海上 交 通 線 の こと だ っ
った。 海 軍 大学 校 学 生時 代 と 軍令 部 情 報 部 イギ リ ス担 当部 員 の時 代
は太 平 洋 戦争 と いう 大 賭博 に乗 り 出す に当 って、 船 舶問 題 に ついて
そ の代 り に次 の点 に読 者 各位 は関 心 を寄 せて いただ き た い。
に、 第 一次 大戦 に おけ る海 上 封鎖 問 題 を 片 手間 のよ う に研 究 し た こ
太 平洋 戦 争 に関 し てす で にき わ めて多 種 多 様 の出版 物 が 市場 に出
と に よ って、問 題 の重要 性 を漠 然 と感 じ と って いる 程 度だ った。
の十 分 な注 意 を 払 わず 計画 し てし ま った﹂ と い い、 ま た ﹁米 国 人 の
そ し て、 申 す ま でも な く、 軍 事 と 経済 と が密 接 に交 錯 し て いる問 題
結 論 を出 し か ね ると いう のが こ の海 上 輸 送保 護 問 題 に は沢 山 ある 。
等 と い った よ う に科 学 的 し かも 統 計学 的 な方 法 の手数 を か け な いと
だ し 、 そ の場合 の経 済 た るや 関 連す る面が 非 常 に広 い。 軍事 にし て
よく 認識 して い な か った﹂ と 指 摘 し て い た。 コー ヘン教 授 の こ の後
も 、作 戦 そ のも の は海 軍 作 戦 であ る にし ても 、 陸 軍輸 送船 団 の護衛
側 でも 海 上 封鎖 に対 す る 日本 の脆 弱 さや そ の極 度な 輸 入 原料 依 存 を
の方 で指 摘 す る米 国 側 の認識 不 足 から 生 れ たも の に、 広 島 ・長 崎 へ
そ こ に陸 軍 戦略 の要求 と国 家 経済 上 の要求 と の均衡 を と る ことが 必
の原爆 投 下 と い う人 類 史 的大 悲 劇が あ った こ とも こ こに付 記 す べき
要 欠く べか らざ る こと だ った 。 さ ら にい えば 、 海 上輸 送 保護 に要求
と い う重 大任 務 が 、 非常 に大 き な要 素 と し て加 わ って いた のだ か ら、
今 で は誰 もが 知 って いる よう に、 あ の原爆 投下 の決 定 は、 日 本本
さ れ る作 戦 型体 は伝 統的 に オ ー ソド ック スな海 軍 作戦 の型態 を応 用
であ ろ う。
土 上 陸作 戦 を 決行 す る場 合 に生 ず る であ ろ う 人的 損害 が 余り に大き
す れば そ れ です む と い うも の では なく 、発 想 から し て変 え て かか ら
だが 、 す で に述 べ た よう に、海 上輸 送 保護 の問 題 に十 分 の認 識 を
す ぎ ると いう ので、 こ の上陸 作 戦 を やら ず に 日本 の屈 服 をも た らす
持 って いた と した ら 、 日本 が あ の雄大 な 国力 で知 ら れて いた米 国 相
な け れば な ら な いと こ ろが 余 り にも 多 か った。 こ のよう にし て つか
し から ば 米側 でな ぜ 日本 本 土 上 陸作 戦 を 計画 した り、 ソ連 の対 日
手 の太平 洋 開戦 に踏 切 る こと も 、 他方 ま た米 国 が 、 ほ んと う は必 要
た めに は広 島 ・長 崎 の住 民を 犠 牲 とす るも や む なし と の理由 で下 さ
参 戦 を望 んだ り し た のか と いえば 、 そ れ は海 上輸 送 遮 断 の効 果 を 十
が な か った はず の原 爆 投下 を あ え て した り、 ソ連 の対 日 参 戦 を求 め
れ たも のと い う。 と ころ が実 のと こ ろ、 日 本 は海 上 輸 送 の遮 断 によ
分 に認 識 して い た人 た ちが 余 り にも少 な か った から だ と いえ る。 こ
た りす る こと も、 お そ らく な か っただ ろ う こ とを 思 うな らば 、 太 平
み ど こ ろが な かな かな いと いう ことも 、海 上輸 送 保護 の戦 史 に取 り
の問題 に関 す る詳 し い こと は他 の資料 説 明 に ゆず る と し て、 と も あ
洋 戦 争 を回 顧 し語 る のに、 こ のよ う に中 心的 に重 要 な問 題 を軽 視 す
組 ん でく れ る 人 のな い理由 で はな いだ ろ う か。
れ 、海 上 護 衛総 司令 部 の参謀 と し て当 時 得 て い た資 料 で は日 本 本 土
る こと は、 誤 れ る結 論 を導 く こと になり か ね な い。
り 民族 的 自 滅 を待 つほ か な い状 態 にな ってい て、 原 爆 投 下 の約 半月
の食糧 事 情 は と ても 昭 和 二十 年 の冬を 越 せる状 況 には な か った 。 い
前 には講 和 の仲 介 を ソ連 政府 に依 頼す るま で に な って い た の であ る。
う なれ ば 、 い か に 日本 軍 に戦 意 が あ った と し ても 、 国 民 の食 糧 事情
もと も と海 上輸 送 護 衛 の問 題 は まだ 断 片的 、 局 部 的 に捉 え るだけ
も 重 要 で、 し かも 今 では他 に求 めが た いも のと いえ るだ ろ う。 私 が
団 の報告 書 の資料 は、 こ の問 題 の解 明 にと って、 最 も中 心 的 で、 最
私 の言 を 俟 つま でも なく 、 本書 に盛 ら れ て いる 米 国戦 略爆 撃 調査
では ほ んと う の意 味 が わ から な い。長 期 にわ た って累 積 し てみ る こ
昭 和 二十 二年 ﹃ 海 上 護 衛戦 ﹄ を書 いたと き も 、机 上 には常 に "The
の故 に敗 戦 を 決定 的 にさ せられ て いた の であ る。
と 、 そ し て原 因 ・結 果 を いろ いろ な角 度 から 分析 し てみ る こと 、等
W arAgai ns tJapane seTransport at i on"を備 え て いた。 プ レ ス コ
これ ら の攻撃 は 一九 四 五年 三 月 初旬 ま で続 き、 そ の間 に日 本 によ
られ た高 々度昼 間 精 密爆 撃 によ る 一連 の攻 撃 の最 初 のも の であ った。
( 大井
篤)
は超 重爆 B 29 部 隊 の任 務、 編 制 、 成 果 お よび 機 材、 搭 乗 員 の損 耗 状
せら れ て いた ので あ るが 、空 襲 の恐 る べき 結 果が 日本 の多数 の 一般
で あ った。 爆 撃 の恐 ろし さ はそ れ ま で の十 ヵ 月 間 に日 本 人 は経 験 さ
日本 国 民 が米 国 の空 軍力 を 恐 る べき 力 を感 じ た の は、 こ の期 間中
な いと いう 気味 の悪 い前 ぶれ と し て は 大 い に作 用 し た。
日本 の爆 撃 に全 努 力 を 傾 注す れば 、 日本 人 はど んな 目 に会 う か 分ら
損 害 は 必ず しも 大 き なも ので は な か った が、 それ は ひ と たび 米 国が
さ れ て い った。 こ の攻 撃 段 階中 の作 戦 によ って日 本 に与 え た 全体 の
れ る や、 攻 撃 を 受 け る 日本 本土 の地 域 は実 際 的 にも潜 在 的 にも 拡 大
重 な戦 術 的 教 訓が 学 ば れ つ つあ った。 マリ ア ナ諸 島 に基 地が 建 設 さ
て戦 争 のも っと後 の段 階 にお い て使 用 さ れ る こと にな った多 く の貴
り い っそ う 近 い新 基 地 が獲 得 整 備 さ れ、 戦 闘 機 部隊 が 置 かれ 、 そ し
ット ・パ ー マー と いう 米海 軍 大 尉が こ の報 告書 を贈 ってく れ な か っ
B 29 部 隊 の対 日 戦 略 爆 撃 作 戦
た ら、 私 の書 い た本 はひ と つの怪 しげ な 回 想 記 に終 ってし ま うと こ ろ だ った 。
四
本 報 告 は 軍事 方 面 調査 の陸 軍 分析 部 門 十 一巻 の中 の 一冊 で、 B 29
況 を 要 約 し て概 述 し、 か つそ の作 戦 や 用法 を でき る だけ 簡 潔 に論 述
市 民 に よ って感 じ られ た のは、 昭 和 二 十 年 三月 十 日、 マリ ア ナ基 地
部 隊 に よる 日本 本 土 空 襲 に関 す る 総 合報 告 であ る。 こ の報告 の目 的
す る こ と であ った。 す な わ ち、 第 一章 に お い ては、 前 述 の項 目 を概
し都 内 の最も 燃 え易 い地 区 に対 し、 一、 七 八 三 ト ン の焼 夷 弾 を投 下
説 し 、 第 二章 では 航空 作 戦 の実 施 そ の他 に影 響 を与 え る よう な 要 因
し た時 の こと であ った。 こ の非常 に効 果 的 であ った爆 撃 は、 日本 に
から B 29 二九 八機 が、 低 空 (二 一〇 〇 メー ト ル) で東 京 を 夜間 爆 撃
イ ンド =中 国 基 地 と マリ ア ナ基 地 より の日 本本 土 爆 撃 の実 施 と 成
に つき 検 討 を 加 え て いる 。
果 に関 す る 要 約と し て、 こ の報 告 に比肩 し う る記 録 はお そ らく 見 い
の三 ヵ月 半 内 に投下 し た爆弾 ト ン数 の三倍 に当 る 九、 三 六 五 ト ンの
昭 和 二十 年 三 月十 日 か ら十 八 日 ま で の八 日 間 の期 間 に、 そ れ ま で
対 す るそ の後 の空 襲 の手本 と な ったも の であ る。
佐 の指 揮す る爆 撃 隊 によ り 行 な われ た東 京 空 襲 によ り、 たち ま ち戦
に投 下 さ れ た。 そ し て これ ま で の最 も 低 い搭 乗 員 の喪 失 率 で 三 二平
焼 夷弾 が 、 主 と し て 日本 の四大 都 市 (東京 、 名 古屋 、 大 阪、 神 戸)
米 国 民 は 一九 四 二年 (昭和 十 七 年) 四月 十 八 日、 ド ー リ ット ル中
出 し え な いと いえ よう 。 次 に対 日 本 土爆 撃 の経 過 を略 述 す る。
意 を 高 揚 さ せら れ た。 し か し これ 以 後、 日本 に対 す る戦 略 爆 撃 は、
都 市 地 域 に対 す る 爆 撃 は、 焼 夷弾 の欠 乏 と沖 縄 進 攻 に対 す る戦 術
方 マイ ルの建 物 地 区 を破 壊 し た 。
一九 四四 年 六月 一五 日 に、 アジ ア大 陸 の基 地 から B 29 六 二機 によ る 八幡 (福 岡県 ) の日本 製 鉄 を 爆撃 す るま で は、 な さ れ な か った 。 こ の 八幡 爆 撃 は高 性 能 爆弾 を使 用 し、 主と し て 日本 の産 業施 設 に向 け
び 六月 の初 め に かけ て東 京 、 横 浜、 名 古 屋、 大 阪 、神 戸 の都 市産 業
的 援助 を 与 え る 必要 のた め に 一時 中断 した だ け で、 四 月、 五 月 お よ
さ と 集 中 をも って行 なわ れ た の であ る。
は 大体 にお いて、 戦 意 の 回復 に対 す る時 間 を残 さ な か った ほど の速
抗 は 日本 国 民 の消 滅 を 意味 す る こ とを 有効 に示 し た の であ る。 そ れ
日本 の 五〇 〇以 上 の別個 の目標 が 、 昭 和 十 九年 六 月 より 二 十年 八
地域 の 一〇 二平 方 マイ ル以 上 を破 壊す るま で続 いた。 あ る指 揮 官が 述 べ たよ う に、 攻 撃 目標 は "日 本 人 の心 " と な った 。 百万 人 を 越 え
は施 設 に精 密爆 撃 を受 け た のであ るが 、 六六 都市 は、特 定 目 標 でな
月 ま で に爆 撃 さ れ た。 これ ら の内 の大 多 数 は、 特 定 の産 業 設備 ま た
く 都 市 地域 を 目標 と した都 市 地域 集中 戦 法 によ る爆 撃 を受 け た。 日
る 市民 が 負 傷 ま た は死 亡 し、 何 百 万 の市 民 が家 を失 い、数 千 の小 工
こと の でき る 宣 伝 で はな く、 事 実 によ る宣 伝 であ って、 そ の恐 る べ
ンが 六六都 市 に投 下 され た。 これ ら の都 市 におけ る損害 は、 富山 の
本 に対 し 投 下 され た爆 弾 一六 〇、 三 〇〇 ト ン の内 一二八、 〇 〇 〇 ト
場 が焼 かれ 、多 く の大 産 業が 大 損 害 を受 け た 。 これ は国 民 から 隠す
の ニ ュー スはた ち ま ち遠 方 ま で伝 わ った 。
に まで 向 け る ことが でき るよ う にな った 。戦 術 も いく らか変 更 され
過 と警 戒 警 報 を含 めた空 襲 を 経 験 し た。 国 民 の三分 の 一以上 が 彼 ら
爆 撃 の結 果 、 日本 の民間 人 口の 三分 の二以 上 が、 米 軍 機 の上 空 通
で はあ る が、 米 国 側 の算 定 によ ると 都 市平 均 は四 三% と な って いる。
市 街 地 域 の九 九% か ら尼 崎 の 一% に至 るま でと そ の程 度 は まち ま ち
き 結果 はど ん な 手 段 でも 抑制 す る こと のでき な いも の であ った 。 そ
五 つの 主要 産 業 都 市 の実 質 的 な破 壊 と 、第 二十 航空 軍 の機 材 や兵
て低 空爆 撃 が 最 も しば しば 使 用 され 、 攻 撃時 の天 候 と時 刻 によ って
力 と能 力 の増 大 に伴 って、次 の 目標 は比 較的 小 さ な都 市 の産 業 地域
昼 間 精 密爆 撃 と レ ーダ ー焼 夷 弾 戦術 が 併 用 さ れ た。 ま た目標 の大 き
一回 以上 の爆 撃 の経 験 を持 って いた。 三 分 の 一以 上が 彼 ら の住 宅 付
のご く 近 く に爆弾 を 投 下 さ れた 個人 的 経 験 を持 って おり 、 一五% が
近 に爆 弾 を 投 下さ れ た。 二〇 %が 爆 撃 によ って彼 ら の住 宅 に大損 害
さ によ って は、 比 較 的小 さな 編 隊が 使 用 さ れ た。 今 や強 化 さ れ た有
よ って、 そ の本 土 に対す る実 際 の軍 事 的 進 攻 を行 な わず に、 日本 を
力 な戦 略 は、 日本 の経済 的 ・政治 的 、 な ら び に社 会的 生 活 の崩 壊 に
な お、 本 報 告 の付 表 ( A 都 市 地 域 目標 の破 壊 、 B 航空 機 工場 の破
を 受 け、 そ の内 の約 八十% が 家 を 失 い、 二十% は個人 財 産 を失 った 。
壊 、C そ の他 の工業 目標 の破 壊) は戦 略 爆 撃 の総 合 効果 を 示す 貴 重
降 伏 さ せ る よう な 航空 攻 勢 を 盛 り上 げ る にあ った。 こ の目 的 の た め にす べ て の飛行 機 と 搭 乗 員 は最 大 限 に使 用 さ れ、
いも のと認 めた ので本 文 の訳 出 は省 略 し た。 ただ し 、日 本 戦闘 機 の
な資 料と し て注 目す べきも ので あ る。 第 二章 は 一般 に は特 に必要 な
( 冨 永謙 吾 )
六月 中 旬 か ら 八月 中旬 に 至 る 二ヵ月 間 、 八 、〇 一四 回 の出 撃 に よ っ
反 撃 状況 な ど の統 計 を本書 付 録 に収 録 した 。
て 五四 、 一五 四 ト ン の焼夷 弾 が 使用 され 、 五 二都 市 の実 質 的 破 壊 と 他 の 六都 市 の部 分 的 破 壊 に成 功 し た。 そ の上広 島 と 長 崎 に対 す る原 子爆 弾 によ る攻 撃 は、 これら 両 市 の大 部 分 を破 壊 し た 。空 襲 は、 日 本 の抗 戦 の無 益 な こと を 示 した ば か り でな く 、 ま た、 そ れ以 上 の抵
五
日 本 の終 戦 努 力
こ の解 説 を読 まれ る 各位 は、 お そら く、 筆 者 が ど のよ うな 知 識 や 経 験 に基づ いて こ の資 料解 説 を 試 み て いる のか に関 心 をも たれ る こ と と 思 わ れ る。 私 は昭 和 二二年 五月 から昭 和 二 六年 四月 ま で 日本 占 領連 合 軍 最 高
を暫 く お き 、 と に かく、 そ うし た 限界 も 昭 和 二 四年 に入 ると グ ッと
緩 和 して き た。 昭 和 二三 年 十 二月 二十 三 日、 東条 元 首 相 以下 七 名が
釈 放が 行 な わ れ て後 は、 太 平洋 戦 争 にま つわ る政 治努 力 のあれ これ
巣 鴨 拘置 所 内 刑 場 の露 と 消 え、 翌 々二 十 五日 にはA 級 戦 犯容 疑 者 の
を 語 る にも 、 少 く とも 戦 争 裁判 への影 響 を気 にす る 必要 が 一応 な く
そ こ で私 は、 そ れ ま で文 献 資 料本 位 に調査 して き た こと を基 礎 に
な った と 思 わ れ た から で あ る。
(昭 和 四 一年 ) 一月付 、 米 陸軍 省 から刊 行 の運 び にな った と こ ろ の
木 戸 幸 一元 内大 臣 、 平 沼騏 一郎 元 枢密 院 議 長 元首 相 、 小磯 国 昭 元首
た。 そ の中 に は巣 鴨 拘 置 場 で服 役 中 の人 たちも 沢 山 ふく まれ て い た。
し て作製 し た ア ン ケー ト を携 え 、 生存 中 の関 係者 た ち と会 見 し 始 め
Repor t sof Ge ner al M acArt her:J a panes e Oper at i ons i n t he
の中 に ふく ま れ る 。
相、 東 郷 茂 徳 元外 相 、 重 光葵 元 外 相、 豊 田副 武元 軍 令 部 総長 らが そ
司令 部 の歴 史 課 嘱託 を して い た。 そ こで 私 は、後 年 、 一九 六 六 年
Sout hwe stPaci f i c Ar ea の編 集 に参 加 し た。 私 の担 当 の 一部 に 日
も っとも 終 戦 決 定時 の最高 戦 争 指 導 会 議構 成 員 だ った 六名 のう ち
たり い ろ いろ 証 言 し て い ただ く ことが でき た。
天皇 の御 心 境 な ど に ついて は御 側 近 の松 平 康 昌侯 爵 に長時 間 にわ
本 の終 戦 決定 に関 し て の調 査 ・執 筆 が 含 ま れ て いたが 、 そ れ は た ん に マ ッカ ーサ ー軍 に対す る作 戦 の域 を 超 え、 連 合 国 に対 す る日 本降
の 四名、 鈴 木 首 相 、阿 南 陸 相、 米内 海 相 、梅 津 参謀 総 長 はす で に他
伏 決 定 に つ いて の政 治 的経 緯 全般 を カバ ーす るも ので あ った。 こ の 調査 にと って は幸 な こと に、 占 領 軍当 局 は 、 こと 日 本 側 に お い て求
界 さ れ て お 目 に かか れず に しま った。
だ が そ れ に し ても、 終 戦 後 のまも な い時 期 に お いて、 と も かく に
め え るも のな らば 、 ど ん な資 料 で も、 私 の要 求す るま ま に、 収 集 す
も 、 直 接 にあ れ だ け 多 く の関 係 者 と面 談 し て そ の証 言 を求 め る こと
る こ とが でき る よ うな 便 宜 を私 に与 え てく れ た。 だ が 私 の調査 の前 半 期 は あ の戦 争裁 判 な る も のが 続 行中 であ った り、 そ の印 象が 余 り
が でき た と い う こと は 、 私 にと って は、 実 にす ば ら し い幸 運 だ った
に も 生 な生 な ま し か った り で、 本 格 的調 査 には ムリが あ った。 戦 争
の辺 にあ ると いえ る。
わ け で、 私 を し て こ の解 説 の筆 を と る 気 にな ら せた 最 大 の要 因 は こ
裁 判 におけ る最 大 重点 は開戦 の責 任 を問 う こと に あ ったわ けだ が 、 開 戦 と 終戦 と の間 には陰 陽 ・表裏 の関 係が あ るた め、 戦 争 裁判 と無
に移 ると し て、 ここ でも まず こ とわ って お かねば な ら ぬこと が あ る。
わ たく し ご と は 一応 これく ら い にと ど め、 ﹁ 資 料 解 説﹂ そ のも の
関 係 に終 戦 経 過を 調 べ る に は大 き な限 界が あ った。 こ の限 界 のき び し さ は、 そ う し た経 験 をも た れ な い人 び と には、 あ る いは 、 想像 も 困 難 かと 思 わ れ る ので あ るが 、 ここ で は こ の問 題
他 のさま ざ ま な 題名 のも と に、 幾 多 の刊 行 物 によ って、 いろ いろ な
に対 し て極 め て率 直 に、 な ん でも か ん でも 包 み隠 す こと なく 、証 言
作 戦 と か経 済 事 情 と か と い った問 題 な らば 、証 人 たち は米 国 調査 団
戦争 裁 判 と あ ま り関 係 のな い よう な問 題 、 つまり 、 純然 た る軍 事
し た りす る の には、 当 時 の情 勢 はあ ま り にも きび しす ぎ た。
角 度 から 精 粗 各様 に紹 介 さ れ て いる よ う だ から 、こ の ﹃現代 史 資 料﹄
でき た であ ろう 。 あ の よう に決定 的 に敗 北 し 、陸 海 軍も 解 体 と いう
資 料 主 題 ﹁日本 の終戦 努 力﹂ の意 味 す る歴 史 的経 過 に関し て は 、
の読者 各 位 は 一応 ご 存 じ と思 わ れ る。 だ から こ こ で は そ の 史 的 経
状 態 では、 論 功 行 賞 な どと いう こと も あり え な い のだ か ら、 意 図的
に粉 飾 し た証 言 を し て みた と ころ で はじ まら な い と いう 事情 が そ こ
過 ・経緯 を 平 面 的 に整 理 説 明す る ので なく 、 む し ろ こ の資 料 の 批
にあ った。 だ から 米 国 調査 団 も、 ま だ 戦争 中 の記億 も 新 鮮 で、 記 録
判 ・評価 と い った点 に 重点 を お き た い。 米 国戦 略 爆 撃 調 査団 の この資 料 の公 表 日付 が 一九 四 六年 七月 一日
だ が 、 終 戦 努力 の問 題 は、 前 述 し たよ う に、 これ と はず いぶ ん趣
と な って い る こと から も 解 る よう に実際 の調 査 の行 な わ れ た の は、
を異 にす る。 これを あ ん な短 時 間 の うち に調 査 しよ う と した こ と、
の散 逸 ・消 滅 の少 な い、 終 戦 直後 の時 期 に や ってき て、 き わ め て短
和 二十 年 の秋 から 冬 に かけ て の期 間 だ った の だ から 、折 しも 一方 に
そ れ じ た いが 途方 も な く ムリな 話 で、 私 が こ の調 査 団報 告 を こ のま
期 間 に貴 重 な証 言 や 資 料 やを 収 集す る ことが でき た わけ だ 。
お いて は ﹁戦 犯 容 疑者 ﹂ な るも の の逮 捕 が続 々と 行 な われ つ つあ る
ま 批判 なし で は推薦 しか ね る と思 う のも こ の辺 の ムリが こ の報告 の
文 字 通 り終 戦 直 後 のこと でし かも そ れ は極 め て短 期間 で打切 られ た
時 期 だ った、 と いう こ と にな る 。A 級 戦 犯 容疑 は開 戦責 任 を 問 うも
大 筋 を 通じ て感 ぜ ら れ るか ら であ る。
も のだ った。 調 査 団が 日本 に おけ る調 査 に従 事 した の は主 と し て昭
の であ り 、開 戦 は終 戦 と陰 陽 ・表 裏 の相 関 性 をも つも の であ る こと
いな か った のに、 それ が 実 に大 き な終 戦 努 力 で でも あ った か の如 く
き る こと で あ る。 だ か ら、 実 際 には ほ ん の微 弱 な終 戦 努 力 し かし て
こ とが 終 戦 努力 への熱 心 さ の表 明 であ ると い う こと も 容易 に理 解 で
時 期 だ った とも い える。 ま た戦 争 反対 者 を 装 う た め の最 も効 果 的 な
が あ った こと、 調 査 期 間も 余 り にも 短 か った こと は、 ﹁必要 に し て
を 導 く お そ れを も 伴 いかね な い。 そ し て、 調 査 団 の調 査 時期 に ムリ
な 想 像 力 の助 け を 借 り て導 き 出 し た結論 より も、 も っと 偏 った 結 論
な 資 料﹂ を 基 礎 にし な い場 合 は問 題 であ る。 そ れ は かえ って、 鋭敏
と ころが こ の ﹁実 証的 ﹂ と いう こと は、 そ れが ﹁必要 に し て十分
いか にも ア メリ カ的 と い った 感 じ であ る。
め 方が な かな か学究 的 にでき て い て、 こと にそ の実 証的 な と こ ろが
な る ほど 、 こ の報 告 には み る べき点 も 多 い。だ い いち報 告 のま と
前 述 の通 り だ か ら、 あ のよう な 時 期 に ﹁日 本 の終 戦 努力 ﹂ の真 相 を 調 査 す る と いう の は、本 質 的 に、 ムリだ った のであ る 。 あ の時 期 は 日本 人 の誰 も が 開 戦責 任 の容 疑 を かけ ら れ な いよ う に
み せ かけ よ う とす る こと も出 てき や す い。 ま し て や、 終 戦努 力 の阻
十 分 な 資 料﹂ を取 得 す る こと を 不 可能 にし たも のと、 私 自 身 の体 験
し、 故 意 にも戦 争 反 対 者 を装 お う とす る傾 向 さ え お お いにあ り う る
止 圧殺 に努 め た人 達 にし て みれ ば 、 そ れ を正 直 に名 乗 り 出 たり 告 白
素 の 一つとみ る べき と 私 は固 く 信 ず る も の で、 それ だ け に私 は、米
おそ らく 、 日 本 の終 戦 努 力 の経 過 を み て いく た め の最 も中 心 的 な要
こ の継 戦 主 張 ・終 戦 反 対 の重 大要 因 と し て の面子 意 識 の問 題 は、
そ の上 、 この調 査 団 は そ の名 称 を ﹁戦 略 爆撃 調 査 団 ﹂ と い って い
国 爆撃 調 査 団 報告 が こ の観 点 を お ろそ か にし て い るた め、 そ の調査
か ら み て、 感 ぜざ るを え な い。
の効 果を 調 査 す る こと に偏 し て いる よう にも 思 わ れ る。戦 略 爆 撃 と
る こ と から も 推測 でき る よ う に、そ の視 点 が あ ま り にも ﹁戦 略 爆 撃﹂
わ け で、 同 時 に、 敵 国 人 心 に対 し て爆 撃 被 害 の恐怖 心 を与 え ると い
忍 び な い﹂ 等 々か ら始 ま って 、 つい には ﹁ 降 伏﹂ の代 り に ﹁終戦 ﹂、
たと ころ は、 ﹁ま だ戦 争 に負 け た わけ で はな い﹂ 、 ﹁軍 の武 装 解除 は
最 後 の最 後 ま で終 戦 に反 対 し継 戦 を 主張 し 続 けた 人 び と の 口に し
え な い。
う 心 理戦 効 果 をも 期 待 す る も のと な る であ ろう 。戦 略 爆 撃 な るも の
方 法 にも 結 論 にも、 かな り の欠陥 を 残 すも のと な った と感 ぜ ざ るを
が 戦 争 に登 場 し た の は、 む ろ ん、 第 二次 大 戦 が 初 め て であ ったし 、
﹁占 領 軍﹂ の代 り に ﹁進 駐 軍﹂ と いう こと にし た など、 例 を あげ れ
いう こと にな る と、 常 識 的 に は、 何 より も まず 敵 国 の物 的戦 争 遂 行
そ れ も まず ヨー ロ ッパ方 面 で そ の威 力 を発 揮 し たも の であ った た め
の面 子 意 識 を い かに 満足 さ せる か の方 法 の模 索 だ った よ う にさ え感
ば き り が な い。 あ る見 方 から す る なら ば、 ﹁終 戦努 力﹂ と は こ の軍
力 、 例 え ば 軍 需 工業 施 設 や交 通 運 輸 機関 を 破 摧 す る のが 目的 と な る
と ころが これ を そ の まま 日本 に対 す る戦 略 爆 撃 の場 合 にあ て は め
そ う いえば 、 終 戦直 前 の八 月 十 二 日、連 合 側 から の電 文 のな か に、
ぜ ら れ ると こ ろさ え あ った。
に、 戦略 爆 撃 理 論 は 欧米 合 理主 義 的 発想 のも のと な ったわ け であ る。
る に は少 しく 問 題が あ ったも のと私 には思 われ る 。 日本 人 心 理 に は
天皇 を連 合 軍最 高 指 揮 官 に subj e c tto さ せる とあ った とき のこ の
欧 米 人 心 理 と は多少 異 な るも のが 、 無 視 し えな い程度 に、 み られ る
も と も と 国体 な る コトバ 自 体 が人 に よ って いろ い ろ に解 釈 でき る
英文 の 二語 を めぐ り、 解 釈 が ﹁国体 護 持﹂ と いう大 問 題 とな った。
も のな のだ ろ うが 、 少 く とも 当 時 の日本 では、 日 本 の ﹁ 国体﹂ は
から であ る。 つま り 、 日本 人 は い わゆ る ﹁東 洋 人 的面 子 意 識﹂ が 頗
で、 継 戦 論 者 に みら れ た面 子 意 識 の強 さ には、 ほ んと う に驚 か さ れ
﹁天 皇制 ﹂ と 同義 語 のも のとさ れ てい た。 し かも 、 こ の ﹁天皇 制﹂
この国 体 護 持 の大 問 題 も面 子 意 識 と無 関 係 と は いえな いも のが あ っ
た のだ が 、 日本 人 の私 にし て、 今 さら のよ う に し て、 こ のよ う に驚
の在 り方 に は いろ いろ あ りう るわ け だ し、 そ の在 り方 が 各 人 お よび
る強 く 、 欧 米人 の場 合 は 恐怖が 面 子 を 圧 倒す る ことが 多 い のかも し
か さ れた のだ とす るな らば 、 米 国 爆撃 調 査 団 の人 たち に と って は そ
各 界 各層 の社 会的 地 位 や政 治 的 特 権 の在 り 方 に支 配 的、 いな 決定 的
た と いえ よ う。
のよ うな 面 子意 識 は、 む し ろ、 そ の意 味 す るも のさ え も 理解 で きず
と いえ る ほど 影 響 をも つも のだ った のだ から、 事 態 はす こぶ る厄 介
れな いが 、 日本 人 の場合 は面 子が 恐 怖 を 圧 倒す る ことが 決 し て珍 し
にし ま った のかも しれ な い。 と にかく 調 査 団報 告 には 面 子意 識 に留
い こと で は な い。 私 は 、 マ ッカ ーサ ー司 令 部 に おけ る終 戦 努 力 調査
意 し た と思 わ れ る分 析 の箇 所 はあ ま り見 当 ら な い。
る問 題 でもあ った と いう こと に な る。 し たが って各 人各 界 各 層 は、
享 受 し てき た人 び と に と って は、 自 分 ら自 身 の地 位 や特 権 を護 持 す
だ った。 端的 に いえば 、 国 体 護持 と いう 問題 はそ れ ら 地位 ・特 権を
いく と いう よう に交 渉 を導 け る 可能 性 が あ る ので、 ソ連 は 日本 の対
な ら ば 、 米英 と覇 を争 う 力 が あ る か ら、 日 ソ提携 し て米 英 に対 し て
それ ら が 仲介 でも 、 や は り、 降 伏 と いう こ と にな ってし まう 。 ソ連
ウ ェーデ ソなど の中 立国 も 、 米 ・英 に対 し強 い立 場を と れ な いか ら、
た主 旨 の説 明 だ った 。
米 英 降 伏 と な らな いよう に仲 介 の役 をと ってく れ るだ ろ う、 と い っ
そ れぞ れ、 自 分 ら に好 都 合 な 国体 論 ・天皇 制 論 を 正 し いも のと信 じ 込 みや す くな るわ け だ し、 そ れ らを 信 じ込 み、 ま た はそ う 信 じ込 む
だ が 、 これ だ と 次 の疑 問 が 残 る。 軍 部 の終 戦努 力 は、 ソ連 の対 日
も の のイ ソテ リジ ャソ ス の問題 とも さ れ るわ け で あ る。 以 上 のよう な こと を考 え てみ るな ら ば、 国 体 護 持 の問 題 が 面 子意 識 の問 題 と無
さ ら に、 これ は私 の マ司令 部 で の調査 に お いても 、 納 得 いく証 言
ど んな こ とが あ っても 、 頭 に浮 ん で こな か った はず だ。 こ の矛盾 を
て いる な ら、 講 和交 渉 の仲 介 者 と し て ソ連 を 選 ぶと いう構 想 な ど、
続 け た 。 それ ほど ﹁国体 護 持 ﹂ と いう こと を重 視す る国家 観 に立 っ
参 戦 後 で はあ った が、 ﹁国 体 護 持﹂ の見 地 から最 後 ま で終 戦 反 対 を
が と う と う得 ら れず にし ま った点 だが 、 ド イ ツ降 伏 の間 も な い後 、
ど う 説 明す べき な のか。 軍 部 の終 戦 反 対者 にも い ろ いろ の考 え方 の
縁 なも のでな いと い いう る ので はな いか。
ソ連 を 仲介 と す べ きだ と いう こと に全員 が 一致 し た と いう 事実 が あ
も のが あ った から だ と いう ので は説 明 が つかな い。 終戦 反 対 の軍 部
後 述 す る最 高 戦 争 指導 会 議 に お い て、 講和 の交 渉 をす ると す れば 、
った。 そ し て こ の通り に ソ連 政 府 に申 入 れを 行 な い、 七 月 に な って 、
変 って いな い のだ から 。 も し こ こ に、 ソ連 参 戦 の前 後を 通 じ て 一貫
を 代 表 し た陸 軍 大 臣、 参 謀 総 長、 軍 令 部総 長 は 、 ソ連参 戦 の前 も後
し て 変 らな いも のが あ った と す るな ら、 ﹁降伏 だ け は真 平 御 免﹂ と
天 皇 の督促 を も う け て、 近 衛文 麿 公 爵 を モ ス コーに派 遣 す べく 、 躍
こ のよう な 日 本側 の申 入 れ に対 す る ソ連 の終 局的 回答 が 八 月 八日
も 、 そ れぞ れ 、 阿 南、 梅 津 、 豊 田 の三 人 で、 この顔 振 れ はま ったく
の対 日 宣戦 だ った こと は誰 しも 知 って い る こと な のだ が 、 私 のど う
起 にな って、 ソ連 の同 意 を 取 り付 け る努力 を した 。
し ても 理解 で き な い のは、 講 和 仲 介 者 と し て、 何故 に こと さ ら、 ソ
連 の仲 介 な らば 、 講 和 交渉 を 試 みても よ いと の態 度 だ った から と い
者 に つい て いろ い ろと 調 べ て みた と こ ろ、 終 戦反 対 の軍 部 でも 、 ソ
ソ連 は最 も 不 適 当 な相 手 だ った はず な の に。 そ の理 由 を 当時 の関係
れ て か ら後 の こと だ った 。 し かも そ こに は俗 に青 年将 校 な いし は少
日 早 朝 の御 前 会議 で天 皇 お ん みず から終 戦 決定 の ﹁ 御 聖 断﹂ を なさ
化 し た の は終 戦 決定 の最 後 の土壇 場 にな ってから のこと ︱ ︱ 八月 十
と こ ろ で いま も ち ょ っと 述 べ た よう に こ の国体 護 持 の問 題 が白 熱
いう 面 子意 識 だ け で はな か った か。
う のが 理 由 の主 なも のだ った 。 軍 部 の終 戦 反対 勢 力 は対米 、 対 英 の
ーデ ターが 伴 って い た。 そ し て こ の クーデ ター は成 功 の寸 前 ま で い
壮 軍 人 と いわ れ る 一部 現 役 将校 グ ル ープ によ って企 てら れ た 一大 ク
連 を 選 んだ のか、 と いう 点 だ った 。 こ の よう な仲 介 者 に選 ぶ に は、
直 接交 渉 にす れば 、 そ れ は降 伏 と いう 屈 辱 感 が伴 う し 、 スイ ス、 ス
った ろ う。
った の であ る。 も し こ れが 成 功 し て いた と し た ら、 そ れ ま で積 み 重
の非 国 民と さ れ 、終 戦 努 力 の芽 が摘 み と られ る こと を 恐 れ た と いう
て機 会 を狙 って いた。 ただ そ れが 継 戦 勢力 に知 ら れ ると 戦 争非 協 力
はし たも の の、 一方 で は 一日 も早 く 終 戦 す る のが 日本 の利 益 と考 え
継 戦 勢 力 に つい て の調 査研 究 から始 めな け れば な ら な いと 思 う。
こと だ った。 そ れ 故、 終 戦 努 力 の本 質 を 理解 す る た め には、 むし ろ、
ね ら れ てき た終 戦 努 力 の 一切 は 水泡 に帰 し た で あ ろう こと は確 実 だ
戦 略 爆 撃 調査 団 報 告 は この ク ーデ タ ー に つい て はま ったく ふれ て いな い。 こ のよ うな ク ーデ タ ーが 企 てら れ た こと も、 現 にそれ が 、
に移 され た と いう こと も 、 調査 団 は ま ったく 知 らず に こ の報 告 書 を
し て いる よ う であ る 。 そ し てそ れ ら支 配 勢力 と し て、 1 天 皇側 近 の
し て の合意 を得 る ま で に、 そ れ だ け時 日 を 要し た の だと いう 点 に帰
日本 の支 配 層が 多 数 の勢力 から 成 って いた た め、 そ れら 勢 力 全体 と
調 査 団報 告 によ れば 、 終 戦 努力 が な か な か稔 り えな か った 原因 を 、
作 製 し て いる 。後 述 によ っても わ か る よう に、 調 査団 の調 査時 期 と
木 戸 内 府 、 2 重臣 グ ル ープ 、 3 内 閣、 4 軍 部 とく に青 年 将 校 群、 5
当 初計 画 と はや や違 った も のと は な ったも の の、 と に かく にも 強 行
調 査団 報 告 は、 米 軍 によ る攻 撃 の累積 効 果 によ って、 日本 が戦 争
そ の期間 から考 え て、 こう いう こと に な る の は ムリ のな いこ とだ 。
遂行 能 力 を 失 った こと に日本 の終 戦努 力 の高 ま り の理 由 を求 め て い
論 や議 会 な ど は無 力 だ った と し て いる。
最 高 戦 争 指 導 会議 (小磯 お よび 鈴 木 両内 閣 の時 代) をあ げ 、 国民 世
ち から 猛 烈 な 異議 が 出 さ れ た。 だ が 私 は私 の全責 任 にお い て私 の分
継戦 ・終 戦 の分 類を 採 用 し た ので あ るが 、 これ に は同僚 の 日本人 た
マ ッカ ー サ ー司令 部 歴 史 課 で の私 の調査 にお い て は、当 初 から こ の
戦勢 力 と和 平 ・終 戦 派 と に分 け て考 え て みる 必要 が あ ると 私 は思 う 。
なら べ るだ け で は意 味 が な い。 む し ろそ れ よ りも 本質 的 な 主 戦 ・継
右 の指 摘 は そ の限 り に お い ては 正 し いと し ても 、 これ を 平 面的 に
る 。 そ し てそ の高 まり の結 果、 日本 の終 戦 が 決 定 さ れ たも のと し て 説 明 し て いる 。 し かし 、 こ のよ う な説 明 の仕 方 では楯 の半 面 し かわ から な い。 と いう より はむ し ろ、 そ こに は本 質 的 な誤 りさ え伴 って い ると いえ よう 。 な ん とな れば 、 これ で は終 戦 努 力 の活 躍 者 た ちも みな 、当 初 は日 本 が米 国 に勝 て ると 信 じ、 開 戦 を 支持 し て いたも の であ る か のよう な 印 象 を与 え かね な い。 じ っさ い、 私 自 身 の直 接 に知 って いた範 囲 で み ても 、 あ の戦 争 は
類方 法 によ って調 査 を 進 め た と ころ 、き わ めてす ら す ら と問 題 の核
か ら、 何 ら か の形 で、 終 戦 の道 を探 し て いた の で はな いの か。 これ
思 われ て いた。 そ れ ら の人 た ち は、 当 然 のこ とな が ら、 開 戦 の当初
明 す る よう に努 める の でな いと調 査 が ボ ケ てし まう 。 と ころが 調 査
治 的 影響 力 の強 弱 に は段 階 が あ るわ け で、 そ の辺 の こと をも 極 力 究
れ ぞ れ の勢 力 の中 にも 鋭 さ ・真 剣 さ や、 さ ら に は、 そ れ ら のも つ政
心 に迫 る こと が でき た こと を憶 え て いる。 む ろ ん、 継 戦 ・終 戦 のそ
を 私が 調 べ た これ ら開 戦 前 から の和平 主 義 者 たち に つい て いえ ば、
団 報告 は こう した点 で かな り 不徹 底 な も のと な って いる 。
って いた 人 が非 常 に多 か った。 む しろ そ れが 大 多 数 か と さえ 私 に は
始 めて は な らな いも のだ し、 日本 は結 局 敗け る にき ま って いる と思
い った ん戦争 とな った か ら には、 国 民 の義 務 と し て戦 争遂 行 に協力
そ う し た論 議 に たず さ わ った こと も あ ったが 、 だ から マ司令 部 にお
議 には、 比 較的 に いえば 、 かな り の事 情 通 の つも りだ った。 職 務 上、
と 日本 に いた わけ だ し、 とく に軍 部 ( 海 軍) の 一員 の中 でも 和 戦 論
終戦 後 米 国 から や ってき た調 査 団 と異 なり 、 私 は開 戦 前 か らず っ
こと にこ れ ら 両内 閣 は終 戦 を 熱 望 す る重 臣 たち の画 策 によ り出 現 し
分 に詮 索 す る必 要 が あ る。 小 磯 内閣 、 鈴 木 内閣 と 内閣 が引 き 継が れ、
果 を 十 分発 揮 しえ な か った のは ど う して だ った のか と いう 理由 を 十
つま り 、戦 局 の悪 化 が継 戦 勢 力 を 日本 政 治 から 退 場 さ せる だけ の効
が 日本 の みを 目標 に集 中 し てく る。 日本 本 土 は海 上 封鎖 で孤 立 し 、
そ のう ち 、頼 み の友邦 ド イ ツも 降伏 し、 連合 国 側 はそ の全力 をわ
たも のだ った し、 ま た、 す で に崩 れ始 めた戦 局 は とど ま る ことな き
私 は 主戦 ・継 戦 の最 も 尖鋭 な 主 張 は いわゆ る青年 将 校 ( 中堅 将 校
悪 化 の 一途 だ ったけ れ ども 、 終 戦 努力 の方 はさ っぱ り進 ま な か った。
の方 が も っと 適 当 な用 語 かと思 う ) の 一部 に行 な わ れ て いる も のと
って いた わけ であ る。
み て いた。 し かも 満洲 事 変 い ら い、 これ 中 堅将 校 は き わ めて 強力 な
列島 のす みず み ま で わが も の顔 に乱 舞 し て、 空襲 をう け な い で いる
食 糧 も 欠 乏 し て国 民 の多 くが 栄 養 失 調 を訴 え始 めた 。米 軍 機 は 日本
け る調 査 の担当 を 命ぜ られ た と き でも 、 す ぐ ピ ンと感 ず るも のを も
影 響 力 を 日本 政 治 に保 持 し て い る事 実 を 事毎 に痛 感 さ せら れ てい た。
そ れ ど こ ろ か、 軍 部 は かえ って態 度 を 硬化 し 、 国民 も ま た軍 部 の
って も な お、 終 戦 の目 途 は 立た な か った。
呼 号 に応 じ て ﹁一億 特攻 にな って の本 土 決戦 ﹂ を当 然 の帰結 と 思 い
都 市 の 方が かえ って例 外 的 と いう 状 態 に な った。 そ う いう 状 態 にな
調 査 団 報告 が 東 条 内閣 退 陣 の原因 分 析 にお い て、 戦 況 の悪 化 を指
これ ら のこと は、 私 の言 を ま つま でも な く、 日本 国 民 のみ んな が感
摘 し て いる こと は正 し い。 も し 戦 況 の前 途 にあ る程 度 の光 明 が 残 っ
い のだ か ら、 戦 局 の前途 に まだ 希望 を 抱 き、 戦 意 ます ま す さ か んな
込 む よう にさえ な った。 実 のと ころ、 国 民 は、 戦 局 の真 相 を知 らな
じ て いた こと で、 ここ で これ 以 上 かれ これ いう 必要 も あ る ま い。
て い たと す る なら ば 、あ の退 陣 はあ り えな か った であ ろ う。 だ が 、
急 ぐ べき 責 任 は、 ます ま す重 く 戦 局 の真 相 を知 るも の の上 にか か る。
こう いう こと にな れば な るほ ど 、民 族 の運 命 を 救う た めに終 戦 を
と こ ろさ え あ った。
戦 況が い つか は こう な る だ ろう こと は、 終 戦 主 張勢 力 の中 心的 人 物 と し て こ の調査 団報 告 に もあ げ てあ る 米内 光 政 氏 や 岡 田啓 介 氏な ど にはき わ めて は っき り と わ か ってい た こと であ る。 彼 ら は 私 にと っ ても海 軍 にお け る大 先 輩 と いう こと と て、 彼 ら の モ ノの見 方 ・考 え
た し か に、 調査 団 報 告が 力 瘤 を 入 れ て い る戦 局 と終 戦 努 力 と の関
正 し い解 釈 に忠実 に従 う な ら、 終 戦 の決 定 を 下す 公 的機 関 はむ ろん
の は最 高 戦 争 指導 会 議 の構 成員 の みと いう 実 情 にあ った。 憲 法 上 の
さ て、当 時 の 日本 で は、 戦 局 の真 相 を ほ んと う に よく 知 り う るも
係 を 調査 分 析 す る こと も 重要 不可 欠 で あ る。 だ か 、 そ れと と も に注
四 四年 ) 八月 (閣議 も 賛 成 し 決定 の上) 最 高 戦 争指 導 会議 な る制 度
閣 議 だ った のだが 、 調 査 団 報告 にも み る よう に、 昭 和 十 九年 (一九
方 は、 い ろ いろ な形 で、 私 な ど にも わ か って いた 。
かな か衰 えを み せな か った点 を重 視 す る こ とも 重 要 だ と いう ことだ 。
意 す べき こと は、戦 局 の悪化 にも かか わ らず 、 継戦 主張 の勢 力が な
な か った。 そ ん な こと で 、 こ のよ う な制 度 が 設 け られ た も のであ る。
能 だ ったし 、 軍事 戦 略 に関す る情 報 は閣 議 にさ え 十分 に は知 らさ れ
た明 治 憲 法 時 代 のも と で は、 統 帥部 の同 意 な し に は戦 争 指導 が 不 可
た。 憲 法 解 釈 に お いて いわゆ る ﹁ 統 帥 権 独 立﹂ の説 が 相 当有 力 だ っ
が 設 け ら れ、 戦 争 指 導 の大 綱 は同会 議 の決 定 に よ って行 な われ て い
こ の 一節 は、 終 戦努 力 にお け る最 大 の障害 抵 抗が ﹁陸 海将 兵 ﹂ に
自 分 が親 しく 諭 し ても かま わ な い。 ⋮ ⋮
大 臣 は共 に努 力 し、 よ く治 ま る よう にし て貰 いた い。 必 要あ ら ば
難 な こ と であ ろ うが 、 ど う か 私 の こ の心持 を よ く 理解 し て陸 海 軍
さ ら に動 揺 も 大 き い であ ろう。 こ の気 持 をな だ め る こと は相 当 困
﹁突 然 こ の決 定 を聞 く 場 合 動揺 も 大 き いであ ろ う。 陸 海 将兵 に は
あ った ことを 天 皇 が感 じと って おら れ た こ とを 示唆 す るも の であ る
﹂
こ れ を 具体 的 にい えば 統 帥部 から 参 謀総 長 と 軍 令 部総 長 、 政府 から
が 、 そ の障害 抵 抗 の中 に は、 当 時 の私 には夢 想 さ え でき な か った 意
右 の御 発 言を な さ れ た 天皇 も 、 当時 は たし て、 これ ほど ま で に重 大
は 内閣 を 代 表 し て総 理 、 外務 、 陸 軍、 海 軍 の四 大 臣、 つま り 六名 で
な終 戦 阻 止 の計 画 が ﹁陸 海 将 兵 ﹂の 一部 で (それ も 中枢 的 な 一部 で)
想 外 の重 大事 件 (後述 の ク ーデ ター) が かく さ れ て い た。 お そら く
だ か ら鈴 木 内 閣が 成 立 し て から 終 戦 ま で の四 ヵ 月 あま り の間、 終
行 なわ れ て い た こと を御 承知 な ら な か った ので はな い か。
最高 戦 争 指 導 会議 が 構 成 さ れ て いた 。戦 争 指 導 の大 綱と いえば 、 終
戦 か継 戦 か の決定 に関 す る最 高 責 任 を にな って いた の は鈴 木首 相、
戦 か継 戦 か の決定 も そ の 一部 とな る こ と は当 然 で あ る。
東 郷 外相 、 阿 南 陸相 、 米 内 海相 、 梅 津参 謀 総 長 、 豊 田軍 令 部総 長 の
る と 、 継戦 主 張 の三 者 の背 後 に は軍 部 のう ち でも と く に激 情 ・狂信
米 内 は終 戦 を 、 阿南 、 梅 津 、豊 田 は継戦 を主 張 し た。 よく 調 べ て み
よ うな 主 張 を し た。 日 本 本土 に対 す る敵 大 軍 の上 陸 を機 と し てこれ
張 し続 け た の か の理由 に関 す るも の であ った。 彼 ら は いず れ も次 の
長 も豊 田軍令 部 総 長 も 、何 故 にあ のよう に最後 の最後 ま で継 戦 を主
陸海 軍 の最高 責 任 者が 、 米 内 海 相 を除 け ば、 阿 南 陸相 も 梅 津参 謀 総
マ司 令 部 で の調 査 中 、 私 の最 も判 断 に苦 し んだ こと のな か に は、
的 な 将校 群 が 密 着 し て いた 。 し かも これら 三者 のう ち でも この密 着
六 名 だ った わけだ が 、 す べ て の記 録 に明 ら かな よ う に、 鈴 木、 東 郷 、
度 の高 いも の ほど 継戦 主 張 が尖 鋭 ・頑強 だ った 。 つまり 阿 南 陸相 の
に痛 打 を 加 え、 そ の花 々し い戦 果 を ふ まえ て名 誉 あ る終 戦 交渉 が で
いう 事 実 な の であ るが 、 こ の再度 の御 聖断 に お い て天皇 の仰 せ ら れ
つ い に同 月 十 四日 の再度 の御 聖断 によ って や っと 終 戦 と決 定 し た と
そ っく りで、 ﹁勝 兵 は先づ 勝 ち て後 に戦 を求 め、 敗 兵 は先 づ 戦 う て
めて から 本格 攻 撃 を と ってく る。 兵書 ﹁孫 子﹂ にも書 いてあ る のと
け る偵 察 を はじ めと し諸 準 備 が 完璧 に近 い。 必勝 の態 勢 を確 実 に固
で の米 軍 の戦 法 を み る と はな はだ 合 理的 な も ので、 と く に事 前 に お
こ のよ うな ロジ ックが 私 に はな か な か呑 み 込 あな か った 。 そ れま
き る よう にす べき だ と 。
継 戦 主 張が き わ立 って尖 鋭 か つ頑 強 だ った のであ る。 さ ら に留 意 す べ き こと は、右 の終 戦 三名 、 継 戦 三 名 の対 立 のデ ッ
た中 に次 の よう な 極 め て注 目 す べき 点が あ った 。 米 国調 査 団 報告 は、
ド ロ ック は 八月 九 日 のいわ ゆ る ﹁御 聖断 ﹂ が 下 さ れ た後 でも続 き 、
遺 憾 な が ら、 こ の部 分 を軽 視 し 去 ってし ま って い る。
後 に勝 を求 む ﹂ を そ の通 り や ってき て い た。 ﹁孫 子﹂ はむ し ろ 日本
軍将 兵 ニ告 グ ﹂ ) な るも のを起 草 した のが 稲 葉氏 であ る こ と を 知 っ
戦直 前 の 八月 十 一日、 新 聞 紙上 に大き く の った陸 軍 大 臣訓 示
稲葉 氏 は終 戦 時 に陸 軍 省軍 務 局 軍 事 課 の課 員 だ った のだ が 、、 あ の終
( ﹁全
軍 人 の方 が 米 軍 人 よ りも よ く 勉強 して いる はず な のだ し、 ま し てや 、
唆 す る 一事 例 だ った。 八月 十 日、 天 皇 の ﹁御 聖断 ﹂ によ ってポ ツダ
こ の問 題 は終 戦 努力 に対 す る 軍部 の阻 止妨 害 が い か に強 か った を 示
こ の陸相 訓 示 問題 に つ いて も調 査 団報 告 に説明 が な いよう だが 、
た 私 は 、彼 に マ司令 部 にき てい ただ いた のであ る。
大 臣 、 総 長 にま で も な る こと のでき た 軍 人 に こ の理 が わ から ぬはず が な い。 結 局 はな るべ く有 利 な 条件 で終 戦交 渉 を ま と め る と いう の が 目的 のはず だ が 、 そ れ なら ば、 こち ら 側 に まだ 十 分 の戦 争 遂 行能 力 が残 って いる こと を 相 手側 に感 じ取 ら せ る べき であ る 。 そ し てそ
ム宣 言 受 諾 を連 合 国側 に申 入 れ た政 府 は、 終 戦 の近 い こと を 一般 国
れ には な るべ く多 く の兵力 を 温 存 し て おく ことが 賢 い はずだ 。 と こ ろ が彼 ら は全 戦力 を投 入 し て最 後 の決 戦 を し て から 終 戦 交 渉 に は い
兵 ニ告 グ ﹂ で始 ま る陸相 訓 示 も 大 々的 に掲載 さ れ た。 ﹁断 乎神 州 護
を 八月 十 一日 紙上 に発表 し た。 と ころが 、 それ と な ら ん で ﹁全軍 将
持 ノ聖 戦 ヲ戦 ヒ抜 カ ソ ノ ミ﹂ と か、 ﹁断 ジ テ戦 フ ト コ ロ死 中 自 ラ活
民 にそ れ と なく 知 ら せ る た め、 内閣 情 報 局総 裁 談 話形 式 の政府 声 明
は成 り 立 たな い。 敵米 側 にと っては ド イ ツを 戦 局 か ら完 全 に脱落 さ
る べき だと いう のだが 、戦 局 の主 動権 が あ のよ う に ま った く 先方 の
せ、 残 る 相手 は日 本 だけ と な って、 米 側戦 力 に は いやが 上 にも 十分
ア ル ヲ信 ズ﹂ と か い った 句 で綴 ら れ 、政 府 声 明 の主 旨 と は ま った く
手 に帰 し てし ま って い る情 況 で は、 この よう な ひ と り よが り の計 算
な余 裕 が でき た。 そ の上 、 日 本 は本 土 に完全 に孤 立 し 、海 上 封 鎖 と
陸 作戦 にや って き た米 軍 に対 し てだ け の こと で あ って、 米 側 に は他
陸 作戦 を や ってく るだ ろ う か。 し かも 、 日 本 軍が 加 え う る 痛打 は上
で 、 日本 軍 の反撃 にや ら れ痛 打 をく ら わ さ せ ら れ るよ う な ムリな 上
攻 撃 に出 てく る と いう 手 固 い戦 法 の米 軍 が 、今 とな っては 何 を苦 ん
と であ る。 この稲 葉 陳述 に基 づ いて私 が いろ い ろと 調査 した も のの
ふ れ た、 青 年将 校 、 少壮 軍 人 によ り企 てら れた 一大 ク ーデ ター の こ
戦 阻 止 の クーデ タ ー計画 が 立 て ら れ たと の話 だ った。 さ き に少 しく
八月 十 目 の ﹁御 聖 断﹂ 後 、 陸 軍省 軍 務 局 の佐 官 級 を中 心 と し て、 終
手 記 を み なが ら 、 私 に はま った く初 耳 の重大 事 を語 り 始 め た。 前 記
ても ら う た め稲 葉 氏 にき ても ら った のだが 、 稲葉 氏 は数 枚 にわ た る
私 はこ の よう な 陸相 訓 示 が出 され た当 時 の陸 軍内 部 事 情 を説 明 し
逆 の主旨 にな って いた。
に有力 な海 軍 力 も空 軍 も あ る わけ だ し、 上 陸 作 戦部 隊 を 再 建 す る国
要 約 は外 務 省 編 纂 とし て 昭和 二七 年 に新 聞 月 鑑 社 発 行 の ﹃終 戦 史
って い た のだ。 前 述 のよ う に、 必勝 の態 勢 を十 分 に固 めて から 本 格
戦 略 爆 撃 と を続 け る だ け でも 、 日本 の衰 滅 は期 し て待 て る情 勢 にな
力 も 十分 にあ る。 私 と し て は、 ど う考 え てみ た と ころ で、 継 戦主 張
した 米 陸軍 省 刊 行 Repor tsof G eneral M a cArthur にも別 に述 べ
録 ﹄ にも の って いる。 む ろ ん、 さ き に、 本 ﹁ 資 料 解 説﹂ の冒 頭 に記
の ロジ ックが 納 得 で き な か った 。 そ んな あ る日 のこ と、 こ の ﹃ 現 代 史 資 料﹄の他 の巻 に ﹁資 料 解 説﹂ を書 い てお られ る、稲 葉 正 夫 氏 から 、 実 に重 大 な こと をき かさ れ た。
に担当 の章 を 綴 ら なけ れ ば な らな か った わけ で あ る。 そ し て あ の
と き 稲葉 氏 が こ の話 に言 及 し てく れ な か ったら 、 私 は それ を 知 らず
おけ る 調査 前 期 、 そ こ まで のこ と は考 えも 及ば ず に いた。 も しあ の
ても そ れ を かく し て おき た い人 情 は解 る。 と にか く 私 は マ司 令部 に
も 、 や は り重 大 犯 罪な のだ か ら、 軍 刑 法が 廃 止 と な った戦 後 にな っ
査 を し て く れ た。
グ 氏が 来 日 し、 私 の調 査 な ども 基 礎 に し て、 ず いぶ ん突 込 ん だ再 調
だ ろ う。 幸 い、 この米 書 刊行 後 まも な く、 米 人 ウ ィリ ア ム ・ク レイ
てあ る わけ だ が 、 こ の米 陸 軍省 刊 行書 のは 日本 で は な かな か 入 手難
静 壱 東 部軍 司令 官 の決 死 の活 動 によ り、 陸 軍省 部 の中 堅 将 校 に よ る
リ ト モ、 絶対 ニ立 ツ コト ナ シ﹂ と 決意 し て斬殺 さ れ、 加 う る に 田中
こ と にな る。 さ ら に森 師団 長 は ﹁大命 ニ非 ル限 リ、仮 令 大 臣 ノ命 ナ
同意 ヲ表 セズ。 茲 ニ於 テ計 画 崩 レ、万 事 去 ル。﹂ (八月 十 四日 日誌 )
居 間 ニ案 内 セシ メ、 他 ヲ監 禁 セ ソト スル ノ案 ナ リ)、 次 デ 全 面 的 に
時 ヨリ ノ御 前 会 議 ノ際、 隣 室 迄 押 シカ ケ
ト ス﹂ (八月 十 三日 日 誌 ) 。 ク ーデ タ ーは ﹁七時 、 大 臣、 総 長 前後 し ︹ 軍事課長︺ て 登庁 。大 臣 ハ荒 尾 大 佐 ト共 ニ総 長室 ニ至 リ、 決 行 ニ同 意 ヲ求 ム。 ︹ 梅津美治郎︺ 然 ル ニ総 長 ハ、 先 ヅ 宮城 内 ニ兵 ヲ動 カ ス コト ヲ難 ジ ( 計 画 ハ本 日十
聖 慮 ノ変 更 ヲ待 ツ モ ノ ニシテ、 此 ノ間 国政 ハ戒 厳 ニ依 リ テ運 営 セン
れ て い る 。 ﹁計 画 ニ於 テ ハ、 要 人 ヲ保 護 シ、 オ上 ︹天 皇 ︺ ヲ擁 シ、
デ ター の全貌 も 、 日を 迫 って の経 緯 も あ ます と こ ろな く 明ら か に さ
ほ ん ら いな ら 、 ク ーデ ター は、 た と え それ が 未遂 に終 った と し て
﹁御 聖 断﹂ に お いても 頑 迷 と し か い いよう のな い継 戦 主 張 を 固 執 し
計 画 が崩 れ て いく う ち に、 十 時 三 十分 、 天 皇 の御 発意 で、 政府 閣 僚
八月 十 四 日午 前 十 時 決行 発 動 が 梅津 参 謀 総長 の同意 を え られ ず 、
ク ーデ ター は防 が れ 、 終戦 とな った のであ る。
オ上 ヲ侍従 武 官 ヲ シテ御
た 阿 南 陸 相ら の真意 を推 測 し か ねた で あ ろう 。 だが 私 は因 果 関係 が は っき り し、 史 実 の本 筋 さ え 明 ら か にでき れ
全 員 と 統帥 部 代 表 者 が突 如 とし て 招集 さ れ 、継 戦 主張 者 の重 ね て の
ば 、 そ れ以 上 の根掘 り葉 掘 り は行 き 過ぎ にな ると思 った。 私 の綴 る 歴 史 は公 刊 史 で、読 物 的 にす る のは む し ろ禁 物 だ った。 そ のう え私
し た。午 後 一時 か ら 三時 ま で閣議 が あ り 、其 の後 阿南 陸 相 は、 課 員
進 言 にか か わら ず 、第 二次 ﹁御 聖断 ﹂ が 下 り、 終戦 が 最 後 的 に決 定
以 上 全員 を陸 軍 省第 一会 議 室 に集 め、 訓 示 をし た。 そ れ は ﹁機 密 日
自 身 も 旧軍 人 だ った のだ か ら、 や は り微 妙 な 心 理 か ら、 遠 慮 し た こ
だが 幸 いな こと に、 こ のク ーデ ター の全 貌 を 明 ら か にし た本 が 刊
誌 ﹂ によれ ば 次 の通 り であ る。
と に も な る。 これが 当 時 の私 の い つは らざ る気 持 で あ った 。
行 さ れ た。 昭 和 四 二年 に当 の稲 葉 正夫 氏 が 編 集 し た ﹃敗 戦 の記 録 ﹄
御上
忍 ビズ。明治天皇 ノ三国干渉 ノ時 ノ御心境 ヲ以テ和平 ニ御決心遊 バサレ、
ニハ此 ノ上戦争遂行 ノ見込 ナキ コト ヲ述 ベラル、無辜 ノ民 ヲ苦 シメル ニ
リ ﹁ポ ツダム﹂宣言内容 ノ大要ヲ受諾 スル コトト セラル。其 ノ時
本日午前最高戦争 指導会議構成員及閣僚 ヲ御召 シ遊 バサレ、御聖断 ニ依
( 原書房) であ る。 こ の本 で公 開 さ れ て い る陸 軍 省軍 務 課 の ﹁ 機密終 戦 日誌 ﹂ は、 ソ連 の宣 戦 布告 、 和戦 を決 定 し た 最後 の戦 争 指導 会 議 、 第 二 回 の原 爆 投 下、 ポ ツダ ム宣 言 受 諾 を めぐ る第 一回 の御 前会 議 開 催 と 重 った八 月 九 日 から 八月 十 五 日未 明 の阿 南 陸相 自 刃ま で の 一週 間 の記 録 であ る。計 画 発 起 か ら森 近 衛 師団 長 斬 殺 に終 る問 題 のク ー
軍隊 ノ武装解除 ハ堪 へ難 シ、然 レ 共為 サザ ルヲ得ズト言 ハレ、特 ニ陸軍
一時如何ナ ル屈辱 ヲ忍ビ テモ、将来皇 国護持 スルノ確 信アリ。忠勇 ナル
陸 相 は三 宅 坂 の官 邸 で皇 居 方 面 か ら聞 え てく る反 乱軍 の銃 声 をき き
皇 軍最 後 の日、 田中 静 壱 伝 ﹄( 非売品) 、 阿 南自 決 の模 様 は前
現 を不 調 に追 い込 も う とす る企 ては、 そ の後 も 各 所 にあ った わけ だ
たも の、 さ ら に は現 に連 合 軍 を 挑 発刺 激 す る こと に よ って、 終 戦 実
﹁御 聖 断﹂ にも 、 政 府 決 定 にも 従 わず、 た ん に継 戦 を叫 び つづ け
写 し て い る。 若 干読 物 的 だ が 史実 とし て は信 用 でき ると 思う 。
Japa nと 題 す る本 を出 し て、 こ のク ーデ タ ー行 動 をく わ しく 情 景 描
な お ク ルイ グ氏 も ﹃敗戦 の記 録 ﹄が 刊 行 さ れ た同 じ年 に Fal lof
記 の ﹁機 密 日誌 ﹂ およ び ﹃阿南 惟 幾 伝﹄ ( 講談社)を参 照 され た い。
﹃あ ー
なが ら覚 悟 の自 決 を とげ た。 田 中 大 将 の こ の 日 の行 動 は 塚 本 清
ハセラル。又武官長 ハ侍従武官ヲ陸軍省 ニ派遣 スル由。
大臣 ノ方 ニ向 ハレ、陸軍 ハ勅語ヲ起草 シ、朕 ノ心 ヲ軍隊 ニ伝 ヘヨ、 ト宣 御聖断 ニ基 キ又重ナ ル有 リ難 キ御取 リ扱 ヒヲ受 ケ、最早陸軍ノ進 ムベキ 道 ハ唯 一筋 ニ 大御 心ヲ奉戴実践 スルノミナリ。 皇国護持 ノ確信 ニ就 テ ハ、本 日モ ﹁確信アリ﹂ ト言 ハレ、又元帥会議 ニ 際 シテ モ、元帥 ニ対 シ ﹁ 朕 ハ確証 ヲ有 ス﹂ト仰 セラ ル。 今後皇国 ノ苦難 ハ愈 々加重 スベキモ、諸官 ニ於テ ハ過早 ノ玉砕 ハ任務 ヲ
三長官 、元帥会合 ノ上、皇軍 ハ御親裁 ノ下 ニ進 ムコトト決定致 シタリ。 解決 スル途 ニ非ザ ル コト ヲ思 ヒ、泥 ヲ食 ヒ野 ニ臥テ モ最後迄皇国護持 ノ 為奮闘 セラレ度。
と いう ク ーデ ター は断 然最 も 恐 るべき も のだ った 。 も しそ れが 計画
が 、 何 と い っても 、 前述 の陸 軍 大 臣 の命 令 の下 に全 陸軍 が参 加す る
マ司令 部 で私 が こ の ク ーデ タ ー計 画 に参 画 し た数 名 の生存 者 に対
さ れ た通 り 実 行 さ れた と す る なら ば、 これ を鎮 圧 で き るも の は米軍
だ が 事 態 は こ の陸 相 訓示 によ って収 ま った の で はな か った。 ここ
し次 のよ う に質 問 し た ことが あ る。 ﹁あ の時 機 に な って本 土 決 戦 な
か そ れ とも ソ連 軍 し かな か った であ ろ う から、 それ ま で にと ら れ て
起 こし、 陸 相 をも 再 び 巻 き込 む べ く考 え た ら し く、 そ の夜 深更 、 森
ど に持 ち 込も う と 考 え ても 、 け っき よく 、全 国 土が 焦 土 と な る か全
に問題 の深 刻 性が い っそう は っき りと あ ら わ れ た ので あ る。 血 気 に
近 衛 師 団長 に蹶起 を求 め、 拒 否 さ れ るや 森 師 団 長 を殺 害 し 、師 団 長
面 的 に占 領 さ れ るか で、 国 民 も ま た、 抗 戦す るも のはす べ て 殺 され 、
き た 一切 の終 戦 努力 は無 効 と な り かね な か った。
命 令 を 偽造 し て聯隊 長 以 下 を動 か し た。 翌 十 五 日 正 午放 送 と な る玉
は や る年 齢 三 十 五、 六 歳以 下 でし かも 省 部 ( 陸 軍 省 、 参謀 本 部 ) の
音 ( 天 皇吹 込 ) 録 音 盤を これ ら近 衛 師団 の将 兵 を 使 って奪 取 せ んと
狂 信 の根 源 と し て、 徹底 的 に不 可 能 と され る と こ ろ で は な か った
降 伏 す るも のは敵 の意 の通 り と な って しま い、 国 体護 持 はか え って
重 要 な ポ ス ト にあ った数 名 の主 謀将 校 はま ず 、自 分 ら だ け で行 動 を
し て失 敗 し たが 、 も っと 重 大 な事 態 は、 これ ら 偽 命令 を 信 じ た皇 居
う いう 判 断 をき いて い た。 日 本 軍 は シ ナ大陸 で重 慶 政府 を 屈伏 でき
って 殆 んど 永 久 的 に抗 戦 で き た はず で 、参 謀 本部 の作 戦部 から も そ
か﹂ と。 これ に対 す る彼 ら の主 な 答 え は、 ﹁わが 軍 は 山岳 地 帯 に拠
警 衛 の近衛 聯 隊 が、 皇居 と 外 部 と の連 絡 を遮 断 し 、 実質 的 に、 天皇 を軟 禁 状 態 に おく よ う な こ とを 敢 て し た ので あ る。 幸 い にし て こ の反 乱 を知 った 東部 軍 司 令 官 田中 静 壱 大 将が み ず か ら 皇 居 に急 行 し、 皇 居 の反 乱を 十 五 日早 朝 に鎮 定 し た。他 方、 阿 南
が みな 殺 し にな っても 、 国体 護 持 に殉 じ た精 神 は世 界 史 を飾 ると 考
な か った こと か ら み ても 、そ う いう判 断 が 成 り 立 つ。 仮 に日本 民 族
って いたが 、 そ こ の軍 医 長 ( 少 佐 ) が 私 に対 し、 こんな こと を い っ
木 に行 った。 司 令 そ の人 は発 狂 し たと かで麻 酔 注 射 で昏 酔 状態 にな
こ のよ う に、 国 体 護持 と いう も の を絶 対 至 上 のも のとす る価 値 観
神 が 天 の岩 屋 に籠 られ た とき 、 手 力 男命 が ムリ ムリ大 神 を引 き 出 し
誤 った考 え な らば 、 臣 下 は天皇 に考 え直 さ せる べき で あ る、 天 照 大
た。 ﹁た とえ 終 戦 は 天皇 おん みず から のお考 え だ と し ても 、 そ れ が
が 、 こ の クーデ タ ー計画 の底 にあ った こと は、 疑 い のな いと ころ で、
に答 え たが 、 こ の軍 医 長 の主張 はま さ しく 前 記陸 軍 ク ーデ タ ー将 校
た 例 をな ら う べき だ ﹂ と 。 私 は楠 正 成 の湊 川 出陣 の例 をも って これ
え て い た﹂ と いう よ う なも のだ った。
こ のよ う な考 え方 は当時 の国 史 学者 と して有 名 だ った 平泉 澄 博 士 か
の ロジ ックと い え よう 。
ら 教 え ら れ たと いう ことも 私 は彼 ら から き い た。 そ し て彼 ら は この よ う な 平泉 博 士 の考 え方 が 必ず しも 当 時 の日本 人 に広 く 支 持 さ れ て
制 そ のも のが滅 ぶ よう な ことを 仰 せ ら れ る のだ から 、 わ れ われ はそ
か と質 問 し た と こ ろ、 ﹁天 皇裕 仁 はあ あ仰 せら れ ても 、 そ れ は天 皇
ま た、 天 皇 の御 聖断 に背 く こ と は国 体護 持 の精神 に矛 盾 で は な い
態 にな って いた と いう 事 実 を 明 ら か にす る にと ど め る。 一国 の軍 事
思 考 に捉 われ て いた連 中 が 軍 の最 高 指 揮 権 を実 質的 に支 配 でき る 状
事 件 にお い ても み ら れ たも のだ か ら であ る。 こ こで はた ん に狂 信 的
は 別個 に説 明 せら る べき も のだ ろ う。 これ は終 戦 問 題以 外 の多 く の
こ のよ う な 狂信 的 思考 が ど う し て育 った かは、 終 戦努 力 の問 題 と
れ に従 う 必 要 はな い。 そ れ で は皇 祖皇 宗 によ って伝 え ら れ た国 体 は
いたも の でな か った こ とをば 度 外視 し て いた よう で あ る。
護 持 さ れ な い こと にな り真 の忠 節 の道 に背 くも のだ と いう のが 自分
これが 狂 信 によ って振 り ま わ され た ら、 そ の狂 信 の内 容が いか な る
組 織 は そ の国 の内 部 で は ﹁ 無 敵 の暴 力﹂ とも いえ るも のな のだ か ら、
種 類 のも ので あれ 、 そ れ は より 強 大 な外 国 軍 事力 によ って克 服す る
た ち の考 え方 だ った﹂ と の回 答が あ った 。多 く の臣 下 のな か のひ と 握 り にす ぎ な い連 中が 現 実 に皇位 を占 めて おら れ る 天皇 裕 仁 に背 く
以 外方 法 が な いこと にな る。
し かも これ と ま ったく 同 じ ロジ ック の考 え 方が 海 軍 部 隊 の 一部 に
であ る﹂ と述 べて い るが 、 ここ に いう
が でき た。 ひと た び独 裁 制 が 敷 かれ ると 、 内部 から の解 放 は 不可 能
で、 ﹁わ れ われ ドイ ツに い るも のは外 部 から の力 で解 放 さ れ る こと
ド イ ツ敗戦 後 、 哲 学 者 ヤ スペ ル スが そ の著 ﹃戦 争 の責 罪 ﹄ のな か
こと に な っても 、 そ の こと がむ し ろ、 天皇 制 の護 持 にな る のだ と い
も 行 なわ れ てい た だけ に、 こ の こと は私 を し て こ の問 題 の重 大 性 を
﹁狂 信 思考 にと ら わ れ た軍 部が 政 治 を 実質 的 に左 右す る状 態 に な る
う ロジ ック だ った わ け だ。
い っそ う 深 く考 え さ せた 。連 合 軍 の日本 進 駐が マ ッカ ーサ ー将 軍 搭
と﹂ に言 い換 え て み た らど う だ ろう 。
と も あれ こ の意味 で、 この米 国 戦 略爆 撃 調 査 団報 告 が 、 日本 に与
﹁独裁 制が 敷 か れ る と﹂ を
い た日 本 海 軍航 空 隊 が 継戦 を 主 張 し て動 かな い。 そ の司令 と 海 軍 兵
乗 機 の厚 木 着陸 に よ って始 まる と いう こと に決 定 さ れ たが 、 厚 木 に
学 校 の同 期 だと いう の で、 八 月 十 九日 、 海 軍省 に いわれ て、 私 は 厚
え た 米軍 の打 撃 の効果 を 要 領 よぐ 分析 し 評価 し て いる点 は、 お お い
証 言 者 と し て は、 永 野修 身 元帥 以下 陸海 軍 士 官 九 三名 (将 官 二 六
五 七 六頁 、 五〇 万 語 を 越 え る内 容 で、 報告 書 中 最 大 のも ので あ る。
名 、佐 官 六 七 名)、 そ の他 いず れ も戦 争 当 時 それ ぞ れ 重 要 ポ スト に
2作
っと も っと後 れ 、 も っとも っと莫 大 な 数 の日本 人 が 殺 され 、 日本 民
に、 参 考 に なる 。 し か し実 は、 こ の米 軍 の打 撃 だ け で は、 終戦 はも
そ の陳 述 事 項 を内 容 によ って大 別 すれ ば 、1 戦 争 指導 計 画
いた 人 々であ った。` 3 一般作 戦
に し て、 天 皇裕 仁 は、 こ の米 軍 の打 撃 効 果 の大要 を 独 自 に評 価 せ ら
族 の再 起 がも っと も っと後 れ る、 等 々 の事態 と な った であ ろう。 幸
8 海 上護 衛戦 そ の他 と な る。 こ の外 、戦 争 計両 、 終 戦 努力
7潜 水
戦計画
5海 空戦 、 6 航 空作 戦
艦作戦
4 上 陸作 戦
れ る能 力 を も って おら れ た。 そ れ に よ って軍 部 の報 告 の誤 りを 見破
関 係 と し て は、 戦 略爆 撃 調 査 団特 別 報告 と し て、 鈴 木 貫 太郎 首 相 、
り 、軍 部 の進 言 を排 し て終戦 の聖 断 を下 さ れ た 。 あ の聖 断 は も っと早 く 下 され れ ばも っと よ か った ろう が、 明 治 憲
こ の報 告 は最 初 は第 一部 とし て 日本 側戦 争 計 画 ・終 戦 努 力 関 係
せ 入手 す る ことが でき た。
(九名 、 四六 〇枚 ) 、 第 二部 と し て日 本側 作戦 計 画 (七名 、三 〇〇 枚)
近 衛 文 麿 公爵 、 木 戸 幸 一内 大 臣 、高 木惣 吉 海 軍少 将 五名 の証 言 を併
め られ て始 め て、 いわゆ る ﹁聖断 ﹂ を 下 す機 会 を 得 たも ので あ る。
合 計 七 六〇 枚 を収 め る計 画 を し たが 、本 資 料集 の性 格 と紙 数 の関 係
法 にお い ても 、 天 皇 の地 位 は イギ リ スの皇 帝 ・女 王 のそ れ と同 様 で
そ し てほ ん とう は ﹁聖 断﹂ な る も の は法 的効 果 をも た な いも のな の
あ るべ きも のと の御信 念 でお られ た か ら、 内 閣 総 理 大 臣 に意見 を求
だ が 、 そ こに 日本 の ﹁国体 ﹂ な るも の の然 ら し め て いた天 皇 の威 信
上 、 第 二部 を 割愛 し た。
(大井
篤)
し た りし て そ の価 値 を 保持 し高 める こと に努 めた 。
(冨 永謙 吾 )
"人 間 の記億 にあ りが ち な不 確 実 性" を補 った り、 関 係 事 項を 引 用
き る限 り編 注 を 挿 入 し て、 これ ら の貴 重 な資 料 の裏 づ け を し たり 、
が お り、 そ の証 言 の歴史 的 価値 は高 く 評価 さ れ て い る。 訳編 者 はで
はじ め、 これ ら の主題 に ついて他 に何等 の記 録も 残 さ な か った 人 々
実 を のべ たも ので あ り、 これ ら の証 言者 の中 に は、 米 内光 政 大将 を
べ て いると おり、 被 尋 問 者 た ち の協 力的 態 度 を以 て、 あ り のま ま真
いる が、 ﹁米 国 海軍 作 戦 史﹂ の著 者 サ ミ ュ エル ・モリ ソ ソ博 士 も述
こ こに集 録 さ れ た資 料 の価値 に つい て は原書 緒 言 にも 明 記 さ れ て
が あ った し、 ま た、 聖 断 内容 そ のも のも 戦 局 の実体 に合致 し て いた た め、 継 戦勢 力 にも 説 得 性を も った のだ と 私 は 思う 。 だ から 一握 り
重 臣、 陸 海 軍 人 尋問 録
の狂信 分 子 だ けが 頑 張 っても 、 そ れ は孤 立 し て し ま った の であ った。
六
一〇 八巻 に のぼ る太 平 洋戦 争 報告 書 のう ち 上 下 二巻 より 成 る ﹁日 本 官 吏尋 問 録﹂ は、 資 料 と し て高 い地位 を 占 める も の の 一つであ る 。 そ れ は、 約 四 千 項 目 に達 す る質 問 と そ の答 弁 や陳 述 よ り成 り 、全 巻
日
本
三、 作 戦 計 画
一
こ こ に は太平 洋戦 争 間 の 日本 の作戦 計画 のう ち、 主 と し て 日本 が 非 勢 に陥 った ミッド ウ ェー海 戦 後 の陸 海軍 中 央 協 定 を中 心 に収 めた 。
陸 海 軍 中 央 協 定 は 大本 営 陸 海 軍 部 間 の協 定 であ って、 陸 海軍 協 同 作 戦 の根幹 と な るも のであ る。 太 平 洋 戦争 で はお も
な 作 戦 は殆 んど 陸海 軍 協 同 作 戦 であ った から 、陸 海軍 中 央 協 定 を通 覧 す れば 日本 軍 の作戦 計 画 の概 要 を 知 り得 る こと に な る。
し か し、 ど う し て協 定 に よ って作戦 が 指 導 さ れ た のであ ろう か。 も っと根 本 的 な 基 準 と な るも の は無 か った のか。 こ の疑 問 に答 え てく れ るも の は大 本 営 の機 構 であ る。
大 本 営 の機 構
旧憲 法 下 の日 本 では統 帥 即 ち作 戦 用 兵 は、 憲 法 第十 一条 に基 づ き 天 皇 の大権 と して 行政 の圏 外 に置 か れ、 国 務 大臣 の
輔 弼 に よ る こと な く、 陸 軍 で は参 謀 総 長、 海 軍 では軍 令部 総 長 の輔 翼 によ る よう に定 めら れ て いた 。 即 ち統 帥 の最 高 責 任 は参 謀 総 長 と 軍 令 部総 長 とが 負 う べ きも の であ ったが 、 こ の両 者 は全 く対 立関 係 に あ った。
戦 時 、 事 変 には 必要 の場 合 大 本営 を置 く こと にな って い た。 大 本 営 は観 念 と し て は 一つの機 関 であ るが 、 実 際 は 二 つ
の独 立 し た 機 関 の集 り に過ぎ な か った 。 即 ち参 謀 総 長 を 幕 僚長 とす る陸 軍 部 と、 軍 令 部 総 長 を長 とす る 海 軍部 と に別 れ、
陸 軍 部 は参 謀 本 部 と、 海 軍 部 は軍 令 部 と そ れ ぞ れ 二位 一体 的 存 在 で、 平 時 にお け る参 謀 本 部 と 軍令 部 と の両 立 は、 そ の ま ま大 本営 内 に おけ る陸 軍部 と海 軍 部 と の両 立 を形 成 して いた。
大 本 営 は こ の両者 を統 合 運営 す る上 部 機 構 を持 って いな か った ので、 両 者 の協 同 に よ って律 せ られ る ほ か な か った。
昭 和 十 二年 (一九三七年)十 一月制 定 の大 本 営令 に は、そ の第 二 条 に ﹁参 謀 総 長 及 軍令 部 総 長 は各其 の幕 僚 に長 とし て帷
幄 の機 務 に奉 仕 し作 戦 を 参画 し終 局 の目 的 に稽 へ陸 海 両 軍 の策 応協 同 を図 るを任 とす ﹂ と 定 めら れ て いた 。 これ が 大本 営 の主 要任 務 の 一つであ った わけ であ る 。 協 同 作 戦 の立案 と 下 令
陸 海 軍単 独 の作 戦 は陸 軍部 、 海 軍 部 で互 に連 絡 し協 調 を 計 って いたが 、 両 軍が 参 加 す る作 戦 に つい ては 陸軍 部 と 海軍 部 の間 で協 議 決 定 し、 成 文 の協 定 書 と し て 両総 長 が 署 名 調 印 す る こ と にな って い た。
陸 軍 部、 海 軍 部 で は こ の協 定 の線 に添 って各 軍 ご と に大 陸命 (大 本 営 陸 軍 部命 令 )、 大海 令 (大 本営 海 軍 部 命 令 ) で、
作 戦 を発 令 、 大 陸 指 (大 本営 陸 軍 部 指 示 )、 大 海 指 (大 本営 海 軍 部指 示 ) で細 項 の指 示 を 行 な った。 こ の場合 ﹁別 冊〇
〇 作戦 に関 す る陸 海 軍 中 央協 定 に準 拠 す べ し﹂、 ﹁準 拠 す べ き〇 〇 作 戦 中 央協 定 別 冊 の如 し ﹂ 等 と指 示 し、 別冊 とし て協 定 全文 を添 付 す る のを 例 とし た 。
中央 協 定 の内 容 は作戦 目的 、 作 戦 方 針、 使 用 兵 力、 作戦 要領 、 指 揮 関 係、 そ の他 輪 送 、 補 給等 であ るが 、 細 項 は 出来
る 限 り実 施 部 隊 間 の協 定 にゆ ず り、 大 綱 のみ に止 める のが 作 戦 を円 滑 に運 ぶ た め に必 要 であ る。 以下 各 段 階 に従 って中 央 協 定 の内 容 を 見 てゆ こう。
進攻作 戦 の中央協定
進 攻 作戦 は主 動 的 に行 なう の で考 慮す べき 情 況 が 比較 的 簡 単 であ り、 作 戦 開 始前 に実 施 部 隊 間 の協 定、 打 合 せを 行 な う 時 間 的 余裕 が あ る か ら中 央 協 定 は簡単 なも の で足 り る のが 一般 で あ る。
開 戦 初 頭 の南 方 作戦 中 央 協 定 は、 そ の作 戦 の規 模が 大き い割 合 に は簡 単 であ り、 最 重 点 と も いう べき ﹁コタバ ル﹂ 上
陸 を 関 係 指揮 官 間 の協 定 に委 ね て いる。 ただ 別 に陸海 軍 航 空 協 定 を 行 な って、 作戦 要 領 特 に第 一撃 実 施要 領 と 、 任 務 ま
た は目 標 分 担、 使 用 基 地区 分 等 に関 し て相当 詳 細 な 中 央協 定 を 行 な って いる。 これ は航 空 部 隊 の特性 によ るも の であ る。
﹁ミ ッドウ ェー﹂ 作 戦、 ﹁ア リ ュー シ ャ ン﹂ 列 島 作戦 等 (七五九︱七六 一頁)は、 陸 軍 の小 部 隊 を海 軍 指 揮官 の指 揮 下 に
入 れ て行 な う作 戦 であ る から 、 指 揮 関係 を 明確 にす れば 足 りる も の であ る。 ま た 英 領 ﹁ニ ュ ーギ ニア﹂ お よび ﹁ソ ロモ
ン﹂ 群 島 作 戦 ( 七六 一︱七六 二頁)や 、 実 施 さ れな か った が ﹁ニ ュ ー カ レド ニア﹂ ﹁フイジ ー﹂諸 島 お よ び ﹁サ モ ア﹂ 諸
島 作 戦 、 ﹁ポ ート モ レスビ ー﹂作 戦 の中 央 協 定 で は、 作 戦 要領 は陸 海 軍 指 揮 官協 議 決 定 す、 と定 め てい る。 ﹁ガ ﹂ 島 奪 回 戦 に 関 す る 中 央 協 定
昭 和 十 七 年 (一九四二年)八 月 米 軍 ガダ ル カ ナ ル島 上陸 によ り、 同 島 奪 還 と 東部 ニ ューギ ニア攻略 が 大 本 営 当 面 の 重
大問 題 とな った。 当 初 ﹁ガ﹂ 島 の状 況 を 軽 く 考 え、 ポ ート モ レスビ ー陸 路 攻略 作 戦 のか た わら ﹁ガ﹂ 島 を奪 回す る協 定
を行 な った が、 同 島 の情 勢 が 逐 日 不利 とな る ので、 ﹁ガ﹂ 島 奪 回 優 先 の方針 に改 め再度 に わ たり 中央 協 定 の改 定 、 増 補 を 行 な った 。
十 一月 に は陸 軍 地 上兵 力、 航 空 兵 力 の大 増 強 を行 な い、 ﹁ガ﹂ 島 奪 回 を 核 心と す る 新 作戦 構 想 によ る中 央協 定 を行 な
ったが 時 既 に遅 く、 糧 食 欠 乏 のた め戦 力 日 に低下 し て餓 死 寸前 の状 況 に陥 った。 翌 十 八年 一月 三 日 遂 に ﹁ガ﹂島 撤 収 作 戦 の中 央 協 定 (七六九︱七七 一頁)を 行 う こと にな った。
絶 対 国 防圏 構 想
﹁ガ﹂ 島 撤 退 の後 も ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 を 重 視 す る海 軍 と ﹁ニ ュ ーギ ニア﹂ 方 面 を致 命 的 と 見 る陸 軍 は対 立 を続 け、 結
局 主 作戦 を 先ず ﹁ニ ューギ ニア﹂ に指 向す ると いう こと に な ったが 、 南 東 方 面 を 重視 す る こと に変 り は無 か った。 し か
し 、彼 我 国力 の差 は先 ず 航 空 兵 力 に現 れ て来 て、 他 の方面 を犠 牲 と し て南 東 方 面 に兵 力 を集 中 して も、 制 空 権 を握 る こ と が 出 来 な い のみ で無 く 彼 我 兵 力 の差 は拡 が る 一方 であ った。
こ の間 に北 方 では ア ッツ島 を 失 い、 南東 方 面 でも ﹁ソ ロ モ ン﹂ ﹁ニ ュー ギ ニア﹂ と も逐 次後 退 を 余 儀 なく さ れ る状 況
であ った。 政 府 、 大本 営 は政 戦 両 略 の綜 合 的 検 討 を 行 な い、 昭 和 十 八年 九 月 三十 日 の御 前 会 議 にお いて ﹁今後 採 る べき
戦 争 指導 大 綱 ﹂ を決 定 し、 千 島 、 小 笠 原、 内 南 洋 (中 西部 )、 西部 ﹁ニ ューギ ニア﹂、 ﹁ス ンダ﹂、 ﹁ビ ル マ﹂ を含 む 絶 対 国 防 圏 を定 め た。
これ に従 い北 東 方面 作 戦 、 中 南 部 太平 洋 方 面 作 戦 の各陸 海 軍 中 央 協 定 を 全面 的 に改 訂 し た。 な お南 東方 面 作 戦 に関 し
ては ﹁中南 部 太 平洋 方面 作 戦 陸 海 軍 中 央 協 定﹂ ( 七七五︱七八 一頁)に 基 づ いて詳 細 にわ た る協 定 を 結 んだ 。 こ れ 等 の 要
旨 は 北 東方 面 で は主 と し て千 島 列 島 の防備 を十 一月 末 を 目途 と し て速 か に強 化 し、 中 南 部太 平 洋 方 面 で は南 東 方面 の要
域 で 極 力持 久 を 策 し、 こ の間 に濠 北 方 面 か ら中 部 太 平洋 方 面要 域 にわ た り 反撃 戦 力 の支〓 を完 成 す る と いうも ので、 濠
北 方面 から ﹁マリア ナ﹂ ﹁カ ロリ ン﹂ 各 諸 島方 面 の作 戦 準備 を十 九 年 春ま で に整 え る こと を 目 標 と し た。
な お、 昭 和 十 九年 二月 に第 三十 一軍 司 令 部 の新 設 と中 部 太 平 洋 方 面進 出が 決 定 した ので、 聯 合 艦 隊 司令 長 官 (中部 太 平 洋 方 面 艦 隊 司令 長 官 ) の指 揮下 に 入 れ る中 央協 定 ( 七八 一︱七八 二頁、参照)が 追 加 さ れ た。 陸 海 軍 共 通 の作戦 指 導 大 綱
海 軍 は ﹁あ 号 ﹂作 戦 の失 敗 に より 航 空兵 力 の主 力 を 失 い、 海 軍単 独 で決 戦 を 試 み る こと は不 可能 とな った。 ま た ﹁マ
リ アナ ﹂ の 一部 を 失 って絶 対 国 防 圏 の 一角 が 崩 れ 、 本 土 を始 め南 西 資 源 地 帯 が敵 の来 攻 にさ ら さ れ る情勢 にな った ので、
陸 海 軍 は渾 然 一体 の作 戦 を強 く要 求 され る こと に な った。 前年 夏 頃 から 研 究 さ れ て い た陸 海 軍 統 帥 一元 化 の問 題 は、 適
当 な 方 法 が 見当 らな いた め早 急 な実 現 は望 み得 な い の で、 大本 営 陸 海 軍 部 が 開戦 後 初 め て合 同 で 成案 した ﹁陸 海 軍爾 後
の作 戦 指 導 大 綱 ﹂(七八 二︱七八 四頁)が 昭 和十 九 年 七月 二 十 四 日上 奏 御 裁 可 にな った。 これ が ﹁捷号 ﹂ 作戦 の 骨 子 で あ
り、 続 い て ﹁捷 号 ﹂ 航 空 作 戦 に関す る陸 海 軍 中央 協 定 が 成 立 し、 両 軍 航 空 兵 力 を 決戦 要 域 に集 中、 戦 力 を 統合 発 揮 す る こ と にな った 。
米軍 ﹁レイ テ﹂ 上 陸 に際 し ては、 大 本営 は ﹁レイ テ﹂ 決戦 を指 導 し、 ﹁捷 一号 航 空作 戦 陸 海 軍 中 央協 定 ﹂ を も って、 陸 海航 空兵 力 の全 力注 入 を計 った。 本 土決 戦
昭 和十 九年 十 二月 ﹁レイ テ﹂ 陸 上 決 戦 を放 棄 し比 島 持久 戦 に移 った後 は、 本 土 及 び そ の防 衛 に緊 切 な大 陸 要 域 に於 て
反 撃 を 試 み る外 な い状 況 と な った 。 大 本 営陸 海 軍 部 は協 議 を重 ね て翌 二十 年 一月 二十 日 ﹁帝 国 陸 海 軍 作 戦 計 画 大 綱 ﹂
(七八四︱七九〇頁) を決 定 し た。 これ は本 土外 郭 地 帯 で持 久作 戦 を 行 な って いる間 に本 土 の作戦 準 備 を固 め、 本 土 に お
い て最 終 決 戦 を遂 行 し よう と いうも の であ る 。陸 海 軍 が 共 通 の作 戦 計 画 を 策 定 し た の は これ が最 初 であ るが 、 随 所 に意
見 の相 違 が 潜 ん で い た。 特 に この作 戦 の重 点 の 一つであ る 東支 那海 周 辺 に おけ る航 空作 戦 即 ち ﹁天 号 ﹂ 作戦 に関 し て は、
陸 軍が 本 土 を中 核 とす る 綜 合 作戦 の 一部 と み な し て い たた め、 兎 角 兵 力 温存 に傾 く の に対 し 、 海 軍 で は初 め航 空 兵 力練
﹁帝 国 陸 海 軍作 戦 計 画 大 綱 ﹂ に基 づ いて ﹁中 南 支 那 沿 岸方 面 作 戦 陸 海 軍 中 央協 定 ﹂ ﹁台 湾 及 南 西 諸 島方 面 作戦 に関 す る
度 不足 の た め消 極的 であ ったが 、 三月 以 降 沖 縄 決戦 一本 に固 って い った 。
陸 海 軍 中央 協 定 ﹂ を 行 な い、 各 方 面 の作 戦 分担 と指 揮 関 係 を 明ら か にし た ほ か、 ﹁南 方方 面 作 戦 中 央協 定 ﹂ に よ り新 設
の第十 方面 艦 隊 と 第 四南 遣 艦 隊 を 陸軍 の南 方 軍 総 司令 官 の指 揮 下 に入 れ て本 土方 面 か ら切 離 し、 本 土 決戦 態勢 を固 めた 。
航 空 作戦 に関 し ては 三月 一日 によ うや く 中 央 協定 が ま と ま ったが 、 ﹁天 号 ﹂ 作 戦 の実 施 は最 後 ま で歩 調 の 一致 を欠 いた 。
本 土 決戦 に おけ る作 戦 分 担 と 指揮 関 係 に ついて は四 月 八 日 の ﹁決 号 作 戦 陸 海軍 中 央 協 定 ﹂ に よ って陸 上作 戦 は陸 軍 、
水 上 、 水中 作 戦 は海 軍が 統 一指揮 す る こと にな った。 航 空 作戦 に関 し て は ﹁天号 ﹂ 作 戦 にお け る意 見 の不 一致 もあ って、
連
合
国
( 中島親孝)
七 月 に至 って よう やく 決 号 航 空 作 戦 に関 す る陸 海 軍中 央 協 定が まと まり 、 本 土 決戦 の準 備 は遅 々とし てで はあ ったが 進 捗 し た の であ った。
二
真 珠湾 攻 撃 二週 間後 の 一九 四 一年十 二月 二二 日 か ら翌 年 一月 二 二 日ま で、 第 一次 ワ シン ト ン会 談 (ア ーケ ーデ ィ ア会
談 ) が 行 な われ 、対 日戦 争 は守 勢 にし て まず ﹁ド イ ツ打 倒 ﹂ を 先 にす る こと が、 ルーズ ベ ルト大 統 領 、 チ ャー チ ル首 相 によ り確 認 され た。
ま た こ の 一連 の会 談 で、 連 合 軍 の最 高 指 揮 機 関 と し て、 連 合参 謀 本 部 ( C ・C ・S ) の設 置が 、 大 統 領、 首 相 に よ り
承 認 さ れ た。 そ の機 構 は、 米 国統 合幕 僚 長 会 議 ( J ・C ・S ) と英 国 三 軍 幕 僚 長委 員 会 (B ・C ・S ) の協 議 機 関 であ
③ 戦略 的 要 求 量 を基 礎 とす る
④ 決 定 さ れ た優 先 順 位 を 基礎 と す る 連 合国 軍隊 の海 外 輸 送 の要 求
② 決 定 さ れ た戦 略 方 針 を 基礎 と す る戦 時 要 求 に対 す る全 般 計 画
った 。連 合 軍 参 謀本 部 の任 務 は次 の諸 項 に関 す る 政策 お よび計 画 を 立案 し実 施 す る にあ った 。 ①戦 争 の戦 略 的指 導
軍 需 資 源 の配 分 なら び に 輸 送 法
連 合参 謀 本 部 の当 面 の任 務 は、 兵 力 、 資 材 の欧 州戦 域 と 太平 洋 戦 域 への割 当 て と、 そ の輸 送 にあ った。 これ は両戦 域
の戦 局 の進 展 に伴 って意 外 にも 複 雑 な 問 題 を起 こ し、 英 米 軍事 首 脳 間 で論 議 が繰 り返 され た が、 主 導 権 は常 に米 国 にあ
った。
統 合幕 僚 長 会 議 の メ ンバ ーは 一九 四 二年 三 月 以後 は、 陸 軍 参 謀 総長 マー シ ャ ル、 海 軍 作 戦 部 長兼 合 衆 国艦 隊 長 官 キ ン
グ、 陸 軍 航 空 部 隊 指揮 官 ア ー ノ ルド であ った。 ま た英 国 は、 陸 軍、 海 軍 、 空 軍 の幕 僚 長 であ った。
一九 四 三年 三月 の シ ンガポ ー ル陥 落 後 、 チ ャ ーチ ル首 相 は ルー ズ ベ ルト に長 文 の電 報 を 送 り、 連 合 軍 作戦 指 揮 に関す
る取 決 め の単 純 化 を要 請 した 。 これ に応 え て三月 一七 日 に ル ーズ ベ ル ト大統 領 は回 答 を 送 り、 チ ャーチ ル首 相 は 大統 領
ド イ ツ打倒 第 一主 義 の再確 認
提 案 を受 諾 した 。 そ の主 な 項 目 は次 の よう であ った。
1
米 国 は太 平 洋 戦 域 では当 分 戦 略 的 守 勢 を と る。
但 し緊要 拠点 を確 保 し、 か つ海 上 交 通 を防 護 す るた め の艦 船 、 飛 行機 、 軍 隊 に つ いて は最 優 先 権 を保 留 す る。
米国は ニ ュ ージ ラ ンド、 濠 州 を 含 む 太平 洋 全 戦 域 ( 太 平 洋 地区 ) の戦略 防 衛 の責任 を と る。 こ の戦 域 の作戦 上 の
太 平 洋 戦域 を再 分 割 し て太 平 洋 方面 と南 西 太 平 洋 方面 と し、 いず れも 米 国 人 を 最高 指 揮 官 と す る こと 。
を米 英 連 合担 任 地 域 と す る こ と。
大 西 洋 海域 の防 衛 と欧 州 大 陸 に新戦 線 を確 立 す る た め の 一定 計 画 の準 備 を 含 む 第 三戦 略 (欧 州 およ び地 中 海 地区 )
は英 国 の担任 地域 とす る こ と。
シ ン ガポ ー ルから イ ンド お よび イ ンド洋 、 ペ ル シヤ湾 、 紅 海 、 リ ビ ヤ にわ た る 中間 戦 略 (中 東 お よび 極東 地区)
責 任 は統 合 幕僚 長 会 議 の行 な う決 定 と 共 に米国 にあ り、 こ の地域 の最高 指 揮 官 は米 国 人 で あ る こと。
2
3
4
5
こ の5 の決 定 に より 四 二年 四月 一八 日、 南 西 太 平 洋 方面 軍 が 設 置 さ れ マ ッカ ー サ ー大将 が 最 高 指 揮官 に任 命 され た。
太 平 洋 方 面 軍 は四 月 二 〇 日設 置 さ れ (五月 八日 発 効) ニ ミッツ大 将 が最 高 指 揮 官 に任 命 さ れた 。 ニミ ッツ大将 は太 平洋
艦 隊 、 北 部 太平 洋 お よび 中部 太 平 洋 部隊 を指 揮 す る ことが でき た。 マッカ ー サ ー大将 は方 面 最 高 指揮 官 だ け で、 濠 州 軍、 そ の他 の軍 隊 を直 接 指 揮 し た り、 管 理 業務 に は干 渉 しな いよう に指 令 さ れ た。
こ の 二方 面 指 揮官 の併 存 は、 ワ シン ト ン中 央 の考 慮 の上 の苦 心 の産 物 であ った。 一人 の最高 指 揮 官 の任 命 はも と より
利 点 が あ ったが 、 太 平 洋 戦 域 で は作 戦 面 の広 大 な こと と、 陸 軍 、 海 軍 の両方 か ら受 け 入 れ ら れ る人物 が 見 つ から な いの が 理由 であ った。
米 軍 の ソ ロモ ン反 攻 が はじ ま る と、 統 一指揮 官 を めぐ る陸 海 軍 の 主役 争 いが起 こり 、 これが 進 攻 主 軸 を めぐ る戦 略 上
の論 争 と なり、 進攻 目標 から、 日本 を屈 伏 さ せ る方 策 にま で及 んだ 。 結 局、 南西 太 平 洋 方 面 軍 と、 太 平洋 方 面 軍 の両 部 隊 は、 統 合 幕 僚 長会 議 に直 属 す る 別個 に独 立 し た 大 兵力 と し て、最 後 ま で協 同 併進 を続 け た 。
連 合 国首 脳 部 は第 二 次大 戦 中、 一九 四 一年 八 月 の大 西洋 の洋 上 会 談 を最 初 に、 四 五 年 七月 のポ ツダ ム会 談 ま で に 二 一
回 の主要 国際 会 談 を 行 な って い る。 と く に こ のう ち、 次 の十 一回 の会談 は連 合 国 戦 争 会議 と呼 ば れ、 う ち十 回 に は暗 号
名 が 付 さ れ て いる。 これ ら の諸 会 談 の大部 分 は連 合 参 謀 本 部 を帯 同 し た ルー ズ ベ ル ト大 統 領 と チ ャーチ ル首 相 と の会 談
③ カ サブ ラ ン カ (シ ンボ ル) ④ 第 三 次 ワ シン ト ン (ト
であ るが 、 テ ヘラ ン、 ヤ ル タ、 ポ ツダ ムの三 会 談 には、 スタ ーリ ンが、 第 一次 カイ ロ会 談 に は蒋 介石 が 出 席 し て い る。 ① 第 一次 ワ シ ント ン (ア ー ケーデ ィア) ② 第 二次 ワ シ ント ン
ラ イデ ント) ⑤第 一次 ケ ベ ック (ク ワド ラ ント) ⑥ 第 一次 カ イ ロ (セ ク スタ ン ト) ⑦ テ ヘラ ン (ユー レカ) ⑧ 第
二次 カ イ ロ (セク スタ ント) ⑨第 二次 ケベ ック (オ ク タゴ ン) ⑩ ヤ ルタ (ア ーゴ ノ ー ト) ⑪ ポ ツダ ム (ター ミ ナ ル)
八 日 本打 倒 計 画
九対
四 日本 撃 破 のた め の戦 略 計画 七 日 本 を屈 伏 さ せる 方策
三 一九 四 三 年 の太平 洋 戦 略 六 レイ テ進 行 の繰 り 上げ
二 南 西 太平 洋 方 面 攻 勢 作 戦
作 戦 計 画 を 議す る会 談 の決 定事 項 を 順 に 追 って みれば 、 次 のよう にな ろ う。 一 ド イ ツ打 倒 を第 一と す る
五 一九 四 三︱ 四 四 年 の太平 洋進 攻 作 戦 日最終作戦計画
(一九四四 ・六)
本書 に収 録 しな か った作 戦 計 画 の う ち、 重 要 な 決定 に つい て のべ て み よう 。
日本打倒長期計画
日 本 打 倒 を めざ す 長 期計 画 の作 業 は、 す で に早 く も 一九 四 二年 八 月 の対 日反 攻 開 始 と と も に着 手 さ れ た。 そ して、 一
九 四 三 年 一月 の カ サブ ラ ンカ会 談 の席 上、 統 合 幕 僚 長 会議 は、 こ の問 題 に対 し てそ の見 解 を は じ め て次 の よう に表 明 し た。
﹁日 本 本 土 の最 終 の敗 北 は、 欧 州 大 陸 よ り の英 本 土 に対 す る有 効 な 方 法 とき わ めて似 か よ った方 法 によ って達 成 され る だ ろう 、︱
すなわち、封鎖 ( 艦艇と船舶に対する攻撃)、爆撃 ( 部隊、防衛施設、軍需 工業および戦意 に対す る攻撃) 、 および急襲 (海上より の
攻撃)がその手段であ る。 これら の三法 のうち、敵 の交通線上の艦艇と船舶 に攻撃を加える ことはあらゆる攻勢作戦 のうちも っとも
本格的なも のである。陸上基地の航 空兵力 によ って日本を攻撃 できる地域 の獲得に向か って進む ことが、 一九四三年 のわれわれの目
標 であ る。日本本土 に対す る攻撃 は遠 い将来のことであるし、またその攻撃は不必要になるやも知れない。﹂
こう し て、 五月 の第 三 次 ワ シン ト ン会 談 には 日本 に向 かう進 撃 路 を変 更 す る こ と、 およ び 日 本 を屈 伏 さ せ る手 段 と し
て封 鎖 、 空 襲、 本 土進 攻 作 戦 の三 案 が 提 出 さ れ た 。連 合 参 謀 本 部 は、 こ の案 の ス ター ト は見 込 みがあ るが、 さ ら に いろ いろ研 究 の必要 が あ ると いう 見解 を示 した 。
対 日進 攻 路 と し て太 平 洋 横 断 を有 利 であ ると 決 定 し たそ の底 には、 計 画 者 た ち に 一九 四 四 年 に対 す るそ の戦 略 構 想 を
一歩前 進 さ せた 一つ の仮 定 が あ った。 そ の仮 定 と い う の は 一九 四 三年 八 月 の第 一次 ケ ベ ック会 談 に おけ る 一致 し た意 見 の中 に は っき り 述 べ られ たも のであ る。
﹁対日戦略はドイツ敗退後 できるだけすみやかに日本の敗北を余儀 なくさせるため、あ らゆる観点 から これを確立せねばならな い。 そ の計画はドイ ツ屈伏 から 一 二 ヵ月以内 に作戦を完了することを目途として立案すべきであ る。﹂
日 本 を敗 北 さ せよ うと す る 決定 と希 望 は、 そ の後 間 もな く ソ連が テ ヘラ ン会談 にお いて対 日 戦 に参 加 す る と確 約 した
こと に よ ってき わ め て強 力 な支 援 を得 ら れ た と 考 えら れ た 。 台湾 ・ルソ ン地 区 への進 攻 計 画 が 承認 され 、 太平 洋 作 戦終
結 予 定 を ド イ ツの崩 壊 後 一 二ヵ月 と いう目 標 期 日 に合 わ せ て繰 り 上 げ た以 上 、 決 定的 な日 本 打 倒作 戦 に具体 的 計 画 の立
案 は い よ いよ軌 道 に乗 った。 そ し て、 は た し て 日本 本 土 に進 攻 す る必要 があ る かど う かを 決 定 せ ねば な ら な か った 。
陸 軍 側 は 一九四 四 年 の春 、 早 く も そ の基 本 的 態 度 を表 明 し たが、 そ れ は単 に封 鎖 と 空爆 だ け に よ って 日本 が 崩 壊 す る
かど う かを 疑 問と し、 日 本 の屈 伏 はそ の本 土 に進 攻 し て はじ め て確 認 さ れ ると いう 主張 だ った。 これ に対 し て は早 速 お
膝 元 の陸 軍 航 空側 恭 反 対 意 見 を出 し、 海 軍側 も 批 判 を 加 え たが 、 そ こ で強 調 され た 点 は、 陸 軍側 の見 解 は海 空 より の戦
略封 鎖 の威 力 に十 分 な 考 慮 を 払 って いな い こと 、 これ ま で の戦 略 の方 向 は進 攻 以 外 の他 の方 法 に集 中 さ れ て お り、 進 攻 は最 終 的 代 案 と し て準 備 す る にあ った こと を指 摘 し た。
米 国首 脳 部 と し て は、 台湾 以後 の将 来 作戦 に は少 な く とも 準 備 に六 ヵ 月 は要 す る だ ろう し、 一方 、 太 平 洋戦 争 計 画 に
割 り こも う と す る英 国 の圧 力 の増 大 が あ り、 米 国 は次 の戦 争 会 議 (第 二 次 ケベ ック) に先 だ って、 米 国 の立場 を確 立 し
てお く た め にな る べく す み や か に戦 略 を 決定 し、 作 戦 を計 画 し て おく ことが 必 要 だ った の であ る。 そ し て、 封 鎖 と 爆撃
が結 局 日本 本 土 への進 攻 準 備 を は じ め るか、 こ のど ち ら にす る かと いう こ とが 緊 急 問題 と し て注 目 の的 と な った。
六 月 はじ め、 統 合 戦 争 計 画委 員 会 は日 本 を敗 北 さ せる方 策 の研 究 を ま と め統 合 幕僚 長会 議 に勧告 を提 出 し たが 、 そ れ は 全 体 と し て陸海 空 の提 案 を取 り 入れ た妥 協 案 であ った。
﹁われわれは封鎖と空襲と これに伴う日本海空部隊 の撃破 によ って日本 を敗北させることは、 おそらく可能であ ると認 める の に決
してやぶさかではない。と同時 に、結論として本戦略 はおそらく は無条件降伏 の強行 に容易ならぬ遅延をきたす であろう。したが っ
て台湾 に次ぐわれわれの作戦構想は、日本の工業中心地 への進攻を予期 したも のでなければ ならぬ。そこで、この構想 は次 のよう に 次により日本 に無条件降伏を強要する。
言 い替え ることができ よう。
1、海空よりの封鎖を続行し、広汎な空襲を反復 して、日本 の空海戦力を粉砕 し、その抗戦能力 と意志を低下させること。 2、日本 の産業中心地にあ る目標を進攻 の上奪取すること。
レイ テ進 攻 の二ヵ 月 繰 上げ
(一九 四 四 ・九 ・ 一五 )
一九 四 四 年 九 月 一二 日 の 中 部 フ ィ リ ピ ン航 空 攻 撃 に 対 し 日 本 軍 の 抵 抗 が き わ め て 微 弱 で あ っ た の で 、 ハ ル ゼ ー 第 三 艦
隊 司 令 長 官 は ニ ミ ッ ツ提 督 に 対 し、 ミ ンダ ナ オ の 攻 略 は 必 要 な い こ と 、 予 定 計 画 よ り も ず っと 早 く 直 接 に 中 部 フ ィ リ ピ ンの レイ テ に進 攻 可能 であ る こと を意 見 具 申 した。
九 月 一四 日 中 に マ ッ カ ー サ ー 将 軍 と ニ ミ ッ ツ 提 督 は 、 最 初 計 画 さ れ た よ り も 二 ヵ 月 早 く 一〇 月 二 〇 日 に レイ テ 攻 撃 が
で き る と い う こ と に意 見 の 一致 を 見 た 。 一五 日 の晩 マ ッ カ ー サ ー 将 軍 か ら の こ の意 見 具 申 が 折 か ら ケ ベ ッ ク で戦 争 会 議 開 催 中 の 統 合 幕 僚 長 会 議 に と ど い た 。 そ し て そ の 一時 間 半 後 に は 次 の指 令 が 出 さ れ た 。
(一九 四四 ・一〇 ・三)
﹁マ ッカ ー サー将 軍 と ニミ ッツ提 督 は、 先 に承 認 さ れ た 三 ヵ所 の中 間 上陸 を取 り止 め、 一〇 月 二〇 日を 目 途 とし て レイ テ作戦 を 実 施 せ よ。﹂
日 本 本 土進 攻 路 の決定
ハワ イ 軍 事 会 議 (一九 四 四 ・七 ・二 七) の マ ッ カ ー サ ー と ニ ミ ッ ツ の論 争 を 境 と し て 、 今 度 は 以 前 の フ ィリ ピ ン の 素 通
り の 問 題 に つ い て の陸 ・海 軍 の 対 立 に 代 っ て ル ソ ン対 台 湾 問 題 で 論 争 が 再 燃 す る こ と に な った 。 例 え ば 、 キ ング 作 戦 部
長 が 台 湾 第 一主 義 の主 張 者 で あ った こ と は 勿 論 と し て 、 マ ー シ ャ ル参 謀 総 長 も ア ー ノ ルド 陸 空 軍 指 揮 官 も 台 湾 説 に 傾 い
て い た 。 一方 、 レ ー ヒ大 統 領 付 幕 僚 長 と ニ ミ ッ ツ を 除 く 太 平 洋 方 面 陸 海 軍 の 指 揮 官 た ち ︱ ︱ ハ ル ゼ ー 、 ケ ニー 、 キ ン ケ
ー ド の提 督 た ち は 大 体 に お い て ル ソ ン 島 を 占 領 し た ら 沖 縄 に 向 う か 一気 に 日 本 に 攻 撃 す る 戦 略 を 支 持 し て い た 。
と こ ろ で 、 九 月 中 旬 に 前 に の べ た レイ テ 進 攻 の 二 ヵ 月 繰 上 げ と いう 新 事 態 が 突 如 と し て 起 こ った 。 そ れ は フ ィ リ ピ ン
最 初 の進 攻 で あ っ た 十 一月 十 五 日 の 、 ミン ダ ナ オ 上 陸 を 取 止 め 、 レ イ テ に 直 接 十 月 二 〇 日 (二 ヵ 月 早 く ) 進 攻 せ ん と す る も の だ った 。 こ の 出 事 事 が こ の戦 略 論 争 を 最 高 潮 へ と 持 ち こ ん だ のだ った 。
マ ッ カ ー サ ー 将 軍 は、 こ の進 攻 繰 り 上 げ 決 定 の 直 後 に 、 ワ シ ン ト ン に 対 し 十 二 月 二 〇 日 に は ル ソ ン に 強 行 進 撃 が 可 能
と なろ う と報 告 した が、 ルソ ン島 を 先 に攻 略す れ ば 台湾 占 領 は不 必 要 では な いかと 付 げ 加 え た。 こう し て、 マ ッカ ー サ
ー 計 画 (ル ソ ン説 ) が ワ シ ント ン で特 に 陸 軍側 計 画 者 の間 で支 持 を 強 め て い る間 に、 台 湾 と中 国 南部 沿 岸 に直接 進撃 す る こと を 主張 し て いた ニミ ッツ提 案 は次 第 に実 現 性 を 失 い つ つあ った。
陸 軍 計 画 者 の研 究 によ れば 台 湾 =ア モ イ作戦 は四 つ の大 き な 不利 が あ る と指 摘 され た 。 先ず 、 そ の作 戦 は必ず や台 湾
全 土 お よび 中 国本 土 への犠 牲 の多 い持 久 戦 へ発 展 す る 可能 性が 大 き い こと、 第 二 は、 こ の作戦 の ため に さら に八 万名 以
上 の補 給 部 隊 を 必要 と す るが 、 補 充 の目 途 は 立 たな い こと、 第 三 は、 B 29 の よ うな 超 重 爆 に と っては飛 行 場 や安 全性 か
ら見 て、 む し ろ台 湾 南 部 よ りも ルソ ン北 部 の方が はる かに有 利 であ った し、 ルソ ン作 戦 の方 が 兵 站 上 か ら安 全 であ り撮 害 も少 な く てす むと いう にあ った。
この間、 米陸 軍 航 空部 隊 は 一九 四四 年 十 一月 に は マリ ア ナ諸 島 から B 29 の対 日戦 略 爆 撃 を 開始 す る 計画 を着 々と 進 め
て いた。 つま り、 九 月 中 旬 ま で に は台 湾 への関 心 は ほと ん ど なく な って お り、 有 力 な台 湾 進 攻 の 一角 はく ず れ た 。
一方 、 こ の ル ソ ン対 台 湾 の戦 略論 争 の最 終 決 定 に は明 白 に政 治 的 配慮 が 働 いた にちが いな いと信 じ ら れ て い る。 そ れ
は、 フ ィリ ピ ンの 一部 でも素 通 りす る こと は、 米 国 の威 信 に対 し て重 大 な 悪 影 響 を与 え ると いう マ ッカー サ ー元 帥 の主
張 は決 して 無視 す る こと のでぎ な いも のだ った。 大 統 領 付 幕 僚 長 レー ヒ元 帥 も フ ィリ ピ ン人 の解 放 に同 意 し て いたが 、 彼 の意 見 が 決定 上大 き く 考 慮 さ れ た こと は当 然あ り得 ると ころ であ る。
こ の論争 の政 治 的 背 景 は 別 と し ても 、 台 湾 対 ル ソン の問 題 は 主 と し て軍 事 上 の価 値、 特 に補 給問 題 が、 台湾 を素 通 り
し、 ル ソ ンを攻 略 し た 上 で沖 縄 に向 う こと に形勢 を変 え つ つあ った。 こう し て、 九 月 末 にな る と ルソ ン説 が 有 力 と な り、 今 や台 湾 説 を強 硬 に支 持 し て譲 ら な い の はキ ング 海 軍 作 戦 部 長 ただ 一人 と な った。
ニミ ッツ元 帥 も そ の台湾 攻略 説 を 少 く と も 一時 的 に引 込 め、 ル ソ ン作 戦 に傾 いた。 そ し て九 月末 に、 一連 の 日本 本 土 進 攻 を めざ す 作 戦 計 画 を キ ング提 督 に提 出 し た。
1 南西太平洋方面部隊 (マッカーサー軍) は四四年十 二月二〇 日にルソン島攻略戦を開始すること。
2 中部太平洋方面部隊 (ニミ ッツ軍) は四五年 一月下旬に火 山列島中 の硫黄島に対 し攻略戦 を行なうこと。
3 次 に中部太平洋方面部隊 は四五年三月 一日以降、沖縄本島 および琉球諸島 の他の目標を攻撃する こと。
こ の提 案 に対 し、 従 来 から の行 掛 り もあ って ワ シ ント ン で は キ ング提 督 が 第 三項 に対 し異 議 を 唱 え たが 、 結 局折 れ て
出 た の で統 合幕 僚 長 会 議 は四 四 年十 月 三 日 に こ の勧 告 ど おり マ ッカー サ ー将 軍 に は ルソ ン進 攻 を、 ニミ ッツ提 督 に は硫
黄 島 と 沖 縄 を攻 略 す る こと を指 令 し た。 そ し て、 ニミ ッツ提督 は ルソ ン島 進 攻 のた め に高 速 空 母 や護 衛 空 母 を含 む 海軍
部 隊 に よ る援 護 と 支 援 を与 え る こと 、 ま た、 マ ッカ ー サー将 軍 は沖 縄 攻 撃 のた め ルソ ン島 か ら航 空 支 援 を提 供 す る こと が き め られ た。
こ の指 令 によ って 日本 本 土 進 攻 路 は は じ め て決 定 し、 約 八 ヵ月 にわ た る進 攻 目 標 を め ぐ る不 安 定 な状 態 に終 止符 が 打
たれ る こと にな った。 半 月 以 前 に決 定 し た日 本 屈伏 方 策 にも こ の問 題 は未 決 定 のま ま台 湾 =ア モイ 地区 ま たは ルソ ン地
区 とな って いた の であ る 。 ル ソ ン島 は攻 略 す る、 台 湾 は素 通 り す る︱︱ 太 平 洋 戦争 を終 結 さ せ る最 終 進 攻 路線 が こ こに 決 定 さ れ た のであ る。
オリンピ ック作戦 の承認 (一九四五 ・五 ・二五)
欧 州 方面 の戦 争 の終 結 は、 そ の巨 大 な 連合 軍 の兵 力資 材 を太 平 洋 戦 争 に使 用す るた め に解 放 した 。米 英 ソ三 国 はき た
る べ き 対 日戦 に おけ る そ の分担 部 分 の準 備 に とり かか った。 し か し、 太平 洋 戦 の主 役 は いう ま でも なく 米 国 であ った。
米 国 政府 部 内 で はす でに こ の対 日最 終 戦 の方 策 を 数 ヵ月 に わ た って討 論 を 重 ね て いたが 、 そ の判 断 上 のいく つも の相 違 点 は まだ 未 解 決 のま ま 残 され て いた。
レー ヒ大 統 領 付 幕 僚 長、 キ ング 提 督 を先 頭 と す る海 軍 と 、 ア ー ノ ルド将 軍 を 含 む陸 空 軍 の上級 将 校 たち は、 日本 を 締
め つけ る海 上 封 鎖 と息 も つか せ ぬ本 土 大空 襲 だ け で降 伏 を 日 本 に受 諾 さ せ る ことが でき ると 信 じ て い た。 と こ ろが、 こ
の人 たちも 、 日本 本 土 進 攻 の準 備 を整 え て、 必要 な らば 進 攻作 戦 を 敢 行 す べき だ と 主 張 す る陸 軍 部 内 の通 説 に対 抗す る
だ け の確 信 は な か った。 陸、 海 二 つの考 え方 が 共 に、 こ の大作 戦 計 画 を 承認 す る こと を 容易 にさ せた のであ った。
封 鎖 重 視 グ ループ (主 と し て海 軍 ) の人 々は、 海 軍 と 空 軍 に よ る準 備攻 撃 ば かり でな く、 中 国 大陸 沿 岸 の寧 波 (上海
の南 方 ) お よび 舟 山 列 島 方 面 の攻略 作 戦 と、 多 分 山東 半 島 ま た は朝 鮮 を 足 場 に し て さら に対 馬海 峡方 面 の島 々を 占領 す
べ き こ とも 準備 作戦 と し て支 持 し て い た。 こ の戦 略 の提 唱 者 た ち は、 本 土 進攻 作 戦 を 決 行 す る前 に、 日本 の航 空 兵力 を
一掃 し、 さ ら に日本 軍 が 本 土 防 衛 のた め に中 国 大陸 そ の他 から 移動 でき な いよ う にす る こと がぜ ひ必要 だ と主 張 し た。
そ う す れば 、 日 本 の降 伏 は本 土 決 戦 を や らな いで も実 現 でき る か も 知れ な いと いう希 望 を終 始強 く 抱 いて いた 。
一方、 正 面 攻 撃 戦 略 の強 力 な 支 持 グ ループ (主 と し て陸 軍 ) は、 九 州 上 陸 作戦 は、 攻 撃 部 隊が 編 成 準備 され 、 航 空作
戦 基 地 が沖 縄 方 面 そ の他 に設 定 さ れ 次 第、 一 一月 よ り おそ く な ら な い時 期 に決 行 す べき だと 主 張 し て いた。 彼 ら は日本
軍 の中 国 そ の他 より の移 動 は阻 止 でき る と自 信 を 持 ち、 ま た進 攻 前 に日本 軍 の抵 抗 能力 は極 度 に低 下 して いるだ ろ う と
の確 信 に充 ち て いた 。彼 ら は、 台 湾 と か対馬 、 そ の他 の準 備 に対 す る 一連 の作 戦 は 大 兵 力 を投 入 しな が ら 大損 失 を 受 け、
いたず ら に戦 争 の早 期 終 結 を おく ら す よ う な羽 目 に陥 る おそ れ が あ ると 海 軍 案 を 非 難 し た。 フ ィリピ ン作戦 や沖 縄 作戦
の経 験 から 推 し て、 海 軍 が 主 張す る よう な 本 土 に おけ る 死 に物 狂 い の抵 抗 の損 害 の甚 大 さ は避 け られ ると 考 え て いた 。
こ の最 初 の日本 本 土進 攻 を開 始 す る準 備 の必要 性 に つ いて は な んら意 見 の不 一致 は 見 られ なか った。 一九 四 五年 五 月 二 五 日、 太平 洋 各 指 揮 官 に対 す る指 令 は つ いに承 認 を 見 た。
二敵 の主力を封
マッカ ー サー、 ニミ ッツ、 アー ノ ルド の陸、 海 、 空 指揮 官 に対 し発 せら れ た指 令 の冒 頭 に は、 次 のよう に述 べ てあ っ た。
一日本 に対す る海上封鎖 と航空爆撃を強化す。
統合幕僚長会議 は九州進攻 ( ︽オリ ンピ ック︾作戦と呼ぶ)を指令す
三日本 の産業中枢 に決定的進攻を敢行するために有利な条件を達成する目的をも ってさらに前進を支援する。
攻撃目標目 は 一九四五年 一一月 一日とす。目的は次 のとおり。 じ こめて撃滅する。
な お つけ 加 えれ ば、 以 上 の対 日作 戦 計 画 は、 戦局 の推 移 と当 然 な がら 対 応 し て いる 。 それ は六 つの局面 に区 分 され よ
2
1
第 三段 階 (一九 四 三 ・五︱ 四 三 ・ 一 一) 連 合軍 の攻勢 (日 本 ソ ロモ ン喪 失 ) 計 画 の内 容 は日本 撃破 準 備、 対 日
第 二段 階 (一九 四 二 ・八︱ 四 三 ・四 ) 連 合 軍 の反 撃 (戦 局 の転 機 ︱ 世 界戦 局 の転 換 期 ) 計 画 の内 容 は反 撃 計 画
第 一段 階 (一九 四 一 ・一二︱ 四 二 ・七 ) 日 本軍 の進 撃 (連 合 軍守 勢 敗 退 ) 計画 の内 容 は守 勢 計画
う。
3
4
第 五段 階 (一九四 四 ・九︱ 四 五 ・三) 米 軍 太平 洋 を 制覇 (日本 苦境 に陥 る) 計画 の内 容 は 日本 打倒 計 画
第 四 段階 (一九 四 三 ・ 一二︱ 四 四 ・八) 連 合 軍 の大 反 攻 (世 界 戦 局 の決 定 的 段階 ) 計 画 の内 容 は 日本 撃 破計 画
長期 計 画 の具 体 化
5
計 画 の内 容 は対 日 最 終 計画
第 六段 階 (一九 四 五 ・五︱ 四 五 ・八 ) 日 本軍 の決 定 的敗 北
(一九四三 ・一・一四)
6
対枢軸無条件降伏政策
米 英首 脳 部︱︱ 特 に ルーズ ベ ルト大 統 領 は、 前 記 の作 戦 計 画 とと も に、 無 条 件降 伏 策 と ソ連 の対 日参 戦 の推 進 と いう 二 つ の戦 争 指導 方 針 を常 に堅 持 し て いた 。 こ のう ち無 条 件 降伏 に つ いて若 干 ふれ て みる。
無 条 件 降 伏 の原 則 が発 表 さ れ た の は、 一九 四三 年 一月 一四 日、 カ サブ ラ ン カ会 談 の最 終 記 者 会 見 にお いて であ った 。
世 界 戦 局が 漸 く 連 合国 側 の勝利 へと 転機 を みせ はじ め、 そ の勝 利 の た め に連 合 国 の全勢 力 を 糾合 し、 敵 国 に は恐 怖 を、
味 方 に は激 励を 与 え、 特 に第 二戦 線 の遅延 に失 望 し て いた ソ連 に安 心感 を 与 え る必 要が あ った。 ルーズ ベ ルト に は、 ソ
連 の脱 落 と独 ソ単 独 和 平 の可 能 性 への配 慮 も あ った。 無条 件 降伏 声 明 の背後 に は、 連合 国 の異 る戦 争 目的、 ア メ リカ の
( 冨永謙吾)
世 論 を 単純 明 快 な基 本 政 策 で 一つ に強力 にま と め る動機 が あ ったと いわ れ て いる。 そ し て無 条 件降 伏 は、 枢 軸 国国 民 の 根 絶 を意 味 す るも の ではな いと 強調 され て い た。
四、 太 平 洋戦 争諸 統 計
F 軍 艦 13 K 終 戦 時 兵力 配 備 7
E 航 空機 27
G 陸 海軍 人 員 ・死 傷
最 初 編 者 は、 太平 洋戦 争 に関 す る主 要 な統 計 を 一二 の部 門 に分 類 、約 二〇 〇 項 目 に整 理 し た。 内 訳 は、 D 軍需 生 産 力1 5
J B 29 ・本 土空 襲 10
C 軍 事 戦 力1 0
I 兵器 ・軍需 品 16
B開 戦 時 兵 力 配備 16
H 商船 ・海 上封 鎖 35
A 主要 作 戦 4 者 10
であ る。 これ は ﹁戦 略爆 撃 調 査 団 報告 書 ﹂ の報 告 第 一、 第 二、 第 一五、 第 四 三、 第 四 六、 第 四八、 第 五三、 第 五 四、 第
六二、 第 六六、 第 七 三 に主 と し て収 め られ て お り (約 一〇 〇 )、 これ 以外 に ﹃終戦 史 録﹄、 ﹃海 上護 衛戦 ﹄、 ﹃戦 時 戦後 の 日本 経 済 ﹄(コー ヘン) 上 巻 、 そ の他 に約 九〇 あ る。
これ ら の諸 統 計 を収 録 す る に当 って、 本 文 と の重 複 を さ け、 す で に訳 書 に収 録 さ れ て いる も の は省 略 した 。
特 に ﹁報告 第 五 三﹂ に は二〇 五 の付表 が あ り、 戦 争 経 済 に関 し ては、 これ に譲 る こと と し て、 主 と し てC、 E、 F、 G、 K に関 す るも のを収 め る予 定 のと ころ、 紙 数 の関係 上主 要 な も の 一八表 の みを収 録 した。
( 冨永謙吾)
G の死 傷者 は、 ﹁戦 闘記 録 ﹂、 ﹁戦 闘詳 報 ﹂ お よび 米 国 側資 料 を も と に作 製 し たが 、 人 数 に関 し て若 干 の誤 差 のあ る こ と を 諒解 を乞 う次 第 であ る。
一 総合 報告書
緒 言
太平洋 戦 争総 合報告 書
米 国 戦略 爆 撃 調査 団 は、 故 ル ーズ ベ ル ト大統 領 の指令 に基 づ き 、 一九 四 四 年 一 一月 三 日、 陸 軍長 官 によ って 設置 され た も のであ る。
フ ラ ンク リ ン ・ド オ リ エ
ポ ー ル ・H ・ニー ツ、 ヘ ンリー ・C ・ア レク サ ンダ ー
団 長 (議長 ) 副団長
ハリ ー ・L ・ボ ー マン、 J ・ケ ニス ・ギ ャブ レー ス、 レ ン
シ ス ・ラ イ カ ート、 フ ラ ン ク ・A ・マク ナ ミー、 フ レ ッド ・シ
団員
書記
ア ー ルズ、 モ ン ロー ・E ・スパ ー ト、 ル ー ス ・R ・ト ンプ ソ ン
調 査 団 の全 員 は文官 三 〇 〇 名、 士 官 三 五〇 名 、下 士 官 兵 五〇 〇名
こ の調査 団 の使 命 は、 ド イ ツに対す る米 軍 の空中 攻 撃 効果 を 公 正 か
上 の道具 と し て の空 軍力 の重要 性 と 可能 性 を評 価 し 、将 来 にお け る
で、 軍 関 係者 は陸 軍側 六〇% 、海 軍 側 四〇 % の割 合 であ った 。 米国
ウ ォル ター ・ワイ ルズ
米 軍 の進 歩 発 達 に役 立 て、 ま た 、国 防 に関す る将 来 の経 済 政策 を決
陸 海 軍 は 調査 団 に対 し て、人 員 、 補 給 品、 輸 送 およ び 情 報資 料 の提
博 士 、 シオド ア ・P ・ライ ト
定 す るう え に、必 要 な基 礎 を 打 ち樹 てる よう にす る こと にあ った。
つ専 門的 に研 究 し、 そ れ を対 日 空襲 の場 合 にも 適 用 し て、 軍 事 戦略
調 査 団 のド イ ツ にお け る調 査 結果 に つい て は、 す で に 一巻 の総 合 報
九 月 、早 く も 東 京 に本 部 を設 置 して活 動 を 開始 し、 名 古屋 、 大阪 、
供 の点 で、 でき る 限り の援助 を 惜 ま な か った 。調 査 団 は 一九 四 五年
一九 四 五 年 八月 一五 日、 ト ルー マン大 統 領 は 調査 団 に対 し、 対 日
広 島 、 長崎 には 支部 を 設 け、 ま た日本 の各 地、 太 平洋 の島 々と アジ
告書 と約 二〇〇 巻 の補足 報 告 書が 刊 行 され て いる 。
戦争 にお け る 、あ ら ゆ る種 類 の空 襲 の効 果 を 同 様 に研 究 し 、 正副 二
作 戦 と戦 闘 に つい て再 現 し、 ま た 各産 業 や各 工場 に つい て、 日本 の
こう し て調 査団 は、 戦 時日 本 の軍 事 計 画 とそ の実施 の大 部分 を各
ア大 陸 には移 動 班 を置 いた。
調 査 団 の太平 洋 戦争 部 門 の職 員 は 、全 部 文 民 であ ったが 、 そ の氏
通 の報 告 書 をそ れぞ れ、 陸 海軍 長 官 に提 出 す る よ う要 請 し た。
名 は次 のと お りで あ る。
た。 さ ら に また 、 日本 の国家 戦 略 計 画 や戦 争突 入 の背 景、 無 条 件降
戦 争 経 済 お よび 戦時 生 産 のか な り正 確 な統 計 を 入手 す る こと が でき
け で、 こ の巨艦 二隻 を海 底 に葬 り去 った。
﹁レパ ル ス﹂ を発 見す るや 、海 軍 中型 爆 撃 機 四機 の損 失 を 受 け た だ
ー沖 を航 行 中 の英 国 戦艦 ﹁プ リ ン ス ・オブ ・ウ エルズ﹂ と巡 洋戦 艦
一九 四 一年 一二月 八日 ( 日本時間)朝、南雲忠 一中将 の指揮する機動
︹ 編者注︺ 真珠湾攻撃 と マレー沖海戦
伏 の受 諾 に いた るま で の国内 に おけ る論 議 や交 渉 、 民衆 の健 康 と戦 意 の推移 、 日 本 の民 間 防 空組 織 の効率 や原 子爆 弾 の効 果 に つ いても
な お空 母 三 隻 、重 巡 洋 艦 (重 巡) 隊 は出 動 中 で何 等 の損 害 も 与 え ら れ な
巡 洋艦 (軽 巡 ) 三 、 駆 逐艦 三、 水 上機 母艦 一、 工 作 艦 一に損 害 を 与 え た 。
戦 艦 八隻 のう ち 四隻 嬰 沈 、 四隻 大 破 。 敷 設 艦 一、 標 的 艦 一を 繋沈 、 軽
事 施 設 に対 し 、 二 回 に わた り 攻撃 を加 え た。 そ の結 果 は︱
ワイの真珠湾軍港 に碇泊中 のアメリカ太平洋艦隊、 および航空基地、軍
部隊 は、 六隻 の航 空母艦 ( 空母) から発進 した三五〇機 の航空機で、 ハ
各 種 の研 究 が行 なわ れ た の であ る 。 こ の各 種 の研 究 に ついて は、 別 にそ れぞ れ 報 告が 出 る はず であ る。 調査 団 は日本 の武官 、 文 官 ま た 産業 人 七〇 〇 名 以上 に証 言 を求 め、 多 く の文 書 を接 収 し 、翻 訳 し た が、 これ ら は いず れも 調 査 団 にと っ て有 益 であ ったば か り で はな く 、 ま た他 の諸 研 究 にと って も貴 重 な
こ の総 合報 告 書 に お いて は、 調 査 団 の民間 人 の団 員 や 職員 は、 太
資 料と な る であ ろう。
真 珠 湾 の海 軍 工廠 と基 地 、 フ ォード 島 の海軍 航 空基 地 、 カネ オ へ の海
か った 。
軍 哨 戒 基 地 、 エワ の海 兵 隊 飛 行場 、 ヒ ッカ ム、 ホ イ ー ラ ー および ローズ
平洋 戦 争 史 を書 こう と試 み た わ け でも な けれ ば 、ま た、 連合 軍 の各 種 の構 成 兵力 が 、 ど のよ う に勝 利 に寄 与 し たか の割 合 を 決 め よう と
の陸 軍 飛行 場 にも 損 害 を 与 え、 陸 海 軍 機 二〇 〇機 以 上 を 破 壊 し た。
れ たが 、 海 戦 に おけ る攻 撃 兵 器 と し て の航 空 兵 力が い か に重 要 で 決定 的
こ う し て、 日 本海 軍 航 空 隊 とパ イ ロ ット の実 力 と 技術 は如 実 に 実 証 さ
爆 弾 一発 、 至 近 弾多 数 で た ち まち撃 沈 し てし ま った 。
爆 撃 三 六) は マ レー東 方 海 上 で 二隻 の英 国 主力 艦 を そ れぞ れ魚 雷 五 本、
ー沖 で 一二月 一〇 日 に起 った 。 す な わ ち、 海 軍 攻 繋 隊 九〇 機 (雷 繋 五 四、
せて 間 も なく 、 今 度 は 基 地機 によ る 航 行中 の戦 艦 に 対 す る 海 空戦 が マレ
空 母機 に よ る停 泊 艦 隊 に対 す る真 珠 湾攻 撃 とそ の戦 果が 世 界 を驚 倒 さ
行 機 二九 機 (五五 名) を失 ったに すぎ な か った。
死 傷 合 計 三、六 八 一名 。 これ に対 し日 本側 は特 殊 潜 航 艇 五隻 (九名 )、 飛
名 、 陸 軍 二二 二名 。 戦 傷、 海軍 九 一二名 、 海 兵隊 七 五 名 、 陸軍 三六 〇 名 。
ア メ リカ軍 の戦 死 また は 行 方不 明 、 海 軍 二、 〇 〇 四 名 、 海 兵隊 一〇 八
す るも のでも な い。 そ の企 図す ると ころ は、 民 間人 の職 員 と し て調 査 団 の収集 した事 実 の資 料 を分 析 し 、将 来 のた め にそ の全般 的 評価 を試 み よ うと す る にす ぎ な い のであ る。
ま え がき
真 珠湾 攻 撃 は、 日 本 の空 母 機 動 部隊 の行 動距 離 と い い、 艦 上機 の 水 上艦 艇 に対す る攻 撃威 力 と い い、 ま ったく 想 像 を絶 す る意 表外 の 出 来事 であ った。 こ の前 代 未 聞 の大奇 襲 はわず か に パイ ロ ット 二九 名 ︹ 飛行機 二九機 の誤り︺を 失 っただ け で実 施 さ れ たも ので あ る。 そ の二 日後 に日本 海 軍機 は今 度 は 、 一機 の航 空援 護 も伴 な わ ず に マレ
な役割 を果すかという ことが、 この海戦 でさらに強 調されることにな っ た。 フ ィリピ ン、 マレ ーお よび 蘭 印 に展開 し て い た連 合 軍 航 空 兵 力 ( 約 七〇 〇 機) は、 開 戦 から 数 日 のう ち に、大 部 分 は 奇襲 を 受 け て 地 上 撃 破 によ り殆 んど 一掃 され て し ま った。 以 上 の広 大 な地 域 は 、 一たび そ の所 在 の航 空 兵 力が 潰 滅 され て し まう や いな や 、 わず か数 週 間 のう ち に日本 陸 軍 に よ り席 捲 され て し ま ったが 、 そ の間 の日 本 軍 の全 戦 死 者 は 一万 五 千 名 に達 せず 、 全 作 戦 を通 じ て のあ らゆ る 原 因 に よ る飛 行 機 の損 失 は 三 八 一機 にす ぎ な か った。 以 上 の日 本 軍 の輝 や か し い緒 戦 の成 果が 示す よう に、 日本 側 は 、 主な 攻 勢 作 戦 は、 そ の地域 で の制 空権 な し に は企 て る べき では な い こ と を十 分 に心得 て こ の戦 争 に乗 り出 し た のだ った 。彼 ら はま た、 陸 上 と 海 上 の目標 は、 ど ちら も航 空 攻撃 に対 し脆 弱 性 を持 ってる こ と を認 識 し て い た。 し か しな が ら、 日本 側 は制 空 権 を持 続 す る た め の必要 条 件 の全範 囲 と 複 雑性 を 正 しく 評 価 す る こと に失 敗 した 。 ︹ 1︺ 日本 の開 戦 時 に おけ る航 空 機 生 産計 画 は、 そ の後 日本 側 でも 悟 っ た よ う に、 単 に米 国 のそ れ と の比 較 にお いてば かり で なく 、 自 国 の 経済 能 力 と の釣 合 い にお い てさ え も まさ しく 不 十 分 であ った。 日本 航 空兵 力 の訓 練、 整 備 、後 方 業 務 、技 術 的発 達 、 情 報 お よび そ の地 上 、 水 上 部 隊 と の全 面 協 同 に関す る計 画 と実 施 も 適 切 を欠 いて いた が 、 後 にな ってそ の必 要が ます ま す増 大 し た時 にも 結 局 以上 の こと は う まく 行 かな か った。 日本 の戦争 計 画 は 、米 国 空 軍力 を維 持 す る 資 源 に手 を出 す こと を 企 図 した も ので はな く、 も と も と 日本 の能 力 か ら い っても そ のよう な こ とを 意 図 す る こと は でぎ な か った。
本章末尾 の参考文献 一覧 を見 よ。 ) の第 二章 も 参照 さ れ た
︹1︺ ﹁報 告第 一五﹂ (本 書 、 第 二部、 二) 参 照 。 な お ﹁報 告 第 五 三 ﹂
( 正木訳︱
開 戦 時 日 本 の陸 海 軍 は、 そ れぞ れ約 一、三七 五機 、 一、二五 〇 機 の第 一
い。
は 一九 四 二年 に は B級 に と ど ま り需 要 に 対 す る順 応 が おく れ た 。 さ らに
線 機 を保 有 し てい た 。航 空機 生産 に関 す る要 求 は強 か ったが 、 そ の要 求
航 空機 工 業 拡 充 計 画 の引 上げ に対 し ても 、 機 械 の入替 え の問 題 と か重 機
か れ た のは 一九 四 五年 の こ と で あ る。
械 の不 足 な ど の障 害 に 出 会 って し ま った。 航 空 兵 器が A 級 の第 一位 に置
︹2 ︺
開 戦 の さ い、 米 国 お よ び 連 合 国 の 兵 力 は 、 太 平 洋 に お い て 情 な い
ほど弱 体 であ った。特 に基 地 と 空 母航 空 兵 力 に お いて そう だ った。
太 平洋 に実 際 に配 備 さ れ て い た連 合軍 航 空 隊 は、 そ の数 にお い て少
な か ったば か り でな く 、 広 い意 味 で技 術 的 にも 日本 軍 に劣 って いた。
日 本軍 の実力 は過 小 評 価 され て いた。 フィリ ピ ン に いた九 〇機 のP
は望 み得 べく も な か った 。米 国 の七隻 の空 母 のうち 三隻 は大 西 洋 に
40 と 三 五機 のB1 7 の兵力 で日 本 軍 の南 進 を 阻 止す る など と いう こと
あ り、 ま た、 一隻 は メキ シ コ湾 で訓練 中 で、 太 平洋 には 三隻 し か い
な か った。 し か しなが ら 、当 時 にあ っても 米 国 は、 空 軍力 に対す る
いた のであ る。 米 国 の訓練 、 生 産 、整 備 、 後方 業 務 お よび 情 報計 画
根 本的 必要 性 の全 貌 を 、 日本 側 より も っと は っぎ り と認 め はじ め て
が 不 十分 であ った のは 、 観念 の欠 如 に よ るも ので はな く てむ し ろ、
そ の発 展 と 拡充 のた め に必要 と した時 間 から 来 たも のであ った。
︹2︺ 日本側 の配備兵力二、 六二五機 に対し、そ の約半数 の 一、 二九
○機 にすぎなか った。 初期 の日 本 軍 の進 撃が い か にし て阻 止 さ れ た か、 米国 側 が いか に し て制 空権 を 確 立し て行 った か、す な わ ち はじ めは 局 地的 に、 だが 後 には次 第 次 第 に全 局 面 にわ た って、 そ し て さら には 一時 は、 日本 側 の支 配 した諸 地域 の奥 深く ま で制 空 権 を 及ぼ し、 つい に は日 本本 土 上 空 におけ る 制空 権 を 獲得 す る に至 った 過程 、 お よ び い か に米国
︹1︺ この主題 についでは、﹁報告第七二﹂( 本書、 第四部、二、特 に
野村吉 三郎、 永 野修身、 豊田副武の証言) 、﹁ 報告第五三﹂ ( 第 一章)、
﹁ 報告 第二﹂(本書、第四部、 一、 第 二章) 、 コー ヘン ( 第 二章) 、﹃ 太平 洋戦争二﹄( 資料解説)を参照せよ。
し かし なが ら、 戦 争 の開 始 と フィ リピ ン、 蘭 領東 イ ンド、 マレ ー、
導 者 の全 員 は も と よ り、 主だ った文 官 指導 者 た ち の殆 んど 全員 の全
ビ ル マお よ び南 東 方 面 への進 撃 の最 終 決 定 は、 主 要な 日 本陸 海 軍 指
面 的 な同 意 と積 極 的 な 承認 によ って、 つま り満 場 一致 で行 なわ れ た
が こ の優 越 性 を 開発 し た かと いう こと は、太 平 洋 戦 争 に おけ る 航 空 兵 力 の物語 であ り、 ま た 本総 合 報告 の主題 で もあ る。 し か しなが ら、
局 ソ連 邦 の完 全 な崩 壊 をも たら す やも 知 れ な い。
る 決定 的 勝 利 に よ って無 力 化 さ れ て いる 。ド イ ツ軍 の勝 利 は、 結
イ 満 洲 国境 方 面 に対 す る ソ連 の脅 威 は、 ド イ ツ軍 の欧 州 に おけ
そ れ は次 の情 勢判 断 を 基礎 とす る も の であ った。
も のであ る。 ︹ 2︺ 日本 側 は 一九 四 一年 一〇 月 中 旬 に は正 式 に こ の決定 に達 し たが 、
航 空 兵 力 の役 割 は、 地 上 と水 上 兵 力 の役 割 、 あ る い は戦争 指 導 上 の
︹ 1︺ 日本 の判 断 と戦 略 計 画
日本 軍 の進撃
広 汎 な 計 画 や戦 略 と切 離 し て考 える こと はで き な い のであ る。
第 一章
1
日 本 の政府 機 構 に お いて は、 陸 海 軍 に対 す る有 効 な 文官 優 位 制 度
お り、 たと え 生き 残 った と し ても 、そ の戦争 遂 行能 力 のす べ て は、
ロ 英 国 はと ても 回復 し得 な いほ ど の防 勢的 地 位 に追 い こまれ て
四 一年 (昭和 一六) の真 珠 湾 攻撃 に至 る 一〇 年 間 に、 日本 の軍 閥 は、
英 本 土防 衛 のた め に、 必 死 の努 力 をも って注 ぎ こまれ る こと にな
は確 立 し て いな か った。 一九 三 一年 (昭和 六) の満 洲 事変 か ら 一九
国 家 の対 内 お よび 対外 諸 問 題 に対 す る 発言 力 を 次第 に強 化 し て行 っ
る であ ろう 。
兵 力が 、 次 の全 地域 を 開 戦後 三 ヵ月 乃至 四 ヵ月 間 に占 領 す る のを
力 、特 に航 空 兵力 で は、完 全 に訓 練さ れ 、機 動 力 を備 え た 日本 の
ハ 米 国 およ び そ の連 合 国が 太 平 洋 に お いて直 ちに 展開 でぎ る兵
た。 これ ら の軍 閥 のグ ループ は陸 海 軍 のいず れ の中 にもあ ったが 、
つ攻 撃 的 な性 格 のた め に、 そ の政 治 的 地位 は海 軍 の場 合 を は る か に
よ って獲得 し た威信 、 さ ら に は 日本 陸 軍指 導 者 た ち の より 野 心的 か
阻 止 し得 な いだ ろう 。 そ の全 地 域 と はビ ル マ、 ス マト ラ、 ジ ャワ、
特 に陸 軍 は満 洲 と 中国 にお いて相 つ いで得 た 軍 事的 成 功 と 、そ れ に
凌 ぐ も のが あ った。
北 部 ニ ューギ ニア、 ビ ス マ ルク諸 島 、 ギ ルバ ー ト諸 島 、 マー シャ ル諸島 、 ウ エー ク島 お よ び北 方 千 島 列島 まで を外 周 圏 と し てそ の
ニ ビ ル マ公 路 を切 断 さ れ た中 国 は 、 孤立 に陥 り和 議 を 乞う のや
中 に含 ま れ た地 域 を 指す 。
む な き に至 る であ ろう 。
︹2︺ ﹃ 太平洋戦 争二﹄ の ﹁ 資料解説﹂を見よ。
日本戦争計画 ( 作戦計画)が事実上完成されたのは 一〇月中旬であ っ
た。しかし、 日米交渉が ついに成 立せず、やむを得ず作戦部隊に対する
に十分 な兵 力 を 動員 す る こと は 不可能 であ ろ う。 こ の期 間 に前 述
弱 体 化 は 必至 で あ る から 、 一年 半乃 至 二年 間 は 、攻 勢 に出 る た め
戦争 の結 末 の つけ よ うが な く、 また 、 だ らだ ら と長 期 戦 に引 き こ ま
さ に つ いて熟 知 し て い た。 こ の人 々は、 結 局 は交 渉 によ る より外 は
工業 、 技 術 に おけ る潜 在 力、 さら に 一旦奮 起 し た場 合 の敵 愾 心 の強
若 干 の民間 人 士 や海 軍 グ ループ の大 部分 は 米国 と いう国 柄 、 そ の
であ った。
武力行使 の発令 ( 戦争開始) は、 一二月 一日 の大海令第九号によるも の
の進 出外 周 圏 は要 塞 化 さ れ、 所 要 の前進 航 空 基 地 およ び根 拠 地 は
れ て、 し かも 敗 北 の危 険 を 冒 す かも 知 れ な い戦 争計 画 には 不同 意 を
ホ 米 国 は英 国援 助 の義 務 を負 って お り、 か つ真 珠 湾 奇襲 に よ る
建 設 され るで あ ろ う。 外郭 圏 は こう し て強 化 さ れ た上 、 ト ラ ック
附日 資 産 凍結 (引 続き 対 日 石油 全 面 禁輸 ) 実 施後 は、 減少 す る石油
表明 し て い た。 し か しな が ら、 日本 海 軍も 一九 四 一年 七月 の米 国 の
補給 に重 大 な関 心 を 抱 かざ る を得 な か った。 開 戦 に消 極的 で気 が進
島 を根 拠 地 と す る 空母 機 動 部隊 の強 力 な援 護 を 受け る こと にな ろ
ヘ 占 領 を終 った外 郭 圏 の難 攻 不落 化 によ って 米国 の戦争 続 行 の
まな か った前 記 の民 間有 志 の人 々も 次第 に圧 倒 、説 得 され て、 よ り
う。
決 意 を 挫 折さ せる 一方 、 日 本 は マレ ー、 ビ ル マ、 フィリ ピ ン、 蘭
急進 的 な 意 見 に傾 いて行 った 。
︹3 ︺
これ ら の原料 を 日 本 に輸 送 し て 加 工し 、産 業 機 構 お よび 軍事 力 の
印 から 急 速 にボ ー キ サイ ト、 油、 ゴ ム、 金属 類 を収 集 、 開発 し、
や、 全 面 的 な攻 勢 行動 を長 く 続 け る こと は と ても でき な く な る で
航 空 兵 の抵抗 によ って生 ず る 大損 害 や 、 連合 国 の脱 落 に直 面す る
ト 米 国 は民 主 主 義国 の弱 味 か ら、 狂 信 的な 日 本軍 兵 士 、水 兵、
日本 の貧 弱 な船 腹 量 では、 採 用 され た計 画 に対 す る補 給 支援 を与 え
誤 りも はな は だ し いも のであ る。 さら に、 これ ら の指 導者 た ちは、
な ど と考 え た者 は 一人 も いな か った。 日本 軍 が ワ シ ント ンに乗 込 ん ︹ 五十六︺ で見 せ る、 と 山本 提 督添 大 ぼ ら を吹 いた と いう 言 い伝 え は、 実 際 は
が米 国 に進 攻 し て ホ ワイ ト ハウ ス で城 下 の盟 を さ せ る ことが でき る
日本 の貴任 あ る指 導者 の中 で、 あ る予見 でき る期 間 内 に、 日本軍
あ ろう 。 結 局 のと ころ、 米 国 は戦争 に嫌 気が さ し日本 と 妥 協 し て、
る だけ で精 一杯 であ り 、も し最 初 の作 戦が 予期 以 上 にう まく 運 ば な
維 持 、 強 化 を図 るで あ ろ う。
日本 が 緒 戦 に手 に入 れ た領 土 の主要 部 分 を保 持 す る こと を 認 め る
︹4 ︺
で あ ろう 。
であ ろ う と感 じ てい た。
けれ ば 、そ れ 以 上 はど んな 野 心的 な 計画 に対 し ても 全 然適 合 しな い
第 二飛行 集 団
第 一飛 行集 団
第五 飛 行集 団
五〇
四五 〇
一五 〇
一七 五
満洲 (予備 )
中国
フ ィリピ ン作 戦 用
数
展
開
マレ ー作 戦 用
海 軍 第 二 一航 空 戦 隊
一、 三 七 五
五〇
一五〇
三〇〇 第 二 二航 空 戦 隊
第二三航空戦隊
第 二 四航 空 戦 隊
フ ィリ ピ ン作 戦 用
マー シ ャル諸 島作 戦 用
マレー作 戦 用
真 珠 湾 攻撃 用
日本
軍 艦 の艦 載 水 上機
二、 六 二五
一、 二 五〇
二七 五
七五
機 動 部隊 (空 母 六) 四 〇〇 聯合艦隊
計
海軍機合計
そ の他
七万。
空 母 一、 水 上機 母 艦 二、 戦 艦 二、重 巡 一 二 、 軽 巡 八、 駆
逐艦 五 三、 潜 水 艦 一四、 そ の他 補 助 艦 船約 三九 〇 万 ト ン。
南方進攻︱
海軍兵力
十 一コ師団、戦車 九 コ聯隊 を基幹としたものと軍直轄部隊 で合計約三
陸軍兵力
あ った。
︹1︺ 開戦日における日本 の進攻陸軍兵力と海軍兵力は次のとおりで
総
日本
︹3︺ 対日資産凍結令 の発動により、日米間 の平和 は、破局 の危機 に
第 一航 空集 団
機
五 五〇
陸軍機合計
直面するに至 った。永野軍令部総長 は日米戦争 の大きな原因 の 一つは石
︹4︺ 山本提督が 一九四 一年 一月に知人 の 一人に送 った手紙 の 一節が
油 問題だ ったと証言している。( 本書、第 四部 の 一、永野証言を見 よ。 )
曲解 されて新聞に発表 されたことを指す。山本提督 はアメリカと の戦争 は日本にとり勝算が なく、 ホワイト ハウ スにおける講和 を期待するなど
日本 の計 画 とそ の実 施 と 成功
は、 とん でもない ことだと警告 を発した のが真 相であ る。 2
前 述 の計画 に従 い、 日本 陸 軍 の与 え ら れ た 主任 務 は、 ま ず マ レー、 ス マト ラ、ビ ル マの征 服 であ り 、 ま た陸 軍航 空 部 隊 は行 動 半 径が 短 か い た め に、 北 緯 一六 度 以北 の北部 ル ソ ン への初 期航 空支 援 を 実施 す べき 主 任務 を 与 え ら れ た。 日 本海 軍 の命ぜ ら れ た 主任 務 は、 真珠 湾 攻撃 の外 に、 まず フ ィリピ ン、ボ ルネ オ、 セ レベ ス、 ジ ャ ワ、北
ー ク島 への作 戦 であ る。 ま た 陸 軍 は上陸 地 点 が 確保 さ れ 次第 、 フ ィ
部 ニ ュー ギ ニア、 ビ ス マル ク諸 島、 な ら び にギ ルバ ー ト諸 島 と ウ エ
リ ピ ン全島 を 占 領す る こと にな って いた 。
軍
部隊 名
一九 四 一年 一 二 月 八日 の開戦 日 にお け る日本 陸 海 軍 航 空部 隊 の配 ︹ 1︺ 備 と 兵力 は次 のと お り であ った 。
陸
第 三 飛行 集 団
真珠湾攻撃︱︱ 空母六、戦艦 二、重巡二、軽巡 一、駆逐艦 一一、潜水 艦 三。 日本 側 は太平 洋 方 面 に お いて は、 数 量 で は連 合軍 航 空兵 力 よ り は る か に優 勢 であ ると 信 じ て いた。 しか し初 期 の諸 作 戦 にお いて は、 航 空兵 力 の数 だけ を 頼 み にし て い たわ け で はな い。 日 本軍 は数 量 以 上 に奇 襲 戦 法 と進 撃 速 度、 さ ら にはそ の搭 乗 員 の訓練 と 実戦 経 験 に 自 信 を抱 いて いた。 一九 四 一年 には日 本 の第 一線 パイ ロット は平 均 し て約 五〇 〇 ︱ 八〇 〇 時 間 の飛行 時間 を 持 ってお り、 日 本陸 軍 パイ ロ ット の五〇 % 、海 軍 パ イ ロ ットの 一〇 % は中 国 戦線 ま た は 一九 三 九 年 の日 ソ国 境 紛争 (ノ モ ン ハン事件 ) にお い て実戦 の経験 を有 し て いた 。 空母 航 空 部隊 は特 に真 珠 湾 攻撃 のた め に浅 海雷 撃 の訓 練 を 受 け てお り、 陸 軍 航空 部 隊 は マレー と フ ィリ ピ ン の地上 作 戦 の支 援 訓練 を 行 な って いた 。
名
印
機
︹2 ︺
数
空
空
英 軍 濠 軍
国 三三二
マレ ー
濠 州 、 ソ ロ モ ン、 蘭 印 、 マ レ
ー
海軍兵力 は次 のとおりであ った。
一、 二九 〇
一六 五
州 ︹オ ー スト ラ リ ア︺
連 合 軍総 計
海軍兵力
︹ 2︺ 太平洋方面 の連合軍
アメリカ︱︱重巡 一、軽巡 一、駆逐艦 一三、潜水艦 二九、水上機母艦 四。
イギリ ス︱︱空 母 一、戦艦 二、重巡 一、軽巡 二、駆逐艦 五。 オーストラリア︱︱軽巡二。
オランダ︱︱巡 洋艦 二、 駆逐艦 六、潜 水艦 一六。
連 合軍 の飛行 機 は 大部 分が 旧式 であ った。 これら の航 空兵 力 は、
たち ま ち日本 空軍 機 に より 圧倒 さ れ て しま った。半 数 は地上 で撃破
さ れ た ので あ る。 太 平洋 に いた米 国 の三 隻 の空 母 は、 十 分 な援 護部
隊 を 失う に至 り、 こ のた め これら の諸 作 戦 に対 し て敢 て危険 を冒 し フ ィリピ ン
練 を受 け た部 隊 をも ってビ ル マ全域 を 占領 し た。
の み で獲得 し、 七千 名 の戦 死 者 を代 償 と し てジ ャング ル戦 の特 別 訓
日 本軍 は真 珠湾 、 マレー、 フィ リピ ンにお け る開 戦当 初 の成功 に ウ エー ク島
年 一月 に占 領 し た。 ビ ル マ全 域 の制 空 権 をわ ず か 一〇 二機 を 失 った
引 続 き 、グ ア ム島 と ウ ェー ク島 とを 一 二 月 に、 ラバ ウ ルを 一九 四 二
う る ほど 、 有 力 な兵 力 を構 成す る こと は でき な か った ので あ る。 一二
一八 二
ハワイ
ミ ッド ウ ェー島 三 八七
二〇 〇
蘭 領東 イ ンド
一二
展開方面
日本 空 軍 に対 し米国 およ び連 合 軍が 太 平 洋方 面 に配備 して い た基
国 国
地 航 空兵 力 は 次 のと お り であ った。
米
軍
蘭
陸 海 軍 航 空部 隊
空
開 戦し て 四 ヵ月 目 の終 り には、 日本 軍 は 、最 初 の計 画 の大 半を 、
強 さ も増 す であ ろう と いう 感 じを 大 い に支 持 す る こ と にな った。
本 側 の外郭 圏 が そ の縦 深 防 禦力 を 増大 す る こと に なれ ば、 外 郭圏 の
程 度 は大 し たも の ではな か ったが 、 こ の攻撃 の結果 と し て、 も し 日
︹3 ︺
し かも予 想 し たよ りも はる か に容 易 に完 了 し た。 こ の間 の船 舶 の全
イ ソ ロモン諸 島 およ び ポ ー ト モレ スビ ー に対 す る進 撃 。 これ に
わち、
そ こ で、次 の新 計 画が 提 出 され て 承認 され る こ と にな った。す な
損 失 は五 一隻 であ った。 は じ めは 南方 請 地域 に移 動す る よう 予定 さ れ て いた装 備 の多数 は不 必 要 とな り、 さ ら に作 戦 の速度 を 増 すた め に後 方 に残 され た。 日本 の指揮 官 た ち の中 に は、 フ ィリピ ンにお け る米国 地 上軍 の巧妙 にし て 予期 せざ る頑 強 な抵 抗 に関 心 を 抱 いた 者 も 少 なか らず いた。 彼 ら は、 こ の抵 抗 は、 一つには 日本 側 の密 接 な
諸 島 への進出 。
引 続 き も し可 能 なら ば ニ ュー カ レド ニア島 、 サ モア島、 フ ィジ ー
第 二章
4
連 合軍 の反 撃
開 戦前 の米 国 の計 画
真 珠 湾 攻撃 前 に おけ る、 米 国 の世 界戦 略 は、も し も戦 争 にまき こ
︹1 ︺
か、 早 くも 速 合軍 の反 撃 に暴 露 され ること にな った 。
なり 、 は る か遠く ま で延 び て いて、 し かも いまだ 無 力 で脆 弱 な陣 地
塞化 は 遅延 し 、既 占 領地 域 の資源 開 発 の経 済的 計 画 は実 行 不 可能 と
こ んで しま った。 そ の結 果 と し て、 最初 に決定 さ れ た外 郭 要 地 の要
て、 負 担が 過 重 とな り、 し かも 極度 に骨 の折 れ る補給 問 題 を背 負 い
日本 側 は、 そ の進 撃線 を延 ば しす ぎ、 過 度 に拡 張 す る こと に よ っ
作戦 準 備基 地 の取 得 は、残 ら ず こ れを阻 止 で き る はず であ った。
スカ から攻 撃 を受 け る脅威 は減 少 し、 さら に真珠 湾 から 以 西 の米 国
こ の作 戦計 画が 完 成 さ れ た暁 には、 米濠 連 絡線 は遮断 さ れ 、 ア ラ
ハ アリ ュー シ ャン列 島 の 一時 的占 領。
ロ ミ ッド ウ ェー島 攻 略 。
るべき 空中 支 援 の不十 分 さ にそ の原 因が あ るも のと見 倣 し た。 し か し 、 米軍 の孤 立 部隊 が 、 防禦 戦 で 示 した 熟練 の ほど と決 意 の強 さ は、
した 一部 の具眼 の士も いた 。
やが て地 平線 上 の不吉 な暗 雲 とし て警 戒 を要 す る も のと 正 しく 評価
(沈 没 ) 重 巡 一、 水 上機 母 艦 一、 駆 逐 艦 五 、 潜 水 艦 四、
六。
(沈 没 ) 駆 逐 艦 三、 (損 傷 ) 巡 洋艦 四、 水 上 機 母艦 一、 敷
︹3︺ 日本軍と連合軍 の艦 艇の損害は次 のとおり。 日 本 軍側 ︱ 設 艦 一、 駆 逐 艦
連 合 軍側 ︱
給油艦 一、掃海艇四、砲 艦三 ( 以上 アメリカ)、 戦艦 二、 空母 一、 重巡 一、駆逐艦 三 ( 以上イギリ ス) 、軽 巡 一 ( 以上オー ストラリア)、軽巡二、
日本軍 の過 度 の進 出
謝 駆逐艦 六 ( 以上オラ ンダ)。 3
日本 軍 は、 短期 間 に以上 のよう な 大 成功 を 収 め た ので、 日本 の野 心的 な 計画 者 た ちは 図 に乗 って、 最 初 の進 出 圏 を越 え て さら にこれ を拡 張す る ことを 考慮 す る に至 った。 こ の進 出 計画 を 練 って いる 間 に、 一九 四 二年四 月 一八 日 の、 ド ー リ ット ル の指揮 す る 米軍 飛行 機 ( 空 母 よ り発進 ) によ り東 京 が急 襲 さ れ た。 こ の空襲 によ る損害 の
︹2 ︺
ま れ た場 合 に は、第 一にド イ ツを 打 倒 すべ き こと 、 ま た、 太 平 洋方 面 の対 日戦 略 にお け る米 国 の役 割 は、 当 初 は専 ら 戦 略 的守 勢 を と る、
く 実 現、 成 就 さ せ る こと であ った。
形勢 の逆 転
一九四 二年 四月 な かば ま で に 日本 軍 のビ ス マル ク諸 島 か ら の南進
5
力 を 過 小 に評 価 し てお り、 マレ ー防壁 は保 持 し得 、 中部 太 平 洋 にお
ったが 、 これ に対 す る米 国 側 の準 備 はま だ 十分 と は いえ な か った。
企 図が 明 白 と な った 。 これ は米 濠 連 絡線 に重 大な脅 威 を与 え るに 至
と決 定 し て い た。 し かし、 こ の対 日戦 略 にお いて は、 日本 の攻勢 能
い て日 本艦 隊 と 有利 に交戦 を な す こ とを 得 、 これ を 基礎 に日 本本 土
そ れ にも か かわ らず 、 ポ ー ト モ レ スビ ー の死守 と エスピ リ ツ サ ント
に対 し最 終 的 進 撃が 可 能 であ ると考 え て いた。 米 国 の計 画 は 現実 的
島 お よび フ ィジ ー諸 島 以 北 の線 を 全力 を あげ て保 持す る こ ころ みが
︹1︺
米 ・空 母 の 一隻 に対 し て二隻 を蔑 し て いたか 、 そ の空 母航 空 隊 は大
を 撃破 したが 、 米 国側 も ﹁レキ シ ント ン﹂が 撃 沈 され た。 日本 軍 は
空 中戦 闘 によ り米 ・空 母機 は 、 日本 部隊 の空 母 の 一隻 ( ﹁翔 鶴﹂ )
の攻撃 によ り 、﹁祥 鳳﹂ を 撃 沈 し た。 さ ら に、 援 護部 隊 と の引 続く
京 空襲 から 帰投 中 )。集 結 し た米 ・空 母隊 は雷撃 機 、急 降 下 爆 撃 機
一隻 は大 西 洋 から 太 平 洋 に回 航中 であ り、 二隻 はド ー リ ット ル の東
﹁ヨー ク タ ウ ン﹂ ) を 所 望 の地 点 に集 結 す る ことが でき た (当時 空 母
当 時 太 平洋 で使用 可能 の四隻 の空 母 のう ち の 二隻 ( ﹁レキ シ ント ン﹂ 、
護 衛 さ れ た輸 送船 団 が進 撃 中 であ る、 と 。 こ の情 報 により 、米 軍 は
す るた め、 日本 空 母 ﹁祥鳳 ﹂ と他 の空 母 二隻 を含 む 援護 部 隊 によ り
し た。 すな わ ち、 一九 四 二年 五 月 はじ め、 ポ ート モ レ スビ ー を占 領
決 定 さ れ た。 米 国側 は特 別諜 報 に よ り、 次 のご とき 事 前情 報 を 入手
根 拠 を 欠 い て いた。 な ぜ なら ば 、当 時 使 用 でき る 兵力 では 、攻 勢 ど
米 国海 軍 は真 珠湾 にお い て比 較的 に老朽 な戦 艦群 を喪 失 し たが、
ころ か 、適 切 な 防衛 計 画す ら 覚 束 な か った から で あ る。
こ の損害 は、 この時 点 で は、 米 国海 軍 に比 し て空 母兵 力 にお い て断 然 優 勢 であ り 、 か つ、 戦列 艦 の速力 にお い ても 勝 って いた 日本 海 軍 と対 抗 す る上 にお いて は、 米 国 海軍 の実際 の戦 闘能 力 を 実質 的 には 減 少 さ せ はし な か った 。 一九 四 一年 一 二 月 に適 切な 計 画 を実 施 す る ため には、 日 本 の意 図 お よび 能 力 に関 す る、 い っそ う 正確 な情 報 の 入手 と、 航 空 兵力 の圧倒 的 か つ不 可欠 の役 割 を も っと 早く 理 解 し、 ま た、 現 実 の戦争 が 開始 さ れ る は る か以前 に、 必要 な 予算 に対 す る 国 民 の全面 的 支 持を 得 て おく ことが 肝 要 だ った のであ る。 ︹1︺︹2︺ ﹃ 太平洋戦争二﹄( 資料解説︱米国側戦争計画) を見よ。 そ の後 の戦 局 の発 展が 示 すご と く 、 一九 四 二年 五 月 以前 に米 国が
抗 戦 と太 平 洋 に おけ る空 母 や陸 上 基 地 より す る航 空機 の散 発 的 な急
あ る。 サ ンゴ海 海 戦 と呼 ば れ る こ の交 戦 は、 す べ て空 母間 の空戦 に
バ ウ ル に帰 投 した 。 はじ め て 日本軍 の進 撃が ここ で阻 止さ れ た の で
損害 を 受 け、 輸 送 船 団 はポ ー ト モ レ スビ ーを 目前 に して反 転 し、 ラ
襲 を別 と す れば 、濠 州 派 遣 の米 兵 力 の増 強 と米 濠 間 の諸 基 地 の強 化
終始 し、軍 艦 から は、 ど ち らも 一発 の砲 火も 交 え な か った 。
実施 しえ た こ とと いえば 、 フ ィリピ ンに おけ る孤 立 し た米 守 備軍 の
へ の努 力 と、 一方 で は兵員 の訓 練 お よび 軍需 品 生 産計 画 を 一日も早
︹1︺ 日本軍は、参加機 一 二一機 のうち八〇機を失 い、米軍は、 一 二 二機 のうち六六機 を矢 った。 ︹ 編者 注︺ サンゴ海海戦と特殊情報 真珠湾攻撃後間もなく、米国海軍 は日本海軍 の暗号 を解読していたの で、日本軍 の計画に関し正確、か つかなり詳組な情報を入手し得るとい う、 きわめて大きな利点 を持 っていた。 サンゴ海海戦 の開始約三週間前に、同水域 に向 って南下 する日本部隊 の正確な編制 と、そ の到着 日時に対する情報資料が 米国側指揮官 の手 に
米 国 側が 使 用 でき る兵力 は、 ま たも や 日本 部隊 よ り はる か に劣勢
これ が す べ て であ る︱
三隻 の 空 母︱
﹁エンタ ー
なも の にす ぎ な か った。す なわ ち、 当 時太 平 洋 にお いて戦 闘行 動 に 使 用 でき る︱
プ ラ イズ﹂、 ﹁ヨー ク タウ ン﹂、 ﹁ホ ーネ ット﹂ が攻 撃 に は せ参じ た。
米 ・空 母機 は日本 艦 隊 の位置 を 突き と め た。 三隻 の日本 空 母 は撃沈
さ れ、 第 四隻 目 も大 破 さ れ た。 この空 母も あ と で米 ・潜 水 艦 の好餌 ︹ 2︺ と な った。 一挙 に空母 部 隊 を喪 失 し た日本 艦 隊 は、 大型 軍 艦 の兵力
得られた。戦略情報が適切であった ことは、米国側が当時使用し得る全
空 母 の急 降下 爆 撃機 に より 撃沈 さ れ た のであ った。 沈 没 した 日本 空
空 母 の生残 り士官 に対 す る 調査 団 の訊 問 に よれば 、 日 本空 母 は米 ・
で は圧 倒 的 であ った にも か か わらず 、 退却 を 余儀 な く され た。 日本
兵力をも って、日本軍 の行動阻止地点 に進出 した ことをも っても十分了
入 った。 さらに、日本部隊 の行動 の戦略的意義に ついても正確な評価が
解 できる。
る情報は部隊 の編制 の概略、近接方向ならびに攻撃 のあらましの期日 の
﹁われわれは日本の暗号電報 を解読できたので、 日本軍 の計画に関す
述べている。
当時、米太平洋艦隊司令長官であ った ニミ ッツ提督は戦後次 のように
︹ 編者注︺ ミッドウ ェー海戦と情報 の勝利
沈 された。
四発、﹁ 蒼龍﹂ は三発、﹁ 飛龍﹂ は四発 ( 大破後友軍駆逐艦が処分) で撃
︹ 2︺ ﹁赤城﹂は三発 の爆弾 ( 大破後、友軍駆逐艦が処分) 、﹁ 加賀﹂は
の場合 と同 様 、 ま ったく 空 母対 空 母 の航空 戦 であ った。
す る止 め の攻 撃 を除 いて は、 こ の海 戦 に おけ る戦 闘 は サ ンゴ海海 戦
水艦 ( 伊 号 一六 八潜 ) によ り撃沈 され た。 潜 水艦 によ る落伍 艦 に対
成功 した。 同 艦 は戦 闘 不能 とな って海上 を 漂流 中 のと ころ を 日本 潜
母機 の 一部 は米 ・空 母群 を 発 見 し、﹁ヨー クタ ウ ン﹂を大破 させ る に
母 のパ イ ロット の三分 の 二 は駆逐 艦 に よ って救 助 さ れた。 日本側 空
この海戦は、戦術的 には日本側 の勝利と いわれるが戦略的には米国側 に分があ ったと見られている。 ちょう どこの海戦 と時を同じくして五月 六日、 コレヒドールと マニラ湾要塞 のアメリカ軍が降伏し、米国内 では 絶 望的 な打撃を受けて株価も底を つく有様 であ った。 ところが サンゴ海 海戦 の捷報に、フィリピ ン失陥の悲報 はたちまちけし飛 んで国内 には明 るさが立ちもど った。 六 月 にな る と、 ミ ッド ウ ェー島 に対 す る 日本 軍 の行動 に関 し て、 サ ンゴ海 海 戦 の場 合 と同 様 に事 前 の情 報 を 米 国 は入 手 し た。今 度 は、 輸 送船 団 は機 動 部 隊 に よ って支 援 さ れ て おり 、 こ の部 隊 は開 戦 以来
﹁赤 城 ﹂ ﹁加 賀 ﹂ ﹁飛 龍 ﹂﹁蒼 龍 ﹂ ︱
はじ め て編 成 され た 最も 強 力 な水 上部 隊 、 お よ び 日本が 保 有 す る第 一線 空母 八隻 のう ち の四隻 ︱
を含 むも ので あ った。他 の 一隻 の 日本 空母 はさ ら に北 方作 戦 に向 う 支援 部 隊 に 加わ って い た。
判定 を可 能 に し た。 こ の敵 情 が 米 国側 に勝 利 を も た らし た のだが 、 一方 、 わ れ わ れは あ ま り に劣 勢 で あ った ので不 可 避 な惨 事 を事 前 に 知 ら さ れ た よ う な も ので あ った。﹂ ま た、 モリ ソ ン博 士 はそ の著 書 の中 で、 ﹁ミ ッド ウ ェー海 戦 は、 勇 敢 に英 知 をも って利 用 さ れ た情 報 の勝 利 であ る ﹂ と述 べ、 当時 空 母部 隊 の 指 揮 官 の 一人 で あ った スプ ルア ン ス提 督 は 、 ﹁こ の海戦 の勝 利 は ま ず 第 一級 の情 報 の入手 が そ の主因 と い わ ねば な ら ぬ。 次 は こ の情 報 に基 づ い て、 そ の大胆 、 勇 敢 さ 、 か つ賢 明 ぶり を 遺 憾 なく 発 揮 し た ニミ ッツ提 督 のす ば らし い判 断 と 処 置 に よ る も のだ ﹂ と述 懐 し て いる 。 ニミ ッツ提 督 は日 本 軍 の集 結 地 点 は サイ パ ン島 、 攻 略 地点 は ミ ッド ウ ュー島 と 判断 の上 あ ら ゆ る手 段 を講 じ て日本 軍 の進 撃 に 備 え た。 五 月 一 五 日 に 日 本 の ミ ッド ウ ェー攻 略 隊 の集 結 と出 港 を確 実 に つかみ 、 五 月 下 旬 に 潜 水艦 を サイ パ ン島 沖 に張 り こま せ、 攻 略 期 日 を 六月 三 日 と 計 算 し た 。 そ れ は決 し て 日 本 の数 通 の暗 号 を た だ解 読 し た だ け から の結 果 で は な く、 一ヵ月 以 上 に わ た る丹 念 な 情 報 の収 集 と 断 片 か ら の推 理 判 断 のみ
そ の後 、 日本 海軍 は空 母兵 力 の弱 体 化 により 苦境 に立 った ので、
航 空兵 力が 再 建 さ れ た時期 ま で は、 夜 間 あ る いは陸 上 基地 機 の援 護
ミッド ウ ェー海戦 にお いて はじ め て太 平 洋 にお け る両 軍 の海軍 航 空
下 にお い て のみ 米 国部 隊 と の交戦 が でき た の であ った 。 かく し て、
力 の均衡 が 得 ら れ、 そ の結 果 と し て の全般 的 日米 海 軍力 のバ ラ ンス
間 も なく 日 米 両軍 の猛烈 な 衝突 の場 面 は、 ラバ ウ ル の南 方 の島 々、
も 回復 さ れ た ので あ る。
そ の地域 を め ぐ る海 面 お よび そ の方 面 の上 空 に転 移 し た。 日本 軍 は
ポ ート モ レスビ ー攻 略 の努 力 を新 た にす る こと を決意 し、 も し必 要
し、 ま た ソ ロ モ ン群 島 に飛 行場 を 建 設中 であ った。 一方 、米 国 統 合
と あ らば ニ ューギ ニア の北 岸 から 陸 路 に より これ を決 行 す る こと と
ト モ レスビ ー から の ニ ューギ ニア北 部 に対 す るも のであ り 、他 のも
幕 僚長 会 議 は 二方 面 か ら の進撃 作 戦 を下 令 し たが 、 そ の 一つはポ ー
い こう と す るも の であ った。 こ の両計 画 は共 に ラバ ウ ル攻略 を 目標
の はガダ ルカ ナ ル島 から はじ ま って ソ ロ モン諸 島 を逐 次 攻 め落 し て
一通 の緊急 信 の電 波が 潜 水 艦 か ら飛 ん だ 。 そし て前 途 に は運 命 の海 戦が
ご と な 結 合 の成 果 であ った。 二 八日 に 占 領隊 が サイ パ ンを出 港 し た と き
と して い た。
マ ッカ ーサ ー将 軍 ( 南 西 太平 洋 方 面軍 指 揮官 ) と ゴ ー ムリ ー提督
待 ち 構 え て いた 。 ﹁も し 米 国 海 軍が 日本 部 隊 の行動 に対 す る 早 期 の 情報 が 入手 でき ず 、 ま た 米国 部 隊 が 分 散 し た 所 を敵 に捕 捉 さ れ て いた ら 、 ミ
( 南 太平 洋 部 隊 指揮 官) は、与 えら れ た兵 力 は不十分 と考 え た が、
米 濠連 絡 線 保 持 の重 要性 にか んが み て、 現 有 兵力 をも って と にかく
ッド ウ ェー海 戦 は ちが った結 果 にな った で あ ろう 。﹂ (ニミ ッツ提 督 ) ミ ッ ド ウ ェー 海 戦 の直 後 、 日 本 側 は作 戦 可 能 の空 母 四 隻 を 有 し 、
前 進 を はじ める よう 命ぜ ら れ た。 かく し て、 日本 軍 の進 出外 周 圏 に
南 西太 平 洋方 面 軍 が濠 州 北部 、 ポ ー ト モレ スビ ー お よび ミ ル ン湾
第 五隻 目が 間も な く これ に加 わ った。 し か し、 こ のう ち わず か に 一
の 空 母 が 六隻 あ った 。 一方 、 米 国 側 は 太 平 洋 に お い て 作 戦 可 能 の 大
で飛行 場 を 造 成中 に、 日本 軍 はポ ート モ レスビ ー の反 対 側 の ニ ュー
対 す る反 撃 が 日本 側 が 予期 し た より も早 く 展 開 され る に至 った 。
型 空 母 三隻 を 持 ち 、 作 戦 準 備 中 、 ま た は 建 造 中 の 空 母 は 一 三隻 、 護
ギ ニア の北 岸 にあ るブ ナ に 一九 四 二年 七月 二一 日 に上 陸 し、 オー エ
隻 だ け が 大 型 空 母 で あ った 。 こ の ほ か 日 本 軍 は 修 理 中 ま た は建 造 中
衛 空 母 一五 隻 を 有 し て い た 。
補給 を 受 け た連 合軍 地 上 部隊 によ って阻 止 され 押 し戻 され た。 日本
よ って 切断 さ れ、 そ の先 遣部 隊 は機 銃 掃 射 を受 け、 そ の進撃 は空 中
ーを 攻略 せん と した のであ る。 し かし 日 本軍 の補給 路 は空中 攻 撃 に
ン ス タ ンリー 山脈 に進 出 した 。 こ の山脈 を突 破 し て モ ート モ レスビ
の結 果、 一連 の夜 間海 上 戦 闘が 起 こり、 こ の戦 闘 は 日米 両軍 に大 損
折 米 軍 の飛行 場 や 施設 に砲 撃 を加 え よう とす る日本 軍 の必死 の努 力
能 にし てし ま った。 夜 間 に乗 じ て増援 隊 を投 入し よう と し たり、 時
た 不満 足 な情 況 下 に行 な わ れ るも のを 除き 、 そ のほ か の作 業 を 不可
空 権 は 日本 側 に対 し て は、荷 揚 作業 は夜 間だ け 、 し かも危 険 を冒 し
域に海軍 の大部隊を進出させえなくな った。 この島 をめぐる死闘 の成行
この海戦 の結果、 日本側 は後退し二度と再びガダ ルカナル島周辺 の海
絶な夜間砲戦であり、 日本側は戦艦 三隻を失 った。
日間にわたる第三次 ソ ロモン海戦 は、日米両艦隊が 至近距離 で戦 った凄
返されたが、そ のうち四回までは夜戦 であ った。中 でも 一一月中旬 の四
ル島 に反攻を試みて以来、六ヵ月 の間に日米艦隊 の間に八回の海戦が繰
一九四 二年八月 に米軍が 太平洋所在 の全海軍兵力を挙げ てガダルカナ
︹ 編者注︺ ガダ ルカナ ル争 奪を めぐる海戦
日本側、空母五以下 一 二 八隻、米国側、 空母四以下 一〇 六隻 であ った。
日本側、 三万七千名、 米国側、約六万五千名 であり、 また、海上兵力は、
︹4︺ その後、ガダ ルカナル争奪戦 に日米両軍が動員した地上兵力は、
害 を生 じさ せた。
側が こ の進撃 を 計 画 の線 ま で増 強 でき な か った の は、 ガダ ルカ ナ ル ︹3 ︺
戦 の進 展 のた め に兵力 が そ の方 に集中 され た か らだ と いわ れ て い る。 一九 四 二年 八月 七 日、 米 軍 部 隊 はガ ダ ル カ ナ ル島 に奇襲 上 陸 を敢 行 し た。 米 空 母 三隻 は最初 の航 空支 援 を与 え、 迅速 に上健 を終 った 海 兵 隊 は、 た ち ま ち 日本側 が 建 設中 であ った飛 行 場 ( 後 に ヘンダ ー ソ ン飛 行 場と 命 名) を占 領 し た。 ソ ロモ ン作 戦 に参 加 した 日本 部 隊 の指 揮 官 た ち の証 言 に よれば 、 日本 側 は最 初 米軍 の攻撃 兵 力 を誤 判 断 し ト ラ ック島 か ら 駆逐 艦 を つか って わず か に五〇 〇 名 の 一コ大 隊 の増援 兵 力 を送 り こん だ にすぎ な か ったと いう。 ︹ 3︺ ガダ ルカナル島に反攻した米軍 は、当時太平洋 の全兵力を集 め 一、重巡 一一、軽巡三、駆逐艦三 一、 そ の他 三三、合計八二隻 であり、
た南太平洋部隊で、 ゴームリー海軍中将 の総指揮 の下に、空母 三 、 戦艦
きは この海戦によ って決定 された のであ る。
の二九隻であ った。
はじめ合計 一〇 六隻に上 った。 そし て、 両軍 の喪失した戦闘艦艇は同数
一三をはじめ合計 一 二 八隻 。連合軍 の方 は空母四、戦艦 二、重巡 一三を
半年間 の諸海戦に出撃した日本軍 の海軍兵力は空母五、戦艦四、重巡
外 に基地航空部隊約三百機、上陸軍は海兵第 一師団 一万九千名 であ った。 こ の大 隊が 結局 全 滅 し て しま った後 、 日本 側 は さら に五 コ大 隊 を 増 派 し た ので あ るが 、 それ と ても ま ったく 不十 分 な兵 力 であ った。 ︹4 ︺
つ いに、 日 本 側 は師 団 全兵 力 を次 々 に送 り こむ こと を企 図 し、 新 た に三 万 の軍 隊が 上 陸 し たが 、 そ の時 ではす で に遅き に失 し て い た の であ る。 ヘンダ ー ソ ン飛行 場 に進 出 した 米軍 機 は局地 的 制 空権 を 獲
これ は辛 う じ て 可能 であ った にすぎ な か った。 同時 に こ の局地 的 制
得 し た。 これ によ り補 給船 から の昼間 荷 揚が 可能 と な った も の の、
米 軍 の航空 兵 力 は 開戦 当 初 は いろ い ろ の制限 を 受 け、 辛 う じ て死 物 狂 い の不規 則 な増 援 によ って維 持 され て いた にすぎ な か った。 し か も 一時 は 日本海 軍 の艦 砲 射 撃 を受 け て 一掃 さ れ、 実 動 機 はわ ず か に五 機 にま で減少 し た こと も あ った。 日本 軍 は ガダ ル カ ナ ル島 と ラ バ ウ ルの間 に 一連 の航空 基 地 を建 設 し て連 合 軍 の艦 船 お よび 施 設 を 攻 撃 し よう と 企図 し た。 し かし なが ら、 幾 度 か空 戦 を 反復 す る う ち に、 日本 側 は増 大 す る消 耗 に苦 しむ 状況 に追 い こま れ て い った。 こ れ は単 に数 量 の上 か らだ け で なく 、米 国 側 の損 害 と の比 率 にお い て も 然 り であ った。 日本 側 は制 空 権 を獲 得 す る こと が でき な か った。 ︹ 周 一︺ こ の ため 、耐 え難 い地 位 に置 かれ て地獄 図 絵 を 現 出 し た。 宮 崎 将 軍 (第 一七軍 参謀 長 ) の証 言 によ れば 、 ラバ ウ ルか ら ガダ ルカ ナ ル 島 に送 ら れ た軍需 品 は、 そ の二〇% しか 届 かな か ったと いう。 こ の 結 果 、 日 本側 が結 局 ガダ ルカ ナ ル島 に揚陸 し た約 三 万 の兵 力 は、 重 装 備 はも と より適 当 な 弾薬 や食 糧 さ えも 欠乏 し、 空 から の絶 え間 の な い攻 撃 に悩 ま され た。 こ う して、 一九 四 二年 末 ま で に、 米軍 を ガ ダ ル カ ナ ル島 から駆 逐 し よ うと す る 日本軍 の最 も 大規 模 な総 攻 撃 も 失 敗 に終 り、 一方 、 ブ ナ占領 に対す る連 合軍 の作戦 は成 功 をも って 終 った。 つい に、 日本 守備 軍 は約 一万 の戦 死 者 と、 同 じく 一万 の餓 死者 を 出 し、 残 り の 一万 は悲 惨 な状 況 下 に 一九 四 三年 二月 に ガダ ル カ ナ ル島 を撤 退 し た。 ︹編者注︺ ガダ ルカナ ルの大消耗戦 ガダ ルカナル戦は、 いろいろな意味で太平洋戦争 のテル モピ レー の戦 いであ った。 その緊急性、 その凄絶な死闘 の連続、勝敗 の分岐点 のきわ どさ、および 日米両国 の戦争勢力に及ぼし た影響力 の重大性など、 まさ
米軍が ガダ ルカナル島を確保 するために受けた地上兵力の死傷は六、
に歴史 上の決戦 の 一つに数 えられるだろう。
一一 二 名 ( 戦死 一、七五二名) であり、日本軍 は二四、 六〇〇名を失 っ
た。ガダ ルカナル島 の地上戦 はそ の後 の硫黄島戦や沖 縄戦などと比較 し
て激烈ではあ ったが長引 いた小競合 いのように考えられが ちである。 し
かし、 その重要性は太平洋戦局 の転換点 とな った ことで記憶すべき戦闘
であ った。 アメリカ側 はこの時以後 戦略的主導権を手 に入れ、 一方、日
本側 の敗勢は この時 以来始ま った のであ った。
連 合 軍 は この決 定 的な 地 域 にお いて確 実 に地 歩 を占 め、 こ の方 面
の航 空 、 地 上 およ び海 上 のあら ゆ る 兵力 の局地 的 優越 を 次第 に強 化
し て行 った のであ る。 そ の間 の連 合 軍 の損 害も 甚 大 なも のが あ った
が 、 日本側 は致 命 的 な戦略 的 敗 北 を喫 し た のであ る。 日本 軍 の進 撃
は阻 止 さ れ、 そ の戦 略 計 画 は失 敗 し て取 返 しが つか なく な り、 そ の
優 秀 な パ イ ロ ットた ち の多 数 は失 わ れ てし ま った 。 一方 、連 合 軍部
隊 は ソ ロ モ ン群 島 や ニ ューギ ニア の諸 地 点 を確 実 に手 に入れ 、 そ こ
から 日本 軍 の外 周防 衛 圏 の中 心 要 地 であ る ラバ ウ ルを 包 囲 した ので あ る。
こ の脅 威 に対応 す る に当 って 、 日本 軍 は小 出 し戦 法 の拙 策 を採 用
し て、 そ の精 錬 の空 母 航 空隊 の全 部 (ミ ッド ウ ェー海 戦 の生 き残 り
を含 む) と 優 秀 な陸 軍 航空 部 隊 の 一部 と を殆 ん ど消 耗 し て しま った。
そ の後 日本 側 は つい にそ の痛 手 か ら十 分 に 回復 す る ことが できず 、
はじ め て詳 し く知 り、事 態 の重 大性 を 十 分 に認 識 し た少数 の日 本 の
そ の深刻 な 影 響 は そ の後 の全 作戦 に累 を 及ぼ し た。 これ ら の事情 を
指 導 老 たち は、 パ イ ロット の養 成 や飛 行機 、 レーダ ーお よび 通信 装
画 を 立 て たが、 これ を実 施 す る に は多く の 日時 が 必 要 であ り、 急 速
置 、 対空 砲 、弾 薬 、 貨物 船 、油 送 船 (タン カー) の生産 の大拡 張 計
のな い後 方 業務 が 準備 でき るな ら ば、 飛 び 越え て進 む か、 これ を占
軍 の支 援 、適 当な 上陸 用 舟 艇、 十 分 に訓練 され た 軍隊 な らび に申 分
陣 地 は、 も し米 軍 が 必要 な 地域 の制 空 権 を確 立 し、 ま た、 必 要 な海
を 除 い て、 あ らゆ る 地域 にお い てそ の戦 闘 力を 海 外 から の支 援 に依
﹁日本 帝 国 ﹂の地 理 的位 置 か ら、日本 側 の地上 部 隊 は日 本本 土 諸島
にかく 、 日 本軍 に対 し絶 え ず圧 迫 を加 え 続 け るべ き であ った。
手 でき る前 に、 大 規模 な 諸 準備 が 必要 であ った 。 し かし なが ら 、 と
領 す る こと が でき ると判 断 され た こと であ った。 決定 的 な進 撃 に着
に間 に合 わ せ るこ とは でき なか った。 戦 争 の主 導権 はも は や疑 いも なく 大 生産 力 を持 った米 国 側 の手 に 移 って し ま った のであ る 。 ︹ 編者注︺ ソロモン戦 と海軍航空隊 ・艦艇 の消耗
存 し て い た。 そ し て本 土 にお い てさ えも 海 外 から の原 料 輸 入が 必 要
ガダ ルカナ ル争奪戦 の間に、日本海軍の受け た航空兵 力の損害は、 空
にその後 の 一年間 のラバウ ルをめぐ る連日の戦闘によ って日本海軍は二
母機と基地機 を含 め千六百機 をこえ、搭乗員 は千五百名 を失 った。さら
であ った。 中 国、 朝 鮮、 満 洲 に お いても 、 そ の地 域 に対 す る海 上 輸
﹁武 蔵 ﹂ ) を含 む 日本 海 軍 は、 そ の空 母 航空 兵 力が 大 損 害 を受 け、 増
大 砲 撃力 と 高 速 力を 持 つ二隻 の六万 四千 ト ン の大 戦 艦 (﹁大 和﹂、
れ る か のど ちら かであ った。
の地 点 で当 然 撃 破 され る 運命 にあ る か、 そ の大部 分 は置き 去 り に さ
れ、 不十 分 な 船 舶 を当 て にし て いた日本 地 上 部 隊 は、 米国 側 の所 望
島 も ま ったく 海 上補 給 のみ に依 存 して いた 。分 散 し た島 々に展 開 さ
あ る軍 隊 への補給 は船 舶 を使 わ ねば なら な か った。東 方 進 出圏 の島
送 は絶 対 に必 要 であ り、 マレー、 ビ ル マお よび 南 西方 面 の諸 地 域 に
千七百機を消耗 した。作戦消耗 を加 えると この数字は五千三百機と いう 莫大な数字に達 した。搭乗員 の喪失 拡三千名 に近 い。 海軍航空隊が ついに ラバウ ルを引揚げた 一九 四四年二月までに払 った 犠牲 は機数において七千機を越 え、搭乗員は四千五百名を上回 った ので ある。 こうして、日本海軍航 空兵力 は再起不能 な秘度にまで打撃を受け たのであ った。 ガダ ルカナル撤退以後 の 一年 間における海軍艦艇 の損害もまた大きな も のであ った。 すなわち、駆逐艦 の喪失だけでも二六隻に上り、損傷を
た。米国海軍が いよいよ進攻兵力 を整備して中部太平洋から大反攻 に転
し ま った 。 一方 、 一九 四 三年 の後期 にな ると 、 米 国 は空中 にお い て
強 も 制 限 を受 け たが た め に、 行 動 の自由 と、 攻 繋 力 の二 つを 失 って
受 けた戦闘艦艇は六〇隻 ( 重巡 一〇 、軽巡 一一、駆逐艦四〇) にも達し
殆んど使 いはたしていた。
ず る時機に先立 って、日本海軍 はもはや中心となるべきそ の航空戦力を
断 然 た る優越 性 を 持 つ、 十分 な 数 の空 母 群を 保 有 す る に至 り、 そ の
う え悪 天 候 そ の他 の空 中 優勢 を 発揮 す る こと が 制 約さ れ る よう な 条
件 の下 でも 、 日本 水上 部 隊 に対 し て適 切 な防 禦 力 を発 揮 す る の に十
そ の後 の作 戦 の性格 を 決定 した諸 要 因
一九 四 二年 にお け る諸 戦 闘 の結 果、 米 軍 は太 平 洋戦 域 におけ る い
分 な数 の最新 式 主力艦 群 が増 強 さ れ た。 それ はも し 日本 艦隊 と 遭 遇
6
く つか の基 本的 戦 訓を 得 た 。そ れ は広 範 囲 に展 開 し て いた 日本 軍 の
つ容 易 にす る確実 性 を 増 す こと であ り、 この ことが 必要 で あ ったか
さら に日 本艦 隊 を撃 滅 す る こと は、米 軍 の進 撃 を い っそ う 自由 にか
した な らば 、 これ を撃 破 す るだ け の実 力 を持 つこと が 肝 心 であ り、
て、 こ の制 空権 の獲 得 と いう ことが 米 軍 の目的 の第 一の優 先 順位 に
の全般 的 な 航 空優 越 の獲 得 が 可能 であ る こと は明白 であ った 。 そし
整 備 は、 米 国 に比 べ て は る か に劣 って いる ので、 日本 に対 す る米 軍
れ た 。 これ ら の弱 点 に加え て、 日本 の航 空機 生 産、 搭 乗員 の訓練 、
︹ 編者注︺ 米国新海軍 の復活
日本 の船 舶が 、 まず 第 一の攻撃 目 標 と し て選定 さ れ た。 戦争 第 一
お かれ た ので あ る。
ら であ る。
一九 四三年 の六月 に米国新空母 の第 一艦 ﹁エセックス﹂がはじめて太 平洋艦隊 に編入され、 その後 は毎月 一︱ 二隻が増 加した。 一〇月には新 造 空母は八隻 (別に生き残り 二隻)に達したが、 さらに新造戦艦六隻が
︹1 ︺
年 目 に お いて は、 日 本が 開 戦 当時 保 有 し て いた商 船 隊総 ト ン数 の 一 ︹ 1︺ 〇 % 以上 が 、 日本 の進出 外 周 圏内 で遠 距離 攻 勢作 戦 を実 施 中 の米 海
うな 、 日本 の海 上 輸 送活 動 に対 す る繊 滅作 戦 は、 潜 水艦 と 空中 の双
軍 の潜 水 艦 に よ り、 ま た、 四 %が 飛 行 機 に より撃 沈 さ れ た。 このよ
これに加 わ った。 いず れも三〇 ノットの高速 で行動 でき、三隻 の空母、 二隻 の戦艦を中心として、巡洋艦、駆遂艦 の数隻と共に空母機動群を編
攻防力を備 えた戦略単位として出現したも のである。
〇 海 里 以内 に確保 さ れ る ま で は、米 国 の長距 離 爆撃 機 の有 効 攻撃 距
日 本 の工 業 と、 本 土 住民 は、 米軍 の航 空基 地が 日本 から 一、 五〇
方 から の攻 撃 によ り開 始 され 、 続行 され た。
成 することにな った。この輪型陣は、対空砲火を特 に強化し、恐るべき
一方、 このころ日本艦隊 は、翼を失 った不具艦隊と化し、第 一線空母
ま った。
もわずかに三隻 という苦境 に置 かれて日米航空戦力比は大きく開 いてし
え る はず であ った。 す な わ ち、 日 本 の海 上 輸送 に対 す る遮断 の完成 、
って進 撃す ると いう こと は次 の こと を米 軍が 行 な う た め の基 地 を与
離 内 には 入 って いな か った。 米 軍が 太 平 洋 を進 攻 し て戦略 地 点 に向
日本 本 土 に対 す る 大規 模 空襲 の開 始、 日本 本 土自体 に対 す る進 攻 を
こう し て、 地 理 的 と 日本 基 地機 の行動 半 径 の二 つか ら生 じ た制約 は、米 軍 の フ ィリピ ンや沖 縄進 攻 に先 だ ち、 日本 側 が 、 決定 的 な地
準備 、 の三 つであ る。
︹1︺ 本書、第 三部 の 一、第 一章、大井第1表を見 よ。
点 のい か なる と ころ にお い ても 、米 軍 に対 し て、 全 航 空 兵力 を 集中
にし て し ま った。 環 礁 の大部 分 は、 必 要 な飛 行 場 を設 け る に は狭 す
す る た め、 基 地航 空 部 隊 の十 分 な る機 動性 を 発 揮す る こと を 不可能
連 合軍 の太平 洋 横 断 の進 撃
連 合軍 ( 米 軍) が 広 汎な 太 平洋 攻 勢 を 開始 し たと き の情 勢 は右 の
7
能 にし て い た。 こ の よう な やむ を 得 ぬ制 限 の外 に日本 の参 謀部 の計
と お り であ った。 一方 で は主 要 な準 備 が な お進行 中 で あり 、 他方 で
は、 補 給、 飛 行 場造 成 さ ら に輸 送 の諸 問 題が こ のよ う な集 中 を 不可
ぎ た し 、 ニ ュー ギ ニア、 ソ ロモ ン群 島 お よび マリ ア ナ諸 島 に お いて
画と 戦 術 の拙 劣 さが 利 用 可能 な航 空兵 力 の小 出 し 使 用 とな って現 わ
は ソ ロモ ン群 島 や東 部 ニ ュー ギ ニア作 戦 の大消 耗 戦 にお いて 、 日本 の最 優 秀 部隊 た る海 軍航 空 隊 を漸 次 消耗 さ せ無 力 と な し、 同時 に 日 本 の船 舶 や軍 需 品 を枯 渇 さ せ つつあ った時 に、 連 合 軍 ( 米 軍) は太
の確 保。
基地 の準 備。
④ マリ ア ナ諸 島 の場 合 に は、 日本 本土 に対す る遠距 離 爆 撃機 用 の
ア ッツ島急 襲 とし て秘 か に開 始さ れ た。 次 で南 方 翼 側 に対 し て は、
これら は 一九四 三 年 五月 、 まず 日 本 の防 衛 外周 圏 の北 翼 側 にあ る
と 、 そ し てあ る 場合 には作 戦補 給 は全面 的 に空 中 に依 存 す る こと を、
け る 日本 軍 の増強 を 締出 して封 鎖 し 、ま た味 方 の進撃 を 援護 す る こ
であ る地 点 を選 定 し、基 地 航空 部 隊 をも って これ ら の目 標 地点 にお
ニ ューギ ニア地 区 で は、 米軍 の進 撃 の目標 は 日本軍 守 備 隊が 劣勢
六 月 に ム ンダ 、 九 月 に ニ ューギ ニア のラ エ、 サ ラ モア お よび フ ィ ン
ーギ ニア の内陸 諸 基 地 に は結局 二万 五千 名 と いう 莫 大な 総 人員 を 必
引 続 き 可能 と す る こと にあ った。 マリ リ ナ ン、 ナザブ そ の他 の ニ ュ
平 洋 を横 断 し て進 撃す る最 初 の遠 距 離行 動 に着 手 し た。
シ ュ ハー フ ェン、 一一月 初 頭 に はブ ーゲ ンビ ル島 に対す る米 軍 の上
助 によ るも のであ った。 以 上 の進 撃 距離 はも っぱ ら戦 闘 機 の行 動 半
要 と し たが 、 こ の占 領も 補 給も 後 日 の前 進 も、 す べ て空 中 から の援
陸 をも って 攻勢 作 戦が 続 行 さ れ た。 中部 太 平 洋方 面 にお い ては、 い よ いよ 一九 四 三年 一一月 下 旬 に おけ るギ ルバ ー ト諸 島 への強襲 をも ってこ の進 撃 は開 始 さ れ た。
から す る進 撃 のた め に典 型 的 な型 式 が発 達 し た。 そ れ は、 米軍 が 目
強 力 に防 衛 され て いる諸 陣地 ( 基 地) に対す る長距 離 の水陸 両 面
径 によ って制 約 を受 け た。
れ た。 そ の 一つは、 ニ ューギ ニア の北岸 を 経 て フ ィリピ ンに進攻 す
標 と す る敵 陣地 の側 面 に位 置す る日 本軍 の基地 は、航 空 兵 力 の集 中
そ の後 、 日本 を めざ す 水 陸 両面 にわ たる 進 撃 は 二方 面 から 続け ら
る も の、 他 の 一つ は マー シ ャ ル諸 島 を通 って マリ ア ナ諸 島 、 パ ラ オ
る。 目標 地 点 は空中 支 援 と空 母群 の援護 の下 に確 保 さ れ るが、 こ の
の大 型艦 から の集 中 砲 火 の下 に水 陸 両用 部 隊が 海 岸 めが け て殺 到 す
護 衛 空母 群 と 高速 空 母群 の緊密 な る協同 下 の航 空 支 援 と、 支援 部 隊
日本 軍陣 地 に対 し迅 速 な打 撃 を加 え る こと にな って い た。 さ ら に、
母 群 が目 標 の背 後 に進 出 し、 そ の目 標地 区 に脅 威 を与 え 、 す べ て の
す る敵占 拠 地 区 を弱 体化 し、水 陸 両 用部 隊が 行 動 を起 せば 、高 速 空
さ れ た。 空 母機 と利 用 可能 な基 地 機 と は、 攻略 に先 だ ちそ の目標 と
範 囲 内 にあ る日本 軍 陣地 は、米 軍 基 地機 によ ってさ んざ ん叩き のめ
攻 撃 に よ って徹 底 的 に圧 倒 す る。 そ し て米 軍 の基 地航 空 部 隊 の行 動
島 に、 そ れ か ら引 続き 硫 黄 島 お よび 沖縄 めが け て中 部 太平 洋 を横 断 せ ん とす る も の であ った。 この進 撃 の持 つ基 本的 目 的 は、 日 本 と南 方 と の補 給 線 を遮 断 し、 か つ、 日本 本土 を 米 軍 の攻 撃圏 内 に収 めう る 諸 地点 ま で 米国 戦 力 を進 出 さ せ る こと にあ った。 こ の進 撃 の目標 地 点 は、 次 の 四 つ の目 的 のう ち の 一つ、 あ る い は そ れ 以上 を 達 成 しう る こと を 包含 す るも の であ った 。す なわ ち 、
の飛 行 場 の前 進 。
① 米軍 の基 地航 空 部隊 の制 空権 の維持 と 、 前方 に推進 し得 る た め
② 艦 隊前 進 根 拠 地 の供 与 。 ③ 引続 く 進 撃 の ため の地 上 部隊 の輸 送集 合 地点 用 と し て陸 上地 域
空母 隊 は 、飛 行 場が 陸 上 に準備 さ れ 活動 を はじ め るま で は、引 揚 げ
三、 二八 九名 の死 傷 者 を 生ぜ し め た後 ほぼ 全 員 玉 砕 し た。
力 に対 し 三 昼 夜 に わ た って、 比 類 のな い頑 強 さ をも って抵 抗し 、 米軍 に
こ の "マリ ア ナ の七 面鳥 打 ち" と呼 ば れ た海 戦 にお い て、 米 艦 隊 は圧
一日 の晩追 撃 を断 念 し た 。
米 軍 も 約 一 一〇 機 を失 った。 日本 艦 隊 は引 続 き 退 却 を 続 け、 米 艦隊 は 二
母 機 を も って遠 距 離 か ら 日本 部 隊 を攻 撃 し、 空 母 ﹁飛 鷹﹂ を沈 め たが 、
次 の日、 米 艦 隊 は日 本 残存 艦 隊 と の交戦 を期 待 し て西方 に進 出 し、 空
空 母 ﹁翔鶴 ﹂ と ﹁大 鳳 ﹂ は潜 水 艦 に撃 沈 さ れ た。
機 を失 い、 軍艦 五隻 が 小 破 し た のに対 し 、 日本 側 は約 五〇 〇 機 を 失 い、
をも って海 戦 は開 始 さ れ た。 当 日 の交 戦 の結 果 は、 米 国側 は飛 行 機 一七
六 月 一九 日、 い よ いよ 日本 空 母 機 によ る米 国 艦 隊 (計九 三 隻) の攻 撃
け た。
ア ナ地 区 の日本 守 備 軍 を 救援 の た め サイ パ ン沖 に進 撃 中 と いう 報 告 を受
空 母 、 戦 艦、 巡 洋 艦 そ の他 ( 計 五九 隻 ) よ り な る日 本 の大 部 隊 が、 マリ
な考 えは 毛頭 な か った。 六月 一五日 、 米 軍総 指 揮 官 スプ ル ア ン ス提 督 は、
を よく 認 識 し て お り、 一戦 も交 えず に、 これ を むざ むざ と放 棄 す る よ う
日 本 も 米 国 と同 様 に マリ ア ナ諸 島 が 、 太 平洋 戦 争 の天 王山 であ る こと
︹ 編 者 注 ︺ マリ ア ナ の七 面鳥 打 ち
た。
船 の合 計 は 四 一隻 (二三 万 ト ン以 上) に のぼ り、 日 本 側 は大 打 撃 を受 け
艦 船 を 急襲 し、 翌 一八日 も続 行 し た。 こ の二 日間 に わ た る日 本 側沈 没艦
動 部 隊 合計 五 三隻 は、 二 月 一七 日 に トラ ック島 の日 本 軍施 設 および 在 泊
︹2︺ 空 母九 、 戦 艦 六 を基 幹 とす る スプ ルア ン ス海 軍中 将 指 揮下 の機
な いこと にな って いた 。 日本 に向 う 二本 の主進 攻 路 に沿 う 水陸 両 用進 撃 は、 一本 にま と め て集 中 し た方 が 、進 撃 はも っと迅 速 であ った かも 知 れ な いが、 よく 歩 調 を合 せ、 ま た 相 互 に支 援 し合 う も の であ った。 主 と し て ソ ロ モ ン群 島 や ニ ューギ ニア の碁 地航 空 部 隊 の包 囲 攻撃 によ って ラバ ウ ル の日本 航 空部 隊 は甚 大な 損 害 を受 け すぎ て いた。 こ のた めも し ギ ル バ ー ト諸 島が 攻 撃 さ れ ても 同島 の守 備隊 を 救援 しな いこと に日本 側 は 決定 せざ る を得 なか った。 ︹ 1︺ 一九四 三 年末 お よ び 一九四 四年 初 頭 に おけ るギ ルバ ー トと マー シ ャ ル諸 島 に対 す る中 部太 平 洋進 撃 、 さ ら に 一九 四 四年 二月 に、 高 速 ︹ 2︺ 空 母機 動 部 隊 に より 実施 さ れ た ト ラ ック島 への攻撃 がも たら し た脅 威 は、 ニ ューギ ニア翼 側 から 日本 艦 隊 を駆 逐 し た。 さ ら に こ の高 速 空 母機 動 部 隊 の威 力 は、 一九 四 四年 三月 アド ミ ラ ルテ ィ諸 島 に、 四 月 には ニ ューギ ニア の海 岸 を は る かに長 駆 し て ホ ーラ ンデ ィア に、 さ ら に引 続 いて五 月 に は ワ クデ 島 と ビ ア ク島 に進 撃 す る の に大 い に あ ず か って力が あ った。 さ ら に 日本 側が 北 部 ニ ューギ ニア の増 援 を 企 図 した とき 、 一九 四 四年 六月 の マリ ア ナ諸島 に対 す る中 部 太平 洋 進 撃が 行 な われ て、 こ の作 戦 を 日本 側 に放 棄 さ せ るに 至 った。 日本 側 は、 そ の空母 全 艦 を マリ ア ナの防 衛 に投 入 し たが 、 マリ アナ沖 海 戦 にお い て、 日本 側 は、 十 分 に訓 練 を積 んだ 空母 航 空隊 の殆 んど 全
倒 的 な 大勝 を博 し て永 続 的 な戦 果 を収 め た のに反 し 、 日本 側 は完 全 に敗
︹1︺ ギ ルバ ート諸島 のタラワ島においては、柴崎恵次海軍少 将 のひ
日本 空 母 と空 母 航 空 隊 の大 損 害 は、 そ の後 はも はや 米 艦隊 と渡 り合 う戦
北 し 、 マリ ア ナ救 援 の努 力 は水 泡 に帰 し て し ま った。 こ の海 戦 に お け る
部 を 失 い、 空 母 三隻 が 撃沈 され た。
き いる海軍陸戦隊 二、 六〇〇名 を主力に四、 八三七名は、 五倍 の攻撃 兵
闘 力 を殆 ん ど失 わ せ る に至 った 。 サ イ パ ン攻 防 戦
く封 ぜ ら れ て孤 軍奮 戦 せざ るを 得 なく な った のに対 し 、 米軍 の占 領作 戦
六月 二七 日、 タポ チ ヨ ー山 は 占領 さ れ、 日本 軍 は 一 一日 間 に戦 闘 員 の
は、 海 と空 か ら の脅 威 を受 け ず に進 行 す る こと にな った。
を かじ り 、 か た つむり を 食 べて 抗戦 し た 。 し かし 、 七月 六日 早 朝、 斎 藤
約 八割 を 失 って し ま った。 今 や勝 敗 は明 白 と な ったが 、 守 備 隊 は木 の根
北 上す れば 一 三〇 〇 マイ ルで 日 本本 土 、 西 進 す れば フ ィ リピ ン諸島 や 台 湾 と い うよ う に 、 米 軍 の進 撃 路 の真 正 面 に 横 た わ る マリ ア ナ諸 島 の戦
将軍 は最 後 の劇 的 な命 令 を 下 し、 南 雲 提 督 と共 にい さぎ よく 自 決 し て総
略 的重 要 性 は いう ま で も な い。 一たび 日 本 が これ を失 う こと に な れば 、 防 衛内 線 の中 心 は た ち ま ち破 綻 を 生 じ、 国 防 上 の生命 線 が 脅 威 を 受 け る
攻撃 の はな む け とし た。
こ の パ ラ オ 上 陸 が 進 行 中 に 、 米 ・高 速 空 母 機 動 部 隊 は フ ィ リ ピ ン
陸 は 、 パ ラ オ 島 の上 陸 と 時 を 同 じ く し て実 施 さ れ た 。
よ り ヌ ン フ ォ ー ル (ニ ュー ギ ニヤ ) が 占 領 さ れ た 。 モ ロ タ イ 島 の 上
日 本 側 は 、 マリ ア ナ 方 面 の 戦 況 に 気 を と ら れ て い る 間 に、 米 軍 に
五名 (内 戦 死 三、 四 二六 ) であ り、 全 兵 力 の約 二割 に あ た って いた。
死)、捕 虜 は千 八 百 名 足 らず だ った 。 米 軍 の損 害 は、 死 傷 計 一 六、 五 二
じ た 。サ イ パ ン戦 に お い て日 本 軍 は殆 ん ど全員 玉砕 し (二九 、六 二〇 名 戦
七 月 七 日、 約 三千 名 の日 本 軍 はバ ンザ イ突 撃 を行 な って死 地 に身 を 投
こと は明 自 であ った。 米軍 の マリ ア ナの占 領 計 画 は 、 一九 四 三 年 の八月 に早 く も つく ら れ た が 、 一 一月 に は 、 占領 に よ りB 29で マリ ア ナ基 地 か ら の日 本 本 土 を爆 撃
アナ進 攻 作 戦 は 発令 さ れ、 サイ パ ン島 上 陸 は六 月 一五 日、 グ ア ム島 上 陸
す る計 画 が 本 決 ま り と な った 。 か く て 四四 年 三 月 はじ め、 いよ い よ マリ
は六月 一八 日 と 予定 さ れ た。 日本 側 は 、 米 軍 の マリ ア ナ進 攻 は七 月 以 降 で あ ろ う と判 断 し、 そ の進 攻 を懸 念 し は じ め た のも 前 年 の秋 ご ろ であ った 。 そ れ故 、 防 備 工事 にも
所 在 の 日 本 航 空 部 隊 、 飛 行 場 お よ び 船 舶 を 攻 繋 し た 。 レイ テ 作 戦 の
十 分な 余 裕 は な か った。 マリ ア ナ攻 略作 戦 に参 加 し た 米軍 兵 力 は、 戦 艦 七、 護 衛 空 母 一五、 そ
じた 。
艦 全 航 空 兵 力 約 三五 〇 機 と 基 地航 空 兵 力 四 五〇 機 を繰 出 し て猛反 撃 に 転
日間 に わ た る連 続 空 襲 を 開 始 し た。 これ に対 し 、 日本 海 軍 航 空部 隊 も 母
〇 月 一〇 日 よ り沖 縄 を 攻 撃 し、 一 二 日 よ り は台 湾 と北 部 ル ソ ンに対 し 五
一六隻 の空 母 と七 隻 の戦 艦 を基 幹 と す る米 国 第 三艦隊 の空 母機 は、 一
︹編 者 注 ︺ 台 湾 沖 航 空 戦
す る日本 空 軍 力 に莫 大 な損 害 を 生 じ さ せた。
兵 力 を 動 か し て、 沖 縄 、 台 湾 そ れ に フ ィ リ ピ ン に 猛 攻 を 加 え 、 反 撃
準 備 行 動 と し て 、 高 速 空 母 機 動 部 隊 は 一〇 月 中 旬 に 一千 機 以 上 の 大
の他 よ り 成 る 五 五 一隻 の海 軍 兵 力 と、 空 偲 一五、 戦 艦 七 、 そ の他 より 成 る空 母機 動 部 隊 九 三隻 、 計 六 四 四隻 (総指 揮 官 スプ ル ア ン ス海 軍大 将 ) で あ った 。 上陸 軍 は ス ミ ス海 兵中 将 の指 揮 す る北 方 集 団 七 万 八千 名 が サ イ パ ン島 と テ ニア ン島 に 、 五 万 六千 名 の南方 集 団が グ ア ム島 そ の他 に 向 け られ た。 一方 、 サ イ パ ン守 備 の日 本 軍 は、 合 計 ほぼ 三万 二千 名 (陸 軍 二万 四 千、 海 軍 六、 七〇 〇 ) で、 海 軍最 高 指 揮 官 は南 雲 忠 一中 将、 陸 軍 現地 指 揮 官 斎 藤 義次 中 将 であ った (第 三十 一軍 司令 官 、 小 畑 英 良中 将 は 不在 。 同中
折 か ら海 上 で は日 本 艦 隊 の敗 北 によ り、 マリ ア ナ救援 の努 力 は水 泡 に
将 はグ ア ム島 で戦 死 )。
帰 し て し ま った。 マリ アナ諸 島 の日 本軍 は こ うし て増援 の蟄 み を ま った
日本側 の誇大な戦果報告にも かかわらず、米国側は、軍艦 一隻も撃沈
機 の支援 も な け れば 、 航空 偵 察 も利 用 でき ず 、 さら に空襲 によ る損
田海 軍 中将 )は、後 日 、爆 撃 調査 団 の尋問 に対 し、予期 した陸 上 基地
りも、広 々とした外海で航空攻撃を受 けた方が望まし いと考え、 また、
彼はワナにかかる ことを恐 れ、 レイテ湾内 の狭 い海域 で空襲を受 けるよ
西村部隊 は、すでに撃滅 されたので協同 の望みもなく な った。 そこで
日本部隊 の攻撃準備中 と判断した。
にいないも のと判断した。彼は傍 受し た敵 の放送から レイテ の飛行場は、
ていたと考 え、 また自 分の主攻撃目標 であ る上陸船団はもはや レイテ湾
栗田提 督は、部隊 の南下近接運動は、 はるか以前 から米国側に知られ
ぬ道草をくい、時間を費してしまった。
撃を受けてかなりの損害を受 け、そ のうえ隊形は混乱 してしま い、思わ
ー ル 沖海戦)が起 こり、 日本部隊は この敵 を撃破したが、しかし空中攻
衛空母群 の 一隊 と遭遇した。 そこで巨人対小人 の不釣合 いな戦闘 (サ マ
レイテ湾に向 って航行中、栗 田部隊は、 サ マール沖 において米国 の護
︹ 編者注︺ レイテ湾海戦と栗 田部隊 の行動
ま った のであ った。
前 に望 みな が ら も、 つ いに長 蛇 を逸 し て しま う結 果 を も たら し てし
の部 隊 を死 地 に陥 れ 、 破滅 的 な損 害 を 与 え た上、 よう やく 目標 を眼
決 意 さ せ たと 証 言 し た。 こ の中 央部 隊 の退 却 は、 日本 側 の他 の二 つ
害 の増 大 の懸 念 や、 艦 隊 の燃 料 予備 への不安 な どが 後 退す る こ とを
されず、数隻が損傷を受けたにすぎず、飛行機も八九機を失 っただけで あ った。 これに反し日本側 は、 実 に五日間に六五〇機を喪失し、﹁ 捷号 作戦﹂に先だ って艦隊航 空兵力 を殆んど消耗するにいた った。 中国 基 地 にあ るB 29 は、 高 雄 ( 台 湾) の航 空施 設 を 攻撃 し て こ の 作 戦 を支 援 し た。 米軍 の フ ィリ ピ ン諸 島 の レイ テ湾 上陸 を 、 日本 側 は、決 定 的戦 闘 にお い て米 軍 の進 撃 を 阻 止す べき 最 後 の機 会が 到 来 し たと 判 断 し、 本 土防 衛 は別 とす れ ば 、そ の使用 可能 の全 兵力 を 投
レイ テ上陸 の三 日後 、 日本 側 は、 そ の全 艦 隊 兵力 を あげ て 三方 向
入 し た の は理 の当 然 で あ った。
から攻 撃 に出 てき た。 こ の計 画 によ れば 、 北方 から南 下 す る空 母 部 ︹ 治三郎︺ 隊 ( 小 沢 ・北 方 部 隊) は、米 艦 隊 主 力 を誘 致 し て これ を釣 りあ げ る ︹ 祥治︺ よ う に行 動 し、 一方 、 ス リガ オ海 峡 を通 過 す る部 隊 (西村 ・南 方 部 隊) および サ ン ・ベ ル ナ ルジ ノ海 峡 を通 って近 接 す る強 力 な水 上 部 ︹ 健男︺ 隊 ( 栗 田 ・中 央 部 隊) は、 フ ィリピ ン基 地 の陸海 軍 航空 隊 の援 護 の 下 に、 上陸 地 点沖 合 の輸 送船 団 と 、 そ の支援 兵 力 を撃 滅 す る ことが 企 図 さ れ て いた。 米 艦 隊 の主 力 を北 方 に釣 り上 げ よ う とす る 日本 軍 の戦 略 は、 見 事 に成功 し た。 し か し 日本 の南 方 部 隊 は、 スリ ガ オ海峡 に おけ る戦 艦 同 士 の夜戦 (スリ ガ オ海 峡海 戦 ) で撃 滅 さ れ て しま った。北 方 部 隊
と信じ、部隊を反転させて北方に向 った。彼 は、駆逐艦 の予備燃料がな
誤 って報 告され たサ マールの北方沖 にある米部隊こそ、最も有利 な目標
こうし て去 ってしま った。
くなりかけたのでそ のまま退却した。米軍 の上陸作戦に対する脅威は、
の四隻 の空母 は、 ル ソ ン沖 (エンガ ー岬沖 海 戦) で残 らず 撃 沈 され
ついに撃 沈さ れ た が、 中 央部 隊 は、な おも 圧倒 的 な 水上 兵力 を保 持
フ ィリ ピ ン諸 島 で の、 この後 の諸 戦 闘 で、 日本側 は この方 面 に展
た。 二隻 の超 大 戦 艦 のう ち の 一隻 (﹁ 武 蔵 ﹂)は雷 撃機 の猛攻 を 受 け、
し て米 国 の輸送 船 団近 く ま で突 進 し た。 日本中 央 部 隊 の指揮 官 (粟
開 さ れ て いた軍 隊 と軍 需 品 の全部 を 失 い、 さ ら に中 国 と満 洲 から増
を本 土 か ら遮 断 し よ う とし て い る。 こう し て南 と北 か ら 補給 を断 ち、 日
て は ク ル ーガ ー中 将 の第 六軍 (兵 力 約 一二万 )が 迂 回 上 陸 を し て 日本 軍
米軍 のフィリピ ン奪回作戦は、当初 はモロタイ島 から タラウド島を経
硫黄 島 攻 略 計 画 を早 く も 察 知 し て早 目 に そ の防 備 強化 に着 手 し た。 守 備
二月 一九 日 を 目途 と し て硫黄 島 を占 領 せ よ と命 じ た。 曰本 側 は、 米 軍 の
統 合 幕 僚 長 会議 は太 平 洋 方面 指 揮 官 ニミ ッツ提 督 に 対 し、 一九 四 五年
硫 黄 島 の死 闘
約 六万 名 だ ったが 、 日 本 軍 は戦 死 だ け で も 四七 万 五千 名 に達 し た。
が 、 米 軍 はじ り じ り と進 ん で き た。 こ の奪 回作 戦 に お い て米 軍 の損 害 は
日本 軍 の将 兵 は、 勇 敢 な 白 兵戦 によ って米 軍 を たび たび 撃 破 し 阻止 し た
対 にや って来 ら れ ま いと 思 って い た地点 に米 軍 の戦 車 や野 砲 が出 現 し た 。
四 五年 二月 か ら ア メリ カ軍 の攻 撃 は休 み なく つづ い た。 日 本軍 が 、 絶
本 軍 を 締 め つけ て行 こう と いう のが マ ッカ ーサ ー将 軍 の構 想 だ った。
援 さ れ た三 コ師 団 半 の兵力 も 失 ってし ま った。 一九四 五年 三 月 一日、 日 本側 は本 土以 外 の派 遣地 上 部隊 には、 一切 の補 給 品 を送 ら な い こ と を 決定 し た。 遅 延 し て いる行 動 を 除 い て は、 日本 軍 はも っぱら 米 軍 の進 攻 に対 す る 防 衛 に集 中 す る よう 強制 さ れ た の であ った。 フ ィリピ ン諸 島 の解 放が ま さ に マ ッカ ー サー軍 によ って成 就 に近 づ き つつあ った ころ 、 ニミ ッツ提 督 指 揮下 の中部 太平 洋部 隊 は、 硫 黄 島 お よび沖 縄 に対 す る 困難 な進 撃準 備 を はじ め て いた。
てミンダナオ島 へというように、南 から飛石作戦 をや って北上し て行く
︹ 編者注︺ 米軍 のフィリピ ンの奪回作戦
手堅 い計画だ った。 レイ テ進攻時機も 一九四四年 一二月 二〇 日と予定さ
三〇 〇 名 であ った。 特 にそ の洞 窟 陣 地 の築 城法 は文 字 通 り難 攻 不 落 で、
隊 は栗 林 忠 道陸 軍 中 将 を最 高指 揮 官 とす る陸 軍 一五、 〇 〇 〇 名馬 海 軍 五、
る 海兵 隊 三 コ師 団 の精 鋭 六万 名 で あ った。 二月 一九 日 予 定 ど おり 上 陸 は
この堅 陣 を 攻 略 す る た めに 選 抜 さ れ た ア メリ カ軍 は 、 勇 猛 をも って鳴
いか な る猛 烈 な 砲 爆撃 にも ビ クと も し な い驚く べき 堅 固 な も のだ った。
れていた。 その後 レイテ上陸 は、 一〇月 二〇 日に実施と、繰 上げ られた。 日本側
開 始 さ れ た。 抵 抗 は頑 強 だ った。 一〇 日間 か か って 六万 の兵力 が 島 の半
のレイ テ作戦は完全 に失敗し、﹁捷 一号作戦﹂計画は無残にも崩壊した。 これを契機として、太平洋戦争において、再び日本が主導権を取 り戻 そ
(戦死 五、 五 二 一) に達 し た か ら であ る 。 日本 軍 の戦 死 も 二万 一千名 を
払 った 戦 闘 だ った。 米 軍 の死 傷 は全 員 の三五 % を 越 え る 二五、 四五 九
硫 黄 島 戦 は、 太 平 洋 戦 争 の陸 戦 中 、 日 ・米 軍 と も、 最 も高 価 な代 償 を
は 終 り を告 げ た。
や っと下 火 にな り は じ め た。 四 週 間 目 の 三月 一八 日に つ いに組 織 的 抵 抗
えを 見 せ な か っ たが 、 三月 一〇 日 に な り、 さ し も 勇敢 な日 本軍 の応 戦 も
島 の南 端 にあ る 摺鉢 山が 占 領 さ れ て も、 日 本軍 の抵 抗 は 依然 とし て衰
分 を よ う やく 手 に 入 れ たに すぎ な い。
うとする望みは失 われた。 し かし、日本軍 は、是が非でも敗勢 を挽回しようとし てレイテ戦線 に 部隊を注ぎ こんだ。だが、あらゆる努力 は水泡に帰 し、援軍到着 の見込 みもなか った。五万五千 の守備軍 は奥地 の密林地帯 に追 いこまれた。 やが て、 米軍のフィリピ ン奪回が はじま った。 ルソン島 の争奪戦が迫 ってき た。日本軍総指揮官山下奉 文大将 は、四五年 一月 はじめバギオに 司令部を移して約 六〇万 の兵力を展開し て持久戦 に備 えようとした。 すでにアイケ ルバーガー中将 の第 八軍 ( 兵力約 二六万) は、 ミンド ロ 島を手 中に収め、 日本軍を南方に釘づけにしている。手薄 の北方に対し
越 え、 殆 ん ど 全員 玉 砕 し 、捕 虜 は 二百 名 以 下 に すぎ な か った 。
日本 側 は、 沖 縄喪 失 の意 味 が い か に重 大 であ る か を よく 知 って い た の
沖 縄最 後 の決 戦
で、 沖 縄 を死 守 す る た め全 力 を 尽 す決 心 であ った。 大 本 営 の計 画 で は、 残存 航 空兵 力 の大部 を特 攻 と し て注 入す るば か り で なく 、 海 軍 兵 力 も水 上 特 攻 と し て参 加 し、 さ ら に守 備 軍 は死 物 狂 い の防 衛 を行 な う こと に な っ てい た。 一九 四 五年 三月 末、 沖 縄 海 域 を 圧 し て押 し 寄 せた史 上最 大 の艦 隊 は、
連 合 軍 の戦 略 計 画 には、 日本 の現 実 的 敗北 は、 太 平 洋 の諸 作戦 に
よ って完 成 さ れ る こ とを 意図 さ れ て いた 。 し かし、 そ れ ま で には、
イ ンド を防 衛 し 、中 国 を 援助 す る こ とが きわ めて重 要 であ ったが 、
米国 と し て は、 そ こ に十分 な兵 力 を注 ぎ こん で使用 す る余 裕が な か
った。 中 国 ・ビ ル マ ・イ ンド戦 域 に お い て米 国が なし え た協 力 は、
殆んど も っぱ ら 航 空作 戦 と補 給 支 援 に限 ら れ た。 そ の戦域 の地理 的
条件 から、 イ ンド 基地 の背 後 まで陸 上 輸 送 を行 なう こと は事 実上 不
視され 、頼 り にさ れ た。 そ れ は単 に敵 空 軍 に対 し て友 軍を 防 護 し、
叫能 であ った。 そ の結 果、 中 国 ・ビ ル マ ・イ ンド戦 域 で は、 空が 重
敵機 を 圧 倒 し、 ま た、 日本 側 の船 舶 や鉄 道輸 送 を粉 砕 す るば か りで
空 母 三 三隻 、 戦艦 二〇 隻 を 含 む 千三 百 隻 以 上 (最 高 指 揮 官 スプ ル ア ン ス 海軍 大将 ) であ り、 地 上 遠 征 軍 は陸 軍 、 海 兵 隊 合 し て実 に 一八 万 三千 名
空中 から 補給 に よ って戦 線 を よく 持 ち こた え た。 一方 、 日本 軍・ の方
れた。 日本 攻撃 部 隊 の包 囲 を受 け た イ ンパ ー ル の英 国 地 上部 隊 は、
日本 航 空部 隊 に対 す る連 合 軍 の完 全な る優 位 は 、漸 進的 に達成 さ
えも多 数 の兵 器 弾 薬 を供 給 す る ことが でき た から であ った。
なく 、 味方 の全 部 隊 用 の人員 や糧 食類 を 送 り、 地上 作 戦 に対 し てさ
(バ ック ナ ー陸軍 中 将 ) と い う 大兵 力 だ った 。 これ に 対 し 、 日 本守 備 軍 は牛 島満 陸 軍 中 将 の指 揮 す る第 三十 二軍 と海 軍 陸 戦隊 、 計 一〇 万 八千 名 で あ った。 四月 一日、 米 軍 海 陸協 同攻 馨 の火 蓋が 切 ら れた 。 四 月 六 日 を期 し て カ ミ カ ゼ機 が 猛威 を振 いは じ め、 空 か ら の脅 威 と恐 怖 が ア メリ カ艦 隊 に襲
は、連 合 軍 の空 中 攻 撃 によ って孤 立 に陥 り、 や が て撃 破 され た。 ビ
い か か る。 二 ヵ月 間 に わ た るそ の猛 攻 は、 ﹁もし 日 本 軍が さ らに 大 き な 力 と集 中 で この攻 撃 を 持 続 し て い たら 、 わ れ われ は退 却 す る か、 計 画 を
ル マを解 放 し た連 合 軍 は空 中 から 移 動 し、補 給 を受 け 、 か つ支援 さ
日本軍 のイ ンド進攻計画は、 その雄大な構想と超人的 な作戦実施に お
︹ 編者注︺ インパー ル攻防戦
あ る。
山脈 越え の空輸 量 は、 一ヵ 月 に七 万 一千 ト ンのピ ー ク に達 した の で
備、 一三 八 万 人以 上 の軍 隊 が 空輸 さ れ、 イ ンドと 中 国間 の ヒ マラ ヤ
うし て抗 日 戦線 に つなぎ 留 め られ た 。 一 一八万 ト ン以 上 の糧 食 と装
れた。 ビ ル マと中 国 におけ る 日本 の補 給 活 動 は崩 壊 した。 中 国 は こ
変 更 す るよ り外 はな か った ﹂ と参 謀 総 長 マー シ ャル将 軍 に告 自 さ せ た
陸 上 で は首 里 主防 禦 線 に 向 い、 血 み どろ の進撃 が 来 る日 も来 る日 も 繰
ほ ど で あ る。
返 さ れ る。 五 月末 ま でに 守 備 隊 の五 万 名 の精 鋭 は壮 烈 な 戦 死 を とげ た。 六 月 一八 日、 バ ック ナ ー中将 は敵 弾 を 受 け て戦 死 し 、 二 一日、 牛 島 軍 司 令 官 は自 決 し た。 "こう し た史 上 最 も 激 烈 に し て最 も 有 名 な戦 い" と 呼
中 国 ・ビ ル マ ・イ ン ド 戦 域
千 名 以 上 の戦死 老 を 出 し て終 り を告 げ た。
ば れ た沖 縄 戦 は、 米 地 上 軍 だ け で 五万 名 近 い死傷 と、 日本 軍 は 一〇 万 五
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の攻 勢 に はじ ま り 、 さ ら にイ ンパ ー ル お よび コヒ マに大 攻 勢 を 行 な い、
い て、 ま さ に戦 史 上 空前 の大 規 模 な も の であ った 。 まず 、 ア ラカ ン地区
であ った。
他 の損害 は、合計七万五千名 を突破した。連合軍側 の損害 は 一万五千名
イ ンパール攻略戦 の戦死者 は、計約三万名だ ったが、戦病、戦傷 その
日本軍が三ヵ月間 の進撃 の後、 一千キ ロの退却戦を行 な った このビ ル
そ こか ら ア ッ サ ム の交 通 線 と ヒ マラ ヤ越 え の航 空 基 地 を攻 撃 す る に あ っ た 。 し か る後 チ ャ ンド ヲ ・ボ ー スの国 民 軍 を し て イ ンド東 北 部 に、 独 立
ない日本軍には致命的な難所だ った。 これを克服するための航空兵力、
それは組織的戦闘 のできない地域 であり、平面的補給に依存せざ るを得
マの戦場は、世界最悪 の戦域だ ったといえる。なぜ日本軍は敗 れたか。
ビ ル マを 奪 回 し、 イ ンド と中 国 大 陸 を 陸 路 で つなぐ た め の反攻 基 地 イ
の叛 旗 を翻 え さ せ よ う と いう も の であ った 。
ンパ ー ル の争 奪 を めぐ る世 紀 の大 決 戦 の ため に連 合軍 と 日本軍 は、 まず 、
制空権の下 の大空挺作戦に支援された地上作戦 と、 立体化された重装
衛生施設や技術 のどれ 一つとし て日本軍 は持 っていなか った。
月にわたり、 イ ンパール地区 にあ った五 コ師団を日本軍 の猛攻から支え、
備 を持 つ連合軍 に対しで、 日本軍は ついに敗れ去 ったのである。約 二ヵ
速 合 軍 陸 上兵 力 は、 マウ ントバ ッ テ ン海 窺・ 大 将 を最 高 指揮 官 と す る英
い か に準備 を進 め た か。
軍 一〇 コ師 団、 米 中 軍 三 コ師団 を 主 力 と し て お り、 イ ンパ ー ル作 戦 に は
" の工 業 に直 接 攻 撃を 加 え る ほど まだ 近接 し ては い な か
日本 で調査 団 が 入 手し た 資料 によ れば 、 こ のB 29 の攻 繋 は、 目標
な ら な か った。
29 は、 月 にわず か の回数 し か出 撃 でき な い補 給 に、 甘 ん じ なけ れば
地 上軍 に補給 す る よ う割 り 当 てら れ たも のであ った。 そ の結 果、 B
を 運 ぶイ ンド から の空輸 にあ ったが、 こ の補 給 品 の大 部 分 は、 中国
った。 中 国 を基 地 と す る航 空作 戦 での 主な る隘 路 は、必 要 な補 給品
"内線 地 帯
ま だ占 領 さ れ て いな か った し、 連 合 軍 の他 のいず れ の基 地 も 日本 の
こ の決定 に達 し た時 、 日本 はグ ア ム島、 サイ パ ン島 、 テ ニア ン島 を
も って、 満 洲 お よび 九州 の 日本 工業 地帯 を 攻撃 す るこ とを 決定 し た。
一九 四 三年 の秋 、 連合 軍 は、中 国 の前 進 基地 から 発進 す るB 29 を
う。
威力だ った。その作戦空輸量は六 一万ト ンという巨大な量に上 ったとい
包囲 された五万人 を救出した上、強力な追撃力を与 えたのは実 に空輸 の
スリ ム中 将 の指 揮 す る第 十 四軍 の英 軍 主 力 が当 った。 日 本 軍 は牟 田 口廉 也 中 将 が 指 揮 す る第 十 五 軍 で、 兵 力 は約 一二万 であ った。 連 合 軍 の航空 兵 力 はピ ア ス大 将 の下 に あ る七 百 機 、 これ に対 し 、 日 本 軍 は、 第 五 航空 軍 (司 令 官 ・下 山 琢 磨 中 将) の 二百 機 内 外 に すぎ ず 、 こ
一九 四 四年 二月 四 日、 日 本軍 は 先 制 の利 を収 め んも のと ア ラ カ ン戦 線
の優 劣 が ビ ル マ戦 線 の帰 趨 を左 右 し た 大 き な要 素 と な った 。
に行 動 を起 こし 、 二 ヵ月後 に は、第 三 一師団 が コヒ マを 包 囲し 、 めざ す イ ン パー ルは、 日本 軍 の砲 火 の射 程 内 に 入 った。 第 一五 、第 三三 両 師 団 が イ ンパ ー ルを 指 呼 の間 に望 ん だ のは、 四月 一五 日 の こと であ る。 し か し、 六月 上 旬 に は コヒ マは 奪 回 さ れ、 一ヵ月 後 に は、 イ ンパ ー ル 作 戦 は中 止 を命 ぜ ら れ た。 ひと たび は チ ン ド ウ ィ ン河 を渡 り、 ヒ マラ ヤ の屋根 を よ じ のぼ った 日本 軍 も、 八月 末 に は言 語 に 絶 す る苦 戦 の後、 再 び チ ンド ウ ィ ン河 を渡 ら ねば な ら な か った。 敗 退 は悲 惨 を き わ め た。 こ の千 辛 万 苦 の撤 退 の後 に報 い られ た も のは、 た だ悪 疫 と沼 沢 と 死 とが 待 ち構 え て い る異 国 の土 地 だ った。 敗 れ 去 って 八 ヵ月 後 に 、 再び チ ンド ウ ィ ン河 を渡 った兵 力 は、 わず か に、 緒戦 の三 分 の 一に す ぎ な か った。
と し て選 んだ 満 洲 の製 鉄 工場 に対 し、 空 中 写真 査 定 が示 し たよ りも
五 二機 と、 そ の頂点 に達 し た。 こ の生 産 上昇 は、 日本側 が 一九 四 二
平 均 一ヵ月 六四 二機 で あ ったが 、 一九 四 四年 九 月 に は、 月 産 二、 五
て 特 に 顕 著 と な っ た 。 戦 時 中 の 総 生 産 高 は計 六 五 、 三 〇 〇 機 で あ っ
年 に戦 われ た諸 作戦 で得 た教 訓 を 学 んだ 後 の、 一九 四 三年 中 に お い ︹ 2︺
は る か に大き な 損害 を与 え た ことが 確 証 さ れ て い る。 し か しなが ら 、 後 知 恵 に 照 し て見 ると 、 全般 的 な 成果 を 収 め る に は、努 力 の転 換 は
︹1 ︺ こ の主題 に ついて は、 な お ﹁報 告第 五 三﹂ (第 三章 、第 五章 )、
﹁報告 第 一五﹂ (本 書、 第 二 部、 二、 第 三章 )、 コー ヘン ( 第 四章 )を参 照
た。
必 要 と し な か った かも し れ な いが 、 このB 29が 使 用 した航 空 ガ ソリ ンと 補 給 品 を、 中国 にあ る第 一四 航 空軍 が 戦 術的 、 および 対 船 舶作
の作 戦 で B 29 に与 えら れ た 必要 な 訓練 と 実 戦 の経 験 と は、 も っと容
戦 の拡 張 に割 り当 て た方 が も っと 有 効 であ った よう に思 わ れ る。 こ
せよ 。
加 した。
総 数 も開 戦 時 の約 一万 二千名 から終 戦 時 の三 万 五千 名以 上 にま で増
︹5 ︺
〇 機 プ ラ ス特 攻機 五、 四 〇〇 機 ま で上 昇 し た のであ った。搭 乗 員 の
殆 んど戦 時 中 毎 月 のよ う に増 強 す る ことが で き た。 結局 のと ころ 、 ︹ 4︺ そ の保有 機 数 は開 戦時 の作戦 用 二、 六 二五機 か ら終 戦時 の五、 〇 〇
日 本側 は こ のよ う にし て、 そ の航 空 部 隊 の数字 上 の機 数 兵力 を 、
八三五機、海軍機 二七、 一〇 八機 とな っている。
︹3︺ 軍用機 の損耗は、約 五万 二千機にのぼ ったが、内訳は陸軍 二三、
戦 闘 以外 の消 耗 で あ った。
たが 、 そ のう ち 四〇 % は戦 闘 によ り、 六〇 % は訓 練 、輸 送 そ の他 の
〇 機 以上 に上昇 し た。 戦時 中 の総 損 失 量 は五 万機 以 上 の多 数 に上 っ
︹3 ︺
の 月 当 り 平 均 約 五 〇 〇 機 か ら 一九 四 四 年 の後 期 に は 月 当 り 二、 〇 〇
あ ら ゆ る 原 因 に 基 づ い た 、 日 本 陸 海 軍 機 の損 失 は 、 開 戦 後 数 ヵ 月
(本書 、 第 二部 、 二) の付 表 を見 よ 。
る。﹁報告 第 五 三﹂ の統 計表 ︱ 一六 二と C︱ 一六四 を 見 よ。﹁報 告第 一五 ﹂
︹2 ︺ 内 訳 は、 陸 軍 三 二、 八 八〇 機 、 海軍 三 二、 四 二〇 機 と な って い
易 に補 給 で き る基 地 から の、 "外 線 防衛 帯 " の目標 に対 す る 攻 撃 を 通 じ ても 確保 でき た であ ろ う。 す な わ ち、 一九 四四 年 一 一月 にはグ ア ム島 、 サイ パ ン島 およ び テ ニア ン島 から の長距 離 爆 撃が 開 始 され 、
る こ と にな った。
中 国 を 基 地 とす る B 29 は 、 一九 四 五年 四 月 にこれ ら の基 地 に移 され
日本 本 土 に対 す る米 航 空 軍 の猛 烈 な直 接 空襲 に先 だ って、 日本 航 空 部 隊 は 、 一九四 五年 三 月 ま で に、神 風 特 攻 部隊 を 残 し て いる だけ とな り、 日本 艦 隊 は、 撃 沈 され る か機 動 力 を失 ってし ま い、 そ の商 船 隊 は殆 ん ど壊 滅 し、 そ の地 上部 隊 の大 部 分 は各 地 で孤立 の運命 を た ど り、 す で に日本 の経 済 的破 局 は かな り 進行 し て いた 。 日本 の消 滅 し て行 く 戦争 遂 行力 の各部 分 に つ いて は、 次 の諸 章 に お いて分 析
︹1 ︺
日 本航 空 兵 力 の駆 逐
日本 軍 事 戦 力 の壊 滅
を行 なう こと とす る。
第 三章
9
日本 のあ ら ゆ る型 式を 含 む 航空 機 生産 量 は、開 戦 後 の九 ヵ月 間 は、
︹4︺︹ 5︺ ﹁ 報告 第五三﹂ の第 四章と付録諸統計 14表を見よ。 ︹ 6︺ 米 国 の航 空機 生 産 と航 空 要員 養 成 は、 日 本 の総 計 を大 幅 に上 廻 る も のであ ったが 、 こ の兵 力 の 一部 だ けが 太平 洋戦 域 に展開 さ れ た。 ︹ 7︺ 真 珠 湾以 西 の太 平 洋 におけ る米 国 第 一線 機 の配 備数 は、 一九 四 一年
る。 米軍 側 が 戦 場 に お いて 日本航 空 部 隊 に対 し 数 的優 勢 を獲 得 し た
末 のこ〇 〇 機 か ら 一九 四 五年 八月 にお け る 二万 一千機 に増 加 し て い
のは、 一九 四三 年 もず っと後 ほど にな って の こと であ る。 し かし な が ら、 一九 四 二年 にあ っても、 太 平洋 にお い て は比較 的 少 数 であ っ た 米国 航 空 部隊 は、数 にお い て優勢 であ った 日本 側 に対 し 、自 分 の 受 け た損 害 以 上 の打 撃 を与 え た のであ る。 ︹6︺ 本 書 一〇 一頁と、付録諸統計1を見 よ。 ︹ 7︺ ﹁報告第二﹂ ( 前掲 の付録A︱ 4、 ﹁ B終戦前後におけ る日本軍 事力﹂ ) 、﹁報告第 五三﹂( 第 四喜 を見よ。 ︹ 8︺ 太 平 洋戦 争 中 の米国 航 空機 の損 失合 計 は、 米 国 内 の訓 練 に よる損 失 を含 め な いで、 約 二万 七千 機 であ る。 こ の損 失 のう ち八、 七 〇 〇 機が 戦 闘 によ るも ので、 残 り は訓練 、 輸 送 そ の他 戦 闘以 外 の消 耗 で あ る。 戦 闘損 失 のう ち 六〇% は対 空兵 器 によ るも のであ った。 ︹8︺ 本書、付録諸統計 4表を見 よ。 前述 のと お り、 開戦 時 におけ る日本 軍 のパ イ ロ ットた ち は精 錬 の 域 に達 して い た。 戦 闘 に臨 む前 に、平 均 して陸 軍 のパ イ ロ ットは、
の訓練 を 積 ん だ パイ ロ ットを保 護 し、 休養 さ せ、交 替 さ せ るこ と に
つい て は、 米国 側 が それ を な した より もず っと 考慮 を 払 わな か った。
そ れ か ら また、 日本側 は、 航 空 ガ ソリ ン の欠乏 が増 大 す る に つれ て
ト の飛行 時 間 の平 均 はず っと 低下 し続 け 、 降伏 時 には米 軍 パイ ロ ッ
そ の訓 練 計 画 は、 極 度 に妨 害 を受 け た。 戦 時中 を 通じ て 、 パイ ロ ッ
ト の六 〇〇 時 間 に対 し 、 や っと 一〇 〇時 間 そ こそ こであ った。 こ の
ット と太 刀打 ち でき る はず は な か った。
よ うな 訓練 不 十分 な パイ ロ ットが 、 米国 で養成 さ れ た優 秀 な パイ ロ
初期 の日本 軍 の進撃 期 にお いて は、 日本 の戦 闘機 は米国 戦闘 機 に
比 べ て そ の機体 は頑 丈 で はなく 、 火力 に対 し ては る か に脆 弱 で燃 え
る種 の航 空性 能 にお いて は、 す こぶ る優 秀 であ った。 日 本軍 は戦時
易 か ったが 、当 時 太 平洋 方 面 に配 備 をさ れ て いた 米国 機 より も、 あ
中 そ の保 有 機 の能 力 改 善 に努 め、 特 に エンジ ン出 力 を大 いに増 加 し、
ま た火 力 に お いても 米 国機 に打 ち勝 つこ とが でき る も のを つく り 出
し た。 そ し て、戦 争 末 期 に お いて は、設 計 お よび 実 験 段階 に お いて、
ま こと に傑 れ た第 一級 の航 空機 ︹ 陸軍戦闘機 ﹁疾風 ﹂ ︺を持 つに 至 って
いた。 しか し、 日 本側 は、航 続 力、 性 能 、耐 久 力 にお いて傑 れ た、
な技 術的 、 お よび 工 業 的熟 練 に欠 け る と ころが あ った。 初期 の諸作
信頼 でき る飛 行 機 を大 量 に生 産 す る面 で は、 米 国 と対 抗 でき る広 汎
戦 以後 にお いて は、 米 国 は、 航空 機 の全 般的 な 性能 に おい て引 続き
通信 、 管制 、 さ ら に大 量 の飛 行 機 を操 作 でき る よう に、 適 当 に準 備
米 国 の標 準 からす れ ば、 日本 軍 は、適 切 な 整備 、後 方 補 給支 援、
優 越 を 保持 し続 け た。
さ れ た飛 行 場 や航 空基 地 の重要 性 を、 決 し て十 分 に認 識 しな か った 。
約 五 〇〇 時 間 、海 軍 のパ イ ロット は六 五〇 時 間 の飛 行 時 間を 持 って
一ヵ 年 間 の空 の激 戦 で、 ほと ん ど消 耗 さ れ て しま った。 日本 側 はそ
いた。 し かし、 これ ら の老 練 のパイ ロットた ち は、 戦 争 開始 から の
った。
集 中 す る ことが でき な か った。 あ る いは ま た、 日本 軍 は、多 少 で も
そ の結果 、 日本 軍 は航 空兵 力 の大 部 分 を所 望 の時 機 に所 望 の場 所 に
時 日本 軍 が有 して い た唯 一無 二 の財産 と いえば 、 そ のパ イ ロットた
そ の収 め た 成果 は微 々たる心 の でお話 にな ら な か った。 し かも 、 当
と な った 。 日本 側 の航 空兵 力 消 耗 は破 滅 的 であ った にも か かわ らず 、
空 兵力 が 米 国航 空 兵力 に対抗 でき る道 は、 ど こ にも な い ことが 明 白
であ った。 こ の よう な切 迫 し た情 況 下 に、 日本 の神 風戦 法 は はじ め
ち が確 実 な 死 に対 し ても 欣然 と し て身 命 を 捧げ ると いう 忠誠 心 だ け
能 率 的 に航 空 大編 隊 を 管制 す る能 力 を 持 合 せ て いると は思 われ な か
局 地 的な 制 空権 を 確保 し て、 こ れを 戦 術 的 に推進 す ると いう こと
パイ ロ ットは、 敵 の戦 闘 機 や対 空砲 火 の防禦 幕 を突 破 でき さ えす れ
自分 の搭 乗機 を直 接 に敵艦 に向 け て自 爆 す る よう 準備 さ せ られ た
て出現 を みた も ので あ った。
は、 日 本軍・ も よ く これ を 理解 し て いたし 、 緒戦 の攻勢 作 戦 に お い て
様 に、 日 本も 航 空兵 力 の能 力が 増 大 し た こと に よ っても たら され た
ば 、後 は ただ 目標 に命中 す る だけ のわず かな 技倆 を 身 に つけ る のみ
は、 う まく こ の目的 を 達 成 した 。 し かし 、 開戦 以 前 の他 の強国 と 同
を 撃破 す る と いう 計 画 は持 って いたが 、 全 般的 か つ断続 的 な 制空 権
戦 略 的 革命 を、 十分 に認 識 す る こと に は失 敗 し た。 日本 は米 国艦 隊
一定 の割 合 いで こ の神 風機 が突 入 に成 功す る ことを 阻 止す るこ と は、
で事 足 り た。 も し十 分 な数 の日本 機 が 同 時攻 撃 を敢 行 す れば 、あ る
米艦 隊 と し て は不 可能 であ った であ ろう 。 した が って こ のよう な任
を 確立 す る能力 を 持 つと いう こ とを 、 そ の基 本的 軍 事戦 略 の要 求 と
よく 理解 して い たと す れば 、 日 本側 が 当 面 の限 られ た 目標 の戦 争 に
し て追 求 す る こと はや っては いな か った。 も し、 こ の基 本 的 要求 を
務 に投 入 され た 飛行 機 お よび パ イ ロ ット の全 機 全員 が 、 たと え残 ら
米軍 が 堪 え忍 び 得 る限 度 を こえ た損 害 を 十分 与 え る こと に な った か
ず 失 われ て し ま った とし ても 、 そ の結 果 は、 無 視 し得 るど ころ か、
突 入 し たと いう こ と は、 とう て い考 え ら れな い のであ る。 かく て 日本 は、継 続 的 な制 空 権 を確 保 す る手 段 を備 え て いな い戦
一九 四四 年 の 一〇 月 から沖 縄 作 戦 の終 了 ま で の間 に 日本軍 は、 二、
も知 れな い。
略 計 画 の下 に、開 戦 した のであ ったが 、 他方 、 米 国 はも とも と日 本 よ り強 大 な相 手 であ り 、 し かも こ の制 空 権 の必 要 を理 解 し たう え で
五 七 五機 に のぼ る神 風 特 攻隊 を 発進 さ せ た が 、 そ の う ち 四七九 機
戦 争を 遂 行 し つつあ った。 し たが って空 中 の優 越 は、 米 国側 にや が て 帰す るも の は当 然 であ った。 そ し て こ の形勢 を く つが えす た めに、
大 型 軍 艦 で撃 沈 され たも のは 一隻 も な か った 。約 三 二隻 の艦艇 が 沈
る艦 種 の艦 艇 が損 傷 を受 け た。 し かし なが ら 、護 衛 空 母三 隻 の外 は
空 母 二〇 、 戦 艦 一四 、 およ び軽 空 母 、護 衛 空 母 二三 を含 め 、あ ら ゆ
(す な わ ち 一八 ・六 %) は、確 実 に命中 か至 近弾 と し て の損傷 を 米 ︹ 1︺ 艦 に与 え てお り、 日 本軍 にと りそ の戦 果 は有効 であ った。 す なわ ち、
のであ る。
日本 航 空 部隊 の神 風特 攻 隊 化
日 本側 が そ の戦 略 を変 更 しよう と し ても 今 更 どう にも なら な か った
10
一九 四 四年 の夏 にな る と、 日本 の航 空部 隊 指揮 官 には、 日 本 の航
めら れ たが、 そ のう ち の大 半 は駆 逐 艦 であ った。 日 本側 は大型 艦 を
にはも っと 重 い、爆 発 頭 部が 必要 であ ると いう技 術 家 の忠 告 は聞 き
撃沈 し たと いう 現 地報 告 の誇 大 な主 張 に自 ら欺 かれ て、 大 型艦 撃 沈
入 れら れ な か った。 ︹ 1︺ 本書、付録諸統計9を見 よ。 ︹ 編者注︺ 神風特攻作戦 の発達と実施 航空特攻 ( 神風)作戦 は フィリピ ン作戦 において、 はじめて日本海軍 航空隊によ っで採用された。 しかしながら、米国海軍水上部隊に対して 行なわれた これらの特攻は間歇的でまだ組織 的なも のではなか った。硫 黄島作戦 においても、また再び特攻戦術が決行されたが、 ただこの場合 にはきわめて小規模だ った。 この二つの作戦 におけ る特攻戦術 は、米国水上部隊に損害 を与 えるの
この ﹁ 菊 水作戦﹂ の外 に、小規模 の特攻が海軍機 一四〇機と陸軍機四
五機 によ って爽施さ れた。沖縄戦役中における米国水上部隊に対する特
攻出撃機総数 は 一、九〇〇機 でうち海軍機 一、〇五〇、陸軍機 八五〇 で
四月六日から七月二二日までの間、目標に対して行なわれた空襲は八
あ った。
るが、そ のうち 一、九〇〇機は特攻機 であ った。その猛烈さは米国側 の
九六回であ った。戦 闘において破壊 された日本機は、合計約四千機であ
は神風特 攻によるも のである。さらに損傷 を受けた三六八隻 のうち二五
損害を見れば さらによく分 る。空= 中攻盤 によ る沈没 三六隻 のうち二六隻
四隻も この神風特攻機によるも のであ った。
米 国側 にと って は、 神風 特 攻隊 から受 け た損害 は重大 であ り、 重
大 な 関 心 を引 き起 し た のであ る。 二千機 に およ ぶB 29 の出 撃が 、 日
本 都 市 お よび 工業 地 帯 への直 接攻 盤 に代 って、九 州 の神風特 攻隊 基
力 で集 中 的 な攻 撃 を続 け 得 た ならば 、 米 軍 部隊 を後 退 さ せ、 あ る い
地 の攻 撃 に振 り向 けら れ た ほど であ る。も し、 日本 軍 がさ ら に大 兵
に非常に有 効であ った。そして、神風戦法 の採用によ ってのみ米国 の陸 海協同進攻を阻止する望 みがあると日本側は信ず るに至 った。 このよう
︹2 ︺
︹2︺ 本書、付録諸統計 15を見よ。
特 攻 用 と し てす で に特 別 の装 備 を 施 され て いた。
︹ 1︺ 日本艦 隊 の撃 破
︹2 ︺
本 土 に有 し て おり、 そ のう ち五 千機 以 上 は米 軍 の本 土 進攻 に備え て
降 伏 のさ い、 日 本軍 は、神 風特 攻 に使 用 可能 の九千 機 以上 を な お
は米 国 側 の戦 略 計 画 に変更 を余儀 なく さ せ得 たかも 知 れ な か った。
な戦術 の使用は、か つて試みられたもののうちで、最も効果的であ った ので、 やが てこれが 日本航空部隊 の主要戦法とな った。 南西諸島 の防衛に当 っては、特攻機使用 のために特 に編制が設けられ、 この方面 の防衛に割当 てられた陸海軍航空部隊は、共にただ 一人の戦略 的指揮官 たる聯合艦隊司令長官豊田副武海軍大将 の統制下に置かれるこ とにな った。 これらの二 つの航空兵力、すなわち陸軍 の第 六航空軍 と第
四月 六日に開始された日本航空部隊 の攻撃は、 これま でにか つてない
五航空艦隊は、 九州 の諸基地から作戦する ことにな った。
11
す でに本 報 告 中 に述 べ た よう に、 日本 は開 戦 時 に 一〇隻 の空母 を
ような翫烈なも のだ った。航空特攻 の烈 しさは沖縄作戦 のうち最も顕著 でか つめざ ましいも のであ った。四月 六日から六月 二二日までの 一〇回
日 本 は戦 時 中 の新 造 や、 他 の艦 船 の改 装 によ り、 一七隻 の空 母 ( 内
保 有 して い た。 こ のうち 六隻 が 一九 四 二年 の諸 海戦 で撃沈 さ れ た。
︹3 ︺
にわたる組織 立 った攻撃は ﹁菊水作戦﹂と呼ばれ合計 一、四六五機 ( 海
︹4 ︺
軍機 八六〇、陸軍機 六〇五)に達 した。
五隻 は護 衛 空母 ) を 加 えた 。改 装 のう ち 一隻 ( ﹁信 濃 ﹂ ) は ﹁大和 ﹂
に お いて、 いず れ も空 母雷 撃 機 により 撃 沈 され た。
︹武蔵 ︺ は シ ブ ヤ ン海 に お い て 、 他 の 一隻 ︹大 和 ︺ は 九 州 の 南 方 海 面
︹5 ︺ 七隻 の艦 名 は つぎ の とお り 。 マリ ア ナ沖 海 戦 (飛 鷹 、 翔鶴 、 大
級 戦 艦 の船体 を 改 装 し たも の、 二隻 ( ﹁伊 勢 ﹂ 、 ﹁日 向 ﹂ ) は 一部 だけ
つけ たも のであ る。 一九 四 二︱ 四三 年 に、 日本 はそ のよく 訓 練 され
が 航 空 母 艦 で、 戦 艦 の後 部 砲塔 を 取 外 し小 格納 庫 と 発着 甲 板 を取 り
を保 有 し て いた 。戦 時 中 に 八 一六隻 (合 計 一、〇 四 八、〇 〇 〇 ト ン)
鳳 )、 レイ テ湾 海 戦 (千 歳 、 千 代 田、 瑞 鶴 、 瑞 鳳 ) ︹6︺ 開 戦 時 、 日 本 は 三 八 一隻 の 艦 艇 、 合 計 約 一、 二 七 一、 〇 〇 〇 ト ン ︹7︺
の艦 艇が 追 加 建 造 され た。 あ ら ゆ る艦 種 と艦 型 の艦 艇 五 四九 隻 ( 合
た 空 母航 空 隊を 消 耗 し てし ま ったた め と、 新規 搭 乗 員 の訓 練 に時 日 を要 す るた め に、 一九 四四 年 の中 期 ま で、 そ の空 母 部隊 を作 戦 に使
計 一、 七 四四 、 〇 〇〇 ト ン)が 戦 争 中 に撃 沈 さ れ た。 こ の合 計沈 没
︹8 ︺
用 す る こ と はし な か った。 ︹1︺ この主題に ついては、 ﹁報出 告肺五三﹂( 第 三章、 第五章)、 コー
ト ン数 の中 に は約 一三 〇 万 ト ンに達 す る 空母 、 戦艦 、 巡 洋艦 お よび
︹9︺ 沈 没 隻 数 は 戦艦 八、 空 母 一八、 重 巡 一四、 軽 巡 二〇 、練 習 巡 洋
︹8︺ 本 書 、 付 録諸 統 計 10 を見 よ。
(本 書 、第 二部 、 三 の付表 第 2、 第 5、 第 9) を 見 よ。
︹7︺ ﹁報 告第 五 三 ﹂ ( 第 14表 )、 コー ヘン (第 四章 )、 ﹁報 告 第 四 六 ﹂
付 録諸 統 計 1を 見 よ。
︹6︺ 戦 闘艦 艇 は、 二三 三隻 (九 七 六、一 一八 ト ン) であ った。 本 書、
駆 逐 艦 の戦 闘 艦 艇 が 含 ま れ て い る 。
︹9 ︺
ヘン ( 第 四章) 、﹁報告第 四六﹂( 本書、第二部、 三の第五章、 第七章)、 本書、付録諸統計 10を参 照せよ。 ︹2︺ 開戦時 の日本空母保有数 は九隻。 ︹3︺ 六隻 の艦名は次のとおり。赤域、加賀、飛龍、龍騒、祥鳳、蒼
︹4︺ 一六隻 を新造 ( 内 六隻が商船改造)。
龍。
そ の年 (一九 四 四年) の 二回 の大 海 戦 に お いて 日本 海 軍 は何 ら の ︹5 ︺
見 るべき 戦 果 も 収 めず にむざ むざ と七隻 の空母 を 失 って し ま った。
土 付 近 の水 域 で潜 水 艦 と 空 母機 の攻撃 によ って沈 めら れ た。 日本 の
艦艇 、 五 五、 〇 〇 〇 ト ン は陸 軍 機 、 六五 、 〇〇 〇 ト ンはそ の他 によ
り沈 めら れ、三七 五 、 〇 〇 〇 ト ン は潜 水艦 、一八三 、〇〇 〇 ト ンは水 上
そ のう ち約 六 二五、 〇 〇〇 ト ンは、 米 軍 の海 軍 機 と海 兵隊 機 によ
艦 二、 駆 逐 艦 一二 一とな って い る。 ︹10︺
空 母 は 一隻 の こらず 米 ・空 母機 か潜 水艦 のた め に撃 沈 さ れ たが 、 例
り 撃沈 さ れ た。 終 戦時 に は各 艦 種 を含 め てわず か に 一九 六、 〇 〇 〇
さ ら に七隻 ︹ 信濃、神鷹 、大鷹、雲龍、雲鷹、 海鷹、天城︺ の空 母 が本
外 と し て、 そ のう ち 一隻 ︹ 赤城︺だ けが 空 母 機 に よ り徹底 的 に損 害
千 ト ン、 一八イ ンチ (四 六 セ ンチ) 砲 を備 え、 内部 はき わ め て多 数
日 本 は、 二隻 の ﹁大 和﹂ 級 戦 艦 を保 有 し て いた 。 いず れ も 六万 四
四 三年 以 後 は、 日本側 が 駆逐 艦 に不 足 し た こと、 そ の航 空機 に よる
よ って撃 沈 され た ト ン数 は主 と して 夜戦 によ るも のであ った。 一九
ト ンだ け が 水上 に浮 ん で残存 し てい る にすぎ な か った。 水 上艦 艇 に
︹11 ︺
を 与 え ら れ た後 、 水上 艦 ︹ 友軍 の駆逐艦︺ によ り止 め を刺 さ れ た。
に区 劃 され てお り、 米 国 のど の戦 艦 よ り も強 力 で あ った 。 そ の 一隻
リ ュー シャ ン に展開 し て いた 兵力 の総 計 は約 六 六万 八千 名 で、 そ の
カ ロリ ン諸 島 、 マ リ ア ナ諸 島 、 フ ィ リ ピ ン 、 沖 縄 、 硫 黄 島 お よ び ア
オ ル モ ック にお いては、 日本側 は 三万 の軍 隊 を 揚陸 す る ことが で
給 品 を も って重 要地 区 を増 強 す る能 力 を奪 い去 って いた 。
除 いて 、あ ら ゆ る場 合 に お いて米 国 側 は、 日 本軍 が 人 員あ る いは補
は 完 全 な制 空 権 を保 持 し て いた。 レイ テ作 戦 におけ るオ ル モ ックを
隊 が 地 上 で日 本軍 と戦 闘を 交 え た いず れ の地 区 に お いても 、 米国 側
いた 。 一方 、 一九 四 二年以 降 にあ って は、 米 国陸 軍 、 あ る いは海 兵
乏 に堪 え る こと に お いて、 他 の迫 随 を 許さ な い独 特 の強味 を 持 って
に直 面 す る に至 った。 日本 軍 将兵 は喜 ん で死 地 に身 を 投じ 、 困苦 欠
も 、 そ の利 用 でき る陸 軍地 上 兵力 の 一小部 隊 し か集 結 でき な い状 況
日 本側 は、 米 国が 占 領 せ んと 決意 し た 重要 な 島 々の拠点 の いず れ に
連 合軍 の進 撃戦 略 と 日本側 の海 上 輸送 の制 約が 進 行す る に つれ て、
︹1︺︹2︺ 本書、付録諸統計1、 12を見よ。
いに参 加 の機 会が な か った 。
鮮、 あ るい は 日本 本 土 にあ って、戦 争 中 の決 定 的 な諸 作戦 に は、 つ
そ のう ち 一〇 万 三 千が 戦 死 とな って い る。 残 余 の大部 分 は満 洲 、朝
名 で、 そ のう ち 四万 が 戦 死。 そ れ から 中国 に は 一 一〇 万名 が 展開 し 、
うち 三 一万 六千 が戦 死 を とげ た 。ビ ル マに展 開 し た兵 力 は約 二 二万
︹2 ︺
対潜 万 策が 適 切 を 欠 いた こ と、 これが そ の後 の米 ・潜 水 艦 の 日本 艦 ︹12 ︺
隊 に対 す る襲 撃 が 大 い に成功 す る のに寄 与 す る こと に な った。 ︹10︺ この沈没原因は、米国陸海軍統合戦果査定委員会報告と若干相 ︹11︺ 終戦時 の残存艦艇は大破 を含めて、艦艇が二七〇隻、特務艦艇
違がある。
︹12︺ 米 ・潜 水艦 に撃沈 された日本艦艇は戦艦 ﹁金剛﹂ 空母は ﹁信
が 四五〇隻で、無傷 に近いも のは艦艇 一七三隻 にすぎなか った。 濃﹂以下九隻 、重巡三隻、軽巡 一〇隻、駆逐艦四九隻、潜水艦 二五隻そ の他小艦艇を合して計 二 一三隻 の多数 に達し ている。 米 軍 のフ ィリ ピ ンの解 放、 沖 縄 の占 領 後、 日本 への石 油輸 入 は完 全 に杜 絶 した 。 燃料 油 スト ック は底 を ついた ので、数 少 な い日本 の ︹13 ︺
軍艦 のう ち、 燃 料が も ら えず 就 役 か ら外 さ れ る か、偽 装 を 施 し て海 岸対 空 砲 台 と し てだけ 使 用 され たも のが 大 部分 であ った。 そ の陸 上 ︹14 ︺
基地 の神 風特 攻 隊 兵力 、 本 土防 衛 のた め の水 上、 水中 特 攻 艇 を のぞ いて、 日 本海 軍 はも は やか つて の組 織 的海 軍 と し ては存 在 し なく な った 。 ︹13︺ 戦艦 ﹁ 榛名﹂ほか数隻 の巡洋艦が第 一線から外 された。 ︹14︺ 南朝鮮から内地各方面三六ヵ所に配備された水中特攻艇は四四 一隻、 水上特攻艇 は三、〇 三〇隻に達した。
し た 場合 に は、殆 んど い つも 米軍 の空中 爆 撃 によ り、通 常 は軍艦 の
す る前 に撃 沈 され てし ま った 。 日本 軍が 上 陸 地点 に防禦 陳 地 を構築
し た ので 、 そ の効 果 は少 な く、 輸 送船 の大 部分 は、 重装 備 を荷 揚げ
き たが 、 こ の増 強 は、 あ ま り にも 長 い期 間 に わた って少 しず つ到着
日 本 は、 そ の陸軍 地 上部 隊 を 開 戦時 の約 二 一〇 万 の兵 力 から 約 五
︹1 ︺
日本 地上 部 隊 の孤 立
五〇 万 の最 高 兵 力 にま で増 強 した。・日本 陸 軍 の医 務記 録 によ れば 、
砲 撃 によ って無 力化 され た。
12
ソ ロモ ン群 島 、 ニ ューギ ニア、 マー シャ ル諸 島、 ギ ルバ ー ト諸島 、
し かし なが ら 、 最 大 の規 模 で の米 軍 の猛 烈 な る攻 撃 に よ っても 、
て は こ の組 織 は、 強 固 に防禦 さ れ た陣 地 に対 す る連 続 す る水 陸両 用
通 じて の空地 間 の最 も 緊 密 な協 同 が要 求 され た 。 太平 洋 戦争 にお い
のごく 一部 分 し か壊 滅 さ せ るこ とが でき な いこ とが た び たび 起 こ っ
日本 軍 の準備 した 防 備 への無力 化 作 戦 は、 最 初 には、 日本 守 備兵 力
部 隊 は、 これ と類 似 の方 法 を 活 用 し た ので、 こ の組織 され た対 抗 手
さを 発揮 す る に 至 った 。 フィ リピ ン作 戦 にお いて は、 米 ・陸 軍航 空
を発 見 す る こと は、 た い へん難 かし く、 これ を 全滅 さ せ る こと は爆
段を も って、 日 本軍 に立 向 って こられ ては、 日 本軍 はま ったく 処置 ︹ 奉文︺ の ほど こ しよ うも なく 、 手も 足 も 出 な か ったと 山下 将 軍 は後 日証 言
作 戦 と 関連 し て、 海 軍 と 海兵 隊 によ り絶 えず 改 良 され て高 度 の有 効
撃 に よ っても、 あ る いは砲 撃 に よ って も まず 不 可能 であ った。 固定
し た。
た。 日本 兵 は ト ン ネ ルや塹 壕 や洞 穴 の中 にも ぐ り こん だ ので、 これ
いた。 上 陸 を意 図 し た海 岸 に対す る米軍 の猛 烈 な砲 火 の雨 は、 一般
南 西 太平 洋 方面 で は、 米軍 の進 攻 にお いて、 防備 の手薄 な 日本 軍
砲 兵 陣地 の大 部分 が 吹 き 飛 ば され ても な お若 干 のも のは生 き 残 って
に日 本軍 を 一時 的 に は多少 後 退 さ せるが 、 米 軍が ひと たび そ の上 陸
置 し て これを 飛 び越 え て 進撃 す る こ とが 可能 であ る ことが た び たび
陣 地 には上 陸 をす るが 、 日本 の地 上部 隊 の大 部分 を 、 そ のま ま に残
実 証 さ れ た。 中部 太 平 洋 にお いて も、 日 本軍 が 米軍 の攻撃 を受 け る
地 点 を越 え て前 進 す る と な ると 、白 兵 戦 で残 存 し た日 本守 備 兵 を 一
った 。 し かし なが ら 、準 備 さ れ た無 力 化作 戦 と 、そ の後 の艦 隊 の近
掃 す る こと が 必要 とな り 、そ れ には高 価 な犠 牲 を払 わ ね ば なら な か
も のと 覚悟 し て い た島 々 の多 数 は、飛 び 越 えら れ て後 に残 り 、そ こ
︹3 ︺
接 支 援 の双 方 に お い て、適 当 な 兵 器が 十分 な 苛 烈 さと 正確 さを も っ
の守 備 隊 は孤 立 無援 のま ま消 耗 と 死 に委 ね られ た。 ︹ 3︺ 本書、付録諸統計 12を見よ。
て 使 用 され た場 合 には、 日本 軍 の抵 抗 は い ちじ る しく 弱 め られ、 米 国 側 の死侮 は軽 微 にす む こ とが 明 ら か にさ れた 。
調 査 団 は、 太 平洋 上 の置き 去 り にさ れ た島 々を調 査 し 、生 き残 り
ま って いた。 時 た ま の潜 水艦 に よる以 外 は、 補 給も 増援 も い っさ い
の日本 兵 を尋 問 し た結 果 、彼 ら の経験 し た堪 え難 い悲 惨 な窮境 を確
切 断 さ れ 、糧 食 も尽 き てし ま った 。あ る島 で は人肉 を 食 った と貫 い
日 本側 の推 定 に よれ ば 、南 方 地域 にお け る日 本軍 将 兵 の戦 死 の原
近 接戦 に お いて 日本 軍 の地 上 抵抗 を 一掃す る ことが 必 要 な場 所 で
認 した 。 飛行 機 も地 上 施 設も 空 襲 に よ って さ んざ ん に撃破 さ れ て し
は、 味方 に命 中 し な い こと を確 実 にす る よう に、 ま た、 重 要な 日本
伝 えら れ て い る。 し かも 、 これ ら の置 き 去 り にな った 陣 地 に対す る
因 は、約 二五% は空 爆 、 五 八% は小 火 器 の銃 砲 火、 一五% は砲撃 、
軍 陣 地が 示 して いる小 さ な 目標 に対す る命中 を 誤 まら な いよう にす
益 の限 度 を越 え て 、 は るか に長 期 間、 し かも 大 規模 に続行 さ れ た こ
米 国 側 の空襲 は、当 然 要 求さ れ た が、 あ る い は結果 と し て生 ず る利
残 り の二% はそ の他 、 と いう こと にな って い る。
る ため 、空 中 支援 作 戦 にあ って は極 度 の正確 さ が要 請 さ れ た。 こ の
とが たび たび あ った よう で あ る。
た め には、 高 度 に専 門 化 さ れ た訓練 と 、 地上 お よ び空 中 観 測手 の複 雑 な組 織 と、 地 上 =水 上 =空 中 の無 線連 絡 によ る統 一さ れ た硫 制 を
第四章
13
日本戦争経済 の崩 壊 ︹1 ︺
日本 商 船 隊 の壊 滅
日本 の商 船 隊 は、 単 に戦 線 にあ る 日本軍 隊 の後 方 補 給 業務 を 支援 す る主 要 な構 成要 素 で あ るば かり で はなく 、 ま た、 日本 の戦 時 経済 構 造 を 支 え る決定 的 要 素 でも あ った。 す なわ ち、 商 船 隊 は戦 争 の大
い た、 こ の後 方 補給 業 務 と戦 時 経 済 の支 え と いう基 本 的 構 造 にお け
部 分 の期 間 を通 じ て、 連 合軍 の直接 の攻 撃 に対 し て脆 弱 性 を持 って
る 唯 一つの要素 に外 なら な か った 。 ︹1︺ この主題に ついては、﹁ 報告第叩 五三﹂ ( 第三、 四、 五章) 、﹁ 報告 第七三﹂( 本書、第 三部、三) 、﹁ 報告告昂五四﹂( 本書、第 三部、 一)、﹁ 報
︹2︺
告第四八﹂ (本書、第三部、四の第三章) 、 コー ヘン ( 第 四章) 、 本書、 付録諸統計18を参照せよ。 日本 は 五〇 〇総 ト ン以 上 の商船 、 計約 六〇 〇 万 ト ンを も って戦 争
︹2︺ ﹁報出告姫五三﹂ のC︱ 一〇 一を見よ。 ﹁報出 告第五四﹂ ( 前掲 の第
19表)を見 よ。 ︹3︺ ﹁報告第 五四﹂( 前掲 の第 46表)、﹁ 報告第 五三﹂C︱ 一〇 二を見
よ。﹁ 報告 第四八﹂ ( 前掲 の第三章)を見 よ。 ︹ 4︺ 日本 全 船 舶 のう ち 八九 〇 万 ト ン は撃沈 さ れ るか 大破 し て、 終戦 時
に は喪 失 し、 ま た は行 動 不能 にな ってい た。 こ の総計 の五 四 ・七%
は潜 水 艦、 一六 ・三% は空 母機、 一〇 ・二% は陸 軍機 、 四 ・三% は
海 軍 お よび 海 兵隊 の基 地機 、 九 ・三% は機 雷 ( 大 部分 はB 29 によ る
のであ った。
投 下 )、 一% 足 らず は水 上砲 火 、 そ し て残 り 四% が海 難 事 故 に よる
︹4︺ ﹁ 報 告 第五四﹂( 前掲 の付 図第 1、第44表) 、﹁報 告第 五三﹂第28 表、大井第1表を見 よ。
米 ・潜 水 艦が 戦 争 の終 結 ま で に、撃 沈 総 量 の約 六〇% を 仕 止 め た
のは、 日 本 側 の管 制 水域 奥 深く ま で侵 入 でき る、潜 水 艦 の特 性 によ
る も の であ った。 空 母機 動 部隊 も 一九 四四 年 を通 じ て、あ らゆ る海
る。 一九 四五 年 四月 以後 、 日本 の海 上 航路 が朝 鮮 と満 洲 と の連 絡 や
域 に進出 し て掃蕩 作 戦 を行 な い、 莫 大 な船 腹 を海 底 に葬 った のであ
浅 海 の内海 に限 られ た時、 日本 の港 湾 や 国内 水路 にB29 が 投下 し た
こ の計 一、〇 一〇 万 ト ン の船 腹 に関 す る十 分 な 情 報 を確 保 し、 一船 ご と にイ 船名 と ト ン数 ロ沈 没 あ る い は損傷 の日付 、 場所 お よび 攻 撃
った。 船 舶 に よ る増援 が 絶 た れ て孤 立 して い た日本 軍 の前 線 で は、
多 数 の機 雷が 、 戦 争末 期 五 ヵ月 閻 の船 舶 の沈 没、 大 破 の五 〇% を 屠
に突 入 し た。 戦時 中 に、 こ のほ か新 造 、捕 獲 お よび 徴 用 に より 四 一 ︹ 3︺ 〇 万 ト ンに のぼ る船 舶 を つけ 加 え て いた。 調 査 団 は 日本 に お いて、
者 ハ残 存 船 の現 状 と所 在 地 に つ いて 一覧 表 を つく る こと が でき た 。
米 陸 上 基 地機 か五〇 〇 総 ト ン以 下 の多 数 のはしけ や 船艇 を 沈 め たが 、
入 手 され た資 料 が 出所 によ って は若 干 の矛盾 を 生 じ たが 、 これ ら の 矛盾 は でき る限 り解 決 さ れ た。 陸海 軍 統 合戦 果 査 定委 員 会 は 一応 同
この数 字 は 調査 団 の作 成 し た表 に は含 ま れ て いな い。
に、 必 要 な 専門 的 技術 、 装 備 お よび訓 練 を備 え た、 これら の航 空諸
調 査 団 は、 対 船 舶攻 撃 を そ の第 一任 務 と し、 こ の任務 達 成 のた め
様 な 結論 に到達 し たが 、 さ ら にそ の資 料 を検 討 す る 努力 を つづ け て いる。 調 査 団 は次 の明細 の中 の数 字 は、統 合戦 果 査 定委 員 会 の最 終 的 評 価 と大 し た差 異 はな いも のと確 信す る。
部 隊 は、 そ の払 った努 力 に見 合 う最 善 の効果 をあげ て任 務 を達 成 し
いて、 船 舶 によ る輸 送 貨 物 量 を 四三% ほど 減 少 さ せ る に至 った 。 一
本 軍隊 の立 場 から いえば 、 日本 か ら積 み出 さ れ た軍需 品 のう ち、 一
船 舶 喪 失 に よ る基 本的 経 済 への影響 は後述 す る が、 前 線 にい る日
の船舶運営 と護衛組織) 、大井第四章を見よ。
︹7︺ 日本 の船団護衛制 度に ついては、﹁ 報告第七三﹂ ( 前掲三 日本
は日本 海 運 当 局 の最 大 の関 心事 と な った。
九 四 四年 にな る と油 送 船 (タ ン カー) の損 失が 特 に激増 し、 そ の後
日 本側 は、 最 初 そ の商 船 隊 の三分 の二 を前 線 の軍 隊 の補 給 支援 に
た、 と いう意 見 であ った。
配 当 し た。 そ し て、 最 初 の進 撃が 一段 落 つい た後 には、 そ の増大 す
るも のと期 待 し て い た。 し か し なが ら 、 ガダ ル カ ナ ル作 戦 の開始 以
九 四 三年 には 一七 % 、 一九 四 四 年 に は三 〇% 、 そ し て 一九 四 五年 に
る船 腹 量を 戦 時 経済 の基 礎 と な る原 材 料 の輸 送 、 移 動 に復 帰 さ せ得
後 と いうも の は、 日本 の船 舶 事情 は、 常続 的 でか つ思 いも よ らな い
は、 実 に五 〇% が 沈 没 し てし ま った こと は注 目す べき であ ろ う。 艦
︹5 ︺
直 接 の軍事 的 要 求 の圧 迫 下 に置 かれ た ま ま と なり 、 そ の後 の計画 さ
制 約す る要 因 とな り 、延 い て は マリ ア ナ沖 と レイ テ湾 の 二 つの決 定
隊 油送 船 の大 量沈 没 によ る燃 料 不 足 は、 絶 えず 日 本艦 隊 の機 動 性 を
れ た 民 需転 用 は決 し て 実現 し な か った。
章 の 一、大井第 5表 の記事と第6袈 を見 よ。
であ った 。 さ ら にそ の原因 の大 半が 、 船 舶 の た めに起 き た後 方 補 給
的 海 戦 にお け る 日本艦 隊 の敗 北 を招 来 す る のに、 大き く 作 用 し た の
︹5︺ C船 による物資輸入 の不如意に ついては、 ﹁ 報告第五三﹂ 第 五
一九 四 二年 の末 ま で は、 沈 没船 が 新 造船 を や やす こし 上 回 った。
衡 を保 とう と す る よ りも 、 は る か に大 き な速 度 で増 加 し た 。 こう し
支 援 の不適 切 は、 日本 航 空 部 隊 に と って 、 不利 な状 況 の主 なも のの
︹6 ︺
そ の後 は、 沈 没 ト ン数 の総 計 は、 日 本 が造 船 計 画 の拡 張 によ り、 均
一つであ った。
用された。訓練 の不十分な飛行 士と、正規 のテ ストを経ない飛行機 と、
ら八七オクタンか、それ以下に落 され、中には相当量 のアルコー ルが混
た。飛行機 はテストなしに引渡された。 ガソリ ンの質 は九 二オクタンか
だけの燃料 で済むからでもあ った。戦闘出撃 の損害 は七〇%にものぼ っ
なか った。特攻攻撃が行なわれた基本的な理由 の 一つには、それが片道
飛行 士はただ指揮官に ついて行 けばよ いとされ、帰還 は殆んど期待 され
短縮 された。そして 一九四五年 の初 めには訓練飛行はすべて廃止 された。
一九 四四年には三〇 時間、すな わち従来必要 とされた時間 の半分以下に
油送船 の沈没激増に伴 い石油 のひどい輸 入減 のため、飛行 士の訓練も
︹ 編者注︺ 石油 の欠乏と作戦 への影響
て、使 用可 能 な 商船 隊 の規 模 は、 絶 え ず縮 減 の 一途 を たど り、 つい に終 戦 時 に は最 初 の ト ン数 の 一〇 % にも殆 んど 及ば な いと い う実 情
︹6︺ 商船建造 と喪失 の比較 については、﹁報告第五四﹂ ( 前掲 の第 70
に陥 って いた。
表) 、﹁報告第七三﹂ ( 前掲 の本書、第 三部、 二ただし以下 の付録 は雀略) と付録 一〇九、 コー ヘン第 32表を見よ。 ︹ 7︺ 日本 は遅 ま き なが ら 船 団 護 衛制 度 を 確 立 し、 貨物 海 上 輸 送 を陸 路 に切 り換 え、 遠 距離 の補 給 源 を放 棄 す る よう 試 み ら れ たが 、 これ ら の対策 は 一時 逃 れ の手 段 にすぎ ず 、 根 本治 療 策 と は なら な か った。 さ ら に コンボ イ制 度 と輸 送 路 の転 換 と は、 戦 争 末期 の数 ヵ 月 間 にお
は、四〇%にものぼ った。
劣等な燃料と、 こうし た悪条件が そろ ったので、輸 送途上で起 きた損害 一方、燃料石油 の在庫 の、はなはだしい減少は、日本海軍が累 進的 に 機動力を失 ってい った亭 実の指標でもある。在庫が百万 バレル以下にな った時期 には、海軍艦船 の機能 は事実上停止してし ま った。燃料 の欠乏 は常 に日本海軍の行動 と戦略 に影響した。 マリアナ海戦 の際 には、戦闘艦隊である第 二艦隊が近くにいたが、燃 料供給が少ないため作戦 に参加しなか った。空構部隊 は北方 に迂回すべ きと ころを燃料 を節約す るため、敵艦隊に向 け直進 する行動を とらざ る の "七面鳥狩 り"とな って惨敗した。
を得なか った。そ の結果 はアメリカ艦隊 の待 ち伏 せ に会 い、 マリアナ レイテ海戦前、日本 の艦隊は瀬戸内海 とボ ルネオ方面 に分割 されてい たが、それは燃料補給上 のやむを得 ない処置 であ った。日本 は全艦隊 を フィリピ ン作戦 に投入し たが、 フィリピンを失えば日本 への燃料供給 は 切断され、 あらゆる燃料補給を断たれれば、日本以南 の全地域の戦争 は 終る ことになる。戦争を続けるためフィリピ ンの確 保 は 決定 的 だ った (コー ヘン第三章石油)。 米 軍 の潜 水 艦、 遠 距 離索 敵 攻 撃 機、 機 雷 お よび 空 母機 な らび に基 地 機 等 々 によ る 日本 の船舶 への攻 撃 は、 相 互 に支 援 し 合 って行 な わ
も し、 米 国が さら に多 数 の潜 水 艦 を建 造 し、 も っと早 い時機 に油
か った 。
送 船 に向 け て攻 聲 を集 中 し 、遠 距 離 索 敵機 と 攻 盤用 の飛行 隊 を潜 水
艦 作 戦 と い っそ う 十分 に協 同 さ せ て いた なら ば 、船 舶 撃沈 計 画 は、
も っと有 効 に実 施 で き た かも 知 れ な か った 。
︹ 編者注︺ 米 ・潜 水艦 の攻撃目標
アメリカ海軍は真珠湾直後 に、 その報復 措置として五〇隻 の潜水艦を
も って対 日無制限潜水艦戦 を宣言 した。そ の後戦略的守勢をとり、 一九
四二年 六月ご ろには主として消耗戦法 の立場から攻撃目標を艦艇攻蝶 に
向 けた。 一九 四三年四月、潜 水艦 も増強され て百隻 を行動させることと
四三年九月 には、いよいよ潜 水艦戦 の強化により対日封鎖 に出 たが、
なり、狼群戦法 により商船 の大量撃沈 に乗り出した。
そ の攻撃 目標 は依然とし て 一般商船 であ った。XYZプ ランとして重点
を油送船 の撃沈 に向けた のは 一九四四年 一月 のことである。 このころ太
もし、最 初から全力をあげて汕送船攻撃 に重点を向け ていたら、 日本
平洋方面に行動 する潜水艦は、 一二〇隻 に近か った。
の降伏をさらに 一年近 く早める ことが でき たかも知れな いという観測も
撃 に対 し、 脆弱 性 を いよ い よさ ら け 出 し て いた。 潜 水 艦 を 恐れ て混
いく ら か の保 護 任 務 を 果 し た船 団護 衛 も 、 他方 で は、 空 中 から の攻
業 生 産 は殆 んど 五〇 〇 % (五倍 ) にま でも 上 昇 した 。 日本 の総 生産
け ら れ た。 一九 四〇 年 ま で に、 全 生 産 は七 五% 以上 も上 昇 し 、重 工
の後 満州 およ び支 那 両 事 変 を通 じ てます ます この志 向 は強 化 さ れ続
︹ 1︺ 14 本 土 空襲 以 前 の日本 戦 争経 済 ︹ 2︺ 日本 経 済 が 戦 争 に指 向 され 始 めた のは、 一九 二八年 であ るが 、 其
あ るくらいである。
み 合 った港 湾 に退 避 し た船 舶 は、 今 度 は空 母機 に よる 攻 撃 の また と
量 の 一七% は、 直接 の戦 争 目的 の た めと軍 需 産 業 の拡 張 に充 当 さ れ
れ た の で、 日 本側 はそ の防衛 に手 を 焼 いた 。 たと え ば、 遠 距 離 空 中
な い好餌 と な るば かり であ った。 機 雷 は船 舶 を浅 海 から 深 海 に追 い
索 敵 は、 潜 水艦 にそ の目標 を提 供 し た。 こ の米 ・潜 水艦 に対 し て は
出 し たが 、 そ こ は潜 水 艦 の活 躍 場 面 であ り 、 いず れ にせ よ 助 から な
ど 巨 大 な 割 合 いを 占 め た。 日本 の航 空 機、 ア ル ミ ニウ ム、 工作 機 械 、
に おけ る 工 業施 設 の建 設 は、 日本 の状態 に対 し て は、 不 釣 合 いな ほ
たが 、 当 時 の米 国 にお いて は そ の率 は 二 ・六% で あ った。 こ の期 間
ンに上昇 し たが 、 し かも そ の九 〇 % は蘭 印 から輸 入さ れ たボ ー キ サ
塊 の生 産 は 一九 三 三年 の 一九 ト ン から 一九 四 一年 の七 一、 七 四〇 ト
し か産 出 せず 、 ボ ー キ サイ ト の資 源 は 全然 な か った。 ア ル ミ ニウ ム
と し て変 らな か った。 日本 の "内 線 地帯 " に は石油 はき わ めて少 量
油 およ び 石油 製 品が 日本 に貯 蔵 され た 。
これ は七 ヵ月 分 の需 要 量 に相 当 した。 さら に四 千三 百 万 バレ ルの石
一年 末 ま で にボ ー キ サイ ト の ス ト ック は 二万 五 千 ト ンに達 し たが 、
開 発 す る ま で は、 これ ら の重要 物 資 の蓄 積 が 必 要 であ った。 一九 四
南 方 地域 の石 油 とボ ーキ サ イ ト資 源 を奪 取 し て、 これを 経済 的 に
た の であ る。
び に錫 、鉛 、 水 銀 のよう な 非鉄 金 属 も ま たも っぱ ら 輸 入 に頼 って い
ロー ム、 ニッケ ル、 コバ ルト、 タ ング ステ ンのよう な 鉄金 属 、 なら
い は蘭 印 から の輸 入 に依 存 し て いた。 同 様 に、 ゴ ムや マンガ ン、 ク
な成 果 をも た らす こと に失 敗 し、 石 油 は殆 んど そ の全 部を 米 国あ る
イ ト から 生産 さ れ た。 日本 の合成 石 油 工業 を 発達 さ せる計 画 は 顕著
自 動 車 お よ び戦 車 工 業 は、 この時 期 に殆 んど ゼ ロから 出 発 し たも の であ った。 ︹1︺ この主題 についでは、﹁報告第 五四﹂ ( 前掲 の第 一、五、七章 ) 、 ﹁ 報告第 五三﹂( 第三章) 、﹁ 報告第 一五﹂( 本書、第 二部、三 の第七章) 、
ン( 第 三、四章)を参照せよ。
﹁報告第四六﹂( 前掲 の第九章)、﹁ 報告第四八﹂( 前掲 の第 一章)、 コー ヘ
︹2︺ 日本 の経済戦力に ついては、 ﹁報告第五三﹂ ( 第 一章 の七)を見よ。 これ ら の工業 の拡張 は、 いず れ も 原料 の 入手 の可能 な こと に基 礎 ︹ 3︺ を 置 き 、 か つそ れ に依存 し て い た。 本 土諸 島 で の原料 産 出 の増 加 に は異 常 な努 力 が 払 わ れた 。 そ し て若 干 の面 で は大体 そ の目 的 は達 成 さ れ た と い え る。す なわ ち 、 日本 の石炭 産 出 量 は、 一九 三 一年 の 二、 八〇 〇 万 ト ンから 一九 四 一年 の五 、 五 六〇 万 ト ンに上 昇 し た。 国 内
力 の猛烈 さと 、 得 られ た成 果 の大 き さ と に強 い印象 を 受け ず に は い
こ の 一〇 年 間 の日本 の経済 的 発 展 に想 いを 馳 せ て見 れば 、 そ の努
原 料 の自 給 自 足 度 に ついて、 日本 ほど貧 弱 な国 は殆 んど な か った。
ら れ な いも のが あ る。 にも か かわ らず 、 日本 は依 然 と し て米国 の潜
の鉄 鉱 石採 掘 は いち じ るし い進 歩 を とげ た。 そ れ にも かか わら ず 、
アジ ア大陸 にお いて基 礎 物資 の資 源 を開 発 す る こ とが 、 この期 間 中
海 上輸 送 攻 撃 に対 し て は致命 的 な脆 弱 性 を 有 し て いた。 日 本 は比 較
在 経 済戦 力 の約 一〇 % の経済 力 しか 持 たな い国 にすぎ ず 、 し かも 、
︹3︺ 日本経済 の海外依存性に ついては ﹁ 報 告第五四﹂ ( 前掲 の第一
の 日本 の経 済 政 策 の殆 んど 主流 を な し て い た。
満 洲、 中 国 に おけ る開発 の進 展 に より 、 粘結 炭 、 鉄鉱 石、 塩 、食
行 か な か った。 ま た、 日 本 は大 量 生産 工程 の経験 が な い ので、 工業
な い 工場 を か かえ て、 余裕 のあ る作 業 を や って いく と いう わけ には
的 小 規模 で新 興 の工業 国 であ ったか ら、 全 能 力 を フ ルに発揮 し て い
糧 等 に つい て の日本 の原料 不 足 は著 しく 緩 和 され たが 、原 料 の不如
的 に ま た技術 的 に訓 練 さ れた 大 量 の人 員 を 養成 す る機 会 を 持 たな か
章)を見よ。
意 が 日本 の 工業生 産 量 を制 約 す る最 も 重 要 な 要素 であ る こと は依 然
いて不 足す る こと を 意味 した 。
った。 こ のこと は後 日 に な って、 日本 経済 が 大 規模 な、 戦 争 の圧 迫
を 直 接 戦争 目的 に捧 げ て いた 。 一九 四 四年 の夏 ま で に、 日本 はそ の
ら 、 一九 四 三年 に米国 は、 そ のは る か に大き な 国民 総 生産 の四 五%
四年 の残余 の国 民総 生 産 の半分 は食 糧 用 に充 て られ た 。 し かし なが
り失 って いた。 諸 工場 、 鉄 道 線路 、 鉱 山 は、 か なり 以前 から であ っ
経 済 の より 大き な 分 野を 、 直 接戦 争 努 力 に集 中 す る可能 性 をす っか
と緊 張 下 に置 かれ た と き、 熟 練 、創 意 な らび に臨機 工夫 の能 力 に お
短期 戦 か制 限 戦 争 な らば こ の経済 力 で十 分 や って行 け た こと であ
った。 一般 民衆 は栄養 不 良 に陥 り、 新 し く衣 料 、 そ の他 の生活 物資
たが 、 整 備 不十 分 のまま 経 過 し、 故 障 は ます ま す深 刻 と な り つ っあ
ろ う。 軍需 品 、 石 油、 飛 行 機 お よび 船 舶 の蓄 積 軍備 が 一挙 に行動 に 投 入 され る こ と にな れば 、 相 手が 動 員 未完 了 の敵 の場合 は繊 滅 的打
を実 際 に配給 され る こ とも な く 、無 理 な 労働 のた め に過 労 にな る者
撃 を与 え る こ とが で き た かも 知 れ な い。 こ の最 初 の 一撃が 平 和 を招 来 す る こと に失 敗 し た時 、 ド イ ツから の顕著 な 援 助 も 受け ら れ な い
一九四 四 年 ま で に、 日本 の鋼 塊 生産 能 力 は 一九 三七 年 の能 力 の二
が 多 いこと は、久 勤 率 の上 昇 に反 映 され て いた。
の強 さ の経済 力 を持 つ敵 に対 し て さえ も 、長 期 戦 を ず っとや って の
日 本 に は、破 滅 の運 命が 待 って いた。 日 本 の経 済 力 は、米 国 の半分
て いた のであ る 。標 準 価 格 に換 算 し て、 国 民 生 産 の総 額 は、 一九 四
年 末 のガダ ルカ ナル戦 の敗北 後 ま で経 済 総 動 員 に着 手 す る のを 怠 っ
そ のうえ 、 日本 は緒 戦 の軍 事 作戦 の成 功 に 幻惑 さ れ て、 一九 四 二
ぜ な け れば 、 満 足 な冶 金 用 コー ク スを つく る こと はでき な い。 ま た、
に許 さ な か った 。 日本 産 の石炭 は より火 力 の強 い大 陸 の粘 結炭 を 混
足 は、 日本 の製 鉄 所 が そ の最 高 能 力 に近 い線 で操 業す る ことを つ い
面禁 輸 と共 にはじ ま り、 そ の後 も 決 し て解 消 され な か った 原料 の不
二五% に上 昇 し た。 し か し なが ら 、 一九 四 一年 七 月 の米 国 の屑 鉄 全
〇 年 四月 から は じま る会 計 年度 におけ る三 九 八億 円 から 一九 四 二年
国 産 の鉄 鉱 石 は輸 入 のも のに較 べ て貴も 限 られ 、 質 も低 位 であ った 。
け る こと はで き な か った。
度 に は四〇 六 億 円 に達 した にす ぎ な い。 これ は日本 経 済 のどう にも
であ るが 、 こ の本土 にお け る鋼 塊 の生産 は、 一九 四 一年 に は六 八〇
そ こで、 上 質 の輸 入原 料 の 一定 量 と低位 の国内 原 料 と組 合 せ るも の
万 ト ン、 一九 四 三年 に は七 八〇 万 ト ン の最 高 額 に達 し、 一九 四 四年
な ら ぬ本 来 の制約 から 来 る も の では なく 、要 求が あ っても そ れが 適
以降 に この総 額 が増 大 し、 か つ確 保 さ れ た こと から 見 ても 明白 であ
ン生 産 と 比較 でき る し、 ま た、 一九 四 四年 には高 級 原料 を 用 い て 一、
に は五 九〇 万 ト ソに減 少 し た。 こ の数字 は 一九 三七 年 の五 八〇 万 ト
切 に実 現 され ぬこと と 、 計 画が 不適 切 であ った こと は、 一九 四 二年
る。 す な わち 、 国民 総 生 産 額 は 一九 四 三年 度 には 四 五四 億 円 に、 一
日 本海 上 航 路 の廃 止 に よ り、 石炭 と鉄 鉱 石 の輸 入 は三 分 の二 に減 少
一九 四 四年 の中 ご ろ にな る と、 増 大す る船 腹事 情 の苦 境 と多数 の
三 六 〇 万 ト ンの生産 が 計 画 され て いた のと 仔対 照を 示 し て いる。
九 四 四年 に は 五〇 〇億 円 に上 昇 し た。 国 民 総 生産 額 の中 で直 接 戦争 と軍 需 品費 用 (軍事 支 出 ) に充 てら れ たも のの割 合 は、 一九 四 一年 の 二三% から 一九 四 二年 には 三 一% 、 一九 四 三 年 に は四 二% 、 一九 四 四年 に は五 二% と増 加 し た。 一九 四
し た海 上輸 送 力 を 死 活 の問 題 であ った 食 料 と塩 の輸 入 に切 替 え る こ
は つい に停 止 し、 鉄 鉱 石 の輸 入も 完 全 に杜 絶 し、 日本 は、 そ の残存
ー ヘン ( 第 四章航空機)、本書、付録諸統計4を見よ。 ︹ 5︺ 最 も 重 要 品 で あ った鋼鉄 を消 費 し た の は、 造船 工業 であ った。 日
︹4︺ ﹁ 報告 第 一五﹂( 前掲 の第七章)、﹁ 報告 五三﹂( 第三章 の二) 、コ
の方 は 五倍 に増 加 さ れ て いる。
と にし た 。調 査 団 は、も し 国 内原 料 だ け を使 用 す れば 、 日本 鉄鋼 工
本 の船 舶 事 情 の危 機 が 増 大す る に つれ て、 そ の艦 艇 お よび 商 船 の建
お よび 弾 薬 の生産 設 備 は 一〇 倍 に拡 張 され た 。 レーダ ー と通 信施 設
業 は、 年 間 一五〇 万 ト ン以 上 の鋼 塊 生 産 率 を維 持 す る こ と はで き な
造計 画 は拡 張 を重 ね 、 鋼鉄 の全 消費 量 の三 五% が 造 船 工業 だけ に使
し た。輸 入 原料 の スト ック は、 既 に限 界 点 ま で食 い つぶ され て お り、
か った であ ろう と 推定 した 。 一九 四 五 年 八月 末 の生産 高 は、 な お多
用さ れ るま で に な った 。商 船 の建造 量 は、 一九 四 一年 の約 二 三万 八
鋼 塊 の生 産 は急 遮 に低下 し はじ め た。 一九 四 五年 三 月 、 石炭 の輸 入
少 こ の数 字 を 上 ま わ って いたが 、 間 も な く それ 以 下 に落 ち る はず で
にま で増 加 し た。 一九 四 二年 の引 渡 軍 艦 の中 に は六 万 四千 ト ンの戦
千 ト ン から 一九 四四 年 の鋼 船 一六〇 万 ト ン、木 造 船 二 五万 四千 ト ン
日 本 の鋼 塊 生 産が 減 少 し た の は、 こ の生 産 が 海 上輸 送 に依存 し て
あ った。
いた こと と 、 船舶 を喪 失 し て い った こ と に帰 し え よう 。 米 軍が も し
まれ て いた。 一九 四 四年 に は、 戦艦 はな か ったが、 合 計 一 一万 四千
艦 一隻 ( ﹁武 蔵 ﹂) と 、計 八万 四 千 ト ン にのぼ る六隻 の小 型空 母 が含
五百 ト ンの 四隻 の空母 と合 計 一四万 一千 三百 ト ン の海 防 艦 と潜 水艦
鉄 工 業 に対 し、船 舶 攻 撃 によ って致 命傷 を与 え る のでな く て、 これ を 直 接爆 撃 す る こ と によ って破 壊 す る と し たら ど んな も のであ った
が 引 渡 さ れ た。
﹁ 報 告第五三﹂( 第 三章 の三) 、 を見よ。
︹ 5︺ ﹁ 報 告第四八﹂( 前掲 の第 一章) 、﹁報 告第四六﹂( 前掲 の第九章) 、
ろ う か。 そ れ は戦 略 爆 撃 の効 果 に照 し て見 て、 おそ ら く 主 要 工場 を 破 壊 し、 鉄 道 を寸 断 して鉄 工業 を 麻痺 さ せ るこ とが でき た であ ろ う こ と は間 違 いな いが 、 ただ 前 述 の海 上 輸 送 攻 撃 に よる 方 法 以上 に日
優先 度 の高 い部 門 の生 産が 増 加 し た こと は、 そ の代償 と し て、 優
と な った。 し かし ま た 日本 の指導 老 たち は 、戦 争 の経 験 のう ち か ら、
的 に鋼 材 の支 給 は停 止 され た 。
で 、 ま た、 民 間 の需 要、 建 設 あ る い は輸 出 に対 して も、 殆 んど 全 面
こ の低 優 先 度 のも のと いう の は、戦 車 、 大 口径 砲 お よび ト ラ ック等
先 度 の低 い品 目 に対 し ては、 鋼 材 使 用 量が 減 少 し た こと を意 味 し た。
格 別 に重要 だ と認 め た軍 需 品 の生 産 は、非 常 に大 幅 に増 加 す る措 置
鋼 材 不 足 は 、日 本 経済 の戦 争遂 行 力 に対 す るあ ら ゆ る制 約 の根 元
時 を要 した であ ろう 。
を 確 保 す る こと が でき た 。 練 習機 を 含 め たあ ら ゆ る 型式 の航 空機 の
七 二 機 にま で上昇 し た。 飛行 機 エンジ ンの生 産 は単 に機 数 に応 じ て
生 産 は、 一九 四二 年夏 の月 産 七〇 〇 機 か ら 一九 四 四 年九 月 の二、 五
に、 優 先度 の低 い部門 から 、 さ ら に欠 乏 物資 の割当 を 融 通す る こと
と し て、 この年 の終 り に は、最 優先 さ れ た軍 需 生産 を確 保す るた め
一九 四 四 年 に おけ る商 船 隊 の喪失 全 量 と 船舶 運 営 の低 調 化 の結 果
︹4 ︺
増 加 し たば かり でな く 、平 均 馬 力 は 二倍 にな った。 飛 行機 、 対 空 砲
さ え、 も はや 不可 能 に な ってし ま った。 こ の欠 乏 物資 とし て は鋼 材
一九 四 四年 の中 期 ま で に、基 礎 的 な情 報 に接 し た日本 人 の中 に は、
︹7 ︺ ﹁ 報告第耶 五四﹂( 前掲 の第七章)、 コー ヘン ( 第三章 のむすび) 、
の スト ックも 消 費 し つく され 、精 油作 業 も 短縮 せざ る を 得 なく な っ
は じ め、 一九 四五 年 四月 に は、 つい に皆 無 と な って し ま った。 原油
のであ った。 南 方 地 域 か ら の石 油 輸 入 は、 一九 四三 年 八 月 に滅 少 を
諸 兵器 や 商 船隊 にと っ ては、 依 然 と し て致命 的 な重 要 性 を有 す るも
な る こと は、鋼 材 ほど 重 要 で はな い と し ても 、 日本 の戦 争 の た め の
本 陸 軍 の影 響 力 に、 打 勝 つに は不 十分 であ った。
ら の勢 力 は、 米軍 の本 土進 攻 に は抗戦 でき る と確 信 を抱 いて い る日
攻 撃が 加 えら れ る こと を 予察 す る ことが で き た。 し かしな が ら、 彼
そ し て マリ ア ナの失 陥 と 共 に、 日 本 の産 業 や都 市 に対 し ても 同様 な
のド イ ツに対 す る戦 略 爆 撃 のも た ら す災 厄 に つい ても気 付 いて い た。
て 洞 察 し た人 士も 少 な く な か った。 さら に これら の人 丸は、 連合 軍
や が て日本 に襲 い か かる 不 可 避的 な 経済 的 破 局 を 正当 な判 断 をも っ
﹁報告 第四 五三﹂( 第 五章 の 一) 、大井 ( 巻頭グラフ) を見よ。
の外 に、 他 の戦 争 経 済 上 の基 礎 物 資も 相 次 い で含 ま れ る こ と にな っ ︹ 6︺ た 。中 でも 石油 は、 日 本経 済 で残 され た分 野 に は、 そ の影響 の広 汎
た。 航 空 ガ ソ リ ン の蓄 積 も 一五 〇 万バ レ ル以下 に減 少 し た ので 、 パ
︹1 ︺
イ ロ ット の訓練 計 画 はも ちろ ん のこと 、 戦闘 任 務 に対 し てさ え も、 思 いき った 削減 を 必 要 とす る ほど であ った。
土 への進 攻 によ って はじ め て達 成 でき るも のと考 察 され て いた。 マ
米 国 の基 本 戦略 によ れば 、 対 日 戦 にお け る殻 終 的 決定 は、 日本 本
日本 本 土 に対す る空 襲
ボ ーキ サイ ト の輸 入 は、 一九 四 四年 の第 二 ・四半 期 の 一三 万 六千
リ ア ナから の対 日遠 距 離爆 撃 攻 勢 は 一九 四 四 年 一 一月 に開 始 され た
15
ト ンから 第 三 ・四 半 期 に は三 万 ト ンに低 下 し、 そ の スト ック はわず
が 、 こ れも 第 一目標 と し て、 そ の ことを 念 頭 に お いて い た のであ る。
︹6︺ コー ヘン ( 第三章石油)、﹁ 報告 第五三﹂( 第 三章 の五)を見 よ。
か に三 千 ト ンであ った 。 スト ックが あ るこ とと 、 生 産 の各 種 段 階 の
の破 壊が やが て 一九 四 五 年 一 一月 の九州 上 陸 の際 、 海岸 に おけ る 日
エレク ト ロ ニク ス工場 、精 油 工場 および 完 成 兵器 工 場 の よう な、 そ
基 礎要 素 の破 壊 に置 かれ る よ り はむ し ろ、 航 空機 工 場、 陸 海 軍工 廠 、
最 初 か ら攻 撃 の重点 は、 日本 の社 会 的、 経 済 的 お よび政 治 的 構造 の
程 度 ま で弱 め得 る かど う か と いう 点 に か か って い た。 し たが って、
陸 時 にお い て味方 の水 陸 両用 部 隊 に抵抗 す る 敵 の能 力 と戦 意 をど の
にお け る よう に、 戦 略 爆撃 行 動 の成 否を 判 定 す る主 要 な標 準 は、 上
D デ ー (一九 四 四年 六 月 六 日 の ノ ル マンデ ィ上陸 ) 以前 の欧 州戦 線
間 の時 間 の消 費 が あ る た め に、 封鎖 が 完 成軍 需 品 の生 産 に与 え る 不 可避 的 な 効 果 は 一時 は緩 和 さ れ たが 、 日 本 の戦 時 生 産 の全般 的 レベ ルは 一九 四 四年 一 一月 ま で に は下降 を はじ め て おり 、 そ の中 には航 空 機 エンジ ン のよ う な最 優 先 品 目 さえ も 含 まれ て いた 。 日本 の戦時 ︹7︺
生 産 の総 合的 水 準 は、 日本 の都 市 や産 業 に対 す る直 接 空襲 が な く、 ただ 海 外 から の輸 入杜 絶 から だ け でも 、 一九 四五 年 八 月 ま で に は 一 九 四四 年 の最 高 の レベ ルを、 四 〇︱ 五〇% は下 廻 った に ちが いな い と いう のが 調 査 団 の意 見 であ る。
本 軍 の抵 抗 能力 を 弱 め う るよ う な期 待 の持 て る目 標 に、 そ の選 択 は 傾 いて い た ので あ る。 ︹1︺ こ の主 題 に つい て は、 ﹁報告 第 五 三 ﹂ (第 四 章)、 ﹁報 告 第 六六 ﹂ (本 書 、 第 三部 、 三 の第 一章 、 付 録 )、 を 参 照 せよ 。 ︹編 者 注 ︺ 日本 打 倒 計 画 と本 土 空襲 日 本 打倒 を めざ す長 期 計 画 に つい て、 統 合 幕 僚 長 会議 は早 く も 一九 四 三年 一月 の カ サブ ラ ンカ会 談 の席 上 、 こ の問 題 に 対 し て次 の よう にそ の
﹁日 本 本 土 の最終 の敗 北 は 次 の方 法 に よ って達 成 さ れ るだ ろ う ︱ す な
見解 を 表明 し た。
わ ち、 封 鎖 (艦 艇 、 船 舶 に対 す る攻 撃 )、 爆 撃 (部 隊 、 防衛 施 設 、 軍需 工業 お よび 戦 意 に対 す る攻 撃 )、 急 襲 (海 上 よ り の攻撃 ) が そ の手 段 で あ る。 こ れら の三 方 法 の う ち、 敵 の交 通線 上 に あ る艦 艇 と船 舶 に攻 撃 を 加 え る こ と は、 あ ら ゆ る攻 勢 作 戦 のう ち、 最 も中 心的 な も の であ る 。航 空 兵 力 によ っ て日 本 を攻 撃 でき る陸 上 基地 を獲 得 す べく 、 進 攻 す る こと が 一九 四三 年 のわ れ わ れ の目 標 であ り 、 日本 本 土 に対 す る 攻 撃 は 遠 い将
こう し て、 四 三年 五月 の第 三 次 ワ シン ト ン会 談 に おい て は、 日本 に向
来 の こ とで あ る し、 ま たそ の攻 撃 は 不 必要 に な るや も 知 れ な い。﹂
て封 鎖 、 空 襲、 本 土進 攻 作 戦 の三案 が 提 出 さ れ た。
う 進 攻 路 を 太 平 洋横 断 に変 え る こと、 お よび 日 本 を 屈 伏 さ せ る手 段 とし
日 本 を 敗北 さ せ よ う とす る 決定 と希 望 は、 そ の後 間 も な く 一九 四 三年 一 一月 のテ ヘラ ン会 談 にお い て ソ連 が対 日 戦 に 参 加 す る と 確 約 し た こ と に よ ってき わ め て強 力 な 支 援 を得 た も の と考 え ら れ た 。台 湾 = ルソ ン地 区 への進 攻 計画 が 承 認 さ れ 、 太 平 洋作 戦 終 了 予 定 を ド イ ツ の崩 壊 後 一二 ヵ 月 と いう 目標 期 日 に合 わ せ て繰 り 上 げ た 以 上、 決 定 的 な日 本 打 倒 作 戦 に 対 す る 具体 的 計 画 の立 案 は い よ いよ 軌 道 に 乗 った。 そし て、 は たし て
陸 軍 側 は 一九 四 四 年 の春、 早 く も そ の基 本 的態 度 を表 明 し たが 、 そ れ
日 本 本 土 に進 攻 す る必 要 が あ る か ど う かを 決 定 せ ねば な らな く な った。
は単に封鎖 と爆撃だ けによ って日本が崩壊 するかどうかは疑問 とし、日
これに対しては直 ちにお膝元 の陸軍航空側が反対意 見を出し、海軍側も
本 の屈伏はそ の本土 に進攻してはじめて確認されるという主張だ った。
批判を加えたが、そ こで強調された点 は、陸軍側 の見解 は、海空よりな
される戦略封鎖 の威力に十分な考慮 を払 っていないこと、 これまで の戦
略 の方向 は進攻以外 の他 の方 法に集中 されており、進攻 は最終的代案 と
して準備 するにあ った ことを指摘し た。
一九 四四年 六月はじめ、統合戦争計画委員会は日本を敗北させる方策
の研究 をまとめ、統合幕僚長会議に勧告を提出し たが、それは全体 とし
﹁われわれは、封鎖 と空襲と これに伴 う日本海空部隊 の撃破によ って、
て陸海空 の提案を取り入れた妥協案 であ った。
日本を敗北さ せる ことは、 おそらく可能 であると認 める のに決してやぶ
さか ではな い。と同時 に、結論とし て本戦略はおそらくは無条件降伏 の
強行に容易ならぬ遅延を来す であろう。したが って台湾 =ルソン地区に
でなければならぬ。 そこで、 この構想は次 のように言い替 えることがで
続くわれわれ の作戦構想 は、日本 の工業中心地 への進攻を予期し たも の きよう。
1 海空よりの封鎖を続行し、広汎 な空襲を反復 して、 日本 の空海
次により日本に無条件降伏を強要 する。
2 日本 の産業中心地にある目標 を進攻 の上奪取 すること。
戦力を粉砕 し、 その抗戦能力と意 志を低下させる こと。
そ の後、本土進攻準備を進めなが ら、海空 より の封鎖 は維 持し、戦略
爆撃を強化 し、航空力 と海軍力の撃滅 を続行することに日本打倒 の最終
一月 一日と決定し たのは四五年 六月末 のことである。
計画が決 定した。九州進攻 の ﹁オリンピ ック﹂作戦 の期日が、四五年 十
一九 四五 年 六月 の はじ め、 当 時 ド イ ツ にお い て調 査 に従 事 中 であ
った若 干 名 の米 軍 指 揮 官 た ちと 調査 団 の代 表者 た ち は、 協 議 のた め、
米本 国 に呼び 返 さ れ たが 、 そ の際 彼 ら は、封 鎖 と 直 接空 襲 の二者 の
ト ン、 陸 軍 機 ( B 29 以外 ) によ るも の七、 〇 〇 〇 ト ン、 B 29 によ る
% が 日本 本 土 に投 下 され た。 そ のう ち 海軍 機 によ るも の六、 八〇 〇
︹2 ︺
協 同打 撃 によ って、 日本 本 土 には進 攻 せず とも 降 伏 を強 要 し 得 るだ
総爆 弾 投 下 ト ン数 は 二七〇 万 ト ンであ り、 そ のう ち 一三 六万 ト ンは
も の 一四 七 、〇 〇 〇 ト ンに達 し た。 これ に対 し、 欧 州 戦域 にお け る
ド イ ツ国 内 だ け に投 下 され た のであ った。
ろ うと の確信 を 披 瀝 し た。 し か しな が ら 、 こ の協 議 の席 上 の支 配的
︹2︺ ﹁報告第五三﹂ ( 第四章) を見よ。
な 意見 は、爆 撃 が 日 本 の社 会 的構 成 や 日 本 の指 導 者 層 の政 治 的 決意 に及 ぼす 効 果 が ど ん なも のであ る かを 推 定す る こと は、 き わ め て不
を 強要 す る の に は必要 であ る と いう 仮 定 の下 に行 な う こと が 、無 難
い かも 知 れ な いが 、基 本 的 には 同 一の型 式 の攻 撃 を 必要 と し た。 日
地 とす る長 距 離爆 撃 隊が はじ めて作 戦 可能 とな った。 最 初 のう ち は
マリ ア ナ諸 島 の占 領 四 ヵ月 後 の 一九 四 四年 の 一 一月 末、 同 島 を基
ので顕 著 な 効 果 はも たら さ な か った。
こ れ ら の空 襲 は、 そ の投下 さ れ た爆 弾 量 と正 確 さが 不 十分 であ った
一九 四 四 年 六月 から 一九 四 五年 一月 ま で、 中 国基 地 にあ るB 29 に ︹ 3︺ よ り、 日 本 本 土 の諸 目 標 に対 し 、約 八〇 〇 ト ン の爆 弾 が 投 下さ れ た。
確 定 と 見 る べき であ る から 、 目 標 の選 定 は、 地 上 部 隊 の進 攻が 降 伏
で あ ると いう も の であ った。 後 知 恵 に照 し て見 る と、進 攻 なき 降伏 と、 進 攻 に抵 抗 す る 日本 の
本 はす で に軍 事 的 には敗 北 の数 々を重 ね 、商 船 隊 の大 半 は撃 滅 せら
能 力 と 戦 意 を破 砕 す る と いう 二 重 の目 的 は、 第 一のも の は成 功 し な
れ、 殆 ん ど完 全 な 封鎖 に よ って散 々 に打 ち の め され て いた 。 最 初 に
た。 戦 闘 任 務 中 の損 害 は 、平 均 三 ・六% で あ る。 一九四 五 年三 月 九
日 以前 に投 下 され た爆弾 は総 計 わず か に七、 一八 〇 ト ンで あ った が 、
使 用 可能 の機 数も 少 な く、 これ に対 す る 日本 側 の反撃 は有 効 であ っ
圧 倒的 な 圧力 を 加 え る と いう 見 地 から す る に せ よ、 あ る い は進 攻 に
そ の後 は毎 月増 加 し た。 B 22 は約 一万 メー ト ル上 空 から 爆 撃 し たが 、
航 空機 エンジ ン 工場 を 攻撃 し た 後 に は、 日 本 を 降伏 さ せ る ため に、
抵抗 す る能 力 を減 殺 す る と いう こ と に せよ、 最 良 の目標 は、 日 本 の
目標 地 区 に命 中 し た爆弾 は平 均 一〇 % に達 しな か った。 し か し、 狙
これ ら の工 場 は必 ず や 全滅 は免 れ な いだ ろ う と信 ず る に至 った。 そ
ま ったく 猛 烈 か つ繰 り返 し繰 り 返 し命中 弾 を 受 け た の で、 日本 側 は
次 的 に航 空機 エンジ ンに指 向 さ れ た。 主要 な航 空機 エンジ ン工 場 は、
︹4 ︺
こ の期 間 中 は、 攻 撃 は 主と し ても っぱ ら飛 行機 を 目標 と し、 第 一
︹3︺ ﹁報告第 六六﹂ ( 前掲の第 一章6 のA) を見 よ。
に あげ え た のであ った。
った目 標 に命 中 し た場 合 に は、 比較 的 少 な い ト ン数 でも 効 果 は相 当
基 礎的 な 経 済、 社 会 構 造 であ った。 昼 間 攻 撃 に よ る鉄道 と輸 送機 関 の破 壊 は、 夜 間 や 悪 天候 の場 合 の 攻 撃 によ る都 市 の破壊 と相 俟 って、 いず れ の 目的 のた め にも 最 大 の 圧力 を 加 え た であ ろう 。 こ の見解 は最 後 に採 択 さ れ た。 都 市 攻 撃 は 一九 四 五 年 三月 に大 挙 し ては じ めら れ た が、 鉄 道 攻 撃 の方 は終戦 時 にまさ に開 始 され ん と し て いた。 連 合 軍機 に よ って 太平 洋 戦争 中 に投 下 され た爆 弾 総 量 は六 五 六、 四〇 〇 ト ンであ った。 こ のう ち、 一六 〇 、 八〇 〇 ト ンす な わ ち 二四
こで、 日本 側 は早急 に大 規 模 な疎 開 計 画 を立 てる こ と を余 儀 な く さ
の都 市 の合 計 三 一平方 マイ ルは焦 土と 化 し た。 日本 の都 市 に対す る
九 、 三 七三 ト ンの爆 弾 が 投 下さ れ 、 わ ず か 二 二機 の損 失 で、 こ れら
に実 施 す る こと は、 と う て い不 可能 であ った。 し かし 疎開 が も はや
た 、 工業 的 あ る い は軍 事 的施 設 に変 った。 四 月 にな る と、 港 湾 海峡
そ の後 の都 市攻 撃 の目標 は、 目 視 ま た は レーダ ー によ り選 定 され
焼 夷 弾 攻 撃 の 一般 的 効 果が 、 こう し て立 証 さ れ た。
れ た。 一方 、 太 平 洋 に おけ る 相次 ぐ 諸 作戦 の ため に 、 よ り多 く の飛
避け 得 ら れ な い状 態 にな った時 、疎 開 に必 要 な地 下 ト ンネ ル、分 散
に、夜 間 、 機 雷 を敷 設 す る と いう 拡 張 計 画が 迫 加 され た。 総 計 一〇
行 機 を 緊 急 とす る軍 事 的要 求 の絶 えざ る圧 力 とな って 、疎 開 を早 目
さ れ た建 物 や 道 路、 鉄 道 支線 お よび 動 力線 のよ う な付 属 施 設 は 準備
り であ る。
万 四千 ト ンの爆 弾が 六六都 市 に投 下 さ れ たが 、 そ の内 訳 は次 のと お
一四 、 一五〇 ト ン
でき て いな か った。 そ の結 果、 す で に コバ ル ト、 ニッケ ル、 ク ロー
一〇 、 六〇 〇 〃
三 、 五〇 〇 〃
四、 七〇 八 〃
航 空 機 工場 に対 し
陸 海 軍 工廠 に対 し
〃
︹6 ︺
一一 五
各 種 工業 目標 に対 し
精 油 工 場 に対 し
ムを 必要 とす る特殊 鋼 の欠 乏 に より 、 一九 四四 年中 ご ろ に始 ま った
︹4︺ ﹁ 報告 第 六六﹂( 前掲 の第 一章 6のBの1) を見 よ。
航 空機 エ ソジ ン生 産 の減 退 は急 速 調 と な った。
一九 四 五 年 三月 九 日 、米 軍 は、 B29 の攻撃 法 の基 本的 改 訂 を 行 な った。 日本 の四大 都 市 を 夜間 平 均 二千 三百 メー ト ル の高 度 か ら爆 撃
沖縄作戦を支援中 の飛
︹5 ︺
す る こと が 決 定 され た のであ る。 日 本 の夜 間 戦闘 機 と対 空 砲火 の弱
八 、
さ ら に、 一 二 、 〇 五 四 個 の機 雷 が 敷 設 され た 。
行場 と水上機基地 に対し
に焼 夷 爆 弾 が 使 用 され 、 ま た、 低 高 度 を と った た め、 一機 毎 の爆 弾
少 な こと が 、 この改 訂 さ れ た計 画 を 有利 にし た。 高 性 能 爆 弾 の代 り
はな く 、 日本 側 の反 撃 によ る B 29 の損 失率 は、 攻撃 機 の数 の増 加 に
ても 低高 度 であ った。 日本側 の反 撃 は低高 度 にお い てさ えも 有 効 で
一九 四 五年 三 月九 日以 後 の爆 撃 高度 は、 昼 間、 夜 間 の何 れ にお い
て、 一、 六 六 七 ト ン の爆 弾 が 東 京 に投 下 さ れ た。
積 込 量 を かな り増 加す る ことが でき た。 こう し て最 初 の攻 撃 に お い
︹5︺ ﹁報告第 六六﹂ ( 前掲の第 一章 6のB の2) を見よ。
は、 低 空 に おけ る エソジ ソ の負 担 の減 少 によ るも のであ る 。爆 撃 精
反 比 例 し た。 積 込爆 弾 は増 加 し たが 、 作 戦中 の損害 の減 少 は、 一部
度 は かな り向 上 し、 七千 メ ー ト ルあ る い はそれ 以 下 の高 度 か ら の昼
目 標 地 区 は集 中 攻 撃 を受 け 、東 京 の最 も 人 口稠 密 な 地域 一五平 方
本 側 を、 非 常 に驚 愕 せし め た。 そ の後 の都 市 攻撃 で、 こ の最 初 の攻
った。
間攻 撃 で は、 三 五︱ 四 〇% が 照 準 点 か ら三 百 メー ト ル以内 にお さ ま
マイ ルが 焼 野 原 とな って し ま った。 こ の空 襲 の爆 弾 量 と 猛 烈 さ は 日
撃 ほ ど壊 滅 的 で あ ったも のは な い。 二 日後 、 同 じ規 模 の名 古 屋 空襲
︹6︺ ﹁報告第六六﹂( 前掲 の第 一早6 のBの2) 、﹁ 報告第五三﹂ ( 第
は 二平方 マイ ルを 破壊 し去 った。 三 月 九 日 以降 の 一〇 日間 に 一、 五 九 五 回 に のぼ る出 撃 に よ って、 東 京 、 名古 屋、 大 阪、 神 戸 に対 し 、
5章 の 一) を見よ。 投 下 さ れ た爆 弾 の月 々のト ン数 は、 三 月 の 一三 、 八〇 〇 ト ンから 七 月 に は四 二、 七〇 〇 ト ン に増 加 したが 、も し 戦 争が も っと 長期 に わ た った な らば 、 沖 縄 の第 八航 空軍 の活 動 と合 せて、 一ヵ月 に 一 一 五、 〇 〇 〇 ト ン の数 字 ま で は増 加 し た こと で あ ろう 。
︹1 ︺
日 本 経潴 に対す る空襲 の効 果
﹁出 雲 ﹂、 ﹁磐 手 ﹂ (転 覆 )
16
空襲 によ り 日本 が 蒙 った物 理 的破 壊 は、 投 下 さ れ た爆弾 量 が 、 ド
イ ツの それ よ りも は るか に少 量 で はあ ったが 、 結 果 はド イ ツの場 合
と 近似 して いる。 日本 本 土 への空襲 は、 時 に は最 も集 中 的 に行 な わ
はる か に脆 弱 であ った。 日本 の防衛 措 置 は、 米 空 軍 に圧 倒 され て し
れ たが 、 そ の目標 地 域 は 、 ド イ ツの場 合 にく ら べ て より 小 さく か つ
空母 機 によ って 日本 本 土 に投 下 され た爆弾 六、 七 四〇 ト ン のう ち、 そ の四 分 の三 は飛 行 場 、軍 艦 お よ び各 種 の軍 事 目標 に向 けら れ 、 四 ︹7 ︺
分 の 一が 商 船 そ の他 の経済 目 標 に投下 さ れ た。 母 港 にお い て撃 沈 さ
に対す る 日本 の意志 と 能 力 は、 ド イ ツ の場 合 に比 し て強 烈 さを 欠 い
ま ったば かり で なく 、 爆 撃後 の再建 、 ま た疎 開 、 お よび 受 動的 防 禦
て いた。 攻 撃 を受 け た六 六都 市 の合計 の約 四〇 % の家 屋 の密 集 地 帯
れ た 日本 の軍 艦 の大 部 分 は、 す でに燃 料 不 足 のた め釘 付 け にな って
は破 壊 さ れ た。
いたも の であ る。 空母 機 の低 空 攻 撃 は精 度が 高 く 、 す く なく と も 五 〇 % は照 準 点 の八〇 メ ート ル以内 にあ った。青 函 連 絡 船 やそ の他 に
の被害総合報 告書﹂ を参照 せよ。
二、三、四章 ) 、﹁ 大東 亜戦争 の被害 公式記録﹂ 、﹁太平洋戦争による我国
︹1︺ この主題 に ついては、 ﹁報告第 五三﹂( 第 五章) 、 コー ヘン ( 第
対 す る 一九 四 五 年 七月 の攻撃 は、 連絡 船 一 二 隻 全部 、 鋼 船 一七隻 お よび小 船 艇 一四 九隻 を 撃 沈す る か、 ま た は損 傷 さ せ た。 ︹7︺ ﹁ 報告第 五三﹂( 第四章 の七)を見 よ。
日 本 の都 市 住 民総 数 の約 三〇 % が、 そ の家 を失 い、そ の財産 の多
に凄 さ ま じ いも のが あ った 。 大型 爆 弾を 積 み こむ こと にな ったB 29
く を 失 った。 高 性能 爆 弾 攻 撃 を受 け た産 業 工場 の破壊 の状 況も 同 様
一九四五年七月 一〇 日以後八月 一五日 まで空母部隊は東京地区をはじ
︹ 編者 注︺ 空億機動部隊 の呉軍港大空襲 め、北海道、本州北部、名古屋地区、瀬戸内海方面 に対する砲爆撃 と、
も かな り 良好 な操 業 状況 のま ま残 さ れ て い た。幹 線 運転 を妨 げ る よ
鉄 道 組織 は、 ま だ 本格 的 な 攻撃 を 受け て おらず 、 降伏 時 にお い て
って特 別 に攻 撃 さ れ た 工場 は数 の上 で限 ら れ て い た。
ド イ ツの場 合 より も完 全 であ った。 し か しな がら 、 高性 能爆 弾 に よ
か つ平 均 し て重 い爆 弾 が 使 用 され る こと にな った。 破壊 度 は 一般 に
が 、 工 場地 帯 に投 下す る爆 弾 の、 一エー カ ー当 り の密度 が 大 と な り、
日本に対する最後 の猛攻を加え て、艦艇、船舶、飛行機および諾施設 に 甚大な損害を与えた。 特に七月 二四日と二八日 の呉地区大空襲 においては、在泊艦 の殆 んど 全部が次 のように撃沈破 され、日本残存軍艦 は、 ここに全減されるにい た った。 戦艦 ﹁ 日向﹂ 、﹁榛名﹂ ( 擱坐浸水)、﹁伊勢﹂( 沈没)。 空母 ﹁ 天城﹂( 転覆) 、﹁葛城﹂ ( 中破)、﹁ 龍鳳 ﹂( 中破) 巡洋艦 ﹁ 利根﹂ ( 大破) 、﹁ 青葉﹂ (大破) 、﹁ 大淀﹂ ( 転覆 ) 、 旧巡洋艦
う な損 害 は何 も 受 け て い な か った。 原 爆 が 広 島 に投 下 さ れ た 四八 時
将 来 の損 害 の不安 から す る強 制 疎開 の た め に、 攻 撃前 の 工場能 力 は、
地 域攻 撃 か精 密爆 撃 の、 いず れ かに よ る工 場施 設 の損 害 に加 え て、
七五〃
八 三%
間 後 に は、 列車 はそ こ を通 過 し て運 行 して いた。 し かし なが ら 、地
精 油 工場
大 体 次 の百 分 比 だけ 生 産 能 力を 減 じ た。
航 空 機 エンジ ン 工場
方 的 な 輸 送施 設 が 受 け た損 害 は 、都 市 間 、 お よ び都 市 内 に おけ る補 給 活 動 を 分裂 さ せ、 そ の ため に生産 、 修 理 作業 お よび疎 開 業 務 は妨
所 や送 電 装 置 は大 した 損害 を 受 け ず に生 き 残 った。 二 六都 市 の火 力
で 、 こ の配 電 の恩 恵 を 受 け た消 費 者 も犠 牲 と な って い た。 水 力発 電
撃 によ り、 焼 失 地域 で は配電 組 織 が 破壊 され たが 、 同時 に、 そ れま
め に、特 別 に これ を攻 撃 す る に は不 適 で あ った。 都 市 への焼夷 弾攻
軽金属工場
造船所 ( 商 船 、 艦艇 )
海 軍 兵 器 工場
陸 軍 兵 器 工場
電 子 、 通 信装 置 工場
航 空 機機 体 工場
一五〃
三 五〃
一五〃
二 八〃
三〇 〃
七〇 〃
六〇 〃
日本 の電力 組 織 は、 多 数 で し かも 小 さ な 目標 から 成 立 って いた た
げ られ た 。
発 電所 は他 の攻 撃 の巻添 え で損 害 を受 け たが 、 そ の喪 失 さ れ た能 力
鋼塊工場
の合計 は、 日本 の総 電力 の七 分 の 一以下 であ った。
効果 、 工場 の不十 分 な 整備 の累 積 効果 、 および 日 本人 の健 康 、活 力
空襲 に よ って生 じ た物 理的 損 害 の経 済 的 影響 は、輸 入 停 止 の併 発
一〇 〃
住 宅 、 小 さ な商 工業建 物 、 お よ び相 当 数 の重要 工場 は壊 滅 した が、
化 学製 品 工場
そ の地 域 の 一部 の頑丈 な 建 築物 や 工場 、 地 下施 設 は生 き 残 った 。 一
なら び に戦 意 の低 下 な ど と密 接 な相 互関 係 を有 す るも ので あ る。
米 軍 の都 市地 域 への焼 夷 弾 空 襲 に より 、 攻 撃 を受 け た 地域 にあ る
九 四四年 ま で に、 日本 は、 そ の戦 争 経 済 の 一環 であ った内 地 の工業
に おけ る 、 日本 の産 業活 動 の現状 を考 察 し て見 よ う。 電 力 と 石炭 の
︹2 ︺
ま ず 、 一九 四五 年 七 月、 す な わ ち 日本 の降 伏 の ち ょう ど 一ヵ月 前
の部 品、 装 備 下 請 工場 に依存 し て いた。 これ ら の小 工場 の大部 分 は、
であ った。 然 しな が ら 、生 産 能 率 は低 下 し て全 体 と し て の工業 生 産
消 費 は双 方 と も 一九 四 四年 に到 達 し たピ ーク の殆 ん ど正 確 に五〇 %
を 殆 ん ど失 って は い たが 、 そ れ でも ま だ 、使 用 労 働者 二 五〇 名 以下
東 京 に集 中 され て おり 、東 京 の 工業総 生 産 の五 〇% を 占 めて い た。
四 七万 バ レ ル の石油 、 お よび 石 油製 品、 二 二万 一千 ト ン の食 糧 、
これ ら の 工場 は都 市 焼 夷 弾 攻撃 に よ って甚 大 な 損 害 を受 け た。
工業 部 門 別 に、 戦 災 工 場と 非 戦災 工場 の区別 によ り、 ま た地 域 別 に
高 は、 一九 四 四年 の絶 頂期 の大体 四〇 % であ った。 そ し て生 産 高 は
︹2︺ コー ヘン ( 第 二章) を見 よ。
大幅 に異 な って い た。
二〇 億 平方 ヤー ド の織 物 が 空襲 によ って焼 失 し た。 日本 の砲銃 、 砲 弾 、 弾薬 、 そ の他 の軍需 品 の九 七 % は疎 開 す る か 、地 下 の貯 蔵 所 に お いて 十分 に保護 され 、 空襲 に対 す る危 険 はな か った。
機 体 の生 産高 は 一九 四四 年 ピ ー ク の四〇 % 、 航 空 機 エンジ ンは 二
一時 は でき な い始末 であ った。
す な わ ち、 部 品 を供 給 し て いた 小 工場 は東 京 空襲 で破 壊 さ れ て しま
レーダ ーと 無線 装 置 の生産 は、 工 場能 力 によ って制 限 を 受 け た。
︹3︺ ﹁報告第五三﹂ ( 第 五章 の三)を見よ。
三% であ った。 精 油 は 一九 四 三年 生 産 高 の 一五% 以 下 に減 少 し た。
五% 、 造 船 量 は 二五% 、 陸 軍 兵器 は四 五% 、 そ れ か ら海 軍 兵 器 は 四
生産 は 一九 四 四年 ピ ー ク の約 一七% に低 下 し たが 、 爆薬 生産 は 一九
第 一次 ア ル ミ ニウ ム生 産 は 一九 四 四年 ピ ー ク の九 % であ った。硝 酸
以 上 の電 力 を 供給 でき な か ったた め で はな く 、 む し ろ需 要 の減 少 に
る も のが あ った よう であ る。 電 力 の消 費 が 減 少 し て いる のは、 そ れ
こ れら の産 業 の各 部門 で生 産 量が 低下 し た 原因 は、 そ れぞ れ 異 な
在 庫 品 を食 い つぶ し て い たが 、遠 から ず そ の生 産高 を 硝酸 の現 在 の
原 料 の欠乏 によ って減 産 と な った。 爆薬 工場 は 、依 然 と し て硝 酸 の
四 四 年 の実 績 数字 の約 四 五% を 維 持 し た。
い、大 工場 の多 くも 、 あ る い は破 壊 さ れ る か疎 開 す る か を余 儀 なく ︹ 4︺ さ れ た。 造 船 と 重 兵器 の生産 は、 鋼 材 の使 用 可能 量 によ って 制 約さ ︹ 5︺ れ た。 精 油 工 場 、 ア ル ミ ニウ ム工場 、製 鋼 工 場 は、 根 本的 には 輸 入
よ るも の であ った。 石 炭 の供 給 は主 と し て北 海道 と九 州 か ら の国 内
︹5︺ ﹁報告第 五三﹂ ( 第 五章 の二)を見 よ。 ︹ 6︺ 日本 の労働 力 は、 栄養 不良 と 過 労、 多 数 の都 市 の住宅 の破 壊 と地
︹4︺ ﹁報告第 五四﹂ ( 本書、第 二部、四)を見よ。
利 用 可能 量 に相 応 さ せ ねば な ら な いと ころ であ った。
船 便 の減少 によ って大 き く制 限 さ れ たが 、 鉄 道 輸送 で は、 この船 便 不 足分 を埋 める能 力 が な か った。 需 要が 減 少 し て いる の にも か かわ ら ず 、 石炭 が 不 足 し て いる と いう こと は 経済 全 般 を通 じ て の共通 現 象 であ った 。 ︹ 3︺ 機 体 生産 の減 少 は、 最 初 の爆 撃 に よ って始 ま った 疎開 計 画 の影 響
一九 四 四年 の 二〇 % か ら 一九 四 五年 七月 には 四〇 % 以上 に上 昇 し た。
報 お よび 強 制 失業 等 のあ らゆ る原 因 に よ って 失 われ た生 産 時 間 は、
ニウ ム の在 庫 量が 使 い果 さ れ て、 ア ル ミ ニウ ムが 機 体 生産 の致命 的
体 生 産 の水準 が いく ら か でも 、﹁ も っと 高 か ったな ら ば 、逆 に ア ルミ
が 続 々と 破壊 され た のが 事 態 を さ ら に悪 化 し た。 し か し、 も し も機
低 下 の原因 は、高 度 の熟 練 工 の兵 役 召集 が 続 いた こと 、ま た 爆 撃 か
が 生 産 の 全般 レベ ルに影 響 を 及ぼ し た と いう こと はな い。 そ の能率
に就業 す る生 産時 間 は長 時間 であ って、 一九 四 五年 七 月 に人 手 不足
雇 傭 労働 力 の大 きさ は、 実質 的 には減 少 し ては いな か ったし 、現 実
方 輸 送 の困難 の た め に、 そ の能 率 は 低 下し た 。欠 勤、 病 気 、 空襲 警
を ず っと 受け たた め であ る が 、疎 開 の完 了 に先 だ って 、多 数 の工 場
はず の エソジ ソが 十分 に生 産 さ れ て いな か った。 こ の航 空機 エンジ
な 隘 路 と な って いた であ ろう 。 と に かく 、 そ の機 体 に取付 けら れ る
か った こ と に主 と し て帰 す べき であ って、 全 面 的な 労 働力 不 足 に よ
ら 生ず る急 速 な 移動 要 求 を 満す よう な 効率 的 な 労働 力 管 理制 度 が な
︹6︺ ﹁ 報告第 五三﹂ ( 第五章 の四)を見よ。
るも ので は な い。
ン の生産 は、特 殊 鋼 の不足 に悩 ま さ れ て いたが 、 しか も 一九 四五年 七 月 に は、 工 場 の被 害 と、 そ の年 の春 から はじ ま った地 下 お よび疎 開 工 場 の完 成 に手 間 取 った た め に、 当時 わ ず か の特 殊 鋼 の消化 す ら
七 月 にお け る直接 戦 災 工 場 の生 産 力 は、 一九 四 四年 の生産 ピ ー ク の
用 す る 工 場 の生産 力 に つ いて調 査 し たと ころ に よれ ば 、 一九 四 五年
調 査 団が 、 日本 の三 九 の代 表 的 都市 で、 五〇 名 以上 の従 業 員 を使
にな った 。
み であ った船 舶 攻撃 によ る諸 々 の効 果 は拡大 さ れ、 累 積 され る こと
日本 の鉄道 網 に対す る米 航空 機 の攻 撃 と 結び つ いて、 す で に実 施ず
能 力 の不十 分 な 鉄道 に振 り替 え られ て いた。 日本 の主要 な炭 坑 は、
日本 の沿 岸 や本 土 諸 島 間 の交 通 の大 部 分 は、す で にや むを 得ず 、
︹ 7︺ コー ヘン ( 第 二章 のむすび)を見よ。
非 戦 災 の双方 を 含 め て、 調査 の対 象と な った全 工場 の生産 量 は、 一
二七 % に 低下 し 、非 戦 災 工 場 の生 産力 は五 四% に減 少 し た。戦 災 、
に よる 間 接 的な 影響 と し て は、 欠 勤老 数 の増 加、 補 給 路 の杜 絶、 お
九 四五 年 七月 ま で に、 絶 頂 時 の 三五% に落 ち こ ん で いた。 都 市攻 撃
いたが 、 それが 関門 ト ンネ ルや青 函 連 絡 船を 使用 す る 鉄道 によ って
九 州 と 北海 道 に集 中 し て お り、 石炭 輸 送 は、 以前 には 海路 に依 って
ソリ ンも ま た欠 いて いた。 そ こ で、 青 函連 絡船 、 関 門 ト ンネ ル、 一
の多 い国 で、自 動 車 道路 も ト ラ ックも 欠 いて お り、 そ れを 動 かす ガ
な脆 弱 性を 持 つ鉄 橋 を 通 過し て い た。 日本 は大体 にお い て山 岳地 帯
動 いて い た。本 州 の鉄 道 に は数本 の幹 線が あ るが 、 そ の線 路 は非 常
よび 行 政 的 な混 乱 を生 じ 、 こ の ため、 戦 災 工 場 から 非 戦災 工 場 に労 力 や資 材 を転 用 し ても 、 そ の措 置 が全 く 相 殺 され てし ま う事 態が あ ったよ う であ る。 し たが って、 非 戦災 工場 の生 産 率 五 四% と 全 工場 の平 均 生 産率 三 五% と の間 の相 違 だけ では 、 これ ら の都 市 の生産 力 に対 す る 空襲 ( 都 市全 般 に対 す るも のと 特 定 目標 に対す る両方 ) の
九 個 所 の鉄 橋 を攻 撃 し、 ま た、 それ ぞ れ 独立 し た五地 域 が完 全 に遮
部 分 は 原油 が なく な って お り、 ア ルミ ニウ ム工 場 は、 ボ ーキ サイ ト
果 は三 重 であ った。 そ れ は 空襲 が強 化 さ れ る前 にす で に精 油所 の大
た ので あ るが 、 さ ら に これ を経 済 の各 部 門 に ついて見 ると 、 そ の効
あ ろ う。
造 を破 壊 す るう え で は、 も っと効 果 的 であ り、 能 率的 でも あ ったで
本 の都 市 や 工 場を 一つ 一つ破 壌 し て行 く よりも 、 こ の国 の経済 的 構
日本経 済 の崩 壊 を 完 成 さ せ得 た に ちが いな い。 こ の方 策 の方 が 、 日
だ ろ う。 そ う なれ ば 、 石炭 の欠 乏 のた め鉄 道 の運 行 は 不可能 と なり、
米 軍 の 航空 機が 日本 の都 市 と 特 殊産 業 施 設を 爆 撃 し た こと は、 日
破 壊 効 果 を 十分 に示す こと に はな ら な い。
が 切 れ、 製 鋼 所 は鉄 鉱 石 と コー ク スを 欠 いて おり 、軍 需 品 工場 には、
工業 生産 も 持続 でき な く なり 、農 業 地 帯 から都 市 へ食 糧 を 運 ぶ こと
の攻撃 が 成 功 し たとす れば 、 石炭 を 運 ぶ こと はも は や でき な か った
鋼 材 も な けれ ば ア ルミ ニウ ムも 見当 ら な か った から であ る。 日本 戦 ︹ 7︺ 争 経 済 の大部 分 は こう し て重 ね て 二度 破 壊 され た のであ つた。 す な
断 さ れ る よう に、 弱 点 のあ る 線区 を 選 ん で攻撃 す る と し て、も し こ
わ ち第 一回 は輸 入 の杜 絶 により 、第 二回 は 空襲 によ って。 わず か に
った であ ろう。 こ のよ う な攻 撃が 前 も って周 密 に計 画 され て い たな
も でき ず 、 ま た、 軍 隊 や軍 需 品 の迅 速 で大 規模 な移 動も 不 可能 とな
本 の戦 争経 済 の全般 的 崩 壊を も た らす に、非 常 に大き な作 用を な し
残 って い た朝 鮮 か ら の輸 入 や沿 岸 航路 や 内 地諸 島 間 の海 運 ま でも 停
そう な れば 、 日本 は 一連 の孤 立 した 地域 に分 断 さ れ て、 いか なる
止 す る に 及 んで、 さら に急 迫 し た 日本 の船 舶事 情 は、 極 度 に脆 弱 な
ら ば 、 そ れ はまず 一九 四 四年 八 月 に空 母 機 に よ る船 舶 お よび青 函 連
た実 状 を知 った こと であ った。
そ の戦勝 に対 す る確 信 と戦 争 継 続 の決 意 とが 急 速 に衰 退 し っ っあ っ
空襲 に よる 直 接的 打 撃 と、 生活 が 低 下 して し ま った打 撃 によ って、
︹1︺ 空 襲 下 の 日本 人 の戦 意
日本 の降 伏
じ ま る内 海水 路 に対 す る 空中 か ら の機 雷 敷 設 と なり 、 さ ら に 一九 四
第 五章
17
︹4︺ 内 訳は死者八三、 六〇〇名、傷者 一〇 二、〇〇〇名 であ った。
者 は六六、 三六〇に達し空襲 による死傷 の約三倍に達し ている。
︹3︺ 軍人軍属 の戦闘による死傷者は戦死二四〇〇、 〇〇〇名、戦傷
四、九二〇名 と見積られている。
︹2︺ 空襲による 一般市民の死傷は死者 三七八、 四〇七名、傷 者四七
総合報告書﹂ を参照せよ。
第四章、﹁ 大東亜戦争 の被害公式報告、 ﹁ 太平洋戦争 による我国 の被 害
︹1︺ この主題に ついては、﹁報告 第五三﹂( 第五章) 、本書、付録 一、
下 であ った 。
一回 の攻 撃 に よ って、 そ の四 七% も破 壊 さ れ たが 、 死 者 は 五千 名 以
傷 は比 較的 少 な か った。 人 口九〇 万 の横浜 市 は 一時 間 足ら ず のただ
空 襲 によ るも のであ った。 き わ め て破 壊的 な 多 く の攻 撃 に おけ る死
全 死 傷 者数 の中 で、 約 一八万 五 千名 は 一九 四五年 三 月 九 日 の東京 初
︹4 ︺
で あ ろ う。 市 民 の死 亡 あ る い は負 傷 の原因 の主な も の は火 災 であ る 。
戦 闘 に よ る死 傷者 と 日本 側 が 推定 した 総計 約 七 八万 名 を上 廻 るも の
︹3 ︺
三 万名 は死 亡 し た。 こ れら の死傷 者数 は、 お そら く全 戦 争 期 間中 の
原爆 に よる も のを 含 め て約 八〇 万 六千 名 であ ったが 、 こ のう ち約 三
日本 にお け る、 九 ヵ月 間 にわ たる 空襲 によ る 一般 市 民 の死 傷 は、
︹2 ︺
絡 船 に対す る攻 撃 とし て開 始 さ れ、 引 き 続き 一九 四 四年 一 二 月には
五 年四 月 早 々から の鉄 道 網攻 撃 の開 始 と な って続 行 さ れ た であ ろう と 、 調査 団 は 信ず る も のであ る。 日本 の鉄 道網 を 完 全 に麻痺 さ せる のに要 す る兵力 は、 五、 二〇〇 ト ン の高 性 能 爆弾 を 携行 して 目視 爆 撃 を実 施 す る六 五〇 機 のB 29 で あ ろう と いう のが 、 調査 団 の推 定 であ った。 最 初 に鉄 道 を切 断 す る の に必 要 な爆 弾 ト ン数 の 一倍 半 だけ のも のが 月 々あ れば 、 それ で日
にし て おく こと が でき た であ ろ う。 と いう のは 日本側 に は、修 理を
本 側 の鉄 橋 や諸 施設 の修 理作 業 をも 粉 砕 し て、 引 き続 き これ を 不通
行 なう 準 備も な く、 ま た修理 す ると し ても 、 そ れ は緩 慢 であ った か
の目標 に対 し て使 用 し たとす れ ば 大 いに精 度 を増 し、 所要 兵 力 も前
ら であ る。方 向 可 変爆 弾 の使 用 は当 時 可 能 であ った が 、も し こ の種
記 の約 六分 の 一に節 約 す る こと が で き た であ ろ う。 ま たも し空 母機 と B 29 を併 用 し て使 用す る統 合 計 画 を 立 て ると すれ ば 、 両者 が 持 つ 特 有 の異 な った作 戦能 力 が 、十 分 に利 用す る ことが でき た であ ろう 。 輸 送機 関 を 攻撃 す る こと の経済 的 効 果 は、 一般 日本 人 に対 し、 ま た彼 ら の戦 争 継続 の戦 意 に対 し ても 、 直接 の攻 撃 を与 え た ことで あ ろう 。 民衆 に対 し て最 大 の圧 力 を加 え 、 さ ら に日 本 の経 済諸 問 題 を も っと紛 糾 さ せる た め には、 夜 間 ま た は悪 天候 下 の都 市攻 撃 を、 輸 送機 関 に向 け て の空 襲 と時 を 同 じく し て実施 す べ き であ った だ ろう。 日本 の指 導者 たち を無 条 件降 伏 の受 諾 に迫 いこ んだ 重 要な 要 素 の 一 つは、 彼 らが 、 日本 の軍隊 が 民 衆 を守 る能 力 を失 った こと 、 お よび
日本 は、 一定 の街 路 、あ る いは自 然 の土 堤 のよう な も のに沿 った
った こと は、 日本 側 が 予想 し て いた より も は るか に猛 烈 であ って、
組 織 は 一般 に有 効 であ った。 し かし、 一つ 一つの空襲 が 大規 模 であ
とう てい これ に対 応 す る こ と はで き な か った。 大規 模 な焼 夷 弾攻 撃
建物 を全 部 取 り壊 し て 、広 い範 囲 の防火 地 帯 を つく った。 こ の計画 に従 って取 り払 われ た建 築 物 の総 数 は、 日本 側 の報 告 に よれ ば、 六
ーは、米 国 人 の三 、 四〇 〇 カ ロリ ーに対 し て約 二、 〇〇 〇 カ ロリ ー
食 糧 不足 が 激化 し た こ と は、 日本 人 の健 康 と 体力 と に重 大 な影 響 ︹ 6︺ を与 え た要 因 であ った。 開 戦 前 の日本 人 の 一人 当 り平均 摂 取 カ ロリ
を受 け る と、 民 間防 空組 織 は苦 も な く圧 倒 され て し ま った。
防ぐ に はあ ま り効 果 は な か った。焼 夷 弾 が 防 火地 帯 の両側 に投 下 さ
であ った。 日本 の耕 地面 積 は、米 国 のわず か に三% に過 ぎ な い の に、
一万 五千 戸 に達 す る 。 一方 、空 襲 によ って破 壊 され た建 物 は二 五 一 ︹ 5︺ 万戸 と な って いる 。 こ れら の防 火 地 帯 は、 火 災が 延 焼 し て いく のを
れ た から で あ る。 と もあ れ こ の防 火 地帯 は、 一般 市 民 の避 難 の通 路
に多 く の人 力 と肥 料 を用 い て、 い っそ う 集中 的 に耕 作 せね ば なら な
め に は、 こ の狭少 な 耕地 面 積 は世 界 のど の国 におけ るよ りも 、さ ら
養 う べき 人 口は米 国 の半 分 以 上 であ る。 戦前 の規 定 食 を供 給 す るた
と し て は役 に立 った。 ︹5︺ 内 訳は、全壊 二、 二 一〇、二六〇戸、半壊七六、 五七〇戸とな
日本 は戦争 前 に民 間防 衛 体制 を つく って いた。 し か しな が ら、 日
か った。 漁 業 は重 要 産業 と して 開発 され て おり 、米 、大 豆 そ の他 摂
っている。
本 の 一般 市 民 を空 襲 か ら守 る た め の有 効 な 措 置が はじ め てと られ た
取 カ ロリ ー の 一九 % にのぼ る量 は輸 入 に仰 い で いた。
避施 設 の構築 はも は や 不可 能 であ った。 各 家 庭 で は竹 と泥 の壁 で仕
り、 漁船 隊 の活躍 し 得 る水 域 、 それ に操業 に必要 な 船 と燃 料 は ます
情 は重 大化 し た。 戦 争が 進 行 す る に つれ、 輸 入 は ます ます 困難 とな
一九 四 一年 四月 には じ ま る食糧 の割 当制 にも か かわ らず 、 食糧 事
︹6︺ ﹁ 報 告第五三﹂( 第五章 の五) を見よ。
のは、 一九 四 四年 にな ってか ら の こと であ る。 し かも そ の時期 に は、
切 り を した 、 ほら 穴 のよう な も のを 準備 せ ねば な ら な か った 。そ れ
鉄 、 コン クリ ートそ の他 の建 築 資 材 の不足 のた め に、 十分 な 防空 退
に つけ 加 え て、 地 形 の許 す と こ ろ では、 丘 の横腹 に ト ンネ ルが掘 ら
ます 窮 屈 にな ってし ま った。 国 内 の食 糧 生産 自 体も 、青 年 男 子 の召
の諸 措 置 は 、死 傷 を最 小 限 に食 い止 め る の に大 い に役 に立 った。 学
れ ら の制 約 にも かか わ らず 、彼 ら が 実施 す る こと ので き た民 間防 空
級 の民 間 防衛 計 画 と し て は、 こ のよ う に不 完 全な も のであ った。 こ
規 定 食 はそ の減量 よりも む しろ 、脂 肪 、ビ タ ミ ンおよび 無 機質 な ど 、
たが 、 そ の反 面、 そ の他 の人 々は平 均 以 下 の配 給 量 であ った 。平 均
に低 下 し た。炭 坑 夫 、重 工業 労働 者 は平 均 より 多く の配 給 量 を受 け
リ ー に減 少 し 、 一九 四 五年 の夏 に は 一人 当 り約 一、 六 八〇 カ ロリ ー
一九 四 四年 に は、 一人 当 り平均 摂 取 カ ロリ ーは約 一、 九 〇 〇 カ ロ
集 や肥料 不足 が ひど くな った こと に よ って減 産 とな った。
童 や そ の他 の緊 要 な 用向 のな い都 会 居 住者 は田舎 に避 難 し、 残留 者
日本 側 の計画 、 お よび こ の計画 を実 施 す る た め の諸 手段 は、第 一
れた。
は 一団 とな って防 火 と相 互 扶 助 に団 結す る こと にな った。 空 襲警 報
いたり 、 不運 にも それ によ り、 疾 病 や爆 撃 の負 傷 か ら の 回復 は難 か
身 体 の均 衡 の た め に必要 と され るも のの久 乏 に深 刻 に悩 まさ れ る に
が あ った。 そ れが 一九 四四 年 六月 にな ると 、 民衆 の約 二% は 日本 は
あ った にも か か わらず 、 最 後 の勝利 の確信 は依然 と し て強 固 なも の
あ ったが 、 日本 人 全体 の戦意 は これ を契 機 と し て、 い ろい ろな 形 で
は、 日本 の指導 者 や有 識 者 が 受 け た衝 撃 より は、 は る かに 小 さく は
マリ ア ナ喪 失 と いう災 厄が 、 日本 の 一般 民衆 に与 え た心 理的 影 響
陥 を か くし て おく こと はも はや でき な くな った。
敗 北 の可能 性 に直 面 し て いる と 信ず る よう に な った。 サイ パ ンの失
栄養 不 足 は脚 気 と結 核 患 者 の激 増 をも たら し た。 そ れ はま た 一般
し く な り死 亡率 は悪 化 し た。
民 衆 の能 率と 戦 意 と に重 大 な影 響 を お よぼ し、 労 働 者 の間 に欠 勤 者
調 査 団が 日本 の 一般 市 民 に対 し て行 な った科 学 的 に計 画 し た横 断
を 増 加さ せる 結果 を 招 いた。
マリ ア ナ基 地 から す る 日本 本 土 への空襲 が はじ ま って おり 、国 外 で
は、 フ ィリピ ンで敗 退 を重 ね て お り、 国内 で は食 糧 事情 が ひ どく 悪
低 下 し て い った。 一九 四四 年 一 二 見 になる と、 す で にそ の以前 から、
経 済的 社 会的 諸 階 級 を通 じ て、 かな り高 度 の均 一性が 見 られ た。 多
化 し て いた ので、 日本 人 の 一〇 % は 日本 の勝 利 の不 可能 な こと を確
面 サ ンプ ル調 査 の結果 によ れば 、 戦争 に対 す る 日本 一般 市 民 の 心理
数 の人 々が 同 じ よう に、 日本 の最 大 の弱 点 は 、資 源 の欠 乏と か 生産
糧配 紹 量が さ ら に圧 縮 され た時 、 こ の百分 比 は 一九 % に上 昇 し た。
信 す る に 至 った。 一九 四 五年 三 月 に夜 間焼 夷 弾 攻撃 が はじ ま り 、食
的 な反 応 の中 に は、都 市地 域 た ると 農村 地 帯 た ると を 問 わず、 ま た、
工場 ま たは新 式 兵器 の不足 と いう 物 質的 領 域 にあ る と考 え、 そ の最
日本 国 民 は、 真 珠 湾 攻撃 を は じ めと す る連 合 国 に対 す る 日本 の挑
伏 以前 にお いて も はや 個 人的 に戦 争 に つ いて行 けな いと感 ず ると こ
そ の主 因 を軍 事 的敗 北 に帰 し て いる。 一般 民衆 の六 四% ま でが 、降
と し て は原爆 では なく む し ろ空 襲 の打 撃 であ ると認 め、 三分 の 一は
これ ら の敗 戦 の確信 を 抱 く に至 った者 の半 数 以 上が 、 そ の主 な 理由
六月 にはそ れ は 四六 % とな り 、降 伏 直前 に は六 八% にのぼ った。
大 の長 所 は、 日本 民 族 の大 和魂 す な わ ち天 皇 と 日本 のた め に はど ん な 個 人的 な 献 身 ( 生 命 を 捧げ る こと も 含 め て) も欣 然 と し て いと わ
戦 の ニ ュー スを、 恐怖 、 不安 お よび 希望 の混 り 合 った 感 情 をも って
ぬ精 神的 方 面 にあ ると 考 え て いた。
た国 昆 に と って、 そ れ は 一か八 か の大 戦争 であ り "事 変 " でな いこ
迎 え た。 中 国 に対 す る す で に 一〇 年 間 にも およ ぶ戦 争 に倦 み つ かれ
の原 因 を軍 事 的 敗北 に帰 し、 四分 の 一が食 糧 と 民需 物 資 の欠 乏 だ と
ろ ま で来 て い た、 と述 べて い る。 こ のう ち で 一〇分 の 一以下 が 降伏
押 し 寄 せ た。 そ の後 の敗北 は、 でき るだ け 一般 人 に は秘 匿 され 、あ
大 体 のと ころ都 市 居 住者 の四分 の 一が 地方 に逃げ 出 す か退 避 さ せら
ま で行 き 渡 って、 国民 の戦意 に衝 撃 を与 え た かと いう こと であ った。
空襲 の効 果 の顕著 な 一面 と し て は、 それが い か に広 く 日本 の隅 々
感 じ、 大 部分 は空襲 の せ いだ と して いる。
る い は戦 略 的転 進 と し て偽 装 さ れ た。 と い って も、 サ イパ ンの失陥
ガポ ー ルおよ び南 方 地 域 の占 領後 は、 国内 に楽 観 と強 い自信 の波が
と は明 白 であ った。 し か し、 緒戦 にお け る日 本 軍 の成 功 、特 に シ ン
以 前 に は、 労働 過 重 や 栄養 不 足 お よび 闇値 段 の騰貴 で苦 し い生 活 で
が 、 さ ら に 日本 中 に戦 争 に対 する 失 望 と憎 悪 の感 情 をひ ろげ る にも
れ た 。 これ ら の退 去者 は元 来が 不 思議 にも 戦 意 の 低 い連 中 であ った
事 機 構 は、 空 襲 によ る破 壊 か らも はや 日 本国 民 を防 護 す る こと が で
る程 度 ま で は お互 いに作 用 し 合 って いる 。結 局 のと ころ 、 日本 の軍
十 二方面軍兼東部軍参謀長、陸軍少 将高嶋辰彦 ︺は 〝 降 伏 は不 可 避 に な
き なく な った時 に、 そ の存 在 理由 を失 ったも のであ る。終 戦 詔勅 に
って いた 、 日本 陸 軍 は、 たと え本 土進 攻 を駆 逐 できた と し ても も は
対 す る 感 想 に つ いて調 査 団 か ら尋 ね ら れ た の に 対 し、 高嶋 将 軍 ︹ 第
日本 人 は、 誰 も 自 分 た ち は空襲 から 切離 され て 安 全だ と 信 し こ ん
や 日本 民 族 を絶 滅 から防 護 す る こ と は 不可能 な こと であ った〝、 と
一役 を 買 った。 こ の都 市 から の大 量 の人 口移 動 は実 に 八五 〇 万人 に
で い たと こ ろ、 米 国 機 は 日本 諸 島 の上 空 い た る処 を 縦横 無 尽 に飛 び
も 達 し たも のと考 え ら れ て い る。
まわ って、 し かも 日 本 側 から す る 飛行 機 によ る に せよ、 対 空 兵 器 に
述 べ た。
︹ 1︺ 原 爆 の効 果
同書 の原爆文献 の展望を参照 せよ。
掲 の第 一章) を参照せよ。なお、 原爆問題 に関し てはグ ローブ スおよび
三﹂が ある (ただし、 いず れも本書には収録 されず)。﹁ 報告第六六﹂( 前
︹1︺ この主題 につい ては、 ﹁報告第三﹁ ﹁報告第九 二 ﹂ 、﹁報告第九
に従事 し た。
全 力を あ げ て原 爆 の物 理的 、 経 済的 お よび 心 理的効 果 の詳 細な 調 査
正 確 に定 義 を決 定 す るが た め、 日本 に おけ る調 査 団職 員 の大 部 分 は、
この根 源 的 に新 型 であ る破 壊 兵 器 の現 在 の性 能 と そ の限界 を、 よ り
軍事 的 用 途 に使 用 され 、 そ のは かり 知 れ な い性 能が 明 瞭 とな った。
こ うし て実 際 的 か つ結 論 的 に回答 を 与 え られ た のであ る 。原 子 力が
以上 が 破壊 さ れ た。 原 爆 に関す る はじ め て のし かも 決定 的 な 問 題が 、
市 民 が 死 亡し 、 両都 市 の中 心地 域 六 平 方 マイ ルすな わ ち、 そ の五割
一九 四 五年 八月 六日 と 八月 九 日 に、 は じ めて 二発 の原 子爆 弾 が 軍 ︹ 2︺ 事 目 的 に使 用 さ れ て、 広 島 と長 崎 の両 市 に投 下 され た 。 一〇 万 名 の
18
よ る に せよ 、 ど の よう な有 効 な 反 撃も 受 け る こ とが な か った。 これ こ そ、 敗 戦 が 切迫 し た徴候 であ る と いう こと は、 農 村 や都 市 を 問 わ ず 一般 国民 の眼 に明白 に映 った。 次 第 に低 下 の 一途 を た ど った戦意 は、 文 武 の指 導 者 に対 す る 信 頼 の喪 失 、 日本 の軍 事 力 に対 す る確 信 の喪 失 、 ま た大 本 営発 表 や 政 府 の報 道 宣伝 に対す る 不信 の増 大と な って顕 著 に現 われ た 。国 民 は短 気 と な って いら 立 ち、 政 府 、戦 争 および そ の他 の事 柄 に つい て、 以 前 にく ら べさ ら に い ろ いろ と 無遠 慮 に批 判 す る よ う にな った。 だ が し か し 、最 後 ま で 国 民的 伝 統 であ る服従 と順 応 の精 神 は、 警察 組 織 の威 力 も 手伝 って 国 民 の行 動 の統 制 に力 強 く 作 用 し た。 天 皇 は他 の 指 導 者 に向 け ら れ た 非難 から は遠 く はな れ て民 衆 の忠 誠 心 の依 然 た る 中 心 であ った。 も し 天皇 のご命 令 と あ らば 、 多 く の 日本 人 は、 絶 望 の死 闘 を続 行 し て 、受 動 的 で はあ るが 、 死 を も 恐 れな か った こ と であ ろう 。 つい に天 皇が 無 条 件降 伏 の受 諾 を宣 言 し た時 、 国 民 の最 初 の反 応 は無念 と 驚 愕 の表 現 であ り、 やが て ほ っと し た救 い のそ れ
軍 事 的 、 経済 的 諸 要素 と戦 意 の相 互 関 係 は複 雑 微 妙 であ って 、あ
で あ った。
爆 発 の目 撃者 は当 時 の模 様 に つい て何 れも 同 様 な こと を述 べて い
︹2︺ 報告 第 六六 ( 前掲 の第 一章) 、 グ ローブ ス ( 第 二五章)を見よ。
に黒 焦げ と な るか火 を 吹 い た。 表 面 が白 か明 色 のも のは光 線 の大部
た 。 表面 が 黒 かそ の他 の暗 色 の可 燃 性 の物 質 は熱 を 吸収 し て、直 ち
落 せ たが 、 電 信柱 は黒 焦げ と な り、 わら ぶ き 屋根 の家 は火 事 と な っ
他 の人 たち に よ って 一五 マイ ル遠 方 ま で明瞭 に聞 き と ら れ た の であ
く で生 き 残 った 人 々 によ って は、 は っき り 思 い出 さ れ な か ったが 、
し い圧 力 の波 と ご ろご ろ と いう 音 が起 った。 こ の轟 音 は、爆 心 地 近
イ ル の距離 に お いても 傷 跡 のよう な も のが でき て割 れ 目 を生 じ た。
い こと が判 った。閃 光 にさ ら さ れ た花醐 岩 塊 の表 面 は、 殆 んど 一マ
摂 氏 一、 八〇 〇 度 以上 の温 度が 瓦 の表面 に生 じ て いな けれ ば な ら な
こ の瓦 の見 本 を試 験 した 結 果 、 こ のよ うな 効 果を 生 ず る た めに は、
一マイ ルの距 離 に お いて も 泡 を吹 いた。 ワ シ ント ン の国 立 標 準 局 で
日 本家 屋 の尾根 に殆 ん ど 例外 な し に見 ら れ る黒 色 の粘 土 の瓦 は、
分 を 反 射 さ せ て焼 け失 せ な か った。
る 。す な わ ち、 爆 発 は巨 大な マグ ネ シ ウ ム照 明弾 のよ う な青 白 い光 と 恐 るべ き 閃光 を放 って爆 発 し た 。閃 光 は、 ほ ん のわ ず か の間 し か
る 。巨 大 な 雪 白 の翼 が 急 に空 を 貫 い て走 り、 地上 の光 景 は はじ めは
地上零点 ( 爆 発 直 下 の地 上 点 ) の至 近 地帯 では、 高 熱 のた め死体 は
続 かな か ったが 、 猛烈 な 眩 しさ と 熱 とを 伴 った。 次 いで 爆発 の恐 ろ
青 味が か った 霧 によ って 、次 い で埃 と煙 の紫 褐 色 の雲 のた め に暗 く
ガ ン マー線 のよ う な漫 透 線 は 、地 上零 点 から 殆 んど 一マイ ル の距
黒焦 げ と な り識 別 が でき な か った 。
な った。 以上 のよう な 目 撃者 の報告 は、 事 件 の連 続 し た順 序 を 物 語 って い
さ れ た 。輻 射 の全 波帯 は、 エ ック スお よび ガ ン マー線 から 紫 外線 と
ルムを 感 光 さ せた 。爆 心 地 付 近 に お いて生 き 残 った市 民 に対 す る そ
離 の コンク リ ー ト建 て の病 院 の地 下室 に貯 蔵 さ れ た エック ス線 フ ィ
る。爆 発 に際 し て 、 エネ ルギ ー は光 線 、熱 、 幅 射、 圧 力 の形 で発 散
可 視 光線 を通 って 、赤 外 線 の輻 射 熱 に至 るま で を光 の速 力 をも って 通 過 し た。 爆 発 点 に お いて殆 んど 瞬 間 的 に つく り上 げ ら れ た 途方 も
って血 液 形 成 の過 程が 影 響 を 受 け た。 白 血球 の数が 減 少 し て疾 病 に
対 抗 す る 人 間 の機 能が 破 壊 さ れ、 一般 にそ の後 間も な く 死 に見 舞 わ
の影 響 は 、 一般 に二、 三 日 おく れ て現 わ れ た。骨 髄 およ び、 し たが
れ は音 の速 度 であ った。 最初 の火 球 を形 成 し た 過熱 され た ガ スは、
な く 大 き な圧 力 によ って生 じ た衝 撃 波 は徐 々 に動 い て行 ったが 、 そ
外 方 に上方 に より 緩 や かな 速 度 で ひろ が って行 った 。
にあ る物 を保 護 し た。 閃 光 の継 続 は 一秒 の何 分 の 一にす ぎ な か った
不透 明 な物 体 が あ れば 、 た と えそ れが ぶど う の 一葉 でも 、 そ の背 後
感 であ った 。多 く の場合 は、 一 二 時 間乃 至 四 八時 間以 内 に発 熱 し て、
最 初 の徴 候 と し ては 、食 欲 の減 退、 疲 労感 、 そ れ から 一般的 な 違 和
至 四週 間後 でな け れば 、 重 い徴候 を示 さ な い者が 大多 数 であ った。
よ り遠距 離 にあ った市 民 に対す る放 射 の場 合 は、 爆 発後 一週 間 乃
れ た。
が 、 一マイ ル の距 離 に お いて露 出 し た 人間 の皮 膚 に ひど い火傷 を残
華 氏 一〇 四 度 から 一〇 五度 まで 上 昇 し、最 高 の場 合 は死 亡 の時 ま で
閃 光 に伴 う 可視 光線 と 幅射 熱 線 は 一直 線 に進 ん で行 った が、 何 か
す に十分 な強 力 さ であ った 。着 物 類 には引 火 し 、 も っとも す ぐ叩 き
や か に解 消 し、 間も な く 健康 感 を回 復 し た。 他 の徴 候 と は白 血球 の
こ の高 熱 が 持 続 す る。 も し熱 が 下 が れば 患 者 の他 の徴 候 は普 通 は速
は高 性 能 爆 弾 の至近 弾 によ っても 揺 り落 され た であ ろう ) が、 崩 壊
破 片 の散 乱 はず っと 多 か った。 窓 枠、 ド ア、仕 切 り等 (これ ら の物
爆 風 の波 は、 高 性 能 爆弾 の爆 発 の場 合 より も長 時 間続 いた ので、
広 島、 長 崎 におけ る原 子爆 弾 の爆 発 に よ るあ らゆ る 破壊 作 用 の型
が 、建 物 の倒 壊 や次 いで起 った 一面 の火 災 によ って損害 を受 け た。
械 や 他 の生 産 施設 の多 く は爆 風 によ って直 接 の損 害 は受 け な か った
を 免 かれ た建物 の間 を 高 速度 で投 げ とば され た。 工場 の中 の工作 機
減 少、 毛髪 の脱 落 お よび 精 液 の減 少 と いう こと で あ った。 こ の種 類 の光 線 は大 き な 浸 透 力を 有 し て い るが 、 介在 す る 物質 は これ を 濾 過す る。 介在 物 質 の重 さが 増 す に つれ て、線 の浸 透 の百分
式 は、以 上 の記 述 の中 に尽 き て い る。 そ の他 の型 の破 壊作 用 は起 ら
比 は減 少 す る。 数 フ ィー ト の コンク リ ー ト、あ る い はそれ より いく ら か厚 い土 盛 り でも って、 地 上 零 点 に近 い場 所 に いる 人間 でも 、 放
草 木 は、す ぐ に爆 心 でも 生 長 を は じ めて いるし 、 人間 に害 とな る程
な か った。 何 か蒸 発 し たり 分解 し たり す る よう な こと はな か った し、
射 のも たら す 重大 な 作 用 から 十 分 防護 す る ことが でき た よう であ る。
度 の放 射能 が 爆 発 の後 に依 然 と し て残 ってい る徴 候も 別 に見 当 ら な
閃 光 に続 いた爆 風 の波 は、 補 強 さ れ た コン クリ ー ト建物 の屋 根 を 圧 し潰 し、 ま た それ ほど頑 丈 でな い建 物 を 完 全 に倒 壊 さ せ る の に十
ィ ー トま で、 長崎 で は 八、 三 〇 〇 フィ ー トま で のも のが 全 壊 し た。
内 で は倒壊 し た。代 表 的 な 木 造 の日本 家 屋 は広 島 で は 七、 三〇 〇 フ
七 、 三〇 〇 フ ィー ト ま で、 長 崎 で は 八、 五〇 〇 フ ィー トま で の距 離
離 ま で 大損 害 を受 け る か崩 壊 し てし ま った。 煉 瓦 の建 物 は広 島 で は、
で は 七〇 〇 フ ィー ト の距 離 ま で、 長 崎 で は 二、〇 〇 〇 フ ィー ト の距
よ りも はる か に大 き く 、き わ め て強 固な コンク リ ー ト建物 でも 広 島
し か しなが ら、 爆 風 の 及ぶ 範 囲 と継 続 の時 間 は高 性能 爆 弾 の場 合
い火傷 を受 け た。 市 の中 心地 四平 方 マイ ル以 上 は地 上 に叩 き つけら
に いて最 初 の閃光 にさ ら され た者 は、衣 服 の保護 のな い部 分 にひど
し て い な か った。 ︹ 3︺ 原爆 は建 物 の密 集 地 域 の中 心 から多 少 北 西 寄 り で爆 発 し た 。戸 外
数が 少 な いた め に解 除 さ れて いた。 し たが って、 市 民 は殆 ん ど退 避
た。 市 は原爆 攻 撃 の奇 襲 を受 け た。 警 報 は 一度 は発 令 さ れ たが 、機
間 防 空疎 開計 画 の結果 、 約 三 四 万名 から 二 四万 五千 名 に減少 し てい
た 工業 の主な も のは、 市 の周辺 に配 置 さ れ て いた。 市 の人 口 は、民
の七 平方 マイ ルだけ に建 物が 密 集 し て い る。 戦 時中 に急 に拡 張 され
ば か り高 い所 にあ る。 市 の全 面 積 は 二 六 平方 マイ ルで あ るが 、中 心
広島 市 は太 田川 の広 い三角 州 の上 にあ り、 平坦 で 海面 から わず か
型 式 の破 壊 作 用 の効 果 を考 察 し て見 る こ と にし よう 。
い。 そ こで、 広 島 、長 崎 の両都 市 とそ の住 民 に対 す る、 そ の各 種 の
分 な威 力 を 持 って い た。 し か し、 爆 発 が高 々度 で行 なわ れ た た め に、 地 上零点 に おけ る爆 風 の最 大 圧力 は、 高性 能 爆弾 の至近 弾 によ って 生 じ た 圧力 ほど は高 く なく 、 地上 零点 から 遠 ざ か る に つれ て減少 し た。 介 在す る 丘や連 物 の た め に反 射 され た り遮 蔽 さ れ たり す る結 果 、
これ ら の距 離 以上 のと こ ろ では 、 屋根 、 壁 そ の他 によ り軽 い損 害 を
必ず しも 一様 の効 果 は生 じ な か った 。
受 け た。 ガ ラ ス窓 は五 マイ ルの距 離 ま で吹 き とば さ れ た。
れ て見 る影 も なく な った。 約 五 〇ば かり の コンク リ ー ト造 り の建 物
や 谷 間 に まで も 入 り こ んで い る。 これら の丘 の突 出 部 は湾 頭近 く ま
長 崎 は港 の周 囲 に建 てら れ た人 口過 密 な都 市 で、 周 囲 の丘 の峡 谷
ち八 月 八 日 には 早く も 修 理が でき て運 行 が 再開 され た。
多 数 のも の は大破 し てガ タガ タ にな った。 こ のなぎ 倒 さ れ た地 域 内
でさが って いて、 市 を 大 き く 二 つ の盆 地 に分 け て いる。 建 て こ んだ
が 例外 と し て 残 り は したが 、 そ の殆 んど 全 部 の内 部 は空洞 とな り 、
の大 部分 の住 民 は、 倒 壊 し た建 物 や 飛散 す る破 片 のた め に押 し潰 さ
の火 災 は次 第 に大 き く なり 、熱 気 の上 昇 と 共 に市 の中 心 部 に吸 い こ
り返 った り、 そ の他 の 二次 的 な原 因 か ら生 じ たも のであ る。 これ ら
散発 的 な 損害 を 受 け て い た。 こう し て、長 崎 市 は原 爆 投下 直 前 に は
た。 約 二% の住 宅建 築 が 破 壊 さ れ る か大破 さ れ た。 大 工場 の三 つが
ト ンの高 性能 爆 弾 と 五 三 ト ン の焼夷 爆 弾 の散 発 的 な攻 撃 を受 け て い
長 崎 は 八月 九 日 以前 にも 、 合 計 して 一 三六 機が 投 下 す る 二七 〇万
よ るも のであ る。
年 八月 に は約 二 三万 名 に減 少 し た。 こ れ は主 と し て空襲 前 の疎 開 に
って いた。 戦 時中 に人 口二 八 万 五千 名 の頂 点 に達 し たが 、 一九 四五
地 域 は三 ・四 平方 マイ ルで そ の内 〇 ・六平方 マイ ルが 工業 地 帯 にな
︹ 3︺ 広島に対する原 爆攻撃はグ ローブ ス ( 第 二六章)を見よ。
れ る かそ の下 敷 き にな った。
そ の後 程 な く 、方 々 に火 災が 発 生 し た。 そ のう ち のあ る も の は、
ま れ た風 に煽 ら れ て、市 全 体 の大 火 災 と な って行 った。 民 間防 空 組
比 較 的 に無 傷 に近 い状 態 に置 かれ て い た。
直 接 の閃 光 から 生 じ たも のだが 、 多 く のも の は炭 火 の七 輪 が ひ っく
ろが り は消 防組 織 の努 力 に よる よ り は、 大 火 災 の中 心 に向 って 、 吹
織 は、 こ のよう な 完 全 な大 破壊 に対 し て は 施す 術 も なく 、 火 災 のひ
市 内 を縦 横 に流 れ て いる 川 に かか って い る橋 の上 を越 え て い る個 所
す べ て の建 物 も、 少 な く とも 軽 微 な損 傷 を 受 け た。 市 の地下 施 設 は、
約 九 万戸 の建物 のう ち 六 万 五千 戸 は使 用 不 能 と な り、残 った殆 ん ど
約 六万 人 乃 至 七万 人 の市民 が 死 亡 し、 五万 人が 負 傷 し た。 市 内 の
りも さ ら に強 烈 であ った 。頑 丈 な コンクリ ー ト建物 が 、 広 島 の場 合
に投 下 され た爆 弾 の幅 射 熱 と爆 発 作用 は、 広 島 に投 下さ れ た爆 弾 よ
ため に、 そ の丘 に隣 接 す る谷 の中 の市 の大部 分 は 防護 さ れ た。 長 崎
いな か った 。原 爆 は市 の北西 部 上 空 で爆 発 し た。 丘が 介 在 し て いた
︹4 ︺
警 報 が 適 切 に与 え ら れ な か った ので、 わず か の人 々し か退 避 し て
を 除 い て は損害 が な か った。 市 の中 心部 に密 集 し て いた 小 工場 は残
鉄 筋 の大 工場 が爆 心 から と ん でも な い角 度 に押 し や られ た 。広 島 の
﹂ より も っと 遠 距 離 で破 壊 さ れ た。 三菱 製 鋼所 と 兵 器製 作 所 の強 力 な
き こ み突進 す る風 によ って食 い止 めら れ た ので あ る。
らず 破 壊 さ れ たが 、 市 の周 辺 にあ る大 工場 は殆 ん ど完 全 に損 害 を 免
に引 火 し たも のであ った。
場 合 と ちが って 、爆 発 直 後 に発 生 し た火 災 の多 く は、閃 光 か ら直 接
︹4︺ 長崎に対す る原爆攻撃はグ ローブ ス ( 第二八章)を見よ。
かれ 、 工員 の九 四% は無 事 だ った 。 これ ら の工 場が 市 の工業 生 産 力
場 は原爆 投 下 か ら 三〇 日 以 内 で、 大体 平 常 の生 産 を再 開 し て い ただ
約 四 万人 が 死 亡す る か行方 不明 と な り、 ほぼ 同 数 の市民 が 負傷 し
の七 四% を 占 め て いた 。 も し戦 争 が継 続 さ れ て いたら 、 これ ら の工
ろ う と推 定 さ れ て いる 。 市 を通 過 す る鉄 道 は、 攻 撃 の 二日後 す な わ
に 五千 四 百 戸が 大 破 し た。 長 崎 の工業 生 産 高 の九 六% は 三菱 会 社 の
た。 長 崎 の五万 二千 戸 の住 宅 建 築 のう ち 一万 四千 戸 が 全壊 し、 さ ら
長 崎 市 の人 命 の損失 は、 も っとず っと 少 な か った こと であ ろ う。
てお り 、そ の中 に収 容 能 力 限 度 ま で の市 民 が退 避 し て いた とす れ ば 、
体 一〇 万人 の収 容 力 を持 ってい た か ら、 も し警 報 が 適切 に発 令 され
爆 弾 を 使 用 す る こと になれ ば 、 二 二〇 機 のB 29が 一、 二〇 〇 ト ンの
よ って広島 で生 じ た 損害 と 死 傷 は、 も し 原 爆 の代 り に従 来 の旧式 な
調 査 団 の推 定 によ れば 、 た だ の 一機 から 投下 さ れ た 一発 の原 爆 に
大 工場 に集 中 され て いたが 、 長 崎 市 全体 が こ の会 社 に依 存 し て いた
った。 兵 器 製 作所 の円 価 値 の五 八% 、製 鋼 所 の円価 値 の七 八% が 破
よ うな も のであ る。 兵 器製 作 所 と製 鋼 所 は第 一の被 害 地 域 の中 にあ
壊 さ れ たも のと 推 定 さ れ る。
ぶ こ とを 必 要 と した であ ろう 。 長 崎 に おけ る損害 と 死傷 をも た らす
た め に は、 約 一、 二〇〇 ト ンの爆 弾 を積 み込 んだ 一 二 五機 のB 29が
焼 夷 弾 、 四〇 〇 ト ン の高 性 能 爆 弾 、 五〇 〇 ト ンの兵 員 殺傷 爆 弾 を運
必要 であ った であ ろう。 こ の推 定 は、 そ の爆 撃が 原 爆が 投下 さ れ た
三菱 電 気 の主 要 工場 は最 大被 害 地 域 の周辺 にあ ったが 、 そ の円 価
で あ り、 さき に高 性能 爆 弾 で損 傷 を 受 け た三 大 工 場 の 一つであ るが 、
際 に おけ る も のと同 じ よ う な条 件 下 に実 施 され 、 しか も爆 撃 の精 度
値 の約 二 五% が 破壊 され た。 造 船 所 は長 崎 に おけ る最 大 の工業 施 設
今 回 は対 岸 にあ って爆 発 の被害 はと り た て る ほど受 けず にす ん だ。
は 、戦 争 の最 後 の 三ヵ 月 間 に第 二〇 航 空軍 の挙げ 得 た 実績 に匹 敵 す
予期 さ れ た と お り、 原 爆 に対 す る民 衆 の第 一の反 応 は 恐怖 であ り、
る こと を前 提 と し て い る。
と ころ で、 三 菱 の諸 工場 は空襲 の前 から 、原 料 不 足 のため に 、 いず
も し 戦 争が 続 け ら れ て、 原 料事 情 が そ の再興 を 許 し たと し た な ら
れ も そ の能力 の 一部 し か稼 動 し てい な か った。
ば 、 三 菱 造船 所 は三 ︱ 四 ヵ月 以 内 にそ の全能 力 の八〇 % の生 産 力 に
て目 撃 され 、 経験 され た 絶 対的 な 破 滅 へ の戦 懐 、苦 痛 によ り、 さ ら
に強 め られ た。 し か しま た 、原 爆 が 投 下 さ れ る前 に は、 この両 市 の
抑 制 し得 な い驚愕 であ ったが 、 し かも そ れ は、 生き 残 った人 によ っ
人 々 は他 の都 市 の住 民 たち よ りも 戦 争 に つい て の懸 念 を 抱 く こと が
達 し得 た であ ろう 。 ま た、 製 鋼 所 は本 格 的生 産 に入 る に は 一ヵ 年 を
ヵ月 以 内 にそ の生 産 能 力 を取 戻 し た であ ろ う。 さら に兵器 製 作 所 の
要 した で あ ろう し、 電気 工場 は二 ヵ月 以 内 に そ の生 産 を回 復 し 、 六
従 前 の能 力 の六〇 ︱ 七〇 % への回復 は 一五 ヵ 月 を要 し た であ ろう。
少 な か ったが 、 原爆 投下 後 にお い ても 予 想 され た よ りも そ の戦 意 は
の入 口 の土 塀 は吹 き と ば さ れ たが 、 ト ンネ ルは爆 発 の真 下 にあ った
下 を受 け て は戦 争 続 行 は 不可能 だ と個 人 的 に感 じ た と述 べ た。 約 四
日本 の勝利 は 不可 能 であ ると 確 信 し たと 言 った。 二 四% は、 原爆 投
生 き 残 った市 民 の二九 % は質 問 に答 え て、原 爆 が投 下 さ れ た後 は
旺盛 に維 持 さ れ た。
爆 発 のさ い、 長 崎 で は ト ン ネ ル式 退避 壕 の中 に約 四 〇〇 名 が 入 っ て いた 。 こ のト ンネ ルは 、丘 の脇 腹 を水 平 に掘 った 簡 単 なも ので 、
にも か かわ ら ず、 内 部 にい た人 々は 一人 残 ら ず 生き 残 った。 入 口 の
〇 % は程 度 の差 はあ ったが 敗 北 主義 の考 え を表 明 し た。 原 爆 の開発
入 口を 護 るた め に は粗 末 な爆 風 避 け の土 塀 が 取 り つけ てあ った。 こ
す ぐ近 く に いな か った 人 々は負 傷 も し な か った。 こ の ト ンネ ルは大
と そ の製 造 の基礎 にな って いる底 力 と科 学 的熟 練 に感銘 を 受 け た と い う者 が 二 四% あ って、 原 爆 の使 用 を憤 慨 す る者 二〇 % を や や上 廻 って いた。 多 く の人 々の パ ター ンと し て は、 反 応 は あき ら め と いう
大 臣 は 二人 の幕 僚 長 、す なわ ち 陸軍 参 謀総 長 と 海軍 軍 令 部総 長 と共 ︹ 3︺ に天皇 に直 接 上 奏 が でき た。 内 閣 は、陸 海 両 相 の見 解 を鵜 呑 み にす
る か、 政策 が 陸 海 両相 に 承認 さ れ て いる間 だ け し か存 続 でき な か っ
広 島 と長 崎 の両 市 以外 の 一般 日本 民衆 の信 念 に対 し て、 原爆 が 与
高 指 導 者 たち の考 え に よれば 、 日本 国民 の世 論 な るも のは、 国策 を
の多 数 の主張 す る強 硬 論 によ って強 く 影響 さ れ て いた 。 これ ら の最
た。 し かも 両 総 長 とも 最 後 ま で 、陸 軍将 校 の全部 や、 海 軍青 年将 校
え た影 響 は、 さ ら に制 限 さ れ たも のであ った。 そ れ は 一部 に は距 離
決 定 す る に当 り、 考 慮 せら る べき 諸要 素 の中 の 一つ に止 まり 、ど ん
こと であ った 。
の た めであ り、 原 子力 の性 質 の理 解 の欠 如 、 お よび 他 に存在 した 戦
な意 味 に お いて も決 し て支 配 的 なも ので はな か った。
真 珠 湾 以前 にお いて戦 争 に反 対 し、 あ る いは 戦争 の初期 に おい て
︹4︺ ﹁報告第 二﹂( 前掲 の第 二章)を 見よ。
力 を 加え る方策 を 見 出 し て い た のであ る。
継 続 に反 対 す る分 子 は 、 日本 軍 閥 の熱 狂 的な 代 表 者 た ち に対 し て圧
迫 し た危 機 の結 果 ば か り で はな か った。 当時 に おい てす ら、 戦 争 の
一〇 日後 の七 三 一八日 に東条 大 将 を首 班 とす る内 閣 は総 辞職 に追 い ︹ 4︺ こま れ た。 日本 の戦 時 政 治体 制 にお け る こ の顕 著 な転 換 は、 単 に切
な 破綻 が 起 った の は サイ パ ン失 陥 後 の こと であ る。す なわ ち、 そ の
対 米英 戦 を は じ めた 日 本 の政 治 的挙 国 一致 体 制 に、 最 初 の決 定 的
長だけであ った。
︹3︺ いわゆる統帥事項に関して帷幄上奏が できた のは、 二人 の幕僚
意 を 喪 失 さ せ るよ う な体 験 の衝 撃 が あ った から であ る。 降伏 に果 し た原 爆 の役 割 りは、 日本 と 、降 伏 の問題 に影 響 を与 え た 、あ ら ゆ る
︹1︺ 日本 の終 戦努 力
他 の因 子 と併 せ考 え ねば な ら ぬ。
19 ︹2 ︺
日 本 の統 治 機構 にあ って は、 天皇 は、 実 質 的 に は単 に そ の助 言老 た ち の決 定 を 裁 可す る にす ぎ な か った。 重 要 国策 の決定 に当 って は、 常 に事 前 に少 数 の最 高 指 導老 層 の間 の意 見 の 一致 が 必 要 であ った。 そ れぞ れ 異 な った見 解 を持 ってい た こ の指 導 層 に は天皇 側 近 のグ ル ープ ( 内 大 臣 の木 戸 侯 爵が そ の最 も 中 心 的 な 人物 であ った)、 重 臣、 す な わ ち長 老 政治 家 の 一団を 構 成す る元 首 相 た ちと 、 それ に内閣 が
は戦 争 に同調 し、 そ し て、 こ の時点 では "引 退 し て" いた、 東 条時
に直 面 し て いる こと を認 識 し た。 す で に そ の時 ま で に、米 国 の戦 争
代 以 前 の有 力 者 た ち は、 一九 四 四年 の春 早 々、 日本 が 終 局的 な敗 北
︹1︺ こ の主題に ついては、﹁報告第二﹂( 太書、第 四部、 一)、﹁ 報告
含 ま れ て いた 。
五三﹂( 第五、第 六章)、﹁報告七 二﹂( 本書、第四部、 二) および ﹃ 終戦 ︹2︺ ﹁ 報 告 弟二﹂( 前掲 の第 一章)を見よ。
圧 倒的 な 攻勢 を 開 始 し得 る能 力 を有 し て い る こと は、 諸 般 の事 情 に
決 意 と 、 欧州 に第 二戦 線 が 展 開 さ れる前 でさ え、 連 合 軍が 太 平洋 で
史録﹄、﹃ 太平洋戦争秘史﹄ 、ビ ュートーを参照 せよ。
陸 海 軍 は独 自 の立 場 でそ れ ぞれ 陸 相 、海 相 を選 任 し たが 、 こ の両
事 態 を よく 理 解 し た人 々に と って の政治 問 題 は、退 役 した り、 ま た
通 じ た多 数 の人士 にと って は十 分 に実 証 ず み のこと であ った。 こ の
す る日 本 本土 に対 す る空 襲 の重 圧 から 、 日本 を 防衛 す るこ と の無 力
︹6 ︺
さが 明 白 と な る に つれ て強 化 さ れ た。 一九 四五 年 四月 七 日、 米 国 の ︹ 貫太郎︺ 沖 縄 上 陸 後 一週 間 にし て、 小 磯 将軍 は首 相 の地 位 を去 り 、 鈴木 提 督
ころ で は、 鈴木 だ けが 軍部 に対 抗 し て戦 争 を終 結 に導 く 深 い確 信 と 、
が 代 って登 場す る こと に な った 。木 戸 は調査 団 に対 し、 彼 の見 ると
個 人的 な 勇 気 の持 主 であ ったと 、 証 言 し て いる。
は政 府外 にあ る他 の指 導 者 た ち に戦 争 の真 相 を 周 知 さ せ、 そ し て終 戦 を 意 図す る人物 を支 持 し て東 条 内 閣 を 倒す こと で あ った。 ︹ 惣吉︺ 海 軍 軍令 部 の高木 海 軍 少 将 は、 一九 四 三年 の九 月 二〇 日 から 一九
不 可能 な こと、 本 土 諸島 に対 す る 空襲 の可 能性 等 に基づ い て、 高木
一九 四 五年 五 月 の はじ め、 最 高 戦 争 指導 会議 は、 終戦 の方 途 に関
︹6︺ ﹁報告第 二﹂( 前掲 の第四章) を見 よ。
四 四年 二 月 ま で の間、 命 ぜ ら れ て それ ま で の戦 訓 を 研究 し た。航 空、
少 将 は 日本 は 戦 に勝 つこ とが で きず 、 よ って妥協 的 和 平 を︹ 求 久常 む︺ べき
に いた り、 天 皇 は自 ら のご発 意 に より 、最 高 戦争 指 導 会議 の 六名 の
し活 溌 な論 議 を 開始 し、 仲介 者 と し て ソ連 に調停 を 依頼 す るた め、 ︹ 佐藤尚武︺ ソ連 と の会 談 に着手 し た。 し か し、 在 モ スク ワ日本 大 使 に よ る話 し ︹ グロムイコ︺ 合 いも、 在 日 ソ連大 使 と の会 談 も 進 展 を見 せな か った 。 六月 二〇 日
艦 隊 兵 力 お よび 商 船 隊 の喪 失 、戦 時 生 産 に必要 な 重 要物 資 の輸 入が
同 様 な研 究 は、重 臣 の恐 れ て いる こと、 重 臣 た ち を通 じ て の木 戸 侯
構 成 員 によ る会 議 を 召集 し 、直 ち に終 戦 への計 画、 な らび に本 土防
で あ ると いう 結論 を 出 し た。 彼 の研究 、 お よび 企画 院 の迫 水 によ る
爵 の恐れ て いた こと を文 書 で示 し た も の であ った。 これ ら の研 究 は、 東 条 の戦 争 指 導 で は、 万事 はう ま く 運 ん で いな か った こと を示 した
衛 計 画 を 立案 す るよう 命 ぜ ら れ た。
き わ め て慎 重 な木 戸 によ って、 後 継 内 閣 の首 班 に推 薦 さ れ た小 磯 ︹ 国昭︺ ︹5︺ 将 軍 の内閣 は、 軍部 に対 抗 す る力 が な く 、熱 心 な 平和 促 進 者 た ちを
っても 平 和 を確 保 せ よ と いう 天 皇 の個 人 的訓 令 の双方 を 携行 す るは
ク ワ に派 遣す る計 画 を挫 折 さ せ た。 同 公爵 は無 条件 降 伏 に はな ら な
︹ 文麿︺ 折 し も 開催 され た ポ ツダ ム会談 は近 衛 公爵 を 特派 使 節 と し て モ ス
ので あ った。 サイ パ ン の喪 失 と共 に、東 条 の退 陣 を強 要 す べき 十 分
失 望 させ た 。 戦 争 継続 の問 題 に対 し、 "根 本的 な 再考 " を 加 え ると
ず であ った。 最 高 戦 争指 導 会 議 に お い てポ ツダ ム会 談 を 審議 す る に
な 圧 力 を増 強 す る こ とが 、 は じ め て可能 と な った 。
いう最 初 の方 針 にも か かわ らず 、彼 が そ の方面 でや った仕 事 と いえ
し て譲 ら な か った。
い条 件 で 和 平交 渉 を行 なう べ し と の政 府 の訓 令 と、 ど んな犠 牲 を 払
ば 、 最 高 戦 争指 導 会議 と いう 戦 時 内閣 を 創 設 し た こと だけ で あ る。
の ではあ るが 。
も っとも こ の会 議 は 、 そ の後 降 伏 問題 に解 決 を与 え る機 関 と な った
当 って は、戦 争 終 結 の望 ま し いこ と に つ いて は意 見 の 一致 を見 たが 、 ︹ 東郷茂徳︺︹ 米内光政︺ 三 名 の構 成 員、 す な わ ち首 相 、 外相 と海 相 には、 無条 件 降 伏 を受 諾 ︹ 阿南惟幾︺ ︹ 梅津美治 す る準 備 が あ った の に反 し、 他 の三 名、 す な わち 陸相 および 陸 軍 、 郎、豊田副武︺ 海軍 両 幕 僚 長 は、 条 件が 若 干 緩 和 さ れ な い限 りは 抗戦 の継続 を主 張 ︹5︺ ﹁報告第二﹂( 前掲 の第 三章) を見よ。
和 平派 の確信 と 力 と は、 相 次 ぐ 日本 の軍 事 的敗 北 と 、絶 え ず増 大
八月 六 日 に原爆 が 広 島 に投 下 さ れ、 八月 八 日 に は ソ連 が 参 戦 を 通
を 招来 す る のに十 分 な 圧力 を 加 え、 本 土進 攻 を不 必要 にし た こと は
あ らゆ る琳 実 の詳 細 な調 査 に基 き 、 か つ、 生 き残 った 日本 側 指導
ほぼ 明白 であ る。
ム条 項 に 関し て の意 見 の相 違 は、 そ のま ま依 然 とし て存 続 した 。 さ
った と し ても 、 ま た ソ述 の対 日参戦 が な か ったと し ても 、 さら には
者 た ち の証 言 に照 し て見 る とき 、 日本 はた と え原 爆が 投 下 さ れな か
告 し た。 こ の間 、相 次 ぐ最 高 戦 争 指 導 会議 にお い て、 以前 にポ ツダ
ら に原爆 が 投 下 さ れ る恐 れが あ り 、事 は緊 急 処 理を 要 す る場 合 と し
ま た 米軍 の日 本本 土 上 陸作 戦 が 計 画、 企 図 さ れ て いな か ったと し て
︹8︺
て、 鈴木 首 相 は 天皇 を 蔵 接ポ ツダ ム条 項 の論 議 に加 え る た め、 御 前 会 議 を 奏 請す る 手 段 に訴 え た。 裁 決 者 と し て の天皇 は、 無条 件 降 伏
た成 果 に つ いて は報 書 す る と ころ が あ った 。あ と には太 平 洋戦 争 を
て 述 べ終 った 。調 査 団 は 、す で に欧 州戦 争 におけ る空 軍 の成 しとげ
成 果 を、 原 爆 の効 果 を も含 め て、 そ の いく つか の役 割 の各 々に つ い
以 上を も って、 太 平 洋 戦争 にお け る速 合軍 の航 空兵 力が 成 就 し た
む すび
︹8︺ ﹁ 報告島昂七二﹂ ( 前掲 の8畳 田、 6木戸、 7近衛 の証言)を見よ。
日以 前 に は降 伏 し て い たで あ ろう 、 と いう のが調 査 団 の意 見 であ る。
も 、 一九 四五 年 宋 以前 に は必ず や 、 お そら く も っと 早く 、 一 一月 一
一九 四 三年 に開 始さ れ た米 軍 の対 日 攻 勢 の政 治 目的 であ った、 日
を支 持 し て構 成 員 の対 立 を解 消 さ せ る役 目 を果 さ れ た。
本 の貴 任 あ る指 導 者 を し て自 国 の敗 戦 を 自認 さ せる こと は、 こ う し て米 軍 の本 土進 攻 に先 だ ち、 し かも 日本 が依 然 と し て本 土 に約 二百
った。 空 、 海 、陸 の三方 面 にお け る 日本 の軍 事的 敗 北、 潜 水 艦 や航
万 の軍 隊 と 飛行 機 九 千機 以 上 を有 す る時 機 に お いて実 現 の運 び に 至
空 兵力 に よる商 船 隊 の壊滅 、 原 爆 そ の他 普 通 爆弾 によ る直 接 空襲 、 ︹ 7︺ これ ら のす べ てが こ の成 就 にあ ず か って力 が あ った のだ。 ︹7︺ ﹁報告第 二﹂( 前 掲の第 五章)、﹁報告第五 三﹂( 第五章、第 六章) を見よ。
る程 度 に変 更 さ れ、 また 付 加 され る と こ ろが あ り、 さら に裏付 け ら
れ るも のが あ る か と いう ことが 残 さ れ て い る。 ま た、結 果 論 的 に み
研 究 の結 果 、 欧州 戦 争 によ って与 え られ た将来 への指標 が 、 い かな
て、 太平 洋 方 面 で は、 空 軍 がも っと ちが った方 法 で、 ま た、 よ い 巧
日 本 の崩 壊 を 招来 し た、 相 合 し相 重 な って作用 し た諸 原因 の いず
と す る のは、 的 はず れ と いう べき であ る。 も し も 日本 の政治 構 造 が 、
妙 に使 用 され ね ば な ら な か った と、 断定 しう る 余地 が あ る かど う か
れ か 一つだけ に、 日本 の無条 件 降 伏 の原因 を 帰 す る こと を試 みよ う
なら ば 、 軍事 的 無力 が 明 ら か に な った 時点 と 、 避く べ からざ る強 制
を述 べ、 次 い で、 原 爆 の出 現 が 空軍 の役 割 にど う影 響 す る かを 討 議
も っと 早く 、 そ し ても っと明 確 に国策 を決 定 し う る仕 組 み であ った
さ れ た政 治 的受 諾 ︹ ポ ヅダ ム宣言 ︺ と の間 に流 れ た時 間 の経過 は、
し 、 さら に調査 団 の勧告 を のべ る こと が 残 って いる。
し かし 、 そ れ に はまず 最 初 に、 太平 洋 戦 争 の特 質 の若 干 を指 摘 せ
も っと 短 縮 され てい た かも知 れ な い。 そ れ に して も、 たと え 原爆 に よ る 攻撃 が 実施 され な く ても 、 日本 に対 す る航 空 優 越 は無 条 件降 伏
ろう。
で あ り、 一方 、教 訓 が そ こ から 生 ま れ てく る こ と を考 慮 す べき で あ
ね ば なら な い のであ るが 、 それ は 心 の中 に必ず 思 い浮 べ る べき も の
あ った。 日本 の レーダ ーや 通信 装 置 は弱点 を持 って いた。 日本 は大
お いて信 頼 す る に足 る作 戦 上 の装 備 、 施 設 を開 発 す る能 力 は 貧弱 で
の科学 的 研 究 や 技術 的 考案 は必 ず し も 独創 的 と は言 えず 、 新 分 野 に
太 平 洋戦 争 は、欧 州 戦 争が や はり そう であ った よう に、 種 々の面
戦 災 工場 を修 理す る こと は でき な か った ので、 修 理 よ り疎 開 をえ ら
る こと は 経済 的 に許 さ れな か った。 そ の産 業を 疎 開 しな が ら 同時 に
た。 そ の対空 砲 は旧式 であ った 。民 衆 のた め に完全 な 避 難所 を つく
め土 木機 械 も 欠 いて い た。 日 本 は い つも 石油 の欠乏 に悩 ま さ れ て い
量 の商 船 や護 衛 艦 を建 造 でき な か った。完 全 な 飛行 場 を建 設 す る た
に お いて 独自 のも のを持 って い た。 し たが って、 あ る状 況 の下 で効
1 太平 洋 戦 争 の特 質
果 が あ った り、 ま た は効 果 のな か ったも のが 、 時 期 を異 にし、 か つ
んだ が 、 有効 に 疎開 す るだ け の十分 な 資 材 すら 持 合 せな か った。
︹2︺ ﹁報告第 五三﹂( 第 一章 の七) を見よ。
異 な った状 況 の下 でも や はり同 じ結 果 を 生ず る であ ろう と 結 論す る ︹ 1︺ こ と は、 大 い に慎 し まね ば な らな い。 日 本 の初 期 の戦略 計 画 は制 限
す る こと は 、と う て い望 み得 な いと ころ で あ った から であ る。 し か
や戦 術 にも新 し い発 達 があ った こと か ら、 太平 洋 戦争 から 抽 出 でき
太平 洋 戦 争が 独 特 の性質 を 持 って い るば か りで な く、 さ ら に兵 器
標
し なが ら 、 日本 は熱 狂的 に戦意 の昂 揚 し た 強敵 であ り、 最 初 は 準備
る将 来 への指標 が 、 そ のま ま で他 の状 況 にも当 ては ま る であ ろう と
2 指
も 十 分 に整 え てお り、 そ の陸 軍、 海 軍 お よ び航 空 部 隊 の戦 闘 能 力 は
戦 争 を 望 ん で いた 。 日本 の戦争 能 力 で は、 米国 の基 礎的 戦 力 を攻 撃
決 し て過 小 評価 す べ きも の で はな か った 。
欠 な も の であ る。 空 中 の支 配 が 及 ぶ 限 り、 友軍 の水 上艦 船 は、 た
"制 空" と いう こ と は 一切 の主要 な 軍事 作 戦 の成 功 に不 可
と え敵 の陸 上 基地 機 の行 動圏 内 にお い ても 海上 を 航 行 でき るも の
イ
さ れ る べき も のだ と確 信 す る。
で発 生 す る 新 し い諸 問 題 の解 決 に努 力す る人 々には 、 全面 的 に考 慮
ては、 航 空 兵 力 の役 割 に関す る次 の道 し るべ は、 異 な った条 件 の下
主張 す る こと は 必ず し も でき な いよ う であ る。 し か し、 調 査 団 と し
︹1︺ ﹁報告第五三﹂(第 一章 の六)を見よ。 日本 の地 理的 位 置 のた め に、 太 平洋 戦 争 は 主 と し て海 洋支 配 のた め の戦 争 と な り、 制 海権 を確 保 す る た め に、 さら に これ に輪 を か け
た め の前 進 基 地 とな り得 る島 嶼 陣 地 を獲 得 す る 水陸 両 用 作戦 (基 地
で あ る。 制 空 権 は それ が確 保 され て いる限 り、 い かな る地 点 にお
て 制 空権 を めぐ る戦 争 と な った 。 そ の結 果 、 艦艇 や商 船 を攻 撃 す る
争 奪戦 ) が 、 一般 作 戦 や 死闘 の中 心と な った のであ る。 そ こ で、 空
いて も水 陸 両 用作 戦 によ る 上陸 を可 能 にす るも の であ る。 空 中 の
支 配 は地 上 兵 力 に対 す る 密接 な 航 空 支援 を可能 に したが 、 そ れ が
母 機 動部 隊 、補 給 支 援 を担 った 水 上艦 船 、 そ れ に潜 水 艦 部隊 が 異 常
日 本 の潜 在 工業 力 は米 国 のそ れ の約 一〇 % にす ぎ な か った。 日 本
︹2 ︺
に重 要な 役 割 を果 す こと に な った 。
十 分 に実 施 で き た場 合 に は、 そ の効 果 は決 定 的 であ った。 交 通 線
日本 側 は神 風戦 法 を と る こと によ り、 損 失対 成 果 の比 率 を増 加
味 方が 制 空 権 を 獲 得 した と考 え て いい の であ る。
さ せ た。 これ は死物 狂 い の手 段 ではあ ったが 、そ の収 め た戦 果 は
上 で収 めた 制 空権 は 、敵 に対 し て は、 輸 送 を有 効 に妨害 し、 遮 断
相 当な も ので あ り、 も し こ の神 風 戦法 が よ り大 規 模 であ ったな ら
な く され た かも 知 れな い。 こ こ で明 ら か にな った こと は、 防禦 的
し 、味 方 に対 し て は海 上交 通 を 確保 す る こと が でき た 。 日本 の本
制 空 権 は改 善 し な けれ ば な ら な いか 、あ る いは わが 軍が 使 用 す る
ば 、米 国 の戦 略 計 画 は、 これ を引 っこ め るか変 更 す る こと を 余儀
太 平洋 戦 争 で全 指 揮 官 た ちが 第 一の目 標 と し た こと は陸 軍 、 海
こと を計 画 し て いる陸 地 や海 面 と 、敵 基 地 と の距 離 を、 敵 の特 攻
土 上 空 の制 空 権を 確 保 し た米 軍 は 、 長距 離 爆 撃機 によ り、 所 望 す
軍 、 航 空部 隊 のいず れ の指 揮 官 た る を 問わ ず 、 ま た米 軍 、連 合 軍 、
る日 本 の産 業 施設 や都 市 を破 壊 す る こと を可 能 に し た。
さ ら に日本 軍 の指 揮 官 た るを 問 わ ず 、 いず れ の場 合 にも 、 と に か
な く て、制 空 権 を支 援 し、 増 強 しま た開 発 す る 一切 の力 の根 源 を
力 は、 敵 と交 戦 す る飛 行 機 と パイ ロヅト だ け から 成 立 つも ので は
存 した 地 上兵 力 を 、 そ の兵 力 は 孤立 し て おり 、補 給 や増 援 から 完
禦 施 設 を 、多 く の場 合 に は除 去す る ことが できず 、 し たが って残
収 める に は限 度 が あ った。 た こ つぼ 、 地 下砲 床、 そ の他 の準備 防
し た飛 行機 が 、 こ の制 空権 を 利 用し て、特 別 な戦 果 を 完 全な 形 で
制 空権 を 確保 し て いた と し ても、 従 来 の高 性 能爆 弾 を搭 載
包 含 す る も の であ る。 そ れ は地 上 兵 力 、海 上 兵 力 お よび 航 空兵 力
全 に遮 断 され て いた にも か かわ らず 、犠 牲 の多 い白 兵 戦 で 一掃 す
ニ
あ る。
機 や 誘導 兵 器 の行 動半 径 以 上 に離 れ て保 持 す べき だ と いう こと で
空中 の支配 は易 々と達 成 で き る も の では なく て、 一国 の全
く 制 空 権 を確 保 す る こと であ った。 ロ
(陸 上 基 地機 と 空 母機 の双 方) な らび にそ の補 助 支 援部 隊 の 統 合
る 必要 が あ った 。
資 源 の総合 的 な適 用 によ って はじ め て可能 な も のであ る 。航 空 兵
に よ って支 持 さ れ たも のであ る。 かく し て、 最 初 は局 地 的 に確 保
さ せた 。 戦闘 機 の行 動 半径 の最 大距 離 で の哨 戒 時間 は、 以前 の標
に、技 術 、戦 術 の両 面 から す る進 歩 が 次第 に これ ら の制 限を 減 少
天候 や 夜暗 が 制 空 権 の利 用 を制 限 し て いた が 、戦 争 の造 進 と 共
的 な 協 同 作業 であ り、 一方 、国 内 戦 線 の 一切 の部門 の総 合 的努 力
さ れ た制 空権 は、 やが て全 般 的と なり 、 つい には 日本 本 土 上 空 を
空 中 支配 の限界 に つい て は特 に記 述 の必 要が あ る。 敵 を し
条 件 のた め に は、 飛行 場 や空 母 が地 上 戦 闘 の危 険地 域 から 三〇 〇
準 数 字 と 比 べ る とよ り 大 と な ったが 、 そ れ でも 援護 戦 闘機 の最 善
ハ
支配 す る ま で に成 長 し た の であ る 。
て 空中 の使 用 から 完 全 に閉 め出 す こと は絶 対 に不 可能 であ る。 も
米国 の最 長 距 離爆 撃 機 の有 効 半径 は 一、 五〇 〇 マイ ルを限 界 と
海 里 乃至 そ れ 以 内 にあ る ことが 要 求 され た。
し敵 が 、 自 分 たちが 収 めた 成 果 に比 べ て、 途方 も な い損 害 を 出 さ ず に は、 航 空 作戦が でき な いの に、 一方 、 味方 機 は自由 に行 動 し ても 、 た いし た損 害 を出 さ ず に作 戦 しう る 場合 に は、 われ わ れ は 、
と考 えら れ て いた 。制 空権 と 、 そ の利 用 に つき ま と う、 これ ら の
る た め には、 さら にも っと 日 本 に近 接 し た基 地が ぜ ひと も 必 要 だ
し て い たが 、 不時 着 の場合 を 考 え、 あ る い は戦 闘 機 の援 護 を 受 け
ン に配 備 さ れ 、さ ら にこ の 一千 機 の中 に は、船 舶 攻 撃用 機 種が 含 ま
空 母 の数 が 甚 しく 不 足 し て いた 。も しも 当 時 日本 側が 保 有 し て い た
太 平洋 戦 争が 起 った とき 、 米 国 は 、と りわ け新 式 の陸 上 戦 闘機 と
千機 が 分 散 さ れ て いた とす れ ば 、 そ の実 情 を知 った 日本 側 が、 進 攻
れ 、訓 練 、装 備 およ び補 給 が 十 分 であ り、 約 五〇 の飛行 場 にこ の 一
優 秀機 と 性 能 で 匹敵 し う る、 少 な く とも 一千機 の飛 行機 が フ ィリピ
に よ り減 少す る こと の重要 性 は多 言 を 要 し な いと ころ であ る 。
制 限 が 、 戦後 にな さ れ た研 究 によ る進 歩 し た成 果 を 適用 す る こ と
太平 洋 戦 争 で得 た経 験 は、 欧 州 で の戦 争 を 調査 し た 調 査団
企 図 をま ったく 断 念 し たと は考 え ら れな いに し ても、 日本 の緒 戦 の
ホ
真 珠 湾 で比 較 的 旧式 な 戦 艦 群 を喪 失 し たが 、 こ れ は当 時 の海 軍 の
破竹 の進 撃 は大 い に阻止 しえ た こ と は間 違 いな いと思 う 。
攻 撃 を 加 えれ ば 、 こ の目 標 が敵 の戦 力 を維 持 す る部 門 であ ったな
戦闘 能 力 に は殆 ん ど 影響 を 与 え な か った 。 一方 、も しも数 隻 の空 母
が ま と め た結 果 を 支持 す る よ う にな って い る。 す な わ ち、 目 標 を
ら ば 、 決定 的 な 結 果が 生 ず る と いう こ と であ る 。 こ の こと は さら
が 太 平 洋 に増 強 さ れ て いた な らば 、 海 軍 の能 力 は は かり し れな いほ
慎 重 に選択 し、 これ に対 し て 、猛 烈 にし て継 続 的 に、 か つ正確 な
に、 いか な る国 民 と いえ ど も、 自 国 の本 土 上 空 で敵 の空中 兵 器が
ど 増 大 さ れ て いた こ と であ ろ う。 日本 が 満洲 を占 領 し、 極東 にお け
米国 は、戦 争 を 実際 に遂 行 し て いく 過 程 で、 航 空兵 力 のも つ能 力
よ く、 か つ経 済 的 にも でき た であ ろ う。
れ ら の計 画 は、 も し も 戦前 の数 年間 にな さ れ て いれば 、 も っと効 率
のか か る改善 、 およ び技 術 進 歩 計 画 を実 行 せざ る を得 な か った。 こ
飛 行機 の性 能 を満 足 で き る標 準 ま で引 き 上 げ るた め に、 大 急ぎ で金
く 、多 数 の機 種 の質 にお い ても 欠陥 だら け であ った 。そ の後 米国 は、
戦争 が 開 始 され た時 、米 国 空 軍 は、 機 数 が 不足 だ ったば かり でな
戻 ってき た のと同 じ こと に な った であ ろ う。
少 な く し て解 決す る こと に よ り、 増 額 され た 予算 が 何倍 にも な って
も し 戦争 が 、 依然 と して 避 け られ な か ったと し ても 、 死傷 や 出費 を
算 の増 額 を はじ め て おけば 、戦 争 は起 こ らず にす んだ かも しれ な い。
る平 和 の脅 威 が 明白 にな った そ の時 に、全 般 の軍 備 増 強 に要 す る 予
傍若 無 人 に使 用 さ れ る のに は、 長 く堪 え得 る も の で はな いと いう 、 ド イ ッで の調 査 結果 を 支持 し て いる のであ る 。自 分 の頭上 の制 空 権 を 握 って いる敵 機 は、自 国 にと って は、陸 上 から 侵 攻 され た占 領 と 同 じ程 度 の災厄 であ る と いう事 実 を 十 分 に把 握 す る こと は、 将 来 のた め にき わ め て重要 であ る 。
3 後 知恵 で言 えば 戦 争 が 終 結 し て みる と、 あ る 面 に お いて 、航 空 兵 力 は ちが った方 法 で、 あ る いはも っと 上 手 に使 用 でき た かも 知 れな いと いう 点 は、 勿 論 か な りあ る。 欧 州 戦争 の勃 発 前 に は、 わ れ われ は航 空兵 力 が果 す べき はず だ った卓 越 し た役 割 を 過小 評 価 し て、 当 時陸 海 軍 が 利用 可能 であ った資 材 は不十 分 で あ った にし ても 、 し か も そ のご く 一部 分 し か、 航 空兵 力 に割 当 てな か った。
たが 、 こ の間 航 空兵 力 の持 つす べ て の要 素 に関 し、 日 本側 に対 し て
た 。 一九 四 三年 の末 ま で に、 米 国 は、 戦 闘 力 と兵 力 の増強 を 行 な っ
が も たら し た戦 略 的 革命 の真 意 を、 日本 よ りも 著 し く 早期 に把 握 し
領 以前 にあ って は、 中 国基 地 にあ るB 29 は、 日 本 の 〝内 線 地帯 " を
が も つ有 効 性 は、 た し か に過 大 評価 さ れ て いた 。 マリ ア ナ諸 島 の占
し た り、 あ る い は 回避自 由 な 日 本 の艦 船 を撃 沈す る の に高 々度 攻 撃
に行 なわ れ た。 日本 軍が 応 戦 の準 備 を 重 ね て いる防 備 施 設 を無 力 化
︹3 ︺
敷 設 に従 事 し て 日本 船 舶 の撃 滅 を 促進 し、 ま た同 時 に南 方 地域 にあ
攻 撃 し たが 、 こ れ は、潜 水 艦 と 協 同 し て偵 察 、 低 空攻 撃 お よび 機 雷
明 白 な優 越 性 を達 成 し て し ま った 。 かく し て終 局 の勝 利 は確 保 さ れ る に至 った。
日 本 本 土 に対 す る攻 撃が 最終 段 階 をむ かえ た時 、米 国 は、 戦前 の
る日 本 の石 油 工 場 や金属 工場 を 破 壊す る のに使 用 され た 方 がも っと
︹3︺ ﹃ 太平洋戦争秘史﹄ (一八八︱ 一八九頁)、 ﹁報告第 五三﹂( 第四
日本 経 済 に関 す る 情報 が 不 完全 であ った ため に 不利 を こう む った。
効 果 的 であ った だ ろう 。
る ことが 可能 と な った。 戦 前 の米 国 の軍事 組 織 の構 成 で は 、大 統 領
本 土 空 襲 に先 立 つ船舶 攻 撃 に よ って、す で に起 こ り つ つあ った 日本
章)を見よ。
以 外 には兵 力 全 部 を統 制 す る権 力 を 伽 え た機 構 は な か った 。 と こ ろ
経 済 の崩 壊 をさ ら に拡 大 し 促進 す る こと によ って、 労 力 は大 い に節
こ の優 越 性 を 利用 す る こと によ り 、 戦争 への努 力 は大 き く節 約 す
が 、 そ の後 に、 戦争 に よる 緊 急要 請 のた め に設 け られ た統 合幕 僚 長
約 され る こ と にな った ろう し 、 二重 の手間 も か けず にす んだ こと で
︹4 ︺
た。 し かし、 メンバ ー の各 員 は、 事 実 上 拒否 権 を 持 って おり 、 必要
会 議 は、 当時 こ の間隙 を埋 め る こと のでき る最 も 強力 な 機 関 であ っ
あ ったろ う。 こ の日 本経 済 の崩 壊 は、 日 本 のす で に 不具 の状 態 にな
ギ ルバ ー ト諸 島 を 占 領 し た戦略 的 成果 は、 限定 さ れ たも のであ っ
敗 北 と 結合 し て 、 い か に大き な役 割 を果 す も のであ る か と いう こと
め に、 日本 本 土 に対 す る 空襲 が 、 封鎖 と 、 それ まで の 日本 の軍事 的
米 国側 は、進 攻 せず に日本 を 無 条件 降 伏 へと 完 全 に屈 服 さ せ る た
︹6︺ ﹁報告第五三﹂( 第七章) を見よ。
対 す る B29 と 空母 機 の統 合 攻 撃 によ っても っと 早 く成 就 さ れ た であ ︹ 6︺ ろ う。
撃 の集 中 、 な らび に 一九 四 五年 四 三 に始 ま った 日 本 の脆 弱 な鉄 道 に
機雷 敷 設 計 画 の早 期 の開 始 、 戦 争 の最 後 の数 ヵ 月 にお け る空 母 機 攻
って い た軍 艦 に対 す る よ りも 、 残存 商 船 隊を 目 標 とす る 空中 から の
と され る全 員 の意 見 一致 は妥 協 の産 物 であ った。 そ し て、 太 平洋 戦 ︹5 ︺
域 全体 に対 し て、 た だ 一人 の総 指揮 官 を 決 め る こと は 不可 能 な こ と
の強大 さ は、 太平 洋 を 横切 って二本 の線 の進 撃 を 計 画 し、 実 施 す る
が 実 証 さ れ た。 し か し なが ら 、 米国 のも つ軍 事 的 、 ま た経 済 的能 力
こ と、 な ら び に全 面 的 な進 攻 の準備 と同 時 に、 無 条 件降 伏 を導 き 出 す に足 る十 分 に し て苛 烈 な空 襲 をも 行 な う こ とを 可 能 に し た。 ︹4︺ ﹃ 太平洋戦争秘史﹄ (一四五︱ 一四七頁)を見よ。
た 。 ラバ ウ ルを は じ めと す る、 米 軍が わざ と 迂 回 し て、 攻 め残 し た
に つ いて は認 識 不足 であ った。 一九 四 五年 七月 まで に 、米 国 は計画
︹5︺ 同右 (一四五頁)を見よ。
日 本 軍 の諸 要 地 への攻 撃 は、 必要 以 上 に長 期 に わ たり 、 か つ大 規 模
失 い、耐 乏 の限度 にま で達 し て いた し、 日本 の指 導 者 た ち は、 敗 戦
本 の工業 潜 在 力 は致 命 的 に減 少 し、 国民 大 衆 は勝 利 の確信 を す でに
さ れ た 空襲 の 一部 し か実 施 し て いな か った。 そ れ にも かか わ らず 日
の見 地 から のも のを 含 む) を 通 じ て、 防 禦 的制 空 権 を 昼夜 を 問わ ず
は単 に技 術 的 改善 や 数 量 の立 場 か ら だけ では なく 、 そ の配 備 や戦 法
改 善 を な るべ く 早目 に行 な い、 対 空 兵 器と 防禦 戦 闘 機 の改 良 (これ
す 大 き な意 義 を 持 つよう にな って いる 。警 報 器 や戦 闘 機 指揮 装 置 の
し かし なが ら 、 一機 の敵 機 も 、あ る いは 一発 の誘導 兵 器 をも 決 し
完 全 にす る た め、 も っとも 真 剣 な努 力 が 払 われ ね ば な らな い。
米 国 は十分 の準 備 な し に戦争 に 入 った ので、 日 本 に対 す る 圧迫 を
て侵 入 さ せな いほ ど ま で、 十 分 に防 禦 的制 空 権 の効 果 を 増大 でき る
の不 可避 な こと を 悟 って降 伏 受 諾 の準 備 を進 め つつあ った。唯 一つ
絶 え ず 増 大す る た め 、 一切 の資 源 の全 面的 動 員 を実 施 し たが 、 こ の
の残 され た 問題 は、 降伏 の時 機 の選 定 と そ の条 件 と であ った 。
動 員 は、も はや そ う ま です る 必要 が なく な った時 期 ま で も継 続 さ れ
る いは誘 導 兵 器が 、 あ ら ゆ るわ が方 の防 禦 施 設 をく ぐ り抜 け て、彼
と 予 言す る こと は早 計 であ る。 そ こで、 少 な く とも 少 数 の敵 機 、あ
になさ れ る報 復 の脅威 が 、 ど ん な挑 戦 者 にも 、 こ のよう な 攻撃 を 思
だ と考 え てお か ねば な らな い。 ただ わ れ わ れ の攻 撃部 隊 によ る即 刻
ら の行 動 半 径内 にあ る何 ら か の目標 を攻 撃す る こと は、 あ り 得 る の
た。
4 航 空兵 力 の役 割 に対 す る原 爆 の影 響
それ にも かか わ らず 、 万 一われ わ れが 攻撃 さ れ た場 合 、 た ちま ち
い止ま ら せ る こと に な る であ ろ う。
原 爆 の出 現 は、 原 爆以 前 の諸 々の経 験 に基 礎 を 置 い た航 空 兵力 に
た判 断 の標 準 の多 く は大 変革 に見 舞 われ たが 、 し か し若 干 の、 さ ら
関 す る 一切 の結 論 を無 効 のも のと す る であ ろう か。 原 爆 以 前 にあ っ
に基 本 的な 原 則 お よび そ の関 連 寮 項 は、 依 然 と し て健 在 であ ると い
て、 わが 方 の脆 弱性 を 物 的面 に お いて でき る だけ 減 少 さ せね ば なら
圧 倒 さ れ る ことが な いよ う にす るた め に は、 こ のよう な 攻撃 に対 し
な い。 太 平 洋 戦争 およ び欧 州 戦 争 で の経 験 は、 民 間 や そ の他 の方 式
う のが 調査 団 の意 見 であ る。 現 在 の開発 段 階 で の原 爆 は、 目標 と す る も のの性 質 とそ の大 き さ にも よ るが 、 大 体 、爆 撃 機 一機 の破 壊力
によ る受 身 の防 禦 が 、 一国 が 受 け る空 襲 に対 し て、脆 弱 性 を か なり
の程度 減 少 でき る こと を よく 示 し て いる 。現 在 よく知 ら れ て い る技
の五〇 倍 か ら 二 五〇 倍 ま で高 めたも ので あ る 。制 空 権が 確 立 し 、 原 爆が 円 滑 に 供給 さ れ る とす れば 、 そ の破 壊能 力 に つい て は問 題 はな い。 し かし、 こ の両方 の条 件 が 成 り立 た な い限 り は、原 爆 の投 下 に
った場 合 の死傷 に比 し て、 二 〇分 の 一乃 至そ れ 以 下 に減 少 さ せる こ
術 に よ って、 一般 市 民 の死 傷 者数 は、 これ ら の技 術が 使 用 され な か
こ の方 式 は、何 でも 地 下 に移 動 さ せ ると いう こと で は なく て、順
とが でき る。
よ り戦 争 を決 定 し て し まう よ う な結 果 を獲 得 す る 試 み は、 矢張 り従
制 空権 の問 題 は、 第 一に は、 わ れ わ れ自 身 の制 空 権 であ り、 同 様
序 立 て た避 難 、疎 開 、 警 報、 防 空 壕 お よび 空襲 後 の救 急計 画 を 指す
来 の爆 撃が 出 会 ったも のと 同様 な 問 題 に ぶ っつか る こと に な ろう 。
に攻 撃 を受 け る かも 知 れ な い敵 の制 空 権 で あ るが 、 と に かく ま す ま
島 と長 崎 で行 な った 原 爆 の効 果 の分析 は、 以上 に のべ た こと が、 従
のであ り、 これ ら の基 礎 は、 平 時 に設 定 し て お かねば なら な い。 広
こ の兵器 が 使用 さ れ る場 合 の情 況 は、 ま ったく 一新 さ れ た の で、根
も のと し てし ま った こと に はな ら な いだ ろう 。 た だし 、 原 子兵 器 は、
間 におけ る努 力 な どが 、 十 分 に協 同し て敵 と 戦 う 必要 性 を無 意 味 な
本 報告 の既述 部 分 の随 所 にわ れ われ は多 く の勧告 を 挿 入 し た が
5 勧 告
本 的 に変 化 し た装 備 、訓 練 およ び戦 法 が要 求 さ れ る こと になろ う"。
来 の兵 器 の時 代 に おけ る よ りも 、 原爆 時 代 にお い ても 、 ま った く真 実 であ り、 ま た は る か に、 い っそ う 顕著 であ る こと を よく 示 し て い る。 同様 に、 経済 的 脆 弱 性 と いう も のも 、 貯蔵 、 疎 開 、 お よび特 別 に重要 な産 業 部 門を 特 殊 な建 設 物 に収 める 計 画を 入 念 に 立案 す る こ
最 も 重 要 なも のであ る )、 これ に加 え て調査 団 は、 適 切 な 調査 や 開
(市 民 お よび 経 済 に対 す る保 護 に つ いて言 及 し た勧告 は、 そ の 中 で
厳 密 な意 味 で の軍 事 的 分 野 に おけ る 、戦 略 や戦 術 に対す る原 爆 と
る。 す な わ ちそ れ は、 平時 の期 間 に適 切 な 情報 を 確保 し ておく こと 、
発 を 助長 す る具体 的 か つ迅 速 な る 行動 が 必要 だ と 痛感 す るも の であ
に お いて の み満 足 に作 成 し う る の であ る。
と によ り、 大 いに減 少 さ せ う る。 経 済分 野 で のか か る計 画 は、 平時
誘 導 兵 器 の影 響 は、 軍 事 専門 家 によ って のみ 詳説 しう る と こ ろで あ
の米 国 の継 続 的 に保 た れ る軍 事 力 が 必要 であ る こと を国 家 的次 元 に
米 国 の軍事 機 構 を統 合 す る こと 、 な らび に平和 を 確保 す る力 と し て
る。 し か し なが ら、 調 査 団 の意 見 によ れば 、 この よう な専 門 家 によ る慎 重 な研 究 も 、次 の結 論 を 必ず 支 持 す る こと と な るであ ろう 。 そ
新 戦 法 は、 それ が 可能 とな るよ う に開 発 され ねば な らな い。現 在 の
に持 続 的 な行 動 が 不 可能 であ ろ う。 したが って、新 型 の攻 撃 兵器 や
重爆 撃 機 は、 防 禦 戦闘 機 の行 動 半径 を 越 え て は、有 効 に、 ま た十 分
特 別 の考慮 が 払 わ れ ねば な ら な い。 今 次 の戦 争 で使 用 さ れ た よう な
った 一国 の兵力 を 、 た ちま ち 圧倒 す る こ とが でき る ので あ る。 太 平
訓 練 を 重 ね たあ る 攻撃 部 隊 は、 は るか に より 大き な基 本的 な 力 を持
て い る。 こ の戦 法 によれ ば 、技 術 的 優 越性 を備 え、機 動力 に富 み、
され た こ の結 論 は、 日 本 と の戦 争 の経験 によ り さら に強 く 支 持 され
は、 き わ め て危 険 なも のであ る。 最 初、 欧 州戦 争 の経過 から導 き 出
﹁調 査 お よび 開発 ﹂︱︱ ﹁電馨 戦 ﹂の戦 法 は、こ の攻撃 を受 け る側 に
お い て認 識 し、 か つこ の認 識を 高 めて いく こ と、 であ る。
戦 闘 に お いて は、 前進 航空 基 地 は防 衛 さ れ ねば な ら な い か、 あ る い
"兵 力 の分 散 、 ま た こ のよ う な分 散 が行 な わ れ る空 間 と距 離 に は、
の結 論 と は 以下 のよ う なも の であ る。
は さ ら に前 進基 地 が 次 々に獲 得 さ れ ねば な ら な い。 従 来 の戦争 の基
三 千万 人 を 征服 し、 巨 大 な戦 略 的 重要 地 域を 席 捲 す る ことが でき た。
一九 三 八年 のミ ュン ヘン会 談 の当時 から、 世 界 平和 に対す る侵 犯
洋 戦 争 の緒 戦 の局 面 に お いて、 日本 軍 は わず か数 ヵ月 にし て、 一億
が 起 り そう だ と 、わ れ わ れ は認 知 し て いた。 そ の事実 にも か かわ ら
本 原則 は、 新 兵器 の分 野 をも 含 め て適 用 さ れ る場 合 でも 、 依 然と し
も し、 以 上 の所 説 が 正 し い とす れば 、 原 子 兵器 の出現 は、 地 上 兵
て健 在 であ り有 効 で あ る。
力 、 水 上艦 艇 、航 空 兵 器 、 これ ら に加 う る に補 助 部 隊、 なら び に 民
般 に考 え られ な いし 、進 歩 し た 空気 動 力 学、 ジ ェット推 進 お よび 誘
て いた 。 こ の よう な 調査 か ら し て、 信頼 性 の高 い軍 事 的効 力 を 生 み
ず 、 ま た 一方 、連 合 国 が 仲裁 に動 いた年 月 と 、 この間 の経験 こそ が 、
出 す に は、 基 礎 的研 究 から 一年 乃 至 二年 の遅 延 の後 に、 苦 労 の末 は
し か し航 空 兵 器 と魚 雷 で は、 日本 は米 国 より すぐ れ たも のを 持 っ
と 、 お よび 工 業動 員 、 軍事 動 員 を 開始 す る ことが 許 さ れ た こと 、 以
じ め て完 成 でき る と いう 結 論 であ った。 こ の形式 の仕事 は、 き わ め
導 兵 器 の開 発 でも あ る程 度 ド イ ツ の後 塵 を拝 し た と いう こ とも な い。
上 を遂 行 す る のに非 常 に貴 重 であ った こと も真 実 な ので あ る。 太 平
わ れ われ の戦 略 概念 を 変 更す るた め に 必要 な 手 段 を講 じ た こと 、 ま
洋 の距 離 の大き さ は幸 運 にも 米 国側 に、 空 間 と 、し た が って時 間 を
一〇 億 ド ルに達 す る調 査 と開 発 用 経費 は、 要 求し ても受 諾 さ れ る で
て複 雑 と な ってき て いる ので、 国 家安 全 を 確保 す る た め に は、年 間
た 兵器 を 改 善 す る た め に、進 歩 し た科 学 と、 開 発資 源 を 適用 し た こ
与 え てく れ たが 、 これ に より 初 期 の打 撃 は解 消 され 、 一方 米 国 の増
あ ろう 。
加 され た 兵 力 と、 日本 の直 面 し た、 増 大 し て いく 補 給 問題 の困難 と が 相 俟 って、米 国 軍 の部 隊 は前進 し て行 き、 つい に最 初 の不 利 な立
わ め て不十 分 であ り 、 米国 の総 合戦 争 計 画 は、 間 違 った情 報 と正 確
﹁情 報 ﹂︱ ︱ 太平 洋 戦 争 の開 始 に当 り、 米 国側 の対 日戦 略 情 報 はき
科 学 は 、 近代 兵 器 の破 壊 能力 を飛 躍 的 に増 大 さ せ、 将 来 にお い て
場 を逆 転 さ せ る に至 った。
も さ ら に 大き く 発 達す る こと を約 束 し て い る。 も し原 爆 の供 給 が 十
は、 実 際 的 で はな か った。 真 珠湾 攻 撃 後、 日本が 戦 争 を 続 け て いく
な情 報 の間 違 った解 釈 の上 に基礎 を 置 いて い た。 こ の限 り に お い て
的 優 越性 、 な らび に操 作 員 や整 備 員 の熟 練 度 に依存 す る こと にな ろ
能 力 を持 ち得 た であ ろ う 。将 来 、 国 家 の安 全 は、兵 器 の高度 な 技 術
以 上 の日本 の各 都 市を わず か に 一日 で完 全 に破壊 でき るほど 十 分 な
実 数 と は相 当 の開き を残 し て いた 。 も しも 、 これ に匹 敵す るよ う な
最 大 限 の努 力 を 傾 け ても な お数 年 間 を費 やし 、 し かも そ の分 析 は、
た、 日 本 の経 済 や産 業 に関 す る情 報 を 取得 し、 それ を 分析 す る のに、
の に必 要 とす る資 源 を攻 撃 す る計 画 を 米国 が 立案 す る のに 必要 と し
︹7 ︺
分 だ った とす れ ば 、 マリ アナ諸 島 を 基 地 とす るB 29 は、 人 口三万 人
う 。平 時 の軍事 戦 略 計 画 は、 積 極 的 な科 学 的 調査 と、 開 発計 画 に重
ば 、 それ こそ 大 き な災 厄 を 招く こと は 必定 であ る。
諜 報 上 の欠 陥 が 、将 来 、 国家 緊 急 事 態 の発 生 の際 に存 在す るとす れ
も し侵 略 の脅 威 が 世界 に起 こる 度毎 に、 米国 は、事 は急 を 要 せず 、
点 を 指向 し、 か つこれ ら に支援 さ れ ねば なら な い。
︹7︺ ﹁報告第五三﹂( 付録A) を見よ。
作 戦 情 報 の分 野 にお いて は、 太平 洋 戦 争 中 は、 すば ら し い長 足 の
動 員 も 適 切 に行 な わ れ れば 、 そ の持 つ軍 事 兵器 と 戦 略 は、 単 に技 術
るが 、 現 実 に、 こ の侵 略 者 に優 越 し てお く こと が 肝要 な のであ る。
的 にど ん な に強 力 であ る侵 略 者 に対 し ても 敗 れ る ことが な い のであ
め て大 量 の、 し かも 詳 細 にし て正確 な 作 業、 兵 力 と兵 器 の迅速 に変
進 歩 と 発 展が あ った 。 こ の分 野 に おけ る、 も ろも ろ の要 求 ︱︱ き わ
化す る能 力 に適 合 す る複 雑 な 分析 、 およ び速 力 に対 し て の︱︱ は、
遅 れ た特 殊 兵 器 に開発 を 集 中す ると いう 急が れ た 要望 のた め の、 基 本 的 な科 学 調査 が 戦争 中 米 国 に お い て、 あ る程 度 軽視 さ れ たと は 一
の要 求 は、太 平洋 戦争 に お いて は十 分 に満 た され た と は い いえ な か
す べ て訓練 、 能 力 それ と 組 織 に重 点 が 置 かれ るも のであ る。 これ ら
出す 傾 向 が あ った。
の独 自 な 目的 、 能 力 お よび 要 求 に従 って、 自 分勝 手 な 外交 政 策 を打
軍事 政 策 は内 閣 の外交 政 策 と 一致 せず 、 日本 の陸 海 軍 は そ れぞ れ そ
び そ の経済 資 源 の有 効 な 利 用 を阻 害 した。 大 本営 政 府 連絡 会 議 、最
計 画 の調整 、 航 空兵 力 の正 当 な用 法 、 適切 な 後方 業 務 の展開 、 お よ
戦 時 中 は、 日 本陸 海 軍 間 の官僚 的 抗 争が 戦略 的 な ら び に戦 術 的諸
った。 欠陥 は時 には重 大 であ った。 こ の欠陥 が 生 じ た大 部 分 は、 拡 張 され る 組織 に対 し、 適 任 の中 心人 物 と な る べき 練達 の有能 な作 戦
適 切 な諜 報 の基礎 は平 時 にお い て のみ建 設 し得 る。 こ の諜 報 分 野
され ては い たが 、 こ れら はむ し ろ 主と し て、 政府 、 陸 軍、 海 軍 間 の
高 戦 争 指導 会 議 、 元帥 府 、 大 本営 等 のよう な連 絡 統 合 組織 は、 設置
情 報 士 官が 、 戦 前 に不足 して い た こと に帰 せ られ る 。
に おけ る 諸問 題 の解 決 法 の 一つは、 適 切 な特 別 の協 同作 業 と、 そ れ
統 一、統 合 や 調 整が 、 事 実 は、 は な はだ しく 欠如 し てい た こと を隠
に情 報 の配布 を 確 保す る ため に、 中 央 情報 当 局 によ り、 と と のえ ら れ た大 規 模 な中 央 集権 制 度 の確 立 であ る と思 う 。 こ のこと はま た、
蔽 す る のに役 立 った だ けだ った。
米 国 の場 合 にも、 太 平 洋 全 戦域 にわ た って の指 揮 の統 一は確 保 さ
情 報 単 位 機関 を 各 種作 業 組 織 へと 周 到 に統 合 し、 妥 当と 思 わ れ る情 報 作 業 関 係 の予 算 と人 員 を 確保 し、 最 優秀 な人 物 を引 き つけ る ため 、
軍 の指 揮官 間 の協 同 と妥 協 は主要 な点 に お いて は、 おお む ね大 過 な
れ な か ったが 、 各方 面 の最 高 指揮 官 は、所 属 せ し めら れ た航 空 、 地
く 運 ば れ た。 完 全 な統 合 に欠 け るも のが あ ったと す れ ば、 そ の大部
上 、 海 上 の諸 兵 力 を、 統 合 さ れ た協 同 チ ー ムと し て運 用 し た。陸 海
こ の後者 の諜報 に対 す る 高 い信 望 は 、情 報 業 務 の訓 練 の反復 と 、
分 の理 由 は、 統 合幕 僚 長 会 議 の機 構 を通 じ て 、米 国 の戦前 の軍事 組
こ の諜 報 に付 属 す る名 声 が 、十 分 に増 進 す る こと に解 決 の 一つが 存
他 の陸 海 軍 や政 府 職員 の側 か らす る、 情 報職 資 に対 し て の十分 な 評
織 の基 本的 構 成 に帰 す る こと が でき た。
す ると 思 う 。
価 から のみ生 じ得 るも の であ る。 現 在 の各種 の作 業 組織 によ る情 報
︱ ︱ 日 本 が破 滅 的 な 戦 争 を開 始 し た の には、
慮 中 で あ る。 適 切 な法 律が 迅 速 に議 会 を通 過す る こと は、 国 民 の利
︹8 ︺
米 国 の議 会 は目下 米 国 軍 事制 度 の再編 と統 合 のた め の立 法 化 を考
業 務 にお い て、貴 任 の所 在 の欠 如 と 、訓 練 を 積 んだ有 能 な情 報 関 係 者 が 不足 し てい る こと は 、 こ の分 野 にお い て、 矯 正す べ き点 への警
﹁米 国軍 事 機構 の統 合 ﹂
告 と 要 求 と の原 因 とな って いる。
な 敗 北 にも 、 こ の欠 陥 は た い へん強 く 影 響 し た のであ った。 日本 の
事政 策 と 外交 お よび 国 内政 策 と の統 合 を 、 よ りよ く緊 密 にし 、 ま た、
す こ と の可能 な指 揮統 一の組 織 こそ、 文 官優 位 を強 化 し、 そ し て軍
太平 洋 戦 争 の教訓 によ れば 、 首 脳 部が 明快 にし て有 効 な 決 定を 下
︹8︺ 米国防総省は、 一九四八年 一一月 一九日設置され た。
益 に 一致 す る も の であ ると いう のが 調査 団 の意 見 で あ る。
政 府 構成 の形態 で は、軍 部 に対 し て、 文 官 優位 を保 持 す る手 段 は何
日 本 政府 の機構 上 の欠陥 が 作 用 し て い た。 開 戦 の後 の日本 の徹底 的
も な く、 陸 海軍 間 に適切 な協 同 を確 立 す る 方法 も 存 在 し なか った。
ち樹 て、 そ の上 にず っと生 き てき た。 これ ら の諸 原則 の上 に基 礎 が
米 国 は 国 の内 外 にお い て、 寛 容、 自 由 な らび に善 意 の諸 原則 を打
と を示 唆 し て い るが 、 こ れ はき わ め て賢 明 で あ ると いえ よう 。
置 かれ て い る兵 力 は、 世 界 平 和 への脅 威 で は な い。 戦 争 の防 止 は、
し かも こ のよ うな 指 揮 統 一は、若 干 の重 複 の危険 を 伴 う に せよ 、 行
計 画 、 情 報 、 調査 、 開 発 に高 度 の調 整 を与 え 得 る こと を 教 え て いる 。
政 的 負 担 を分 散 さ せ 、構 成 兵 力 の特 殊 な 訓 練 なら び に自由 な展 開 を
侵 略 を 企図 す る連 中 は、 こ のよう な 怠慢 に乗 ず る隙 を 見 出す も ので
警 戒 を怠 った り す る こと によ って は促進 され な いであ ろ う。 罪 悪 や
兵 力 の準 備 を 軽 視 し た り、 先 見 の明 を 欠 い た り、あ る いは自 分 側 で
可能 と す る のであ る。
か つ航 空兵 器 や新 兵 器 をも 、 この統 一のう ち に包 含 す る 共同 防 衛 機
あ る。 ヒ ト ラ ーは こ の点 に極 度 に依 存 し、 ま た それ を 利 用 した 。 日
調 査 団 は 次 のよ う に 確信 し た。 す なわ ち 、 こ の指 揮 の統 一を 備 え、
関 の内 部 に は、 陸 海 軍 の ほ か に、 陸 海 軍 と 同等 にし て同 格 の地 位 を
本 も、 も し太 平 洋 に おけ る自 国 の防衛 上 の弱 点 を正 確 に認識 し 、 ま
さ れ た部 隊 より も、 い っそ う効 果 的 で あ り得 る陸 上基 地 航 空 部隊 。
意 に根 ざ す 国際 関 係 に対す る不 信 を反 映 す るも ので も な い。 米 国 の
そ の主 張 は、将 来 の戦 争 防止 の保 障 であ る相互 の尊 敬、 な ら び に善
て他 国 と の軍備 競 争 に対 す る勧 告 を意 図 した も の では な い。 ま た、
米 国 は、 自 国 の軍 事 力 と安 全 を 確保 す べき だ と いう 提案 は、 決 し
た なら ば 、 決 し て真 珠 湾 の攻 撃 には乗 り出 さ な か った であ ろ う 。
た 、攻 撃 を 受 け た 場合 の米 国 の戦 意 の強 固 さ を、 誤 ら ず 評価 し てい
持 つ第 三 の機 構 の設置 が 必 要 であ ると 。 そ し て こ の機構 に は、 次 の
す な わ ち、 米 国 の都 市 や産 業 と そ の他 の資 源 に対 す る長 距 離 攻撃
事 項 に つき 、 第 一の責 任 が 与 え られ るべ き であ る、 と。
への消極 的 な ら び に積 極 的 な 防衛 。 誘 導兵 器 、 あ る い は飛 行機 に よ
以上 の よう な 新機 構 のも つ使 命 は、 独 立 し た空 軍 のそ れ と は 大 い に
る 戦略 的攻 撃 。 空 母機 以 外 の 一切 の航 空 隊 お よび 陸 海軍 によ り構 成
異 な り、 ま たあ る点 に おい て は、 従 来 陸軍 航 空 部隊 だ け に必要 と さ
市 を見 て学 ん だ最 大 の戦 訓 は、 戦 争 に勝 つ最 善 の方 策 は、 そ の発 生
は、 英 国 の叩 き の めさ れ た無 惨 な 市 街 や、 ド イ ツ の廃 墟 と 化 し た都
ことを 盟 約 し た。 最 強 国 の 一つと し て、 米 国 は法 の擁 護 のた め に行
に 具体 化 さ れ て い る法 の擁 護 の場 合を 除 いて は、 武力 を使 用 し な い
国 連 の加 入国 と して の米 国 は、 国際 連 合憲 章 の目 的 なら び に 原則
の枠 内 で 処 理す る ことが でき 、 ま たそ う す べき も のであ る。
安 全保 障 に対す る賢 明 に し て統 合 的 な解 決 は、 国 連 の安 全 保 障機 構
を防 ぐ にあ る 、 と述 べ ら れ て いる 。 この こと は、 日本 の荒 廃 に帰 し
生活 す る こと を確 保 す る た めそ の責 任 を 負 わ ねば なら な い。
動 す る こと を準 備 す べ き であ り 、他 の国 々が そ の憲章 規 約 に従 って
﹁平 和 確 保 力 と し て の兵 力 ﹂ ︱ ︱ 欧 州 戦争 に関 す る調 査 団 の報 告 に
れ たも のよ り も特 別 な そ し て広 汎 な 経 験 を必 要 と す る であ ろ う。
た都 市 やそ の不 幸 な飢 え に悩 む 敗 残 の住民 の実 例 に接 し ても 十 分 に
い。
米 国 は平 和確 保 の力 と な るべ き 国家 意 志 と兵 力 を持 たねば なら な
う なず け ると ころ であ る。 戦 争 の防 止 と いう こと は、 わ れ わ れが 最 善 の努 力 を 傾 け る べき 最終 目標 でな け れば な ら な い。 こ の目標 は、 米 国 の軍 事 力 と 安全 を 確保 す る こと によ り、 十 分 に達 成 さ れう る こ
参 考 文 献 ︹カ ッコ内は本文 で用いた略語を示す︺
米 国戦 略 爆撃 調 査 団 ﹁ 報 告 第 五 三﹂、 邦 訳 ﹃日本 戦 争経 済 の崩 壊 ﹄
大内 兵 衛訳 、 岩
正木 千 冬訳 、 日 本評 論 社 、 一九 五〇 ︹ 本魯 では ﹁ 報告 第五三﹂︺
波 書店 、 一九 五 二 ︹コー ヘン︺
J ・B ・コー ヘン ﹃戦 時 戦 後 の 日本 経済 ﹄ 上 巻
︹ ﹃ 太平洋戦争一二三﹄︺
現 代 史 資料 ﹃太 平洋 戦 争 一 二 三﹄、 みす ず 書 房 、 一九 六八︱ 六九
大 井 篤 ﹃海 上 護 衛 戦﹄ 日 本 出 版協 同 、 一九 五 三 ︹ 大井︺ 外 務 省編 ﹃終戦 史 録 ﹄ 新 聞 月鑑 社 、 一九 五 二 ︹ 終戦史録︺
戦争の被害公式記録︺
外 務省 編 ﹃終戦 史 録 ﹄付 録 第 一、 新 聞 月 鑑 社 、 一九 五 二 ︹大東亜
害総 合 報 告 魯 ﹄
一九 四 九 ︹ 太 平洋戦争に よる我国 の被害総合報告
経 済安 定 本 部総 裁 官 房 企画 部 調査 課 ﹃太 平 洋戦 争 によ る我 国 の被
書︺
譲 共 訳、 恒 文 社、 一九 六 四 ︹グ ローブ ス︺
L ・R ・グ ローブ ス ﹃私 が 原爆 計 画 を 指揮 した ﹄ 冨永 謙 吾 、実 松
洋戦争秘史︺
毎 日新 聞 社訳 編 ﹃太 平洋 戦 争 秘 史﹄ 毎 日 新 聞 社、 一九 六 五 ︹ 太平
一九 五 八 ︹ ビ ュートー︺
R ・J ・C ・ビ ュー ト ー ﹃終 戦 外 史 ﹄ 大 井 篤 訳、 時 事 通 信 社 、
二
日 本 の諸 工 業
第 一章
一 軍 需 工業
報 告 の範 囲
日本 海 軍 の兵 器 日本 の造艦 工業 日 本 の造船 工業
こ の報 告 に は、 日本 陸 軍 の地上 お よび 航 空兵 器 、 日本 海 軍 の基 地 、
日 本 の戦 争 資 材 の補 給 が 戦争 の推 移 に お よぼ し た影 響 に つい て の
水 上 お よ び航 空 兵 器、 陸 海 軍 の航 空 機 、商 船 と 艦艇 の建 造 、修 理 、
詳 し い分 析 は、 米 国戦 略 爆 撃調 査 団 の輸 送 、 地上 ロジ スチ ッ クお よ
日本 の自 動 車 工 業
要 求 と そ の生 産 に つい て の記述 は、 大 体 に お いて、 そ の後 の傾 向 と
び 航 空 ロジ スチ ック の諸 報告 を参 照 さ れ た し。
改 装 、 な らび に車輌 が 含 ま れ て い る。 これら の部門 に対 す る 日本 の
いる 。 こ の報 告 の随 所 に軍事 補 給 品 と 戦 時生 産 と いう 用 語が 使 用 さ
約
比 較 す る 基礎 と し て使 用 し た 一九 四 一年 を含 めた戦 争 中 に限 られ て
れ て い るが 、 そ れ に は前 述 し た戦 時 生産 の部 門 のみが 含 ま れ て いる 。 要
日 本本 土 に対 す る徹 底 的 な戦 略 爆 撃 は 一九 四 五年 三月 に始 ま った
第 二章
が 、 日本 の航 空機 工業 を 目標 と す る航 空攻 撃 は それ 以前 に行 な われ
石 油 、食 糧 、 被 服、 軍 隊 用医 療 品 の供 給 など 、 そ の他 の戦 時生 産 は、 米 戦略 爆 撃 調 査 団 の他 の報 書 に述 べ ら れ て いる 。特 記 す る場 合 のほ
て いた。 軍事 補給 品 の生産 は、 一九 四 五年 三 月 ま でに そ のビ ー ク よ
り 二〇 % 低 下 し て い たが 、 それ は日 本 の戦 時生 産 を 低下 さ せた戦 略
か、 こ の報 告 で 記述 す る 一年 間 のデ ー タは、 四 月 一日 から 翌年 三 月
こ の報 書 の中 で要 約 し た資 料 を含 む詳 細 な 次 の六 報書 が 作 成 さ れ
三 一日 に終 わ る 日本 の会 計年 度 であ る 。
略 爆 撃 の目 的 は、 1 速 や か に日 本 の戦時 生 産 を大 き く 低下 さ せ 、2
爆 撃以 外 の諸要 因 が 存 在 し て いた こ とを 示 し て いる 。 われ わ れ の戦
日本 の航 空機 工 業 ( 米 国 戦 略爆 撃 調 査 団 航空 機 部 で作 成 )
特 に 重点 が お か れ た品 目 の戦時 生 産 を 不 可能 に し、 3 全体 の戦 時生
てい る。
日本 陸 軍 の兵器
な らば 現 在 の制 限 さ れ た経 済 力 の影 響 に よく耐 え るであ ろう 高 い優
産 高 にあ ら わ れ て い る低 下 の割 合 を 促進 さ せ、 4爆 撃 さ れ な か った
先 順位 のこ れ ら軍 事 補給 品 の生産 を、 実 質 的 に停 止 さ せ る こと であ
爆 撃 の脅 威 によ って企 て たが 成 功 し な か った疎 開 によ る生産 能 力
な か った。
海軍 兵 器
陸軍 兵 器
生 産 を完 全 に崩 壊 さ せ る程 度
軽
一二%
一二%
の損 失 は、 次 のと お り であ る。
戦 略 爆 撃 は 日本 の戦 時生 産 の低 下 を促 進 し 、 そ の低 下 の程 度 を 大 き
商 船 と艦 艇
った。 こ れ ら 四 つ の目的 のう ち、 最 後 の 二 つは達 成 され た。 つま り、
く し、 全般 の生 産 低 下 から 高 い優 先 順 位 の品 目 の生 産 を維 持 す る 日
自動車
徹 底 的 な航 空 攻 撃 の開 始 前 に 日本 の戦 時 生産 を 妨げ て いた 主 な要
機
航空機
五 七%
三三%
微
本 の努 力 を妨 げ る こと に成 功 し た 。
発動機
体
の不 足 、そ れ と 計画 的 な 久 勤 であ った。商 船 と艦 艇 の建 造 、車 輔 の
因 は、鋼 を はじ め 原料 品 の不 足、 地 方 輸 送機 関 の不 足、 熟 練 労働 者
前述 し た爆 撃 によ る 生産 能 力 の損失 は、都 市 地 区 に対 す る激 し い
四 二%
攻 撃 と、 特 に戦 時 生 産 目標 に投 下 され た比 較的 少 量 (二四 、〇 〇〇
プ ロペ ラ
末 と 一九 四五 年 初 め に おけ る生 産 高 の減少 は、 主 と し て鋼 の不 足 に
生 産 お よび 陸 海 軍 兵 器 の大 部分 の品 目 の生産 に見 ら れ た 一九 四 四年
よ るも の であ った。 一九 四 四年 末 に航 空機 の生 産 が低 下 し た のは、
ト ン) の爆 弾 と の総 合 的 な結 果 であ った。
し かし 、生 産 能 力 の損 失 が 事 の 一部 始終 で はな い。 殆 んど す べ て
航 空 発動 機 の不 足 に よ るも のであ り 、 こう した 不 足 は鉄 合 金 の供 給 不 足 と、 程 度 は それ ほど で は な か ったが 熟 練 労働 者 の不 足 に よ る の
から 約 五〇 % 低 下 し た。 そ の結 果と し て、 これ ら の 工業 は、 航 空機
の種 類 の軍 需 補 給 品 の生 産 は 、 一九 四 五年 七 月 ま で にピ ー ク生 産高
と車 輌 を除 く 戦 時 生産 の全 般的 なす べ て の種 類 に見 ら れ た、 爆 撃と
であ った。 ここ で述 べ る戦 時 生 産 の全 般 的 な 種類 に つ いて見 れば 、爆 撃 によ
生 産高 は生 産能 力 に等 し いと推 定 し て) と いう 一種 のク ッシ ョンを
る 工場 、機 械 お よび 装 置 の物 質 的破 壊 によ る 生産 能 力 の全 体 の損 失
二六%
持 って いた のであ る。 だ から 、 戦 略爆 撃 の効 果 を評 価 す る には、 航
疎 開 に よ る生産 能 力 の損 失 よ りも 大 き い 五〇 % の超 過 能 力 ( ピーク
陸 軍・ 兵器
一〇︱ 一五%
二八%
は 次 のと お り であ った。
海軍兵器
お よび 艦 艇 の建 造 を 減 ら す た め に行 なわ れ た よう に思 わ れ る。陸 軍
入手 で き た資 料 によ れば 、 戦 略 爆撃 は、陸 海 軍 兵 器 の生 産 と商 船
商 船 と艦 艇
無 視 でき る程 度
空 攻撃 の影 響 に つい て詳 し い検 討 が 必要 であ る 。
自 動車
右 と 比較 す る爆 撃 に よ る航 空機 生 産 能力 の損 失 の数 字 は入 手 でき
五 五% 以 上 が疎 開 のた め に生 産 し な か った のであ る。 た し か に、 疎
疎 開 し、 七 月 現在 で疎 開 し た機 械 と装 置 は、 そ の能 力 の約 二 五% を
あ った。 一九 四 五年 七 月 ま で に航 空機 工業 の生産 能 力 の約 六 八% が
な か った疎 開 のた め に生 産 に損 失 を 生 じ た のも 航 空機 工業が 最 大 で
最 大 の努 力 をも って 行 な われ た疎開 は航 空機 工業 であ り、 成 功 し
力 を 失 って いた車 輌 工業 に対 し て、最 後 の 一撃 を 加え た のであ った 。
疎 開 に よ る生産 能 力 の大 き な損 失 は、す で に鋼 の不足 のた め に生 産
︱︱ の分 野 では、 爆 撃 の直接 の損 害 によ る影 響 は 大き く な か ったが 、
要 因 であ った。車 輌 工 業 ︱︱ 永 続 した航 空 攻 撃 の目標 で はな か った
一部 の影 響 をあ た え、 電 気 装置 と通 信 装置 の生 産 を 低下 さ せた 主 な
あ った。 海 軍 兵 器 の分 野 から見 る と、爆 撃 はす べ て の種 類 の生産 に
お よび 航 空兵 器 の生産 を 減 少す る点 で、爆 撃 は最 も 決定 的 な 要 因 で
兵 器 の分 野 から 見 れば 、 無 線機 、 レ ーダ ー、 そ の他 の結 合 し た装 置
地 区 報告 ﹂ を参 照 さ れ たし 。
る航 空 攻撃 の評 価 に つ い ての 詳細 は、 米国 戦略 爆 撃 調 査 団 の ﹁都 市
を燃 や し、 戦 意 を低 下 さ せ た航 空 攻 撃 な の であ る。 都 市 地 区 に対 す
で はあ るが 、 一九 四 五年 に欠 勤が ふえ た 主な 原因 は、 労 働者 の住 宅
糧 をさ が し ま わら ねば なら ぬわず かな 配給 量 な ど 他 の原 因 によ る の
む ろ ん、 こう した欠 勤 の増 大 は、 増 加 す る病 人 、仕 審 を 放 棄 し て食
の 主な 問題 点 ︱ ︱ 久 勤︱︱ に は、 航 空 攻 撃も 密 接 な 関係 が あ った。
なも の にす る点 で 一部 の効 果 があ った。 一九 四五 年 に見 ら れ た労 働
地 区 に対 す る 攻撃 によ って輸 送 を停 頓 さ せ、地 方 の輸送 問 題 を面 倒
ず ト ラ ック の補 給 が 低下 した こと であ る 。 し かし 航 空攻 撃 は、都 市
輸 送機 関が 不 足 した 主 な 理由 は、 増 大す る輸 送 の負 担 にも かか わ ら
戦略 爆 撃 調 査 団 の ﹁基 本材 料 と 輸 送報 書 ﹂ を 参照 さ れ た し。 地方 の
す る 原料 補 給 路 の遮 断 で は た した 航 空兵 力 の役割 に つ いて は、 米 国
び労 働 力 に及 ぼ し た効 果 を通 じ て生 産 に影 響 をあ たえ た 。 日本 に対
日本 船 舶 の喪失 によ って 日本 本 土 への原 料 の補 給 が 妨げ ら れ た と
稼 動 し て いる にす ぎ な か った。 だ から 、 全 体 の航 空 機 工業 の施 設 の
開 と爆 撃 によ る 一部 の損 害が 、 一九 四四 年 一 二 月 以 降 に見 ら れ た 航
よ って証 明 さ れ る よう に、 日本 の戦時 生 産 は 一九 四五 年 に低 下 し つ
行 な われ ず し て、 す で に 一九 四四 年秋 に始 ま って いた 生産 の低 下 に
仮 定 す れば 、 生 産 工場 に対す る戦 略爆 撃前 に、 ま た都 市地 区 攻 撃が
造 船 施 設 の疎 開 は 全体 の生産 能 力 の 一〇 %以 下 であ った の で、 一
づ け て いた であ ろう 。 一九 四 五年 の 四月 か ら 六月 に いた る 四半期 に
空 機 生 産 高 低下 の決 定 的 な要 因 で あ った 。
る。 陸 海 軍 の兵 羅製 造 の分 野 で は、 生産 施 設 の約 一〇 ︱ 一五% が疎
お け るす べ て の軍 需 工 業 に対 す る鋼 の供 給 は、 そ れ ま で の 一二 ヵ月
九 四 五年 の生 産 には、 おそ ら く 影響 を あ た えな か ったも のと 思 わ れ
開 し たが 、 こ の疎 開 はき わ めて 成功 し な か った ので、 実 質 的 には疎
間 の平 均 四 半期 の割 合 から 三 六 %減 少 し た 。も し 戦争 が つづ い て い
ろう 。 鋼 の 不足 は、高 い優 先 順位 の航 空機 を 除 くす べ て の戦 時生 産
た なら ば 、 こう した 鋼 の 不足 の程度 はさ ら に大 き く な って いた であ
の最 高 生 産高 を 、実 質 的 に低 下 さ せ つづ け て いた。 航 空 機 の場 合 、
た。 爆 撃が 軍 事 補給 品 の仕 上製 造 工場 にあ たえ た 直 接 の損 害 と 、成 功
開 地 でま ったく 稼動 せず 、実 際 の生 産 に は、 殆 ん ど役 に立 た な か っ
しな か った疎 開 は別 と し て、 航 空 攻 撃 は原 料 の供給 、 輸 送 機 関 お よ
爆 撃 を 受 けず 疎開 が 行 な わ れ な か った と し ても 、機 体 製 作用 の ア ル
鉄 合 金 の不足 によ ってす でに 一九 四四 年 夏 に発 動機 の生 産が 低 下 し 、
せら れ た軍 寡 補給 の大 き な負 担 が 示 す よう に、 一九 四 二年 ま で に、
し かし 、 日本 はも はや 外 国船 の援 助 を期 待 でき な か った。 商 船 に課
洋 への軍 隊輸 送 と 日本 本 土 への増 大 す る原 料 の補 給 を要 求 さ れ た。
欠 け る と こ ろが あ った こと であ る。 開戦 と とも に、商 船 隊 は南太 平
油 送 船 で運 ば れ た。 こう し た情 勢 下 で、 日本 の 目的︱ ︱ 日本 の新 し
への依 存 度 は大 き く、 戦 前 、 日本 が 輸 入 し た石油 の約半 分 は外国 の
は、 外 国船 に よ って行 な わ れ て いた 。 とり わ け油 送 船 (タ ンカ ー)
と ころ で、 一九 四 一年 におけ る日 本 の海 外 か ら物 資 の輸 送 の三 五%
日本 はそ の保 有 船 舶 の総 ト ン数 の六 八% を 陸海 軍 の使用 にあ て た。
って い たであ ろう 。
日本 の軍 需 工業 力 と要 求
ミ ニウ ムの供 給が 減 少 し 航 空機 生 産 高 を大 き く低 下 さ せ る結 果 と な
第 三章
一九 四 一年末 と 一九 四 二年 初 め に お い ては、 そ の後 のど の時期 より
日本 の太 平 洋 におけ る 軍事 力 は、 そ の敵 の兵 力と 比 較 し た場 合 、
も 強 大 であ った 。 日本 はそ の 経済 を 戦 時 生産 に転換 す る 点 で米 国 よ
への原 料 の供給 量 を開 発 す る︱ ︱ は、実 現 す る こと が でき なか った。
い帝 国 の周辺 に適 当 な外郭 防衛 圏 を 建設 し、 南方 地 域 から 日本本 土
日本 が 利 用 でき た 船舶 のまず い管 理 が情 勢 を 悪 化 さ せた。 日本 本 土
り はる か に進 ん で おり 、 も し 日本 が 米 英 を攻 撃 す る計 画 を持 って い
日本 の 一九 四 一年 一 二 月 にお け る戦 争 計画 から見 れば 、 日 本 の軍
から の軍琳 補 給 品 の輸 送 と 日 本 への原 料 の供 給 と の調 整 に失 敗 し た
た なら ば 、短 期 的 な観 点 から は実 行 でき る よう に思 われ た 。
事 補 給 品 の備 蓄 と 戦時 生 産 能力 は 不条 理 なも のと は思 え な か った。
て い る のも 同 然 であ った。
商 船 を 除け ば 、 日 本 は 一九 四 一年 末 に計 画 し て いた種 類 の戦争 を
結 果 、 戦 争 の全 期 間 を通 じ て、商 船 は積荷 なし で反 対 の方 向 に動 い
たび 征 服 を予 定 し て いた 地域 を占 領 した なら ば 、 それ を 開発 し 防衛
い う の は、 速 や かな 攻勢 作 戦 の期 間 と、 こ れ に つづ く 比 較 的 に不 活
遂 行 す る だ け の補 給 品を 持 って い た。 日本 が 企 図 し た種 類 の戦 争 と
こ の戦 争 計画 は、 速 や か に進 撃 し、 太 平 洋地 域 にお い て優 越 し た兵
し なけ れば な ら な い。 こ の計 画 は、 ソ速 はド イ ツの た めに 征 服 され
力 を全 幅 利用 す る と とも に、 訓 練 し装 備 す る こと を要 求 し た。 ひ と
るだ ろう し、 あ る い は、 ソ連 は 日本 を 攻 撃 でき な い ほど 弱 体化 され
遂 行 に成 功 し た。 し かし 、 この局 面 は 一九 四 二年 六三 の ミ ッド ウ ェ
一段 作 戦 の期間 、 日 本 の戦 略 は 彼 らが 予想 し てい た より も 速 やか な
日本 本 土 の戦 時 生 産 の増 強 に役立 た せる と いう のであ る 。戦 争 の第
開 戦 当 初、 日 本 の計 画 者 た ち は、 結 局 は拡 大 し た規 模 と な る戦 争
ー海 戦 と 、 同年 八月 のガダ ルカ ナ ル作 戦 で幕 を閉 じ た。 そ の当 時 、
発 の期 間 に、 新 し い帝 国 の防 衛 を強 化 す る ことが でき 、 そ の資 源 を
の こと を 明ら か に考 え な か った よう に思 われ る 。 これ ら 計画 者 は、
連 合国 の反 攻 は日 本 が考 え て いた よ りも 強 力 であ る こと が わ か った 。
る であ ろ う ので 、 ソ連 と の間 に は戦 争が 起 こら な いと いう希 望 に基
こ の戦争 に おけ る 航空 兵 力 の重要 性 を 理解 し て いな か った。 お そら
づ い て い た。
く 彼ら の最 も 明 白 な過 失 は、 日本 の商 船 に対 す る 必要 性 の見 積 り に
の重 点 は、戦 前 のあ りき たり の地上 と 水 上 の兵 器 の種 類 から 、 航 空
の大 部 分 が連 合 国 の方 が 進 歩 し て い た。 そ の結 果 、 日 本 の戦 時 生産
は 主と し て 防勢 作 戦 に終 始 し 、 戦闘 に使 用 され た兵 器 の種 類 は、 そ
と り わ け 、米 国 の航空 兵 力 の使 用 はそ う であ った 。 そ れ以 来 、 日本
四 四年 に は 三〇 % 、 一九 四 五年 に は五 〇 % に増 加 し た こと は、 生 産
含 む ) の総 計 の 一七% は船 の沈 没 によ って失 わ れ 、 こ の比 率が 一九
輸 送 さ れ た陸 軍補 給 品 ( 兵 器 の ほ か食 糧 、被 服 、燃 料 、 建 設資 材 を
産 と とも に補 給 の問 題 でも あ った。 一九 四 三年 に前 線 に向 け て船 で
持 し、 適 当 な 予備 を 確 保 す る の に十 分 であ った。 し か し、 これ は生
無 線 機 と レ ーダ ー の分 野 で は、 新 し い要 求 は従 来 の生産 と はひ じ
土 にお け る民 需 用 ト ラ ック の供 給 は戦争 の全 期 間 を通 じ て減少 し、
隊 におけ る トラ ック の割 合 は、 一 三人 に つき 一台 であ った。 日本 本
の割 合 で ト ラ ック を持 って い た。 そ の当 時 、 太 平洋 全 域 の米 陸 軍 部
った。 一九 四 四年 末 の日 本 陸軍 は、海 外 にお い て 四九 人 に つき 一台
車 輔 の補 給 は、 日 本本 土 でも 海 外 の部 隊 に対 し ても 十分 では な か
と を示 し て いる。
の増 大 だ け で は海 外 の 日本 軍 に対 す る所 要 の補 給 には十 分 で な い こ
機 、 無 線 機 、 レーダ ー、航 空 兵 器 と弾 薬 、 対 空兵 器 お よび小 艦 艇 に 移行 し た。 各種 の航 空 機 に対 す る 需要 が 激 増 し ただ け で なく 、 航 空機 の要 求 は爆 撃機 から 戦 闘機 へ移 った。 日本 の爆 撃 機 は主 と し て小 型 のも の
ょう に不 釣合 い のも の であ った の で、 殆 んど す べ て の工業 が そ の要
実 際 に使 用 でき る ト ラ ック の割合 はさ ら に急 速 に低下 した 。終 戦 時、
であ った の で、 この変 更 は 生産 に大 き な影 響 を あ た え な か った。
いて の要 求 の増 大 は、 小型 の兵 器 と弾 薬 を製 造す る施 設 の転 換 によ
民 需 用 と 軍 用を 合 計 し てわ ず か に三、 四 万台 の トラ ックが 、 日本 本
求 に応 じ る た め増 強 し なけ れ ば な らな か った。 航 空 兵 器 と弾 薬 に つ
って、 あ る 程 度 み たす ことが でき た。 転 換 で き な か った 場 合 でさ え 、
土 で実 際 に使用 でき る状 況 にあ った。
た と し ても 、 必要 な パ イ ロ ットが 得 られ て いた か は疑 わ し い。 飛 行
航 空機 が 実 際 に達 し た 水準 より も は るか に高 い水 準 で生産 され て い
な航 空 兵 力 を維 持 でき るだ け の十 分 な 水準 に達 し な か った。 し か し、
一九 四 二年 以 降 の航 空 機 の生産 は、 日本 が ど の作 戦地 域 でも優 勢
が 不 足 し た。 海 軍 航 空機 用 機 銃 の生 産 は、 一九 四 三年 と四 四 年 に は
や む な く砲 弾 を 代 用 し た場 合 も見 ら れ た。 一九 四 二年 に は航 空魚 雷
小 型潜 航 艇 の電気 装 置 と 航海 兵 羅 で あ った。爆 弾 の不 足 の た め に、
雷 、航 空 機 用機 銃 、 航 空 機 お よび 航 空機 用 弾薬 、 水 上 艦 艇用 機 銃、
論 すれ ば 、 海軍 兵 器 の生産 に おけ る最 も 顕 著 な 不足 は爆 弾、 航 空魚
要 求 の大 部分 に つ いて戦 時 生 産 の他 の種 類 の生 産 を 基礎 と し て推
所 要 の生 産 高 に達 す るた め に経 験 のあ る 工業 を、 少 なく と も 十分 に
機 に装 備す る兵 器、 無 線機 お よび 電気 装 置 の生産 は、 製 造 され た飛
あ った。 一九 四 三年 と 四 四年 に は、商 船 も 艦 艇も 小 型 のも の の建造
計 画 を はる か に下 回 った 。航 空 機 と航 空 機用 弾 薬 も 、 これ と 同様 で
利 用 でき た。
行 機 に供給 す る の に十 分 であ った。 無線 機 と電 気装 置 の主 な欠 陥 は
が 増 加 し たが 、 これ に供 給す る機 銃が 不足 し た。 こう し た生 産 の不
そ の量 よ り もむ し ろ質 であ った 。 地 上 部 隊 用 の兵 器 と弾 薬 の生産 は、第 一線 部 隊 に対す る供 給 を維
行 機 を こ の攻 撃 に使 用 し う る戦 闘 用機 と して 加 え る こと に よ って お
んど 完 全 に水上 と水 中 の特 攻 艇 に移 った。 中 小 口径 の火 砲 と戦 車 の
如 意 の ため 、船 はしば しば 計 画 の半 数以 下 の機 銃 を 装備 し た。 特 攻
生産 が 重 要 と な る。 た と え汕 送 船 を持 って い たと し ても 石 油 を輸 送
した も ので は な か った。 海 軍 艦艇 の建 造 の分 野 で は、 そ の重点 が殆
一九 四 五年 春 から 終戦 時 に い た る日 本 の防 勢 作戦 の最 後 の局 面 に
でき ぬ情 勢 と な った ので、 も はや 油送 船 は建 造 す る 必要 が な か った。
ぎ な わ れ た。 特 別 に設 計 さ れ た神 風 特 攻機 の生産 は、 終戦 時 ま で 大
は、 軍 事補 給 品 の スト ック と所 要 量 に つ いて特 別 の問 題 が 生 じ た。
し か し、 そ の他 の商 船 はそれ ま で のよう に大 い に必 要 であ った。 南
に必 要 な電 気 装置 と航 海 兵 器が 不足 し た 。
そ の当時 、 海 外 の設 備 を 現 地 の判 断 に よ って放 棄 し、 予 期 さ れ る本
方 と の航 路 はと ま ったが 、 日本 は依 然 と し て満洲 、 朝 鮮 お よび中 国
兵 器 とし て の小型 潜 航艇 の建 造 が 重 視 され た 一九 四五 年 に は、 これ
こ の決 定 は、 生 産 す べき 兵ハ 器 の種類 の重 要 な変 更 と、 日本 の補 給 状
から 物 資 の輸 送 を 企 て てお り、 こ の航 路 の船 舶 は 一九 四 五年 に減少
土 進 攻 に備 え て日 本本 土 の防衛 に 全力 を 集 中す る決定 が 行 な わ れ た。
態 に おけ る 大き な 物 質的 変 化 を 意 味 し た。 そ れ ま で に、 日本 の周 辺
し つづ け て いた。
はも は や本 土 に備 蓄 さ れ た 軍 事補 給晶 を 消耗 しな く な り、 製 造 され
これ に反 し て、 こ れら 外 地 への補 給 を や め る決 定 は、 こう し た外 地
用機 、 残 り は特 攻機 と し て使 用 でき た。 商 船 は 一九 四 五年 二月 から
在、 日本 陸 海 軍 の飛 行 機 は 一〇 、 七〇 〇 機 、 そ のう ち 五〇 % が戦 闘
日本 の軍 事 補給 の状 況 は、 次 のと お りで あ った。 一九四 五 年 八月 現
全 般 的 に述 べれば 、 こう し た 戦争 の最終 局面 の日木 本 土 におけ る
地 域 に対 す る連 合 軍 の渡 洋 作 戦 によ って、 外 地 に貯 蔵 さ れ て い た軍
た兵 器 の全 部を 距 離が 短 く 比 較 的 に安 全 な補 給 路 によ って、 本 土 防
は同 じ 期間 に 八〇% 激 増 し た 。 日本 海軍 は 一九 四 五年 六月 に駆 逐艦
八 三 ま で の間 に 一二% 減 少 し たが 、 修 理を 必 要 とす る船 の総 ト ン数
需 品 を 日本 本 土 に持 ち 帰 る こと は実 質 的 に は不 可能 と な って い た。
る さ い生 じ た船 舶 の損 失 は、 も はや 重 大な 問 題 で はな いこと も 意 味
衛 に充 当 で き る こと を意 味 し た 。 さ ら に、 そ れ は外方 基 地 に補 給す
の建 造 を 止 め、 潜 水 艦 の建 造 量 を 三九 四 四年 の水準 の約 七〇 % に削
量 は全 体 と し て見 れば 減 少 した が 、本 土 におけ る 貯蔵 は増 加 し た。
減 し たが 、特 攻艇 の建 造 を ふや し た。 陸 軍 の地 上 兵黎 と弾 薬 の在 庫
し た。 戦略 爆 撃 の観 点 から 見 れば 、 そ の当 時 の 日本 にと っては、 日本 が
使 用 でき る車 輔 の スト ック は減 少 し つづ け てい た。
生 産 でき た軍 事補 給 品 の全部 が 特 別 の用 途 の ため に集 中 さ れ てい た の で、 戦 時生 産 の損失 はそ れ ま で のど の時期 よりも 重大 であ った。 換 言す れば 、 航 空 攻撃 に よ って影響 を受 け た戦 時 生産 の低 下 は、 日
日本 本 土 の防衛 戦 略 は多 数 の特 攻 兵 器を 必 要 と した 。航 空機 生 産
本 が本 土 決戦 に利 用 でき る物 資 が よ り少 な く な る こと を意 味 した 。
の分 野 で は、 こ の要 求 は神 風攻 撃 に使 用す る ため練 習 機 と 、 旧式 飛
一九四 一年 から 一九 四 四年 末 ま で、 大 体 にお いて 同 じ水 準 を維 持 し
た。 戦 艦 の建 造 は 一九 四 二年 に中 止 され 、巡 洋 艦 の建 造 は、 一九 四
一九 四 一︱ 四 五年 の生 産
一九 四 一年、 日 本 は そ の国 民 総 生産 の約 八% を、 こ の報告 の中 で
二年 にピ ー ク に達 し た の ち 一九 四 四年 に中 止 さ れ た。 航 空 母艦 の建
第四章
述 べた 戦 争資 材 の生 産 にあ てた 。 当時 に おけ る米 国 の戦 争生 産 は国
向 は、 付表 第 一に示 す と お りで あ る。
こ の報告 の中 で 述 べ た戦 時 生産 の 六 つ の主な 品 目 の毎 年 の生 産 傾
造 は 一九 四 三年 に最 高水 準 に達 し た 。
で に、 そ の経済 を戦 争 生 産 の総 動 員 に向 け てす で に大 き く前 進 し て
民 所 得 のも っと小 さ な 比 率 であ った。 こ の こと は、 日 本 は こ の時 ま
い た こと を 意味 す る。 た とえ ば 、 価 格 の点 で見 た 日本 の陸 軍兵 器 の
付 表第 1
(一九 四 一︱ 四 五会 計年 度 別 )
一九 四五 年 の価格 で算 出 し た戦 時生 産 の六 品目 の各 年 生産 の価 値 指 数
一九 四 一年 の生産 高 は、 一九 三九 年 のそ れ の 二四〇 % であ った。 同 様 に価 格 から見 た海 軍 兵 器 の生 産 高 は 一九 三 八 年 のそ れ の二 五〇 %
付表第2
(一九 四 一︱ 四五 会計 年 度 別)
戦 時 生産 の 六品 目 の各 年 生産 の相 対的 価 値
年 度 に おけ る 戦時 生 産 の各 品 目 の相対 的 価 値 を示 す 。
次 の付 表第 2 は、 一九 四 五年 の価 格 を 基礎 とし て算 出 し た各 会 計
値変 動 の毎 月 の記 録 が述 べ られ て いる。
付録第 1 ︹ 九〇頁以下︺に は、付 表 第 に1 か かげ た品 目 の生産 の価
で あ った。 引渡 さ れ た艦 船 は 四〇 〇% 、 車 輌 の生産 は 二七 〇% 、 機 数 か ら見 た航 空機 の生 産 は 一六〇 % であ った 。商 船 の建 造 だけ は、
一九 四 一年 か ら 一九 四四年 末 まで の日本 の戦 争生 産 の記 録 は、 大
こ の期間 に ほぼ 同 じ水 準 を維 持 し た。
体 にお い て従 来 の増 加 の比率 を増 大 し て い る。 この報 告 で述 べ た軍
の指 数 を 示 せば 、 次 のよ う にな る。
事 補給 品 の全 部 に つい て、 一九 四五 年 の価 格 でみ た毎 年 の生産 価 格
一九 四 三年 = 二 一五 一九 四 四年= 三〇 九
一九 四 一年 = 一〇 〇 一九 四 二年= 一三 一
一九 四 五年= 二〇 〇 一九 四 四年 末 ま で の全 体 の生 産 上 昇 傾 向 に は例外 が あ った 。 た と え ば 、 自 動車 の生 産 は 一九 四 一年 にピ ーク に達 し たが 、 そ れ 以後 は
に最 高 水 準 に達 し た 。陸 軍 地 上 部隊 用 の弾薬 の生 産 も、 これ と 同様
年 ご と に低下 し た 。戦 車 とそ の他 の戦 闘 用車 輌 の生産 は 一九 四 二年
であ る 。陸 軍 の小 火 器 の生 産 は、 一九 四 三年 にピ ー ク に達 し 、高 射 砲 の生 産 は、 一九 四 四年 まで上 昇 を つづ け た。 陸 軍 の爆 薬 の生産 は、
戦 時 生産 は 一九 四 四年 九 月 に最 高 水準 に達 し 、 価値 であ ら わ し た
たが 、 戦 時生 産 の主 な品 目が ピ ー ク水 準 から 一九 四五 年 七月 の水準
が、 そ の低 下 量 の 六〇 % は 一九四 五 年五 月 以降 にあ ら われ 、 明く る
生 産 高 は 一九 四四 年 九 月 から 一九 四 五年 七月 ま で 低下 し つづ け た
ま で の生 産 の低 下 の程 度 を 示 せば、 次 の表 のと お り であ る。
四 一年 の平 均 月 間生 産 率 の六 二 八%だ った。 一九 四四 年 九月 にお け
航 空 機 の生 産も 同 じ 時期 に ピ ー クに達 し 、 そ のとき の生 産高 は 一九
六 月 の最 大 の低 下 と、 これ に次ぐ 七 月 の低 下 に よ るも の であ った、
当 時 の生 産高 は 一九 四 一年 の平均 月 間 生産 率 の三 三 二% であ った。
る海 軍 兵器 の 一ヵ 月あ た り 生産 高 は、 一九 四 一年 の平 均 月 間生 産 率
と述 べ ておく こと が 重 要 であ ると 思 う。
産 高 は、 一九 四 五年 二月 に最 高 水 準︱ ︱ 一九 四 一年 の平 均 月間 生産
の四 三〇 % に再 び 上 昇 し 、 そ の後 は急 激 に低 下 し た。 陸 軍兵 器 の生
降 いく ら か低 下 し たが 、 同年 八月 に は 一九 四 一年 の平 均 月間 建 造率
の平均 月 間建 造 率 の五 〇 八% )。 商 船 の建 造 は、 一九 四 四年 一月以
し た。 商 船建 造 の最 高率 は、 一九 四四 年 一月 であ った (一九 四 一年
中 ︱︱ に分 類 さ れ て いる。 陸 軍 用 の通 信装 置 と 光 学兵 器 は、航 空 用
年 度 の戦時 生 産 は三 つの種 類 ︱︱ 航 空 、地 上 お よび 海 軍 の水上 と 水
重 視 し た傾 向 は 、付 表 第 3 に示 され ている 。 こ の表 の中 で、 各会 計
空 兵 器 お よび弾 薬 であ った 。 こう した航 空 機 に 必要 な 品 目 の生産 を
四 一年 の水 準 を上 回 った が 、生 産 高 が増 加 し た大 部 分 は航 空 機、 航
と であ る。車 輛 と陸 軍 用爆 薬 を除 く軍 事 補給 品 の全 部 の生 産 は 一九
よ りも 重 要 な こと は、 生産 の重 点が 航 空兵 器 と 防 空兵 器 に移 った こ
軍 事 補給 品 の月 間 生産 高 にみ ら れ た、 二〇 〇% 以上 の全体 の増 加
の五 二八% であ った。 海 軍 艦艇 の建 造 は、 一九 四 四年 八月 と 九月 に
率 の 二七 四% ︱︱ に達 し た。 一九四 一年 から 低 下 し た自 動 車 の生 産
そ の最 高 水準 ︱︱ 一九 四 一年 の平 均 月 間建 造 率 の二 三 三%︱ ︱ に達
高 は、 一九四 四 年 九月 ま で に上昇 し たが 、 そ の程 度 は 一九 四 一年 の
と地 上用 には っき り区 別 で きな い ので付表 第 3 に含 まれ て いな いが 、
あ った こと は明 ら かであ る。
そ の生産 の増 加 の大 部 分 が 航空 機 付 属品 と 航空 機 探 知用 レーダ ー で
平 均月 間 生産 率 の三 五 % にす ぎ な か った。 一九 四四 年 九月 の高 い水準 から 一九 四五 年 七 月 ( 終 戦前 のま る 一 ヵ月 間 の生 産 の最 後 の月) ま で の間 に、 戦 時 生 産高 は 五三 %低 下 し
表 第 4 に選 択 し たグ ループ の品 目 に つ いて示 さ れ て いる。 こ の比 較
地上 、 航 空、 水 上 ・水中 用 の戦 時 生 産 の 一九 四 一︱
付表 第 3
は 一九 四 四年 ( 暦 年) を 基礎 と し たも のであ る 。比 較 のた め付表 第
4 にか かげ た 品 目 は、 こ の報 告 の中 で述 べ て いる 日本 軍事 補 給品 生
四五 会 計年 度 別 の相 対 的 割 当 (陸 軍 用通 信 装 置 と光 学 兵 器 の生 産 を除 く )
日本 の生産 高 の百分 比 と 、 日本 と 同じ 生 産品 の米 国 の生 産高 を 基礎
産 の価格 の六 七% を 占 め て いる。 日本 の各種 軍 事補 給 品 の生 産 を、
と し てド ルに変 え る こと によ って、付 表 第 4 に かかげ るす べ て の品
ことが わ かる。
目 の 日本 の生 産 高 は、 同 じ品 目 の米国 の生産 高 の約 一〇% であ った
選 択 し た 軍需 補 給 品 の米 国 と 日本 の生 産 高 の比 較 (一九 四四 暦年 )
米 国 の戦 時 生産 に比 較 し た日 本 の戦 時 生 産 の重 要 な点が 、次 の付
付表第 4
ピ ーク 生産 時 ま で日 本 の戦 時 生産 を
た。 前述 し たよ う に、 生 産 の変 更 が行 な われ た 主 な原 因 は、 容易 に
成 し よう と し な か った た め に、 いろ いろ の困難 はさ ら に大 きく な っ
年 に不足 の程度 が 大 きく な った鋼 の不 足 のた め にも 、戦 時 生産 の順
用 し た兵 器 の種 類 によ る のであ る。 各種 の原料 、 と りわ け 一九 四 四
予 測 でき な か った 日本 の戦略 の変 更 と、 わ れわ れが 日本 に対 し て使
日本 経済 の戦 時 生 産 へ の転 換 は、 米 国 よ りひ じ ょう に早 い 一九 四
第 五章
一年 ま で に行 な わ れ たが 、 一九 四四 年 のピ ー ク時 におけ る軍事 補 給
こう した 原料 の不 足 は、 海軍 艦 艇 の建 造 で は特 に重要 な も の であ っ
序 正 し い開発 と相 容 れ な い生 産 計 画を 変 更し な け れば な らな か った。
制 限 し た諸 要 因
品 の生 産 高が 、 一九 四 一年 の割 合 の三倍 であ った こと から 見 ら れ る
大 急 ぎ で 大規 模 な生 産 に移 し た こと であ る。 前 線 に おけ る使 用 で欠
ほ か の問 題点 は、 日本 の陸 海 軍が 十分 に試 験 しな いで新 し い型 を
た。
よう に、 日本 経 済 には、 戦 時 生 産 のた め の十 分 な潜 在 力 は決 し て な
困難 な く し て達 成 され たも ので はな い。 これら の困難 、 す な わ ち隘
か った。 し かも 、 一九 四 一年 から 一九 四 四年 に いた る生 産 の拡 大 は、
路 が生 産 拡 大 の程 度 を ゆ るや か に し、 あ る場 合 に はそ れ を完 全 に抑
八% 増 加 し た。 無 線機 や レ ーダ ーな ど の陸 軍 通信 装 置 の生産 高 は、
し、 ( 艦 艇 と商 船 の両者 を 建 造 し た)民 間 造船 所 の工 場 床 面 積 は、
場を 接 収 す る こと に よ って 、あ る程 度解 決す る ことが でき た。 し か
因 であ った。 工 場能 力 の問題 は、 そ れ まで民 需 に使 用さ れ て いた 工
工 場 の能 力 と 工作 機械 は 、戦 争 の初 期 に生産 を制 約 した重 要 な要
原 料 の不足 が十 分 な テ スト モデ ル の製 作 を妨 げ て い た。
の速 度 が お ち、 新 し い 開発 は、 時間 を節 約 す る た め に急 が さ れ た。
陥 が 明 ら か にな った場 合 には、 設 計 に必要 な変 更 を 加え る間 、 生産
こう し た日本 の戦 時 生 産 の拡 大 に おけ る固 有 の隘路 が 、軍 事 補給
制 した のであ った。
品 の生 産 を三倍 に拡 大 す る 場合 にあら わ れ た の であ ろう 。 航 空機 生
一九 四 一年 から 一九 四 五年 三 月 ま で に 一四八 〇% 増 加 し た。 一部 の
一九 四 一年 か ら 一九 四 四年 ま で に五三 %増 大 し、 造 船 台 の延 べ の長
産 高 の 一ヵ月 の割 合 は、 一九 四 一年 から 一九 四 四年 九月 まで に 六二
工業 では 、 機械 と工 場 設備 を 一九 四 一年 の状 況 の 一五 倍 にも 拡 張 し
さ は 二七% 増 加 し た。 こ う し た施 設 の拡張 には時 間 が か か り、仕 上
な け れば な ら な か った。 戦 争 の全期 間 を通 じ て、 日本 が 単 一の長 期拡 充 計 画 をあ く ま で達
った。
げ た材 料 を 生産 す る ため の労働 力 と材 料 を 転用 しな け れば な ら な か
な トラ ック の供給 (こ の報 書 の中 で前 述 し てお いた) と貧 弱 な道 路
銅、 ニ ヅケ ルそ の他 の金 属 の供 給 は、殆 んど戦 争 の初 めから 不足
網 であ る。
し てい た。 こう し た 不足 の多 く は生 産 を完 全 に停 止 さ せ るほ ど重 要
一九 四 一、 四二 、 四三 年 に陸 海 軍 の造 兵 廠が 生 産計 画 を 達 成 でき な か った 主 な理 由 の 一つは、 生 産 を増 大 す る た め に必要 と し た機 械
練 と労 働 力 の維 持 が、 戦 時 生産 に多く の困 難 をも たら し た。 航 空機
動車 お よ び重 火 器 など 低 い優 先 順位 の多 く の品 目 の生 産が 減 少 し た。
たが 、鋼 の供 給 は決 し て十分 で は なく 、 そ の不 足 のた め に戦車 、 自
鋼 の不足 は、 一九 四 四 年ま で戦時 生 産 全体 に影響 を あ たえ な か っ
しば しば 仕 上 げ た生 産 品 の質 を 低下 さ せる 原因 とな った。
な も ので はな か ったが 、設 計 変 更 のた め 時間 の浪 費 を 余儀 なく さ れ、
工業 の従 業 員 の総 計 は、 一九 四 一年 から 四四 年末 ま で に 二八 五% 増
生産 要 求 を達 成 す る ため に 必要 な 労働 力 の補 充 と 、 そ の適 当 な訓
の供給 が おく れ た こと であ る。
一八 七% 、 商船 と 艦艇 建 造 で は 一〇 七% だ け そ れぞ れ増 加 した 。自
加 し、 同 じ 期間 に陸軍 兵 器 生産 部 門 で は 七九 %、 海 軍 兵 器部 門 で は
あ る。 す で に 一九 四 三年 に、 海 軍艦 艇建 造 計画 を大 艦 から駆 逐 艦、
鋼 の不 足が 、 一九 四 一年 以後 の自動 車 の生産 高 を低 下 さ せ た主 因 で
潜水 艦 および 小 型護 衛 艦 艇 に変 更 し た重 要 な理 由 の 一つは、 鋼 の不
動 車 工業 だ け は、 そ の労働 力 は 一九 四 一年 から 一九 四四 年 い っぱ い 変 化 し な か った。 戦 争 工業 にお け る従 業員 の全 体 の増 加 よ りも 重 要
足 に よ るも のであ った。
工業 の労働 者 の全 部 は、実 質 的 には 日本 人 の男 子 であ った。 し かし
一九 四四 年 から 終 戦時 ま で 日本 の
戦時 生 産 の低下 に影響 した諸 要 因
鋼 は、 戦 時 生産 にお いて、 最 も重 要 な基 本 的 材料 であ る。 鋼 は艦
第 六章
な こと は、 労 働 力 の構 成 の変 化 であ る。 一九 四 一年 に おけ る これ ら
一九 四 四 年 ま で に、 労 働 者 の ほぼ 半数 は女 子、 学 生 お よび 朝 鮮人 と な った 。
艇 、商 船 、 大 砲 、弾 丸 、 ト ラ ック、 戦 車 の主 要 な成 分 であ り 、航 空
一 鋼
隙 路が あ った。 し か し、 労働 力 の最 大 の問 題点 は熟 練 労働 者 の不足
ぎ り、 戦 争 工業 の要求 に十分 応 じ ら れ たが 、多 く の場 合 に 一時的 な
機 、 無線 機 、 レーダ ー および 光 学兵 器 にと っては重 要 なも のであ る。
全体 から見 れ ば 、 日本 の労 働 力 需給 市 場 は、 合 計員 数 に関 す る か
で あ った。 熟練 労 働 者 に対 す る要 求 が 増 加し た にも か か わら ず 、 こ
用す る機会 は ひじ ょう に限 られ て いる。 日 本が 戦時 生 産 で企 てた最
戦 時 生産 に おけ る鋼 の消費 量 を切 り つめ る ため、 そ の代 用 品 を使
そ の主 な 例外 は爆薬 と風 船爆 弾 で あ る。
も大 が かり の鋼 の代 用品 は、 一九 四 三年 に始 ま った木 造船 計 画 であ
一九 四 二年 か ら四 三年 にな る と、 特 に貧弱 な 地方 輸 送 力 に よる輸
う し た 労働 者 の補 給 は軍 隊 への召集 によ って絶 えず 減 少 し た。
への構 成 部分 の移動 を おく ら せ た。 こう し た隙 路 の原 因 は、 不 適 当
送 上 の困難 が 手 に負 え な い状 況 とな り 、 原料 の供給 と 工 場 から 工 場
木 造 船 は、 主 と し て小 型 のも のであ った 。前 述 のご とく 日本 海 軍 が
る。 一九 四四 年後 半 にお け る商 船 生産 の合 計価 値 の二〇 % を占 めた
の製 作 実験 の開 始が 促 進 さ れ た。
ミ ニウ ム の不足 のた め に、 そ の代 用 品 とし て薄 い鋼 を 使用 す る機体
の鋼が 供 給 され た。 た し か に、航 空 機 の場 合 に は、 深 刻化 す る ア ル
一九 四四年 に おけ る陸 軍 地 上部 隊 の兵 器生 産 に対 す る圧 延鋼 と特
三九 四 三年 か ら 四 四年 にかけ て艦艇 の建 造 を大 艦 か ら小 艦艇 に変 更 し た のは、 軍事 上 の必要 と増 大 す る鋼 の不足 によ るも の であ った。
の点 から 見 た生 産 高 は 一九 四 一年 の 一六八 であ った。 これ ら鋼 の供
給 量 は、 一九 四 四年 の 一︱ 三 月 の 四半期 に低 下 し はじ め、 一九 四五
殊 鋼 の供 給 量 は、 一九 四 一年 水 準 の五 七% にすぎ な か ったが、 価 値
年 の四︱ 六三 の四半 期 ま で に 一九 四 三年 のピ ー ク四半 期 の三四 % と
日本 に おけ る全 体 の鋼 の供 給 量 は、 一九 四五 年 の四︱ 六 月 の 四半
期 平 均供 給 量 から 四七 % それ ぞ れ 減少 し た。 米 国 戦略 爆 撃調 査 団 基
な り、 地 上部 隊 兵器 の生産 高 は 一九 四三年 ︹ 編者注、 原文 は ﹁一九四
期 に前会 計 年 度 の 四半 期 平均 供給 量 から 三九 % 、 一九 四 一年 の四 半
四 五年 の 一〇 ︱ 一 二 月 の四半 期 ま で に鋼 の供 給 量 は さら に低 下 し て
本 材 料部 の見積 り によ れば 、 も し戦 争 が つづ い て いたな らば 、 一九
五年﹂ とな っているが、 一九 四三年 のミスプリ ントと思 われる︺の 一︱三 月 の四半 期 から 四〇 % 低 下 し た。
いた であ ろ う。 戦 争 の全期 間 を 通じ て、戦 時 生 産 に割 当 て られ た全 体 の鋼 の比 率
一九 四二年⋮
一九 四 一年⋮
七〇〃
六 一〃
五六%
の全体 に占 め る百 分比 は、 次 のとお り であ った。
る爆 撃 であ った。
陸軍 航 空火 器 の場合 、 生 産高 が 低 下 し た主 な原 因 は生 産 工場 に対す
〇% に減少 し た。 こう した 傾向 は生産 高 の低下 と ほぼ 同 様 であ るが 、
はじ め、 これ に つづ く 二 つの 四半 期 にそれ ぞ れ ピ ー ク の七〇 % と 六
四 四年 の 一〇 ︱ 一 二 月 の四半 期 ま で維 持 され たが、 そ の のち減 少 し
陸 軍 の航 空 火 器と 弾 薬 に対 す る圧 延鋼 と特 殊 鋼 の供 給 量 は、 一九
一九 四三年⋮
八 五〃
八 三〃
は 増加 し た。 戦 争 中 の各 会計 年 度 に おけ る戦 時 生産 に供 給 さ れ た鋼
一九 四四 年⋮
一九 四 四年 ま で に達 した 水準 (一九 四 一年生 産 高 の約 三倍) に維 持
この よう に 百分 比 は増 加し た が 、そ の実際 供 給 盤 は、 戦 時生 産 を
年 の四︱ 六三 の四 半 期 ま で にピ ー クか ら五 二% 減 少 し た。 そ の間 、
の供 給 は 一九 四 四年 の七︱ 九 月 の 四半期 にピ ーク に達 し、 一九 四五
海軍 兵 器 の場 合 にも 、 これ と同 じ こ とが いえ る。 圧 延鋼 と特 殊鋼
一九 四五 年 (四︱ 六 三 の四 半期 ) ⋮
す るほど 十 分 で は な か った。 し か し、 鋼 の全体 の不 足 に よる制 約 は、
低下 し た。 海 軍兵 器 の場合 、 そ の生 産 高 は主 と し て予 想需 要 量を み
たす こと であ った、 と 付 記 し てお く ことが 重 要 であ ると思 う 。数 多
生 産 高 は 一九 四四 年 九 月 のピ ーク から 一九 四 五年 七月 ま で に五六%
体 に お いて、 航 空作 戦 に関 係が あ り最 高 の優 先 順位 が あ たえ ら れ た
い海 軍 兵 器 の品 目 はも は や そ の全部 の必要 が な く な り、 必要 な も の
戦 時 生 産計 画 のす べ て の部門 で 一様 に感 じ ら れ たわ け で はな い。大
品目 に対 し ては 、鋼 以 外 の諸 要因 の限 度 内 で 生産 を 維 持 でき る だ け
は従 前 よ り 量が 少 な か った ので、 一九 四 五年 には鋼 と生 産 高 の大 き
六月 の四 半期 に おけ る鋼 の供 給 量 は、 一九 四 四会 計 年度 の四 半期 平
四 四年 は 一九 四 一年 の二五 六% にす ぎ な か った。 一九四 五 年 の四 ︱
三 四 五 ・七
三 八 二 ・五
おわ った自 動車 工 業 の疎 開 計 画が 、 鋼 の不 足 によ って予 想 以上 に自
前 の四 半期 と ほぼ 同 じ水 準 にと ど ま り、 こ の四半 期 でも 、 不成 功 に
な か った。 一九 四 五 年 の四 ︱ 六月 の 四半期 の鋼 の供 給 量 も、 そ の直
前 年 同期 より 三 二% 少 な く 、 一九 四 一年 の 四半期 平 均 よ り 六六 %少
約 を うけ た 。 一九 四 五年 の 一︱ 三 月 の四半 期 におけ る鋼 の供 給 量 は
ので、 一九 四 一年 以 来 、軽 視 さ れ た自 動 車 工業 は鋼 の不 足 によ る制
日本 経 済 にと って地 方 に おけ る輸 送 の重 要 性が 認 識 され な か った
合 よ り 六 八% 減 少 し た。
均 よ り三 三 %少 な く 、 こ の四 半 期 に おけ る 造船 高 は 一九 四四 年 の割
な 削減 が 予 想 さ れ た。 海 軍 艦 艇 の建 造 に対 す る圧 延鋼 と特 殊 鋼 の供 給 量 は、 次 の衷 のと お り であ った 。 供給量
一九 四 一年
三 五 二 ・六
会計年度
一九 四 二年
(一、 〇 〇 〇 ト ン)
一九 四 三年 二 二 二 ・二 一六 ・二
一九 四 四年 一九 四五年 ( 四 ︱ 六 月)
の時期 は、 護 衛任 務 用 の小艦 艇 の必 要 と、 そ れ から 少 し おく れ て特
か補 う にす ぎ な か った。 こう し て、 鋼 の不足 は、航 空 機 は特 別 の例
か ったが 、 こう し た節 約 と ても 増 大 す る鋼 の供給 の逼 迫 をご く わず
従 前 の海 外 の帝 国 の防 衛 戦略 のよ う に大 量 の鋼 の消 費 を 必要 と し な
日本 本 土 防 衛 の戦 略 は 、 一部 の分 野 ( と り わけ 海 軍艦 艇 ) で は、
動車 の生 産 を 大 き く 低下 さ せた。
攻 艇 の必要 の時 と 一致 す る。 終 戦 ま で に、 殆 ん どす べ て の海 軍 建 艦
鋼 の不 足 が感 じ はじ め られ た のは、 一九 四 四年 初 めであ った。 そ
計 画 は 、鋼 の所 要 量が 総 価格 の点 で低 か った小 艦 艇 に限 定 さ れ た。
外 であ るが 、 一九 四 五年 の戦 時生 産 の大 部分 の品 目 の生 産 高が 激 減 し た最 も 重 要 な要 因 であ った。
一九 四 五年 二月 の商 船 建 造 計 画 は、 一九 四 五年 の鉄 船 の計 画総 ト ン数 を 一九 四 四年 一 一月 の計 画 よ り三 五% だけ 削 減 し たが 、 こう し
二
鋼 以 外 の金属
日 本 は貴 金 属 の豊 富 な 補 給が 得 ら れ な か ったが 、 こう し た金 属 の
た計 画 変 更 の主 な理 由 は、 一一月 の計 画 に必要 と す る 鋼 を 入手 でき な い こ とが わ か った か ら であ る。南 太平 洋 海 上路 の停 止 に よ って 油
感 じ ら れ た であ ろう 。 ニ ッケ ル、 ク ロム、 モリブ デ ン、 タ ング ステ
金 属 の不足 は、 お そら く 航 空機 発 動 機 の生産 では ひじ ょう に深 刻 に
不 足 は 一般 に戦 時 生産 に決 定的 な 影 響 をあ たえ な か った。 鋼 以 外 の
送船 建 造 計 画 を 必要 と しな か ったが 、鋼 が 入 手 でき て いた なら ば 、 造船 所 の施 設 は油 送 船 か ら貨 物 船 の建 造 に ふり むけ ら れ て い たと 思 わ れ る。 一九 四 四年 の鉄船 の建 造 量 は 、価 格 の点 で は 一九 四 一年 よ り 三 一四% 増 加 し たが 、商 船 に対 す る 鋼 の供 給 量 から 見 れば 、 一九
う た め に行 な わ れ た合 金 仕様 書 の変 更 から 生 じ た生 産 上 の困難 によ
機 の生 産 低 下 は、 主と し て鉄 合 金 の不足 と、 そ の不足 を いく ら か補
に十分 の量 が得 られ な か った。 一九 四 四年夏 に見 ら れ た 航 空機 発 動
ン、 コバ ルト、 バ ナジ ウ ムなど の鉄 合金 は、 す で に 一九 四 三年 初 め
であ ろ う全 体 の不足 から見 れば 、 こうし た 遅 延 は生 産 に決 定 的な 損
送 物 資 の軍 需 工 場到 着 は お くれ た が、 ど のみ ち生 産 を制 限 し て いた
意 味 し た。 大 体 に お いて 、 鉄道 は増 大す る負 担を よく 処理 し た。 輸
つつあ った。 この こと は 、 鉄道 にと って は従 前 よ りも 大き な 努力 を
足 のた め に停 滞 し、 疎 開 地 への機 械 の輸 送 は 一般 に予想 され た より
多 く の事 例 に見 ら れ る よ う に、疎 開計 画 の実 施 は鉄道 輸 送 力 の不
の であ った。
失 を も たら し た と いう よ り も、 生 産 にむ ら のあ る供 給 を生 じ さ せ た
で、 一九 四四 年 秋 に見 ら れ た発 動 機 の不足 や 、 そ の のち 速 合軍 の爆
機 体製 造 に必要 な ア ル ミ ニウ ム の不足 は、 航 空機 の生 産 を妨 げ た点
も はる か に長 い時 間 が か か った。 これら 工業 で は機 械 の能 力 が生 産
航 空機 の生 産 を実 際 に抑制 し たと 思 われ る 一九 四 四年 に始 ま った
る のであ った。
撃 と疎 開 によ る 影 響 ほど 重 要 な要 因 では な か った 。
こ の報 告 は 、 日本 全 体 の輸 送 問 題 を 記述 し た り、 そ の問題 点 の原
三
た め に、鋼 そ の他 の原 料 の少 な い在 庫 量 の合 理 的 な配 分 も妨 げ ら れ
に実 行 でき な いこ とが 重 大 な 問題 であ った。 逼迫 し た鉄道 輸 送力 の
は、 こ の種 の事例 は多 く見 ら れな か った)、鉄 道 が 疎 開計 画 を 適 当
す るす べ て の機械 を疎 開 し つ つあ った 工業 では ( 自 動 車 工業 以外 に
を 制 限 す る要 因 であ った し 、仕 上 げ 生産 にと って重 要 な 工程 に使 用
因 を 評価 し よう と す るも ので は な い。 し かし 、 輸 送が 戦 峙 生産 に及
た。 こう し て、 全体 とし て の鋼が 不 足 し て いた にも かか わら ず、 終
送
ぼ した 直接 の衝 撃 は、 一九 四 四 年秋 から 終戦 時 ま で の生 産 低 下 の期
戦 に近 いこ ろ、 個 々 の工場 が 鋼 の在 庫 を大 量 に持 って いた事 例が 少
輸
間 には 重要 な も のであ った。 原料 と 燃 料 の 不足 に関連 した 輸送 の不
な組 織 があ ったな らば 、 工場 疎開 時 の限ら れ た 輸送 力 を も ってし て
如 意 によ る間 接 的 な 影響 に つい て は、 米 国戦 略 爆 撃調 査 団 の輸 送 お
も、 少 な く とも 短 期 間 は、 利 用 でき た原料 によ って相 当 に大き な 生
なく な か った。 鋼 の配 分 を 管 理す るた め、 よ く編 成 し、 よ り合 理的
戦 争 末 期 にお け る輸 送 と 戦 時 生産 の関 係 は、 1 鉄道 お よび 船 に よ
よび 基 本材 料 部 の報告 を 参照 さ れ た し。
る輸送︱ 沿岸船舶が 不足したとき、鉄道が余分 の負担を吸収でき
産 高 を達 成 でき て いた と思 わ れ る。
輸送 の地方 輸 送 機 関 の不足 が 、船 と鉄 道 に よ る輸 送 上 の困難 よ りも
工 場 から 工場 へ、 鉄道 と船 か ら 工場 へ、 構 成 部分 と材 料 の短 距離
る程 度 、 2地 方 ま た は短 距 離 の輸 送 、 の二 つに つ いて述 べ る こ と と
航 洋 船 舶 の ほ かに、 戦 時 生 産 工場 に燃 料 と原 料 を 供給 し 、 時 に は
ク輸 送 は、 戦 争中 に大 き く 低下 し た。 一九 四 一年 当 時、 日本 の民 間
は る か に大 き な問 題 点 であ った。 戦 前 でも 十 分 で は な か った ト ラ ッ
す る。
空 と海 上 の攻 撃 によ る保 有 船 腹 の減 少 のた め に、 ま す ます 削 減 さ れ
構 成部 分 と仕 上 げ た 品物 を輸 送 し た 日本 の沿 岸 船 舶 は 、連 合 軍 の航
る と 、 こ の数 字 は 五万 五 千 ︱ 六 万 に減 少 し、 そ のう ち 六〇% は実 際
経 済 に利 用 でき る ト ラ ックは 六万 四 千台 であ った。 一九 四 五 年 にな
一九 四四 年 の後 半 と 一九 四 五年 には、 労 働 力 の問 題 は複 雑 な様 相 を
な った ので、 労 働 力 の実 態 はます ます 低 下 す る に いた った。 し かし、
労 働 力 が 学生 ( 時 には十 二歳 の少 年も いた) と 女 性 お よび朝 鮮 人 と
に簡 単 な問 題 であ ったが 、 一九 四 四年 末 ま で に戦 時 工業 の大 部 分 の
呈す るよ う にな った 。 そ の ころ 生 産高 が 滅 少 した ので、 労 働者 に対
に使 用 で きな い状 況 にあ った。 軍 用 トラ ックを 加 え ても 、 一九 四五
す る要 求 はそ れ ほど 大 き く な か った が、 陸 海軍 は熟 練労 働 者 の不 足
年 に日 本 本 土 で使 用 可能 の状 態 にあ る トラ ック は、 わず か に三 万︱ 四万 台 にすぎ な か った。 そ れ ま で に、 ガ ソ リ ン の不足 が ト ラ ック の
に復 帰 さ せ て いた。 一九 四 五年 に おけ る 主な 労働 問 題 は、 熟 練労 働
を いく ら か緩 和す る ため に、 必 要 と し た熟 練 労働 者 を軍 隊 から 工場
使 用 を制 限 す る要 因 と な って い た。 こう し た 利 用 でき る ト ラ ック の減 少 は、民 間 工場 を 陸海 軍 の造兵
者 と 半熟 練 労 働 者 に見 ら れ た欠 勤 の増 加 と、能 率 の全体 的 低 下 であ
廠 のた め構 成 部分 と し て 、そ の製造 に ます ま す動 員 し な けれ ば な ら な く な り、 特 に兵器 生 産 の分 野 でト ラ ック使 用 の要 求 が増 大 し つ つ
った。
国 戦 略 爆 撃調 査 団 都 市地 区 部が 収 集 し た 資 料 によ って、 そ の概 要 を
工場 と 、爆 撃 を 受 け な か った 工 場 にお け る 従業員 の欠 勤 に関 す る 米
こ の欠 勤 問 題 に つい て は、 代 表 的 な 三 九 の都 市地 区 の爆 撃 さ れ た
あ る 時期 に起 こ った。 日本 陸 海軍 の兵 器生 産 施 設 は仕 上げ 組 立を 一
と によ って大 き な生 産 要 求 に応 じ よう と し た ので、 工場 の間 の地 方
部 の大 工 場 に集 中 し て おり、 部 品 と 仮組 立 作業 の下 請 を増 加す る こ
輸 送 を奨 励 した 。航 空 機 工 場 と陸 海 軍 兵器 生 産 工場 の疎 開 は、 これ
四年 七月 の 一八% から 一九 四五 年 七月 の四 〇% に増加 した 。航 空 機
る 工場 におけ る何 ら か の理 由 に よ る欠 勤労 働 者 の百分 比 は、 一九 四
工業 に つ いて見 れ ば 、 こ の数 字 は 一九 四 四 年七 月 に は 二 一% であ っ
知 る ことが でき る 。 これ ら 都 市 地区 にあ る陸 海 軍 兵器 を製 造 し て い
方 輸 送 機 関 の負 担が 大き く な った。 十 分 な短 距 離 輸送 力 に不 足 し た
たが 、 一九 四 五年 七 月 には五 一% と な った。都 市 地区 以 外 の工場 の
ら 工 場 か ら構 成 部分 製 造 所 や 鉄道 およ び港 湾 に いた る距 離が 遠 く な
の で、 生 産 過程 を お く ら せ、 工 場能 力 を超 過 さ せ、 原 料 の不 足 に よ
り 、 統 合 さ れ た工 場 を個 々 の単位 に分割 さ せる こ と にな る ので、 地
る影 響 を 大 きく した 結 果、 生 産 に短期 間 の停 滞 が 見 ら れ た (特 に陸
労 働 者 の欠 勤率 は都 市 地区 より 低 か った と 思 われ る の で、 こう し た
デ ー タ はす べ て の戦 時 生 産 を完 全 にあ ら わし て いな い。 また、 前 述
海 軍 の兵 器 生 産 で は顕 著 であ った)。
し た数 字 に は、 強 制 的 な 怠惰 と か、 なす ことが な か った ので就 労 し
労働力
四
な か った労 働 者 も含 ま れ てい る。 都 市 地区 以 外 の戦 時 生産 工 場 に つ
の困 難 は、 熟 練 労働 者 と 半熟 練 労働 者 の適 当 な補 給 を 維 持 し、 これ
一九 四 四年 と 一九 四 五年 に見 ら れ た欠 勤 は都 市 地区 と 同 じく 高 い水
い ては広 汎 な 資 料が 入 手 で きな か ったが 、 利 用 でき た資 料 によ れば 、
日 本 の戦 時 生 産が 生 産 高 の増 大 す る時 期 にぶ つか った 主 な労 働 力
を 訓 練 す る こと であ った。 労働 力 の合 計員 数 を維 持 す る のは明 ら か
準 で はな か ったが 、終 戦 直 前 の三、 四ヵ月 間 には や はり 激 増 し て い
船 所 が 、 一九 四 一年 か ら 一九 四 五年 ま で に引 渡 され た海 軍艦艇 の合
に完 成 し た艦 船 の九〇 % を建 造 した 。造 船 の分 野 で は、 一二 の民間
計 ト ン数 の 四 五% を建 造 し、海 軍 と 民 間 の 一五 の造 船 所が 同 じ 期間
造 船 所 が戦 争 中に建 造 され た総 ト ン数 の七〇 % を 生産 し た。 航 空機
特 に都 市 地区 の工 場 で欠 勤 が増 加 した最 大 の要 因 は、 連 合軍 に よ
る。
製 造 の分 野 で は、 六 つ の工場が 戦 争 中 に生産 さ れ たす べ て の機 体 の
間会 社 が 、 一九 四 四年 に完 成 さ れ た海 軍 兵器 の生 塵高 の総価 格 の四
る航 空攻 撃 であ った。 あ る場 合 の欠 勤 は、 爆 撃 を受 け た地 区 と か、
分 の 三を 、 約 一〇 〇 の工 場が 海 軍兵 器 の仕上 げ 生 産高 の全 部 を、 そ
そ の付 近 にあ った工 場 の総 労働 力 の 八〇% に達 し た。 し かし、 これ
状 態 を つづ け た。 空襲 に よ って労働 者 の住 宅 や宿 舎 が焼 失 し、 民需
れ ぞ れ生 産 し た 。完 成 し た陸 軍 火砲 の四 分 の三以 上 は、 二ヵ所 に四
は 空襲 直 後 の 一時 的 現象 であ り、 空 襲 の二 、 三 日後 に は欠 勤率 が 減
の補 給 と サ ービ スが 崩壊 し、 通 勤 のた め の交通 機 関 が妨 害 され た こ
つの 工場 を 有 す る 一つの陸軍 造 兵廠 で生 産 さ れ た。 二 つの工 場が 、
ロペ ラ の七 五% を、 そ れぞ れ 生 産 し た。 五 つの海 軍 工敵 と 八 つの民
と が 、欠 勤 に大き な 影 響 をあ た え た 。欠 勤 を増 大 しが ち であ った 他
戦 車 と他 の陸 軍 用 の戦 闘 車輌 の約 半数 を製 造 し た。 三 つの計 器 工場
三 三% を 、 四 つの工 場が 航空 機 発動 機 の六七 % を 、 二 つの工場 が プ
の諸 要因 は、 不十 分 な 配 給 量を 補 う た め労 働 者が 食 糧 を さが し ま わ
が 、陸 海 軍 の光 学兵 器 の八 五% を 生 産 した 。 陸 軍航 空 兵器 の約 八〇
少 し たが 、 こ う した 久勤 は航 空 攻 撃 開始 前 よ りも 高 い水 準 で横ば い
る 必 要が あ った こと 、 爆 撃 に よ る戦 意 の低 下 と 戦争 に対 す る絶 望 的
あ った戦時 生 産 の他 の品 目 の大 部 分 で は、 欠 勤 が生 産 低 下 の決 定 的
原 因 は、 欠 勤 の増 大 であ った。 原 料 の不足 が き わ め て重 要 な 問題 で
始 めな か った こ と は意 外 に思 わ れ る。 一九 四 四年春 、 航 空機 工業 を
す い こと を考 え ると き 、 日本 が 実際 より速 や か に戦時 工業 の分 散 を
こう し た 生産 の集 中 は敵 の航 空攻 撃 によ って大 き な損害 を受 け や
さ れ た。
され た 自 動車 の九 五% は、 四 つの大 工 場を 有 す る 三 つの会 社 で製造
% は、 小倉 と名 古 屋 の造 兵 廠 で集 中 的 に生 産 さ れ た。 戦争 中 に生産
・ な 気 持 ち の増 大 と、 病 人 の増 加 であ った。 欠 勤 しが ちな 労働 者 には 、食 糧 事 情 の悪 化 と 戦意 の下 降 に つれ て、 そ の能率 の低下 が 見 られ た。
な役 割 を は たさ な か った 。 し か し、 多 く の事 例 に見ら れ るよ う に、
一九 四 五年 に航 空機 と 航 空機 構 成 部分 の生 産 高が 低 下 し た 重要 な
欠 勤 は個 々 の造 船 所 と兵 器 工 場 に おけ る 生産 高 に影響 を あ た え た。
面 に おけ る 戦 闘 の た め早急 に大 規模 な生 産 を 必要 と し た ので、 こう
分 散 す る準 備 的 な措 置 が とら れ たが 、 マリ ア ナ諸 島 と フ ィリ ピ ン方
開
し た分 散 計 画 の実行 が 延 期 され た。 一九 四 四 年 一 一︱ 一二月 に おけ
疎
五
る航 空機 工業 を 目標 と した連 合 軍 の航 空 攻 撃 の衝 撃 によ って、速 や
か に疎 開を 実 施 す る 必要 が 感 じら れ 、 航空 機 工場 から 機械 と装 置 の
一九四 五 年以 前 の日本 の戦 時 生産 は、 特 に最 終 組 立 の段階 のさ い、 き わ め て集 中的 に行 なわ れ て いた。 二 つ の海軍 工廠 と 一つの民 間 造
ナ諸 島 の失陥 後 に考 え はじ め た。 し かし 、そ れ から か な り後 にな る
日本 は 、 航空 機 以外 の戦 時 工 業 の疎 開 を、 一九 四 四年 夏 の マリ ア
七月
六月
五月
四月
三月
六 八 ・五〃
六八
六七
六四
五六
四八
〃
〃
〃
〃
〃
移動 が 始 めら れ た。
ま で、 詳 細 な疎 開 計 画 は 一般 に実行 さ れ な か った 。 た と えば 、 陸軍
八月
一九 四五 年 六月 末 ま で に、 航 空機 工業 の生産 施 設 の六 七% が疎 開
わ れ て い な い。
し、 疎 開 し た 工場 は 能 力 の約 二五% で操 業 し つつあ った。 し たが っ
兵 器 と 自 動 車製 造 工 業 の大 規 模 な疎 開 は、 一九 四五年 五月 ま で行 な
疎 開 の優 先順 位 は、 まず 第 一が 航空 機 、航 空 機 部 品 お よび 航 空兵
生産 を行 な って いな か った。 日本 は、 疎 開 し た工 場が 一九 四 六年 二
て、 そ の当 時、 航 空機 工業 の総 生産 能 力 の約 五〇 % は疎 開 のた め に
月 ま で に全能 力 で操 業 す ると は期 待 し て いな か った ( 原 料 と労 働 力
った。 これ 以外 の多く の戦 時 工 業 の疎 開 も計 画 さ れ た。 こう し た優 先 順位 は、 実際 に は厳 密 に守 ら れ て いな い。 特 定 の工 場 の容 易 な疎
の問 題 を 考 え な いで ) 。 こう し た 疎 開 によ る能 力 の損 失 は、実 質 的
器 の生 産 施 設、 そ の第 二が" 自 殺艇" な ど の特 攻 兵器 生 産 施 設 であ
開 や制 度 上 の機 構 (民 間 工場 より も容 易 に陸 海 軍 の造 兵 廠 の施 設 に
に は 一九 四 五年 夏 に航 空 機 生産 高 が 低 下 し た主 な原 因 にな る ほど大
設 の 重要 な 疎 開 は、 かな りう まく 操 業 し て いた小 倉 陸 軍造 兵 廠 の航
に実 施 す る よ う計 画 さ れ て い た。 一九 四五 年 以前 の陸軍 兵 器 生産 施
陸 軍 兵 器 生産 施 設 の疎開 は、 そ の全施 設 の約 二五% を 一九 四 五年
き か った。
疎 開を 命 令 でき た) な ど の諸 要 因が 、 製 造 され た 重要 な種 類 の生産
戦時 工業を航空攻撃 の目標 になりそうに思 われた都市か
品 よ りも し ば しば 重 要 であ った。 他 の重 要 な考 慮 は 地 理的 な も ので
あ った︱
航 空 機 工 業 に お いて は、 機 械 と そ の他 の装 置 の疎 開 は、 主 と し て
空 兵 器生 産 施 設だ け であ った。 戦 闘 用車 輌 と 通信 装 置 お よび 小火 器
ら 離 れ た場 所 に疎 開 さ せ る た め に。
一九 四 五年 の 一月 から 五 月 ま で に行 なわ れ た。 月 ご と の航 空 機 製造
一 ・五%
〇% を疎 開 さ せる計 画 にな って い た。陸 軍兵 器 生産 施 設 の疎 開 は、
火砲 以外 の陸 軍兵 器 生 産施 設 に つ いて は、 少 なく と も 生産 能 力 の 一
生産 施 設 の 一九 四五 年 の疎 開 は、 ひ じ ょう に重要 な も の であ ったが 、
施 設 の疎 開 進 捗状 況 は、 次 のと おり であ った。
〃
一九 四 四年 九 ︱ 一 一月
四
一九
〃
〃
陸 軍 兵器 の総 生産 能 力 の約 一〇 ︱ 一五% は疎 開 の た めに稼 動 し な か
生産 は取 る に足ら な か った。 こう し て終 戦 直 前 の 二、 三 ヵ月 間 に、
そ の計 画 のほ ぼ半 ば が 終戦 時 ま で に実施 され たが 、 疎開 地 におけ る
一二月
一月
三七
一九 四 五年
二月
造 船 は 、 主 な装 置 と造 船 台 お よび 乾 ド ックを 移 動 でき な か った の
一〇% 程 度 の疎 開 が行 な われ た が、 そ れ は造 船 の割 合 に大き な影 響
で、疎 開 の可 能 性 は殆 んど な か った。 構 成部 分 を製 造 す る機 械 の約
った 。 海 軍 兵 器生 産 施 設 の疎 開 によ る結 果 は、 陸 軍 兵 器 の場 合 と殆 んど
半 ば が 実 行 さ れ、 通 信装 置 生 産 施 設 の大 規 模 な疎 開 が行 なわ れ た 。
学 兵 器 と 航 海兵 器 の生産 能 力 の約 半分 が疎 開 を 計 画 し、 こ の計 画 の
能 力 の五 分 の 二が 疎 開 し、 航 空魚 雷 生産 能 力 の 六〇% が 疎 開 し 、光
らば 使 用 さ れ て いた であ ろ う生 産能 力 に大 き な損 失 を招 いた こと は
自 動車 の生 産 分 野 で は、 疎 開 の ため に、 疎 開 が行 な わ れな か ったな
らば 利 用 さ れ て いた であ ろ う能 力 の程度 によ って定 ま る。 航 空機 と
重 要な 影 響 を あ た え たか どう か は、 も し疎 開が 行 な わ れな か ったな
失 をも たら す 。 こう し た 損失 が 一九 四 五年 にお け る軍需 品 の生産 に
疎 開 が 適 切 に実 行 さ れ な い限 り、 疎 開 の結 果 と し て生 産能 力 の損
をあ た え な か った。
同 様 であ った。 航 空機 銃 製 造 所 は大 規 模 に疎 開 し、 一般 機 銃、 と り わけ 機 銃支 基 製 造 所 の 一部 と 航 空機 用 機銃 弾 薬 生 産能 力 の 二五% が
そ の他 の海 軍 兵器 生 産施 設 の疎 開 は 大 した も の で はな か った。 大 体
明 ら か であ る。陸 海 軍 の兵器 生 産 に お い ては 、 不成 功 に終 わ った疎
疎 開 し、 二〇 ミ リ航 空機 銃 弾 薬生 産 能 力 の全部 と 一三 ミ リ機 銃 生産
に お い て陸 軍 兵器 生 産 の場合 と 同 様 に、 生 産施 設 の疎開 が 行 な わ れ
と 特定 の個 々 の工場 に局 限 され た。商 船 と 艦 艇 の建 造 に ついて見 れ
た とき には 、 そ の後 の生 産 高 に関 す る限 り 、終 戦 ま で の短 期 間 にお
ば 、疎 開 が 生 産 にあ たえ た 影響 は取 る に足 ら な か った 。 日本が 疎 開
開 が 生産 にお よ ぼ し た影 響 は小 さ く、 そ の影 響 は 一部 の品 目 の生産
自 動 車 工業 の疎 開 は、 そ の計 画が 拙劣 であ り、 そ の実 施 が 性 急 で
け る 生産 は取 る に足 ら な か った。
あ った ので 、疎 開 の ため に逆 効 果 を も たら し た 顕著 な 事 例 を示 し て
で 、 生産 は殆 ん ど完 全 に停 止す る にい た った 。 た とえば 、 日産 自 動
産 にきわ めて 重要 なも のであ り、 疎 開が う ま く実 施 で き な か った の
二、 五〇 〇 ト ン の爆 弾 が 海 軍兵 器 の生 産 工場 に投下 さ れ た。艦 艇と
業 だ け であ った。 四、 五 〇 〇 ト ン の爆 弾 が 陸 軍兵 器 の生産 施 設 に、
連 合 軍 の集 中 航 空攻 撃 の目標 にな った 日本 の戦時 生 産 は航 空機 工
六
九 四 五 年 の戦 時 生 産 の低 下 に影 響を お よぼ し た。
おわ せす ぎ た こと であ り、 そ の程 度 は 測定 でき な いが 、明 ら か に 一
を 企 て た重 大 な 副産 物 は、 き わ め て重要 な 輸 送機 関 に過重 の負 担を
自 動車 の生 産高 は、疎 開が 始 ま った 一九 四 五年 五月 に 、 す で に 一
いる。
九 四 一年 の生 産 の割合 の三 分 の 一にな って いた 。 三 つ の大 きな 自 動
車 は 一九 四 五 年 五月 以 降 、 一台 の トラ ックも 生産 せず、 豊 田自 動 車
商 船 を建 造 す る造船 所 は主 な爆 撃 目標 と はな ら な か った。 自 動車 工
爆 撃 に よ る損 害
は 一九 四五 年 五月 に五 一四台 、 六 月 に 六六 台、 七 月 に 一七 三台 を 生
業 に対 し て 一万 ポ ンド 実 験爆 弾 一個 が 投 下 さ れ た。
車製 造 工場 の機 械 の半 分 以 下が 疎 開 し たが 、 これら 機 械 は仕 上 げ 生
三 二 七台 、 そ の後 はど の月 も 八 二 台 以上 を 生産 しな か った。
産 し たが 八月 に は皆 無 と な り、 豊 田デ ィーゼ ルは 一九 四 五年 三 月 に
日 本 の航 空機 工業 は、 マリ ア ナ諸 島 から 大 規 模 に行 なわ れ た航 空
破 壊 され た。 し か し、 造 船台 と 乾 ド ック の損害 は大 き くな か った の
あ った。 商 船 と艦 艇 を 建 造す る造 船所 は、 そ の総 床 面 積 の 二五 %が
ト ン数 から見 れば 、 爆 撃が あ たえ た物 質 的 な損 害 は印 象的 な も のが
れ て いる。 仕 上げ 品 を製 造 す る海 軍 兵 器 の生 産 工場 は爆 撃 に よ って
攻 撃 の最 初 の目標 であ った 。 一九 四四 年 一 一月 から 一九 四五 年 二月
生 産能 力 の二 八% を失 い、最 大 の死 傷者 を 出 し た の は無線 機 と 電気
で 、 爆 撃 によ る 造船 所 の総 生産 能 力 の損 失 は 一〇 ︱ 一五% と 見 積ら
機 体 工場 と航 空 機 発 動機 工場 にほぼ 平 等 に配分 され 、発 動 機 工 場 に
六 ト ン の爆 弾 が 航究 機 工業 に投下 さ れ た。 こう し た攻 撃 の爆 弾 量 は
対 し ては 一九 四五 年 三月 と 四 月 に、 機 体 工 場 に対 し ては 六月 と 七 月
装 置 工 業 であ った。 陸 軍 兵 器 の仕 上 げ 工場 は全 体 の 生 産 能 力 の三
ま で に二、 五 九 二 ト ンの爆 弾が 、 そ れ か ら終 戦 時 ま で に 一 三、 七 五
に、 そ れぞ れ集 中 的 な攻 撃 が 行 な わ れ た。 一九 四 四年 に生 産さ れ た
〇 % を 失 い、 最 大 の影 響 を 受 け た の は航空 兵 器 、無 線 機 、 レーダ ー
場が こう む った能 力 の損 失 は取 る に足 ら な か ったが 、 そ の下請 は航
そ の他 の通 信 装 置 お よび 火 砲 の工場 であ った。 自動 車 仕 上げ の三 工
空 攻 撃 のた め能 力 の約 七〇 % を 失 った。 ここ で述 べ た爆 撃 によ る損
空機 工業 に対 し て投 下 さ れ た爆 弾 の六〇 % の攻 撃 目標 と な った。 こ う し た爆 撃 と 航空 攻 撃 の脅 威 によ る 疎開 の ため に、 日本 は戦線 の航
機 体 の五 九% と航 空 機発 動 機 の八 七% を 生 産 し た 四 つ の会社 が 、 航
空 兵 力 に充 当 でき て いた 二、 八 〇 〇 機 の飛 行 機 を 生産 でき な か った
たも の であ る 。東 京 地 区 に ひじ ょう に集 中 し て いた無 線 機 と 電気 装
失 の程 度 は、 他 の工 業 に対 す る攻 撃 と都 市 地区 攻 撃 に 付随 し て生 じ
日 本 のそ の他 の品 目 の戦 時生 産 に対 する爆 撃 は、航 空 機 工業 と切
置 の工業 は、 と りわ け 都 市地 区 攻 撃 に よる付 随 的 な 損害 を こうむ っ
と 見 積 ら れ て いる 。
り はな し て考 え る こ とが でき な い。 一九 四 五年 、 陸 軍兵 器 生 産 の三
れ た。 陸 海 軍兵 器 の製造 所 は、 一九 四 四年 には 航 空機 付 属品 に対 す
力 の不足 、 疎 開 、従 業 員 の欠 勤、 そ の他 の諸 要因 が 生 産 を低 下 さ せ
示 す 正確 な 指 数 で は な い。 一九四 五 年 に は、 原料 の不 足、 地 方輸 送
も とも と 生 産能 力 の損 失 と いう も のは、 生産 に対 す る爆 撃 効果 を
た。
る 需 要を み た し て いた ので 、航 空 機 生産 高 の低 下 に よ って、 航 空 機
て いた 。爆 撃 によ る 生 産能 力 の損 失 は、 これ ら疎 開 以 外 のす べて の
の残 り の兵 器生 産 の 一部 は無 線装 置 な ど 他 の航 空機 付 属品 にあ てら
〇 % と海 軍兵 器 生 産 の三 二% が 航 空兵 器 と 航 空機 用 弾 薬 であ り 、 そ
用 の機銃 、 弾薬 、 無 線 機 の派 生 需 要も 減 少 を 見 た と仮 定 し ても 差 支
画 の実 施 も生 産 能 力 におけ る正味 の低 下 を意 味 す る ので 、 日本 の場
要 因 と 大 きく 重 複 し て い る のであ る。 殆 んど 成功 しな か った疎 開計
合 に は疎 開 は 例外 のも の であ る。 これ に反 し て、鋼 や ア ルミ ニウ ム
えな い。 し たが って、 航 空 機付 属 品 と航 空機 に対 す る爆 撃 は、 日本
の 不足 な ど そ の他 の要 因が 、 生 産 を低 下 さ せ ると と も に、爆 撃 によ
の航 空兵 力 を 低 下 さ せ るた め に必 要 で は な か った であ ろう。 兵 器 生
の場 合 であ った。
る損 害 と 成 功 しな か った疎 開 計 画 に よる 影響 を 減 ら し た超 過能 力 の
産 の重要 な部 分 の派 生 需 要 に つい て の他 の事 例 は、 大艦 の大 口径 砲
航 空 機 以外 の戦 時生 産 目 標 に対 す る爆 撃 は、 投 下 し た少 量 の爆 弾
ク ッシ ョンを 残 す 作 用 を した 。 こ こで は、爆 撃 の効 果 を他 の要 因 に よ るも のと区 分 し、 民 間造 船
を 二 つ のグ ル ープ ︱︱ 一九 四 五年 六 月 以前 に爆 繋 に よ って 床面 積 の
所 の生 産高 を 低 下さ せた 重要 性 を評 価 す る にあ た って、 民 間 造船 所
民間 造 船 所 に対 す る爆 撃効 果
一〇 % 以上 の損 失 を こう む った造 船 所 と、 そ れ以 外 の造 船 所︱ ︱ に
分 け るこ と と した 。 こ の二 つのグ ル ープ に おけ る造 船作 業 の比較 を
示 せば 、次 の付 表 第 5 のと お り であ る。
産 高 の二〇 ・八% は こ れ に よ って失 われ た 。す べ て の造船 所 が 爆 撃
生 じ たも のであ り 、 ひ ど い爆 撃 を こう む った造 船 所 の 一九 四 四年 生
年 か ら 一九 四 五年 ま で の生産 高 の低 下 の相 違 は、 爆 繋 によ る損 害 で
猛烈 な 爆撃 を 受 け た造 船 所 と 、 そう でな い造 船 所 の間 の 一九 四 四
陸 軍兵 器 の仕 上げ 製 造 工場 に対 す る爆 撃 によ る損 害 の重 要 性 を評
け た 工場 と 爆 撃 され な か った 工場 の比較 から 求 め るこ とが でき る。
慮 にも か かわ らず 、 爆 撃 の効果 に つい て適 当 な近 似 値 を、 爆 撃 を受
が 感 じ られ 、 そ の生産 力 を 低 下 しが ち であ る。 し かし 、 こう し た考
れ に反 し て、 爆撃 を受 け た 工場 で は、航 空 攻 撃 によ る間 接 的 な 影響
き る︱ ︱ こう し て、 これ ら 両 工場 の生産 力 の相 違 を 大き く す る。 こ
(デ ー タ は、す べ て の民 間 造船 の作 業︱ ︱商 船 お よび 艦 艇 の建 造 と 修 理︱ ︱ にお け る付 加 価値 に基 づ く)
付表 第 5
これ は、 全 工業 が 達 成 し て いた と 思 われ る 一九 四五 年 の生産 高 の 一
い る。 こう し た計 算 の結 果 を 、 爆 撃後 の近 似値 と し て使 用 し てあ る。
これ から爆 撃 に よ って失 わ れ た能 力 の百分 比 を 差引 い て計算 され て
け る生 産高 を、 そ の最 大 生 産能 力 に最も 近 い数値 であ る と みな し 、
能 力 を計 鋒 す る こと であ った。 こ のた め、 戦 争中 のピ ー ク の月 にお
価 す る た め に使 用 し た方 法 は、 一九 四 五年 七 月 に おけ る実 際 の生産
さ れ な か った造 船 所 が達 成 し た割 合 で生 産 し て いた と し た なら ば 、
〇 ・三% にな る。 し か し、 爆 撃を 受 け た 工場 と 爆 撃 され な か った 工場 の生産 高 の相 違 の全部 を 爆 撃 によ る 損害 であ ると見 る のは、 二 つの相 反 す る要 因 の ため に 正当 で はな い。 第 一に、 材 料 と労 働 力 お よび 半 製 品 は、 爆 撃 後 に爆撃 を受 け た 工 場 か ら爆 撃 さ れ な か った 工場 に移 す こ とが で
航空兵器と通信装置︱
の工場だけ には、
一九 四 五年 七月 の爆 撃後 に生 産能 力 の 六五 % 以上 が 残 さ れ て いた 。
陸軍兵器 の二つの品目︱ これ ら は、 す べ て の証 拠 が 、 爆 撃 に よる 工 場 の損 失 は 一九 四五 年 生 産 高 の低下 にお け る決 定 的 な 要因 であ った こと を 示 し て い る陸 軍 兵
爆撃 を受 け た 工場 と 爆 撃 さ れ な か った 工 場 の相 対 的 な指 数 は、 一
器 の二 つの品 目 で あ る。
九 四 五年 にお け る海 軍 艦 艇 の毎月 の生 産高 を カバ ーす る よう 算 出 さ
いて の結 論 が こ こ で は同 様 に適 用 さ れ て いる。 造 船 割合 の大 き な 低
れ て は いな いが 、 一般 的 に いえば 、 商 船建 造 に対 す る爆 撃 効 果 に つ
った。 これ と 同じ こと が 、無 線 機 およ び 電気 装 置 以 外 の海 軍 兵 器 の
下 は、 主 と し て造 船 所 に対す る直 接 爆 撃 以外 の要 因 に よ るも のであ
生産 に つ いても いえ る。無 線 機と 電 気装 置 の生 産 の低下 は、 主 と し
であ った。
て 生産 能 力 の四〇 % を 破 壊 し た 工場 に対 す る爆 撃 の損 害 によ るも の
要 す る に、 工場 と 装 置 に対 す る直 接爆 撃 の損 害が 、 一九 四 五年 に お け る 日本 の戦時 生 産 高 の水準 を 低 下 さ せ た大 き な要 因 であ った。 ま た、 疎 開 を はじ め海 運 の遅滞 や 鉄 道輸 送 の停 滞 な ど のよ う な航 空 攻 撃 の他 の効 果 は、 戦 争 の最 後 の数 ヵ月 間 に見 ら れ た 日本 の戦 時 工 業 の崩 壊 に近 い状 態 の 一因 と なり 、 そ の程 度 を 悪 化 さ せた 。
付録 第 1 1941―45会
計 年 度 別,品
目別,日 本 軍需 生 産 の 価値 指 数(単
位:100
(1941会 計年 度 の月平 均 1941
*付
録 第 2の デ ー タ に よ る
1942
1943
1944
1945
付 録 第 2 1945年 価格 に よる品 目別,1941―45年
日本 軍 需品 生 産 の価 値 (単 位:100万
1941会
計 年 度
円)
1942会
計 年 度
1943会
計 年 度
1944会
計 年 度
1945会
計 年 度
二 航 空機 工業
推 測 の問 題 であ る。 われ わ れが 爆 撃 を 始 め たと き、 す で に航 空機 工
ら ば 、 戦争 の潮 流 がど のよ う に速 や か に変 化 し て いた か は、 む ろん
業 の状 態 は明 ら か に思 わ しく な か った 。 われ わ れ の航 空攻 撃 は、 そ
約
こ の報 告 で は、 日本 の航 空 機 工業 の日 本 の戦 争 努 力 に対 す る 重要
要
性 に つい て述 べ る必 要 は殆 ん ど な いと 考 え る。 日 本 の大 本 営 は 、 日
の 回復 を ま った く 不 可能 にす る こと を 確実 にし ただ け でな く 、航 空
第 一章
日 の戦 術 の適 用 と 最 後 の全 力 を か たむ け た 日本 本 土 の"神 風" 防衛
か った時 に達 成 さ れ て いた よ りも 、 は る か に遅 ら せた の であ った。
戦前 の 日本 航 空 機 工業 の歴 史 は印象 的 な も の では な い。 一九 一八
機 の発 動機 と プ ロペ ラ の生産 と戦 闘 用機 の仕 上げ を 、攻 撃 を受 け な
年 以後 の数 年 間、 日本 の各種 工業 は 主と して ドイ ツと英 国 お よび 米
の た め の計画 でも 、陸 海 軍 の航空 部 隊 に大 き く 依存 し た。 大 本営 と
こと は明ら か にき わ め て重 大事 であ り、 そ の生 産 を破 壊 す る こ と は
し て は、 工場 が 作 戦 部隊 に供給 す るた め の航 空 機 の生 産 を 確保 す る
わ れ わ れ の関 心事 であ った。 した が って、 日 本 の航 空 機 工 業が わ れ
の航 空 機 を 生産 し、 戦前 に おけ る 航空 機 工業 拡 張 の中核 と な った 。
国 の製 造 工業 か ら購 入 し た設 計 によ って築き 上 げ られ た 。 一九 二〇
少 数 の大 会 社 (三菱 、中 島 、 川崎 ) が 、 日本 の航 空機 工業 で有 名 で
わ れ の爆 撃 機 の第 一の攻撃 目標 に指定 さ れ た の は、 決 し て偶 然 では
今 日明 ら か な こと は 、わ れ わ れ の 日本 本 土 に対 す る爆 撃 が 開 始 さ
あ った 。 こ れ よ り小規 模 な多 数 の航 空 機 会社 が 、戦 時 中 に航 空 工業
年代 にな る と、 散 在 す る 小規 模 の工場 が 軍需 と 民 需用 の雑多 な 種 類
れ た以 前 で さ え、 日 本 の航 空 機 と発 動 機 の生 産 は日 本自 身 の期 待 に
な か った の であ る。
ほど 遠 い状 況 にあ った こと であ る。 わ れ われ が 日 本 本土 に対 す る航
に加 わ った。
年 の 一、 一八 一機 へと徐 々に増 加 した 。 一九 三 七年 から 五年 間 の支
日本 の航 空機 生 産 は、 一九 三〇 年 のわず か四 四 五機 か ら 一九 三 六
空攻 撃 圏 内 に入 った時 ま で に、 日本 の国 内経 済 情 勢 は急 速 に悪 化 し つ つあ った。 絶 対 必要 な 補給 物 資 は減 少 し、 熟練 工員 は不 足 し、 戦 意 は低 下 し つつあ った。 わ れ われ が 航 空機 工場 を爆 撃 し な か ったな
那 事変 と大 東 亜 共栄 圏 建 設 の準備 期 間 に、 航 空 機 の生産 は急 激 に上 昇 し た。 こう し て 一九 四 一年 には、 陸 海軍 に供給 さ れ た機 数 は 五〇 八八機 (一九 三 八年 生 産 機 数 の四倍 以 上) に達 し た。 し かし 、実 際 の生 産拡 充 、 つま り、" 全 力 をあ げ た"国 家 努 力が 見 ら れ た のは、 一九 四 二年 から 四 四年 に いた る戦 時 中 であ った。 そ の結 果 、 一九 四 四 年 には 一九 四 一年 の約 六倍 の飛 行 機 を生 産 した 。航 空 機 の重 量 は 大 き く な り、 性 能 は改 善 さ れ 、戦 闘 用 機 の練 習 機 お よび 輸 送 機 に対
き か った。 ピ ー ク の年 で あ る 一九 四 四年 に生産 され た 二 八、 一八〇
す る割 合 が 増 加 し た ので、 そ の努 力 の程 度 は機数 が 示 し た より も大
同じ 期 間 の米 国 の航 空機 生 産 高 と 比較 す れば 、 日本 の生 産 は大 き
機 のう ち、 そ の四分 の三が 戦 闘 用 機 で あ った 。
材 料、 人 的資 源 およ び技 術
を 考慮 す れば 、 日本 の努 力 は称 賛 に値 す る。 次 の付表 第 1
く な か った が、 両 国 の相 対 的 な 資 源︱
の1 は、 戦 時中 に おけ る 日本 の航 空機 、 発 動機 および プ ロペ ラ の総
開発 ︱
日本 の航 空機 、 発 動機 、 プ ロペ ラ生 産 高 (一九 四 一︱ 四五)
最 初 の七 ・五 ヵ月
付 表 第 1 の1
*
日本 、 ド イ ツ、 米 国 の航 空 機 総 生産 高 の比 較
機 数 に は グ ライ ダ ー を含 む。
付 表 第 1 の2
*
た 。 基本 的 な 九 〇以 内 の機 種 ( 海 軍 が 五 三種 類 、陸 軍 が 三 七 種 類)
戦 時中 に は、 航 空機 の いろ い ろな 種 類 と型 と 型 の変 形 が あ ら わ れ
し、 そ の延 べ出 撃 機数 は全 体 の 一四% にあ た ったが 、 爆弾 投 下 量 は
の九 八 % を投 下 した 。 空母 機 は数 回 にわ た って第 二〇 航 空軍 を 援助
合軍 機 全 体 の八 六% に達 し、 日本 の航 空 機 工業 に対す る合 計爆 弾 量
空軍 に おわ さ れ た。 こ の部 隊 の飛 行機 ( B 29) の延 べ出 撃機 数 は連
い目 標 と な った。 日本 の航 空 機 工 業 を破 壊 す る主 な貴 任 は第 二〇 航
と 、 基本 的 な 種 類 の 一六 四 の変 形 (海 軍が 一 一二、 陸 軍 が 五 二) が 、
全 体 の二% にす ぎ な か った 。 計 画 され た 攻撃 は、 一般 に目 標 の相対
古屋 の大 工 場 は 航空 機 工業 の中 で 最 も集 中 的 な航 空 攻撃 を 受 け やす
わ れ われ の確 認 し た リ スト に認 入 さ れ て い る。 し かし 、 そ の全部 が
的 な 重要 性 に応 じ て適 当 に配 分 され た。
生 産 高 を 示す 。 付表 第 1 の 2は、 日本 の総生 産 機 数 を米 国 お よ び ド
一度 に生 産 さ れ たわ け で は な い。 こう し た多 様 化 は戦 術 家 に と って
イ ツと 比 較 し たも のであ る。
必要 であ ると 思 われ た かも しれ な いが 、 そ の調達 は決 し て容易 な こ
れ の攻 撃 はき わ め て効 果 的 なも の であ った。 た し か に、 工場 の物 的
日本 の航 空 機 工業 が こう む った物 質 的な 損 害 から 見 れば 、 わ れわ
戦 時 中 、作 戦 が 防 衛的 な 性 格 なも の にな る に つれ て 、 日本 の航 空
と で は な か った 。
機 に対 す る 重要 性 が爆 撃 機 から戦 闘 機 に移 って い った 。 こ れと 同 じ
の工場 調 査 報告 に は、 爆 撃 の成 果 を写 真 にと った豊 富 な証 拠が 含 ま
れ て い る。少 数 の例 外 は 別と し て、 工場 に対 す る命中 弾 に よ って生
破 壊 の程 度 は大き か った 。米 国 戦 略 爆 撃調 査 団航 空 機部 によ る個 々
と 単 発 戦 闘機 への転換 は、 機 体重 量 の点 か ら航 空 機 工業 の負 担 を軽
傾 向 が 、 欧州 で の戦争 の後 半 に おけ るド イ ツにも 見 ら れ た。 も と も
く す る のに役 立 った の で、 さ ら に重 要 な意 味 が あ った。 し かし 日本
た は火 災 に よ る被 害 を ま ぬ かれ 、 よく 防 護 され た重量 のあ る 一部 の
産 の続 行 を停 止 さ せる こ とが でき な か った 。 一部 の工場 は直 撃 弾 ま
を 中 止 し た爆 撃機 の種 類 の多 く は単 発 であ った ので、 戦 闘 機 生産 の
によ って作 業 を つづ け た。 し か し 一般 的 に言 え ば、 作 業 は妨 害 さ れ
装 置 (水圧 機 、 熱 処 理炉 、 鍛 造 ハン マー) は、 日本 側 の異常 な 努力
で は、戦 闘 機 は機 体 の重 量 と発 動 機 の馬力 を 大 き く し、 ま た 、 生産
重 視 は航 空 機 工業 の問 題 点 を緩 和 しな か った。
てち りぢ りと な り 、そ の能率 は 平均 水 準 を大 き く下 回 った。
一九 四 五年 の晩 春 ま で に、 わ れわ れ の攻撃 の 一部 は廃虚 も 同 然な
中 島 、 三 菱 、川 崎 、 立 川 の 四 つ の会社 は、 一九 四 一年 か ら 四 五年 ま で に生 産 さ れ た全 航 空機 の三分 の二以 上 を完 成 し 、 三 会社 ( 中島、
工場 に対 し て行 な われ た。 こう した 工 場 に配 置 され て いた 工具 と人
ら 一二月 にか け て B29 によ る最 初 の攻 撃 のた め に、 あ わ て ふた め い
員 は、 す で に 〃丘 に移 さ れ 〃て いた のであ る。 一九 四 四年 一 一月 か
そ の周 辺 に集 中 し て い た。 発 動機 組 立 作業 の大 部 分 は、 東 京 に近 い
た 航空 機 工業 の疎 開 が 行 な われ た。 工 具と 人 員 およ び材 料 は広 く分
疎 開 前 の 日本 航 空機 工業 は、東 京 と 名古 屋 お よび 大 阪 の大 都 市 と
中 島 の武蔵 工場 と名 古 屋 の三 菱発 動 機 工場 で行 な わ れ た。 ほか の少
散 され 、 日本 の降 伏 ま で に、 疎 開 し た 工 場を は じ め部 品 や材 料 の下
三菱 、 川 崎) だ け で 同 じ期 間 の戦 闘 用 機 全 部 の 四分 の三 を 生産 し た。
数 の発 動 機 工 場 や 四 つ のプ ロペ ラ工 場 に比 較 し て 、 これ ら 武 蔵 と名
めに大 き な 損害 を こう む った。 一九 四 五年 初 め、 これ ら の大部 分 は
倉庫 を はじ め神 社 にさ え疎 開 した 。 こ れら は、 わ れ われ の空襲 のた
殆 ん ど な か った 。 こう した 工場 と 準 工 場 の多 く は、 学 校 、紡 績 工場 、
請 と補 給 な ど 何 ら か の航 空機 製 造 活 動 が疎 開 しな い村落 ま た は 町 は
働 者 が 地 下 で作 業 し、 一万 一千 の 工作機 械 が 装備 され 、 三 二 の工 場
虜 の中 国 人 であ った。 一九 四 五年 夏 ま で に、 三 万 五千 から四 万 の労
空機 工場 の疎 開 のた め に費 さ れ た。 こ の労働 力 の主体 は朝 鮮 人と 捕
四 五年 三 月 から 八月 ま で の間 に、 約 七 五〇 万 マン ・デ ーズ が 地下 航
拡 充 が で き る ま で、 日本 政 府 は半 地 下 と 地下 に 工場 を疎 開 す る許 可
な要 求 のた め に、 生産 を維 持 し、 ま た は現 に行 な わ れ て い る生産 の
な ると考 え て いた。 し かし 事実 は、 こう し た考 え方 が き わ めて 楽観
部 分 は、 一九 四 五年 一 二 月 になれ ば 全体 の計 画が 操 業 でき る状 況 に
% を達 成 し た。 本 調 査団 が イ ンタビ ューし た航 空 機 工業 関係 者 の大
いろ の困 難 にぶ つ か ったが 、 と に かく 日本 は地 下 計画 の五〇 ︱ 六 〇
計 画 は行 き あ た りば った り、 必 要 な資 材 は 不足 し 、 そ のほ か い ろ
が あ る程 度 操 業 し て いた と 見積 ら れ て い る。
を さ し ひ かえ た 。す で に多く の会 社 は政府 の疎 開命 令 を 予 想 し て 一
的 な 予想 であ った こと を裏 書 き し てい るが 、 一九 四 五年 八月 以降 に
疎 開 は 一九 四 四年 初 め に計 画 さ れ たが 、 生 産 に対 す る 不断 の大 き
地 下 に移 り はじ め た。
一九 四 五年 二 月 にな って、 こう し た措 置 を 義 務づ け る ﹁工場 緊 急 疎 開 法﹂ が 議 会 で採 択 さ れ た。 こ の法 律 は建 設 、輸 送 、 建 設資 材 およ
ょう にわ ず か な生 産 高 であ り、 一ヵ月 に三〇 足 ら ず の発 動 機、 一〇
な れば 生 産 は増加 し て いたと 思 わ れ る。 だ が、 そ れ は実 際 には ひじ
九 四 四 年晩 秋 に工 場設 備 の撤 去 を実 際 にはじ めて い たが 、 よ う やく
び財 政 の面 で航 空機 を 最優 先 的 にし た航 空 機 工業 の地 下、 半 地 下 お よ び地 上 の疎 開 を命 令 し た。 こう し た疎 開 は 一九 四 五 年四 、 五 月 に
いる間 、 航 空機 工 業 の生 産 の低下 は空 襲 の直 接 影響 によ るも のよ り
工場 のと り こわ し 、流 れ 作 業 の機 械 の移動 と 再 設備 が 行 なわ れ て
機 の航 空 機 と 二、 三 千 の部 品 の生産 にす ぎ な か った 。
日本 の地形 は地 下 工 場 にひ じ ょう に適 し て い る。 た やす く 穴 を掘
も 大 き か った。 空襲 を心 配 し、 適 当 な疎 開 地 が建 設 さ れ る まで、 多
な って 一般 に行 な わ れ る よう にな った が 、時 はす で に遅 き に失 し た。
る ことが でき 、 上 部 の支 材 があ まり 必 要 でな く 、 ま た は支柱 を 必要
く の 工場 を分 散 さ せ 工具 と補 給品 を 保管 す る こと とな った。
ま す ます 不 足 し た の で、発 動 機 の生 産 は 一九 四五 年 七月 ま で に約 三、
は、 減少 す るよ りも む し ろ増 大 し たも のと 思 われ る。 重要 な 材料 が
一九 四 五年 の前 半 に航 空機 工業 ( 発 動 機 と 機体 ) が直 面し た 困難
と しな い沈 積 性 の火山 灰 の丘 に新 し いト ン ネ ルを掘 った。 放棄 され た鉱 山、 採 石 場 、鉄 道 と 電車 の ト ンネ ル、 鉄 道 の陸 橋 の下 やデ パ ー
六 ヵ月 にわ た る異 常 な 努力 によ って、 完 成 の程 度 はま ち まち であ
ト の地階 ま でも 使 用 さ れ た。
ろ う。 同 じ 理由 のた め に、 おそ らく 機 体 の生産 も 七月 ま でに それ ま
〇 〇〇 に減 少 し、 そ の後も おそ ら く横 ば い状態 を つづ け て いた であ
で の横 ば い状 態 の約 一、七 五 〇 に低 下 し て い たと 思 われ る。 こう し
ったが 、 約 一〇 〇 の航 空 機 工場 が でき あ が った。 一〇 〇 の 工場 が疎 開す るた め に計 画 さ れ た 総面 積 は
一 二 五四 万平 方 フ ィー トで あ り、
そ のう ち 実 際 に疎 開 し た のは七 二 三 万平 方 フ ィー トで あ った 。 一九
機 の生 産 は 一九 四 五年 七月 ま で に 一、 二 五七 に、 航空 機 の生 産 は 一、
る も の であ る。 し かし 、実 際 には空 襲 と疎 開 のた め に、 航 空機 発 動
た 見積 り は 、疎 開 が行 な われ ず 空襲 も 受 けな か った と いう仮 定 によ
かも し れな い数 量 の 一八% に相 当 す る。 ( 付 表 第 1 の 3を参 照 )
積 ら れ 、 こ の数 字 は 一九 四 五年 の最 初 の七 ヵ月 間 に生産 さ れ て いた
しれ な い数 量 の四 三% にあ た る。 機 体生産 の減 少 は二、 八〇 〇 と 見
優 先 的 に考 慮 され 、 航 空機 工業 の要 求 は日本 経 済 の許 す かぎ り み た
航 空 機製 造 業 者 に対 す る材 料 、 工作 機械 お よび 労働 力 の割 当 ては最
日本 の政 府 と航 空機 工業 と の関係 はう まく ゆ かな か った。 戦 争中 、
空 襲 によ る直 接、 間 接 の影響 のた め に、 一九 四 四年 一 二 月 から 翌
さ れ た。 し か し、 陸 軍 と海 軍 のま ったく非 協 調 的 な要 求 に よ って、
一三 一にそ れぞ れ 減 少 し た。
年 七月 ま で の発 動機 生 産 の減少 は 一 一、 〇 〇 〇 と見 積 ら れ、 これ は
空襲 の直 接 お よび 間 接 ( 疎 開 ) の影響 によ る 航空 機 と 発 動機 生 産 の減 少 見積
疎 開 と 空襲 によ る直 接 の影 響が な か った場 合 に生 産 さ れ て いた かも
付 表 第 1 の3
航 空機 工業 の生 産 は妨 げ ら れ た。 こう し た陸 海 軍 の競 争 は、 しば し ば喜 歌劇 を さ え 演じ た。 あ る点 では 、陸 海 軍 の調達 機 関 は、航 空 機
し て内 乱 み た いな も のを つづ け た。 一九 四 三年 一 一月 に統 制 が軍 需
製 造 業者 の立 場 を困 難 にし 、明 ら か に多く の航 空 機 の生 産 を犠 牲 に
省 航 空 兵器 総 局 に移 管 され た のは、 こう し た 欠点 を なく す るた め で あ ったが、 そ の努 力 は殆 んど 成果 が 得 ら れ な か った。 陸海 軍 は み ず か ら の自 治 権 の観 念 を 堅持 し、 そ の代 表 者 はこう し た主義 のも と に
戦 時 中 の航 空機 工業 に対す る政 府 の財 政 上 の直接 的 な 援 助 は比 較
行 動 し た。
的 に少 な か った。 多 く の場 合、 最 初 の工場 拡 張 に必要 な 資 金 は、 航 空 機 製造 業 者 と特 定 の銀 行 と の交 渉 によ る融 資 の形 式 で行 な わ れ、 政 府 は銀行 の融 資 を保 証 し た。 財 政 以外 の援 助 に つい て は、 日本 の航 空機 工業 は日本 政 府 よ りも
それ は事実 な ので あ る。 日本 航 空機 の発 動機 とプ ロペ ラ の大 部分 は、
日本 が 戦 前 に特 許 を買 った米 国 の設計 に よるも ので あ った。 日 本 の
優 秀な 航 空 機技 術 者 の多 く は、 マサ チ ュー セ ッ ツ工科 大学 、 ス タン
フ ォード 大 学、 カ リ フ ォ ル ニア工 科 大学 に学 位 を諸 求 す る こと が で
ーイ ング また は ロ ッキ ード航 空機 工業 会社 で技 術 を習 得 し た。 と り
き た。 日本 の最 高 の技 術 者 た ち は、米 国 の カー チ ス、 ダ グ ラ ス、ボ
わけ 、実 用化 さ れ な か った ジ ェットと ロケ ット推進 航 空 機 の随 所 に、
戦 時 中 のド イ ツ の影響 が 明 ら か に見 ら れ たが 、 日 本 は設 詩 の部 門 で
は米 国 の影響 が 最 大 であ った 航 空機 で戦 争 を戦 った、 と は っき り言
し かし 、製 造 能 率 の点 で は、 日本 は米 国 と ド イ ツ の航空 機 製造 会
う こと が で き る。
社 が示 し た標 準 より はる か に劣 って いた。 戦 時中 、 米 国 の航 空 機資
あ たり の作業 で 生産 し た機 体 の重量 の数字 で示 さ れ た。 付表 第 1 の
こ の指数 は、 す べ て の既 知 の変 数 を 考 慮 に 入れ 、従 業 員 一人 の 一日
って 米国 の航 空機 製 造 業 者 の相 対 的 な 成績 を 評価 す る ことが でき た。
源 統制 局 は比 較 能率 指 数 が得 ら れ る 一つの方 式 を開 発 し、 これ に よ
は、 も と も と、 自 分 の国 ( 米 国) の設 計 にさ か のぼ る ことが でき る
米 国 に負 う と こ ろが 多 か った 。米 国 の戦 闘 機 と爆 撃 機 のパ イ ロ ット
︹敵 の︺ 航 空機 と戦 った のだ 、 と いう の はひ ど い言 い方 で あ る が 、
付表第 1の4 製造能率指数
4は、 付 記 し た時 期 に比 較 し た成績 を あ ら わす 。
で あ った。" どう な る の か" と いう 気 持 ちが 、航 空 機 工 業 にみ なぎ
ってき た。 食 糧不 足 が い よ い よ深 刻 にな ったと き 、労 働 者 は食 糧 を
さ が し まわ る た め に仕事 を休 んだ 。 われ わ れ の爆 撃が 開 始 され た 後
り は じ め た。従 業 員 を仕 審 に専 念 さ せる こ とが 、 ます ま す 困難 にな
に は、航 空 機 工業 にお け る 欠勤 が 急激 に増 加 した 。直 接 攻 撃 の ため
右 の表 に示す よう に、 日本 の能 率 は劣 って おり 、 日本 の平 均 能率
の工 業全 体 の基 礎 と な った労 働 者 の技 能 が 低 か った こ と であ る と い
に労 働者 は地方 に疎 開す る。 わ れ わ れ の攻 撃が 回 数 と激 し さ を増 大
は米国 の製造 業者 の約 三分 の 一であ った 。 そ の理 由 の 一つは、 日本
ったが 、 航 空機 工業 の必要 と した高 度 に専門 化 され た 労働 力 を 確保
え る。一 部 の重 工業 で は 、 こ の要 素 はと り わ け重 要 な も の で はな か
し よう と す る場 合 に所 要 の技 能 者が 得 ら れず 、 十 分 の員数 を 要 求 に
った 。都 市 地 区 攻撃 は、多 数 の労働 者 の住 宅を 破 壊 し、 一般 に家 庭
生 活 を こ わ し、 人 々を 自 分 の仕 事 から離 れ さ せ た。 こう した要 因 の
す る や、 防 空 警報 の響き と とも に工 場 は完 全な 一時 休業 の状態 と な
す べ てが から み 合 った結 果 、 一九 四五年 春 ま で に、 航 空機 工業 に お
間 に合 う よう 訓練 でき な か った。陸 海 軍 への召集 によ って人 的 資 源 の 不足 が 大 きく な った と き、 多 数 の女性 、高 校 の生 徒 、兵 隊 ま でが
け る 一人 一時 間 あ た り の生 産 の損 失 は 二〇 ︱ 三 五% に達 し た。
部 品 と基 本 的 な材 料 に見 られ た供 給 の不 足 は、 生 産す る航 空機 の
航 空機 の生 産に 徴 用 さ れ た の で、 生産 能 率 と 生産 品 の質 はさ ら に低
航 空機 工業 の従 業 員 数 は、 他 の工業 の下 請 業 者が 航 空機 工業 にも
て促 進 され た生 産 の大 躍 進 は、 生 産 す る多 く の重 要 な 品 目を 整 理 し、
質 と 量 に影 響 を あ た えた 。 一九 四 四 年春 に行 な われ た軍 需 省 に よ っ
下 す る 結 果と な った 。
に、 約 一〇 〇 万 人が 航 空 機 生産 に雇 用 され て いたと 見 積 られ る。 雁
航 空 機 の材 料 の備 蓄 を から にし て しま った。 し か し、多 く の品 目を
使 用 さ れ た ので、 正 確 に見積 る こと はむ ず かし い。 一九 四 四年 二月
整 理 す る計 画 は ま ったく 不 適当 であ る こと が、 蕪 実 によ って証 明 さ
れ た。 軍需 省 航 空兵 器 総 局 長官 遠 藤 三郎 将 軍 は、 これ に ついて次 の
用 が ピ ー ク に達 し た とき (一九 四四 年秋 )、 そ の数 字 は約 一五〇 万
航 空機 生 産 労働 者 の仕 事 に対 す る熱 意 は、 一九 四 四年 夏 に最 高 に
に のぼ ったも のと 思 わ れ る。
﹁陸 海軍 と も 決戦 で勝 つ つも り で いた。 海 軍 は、 この 決 戦 場 は
よ う に説 明 し た。
ニューギ ニア の北方 海 域 であ り、 そ の時 期 は 一九 四 四 年 六月 に訪
に、最 後 の勝 利 を確 信 す る 考 え方 を抱 か せる ことが でき た。 こう し
達 し た よう に考 え られ る 。 そ れ まで 宣伝 家 た ち は 日本 国 民 の心 の中
て労働 者 は、 殆 んど 不平 を い わ な いで、 月 に 二八 日、 一日 に平 均 一
であ る と 予想 し て い た。 こ の決 戦 が行 なわ れ る まで は 、疎 開 は 二
れ るも のと考 え 、陸 軍 は、 そ の決 戦 は 一九 四 四年 八 月 フィリ ピ ン
義 的 な も の であ った。 そ こで 一九 四 四年 には、 す べ て の計 画 を無
〇 時 間 を 工場 で 働 い た。 し か し サイ パ ンの失 陥 が発 表 さ れ たと き 、
して 十分 に防 衛 さ れ て いた サ イ パ ンを失 った こと は、 一般 の日本 国
視 し て生 産 に全 力 を か たむ け た。 生 産 のピ ークが 達 成 さ れ て ( 戦
航 空 機 工場 の労働 者 の戦 意 はが た落 ち し た。" 日本 帝 国 の要 衝" と
民 には た だ ち に信 じら れ ず 、 そ の ニ ュー スを 聞 い てび っく り し た の
闘 に敗 れ ) た後 、 従 業員 は休 息 を要 求 し 、機 械 は いた ん で修 理 を
は 二次金 属 の使 用が 急 激 に増 加 し つ つあ った。 日本 の技 術 者 は、 情
供 給 の全 部 を 使 い は たし て い た であ ろう 。 これ に反 し て、 終 戦 時 に
勢 が しだ い に悪 化す る こと を 予想 し て、 一九 四 五年 末 から 翌 年 初 め
必要 と し、 部品 と補 給 物資 を 使 いは たし 、 再 調整 しな け れば な ら な か った 。生 産 が 低 下 した のは 、 こう し た諸 要 因 を はじ め、 疎 開、
いた。
日本 の航 空 機 工業 は、 一九 四四 年 の秋 ま で に、 われ わ れが 判 断 し
に かけ て生 産 す る航 空機 の全 部を 木 材 と鋼 で設計 す るよ う研 究 し て
て いた よ りも はる か に悪 い状 態 に お ち い って いた。 日本 の航空 機 工
地 震 、連 合軍 の爆 撃 お よび 国 民 の戦 意 の衰 退 によ る ので あ った。 ﹂
よ って、 日 本 の航 空 機 工業 に危 機 が訪 れ た 。 そ の影 響 が最 初 にあ ら
一九 四 四 年 の半 ば ま で に、 日本 に対 す る封 鎖 と 日本 船 舶 の損 失 に
わ れ た の は、 航 空機 発 動機 の生 産 であ った。 コバ ル ト、 ニッケ ル、
ろう じ て得 ら れ た こと は、 わ れ われ には わ か って いな か った。 わ れ
業 が 一九 四四 年 秋 に ピ ー クに達 し た生 産 は、 備 蓄 を使 い はた し て か は、
近 代 の高 性 能 航 空機 発 動 機
われ は 、わ れ わ れ によ る封 鎖 と、 基 本 的 な すべ て の必需 品 に対 す る
の生産 に必 要 な特 殊 の高 強度 鋼 を作 る た め の合 金 に使 用 す る︱
ク ロム、 モリブ デ ン、 タ ング ス テ ン︱
航 空機 工業 にと って重 大 な問 題 と な った。 代 用 品 を使 用 す る 企 て は
分 に認 識 し て いな か った 。
長 期 戦 の要 求 のた め に、 日 本 経済 が これ ほどま で に悪化 し た かを 十 発動
生 産 を低 下さ せた だけ でな く、 検 査 の結 果 は 不適格 の割 合 を高 め試 験 飛行 の 不合 格 の数 を 増 加 し た。 付 図第 2 の14 に示す ように、
し かし、 航 空機 工 業 に対 す る爆 撃効 果 は十分 に評 価さ れ て い た。
われ わ れが 日 本 の航 空機 工場 を直 接 攻 撃 し て いな か ったな らば 、 日
われわれ の航空攻撃が開始 された月︱
機 の生 産 は 一九 四 四 年六 月 に 五、 〇 〇〇 のピ ー ク に達 し たが、 それ
に は三 、 八〇 〇 に低 下 し た。
以後は減少 して 一一月︱
生 産 の横ば い状 態 の回復 に成 功 し た かも し れず 、 わ れ われ の軍 事 計
な い。 日 本 は 一九 四 四年 夏 に達 成 し た水 準 を いく ら か下 回 る飛行 機
本 は適 時 に生産 の下 向傾 向 を く い と める の に成 功 し て いた かも しれ
ろう じ て間 に合 う状 況 とな り、 予備 の発 動機 は急 速 に 減少 し た 。 つ
画 の達 成 にと って依 然 と し て大 き な妨 げ と な った。 そ こ で、 日 本 本
一九 四 四年 一〇月 ま で に、 発 動 機 の供給 は機 体 に装 備 す る のに か
い で発 動 機 のな い飛行 機 が 工場 にたま り は じ め、 前 線 の部 隊 には 予
土が わ れ わ れ の攻 撃 圏内 に は いる や いな や 、 日本 の航 空機 工業 を 攻
撃 す る こと によ って、 わ れ われ は日 本 の航 空 機 生産 の回復 傾 向 を 妨
備 機 が な く な り、 生 産 の流れ 作 業 は 低 下し た 。 一九 四 四 年 夏 ま で に、 ア ル ミ ニウ ム板 の備 蓄が 減 少 し た の で、 希
低 下 さ せ る こと と し た。最 初 の攻 撃 は 日 本 の計 画 し た生 産能 力 の 一
部 を 破壊 し ただ け で なく 、 さら に重 要 な の は、 こ の攻 撃 によ って日
げ 、攻 撃 を 加 え なけ れ ば達 成さ れ て い た かも し れな い生 産 を大 き く
本 側 を おど かし 、 まず い計 画 に よ る疎 開 を急 が せ た こと であ る。
望 され た規 模 で生 産 を つづ け る ことが でき な か った が 、 そ の後 の疎
ま う状 況 は起 こ らな か った。 し かし、 計 画 さ れ た航 空 機 生産 が 行 な
開 と爆 撃 によ る 工場 の損 害 の ため に、 備 蓄 を 完 全 に使 いは た して し
わ れ て い たな らば 、 終 戦 時 のず っと 以前 に利 用 でき た ア ルミ ニウ ム
日本 の戦 闘 用機 の生産 に関 す るわ れ わ れ の見 積 りは、 一九 四 四年
の工業 と は直 接 関 係 のな い中 島 は、 最 初 は有 力 な 三井 財 閥 か ら融 資
航 空機 工業 は、 同 名 の重 工業 の航 空機 部 門と し て スタ ート し た。他
日本 は これ ら 三生 産 者 を操 業 さ せ る のに、 最 初 の航 空 機 と発 動機
を う け た。
春 ま で は適 当 であ った。 だ が 、そ れ 以 降 の見積 り は、 戦後 の調査 結 果 か ら見 れば 、 わ れ わ れ は約 二〇 % 大 き く 評価 し て いた。 わ れ わ れ
の設 計 を フ ラ ン スに たよ った。 三 菱 は ニ ューポ ー ル飛行 機 と イ スパ
は 一九 四四 年 一 一月 と 一二月 の爆 撃 にと も な う 日本 の生 産 低下 の割
日 本 は第 一次 大戦 中 の 一九 一七年 か ら 一八年 ま で の期 間 、 フラ ン
ノ ・スイ ザ発 動 機 を購 入 し、 中 島 は ロー レ ン設 計 を、 川 崎 は サ ル ム
スの設 計 を研 究 す る こ と にあ ま んじ 、 航空 の面 で実 際 に戦 争 に寄 与
合 を 適当 に見 積 ったが、 日本 の疎 開 計画 に つ いて は殆 ん ど知 ら な か
な 回 復 と生 産 の上 昇 が 述 べら れ て いた。 われ わ れ が知 ら な か った の
しな か った。 二〇 世紀 の初 期 、 日本 は実 験 的 にフ ラ ン スの型 を製 作
ソ ン飛 行議 と 発 動機 の製 作 権 を買 った 。
は、 日 本 は 工場 内 の設 備 の撤去 と 工具 や装 置 を ほら穴 と ト ンネ ルに
った ので、 一九 四 五年 春 におけ る 日 本 の 回復 能 力 を約 一三% だ け 過
移 す の に忙 殺 さ れ た の で、 疎開 と そ の後 の爆 撃 に よる生 産 の低下 が
し た。 日 本陸 軍 は、 そ の増 大 す る要 求が 初 めて 航空 の大実 業 家 に関
大 に見積 った 。す べ て の情 報 見 積 り に は、 こ の期 間 に おけ る部 分 的
降 伏 の日 ま で大 体 にお い て下降 を つづ け た こ と であ る。 たし か に、
心 を持 たせ て、 す べ て の機 種 を 購 入 した。
の招き で日 本 を訪 れ た 。米 国 の最 初 の航 空母 艦 ﹁ラ ング レー﹂ によ
ソ ッピ ー ス戦 闘機 の製 作者 など を含 む 一〇 名 の技術 者 が 、 日本 海軍
一九 二 一年 末、 英 国 の ソ ッピ ー ス飛 行機 製 造 会社 の社 長、 有 名 な
わ れ われ の 日本 の航 空機 生 産 に関 す る 見 積 り に は誤 りが あ ったが 、
れ が 一九 四 五 年春 に太 平洋 で直 面 し た情 勢 にお いて、 敵 の戦 力 を 過
そ の誤り は安 全 な 方 に 、 つまり 過 大 に評 価 し た のであ った。 わ れ わ
小 評 価 し てわ れ われ の要求 の的 に とど かな いよ りも 、 的 の遠 方 ま で
始 め たが、 そ れ は 日本 に おけ る海 軍 航 空 の発 端 であ った。 一九 二 一
直 後 、 三菱 は空 母 用 の戦 闘 機、 雷 撃機 およ び偵 察機 に ついて研 究 を
る実 験 は、 明 ら か に 日本 海軍 に航 空 に つ いて関 心 を抱 か せた。 そ の
日 本 の航 空機 工業
う ち すぎ た ほうが 、 はる か に適 当 で あ ったと 考 え る。
第 二章
こ の期間 に おけ る中 島 の進 歩 で重 要 な こと は、一九 一九年 の東 京 ・
年 、 ゴ ッテ ンゲ ン型 の風洞 が 名古 屋 の三菱 で完 成 し た。
大阪 間 の航 空郵 便 競技 で の成 功と 水 上偵 察 機 の開発 であ る。 川崎 は
景
一部 の進 歩 的 な 人 々は早 く から 航 空 に関 心 を いだ い て いた よう で
軍爆 撃機 の製作 に忙 し か った。 こ の期 間、 日本 の技 術 使 節 団 は フラ
特 許 を 買 って 日本 で製 作 され た ド イ ツ のB M W発 動 機 を装 備 す る陸
一 背
あ るが 、 日本 の航 空機 製 造 活動 の真 の発 端 と な った の は第 一次世 界
ン ス、 英 国 、 ド イ ツおよ び 米国 を 訪 問し た。
大 戦 であ った。 航 空機 工業 の" ビ ッグ ・スリ ー" ( 三 菱、 川 崎 、中 島 ) は、 一九 一七年 に航 空機 の生 産 に の りだ し た。 三 菱、 川 崎 の両
外 国 の影 響 日 本 の技 術 者 たちが 米 国 の工 場 に つ いて研 究 して いたと き 、 米国 の最 高 の研修 所 は、 日本 に帰 って から 日 本が 太 平 洋征 覇 の夢 を いだ く 基 礎 と な った零 戦 や雷 爆 撃 機 そ の他 の飛行 機 を 設 計 す る こと にな る 日本 人 を 訓 練 し て い た。
一九 三 七 年 以来 、 一般 に 日本 の航 空機 工業 はあ る意 図 のも と に秘
の技 術 者 に旅 券 の発 行 を 認 め て いた の に、 日本 政府 が航 空機 工 業 に
密 にかく さ れ たが 、 と り わけ 三 菱 は そ う であ った。 わ れ われが 日 本
対 す る統 制 を きび しく す る や、 そ の取締 り はます ます厳 重 にな った。
戦 前 の拡張
て、 も は や外 国 人 技 術 者 を雇 わ な い こと と し た。 し か し、 これ は 主
も 日本 の設 計 によ る航 空 機と 発 動 機 を考 慮 す る こと と な る。 こう し
であ ると 決定 し、 自 給自 足 の方 針 を確 立 し 、 それ によ って少 な く と
あ る時 期 に は、実 際 に世界 第 一で あ った 。 )州 崎航 空 機 は 親 会 社 の
古 屋機 体 工場 は世 界 第 二であ る、 と 新聞 は報 道 し て い た。 (戦 前 の
大 き な発 動 機 工 場 を建 設 し て、 三 菱 と 肩 を伍 し は じ めた 。 三菱 の名
こ の時代 に、 中 島 は巨 大 な 太 田機 体 組 立 工場 と 東京 に近 い武 蔵 野 に
そ れ は支 那 事 変 を支 援 す る た め の日 本 の工業 拡張 の時 期 であ った。
と して 日本 の国 家 主義 者 のプ ライ ド に対 す る鼻 薬 にし よ うと す る も
神 戸 工場 と 分 れ、 明 石 と 名 古屋 に近 い各 務 原 にすば ら し い近 代 工 場
一九 三 〇 年 ま で に、 日 本 の陸 海 軍 は航 空 機 工業 を 独 立 さ せ るべ き
の であ り 、 日本 の技術 使節 団 が 日本 の設 計 の出 発 点 と し て外 国 の最
を建 設 し た。
戦 争 の最 初 の二年 間 、 同 じ 生産 水 準 を惰 力 で維 持 した 。 つい に 一九
安 易な 勝 利 によ る誤 った安 心感 でだ ま され た 日本 の航 空機 工業 は、
る 。中 島 は 二倍 に拡 張 し 、 三菱 も 同 様 に拡 充 した 。
一九 四 一年 、 政府 は航 空機 工業 に対 し て戦 前最 後 の拡張 を要 求 す
上 の モデ ルを ひき つづ き 購 入 す る こと を 妨げ な か った。 一九 三 五年 、 中 島 は シ ャ ンス ・ブ ウ社 から 初 期 の コル セ アの ライ セ ン スを 購 入 し、 一九 三 七年 に は ライ ト社 から ワー ルウ ィ ンド と サイ ク ロ ン発 動 機 の
ン ス の星型 発 動 機 と 、 ド イ ツ のダ イ ム ラ ー ・ベ ン ツ の特許 を 買 った
四 二年後 半 と な る や、 ミ ッド ウ ェーと ソ ロモ ン諸島 に おけ る敗 戦 に
設 計 を 買 った。 三菱 は、 そ の有 名 な金 星発 動 機 の基 礎 と な った フ ラ
よ って、 日本 人 は よう や く 目を さ ま し 、本 土防衛 のた め 真 に必 要 と
す る こと の 一端 を 理解 し た。 日本 人 は怒 り にま かせ て、 ほか の施 設、
った。 航 空 機 工業 の新 参 者 であ る立 川航 空 機 は、 ロ ッキ ー ド 一四 の
と りわ け紡 績 工 場 を接 収 し て改 造 し航 空 機 工業 を拡 張 し は じ めた 。
が 、 そ れ は日本 が 第 二次 大戦 中 に使 用 した唯 一つの液 冷発 動 機 と な
れ た。 これ ら熱 狂的 な バ イ ヤ ー たち は、 米 国 におけ る有 名 な航 空 機
一九 四 四年 末 、 日本 政 府 は航 空機 工業 に疎 開を 命 じた が 、 これ と 同
設 計 を 購 入 し た。 米 国 の最 上 の航 空機 の 一部 の ライ セ ン スも 手 に入
会 社 を 見 逃 さ な か った 。米 国 で こう し た交 渉 にあ た った表 看 板 は、
時 に生 産 を倍 増 す る よ う要 求 し た。
こ の時 期 に は航 空機 製 造 業者 間 の協 調 的 な努 力が 絶 対 に必要 であ
日 本 の大 財 閥 の代 表 者 であ る 三井 、 大倉 両 社 の ニ ュー ヨー ク支 店 で あ った 。
態が ます ま す 危 急存 亡 のも のにな った 一九 四 四年 の夏、 航 空 機 工業
工 作機 械 は海軍 の航 空 機 を生 産 す る た め に使 用 できず 、 海 軍 の 工作
げ た 工作 機 械 のプ ー ルを 所有 し、 ま た は統制 し た。 し か し、陸 軍 の
日本 の陸 海軍 は、 そ の必要 に応 じ て、 異 な った 航 空機 会 社 に貸 付
た ま に発 注 す る こと を 認 め た。
の指導 者 数 名 は 、米 国 の製 造業 者が 確 立 し た前 例 になら って 、技 術
ったが 、建 設的 なも の はま ったく見 られ な か った 。航 空 機 の生産 状
と 生産 に関 す る 情報 の交 換、 工具 と 材 料 の割 当 て を統 制 す る 協会 の
機 械 は陸 軍 機 の生 産 に は使 用 でき な か った。
な わ れ た。 外 国 に駐 在 す る陸 海 軍 武官 の主 な任 務 の 一つは、 日本 の
研究 と 開 発 は、 陸 海 軍 それ ぞ れ の航 空 廠 と個 々 の航 空機 会社 で行
設 立 に つい て話 し 合 ったが 、 な んら の成 果が 見 ら れ な か った 。 日本
航 空機 製 造 業 者 に航 空 開 発 の新 し い情報 を 知 ら せ ると とも に、外 国
人 は 競争 相 手 の問 題 で 心配 す る こと に忙 しす ぎ 、 ど う やら 公 益 の た め の アイデ ア の相 互交 換 や 共 同作 業 の利 益 と いう も のは、 日本 人 の
であ った 。 日 本 の陸 海 軍 は、 そ の特 別 の要 求 に応 じ て航 空機 の契 約
対 す る助 言者 でも あ った。 も し 両者 の見解 が 異 な った場 合 に は、陸
代 表 者 と 監督 官 が 航 空機 工場 に駐在 した。 これ ら 駐在 官 は 工場 長 に
標 準 を 定 め た。 品 質 の標 準 が 維 持さ れ て い る かを知 るた め に、技 術
日本 の陸 海 軍 は 監督 制 度 を設 け、 各 種 の航 空 材料 に つい て の承認
た 。 これら 武 官 は 、特 殊 の工 作機 械 の輸 入 に つ いても 手 配 した 。
の航 空機 を 生 産 す る ライ セ ン スの購 入 に つ いて手 配 す る こと であ っ
心 に は殆 んど 興 味 を ひ か な か った よう であ る。
陸 海 軍 と 航 空機 工 業
を行 な った 。 原料 と労 働 力 の調 達 に つい て の責 任 は契 約 者 が負 う た。
軍 ま た は海軍 の会 議 で解 決 した 。 こう し た制 度 の結 果 、 陸 海軍 の代
戦 前 の政 府 機 関 と 航 空機 工業 の関 係 は、 米 国 に おけ る も のと 同 様
一九 四 一年 以前 は、 航 空機 製 造 業者 はそ の帳 簿 に よ る作業 量 に応
開 戦 と な ったと き 、 日本 の陸 海軍 は従 来ど おり の調 達 計 画 を つづ
表 者 は大 き な権 限 を 有 し、 実 質 的 に は 工場 の管 理 を統 制 し た。 これ
け たが 、 そ れ は拡 大 し た規 模 で行 な われ た。 拡 大 し た計 画 を 処理 す
じ て、 工場 を 拡張 し たり契 約 を 行 な って い た。 し か し、 一九 四 一年
陸 海 軍 は直 接 の財 政 的 な援 助 はめ った に提 供 し な か ったが 、 各 種
る た め、 陸 海軍 の航 空 本 部 の機 構が 再 編 成 さ れ た。 付図 第 2 の1と
三 月 にな る と 、 日本 の陸 海軍 は数 会 社 に施 設 の拡 張 を命 令 し た。 政
の形式 によ って 間接 的 に援 助 し た。 た と えば 、 海 軍 と の契 約 の場 合 、
ら代 表 者 は品 質 の標 準 の維 持 に つい て責 任が あ った。 こう し た標 準
支 払 金 の 二割 が前 払 いさ れ 、 四割 は航 空機 が 完 成 し た とき 、残 り の
2 は、 日本 の陸 軍 と 海 軍 の航 空 本 部 の機 構 を示 す 。 こ の両 者 とも 簡
は、 一般 に契 約 が 行 な わ れ ると き に示さ れ た。
四 割 は引 渡 し のさ い支 払 わ れ た。 海 軍 航 空本 部 長 は 、 たと え海 軍 が
の効 果 的 な連 絡 であ った 。陸 海 軍 の両航 空本 部 は、 そ れぞ れ 自 主的
明 で運 用 に適 し て い る よう に思 われ るが 、 そ の欠 け た 点 は両 者 の間
府 は拡 張 に必 要 な資 金 を 提 供 しな か ったが 、 興 業 銀行 を 通 じ て行 な
そ の航 空機 を 使 用 せず 、 ま た は使 用 でき な い場 合 で も、 航 空機 製 造
わ れ る貸 付 を 保 証 し た。
業 者が 契 約 によ って利 益 が得 ら れ る た め に、 意 に満 たな い モデ ルを
殆 んど い つでも 、 両者 の行動 が 喰 い違 って い た。
す る の に必要 な 材 料 は全 般 計 画 に よ って割当 てら れ たが、 最 後 の使
予 想 さ れ て いた かも しれ な いが 、 い ろ いろな 困難 が 起 こ った。 し
用 者 の要 求を 満 たす た め、 時 には特 別 の優先 順 位が あ たえ られ た 。
に 運 用さ れ た︱ 陸 軍 航 空 本 部と 海 軍 航 空本 部 は、 それ ぞ れ 陸 軍 大臣 と 海 軍大 臣 に
な か ったが 、 陸相 と 海 相 は直 接 天 皇 に会 見 でき た ので特 に大き な 権
対 し て責 任 が あ り、 陸 海 軍 以外 の大 臣 は首 相 を経 由 しな け れば な ら
か った 。最 初 の計 画 はだ め にな り、 全 般 的 な混 乱 と官 僚 的 な形 式 主
義 、 イ ンチ キと 競争 が 満 ち 満 ち た。 陸 海軍 の間 に協 調 が欠 け たこ と
ば しば 計 画 の修 正 を 必要 と す る 数量 に、 生産 は応じ る ことが でき な
いた よう に思 われ る。
限 を持 って いた。 陸 海 軍 の両 大 臣 の間 でさ え、 適 当 な 協 調 に欠 け て
は特定 の部 品 や材 料 に つ いて、 形 而 下 の果 し合 いま で 実際 に行 な っ
た 。 たと えば 、 一方 の武装 し た 一隊 は、 他方 に割 当 てら れ た 補給 物
が 、航 空機 を 生 産す る能 力 の発 揮 を 大 きく 妨 げ た。 時 には、 陸 海軍
てき た。 そ の結 果 、 陸 海軍 はそ れぞ れ の勢 力圏 内 に おけ る 原料 を統
はし だ いに悪 化 し た。
資 を実 際 に奪 って運 び 去 った。 戦 局 の進 展 と とも に、 こう し た こと
一九 四 一年 の後 半 、 一部 の材 料が ひじ ょう に 不足 し た 。 こう し た
制 す る こと と し た。 陸海 軍 と も に生産 者 のグ ループ を 有 し、 そ れ か
早 い時 期 で さ え、 統 制 と割 当 て に関す る問 題が ます ま す 面 倒 にな っ
ら 原 料 を 取 得 し、 そ れ を順 次 に陸 海 軍 の特 別 の契 約 を 実 行 し て いる
軍需 省 の設 置 前 に は、 陸海 軍 とも に労働 力 を統 制 し た り割 当 て よ
か った 。陸 海 軍 は 先 の見 通 し にま った く 欠け てい た の で、 技 能 や航
よ って 、自 分 の工 場 に使 用 す る 人員 を 集 め て訓 練 しな け れば な ら な
う と は し な か った。 そ こで 製 造 業者 は、自 分 のでき る最善 の方 法 に
1生産 のための材料、2拡張 のための材料︱
空 機 会 社 の要 求 を考 慮 せず に 一般市 民 の労働 者 を絶 え ず徴 用 し 、労
陸海軍 の両航空本部は、材料を割当てるた め に 二 つ の種類︱
製 造 業 者 に割 当 て る こと と し た。
場が 生 産 のた め に選 ば れ、 そ の通 知 を受 け 、 各 工 場 は来 る べき 会 計
を定 めた。特定 の工
年 度 に希 望 す る航 空 機 の計 画 に基 づ い て、 双方 のた め に、 会計 年 度
働 問 題 を ひじ ょう に複 雑 な も のに し た。
軍 は外 国 の機 械 の輸 入を 手 配 し 、開 戦 後 は、 日 本 の 工作機 械 の生産
日 本 の陸 海 軍 は国 内 の工 作機 械 の大 部分 を 統 制し た。戦 前 、 陸海
に必要 と す る原料 の明 細書 の提 出 を 要求 さ れ た 。 つい で、 陸海 軍 の
半 期 ごと の所 要 量 を供 給 す る た め、 三 ヵ月 おき に 割当 て指 令書 が 出
し て工 作機 械 は、 これ を 最善 に使 用 す ると思 わ れ る 工場 に供 給 でき
を 接 収 し た。 これ ら 工作 機械 は 航 空議 製造 業 者 に貸 与 さ れ た。 こう
航 空 本部 は、 工 場 の要 求 に基 づ い て製 造 業 者 に材 料を 割 当 て る。 四
さ れ る。 こ の指令 書 は、 必要 と す る 特別 の材 料 を 処 理す る政府 の統
たと え 緊 急 に必 要 とす る場 合 で も、 陸 軍 の工作 機械 は海 軍機 の生産
の競 争 のた め、 こ の方 式 は 予 想 と は反 対 の不利 な結 果 をも たら し た。
た ので 、 こ の方 式 は効 果 的 で あ った。 し か し、 ま たも や陸 海 軍 の間
制 機 関 に 送付 さ れ た 。 部 品と 構 成 部 分 (予備 品 と生 産 のた め の) に対 す る指 令 は、 航 空
た は発動 機 組 立 工 場 にと ど け る よう 命令 され た 。 これ ら 部 品 を製 造
本 部 から直 接 製造 業 者 に出 され 、 部 品 と構 成 部 分 は航 空 廠 か機 体 ま
付 図第 2の 1 陸 軍 航 空本 部 の 編成
付図第 2の 2 海軍航空本部の編成
海軍 は四 つ、 陸 軍 は 一つ︱
は、 一部 の製 造 業 者 と 同
日本 の陸 海 軍 は、 そ れぞ れ の航 空技 術 廠 で航 空機 を 生産 した 。 こ
に使 用 でき ず 、 そ の逆 も ま た同 様 で あ った。
れら の廠│ じ航 空 機 を 生産 し て いた。 陸 軍 の立川 航 空 廠 と海 軍 の横 須賀 空 技 廠
の会 社 も 、 みず から 研 究 と開 発 を行 な った。 こ の作 業 は陸 海 軍 の空
に おけ る 研 究 と開 発 は、 新 し い戦 闘用 機 に つ いて行 な わ れ た。 個 々
廠 と協 調 し て行 な われ た。 す べ て の空 廠 は陸 軍 と海 軍 の航空 本 部 の 直 接統 制 下 にお かれ 、 部 下 の単 位 と し て運 営 さ れ て いた 。
軍 需 省 航 空 兵器 総 局 の任 務 軍需 品 と 軍 事 用原 料 品 に関 す る す べ て の管 理 と、 生 産 に つい て の
工 場 に対 す る統 制 と 管 理 を強 化 す る た め、商 工省 と厚 生 省 に所 属
す る職 員 と 陸 海軍 の監 督 官 を合 同 し て軍 需 省 に直 属 す る地 方事 務 所
軍 需省 を 設 置 し た主 な 理由 の 一つは、 航 空 機 の生 産 を促 進 す る こ
が 設 け られ た。
軍 需省 航 空 兵 器総 局 (そ の機 構 に つい ては 付図 第 2 の 3を 参照 )
と で あ った。
は、 生産 、 計 画、 装 置 お よ び原 料 品 の統 制 を 単 一の長 のも と に統 合
し 、陸 海 軍 によ る管 理 に終 止符 を 打 つこと を 意図 し た。 航 空 機 の種
類 と数 量 の要 求 は、 陸 海 軍 の協 力 によ って決 定す る ことと な ったが 、
し か し、 公 平 な機 関 で 工業 を統 制 す る た め苦 心 し て作 りあ げ た計
軍 需 省 は こ の要求 を みた す た め生 産 を管 理 す る の であ った。
の機 構 を設 け た。 陸 海 軍 は、軍 需 工場 にそ れ ぞ れ の監督 官 を 配置 し、
統 制 を単 一化 し簡 素 化 す る た め、 一九 四 三年 一一月 に軍 需省 が 設 置
より 重 要な 工場 を みず から の統 制 下 におく ことが でき る よう 努 力 し
事 実 、 陸 海 軍 はす べて の軍 需 品 の生産 を 統 制す るた め、 みず か ら
原文 のママ︺に所 属 す る計 画 局 ︹ 編者注 ・企画院と思われる︺ で作 成 さ
た。 そ の結 果 、軍 需 省 は不 具 の存 在 にな ってし ま った。 特 に武 器 を
画 にも か かわ らず 、 陸 海 軍 は ひき つづ き 過 度 の影響 力 を お よぼ し た。
れ たが 、 そ の実 施 は陸 軍 と海 軍 を 含 む政 府 の各省 にま かされ て いた 。
はじ め 航空 機 生産 に 必要 な 部品 と 原 料 品 に つ いて は、陸 海 軍 はそ れ
さ れ た。 そ れ 以 前 の 工業 動員 と 拡 充 に 関す る計 画 は、 議 会 ︹ 編者注 ・
し か し こ の処 置 は 予想 さ れ て いた よ う に、 相 違 す る見 解 と非 協 調 的
こう し て軍 需 省 は 一部 の基 本材 料 の管 理 を認 め られ たが 、 工作機 械
ぞ れ 独 自 の計 画 を 立 て、 軍 需省 に対 し てそ の細 目を 示 さ な か った。
な 要求 の ため に大 混乱 にお ち い った。
( 以 前 は 大蔵省 の所管 であ っ
もと も と 軍 需雀 が 設 け られ た のは、 労 働 力 と賃 金 の統 制 ( 以前 は 厚 生省 の所 管 で あ った ) 、 会 計 の統制
受 け たが 、 陸 海 軍 の基 本 物 資 に 関す る要求 が ひ じ ょう に 大き か った
工業 や 化学 製 品 製造 など 一般 民需 品 を 処 理す る 政府 機 関も 同 然 な も
ので 、事 前 に陸 海 軍 と の了解 に達 す る必要 が あ った。 と こ ろで 、 陸
た) 、 電 力 の割 当 て (逓 信劣 より 移管 され た)を含 む 生産 に 関係 のあ
軍群用装置 ( 機 械 と 基本 的 な 原 料品) を 作 る の に必 要 な 品物 の生
海 軍 はそ の要 求 を 一定 の数 量 以下 に は減 ら さな いだ ろう し、 軍 需 省
のと な った。 軍 需省 は物 資 動員 の基 本 計画 を作 成 し て閣議 の承 認 を
産 管 理 は軍 需省 に移 さ れ た。 陸 海 軍 か ら派 遣 さ れ た連 絡 員が 、 航 空
る すべ て の問 題 を管 理 す る た め であ った 。
機 用材 料 を 生 産 す る各 工業 部門 に配 員 さ れ た。
付図第 2の 3 軍需省航空兵器総局の編成
付 図 第 2の 4
調 達方 式
し て、 物資 動 員 計 画 を実 質 的 に無 価 値 に し た行 き詰 まりが 、 す ぐ あ
る 工場 の能 率 を 増進 す る ことが 大き く 要 求 され る と感 じ ら れ た から
張 を停 止 す る命 令が 出 さ れ た。 工場 に は十分 の余 裕が あ り、 現 存す
であ る。
と し て も 一般 市 民 の要 求 を 理由 に譲 歩 しな いで あ ろう 。 そ の結 果 と
らわ れ た のであ った 。
一般 部 品 と特 殊 部 品︱
が あ った。 一般 部 品 は、
部 品 と 予備 品 の生産 を統 制 す る企 ても 行 なわ れ た。 部 品 に は 二 つ の基 本 的 な種 類 ︱
物 資 の統 制 が でき なく な った こと は別 と して 、軍 需 省 は 労働 力 と 資 本 お よ び会 計 の管 理を 調 和 す る ことも でき な か った。 さ ら に軍 需
ンク、 翼 、機 械 で仕 上げ た部 品 な ど であ った。 特 殊部 品 は、 1統制
さ れ た部 品、 2 政 府協 定 部 品 、 3政 府 供 給 部品 であ った。統 制 さ れ
飛行 機 製 造業 者 ま た は そ の下 請 業者 が 生 産 す るも のであ り 、燃 料 タ
た 部品 (ボ ルト、 ナ ット、 ゴ ム製 品、 発 条 、 パ ッキ ン) は政府 の監
った。 ま たも や、 陸 海軍 が 問 題 を ひき お こ した 。 多数 の陸 海軍 将 校 が 、 軍 需 省 の重 要 な 配置 に つ いて い た。彼 ら は個 人 と し ては 一般 に
省 は、 軍需 品 の生 産 に関 連 のあ る最 も簡 単 な問 題 さ え調 整 でき な か
で、 軍 需 省 内 の方 針 の変更 と 取 消 しが しば しば 行 な われ た。 こう し
有 能 で勤 勉 であ った が、 そ の配 置 の交 替が き わ めて頻 繁 であ った の
品 ( 冷 却 器 、 ポ ンプ 、気 化 器 ) に つい て は、最 終 組 立 に含 め る ため
督 下 で製 造 さ れ、 製 造 業者 の要 求 に応 じ て供給 さ れ た。 政 府協 定 部
二
著 名 な 航 空 機 工業 会 社 録
す べ て の予備 部 品 は、 政 府 の指 定 す る 航空 廠 に納 入さ れ た。
銃 、無 線 機 ) は 政府が 直 接命 令 し、 配給 の た め政府 に納 入さ れ た。
対 し て製 造 命 令が 出 さ れ た。 政 府 供給 部品 (車輪 、 点 火プ ラグ、 機
飛 行機 ま たは発 動 機 の製 造会 社 に供給 す るよ う、 特定 の部 品会 社 に
た こ とが 軍 需省 の仕 毒 を 混乱 さ せ 、そ の活 動を 妨 げ た にも かか わ ら ず 、 陸 海 軍 はこ の点 に関 す る方 針 を変 更 し な か った のであ ろ う。
航 空 機 生産 を統 制 す る 企図 軍需 省 は航 空機 生 産 能 力 と これ に対 す る要 求 を調 整 す る ため 、 生 産 要 求 を決 定 す る方 式 を 設 け た。 統 帥部 が 戦争 遂 行 に必要 とす る 飛
戦 争 中 、 日本 の航 空 機 工 業 を 組成 した数 個 の会社 の歴 史的 な 背景
行 機 の数 量 を決定 し、 そ の計画 を 陸 軍 大臣 と 海 軍大 臣 に送付 す る。 両 大 臣 は それ を 承 認 し、 調 達 のた めこ れ を軍需 省 と陸 海 軍 の両 航 空
の相 対 的 な 重要 性 に関連 し て興味 が あ る。 左記 は 日本 の主 要 な航 空
は、 生 産 者 と し ても、 わが 爆 撃機 の攻 撃 目標 とし ても 、 これら 会 社
機 と発 動 機 の製 造 業者 に つ いて の簡 略 な 記述 であ る。 これ は広 汎 な
お よび装 置 に つ いて 、航 空 機製 造 会 社 と 計画 を 協 議す る。 つい で製
会 社 報 告 の摘 要 であ り、 付 録 第 2 は、 こ の調査 の 一部 とし て航 空 機
本 部 に送付 す る 。 そ こ で、 軍需 省 は拡 張、 資 材 、従 業 員 、 工作 機 械
と陸 海 軍 の両 航 空 本 部 は、 各会 社 に指 示 す る毎 月 の計 画 に つい て協
造 会 社 は、 そ の能 力 を調 査 し能 力 報 告 を軍 需 省 に提出 す る 。軍 需 省
部が 作 成 し たも ので あ る。 これ ら会 社 の 一部 に つ いて は、 航 空機 の 種 類 の部 門 で 述 べ る こと と す る。
議 のう え 決定 し、 これ を軍 需 省 を通 じ て会社 に示 す。 軍 需 省が 設 置 さ れ た とき 、 航 空機 部 品 を製 造 す る新 し い施設 の拡
こ の歴 史的 な 概 要 は、 会 社 名 の英 訳 のア ル フ ァベ ット順 によ って 述 べ てあ る 。
愛 知 航 空機 株 式 会社
日本
さ れ、 政 府 から直 接 に統 制 され る よ う にな った。 ( ﹁報 告 第 五﹂ を 参 照)
富 士 飛行 機株 式会 社
東 京 、 大 阪 お よび 平 に 工場 を 持 って いた 富 士飛 行機 会 社 は
の航 空機 工 業 の中 で は小 さ な 生 産 者 であ った。 生 産 し た唯 一つの完
こ の会社 は名 古屋 市 にあ り 、 日本 海 軍 の航 空 機 と発 動 機 を製 造 し た。 戦 時中 、 愛 知 は戦 闘 用 機 全体 の六 ・五% を 生産 し、 航 空 機生 産
り、 こ の会 社 は民 間 航窒 機 生 産 者 のリ スト で は第 一三位 で あ った。
全 な航 空 機 は、 九 三 式中 間 練 習 機 であ る。 こ の練 習機 の生 産 は、 一
主 な 生産 品 を 年代 順 に示 せば 、 空 母 用 の急 降 下爆 撃 機 と 雷 撃機 の
こ う し た練 習機 の生 産 の ほ か に、 この会 社 は中 島 飛行 機 会 社 の た め
では 日 本 で第 四 位 であ った。 一九 四四 年 の発 動 機生 産 のピ ーク のと
Val(九 九艦 爆 )、Kat o (九 七艦 攻 )、Judy (彗 星) であ った 。終 戦
一型 の主 翼 と屋 部 の組 立も 行 な った。 (﹁報告 第 一一﹂ を 参 照)
に 仮 組立 を 行な った 。 ま た、 こ の会社 は ロケ ット推進 特 攻 機桜 花 一
九 四 一年 から 四五 年 に い た る 日本 の航 空 機 総生 産 の 一 ・二% にあ た
時 に生 産 し て いた新 し い型 は逆 カ モ メ型 の主 翼 の雷 撃 機 Graoの ( 流
き 、 愛 知 は全 体 の三% を生 産 した 。
星 )と高 速 水上 機 Paul(瑞 雲)であ り、川 西 の単 発 高速 戦 闘 機George (紫 電) の生 産 も はじ め て いた。 発 動 機 は主 と し て熱 田 工場 で生 産
馬 力) と 三〇 (一、 三 八〇 馬力 ) の系 列 の液 冷 発動 機 を 生 産 し た。
で に、 発 動機 一三 、 五 七 一 (日 本 全体 の 一 一 ・六% )、 航 空機 一、
こ の会 社 は機 体 と 発動 機 を 生 産 し、 一九 四 一年 一月 から終 戦 時 ま
日立 航 空 機株 式 会 社
愛知 時 計 電 機 会社 の自 然 的 な発 達 であ る こ の会社 は、 一九 二〇 年
七 八 三 (全体 の 二 ・六% ) を 生 産 し た。 こ れら 航 空機 と 発 動機 の大
さ れ、 ド イ ツ のダ イ ム ラー ・ベ ン ツ の設計 によ る 二〇 (一、 一八 五
に航 空機 の生 産 に は い った。 そ の最 初 の工 場 は船 方 で、熱 田 と永 徳 工 場が これ に つづ き 、 これ ら は全 部が 名 古 屋 にあ った。 熱 田 工場 は
一九 三 九年 五 月、 こ の会 社 は親 会 社 の 日立製 作 所 から 購 入し た東
部 分 は、 小型 の練 習 機型 のも の であ った。
京 付 近 の三 つの工 場 ( 大 森 、 立 川、 羽 田) で操業 をは じ め た。 一九
も っぱ ら 発 動機 を生 産 し 、船 方 と 永 徳 工場 は機 体 を 生 産 し、 大 き な 機 体 の生 産 は 永徳 で行 な わ れ た。 こ の会 社 は 名古 屋 の北方 の大 垣 に
三 九 年 八 月、 鋳 造 工場 が 川 崎 で操 業 し 、 一九 四 二年 に 千葉 の新 し い
主な 生 産 品 は、 零戦 二一 型 練 習機 の小 型 であ る 九三 式 中間 練 習機
び 大 森 の三 工場 は海 軍 のも のを 生産 した 。
大 き な 工 場が 操 業 を開 始 し た。 立 川工 場 は陸 軍 の、 千葉 と羽 田 お よ
も 小 さ な 工場 を 持 って い た。
こ の会
愛 知 はダ イ ム ラー ・ベ ンツ の特 許 を買 った ほ か に、 生産 に関 す る ド イ ツ人 顧 問が 会 社 の工 場 に い た。 戦 時 中 の全期 間 を 通 じ
社 は政 府 か ら 大き な 援 助 を受 け 、 一九 四五 年 一月、 管 理 工 場 に指 定
であ った。 これ ら の発 動 機 は ハ︱ 一 三、 ハ︱ 二 六お よ び ハ︱ 二 三 (天 風 シリ ーズ ) であ った。 ( ﹁報 告 第 七 ﹂ を参 照 )
日本 で生 産 さ れ た偵察 機 の総 計 の二%︱
だ け であ った 。
山形 工 場 の疎 開 は 一九 四四 年 六月 に計 画 され て いたが 、実 際 に疎
五 九機 ︱
︱八割 は完 了 し、 地 下疎 開 は、 主 と し て予定 され た地 区 が減 少 し た
地 下 は 一四 一、 六 五 四 平方 フ ィー ト であ った。 そ の地 上 疎朋 の約 七
の 予定 さ れ た総 疎 開 面積 は三 八〇 、 四 九 八 平方 フ ィー ト、 そ のう ち
開 が はじ ま った の は翌年 六月 一〇 日 の空 襲後 であ った。 二 つの 工場
こ の会 社 は航 空機 発 動機 の小 さ な 生 産者 であ り、 そ の主 な施 設 は
ので、完 成 した のは 四割 から 八割 であ った 。( ﹁報 告 第 一四﹂を参 照)
石川 島 航 空 工 業株 式 会 社
横 浜 に近 い富 岡 にあ った。 こ の会 社 の 一九 四 四年 の生産 は、 ハ︱三
中 間 練 習機 (K5Y2) であ った 。 一九 四 三年 と 四 四年 に、 こ の会
主 な 二 つの機 種 は九 三 式 陸上 中 間 練 習機 (K5Y1) と 九 三式 水 上
こ の会 社 は、 主 とし て海 軍 の初 歩 お よび 中 間 練習 機 を 生産 し た。
〇八人 で あ った。 終戦 とな る や、 こ の会社 は ただ ち に本 来 の楽 器 や
員 のピ ー ク は 一九 四 五年 四 月 で、 二 つ の主 工場 の登録 員 数 は九 、〇
ラ、 一九 四 三年 七 月 に 二、 五〇 五 の補 助 燃料 タ ンク であ った。 従 業
を製 造 し た。 最 高 の月 産 は、 一九 四 四 年 七月 に 一、 七 八 九 のプ ロペ
一年 から 四 五年 ま で の間 に、 日本 で生 産 され た全プ ロペラ の 二 八%
こ の会 社 は浜 松 にあ り、プ ロペ ラ生産 の第 二位 であ った。 一九 四
日本 楽 器 製 造株 式 会 社
は双 発 木製 機 であ った。 (﹁報告 第 八 ﹂ を 参照 )
は三菱 の設 計 によ る在 来 の双発 全 金属 機 であ り、 零 戦輸 送 機 二二型
し た。 ま た、 一九 四四 年 と 四五 年 に少 数 の輸 送機 も 生産 した。 これ
歩 練習 機 紅 葉 一型 を製 造 し、 一九 四 三年 と四 四年 に六 三〇 機 を 生産
大 久保 にあ った。 工場 の床 面 積 は 七 三 六、 五 五〇 平方 フィー ト、 初
この会 社 は 日本 の小 さ な生 産 者 の 一つであ り、 工 場 は京 都 郊外 の
日 本 国際 航 空 工 業株 式 会社
五 の 一〇 〇 基 を 少 し下 回 った。 こ の会社 は、 石 川島 造 船 会 社 の 子会 社 と し て設 立 され た。 ( ﹁報 告 第 一三﹂ を 参 照)
日 本 飛行 機 株 式 会社 こ の会社 は 一九 三 四年 一〇 月 に設 立さ れ 、 工場 は横 浜 の富 岡 と 山 形 市 にあ った 。 富 岡 工場 は 一九 三 六年 一〇 月 に設 け ら れ 、 そ の床 面積 は七 万 平方 フ ィー トで あ ったが 、 一九 四五 年 に七〇 万 平 方 フ ィー トに拡 張 さ れ た。 山 形 工 場 は 一九 四 一年 五 月 に 設 けら れ 、 床 面積 は 一七 三、 九 〇 三 平方 フ ィ ート であ ったが 、 終 戦 時 に は 二九 万 平方 フ ィー ト に達 し
社 は日本 で生 産 され た練 習機 全 体 の約 二割 を生 産 し たが 、 一九 四五
家 具 の生産 にも ど った。 (﹁報告 第 九 ﹂ を 参照 )
た。
は瑞 雲 (E1 6A1 ) で あ り、 そ のう ち終 戦 時 ま で に完 成 し た の は
年 の生 産 は 一 二 % に減 少 し た。 こ の会社 が 生産 し た唯 一つ の戦 闘 機
九 州 飛 行機 株 式 会 社 一九 四 三年 ま で は渡 辺 鉄 工所 と 呼ば れ て いた この会 社 は九 州 にあ
空 襲前 の川 西 は、 五 、 八 四 七、 四 二 四平方 フ ィ ート の床 面 積で 操
業 し てい た。 一九 四五 年 のピ ー ク時 の従 業員 は六 万 六千 人 を数 え 、
機 東海 (Q 1W 1)、 双 発 哨 戒爆 撃 機 を 海 軍 の た め に生産 し た。 一
じ めた 。戦 時 中 、 こ の会 社 は零 式 水 上 偵 察機 (E 1 8A 1) と哨 戒
餉 隈 工 場 であ り、 会 社 は こ の工場 で 一九 三 一年 に練習 機 の生産 を は
Franci s︹ 銀河 一六型 ( P 1Y 2)︺であ った。 一九 四 四年 末 から 四 五
な飛 行 機 で あ る。 次 いで著 名 な の は中 島 の設計 に よ る 双 発 爆 撃 機
の改 良 型 紫 電 二 二型 ︹ (N1K21J)︺は、 川 西が 生 産 し た最 も著 名
陸 上 基地 の単発 戦 闘 機 Geor ge︹ 紫電 一一型 ( N 1K 1︱J)︺と、 そ
一九 四 四 年 五月 から 九月 ま で つづ いた。
生 産 に直接 従 事 し た従 業 員 の最 高 は四 万七 千 であ った。 こ の状況 が
九 四五 年 六月 と 七 月、 こ の会 社 は 星型 発 動機 の戦 闘 機震 天 (J 7W
つと め た。 大 型 の 四 発 飛 行 艇M avis︹ 九七式飛行艇 ( H 6K 1、 2、
年 ま で、 川 西 は生 産 能 力 の 全力 を あげ て前記 二 つ の飛行 機 の生産 に
り、 そ の小 規 模 な 三工 場 は福岡 市 の周 辺 にあ った 。最 大 のも の は雑
1) と 双 発 ジ ェット特 攻機 橘 花 の大量 生 産 のた め設 備 を し た。 こう
川 崎 航 空機 工業 株 式 会社
産 を はじ め た。 (﹁報告 第 三 ﹂ を 参 照)
争 の初 期 と戦 前 に、 川西 は各 種 の水 上機 、 観 測機 お よび練 習 機 の生
3、 4) ︺と Emi l y︹ 晴空 ( H 8K1、2、3)︺は次 に著名 であ り、 戦
した少 量 の航 空機 を生 産 し た ほ か、着 陸 用 車 輪 を製 造 し た。 (﹁報告 第 一七 ﹂ を参 照 )
川 西航 空機 会 社 こ の会 社 は、 日 本 の航 空 機 工 業 の中 で 、第 六位 の戦闘 用 機 生産 者 であ った。 川 西 はも っぱ ら海 軍 と契 約 の機 体 を製 造 し 、 一九 四 四年
契 約 によ る航 空機 と発 動機 を生 産 し、 一九 四 四年 の戦闘 用 機 の機 体
こ の会 社 は日本 の航 空機 工業 で第 三位 を 占 めた 。 川崎 は陸軍 と の
こ の会 社 は 一九 二 八年 に設 立 さ れ、 一九 二一 年 に水 上機 の生 産 を
に は全体 の戦 闘 用機 の機 体 の五% を 生 産 し た。
の生 産 は全 体 の 一七% 、 戦 闘用 機 の発動 機 の生 産 は全体 の 一二% に
こ の会社 の設備 は 主と し て 二 つの大 工場 に集 中 し、 そ の 一つは神
達 し、 そ の年 の生 産高 は日 本 で最 大 であ った。
はじ め た神 戸 の川西 機 械 工業 所 のす べ て の資 産 と作 業 を ひき つ いだ。 四 つ の主な 工 場が あ り、 そ の全 部 が 近代 的 な も のであ った。 そ の 三 つ は航 空機 組 立 工場 、 一つは航 空 機 部品 工場 で あ る。 舷 空機 組 立
(岐阜 県 ) で航 空 機 のみを 生 産 し た。 こ の両 者 にく ら べ て規 模 の小
戸 に近 い明 石 で航 空機 と 発 動 機 を、 他 の 一つは名 古 屋 に近 い各 務 原
さ い名 古 屋 に近 い 一宮と 九 州 の都 城 の工 場 では 、完 成 し た機 体 を 生
工場 のう ち最 大 な の は大 阪 に近 い鳴 尾 工 場、 大 阪 と神 戸 の間 の甲 南
き か った。 宝 塚 の飛 行 機部 品 工 場 は鳴 尾 工 場 の北 方 六 マイ ルにあ っ
産 し た。 こ のほ か、 阪神 地 区 の 二見と 高槻 に発 動機 工場 が あ った 。
工 場が これ に次 ぎ 、神 戸 の西 北 四〇 マイ ル の姫 路 工場が 三 番 目 に大
た。
空 襲前 の川 崎 の機 体 工場 の床 面 積 は三 、 二一 七、 八 一四平 方 フ ィ
然 と し て資 金 を う ま く調 達 し、 そ の施設 の全 部 を適 当 に管 理し た 。
さ れ てき た。 開 戦後 、 こう し た拡 張 は促 進 さ れ たが 、 こ の会 社 は 依
った。 空 襲 のた め、 これ ら 床面 積 はそ れ ぞれ 一〇 万 平方 フ ィ ー トと
最 も よく 知 ら れ て い る 川 崎 の 飛 行 機 は、 小 型 の 単 発 液 冷 の
機 機体 の 二三 % を製 造 し た。 そ の作業 は主 と し て六 つの機 体 工 場 と
機 発 動機 の三 八% を、 ま た第 二位 の機体 生 産 者 と し て全体 の戦 闘 用
最 大 の発 動 機生 産 者 で あ る 三菱 重 工業 は、 戦時 中 、 全体 の戦 闘 用
三菱 重 工業 株 式 会 社
ー ト、発 動 機 工場 の床 面 積 は 二、 一五 五、 六 八〇 平方 フ ィー トであ
一、 二〇 二、 三 〇〇 平 方 フ ィー ト に減 少 し た。 こ の会社 の全 体 の従
Tony ︹ 飛燕 (キ六 一) ︺ であ る。 こ の戦 闘 機 は ド イ ツ のM e 一〇 九 によ
一 一の発 動 機 工 場 で行 な わ れ、 これ ら 工場 の大部 分 は本 州 の南 部 と
業 員 は、 ピ ー ク のとき 九 万 七 千名 であ った 。
く 似 て いる 。 一九 四四 年、 こ の会 社 の機 体 生 産 の三分 の 二は Tony
は 日本 国 内 に数百 の部 品生 産 工場 を所 有 ま た は管 理 し て いた 。
三菱 の活 動 の中 心 は 名古 屋 であ り、 そ こ に は、 こ の会 社 の最 大 の
中 部 に広 く分 散 し て いた。 こう し た大 き な組 立 工 場 のほか に、 三菱
機 体 と 発 動機 の生 産 施 設が あ った。 名 古 屋機 体 工場 の床 面 積 は 四 二
であ った 。著 名 の順 に述 べれば 、 次 の二 つの川 西型 は 二座 席 双発 戦
であ った。 Ni ckの改 良 型が Randy ︹キ 一〇 二︺であ る。 この会 社 が
闘 機 Ni ck ︹ 屠竜 ( キ四五)︺と、 双発 軽 爆 Li l y︹ 九九式軽爆 (キ四八)︺
戦 前 と戦 争 初期 に主 と し て生 産 し た のは、 ロ ッキ ード 18 など 日本 型
五万 平方 フ ィー トで 世界 最 大 の航 空 機 工 場 の 一つであ り、 名古 屋 発
の集 中 は、 こ の会 社 の機 体 生 産 の 三分 の二 と発 動機 生 産 の半分 以 上
動 機 工場 の床 面 積 は三 八〇 万 平方 フィー ト であ った 。 こう し た施 設
輸 送 機 と 練 習 機 であ った 。 こ の会 社が 生 産 し た 主 な発 動 機 は、 ハ六〇 ︱ 二 二型 と いう 名 称 を
そ の他 の機 体 組 立 工 場 は、長 野 、 高 岡、 鈴 鹿 、各 務 原 、井 波 、 小
が 、 名 古 屋 で製 造 さ れ た こと を 示 し て いる 。
つけ ら れ た ド イ ツ設 計 のダ イ ムラ ー ・ベ ン ツと、 そ の改 良型 の ハ六 〇 ︱ 三 三 型 であ り 、 こ れら は 一、〇 五〇 ︱ 一、 三 五〇 馬 力 であ った 。 発 動 機 の生 産 は主 と し て川 崎 の設 計 で行 な わ れ たが 、戦 争 末 期 にお
部 、 津 、 岡山 、 八幡 、 四 日市 、鳴 尾 、 水 島、 熊 本 に、 他 の発 動機 工
2、3、 4および 6)︺と J ack︹ 雷電 ( J2M2、 3) ︺と、 陸軍 爆 撃
け る最 大 の生産 は中 島 の星 型 発動 機 であ り 、 そ の離 昇 馬力 が 一、 一
機 SaHy ︹ ︹ 九七重爆 (キ二 一)︺と Pegg y ︹ 四式重爆 (キ六七) ︺、 陸軍 偵
最 も よく 知 ら れ て いる三 菱 の飛 行 機 は、 Zeke︹ 零式艦戦 ( A 6M1、
か ったが 、 こ の会 社が 一九 一九 年 に操 業 を開 始 し た とき 購 入 し た の
場 は 、 京都 、 静 岡、 長 野 、 広島 、 大 垣 、福 井 、 挙母 、 新 潟 にあ った 。
が フ ラ ン スの サ ル ムソ ン航 空機 であ った 。 そ の当 時 、親 会 社 の川崎
った。 開 発 中 の新 し い飛行 機 は 、 海 軍 の 戦 闘 機 Sam ︹ 烈風 ( A7
察機 Di nah ︹百式司偵 ( キ四六)︺と Soni a︹ 九九軍偵 ( キ五 一)︺で あ
五 〇 の ハ三 五︱ 三 五型 と 一、九 七〇 馬 力 の ハ四 五︱ 二 一型 で あ った。
重 工 業 は航 空 機 部門 の子 会 社を 設 立 し た のであ った。 そ の後 の二〇
前 述 し た よう に、 川崎 の設 計 に はド イ ツ の影響 が ひ じ ょう に大 き
年 間 、 ひき つづ く政 府 の注文 に よ って 、 会 社 の施 設 は しだ いに拡 張
と金 星 型 発動 機 、 陸軍 の標 準 離昇 馬 力 一、 五〇 〇 の ハ三 二と ハ三 三
M 1) ︺と連 合軍側 でま た 暗号 名 が つ いて いな か った陸 軍 の双発 爆 撃
(キ四三)︺ 、 Toj o︹鐘馗 ( キ四四) ︺、 Nat e ︹九七式戦闘機 (キ二七)︺ 、
計 のZeke︹ 零戦二 一型 ( A 6M2) ︱零戦五二型 ( A 6M5)︺ 、 Os cr ︹ 隼
中 島 の機体 生産 の約 八割 は Frank ︹ 戦闘機疾風 (キ八四)︺、 三菱 設
5)︺など の戦 闘 機 で あ った。爆 撃機 はJi l l︹ 天山 一 二 型 ( B6N2)︺ 、
Ruf e ︹二式 水 戦 ( A 6M 2︱N)︺ および Ir vi ng ︹ 月光 ( J lN 1︱
機 (キ 八 三) で あ った。 三 菱 の最 も 成 功 し た発 動 機 は、 海 軍 の火 星
であ った。 一九 四 四年 、 こ の会社 は標 準 離昇 馬 力 二、〇 四〇 、高 度
中 島 は 一九 一七 年 に機 体 の生 産 を はじ め、 発 動機 部 門 は 一九 二四
七 万 八千 人 で あ った。
ピ ー ク時 の従 来 員数 は、 機 体 部門 が 一四万 六千 人、 発 動 機部 門 が
り、 標 準 離昇 馬 力 一、 八五 〇 、 一八気〓 星型 発 動機 であ った。
中 島 が 生産 した 主 な発 動 機 は誉 (陸 軍 で は ハ四 五 と呼 ん だ) であ
は海 軍 偵察 機M yrt︹ 彩雲 ( C 6N 1)︺も 生産 し た。
︹呑寵 (キ四九)︺とSa l l y︹ 九七式陸爆 ( キ二 一)︺であ った 。 こ の会 社
Franci s︹銀河 一一型 ( PlY1)︺ 、Nel l︹ 九六陸攻 ( L3Y1)︺、Hel en
一万五 千 フ ィー ト の予想 馬 力 二、 四 五〇 の 一八気 笛 星 型 発動 機 ハ四 二 の量 産 を はじ めた。 こ の会 社 の航 空 機 生 産 は、 フ ラ ン スの特 許 によ って 一九 一八年 に はじ ま り、 一九 二〇 年 代 と 三〇 年 代 に施 設 を 拡 張 し た。 戦争 中 の大 拡 張 にか かわ ら ず 、三 菱 はどう にか し て資 金 を 保持 し設 備 を管 理 で き た。
中 島飛 行 機 株式 会 社
年 に設立 さ れ た。 主な投 資 関 係 者 と は関 係が な か ったが 、 三井 物 産
こ の会 社 は 日本 の航 空機 生産 の第 一位 を占 め、 発 動機 生 産 は 三菱 に ついで 第 二位 であ った。 中 島 は陸 軍 と 海 軍 の航空 機 を ほぼ 同 じ割
に施 設拡 張 のた め の貸 付 け を引 請 け 、終 戦 時 に は、 主 な発 動機 工場
と 航 空機 工場 を運 営 す る組 織 の約 八割 は政 府 の所 有 であ った 。 一九
会 社 が販 売 の総代 理 店 であ った 。 一九四 一年 三 月 、 日本 政 府 は中 島
中鳥 の作業 は、 三 つ の機 体 組 立 工場 のあ る東 京近 郊 と、 一つ の工
一軍 需廠 と呼 ば れ た。 (﹁報 告第 二﹂ を参 照 )
四五 年 四 月 一日 、中 島 飛 行 機会 社 は名目 上 は国 家 管 理 に移 さ れ、 第
合 で生 産 し た。 一九 四 四年 に おけ る中 島 の戦 闘 用機機 体 の生 産 は全
場 のあ る名 古 屋付 近 に集 中 され た。群 馬 県 の太 田 と栃 木 県宇 都 宮 の
体 の三 七 ・就% 、 航 空 機発 動 機 の生 産 は全 体 の三〇 % であ った 。
両 工 場 は陸軍 の航 空 機 を、 群 馬 県 の小 泉 工場 は海 軍 の航 空機 を 生産
こ の会 社 の横 浜 と 吉原 工場 は、 一九 四 三年 八 月 に は少 量 の航 空機
し た。 名 古 屋 に近 い半 田 工 場 で は海 軍機 を 生 産 し た。 武 蔵発 動 機 工 場 は陸 海 軍 めも のを 、 、大 宮 工場 は海 軍 のも のだ け を、 東 京 と名 古 屋 の中 間 にあ る 浜松 発 動 機 工 場 はも っぱ ら陸 軍 のも のを生 産 し た。 中
生 産 で は第 六位 であ った 。
発 動機 を 生産 し た にすぎ な か ったが 、 一九 四四年 と四 五 年 の発 動機
日 産 自動 車 株 式会 社
の総 床 面 積 は 三 五五 万 平方 フ ィ ート に達 し た 。
島 の機 体 生 産 施 設 の総 床 面積 は九 六 六 万平 方 フ ィー ト、 発 動機 工場
場 に移 転 し た 一九 四 五年 一月 一日 ま では 、横 浜 工 場 で 四気 〓 一〇 〇
こ の会 社 は、 航 空 機部 門 が 名古 屋 と東 京 の中 間 にあ る吉 原 の新 工
た。 尼 崎 に近 い神 崎 の新 工場が 、 一九 四 一年 に操業 を はじ めた 。プ
年 に開 始 され た。 一九 三 五年 にVD M と ハミ ルト ンの特 許を 購 入 し
住 友 のプ ロペ ラ生産 は、 大 阪 に近 い桜 島 の住 友伸 銅 所 で 一九 三 三
日 本 陸海 軍 の航空 廠 は、 航 空 機 の修 理、 改装 お よび 配 分 を 処理 し
陸 海 軍 の航空 廠
こ の会 社 は 個人 投 資 であ った。 (﹁報 告 第 一〇 ﹂ を参 照)
川 工場 から 供給 され た小 規 模 の組 立 工場 で あ った。
ピ ー ク時 の従 業員 は 三万 名 であ った 。 岡山 と 甲府 の両 工場 は、立
離偵察 爆撃機 (キ七 四)︺ の広 汎な 計 画 を は じ めて いた。
生 産 さ れ た。 終 戦時 、 こ の会 社 は双 発高 々度偵 察 機 Pat sy ︹ 試作遠距
島 設 計 のos car︹ 隼 (キ四三) ︺ であ った 。 こ の両機 とも 立 川 工 場 で
主 な生 産 品 は、 双 発 練 習機 Hi ckory ︹一式 双高練 ( キ五四) ︺ と、 中
る東 京 の西 方 二〇 マイ ル の立 川 に集 中 し た。
約 三 六〇 万 平方 フ ィー ト、そ の大 部 分 は 日本 の第 三 の機 体 工 場 であ
産 し、 立 川 、 岡 山 およ び 甲府 に 工場が あ った。 工場全 体 の床 面 積 は
こ の会 社 は、 一九 四 四年 に 日本 で 生産 さ れ た航 空機 の約 九% を生
立 川 飛 行 機会 社
六﹂ を 参照 )
は親会 社 にた よ り、 親 会 社 は住 友 信託 銀行 に 依 存 し た 。 ( ﹁報 告 第
プ ロペ ラ部 門 は住友 金 属 工 場 の六部 門 の 一つであ り、資 金 の面 で
設 立さ れ る。 一九 四 三年 、 津 の紡 績 工場 をプ ロペ ラ生 産 に改 装 し た。
ロペ ラ部 門 の本 部 が ここ に移 り 、 調査 と プ ロペ ラ原型 の設計 部 門が
馬 力 の発 動 機 を生 産 し た。 一九 四 四 年 に は政 府 の計 画 し た 生産 の九 五% を 、 一九 四 五年 には 九 六% を 完 成 し た。 (﹁報告 第 一八 ﹂ を参 照 )
昭 和 飛 行機 株 式 会社 こ の会 社 は東京 に近 い昭 和町 にあ り、 一九 三 九年 に海軍 航 空 機 の 生 産 を はじ めた。 一九 四 三年 のピ ーク時 に は、海 軍 航 空機 の全 体 の 三% を生 産 した 。 主 な生 産 品 は、 Tabby二 二 ︹ 零式輸送機 二二型 ( L2D3)︺と Val
こ の会 社 は、 一九 三七 年 に建 設 さ れ た昭 和 に大 工場 を有 し、 一九
二二 ︹ 九九艦爆 二二型 ( D 3A 2) ︺ であ った。
四 四 年 に青 梅 に、 四 五年 に篠 ノ井 に工 場 を設 け た。 こ の会 社 は、 一九 四五 年 に 三井 関 係 会社 と な った。( ﹁報告 第 一 二 ﹂ を 参 照)
住友 金属 工 業株 式 会 社プ ロペ ラ製 造 所 こ の製 造 所 は 日本 に おけ るプ ロペ ラ生 産 の第 一位 であ り 、 日本 の
の 殆 んど 全 部 と陸 軍 用 の四〇 % を 生産 し た。
航 空機 に使 用 され たプ ロペ ラ の六 七% 、 と り わけ 海 軍機 のプ ロペ ラ
この製 造 所 は、 主と し て ハミ ルト ン ・スタ ンダ ード会 社 の可 変 ピ ッチプ ロペ ラと V DM式 プ ロペ ラを 生産 した 。 一九 四 四 年 七月 のピ ー ク生 産 は 三、 一四〇 個 で あ った。
た外 国 のそれ と 同様 のも のであ った。 日本 では 、陸 軍 の 一航 空廠 と
練 習機 、 輸 送機 お よび グ ライダ ーな どを 除 い た戦 闘用 機 の生 産 に
部 分 、中 島 と 三菱 の 二大 会 社が 全 体 の戦 闘 用機 生 産 の約 六割 を占 め
し て いた こと が は っき りす る ( 付 表 第 2 の 1を参 照 ) 。戦 時中 の大
ついて製 造 業 者 の順 位 を つけ た場 合 、生 産 が少 数 の製 造 業 者 に集 中
陸 軍 の立川 航 空廠 と、 海 軍 の広 の第 一 一航 空 廠 お よび 大 村 の第 二
海 軍 の四 航空 廠 が、 みず か ら航 空 機 の生 産 にあ た った。
一航 空 廠 は、 機 体 と発 動 機 を生 産 し た。 海 軍 の霞 ケ浦 航 空廠 は練 習
た。 こ の両 社 に川崎 、 立 川 お よび 愛 知 の 三祉 を 加 え る と、 こ れ ら
か ったが 、 戦時 中 に生 産が 大き く 増 加 し た。立 川 、 川西 の両社 が 戦
減少 した 。 立川 と 川 西 は戦 闘 用 機 の生 産 で は中 島 と 三菱 よ りも 少 な
反 し、 三 菱 は 一九 四 一年 の四 一 ・四% から 一九 四五年 には 二 三% に
年 の二三 ・一% から 一九 四 五年 には 四七 ・四% に増 加 し た。 これ に
目 に値 す る。 戦 闘 用機 生 産 の全体 に占 め る中 島 の割 合 は、 一九 四 一
中 島 の重要 性 の上昇 と、 これ に相 当 す る 三菱 の重 要 性 の低 下 は 注
な る。
〃ビ ッグ ・ファイブ " が 全 体 の戦 闘 用機 の 八八% を 生産 した こと に
機 と ロケ ット推 進 特 攻機 切Bka ( 桜 花 一 一型 ) を、 厚 木 に近 い高 座 空廠 は航 空機 のみを 生 産 し た。 陸 海 軍 の航 空 廠 は 、 一九 四 一年 から 四 五年 ま で に、 日本 の戦闘 用 機 生 産 の四 ・四% 、 発 動機 の五% を 生 産 し た。 これ ら航 空 廠 は、 日
一九 ﹂ を参 照 )
本 の航 空 機 工 場 で戦 闘 用機 は第 六位 、 発動 機 は第 五位 の生 産 者 であ った。 ( ﹁報 告第
航 空 機 生 産老 の地 位
闘 用機 生 産 の全 体 に占 め る 一九 四 一年 の割 合 は 一% 以下 であ ったが 、
終 戦 時 に 日本 の航 空 機 工業 の大 部分 を構 成 し た 一五 の会 社 と 陸海 軍 の五航 空 廠 の相 対 的 な 重要 挫 は、 付 表 第 2 の1、 付 図第 2 の5 と
一九 四五 年 ま で に 一五 ・四 % に増 大 し た。
戦 時中 、 陸 軍 の 一航 空 廠 も海 軍 の四航 空 廠 も、 多 数 の航 空 機 を 生
6 に示 され て いる。 付 表第 2 の 1は、 生 産 さ れ た航 空 機 の会 社 別 総 計 の割 合を 、 付 図第 2 の5 は各 製 造業 者 に対 す る戦 闘 用機 の生 産 割
産 し た こと は 一度 も な か った。 これ ら陸 海 軍 空廠 の生産 は、 日本 全
中 に小規 模 な 製 造業 者 の重要 性 が高 ま った 。 これ ら の会 社 の生 産 は、
れ 、 これら のど れも が 全体 の五% を生 産 しな か った。 し か し、 戦 時
(付 表第 2 の 1を参 照 )。 そ の他 の生産 は 一〇 社 と 五航 空廠 に配 分 さ
五 年 ま で の期 間 にお け る航 空機 生 産 総 計 の約 四分 の 三 を 生 産 し た
年 ま で に生 産さ れ た 全体 の発 動機 の約 五 分 の 一を 生 産 し た。 (戦 時
要 度 で ト ップ に立 った。 日立 と 川崎 の両社 は、 一九四 一年 から 四 五
三菱 は 全体 の約 三 六% を 生 産 し て、 航 空機 発 動機 生 産 の相 対 的 な 重
体 の三分 の 二 は、 これ ら 二社 で 生産 さ れ た。 一九 四五年 を除 いて 、
( 付 表第 2 の 2を参 照 )。 戦 時中 に 日本 で生 産 さ れ た航 空機 発 動 機 全
航 空機 発 動 機 の生 産 も 、 中島 と 三菱 の 工場 で集 中 的 に行 な わ れ た
体 の五% 以 下 で あ った。
一九 四 一年 に は全体 の 一五% にすぎ な か った が、 一九四 五年 に は四
中 島 、 三菱 、 川崎 、 立 川 お よび 愛 知 の五 社 は、 一九 四 一年 から 四
当 て の割合 を示 す 。
〇 % に達 し た。
〇
・ 一パ ー セ ン ト 未 満
付表第2 の1 日本 の航空機 生産者 の相対的重要度
*
(一九 四 一︱ 四 五 年 の 生 産 )
中 の相 対 的な 地 位 の変 化 に つい て は、 付図 第 2 の7 を参照 。 ) 製 造 業 者 に よる 生産 の分 析 か ら得 ら れ る最 も 重要 な結 論 は、 中 島 の重 要 度 の増 大 と、 機 体 お よ び発 動 機 工業 にお いて中 島が 最 終 的 に
日本 の航 空 機発 動 機 生産 者 の相 対的 重 要 度
群 を抜 いた こ と であ る。
付表第2の2 (一九 四 一︱ 四五 年 の生 産 )
三
戦 時航 空 機 工業 の特 徴
一九 四 四年 春 ま で に、 日本 はき わめ て大 き な 工場 能力 を 航空 機 の
製 造 に自由 に使 用 でき た 。 生産 的 な工 場面 積 の正確 な数 字 はわ から
機 体 生産
〃
〃
四、 九 〇〇 万 平 方 フ ィー ト
な いが 、 合 理的 な 見積 り は次 のと おり であ る。
四 二五万
二、 二五〇 万
( そ の大 部分 は処 分 され た ) 、 日本 人 は実 際 に
発 動 機生 産 プ ロペ ラ生 産 正確 な 記 録が な く
は非生 産 的 なも の (事務 所 、 食 堂、 宿 舎 を はじ め 工場 の庭 でさ え)
ま で見 積 り 面積 に加 え る傾 向が あ る ので、 右 の数字 は概略 を 示 す に
日本 の工 場計 画 者 た ち は、 一九 四四年 の後 半 、 そ の注 意を 向 け さ
すぎ な い。
せ られ るま で、 爆 撃 され る可能 性 に つ いて考 え て いな か った。彼 ら
は ド イ ツ の工場 管 理 者と 異 な り 、 工場 と か作 業 の保 護 に つい て準 備
し て いな か った。 一九 四 三年 末 で さえ 、 空中 から たや す く確 認 で き
る よ うな 、 ぶざ ま に広が り、 し か も近 接 し た大 き な建 物 を航 空 機 工
場 と し て建 設 し、 作 業員 や重 要 な 記録 のた め の避 難所 も 準備 し て い
工 場 の個 々の建 物 は 四〇 万 平 方 フ ィート 以上 の広さ のも の は殆 ん
な か った。
ど な か ったが、 全 体 と し て は日 本 の工場 の中 に は約 四〇 〇︱ 四五 〇
万 平方 フィ ート に達 し 世界 で最 大 のも のが あ った。
工 場が 拡 張 に拡 張 を 重 ね て 〃つぎ はぎ " さ れ たも の は別 と し て、
全 体 の設 計 はか な り適 当 で あ った。 三菱 や 中島 のよ う に、 工業 に つ
付 図 第 2の 5 航 空 機生 産 の生産 者 別 配分 1941―45年 の各 種航 空 機 生産 に お け る生 産者 の重要 度 が 右 図 の下 か ら上 に示 さ れ て い る。(付 録 第10の 3を参 照)
付図第 2の 6 戦闘用機生産の生産者別配分 1941―45年 の戦闘 用 機生 産 に おけ る生 産者 の重 要 度 が右 図 の下 か ら上 に示 され て い る。(付 録 第10の 4を参照)
付 図第 2の 7 発 動 機生 産 の生 産者 別 配 分(1941―45) 1941―45年 の発 動 機 生 産 にお け る生 産 者 の重 要度 が 右 図 の下 か ら上 に示 め され て い る。(付 録 第10の 5を 参照)
い て の豊富 な 経 験 を自 由 に活 用 でき た 経歴 が あ り、 そ の工 場が 標 準
こう し た 工 場が 、 焼夷 弾 で 容 易 に破 壊 され た こと は 言う ま でも な い。
工場 の中 に は、建 築 用 の鉄が 不足 し た ので 木造 の建 物 が あ った。
ら れ てい る 。 )
は、 と り わけ そ う であ った。 し か し、疎 開が はじ ま ってか ら は混 乱
し かし 、 あ る場 合 に は、 日本 は爆 撃 を予 想 し て機 械 を疎 開 地 に移 し、
型 の機 体 ま た は発 動機 を 相当 に 量産 し て い た大 き な生 産 者 の場 合 に
が 大 き く な り、 よ く計 画 さ れ た生 産 方 式が だ いな し にな った こと は
る。 仮 り に日本 が 労働 力 を 比 較 的 に能 率 よく 使 用 し 材料 を 利 用 でき
本 は工 場 を比 較 的 に能 率 のあが らな いよ う に使 用 し た よう に思 われ
木 造 建 物 が 建 てら れ た。 こう し た建 物 は航 空 写真 で探 知す る ことが
し た り生 産 を つづ け る た め、 損害 を 受 け た建 物 の骨 組 の中 に仮 設 の
工場 の屋根 と 壁が 爆 撃 によ って破 壊 さ れ た場 合、 残 った機 械 を保 護
だ が 、 多 く の事 例 に は、 こう し た処置 と は反対 の ことが 見 ら れ る。
火 災 の危 険 を なく す る た め に建物 を こわ した 。
て い たと し ても (日本 は こ の両 者 とも そ う で はな か った)、米 国 とド
ラー ジ ュし て 一部 の生産 が 臨 時 に殆 んど疑 いな く つづ け ら れた 。 し
困難 であ り 、 大体 にお い て破 壊 さ れ たと考 え ら れ た 工場 内 で カ ム フ
は無 組 織 な仕 事 場 の集 まり に逆も ど り し て しま った。 し ょせ ん、 日
言 う ま で もな い。 一九 四五年 春 ま で に、 日本 のす べ て の航 空機 工業
は、 日本 の生産 者 が 達 成 し たよ り も 明 らか には る か に大き い。
した 部 分 の局 所 的な 損 害 にと ど ま った 。 し か し、焼 夷 弾 が 使 用さ れ
爆 弾が 命 中 した 場 合、 一般 に屋根 と壁 板 はく ず れ落 ち、 鉄 骨 は命 中
て いた ので、 でき るだ け 軽く しな け れば な ら な か った。高 性能 爆 薬
目 的 に適 当 な も のであ った。 た し か に、建 築 に使 用す る鉄 は限 ら れ
た。 大 体 にお い て、 日本 の航 空 工業 にあ たえ た米 国 の影 響が 、 ド イ
の多 く に、 彼ら の こう した 経 験が 無 駄 に され て いな い ことが 見 ら れ
スお よび ロッキ ード の各 社 で技 術 な ど を修 得 し、 日本 の工具 と 計 画
者 は、 戦 前 にカ ー チス、 プ ラ ット ・ア ンド ・ホイ ット ニー、 ダ グ ラ
った よう に思 われ る 。生 産 にたず さ わ った多く の技 術者 と 工場管 理
機 体 と発 動機 工場 で使 用 さ れ た全 体 の計 画 と生 産 方式 は適 当 であ
生 産方 式
こ った 。 これ に つ いて は詳 しく 後 述 す る。
日 本 の航 空 機 工 場 の生 産 で特 に興味 あ る こと は、 そ の疎 開後 に起
の 一を 参照 )
い。 中島 の太 田工 場 は、そ の 一例 であ る。 (航 空 機部 の ﹁報 告 第 二﹂
か し 、 こ の よう な生 産 を再 攻 撃 す る十 分 の根 拠 が あ った か は疑 わ し
イ ツの生 産者 が 達 成 し た 工場 床 面積 一平 方 フ ィー トあ た り の生産 高
建 物 の建 設 疎開 前 の工 場 は 一般 に鉄骨 製 で、 ア スベ ス トま た は タイ ルで屋根 を は り 、壁 板 は波 形 ア スベ スト組 立 のも ので あ った。 ガ ラ スが 広 い 範 囲 に使 用さ れ て いた 。 のこぎ り歯 状 の屋 根 の設計 と、 建 物 を適 当 な 方 向 に向 け る こと によ って、 建 物 の内部 の採 光 を よく し た。
て火 災が 起 こ った とき には 、軽 い鉄 骨 はす ぐ 曲 が り熱 のた め に形 が
鉄 骨 は米 国 で 広く 使 用 さ れ たも のよ りも 軽 か ったが 、 そ の強 度 は
ねじ れ て し ま った。 (多 く の事 例が 航 空機 部 の工 場 報告 の中 に 述 べ
ツ ま たは イ タ リ ア の影響 より も は る か に大 き か った よう に思 われ た。
胴体 の最 終組 立 ジ グ と 取付 具 は、 そ の他 の作 業 に使 用 さ れ たも のよ
の中 に入 れ る鉄 骨 用 の軽 い鉄 が 、多 く の場所 で使 用さ れ て い た。管
りも 一般 に軽 量 であ り精 密 で は な か った 。建 築 のさ い コンク リ ート
状 の自 立 ジ グ はが っち り し た重 いも のも 使 われ てい たが 、中 に は車
と りわ け発 動 機 工 場 の工 作 機械 は、 外 国製 のも のが 多 か った。 精 密 作 業 には 、 スイ ス、 ド イ ツお よび 米 国 製 の機 械 工 具が 好 ま れ た。
輪 の上 に取 付 け る よう な ポ ー タブ ルのも のも あ った。 こう し た各 種
不 適 当 な 工具 も最 終 組 立 作業 を妨げ た にち が いな い。大 き な 工場
さ ほど 精 密 を 必要 と しな い機 体 工場 に は、 日本 製 の機械 工具が か な
で は製 造 の た め に広 い地 域 と 多く の工 具が 利 用 でき て いた に かか わ
の慣 例 は、 お そ らく 航 空 機 の整 備 作業 を 不 利 に した標 準 化 と 交 換性
航 空機 工場 の金 属 切 断部 に は、 え ぐ り か んな、 せん 断機 、 ブ ラ ン
らず 、 機 体と 発 動機 の組 立 作業 の かな り の部 分が 下 請 業者 に よ って
り多 か った 。 あ る製 造業 老 は、 日本 の航 空 機 工業 (機体 工場 と 発 動
キ ング のプ レ スな どが 取 り そ ろえ てあ った。 大 き な水 圧 プ レス (能
行 な わ れ 、部 品 の大 部分 が 大 き な網 状 組織 とな って い る下請 業 者 で
に欠 け て い た から で あ ると 思 わ れ る。
力 は三千 ト ンから 五 千 ト ンま で) が シー ト メ タ ルの部 品 を作 る の に
製 作 さ れ た から であ る
機 工場 を 合 わ せ て) の工作 機 械 は、開 戦 時 にはそ の約 半分 が 外 国製
使 用 さ れ、 そ の大部 分 は米 国製 であ った。 これ らプ レス の近く の ロ
小 さ な 工場が 、 航 空 機 の仕 上 げ に 必要 な 大 量 の こま か い部 品 を供 給
で あ ったが 、 終戦 時 の割合 は約 三 割 に減 少 し た と見 積 った。
ー ラ ーテ ーブ ル の上 に、 シ ート ラバ ーと 亜鉛 ダ イ スが お いてあ った。
し た。 こう し た部 品 を 最終 組 立 にう まく 適 合 さ せる た め には、 下 請
業 者 の工具 を し っか り統 制 し、 適 当 な親 工具 を装 備 す る ことが 絶 対
( 第 五 章 を参 照 )。 工業 地 帯 に広 く分 散 し た
なプ レ スと 普通 の予 熱炉 と 熱 処 理炉 であ った。 これ ら は大 き い ので、
興 味 あ る のは、 疎 開 し た 工場 内 に残 さ れ た 殆 んど 唯 一の装 置 は 大き
移 動 でき な か った のであ る。 日本 で最 も 慎 重 に計 画 さ れ、 ひじ ょう
に必 要 であ る。
連 合 軍 の地 区 爆撃 が はじ ま ったと き 、 こう し た下 請 から の供給 の
に頑 丈 に作 ら れ た爆 風 除 け壁 は、 強力 プ レス装 置 の周 囲 であ った 。 日本 人 は、 こう し たプ レ スの破 壊 が 生産 上 の大き な隆 路 とな る こと
熟 を部 分 的 に補 う た め ジグ や 工 具 の使 用 を専 門 的 に修 得 す る 努 力が
か かわ ら ず 、ド イ ツや米 国 で 広く 行 な わ れ て い たよう に、技 禰 の未
か った、 と 最 大 の航 空 機 生産 者 の 一人 は述 懐 し て いる。
サ ック を か ついだ 人 員 を自 動 車 や汽 車 で 時 々派 遣 し なけ れば なら な
作 業 を つづ け る の に必 要な 特 定 の部 品 を よ せ集 め る ため 、 リ ュ ック
に お かれ た。 たと え ば 、爆 撃 開始 のず っと 以前 で さえ 、 生産 の流 れ
え、 不 適当 な 計 画 と統 制 のた め に、 多 く の工場 は たえ ず 困難 な 状況
大 部 分 が 止 ま り、 下 請業 者 の工具 は破 壊 され た。 爆 撃 の開 始 前 で さ
殆 んど 見 ら れ な か った。 人 力 と 無 器用 さ で小 さな 仮組 立を 行 な い、
航 空 機 工業 の 一般 の従 業 員 の経 験 水 準 は ひじ ょう に低 か った にも
を 、 は っき り承 知 し て いた か ら であ る 。
個 々の労 働 者が 金 属 を けず ったり 、 やす りを か け るな ど、 大 量 の仕 事 台 の作 業 が 行 な われ て い た よう に思 われ る 。大 体 にお い て、 翼 と
付表 第 2 の3
全 体 の雇 用 ︱︱ 航 空 機 工 業
付 表 第 2 の4
全従 業 員 の見積 り︱︱ 航 空機 工業
付 表 第 2 の5
毎月 平 均 雇 用 (一九 四 一︱ 四五)
労 働状 況 労 働 力 の質
業 で は重 要 で な い労 働 者 が 、軍 隊 に召集 さ れた 工員 を補 充 す る た め
日本 は、 米 国や 英 国 のよ う に、 女性 を航 空 機 工業 に広 く雇 用 し な
航 空機 工場 の作業 に大 量 が 徴用 さ れ た。 一九 四四 年春 、 陸 海軍 の要
予 備 知識 を 得 る に は、 付表 第 2 の3 に示 し た 軍需 省 の資 料 によ る
こ の表 の数 字 に、 下 請 業者 の従 業員 が ど の程 度 ま で含 まれ てい る
か った。 女 性 の最 大 雇 用 の割 合 が 全体 の雇 用 の二 割 を上 回 った かど
か は明 ら かで は な い (次 の項 を 参 照)。 し か し、 航 空 機 工業 に対す
求 が ひじ ょう に過 大 にな った ので、 航空 機製 造 業 者 は政 府 に対 し、
全 体 の数字 か ら 、 日本 の航 空機 工業 に おけ る 雇 用 の概 要 を知 る こ と
る直 接 と間 接 の多 く の寄与 者 は含 まれ て いな い、 と 推 定 し ても 差支
人 的 資源 が 極 端 に減 少 し た ので陸 海 軍 の航 空機 に関 す る要 求 に応 じ
う か は疑 わ し い。 中 ・高 校 生、 身 体強 健 な 大学 生 、 航空 機 以外 の 工
え な いと考 え る。 これ を差 引 いた場 合 、 少 な く とも 一五〇 万 の労働
が でき る。
者 が 終戦 時 の航 空機 生 産 に たず さ わ って いた こと は事 実 の よう に思
労働 力 の質 量 とも に、 非熟 練 労 働 者 に依 存す る程 度が ひじ ょう に
る ことが でき な いと 主張 した 。
大 き か った 。 開戦 時 でさ え 、熟 練 労 働者 の数 は十 分 と は いえ な か っ
( 詳 し い見 積 り は付 表 第 2 の4を 参 照 ) 。 丘 のト ンネ ル掘 り
と か背 中 にか ついだ 資 材 の輸 送 な ど 一般 労働 者 と し てど れだ け の人
われる
員 が あ った か はま ったく わ か らな い。
は学校 で勉 強 し なが ら 、 パ ート タイ ムの見 習 工と し て 工場 で働 い た。
熟 練 の新 し い成 人労 働 者 が 訓練 さ れ な い で配員 さ れ た。 少 年 と少 女
こと がわ か った。 多 数 の機 体 工場 と発 動 機 工場 に は、 ま った く の非
業 が 提 唱 した 形跡 が あ る が 、 こ の計 画 は適 当 に ほど 遠 いも のであ る
の に相当 す る 見習 工員 訓 練 計 画を 日 本 で採 用す るよ う、 航 空 機 製造
た 。 ド イ ツ の急速 な 工業 拡 張 の大き な負 担 にたえ る のに役 立 ったも
一九 四 一年 から 四 五年 ま で の期間 、 主 な製 造 工業 の平均 一ヵ 月雇 用 の内訳 は付 表 第 2 の5 に示 し てあ る。 各稻 の製 造 工業 の数 工 場 に お け る労 働力 の毎 月 の変 化 に つ いて の詳 し い 数字 は、 工 場 およ び会 社報書 ( 付 録 第 2) に述 べ ら れ て いる 。 付 図 第 2の 8、 9、 10 は、 雇 用 と機 体 、発 動 機 およ びプ ロペ ラ の
軍 務 に服 す る男 子 の増 加 と時 を 同 じく した 工場 の拡張 と疎 開 の た
換 言 すれ ば 、 仕事 を しな が ら訓 練 す る と いう の であ った。
れ の場 合 、生 産 の低 下 と労 働 力 の減 少 の間 に は明 ら か な遅 れ が みら
め に、 間 も な く機 械 の取 り 扱 いと 生 産 の経 験者 は殆 んど ゼ ロに ま で
各 工業 の生産 高 と の関 係 を示 す た め に作 成 し たも ので あ る。 そ れぞ
れ る。 そ の期 間 、 生産 の低 下 をく いと める た め絶 望 的 な努 力 が見 ら
低 下 し てし ま った。 一部 の工場 の管 理者 た ち は、 普 通た と 少 なく と
業 し なけ れば なら な いこ とが 時 々あ った、 と 不平 を こぼ し た。
も 二〇 名 の熟 練 工が 最 小 限 と考 え ら れ る場所 に、 一名 の熟 練 工 で作
れ たが 、 名簿 上 の員数 は増 加 し た にも か かわ ら ず 、 そ の内 容 の質 は ひ じ ょう に粗 悪 な も のであ り 、 そ の他 の多く の問 題 が 工業 を 悩 ま し た の で、 決定 的 な スラ ンプ を喰 い止 める こ とが でき な か った 。
つい に労働 力 が ひじ ょう に逼 迫 し た ので、 技 術 者 や 生 産 にあ た る
付 図 第 2の 8
機体 生 産 と従 業 員数 との比 較(1941―1945) (付 録 第10の7,8を
付 図 第 2の 9
発 動機 生 産 と従業 員 数 との 比較(1941―1945) (付 録 第10の6,9,10を
付 図 第 2の10プ
参照
参 照)
ロペ ラ生 産 と従 業 員数 との 比較(1941―1945) (付 録 第10の6,11,12を
参 照)
か、技 能 と はか かわ り な く、 多 数 の兵隊 が 臨 時勤 務 (一般 にそ の期
一部 の重 要 な 者 は軍 務 を解 除 さ れ て 以前 の仕事 にも ど り、 一部 の熟
た。 資 材 は乏 しく 、 人 々は航 空機 工業 か ら軍 隊 に召集 さ れ、 食 糧 は
た 。だ が 、 サ イ パ ン の失 陥 後 にな ると 、 こう し た熱 意 は衰え は じ め
天 皇 に対 し て最 善 を つく し、 週 に七 日 、 一日 に 一二時 間働 き つづ け
少 なく な り、 わ れ わ れ の爆 撃 開始 のず っと 以 前 に、 〃い った い何 の
練 工が陸 海 軍 の航 空 廠 か ら選 ば れ て 民間 工場 に派 遣 さ れ た。 こ のほ
役 に立 つ のだ " と いう気 持 ちが きざ し てき た 。 多く の会 社 は交 替数
を 倍 に しよ うと した︱ ︱ 一日 に 二四時 間 操業 のた め︱︱ が、 余 分 の
に普 通 の労 働 者 と し て使 用 され た。 と ころ が、 兵 隊 が 工場 で働 く よ う にな った と き、 兵 隊 の被 服 と食 事 は最 も 熟練 し た正規 の 工員 よ り
ので夜 業 を適 当 に統 制 す る こと も そ の計 画も でき な か った。 あ る工
労働 者 を 兵隊 で補 う こ と はむ ず か しく 、 監督 は行き と ど かな か った
間 は六 ヵ月 ) のた め航 空機 工業 に派 遣 さ れ た。 これ ら 兵隊 は、 一般
はる か によ か った ので、 一般 労働 者 の間 に動 揺 とあ つれき が み ら れ
場 で は、 一部 の部 門 で 一日 二四 時間 操 業 をど う にか や ったが 、 能 率
た 。 労働 問 題 は つい に解 決 されず 、 一九 四四年 に はじ ま り 回復 し な
が ひ じ ょう に低 下 し た ので苦 労 し た甲 斐 が殆 んど な か った。
勤
いま ま で終 戦 時 ま で つづ い た航 空機 生産 の低 下 に大 き な影 響 を あ た
正 確 な統 計 に欠け て いるが 、 全 体 の考 察 と 相 互関 連 さ せ た 工場 お 欠
え た。
よび 会社 報 告 の研究 によ って、 一九 四 四年 夏 の半ば にお け る航 空 機
正規 雇 用 の従 業 員
労 働者 の家 を 破 壊 し、 交 通機 関 を 崩壊 した地 区攻 撃 であ った。 航 空
した こと では な か った。 空襲 開 始 後 に欠 勤が 増 加 し た最 大 の原因 は、
航 空機 工業 労働 者 の欠 動 は、 空襲 開 始 前 の 一九 四 四年 秋 ま で は大
徴 用 労 働者
工業 労働 力 の概 略 の分 類 を 示 せば 、 次 のよ う にな る。 一五︱ 四〇 %
学生 ( 中 ・高 校 生 と、 これ に相 当 す るも の)
一九 四 五年 七月 、 中 島 の半 田 工場 に対す る爆 撃 の結 果 、多 数
三菱 の名 古屋 発 動 機 工場 と 愛知 の名古 屋 発 動機 工場 の欠 勤 は、
一九 四 五年 三 月 の名 古 屋 市 に対 す る 地 区空襲 前 は取 る に足 ら ぬ程 度
2
れ 低 下 し た。
間 の生産 は二 〇% に、 二週間 目と 三 週間 目 の生 産 も 三 五% に それ ぞ
産 を 世話 す る た め に欠 勤 し た。 こう し て、 こ の空 襲後 の最 初 の 一週
の労働 者 の家 が 破壊 さ れ た。 多 く の労 働 者 は、 そ の家族 と 残 った財
1
なも のを述 べ てみ よ う。
一〇︱ 三〇 %
隊
三 〇︱ 四〇 % 兵
機 部 の報 告 の中 に多 く の事 例 を見 出す ことが でき るが 、 そ の代表 的
一〇 ︱ 一五 %
こう し た労 働 力 によ っては、 近 代 飛行 機 の高 度 の精 密 部 品と 複 雑
(一九 四 四年 夏 ま で)、 航
な装 置 の生産 が 手 に負 え な か った のは、 殆 んど 自 明 の こと であ る。
労働 時間 戦 況 が 日本 国 民 に評判 が よ か った期 間
空機 工業 の労 働 者 は不平 を いわず に、 ます ます 長 い時 間 を働 い た の で あ った 。 天皇 は勝 利 の ため に飛 行 機 を 必要 と し た。 労 働 者 た ち は
であ った。 し か し、 こ の空 襲 が 行 な われ る や、 こ の両 工場 従 業 員 の 六月
五月 ⋮
⋮ 四 一〃
⋮ 三 五〃
⋮ 三〇 〃
二 七〃
欠勤 は 一週 間 ほ ど大 き く増 加 し、 つい で徐 々 に減 少 し 、 空襲 から 三
八月
空 襲 の激 化 にと も な い、 他 の要 因が 重 要 なも のとな った。 そ れ は
七月
従業 員 の戦 意 の低 下 であ り、 と り わけ 空襲 によ る危 険が 増 大 す る や、
週 間後 にな って平常 の出 勤率 にも ど った。 三菱 の名 古 屋 工場 にお け
時 間 にあ ら わ れ て い る。 一九 四四 年 一 一月 、 それ は 一ヵ 月 に 二〇 六
る 欠 勤 の増 加 によ る影 響 は、 従 業 員 一人 あ た り 一ヵ月 間 の平 均 労働
時 間 で あ ったが 、地 区 空襲 が はじ ま った 一九 四 五年 三月 には 一六〇
一九 四五年 五月 の空襲 に よ って 川 西 の姫 路 工場が 大 き な損 害 を こ う
航 空 機 工 場労 働 者 はぞ う さ なく 自 分 の職 場を は なれ た。 たと えば 、
疎 開 計 画 が 不適 当 で あ った ので、 自 分 の家 から 疎開 し た 工場 に通
れ た。
む った後 、 こ の工 場労 働 者 には無 断 で農 場 にも ど るも のが 多 数見 ら
時 間 に、同 年 五 月 は 一三 七時 間 に、 さ ら に七 月 に は 一〇 二時 間 にそ
空襲 を 受 け な い地 区 にあ った 発 動機 工場 と、 猛 烈 な 空襲 を 受
れぞ れ 減 少 し た。 3
け た 地 区 にあ った 発動 機 工 場 に おけ る 欠勤 に関 す る興 味 あ る 比較 は、 中 島 の福 島 工 場と 武蔵 工場 の数字 にあ ら われ て いる。 損 害 を 受け な
四月
⋮
⋮
⋮
九〃
八〃
七〃
ど 欠 勤が 増 加 し た 。
郊 の森林 地 帯 に疎 開 し よ う と した と き、 疎 開計 画 が実 行 でき な いほ
は働 こう と し な か った 。 た とえ ば 、 日本 国 際航 空 工業 会 社 が京 都 近
勤 す る た め の交 通 機 関 に、 しば しば 大 き く 悩 まさ れ た。 彼 ら の多 く
五月
六%
六月 ⋮ 一 一〃
一九 四五 年 三月 ⋮
か った福 島 工 場 の欠 勤率 は次 のと お りで あ った。
七月
⋮ 一 二 〃
当 てず っぽ う を いう 日本 労 働者 の特 徴 に ついて、 わ れ われ はほ ん の
わ れ われ が 、 米 国 ま た はド イ ツ の労働 者 よりも 能 率が 低 か ったと
防 空 警 報 に よ る生 産 の損 失
八月
わず か で はあ るが 知 る 必要 が あ る。 過 去 五〇 年 間 にお け る日 本 の工
業 の進 歩 は 目覚 ま し いも ので はあ った が、 一時 代以 上 にわ た って技
これ に反 し て、 戦 時 中 に最 も 激 し い攻 撃 を 受け た地 区 の 一つで あ
⋮ 二 六〃
⋮ 二一 %
る 武 蔵 工場 と 、 そ の疎 開 工場 にお け る欠 勤 率 は次 のと お り であ った。
二月
一九 四 五年 一月
日本 人 は 国畏 と し て、 米 国 ま た は ドイ ツ の航 空 工業 の発 達 に利 用 さ
れ た機械 的 な 技 能 と経 験 と い った大 き な 資源 に欠け て いた。 熟 練 工
能 的 な 素養 を身 に つけ た 日本 人 は比 較 的 に少 な か った 。 た し か に、
三〇 〃
⋮ 二 七〃
三月 四月 ⋮
場 の労 働 力 を みた す も の は殆 んど 残 さ れ て おら ず 、 あ るも のは 田舎
員 に対 す る要 求 が 最 高 に達 した とき まで に、飛 行 機 工場 と 発動 機 工
三 ヵ月 の期 間 に生 産 さ れ た重 量 をポ ンド であ ら わ した 数 字を 使 用す
い材 料 の不足 、 天 候 お よび 設 計 の変 更 など によ る変 動 を 避け るた め、
の異常 に大き な 生 産 に よ って埋 合 わさ れ る にちが いな いかも しれ な
共通 の単 位 を でき るだ け精 確 にす るた め、 特 定 の三ヵ 月 の期
か ら出 て来 たば かり の労 働 力 であ った。
2
る。
一人 一労働 日あ たり ポ ンドを 決定 す る にあ た って、 使 用 し た
最 後 に、 着 手 し た生 産 規模 の変 量 を考 慮 し て、 そ のと き ま で
間 に ついて選 び 、 これ ら 会社 の単位 引 受 量を 戦 闘機 の等 価単 位 に修
って、 日 本 の会 社 と 米 国 の会 社 の代 表 的 な サ ンプ ルを 、 示 し た各 期
の変動 を 測定 す る方法 と し て開発 され る。 こ の指数 を 求 め る にあ た
う し て基 本的 な 八○% の曲 線 が、 生 産 さ れ た数 量 を考 慮 し て生 産高
二月 号 のT ・P ・ラ イ ト の ﹁飛行 機 の原価 に影 響す る諸要 素 ﹂)。 こ
ー ナ ル ・オブ ・ザ ・エヤ ロノー チ カ ル ・サイ エンス﹄ 誌 一九 三六年
要 求 額 の八○ % への低 下 に含 ま れ た単 位蛍 働 を 二倍 に す る (﹃ジ ャ
に達 成 し た結 果 を 修 正す る。 毎 回生 産 さ れ る数 量を 、 最 初 の数 量 の
4
のよう にな る。
だ ろう こ とを 考 慮 し て行 な わ れ て いる。 つま り 、前 述 し た こと は次
だ ろうが 、 五 月 には生 産 さ れ た部 品 は 七月 ま で 生産 にあ らわ れ な い
間 、 ま た は、 七 月 の最 終 組 立 作業 の大部 分 は七 月 の引 受 に は目 立 つ
従 業 員数 は指 数 期 間 の最 初 の月 のも のであ る 。 これ は、 労働 循 環時
3
間 に生 産 され た 重 量 の ポ ンド を、 そ の期 間 の労働 日数 で割 る。
こ こで は、 日本 労働 者 の能率 を 数 量 的 に 測定 す る た め、 米国 の航
の航 空 機資 源 統制 部 が 開 発 し た方 式 を適 用 す る こ とと し た。 こ の方
空 機 製 造業 者 の相 対的 な 能 率 を評 価 す る 目的 で米 国 の戦 時 生産 会 議
式 は米 国と ド イ ツの航 空 機製 造 業 者 の相 対 的 な 成 績 を記 録す る た め にも 使 用さ れ た 。 ( ド イ ツの航 空 機 工業 に関 す る米 国 戦略 爆 撃 調 査 団 航 空 機 部 の報 告 を 参照 。) 能 率 指数 を 得 る た め に使 用 した方 法 は、 次 の項 に概 述 さ れ て い る。
ので あ る。 付 図第 2 の11 には、 これ を曲 線 で示 し てあ る。
付 表 第 2 の 6 は、 戦 時 中 の四段 階 の指数 を 各 段階 ご と に算 定 し たも
付 図 第 2 の11 に よ って 、 日本 労働 者 の能 率 に つい て の疑念 が は っ き り す る。 一人 一日あ た り 生産 高 に つい て見 れば 、 日本 の最 上 の労 働 者 の成績 は ア メリ カ の平均 労 働 者 の成 績 より も悪 か った。 日本 労 働 者 の最高 の成 積 は 一九 四 三年 の半 ば に見 ら れ たが 、 そ の当 時 、 そ れ は米 国 の水 準 の約 四〇 % に達 し た にす ぎ な か った。
能 率 指 数 の計 算 日本 の航 空 機 工 場と 米 国 の航 空 機 工業 の相 対 的 な能 率 指数 の決 定
生産 さ れ た 重 量を ポ ンド であ ら わ し、 たと えば 戦 闘 機生 産 の
要 領 を 概述 す れ ば 、 次 のと おり であ る。 1
場 合 の共通 の基 礎 とす る。 一機 の単 価 ま た は 一機 あ た り生 産時 間 は、 能 力 の三分 の 一に対す る重 量 に逆 比 例 し て 変化 す る と定 め る。 翌 月
付表 第 2の 6 米 国 と 日本 の航 空 機工 業 に お け る人 的 資 源 の利 用 指数
(1)3 ヵ 月(5,6,7
月)の
生 産。(2)指
日あ た りの生 産 の 平 均 単 位 。(4)基
数 期 間 の 最 初 の 月 の従 業 員 。(3)日
本 的 な80%曲
米 航 空 機会 社 の代 表 的 サ ン プ
線 か ら求 め た数 量 の フ ァ ク ター。
付 図 第 2の11米
日航 空 機 工業 の相対 的 能 率 (1941年 7月 ―1945年 7月)
付 図 第 2の12下 請 業 者 と家 庭 工業 の利 用 (面積 は総 生 産 努 力 に相 当 す る)
正 し 、 一会 社 一日あ たり 飛 行機 数 に換算 し た。 そ こ で、 数 量 の フ ァ
能率指数
クター ( Qf ) は八〇 % の曲 線 から 得 られ る。 こ れ に よ って、 能 率 指 数 は次 のよ う にな る。
下請業者
下請業者
下 請 業者
発 動 機 製造 業者
プ ロペ ラ製 造 業者 下 請業 者 構 成 部分 製 造 業 老
一〇 ・二〃
三 ・ 一〃
一八 ・ 三〃
二 ・ 一〃
〇 ・ 三〃
一五 ・五 〃
八 ・二〃
五 ・三 〃
機 体 製 造 業者 は、 そ の作 業 の約 三五% を下請 に出 し た。 下 請 業者
一〇〇 ・〇 〃
の使 用 の程 度 は 一様 でな く 、愛 知 は 三 一% 、 三菱 は三 二 %、 中 島 は
計
鋳物 の製 造 と仮 組 立 は航 空 機 工業 以 外 で行 な わ れ た。 構 成 部 分製 造
合
業 者 が 必要 と した機 械 仕 上 げ 、 ワイ ヤ巻 き、 仮 組 立 は、 下 請 業者 の
四三 % であ った 。戦 時 中 、機 体 製 造業 の 一般従 業 員 と 学 生 およ び兵
構 成 部分 製 造 業 老 はそ の生産 の三 六% を 、発 動 機製 造 業 者 は二 四
し 一九 四 五年 に最 高 に達 し た。
隊 の雇用 が も のす ごく 増 加 し た かも か か わらず 、 下請 の割 合 も増 大
副契 約 者 の間 の緊密 な協 力 か ら生 じ た も の であ る。 主契 約者 は下 請
葉 は、 米国 に おけ る よ りも は る か に密 接 な関 係 にあ った主 契約 者 と
し、 こ れ ら製 造業 者 が 家 庭 工業 を使 用 し た程度 は少 な か った。 航 空
機 部 門 に おけ る家 庭 工 業 の大 部 分 は、 下 諸 業者 から下 請 け し たも の
% を 、プ ロペ ラ製 造 業 者 は 一六% を、 そ れ ぞれ 下 請け さ せた 。 し か
輸 送 に つい ても 下請 業 老 を 援助 した 。 たと え ば" 中 島 の下請 業 者 "
機 体 に つい ては下 請 業者 の努 力 は 半分 にすぎ な か った、 と 述 べ て お
示 す と お りで あ る。 構 成 部分 製 造 の大 き な 割合 が 下請 に出 さ れ たが、
の努 力 に関 連 し た下 請業 者 と 家 庭 工業 の重 要度 は、付 図 第 2 の12 に
も し れ な い下請 業者 の下 請 ま で、連 鎖 が ひ ろが って い た。 全体 生 産
場 経 営者 と か、 自 分 の家 で各 種 の部品 を 製造 す る 技術 者 であ った か
で あ った。 主製 造 業 者 から下 請 業 者 へ、 そ れ から お そら く 小 さ な 工
た。
三七 ・〇%
(一九 四 四年 二月 一日現 在) 機 体 製 造 業者
付表第2の7
航 空 機 工 業 の労 働 力 の配 分
と いう よう に、 一般 に下 請業 者 は主 契 約者 の名称 を つけ て 呼 ば れ
業 者 のた め に材 料 を調 達 す る だけ で なく 、 技 術、 資 金 、装 置 およ び
日本 の航 空機 工業 で は、 下 請業 者 を 協 同約 契 者 と呼 んだ。 こ の言
付 表 第 2 の7 に示 し てあ る。
本 来 の仕事 であ った。 航 空 機 工業 にお け る労 働 力 の大 体 の配 分 は、
を下 請 に出 し た。 翼、 尾部 、 発動 機 おお い、 小 さ い部品 、 鍛 造品 、
下 請業 者
日 × Q f =
家 庭 工業
員/
航 空機 工 業 のす べ て の部 門 は、 下 請 業 者 に 大き く 依存 し た。 一九
業
四 四年 の第 一・四半 期 、最 初 の契 約 者 は航 空機 生 産 全体 の約 二 九%
ポ ン ド /従
の 工業 地帯 に集中 し て いた。 付 録 第 7は、 疎 開前 の大体 の所 在 を 示
多 く の場合 の疎 開 地 は丘 で防 護 さ れ た地 区 であ った。 そ の結 果、 下
が みら れ た。 機 械 はあ ら ゆ る輸 送 手段 によ って 工場 から 持 ち出 され、
な か った。 最 初 の東 京 空襲 後 、 これ に刺 激 され た無計 画 の疎 開 努 力
一九 四五 年 初 め ま で は、下 請 業 者 の工 場 の疎 開 は殆 んど行 な われ
の位 置 を 示す 。
す 。 下 請業 者 は、航 空 機 工 業 の拡 張 にとも な って、 そ の規 模 が 大 き
請 の生産 は殆 ん ど ゼ ロと な り、 主契 約 者 は下 請 業 者 と のす べ て の契
下 請 業者 は、 関係 のあ る 主製 造 者 に近 い東 京、 名 古 屋 お よび 大 阪
く 必要 が あ る と思 う 。
であ った。 あ るも のは特 定 の契 約 者 のた め にパ ー ト タイ ムだけ 作 業
く な り 数も 増 加 し、 従 業 員 が 一〇 人 以 内 のも のから 二千 人 の工場 ま
約 を 解 消 し、 新 し い供 給 源 を開 発 せ ねば な ら ぬ場 合 もあ った。 疎 開
と混 雑 し た交 通 機 関 の た めに、 下 請業 者 への材 料 の補 給 に支 障 を来
し たが 、 一つの会社 のた め に 一〇 〇 % 作 業す る も のも あ った。
し た。 一般 に下 請 を通 じ て航 空 機 工業 に供給 し て いた家 庭 工業 は、
こ の報告 の作 成 にあ た って、 われ わ れ の調 査 の対 象 と し た下 請 業
ば らば ら にな ってし ま った。
下 請 業者 、 と く に家 庭 工業 は、 全体 と して、 空襲 によ る損 害が 大
し たも のに限 定 し た。 中 島 の小泉 工場 は、延 べ 一 二 、 二八〇 の機 械 と 延 べ 五 三、 五〇〇 人 の従 業 員 の 一六五 の下 請 業者 を 、 中 島 の太 田
これ ら は 主と し ても ろ い木造 であ った ので容 易 に破 壊 さ れ た。 三菱
き か った。 工場 や 作業 場 は大都 市 の人 口過 密 地 区 に集中 し てお り、
者 は、 そ の努 力 の二〇 % 以 上 を特 定 の航 空機 主 契約 者 のた め に作 業
一四〇 の下 請 業 者 を、 中 馬 の武蔵 発 動 機 工 場 は、 延 べ 一〇 、 七 一五
の他 の電気 関 係 作 業 の四〇% を 下 請 に出 し、 こ れら の大部 分 は家庭
電機 の総 支配 人 宮 崎 に よれば 、 こ の会 社 の通 信装 置 の六〇 % と 、そ
工場 は 、延 べ 一〇、 四〇 〇 の機 械 と 延 べ 三 一、 九〇 〇 人 の従業 員 の
の機 械 と延 べ 一九、 八〇〇 人 の従 業 員 の 一八七 の下 請 業 者 を持 って
によ って、多 数 の小 さ な作 業 場が 破 壊 され た ので生 産 に大き な 影響
工業 で生産 さ れ てい た。 一九 四五 年 三月 、 東 京 に対 す る最 初 の空襲
い た。 三菱 は中 島 にく ら べ て 下請 業者 を 使 用し た程 度 が 小 さく 、 そ の発 動 機 工 場 は延 べ 一四 、 一〇〇 人 の従 業員 の九 三 の下 請 業者 を 使
を あ たえ た。 主 工場 は みず か ら部 品 の製 造 を 企 てたが 、 そ の た めに
用 し た にす ぎ な か った 。 三菱 の第 七 機 体 工 場は、 延 べ 一五 、 八〇 〇 人 の従 業 員 の二五 の下請 業 者 を、 そ の第 九機 体 工 場 は延 べ 一 一、 三
請 業 者 の疎 開 であ った。 主 契 約 者 は下請 業 者 の疎 開 計 画を 援 助 し、
った。 最 上 のも の の 一つは、 中 島 の小泉 発 動機 工場 と 関連 のあ る下
そ れ よ り はる か に大 き か ったと いう。 日 立 の磁 石 生産 の五 割 を下 請
ま で に、 日立 の下 請 業 者 の被 害 は 五〇 % に達 し、 家庭 工業 の損 害 は
場 の破 壊 のた め に生 産 が殆 んど完 全 にと ま った。 一九 四五年 六月 末
った。 一部 の構 成部 分 、 とり わ け通 信 部 門 の製 造者 は、 小 さな 作 業
生 産 は低 下 し、 組 立 作 業 のた め の余 地 と 設備 を ちぐ はぐ に し てし ま
疎 開 地を 主 会 社 の近 く に選 び 、 生 産 の流 れ を適 当 に維持 す る ことが
け し て い た国 際 電機 は、 一九 四五年 三月 と 四 月 の東 京 空襲 の期間 に、
下 請 業 者 の工場 の疎 開 は、 そ の計 画が 悪 く組 織 的 に行 な わ れ な か
〇 〇 人 の従 業員 の六 三 の下 詩 業 者 を持 って いた。
で き た。 付 図 第 2 の13 ︹ 省略︺ は、 小 泉 工 場 の下 請業 者 の疎 開 前 後
一〇 万個 の小 さ い機 械 部 品 の受 領が おく れ た ので、 そ の後 の生 産が
み たす た め に生産 が 促 進 さ れ た。
りず っと以 前 に見 ら れ た 。 一九 三 七年 ご ろ 、軍 用 機 に対 す る 要 求を
日本 の航 空機 生 産 計 画 の作 成 に は、 現 実 的 であ り情 勢 に適応 す る
計 画 対 生産
ひ き つづ き 半 分 ほど に減少 し た。 下 請 業 者 と 家庭 工業 によ る生 産 は、 全 体 と し て見 れ ば、 一九 四 四
維持 さ れ た が、 一九 四 五年 三 月 に開 始 さ れ た気 違 いじ み た疎 開 と空
実 力 相 応 の点 が いく ら か見 ら れ た。 し か し、 日 本 の計 画 はドイ ツが
年 九月 から 翌年 三月 ま で の期 間 、機 体 と 発 動機 の生 産 よ りも 適 当 に
襲 に よる 損害 の ため に、 一九 四 五年 の第 二 ・四半 期 には、 す べ て の
同 じ 惰 勢下 で企 て た よ りも 適当 で はな か ったが、 日本 の生産 能 力が
のであ る。 日 本人 はあ く ま で合 理 的 な基 礎 に立 つよ りも 、 む し ろ第
企 て た。 日本 の計 画 の 一部が 、 ど れ ほど 現 実的 であ った かが 問題 な
低 下 し、 ま た は破 壊 され た とき 、 そ の全 体 の要求 を 再 調整 す る よう
下 請 生 産 は大 き く 減少 した 。 し か し、 そ のこ ろ輸 送 に要 す る期 間 が 以前 の 一ヵ月 から 三 ヵ月 に のび て いた ので、 こう し た生 産 の大 き な 減 少 が 殆 んど 終 戦時 ま で機体 生 産 の割 合 に大 き な影 響 を あ たえ た か は疑 わ し い。
六感 の価 値 にた よ った 点が いく つかあ った よう に思 わ れ る。終 局 の
調査 のさ い、生 産 と 計 画 に関 す る数 字 は多 く の ソ ー スー
から
軍需 省 、
任 を、 生 産 し な か った製 造 業 者 に転 稼 し た かも し れ な い こと はな い
て た かも し れ な い の で、結 局 のと ころ、 こ の目 標 に達 しな か った責
敗 北 を感 じ と った 日本 政 府が 、 故 意 に生 産 目標 を ひじ ょう に高 く 立
陸 軍 と海 軍 、各 製 造 会 社 の本 社 、多 数 の個 々 の工場 の記録 ︱
航 空機 の量的 生 産
入 手す る ことが でき た。 これ ら デ ー タを 合 理的 に取 り扱 い、 互 い に
付 図 第 2 の 16と 17 は、 機 体 と発 動 機 の生産 計 画 と実 際 の完成 量 の
と は 言え な い。
関 係 を 示す 。 一九 四 四年 初 め ま で は、飛 行 機 と発 動 機 の引 渡 し は 計
関連 さ せて 調査 し た。 調 査 の結 果 から 見 れば 、 戦 時 中 にお け る航 空 機 と発 動 機 の生 産 の大体 の傾 向 を示 す た め の諸 曲 線 をえ が く のに、
開 き は大き く な るば かり で あ った 。 計 画が 思 いき って改 めら れ た後
画 さ れ た生 産 と ひ じ ょう によ く 一致 し た。 しか し、 そ の後 は、 こ の
付 図第 2 の14 のグ ラ フ は、 日本 の航 空機 工業 の生産 の上昇 と 減 少
これ ら デ ー タ は十 分 に間 に合 った よう に思 われ る。
と 低落 を 示 し て い る。 機 体 ( 戦 闘 用機 と合 計 ) お よび 発 動機 の毎 月
一九 四四 年 一月 から 翌 年 八月 ま で の期 間 に、 生 産 計 画 ( 修正した
でさ え 、製 造 業者 はそ の期 待 にそ う こと が でき な か った。
も の) は合 計 六万 六 千 機 の航 空 機 を要 求 し た。 だ が 、実 際 に引渡 さ
の生産 数 量 は、月 ご と に プ ロ ットし てあ る。 付図 第 2 の15 は、 付表 第 1 の ー (要約 ) によ ってプ ロ ット し た 一年 間を 基 礎 と し て、 飛行
れ た機 数 は約 四万 機 で あ り、 そ れ は計 画 よ り 三〇 %少 な か った。 発
動機 の生 産 は、 さ ら に 悪 か った。 計 画 さ れ た 一〇 五、〇 〇〇 のう ち、
機 発動 機 と プ ロペ ラ 分完 成量 の合 計 を示 す 。 航空 機 生 産高 の最初 の大 き な 増 加 は、 付図 第 2 の14 の左 の欄 外 よ
付 図第 2の14毎
付 図 第 2の15航
月 の総 生産 高(1941―1945) (付録 第10の 2を参照)
空機,発 動機,ブ
ロペ ラの 年間 生産(1941―1945) (付 録 第10の 8,9,12を
参 照)
付 図 第 2 の16 (一九 四三年 一月 ︱ 一九 四五 年 八月 )
航空 機 生 産 の計 画 対実 際
付 図 第 2 の17
(一九 四 三年 一月︱ 一九 四 五年 八月)
発 動 機 生 産 の計 画 対 実 際
実際 に引 渡 され た も のは 五 六、〇 〇 〇 にす ぎ ず 、 それ は計 画 の約 五
と こ ろ で、 日本 の陸 海 軍 で計 画 ど お り航空 機 の引 渡 しを 受 け たと
る た め、特 定 の地 域が 特 定 の会 社 に対す る疎 開地 区 と し て割 り当 て
し た場 所 への即 時 疎開 の指 令が 政 府 から出 さ れ、 大 き な混 乱 をさ け
一月 と 一 二 月 であ った。 一九 四五 年 一月 中 旬 にな る と、 地 下 と分 散
三 菱 と中 島 の工 場 に最 初 の爆 弾 が 投下 さ れ た の は、 一九 四 四年 一
に せ かせ か と走 り ま わ った 。
しても 、 計 画 され た 数 量 の航 空 機 を実 際 に使 用 でき て い た か は疑 わ
ら れ た。 し か し、 各 会社 は これ ら 地区 内 で最 も適 当 な 場所 を 選び 、
割 にあ た った。
し い。燃 料 と パ イ ロ ットが 不足 し て い た ので、 引 渡 さ れ た航 空 議 の
て も 避け ら れ な か った であ ろう 。 制限 さ れ た通 路 のた め に仕 事 台 や
一般 に地 下 工場 の能率 水 準 が ひ じ ょう に 低 か った こと は、 ど う し
であ った。
を は じ め、 木炭 で走 る ト ラ ックや牛 馬 と 人間 の背 中 で 丘 に運 ん だ の
など 手 あ た りし だ いの場 所 のど こ にも 移 しだ し た。 利 用 でき た鉄 道
工具 、 ジ グ、 ダ イ スおよ び 材料 を、 校舎 、 紡績 工場 、神 社 や ほ ら穴
で、 会社 は生 産 を殆 んど 考 慮 しな いで 工場 の装 置 を 撤去 しは じ め、
多 く の会 社 は政 府 の指令 を待 って いな か った。 す っかり 驚 い た の
要 求 さ れ た こと も あ った。
の労働 力 が 、 時 々陸 海軍 から 提 供 さ れ、 民間 の建 設会 社が 穴掘 り を
でき るだ け 速 や か に地下 工場 を 建 設す る こ とが期 待 さ れ た。 穴 掘 り
多 く を お そら く使 用 し な か った であ ろう 。 し か し、 こう し た推 測 は、 この報 告 で述 べ よ うと す る 範 囲外 の こと であ る。 だ が 、 これ ら の曲 線 は、 日 本 の航 空機 工業 が 割 当 てら れ た任 務 を達 成 しな か った程 度
航 空 機 工業 の疎 開
を いく ら か示 し て いる 。
四
一 般 サイ パ ンの失陥 に よ って、 日本 の生産 業 者 た ちが 考 え て い た航 空
本政 府 は工場 の疎開 は適 当 であ る かも しれ な いと ほ のめ かす とと も
工 具 を直 線 的 に配 置 し た の で、材 料を 思 う よう にう まく 処 理 できず 、
攻撃 に は不死 身 であ ると いう確 信 が ぐ ら つき だ し た。 そ のこ ろ、 日
に、 す べ て の軍 事 補給 品 、 と りわ け 航 空機 の生産 を 大 幅 に増 加 す る
ビ と 腐食 の ため に質 が 急 速 に低 下 し た。 最 も悪 か った の は、 ト ンネ
よう 強 く要 求 した。 こ のジ レ ン マに直面 した とき 、 事 実 上す べ て の
ル への資 材 の搬 入 お よび 搬 出 と作 業 員 の出 入 に ついて、 殆 ん ど配 慮
め に労働 者 の能 率 は低 下 し た。 精 密 工具 と 仕上 げ機 械 の部 品 は、 サ
う ど そ のと き、 わ れ わ れ の爆 撃機 は名 古 屋 と大 阪 お よび 東 京 近郊 に
され な か った こと であ る。 地 下 工場 のト ンネ ルの大 部分 は鉄 道 から
適 当 な作 業 計 画 を実 行 で き な か った。 ま ず い照 明 や通 風 と湿 気 のた
対 し て爆 弾 の雨を ふら せ た の で、 大 会 社 の経 営 者 た ち は、 工場 を疎
遠 く離 れ た 場所 にあ り、 ト ンネ ルま で の道 路 は 一車 線 の狭 いも のだ
航 空機 製 造業 者 は、 自 分 の 工場を 攻 撃 す る敵 の爆 撃 を ノ ック ア ウ ト
開 さ せ るた め の穴 を 掘 り、 ま たは森 林 地 帯 や村 落 に工場 を かくす こ
す る こと を神 頼 み し て軍 部 の要求 に応 じ る こと と し た。 だ が 、 ち ょ
と が でき そ う な場 所 を さが し求 め て、 あ た かも 驚 いた ウ サギ のよ う
った し 、天 気 のよ い場 合 でも ジ ープ が や っと通 れ る 程度 で、 一年 の
大 部 分 の半 地 下 工 場 に は 二〇 か ら六〇 の建 物が あり 、 一つ の建 物
全地 域 は しば しば 数 平方 マイ ル以 上 に達 し た。
の大き さ は幅 が 二〇 ︱ 四〇 フ ィー ト、 長 さが 四 〇 ︱ 八〇 フィー トで
う ちあ る期 間 は殆 んど 通行 でき な か った。 あ る地 区 で は航 空 輸 送が も く ろ ま れ たが 、 一般 にト ンネ ルを掘 る場 所 に選 ば れ る よう な 山 の
あ った。 こう し た建 物 は 丘 の斜 面 に建 設 され 、 丘 の麓 の周囲 に異 な
半 地下 式 の工 場と 小 屋が 芝 土 で おお う た屋 根 で こ しら え ら れ、 発 見
な る ほど 丘 の斜 面 に穴 が 掘 られ た。 つい で、 こ の斜 面 を切 り開 いた
丘 の はし にあ る建 物 の床 の へり の前 面 は、抹 の部 分が む きだ し に
った間 隔 で分 散 し て いた。
多 い地 方 に は滑 走 路が 殆 ん ど なく 、 あ ったと し ても 距 離が 遠 か った。
を 困難 にす る た め植 物が う え られ た。あ ゐ場 所 で は森 林 方式 の疎 開
の上 と 半ば む き だ し にな って い る建 物 の側 面 にかぶ せる。 そ こ に草
く ぼ 地 に建 物 を 建 て、 そ れが 終 わ る と、 掘 り 出 した 土 を建 物 の屋 根
疎 開 し た 工場 の全 部が 完 全 な地 下 で はな か った。 多 く の 場所 で は、
も 採用 さ れ 、 ドイ ツ南部 の メ ッサ ー シ ュミ ットで行 なわ れ た よう に、
て、建 物 は丘 の小 さ な隆 起 し た部 分 の中 に かく され 、 建物 の上 部 に
木 を 植 え、 こ こ の土 を切 り開 かな い丘 の中 腹 ま で ひろ げ る。 こ う し
た れ か か る樹 木 の間 に小 さな 倉 庫が 建 てら れ た。 わ れわ れ は、 こ の 種 の数 カ所 の広 い施 設 を調 査 し た 。 ( ﹁航 空 部 報 告 第 七 ﹂ の 一を 参
ジ ュす る計 画 にな って いたが 、 こう し た努力 は大 し て払 わ れず 、 一
慮 が払 わ れ た 。 これ ら 建 物 は、 後 で状 況 が許 す 場 合 に はカ ムフ ラー
従業 員 を 収容 す る た め に建 て られ た宿 舎 の保 護 に は、 最小 限 の考
物 は保 護 さ れ る のであ った。
命 中 し た 直撃 弾 か建物 の 入 口 の至近 弾 のほ か、 すべ て の爆 撃 から建
照) 中 島 の城 山 工 場 の よう に巨 大 な 地下 工場 は別 と し て、 発 動 機 生産 の場 合 の 一般 的 な慣 習 は 、精 密 な 工 作機 械 の全 部 ま た は大 部 分 を 地
分 と仮 組 立機 械 の 一部 は地 下 に おく こ と とさ れ たが 、 熱 処 理、 最 終
般 に谷間 に建 てら れ て いた 。
下 の機 械 工 場 に装 備 す る こ と であ った。 部 品 を仕 上 げ る機 械 の大 部
組 立 およ び 仮組 立 の作業 は、 一般 に半ば 地 下 の格 納 庫 型 の建 物 の中
工場 は、地下 と半地下および地 上工場 の全体 の生産単位 を統合した 一例
( 原 注) 雄神にあ った三菱 の第 一一機体 工場 と松本にあ った第 一機体
で 行 なう よう 計画 され た。 機体 工場 の疎 開 の場合 には、 航 空 機 が発 進 す る 飛行 場 に つい て考 慮 す る 必要 が あ った。 こ の こと は、 多 く の場合 、 最終 組 立 は古 い格 納 庫 と か新 しく建 てた疎 開 地 の格 納庫 、 ま た は飛 行 場 にあ る 半地 下
一と二)
である。 これら工場は半 地下建物 でもあ った。 ( ﹁航空機部報告第 一﹂ の
験を 手 本 に し な か った と述 べ 、 彼 ら に でき た航 空爆 撃 を 回避 す る唯
日本 の航 空機 製 造 業者 は、航 空機 工 業 の疎 開 のさ い、 ドイ ツ の経
格 納 庫型 の建 物 の中 で行 な われ た こ とを 意 味 し た。発 動 機 工 場が 疎
で の他 の仮組 立 と とも に地下 で行 な われ た。
開 した 場 合 には、 機 械 に よ る仕 上げ と 一部 の仮 組 立 は、 半 地 下 工場
地 下 工 場 と半 地下 工場 は 一般 に接近 し て建 設 され たが 、 疎 開 し た
場 を 移す こと であ った と語 った 。彼 ら は疎 開 と地 下建 設 に関す るド
一つの方 法 は、 敵 の飛 行機 が 発 見 し爆 撃 す る こと の困難 な 場所 に工
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1
各航 空 機製 造 会 社 は、 自 発的 に地下 作 業 に適 す る 廃物 にな っ
政府 は疎開 工場 の適 地 を さが す 調 査 を行 な って いた。
一般 的 に述 べ れば 、 一九 四 五年初 め の状 況 は次 のと おり であ った。
残 存 し た紡 績 工場 の 一部 は、 航 空機 生 産 に転 換 す る命 令 を受
校 舎 は 部分 的 に閉鎖 さ れ 工場 と し て利 用 され た。
設 に つ いて財 政 的 に援 助 し 優先 的 に取扱 う た め、 疎 開 に 関す る最 高
疎 開 地 区 を割 当 て て疎 開 施 設 の混 雑 を防 止 し 、輸 送 と 食糧 および 建
設置 さ れ た。 こ の対策 本 部 は 、す で に行 な わ れ て い る疎開 を 促進 し、
一九 四 五年 三月 、 生産 と 防 衛 に関 す る中 央 の対 策 本 部が 軍 需省 に
た。
は、 県 監 理事 務 所 を し て現 地 に おけ る疎 開 を 監督 さ せる こと であ っ
政 府 の命 令 に よ る疎 開が 実 施 され る ことと な った。 そ の最 初 の処 置
れ た。 つま り、 緊 急 工場疎 開 法案 が 議 会 で採 択 され た ので、 初 め て
し か し、 一九 四五 年 二月 にな って、 初 め て決 然 とし た 処置 が とら
4
けた。
3
た ト ンネ ル、 不用 の鉱 山 そ の他 の場 所 を さが す 努力 を つづ け てい た。
イ ツの計 画 を いく ら か知 って いたが 、 日 本 の計 画が ド イ ツの計 画 に 似 た点 が あ ると す れば 、 そ れ は ド イ ツ方 式 の意 識的 な 適 用 と いう よ りも 、 む し ろ偶 然 に よ るも のであ り、 戦 局 の推 移が 両 国 に唯 一つ の 可能 性 あ る解 決 策 を と ら せた のであ ろ う と述 べた。 疎 開 計 画が 完 全 に実 施 され て いた 場合 の生 産 を判 断 す る こと はむ ず かし い。 日本 政 府 の計 画 に よれ ば 、 一九 四 五 年盛 夏 ま で に 一九 四 四年 半ば の最 高 水準 の約 半分 に生 産 を 回復 す る こと を 予想 し て いた。 当 時 の いろ いろ な 困難 を よく 承知 し て い た中 島 飛行 機 会社 な ど の人 人 のも っと現 実 的 な見 積 り で は、 全体 の経 済 情勢 が 一九 四四 年 の水 準 を 維 持 でき る と仮 定 し た場 合 、 生産 は 一九 四 五年 一 二 月までによ うや く 四〇 % 回復 す ると 考え た。 だが 今 日で は、 こう し た予 想 の数 字 でさ え 、ひ じ ょう に楽 観 的 なも ので あ ったよ う に思 わ れ る。 (詳 細 に つい て は ﹁航 空部 の地下 報 告 ﹂第 二〇 を参 照 )
疎開計画
の爆 撃機 によ る猛 烈 な 攻撃 を う け た (﹁ 航 空機 工業 に対 す る 空 襲 ﹂
七 二 の地下 工場 のう ち、 九 七 工場 は航 空 機 と発 動 機 お よび プ ロペ ラ
連 製 造 業者 に対 し て最 高 の優 先 順 位が あ た え られ た 。 計画 さ れた 一
最 初 の疎 開 計 画 に はす べ て の工業が 含 ま れ たが 、 航 空機 と そ の関
政 策 を 統制 し た。
を 参 照)。 驚 い た 日本側 は、 地 下 工場 の適 地 と疎 開 の可 能性 に つ い
( 主 要装 置 およ び建 設 部 の ﹁日本 の建 設 工業 に関 す る報 告 ﹂ を参 照 ) 。
を 生 産 し、 二三 工場 は航 空機 の装置 を 製 造 す る こ と と な って い た
一九 四 四年 の 一 一月 か ら 一 二 月 に かけ て 、多 数 の大 工場 はわれ わ れ
え、ま だ 日 本政 府 は不断 の生 産 を要 求 し て い たが、 航 空 機 製造 の数 会 社 は政 府 から の指令 を予 想 し て、 そ の当 時 、 地 下 工場 の積 極 的 な
成が 予 定 さ れ て いた 。
軍 需 省 の計 画 によれ ば 、 こ の最 初 の疎 開 計 画 は 一九 四 五年 五 月 に完
て 、さ っそ く本 気 にな って調 査 を はじ め た。 一九 四 四年 一 二 月 でさ
建 設を 開 始 し た。
第 一次 計 画 の完 了 に つづ い て行 な われ る第 二次 疎 開 計 画 は、 航 空
県 監 理事 務 所 と航 空 機 工業 のイ ニシ ア チブ に よ る多 く の地 下 工 場
機 工業 に影 響す る ことが 少 な か った。
の建 設が 、 一九 四 四年 宋 から 一九 四 五年 初 め に かけ て行 な わ れ たが 、
で あ る。 三菱 、中 島 の両社 と 、 両社 より 小 さな 諸 会 社 に よれば 、疎
統 合 し た計 画 は 一九四 五年 初 めま で軍 需 省 から 示 さ れ な か った よ う
軍 需 省 の最初 の計 画 で は、 九 九 三 の工 場 を疎 開 さ せ る こと に な っ
開 に関す る政 府命 令 を 受け た期 日 は 一九 四 五年 四 月 四 日 であ った。
て いた。 そ のう ち 六七 四 は、航 空機 工業 に関す る も の であ った (五 六 五 は航 空 機発 動 機 を、 一〇 九 は航 空 機 の装 置 を そ れ ぞ れ 製 造 す る)。 六七 四 の疎 開 場所 のう ち、 一 二 〇 は地 下 にす る よう に な って い た (九 七 は航 空 機 と発 動 機 を、 二三 は航 空 機 の装 置 を そ れぞ れ 製 造 す る)。 軍 需 省が 示 し た計 画 の ほか、 県 監 理事 務 所 は そ れぞ れ の県内 に お
地 下 工場 の建 設
一部 の地 下 工場 の建 設 は 一九 四四 年 の 一 一月 から 一二月 に かけ て
月ま で は じ まら な か った。
開 始 さ れ たが 、 大規 模 な建 設 は 一九 四 五年 の 一、 二、 三月 およ び 四
航 空機 工場 の建設 作 業 の 一部 は、 陸 海軍 の建 設部 隊 によ って 行な
われ た 。そ の残 り の作 業 は、製 造 業 者 ま た は政 府が 雇 った民 間 契約
地 下航 空 機 工 場計 画 によ る建 設 工 業 の使 用 状 況 に つ いて は、 米国
者 によ って実 施 さ れ た。
日本 経 済 全体 の疎 開 工場 五、 八 二二 のう ち、 政 府と 県 監 理事 務 所
よ って 知 る こと が でき よう 。
戦 略 爆 撃調 査 団 の主要 装 置 お よび 建 設 部 の中 間 報告 の次 の引 用文 に
け る特 定 の疎 開 を指 示 し た。
の指 令 によ って疎 開 す る こと と な った 工 場 の総 計 は、 機 体 と発 動 機
地下 建 設 に含 まれ た労 働力 の 六八% は航 空機 と航 空機 部 品 工 場 の
か った。 主 な建 設 努 力 は航 空 機 と航 空 機 部 品 の工 業 に指 向 さ れ、
計 画 で要 求 さ れ た全 労 働力 の三 二% を 地 下作 業 にあ てねば なら な
示 され たす べ て の疎 開 工 場 の 一七% だ け が地 下 にな って いたが 、
地 下 計 画 は、 建 設 労 働力 に最 大 の負 担 を かけ た 。最 初 の計 画 に
を製 造 す る 工場が 一、九 七 七、 航 空 機 の装 置 を製 造 す る工 場が 三五
機 体 と 発 動機 工場 のみ (航 空機 装 置 の工場 を含 まず ) の疎 開 は、
六 であ った 。
次 のと お り であ った。 付 表第 2 の8と 9︹略︺は 、軍 需 省 の資 料 によ る疎 開 す る こと と な って いた 工 場と 、疎 開 工場 の完 成 の程度 を 示す 。
建 設 作 業 にあ てら れ た。 ( 付 表 第 2 の10 を 参照 )
地 下工 場 建 設 の計 画 と実 際 付 表第 2の 8
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完 成 面 積 は生 産性 の あ る面 積 で は な く,地 下 の穴 の 面 積 を示 す 。
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特 定 の デ ー タが 入手 で き なか った。
建 設 の当 初 か ら、 多く の要 因 のた め に計画 の
実 現が 妨 げ られ た。 最大 の隘 路 は輸 送 で あ り、
三菱 と川 崎 の両 会 社 は これ を 主 な支 障 の要 因 と
にと み山 の多 い地 域 であ り 、 こう した 場所 には
み な し て いる。 地 下 工場 の場所 の大 部分 は 丘陵
一般 に鉄 道 の便 が な か った 。 ま た、 これ ら の場
所 に通 じ る 道路 は 一般 に狭 く 、殆 んど整 備 され,
て いな い田舎 道 であ り、 しば しば 一車 輌 、時 に
は ジ ープ が かろう じ て通 れ るにす ぎ な か った。
って い る のは、 ひじ ょう に少 な か った。 こう し
既 設 の鉄 道 が地 下 工場 の〇 ・五 マイ ル以 内を 通
た 種 類 の顕 藩 な 工場 は、 本 州 の 北 西 岸 の 小 松
(福井 県 ) に 近 い遊 泉 寺 の中 島 工 場 であ る。 こ
の工 場 は、 ハイ ウ ェー から き わ め て便 利 な 場所
にあ った。 これ と ま ったく 反 対 の環 境 にあ った
のは、 金 沢 の南 方 の額谷 の 三菱 工 場 であ る。 こ
の工 場 は最 寄 り の ハイ ウ ェーか ら 七 マイ ル離 れ
た 丘 の中 の標高 七五 〇 フ ィー ト の場所 に建 設さ
れ た 。 工場 に物 資 を 運 ぶ た め、 まず 最 初 に新 し
った。 さ ら に冬期 は雪 のた め に、 一年 に 四カ月
い山 道 と数 カ所 に橋 を建 設 しな け れば な ら な か
間 は、 こ の地方 の山道 は通 れ な いだ ろ う。
工 場 は 不適 当 な 場所 に穴 を掘 った た め に、支 柱 の所 要 量 は予 想 外 に
(数字 は マン ・デ ーズ で示 す)
軍 需 省 の指 令 し た疎 開 作 業 に おけ る労 働力 の雇 用状 況 (一九 四 五 ・三 ・ 一二︱ 八 ・ 一五 )
地下 工場 に対す る 物資 補 給 の主 な手 段 は ド ラ ックであ った。 し か
の困難 に悩 ま さ れた 。
多 く な り、 地 す べり が 生 じ たり 、 ト ンネ ル内 の過 度 の水 と湿 気 な ど
付表 第 2 の10
し 一般 に牛 車 が使 用 さ れ た。 前 述 し た額 谷 で は、 工作 機械 は木 の ロ
最 初 、 われ わ れ は こ の計 画 を 一九 四 五年 五 月ま で に完成 でき る
最 善 を つく し た。
場と し て設 計 さ れ て い た ので 、わ れ わ れ は適 当な 地 勢図 の入 手 に
月 であ った 。 こ の計 画 の当 初 、殆 んど す べ て の疎 開 工 場 は地 下 工
わ れ わ れ の疎 開 計 画が 初 め て作 成 さ れ た のは、 一九 四 四年 一二
のよ う に適 切 に 要約 さ れ て い る。
航 空機 会 社 を悩 ま し た 困難 は、 日本 飛 行機 会 社 の報 告 の中 で、 次
ー ラ ー の上 にの せ、 人力 で押 し 上げ 苦 労 し て丘 を 越 え て運 ば れ た 。 輸 送力 の不 足 は、 工場 から 疎 開 地 への工 作機 械 と 装 置 の移 動 に、 工 場 と疎 開 地 の間 の作業 員 の往 復 に、生 産建 設 資 材 の運 搬 に、 疎 開 地 で 生産 が はじ ま った後 の最 終 生 産 品 の引 渡 し に支 障 を 来 した 。 と のほ か馬 計 画 の実 現 に大き な 支障 を も た ら し た不 足 に は、 次 の も のが含 まれ て いた。 重 量物 を 地上 で移 動 す る装 置
と予 想 し て いた 。 し か し、 度 々の空襲 と、 物資 と 労 働力 お よ び食
ダ イ ナ マイ ト セ メ ント
糧 の入 手 と輸 送 の困難 のた め に、 建 設 は遅 々と し ては かど ら な か
った 。 わ れ われ の地 下 工場 を建 設 す る 企 ては 失敗 し た 。
終 戦 時 に おけ る 地下 工場 の完 成 の割 合 は、約 四割 から 八割 であ
った。
木材 ( 実 際 に現 地 で 木材 に不 足 し た原 因 の 一つは 輸送 の隘 路 で あ った) 経験 のあ る 地質 学 者 と 鉱山 技 術 者 経 験 のあ る地質 学 者 の不足 は、 多数 の 工場が 同 時 に 地 下 に疎 開 を はじ めた時 に見 られ た。適 当 な 地 質 学老 が 少な か った ので、 一部 の
航 空 機製 造 会 社 の報 告 によ って、 一〇 〇 の地 下航 空 機 工場 に つい て説 明 す る こと が でき る。 計画 さ れ た床 面 積 の合計 は 一二 五 四万 三 〇 〇 平方 フィ ート であ り 、 そ のう ち 七 二 二万 九 五〇 〇 平方 フ ィー ト、 す な わ ち、 計 画 の五 八% が完 成 した 。 (付 表第 2 の8 を参 照 )
地 下 工楊 の穴掘 り完 成 状 況
完 成 の各 種 段階 にあ った 工場 の数 と割 合 は、 付 表第 2 の11 に示 さ れ て いる。
付表 第 2 の11
建 設 費 に ついて は、 富 士 飛行 機 会 社 の平 工場 と大 船 工 場 から 入 手
こ の両 者 と も 、新 し く掘 った ト ンネ ル工場 であ る。
地 下 工 場用 地 の種類
日本 の切 り立 った 地形 と 、 丘 およ び山 嶽 の岩 層 は 、地 下 工 場 の建
地 下 工 場用 地 の六 つの種 類 を示 せば 、 付表 第 2 の12 のと お り であ
設 に ひじ ょう に適 し て いた。
平 工場 で計 画 され た三 六、 〇 〇 〇 平方 フ ィー ト のう ち、 一八、 〇
フィ ー ト のト ンネ ルを、 丘 の 一方 か ら他 方 に掘 り抜 く こ と ので き る
新 し く 掘 った ト ンネ ルの 一般 的 な も のは、 長 さ 六〇 〇︱ 一二〇 〇
る。
〇 〇 平方 フ ィー ト の 一九 四 五年 八 月 一五 日 ま で の建 設費 は 二三〇 万
丘 の斜 面 また は突 出部 にあ った。 丘 の急 な 斜 面が ト ンネ ル入 口を数
地 下 工場 用地 の種 類
円 で あ った 。 大船 工場 で は、 計 画 さ れた 二三、 六〇 〇平 方 フ ィー ト
フィ ート にわ た って 防護 した 。
フ ィー トだ け 遮 蔽 し た にすぎ な か ったが 、実 際 の ト ンネ ル網 を数 百
付 表 第 2 の 12
のう ち 一八、 九〇 〇 平方 フ ィー トが 完 成 し 、そ の建 設費 は 一、 五 一
でき たにす ぎ な い。 両 工 場 は、 機 体 の部 品 を製 造 した 。
三 、〇 〇〇 円 であ った。
計 画 面積 が 三 八万 九〇 〇 〇 平方 フ ィー ト の発動 機 工場 を 持 って いた。
完 成 し た面 積 は 、 それ ぞ れ 三 三万 三〇〇 〇 平方 フ ィー トと 二 八万 九
ト ンネ ルを掘 った岩 層 の最 も 一般 的な も のは凝 灰 岩 であ った。 凝 灰 岩 は、 密 度 の高 い火 山 土 と火 山 灰 か らで き て おり 、 一般 に層 を な
〇 〇 〇 平方 フィ ート であ った 。
産 出 し 、東 京、 大 阪 、名 古 屋、 京都 な ど の近代 建 築 に多 く 使用 さ れ
模 が 大 きく な か った。 こ こ の採 石場 は笏 谷 石 ︹ 大谷石︺と いう石 材 を
本 州 北 西部 の採 石 場 は大 谷 と 同様 のも のであ ったが 、 大 谷 ほど 規
して いる軽 い灰 色 の岩 であ る 。
中 島 飛行 機 大 宮 工場 の吉 松 工 場、 愛 知 航空 機 の瀬戸 工場 お よ び第 一
こ の種 の最 も進 歩 し た 工 場 は、 三 菱 重 工業 第 四 工場 の久 々利 工場 、
海 軍 航 空廠 の横 須賀 工場 で あ った。 川 崎航 空 機 工業 の瑞浪 工 場 はま
て有 名 であ った。
の中 の レ ー ルを取 除 き し だ い、 い つでも 工作 機械 と装 置 を 配 置す る
た。 こ こ には、 よく 補 強 され た 完 成 し た ト ンネ ルが あ り、 ト ンネ ル
放 棄 さ れ た鉄 道 と 電車 の ト ンネ ルは、 第 三 の地 下 工場 用 地 であ っ
だ 完 全 に完 成 し て いな か ったが 、 完 成 し たら 六 四万 二千 平方 フィ ー
前 述 し た種 類 の工 場 は、 地 下 工場 計 画 の中 で最も 重要 な 部 分 を占
ことが でき た。 大 体 にお い て、 これ ら ト ンネ ルは 一組 にな って お り、
トと な り、 地 下 工 場 の中 で 二番 目 に大 き いも のと な る はず だ った。
め て いた 。 これ ら は 全体 の計 画 の約 七 割 にあ たり、 完 成 した 地 下 工
三 〇 〇 フィ ート、 他 の 二 つは 三、 〇 〇 〇 フィ ート であ った。
場 の持宗 工場 は 四 つの ト ンネ ル内 に設 けら れ 、そ の二 つは長 さが 三、
一般 に ト ンネ ルは相 当 に長 か った。 た とえば 、 三 菱 第 六発 動機 工
た。
そ の広さ は 一つの ト ンネ ルに 工具 を 二 列 に配置 す る のに十 分 であ っ
場面 積 の約 六 三% を 占 めた 。 放 棄 さ れ た採 石 場 ま た は鉱 山 は、 面 積 の点 の重 要 度 で は第 二位 で あ ったが 、 ほ か の地 下 工 場 にく ら べ て はる か に立 派 な も の であ り、 日本 の地 下 工 場 の中 で 最も 進 歩 し たも のが含 まれ て いた。 こ の種 の七 工 場 は二 つの地 区 に集中 して いた。 そ のう ち の五 工 場 は本 州 北 西 部 の金 沢 と 鯖江 の間 に、他 の 二工 場 は東 京 の北方 約 六〇
のう ち で最 も 北 に位 置 して お り、 直 接 攻 撃 に対 し て殆 ん ど 不死 身 で
中 島飛 行 機 会社 = 宮 工場 の生 保 内 鉄道 ト ンネ ル工場 は、 地 下 工 場
大谷 と城 山 お よび 宇 都 宮 の ほら 穴 は、 長 い間、 神 社 と仏 閣 そ の他
の秋 田 の県 境 の山岳 の中 部 の山 の背 の間 の深 い谷 間 にあ った。 ここ
あ ると考 えら れ て い た。 こ のト ン ネ ル工 場 は、 岩手 県 と 秋 田県 の間
マイ ル の宇 都 宮 の近 く にあ った。
の建 物 に使 用 さ れ た建 築 用 石材 の供給 源 で あ った。 日 本 人 は露 天 の
は い つも 雲 に おお われ て いた ので、 こ の工 場 は安 全 であ る と感 じ ら
採 石 場 の代 り に丘 の側 面 に ト ンネ ルを掘 り 、 大き な 地 下 室 を こし ら え た。 こ の地 下室 は、 高 さが 四〇 ︱ 八〇 フ ィー ト、 長 さが 一〇 〇 ︱
つ ( 大 谷 、清 滝 、 持 宗) が 実 際 に生産 に移 って いた こと と、 計 画 さ
これ ら 工 場 の準 備が 比 較 的 に容 易 であ った こと は、 五 つのう ち三
れ た の であ る。
日 本 に おけ る 最大 の地 下 工 場 は、 大 谷と 城 山 にあ った 。中 島 は城
二〇 〇 フ ィー ト に達 す るも のが あ った。
山 に 計 画面 積 が 六 四万 九 七〇 〇 平 方 フィ ート の機 体 工場 と 、 大谷 に
付表第 8の 9 疎開工場 の数 と完成 の割合 1 軍 需 省 が 指 令 し た 工 場
2 県 監 理 事 務 所 が 指 令 した 工 場
資料 の出所:米 国戦略爆撃調査団主要装置 および建 設部
る のに役 立 った。 こ の工 場も 完 全 な 地下 工場 で はな い 一例 であ る。
ラか ら かく さ れ た 七 二台 の工作 機 械 を配 置 す る小 さ な機 械 工場 にす
た。 一万平 方 フ ィー ト以 上 の壁 で周 囲 を か こみ、 航 空 偵察 用 のカ メ
地 下 工場 用 地 とし て の採砂 場 は、名 古 屋 の南 西方 にあ た る津 市 の
も しも 発 見 さ れ たな らば 航 空 攻 撃 に対 し て脆弱 で あ った であ ろう し 、
れ た床 面積 の九 八% が 完 成 し た こと からう かが え る。
った ト ンネ ルを 大 き く し て 工場 が設 け ら れ た。 そ こ には、 津 海 軍 工
南 西 の低 い丘 に限 ら れ て い た。 ここ に、 金 剛 砂 をと る た め に穴 を掘
さ れ て いた であ ろう 。
少 な く とも 二 つ の場合 、 三 菱 は分 散 し た地 下 工 場と し て水 力 発 電
鉄 道 線 路 に対す る組 織的 な 爆 撃が 行 なわ れ た場 合 に は おそ らく 破 壊
所 の給 水用 ト ンネ ル の使 用 を考 え て いた。 し か し、 こ の計 画 は交 渉
廠 と 関連 し て作 業 し た 三菱 、 住 友、 愛 知 の三社 が 使 用 し た 一五 の別
採 砂 場 は様 式 の点 で は穴 を掘 った ト ンネ ルに よく似 て いる が、 有
段 階 を 出 な か った ので調 査 し な か った 。
別 の地 区 が あ った。
用 度 の点 で は採 石 場 に遠 く 及ば な か った 。採 砂 場 は 規模 が 小 さく 、
に大 量 の作業 が 必 要 であ った。
東 京、 横 浜、 横 須 賀 のす ぐ近 く の四方 の丘。
った。
日本 の航 空機 工業が 地下 に疎 開 し た主 な 地域 は、 次 のと お りであ
れ な か った 。
に地 下 工場 を建 設 し た。 わ か って い る限 り で は、北 海 道 には建 設 さ
穴 を掘 る ことが でき た 。 た し かに 日本 は、 本州 を は じ め四 国 と九 州
日 本 の地 勢 から 見 れ ば、 国 内 の殆 んど あ ら ゆ る地 域 で地 下 工場 の
工場 の地 理 的位 置
同 じ平 面 で はな く し て別 々 の水準 であ る の で、 生 産 の準 備 を す る前
しか し、 採 砂 場 工場 の設置 に急 いで着 手 さ れ 、す べ て の工 場 は、 一 九 四 五年 夏 の半ば ま で に生 産 状 態 と な り、 計 画 され た 三 六万 九〇
デ パ ー ト の地階 は、厳 密 な 意 味 で は地 下 工 場 と は言 え な いが 、 こ
〇 〇 平方 フ ィ ート の九 一%が 完 成 し た。
二 つは大 阪 、 一つは 京都
れ ら は分 散 し て おり、 そめ 上 部 が 十分 に保護 され て いる の で、 こ こ
に つ いて調 査 し た。
で述 べる ことと した。 こめ 種 の三 工場︱ ︱
は 、 これ ら 大 き な近 代建 築 物 であ るデ パ ート の地
東 京 の北 西 方 と北 方 一〇 〇 マイ ルま で の丘 と採 石 場。
航 空 機製 造 会 社
鯖 江 から 富 山 にい たる 本 州北 西 岸 に そ った 丘と 採 石場 。
本 州 の南 岸 に そ って散 在 す る 諸点 。
九 州 の熊 本 と福 岡 の周 辺 の丘 。
名 古屋 の南 方 にあ る津 市 の採 砂 場 。
名 古屋 の北 東方 一〇 マイ ルから 二〇 マイ ルの丘 。
惜 の 一、 二 およ び 三階 を 使 用 し、 最 も 重 い 工作 機 械 は 三階 に、 軽 い
鋤 力、 照 明 、衛 生 施 設 が あ 軌、 輸送 が 比 較 的 に容易 であ った ので、
工具 は 一階 と 二階 に配 置 した。
デ パー ト工 場 は 一九 四 五 年 五、 六月 に生 産 を は じ め る ことが でき た。 鉄 道 の陸 橋 を機 械 工 場 に使 用 し た唯 一つの事例 は、 京 都 に近 い三 菱 第 八 工場 の桂 工場 で あ る。 陸 橋 を さ さえ た 台架 に泥 壁 を こ しち え
付 表 第 2の13地
下
工
場
の
概
要
つい て は詳 し く 知 る ことが でき た。 そ の計 画 は次 のと おり で あ った 。
計 画 され た 地 下 工場 生産 の 一部 のう ち、中 島 工 場 の発 動機 部 門 に
(1) 調 査 と会 社 報 告 な ど に よ る見 積 り。 (2) 米 国戦 略爆 撃 調 査 団航 空 機 部 員 が 視 察 し, ま たは , そ の地 区調 査 中 に 管理 者 と職 員 に イ ンタ ビ ュー した工 場 。
東 経 一三九 度線 は、 中 島 と三 菱 の両社 の大体 の境 界 線 と な った 。
日本 が 一九 四 五年 八月 に降 伏 し て いな か った場 合 、 こ の地 下 工 場
月 の 一、 二七 五 に 匹敵 す る。
達 成 し た発 動機 の最高 月産 一、九 一四と 、 それ に次 ぐ 一九 四 四年 八
計 画 さ れ た発 動 機 の月産 一、 七〇 〇 は、中 島 が 一九 四四 年 三月 に
付表第 2の14 中島地下発動機工場の計画
中 島 の地 下 工場 の二 つだ け が こ の線 の西方 にあ り、 一方 、 三菱 の 一 つの地 下 工 場が こ の線 の東 方 に位 置 した 。 石 川 島 と 日本 飛行 機 の両 社 の地 下 工 場 は、横 浜 のす ぐ 西方 の丘 に
の地 下 工 場 は、 名 古屋 の北 東 と、 大 阪 と神 戸 の間 にあ った。 他 の航
集 中 し た 。 川西 は神 戸 の北 方 と北 西 方 に地下 工 場 を建 設 し た。 川 崎
付 図 第 2の 18 は、既 知 の地 下航 空機 工 場 の全 部 の位 置 を 示 す。 写
空機 会 社 の地下 工場 は 日本 全 土 に散 在 し た。
よび 建 設 の種 類 を 示す 。
真 第 一から第 二九 ︹ 略︺ま で は、 一部 の地 下 工場 の入 口、 機 械 工 場お
生 産計画 入手 し た資 料 に よ って は、 地 下 工場 で計 画 され た 全体 の生 産 に つ い て述 べ る こと が でき な い。 し か し、 一部 の工場 のデ ー タ は、地 下 航 空機 工場 の要 約 に示 し て ある。( 付 表 第 2 の13を参 照)
が たど って いた であ ろ う経 過 を 正 確 に 予言 す る こと はでき な い。 中 島 飛行 機 会 社 は 、そ の報告 の中 で 、 一九 四 五 年 一二月 は、 す べ て の 工作機 械 を 地 下 に配 置 し て全 力 を あげ て作 業 し て い た月 と考 え ら れ る、 と述 べ て いる。 計 画 に ついて の観 察 と 、 一九 四五 年 八月 一五 日 前 の六 カ月 の作 業 に関 す る分 析 から 、す べ て の工 場 はお そ らく 生産 を開 始 し て いた であ ろうが 、 一〇 〇% の操 業 は 一九 四五年 末 ま で に おそ ら く達 成 さ れ て は いな か ったと 思 わ れ る。
地 下 航 空 機 工 場 の生 産 一九 四 五年 八月 一五 日ま で に、 三 二 の地 下 工場 は操 業 を は じ め、 他 の六 工 場が 生 産 には いる のは時 間 の問題 であ った。 これ ら の 工場
会 社別 操 業 中 の地 下 工 場
を航 空 機 会 社 別 に示 せ ば、 次 のと お りで あ る 。
付 表 第 2 の15
こう し て、 一〇 〇 の既 知 工場 のう ち、 三 二% が 操業 し、 六% が ま
さ に操業 を はじ め よう と し て い た。
生産 品 の種類 別 によ る 、操 業 中 と操 業 準 備中 の地 下 工場 は次 のと おり であ った 。
付表第 2の16 生産品別操業中の地下工場
生 産 高 か ら見 れ ば、 地 下 工 場 の操 業 の成果 は印 象 に残 る よう な も
ので はな い。地 下 工場 で生 産 さ れ た のは 、総 計 で約 二九 の発 動 機 、
四 の完 全 な翼 の組 立 、 四 の完 全 な胴 体 の組 立、 数 千 の機 体 と発 動 機
宇 都 宮 に近 い中 島 飛行 機 会 社 の大谷 工 場 と城 山 工 場 は、生 産 の面
の部品 にすぎ な い。
で は最 も はか ど って い た。
大谷 発 動 機 工場 の生 産 記録 は次 のと おり で あ る。
大 谷 工場 は 一九 四 五 年 五月 、 発 動機 部 品 の生 産 で 操業 を はじ め た。 城 山 工場 も 同じ く 五 月 に操 業 を開 始 し 、終 戦 時 ま で に多 数 の機 体 の部 品 ( 疾風 ︹ 戦闘機、 キ八四︺ の) を生 産 し たが 、 完全 な翼 と 胴 体 の組 立 はそ れ ぞ れ 四機 にすぎ な か った。
工場 別 操 業中 の地 下 工 場
操 業 中 の地 下 工場 のリ スト と、 生 産 に ついて 入手 でき た資 料 は、 次 のと お り であ る 。 付 表第 2 の17 生 産 品 と 数 量、記 事
中
三
島
島
島
菱
一九四五・五
一九四五・五
一九四五・六
一九四五・五
新 発動 機 一 一を生 産
機 体 の部 品。各 四の完 全 な翼 と 胴体 の組 立を 完 了。
機 体 の部 品
排 気 弁。 計 画 の生 産月 額 は 二 万 であ った。
横 須賀
相 越
武
佐 貫
愛
知
知
石 川島
石川 島
石川 島
石川 島
一九四五・七
一九四五・七
一九四五・七
一九四五・七
一九四五・七
一 九四五・七
発 動機 七 を 生産
翼 の部 品
発動 機 の部品
発動 機 の部品
発動 機 の部 品
発動 機 の部 品
クラ ン クシ ャ フト、 カウ ン ターバ ラン スな ど を生 産
中
愛
立
立
同右
機 体 と最 終 組 立
発動機
プ ロペ ラ の 部 品
胴体
プ ロペ ラの部 品
プ ロペ ラ の 部 品
機体 の部 品
発動 機 の部 品
一九四五・七
一 九四五・八
一九四五・六
一九四五・五
一九四四・一〇
実験 装 置、 ジ ェット 発動 機 な ど、 正 確 な数 量 は不詳
戸
日
日 田
横
日本 が 空 襲 から保 護 し た か った ひじ ょう に価 値 のあ る工作 機 械 の
工作 機 械 の状 況
三 菱 よ り かな り 大き か った。
工 場 の床 面 積 、稼 動 中 の工作 機 械 の数 、 実際 の生 産高 では 、中 島 が
三菱 は中 島 よ りも 多数 の操 業 中 の地 下 工 場 を持 って いたが 、 地 下
大 網
一九四五・五
瀬 津
横須賀 海軍空廠 第 一広 海 軍 空 廠
操 業 開 始期 日
第 二広 海 軍 空 廠
会 社名 菱
工 場名 三 菱
菱
早 海軍空廠
居 三
三
諌
久
る
め
伝 導 装置 、 シリ ンダ ー、 そ の 他 の発 動 機 部 品
つ
菱
火 星 二五型 発 動 機 の各 種 マ ス タ ー ロ ッド
一九四五・六・一一
菱
中
島
三 三
清 滝
中
発 動機 一〇 を 生産
十 合 松坂屋
が
持 宗 桂
三六種 類 の伝 導装 置
菱
遊泉寺
中
一九四五・六
二 〇〇 ︱ 四 〇〇 の マスタ ー ロ ッド 、 シ リ ン ダ ー ヘ ッ ド 、
発動機部 品
山
中 島
一九四五・六
一九四五・五
三 菱
吉 浦 海軍空廠 切 串 海軍空廠 岩 国 海軍空廠 半 田 住 友 住 友 住 友
三
城 谷 島
島
谷 丸
大 福 川
中
大 大
浅
松
発 動機 の部 品
吉
たる 各 穏の 段 階 で 地下 工場 に配置 さ れ て い た。 こ のほ か、 一、 四〇
う ち 、資 料 が 入 手 でき た 九 、 六九 八台 は、 テ スト から 全 力 生産 に い
地 区と し て使 用 さ れ た 。
交 通 ト ンネ ル、 通 路、 倉 庫 お よび 発 電所 とし て、あ る場 合 に は生産
これ ら のト ンネ ルが 主な 生 産 地区 で あ った。 一組 の横 トンネ ルが、
工作 機 械 は、 ト ンネ ルの大き さ、 設計 およ び 使用 に応 じ て、 主 ト
〇 台 の工作 機 械 が地 下 工 場 にあ った と見 積 ら れ て い る。 こ の見 積 り
ンネ ル の壁 にそ って 一列 また は 二列 に配 置さ れ た。 資 林 の流 れ は、
は、 工 作機 械 の数 を報 告 し な か った 工場 の完 成 床 面積 、 ま た は従 業 員 数 を基 礎 と して算 出 し た 。 つま り 、 合計 約 一万 一千 台 の工作 機 械
一方 から 他方 へ、 中 央 か ら両 端 へ、 あ る い は両 端 か ら中 央 へと 直線
ロー ラー式 コンベ アが 、 機械 の列 に そ って設備 され て いた工 場も あ
あ る 工場 で は、 資 材 を運 搬 す る た め狭 い軌 道 が 設 けら れ て い た。
的 な も のであ った。
保 官 され て いる のが 見 られ た。 これ ら は地 下 工場 用 地 の完 成 を待 っ
った 。 し か し終 戦時 に は、最 も 多 数 の 工場 は 運搬 手 段 とし て 手 押し
地 下 工 場 に近 い校 舎、 寺 院 、倉 庫そ の他建 物 に多 数 の工作機 械 が
が 地 下 工 場 に据 え付 け ら れ て いた 。
て いた の であ る。 おそ ら く数 千 の工作 機 械 が 、 こう し た建 物 内 に格
採 石 場 に建 設 さ れ た 工場 の設計 は、利 用 でき た面 積 が普 通 のト ン
車 を使 用 し て いた。
納 さ れ て い たと 思 わ れ る。 地 下 工場 の工 作機 械 の大 部分 は米 国製 であ った。 数 工場 で はそ の 全 部 が米 国 製 だ ったが 、 一般 に 八割 が普 通 であ った。
報 告 さ れ た地 下 工 場従 業 員 の総 計 は 二三、 四〇 〇人 であ った。 こ
産地 区 が あ り、 そ の他 は むき 出 し にな った広 い場 所 にあ った。 ト ン
な った三 つ の平面 に建 設さ れ た 。 こ こで は、 ト ンネ ル内 に 一部 の生
であ った 。 たと え ば、 最 大 の地 下 工場 であ る中 島 の大 谷 工場 は、異
ト ンネ ル の特 微 は、 大き さ と 形が 一様 で はな く 同 じ平 面 にな いこ と
ネ ルと 違 って いた ので、 前 述 し た設 計 と は異 な って いた。 採 石 場 の
のほ か約 一五、 〇 〇 〇 人が 、 従 業 員数 を 報告 しな か った地 下 工 場 で
従 業 員 の状 況
一九 四五 年 八月 ま で に地 下 工場 で 作業 し てい た こと は確 実 であ る と
働 いて いた と見 積 られ る。 す な わ ち、 三 万 五千 から 四万 の労働 者が 、
ートも あ る 大き な地 下 室が あ り、天 井 ま で の高 さ は 一 二フ ィー トか
ネ ルは小 さ いも のも あ ったが 、 縦が 五 〇〇 フ ィー ト横 が 三〇 〇 フ ィ
い。
石 場 の工場 が よく設 計 され能 率 的 で あ った と し ても 驚 く にあ た らな
だ から 、 普 通 の ト ンネ ル内 に建 設 され た 地 下 工場 にくら べ て、 採
ら 八〇 フィ ー トであ った。
思 われ る 。
地 下 工場 の設 計 最 も広 く 行 な わ れた 地 下 工場 設 計 の種 類 は、 土 地 に新 しく 穴 を 掘
一般 に平行 し た 一組 の ト ンネ ルを、 丘 の 一方 から他 方 まで掘 った 。
る 格子 方 式 のも の であ った。
工 場作 業 の問題 点
た し か に、 航 空写 真 判読 者 や 爆 撃機 の爆 撃員 に対 し て 工場 の所在
一部 の 工場 は、 穴を 掘 った 土や 新 し い道 路 の建 設 な ど に よ って 工場
を か くす こと は、 工場 を 爆 撃さ れ な い た め の最 上 の方 策 であ った。
の位置 を 暴 露 し た。 し か し、 工 事 が完 成 した とき の外 観 は、爆 撃 員
地 下 工場 の能 率水 準 は、 一般 に ひじ ょう に低 か った 。 例外 的 な 工
に よ る地 下 工 場 の発 見 を 困難 にし た と思 わ れ る。 多 く の 工場 で は、
場 は別 と し て、 作業 台 と 工作 機械 は 一列 に 並 べら れ 、 し かも 通路 は
は殆 んど 実行 でき な か った。
こ う し た状 況 であ った ので、 終 戦時 に は、地 下 工場 の位 置 を 示す
は樹 木が う え ら れ る こと にな って いた。
し て使 用 さ れ た パ イ ロ ット ・ト ンネ ルは、 搬 入後 は閉 鎖 し、 そ こ に
当 に離 す よう に計 画 さ れ て いた 。 工作 機 械 を 地下 に運 び こむ 入 口と
穴 を掘 った 地 区 に は 一般 に 三 つ の入 口が あ り、 入 口は 主 工場 か ら相
狭 か った ので、 資 材 の取 扱 いが 思 う よ う にな ら ず 、適 切 な 作 業計 画
多 く の問題 点 のた め に、 所期 の生 産 を達 成 しよ う と す る管 理 に支
地 下 の し め っぽ い空 気 のた め に、精 密 工作機 械 、そ の他 の工
障 を来 し た。 こう し た問 題 点 には次 のよ う な こと が あ った。 1
湿 度 の大 き い空気 と 、 し め った床 のた め に、 従 業員 から 多数
も のが おそ ら く 十分 に残 って いた と 思 われ る 。 し かし 、樹 木 にお お
2
具、 機 械 で仕 上 げ た 部 贔が ひど く腐 食 した 。
わ れ た険 し い地 形 の中 で 、 人里 離 れ た 目標 を さが し 出す こと は、 爆
従 業 員 の士気 は、地 下 工場 に移 った 当 初 は 一般 に高く な か っ
フ ィー ト に い たる 土 の層 の掩護 物 下 で 行 なわ れ た。
爆 弾 から 保 護 す る た め、 地下 の作業 は厚 さが 数 フ ィー トか ら数 百
こと と考 えら れ る 。
た で あ ろう 。 工 場が 完 成 し た場 合 には、 そ れ は さら に 困難 で あ った
撃 員 にも 急 降 下爆 撃 機 にと っても 、 お そら く容 易 な こ と では な か っ
の病 人 が 出 た。 会 社 は暖 房 と 通 風装 置 を 取 り つけ る 計 画 であ ったが 、
輸 送 力が 極 度 に不足 した ので、 工作 機 械と 材 料 の地下 工場 へ
終 戦時 ま で には実 現 し な か った。 3
4
の運 搬、 従 業 員 の 工場 と の往 復 に支 障 を来 し た。
たが 、大 き な 安 全感 が いだ かれ た 大谷 工場 や 城 山 工場 な ど で は改 善 さ れ た 。だ が 、 そ の他 の工場 で は、気 味 悪 く 感 じ られ た 薄暗 い燈 火、
三島工場
半田工場
久 々利 工場
大谷工場
五〇 ︱ 一四 〇 フィ ー ト。
一五︱ 二〇 フィ ー ト。
二 六︱ 八〇 フィ ー ト。
主 ト ンネ ル上 が 六〇 ︱ 一八〇 フ ィー ト。
一八〇 フ ィー ト以 上 。
地 下 工場 の ト ンネ ル の上 の掩 護 体 の厚 さ は、次 のと お りで あ った。
鯖江工場
一六︱ 一 三〇 フ ィ ー ト。
し め っぽ い空 気 、 ト ンネ ルが く ず れ落 ち はし な い か と いう 心 配 のた
地 下 工場 に対 す る普 通 の高 性能 爆薬 爆弾 の直 轄 に つい て の記録 が
浅川工場
め に、 士 気 は さら に低下 した 。
な い。 したが って、 こ の報 告 で は、 地 下 工場 は所 在 の隠 匿 と 地下 に
爆 撃 に対 す る脆 弱 性
も ぐ ったた め に保 護 さ れ た、 と いう 以 外 に述 べ る ことが でき な い。
額谷 工場
籔 塚 工場
最 大 一三二
最 大 一五五 フ ィー ト。
最 大 一四〇 フ ィー ト。
フ ィー ト。
瀬戸 工場 地 下 工場 が 建 設 され た 丘 と ト ンネ ルの断 面 の 一例 は、付 図 第 2 の 19 に示 し てあ る。 疎 開 し た地 下 工 場 の生 存 は輸 送 を 頼 み にし て いた の で、輸 送 に対
爆 風 除 け 壁が 入 口 に吹 き 飛 ば され た以外 は、 ト ンネ ルに はな ん ら
損 害 が な く 、木 材 で補 強 し てい な い ト ンネ ルで さ え、 そう であ っ
爆 弾 が 地 上 で爆 発 し た場 合 の結 果 は不 明 であ る。
た。
民 間防 衛 部 の同 じ報 告 に、 日本 の当 事 者が 地 下 ト ンネ ル内 のす べ
て の人 を保 護 す る と考 え た ト ンネ ル入 口 の構 造が 述 べら れ て いる 。
入手 し た資 料 で は、 地 下 工 場が 直 接 の航 空 攻撃 によ って無 力 化さ
そ の入 口の計 画 は、 付 図 第 20 の2 に示 すと おり であ る 。
ま って いた であ ろう 。 こう し た 状況 が ド イ ツ の疎 開 し た航 空 機 工場
の窮 迫 した輸 送 状 況 に徴 す れば 、 輸 送 に対 す る 航 空攻 撃 に よ って 地
れ る か はま ったく 明 ら か で はな いが 、 ド イ ツが崩 壊 し た事 例 と 日本
す る戦 略爆 撃 の衝 撃 に よ って、 お そら く 地下 工場 の機 能 は完 全 にと
に見ら れ たが 、 これ と同 じ結 果が おそ ら く 日本 にも 生 じ て いた と思
下 に疎 開 し た 工場 はお そら く 無価 値 にな って いた も のと 思 わ れる 。
われる。
原爆 の爆 風 によ る直 接 攻撃 に関 す る唯 一つの資 料 は、 ト ンネ ル の構
日本 の多 数 の工場 管 理者 と 職 員 は、 組 織 的 な 攻撃 を 受 け たな らば 、 す で に逼 追 し て いた輸 送 力 の た め に地下 と疎 開 の作 業 は事実 上 停 止
造物 は無 傷 であ った こと を 示 し て いる。
梨県) 、 甲 府 、 横 田 (東 京都 下 )、 福 生 ( 東 京都 下 )、浅 川 (現高 尾 、
馬県 )、 太 田 ( 群馬県) 、 吉 松 (?)、八潮 (埼 玉県 )、浦 和 、田野 (山
後閑 ( 群馬県) 、堤岡 ( 現 群 罵 市 に併 合 )、大 谷 (群 馬県 )、籔 塚 (群
平 市 、 中 禅寺 湖 、 鬼 怒川 、 城 山 ( 現 宇都 宮市 に併 合 )、 宇 都 宮 市 、
生保内 ( 秋 田県 )、盛 岡 市、 山 形 市 、 仙台 市 、福 島 市、 白 河 市、
しておく。︺
におけ る地下工場 の配置図があるが、 ここではそ の地名を北 より順次示
︹ 編者注 ・以下 ﹁ 付図第 2の18 地下工場の位置﹂ とし て、 日本内地
る こと は、 こ の報 告 の範 囲外 であ る 。
戦 略 爆撃 に よる 地下 工 場 の脆 弱 性 に つ い て、 さ ら に詳 し く 研究 す
し て いた であ ろ う こ と に同意 し た。 地 区 攻撃 によ る 間接 的 な影 響 が 、 中 島 の大 谷 工 場 の記 録 に述 べら れ て いる。 宇 都 宮 市 に対 す る 一週 間 の航 空攻 撃 後 は、 同 市 の労働 者 の大谷 工場 への出 勤率 は約 二割 低下 し た。 原爆 が投 下 さ れ た 広島 と 長崎 の近 く には、 地 下 の航 空機 工 場 はな か った。 し か し、 地下 工場 に見 られ そ う な脆 弱 性 が、 長 崎 にお け る 防 空退 避 壕 で の経 験 と米 国戦 略 爆 撃 調 査 団民 間 防 衛 部 の報 告 によ っ
次 の引 用 文 は、 民 間 防衛 部 の報告第 五 ﹁長崎 地 区 におけ る退 避壕
て例証 さ れ て い る。
と 原爆 の経験 ﹂ (一一八︱ 一 二 八 頁) から 抜葦 し たも のであ る 。 調 査 の結果 、 す べ て の種 類 のト ンネ ル退 避壕 は、 原爆 の爆 風 と 衝撃 に よる 影響 に対 し て十 分 持 ち こ たえ た ことが 明 ら か とな った 。
付 図 第 2の19丘
付 図第 2の20防
と トンネ ル の断 面
護 され た入 口
東 京 都 下)、 八王 子、 立 川、 小 比 企 ( 東京都下) 、 東 京 都 、 千葉 市 、 大網 ( 千 葉 県 )、 川崎 市 、横 浜 市 、 横 須賀 市 、 平塚 (神 奈川 県 )、 藤 沢 (神奈 川 県 )、 大船 ( 神 奈 川 県 )、 富 士川 、 長 野市 、上 田 ( 長 野 県)、 は こだ ( 長 野 県 ?)、 松 本市 、 矢 田 ( 静 岡県 ) 、 静 岡 市、 浜 松 市 、 島 田市 、大 岡 (静 岡県 )、 原野 谷 (静 岡梨 )、 持宗 (静 岡 県)、 新 潟 市、 富 山 市、 笹 津 ( 富山県) 、 雄 神 (富 山県 )、 金沢 市 、 林 ( 現鶴来町、 石 川県 )、 額谷 ( 現 金 沢市 に併 合 ) 、遊泉寺 ( 福 井 県)、福 井 市、 笏 谷 ( 福井県) 、鯖江 、 (福井 県 )、 川 辺 ( 岐 阜 県)、 和 知 ( 美 濃 加茂 、 岐 阜県 )、 瑞浪 ( 現 岐阜 土 岐 )、岐 阜 市 、 大 垣市 、平牧 (現 岐 阜 可児 )、 久 々利 (岐 阜 県)、 楽 田 ( 現 犬 山市 )、 名 古 屋市 、 瀬 戸、 半 田 ( 愛知 県) 、 大 津 市、 大 谷 ( 滋 賀 県 )、桂 ( 京都府) 、 高 槻 市、清 滝 ( 京 都 市 )、 大丸 デ パ ー ド、 大 阪 市、 十 合デ パ ー ト、松 坂 屋 デ パ ー ト、 津 市、 久
海
青 砥 山、 星 川 、長 岡 、麦 田町、 中 村 、宮 田
︱︱ 生産
軍 用 機︱ ︱ 要 旨
日本 の航 空機
佐 貫 、青 砥、 根 岸 、横 須賀 、中 越
日本 飛 行 機 グ ループ 町 石川 島 グ ループ
第 三章
一
戦 前 におけ る 日 本 の航 空機 工業 の個人 用 と 民間 輸 送用 の航 空機 の
生 産 は比 較的 に少 な か ったが 、 一九 三 九年 以 降 の生 産 の殆 ん ど全 部
戦 時 中 の日本 航 空機 には多 数 の機種 と 型 が見 ら れ た。 付表 第 3 の
は軍 部 の注文 によ るも の であ った。
(?)、 つる (?)ミ ド リガ オ カ ( 美 土 里 町 か? 広 島 県 )、広 島 市 、
初 め、 海 軍 は 三 種類 の戦 欄機 、 四 種類 の急降 下 爆 撃機 、 二種 類 の雷
れ た 。す べ て の機 種が 同 時 に生 産 され た ので はな いが 、 一九 四五 年
性 の航 空機 に付随 する" 衣裳 考 案 家" と いう骨 の折れ る立 場 に おか
三 七) が 確 認 さ れ た。 た し か に日 本 の航 空機 工業 は、 こう し た多 様
1 に示 す よう に、 約九〇 の基 本 的 な種 類 (海 軍機 が 五 三、陸 軍 機 が
海 田 (広島 県 )、 呉 市、 切 串 ( 広島県) 、 吉 浦 (広 島 県 )、 山 口 市 、
神 戸市 、苦 楽層 (兵 庫県 )、 明 石、 水 島
( 福 岡 県)、 香 椎
居 (三重 県 ) 、 半 田 (三重 県 )、奈 良 市 、 和歌 山 市 、甲 陽 園 ( 兵 庫 県 )、
岩 国 市 、水 島 ( 山 口県 )、高 松 市 、 高 知 市、 和 白
撃 機、 一種 類 の中 型 爆 撃機 、 五 種類 の偵 察機 、 一種類 の特攻 機 、 一
(岡山 県 ) 、 岡 山 市、 か め
る町 であ る)、 久 留米 市 、 佐賀 市 、 大 村市 、 諫 早 市 、 長 崎 市 、 島 崎
(福 岡 県 ) 、 大 橋 (現善 導寺 町、 福 岡 県)、 音 金 (これ は 福 島 県 に あ
解 決 でき るも ので はな か った。
考 えら れ た のかも しれ な いが 、 そ の調 達 上 の諸 問 題 は決 し て容 易 に
あ った。 こう し た機 種 の多 様 化 は作 戦 指 導者 にと って必要 であ る と
機、 二種 類 の偵 察 機 、 一種 類 の輸送 機 と 特攻 機 、 四種 類 の練 習 機 で
一方 、 陸 軍 が生 産 し てい た機 種 は、 四 種 類 の戦 闘 機、 三 種類 の爆 撃
種 類 の輸 送 機 、 一種 類 の飛行 艇 、 五種 類 の練 習 機 を生 産 し て いた 。
日山 (熊本 県 )、 上熊 本 、崎 坂 (?)、都 城 市 、宮 崎 市 、鹿 児島 市 。
(熊 本 県 ) 、大津 ( 熊 本 県 )、坂 下 (現 南関 町 、熊 本 県 ) 、熊本市、万
市 荒 川、 鹿 野 坂 、 三鷹 、 北陸 、 岩 国 、金 山 、 内
︹なお地図 の他に、次 のことが書かれている。︺ 所 在 不明 の 工場
機 種 配分 の変 遷 戦 時 中 の機 種 配分 の変 化 は、 生 産 の観 点 から 興味 あ る問 題 であ る 。
いよ いよ 防勢 的 なも のとな り終 戦 が 近づ く に つれ て、 日本 の航空 機
付 表 第 3の 1 は、 陸海 軍 の主 要機 種 の割当 て の変化 を 示す 。 戦局 が
工業 はま す ます 小 型 で軽 量 の戦 闘機 の生産 に移 って行 った。 こう し た変 化 は、宣 伝 のた め と いう よ りも 実 際 に軍 事 上 の重 要性 によ る の であ った 。(よ り軽 量 の機 体 の生 産 は、 重 量 で計 測 し た実 際 の 生 産 高 が 横 ば い状 態 や減 少 し たと き でさ え 、生 産 機 数 を 多 くす る ことが
主 要 機 種生 産 の相 対 的 な重 要 性 に つ いて検 討 さ れ た 。付 図 第 3 の
でき た。 )
2 は、 四 半期 別 の実 際 の生 産 高 を示 す 。最 も 重 要 な 曲 線 は、 一九 四 二年 の第 三 ・四半 期 の約 七五 〇機 から 一九 四 二年 の第 三 ・四 半期 の 三、 七 五 〇機 と、 戦 闘 機 の生 産が 激 増 を 示 し て いる こと であ る 。練 習 機 の生産 は、 一九 四 四年 第 二 ・四半 期 にピ ー ク の 一、 八 一二機 に 達 し た が 、 それ は 一九 四 三年 第 二 ・四 半期 の生 産 機数 の約 三倍 にあ たる 。 爆 撃機 の生 産 は 一九 四 三 年第 四 ・四半 期 の初 め から いく ら か
た。 そ の他 の機 種 の生 産曲 線 の上 昇 は、 一九 四四年 のグ ライ ダ ー生
横 ば い状 態 と な ったが 、偵 察 機 の生 産 は同 じ 四半期 に ピ ー ク に達 し
産 によ る のであ った 。
単 発 機 対 双 発機 一九 四 二年 半 ば以 後 、 発動 機 一基 を装 備 し た 戦闘 用 機 の生 産 が 集 中 的 には じま った。 単 発 機 の生産 は 一九 四 一年第 一 ・四半期 の四 〇 三 機 か ら 一九 四 二年 第 三 ・四半 期 の 一、 〇 七 三機 に増 加 し、 つ いで
付表 第 3 の1 変化
日本 の軍用 機 ︱︱ 機 種 と型 の数 と基 本 的 な型 の
一九 四 三年 第 三 ・四半 期 には 二、 六 一七機 に達 し た。 これ と 同 じ期
間 に、双 発 機 の生産 は 一九 四 一年 第 一 ・四半 期 の 一五 四機 から 一九
四 三 年第 三 ・四半 期 の八 六 四機 に増 加 し た。付 図 第 3 の3 は単発 機
と 双 発機 の生 産 を曲 線 で示 し たも のであ る。
単発 機 の生 産ピ ー クは 一九 四四 年第 四 ・四半 期 にあら わ れ たが 、
付 図第 3の 1
日本航 空機 の 機 種別 四半 期 別 配 分割 合 (付 録 第10の13を 参 照)
付 図第 3の 2
日本 航 空 機 磯
能 別 四 半期 別生 産1941年
―1945年
(付 録 第10の14を 参 照)
多 く の双 発 機 を要 求 し て い たな らば 、 所 要 量を みた す発 動機 生 産 の
軍が 最 初 から、 よ り多 く の発 動 機 を装 備 し多 数 の予 備 を 必要 と す る
双 発機 の生 産 は そ の四 半期 前 にピ ー ク に逮 し た。 も し も 日本 の陸海
に示 す ﹁そ の他 ﹂ には、 一九 四 四年 に生産 され た グ ライダ ー の 一部
﹁そ の他 ﹂ に含 まれ る) が 、 偵 察 と とも に輸 送 用 に使 わ れ た。付 図
的 に使 用さ れ た から で あ る。 一部 の飛 行艇
つは、 旧式 の双発 爆 撃 機 と、 戦 争 の後 期 には 双発練 習 機が 、 輸 送 目
と、 終 戦 前 の数 ヵ月 間 に製 造 さ れ た約 一〇 〇 機 の特 攻 機 も含 ま れ て
( 付 図第 3 の 1 と 2 の
困難 と 一九 四 四年 三 月 以降 に見 ら れた 生 産 の下 降 傾 向 のた め に、戦 闘 用機 の生 産高 は実際 よ りも 少 なく な って い たと 思 わ れ るが 、 日本
各 機 種 の相対 的 な 重要 性 は戦 時中 に変化 し たが 、 生 産 され た機 体
いる。
の重 量 に は殆 んど 影 響 をあ たえ な か った 。戦 闘 機 の生 産が 激 増 し た
戦 時 中 に爆 撃 機 の生産 は増 加 し たが 、 こ の種 の飛行 機 の重 要 度 は
の陸海 軍 が こ の期 間 に多 数 の単 発機 を 発 注 し た のは 幸 運 であ った。
減 少 した 。 一般 的 に述 べ れば 、 一九 四 一年 から 四三 年 ま で に生 産 さ
の場合 と異 な り、 生 産 高を 測 定 す る 二 つ の標 準 ︱︱ 機 体 重 量と 飛行
とき 機 体 の重 量 で計 測 し た生 産 高 に は殆 んど 変 化が な か ったド イ ツ
練 計 画 が 拡 充さ れ た ので、 練 習機 の生 産 を大 き く 増 加 す る こと と な
一年 間 はし だ い に上 昇 し た。 一九 四三 年 と 四 四年 にパ イ ロ ヅト の訓
し て、 生 産 さ れ た機 数 は変 わら な いが 機 体 の重 量が 増 大 し た 場合 に
ど、 航 空 機 工業 に課 せられ た負 担 が 大き いと推 論 さ れ て いる。 こう
衝 撃 を示 す た め に しば しば 使 用 さ れ た。 重 貴が 大 き けれ ば 大き いほ
機 体 重 量 で 測定 す る 生産 高 は、 生産 計 画が 航 空 機 工業 にあ たえ る
航 空 機 の数 量 対 重 量
こと であ る。
割 合 を占 めた こと であ り、 も う 一つの理 由 は 四発 爆撃 機 が な か った
一つは、 日 本 の航 空 機 工業 に おけ る 生産 で は、 単 発爆 撃 機が 大 き な
ー ク に達 した のであ った。 こう し た興 味 あ る推 移が 見 ら れ た理 由 の
機 の数 量 ︱︱ は同 じ 傾 向を たど り、 一九 四 四年 九月 にそ れぞ れ のピ
れ た各 種 飛 行機 の約 四 分 の 一は爆 撃機 であ った。 し かし、 一九 四 四
下 し た。
年 か ら四 五 年 にな ると、 こ の比 率 は全 体 の生 産 の五 分 の 一以 下 に低
偵 察 機 は 生産 が 全 体 の 一〇% 以下 に減 少 し た 一九 四 四 年 まで 、 そ の相対 的 な 重要 性 に は殆 んど 変 化 が な か った。 生産 高 に見 られ た練 習機 の相 対 的重 要 性 の変 化 は 、 ひ じ ょう に興 味 ふ か いも のが あ る。 一九四 一年 の第 一・四半 期 に練 習 機 の生 産が 全 体 に占 めた割 合 は三 分 の 一以 上 ( 三 七 ・九 %) で あ ったが 、 こ の
った。 パ イ ロ ット の訓練 は 一九 四 五年 春 に中 止 さ れ たが 、 そ の後 の
は、 航 空機 工業 の生 産 高 は増 加 し た と いう結 論 が え られ た 。 米国 の
割 合 は 一九 四 三年 第 二 ・四半 期 には 一五 ・六% に減 少 し、 そ の後 の
戦 争 の期 間 、練 習 機 の生産 は戦 闘機 に次 いで第 二位 を 占 め た。 一九
航 空機 工業 で は、 生 産 が 四発 爆 撃 機 に集 中 し た場 合 、飛 行 機 の数 量
か ら見 た生 産 高 は実 際 に減 少 した 。 し かし ド イ ツ で は、 航 空 機 (そ
四 五年 四月 一日以 降、 練 習 機 の大部 分 を" 神 風" 、 つま り特 攻 自殺
日本 は 米 国 のよ う に輸 送 機 を 重視 しな か った。 そ の主 な理 由 の 一
飛行 機 と し て使 用 す る た め に練 習 機が 生 産 さ れ た。
付 図 第 3の 3
日本 戦 闘用 機 の装 備 発 動機 の基 数別 四半 期 生 産高 1941年 ―1945年(付
録10の15を 参照)
付 図第 3の 4
航 空 機生 産高 の月 別指 数1941年 平 均 =100機 体 重 量 と航 空 機 の 1941年 1月―1945年 7月(付 録 第10の16を 参
の大 部分 は単 発 戦闘 機 ) の数 は 一九 四 四年 に激増 した が、 生産 さ れ
日 本 で は、 米 国 ま た はド イ ツ に見 られ た よう な状 況 は起 こら な か
る と考 え た基 本的 な 諸 計 画 に着 手 し た。 これ ら飛 行機 の可 燃 性 の重
陸 攻) に よ って、 日本 は 太平 洋 の戦 争 で勝 利 を おさ め る ことが でき
三菱 が 日本 海 軍 のた め に生 産 し た Zeke ( 零 戦 ) と Bet ty (一式
二 在来 型航 空 機
った。 付 図 第 3 の4 に は、 二 つ の曲線 ︱︱ 機体 重 量 の指数 と航 空 機
大 な 欠陥 と火 力 の不 足 が 明ら か にな ったと き 、 日本 は 前述 し た" 衣
た 機 体重 量 の変 化 は ひじ ょう に小 さ か った。
二 つの生 産 曲 線 は、 同 じ傾 向 で上 下 し て いる こ とが 見 ら れ る であ ろ
数 量 の指 数 によ る︱ ︱ が 示 され て いる。 航 空 機 の数 量 と 重量 によ る
裳 考案 家" の特 徴を 開 発 し た。 改 良型 の零 戦 と 一式 陸 攻 は終 戦時 に
機 の数 量 の相 対 的増 加 は、機 体 重 量 の増 加 よりも 少 し 大 き か った が、
西製 の Georgge(紫 電 ) に移 った。 航 続 力が 小 さ く、 重 武 装 で装 甲
移 り つ つあ った。海 軍 の主 な関 心 は中 島製 の Franci s(銀 河) と川
と 中 島製 の Frank (疾 風 ︹ 四式戦闘機 ︺ )︱︱ 両 者 と も陸 軍 機︱︱ に
まだ使 用 され ては いた が 、重 点 は三菱 製 の Peggy(飛龍 ︹四式重爆︺ )
う。
こ の両老 の指 数 曲線 は同 じ 変化 を たど って いる 。 日本 航 空機 の種 類
一九 四 三年 一〇 月 から 四 四年 七 月 に い た る期 間 に生 産 さ れ た航 空
のバ ラ ン スは、 ド イ ツ の生 産 に見 られ た よ う に機 数が 増 加 し たと き に機 体 の重 量を 大 き く減 少 す る ほど 変 化 し な か った し、 日 本 は米 国
し、 これ ら 飛行 機 はお そら く 練 習機 と し ては殆 んど 役 に立 た な か っ
れ た にも か かわ ら ず 、練 習 機 の生産 は最 後 ま で つづ け られ た 。 し か
た。 航 空 ガ ソリ ン の不足 のた め に パイ ロ ット の訓 練が 大 き く 減少 さ
日本 にお け る機 種 の配 分 は、 ド イ ツよ り も はる か に永 続 的 であ っ
た爆 撃 機 から 戦闘 機 への重 点 の移行 は、 全体 の機 体 重 量 の相 対 的 な
空兵 力 を 整 備す る は っき りし た 傾向 が 見 ら れ た。 と こ ろで、 こう し
た 一九 四 二年 末 から 四 三年 初 め に かけ てさ え、 バ ラ ンス のとれ た 航
画 に移 行 し た ( 付 図第 3 の1 を 参照 )。 日本 はま だ攻 勢 を と っ て い
て いた が 、 一九 四 五年 に は爆 撃機 の 二倍 の戦 闘 機 を要 求 す る生 産 計
のと れ た 航空 兵 力︱ ︱ 爆 撃機 と戦 闘 機 に同等 に配分 した︱︱ を 持 っ
機 種 の重視 と いう点 から 見 れば 、 日 本 は開 戦 時 に はよく バ ラ ン ス
のあ る 迎 撃機 が 重 視 さ れ た。
た と思 わ れ る。 練 習 機 は本 土 進 攻 に対 す る 最後 の特 攻機 とし て 、 明
が 行 な った よう に生 産 を大 型 航 空機 に集 中 し な か った。
ら か に使 用 す る つも り であ った 。 一部 の観察 者 の 見 解 に よ れ ば 、
較 的 に重 い設 計 のも のであ った が、 そ の後 の戦 闘 機 は重 量 の点 で米
低 下 を予 想 し た の では な か った 。初 期 の爆 撃機 の大 部分 は双発 で比
国 の戦 闘 機 に近づ き つつあ った から で あ る。
Bak a( 桜 花 一一型) 型 有 人爆 弾と 対 照 的 に適 量 の爆薬 を 携 行 す る 小 馬力 の練 習機 のす ぐ れ た運 動 性 能 と航 続 力 のた め に、 これ ら 練 習
も ので はな い。米 陸 海 軍 の航 空 技 術情 報 グ ループ が 、設 計 と そ の欠
この報 告 は 、 日本 軍 用機 に つ いて技 術 的 に詳 し く 述 べよ う とす る
機 は有 効 な 特 攻兵 器 と な った。 し かも 、 こう し た機 種 の生 産 費 は少 な く てす み 、比 較 的 に未熟 な パ イ ロ ット でも 十分 に操 縦す る ことが で き た。 つま り、 練 習 機 は消 耗 品 と し て考 え られ た のであ る 。
陥 を 調査 す る た め 特別 の使節 団 を 日 本 に派 遣 し た。 こ の使節 団 は、 多 数 の航 空 機 と 発 動機 およ び付 属 品 を技 術 的 な 面 か ら調 査 し、 飛 行 と構 造 上 のテ スト を完 了 す る た め、 興味 あ るす べ て の機 種 の サ ンプ ルを 後方 地 区 に輸 送 し た。 こ の テ ス トに 関す る 報書 は、 やが て航 空
" H ELEN " (陸 軍 爆 撃 機 :呑 龍 )、 全 幡 六 六 ・六 フ ィ ー ト 、
全 長 四 九 ・二 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 貴 一四 、 五 〇 〇 ポ ン ド 。 5
"JILL" (海 軍 爆 撃 機 :天 山 )、 全 幅 四 九 ・〇 フ ィ ー ト 、 全 長
全 長 五 四 ・〇 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 量 一〇 、 七 〇 〇 ポ ン ド 。 6
三 六 ・ 一フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 量 二 八 七 五 ポ ンド 。
川 崎製
しか し、 日本 の主要 航 空 機製 造 会 社 の基 本 的 な 生産 上 の諸問 題 に
機 工業 の調 査 に利 用 され る にちが いな いと考 え る。
つい て、 は っき りし た概 念 を 示す た め、 主な 職 闘 用機 の三方 向 から
1
"TOJO"(陸軍 戦 闘 機 :鐘 馗 )、 全幅 三 一 ・〇 フ ィー ト、 全
5
"TONY " (陸 軍 戦 闘 機 :飛 燕 )、 全 幅 三 九 ・三 フ ィ ー ト 、 全
"LILY" (陸 軍 九 九 双 発 軽 爆 撃 機 )、 全 幅 五 七 ・三 フ ィ ー ト 、
"JACK " (海 軍 戦 闘 機 :雷 電 21 型 )、 全 幅 三 五 ・四 フ ィ ー ト 、
"ZEK E" (海 軍 戦 闘 機 :零 戦 21 型 )、 全 幅 三 六 ・二 フ ィ ー ト 、
"BETT Y" (海 軍 一式 陸 攻 )、 全 幅 八 二 ・〇 フ ィ ー ト 、 全 長
"SALLY" (陸 軍 九 七 重 爆 )、 全 幅 七 四 ・六 フ ィ ー ト 、 全 長
" DIN AH " (陸 軍 百 式 司 偵 = 新 司 偵 )、 全 幅 四 八 ・三 フ ィ ー
五 三 ・〇 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 量 一六 、 四 〇 〇 ポ ン ド 。
4
六 四 ・五 フ ィ ー ト 、 機 体 の概 略 璽 重 一四 、 〇〇〇〇 ポ ンド 。
3
全 長 二 九 ・八 フ ィ ー ト、 機 体 の 概 略 重 量 二 、 九 〇 〇 ポ ンド 。
2
全 長 三 一 ・八 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 量 三 、 二 〇 〇 ポ ン ド 。
1
三 菱製
全 長 四 二 ・ 一 フ ィ ー ト機 体 の 概 略 重 量 七 、 一〇 〇 ポ ンド 。
3
長 二 八 ・九 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 賂 重 量 三 、 七 〇 〇 ポ ンド 。
2
長 三 四 ・七 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 景 五 、 七 〇 〇 ポ ン ド 。
"NICK" (陸 軍 戦 闘 機 :屠 龍 )、 全 幅 四 九 ・五 フ ィ ー ト 、 全
見 た影 絵 を付 図 第 3 の5 に か かげ て お いた 。 特 別 な 目的 の ため と “神 風 ”型 は日 本 の代 表 的 な開 発 で あ る の で、 在来 型 航 空機 よ りも これ ら の設 計 の特 徴 に つい て大 き な考 慮 を払 っ た 。沖 縄 で米 軍 進攻 部 隊 に対 し て発 進 され た 一部 の Baka ( 桜花 一 一型) を 除 い て、 これ ら特 攻 機 は実 際 には、 殆 んど 役 に立 た な か っ た。
︹ 編者注 ・以下付図 3の5として各種 の陸海軍機 の機体 の影 絵 と 説 明 があるが、影絵 は省略して、箇条書に列挙することとした。 ︺ 中島製 1" I RVI NG"( 海 軍 戦 闘機 :月 光 ) 、 全幅 五五 ・七 フィ ー ト、
2
全 長 三九 ・九 フ ィー ト、 機体 の概略 重量 八 、 一〇 〇 ポ ンド。
" OSOAR" ( 陸 軍 戦 闘機 :隼 )、 全幅 三五 ・六 フ ィ ー ト、 全
長 二九 ・二フ ィ ート、 機 体 の概 略 重 量 二、 七 〇 〇ポ ンド。 3
" FRANCI S" ( 海 軍 爆 撃機 :銀 河 ) 、 全 幅 六 五 ・六 フ ィ ー ト、
長 二九 ・二 フ ィー ト、 機 体 の概 略 重 量 二、 八 五 〇 ポ ンド。 4
ト 、 全 長 三 六 ・三 フ ィ ー ト 、 機 体 の概 略 重 量 五 、 五 〇 〇 ポ ンド 。
EM IN Y" (海 軍 四 発 飛 行 艇 ︰晴 空 )、 全 幅 一二 四 ・七 フ ィ
川 西製 1" ー ト 、 全 長 九 二 ・三 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 量 三 一、 〇 〇 〇 ポ ン ド 。
"JUDY" (海 軍 艦 爆 ︰彗 星 )、 全 幅 三 七 ・八 フ ィ ー ト 、 全 長
愛知製 1 三 三 ・六 フ ィ ー ト 、 機 体 の 概 略 重 量 四 、 〇 〇 〇 ポ ン ド 。
三 進 歩した機種 ジ ェ ット お よび ロケ ット戦 闘機
横 須 賀 の海軍 第 一航 空技 術 廠 は 秋水 の開 発 を リード した 。生 産 さ
れ た 飛行 機 は、 そ の三 分 の 二を 陸 軍 に 三分 の 一を 海軍 に配 分す る こ
と と な って いた。 技 術 上 の計 画 は 、 三菱 の技術 者 によ る設 計上 の協
生 産 され た 秋 水 は、 技 術 上 の概 略 のデ ー タと計 画 を ド イ ツ側 か ら
力 のも と に横 須賀 航 空 技 術 廠 で集 中 的 に行 な わ れ た。
受 け と った にすぎ な いと いわれ る ので 、本 来 のMe 一六 三 と は異 な っ
であ る 。 主車 輪 は離陸 のさ い主〓 を引 込 め ると 同時 に落 下 し、 着 陸
て いた。 こ の飛 行機 は、 昇 降舵 を 兼 ね た補 助 翼 のあ る 無 尾翼 の機 種
のさ いは〓 を おろ し て行 な う。 推 進 動 力 は濃 縮 過酸 化 水 素 と ヒド ラ
ジ ンを 使 用 す る化 学 ロケ ット特 ロ二型 で あ った 。 日本 側 の資 料 によ
長
幅
一九 ・ 一九 フィ ート
三 一 ・ 一七 フ ィ ート
れ ば 、 完 成 し た秋 水 の大 体 の明 細 と性 能 は次 のと お り であ る。
全
全
六、 六 一四ポ ンド
三 、 一八五 ポ ンド
一九〇 ・五 二 平方 フ ィー ト 自
翼 面積
正規荷重
四、 三 六 三 ポ ンド
八、 五 三 二ポ ンド
ジ ェット推 進戦 闘 機 の生 産 の分 野 で は、 日 本 はド イ ツよ り 一、 二
で は生 産 段階 には い って いな か った。 ド イ ツ の設 計 に よ る飛行 機 が
年 おく れ て いた。 日本 の独 創 的な ジ ェット戦 闘機 の設 計 は 、終 戦 前
過荷重
重
最 も 重 視 さ れ た。海 軍 の秋 水 (J 8M 1) と 陸 軍 のキ 二〇 一型 は、
三〇 ミリ機 銃 二 (各銃 に つき弾 薬 包 五〇 発 )
装
兵
燃料容量
ド イ ツ側 の資 料 によれ ば 、 Me 一六 三 の サ ンプ ルが 他 の航 空 機 の装
二 ・五 分 間 で 二万 フ ィー ト に、 三 ・五分 間 で三 万 三
時 速 五〇 〇 マイ ル の最 高 速力 で、 三万 三千 フ ィート
千 フ ィー ト に。
の高 度 に上 昇 し た の ち 五 ・五分 。
最 初 の計 画 は、 一九 四 五年 三 月 ま で に 一五 五機 を、 同 年 九月 まで
航続力
上昇 力
ド イ ツ のMe 一六三 を 模倣 し たも のであ る。
置 お よび 専 門家 と と も に船 で日 本 に送 ら れ た と いう 。 各 種 の設 計 説 明 書 は シ ン ガポ ー ル から飛 行 機 で東 京 に運 ば れ たが 、 こ の船 は途 中 で沈 め られ 、 モデ ルと 専 門家 は失 わ れ て しま った。 日本 側 の資 料 は、 一組 の印刷 物 は 受 け と った が、 ド イ ツ の技 術 者 や専 門 家 から設 計 に つい て援 助 され な か った こと を 認 め て いる 。
︱︱ 第 一回 は 一九 四 五年 四月、 第 二回 は 同年 七 月︱︱ 計 画 を改 めて
定 した 。 し か し、 動力 工場 の開 発 が 計 画 よ り おく れ た の で、 二 回
に 一、 二〇 〇 機 を 、 一九 四六年 三月 ま で に三 、 六〇 〇 機 の生産 を 予
つい て、 ひ じ ょう に興味 あ る論 評も 含 ま れ て いる 。
付 録 第 5 を参 照 さ れ た い。 こ の報 告 には 、 日本 の陸 海 軍 間 の協 力 に
社 の役 割 を詳 しく 述 べ た 一九 四 五年 一 二 月 五 日付 け報 告 を集 録 し た
三 菱 重 工 業株 式 会 社 の 岡野 保 次郎 社 長が 、 秋 水 の開 発 に関 す る 同
計 画︱ ︱ 機 数 ︱︱ 一九 四 五年
そ の頂 点 に達 し た の であ った。
航 空機 を 開 発 し パイ ロット を訓 練 し た。 天 皇 に生命 を捧 げ る歓喜 は、
し な い体 当 り "攻 撃 ︱ ︱ "神 風 "︱ ︱ と呼 んだも のに使 用 す る た め、
対 し て、 そ れ を時 々企 て た。 し か し 日本 人 は、 彼 らが" 死 を物 と も
し た数 多く の事 例 が 見ら れ た。 ド イ ツ人 はB 17と B 24 の爆 撃機 隊 に
す る ため に、 個 人 と グ ループ が、 みず から の生 命 を計 画 的 に犠 牲 に
す べ て の戦 争 にお い て、 生き 残 る可能 性 が な い場 合 、 目的 を 達 成
神風" 型 航 空機
縮 小 しな け れば なら な か った 。
実際 の生 産 は計 画 を 大き く 下 回 った。 三菱 と横 須賀 航空 技 術 廠 で
時 、 初 め て使 用 さ れ た航 空 自 殺戦 法 を あら わす 言葉 と し て 日本 海 軍
現 代 の "神 風 " の起 源 は、 一九 四四 年 一〇 月 の フィリ ピ ン作 戦 当
も とも と 、 " 神 風" の起 源 は、 蒙 古が 日本 に来 攻し た とき 、 そ の
が 停 止 し て墜 落 し た。 六 番 目 の飛 行 機 用 の機 体 は終 戦 時 ま で に実 際
航 空 部 隊 に よる も のであ る。 そ の ころ 、 こ れと 同様 な 陸 軍 航空 攻 撃
製 作 し た発 動 機 を つけ た秋 水 第 一号機 の試 験 飛行 は、 一九 四五 年 七
に完 成 し、 そ の当時 、 日 本飛 行 機 と 富 士飛 行 機 も、 そ の最 初 の飛 行
日本 人 は、 こ の台 風 を "神 風" であ る と考 え た 。
機 を組 立 て つ つあ った。 秋水 の燃 料 は 、江 戸 川 工業 所 (N 2 0 2)
隊 は、 " 特 攻 隊 " と 呼ば れ て いたが 、 そ の後 は陸 海軍 と も に航 空 自
軍 船 が台 風 のた め に破 壊 さ れ た 一六世紀 にさ か のぼ る と い われ る 。
と 三菱 化成 ( N H 2) 2H 2 0 で製 造 され た。 日本 側 は、 こ れら の
殺攻撃を " 神 風 " と 呼 ぶ よう にな った。 ︹ 虎四郎︺ 参 謀 次 長 河辺 陸 軍 中将 は、 " 神 風" に つい て次 のよう に述 べた 。
月 に行 な わ れ た 。急 上 昇 のさ い燃料 タ ンク内 のス タ ンド パ イプ が む
施 設 で は 不十 分 であ ると 考 え た。 も し も戦 争 が つづ い て いた なら ば 、
( 米 国 戦 略爆 撃 調 査 団 イ ンタビ ュー第 三 七 七、 東京 、 一九 四 五 年 一
き だ し にな った こと に起 因す ると 思 わ れ る ト ラブ ル の ため に発 動 機
来 る べき B29 の攻 撃 に対 処す る こと が 重視 さ れ て い た にも か かわ ら
一月 二 日)
ず 、 秋 水 は 一九 四六年 中 にも 実 験 段 階 から大 き く前 進 でき て いな か ったと 考 え ら れ る。
﹁パ イ ロ ットは自 殺 す る つも り で、 そ の任 務 に出発 し た の で は なく 、 祖 国 のた め に敵 艦 隊 の 一部 を 破 壊す る人 間 爆 弾 と し て、 み
"神 風
ず から を 見 な し た ので あ る 。 ﹂ " 戦 法 をと る よ う にな った戦 略 に つい て、 同 じ イ ンタビ ュ
ー のさ い、 河 辺 は こう 説 明 し た。
桜 花 一 一型
連 合 国側 で は 一般 に “ Baka” と いう 暗 号名 で知ら れ て い た 桜 花
一 一型 は 、 日本 海 軍 で開 発 され た も の であ る 。 こ の桜 花 一一型 は、
桜 花 系 統 の最 初 のも の であ った。 それ は設 計 の最 初 から 完 全 な自 殺
戦 い つづ け る信 念 は断 じ て捨 て な か った 。 ﹂
知 し て い たが 、 われ われが 準備 でき るあ ら ゆ る 特 攻機 を 使 用 し て
な 問 題 であ った。 わ れ わ れ は戦 争 に勝 つこと が でき な い こと を 承
し な か った 。 パイ ロット の 不足 よ り も飛 行 機 の製 作 のほ うが 大 き
ロ ットは みず から 進 ん で希 望 し た ので、 わ れ わ れ は志 願 者 に 不足
務 のた め に パ イ ロットを 訓 練 す る のはむ ず か しく な か った。 パ イ
わ せ の飛行 機 を製 作 す る こと は大 し て困難 で はな く 、 こう した任
が 取 り つけ られ た。 こ の最 初 の桜花 は、 胴 体 の後 部 にあ る三 つの固
さな 一人 用 の座 席 が あ った。 発 進 ま で、 母 機 と の間 に交 話 用 伝声 管
は、普 通 の初 歩 練 習機 型 の限 ら れ た操 縦 装置 と計 器が 装 備 さ れ た小
二、 六 四 五ポ ンド の弾 頭 にな って い た。 胴体 の中央 にあ る操 縦 室 に
高 が 三 フ ィー ト 一〇 イ ン チであ った 。 飛行 機 の長さ の約 三分 の 一が 、
全長 が 一九 フ ィー ト 一〇 イ ンチ、 翼幅 が 一六 フ ィー ト五 イ ンチ、全
沖 縄 で使 用 さ れ た桜 花 の全 部 が 一 一型 であ った。 こ の小 型 飛 行機 は、
そ の後 の設 計 では 、陸 上 のカ タ パ ル ト で射 出す る よう にな って いた 。
は海 岸防 衛 のた め の兵 器 と し て母 機 から 発進 さ せる よう 設 計 され た。
わ し たも の であ る。 も と も と、 そ れ は 敵 の進 攻 部 隊を 攻 撃 し、 ま た
た し か に、 特 別 に製 造 さ れ た神 風機 の全 部が 、 日本 の練 習 機 によ
体 火薬 ロケ ット で推 進 さ れ たが 、 ロケ ット によ る有 効 航続 距 離 は殆
兵 器 であ り 、戦 争 末 期 におけ る 日 本 国 民 の精 神状 態 を 本質 的 にあ ら
く似 て いた 。 陸 海 軍 の志 願 者 と 選 抜 され た パ イ ロ ッ ト に 対 し て、
ん ど ゼ ロであ った の で、 実際 に は目 標 に対 し て滑空 飛 行 でき る距離
﹁われ われ の戦 略 は、米 軍が 日本 本 土 に上 陸 す る さ い、 も っぱ
"神 風 ”の特 別訓 練 が 行 な わ れた 。 あ らゆ る徴候 から 見 れ ば、 米 軍
ら 米 国 の艦 隊 と輸 送 船 団 の撃滅 を めざ し たも ので あ った。 間 に合
が 本州 と九 州 に進 攻 す る さ い、 特 別 に製 造 さ れ た 航 空機 だ け で なく 、
以 内 で 母機 から 発進 さ せ る必 要が あ った。
神 風 努 力 と し て考 え られ るも の の全 体 の 一部 にす ぎ な か った。 す べ
み述 べ る こ とと す る 。 たし かに、 特 別 に設 計 し製 造 さ れ た神 風 機 は、
と が わ か った の で、 桜 花 一 一型 の生産 は 一九 四五 年 三月 に取 止 めら
き わ め て脆 弱 であ る こと が 証 明 され た。 沖 縄作 戦 で役 に立 た な い こ
く い母 機 は、 攻 撃 目標 から 二、 三 マイ ル以 内 に接近 す る必要 が あ り、
の下 に桜花 一 一型 を携 行 でき る よう 改 装 さ れ た。 こ の低 速 で扱 い に
海 軍 の双 発 爆 撃 機 Bet t y (一式 陸 攻 ︹ G4M3︺) は、 そ の爆 弾倉
練 習 機 と各 種 の戦 闘 用 機 も使 用す る 大規 模 な神 風 作 戦を 行 な う こ と
て の種 類 の航 空機 、 と りわ け 、 速 力が おそ く脆 弱 に見 え るが 破 壊 さ
にな って い た。 こ の報 告 で は 、特 別 に製造 され た 神 風機 に つ いて の
れ にく い練 習 機が 使 用 さ れ る こと にな って いた 。
れ た 。 そ れ ま で に、次 のよ う な計 画 によ って合 計 七 五 五機 の桜 花 一
い で組 立 は横 須 賀 と 愛 知 に送 ら れ て取 付 け ら れ た。
製 作 し取 付 け ら れ 、 四 シ リ ンダ ー 一〇 〇 馬力 発 動機 で運 転 した 。 つ
一九 四五 年 一月
一 二 月
一 一月
一〇 月
一九 四 四年 九 月
一五〇
一九 七
一六〇
九三
九五
五〇
一〇
る 損害 を こう む った ので進 捗 しな か った。 そ こ で、追 加 の生産 が 横
知 は 一九 四 五年 六月 に生産 を予 定 し て い たが、 そ の工場 が 空襲 に よ
産 され た のは、 横 須 賀 で製 作 さ れ た 五〇 機 だけ であ ったと いう 。 愛
みぐ ろ飛行 機 会 社 、 神奈 川 の富 士 飛行 機 会 社が 含 ま れ た。 実際 に生
と 尾 部 お よ び胴 体 の下請 に は、新 潟 県 の村上 飛 行機 会 社、 岐 阜 県 の
で、 二〇〇 機 を 名 古 屋 の愛 知 航 空機 会 社 で行 なう こと にな った 。 翼
桜 花 二 二型 の生 産 計画 は、 五〇 機 を 横 須賀 の第 一海 軍航 空 技 術廠
一型 が 生 産 さ れ た。
二月
終 戦時 、 横 須 賀 の大き な 組 立用 建 物 の 一つでは 、 四 つ の組 立 ジ グが
須 賀 に割 当 て ら れ、 桜 花 の組 立 を 保護 す るた め慎 重 に計 画 さ れ た。
三月
こ のう ち 一五 五機 は横須 賀 の第 一海 軍 航 空技 術 廠 で 、 六〇 〇機 は
終 戦 時 ま で に、 横 須賀 にあ った機 械 と 台仕 事 の全部 が 、基 地 に隣
て いた 。
練 習 機 の翼 は木 製 であ り、 機 体 の残 り の部分 はジ ュラ ル ミ ンで でき
装 して 完 成 し た桜 花 二 二型 練習 機 の建 物 にな ってい た。神 風 と 桜 花
の操 縦室 、 フ ラ ップ の追 加 、着 陸 用 楡 のた め に頭部 爆 弾格 納 部 を 改
取 付 けら れ て作 業が 行 な わ れ て い た。 一つの組 立用建 物 が 、 二座 席
霞 ケ浦 の第 一海 軍航 空 廠 で生 産 さ れ た。 横 浜 の日本 飛 行機 会 社 と 神 奈 川 の富 士 飛 行 機会 社 が 、翼 と尾 部 の製 造 を 下請 け した 。
桜 花 二 二型 桜 花 二二型 は、 最 初 の桜 花 の欠 陥 を な く し た改 良型 と し て 計画 さ れ た。 一式 陸 攻 よ りも 新 しく 高速 で運 動 性能 の よ い FranCi S( 銀
た。 大 き な ト ンネ ルが 桜 花 二 二型 の最 終 組 立作 業 のた め に建 設 され、
接 し て新 し く建 設 され た約 三〇 万 平方 フ ィー ト のト ンネ ルに移 さ れ
河 ︹ P 1Y 1︺ ) が 、 母 機 と し て選 ば れ た。 離 間 距離 が 限 ら れ た の で、 桜花 二 二型 の大き さ を翼 幅 一三 フ ィー ト 一一イ ン チ に減 ら す 必要 が
頭 部 爆 弾 は 二、 六四 五 ポ ンド か ら 一、 三 二〇 ポ ンド に減 らさ れ た。
あ ったが 、 全 長 は 二 二 フ ィー ト八 イ ンチ であ った。
の最終 組 立 は 、 猛烈 な 空 襲 下 でさ え 横 須賀 で行 なう こ とが でき た。
多数 の仮 組 立部 品 とと も に発 動 機 と完 成 した翼 が 格納 され た。 桜 花
桜 花 二 二型 の 一機 の みが 、 一九 四五 年 七月 に空中 投 下試 験 を 行 な っ
目標 から 約 七 〇 マイ ル の距 離 で発 進 さ せる ことが でき る よ う自 力 航 行能 力 を 大 き くす る ため、 カ ンピ ニ ・ジ ェ ット発 動 機 一基 を後 部 に
た と いう 。
こ の試 験 の さ い、 加 速用 の た め胴 体 の下 に取 付 け た補 助 ロケ ット
装備 し た。 こ の発 動 機 は ツ 一 一型 と いう 名 称 が つけ ら れ、 日立 の立 川 で製 作 し た ターボ 圧 縮 機を 千 葉 に送 り、 そ こで ジ ェ ット発動 機 が
殉 職 し た。
が離 脱 直 後 に突 然噴 射 し た た めに錐 揉 み状態 とな り 、 パ イ ロヅト は 落 し た。
付 け られ 、 第 一次 の試 験 飛行 は成 功 し たが 、第 二 回 の飛行 のさ い墜
ネ 20代 発 動機 の最 初 の二基 は第 一海 軍 航 空技 術 廠 で製 造 さ れ たが 、
こう し て艦 船 を建 造 し て き た海 軍 工廠 が 、戦 争遂 行 のた め に "神 風"
せな い た め、 ネ 20代 の契 約 生産 は海 軍 工廠 で行 なう こと とな った。
正 規 の生 産 施 設 に 必要 な 設備 を 追 加 し、 実 験 部 に大 き な負 担 を お わ
海 軍 が 開 発 し た三 種 類 の火 薬 ロケ ットが 、桜 花 二 二型、 桜 花 四 三
作 戦 に使 用す る ジ ェット発 動機 を 製 造 す る こと と なる 。
補 助 火 薬 ロケ ット
型 お よ び橘 花 と いう 特 攻機 の全 部 に 加遠 用 と し て使 用 さ れ た。 これ
ネ20 代 型 発動 機 を使 用 す る こと にな って いた 桜花 三 〇 代、 四〇 代、
桜 花 四 三型
い たが 、 こ れら 設 計 を組 合 わ せ る計 画 は完 成 し て いな か った。
の タ ーボ ジ ェ ット発動 機 と 、 V 一に基づ く脈 動 ロケ ットを試 験 し て
終 戦 時 、 日本 海 軍 はさ ら に ド イ ツ のB MW 〇 〇 三 に基づ く 三 種類
わ めて 貧 弱 であ る と 日本 人 に は考 え ら れ て いた 。
廠 は航 空機 発 動 機 を生 産 し た経 験 が な か った ので、 技 術 の点 ではき
横 須 賀 航 空廠 は九 台を 、 横 須賀 工廠 は 一 二 台 を完 成 し た。 横 須賀 工
てら れ た。 後 に日 立と 三 菱 にも 生 産が 割当 てら れ る。終 戦 ま でに、
〇 台 、舞 鶴 工廠 は 二〇 台 、 佐世 保 工廠 は 一五 台 を製 造 す る よう 割 当
横 須 賀 工廠 は 一ヵ月 にネ 20代 発 動機 の四五 台 を、 呉 と広 工廠 は 二
ら ロケ ットは 、 平塚 の第 二海 軍 火薬 廠 で製 造 され た火 薬 に よ って 霞 ヶ浦 の第 一海 軍 航 空廠 が製 造 した 。火 薬 ロケ ット の明 細 は次 のと お りで あ った。
ジ ェット発 動 機 軸 流 タ ーボ ジ ェット発 動 機 ﹁ネ 20﹂ は、 ド イ ツ のBM W〇 〇 三 型 を かた ど ったも のであ る。 写真 プ リ ントだ け が ド イ ツ の潜 水艦 から 入手 でき、 完 全 な 図 面 を運 ん だ潜 水 艦 は沈 没 した 。 こ の発 動機 は横
よ う にな って い た。 一式 陸 攻 と 銀 河 は、 計画 さ れ た大 き な 重量 の桜
五〇 代 型 は 、発 進 方法 が 異 な る ほ かは 同 様 であ った。 桜 花 三〇 代 型
須 賀 の第 一海 軍 航 空技 術 廠 で開発 さ れ た。 桜 花 の三〇 代 型 、 四〇 代
花 三〇 代 型 を運 搬 す る母 機 と し て は不 適 当 であ る と考 え ら れ た。 桜
は、 中 島 で製 造 し た 母機 Ri t a ( 陸 攻連 山 ︹ G8N1︺)から発 進 す る
ネ20 は、直 径 二四 ・五イ ン チ、 長 さ 一〇 五 イ ン チ、重 さ 九 九〇 ポ
花 五〇 代 型 は、 母 機 に曳 航 さ れ て進 攻 す る方 式 を と る よう計 画 さ れ
型 、 五 〇 代型 と橘 花 は、 こ の新 し い開 放型 ジ ェ ット を装 備 す る よう
ンド 、 燃 料 は 六五 オ クタ ン ・ガ ソリ ンで あ る。 こ の発動 機 の台上 試
に設 計 され た 。
験 は横 須 賀 で行 な わ れ て成 功 し た。 ついで テ ス ト発 動機 が 橘 花 に取
た 。 し かし 、滑 走 路 の長 さ が 桜 花 を曳 航 し て発 進 す る に は不 足 し、 こ の方 法 は単 に構 想 だ け に終 わ った。 も とも と、 日本 本 土沿 岸 を 防衛 す る た め に設 計 さ れ た桜 花 四〇 代
終 戦 時 、 最 初 の桜 花 四 三型 は完 成 し て いな か ったが 、 一基 の大 型
カ タ パ ルトが 横須 賀 西方 の武 山 に建 設 さ れ、 桜 花 四 三型 のパ イ ロ ッ
ト に対 す る カ タ パ ルト射 出 訓 練 に使 用 さ れ て いた。
二 六 フ ィ ー ト三 イ ンチ
ら 海 軍 の飛行 機 であ り、 陸 軍用 に は生 産 され な か った 。そ の開 発 は
ネ 20 の開発 に つづ い て ﹁ 橘 花 ﹂ の歴 史が はじ まる 。 これ はも っぱ
花
幅 二 六 フ ィ ー ト九 イ ンチ
橘
翼 長
三型 の明 細 は次 のと お り であ る。
型 は、 陸 上基 地 のカ タ パ ル トで射 出 す る こ と にな って いた 。桜 花 四
全
一、 七六 〇 ポ ンド
五、 五〇 〇 ポ ンド
橘 花 は ドイ ツのMe 二六 二 型 の設 計 に基 づ き、 桜 花 四 三型 に使 用 し
の飛行 機 を設 計 し製 作 し た。
横 須 賀 の第 一海 軍航 空 技 術廠 で行 な わ れ たが、 中 島 の小泉 工場 が こ
正規 重 量
一二 五︱ 一七 五 マイ ル
頭 部爆 弾 航続 距 離 桜 花 四 三型 の生産 は次 のよう に計 画さ れ て い た。
この飛 行 機 も 特攻 機 と し て使 用 す る 予定 で あ った。 製 作 に要 す る マ
た の と ま った く 同様 な ネ 20型 タ ーボ ジ ェ ット発 動 機 二台 を 装 備 し た。
ンア ワ ーズ は 、最 初 、 海 軍 の単 発 戦闘 機 の三分 の 一と見 積 ら れ たが 、
実 際 に生 産 し た結 果 、完 成 ま で の マ ンア ワ ーズ は約 六〇 % を 必要 と
す る こと が わ か った 。胴 体 には 鋼が 、 翼 には ジ ュラ ルミ ンが 使 用 さ
の下 に始 動 ロケ ットが 取 付 け ら れ、 着 陸装 置 は 切 り離 し でき る よう
れ た。 ほ ら穴 の中 に格 納 す る た め、 翼 は折 りた た み式 と さ れ た。 翼
設 計 さ れ た。 こ の飛行 機 は、 パ イ ロ ットが 投 下 でき る 一、 一〇 〇 ポ
こ の よう にパ イ ロ ットが 爆 弾 を 投 下 でき る こ と は、純 然 た る自 殺
ンド爆 弾 一個 を 搭 載 し た。
的 な人 生 観 で は なく し て 、 おそ ら く パ イ ロット に戦 って生 き 残 れ る
チ ャ ンスを あ た え るよ う にな った傾 向 を示 すも ので あ る。 こう し た
変 化 に、 志 願者 で はな い特 攻 機 パイ ロ ット の士 気 の低下 を 改 善 し よ
う とす る企 て が あ らわ れ たも のと 思 わ れ る。
橘 花 の生産 計 画 は 次 のと お り であ った。
橘 花 の主 要寸 度 と 性能 は、 次 のと おり であ った 。
最高速力
航続力
三 七 五 マイ ル (海 面)
三 七分 ( 海面)
四 二〇 マイ ル ( 高 度 二 万 フィー ト)
四 九分 (高 度 二 万 フ ィ ート)
中 島が 実 際 に生産 した のは、 五月 に 一機 の構成 テ スト機 、 六 月 に
二 回目 の試 飛 行 のさ い墜 落 し た 一機 の飛行 テ スト機 、 七月 に発 動機
と着 陸装 置 のな い三基 の機 体 であ った。 九 州 飛行 機 会 社も 生 産 を は
じ めたが 、 終 戦 時 ま で に 一機 も完 成 し な か った 。
﹁キ 一 一五 ﹂ ( 陸 軍 )、 ﹁ 藤 花 ﹂ (海 軍)
日本 陸海 軍 の航 空部 隊 は 、小 型 の標 準 星型 発動 機 を 利用 し 、 ア ル
ミ ニウ ムを節 約す るた め薄 い圧 延 鋼 の生 産 能 力を 活 用 し て、 安価 で
こう し た飛 行 機 の開 発 を リ ード し 、 これ に ﹁キ 一 一五﹂ と いう 名称
容 易 に 生産 でき る特 攻 機 の開発 に大 き な関 心 を持 って い た。 陸 軍が
高 三二 ・八 フィ ート
一〇 フ ィ ート
低 翼、 単 座 席
幅
調 査 に よれ ば 、 ただ 一回 の飛行 に必 要 な最 小 限度 のも のの ほか は、
双発 全
三 〇 ・三 フィ ート
二型 、栄 一 二 型 、金 星 四 一型 ま た は寿 二型 を 利用 す る 計 画 であ った。
装 備す る発 動機 とし て は、 陸 軍 は ﹁ハ 一 一五﹂ を 、 海軍 は瑞 星 一
こ の飛 行 機 はき わ めて 簡 単 な設 計 を結 合 し たも ので あ り、 厳 密 な
全 長
す べ て のも のが 完 全 に除 かれ て いた。
を あ た え、 海 軍 は これ を ﹁藤花 ﹂ と 呼 ん だ。
全
一四 二平方 フ ィ ート 五 、〇 七〇 ポ ンド
プ ロペ ラ は 三翼 の ハ ミル ト ン型 であ った。 こ の飛行 機 の興 味 あ る特
重
翼面積 自
八、 八 一八ポ ンド
七 、 七 一六ポ ンド
いた こ と であ る 。
徴 は、 パ イ ロ ットが 一 一〇 〇 ポ ンド爆 弾 を投 下 でき る よ う にな って
正規荷重
一、 五 四 三 ポ ンド
過荷重
三、 一九 六ポ ンド 一、 一〇 〇 ポ ンド
燃料搭載量 ( 正規)
弾
燃料搭載量 ( 最 大) 爆
藤花 の生 産計 画 は次 のと お り であ った。
(1) 未定 (2) ︹ 編 者 注 、 原 文 は ﹁一八﹂ に な ってい るが 、﹁ 一八○ ﹂ のミ スプ リ ント か も し れな い 。︺
正規荷重
六 八五 マイ ル
五、 二九 一ポ ンド
一一八 ・八 ガ ロ ン
五 、 五 一二ポ ンド
三 二 二 マイ ル ( 高 度 一四、〇 ○ ○ フ ィー ト)
過 荷重
燃 料搭 載 量
航続力
最高速力
翼 面 積 を 一五 五平方 フ ィ ート に ふや し、 運 動性 能 を よく し 、 フラ
ップ を追 加 し 、着 陸 時 の より よ き緩 衝 器 を装 備 し、 パイ ロ ット の視
最 初 の設 計 と試 作 は中 島 飛行 機 の三鷹 工場 で、 生 産 は中 島 の太 田
界 を よ り よく す る改 良 さ れ た操 縦 室 とす る よう な 修 正が 計 画 され た 。
工 場 で行 な われ た。
終 戦 時 ま で に、 中 島 の三 鷹 工場 は 二二機 を試 作 し、 太 田 工場 は 戦
争 末期 に生 産 を はじ め た。 こ の両 工場 の 一ヵ月 の生産 は 次 のと おり で あ った。
生 産 さ れな か った。
を示 す 。 一九 四 五年 八月 に生 産 開始 を予 定 され て い た他 の工場 では
写真第三六 ︹ 省略︺は、太 田 工 場 の流 れ作 業 場 に お ける ﹁キ 一 一五﹂
二 七 ・八 フ ィ ー ト
三 一 ・八 フ ィ ー ト
一
低 翼 、単 葉 機
主 要 寸 度 と 性 能 は 次 の と お り で あ った 。 単発
長
幅
搭 乗員 全
日本 に おけ る無 人 航 空機 の製 作 は、 母 飛行 機 の コ ント ロー ルで無
無 人航 空 機
全
一〇 ・二 フ ィ ー ト
高
三 、 七 四 八 ポ ンド
全
重
一四 一平 方 フ ィ ー ト
自
翼面積
的 に三 〇機 を生 産 した。 一九 四 五年 に は、 次 の よう な割 合 で イ号 B
川崎 はイ 号B で三 菱 よ りも よ い成 果 を お さ め、 一九 四 四年 に実 験
で き て いた と いう。
ロー ル のV 一ま た はV 二と い った ド イ ツ方 式 のも のは 生産 さ れ な か
線 誘 導 す る ミサ イ ル に限 ら れ て い た。 日本 で は、 ジ ャイ ロ ・コント
ったが 、 実験 用 V 一ロケ ット ・モ ー タ ーは製 作 中 で あ った 。 一九 四
が 生産 さ れ た。
か ら約 八 マイ ルの距 離 で イ号 を 目標 の大 体 の方 向 に発進 し、 つい で
ト の高 度 を 維 持 す る。 キ六 七 の Peggy (四式 重 爆 撃機 ) は、 目 標
母機 に よる ダ イ ビ ング と横 の コント ロー ルで海 面 上 約 一〇 〇 フ ィー
と 十分 に太 刀打 ち でき る性 能 を 持 って いた。 日本 の戦 闘 機 に は装 甲
闘機 は米 国 のそ れ より軽 量 で小 さ な寸 度 であ った ので、 米 軍戦 闘 機
の であ り 、絶 えず 改 良が 加 え ら れ た。 多 く の機 種 の中 で、 日本 の戦
設 計 上 か ら見 れ ば 、 日本 の航 空機 は戦 争初 期 には かな り 適当 な 濫
設計 の特 徴
必要 に応 じ て舵 をと り なが ら イ 号 を しば ら く フ ォ ローする 母 飛行 機
ったが 、 終 戦時 ま でに は、 戦 術 用 に設 計 さ れ た全 機種 に は装甲 板 み
と 防弾 燃 料 タ ンクが な か った ので、 米 軍機 の火 力 に対 し て脆 弱 であ
四
す る進 攻 防衛 に役 立 つま で には 開発 さ れ て いな か った。
ろ によれ ば 、 イ号 B は 耐 久性 が あ ると は考 えら れ ず、 日本 本 土 に対
は 試飛 行 のさ い破 壊 し たと いう 。 日本 陸 軍省 の当事 者 が 述 べ たと こ
れ た各 務 原 工 場 に は 一機 のイ号 Bも 見 当 ら ず、 立 川 に送 ら れ たも の
完 成 し た イ号 B は、立 川 の陸 軍航 空 廠 に送ら れ た。 空 襲 で破 壊 さ
足 し た ので 生産 を 中 止 し たが 、 六 月 に は小規 模 の生産 を再 開 し た。
三菱 の名古 屋 工場 から受 げ と った。 一九 四 五年 五 月、 推 進 動力 が 不
川崎 の生 産 は各 務 原 工場 (岐 阜県 ) で 行 なわ れ た。 推 進 動力 は、
四年 七 月 、 三菱 航 空機 会 社 は ﹁イ号 A ﹂ と称 す る 誘 導 ミ サイ ルの製 作 を 陸 軍 から 発 注 を受 け た 。 同 じ ころ 、 川崎 航 空 機 工業 会 社 に対 し て、 ﹁イ 号 B﹂ と 呼 ぶ小 型 誘 導 ミ サ イ ル の開発 が 発 注 さ れ た 。主 要 寸 度 と 性 能 は次 のと お り であ る 。
イ号 A と B の推 進 動力 は、 海 軍 の特 攻機 ﹁秋 水﹂ と 同様 に濃縮 過 酸 化 水 素 と 水 化 ヒド ラジ ン の ロケ ット ・モー ター であ った。 水上 艦
と し て計 画 さ れ た。 イ 号 は生 産 段階 に達 し て いな か っ距 が 、 試験 の
艇 に向 け て発 進 す る た め に設 計 され たプ レ セ ット高 度 計 によ って、
結 果 はま った く 満足 で き るも のであ り﹂ 戦 争 末期 に は生産 の準備 が
し 戦争 末 期 にな ると 、 ジ ュラ ル ミ ン板 の材質 と 強 度が 低 下 し はじ め
ので さえ あ れば 、 外 国 の現 代 の熟練 さ にじ ゅう ぶ ん 匹敵 し た。 し か
たし か に、多 く の場 所 で発 見 さ れ た実 験 飛行 機 には 、進 歩 し た設
ゥ ムが 使 用 さ れ、 銅 そ の他 の合 金 物質 が 不足 した た め)、 設 計 と 生
た ので (ジ ュラ ル ミ ン板 の製 造 に大 量 の スク ラ ップ と 二次 ア ルミ ニ
自 動 密閉 タ ンクが 装 備 さ れ る よう にな った。
計 の特 徴 ( 高 圧密 閉 の搭 乗員 室 と 操縦 室 、 層流 翼 、 カウ ンタ ー ロテ
産 は 歩 み よ ってど っち つかず の物 も あ らわ れ、 適 当 な 設計 によ って
ー テ ィ ング ・プ ロペ ラ、 ターボ 直 接 駆動 過 給 器、 ジ ェ ット加 速 離 陸
ミ ン部 品が 薄 鋼 板 部贔 と 鋼 取 付部 昂 に代用 さ れ、 鋼 を は じ め真鍮 の
生 産 す る慣 例 から大 き く 逸 脱 し てし ま った。多 く の場 合、 ジ ュラ ル
リ ベ ットさ え ジ ョイ ント に使 用 さ れ た。 こう し た組 合 わ せ に よる 電
装 置 、 ロケ ット型 発 動 機 な ど) が 見 ら れ た。 し か し、 こう し たも の
たと え 日本 の航 空機 工業 の生産 が わ れ われ の空 襲 のた め に妨 げ ら
の殆 んど は、 ま だ 生産 段 階 には い って いな か った 。
れ な か った と して も、 ま った く新 し い機 種が 一九 四 六年 春 ま で に実
って し ま った。 し か し、 絶 縁 物 と か特 別 の被 覆 に よ って 、 こう し た
ジ ョイ ン ト の腐 食 を 防 ぐ努 力 は見 られ な か った。 航 空機 の作戦 に使
食 の た め に、 構 造物 は明 ら か に急 速 に劣化 し、 つい には 台無 し にな
用 でき る寿命 は短 く ても よく 、 構造 物 は 予定 の任務 を達 成 す る の に
用 化さ れ て い た かは疑 わ し い。 日本 の航 空 に関 す る調 査 研 究 は、 諸
への適 用 はさら に少 な く とも 一年 おく れ て い た よう に思 われ る。 日
耐 え れば よ い、 と おそ らく 予 想 さ れ て いた から で あ ろう 。
外 国 にく ら べれ ば 少 なく とも 一年 な いし 一年 半 おく れ て おり、 生 産
にお いて最 新式 のも のに す るた めに 必要 な 研究 調 査 能 力 と才 能 に欠
本 の技 術 者 た ち は外 国 の技 術 の進 歩 に気 づ いて いた が 、 日本 は 大体
生 産 にたず さ わ った数 名 のド イ ツ人が まだ 日 本 に抑 留 さ れ てお り、
計 によ って、 こう した 欠陥 を 明 ら か に少 な く し よう と し た。 設 計 と
ド イ ツ はジ ェットと ロケ ット推 進航 空 機 に関す る般 新 の数 個 の設
だ が 、 こう した木 材 の広 汎 な使 用 は 、米 国 戦略 爆 撃 調査 団 航 空機 部
ら れ た 。金 属 の代 り に殆 ん ど完 全 に木材 を 使 用 した も のも あ った。
面 、 尾 部組 立 、前 方 は操 縦室 ま で の機 体 に木材 を 使 用 し た数 例が 見
物 を 木製 にす る よう 積 極 的 に考 慮 す る よう に な った 。翼 端 、 尾翼 翼
っき り し た ので、 設 計 者 た ち は、 手 おく れ であ った と し ても 、構 造
一九 四五 年春 ま で に、 ア ル ミ ニウ ムの補 給 が つづ かな い ことが は
われ わ れ は彼 ら と イ ン タ ビ ュー し た。 M e 一六 三 ( 単 座 席、 無 尾部 、
け て いた。
ロケ ット戦 闘機 ) とM e二六 二 (双 発 ジ ェ ット推進 戦 闘 機) の 日本製
の注 意 を ひ かな か った。
行 の準備 が 完 成す るま で に、 本 土 防衛 用 の特 攻機 への切 替え が は じ
軍 用 機 で は 一般 に透 明 プ ラ スチ ックが使 用 さ れ て いる操 縦 室 の天蓋
使 用 さ れ て いる のが 、 操 縦 室 のあ ち こち に見 られ た。米 国 や 英 国 の
用 さ れ る ノ ッブ、 ハンド ル、 小さ な コン ト ロー ル ホイ ー ルに木 材が
プ ラ スチ ック材 料 も 不 足 し て いた 。普 通 は 成形 プ ラ スチ ックが 使
実 験 用 サ ンプ ルも 発 見 し た。 JU M O〇 〇 四 ジ ェット発 動機 の試作
ま り、 ロケ ット と ジ ェ ット動 力 に対す る重 点 は桜 花 型 に転換 さ れ た。
が はじ めら れ て い た。 し か し、 こう し た発 動 機 によ る最 初 の試 験 飛
構 成 上 の設 計 は おお む ね適 当 で あ り、 利 用 でき た材 料 が適 当 なも
て いた。
と 窓 や機 銃 の おお い に、 こなご な にこ われ る普 通 の ガ ラ スが 使 われ
空 廠 に輸 送 す る途 中 で行 な われ る ことが 少 な くな か った。 こ のよう
し かし終 戦 時 ご ろ に な ると 、 こう し た試 験 飛 行が 引 渡 し をう け る 航
に試 験 飛行 の標準 が おち た 原因 も 、 燃料 が 不 足 し た から であ った。
発 動機 は 、 一〇 台 ご と に 一台 が 摩擦 試 験 のた め に分 解 さ れ 、 つい
練 習機 の大 部 分 に ついて は 、試 験 飛行 が ま ったく 行 な われ な か った。
これ ま で観 察 し た代 用 材料 の中 で最 も 興 味 あ る こと の 一つは、 前
の設計 は、 利 用 でき た材 料 を 最 も経 済 的 に使 用 した適 例 と いえ る。
で試 験 運 転が 行 な わ れ た。 開 戦 時 に は、 こう した 検査 が 発 動機 の全
述 し た純 然 た る特 攻 機 ﹁キ 一 一五 ﹂ に見 ら れ た。 つま り 、そ の全体
そ こ に は、 無 用 の装 飾 と いう も のはな く 、 ま ったく 純 然 た る実 用第
部 に ついて実 施 さ れ た の であ るが 、 時 と い う要 因 のた め にそれ が で
き なく な り、 こ のよ う な便 法 が 採用 され た のであ る 。
一主 義 であ った。
開 戦 時 の発 動 機試 運 転 の時 間 は、 陸 軍 で は約 七時 間 、海 軍 では 約
九 時 間 とな ってい た。 こ の数 字 は、 一部 の発 動機 はも っと長 い時間
質
大 体 に お い て、 生産 さ れ た航 空 機 の品 質 は戦 争 の最 後 の六 ヵ月 間
が 必 要 であ った が練 習 機 の発 動機 はそ れ よ り短 か った ので、 そ の平
品
に大 き く低 下 し た 、と いえ る よう に思 われ る。 この よう に質 が 低 下
五
し た 原因 は、 工場 に対 す る爆 撃 と 日本 の海 上 交 通線 の封 鎖 に よ る装
る。 日 本陸 海 軍 の当事 者 は、熟 練 工員が 不足 し た ので機 体 の質 が 大
機 体 の質 を 必要 条 件 から 評価 す る のは 、 いく ぶ ん困難 な こと であ
一九 四 五 年 六月 、 こ の要求 は 二時間 一 一分 に短 縮 さ れ た。 つまり 、
和 した 。 こ のう ち 二時 間が 一次 運転 、 一時 間が 二次 運転 で あ った 。
いた 日本 海軍 は、 一九 四 四年 夏 にな ると 、 そ の要 求 を約 三 時 間 に緩
戦 争 の初期 に は七 時 間 の 一次 運 転 と 二時 間 の二次 運転 を 要 求 し て
摩擦 運 転 で あ った。
の陸軍 の標 準 時 間を 示 す 。発 動 機 の検 査 を 徹 底的 に切 り つめた の は
第 3表 の 2は 、開 戦 時 と終 戦 直 前 におけ る発動 機 試 運転 に つい て
均 を 示 し たも の であ る 。
置 と 補給 物 資 の不足 であ った。 機 体 、 発 動 機 お よび 原 料 の品 質 検査 記 録 は 、終 戦 時 に処分 さ れ て し ま った。 わ れ われ が 入 手 した資 料 の全 部 は、 日本 陸 海軍 当 事 者 に
き く 低 下 し たと 述 べ た。 機 体 の質 に影 響 し た大 き な要 因 の 一つは、
二〇 〇 〇 、 二 二〇 〇 回転 でそ れ ぞれ 一〇 分間 、 二四〇 〇 回転 で五 分
毎 分 六〇 〇 、 八〇〇 、 一〇 〇 〇 、 一四〇〇 、 一六 〇〇 、 一八〇 〇 、
対 す る尋 問 によ るも ので あ る。
思 う よ う に ジグ と 取付 具 が製 作 でき な か った こと であ る。 ジグ の不
摩 擦 運 転 と な った。
動 力 で 一分間 、 合 計 三 五分 間 に五 回 の始 動 、総 合 計 二時 間 一一分 の
間 、最 初 の定 格 馬力 で 一〇 分 間、 第 二 の定 格 馬 力 で 一〇分 間 、 離 陸
足 のた め に、 取替 えが 事 実上 で き な くな ってし ま った 。 これ が 質 を 低 下 さ せる 結 果 とな った こと は言 う ま でも な い。 開 戦 当 初 は む ろ ん のこと 終 戦 の数 ヵ月 前 ま で の航 空機 の試験 飛行 は、 二時 間 から 三 時間 にわ た り、 そ の間 に 五回 の着陸 が 行 なわ れ た 。
付表第 3の2 陸軍発動機試験 の条件
試 験 の条 件 を緩 和 し た最 大 の理 由 は、航 空 ガ ソリ ンが ひじ ょう に
小 さな 部 品 の生 産 で は、 鋳 物 の寸 法 と 一般 品 質 に っいて 従前 より
験 室 を建 設す る 資 材 の不 足 に よ る のであ った。
も 大 きな 公 差が 認 めら れ た。 当 事 者 の見 解 に よれば 、 精 密 さ はが ま
一九 四 四年 六月 以 降 に な ると 、原 料 の不足 の程 度が ま す ます 大 き
ん でき な い ほど ま で に低 下 し たと いう。
った。 一例 をあ げ れ ば、 次 の表 は ク ラ ン クシ ャ フト の鋼 の合金 に使
く な って き た。 最 大 の問 題 点 と な った原 料 は合 金 に必 要 な も のであ
用 す る材 料 が、 い か に減 少 し た かを 示 し てい る。
日本 の航 空機 工業 は、 殆 んど す べ て の材 料 に つ いて、 これ と同 様
金 属 の調 達 が ひ じ ょう に困難 と な った ので、 な んと か して 生産 を
な状 況 に直 面 し た。
つづ け る た め に は、 マグ ナリ ウ ム熔 材 のき ず に ついて の条 件 を緩 和
不足 し たこと であ る 。 こ の困 難 を克 服 す る た め、 ア ル コー ルと メ タ ノ ー ルを まぜ た低 品質 の ガ ソリ ンと 水 噴射 方 式 が 試 験運 転 に使用 さ
航 空 機 生産 の材 料
こ の報告 では 、 航空 機 工業 の原 料 を 主と し て ア ル ミ ニウ ムと マン
第四章
し なけ れば なら な か った。
れ た。 これ で は良好 な結 果 が 得 られ ず 、 多 く の困 難が 生 じ た。 ﹁ハ 三 五﹂ に見ら れ た 大き な困 難 と、 一九 四 四年 七 月 の ﹁ハ四五﹂ の同 様 な困 難 のた めに 生産 が 低 下 し、 検 査標 準 を 変 更 す る こと と な った 。 試 験 室 の不足 も 、発 動 機 の試験 時 間 を短 縮 す る 理 由 の 一つとな っ た。 こ の不足 は、米 軍 の爆 撃 に よる被 害 と、 拡 充 のた め の新 し い試
ガ ン の合金 と 各 種 の鋼 ( 鋼 合金 、 高炭 素鋼 、 普 通鋼 ) の 二 つの主 要
の条 件 に ついて行 な われ た 。 と こ ろが 航 空機 計 画 の拡 大、 平 時 よ り
方 式 が考 案 され 、 ア ルミ ニウ ム の見 積 り は、 一九 四 四年 の予想 所 要
も 大 きな 戦 時 の材 料 の無 駄 使 い、 要 求 され た 多く の種類 と形 状 お よ
量 では 一機 あ た り 約 五 ・五 ト ンに増 大 し た。 こ の五 ・五 ト ンと いう
び 大き さ によ る隙 路 を な くす る た め に ア ルミ ニウ ムを貯 蔵 す る 必要
航 空 機 用 の原 料製 造 会 社 は、 四 つの工業 地区 に集 中 し て いた。 主
数 字 は、 と り わ け ア ル ミ ニウ ムを イ ンゴ ットか ら仕 上げ た飛 行 機 ま
な 種 類 に限 定 す る。 航 空機 の生 産 にも、 そ の他 の使 用 にく ら べれ ば
な 製造 会 社 の名 称と 工場 のあ った地 名 は、 付 録 第 8 に示 し てあ る。
で の平 均 供 給 時間 を 減 らす よう 航 空 機 工業 に対 す る 指令 から見 ても 、
から 、 こ の予想 はま ったく 低 すぎ る こと が わ か った。 そ こで新 し い
こ の会 社 の リ スト には 、鋼 と ア ルミ ニウ ムお よ び銅 に限 ら れ、 シー
爆 撃 機 よ りも ア ル ミ ニウ ムの所 要 量が 少 な い戦 闘 機 に重 点 が集 中 さ
量 は少 な か ったが 、 き わ め て重 要 な各 種 の非 鉄金 属 材 料が 必要 であ
ト、 バ ー ・チ ュービ ング、 型 か ら押 出 し、鍛 造 の 工場 だけ が 含 ま れ
る。
て いる 。 ビ レ ット の精 製 会 社 と製 造 会 社 は、 米 国 戦略 爆撃 調 査 団 の
れ た こと か らも 、 全 体 の必 要 量 と し て適 当 であ る こと が わ か った 。
企 て は見 ら れ な か った 。 一九 四 二年 にな ると 、 陸 海軍 と も に ( ある
前 には 、 航 空機 計 画 の た め原 料 の条 件 を は っき り決定 し よう と す る
ア ルミ ニウ ムと マグ ネ シ ウ ム部 門 に集 申 され て いた 。 一九 四 二年以
と こ ろ で は、 八、 九 ヵ月 分 は十 分 で あ る ことが わ か った。 し か し、
ン の不足 で大 騒ぎ し て いる よう であ るが 、 工 場 に つい て調 査 し た
ら ば 、 こ の問 題 は解 決 でき な い。 た と えば 、航 空 機 用 ジ ュラ ルミ
れ ば な ら な い。 わ れ われ が 従来 の よう な方 法 で これ を 処 理 した な
ア ンバ ラ ンスな 材 料 の問 題 は、 統 制 の方 法 によ って解 決 しな け
七 日 に東 京 で開 かれ た会議 の席 上 で次 のよ う に述 べ た。
省 航 空需 品 部 総務 課 の海 軍大 佐 小 田 原俊 彦 は、 一九 四 三年 一 一月 一
る ことが でき な か った ので、 こう し た晶 目 の供給 が 不足 し た。軍 需
し か し、 個 々 の特 定 の品 目 に つい ては、 そ の必要 量 を適 正 に見 積
基 本 材 料 報告 の中 に述 べら れ て い る。
一 材 料 の統 制 一九 四三 年 以前 には、 日本 陸 海 軍 の航 空 機 用原 料 の条 件 に対 す る
程 度 、米 国 と 英 国 の方 法 に なら って)、各 飛 行 機 の必要 と す る も の
特 定 の品 目 は 一ヵ月 半 分 し かな い 。 こう し た材 料 を製 作 す る計 画
全 体 の統制 は限 ら れ て お り、 主 と し て統 制 は政 府 が 新 た に助 成 し た
ップ と廃 物 にな る量 を考 慮 に入 れ て、 計 画 し た 飛行 機 に必要 な ア ル
を 推 定 し て ア ルミ ニウ ム の所 要 量 を 予想 した 。 こ の推 定 は、 スク ラ
は途 方 にく れ て い る。
に適 用 さ れ た。 日本 政 府 は ニ ッケ ル、 コバ ルト、 タ ング ステ ン、 モ
ア ル ミ ニウ ムの状 況 に ついて の分 析 は、鋼 そ の他 の材 料 にも 同 様
リブ デ ン、そ の他 の合金 材 料 の適 当 量 を貯 蔵 して いな か った ので 、
ミ ニウ ム の量 と、 生 産 を必 要 と す る シー ト、 ロ ッド 、 パ イプ 、 ワイ
一九 四 三 年 の所 要 量 の予 想 は、 見 積 った 飛行 機 の生 産 に おけ る 一
ヤ、 鍛 造 お よ び鋳 造 材 料 の量 を 基 礎 と し たも のであ る。
機 あ た り の平均 重 量 を 四 ・五 ト ンとし 、 日 本 の生 産 に要 求 す る 平均
合 金鋼 が ひじ ょう に不 足す る結 果 と な った。 も しも 戦 争が つづ いて い たな らば 、 航 空機 工業 を ま った く無 力 にし て いたと 思 われ る 計画 上 の大 き な欠 陥が 、 航 空機 の生 産 に使 用 す る 個 々の材 料 の分 析 にも
危急原料
は っき り見 られ た。
二
し 、 これ は生 産 のピ ー クで あ った 。 ボ ー キ サイ ト の主 な供 給 源 は南
方 地域 ︱︱ マレー、 ピ ン タ ン島 、 パ ラ オ︱ ︱ であ った の で、 そ の補
給 は ま った く 船 舶 に依 存 し た。 空 と海 から の封 鎖 によ って南 方 のボ
ーキ サ イ ト供 給源 と の連 絡が 切 断 さ れ た ので、 ア ル ミ ニウ ム の年 闘
生 産高 は 一九 四 四年 五月 の 一八万 ト ンから 一九 四五 年 六月 ま で に 二
万 ト ンに滅 少 し た。 こ の生 産高 は、 空海 の封鎖 強 化 のた め に北部 中
国 か ら 頁岩 が 入手 でき な く な った ので、 さ ら に減 少 し て い たも のと 思 わ れ る。
こう し た ア ルミ ニウ ム供 給 蚤 の減 少を 埋 め合 わ せ て航 空機 の生産
ア ルミ ニウ ム ア ルミ ニウ ムは航 空 機 の生 産 にと って重 要 で あ る ので 、 日本 国 内
計 画 を 維持 す るた め、 あ ら ゆ る努 力 が 払 われ た。 戦 前 の航 空機 生 産
の進 展 と とも に、 航 空機 生 産 に割当 てる 比率 は 一九 四 四年 末 ま で に
の残 り は 民需 と航 空 機以 外 の軍事 用 途 に使 用 さ れ た。 と ころが 戦 局
に は ア ルミ ニウ ム生産 高 の六 割が ふり 向け ら れ て い た にすぎ ず 、 そ
を はじ め朝 鮮 と 満 洲 およ び台 湾 にア ルミ ニウ ム生産 施 設 を早 期 に建 設 す る こ とと な った。 朝 鮮 の ア ル マイ ト と北 部 中国 の ア ルミ ニウ ム
一〇 〇 % に増 加 した 。 つま り、航 空機 以外 の ア ル ミ ニウ ム の使 用 は
を 含 む 頁岩 を 使 用 し て、 一九 三 三 年 ご ろ 生産 が はじ めら れ た。 こう
ンのイ ンゴ ット に達 した 。 し かし 、 こ れ ら は ア ル ミ ニウ ム の原料 と
し た原 料 によ る生 産 は、 一九 三 六年 ま で に 五、 八〇 〇 メート ル ・ト
取 止 めら れ た の であ る。
国 の方 式 を採 用 し た 。 し か し、 こ のス ク ラ ップ の割 合 は 一九 四 四年
鉱 石 から じ か に造 ら れ た金 属 に二〇 % 未 満 の ス ク ラ ップ を まぜ る 米
に ついて も言 え る。 戦争 の初 期 に は、 日本 は航 空 機 の生 産 用と し て 、
これ と 同 じ こと が 、 二次 また は スク ラ ップ の ア ルミ ニウ ムの使 用
し て は、 ボ ー キ サイ ト よりも 満 足 で き な い こと が わ か った 。 ボ ー キ サ イ ト の不足 が 深 刻 にな り は じ めた ので 主 と し て頁岩 によ る 生産 を 二倍 にし た 一九 四四年 ま で、 これ ら 原 料 に よ る ア ルミ ニウ ム の生産
ミ ニウ ムは、 ボ ーキ サイ ト によ るも のよ りも 品 質 が ひ じ ょう に劣 っ
高 は実 質 的 に増 加 し な か った。 頁 岩 と ア ル マイ トを原 料 と す る ア ル
工場 から 出 たも のが 大 部分 であ った。 破 損 し た航 空 機、 家 庭 用品 、
に低 下 し た 。使 用 し た スク ラ ップ は、 不 要 の航 空 機 と ア ルミ ニウ ム
貨 幣 など によ って、 増 大す る ア ル ミ ニウ ム の所 要 量 を ま かな った。
秋 に増 加 し た の で、 そ の後 に利 用 でき た ア ルミ ニウ ムの品 質 は急 激
ボ ー キ サイ トを 原 料と す る ア ルミ ニウ ムの生 産 は 一九 三 七 年 に は
た。 日本 本 土 で入 手 でき た粘 土 に よる 生 産 を開 発 し よう と し たが 成
じ め られ た。 そ の生 産高 は、 一九 四三 年 四 月 一日 から はじ ま った会
こう し て、 供給 され た ア ル ミ ニウ ムの 八割 は スク ラ ップ であ り、 鉱
功 せず 、 パ イ ロ ット工 場 の段 階 から 一歩 も前 進 しな か った。
計 年度 に、 一三 万五 千 ト ン のイ ンゴ ット へと急 速 に増 加し た 。 し か
機 の生 産 要 求 を みた す た め 二次 ア ルミ ニウ ムの量が 激 増 し た こ とが
アル ミ ニウ ム生 産 は航 空機 の生産 よ りも 大き く 減少 し た の で、 航 空
を たど った の で、 ア ルミ ニウ ム の所 要 量 も減 少 し た。 し か し、 一次
し か し、 大 量 の低品 位 の ア ルミ ニゥ ムが 、 ア ンバ ラ ン ス の状 態 を
石 から じ か に造 った も の は 二割 にす ぎ な か った。
いく ら か 埋 め合 わ せ た こと は別 と し て、 飛 行機 の生 産要 求 を み た し
付 図 にあ ら わ さ れ て いる 。
の理 由 によ って航 空 機 の生 産 が 大 き く減 少 し た ので 、終 戦 時 には 低
画 を達 成 す る に は 一次 ア ルミ ニウ ム の生産 全 部 を航 空機 に割 当 て る
こと と な り、 割 当 てら れ た ア ルミ ニウ ムの量 で は不 足 し た ので 、 計
一九 四三 年 の秋 、軍 需 省 の設 置 と とも に航 空機 を急 速 に増産 す る
え た か は疑 わ し い。 ア ル ミ ニウ ム ・イ ンゴ ットを こし らえ てか ら 飛
品 位 のア ルミ ニウ ム の大 部 分 は お そ らく む な しく 貯 蔵 さ れ て、 無 駄
必 要が あ った 。 一九 四 四年 の晩 夏 に航 空機 増 産 の割 合が ゆ るや か と
行 機 を 仕上 げ る のに 四 ヵ月 から 七 ヵ月 の長 期間 を 必 要 と し、 そ の他
の よう な も のにな って い た。 主 と し て鋼 合 金 の供 給 が 逼 迫 した た め
の航 空 機 生産 のピ ー クを つづ け る た め に は、 これ に必要 な ア ルミ ニ
な り、 そ の年 の秋 に急 速 に減 少 した ので、 よう やく ア ルミ ニウ ム の
ウ ムが 得 ら れな か った と思 わ れ る。 軍 需 省 が提 案 し た よう に、航 空
危 機 を 避 ける ことが でき た 。 一九 四 四年 九月 に逮 した 二、 五〇 五 機
付 図 第 4 の1 は、 ボ ー キ サイ トと そ れ以 外 を原 料 と す る 一次 イ ン
の で、 二次 アル ミ ニウ ムの使 用 量 は限 られ た 程度 にすぎ な か った 。
ゴ ット の生 産 高、 これが 航 空 機 への配分 、 二次 ア ルミ ニゥ ムの使 用
機 の 一ヵ月 生産 を五 、 〇〇 〇 に増 加 す る の は不 可能 であ った であ ろ
で はあ ったが 、 作 戦上 の困 難 が 大き く な り 飛行 機 の生産 が 減 少 し た
を あ らわ す 。 比較 のた め に、 ア ル ミ ニウ ム の生産 所 要 量 を 実際 の飛
の全 部 を 使 用 し、 ア ル ミ ニウ ムを 従 来 よ りも 適当 に利 用 し、 ア ルミ
う。 こう し て、 飛 行 機 の生 産 は、 利 用 でき る ア ル ミ ニウ ム の在庫 量
ニウ ムの生 産 工程 の短 縮 に よ って 得 ら れ た水 準 に達 し た の であ った。
行 機 生 産 に使 用さ れ た 一機 あ た り五 ・五 ト ンと し て見 積 り 、 そ の生
個 々の特 定 の品 目が 不 足 し た ので 、 ひき つづ き代 用 品 を必 要 と し、
産 は ア ル ミ ニウ ムの供 給 所要 期 間 を 考慮 し て六 ヵ月あ と も ど り さ せ て 図面 に示 して あ る。 飛 行機 の総 生 産 高 の曲 線 を 比較 の た め にか か
五 〇 〇 機 を生 産 す る には十 分 であ ったで あ ろう 。 一九 四 五 年前 半 に
五 万 五千 ト ンか ら 六万 五 千 ト ンと 見 積 ら れ て いた。 こ の数 量 は 二、
一九 四五 年 一月 一日現 在、 貯 蔵 量 と 供給 過 程 の ア ルミ ニウ ムは 約
結 局 のと ころ 、 航空 機 の生産 は下 降 傾 向 を たど らざ る を えな か った。
げ て お いた 。 一次 お よび 二次 ア ルミ ニウ ムの航 空 機 生産 に対 す る配 分 量 は、 一
必 量 要 よ り 多 か った 。 こ の期 間 に ア ルミ ニウ ム生 産 高 は 増大 し、 実
航 空 機 の月 産 は 一、 五〇 〇 機 に低下 した ので、 必要 な材 料 の数 量 も
九 四 二年 と 一九 四 三 年上 半 期 に 予定 さ れ た 飛行 機 を 生産 す るた め の
一九 四三 年 下半 期 と 一九 四 四年 の第 一 ・四半 期 に は、 ア ルミ ニゥ ム
行 さ れ て いた航 空 機 の増 産 のた め に貯 蔵 量 を ふ やす 必 要が あ った 。
必 要が あ った が 、 そ の ため には適 当 にバ ラ ンス のとれ た 品質 の約 六
減 少 し た。 戦 争 を 遂行 す る には 一〇 、 七 七 六機 の飛行 機 を 生 産す る
一九 四四 年 下半 期 と 一九 四五 年 上半 期 の航 空機 生 産 高 は下 降 傾 向
の供給 状 況 は逼 迫 を示 し た 。
付 図 第 4の 1 航 空 機 生産 に 対 す る アル ミニ ウ ムの供 給 量 と所 要 量 (四 半 期 の 比較)
*飛 行機の四半期生産率4500機に対す るアル ミニ ウム所要 量
の ア ルミ ニウ ム のう ち 、 そ の半 分 だ けが 平 均 よ り低 い品 質 のも の で
万 ト ンの ア ル ミ ニウ ムを 必要 と した。 一九 四 五 年 一月 一日 の手 持 ち
あ ったが 、 た と え 生産 でき て い たと し ても 、 一九 四 五年 後 半 に生産 さ れ た ア ルミ ニウ ムの品 質 は ひ じ ょう に低 いも のであ った と 思 われ る。 一九 四 一年 一月 一日 か ら終 戦 時 ま で に、 日本 は約 二万 ト ン の 一次 ア ルミ ニウ ムを生 産 し た 。 これ に四 万五 千 ト ンの 二次 ア ルミ ニウ ム を 加 えな け れば なら な いo終 戦 時 のア ル ミ ニウ ム は、 大ざ っぱ に見 て 貯蔵 と供 給 過 程 に両 分 さ れ て いた と 見積 ら れ た。 飛 行 機 の生産 が 維 持 さ れ て いた な らば 、 一九 四 五年 には ア ル ミ ニウ ムの供 給 不足 の 程 度 はひ じ ょう に大 き く、 飛 行 機 の生 産 を大 幅 に縮 減 し なけ れば な らな か った。 日本 が 戦争 の末 期 に特 攻 機 に 重点 を お いた の は、 二次 ア ルミ ニゥ ムと代 用 物 資 を利 用 でき た から であ ると 思 わ れ る。 特 攻 機 には 二次 ア ルミ ニウ ムと 木材 およ び普 通 鋼が 広 く 使 用 さ れ、 高 い
ウ ム の供給 量が 少 な か った ので 、着 陸 用 車輪 や 外被 など への使 用 量
は絶 え ず制 限 さ れ て いた 。 終 戦時 の手 持 ち は、 ひじ ょう に限 ら れ た
れ た の で、 そ の供 給 量が 少 な いた め に航 空 機 の生 産が 低 下 し た こと
貯 蔵 量 だ け であ った 。 し か し、 マグ ネ シウ ムの所要 量 は い つも 得 ら
は な か った。
銅
戦 前 の日本 は 、銅 を採 掘 す る よ りも 精錬 した大 量 の銅 を輸 入 し た。
戦 時 中 の全期 間 を 通 じ て、 銅 の供給 量 が 不足 し た ので、 き び し い割
ン の三〇 ・三% が 航 空機 工業 に割 当 てら れ た。 こ の数 量 は合金 と ワ
当 てが 行 な われ た 。 一九 四 四 年 に は、 銅 の総 生 産 量三 一、〇 〇 〇 ト
イ ヤ お よび 管類 の必 要 量 を か ろう じ て み たし、 こう し た品 目 の不足
が しば しば 報 告 され た 。 飛 行機 の生 産が 最 大限 に維 持 され て いた な
し、 実 際 に は所 要 量を い つも み た した ので、銅 の 不足 によ って航 空
ら ば 、 一九 四 五年 には 銅 の供給 量 は不足 し てい たと 思 われ る 。 し か
機 の生 産 に支 障 を 来す こと はな か った。
マグ ネ シウ ムは、 ア ルミ ニウ ム の合 金 、着 陸 用 車 輪、 ブ ラ ッケ ッ
当 な 量 の普 通鋼 が 、 ジ グ と取 付 具 お よび 工場建 設 に 用 いら れ た。 航
航 空機 工 業 で は、 大 量 の特 殊 合 金鋼 と 高炭 素 鋼 が使 用 さ れ た。 相
き た。
品 質 の少 量 の材 料 を巧 み に使 用し て 相当 な 計 画 を実 行 す る こ とが で
ト 、外 被 、 取 付台 、 カバ ー お よび 類似 の都 品 に、 航 空 機 工業 で使 用
空 機 の生 産 に必要 とし た 特殊 鋼 と 普 通鋼 の配分 を 詳 しく 述 べ た付 表
航 空 機 用鋼
さ れ る 。 日本 の マグ ネ シウ ム生 産 量 は、 生 産 の規 模 が ひ じ ょう に小
の供 給 量 は大 体 にお い て航 空機 生 産 の所要 量 に十分 で あ った が 、特
第 4 の1 と 2 には、 計 画 量 と供 給 量 の関 係 が 示 され て いる。 普 通鋼
マグ ネ シウ ム
さ か った点 を 除 けば 、 ア ル ミ ニウ ム の生 産 に類似 し て いた 。生 産 高
殊 鋼 の供 給 は 一九 四 四年 と四 五 年 に 不足 し た。 そ れ は、 航 空機 の生
はピ ーク の年 であ る 一九 四 四 年 に四 、九 四 七 ト ンに達 し た 。全 体 の 生 産 のう ち九 割 は、 い つも 航 空機 の生産 に割 当 て られ た 。 マグ ネ シ
付表第 4の 1 航空機生産原料 〔特 殊 鋼(1)(単 位:1000メ
ー トル ・ トン)〕
(1) 1944年 と1945年 の特 殊 鋼 に は,合 金 鋼 のほ か 高 炭 素鋼 を含 む 。 (2) 1945年 第 2 ・4半 期 の 内訳 数 字 は 入 手 で き なか った 。
付 表 第 4の 2 〔普 通 鋼 1(単
位 :1000メ ー トル ・ トン)〕
( 1) 1 937年 か ら1943 年 まで の普 通鋼 に は 高 炭 素鋼 を含 む。 ( 2) 海 軍 航 空 部 隊 の み 。
産 に必要 と す る 材料 の供給 が 最 も 不 足 し た発 動機 の製 作 、着 陸 装 置 、 モ ータ ー取 付 台 、 タ ー ミ ナル ・フ ィテ ィ ング を生 産 す る のに必 要 な 高 い引 張強 さ の合 金鋼 の供給 の不 足 であ った。
特 殊鋼 の生 産 は付 表 第 4 の 3 に示す よう に急 速 に増 加 した にも か
合 金 鋼 と高 炭 素 鋼 に向 け ら れ た。
かわ らず 、 す べ て の重 要 な鉄 合 金 鋼 は開 戦 直後 に は軍部 の要 求 を み
合 金 と高 炭素 鋼 を増 産 す るあ ら ゆ る努 力 にも か かわ ちず 、合 金 金
た す に は 不十分 であ り 、 そ の状 況 は戦 局 の進 展 と とも に悪 化 し た。
属 の不足 によ って生 産が 制 限 さ れ ただ け で なく 品 質も 急 速 に低 下 し
日 本 は 一九 三 七年 から 終戦 時 ま で、 各 種 鋼 の総 生 産 量 で は実 質 的
料 部 の報告 )、 付表 第 4 の3 に示 す よう に、 重 点 は生 産 量が 一九 三
た。
な増 加 を は か る ことが でき な か ったが ( 米 国 戦略 爆 撃 調査 団 基 本 材
八年 の三 二万 八千 ト ンから 一九 四 四年 一 一八 万 五千 ト ンに増 大 し た
一九 四 一年 前 の 日本 は、 マンガ ンと ク ロ ムの所 要 量 の約 四分 の三
航 空 機 工業 には 特別 に割 当 てら れ 、 一九 四 四年 の合 金鋼 の配分 は
供給 さ れ た普 通 鋼 と特 殊 鋼 の数量 は、 一機 あ た り九 ト ンの割 合 であ
一九 四 四年 の飛行 機 生 産 のた め に 一九四 三年 後 半 と 四 四年 前半 に
最 も 優 先 的 に考 慮 され た。
一九 四 三年 以降 にな る と、 マンガ ン の不 足 の た め に鋼 の生 産 量が 減
り、 こ の期 間 に供給 され た これ ら鋼 は品質 の点 で は相 当 に低 下 し て
を生 産 し、 不 足 の分 は 主 と し てイ ンド と フ ィリピ ンか ら輸 入 し た。
一九 四 四年 には そ の六 割が 供 給 さ れ たと 見積 ら れ て いる。
航 空 機 発動 機 不 足 の影 響
使 用 し た ので 厳密 な "検査 の苦 労 " をな め生 産 上 の困 難 にぶ つか っ
合 金 鋼 の仕 様 書 を変 更 し なけ れ ば な らず、 発 動 機 工 場 で の代 用品 を
て いた の で、 こ う した 不足 は突 然 に起 こり、 そ の結果 、 製 鋼 所 では
プ ロペ ラ の製 造 工業 に供給 す る特 殊鋼 の割 当 ては 優 先的 に行 なわ れ
ン鋼 の供 給 は 一九 四四 年 一二月 に、 それ ぞ れ なく な った。 発 動機 と
ム ・モリブ デ ン鋼 の供 給 は 一九 四 四 年 一 一月 に、 ク ロム ・モリブ デ
の供 給 は、 同 年 一 二 月 には ゼ ロと な ってし ま った 。 シリ コン ・ク ロ
少 し は じ めた バ ルブ の製 作 に使 用 す 為 シ リ コン ・ク ロム鋼 の在庫 量
一九 四 三年 には コバ ルト の供給 が 不足 し た。 一九 四 四年 七 月 に減
有 量 の鋼 で差 支 え な い よう な適 当 な 熱 処理方 法 を 開 発 でき な か った 。
よう に思 われ る 。 日本 は適 当 な代 用 品 を製 作す ると か、低 い合金 含
鋼 に必 要 な合 金 金属 が ひじ ょう に不 足 し た こと に密 接 な 関係 が あ る
し はじ め、 飛 行 機 の生 産 が 低 下す る にい た った。 こ のこ と は、特 殊
年 一〇 月 か ら 一一月 に かけ て 発動 機 の完成 量が 明 ら かに需 用 に不足
後 は部 分的 に減 少 し た。 そ のた め、 連 合国 の爆 撃 開 始 前 の 一九 四 四
航 空 機発 動 機 の生産 は 一九 四 四年 前 半 に横ば い状 態 と な り、 そ の
三
い た。 そ の後 の品質 は さら に悪 か った 。
少 した 。 ク ロムに つい て見 れ ば 、 一九 四 三年 に は所要 量 の九割 が 、
ニ ッケル、 コバ ルト、 タ ング ステ ン、 バ ナジ ウ ム、 チ タ ン、 モリ ブ デ ン の不足 は、 ク ロムよ りも 深 刻 であ った。 日本 は こう し た重 要 な金 属 を僅 かし か生産 し な か った 。 ニ ッケ ルは ニ ュー カ レド ニアと セ レベ スから 、 コバ ルト はビ ル マか ら、 バ ナジ ウ ムは ペ ルー と米 国
日本 の特 殊 鋼 生産 状 況
か ら、 モリブ デ ンは米国 と満 洲 (ごく 少 量) か ら輸 入 し た。 付表 第 4 の3
(単 位 = 一〇 〇 〇 メ ー ト ル ・ト ン )
一九 三 七︱ 四五 会 計 年度
(1) 第 一・四 半 期
た。
使 用 す る真 剣 な努 力 が 見 ら れた 。す な わ ち、 一九 四四 年末 には炭 素
ド、 シリ ンダ ー胴 ) が 四 五〇 馬 力発 動機 に つい て試 験 され 、 一九 四
五年 七月 ま で に炭 素 鋼 部品 の生産 が 一八〇 〇馬 力 発 動機 のた め に完
鋼 の発動 機 部 品 (ク ラ ンク シ ャ フト、プ ロペ ラ シャ フト、 接続 ロッ
成 した。 し かし、 そ の試 験 は終 戦時 ま で に完 了 しな か った。排 気 タ
一九 四三 年 か ら四 五年 ま での状 況 が、 発 動 機 に ついて は三 菱 の報
っき り した 。 一九 四三年 五月 に コバ ルト、 ニッケ ル、 ク ロムが ひ じ
需 省が 承 認 し た変 更 に適 用 さ れ た特 殊鋼 の多 数 の代 用 品 の調 査 で は
ったが、 これ ら は 生産 段 階 に は達 しな か ったと いわ れ る。
ービ ンと ロケ ット タ ービ ン用 の非 ニッヶ ル耐熱 鋼 の試験 はうま く行
告 ( 航 空機 部 報告 第 一) によ って、 発動 機 と プ ロペ ラに ついて は軍
ょう に不 足 し た ので、 一 一の仕様 書 が変 更 さ れ た。 多 く の場 合、 こ
四月 ま で陸 軍航 空 廠 か ら注 文 を受 け た 八五 七台 の発 動機 のオ ーバ ー
川 崎航 空 機 工業 会 社 の明石 工 場が 一九 四四年 四 月 か ら 一九 四五年
し た多数 の こま か い困 難 は、 鋼 の品 質 の低 下 に よる のであ った。
発 動機 の性 能 の低 下 、着 陸 装 置 の不 良 に よる飛 行 機 の破 損、 直 面
う し た変 更 には モ リブデ ンと タ ング ステ ンを 代用 す る ことが 含 ま れ て いた。 し か し 一九 四 三年 末 にな ると、 モリブ デ ンと タ ング ステ ン の供給 が 不 足 し はじ め、 一九 四 四年 五月 ま で に不足 の程 度 が ひ じ ょ
こう した 特 殊鋼 に見 られ た 変更 と 発 動機 の生 産低 下 と の関 係 は付 図
シャ フト の欠陥 の ため に修 理 でき ず 、 そ の他 は戦 闘 に よる 破損 と整
ホ ー ルのさ い、 そ のう ち 四五 七台 は材料 、 と りわ け軸 受 と ク ラ ンク
う に大き く な った ので、 少 な くと も 二〇 種 類 の合 金 鋼が 変 更 され た。
第 4の 2 ︹ 略︺に示 さ れ て おり、 そ れ によ って発動 機 の生 産 に必要 な
品質 の低 下 は、 左表 に示 す よう に、 一九 四 三年 には じま った ク ラ
代 用品 のた め に日 本航 空 機 の品 質が 低 下 した だけ でなく 、 製作 上
た。
因 は、発 動 機、 燃 料 系統 、 水 圧装 置 お よび 着 陸装 置 の欠 陥 で あ っ
目 的 地 に到着 でき た と いう 日本 人 の日記 に述 べてあ る。 そ の主な 原
区 に八〇 機 の ﹁キ 八四﹂ 型 を 空輸 し たと き、 わず か に 一四機 だ けが
例が 、 一九 四 四年 一月 四日 、 日本 か ら フ ィリピ ンの リ ンガ エン湾 地
ら わ れ て いる。 欠 陥 のあ る材料 と 不 適当 な 整備 に ついて の顕 著 な事
一九 四四 年末 から 一九 四五 年 に かけ て は七〇 % に増 加 し た こと にあ
二年 と四 三年 には 四〇 % で あ った が、 一九 四四年 初 め には五 七% に、
着 陸装 置 の欠 陥 の指数 は、 予備 と し て発 注さ れ た割 合が 、 一九 四
備 不良 に よるも の であ った。
特 殊 鋼 の構 成が 変 更 を余 儀 な くさ せ られ た数 を知 る ことが で き る。
ン ク シャ フト 合金 鋼 材料 の変 化 にあ ら われ てい る。
ク ロム の備 蓄 量 が少 な く な った とき 、 炭素 鋼 を 従来 よりも 大 量 に
の困 難が 一九 四 四年 六月 に はじ ま った 航空 機 生 産 の減 少 にも ひ じ ょ う に大 きく 影 響 をあ た え た。 代 用品 の使用 によ って航 空 機 の生 産が 回復 でき て いた か は疑 わ し い。
第 五章
部 品 と構 成 部分 の製 造
一 プ ロペ ラ工 業
日本 のプ ロペ ラ の設 計 は、 米 国 より 五年 以上 おくれ て いた。 日本
木 材、 ゴ ム、 プ ラス チ ック お よび羽 布 な ど の非 金属 品 目 は、 そ の
産 さ れ た釣 合 い のと れ た古 い ニ段 ピ ッチ のも のであ った。 特 に こ の
スタ ンダ ード社 から製 造 権 を買 いと り、 住友 と 日本 楽器 の両社 で生
のにす ぎ な か った 。最 も 多く 生 産 され たプ ロペ ラ は、 ハミ ルト ン ・
で 生産 さ れた プ ロペ ラは 、外 国 の設 計 を 一部 変更 し た り改 作 したも
使 用 は限 ら れ ては い るが 、 飛行 機 の坐 産 にと って必要 な も の であ る。
プ ロペ ラ の飛行 機 と発 動 機 に対 す る稼 動 限度 が戦 争 の末 期 に明ら か
非 金 属品 目
こう し た品 目 の 不足 と代 用 品 を 必要 と し た ので、 飛 行機 の品質 はさ
戦 局 の進 展 と とも に、 とり わ け ア ル ミ ニウ ム の代 用 品 と して の木
ら に低 下 し、多 く の場 合、 飛行 機 の生産 が 減 少す る にい た った。
上 の多 く の困 難 があ ったが 、 能 率 のよ いV DM 式 プ ロペ ラに重 点 を
ンア ワーズ が 必要 であ り、 ま た、 適 当 な鋼合 金 の不足 によ って製 造
おく こと とな った。 フ ラ ンス の ラチ エ式 プ ロペ ラ の生 産 は相 対 的 に
とな った ので、 ドイ ツのV D M式 プ ロペ ラの生 産 に は七 割以 上 の マ
る た め、 一九 四四年 夏 ま で に、 殆 んど 全 部 の飛 行機 に つ いて調査 が
重視 さ れ な か った。 こ のプ ロペ ラは陸 軍 戦 闘 機 Frank (疾 風) だ
材 の使 用が 増 加 し た。 少 なく と も 一部 の木 材 を 代用 品 と し て使 用す
ラ翼、 輸 送機 と 爆 撃機 の翼 と尾 部 に使 用 す る代 用 品 は生 産 段階 にま
行 な われ た。 多 く の場 合 、特 に練 習機 と 特攻 機 、 プ ロペ ラとプ ロペ
で 進 ん で いた。 Tabby (零式 輸 送機 二 二型 ︹ L 2D3︺ ) に ついて は、
四 五年 七 月 に量 産 に は い ったば かり であ った 。 ア ルミ ニウ ム の代 用
ア ル ミ ニゥ ム の代 用 品 と し て の木製 プ ロペ ラ翼 が あ らわ れ、 一九
け に使 用 さ れ た。
た。 鋸 で平 ら に切 った薄 板 を 重ね 合 わ せな い木 材 の スパ ーが 一般 に
水 蜜 ニカ ワ の不足 と幼 稚 な 合板 技 術 の た めに 日本 で は実 現 しな か っ
て いた。
品 と し て開 発 され た鋼 のプ ロペ ラ翼 は、 限 られ た生 産 の準備 が でき
胴 体 のほ か翼 と尾 部 にも 木 材が 使 用 され た 。 飛行 機 の全 木製 化 は、
使 用 さ れ た。
一五 〇 〇馬 力 発 動機 で 動力 を 供給 す る 二 つ の試 験室 が 使 用 され た に
実 験 作業 は 主 とし て 住友 の神崎 工場 で集中 し て行 な わ れ た。 だが 、
す ぎ な い。 一つの小 さ な風 洞 が 一九 四 五年 に完 成 し た。 し か し、振
日 本 は生 ゴ ムを 生産 す る広 大な 地 域 を占 領 し た にも か かわ らず 、
ゴ ム輸 送 を重 視 しな か った ので 、日 本 は絶 え ず ゴ ム に不足 し た。
船 舶 が 思う よ う にな ら な か った戦 争 末期 に いた るま で、 日本 への生
日本 が適 当 な プ ロペ ラの調 査 研究 に欠け た こ とが、 飛行 機 の設 計
動 と 応 力 の分 析装 置 は殆 ん ど なか った。
を 考 慮 し てプ ロペ ラ の設 計 を 思 い切 って改 善 し なく て も 可能 であ る
け る 日本 航 空機 の効 果 的 な行 動が 、特 によ り よき振 動 と 応力 の分析
に見 ら れ た遅 れ の 一要 因 であ った に ちが いな い。 よ り高 い高 度 にお
休 憩 に 一 ・八時 間 が あ てら れ た。 従 業 員 の大 部分 ︱︱ 八五% ︱ ︱ は
工場 の従 業 員 は、 週 に七 日間 、 一二時 間 の 二交替 で作 業 し、 食 審 と
な部 分 を製 造 し た。 そ の工場 はよく 計 画 され 装 置さ れ て いた。 こ の
な か った 。 こ の会社 は、 海軍 用 の金 属 プ ロペ ラ全部 と 陸軍 用 の相 当
昼 間 に作 業 し た。 一九 四 四年 の欠 勤 率 の平 均 は 一 二 % であ ったが 、
と考 え る のは理 解 でき な い。
プ ロペ ラ工業 の集中
した。
防 空警 報 が伝 えら れ爆 撃 が行 なわ れ た 一九 四 五年 に は五 〇% に増 加
従来 の仕事 から 完全 に転向 した 日本 楽 器製 造 会社 は、第 二 の大 き
生産 の観 点 から 見 れば 、 日本 のプ ロペ ラ生産 は、 飛行 機 と 予備 品 の所要 量 をみ たす た め早 期 に開 始 さ れな か った。 住友 の大 阪桜 島 工
な プ ロペ ラ製 造 者 であ った。 こ の会社 は、 ハミ ルト ン ・スタ ンダ ー
そ らく ド イ ツ の シ ュワ ル ツ式 によ る) を製 造 し た。 木 材 と金属 を 組
ド式 プ ロペ ラ、 木製 プ ロペ ラ、 金 属 を軸 とす る 木製 翼 プ ロペ ラ (お
合 わ せた プ ロペ ラの生 産 比率 は戦争 中 に増大 し た。 戦争 が つづ いて
におけ る最 大 のプ ロペ ラ工 場) は 一九 四 一年初 め に完 成 し た。 新 し い建 設 と 他 の工場 の拡 張 と 合わ せ た神 崎 工 場 の生 産 に よ って、 プ ロ
場 は 一九 三七年 に設立 さ れ 、大 阪 の西方 八 マイ ル の神 崎 工場 (日本
ペ ラ の総 生 産高 を 一九 四 一年 一月 の月 産 六 七 二 から 一九 四 四年 七 月
いたな らば 、 こ の比率 は さら に大き く な って いたと 思 われ る。
にあ った。 これ ら 工場 の所 在 は、 一九 四 四年 の相対 的 な 生産 を あ ら
の 八三 % を 生産 し た。 この 三工 場 のう ち 、 二 つは 大阪 に 一つは浜松
ロペラを 製 造 し た。 (プ ロペ ラ会 社 と そ の工 場 に関す る詳 細 は、 米
け であ った。第 四 の会 社 の川 西航 空 機 は、 練習 機 用 の少 数 の木製 プ
品 は、金 属 製 で 電気 コント ロー ルの フラ ンスの ラ チ エ式 プ ロペ ラだ
社 は、 そ のピ ー ク のと き 日本 の総 生産 の六% を生 産 し た。 そ の生 産
日本 に おけ る第 三 のプ ロペ ラ製 造 者 であ る 日本 国際 航 空機 工業 会
の 五、 二五 七 に増 加し た。 一九 四 四年 ま で に、 プ ロペ ラ の生産 は八
わ す 棒線 と とも に付 図第 5 の1 に示 さ れ て いる。 こ の付図 から 明 ら
国戦略 爆 撃 調査 団 航 空機 部 ﹁報 告 第 三、 第 六、 第 八 およ び第 九﹂ を
工場 を 有 す る三 会社 で行 な われ た。 これ ら 工場 のう ち の三 つが 全 体
住 友金 属 工業 プ ロペ ラ製 造所 は、 一九 四 一年 一月 か ら終 戦時 ま で
録第9︹ 略︺にあ る。
プ ロペ ラ生産 の変 化 は付 図第 5 の2 に、 そ の詳 細な 生産 統計 は付
参照)
かな よ う に、 プ ロペ ラ工場 は浜松 地 区 と大 阪 地 区 に集 中 し て いた。
に日 本 の全 プ ロペ ラ生産 の六 五% を 製作 し た。 こ の製造 所 は、 一九 四 五 年 に生 産 し た四 〇〇 の金属 補 強 木製 プ ロペ ラを 除 い て、 ハミ ル ト ン ・スタ ンダ ード ( 米 国)と V D M ( ド イ ツ) 式 の金 属 プ ロペ ラ のみ を製 作 し、 そ れ は約 二四種 類 の大き さ の異 な る も の であ った。 こ のよう に大き さ が 多数 であ った ので、 生 産能 力 を フル に利用 でき
)
付 図 第 5の 1
日 本 の プ ロ ペ ラ工 場(1944年
付 図 第 5の 2
の 生産 状 況
製 造者 別 プ ロペ ラの 生 産
付 図第 5の 3 飛 行 機 製造 に 必 要 な プ ロペ ラとそ の 生産 の関 係 (生産 と所 要量 の差 が 予備 と して利 用 で きる) (付録 第 9〔 略〕,第10の 2 と14を 参照)
生産 上 の諸 問題 点
プ ロペ ラ の生産 が 一九 四 四年 八 月 に低 下 し て横ば い状 態 と な った
まず い計 画 、 労働 能 率 の低 下 によ る生 産 上 の困 難が 増 大 し た こと で
直 接 の原 因 は 、設 計 の変更 、 ハブ 部品 の製造 に必要 な合 金鋼 の不 足、
あ った。 合 金鋼 の不 足 によ る困 難 の程 度 は、 付 表第 5 の1 のプ ロペ
ラ製 造 仕 様書 の変 更 に示さ れ て い る。 こう した 変更 の都度 、 プ ロペ
一九 四 四年 に達 し た最 大 の割 合 で飛 行機 の生 産 を つづけ る には、
ラ の品質 は 低 下 し生 産 と操 作 上 の困難 が 大 きく な った。
ロペ ラと し て使 用 でき る数 量 は、 一九 四 二年 一二月 の新 し い飛行 機
プ ロペ ラ の供 給 量が 不足 し た 。付 図 第 5 の3 に示す よう に、 予 備プ
に要 求 さ れ た 七三% か ら 一九 四 四年 九 月 のピ ーク生 産 時 に は六 五%
に減 少 し た。 そ れ か ら終 戦 ま で の期 間、 予 備 プ ロペ ラ の割 合 は 生産
の割 合 は 生産 の低 下 と作 戦 にお け る大 き な消 耗 の た め に急 速 に減 少 し た。
プ ロペ ラ工業 の疎 開
一九 四 四年 一 二 月 、 日本政 府 は住友 プ ロペ ラ 工場 に疎 開 を命 令 し
た。 一九 四五 年 三月 、 住 友 は神 崎 工 場 を六 ヵ所 に疎 開 を はじ め、 そ
の主 な疎 開 地 は 広野 の ト ンネ ルと森 林 であ った。 わ れ われ の爆 撃 機
によ る最 初 の大規 模 な 空襲 (一九 四 五年 六 月 一五日) の当 時、 工作
機 械 の約 三 割 と 人員 の 二割が す で に疎 開 し て い た。 残 り の工作 機 械
の三 二% は空襲 に よ って 破壊 さ れ、 二 六% は損 害 を こう む った。 仕
上げ 組 立 ク リ ー ン ア ップ 以外 の作業 は永 久 に止 ま った。 翌 七月 、 重
い生産 工 具 の 五〇 〇 のう ち 二七 を除 く 全 部が 疎 開 さ れ た。殆 んど 空
付 表 第 5の 1
プ ロペ ラ材 料 の修 正 リス ト (軍需 省 承認)
にな った 工場 は、 七 月 二四 日 の空 襲 で完 全 に破 壊 さ れた 。 静 岡 工場 は 五 月 に疎 開 を はじ め 、 同地 に対 す る 六月 一九 日 の空 襲 のとき には、 そ の 工作 機 械 の六割 を疎 開 さ せて い た。 残 って い た工 作機 械 は破 壊 され た。 津 工 場 は終 戦時 ま で疎 開 し な か った。
そ の他 の構 成部 分
資 料 は 入手 でき な か った 。
二
航 空機 工 業 の 一七 % にあ た る構 成部 分 の製 造 業者 は、着 陸 装 置、
の生 産 に 必要 と す る多 数 の付属 品 を 生産 し た。構 成 部 分 の リ ストが 、
航 空 機 工業 に おけ る相 対 的 な立 場 を 示す 主な 構成 部 分製 造 業 者 と と
車 輪 、 タイ ヤ、 通 信装 置 、 発動 機 とプ ロペ ラ の装 置 、 お よび 飛 行機
も に付 録第 7 にか かげ ら れ て い る。 こ こ で述 べ て おき た い こと は、
日本 楽 器 は 一九 四 五年 一月 に疎 開 を 計 画 し たが 、浜 松 に対 す る 五 月 一九 日 の空 襲 当時 に は天龍 川 工場 は 機械 類 を 疎開 し て いな か った 。
だ が 、 六月 二六 日 の 空襲 によ る損 害 はひ じ ょう に軽微 であ った。
一〇 日 にB 29 一機 の攻 撃 を受 け た。 工作 機 械 の三割 が 損 害 を こう む
こ の工 場 の半 分 は破 壊 さ れ 生産 が 止 ま った。 浜 松 の主 工場 は、 六月
に、 無線 機 の生産 の 六七% が 三 会 社 と 三 工場 に、 磁 石 の生 産 の 六〇
疎 開 前 に は、 着 陸装 置 の生産 の 六 八% が 五 つ の工場 を有 す る二会 社
構 成 部 分製 造 業 者 は下 請 業 者 と は別 個 の存 在 であ った。 機 体 、発
下 請 業 者 と の関 係
を 示 し た。
有 す る 二会 社 に集 中 さ れ て いた 。 そ の他 の品目 の生産 も 同 様 な集 中
% が 四 工場 を 有す る 一会社 に、軸 受 の生 産 の八三% が 五 つ の工場 を
り 、 そ の後 の生産 はす で に製 作 した 部品 で組 立 て た少 数 のプ ロペ ラ だ け にま で低 下 し た。 平塚 の 日本 国際 航 空 工 業 は 六月 初 め に疎 開 し た。 そ の当時 に操 業 し て いな か った こ の工 場 は、 七 月 一六 日 の平 塚地 区 に対 す る空 襲 と 七 月 三〇 日 の海 軍 機 によ る攻 撃 を受 け た。福 井 工場 も 六月 に疎 開 し、 こ の地 に対す る七 月 一四 日 の空襲 に よ って 九割 が 破 壊 され たと き に
動 機 およ びプ ロペ ラ製 造 業 者 は政 府 から直 接 注文 を 受け 、 構 成 部分
は 操業 して い な か った 。 プ ロペ ラ工場 に対す る空襲 は、 終 戦 に比較 的 近 い時 期 に行 な われ
製 造 業 者も これ と 同様 であ った。 これ に反 し 、下 請 業者 は主 な製 造
品 目 の供 給 に限 られ て い た。 主な 品 目 は構 成部 分製 造 業 者 か ら飛 行
た。 プ ロペ ラ生 産 の約 八割 は神 崎 、 桜 島 お よび 浜松 の諸 工 場 に集 中
機 生 産 に必 要 とす る数 量 を飛 行 機製 造 業 者 に直 接 供給 し 、 そ の他 の
し て いた ので、 これら 工 場が 一九 四 五 年 六月 以 前 に破 壊 さ れ た こと
れ る 。 し か し、損 害 を こう む ったプ ロペ ラを 再 加 工 し、 予備 品 のプ
数 量 は 予備 と し て使 用 す る た め陸 海 軍 の航 空廠 に納 入す る 規定 のも
いる 場 合が あ る かも しれ な いが 、 一般 に下 請業 者 は実 験 と 取 替 え の
ロペ ラ を使 用 し て、 しば らく の間 は 低下 した割 合 であ っても 飛 行機
業 者 か ら注 文 を受 け て仕 事 を した 。製 造 業 者が こ の双方 の種 類 に は
の生産 が 維 持 され てい た の かも し れな い。 付 録 第 9︹ 略︺も製 造 さ れ
と に政 府 か ら発 注 さ れ た。 飛 行機 製 造 業者 は、 ひ じ ょう に不 足し た
は、 機械 類 の疎 開 を妨 げ 生産 の 回復 を 大き く お く ら せ たも のと思 わ
た 予備 プ ロペ ラ の数 量 を示 す 。 予備 プ ロペ ラ の消 費 の割 合 に関 す る
場 合 の ほ か、 生産 のた め陸 海 軍 の航 空廠 に付属 品 の供給 を 要 求 し な
襲 によ って損 害 を こう む ったとき でも 影響 を受 け な か った。
一四 日、 五 月 二 三 日、 二 四 日、 二 五 日 の東 京 と 川崎 地 区 に対 す る空
京 から 仙台 と滝 野 川 に疎 開 し た の で部分 的 には 損害 を 受 け な か った
着 陸 装 置 と車 輪 の生産 は、 萱場 製 作所 が 一九 四 五年 四 月 まで に東
か った。
地 区 に集 中 し て いた。 一つ の顕著 な例 外 は 、航 空 機 タ イ ヤ の五 五%
って能 力 の四割 を 失 い、 さら に三月 一 二日 と五 月 一七日 の焼 夷 弾 攻
が 、 名 古 屋 の岡本 工場 は 一九 四 五年 二月 の高 性 能爆 薬 爆 弾攻 撃 によ
疎 開 前 の構 成部 分 の製 造 業 者 の工場 は、東 京 と 名古 屋 およ び神 戸
を 生産 した と い われ る 日本 飛 行機 タ イ ヤ会 社 の 工場 は、 福 岡 にあ っ
況 は ひじ ょう に悪 化 した 。 これ ら 晶 目 の生産 の 六割 は、 東 京南 東 の
の所要 量 を 十 分 み た して い な か った。 一九 四 五年 にな ると 、 こ の状
航 空 機 の放熱 器 と 油冷 却器 の生産 は、支 那 事 変 の当初 から航 空 機
の生産 は大 き な 影 響 をう け た。
不足 のた め に 七月 ま で完 了 し な か った。 こう し て、 着 陸装 置 と車 輪
月、 ご ど う、 一宮 および 垂 井 への疎 開 に着 手 し て い たが、 輸 送 力 の
撃 の ため に 同 工場 は破壊 され て し ま った。 岡 本 工 場 は 一九 四五 年 一
た。
疎開方式 構 成 部 分 の製 造 会社 は、 大 体 にお い て機 体 と発 動機 工場 の疎 開方 式 にな ら った 。 一九 四 五年 初 め 、軍 需 省 の疎開 命 令 は構 成 部 分 工業
に つい て は政 府が 責 任 を と った にも か かわ ら ず、 疎開 が は じ めら れ
蒲 田 区と 神 戸 に 近 い本 荘 村 の深 江 に工場 のあ る 日東 航 空機 器会 社 で
にも適 用 さ れ た。 輸 送 の経 費 、新 し い 工場 用 地 の開 発、 生 産 の低 下
は計 画 の実 施 が のび のび に な って いた 状況 であ った。
た のは 一九 四 五 年春 で あ った。 多数 の小会 社 は疎 開 せず 、 終 戦 時 に
工場 の生 産 は神 戸 に対 す る 空襲 のた め に大 き く減 少 し た。 こ の会 社
製 造 され て いた 。 蒲 田工 場 は初 期 の東 京 空襲 のさ い破壊 さ れ、 深 江
は疎 開 しな か った 。 日東 工 場、 大 阪 金属 工業 会 社 の大阪 工場、 豊 田
いく つか の代表 的 な 事 例 は、 起 こ った こ とを 説明 す る の に役 立 つ
造 し た東 京 計 器製 作 所 と 、同 じ く 川 崎 の北 東 地 区 の木 月 にあ って航
自 動車 会 社 の名 古 屋 工場 は空襲 によ って破 壊 され た ので、 航 空機 冷
と 思 う。 川 崎 の蒲 田区 の北東 部 にあ って航 空 機 始動 機 の六 五% を 製
空 機 コ ンパ ス の五〇 % を 製造 し た東 京 航 空計 器 会社 は、 同 じ所 有 者
却 器 生産 の 八割 以 上が 失 わ れ たも のと思 わ れ る 。
四 五 年 三月 ま で に ﹁き ざ いき ﹂ の地 下 工 場 と長 野県 の地 下 工 場 は操
こと を 理解 し て いた会 社 の幹 部 は 一九 四 四年 に疎 開 に着 手 し、 一九
ベ ヤ リ ング は不 足 し て い たが逼 迫 した状 況 では な か った 。 一九 三 七
行 な わ れな か った ので、 日本側 はと ま ど いし た。 たし か に、 ボ ー ル
爆 撃 目標 に含 め ら れ るも のと 予想 して い た。 だが 、 こう し た爆 撃が
対 す る爆 撃 の教 訓 か ら見 て 、 日本 のボ ー ルベ ヤ リ ング 工場 が最 初 の
日 本側 はド イ ツ のシ ュヴ ァイ ン フル ト ・ボ ー ルベヤ リ ング 工 場 に
のも と で経 営 さ れ て いた 。 こ の両 工 場 は、 これ ら の品 目 のほ か相 当
業 を開 始 し、 約 三万 の従業 員 が 二交 替制 で 一日 に 一 二 時 間づ つ働 い
な 量 の航 空 機 器 具も 生 産 し た。 こ の生 産が 空 襲 で損 害 を受 け やす い
た 。 こ う して 両 地下 工場 の生 産 は、 こ の会 社 の疎 開 前 の工 場が 四月
年 初 め生産 能 力が 大き く 拡 張 さ れ、 生 産 上 の制 約 は 主と して ボ ー ル ベ ヤ リ ング鋼 の品質 が 悪 く 、熟 練 工員が 不足 し た こと であ った。 ボ ー ルベ ヤ リ ング 工 場 の疎 開 は、 一九 四 四年 秋 、 主 と し て福 井、 愛 知、 山 梨 お よび 長 野 の 四県 に積 極的 に行 な わ れ た。 ベ ヤ リ ング 生産 の八 三 % は 二会 社 に集 中 さ れ て い たが 、 こう し た疎 開 を考 慮 す れば 、 効 果 的 な爆 撃 が 実施 でき て いた か は疑 わ し い。
予 備 品 の状 況 構 成 部分 の生 産 は、 ま ず も って生 産 の要 求 に応 じ、 つい で予備 品 の所 要 量 を み たす こ と であ った。 予備 品 の発 注 は、 生産 所 要 量 の% で示 し た見 積 量 によ って行 な わ れ た。 た と えば 、 航 空機 の生産 要 求 のさ い十分 な 数 量 の タイ ヤが 発注 され た。 予 備 品 の割 合 は、生 産 所 要 量 の 一〇 〇 % か ら 三〇 〇 % ま で変 化 し た。 一般 に消耗 の程度 が 小 さ い品 目 の場 合 に は、 これ よ りも 低 い割 合 で予備 品 が 発 注 され た 。 予備 品 の発 注量 と 実 際 の納 入量 を 比較 す れ ば 、航 空機 の構 成 部 分 生 産 に ついて 大体 の状 況が わ か る。 付表 第 5 の2 は、 構 成 部分 の主 要 品 目 に つ いて、 一九 三 九年 から 終 戦時 の七 月 ま で の状 況 を示 し て いる 。所 要 量 が み たさ れ な か った場 合 は、 い つでも 作 戦 上 はむ ろ ん の こと 、 おそ らく 航 空 機 の生産 も あ る程 度 の影響 を 受 け たも のと 思 われる。 最 も 不足 し た構 成 部 分 の 六品 目 の予備 品 の供給 状 況 は、 付 表第 5 の4 に示 し てあ る。 そ こ で は、 実 際 の供 給 量が 発 注 量 に占 める 百分 比 であ らわ さ れて いる 。 一般 に予 備 品 は完 全 に供 給 さ れ な か った。 発動 機 が ひ じ ょう に 不 足 し た理 由 の 一つは 、 明ら か にそ のた め であ
付表 第 5の 4 予備 品 供 給 の 割合 (主 な六 個 の 予備 品 目)
付 表第 5の 2
発 注 と納 入 の予 備 品 陸軍航空部隊用 (%で 示す)
海軍航空部隊用
必 要な予備品数
/生産所要量
カッコのない数字=
納入 した予 備品数
数
カ ッコ内 の数字=
/生 産に使用 した
る。 一九 四 四年 の半 ば で さえ 、 気 化器 の供 給 量 は発 注 量 の半分 にす
機 体 と発 動 機 の生産 よりも 速 や か に 回復 し た。 これ は主 と し て、 こ
を 来 し た。 し かし、 全 体 と し て見 れば 、構 成 部 分 の品 目 の生産 は、
は分 散 によ る困 難 と空 襲 によ る損 害 の ため に、 ます ます 作業 に支 障
航 空機 工業 に対 す る航 空 攻 撃
な 分析 を述 べ る。 そ の分析 は主 と し て1 目標 に投下 さ れ た爆 弾 量 の
こ の章 では 、 日本 の舷 空機 工業 に対 す る航 空 攻撃 に つい て統 計的
第 六章
あ る と考 え る ことが でき る と思 う 。
う し た 品目 の大 きさ が 小 さ か った こ とと、 融 通 のき く 作業 のため で
ぎ な か った。 一九 四五 年半 ば ま で に、 そ の供 給 量 は ゼ ロに近づ いて
こ こで述 べ て おき た い の は、 着 陸装 置 の予備 品 の百 分 比 が 一九 四
いた。
五年 に増 大 し た こと で あ る。 そ の生産 は実 際 には 大き く 減少 し たが、 航 空機 の生 産が 急 激 に低下 し た ので、 大 量 の着 陸装 置 を 予 備品 に流 用 でき た から であ る。 予備 品 を 供 給す る 構成 部 分 工 場 の負 担 は、 不 完 全 な材 料 、 工員 の未 熟 な技個 による破 損 、 実 際 の軍 事 作戦 に よる 消 耗 のた め に、 ます ま す 大き く な ってき た。
見積 り、 2 物 的損 害 と 生産 減 少 の点 から見 た攻 撃効 果 を し めす 米 国
し たも ので あ る。 これ ら のデ ータ を、 米国 戦 略爆 撃 調 査 団図 表 作 成
戦略 爆 撃 調 査 団航 空 機 部 の個 々 の工場 と会 社 に関す る 報告 を基 礎 と
課が 収 集 し た 攻 撃デ ー タ ( 直 接 攻撃 と 間接 攻 撃 に ついて) と関 連 さ
般
構 成部 分 の製 造 業者 に は、機 体 およ び発 動 機製 造 会 社 と同 様 な 方
全
法 で軍 需 省 か ら材 料が 割 当 て ら れ た。 一部 の構 成 部分 の製造 業 者 は
米 国 戦 略 爆 撃調 査 団 航空 機 部 の行 な った調 査 に は、 物的 損 害 と 兵
せ て考 察 す る と とも に、軍 事 分析 課 が 収集 した 数字 と も照 合 した。
器 の有 効 性 に 関す る 詳 し い分析 は含 ま れ て いな い。 こ の点 で特 に興
支 那事 変 の発生 後 に建 設 し た鉄 骨 木 造 工場 で 操業 し て いたが 、 これ
味 あ る 一部 の工場 に つ いて は、 米国 戦 略爆 撃 調査 用 物 的損 害 課 が特
よ り古 い工 場 と戦 争 の末 期 に民需 から転 換 し た 工場 の大 部分 は煉 瓦 と木 材 で作 られ て いた。 こう し た 工場 の多 く は 人 口過 密 な地 区 にあ
日本 の航 空機 工業 が こう む った損 害 は、 二 種類 の攻 撃︱ ︱直 接攻
定 の航 空 機 工場 目標 に関 す る数 回 の詳 細 な調 査 を行 な った。
り、 地 区 爆 撃 のと き に破 壊 さ れ た。 構 成 部分 工場 は 二交 替制 で作 業 し たも のは殆 んど な か った 。 一ヵ
撃と 間 接 攻撃 ︱︱ に よ って生 じ た。 直 接攻 撃 と は、 特 定 の個 々 の工
場 が 他 の目標 を ね ら って投 下 さ れた 爆弾 によ って損 害 を受 け た場合
であ った。 と り わけ 装 置 と 器具 の製 作 では 、 一般 に持 場 ごと に数 個
月 に 二八 日間 、 一日 一〇 時間 の 一交替 瓢 が 、終 戦 時 ま で 一般 の慣 例
着 陸装 置 の生産 の約 一五% と 、機 器 と 電気 装 置 の生産 の五〇 % が
を いう 。 こ う し て、 工場 が こう む った損 害 は、 1都 市 地区 攻 撃 、 2
場 が 特 別 の攻 撃 目標 に な った 場 合を いう。 間 接攻 撃 と は、 特 定 の工
下 諸 に出 さ れ た。 作 業 の 大部 分 は 分散 し た小 工場 で行 な われ た。 こ
近 く の目標 ま た は隣 接 目 標 に対 す る 攻 撃 によ る "ま きぞ え"、 3航
の流 れ 作 業が 行 な われ た。
う し た高 い割 合 の作 業が 下 請 に出 され た ので、 構 成部 分 の製 造業 者
し て考 え られ る 目標 の誤 認 あ る い は爆 弾投 下 技術 に よるも の であ る。
空 機が 行 動 の自 由 の た めに捨 て た爆 弾、 ま た は4 一種 の間 接 攻 撃 と
こ こ で述 べ るデ ー タ の分 析 は、 直 接 攻 撃 と間 接 攻撃 の二種 類 に区 別 す る。
一 戦 略爆 撃 の目標 選 択 日本 の戦時 工業 を爆 撃 で破 壊 す る計 画 を開 発 す る た め、 必要 な 情 報 と 指揮 系統 を含 む 機 構が 早 期 に設け ら れ た。 統 合 幕僚 長 会 議が 、 統 合 攻撃 目 標 グ ル ープ と陸 海 軍 のそ の他 の各 情報 部 の助 言 によ って、 基 本 的 な決定 を行 な った。 こ の決定 は、 陸 軍 航空 部 隊指 揮 官 と海 軍 作 戦 部長 に、 つい で指 揮系 統 を通 じ て作 戦 部 隊 に伝 え られ た。 一九 四 四年 八月 、 統 合 幕 僚長 会 議 の決 定 は全般 攻 撃 目標 の指 令 と し て指 示 され た。 主 とし て連 合軍 航 空部 隊 が 濠 州 で行 な った研 究 の 結 果 、 第 一の攻 撃 目標 に日 本 の航 空 機 工業 、 と り わけ 航 空機 発 動 機 工業 を 選 んだ 。 そ れ 以来 、 こう し た攻 撃 目標 の選 択順 位 には変 更 が
日 本本 土 に対 す る爆 撃 は、 米 軍 部隊 のみ によ って行 な わ れ た。 こ
見 ら れ な か った。
れ に参 加 し た 部隊 は、中 国 と マリ ア ナ諸 島 を基 地 と し た第 二〇 航 空 軍 、 海軍 の空 母機 動 部 隊 (航空 母 艦 部隊 )、 第 五、 第 七 お よ び 第 一 三 航 空軍 であ った。 日本 本 土 に投 下 し た爆 弾 量 の合 計 は、 付 表第 6
ド イ ツの航 空機 工業 に対 す る作 戦 に比 較 す れば 、 日 本 の航 空 機 工
の 1 に示 され て いる 。
空機 工業 に対 し て は、約 二年半 の間 に約 九〇 、六 七 一ト ン の爆 弾 (連
業 に対 す る攻 撃 は規 模 が 小 さく 、 そ の期 間も 短 か った 。 ド イ ツ の航
付 表 第 6の 1
日本 に投 下 さ れ た爆 弾 量
(単 位 = ト ン )
付表第6の2 工業目標に対する直接攻撃 の爆弾量
1 奉 天 の満洲飛行機会社に対する三四九ト ンを含む。
業 に対 し ては、 一三 ヵ月 間 に約 一六、 三〇 〇 ト ン ( 全 投 下爆 弾 量 の
合 軍が 投 下 し た全 爆 弾 量 の約 四 %) が 投 下さ れ た。 日本 の航 空機 工
航 空 部隊 の延 べ 五 三〇 機 、 一回 は第 七航 空 軍 の 一機 に よ って実 施 さ
う ち 七 三 回 は第 二〇 航 空 軍 に よ る延 べ 三、 三 五三 機 、 一六 回 は海 軍
る。
れ た 。直 接 攻 撃 の爆 弾 量 の配分 は、付 表 第 6の 8に 示す と お り であ
目 標 の種 類 によ る投 下 爆 弾 量 の内 訳 は、 米 国 戦略 爆 撃 調査 団図 表
約 九 ・七%) が 投下 さ れ た 。
ー タ は図 表作 成 課 の発 表 から 抜萃 し、 付表 第 6の 2 にま と め てあ る。
は、付 表 第 6の 4 に示 す よう に、 こ れら の地区 の生 産 的 な 重要 性 に
古 屋 お よび 大 阪 は全 体 の八 二 ・二% を占 め た。 こ う した 攻撃 の集中
れた。( ﹁要 約 ﹂ の付 図 第 1 の 3を 参 照)。 七地 区 のう ち、 東 京 と名
地 理的 に見 れば 、 日本本 土攻 撃 は七 つの主要 地 区 に対 し て行 な わ
日本 本 土 に投 下 さ れ た爆 弾 量 一六 一、 三七 七 ト ン の う ち、 そ の 二
よ る のであ った。
作 成課 から 入手 でき な か った 。 し かし 、 工業 目 標 に対 す る 攻撃 のデ
一 ・六% にあ たる 三 四、 八 〇 五 ト ン は工業 目 標 に投 下 さ れ た。 奉 天
付表第 6の4 爆弾投下量 の地区別割合
の満 洲 飛 行機 会 社 を除 き 、付 表 第 6 の2 に示 し たす べ て の直 接 攻 撃
直接攻撃
は 日本 本 土 の四 つの島 の工 場 に対 す るも ので あ った。
二
日本 の航空 機 工業 に対 し て は九 〇 回 の直 接攻 撃 が 行 な われ 、 そ の
付表第 6の3 攻撃目標 別直接攻撃爆弾量
各 攻 撃 の詳 し い記録 は、 付表 第 6 の5 と 6に示 し てあ る。 付表 第
6 の 5に は攻 撃 を期 日 の順 序 に か かげ られ て い る。 付表 第 6 の6 に
は、 攻 撃 され た会社 を ア ル フ ァベ ット順 で示 し、 爆 撃 の見 積 り効 果
が 付 記 し てあ る。 し か し、 この見 積 り の基 礎 とな った統 計 資 料 は完
全 なも ので は な い。損 害 の程 度 は、 個 々の会 社 の報 告 に基 づ いて推
日 本 の航 空 機 工業 に対 す る最 初 の直 接 攻 撃 は、 一九 四 四年 七 月 七
定 し た。
日 、中 国を 基 地 とす る第 二〇 爆 撃機 集 団 の 一機が 大 村 の第 二 一海 軍
二 ヵ月間 に は再 び急 激 に低下 し た。付 表 第 6 の7 は、 月 の順 序 に直
接 攻 撃 に よる 投 下爆 弾 量 を 示す 。 投下 され た焼 夷 弾 の七 ・二% のみ
〇 月 二 五 日と 一 一月 二 一日 にも 、 こう した 攻 撃が 繰 り 返 され た 。 一
間 に投 下 さ れ た こ と であ る。 四 月 三 日 いら い、 焼夷 弾 は使 用 され な
九 一六 ト ン︱ ︱が 一九 四 五年 三 月 一九 日 から 七月 二 九 日ま で の七 週
分 類 し たも のであ る。 ここ で興 味 あ る の は、大 量 の爆弾 ︱︱ 一〇 、
付図 第 6 の1 は、 各 週 ごと に直 接攻 撃 によ る投 下 爆弾 量 の分 析 を
が 航 空機 工業 に対 し て使 用 され た こ とが 注 目 さ れ る。
一月 二 四 日、 航空 機 発 動機 工業 を爆 撃 の第 一目標 に選定 し た米統 合
航 空 廠 に行 な った小 規 模 の効 果 のな いも ので あ った 。 一九 四四 年 一
幕僚 長 会 議 の指示 によ って、 最初 の 日本 の航 空機 工業 に対 す る 攻 撃
こ の高 い優先 順 位 の二 つの攻 撃 目標 (航 空機 の発動 機 と機 体 の工
か った。
場) に投下 され た週 別爆 弾 量 の分 析 は 、付 図 第 6の 2 に示 され て い
四 五年 三月 二 四 日ま で の間 に、 二 八 回 の攻 撃が 実 施 さ れ た。 こ れ ら
が マリ ア ナ諸 島基 地 の飛行 機 によ って行 な わ れた 。 こ の 日 から 一九
は 天候 の許 す限 り 、 航 空機 発 動機 と機 体 の工 場 に対 す る 一般 的 な攻
場 に ついて 別 々に分析 し た結果 に よれば 、 最 初 に猛 烈 な 攻撃 を 受 け
る。 こ の付 図 と異 積 合計 を示 す付 図 第 6 の3 によ って、 航空 機 工業
た の は発動 機 工場 であ った。 これ は統 合幕 僚 長 会議 の攻 撃目 標 優 先
に対 す る 攻 撃計 画 の傾向 を知 る こ とが でき る。 発 動機 工場 と機 体 工
向 され た。 こう し て八 月 一四 日 ま で の 二二 週 間 に、 合計 五 、 四 九 四
順 位 に関す る指 令 に よ って行 な われ た。 し かし 、機 体 工 場 に対 す る
一九 四 五年 三 月 三四 日 に はじ ま った大 規 模 な 攻撃 は発 動 機 工 業 に指
ト ンの爆 弾が 発 動 機 工場 に対 し て投 下 さ れ た。 そ のう ち 二、 一七 四
撃 であ った 。 し か し、 こ の攻 撃 目標 の優 先順 位 が 定 めら れ た の で、
ト ンは三 菱 の名 古 屋 工 場 に、 二、 二 八五 ト ンは中 島 の武 蔵 工 場 に投
め られ 、 そ の攻 撃 はいく ら か徐 々 に強 化 され 、 七月 下旬 にな る と、
集 中 的 な猛 烈 な 攻 撃も 発 動 機 工場 への猛攻 開 始 の約 二週 間後 には じ
直接 攻 撃 の効果
発 動 機 工 場攻 撃 の猛烈 さと ほぼ 同 じ 程度 とな った。
下 され た。 一九四 五 年 三月 二九 日 に始 ま り終 戦 時 ま で つづ け られ た
五、 七 〇 五 ト ンの爆 弾が 機 体 工場 に対 し て投 下 さ れ た。 そ のう ち 一、
機 体 工場 に対す る攻 撃も 同 時 に行 な わ れ た。 こ の二 一週 間 に、 合 計
一、 〇 六 五 ト ンは中島 の四 工 場 に、 七 九 七 ト ンは愛 知 の永 徳 工場 に
二 七〇 ト ンは川 西 の三 工場 に、 一、 一八 六 ト ン は三菱 の三 工 場 に、
毎 月 の投 下 爆 弾 量 は しだ い に増 加 し 、 一九 四四年 一二月 に はそ れ
に対 す る 日本 の航 空機 会 社 の 回答 によ るも のであ る。各 会 社 と 工場
げ たデ ー タ は、 わ れ われ 航 空機 部 の現地 調 査 と、 わ れ われ の質 問 書
一覧 表 に作 成 し、 これ を 付 表第 6 の8 に示 し てあ る。 こ の表 に か か
爆 撃 に よ る物 質 的 な効 果 を分 析 す る た め、 各攻 撃 の結果 の 一部 を
ま で の最 高 を 示 し 、 一九 四 五年 四 月 は 四、 一九 九 ト ン に達 し た。 翌
投 下 さ れ た。 ( 付 表 第 6 の 5を参 照 )
五月 の投下 量 は いく ら か減少 した が 六 月 に は増 加 し、 戦 争 の最 後 の
によ る損 害 の程度 を 評 価 す る にあ た って、 数 個 の要 素 に ついて 考察
の報 告書 に は、航 空 攻 撃 に よ る被 害が 詳 し く 述 べら れ て い る。 攻撃
し てあ る。
会 社 にあ たえ た爆 撃 効果 の摘 要 を作 成 し、 これ を付 表 第 6 の8 に示
に つ いて の資 料 は入 手 でき な か った。 入手 でき た資 料 に基 づ いて各
い て、 次 のよう に要 約す る ことが でき る。
これ ら 資料 から 、航 空 機 製 造 の数 会社 が こ うむ った 主 な損 害 に つ
した。 工場 地 区 に対 し て投 下 さ れ た爆 弾 量 の合計 と 建物 に命 中 し た 百 分 比 は、爆 撃要 図 と 既 知 の攻 撃資 料 によ って決 定 し た。 破 壊 され 、 ま た は損 害 を こう む った建 物 地 区 に関 す る 資料 は、 主 とし て 工 場 の
工場 と 太 田機 体 工 場 およ び 武蔵 発 動機 工場 は大 き な 損害 を こうむ っ
中 島 ︱︱ こ の会社 に対 す る攻 撃 の約 三分 の 一によ って、 半 田機 体
た。 太 田、 武 蔵 の両 工場 地 区 の損 害 は特 に大 き か った。
設 計計 画 によ り、 現 地 調査 の結 果 で これ を補 った。考 察 し た そ の他 の要素 は、 1 工作 機械 と装 置 の損 害 と 破壊 、 2 マ ンア ワ ーズ の損 失 、
住友 ︱ ︱ 日 本 の主 要 プ ロペ ラ製造 所 であ る桜 島 工 場 は、 一回 の攻
体 工 場 が殆 んど完 全 に破 壊 さ れた 。
日 立︱ ︱ 一回 の攻 撃 によ って、 こ の会社 の主 要 工 場 であ る 立川機
害 を受 け た。
二 つの主 な 工場︱ ︱ 熱 田発 動機 工場 と永 徳 機体 工場 ︱ ︱が 大 き な損
愛 知 ︱ ︱こ の会社 に対 す る 四回 の攻撃 のう ち 二回 の爆撃 に よ って、
場 であ り、 さ ら に鳴 尾 工場 は練習 機 用プ ロペ ラも 生 産 し て い た。
鳴 尾 工場 の損害 は大 き か った 。 これ ら 四 工場 は機 体 製 造 の重要 な 工
む った。 姫 路 工場 は完 全 に破 壊 され 、 宝塚 工場 を は じ め甲南 工場 と
川 西︱ ︱ こ の会 社 に 対す る四 回 の攻 撃 に よ って相 当 な 損害 をこう
た。
と 機 体 を生 産 す る明 石 工 場 と各 務 原機 体 工場 に大き な損 害 をあ た え
川 崎︱ ︱ こ の会 社 の工場 に対 す る攻 撃 の 二分 の 一以上 が 、発 動機
に破 壊 され 、 静 岡発 動 機 工 場 と水島 機 体 工場 の損 害 は大 き か った。
は、 ひ じ ょう に効 果 的 で あ った。名 古 屋 発動 機 工場 の約 半 分 は完 全
三 菱 ︱ ︱三 菱 に対 して行 な われ た攻 撃 の 三分 の 一な いし 四分 の 一
3 生産 高 と生 産 能 力 の損 失 、 4 死傷 者 、 5攻 撃 前 に行 な わ れ た疎 開 の進 捗 状況 であ った。 直 接 攻 撃 と間 接 攻 撃 に よる被 害 を 分析 す るに
極 大︱ ︱ 物 質 的 にも 生 産単 位 と し ても 、 完 全 な、 ま た は、 殆 んど
あ た って、 被 害 の程度 を次 のよ う に示 す こ とと し た。
大︱ ︱ 工場 の大 き な 割 合 の破 壊 、 工作 機 械 と装 置 の大 きな 損 失、
完 全 な 工 場 の物 質 的 な破 壊 を いう。
重要 な 組立 装 置 の破壊 と (ま た は)損 害 、 生 産高 と 生 産 能力 の大き
中︱ ︱ かな り の破 壊 と損 害 を こうむ った が、 そ の程 度が ﹁大﹂ ほ
な損 失 を いう。
ど で はな い場 合 を い う。 小︱ ︱ 一般 に全 体 の工 場地 区 の五% 未 満が 破 壊 さ れ損 害 を こ うむ り 、 工作 機 械 と装 置 の損 害 が 小 さく 、 生 産 に 及ぼ す 影響 が軽 微 な場
極小 ︱ ︱ た いし た損 害 では な く、 生 産 上 の損 失 も小 さ い場合 を い
合 を いう。
う。 付 表第 6 の 6は、 入手 し た資 料 によ って直 接 攻 撃 によ る損 害 の程 度 を示 し たも のであ る。 実 施 され た 九〇 回 の直接 攻 撃 のう ち、 六 回
撃 に よ って 殆 ん ど完 全 に破 壊 さ れ た。 大 刀 洗 ︱ ︱ こ の会社 の小 規 模 な機 体 工場 は、 一回 の攻 撃 で殆 ん ど 完 全 に破 壊 さ れ た。 (九州 地 区 を 調査 した 特別 チ ー ム報告 ) 第 二 一海 軍 航 空廠 ︱ ︱ 主 工場 の被 害 が 大き か った ので、 そ の後 の 生 産 は取 る に足 ら な い状 況 と な った 。
付 表 第 6 の 9と付 図 第 6 の1 は、直 接 攻 撃 におけ る投 下 爆 弾量 に
ドイ ツに ついて は日本 の場 合 と同 様 な 調査 が行 な われ な か った の
で、 こ の両国 の航 空 機 工業 に対 す る爆 撃 の精 確 度 を直 接 に比較 でき
な い。 し か し、 ド イ ツに おけ る航 空機 以 外 の工業 に つい て行 な われ
た 爆 撃 の精 確度 の調 査 から見 れ ば 、 日本 の航 空機 工場 の建 物 に命 中
し た 投下 爆 弾 量 の 八% と いう数 字 は、 爆 撃 の精 確 度が 向 上 し た こ と
を 示 し て いる。 つま り、 工場 地区 を はず れた 投下 爆 弾 量 の八 二% は、
って いる多 く の場 合 は、 隣 接 目標 に損害 をあ た え たと 思 われ る 事 例
工場 に対 し て直接 の損 害 を あ た えな か った こと と な る。 一部 はわ か
大 部分 は第 二義 的 な 目標 に対 し て投 下 さ れ た こと とな る。
が 、 大 いにあ り え た と考 えら れ る。 す な わ ち、 投 下さ れ た爆 弾 量 の
対 比 し た 各会 社 の相 対的 な 重要 性 を 示 し たも ので あ る。 二大 会社 で
に大 き か った のは、 両 会社 の相対 的 重 要 性 を よく あ ら わ し て いる。
あ る三 菱 と 中島 の工 場 に対 し て投 下 さ れ た爆 弾 量 の割 合 が ひ じ ょう
量 ﹂ に含 ま れ て い る。 これら 二五 回 の攻 撃 のう ち、僅 か に 一五 四 ト
す 。投 下 し た爆 弾 量 は、付 表 第 6 の10 の ﹁工 場地 区 を はず れ た爆 弾
付 表 第 6 の11 は、 ね ら った 目標 に命 中 しな か った攻 撃 の分 析 を 示
愛 知 お よび 大 刀洗 に対 し て投 下 さ れ た爆 弾 量 の 一部 は、 川 崎 、 日 立、
ン の爆 弾 を 携行 し た 一七 回 の攻 撃 は 各 回 とも 一〇 機 以 内 の飛行 機 に
し か し、 こ の両社 より は小 さ な製 造 業 者 で あ る川 西 、海 軍 航 空 廠、
立 川 、 日本 飛 行機 お よび 日本 国 際 航 空 工業 な ど、 より 重要 な製 造 業
て行 な わ れ、 そ の爆弾 の合 計 は 三 一ト ンであ った。
よ って行 な わ れ た。 こ の 一七 回 の攻 撃 のう ち 、 一 一回 は 一機 に よ っ
者 に 対 し て、 よ り効 果 的 に指向 さ れ て い た かも しれ な い。
直 接 攻 撃 の精 確 度 付 表 第 6 の10 に は、直 接 攻 撃 の精 確 度が 示さ れ て い る。 しか し、 こ の分 析 を 考 察す る にあ た って は、 陸 軍 航 空部 隊 は高 い高 度 から 海 軍 航 空部 隊 は低 い高 度 か ら攻 撃 し た こと を 考 慮す る必 要 が あ る。 昼 間 の視界 の状 況 と 夜 間 の レーダ ー攻 撃 に よ る相 違 は考 慮 に入れ な か
で はな い。適 当 な 個 所 をね ら った 一発 の爆 弾 が ひ じ ょう に重 要 な 部
つ た。 さ ら に命 中 し た爆 弾 量 は、 必 ず しも 爆 撃 効 果を 測 定 す る基 準
であ ろう 。
分 に命 中 す る かも し れず 、 こう し て爆 撃 の目的 は完 全 に は たさ れ る
付表 第 6の 5 直接 攻撃 記 録 〔 攻 撃 回 数 の合 計:90〕
(注)A
は機体
Eは発動機
Pはプロペ ラ20は
第20航空軍
7は第 7航 空軍
Nは海軍航空部隊
付 表 第 6の 6
直接 攻撃 の アル フ ァベ ッ ト順 記 録 と攻撃 の分 析
(注)(1)5%未
満(2)概
数(3)資
料 を 入 手 せ ず20は
第20航 空 軍
7は第 7航 空軍
N は海 軍航
付 表第 6 の7 (単 位 :ト ン)
航 空機 工業 に対 す る直 接 攻 撃 の月 別 爆弾投下量
付表 第 6 の8
直 接攻 撃 に よ る損 害 の程 度
付表第 6の 9 相対的重要度対直接攻撃爆弾量
付 表第 6 の10
直 接 攻撃 の精確 度 付 表 第 6 の11
目標 を はず れ た直 接攻 撃
付 図第 6の 1
日本 航 空 機工 業 に対 す る直 接 航 空攻 撃 爆 弾量
(1944・7・7―1945・8・14の
週 別)
付 図 第 6の 2 航 空 機 の発 動機 お よび機 体 工 場 に対 す る直 接 航 空攻 撃 (1944・7・7―1945・8・14の
週 別)
付 図 第 6の 3
航 空 機 の発 動 機 お よび機 体 工場 に 対 す る直 接 攻 撃 の 累積 合 計 (1944・7・7―1945・8・14)
付 表 第 6の12間
接 攻撃 記録 ―期 日順
付 表 第 6の13
間接 攻撃 によ る損 害 の程 度
三
間 接 攻撃
航 空機 工業 以外 を 目標 と す る航 空 攻撃 のさ い、 航 空機 工場 に対 し
て爆 弾が 投 下 され た のは合 計 一六〇 回 であ った。 これ ら の攻 撃 目標
都 市 地区
三〇
四七
(攻撃 回 数 )
飛行 場
一一
は次 のと お りで あ る。
場
第 七 戦闘 機 隊 の攻 撃
未 確 認 の攻 撃者
一
五
九
八
工
未 確 認 と雑 多 の攻 撃
一一 一
最 初 の原爆 計
以上 のう ち数 回 の攻 撃 のさ い、 一つの地区 で相 当 数 の航 空機 工場 に爆弾 が 命 中 し た。
四七 回 の都 市 地 区攻 撃 は、 最 も熾 烈 な も のであ り、 一回 の攻 撃 の
とき 五 、 一〇 〇 ト ンま で の爆 弾 が投 下 さ れ た。 こ の攻撃 は主と し て
重要 な 工業 中 心 地 を目 標 と して行 なわ れ、 航 空機 工場 は九〇 回 にわ
た って攻 撃 を受 け 大き な 損害 を こうむ った 。
三〇 回 の飛 行 場攻 撃 のう ち、 二九 回 は海 軍 機 に よ って行 なわ れ た。
目標 を はず れ た "それ だ ま" が隣 接 ま た は近 く にあ る航 空機 工場 に
落 下 し、 三 回 の大損 害 と 三 回 の中程 度 の損害 を受 け た。
付 表 第 6 の12 は、 間 接 攻撃 を期 日 の順序 に記録 し、そ れ に よる損
合 と同 じ 要領 に よ って行 な った。航 空 部 隊 の攻 撃 に関 す るデ ー タは
害 の程 度 を 示 し たも のであ る。 損害 の程 度 の分 析 は、 直 接攻 撃 の場
し たデ ータ に よ って、 航 空機 工業 を目 標と し て投 下 し た爆弾 の種類
一、 一四八
一五、 二〇〇
一〇〇 ・〇
七 ・〇
九 三 ・〇
%
一六 、 三 四 八
トン
に つい て次 の数 字が 得 ら れ た。
高 性能 爆 薬爆 弾
主 と し て米国 戦 略爆 撃 調 査団 図 表作 成 課 の記 録 によ り、 日本 人 観察 者 の資 料 に よ って これ を 補 った 。航 空 機 工場 に爆弾 が 命 中 した 一六
計
海 軍機 はき わ め て少 量 の破 砕爆 弾 を投 下 した が、 これ は高 性能 爆
合
焼 夷弾
で各 種 の効 果 を おさ める こと が でき た 。 一九 回 の爆 撃 のさ い、 各回
ポ ンド のも のであ った 。
薬 爆 弾 に含 ま れ て いる。 高 性 能爆 薬爆 弾 と焼 夷 弾 の大 部分 は 五〇 〇
第 二〇航 空 軍 によ る都 市地 区 攻撃 の場合 には 、 一般 に 一回 の爆撃
〇 回 のう も、 八回 は攻 撃 者 を確 認 でき な か った。
とも 二な いし 一〇 の航 空機 工場が 攻 撃 を受 け た 。最 大 の損 害が あ っ
厳 密 な分 析が 同 部 の報 告 に述 べら れ て いる。 し か し、 われ わ れ航 空
た爆 弾 の炸 裂状 況 と、 これ によ る物的 損 害 に つ いて調 査 した。 そ の
米 国戦 略爆 撃 調 査 団物 的 損害 部 は、 選 択 した 特定 目 標 に投 下 され
た のは 一九 四 五 年五 月 一六日 の名 古 屋 攻撃 のと き であ り、 一〇 の航 空機 工 場が 爆 撃 され 、 同年 三 月 一 一日 の同 市 攻 撃 のさ いに は五 工場
付表 第 6 の13 は間 接 攻撃 によ る被害 の程 度 を 示す 。 そ の程度 は直
る ので、 こ の報 告 で述 べ てお き た いと思 う。
機 部 の現 場 チ ー ムが 調査 によ って到達 した結 論 はき わ め て興味 が あ
に爆 弾が 命 中 し た。
接 攻 撃 の場 合 と 同じ 方 法 で推定 した。 間 接 攻撃 を 直 接攻 撃 と比 較 す
つま り、 1 二重起 爆 装 置 の五〇 〇 ポ ンド爆 弾 は、 一般 の日 本 の工
れ ば、 "猛 烈 な" 攻 撃 の影 響 の範 囲 と効 果 は、 1 大 き な生 産 工 場 で 猛 烈 な攻 撃 を受 け た も のは少 な いが、 2 攻 撃 を受 け た 回数 は 二倍 以
日本 航 空機 工業 の重要 な製 造 業 者 であ る 日本 国 際航 空 、 日立 およ
あ った。 し かし 戦局 の進 展 にと も な い、新 し く建 設 され た工場 の建
場 の建 物 は、 軽 い鉄 材 を 使 用 し屋根 を 波 形 の料材 でお おう たも ので
焼夷 弾 を 使 用 した方 が 有 効 であ った かも しれ な い。 一般 に日本 の工
場建 物 を 相当 に破壊 でき る ほど 効 果的 であ り、 2実 際 よ りも 大量 の
び 愛知 は、直 接 攻 撃 のさ い爆 撃 さ れな か ったが (付表 第 6の 8と 9
上 であ る ので、 損 害 は実 際 よ りも 大き か った よう に思 われ る。
の機能 が とま った 。そ れ ほど では な いが 、 日 本 飛行 機 会 社 に つい て
を 参照 )、間 接 攻 撃 に よ って大 き な損 害 を こう む り部 分 的 に は 工 場
の目 標 に は、 一〇 〇 〇 ポ ンド と 二〇 〇 〇 ポ ンド爆 弾 を適 当 に混 ぜ て
川崎 の明 石工 場 のよ う に鉄 骨 と厚 い コンクリ ー ト の重要 な 工場 な ど
大き く し て いた であ ろ う と思 わ れ る。 中島 の武 蔵 、 太 田 の両 工場 や、
用し て いたな らば 、 も っと大 き な損 害 をあ た え生 産 に対 す る影 響 を
物 は殆 ん ど木 造 にな った 。調 査 の結 果 に よれば 、 焼夷 弾 を広 汎 に使
爆 撃 の有 効 性
も 同 じ ことが いえ る。
四
米 国 戦略 爆 撃 調査 団 図表 作 成課 の直 接 攻 撃 に 関す る 記録 から抜 萃
付 麦 第 6 の14
攻 撃 の持 続 性
攻 撃 の持 続 性
投 下さ れ た。 (﹁工場 報 告 第 二 の 一と 三、 第 四 の 二﹂ を 参 照)
五
二 大生 産老 であ る中 島 と 三菱 の工 場 に対 す る攻 撃 は最 も頻 繁 に行
な わ れ た。 三菱 は二 二 回、中 島 は二 三 回 にわ た って直 接 攻撃 の目標
と な り、 各 回と も 全体 の直接 攻 撃 の約 二 五%が 指 向さ れ た。 間接 攻
撃 のさ い爆弾 が 航 空機 工場 に命 中 し た の は合計 一四七 回 であ るが 、
そ のう ち 三菱 は三 七 回 (二 五% ) 、 中 島 は三 一回 (二 一% ) で あ っ
た。 こ のほ か 一九 の航 空機 会 社 のう ち 、 五会 社 の工場 には 一〇 回以
上 命 中 し た︱︱ 愛 知 は二〇 回 、 川崎 は 一七 回、 海軍 航 空廠 は 一六回、
付表 第 6 の14 は、直 接 攻 撃 と間 接 攻 撃 の持 続 性を 示 した も の であ
川 西 は 一 一回 、 日本 国 際航 空 は 一〇 回 であ った 。
る。 この 二種類 の攻 撃 の重 要 性 は同 じも の では な か った。 長す ぎ る
間 隔 を お いて攻 撃 が行 な わ れ た ことも あ れ ば、 大 規模 な 疎開 の完 了
後 に実 施 さ れ た ことも あ った。 前 述 し た よう に、 二五 回 の直 接 攻撃
与 え た物 的 損害
のさ い爆 弾 が 目標 にま った く命 中 し な か った 。
六
攻 撃が 行 な わ れ たと き に存 在 し た日 本 の航 空 機 工業 の生 産能 力 に
で はあ るが 生産 の損 失 に対 す る爆 弾 の効果 を分析 して決 定 し た。 あ
与 えた物 的 損 害 は、 主 と し て生産 地 区 と 工作 機械 に、 限 られ た程 度
る場 合 に は、 こ れ に現 場 の調査 から 得 ら れ た印 象 と見積 りを補 足 し
た。 付表 第 6の 15 に示す デ ータ は、 適 当 な手 引 き の程度 のも のと し
付 表 第 6 の 15
日本 の航 空機 工業 に与 え た損 害
は、 工 場 の大規 模 な 分 散が 本 格 的 に行 な われ て いた ので、多 く の場
本 の航 空機 工業施 設 を 追 い かけ た。 ついに攻 撃が 強 化 され た とき に
た爆弾 によ って明 ら か に異 な った結果 が 見 ら れ て いた と思 わ れ る。
も しも 疎 開が 行 な わ れ て いな か った な らば 、 生産 目標 に投 下 さ れ
の 二 ヵ月 間 の猛爆 は、 残 され た 機械 類 の相当 な 割合 を 破壊 し、 また
れる ま で に、 中島 と 三 菱 はそ の機械 類 の約 六割 を疎 開 し て いた。 こ
始さ れ た。 一九 四 五年 の三月 から 四月 にかけ て猛烈 な 爆撃 が 行 なわ
三菱 の工 場 は 一九 四四 年 九月 に、中 島 の武蔵 工 場 は同 年 一 一月 に開
(単位 =% )
合、 わ れわ れ の攻 撃 は完 全 に、 ま た は部分 的 に空 にな った建 物 を 攻
撃 し た のであ った。 前述 し た ﹁要約 ﹂ の付 図第 1 の5 は、 こう した 傾 向 を 示す も のであ る 。
こ の こと は、 中 島 の武 蔵 工場 と三 菱 の名 古 屋 の三 工場 か ら疎 開 し
た 工作 機 械 の調 査 に よ って実 証 され た ( 付 図第 6 の4 と5 を参 照)。
一九 四 五年 三月 以前 の初 期 の攻 撃 は、 これ ら 工場 の 工作 機械 の 一部
こ の仮 定 によ る場 合、 同 じ 要領 によ る分 析 の結 果 は、発 動 機生 産 施
は損害 を与 え る ことが でき な か った。 一つの例外 は、 三菱 の第 二お
を破 壊 し、 ま たは損 害 を 与 え た にすぎ な か った。機 械 類 の疎 開 は、
設 の四〇% 、 機 体 生産 施 設 の三〇 %、 プ ロペ ラ生 産施 設 の四 五% が、
よび第 四発 動機 工 場 に対 す る第 二〇 航 空部 隊 の 一九 四 五年 四月 六 日
て考 え る 必要 が あ る。
これら に指 向 さ れ た爆 弾 のた め に破 壊 さ れ 損害 を 受け て いた かも し
機 械 のう ち約 四〇% にあ た る 八 六〇が 破 壊 され 、 ま た は損害 を こう
の攻撃 であ る。 こ の攻 撃 によ って、 残 され て い た二、 二〇〇 の工 作
れ な いこ とと な る。
一般 結 論
む った 。 つい でなが ら 、 これ は日 本 の航 空機 工業 に対 す る攻 撃 の中
七
一九 四四 年秋 に はじ めら れ た最 初 の比 較 的 に軽 度 の爆 弾 は攻 撃強
で、 記 録 され て いる 工作 機械 の損 害が 最 も ひど か った場 合 であ る。
危 急 材料 の欠 乏、 熟 練 労働 者 の不足 、 そ の他 の要 因 のた め に、 飛
化 の前 兆 と なり 、 日 本側 にと っては 工場 疎 開 の警 報 と し て役 立 った。 だが 、 この警 報 は、 一九 四 四年 一一月 の最 初 の本 格 的な 攻 撃 の後 ま
たど った。 日 本 の航 空機 工業 は、 われ わ れが 爆 撃を 加 え る以 前 に十
行 機 の発 動 機 と機 体 の生産 は、 一九四 四年 の初冬 いら い下 降 傾向 を
分 の生産 が でき な い状 況 にあ った。 飛行 機 の機 体 と 発動 機 の生産 傾
で、 大 体 に お いて か えり み られ な か った 。 日本 側 は、 一九 四 四年 一
わ れ わ れ の攻 撃が 日本 の航空 機 工業 に決定 的 な 打 撃 を与 え る に十 分
向 と爆 撃 の累積 効 果 と の関 係 は、 付 図第 6 の6 に示 され てい る。 一
二月 末 から 一九 四 五年 一月初 め にかけ て 、あ わ てて疎開 を はじ めた 。
な ほど強 化 さ れ る ま では、 わ れ われ は村落 、 森 林、 ほら 穴 の中 の日
付 図 第 6の 4
工 場 に あ っ た工 作 機械 と航 空 攻撃 で破 壊 された 工 作 機 械
1944年11月 ―1945年 8月
中 島 武蔵 発 動 機 工 場
付 図 第 6の 5 三 菱 の 工作 機 械 の疎 開 と名 古屋 に 対 す る 航 空 攻撃 に よ る損 害(1944年
―1945年)
爆 撃効 果 対 生 産 傾 向
機 の生 産 は徐 々 に低下 を つづ け、 機 体 の生
産 は急 速 に減 少 し た。 一般 的 に述 べ れば 、
前 に は大 規 模 な集中 攻 撃 を加 え る ことが で
作 戦 上 の限度 から 一九 四 五年 の三、 四 月以
き な か った 。結 果 か ら見 れば 、 日本 の航空
機 工業 に対 す る爆 撃計 画 は、 初期 の段階 で
は小 規 模 にす ぎ 、 そ の後 の段 階 で は日本 側
が 疎 開 を 行 な った ので投下 した爆 弾 量 に相
応 す る破壊 を達 成 しな い結 果 とな った事 例
情 報 の照 合︱︱ 予想 対
であ った と いえ る。
第 七章
調 査結 果
日本 の航 空機 工業 の実情 は、終 戦 前 に、
かな り広汎 に わた って米軍 には、 詳 し くわ
は 一九 四 四年 九 月 の 二、 五七 二 のピ ーク から 同年 一 一月 に は 二、 二
て いた か も しれ な い徴 候 は見 ら れな い。 これ と 同様 に、機 体 の生産
攻 撃 さ れ な か ったと し ても 、 生 産高 の曲線 が いくら か上 向き に転 じ
三、 八 一九台 に、さ ら に 一九 四 五年 二月 に は 一、 六九 五 台 に減 少 し、
生産 は 一九 四四 年七 月 の五、 〇 九〇 台 のピ ー クか ら同 年 一 一月 には
九 四五 年 の 三月 か ら四 月 に かけ て猛 爆 が 開始 さ れ る前 に、発 動 機 の
報部 に送 られ た。 こう し て得 ら れ た 日本 の各種 飛行 機 の生産 状 況 に
米英 そ の他 の諸 国 から 提供 され る 情 報 は、 調査 分析 の ため米 陸 軍情
米陸 軍 情報 部 で総合 的 に行 な われ る よ う にな った。 米 国 の陸 海 軍、
部 の協 定 に よ って、 日本 の航 空 機 生産 を見積 る作業 が ワ シ ント ンの
こ とが でき た。 一九 四 四年 春 、 米 国 と英 国 の軍 事情 報 部 と経 済 情報
航空 機 の調 査 、 そ の他 の方 法 によ って、 多 数 の情報 資 料 を収 集 す る
査、 諸 記 録、 戦 争中 の捕獲 した 文書 、 捕 獲 ま たは 不時 着 し た日 本 の
か って い た。 戦 前 の 日本 の 工業 に関 す る調
二〇 に、 一九 四 五年 二月 に は 一、 三九 一は減 少 した が 、 翌三 月 に は
つい て の見 積 りと航 空 機 工場 の位 置が 、 文 書 に作 成 し て関係 各 部 に
(付 録 第10の 2を参 照)
わ ず か なが ら 回復 し た。 一九 四 五年 夏 の猛 爆 が つづ いた とき 、 発動
付 図第 6の 6
配付 さ れ た。
一ヵ月 後 に見積 った。 一九 四 五年 三月 の生 産 の回復 を、 見積 り で は
ま でさ か のぼ った数 字 と とも に、 一九 四 四年 一〇 月 いら い毎 月 通 知
偵 察機 ︱ ︱ の生産 状 況 であ った。 こ の詳 し い見積 りが、 一九 四 〇年
撃 目標 グ ループ によ る生 産 見積 りを情 報 部 の見 積 りと し て使 用 し た。
械 と施 設 に よ って生産 は いく ら か回復 した と推 定 した ので、 統 合攻
日 本 の航 空機 工場 の疎 開 は計 画ど おり実 行 され てお り、疎 開 地 の機
四 月と 判 断 した が 、曲 線 は同 じ方 向 に進 んで い る。米 陸 軍情 報 部 は、
さ れ た。 こ こで述 べ る実際 の生産 と 比較 し た米 陸軍 情 報 部 の見 積 り
調 査 の主な 対 象 とな った のは、 戦 闘 用 飛行 機︱︱ 戦 闘機 、 爆 撃機 、
は 、 主 と し て 一九 四五年 七月 に作 成 さ れ た報 告 を基 礎 と し、 一九 四
ので、 実 際 に は 一九 四 五年 三月 後 に生産 が 再び 減少 し た とき 、 これ
そ の結 果 、戦 闘 用 機 に ついて の見 積 り は生 産 の回復 を 予想 して い た
平 均 月産 量 であ る。 一九 四 一年 第 一 ・四半 期 か ら 一九 四 四年 第 二 ・
こ の付図 に示 す機 数 は、 一九 四 一年 から 四 四年 末 ま で の各 四半 期 の
こ には 生産 の傾向 に若 干 の相 違が 見 ら れ る (付 図第 7 の1 を参 照 ) 。
戦 闘機 の侮 月 の生産 見 積 り は、 米陸 軍 情 報部 の見 積 り の中 で最 も
六機 の生 産 を六 八 ・五% 大 きく 見 積 って 一、 六 二八機 と推 定 し た。
月 の実 際 の生 産 一、 二三 〇 機 に対 し て 一、 三九 四 機、 六月 には九 六
のに対 し て、 米 陸 軍情 報 部 は これ を 一、 二八 八機 と見積 った。 翌 五
一九 四 五年 四 月 の戦 闘 用機 の実 際 の生 産が 一、 二五 六機 であ った
を増 大 し た と見 積 った。
四半 期 ま で の見積 りは実 際 の生産 量 に近 か った。 一九 四 四年 の第 三
戦 闘用 機 の実際 の生産 と米 陸軍 情 報 部 の見 積 りを 比較 す れ ば 、 そ
五年 一月 に通 知 され た デ ー タを参 考 と し た。
およ び第 四 の四半 期 の見 積 り は実 際 の生産 を か な り上 回 った。 興味 あ るこ と は、 一九 四五年 一月 に行 な わ れ た全 体 の基 礎 と な った 見積
ヵ月 のう ち 八 ヵ月 間 の戦 闘 機 生産 の見 積 り 誤差 は 八% 以内 であ った 。
実際 に近 か った
( 付 図 第 7 の3を参 照 )。 一九 四 四年 の最 初 の 一〇
り が、 そ の六 ヵ月 後 の見 積 り よ りも 適当 であ った。 一九 四 一年 か ら
し て過 大 評価 し な か ったが 、 一 一月 の見 積 り は実際 よ りも 二二 ・三
他 の 二 ヵ月間 の誤差 は 一 二 % であ った。 一九 四四年 一〇 月 ま で は大
実 際 の生 産 よ りも 五 ・二%高 か ったが 、 そ の後 の見 積 り は九 ・六%
四 四年 ま で の四 ヵ年 に生 産 さ れ た航 空機 に つい て の最初 の見 積 り は
高 か った。
照 )。 日 本 の航 空 機 工業 が 一九 四 四年 に直 面 し た困難 に つ い て の 情
力 に つ いて実 際 と 見積 り の間 に相 違 が 見 ら れ る (付 図第 7 の2を 参
軍 情 報 部 の見 積 り の比較 に は、 空 襲後 の日 本 の航 空機 工業 の回復 能
Li l y( 九 七 双発 軽 爆 )、 三菱 の Soni a ( 九 九 軍偵 ) など 日本陸 軍 の
ら であ る。 こう し た見 積 り の誤 り は、 主 と し て Hel en ( 呑 龍 )、
そ の主 な 理由 は、 航 空 機 全体 の生 産低 下 の程 度 を 小さ く見 積 った か
戦 闘 機 の場合 よ りも 誤 差が 大き か った (付図 第 7 の 4と 5を参 照 )。
爆 撃機 と偵 察機 の生 産 に ついて の 一九 四 四年 半ば 以降 の見積 り は、
% 大 き か った。
報 に欠 け て いた ので、 生産 を 過 大評 価 す る 結果 と な った。 見 積 り曲
旧式 機 に ついて であ った 。 こう し た機 種 よ りも 重要 な航 空 機 の生 産
一九 四 四年 一月 か ら 一九 四 五年 六月 ま で の戦闘 用 機 の月 産 と米 陸
線 の形 は実 際 の生産 曲 線 に よく似 て いる が、 生産 高 の最 低 を 実際 の
日本陸海軍戦闘 用機 の機種別生産 の実際 と米陸軍情報部見積り の 比較 (一九四四︱ 一九四五)
見 積 り の誤差 は数% 以内 で あ った 。 右 の表 は、 一九 四 四年 と 四 五年 の各 六 ヵ月 間 に お け る、 日本 陸海 軍 戦 闘 用機 の生産 に関 す る米 陸 軍情 報 部 の見 積 と 実 際 の生 産 を比較 し たも のであ る。 日本 陸軍 戦 闘機 の生 産見 積 りが 実 際 に最も 近 く、
そ の誤 差 は 一九 四四年 前 半 で は 一% 以内 、 一九 四四年 後 半 は 一 一%
で あ った。 戦争 の最後 の 一 二ヵ月 にお け る日本 陸 軍 の爆 撃 機 と偵 察
機 の生 産 見 積 り の誤差 が ひ じ ょう に大き か った こと に ついて は、 す
で に説 明 し て お いた。 つま り、 も は や飛 行 機 の生 産 は思 う よう に で
生産 中 の航 空 機、 と り わ け重 要 な戦 闘 用機 に関す る情 報 は、 大体
き な か った のであ る。
に お いて い つでも 正確 で あ った 。 輸送 機 と練 習機 に関 す る情 報 の確
度 は、 これ ら飛 行 機 の戦 闘 行動 の減少 と と も に低下 し た の で、非 戦
闘 用 機 を 生産 し て いる製 造 業 者 の推 定 と 、 そ の生産 所要 期 間 に つい
日本が 実 験 中 の航 空機 の機 種 に関 す る情 報 に よ って、 そ の生 産 を
て の見積 り は、 戦闘 用 機 に関 す る も のよ りも 誤差 が 大き か った。
判 断 し た。 こう し た新 し い機 種 の生 産 開始 時期 の見積 りは 一般 に早
す ぎ た。 こう し て、 こ の機 種 のご く 僅 か な生 産 を過 早 に相 当 な量 と
見 積 った の で、 全 体 の航 空 機 の生 産 を いく ら か過 大 評価 す る結 果 と
日 本 の戦 闘用 機製 造会 社 の相 対 的 重要 性 に ついて の見 積 り は、次
な った。
小馬 力 発 動機 と 実 験発 動 機 を除 く 一九 四 四年 におけ る 発動 機 生 産
の表 に示 す よう にき わ め て正 確 であ った。
に関す る 米 陸軍 情 報 部 の見積 り は、実 際 の生産 よ りも いく ら か 大き
か った (付図 第 7の 6を 参照 )。 一九 四四年 半ば にピ ー ク に達 し、
そ の後 は 減少 し た発 動 機 の生産 に ついて 、情 報部 は 一九 四 四年 末ま
日本 の航 空機 工業 の疎 開 に関 す る情 報 は不 適 当 であ った。 疎開 計
で 生産 の増 大を つづ けた と 推定 して い た。
画が 実行 中 であ る こと は わ か って い たが 、疎 開 地 の位置 に関 す る特
付表 第 7 の1
戦闘 用 機 生産 の会 社 別百 分 比
一九 四 五年 七月 一四 日 の情報 報 告 の中 に は、次 のよ う に述 べ られ
別 の資 料 は ひじ ょう に少 な か った。
少 なく とも 六 ヵ月間 、 日本 の当 事 者 の報告 と言 明 は地 下疎 開 に
て い た。
文書 資 料 に よれば 、 一九 四 四年 一二月 いら い、 日本 の航空 機 工
関 す るも の であ った。
業 の疎 開 が 考 慮 され てき た 。
機 体 の製造 と組 立 の疎 開 工場 は、 日本 全国 の多数 の小 さな 町 に
計 画 され るであ ろう︱︱ こ う し た工 場 はす で に存在 して い ると 思 わ れ る。
し か し、 疎 開 工 場 の位置 を 推定 す る にあ た って、 わ か って いた の
は三 つの地 下 ま た は半ば 地 下 の地 区 にす ぎ な か った。 中 島 の武 蔵 工
場 、広 の海 軍 航 空廠 お よび 藤 沢 工場 の地 下 の航 空 機生 産 活 動 に関 す
る情報 を 入 手 し た。 広 は進 歩 し た地 下 工場 の 一つであ ったが 、 武 蔵
に は実 際 は小規 模 な 地下 の倉庫 が あ るだ け であ った。 藤 沢 の状 況 は
わ か ら な いが、 地 下航 空 機 工場 と し て は報 告さ れ な か った 。 こう し
て判 明 し た のは 一〇 の地下 工 場 のう ち、 そ の 一な いし 二% にす ぎ な
か った。 半 地 下 工場 に ついて は全 く 情 報が 得 られ な か った 。
日本 全 土 の写真 偵 察 の結 果 か ら は、 地下 と半 地 下 の 工場 の大 部 分
って疎 開 した 工 場 を発見 しよ う とす る 場合 、写 真 に撮 影 し た地 域 は
の位置 を明 ら か にす る こと が でき な か った 。 こう し た航 空写 真 によ
い ことが わか った。 工 場 の正確 な位 置が 判 明 し て いる場 合 でも 、 写
都 市 か ら建 設 され た 地下 工 場 ま で の距 離 の三分 の 一を 含 む にす ぎ な
真 偵察 に よ って 工場 の存 在 を証 明 す る の はひじ ょう に困 難 な ことが 多 か った。
付 図 第 7の 1
日本 戦 闘用 機 の生 産
実 際 の生 産 と米陸 軍 情 報部 の1945年 1月23日 と同年 7月31日 の見 積 との比 較
付 図 第 7の 2
日本 戦 闘用 機 の総 生 産 高
実際 の生 産 と米陸 軍 情 報 部 の1941―1945の 見 積 との比 較(付
録 第10の18を 参 照)
付 図第 7の 3
日本 戦 闘機 の生産
実 際 の 生 産 と米 陸軍 情 報 部 の見 積 との比 較1941―1945(付
付 図 第 7の 4
録 第10の18を 参 照)
日本 爆 撃 機 の生 産
実 際 の生 産 と米陸 軍 情 報部 の見 積 との比 較1941―1945(付
録 雛10の18を 参照)
日本 偵察 機 の 生産 付 図第 7の 5
録 第10の18を 参照 実 際 の 生 産 と米 陸 軍 情 報 部 の 見積 と の比較1941―1945(付
戦闘 用 機 発動 機 の実際 の生産 と 米 陸軍 情 報部 の
一九 四三 ・七 ・ 一、一九 四四 ・一 ・ 一、 七 ・ 一、一 二・ 一の
付図 第 7 の6
見 積 と の比 較
︹ 編者注︺
付録第 一 米国戦略爆撃調査団航空機部 (太平洋) 工場報告 の概要
付録第 二 会社、 工場報告 付録第三
付録第四 会社報告 の概要
は収録を省略した。第 一は航空部の、編成過程、任務、 スタッフ、機構
を示し、第二は三菱重工業以下 の各地工場 一覧表、第 三、第四は骸項目 を箇条書にしたものである。
付録 第 5
米戦 略爆 撃調 査 団 の質 問 に対 す る
ら問 題 点 に ついて調 査 し、 陸 海 軍 と も 一九 四五 年 六月 に確 信 のも て
こ の間 、噴 射 機 に多 く の問題 点 が あ った ので、陸 海 軍 は別 々 にこれ
三ジ ェット推 進戦 闘 機 の日本 型 を試 作 す る よう 指 令を 受 け た。 設計
一九 四 四年 の中 ご ろ、 三菱 は海軍 航 空技 術 廠 からド イ ツ のM e 一六
は無 事 に行 な われ たが 、高 度が 約 一、 一〇〇 フ ィー ト にな った とき
行 場 で日 本 の最 初 のジ ェット推 進 の試飛 行 を行 な った。離 陸 と上 昇
最 初 の原 型 飛行 機 の組 立 を終 わり 、 一九 四 五年 七月 七 日、 横 須賀 飛
たが 、 燃 料系 統 に漏 れ が あ った ので 飛行が 延 期 され た 。海 軍 はそ の
陸 軍 はそ の ジ ェット発 動機 を柏 飛行 場 で ﹁秋 水﹂ の機体 に装備 し
る 原型 の最 初 の発 動機 を完 成 した 。
岡野 保 次 郎 の回 答 (一九 四 五年 一二 月 六日 、 三菱 重 工業 社 長 岡野 保 次 郎 と の東
の方 針 はド イ ツが 計 画 し たM e 一六 三 にな ら い、 兵装 以 外 の不必 要 な
に発 動 機 が停 止 し た。 パ イ ロ ット は燃 料 を捨 てて着 陸 し よう と し た
京 におけ るイ ン タビ ュー に よる)
三〇 ミリ機 銃 ( 弾 薬 包 各 五〇 発 )、無 線 機 そ の他 の付 属 品 か ら な っ
が 、 飛 行 場 の近 く の家 に接触 し た。機 体 は大破 し、 パ イ ロ ットはそ
変 更 はしな い こと であ った。 海 軍 の原 型 で は、 これ は 二挺 の 一七試
て いた 。海 軍 は必要 な 空気 力 学 の調 査 を行 なう こと とな る。 二 つ の
体 は 一九 四 五年 一月 ま でに完 成 し な か った 。 一九 四 五年 一月 八日 、
の地 震 と 一 二 月 一八 日 の爆 撃 のた め に若 干 おく れ た ので、最 初 の機
に ついて協 議 し た の ち、 原型 の製 作 に とり か か った 。作 業が 一二月
い つも の よう に陸 海 軍 と実 験 用 の実 物 大 の模 型 、 翼桁 および 組 立
燃 料 供給 管 口が 液 面 上 に出 て燃 料 の供給 が中 絶 し た。 こ の調査 の結
搭 載 量が 少 な か った の で、 離陸 後 の高 い加 速度 と 急上 昇 によ って、
で 、 安全 のた め最 小 限 の燃 料 を搭 載 す る こと とな った。 こ のよう に
必 要 から 横 須賀 飛 行 場を 使 用 す る こと とな る。 こ の飛行 場 は狭 い の
あ る こと が 判 明し た。 これ は 次 の よう に説 明 され た。 試 飛行 を 急ぐ
調 査 の結 果、 発 動機 が 停 止 し た の は燃 料 の供 給が 止 ま った ため で
の直 後 に死 亡 し た。
百 里飛 行 場 で発 動機 を 装 置 せず (グ ライ ダ ー とし て) 試 飛行 が 行 な
果 に基 づ いて、 燃 料系 統 全 体 を設 計 しな お し た。 し かし 、 次 の原型
一二月 三 一日ま で に、 そ れぞ れ 完 成 す る こと とな った。
機 体 を 一九 四四 年 一 二 月 一五 日ま で に、 一機 の完 全 な飛 行機 を 同年
わ れ た。 こ の テ スト に は大 き な欠陥 が 見 ら れず 、 成 功 の見 込 みが あ
発 動 機 を製 作 でき る前 に 日本 は降 伏 した。
﹁秋 水 ﹂ の主目 的 はB 29 を迎 撃 す る こと であ ったが 、 そ の生 産 は
った。 一方 、 ジ ェット推 進 機 の製 作 は空 襲 のた め におく れ 遅 々と し
二対 一の割 合 で陸 軍 と海 軍 に割当 てられ た 。 しか し、 海 軍 は 日本本
て進 ま な か った 。 こ の間 、 さら に 九 回 の機体 の試 飛行 が 行 な われ た。
土 を敵 の進 攻 から 防衛 す る 使 命 を持 って いた 。 最 初 、 ﹁ 秋 水﹂ に関
に殆 んど 関 心 を示 さ な か った。 だ が 、陸 軍 も徐 々 に関 心 を 持 っよう
す る すべ て の実 験 作業 は海 軍 の指 導 のも と で行 な われ 、 陸 軍 はそ れ
そ の結 果、 機 体 支持 部 の水 圧装 置が 修 正 され 、 補 助 翼 の スリ ットが
空 襲 のテ ンポ と危 険 が増 大 した の で、 三月 一日 、 ﹁秋 水﹂ の原型
減 ら さ れ た。
は名 古 屋 から 横須 賀 航 空基 地 に移 され 、 作業 は こ こで つづ けら れ た。
さ れ た性 能 の ﹁秋 水﹂ の設 計が 立 川 陸 軍 航空 廠 で行 な わ れ た。 そ の
督 を ひき ついだ。 最 後 には、 陸 軍 は ﹁キ﹂ 二〇 二型 と いわれ た改 良
にな り、 つい に ﹁キ﹂ 八 三型 と いう陸 軍 の ﹁秋 水 ﹂ の実 験 作業 の監
た。陸 軍 の指導 者 で さ え、 開 発 と研 究 の計 画 を 絶え ず無 視 し た。 こ
す る 必要 が あ ったが 、 それ は生 産者 を さ ら に混 乱 させ る結 果 と な っ
こう し た発 注 は生産 さ れ な か った ので、陸 軍 は必然 的 に発注 を 変更
外 国 から新 し い飛行 機 と か資 料 が 入手 でき たと き に は、 まず 最初
のた め、 こ の分 野 の進 歩 はま こ と に微 々た るも ので あ った。
に陸 海 軍が みず から研 究 す る こと を い つも 主張 した。 そ こで製 造業
いた 〃中 道 派" と 、 いく ら か意 見 の相 違が 見 ら れ た。 し かし 、 三菱
結 果、 最 初 に計 画 さ れ たM e二 六 三 の日本 型 の生 産 を主 と し て考 え て
工 場と し て は、 関 係者 は満 足 でき る よう な 噴 進機 の完 成 を疑 った の
日本 の技 術 は基 本的 に は外 国 の技術 に大 き く依 存 し て いた 、 と いう
陸 海 軍が 研 究開 発 のた め外 国 の同じ 航 空機 を 異 な った会 社 に渡 した
け を選 んだ ので、 こう し た研 究資 料 は他 の会 社 に は秘密 にさ れ た。
の飛行 機 また は資 料 を製 造 業 者 に渡 す 場 合 には、 一つ の製 造 業者 だ
った の で、 そ こ に は大 き な遅 延 が見 ら れ た。 そ の上 、 陸海 軍 が外 国
者 は、陸 海 軍 が 調査 を 終 わ った後 に研 究 のた め モデ ルや 資料 を 受取
こと が でき よう 。欧 州 と 米国 から技 術 情 報が 入手 でき な く な ったと
と き に は、多 く の馬 鹿げ た間 題が 起 こ った。
開 発 と設 計 に つい て の日本 人 の能 力 に は多く の欠陥 が 見 ら れ たが、
で、 こ の計 画 に大 き な熱 意 を傾 け た よ う に は思 え な い。
日本 で発 明 さ れ、 また は 成 し遂げ ら れ た最 初 の開 発 はき わ め て少 な
が編 成 さ れ た。 陸 海軍 人 を 団長 と し 、 一部 の民 間会 社 の代表 が 団 員
開戦 前 の二 ヵ年 、外 国 の航 空機 を 調 査す るた め に研究 調 査使 節 団
き 、 日本 人 はみず から の努 力 と 能力 を 発 揮 でき な か った 。 そ の た め、
く 、外 国 から資 料 また は航 空機 が 入手 で き た場 合 は い つでも 、 た だ ち にこれ を 模 倣 し た のであ った。
計 器類 や 小 さな 付 属 品 に いた るま で 。 こう し た要 求 のた め に、 も と
生 産 の多 様 性が ひ じ ょう に大き か った︱ ︱ 航 空機 と発動 機 を は じ め、
者 の狭 量 と 低 い技 術 水準 が そ の効 果 的 な協 力 を妨 げ た 。 こ のた め、
と ユンカ ー ス ・プ ロペ ラが 含 ま れ て いた 。 こ の使 節団 のほ か、 三菱
カ ー ス八 八型 飛行 機 、 ダ イ ム ラ ー ・ベ ン ツ発 動 機 、V D Mプ ロペ ラ
う した 生 産品 には、 ハイ ンケ ル 一〇〇 、 同 一〇 九 、同 一一九 、 ユン
設 計と 生 産技 術 に ついて 調査 し、 ド イ ツ の生産 品 を持 ち帰 った 。 こ
に含 ま れ た。 ド イ ツを 訪 れ た使 節 団 は こ の国 の航 空機 工業 を視 察 し、
も と量 的 にも質 的 にも 不 足 し て いた技 術 者 を 小 さ い貧弱 な グ ループ
と 三井 お よび 住友 の技 術者 は諸 外 国を 訪 問 し、視 察 と 駐 在武 官 を通
陸 海 軍 の間 の技 術 協力 の必要 性 はき わ め て明 ら か であ ったが 、 両
に分 割 せ ざ るを え な か った。 そ の結果 、 設 計 と生 産 に支 障 を来 し戦
け であ った。
し た航 空 機 と文 書 のほ か、 駐 在武 官 を 通 じ てわず か に入手 でき ただ
開 戦後 は、 こう した外 国 の視 察 はで き なく な り、技 術情 報 は捕 獲
じ て多く の技 術 情報 を 入 手 した 。
上 の理論 と ロジ スチ ックに ついて製 造 者 側 を無 視 す る よう な圧 力 を
陸 軍 は 一般 に低 い技 術 的概 念 を持 って いた にも かかわ らず 、 技 術
局 の要 求 に応 じ る ことが でき な か った。
加 え 、実 行 でき な い気 まぐ れ な発 注 を 開発 し生 産 す るよ う要 求 し た。
第 四条
軍需 会 社 ハ命 令 ノ定 ム ル所 ニ依 リ 生産 責 任者 ヲ選任 スベ シ
軍 需 会 社 生産 資任 者 ヲ選 任 セザ ルト キ ハ政 府 ハ命 令 ノ定 ムル所 ニ
政 府高 官 か ら指 示 さ れた にも か かわ らず 、 これ を実 行 す る陸海 軍 の間 には効 果 的な 協 力 は見 ら れな か った と い っても 過 言 で はな い。
生産 責 任者 ハ政府 ニ対 シ軍需 会 社 ノ貴務 遂 行 ニ関 シ会社 ヲ代表 シ
依 リ生 産責 任 者 ヲ任 命 ス ル コト ヲ得
テ其 ノ貴 ニ任 ズ ル モノ ト ス
陸 海 軍 の双方 から 注 文 を受 け た 一つの会社 内 でさえ 、 一つは陸軍 の
軍 が協 力 し た 顕著 な 一例 は恐 らく ﹁秋 水﹂ の開発 であ った と思 われ
生 産 責 任者 ノ会 社 ノ代表 及業 務 執行 並 ニ之 ニ伴 フ事 項 ニ関 シ必 要
作 業 、他 は海軍 の作業 と い った 二 つ の別個 のも のが 存 在 し た。陸 海
る 。﹁キ﹂ 八 三型 と ﹁秋 水﹂ は陸 海 軍 共同 の実験 作 業 と さ れ た が 、
軍 需 会社 選 任 又 ハ任命 セラ レ タ ル生 産責 任 者 ヲ解 任 セ ント スル場
ナ ル事 項 ハ勅 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム
二 〇 二 と称 す る改 良 し た ﹁秋 水﹂ を 設計 し た 。﹁秋 水 ﹂ の 動 力 工場
合 ニ於 テ ハ政府 ノ認 可 ヲ受 ク ル ニ非 ザ レバ其 ノ解 任 ハ効 力 ヲ生 ゼ
﹁キ﹂ 八三 は陸 軍 が 、﹁秋 水﹂ は海 軍が 監督 し た。 さ ら に陸 軍 は﹁キ﹂
は 陸軍 の責 任 で建 設 され たが 、 海 軍 は みず から別 の発 動機 を 開発 し
生 産 責任 者 ハ本 店 又 ハ軍需 事業 ヲ営 ム 工場若 ハ事 業 場 ニ於
生 産 担当 者 ハ政 府 ニ対 シ生 産責 任 者 ノ指揮 ニ従 ヒテ担 当 業務 ヲ遂
ケ ル業 務 ニ関 シ生 産担 当 者 ヲ任 命 ス ル コトヲ得
第五条
政 府 生産 貴 任者 ヲ不適 任 ト認 ムル トキ ハ之 ヲ解 任 スル コトヲ得
ズ
軍 需 会社 法 と 軍需 省 官 制
た 。伝 え られ ると こ ろ では、 これ は 緊密 な 協 力 であ った と いわれ る 。
付録第 6
軍 需 会 社法 ( 昭和十 八年十月三十 一日法律第百八号)
行 ス ルノ責 ニ任 ズ ル モノ ト ス
政 府 ハ生 産責 任 者 ニ対 シ生産 担 当 者 ヲ置 ク ベキ コト又 ハ解 任 スベ
本 法 ハ兵 器、 航 空機 、 艦船 等 重 要 軍需 品 其 ノ他 軍 需 物資 ノ
生 産 、加 工 及修 理 ヲ為 ス事 業 其 ノ他 軍需 ノ充 足 上 必要 ナ ル事 業 ニ
キ コト ヲ命 ズ ル コトヲ得
第 一条
生 産担 当者 ノ職務 権 限 ニ関 シ必 要 ナ ル事 項 ハ命 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム
命 令 ノ定 ムル所 ニ依 リ生 産責 任者 及 生産 担 当 者 並 ニ軍需 会
付 其 ノ経 営 ノ本 義 ヲ明 ニシ其 ノ運 営 ヲ強 力 ナ ラ シ メ以 テ戦 力 ノ増
本 法 ニ於 テ軍需 会 社 ト ハ兵 器 、航 空 機 、艦 船 等 重要 軍需 品
強 ヲ図 ル コトヲ 目的 ト ス 第 二条
社 ノ営 ム軍 需事 業 ニ従 事 スル者 ハ国 家総 動 員法 ニ依 リ徴 用 セラ レ
第 六条
タ ル モ ノト看做 ス
其 ノ他軍 需物 資 ノ生産 、 加 工 及修 理 ヲ為 ス事 業 ( 以 下軍 需 事業 ト 称 ス) ヲ営 ム会 社 ニシテ政 府 ノ指 定 スル モ ノヲ謂 フ
第七条
軍 需 会社 ノ職員 其 ノ他 ノ従 業者 ハ其 ノ担 当 業務 ニ従事 ス ル
之 ヲ定 ム
前 項 ニ規 定 ス ル者 ノ業 務 従 事 等 ニ関 シ必 要 ナル事 項 ハ命 令 ヲ以 テ
軍需 会 社 ハ戦 力 増強 ノ国家 要 請 ニ応 ヘ全 力 ヲ発揮 シ責 任 ヲ
軍需 事 業 ノ範 囲 ハ勅 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム 第 三条
以 テ軍 需事 業 ノ遂 行 ニ当 ルベ シ
ニ付 生 産貴 任 者 及生 産 担当 者 ノ指 揮 ニ従 フベ シ 政 府 ハ軍需 会 社 ニ対 シ期 限、 規格 、 数 量其 ノ他 必 要 ナ ル事
項 ヲ指 定 シ軍 需物 資 ノ生産 、 加 工 又 ハ修 理 ヲ命 ズ ル コト ヲ得
第 八条
政 府 ハ軍 需 会 社 ニ対 シ受 注 若 ハ発 注 、 設備 ノ新 設、 拡 張若
ハ改 良 、原 料若 ハ材 料 ノ取 得 、使 用 、 保管 若 ハ移 動 、技 術 ノ改 良
第九条
若 ハ公開 、 試験 研 究 其 ノ他 事業 ノ運 営 ニ関 シ必要 ナ ル命 令 ヲ発 シ 若 ハ処分 ヲ為 シ又 ハ政府 ノ指定 シタ ル事 業 以 外 ノ事 業 ヲ営 ム コト ヲ制 限若 六慾謝止 スル コト ヲ得 政 府 ハ勅 令 ノ定 ム ル所 ニ依 リ軍需 会 社 ニ対 シ其 ノ勤 労管 理
並 ニ資金 調 達 及経 理 ニ関 シ必要 ナ ル命令 ヲ為 ス コト ヲ得
第十条
軍 需 会 社 ニ関 シテ ハ必 要 ア ルトキ ハ勅令 ノ定 ムル所 ニ依
定 ニ拘 ラズ勅 令 ヲ以 テ別 段 ノ定 ヲ為 ス コト ヲ得
リ統 制 、 取締 等 ニ関 スル法律 ノ規 定 ニ付 其 ノ適 用 ヲ排除 シ又 ハ特
第 十 五条
政 府 ハ軍需 会 社 ニ対 シ監 督上 必要 ナ ル命 令 ヲ発 シ又 ハ処
例 ヲ設 ク ル コト ヲ得 第 十 六条
政 府 ハ軍 需 会社 ノ事業 運 営 ニ関 シ考査 ヲ為 ス コト ヲ得
分 ヲ為 ス コト ヲ得 第十七条
政 府 ハ軍 需会 社 ノ業 務 及財 産 ノ状 況 ニ関 シ報 告 ヲ徴 シ又
前 項 ノ考 査 ニ関 シ必要 ナ ル事 項 ハ命 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム
ハ当該 官 吏 ヲ シテ其 ノ事務 所 、 工場 、事 業 場其 ノ他 ノ場所 ニ臨検
第 十 八条
シ業務 ノ状 況若 ハ帳簿 書 類 、 設備 其 ノ他 ノ物件 ヲ検 査 セ シム ル コ ト ヲ得
政 府 ハ軍 需会 社 又 ハ軍 需 事 業 ノ遂 行 ニ関 係 ア ル モ ノ ニ対
シ其 ノ間 ニ於 ケ ル軍需 事 業 ノ遂 行 上 必要 ナ ル協 力 関 係 ノ設 定 ニ関
第 十 一条
第 二十条
政 府 ハ本 法若 ハ本 法 ニ基 キ テ発 スル命 令 又 ハ之 ニ基 キ テ
生 産責 任 者 又 ハ生 産担 当 者職 務 ヲ解 リ其 ノ責任 ヲ果 サ ザ
行 権 ヲ喪 失 セ シ ムル コト ヲ得
社 ノ取 締脚 役 若 ハ監 査 役 ヲ解 任 シ又 ハ業務 ヲ執行 ス ル社 員 ノ業 務執
為 ス命 令 若 ハ処 分 ノ効 果 ノ確保 上 支 障 ア リト認 ム ルトキ ハ軍 需会
第 十 九条
其 ノ身 分 ヲ示 ス証 票 ヲ携 帯 セ シ ムベ シ
前 項 ノ規 定 ニ依 リ当 該 官吏 ヲ シテ臨 検 検査 セ シム ル場 合 ニ於 テ ハ
政府 ハ勅 令 ノ定 ム ル所 ニ依 リ軍 需会 社 ニ対 シ定 款 ノ変 更 、
シ必 要 ナ ル命令 ヲ為 ス コト ヲ得 第 十 二条
事 業 ノ委 託 、受 託 、 譲渡 、 譲受 、 廃 止若 ハ休 止、 合 併若 ハ解散 又 ハ事 業 ニ属 スル設 備若 ハ権 利 ノ譲 渡其 ノ他 ノ処 分 ニ関 シ必 要 ナ ル 命 令 ヲ ナ ス コト ヲ得 政府 第 八 条、 第 九 条、 第 十 一条 及 前条 ノ規 定 ニ基 ク命 令
一 解任
ル トキ ハ之 ニ対 シテ左 ノ懲 戒 ヲ行 フ コト ヲ得
又 ハ処 分 ヲ為 シ タ ル場 合 ニ於 テ必 要 ア リ ト認 ム ル トキ ハ勅 令 ノ定
第 十 三条
ム ル所 ニ依 リ軍 需会 社 (第 十 一条 ノ軍需 事業 ノ遂 行 ニ関 係 ア ル者
譴責
軍需 会 社 ハ命 令 ノ定 ム ル所 ニ依 リ懲戒 解 任 ノ処 分 ヲ受 ケ タ ル生産
懲 戒 ハ政 府 軍需 生 産責 任 審 査会 ノ議 決 ニ依 リ之 ヲ行 フ
二
ヲ含 ム) ニ対 シ補 助 金 ノ交 付 、 損 失 ノ補 償 又 ハ利 益 ノ保 証 ヲ為 ス コト ヲ得 軍 需 会 社 ノ業 務執 行 、株 主総 会、 社 員 総 会 及社 債 権者 集
会 ノ招 集 及決 議其 ノ他 ノ軍 需 会 社 ノ運 営 ニ関 シ テ ハ他 ノ法律 ノ規
第 十 四条
ナ ルトキ ハ之 ヲ解 任 シ又 ハ業 務執 行 権 ヲ喪失 セ シ メ其 ノ他 ノ者 ナ
責 任 者 又 ハ生産 担当 者 取締 役 其 ノ他 ノ法 人 ノ業 務 ヲ執 行 ス ル役 員
ルト キ ハ之 ヲ解 雇 スベ シ
本 法 中 必要 ナ ル規定 ハ勅 令 ノ定 ム ル所 ニ依 リ 軍需 事業
ヲ営 ム者 ニシテ会 社 以外 ノ モノ及 軍需 ノ充 足上 必 要 ナ ル軍 需 事業
第 二十 二条
円 以下 ノ罰 金 ニ処 ス但 シ情 状 ニ依 リ懲 役 及罰 金 ヲ併 科 ス ル コト ヲ
左 ノ各 号 ノ 一ニ該当 ス ル者 ハ二年 以 下 ノ懲 役 又 ハ三千
以 外 ノ事業 ヲ営 ム会社 其 ノ他 ノ者 ニ対 シ之 ヲ準 用 スル コト ヲ得
対 シ 一定 ノ給 与 ヲ減 ズ ベ シ 得
第 二十三 条
懲 戒 ノ処分 ハ之 ヲ公 示 ス
軍 需 会 社 ハ政 府 ノ指 示 ニ従 ヒ譴責 ノ処 分 ヲ受 ケ其 ノ情 状 重 キ者 ニ
軍 需 生産 責 任 審査 会 ニ関 ス ル規定 ハ勅 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム
第 十条 ノ規 定 ( 前 条 ノ規 定 ニ依 リ 準用 ス ル場合 ヲ含 ム) ニ依
第 十 一条 ノ規 定 ( 前 条 ノ規 定 ニ依 リ準 用 ス ル場 合 ヲ含 ム) ニ
ル命 令 ニ違 反 シ タ ル者
第十 二条 ノ規 定 ( 前 条 ノ規 定 ニ依 リ準 用 ス ル場 合 ヲ含 ム) ニ
左 ノ各 号 ノ 一ニ該 当 ス ル者 ハ千 円 以下 ノ罰金 ニ処 ス
ム) ニ基 キ テ発 ス ル命 令 又 ハ同条 ノ規 定 ニ依 ル処 分 ニ違 反 シ タ ル者
第 十 八 条第 一項 ノ規 定 ( 第 二十 二条 ノ規 定 ニ依 リ準 用 スル場
第 十 八条 第 一項 ノ規 定 ( 第 二十 二条 ノ規 定 ニ依 リ準 用
ス ル場合 ヲ含 ム) ニ依 ル当 該官 吏 ノ臨 検 検査 ヲ拒 ミ、 妨 ゲ 又 ハ忌
第 二十 五条
合 ヲ含 ム) ニ依 ル報告 ヲ為 サズ 又 ハ虚 偽 ノ報 告 ヲ為 シ タ ル者
二
一 第十 六 条 ノ規 定 (第 二十 二条 ノ規定 ニ依 リ準 用 スル楊 合 ヲ含
第 二十 四条
依 ル命 令 ニ違 反 シタ ル者
四
依 ル命 令 ニ違 反 シタ ル者
三
三
違 反 シタ ル者
キ テ発 スル命 令 又 ハ同 条 ノ規 定 ニ依 ル処分 若 ハ制 限若 ハ禁 止 ニ
一 第 九条 ノ規 定 ( 前 条 ノ規定 ニ依 リ準 用 ス ル場合 ヲ含 ム) ニ基
ハ統 制会 社 ハ命令 ノ定 ムル所 ニ依 リ懲 戒解 任 ノ処分 ヲ受 ケ タ ル者
軍 需 事業 ヲ営 ム会 社 其 ノ他 ノ法人 又 ハ軍需 事 業 ニ関 ス ル統 制 会 若
ニシ テ其 ノ理 事、 取 締役 其 ノ他 ノ法 人 ノ業 務 ヲ執 行 ス ル役 員 タ ル モ ノ ヲ解 任 シ又 ハ其 ノ業 務 執 行権 ヲ喪 失 セ シムベ シ但 シ政 府 ノ許 可 ヲ受 ケ タ ル場合 ハ此 ノ限 ニ在 ラズ
ハ統制 会 社 ハ懲戒 解 任 ノ処 分 ヲ受 ケ タ ル者 ヲ其 ノ処 分 ア ルタ ル日
軍 需 事業 ヲ営 ム会 社 其 ノ他 ノ法人 又 ハ軍 需 事 業 ニ関 ス ル統 制 会若
ヨリ 二年 間 理事 、 取締 役 其 ノ他 ノ法 人 ノ業 務 ヲ執 行 ス ル役 員 ト為
軍 需 会 社 ノ職 員其 ノ他 ノ従業 者 故 ナ ク生 産責 任 者 又 ハ
ス コト ヲ得 ズ 但 シ政府 ノ許 可 ヲ受 ケタ ル場 合 ハ此 ノ限 ニ在 ラズ 第 二 十 一条
ヲ得
生産 担 当 者 ノ指 揮 ニ従 ハザ ルトキ ハ之 ニ対 シ左 ノ懲 戒 ヲ行 フ コト
訓告
一 譴責 二
軍 需 会社 ハ政 府 ノ指 示 ニ従 ヒ譴 貴 ノ処 分 ヲ受 ケ其 ノ情 状 軍 キ者 ニ
避 シタ ル者 ハ六 月 以 下 ノ懲 役 又 ハ五 百円 以 下 ノ罰 金 ニ処 ス
懲 戒 六政府 生 産責 任 者 又 ハ生 産担 当 者 ノ具状 ニ依 リ之 ヲ行 フ
対 シ 一定 ノ給 与 ヲ減 ジ 及 一定 期間 内 昇 給 ヲ停 止 スベ シ
第 二十 六 条
法 人 ノ代 表 者 又 ハ法 人若 ハ人 ノ代 理 人、 使 用 人其 ノ他
七
ノ従 業 者 ガ其 ノ法人 又 ハ人 ノ業 務 ニ関 シ第 二十 三条 又 ハ第 二十 四
関 ス ル モ ノヲ除 ク) 及 経 理統 制 (増配 ニ関 スル モノ ヲ除 ク) ニ
電 気 及発 電 水 力 ニ関 ス ル事 項
関 スル事 項
ア ル コー ル及 石 油 ノ専 売 ニ関 ス ル事 項
軍 需 省 ニ左 ノ 一総 局 及 八局 ヲ置 ク
総 動 員 局 ニ於 テ ハ左 ノ事 務 ヲ掌 ル
四
三
統 計 一般 ニ関 ス ル事 項
所 管 物 資 ノ価 格 一般 ニ関 ス ル事 項
鉱 工靴 栄 一般 三閾四ス ル事 項
所管 行 政 ノ考 査 一般 ニ関 ス ル事 項
五
合 調整 ニ関 ス ル事 項
民 間 工 場 ノ利 用 及設 備経 営 ノ指 導 ノ軍 需 上必 要 ナ ル統 制 ノ綜
調 弁 ノ綜 合 調整 ニ関 スル事 項
主要 軍 需品 ノ原 料及 材 料 並 ニ特 定軍 需 品 ノ生 産管 理 、発 注 及
七
六
二
家 総動 員 ノ基本 ニ関 ス ル事 項
一 物 資 動 員 計画 、 生産 拡 充 計 画 及電 力動 員 計 画 ノ総括 其 ノ他 国
第 三条
第 四局 ヲ置 ク
航 空 兵器 総 局 ニ長 官 官房 並 ニ総 務 局、 第 一局 、第 二局、 第 三 局及
置 ク コト ヲ得
局 中 局 務 ヲ分 掌 ス ル為 軍需 大 臣 ノ定 ム ル所 ニ依 リ部 又 ハ部 及 課 ヲ
属 局 、化 学 局 、燃 料 局 、 電力 局
総 動 員局 、 航 空兵 器 総 局、 機 械 局、 鉄 鋼 局、 軽金 属 局、 非 鉄金
第 二条
係 各 庁 ニ対 シ資 料 ノ提 出 又 ハ説 明 ヲ求 ム ル コト ヲ得
軍 需 大 臣 ハ前 項第 一号 ニ掲 グ ル事 務 ヲ行 フ ニ付 必要 ア ルトキ ハ関
条 ノ違 反行 為 ヲ為 シ タ ルト キ ハ行 為 者 ヲ罰 ス ル外 其 ノ法 人 又 ハ人
則
八
付
ニ対 シ本 条 ノ罰 金 刑 ヲ科 ス
軍 需 大 臣 ハ左 ノ事 務 ヲ管 理 ス
軍 需 省官 制 (昭和十 八年十 一月 一日勅令第 八百二十四号)
本 法施 行 ノ期 日 ハ勅 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム
第 一条
鉱 工業 一般 ニ関 スル事 項
一 国家 総 動 員 ノ基 本 ニ関 ス ル事 項 二
鉱 産 物 及 工業 品 ( 鉄 道車 輌 、 鉄 道 信号 保安 装 置 、船 舶 、 船舶
以 下所 管物 資 ト総 称 ス) ノ生産 、 配給 及消費 並 ニ
用 品 、繊 維 工業品 及 主ト シテ国 民 生活 ノ用 ニ供 ス ル其 ノ他 ノ工
三
業 品 ヲ除 ク
以 下所 管 企
所 管物 資 又 ハ電 力 ノ生 産 又 ハ配 給 ヲ目的 ト ス ル企 業 ( 他 ノ目
ス ル事 項
民 間 工場 ノ利用 及 設備 経 営 ノ指導 ノ軍需 上 必要 ナ ル統 制 ニ関
調弁 ニ関 ス ル事 項
主要 軍需 品 ノ原 料 及 材 料並 ニ特定 軍 需 品 ノ生 産管 理 、発 注 及
価 格 ニ関 ス ル事 項 四
五
六
的 ノ企業 ヲ兼 営 スル場合 ニ於 テ 六当 該部 分 ニ限 ル
業 ト融 杯ス) ニ於 ケ ル勤労 管 理 、賃 金 、資 金 調 整 ( 資 金 ノ調 達 ニ
所 管 企 業 ニ於 ケ ル勤 労 管理 、 賃 金、 資 金 調整 及 経 理統 制 ニ関
人以内ト ス
十七人 ヲ以 テ定員 トス但 シ勅任 タル部長及軍需官 ハ通ジテ専任五
第十四条 部長、軍需官、軍需書記官及軍需事務官 ハ通ジテ専任九
軍需理事官 ハ専任 十四人 ヲ以テ定員 トス
八
所 管 防衛 業 務 ノ総 括 ニ関 ス ル事 項
ス ル事 項
他 ノ主管 ニ属 セザ ル事項
第十六条 軍需者 ニ軍需技監専任 一人ヲ置 ク勅任 トス上官ノ命 ヲ承
鉱工統計 ヲ掌 ル
第十五条 軍需雀 ニ統計官専任二人 ヲ置 ク奏任 トス上官 ノ命 ヲ承ケ
九
航 空兵 器 総局 ニ於 テ ハ航 空機 及 其 ノ関聯 兵 器器 材等 ニ関 ス
十 第 四条
機械 局 ニ於 テ ハ機械 器 具 ( 航 空 兵 器総 局 ノ主管 ニ属 ス ルモ
ル事 務 ( 此 等 ノ物資 ノ調弁 及 之 ニ伴 フ事 務 ヲ含 ム) ヲ掌 ル 第 五条
軍需省 ニ軍需技師事任百七人 ヲ置ク奏任 トス但 シ内三人
ケ技術 ヲ掌理ス 第十七条
鉄 鋼 局 ニ於 テ ハ鉄 鋼 ニ関 ス ル事 務 ヲ掌 ル
ノヲ除 ク) ニ 関門 ス ル事 務 ヲ掌 ル 第六条 軽 金 属 局 ニ於 テ ハ軽金 属 ニ関 スル事 務 ヲ掌 ル
第十 八条 軍需省 ニ軍需官 補ヲ置ク判任トス上官 ノ指揮 ヲ承ケ軍需
ス
軍 需省 ニ軍 需技 手専 任 三百 十 九人 ヲ置 ク判任 ト ス上官
第 十 二条 乃至 前条 ノ職員 ノ外 軍需 大 臣 ノ奏 請 ニ依 リ関
軍需 省 ニ参与 ヲ 置キ省 務 ニ参 与 セ シム
参 与 ハ其 ノ職 務 ニ関 シ知 得シ タ ル秘 密 ヲ厳 守 スベ シ
中 ヨリ内 閣 ニ於 テ之 ヲ命 ズ
参 与 ハ軍 需 大臣 ノ奏 請 ニ依 リ関 係 各 庁勅 任 官及 学 識経 験 ア ル者 ノ
第 二十 三条
係 各庁 高 等官 ノ中 ヨリ内 閣 ニ於 テ事務 官 ヲ命 ズ ル コト ヲ得
第 二 十 二条
ノ指揮 ヲ承 ケ技 術 ニ従事 ス
第 二 十 一条
承 ケ鉱 工統 計 ニ従 事 ス
第 二十 条
軍 需 省 ニ統 計 官補 専 任 八人 ヲ置 ク判 任 ト ス上官 ノ指揮 ヲ
官 ノ事務 ヲ助 ク
ヲ勅任ト為 スコトヲ得上官 ノ命ヲ承 ヶ技術 ヲ掌 ル
第七条
非 鉄 金 属局 ニ於 テ ハ非 鉄 金 属 及 鉱山 一般 ニ関 ス ル事 務 ヲ寧
第十九条 軍需 官補及軍需属 ハ通ジテ専任 五百十八人 ヲ以テ定員ト
ル
第 八条
化 学 局 ニ於 テ ハ化 学 工業 品 ニ関 ス ル事 務 (工業 塩 及粗 製樟
脳 ノ配 給 及消 費 ニ関 ス ル事 務 ヲ含 ミ化 学 肥料 ノ生 産 数 量、 配 給 及
第九 条
燃 料 局 ニ於 テ ハ左 ノ事 務 ヲ掌 ル
消 費 ニ関 ス ル事 務 ヲ除 ク) ヲ掌 ル 第 十条
ガ ス及 コー ク ス ニ関 ス ル事 項
一 燃 料 ニ関 ス ル事 項
電 力局 ニ於 テ ハ電 気 及 発 電 水力 ニ関 ス ル事 務 ヲ掌 ル
二
軍需 省 ニ軍需 官 ヲ置 ク勅 任 又 ハ奏 任 ト ス上官 ノ命 ヲ承 ケ
ア ル コー ル及 石 油 ノ専 売 ニ関 ス ル事 項
第 十 一条
三
第十二条
軍需 省 ノ事 務 ヲ掌 ル 軍 需 省 ニ軍需 事 務 官 及軍 需 理事 官 ヲ置 ク奏 仕 ス上 官 ノ命
ヲ承 ケ軍 需 省 ノ事務 ヲ掌 ル
第十 三 条
第 二十 四条
軍 需 省 ニ専 門 委 員 ヲ置 キ専 門 ノ事項 ヲ調 査 セシ ム
専 門委 員 ハ軍需 大 臣 ノ奏 請 ニ依 リ学識 経 験 ア ル者 ノ中 ヨリ内閣 ニ 於 テ之 ヲ命 ズ
特 定 軍需 品 ニ関 スル軍 事上 必 要 ナ ル事 項 ニ付 テ ハ航 空
専 門委 員 ハ其 ノ職 務 ニ関 シ知得 シ タ ル秘 密 ヲ厳 守 スベ シ 第 二十 五条 兵 器総 局 長 官及 燃 料局 長 ハ陸軍 大 臣 及海 軍 大臣 ノ指 揮監 督 ヲ モ承 ク ル モノ ト ス 軍 需 省 ニ鉱 務 監 督官 及 鉱務 監 督 官補 ヲ置 ク
東
京
在
神奈川県川崎 京 都 東京 三鷹上連雀 東 京 東 京
三重県山田市 茨城県多賀町 東京大森 姫 路 川 崎 東 京
所
日本 の総 生 会 社 の作 業 産 高 に占 め に占 め る %) る割 合(% )割 合 (
会社 の生産 高
付録第 7 構成部分と付属品 の下請業者リスト 発 電機
主 な 製造 業 者
1神 戸製 鋼 所 2 日立製 作 所 3中 央 工業 4 三菱電 機
第告二 十 六条 鉱 務監 督 官 ハ軍 需 官、 軍 需書 記 官 、軍 需 築 務官 又 ハ軍 需 技 師 ヲ以
5富 士電 機 製造
3三鷹 製 作 所
2島津 製 作 所
1日本 機 械
気化器
(1) 工場 に つい て
6大 野製 作 所
テ 、鉱 務 監 督官 補 ハ軍 需 官補 、 軍 需属 又 ハ軍需 技 手 ヲ以 テ之 ニ充 ツ 鉱 務監 督 官 ハ上 官 ノ命 ヲ承 ケ鉱 業警 察 (鉱 山 ニ於 ケ ル勤 労衛 生 ヲ 除 ク) ニ関 ス ル事 務 ヲ掌 ル 鉱 務監 督 官 補 ハ上 官 ノ指 揮 ヲ承 ケ鉱業 警 察 ( 鉱 山 ニ於 ケ ル勤 労 衛
則
生 ヲ除 ク) ニ関 ス ル事 務 ニ従事 ス 付 本 令 ハ公布 ノ日 ヨリ之 ヲ施 行 ス
4朝 日奈 鉄 工所 5 東京 計 器 工業 6 三国 商 工 7 日立 製 作 所
桑
ベ ヤ リ ング
1東 京 ベ ヤ リ ング 藤沢 、 東 大崎 、 下 丸子
名
2日 本精 工 堺
1 田中 計器 製作 所
東 京品 川
玉 川用 賀 町、 名 古 屋
東京大森
山
2柳 製 作所
川 崎市
富
3朝 日 精工 4不 二越鋼 材
3品 川 製作 所 京
計 器︱ ︱ 高 度計
4東 京 航空 計 器 都
5島 津 製作 所
東京大森
計 器︱︱ 高度計 (感度 の よ いも の) 1田 中 計器 製作 所 2桂 研 究所
計 器︱ ︱ 水 平儀
計器 ︱ ︱
コ ンパ ス
1東 京 航 空計 器 川崎市 2横 河 電機 東京吉祥寺 3東 京 計器 製 作 所 東 京 京 都 東京品川 4 島津 製作 所
5品 川 製作 所
7 大阪 金 属 工業
6大 日本機 械
5宮 田製 作 所
4 中島 飛 行機
3 三菱 重 工業
2 萱場 航 空 計器
1 岡本 工 業
川
東
大
東
東
東
京
阪
京
京
京
名古屋
東 京 芝浦 、 仙 台、 岐阜 県 可 児郡
名古 屋、 岐阜
着陸装置と支柱
8角 和 製作 所
︱ ジ ャ イ ロ ・ コ ン パ ス
崎
9 日新 工業
計器 ︱
4 三菱 電 機
3呉 海 軍工 廠
1東 京航 空 計 器 川崎市 2東 京 計器 製作 所 東 京 広島県呉 名古屋
3品川 製 作所
1東京 航 空 計器 川崎市 2東京 計 品製 作 所 東京大森 東京品川 東 京
4横 河 電 機
2大 阪 金属 工 業
1 日東 航 空機
名 古屋
名 古屋
大
兵 庫 県深 江
放 熱 器 、油 冷 却 器 東 京 、小 田原、福井
3豊 田 自動 車 工業
石
東
4 三菱 重 工業
磁 1国 産電 機 名 古 屋、 大 阪
宮
大
神
阪
戸
名古屋
西
東 京、 千 葉
阪
2横 河電 機 福 島 、 東京
京
3三 菱電 機
1 日本 無 線電 機 2 日本 電 機
東京三鷹上連雀 東 京 川 崎 東 京 名古屋 東 京
無線機 ( 航空機用送信機と受信機)
2大 阪 ア ルミ ニウ ム製作 所
1 1林 内製 作 所1
10 川 西 航 空機
ー9愛 知 航 空機
8西 宮 日本 クー ラ
7 三升 製作 所
6 日本建 鉄 工業
5 日昭航 空機 器
4東 亜航 空電 機
燃料 ポ ンプ、 油 ポ ンプ 京
東 京
名古屋 名古屋
2三 菱重 工 業 3島 津製 作 所 神奈川
1 中 島飛 行 機
4三 菱電 機 東
都
5日 本内 燃 機
名古屋
京
6三 鷹航 空 工業 8愛 知航 空 電機 名古 屋
7特 殊 工作 所 9愛 知航 空 機 大
阪
10 大 阪金 属 工業
5三菱 電 機
4東洋 通 信機
3 東京 芝 浦電 機
6安 立電 機
噴 射 ポ ンプ 名古 屋 塚
1 三菱重 工 業
宝
千 葉県 柏
西
2日 立製 作 所 3川
(1) 工場 に つい て
始動機 1東 京 計 器製 作所 2 三菱 電機 3国 産 電機 4芝 浦 製作 所 (1) 工場 に つい て
社 名
福 京
岡
神戸 製 鋼所 豊 田自 動車
日 立製 作 所
生
産
品
川 崎、 大 阪 川 崎 直江津 神 戸
川
八
清 神
尼 大 水
崎 倉
崎
幡
水 戸
崎 阪 戸
(a)
(c)
(c)
(a)(b )(c)(d )
(a)(b )(c)
(b )(c )
在
(a)(c)
川 小
(c)
(a)(b )(c)(d )
米 子 岡 山 県津 山 横 浜
(a)(b )
(d )
(b )(c)
(a)(c)
(d )
(a)
(a)パ イ プ
(a)(c)
(a)(c)
(c)
(d )
(a)(b )(c)(d )
(a)
千 葉、 市 川 東 京、 三原
宮
(a)(b )
西
東 京 東京 、 蒲 田、 川 崎
東 京 名古屋
所
付録第 8 金属の主要供給者リ スト 鋼 会
日本 特 殊鋼
1日 本 飛行 機 タ イ ヤ 東 島
東 京 和歌山 東 京 東 京 大同 製 鋼
2藤 倉 工業 三
住友 製 鋼
3明 治 ゴ ム製 造所
タイ ヤ
4横 浜 ゴ ム
特 殊 製鋼 東 条 航空 金 属
三菱 製鋼 理 研 工業
み さく鋳 物 正 田特殊 鋼 野 村 製鋼 所
不 二越鋼 材 日本 曹 達
川崎 製 鋼所 日本 鋼管
東京 鍛 鋼 日本 冶 金 工業 日本 ステ ンレ ス
日本 製 鉄 日本 鍛 鋼
鶴見 、 三重県 度 合 郡
名古屋 福 岡 松 本 東 京
松 名古屋 水 戸
タービ ン送 風機 (排気 ) 1 石 川島 芝 浦 2三 菱重 工 業 3 日 立航 空 機 (1) 工 場 に つい て
車 輪 1 岡本 工 業 2 九 州飛 行機 3宮 田製 作 所 4萱 場 製 作 所
ア ルミ ニウ ム︱︱ (合金 製 造会 社 )
住友金属
(i)( j )(k)( l) (i)( j )(k)( l)
調 中 門
平 大
日 小
布 津 司
塚 阪
光 山
(j)
(i)( l) (j ) (j)
神戸製鋼所 大 垣 名 古屋 一 宮
(k)( l) (k)(l )
大 阪 名古屋 豊 橋 鳴 海 大 津
特殊軽合金 東 京 東 京
(j)( k )(l)
特殊合金 那 須 ア ルミ 三菱 金 属
(k)(l) ( l)
古 河電 工
三菱 金 属 工業 中 島 航 空 金属
(i ) (j)
( i) (j )
(j) (k)(l )
(k)(l ) (j)
(i)( k )(l) (i)( j )(k)
(i )(k )(l )
(i )(k )(l )
(k)( l)
(i ) (k )
三菱軽 金 属
名古屋 東 京 東 京 堺 大 阪 石 阪 阪 京 日東 金 属 高 田アル ミ
立 鈴 木 金属 工 業 大 阪 ア ル ミ ニウ ム 大 大 高田アルミ 田中 ダ イ 鋳物 東
銅
住友金属 古河電工 神戸製鋼 特殊合金
︱︱ ( 銅 合金 )
東
門
大
日
大
京
司
阪
光
阪
(k )(a)
(m)(k )
(a)合 金製 造 者 、 (b )炭 素 鋼 製 造 者、 (c)鍛 造会 社 、 (d )鋳 物 会 社、 (i)鍛 造会 社 、 (j)鋳物 会 社 、 (k )薄 飯 鋼 圧 延 工場 、 (l)型 から 押 出 し て作 る︱ ︱ 管 、 (m)銅 合 金 、 (n)ベ ヤ リ ング 金属
︹ 編者注︺ 付録第 9 ﹁ 航 空機 の生産に必要なプ ロペラの所要量とそ の
生産高 (一九 四 一︱ 一九四五) ﹂ は省略した。
付 録 第10統
計
日本 航 空 機 の 年 間 生 産 高1930―1945 〔1930年か ら1939年 まで の 数字 に は,一 部 の会 社 に つ い て は見 積 りが 含 まれ る〕
*資
料 が入 手 で き なか った
日本航 空 機 の 月間 生 産 高1941年
(1)戦 闘機,爆
撃 機,偵
察 機,練 習 機,輸 送 機,飛
行艇
グ ラ イ ダ ー,特 攻 機 を含 み,1944年
1945年 6月 に 生 産 され た50機 の特 攻 機 の うち 桜花11型 を含 まず。( 2)半 ヵ月未 満 。
1月 ―1945年 8月
9月 か ら1945年 3月
日本戦 闘 用 機 の月 間生 産 高1941年
(1)半 ヵ月未 満
1月―1945年 8月
日本航 空 機 発 動機 の月 間生 産 高1941年
(1)半 ヵ月未 満
1月―1945年 8月
日本 航空 機 製造 者 の相対 的重 要度 〔 戦闘機,爆 撃機,偵 察機,練 習機,輸 送機,飛 行艇,グ ライダー,特 攻機〕 (付表第 2の 5を参照)
(1):0.1%未
満
日本 戦 闘用 機 生 産者 の 相 対的 重 要 度― ―1941―45の 戦 闘 機,爆 撃 機,偵 察機 の (付表第 2の 6を参照)
(1):0.1%未
満
日 本 航 空 機 発 動 機 生 産 者 の 相 対 的 重 要 度 (1941―1945)
(1):0.1%未
満
総 雇 用 デー タ 1941
1942
1943
1944
1945
(1)下 記 の 機体 製 造 会 社 の雇 用 デ ー タは 入手 で き なか った。 1 満 洲 飛 行機 ― ―1941―45の 機 体 総 生 産 の3 .1%を 生 産 した。 2 3
大 刀洗 飛 行機 ― ―1941―45の 機 体 総 生産 の1.7%を 生 産 した。 東 京 飛 行機 ― ―1941―45の 機 体 総 生産 の0 .4%を 生 産 した。
4
三 井 鉱 山――1941―45の
機 体 総 生 産 の0.1%未
満 を生 産 した。
(2)下 記 の発 動 機 製 造 会社 の雇 用 デ ー タ は入 手 で きな か った 。 1 満 洲 飛行 ― ―1941―45の 発 動機 総 生 産 の1.9%を 生 産 した。 2 豊 田 自動 車 ――1941―45の 発動 機 総 生 産 の0 .1%を 生 産 した。
製造 業 者別 の毎 月 の雇 用 デ ー タ―― 機 体(付 1941
図第 2の 8を参照)
1942
(注)満 洲飛行機,大 刀洗飛行機,東 京飛行機,三 井鉱 山の雇用データは入手で きなか った。
1943
1944
1945
製造 業 者 別 の 毎月 の機 体 生 産(付 1941
図第 2の 8を参照)
1942
1943
1944
1945
(1)半
月未満
製造 業 者別 の毎 月 の発 動 機生 産1941―1945(付 1941
図第 2の 9を参照)
1942
1943
1944
1945
(注)8
月 は半 ヵ 月未 満
製造 業 者 別 の 毎月 の 雇用 デー タ― ― 航 空機 発 動 機(1)1941―1945(付
図第 2の 9
1942
1943
1944
1945
(1)満 洲飛行機 と豊 田自動車の雇用数字は入手 で きなか った。
日本 航空 機 生 産 高 の機 種 別 四半 期 別 配分 の百 分 比(付 1941―1945
(1)そ の他 に は 飛 行 艇,グ ライ ダ ー お よび特 攻 機 を含 む。 (2)7 月 と 8月 の 一 部 の み。
図第 3の 1を参照)
日本 航 空 機 の機 種別 四半 期別 生 産 高(付
図第 3の 2を参照)
1941―1945
(1 )そ (2 )7
の他 に は飛 行艇,輸
送機,グ
月 と 8月 の一 部 のみ 。
ラ イ ダ ーお よ び特 攻 機 を含 む。
発 動 機 の数 で区 分 した 日本 戦 闘 用 機 の 四半 期 別生 産 高(付
図第 3の 3を参照)
1941―1945
(1)7 月 と 8月の 一 部 の み
日本 航 空 機 工業 が1941年 1月か ら1945年 7月 ま でに生 産 した機 体 の重 量 と航 空 機 の数 の,月別指 数(と
もに1941年 平 均 を100と す) (付図第 3の 4を参照)
1941―44年
の 日本 戦闘 用 機 の平 均 月産 に 関 す る米 陸 軍 情報 部 の
1945・1・23と1945・
7 ・31の 見 積 り と実 際 と の 比 較 (付 図 第 7の 1を参 照)
日本 戦 闘 用 機 の種 類 別 の1941年 か ら1943年 ま で の四 半期 平 均 月 産 と1944年 1月 か ら1945年 7月 まで の月 産 に 関す る米陸 軍 情 報部 の見 積 りと実 際隼 産 との比 較 (付 図 第 7の2,4,5を
(注)四
半期の数字 は月の平均を示 す。
参照)
三
約
造艦 工業
五年 七 月 ま で急 激 に減 少 し (付 図第 1を参 照 ) 、 価値 で見 た造 艦 は
一九 四 一年 の月 平 均水 準 から 一五% 低 下 し、 合 計 ト ン数 で見 た建 造
要
一九 三 一年 から 一九 四〇 年 に いた る 日本 海軍 建 艦計 画 によ る艦 艇
一︱ 四五 会計 年 度 別造 艦 の場 所 価 値 を、 排水 ト ン数 と 一九 四 五年 価
は 一九 四 一年 の月 平均 水 準 から 五 〇% 減 少 し た。次 の表 は、 一九 四
第 一章
の総完 成 量 は 四七 六、 〇 〇 〇 ト ン であ った 。 こ の期 間 に おけ る最 高
格 の円 で示す 。
付表第1
一九 四 一︱ 四五 会計 年 度 別 日本 造艦 の場所 価値
建 艦 の年 は 一九 四〇 年 で九 四、 七 〇 五 ト ンが完 成 し、 最 低 の年 は 一 九 三 四年 で完成 量 は 一六 、 七 六九 ト ンにすぎ な か った。 一九 三 二年 の経済 不 況 の年 に起 工さ れ た大 艦 は二隻 にすぎ な か った ので、 一九
一九 四 一年 に完 成 した 艦艇 は 二二 五、 一九九 ト ンであ った。 こ の
三 三年 と 三 四年 の完 成量 は減少 し た。
よ う に 一九 四 一年 の完 成 量が 一九 四〇 年 を 大き く上 回 った の は、 そ の両三 年 前 に開 始 され た建 艦 計 画 によ るも の であ り、 そ の当 時 に起 工 され た艦 艇が 一九 四 一年 に完 成 し た から であ る。 そ の後 の毎 年 の
毎 月 の艦艇 建造 活 動 の価 値 ( 場 所 価 値 ) は、 一九 四 四年 八月
計 画 の開 始 を意 味 し た。 第 三艦 ︹ ﹁ 信濃﹂︺ は 一九 三 九年 以 後 ︹一 ・ 九四
年 に、 後者 は 一九 三 八年 に起 工 し、 そ れ は 日本 海軍 の大規 模 な建 艦
一九 四 一年 と 一九 四 二年 に就 役 し た。 こ の両 艦 は、前 者 は 一九 三七
日本 海 軍 の 二隻 の 六万 ト ン戦 艦 ﹁大 和﹂ と ﹁武蔵 ﹂ は、 そ れぞ れ
に ト ン数 であ ら わ した ピ ︱ ク に、 一九 四 四年 九 月 に価 値 であ ら わ し
のピ ー クま で、 ほぼ こ の水 準 を維 持 し た。
完 成 ト ン数 は、 完 成量 が 四〇 八、 四〇 〇 ト ンに激増 した 一九 四 四年
たピ ーク に達 し た。 一九 四 四年 九 月以 降 の場 所価 値 の指 数 は 一九 四
付 図第 1
ェー海戦の結果︺航 空 母艦 に改装 され た。
〇年五月︺に起 工され た が、 そ の完成 前 に ︹一九四 二年 六月のミッドウ
完 成 した 航空 母艦 の引 渡 し隻 数 は、 一九 四 一年 か ら四 四年 ま で 一
貫 して多 か った。 造艦 活 動 、 つま り 、作 業 の投 入 量 は 一九 四 三年 に
最 高 に達 し、明 く る四 四年 に大 き く 低下 し た。 一九 四五年 には航 空
った。
母 艦 は完 成 せず 、 こ の年 に は航空 母 艦 の建 造 は殆 ん ど行 なわ れ な か
巡 洋艦 に つい て見 れば 、 そ の完 成 量 は 一九 四 二年 と 一九 四三年 に
ピ ー クに達 した。 こ の両年 と も 二隻 あ て の巡洋 艦 が引 渡 され 、 一九
四 四年 は 一隻 であ ったが 、 一九 四 五年 に は 一隻 も 完 成し な か った。
一九四 二年 、 巡洋 艦 は建 艦 計 画 の建 造活 動 の八% (ト ン数 で見 た場
にな ると 一% 未 満 に、 そ れぞ れ 減 少 した 。
合) に達 し たが、 こ の数 字 は 一九 四三年 に は三% に、明 く る四 四年
駆逐 艦 の引 渡 し 量が 最 も多 か った のは、 三 一隻 が 完成 し た 一九 四
った。 駆 逐艦 の建造 工事 は 一九 四 五年 六 月 に終 わ った。
四年 であ った。 駆逐 艦 の建 造 活 動 は、 そ の引 渡 しと 同 じ傾 向を た ど
最 も 多数 の潜 水艦 が 引 渡 され た年 は 一九 四三年 と 四 四年 ︱︱ 一九
四 三年 に四〇 隻 、 一九 四 四年 に三 七隻︱︱ であ り、 ト ン数 の点 で は
一九四 四年 が 四 三年 より 少 し多 か った 。 一九 四 五会 計年 度 の最 初 の
四 ヵ月 間 に、 二二隻 の潜 水艦 が引 渡 さ れ た︱︱ 年 間 完成 割 合 は 一九
四 五年 の方 が 一九 四三 年 と 四四年 より も高 か った。 潜水 艦建 造 のた
め の作 業 投 入量 は 一九 四 三年 以 後 は減少 し たが 、 一九 四五年 の建 造
活 動 では潜 水艦 が 依然 と し て最 大 であ った。
上陸 用舟 艇 の建 造 はす べ て の艦 艇 の完 成 量 の八% にす ぎ な か った
入 量が 造 艦 全体 に占 める 割合 は上 陸 用舟 艇 の引 渡 し 量 と ほぼ同 じ で
は 一六% に増 加 し、 ト ン数 から 見 た 場合 、 上陸 用 舟 艇建 造 の作 業 投
一九 四四年 ま では取 る に足 らな か ったが 、 この数 字 は 一九 四 五年 に
原 料 の 不足 は、 戦 局 の進 展 と とも に、 ます ま す重 要 な要 因 とな って
拡 充す る必 要が あ った こ とと 、原 料 の不足 を あげ るこ とが でき る。
因 と し て、 日 本が 予 想 し て いた よ りも はる か に大規 模 に修 理施 設 を
機 構 と 統 制上 の欠陥 の ほか に陸 海 軍 の間 の摩 擦が 、 戦 争 の全 期 間
き た。
を通 じ て は っき り 見 られ た 。陸 海 軍 の協 調 は ついに実 現 せず 、 軍需
一九 四 三年 ま で取 るに足 らな か った沿 岸 防備 艦 艇 の建 造 は、 一九
あ った。
四 四年 と 四 五年 に は完 成 し た全 艦艇 合 計 ト ン数 の二〇 % と な り、 こ
は海 軍 の助 言と 専 門的 な 経 験を 無 視 し て、 みず から小艇 の建 造 を は
省 の創 設 は こう し た状 況 を緩 和 し た よう には思 わ れな か った。 陸 軍
特 別攻 撃 艇 の作 業 は 一九 四四年 に開 始 され たが 、 一九 四 五年 ま で
った機 構 か ら同 じ 工場 に対 し同 じ優 先 順 位 で行 な われ る よう に な っ
じ めた 。 そ の結 果、 同 じ 艦種 に つい て重 複 し た発注 が 、政 府 の異 な
の 二 ヵ年 間 にト ン数 から見 た建 艦活 動 の約 二五 % を占 めた。
一三 ︱ 一四% が特 別 攻 撃艇 であ った。
2
1
適 当 な造 艦施 設 の欠 如。
まず い生 産管 理 。
不適 当 な 大 量生 産技 術 。
2
不 十 分 な備 蓄 と材 料 、 と りわ け鋼 の供給 の遅延 。 こ の期 間 の
熟 練 労働 者 の不足 と 労働 者 の非能 率 。
後 半 で は、 鋼 の不足 が 生産 の全 体 の水 準 を制 限 し た。
1
主 な阻 路 は次 の よう なも のだ った。
の原 因 は前 述 し た よう な諸 要 因 に よる のであ った。
た 理 由 の 一部 は、 全 体 と して の 日本 経済 力 の限 界 であ り 、 他 の 一部
各 種 の隘 路 のた め に制約 を うけ た。 こう した 困難 を克 服 で きな か っ
一九 四 一年 から 一九 四 四年九 月 に いた る期 間、 艦 艇建 造 の増 加 は
3
日本 海軍 は次 のこ と のた め に計 画 を予 定 ど おり実 行 でき な か った。
こう し た陸 軍側 と の関係 と 長期 計 画 遂行 上 の諸 問 題点 の ほか に、
た。
の建 造 は大 したも ので はな く 、 全艦 艇 の完 成 ト ン数 と建 艦活 動 の約
付表第2 主要艦船︱︱戦時中 に完成した会計年度別隻数 と 一九三 一︱四五会計年度中に完成 した合計隻数
開 戦 いら い、絶 えず 計 画が 変 更 さ れた ので、 日 本 海軍 は長期 建 艦 計画 を実行 す るこ とが でき な か った。 こう し た計 画 の変 更 は、 主 と し て変 化す る戦局 と 海 戦 に よ る損害 によ る の であ った。 そ の他 の要
の詳 し い記 述 は、 ﹁基 本材 料 および 船 舶﹂ に関す る報告 を 参照 さ れ
さら に爆 撃 が も たら し た従 業員 の欠 勤 に よ って、 艦艇 の建造 量 は
た し。
低下 し 、あ る いは建 造 を 中断 す る に いた った。爆 撃 に よ る造船 所 の
輸 送 力 の 不足 。
一九 四 四年 九月 から終 戦 ま で の期 間 、艦 艇 建 造 の全体 の水 準が 急
工員 の戦意 の低 下、 造 船所 の工 員宿 舎 の破 壊 、都 市 地区 におけ る住
大 艦 の喪失 と 修 理 のた め、 造 艦 の混乱 と 分裂 。
激 に低 下 した 主因 は鋼 の 不足 に よ る のであ った 。あ る時期 の 一部 の
宅 の焼 失、 爆 撃 後 の輸 送 機関 の杜 絶 のた め に、 こう し た欠 勤 は増 加
3
生 産 の割 合 に影響 し た他 の諸 要因 に は、連 合 国 の航空 攻 撃 によ る造
し た。
4
に よる輸 送 力 の不足 、 ト ラ ック の状 況 の悪 化、爆 撃 によ る 地方 輸 送
船 所 の物 質 的 な損 害 、 空襲 によ る従 業 員 の欠勤 の激増 、 船舶 の沈 没
海 軍 工廠 と 民 間造 船 所 は、 第 二〇 航 空 軍 の主 な 攻撃 目 標 に はな ら
艇 の構 成 部 品 はま す ます 少 なく な り、 大 き な装 置 の取 付け が遅 れ る
下 請 の仕 事が 行 な われ て いた の で、 こう し た住 宅 の破 壊 に よ って艦
造 船 所 周 辺 の住 宅 の大 部 分 は小 さな 工 場 にな ってお り、 そ こ で は
な か った。 一九 四 五年 三 月 から 八 月 ま で の期間 、 造船 所 に対す る空
工場 と酸 素製 造 施 設 に対 す る爆 撃 によ る損害 のた め に、 そ の不足 の
結 果 とな った。 戦 争 の全 期 間 を通 じ て不 足 し た熔 接用 酸素 は、 動 力
機 関 の破壊 が 含 ま れ た。
母 飛行 機 と陸 上基 地航 空機 によ る 攻 撃が 行 な われ たが 、 造 船所 は い
程 度が ます ま す 大き く な った 。
つでも 第 二次 的 な 攻撃 目標 にな って いた 。 そ の ほか、 これ ら造 船 所 は、 都 市 地区 攻 撃 と他 の工業 を 目 標 とす る航 空攻 撃 のさ い、 しば し ば 〃それ だ ま" を こう む った。 投 下 され た爆弾 量 は小さ か ったが 、
構
戦前 の 日本 の造 船 は、 建 造 され る商 船 の所有 者 と造 船 会社 と の間
機
ック を使 用 でき な くす る程 度 に損 害 をあ たえ る こと は困 難 であ った
の自由 契 約 に よ って行 なわ れ た。 し か し戦 争直 前 には、 海軍 艦艇 の
第 二章
で あ ろう 。爆 撃 に よ る造 船能 力 の実際 の損 害 は、 一〇 な いし 一五 %
建 造が 優 先 的 に行 な われ た ので、 商船 建 造 計画 の実行 は 予定 よ り お
造 船所 の総床 面 積 の約 四分 の 一が 破壊 さ れ た。 し かし、 船 台 と乾 ド
で あ った と見 積 ら れ て いる。 し かし 、空 襲 によ る造 船所 の損害 は限
一九 四 二年 初 め、 商船 建 造 の統 制 が海 務 院 から 海 軍省 に移 さ れ、 終
つ いてな ん ら か の単 一化 と 統制 の必要 性 が 明ら かにな った。 そ こ で
戦 時 ま で海 軍が す べ て の商 船 と艦 艇 の建 造 を統 制 す る こと とな り、
く れ た。 開 戦 とな るや、 船 の需 要 の増 大 が 予想 さ れ た ので、 造船 に
空襲 が 艦艇 の建造 にお よぼ し た最 も 重 要 な影 響 は、 日本 本土 の封
る こと に役 立 った。
鎖 に よ って 原料 、 と りわ け鋼 が 日 本 の経 済 、 ひ いて は艦 艇 の建 造 に
ら れ たも のであ った とし ても 、 造 船 能力 の低下 を あ る程 度 大き く す
対 す る鋼 の供 給 量 を減 ら す と いう 間接 的 な 効果 であ った。 封鎖 が 原
艦艇 の要 求 は軍 令 部 から 、商 船 の要 求 は運輸 通 信省 から、 海 軍省
そ の主 な責 任 は海 軍 艦政 本 部が 負 う た。
料 の供 給 にあ た え た衝 撃 と、 封 鎖 に おけ る 航空 攻 撃 の役 割 に つい て
に対 し て行 なわ れ た。 海 軍省 の主務 局 で あ る軍 務 局 は、 艦 政本 部 の 専 門 的 な助 言 によ り、 利 用 でき る財政 と 物 的資 源 の範 囲 内 で、 これ ら 要 求 を受 諾 す る。 軍 務 局 は受 諾 し た要 求 を艦 政本 部 に送付 し、 艦 政 本 部 は 海 軍 工廠 と民 間 造 船所 に対 し て発 注す る。艦 政 本 部が 要 求 され た 計 画 を造 船 所 で実 行 でき な いと考 え た場 合 には、 軍 務局 と 協
海 軍艦 政 本 部 と 造船 所 側 と の関 係 は、 艦 政本 部 が各 造 船 所 と協 議
議 して 計 画 を改 め る。
し要 求 さ れ た計 画 を適 切 に実行 す る点 で は、軍 務 局 と の関 係 と同 様 であ った。 計 画 は 達成 しな けれ ば なら ず 、 そ の た めに は計 画 を適 切 に 処理 で き る造 船 所 に発 注 す る必 要が あ った。 戦 争 の要 求 が ます ま す 緊 急 と な る に つれ て、 艦 政本 部 は造 船 所 と殆 んど協 議 し な い で、 き わ めて 過 重 と思 われ 、 と き に は不 可能 な 計画 の実行 を造 船所 側 に
少将 )
砲熕 、弾 薬 、火 工兵 器 、化 学兵 器 の製 造 修 理
電気、無線兵器、探信儀 の製造修理
少将)
魚雷と機雷の製造修理
少将 )
少将 )
各部の総合統制
( 本部長 中将)
海軍艦政本部
海 軍 艦 政本 部 の機構 は次 のと おり であ った。
要求した。
総務部 (部長 第 一部 (部長
第 二部 (部長 (部長
第 三部
( 部長
第 四部
(部長
第五部 第 六部 ( 部長
資材部 (部 長
会計部 ( 部長
中将
)
)
)
)
造 船 造 機
航海、光学兵器 の製造修理
理
資 材 経
諸 計 画
主計 少将
技術 少将
少将 )
技術 少将
技術
第 三章
戦争 の直 前、 数 個 の緊 急 計 画が 作 成 され た。 これら の計 画は 、す
でに建 造 中 のす べて の艦 艇 の作業 を つづ けなが ら 実行 せねば な ら な
か った。 戦 前 に おけ る海 軍 艦艇 の諸 建造 計 画 は 入手 でき な か ったが 、
時 期的 に はき わ めて接 近 して 作 成さ れ たも のであ る よう に思 わ れ る。
開戦 後 、計 画を 混乱 状 態 に お とし いれ た急 速 に変化 す る戦 局 のた
め に、 建 造計 画 を 実行 す る ことが で き な か った。 長期 建 艦計 画 を無
特 定 の艦 種 の大き な 損 失 の た め、 ほ か の艦 種 の建 造 を犠 牲 に し
海 戦 によ る損 失
意味 な も のに した の は、 次 のよう な 三 つの主な 要 因 であ った。 1
て、 これ ら艦 種 に最 優 先 順 位が あ た えら れ た。 た と えば、 ミ ッド
ウ ェー海 戦 以後 、航 空 母 艦 の建 造 が ひ じ ょう に促進 さ れ、 ガダ ル
カ ナ ル作 戦後 には 駆 逐艦 が 優先 的 に建 造 さ れ た。 一九 四四︱ 四五
年 にな ると 、 主 とし て 貨物 船 の沈 没 に よ り沿 岸 防備 艦 艇 の建 造が
材 料 の不 足 の程 度が 大 き く な る に つれ て 、 大艦 から 小艦 へと建
材 料 の不足
急 増 を 示 した 。 2
造 は移 って い った。 こう し た原料 不 足 の ほ か に、 潜 水 艦が 残 さ れ た唯 一の攻 勢 的 な艦 種 であ ると いう こと から 、 日本 の潜 水艦 建造 計 画 は大 い に促進 さ れ た。 一九 四 四年 と 四五 年 に は、 駆 逐艦 と潜
一九 四 一︱ 四五 会 計年度 別、 艦 艇修 理 の毎 年 の
価値 と 、 これ が 全体 の造船 と修 理 に占 め る比 率
日本 海 軍 は 一部 の造 船 所 に修 理だ け を行 な わ せ、 そ の他 の造 船
付 表第 3
別 攻 撃 艇 の建 造 のた めに急 速 に減 少 し た。 戦 争 の末 期 にな ると 、
所 に修 理 と 新艦 艇建 造 の両 者を 行 な わ せた。 一般 に、新 艦 艇 の建
水 艦 のほ か大 艦 の起 工は ま ったく 行 な われ ず 、潜 水艦 の建造 は特
建 物 と 金属 貯 水槽 から と り はず し た古 いボ イ ラ ー の部 品 が、 特 別
す る た め、 完成 が 予定 より早 い場 合 はボ ー ナスが 支給 され 、 そ の
支 給 額 は計 画 より 早 い 日数 に応 じ て増 加 さ れた 。 し かし、 修 理 に
造 の方 が 修 理 より も優 先 的 に取 り 扱 われ た。 た と えば建 艦 を 促進
は こう し た制 度 は見 られ な か った。 修理 には より熟 練 し た技 術 者
に海上 路 を保 護 す る緊 急 の必要 から、 沿 岸 防備 艦 艇 の建 造 を促 進 す る こと と な った。 建 造す る艦 種 の重 点 の推 移 は 、付 図 第 2 によ
が 必 要 であ った ので 、艦 艇 は急 いで修 理 し て造 船所 を去 る こと と
攻 撃 艇 の建 造 に使 用 さ れ た と いわ れ る。 ま た、 材 料 の不足 のほか
修 理作 業 に施設 の転換
って 知る ことが で き る。
いな い状 態 にあ った 。新 建 造 の艦艇 も、 完 成を 急 いだ こと と建 造
な った。 そ の結 果 、海 上 にもど った多 く の艦 は十分 に整備 さ れ て
3
厖 大 な修 理作 業 は艦 艇 の建 造 を妨 げ 、殆 んど 予 定 ど おり 計画 を
造 船 所 の場所 を か な り長 期 にわ た って修 理中 の艦 艇 にあ てねば な
った 。
に未熟 練 労 働者 を 使 用 した た め に、修 理 の場合 と 同様 の状 態 で あ
実 行 でき な か った。 修 理作 業 の大 部分 は小 さ な 工事 であ ったが 、
ら な か った。 これ は、 労 働時 間と 材料 を 修 理 に ふり むけ る必 要が あ り、 造 船所 内 の混沌 と し た状 態 を大 き く し た ので あ った 。 全体
優 先順 位
海 軍作 戦 の要求 に応 じ て建艦 の優 先順 位 を 決定 す る ため、 軍 令 部
第 四章
一九 四 二年 以後 に修 理作 業 が 増 加 した のは、艦 船 に対 す る航 空
の造艦 に対す る修 理 の重要 性 を示 せば 、 次 の表 のと お り であ る。
は海 軍 省 と暫 定計 画 の予 備 的 な協 議 を行 な った。 海 軍省 軍務 局 と 関
係 局 部が 材 料 、技 術 、能 力 、 在庫 量 、補 給 の見通 し 、 そ の他す べ て
機 、 水 上 艦 艇 および 潜 水艦 の攻 撃 と機 雷作 戦 に よる のであ った。
の生産 問 題 につ いて 検討 した のち、 軍令 部 と 海軍 省は 整備 上 の諸 問 題 に ついて 再び 協 議 す る。 軍 令部 総 長 は戦 争 整 備計 画 の要 求 を 考慮 し 、海 軍 大 臣 と優 先 順位 を 協議 す る 。低 い優 先順 位 の処 理 は、軍 令 部 次長 と 海 軍次 官 の間 で、 ま た は関 係部 局 長 の間 で行 な われ た。 優 先 順位 が 決 定 した な らば 、 海軍 省 軍 務局 は実 行整 備 計 画 を立 案 し、 関係 部 局 と協 議 し た の ち、 承認 を 得 る た め海軍 大 臣 に提 出 す る。 海
所 要 の訓 令 を関 係 局 部 にあ て発 出 した。
軍 大臣 は 承 認 した 実行 計 画 を添 え て軍令 部 総長 に 回答す ると 同時 に、
戦 争 中 の優 先 順 位 の推 移 は、 次 のと おり であ った 。 こう した優 先 順位 は、 艦艇 建 造 のた めだ け でな く 海軍 省 全体 の ため に定 められ た 。 一九 四 一︱ 四 二年
第 二= 潜 水艦 。
第 一= 航 空兵 力 (航空 母 艦 を含 む ) 。
ミ ッド ウ ェー海 戦 (一九 四 二年 六月) 後 、 い かな る犠 牲 を払 って
第 三= 駆 逐艦 、 掃 海艇 お よび他 の艦 艇。
一九 四 三年
も 航空 母艦 兵力 を 増 強 せよ 。 と いう 要旨 の訓令 が 出 され た。
第 一= 航 空兵 力 (航 空 母艦 を含 む)。
艇。
第 二= 潜 水艦 、 輸 送船 、 沿津 防 備 艦艇 および 前 述 し たそ の他 の艦
一九 四 四年 第 一= 基 地 航空 兵 力。 第 二= 護 衛艦 、 駆 潜艇 、 潜 水艦 、 輸送 船 。 護 衛 艦 の要 求 が 緊急 に増 大 し つ つあ った ので、 大 艦 と航 空 母艦 の
付図第 2
し た造 船 所 は明 ら か では な い。 特 別攻 撃 艇 は主 と して横 須 賀 と呉 の
造さ れ た 。ま た 、 ﹁不詳﹂ に は、 横須 賀 工廠 か呉 工廠 で建 造 され た
海軍 工廠 で建 造 さ れ、 上 陸 用舟 艇 は多 数 の小規 模 な民間 造 船 所 で建
母艦 一隻 と、 ド イ ツお よび イ タ リ アか ら入 手 し た六隻 の潜 水艦 も 含
一九 四 五年
建 造 は中 止 ま た は建造 速 度が ゆ るめ られ た。
第 一= 特 別攻 撃 ( 神 風 )航 空兵 力。
他 の民 間 造船 所 の全部 は艦 艇 と商 船 を建 造 し たが、 一部 の造 船所 は
され た神 戸 川崎 造船 所 の欄 に記 入さ れ て いる。 付表 第 5に かかげ た
川崎 泉 州 造船 所 であ り、 付表 第 5に は、 ここ で建造 し た全 部が 完 成
一つの民間 造 船所 は海 軍 の作 業 だ けを 行 な った。 そ れ は小 規 模な
まれ て いる 。
第 二= 水中 およ び水 上 の特 別 攻 撃兵 力 ( 特 攻艇、 小 型潜 航 艇、 "人間 "魚 雷 な ど)、 そ の他 の航空 機 お よび 小艇 の整 備 も
艦 隊 の整 備
促進 さ れ た。 す べ て の艦 艇を 特 別攻 撃 用 に改 装 す る。
第 五章
主 と し て艦 艇 の建 造 を行 な った。 価 値 を基 礎 と した民 間 造船 所 の完
一九 三 一年 以降 の各 年 におけ る 日本 艦 隊 の整 備 の概 要 を知 るた め、 次 の表 ︹三 一一頁 以下︺ を作 成 し た。 こ の表 には、 一九 三 一年 以前 に
完 成 し た船 の合計 価 値
成艦 艇 量 が 全体 に占 め る割 合 は、 次 のと おり であ った。
一九 四 二年
三〇
四四
四 一
に占 め る完 成艦 艇 の割合 ( %)
一九 四三 年
一九 四 一年
完 成 し た主要 艦 船 と、 各 種 の補 助 艦艇 が 含 まれ て いる。 艦 船 の修 理 と 近代 化 の大き な 活動 が 一九 三 六年 にはじ ま って 一九 三九 年 ま で つ
主 要艦 船 は 一隻 にすぎ な か った、 と 述 べ る こと は興 味 が あ る。
づ き、 一九 四〇 年 に減 少 し、 一九 四 一年 末 ま で に修 理を 必要 とす る
織
三四
組
一九 四四 年
第 六章
日本 海 軍 に は、 四 つの 工廠︱︱ 横 須賀 、 呉、 佐 世保 、 舞 鶴︱︱ が
民 間 造船 所 で 完成 し た海 軍 艦艇 の価 値 は、 一九四 一年 か ら 一九 四
三八
四年 ま で年 ご と に増 加 し た。 右 の表 に示す 一九 四 二年 以後 の比率 の
一九 四 五年
建 造 を 示す 表 に は含 まれ て いな い。 付表 第 5 の造 船 所 別 に示 し た戦
あ り、 艦 船 の修 理 のみ に使 用 さ れ た大 湊 工作 部 は、 工 廠 別 の新 艦艇
時 中 の完成 艦艇 合 計 ト ン数 のう ち、 これ ら四 工廠 が そ の四 一% に相
た から であ る。
減 少 は 、商 船 の完 成 量 が艦 艇 の完成 量 よ りも 速 やか な割 合 で増 加 し
約 二 七 の造 船 所が 艦艇 を建 造 し たが 、 一つの海軍 工廠 (呉 工廠)
二九、 〇 〇 〇 ト ンは民 間造 船 所 で完 成 さ れた。 これ には 付表 第 5に
と 一つ の民 間 造 船所 (三菱 長 崎 造船 所) だけ で 、戦 争中 に建 造 され
当 す る 五〇 三、 〇 〇 〇 ト ンを 建造 し 、 そ の残 り の五 九% にあ たる 七
には 小型 の上 陸用 舟 艇 と特 別 攻撃 艇が 含 まれ て い るが 、 これ を建 造
﹁不 詳﹂ と し て か かげ た約 八万 ト ンは含 まれ て いな い。 こ の ﹁不詳 ﹂
付表第 4 艦 隊 の 整 備 1931―45会 計 年 度(1931年 以 前 に完 成 した艦 船 を含 む)
付表 第 5
一九 四 一︱ 四 五年 の建造 艦 艇 の造 船 所別 合 計 ト ン数
付表第 6 会 計年度別造船所別艦艇建造従業員
付表第 7
会 計 年度 別 造船 所 別 の艦 艇 建 造 に従 事 した 従業 員 の合 計 と 延 べ 労働 時 間(1943―1946)
付表 第 6 は、艦 艇 を建 造 し た 造船 所 別 に、 一九 四 一︱ 四 五年 の期
た 。 一九 四 四年 九月 以降 の生 産 低 下 は 一九 四 四年 前半 におけ る生産
た 一ヵ月間 の生産 割 合 は、 一九 四 一年 の月 間割 合 の約 二倍 半 に達 し
大 き く な り、 一九 四 四年 のピ ー ク の月 に おけ る価 値 と ト ン数 から見
傾 向 を た ど った。 一九四 四年 の前 半 、価 値 と ト ン数 の上 昇 は さら に
間 におけ る平 均従 業 員数 を示 す 。 これ は従業 員 全 部 の数 であ り、 そ
た艦 艇 の合計 ト ン数 の三 〇% 以 上 を 完成 し た 。
いる。
の中 に は商 船 お よび艦 艇 建 造 のた め に雇 用さ れ た労 働 者 が含 まれ て
産
一九 四 三︱ 四 五会 計 年 度 別、 艦艇 建 造 の 一ヵ月
平均 従 業 員、 マン ア ワーズ 、 生産 ト ン数 、 生 産
一九 四 五年 の生産 は、 マンア ワーズ よりも はる か に急 速 に低 下 し
価値
二年 にかけ て殆 んど 変 化が な か ったが 、 生産 さ れ た ト ン数 の価 値 は
た 。 こ の低 下 の理由 の 一部 は、 学生 、 外 国人 、 そ の他 の非 能 率 労働
付表第 8
( 最 後 の二 つは前述 した 投 入量 を 基礎 と し てあ ら わす ) を 示す 。
業 員 、 マ ンア ワーズ 、 生産 ト ン数、 生 産 価 値 の 一ヵ月 平 均 の 数 量
付 表 第 8 は、 生産 の最 大変 動 期 間 であ った 一九 四 三︱ 四 五年 の従
の割 合 は、 こ の月 の全部 が 含 まれ て いな い ので信 頼 で きな い。
一九 四 一年 の月間 の割 合を 大 きく 下 回 った。 一九 四五 年 八月 の生 産
の上昇 と同 じ 速度 であ る、 一九 四 五年 七 月 ま でに 一ヵ月間 の生産 は
一九 四 一年 と 一九 四 二年 に ついて は満 足 な 労働 時 間 のデ ー タが 入 手 でき な か った が、 第 7表 は 一九 四 三︱ 四五年 の各 造 船所 にお け る
生
艦 艇 建 造 のみ に従事 した 従業 員 と 延 べ労 働 時 間 を示 す 。
第 七章
一九 四 一︱ 四 五会 計年 度 に建 造 され たす べ て の艦艇 の毎 月 の 二 つ の指数 に よる曲 線 は、付 図 第 1 に 示さ れ て い る。 生産 は、月 間 に生 産 され た合 計 ト ン数 に基 づ く 指数 と、 一九 四五 年 の価 格 で算 定 した 月 間 に生 産 され た ト ン数 の費 用 の合 計 に基 づ く 指数 であ ら わさ れ て いる。 こ の二 つの指数 で、 一九 四 一年 の月 平 均 生産 を 一〇〇 と し て
る た め、 完 成し た 各種 の ト ン数 の合計 を 、 建造 に 必 要 と し た 期 間
算 定 した 。艦 艇 建 造 の場 合 の労 働 力 と材 料 の月 間投 入 量 の程 度 を 知
︱︱ 起 工 か ら引 渡 しま で︱ ︱ の間 に平均 に配分 し た。終 戦 のさ い未 完 成 の状 態 にあ った艦 艇 の合計 ト ン数 は、 完 成 の程 度 に基 づ い て起
一九 四 二年 に徐 々 に上昇 した こ と を示 し て いる 。 一九 四三 年 にな る
者 の使 用 の増 加 によ るも のであ るが 、 これ は 一九 四五 年 に利 用 でき
これ ら の指 数 は、 生産 され た ト ン数 の合 計 は、 一九 四 一年 か ら四
工 から の期 間 に配分 し た。
と 、 生産 さ れ た ト ン数 の価 値 は急 速 に上昇 し、実 際 の ト ン数 も 同 じ
る労働 力 の供給 量が 手持 ち の作 業 量 よ りも 大 き か った ことも 示 し て
場 所 価 値 を示 す 。次 の付 表第 10 は 、場 所 価値 を 基礎 と し て算定
付 録 第 2 は、 一九 四 一年 から 一九 四五年 ま で各 艦 種 生産 の毎 月 の
約 を示 し たも ので あ る。
問 題 に なら な か った ことを 意 味 する 。 し か し、 一部 の地方 で 見 られ
一年 間 に引 渡 さ れ た艦 種 別合 計 ト ン数 の割 合 を あ らわ す。
し た生 産 され た 合計 ト ン数 の割 合 と、 一九 四 一︱ 四五会 計年 度 の各
いる。 こ のこ と は、 全体 から 見れ ば 、 一九 四 五 年 には 欠勤 が 大 きな
たよ う に、 久 勤 は大 き な問 題 であ り 、 そ の た め生産 が いく ら か 低下
次 の付表 第 11 は、 一九 四 四年 七月 から 一九 四 五年 八月ま で の各 月
て いな い。
し て分 類 され 艦 艇 で はな か った ので、 付録 第 1の表 にはあ ら わさ れ
付 表 第 10 に かかげ た ﹁ 特 攻 艇﹂ は、 日本 海 軍 で は 〃 海 軍弾 薬 " と
し た。 次 の付 表第 9 は、 主 要艦 艇 の ト ン当 り の費 用 と建 造 所要 期 間 の要
付表第 9 主要艦艇 の建造
の各 種 特 攻艇 の建 造 の計 画 と実際 を示 す。 日本 側 の資 料 によ れば 、
こ の表 の計画 が実 行 に移 さ れ る以前 に約 一七隻 の小 型 潜航 艇が 建 造
さ れ て いる。 これ ら の 一部 は真 珠湾 攻 撃 のさ い使 用 さ れ たが 、大 き
な 成功 を お さ めな か った 。 こ こ にか かげ る小 型 潜航 艇 は再 設 計型 の も のであ る。
特 攻艇 ( 震 洋)
普 通 のガ ソ リ ン ・ト ラ ック発 動機 で推 進す る 一・五 ︱ 二 ・〇 ト ン
の木 造艇 、建 造 費 は 約三 ︱ 四 万円 であ った。
小 型 潜 航艇 (海龍 )
こ の艇 は、 船 殻が 円 筒 形 を した 一八︱ 二〇 ト ンの 二人乗 り であ っ
た。艇 は三 つのブ ロ ック (前部 、中 部 、後 部) に分 かれ、 車 輪 の つ
いた 架台 の上 でボ ルト で結 合 され た。 こ の架 台を レー ルの上 におき 、
艇 の議 装 は 個 々の架 台 の上 で行 な わ れ た。 内部 の臓 装 は、 結 合前 に
付 表 第10日
本艦 艇 の 建造1941―45会
計年 度 別艦 種 別投 入 量 と完成 量 の 合計 トン数 に 占
付 表 第 11
各 種特 攻 艇建 造 の計 画 と実 際 (一九 四四︱四五)
* これ ら ﹁震 洋 ﹂ に関 す る数 字 は、 実 際 のデ ー タが 見 当 ら な か った ので 、 日本 側 が 推 定 し たも の であ る 。
成 まで の所要 期 間 は三 〇 日、 建 造費 は 一〇 万 円 であ った。
個 々 のブ ロ ックで完 了 さ れた 。 ク レー ンで進 水 さ せ る。 起 工 から 完
小 型 潜航 艇 ( 蛟龍)
こ の型 は五人 乗 り、 大 き さ は四 〇 小 ンか ら五 〇 ト ンま で であ った。
魚 雷発 射 管 のあ る前部 ブ ロック、 前 部 二次 電池 室 、発 令所 兼 電動 機
室 、後 部 二次 電池 室、 後 部 ブ ロ ック の五 つに 区 分 さ れ た。 蟻 装 は
ってす べら せ る か、 ま た は ク レー ンで 行 なわ れ た。起 工 から完 成 ま
﹁海龍 ﹂ と 同 様 に架 台 の上 で 行な わ れ た。 進水 は架台 を レー ル にそ
" (回天)
で の所 要期 間 は 六〇 日、建 造 費 は 三五 万 円 であ った。
"人間 魚 雷
これ は 一人 ま た は 二人 乗 りで 、 約 四︱ 八 ト ンであ った。 普 樋 の魚
雷 の よう に建 造 さ れ、 操 縦者 のた め に余 積が あ った。 建 造費 は 四〇
上陸 用 舟艇 に は六種 類 があ った。 そ のう ち 二種 類だ け が いく ら か
万 円、 呉 海 軍 工廠 で建 造 さ れ た。
の名称 と所 在 地 を示 す 。
量 産 さ れ た。 付表 第 12 は、 これ ら 二種 類 の月産 隻 数 と、 主 な製 造 所
これ ら上 陸 用舟 艇 は ﹁大 発﹂ と呼ば れ、 最 初 は陸 軍 のも のを モデ
ルにし て建 造 さ れ た。 陸軍 は これら 舟艇 の健 造 に大き な努 力 を傾 け
たが 、 陸 軍 の最 初 の設 計 のま ま で は大 貴 生産 に適 しな か った ので、
1
長 さ 約 四九 フ ィー ト、 速力 七 ノ ット、 二基 の四〇 馬 力 ト ラ ック
木製大発
エンジ ンで推 進 す る。 最 大搭 載 量 は約 一〇 ト ンであ った。
長 さ 約 四 八 フ ィ ート、速 力 八 ノ ット、 一誌 の八〇 馬 力 ガ ソリ ン
鉄 製 大発
海 軍 は大 量生 産 のた め に これ に改 訂 を加 え た。
2
付 表 第1 2
東 東
鉄 鉄 鉄
鉄 鉄
艇 の種 類
(一九 四四︱四五年)
上 陸用 舟 艇 の月産 隻 数 と主 要 建 造所
所在地
名古屋 大 阪 門 司
鉄 鉄
主要建造所名 汽 車製 造 会 社 横 浜橋 梁 会 社
松 松
京 京
日 本 車 輛 田 中 車 輛 自 念 組 造 船
若 若
木 木 木 木
輛 船
京 子 谷 浜
車 造
若 九
東 銚 刈 横
松 州
き む わ 工 作 所 横 浜 ヨ ット工 作所 豊 田 自 動 車 日 本 造 船
エンジ ンで推 進 す る。 最 大搭 載 量 は 約 八 ト ンであ った。
建 造費 は、 鉄製 が 三 万円 、 木 製が 二万 一千 円 であ った。 こ の金額
隘 路 と対 応策
に は エンジ ンと艤 装 の費 用 は含 ま れ て いな い。
第 八章
一九 四 一年 一二月 七 日 か ら連 合 軍 の反 攻開 始 ま で
こ の期 間 に は艦 艇 の要 求 が激 増 した ので、 造船 施 設 を急 速 に拡 充
す る必 要が あ った。 し かし、 日本 は緒 戦期 の成功 で得 意 に な り、 当
め思 いき った 方策 を と ら な か った 。 こう し て、 諸隘 路 が実 質 的 に抑
面 の要 求 をみ た す こ と で満 足 し、 そ の後 の戦局 の進 展 に対 処す る た
制 でき な く な る ま で、 これ らを 克服 す る対応 策 をと ら な か った の で、
た。
よ う やく そ れ を講 じ た とき に は、 い つも 手 おく れ にな った ので あ っ
こ の期 間 に 日本が 体 験 し た 主 な困 難 は、 次 のよう なも の で あ る。 大 量生 産 の準備 の欠 除
日本 の造船 施 設 は大 量 生 産 に適 用 す る ことが できず 、 管 理も 監 督
った 。 日本 海 軍 は、 こ の報告 の中 で 前述 した よう に、 そ の対 応 策 と
も 建 造 量 の増 加 に つい て の提案 を実 行 す る よう に編 成さ れ て いな か
して 商 船 と艦 艇 の建 造 を 統制 管 理 す る こと と し た。 これ は、 き わ め
て効 果 的 であ る ことが 証 明 さ れ た。 労 働 力 の 不足
陸海 軍 への徴用 と 造 船 工業 の拡充 の ため に、 労働 力 が 不足 し は じ
めた。 召 集 さ れ た労 働 者 の多 く は造 船 所 で使 用 され た が 、労 働 者 の
質 は 一般 に低 下 し、 期 待 され た生産 を達 成 でき な か った。
一九 四 二年 八月 か ら軍 需 省 設置 の 一九 四 三年 一一月 ま で
3
そ の他 の材 料
石 炭、 コーク スおよ び木 材 の不 足 は、消 費 の節 約 に よ って徐 々
造船 施 設 の不 足
に解 決す る こと が でき 、 重 大な 結 果 に はな らな か った 。
こ の隘 路 は、 特 に 民間 造 船所 で はひ じ ょう に重 大 な問 題 と な った。
連 合 軍 の反 攻 と潜 水 艦 に よ る海 上交 通 線 破壊 作 戦 のた め に、 日本 は やむ な く護 衛 艦艇 と輸 送船 を 建 造 し た。 そ れ ま でに、 日本 は開戦
つの造 船 駈が 建 設 さ れ、 輸 送 船 の増 強 と港 湾施 設 で は いく ら か進 展
主 とし て 一、 〇 〇 〇 ト ン以 下 の貨 物 船 を建 造 す るた め、 大 急ぎ で 四
当初 にお け る 坐産 の増 強 と 合理 化 のおく れ を 克服 す る ことが で きず 、 生 産 の増 加 に とも な い、 いろ い ろ の隘路 が ま す ます 厄 介 な問 題 にな
が 見 られ たが 、 実 施 の時 期 が おそ す ぎ た ので 対応策 はた いし た成 功
ってき た。 し か し、根 本 的 な解 決 が で き な か った ので 、実 行 でき た も のは当 座 の間 に合 わ せ の対応 策 に すぎ な か った。 こ の期 間 にお け
を お さ めな か った。
こ の種 の工 具、 と り わけ 鋲 打 ち ハン マーと 熔接 変 圧器 が ひ じ ょう
バ イ ト の不 足
る 主 な隘 路 は 、 次 のよ うな も のであ った。
一九 四三年 ま で の建 造 量 は 一九 四 一年 を かな り上 回 ったが 、 一九
鋼 の 不足
に主 な隘 路 を 克 服す るこ とが でき た。
に不 足 した 。 し か し、 これ ら 工 具を 大急 ぎ で大量 に生産 し て 、 つい
労 働 力 の不足
四 二年 と四 三 年 の造 船 用 の鋼 の供 給 量 は 一九 四 一年 よ りも減 少 し た。
一九 四 三年 一一月 か ら 一九 四 四年 一 一月 の日本本 土 爆 撃
徴 用労 働 者 、 学生 、 朝鮮 人 および 捕 虜 の使 用 によ って未 熟練 労 働 者 は 増 加 した が 、熱 練 労働 者 の減少 は生 産 を大 き く妨 げ る 結 果と な
開 始 まで
素
て必 要 な造 船 プ ロセ スを 単 一化 し た ので、新 た に建造 さ れ た船 の質
こ の不足 は依 然 と して 増大 し つづ け、 未熟 練 労働 者 の雇 用 によ っ
熟 練 労働 者 の不 足
いち じ る しく 増 加 し た。
り、 多く の場 合、 そ の建 造 が ま ったく 中断 され、 小 型 艦艇 の建 造が
報 告 の中 です で に説 明 し た よう に、 大艦 の建 造 速度 が ゆ る や かと な
造 船 に使 用 でき る鋼 の在 庫 量 が急 速 に減少 す る。 そ の結 果 、 こ の
鋼 の不足
った。
酸
二次材 料 の 不足
日 本 全体 の酸 索 の不足 は、 鋼 の切 断 と 修理 作 業 を 大き く妨 げ た。
1
酸 素 の経 済 的 な 使用 と酸 素 を 増産 す る努 力 は、 殆 んど 成 功 しな か った。 銅 と 銅 合金 これ ら の 不足 は、 代 用品 の使 用 に よ って 大き な 困難 な く し て処
2
理 さ れ た。
が 低 下 し た。 輸 送 の困難 す で に前 の期 間 に明 ら か にな って いた 輸送 力 の不足 は、 特 に地方
こう した 隘路 と 空襲 によ る 造船 所 の損害 と の相 対 的 な重 要 性 に つい
て は、 結 論 の中 で 述 べる こと と し たい。 鋼 の 不足
鋼 の供 給 量 は激 減 し た。 一九 四 五年 四︱ 六月 の四 半期 の供給 量 は、
一九 四 四年 の割 合 の三〇 % 以 下 であ った。 特 攻艇 以 外 の艦 艇建 造 に
の陸 上 輸送 の分 野 で大 き く な った。 燃 料 と 部品 の不足 のた め に ト ラ
は、 も はや 鋼 を使 用 でき な い状 況 とな った。 輸 送 の困 難
ック の生産 は低 下 し、 実 際 に使 用 でき る トラ ック の数も 減少 した 。
地 方輸 送 力 の不足 は、 従 来 のど の時 期 よ りも 深刻 にな ってき た。
日本 海 軍 は 地方 の輸 送問 題 に 無関 心 であ った の で、 効果 的 な 対応 策 を と るよ う に な った とき には 時期 が おそ すぎ た。 だ から 、 この問 題
日本 海軍 は トラ ック用 燃料 の不 足 を解 決 す る ため自 動 車用 ガ ス発 生
を解 消 す る 間 に合 わ せ の方 策 を見 出 す努 力 が なさ れ た にすぎ な い。 二次材 料 の不 足
炉 の量産 を はか ったが 、時 期 が お そす ぎ た の で効 果が な か った。 労 働 力 の不足
この不 足 は 前期 間 で述 べた こ とと 同様 であ るが 、 そ の 不足 の程 度 はま す ます 深 刻 に な って き た。
め に、 労働 者 の出 勤率 が 低 下 し た。あ る場 合 に は、 こう し た欠 勤率
破 壊さ れ、 家 族 は 地方 に疎 開 し、 そ のう え 空襲 下 におけ る 不安 のた
造 船 所 労働 者 の召集 は ひ き つづ き行 な わ れ、 空 襲 の ため に住 宅 は
都 会地 区 で見 られ た逼迫 した食 糧 事 情 の ため に、 労働 者 の能率 、
食 糧 の不足
と り わけ 夜 間 就業 者 の能率 が 低 下 し た。造 船 所 の周辺 で は でき る か
が 五〇 % 以 上 に達 し た こと が あ る。
よ う な数 個 の基 本 的 な管 理 上 の障 害が あ った。 こう し た障害 は戦 争
時期 的 に前 述 し た隘 路 のほ か に、 大規 模 な艦 艇 建造 にと って 次 の
で、 前 期 間 より さ ら に深 刻化 し た。
こ の不足 は 、 とく に地方 爆 撃 後 に地 方 輸送 が 麻痺 状 態 とな った の
食 糧 の不足
こ の期 間 に深刻 なも のと な った 。
と り わけ 石炭 の不 足 の程 度 は、 地方 と海 上 輸送 の困難 のた め に、
二次 材 料 の 不足
ぎ り の耕 作 が 行 な われ たが 、 そ れ は補 足 的 なも のにす ぎ な か った 。 主食 の配給 はま った く改 善 され な か った。
一九 四四 年 一 一月 から終 戦 時 ま で こ の期 間 の初 めに、 艦 艇 の建 造 は激 減 し は じ めた︱︱ 一九 四 五年 七月 ま で に、 建 艦 量 は 一九 四 一年 の割合 を かな り下 回 った 。 それ ま で に諸 隘 路 のた め に全体 の生産 量 が 制 限さ れ、 建 造 さ れ た艦艇 の質 は低 下 し 、建 造 す る 艦種 を 大き く 変 更 しな け れば な ら な か った。 し か し、 こ の期間 には、 す で にあ らわ れ て い た不 足 の程 度 は ひじ ょう に切 実 な も のにな って い た ので、 総 生産 高 は低 下 の 一途 を たど った。
の全期 間 に存 在 し、 しば しば 現実 の隘 路 とし て あ ら われ 、 ま た は対 応 策 の実 効 を 妨げ る結 果 とな った。 戦時 生 産 機 構 の複 雑 性
た ら し た。
艦 艇建 造 のた め に供給 さ れ た 圧延 鋼 と特 殊 鋼 の年間 合 計 量 は、 次
主要 隘 路 の詳 細
の付 表 第 13 に示す と おり であ る。 この表 の数 量 は、 艦 艇 の建 造と 修
鋼
き り 見 られ た 。軍 需 省 の設置 に よ って事 情 は ます ま す複 雑 化 し、 軍
理用 のも のであ って、 造船 所 拡 張 用 の鋼 は含 まれ て いな い。
生 産分 野 の全体 にわ た って 、 陸海 軍 の間 の対 立が ひ じ ょう に は っ
需 、 陸軍 およ び 海軍 の三 省 の間 の摩 擦 は管 現 の燈 低 水 準 に およ ぶ ほ
艦 艇 建 造 用 圧延 鋼 と特 殊鋼 の 一九 四 一︱
( 単 位 = 一、 〇 〇〇 メー ト ル ・ト ン)
四 五会 計 年 度別 供 給 の計 画 と実 際 の数 量
一九 四 二年 と 一九 四三年 は、 艦 艇 の完 成合 計 ト ン数 は 一九 四 一年
付 表第 13
ど 、 き わ め て深 刻 なも ので あ った。 た とえば 、 これ ら 各省 は殆 んど 他 省 と 協 力 しな いで、 同 じ 会社 に対 し て同 じ 品物 を 発 注 し た。 そ の 結 果 、 発 注を 受 け た民 間 会社 は これ ら 三省 の相容 れ な い要 求 のた め に、 手 探 り で処 置 し なけ れば な らな か った。 不適 当 な 生産 管 理 と 貧弱 な 生 産技 術 日本 の技術 教 育 は設 計 に かた より、 生産 技 術 は た い して重 視 し な か った。 こ のた め、 一流 の部 品 を製 造 でき る 工 場が 十 分 で はな く、 部 品 の生 産 は 貧弱 な 内 容 の仕 事 をす る会社 に割 当 て ねば な ら な か っ た 。造 船 所 に おけ る 組 立方 式 も非 能 率 的 に編 成 さ れ、 造 船 工業 の全 体 を 通 じ て有 能 な技 術 者 に不足 した。
よ りも増 大 したが 、 鋼 の供給 量 は かなり 少 なか った。最 高 建 造 高 を
過 度 の統 制 軍 部 と政 府 当 局 は造 船所 と関 係 工場 を 過 度 に統 制 し た ので、 これ
きく 増 加 す るた め、 鋼 の在 庫量 を完 全 に使 い はた し てし ま った。 そ
った。 入手 でき たす べ て の資 料 に よれば、 一九 四 四年 の建 造 高 を 大
の結 果 、 一九四 五 年 四︱ 六 月 の 四半 期 の鋼 の供 給 量が 、 一九四 四 年
示 し た 一九 四四年 の鋼 の供給 量 は、 一九 四 一年 の五 八% にす ぎ な か
性 急 な 生産 移 行
供給 の割 合 の三 〇% に、 一九 四 一年 供給 の割合 の五% にそ れぞ れ 低
ら 民 間 企業 には 生産 計 画 を遂 行 す る積 極 性 と専 門 的 な 自覚 および 関
作 戦 上 の要 求 に よ って大 急 ぎ で製 造 さ れ た新 設 計 の構 成部 分 の試
下 し たと き、 艦 艇 の建造 は殆 ん ど行 き詰 り状態 にな った。 こ うし た
心が 見 られ ず 、 すべ て の決定 を 当 局 にす が る よう にな った。
を必 要 とす る結 果 と な った。 こう し て、 生 産 と作 業 場 で の混 乱 をも
験 は、 い つも 十 分 に時 間 を か けず 性 急 にすぎ た の で、 量 産中 に修 正
鋼 の供給 不足 が、 艦 艇 の建 造 量が 一九 四 四 年 八、 九 月 のピ ー ク から
上 の規 則 に か かわ らず 実 行 さ れ た。
所 の間 でも 材 料 の交 換 が 促進 さ れ た。 これ は、 政 治的 な 障害 と統 制
造船設備
低 下 した 主 な要 因 であ った。
海 軍 工廠 の造船 設 備 は、 す で に戦前 に大き く 改善 さ れ て いたが 、
鋼 の不足 が 艦 艇 の建 造 に決 定 的 な制 約 と な った ほか に、鋼 の在 庫 量 も 少 な か った ので、 組 立方 式 ま た は起 工前作 業 によ って造 艦 速 度
ふ やな需 要 のた め に、 設 備 の改 善 に資 本 の投資 を 希望 しな か った。
民 間 造 船所 の設 備 は貧 弱 なも のだ った。 戦前 の民 間造 船 所 は、 あ や
戦 争 中、 主と し て輸 送 と 港湾 施 設 に対 す る投資 が 行 な われ たが 、 港
を促 進 す る ことも 困 難 で あ った 。 艦 の骨 組が 完 全 にでき あが った の
終 戦が 近 づ いた とき 、 鋼 は量 が 不 足 した だけ でな く品 質 も低 下 し
し、 多数 の つち 形 ク レ ー ンを 設 備 し たが 、 これ は 一九 四四年 ま で に
湾 施 設 は殆 ん ど 改善 さ れ な か った 。数 個 の大造 船 所 は 工場 を再 整 理
に、 甲板 の鋼 板 は まだ 製 鉄所 から 供給 さ れ な か った 場合 も 見ら れ た 。
た。 鋼 板 は常 温 曲げ でひ び 割れ し た も のが 多く 、 電 気熔 接 で融 合 し
よ って鋼 板 の大 量 生 産が 促 進 さ れ ると と も に、 在庫 品 置 場を 再整 理
も お よぶ 大 き さと 形 の鋼 生 産 品が 約 一〇 〇 種 類 に減 少 し た。 これ に
よ う にな ったと き 商 船 にも 適 用 され た。 こう し て、 一〇 〇 〇 種 類 に
で に戦 前 か ら艦 船 に ついて 行 な われ 、海 軍 が商 船 の建造 を統制 す る
キー ルベ ンダ ー、 ラ ジ ア ルボ ー ル盤 のよ うな 大 きな 機械 は、 戦 争 中
供 給 不足 は、 ず っと後 にな る ま で緩 和 さ れな か った 。広 幅 シ ャー、
に困難 で あ った。 一九四 二年 に標 準規 格 化 が は じま ったが、 工具 の
ーの大 規 模な 生 産 は、 部 品 の標 準 規 格化 が な か った ので、 ひ じ ょう
の量産 は 、銅 が 不 足 した ほか、 殆 ん ど 困難 な く実 行 でき た。 ハン マ
とく に鋲 打 ち ハン マーと熔 接 変 圧 器が 戦 争中 に不 足 した。 変 圧 器
具
す る こと も でき た。 鋼板 と種 々の形 を し た鋼 は 、従 来 のよう に使 用
に は多数 が 装 備 され な か った。
工
完 成し な か った 。
な いも のが 供給 さ れ た。 鋼 の不 足 を補 う た め にと られ た 一つの重 要 な対 応 策 は、 鋼 生産 品
す る 個所 に応 じ て では なく 、 そ の厚 さ と寸 法 によ って整 理 し積 み 上
の寸 法 と セク シ ョンの多 様 性 を減 ら す こ と であ った。 こ の方 法 はす
げ ら れ た。 そ の結 果 、在 庫 品 の格 納場 所 と鋼 材 の輸送 に必要 な 時 間
ので、 酸 素 の不足 は 造 船 と修 理 計画 にと って重 要 な要 素 であ った。
す べ て の切断 は シ ャー を使 用 せず 酸 素 ア セ チ レ ン炎 で行 な わ れた
二次材 料
鋼 を検 査 す る仕 様 書 は 合理 化 さ れ た。 引 張強 さ は 一ミリ 平方 あ た
こ の不足 を 補 う た め、 工員 は適 当 な取 扱 いに よ って酸 素 を節 約 す る
を節 約 で き た。
り 四 一キ ログ ラ ムから 三 九 キ ログ ラ ム に引 き上 げ られ た 。 これ によ
よう 訓練 さ れ、 主な 造 船 所 に酸 素製 造 機 を装 備 す る こと が計 画 され
た。 こう して 一ヵ月 に 二基 を製 造 す る こと にな ったが 、 い つも 空襲
って、 一〇 % ほ ど多 く の鋼が 材 料試 験 に合 格 し た。 し かし、 船 の主
さら に鋼 を節 約す るた め、 個 々 の造 船 所 内だ け で なく 多 く の造 船
要 な部 分 に は こ の低 い品 質 の鋼 は使 用さ れ な か った。
のた め に作 業 が妨 げ ら れ た の で、 フル タイ ムの作 業 を つづ け る こと
た が 、 そ の他 の造 船 所 は 一九 四 五 年 三︱ 八月 の期 間 に集 中 的 な攻 撃
し か し、 造 船所 はとく に脆 弱 な 工業 と は考 えら れ な か った の で、
を こう む った。
酸 素が 不 足 し た の で造 船 の生 産促 進 は逆 に殆 ん ど妨 げ ら れ な か っ
が でき な か った。
たが 、 空襲 の激 化 にと も な い多 数 の 工場が 破 壊 さ れ た。 終 戦時 ま で
は、 付近 の地 区 に対 す る 空襲 、 近 く の港湾 に停泊 中 の艦 船 と付 近 の
造 船 所 に対 す る空 襲 の大 部 分 は 副次 的 な 目標 とし て行 な わ れ、 ま た
場合 は い つでも 鋼 の代 用 品 と して 使 用 され たが 、 輸 送 上 の困難 のた
造 船 のた め に特 別 の対 応策 はと ら れ な か った。 セ メ ント は、 可能 な
ト ン の高 性 能 爆薬 爆 弾 と 五 五 ト ン の破 砕爆 弾 が投 下 され た 。 主な 被
第 二〇 航 空 軍 の 一機 と海 軍 機 一 一七機 の攻 撃 に よ って 、 合計 三 二
横 須賀 工廠
海 軍 工廠 に対す る 爆撃 を 要 約 す れば、 次 のと おり であ る。
航 空 基 地 を主 目標 と す る 攻撃 のた めに損 害 を受け た。
め に最 後 に は セ メ ント自 体が 不足 す る よう に な った。 そ こで セメ ン
害 は電 力系 統 の損 害 で、 一〇 日 間 送 電が と まり、 そ の間 の作 業 は完
石 炭 と コーク スの不 足 は、 す べ て の 工業 に共 通 し た現 象 であ り 、
に、 数 個 の地 区 は酸 素 のな い のも 同 然 であ った。
た。
二週 間 に わ た って熔 接作 業 が と ま った。 工廠 の設 備 の損 害 は軽 微 で
全 に停 止 し た。給 水 主管 が 破 壊 さ れ、酸 素 の供給 が でき な く な り、
ト の代 り に木 材 が使 用 さ れ たが 、 木 材も 終戦 ま で に少 なく な りだ し
労働 力
第 二〇航 空 軍 の 一機 あ て 二回 と 、海 軍機 の四 五機 と 一機 の二 回 の
呉 工廠
あ った 。駆 逐 艦 一隻 、潜 水 艦 一隻 、海 底 電線 敷設 艦 一隻 が 沈 没 した 。
海 軍 工廠 は労 働 力 を強 く 要 求し 、 必要 な 労働 力 を 維 持 でき る立 場 に あ った。だ から 一九 四四 年 ま では 、 工廠 は 労働 力 の不足 で悩 まさ れ な か った。 し か し、 民 闘 造船 所 は 労働 力 を得 るた め に、 こう した 要 求 を主 張 でき る 立 場 にな か った ので、 戦 争 の全 期 間 を通 じ て労 働
が 投 下 され た。最 初 の空襲 は殆 ん ど効 果が な か ったが 、 そ の後 の攻
攻 撃 によ って、 合計 八ト ン の高 性 能爆 薬 爆弾 と 三 二 ト ンの破 砕爆 弾
居 住 施 設 と食 糧 の不足 のた め に、 二交 替 ま た は三 交替 制 を 実施 す
力 の不足 で 悩 まさ れ た。
る こ とが でき な か った。 終 戦 ま で に、 民 間 造船 所 の労働 力 の主体 は
に破 壊 され た。造 船 台 は損 害 を ま ぬ かれ た。 工廠 の作業 能 率 は 三分
︱ によ って、 合計 四三 ト ンの高 性能 爆 薬爆 弾 が投 下 さ れ た。 工廠 の
二回 の爆 撃 ︱︱ 第 二〇 航 空 軍 の 一〇 機 と第 五 航空 部隊 の三 〇機 ︱
佐 世 保 工廠
の 一に低下 した、 と 日本 側 は見 積 った。
撃 によ って 工廠 の床 面積 の半 分 が 損害 を受 け 、鎮 守 府庁 舎 は 実質 的
爆 撃 によ る損 害
学 生、 朝 鮮 人 お よび 捕 虜 とな った。
第九章
戦 争 中 に艦 艇 を建 造 した 五 つの海 軍 工廠 と 二三 の民 間造 船 所 のう ち 、 一五が 爆 撃 を 受け た。 佐世 保 工 廠 は 一九 四 四年 七 月 に爆 撃さ れ
付 表 第14爆
撃 に よ る民間 造 船 所床 面 積 の 破壊 状 況 (単位 :1000平方フ ィー ト)
設 備 に は殆 んど 損害 が な く、 数 個 の建 物 は 炎上 し たが 生 産 にあ た え
建 造 し た艦 艇 の ト ン数 を基 礎 と し て計算 した な らば 、艦 艇 を達 造 し
前 述 し た物質 的 損 害 の ほ かに、 造 船 所 に対す る航 空攻 撃 によ って
て いた床 面 積 のう ち破 壊 さ れ た 合計 面積 の割合 は 一九% と な る。
舞 鶴 工廠
た影 響 は小 さ か った 。
れ ば 、爆 撃 を受 け た 結果 、 欠 勤 のため に利 用 でき る人的 資 源 の減 少
従 業員 の欠 勤率 が ひ じ ょう に大き く な った。民 間 造 船所 の報告 によ
率 は 一〇 % から 八〇 % に増 大 し た。造 船 所 全体 を 平均 し た ならば 、
二 回 の攻 撃 ︱ ︱第 二〇航 空 軍 の 一機 と海 軍 機 一一機 ︱︱ に よ って、 合 計 一 一ト ンの高 性能 爆 薬爆 弾 が 投 下さ れ た。 工廠 の設 備 に は殆 ん
大湊 工作 部
ど損 害 が なく 、 生産 にあ た え た影 響 は小 さ か った 。
した 欠勤 の 一部 は 一時 約 な 現 象 であ る の で、 約 二週 間以 内 に回復 し
従 業 員 の出 勤率 は爆 撃を 受 け た直 後 に約 五〇% 低 下 し て いる。 こう
た 。 し かし、 一人 当 り労 働 時 間 の割 合 を 一九 四四 会 計年 度 と 一九 四
二回 の空 襲 ︱ ︱ 海軍 機 の 一五機 と 一機︱ ︱ によ って、 合計 一四 ト ン の高 性能 爆 薬爆 弾 が 投 下さ れ た。 一つ の乾 ド ックが 損 害 を受 け た
五 年 度 に ついて比 較 すれ ば 、 約 三〇% の低下 を示 し て いる 。 こ の主
た こと であ る。
舎 が破 壊 さ れ、 地 方 の交 通 機 関が こわ され 、労 働 者 の戦 意 が低 下 し
な 原 因 は、造 船 所 ま た は都 市 地区 に対す る 空襲 によ って、 住宅 や 宿
が 完 全 に修 理 さ れ た。 そ のほ か には被 害が な か った。
民 間 造船 所 が こう む った爆 撃 に よ る損害 に ついて は、 ﹁商船 報 告﹂ の中 で詳 しく 述 べら れ て い る。付 表 第 14 は、 爆 撃 で破 壊 され た 民 間
都 市地 区 に対 す る 空襲 によ る下 請 工場 の破壊 は、 艦艇 の建造 に部
は た し たわ け では なく 、 小 さ な 工場 で製 造 され た 部品 は他 の地方 で
造 船 所 の床 面積 を 示 す。
一部 の民 間 造船 所 は商船 と 艦艇 を 建 造 し た ので、 同 じ 種類 の達 造
動 力 工場 と酸 素製 造 所 に対 す る爆 撃 は、 戦争 の全 期間 を通 じて供 給
製 造 す る こ とが でき た ので 、 これ は重要 な要 素 と はな ら な か った。
分 的 な影 響 をあ た え た。 し か し、 下 請 は造船 工業 で は重 要 な役 割 を
施 設 を 必要 と し、 日 本 で は商 船 から 艦艇 に、 ま た は艦 艇 から 商船 の
が 不足 し て いた熔 接 用酸 素 の供 給 を大 き く妨 げ た。
建 造 に、そ の施設 を 転 換 でき てい た であ ろう 、 し たが って、 艦艇 建 造 能 力 の破 壊 は、 商 船建 造 能 力 の破 壊 と切 り 離 し て論 ず る ことが で
一部 の施 設 で艦 艇 を建 造 し た民 間 造 船所 で は、 合 計 床面 積 の二 四
き な い。
% が爆 撃 によ って破 壊 され た 。商 船 のみを 建 造 し た造 船 所を 含 むす
し各 民 間造 船 所が 損 害 を こう む った床 面積 を 、 各造 船 所が 戦 時 中 に
べ て の民 間 造船 所 の破壊 さ れ た床 面 積 の割 合 も 二 四% であ った。も
付録第 1
日本 海軍 艦 艇 の1931年 か らの隻 数 と トン数,1931―45会
計年 度 別 完
(1)… 会 計年 度 。(2)… 「震 洋 」 「海 龍 」 「蛟 龍 」 「回天 」 を含 む。(3)… 見積 り。 (注)本 表 は 日本 海軍 省 お よび 日本海 軍 艦 政 本部 か ら受 領 した資 料 に よ って 作成 した。
付 録 第 21941―45会
計年 度 別 日本海 軍艦 艇 建 造 の 月別 指 数
(1941年平均月間完成量=100) 1941会 計 年 度
1942会
計年 度
1943会
計年 度
1944会
計年 度
1945会
計年 度
付録 第 31945年
価 格 に よる1941―45会 計年 度 別 艦 種 別建 艦 の価値(単 位 :100万 1941会 計 年 度
1942会
計年 度
1943会
計年 度
1944会
計年度
1945会
計年 度
第 一章
四
造船 工業
要約と結論
一 商 船 の要 求を みたす 努 力 一九 三七 年 に支 那 事変 が 勃 発す るや、 日本 経 済 の商 船 に対 す る要
船 技 術 によ って、 戦 前 に り っぱ な 得 意先 き の造 船 所 に な って いた 。
一二 の種類 は各造 船 所 が 開発 し た同型 船 のよう な も の の設計 を政 府
開 戦 直後 、 商船 設 計 の標 準 化 の必要 性が 認 められ たが、 採 用 され た
造 船 に関す る統 制 と 責 任 が運 輸 通信 省 から海 軍 に移 さ れ 、海 軍が
当 局が 承認 した のも 同 然 であ った。
造 船量 の増 大 に つ いて真 剣 に考 慮 しはじ めた とき 、船 の種 類 は七 つ
求 はま すま す 増大 し つづ け た。 一九 四 一年 一二月 の開 戦 いら い、商 船 の喪 失 は、 日本 海 軍 と航 空 部 隊が く いと め る ことが でき な い割 合
に減 り、 も っぱ ら 一部 の種 類 の船 を建 造 す る よう 設計 さ れ た数 個 の
小型木 造 船 の広 汎 な 計 画が 作 成 され たが 、 一九 四 三年 春 ま でに は十
新 し い造 船 所が 作 業 を開 始 し た 。 より多 く の船 を 必要 と した ので、
で増 加 し はじ めた。 開 戦 か ら まる 一年 が 経 過 した と き、 あ た かも 日本 の経 済 全体 と 戦
開戦 後 の日本 は、 石 油輸 送 量 を 大幅 に増 加 す る 必要 にせ まら れ た。
分 に実 行 さ れ な か った 。
局が 十 分 な船 腹 によ って 左右 さ れ る か のよ う に︱︱ 事実 そ う であ っ た、 日本 は初 め て商 船 の建 造 に努 力 を集 中 し た。 す で に大 き な民 間 造 船所 は海 軍艦艇 の建 造 計 画 に余 念が な く 、 既存 の造船 所 の拡 充 と
わ ねば な らな か った。 連 合 国 に よる石 油 の禁 輸 前 、 日本 は大東 亜 共
め に は石油 を シ ンガポ ー ルと闌 印 か ら日 本 ま で の長 距 離 輸送 を行 な
栄圏 外 から の外 国 船 に よ る石油 の輸 入 に大 きく 依 存 し て いた ので、
戦 争 遂行 のた め に国 内 におけ る石 油 の需 要量 は激増 し たが 、 そ のた
戦 争中 す べ て の造 船 所 で連 造 さ れ た船 の約 四分 の三 を建 造 し た 一
海 外 か ら石油 を 輸 送 す る油 送船 (タ ンカ ー) は、 こう し た石 油輸 送
か 近代 化 ま た は新 し い造 船 所 の建 設 は、 殆 ん ど行 な われ て いな か っ
二 の大き な 民間 造 船 所 は、 量産 に ついて の大 き な割 増 し金 な し に商
た。
船 と艦艇 を 建造 し修 理 し、 一九 二〇 年 代 と 一九 三〇 年 代 の在 来 の造
はそれ より 平均 二 ヵ月 おく れ 、 毎月 約 一四 七、〇 〇 〇総 ト ン の商 船
九 四 四年 六 月 ま で つづ き、 そ の期間 の経済 投 入 量 は月 平均 二二、 〇
の要 求 を み たす のに不 十 分 であ った。 だ から、 必 要 とす る油 送船 建
〇 〇 円 であ り 、木 造 船 の毎 月 平 均完 成 高 は約 二七、 〇〇 〇 総 ト ンで
を建 造 した 。木 造 船 の最高 水 準 作業 期 間 は 一九 四三 年 一 一月 か ら 一
一九 四 一、 四 二会計 年 度中 に四 〇 万 ト ン以上 の貨 物船 が 油 送 船 に
あ った 。
造 に対 す る要求 は大き か った の であ る。
と 四 四年 に建 造 され た。 だが 日本 は 、油 送 船 に対 す る連 合国 の効果
船 舶 不 足 の原 因
戦 争 中 にお け る絶 大 な努 力 と 造船 量 の いちじ る し い増加 にも か か
二
改 装 さ れ 、 戦争 中 に約 一〇 〇 万 ト ン の油 送 船が 主と し て 一九 四 三年
的 な攻 撃 が おく れ た にも かか わら ず、 そ の要 求 をみ た す だけ の石油
わら ず 、新 造 船 ト ン数 が 喪失 船 舶 ト ン数 の四五 % を上 回 った年 はな
製 品を 輸 送 でき な か った。 一九 四 二年 一 二 月 から 一九 四 五年 一月 まで油 送 船 に対 し ては 他 の
か った。 日本 が 適当 な 商船 隊 を 維 持 でき な か った最 大 の原 因 は、厖
船種 よ りも高 い優 先順 位 が あ たえ ら れ た ので、 油 送 船 の建 造 はほ か
日 本 労働 者 の平均 技 倆 の低 い水 準 に よる基 本 的 な制 約、 造 船 所が
大な 商 船 の喪 失 を防 止 でき な か った こ とであ る。 日本 の造 船 工業 は
の種類 の商 船 よ りも計 画 ど お り に行 な われ た。 こ の優 先 順位 は、最
使用 し た窮 屈 な 地域 、 能 力 の大 き い ク レ ー ンと 装置 の欠如 、 日本 の
不可能 な仕 事 を 課 せ られ て い た。
た さな い ことが 明 ら か とな ったと き 、以 前 に計 画 さ れ て い た貨 物船
工業 技術 と 経 営が 想 像 力 に欠 け た こ とが 、造 船 を建 造 速度 の おそ い
も信 頼 でき る と考 え られ た造 船 所 に割当 てら れ た油 送 船建 造 に対 し
建 造 が 油 送船 を 完 成す るた め に再 検討 さ れ た。 こう し て、 も はや危
在 来 の方 法 にお と し いれ、 こう し た 欠陥 は設 計 の単 一化 と経 済 ( 船
てあ たえ ら れ た。 一九 四四年 春 に造 船計 画 が 大体 にお いて要 求 を み
ま で、 油 送船 の要 求を み たす 努 力が つづ け られ た。 こう した 努 力を
険 を お かし てま で油送 船 を南 方 に派遣 す るに値 しな いと考 え ら れ る
の速 力 と耐 波 性 を犠 牲 にし て得 ら れ た) によ る標準 型 船 の建 造 に よ
造 量 は削 減 さ れ、 造 船 量 を急 速 に増 大 でき る よう造 船 所 の施 設 が拡
ひ と たび 商 船 の建 造 を促 進 す る よう 決 定 され る や、 海 軍艦 艇 の建
って 、部 分 的 に補 な われ た にす ぎ な い。
や める 決 定が 行 な われ た のは、 一九 四 五年 一月 であ った。 油 送 船 以外 の鉄製 商 船 、鉄 製 油 送船 、 す べ て の木造 船 の月 間完 成 量 は、 付 図第 1 に示す と おり であ る。 商 船 の完成 高 と経 済 投 入量 は 、 一九 四三年 い っぱ い激 増 し た。 商
日本 に おけ る 全 面的 な 鋼 の不足 によ って、 全体 の計 画 は予定 ど お り
実 行す る こと が でき な か った。 重 要度 が 低 いと 考 えら れ た作 業 に対
張 さ れ た。 し かし、 拡 張 さ れ た造 船 所が 完 全 に能力 を発 揮す る前 に、
す る鋼 の供 給 量 を思 いき って減 ら し、 製 鉄 所 にお け る鋼 の備 蓄 と造
船 完 成 割 合 の変 動が 、 これ に相 当 す る定 格 経済 投 入 量 の変 動 に対す
一九 四 四 年 の 一月 から 一〇 月 ま で、 毎 月 平均 約 一億 三、 四〇 〇 万円
る時 間 的 ずれ は平均 二 ヵ月 であ った。 鉄 船 を建 造 す る造 船 会 社 は、
の経 済 投 入 量 で最高 水 準 の建 造 を つづ け た。 伺 じ 期 間 の船 舶 の完 成
付図第 1
木造 船,鉄 製油 送 船,そ の他 の 鉄船 の 月 間完 成 合計 トン数 1941年 4月 ―1945年 8月
一人 あ た り平 均 労働 時 間 か ら見 れ ば 、造 船 工業 は労働 力 の点 で いく
はじ めた。 ピ ーク の生 産 期 間中 は、増 大し た雇 用 の程 度 と増 加 し た
まで に効能 が な くな り、 一 一月 初 め に なる と造 船 高 は 大き く 低下 し
は維 持 でき た。 し か し、 こう し た当 座 の方 便 は 一九 四 四年 一〇 月 末
船 所 の鋼 の在 庫 を転 用 す る こ と によ って、 造 船高 を ピ ー ク の期 間中
本 は生 産 を つづ け る こと が でき る よう、 損 害 を こう む った 施設 を 復
る従 業 員 の戦 意 の低下 と 造船 所 の混 乱 し た活動 と に 関係 が あ る。 日
たが って、 航 空 攻 撃 に よる 生産 の減 少 は、 造船 所 の施設 の損害 によ
所 と同 様 に、 ま た は、 より 以上 の生 産 を つづ け る ことが でき た。 し
じ 程度 に低 下 し たと し ても 、 ほ か の場 所 の損 害 を受 け な か った造 船
旧 し、 ま た は造 船所 の活 動 を正 常 な も の にもど す こ とが でき な か っ
︱九 四 五年 六月 末 か ら終 戦 時 ま で に造 船 所 はさ ら に損害 を受 け た
た。
らか 無 理 を したが 、 労 働力 の 不足 には大 き く悩 ま さ れ な か った。 一九 四 五年 にな ると 、造 船 指 数 は ひ じ ょう に急 速 な割 合 で 低 下 し つづ け たが 、 終戦 時 に所有 し てい た と いわ れ る在庫 の鋼 によ って、
い て いたな ら ば、 造 船 所 の活 動 は急 速 に低 下を つづ け た にす ぎ な い
が 、 それ 以 前 の航 空 攻 撃 の効 果 か ら判 断 す れば 、も しも 戦争 が つづ
末 期 に お いて 日本 が 降伏 した 主 な要 因︱ ︱ 船 舶 の喪 失︱ ︱ と な った
で投 下し た 機 雷原 の近く に位 置 し た造 船 所 に対 す る攻 撃が 、 戦争 の
妨 害 し た程 度 は、 造 船所 に対 す る初 期 の航 空攻 撃、 と り わけ 飛行 機
と 思 われ る。 要す るに、 比 較 的軽 度 の損 害 によ って造 船所 の生産 を
実 際 に達 し た生産 高 よ りも 高 い水 準 で の生産 が 容 易 に維 持 で き て い
航 空 攻 撃 の影 響
たと 思 わ れ る。 生産 は連 合軍 の爆 撃 に よる 影響 を 受 け た。
三
作 用 を促 進 し て い た であ ろう こと を 示唆 し て いる。
一九 四五 年 三月 か ら終 戦 時 ま で の間 に、民 間 造船 所 の床 面積 の約 四分 の 一は航 空攻 撃 によ って 破 壊 され た。 こう し た損 害 の大部 分 は、
こ の報告 の範 囲 と資 料 の出所
航 空攻 撃が 日本 の造船 工業 にあ たえ た 影響 を分 析 す る にあ た って
四
直 撃弾 ま た は都 市 地 区 に対 す る 焼夷 弾 攻 撃 で発 生 し た火 災 の延 焼 に よ るも の であ った。 損害 の 一部 は、 近 く の 目標 に対 す る高性 能 爆 薬
は、 まず 第 一に、 爆 撃開 始 前 に おけ る日本 の造船 努 力 に ついて分 析
爆弾 の た めであ った 。 し かし 、 日本 本 土 に対 す る空 襲 のさ い、 造 船 所 に対 し て多 数 機 の攻撃 が 行 な われ た のは 一回 だ け であ る。 す でに
す る 必要 が あ り、 そ うす る こと に よ って、 最 終 の結 果 に影 響 をあ た
商船 を建 造 し修 理 し た 日本 の造船 所 は、海 軍 艦艇 の建造 と 修 理も 行
一九 四 五年 六月 まで に床 面 積 の 一割 以 上 を航 空 攻撃 のた め に破 壊 さ
な って いた 。 した が って、 あ る点 で は、 こ の報告 の分析 は、 商船 の
え る他 の諸要 因 に照 ら し て攻 撃 の効 果 を知 ること が でき る。 各種 の
戦 ま で に生産 を回復 し な か った。 これ に反 し、 同じ 都 市 地区 にあ っ
重 査 て限 ら な いで 全本 と し て の造 船 折 て っ いて庁 な っ( いる。 日本
いた。 にも か かわ らず 、 これ ら造 船 所 の生 産 高 は大 き く低 下 し 、終
たが 航 空 攻撃 のた め に損 害 を 受 けな か った 他 の造 船 所 は、 たと え 平
れ て い た 一七 の造 船 所 の大 部 分 は、 五 〇% 以 内 の損 害 を こ うむ って
均 雇 用 と 一人 一時間 あ たり の作 業 量 が損 害 を 受 けた 造 船所 と ほぼ 同
本 土 以外 で 日本 人 が 経 営 した 造船 所 に つい て のデ ー タが 入 手 でき た も のは、 そ れ を含 め る こと と し た。 そ の資 料 は終 戦 後 に 日本 で 入手
第 二章
戦 前 の造 船
一 船舶 自 足 の程 度
日本 は第 一次 大 戦 中 に重 要 な海 洋 国家 と な ったが 、そ の当 時 の日
でき たも の に限 ら れ て いる ので不 完 全 であ る。 し かし 、 全体 の造 船
ひじ ょう に小 さ いの で、 こ う した 不 完 全な 資 料 は大 き な問 題 と は な
状 況 から見 れ ば 、外 地 で の造 船 が 全 体 の商 船 の生 産 に占 め た割 合 は
た め に必要 と す る船 舶 を 建造 しな けれ ば な らな か った。 こ の期 間 の
商 船 建造 活 動 は ひ じ ょう に活況 を 呈 した ので、 一九 二〇 年 の日本 の
本 は、 太 平洋 にお け る貿 易 の割 合 を でき る だけ 大 き く はた し、 そ の
こ の報 告 に述 べ た年 は、 文 中 に特 記 しな いも の のほ か、 そ の暦 年
ら な い。
当 部 の職 員 に よ る日 本 の各 地 に おけ る 一 二の民 間造 船 所 の視 察 と 関
〇 の造 船 所 の回答 は完 全 であ った。 そ の他 の重 要 な資 料 の出所 に は、
項 に対 し、 五 七 の民 間 造船 所 が 提出 し た報書 によ るも ので あ る。 五
通 信省 船 舶 局 を経 由 し て造 船 所 に 示 し た付録 第 6 に か かげ る質 問 事
こ の報 告 の主 な資 料 の出 所 は、米 国 戦 略爆 撃 調 査団 の当 部が 運 輸
にす ぎ な か った。 し か し、 一九 三〇 年代 にな る と 日本 の造 船 は回 復
そ の全 体 の造 船 量 は 日本 の船 舶自 足 にと って わず か に寄 与 す る程 度
は戦 後 の不 況 から 回復 し たが 、 日本 の造 船 高 は大 き く低 下 し た ので 、
貿 易 の約 五分 の 四を 自 国船 でま かな った。 一九 二〇 年代 の海 外貿 易
る が え した 船 は約 三 〇〇 万 ト ンに達 し 、 日本 は 大き く増 加 した海 外
ぼ 二倍 に増 加 し た。 こう し て第 一次 大戦 の終 結 時、 日本 の国 旗 を ひ
大 戦 中 に、 国 内 の造 船 所 で建 造 し た商船 に よ って、 そ の保 有 量 を ほ
船 舶 保有 量 は 一九 一九 年 よ りも 六〇 万 ト ン増 加 し た。 日本 は第 一次
係者 の尋 問、 運 輸 通 信雀 、 海 軍艦 政 本 部、 船 舶 統制 会 および 三菱 重
の四 月 一日 に はじ ま る 日本 の会 計 年 度 であ る 。
工業 の造 船当 事 者 の尋問 と 報告 、 戦 争 中 に艦 政 本部 が 作 成 し た計 画
し は じめ、 一九 三 七年 ま で に自 国 の対 外 貿易 の半 分 以上 と 、朝 鮮 、
た。 そ の後 、 日本 の自 国船 に よる海 外 貿易 の割 合 は着 実 に増 加 し、
満 洲 および 台 湾 と の沿 岸貿 易 の全 部 を自 国船 でま か なう よ う にな っ
の写 しと 調査 が含 まれ てい る。 こ の報 告 は、 米 国 海 事 部 の ノ ー マン ・F ・ス トラ チ ャン氏 、米
船 舶保 有 量 六〇 〇 万 ト ンの少 なく と も 四分 の三 は 日本 で建 造 され た
第 二次大 戦 が発 生 し た とき に は約 三分 の二 とな り、 そ の当 時 の日本
海 軍 予 備 中尉 ロバ ー ト ・H ・スタ ー ン、 米 陸軍 中 尉 セオド ア ・﹂ ・ レテ ス の援 助 を 得 て、 米 海軍 予 備 大尉 ジ ェー ムズ ・C ・ペ テ ィー の 監 督 のも と で作 成 され た。
第 二次大 戦 前 に おけ る日 本 の油 送 船 の状 況 は、 前 述 した 船 舶自 足
も のであ った。
の程 度 と はま ったく 対 蹠的 であ った。 太 平洋 戦 争 の開 戦時 ま で、 日
本 は 石油 の輸 入を 外 国 の油 送 船 に大 き く依 存 し て いた 。真 珠 湾当 時 、
三 四年 から 三九 年 に いた る六 年 間 に日 本 の造 船 所 で建 造 され た 。
日本 の油 送 船 保有 量 は約 四〇 万 ト ンにす ぎず 、 そ の約 六〇% が 一九
%、 艦 艇 が 三 五% であ った 。 そ の後 の艦 艇 建造 が 増 加 した 期間 の割
に民 間造 船 所 で完 成 し た船 に つい て の作業 量 の割 合 は、商 船 が 六五
した。 一九 三 五年 か ら 四 二年 ま で の期 間 に、民 間 造 船所 の合計 床 面
かか わ らず 、 一九 四 二年 にな って初 めて引 渡 し た商 船 ト ン数 が増 加
民 間造 船 所 の施 設 は徐 々に拡 張 され 、大 き な建 艦 計 画 の完 成 にも
合 は、 商船 が 五 六% 、 艦艇 が 四四 % と な った。 日本 造船 所 の年 間 造 船 量 の総 計 は、 第 一次 大 戦 中 の約 六〇 万 ト ン
積 と船 台 の長 さ の総 計 は次第 に ふえ た。 し か し、 平均 年 間増 加 率が
造 船 の速度
から 、 一九 二〇 年 代 の大部 分 は二 万な いし 三万 ト ンに減 少 し た。 一
二
九 三〇 年 代 初期 の経 済 不況 の間、 日本 は廃 船 にす る 旧式 船 の ト ン数
一五% に達 し た年 はな く 、 そ の増 加率 は床面 積 が 八 ・二%、 船 台 の
四
平 時経 済 にお け る造 船 の地位
% の艦 艇 を 建造 した。
六% は 一 ︱の民間 造 船 所 であ り 、 これ ら造 船 所 は建 艦 計画 の約九 〇
長 さ が 八 ・ 一% であ った。 こ の期間 に開 発さ れ た床 面 積 の総 計 の五
に相当 す る新 造 船 に対 し て補助 金 を 出 し た。 そ の結 果 、 一九 三 一年 の造 船 量 は八五 、〇 〇 〇 ト ンと な り、 そ の後 の四年 間 は年 平 均が ︱ 〇 万 ト ン以 上 に達 し た。 一九 三〇 年 代 の半 ば に満 洲 と朝 鮮 にお け る商 業 と軍 事 行 動が 活 発 にな った ので、 支 那 事変 が はじ ま った 一九 三七 年 ま で に造船 量 は急 速 に増 加 し、 そ の完 成高 は年間 四四 万 ト ンを こえ た。 中 国 にお け る
船 舶 に対す る需要 は ひき つづ き 増 加 し たが 、 一九 三 七年 以 後 の造 船
計 労働 力 のそれ ぞ れ 二 ・三 % と 三 ・ 一% にあ た った。 開 戦 前 の数年
九 三 五年 と 三 七年 の民 間造 船 所 の労 働 力 は、す べ て の製 造 工業 の合
造 船 工業 は、 日本 の平時 経 済 を構 成 す る重 要 な要 素 であ った。 一
量 は低 下 を つづ け て 一九 四 一年 に は 二三 八、 〇 〇 〇 ト ンと な った 。
間 に建 造 さ れ た商 船 の価 格 は、 工場 と装 置 の拡 充 を含 む 民 間造 船 所
軍 講 作 戦 と、 これ を支 援 す る 日本 に おけ る 工業 生 産 が増 大 した結 果 、
会 計 年度 別 船 種別 の 一九 三 一年 一月 一日 か ら 一九 四 五年 八月 一五 日
戦 時中 の造 船 工業
三年 と 四 四年 に大 き く 高 ま った 。 一九 四 二年 に生産 さ れ た商 船 の価
日本経 済 に おけ る造 船 の相 対 的 地位 は、 戦時 中、 とり わけ 一九 四
一 戦 時 経済 に おけ る造 船 の地 位
第 三章
の資 本 財 の総 生 産高 の五 な いし 六 % であ った。
戦 前 の造 船 を制 限 した 諸 要因
ま で に引 渡 さ れ た商 船 は、 付 録第 2 に示 し てあ る。
三
造 船 量が 一九 三七 年 か ら 一九 四 一年 ま で に減 少 し た主 な 理由 は、 海 軍艦 艇 の建造 にあ て られ た 造船 所 の能力 の程 度が 大 き く な った こ と であ る。 一九 三 八年 から 四 三年 ま で の間 に、民 間 造 船所 は戦艦 一、 航 空母 艦 六、 巡 洋艦 五 を建 造 し た。 一九三 五 年 から 三 七年 ま での間
格 は、民 間 造 船所 の資 本 財 の総 生産 高 の九% に増大 したが 、 一九 四 三 年 と 四 四年 には、 そ の比 率が そ れぞ れ 一六% と 一四% にな った。
っかり し た歩 調 で増 加 し、 一九 四 四年 六月 に は、 そ の割 合 は製 造 工
民 間 造船 所 の従業 員 の相 対 的 割 合 は、 戦 争 の全 期間 を 通 じ て多 少 し
業 の全 従業 員 の八 ・九% に達 し た。 従 業 員 数 の点 で は、 民 間造 船 所
一〇 位 であ ったが 、 一九 四 四年 六 月 に は航 空機 工業 と兵 器 工業 に つ
に おけ る造 船 の分 野 は 一九 三 〇 年 には製 造 工業 の主 な種 類 の中 で第
造船 所 の数 と 大 き さ の集 中
いで第 三位 と な った。
二
た造 船 方式 が と られ てい た。 つま り、 エンジ ンな ど 船 の構 成 部分 の
使 用 す る船 の構 成部 分 の大部 分 を 製 造 し た ので、 高 い程 度 の統 合 し
の海 軍 工廠 で行 なわ れ た。 日本 の民 間造 船 所 の大 部分 は、 造 船所 で
民 間 造 船所 で行 なわ れ た。 艦 艇 の建 造 と修 理 は、 民 間造 船 所 と 五 つ
り、 七 つは ひじ ょう に小 さ か った ので 、 各造 船 所 でわず か 一隻 の小
造 船 所 のう ち、 三 つはま だ生 産 を はじ め て いな か った新 造 船所 であ
部 の造船 計 画 には 一四 の民 間 造船 所 が 述 べら れ て いる。 こ の 一四 の
り であ る。 デ ー タが 手 元 にあ る 五 七 の造 船 所 のほ か に、 海 軍艦 政 本
種 類別 の各 造船 所 の戦時 中 の生 産 と施 設 は、付 録 第 1 に示す と お
商 船 の建 造 と 修理 お よび 改 装 の仕 事 は、 そ の全 部が 全 体 にお いて
大 部 分 が 、民 間 造船 所 で製 造 され て いた のであ る。
て の船 を計 画 ど お り建 造 し て いた とし ても 、 第 六 の種 類 のも のと同
型 船 の建 造 が 計 画 され た にす ぎず 、 残 り の四 つは割 当 て られ たす べ
時 生 産 と生 産 施設 の配 分 は、 付 図
戦 時 中、 一〇〇 ト ン以上 の鉄 船 を 建造 ま た は修 理 し た五 七 の民 間
六 種 類 の民 間造 船 所 におけ る
然 であ った。
造 船 所 のデ ー タが 手 元 に あ る。 三 菱 や 日立 のよう な 大企 業 家 は数 個 の造 船 所 を所 有 し経 営 し たが 、 こ こで は各 造 船所 は別個 のも のと し て考 え る。 船 に関す るす べ て の種 類 の作 業 の戦時 中 の総 計 を 、作 業
は、 商船 の建 造 、艦 艇 の建 造 、商 船 および 艦 艇 の修 理 と改 装、 船 の
第 2 の左 側 の五 つの縦棒 で示 し てあ る。 こ の図 の右 側 の四 つ の縦 棒
構 成 部 分 の生 産 と いう 四 つの主 な作 業 に ついて 造船 所 の種 類 の間 の
つの大 き さ の種 類 に区 分 さ れ る。 最 初 の 三種 類 に は いる 一 二の造 船
配 分 を 示 す。
に費 した最 終 価 格 と材 料費 に よ って計算 す れば 、 五 七 の造 船 所 は 六
れ る。 こ の六種 類 は次 のよ う なも の であ る。
所 は 日本 の主な 造船 所 で あ り、 そ の他 は小 さ なも のであ ると 考 え ら
ど 、 これ ら造 船 所 の生 産経 済が 大 き く 達成 さ れ た こ と を示 し て い る。
に は い る各造 船 所 の特 徴 でも あ る相 対 的 生産 が 大 き け れば 大 き いほ
中 に船 の作 業 の全 体 の約 七四 % を な しとげ た こと を 示 す。 こ の種 類
鋼 の約 七 一% 、 労 働 力 の 六五 %、 工場 のほぼ 半 分 を 使 用 し て、 戦時
付 図 第 2は、 一二 の大造 船 所 ( 種 類 第 一、 第 二 お よび第 三)が 、
る。 し か し、 商 船 エンジ ンの生 産 で は、 最初 の五 生産 者 に つい で重
業 に おけ る 〃中 流 階 級〃 の生 産 者 グ ル ープ の重 要 性 を示 すも の であ
艇 の建 造 お よび 修 理 の約 三 五% を 行な った。 こ のこ と は、 こ れら 作
業 に ついて 前述 し た五 つ の生 産 者 に次 ぐ 一〇 の生 産者 が 、 商船 と艦
の五 つの生 産者 が 、 これ ら作 業 の生 産 の約 四 五% を 行 な った 。 各作
要 な 一〇 生産 者 の生産 高 は、 全 体 の生 産 の約 二〇 % にすぎ な い。 海
に おけ る生 産 の残 り の 二〇 % は、 二九 の船 舶 修 理 工場 、 三 八 の造船
軍 艦 艇 生産 の残 り の五% は 一 二の造 船 所 に配 分 され 、 そ の他 の作 業
これ ら造 船 所 が行 な った 前述 し た船 に関 す る四 つ の作 業 の内訳 は、 一 二の大造 船 所 が 、戦 時 中 に完成 し た 鉄船 の合 計 総 ト ン︱︱ 民間 造
造 船部 門 で最も 集 中 し て行 なわ れ た の は艦艇 の建 造 であ った。 商
所 および 五九 の商 船 エンジ ン生産 者 に配分 さ れ た。
船 所 で建 造 した 船 の全 体 のト ン数 ︱︱ の 六 八% を建 造 し た こ とを 示 し て いる。 これ ら 一 二の造船 所 は、す べ て の造船 所 の作 業 総 計 の約
ン スをと って広 く 分 散 さ れ た。 商 船 の生 産 と修 理 お よび 改 装 工事 は、
船 エンジ ン の製 造 は、 少 数 の大 き な 生産 者 に集 中 さ れ、 十 分 にバ ラ
七 三% にあ た る民 間 造 船所 で行 な われ た商 船 と艦 艇 の修 理 と改 装 の 六 四% を行 な い、 ま た、民 間 造 船 所 で建 造 さ れ た艦 艇 の七 八% を 完
大 き な生 産 者 にそ れ ほ ど 集中 さ れず 、 小 さ な生 産 者 に配 分 さ れ る程
成 し たが 、 これ は戦 時 中 に完 成 し た全 艦 艇 の六〇 % にあ た る。 同 時 に、 これ ら 大造 船 所 は 、生 産 を 価格 で計 算 し た場 合 、 民 間造 船 所が
度 も少 な か った。
各企 業 連 合 に よる 戦 時中 の総 生産 の割 合 は 三五 四頁 に示 す と おり で
な 程度 行 な われ た こと を示 して いる。 一つ以上 の造 船 所 の所 有 者 と、
造 船 所 の共有 所 有 権 の程 度 は、造 船 工業 に おけ る企 業 連 合が 相 当
生産 し た船 の構 成 部 分 の九 割 を 生産 し た。 グ ループ 別 に見 れば 、 こ れ は大 造 船 所 に よる 構 成部 分 生 産 の相 対 的 な 重要 度 は、戦 時 に生産 され た商 船 エンジ ン の馬力 の総 計 の七 四% を生 産 し た こ と から知 る
民 間 造 船所 と海 軍 工廠 にお け るす べ て の生 産 作 業 を 含む 船 に関す
ことが でき る。
三菱 、 日立 およ び 日本 鋼 管 と、 三井 系 の種 類第 二 の 一造 船 所 が複
あ った。
合企 業 連 合 の部 分 で あ った。 こ れ ら は、付 加 価値 の総 計 の五七 ・九
る 主な 四 つ の作 業 の各 々の生 産 の集 中 に つい て の分析 は、 付 図第 3 に示 す と お り であ る。 こ の図 の生産 の各線 のう ち 、 こ の図 の線 の水
し た造 船 企 業 に属 した 。
% を占 め た。 そ の他 の造 船 所 は、 連 合 ま た は単 独 に、 そ れぞ れ 独立
地 理的 集 中
平 の部 分 は作 業 量 によ って配 列 し た造 船所 の相 当 す る 数 で生 産 され
三
た戦 時 中 の総 生産 高 の累 加 の割 合 を 示す 。 艦 艇 と商船 の エンジ ンの生 産 の約 六〇% は、 そ れ ぞ れ 五 つの最 大 の生産 者 に集中 した。 商 船 の建 造、 修 理 お よび 改 装 に つい て は、 こ
付 図第 2 戦 時 中六 種 類 の民 間 造船 所 の 間 の生 産 と施 設 の 配分 全 体 の 活 動 と施 設 の 配 分
造船活動の主要作 業における 生産の配分
縦棒 内の数字 は各種類造船所の総計の百分比 を示す. 付加価値 とは,材 料 の原価 を差 しひいた完成品の価値 であ る.
付 図第 3 活動量 の順序に全生産老 の間の累加 を示 した造船活動の主要作業の配分
日本 の民 間 造 船所 は、 地 理的 に大 きく 集 中 し て い た。 戦 時中 のす べ て の造 船 作 業 の円 付 加 価 値 の約 七割 は、 三 つ の大 工業 地 区︱ ︱ 神 戸 ・大阪 、 東 京 湾 お よび 長崎 湾 ︱︱ の 一つ で生産 され た。 これ ら三
付表第 1 民間造船所の戦時造船活動の地理的配分
の付加価値
( 注) 商 船および艦艇 の建造、修 理および改装、船 の構成部分の生産
こ のよう に集 中 して いた の で、 三地 区 に おけ る九 造 船 所が 、 す べ
て の民間 造 船 所 の造 船 活 動 の ほぼ 五分 の三 を生 産 し た。
の約 六割 を 生 産 した 。 残 り の 二一 % は瀬 戸 内海 沿 岸 に 散在 す る 造船
一〇 ・ 六% は造 船 に無 関 係 の作 業 のも のであ った。 大 造船 所 と 小造
あ る。 民 間造 船 所 の戦時 中 のす べ て の生産 の付 加価 値 の総計 のう ち、
日本 造 船 所 の作 業 の特徴 は、 事門 化 が 比較 的 に少 な か った こと で
専 門 化 と 標 準化
所 が 生産 し、 そ の 四分 の三 は大 造 船 所 で生 産さ れ た 。 日本 の他 の部
船 所 の専 門 化 の割 合 は、 殆 んど 同様 であ った 。商 船 エンジ ン の合計
四
分 の造 船 所 で 生産 さ れ た の は九 % にす ぎ な か った 。 民 間造 船 所 の戦
地 区 におけ る 主 な造 船 所 は、 日本 造船 工業 におけ る付 加 価値 の総 計
時 中 に おけ る 造船 活 動 の地 理 的 集 中 の要 約 は、 次 の付表 第 1に含 ま
馬 力 の七 四% が 民 間造 船 所 で 生産 さ れ た ことが 示 して いる よう に、
造 船 所 におけ る高 い統 合 の程 度 が、 そ の分 野 で 専門 化 に久け て いた
れ て いる。
港 工場 以外 は努力 の相 当 大き な 部 分 を戦 時 中 は新 船 の建 造 にふ り向
行 な って い たが、 新 船 建 造 の必 要 性 が大 き く な った ので、 日 立 の築
小 の種 類 のう ち で大 き い七 造船 所 は、戦 前 は主 と して船 舶 の修 理を
多 く の日本 造 船 所 は、 そ の努 力 を 商船 の建 造 、艦 艇 の建 造 、 商 船
こ と を示 し て いる。
ま た は艦艇 あ る いは両 者 の修 理 と改 装 に ふ り向 け た。 五 七 の民 間 造
の修 理 であ った。
造 船所 の種 類 から 見 れば 、 大 造 船 所 の方 が小 造 船 所 よ りも専 門 化
け た 。 し かし 、 これ ら 八造 船 所 全 部 の主 な 仕事 は、 ひき つづき 船 舶
た。 五 造 船所 ︱︱ そ のう ち 四 つは大 造船 所 ︱ ︱ は、 そ の作 業 を 三 つ
であ り、 万 能 で非 専 門 化 の生 産方 式 が 日 本 の平 時 造船 工業 の低 い造
が かな り おく れ て い た。 こ れら 大 造船 所 は日本 で は古 い経 歴 のも の
三 つ の 一つに向 け た。 が 、 こ う した 造船 所 の全 部 は小 さ なも のだ っ
の作 業 に平均 し て ふ り向 け た の で、 戦時 中 の生 産 に おけ る 一つの作
船 所 のう ち 二〇 以 内 の造 船 所 は、 そ の戦争 中 の努力 をも っぱ ら前 記
業 の付 加価 値 は、 そ の造 船 所 の生 産 の全 体 の作業 の合 計価 値 の五〇
て商 船 ま た は艦 艇 の建 造 にあ た った 一七 の造船 所 のうち 一三 は、 戦
新 し い造 船 所 の全 部 に は、 高 い程度 の専 門化 が 見 られ た 。主 と し
でき る造 船 を 得 るた めに競 争 し て 設備 した のであ った。
船 量 の特 徴 であ った 。 各造 船 所 は船 の種 類 を考 慮 し な い で、自 分 で
度 に つい て の体系 的 な 分 析 は、 次 の付 表 第 2に 示さ れ て い る。 こ の
時 中 ま た は戦 争直 前 に建 設 さ れ る か、 あ る いは完 全 に再 建 され た も
前述 し た三 つ の最 終 生 産 の作 業 におけ る民 間造 船 所 の専 門 化 の程
% を 超 え な か った。
の付 加価 値 は、 各造 船 所 に おけ る前 記 三 つ の作業 全 部 の合 計 付 加価
一 三の新 造 船 所 のほ か に、 五造船 所 (全 部が 種 類 の小 に は いる) が
ので あ り、 そ のう ち 四造 船 所 は種 類 の小 には いら な か った。 これ ら
表 の説 明 とし て 一例 を 述 べれ ば 、 四 つの大 造 船所 に おけ る商 船 建造
値 の五〇 % か ら 七〇 % の間 に分 類 さ れ る。 そ の種 類 の九造 船 所 全部
ン数 の 二 二 ・二% に達 した 。
が 完成 し た商 船 の合 計 ト ン数 は、戦 時 中 に完 成 され た 商船 の総 計 ト
し た造 船 所 よ りも 大 き く 専門 化 さ れ て い た。 そ れ は、 日本 に おけ る
は別と し て、 主 とし て 艦艇 の建 造 にあ た った 造船 所 は、商 船 を 建 造
たと 思 われ る。
た った の で、 実際 に は ここ で述 べ る よ りも はる か に専門 化 さ れ て い
造 船 所 は、 戦 前 に は商 船建 造 に、 そ の後 はも っぱ ら 艦艇 の建造 にあ
る程 度 の専 門 化 (五〇 ︱ 七〇 % ) の部類 に はい る。後 者 と 前者 の 一
は相 当 に専 門 化 ( 七 〇 ︱ 九 五% ) さ れ た部 類 に、 他 の 一造 船所 はあ
戦 時 中 また は戦争 直 前 に建 設 ま た は再 建 さ れ た。 そ のう ち四造 船 所
最 大 で よく 設 備 され た 二つ の造 船 所︱︱ 三 菱 の長崎 造 船所 と 川 崎の
特 例と 見 ら れ る商 船 と艦 艇 の建 造 に殆 ん ど 専念 し た 一七 の造 船 所
神 戸造 船 所︱ ︱ の造 船 能 力 の大 部分 を艦 艇 の建 造 にあ て ると いう 海
った。開 戦 前 で さ え、 一部 の造 船 所 は みず から設 計 を 開発 し、専 門
造 船 量が 増 大 し た 主要 な要 因 は、船 の設 計 を標 準 化 し た こと であ
戦時 中 、 修 理 と改 装 の分 野 で は、新 船 の建 造 の分 野 よ りも 専 門 化
化 した標 準 によ って数 隻 の姉妹 船 を建 造 し た。 生産 技 術 を標 準化 す
軍 の方 針 によ る のであ った。
が ず っと 少 な か った。 大 造船 所 の 一つであ る日 立 の因 島造 船 所 と 、
付裏第2 戦時中 の最終生産 の主要作業 における民間造船所の専門化 の程度 による 造船所とそ の生産の配分
これ ら五 造 船 所 の報 書 は、 商 船 建 造 のみ を詳 し く 述 べた 不 完 全 のも の であ り 、 一部 の 修 理作 業 も 行 な わ れ た か も し れな い。
*
る とと も に 中央 集権 化 し た造 船 行 政を 促進 す
る た め、 運 輸通 信 省 は 一九 四 二年春 に戦時 標
準 船 の計 画 をた て た。 民 間造 船 所が 開 発 し た
数 個 の設 計 に若 干 の修 正 を加 え て、 政 府 の標
準船 計画 と して採 用 し た。
最 初 の計 画 に は、 五 三〇 総 ト ンから 六 四〇
〇 総 ト ンま で の六種 類︱ ︱ そ れぞ れ A型 から
F型 ま で の名称 が あ た え られ た︱ ︱ の乾 貨 物
一〇 二〇 ト ンか ら 一万 ト ンま で の、 TL、 TM、
船 、 K 型 と いう 五 三〇 〇 ト ン鉱 石運 搬船 一隻 、
TS型 と い われ る 三 つ の型 の油 送船 、 九 六〇 〇
ト ンのM 型 運 送船 一隻、 二 八〇 〇 ト ン のW型
鉄道 連 絡 船 一隻 が 含 ま れ た。 商 船建 造 の監 督
部 に 移 った直後 、 艦 政本 部 は最 初 の計 画 を修
が 一九 四 二年 夏 に運 輸通 信 省 か ら海 軍 艦政 本
正 し、 B 、 C 、 F およ び K型 船 の建 造 を取 止
め 、 TS 型 の代 り にTE 型 を建 造 す る こと と し た。
残 り の型 を 専 門化 す る広 汎 な 変 更 に は、材 料
を 節 約 し造 船 速度 を 促進 す るた め、 た と えば 、
乗 船 者 の た め の余 積 を 広く し、 二 重底 を なく
し 、 エ ンジ ンを軽 く し、 船 体 を も っと 角ば っ
た 形 状 のも のにす る必要 が あ った。 こう し て
建 造 を促 進 す る た めに、 船 の速 力 と耐 久性 を
大 き く犠 牲 にし た。 戦 時造 船 の大部 分 は、 こ
ン の大 き さ を増 す な ど、 新 し い造 船 設 計 を作 成 し た。 こう し た設 計
一九 四四 年 末 まで に、 海 軍 艦 政本 部 は船 体 の形 状 を改 善 し エンジ
船 所 で建 造 され た同 じ ト ン数 の非 標 準船 は別 の型 と し て は計 算 され
部 分 が 各 種 の標 準 型 の前 身 であ る かそ れ と同 様 であ る 限 り、 同 じ造
り、 合 計 し て 二四 の種類 に船体 を 分 類 でき るだ ろう 。非 標 準船 の大
に漁 船 と曳 船 、 渡 渫機 や動 力デ リ ック など のあ る雑 船 の三種 類が あ
〇 、 五 〇〇 〇 、 七 五〇 〇 、 一〇 〇 〇 〇 ト ンの型 とな るだ ろう。 さ ら
の変 更 は、 た とえ 造船 速 度 が 低 下 し ても、 船 が 潜 水艦 の攻 撃 か ら の
の計 画 の仕 様 に よ って建 造 さ れ た のであ る 。
が れ る機 会 を 改善 し よ うと し た のであ った。 こ の計 画 に属 す る船 に
て いな い。
建 造 され た船 種 に よる専 門 化 を 測定 す る にあ た って 、 こ こ では基
分 し て、 造 船 の標 準 化 の程 度別 と 建造 さ れ た商 船 の型 の隻 数 別 に、
関 係 は付 図 第 4 に 示さ れ て お り、 そ こ で は造船 所 を新 旧 の二 つに区
機 能 の専 門 化、 建 造 船 の型 の専 門化 お よび造 船 所 の新 しさ の相 互
の表 に示 さ れ て い る。
前 述 し た船 体 の分 類 に従 って、 戦 時 中 の型 別 の標 準 化 の程 度 は次
は、 船 体 の型 にあ た え られ た 文 字 の前 に、 1、 2ま た は 3を 付け 加 え た。 たと えば 、 TL は海 軍 艦 政 本部 の最 初 の計 画 の仕様 書 によ って 建造 され た 一万 ト ン ・油送 船 であ る。 標 準 型船 の詳 細 は付 録 第 3 に
限 られ た 標 準型 船 を 建造 す る こと に よ って 、多 く の造船 所 では建
示 さ れ て いる。
造 す る船 の多様 性 が 減 少 し た ので 、造 船 にあ る程 度 の専門 化 が 見 ら れ る よう にな った。 造 船所 が 商 造 建 造努 力 を 少数 の型 ま た は 一つ の 型 だ け の船 に限定 し た程度 は、 そ れぞ れ の造 船 所 の船 の修 理 や改装 な ど の作 業 にく ら べ て造船 の専 門 化 の程 度 を は っき り示 し て いる 。 戦 時中 に建 造 さ れ た船 の専 門 化 の程 度 は、 そ の他 の場 合 と同 様 に 、
本 的 な 船体 の型 に つい て のみ区 分 す る こと と す る。 A や E の よう な
新 し い造 船 所 の方が 大 き か った。
貨 物 船 の船 体 の型 の 一部分 は油 送 船 と し て完 成 され 、 そ の他 の場 合
てあ る。
一つの型 の船 のみを 建 造 す る四 つ の新 造 船 所 は、 日 本側 が E型 と
区 分 し た造 船 所が 完 成 した商 船 の合計 ト ン数 に占 める割 合 を か かげ
計 算 さ れ て いな い。 戦 時 中 で はあ るが最 終 の標 準化 計 画が 実 行 に移
た。 こ の 四造 船 所 は 一九 四三年 に建 設 さ れ、 そ の各 々が終 戦 時 ま で
名 づ け た 八〇 〇 総 ト ン の標 準船 のみ を建 造 す る た め特 別 に設 計 され
に は、 TL やTM のよう な 一部 の油 送 船 は貨 物 船 と し て完 成 さ れ た。 こ
され る前 に建 造 され た船 は、 七種 類 ︹ 編者注 ・原 文は ﹁八﹂ とな ってい
の報 告 で は、 こう し た変 更 と異 な った 計画 名 称 は 異な った型 とし て
る︺ の ト ン数 に従 って、 大 体 五〇 〇 、 一〇 〇 〇 、 二〇 〇 〇、 三〇 〇
付図第 4
戦 時 中 に造 船所 が完 成 した 商 船 トン数 の造 船所 の専 門化 の程度 に よる配 分
さ れ た同 型船 の総 計 の三〇 % にあ た った 。
降 に完 成 し た船 の全部 が 、 A型 と いわ れ た 六八〇 〇 ト ン標準 船 体 の
船 所 はも っぱ ら六 〇 〇〇 ト ン級船 を 建 造 し た。 一九 四三 年 一〇 月 以
争 の初 期 に建 造 し た 一九 〇〇 ト ン非 標準 船 八隻 は別 と し て、 こ の造
船 所 で 完 成 し た合 計 ト ン数 の八 五% を建 造 し た。 香 焼 島 造船 所 が 戦
再建 さ れ た川 南 の香 焼 島造 船 所 は 、 二 つ の型 の船 を 建 造す る新 造
のE 型船 は、 日 本 で建 造 さ れ た こ の型 の船 の合 計九 六 % にあ た った。
に 一〇 〇 隻 以 上 を完 成 し た。 これ ら 四造 船 所 で建 造 さ れ た 五 六 八隻
求 に は時 間 が かか り すぎ た ので、 古 い造 船 所 で行 なわ れ た拡 張 の方
に土 地 を手 に入 れ る方 法 は、平 時 で は費 用が か か りす ぎ、 戦 時 の要
り ト ンネ ルを 掘 ら ねば な ら な か った 。 こ う して造 船 所 の拡 張 のた め
害 し な けれ ば な ら な い の で、 他 の造 船 所 のため に丘 を 切 りく ず し た
てる と か、 大 都 市 の海 正 面 に造 船 所 のた め に隣接 した 工業 用 地 を侵
し たが って、 古 い造 船 所 で行 なわ れ た施 設 の拡張 は、浅 い海 を 埋立
海 に接 し て い る場 所 は、 日本 で は都 市 に な って い る のが 多 か った。
日 本 で は比 較 的 に 限 られ て いた。 かな り広 い地域 が 遮 蔽 され た深 い
た ので、 深 い海 に 面 し た広 い平坦 な 土 地 と い った造 船 所 の適 地 は、
を建 造 す る 四造 船 所 は、 土地 を切 り開 いて 用地 を 選 ぶ前 に、最 初 か
が 高 か っただ け でな く、 造 船 所 の混 雑 を 防ぐ ことも でき た。 E 型船
戦 争 中 と戦 争 直 前 に建 設 ま た は再 建 さ れ た造船 所 は専 門化 の程度
船 の建 造 期 間が ま ち ま ち であ る こ とが 避 け られ な か った。
でき な か った。 そ の結果 、 これ ら造 船 所 の大部 分 に おけ る 同じ 型 の
体 系 的 に スム ー ス に実施 し て統 制 のあ る 作業 の流 れ を はか る ことが
こう し て、 古 い造船 所 が 混 雑 し専 門 化 に欠 け て い た ので、 作業 を
は終 戦 時 ま で未 完 成 の状 況 であ った。
法 の大 部分 は、 いま ま で の地 区 に おけ る 混雑 を 大き く す る か、 ま た
も の であ る。 こ の造船 所 で完 成 した こ の型 の五 一隻 は、 日本 で建 造
そ の他 の大 造 船 所 は、 商 造 の建 造 と 同時 に艦 艇 の建 造 ま た は商 船 の修 理 と 改装 も 行 な った古 い造船 所 で あ った。 そ の上 、 これ ら造 船
造 船方 式
所が 建 造 した商 船 は五 ま た は五 以上 の型 のも の であ った。
五
日本 の古 い造 船 所 は 、在 来 の進水 船 台 の上 で キ ー ルを据 え つけ て
機 械 工場 、 木 工 場、 原 型製 作 工場 など 在 来 の取 合 わ せ で組 立 て られ
ら適 当 な 土 地 の広 さ が得 られ る よう な完 全 な作 業 単 位と し て設 計 さ
船 を建 造 した。 材 料 を 設計 し 、 圧延 工場 、 ボ イ ラー 工 場、 鍛 造 工場 、
る 。 みず から 船 の エンジ ンを 製 造 し た造 船 所 は、 こ のた め に必 要と
ったが 、 こ の再建 が 開 始 さ れた のは 一九 四〇年 であ った ので、 新 し
れ た。 香 焼 島 造船 所 の用 地 は整 地 を 必要 と す る で こぼ こ の地形 であ
す る 大 き な機 械 工場 を持 って い た。 こう し た古 い造 船 所 の殆 んど が雑 然 と し て お り、 ス ムー スな 生産
い施 設 の た め に丘 を切 り くず した り ト ン ネ ルを掘 る 時間 的 な余 裕 が
の流 れが でき る よう に は計画 さ れ て いな か った。 これ ら造 船 所 の施 設 は少 しず つ拡 張さ れ た の で、 体系 的 な計 画 の実 行 には よく 適 合 し
あ った。
新 し い造 船 所 の 一部 は近 代的 な 造 船方 式 を と った ので、 計 画 され
て いな か った。 そ の上 、 これ ら造 船 所 の構 内 は建 物 が ぎ っし り詰 ま って いる のが 普 通 であ った。 海 岸 にそ った で こぼ こ の地形 が 多 か っ
ヅク組 立方 式 を採 用 した。 こう し た方 式 を 採用 し た利 点 は、 単 一の
の中 な ど多 数 の場所 で造 船作 業 を 進 め、 少 な く とも あ る程 度 のブ ロ
方 式 の代 わ り に、 これ ら新 し い四 造船 所 は、 レー ル の上 と か乾 船 渠
でき た。 在 来 の方 式 によ って船 台 の上 で ちび ちび 船 を建 造 す る 単 一
た設 計 の利 点 と高 い程 度 の専 門 化 を、 殆 ん ど完 全 に実現 す る ことが
% であ った。 日本 で使 用 され た熔接 は最 も簡 単 な方 式 のも のだ け で
の場合 に は、熔 接 の割 合 は 一〇 % から 四 五% ま でで、 一般 に約 三〇
ぎ 目と 接 続 の 五割 から 七 割 であ った。 大造 船 所 で建 造 さ れ た大 型船
建 造 し た少 数 の造 船 所 で さえ 、 熔接 を 使 用 し た程 度 は、 す べ て の継
日本 の造船 で は、 熔 接 はあ ま り開 発 さ れ て いな か った。 E型 船 を
あ り、 大 き な セク シ ョンの接 続 は拘 束 応 力を 避 け る た めい つも リ ベ
戦 時 中 の拡 張 と変 更
く ら せ た 。 し かし 、 日本 の民 間造 船 所 の施 設 は 、 一九 四 三年 に 三分
日 本 は開 戦 後 一年 以 上 にわ た って、 民 間造 船 所 の重要 な 拡 張を お
六
ット が 使 用さ れ た 。
場 所 で の建 造 方式 に よ って 八 八〇 ト ンのE 型船 を建 造 す る 四大 造 船
日 であ った のに対 し、 他 の三造 船 所 のそ れぞ れ 一六三 隻 、 一五四 隻 、
所 の 一つが 一 一五隻 を完 成 す る の に 一隻 平 均 の建 造 所 要 臼数 が 九 〇
一三 六隻 の 一隻 あ た り平 均建 造 日数 が 三 四 日、 三 七日 、 六 七 日 であ
香焼 島 造船 所 は、 基本 的 には在 来 の造 船方 式 を と らず に 一〇 〇 〇
の 一ほ ど増 加 し 、相 当 数 の新 造 船 所 の建 設が 終 戦 時 ま で つづ けら れ
った こと か ら は っき り う かが え る 。
ト ン以 上 の船 を 建 造 し た唯 一つの造 船 所 であ った。 一九 四 〇年 に開
た。
古 い造船 所 の拡 張 に比 較 し て新 造 船 所 の建 設 に よ って戦 時 中 の造
始 され た こ の造 船 所 の再 建 の主な 特 徴 は、 三 つ の異な った 建造 段 階 ︱︱ 各段 階 が別 個 の コ ンパ ート メ ント にあ る︱︱ で 二隻 のA型 船 を
残 り の六 一% は古 い造船 所 で建 設 され た。 一九 四 一会 計 年度 におけ
九 四〇 年 中 ま た はそ の後 に操 業 を はじ め た新 造 船所 のも のであ った。
船 工業 が 拡充 さ れ た程 度 は、 この両 者 の間 の床 面積 の増大 と 平均 従
造 のた め香 焼島 と 同 じ造 船 ド ックを 建 設 す る計 画 にな って いたが 、
る毎 月 平 均従 業 員 数 を 、 一九 四五会 計 年度 の 四月 一日 から 八月 一五
並 べ て建 造 でき る 大 き な造 船 ド ック の建 設 であ る 。ブ ロ ック 組立 や
工事 の着 手が おそ す ぎ た (一九 四 四年 ) ので、 終 戦時 ま で量産 に は
日 ま で の毎月 平 均 従 業員 数 に比 較す れば 、 前 老 の二 八% に対 して後
四 五年 八 月 一五 日ま で に建 設 さ れ た床 面積 のう ち、 そ の三九 % は 一
いる こと が でき な か った。 戦 前 ま た は戦 争 の初 期 に、 そ の他 の大造
者 は 七 二% であ った。 民間 造 船 所 に充 当 され た全 体 の投 資 の増 加 の
業 員 の配 分 に よく あ ら われ て いる。 一九 四 二年 三月 三 一日 から 一九
船 所 を建 造 ま た は再 建 し な か った こと は、 日本 の造船 業 者 と 計 画 立
熔接 そ の他 の近 代 技術 を使 用す る点 では 、 香焼 島 造船 所 は他 の大造
案 者が 技 術 的な 想 像 力 に久 け て い た こと を 示 し て いる。 こう し た 理
と整 備 に向 け ら れ た 。
約 三分 の 一は新 し い造 船 所 に、 そ の残 り は古 い造 船 所 の施 設 の拡 張
船 所 と実 質 的 に異 な ら な か った。 日立 の神奈 川造 船所 は、 A型 船 建
こと に よ る かも し れ な い。
由 の 一部 は、大 造 船 所 の大 部 分が 艦 艇 の建 造計 画 に忙 殺 され て いた
付図第 5 戦時中の民間造船所 の拡張
造 船 所 の総 床 面積 、 造 船 台 の長 さ の合計 、 平均 雇 用 員 数 の傾 向 は、
よび 各 会計 年 度 の毎月 平 均雇 用 員 数 を 示し 、 ま た、 古 い造 船 所 と 一
中 の各 会 計年 度 末 現在 にお け る総 床 面積 と 造 船台 の長 さ の合 計 、 お
会 は商船 の修 理 計 画 を管 理 し、 新 船 の建 造 に ついて は、 計 画 の実 施 、
会 社 と 、木 造 船 造 船 所と 構 成部 分 製造 会 社 の協 会 が含 ま れ た。 統 制
の重 要 な造 船 会 社 、 エンジ ン製 造 会 社 お よび補 助 機 械と 付 属品 製 造
四 二年 一月 に造 船 修 理統 制 会 を設 置 し た。 この統 制 会 に は、ナ べ て
造 船 関 係事 項 に つい て の統制 を 促 進す るた め、 運 輸通 信 省 は 一九
初 のも ので あ り、 そ れ は標 準船 を含 んだ 初 めて の計 画と いえ る。
九 四〇 年中 とそ の後 に建 設 され た新 造船 所 の間 に おけ る、 これ ら 三
しば しば 生産 能 力 の傾 向 を よく 示 す ことが あ る。 付 図 第 5 は、 戦時
項目 の配分 をあ ら わす 。 こ う し た 一五 の造 船 所 の大 き さ は、 各 五が
価 格 の決定 、 船 と 構 成部 分 の仕 様 書 の標 準 化、 および 構 成 部分 と 労
害 を 受 け た り破 壊 され た床 面積 を あ ら わ して いな い。 正確 なデ ータ
型 船 に つ いて定 めら れ た標 準価 格 で売 却 さ れ た。 この標 準 価格 が 一
業 会 を 通 じ て行 な わ れ、 船 は政 府 が 割当 てた船 会 社 に対 し て、 標 準
新 船 に か んす る 造船 所 と の契 約 は、 完 全 な政 府 機 関 であ る造 船 工
た し た。
働 力 の調達 の面 で、 政府 と 業者 の間 で手 形 交換 所 のよう な 役割 を は
種類 第 四 、第 五、 第 六 に属 し て い た。 付 図 第 5 に示 す 床面 積 は 日本 が 建 設 し た総 計 であ るが、 日本 側が
は 入手 でき な か ったが 、 特 に古 い造 船 所 で拡 張 され た床 面積 の相 当
定 の原 価 を割 った た め に造 船所 が こうむ る損失 は造船 工業 会 から 補
取 り払 ったも の は含 まれ て いな い。 この図 は、航 空 攻 撃 に よ って 損
な部 分 が、 戦 時 中 に造 船 所 に派遣 さ れ た多 数 の徴 用 労 働 者 のた め の
償 され た 。
行 す るた め民 間 造 船 所 の能 力 の大 き な割 合 を累 進 的 に取 上 げ て いた 。
明 ら かに な った 。 日 本海 軍 は数 年 間 に わ た って、 艦 艇建 造 計画 を実
一九 四 二年 夏 ま で に、 商 船建 造 の進 捗 状 況が 思 わ しく な いこと が
宿舎 や 食堂 など に使 用 さ れ て い た。 古 い造 船 所 に おけ る 工 場建 物 の
統 制 の中 央 集 権 化
増加 の大部 分 は、新 し い機 械 工場 と エン ジ ン製 造 施 設 であ った 。
七
戦 前 に は、 政 府 の造 船 に対 す る 直 接的 な 統 制 は殆 ん ど見 ら れ な か った。 造船 と新 船 の発 注 に よ る航 路 に対 す る 助成 金 を 通 じ て、 政府
も 、 運 輸通 信 省 が 作 成 し た計画 に含 まれ た 船 の種 類 は多 すぎ 、 管 理
った ので、 商 船 建 造 に ふ り向け る量 は い よ いよ少 な くな った。 し か
陸 海 軍 とも に利 用 でき る材 料と 労 働 力 の大 き な割 当 をと る よ う にな
に ついて の監 督 と修 理 の管 轄 権 のあ る運 輸 通 信省 は、 す べ て の民 間
とが でき な か った 。 そ こ で 一九 四 二年 七月 、全 長 が 五〇 メ ート ル以
が 放 漫 すぎ た ので 、 当時 の状況 で可能 な 最 善 の結 果 さえ 達 成す る こ
は造 船 計画 に直 接関 与 す るだ け であ った。 開 戦と な ったと き 、造 船
造 船 所 の計 画 生 産 を含 む広 汎 な造 船 計 画を 作 成 した 。 こう し た開戦
とを 示 す 四 つの異 な った 計画 が つぎ つぎ に発 出さ れ た 。 四番 目 の 一
れ た。 こう し て、 造 船所 に材料 を配 分す る権 限 と責 任も 艦 政本 部 に
上 の鉄 船建 造 の責 任 が海 軍 省 に移 さ れ、 艦 政本 部 に商船 課 が新 設 さ
時 から 一九 四 二年 三月 末 ま で の間 に、各 造 船 所 に建 造 を期 待 す る こ
九 四 二年 三月 二五 日付 け 計 画 は、 標 準船 計 画 の採 用 後 に 出 され た最
省 の管 轄 下 にあ った木 造 船 エンジ ンの調 達 と木 造 船 の建 造 に つ いて、
軍 省 に移 さ れ た。 さ ら に海 軍 省 は 、戦 争 の全期 間 を 通 じ て運 輸 通信
属 し た。 そ の後 、 す べ て の鉄 船 の建 造 、 修 理 お よび 監督 の責 任 が海
表 のと おり で あ る。
こ ろ は殆 ん ど な か った 。木 造 船 造船 所 の地 理的 分 布 を示 せば 、次 の
の海 岸 の町 で 、 一ま たは それ 以 上 の小 さ な 木造 船造 船 所 を 見 な いと
木 造 船 の建 造
運 輸 通信 省 を 援 助 する ことと な った 。
八 鉄船 を建 造 す る造 船 所 と はま ったく 対 照的 に、 木 造船 建 造 計 画 に 参 加 す る多 数 の小 さな 造 船所 が 日本 全 土 に分 散 し て いた 。 日本 に おけ る最 大 の木 造 船 造 船 所 は、 そ れぞ れ 三 二、 二九 および 二五 の船 台 を 持 って いた。 これ ら を合 計 す れば 、 木 造 船船 台 全 部 の 四 % に近 か った。 次 の表 によ って、 船 台 の集 中 の程度 を知 る こ とが でき る。
木 造 船 工業 は大体 に お い て日本 全 土に 平均 し て配 分 さ れ て いた が、
最 も 重 要 な地 域 は瀬戸 内 海 の沿 岸 であ った。 日本 の北 部 に おけ る 開
発 は他 の地 域 より も 戦争 中 の後 期 に行 な われ たが 、 一〇 以上 の船 台
小 さ な設 備 の造船 所 は主 と し て新 船 の建 造 を行 な ったが 、 サー ビ
を 有 す る木 造 船 造船 所 の全 体 の四割 が 含 まれ てい た。
スと 修 理 の 一部 は十 分 な 設備 のあ る 古 い造 船 所 の 一部 で行 な わ れ た。
みず か ら エンジ ンを製 造 し た造 船 所 は、 ご く わず かで あ った。木 造
船 に使 用す る焼 玉 エ ンジ ンも 無 数 の設備 で製 造︱︱ 年 間 五〇 〇〇 馬
力 以 上 を製 造 し た の は 一 二 にす ぎ な か った︱︱ さ れ 、 これ は年 間平
木 造船 計 画 によ って、 あ る程 度 の専門 化 が行 な わ れ た。 一九 四 二
均 生 産 の約 二割 にあ た った 。
造 船 所 は地理 的 にも 同 様 に分 散 し て い た。 数 個 の造 船 所 は大 都 市
年 九 月 に作 成 さ れ た最 初 の計 画 に は、 丈夫 な 船体 の エンジ ン付き 木
木 造 船 建 造 の大部 分 は、 約 六 の船 台 のあ る 造船 所 で行 な われ た 。
にあ ったが 、大 部 分 は小 さ な 町 と村 落 に散 在 した 。 た し かに、 日本
い 場合 に は、 市民 経 済 を維 持 す る た め にも 必要 な 戦時 生 産 のた め に
補 給 の維 持 は商船 に よら ねば な ら な い。 市民 経 済 が自 給 自 足 でき な
造 船 の二 つの型 、補 助 エンジ ン付 き の七〇 ト ンから 二五〇 ト ンま で
曳 船 に適当 であ った︱︱ が含 ま れ 、船 体 の型 は全部 で九種 類 であ っ
も 、 原 料 と 加 工品 を船 で運 ば ねば なら な い。 軍 需 と 民需 のた め の船
要素 が あ る。 軍事 作 戦 が海 外 で行 な われ る 場合 に は、最 初 の行 動 と
た。 一九 四 四年 の木 造 船 計画 は、 小 型 の補 助 エンジ ン付き の 一九 ト
舶 需 要 量 は、 これ に必要 とす る商 船 のト ン数 だ け でな く輸 送 す る 距
能 に か か ってい る。 将 来 の海 外輸 送 に必 要 とす る船 腹量 には 二 つの
ンから 五 五 ト ンま で の四 つの漁 船 型 を含 む も のに改 めら れ、 五 つの
の五 つ の型 の機帆 船 ︱︱ そ のう ち 三 つの型 は油送 船 に、 二 つの型 は
に、 五〇 ト ンか ら 一五 〇 ト ンま で の多数 の ハシケが 、 これら 造 船 所
普 通 の貨 物 船 型 のう ち 二 つは取 止 め ら れた 。 こ れら 標 準型 船 のほ か
日本 が ソ ロモン群 島 と中 部 太平 洋 で積 極 作 戦 を実 施 し た当 時 の船
離 に よ っても 左 右 さ れ る。
糧 な ど 日 本本 土 の経 済が 自 給 自足 にま ったく 欠 け て いた状 況 は、本
木 造船 造 船 所 の大 部 分 を占 めた 小規 模 のも の は、 特定 の造 船 所 で
で戦 時 中 に建 造 さ れ た。
った 。 し かし 、 そ の技 術 は ま った く在 来 のも のであ り、 大 体 にお い
鯛査 団 輸 送 課 の報 告 に述 べら れ て いる。 日本 が 平時 経 済 か ら戦 時経
の報 告 に述 べ られ て いる。 石 炭、 鉄 、 石油 、 ボ ーキ サイ ト およ び食
て適 当 であ った 日本 の船 大 工 の技禰 に頼 る に すぎ な か った。 造 船所
済 に移 った とき 、 日 本本 土 に欠け た原料 に対 す る需 要 の相 対 的 重要
舶 に対 す る 大 きな 要 求 に ついて は、 米 国戦 略 爆 撃 調査 団 軍事 分 析 課
の職 員 と 工員 の大部 分 は船 の業 務 に慣 れ て いな か った ので、 標 準型
性 が 大 き く な った ので、 本 土 に おけ る自 給 自 足 に 久け る程 度 は相対
建 造 され た型 の船 に つ いて は自 動 的 に大 き く専 門 化 さ れ る こと と な
船 の建 造 に つ いて の体 系的 指 示 は、戦 争 の全期 間 を 通 じ て木 造 船建
が って 、 こ の理 由 だ け から でも 、 一九 三七 年 か ら 一九 四 三年 末 ま で
時 経 済 への移 行 は、 一九 四三年 まで は十 分 に実現 しな か った。 し た
平 洋 戦 争 の開 戦 時 ま でと そ の後 に間 断な く 促 進 され た。全 面 的 な戦
日本 の戦 時 生 産 への移 行 は 一九 三 七年 の支 那事 変 には じ まり 、 太
造 に つい て管 理上 の全責 任 を お う て い た運 輸通 信 省 が行 な った 。
造 船 工業 に対 す る要 求
的 に増 大 し た 。
第四章
一 船 舶 の要 求 造船 所 で建 造 する船 舶 に対 す る戦 時 中 の要 求 量 は 、 予測 でき る将
左 右 され る。 将 来 の適 当 な 船 腹 量と いう も の は、現 在 の保有 船 舶 量 、
る た めに 必要 と す る船 腹 量 を見 積 る に は、 こ の報 告 の範 囲 外 であ る
仮 定 し た種 々 の水 準と 戦 局 のも と で の大 東 亜共 栄 圏経 済 を 維持 す
船 舶 に対 す る需 要 は増大 し つづ け た のであ った 。
予 想 され る将 来 の喪失 量 、船 の能 力 と 状 態、 コンボ イ、 迂 回 航路 な
し、 戦 局 の進 展 にとも な って船 舶 の需 要 が 大 きぐ な った の で、 そ の
船 舶 の所要 量 に関 す る量 的 な見 積 り を 必要 と す ると 思 われ る。 し か
来 に おけ る海 外 輸 送 上 の需 要 を み たす こと の でき る船 腹 量 によ って
ど の必 要 性 を考 慮 し た予 測 でき る作 戦 状態 で期 待 しう る船 の平均 性
五〇 〇 総 ト ン以上 の日本 船 運 航 可能 合計 ト ン数 の戦 時中 会 計 年 度 別 の変 化
( 単 位= 一〇 〇〇 総 ト ン)
一九四四年三月三 一日現在、陸海軍 への配船の見積り には、それ以後南方地域に遮断された運航可能 のトン数が含まれている。
付表第3
*
ン数 の約 四分 の 一に再 び減 少 し た 。 し かし、 た と え新 造船 が 一九 四
新 船 の建 造高 は、 開戦 時 から 相当 の期 間 におけ る沈没 ト ン数 の約
四会 計 年 度 と同 じ割 合 で 沈 没 ト ン数 よ りも 速 や か に増 加 し て い たと
需 要 を み たす の に開 戦 時 におけ る日 本 の船 舶保 ・ 有量 (そ の後 の傘 捕
が 一九 四三年 ま で つづ い た こと は、 す で に前 述 し た と おり で あ る。
し ても 、 造船 量 が沈 没 量 に追 い つく こ とが でき るず っと 以 前 に、 、日
の約 二分 の 一へと 着 実 に増 加 し たが 、 そ の後 一九 四五年 に は沈 没 ト
日 本が 南 方 地域 と の海 上交 通 線 が遮 断 さ れ、 短 か く な った海 上路 の
本 の保 有 船 腹量 は皆 無 にな って い たであ ろう。 た しか に、 造 船 量と
四分 の 一から 、最 大 の造 船 努 力が 払 われ た 一九 四 四年 の沈 没 ト ン数
き わ め て疑 わ し い利 点 が得 られ る よう にな ってか ら 、 日本 の船舶 に
沈 没 量 の開 き は、 最 小 のと き で さ えひ じ ょう に 大き か った ので、 日
船 と 捕 獲 船 を含 む) が 適 当 で あ った か は疑 わ し い、 と 言 え る であ ろ
対 す る経 済 要 求が 初 めて いく らか 減少 した。 日本 が 太 平洋 の島 々の
う。 船 舶 の所 要 量 を 必然 的に 大 きく し た全 面 的 な戦 時 経 済 への移 行
防 衛 努 力を 断 念 す る よう に な って か ら、 初 め て船 舶 に対す る軍 事要
え 造 船 量が 多 少 大き か った と し ても、 沈 没 を補 う た め に必 要 とし た
日 本 海軍 と 航 空部 隊 が商 船 の沈 没 を防 げ な か った か らで あ る。 た と
本 は保 有 船 腹量 を 維 持す る こと が でき な か った 。 そ の主 な原 因 は、
利 用 で き た船 舶
求が いく ら か減 った のであ る。
二
ぺ ー スの要 求、 保 有 船腹 の沈 没 の割 合 、 現存 す る船 の運航 能 率 の減
新 船 に対す る要 求 に影 響 をあ たえ る す べて の要 素︱ ︱ 特 に船 の ス
少︱ ︱が 、 日本 は開 戦 当初 から 戦争 を 継 続す る た め全 力 をあ げ て造
割 合 で 商 船 を建 造 す る こと は、 日本 の生 産 潜在 力 では無 理 であ った 。
要 因 のどれ も が、 戦 争 の全 期 間を 通 じ て日 本 にと って否定 的 に作 用
船 に努 力 す べき 必要 性 を 示唆 し て い る。 し かし 実際 には 、 日本 は 一
新 船 の建 造 を除 く 海 外 か ら の輸 送 能 力 ト ン ・マイ ル (一ト ン の貨
し た。 造船 量 よりも 高 い割 合 で船 は沈 み、 船 舶 は コンボ イ によ る運
九 四 三年 初 め ま で、 こ の必要 性 が 緊急 であ る こと を十 分 に 理解 せず 、
物 を 一マイ ル運送 す る計算 単 位 )有 用性 に影響 を あ た え る動 的 な諸
の 必要 性が ます ま す 大き く な り、 酷 使 と整 備 不 良 の た め に船 の状 態
航 を はじ め迂 回航路 や夜 間 だ け の航 海 など 時 間 を消 費 す る 防衛 方 策
日本 海 軍 がそ の責任 の大 半 を おわ ねば な ら な い。 日本 海 軍 は商 船 隊
そ のと き ま でに 臨機 応 変 の処 置 も と らな か った 。 こ の点 に ついて は、
を適 当 に保護 でき な か っただ け でな く 、商 船保 護 能 力 に ついて の自
は 低下 し 、船 舶 の実 態 は特 に戦時 の船 に代 った 低 速 で耐 波 性 の劣 っ
戦 時中 の日 本商 船 に つい て、 海 外 から 貨物 輸 送 能 力 ト ン ・マイ ル
た 戦時 標 準 船 とな り 、現 存 す る 船 舶 の平 均能 力 は低 下 し た。
た日 本 海 軍 の方 針 の中 には っき り証 明さ れ て い る。
信 過剰 が 、 一九 四 二年 に造 船 能 力 の大 部分 を 海 軍艦 艇 の建 造 にあ て
特 殊 船 の要 求
を 見 積 る た めに 必要 な デ ー タは手 元 にな い。 し か し、 そ の能 力 の主
三
な要 素︱ ︱ 利 用 でき た全 体 のト ン数 ︱︱ に つい て の付 表 第 3 の分 析 は、 日本が 商 船 の運 航 を維 持 す る努 力 に おけ る 新 船達 造 の相 対的 な 重 要 性 を示 し て い る。
開 戦 と とも に、 日本 は石 油 輸送 要 求 の大き な 増 加 に直 面 した 。戦 争 の遂 行 は 国内 に お け る石 油 需要 量 の大 き な増 加 を も た らし たが 、
て のみ み たす ことが でき た 。 そ こ で、迫 加 の油 送 船建 造 の要求 が 大
そ れ は シ ンガポ ー ルお よび 蘭 印 か ら 日本 ま で長 い距 離 の輸 送 に よ っ
日本 の石油 事 情 にと って幸 運 だ った の は、油 送船 は最 良 の攻撃 目
要 約 すれ ば 、 上 記 の表 のよ う に なる 。
標 であ った のに、 連 合 国 の 日本 油送 船 に対 す る効 果 的 な攻 撃 の開 発
突 を船 の後部 にと り つけ るよ う 設計 さ れ て い たが 、 お そら く連 合 国
め て いる と考 え て いた。 日本 の戦時 標 準 型船 は貨 物船 も 油 送船 も 煙
が おく れ た こ と であ る 。 たし か に、 連 合 国 部隊 は日 本 の油 送 船 を沈
一九 四 一、 四二会 計 年 度 中 に 四〇 万 ト ン以上 の貨物 船 を 油送 船 に
き く な った 。
改 装 し 、戦 時 中 、 主と し て 一九 四三 、 四 四会 計年 度中 に約 一〇 〇 万
い たた め であ ろう 。
部 隊 は、 それ は油 送船 の特 徴 であ ると いう考 え 方 のた めに 誤解 して
日本 の鉄 道 で輸 送 す る貨物 の量 が 増 加 し た ので、 鉄 道 連絡 船 、 と
南 方 に 派遣 す る 冒険 を おか す に値 し な いと 考 え られ るま で 、新 し い
す た め 十分 の石 油 を輸 送 す る こと が でき な か った。 も はや 油 送船 を
効 果 的 な攻 撃 が おく れ た にも か かわ らず 、 日本 はそ の所 要 量 を みた
ト ン の油送 船 が 建 造 され た 。 し か し、 連 合 国 の日 本 油送 船 に対す る
曳 航 す る木 造 機帆 船 に対 す る要 求 が 生 じ た。 戦 前 に建 造 さ れ た性 能
点 に近づ い たと き 、大 量 の小型 船 、 と り わけ 自 力 で航 行 し、 ま たは
従 事 し て いた輸 送 の大 部 分 は 鉄道 に移 さ れ た。 鉄 道 の輸 送 力が 飽 和
海 外 の輸 送 用 に ふり向 け られ た。 そ の結 果、 そ れ ま で これ ら の船 が
れ た。 か つて 日本 の沿 岸 貿 易 に従 事 し て いた よ り大 型船 の大 部分 は、
(単 位 = 一〇 〇 〇 総 ト ン)
りわ け 北海 道 と 本州 を 結 ぶ青 函 連 絡 船 のサ ービ スの要 求 が ふえ た。
こ のサ ービ スは 北海 道 から食 糧 と 石炭 を本 州 に運 ぶ の に重要 な も の
で あ った ので 、 これ ら 施 設 に対 す る要 求 は戦 時 中 に絶 えず 増 大 し、
急 いで追 加 の連 絡 船 を 建 造 す る こと と な った。
日本 は平 時 で さえ 主 と し て五 〇 〇総 ト ン未 満 の小 型 船︱ ︱ 鉄船 と
木 造船 ︱︱ を い つも 使 用 し て いた 。 こう し た船 は、 す べ て の重 要な
沿 岸貿 易 、 特 に瀬 戸 内海 で広 く 使 用さ れ 、 日本 の大 き な漁 船 隊 の相
油 送 船 に対 す る 要求 を み たす 努 力 が つづ け ら れ た。 油 送 船建 造 が 中
のよ い 小型 船 の大 部分 は、 南方 と中 部 太 平洋 に おけ る作 戦 のた め陸
戦 争 にな ると 、 これ ら小 型 船 に対 す る新 し い要 求 が 急速 にあ らわ
当 な割 合 を 占 め て いた 。
止 さ れ た の は、 一九 四 五年 一月 であ った。 油 送船 の ト ン数 の増 減 を
可 能 性 の少 な い小 型 船 の利点 から 、 こ の種 の船 の需 要が 高 まり 、 そ
な わ れ る よう に な った と き、 分 散 し た攻 撃 目標 と な り機 雷 に触 れ る
海 軍 に徴 用 さ れ て いた。 日本 本 土 水域 の海 運 に対 す る航 空攻 撃が 行
た 艦船 建 造 と いう 大 き な牽 制 的 な影 響 の存在 を 、 同 じ期 間 に おけ る
四隻 の航 空 母艦 を 、 三菱 の横 浜造 船 所 は巡洋 艦 を建 造 し た。 こう し
崎 造船 所 は戦 艦 ﹁武蔵 ﹂ と 五隻 の航 空 撮 艦を 、 川崎 の神 戸造 船 所 は
民間 に発注 さ れ た大 艦 の建 造 は三 造 船 所 で行 な われ た 。 三菱 の長
か し、 これ ら造 船 所 の能 力 が 商 船建 造 能力 を補 う施 設 を 建設 しな い
ここ で は評 価 でき な いこれ ら 艦 船 の要 求 を考 慮 す る必 要が あ る。 し
こ れ ら三 大造 船 所 にも っぱ ら 大艦 を 建造 さ せ た賢 明 さ に ついて は、
と の比較 で示 せば 次 のと お り であ る。
他 のす べ て の民間 造 船所 の造 船 量 と、 これ ら 三造船 所 の商船 建 造 量
の建 造 要求 が 大 きく な った。 特 殊 の型 の小型 船 の必 要性 も 急 激 に増 加 し た。 軍 事 用 と大 東 亜 全 域 の港 湾作 業 を 処 理す る た め、 新 し い曳 船 が絶 え ず 必 要 であ った 。 戦 争 の後半 に食 糧 の輸 入 が 大き く 減 ったと き、 小 型 漁 船 を建 造 す る
牽 制 的 な艦 艇 建造 要 求
要 求が あ ら われ た。
四
一九 四二年 に大 量 の艦 艇が 民 間造 船 所 で建 造 さ れ た た めに 、戦 争 の初 期 に商 船建 造 が 制約 を受 け た こと に つい て は、 す で に述 べ て お いた 。民 間 造船 所 で、戦 前 の四 年 間 に戦 艦 ﹁武 蔵 ﹂、 航 空母艦 六隻 、 巡 洋 艦 三隻 が起 工さ れ た 。 これ ら 巡洋 艦 のう ち 二隻 は 一九 四〇年 に、 航 空 母艦 二隻 と巡 洋 艦 一隻 は戦 前 の 一九 四 一年 に、 ﹁ 武蔵﹂ と航空
は、 一九 四 二年 一〇 月 、 一九 四三 年 の 四月 と 七月 に、 そ れぞ れ 建 造
で艦 船 建 造 に流 用 さ れ た程 度 は 、海 軍 が みず から の拡 充 計 画 に余念
母 艦 二隻 は 一九 四 三年 に 、 それ ぞ れ完 成 した。 三隻 の大 型航 空 母艦
を はじ め た。最 初 の航 空 母艦 は 一九 四 四年 八月 に完 成 し たが 、 他 の
一九 四 二年 に大 艦建 造 工事 の大部 分 が終 わ り、民 間 造 船 所 で完 成
が な か った こと を明 ら か に し て いる。
さ れ た戦 闘 用艦 艇 の排 水 ト ン数 は、 一四九、 〇 〇 〇 ト ンか ら 一九 四
二隻 は戦 争 中 に完 成 し な か った。 さ ら に三 隻 の航 空 母 艦が 三菱 の長
め られ た。 民 間造 船 所 にお け る艦 艇建 造 の大 部分 は、 開 戦前 の数 年
開 始 す る こと に な って いた︱︱ さ れ たが 、 この 三隻 と も 建造 が 取 止
三会 計年 度 には 八 一、〇 〇 〇 ト ンに減 少 し た。 一九 四 三年 会 計年 度
崎 造 船 所 で建 造 を計 画 ︱︱ 最 初 のも の は 一九 四 三年 一〇 月 に建 造 を
か ら持 越 され た。 し かし 一九 四 三年 七月 ま で、 海 軍 は民 間造 船 所 に
に完 成 し た主 な艦 艇 は、沿 岸 防 備艦 艇
(二 二、 〇 〇〇 ト ン)、 駆 逐
対 す る 大艦 の発 注 をや めな か った。
に生 じ る。
商 船 の建 造 要 求 と同 じ 必 要性 、 つま り、 海 外 の輸 送 の要 求 か ら直接
商 船 の建造 と修 理 の間 の適 当 なバ ラ ン スと いうも の は、短 期 的 に
一九四 四年 にな る と 民間 造 船所 の駆 逐艦 の建 造 は いく ら か 減少 し た が 、 潜 水 艦 の建 造 は増 加 し た。 戦 闘 用艦 艇 のト ン数 が 大 き く 増 加
見 れば 、 そ の 場所 で新 船 を建 造 す る代 り に現 存 す る船 を 修 理 し て運
艦 (一九 、〇 〇 〇 ト ン)、 潜 水艦 (一七 、〇 〇 〇 ト ン) で あ っ た。
るも のであ り、 そ のう ち 八 二、 〇 〇 〇 ト ン は民間 造 船 所 で建 造 さ れ
(一九 四 四年 に は 一四 八、 〇 〇 〇 ト ン) した のは沿 岸 防備 艦 艇 に よ
き る よう にす る ほか、 廃 船 に な る のを 予防 し運 航能 率 を 維持 す る た
ころ、 努 力 の最 適 な バラ ン スは、 完 全 に 動け な く な った船 を 運 航 で
航 でき る よう にす る 比較 生 産 費 の 一つな の であ る。 し かし結 局 のと
日 本が 戦 時 中 に建 造 し た 一六九隻 の沿 岸 防備 艦 艇 のう ち、 そ の九
め 日常 の整 備 を す る こと によ って、 よ り 大き な努 力 を 修 理 に向 け る
た。
よう にな る。 整 備 は長 い航 海 の準 備 であ り、 これを 延期 でき る こと
日本商 船 の 一般 的状 況 を 示す デ ー タは 入手 で きな か ったが 、戦 争
一% にあ た る 一五 四隻 は民間 造 船 所 で建 造 さ れ た。 一四 の民 間 造船
中 にしば しば 修 理 を 必要 と し た にちが い な い。 し かし 、 日本 側 の資
所 が この計 画 に参 加 したが 、 民 間 の造 船 所 で完 成 さ れ た統 計 の八〇
建 造 す る か、 そ れ とも 、 これ を 犠牲 にし て現存 す る船舶 保 有 量 を維
料 によれ ば 、 戦 時中 の整 備 は い つも延 期 され た ので 、戦 局 の進 展と
は、 商 船 の寿 命 を 整備 に よ って のば し 、長 期 間 ま た は無期 限 に運 航
持 す る希 望 のも と に、 よ り多 く の海 防艦 な ど沿 岸 防 備艦 艇 を建 造 す
% は 、艦 艇 と 同時 にA 型 貨物 船 と TL型 油 送 船 を建 造 し た大 造船 所 に
る か であ った。 そ の選 択 の効 果 を評 価 す る にあ た って、 これ ら海 防
とも に商 船 の故 障 は ます ま す続 出 し て係 船 のや むな き に いた った。
でき るであ ろう こと を意 味 す る。
艦 な ど の た めに沈 没 を ま ぬ かれ た商 船 のト ン数 を 見 積 るだ け の資 料
る に つれ て、 舶 体 の構 造 上 の欠 陥 と エ ンジ ン の故障 の割合 が増 大し
戦 時 標準 船 の設 計 と建 造 が急 が れ た 結果 、 これ ら の船 の数 が 多 くな
よ る も の であ った。 そ の当 時 の選 択上 の問 題 は、 より多 く の商 船 を
が な い。 これ ら 海 防艦 は対潜 艦 艇 と し て の速力 が 小 さく (一六 ・五
た。 船 舶 に対 す る 全面 的 な 攻撃 の熾烈 化 に比 例 し て、戦 闘 に よ る損
な いし 一九 ノ ット)、 そ の耐 波 性 にも 限 度が あ った 。 一九 四 四 年 中 に、 数個 の民 間造 船 所 で建 造 す る 海 防艦 計 画 は削 減 ま た は中 止さ れ 、
害 の増 加が 予 想 で き た。 機雷 が 連 合 国 の 主な対 船 舶 攻撃 兵 器 と な っ
たと き、 商 舶 の修 理要 求 の激 増 が 避け られ な か った 。
そ の代 り に駆 逐 艦 を建 造 す る こと と な った。
〇 万 ト ンから 七 二〇 万 ト ンに増 加 し た。 民 間造 船 所 の報 告 に よ る 一
修 理 を 必要 と す る ト ン数 に っいて の海 軍 艦 政本 部 の見 積 り は、 四七
日本 は予 想 以 上 に多 く の船 の修 理を 必 要 と し た。 一九 四 三年 中 に
商 船 の修 理 に は新 船 の建 造 と 同 じ施 設 と技 能 を 必 要と す る の で、
九 四 三、 四四 会 計年 度 におけ る修 理 の見 積 り と実 際 を比 較す れ ば 、
商 船 修 理 の要 求
修 理 に対 す る要求 と 艦艇 の建 造 要求 は利 用 でき る能 力を 大 いに張 合
五
う も の であ る。 し かし、 商 船 の修 理要 求 は艦 艇 の建 造と は異 な り、
次 の表 のと お り であ る 。
一九〃
一六〃
二七〃
一三〃
一九 四 四 ・三 ・三 一
五 八〃
一九 四 二 ・三 ・ 三一
一九 四五 ・三 ・三 一
一九 四 三 ・三 ・三 一
一九 四五 ・八 ・ 一五
日 本が 船 舶 の修 理 を 重視 し なか った傾 向 のた めに 、従 来 は船 舶 の
( 種類第三) 、 函館ド ッ
クと 日立 の向 島 造 船 所 (と も に種 類第 四)、 日 本鋼 管 の浅 野 およ び
た。 これ ら造 船 所 に は、 日 立 の因 島 造船 所
修 理 を 専門 にし て い た造 船 所 でも 新 船 の建 造 を計 画 す る よう に な っ
海 軍 の 一九 四 三年 の見積 り の約 四分 の 一は戦 闘 によ る損 害 と して
さ も 造船 量 も 比較 的 に小 さ か った 。 一九 四 三年 に行 な われ た船 の修
じ め新 し い施 設を 建 設す る必 要が あ り、 し かも 建 造 され た船 の大 き
理 作 業 に ついて見 れ ば 、 これ ら造 船 所が 修 理 し たも のは海 軍 の計 画
笠 戸 造 船 所 (とも に種類 第 五 )が 含 ま れ る。 多 く の場合 、船 台 を は
いた 。 こ の こと は、 戦 争 の半 ば の時 期 に お いて さえ 、 緊急 に修 理 を
で 割 当 てら れ た 二〇 〇 万 ト ンよ りも 四〇 万 ト ン少 な か った。 一方 、
予 想 し たも のであ った のに対 して、 実 際 の経 験 から 修 理 を必 要 と し
必要 とす る要 求が 、 最 初 の予想 を はる か に上 回 った こと を示 して い
た民 間管 理 船 のト ン数 の約 五分 の 一の みが 戦 闘 に よる 損害 と さ れ て
る。
種 類 第 一と 第 二 の六造 船 所 のう ち五 つは、 海軍 が これ ら造 船 所 に割
に つづ いて、 新 船 の建 造 量 を いく ら か増 加 す る た め、専 門 化 さ れ た
当 てた 一八〇 万 ト ンより 一 二 〇 万 ト ン多 い修 理 を要 求 さ れ た。 これ
修 理 のた め の係船 量が 保 有 ト ン数 に占 め る比 率 の異 進 的 な増 加 は、 戦争 の初期 に おけ る整 備 を 延 期 し た方 針 に よ る影 響、 商 船 の質 の低
大 量 の商 船修 理 作 業 のた め に建 造 計 画 を実 行 す る最 良 の造船 所 の努
商 船 修 理能 力 の 一部 を少 しず つ無 駄 使 い し、 そ し てせ っぱ つま る や、
下、 特 に戦争 末 期 に お け る戦 闘 に よ る損害 と全 般 的 な戦 意 の低下 を 、 しば しば 示唆 し た のであ った 。付 表 第 3に 示 した 時期 に おけ る船 舶
計 画 と生 産
一 計 画 量 と実 際 完成 量 の関係
第 五章
力 を修 理 に向け ね ば な ら な か った。
保有 ト ン数 に対 す る 係 船 ト ン数 の割 合 は、 次 に述 べ る と おり であ る 。 次 の表 の 一九 四 五年 の二 つの時 期 に 一八四 、〇 〇 〇 ト ンに達 し た南 方 と の運 航が でき な く な った商 船 は、 こ の両 時期 の船 舶保 有 量 から
一二%
控 除 さ れ てお り 、 こ の比 較前 の係 船 ト ン数 はそ の時 期 に つい て計算
一九 四 一 ・一 二・七
し てあ る。
期 間 を 三時 期 に分 け る ことが でき る。第 一の開戦 時 から 一九 四三 年
新 造 船 ト ン数 の計 画量 と 実際 の完 成 量 に関 す る限 り、 戦時 中 の全
月 の計 画 を含 む こ れら 計 画 の全 部 は、 お そら く計 画 が 割当 てた 量 は
一九 四 四年 に おけ る実 際 の生産 と比 較す れば わ か る。 一九四 四年 四
第 三 の原 因 は、 す べ て の日本 工 業 の全 般 的 な衰 退 と戦 意 の低 下 に
ク時 の生 産 でさ え計 画 量 を か な り下 回 った。
よ っても た ら され た 一九 四 五年 におけ る生 産 の大 き な低 下 であ る。
造 船 所 の能 力 以 内 であ った。 し かし 、後 述 す る 理由 のた め に、ピ ー
の 一九 四 三年 一 二 月 から 一九 四 五年 二 月ま で の将 来 計 画 は、 造 船 工
一 二 月 ま で の将 来 計画 は、時 期 が 到 来 し たと き 必要 であ り実 際 に可
業が それ ま で に達 成 し た最 大年 間 平均 の生 産 率 よ りも 、 い つも 大 き
こ の低下 が 予想 より も は る か に大 き か った こ と は、 一九 四 五年 四 月
能 で あ ると 考 え ら れ た生 産 よ りも 、 い つも 低 い割 合 であ った。 第 二
か った。 第 三 の 一九 四 五年 に おけ る諸 計 画 は 大き く か つ累 進 的 に 削
の生産 計 画 と 一九 四 五年 の実 際 完 成量 の比 較 に示 され て いる。
各 種 計 画 で 予定 さ れ た各 会 計 年度 の毎 月平 均 完 成 率 と、 そ の期 間
のが あ る。 こ の計 画 に は、 一九 四 五会 計年 度 の最 初 の九 ヵ月 だ けが
の努 力 が あ らわ れ て い る 一九 四 五年 四 月 の計 画 は、 特 に興味 深 いも
造 船 計 画 を低 下 す る 日本 造 船 工業 のペ ー スに調 整す る 計 画立 案 者
減さ れ たが 、 実際 の生 産 は戦 前 の生産 を 思 い出 さ せ る 水準 にま で、
に実 際 に完 成 され た 毎 月平 均 率 と の比 較 は、 付 図 第 6 に示 す と お り
一部 は四 ヵ年 が含 ま れ て いた。 ま た、 こ の計 画 は ほ か の計 画 と 異 な
含 まれ て い る。 そ れ ま で の計 画 に は、少 なく と も将 来 の 一年 間 を、
ひ じ ょう に大 き く 低下 さ え し た。
であ る 。 各船 種 の計 画生 産 量 と 実際 完 成 量 を比 較す る た め、 油送 船
の最 初 の九 ヵ月 の大部 分 の期間 にお け る計 画 の継 続 を意 味 し た。 こ
られ た。 六六 万 六千 ト ン の "二次 的 " な目 標 は、 一九 四 五会 計年 度
り、 二 つの目 標 を た てた 。 五六 万 ト ンの "主 な" 目 標 は、 六 ヵ月 間
と そ の他 の商 船 に区分 して あ る。 油 送 船以 外 の商船 に は、 比較 的 に
日 本 の計 画 が 実 現 でき な か った第 一の原 因 は、商 船 建 造要 求 の最
の目 標 は、 材 料が 利 用 でき た なち ば 、達 成 でき る はず であ った。 一
に ほぼ 達 成 でき る と計 画 さ れ、 そ の達 成 は絶 対 に必 要 であ ると考 え
終 の量 に関 す る認 識が おく れ た こと であ る。 こう し た認 識 のおく れ
九 四 五年 四月 一月 か ら同 年 八且 一五 日 に い たる実 際 の毎 月 平均 生 産
小 量 な客 船 、 連 絡 船 、 そ の他 の特 殊 船が 含 ま れ て い るが 、 そ の大 部
は、 一九 四 二年 におけ る実際 の生 産 と 比較 す る こと に よ って、 ま た、
分 は鉱 石 運搬 船 を 含 む 乾貨 物 船 であ る。
最 初 の二 ヵ年 間 に行 な われ た 一九 四 二年 と 一九 四 三年 の計画 を、 一
油 送船 の完 成 は、 そ れ 以外 の商 船 よ りも 計 画 に近 か ったよう に思
の期 間 の実 際 完 成 量 は計 画 量 の半 分 以下 であ る こと が わ かる。
わ れ る。 そ こに は、 一九 四 二年 一二 月 から 一九 四 五年 一月 ま で油 送
割 合 を、 四月 の計画 で予 定 され た同 じ期 間 の割合 と比較 す れば 、 そ
第 二 の原 因 は、緊 急 の必要 性 によ って作 成 さ れ た計 画 を 日本 の造
一九 四 五年 の計 画 と比 較 す る こと によ って、 知 る こと が でき る。
船 工業 が 達 成 で き な か った こ と であ る。 そ の状 況 は、 一九 四 三年 の
船 に割当 てら れ た高 い優 先順 位 が あ らわ れ てい る。 こ の優 先順 位 は、
九 四 三年 と 一九 四 四年 にお け る実 際 の計 画 、 そ の後 の 一九 四 四年 と
後 半 と 一九 四 四年 中 に作 成 され た 一九 四四年 と 一九 四 五年 の計 画 を、
付図第 6 会計年度別油送船その他の商船完成 の計画 と実際の毎月平均割合
お くれ はじ めた とき 、 以前 に計 画 され た 貨物 船 の生 産 を油 送 船 と し
油 送船 建 造 を最 も 信 頼 でき る と 考 えら れ た造 船 所 に割 当 て、 生産 が
とT L型 の大 き な増 加 によ って補 な われ た。最 大 の増加 は、急 速 な 造
こう した 計 画 の縮 小 は、 E型 の大き な拡 充 とTE 型 の出 現 お よび D 型
び F型 貨 物 船、 K 型 鉱 石運 搬 船、 TS 型 油 送船 は計 画か ら はず さ れ た。
は、 生 産 が 拡 大 し つつあ ったそ の期間 中 、 主と し てA 型 と TL型 およ
一九 四三 年 三月 から 一九 四四 年 四月 ま で の諸 計 画 に見 ら れ た変 更
を し め たA 型 で あ った。
船 が 緊 急 に必要 であ る と いう 理 由 から 、 全 体 の増 加 の殆 ん ど大 部 分
て完 成す る よう 計画 を 変更 し て実 行 に移 さ れ た。 南 方 と の運 航 を つづ け る こと が でき な く な った ので 、 一九 四 五年
に発 表 され た 一九 四五 年計 画 にあ ら われ て お り、 一九 四 五年 には、
一月 に油 送 船 建造 を 中 止 し た決 定 の影 響 は、 一九 四 五 年 二月 と 四 月
油 送 船が 一隻 も完 成 さ れな か った 事実 によ って完 全 に確認 さ れ て い
び E型 の順 序 で増 産 が ひ き つづ き 期待 さ れ た こと を示 し て いる。 一
九 四 四年 四 月、 E型 を 建 造中 の新 造船 所 と A型 と TL型 を 建 造中 の大
る。
の新 し い造 船 所︱ ︱ 三 菱 の広 島 造 船所 と 日立 の神 奈 川造 船 所︱︱ を
造船 所 に対 し て、 最 大 能 力 で操 業 し つ つあ ったA 型を 建 造 す る 二 つ
含 むす べ て の造 船 所 と 協 力 し て のみ 可能 な 空前 の生産 速 度 で造 船 す
標 準船 の計 画 量 と実 際 完 成 量
一九 四 四会 計 年度 に おけ る各 種 の計画 と 実際 の生 産 に見 られ た 各
二
船 種 の相対 的 重 要性 の比蛟 は、 各 船 種 の重 要 性 の推 移 を要 約 す る と
る よ う要 求 し た。
達 成 され な か った こと を 認 め て いる。 各 船 種 の建 造 量 は いく ら か削
一九 四四 年 八 月 の計 画 は、 従 前 の計 画 で予定 さ れ た大 き な期 待 が
とも に、限 られ た程 度 では あ るが 、 計 画を み た し た点 で 各船 種 の相
九 四四 年 の計 画 は、 そ れ には含 まれ な か った が、 そ の計 画が 作 成 さ
減 さ れ たが 、 削 減 され たも の の六 一% はA 型船 であ る。 ひき つづ く
対 的 な 実績 も あ ら わ して いる。 一九 四 四会 計 年度 前 に作 成 され た 一
れ た当 時 に建 造 中 であ った非 標 準 船 以外 の各 船種 の相 対 的 な重 要 性
に計 画さ れ たA型 船 の 二八% が 油 送船 と して建 造 さ れ る こと にな っ
た こと から 見 て も 明ら かで あ る。 これと 同 様 に、 E型 船 の建造 は 一
油 送 船要 求 の緊急 性 は、 A型 船 の大き な削 減 にも か かわ らず 、 八月
八 % 縮小 し たが 、 TE型 油 送 船 の建 造 量 は増 大 し て いる。
を示 し て いる。 一九 四四年 中 に戦 時 生産 のピ ークが 過 ぎ た ので、 実
った船 種 を あ らわ し て いる 。 一九 四四 会計 年 度 の各 標 準 船 に つ いて
際 の生 産 とピ ーク 水準 の請 計 画ま の比較 は、 希望 と失 望が 最 大 で あ
計画 さ れ た年 間 ト ン数 と 、 同 じ会 計 年度 に実 際 に完 成 さ れ た各 船 種
こ の図 に 示す 造船 の推 移 に は、 計 画 に おけ る 三 つの主 な変 更 が含
の期 間を 省 略 し な けれ ば な らな い。 八月 の計 画 で予 定 され た年 間生
が って、 建 造 計 画 に よ って 完成 した 各船 種 を 比較 す る場 合 に は、 そ
年 度 の第 四 ・四 半期 に おけ る油 送 船完 成 量 は 大き く減 少 した 。 し た
一九 四 五年 一月 に油 送 船建 造 計 画 を取 止 め た結 果、 一九 四 四会 計
まれ て いる。 一九 四 二年 と 一九 四三 年 の計 画 を対 比 す れば 、 標 準 船
の ト ン数 は 、付 図 第 7 に示 す と お り であ る。
設計 の第 一の計 画 か ら第 二 の計画 への変更 が 見 ら れ る。 B 、C およ
二 月 三 一日) に達 成 され た割 合 は次 の表 のと お りであ り、 そ の期 間
産 の 四分 の三が 一九 四 四会 計 年度 の第 三 ・四半 期 末 (一九 四 四年 一
要 因 に よる の であ った。
送 船 と A型 貨 物 船 の完 成 量 に見 ら れ た明 ら か な対 照 は、 次 の二 つの
月 の計 画 の決 定 か ら明 ら かに知 る ことが でき る。 こ のよう に TL型 油
長 崎 と横 浜 、 川 崎 の神 戸 、播 磨 の相 生︱ ︱に 割当 て ら れ た。 これ ら
大 型 油送 船 の建 造 は、 設備 の最 も よ い民 間 の四造 船 所︱ ︱ 三菱 の
に完 成 さ れ た 二万 ト ン以 上 の船種 が 含 ま れ て い る。
六七
の造 船 所 は、 同 時 に艦 艇 と そ の他 の商 船 の建 造 にも 忙 し か った。 戦
割 合 (% )
TL 五八
時 中 に A型 貨 物 船 の七 二% を建 造 し た 三大 造 船所 ︱ ︱川南 の香焼 島 、
油 送 船 の種 類
九三 TA 九 一T 九九
割 合 (% )
A 八二 TM E
貨 物 船 の種 類
D 九二
前 述 し た対 照 を も たら し た他 の要 因 は、完 成割 合 の相 違 に対 し て
の で、建 造 計 画 を よ り よく達 成す る ことが で き た。
三井 の玉 野、 三 菱 の神 戸 ︱ ︱は、 主 と し てA 型船 の建 造 に専 念 した
E
貨 物 船 の中 でD 型 の完 成 割 合が 最 小 で あ っ た の は、 種 類 ﹁小 の
おけ る 油送 船 に対 す る要 求 は従 来 よ りも 大 き か った ので、 計 画 され
実 際 より も大 き な影響 をあ た え て いる よう に思 われ る 。 こ の期 間 に
大 ﹂の相 当 数 の造 船 所 で完 成 さ れ たD 型 が 少 な か った から であ る。 一五 の造 船 所が D 型 を建 造 したが 、 戦 争 の全期 間 中 に 一五 隻以 上 を
は、 次 の表 に示 す TL型 油 送 船 とA 型 貨物 船 に関す る 計 画 で予定 した
とき の程 度 は大 型 貨物 船 より も は るか に小 さ か った。 こうし た 状況
た大 型 油 送船 の建 造 はき わ め て容 易 には かど り 、計 画が 縮 小 さ れ た
完 成 した 造 船 所 は な か った 。 TE型 の全 部 を建 造 し た播 磨 の松 浦 造 船 所 は、 計 画 を実 行 す る点 で E型 貨 物 船 を建 造 し た三造 船 所 よ りも よ い成積 をあげ ただ け で なく 、
換 言 す れば 、 A 型貨 物 船 の建 造 計 画 は 一九 四 三年 一 二 月 から 一九
ト ン数 の関係 に よ って 知 る ことが でき る。
四 四年 四月 ま で の間 に 四分 の 一だ け増 加 した のに対 し て大 型 油送 船
一九 四四 会 計年 度 中 にこ の三 造船 所 が そ れぞ れ 一 一一隻 、 八二隻 お
の建 造 は松 浦 造 船 所 に割 当 てら れ た。 同 様 に、 D 型 貨物 船 と殆 ん ど
よ び 七 一隻 を建 造 した の に対 し て 一 一六隻 を完 成 し た。 E 型油 送 船
同 じ大 き さ のT M型 油 送船 の建 造 は、 そ の大部 分 が 大造 船 所 だけ に割
の計 画 量 は 二倍 と な り、 大 型貨 物 船 の計 画 量 は 一九 四 四年 四 月 から
た にす ぎ な い。 一九 四三 年 一 二 月 か ら 一九 四 四年 八 月 ま での全 体 の
同 年 八月 ま で の間 に半 減 し たが TL型 油 送 船 の計 画 量 は 一〇%減 少し
当 てら れ た︱ ︱ した が って優 秀 な成 績 を あげ た。 A 型 貨物 船 の建 造実 績 が 計 画 の九 三% であ った のに対 し て、 TL 型
正 味 の変 化 に つ いて見 れ ば、 A 型 貨物 船 は三分 の 一以 上 減 少 し たが 、
油送 船 の建 造 が 八 月 に計 画 さ れた 量 の三分 の 二以 内 の完 成 にと ど ま った ので、 こ の時期 に おけ る 日本 の油送 船 は絶 望 的 な状 況 にあ った。
TL 型油 送 船 は 四分 の三 以 上 の増 加 と な った。
TA 型油 送 船 の計 画建 造 量が 達 成 さ れ な か った のは、 そ の ころ行 な
日本 が こう し た絶 望 的 な 状況 にあ る こと を 意 識 し た こと は、 計 画 さ れて いたA 型 貨物 船 の多 数 を油 送船 とし て完 成す るよ う指 示 し た 八
付図第7 1944会計年度の標準船年間生産 の計画 と実際
一九 四五 年 四 月ま で に、小 型 木 造船 に対 す る要 求 は、 でき れば 、
では、 と りわ け エンジ ンを取 付 け な い木 造 船 は、 一九 四四年 の改 定
さ ら に緊 急 な も の にさ え な った。 そ こ で、 一九 四五年 の最 初 の計 画
従来 よ りも 速 か であ った の で、 実際 の完 成 量 は ト ン数 の点 でも 改 定
要 が お こり 、 こ んど は計 量 の半 分 に減 ら さ れ た。建 造 速 度 の低 下 が
の前年 (一九 四 四年 ) に見 られ たよう に、 最 初 の計 画 を改定 す る必
建 造割 合 を いく ら か上 回 る量 を 建造 す る こと とな った。 し か し、 そ
わ れ て い た当 座 し のぎ の計 画 の変更 に よ るも のと思 わ れ る。 こ の計
計 画 と対 比 し ても 、 一九 四 五年 は 一九 四四年 よ りも 減少 し た。
の エ ンジ ンを装 備 した 貨物 船 と 油 送船 およ び漁 船 の各種 のも のが 含
計 画 量と 実 際 の完 成 量 を 示す 。 エンジ ン付 き木 造 船 には、 あ る程 度
付表 第 4は、 二種 類 の木 造 船 と木 造 船 全体 に つい て、 年 間 の建 造
た のは 二造 船 所 にすぎ な か った。
木 造 船 の計 画 量 と実 際 完 成 量
画 によ る建 造 を割 当 てら れ た五 つの造 船 所 のう ち、 これ を達 成 でき
三
の目的 の船 な ど であ る 。 次 の表 に示す 実 際完 成 量 の計 画 量 に対 す る
ま れ て い る。 エンジ ン のな い船 は、帆 船 、 バ ルジ、 ライ ター、 特 殊
戦争 中 の全 期間 を 通 じ て、 木 造船 の建 造 は鉄 船 の建 造 よ りも、 計 画 量 を達 成 し な か った程 度が はる か に大 き か った。 運 輸 通信 省 は 一
付 表 第 4が 示す よう に、 二 つ の要 因 のた め に、 エンジ ン付 き 木 造
割 合 は、 こ の建 造計 画 が 直面 し た困難 の程 度 も あら わ して いる。
年 に 一度 、 木 造船 計 画 を作 成 し た。 一九 四 二年 九 月 に発表 さ れ た 一 九 四 三年 三 月 ま で の最 初 の計 画 は、 相 当 な 建 造 量 の割 合 を要 求 し た
船 の方 が エンジ ンのな い木 造 船 よ りも 建 造 量が 大 き か った 。
そ の第 一の要 因 は、 エンジ ン付 き船 の建 造要 求 の方 が 大 き か った
合 は 一九 四 二年 に大 き く促 進 さ れ たが 、 実 際 の建 造 は依然 と し てき
が 、 実 際 に完 成さ れ たト ン数 は僅 か であ った。 計 画 さ れ た建 造 の割
わ め て低 い速 度 で行 な わ れ た。 こ う し て、 一九 四 三年 会計 年 度 の最
ので、 エンジ ンのな い船 よ りも 高 い優 先 順位 が あ た えら れ た こと で
困難 であ った の で、 そ の建 造 が よ り よき 造船 所 に割 当 てら れ、 材 料
あ る。 こう し た 順位 のた め と、 エンジ ン付 き 船 の方 が 大 型 で建 造 が
な った ので、 計 画 さ れ た木 造 船 の建 造 の割 合 は再 び 増 大 され、 実 際
と 労働 力 の点 でも 優 先 的 に考 慮 さ れ、 計 画 の実 施 に つい て の監督 が
一九 四四年 ま で にす べ て の種 類 の船 の必 要性 が ひじ ょう に大 きく
の建 造 速 度 を促 進 す る方 策 が と られ た。 し か し、 時 日 の経 過 と とも
後 の月 ま で に、 一九 四 二年 に計画 さ れ た 割 合が 達 成 され な か った。
に実 際 の建 造 速 度 が 遅れ た ので、 建 造 の割 合を 約 四 分 の 一減 ら す計
第 二 の要 因 は、 そ れ ま で エンジ ン付 き 船 よ りも 実 績が 悪 か った にも
エンジ ン の有 無 に よ って木 造 船 の建 造 に明 ら かな 相違 が見 られ た
厳 重 であ った 。
達 し た。
画 に変 更 さ れ た。 そ の年 の実 際完 成 量 は、 改 定 計 画 量 の約 六〇 % に
付表第 4 木造船 の建造計画量と実際完成量の戦時中の会計年度別平均月産ト ン数
上 を 一九 四五 年 の最 初 の計 画 で予 定 し た割 合 の場 合 に は、 と りわ け
あ った こと であ る。 こ の こと は、 一九 四 四年 の最 初 の割 合 の 二倍 以
維 持 す る だけ でな く 、建 造 量 を増 加 さ え し よう と す る大 き な傾 向 が
か かわ らず 、 一九 四 四年 と 四五年 に エンジ ン のな い船 の建 造 計画 を
き 漁船 の 六四 五 ト ン は、 ほぼ 平 均 に五 五 ト ン型 と 一九 ト ン型 に配 分
行 な われ た。 一九 四四 年後 半 と 一九 四 五年 に建 造 さ れ た エンジ ン付
船 と油 送 船 に対 す る配 分 は、 一九 四 三、 四 四、 四五年 に 一般 に広 く
一五 〇 ト ン、 一〇〇 ト ン船 の三 つの型 に分 け ら れた 。 こう し た貨 物
であ った。 木 造 油 送船 の二 万 三千 ト ンは、 ほぼ 平均 に二五 〇 ト ン、
一九 四五 年 の建 造 を促 進 し た エンジ ン のな い船 の生 産 計 画 は、 一
商 船 建造 に対 す る 月 間経 済 投入 量
の造 船 努力 の変 化 に ただ ち にあ らわ れ、 船 の完 成 のみ を基 礎 と し た
変 化 にた だち にあ らわ れ た。 毎 月 の投 入 量 は、 全体 の種 別 と 各 種別
て分 類 し た 一九 四 五年 の価 格 で あら わ さ れ た毎 月 の円価 値 の投 入 の
新 船 の建造 要 求 に対 す る造 船 工業 の反 応 は、 船 の主 な 種類 によ っ
四
計 画 か ら おく れ た。
さ れ た。 エンジ ン付 き 船 のす べ ての種 類 のうち 、漁 船 の建造 が 最 も
そ う であ った。
九 四 五年 の建 造割 合 が 一九 四 四年 の割 合 の七 六% に減 少 し た の に対 し て、 エンジ ン付 き 船 は 同 じ期 間 に 四 二% に減 少 し た こ と から 見 ら れ る よう に、 建 造 に対 し て若 干 の効 果 が あ った 。 そ れ にも か かわ ら ず 、 エンジ ン対 き 船 の生 産 にあ た えら れ て い た基 本 的 な便 宜 が 一九 四 五年 ま で持 ち越 さ れ た の で、 エンジ ン付 き 船 の実際 完 成 量 は エン ジ ン のな い船 の建造 にく ら べ て、 計 画 量 は少 な か った (最 初 の計 画 は 約 三分 の 二、改 定 計 画 は約 四分 の三) が 、 二倍 以上 に達 し た。
分 野 であ った。 焼夷 弾 攻撃 によ る港 内 ラ イ タ ー の大 き な損 失 のた め、
た エンジ ンの な い船 の計画 ト ン数 の大 き な削 減 は、 航洋 ライ タ ー の
建 造 す る た め であ った。 実 際 には、 一九 四 五年 の改 定 計 画 に示 され
画 の 一部 と し て、 一九 四 五年 中 に二 二万 五 千 ト ン の航 洋 ラ イ ター を
は、 青 森 と 函館 の間 と 瀬 戸内 海 で 使 用す る 曳航 バ ルジ を 増 加す る 計
定 の価 格基 準 と し て の円 価 値 は 、生 産 量 の唯 一つの満 足 な公 分 母 と
し い ことが わ かる 。戦 争 努 力 のほ か の分 野と 比 較す る 場 合 に は、 特
を生 産 す る た め の経済 上 の必 要 条 件 の差 異 を説 明 す るウ ェイ ト に等
し て反 映 によ って、使 用 され た 円価 値 は、各 種 の船 の各 々の総 ト ン
造船 全 体 に向 け られ た 経済 的 努 力 の割 合 に間接 的 に反 映 す る。 こう
基 準 であ らわ さ れ た円 価値 を使 用 す る こと によ って、 船 の各 種類 と
分 析 に含 まれ た建 造 期 間 のおく れ を 無意 味 なも の にす る。単 一価 格
一九 四 五年 の改 定計 画 で は、 こ の種 ライ タ ー の計 画建 造 割 合 は実 際
一九 四五 年 の エ ンジ ン のな い木 造 船建 造 計 画量 が 増 加 し た大 部 分
に変 更 され な か った 。
終 戦 時 に建 造 さ れ、 ま た は建 造 中 であ った各船 の総 ト ン数 は、 船 が
毎 月 の経 済 投 入量 の計 算 は、 新 船 の建 造 総 ト ン数 か ら求 め ら れ る。
な る。
のう ち、 三〇 万 四千 ト ンは各 種 の標準 貨 物 船 型 であ った 。 そ の約 三
建 造 中 であ った期 間 ︱︱ 起 工と 引 渡 し の月 を含 む ︱︱ に平 均 し て配
全体 の戦 時 計 画 で建 造 さ れ た エンジ ン付 き 木造 船 三 二万 八千 ト ン
分 の 一は二 五〇 ト ン型 、 三分 の 一は 一 一〇 ト ン型 、 残 り は 四 つの型
付 図第 8 主 要 船 種 の商 船建 造 に 対す る月 間 円価 値 投 入 1945年 の価 格 であ らわす,1941年 4月―1945年 8月
済 投入 量 をあ らわ す 。
てす べ て の船 に対 す る成 行投 入価 値 の合計 が 、商 船 建 造 の毎 月 の経
た り単価 の総 計 を 合計 したも のであ る。 各 種 類 の船 の型 と 全体 と し
でき る船 種 と 、適 用 さ れ た各 船 種 の 一九 四五年 の価 格 によ る ト ンあ
で の各 月 に割 当 て られ た ト ン数 は、標 準 船 、 ま た は非 標 準船 の比 較
分 さ れ た。 こ の方 法 によ って 一九 四 一年 四 月 か ら 一九 四 五年 八月 ま
年 の五 月 から 七 月 ま でひ き つづ き 低 下 し た。 四月 か ら 七月 ま で見 ら
三 隻 のう ち 一 一隻 が 完 成 し た︱︱ ので、 貨 物船 建 造努 力 は 一九 四 四
づ け た。 油 送 船建 造 にま す ます 努 力が 向 け ら れ た︱ ︱ 起 工さ れ た 一
年 度 末後 の四 月 に見 ら れ る後 退 を 十分 に埋 合 わ せる 程度 に増 加 し つ
わ れ た。 そ の会計 年 度 がす ぎ たと き、 油 送 船建 造 の努 力 は、 い つも
ボ ー ナスが 支 給 され た ので、 年 度 末特 有 の大き な 努 力と な ってあ ら
に変 更 し た こと か ら生 じ た作 業 の中 断 と遅 れ に よる も の であ ったと
思 わ れ る。 油 送 船建 造 努 力 は、 七 月 にピ ー クに達 し た のち 、 それ か
れ た 鉄 船 の建 造努 力 が 低 下 し た のは、 造 船 計 画を 貨物 船 から油 送 船
ら 一〇 月 ま で の三 ヵ月 間 し だ い に低 下 し た。 一方 、 貨物 船 の建造 努
貨 物 船 と鉱 石 運搬 船 、 油送 船 、 特 殊船 と雑 船 、 お よび 木造 船 に対
計 は、 付 図第 8 に示 され て いる。 各 種 の商 船 の建造 に対 す る投 入量
力 は大 き く 回復 し た ので 、 八 月と 一〇 月 に おけ る鉄 船全 体 の建造 努
す る毎 月 の経 済 投 入量 の ほか に新 造 船 に対 す る 毎月 経 済 投 入 量 の合
の円 価 値 と商 船 の修 理と 改 装 を裏 書 き す るデ ー タと、 これ ら を基 礎
き 、 あ た か も強 制 徴 募努 力 によ る か のよ う に、木 造 船 の建 造 努 力 は
鉄 船 の建 造 努力 が 一九 四 四 年夏 から秋 に かけ て維 持 され て いた と
力 は、 一九 四 四年 一月 を 除 いて、 そ れ ま で のど の月 よ りも 上 回 った。
と す る指 数 は付 録 第 5 に述 べ て あ る。 戦 争 の最 初 の 一 二ヵ月 間 の新造 船 に対 す る努 力 の程 度 は、 開戦 直
努 力 の大 き な増 加 は、 付 図 第 8 で は特 殊 船 の種 類 に含 まれ て いる客
前 の 八 ヵ月 間 の努 力 を 大き く 上 回 らな か った。 油 送船 建 造 に対 す る
一九 四 四 年 一月 から増 大 し、 同年 五月 に は従 来 のピ ー クを少 し 上 回
全 体 の努 力 の程 度 は 最 初 の 六倍 と な った 。増 加 の割合 は特 に油送 船
ま で、 戦 時 中 の全 期 間 に達 成 し た最 大 の割合 で 操業 した と言 え る だ
全 体 と し て見 れ ば、 日本 の造船 工業 は、 一九 四四 年 一月 から 五月
か った。
ったが 、 そ の後 は急 速 に低 下 し、 と りわ け 七月 と 八月 の低下 は大き
船 建造 の減少 に よ って 相 殺 され た。 一九 四 二年 一 一月 に な って、 造船 努 力 の増 大 が 初 め て本 気 で はじ
と 木造 船 の建 造 部 門 で ひ じ ょう に大き か った の で、 一九 四 二会 計年
ろう 。 鉄 船 を建 造 し た造 船 工 業部 門 は、建 造 す る船 種 の変 更 によ る
め られ た。 一九 四二年 一〇 月 か ら 一九 四 四年 一月 ま で の 一五 ヵ月間 、
度 末 に 日本政 府 の管 理 し た生 産 の大 部 分 の特 徴 であ ったピ ー ク ・後
損 失 の ほか 、 一九 四 四年 一〇 月 い っぱ い、努 力 の最 高 水準 を維 持 し
加 し たが 、 一九 四四 年 一 一月 か ら 一〇 ヵ月 のう ち に、 そ の努力 は 一
全体 の造 船 努力 は、 わず か 一五 ヵ月 の間 に最 初 の努 力 の六倍 に増
た。
退 型が 、 殆 ん ど完 全 に影 を ひそ めた 。 一九 四四 年 一月 に見 ら れ た造 船努 力 の 一億 六 二〇 〇 万円 と いう空 前 のピ ー クは、 も と も と 貨物 船 建造 努 力 の空前 のピ ー クに よ るも の で あ り、 そ れ は順 次 に、 そ の会 計年 度 に定 め られ た 割 当額 に応 じ て
った。 三 月 から 終 戦時 ま で の努力 は 、貨 物 船 以外 の部 門 で は普 通 よ
貨 物 船 の建 造 が 初 め て大 き く削 減 さ れ た 一九 四 五年 二月 と 三月 で あ
し てし ま った。 最 大 の低 下 は、 油 送 船建 造 が 実質 的 に取 止 めら れ 、
九 四 四年 一〇 月 の努 力 の程 度 の 一一分 の 一な いし 一 二 分 の 一に低 下
し たが って、 米 国 の生産 割 合 の観点 から 日本 の造船 所 が 生産 し たか
国 の造 船 所 よ り は能 力 よ り かな り低 い割 合 で生 産 を つづ け るだ ろ う。
造 量が 減 少 す る だろ う が、 こ の日本 造 船 所 に 匹敵 す る資 本投 資 の米
間 に人 的 資 源 と材 料 が ひ き つづ き供 給 さ れ た場 合 でも 実 質的 に は建
た とえ 他 の隘路 を 取 り除 く ことが でき たと し ても達 成 できな か った
も しれ な いこ と を見 積 る の は無 益 であ ると思 う 。 こう した割 合 は、
から 見 れば 、 大 き な努 力 を つづ け る 限度 は せ いぜ い 二 ヵ月 であ った
り少 し 上 回 った 。 し かし 、 こう し た 部門 でさ え、 努 力 の低下 の割 合
よう に思 わ れ る。
船 所 の設 計、 広 汎 な船 の セ ク シ ョン の製 造と 組 立 にと って 不適 当な
第 三 章 で述 べ た これ ら技 術 上 の隘 路 は、雑 然 と し た非 体系 的 な造
と考 え ら れ る。
一九 四 五年 以 降 は貨 物 船 と して完 成す る よ う計 画 が 変更 され た。 こ
一九 四 四年 一一月 と 一 二 月 に油 送船 と し て建 造 を はじ め た船 は、
の こと は、 油 送船 建 造 を中 止 す る決 定 は 一九 四 五年 一月 ま で遅 れ た
とな ど の欠陥 によ る の であ った。 こ う し た制約 は、 造船 所 管 理者 と
貧 弱 な装 置 、 プ レー ト を切 断 し熔 接 す る技 術 が 開発 さ れ て いな いこ
政 府 の責 任 当 局が 先見 の明 と創 造 的 な技 術 に欠 け た ことと 、 日本 造
にも か かわ らず 、 す でに 一九 四 四年 一 一月 に は油 送 船建 造 が 大き く 低 下 し た こと を説 明 し て いる 。 こ の報告 で は、 こう し た船 の種 類 の
船 所 の 一般 労働 者 の技 倆 が比 較 的 に低 か った こ と に由来 す る。
戦 争 の初期 に おけ る政 府 の文 民機 関 の権限 は、造 船 計 画を 効 果 的
見 られ た混 乱 し た効 果 のな い特 性 であ った。
な い生 産 上 の制 約 と 同 様 な固 有 の隘路 は、造 船 計 画 の管 理 と監 督 に
技 術 上 の制約 と密 接 な 関係 が あ り、 変 化 し やす い諸 要 素 を考 慮 し
変 更 は、 そ の建 造 期 間中 は貨 物船 であ ったも のと し て、 過 去 にさ か
造 船 工業 の隘 路
のぼ って区 分 さ れ て いる。
第 六章
日米 の造 船 所 に対 して 一定 の人的 資 源 と材 料 が 供 給 され たと し ても 、
成 さ れ た より も 生産 速 度 は はる か に おそ く、 そ の能 率も 劣 って い た。
な さ れ て いな か ったの で、 人 的資 源 と材 料 の点 から 見 て、 米 国 で達
日本 の最 新 で最 上 の造船 所 でさ え、 そ の造 船技 術 の開 発 は比較 的
船 への割 当 は、 軍 部 の計 画 に必 要 なも のを 取 った残 り を充 当 しな け
ま た は海 軍 と 対抗 でき る 文官 当 局 は存 在 しな か った。 し たが って造
れ な か った。 日 本 政府 に は、材 料 と 生産 能 力 を奪 い合 う点 で 、陸 軍
所 で行 な わ れ、 既 設 の造 船 所 か ら独 立 し た新 し い大 造 船所 は育 成 さ
信 も 持 って いな か った。 造 船 の計 画と 設 計 は主 と し て民 間 の大 造船
模 な拡 充 を促 進 す る た め に必要 な ス タ ッ フも 想 像 力も 、 あ る いは 威
に統 制 す る ほど 強 力 なも ので は な か った 。運 輸 通 信省 は造船 の大規
それ に よ って期 待 で き る生 産 高 を比 較 す る こと はで きな い。 こ の よ
一 固 有 の制 約
う に造 船 技術 が 相 違 し た ので、 日本 の造船 所 のど れ か に、 一定 の期
れ ば な らな か った。
前述 した よ う に、 最 大 の問 題点 は数個 の大 造船 所 が 大 量 の艦 船 を建
れ た の で、 この期 間 に は商 船 建 造 の実 質 的 な増 加が 見 ら れ な か った。
開 戦 から ま る 一年 間、 材 料 と 生産 能 力 の奪 い合 いが 盛 んに行 なわ
加 でき て いた かも し れ な い。
ビ リ ア ン ・コン ト ロー ルの欠 点が 取 り 除 か れ た。 海 軍艦 政 本 部 は、
つい に海軍 が 造船 計 画 の統 制 と責 任 を負 う こと にな ったと き、 シ
造 船計 画 と商 船 設 計 の変更 を はじ め る のに 必要 な ス タ ッフと 、技 術
造 し た こと であ る。
日 本 の行 政 上 の特 徴 で あ った欠陥 と 弱 点 を持 って いた 。優 先 順位 、
き な犠 牲 を 払 わね ば な ら な か った。 し かし 海 軍 に よる 管理 でさ え、
あ った。 古 い造船 所 と 新 し い造 船 所 の拡 張 の時 期 と 配 分 を、 総 計 の
日 か ら 一九 四五 年 八月 一五 日 ま で の床 面 積 の全 体 の拡 張 は七 八% で
設 の遅 延 であ った。 付 図第 4 に示 し た よう に、 一九 四 二年 三 月 三 一
所 の拡 張 が 遅れ た こと であ り、 さ ら に重 要 な の は新 し い造 船 所 の建
最 後 に、 造船 速 度 を お く ら せた 最大 の要 因 の 一つは、 既 存 の造 船
上 の能 力 と威 信 を 持 って い た。 量産 を 行 な う責 任 を 有 し た艦 政本 部
諸 計画 、 材 料 と労 働 力 の配 分 は、行 政 上 の諸 決定 と 同 様 に妥 協 の産
百 分 比 で 示 せば 次 のと お り であ る。
は、新 し い責 任 を遂 行 す る た め海軍 艦 艇建 造 計 画 の点 でや む なく 大
こう し た方 法 に よる 限 り決 定 は長続 き せず 、決 定 が 実 行 でき な い こ
物 であ り、 いく ら か 不 明確 な も のであ り 、 し かも 絶 え ず変 更 さ れ た。
った 。
最 大努 力 前 の拡 張 の遅 れ
とが 明 ら か に な った と き、 改 めて決 定 さ れ る 場合 が ひじ ょう に多 か
二
数 個 の要 因が 最 初 か ら造 船 の拡張 を 制 限 し たが 、 少 なく と も部 分
性 が も っと速 や か に認 識 さ れ て いた な らば 、 統 制 の海 軍 への移 管 、
終 的 に達 成 し た程 度 に拡 張 す る のが 遅 れ る結 果 と な った。 こ の緊 急
のよう に造 船 計 画 の緊 急 性 に つい て の認識 に欠 け た ので、 計 画を 最
日本 人 は戦 争 の遂 行 に必 要 な造 船 量 を容 易 に理 解 し な か った。 こ
九 四 四年 の予定 建 造 量 を下 回り 、 A型 船 完 成量 の不 足分 の二 六% が
上 のA型 船 を完 成 しな か った ので 、 一九 四四年 四月 に作 成さ れ た 一
四 年 六月 であ った。 これ ら 二造 船 所が 一九 四 四年 に三 万 五千 ト ン以
船 所 で は 一九 四 三年 一 二 月 、 日立 の新 し い神奈 川 造 船 所 で は 一九 四
起 工が 行 な わ れ た のは、 一九 四 三年 に作 業 を は じ めた 三菱 の広 島 造
月 に 他 の 一つで、 六月 に残 り の 二 つで行 なわ れ た。 A 型 船 の最 初 の
E型 船 の起 工 は、 一九 四 三年 四月 に 四 つの新 造 船 所 の 一つで 、 五
隻 数 の減 少 と 標 準船 設 計 の高 い単 純 化、 新 し い造船 所 施 設 の建 設 、
た。
的 に は克 服 され た ので、 全 体 の隘路 よりも む し ろ計 画 の遅 れ とな っ
要 求 の奪 い合 い の緩 和 によ って、 も っと 早 い時 期 に生 産 を 大き く 増
制 約 にも な った のであ る 。
が 十 分 に拡 張 さ せら れ た とき 、造 船 工業 が達 成 し た生 産 のピ ー ク の
た こ と の影 響 は、 造 船 量 の増 大 を おく ら せ ただ け で なく 、造 船 工業
一三万 ト ンに あ た った 。 こ の場 合、 こう し た新 造 船 所 の建 設が 遅 れ
は、 こ れら の手 段 のど れも が 体 系 的 に評 価 でき な か った。
って適 切 に酌 量 す る 必要が あ ると 思 う。 日本 に おけ る 調査 の期間 で
いが 造 船所 にあ た え た妨害 と非 能 率 に つい て、 工業 の広 い基 礎 に立
ろう 。 最後 に、 仕 様書 の変 更 と 日本 の管 理 の特徴 であ る多 く の間 違
能 力 を 確 認 す る の に利用 でき る他 の根 拠 とな るも の は、 各 造 船所
造 船 工業 に利 用 でき る 工 場 の総 計、 既 存 工 場 の技 術 的能 力 、造 船
どう かを 決定 す る こ と の事 実 上 の困 難 は別 と し て、 計 画 され た 生産
割合 が 達 成 され る前 に、 計 画 作 成者 が 造船 所 の拡張 を考 え て いた か
に つい て日 本 人が 計 画 し た最 大 の建 設 努 力 であ る。 計 画 され た生産
工業 の統 制 に関 す る行 政 上 の能 力が 、 ピ ーク生 産 期 間 に造 船 工業 が
を能 力 の測定 標 準 とす る こと に は理 論 上難 点 があ る。 計画 さ れ た最
造 船 工業 の能 力 と ピ ー ク生 産
達 成 し た生 産割 合 に対 し て造 船 工業 能 力 を 制約 す る要 因と し て作 用
大 の努 力 の程 度 に は、 刺 激剤 のた め に、 計 画者 自 身 が実 際 に予想 し
三
す る。 そ の他 の隘 路 は、 これ らが 生 産 のピ ー ク に達す る過 程 で大 き
た。 さら に、 事 前 の予 定表 は、 実際 に能 力 を制 限 し た計 画 の変 更 そ
て いな か った 生 産 の実 現 に つい て の マージ ンが 明 ら か に含 ま れ て い
し かし 、 前述 し た 諸要 因 は、生 産 割 合が 大 き く 低 下し た 原 因 でも な
く 取 り除 か れ た限 り で は、 生産 割 合 の増 大 を おく ら せ た にすぎ な い。
け れ ば 、 ピ ー ク への到達 を 妨げ も し な か ったであ ろう 。 生産 の大 き
の造 船 活 動期 間 に消費 され た 実際 の努 力 であ る。生 産 のピ ー ク割合
能 力 の測定 標 準 と し て利 用 で き る唯 一つの満 足 な方 法 は、 ピ ーク
に これ を適 用 す る とき の主 な条 件 は、後 に促 進 され た 大き な 低 下が
の他 の管 理 状 況 によ って 生じ る 妨害 と 非 能率 を 予 想 でき な か った。
工 業 能力 の十 分 な利 用 が 妨げ ら れ た こと が 、 ピ ー ク生 産期 間 に は っ
ピ ー ク生産 期 間 中 に生 産 努力 を実 際 の能 力 以 内 に制 限 す るほ ど の力
な 低 下 をも たら し た新 し い隘 路も 、 ピ ー ク生 産 の期 間 中 でさ え 造船
き り気 づ かれ て い た かも しれ な い。ピ ー ク生産 期 間 中 に造 船 工業 の
です で に感 じ ら れ て いた かも しれ な い、 と いう諸 要 素 の程 度 であ る 。
これが 事 実 であ った かど う か、 いく ら か事 実 であ った と した ら、 使
全能 力 が 利 用 され た程 度 は、 生 産 の低 下 をも たら し た諸 要 因 に つい
特 定 の時期 に おけ る現 存 す る造 船 工場 の能 力 を確 認 す る に は、 数
用 さ れ な か った能 力 の程度 が 低 下 をも たら し た生 産 要因 に つい て検
て の分 析 を ま た ねば な ら な い。
個 の方 法 を利 用 でき る。 能 力 を直 接 評価 す る には、 次 の 二 つの手 段
討 し た のち に考 え る こと とす る 。
っと も 整備 さ れ た造 船 所 に つい て、 各現 存 造 船 所 に おけ る船 の種 類 鋼 の供 給
造 船 に対 す る日 本 の戦 時 経済 の割 当 の増加 は、鋼 の造 船 への割当
四
が 必 要 で あ ると 思 う。 第 一に 、造 船 技術 を 評 価 す る に は、施 設 が も
の生 産 の最 大 の割 合 を 見 積 らねば な らな いだ ろう 。 こう し た見積 り には 、造 船 所 と そ の管 理 者 の技 術 上 の制 約 を考 慮 せねば な ら な い だ
と生 産 と の関 係 は、 付 表 第 5 に示 さ れ て いる 。 こ の表 のデ ー タは 、
増 加 が 明 ら かに し て い る。 造船 に供給 さ れ た 鋼 と、 鋼 の全体 の供 給
生 産 が減 少 しは じ め た後 でさ え、 造船 に供 給 さ れ た鋼 のひき つづ く
鋼 が 減少 し たにも か かわ らず 、 造 船 を維 持 す る懸 命 な 努 力 は、 鋼 の
の急 激 な増 加 か ら知 る ことが でき る。 戦 時 中 の後 半 には利 用 でき る
用 さ れ た鋼 の量 の変化 によ る のであ った。
工業 に利用 でき た鋼 の絶対 量 の変 化 は、 主 と して 新造 船 所建 設 に使
の 一五分 の 一は 民間 造 船 所 の拡 張 にあ てら れ た。 し たが って 、造 船
へと し だ い に増 加 し た から であ る 。戦 時 中 の全 期 間 を逝 じ て、 残 り
に使 用 され た鋼が 一九 四 一年 の 八 ・三% から 一九 四 五年 の九 ・ 二 %
にあ て られ た 。造 船 用 鋼が 僅 か に減少 した 主 な原 因 は、 商 船 の修 理
め た。 同 じ年 の船体 と エンジ ン用 の圧 延鋼 と 特殊 鋼 の消費 量 は、 こ
す るた め、 在 庫 を補 充 す る よ りも 大 き な量 を 在庫 から引 き 出 し はじ
付 表 第 5 に示 し た よう に、 一九 四 四 年 の鋼 工業 は 造船 に鋼 を供 給
コー ク スと鋼 お よ び鉄 に関 す る米 戦略 爆 撃 調 査 団基 本 材 料課 の報 告 の付 録 第 12 と第 14 か ら引 用 し たも のであ る。
付表第 5 造船に対する鋼 の相対的重要性
れら の鋼 の民 間 造船 所 に対 す る供 給 量 よ りも 多 か った。 一九 四 五年
にな ると、 こう し た製 鉄 所 と 造船 所 におけ る鋼 の在 庫 量 を減 ら す傾
の供 給 最 と消 費 量 のバ ラ ン ス の推 移 と 、そ れ に よ る平 均在 庫 量 の変
向 が 大 き く な った 。各 会 計 年 度 に おけ る造 船 のた め の毎月 平 均 の鋼
鋼 の状 況が 一九 四 四 年 のピ ーク生 産 の時 期 ま で に逼 迫 し た程 度 は、
化 と、 そ の回転 期 間 を 示 せば 付表 第 6 のと お りであ る。
の間 に半 分 以上 減 少 し た こと が 示 し て いる。 造 船 の割 合が 急 激 に増
手持 ち の鋼 の補 給 の毎 月平 均 数 量が 一九 四 二年 か ら 一九 四 四年 ま で
加す る場 合 、在 庫 量 を 大き く 減 ら し て鋼 の消 費 に あ てる こ と によ っ
て、 生 産 に支障 を あ た え な い ことが でき る。 こう し て、 一九 四 二年
の 一と な った 。 一九 四 三年 から 一九 四 四年 の間 の在庫 量 の増 加 は、
か ら 一九 四三 年 の間 の在庫 量 の増 加 は、 消費 の割 合 の増 加 の約三 分
消費 の増 加 の六分 の 一にす ぎ なか った ので 、造 船 が ピ ー ク の年 の在
一九 四四 年 に おけ る 造 船努 力 の懸 命 な 特徴 は、 日本 の鋼 の生 産量
庫 の平均 回転 期 間 は三 ・六 ヵ月、 つま り 一〇 八 日 にすぎ な か った。
が 約 一 三〇 万 メ ー ト ル ・ト ン減 少 し、 全 体 の供給 量 が 八〇 万 ト ン減
た こと にあ ら わ れ て いる。
完 成 さ れ た各 船 種 のト ン数 を 加重 した各 船 種 の 一隻 あ た り建 造期 間
少 し た にも か か わら ず 、 造船 に供給 さ れ た鋼 は約 四 〇 万 ト ン増 加 し
戦 争 の全 期 間 に造 船 に使 用 され た鋼 の約 六分 の五 は、新 船 の建浩
付表第 6
四 四年 の平均 割 合 の半分 以 下 に減 少 し た が、 鋼 の消費 は 一九 四四 年
戦 時 ま で の 一九 四 五会 計 年度 にお け る鋼 の消費 量と 関連 が あ ったと
の消費 量 が 、造 船 に対 す る経 済 投 入 量 に相 当 す る割 合 に比 例 し て終
量 の減少 より も 大き か った から であ る。 一九 四 五年 八 月 にお け る鋼
か ら 四五 年 に かけ て鋼 の消 費 の平 均割 合 の減少 の程度 が 、 平均 在 庫
一九 四五 年 に 回転 期 間が ひじ ょう に長 く な った のは、 一九 四 四年
要が あ る と 思う 。
た か に つ いて は、 低 下 をも たら し た 他 のす べ て の要 素 を分 析 す る 必
ったと 推定 され る。 た し か に鋼 の不足 が 造 船努 力 低 下 の主 因 であ っ
な航 空 攻 撃 前 に見 ら れ た造 船 努 力 の低 下 の少 なく とも 主な 一因 であ
量 の大 き な減 少 と な った こと を 示 し て おり 、鋼 の供給 不足 が全 面 的
こ れら のデ ー タ によ って、 鋼 の状 況 の大き な 悪化 は少 なく と も投 入
ク活 動 の七 ヵ月 間 の供 給 と 消費 の割 合 よ りも 少 な か った であ ろ う。
五 ヵ月 が 含 まれ て いる の で、 一九 四 五年 の平均 は 一九 四 四年 のピ ー
の三分 の二 に減 った。 一九 四 四会 計 年 度 に は経 済 投 入量 が 低下 し た
一〇 〇 〇 メー ト ル ・ト ン)
造船 にお け る圧 延 鋼 と特 殊 鋼 の会 計 年 度別
(単 位=
毎 月 平 均供 給 量 と 消費 量 お よび 平 均 在 庫量
爆撃調査団基本材料課に報告 された全体 の供給量 と 一致させるため、
1 造 船所 の報告による消費量 と在庫量は、供給量 の合計を米国戦略 七%以内が加 えてある。 この相違 は、造船所 の報告が不完全であ っ たからである。
仮 定 すれ ば 、終 戦 時 の手持 ち在 庫 量 に よ って 八 ・二 ヵ月 間 は作 業 を
つづ け る こと が でき て いた ほど ま で に鋼 の消費 量 が減 少 して い た こ
2 最初 と締切在庫量 の平均。 の平 均 は 一 一三 日 で あ った。 し たが って、 一九 四 四年 の手 持 ち の平
き く 低下 し た ので、 ま だ鋼 の在 庫 の残 り は十分 であ り、 いや、 十 分
二割 は在 庫 を 減 らす こと に よ ってま か な われ たが 、 造船 の割 合が 大
の 割 合 の量 が 残 って いた と さえ 考 え ら れ る。 一九 四 五年 夏 に おけ る
と にな る。 換 言す れ ば 、 一九 四 五 年 に おけ る造 船 に使 用 さ れ た鋼 の
に支 障 を あ た えな いた め には 、 日本 で行 なわ れ た よ りも すぐ れ た 管
均在 庫 量 は、 一九 四 四年 の造 船割 合 と 鋼 の消 費状 況 から 見 れば 、 連
理機 構 と 融通 性 が 必要 であ った と思 わ れ る。 海軍 艦 政 本 部 の報 告 は、
在 庫 の残 高 はひ じ ょう に少 な か ったが 、 実 際 の造 船 よ り高 い水準 を
続 し た商 船 の建 造 に不足 した 。 一時 し のぎ の よう な鋼 の状 況 で造 船
ピ ー ク生 産 を制 限 し た 主な 要 因 は限 ら れ た鋼 の供給 であ って こと を
維 持 でき な いほ ど で はな か った よう に 思 われ る。 こ のよ う に見 る と
き 、 当面 の鋼 の不足 以 外 の諸 要 因 のた め に造 船 の割 合 は急 速 に ゼ ロ
確 認 し て いる 。 造 船 工業 に対 す る鋼 の毎 月 平均 供 給 量 は、 一九 四 五年 ま で に 一九
に近 づ き つ つあ った と考 え られ る。
特 徴 より も大 き か った従 業 員 の努力 によ るも ので あ った。 一九 四 四
三年 の平 均 に ま で大 きく 低 下 し た。 一九 四 五年 二月 から 七月 に い た
も労 働 力 は最 大 に適 用 され た にも か かわ らず 、 生産 は殆 んど 一九 四
年 一 一月 か ら 一九 四 五年 一月 ま で は、 従業 員 と 延 べ労働 時 間 の点 で
る最 後 の局 面 で は、 労働 力 の諸 要素 は低 下 し たが 、生 産 努力 はそ れ
労 働 力 の供給
労 働 力 の供 給 はピ ー ク生 産時 で の大き な 悩 み で はあ ったが 、 造船
五
に おけ る 主 な隘 路 で は なか った。造 船 活 動 が 労 働 力供 給 の減 少 よ り
よ り速 や かな 割合 で低 下 を つづ け た 。
利 用 さ れ た労 働 力 の供 給 量 は、 延 べ 労働 時 間 に は っき り あ らわ れ
二割 にす ぎ な か った。 こ の こと は、 増設 さ れ た 工場 と新 旧 造船 所 で
用 の増 大 の約 二倍 であ ったが 、 一人 あ た り平均 労 働 時間 の増加 は約
一九四 三 年 四月 から 四 四年 四 月 ま で の経済 投 入 量 の増 加 は平 均雇
も急 速 に低下 し た のは、 労 働 力以 外 のあ る種 の要 因 に よるも ので あ
た。 労 働 力 供給 が 十 分 であ る こと は、 延 べ労 働 時 間 と総 生 産 努力 の
こ の期 間 に ひき つづ き 拡 大 さ れ た造 船活 動 の生産 量 の主な 要因 であ
建 造 さ れ た船 の設 計 の単 一化 に よ って労 働 生産 性 が 向上 した の で、
った。
関 係 に ひじ ょう に は っき り示 さ れ る。 労働 力 に対 す る要 求 の相対 的
三 一日 の会 計年 度 の締切 期 限 前 に船 を 完 成す るた め長時 間 作 業 し た
会 計 年 度 末 の 二月 と 三月 に労働 時 間 が 異常 に多 か った の は、 三月
向 を上 回 って大 き く 増加 し た。
一九 四四 年 五月 にな って初 めて 延 べ労 働時 間 の傾向 が 平均 雇 用 の傾
一九 四 二年 二月 と 三月 に見 ら れ た年 度末 の急激 な増加 は別 と し て、
る と考 え ら れ る こと を示 し て いる。
な 大小 は、 延 べ 労働 時 間 と従 業 員 の平 均 員 数 の関 係 にあら わ れ、 毎 月 の従 業 員 の平均 員 数 は 一日あ た り標 準 労 働時 間 、 ま た は毎 月 の標
付 図 第 9 に示 し た鉄 船 の建 造 に つい て の円 価格 投 入 量、 延 べ 労働
準 労働 日数 、 あ る いは欠 勤 の量 の変 化 にあ ら わ れ る。
時 間 お よび 平 均 従業 員 数 の毎月 の指数 は、 前 述 し た比 較 をあ ら わす も ので あ る。 一九 四 三会 計 年度 の平均 一ヵ月 の量 を、 各 指数 では 一 〇 〇 と し てあ る。
一局 面 は、 一九 四 三 年 四月 か ら 一九 四 四年 四月 ま で の 一三 ヵ月 間 で
間 の船 の作 業 の均 等 な 配分 が 経 済 投 入量 の配分 を 正確 にあ らわ し て
た り平 均 労 働時 間 が 大 きく 増 加 し た の は、 こ の場 合 に は、幾 月 か の
数 と完 成 に近 い船 と が 重複 し た こと に よ るの であ る。 三 月 に 一人あ
一月 に示 して い る のは、 年 度 末 の注文 で はじ めら れ た追 加 の船 の隻
あ る。 この期 間 に、造 船 努 力 は ひき つづ き 急 速 に拡 大 さ れ た。 こ の
いな い こと を 示 し て いる 。 と に かく 、 ピ ーク に近 い生 産 割 合が 一九
こと をあ ら わ し て いる。 投 入量 の曲 線 が この年 度 末活 動 のピ ーク を
会 計 年 度末 に生 産 を促 進 す る異 常 な 努 力が 見 ら れ たが 、 そ の期 間 は
四 三年 の平 均 にく らべ 一人 あ た り労働 時 間 の いく ら か の増 加 に よ っ
付 図 第 9 に示 す 生産 努 力 と労 働 力 供給 の相 互 関係 には 四 つの重要
一月 から 三月 ま で であ った 。 一九 四 四 年五 月 から 一〇 月 ま で の第 二
な局 面が 見 ら れ 、 そ の第 一局 面 には 異常 な 変 動が 含 ま れ て い る。第
局面 で は、 ピ ー ク の生産 水 準が 、 維 持 され たが 、 そ れ は第 一局 面 の
付 図 第 9 鉄 船 建 造 に お け る円価 値 投 入,延 べ 労 働 時間,平 均 雇 用 員数 の月 間 指数 1943年 4月―1945年 7月
る期 間 の最後 であ る 一九 四五 年 七月 ま で に、 平 均 雇用 はしだ いに 一
九 四三 年 の平均 に低 下 し た。 主 と し て都 市地 区 に対す る焼夷 弾 攻 撃
最 終 局 面 の始 ま り を あ らわ し た か らで あ る。 こめ 報告 で分 析 し て い
と食 糧 不 足 に よ る造 船所 にお け る 欠勤 の増加 のた め に、 一九 四五 年
て 一九 四四 年 四 月 に維 持 さ れ た こと は、 例外 的 な 年 度末 の 一時 的 な
ー ク水 準 は、 労 働 力 に大 き な 無理 を し な い で達 成 さ れた こと をあ ら
七 月 の延 べ 労働 時 間 は従 来 よ り も急 速 度 に減 少 し て 一九 四 三会 計年
急 増 を 除 い て、 一九 四四 年 一月 から 一〇 月 ま で に つづ いた 生産 のピ
わす 。 し たが って 、 労働 力 の不足 によ る 大き な 支 障 な し に、 そ の生
生産 の低 下 をも たら し た わけ で は な い。 七月 に終 わ った この期 間 の
度 の最 低 を 少 し下 回 った。 し か し、 こう し た労 働 力供 給 の減 少 が、
産水 準 に達 し たと 結 論 でき ると考 え る。 し かし、 一九 四 四年 五月 初 め から 同 年 一〇 月 ま で 生産 努 力 のピ ー
低下 は、 一九 四三 会 計年 度 の平均 の 五分 の 一にすぎ ず 、 そ の年 の最
ク水 準 を維 持 す る のに、 一人 あ た り労 働時 間 の不 断 の大 き な 増加 を 必要 と し た。 こ のこ と は、 こ の期 間 にお け る労 働 状 況が 一九 四 三年
低 の三分 の二 であ った から であ る。
月 から 一〇 月 に かけ て の生 産 ピ ー ク ま で の労働 力 の供給 が 、 生産 に
が 、戦 争 の最後 の 一 二ヵ月 間 に急 速 に低 下 し た。 造船 所 の従業 員 の
いた技 術 上 の多 く の改善 を使 用 でき る ほど適 当 な も の で はな か った
日本 の民 間造 船 所 に おけ る 労働 者 の素 質 は、 日 本人 が よく 知 って
よ りも ひじ ょう に 窮 屈 であ った こと を 示 す。 こ の期 間 に経 済 投 入量
おけ る主 な制 限 要 素 で はな か った こと を あ ら わす 。 労働 時 間 と 従業
に召集 さ れ た ので、一 九 四 四年 の晩秋 に は戦前 の水 準 の三 分 の 一以
経 歴 に は大 き な相 違 が あ ったが 、 正規 の従 業員 は、 そ の 一部が 軍 隊
の総 計 が延 べ労 働 時 間 の合 計 よ りも 増 加 し た こと は、少 な く とも 八
員 の点 から見 て、 一二 月 に労 働力 が 大 き く 供 給さ れ た こ と は、 も し
ー ク水準 で維 持 され たに も か かわ らず 、 生 産 は 一九 四四年 一〇 月 の
一月 か ら 四五 年 一月 まで の 三 ヵ月 間 に は雇 用 と 労働 時 間が 空 前 のピ
員 数 は 維 持さ れ た だ け でな く増 加さ え し た。 一九 四四 年 一〇 月 と 一
強 制 さ れ た各 種 の労働 者 が つぎ つぎ に割 当 てら れ た ので、 労働 者 の
後 の年 に は大 き く な ってき た。 そ の間、 造 船 所 に おけ る 労働 力 に は、
作 戦 に よ って 戦 火が ま す ます 日本 本 土 に近づ く に つれ て、 戦 争 の最
下 に減 少 した。 こう し た 傾向 は、 フ ィリピ ン、 硫 黄 島 お よび沖 縄 の
ピ ー ク生 産 期 間 に必 要 であ った な らば 、 八 月 か ら 一〇 月 ま で の間 に、 こう し た供 給 が でき て いた と推 定 さ れ る。
三 分 の二以 下 に低下 した。 こ の ことは 、 こ の期 間 に最 も 深 刻 に感 じ
一月 にお け る代 表 的 な 八大 造船 所 の労働 力 の平 均構 成 は、 次 のと お
第 三局 面 の終 わ り であ る 一九 四 五年 一月 ま で に、 一九 四 四年 の 一
ら れ た鋼 の 不足 に も か かわ らず 、 造 船速 度 を 維 持 す る気 違 いじ み た
一〇%
二〇 %
⋮ 四 五%
学 生 (大 部 分 は少 年 )
正 規 の従業 員
徴 用 さ れ た 日本 人 労働 者
り であ った。
と いう のは、 それ ま で の 一年 以上 の間 で 一人 あ たり 労働 時 間 が初 め
こう し た無 益 な 努 力 は、 明 ら か に 二月 の労 働 努 力 に はね かえ った。
努 力 で さ え無 益 で あ った こと を 示す も ので あ る。
て 一九 四三 年 会計 年 度 の平 均 を下 回 り 、労働 力 と生 産 の相 互 関 係 の
女性 (大 部 分 は事 務 員 )
徴 用 さ れ た朝 鮮 人
民 間 人 受 刑者
三%
四%
八%
九%
で あ った。 D型 よ り大 き い船 の タ ービ ンと 往復 機 関 お よび 罐 の殆 ん
立 に、 他 の 一つは東 京 にあ ったー
業 連 合 の 一つが 持 主 であ る 日立 の二 つの エンジ ン工場
産 され た 。最 初 の二 つの 一五製 造 所 は、造 船 と深 い関 係 のあ った 企
大き な 一〇 の製 造 所 で、 五% は 五 九 の製 造所 で、 それ ぞ れ 平均 に生
比 較的 小 さ いも のか ら、 ご く 小 さ いも の に
は、 主 と し てE 型船 のデ ィー ゼ ル ・エンジ ンを生 産 し、
な か った の で、造 船 所 の管 理老 の悩 み は いよ い よ つのり、 生 産 の割
大 型船 の完 成時 期 が 時 々おく れ た の は エンジ ンの生産 遅 延 に よ るこ
造 船 所 が エンジ ンを 入 手し た時 期と 船 の進 水 時期 を 比 較す れ ば 、
新 し い四 造 船所 では、 みず から エンジ ンを製 造 し な か った。
こ の型 の エンジ ン の主な 供 給 源 であ った 。E 型船 を専 門 に建 造 す る
い たる︱
々の エンジ ン製 造 所︱
ど 全 部が 、 これ ら 一五 の製 造所 で生 産 され た。 造 船 所 以外 の種 々様
の ほ か、そ の全部 が 民 間造 船 所
︱一つ は日
捕 一%
虜
徴 用さ れ た中 国人 徴 集 さ れ た労 働力 は、 一般 に機 械 の経 験 が 少 なく 、 ま た は皆 無 の 低 い素 質 の未 熟 練 者 で あ った 。 こ の期 間、 労 働 力 の全体 の約 半分 に あ た った徴 用 され た 日本 人 労働 者 は、農 村 出 身 で 軍 務 に不 適 格 の未 熟 練 の男 子 であ った。
合 は 優秀 な 労 働力 に よる よ りも 明 ら か に低 か った。 しか し、 こう し
これが 一九 四 五 年春 に深 刻な 問 題 と な ったとき ま で に、 E 型船 の建
と が わ か る。 E型 船 エンジ ン の供 給 に は大き な おくれ が 見 られ たが、
こ う した 低 い素 質 の労働 力 にま す ます 大 きく 依 存 し なけ れ ば な ら
た低 い素 質 の労働 力 は 一九 四 四年 一〇 月 以 前 に割 当 てら れ たが 、 一
造 は削減 され て お り、 デ ィー ゼ ル油が 不足 し た ので 石炭 燃 焼 の往 復
〇 月 の生産 性 は実際 に向 上 し つつあ った ので 、 こう した 労働 力 が 一 九 四 四 年 一〇 月 か ら終 戦 時 ま で つづ いた生 産 の急 激 な低 下 を早 めた、
供 給 が 船 の建 造 に支障 を来 し た こと はあ ったが、 三般 に造 船 計 画 の
これ ら 造船 所 の当事 者 たち は、 イ ン タビ ュー のさ い、 エンジ ンの
と なり 、 エ ンジ ンは船 の建 造 と 同 じ速 度 で供 給 され た。
る 一組 の新 し い造 船所 が 主 と し て こ の種 の エンジ ンを製 作 す る こと
機 関 を取 付 け る よ う計 画 さ れ た。 こう し て、 小さ な 民 間造 船 所 であ
構 成 部 分 の供 給
と結 論 す る こと は でき な い。
六
推進 エンジ ン用 の罐 を ふく む 船 の エンジ ンであ る こと は言 う ま でも
成 部分 が 造船 に支 障 を来 した こと は報 告 され て いな い。
実 施 が おく れ た重 要 な 原因 で は な か った と述 べ た。 そ の他 の船 の構
造 船 速 度 を促 進 す る の に必 要 な最 も 重要 な船 の構 成部 分 は、 蒸 気
な い。 船 の エンジ ン の製 造 は、 一般 に船 体 の建 造 よ りも 早 目 に行 な
そ の他 の要 因が 造 船 量 を制 約 し た ほど エンジ ンそ の他 の構 成 部 分 は
構 成 部 分 の 不規 則 な供 給 が 造船 速 度 を おく ら せ た場 合 はあ ったが 、
わ れ る。 前述 した よ う に、 戦時 中 に製造 され た商 船 エンジ ンの 六割 (馬力 で 見 た場 合 ) は、 五 つ の大き な製 造 所 で生 産 され 、 約 三 五% は 次 に
木造 船 建 造 計 画上 の隘 路
全 般 的 に 不足 し な か った 。
七
の で、 地 方 の労 働 力 を利 用 でき た こと で部 分 的 に補 な われ た 。 一般
に木 造 船 造船 所 は、鋼 が 十分 に供給 さ れて いた期 間 に、 最 大 限 の生
の大 部 分 は、 六月 ま で に使 いは たし て しま い、 そ れ ま で に全般 的 な
一九 四 四年 の春 、 エンジ ン製 造 のた め にか き集 め て供 給 さ れ た鋼
産 を 維 持 す るだ け の援 助 が 得 られ な か った。
新 し い造 船 所 の建 設 、優 先 順 位 の取得 、 木 材 と鋼 お よび 労 働 力 の入
鋼 の供給 が ひじ ょう に不 足 し た ので、 運 輸 通 信省 は多 量 の鋼 を確 保
一九 四 三年 夏 ま で の木 造 船 建 造が 遅 々と し て進 捗 し な か った の は、
手 経 路 の確 保 、標 準 型 船計 画を 統 制す る ため の管 理機 構 の強 化 の困
す る こと が でき な か った。 こう して 一九四 四 年 七月、 木 造 船 エンジ
産 、 ひ いて は 木造 船建 造 の大 きな 低 下 を防 ぐ だ け の十分 な 鋼 が 得 ら
順位 を も って し てさ え、 一九 四 四年 七 月 に計 画 され た エンジ ンの生
ンの管 理 は海 軍 艦 政本 部 に移 され た 。 し かし 、海 軍 に よ る高 い優 先
難 およ び遅 延 によ る のであ った 。
う に増 大 し た ので、 エンジ ン生 産 の管 理 が で た ら めで あ ったた め に
一九 四 三年 一二月 ま で に、 木 造 船 の船 体 を建 造 す る能 力 が ひ じ ょ
必 要 な エンジ ンが 入手 で き な か った。 そ こで 、 エンジ ン の調 達 と造
れず 、 こ のよ う な状 況 は終 戦 時 ま で つづ い た。
隘 路 の諸 要 因 に つ いて の要約
船 体 を建 造 す る ため に 必要 な 木 材 と労 働 力 の供 給 不足 が 、 一九 四
と、 テ ク ノ ロジ ー の全般 的 な 制約 の ため に、 戦時 中 の全期 間 を 通 じ
場水 準 に見 ら れ た工 業部 門 に関す る日 本 の管 理能 力 の全般 的 な 制約
価 は、 そ の他 の要 因 を述 べ た後 に行 な う こと と し た。 政府 水 染 と 工
こ の報 告 で は 、種 々の隘 路 のうち の数要 因 に ついて の最 終 的 な評
八
船 所 にお け る船 体 の建 造 を密接 に 調整 す る機 構 が運輸 通 信省 に設 け ら れ 、 エンジ ン生産 に必要 な鋼 を 優先 的 に供給 す るよ う海 軍 側 と話 し合 いが ついた 。 こう し て、 鋼 と 船 の エンジ ン の隘 路が 打 開 さ れ た の で、木 造 船 の建 造 は急 速 にピ ー クに違 し、 そ れ は 一九 四 四年 六 月
三年 一 二 月 から 四 四年 六 月 までめ ピ ー ク期 間 に おけ る 木造 船 工 業 に
て、 日本 の造 船 所 の労働 者 の技能 を 制 限す る こと とな った。 これ ら
ま で つづ いた。
と って 主 な制 約 の要 因 で あ った 。 木材 の供 給 困難 は、 主 と し て木 材
制約 の中 で 、 主 な要 因 に はしば しば 変 化が 見 ら れ た。
戦 前 の数 年 と開 戦 か ら 一九 四 二年 一 一月 ま で の期 間 の造 船 には、
を き り だす 労 働 力 の不 足 と、 そ れ を造 船 所 ま で輸 送 す る のが ひじ ょ
普通 の優 先 順 位が あ た えら れ た にす ぎ ず、 造 船 能力 の大 部分 が 海 軍
う に困難 であ った こと に よ るも のであ る。 こ の期 間 に 最高 の生 産 記 録 を つく った造 船所 は 、造 船 所 に近 い供 給 源 か ら みず か ら木 材 を 入
によ って刺 激 さ れ た結 果、 造 船 に 対す る優 先 順位 が高 めら れ艦 艇 に
と こ ろが 、 予 想外 の商船 の喪 失 と商 船 に対 す る 民需 と 軍需 の増 大
艦艇 の建 造 にあ てら れ た。
の よう に徴 用 労働 者 が 割 当 てら れ な か ったが 、 これ ら 造 船所 は規 模
手 でき た造 船 所 であ った。 木 造 船 造船 所 には 大規 模 の工業 の大 部 分
が 小 さ く、 そ の多く が 日 本 の大 工業 中 心地 以 外 に広 く 分 散 し て いた
ょう に窮 屈 であ ったの で、 労働 力 の供 給も 論 議 さ れ て いた にちが い
な い。 こ の期 間 に達 成さ れた 実 際 の生 産 と、 実 際 より 多 い鋼 と 労働
戦 局 を大 き く変 え るほ ど の生 産 は、 おそ ら く達 成 でき な か ったと 思
ふ り向 け ら れ る よう に な ったとき 、 既 設 の 工場 で の造 船 量 を 大き く
対 す る 優 先順 位 が緩 和 さ れた 。 現 存 す る造 船 所 の能 力 が 商 船建 造 に
わ れ る。 鉄 船 の建 造 と ちが って 、 ピ ー ク活 動期 間 中 の木 造 船建 造 に
は、 実 際 に達 成 さ れた 生 産 量 と 比較 し て大き く な か った。 もと も と、
る 生産 割 合 が 急速 に増 加 し つつあ った期 間 、操 業 す る 工場 の能 力が
対 す る制 約 は、 鋼 では な く し て木 材 と労 働 力 の供 給 であ った。 し か
力 が 供 給 さ れ て いた 場合 に得 ら れ て いた かも し れ な い生 産 と の開 き
鉄 船 の建 造 努 力 の量 におけ る主 な制 約 とな った。 木 造 船 の場 合 に は、
し 、 木造 船 の建 造 に割 当 て られ た鋼 を使 いはた す や、 ピ ー ク活 動 の
す るた めに商 船 の設 計 を単 一化 し、 既 存造 船 所 の施 設 を拡 張 し新 し
建 造 す る こと が できた 木造 船 用 の エンジ ンを 供給 す るだ け の鋼 の確
い造 船 所 が建 設さ れた 。 一九 四 二年 一 一月 か ら四 三 年 一 二 月 にい た
保 が 遅滞 した ので、 施 設 の拡 張 期 間 の生 産 は 工場 の能 力以 下 に低 下
時 期 は急 速 に終 わ りを告 げ た。 鉄 船 の建 造 活動 は 一九 四四 年 一〇 月
い っぱ いピ ーク を維 持 した の に、 木造 船 建 造 ピ ー クが 一九 四 四年 七
した 。
たにも か か わらず 、商 船 を 維持 し よう とす る絶望 的 な 努力 のた め に、
月 に終 わ った こと は、 日 本 の逼 迫 した 鋼 の状 況が ます ます 深刻 化 し
鉄 船建 造 のピ ー ク活 動 の期 間 (一九 四四 年 一月 から 一〇 月 い っぱ い) におけ る鉄 の在 庫 の高 い 回転 率 と、 日本 の多 く の造 船家 の証 言
鉄 船 建 造 のた め に鋼 の優 先 的 な給 供 が つづ け ら れた こと を説 明 し て
から み れば 、 当 時 の造 船 が 可能 であ った最 大 限 の生産 の実現 を妨 げ た主 な 要 因 は鋼 の不足 であ った。 当 時 の労 働 者 は か なり 熱 心 に働 い
い る。
か かわ らず 、生 産 は 一九 四四 年 一 一月 に低下 し はじ めた 。連 合 軍 の
う な計 画 が あ らわ れ、 雇 用 と 労働 時 間 が 思 いき って増 大 された にも
商 船建 造 を見 る に、 つい に 一九 四四 年 一〇 月 にな ると 、あ わ のよ
て いた が、 生産 が 低 下 し はじ めた 後 によ り大 き な 労働 努 力 を 必要 と
そ の努 力 は 大き か った かも し れ な い こと の証 拠 と し て取 り 上げ ら れ
航 空攻 撃 が 造船 工業 に大き な 損 害 をあた え る前 の 一九 四五年 二月 末
した こと は、 事 実 が証 明した な らば 、 ピ ー ク活 動 の期 間 中 よ りも 、
の低下 の原 因 は、 少 な く とも 部 分 的 には 、 多 数 のA 型貨 物 船 の船 体
るだ ろう 。 ピ ー ク活 動 を つづ けた 六月 と 七 月中 の比較 的 小 さ な活 動
低 下 の直 接 原 因 は、 供給 され た 鋼 を使 い はた した か ら であ る。 木 造
ま で に、 生 産 は 一九 四 三会 計 年 度 の平 均 以 下 に低 下 し た。 こう し た
た。
を TA型 油 送 船 と し て完 成す る よう に した 計 画 の変 更 によ る のであ っ
船 建造 に見 ら れた 同様 の低下 は、 七 月 に はじ ま った船 の エンジ ン用
し も 戦争 が 実 際 よ り 二 ヵ月長 く つづ いて いた な らば 、実 質 的 には造
一九 四 五年 三 月 から 終 戦時 ま で の鉄船 と 木造 船 の造 船 活 動 は、 も
の鋼 の不足 に よ って生 じた 。
そ こ で、 ピ ーク生 産 期 間 に おけ る鉄 船 建 造 の水 準 は、 主と し て鋼 の不 足 のた めに テ ク ノ ロジ ー的 に制 限さ れ た 現存 工場 の能 力 よ りも いく ら か少 な か った、 と要 約 でき る だ ろう が 、も し鋼 が最 大 限 の生 産 に必要 な だ け の量 が 供給 され て いたな ら ば 、労 働 力 の供給 はひ じ
船 が 終 わ り を告 げ て いた であ ろう 割 合 にま で低 下 し つづ けた 。 こ の
は攻 撃 のさ い同 造船 所 にあ った船 舶 に対す る損害 に限 られた 。 し た
攻 撃 は 終 戦 の約 二週間 前 に行 な わ れた の で、 戦時 生 産 に対 す る 影響
にも か かわ ら ず、 民 間 造船 所 は連 合 軍 の航 空 攻撃 によ って相 当な
直 接 攻 撃 は実 質 的 に は行 な われ な か った、 と 結 論 でき ると 思 う 。
が って 、 生産 を 大き く 妨 害す る 目的 を も って、特 に造 船所 に対す る
期 間 にお け る雇 用 と 平均 労 働時 間 の低 下 の程 度 は、 そ れ ほ ど ま で に 急 速 では な か った。終 戦 時 におけ る造船 所 の全 体 の鋼 の在 庫量 は、 種 類 の取 り合 わ せが 不揃 いであ った こと はさ て おき 、 終 戦 直前 の 二、 三 ヵ月 間 よ りも 高 い水準 の造船 活 動 を 維持 でき て いた で あ ろう 。 生 産 の低 下 に関 す る 詳 し い分 析 は、 航 空 攻撃 の影 響 に つ いて の分 析 を
であ り 、 これ ら 地区 に対 す る焼 夷 弾 攻 撃 によ るも のであ った 。 こう
造 船 所 の損 害 の大 部 分 は、 造 船 所 また は近 く の商 船が 目 標 と な っ
標 と な った。
した 攻 撃 のさ い、造 船 所 は都 市 地 区 のそ の他 の目標 と 同様 に攻 撃目
直 接 的 損害 を こう む った。 こ の損 害 の大部 分 は大都 市 地区 の造船 所
航 空 攻 撃 の影響
また ねば な ら な い。
第七章
一 攻 撃 目 標 と し て の造 船所 の地 位
五航 空 部隊 に よ って数 回 行 な われ 、 米 英海 軍 機 に よる 相当 の回 数が
行 な わ れた 。 こ の種 の付 随的 な 損 害 を 受けた のは、 さ もな け れば 戦
た 攻 撃 によ る の であ った 。 こう した 攻 撃 は、 第 二〇 航 空軍 およ び第
い優 先 順位 に お かれ て いた 。統 合 攻 撃 目標 グ ループ は、 一八 の民 間
時 中 に攻 撃 され な か ったと 思 われ る瀬 戸内 海 の孤立 し た大 造 船 所 で
日本 の民 間造 船 所 は、 連 合 国 の航 空 攻 撃 目標 と し て は比 較的 に低
造 船 所 を 主 な攻 撃 目標 と し て選 んだ が 、造 船 所 に対 す る組織 的 な 攻
あ った。
性 能 爆薬 爆 弾 によ る損 害 を こう む ったも のが あ る。 種 類第 五 の名古
造 船 所 の中 に は、 近 く の工業 施 設 を 目標 と した 第 二〇航 空 軍 の高
撃 を勧告 しな か った。 第 二〇航 空 軍 と 海 軍も 造 船 所 に対 す る組 織 的
一九 四 五年 三 月 一九 日 、海 軍 のT B M雷 爆 撃機 一機 が 三 菱 の神 戸
日 に攻 撃 され た とき 大 き な損 害 を 受 けた 。 種 類第 三 の日本 鋼 管 の鶴
屋 造 船 所 は、 近 く の三菱 航 空機 発 動 機 工場 が 一九 四四 年 一 二 月 一八
な 攻 撃 を 計 画 しな か った。
ト ン の高 性 能 爆薬 爆 弾 を 投 下した 。 こ れ以 外 に、 特 に造船 所を 目 標
造 船 所 を攻 撃 し 、 同年 七 月 二 四 日、 B 29 一機 が 同 じ目 標 に対 し て五
見 造船 所 には 、 近く の川 崎 石油 が 一九 四 五年 八 月 一日 に攻 撃 さ れ た
航 空攻 撃 では 造船 所 に低 い優 先 順 位が あた え られ たが 、 船 舶 に対
と し た唯 一つの攻 撃 は、 一九 四五 年 八月 一日 の夜 明 け 前 の第 七 航 空
場 に 一九 ト ンの爆 弾 を 投 下 した こと であ る。 こ の特 別 の 目標 には第
ひき つづ き 高 い優 先 順 位が あた え られ てい た。 日本 本 土 水域 にお け
し て は、 日本 本 土が 戦 略爆 撃 圏 内 に は い ったさ い、 戦略 目標 と し て
さ い、 数 個 の爆 弾が 命 中 した 。
四優 先 順 位 が あ たえ られ 、 戦 争 の全期 間 を 通 じ て、 そ れ は民 間 造船
軍 によ る攻 撃 のさ い、 六機 のB 24が 三菱 の長 崎造 船 所 の エンジ ン工
所 に対 し て 多 数機 の攻撃 が 指 向 さ れた 唯 一つのも のであ った。 こ の
によ って ひじ ょう に多数 の船 が 、沈 没 ま で には いたら な い大 き な 損
戦略 爆 撃 調 査 団輸 送 課 の報告 に述 べ られ て いる 。 し かし 、機 雷 作 戦
機 雷作 戦 であ った。 機 雷作 戦 の効 果 を含 む航 空 攻撃 の分 析 は、 米 国
る 船舶 に対 す る航 空 攻 撃 の最 も 効 果的 な方 法 の 一つは、 B 29 に よる
六月
五月
四月
三月
二月
一九 四 五年 一月
一八
一二
一七
一二
一
三九
︱
傷 を受 け た ので、 そ の修 理 のた め に近 く の造 船 所 に余 分 の大 き な負
七月
一〇〇
一未満
担 を かけ 、 新船 建 造 の割 合を 維 持 し よう と す る造 船 所 の能 力 に影響
八月
こ の報 告 で は、 分 析 のた め に、 航空 攻 撃 の影 響を 、 全体 の造 船所 計
を あ たえ る結 果 と な った。
の活 動 を 維 持す る能 力 と関 係 のあ る三 部 門 と 、造 船 所 のサ ービ スの
か ったと 思 わ れ る ので 、生 産 に対 す る損 害 の影 響 を 知 るた め に は、
一九 四五 年 の生 産 は七 月と 八月 に受 け た 損害 で 大 きく 影 響 され な
三 つの補 足 部門 は、造 船 所 の損害 、 他 の攻 撃 目標 によ る損 害 、 航空
一九 四 五年 七 月ま た はそれ 以 前 に損害 を 受 け た造 船 所 にお け る 一九
要 求 に対 す る航 空 攻 撃 の影 響 を含 む他 の部 門 に分 類 す る こと と し た。
攻 撃 の予 想 に よ る活 動 の妨 害 、 と いう そ れぞ れ の影 響 に つ いて 別 々
四 五年 の生産 記 録 によ らね ば な ら な い。 床面 積 に つい て報告 し た五
〇 の造 船 所 のう ち 、 一七 は六 月 末以 前 に航空 攻 撃 のた め に 一〇 % 以
に記述 す る。
終 戦 時 ま で に、 民 間造 船 所 の合計 床 面 積 の二 四% にあ たる 七 七〇
け る毎 月 平均 付 加 価 値 の 一九 四 四年 と 一九 四 五年 の間 の変 化と 、 大
た 一七 の造船 所 にお け る艦 艇 、商 船 およ び船 の構 成部 分 の作 業 にお
表 第 7 のと お りで あ る。 こ の表 で は、 七 月以 前 に大 き な損 害 を 受 け
上 を失 った。 六月 末 以 前 の航 空 攻撃 が 生 産 に およぼ した 影響 は、付
万 平方 フ ィー トが 、 さも なけ れば 無 事 であ った であ ろう が 、 航 空攻
き な損 害 を こう む ら な か った三 二 の造 船 所 の生産 に ついて 同 じ測定
造 船 所 の損害 の影 響
撃 のた め に破壊 さ れ た。 床 面 積 に つい て報 告 し た五 〇 の造 船 所 のう
二
ち 、 一七 は損害 を こう む らず 、 九 は 一〇 % 以 下 の損 害 を受 け 、 一五
によ る変 化 を 比較 し てあ る。
割 合 (% )
の で、 生産 に支 障 を 来 さな か った相 当 な期 間 は空襲 前 で あ った こと
思 われ る 。 一七 の工 場 の大 部 分 は、 そ の暦年 に つい て報告 し て いる
一% の損 失 は、 お そ ら く三 月 、 五月 、 六 月 の攻 撃後 に生 じ たも のと
損 害 を 受 け た 一七 造 船所 にお け る 一九 四 五年 の毎月 平 均 生産 の二
は五︱ 一〇 %が 、 九 は半 分 以 上が それ ぞ れ 破壊 され た。 損 害 を 受け
期
一
た時期 と 、 破 壊 され た床 面 積 が 全体 の喪 失 床 面積 に対 す る割 合 を示
時
せば 、次 のと お り であ る 。
一九 四四 年 一二月
付表第7 爆撃 の影響
における 一九四五年中 の毎月平均付加価値 に対す る
日本民間造船所 の商船、艦艇および構成部分 の作業
の 三 六% の喪 失 には、 三 菱 横浜 造 船 所 と石 川島 造 船 所が 、 そ の他 は
し、 そ の程 度 は 二 一% に達 し た。 これ ら 一七 の造 船 所 の合 計 床 面積
に な る。 こ の期 間 に つづ いて 、 これら造 船 所 の空襲 後 の活 動 が 低 下
ったと 思 わ れ る従 業員 宿 舎 と サ ービ ス施 設 の損 失 も 含 まれ て いる。
損 害 の程 度 は小 さ いが 工場 床面 積 の損失 ほど 生産 に支障 を 来 さ な か
し か し、 これら 造 船 所 の損 害 の程 度 は相 当 に大 き か ったが 、 絶望 に
は ほど 遠 か った にも か かわ らず 、 生 産 は明 ら か に永 続 す る ス ラ ンプ
これ ら 造 船所 の空襲 に よる損 害 から の 回復 は、 ひじ ょう に緩 慢 で
に お ち い った。
に対 す る造 船所 側 の回答 の大部 分 は、 明確 では な いが 堂 々たる 文章
あ り、 き わ め て限 ら れ たも のであ った。 こ の問 題 に つい て の質 問書
で述 べ てあ る。 日本 各地 の多 数 の造 船 所 を視察 し た結果 、 回復 のた
め に と られ た 処置 は最も 重 要 な 装置 のう ち最 も修 理 し やす い損 害、
こ の 一九 四 五年 は、 三 二造 船 所 に つい て は 一月 一日 か ら 八月 一五
と り わけ 大 き な損 害 を受 け な か った建 物が 修 理 し 回復 さ れ て いる に
1
日 ま で、 一 一造 船 所 に つい て は四 月 一日 か ら 八月 一五 日 ま で、 六造
き く 低下 し た と いう 報告 を確 認 し て いる。 より 重要 で さ えあ る こと
こと は、 空 襲 に よる 造船 所 の相当 な損 害 に よ って従 業員 の戦 意が 大
すぎ な い ことが わ か った。 物 質 的 な回 復が 十 分 に行 な わ れ なか った
船 所 に つい て は 一九 四 五年 八月 一六 日 ま で で期 間 の 一部 は 一九 四四
一九 四 五年 の価 格 (一九 四 四年 の実 際 の価 格 の 一 一八% )に修 正ず
会 計 年 度 で あ る。 2 み。 一九 四五 年 [ 編 者 注 ・原 文 は ﹁四 四年 ﹂ とな って いる が誤 植 と思
は 、 回復 が 十分 でな か った のは 、 一般 に 日本 の造 船 所 の管 理 には、
3
空襲 に よ って生 産 活 動 の合 理 的 な 回復 を必 要 とす る程度 に損害 を こ
木 造船 造 船 所が こう む った空 襲 によ る損 害 は 四 一造船 所 から 報告
た ら し た影 響が あ った、 と 結 論 さ れ るであ ろう。
な 損害 は、 造船 所 の生産 活 動 を 大 きく か つ比 較的 永 続 し た低 下 をも
う 印 象も 確 認 し て いる。 そ こで 、造 船 所が こう む った 相当 な 物 質的
う む った破 壊 と異 常 な状 態 を克 服す る だけ の融通 性 が な か った と い
わ れ る] 六 月 三〇 日前 の爆 撃 で攻撃 を受 け なか った も の、 ま た は、
一九 四五 年 六 月 三〇 日前 の爆 撃 で床 面 積 の 一割 以 上 を破 壊 さ れ 、
二造 船 所 が含 ま れ て い る。
床 面 積 の 一割 未満 が 破 壊 さ れ、 一九 四 四年 生 産 の 六割 を 建造 し た三
4
一九 四 四年 生 産 の四 割 を生 産 し た 一九 の造 船 所 が 含 ま れ る。 六月 三 〇 日現 在 、 これ ら造 船 所 の破 壊 さ れ た 合計 床 面 積 は、 攻 撃 さ れ な か った なら ば、 これ ら造 船 所 に 存 在 し て い た と思 わ れ る総 計 の三 六% にあ た った 。
数 個 の造 船 所 は 一九 四 五年 三 月 に損 害 を受 け たが 、 そ の半分 以 上 は
も か な り深 刻 な 問題 であ った労 働 時 間 の減 少 は、 付表 第 7に 示す 生
く 従 業員 の不 足 に つい ての 不満 は聞 かれ な か った 。雇 用 の低 下 より
方 に行 かね ば な らな か った食 糧 不 足 に よる 欠 勤 であ る。 給 料 に基 づ
であ り、 そ の第 二 は、 従業 員 が 食 糧 さが し に 一週 間 のう ち 数 回も 地
七月 と 八月 の空 襲 のとき であ った。損 害 を こう む った造 船所 の大 部
産 割 合 と同 じ 時期 を 基 礎 と し て算 定す れば 、 一九 四 五年 の毎月 平 均
都 市 地 区空 襲 の影響 を 受 け た地 区 に所 在 す る造 船 所 の従 業 員 の欠 勤
分 は、 都 市 地区 に対 す る攻 撃、 ま たは付 近 の木 造 船 に対 す る攻 撃 に
雇 用 は 一九 四 四年 の九 二% であ ったが 、 労働 時 間 は 七 四% であ った
され て いる にす ぎず 、 こ の四 一は 日本 の木 造 船 造船 所 全 体 の 一六%
よ るも ので あ った 。木 造 船 の生 産 は、 空襲 が 行 な われ た とき ま でに、
にあ た る 。 これ ら 損 害 を受 け た造 船 所 の約 半 数 は完 全 に破壊 さ れ た。
エ ンジ ン の不足 のた め に、 全体 の造船 所 の比 較 的 小部 分 が こう む っ
こと か ら知 る ことが でき る。
に対 し て、 労働 時 間 と 雇用 が そ れぞ れ 七 四% と 九 二% に低 下 した の
一九 四五 年 生産 の毎 月平 均 割 合が 一九 四 四年 の六割 に低 下 した の
た損 害 が 木造 船 の建造 に実 質的 な 影 響 をあ たえ た か は疑 わ し い程 度 にま で 、 す で に低 下 し て いた 。
は、欠 勤 以 外 で欠 勤 と 同様 に悪 い影響 を あ たえ た 一部 の要 因が 造船
付表 第 8に 示 し てあ る 六月 三 〇 日 以前 の地 区 空 襲 を受 け た都 市 に 所
他 の攻 撃 目標 にあ たえ た 損害 の造 船 所
在 し て損 害 を こう む ら な か った造船 所 の生産 と 労働 力 の結 果 を 、損
三
造 船 工業 を維 持 す る経 済 の諸 部 門が 空 襲 で 受 け た損 害が 造 船 にお
所 の全 体 の活 動 を低 下 さ せ た有 力 な原 因 であ った。 これ に ついて は、
よぼ し た 影響 は、 維持 の程 度 に影 響 し た他 のす べ て の要 素と 密 接 な
て損害 が な か った造 船 所 の結 果 と に比 較 す る こと に よ って、 明 ら か
害 を こう む った造 船 所 の結 果 と 、 攻撃 を 受 けな か った地 区 に所 在 し
への影 響
関 係 が あ る の で、 これ を 測 定す る こと はむ ず か し い。 た とえ ば 、 造
空襲 を受 け た都 市 地 区 に所 在 し て損 害 を こう む ら な か った造 船 所
にな る と考 え る 。
船 所 の労働 力 の不 足 のう ち 、ど れ だ けが 空 襲 に よ る欠 勤 な の か、 そ の他 の理 由 に よる 久勤 な のか、 ま た は、 優 秀 な 工員 が 軍 隊 に召 集 さ
は、損 害 を 受 け た造 船 所 よ りも 労働 時 間 と雇 用 の点 で多 少 低下 し た
れ た ので 労働 力 の平均 技 倆 の低 下 によ る のか 、 を述 べる のは困 難 で あ る。 他 の目標 に対 す る空 襲 に よる損 害 が 造 船 に お よぼ し た影 響 に
と は、損 害 を 受 け た造 船 所 の活 動 を低 下 さ せ た原 因が 労働 力 の不 足
で損 害 のな か った造 船 所 にく ら べ て ひじ ょう に少 な か った。 こ のこ
で はな か った こと を明 ら か に示 し て お り、 低下 を も たら し た の は造
が 、 そ の生 産 の低下 の割 合 は空 襲 を受 け た地 区 の近 く に所在 しな い
造 船 所 の管 理 者 た ち の陳 述 に よれば 、 一九 四 五年 に造 船 にあ た っ
船 所 の物 質 的 な 損害 であ った と推 定 さ れ る。
ついて いえ る の は、労 働 力 と船 の構 成部 分 およ び材 料 の供給 にあ た
た労 働 者 の員数 が 減少 し た のは、 主 と し て 二 つ の要 因 によ るも ので
え た影 響 を 別 々に述 べ る こと であ ろう 。
あ り、 そ の第 一は、 住宅 の破壊 と 地方 輸 送 機 関 に 支障 を も たら した
付 表第 8
空襲 地 区 で損 害 のあ った造 船 所、 損 害 のな か った造
在 し、 一九四四年 生産 の七%を生産する六造船所を含む。これら六造
区 空襲 を受けた都市 ( 東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸) に所
付表第7で述 べたように、損害 を受けず 六月三〇日前 に空襲 を受け
一五〇、五四、 六七、 二五〇、九 四六であ った。
た地区外に所在し、 一九四四年 生産 の五三% を生産した二六造船所を
商船、艦 艇および船 の構成部分 の作業の毎月平均付加価値。
︹一九 四 五年 指 数 (一九 四四 = 一〇 〇 )︺
害 の有 無 に か かわ らず 、 造船 所が 一九 四五年 に比 較 的高 い割 合 で構
れ ら 製 造所 が 空 襲 の ため に損 害 を 受 け た こと であ る 。空 襲 によ る損
が 大 き く な った こと を示 す。 供給 が 困難 にな った理 由 の 一つは、 こ
に力 を 入れ た のは、 造 船 所 以外 の製 造所 か ら構 成 部 分 の供 給 の困難
右 の表 に見 ら れ る よう に、 一九 四 五年 に造 船 所 が構 成 部 分 の生 産
の表 に 示 さ れ て いる 。
部 分 の生産 を 直 接 の造 船 作業 よ りも は るか に よく 維 持 し た状 況 は次
でき な か った。 損害 を受 け た造 船 所 と受 け な か った 造船 所 が 、構 成
こう し た製 造 所 に対 す る 空 襲 の影 響 をあ ら わ し た詳 し いも のが 入手
造 船 所 以外 で行 な われ た 船 の構 成 部分 の生産 量 に関す るデ ー タ は、
5
含む。
4
船所 の 一九四五年 の生産指数 は、 一九四四年生産 の順位 で示 せば 八四、
船 所 、 空 襲地 区 外 の損 害 を 受 け な か った造 船 所 の 一 九 四 五 年 の毎 月 平均 生 産 、労 働 時 間 、 雇用 に対 す る
この表 の ﹁損害 の あ った造 船所 ﹂ は、 付 表 第 7と 同 様 で あ る。
こ の表 のす べて の算 定 の ﹁一九 四 五年 ﹂ は、 付 表第 7 と同 様 で あ る 。
爆撃 の影 響
1
付 表 第 7 で述 べ た よ う に、 損 害 を受 け な か った が 六 月 三〇 日前 の地
2 3
れ た商 船 エンジ ン の合 計馬 力 の七 四% が 民 間造 船 所 で製 造 さ れ た こ
成 部 分 の生 産 を維 持 で き た こと と、 前 述 し た よう に戦時 中 に生 産 さ
は 工作 機 械 の約 一割 を 空襲 によ る被 害 の少 な い場所 に移 し はじ め た。
区空 襲 後 に発 出 さ れ た 一般 疎 開命 令 に従 って、 大都 市 にあ る造 船所
し い場 所 に新 造 船 所 を建 設 でき な か ったと思 わ れ る。 最 初 の都 市 地
れら の機 械 は重 く な く取 り扱 いが 容 易 な も のば か り であ った。 こ の
そ の場 合 、当 面 の造船 活 動 に重要 でな い機 械 のみが 選ば れ たが 、 こ
疎 開 計 画 に よ って 造船 所 の生 産 に は支 障 を来 さ な か ったが 、 一九 四
と か ら見 れ ば、 一九 四 五年 にお け る造 船 の割合 が 低 下 し た の は構 成
米 国戦 略 爆撃 調 査 用輸 送 課 の報 告 に述 べ られ て いる よう に、 日本
部 分 の 不足 によ る と は思 わ れな い。
本 土 水域 に おけ る船 舶 に対 す る 空襲 の増 加 と B29 の機 雷 作 戦 によ る
これ ら は天候 と 整 備 不良 のた め に ひど く いた んで い た。
五年 一〇 月 に造 船 所 に疎 開 先 き から も ど った機械 を し ら べた と こ ろ、
造 船 所 の内 外 におけ る空襲 対 策 は主 と し て人 員 の退 避壕 に限 られ
一九 四五 年 の五月 から 七月 にか け て の海 運封 鎖 の強 化 の ため に、 日
たが 、 造船 所 によ って は空 気 圧縮 機 や 回転 電 気変 動 機 など の重 要な
本 に おけ る 鋼 の生 産 が ます ま す 困難 にな った。 し か し、 前 出 の付 表 第 5と 第 6 に示 した よう に、 一九 四五年 に は造 船 のた め の鋼 の生 産
般 に工作 機 械 を 保護 す る大規 模 の設 備 は、 丘 で か こま れ た造 船所 の
機 械 を 保護 す るた め簡 単 な 爆 風 よけ 壁 を設 け た と こ ろもあ った。 一
作 業 地 区 を拡 張 す る た め に掘 ら れ た相 当 に長 いト ンネ ルのあ る 一部
ま で に在 庫 量だ け で 相当 期 間 の造 船 を 維 持 でき る程度 に減 少 し た。 し たが って、 封 鎖 が製 鉄 所 の操 業 を 停 止 さ せ たと し ても 、 材料 に関
が 不足 し つ つあ った 。後 述 す る よう に、鋼 の所 要 量 は 一九 四 五年 末
す る限 り 、 造船 所 の活動 はあ る期 間 つづ け る こと が でき て いた と思
の造 船所 のほ か に は見 ら れ な か った 。あ る造船 所 で は、 保 護 のた め
に使 用 中 の機 械 が これ ら ト ンネ ル内 に取付 け ら れ て いた。 要す る に、
われ る。
空襲 対策 の た め の材 料 と 努 力 は、 造 船作 業 に使用 す る材 料 と労 働 力
造 船 活 動 を支 持 す る目 標 に対 す る空襲 の損 害 は 、 一時 的 に は造 船 所 の 一部 の生産 に支 障を 来 し たが 、 造 船所 の活 動 を造 船 所 以外 の 工
に支 障 を来 す ほ ど のも ので は な か った 。
空襲 期 間 中 におけ る造 船所 作業 要 求 の変 化
日本 は戦 争 遂行 の た めに、 アジ ア大陸 から食 糧 を は じ め石炭 と 鉄
五
場 よ りも 全 般的 に低 下 さ せる点 で は、造 船 所 が こうむ った 物質 的 な
空襲 対 応策 が 造 船 にあ たえ た 影響
損 害 ほど 効 果 的 で はな か った。
四
空 襲 対 応策 と して 造船 所 を疎 開 さ せ る 努力 は 比較 的 に小 さ か った。
新 船 の建 造 を つづ け るべ き か、 そ れ とも 敗 北 を認 め ねば な らな か っ
よる商 船 の喪 失 と大 陸 か ら隔 離 さ れ て いる 事態 に直 面 し た 日本 は、
を 本 土 に輸 送 し なけ れ ば な ら な か った。 そ こで、 ひ き つづ く沈 没 に
は航 空 機 や 自動 車 な ど他 の重要 な 工業 ほ ど大 き く な か った 。 の みな
た。
前 述 した よ う に、 工 場 は地 理的 に大 き く集 中 し て い たが 、 そ の程 度
ら ず 、 た と え現 存 の造 船 所 から 移 し た機 械 を装 備 し たと し ても 、 新
一九 四 五年 三月 二 七、 三〇 の両 日 、第 二〇 航 空軍 は 一、〇 〇 〇 ト
機雷 の大 部分 は下 関 海峡 と 日本港 湾 の近 接 路 に、 相 当 数が 瀬 戸 内
方 が経 済 的 で あ る、 と いう 日本 側 の決 定 をあ ら わ し て いる。
の表 に 示す よ う に、 損 傷 し た付 近 にあ る民間 造 船 所 に おけ る商 船 と
海 の各地 点 にも 敷 設 さ れ た。 触 雷 に よ って損 傷 し た船 の修理 は、 次
ン以 上 の機 雷 を投 下 し、 そ の後 、 最 初 の最 も 効 果 的 な機 雷 原を 増 強 す る とと も に、 新 た な機 雷 原 の設 定 に よ って 、終 戦 時 ま で機 雷 作 戦
此 の表 が 示 す 一九 四五年 の数字 は年 間 の平均 であ る ので、戦 争 の
りも 大 き か った 。 こ の よう な 生産 の損失 は、施 設 が 破壊 され た こと
合 の低 下 の程 度 は、損 害 を受 け な か った造 船所 の活 動 低下 の割合 よ
一九 四 五年 六月 末 以前 の空襲 で損 害 を こう む った 造船 所 の生産 割
爆 撃 効 果 の結び
最 後 の二、 三 ヵ月間 に生 じ た変化 の程 度 よ りも 明 ら か に内 輪 のも の
と 回復 を 妨げ た従 業員 の戦 意 の低下 と 混乱 によ る ので あ った 。都 市
六
に さら に大き く な って い たと 思 われ る。
たな らば 、 右 の表 に示 し た機 雷原 に最 も 近 い造 船 所 の数 字 は相対 的
これ ら のデ ー タが 機 雷 作 戦開 始 後 の期 間 に ついて 別 々に入 手 でき
艦 艇 の修 理 の毎 月 平均 付 加価 値 にあ らわ れ て いる 。
を徐 々に強 化 し た。 こう して 、多 数 の商 船 が 機 雷 に触 れ て沈没 し た
の大 き な増 加 と いう 形 態 であ ら わ れ た。
が 、機 雷 作 戦 が造 船 所 にあ たえ た影 響 は、 修 理 を 必要 と す る損 傷 船
飛行 機 と 潜 水艦 によ って強 化 され た直 接 攻撃 から 船舶 を 保護 す る
つづ け る こと にもあ らわ れ た。
懸命 な最 後 の努力 は、 民間 造 船所 で沿 岸 防 備艦 艇 を 建造 す る計 画 を
民間造船所で直接造船 に向け られた作業総計 の割合 %
造 船 に直 接 向 け られ た 生産 努 力 の総 計 の配分 に見 ら れ る 一九 四 四
と な って い る。商 船 の修 理 と 艦艇 の建 造が 相対 的 に増加 した こと は、
年 と 一九 四 五年 の変 化 を 示 せば 、右 の表 のと お り であ る。
同 じ エネ ルギ ー を新 船 の建 造 にあ て るよ り も現 存 す る船 を維 持す る
地 区 に対 す る 航 空攻 撃 の結果 、 これら 都 市 に所 在 し て損 害 を こうむ った造 船 所 はむ ろ ん のこ と、損 害 のな か った造 船 所 でも 欠勤 率 が 大
たな らば 、 日本 に戦 争 努 力 を実 質 的 に思 い止 まら せるき ず な、 す な
わち 、 日本 船 舶 の崩 壊 と い うき ず な は、 も っと速 や か に締 め つけ ら
な い。 こう し た攻 撃 が機 雷 作 戦 の補 足 と し て機 雷原 に近 い造 船 所 に
れ て いたで あ ろう し 、 日本 の降 伏時 期 を 早 めさ え し て いた かも しれ
終 戦 時 ま で に、 造船 所 の生産 活 動 は利 用 でき る材 料 と 労働 力 によ
対 し て指 向 さ れ て いた なら ば 、 と りわ け 効果 的 であ ったと 思 わ れる 。
幅 に増 加 した 。
る 限度 を 下 回 った。 こう した変 化 をも た ら し た新 し い唯 一つの大 き な要 因 は、 多数 の造船 所 が こう む った 損害 であ る 。 した が って、 航 空攻 撃 によ る直 接 の損 害 と 、 そ の結 果 と し て生 じ た損 害 を受 け た造 船 所 に お け る操 業 の混 乱 が 、造 船 所 活動 の全 体 の総 計 を 大き く 低 下 す るよ う 促進 し た も のと 思 わ れ る。 さ き に航 空 攻 撃 に よる 損害 に つ いて要 約 し た さ い、 一九 四 五 年 六 月 三 〇 日前 に床 面積 の少 なく と も 一〇 % を 失 った 一七 の造 船 所 のほ か に、 終 戦 時前 に同 様 の損 害 を こうむ った 七 つの大造 船 所 が あ った こと を述 べ て お いた 。 こ の ほか、 七造 船 所 は床 面 積 の 二 八% を失 っ た。 こう し た損 害 の大部 分 は高 性 能 爆薬 爆 弾 によ るも のであ った。
つの大 造船 所 と 二 二 の小 造 船所 にす ぎ な か った。 一九 四 五年 六 月 末
終 戦 時 ま で に航 空 攻 撃 に よ って床 面 積 の 一割 以 内 を失 った の は、 三
以 前 に命 中 弾 を 受 け た造 船 所 の生 産 に対 す る航 空攻 撃 の影響 か ら見 れ ば 、も しも 戦争 が つづ い て いた な らば 、 造船 所 の活動 は停 止 も同 然 の状態 にま で速 や かに低 下 し て いた であ ろう と 推定 す る のは合 理
航 空 攻 撃 によ る損 害が 比 較 的 に軽 微 であ った 造船 所 が 受 け た影 響
的 で あ ると 考 え る。
も 、 日本 本 土 に対 す る空 襲 が 初期 の段 階 で実 際 よ りも 強 烈 に行 な わ
たか も しれ な いこ とを 示唆 し て いる。 これ が 効果 的 に実 施 さ れ て い
れ て いた なら ば 、 それ は船 舶 を破 壊 す る航 空 力 の経 済 的用 法 であ っ
付録 第 1
日本 の57造 船 所 の戦時 中の 施設 と生 産 高
付 録 第 2 100総 トン以 上 の鉄 船 の会 計年 度 別船 種 別 完成 合 計 トン数 1931―1945
付 録 第 4 海 軍 艦 政 本部 の 計 画 に よる500総
トン以上 の 商 船建 造 計 画
(1942―45)
(1)計 画1―4は 運 輸 通 信 省 が作 成 し配 布 した。(2)1945年 の最 初 の 6ヵ 月間 の み 。(3)詳 細 は入 手 で は海 軍艦 政 本部 が1944年11月 に配 布 した 「現 状 報告 」 に よ る。(4)1945年 の 最 初 の 6 ヵ月 間 のみ 。(5)194
〔付 録 第 3の続 き,各 欄 は左 頁 か ら続 く〕
(4)1 メー トル 馬 力=0.98634英 力。
馬 力 ま た は 1秒 時 に75キ ロの重 量 を 1メー トル の 高 さに揚 げ る
付録第 3 標準型船の詳細
(1)C
… 貨 物 船,O
(3)1
メ ー トル ト ン=2,204ポ
… 鉱 石 運 搬 船,T ン ド。
… タ ン カ ー 。(2)100立
方 フ ィ ー ト貨 物 容 積=1
総 ト ン。
付録第 5 造船の毎三円価値投入 と指数 〔1945・5・7商
船 円 価 値 投 入(1,000円)〕
1941会
計年 度
1942会 計年 度
1943会 計 年 度
1944会 計 年 度
1945会 計 年 度
造 船 に 対 す る 円価 値 投 入 の指 数 (1944年5月=100) 1941会 計 年 度
1942会 計 年 度
1943会 計 年度
1944会 計年 度
1945会 計年 度
(注)木
造船 につい ては毎月価格生産 の総平均を100とす る。
米国戦略爆撃調査団軍事補給部
付録第 6 民間造船所 に対する質問事項 (回答 は運輸通信省を経由し英文で提出 のこと) 明治ビル三六九号室 、 一九 三 一年 か ら 一九 四 五年 ま で の期 間、 貴 造 船所 で建 造 し た 一
一
〇 〇 ト ン以 上 の各 鉄船 に ついて 、次 の資料 を 提 出 され たし。
述 べら れ た し。 詳 細 に は、期 間 におけ る 総 ト ンと排 水 ト ンの合 計、
を含 める こと 。 計 画作 成 者 の氏 名 。計 画 を改 定 し た 場合 に は、 そ
平 均 建 造所 要 期 間 、各 種 類 ま た は標 準型 を 明記 し、 平 均艤 装 日数
の期 日と 詳細 を示 す こと。
年 度 ま た は暦 年) に つい て、 貴造 船 所 の作 業 の内 訳 を 示さ れ た し。
三、付 記 の表 に より 、 一九 三 五 年 から 一九 四五年 ま で の各 年 ( 会計
5
4
標 準速 力
燃 料 の種 類 (石炭 、 燃 料 油、 デ ィー ゼ ル油 など )
推 進 機関 の種 類 (タ ービ ン、 往 復 機関 、 デ ィーゼ ルな ど)
標 準型 (TL 、 2TL 、 A 、 2A など ) ( も しあ れば ) 総 ト ン (商 船 ) ま た は排 水 ト ン (艦艇 )
船 な ど。 艦 艇 は航 空 母艦 、駆 逐 艦 、掃 海 艇 など )
1
船体 外 板 の熔 接 と鋲 打 の割 合
最 終 組 立 前 に製 造 し た最 大 の単 一部 分 の重 量
進 水 時 にお け る船 の重量 の合 計
年 以降 の主 な増 減 の期 日と 量 を 示さ れ た し。
数 と 寸法 、 お よび 床 面積 の合計 を 示 され たし。 これ ら の 一九 三 五
六、 一九 三 五年 末 現 在 で、 船 の建 造 に あ てた船 台 お よび 乾 ド ック の
五、 一九 三 五︱ 四 五年 に貴 造船 所 が使 用し た鋼 の各年 のト ン数 と 、
業 員 数 を示 さ れ た し。
四、 一九 三 五 ︱ 四〇 年 は各年 の、 一九 四 一︱ 四五年 は各 月 の平 均従
6
2
船 ( 艦 ) 名 (ロー マ字 )
7 全
3
1
8 起 工期 日
種 類 (商 船 は油 送 船、 貨 物 船 、貨 客船 、 石 炭船 、 曳 船 、 浚渫
9 進 水期 日
2
10 引 渡 し期 日
6
5
4
3
2
1
そ の他 の重 要 な こと
在 庫 品 の損 失 (円 で 示す )
造 船 所 内 の船 の損害 (船 の隻 数 と円 で示 し た損害 の程 度 )
従 業 員 の増 減 (一時的 と 永 久的 )
損 害 を受 け た ク レー ン、乾 ド ック、 船 台
破 壊 さ れ た床 面 積
八、 左 記 に つい て、 各航 空 攻 撃 の影 響 を述 べ られ たし。
七 、多 数 建 造 し た標 準 型 船 に つ いて、 左 記 を示 さ れ たし。
各 年 末 現在 にお け る貴 造 船 所 の鋼 の在 庫 ト ン数 を 示さ れ た し。
11 建 造 に使 用 し た船 台
3
12
エンジ ン製造 所 (貴造 船所 以 外 の場 合 に は、 そ の会社 名 と 所
エンジ ン入手期 日 (貴 造 船所 で製造 の場 合 は、 そ の完 成期 日 、
在地)
長
13
14
外 部 で製 造 の場 合 は引 渡 し期 日) 二、戦時中 に貴造船所で作成 したすべての生産計画 の詳細と期間を
ど のよ う な物質 的 な再 建 を計 画 し 、ど の程度 完 成 し た か 生 産 を つづ け る た め実 施 し た方 策 九、 一九 四 一年 一二月 から 一九 四五 年 八月 一五 日 ま で の各月 末 現在 で、 修 理を 待 って い た商船 の隻 数 と総 ト ン数、 修 理 のた め造 船所
月
日
に いた商 船 の隻 数 と 総 ト ン数 を、 次 の表 によ って分 類 され たし。
年
(一〇 〇 〇 円)
(一〇 〇 〇 円)
造 船所 名
年度 末 の在庫 材 料 の円価 値
(付記 )
年 度 末在 庫 の仕 上げ 構 成 部 分 の円 価 値 (1) 商船は総 トン、艦艇は排水ト ンで示す。
三
米 軍 の対 日 攻 撃
れ た正 確 なも のと は思 え な い。 し かし なが ら 、 同時 に こ の基 礎資 料
一 対 日輸 送 攻 撃 戦
は、 事 情 に精 通 し た人 々にも 十分 にし て広 汎 な 横 断面 を 提供 し 、 日
たが 、 し か しど れ 一つと して、 そ の問 題 の範 囲 内 に お いて、 完 成 さ
日本 商 船 海運 史 の研 究 に は、き わ めて 困難 な問 題が 横 たわ って い
本 商 船 界 に起 った 諸事 件 の包 括 的 な全 貌 を与 え て くれ る はず であ る。
言
る。 そ の主 要 な原 因 は、 日本 側 の諸 種 の記録 類 は混 乱 し て おり、 不
諸 情 報 は す べ て、 一隻 ご と に 比較 、 照 合 、検 討 し たう え 、 でき う る
緒
け る 日本 の船 舶輸 送 の状況 を 、 でき るか ぎ り 正確 に記述 す るた め に、
適 切 であ った こと に よ る。 当 輸 送課 の作 業 の大 部 分 は、 戦 争 時 に お
に民 間側 から 約 五〇 種 の異 な った リ スト、 報告 書 、 そ の他 の情 報 を
報 に基 づ いて作 成 さ れ て い る。東 京 お よび 日本 内 地 の陸 海 軍 、 そ れ
日本 商 船 隊 の沈 没 に関す る諸統 計 は、 わ れ われ が 日本 で集 め た情
就 され たも のと 、 わ れ わ れ は信 じ て い る。本 報 告 に収 めら れ た諸 統
全 貌 を展 開 でき る よう に す る、 こと であ った。 そ し て こ の作 業 は成
り は な い程 度 に、 十 分 に し て完 全、 正確 な そ の諸 出来 事 の総 括 的 な
日 本商 船 界 に起 った 出来 事 に つ いて 一応 の結 論 を 下 し てもあ ま り 誤
日本 商 船喪 失 表 を作 成 す る際 の基 準 方 針 は、 次 の よう であ った 。
限 り、 米 国側 の資 料 源 に よ る攻 撃諸 元 と 比較 して 、洩 れ なく 検 証 し
入 手 し た ので あ る。 これ ら の情 報 のいく つか は、 日 本商 船 界 が 、 い
て いる。
か な る運 命 を たど ったか と いう 問 題 のす べ て を網 羅 的 に明 ら か に す
計 は、 当 時 の日本 の支 配 下 にあ った全 商 船 ト ン数 の少 なく とも 九 五
十分 な分 量 、 か つ正 鵠 な る資 料 を選 別 し 、収 集 す る こと に、 必 然的
る 目 的 で作 製 さ れ て は いたが 、 同 時 にま た、 そ のう ち のいく つか の
に関 し、 少 なく と も 、 これ ま た九 五% の確 度が あ る と信 ず る。 五〇
% の運 命 を 示 し て おり 、 用 いら れ た数 字 は、 こ の対 象 とさ れ た商 船
に あ て られ た。
も のは 、同 一問題 を、 地 理的 、 年 代 記的 にも 、 ま た は、 な んら か の
〇 総 ト ン以 下 の船 舶 の喪 失 に ついて は、 時 間も なく、 入手 し得 たデ
制 限 に よ って、 限定 さ れ た 部門 のみ を取 り 扱 ったも のもあ った 。 と こ ろで これ ら のリ スト は、 各問 題 を網 羅 的 にと らえ るこ と とし て い
ー タが あ ま り 信頼 しえ な か った ので、 逐 一調 査 をす る こと は行 な わ
の工業 と 自 家消 費 用 の石炭 は、 ほぼ 自 給 自足 が でき た。 し か し コー
て豊 富 であ り、 か つそ の生産 方 式 も発 達 し て いた の で、 日本 は通 常
生産 量も 不十 分 であ った。 ただ 燃 料だ け は、 石炭 の埋 蔵 量 がき わ め
ク ス用 の石炭 は産 出 せず 、 日本 海 軍、 商 船隊 、 空 軍 の動 力 源 た る重
た いし て重 要 な役 割 は果 さ な か ったと 信 じ ら れ て い る 。 (こ れ は五
要 な 油 は、 殆 んど 輸 入 に頼 らざ る を えな か った。
な か った。 そ し て これ ら の小 型 船 舶 は、 日本 の戦 争 経 済 の運 営 に は、
〇 〇 ト ン未 満 の鋼 鉄 船 の重要 度 は、 日本 が開 戦 時 に使 用 し得 た鋼鉄
日本 は、 大 規模 な 国 内貿 易 と 外 国貿 易 を営 む 海洋 国 家 で あ り、 ま
製 商 船 ト ン数 のわず か三 % し か占 め て いな か った こと 、 ま た今 次戦 争 中 に日本 が 建 造 し た鋼 鉄船 ト ン数 のう ち、 五〇 〇 ト ン未 満 の船 は、
た 屈 指 の海 軍 強国 であ り、 そ し て世界 に雄 飛す る こ とを 熱 望 し て、
な 国 内 お よび 植 民 地貿 易 の約 五 四% を引 き 受 け た のであ った。そ れ
(昭 和十 二年 ) に は四 五 〇 万 ト ン に増 強 さ れ た。 この商 船 隊 は 〓 大
近 代 的 な大 商 船隊 を 発 達 さ せ た国 であ る。商 船 隊 は、 一九 三 七 年
る こと が 出来 る はず であ る。 同委 員 会 に よ る査 定 は、 入手 可能 な 一
陸 海 軍 統 合戦 果 査 定委 員 会 の報告 を 参 照す る こと に よ り、 これ を 知
でも 船 舶 は不 足 し、 一九 三 八年 末 に英国 が 三% 、 米 国が 一〇 % の商
各 船 舶 の沈 没 に つい て の完 全 な情 報 は、 ま だ 完成 し て いな い。が 、
〇 ・五 % 以下 だ った事 実 によ っても 示 さ れ る。)
切 の資 料 を慎 重 に評価 し たも ので、 か つま た陸 海軍 相 互 間 で妥 当 と
大 型 航 洋船 の船 隊 の建 造 と 平行 し て、本 土 の諸 島 間 や 周 辺 の いた る
れ 、 相 当大 規 模 で か つ適 正 な 造船 工業が 引 き 続 い て維 持 され て い た。
た。 こ の商 船 隊 を近 代 化 し 、拡 張 す る た め の、 盛 んな造 船 が 要求 さ
船 を 休 航さ せた時 、 日本 の休 航船 はわず か に〇 ・三 % にす ぎ な か っ
要 約 と結 論
認 め ら れ たも のであ る 。
第 一章
料 を 使 用 し て いた が、 鉄 道 総 マイ ル は意外 に少 なく 、 ま た 鉄道 組織
の海 運 は高 度 に発 達 し、 主要 重 工業 は海路 を へて受 け 取 る燃 料 や 原
と こ ろ の沿 岸 貿 易 に従 事 す る 多数 の小型 船 も 建造 さ れ て い る。 日本
世 界 の大 国 の中 で 日 本 ほど 、 海運 に依 存 し て いた 国 は他 に類 例が
は 一般 に低能 力 であ った。 わず か に 二本 の幹 線が 海 岸 に沿 う重 要 地
約
な い。平 時 は も と より 、 戦時 にお い て はな お さ ら の こと、 日本 の全
点 を つら ね て本 州 の長 さ に等 し く敷 設 さ れ て いた。 内 海 の諸大 港 や
一 要
経 済 は、 そ の産 業 用 の基 礎原 材 料 と、 国 民 の衣 食 に必要 な主 成 分 の
て発 達 して いた。 本 州 の背 骨 を 横 断す る 数本 の支線 は、 能 力も き わ
下 関 連 絡 路 に向 う 東 京 か ら の南 西 路線 だ けが 、 貨物 輸 送 を 目的 と し
め て制 限 さ れ て お り、 重 要度 も 低 か った 。北 海 道 と 九州 の鉄道 系 統
主と し て鉄 、鋼 、 ア ル ミ ニウ ム、 それ に化 学 工業 に基 礎 を置 いて い るが 、 日本 は以 上 の殆 ん どす べ てを輸 入原 料︱︱ 鉄 鉱 、粘 結 炭 、屑
は 、諸 港 湾 と 連絡 船 に通 じ る諸 線 か ら成 って いた 。 関門 ト ンネ ルが
供 給 と に お いて、 ま った く海 上 輸 送 に依 存 し て いた 。 軍需 産 業 は、
の基 本 工業 原 料 は、 日 本 本 土 にも産 出 したが 、 それ ら は品質 も 劣 り、
鉄 、銑 鉄 、 ア ルミ ナ、 燐 灰 土等 ︱︱ に依 存 し て いた 。 も っと も 若 干
開 戦後 に開 通 し ︹一九四二年 六月︺ 、 はじ めて 九州 と 本州 と の 間 が 鉄 道 によ り 直通 す る こと にな った。 平 時 に お いて は鉄 道 は、 一般 には 圧倒 的 に旅客 輸 送 に 主力 を お き、 鉄 道 によ る貨 物輸 送 は、大 体 にお いて沿 岸 輸 送 や洋 上 輸送 の補 助 機関 とし て、 専 ら近 距 離 輸 送 に従 事 し て い た。 主要 道 路 綱 は未発 達 のま ま で、 主要 都 市 間 を結 ぶ 幹線 道 路 は未 完 成 で あ り、 ト ラ ックや バ スに よる 輸 送も 、 ま ったく 未 開発 の状 態 のま ま であ った。 日 本 本 土 で産 出す る燃 料 と そ の他 の天然 資 源 の分 布 の関 係 から し て、 内 地 間 の貨 物運 輸 の殆 ん ど の中 心 は、 日本 列島 の両 端、 す な わ ち九 州 と 北海 道 に集中 して いた 。 し かし 大都 市 と 主要 産 業 地 帯 は、 東京 から 内 海諸 港 に向 け て南 西 方 に通 ず る本 州 東 南岸 に沿 って集 中 し て い た のであ る。 これを 支 え る基 礎 と な った運 輸能 力 は、沿 岸 海 運 と能 力 の低 い鉄 道 幹 線 二本 によ る 国 内輸 送 であ り、 特 に燃 料 や食
し得 なく な って おり 、 緒戦 の戦勝 に より 捕 獲 した 船 舶と ても 、 わず
か に 八 二万 三 千 ト ン にすぎ な か った。 つま り 日本 の船舶 事 情 は、 開
を最 高 度 ま で利 用 し尽 す ことが 是 非 とも 必 要 と され て いた。 日本 の
戦 当 初 に お いてす で に窮 屈 な状 況 に お かれ て お り、 所有 す る 商船 隊
航 洋 鋼 船 隊 は、 積 極 的 な造 船 計画 の推進 に より 、 こ の時点 で は五〇
〇 ト ン以 上 の船 舶 の総計 は六 〇〇 万 ト ンに達 し て い た。 し かし なが
ら こ のう ち 約 四 一〇 万 ト ンは陸海 軍 用 と し て作 戦 プ ー ルに配 当 さ れ、
民 需 用プ ー ルと し て残 さ れ た船 舶 は、 わ ず か に 一九 〇万 ト ンにす ぎ
な か った。 し かも 、 急 激 な占 領 地 域 の拡 大 、外 縁 地 帯 に おけ る相 次
れ て いた船 舶 の還 流 は意 のま ま にな ら な か った。 陸 軍、 海 軍 、 民間
ぐ 戦 局 の挫 折 と のた め に、軍 用 か ら 民間 用 へと、 開 戦当 初 に予定 さ
の三 つ のグ ループ は 依然 と し て単 独 で船 舶 を運 用 せざ る をえ な か っ
た 。 こ の こと は、 作 戦用 プ ー ルに所 属 す る船 舶 が 、本 国 に帰 投 す る
大 体 に お いて こ の努 力 は 不成 功 に終 り、 ひ ど い船 腹 不足 に悩 みな が
時 に は、 戦 略物 資 を 積 み込 む よう な努 力 も 払わ れ た こと もあ ったが 、
ら 、 空船 で占 領 地 から 内 地 に帰 航 す ると いう驚 く べ き光 景 が、 戦 争
料 品 類 の輸 送 に と って は、 これ が 生 命線 と な って いた 。 そ し てこ の 生 命 線が き わ めて脆 弱 であ った こと は、後 日実証 され た ご とく で あ
リ ピ ン、 マレー、 蘭 印 を経 て連 合 軍 が 退 却 し つ つあ り、 そ の兵 力 は
連 合 軍 の攻 撃 目 標 は、 戦 争 の初 期 か ら 日本 の船 舶 であ った。 フィ
の全 期 間 を通 じ て起 き て いたと いう 不始 末 と な ってあ ら われ た。
る。 真 珠 湾 攻 撃 に続 く諸 作 戦 は、 日本 にそ の支 配 す る領 土 の急 激な 膨
劣 弱 で か つ分散 さ せら れ て いた時 でさ え 、 それ でも そ の航 空部 隊 と
張 をも たら し 、戦 線 にお い て は、 軍 隊 の広 正面 の分散 を余 儀 なく さ
いた り 、 か つ、 こ の重 荷 は最 高 潮 に達 し てし ま った のであ った 。 こ
れ 、航 洋 船 によ る補 給 と いう 恐 るべ き重 荷 と な る諸 問題 を課 す る に
ら シ ンガ ポ ー ルに 至 る 日本 の船 舶 航路 は、 いく ば く も なく 不 安 な状
況 にな り つつあ った の であ る。 日 本が 造 船 に総力 を あげ て努 力 し、
潜 水艦 は、 日 本 の船 舶 に顕著 な 損害 を 与 え て い た。 こ のた め東 京 か
ま た戦 争 初期 に は連合 軍 が使 用 でき た 攻撃 兵 力 は弱 小 であ った にも
れ と 同 時 に 日本 は、 洋 上 輸 送 に よ り 日本本 土 か ら隔 絶 し て い る占 領
の戦 時 経 済 に 必要 と す る原 材 料 と食 糧 の基 地を 建 設 す ると いう 問 題
地 域 の資 源 を 即時 開 発 し、 も って戦 前 の輸 入貿 易 に換 え 、 か つ日本
にも直 面 した 。 し かも 日本 は開 戦 の時 ま でに、 次 第 に外 国 船 を利 用
か かわ らず 、 日本が 使用 でき た船 舶 のバ ラ ン スは、 一九 四 二年 (昭
米 軍 の 日本 の船 舶 に対 す る空 中 から の攻撃 は、 米軍 が ガダ ルカ ナ
日本 は商 船 隊 を海 と空 から の攻 撃 に対 し、 護 送船 団 を つく って防
れ る危 険度 が 増 大 し たか ら であ った。 ソ ロモ ン方 面 を 増強 す る 企図
兵 力 が増 加 した こ とと 、 反 面 に は日本 側 の船 団航 行 が 米軍 に暴露 さ
は 一つに は米 国 側が 攻 勢 に転 ず る努 力 に着 手 し、 攻 撃 に使 用 でき る
ル島 の ヘンダ ー ソ ン飛 行 場 を占 領 し て から増 大 し はじ め たが 、 これ
護 す る こと に は、 ま ったく 驚 く べき ほど 無 為 無策 であ った 。開 戦 初
和 十 七 年) 四 月 に は 、早 く も 崩 れ はじ め て い た。
の準 備 し かし て いな か った 。 陸軍 が 使用 し た船 に は甲 板 に 野砲 を 据
期 に は商 船 は武装 し て おら ず 、 大砲 も 一部 の船 舶 に装 備 し え ただ け
に行 動 す る 日本 船 舶 を着 々と沈 め て い った。 潜 水艦 の活 躍も 漸 次拡
ニ ューギ ニア に基 地を 進 出 さ せ た連 合軍 航 空 部 隊 は、 この地 区 付近
の下 に 使用 さ れ た 日本 の船舶 は、 そ の殆 んどが 撃 沈 さ れ てし ま った 。
こ んだ も のさ え あ った。 船 団 を組 んで航 行 しう る よう な 船 舶 はき わ
大 され た。 こ の連 合軍 の努力 が 、 そ の効 力 を 増 大し て い った こ の時
え る ことを 試 み、 民 需 用 の船 の中 には、 欺 瞞 のた め木 製擬 砲を 積 み
め て少 なく 、 多 く は 利用 度 の効率 の少 な い小 型 の短距 離 船 であ った。
ク島 を 急襲 し、 米 軍 の潜 水艦 を避 け て同 地 に閉 じ こ めら れ て いた 日
本 船 舶 一八万 六千 ト ンを 二日間 にわ た る攻 撃 で撃 沈 し た 時 に、 最高
期 は、 一九 四 四年 (昭 和 十九 年 ) 二 月 に米 ・空母 機 動 部隊 が トラ ッ
あ らわ れ た。 一方 、護 衛 さ れ た商 船 隊 を増 強 す る た め に、 あ らゆ る
潮 に逮 し た の であ った。 こ の頃 には 米 ・潜 水艦 兵 力 は大増 強 さ れ て
し かし なが ら 船 団 護衛 の手 段 を講 じ な い ま ま に、 日本 は非 武装 船 を
努 力 も 払 われ て、護 衛 の出 来 な い航 路 は、 十 分 に 防護 が 可能 な 航 路
お り、 これ から の攻撃 をま ぬか れう る 航路 は、 も はや 一本も 無 か っ
集 団 で出航 さ せた ので、 そ の結果 は莫 大 な 量 に達 す る損 失 とな って
に合 併 統合 さ れ て 、 結局 のと こ ろ、 あ ら ゆ る重 要 航路 は護 衛船 団 組
た。 一九 四 三年 九 月 から 四 四年 末 ま で の 一六 ヵ月間 に、 米 ・潜 水艦
一九 四 四年 末 期 の 三 ヵ月 間 にわ た る フィリ ピ ン作 戦 は、 日本商 船
織 の下 に運 営 さ れ る よ う にな った。 と こ ろが こ の方 式 は、 当然 商 船
遠 回り にな ってお り 、各 船 は船 団 を組 む た め に時 間 を消 費 し、 高 速
隊 の管 理 、運 営 を 混乱 に陥 れ た。 長期 にわ た る累 積 的 損 失が 一段と
は 日本 商船 三〇 〇 万 ト ンを 海 底 に葬 った。
船 は低 速船 の速 力 ま で減 速 せざ るを 得ず 、 ま た多 数 の船 は航続 距 離
増 大し 、 こ の時 機 ま で の喪 失が 甚 大 と な った ので、 従 来 の組 織 や運
隊 の輸 送能 力 を 低 下 さ せ てし ま った。 と いう のは船 団航 路 の多 く は
の短 い船団 護 衛 艦 の燃料 補 給 を待 つた め に時 間 を 空費 し た から であ
上 陸 す る直 前 と 、 日本 が 在 フ ィリピ ンの 日本 軍 を増 援 し つ つあ った
営 の方 法が 実 施 不 可能 と な って しま った の であ る。 米 軍 が レイ テ に
種 が 探 知器 や 他 の装 備 を欠 いて いたた め に、 そ の十分 な 効 果 を発 揮
った。 し かも 折角 の護 衛 制 度 も、 護 衛艦 そ のも の の不足 と、 こ の艦
す る ことが でき な か った。 さ ら にま た、 も っと 有 効 な護 衛努 力 を 講
た。 日 本 の増 援 企 図 は空 し く失 敗 し 、 こ の三 ヵ月 間 に日本 商 船 隊 は
周 辺 に米 ・潜 水 艦 の集 中 が活 発 に行 な われ たが 、 これ は有 効 で あ っ
初 期 の段階 で、 米 ・空 母 機 部隊 は日本 側 に痛 打 を与 え た 。 ル ソ ン島
じ たと し ても 、 空中 から の攻 撃 に対 す る商 船 隊 の脆 弱 性 を減 少 さ せ る こと は、 お そ ら く でき な か った であ ろう 。
母 部隊 の攻 撃 は有 効 で あ った 。 し か しな が ら、 こ の期 間 に米 軍 が 撃
喪 失 し てし ま った。 空中 より の攻 撃 は強 化 の 一途 を た ど り、 特 に空
一 三〇 万 ト ン以上 の船 腹 、 す な わ ち残 存 し た商 船 の三分 の 一以 上 を
た活 動 か ら受 け る 損害 は甚 大 であ った にも かか わ らず 、 日 本側 は若
必 要 性 は、 き わ め て大 な る も のが あ り、 米 ・潜水 艦 と 空 軍が 結 合 し
と いう こと にな る。 しか し当 時 、 日 本が 南 方 か ら の輸 入 に 依存 す る
いると いう危 機 感 を 日本 に与 えた か ら こそ 、 この目 的 は達 成 さ れ た
た。 そ の後 、 硫 黄 島 と沖 縄 が 占 領 さ れ た こと によ り、 日本 側 の航 行
干 の船 舶 を就 航 さ せ る 企図 を 決 し て放 棄 し はし な か った ほど であ っ
沈 し た 日本 の船 舶 の五 五% は潜 水 艦 に よ るも のであ った 。 一九 四 五年 (昭 和 二〇 年) に 入る や、 日本 帝 国 に残 さ れ た 生命 線
た影 響 はな く 、 た だ被 爆 都 市 で の商 工 業 活動 が 全般 的 に麻痺 した 結
よる都 市 への猛 撃が 開 始 さ れ たが 、 こ の爆 撃 は船 舶 や 鉄 道 に は大 し
か と れな い黄 海 だけ に縮 少 され てし ま った。 三月 には、 ま たB 29 に
水 域 は、 日 本 海 、対 馬 海 峡 、 およ び 上海 と 揚 子江 と の貧弱 な 連絡 し
は、 台 湾 か ら南 シ ナ海 沿 岸 を経 てイ ンド シナ ヘ、 そ し て マレ ーと蘭 印 とを 往 復 す る船 舶 の細 流 のみ とな った 。連 合軍 の猛烈 な 攻 撃 を受 け、 苦 し い試練 を回 避 し よう と し て 日本 側 は 必 死 の努 力 を試 みたが 、
果 、 鉄 道輸 送が いく ら か減 少 し た だけ であ った。
この猛 攻 を 突 破 し て航 行 でき た 船舶 は、 き わ め て少 な か った。 大 体 にお い て、 日 本 の船 が 安 全 に航 行 で き た の は、 日本 海 と 黄海 だ け で
な 海運 の関 門 を通 ず る 船 の行 動 は、 必然 的 に封 鎖 さ れ る運 命 に 置 か
達 し た。 下 関海 峡 の機 雷 敷設 はき わ め て有 効 に実 施 され 、 こ の重要
さ れ るや 、 大成 功 を 収 め、 日本 の海上 運 輸 の麻 痺 は、 こ こで頂 点 に
一九 四 五年 三 月 二十 七 日、 B 29 によ る 機 雷敷 設 作戦 が つい に開 始
あ った。 日本 は、内 地 諸 島間 の航 行 と 輸 入貿 易 に使 用 して いた船 を 、 でき う る 限 り最 短海 路 に使 用す る こと にし、 これ ら の船 が 引 き受 け
の大 部 分 は鉄 道 だ け を利 用 し て運 行 さ れ て い たが 、 内 地諸 島 間 の船
れ る に至 った 。最 後 は、 日 本海 と 朝 鮮海 峡 に面 し た、 日本 と 朝 鮮 の
て いた 任 務 をな るべく 早 く 鉄 道 に切 りか え る こと と し た。 沿 岸輸 送
に よ る輸 送 の減 退 は 、沿 岸 海 運 能力 の衰 微 と 大体 平 行 し て い た ので、
主 な 港湾 に は、 あ ます と ころ なく 機 雷 を敷 設 さ れ てし ま った。 戦 争
った。 同 時 に 日本 の海 上航 路 は 一つ残 らず 、 米 ・基地 航 空 部隊 の活
鉄 道 に輸 送 能 力 以上 を 要求 す る こと は 回避 さ れ た。 アジ ア大 陸 にお
動圏 内 に入 って しま った。 七 月 に 北海 道 と 津軽 海 峡 で米 ・空 母機 は
期 間 中 を通 じ、 六 七 万 ト ン以上 の船 舶 が機 雷 によ り沈 められ る か、
一九 四 五年 の 一月 中 旬 に、 米 ・空 母 機動 部 隊 は南 シナ海 で 大規 模
多 数 の日 本 船舶 を撃 沈 し、 こ の結 果、 鉄 道 連絡 船 を経 由 す る 北海 道
いても 、 中 国 北 部と 朝 鮮 の鉄 道 は 、海 上 輸 送 を でき るだ け短 縮 す る
な 集 中 掃蕩 を実 施 し、 日本 の残 存 商 船 隊 の 一〇 % を 撃沈 した 。 三月
か ら本 州 への輸 送 は停 止 同然 と な って しま った。 す で に 五月 に は、
行 動 不能 に され 、 商船 隊 の残 余 のも の は、殆 んど 無力 化 さ れ てし ま
に沖 縄 作戦 が 開 始 さ れ、 本 土 と シ ン ガポ ー ル間 に船 団 を航 行 さ せ よ
沈 没、 重 大 損傷 が 一ヵ月 で早く も 一一% の比 率 に達 し て お り、鋼 船
た め に使 用 さ れ て いた 。 一九 四 五 年 に 入 って の六 ヵ月 間 に、 残 存 し
うと す る 日本 の企 図 は断 念 せざ るを 得 な か った。 これ を米 軍 側 か ら
た 海 上 輸送 は、 ま さ に混 乱 状態 に陥 った 。
みれ ば 、 米 軍が 台 湾 か、 あ る いは沖 縄 を 占 領 す る日 が間 近 に迫 って
建 造 は最 盛 期 の建 造 量 の三〇 % にすぎ ず 、 し か も急 速 に低下 し つ つ
は、 以前 の数 量 の 一〇 乃 至 二〇 % にすぎ なく な った。 造 船所 に は五
あ った。 木 造船 は 一 二 % にま で落 ち こ み、 就 役 船 に供 給 でき る 燃 料
た め、造 船 所 に 行 き着 け な い多 く の損傷 船 を 生 じ て い た ので、 修 理
〇 万 ト ンの損 傷 船が 修 理 を ま って ひし め き、 ま た 機雷 で封鎖 さ れ た
問題 は重 大と な ってき た。 七 月 ま で に輸送 力 が 崩 壊 し てし まう こと
降 伏 時 に 日本 が 保有 し て いた就 役 船 舶 は、 一八〇 万総 ト ンにす ぎ
は 決定 的 で あ った。
のう ち、 わず か に 六五 万 ト ンの鋼 船が 内 地 地 帯 で就 役 中 であ ったが 、
な か ったが 、 そ のう ち 一六 五万 総 ト ンは内 地方 面 に いた。 さ ら に こ
こ のト ン数 は 、 日本 の開 戦時 保 有 量 の 一二% に相当 す る も ので あ っ た。 これ ら の船 舶 の殆 んど は、 北 海 道 、朝 鮮 、 本州 の海 港相 互 間 の 海 運 に専 用 さ れ て い た。 造 船事 業 は、 ほぼ 操 業 を 停止 して お り、 八 月 に は海 上輸 送 に従事 中 の鋼船 は、 わず か に 三一 万 二千 ト ンにす ぎ な か った 。 これ は活 動 の最 盛 期 た る 一九 四 二年 一〇 月 の七 ・八% で あ った。連 合 国 軍 の攻 撃 力が こ の驚 嘆 す べ き 成果 を 収 め た ので あ る が 、各 攻 撃 力 の 日本 船 舶 撃沈 の割 合 は付 図 第 1 に図 示 し たと お り で
し か し下 の付 図第 1を 、あ ま り額 面通 り に受 取 る こと は避 け る べ
ある。
き であ る。 デ ー タ の不 十 分 な こと か ら生 ず る 誤 差が 五% 内外 あ る と
し たも ので、 例 えば 基 地 航 空隊 の有 効 な る哨 戒 によ り、 日本 の船 団
思 わ れ るか ら で あ る。 さ ら に こ の付 図第 1 は撃 沈 の数 字 だけ を 採 用
航路 が 変更 を 余 儀 なく され た り、 船 舶 が迂 回 せざ る を得 な く な った と いう 、船 舶 使 用 上 に 生じ た 抑制 や 非 能 率 に つい て はふれ て いな い
付 図第 1
付図第2
ー トル ・ トン) した 総 量(メ
ー キ サ イ ト, 鉱,ボ
と もみ,他 日本 に 輸 入 豆 粕 、 大 豆,米 よ び生 ゴ ム)を 菱 苦 土 石,塩,大 の 穀 物 と穀 粉,お
B 船舶 合同運営 後,内 線地帯内 にあ った使 用可能 な全貨物 船の合鍬総 トン数
雲 石, 酸 塩,白 鉛,燐 鉄,鉛,錫,亜 鋼,屑
炭,鉄 要 戦 略 物 資(石 D16主
C 民需船 で運 ばれた貨物 の合計 トン数 A 油 送船 を含まな い商 船で使用可能 の状 態 にあ り,か つ,民 需用 とし て使 用 し得 た もの(総 トン)
船 舶 不足が も たら し た経 済 的反 応 は、 す で に開戦 初 期 の段 階 に は
ので あ る。
じ ま り、 漸 次 激烈 と な って、最 後 は国 家 の運 命 そ のも のに脅 威 を 与
え る に至 った 。あ ら ゆ る産 業が 重要 輸 入 品 の損 失 に より 、多 かれ 少
な か れ打 撃 を 受け たが 、 しか も これ ら の打 撃 の大 部分 は、早 く も 戦
に つ いて み ると 、そ の輸 入量 は、 一九 四 一年 の 二、〇 〇 〇 万 メー ト
争 初期 にあ ら わ れ て いた。 資 料 の入手 でき た 十 六種 の主要 輸 入品 目
ル ・ト ンから 一九 四 四年 に は 一、〇 〇 〇 万 メー ト ル ・ト ン に、 さ ら
に 一九 四 五年 の上半 期 には、 わ ず か 二七 〇 万 メー ト ル ・ト ンに減 少
し た。 付 図第 2は 民需 用 プ ー ルで 使 用 しえ た船腹 と 、 こ の船 腹が 運
のであ る 。
んだ 貨 物 の全 量 と 、 さら に 一六主 要 品 目輸 入 総量 と の関 連 を 示す も
全輸 入 物 資 の合 計 価格 は、 一九 四 三年 中 に、 円価 が 下落 した にも
か か わら ず、 絶 え ず 減少 した。 あ ら ゆ る戦 時 工業 の基礎 材 であ る鉄
と鋼 は、 戦 時中 を 通 じ て殆 ん ど、 重 要 性 に お いて は最 上位 と し て扱
わ れ て いた 。 し かし 、 こ の鉄 と鋼 の生 産 は、 輸 入 され る 石炭 と 鉄 鉱
石 に全面 的 に依存 しなけ れ ば な ら な か った。 こ のこと は鉄 と鋼 の生
産 は船 舶 攻 撃 に、 き わ め て脆 弱 性 を持 って いた こと を意 味 する 。 そ
一生懸 命 備 蓄 し た り、 ま た国 内産 の石 炭 や 鉱 石を で き るだ け使 用 し
こで 日本 側 は、 石炭 と 鉄鉱 石 の輸 送距 離 を 短縮 し た り、 こ の原 料 を
て 、 こ の脆 弱 性 を守 ろうと 全 努力 を傾 け た のであ る。 し か しそ れ で
も な お 一九 四三年 以降 は 、生 産 の減少 を 阻 止 しえ な か った 。溶 製 鋼
の生 産高 は、 最 盛期 の 一九 四三 年 一 二 月 の七〇 万 ト ンから 、 一九 四
五 年 六月 には 三〇 万 ト ンに低 下 し、 こ の六 月頃 には、 ス ト ックも 殆
んど 皆 無 とな り 、輸 入 の見 込 は ま ったく な か った。 日本 は これ ま で の産 地 から の鉄 鉱 石 の輸 入が 減少 し た ので、 大 冶
秋 におけ る油 送 船撃 沈 量 の増 大 、 お よび 蘭 印 や マレ ー への航路 が 次
こ の方 式 は 一九 四三 年 の中 頃 に絶 頂 に達 し た。 こ の頃 を境 にし て、
入 に従 事 す る 油 送船 の数 は急 激 に減 少 し、 一九 四 五年 四月 に は輸 入
のピ ー クを つく り出 し た こと も あ ったが、 一九 四 四年 七 月以 降 は輸
を招 いた の であ った。 油 輸 送 を推 進 す る死 物 狂 いの努 力が 、 短期 間
し て い った。 これ は何 物 よ りも 重 要 、 不可 欠 の燃料 の恐 るべ き 欠乏
第 に圧縮 され た こと 、 以 上 の原 因 で 油 の日本 本 土 への輸 入 量 は減 少
米 ・第 一四 航空 軍 の揚 子江 上 流 で の河 川 輸 送 への攻 撃が 始 ま った 。
鉱 山 から 揚 子江 を 経由 す る海 上輸 送 を 促進 さ せねば な ら な か った。
南 京 以西 の上流 で は大 型 船 の昼 間 航行 は停 止 せ られ 、 揚 子江 輸 送 の
に壊 滅 的 であ った。 す でに こ の時 には貯 蔵 燃 料 は、ず っと 以 前 から
が ま ったく 停 止 し た。 そ し て こ の停 止 の日 本 に与 え た打 撃 は、 ま さ
枯渇 して お り、 消費 はそ の日暮 し の基 盤 の上 に、 辛 う じ て成 立 って
持 つ利便 は失 わ れ てし ま い、 日本 が こ の大 冶 鉱 山 から 確 保 し た利 益
いた。 航 空 燃 料 に次 ぐ 重要 な 船舶 運 営 用 の油 供 給 さ えも乾 し上 り は
は、 三 ヵ月 のう ち に消 滅 さ せ ら れ てし ま った。 日 本 の こ の方 面 から 引 き 続 いて相 当 量 の鉄 鉱 石 を 輸 入 した いと いう 希 望 は、 止 めを刺 さ
不足 と が 相俟 って 、大 冶 よりも 日本 に近 い中 国 北部 、 朝 鮮 で鉄 鉱 石
あ った国 内産 の原 料 す ら、 輸 入能 力 の低 下 を埋 め 合 せる対 策 と し て
も 犠 牲 に せざ るを 得 な か った 。時 と し て は、 驚く ほど粗 悪 な 品質 で
重 要 工業 の大 部分 では、 た ん に数 量だ け にとど まらず 、 品質 ま で
船 のや むな き に いた った。
じ め、 多 大 の船舶 、 特 に小 型 船 の多 く は 燃 料 の不 足 のた め に休 航 係
れ た の であ った。 そ の後 、 中 国 を 基地 と す る B29 隊 の増 援 を 得 た第 一四 航空 軍 が 揚 子江 、 お よび 上 海 港 内 への爆 撃 と機 雷 敷 設を 続 行 し
の産 地 を 開発 し よう とす る日 本 の当 然 と も いう べ き努 力 が 、 大冶 鉄
開発 され た 。第 二次 屑鉄 の使 用が 励 行 さ れ た。 第 一級 の兵 器さ え、
た結 果、 日本 の船 舶喪 失 は増 大 して い った。 これと 船 舶 の全 般 的 な
鉱 石 の重 要 性 を確 実 に低 下さ せ た。 かく し て最 も 素晴 ら し い鉄 鉱 石
鉄 合 金 の入 手 が事 実 上 不 可能 と な り、 ま た ボ ー キ サイ ト の輸 入が 事
の輸 入 は 一九 四 三年 八 月以 降 は 下 り坂 と な って おり 、 そ の間 の輸 入
獲 高 は種 々 の原因 から 戦前 の量 の半分 以 下 に急 激 に減 少 し たが 、 そ
不足 や輸 入 肥料 の欠 乏 など によ り、 地 方 の食 糧 生産 は減少 した 。漁
最 後 に日本 国 民 は食 糧 不 足 で ひど く 苦 し めら れ た。 部分 的 な人 手
時 に は、 そ の品 質 には困 り抜 い た。
実 上 停 止 し てか ら 一年 間 にア ル ミ ニウ ムの生産 が 七 六% も 減少 した
の供給 源 の 一つたる 大冶 鉱山 に日本 が 近 づ く こと は、 効 果 的 に拒 否
油 送船 (タ ンカ ー) の撃沈 量 は、 一九 四 四 年 二月 の米 ・空 母機 に
され てし ま った。
よ る トラ ック島 攻撃 ま では 微 々たる も のであ り、 四 四年 八 月 ま で撃
は、 必ず し も 一定 の量 で動 い たわ け で はな か ったが 、 ト ラ ック島 攻
の減 少 、燃 料不 足 、漁 網 原 料 た る大 麻 の 不足 等 のため であ った。 完
れ は漁船 が 海 軍 に徴 用 さ れ た こと 、出 漁 中 の危 険 の増 加 や 出漁 海 域
沈 総 量 が 、 一度 たり とも 新 造 量 を越 え た こ と はな か った。 し か し油
大き な 低下 、 トラ ック島 にお け る海 軍 油送 船 の大 損失 、 一九 四 四年
撃 後 は概 し て 下 降線 を たど った。 護 衛船 団 方 式 の採 用 によ る能 率 の
多 量 の常 食 用穀 物 を輸 入 せ ねば な ら なか った。 一九 四五 年 四月 には、
全 に食 糧 を 自給 し得 た こと のな い日本 は 、配 給 量 を へら し ても な お
国家 は産業 的 にも 軍事 的 にも ま ったく 完 全 に身動 き が でき な く な っ
れ て いた とす れ ば、 日本 はあ ら ゆ る重 要 な輸 送路 の 一切 を奪 われ 、
論
て い たで あ ろう 。
結
海 運 攻撃 戦 こそ は おそ らく 、 日本 経 済 と 日本陸 海 軍兵 力 の補 給 支
二
そ の窮 境 が 極度 にひど く な った ので、 そ の当時 な お細 々なが ら 続 い て いた 工業 用 原料 の輸 入 を犠 牲 にし て、 わず か に残 って いた船 腹 を
五 年 春 には 日本 は 孤立 に追 いこま れ たも 同 然 であ った。 日 本 の経済
日本 の海 運 を 壊 滅 に いたら し め た船 舶撃 沈 の大部 分 を占 め、船 腹 減
援 を崩 壊 さ せた 、最 も 決定 的 な単 一要 因 であ ったと いえ る であ ろう。
食 糧 と食 塩 の輸 入 に充 てる こ と に決定 さ れ た。 換 言す れ ば、 一九 四
の原料 基 盤 は切 断 され て し ま った 。 日本が 前 途 に眺 め得 たも のは徐
の功 績 は大 な り と いわ ねば な ら ぬ。 この潜 水艦 部 隊 は、 日本 本 土 を
少 の殆 んど の作 戦 を引 き受 け た の は、米 ・潜 水艦 部 隊 であ った。 そ
徐 に迫 って く る饑 餓 と衰 滅 への近 接 だけ で あ った 。 し かし なが ら 、 日本 は まだ 物 質的 には無 傷 のま ま機 能 を発 揮 でき
ったが 、 し か し 日本 の就 役 船 腹を 着 々と 減 少 させ る こと に成 功 し、
封 鎖 す る ほど 十分 にし て強 力 な隻 数 を使 用 で きた こと は 一度 も な か
る鉄 道 を 持 って いた。 た し か に保 線 作 業 は十 分 に な しえ な か ったが 、 それ はま だ鉄 道 の円 滑 な操 業 には影 響 せず 、 ま た そ の最高 能 力 をす
ほ ん の 一時 的 で小 さ な影 響 を与 え た にす ぎ な い。 北 海道 か ら の連 絡
立 つ ことが でき た。 原爆 攻 撃 でさ え 鉄 道施 設 や鉄 道 業 務 に対 し ては
て、 鉄 道諸 施 設 への要望 も 同 時 に減 少 した 。 鉄道 は依 然と し て役 に
失 し 、 住民 が疎 開 す る と共 に 、交 通 上 の要 求 が急 減 し、 これ に つ い
な った。 しか し、 これ ら の地方 に お いて、 商 工業 の設備 や 工 場が 焼
撃 にさ らさ れ た都 市 のいく つか で積 卸 しや 集 配組 織 が使 用 不 可能 と
構 内 の能 力 は根本 的 に はす こしも 損 傷 され な か った 。 ただ 焼夷 弾 攻
の 一時 的 な期 間 の運 行 中絶 が 数 回発 生 し ただ け であ った。 線 路 と駅
限 り では、 与 え た損 害 は殆 んど取 る に足ら な い程 度 であ った。 ほ ん
増 大 し た。 最 後 に潜 水 艦 と航 空 隊 と の有 効 な協 同動 作が 向 上 す る に
情 報 網 の発 達 によ り米 ・潜 水 艦 の 目標 発見 の成功 率 と能 率 は次第 に
う とす る 努力 も 時機 を失 し、 か つ不十 分 であ った。 一方、 卓 越 し た
対潜 装 備 の技 術 も お粗 末 であ り、 対 潜 防 禦 のため に商 船 を武 装 し よ
め に、 船 舶 の運 営 を極 度 に犠 牲 にす る こと のみに終 って しま った。
力 を払 ったが 、 こ の制 度 は、 計 画も 実 施も 内容が 貧 弱 であ ったが た
日本 側 は 、護 送 船 団制 度 を おそ ま き なが ら実 現 す る ため に多 大 の努
少 なく 、 収穫 は多 いと いうお 誂 え向 き の場 面を 提供 し て しま った。
な か った 日本 側 の失策 は 、 こ の米 ・潜 水 艦 の攻 撃 にと って、 労苦 は
た め であ った。 潜 水艦 の猛攻 を 予察 せず 、 これ に備 え る方 途 を採 ら
潜 水 艦 作 戦が 格 別 に有 効 であ った の は、 各種 の好 条 件が 重 な った
さ ら に残 存 船 舶 の運 営能 率 を次 第 に低下 さ せ て い った。
こ しも 低 下 させ る には 至 らな か った。 米 ・空 軍 の鉄 道 施設 に対 す る
船 に対 す る空 母機 の攻 撃 だ けが 陸 上輸 送 機 関 とし て の鉄 道 に対 す る
数 回 の散発 的 な 攻撃 や 諸都 市 に対 す る大空 襲 も、 鉄 道 組織 に関す る
顕著 な打 撃 であ った。 も し 空爆 によ る鉄 道輸 送 の妨害 作 戦が 着 手 さ
つれ て、 潜 水艦 によ る攻 撃 は さ ら に 一段 と効 果 的と な り 、連 続 的 な
むし ろ 海軍作 戦 に、 よ り い っそう 直 接 に関 係 し て いる と推定 され て
空 隊 の諸 任 務 には、 商 船 の攻 撃 と は別箇 にあ る と考 え られ て お り、
掃 す る た め の連 続的 計 画 は引 き 受け て は いな か った。 一般 に 空母 航
い た。 ト ラ ック島 への空襲 にし ても 、 目的 は商 船 隊 の撃 沈 で はな く、
空 中 哨 戒と 索敵 の成 果 は、 潜 水艦 を 使 用 す る有 効な 攻 撃 に委 ね られ
つま た護衛 が い っそ う有 効 に実 施 され る に つれ て、 潜 水 艦 の任 務遂
る よう にな った。 し か しな が ら、 日本 側 の海 上 航路 が 縮 少さ れ 、 か
こ の地 域 の日本 海運 機 能 は ま ったく 混 乱 の極 に達 し、外 地 向 航路 の
日本 海 軍艦 艇 の捜索 と そ の撃 破 を 主な る 目標 と し て計画 さ れ た ので
戦 争 初 期 には 、戦 闘 艦艇 が 潜 水艦 の目 標 の第 一であ った。 次 いで
一時 的 運行 停 止と いう 結 果 をも た ら した。 空 母 機 の行 動半 径 に は制
あ った 。 し か しま た、 米 ・空 母 機が ひ と たび 一地域 に進 出 す るや 、
商船 が 第 一目標 と な ったが 、 貨 物船 と油 送船 のど ち ら かを 選ば ねば
ったが 、基 地 とな る 空母 そ のも のは移 動 可能 な のであ る。 だ か ら戦
限が あ り 、大 体 のと こ ろ、発 進 地点 から 二〇 〇 ∼ 三〇 〇 マイ ルであ
行 は危 険 にさ ら され 、喪 失さ れ た艦 も 相 当 な数 と な った こ と は、特
な ら な い場合 には、 潜 水 艦 は油 送 船 を選 ぶ よう にな って いた。 しか
に記 億 さ れ ねば な ら な い。
し、 潜 水 艦が 油 送船 を探 索 し、 これ を撃 沈 せ よ と特命 され た のは 一
く 、も っと早 期 に減少 さ せ る こと が でき たで あ ろう し、 艦 隊 、航 空
い っそう 有 効 に集中 され て い たな らば 、 日 本 への油 の輸 入 を お そら
艦 隊 と航 空 部 隊 の 一部 から す る反 撃 の脅 威 か ら制 限 を受 け た にし て
と 早期 に、 か つも っと猛 烈 に、 日 本が 当 時 な お無傷 で保有 し てい た
は 、も ち ろん 他 の攻 撃兵 器 か らも 攻繋 さ れ た。 米 ・空 母機 が 、 も っ
空 母機 動 部隊 が 、 き わめ て有 効 な攻 繋 を加 え た 日本 の船 団 の 一部
のま ま に移 動 し て いた の であ る。
部 隊、 商 船 隊、 そ の他 の油 燃料 に依 存 す るあ らゆ る 活動 分 野 を崩 壊
も 、 日本 商 船 隊 を攻 撃 す る こと は可 能 な のであ った。 そ し て船 舶 こ
争 の後 期 の段階 では、 強 力 な空 母機 動 部隊 は、 洋上 を ま った く 思 い
に帰 せ しめ る こと も 早 めら れ た であ ろ う。 造 船 の重 点 を油 送 船 に移
九 四 四年 に な ってから のこ と であ った。 も し潜 水 艦 部隊 が 、 一九 四
す に し ても、 効 果 の出 てく る の は当 然ず っと 後 の こと であ るか ら、
二年 中 期 以後 、 日本 の油 送船 が 圧 倒的 に多数 使 用 さ れ て いた地 域 に、
米 国が 攻 撃 目標 を油 送船 に置 く と決 定 し たと す れば 、撃 沈 率 の上昇
であ った。 だ から右 の方針 を と る こと は、 き わ めて有 利 に戦 局 を導
い たはず であ った。 例 えば 、 も し米 ・空母 機 動部 隊が 、 一九 四三年
そ は、 日本 陸 軍兵 力 への補 給 基盤 の、 最 も 重要 にし て唯一 の鍵 な の
かく す れば 実際 に不 足 を生 じ た時 より も 一年 も 早く 燃 料 不足 は 一九
の後 半 期 に、 ジ ャワや ス マト ラの南 方 を行 動 し得 た とす る な らば 、
には 、 たと え 一時 的 にも せ よ、 日本 は 追 い つけ な か った であ ろう。
四三 年末 には、 激 甚 なも のに な って いた にち が い な い。 ( 付 録 A)
海 と シ ンガ ポ ー ル海 域 で、 日本船 舶 に大損 害 を与 え て いた であ ろう。
空 母 機 群 は、 日 本 の大 船 団、 特 に油 送 船船 隊が 集 中 し て いた ジ ャ ワ
とき には、 あ ら ゆ る攻 撃 の中 でも 、 と り わけ 最 も破 壌 的 なも のであ
同様 に 一九 四 四年 の夏 に、 瀬 戸 内海 にあ る船 舶 に空 母機 が 猛 政を 加
米 ・空 母 機 に よる 空中 攻 撃 は、 そ れ が商 船 の大船 団 に向 け ら れ た
った。 し かし この攻 撃 は散 発 性 のも の であ り、 日本 の海 上 航路 を 一
致 命 的 と な る減少 を生 ぜ し め、 結 局、 日本 の戦 争遂 行 能 力 に大 打撃
いず れ か 一つ、 ま た は双方 を 決行 し ていれ ば 、 必ず や 日本 商 船隊 に
え て いれば 、 莫 大な 戦 果 を収 め た こと であ ろう。 これ ら の大 急襲 の
対 す る 、常 時集 中 攻 撃 に使 用 でき たと す れば 、対 船 舶 戦 の効果 が 促
と感 ぜざ るを 得な い。も し陸 軍基 地 航 空隊 を、 こ の目標 (船舶 ) に
にそ の重要 性 を認 識 し 、適 切 な 処置 を 考慮 しな か った の ではな いか
た し、 ま た 次第 に分 散 して いく 目 標 や小 型船 にも行 動を し て いる 。
み ならず 、潜 水 艦 部隊 を 含 む、 他 の協 力部 隊 に貴 重 な情 報 を提 供 し
重 要な 航路 は、 基 地航 空 兵 力 の絶 えざ る猛 攻下 の脅 威 に さら され る
諸 島 を 経 て 日本本 土 に向 って進 撃 す る に つれ 、 日本 に と り絶対 的 に
地機 の能 力 は戦 争期 間 を 通 じ て着 々と 向 上 し、連 合軍 が フィリピ ン
路 に対 す る基 地 の位 置 関 係 によ って、 一般 に制 限 を受 け て いた。 基
基 地 航 空隊 の作 戦 範 囲 は、 使 用機 の行 動半 径 、 およ び 重要 経済 航
判 定 し 得 る と ころ で はな い。
て ま で、 こ のよ う に使 用 す る、 そ の利 害得 失 は、 われ われ 輸送 課 が
進 され た こと は確 実 であ ろう 。 た だし 他 の軍 事 目標 攻撃 を犠牲 にし
米 ・陸 海軍 の基地 航 空 部隊 にと っては 、 日本 の船 舶航路 に対 し 、
を与 え た こ とで あ ろう 。
広 汎 か つ持 久 的 な索 敵 攻 撃 を加 え る こと は 可能 であ り、 か つ実 施 し
大型 船 の撃沈 に対 す る基 地 航空 部 隊 の貢献 は、 他 の主要 部 隊 に比 し
た のであ る。 基 地 航 空部 隊 は、 単 独 で日 本船 舶 の撃 滅 に従 事 した の
て も少 な く な か った 。
漸 減 して ゆく 船 舶航 路 を 漸 次 に変 更 して い ったが 、 最終 段階 で は、
に いた った。 日本 側 は航 程 の延 伸 と往 復 所要 時 間 の増 大も 覚悟 し て、
こ の船 舶 の輸 送 を 妨害 す るた め米 ・陸軍 基 地航 空 隊 は非 常 に効 果 あ
も はや いかな る方 法 を も ってし ても 空 中攻 撃 か ら逃 れ る こと は でき
日本 の船 舶 は、も っぱ ら 前線 守 備部 隊 の補 給 支 援 に従 事 し て いた。
る活 躍 を し た。 ラ バ ウ ル港 内 の多 数 の日 本船 舶 を 一掃 した こと 、 他
な いと ころ ま でき て い た。
戦 争 の全 期 間 を みて み ると 、 基地 航 空隊 は、基 地 か ら 六〇〇 海 里
の重要 な 港 を使 用 不能 とす る こと に成功 し た こと は 、そ の顕著 な 事
以 遠 の海域 では 大型 船 を 撃沈 し た こと は 比較 的 に少 なく な いが 、 連
例 であ った。 こ の航 空部 隊 は、 連 合軍 の攻勢 作 戦 の直 接 支援 に任 じ、
合軍 が連 続 す る 攻勢 作 戦 を 企図 し た時 期 ま でに、 索 敵 と攻 撃任 務 で
は 六〇 〇 海 里 の二倍 以 上 に ま で続行 さ れ て いた。 尋 問 を受 け た 日本
日本 側 進 撃線 付 近 の ハシ ケやあ ら ゆ る型 の小舟 艇 を含 む 船 舶を 攻 撃
以上 のご とく 陸 軍航 空 部隊 は、 主 とし て 小型 船 舶 攻撃 にも使 用 さ
し、 これ ら を撃 沈 し て いる 。
空隊 と の接 近 を 避け る た め、 で き るだ け迂 回航路 をと ったが、 六〇
米 ・基 地 航 空機 の脅 威 は 一般 に割 り引 し て考 え て いた、 ま た米 ・航
〇 海 里 以上 の距離 に米 ・基 地 航 空隊 が 展開 して い ると き は、 それ だ
側 の当 事者 の言 明 によ れば 、 補 給線 から 六〇 〇海 里以上 離 れ て いる
で、 対船 舶 攻 撃 に は、 そ の戦 闘 出撃 の 一・五% 以 上 な指 し向 け る こ
け の理 由 で航 路 上 にあ る船 舶 の行 動 を 中 止 した こと は な か った、 と
れ た ことが 、 陸 軍機 が 大 型船 の大 部分 を 撃沈 し え な か った 明白 な 理
と は でき な か った と、 いわ れ て いる。 これ によ り、 各 種 の攻 撃 目標
由 であ った。 陸 軍機 にと って は、 他 にも 多く の軍事 目標 が あ った の
の相 対 的優 先 順位 を決 定 す る にあ た って、 商 船 を 目標 物 と して 十分
4船 舶 の管 理運 営が 絶 望 的混 乱 に陥 った。
も し こ の作戦 が も っと 早 く開 始 され 、 か つ、 も っと強 力 に遂行 さ
は実際 に起 こ った よりも 、 も っと 早 く危 機 状態 が発 生 し た こと であ
き わ め て甚 大な 損 害 を受 け つ つも 、 な おも引 き 続 いて海 上 輸送 を
いう 。
ろう 。 B 29 の基 地 が 日本 本 土 を行 動圏 内 に入れ た時 に、 でき る だ け
で減少 さ せた に ちが いな いと信 じ られ て いる。 そ うな れば 、 日本 に
めぐ る 非現 実 的 な特 殊 にし て微 妙 なる 雰囲 気が 反映 し て いた。 日本
れ てい たな らば 、 必ず や 日 本 の可 動船 腹 を 消尽 点 (殆 ん ど ゼ ロ) ま
側が 採 った か かる絶 望 的 方 法 に対 し、 米 ・基 地 航 空隊 の 一部 は、輸
早 く 機 雷敷 設 作戦 を 開始 す る た め には、 攻 撃 の優 先順 位 を確 立 し、
敢 行 し て い った 日本 側 に は、 損 失 と いう代 価 をも 顧 みず 戦 略 物資 を
送 妨害 作 戦 に参 加 し、 日 本 船舶 を 減少 さ せ ると いう 戦 果 を 収 めたが 、
る こと 、 これ らが 計 画者 によ り、 相 当 早期 にそ の可能 性 を 認識 し て
搭 乗 員 を 訓練 し、 か つ機 雷 の生産 と 必要 な 補給 物 の輸 送 力 を確 保 す
入手 す る こと が、 何 よりも 急 務 であ った こと と、 日本 の海 運 計 画 を
でき な か った 。
網 を攻 撃 し な か った失 敗 は、 結 果 か ら みて絶 好 の機 会 を逸 し た こと
米 ・航 空兵 力 の行 使 が、 日本 本 土 に可能 と な った時、 直 ち に鉄 道
お かね ば な らな か った のであ る。
し か し主 要 な航 路 を こ の基 地機 だ け で完 全 に遮 断 し てし ま う こと は
対 日海 上 輸送 戦 略作 戦 にお け る米 ・陸 軍 航空 部 隊 の最 も 素晴 ら し
て いる。 一九 四 五年 三 月以 前 に は、 航空 機 、潜 水 艦 に よ る機 雷敷 設
にな った。 日本 は所有 船 舶が 極 度 に減 少 し た ので、 輸 送 は殆 ん ど全
い貢献 の中 で は、 B 29重 爆 隊が 実 施 し た機 雷敷 設 作戦 が 光 彩 を放 っ
に は限度 が あ った。 いく つか の地方 に、 特 殊事 情 の下 で機 雷 敷設 を
える 防衛 兵 力 の配 備 や補 給も ま た、ど う し ても 鉄道 によ らねば な ら
な か った のであ った。 残 存 し て いた諸 産 業が 必 要 と した 国内 産 の燃
面 的 に鉄 道 網 に頼 らざ るを得 な か った のだ し、 米 軍 の本 土進 攻 に備
料 や 原料 も ま ったく 鉄道 輸 送 に依 存 せね ば な らな か った 。さ ら に食
な要 素 と はさ れ て いな か った 。 揚 子江 以外 で は被 雷 沈 没船 は非常 に 少 なく 、 重要 な 封鎖 効 果 は殆 ん ど得 ら れ なか った。 し か しなが ら、
行 な った ほか は、 戦 争 の進 行 にお いて、 こ の機 雷 敷 設 は決 し て重 要
つの望 ま し い成 果が 同 時 に完 成 さ れ た のであ る 。
B 29 の機 雷敷 設 戦 は大 成 功 を収 め たも のであ った。 つま り、 次 の四
た点 で は、 世 界 でも 有数 であ った。 そ の縦 貫輸 送 は、 本 州 の全 長 に
なか った。 そ のう え 、 日本 の鉄道 は、 いたる所 に脆弱 性 が存 し て い
糧 や 生活 の基礎 的 必需 品 の分配 も ま た鉄 道 なく して はど う にも な ら
2以 前 に潜 水 艦封 鎖 か ら保 護 さ れ て いた諸 港 の使 用 が 危険 と な り、
に対 す る 主な 輸 送補 給 は、 南 方 で は関 門 トン ネ ル、 北方 では青 函 連
沿 って 走 る 二本 の幹 線 に殆 んど ま った く 限定 され て お り、 こ の幹 線
1稼 航 状態 の商 船 ト ン数が 激 減 し た。
か つ、 日本 に おけ る 最重 要 海運 十 字路 であ る 下関 海 峡が 事 実上
も 殆 ん ど でき な か った。 し かも そ のう え に、 沿 岸輸 送 が 事実 上 消滅
絡船 で隘 路 とな って おり 、 回り 道 をす る こと も 別 の路線 をと る こと
通 航 不 可能 と な った。
らゆ る 修 理施 設 は そ の能 力 以上 に混雑 を来 した 。
3多 数 の損 傷 船 舶 にと って修 理 造船 所 への接 近 が 困難 と な り、 あ
運 輸 であ った から 、 両 幹線 を切 断 すれ ば 同 様 に麻 痺 さ せ るこ とが で
南 西方 への いく ら か重 要度 の低 い輸送 は、 や はり 大 体 に お いて通 し
を 失 う こと は輸 送 の流 れ を麻 痺 さ せ た こと であ ろう 。 本州 北 端 か ら
たる 運輸 の主 流 は致 命 的 に減 少 し た であ ろう し、 ま た 、幹 線 の双方
線 が 中断 され る こ と に でも なれ ば 、九 州 北 東 か ら の諸 工業 都 市 にい
ど ち ら か の幹 線 の重 大 な杜 絶 、 特 に神 戸 以 西 の高 能 力 を持 つ山 陽
回復 を 気 に病 む 必要 はな か った。 と いう の は、 日本 は迅速 に対策 を
こ しも 大 掛り な 破壊 を必 要 と し なか った のだ 。 ま た攻 撃側 は輸 送 の
の流 れ を 停止 さ せ る にあ る 。 し かも そ れ をや り 遂げ る た め に は、す
手す る こと は でき な か った 。 前 記 の計 画 の目的 は 主要 幹線 上 の物資
そ し て必 要 な材 料 は、 よ ほど の時間 を か け なけ れば 、 製材 所 から 入
対 処す る準備 と して橋 梁用 木 材 を集 める こと さえ や って いな か った。
替 え ると いう計 画 や 手持 ち の材 料 さえ な か った。 こ の よう な攻 撃 に
めて限 定 さ れ た 回復 力 を有 し て い た にすぎ な い。 主 な構 築物 を 取 り
の鉄道 網 の処 理 は確 実 に行 な わ れ た であ ろう 。 日 本 の鉄 道網 はき わ
き た ので あ る。 東 京 と関 門 間 の幹線 は、 多 く の地 点 で海 岸 に接 近 し
講 ず る こと は不 可能 であ った か らであ る。 し かも 、 ひ と たび これを
所 を切 断 す る計 画 が 実 施 され たと す れば 、 日本 の経済 的 資産 とし て
て敷 設 さ れ て おり 、 か つそ の概 位 は、 視 界 の狭 少 な 場合 にも レーダ
開 始 す れば 、 そ の作 戦 を 迅速 に完 成す べき 兵 力 は米 軍 に は用意 され
し たた め に、 運 輸 の大 部 分 は長 距 離 輸送 とな り、 そ して 輸送 は、 そ
ー に より 海岸 目 標 を 探 知す る こと によ って、 つき と め る ことが でき
の長 さ の大部 分 を前 記 両 幹 線 の いず れ か に頼 ら ねば な ら な か った 。
る の で、 と りわ け 攻撃 に は暴露 され て いた。 鉄 道 線路 は いず れ も 、
て いた のであ った。
撃 機 や 同機 種 にと って の好 個 の攻 撃 目標 を提 供 し た であ ろう 。 最 も
数 ヵ月 間 に実 施 され て いた はず であ る。 方 向 可変 五〇 〇 キ ロ爆 弾 八
行 動 距離 以 内 に準 備 さ れ て い た よう に思 わ れ る。 偵 察 はそ れ ま で の
兵 力 は 一九 四 五年 (昭 和 二〇 年 ) 四月 中 旬 ま で に所望 攻 撃 目標 の
鉄 橋 、 トン ネ ル、横 断 路 、 土 盛 り、 お よび 擁 壁 のよう な 多 く の構 築
重 要 な 石炭 と鋼 鉄輸 送 の中 心 であ る 関門 トン ネ ル自 体 が き わ め て脆
物 を 持 って おり 、 こ れら は視界 が 利 く 場 合 に は、 米 ・空 母 急降 下 爆
弱 性 をも って いた。 そ れ は レーダ ーで突 き と め る こと が 容易 であ り、
ト ンネ ル接 近 を含 んで す べ て の重要 な鉄 道 線路 の切断 す る計 画 を完
〇 〇 トン を 携 行 した B 29 の急 派 出撃 一〇 〇 回 をも ってす れば 、 関 門
成 す る に は十分 であ った に ちが いな い。 こ の計 画 は、 青 函連 絡 船 に
そ れ を確 実 に無力 化 す る に は トン ネ ルの入 口と そ の付 近 を破 壊 す れ ば 十 分 であ った から であ る 。本 州 の鉄道 網 は品質 の低 い本 州 炭 を若
か った であ ろう 。 二 者 択 一的 には、 日本 の鉄 道 網 攻撃 作 戦 は、 五、
実 施 され た 空母 機 攻 撃 と 同じ 規 模 と効 果 をも つ協 力 を 必要 と は した
二〇〇 ト ン の通 常 爆弾 を携 行 す る 六 五〇 回 のB 29 重爆 隊 の出 撃 か、
が 、 でき う れば 、 時 期 は、 いく ら か早 い時 に実 施 さ れ た方が 好 ま し
そ こで、 関 門 ト ン ネ ルを完 全 に破 壊 し、 か つ、 ( 後 日 に 至 って 空
あ る い は 一、 三〇〇 トン を携 行 す る 一七 四〇 回 の空母 機 隊 の出 撃 を
干 は使用 し たが、 多 量 の九州 炭 や 北 海道 炭 を併 用 しな け れば 十 分 そ
母 機 動 部隊 が じ っさ い、 ま ったく 見 事 にや って のけ た よう に) 青 函
の能 力 を 出す こと は でき な か った。
連 絡 船 を 一時 的 に破 壊 し たう え で 、各 幹 線 上 に慎 重 にえ ら んだ 六 ヵ
付 表 第 4 所 要 兵 力量 ―B29と 空 母機
(1)平行 す る二 本 の 単 線 の 鉄 橋,複
線(2)3
日乃至 4 日
け て いく に は、 毎 月同 様 のま た は いく ら か これ よ り 大き な 努 力を 必
れ は最 も有 効 な 攻 撃 法 であ った ろう 。 そ し て こ の鉄 道 輸 送 妨害 を 続
も って 完遂 でき た であ ろう。 も し、 これら の 二法 を併 用 し た ら、 そ
き とば す こ とが 可 能 であ った ろう 。
直 前 の数 週間 以 内 に、 いく らも 残 らな い鉄 道 網 を 根 こそ ぎ猛 爆 で吹
に復 旧 さ れ たと す れば 、 連 合 軍 の使 用 可能 であ った航 空 部隊 は上 陸
であ る と思 われ 、 さ ら にも し若 干 の局 地 鉄道 輸 送が 軍 事 目的 のた め
の試 案 と 数 地区 の重 要度 の順 位 を示 す も のであ る 。 それ はま た所 要
要 と した であ ろう 。第 3表 ︹ 略︺は鉄 道 の必要 な切 断 個所 を 含 む地 域
現 行 計 画 に従 って油 を 目標 と し て攻 撃 兵力 を 使 用す る こと は、 経
ゆ る 経済 運 輸 を 麻痺 さ せる こ とが で き た はず であ る。 本 州 で調 達 で
に必要 であ った 石炭 の分 離輸 送 を 奪 う こと によ り、 鉄 道 に よ るあ ら
はず であ る。 そ れ は 主要 幹線 の切 断 に よ るば か り でな く、 局 部 作 業
ず や進 攻 防 衛 に対 す る 日本 側 の重 要 軍事 配 備 に重 大 な 妨害 を 与 え た
以上 のご と き鉄 道 網 切断 作 戦 は、 も し断 行 され て いた なら ば 、 必
攻 撃 と 、 前述 の鉄 道 網攻 撃 を併 用 す れば 、 日 本 の戦 争 遂行 能 力 の破
部 隊 と 航 空部 隊 を 以 てす る 、海 運 に対す る、 一段と 強 化 され た統 合
殆 んど致 命 的 な 打 撃 を受 け た の は実 に そ の運 輸 であ った。 米 ・海 軍
ぜ し め た。 日本 の経済 構 造 の最 弱 点 であ り 、 し かも こ の時 期 ま で に
比 較的 緩 慢 にし か確 保 でき な い 一種 の戦 意 的 お よび 政治 的 反響 を生
あ るが 、 経 済 的衰 退 を 促進 し、 か つ、 船 舶 撃沈 の続行 に よ って は、
複す るも のと 見做 され た 。都 市 地 区 の攻 撃 は 同 じ意味 で の重複 では
済 的見 地 か らす れ ば 、 船 舶攻 撃 によ ってす で に確 保 され た成果 と 重
き た低 性能 の石 炭 で さえ これ を必 要 個 所 に配 分 す る こと は でき ず 、
砕 は十 分 に完 成 さ れ る はず であ った。
に示す と おり であ る。
兵 力 量 算 定 に含 ま れ る 点数 を も 示 し て いる。 所 要 兵 力量 は付 表第 4
ま た、 鉄 道 の各 地 区 の手 持 ち 石炭 はわず か に数 日 間 の使 用 量 にす ぎ
輸 送 攻 撃 の社 会 的 、政 治 的 影響 が 、 日 本 に降 伏 を強 制 す るう え に、
な か った 。 鉄道 の復 旧が 当 面 の第 一の仕 事 とな った こと で あ ろう が 、
実 際 に採 用 され た他 の方 法 に劣 らず 有 効 であ った かも 知 れ な いと、
こ の よう な 事態 に対 処す る準 備 を ま った く 欠 い て いた の であ る か ら、 そ の作 業 は少 しも はか ど らず 、 ま た混 乱 を 重 ね た こと であ ろう。 と
し て い た よう であ り 、 か つこれ ら の双 方 の攻撃 型 式 は作 戦 的 にも 実
と に かく 、 鉄道 網 攻 撃 が都 市 攻 撃 を伴 った こ と はき わ めて時 宜 に適
施 可能 であ った と思 わ れ る。 そ し て、 こ の二 つの攻 撃法 を 同時 に行
考 えら れ ぬこ と はな い。 し かし 、そ れ は臆 測 に属す る事 柄 であ る。
全 な 交通 停 滞 の深 刻 にし て全 国 的 に ひ ろが る 影響 を 実感 す る こと は
な う努 力 を 重 ね れば 、 日 本 の降 伏 の時 期 は 、 さら に早 めら れ た にち
か くす る う ち に 日本 は麻痺 状 態 にな った であ ろう し 、実 際 に起 こ っ
困 難 であ る。 近代 の世 界 に お い て は、 こ の よう な長 期 に わ たる 輸 送
が いあ る ま い。
た よ りも は るか に早 く 降伏 への機 運が 高 ま った であ ろ う。 殆 ん ど完
杜 絶 が起 こ った こ と はな い。そ こ で、 国 民 と政 府 に与 え た であ ろう
わ れ わ れが こ のよ うな 計 画 を採 用 し な か った 失敗 の理由 は 、 日本
影 響 の意 義、 お よび これ ら の影 響 が どれ ほど 早 く感 ぜ ら れ る であ ろ う かと いう判 断 は ま ちま ち であ る。 も し 日本 本 土進 攻 が な おも 必 要
本 の鉄 道 網 の脆 弱 性、 ま たは こ の鉄 道網 の無 力 化が 日本 経済 および
こと によ って確 保 し た全 効 果 を 了解 し得 な か った こと 、 お よび 、 日
の実 情 を 正し く 評 価 しな か った こと 、 日本 船 舶 を殆 んど 全滅 さ せ た
であ った 。
費 量 の二〇 % ) と小 麦 やき び の所要 量 の大部 を輸 入 す る ことが 必 要
し の過 半量 は海外 から 運 ば れ た。 そ のう え、 莫 大 な 数量 の米 (全 消
依 存 し て い た。殆 んど の砂糖 の全 量、 食 塩、 大 豆 お よび と うも ろ こ
二〇 % は海 外 領 土 で の生産 に よる も のを 含 み、 大 体 のと ころ輸 入 に
日本が 島 国 であ り、 し か も国 内 で の需 要 が内 地 の生産 を はる か に超
ソ ーダ 灰 、硫 酸 ア ン モ ニウ ム、銑 鉄 、銅 、 亜 鉛 の所 要 量も また輸 入
び 大 麻 所要 量 の過 半が 輸 入 さ れ た。 相当 に多 量 な紙 、 木材 、 石炭 、
プ 、 油 お よび ヘ ット、 皮 革 お よび 毛 皮、 工業 塩、 鉛 、錫 、 黄 麻 お よ
も のが あ る。 さ ら に、 鉄 鉱 石、 粘 結炭 、 鉄 合金 、 屑 鉄、 石 油 、 パ ル
ボ ー キ サイ ト、 マグ ネ サイ ト の よう に所 要 量 の 一〇 〇% に およ んだ
す るも のに は、棉 花 、 羊 毛、 ゴ ム、燐 灰 土、 チ リ ー硝 石 、 苛性 カリ、
大 さ せ た。 工業 原料 の約 三分 の 一が輸 入 さ れ て いた 。 こ の部 類 に属
工 業 化が 比 較的 高 度 に発 達 して いた ことが 、 海 外物 産 の需要 を 増
る。
日本 の平時 経 済 にお け る運 輸
軍事 能 力 を麻 痺 さ せ る有 効 性 を十 分 に認識 しな か った こと に帰 因す
第 二章
一 海 外積 送 品 の重要 性
え て いると いう 単 純 な事 実 は、 そ の経 済 生活 の維 持 のた めに は、 継
世界 中 の諸 国 で日本 ほ ど海 運 に依 存 し て い る国 は他 に類 例が な い。
続 的 に海 外 か ら積 荷 を も ってく る こと を 意味 す る。 さ ら に日本 は大
大 量 の船 内容 積 を占 め るも ので はな いが 、 海外 物 資 に 日本 の工業
に頼 った。
は依 存 し て い た。 こ のこと は、 アン チ モ ニー、 ニッケ ル、水 銀、 雲
に頼 る 必要が あ る。 海 外 諸 国 への依存 度 は、 国土 の生産 品 がき わ め
小 の多数 の島 々より 成 り 立 って いる の で、国 内 通 商 の大部 分も 海 運
母 、 石 綿 、 シ ェラ ック、 樹 脂 、 キ ニーネ、 製 革用 材 料 のよう な 必須
物 資 の殆 ん どが 完 全 に外 国 資 源 に頼 って いる 事実 に よ っても 実証 さ
て少 なく な いこ とを 、 資 源 と人 口と の間 の不均 衡 な 比率 によ って非
日本 本 土 を構 成 す る 島 々の面 積 は 一四 七、 六 一一平方 マイ ルであ
に でき た のは、 生 糸、 硫 黄 、魚 油 と 、そ の他 あ ま り重要 でな いも の
れ て いる。 じ っさ いのと こ ろ、 日本 が 工業 用 原料 で自 給自 足 が完 全
常 に高 いも のと な って いる 。
る。 し かし 、 そ の八五 % は ま ったく 高 低 に富 んだ 森林 に覆 わ れ た山
本 の平 時 経済 が 、 輸 出貿 易 に依存 し てい た こと は 同様 に重要 で あ っ
大 き なか さば り に比 べれ ば 、 は る か に少 な く て済 む のであ るが、 日
輸 出 製 品が 船 内 容積 を 必 要 とす る程度 は、 輸 入す る工業 用 原料 の
に限 ら れ て い た にすぎ な い こと は明 ら か であ る。
岳 で生 産 には比 較 的 適 し な い。 天然 資 源 で は 日本 は世 界 の強 大 国 の う ち最 も 貧 弱 であ る。林 産 物 と 海産 物 では、 経 済 に均 衡 のと れ た資
不足 は甚 だ し いも のが あ る 。
源 を有 し て いるが 、農 産物 、 鉱 産物 、 動 物 性食 品 に お い ては、 そ の
戦前 の日本 は、 カ ロリ ー摂 取 量 を基 礎 とす れ ば 、 全食 糧 供給 量 の
た 。 し か し なが ら、 輸 出 品 の多 く は輸 入品 の再積 出 しで あ る。 こ の
二
外 国 貿 易 の性質
原 料 品 で あ り、 これ に次 ぐ も のは金 属 工 業原 料 品 であ ったが 、 この
て原 料 品 と半 製 品 と であ った 。 そ の第 一位を 占 め たも のは繊 維 工業
工業 国 と し て は自然 の こと であ る が 、戦 前 の日本 の輸 入 は主 と し
はな い多 く の輸 出 品 、例 え ば 小麦 粉 、精 製 糖 、 ゴ ム製 品 、 金属 製 品 、
両種 目 だ け で毎 年 の輸 入金 額 の過半 に達 し て いた。 そ の他 の重 要品
点 に つい て は、 最 大 の単 一輸 出品 であ る綿 製 品 と、 そ れ ほど重 要 で
紙 、 人 絹 製 品 など は、 こ の再 積出 し品 であ った 。 主要 輸 出 品 のう ち 、
目 は鉱 物 燃料 、 肥 料 、羊 毛 、 ゴ ムであ った。 棉 花が 最 大 の単 一品 目
いが 、 主 と し て機 械 と部 品 、 お よび 車 輛 と いう よう な 完製 品 も 毎年
で、 通 例 毎年 の輸 入総 価格 の 二五乃 至三 五% を 占 め た。 数量 は少 な
絹 と 陶 器 だ け は国 産 原料 から製 造 し たも のであ り 、 これ は製作 中 の
日本 の外 国貿 易 額 は、 世 界 の国 々の中 で は大 き い。 一八 五四 年 に
あ る時 間 、 海 上輸 送 を 必要 と し な か った も のであ る 。
外 国 と 通 商 を は じ め て以来 、 日 本 の輸 出 入 は大 体 に お い て増 加 の傾 向 を 示し てき た。 一九 三 七年 (昭 和 一 二 年 ) に至 り 、 そ の輸 出 入総
第 五 位 を占 めた 。内 訳 は輸 入が 三 、 七 八三 、 一七七 、 〇 〇〇 円 、 輸
日 本 は同 年 中 世界 各 国 の中 で、 輸 出 で は第 六位 を、 ま た、 輸 入 では
な 総 額が 現 わ れ た の は 一九 四〇 年 だ け であ った。 そ の総 額 によ って、
こ れ は実 にそ れ ま で の最 大 の数 字 であ り 、 そ の後 こ の数字 より 大 き
ダ 領東 イン ド ) であ った。
供 給源 は、 イ ンド、 満 洲 、濠 州 、中 国 、 ド イ ツおよび 蘭 印 (オ ラ ン
輸 入 量 の三 〇 ・七% は米 国 から だ け のも のであ った。 そ の他 の主 要
あ る。 米 国 は最 大 の単 一材料 供 給 国 であ り、 一九 三 六年 に は 日本 の
お り、 毎 年 の輸 入総 量 中 約七 〇 % は こ の両 大陸 から供 給 さ れ た ので
は 、 アジ ア地域 と北 ア メリ カ であ った。 付表 第 10 ︹ 略︺に示 され ると
日本 は世界 各 地 から物 資 を 輸 入 し たが 、圧 倒 的 に多 量 であ った の
輸 入 され た。
出 が 、 三、 一七 五、 四 一八、 〇 〇 〇 円 で差 引き 輸 入超 過が 六〇 七 、
額 は 六、 九 五 八、 五九 六、 〇 〇 〇 円 (約 二〇億 ド ル) に達 したが 、
七 五 九、 〇 〇 〇 円 であ った 。 こ の少 額 の輸 入 超 過 は 一九 三 八年 ま で
年 以 前 にも 以 後 に も見 ら れ な い最 高 の数 字 であ る。 こ の総 量 のう ち、
一九 三 七年 の輸 出 入総 ト ン数 は三 九、 九 二三、 〇 〇 〇 トン で、 同
価 格 で第 一位 を 占 め た の は木綿 織 物 で、 そ の次 は生 糸 であ るが 、 こ
加 工食 料 品 、 陶 器、 ガ ラ ス器、 玩 具、 木 製 品 のよう なも のが あ った 。
の最 も 顕著 な も のは織 物 と被 服 製 品 であ るが、 こ の外 に金属 製 品 、
日本 の輸 出 品 は主 と し て製 品 お よび 半製 品 か ら成 り 立 って いた。 そ
日本 への輸 入 品 の多 く が原 料 品 の性 質 のも のであ る のと 対 照的 に、
二三 、九 五 四、 〇 〇〇 ト ンす なわ ち 五 四% を 日本 船 で、 残 り四 六%
は日 本 の外 国貿 易 上 で は常 態 であ った 。
は外 国船 、 主と し て英 、 米 、ド イ ツお よび ノ ルウ ェー船 で輸 送 した 。
の両 品 目だ け で年 間 輸 出 総 価格 の三 二 ・五% を占 めて いた。
輸 入 でも そ う であ ったよ う に、 日 本 の輸 出 も ま た世界 の各 地 と関
一九 三 七年 中 に日 本が 傭 船 し た外 国 船 は 一ヵ月 平均 三 九 一、 八 二六 総 トン で あ った。
係 を 持 って い たが、 ア ジ ア地 域 と北 米 と は特 に 関係 が 深 か った。 一
九 三 六年 の日本 の輸 出総 価 格 の二 二 ・ 一% を 占 め た最 大 の輸 出 先 は
多 額 の輸 出 は朝 鮮、 米 国 お よび 関東 州 に対 し てだ け であ った。 台 湾
九 三 六年 に は合 計 二四 三 、 八三 二、〇 〇 〇 円 に達 し たが 、 これ より
は三 八% を 台湾 か ら の輸 入 に依 存 し た。 日本 から 台湾 への輸 出 は 一
し か し、 おそ ら くも っと 重要 な 意味 を 持 つも のは、 日本 で は植 民
織 物 、 肥料 、 金 属製 品 であ った。
と の通商 は品 目が き わ め て雑 多 で あ ったが 、 主 要 なも の は食 糧 品 、
米 国 であ った。 これ に次 ぐ 主要 な 輸 出 先 は、 関東 州 、 イ ンド、 中 国、
植 民 地貿 易 の性 質
満 洲、 英 国 、蘭 印 であ った。
三 日本 の植 民 地 は朝 鮮 、台 湾 および 太 平洋 委 任 統 治 領 であ るが 、 そ
の地 域 が 原料 品 特 に食 糧 品 、 肥料 および 鉄 鋼 工業 原料 品 の供給 源 と
す る数 種 の品 目 の対 日輸 入 の百分 比 を示 す も の であ るが 、 そ れ は こ
地 の部 類 に 入れ て いな い満 洲 を含 む アジ ア北東 地 域 と の通 商 であ ろ
一九 三六 年 に は朝 鮮 が特 に重 要 で、 対 日本 輸 出 は合計 五 一八、 〇
し て の重 要 性を よく 例証 し て いる。 日本 支 配 地 域 の いわ ゆる " 円ブ
う 。 付 表第 15 ︹ 略︺は、 満 洲 を含 む 日本 の支 配下 にあ る 地域 内 に産 出
四七 、〇 〇 〇 円 に達 した 。対 日輸 出国 と し て は米 国 だ けが こ の合 計
の総 人 口は 三、 〇 〇 〇 万 であ り、 一九 三 六年 に おけ る 日本 の輸 入 の
を超 え て い た。完 全 に工 業 化 しな い朝 鮮 は 、 日本 の産 業 に対 す る 原
ロック" は 食糧 に お いて は、 殆 んど 自給 自 足 し て おり 、 ま た、 石炭
二四 ・五% の割合 いを 占 め、 輸 出 の 二四 ・八% を 分 担 し た。
料 供給 国 の地 位 に留 ま った 。朝 鮮 の対 日輸 出 総 量 の約 四分 の三 は、
と銑 鉄 にお い ても 実質 的 に はや は り自 足が でき て いた のであ る 。
よ う な数種 の戦 略 鉱 物 の主要 産 地と し て重 要 で あ った。 対 朝鮮 輸 出
地 と して、 か つ、 雲 母、 黒 鉛 、 タ ング ステ ン、螢 石、 モリブ デン の
糧 品 の大部 分 を 挙げ 、 日 本本 土 産 出 のも の、 植 民 地地 域 から供 給 さ
付 表第 5 ︹ 略︺は 、 大き な 重 量 と容 積 を必 要 とす る主要 な原料 品 と 食
同 時 に考 慮 す る こ と によ り い っそ う強 調 され ね ば な らな い。 前 出 の
の依存 は、 輸 入 原料 総 量 に対 す る 海外 お よび 植 民 地供 給 源 の寄 与 を
これ を要 す る に、 日 本 の海 外 供給 源 への依 存 、 した が って海 運 へ
お おむ ね米 、 水 産物 、 鉱 物 、繊 維 原 料品 か ら 成 り立 って いた。 こ の
は 一九 三 六年 は六 四 七、 九 一八、 〇 〇〇 円 と 評 価 され 、 植 民地 と 外
れ るも の、 そ れ に外 国 から輸 入さ れ るも の の百 分 比 をそ れ ぞれ 示 し
植 民地 は マグ ネ サイ ト の大 供給 源 と し て、 ま た 、米 の主 要在 外 供 給
の通 商 に含 ま れ て いたが 、 そ のう ち で最 大額 のも のは織 物 、機 械 、
国 と を問 わず 、 ど の国 よ りも 多額 であ った。 非 常 に多 く の品目 が こ
国内 海 路 貨物 輸 送 の性 質
国内 貨 物輸 送 にお いて、 海 運 が大 き な比 重 を占 め て いる こと で は
四
て い る こと は 一見 し て明 白 で あ る。
て い る。 大量 の食 糧品 と 工業 原料 品が 圧 倒的 に海 外供 給 源 に依 存 し
台 湾 から 日 本 への輸 出 は 一九 三 六年 に は 三五 八、 八九 五、〇 〇 〇
金 属 製 品 であ った 。
た にすぎ な い。輸 出 品 の九 五% 以 上が 食 糧 品 で、 主 と し て米 と砂 糖
円 に達 し た。 米 国と 朝 鮮 と イ ンドだ け が台 湾 より も 多く の輸 出 を し
であ った。 日本 は毎 年 の輸 入量 のう ち砂 糖 で は 八〇 % を 、 また 米 で
つの大 き な島 と 数百 の小 島 に分 布 さ れ て いる。 本 州 と 九州 間 の鉄道
日本 の右 に出 る 国 は世 界中 ど こに も な いであ ろう 。 日本 の人 口は 四
つ、 一九 二 六年 の価格 比 率 は 一九 三 七年 にも 適用 でき ると 仮定 す れ
四倍 と 考 え られ て いる。 こ の比 率 を 一九 三七年 の数 字 に適 用 し、 か
日本 の戦 前 の国 内通 商 のトン 数 は、 お お よそ、 そ の外 国 貿 易 の約
ば 、 同 年 の国内 通 商 は約 一億 六千 万 ト ン、 そ の価 額 は 約 一四 〇億 円
トン ネ ル、 お よび本 州 と 北海 道 間 な らび に本州 と 四 国 間 の鉄 道連 絡 船 を 利 用す る以 外 の交 通 は 、全 部 海 路 に よる 外 はな か った。 かさば
と算 定 でき る。
し て い た。 ( 産 業 設 備 の多 く は海 岸 に敷 地 をえ ら んだ )。 同様 に天 然
部分 は沿 岸 運輸 で成 立 し て いた。 大 都 市 と産 業 中 心地 は沿 岸 に集 中
端 から の大 き な船 積輸 送 が 要 求 され た 。島 内 間 の取 引 で さ え そ の大
さ れ た。 樺 太 か らも 相 当大 量 の粘 結 炭 が 北 海道 と本 州 に輸 送 さ れ た。
ま た、 小 樽 と留 萠 から本 州 の日本 海 諸 港 へ、主 と し て伏 木港 に輸送
に達 し た。 北 海道 炭 は 函舘 、室 蘭 、 釧 路 か ら東京 湾 諸港 に輸 送 され 、
進 ん で内 海 諸港 に、 主 と し て大阪 、 名 古屋 、 清 水 およ び東 京 湾諸 港
か ら本 州 に輸送 さ れ る 石炭 であ った。 石炭 は北 九州 諸港 から東 方 に
断 然 群 を 抜 い て いる重 要 な品 目 は、 九州 から本 州 へ、 ま た北海 道
る原 料 品 の若 干 、特 に石 炭 は 主と して 北海 道 と九 州 に産 し たが 、 主
資 源 の多 く は海 岸 ま た はそ の付近 にあ って海 上 輸送 を容 易 に した 。
な産 業 地 区 は本 州 の中 央 部 に あ った ので、 こ の地 区 に向 って南 北 両
地 形 の関 係 上 陸上 輸 送 は困 難 であ り、 か つ、 生 産 と 消費 中 心 地 は共
樺 太 は他 のか さば った物 産 、 主 とし て魚 粉 、 パ ルプ お よび 紙 を本
大部 分 の国 々で は、 大体 のと こ ろ殆 ん ど陸 上 で 運ば れ る 低 価 で か
ンガ ン、 ク ロー ム鉱 、 硫 黄が あ った。 日本 に と って北 海 道 は小 麦 、
諸 港 に仕 向 け ら れ た。 特殊 品 目 の中 に は、 鋼塊 、鉛 、 亜 鉛 、銅 、 マ
パ ルプ、 木 材 、金 属 製 品 、食 糧 品 を積 出 し 、そ の殆 んど 全 部が 本 州
州 に向け て積 出 し た。 北海 道 諸 港 は、 石 炭 ば かり でな く 、多 量 の紙 、
に海 岸 にあ る ので、 これら の両中 心間 に鉄 道 輸 送 の発 達 を促 進 す る
さば るも の、 たと え ば 砂 や建 築 材料 のよ う なも ので さえ 、 日 本 で は
理 由 は殆 んど 存在 しな か った。
た いて い海 路 によ った。 こ の要 素が 海 上 輸 送 の合 計 トン数 の増大 を
銅 、 鉄 精鉱 、肥 料 、石 灰 石が 含 ま れ た。 九 州 は石 炭 の外 に、銑 鉄 、
国内 通 商 に対 す る 四 国地 方 の寄 与 には 、穀 物 、 塩、 非 鉄 金属 特 に
じ ゃが いも 、 数 百 トン の生魚 およ び缶 詰 魚 肉 類も ま た積 出 さ れ た。
トン 数 の多 く は 低価 であ る にも か か わらず 、 国内 海 上通 商 の総価 額
圧 延 鋼 製 品 、 コー ク ス、 セ メン ト、精 製 金 属 、化 学製 品、 ソーダ 、
甜 菜 糖 、酪 農 品 の供 給 源 であ った 。多 量 の豆類 、 約 一〇 〇 万 トン の
は莫 大 な数 字 に達 し た。 一九 二六 年 (大 正 一五年 ) に は、 同 年総 額
助 長 し て い たが、 こ の数字 は戦 前 に お いて は、 一人 当 り三 トン半 で
四、 四 二 二、 二 一 二 、 〇 〇〇 円 に達 し た外 国貿 易 総 額 の 二倍 以 上 で
であ り、 そ の殆 んど 大部 分 を 日本 諸 島 に向 け て輸 送 し た。
穀 物 を 積 出 し た。 沖縄 は 日本本 土 で産 出 され る甘 蔗 糖 の 一手 供給 源
あ り 、陸 上 を 輸送 され た 貨物 に対 す るも のよ りも 大 き か った 。 こ の
あ った 。横 浜 、神 戸 、 四 日 市、 清 水 の四港 だ けが 、 各港 の 一九 三 六
本 州 地 方 の原 産 で主 と して 日本 中 に送 られ るも の には、 石炭 、 ソ
年 (昭 和 一 一年 ) に取 り扱 った国 内 通商 より も上 廻 った価 額 の外 国 貿 易 を 取 り扱 った だけ であ る 。
中 心地 に 送 られ た穀物 、 新 潟 や船 川 か ら 東海 岸 の工業 中 心 地 への油 、
ーダ 、肥 料 な ど 宇 部 に仕 向 け られ るも の、 日 本 海諸 港 から西 海 岸 の
対 す る連 動 と いう こと は、鉄 鋼 工業 が 、造 船 、 大 砲、 装甲 車 、 飛行
ング 、鉱 石 と 金属 類 、 そ れ に石 油 に対 す る需 要 が 増 大 した。 戦 争 に
な 不足 に直 面 し た こと を 意味 した 。航 空機 工業 には 不 可欠 であ り、
必需 原 料 であ る鉄鉱 石 、 粘 結炭 およ び鉱 合 金 の三 種 のも のの致 命的
電気 装 置 や通 信 にも 必要 な ア ルミ ニウ ムと 、 航 空機 製造 、 照 明弾 や
機 、弾 薬 、 工業施 設 、 機械 類 の製造 の巨 大 な要 求 と向 い合 った 時、
が 、そ の大 部分 は相 対的 に少 数 の港 を 経 由 し た。 日本 本 州 お よび 樺
焼夷 弾 の中 に使 用 さ れ る マグ ネ シウ ム の両 者 は多 量 の輸 入原 料品 を
上述 の外 国貿 易 や 国 内通 商 の荷 扱 いに は多 数 の港が 関 係 し て いた
太 の四 四 の開港 中 、 一八 港が 外 国 貿易 で は比較 的 に 重要 であ った。
広畑 や 釜 石 から の鉄 と鋼 、 そ し て吉 津 か ら の石 灰 石な ど があ った。
そ の中 でも 、 神戸 、 横 浜 、 大阪 が 一九 三 七年 に は、 外 国貿 易 額 の八
つあ る 工業 用 と し ても 、絶 対 に必要 な 多 く の化 学薬 品 の基 礎 でも あ
に、 石油 精 製 、 ア ル ミ ニウ ム生産 と爆 薬製 造 な ど の急 速 に拡 張 し つ
った 。 日本 の国内 石 油 工業 は、 航 空用 ガ ソリ ン、 聯 合艦隊 用 の燃 料
必要 と した 。 塩 は食 用 と し て、 ま た、 食物 保 存 用 と して必 要 なう え
内 国海 上 輸 送 は 殆 んど 問 題 とす る に足 りな い、そ れ は殆 んど 三角
油 、 そ れ に機 甲 戦 にな く て なら ぬ自 動車 用 ガ ソ リン お よび潤 滑 油 な
二 ・八% を取 り 扱 か った。沿 岸 貿 易 はも っと 広汎 に分 布 し て いたが 、
州都 市 、 主と し て東 京 や大 阪 にあ る河 川 や運 河 網 に限 ら れ て い るか
そ の取 り扱 い数 量 で は東 京 と 大阪 が 飛 び抜 け て多 か った。
ら であ る。 こ こで は ハシケや サ ンパ ンが 受 け渡 し業 務 に従 事 し た。
支那 事 変 に よ る諸 々 の要 求 と 、来 るべ き さ ら に重 大 な戦 争 のた め
続 いて制 限 を受 け て い った。 こ の大 戦勃 発 だ け に よ っても 、 ド イ ツ
一四年 ) の ヨー ロッパ戦 争 の勃 発 を 契機 と し て、 供 給源 地 域 は引 き
こ のよ うな 海 外物 産 に対す る急 増 し た需 要 は、 一九三 九年 (昭 和
った。
ど が 必 要 とし た分 量 の、 わず か に 一〇 分 の 一を充 し得 るにす ぎ な か
の諸準 備 は、 は じ めは ゆ っく り と後 の数 年 間 は急 速 に 、 日本 の外国
戦 時経 済 への転 移 、 輸 入 型式 の変 化
貿 易 の性 質 に 必然 的 な変 化 をも た ら し た。輸 入 の面 で は、 必需 品 で
の生産 品 の大部 分 と 、そ の他 の交 戦 国 を供 給 源 とす る多 数 の品目 の
五
な い食 糧 品 、ぜ い たく 品 、織 物 原料 品 と そ の他 の家 庭 消耗 品 お よび
に ヨー ロ ッパ戦 争 に参戦 し てい る諸 国 は、 日本が 必 要 と し てい る多
数 の品 目を 輸 出禁 止 下 に お いた 。 日本 が 、 い っそ う致 命的 な 痛 苦 を
喪 失 を意 味 し た。 一九 四〇 年 (昭和 一五年 ) に いた り、米 国 を筆 頭
受 け る に い た った こ の禁 輸 品 目 の中 には 、 米国 から の石 油 と銅 、 米
輸 出 品 は、 そ れ ほど 重 視 さ れな く な った。棉 花 、羊 毛 、 パ ルプ 、 小
す ぎ な か った 。 そ の大 部 分が 通 常 は 日本 で加 工され て海 外 へ再 輸 出
麦 の輸 入 は、 一九 四〇 年 に お いて は 一九 三 六年 当 時 に比 べ て半 量 に
さ れ て い る他 の輸 入原 料 品 に つ いても 同様 な 減少 が あ った。 これ ら
マ レーか ら のゴ ムで あ った。 日本 の輸 入貿 易 は こ れ に従 って変 化 し
国 と イ ンド から の銑 鉄 、 米 国 から の屑 鉄 、 カナダ から の非 鉄金 属 、
これ ら の減 少 と相 殺 し て、機 械 類 特 に機 械 工具、 自 動 車 、 ベ ア リ
の品 目 の輸 出 の減少 は、 貯蔵 品 の消耗 と対 応 し て現 わ れ てき た。
食 糧 品 は 容 易 に自 足 に達 し 得 るも のと考 えら れ て いた 。 主要 品 目
に供 給 源 が あ り、 六 一% は圏 外諸 国 から や ってき たも のであ った 。
一九 四 一年 七 月 に は、 米、 英 、 仏、 オ ランダ の四 国 の地 域 内 で 日
の各種 食 糧 品 も な お十分 に自 給自 足が でき た。 主 要 品目 中 、小 麦 だ
であ る米 の生 産高 は いくら か余剰 が あ った 。豆 類 、砂 糖 お よび 多 数
た。
本 の在 外 資 金 が 凍結 さ れ 、 そ の結 果 日本 はさ ら に米 国 か ら の棉 花、
繊 維事 情 は満 足す べき 状態 で は な か った 。圏 内 唯 一つの棉花 大 生
け が 不足 を 告 げ て い た。
木 材 、 パ ルプ 、濠 州 から の羊 毛 と 鉄鉱 、 カ ナダ から の木材 と パ ルプ、 マレ ー半島 から の鉄 鉱 、 仏 印 から の石炭 と いう よう な 重 要 品 目を 失 う こと にな って しま った。
要 量 の約 六分 の 一を 生産 す る にす ぎず 、 ま た、黄 麻 は 現実 には イ ン
た。 羊毛 に お いて は事 態 は さら に悪 く、 中 国 と満 洲 国 と合 せても 所
ド に全 部 を仰 いで いた ので あ る。 人 絹 パ ルプ も 不足 で あ った。 ただ
産 国 であ る中 国 だけ でも 、 とう て い需 要 を 充す ま でに は 至ら な か っ
招 い たが 、 こ の状 況 は、 日本 が南 方 地 域 を征 服 す る ま で の間 だけ の
絹 だ け は 余剰 が あ り 、他 の繊維 の不 足 を補 う た め に従 来 よ りも っと
日本 が 反 枢軸 連 合 国 を向 う に まわ し て宣 戦 布告 を し たと いう こと
こと であ った。 日本 は こ のよ う な事 態 の発 生 を予 め 見 越 し て、 こ の
は、 事 実 上 日本 の外 国貿 易 を 北東 アジ アに制 限 さ れ て しま う 結果 を
地域 の生 産 力 と融 通 性 を増 大 す る た め にあ らゆ る 努 力 を傾 け た。 日
絹 を代 用 す る こ とが 計 画 され た 。
銑 鉄 、屑 鉄 お よび 鋼 は 不足 が ひど く 、年 々圏 外 の供 給 源 か らそ れ ぞ
軍 要 な 金属 工業 に対 し て は、 鉄 鉱 と石 炭 の供給 は十 分 だ った が、
本 は早 く も 一九 三九 年春 に は、 " 円 ブ ロック" 地 域 内 で は、 鉄、 鋼 、 軽 金属 、 亜 鉛 、石 炭 、 ソーダ 、 硫安 、 パ ルプ に つ いて は、 一九 四 二 年 ま で に は自 給 自足 に達 しう る計 画 を発 表 し た。
拡 張 を 必要 と す る と いう 次第 で あ った。 タン グ ステン、 アン チ モ ニ
た事 情 にあ り、 原 料 の供給 はあ りあ まる ほ ど であ ったが 精 錬設 備 の
ト ル ・ト ン の輸 入を 必要 とし た。 ア ル ミ ニウ ム 工業も 鉄 鋼 工業 に似
れ 六 六万 メ ート ル ・ト ン、 六 三 万 メー ト ル ・ト ンお よび 六 六万 メ ー
南 方 地域 の征 服 お よび 占領 期 間 中 、 大東 亜 共栄 圏 内 に おけ る経 済
ー、 マグ ネ サイ ト は自 給自 足 が で き た。 錫 の年 産 額 は需 要 の 一 三倍
﹁共栄 圏 ﹂ 内 の自給 自 足
的 自 給 計 画が 多 大 の注 目 を引 い た。 共 栄圏 は 一九 四 二年 のは じめ に
にも 上 ったが 、 一方 、 銅、 鉛 、 亜 鉛、 ニ ッケ ルの自 給率 は非 常 に低
六
同圏 内 にあ った諸 国 で、 日 本、 満 洲 国 、中 国 、 仏 印、 タイ 国 (シ ャ
共 栄 圏 内 に おけ る石 油 の供給 は石 炭 ほど は豊 富 でな く 、鉱 油 の自
か った 。
一九 三 五︱ 三 七年 に対す る平 均貿 易 数 字 を基 礎 と す れば 、 これ ら の
要 す る に、 共 栄 圏内 に おけ る潜 在 的 自給 度 の評 価 は、 食糧 品 に つ
給 度 は蘭 印 に おけ る増 産 と 日本 の合 成 工業 の発 達 に依 存 し て いた 。
ム) を 含 む も のと 考 え られ て いた。さ ら に、蘭 印 、フィ リピ ン、 マレ
八 ヵ国 の輸 出貿 易 の三 〇% だ けが 共栄 圏 内 に局 限 さ れ、 残 り 七〇 %
ー お よび ホン コンも やが て共 栄圏 に加 入す るも のと 予期 さ れ て いた 。
は圏 外 諸 国 向 け にな って いた 。 八 ヵ国 の輸 入 の約 三 九% は共 栄圏 内
る のは困 難 であ り 、特 定 の余 剰農 産 物 す な わ ち ゴ ム、 豆 、 砂 糖 の処
いて は懸 念 の必 要 は殆 んど な く 、繊 維 と 非鉄 金 属 の需 要 を満 足 さ せ
は外 国 専 門家 の指 導 の下 に はじ ま った 。そ の発 展 はき わ め て遅 々た
よう ど 一九世 紀 の中 ご ろ であ った。 日本 の商 船 隊 建設 の最 初 の努 力
空積内にある 一〇〇立方 フィート単位 の数 をも って表わす。本章中他 に
総ト ンとは船 の大きさを測 る尺度で、 メーン ・デ ッキに覆 われている
舶とだけ書く場合は五〇〇総 トンを超 える汽船 を意味する。
を用いて、欧風鋼船と木造和船 とを区別するために残しておく。単に船
の区別 は、本章中で混雑" の起 りそうな場合には、汽船と機帆船という語
も のとを問 わず 一切 の欧風船舶を含むに至 った。それで、 この日本独特
けを意味 した汽船という語 は、蒸気 で推進されるのとデ ィーゼルで動 く
る新式洋風汽船から区別するのに用いられた。同時に、本来 は蒸汽船 だ
概ね鋼船 でたまには五〇ト ンの小型もあるが 、通例 は五〇〇 トンを超 え
概ね木造で且 つ積載量 二五〇総 トンを超えることは殆んどない和船を、
たが、機 帆船という名称はそのまま残り、必ず しも常にそうではないが、
和船に動力が装備さ れる ことになり、 これは " 機帆船"と呼ばれたが、 "動力付帆 船"の意味 である。近年 に至り帆を使用することは稀にな っ
気船" の意味である。後年内燃機関が発明されるにおよび、旧式 の古い
って鋼船が新造 されると、それらは "汽船"と呼ば れたが文字通り "蒸
は東洋的ジ ャンク船 の日本型 のも ので、むろん木造 であ った。洋式 に従
数 の船が 使用されたが、それらは洋式船 ではなか った。 これらの小型船
( 原注) 明治維新以前 には、 日本 では漁業や島嶼間 の通商のために多
て い た こと を実 証 す る も の であ った。
運 ぶ に至 った こと は 、 日本 の海 外 発 展 の野 心 が船 舶 の増強 に依存 し
堂 々 一 一〇 万 ト ン の大商 船 隊 を擁 し て貿易 量 の四〇 % を自 国 船腹 で
日本 が 海 運 の後 進 国 か ら世 界 第 六位 の海運 国 と し て急 速 に発 展 し、
万 五千 ト ン の商 船 隊 を持 って いた にすぎ な い。 そ の後 の四〇 年 間 に
るも の であ った。 一八 七〇 年 (明治 三 年 ) ま でに 日本 は わず か に 二
東 南 ア ジ アや 蘭 印 の征 服 に よ り、 日 本 は ゴ ム、 錫、 ア ンチ モ ニー、
理 には、 重 大問 題 が あ ったと いう 結論 に達 し た 。
黄 麻 、 キ ニーネ の世界 的 供 給 量 の大 部 分 、 なら び に、 石 油 、 鉄 鉱、 石 炭 、燐 灰 土、 ボ ーキ サイ ト、 砂 糖 、 と うも ろ こし、 米 の広 大 な供
は、 共 栄 圏 内 の資 材 と製 造 能 力 と を補 足 す る こと に よ り、 も し も南
給 源を 支 配す る に至 った。 こ の原 料 の倉 庫 とも いう べき 地 域 の入手
力 を 日本 に与 え るも ので あ った。
方 地域 への海 上 輸 送が 何 等 の拘束 を受 け な い限 り、戦 争 を継 続 す る
占 領 期 間中 日本 は、南 方 地 域 か ら原 料 品 の大 量 と 、 数 量 はも っと
で あ った 。 そ の 一般優 先 順 位 は次 のと お り であ る。米 、 ボ ーキ サ イ
少 な いが 多 く の重 要 な 必需 物資 と を入 手 し たが 、 そ れ ら は巨 大 な量
ト、 ゴ ム、鉄 鉱 、 錫 、鉛 、 タン皮 、 テ レビン 油 、 樹脂 、 牛 皮 であ っ た。 輸 入 トン数 から い えば 、 主要 品 目 は、 まず 蘭 印 の石 油 、 そ の次 が マレ ー半島 と 蘭 印 か ら のボ ー キ サイ ト、 それ から 仏印 と タイ 国 か
戦 前 の運 輸諸 機 関
ら の米 、 マレ ー半 島 と フィリ ピ ンの鉄 鉱 、仏 印 の石炭 であ った。
第 三章
一 商 船 隊 の沿革 日本 は 歴史 的 に は海 運 国 家 であ ったが 、 ペ リ ー代 将 の訪 日以 前 の 二世 紀 間 は、 徳 川幕 府 のと った鎖 国 政策 が 外 洋 航 海を 抑 圧 し て いた 。 日本 が外 国 貿 易 に乗 出 し た の は明 治 維新 にな って から の こと で、 ち
の日 清 戦争 、 さ ら に 一九〇 四年 (明 治 三七 年) の 日露 戦争 は、 そ の
一八 七 四年 (明治 七 年 ) の台 湾征 服 、 一八 九 四年 (明治 二七 年 )
特記しな い場合は、ト ン数 は総 トンである。
し める に い た った。 満洲 事 変 の政 治 的反 響 、世 界 貿 易 の不 安定 、 金
起 き た諸 事 件 に よ る緊 迫 は 日本 の海 運政 策 を し て深 刻 な変 化 を生 ぜ
響 でやや 低 下 し た。 一九 三一 年 と 一九 三 二年 の 二年 間 に、 世界 中 に
社 の 一つと な った。 一九 三〇 年 (昭 和 五年 ) に は日 本商 船 隊 の規 模
よう に、 日本 も 戦争 中 は自 国船 に依存 せね ば な らな い こと、 逆 に言
く 一円 は 四九 セ ントを 維 持 し て いた のが 、 一九 三 五 年 ( 昭 和 一〇
輸 出禁 止 、 外 国為 替 相 場 の変 動 な ど が結 局 円価 の下 落 を招 き、 久 し
は四 三〇 万 ト ンと いう 一つの頂 点 に達 し、 そ の後 の世界 的 不況 の影
都 度 日 本 海運 業 界 に た い へん な景 気 を も たら し、 各 国 が そ う であ る
え ば 、 戦争 の先 決条 件 と し てぜ ひと も商 船 隊 を保 有 せねば なら な い
舞 われ たが 、 こ の有利 な 市 場 の た め に 一九 三三年 に は景気 は再 び上
七 五% も増 加 した。 日本 商 船隊 は 一九 三一 年 に 一時 的 な不 景 気 に見
で 日本船 舶 の儲 け は莫 大 で あ った。 同 じ 理由 で 日本 の輸出 は容 積 で
年 ) には 二九 セ ント に低 落 し た。 貨 物 運賃 は外貨 をも って支 払 う の
な需 要 の減少 を 招 来 さ せ たが 、 そ の時 ま で に船 舶 の重要 性 に ついて 、
昇 し はじ めた。
第 一次 世界 大 戦 直 前 の世 界 的 な海 運 不況 は、 日 本商 船 隊 に自 然 的
ことを 学 ん だ 。
す で に教 訓 を学 んで いた 日本 は、商 船 隊 を育 成 す る 計画 に着 手 し、
改善 した のであ った 。満 洲 にお け る野 心 に みち た産 業 計 画 に基づ く
あ ま り増 加 は しな か ったが 、 日 本商 船 隊 の体質 と輸 送 能 力 を格 段 に
で採 用 さ れ た政 府 の新 補 助 金制 度 は、 そ の後 の数年 間 に総 ト ン数 は
老 朽 船 を廃 棄 し て高 速 モ ータ ー船 を 新造 する こ とを 奨励 す る 目 的
そ れ は第 二次 大戦 ま で つづ い た。 日本 は 一九〇 九 年 (明治 四 二年 ) には、 世 界 貿 易 に適 す る新 造 大 型船 の隻 数 を増 加 す る 目的 を 持 つ選
第 一次 世 界 大戦 は、 日 本船 舶 にと って前 例 のな い ほど の需 要増 大
船 舶 への大 な る需 要 に対 し て、 日 本 は自 国 船 を、頻 繁 に運 営す る こ
択 的補 助 金 制 度 を発 足 さ せ た。
の姿 を消 す や 、 日本 は東 アジ ア の海 上通 商 を 一手 に収 め る計 画 を実
に依 存 せざ るを 得 な か った 。
と が でき たが 一方 、 外 国貿 易 のほぼ 半 分 の運送 に対 し て は、外 国 船
を も た らし た 。 そ し て、 ド イ ツと英 国 の商 船 隊が アジ ア海 域 か ら そ
一 ヵ年 五〇 万 ト ンと いう 最 高 能力 に達 し、 日 本商 船 隊 の規模 は 二倍
鉄 道 の沿 革
北 方 の海港 敦 賀 と に支 線 を 敷設 す るに あ った。
当 時 日 本政 府 の希望 は東 京神 戸 間 に幹線 を、 それ から横 浜 と、 京 都
日 本 に おけ る鉄 道 敷 設 は 一八 六 九年 (明 治 二年 ) に はじ ま ったが、
二
施 し はじ め た。 こ の大 戦 の期 間 に日 本 の造 船 量 は 一〇倍 に増 加 し 、
にな った。 第 一次大 戦 の末 期 に お いて は、 日 本 は国 内 通商 だけ で は なく 、 そ の外 国 貿 易 の八〇 % を自 国 船 で運 ん でい た。
毎年 平 均 一 三万 ト ンず つ増 加 し た。 政 府 の船 舶援 助 は引 き続 き な さ
一九 二〇 年 (大 正九 年 ) 以後 の 一〇 年間 に、 日本 の商 船隊 だ け は
れ て い た。 合併 の結果 、 日本 郵船 会 社 ( N Y K) が 世 界 最 大 の船 会
と が でき な か った ので、 英 国 の資 金 提 供 を受 諾 し 、 日本 公 債 を ロン
し か し、 当時 の国家 財 政 で は、 こ の計画 に資 金 の裏 付 け をす る こ
四千 マイ ルの幹 線 と 五千 八百 マイ ル の引 込 線 と構 内線 とが含 まれ て
最 初 に敷 設 さ れ たも のと、 そ の後 増 設 され たも のと を合 せ て、 一万
〇 年) に は約 二万 二千 マイ ル の鉄道 が 運 営 さ れて お り、 そ の中 に は
い た。
鉄 道系 統 の様 相
日 本 の土 地 は海 岸 沿 い の狭 い地 帯 を除 いて、 大 部分 が 山岳 地 域 で
三
ド ン市 場 で発 行 し た。英 国技 師 団 の来 日 を迎 え て、新 橋 ︱ 横 浜 区間 の 工事 が 一八七 〇 年 三月 に、 ま た、神 戸 ︱ 大 阪区 間 の工 事が 同 年 一 一月 に開 始さ れ た 。 これ ら の区 間 に採用 さ れ た軌 道 は 一、〇 六七 メ ー ト ル (三 フ ィート 六 イ ンチ ) で、 そ れが そ の後 の 日本 鉄 道 の標 準 軌 道 と な った 。
い ので、 鉄 道 幹 線 はそ の大 部 分が 海 岸 と 平行 して お り、 ロー カ ル線
さ ら に九 州 へと通 じ て南 方 へ 一直 線 に延 び て いる。 土地 に高 低が 多
が 山系 を 横 切 って東 西両 海 岸 を 走 る幹 線 と連 絡 し て いる 。多 数 のト
あ る。 こ れ ら の山 々は国 土 の背 骨 を 形 成 し、 北海 道 北端 から本 州 、
さ れ た。 し か し、 こ の政 府 の援 助 にも か かわ らず 、 一八九 三年 (明
ンネ ル、 橋 梁 、擁 壁 、 急勾 配 が 必 要 であ る 。鉄 道 連絡 船 によ り、 北
こ の早 期 の建 設 に続 いて 日本 政府 は、補 助 金 交付 に よ り鉄 道 建設
治 二 六年 ) ま で には、 日本 の鉄道 の、 総延 長 は わず か に 二、 五四 七
海 道 と 本州 間 、 お よび 九 州 と本 州 間 に通 じ 運転 が 行 な われ て い た。
を 奨 励 し て い った。 こ の奨 励 政 策 の結 果 、私 有 鉄 道が 相次 い で建設
キ ロにす ぎず 、 一方 国家 の産 業 発展 を 予想 し て急速 に鉄 道 を 発達 さ
東 京 、 名 古 屋、 大 阪 ︱神 戸 ︱京 都 、 門 司︱ 下関 の四大 工業 地 帯 は、
こ の都 市 区 域 を離 れ る と、 鉄 道 施 設 は急 激 に貧 弱 と な り、 二線 ま た
各 々そ のす ぐ付 近 にき わ め て発 達 し た鉄 道網 を 有 し て いる。 し か し、
し か し、 敷 設 計画 は いず れも 遠 隔 地方 に対 す るも ので、 早 急 に利
せ よ う と の要 求 は急 な るも のが あ った。
益 が あ が る見 込 み も なく 、 し たが って 民間 企 業家 に は 一向 に魅 力 の
は多 く ても 三線 の幹 線 が こ れら の主要 産 業 中 心地 の相 互 間 と、 あ る
な い ことが 間も な く 明 ら かに な った。 か かる 状況 は、 政 府 当局 にも 国民 にも 私 鉄 を国 有 化す る ことが 得策 であ る こと を示 した が 、世 紀
い はそ れ と 主要 供 給源 と の間 を連 絡 し て いる に すぎ な い。
か しそ の中 で最 も 顕 著 な例 外 は、東 海 道 本線 と 、 これ と 下関 ま で 続
日本 の鉄 道 の大 部分 は単 線 で か っ蒸 気機 関 車 を使 用 し て いた。 し
が変 り つつあ る頃 に、 たま たま私 鉄 数 社 の財 政 上 の失 敗 によ り、 こ
く 山 陽本 線 で あ った。 こ の全 線 は複線 で、 さ ら に東京 ︱ 沼津 間 の七
の意 見 はと み に強 化 さ れ た。 そ こで、 一九〇 七年 (明治 四〇 年 ) に 政 府 は私鉄 の大 部分 を手 に 入れ た 。 国有 化 の直 後 に、 国有 鉄 道 は内
八 マイ ルと、 京 都︱ 明 石 間 の 五 二 マイ ルと は 電化 さ れ て いた。 水 力
し た の は 一見 逆 説 的 で はあ るが 、 実 は これ は日 本陸 軍が 、 鉄 道 網 の
電 気 が き わ め て豊 富 に供 給 でき る日 本 で、 こ のよう に蒸 気 力 を重 視
(大 正九 年 ) 五月 に至 るや 、 主要 幹 線 全部 を 含 む官 営 鉄 道 は 鉄 道 大 臣 ( 現 在 の運 輸大 臣 ) に よ り内閣 で代表 さ れ る 一省 の下 に編 成 され
閣 に対 し て直 接 責任 をと る 鉄道 局 の下 に組 織 され たが 、 一九 二〇 年
た 。 この行 政 機構 の下 に鉄 道 は次 第 に発 展 し、 一九 四 五年 (昭 和 二
しま いか と懸 念 す る のあ ま り 、そ の実 現 を許 さ な か った こと を了 解
広 汎 な 電化 が 、敵 か ら の攻 撃 と故 障 によ る 組織 の脆 弱 性 を 増 大 し は
平 時 の鉄 道 輸 送
し な け れば な ら な い。
四 戦 前 、 日 本 の鉄 道 は 、国 内 通 商 の約 三 分 の 一を輸 送 し た。 日 本政
2消 費 地 域 に輸 送 さ れ た輸 入 材 料、 す な わ ち鉱 物性 肥 料 と石 炭 。
は鉄 道 で 輸 送 され る材 料 の最 大 部分 を占 める。
3食 糧 品 、 すな わ ち 国 内 の農 産 物 で沿 岸都 市 に輸 送 され たも の︱
米 や そ の他 の穀 物 、 じ ゃが いも 、 大豆 、 な らび に海 港 から 消費 中 心
4完 成 品 で 工業 中 心 地 から 消 費 地域 に輸 送 され た も の、 す な わち
地 に送 られ た魚 類 。
も 海 上輸 送 を奨 励 す る 傾向 にあ った。 そ の結 果、 鉄 道が 、 ひた す ら
一 一ト ンに達 し たが 、 そ れ は同 一期 間 に海 上 輸 送を 受 け た国 内 通商
六 年 と 一九 三 七 年中 に輸 送 され た鉄道 貨 物 の合計 は八 九、三 四 二、一
貨物 輸 送 は名古 屋 、 大 阪 の両 鉄 道 区が 最 も輻 輳 し て いた。 一九 三
セ メ ント、 鉄 と鋼 、 合 成 肥 料。
旅 客 輸送 に のみ依 存 し たが 、 そ の程度 は、 世 界 の鉄 道 網中 唯 一無 二
ト ン数 の半分 を や や上 廻 る であ ろう 。 同 一年 に対 す る貨物 のト ン ・
府 は前 記 のよ うな 地 理 的状 況 のた め、 陸 上 輸 送 の発 達 を 犠牲 にし て
のも のであ った。 旅 客 輸 送 と旅 客 列車 の マイ ル当 り運 賃 に よ る収 益
キ ロメー ト ルは 一五、 六五 六、 五七 九 、 六〇 二に達 し た。
国 道 輸 送 と道 路
って いた 。
五
は、常 に貨 物 輸送 と 貨 物 列車 の マイ ル当 り 運 賃 か ら の収 益 を上 ま わ
扱 う 貨物 の殆 ん ど は、 短 距離 輸 送 で、 かさ ば る 原料 品 で あ った。 海 路 から 主要 港 に陸 揚 げ さ れ た貨 物 が鉄 道 によ り 内陸 工業 地帯 に移
日本 の道路 網 は原始 的 であ る と いえ る 。各 種 道路 の約 九〇 万 キ ロ
のう ち、 約 九千 キ ロだ け が "主 な国 道 " の部 類 に入 って いる。 そ の
送 さ れ た。 鉄 道が 長 距 離 輸 送 で運 ぶ 必要 が あ る 貨物 は皆 無 であ った 。 鉄 道 施 設 は諸 大 港 に集 中 さ れ 、 これ ら の諸 港 から 離 れ て いる 工業 地
の典 型 的 な " 国 道 " の 一つであ る本 州 の新潟 ま で の東 京 か ら七 七 マ
イ ルの行 程 を ジ ープ で旅 行 す る のに 一二時 間 を要 し た。 改 良道 路 あ
殆 んど は、 ま ったく舗 装 さ れ て い な い。 調査 団 員 の 一隊 が、 これ ら
る いは舗 装 道 路 は、 主 と し て本 州 と九 州 北 端 にあ る 工業 中 心 地 の周
域 に対 し て は、 ド ック、 貨 物 集積 所 、 倉庫 等 が あ る荷 揚 桟 橋 と地 続
道 に よる 短距 離 輸 送 で最 寄 港 に送 ら れ た。 鉱 産 物 が 輸送 総 ト ン数 の
辺 に集 中 さ れ て いる。 東 京 =横 浜 お よび 神戸 =大 阪 の両 地域 を除 け
き の場 所 か ら短 距離 輸 送 で供 給 され た。 国 内 の農 産物 や 林 産物 は鉄
約 半分 を 占 め、 そ のう ち石 炭 だ け でも 三 八% に 達 し た。 付 表 第 22
日本 で は ト ラ ック運 行 は殆 んど ま ったく 短 距離 操 業 に限 定 さ れ て
ば 、都 市 連 絡 幹 線道 路 は存在 しな い。
いる し、 バ ス輸 送 も 短 距離 だ け 動 いて いる 。 一九 四〇 年 には ト ラ ッ
︹ 略︺に掲 記 す る 一九 品 目 は総 ト ン数 の約 四分 の三 を 含 ん で いる。 主
1 生産 地 か ら消 費 ま た は処 理 さ れ る中 心 地 に輸 送 さ れ た原 料 品、
要 品 目 は次 の種類 の いず れ か に属 し て い る。
す な わち 石炭 、 鉱 石 、 石灰 石 、 パ ルプ 、 木 材、 木 炭 、薪 。 こ の種 類
台 と 一万 四 千 台だ け が運 転 可能 であ った 。国 鉄 の自 動車 部 門 は鉄道
ク 六 万台 と バ スが 二万 三千 台 あ ったが 、 そ のう ち わず か に 三万 七 千
年 増 大 し つ つあ った のと は対 照 的 に、 "近 海 "輸 送 用 の船 舶 へ の要
世 界貿 易 用 の船 舶 を 取得 す る ことが 急 務 と考 えら れ、 こ の取 得 が 逐
の発 展 に必要 と す る材 料 の供給 、 そ れ に 五大 洋 に わ たる 各 種世 界 貿
て お り、内 地 の産業 機 関 の発達 に必 要 とす る通 商 、 在 満 洲 の新 工業
努 力 にも か かわ らず 、 船 舶 不足 は依 然 と し て深 刻な ま ま であ り、 貨
一年 初 期 に は平 均 五 五万 トン に増 加 し た。 し か し、 これら の 一切 の
本 の海 運 業者 によ る傭 船 は 一九 三七 年 の平 均 三九万 トン から 一九 四
外 国 船 の買 入れ も奨 励 さ れ、 ま た多 数 の船 が 外 国 で傭 船 さ れ た。 日
は、 当時 全 盛 を き わ めて い た 日本 国 内 の造 船 所 で の新造 船 であ った。
ち五〇 万 ト ン は世界 航 路 から 引 き 揚げ たも のであ り、 一〇〇 万 ト ン
用 商船 隊 は、 二 〇〇 万 ト ンから 三 五〇 万 トン に増 加 し たが、 こ のう
望 が増 加 した こと であ った。 支 那事 変 勃 発 か ら の数年 間 に "近 海"
日支 事 変 の影響
貨 物 の集配 作 業 だけ に限 ら れ て い た。
六
易 、 以 上 のも のに 同時 に従 事 し多 忙 を き わ めて いた。 一九 三 七年 に
一九 三 七年 に 日支 事 変が 勃 発 した 時、 日本 の海 運 業 は 繁 栄 を極 め
日本 は、 海 外貿 易 の五 四% を 自 国船 でな し とげ て いた。
は相 次 いで運 賃 と傭 船 料 の標 準 を決 定 し、 か つ絶 えず これを 改 訂 し
物 運 賃 と 傭船 料 は止 め度 な く騰 貴 して 抑 え よう がな か った。 委 員会
なけ れ ば な ら な か った。 ペ リ ー代 将 の日 本訪 問 か ら 八五年 を経 た 一
し かし 中 国 で の作戦 を 遂 行 す る た め、陸 軍 は船 舶 を軍 に徴 発 し、
九 三 八年 (昭 和 一 三年) には 、 日本 は つ いに米 英 両国 に次 い で世界
こ れ を機 と し て船 腹 不足 の事態 が 発 生 し た。 これ 以後 の数 年 間、 こ の不足 は時 によ り変 化 し たが 、 軍需 用 、 民需 用 と し て利 用 で き る船
第 三位 の海 運 国 とな った。
支 那 專 変 が進 展し た結 果 、 一九 三九 年 に は、 中 国 で沿 岸運 航 に 従
腹が 、 需 要 を充 す ま で供 給 しえ た こと は 一度 も な か った。 一九 三 七
事 し て いた 日 本 の各 社 は東 亜 海 運 一社 に統 合 され る に 至 った。 近 海
年 に臨 時 船 舶管 理 法 と いう 非 常 に広 範 囲 に わ た って船 舶 を管 理 す る
の法律 は船 舶 のあ ら ゆ る局 面 ︱︱ 船 舶 の譲渡 、 船 価 、造 船 、 就 役 航
法 律が 制 定 され たが 、 こ れが 政 府 の船 舶 管 理 の第 一歩 であ った 。 こ
ン 未 満 の小 型 船 の造 船 を 目的 と す る新 補 助 金 政策 が 定 めら れ た。 こ
にお け る 日本 の軍事 的 な らび に産 業 的活 躍 に用立 て る ため 、 五千 ト
の期 間 に おけ る 日本 の猛烈 な 海 運 活動 の有 様 は、 一九 三 八年 末 に英
運 航 の た め に中型 や 小型 汽 船 の需要 が ます ます 増 加 し た ので、 大 陸
輸 事 業 の利 益 を "自 発 的 統 一行 動 " を とら し め る ため に 運輸 省 に船
国 三% 、 米 国 一〇% の休航 係 船 が あ ったと き 、 日本 商船 隊 で はわ ず
路 、運 賃 、 傭船 料 ︱︱ に つき 運 輸 省 に絶 対 的権 限 を 持 た し なも ので
主 委 員会 が 設置 され た。 そ の最 初 の調 整 措 置 は、 政 府 の直 接 管 理 に
あ るが 、 制 定 の初 期 に は、 あ ま り強 力 に行 使 され て いな か った 。運
先 手 を打 つた め に、 協議 と協 力 の形式 をと と のえ てお く と いう こと
一九 三 九年 中 日本 は外 国貿 易 の六〇 % を自 国 船 で運 ん だ。 こ の当 時 、
か〇 ・三% し か係船 が な か ったと いう事 実 が 明ら かに実 証 し て いる 。
﹁支 那事 変﹂ が も た ら し た直 接 的 影響 は、 それ ま で の数 年 間 は、
で あ った。 建造 量 は年 間 百 万 ト ン の約 三分 の 一ま で増 加 し た。
造 船 を 刺激 し建 造費 を減 ら す た め、 五〇 〇 ト ンか ら 六 五〇〇 トン ま で の数 種 の船 型 の標 準船 設 計が 採 用 さ れ た。 従 来 よ りも はる か に有 七
ヨー ロッパ戦 争
第 二次 世 界 大戦 の勃 発 に よ り、 再び 大 部 分 の外 国船 舶 が 日本 船 の
活 動 圏 から 立 退 く こと に な り、 日 本 はま た もや 極 東 の市 場 を殆 んど
利 な 造 船補 助 金 お よ び政 府 融資 法 案 も 新 た に制 定 さ れ た。 支 那事 変 が 日 本 の鉄 道 に及ぼ した 影響 は、 本 土 で の必 然的 に拡 大
ト ン数 は四 五〇 万 トン か ら 三 二〇 万 ト ン に落 ち たが 、 残 ったも の は
独 占 す る に至 った。 三 ヵ 月間 に極東 海 域 にあ る世 界各 国 の船 舶 の総
マー クと ノ ルウ ェーに侵 入 した 結果 、 英 国 は極 東 に残 存 し て いた わ
殆 ん ど例 外 なく 日本 船 であ った 。 一九 四〇 年 の春 にド イ ツ軍が デ ン
され た 生産 量 によ る産 業 経済 の大 膨 脹 の中 に主 に看 取 で き る。 鉄 道
はな か ったけ れ ども 、 し か し増 大 さ れ た鉄 道 自体 の活 動 に反 映 さ れ
が 有 形 的施 設 や 軌道 の総 マイ ル数 で は何 ら こ の膨脹 に対応 し た増 加
て い た。 一九 三 六年 から 一九 四 一年 ま で に輸 送貨 物 トン数 は五 五% 、
す る本 国 諸島 間 を 結 ぶ本 国 水域 で の運航 、 支 那事 変 のた め の補給 、
ず かば か り の北 欧 の商船 ま で移 動 さ せて し ま った。 日本 は緊 急 を要
東 南 アジ ア や蘭 印 か ら戦 略 物資 を 入手 す る 必要 か ら、 日本 の "大洋
貨物 トン ・マイ ル (一年 の輸 送 量 ) は 八三% 、平 均 輸 送距 離 は 一八
が盛 ん であ った こと も 理由 の 一つで はあ るが 、 輸 送 旅 客 は 一〇 五% 、
横 断 " 役務 船 の莫 大 な 削減 を も た らし た 。
% (一 二 二 ・八 マイ ル に) と いず れも 増 加 し た。 こ の間、 軍 事輸 送
ま た、 旅 客 マイ ル は 一一 一% 増 加 し た。機 関車 総 数 は四、 一四 二輌
これ ら の変 化 の大 部分 は支那 事 変 後 に起 こ った のであ るが、 ま た、
一九 三九 年 後 期 か ら 一九 四 〇年 に かけ て の ヨー ロ ッパ戦 争 の影響 に
から 五、 一〇 六輌 に、 そ し て貨車 は七 五、〇〇〇 輌 か ら 一〇〇、〇 〇〇 輌 に、 そ し て客車 は九 、 五〇 〇 輌 か ら 一 一、〇〇〇 輌 と いず れ
よ っても 大 い に促 進 され た 。当 然 予 期 され ると こ ろで はあ るが 、 こ
一九 四 一年 の初期 に は、 米国 と 蘭 印 から の油 輸 入 に は、 日本 は小
に、 日本 の外 国 貿易 の 六五 %余 を 自 国船 腹 で運 ん で いた。
の時 期 ま で に日本 は、 国 内 通商 お よび円 ブ ロックと の通 商 に加う る
も増 加 した 。 日 本 は 国家 の 一般 的経 済 発 展 と歩 調 を 合 わ せる よ う な鉄道 の長 期
海 峡 の海 底 下 に関門 ト ンネ ルを貫 通 さ せ る こと 、東 京 ︱ 下 関間 に標
型 の油送 船 隊 を 大 い に利 用 し て いた。 仏 印 と タイ 国 は 五月 中 に 日本
拡 張 の必 要を 久 し い 以前 か ら 認 め て いた。 こ の計 画 の 一部 は、 下 関
準 軌道 の鉄 道 を敷 設 す るこ と、 津 軽 海峡 の下 にトン ネ ルを つく って
を 加 え た結 果 、 日本 と ヨー ロ ッパ と の間 の貿易 はき わ め て少量 と な
の勢 力圏 に加 え られ たが、 こ の時 ま で に、 世界 政 治 情勢 が 緊迫 の度
り 、船 主 た ち はそ の持船 を米 国 に送 る こと さえ た め ら って い た。 英
北 海道 と本 州 を 直接 に結 ぶ こ と、 な ら び に多 数 の路 線 の延長 や 既 設 の数線 の複 線 化 であ った 。 し かし なが ら 日 本 側 は、 支 那事 変 中 に貨
国 支配 下 の船 舶が さ ら に中 国 貿 易 から 引 揚げ ら れ た こと 、対 中 国 作
物 輸送 が あ のよう に発 展 す る こと は 予期 し な か った。 彼 らが 遠 い将 来 に 予期 し た貨 物 荷 重 は数 ヵ月 間 に現 われ た 。
戦 お よび 仏印 な ら び に タイ 国 への浸 透 の た め の軍部 によ る船 舶 の徴
発 増 加 に より 、船 舶 不 足 は、 一段 と 激 しく な った。 機 帆 船 一〇〇 万
真 珠湾 攻撃 時 の日本 商 船隊 組 織 の詳 細 と機 帆 船 トン 数 の近 似 値 は、
登 簿 トン )。
付 表 第 24 ︹略︺に示す と お り であ るが 、 次 ぎ にそ の大体 のと ころ を要
トン を動 員 し て本 土 諸 島 の沿 岸 通 商 に充 て、 これ に より 大型 汽 船 を 解 放 し て大 洋 運航 業 務 に向 け る た め の官 民 一致 の運 動 が 行 なわ れ た。
太 平 洋 戦争 の勃 発
一、 一九 七、 三 四 九
一八、 七 八九 隻
六、 二 〇〇 、 一一九
二 、 四五 〇 隻
四 三 七、 一一九
一、 一 二 六隻
五 六三 、〇 〇 〇
七 四隻
五 、 二〇〇 、〇 〇〇
一、 二五〇 隻
約 し て 見 よう 。
船
八
機 帆 船 (八 四% は百 トン未 満 )
汽
千 トン未 満 の各 種小 型 船
千 トン を超 え る油 送 船
千 トン を 超 え る貨 物 船 お よび 客船
一方 、 一九 三 六年 以 来 急 上 昇 を たど り つ つあ った商 船 建 造 は、 海 軍
一九 四 一年 に はわず か に 三〇 万 ト ン の新造 を見 た にす ぎ な い。
造 艦 に優 先 度 が与 え られ た た め に、 す っか り上 昇が 停 止 し て しま い、
対 日本 への屑鉄 、 鋼 、 兵 器 の輸 出 を 次ぎ 次 ぎ と 禁止 し ていく 米 国 の明 白 な強 硬 態 度 に鼓 舞 さ れ た蘭 印 は 、 日本 の要 求 を極 力 拒否 し、 日本 が 仏印 を 事 実上 併 合 す る直 前 に米 国が な した 態度 と同 じ よう に 日蘭 交 渉 を 六月 中 に決 裂 さ せ た。 同 時 に日本 は、 そ の当 時 米 国議 会 で審 議中 であ った船 舶 管 理 法 に 一ま つ の懸念 を 感 じ、 ただ し 主 な理 由 と して は近 海 運航 用 の船 舶が 不 足 な た め、 わ ず か に残 って い た外 国 航 海 を取 消 し 、 か つ海 外 にあ る数 少 な い船 舶 の召 還 を開 始 し た。 船 舶 の不 足が 切 迫 し て い た ので、 日本 政 府 は 一切 の定 期 保 存 修 理 工
た。 こう し て、 六月 に陸 海 軍が 徴 用 し た商 船 は八 万 トン に のぼ った。
事 を でき るだ け 延期 し特 に多忙 な夏 期 には実 施 し な い よう に発 令 し
と蘭 印 も これ に追 従 し た ので、 日本 は自 国 の勢 力 圏外 で の全貿 易 を
日本 の勢 力圏 内 に召還 され て いた ので あ る。 日本 にと って戦 争 の最
か った こと は特 に奇異 と す る に は当 ら な い、 日 本船 はす べ て安 全 に
し たが って 開戦 のさ い 日本 が連 合軍 によ り 一隻 の船 舶 も沈 めら れ な
実 際 の戦争 の開 始 は、 む ろ ん 日本 側 にと って は不 意 打 ち では なく 、
停 止 す る のや む なき に至 った。 油 、 銅、 鉄 、 鋼 、 あ る い はア ルミ ニ
初 の利 益 の 一つは、 日本 軍 の占領 地 域 に いた た め、 あ る い は他 の理
一九 四 一年 七 月 二 六 日、 米 国 は在 米 日本 資 金 を 凍結 し たが、 英 国
ウ ム の輸 入 はも は や絶 望 と な った。 外 国船 の傭 船 もが た落 ち とな り、
し たと いう こと であ る。 開 戦後 三ヵ 月 間 に日 本 の商 船 隊 は、 こ のよ
由 に より 拿捕 さ れ た莫 大 な ト ン数 に のぼ る 外 国船 を 征 服 に より 取得
し たが って外 国船 の 日本 寄 港も 実 際 に見 ら れな く な った。 真 珠湾 攻 撃 の直 前 の 五ヵ 月間 、 陸 海軍 は戦 争 準 備 の た めに非 常 に
う に拿 捕 し た船 舶 に よ って 八 二万 三 千 ト ンが 増強 さ れ た。 拿 捕 船 の
多 数 の商 船 を 徴 用 しな け れば な ら な か った。 一九 四 一年 中 に おけ る 日 本 商船 隊 のお よそ の配 備 は つぎ のと お り であ った (単 位 一〇〇 〇
内 訳 は付 表 第 25 ︹ 略︺に示 す と お り であ る。 これ ら の多 数 の船 は、 そ
の諸 問 題 は急 速 に そ の頂 点 に達 し た。 管 理対 策 を さら に強 化 す べき
舶 不 足 を感 じ つ つあ った時 に 、す で に起 こ ってい た組 織 と行 政管 理
の状 況 のな かで 戦争 に突 入 し た の で、 支那 事 変 に より 、 はじ めて船
だと いう論 議 は、 一九 四 一年 夏 に行 な われ た最 初 の大 徴 用 の強制 下
の固有 乗 員 の手 に よ り自 沈 さ せら れ たが 、 そ の後 そ の大 部分 は 日本
に起 こ ったが 、 こ の論 議 は 一九 四 二年 三月 二四 日 の戦 時海 運 管 理令
側 によ って引 揚 げ ら れ、 役 務 に復 帰 す る こと にな った。 日本 船 のう ち 民 間 の管 理 に委 ね ら れ、 帝 国 内 で の純 経 済 的運 輸 を
れ て いた全 船 舶 を掌 握 し、船 主 の傭 船 料 を支 払 い、 船 舶 を船 舶運 営
の制 定 に よ って完成 を見 た 。 こ の法 令 の下 に、 政府 は民 間 で運営 さ
会 と 称 す る機 関 に引 き 渡 し て そ の運 営 に当 ら せた。 こ の船 舶 運営 会
の船 舶徴 用 によ り 危険 な ま で に低 い数 に引 き 下げ ら れ た こと は注 意 し て おく 必 要 が あ ろう 。 重 要 な産 業 用 へ の運 輸 と 食糧 輸 入 に 必要 欠
十 分 に果 す べき で あ った トン数 は、 一九 四 一年 後 期 にな る と、 軍 部
く べ から ざ る船 舶 の不足 は、す で に四 一年 の春 季 に相 当 重 大化 し て
総動 員 局 の物 資 移動 計 画 に従 い物 資 の移動 に対 し所 要 の船 腹 を配 当
は運 輸 省 の職 員 と殆 んど の代表 的 な 船 会社 の社員 と で構 成 され た。
し た。 実際 問 題 と し て は、 本来 の船 主 た ち は、中 央 運 輸事 務 所 を代
運 営 会 は船 主と の諸 契 約 を 処 理 し、 貨 物料 金 を定 め、 ま た、 軍需 省
兎 も角 、 き わ めて 危険 な程 度 ま で悪 化 し て いた 。 民間 の生産 を維 持
行 す る 機関 であ る船 舶 運 営 会 の指 示 を 受 け て、船 舶 への配員 、食 料
こ の不足 の原 因 の 一部 は製 鋼が 若 干 不振 であ った こ と にも よ るが 、
す る 立場 から す れば 、 民 間 の物 資 を 輸送 す るた め に、 も っと多 く の
お り、 た め に正 規 の修 理 作 業 を中 止 さ せ て いた ほ ど であ った。 また
船 舶が 配 当 さ れ ねば な らな か った のであ る。 こ の必要 性 を 留意 し、
す べ て の "C "船 が 使 用 さ れ る こと に な ってい た物 資移 動 計 画 の
積 込 み、補 給 およ び運 航 を や ら され て いた の であ った。
の占 領が 達 成 さ れ た直 後 に、少 なく とも 百万 ト ン の船 を民需 用 にも
日 本 政府 は、 第一 期 作 戦 す な わ ち、 フ ィリピ ン、 マ レー半 島、 蘭 印
主 な る目的 は、 む ろ ん、 日 本 の生 産 機 関 の操 業 と 民生 の維 持 に必要
る い は東 南 ア ジ アお よび 蘭 印 の諸 港 に向 った。 そ れ ら の船舶 の行動
な原 料 品 と食 糧 と を本 土諸 島 に輸 入す る にあ った。 したが って これ
は( 少 な く とも 最 初 のう ち は)、進 行 中 の軍事 作 戦 と は無 関係 であ っ
ど す 計画 を立 てて いた。 しか し なが ら、 初 期 の諸 作戦 が 容 易 に達 成
加 う る に 一九 四 二年 初 期 の船 舶 喪 失 は 予想 外 に甚 大 であ った 。海
さ れ た結 果、 逆 に こ の計 画 は 延期 さ れ 、船 は予 定 よ りも 長 期 に軍 事
軍 は船 舶 の徴用 解 除 を ま った く し なか った。 陸 軍 は 四 月中 に徴 用船
た 。 じ っさ い、 "C "船 は殆 んど 常 に空 荷 で出 港 し て い た。 一方 、
ら の船 舶 の行 動 も こ の 目的 に添う よう に、 多 く の船 は内方 地 帯 、あ
の解 除 を 開 始 し、 そ の後 の五 ヵ 月 間 に合 計 七 二万 ト ンを解 除 し たが 、
二 つの商 船 隊 は主 と し て軍 事 任 務 に従 事 し つ つあ った。 これ ら の船
陸海 軍 の船 舶 部 によ って別 々 に独 立 し て運 営 され た 巨大 な 陸海 軍 の
用 に引 き 留 め ら れ て しま った。
ガダ ル カ ナ ル の敗 北 の後 に は逆 転 し て しま った。
腹 は 征 服地 域 に占 領 軍 と武 器 を 輸 送 し、 出 征 部隊 への補 給 を行 な い、
そ れ だ け で は まだ 十 分 であ った と は いえ ず、 そ のう ち 船 舶 の流 れ は
日本 は 軍 部 に よ る過 重 な徴 用 で 悪化 し て いた商 船 ト ン数 の大 不 足
陸 軍 の重 要基 地 であ り 同時 に 工業 原料 品 の重 要供 給 地 で あ る シ ンガ
お よび 補給 品 積 取 り の た め必 要 の場 合 には 日本 に帰 投 し た。 時 には、
作 戦 の進捗 に伴 い将 兵 を 一地 区 から 他 地 区 に移 し 、 増 援 兵力 、食 糧
航 空 部 隊 で、 海 路 に よ って 人員 と資 材 を輸 送 せ ん とす る 日本 側 のあ
う と いう こ と は明 白 であ った 。 太平 洋 戦域 全 般 に お いて作 戦 した 全
船 舶 に対 す る主 攻 撃力 と して、 潜 水 艦 は そ の卓 越性 を 維持 す る だ ろ
で作 戦 す る潜 水 艦 のも つす ぐ れ た行 動 力が つと に認 めら れ たよ う に、
ま た、 わず か 一機 の飛 行 機 でも 、 武 装 の有 無 ま た は任 務 の如 何 にか
ポ ー ル のよう な港 か ら 帰港 す るよう な場 合 には、 こ れら の船 舶 は 民
かわ らず 、 日本 船 や、 そ れ ら し い船 を 観 測 し、 か つ報 告 す る こと が
か ったも の はな い。 非 常 に多種 多 様 の飛行 機 が この任 務 に充 てら れ、
よ う に、 ︱︱ も っと た び たび 起 こ った ので あ るが ︱︱ 、 帰航 す る 時
でき た 。 し かし な が ら、 空 中 か ら 日本 商 船 の動 向 に注 意 をす る動 機
ら ゆ る努 力 に対 し、 全 面 的 攻撃 に そ の程 度 の差 こ そあ れ 、参 加 し な
に陸海 軍 船 は 、 軍隊 や 補給 品 を 積 み 込む た め に大 急 ぎ で 空 船 のま ま
の主 な るも の は、敵 本 国 にお け る戦 争 遂行 能 力 を減 少 さ せ る戦 略 目
間輸 入品 を 持 ち帰 った ことも あ った 。 しか し 特 に ト ラ ック島 や ラバ
日 本 に引 返 し て しま った。 こう し て 絶望 的 な 船 舶 不足 に苦 し みな が
ウ ルの よう な純 然 た る 軍事 港 湾 か ら帰 航 す る 陸海 軍 徴 用 船 の場合 の
ら 海 洋 を渡 って 途方 も な く手 を ひ ろげ た戦 争 に従 事 中 の海 国が 、 し
った こと は強 調 さ れ ねば なら な い。 大 型商 船 を 撃沈 した 貢献 度 の比
的 より も 、 む し ろ、敵 の軍 事 補給 の妨 害 を企 図 す る戦 術 的 目的 にあ
率 で は、 航 空部 隊 は決 し て大 き な も の で はな か った。 これ に反 し て
かも な おそ の船 舶が 空 船 で反 対方 向 にたび たび 行 き 交う 状 況 を許 す
潜 水艦 の任 務 は、 日本 商 船 隊 を 見 付け 次 第ど こ ででも そ の船 腹 を 処
と いう、 ま った く辻 褄 の合 わ ぬ こと が たび た び起 こ った のであ る。 ち ょう どそ のと き連 合軍 側 で は、 日本 の戦 争 体 制 上 の最 弱 点 、す な
し て いる船 舶 に対 し、 全 面 的 に計 画 さ れ た攻 撃 を時 々行 な い、 あ る
て おり 、 ま た他 の数隊 は、 遠 近 の敵 港 で発 見 し 報告 さ れ た敵 の集中
わが 航 空兵 力 の数 隊 は 、も っぱ ら敵 船 の探 知 と攻 撃 を 主任 務 と し
た かを 評定 す る こと は困 難 で あ る。
ま で、 こ の目 的 の ため に、 は たし てど れ だけ の航 空兵 力 を 使 用 し得
考 え られ た局 地的 重 要 性 から す る、 そ の時 々の戦 術的 要 求 を 抑 え て
議 す る余 地 も多 分 あ る かも しれ な い。 しか し 一応 優先 性 を有 す ると
に は、 も っと 大量 か つ専 門 的 に航 空兵 力 を 使用 す べき であ ったと 論
る こと を 、 よ り以 上 に 痛感 し て いたと す れば 、 こ の目的 遂行 の ため
分 す る こと を常 にそ の主 な目 的 と し て いた。 商 船 の撃 沈 が 重要 であ
わ ち そ の商 船 隊 に 痛 撃 を加 え る準 備 万 端が 整 った 。 日 米 戦争 の開 始 は 日本 の鉄道 輸 送 には何 ら の直 接 の影響 は与 え な か った。
( 原注) 船舶運営会 の運営する船舶を "C"船 と呼び、陸軍 および海
海 上輸 送 に対 す る攻 撃
軍 によ って運営されるも のは各 々 " A"船、 "B"船 と呼ばれた。
第 四章
よ び方 法 によ って実 施 さ れ た。 加 え ら れ た攻 撃 の分 担 別 は 付 録 E
太 平 洋戦 争 中 の日 本船 舶 に対す る連 合 軍 の攻撃 は、 各 種 の機 関 お
︹ 略︺に示 す と お り であ る。 遠 隔 の基 地か ら 敵国 の中 心 めが け て単 独
な 小舟 ま で、 水上 艦 船 の 一切 を し ら み つぶ し に攻 撃 し て、 陸 上 部 隊
偵 察 し、 さ ら にあ る部隊 は 周期 的 に、 時 には常 続 的 に カ ヌー のよ う
部 隊 は、 上 陸 直前 およ び 上陸 作 戦 中侵 入地 点付 近 の地域 を 一定 期 間
潜 水艦 のみ で あ った。
の主要 経 済 航 路上 に到 達 し て、 日本 の船 舶 を有 効 に攻 撃 でき た のは
威 と な った 主 要 な戦 闘 力 にま で発 展 し た。 戦争 の初期 段 階 で、 日 本
た ち ま ち にあげ 、 そ れ は次第 に拡 大 さ れ、 やが ては 日本 の船 舶 に脅
イ ト ・ア タ ック)、中 型 爆 撃 機 に よ る 夜 間 レ ーダ ー ・ロケ ット攻 撃 、
成 る航 空 兵力 が アリ ュー シ ャ ン列 島 から南 西 方 の 日本 本土 に向 って
北 太 平 洋︱ ︱ 北 太 平洋 には第 一 一航 空 軍と 第 四艦 隊 航 空隊 と から
一般 的 に これ を簡 単 に 示す こと が でき る。
各 種 の航 空部 隊 の行 動 範 囲 と、 敵 船 舶 に対 す る行 動 の役 割 りは、
一 行 動範 囲
が 攻略 せず に前 進 し 通 過 し た敵 地 域を 孤 立 さ せ る のに、 そ の努 力 を 集 中 し た。 さ ら にく わ しく 検 討 し て みる と 、攻 撃 手 段も 次 第 に変 っ て い って いる︱︱ 重 爆 に よ る高 々度 港 湾 爆 撃 から 海 兵隊 機 や 空 母機 に よ る潜 空 お よび 急 降下 爆 撃 戦 法 へ、 低 空 爆撃 機 によ る跳 躍爆 撃 法
戦 闘 機 によ る機 銃 掃射 、 爆 撃 お よび ガ ソリ ン ・タ ンク への投下 、 ハ
の索 敵 を 延長 す る こ と であ り、 そ の所 属す る 中型 爆 撃機 は幌筵 海 峡
作 戦 し た 。そ の主 要 な対 船 舶作 戦 は連 続的 で か つ千 島 列島 に沿 って
(ス キ ップ ・ボ ンビ ング )お よび 超 低 空 水 平爆 撃 (マス ト ヘッド ・ハ
シ ケや ラ ンチ への機 銃 掃 射 、敵 水 域 内 に おけ る機 雷敷 設 な ど であ る。
兵 隊 航 空隊 が 、 フ ェニ ック ス、 エリ ス、ギ ルバ ー トお よび マー シ ャ
中 部 太 平洋 ︱︱ 中 部 太 平洋 で は第 七 航空 軍 、第 二艦 隊航 空 隊 と海
に お いて船 舶 掃 蕩 を 実施 し た 。
関 係 部隊 は、 イ ンド か ら オ ー スト ラリ ア、 フ ィジ ー諸 島 、 ハワイ、 ア ラ スカ、 中 国 に いた るあ らゆ る友 軍部 隊 の飛行 機 であ った。 これ
て最 優 先 さ せ、 他 の部 隊 にあ って は、 周期 的 に攻撃 目 標 と し て いた。
ル諸 島 を経 て パ ラオ諸 島 、 それ に マリ ア ナ諸 島 へと 順 次 に作 戦 を進
ら の諸 部 隊 のう ち、 艦 隊 航 空部 隊 は、敵 の船 舶 を常 時 攻 撃 日標 と し
めた 。第 七航 空 軍 はそ の後沖 縄 に進 攻 し て対 日戦 に従 事 し た。 一九
船 舶作 戦 は、 計 画中 の新 上陸 地 点 の方 向 に索 敵 を延 長 し、 ギ ルバ ー
し かし なが ら 、敵 の船 舶 に対 し、 ど のよう な方 法 であ れ、 有 効 な
ト諸島 、 マー シ ャル諸 島 のう ち 占 領 せず 通 過 し た地域 の孤 立化 を 常
攻 撃 兵 器 であ った 飛行 機 の全兵 力 は、他 に先 決 され て いた任 務 遂 行
潜 水艦 に よる船 舶 攻 撃 は、 真 珠 湾 攻撃 直 後 に始 ま った。 南 西 太 平
に企図 し、 ま た、 マー シ ャル、 カ ロリ ン、 小笠 原 の諸 島 と 火山 列 島
四 四年 の秋 、第 二〇 航 空 軍 のB 29 隊 は マリ ア ナ諸 島 に 展開 し、 そ の
洋 方 面 に所 在 し て い た米 ・潜 水 艦 は、直 ち に日本 軍 の南 方 進 撃 に対
にあ る 日本 の海 運 中 心 地 を無 力 化 す る た め の努 力 を払 う こと であ っ
に支 障 のき たさ ぬ 限 り、 敵船 舶 の攻 撃 目標 を 最高 度 に優 先 さ せ て い
す る 反撃 を開 始 し た。 中 部 太平 洋 方 面 にあ った潜 水 艦 の殆 んど は、
た。
後 終戦 ま で こ の方 面 で作 戦 し た。 西進 中 の中 部 太平 洋部 隊 の主な 対
日 本 の東 岸 や 南岸 沖 の商船 航 路 の中 心 に向 って急 速 に移 動 した 。開
た こと は 、 一般 論 と し て のべ る こと が でき よう 。
戦 当 初 に配 備 可能 の潜 水艦 はわず か な数 ではあ った が、 そ の戦果 を
ニア お よび モ ロタ イを 経 て フ ィリ ピ ン諸 島 ま で長 駆 進 撃 し た。 第 一
ダ ルカ ナ ル島 か ら ソ ロモ ン群 島 、 ア ド ミ ラリ テ ィ島 、 北 西 ニ ューギ
南 太平 洋 お よ び南 西 太 平洋 ︱︱ 南 太平 洋 で は、 第 一三航空 軍 はガ
撃 機 (﹁黒 猫﹂)を 使 用 し たが 、 ま たそ の実施 した 昼間 武装 偵 察 は、
ラリ テ ィ島 か ら フ ィ リピ ンに いた る全 経 路 に沿 って、 夜 間索 敵兼 攻
艦 隊航 空 隊 は、 艦 隊 基 地が 西 方 や北 方 に前 進 す る に つれ、 アド ミ
そ の索敵 区 域 を次 第 に拡大 し、 つい には事 実 上 西 太平 洋 の全 海域 と
中 国 =ビ ル マ︱︱ 第 一四航 空 軍 はそ の基 地 の位置 が 許す 限 り中 国
全港 湾 を制 圧す る に いた った。
は いず れ も オ ー スト ラリ ヤ に お いて創 設 さ れ たも ので あ るが 、 東 部
沿 岸 の諸 港 に爆 撃 を 加 え、 ま た、 ホ ン コン、 高 雄、 ハノイ、 広東 、
マリ ア ナ諸 島 に移 動 し た 。第 五 航 空軍 と 第 一〇 、 第 一七艦 隊 航 空 隊
ニ ューギ ニア を通 過 し 、 海岸 に沿 う て北 西方 に進 んだ後 、 北 西 ニ ュ
上 海 付近 の海面 や揚 子 江内 に機 雷 を敷 設 し た。 ま た同 部 隊 は東京 湾
艦 隊航 空 隊 は 一九 四四 年 中期 ま で は南 太平 洋海 域 に行 動 し、 改 編後
ーギ ニアと モ ロタ イ で第 一 三航 空 軍 と合 同 し た。 一方 、第 一 三航 空
か ら 台湾 海 峡 に至 る海 域 に お いて船 舶 を探 索 、 攻撃 し、 か つ、揚 子
第 一〇 航 空軍 によ る ビ ル マ戦 域 で の海運 攻 撃 は、 主と し てビ ル マ
江 上 の船 舶 に対す る連 続 作 戦 を実 施 した 。
軍 と とも に日本 本 土攻 撃 戦 に参 加 し た。 オ ー スト ラリ ヤ空軍 と ニ ュ
西 岸 の港 湾施 設 と 諸 港 に向 け ら れ た。 ま た、 同 部隊 は同 地区 の港 湾
軍 ( 殆 んど 終 戦 ま で) と 第 一〇 、 第 一七 艦 隊 航 空隊 は フ ィリピ ンに
ージ ー ラ ンド 空 軍 の部 隊 は、 南 方 方面 全 域 にお いて第 五、 第 一三航
留 ま り、 第 五 航 空 軍と 第 一艦 隊 航 空隊 と は沖 縄 に進 出 し 、第 七 航 空
空 軍 と 協 同し て 行 動 し た。
仏 印基 地 か ら上 海 、 シ ンガ ポ ー ルに 至る ア ジ ア沿 岸 各 地 の港 湾施 設
中 国 =ビ ル マ方 面 に おけ る第 二〇 爆 撃機 集 団 の作 戦 には、 日本 の
と 河 川 に機 雷 を敷 設 した 。
と 協 同 し て、 ソ ロモ ン群 島、 ビ ス マ ルク諸 島方 面 にお け る 日本 船舶
に加 え た 一二 回以 上 の攻撃 と 、 一九 四四年 六月 か ら 翌年 の 三月 にわ
第 五、 第 一三 航 空軍 は、艦 隊 航 空隊 、 海 兵 部 隊 およ び連 合 軍 部隊
の減勢 、 ニ ューブ リ テ ン島 お よび ニ ュー アイ ルラ ンド 島 に おけ る船
空 母 航 空部 隊︱︱ 空 母機 は 一九 四 二年初 期 のギ ルバ ー ト諸 島 と マ
た る、 上 海、 南 京 、 シ ンガポ ー ル、 サイ ゴ ン、 パ レ ンバ ン付 近 に お
ー シ ャ ル諸 爵 に対す る急 襲 で は、 船 舶 をそ の攻 撃 目標 に加 え て いた
け る機 雷 敷 設が 含 ま れ て い る。
を フ ィリピ ンに行 動 さ せ、 ま た、 両 部 隊 とも カ ロリ ン諸 島 と パ ラ オ
団 や小 型 船 舶 の攻 撃 と 孤 立 した 運 航中 心 地 の猛撃 に従 事 した 。 両部
諸 島 の日 本 の海 運 と 補給 中 心 地 を攻 撃 し 、 ま たさ ら に東 部蘭 印 海 域
隊 とも ソ ロモ ン群 島 や ビ ス マルク諸 島 方 面 か ら夜 間 低高 度爆 撃 中隊
で猛 威 を振 い、 敵 に損 害 を与 え た。 フ ィリピ ンを 基 地 と して両 部 隊
一九 四 三年 の大 部分 に実 施 さ れ た数 回 の単 独 の急 襲 を 除け ば、 空 母
航 空 隊 と し て の最 初 の対船 舶 大作 戦 は、 一九 四 三年後 期 から 四四 年
が 、 殆 んど 純 然 た る海 軍 作 戦 に終 始 し、 一九 四 二年 の残り の期 間 と
日本 本 土 と そ の近 海 に対 し第 七航 空 軍 と 共 に戦 術 空軍 と し て作 戦 し
前 期 にかけ て、 ソ ロ モン群島 やビ ス マル ク諸島 方 面 で行 な わ れ た。
は中 国 沿 岸諸 港 や仏 印海 岸 に作 戦 した 。第 五 航 空 軍 は沖 縄 に進 出 し 、
た。
す る こと が常 に高 度 の優 先事 と され て いた こと は、 一九 四 四年 の九
少 な く とも サ ンゴ海 海 戦 ま で は、 人 員、 器 材 、 およ び物 品 を 自由 に
る 退 却 の期 間 であ った。 そ し て敵 の船舶 への攻撃 を 企図 す る作 戦 は、
開 戦後 の最 初 の六 ヵ月 間 は、 連 合 軍 にと って は太 平洋 全 域 にわ た
二 一九 四 二年中 の攻 撃
月 から 一一月 にか け て の フ ィリピ ン への攻撃 を ひ かえ て空母 部 隊が
輸 送 す る 日本 の能 力 に対 し、 決 定 的 打 撃を 与 え たと は、 と ても考 え
ギ ルバ ート作 戦 から は じま って、 進 攻 地域 に所 在 し た敵 船舶 を撃 滅
三 ヵ月 間 に敵 船 舶 四 六万 ト ンを撃 沈 し た とき に如実 に実 証 され た。
に配 備 され て いた連 合 軍 に と り、 形 勢 は攻 勢 に転 移 し う る よう に有
だ が 一九 四 二年 の夏 には 、 日本 軍 の占 領 下 にあ った 太平 洋 の周辺
ら れ な い。
空 母機 はト ラ ック島、 ヤ ヅプ 島 、 パ ラオ島 、 硫 黄島 と 、 日本 の全 太
く し て牽 制 的急 襲 を実 施 した、 一九 四 五 年 一月 の米軍 のリ ンガ エン
望 と な り はじ めた 。す な わ ち、 中 国 にお い ては中 国 任務 部 隊 ( 後に
平 洋 海 域 の軍 事 海 運 や補 給 中 心地 を 反 復 攻撃 した。 上 陸 と時 を同 じ
た船 舶 と 沿岸 地 帯 に猛 攻 を 加 え た。 最 後 に空 母 部 隊 は 日本 本 土 にま
湾 上陸 作 戦 中、 大 空 母機 動 部 隊 は南 支 那 海 に侵 入し て同 海域 にあ っ
に、 南 太 平洋 諸 島 に展開 を 行 な った。第 一 一航 空軍 は アリ ュー シ ャ
め て いた。 第 七航 空 軍 は、 日 本軍 が 企 図す る上 陸作 戦 に備 える た め
は、 ビ ル マ領 内 の日本 軍 基 地 に対 し 、最 初 の重爆 に よる攻 撃 を は じ
海 兵 隊 航 空隊 ︱ ︱ 太 平洋 上 殆 んど す べ て の作 戦 地域 で実 施 さ れ た
ン列 島 か ら 日本 軍 に対す る攻 勢を と る準備 を し て い た。 オ ー スト ラ
第 一四 航 空軍 と 改称 )が す で に作 戦 を 開始 して い た。第 一〇 航 空軍
海 兵隊 航 空 隊 の対 船 舶 作戦 の大 部分 は、 通 過地 域 に 局 限さ れ たが 、
リ ヤ空 軍 と第 五航 空 軍と は ニ ューギ ニア と ラバ ウ ルに対す る攻 撃 を
で 攻撃 を 行 な った。 日本 船 舶 に対 す る 空 母部 隊 の主要 な攻 撃状 況 は
これ は敵 の小増 援 部 隊 や補 給 船 を 攻撃 す る こと によ って、 これ ら の
開 始 して いた。 第 一三航 空 軍 と海 兵 隊 は南 太 平 洋 で作 戦 し て いた 。
付 表第 28︱ 43 ︹ 略︺に示 さ れ て い る。
通 過 地域 を 引 き続 き 孤 立 さ せて おく こと を 目的 と し て いた 。 こ の作
と いう の は当 時 そ の海 域 に は、 海 軍艦 艇 や 大 型船 が 盛 ん に出 没 し て
が 少 なか ったが 、 日本 の戦 闘 艦艇 の索 敵 と攻 撃 に従 事 中 であ った 。
むけ ら れ て いた。 長 距離 飛 行 で船 舶 攻 撃 に適 す る型 式 の飛行 機 は 数
と し て南 太 平洋 にあ る 日本 軍 への増 援 お よび 補 給 に従 事 中 のも のに
連 合 軍 の航 空兵 力が 攻 撃 で き た敵 船 舶 には制 限が あ り、 それ は 主
戦 の大 部 分 は ソ ロモ ン =ビ ス マ ルク地 区 で起 こ ったが 、 同 方 面 で は
いた のであ った。 戦 争 の最 後 の九 ヵ月 の期 間、 海 兵 隊 の中 型 爆 撃機
中 国 にあ る 連 合軍 の各基 地 や 北 オ ー ス ト ラリ ヤ のダ ーウ ィ ンから 発
最 初 の時 期 には、 敵 の海軍 艦 艇 や大 型 船 が 攻 撃 目標 に含 ま れ て い た。
は フ ィリピ ン北方 や 琉 球方 面 にお い て、 ロケ ット発 射、 夜 間 低 空偵
連 合軍 の空 襲 に よ る妨害 は いま だ受 け て いな か った 。潜 水 艦だ け は、
な い兵 力 で挑 戦 し た場 合を 除 けば 、 日本 の商 業 輸 送 と原 料 品輸 送 は、
進 し た飛 行 機が 達 し得 た航 路 上 にあ る敵 船 舶 に対 し、 有 効 と は いえ
察 機 と し て活 躍 し た。 以 下 は、 前 記 の攻 撃 の各 々の型 に よ る太 平 洋 で の日本 海 運 に対す る攻 撃 記事 中 、 ト ン数 が 五〇 〇 総 ト ン以上 の船 舶 のみ に関 す る 記述 であ る。
日本 の主 要 経済 航 路 を突 破 しえ たが 、 し か し顕 著 な る戦 果 を収 め る
む しろ そ れが 利 点 と し て活 用 され た 。 一九 四 二年 中 に、海 軍 、陸 軍 、
度 に限 度 があ ると いう 同 艇 の欠点 は、夜 間 低 高 度攻 撃 に お いて は、
の日本 船 舶 を撃 沈 し た。
海兵 隊 の連 合航 空 兵 力 に より 、南 太 平 洋方 面 では、 二〇 万 ト ン以上
に は、 こ の年 の前 期 に は、 ま だき わ め て 微 々たる 兵力 にす ぎ な か っ た 。特 に目 立 つの は五月 、 八月、 一〇 月 の月 々に おけ る潜 水 艦 に よ
一九 四 二年 の残 り の期 間を 通 じ て、 連 合 軍 の空 中 か ら の船 舶捜 索
る 海戦 と主 と し て関 連 す るも のであ った。 第 一四航 空 軍 の攻 撃 は、
よ って撃 沈 し た。 船 舶 に対 す る空母 の攻撃 は、 ソ ロモン海 域 にお け
れ た。 一九 四 二年 の秋、 同 海 域 で は約 三万 ト ン の敵 船 舶 を航 空 機 に
ま た、 サ ンゴ海 、 ソ ロモン海 お よび 蘭 印 の少 数 の目標 に対 し て払 わ
第 五航 空軍 の敵 船 舶 への攻 撃 は、 主 と し て ラバ ウ ル港 に対 して、
る 大撃 沈 量 (それ ぞ れ 八 六、〇 〇 〇 ト ン、 七 六、 〇〇 〇 ト ン、 一 一 九 、〇 〇 〇 ト ン と報 告 ) であ り、 それ は次 の年 に連続 し て行 な った
は、 日本 軍 が 支 配 し て いる 太平 洋 の周辺 から 始 ま り、漸 次連 合 軍 の
大 撃 沈量 の希 望 をも た せた前 奏 曲 であ った。
航 空 兵力 が 到達 し得 た日 本軍 の主 要航 路 、 ま た は補 給 部隊 、 増 援 部
多 く は 揚子 江 の河川 用 船 舶 に限 ら れ て いたが 、 そ の間数 回 に わた る
同年 宋 ま で に は約 三 五隻 が哨 戒 に従事 中 であ った。
太 平 洋 に行 動 中 の潜 水 艦 は 一九 四 二年 中 に は次 第 に増 強 さ れ て、
港 湾 攻 撃も 実 施 し た。
隊 に対 し て続 行 さ れ た 。 北 太 平洋 で は第 一 一航 空 軍 と第 四 艦 隊 航空 隊 とが 、 キ スカ島 と ア ッツ島 に対 す る 日 本軍 の増 援 と補 給 を 阻 止す る ため、 両 島 付近 に お い て捜 索 を行 な った。 こ の二 つの部 隊 は、 こ の初 期 の間 に約 三五 、 〇 〇〇 ト ン の船 舶 を撃 沈 して いる 。
三 一九 四 三年 にお け る攻 撃
に は大 き な 脅威 と な り つ つあ った。 一九 四 三年 中 の連 合 軍 の航 空 兵
一九 四 三年 三 月 に な ると 、 同年 の残 り の期 間中 、 毎 月 一〇 万 ト ン
第 七 航 空 軍と 第 二艦 隊 航 空 隊 は、 ハワイ、 フ ェ ニック ス諸 島 の カ
力 に よ る船 舶攻 撃 は、 中部 太 平 洋 で は次第 に西 方 に、 ま た、 南 太 平
以上 の平 均 ト ン数 を 上廻 る 確 実 な損 害 を 日本 側 に与 え る に十 分 な潜
一九 四 二年 八月 に米 軍 は ガダ ルカ ナ ル島 に 上陸 し たが 、 これ 以前
洋 で は 北西 方 に延 び 、 よ り大 き な 地域 を 空襲 下 に置き 、 ここ に はじ
ント ン、後 に は エリ ス諸 島 の フナ フ チか ら ハワ イ諸島 への接近 路 を
に南部 ソ ロモ ン群 島 を偵 察 し た第 一 三航 空 軍 は、 同 年 末 まで の期 間 、
め て敵 の経 済 的海 運 を いた る所 で 空襲 下 に置 く に いた った 。北 太 平
偵 察す る 任 務 を継 続 し た。 一九 四 二年 中 は中 部 太 平 洋 に お いて は、
北 部 ソ ロモ ン群島 にま で 作戦 を 延 長 し、 第 一艦隊 航 空 隊 は、 秋 のは
洋 で は同年 の前半 期 にア ッ ツ島 と キ スカ島 への攻 撃 を続 行 し 、 こ の
水艦 兵 力が 利 用 で き る よう にな り、 全 航路 上 にあ る 日本 の商 船船 腹
じ めに こ の作 戦 に参 加 し た。 艦 隊 航空 隊 はそ の後 間 も な く黒 猫 作戦
両 島 の付近 海 面 で の補 給 船 舶捜 索 と 、 日本 任 務部 隊 の出現 の有無 の
船 舶発 見 と 攻 撃 は殆 んど な か った 。
の武装 船 舶 捜索 任 務 の こと であ る 。 低速 で機 動 性を 欠 き、 か つ、高
を 開始 し たが、 こ の作 戦 は、 カ タリ ナ飛 行 艇 を使 用 す る 夜間 低 高 度
カ 島 を占 領 した後 、 捜 索 は千 島 を こえ て遙 か に遠 く 南 西 に進 めら れ
偵 察 にそ の大 部分 の努 力が なさ れ た。 六月 と 八月 に ア ッ ツ島 と キ ス
に貢献 し た。
隊 航 空隊 の “黒猫 ” と の協 力 と 相 ま って ラバ ウ ルを 孤立 さ せ る こと
ー機 は、 日 本 船が ラバ ウ ルに夜 間 高 速 で 入港 す る こと を阻 止 し、 艦
撃 であ った 。 一九 四 三年 の秋 に、 こ の方 面 で約 九 万 ト ン の日本 船 が
撃 であ り、 か つ、 北 ニ ューギ ニア沖 お よび 蘭 印 にお け る補 給 航路 攻
第 五、 第 一三航 空 軍 の船 舶 攻 撃 戦 は、 ラバ ウ ル港 に対 す る連 続 攻
た 。中 部 太 平 洋 の航 空 部隊 は、 依 然と し て 、飛 行 機 の到達 可能 範 囲
ロモ ン方 面 の捜 索 が 続 け られ た 。第 五 航 空 軍 は、 ソ ロモ ン作 戦 の進
し て い た。 南 太 平洋 で は、 日本 軍基 地 への増援 を 阻 止 す る目 的 で ソ
航 空機 で沈 め られ た が、 そ れ は大型 船 ば か り でな く、 おび た だし い
内 に あ る 日本 軍基 地 の偵 察 と海 上捜 索 の続 行 に殆 んど の勢 力 を 集 中
展 に伴 な い、船 舶 攻 撃 に よ って 同作 戦 への支援 を 増 大 し て い った。
数 の小 型 船 も 含 ん で いた 。
れ は 超低 空 水 平爆 撃 技 術 の最 初 の大規 模 な テ スト であ った。 船 団 を
し た。 秋 季中 、 第 二艦 隊航 空 隊 は中 部 太 平 洋 にお け る遠 距離 武 装 偵
空 母機 が ク ェジ ェリ ン在 泊 船 舶 に猛 攻 を 加 え て二 万 ト ン以 上 を撃 沈
集結 す る小船 舶 は、第 七航 空 軍 の餌 食 と な った。 し か し 一 二 月 には、
ギ ルバ ート作 戦 を 支 援 し よう と し た 日本 の小 型船 舶、 特 に諸 港 に
三 月 上旬 、 ニ ューギ ニア の ラ エ地 区 に増 援 部隊 の輸 送 を 企図 し て い
組 ん だ 八隻 の、 ほぼ 三 万 ト ンに 近 い商 船 全 部 を撃 沈 し た。 中 国 戦域
た 日 本軍 大 船 団 に対 し 米 軍 の中 型爆 撃 機 の攻撃 が 決 行 さ れ たが 、 こ
で は、 第 一四航 空軍 が、 こ の年 の晩 春 の頃 、 正攻 法 をも って海 上掃
察 の大 部 分 を 担 当 し た。
原料 品 補 給 路 に対 す る最 初 の大 作戦 を 開 始 し た。同 年 宋 ま で に南 中
従来 通 りであ った。第 一四 航 空 軍 は、 跳 躍爆 撃 戦法 を 応 用 し て敵 の
掃蕩 の計 画 を開 始 し たが 、 南 中 国沿 岸 諸 港 の船 舶 を攻 撃 す る こと も
第 一四 航 空軍 は 一九 四三 年 の秋、 東 京 湾 から 台湾 海 峡 ま で の正 規
蕩 お よび 沿 岸航 路 、 岸壁 への爆 撃 を開 始 し た。 連 合 軍が 反 攻 に転 じ て 以来 はじ め て、 日 本 の商 船 航 路 に対 し て 目覚 し い航 空機 の攻 撃が
一九四 三 年 の秋 の米軍 の攻 勢 は、 中 部 ソ ロ モン作 戦 と北 部 ソ ロ モ
国沿 岸 で約 三 万 五千 ト ン、 ま た 、揚 子 江 内 で大 型船 八、 五〇 〇 ト ン
な さ れ た のであ った。
ン作 戦 の開 始、 ニ ューギ ニア作 戦 の進 展 、 さら に 一一月 のギ ルバ ー
(ラブ あ る い は ス ヌー パー) を 採 用す る こと に よ り、 さ ら に活 溌 と
の攻撃 回 数 を達 した 。夏 が 去 ぎ る頃 に は、 同海 域 で の攻 撃 は減 少 し、
七 回 で、 最 初 の数 ヵ 月 間 で は、 ソ ロ モン =ビ ス マ ルク海 方 面 で最 大
潜 水 艦 に よ る船 舶 攻撃 は、 一九 四 三年 の前 半 期中 は、 毎 月平 均 七
を撃 沈 した 。第 一〇 航 空軍 はビ ル マ諸 港 の爆 撃 を開 始 した 。
な った。 こ の機 種 は八 月中 に南 太 平洋 で 第 一 三航 空 軍 で、 九 月 中 に
カ ロリ ン諸 島 全域 から 日本 の沿 岸 で の攻 撃が 増 加 し た。 同年 後 期 六
船 舶を 目 標 とす る航 空 戦 は、 こ の期 間 の初期 に、 低 高 度 重 爆 機
ト諸 島 上陸 作 戦 の敢 行 等 で 際立 ってい た。
レ ーダ ー装 置 を有 す る こ のB24 は 、 た ちま ち に し て夜 間 の船 舶 爆 撃
ヵ月 間 の毎 月 平均 攻 撃 回数 は、 殆 んど 一〇 〇 回ま で高 めら れ、 さ ら
第 五 航 空軍 によ り、 ま た そ の後 第 一四航 空 軍 に よ って 使 用さ れ た。
お よ び遠 距 離 哨戒 用 と し て広 く 使 用さ れ る こ と に な った。 ス ヌー パ
本 商船 の合 計が 約 一 三六万 ト ンと いう 巨 大 な数 字 であ る こと に よ っ
潜 水艦 作 戦 が 強 化さ れ た証 左 は、 同年 中 に潜 水 艦 だ け で撃 沈 し た 日
琉 球 に かけ て の中国 沿岸 地 区 で は、 そ れ 以 上 に活 動が 高 ま って いた。
に 日本 本 土 南 方 地 区と カ ロリ ン諸 島、 蘭 印 、 さ ら に海 南島 から 台湾 、
同月 中 に 主 と して基 地航 空 機 に よ って、 これ ら の地 域 で約 五 万五 千
ま たそ の後 基 地航 空 機 は ラバ ゥ ル港 の船 舶 に四 回 の攻 撃を 行 な った。
空 母群 は同 月 は じ め カビ エン に在 泊 す る船 舶 に三 回 の猛攻 を 加 え、
の二方 面 から フ ィリピ ン、 台 湾 つ いで沖 縄 へと、 以 上 各 々の部 隊が
ピ ン へと、 また 空 母航 空 部隊 の作 戦 は中 部 太 平洋 の東方 と南 太 平 洋
作 戦 は、 ニューギ ニア、バ ンダ 海 か ら蘭 印 、 ボ ルネ オ さ ら に フ ィリ
島 、 小笠 原諸 島 、 火山 列 島 へと 、 ま た南 太 平 洋 と南 西 太 平洋 部 隊 の
方 七〇 〇 マイ ルにも 延 長さ れ た 。そ の後 間も な く エ ニウ エト ク島 の
ン島 から 行 な われ 、 常 時捜 索 す る海 面 は、 同 基 地 から 北方 お よび 西
上 った。 二 月中 旬 にな ると 艦 隊 航空 隊 によ る捜 索行 動 が ク ェジ ェリ
下爆 撃 機 と 雷 撃機 が 撃 沈 し た ト ン数 は、約 一八万 六千 ト ンの船 腹 に
にわ た る最 初 の空母 機 動部 隊 の大 空襲 であ ったが、 こ の攻撃 で急 降
一九 四四 年 二 月中 の対船 舶 大 作戦 は、 ト ラ ック島 に対す る 二日 間
ハシケ や機 帆 船 に向 け ら れ た。
補 給船 団 への捜 索 は絶 えず 続行 さ れ た。 し か し船 舶 攻撃 の大 部分 は
南 西 太平 洋 では、 日本 の船 舶 航 路 を ラブ 機 で掃 蕩 し つつ、 日本 の
ト ンを 撃沈 し た。
ても 明 白 であ る 。
四 一九 四 四年 の初 期
進 攻 し た こと に よ り、 一九 四四年 に は連 合 軍航 空 兵 力 に対 す る 日 本
米 軍 の中 部太 平 洋部 隊 で の諸 作 戦 は マー シ ャ ル諸 島 か ら パ ラ オ諸
船 舶 の脆 弱 性 は非 常 に増 大 してき た。 一九 四 四年 中 に 一 二 〇万トン
ラバ ウ ル北方 に新 薦 地が 設 け られ た ので、 第 一 三航 空軍 によ って、
使 用 が 可 能 と な り、捜 索 区 域 は さら に延長 さ れ た。 南 太平 洋 では、
米 軍 が 進 攻 し て いく とき 、 日本 軍 蕃 地 を個 々に 孤立 さ せ て いく作 戦
以 上 の 日本 船舶 が 、 米 ・航 空 兵力 に よ って 撃沈 さ れ たが 、 こ のト ン
か った 。
数 は 一九 四 二年 と 一九四 三 年 の合 計 沈没 ト ン数 の二倍 よ りも な お多
マー シ ャ ル諸 島 と そ の接 近路 上 と さ ら に マー シ ャ ル諸 島 か ら東 カ ロ
用 し て、 そ の船 舶 の航 路 を沿 岸 航 路 か ら洋 上航 路 に移 す にお よ ん で、
中 国 基地 から の海 上 掃 蕩 は続 行 さ れ たが 、 日本 側 が船 団 戦 法 を採
は、 さ ら に好 都 合 と な った 。
リ ン諸島 ま で行 な わ れた 。 ク ェジ ェリ ン島 、 マロ エラ ップ、 ウ オ ッ
二月中 に中 国 沿 岸 で 一万 五千 ト ン以上 の日本 船 舶 を撃 沈 し た。
捜 索範 囲 は サイ ゴ ンから フ ィリピ ンに延 長 され た。第 一四 航 空軍 は
一九 四 四年 一月 中、 中 部 太平 洋 にお け る空 中 捜索 と 空 中偵 察 は、
ゼ に対 す る三 回 の船 舶 攻 撃が 、 所 定 の計 画 に従 って実 施 さ れ、 若 干
ん ど見 当 ら な か った 。 と いう のは、 日 本 の大 型 船舶 はす で に ソ ロモ
全 海域 を 完 全 に 孤立 化 す る こと に勢 力 を 集中 したが 、 敵 の船 舶 は殆
南 太平 洋 に お い て は、 米軍 の全航 空 隊 は、 ソ ロモ ン =ビ ス マルク
南 太 平 洋 で は、 塞 地 航空 機 も 空 撮機 も ブ ーゲ ンビ ル島 、 ニ ューブ
の咸 功 を 収 めた。
リ テ ン島 およ び ニ ェーア イ ル ラ ンド島 周 辺 で の船 舶 攻撃 に活 躍 し た。
三 月 下旬 、 米 ・空 母 機 動 部隊 は、敵 防衛 陣 に対 し て、当 時 と し て
備 し たB 24 は就役 す る や 早 々に成 果 をあ げ た ので、 台湾 海 峡 を効 果
には 昼間 の掃蕩 だ け が 実施 され て いた の であ る。 こ の レーダ ー を装
五 月中 には、 ラブ 機が 中 国 戦 域 で は じ めて 使用 さ れ た。 そ れ 以 前
は最 深 の突 破 を 敢行 し てパ ラ オ諸 島 に大 空 襲 を し た。 こ の攻 勢 は 、
し、 こ の間 一二 二 回 の接 敵 が報 告 さ れ て いる 。 同 じ期 間中 に中 型 機
的 に封鎖 す る計 画が 立 て ら れ た。 六 月 か ら 一 一月 まで 二 四三 回 出 撃
ン =ビ ス マル ク海域 から 駆逐 され て いた から であ った。
日本 の水上 部 隊 の行 動 を 封 じ去 るた め 水道 に機雷 を 敷 設 し た後 に実
り、 ま た、 戦 闘 機 に よ るも のは河 川を 航 行中 の船舶 に対 す る大 規 模
に よ って続 行 さ れ た対 船 舶 活動 は、 主 と し て海南 島 付 近 の掃 蕩 で あ
施 さ れ たが 、 一部 は在 泊 す る船 舶 を 一掃す るた め にも 計 画 さ れ た の
攻 撃 で あ った。 第 一四航 空 軍 は 同期 間 中 約 三万 六千 ト ン の船 舶 を 撃
であ った。 約 八万 七 千 ト ン の船舶 を こ の攻 撃 で撃沈 し た。 一九 四 四年 四月 で特 記 す べ き こと は、 マー シ ャ ル諸 島 に新 た に基
て約 八〇 回 の攻 撃 を実 施 した が、 モン ス ー ン季 節 の到 来 によ り、 六
沈 した 。 ビ ル マにあ る各 部 隊 は、 主と し てビ ル マ西 岸 の海港 に対 し
ヵ月 間 の攻 撃 は終 り を告 げ た 。 同海 域 に おけ る海 上掃 蕩 は、殆 んど
の攻 撃 が行 な われ た こと であ った。 南 太 平洋 では 、 アド ミ ラ ルテ ィ 諸 島 に第 一 三航 空 軍 と艦 隊 航 空隊 の基 地が 新 設 さ れ 、 これ によ りビ
ま ったく 何 ら の成 果 も収 めな か った。
地 が 設 け ら れ、 ここ か ら基 地 航空 部 隊 に よ る マリ ア ナ諸 島 への最 初
つ、 カ ロリ ン諸 島 にあ る 日本 軍 の海 運 と補 給 の中 心 地 に対 して の攻
ス マル ク海 や ラバ ウ ル、 カビ エン への接近 路 の管 制 は改 善 さ れ、 か
さ れ た。 中 部 太 平洋 で は、 西方 は マリ ア ナ諸 島、 北 方 はウ ェー ク島
に対 し低 高 度 爆撃 を開 始 し た。 同 作 戦 は、 こ の期 間 中 間 欺的 に続 行
五月 に入 る と、 米 ・北 太平 洋 部 隊 の中 型 機が 幌 筵 海 峡 内 の敵 船 舶
は春 季 に は活 動 が減 少 し た こ と、 五 月 に フィ リピ ン およ び南 シ ナ海
と は、蘭 印 方 面 におけ る 活躍 が 増 加 し た こと 、 カ ロリ ン諸島 方 面 で
ても 、 一九 四 三 年 に比 べ て さら に増 加 を見 せた 。特 に注 目す べ き こ
(平 均 六 一九 ) に お いても 、 ま た 、 攻撃 回数 (平 均 一 一五) に お い
一九 四四 年 の前 半 六 ヵ 月間 に おけ る 潜 水艦 の活 躍 は、 哨 戒 日 数
ま で の哨 戒 を 実施 し たが 、敵 船 舶 の獲物 は依 然 と し て少 な か った。
四 三年 前 半 の 六 ヵ月 に比 して 二倍 以 上 に高 ま り、 五月 には 月間 約 二
方 面 で非 常 に多 数 の攻 撃 が 開 始 され た こと であ った。 撃 沈率 は 一九
撃 が 可 能 と な った。 ホー ラ ン ジア 上陸 は こ の月 の下 旬 に実 施 さ れ た。
空 母 機 も マー カ スお よび ウ ェー ク両 島 を攻 撃 中 に、 さら に マー カ ス
五 一九 四四 年 六 月︱ ︱ マリ ア ナ諸島
六 万五 千 ト ンと いう最 高潮 に達 し た 。
島 北 方 四〇 〇 マイ ルに達 す る 長距 離 掃蕩 を実 施 し たが 、 いず れも 同 じ よう な事 態 を発 見 し た。 南 太 平洋 の対 船舶 活 動 は主 と し て、戦 闘
な われ た 遠 距離 捜 索 と か ら成 り 立 って いた 。同 月 下 旬 に は、 P B H
機 に よる 獲物 の多 い ハシケ狩 り と、 ホ ー ラ ンジ ア上 陸 と関 連 し て行
が 中 心 と な った。 中 部 太 平洋 で は、 米 軍 の全 活動 は こ の作 戦 の準備
六月 に おけ る 米軍 の太 平洋 方 面 の行動 は、 マリ ア ナ諸島 占 領作 戦
に対す る空 中 捜 索が 開 始 さ れ た。
Y飛 行 艇 によ り、 ウ ェー ク島 か ら新 基 地 の西方 と 北 方 に わ たる 海 域
索 は続 行 さ れ た。 サイ パ ン島 に 上陸 した 日 か ら、 こ の島 から 発 進す
と実 施 に向 け られ た。 サ イパ ン島 ま で の西方 方 面 への連 日 の哨 戒捜
施 さ れ た。 こ の外 にも ダ ーウ ィ ンから ア ラ フラ海 および バ ンダ海 を
は、 小 笠 原諸 島 と 火 山列 島 を 攻撃 し パ ラ オ島 へはさ ら に強 大 な大 兵
空 母 航 空隊 は マリ ア ナ作 戦 への支 援 を続 行 す る 一方 、 七 月 下旬 に
カバ ーす る捜 索 が あ った。
米 軍 の諸 兵力 は西 へ西 へと 移動 し た。 この移 動 の直前 に は、 す で に
る水 上 機 は さ ら に西方 への捜 索 を行 な った。 日本 軍 を急 襲 す る た め
捜 索 の距 離 と範 囲 は、す べて の近 接 路 を 覆 う ま でに増 大 さ れ て い た。
マー シ ャ ル諸 島 と ギ ルバ ート諸 島 を 発進 した 航空 機 は、 日 本 の東 部
も サ イパ ン島 から す る これ ら の島 々 への作 戦 を続 行 した 。夏 の期 間 、
を攻 撃 し て約 二万 三 千 ト ンを 撃沈 し たが 、 一方 、 P BH Y 飛行 艇 隊
八月 上旬 、 ま た も や空 母 機 隊 は小 笠原 諸 島 と火 山 列島 の日 本船 舶
力 を も って 攻撃 を 加 え た。
一方 ニ ューギ ニア よりす る捜 索 は北 西 方 に延 伸 さ れ て殆 んど フ ィリ ピ ン に達 し て い たし 、北 方 はヤ ップ ・パラ オ地 区 に達 し て いた 。 南 西 太 平 洋 で は米 軍 の主 な る活 躍 は、 ビ ア ク作 戦 の完 遂 と 、 ニ ュ
から の航空 機 はウ オ レアイ、 パ テオ 、 ヤ ップ の諸 島 を攻 撃 し た。 し
委 任 統 治領 を無 力 化 すべ く 、 そ の攻 撃努 力 を 続け て お り、南 西方 面
ー ギ ニアと ビ ス マル ク諸 島 に あ る 日本 軍 の兵力 への攻撃 を 連 続 的 に
ン諸 島 にお け る ハシ ケや小 舟艇 輸 送 を 攻 撃す る こと にも ま た 多 大 の
か しな がら こ の時 ま で にす で に パ ラオ以 東 に は、 攻 撃 に価 す る よう
敢 行 し 、 そ の兵力 を 無力 化 し て しま う こと に集 中 さ れ た。 シ ュー テ
努 力 が 傾 注 さ れ た。 そ の後 これ ら の攻 撃 は、 ハル マ ヘラや セ レベ ス
な船 舶 目標 は発 見 でき な か った。
で は船 舶攻 撃 の規 模 が いず れも 拡 大 され た 。 重爆 隊 は西 は ボ ルネ オ
ー ル岬 の基 地 から航 空 隊 が 出動 し て作 戦 し て いたが 、 そ の隣 接 海 域
南 西 太平 洋 にお い て は、 ビ ア ク島 、 ヌ ン フオ ー ルお よび サ ン サポ
島 に向 け ら れ たが 、 これら の地 区 に お いて は、 日本 軍 は ハシ ケや機
空 母 機 動 部隊 は マリ ア ナ作 戦 に参 加 し 、そ の行 動範 囲 は、 グ ア ム
帆 船 を建 造 し つ つあ った 。
島 から 火 山 列島 まで、 西 は マリ ア ナ諸 島 から 五 〇〇 マイ ル の海 域 に
西 部 にも達 し、 ダバ オ湾 をも そ の作戦 範 囲 に含 める に いた った。 八
ト ン以 上 を 撃 沈 し た。
モ ロタ イ島 、 レイ テ島
は主 と し て南 パラ オ諸 島 と モ ロタイ島 への同時 上 陸作 戦 に参 加 し て
島 にそ の攻 撃 を 集中 して いる時 、南 西太 平 洋諸 部 隊 と空 母機 動 部 隊
九 月 に中 部 太 平洋 に所 在す る米 ・航 空 部隊 が 火 山列 島 と小 笠 原諸
六
カ ロリ ン諸 島 の西方 に おけ るも の であ った。
月 中 に南西 太 平 洋 の航 空 隊が 撃 沈 し たと 主 張す る 船舶 は 一隻 残 らず
ま で及 ん だ。 こ の作戦 に は船 舶 攻 撃 も 含 まれ てお り、 実 に六 万 五千
七 月 の マリ ア ナ作戦 が 完 成 し つつあ ったと き 、捜 索 兼 偵 察機 隊 は、 船 舶 攻 撃 を 主な る 任務 と し つ つ小 笠 原 諸島 と 火 山列 島 に対 し て行 動 を 開 始 し た。 南 西 太平 洋 に お い ては 、 グ リ ー ン、 エミ ラウ 、 マヌ ス お よび ビ ア ク の諸 島 から 米軍 の航 空 機 に よる 規 則 正 し い速 日 の捜 索 が 行 な わ れ て、 トラ ック島 か ら ヤ ップ 島、 パ ラオ島 を 経 て ミ ンダ ナ オ島 北 端 を連 ね る 一線 のお お むね 南 方 の海 域 を カバ ーす る よう に実
以 上を 撃 沈 す る戦 果 を収 め た。 攻撃 は パ ラオ 、 ヤ ップ お よび ウ ル シ
母 群 は、 同月 はじ め 一連 の作 戦 を開 始 し たが 、 日本 船舶 二〇 万 ト ン
い た。 基 地航 空 部 隊 は北 は ミ ンダ ナ オ島 ま で の海 域 を 担当 した 。 空
っぱ らビ ル マの鉄道 系 統 の攻撃 に転 じ た。
の年 のは じ めま で続 行 さ れ たが 、 そ の後 第 一〇 航 空 軍 は、 殆 ん ども
ま た 、 こ の戦 域 で の機 雷 敷設 計 画 は強化 さ れ た。 これ ら の活 躍 は次
ビ ル マ戦 域 で の作 戦 は、 一〇 月 中 ビ ル マ諸 港 に対 し て 再開 さ れ、
合 計 二二 万 ト ン以上 に のぼ った。 さ ら にそ の南 方 では、 あ ら ゆ る型
フ ィ リピ ン全 域 で、 海 軍 と 陸軍 の連 合航 空 兵 力が 撃 沈 し た ト ン数 は、
舶 攻 撃 を敢 行 し フ ィリピ ン作 戦 を 支 援 し つつあ った 。 こ の二ヵ 月 間、
と も に、 日本 航 空 兵力 の撃 減作 戦 と 、 こ れ に次 い で重 要 と ざれ た船
一九 四 四年 一一月 、 一二月を 通 じ 、空 母 部 隊 と基 地 航 空部 隊 は、
ー の諸 島 そ れ から ミ ンダ ナ オ島 に、 次 いで 再 び パ ラオ 島 に連 続 三 日 間 の攻撃 を 加 え、 反 転 し て フ ィリピ ンを も 攻 撃 し た。 これら の急 襲 で は、 船 舶 を 主 目標 と し たが そ の獲物 は非 常 に豊富 で あ った。 一九 四 四年 一〇 月 、 レイ テ上 陸 に 先 だ って空 母部 隊 はまず 沖 縄 を、
し て反復 攻 撃 が 加 えら れ た。 引 き 続 いて マ ニラ港 や北 部 ル ソ ン沖 の
次 いで 台湾 を 攻 撃 し た。 目標 と した船 舶 が 多 数 発見 さ れ 、 これ に対
ス ー ル海 の各海 域 を 掃蕩 し、当 時 日本軍 が 蘭 印 への補 給 、 乃至 は撤
式 の航 空機 が 、 マカ ッサ ル海峡 、 および バ ンダ 、 セ ラ ム、 モ ル ッカ、
ン地 域 (特 に
マ ニラ地 区) に対 す る攻 撃 は、 レイ テ 上陸 の前 後 に わ たり 一 一月 ま
退 に利 用 す る よう判 断 さ れ た小 型 船 舶 に攻 撃 を集 中 し た 。 かく て年
船 舶 に対 し ても 攻 撃が 行 な わ れ、 これ と平 行 して ル
で続 行 さ れ た。 一〇 月 に空 母機 は、 フ ィリピ ン、台 湾 、 琉 球方 面 で
末 ま でに 、 ア ンボ ン =セ ラ ム =セ レベ ス海 域 で は敵 の船 影 を認 めず 、
な った。 これ は 六ヵ 月 間 の毎 月 平均 一、 一六 三回 の哨 戒と 一七 二 回
のべ 二、 六〇 〇 回 の哨 戒 を行 な い、 こ の間 含計 四 二 三 回 の襲 撃を 行
月︱ 一二月 ) を経 験 し つ つあ った。 一〇 月 ︱ 一 一月 の二 ヵ月 間 に約
た中 国 基 地 在駐 の米 ・航 空 部隊 に と って は、 迫 り つ つあ った諸 々 の
日本 陸 軍 の攻勢 によ り、 次 ぎ 次ぎ に中 国東 部 の基 地を 失 い つ つあ っ
サ イ ゴ ンま で の南 シナ海 を 覆う た。 こ のこ と は、 六月 に開始 さ れ た
モ ロタイ か ら レイ テ に移 さ れ、 か つ捜 索扇 形 区 は台 湾 付近 から 南方
南 方 か ら進 撃 す る諸 部 隊 によ る捜 索 の焦 点 は、 一 二 月 下旬 に 至 り
と報 告 さ れ る に至 った。
一 三万 ト ン の船 舶 を 撃 沈 し た。
の襲 撃 と いう 成 果 の 一部 を なす も のであ った 。 これ ら の襲 撃 の矢 面
一方 、潜 水艦 部 隊 は、 今 や 今 次戦 争 中 の最 も 収 穫 の多 い時期 (七
に立 た され た のは、 中 国沿 岸 と フ ィリピ ン海 域 にあ る 日本 船 舶 で、
制 限 を埋 め合 せ る こと と な った。 と いう のは、 こ の中 国 基 地 にあ る
な る作 戦 を な しう る 距離 から後 退 せざ る を得 な か った から であ る 。
米 ・航 空 部 隊 の大 部分 は、 基 地 を喪 失 し た た め、 海 上 に対 し て有 効
じ た 。 こ のた め 同海 域 で は今 次 大 戦中 、 米 ・潜 水 艦 に よ る最 も激 烈
間 も なく ミ ンド ロ島 に数 基 地 が 建 設さ れ た 。 かく て は じ めて、 蘭 印
して いた ので あ る。 一一月 に黄 海 に お いて 日 本側 は懸 命 な対 策を 講
な 攻 撃 を行 な った 一ヵ月 と な った 。 こ の 二 ヵ月 間 に潜 水艦 は商船 五
と 日本 本 土 と の間 には、 米 ・航 空機 の捜 索 から ま ったく 逃 れら れ る
当 時 日本 は多 大 の努 力 を 払 って南 シナ海 や蘭 印 に おけ る海 運 を維 持
四万 ト ンを撃 沈 し た。
船 舶 航 路 は存 在 し なく な った。 常 続捜 索 扇 形 区 は完 全 な円 弧 と し て、 発 見 し た。
ア ナ諸 島 の北方 や北 西方 の海 域 にお い て、 以前 よ りも 多 く の目標 を
潜 水 艦 によ る撃 沈 量 は、 日 本 商 船隊 の規模 が 縮 少 され 、 ま た暴 露
小 笠 原 諸島 のや や東 方 の地点 から 中 国沿 岸 を南 下 し て仏 印 に移動 し
す る こ とも 少 なく な った た め、 一 二 月 以後 は減 少 し、 こ の頃 は じめ
た。 一九 四五 年 一月 下 旬 に 至 り、 米 軍が ル ソ ン島 に進 出す るや 、北 方 捜索 地区 はさ ら に拡 大 さ れ て、東 シナ海 の上海 付 近 か ら、 殆 ん ど
て (一九 四 二年 一 一月 を のぞ いて)、商 船撃 沈 数 に お い て 航 空 機 が
意 義 は低 下 し て い った。
な 活 躍 に因 る も のであ るが 、 そ の後 は潜 水艦 の活 躍 は相 対 的 にそ の
潜 水 艦 を上 ま わ る こと と な った。 これ は特 に 同月 中 の空 母 機 の猛 烈
九 州 ま でを包 含 す る に いた った。
七 一九 四 五年 の初 期、 ル ソ ン島 一九 四 五年 一月 中、 太 平 洋 で の最 も 画 期的 な 事 件 は、 リ ンガ エン 湾 を経 由 す る ル ソ ン島 への水 陸両 用 進 攻作 戦 で あ った。 こ の作 戦 と
一九 四 五年 二月 と 三月 の間、 空 母 都 隊 の作 戦 の中 心 は、 硫 黄 島 と
硫 黄 島 、沖 縄
沖 縄上 陸 であ った。東 シ ナ海 、特 に沖 縄 と九 州 の間 の海 域 で、 三 万
八
施 さ れ た。 そ の 主要 目標 は、 サ イ ゴ ン から ホ ン コンに 至 る まで の船
時 を 同じ く し て、 高 速 空母 機 動部 隊 に よる 南 シナ海 の大 掃 蕩 戦が 実
舶 と港 湾 施 設 と であ った。 同 部 隊 は まず 仏 印沿 岸 を 進 ん で船 舶 と港
ト ン以上 の日本 商 船 を 撃 沈 し た。
二月 ま でに、 フ ィリピ ンを 基 地 とす る 航空 部 隊 は、 当 時依 然 と し
湾 と に猛撃 を 加 え、 北方 に行 動 を 続 け て台 湾 お よび 中 国沿 岸 に連 続 攻 撃 を 加 え た。 これ ら の急 襲 によ って約 二八 万 ト ン の船 舶 を 撃 沈 し
方 地域 への日本 の海 運 路も 、 つ いに 不断 の空 襲 の脅 威 下 に置 かれ る
いた中 国 沿 岸 の海 域 に ま で作 戦 を延 長 した。 かく て残 さ れ て いた南
て中 国基 地 か ら作 戦 し て い た第 一四航 空 軍が 、 そ の 一部 を 担当 して
第 五、 第 一三航 空 軍、 そ れ に海 兵隊 と 空 母航 空 隊 は 、敵 部 隊 への
た。
増 援 や補 給 を 阻 止す る た め、 フ ィリ ピ ンと そ の 周辺 の海 域 を 隈 な く
こと に な った のであ る 。上 海 への近 接 航 路 と揚 子江 に は、中 国中 部
空 軍 に よ って機 雷が 敷 設 され たが 、 同年 初 期 の 四ヵ月 間 におけ る日
と 日 本 と の海 上交 通 を さ ら に減 少 さ せ るた め に、第 一四 、第 二〇 航
た。 マリ ア ナ諸 島 から は 、 依然 と し て火 山 列 島 や小 笠 原 諸 島 に向 け
本 船 舶 の激 減 は、 こ の機 雷敷 設 の結果 に外 な らな い。 一九 四 五年 三
から 台湾 、 澎 湖島 お よび中 国沿 岸 ま で の間 を餌 を求 め て 飛び ま わ っ
そ の主 な る勢 力が 注 が れ て い た。 艦 隊航 空 隊機 は、 前 記 海域 や諸 島
月 ま でに 日本 船 舶 の南 シナ海 を 通 ず る運 航 は事 実 上停 止 し た 。
捜 索 し、 艦 隊 航 空隊 の “黒猫 ” 機 と 陸軍 の ラブ 機 と はリ ンガ エン湾
に対 し、 日施 船 舶捜 索 と 数 多く の攻 撃 を実 施 し た。 一 一月 中 に開 始 し た海 兵隊 中 型 機 の ロケ ット装 備 によ る夜 間 捜索 で は、 日 本側 が 硫 黄 島 に対 す る 米軍 の水 陸 両 用作 戦 の切迫 を覚 った も のと 見 え、 マリ
九 一九 四 五年 の春季 一九 四五年 の春 季 、第 七航 空 軍 は小 笠 原諸 島、 火 山 列島 と米 軍が 飛 石作 戦 で通 過 し た カ ロリ ン諸 島 を無 力 化 す る 攻撃 を 続 行 し た。 第
隊 航 空隊 が 、 ま た朝 鮮 南 岸 お よび 南 西 岸沖 にあ る小 島 間 の水 道 を封
鎖 す る た め 一連 の機 雷敷 設 飛 行 を行 な った。
第 五 、第 七航 空 軍 の沖 縄 移 動 は七 月 に開始 さ れ た。 戦 争 の終 了直
十 一九 四五年 の夏 季
航 空隊 を 行 動 せ し めた 。す な わ ち、 ラブ 機 隊 と 昼間 機 銃 掃 射隊 は、
し て日 本 本土 に対 し作 戦 して い た。 そ の第 一の優先 目 標 は例 によ っ
前 に これ ら の航 空 兵力 の合 計 は 一千 機 を 越え てお り、 沖 縄 を基 地 と
五航 空 軍 は フ ィリピ ン の北 半 分 で作 戦 し 、 中 国 と台 湾 の諸 港 に対 し
東 シナ海 の沿 岸船 団 航 路 に対 して さ し向 け ら れ た。 第 一三 航空 軍 は、
て 日本 航 空兵 力 の無力 化 であ り、 これ に次ぐ も のは陸 海 交通 の崩壊
第 五航 空 軍 の南 方 で作 戦 し、 中 部、 南 部 フ ィリピ ンで、 米 軍が 通 過
を めざ す も の であ った。
交 通 と運 輸 への攻撃 の 一般計 画 は、 制 空権 が獲 得 さ れ たな らば 、
し た 地域 に残 さ れ た 日本 軍 の孤立 化 を継 続 す る 一方 、 マレ ー半 島 と
捜 索 扇形 区 も ま た同 方 向 に 延長 さ れ、 四 月 と 五 月 に は、 南 西方 は シ
し、 次 いで瀬 戸 内海 と 対 馬 海峡 を掃 蕩 す る にあ った 。 重爆 は鉄 道中
最 大限 に戦 闘 機 と戦 闘 爆 撃 機 を使 用 し て、 まず 港湾 と 海 岸 と を掃蕩
ジ ャ ワに いた る沿 岸 諸 港 に対 し遠 距離 攻 撃 を 加 え た。 艦 隊航 空 隊 の
ンガ ポ ー ル に達 し、 ま た そ の後 には南 シ ナ海 の南 端 に達 し、 シ ャ ム
が 獲 物 を狩 り出 し 、 ベ ン チ ュラ ス機 が攻 撃 す る と いう 工合 であ る。
同 作 戦 を行 な い得 る に 至 った︱︱ す な わ ち リベ レ ータ ー機 (B24 )
発 射 す る ベ ン チ ュラ ス機 は、 北 方 海 面 にあ る 日本 の船 舶 に対す る 協
機 を常 備 す る こと とな り 、 そ れ によ り PB H Y 飛行 艇 と ロケ ットを
た 。 こ れ に次 いで 三月 には 、硫 黄 島 そ のも のに 少数 で はあ るが 陸 上
は、 急 降 下爆 撃 機 と し て 多数 の橋 梁 を爆 撃 し た、
お よび 東 岸 で は 二港 に対 し戦 闘機 で集 中 掃射 を 加 え、 ま た、 戦 闘機
各 回 の出撃 は中 高 度 で飛 行 し た。 さ ら に西岸 で 四港 、 南 岸 で 一港、
撃 を行 な ったと 報 告 し て いるが 、 船 舶 攻 撃が そ の過 半 を 占 め、 ま た、
制 限 さ れ て いた 。第 五航 空 軍 は本 計 画 実施 のた め合 計 約 二千 回 の出
撃 と、第 二次 ま た は最 終 の目標 と して は港 湾 施設 を 攻 撃 す る こと に
て海 軍 艦艇 や 船 舶 を攻 撃 し た の を別 にし て、 主 に単 一な 洋上 索 敵出
こ の期 間、 第 七航 空 軍 によ る船 舶 攻 撃 は、 呉、 佐 世 保両 港 にお い
心点 と 港 湾施 設 と を爆 撃 す る こと にな って い た。
湾 内 に ま で延 伸 さ れ た。 北方 へは早 くも 二月 に第 一艦 隊 航 空隊 が 硫 黄 島南 方 の水 上機 母 艦
四 月 にな る と沖 縄 か ら遠 距 離 捜索 が 開始 さ れ た が、 それ に は新 型 の
か ら行 動 を 起 こし、 北 方 お よび 西 方 各 五〇 〇 マイ ルの捜 索 を設 定 し
プ ライ ベ ー テ ィヤ ー機 が 先鋒 とな り 、そ の捜 索 扇 形 区 は東 シナ海 を
の主要 作 戦 と、 予 定 さ れ た九 州 の輸 送 施 設寸 断 の 一般 計 画 は、 七月
計 画 さ れ た南 九 州進 攻以 前 におけ る戦 術的 航 空部 隊 (第 五、 第 七 )
五月 中 に対 馬海 峡 と 南朝 鮮 沿 岸 で艦 隊航 空隊 のプ ライ ベ ー テ ィヤ ー
末 に開 始 さ れ たが 全力 を投 入 す る に は いた らな か った。 そ れ は引 き
越 え て対 馬海 峡 に達 し、 そ の後間 も なく 黄 海 か ら 日本 海 に達 し た。
機 群 によ って約 五 万 六千 ト ンの船 舶 を撃 沈 し て いる 。晩 春 には、 艦
の艦 艇 の行 動 を困 難 な ら し め る こと に な った。
間隙 を強 化 し、 か つ、 呉 と佐 世 保 の両軍 港 に機 雷 を 投下 して 、 日本
本 期 作戦 と し て は、 最 初 の計
続 き 敵 航 空兵 力 の撃 滅 を 第 一義 と し た と こ ろ にそ の原因 の 一部が あ
五 月 三 日か ら 五 月 一二 日
画 通 り、 工業 の中 心地 を 封 鎖す る機 雷 投下 が 呉、 大 阪、 それ に瀬 戸
第 二期
り、 ま た 、全 力 発揮 以 前 に終戦 にな った こと も 主 な 理 由 であ る。
内 海 諸 航路 全 線 に沿 って延 長 さ れ た。 下関 海 峡封 鎖 は 、機 雷 再 敷 設
高 速 空 母部 隊 は全力 を あげ て 日本 本 土 攻撃 に専 念 す べ しと 、 指令 され た七 月 の空 母 作 戦 は、 船 舶 なら び に飛行 場攻 撃 に最 大限 の努 力
第 三期 作 戦 は本 州 北西 岸 諸 港
を集 中 した 。 北海 道 と 本州 間 の重要 な海 上 輸 送機 関 が 、 七 月中 旬 に
五月 一三 日 から 六 月 六 日
に より 続行 され 、 ま た東 京 、名 古 屋 に対す る 機 雷敷 設 が実 施 さ れ た。
六 月 七 日 から 七月 八 日 ( 本 州 =九州 の封 鎖 を 強 化 ) 日
続 行 であ る と断 定 さ れ た。 本 期 の作 戦 が 実施 さ れ た こと に よ り、 小
鎖 に次 ぐ 選ば れ た優先 作 戦 と し て は本 州 北西 岸 諸港 に対 す る敷 設 の
しな い限 り必 ず し も有 効 でな いこと が 判 明し た。 そ し て 下関 海 峡封
保 およ び瀬 戸 内 海 全海 域 への機 雷 敷 設 は、 下 関海 峡 を 全面 的 に封鎖
本 の海 運 情 勢 を 全 般的 に検 討 し た結 果、 東 京、 名 古 屋、 長 崎 、 佐世
第 四期
縮 少 さ れ た。
なす より も 、 む し ろ数 次 にわ たる 再敷 設 が行 な わ れ、 そ の目標 幅 も
を 目標 に実 施 され た。本 期 間 中 は 、大 規 模 な敷 設 を月 に 一回 か 二回
第三期
二日 間 にわ た って行 な われ た連 続 攻撃 の目 標 と な った。 そ の後 空 母 機群 は東 京 湾 内 の海 軍 艦艇 を 攻 撃 し、 また 、 同 月下 旬 には 瀬戸 内 海 在 泊 の海軍 艦 艇 と船 舶 に対 し大 規 模 な 攻撃 を 加 え た 。 戦 争 の最 後 の数 週間 は、 日本 南 部 と 朝鮮 周 辺 の全 海面 で艦 隊航 空
た後 は、 空 母機 によ る攻 撃 の 一部 は、 朝 鮮 の鉄 道 網 に向 けら れ た。
隊 に よる捜 索 と 攻 撃が 続 行 さ れ たが 、 日本 船 舶 が 黄 海 から 引 き 揚げ
十 一 第 二〇 航 空 軍 の機 雷 敷 設 第 二〇 航 空 軍 の機 雷 敷 設計 画 は、 次 の地 点 を 目標 と し て開 始 し 、
① 敵 の海 運 大 動脈 た る下 関海 峡
か つ継 続 し て行 なう こと を 予定 と し た。 す なわ ち 、
七月 九 日 か ら 八月 一五 日 (完 全封 鎖 ) 機 雷 敷 設 の 最 終
港 に おけ る封 鎖 が 、長 期 間 にわ た り続 行 され た と信 ぜ ら れ た。
期 は、 本 州 の日本 海 側 諸港 と 朝 鮮東 海 岸 北 部 の諸 港 とを 目 標 と し て
第 五期
② 日本 の各 工業 地 帯 を 連絡 す る 瀬戸 内 海 航 路 、九 州 北 西岸 と本
③ 朝 鮮諸 港 (も し 可能 な らば )
州 諸港
と と な った。 第 五期 作 業 の進 捗 と、 他 の諸 々 の部 隊 によ って達 成 さ
計 画 さ れ た。 下関 海 峡 と 本州 諸 港 の封 鎖 は、依 然 と し て続 行 す る こ
に機 雷を 敷 設 し て瀬 戸内 海 所 在 の敵 船 舶 を 遮断 し、 同 時 に敵 艦 艇 の
れ た 成 功 に よ り、攻 撃 の範 囲 は絞 ら れ て、 機需 敷 設 は元 山、 清 津、
処 置 と し て は、 まず 下 関海 峡
通 航 を阻 止 す る。 呉 =広 島 付 近 に機 雷 原 を 設置 す る。 これ に より 日
要終 着 港 であ った。
羅 津 の三港 に集 中 でき る こと と な った 。 こ の三港 は朝 鮮 に おけ る 主
三月 二八 日 から 五 月 三 日
本 艦 隊 の出 撃 企図 は妨 害 でき ると 期待 さ れ る 。 こ の第 一期 作業 は三
第 一期
月 下 旬 に実 施 され た。 そ の後 四 月 に入 り、 呉 =広 島水 域 機 雷原 間 の
十二
攻 撃 に用 いた機 雷 数
三月 二 七日 か ら 八月 一〇 日ま で の全 期 間 中、 下 関 海 峡だ け でも 合
低 一回は爆 撃 を受 け た。 全 使 用弾 量 の約 九〇 % は終 戦 ま で の五 ヵ月
工 業施 設 の捕捉 であ った。 す な わ ち、 あ る 地域 内 の鉄 道施 設 物 のよ
地 区 空 襲 で照 準 の目標 と し て選 定 し た のは、 地 域 内 の
う な輸 送 関 係 機関 が 目標 と考 え ら れ た。 多 数 の都 市地 域 に は鉄 道 構
地 区空 襲
間 に使 用 さ れ た。
三 〇〇 個 以上 が敷 設 さ れ たが 、 これ ら は大 体 五月 から 八月 の期 間 に
内 、修 理 工 場 、造 船 所 、港 湾 施 設 が分 れ て存在 し て い たが、 これ ら
計 五 、 三 四三 個 の機 雷 が 敷設 さ れ た。 また 、 瀬戸 内 海 で は合 計 二、
投 下 さ れ たも ので、 ただ 呉 =広 島 海 域 に は、 この時 期 より やや 以 前
これ は第 二〇 航 空軍 が 特 定鉄 道 輸 送目 標 と し て日
運 輸 攻 撃 の効 果
連 合 軍兵 力 の前進 攻撃 を 受け て喪 失 し た 日本 の貨物 船 と油送 船 の
一 商 船 隊 の撃 滅
第五章
壊 さ れ、 構 内 の使 用 は 一〇 二時 間 にわ た り不 可能 であ った 。
に 一八〇 機 が 七〇 九 ト ン の高 性 能 爆弾 を 投 下 し た。建 物 はす べ て破
本 国 内 で爆 撃 し た唯 一つ の目標 で あ る。 視 覚爆 撃 に よ って、 同 構 内
岩 国鉄 道 構 内
を 破 壊す る ことが 、 こ の攻撃 の大 目 的 の 一つであ った。
に敷 設 さ れ た。 名古 屋港 には 四 一個 敷 設 さ れ た。 九 州 と 本州 の北 西岸 に沿 って は、 概 ね 五月 中 旬 以降 、約 四千 個 の 機 雷 が 敷 設 され た。 ま た、 七 尾 =伏 木 、舞 鶴 =敦賀 お よび新 潟 等 に 対 し て は約 二、 五〇 〇 個が 分 散 敷設 さ れ た。 朝 鮮 沿 岸 の機 雷敷 設 は、 七 月初 旬 に開始 され た。 羅 津 と清 津 に は
れ た。 東 京 =横 浜 水域 に は、 二 回 の敷 設が 行 な わ れ、 そ の合計 は三
最 も 多 く の機 雷 が敷 設 さ れ 、 そ れぞ れ 四 二〇 個 、 二〇 八個が 投 下 さ
B 29 の水 陸 運輸 攻 撃
第 二〇 爆 撃 機 集団 が 一九 四 四年 八 月 から 翌年 三月 にわ た り
十三
三 個 であ った 。
仏印
の いろ いろ と異 な った局 面 で行 な われ た 各 種 の攻撃 型 式 と、 こ の攻
撃 に よる結 果 と の関 係が 、 完全 に明 白 に され て い る。 付 表 第 44 ︹ 四
船 隊 は付 表 、付 図 第 27︱ 第 43 ︹ 略︺に 示さ れ て いる 。 こ こ に は、 戦 争
六六頁︺は これ ら の損 失 を 月 別 に記 録 し て い る。 (これ ら の図 表 の基
ルに至 る間 の七 港と 海 域 と に対 し、 機 雷 敷 設 を含 んで、 一八回 の攻 撃が 実 施 さ れ、 二、 四 八 七 ト ン の爆 弾 が 投 下 され た 。 ま た、 同期 間
中国 の大 陸 の基 地 から 作戦 を し て い た期 間 中、 上 海 か ら シ ンガ ポ ー
中ビ ル マ内 の五都 市 の鉄道 施 設 に対 し、 八 回 の攻 撃 が 行 なわ れ た。
礎 と な った情 報 は、 日本 側 資料 から 編 集 さ れたも の に依 ってお り、
戦 争 の初 期 、連 合 軍 が フ ィリピ ン、 マレ ー、蘭 印 から 退 却中 の時 で
連 合軍 の威 力 の重 圧 を最 初 に感 じた のは 日本 の商 船 隊 であ った。
日 本側 船 舶 の総 ト ン数 の九 五% 以上 を 占 め て いる 。 )
マリ ア ナ諸 島 か ら 日本 帝 国内 の都 市 地域 に 対 し、
マリ ア ナ諸島
戦争 終 結 の日 ま で に八 七 回 の攻 撃が 加え ら れ た。 そ のう ち三 三 回 は、 九 つの都 市 に拡 大さ れ たが 、 最 も 激 し い爆 撃 を加 え ら れ た の は東 京 、 名古 屋 、 大 阪、 神 戸 であ った 。 そ の他 六二 の都 市 の市 街区 域 は、 最
な る出 来 事 も起 ら な か った。
ガダ ルカ ナ ル戦 で ヘンダ ー ソ ン飛行 場を 確保 し た後 、 連 合軍 の航
さ え、 連 合軍 航 空 兵 力 は、 日 本商 船 隊 に対 し て重 大 な損 害 を与 え た 。 サ ンゴ 海海 戦 まで の五 ヵ月 間 に、 日 本 は約 六〇 隻 合計 三 七 万 五千 ト
め に送 った商 船隊 は、 主 と し て 米軍 の空中 攻 撃 に よ って喪 失 し て し
ま った 。 同時 に ニューギ ニアに 展開 し た米 ・航 空部 隊 は、 ビ ス マル
空 活 動 は急 速 に活 溌 にな り は じ め た。 日本 が ソ ロモ ン群 島 増援 の た
ク海 峡 内 の ニ ュー ギ ニア沿 岸 で 日本 船 舶を 確 実 な消 耗 に追 い こむ こ
ンを 失 ったが 、 そ のほぼ 三 分 の二 は、 連 合軍 の潜 水 艦 に より 撃沈 さ
ン数 は貴 重 な増 加 を とげ て いた にも かか わら ず 、 日本 が 保 有 し か つ
とが でき た。
れ て いる。 日本 は征 服 に よる 拿捕 と内 地 で の造 船 と に よ り、 商船 ト
利用 し得 た船 舶 のバ ラ ン スは、 一九 四二年 の四月 には、 早 く もす で
ル海 峡 に おけ る小 部 隊 の戦 闘 で潜 水艦 一隻 が 失 われ て いる。 散発 的
ガ ポ ー ルま で の海 域 で商船 を 撃沈 し た。 一九 四 二年 一月 、 マカ ッサ
た連 合軍 の潜 水艦 は少 数 にす ぎ な か ったが 、 それ でも東 京 から シ ン
は、 撃 沈 量 は少 な く 、 撃沈 さ れ た場 所 も 分散 し て いた。 配 備 に就 い
開 戦 当 初 の数 ヵ月 、 連 合軍 が退 却 と防 衛 と に専 念 し て い た期 間 に
域 にお い てさら に 一七 万 五千 ト ン の日本 船舶 を 撃沈 した 。 一九 四 三
に、 ニ ューギ ニアと ソ ロ モン群 島 の連 合 軍基 地 航空 部 隊 は、 こ の海
な った のであ る 。 一九 四 三年 後 期 の数 ヵ月 と 一九 四四年 前 期 と の間
喪 失 は、 この時 期 におけ る 日本 の総戦 力 を減 少 さ せた 重要 な 要素 と
地 航空 部 隊) は、 日本 の船 舶 約 二 五万 ト ンを 撃沈 したが 、 こ の船 舶
け る 一二ヵ 月 の作 戦中 、 米 軍 の陸 海軍 各航 空 部隊 (殆 ん ど全 部が 基
ガダ ルカ ナ ル上陸 後 、 ソ ロモ ン群 島 お よび ニ ューギ ニア方 面 に お
に圧 倒 的 な損 失 の結 果 下降 線 を たど り は じ め た。 全 使用 可 能 ト ン数
に時 々起 こ った 航 空機 によ る 日本商 船 の撃 沈 は、 少 数 機 の使 用 によ
ス マ ルク諸 島 に おけ る 日本 商 船 攻 撃 に はじ め て成 功 した 。空 母 機 に
年 一二月 、 一九 四 四 年 一月 中 、 米 ・空 母機 は、 マー シ ャ ル諸 島 やビ
は 一九 四二年 二月 ご ろ最高 潮 に達 し たが、 そ の後 は確 実 に減 少 し た。
は日 本側 は相 当数 の連 合 国船 舶 を 捕 獲 し た にも か かわ らず 、 洋 上 で
ゐ 成 功を 示 す も のであ った。 こ の期 間 に驚 く べき 事 実が あ る。 そ れ
ック島 に対 し て行 な わ れ たも ので あ り、 二 日間 に約 一八万 六千 ト ン
よ る最 初 の、 し かも ま さ に重 大 な 集中 攻 撃 は、 一九 四四 年 二月 ト ラ
一九 四 四年 三月 、 パ ラ オ諸 島 に対す る米軍 の空 母機 動 部隊 の攻 撃
と し て上 海 と ホ ン コン間 で 日本 船 舶 を攻 撃 し た。
四年 二月 にそ の絶 頂 に達 し た こ の作戦 にお い て第 一四航 空軍 は、 主
の補給 線 を 攻撃 し はじ め た。 一九 四 三年 一 一月 に開始 さ れ、 一九 四
この間 中 国 で は、前 進 中 の第 一四航 空 軍が 中 国沿 岸 におけ る日 本
の船 舶 を撃 沈 し た。
の戦 闘 に対 す る準 備 が き わ め て不適 切 であ った た め、 開戦 以 後 の九
って さ え、 一九 四 二年 四 月 中 に は、早 く も 日本商 船 隊 総 ト ン数 に減
ヵ 月 間 に連 合 軍が 実 施 し て い たよ う な弱 体 、 か つ散 発 的 な攻 撃 に よ
少 傾 向が 生 じ た ほど 、 こ の攻撃 は顕著 な 成 功 を収 め たと いう こと で あ る。 一九 四 二年 中 と 一九 四三年 の前 半 とを 通 じ て、 連 合 軍が 、 作 戦 に 使 用 で き る潜 水 艦 兵力 は次 第 に増 加 し、 潜 水 艦 作戦 は、 一定 では な く 変 動 はあ ったが戦 果 を あげ つつ継 続 し て い った。 し かし特 に顕 著
ラ オ島 への これ ら の 二回 の空 襲 に より 、南 方 方 面 に対 す る 日本 軍 の
に より 、 日本 は八 万 六千 ト ンの船舶 が 撃 沈 され た。 ト ラ ック島 や パ
ポ ー ルか ら カ ムチ ャ ッカ ま で の水域 で、 潜 水艦 が 一九 万 五 千 ト ン
そ れ ほど 驚 く べき こ と では な か った。 こ の こと は、同 月中 に シ ンガ
日本 の企 画 院 は同 年 末 に内 閣 に提 出 し た ﹁国家 の現 状﹂ と 題す る
よ り、 最 も よく 説 明 され る であ ろ う。
報 告 の中 で、 一九 四四 年夏 ま で の船 舶 情勢 を 次 の よう に要 約 し て い
︱︱ マリ ア ナ諸島 海 域 だ け でも 四 万五 千 ト ン︱︱ を撃 沈 し た事実 に
一九 四三 年 九月 ご ろ を起 点 と し て、潜 水 艦 作 戦が 一段 と強 化 され
増 援 の手段 は、殆 んど 完全 に 一掃さ れ 、 ま た、 こ の海域 で の日 本 の
た結果 、 日 本 は太 平 洋 全域 に わ たり 、 多大 の船腹 を 引 き続 き 喪 失し
る。﹁開 戦 以来 喪 失 お よび 損傷 した 船舶 は新造 船 の二倍 半 に 達 し 国
戦 争能 力 は、 大 い に弱 体化 し てし ま った。
つ つあ った 。潜 水艦 の襲 撃 か ら免 か れ得 る航 路 は 一つも な く 、本 州
力 の不断 の低 下 の主 因 をな し て い る﹂ と。
であ るが 、 日本 は こ の期 間 に、 潜 水艦 によ る攻 撃 だけ で三〇 〇 万 ト
本船 舶 に猛 撃 を 加 えた 。九 月 中 海軍 航 空隊 は フ ィリピ ン海 域 で 二〇
備 軍 の増 援 を開 始 し、 努力 を傾 注 し て いた期 間 中、 空 母航 空 隊 は 日
月 、 一〇 月 お よび レイ テ上陸 の 一 一月 中 と、 日本側 が フ ィリピ ン守
連 合 軍 の日本 船舶 攻撃 は、 一九 四 四年 秋 にそ の絶頂 に達 し た。九
の南 方 海 域 は特 に安 全 では な か った。 一九 四 三年 九 月 から 一九 四四
ン以 上 を失 った。 こ の莫 大な 船 腹 の喪 失 (一ヵ 月平 均 約 一九 万 二千
年 末 ま で の 一六ヵ月 間 は、潜 水 艦 に よ る損害 が 最 も激 しか った期 間
ト ン) は、 日 本が 開 戦 時 に保 有 し た稼 働 船舶 量 の二分 の 一より も多
船 舶 を沈 めた 。 一 一月 に は、潜 水艦 と航 空 機 (主と し て空 母機 ) と
万 ト ン以上 の日 本船 舶 を沈 めた 。 一〇 月 に は ルソ ン沖 に潜 水艦 を集
が 協 同 して 、 日本 の後 方 補給 業 務 の努 力 に対 し壊 滅 的打 撃 を与 え 、
い のであ る。 こ の同 じ期 間 に、 米 国 陸海 軍と 連 合軍 の陸海 軍 の航空
と 水中 攻 撃 の戦 果 の比 率 は、 戦 争 の中 期 全 体 を通 じ て支 配 的 であ っ
ン から台 湾 、琉 球 方 面 を掃 蕩 し た空 母機 隊 は、 さら に 一三 万 ト ン の
た。 各 種 航空 部 隊 の成 功 は、 き わ め て目 覚 ま しく 、 か つ戦術 的 見 地
フ ィリピ ン海域 で二 三万 ト ン以 上 の日本 船 を撃 沈 し た。 かく し て フ
中 し 、 こ の海 域 だけ で 約 二〇 万 五千 ト ンの船 舶 を屠 った。 中 部 ル ソ
から み て 、局 部 的 に は有 効 であ ったが 、 日本 の "船舶 の長 い列 " へ
った。
ィリピ ン におけ る 日本 軍 の抵 抗 への補 給 支 援 は、希 望 を 失う に いた
部 隊全 部 が 繋沈 した ト ン数 は、 ト ラ ック島 と パ ラ オ島 への猛 攻 に よ
の 一般 戦略 的 消 耗戦 にお いて は、 比較 的 に小 さ な 役割 を 果 し た にす
る 撃沈 量 を含 め ても な お約 一四〇 万 ト ンにす ぎ な い。 こ の空中 攻撃
ぎ な い。
減 勢 の 一途 を たど る 日本 商 船隊 から 、 ま たも や 六 万五 千 ト ンと いう
闘を 開 始 し た時 に保 有 し て いた 船舶 の三 分 の 一以上 に相 当す る 一三
お いて 、 ま た他 のあ ら ゆ る原 因 も加 わ って、 日本 は フ ィリピ ンで戦
最終 的 にあ ら まし片 付 け た期 間 だ った。 こ の三ヵ月 間 に、全 海 域 に
フィ リピ ン作 戦 の三ヵ 月 と いう のは、 残存 し てい た 日本商 船 隊 を
相 当 の分 量 を 切 り取 った。 そ れ は局 地 的 に は麻痺 的 効 果 を奏 し た と
サイ パ ン島 上陸 に付随 して 、 米 ・空 母 航空 隊 は 一九 四 四年 六 月 中、
は い え、 全 般的 な 船舶 情 勢 に お い ては、 こ の空襲 は相 対的 に み て、
付表 日本商 船 隊 の月別 、 原 因別 喪失 一覧表 1 カ ッ コ内 の 数 字 は そ の後 戦 争 中損 傷 の ま まお よび 行動 不能 で あ っ た船 舶 を示 す(撃 沈数 に含 まれ ず). 2 陸 軍 航 空 に よ る撃 沈船 中少 な く と も12%は 濠,英,ソ 連 等 の連 合 国機 に よ る撃 沈 で あ る. 31945年 7月 中 の 空母 機 に よ る 撃 沈 中 少 な く と も23%は 英 空母 機 に よ る もの で あ る. 4 潜 氷 艦 に よ る撃 沈 船舶 の 約 2%は 英,オ ラ ン ダ両 国 潜 水艦 の功 績 と して 知 られ て い る. 51/2隻 と して 挙 げ て あ るの は両 攻 撃 者 の 功 績 と して 双 方 に分 割 した もの,ト ン数 も従 って 等 分 に分 け て あ る.
〇 万 ト ン以上 を喪 失 し た。 な お、 こ こ に特 記 す べき こと は、 空 母機
ン、 マ ニラ、 サイ ゴ ン、 北 ボ ルネ オ お よび 台湾 への正規 護衛 船 団 航
さ れ て いな か ったよ う であ る。 こ の頃 か ら相次 いで急 速 に、 サイ パ
実 際 に重要 、 か つ是非 と も 必要 であ る と いう こと は、 日 本 に は納 得
用 し て いな か った。 一九 四 四年 三 月ご ろ ま で は、 正式 に船 団護 衛 任
ヵ月 間 、 日本 の商 船 は武装 し てお らず 、 ま た、 有 効 な船 団 組織 も 採
を 講ず る こと なく、 開 戦 に突 入し た こと は 明白 であ る。 開 戦後 の数
と いうも のは、 単 独 航行 を し て い た商 船 は、 ど のよ うな 攻 撃 に対 し
装置 は、 は じ め のう ち は殆 んど皆 無 で あ った。 戦 争 の最 初 の二年 間
い欠点 は、技 術 的 装 備 にあ った 。潜 水艦 を探 知す る音 響 および 電 子
し かし こ の時 機 を 失 した 努力 は効 果 に乏 し か った。 そ の最も ひど
る に い た った。
ま で に正 式 に護 衛 任 務 に充 てられ る艦が 、 一五〇 隻 以上 に増強 さ れ
路 が 開 設 さ れ た。 同 時 に船 団護 衛 艦 隊 は大 拡充 さ れ、 一九 四 四年 末
が 集 中 的 に活 躍 にも かか わ らず 、 こ の期 間 に撃 沈 し た船 腹 の五五%
日本 側 の反撃 手 段
は、 潜 水艦 に よるも の であ った。
二
務 に充 てら れ て いた艦 艇 は約 二五隻 にす ぎ な か った。 そ の他 に は、
日本 側が 、 商 船隊 を 攻 撃 され た 場合 の脆 弱 性 に つい て適 当 な準 備
大 洋 航 行 に適 しな い 四〇隻 の小 型 駆潜 艇が 局 地 防 衛 用と し て各 海 軍
いな か った 。商 船 の幹部 や 乗員 は何 の訓練 も 受け て いな か ったし 、
対 潜 戦法 の教育 も 受 け て おらず 、 各 船 は船 長 の自 由裁 量 によ り各 港
て も 坐 った鴨 にす ぎ な か った。 お まけ に甲 板砲 も 高角 砲 も 装備 して
九 四 三年 にな ってか ら のこ と であ り 、し か も 当時 は シ ンガポ ー ル航
間 を単 独 航 行す る こと を許 され て いた 。潜 水艦 を は じ めと す るそ の
基 地 に配 備 され て い た。船 団護 衛 の措 置 が 正式 に採 用さ れ た の は 一
路 だ け であ った。 し かし 、戦 争 初 期 でも 、 少 なく と も南 方 海 域 にお
一九 四 三年 のはじ めに商 船 の武 装 が 開 始 され たと き、 滑 稽 きわ ま る
策略 が 採 用 さ れ た。 海軍 の役務 に服 し て いた商 船 には、 海 軍砲 を 装
他 の危険 に関す る情 報 を配 布す る ため の中 央 組織 は存 在 し な か った 。
ま り 海軍 の継 子 であ った のだ 。大 部分 の船 舶 は、 依 然 と し て護衛 艦
て いる商 船 に車 輪 の つい た野 砲 を甲 板 に のせて武 装 し て いる と たび
備 す る に ついて最 優 先 され たが 、 一方 、陸 軍 で は、 そ の役 務 に服 し
いて は、 あ る程 度 は護 衛 艦 が つけ ら れ た。 た だ し、 そ の当 時 の護 衛
な し で航 行 し て いた 。各 海 軍基 地 は 、 そ の管 轄す る作戦 区 域 内 の通
艦 と いう のは、 少 数 であ り 、艦 隊 にはも はや役 にた た ぬ老 朽艦 、 つ
航 船 の安 全 に関し て は責 任 を負 って お り、 船 長 は、 連合 軍 潜 水艦 の
か にも武 装 し て る よう に見 せかけ るた め に、木 製 の擬 砲 を 据 え つけ
って 運航 さ れ て いた 商船 に対 し て は、最 低 の考 慮 し か払 わ れず 、 い
る に至 ったと 報ぜ ら れ て い る。商 船 の護衛 と し て空 中援 護 が与 え ら
たび 報ぜ ら れ た。 陸 海 軍 の役 務 に服 し て い る以外 の船舶 運 営会 に よ
官 が 実施 でき た哨 戒 だけ であ った。 相 互救 助 の目的 のた めと 思 われ
れ た 時 でも 、 それ は適切 さ を 欠き 、 組織 も 貧弱 であ った。 空母 機 に
出 没 に関 す る情報 を鎮 守 府 や 地方 在 勤海 軍 武 官府 に照会 す ること に
るが 、護 衛 艦 を つけ な い場 合 でも 、 船団 を組 ん で航 行 さ せ る方法 が
な って い た。 し かし、 こ の場 合 なし う る唯 一つの保 護 は、 局 地指揮
と ら れ た。 一九四 四 年 の中 期 に いた るま では 、商 船 の有 効 な 護衛 が 、
で に重 大 な局 面 に達 し て いた 一九 四 二年 末以 後 ま でも特 別 護 衛艦 の
令 部 と 船 団 と の間 の連絡 も 不十分 であ った 。潜 水艦 の商 船 攻 撃が す
よ る護 衛が つけ ら れ た こと は、 た だ の 一度 もな く、 基 地航 空 部隊 司
岸 航 行 をす る こと は、 船 舶 を、 飛行 機が 機 雷 を敷 設 し やす い浅 海 に
航 空軍 の術 中 に陥 った にすぎ な か った 。潜 水 艦 を 回避 す る ため に接
は廃 止 す る と いう 対抗 手 段 は、 か え って 中 国 に駐 留し て いた第 一四
建 造 は開 始 さ れ な か った。 いよ い よ護 衛航 行 が はじ ま った時 ま で に、
でき る戦 法 はあ る はずが な い。 日本 側が そ の置 かれ た立 場 を改 善 す
引 き こむ こと に な った のであ る。 あ らゆ る型式 の攻 撃 に有 効 に対 抗
べく 採用 し たあ らゆ る努 力 に対 し、連 合 軍 部隊 はさ ら に猛烈 でか つ
商 船 隊 はす でに重 大 な損 害 を受 け て いた の で、船 団 にまと ま った商 船 と 護衛 艦 の集合 体 は、 通 例 一緒 に航行 す る のに適 し な か った。 高
大 規 模 の攻 撃 をも って 対 処 した。
あ らゆ る 攻撃 に直 面 した 日本 側 は、 各 種 の船 団 航路 を 選定 し て そ
速 船 は低 速 船 に速 力 を合 わ せ る た め にそ の速 力 を犠牲 にし 、 大航 続 距 離 の船 は小 航続 距 離 の船 が燃 料 を 補給 す る間 入港 を余 儀 な くさ れ 、
ず 、 洋 上 にお い ては有 効 な保 護 は 不 可能 であ った 。 かく し て 日本 側
島航 路 は 、 一九 四 三年 一二月中 に同月 の米 ・空 母機 攻 撃後 に放 棄 さ
た時 期 と そ の理 由 の概 要 が 示さ れ て いる 。す な わ ち、 マー シ ャ ル諸
ヵ 月 間 に相次 い で放 棄さ れ て いく のであ る。 付 図第 45 は日本 海 軍提 供 の図 面 を複 製 し たも のであ るが 、 こ こに は各 種 の航 路が 放 棄 され
の維持 に つと め た。 信 じら れな いよ うな 損失 にも か かわ らず 、 日本
は 帝国 内 各 地点 間 の短 距 離、 直 線 航路 は放 棄 せざ る のや む なき に 至
れ た。 ト ラ ック島 と ラバ ウ ル間 の航路 は、 ニ ューギ ニア と ソ ロモン
ま た、 耐 波 性 の大 き な船 は耐 波 性 の低 い護 衛 艦が 凌 ぎ得 な い荒 天 の
り、 一九 四 四年 の中期 ま で に は、 一切 の船 団 は潜 水艦 の行 動水 域 外
か らす る 空襲 下 に曝 らさ れ た ので 同月 中 に放 棄 さ れ た。 一九 四 四年
の航路 網 は 一九 四四 年 の中 期 に は、最 大 の数 に達 し、 そ の後 の 一二
で、 か つ基 地航 空隊 の航 空援 護距 離 以内 に留 まる た めに、 極 力 接岸
二月 、 三月 のト ラ ック島 と パ ラオ 空襲後 、 パ ラオ諸 島 か ら トラ ック
日本 側 が 、最 高 度 の 一切 の努 力 を 船団 航 行 に払 った にも か かわ ら
航行 を 行 な い つつあ った。 さ ら に商 船 隊 の夜 間 航行 は、潜 水 艦 に 暴
お さ ま るま で は、 一緒 に港 内 に避 難 し て待 た ねば な らな か った。
露 し て危険 が き わ め て大 であ る と し て、 こ れを 放棄 す る こと さ え は
島 と ニ ューギ ニア への航路 は、 三月 中 に放 棄 さ れ た。 これ は日本 聯
1
日 本船 団 航路 図 に対す る表示
付 図第 45 ︹ 四七 一頁 ︺ 船 団 航行 の終 止年 月 と 理由
トラ ック島 と マー シ ャル諸 島 間︱︱ 空母 機 に よる 攻撃 のた め
1
ア に増援 を送 る ことが 絶望 とな ったか ら であ る。
合 艦 隊が ト ラ ック島 から後 退 し、 また、 パ ラオ諸 島 か ら ニ ューギ ニ
じ め た。 日 本側 の船 団 組織 を実 施 す る上 で のも ろも ろ の欠 点 と、 絶 えず 増 大 す る連 合 軍 側 の航 空機 、 潜 水艦 から の攻 撃 や妨 害 に よ り、 日本 の 船 舶 運 航 は重 大 な障 害 に つき 当 った。 戦争 の初期 にお い て は、 日本 と シ ンガポ ー ルと の航行 は、片 道 一〇 日 以内 で十 分 だ った。 一九 四 四 年 の後 期 に な ると、 こ の航 行 に は 二 四 日を要 す る こと も 時 に はあ った。 船 団 側が 潜 水艦 に対 し て採 った中 国 沿 岸を 接航 し、夜 間航 行
2
ト ラ ック島 と ラバ ウ ル間 ︱︱ グ ロス ター上 陸 お よび 基 地 航 空
一九 四 三年 一二月 に放 棄 。
パ ラ オ諸 島 と ホ ー ラ ンジ ア間︱︱ 基 地航 空機 の脅威 の ため 一
機 の脅 威 のた め 一九 四 三年 一二月 に放 棄。 3 九 四 四年 一月 に放 棄 。
12
バ リ ック パパ ンと マ ニラ間︱︱ スー ル海 および セ レベ ス海 の
一九 四 四年 六 月 に放 棄 。
3
高 雄 と パ ラオ島 間 の庖 航路 ︱︱ 一九 四四 年 七月 パ ラ オ船 団 の
潜 水艦 脅 威 の激 化 のた め に 一九 四 四年 六月 に 放棄 。1
保 護 は マ ニラ艦 隊 司 令 部 に移 管 さ れ、 船 団 は そ の後 台 湾 か ら マ ニラ
マ ニラと パラ オ諸 島 間 。
経 由 台湾 に送 ら れ た。1 4
門 司 と上 海 間 の直 航 路︱︱ 船 団航 行 は 一九 四四 年 一月 に放 棄
さ れ、 護 衛 艦 は 日本 台湾 間 航路 に移 管 さ れ た。 そ の後 本 航 路 の船 舶
ダ バ オと パラ オ諸 島 間 。
4
は護 衛無 し で航 行 し た。
バ リ ックパ パ ンと パ ラ オ諸 島 間︱ ︱以 上 三 つは パ ラナ諸 島 の
9
日 本 と サイ パ ン島 間 ︱︱ 以 上 三 つは サイ パ ン島 が 占領 され た
サ イパ ン島 とパ ラオ島 間 。
サイ パ ン島 と ト ラ ック島 間。
23
ダ バ オ島 と ハル マ ヘラ間 ︱︱ モ ロタ イ島 の占 領 のた め 一九 四
シンガ ポ ー ルと マダ ン間 ︱︱ 米 ・潜 水艦 が マラ ッカ海 峡 に出
サイ ゴ ンと ミ リ間︱︱ 護 衛 艦 を節 約 す る ため 一九 四 四 年 一 一
ミ リと マ ニラ間 ︱ ︱在 レイ テ基 地 の米 ・航 空機 の攻 撃 に悩 ま
月 に放 棄。
22
没 し、 油 送 船 が 不足 と な った た め 一九 四 四年 一〇 月 に 放棄 。
21
な 航路 に護 衛 艦 を転 用 す る た め 一九 四 四年 九月 に放棄 。
20 マ ニラと サイ ゴ ン間 ︱ ︱ 護衛 艦 の不 足 を痛感 し、 さ ら に重 要
四年 九月 に放 棄 。
19
のた め 一九 四 四年 八月 に放 棄 。
18 ホ ン コンと 海南 島 間︱ ︱ シ ンガポ ー ル航 路 に船 舶が 緊 急 必要
用 さ れ た。
放棄 。 鉄 鉱用 船 腹 は それ よ り さ ら に必 要 なボ ーキ サイ トの運 搬 に転
17 高 雄と 海 南島 間 ︱ ︱船 舶 ト ン数 激減 のた め 一九 四四 年 八月 に
占領 近 し と見 て 一九 四 四年 八 月 に放 棄 。
15
パ ラオ諸 島 と ト ラ ック島 間︱ ︱ 空 母機 によ る大 空 襲 のた めと 、
16
5
一九 四四 年 三月 に放 棄 。不
ト ラ ック島 が艦 隊 基 地 を取 り止 められ たた め に放 棄 ( も はや ボ ルネ
日本 と パ ラ オ諸島 間 の直 航路 ︱ ︱
オ の石 油 を必 要 と せず )。 6
十 分 な 洋 上護 衛 艦数 を も って漸 増 す る潜 水 艦脅 威 に対 処す るた め、 洋 上 護衛 艦 を少数 の緊 要 航路 に集 中す る ことが 必 要 と な り、 日 本 = パ ラオ航 路 は、 他 の交 通 路 、す な わ ち東 シ ナ海 お よび南 シナ海 の航 路 、 それ に こ の旧線 の代 用 航路 たる台 湾 =パ ラ オ間航 路 に護 衛 艦 を
モ ロタイ 島 とビ ア ク島 間︱ ︱ ビ ア ク島 が 占領 さ れ た 一九 四四
転 用 す る た め に放 棄 さ れ た。 7
ス ラバ ヤと ア ンボ ン間︱ ︱ ビ ア ク島 か ら の米 ・基 地航 空 機 の
年 五月 に放 棄。 8
10
脅 威 のた め、 一九 四四年 五月 に放棄 。
11
24 ス ラバ ヤと バ リ ックパ パ ン間 ︱︱ 以上 二 つは モ ロタイ島 から
シ ンガ ポ ー ルとバ リ ック パ パ ン間 。
され 、 大 損 害 を見 越 し 一九 四 四年 一 一月 に放 棄 。
25
マ ニラと オ ル モ ックお よび ダ バ オ 間︱︱ レイ テ の維持 不能 を
の空襲 の た め 一九 四 四年 一 一月 放 棄 。 26
シ ンガ ポ ー ルと ミリ 間︱ ︱ 油 送 船 の不 足 、 ミリ不 必 要 と な る。
確 認 し、 一九 四四年 一 一月 に放 棄。 27 在 モ ロタ イ基 地 の米 ・航空 機 の脅 威 を受 け、 沈 船 のた め停 泊 困難 と
シ ン ガポ ー ルと ラ ング ー ン間 ︱ ︱ 船 舶 は ア ンダ マン海 の米 ・
な った た め 一九 四 五年 一月 放棄 。 28
38
黄 海 を経 由 す る 門 司 と上 海 間 の迂 回航 路︱ ︱ 一九 四 五年 六 月
39
シ ン ガポ ー ルと スラ バ ヤ間 ︱︱ こ の二 つは 、最 後 ま で放 棄 さ
スラバ ヤ と ケ ンダ リ ー間 。
に放 棄 。
40
シ ン ガポ ー ルと パ レ ンバ ン間︱ ︱ 一九 四四 年 の夏 以後 、 航 空
れ な か った。 41
機 雷 に よ る脅 威 が く り返 さ れ、 航 行が 時 々中断 さ れ たが 、 最後 ま で
東 京 と 室蘭 間︱ ︱
シ ンガポ ー ルと サイ ゴ ン間 ︱ ︱最 後 ま で放 棄 され な か った。
放 棄 はさ れ なか った。 42
最 後 ま で放棄 さ れず 。 船 舶 は次 第 に他 に転
4 3
高雄 と ホ ン コン間 。
45
44
門 司 と元 山 間 ︱ ︱以 上 四 つは、最 後 ま で つい に放棄 さ れず 。
舞 鶴 と 元 山間 。
新 潟 と羅 津 間 。
小 樽 と幌 筵 間。
用 され 、 残余 のも のは対 潜 水 艦機 雷堰 に より 保護 され た。
29 上 海 と 高雄 間 。
46
潜 水 艦 に よ って海 岸近 く に駆 逐 さ れ た た め、 一九 四 五年 一月 に放 棄 。
30
門 司 と高 雄 間︱︱ 以 上 三 つは 、商 船 の節 約と ホ ン コ ンの要 塞
31
高 雄 と シ ンガポ ー ル間 。
の主船 団 系 統 を 利用 す る よう に指定 さ れ た。 三 月 から 六 月 の間 に、
放 棄 さ れ、 す べ て の海 上 交通 は、 台湾 経 由 で 日本 =シ ン ガポ ー ル間
九 四 四年 三 月 に は、 護 衛艦 不足 のた め日 本 と パ ラナ間 の直接 交 通 は
サイ パ ン島 に通 ず る航 路 は放 棄 さ れる に至 った。 これ より先 き 、 一
一九 四四 年 六月 の サイ パ ン島 が 占領 さ れ、 日 本 と パ ラオ諸 島 か ら
47
32
鹿 児島 と基 隆 間︱ ︱ 以上 二 つは、 台 湾 あ る い は沖 縄 の占 領が
化 が 完 了 し た た め、 一九 四 五年 二月 に放棄 。
33
東 京 と 小 笠原 諸 島間 。
切迫 し たと 予 想 し たた め、 一九 四 五年 三 月 に放棄 。 34
東 京 と 大阪 間︱ ︱以 上 二 つ は、硫 黄 島 の米 ・陸 上基 地 機 によ
同 港 か ら は別 の護 衛 艦 の下 に パ ラオ に向 った。 こ の航 路 指 定 に より
パ ラオ行 船 舶 は 、 台湾 基 隆 ま で シ ンガ ポ ー ル船 団 の 一部 を構 成 し、
35
門 司 と 青島 間 。
別 の護 衛 艦 が 必 要 とす る距 離 は、 殆 んど 半分 と な ったが 、 こ の節 約
る 損害 を 予 想 し た た め、 一九 四 五年 三月 に 放棄 。 36
門 司 と 大連 間︱︱ 以 上 二 つは、 沖縄 の米 ・陸 上 機 のた め に 一
で はま だ 不十 分 で 、 七月 にな る とパ ラオ行 船 舶 は マ ニラま で南 下 し、
37
九 四 五年 六月 に放棄 。
同 地 から フ ィリピ ン諸 島 を 通 過 し て殆 ん ど真 東 に航行 し てパ ラ オ に
海 を通 ず る マ ニラとバ リ ックパ パ ン間 の直航 路 は、 セレ ベ ス海 に お
パ ラオ (ペ リ リ ュー島 ) が 占 領 さ れ て はじ め て放 棄 され た。 スー ル
に低 下 し て い った。 日本 側 の商 船 能 率 の測 定 値 は、 ﹁ 稼行率﹂ と呼
象と が 相 重な って、 日本 が 戦争 中 に使 用 し得 た商 船 隊 の能 率 は次 第
は起 こりが ち な 港内 で の混雑 、 荷 役 速度 の遅滞 と いう 種 々雑多 な 現
護 衛 船団 制 度 を採 った こと で起 こ った いろ い ろ の弊 害 と 、戦 争 で
海 上 輸送 の効 率
け る潜 水 艦 の危 険 が ます ます 増 加 し た た めに 一九 四 四年 六月 に 放棄
ばれ た要 素 で示 さ れ て いた 。 こ の要 素 は 一定 期 間 にじ っさ い輸 送 し
2
さ れ た。 一九 四 四年 九月 、 サイ ゴ ンと マ ニラ間 の直航 路 は護 衛 艦 不
た貨 物 の量 (メート ル ・ト ン) を、 そ の期 間 に この特 定作 業 に使 用
向 った 。 マ ニラか らと 、 ボ ルネ オ油 田と から パ ラオ への直 航路 は、
足 のた め に放 棄 され た 。 同月 中 に、台 湾 と 海 南島 (鉄鉱 山 ) 間 の船
さ れ た船 舶 の運 貨 能 力 で割 ったも ので示 さ れ る。次 の表 は 十分 でか
団 交 通 は船 腹 の 一般 的 不 足 と いう 理由 だ け で これも 放 棄 され た。 一
不足 のた め に放 棄 され 、 そ の後 同 年 中 ミリ から 日本 に向 う船 舶 は、
九 四四 年 一 一月 、北 ボ ルネ オ油 田と サイ ゴ ン間 の直 接 交 通 は護 衛艦
まず ボ ルネ オ沿 岸 を南 下 し て シ ンガ ポ ー ルに達 し、 同 港 で 日本 行 船 団 に加 わ った。 同 月中 ボ ルネ ナ と マ ニラ間 の交 通 は、 連 合 軍 の基 地 航 空機 に悩 ま され た と いう 理 由 だけ で中 絶 し たが、 し かも 三隻 が 飛
の沖 合 で 一 二 隻 が 潜 水艦 に撃 沈 され たと いう のが 実情 であ った。
行 機 に よ り沈 め られ た のに対 し 、 一〇 月 と 一 一月 と に は北 ボ ルネ オ
一九 四 四年 末 に は、 日本 側 は ル ソ ン島 に脆 弱 な足 場 を辛 う じ て維 持 し て いる にす ぎ な か った。 こ の時 ま で にわず か に二 五〇 万 ト ン余 (そ のう ち約 三分 の 一は油 送 船 ) に減 少 し て いた日 本 の残 有 商 船隊 は、 次 の攻撃 が 予期 さ れ て いた台 湾 お よび 中 国沿岸 の守備 軍 を 増強 す る こと と、 重 要物 資 を 南方 地 域 から 最後 の時 期 に 日本 に持 ち こむ こと、 こ の主 た る二 つの目 的 のた め に狂熱 的 な 努力 を傾 注 し て いた 。 す で に南 方 地域 と の 一切 の交 通 は、 台 湾 か ら中 国沿 岸 を 南 下 し て海
る航 海 だけ に制 限さ れ て い た。
南 島 に達 し 、 仏印 沿 岸 を シ ャ ム海湾 に入 る 大迂 回 を し て遠 ま わ りす
行 率 稼
陸軍(A)船 軍需品輸送平均往復 日数
に低 下 し た こと を示 す の
し ても 、船 舶 能 率が 次 第
つ完 全 な も の で はな い に
組員 中 に生 じ た 人 的損 害 は上記 の
主 に生 じ て いる 。戦 争 中 、汽 船 乗
も機 帆 船 よ りも 危険 の多 い汽 船 で
暴露 され、 し たが って船 員 の喪 失
が、 商 船隊 に配 員す べき 所 要 乗組
こ の表 か ら死 傷者 と行 方 不 明者
表 の通 りであ る。
に役 立 つであ ろう。 大 本営 陸 軍 部船 舶 課
員 の四〇% に達 し て い た こと は注
(第 一〇課 )は、陸 軍 (A ) 船 舶 を護 衛 船 団 制度 下 に
目 され る であ ろう。 も ち ろん戦 死
興味 あ る補 足統 計 は 、海 上 にお
で あ る。
こ の事 実 は 次 の 二 つ の表 に明 ら か
る こと はき わ め て困 難 とな った。
必 要時 に所要 数 の乗 組員 を 確 保す
ヵ 月平 均 一〇 万 ト ン以 上 であ り、
達 し た。 し か るに 、新 船 建 造 は 一
数 は 一ヵ月 平 均 二〇 万 ト ン以 上 に
重大 化 し たが 、 そ のこ ろ撃 沈 ト ン
末 から 一九 四 四年 は じ め に かけ て
商 船 乗 組 員問 題 は、 一九 四 三年
失 った。
りあ げ ても 、 そ の船 長 の四 〇% を
が最 大 であ り、 日 本郵 船 だ け を取
者 は長 途航 海 用 の大型 船 の乗 組員
の資 料 を提 供 し た。
商 船 乗組 員
険 に際 会 す るや よ り多 く
の船 員 問 題 は、 戦争 の危
に のぼ って い た。戦 争 中
船 員 と 七 万七 千 名 の船 員
は、 約 四 万五 千 名 の高 等
で いた。 機 帆 船 の乗 組 員
〇 ・〇 一名 余 )が 乗 組 ん
の船 員 (一総 ト ンに つき
千 名 の高 等 船 員 と 六万 名
た。商 船 隊 には 約 一万 六
めて有 能 で練 度 も高 か っ
本 商船 隊 の乗 組 員 はき わ
開 戦時 にお いて は、 日
3
運 営 し た経 験 に関 し上 記
1 置 き去 りにされた もの,病 人 あるい は軽傷者 (資料出所)運 輸省船員局
練 の 訓 員 船
毎年 の新募集人 員
い て沈 没 し た船 舶 の生 存 者 の数 であ るが 、 これ は 一二 一、 七 七 一名
で開 戦 時 の商 船 隊乗 組 員 の 一六〇 % で あ る。 一九四 三 年末 から 一九
四四 年 に かけ て 、 日本 の戦 時産 業 を 悩 ま した 人 的資 源 の不足 によ る
の荷 重 や 、危 険 に身 を曝 す た め に病 人 が ふえ 、 し かも 志 願者 が 不 足
苦 悩 は 、船 員 に関 し て みれば 、 戦 争 の苛 烈 さ が 増大 し 作業 員 の負担
した 結 果 と な った 。 し かし な が ら、 船 員 の確 保 は、 強 制徴 募 を 発動
す る こと なく 、 広汎 な志 願 者 募 集 に よ ってそ の必要 を ま か な って い
の活 躍 不 振 に大 い に影響 し てお り、 真 珠湾 攻 撃 当時 から の商 船隊 の
た。 戦 争 末期 の新 募 船員 の大 部 分が 未 熟 者 であ った こと は 、商 船 隊
海難 は、 一九 四 二年 中 に、 わ ず か に 一 ・ 一% にすぎ な か った が、 戦
争 末期 の八ヵ 月 間 で は (一九 四五 年 一月 一日 の船 腹 に ついて)、 四 ・
五% に増 加 し た こと にも、 おそ らく こ の船員 の未熟 が 多 大 の関 係 が あ った も のと 思 われ る。
船 員 の士気 の問題 は、 それ が 新 募 の困 難 さ を いく ら か増 加 さ せ た
以 外 には、 大 した問 題 では な か ったよ う であ る。 船 長 を い ろ いろ尋
問 し た と こ ろ では、 規 律 の維持 は大 体良 好 で あ った 。船 が 日本 の母
港 に帰 投 し て給 料 の支 払 いを 受け ると 、船 員 の中 には 往 々そ のま ま
帰 船 せず 、 戦 争 の残 余 の期 間 を農 村 で 暮す と いう 例 が か な りあ った
が 、 脱 船 逃 亡と いう よう な こと は稀 か 、殆 ん ど起 こら な か った 。 共
通 の 口実 は、 かか り つけ の医 者 を買 収 し て健 康 上 不適 と の診 断 書 を
提出 す る こと であ った 。商 船 乗 組員 に対 し て、 何が 最 も 恐怖 であ っ
た か を尋 問す ると 、 いろ い ろ の答 えが 出 た。 一致 し た意 見 と して 、
船 員 は 一般 に空襲 を 最 も 恐れ てお り、 他 方 、船 長 た ち は船 員 た ち よ
り も いく ぶ ん実 際的 に生 存 の公算 を考 え て、潜 水 艦 攻撃 を 一番 に恐
れ て い た よう であ った。 機 雷爆 発 は重 要 な要 素 では な か った よう で
そ の多 数 の配 員 に関 し深 刻 な 乗 組員 問 題 が生 じ た。
も あ る比率 をも って、 有 能 な 船員 を乗 組 ま せる 必要 が あ った ので、
た国際 知 識 を 持 って いた 船長 た ち は、 日本側 が護 衛 船 団航 行 にあ ら
一般 に長 い海 上生 活 の経験 を 積 み、 平 均 的 な 日本 人 よ りも す ぐ れ
指 定額 が 、汽 船 で は 一人 に つき 約 二〇 ト ンであ る のに対 し、 機 帆船
比較 的 に低 下 し て いた こと は、 一九 四五年 四月 に おけ る 貨物 取 扱 量
船 員 三万 四 千名 と 船 員 六万 名 が 残 って いた。 機帆 船 乗 組 員 の技 能 が
千 名 (一総 ト ン に つき〇 ・〇 七 人)、 ま た、 機帆 船 乗 員 と し て高 等
終 戦 時 日本 には 、汽 船 乗 員 と し て高 等船 員 約 八千 名 と船 員 四 万 二
あ る。 油 送 船 乗組 員が 直 面 す る特 別 危 険 に対 し ては 、船 乗 員 一般 に 一五% 、 また、 ガ ソ リ ンを積 荷 とす る船 の乗 組員 には 、三 〇% の賞
ゆ る 努 力 を傾 け た にも かか わらず 、 サ イパ ン失陥 の後 、 マ ニラお よ
で は 一人 に つき 約 六 ト ンであ った こ と によ って実証 さ れ て いる 。
与 金 を も って補 償 され て いた。
び シ ンガ ポ ー ル航路 の損 害率 が 急 上昇 した 時 機︱︱ 一九 四 四年 夏 頃 に、 日 本 は敗 北 を 免 れ な いこ とを 知 った。 日 本 か ら シ ンガポ ー ルに
て多 数 沈 め ら れ る こと を聞 いた時 、 私 も僚 友 た ちも 戦 争 はも う 敗 け
バ シ ー海 峡 を渡 って ルソ ン島 に向 う 日本 船 が 敵 潜水 艦 の攻撃 を 受 け
﹁一九 四 四 年 の夏 、 私 が 本船 修 理 のた め マ ニラに い て、 台 湾 か ら
商 船 建造 には 関 心 を抱 か な か った 。商 船 は逓信 省 の管理 下 にあ り、
日 本海 軍 は 、 こ の目 的 のた め に造 船 所 の能 力を 選 択す る権 利 を有 し 、
一年 はむ ろん の こと 、 一九 四 二年 にな って から もず っと 続 いて いた 。
いて いた 。戦 闘 艦 艇 が造 船 の優 先第 一の地 位 であ り、 これ は 一九 四
開 戦時 にお け る 日本 の造 船 工 業 は、 主 と し て艦 艇建 造 に重点 を 置
鋼 船 の建 造
は じ め たこ と を心 配 し た のだ った⋮ ⋮。 一九 四 五年 三月 に シ ンガ ポ
4
ー ルに いて 私 は いよ いよ戦 争 は敗 北 だ と考 え はじ め た﹂。 彼 は こ の
か った。 商 船建 造 はず っと 不利 な 立 場 に お かれ、 三 七万 四 千 ト ンが
同 省 と し ては 、海 軍 が 使 用 しな い造船 所 の能力 に依存 せね ば なら な
到 着 し た 最終 船 (一九 四五 年 一月 )の船 長 の 一人 は次 のよう に述 べ た。
いう事 実 " を挙 げ て いる。 日本 の保 有 船腹 が 、 一九 四 二年 の初 頭 に
造 船 され た 一九 三 七年 を 頂 点 とし 、 そ の後 は確 実 に毎年 減 少 の道 を
結論 に達 し た 理由 と し て、 "目的 地 に安着 でき る船 が 殆 ん どな いと
お いて早 く も 減少 し はじ めた 事 実 に対 し、 これ にどう 反 応 し た か に
ってか らも 、商 船 建 造 は依 然と し て 低調 のま ま経 過 し、 一月 から の
たど り、 一九 四 一年 には 二一 万 ト ンに落 ち こんだ 。 一九 四 二年 に 入
一 一ヵ月 間 にわず か に 二一 万四 千 ト ンが 建 造 さ れ たに すぎ な い︱︱
つ いて質 問 さ れ た時 、 彼 は次 の よう に答 え た。 ﹁私 は船 舶 問題 の実
し かも 同期 間 中 に 八 八万 ト ンと いう 船舶 が 沈 めら れ て い た のであ る。
情 が そう いう 状 況 であ る こと を 信じ な か った。 私 は 日本 は勝 ち つつ あ り と の大 本 営 発表 を 信 じ た。 私 は 日本商 船 隊 が 次 第 に減 少 の 一途
本 の指 導者 たち に は 明ら か に判 ってお り、 一九 四 二年 の夏 に海軍 は、
し かし なが ら、 情 勢 の危 急 な こと は同 年 の初頭 頃 に は、 す で に 日
を た ど り つつあ る こと は実 際 に知 って いたが 、 然 し私 は、 日本 は対
戦 争 末期 に いた り、 多数 の機 帆船 が 新 造 さ れ たが 、 こ の機帆 船 に
米 戦 争 に勝 利 を 収 め つ つあ りと の大 本 営発 表 を信 じ た か った 。 ﹂
造 船 工業 の再 編 には若 干 の月 日 を 必要 と し た ので 、 一 一月 ま で は造
艦 艇 と商 船 と を問 わず 一切 の艦船 の建造 を引 き 受 け る こと にし た。
ば なか った。 こ のよう な 情勢 の終 局 の到 達 点が 破 局 であ る こと は必
撃 沈 量 は 一八〇 万 三千 ト ンに のぼ った。 補 充 は喪 失 の四 五% にも 及
効 果 は 期待 でき な か ったが、 全 面 的 な護 衛 船団 制 度 が 立案 さ れ開
あ った。
始 され た のと時 を 同 じ く して 、 一九 四 三年 一 二月 に は、 一九 四 四年
至 であ り、 日本 側も 遅 ま き なが ら 事態 の重 大性 に気が ついた よう で
〇 〇 と 仮定 す れば 、 一九 四 二年 一〇 月ま で には 一 一 三に増 加 し た に
船 上 には実 際 の効 果 は現 わ れ な か ったが、 一九 四 二年 一 一月 を皮 切
す ぎ な いが 、 一一月 には こ の造 船 事 は 一四 七 と な り、 一九 四三 年 二
中 に商 船 約 二百 万 ト ン の建 造 を 目途 と す るさ ら に野 心的 な造 船 計 画
りと して造 船 指数 は急 進 に はね あが った 。 一九 四 一年 の造 船率 を 一
月 に は 二一 〇 に上 昇 し て いる。
は絶 頂 に達 し た 。造 船 所 の能 力 はお そら く 限度 であ っただ ろ う し、
こ の数 字 は実 に 一九 四 一年 の率 の約 六倍 であ る。 同月 中 に造船 工業
また 、鋼 鉄 消 費 量 はギ リギ リ の線 に達 して いた製 鋼 工業 が 維 持 でき
が 着 手 され た 。造 船 指 数 は 一九 四 四年 一月 に五 九 一に のぼ ったが 、
を 拡 張す る 着意 を 欠き 、 そ の実 施 も し な か った失 敗 にも 負 う て いる。
た全 能 力 に近 いも の であ った 。 ( 製 鋼量 はそ の前 月 に最 大 限 に達 し
こ の時 ま で 日本 の商 船 建 造 は、 主 と し て艦 艇 建 造が 最 優先 と さ れ
最 高 の造 船 量 は、 第 一次 大 戦中 に達 成 さ れ た のと ほぼ 同 一ト ン数 に
て い た)。 一九 四 四年 中 に日 本 は、 生産 した鋼 鉄 の約 三分 の 一を商
て いた ため 遅滞 して い たが 、 こ の遅 滞 は、 さ ら にま た造 船所 の能 力
制 限 され て いた。 日 本が す でに戦 争 で 一 二五万 ト ンを喪 失 し、 多 数
船建 造 に充 当 し た。
油 送 船 の喪 失量 が 激増 し て いき、 こ の油 送 船 情勢 に はじ め て日 本
の拿 捕 船 を 入手 し た にも か かわ らず 、 稼 働 商船 隊 が 真 珠湾 攻 撃 当時
側が 注 目し た の は大 体 に お いて こ の時 期 であ った。 日本 は艦 隊 給 油
から し て七 ・五% 減 少 し、 しか も 一ヵ月 約 一 二 万 五 千 ト ンの割 合 で 商 船 が 沈 め られ つ つあ った 一九 四 三年 三月 に至 り、 日本 は はじ めて
艦 を含 まず に五 七万 五 千 ト ンと いう比 較 的 に小 さ な油 送 船 隊 をも っ
て開 戦 し、 一九 四 二年 と 一九 四 三年 中 には、 建 造 に よ りわず か に 二
度 に近 い 一年 五 〇 万 ト ンを 一九 四 四 年 に は、 一四 〇万 ト ンを 最 終 目 標 と し、 これ に到達 さ せる こと を 目 途 とす る も のであ った。 本 計 画
な ほど 攻撃 を ま ぬ かれ て いた。 そ れ は 日本 の油 送 船 が 比較 的 高速 で
七 万 五 千 ト ン の増加 を 見 たが 、 こ の期 間 中 に 日本 の油 送船 は不思 議
真 に野 心的 な 商船 建 造 計 画 を開 始 し た。 こ の計画 は、 以 前 の最 大限
の刺激 を受 け て建 造 量 は着 々と増 加 し た (付 表 第 46参 照 )。 造 船 指
主な 原 因 であ った 。 こ のよ う に攻 撃 を受 け な か った こと と、 戦 争 の
あ った こ とと 、 そ の行 動 範 囲が 作 戦 地域 か ら 遠く はな れ て い た のが
数 は急 増 し て 一九 四 三年 五 月 に は 二七 二、 八月 には 三 五七、 ま た 一 一月 に は三 九 二 に達 し た。 竣 工引 渡 し も 四月 中 の二 万 ト ンから 八月
一九 四 二年 と 一九 四 三 年中 に は油送 船 のト ン数 は着 々と 増 加 し、 一
初 期 に貨 物船 を 油 送船 に改 造 す る計 画 を適 当 に実 施 し た こと によ り、
の 六万 ト ン、 一 一月 の九 万 六 千 ト ンと 増 加 し た。 日 本 は そ の喪 失 を
つあ った。 一九 四三 年 中 の全 造 船 量 は七 六 万 九千 ト ンで あり 、 一方
埋 め合 わ せる た め の代 換 努 力 を 調整 せ ん も のと 最 大 の努 力 を払 い つ
付 表 第 46
日本 の戦 時中 の商船 建 造 ( 毎月 の引渡総 トン数︱五〇〇 トン以上)
九 四 三年 一〇 月 に は約 八七 万 ト ンと いう 絶 頂 に達 し た。 日 本側 が こ の幸 福 な事 態 が 無 限 に続 く と 推定 し て い たら し い こ と は、 日本 人 に 先 見 の明 のな か った こと を 示 し て いる。 こ の二 ヵ年 間 に建造 し た油 送 船 は、新 船 建造 合 計 ト ン数 のう ち 、わ ず かに 二 七% にすぎ な か っ た。 し か しな が ら、 一九 四 四年 の はじ め の数 ヵ 月 間 に、 戦 争 の影 響 は油 送 船 の上 にも 大き く 襲 いか か った。 同 年 の第 一 ・四 半 期 に 二四 万 四千 ト ンの油 送船 が 沈 めら れ たが 、 こ の数 字 は そ の直 前 の 一〇 ヵ
こ の驚 く べき 混 乱 状態 は、 日本 側 を し て、 お そ ま きな が ら船 舶 建
月 間 に建 造 さ れ た ト ン数 よ り多 か った。
は 殆 んど 全面 的 に蘭 印 の油 に依存 し てい た。 こ の事 実 を認 識 し、 造
造 の重 点 を突 如 と し て変 更 さ せ る に至 った。 す な わ ち、 日本 の戦 争
船 工業 が ち ょう ど そ の絶 頂 に達 し た時 、油 送 船 建 造 に よ り多く の重 点 を置 く よう に これ を改 編 した。 こ の改 編 への措 置 は、 造 船 工業 の 円 滑 な機 能 発揮 を 大 いに妨 げ 、 一月 に示 し た造 船 量 の絶 頂 は、 そ の
年 七 月 にそ の最 高 に達 し たが 、造 船 工業 全体 と して は、 こ の重点 移
後 再 び達 す る こと はな か った ( 付 図第 47)。 油 送 船 建造 は 一九 四 四
動 の悪 影 響 を受 け て 、造 船 指 数 は 一〇 % 低 下 した 。 一九 四四 年 の後 半 の八 ヵ月 は 油送 船 の建 造 が 最 高 と な った期 間 であ るが 、 そ の間油
めて いた。 し か し他 方 で は、 護 衛活 動 を倍 加 した にも か かわ らず 、
送 船 引渡 し は 一ヵ月 平均 五万 七 千 ト ンで 、 全商 船 建 造 の四 一% を占
油 送 船 の喪 失 は増 加 し つづ け た 。 一九 四 四年 後 期 の九 ヵ月 中 に は 五 八 万 ト ンが 撃 沈 され 、 日本 は同 年 宋 に お いて稼 働 油 送船 七九 万 ト ン
一九 四四 年秋 の フ ィリ ピ ン作 戦 で 日本 は 、結 局 のと こ ろ蘭 印 の油
を 保 有 し たが 、 これ は前 年 一〇 月 の最 大 量 よ り三 % 少 な か った。
付 図第47
腹 に対 す る急 迫 し た需 要 と 重 な った こ の新 事 態 のた め に、 油 送船 増
種 々 の標 準 計 画 を含 む 、戦
万 ト ン のTL型 油 送船 ま で の
スの五 百 ト ン のF型 から 一
強 計 画 は つい に 一九 四 四年 一 一月 に放 棄 せ ねば な ら な か った。 重 点
時 標準 船 (戦標 船 ) 計 画 で
田を 失 う こ と は確 実 であ る と 信 じ たよ う であ る。 と に かく 貨物 船 船
は再 び 貨物 船 に向け ら れ た。 一月 の油 送船 の生 産 は七 月 の量 の五 分 の 一に 低 下 した 。 一九 四 五年 中 に引 渡 され た 油 送船 はわず か に八 万
た が、 一九 四 二年 末期 ま で
一九 三九 年 に着 想 さ れ て い
あ った。 こ の戦 標 船 計画 は
造 船 の重 点が 油 送 船 に移 った た め に、 一旦 低下 し た 一般 造 船 指数
は 、実 際 に着 手 さ れな か っ
五 千 ト ンにす ぎ な い。
は 、 一九 四四年 初 期 (一月 ) に 一九 四 一年 度 生産 の五 七七 % と いう
た。
ず 、 日本 の標 準 に従 えば 、
術 を つい に大成 す る に 至 ら
日本 は大 商 船大 量 建 造 の技
本 側 の自 認 す る所 によ れば 、
ら れ た。 しか しな が ら 、 日
九 七%が 標 準船 建 造 に充 て
一九 四 四年 には造 船 工 業 の
建 造 の八 三% を占 めて いた。
相当 の進捗 を 見 せ、 全 商 船
一九 四 三年 中 で の計 画 は
絶 頂 に達 し て い るが、 こ の 一九 四 四年 一〇月 中 には、 殆 ん ど こ の 一 月 の建 造 量 に 回復 し た。 し か しな が ら この時 期 にな ると 、 日本 にひ ろが り は じ め て いた労 働 不安 が 表 面 化 し は じ めた。 陸 軍 が熟 練 工を 召 集 し、 そ の後 を徴 募 工や臨 時 工で 埋 め合 せた こと と 、 材料 不足 が いよ いよ はじ ま った ので 、全 造 船 工業 は下 り坂 に さ し かか った。 造 船 指標 は次 第 に低下 し て、 一九 四 四 年 一 二 月 には 四七 〇 、 一九 四五 年 一月 に は三 七 五、 そ し て 二月 には 三 三 一と な ってし ま った。 下記 の表 は戦 争 全 期 を通 じ て の全 商 船 の建 造 と 喪 失 と の関 係 を要 約 し た も のであ る。 一九 四五 年 の最 初 の三 ヵ月 間 の建 造 は、 労 力 と資 材 の不足 が ます ます ひど く な ったた め、 一九 四 四 年 の最 終 四 半期 よ り も若 干 は 減少
そ の成果 は 顕著 では あ った
が建 造 量 は そ の目標 に遠 く
し たが 、 他方 、 き わ め て異 常 な 理由 から 喪 失も 減 じ た。 す な わ ち、 沈 めら れ る 船が も はや多 く 残 って いな か った し、 そ の多 く が 内線 地
及ば な か った。 さ ら に重 要
の質 は、 こ の計 画 の特 徴 で
な こ とは 、建 造 さ れ た船 舶
帯 内 に引 揚げ ら れ て、 一時 期 は攻 撃 の及 ば な い所 で行 動 した か ら で あ った 。 戦 時 中 に おけ る 日本 の商 船建 造 の重 要 な内 容 の側面 は、約 半 ダ ー
を、 皆 が 同じ よう に 例外 な く物 語 った のであ る。 さ ら に建 造 の単 純
に は主 機械 が 、 ま た停 泊 中 に は荷 役 装 置が たえ ず 故障 した と いう 話
数 を 増 加す る必要 が あ る。 し か しな がら 同 時 に、 商 船が 小型 であ れ
あ り、商 船 隊 に対 し、 大 型 船 と同 一の損 害 を与 え るた め に は攻 撃回
い た。船 が 小 型 であ れ ば あ る ほど 、 目標 と し て は攻 撃が よ り困難 で
日 本が 建 造 し た商 船 の大 きさ は、 重要 な いく つか の意 義 を 持 って
り性 能 のす ぐ れ て い るA 型 の建 造 ト ン数 が 全体 の六 六% を占 め て い
化 と 速 度 を早 める た め に、 いや しく も 無 し にす ま せ る部分 は 一つ の
ば あ るほど 、 国 家 の傾 け る 努力 と 、 資源 の投資 は、 相対 的 に大き く
た。
こ らず 切 りす てら れ た。 防 壁 は最 少 限 にさ れ、 複 底 は廃 止 さ れ た。
な り、取 扱 貨 物 のト ン毎 の燃料 、 人 力 お よび そ の他 一切 の付 帯要 素
あ る 、建 造 を 急 いだ こと と 、病 的 な ま で の興 奮 のう ち に造 られ た こ
これ ら が 総合 さ れ、 そ の結 果 と し て出 来 上 った船 は、 潜 水 艦、 航 空
と によ り、 非 常 に禍 いさ れ て い た。港 務部 員 や 船長 たち は、 航 海 中
機 そ して機 雷 の攻 撃 に対 し 大 な る脆 弱 性 を有 す る こと とな り、 命 中
四 三年 末 と 一九 四 四年 中 にE型 船 に重点 を 置 い て成 功 しな か った の
の費 用 は、 より 大 と な る。 前記 流 れ 作業 の可能 性 に加う る に、 一九
一九 四 二年 中 は造船 の重 点 は、 千 ト ンか ら 六千 ト ンの中 型 船 に お
によ る沈 没 の公 算 は 、 大変 に増 加 し て しま った。
は、 目標 を分 散 さ せ、 か つ日本 船 に対す る魚 雷 や爆 弾 の命 中 効果 を
り少 な いと いう こと は、 攻 撃 目標 と され た時有 利 であ る と いう利 益
か れ、 ト ン数 で建 造船 の七 三 % は こ の型 で あ った 。 一九四 三年 中 は
と、 相 殺 され てし まう こと を早 く も 認識 し て い た にちが いな い。 こ
日本 側 も これ ら の小型 船 が 相対 的 に価格 が 割高 で、 し かも 効 率が よ
の船 型 であ る。 こ の型 の船 を 造 るだ け のた め に、 四 ヵ所 に造船 所 が
れは 一九 四 三年 に入 るや 、 よ り大 型 で よ り効率 の い いA型 に建造 の
最 小 限 に し た いと いう 企 図 の結 果 で あ った ら し い。 し か しな が ら、
設 立 され た。 六千 八 百 ト ン のA 型大 船 も若 干隻 建 造 さ れ たが 、建 造
重 点 を移 し た こと で も知 れ る。
八 三〇 ト ンの E型 の建 造 が 奨 励 され 、 こ の型 の船 舶 約 七〇 隻が 建 造
の主力 は依然 と して 千 ト ンか ら 六千 ト ン級 で、 これ が 六四 % を占 め
さ れ た。 E型 は 日本が 大 量 生 産 流 れ作 業 を 応 用 して 成功 し た唯 一つ
た。 一九 四 四年 初 頭 以降 、 E 型 船 とA 型船 の建 造 が 促進 さ れ た。 そ し て同 年 中 にE 型貨 物 船 が 二六 六隻 、 A型 貨物 船 が 八 三隻 建造 され
日本 は航 洋 船 隊 を維 持 し 、そ の増 加 のた めに努 力 を し たが 、 これ
機 帆 船 の使 用 増 加 と建 造
ら、 多 数 のE 型 船 は、 そ の ト ン数 を吟 味 し て見 る と案 外 に見掛 け 倒
に加 う る に、 長 途輸 送 に、 な るべ く 多数 の汽 船 を 自 由 に使 用 す る た
5
し で、 E型 船 の大船 群 は建 造 ト ン数 のわず か に二 四% にす ぎ ず 、 大
一九 四 二年 三 月 に は、 一五 〇総 ト ン以上 の機帆 船 の管 理 を船 舶運 営
め に、早 い時 期 に機 帆 船 のト ン数 を増 そ う と計 画 し た。 す な わ ち、
たが 、 そ の他 の各 型式 船 は合 計 九 二隻 にす ぎ なか った。 し か しな が
いる ことが 判 明 す る の であ る。 一九 四 五年 中 には全 力 を あげ てE 型
会 に移管 し、 運営 会 では そ の運 用 を 一六社 の運 航 会 社 に委 任 し た。
型 のA型 船 の方 は、 隻 数 こそ少 な いけ れど も 全 体 の五 一% を占 めて
船 の建 造 が 進 め られ たが 、重 点 はA 型船 に移 さ れ、 同 年中 にE 型 よ
船 も ま た 船 舶運 営会 に移管 さ れ た)。 同 時 に機 帆船 の建 造 拡 張 計 画
年度ではなく︺には約 一二 万総 ト ン、 一
日本 は機帆 船 を 一九 四 三 年 中 ︹ 会計
こと はな い。
が 、 汽 船 に対 して定 めら れ た のと 同様 な線 に沿 って制 定 され た。標
九 四四 年中 に は約 二 六万 五 千総 トン、
(一九 四 三年 一一月 、 本 土諸 島 にあ った 五〇 ∼ 一五〇 総 ト ン の 機 帆
準 設 計 が 準備 され、 労 力 と材 料 の優 先 順 位が 定 め られ 、 か つ、 建造
を建 造 したが 、 これ ら は こ の期 間中 に
ま た、 一九 四五 年中 には約 五 万総 トン
こ の計 画 は、 日本 の他 の多 く の計画 と 同 じ よう に、 結 果 はそ の期
命令 と造 船 所 の材料 要 求 と を調 整 す る機 関が 新 設 され た。
待 に遠 く 及ば なか った。 標準 設 計 は大 して 満足 す べき も のでな く 、
こ のト ン数 は汽 船 の喪 失 と建 造 と の間
建造 し た汽 船 の約 一三% に相 当す る。
画 が 開 始さ れ た。 地方 にお け る建造 を
でも南 方 総 軍 の指導 下 に機帆 船 建造 計
日本 内 地 の計 画 と同 時 に、 南 方地 域
かすぎ なか った。
トン数 のう ち比 較的 ほん の 一部 分 にし
航能 率 の差 に お いても 、 それ は汽船 総
有 効輸 送 能 力 の点 から 見 ると 、 そ の運
隙 を充 た し得 な か ったぼ かり で なく 、
優 先順 位 が 認 めら れ た にも か かわ らず 労 力 と材 料 の不足 が 生じ 、 多 く の造 船 所 側 の無 経験 と無気 力 と が造 船 の実施 に影響 を及ぼ した。 乾 燥 不十 分 な材 木 、 不純 な鋳 物 、 経験 のな い監 督 者 で はろ く な船 し か き な か った。 そ の後 、 量 よ りも 質 の方 に重点 が 置 かれ る よ う にな って 、性 能 に顕著 な改 善 が 加 えら れ たが 、 木造 船 の能 率 は大型 船 の そ れ よ りも はる か に低 いま ま であ った 。 企 画 院報 告 がそ の情 況を 次 のよう に要 約 し て いる。 ﹃機 帆 船 に よ る輸 送 量 は、 計画 し た よ りも 低 か ったが 、 そ の理 由 は 、機 帆 船 の竣 工 の遅 延、 久 しく 運 航 不能 の状態 を 続 け た こと、 動 員 し た機 帆船 数 の減 少 、 お よび燃 料 不足 によ るも のであ った﹄。 機 帆船 建 造 計画 と
九四 二年 一二月、 南方 総 軍 は そ の船 舶
奨 励 す るた め の努 力 の 一環 と し て、 一
代 換 の大部 分 を局 地 で の機帆 船 建造 に
実 際 の建造 は下 記 の通 り であ る。 (一九 四 五年 会計 年 度 に機 帆船 建 造 計画 に大削 減 が あ った こと は、 蒸 溜 燃 料 の大 不 足が あ った こと を反 映 し て いるが 、 この 不足 は 一九
す ると いう こと であ った。 そ の計 画 は
に帰 投 でき る損傷 船 だけ は 内地 で代換
日本 の航洋 船 舶量 が 減少 す る に つれ て、 国 内間 輸 送 船 の相 対的 重
いか にも雄 大 であ ったが 、 実際 の成果
頼 る よ う指 令 され た。 修 理 の た め内地
要 性 は増 加 し たけれ ど も、 戦 時中 の い っの時 期 でも 、 日本 の総 合的
は ( 上 陸 用舟 艇 は別 と して ) 一ヵ月 一
四 五年 四 月 に絶 頂 に達 し た)。
船 舶 情 勢 の中 で、 小 型 船舶 に よる運 輸 が非 常 に重 要 な 要素 であ った
〇 隻を こえ る こと は殆 ん どな く、 南 方 総軍 の喪 失量 に遠 く 及ば な か
ー ルに移 動す る の に六 ヵ月 間 でも でき な か った のであ る。
陸 海 軍 船対 民 間船
ら れ た。 し か しな が ら 二 コ師団 の兵力 を ア ンボ ン地 区 か ら シ ンガポ
三
った。 新 造 機帆 船 の総 計 ト ン数 は毎 月 約 二千 総 ト ンであ った の に、 喪 失量 は約 二万 総 ト ンに達 して い た。 そ の上 、 喪失 の割合 が甚 大 だ った の で、 一時 に三〇 隻 以 上を 運航 可能 状態 に維 持す る の は不 可能
南方 地域 で は、 海 運中 心地 に原 料品 を 集 め る の に機 帆 船 そ の他 の
た。 陸 軍用 に 二 一六万 三千 ト ン、 海軍 用 に 一八九 万九 千 ト ン、 そし
ゆ かれ た。 日本 は開 戦時 、 そ の商 船隊 を 大体 次 のよう に分 配 し て い
に、商 船 隊 の主力 であ る総 計 二五 〇万 ト ンの船 舶が 陸 海軍 にも って
真 珠湾 攻 撃 から ガダ ル カ ナ ルま で︱︱ 本 報 告 の他 の箇 所 で述 べた
小舟 艇が あ る 程度 使 用 され た (こ の中 心地 から は汽 船 で転送 され た)
て 民間 用 に 一九 三万 四 千 ト ン。 戦 時中 の これら 各船 隊 の大体 の構 成
よう に、 日本 の戦 争準 備 にお いて、 そ の最 も 重要 な特徴 は、陸 海 軍
が、 これ ら の小型 船 の主な 用途 は、連 合 軍 の航 空 兵力 の脅 威 によ り、
は、 付 図第 49 に示 した と おり であ る。 陸 海軍 に徴傭 さ れ た各 船隊 は、
だ った。 こ の隻 数 を補 足 す るも のとし て、 特 に最 前線 地域 では、 各
大 型船 の行 動 が 極度 に危 険 にな った 前方 地 域 で、 人員 、 物 資 を輸 送
開 戦直 後 の数 ヵ月 間 は、 作 戦 用 に専 ら使 用 され 、 国民 や 産業 に必要
種 め 大き さ の上 陸 用舟 艇 があ った。 す く なく と も 一九 四 四年 ま で に
す る にあ った。 これら の作 戦 地域 で の小 型 船舶 が 、 比較 的 に能 率 が
とす る物資 の移動 は、 民 間 の運営 下 に残 さ れ た、 非常 に減勢 さ れ た
に よるき わ め て集 中的 な 船 舶徴 傭 であ った。 この徴 傭 は 一九 四 一年
低 か った こと は、本 土 諸島 間 に おけ る場 合 よ りも 、 い っそ う明 白 で
船 隊 によ り実 施 さ れねば なら な か った。 これ ら民 間用 と し て充 当 さ
は、 舟艇 の主用 さ れ る地 域 であ る 東部 蘭 印方 面 で は、 一五〇隻 内外
あ った。 修理 工場 から は遠 く離 れ 、 た えず 予備 品 の不足 に悩 まさ れ、
れだ 船 腹 が、 日 本経 済 の需 要 に応 ず る に は、 ま ったく 不十分 であ る
( 昭 和 一六年 ) 年月 に本 式 に開 始 され 、真 珠 湾 攻撃 直 前 の 五 ヵ月 間
行 動す る 海面 は 広く 、 し かも たび たび連 合 軍 の攻 撃 に曝 ら され て行
の舟 艇 が 利用 可能 であ った。
動 す る ので、 そ の喪 失 や損 傷 の割 合 はき わ めて高 か った。 し かも 救
こと は、あ ら ゆ る 関係 者 は了 知 し て いた。 そ こ で 一九 四 一年 の後期
期 待も さ れ か つ約束 も さ れ たと ころであ った。 こ の期 待 が も たれ え
難 の可 能 性 は殆 ん どな く、 さ ら に修 理施 設 も 貧弱 そ のも のだ った 。
と いう こと は、 日 本 は信 期戦 に乗 り出 そう とす る ので はな く、 そ の
には、 陸 海軍 によ り徴 傭 され て いる二五 〇 万 ト ン の船 舶 の大部 分が 、
さ ら に南方 地 域 で は、 油 は豊 富 に産 出 し たが 、 そ の油 を 地 域内 で分
望 ん で いた地 域 を 迅速 に、苦 痛 な し に、 抗 争 老も 無 く占 領 でき る の
最 初 の占 領計 画 の完 成 後 に、 た だ ちに民 間 管 理 に返還 さ れ る こと は、
配す る のに船 舶 を割 く ことが でき ず 、 わず か数隻 を 以 てす る前 線 行
だ と いう 希望 的 観 測が あ った こと の証 拠 の 一つでも あ る と いえ る。
に輸送 さ れ た船 舶 機関 の供 給 は杜 絶 し、 事 実 上新 造 は 停止 され た。
動 で は思 う にま か せな か った。 一九 四 四年 ま で に こ の情 勢 はき わ め
船 舶事 情 が緊 迫 す る に つれ 、 以前 に日本 内 地 か ら南方 各 地 の造 船 所
て切 迫 し た ので、 周 地 で使 用 でき ゐ船舶 に対 し最 高 優 先順 位が 与 え
付 図 第49 陸 軍 ,海 軍 お よび民 間輸 送 船隊 の推 移 (グロス ・トン)
難 であ る が、 二五〇 万 ト ンのう ち から 相当 の船舶 を 民 間用 に返す こ
戦 争 中 のど の時機 に、 日本 が現 実 に目覚 めた かを 推定 す る の は困
一九 四 二年 四月 以 降、 合計 約 四 六万 総 ト ン の船舶 スペ ー スが こ のよ
陸 軍 用 船 の空 積 を多 少 とも 利 用 し よう とす る ゼ スチ ュアを 示し た。
始 され る に したが って、 陸 軍 は、 シ ンガポ ー ル から内 地 に帰 投す る
う に利 用 さ れ た。 民 間貨 物が 日本 帰航 船 への積込 み を待 って いる 地
と は とて も 問題 に なら な い こと は、 一九 四 二年 の初 期 に、 す で に明 白 な こと であ った 。阻 止 さ れた の には 二 つの要素 が 作 用 し た。最 初
陸 海軍 の微傭 と解 除 と の間 にあ って、 民 間貨物 船 プ ー ル は、開 戦
域 か ら、 帰 国す る陸 軍徴 傭 船が 運 んだ 数 量 は、 そ の空積 の推定 八五
から ガダ ル カ ナ ルの戦闘 ま で に、 五 五万 ト ンの増 加を得 た。 同時 に、
乃 至 九〇 % に達 し た。
服 行 動 をま す ます 遠方 にま で お よぼ す こと を要 求 し、 し たが って船
民間 船 は連 合 軍 の猛 攻 を受 け て いな か った ので、 そ の戦時 喪 失 は、
の軍 事的 成 功が 思 いの外 容易 に得 ら れ た ことが 日本 を 勇 気づ け、 最
腹 需 要 を等 比 級数 的 に増 大 さ せ てし ま った 。同 時 に商 船 隊 の受 け た
初 の占領 計 画 を大 急ぎ で拡 張 したが 、 そ れ は予 期 しな か った別 の征
軍 合せ て の喪 失 と重 大損 傷 と は実 に合計 約 七〇 万 ト ンに達 し た ので
被 害 は、あ ら ゆ る予 想 を こえ て いた 。戦 争 の最 初 の四 ヵ月 間 に陸 海
った 。海 軍 は船 舶 の民間 への返 還 に は、 ま った く努 力 を 払 わな か っ
画 は殆 んど 実行 で きず 参 返 還さ れ た数 量 も取 る に足 り な いも のに な
これら の事 態 に直 面 し た 日本 は、 民 間 用と し て船 舶 を返 還 す る計
消 長 に関 係 し て い る いく つか の要 素 の概 略 の数 字 をあげ れ ば、 次 の
こ の期 間 中 の合計 建造 量 は 一八万 一千 ト ンであ る。 民 間船 プ ー ル の
一番 ひど か った民 間船 プ ー ル へ、殆 んど 一隻 のこらず 配 分 され た 。
ト ンの損 害 を出 し た にすぎ な い。 こ の間、 新造 船 は、 船 腹 不足 が、
の九 ヵ 月 間 に、 民 間船 プ ー ル は沈没 と 大破 を 合 せても 約 二〇 万 九千
陸海 軍 徴傭 船 隊が 受 け た損 失 よ りも 非常 に少 な か った。 真珠 湾 か ら
た。 それ ど ころ か海軍 は、 開戦 直 後 の九 ヵ月 間 に、 あ ら た め て二 九
と おり であ る。
あ る。
万五 千 ト ンを徴 傭 し、 そ の間 に徴 傭解 除 し た のは 、 わず かに 五万 五
であ った)。 民 間プ ー ルから 海 軍用 に移さ れ た船 舶 の全 損 失 は 約 二
船 の総 ト ン)
開 戦 か ら ガダ ルカ ナ ル の戦 闘 ま で の民間 船 の状 況 (貨物 船 と 輸送
千 ト ンにす ぎ な か った (そ れも 多 く は損 傷 船 か海 軍 に 不向 き のも の
四万 ト ンであ った。 同 じ期 間 に、 真 珠湾 攻 撃時 に は十分 な船隊 を所
+ 三五、 六四 九
- 一九 二、 一六 二
- 一 一、 四〇 二
海 軍 徴傭
+ 七 二 一、 三 八〇
海軍解除 陸 軍 徴傭
- 一〇 七、〇 一三
は 、"第 一期 作 戦が 終 了 し た ので " 、 一九 四二年 四月 を最 初 と し て 五
陸 軍解 除
有 して いたら し い陸 軍 は、 改 め て 二隻 を徴 傭 し た にす ぎ な い。 陸 軍
ヵ 月間 に船腹 を 民 間 に返 還す べ く、 断 固 とし た努 力 を 払 った 。 かく
民 間船 喪 失
一方 、 南方 地 域 から 重 要原 料 を 日本 内 地 に輸 送す る 総 合計 画 が 開
て 約 七 二万 一千 ト ンの船舶 が 陸 軍 の徴 傭 から 解 除 され た。
拿 捕船
新 造船
+ 一、 一八九、 二九 四
+ 五 六 一、 一八〇
+ 一八 一、 六 六 二
海軍 解 除
海軍徴傭
陸軍解除
+ 二八 、〇 六 五
- 一七 三 、 一六 二
+ 四 、 四 二二
民 間船 喪 失
+ 一九 二、〇 四 二
- 一九 一、 七九 一
民間 船 プ ー ル総 取 得
新造船
戦 争 の第 一局 面 で は、 日本 商 船 隊 はプ ラ ス、 マイ ナ スを総 合 し て
ガ ダ ルカ ナ ル増 援 の必 要 がそ の頂点 に達 し た時 、 ま さ に こ の時 点
減 少 し たが 、 民 間船 プ ー ルは船 舶 運 営 会 の管 理 下 に、 約 二 五〇 万 ト
に お いて、 南 方 地 域 から 日 本 への輸 入が 増 大す る ことが い っそう 切
- 五 七 八、 二 八 二
ガダ ルカ ナ ル の影 響 ︱ ︱ ガダ ル カ ナ ル島 で の挫 折 と 、 日本 陸 海 軍
実 な る 要 求 とな って い た のであ った。 こ の相 反す る必 要 に迫 ら れ な
+ 五 六 一、 一八〇
が そ の戦線 に起 こ った最 初 の退却 を 喰 い止 める た め、 長期 間 に投 入
が ら 、 陸 軍 は ソ ロモン群 島 の守 備 軍 の撤 退 に使 用す る か も知 れ な い
拿捕船
し た努 力 の結 果 、 失 わ れた 船 舶 は、 民 間船 隊 の終 焉 の開 始 を告 げ る
船 舶 を 台 湾 と フ ィリピ ンと に転 用 した が、 これ は内 地 か ら軍 用 物資
民 間船 プ ー ル総 損 失
も の であ った。 次 の戦 局 、 す な わ ち 一九 四 二年 九 月 から 翌 年 の三 月
を運 び 、 帰 航 のさ いに 民需 物 資 を積 む ことが でき る た め に、 な さ れ
ン の稼 働貨 物 船 隊 を保 有 す る と いう 広 汎 な改 善 を ほど こされ た。 こ
ま で の戦 闘、 海 戦 の間 に、 民 需 用 の船 隊 は大 損 害 を受 け た 。 一 一月
の状 況 が 続 い て いる時 が 民 間 船隊 の最 盛 期 であ った。
と 一二月 に陸 軍 は、 そ のこ ろす で に莫 大 にな り つ つあ った そ の損 失
た 処置 であ った。
あ った と推 定 さ れ る。 一方 、 民 間 船 舶 の喪 失 は増 加 し 、他 方 、 新造
除 さ れ た船 はと いえ ば 、 ど ち ら かと いえば 微 傭 不適 の性質 のも ので
力 の実 行 と現 実 化 と は全 面的 に船 舶 に依 存 し て いた のであ る が、 そ
と 殆 んど 同 じ であ った 。 日本 の戦 争遂 行 への諸 計 画、 お よび潜 在 能
船 腹 は開 戦 時 に 同会 が 保有 し て いた "一時 的 に" 減少 し て いた船 隊
中 に残 った稼働 貨 物 船 は、 約 一八〇 万 ト ンにす ぎ な か ったが、 そ の
これ ら の戦 局 不如 意 の結 果 、 一九四 三 年 の春 に、船 舶 運 営会 の手
を補 充 す る た め に、 か な り多 数 の船舶 を 徴 傭 した 。 し かも 、 陸軍 も
船 は 一九 四 二年 の秋 に、 海 軍が 管 理 す る よう に な った ことが 刺 激 と
も そ も の発 端 か ら 民間 用 船 舶 は 不足 し て おり 、 た め に引き 続 き こ の
海 軍 も徴 傭 し て い た多 く の船 舶 を 解 除 して いな か った し、 さ ら に解
な って増 加 し はじ め た。 し か しそ の総 合的 結 果 は、 次 に要 約 す る よ
る 法外 な船 腹 の徴 発 に忍 耐強 く 応 じ た の であ った。 そ し て緒 戦期 に
常 な径 路 に間も な く 返 され る だ ろう と の約束 の下 に、 開 戦 前 に おけ
そ の徴傭 船 の大 部 分 は、 産 業 と 国民 生 活 に 必要 な物 資 を 供給 す る正
実 行 と 現 実化 は抑 制 され た ま ま であ った。 船 舶運 営 会 の幹部 た ち は、
う に民 間 貨物 船 プ ー ルの恐 る べ き減 少 で あ った 。
- 五 一五 、 五九 九
一九 四 二年 九 月 乃 至 一九 四 三年 三月 の民 間船 状 況 (貨 物 船 と輸 送
陸 軍徴 傭
船 の総 ト ン)
はり満 足 して い た。 し か しな が ら 、 一九 四 二年 一〇 月 か ら の ソ ロ モ
は、真 珠 湾 攻 撃 時 の保 有 量 に加 う る に相 当 量 の増 加 があ った の でや
お いて、 こ の公約 が 迅速 に果 さ れ な か った時 にも 、運 営 会 側 と し て
を 押 し切 って、 入手 し得 る船 舶 は残 らず 徴 傭 し た。海 軍 は造 船 工業
の損 失 の 一部 を補 填 す る た め に、政 府 の文官 連 中 (企画 院 ) の抵 抗
間 に、 陸 海 軍 の喪 失 し た船 舶 は約 七 五万 トン であ った。陸 海軍 はそ
船腹 の殆 ん ど 大部 分 にお よ ん で い った。 こ の年 の六月 以 降 の七ヵ 月
か有 利 であ った。 一方 、 こ の期 間 中 海軍 は相 当数 の油送 船 の徴傭 を
を 管 制 し て いた ので、 新 造 船 の獲 得 にあ た って は陸 軍 より も いく ら
解 除 し たが 、 これ は船 が 損 傷 し て いた と か、 役 に立 た な い から と い
ン方 面 に おけ る船 舶 の大 損失 と、 そ の後 至る 所 で起 こ った確 実 な 消
船 舶 運 営会 は、 そ の保 有 船 腹 が漸 次 増 加 し て いく ど ころ か、 か つ
耗 の繰 り返 し は 、情 勢 を ま ったく 一変 さ せ てし ま った 。
て、 も う これ 以 下 に は減 少 で き ぬ と いう 開戦 時 に保 有 して いた最 低
っただ ろう。 陸 海 軍 の貨 物 船 の徴 傭 は、造 船 所 の全生 産高 に ほぼ 同
う の では なく て、 お そら く 油 送船 の管 理が 他 省 に移 さ れ た ため であ
じ であ った、 そ こ で民 間船 プ ー ル への増減 の結 果 は、 殆 ん どそ の喪
船 腹 に向 って、 不 運 にも 減 少 し つ つあ る ことを 発 見 し て驚 愕 し た。
船 舶運 営 会 に対 し即 時船 舶 の移 管 を実 施 す る よう 大本 営 政 府 連 絡会
失 量 だけ の減 少 に等 しか った。
情 勢 の重 大 さ に驚 いた 企 画院 総 裁 は、 陸 海 軍 の徴 傭船 舶 を 制 限 し、
議 を説 得 す る のに成 功 し た。 こう し て陸 軍 の貨 物 船 隊 の構 成 は、最 大 限 一 一五 万 ト ンと 抑 え ら れ たが 、 こ の数 字 は、 陸 軍 が開 戦 時 に保
一九 四 三年 四 月 から 一二 月 の民 間船 状 況 ( 貨 物 船 と輸 送 船 の総 ト
+ 二 七、 四〇 二
- 二六 四、 四 七 五
ン) 海 軍徴 傭
こ の決 定 に の っと り、 陸 軍 は 約 一八万 ト ンの船 舶 を即 時 民 間船 プ ー
海 軍解 除
有 し た 二 一五 万 ト ン に比 べれ ば 、 思 い切 った有 意 義 な 削減 であ った 。
ル に返 還 し た。 そ し て次 ぎ の 一〇 ヵ 月 間、 陸 軍 は新 造 船 の中 から 喪
陸 軍徴 傭
- 一七 三、 二九 六
の船 舶 の再配 当 を 回避 でき た ら しく 、 この時 には特 に目 立 った徴 傭
失船 を 埋 め合 せる に足 る分 のト ン数 し かとら な か った。 海 軍 側 は こ
新造船
- 四九 六 、 六九 五
+ 三八 五、 一二六
+七 三 、 一二 一
- 二五 一、 九〇 五
こう し てわ れ われ は 次 の こと を 知 る のであ る。 す なわ ち こ の年 は
民 間 貨物 船 隊 の総損 失
拿捕船
民 間船 喪 失
陸 軍解 除 (四月は 一八万ト ン) + 一九 六、 九 一二
一九 四三 年 、崩 壊 の はじ ま り
解 除 は して いな い。
1
と こ ろで 、陸 海 軍 と 船舶 運 営 会 が保 有 し て いた 全 船舶 は、 いろ い
を 哨 戒す る 米 ・潜 水 艦 の増 強 にと も な い、 喪失 は激 増 の 一途 を た ど
春 の間 に、 陸 海 軍 が政 府 に加え た圧力 に より起 き た民 間船 の需 要 に
ろ の原 因 で喪 失 して い ったが 、 とく に 日本 の船 舶 が通 過 す る 諸航 路
った。 一九 四 三 年 の夏 と秋 に は、 陸 海 軍 の徴 傭 は次 第 に使 用 可能 な
れ た。
安 全 航 海 を妨 げ な い限 り船 内 の雑 多 な 重 量物 を撤 去 す る よう 指 示 さ
一九 四 四年 七 月 、 民 間船 の最 大積 水線 が 高 め られ 、 か つ各 船 主 は、
一九 四 三年 は、民 間 貨 物船 プ ー ルは 二〇 〇 万 ト ン以 下 に減 少 し、 し
対 す る憂 慮 す べき 動 揺 が、 短 期 間 に終 った にも かか わら ず 、矢 張 り
か も 就役 可 能 のも の は約 一五〇 万 ト ンと いう状 態 で暮 れ たと いう こ
し た。 二月 に は潜 水艦 に よる 撃 沈が 一ヵ 月間 に 二五万 ト ンと いう 新
一九 四 四年 にな るや 、連 合 軍 の日本 船舶 への攻 撃 は、 最高 潮 に達
一九 四 四年 、 陸 ・海 ・民三 船 隊 の瓦 解
内 地 に還 送 す る能 力 が 邪魔 され は じ めた 。 そ れ は護 衛船 団 制 度 の採
記 録を つく り、 ま た 、 空 母機 が ト ラ ック島 で 一八 万 六千 ト ンの船 舶
2
用 にとも な い、行 動 の予定 を 維 持 し た いと いう熱 望 が、 船 団 を 出航
を撃 沈 し 、 二月 だ け で 撃沈 量 は五〇 万 ト ンを こえ た。 これ ら の恐 る
一九 四三 年 中 に新 し い要 因 によ り、 陸 軍 の南 方 地 域 から 原 料 品 を
と であ る。
た から であ った。 結 局 のと こ ろ、陸 軍 船 は、 そ の後 の諸作 戦 にお け
べ き打 撃 の衝撃 を 受 け て、 徴 傭 お よび そ の解 除 と いう 秩 序 のあ る 制
期 日予定 に間 に合 わ せる た め、 荷積 みを し ば しば 切 り 詰 め て出 航 し
る戦 術 的要 求 に応 ず るた め、 シ ンガ ポ ー ル航 路 から 他 の海 域 に転 用
いた船 隊 が それ ぞ れ の秩序 を 維 持 せ んと す る企 図 は崩 壊 を はじ めた。
二月以 降 と な ると 、 そ れ ま でど ん な に撃 沈 され て い っても、 過 去 一
度 、な ら び に陸 ・海 ・民 の三 つ に独立 し 、 か つ自 主的 に運 用 ざれ て
〇 ヵ月 間 は維持 し続 け て き た 一一五万 ト ンと いう 念願 の上 限量 を 、
る陸 軍 用船 の空積 の平 均 利 用度 も 約 八〇 % と 低 下 し て いた。 一九 四 三年 中、 "動 員 物資 " を 積 み帰 った陸 軍 用 船 は 、 せ いぜ い九 万 ト ン
さ れ たば かり では なく 、 さ ら にま た シン ガポ ー ルから 内 地 に帰 航 す
にす ぎ な か った。
ま た軽 量 でか さば る 貨物 は、 運送 船 の載 貨 ト ン数 を利 用 す る た め甲
の貨 物 過 載 を押 し すす め、 重 量貨 物 を基 準 以 上 に余 分 に積 み こみ 、
盾 を みる ことが で き る。 ま た 一方 で は同 じ 頃 、船 舶 運 営 会 は民 間 船
に利 用 せず 帰航 し て い た こと に こそ 、 日本 の抱 いて いた 典型 的 な 矛
た 一〇 〇 万 ト ンを 超 し た 診大 な 新 造船 を も ってし ても 、 こ の不足 量
た 。 こ の よう な 巨大 な 喪 失 に直 面 し て は、同 じ八 ヵ月 間 にな しと げ
四 四年 の はじ め の 八ヵ 月 間 に、 合 計 二三 〇万 ト ン の船 舶 を撃 沈 さ れ
可能 性 を 消 滅 さ せる に 至 った 。 日本 は フ ィリピ ン作 戦 に先だ つ 一九
の陸 ・海 ・民 間 の三 者 が、 そ れ ぞ れ別 個 に船 隊 を 整然 と 維 持 し得 る
を 続け つつあ る米 ・潜 水艦 の活 躍 を補 強 し たば か り で はなく 、 日本
ラオ諸 島 、 サ イ パ ン島 に 対す る 米 ・航 空 機 の船 舶 空中 攻 撃 は、 強 化
板 にま で積 ま せ、 こ の処 置 に対 し て出す 特 別 賞 与 金制 度 を 一九 四四
はあ ま り にも 大 き か った ので、 陸 海軍 お よび 民 間 の受 け た損 失 を公
陸 軍 は つい に持 ち こた え る こと が 不 可能 と な った 。 ト ラ ック島 、 パ
年 三月 に創 設 した 。 この賞 与 金 は、 特 に迅 速 に航 海 を した船 や 、 ま
平 に補 填 しよ う とす る 企 図 は 不可 能 な こと であ った 。 し かし なが ら 、
一九 四 三年 の後 半期 と 一九 四 四年 の前 半 期 中 、 "動 員物 資 " を 内
た 船底 や ボ イ ラ ー の掃除 と か そ の他 、輸 送 能 力 を増 進 す る 処置 に対
地 に輸 送 す る立 場 にあ った 陸 軍用 船 が、 こ のよ う に積 荷能 力 を 完 全
し ても出 さ れ た。
は 、 こ の新 造船 から多 数 の分 前 を獲 得 し 、喪 失 の負担 を比 較 的僅 少
政 府 部内 で の船 舶 運営 会 の発 言 力 は、 強 化さ れ てい た の で、運 営 会
って援 助 さ れた 。 七月 から 九月 ま で、 陸
時 的 に転 用 され た 民間 船 二〇万 ト ンに よ
し つ つあ る陸 軍 船 隊 は、 内 線地 帯 から 一
+ 四、 九 四 一
ま た集 約 的 な油 送 船建 造 計 画 は 一九 四 三
( 油 送 船 は船 舶 運 営会 の管 理 に属 せず 、
れ は大 体 次 の よう に配 分 さ れ て いた 。
舶 は約 三 七 〇万 ト ン残 存 し て い たが、 こ
フィリ ピ ン作 戦 開始 の直 前、 日本 の船
わ な か った よう で あ る)。
一〇 〇 万 ト ン以 上 の "物 資 動員 " は行 な
れば 、 陸 海 軍船 舶 は 一九 四 四年 度 中 に は
(完 全 で はな いが 利 用 で き る 統 計 に よ
の数字 を 上 記 の表 に示 し てお く 。
動 員" にわず かで はあ るが 寄与 し た。 そ
分 に認 めら れ る。 これ ら の船舶 は " 物資
を 及ぼ し た﹂ と のべ て いる 言葉 の中 に十
け た援 助 の量 は、 戦争 の進 展 に直 接 影響
末 に発 表 し た報 告 中 に ﹁陸 海軍 船 か ら受
て い た か の証 左 は、 企 画 院が 一九 四 四年
事 が 課 せら れた が、 これ を い か に重視 し
陸 海 軍 船隊 に往 路と 帰 路 と の 二重 の仕
原料 を 積 み こむ こと に協 力 し た。
隊 と補 給 品 を輸 送 し、 帰 途 は緊 急 必要 な
海 軍 と 民 間 の各 船 隊 は、 フ ィリピ ン へ軍
にと ど める こ とが でき た。 一九 四四 年九 月 一日現 在 で、 運 営会 の保 有 す る稼働 貨 物 船隊 は、 依 然 と して 一 一〇 万 ト ンを 超 え て いた 。 これ は真 珠湾 攻 撃 当時 の保 有 船 腹 の約 七 九% に相 当 す る も のであ った。 他 方 、陸 海 軍 が保 有 す る 貨物 船 と 輸送 船 は、 連 合 軍 の攻撃 と 国 内 に おけ る民 需 の要求 の影 響 を受 け て、そ れ ぞれ 開 戦 当 時 の保 有 量 の 二 八% と 四 三% と ま でに 低 下 し てし ま った。
一九 四四 年 一月 から 八月 ま で の民間 船状 況 (貨 物船 と輸 送船 の総
- 二六 九、 二 六三
- 三〇 三、 六 六 一
海 軍解 除
海軍徴傭
ト ン)
陸軍徴傭
- 四三 六、 五 五七
+ 一 一、 三 五 三
民間 船 の喪 失 、沈 没
+ 七 二 一、 四四 七
陸軍解除
新造船
+ 二〇 、 四 八三 - 二五 一、 二五 七
拿捕船 民間 貨 物船 隊 の総 喪 失
一九 四 四年 の夏 の間 の マリ ア ナ作 戦 に より 、 陸 軍用 船 が輸 入を 補 って いた 努力 は妨害 さ れ たが、 同 作 戦が 放 棄 さ れ た後 は、 日本 、 台 湾 、 フ ィリピ ンお よび 南 方 諸 地域 間 の補 給 と 輸 入 と の統 合作 業 を 調 整 す る こと に、 再 び注 意 が 集申 され た。 こ の統 合作 業 の調 整 で減 少
2 計画量 1 実際量
民 間用 貨 物 船 お よび輸 送 船
1,600,000
830,000
送 船 全 油
3,700,000
計
攻 撃 の時 点 で の日本 の貨物 船 と 輸 送船 隊 は、 殆 んど 五 五〇 万 ト ンに
有 し た船 舶 の相 関 的 情 況 の推 移 は、 た い へん暗 示的 であ る。 真 珠 湾
も 達 し て いた 。 こ のう ち わず か三 二% だ け が 民 間 の運 営 に委 ねら れ、 残 り の全 船 舶 は作 戦 用 に充 てら れ た。 戦 争 が 二年半 以 上 も つづ き 、 大 損害 を受 け た 後、 民 間 船 が船 隊 の中 に占 め る船 数 は激 減 し たが 、 そ の稼 働 船 腹 の相対 的 分 前 は、 逆 に五 五% と 増 大 し た。 な ぜ こう 変 化 し た か の 一つ の要 因 は、 陸 海 軍が そ の作 戦 圏 を 非 常 に縮 少 し た結
た。
総監部 ( 総監野村直邦海軍大将) の創設でや っと実現した。
︹ 編者注︺ この独立機関は、 一九 四五年五月に大本営直属として海運
れ ら の提 案 に反対 し、 結 局 一九 四四 年中 に は 何 事 も 完 成 し な か っ
と が強 く 主 張 さ れ たが 、 統帥 事 項 に属す る特 権 を持 つ陸 海 軍 は、 こ
の文 官 の 一部 に は、 全 海 運 業務 を 一つの独 立機 関 の下 に統 合す る こ
に応 じ軍 用 に充 てら れ た 。早 く も 一九 四四 年 の晩 夏 には、 政 府 部 内
使 って重 要 輸 入品 を 運 ぶ た め に最 善 の努 力 が払 われ 、 民 間船 は必 要
程 度 にす ぎず 、 そ のう ち 約 七五 % が稼 働 可 能 であ った 。 陸海 軍 船 を
日本 が 同 年 末 に保 有 し て い た就 役 中 の全 商 船隊 は、 約 二 七 五万 ト ン
と し て整 然 と運 用 さ れ る と いう 構 成 は、 完 全 に終 止 符 が打 たれ た。
す ぎ な か った)、 こ の作 戦 に より、 陸 海 軍 と民 間 船 隊が 別 個 の船 隊
盛 期 を 過 ぎ た とき (この 三 ヵ月 間 の新 造 船 は わず かに 四 八万 ト ンに
は船 舶 約 一三〇 万 ト ンを喪 失 し た。 日本 の船 舶 建 造 がす で にそ の最
一九 四 四年 九 月 か ら 一 一月 ま で の フ ィリピ ン作 戦 に お いて、 日本
の 周辺 で の軍 事 的 潜 在力 を犠 牲 に し た から であ った。
国 民 の生存 を 維 持す る の に必 要 であ る食糧 を輸 入 す る た め に、 帝 国
本 政 府 が本 国 の生産 能 力 を 可能 な かぎ り の最 大 限 に保 存 し、 同 時 に、
府 側 が慎 重 に熟慮 し た末 の行 動だ と 信 じら れ て い るが 、 これ は、 日
果、 一九 四 二年春 の全 盛 期 ほ ど に は船 腹 を 必要 と し な か った から で
665,000
あ る 。 し かし なが ら、 こ の方針 が 変 更 され た主 な 理由 と し て は、 政
海軍 用 貨 物 船 お よび輸 送 船
民 間 に対 す る 状態 はあ ま り判 然 と は し て いな か った)。
605,060
年 も かな り お そ い時期 ま で着 手 さ れな か った の で、 油 送船 の陸 海軍 、
陸軍 用 貨物 船 お よび輸 送 船
開 戦 か ら 一九 四四年 夏 の終 り ま で の、 陸 軍、 海 軍 、 民間 が 各 々所
1944年 9 月 1日 現在 の稼 働 量
潜 水艦 輸 送
他 、 連 合 軍 の進 撃 によ って孤 立 し た太 平 洋諸 島 の日 本守 備 隊 への補
て、 輸 送 潜水 艦 によ り南 方 地 域 か ら 日本 内地 へ、 油 そ の他 の重要 物
給 に使 用 さ れ た。 戦 争 の最 終 の数 ヵ月 間 に、連 合 軍 の封鎖 を 突破 し
3 ソ ロ モン作 戦 に おけ る挫 折 を 契 機 と して 、 日本 側 は、 輸 送潜 水 艦
資 を 輸 送 す る 周密 な 計 画が 立 てられ たが、 海 軍 は達 成 され る 成果 は
の増 強が 必 要 であ る こと を さと った 。 ソ ロモ ン方 面 に お いて連 合 軍 の航 空 兵力 が 増加 す る に と もな い、 水上 艦 船 に よ る こ の方 面 の守 備
潜 水 艦 輸送 のも う 一つの局 面 は、 遠 距離 輸 送 潜 水艦 に より 、 日本
った。
側 から はゴ ム、 金 、錫 、 そ の他 の極 東 産 の物 産 を 、 ド イ ツ から は技
取 る に足 り な いと 考 え、 わ ず か に 二航 海 だけ を 実 施 し た にすぎ な か
術 計 画 書 、模 型 、 重 要 な電 子 製 品 を相 互 に交 換 し 合 った こと であ る 。
軍 への増 援 は不 可能 と な り 、陸 軍 は潜水 艦 によ る輸 送 を 海 軍 に強 く
は、 潜水 艦 部 隊 の攻 撃 力 に致命 的 な 減 退 を生 ぜ し め ると いう 理由 か
水 艦 はなく 、 ま た、 戦 闘 用 潜水 艦 を こ の よう な 目 的 に使 用 す る こと
戦 争 の初 期 に は、 日 独 両国 間 を 封鎖 し てい る連 合 軍 を、 日本 は高 速
要 望 し た。 し か し海 軍 は 、 日本 に は貨物 輸 送 用 に特 別 に設 計 し た潜
ら 、 潜 水艦 の こ のよう な 用 法 に反 対 し た。 しか し なが ら 、 潜 水艦 に
水 上 艦 で突破 し よう と 企図 した が、 そ の結 果 が 思 わ しく な か った の
で、 一九 四 三年 以 後 は 日独 間 の海上 交 通 は潜 水 艦 輸送 に限 定 され 、
よ る輸 送 の必 要 性 は ます ま す 明白 とな り、 海 軍 の こ のよう な 反対 は
一九 四 三年 中 は、 普 通 の戦闘 漕 水 艦 は、 一〇 〇 ト ン以 内 の貨物 搭
日本 の潜 水艦 が 五 回 か 六回 、 ま た、 ド イツ潜 水 艦 が おそ ら く 一ご回
圧 倒 され て し ま った 。
載 能 力 をも って使 用さ れ た が、 一九 四 四年 と 一九 四 五年 中 に 、建 造
ほど 使 用 さ れ た。 こ の輸 送 に従寧 し た日本 潜 水 艦 のう ち三 隻 か 四隻 、
海 上 輸 送 から 陸 上 輸 送 への転換
徴 傭 し た船 舶 を、 民 間 用 へと 返 還す る こと は、 殆 ん ど 失敗 に終 っだ。
徴 傭 し、 さ ら にそ の後 のガダ ルカ ナ ル作戦 で の喪 失 を補 う た め に増
陸 海 軍 が開 戦 直 後 の作 戦 のた め、 一九 四 二年 の後 期 ま で 一時的 に
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せ る こと は 承諾 しな か った。
ツ側 は、 大型 潜 水 艦 を連 合 軍 船 舶 に対 す る攻 撃 作 戦 か ら他 に 分散 さ
潜 水 艦 部 隊 の大 部 分 を輸 送 任 務 に充 てる よう 説 得 を試 みた が 、ド イ
艦 に よる も のであ る 。 一九 四 五年 の はじ め に、 日 本 は ド イ ツにそ の
U ボ ー ト の方 は大 部 分が 沈 めら れ たが 、 そ の殆 ん ど は連 合 軍 の潜 水
さ れ た潜 水 艦 の半 分 は特 殊 設計 の輸 送 潜水 艦 で あ り、 そ の中 の若 干 隻 は 一、 〇 〇 〇 ト ン 以 上 の 貨 物 輸 送 力 を 持 っ て い た 。 こ のう ち 大部 分 は船 体 外 側 に固 縛 し た防 水 容 器 によ って 運
搬 せ ねば な ら な か った。
(原 注 1)
(原 注 2) これ ら の潜 水艦 のう ち 二 四隻 は 一九 四 四年 、 一九 四 五 年 に
さ ら に 一〇 隻 は 三 七〇 ト ン であ った 。 こ の う ち の数 隻 は特 別 に 陸 軍
建 造 さ れた が 、 内 一隻 は 二、 六九 〇 ト ン、 一三隻 は 一、 四 七 〇 ト ン、
用 と し て建 造 さ れ 、陸 軍 は そ の要 員 を 訓練 のた め海 軍 潜 水 学 校 に 派 遣 し た。
戦 争 中 潜 水 艦 は 、 ニ ュ ー ギ ニ ア 、 ト ラ ッ ク 島 、 ラバ ウ ル 、 マー シ ャ ル 諸 島 、 ウ エー ク 島 、 ナ ウ ル島 、 オ ー シ ャ ン 島 、 マ ー カ ス 島 そ の
方 針が 採 ら れ たが 、 こ の方 式 は戦 時中 を通 じ 次第 に重 視 され 適 用 さ
足 を緩 和 す る 手 段 とし て、 大 部 分 の輸 送 を海 上 から 鉄 道 に転 換 す る
つ多数 増 加 す る望 み は失 われ たと 確 信す る に いた った。 連続 的 な不
こ のた め 日本 は、 つ いに 生産 に必 要 な物 資 を 輸 入す る 船 舶 を即 刻 か
相 対 的 重要 性 の概 要 を 示す も のであ る。
で、 戦 争 中 の石炭 の総 合移 動 の傾 向 と、 使 用 し た海 上、 鉄 道施 設 の
第 表 51 ︹ 略︺は、 基 礎 的資 料 に つい て の報 告 に基 づ いて作 成 し たも の
断 片 的 な素 材 で埋 め合 わ せを す る こ とが でき た にすぎ な か った。 付
な く 、 か つ、 そ の最 も 重要 な 詳 細 を知 る には、 多 く の種 類 に わ たる
九 四 二︱ 四 三会 計 年 度 は、 全 輸送 量 の最 高 を記 録 し て いる 。同 年 度
汽 船 に よ るも の︱ ︱ 付 表 第 51 に示 す よ う に、 年 間基 準 に お いて 一
石炭輸送
上 輸送 に より 目 的地 の最 寄港 に陸 揚げ し、 さ ら に鉄 道 によ り 目的 地
中 に は約 七 七〇 万 ト ンが 移 動 さ れ たが 、 こ の量 は前年 度 に移働 さ れ
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れ て い った。 この転 換 はだ い た い二 つめ 広 汎 な 部門 に区 分 され た。 第 一は、 以
に到着 と いう方 法 に代 え て、 発 送 地点 から 目 的 地ま で、 す べ て鉄 道
た七 二〇万 ト ンを 上 廻 る こと 約 七 ・六% で あ った 。 一九 四 三︱ 四 四
前 に行 な わ れ て い た発 送 地点 から 至近 港 ま で は鉄 道 輸 送 、次 い で海
だ け で輸 送 す るも のと 、第 二 に消 費 地区 から き わ め て遠 い港 で荷 揚
会 計 年 度 の合 計 五 六〇 万 ト ンは最 高 量 を 下 廻 る こと 二七 ・四% 、 ま
月 別 のデ ー タ は、付 表 第 51 中 の四半 期 の数字 と は必ず しも 正確 に
の であ った。
年 間 換算 量 は三〇 〇 万 ト ンと なり 、 最高 量 を六〇 ・七 %も 下 廻 るも
こと 五 九 ・二% で あ った。 戦 争最 後 の四 ヵ 月間 の汽 船 によ る移 動 は
た、 一九 四 四︱ 四 五 会計 年 度 の合 計 三 二〇 万 ト ンは最 高 量 を下 廻 る
こ の輸 送 活 動 の最 も重 要 な局 面 を 次 に詳 しく 述 べ る。
北 海道 と本 州 間 の貨 物 輸 送
げ を し、 そ こか ら消 費 地区 ま で鉄 道輸 送 によ る と いう や り方 であ る 。
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戦争 中 の北 海 道 と本 州 間 の貨 物 輸 送 の状 況 を 記述 す る に は、 ま ず
のが便 利 であ る 。 これ には 二 つの理 由 があ る。 第 一に は、北 海 道 と
石 炭輸 送 に つ いて述 べ た後 に、 他 の貨 物 の輸 送 を 一括 し て記 述 す る
よれ ば 、輸 送 の最 高 量 を示 す 月 は、 一九 四 二︱ 四 三 の最 高年 度 の中
合 致 し て は い な いが、 お おむ ね信 頼 でき る と考 え ら れ て いる数 字 に
の 一九 四 三年 三月 で あ り、 そ の月 に は、 約 八 六万 七 千 ト ン の石 炭 が
っては特 殊 な 重 要 性 を有 し て い た。 そ し て こ の輸送 は連 合軍 の作 戦
移動 され た。
本 州 間 に輸 送 さ れ た の は大部 分 が 石炭 であ り 、 この輸 送 が 日本 にと
は 日本 に はき わ めて重 要 で、 か つ厳 密 に管 理 さ れ て いた ので、 これ
汽 船 積 荷 港 の重 要 性
積 荷 港 の間 にも 船 積 の傾 向 に 顕著 な相 違 があ った 。戦 争 全期 を 通
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的 見 地 か ら して も 主要 な 攻 撃 目標 だ った の であ る。 第 二 に石炭 輸 送
に関 す る資 料 は、 殆 んど 完 全 に 入手 で き た から であ る。 他 方 、 石炭 以 外 の物 産 に つい て は、 そ れ の移 動 は、 石 炭 移動 のあ る 一小 部 分 にす ぎ な か ったと いう 日本 側 の 一般 陳 述 に頼 る よ り ほ か
四 三年 の第 一 ・四 半 期 の三 八 ・四% から 一九 四 四年 の第 四 ・四 半期
のと見 てよ か ろう 。各 四半 期 の総積 出 し 量 のう ち の取 扱 量 は、 一九
じ て室 蘭 は総 量 の約 四 六% を 受 け持 った が、 こ の数 字 は標 準 的 なも
の積 出 しが最 初 に、 そ し て最 も 急 速 に低減 した 。 最 大 の規 模を も つ
市 場 は、 当 然、 本 州 の太 平 洋 に面す る諸港 だ った 。 こ の釧 路港 か ら
り、 北 海 道 の東 部 にあ って 孤立 し て いた。 そ して 釧路 港 の関係 あ る
の市 場 は、 本 州 の太 平 洋 に面 す る 諸都 市 であ るが 、 日本 海 沿岸 の諸
室 蘭 港 は、 北海 道 南 部 にあ って有 利 な位 置 を占 め て い る。 そ の本 来
港 への積 出 し にも 都 合 のよ い位 置 を占 めて いた。 この港 から の積 出
の五九 ・五% に およ ん で い る。 函館 近 港 か ら の輸 送 は取 る に足 ら な
し 量 の減 少 は、北 海 道 全 体 の積 出 し 量 の減 少 と大 体 に お いて平 行 し
い少 量 であ った 。 第 二番 目 の最 重 要積 荷 港 は小 樽港 であ り、 戦 争 の全 期間 中 に北海
て いた。 小 樽 港 は北 海道 西海 岸 の主 要港 で、そ の本 来 の捌 け 口は日
本 海 沿岸 の本 州諸 港 であ る。 小 樽 港 か ら の積出 し量 は、 他 の主要 積
の変 化 の範 囲 は広 く 、 し たが って、 こ の港 か ら の積 出 し傾 向 を 見定
出 し 港 から の移動 量 ほど には減 少 し な か った 。
道 か ら の総積 出 し量 の三 二% を取 り扱 った 。 この百 分 比 の四半 期 毎
める こと は困 難 であ る 。 た だ同 港 か ら の積 出 し は、 絶 対 量 で は減 少
え て、仕 向 け 港 に関 し て大 きな 転 換 が行 な わ れ た。 特 に、本 州 太平
汽 船 によ る北 海道 炭 の本 州 向け 積 出 しが 、 六〇 % 減 少 し た のに加
仕 向 港 の重要 性
て 一九 四 五年 はじ め の五 ヵ 月 間 に、 小樽 港 から の積 出 量 は、戦 争 初
洋 沿 岸 を 南下 す る 長 い航 海 は次第 に短 縮 され 、 か つ北 本 州諸 港 の負
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を た ど ったが、 北 海 道 全 島 か ら の全 積 出し 量 ほど に は、急 速 に減 少 しな か った こと が明 ら かと な って いる。 (北 海 道 西海 岸 の小樽 港 が 、
期 の六 ヵ月 に小 樽港 の扱 った 七 一% に相当 し たが 、 これ は後期 に、
担 は、 潜 水艦 の出 没 す る 太平 洋 か ら遠 のい て、 本州 の東 西 両岸 のう
比 較 的 に潜 水艦 封 鎖 を 受 け な か った こと は留 意 を要 す る 。) こ う し
北海 道 全積 出 量 の三 八% を 、 ま た初 期 には全 積 出 量 の二 六% を取 り
五万 ト ンす な わ ち 全体 の 二〇 % を積 出 し た。 一九 四 三年 末 の三 ヵ月
石 炭 のう ち、 約 二五 ∼ 三〇 % は東 京 から南 方 や 西方 にあ る諸 港 、 主
部 分 が 積 出 され 、 小樽 港 と留 萌 港 から は 一部 分 で あ った 。 これ ら の
洋 岸 に沿 って南 下 し て運 ば れ たが 、 そ れ は室 蘭 港 と釧 路 港 から、 大
戦 争 第 一年 には 、北 海 道 炭 の積 出し 量 の 四分 の三 は、 本州 の太 平
ち 主 とし て 西岸 の北 本州 諸 港 に 移 った 。
扱 った こと にな る 。 潜 水 艦 攻撃 に最 も暴 露 さ れ て い た釧 路港 は、 そ の積 出 量 にお い て
間と 一九 四 四年 はじ め の三 ヵ 月 間 に は、 こ の積 出 量 は約 四〇 万 ト ン
も 、 最 も急 減 し た港 であ った 。 戦争 の初頭 、 同 港 は 四半 期 毎 に約 三
に達 した。 し かし、 そ の後 は急 速 に減 少 し、 一九 四 四年 五 月 以後 は
に大 阪 、神 戸 、 名 古 屋、 清 水 に 送 られ た。 また 、 五〇 ∼ 五 五% 近 く
送 られ た。
は東 京 方 面 に送 ら れ 、残 り の 二〇 % は、 北 本 州 両岸 諸 港 に分 散 し て
ま ったく 停 止 し た。 右 に のべた 事 実 に は、 一般 的 問題 で、 か つは っき り とし た 帰結 が 見 い出 さ れ る であ ろ う 。す な わ ち釧 路 港 は、 暴 露 され て いた 港 であ
れ は 太平 洋 岸 に沿 って南 下 す る 全 量 の 二〇% 以 下 の減少 に相 当 し た。
南 諸港 への積 出 し量 は前 述 地 域 に比 べる と 三分 の 一減 じ て いる。 こ
よ う に、 北 海 道 から の全 積 出 し 量 は空 前 の大量 に達 し たが 、東 京 以
一九 四三年 のはじ め の三ヵ 月 間 に起 こ った。 こ の地区 内 では前 述 の
東 京 以 南 にあ る 諸 港 への輸 送が まず 影 響 を受 け た が、 そ の中断 は
戦 時 ま で こ の比率 は増 加 し、 一九 四 五年 はじ め の三 ヵ 月 間 に は つい
増 加 し、 そ の総 量も 八〇 ∼ 九〇 万 ト ンに増 加 し たら し い。 そ の後終
れ た。 後 者 の割 合 は、 一九 四 三年 の最 初 の三 ヵ 月間 に約 三分 の 一に
す な わ ち四半 期 毎 に四 〇 ∼五 〇 万 ト ンは日 本 海沿 岸諸 港 に仕 向 け ら
積 出 した 全 石炭 の約 四 分 の三 は本州 太 平 洋 岸 を南 下 し、 約 四 分 の 一、
東 京 湾 地 域 への積 出 し は、 これ よ りは 数 ヵ月 長 く 、 一九 四三 年 五
で、 日本 海 沿 岸 諸港 が 総 量 の四分 の三 、す な わ ち約 六 二万 五千 ト ン
んど 停 止 され 、 か つ東 京 以 北 の太 平 洋 各地 への積出 しが 激減 した の
で低 下 し た。 一九 四 五年 の第 二 ・四 半 期中 の東 京向 け 積 出 し は、殆
に約 二分 の 一に達 し たが 、 し か し絶 対 総量 は約 四 五万 ト ンの水 準 ま
月 ま で維 持 さ れ た。 これが 一九 四 三年 の第 二 ・四半 期 (七月 ︱ 九 月 )
を引 き 受 け る こ と にな った。
一九 四三 年 末 ま で に は、 そ の減 少 は、 殆 んど ゼ ロにな った。
に は、 沿 岸 を 南下 し てく る全 量 (三 ヵ月 間 に二〇 ∼ 三〇 万 ト ン に達
鉄 道 によ る 石炭 の移動
北 海道 炭 を 本 州 に移 送 す る の に、 汽 船が 最 も 有 効 な手 段 であ った
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し た であ ろう) の約 三 〇% に減 少 し た。 一九 四 四年 二月 ま で は こ の 程 度 に抑 え ら れ た後 、積 出 し 量 は絶 対 量 にお い ても 、 ま た北 海 道 か
汽 船 によ る 東京 以 北 の太 平 洋岸 諸港 向 け の積 出 しは 、 大 して 重 要
ら の積 荷 の占 め る割 合 も 急速 に減 少 を たど った 。
か った 一九 四 二︱ 四 三年 会計 年 度 に お
い て、 総 量 三 二〇 万 ト ンの約 九 五% を
こと は、 正常 の輸 送方 式 が 相 対的 に いま だ妨 害 を 受 け る こと が少 な
汽 船 で運 ん だ事 実 が 雄 弁 に立 証 し て い
で は な か った 。開 戦 の当 初 には そ の分 量 は四 ・半 期 に つき 一二万 五
た 。 だが 一九 四 五年 の最 初 の三 ヵ 月 間 に、 そ れ は約 三〇 万 ト ンと い
千 ト ンに達 し たが 、 一九 四三 年末 の 三ヵ 月 間 に は 八万 ト ンに低 下 し
う最 高量 に達 し た。 これ は、 こ の石 炭 の大 部 分 が釜 石 製 鉄所 で消 費
る。
日 本 海 の諸 港 に向 け た輸 送路 に重 点 を置 き かえ る と いう 、転 換 が あ
た えず 減 少 す る総 量 の中 で、 逆 にた えず 増 加 し て お り、 これ は こ の
本 州 の 日本 海 岸諸 港 向 け の汽船 積 出 し に つい て みれば 、 こ こ で は
石 炭 であ った 。 石炭 は鉄 道連 絡 船 で津
れ た の は主 と し て鉄 道 自 体が 消 費す る
物 であ った 。 鉄 道連 絡 船 に よ り輸送 さ
部 の諸 都 市 で の局 地 消 費 用 の雑 多な 貨
小 型 船 によ る輸 送 の内 容 は、 本州 北
さ れ る た め のも の であ った から で 、 それ 以 南 の各地 向 け の、 回 り 道
った こと は明 ら か であ る 。 これ ら の諸港 に積 出 さ れ た総 ト ン数 の内
軽 海峡 を渡 った に せ よ、 ま た小 型船 で
す る 輸送 の貨 物 は少 量 であ った。
容 は いろ い ろと複 雑 であ った 。 前 記 の よう に開 戦初 頭 には、 汽 船 で
計 年 度) 1941―42か ら1945―46(会
北 海 道 か ら本 州 へ の 石 炭 積 出 し
こ の海 峡 を 運ば れ た に せ よ、 長 距離 間 の輸 送 はな さ れ な か った。 こ
の基本 を 認 め れば 、 小 汽船 が 汽 船 の負 担 を引 き 受 け た程 度 は、 小 型
基 礎 材 料 に 関す る報告 中 に詳 しく 説 明 し た よう に、輸 送 施 設 は、
船 が運 んだ載 貨 の増 加 を見 れば 計 測 でき る であ ろう 。
生 産 さ れた 全 石炭 を 炭 礦 か ら地 方 や本 州 の各 市 場 に集 合 的 に移送 す る こと を 可能 と し て い た。
汽 船 から 鉄 道輸 送 への転 換 とそ の促 進 は漸 進 的 であ り、 付 表第 51
か ら 抽 出 した 年度 デ ー タは、 こ の傾 向を 示 す に十 分 であ ろう 。
戦 争 の全 期 間 を通 じ て、 小型 船 と 青函 連絡 船 は、 石炭 を 津 軽海 峡
一九 四 四︱ 四 五 会計 年 度 と 一九 四 五 年度 の最 初 の四 ヵ月 間 に、 北海
を 横 断 し て運 ぶ 手 段 とし て は、 殆 んど同 等 の重要 性 を 占 め て いた。
こ の石 炭が 本 州 側 に着 いた 後 は、 全 部が 鉄 道 で本 州 の南 へ送 ら れ た。
道 から 積 出 した 全 石炭 の約 半分 は、 機帆 船 と 連絡 船 によ って扱 わ れ、
た。 汽 船 に よ る運 送 は、 一九 四 四年 ま で に 一九 四 二年 中 に、 こ の役
そ の数 量 は 二七 〇 万 ト ンに達 し、 本 州 にあ る鉄 道 の主要 貨物 と な っ
石炭 以 外 の物 産 の輸 送
務 で輸 送 し た 石炭 載 貨 の半 量 以 下 に軽 減 され て いる。
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北 海 道 か ら本 州 へは、 石 炭 以 外 にも 重要 な数 量 の鉄、 鋼 、木 材 、
パ ルプ 、 じ ゃが いも 、魚 類 およ び そ の他 の物 産 を 積 出 し て いた。 こ
れ ら の諸 物産 の総 計 は、 南 方 行 貨物 総 量 の約 二五 % を占 めた。 以 下
に述 べる と こ ろ は、 これ ら の物産 の輸 送 に おけ る 汽船 、 機 帆船 およ
び 連 絡 船 の重 要 度 に関 し 入手 し 得 た資 料 を要 約 し た も ので あ る。
汽 船 によ る貨 物 輸 送︱ 石 炭 以外 の物産 の汽 船 輸 送 は石 炭 輸送 に酷
産 の最 重要 積 出 し港 だ った 室蘭 の場 合、 こ の港 が 扱 った物 産 は、 全
似 し た傾 向を た ど った。 (石炭 でも そ うだ った が ) 石 炭 以 外 の諸 物
州 間 の輸 送 を、 経 済 活 動を 維 持 す る上 に特 に重 要だ と 考 え た ので、
舶 の行 動 にあ まね く 影 響を 及 ぼ し た こと でみ る。 日本 は北海 道 と 本
に は、本 州太 平 洋沿 岸 に おけ る 米 ・潜 水艦 の活 躍 は、 北海 道 と 本州
らず 、 この輸 送 に汽 船 を使 用 し よう と いう努 力 が続 け られ た。 第 二
間 の主 要 航路 に沿 って特 別 の危 険 を生 ぜ し めた。 輸 送 先を 日本 海諸
汽 船 の割 当 て に つ いても 、 他 に強 い競 争的 要 求が あ った にも かか わ
った 。 こ の割 合 を基 礎 と し て、 汽 船 は、 一九 四 二年 、 一九 四 三年 、
港 に移す よう にせざ る を得 な か った のは、 じ つに こ の危 険 によ るも
体 の約 二 五% を 占 め た。 そ の他 の諸 港 を み ると 、 そ の百 分 比 は 一五
一九 四 四年 と 一九 四 五年 は じ め の四 ヵ月 間 にそ れぞ れ 約 一五〇 万 ト
% ク ラ スであ った。 北 海 道 全体 と して は そ の百 分 比 は約 二〇% であ
ン、 一二 五万 ト ン、 八〇 万 ト ンお よび 二 五万 ト ンを輸 送 し た (年率
ので あ った。
機 帆船 輸 送︱ ︱ 戦 争 中 を通 じ 小 型 船 に よる輸 送 量 は 僅 少 であ った。
七 五 万 ト ン)。
九州 と 本 州 間 の輸 送 の分析 は、 北 海道 と 本州 間 の輸 送 と 同 じ よう
九 州 と本 州 間 の輸 送
な 一般 型 式 によ ってな さ れ る であ ろう 。 後 者 の場 合 にも 前 者 の場 合
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か でも 保 護 さ れ て いる 水域 で、 比 較 的短 距 離 の輸 送 に従 事 でき た 他
函 館 港 から 作 業す る機 帆船 は石 炭 輸 送 に専 念 し た。 機 帆 船が いく ら
の 港 は室 蘭 港 だけ であ った。 し か し 同港 から の積 出 し の最 高 潮 の年
と 同 じ よう に 、 石炭 が 飛 び抜 け て 重要 な 物資 であ り、 ま た、 分 析 す
石炭 輸 送 に つい て は、 や や詳 し く記 述 し、 ま た、 石炭 以 外 の物 資 の
で あ った 一九 四 四︱ 四 五会 計 年 度 で さえ も 、総 計 わ ず か 一二万 五 千
輸 送 に ついて は、 入 手 し得 た断 片 的資 料 に基 づ いて でき る だけ 論 評
る の に、 完 全 なデ ー タ ーが 入 手 で き る唯 一つの物資 であ る。 そ こで
連 絡 船 によ る輸 送︱ ︱ そ の雑 多 な貨 物 を 取 り扱 う 点 に お いて は、
を 加 え る こと とす る。
ト ン にす ぎ な か った。
鉄道 連 絡 船 は 重要 な 要素 であ った。 一九 四 三︱ 四 四 会 計年 度 中 に、
さ て、 戦争 の進行 が 、 北 海 道 と本 州 間 の貨 物 輸 送 に間 接 的 影響 を
ンが 、 ま た今 日 では廃 止 さ れ た関 門 連 絡船 を 利 用す る 鉄道 によ り、
ト ン のう ち約 一、 〇〇 〇 万 ト ンを輸 送 レ た。 汽 船 によ り 三 三〇 万 ト
て機 帆船 に依 存 し て い た。 これ ら の機 帆 船 は、年 総 計 一、 三 八〇 万
は 一九 四 二年 六月 であ るが 、 そ れ以 前 には こ の間 の輸 送 は、 主 と し
関 門 ト ンネ ル︱ ︱ 下 関 海 峡 に、 最 初 の単線 ト ンネ ルが 開 通 し た の
報 告 から 抜 き出 した も ので、付 表 第 52 ︹ 略︺に掲 げ てあ る 。
石 炭 輸 送 を論 議 す る 場合 骨 子 と な る要 素 は、 基礎 物 資 に ついて の
八隻 就 航 し て い たが 、 そ の輸 送 し た総 量 は 約 一〇 〇 万 ト ン、 す な わ ち毎 月 八万 ト ンであ った。 一九 四 四年 三 月 に 一隻 増 加 し たが 、 石炭 輸 送 への重 点 が加 重 され た ので、 雑 貨 輸 送 ト ン数 はふ えな か った。 七月 と 一〇 月 に 二隻 の連 絡 船 が増 加 され た ので毎 月 六 万 ト ンに増 加
及 ぼ し た が、 こ こで はそ の二 つの特 徴 を区 別 し て おく こと が便 利 で
す る こと に な り、 終 戦 ま でそ の量 を維 持 し た。
あ る。 第 一は、 日本 商 船 隊 の総体 的 な 消耗 の大 き さが 、 あ らゆ る船
量 は五 五 〇 万 ト ンであ った。
囲 内 で非 常 に安定 した 輸 送が 行 な わ れ た。 一九 四 四年 ︱ 四 五年 の総
〇 月 と 一九 四 五 年 六月 と の間 は、 一ヵ 月 四〇 万 乃 至四 九 万 ト ンの範
は、 四 四〇 万 ト ンの石炭 輸送 が 鉄 道 で 可能 と な った。 一九 四 三年 一
二年 会計 年 度 で は、 合 計 一九〇 万 ト ン、 ま た 一九 四三 年会 計 年 度 で
四〇 万 ト ンが 輸 送 され て いた。 関 門 ト ンネ ル の開通 に より、 一九 四
内 海 の全 長 にわ た る長 距 離輸 送 の件 であ る 。 次第 に激 化す る 燃料 油
価 でき な いが 、 次 の 理由 に よ るも のであ ろ う。 第 一の要 因 は、 瀬 戸
況 は、 多 分 、 こ の関 門 ト ンネ ルによ る輸 送 の持 つ相 対 的重 要 度 は評
不 足 の要 因 であ った事 実 に照 して見 ると 、 こ のい ささ か驚 く べき 状
た こと にあ った ことが 明 ら か であ る 。汽 船 の能力 が 海 運界 の輸 送力
と よ りも 、 む しろ 雑多 な 小 型船 、 機帆 船 、 はし け の載 貨 を軽 減 さ せ
ンネ ルを通 じ て 移動 さ れ た石 炭 のト ン数 が 、 ト ンネ ル 一本だ け だ っ
か った段 階 で は、汽 船 が これを 肩代 わり す る こと を 要 求さ れ た。 最
小型 船 は比 較 的 に非 能 率 的 であ った。 鉄 道 によ る輸 送 が処 理 し得 な
不 足 の影 響 は、 特 に機 帆 船 に強 く応 え た。 こ の機 帆 船 の移 送 に対 し、
た 時 よ りも 多 く な か った のは、 いさ さ か注 目 す べき 事 実 であ る。 要
かか わら ず 、 "平時 と同 じ よう に営 業 " を 実施 す る ことを 望 む船 主
後 に、 国 家 的 見 地 か ら して、 個 人 の利 益 は無 視す る と いう 論 理 にも
一九 四 四年 一〇 月 に第 二 ト ンネ ルが 開 通 し た。 し かし 、 二本 のト
はな く、 炭 礦 の出炭 能 力 そ のも のが 、第 二 ト ンネ ル完 成 の時 機 まで
連 中 の圧 迫 は、 こ の安 全 で か つ正 規 の仕 事 にお い ても おそ ら く相 対
す る に ト ンネ ル の持 つ輸送 能 力 が 鉄 道 石炭 輸 送 力 を制 限 す る要 素 で
に、 す で に低 下 し て いた と いう のが事 実 らし い。九 州 および 本 州 の
的 に大 であ ったろ う。
ンネ ルを 通 って 入 ってき た 一切 の貨 物 が 物資 群 に区 分 され 、各 群 の
の よう であ った。 石 炭 以外 の物 産
石 炭 の全 移 動 量 のう ち 、 ト ンネ ルを 通過 した 量 の年 度 別 百分 比 は次
12
石炭 以 外 の物 産 の輸 送 に関 す る 包括 的 な 資 料 は入 手 不可 能 であ る
汽 船 以 外 輸 送︱ ︱汽 船 以外 に海上 で取 り
を たど った。 各 年 度 の総 量 は、 一九 四 一︱
扱 った 輸 送 は、 戦 争 中ず っと 下 り坂 の傾 向
ても 、 単 に地 方 的水 準 にお い て管 理 され て い た にす ぎ な か った から
が 、 そ の理 由 と し て は、 そ れ ら の多く はた と え管 理 さ れ て いたと し
であ る。 日本 の関 係当 局 は、 諸 島 間輸 送 合 計 ト ン数 の七五 % ま で は
四 四年 間 、 そ れぞ れ 一、 〇 〇 〇 万 ト ン、 九
であ った 。 これ に対 し、 同 じ 年 度間 の汽 船
九 〇 万 ト ン、 八 七〇 万 ト ン、 四 六〇 万 ト ン
二 一〇 万 ト ン、 一四 〇 万 ト ン、 二〇 〇 万 ト ンであ った 。 これ ら の事
の原 資料 から 引 き 出 し たも のであ る か ら、 完 全 な正 確 さを も って ト
合 計 に対 す る 百 分 比が 掲 記 し てあ る。 と ころ で% は車輛 数 に つい て
関 門 ト ンネ ル︱ ︱ 付 表第 53 ︹ 略︺に は、 戦 争 の全 期 間中 に、 関門 ト
石炭 が 占 め て いた と いう粗 雑 な 推 定 を下 し て いる。
実 か ら見 て、関 門 ト ンネ ルの果 し た役 割 は、 一九 四三 年 に比 べ て多
に よる 輸 送 量 は、 そ れぞ れ 三 三〇 万 ト ン、
く の石炭 を 輸 送 し た 一九 四 四年 に汽 船 の載 貨 の負 担 を軽 減 さ せ たこ
ン数 容量 を 示 すも の では な い。 と はい っても 、 そ れ は 全体 図 を 提 供
載 し て仕 向 地 に送 ら れ た。 主 要 輸 出港 は、 北支 の秦皇 島 、 太沽 、 天
全 貨物 の殆 ん ど は、 まず 鉄 道 によ り海 港 に送 られ 、 それ か ら船 に転
転貨 輸 送︱ ︱ 戦 争 前 に は華 北 、満 洲 、 朝鮮 から 日本 に向け ら れ る
し か しなが ら、 本 州 の各 地 間 に は、 主 に貨 物 を輸 送 す る た め の鉄
す る も の であ る。 石 炭が 全輸 送 量 に占 めた 百分 比 は、 一九 四 二年 末
道 施設 はあ ったが 、 これ は統 一さ れ た運 営 の下 に、漸 次 に 一貫 し た
津 、青 島 、 満 洲 の大 連 、 朝鮮 の釜 山 であ った。
資 で も、 ま た物資 群 でさ え、 戦 争 中 のあ ら ゆ る時 期 の輸 送量 の 一〇
の三 ヵ月 間 の五〇 % 以 下 か ら 一九 四 四年 一〇 月 に はじ ま り終 戦 時 ま
% に 達 し たも のは 一つも な い。 鉄 と鋼 を 主 とす る金 属 は 石炭 に次 ぐ
鉄 道系 統 と な ったも ので、 そ の大部 分 は複線 であ る。 そ し て こ の本
で は 、引 き 続 いて約 七 〇% ま で上 昇 し た。 一方 、 そ の他 のど ん な物
大 品 目 であ った。 これ 以 外 は、 重 要 品目 を 列記 す る こと は、 じ ゃが
州 の鉄 道 は、 華 北 か ら 満洲 、 朝 鮮 の鉄 道 に通 じ て いた。
そ の第 一路線 は、 華 北 の北 平 か ら北 東 方 に向 って満 洲 の奉 天 へ、 そ
大陸 を 横 断 し て いる 鉄道 路 線 は、 基 本 的 に 二系統 に分 け られ る。
いも 、米 、 石 灰石 、 セ メ ント、 木 材 、木 炭 のよう な 基礎 的 な 大 部分
海 上輸 送︱ ︱石 炭 以 外 の物 産 の水 上輸 送 に つい て の包括 的 な 資 料
の物 資 の 目録 を な ら べる よ うな も のであ る。
は 入手 でき な か った 。 そ のう ち 一部 は、 む ろ ん諸 島 間 の小 型 船 によ
日本 は こ の二系 統 の路 線が 持 つ能 力 を 早 く から 認識 し て お り、 船
し て同 市 から南 走 し て 朝鮮 の南 部 や中 部 の諸港 に通ず る諸線 、 第 二 ︹ 長春︺ 路 線 は、 満 洲 北東 部 の ハルピ ン =新 京 線 か ら北 朝鮮 の諸 港 へ分 岐す
舶 不足 の危 機 に陥 る や、 日本 は船舶 に よる貨 物 輸 送 を鉄 道輸 送 に転
る 諸線 であ る。 第 一路線 は、 南 鮮中 継 線 と呼 ば れ、 第 二路線 は、 北
的 な輸 送 の方 式 に ついて のデ ー タを、 島 内 の鉄 道 で輸 送 し た各 種 の
換 す る処 置 を講 じ、 これ を最 初 にな し た 一九 四三年 末 ま で に、 貨 物
る輸 送 は組 織 立 った も ので はな く 、管 理 も され て いな い方 式 で 実 施
物 産 のト ン数 で測 る よう な検 討 法 に よ って、 こ の輸 送 に対 す る 間 接
は こ の 二 つ の路線 に流 れ はじ めた。 日本 側 は 正常 の船 舶 輸 送 を南 鮮
鮮 中継 線 と し て知 ら れ て い た。
的 な 説明 が 得 ら れ る かも知 れな い。 それ ら は 一九 三 六︱ 三九 会 計年
諸 港 への鉄 道 輸送 へと 移 し、 これ ら の諸 港 か ら非 常 に短 い海 路 によ
さ れ た。 海 上 輸送 は、鉄 道 によ る 関門 ト ンネ ル通 過 の方 式 と非 常 に
度 にお い て は、 石炭 が 総 ト ン数 の七〇 ︱ 七 五% を 占 め た こ とを 示 し
ちが って いた と信 ず べ き 理由 は何 も な い。 な お、 九 州 に おけ る 一般
て いる。 そ の後 百分 比 は低 下 し、 一九 四三 ︱ 四 五会 計 年 度 の三 年 間
り 移動 す る貨物 に対 し て は "転 貨 輸 送" と いう 用 語 を採 用 し た。
転 貨 系統 によ り 輸送 さ れ た かを 決 める こと は難 かし い。 し か し総 体
華 北、 満 洲 、朝 鮮 から 日本 への輸 出 入全 量 の、 果 し て何 割が こ の
は、 約 六〇 % に安定 した 。 石炭 以 外 の物 産 が、 九 州 内 一般輸 送 にく
て いた こと は、 ま ったく 確 実 であ る 。 こ のも っとも 明 白 な 一例 を あ
こと はで き る。 こ の目録 は 相 当長 文 のも の で、 これ によ り "転 貨輸
的 な 比 較 と は いか な いま でも 、 個 々 の品目 の目 録 に つい て比 較す る
ら べ、九 州 から 出 て行 く 海 上輸 送 の方が 、 より少 な い百 分 比を 占 め
は は るか に少 な い量 し か移 送 され て いな か った のであ る。
げ れ ば、 坑内 用 木材 は、 九 州 で は重 要 な鉄 道 貨物 であ る が、 本 州 に
付 表第54
送 " の重要 性 に つい て 一般的 に妥 当 と され る推 定 に達 す る こと は可 能 で あ る。 そ の目録 に よる直 接 の比 較 は、 全 転 貨輸 送 の九〇 乃 至 九 九 % が含 まれ て い る。 付 表第 5 4所 収 の数 字 は、 同計 画 の第 一月 であ
転貨 地 域 か ら発 送 さ れ た特 定 物産 の輸 入 量 は、 一九 四 二年 中 に は
る 一九 四 二年 一二月 の転 貨輸 送 品 は 欠 い て いる。
約 一、 二 一〇 万 ト ンで あ った。 こ の数 字 に は若 干 の重 要品 目 、 特 に
6 ヵ月 間 に お け る原 産地 別 転 貨輸 送 品
非 鉄金 属 と 肥料 材 料 が 含 まれ て いな い。 そ れ にも か か わら ず 、 それ は こ の地 域が 日本 の戦 時 経 済 にと って大 き な価 値 を 占 め て いた こと を 示唆 し て い る。 一九 四 三年 に これら の特定 物 産 の総輸 入 量 は 八 八 〇 万 ト ンに、 一九 四 四年 には 七 一〇 万 ト ン に、 ま た、 一九 四 五年 の 前 半 の六 ヵ月 間 は年 率 に して 五〇 〇 万 ト ン に低 下 し た。 こ の減 少 の
るが 、 一九 四 三年 は、 朝 鮮米 が 不作 で、 そ の輸 入が 減 少 し た こと は 、
原 因 の 一部 は、 そも そも 物産 を取 得 し得 な か った こと にも帰 せら れ
顕 著 な そ の適 例 であ る 。 し か し、 こ のかれ ら の条件 を 念 頭 に お いた と し ても 、 全般 的 にみ て 、 主要 な 隘路 は、 依 然 とし て 輸送 にあ った と 言 え る。 こ のよう な貨 物 輸 送 を 、 可能 な かぎ り 維 持す るた め に は、 転 貨路 線 は ます ま す 重要 な 要 素 とな った 。付 表 第 54 のデ ー タ に よれ ば 、列 挙 さ れ た物 産 に対 し、 転 貨路 線 の取 り扱 った数 量 は 一九 四三 年 に は 約 一五% 、 一九 四 四年 に は三 七% 、 そ し て 一九 四 五年 前 半 の六 ヵ月 間 には 五 五% であ った こと を示 して い る。 付 表 第 54中 のデ ータ に ついて の二 つ の補 足 的 分 類 は興 味が あ る。 そ のう ち 最 初 のも の の分 類 は転 貨輸 送 品 を原 産 地 別 に示 し たも の で、 付 表第 55 が そ の数 字 であ る。
お よび1945年 の前 半 1943年,1944年 付 表 第55
付 表 第56
1943年,1944年
お よび1945年 の前半 6ヵ月 間 にお け る原産 地 別 輸 入総 量 と転
全 期 間 を通 じ て満 洲 の物 産が 、 転 貨 輸送 品 中 で は 飛び 抜 け て重 要 だ った ことが 注 目 さ れ る であ ろう 。 戦 争末 期 に至 って華 北 か ら の輸 送 品が 減 少 し た のは、 そ の時 期 に お いて生 産 と 鉄 道 輸送 が 、 ます ま
限 界 を 越 え つ つあ った 。
他 方 、 朝 鮮 の鉄 道 は転 貨 輸 送 品 の大 部 を消 化 す る能 力 を持 って い
の前 半 六ヵ 月間 に、 は じ めて 重要 な要 素 と な った のであ るが、 そ の
七 六、 三 四 七 メー ト ル ・ト ン、す なわ ち 計画 総 輸 送量 の 一五 ・三%
六、 九 〇 五 ト ンの 八七% を示 し て いる 。 計画 転 貨輸 送 量 は、 二、〇
七 メート ル ・ト ンを輸 送 した 。 それ は計 画移 動 量 であ る 三 一、 七〇
一九 四 三 会計 年 度中 に朝 鮮 の国有 鉄 道 は総 計 二 七、 五 四 一、 二五
た よう で あ る。
期 間 に は朝鮮 の物 産 は、 全 転 貨輸 送 品 の約 二〇 % を 占 め た。 最初 の
であ った 。 実際 に動 いた転 貨 輸 送 量 は 一、七 二五 、 五〇 七 ト ン で、
す 困難 と な った こと に よる も のら し い。朝 鮮 の物 産 は、 一九 四 五年
頃 は 、船 舶 の窮 状 が 、 それ ほど ま で切 迫 し て いな か った の で、朝 鮮
計 画量 三 四 、 七 二 八、 三 四四 メー ト ル ・ト ンの移 動が 要 求 され た。
全 鉄 道 輸 送 貨物 の 一五 ・九 % を 占 めた 。 一九 四四 年会 計 年 度 に は総
実 際 に取 り 扱 われ た のは 三 一、 〇 一五 、 二九 〇 ト ンにす ぎず 、 す な
の物産 を 日 本本 土 にな る べく 近 い諸 港 に鉄 道 で輸 送 す る代 り に、 従
付 表第 54 のデ ー タ に つい て の第 二 の分 類 は、 転 貨 路線 によ って 日
来 通 り の短 距 離海 上 輸 送 の方 法 が と られ た 。
本 に送 られ た貨 物 の全 貨物 に対 す る割 合 いを物 産 国 別 に示 す も の で、
六 、 五 一四 メー ト ル ・ト ンは計 画 転貨 輸 送 量、 二、 六 五九 、 四 一一
わ ち計 画 量 の八九 % にす ぎ な か った。 こ のト ン数 のう ち、 四、 一六
満 洲 の場 合 、転 貨 輸 送 品が 輸 送 品 総量 中 の大部 分 を占 め た こと は
付 表 第 56が そ の数 字 であ る。
手 でき た のは こ の 三ヵ 月 間 のも のだ け であ る ) に、転 貨 ﹁計 画量 ﹂
メ ート ル ・ト ンは実 際 輸 送量 であ った。 こう し て計 画転 貨 輸送 量 と
と 転 貨 ﹁実 送 量﹂ と は 一、〇 〇 〇 、 四〇 九 お よび 一、〇 七 二、 〇 三
明 白 で、 一九 四 四年 と 一九 四 五年 にお い ては 六〇 % 以 上 を占 め た。
日本 が は たし て戦 争 末 期 ま で に、 転貨 路 線 の潜 在 力 を 十分 に開 発
三メー ト ル ・ト ンで、 総 ト ン数 八、 七 七五 、 四〇 九 お よび 七、 七七
一九 四 五年 四 月 か ら六 月 の三ヵ 月 間 (一九 四 五年 度 の数 字 と し て入
し た かどう かを決 定 す る こと は困 難 であ る。 一九 四 四年 と 一九 四 五
六、 二 五 二 ト ン ( 計 画 量 および 実 送 量) の 一一 ・四 % と 一 三 ・八%
実 際輸 送 量 は 総鉄 道 輸 送 量 の 八 ・三% と 一 一 ・七 % と に相 当 し た。
年 と の間 に、 転 貨輸 送 量 に若 干 の増 加 を生 じ て い る (一九 四四 年 の
に相 当 す る。 実 際 に輸 送 さ れ た総 ト ン数 は期 待 量 の 八九% にすぎ な
一九 四 五年 にな る と、 転 貨 路線 は朝 鮮 から 対 日輸 出 の半 量 と華 北 か
二 八〇 万 ト ンから 一九 四 五 年 前半 期 六 ヵ月 間 の 年 率 三 一〇 万 ト ン
ら の対 日輸 出 の三分 の 一以 上 を取 り扱 った。
ヘ) が 、 これ は最高 量 に接 近 し た こと を示 唆 し て い る。 さ ら に、 南
か った 。
十 分 な 人 員 や部 品 の供 給 が 困 難 な た めに 低下 し て い たけ れど も 、明
朝 鮮 の鉄道 の正 常 な能 力 は、 通 常 の保存 整 備 に必 要 な 適当 で か つ
鮮 の積 み 換 え港 に は、 貨 物 が 大量 に積 み上 げ ら れ つ つあ った と いう 証 拠 も 少 な からず あ る。 朝 鮮 を起 点 とす る通 常 の輸 送品 と 、転 貨 路 線 で港 に送 られ て き た貨 物 を も含 む 輸 出積 荷 は、 諸港 の持 つ能 力 の
ら か に能 力 以上 のト ン数 を 取 り扱 った し、 ま た 南 鮮諸 港 で は 一日単
と し て受 け取 り つづ け て いた 。同 様 に、門 司 を最 主要 港と す る下 関
戸 内 海 諸港 は 一九 四 五年 初 頭 ま では 全 輸 入量 の四分 の 一以 上 を依 然
海 峡 諸 港 は、 一九 四 三年 のは じ め から 終戦 時 ま で全 輸 入量 の大体 二
位 で貨 物 を お ろす 貨車 数 を 最 大 限 にま でも って いく た め に各港 の労 働 問題 を 解決 し、 か つさ ら に上等 な備 品 を供 給 し 得 た こと は疑 う余
〇% 以 上 を 受 け取 ってい た。
度 の順 にあ げ る と、 そ れ は新 潟 、伏 木 、 敦 賀 、七 尾 とな る 。 これ ら
な 実 例 は、 日 本海 に面 し て いる 大豆 輸 入 主 要港 の場 合で あ る。 重 要
付 表 第 57 のデ ー タか ら こ の慣行 の影 響 を看 取 し得 る唯 一つの明白
地 がな い。 朝鮮 で の港 湾 問 題 が 苦 境 に陥 った のは 主 と し て二 つの要 素 に起 因 し て い る。 それ は無 届 欠 勤者 の管 理と 無 気 力 な鮮 人 沖 仲仕
最 寄港 貨 物 積 み換 え︱ ︱ 右 の よう な特 定 の場合 には 船 舶 から 鉄道
の諸港 に 入 った総 輸 入量 の割 合 に は 四半 期 毎 の大 変化 が あ ったが 、
の存 在 で あ った。
へと 積 み換 え た の に加 う る に、 内 地 へ送 る貨 物 は最 初 に寄港 した 日
の) 三 回 の四半 期 で は、 そ の百 分 比 は 四〇 ︱ 四 五% であ った 。も ち
ろ ん、 こ の分担 量 は 地方 の需要 額 だ け で引 き 受 け得 るも の では なく 、
(一九 四 三年 と 一九 四 四年 の 四月 ︱ 六月 と 一九 四 五年 の 一月 ︱ 三月
そ の中 の大 部分 は鉄 道 に より 本州 を 横断 し て主要 産 業都 市 に送 ら れ
本 の港 で陸 揚 げ す ると いう 一般 慣 習 は、 それが 可能 な 港 で は 必ず 実
に利用 さ れ た。 あ る 場合 に は、 神戸 =大 阪 お よび 東京 =横 浜 の双方
が 、新 潟 、長 崎 、 鹿児 島 のよ う に好 位 置 にあ ゐ諸港 も ま た こ の目的
行 され た 。利 用 さ れた 港 の中 で最 も 重 要 なも のは門 司 と 下関 であ る
に 送 る べき 貨物 を 積 ん で い る船 舶 は、 神 戸 =大 阪 で全 部 荷 揚 げ し て
は明 ら か であ る。 平 均 鉄道 輸 送 距離 が 一九 四 一年 の 一二二 ・八 マイ
港 貨物 積 み換 え" と いう 慣 行 は 運 送距 離 の延伸 に表 われ てく る こと
鉄 道 輸 送 に関 す る 資料 の見 地 から こ の問 題 を 考 察 す る と 、 " 最寄
た の であ る 。
こ の慣 用 さ れ た方 式が 、 それ 自 体 と して ど ん な効 果が あ った か を
ル から 一九 四四年 の 一六〇 ・五 マイ ルに増 加 し た事 実 は こ のこと を
東 京 =横 浜 行 貨物 を 鉄 道 で転 送 した 。
一つ 一つ に よ って示 さ な く て は なら な い。 付表 第 57 ︹ 略︺は、 大 豆 の
全 般 的 に 知 る要 素 は入 手 でき な か った ので、 こ こ で は主 な る品 目 の
輸 入 に関 し て こ の方 式 が 、 いか に実 施 され た か を、 一般 に信 じら れ
入が 転 換さ れ た こと を説 明 し て い る点 で興 味 が あ る。 それ は輸 入転
つ いで に いえ ば 、付 表 第 57 は 一九 四 五年 春 の機 雷 戦 に関 連 し て輸
立 証 し て いる。
こ こ で最も 注 目 す べき こと は、最 寄 の港 で荷 揚げ をす る ことが 殆
示唆 して いる。 一九 四 五年 四 月 ︱ 六月 の第 一 ・四 半期 中 に日本 海 沿
換 計 画 上 、 日本 海 沿 岸 小港 の重要 性 を 過 度 に強 調 す る こと の危 険 を
て い る のと は別 に、 固 有 の場 合 を説 明 す る の に役立 つであ ろ う。
ん ど慣 例 のよう には な って いた けれ ど も、 こ の慣行 が 明確 な 方針 で
横 浜 を最 主 要港 とす る 太平 洋 岸 諸 港 ま で送 られ る 大 豆輸 入 の分 割 に
これ ら の諸 港 は 全輸 入 量 のわず か に 一五 % を処 理 し た にす ぎ な い。
岸 の小港 や 錨地 への輸 入輸 送 が何 倍 か に 増 し た こと は事 実 であ る が、
あ ったと いう証 拠 は 別 にな い。 付表 第 57 のデ ー タを参 照 し て 見 ても 、
お いて は判 然 た る分 岐 点 は な い のであ る。神 戸 を 最 主 要港 と す る 瀬
が 注 目 さ れ る。 そ れ は転 換 さ れ た輸 送 の実 施 から 反対 の極 におけ る
〇 % 以 上 を取 り扱 った ので あ るが 、 これ は ほぼ 平 常 量 であ った こと
し て は 、 これ ら の諸 港 は 一九 四五 年 四月 ︱ 六月 の四半 期 に全 量 の 二
年 の四 月︱ 六月 の四半 期 よ りも 少 な い。 下 関 海峡 に面 す る諸 港 に関
そ れ は 一九 四 五 年 の前 の四半 期 に扱 った最 よ りも 、 ま た 、 一九 四 三
六月 の 四半 期 中 に これ ら の諸 港 は 全輸 入最 の約 四 二% を 扱 ったが 、
イ ルは前 年 度 の絶 頂 か ら 一九 四 四年 中 に
た えず 増 加 し た。 た だ旅 客 の平均 旅 行 マ
年 ま でを 通 じ て輸 送旅 客 と 旅客 マイ ルは
も か かわ らず 、 一九 四 一年 か ら 一九 四 四
れ な か った。 これ ら の思 い切 った 制 限 に
行 は警 察署 の証 明が なけ れば 殆 んど許 さ
改 造 さ れ、 ま た、緊 急 の用事 のた め の旅
台 車 は き わ め て少数 の ほか は普 通 客車 に
学 生 の帰省 旅 行 は許 可さ れ な か った。 寝
日本 側 の実 施 、 す な わ ち出 費 を顧 みる こ と なく 輸 送 を正 常 の荷 揚 港
は いく ら か 減 ったし 、 ま た 一九 四 三年 以
主要 な転 換港 は 日本 海 沿岸 にあ る 正常 の輸 入諸 港 であ った。 四月 ︱
に向 け る こと を推 進 す る重 要 性 を示 唆 し て い る。 一方 、 こ のデ ー タ
後 は旅 客 列車 マイ ルは 減少 し た。 上 記 の
時 機 にあ ら われ た。 比 較 的 に重 要 度 の低
全 鉄 道 車輛 の増 加が 必 ず しも 大 きく な い
これ ら の貨 物 と旅 客 輸送 の大 増加 は、
て いる。
表 は旅 客 輸 送 量 に ついて の統 計 を表 わ し
は瀬 戸 内 海諸 港 へめ 貨物 輸 送 がき わ めて 大き く 減 少 し た こと を示 し
戦 時 鉄道 史
て いる。
四
め に無 理を さ せら れ た。 一九 四 一年 から 一九 四 五年 まで の期 間 に、
戦争 中 日本 の鉄 道 は、増 加 して いく 陸 上 貨 物輸 送 量 を 吸 収す る た
輸 送 ト ン数 、 ト ン ・マイ ル ( 付 図 第 58)、 貨 物 列車 マイ ル お よ び 平
数字 に つ いて は は っき りし な い点 が あ っ
い 三つ の鉄 道 管 区 で は、 関 係者 は車輛 不
た。 し かし なが ら 、 四大 鉄 道 管区 のあ る
均 輸 送 距離 に お いて それ は 多大 の増 加 を示 した 。輸 送 距 離 の増 加 は
貨 物 輸 送が 激 増 す る のと 同 時 に、 旅 客輸 送 量 も ま た増 加 し つ つあ
東京 、 大 阪 、 名古 屋 、門 司 の本部 では車
こ の記 録 は完 備 し て おらず 、 また 決定 的
った。 そ れ ま で の貨 物輸 送 に対す る旅 客 輸 送 の優 越 的地 位 は 一九 四
輛 不 足 の報 告 は受 け と って いな い。 日本
足 は戦 時中 続 いた と声 明 し た。 も っとも 、
三年 以 後 は衰 え たが 、実 際 の旅客 の動 き は 増加 の 一途 を たど った。
産 業 界 の代 表 者 は、 貨車 不足 は産 業 界 の
であ る。
政 府 は 一九 四 三年 と 一九 四 四年 の二度 にわ た り こ の旅 客輸 送 量 を 減
石 炭 輸 送 を船 舶 か ら 鉄道 に移 し た結 果 であ る。 そ の増 加 は次 の通 り
ら す た め に大 い に努 力 し た。 た と えば 一切 の遊 覧 旅 行 は禁 止 さ れ 、
報じ て いる。 彼 ら は 海 上輸 送 の困難 と不
貨物 積 出 し の減 少 に は 無関 係 であ ったと
の変 化 には な んら の特 別 の関 係を 生 じ なか った。 逆 に主要 幹 線 は、
的 路 線 は、 貨 物 輸送 に は不向 き であ った こと は明 ら か であ り 、情 勢
実 際 に運 んだ 量 は計 算 され た運 輸 量 よ りも 少 な か った。 し か し 二次
いく つか の 二次 的路 線 では、 列 車 の最 大 能力 以 下 で 運行 さ れ て おり 、
これ 以 上 は運 べな いと いう能 力 の限 度 い っぱ い に操 作 され た こと は
足 から す る 苦 労を 最 も はげ し く責 め立 て
多 数 の地 区 で、 いろ い ろ な時 期 に貨 車
た。
を受 け て いな か った 。
自 動 車 輸 送︱ ︱ 日 本 は鋼 鉄 と ゴ ムが 不足 だ った の で、戦 時 中 に製
特 に 目立 った点 であ った。 一九 四 五年 ま で、 鉄道 は戦 争 に よる損 害
造 さ れ た自 動 車 はそ の数き わ めて少 な く、 しかも それ ら は残 らず 軍
が 不 足 した 場 合が 多 々あ った こと は疑 う
わ れ わ れ に資 料を 出 せと迫 られ ると 、車
用 に持 って いかれ た 。営 業 に自 動車 を 運営 す る こ と は、 予備 部 品 の
余 地 の な いと ころ であ るが 、 国 鉄 当局 は、
は持 って いな いと 主張 し た 。車 輛 不 足が
輛 不 足 あ る い は過剰 に つ いて の 一般 記録
甚 だ し い 不足 と、 厳 重 な ガ ソ リ ンの割 当 に よ って妨 げ ら れ て いた。
あ ったが 、 可 働 し て いた の はそ れ ぞれ そ の四〇 乃 至 五〇 % であ った。
一九 四 五年 現 在 で ト ラ ック はわず か五 万 七千 台、 バ スは 一万 八千 台
あ った こと を 肯定 す る場 合 には、 そ れ は
たも のであ り、 継 続 的 に調 製 し た記 録 で
数 個 所 の鉄 道 管 区 か ら 口頭 声 明 と して出
と ころ で 日本 で は、 主要道 路 と名づ ける べ き ほど の道 路 はな く、 右
一九 四五年 一月 一日 の現 状
れ て いた 。 日本 側 に残 され た 貧弱 な "帝 国 の生命 線 " は、 台 湾 から
を 整 理 し つ つあ った。 日 本 の船 舶 は、も はや こ の方 面 から は駆逐 さ
︹ 連 合 軍 に と って の︺ 危 険 期 をす ぎ 、米 ・陸軍 は、 そ の勝 利 の成 果
活 動 は殆 ん どみ ら れ な いう ち に迎 え た。 フ ィリ ピ ン作 戦 は す で に
一九 四 五年 と いう年 は、対 日輸 送 攻撃 に関す る かぎ り、 連 合軍 の
1
も 想 起 さ れ ねば な ら な い。
の車 輛 は都 市 と 地方 の仕 事 と、 ま ったく 分 れ て使 用 され てい た こと
は な か った 。 車 輛 不 足 の主張 は誇張 され た も のであ る と推 定 す る こと は正 し い し、 こ の推 定 は各 鉄 道 局 の毎 日 平 均貨 車 積 込 量 に よ っ て 正当 化 さ れ る。 貨 車 積込 は 一九 四 五年
一九 四 五年 に
ま でき わ めて 着実 に実 施 さ れた 。 第 六章
日本 の鉄 道 は、 主 要 幹線 の全 線 が能 力
南 シナ海 の沿岸 に沿 う て仏 印 へ、 そ し て マ レー か ら蘭 印 への船 舶 の
おけ る輸 送
を 発揮 す る よ う に操 作 さ れ て いた 。 一方 、
付 図 第58日
本 の鉄 道 の輸送 トン数 とマ イル 数
ト ン ・マイ ルを犠 牲 とす る ト ン数増 加 に よ って 極力 利 用 を はか った 。
輸 送 は極力 最 短海 上 路 に より、 ま た縮 少 し つつあ る商 船 隊 の方 は、
保 し て いた。 鉄道 輸 送 は 可能限 度 ま で利 用 され 、 本土諸 島 間 の貨 物
細 流 のみ であ った。 日本 は、 まだ 日本 海 と 黄海 の航 海 はだ いた い確
も 少 な か った。
た だ け であ るが、 こ の喪 失 ト ン数 は、 一九 四 二年 以降 のど の月 よ り
小 康 状態 であ った。 日本 は こ の月 には、 八 万 七千 ト ン の船 舶 を失 っ
硫 黄 島作 戦 と沖 縄 上陸 準 備 にそ の精 力 を集 中 し て いた ので こ の間 は
べき 企図 は、 そ の後も 依 然 とし て続 行 され た。 二月 に は、連 合軍 が
シ ンガポ ー ル航路 の廃 止
る作 戦 をと り、 しかも そ の時 期 は切 迫 し て いる と判断 した から であ
は、 日 本側 が 米軍 は本 土上 陸 に先 だち 台湾 、 あ る いは沖 縄 を占 領 す
一切 の努力 を 日本 に断念 さ せ た のか。 これを 決意 さ せ た決定 的 要 素
れば 次 のよう で あ った。 な にが こ の南 方 と の接 触を 維持 す る た め の
の南 方 占領 地 域 と の航 路を 日 本が 放棄 した背 景 は、 慎 重 な調査 によ
いう最 後 の企図 も放 棄 せざ る を得 な く な った。 最後 ま で残 さ れ た こ
三 月 にな ると 日本 は、 シンガ ポ ー ルと の間 に船団 を 運 航さ せ ると
3
の は、 潜水 艦 が大 型船 を 目標 と し て撃 沈し て し ま った から であ る。
は興 味 あ る こと であ る。 残存 船 舶 の平 均 ト ン数 が 非常 に小 さか った
た船 舶 の平 均 ト ン数 が 六、 四 三九 ト ンであ った こと を知 れば 、 これ
一、 八三 八 ト ンにす ぎず 、 一三ヵ 月 以前 に ト ラ ック島 空襲 で撃 沈 し
撃 沈 した 。と ころ で この撃 沈 し た船舶 の船 型 は 、平 均 し てわず かに
米 ・空母 部隊 は、 はじ め て東 シナ海 に侵 入 し三 万 ト ン以上 の船 舶 を
あ るが、 初 め て の増 加 な のであ った。 三月 に は沖縄 作 戦が はじ まり、
れ た。 し かし こ の総 ト ン数 は、 一九 四 二年 九月 以 降 の、 わず かで は
果 、 作 業能 力 は失 わ れ て いき 、 同 月中 に 一四 万 ト ンだけが 引 き 渡 さ
日本 の造 船 作業 には資 材 不 足が 集中 的 にあ ら われ てき た 。 そ の結
大 陸 で は転 貨制 度 が船 舶 か ら転 換 し得 る限 り大 量 の輸 送貨 物 を吸 収 し つ つあ った。 日 本 の国 内輸 送 組織 に対 す る 、 B29 爆撃 機 の空襲 は、 ま だ有 効 な妨 害 を 加 える ま で には 至ら な か った。 人 的資 源 と資 材 の 不 足 は増 大 して 、 日本 は苦 境 に陥 って いたが 、 鉄道 と港 内施 設 は、 これ によ りあ る 程度 の不利 な 影響 を 蒙む ったが 、特 に顕著 な能率 低 下 は生 じ な か った。 だが それ は嵐 の前 の短 い静 穏 な時 期 にす ぎ な か った。 と いう のは、 そ の後 の六ヵ 月間 に 日本 の輸 送 組 織 は、 これ に 襲 い かか った 米軍 の多種 多様 の猛 攻撃 に よ り、結 局 は崩壊 し てし ま
一九四 五年 初 頭 の空 母群 によ る急 襲
った から であ る。
2
こ の年 の最 初 の事 件 は、 一月中 旬 に、 非常 に増 強 され た米 ・空 母 機 動 部 隊が 南 シナ海 に突 入し て、 日 本船 舶 を急 襲 し た こと であ った。 ま た台 湾、 ホ ン コンお よび 仏 印周 辺 で の猛 烈 な 掃蕩 活 動 で空 母機 は 約 二八 万 ト ン の船 舶 を撃 沈 し たが 、 こ のト ン数 は残 存 商船 隊 の 一〇 % 以 上 に当 り、 か つ、 日本が 同 月中 に建造 し た 船舶 の約 二倍 半 に近 か った。 これ によ り 日本が 受 け た打 撃 は南 方 への生 命線 が 完全 に切 断 さ れ たに等 し いも のであ ったが 、 日本 は こ の地 域 の物 産 を必 要 と す る こと切 実 な も のが あ った ので、 こ のよ う な破 滅 的 な損 失を 受け た にも か かわ らず 、 仏印 、 マ レーお よび蘭 印 と の海 上 交 通を 維 持す
った 。 船舶 に対す る 空母 群 の攻 撃 は、 日本側 には非 常 な重 大 な る脅
々と した連 絡 を 保 つにす ぎ な か った。
て、 日本 海、 対 馬海 峡 お よび黄 海 ま で後 退 し、 上海 と 揚子江 間 は細
都 市 空襲
三 月 の初 旬 、 日本 の大 都市 へのB 29 の低高 度 空襲が 開 始 され た。
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威 と感 じら れ て いたが 、 し かし ど ちら かと いうと 、 こ の攻撃 は散発 性 を とも な って いた。 だ から 空 母機 の攻撃 から恐 る べき 損害 を 受 け
って お り、 ま た これが 正当 な 方策 だ と いう 根 拠 は、 残 存 し て いる船
の巷 と 化し た 。 ( 横 浜 は五 月 二九 日ま で は爆 撃 を受 け なか った ) 。こ
東 京 、 名古 屋 、大 阪 、神 戸 の大 部分 の地域 は矢継 早 や に焦土 と混 乱
つつあ っても 日本 は、 海 上交 通 を維 持 し て いく 企図 を 依然 と し て持
舶 が こ の攻撃 の合 い間 を ぬ って十 分 に航 行 でき ると いう 期待 であ っ
こで 注 目し な ければ なら な い こと は、 これら の大 都市 は いず れも 太
た 。 こ の航路 上 で の潜 水艦 によ る喪 失 は、 常 に大 量 に のぼ って いた が、 日本側 が 採 った各種 の対抗 手 段 も かな り成 功 し て いた ので、 日
に失 われ つ つあ った こと であ る。 東 京、 横 浜、 名 古屋 は、潜 水艦 封
鎖 、商 船 隊 の縮 減、 お よび 輸 送 の鉄 道 への転換 等 々の相 重な る影 響
平 洋 岸 にあ る こと と、 海 港と し て の重 要性 は、 こ の空 襲 以前 にす で
を 、戦 争 のき わ めて初 期 の段階 で早 くも 受 け て いた のであ った。 神
本経 済 にと って 重要 であ る シ ンガポ ー ル航 路 は、潜 水 艦 の脅 威 と い
日本 軍 の中 国作 戦 に よ り、第 一四 航 空軍 の各 基 地 は海 岸 からず っ
う 理由 だ け で は放棄 さ れ る こと はな か った のであ る。
と中 国 奥地 に押 し返 さ れ てし ま った。 これ に より第 一四航 空 軍 によ
され て は いたが 、船 舶 が次 第 に減 少 し た こと、 貨物 を 最終 目的 港 ま
戸 =大阪 港 地区 の貨 物 輸 送は瀬 戸 内海 に よ って潜 水艦 攻撃 か ら防 護
で海上 輸 送 で運 ばず に、最 初 の鉄 道積 み換 え地 で陸 揚げ して海 上 輸
る 日本 側 の損 害 は 一九 四四 年 五月 以後 は重 大 で はなく な った。 フィ
い たが 、 日本 側 とし て は、 これ は船 舶 の航行 を 全面 的 に停止 せ ねば
三月 にB 29 に よる大 空襲 が 始 ま った時 点 で のこれ ら の大都 市 の海港
送 を短 縮 す る のが慣 例 と な った こと など で、 次 第 に減 少 しは じ めた。
リピ ン に新 設 さ れ た航 空基 地 の飛 行 機 は、南 シ ナ海 を 常 時制 圧 し て
な ら ぬ ほど の打撃 であ ると は考 え な か った。 しか しな が ら予期 され
日本 から上 海 への直 航路 も 廃 止さ れ た。 そ し て南朝 鮮 の沿 岸 水域 か
空中 哨 戒 は開 始 され た。 日 本 と台 湾 と の海上 交 通 は停 止 され 、 ま た
停止 す る と決 定 し て いた。 三 月 に硫 黄島 は占 領 さ れ、 米 軍 の短距 離
諸 般 の状 況 を厳 密 に吟 味す る と、 これら の混沌 た る状 況 にも か かわ
輸 送 の破綻 、 倉 庫余 積 の損 害 など を 口を そ ろえ て述 べた てて い るが、
解 され る 。各 港 務部 長 は、 労力 の不足 と 労務 者 の素 質 の低 下、 局 地
に余力 を 生じ てき わ めて莫 大 な ク ッシ ョン のあ った ことが 容易 に了
の原因 や 商船 隊 の全 般 的縮 減 に より非 常 に低下 を きた し、 港 湾能 力
こ の統 計 に より、 諸 都市 の港 湾 と し て の機 能 的価 値 が、 いく つか
と し て の役割 り は、 付 表第 61 に明 示す る通 り であ る。
て い る米軍 の台 湾 か沖 縄 の占領 は、 そ の いず れ か 一方 であ っても 日 本 から 南方 に通ず る航 路 は、 米 軍 の不断 の近 距 離空 中 哨戒 の下 に置
ら黄 海 や中 国 沿岸 を迂 回し なが ら 南 下す る航 路 が これ に代 った。 硫
かれ てし まう ことと な り、 こ の事 態 にな れば 日本 は、 船 団 の運行 を
黄島 と 沖縄 が 占領 さ れ た こと に より、 日 本 の海 上勢 力 圏 は縮 少 され
付表第61日 本主要海港の港湾活動 (民 間船 の 取 扱貨 物 トンに よる)
1 入港船舶 トン数 に基づ き推定
らず 、 各港 に海上 から到 着 す る貨 物 は減 少 し て いた から大 体 正常 の
速 度 で処 理さ れ て いた こと が 判明 す る。 あ る地 域 の混 沌 たる状 況が
の いろ いろ の原 因 から みれ ば 、 こ の攻撃 は言 う に足 らな い ほど のも
焼夷 弾 攻撃 で生 じ たと し ても 、も と もと 船 舶状 況 を混 乱 に陥 れ た他
のであ る ことは 明 白 であ る。 ただ し ここ で注 目す べき 例外 は大阪 港
の場 合 であ る。 同港 では 六月 上旬 のB 29 の空襲 で、海 水面 よりも 低
い埋 立地 が 大半 を 占 めて いる地 帯を 干 出さ せ て おく た め のポ ンプ 施
設 が 損傷 し た。 種 々の米 軍 の攻 撃兵 力 と、 こ の地 域 の港 湾 活動が 、
米 軍 の 日本 の諸 都 市 への空襲 は 、鉄 道線 路 の大部 分 を破 壊す る に
どう 関連 が あ ったか は付 表 第64 ︹ 略︺に示 さ れ て いる。
いたら な か った し、 鉄道 が引 き 続 いて要 求 され て いた作 業 能 力 に重
大 な損 傷も 与 え な か った。 鉄道 への攻撃 で 目ざ し た 主要 な効 果 は、
貨物 荷 卸 し作 業 の妨 害 であ った。 倉 庫、 荷 卸し 台、 運 搬施 設 が受 け
た 損害 と、 末 端 駅 から 工 場や 市 場ま で荷 物 を運 んで いた ト ラ ックや
荷 車類 が喪 失 し て しま った こと は、 貨車 から荷 を 卸す 作 業 を非常 に
遅 延 さ せた。 そ れ に実 際 の物 質 的損 害 に加 う る に、 こ の空襲 は、 労
よれば 、 労務 者 は 空襲 後 は、 な か なか出 勤 し な か ったそ う であ る。
務 者 の欠 勤 サボ を 生ず る に いた った。 鉄道 当 局が 漏 ら した と ころ に
多 数 の者 は避難 所 と食 糧 をも と め て地方 に移 動 し た。 さら に労 務者
が 出 勤 し てき ても 、彼 ら を 本来 の配置 に就 かせ る ため に いく つか の
から 臨時 に設け ら れ た敷 地 に移 す こと が たび た び起 こ った。 これが
混 乱が 生 じ た。 貨 車 への積 込 み、 貨車 か ら の荷 卸 しを い つも の場所
ま た労務 者 の移 動 を惹 起 し 、 し たが って積込 み 、荷 卸 作業 に遅 延 を も たら し た。
こ の前 後 か ら鉄 道 へ の需 要 は減少 を来 し て いる が、 これ は む ろ ん
った らし い。機 雷 を 投 下さ れ た港 では 、 掃海 艇 は ど んな 安全 措 置 も
一任 す る と いう 政 策 を 日本 は と る に いた った。 さ ら に投 下 され た機
な 要求 によ り、 ついに機 雷 原 を突 破 す べ き や否 や は、 船 長 の判 断 に
し かも 他 方 で は損 害 を顧 みず船 舶 を 運 航 せ ねば な らな いと いう 切実
壊 、あ る い はそ の施 設 の他 地 区 へ の疎 開 によ り緩 和 さ れ て いた。 そ
雷 に何 種 類 かが あ った こと ( 音 響 機 雷 、 磁気 機 雷、 圧 力 機雷 お よ び
講 ず る こと が でき な か った。船 舶管 理 の調 整 は効 果を 挙 げ て おらず 、
こで結 局 、 鉄 道 は空 襲 中、 あ る いは そ の後 でも 、 鉄 道 に課 せ られ た
こ れ ら の種 々な組 合 せ )が 有効 な 掃 海 を 極度 に困難 な 問 題 とし た。
空襲 が 一部 分 関 係 し て いた。 も し も 生産 が 従 来通 り に継続 さ れ て い
要 求 を満 す こと は でき た のであ った。 貨 物 積 込量 を 調 査 し ても、 焼
日 本側 が 実 施 し た掃 海 に よ り船 舶 喪 失 量 は、 いく ら か減 少 はし た が、
た な らば 、 鉄 道が 引 き 受 け た であ ろ う加 重 な負 担 は 、産 業 施 設 の破
夷 弾 攻撃 と こ の攻撃 を 受 け た鉄 道 局内 の貨 物車 輛 と の間 に は顕著 な
な く、 わ ず か に 一 一万 ト ンにす ぎ なか ったが 、 そ の圧 倒 的大 部 分 は
同 月中 のあ らゆ る原 因 に より沈 没 さ せ られ た全船 舶 は た いし て多 く
四月 には 米 ・潜 水 艦 は 日本海 に進 入 し て船 舶 を撃 沈 し はじ め た。
も 確 か であ る 。
そ の努 力 を 成功 と よぶ ほど の十分 な効 果 が あ った と断 言 し えな い の
相 互 関 係を 見 出 す こと はでき な い。 都 市空 襲 の副産 物 は 、船 舶 情 勢 に重 大 な 影響 を 与 え た造 船 所 の活
かを 決定 す る のは難 し いが 、 付 表 第 62 ︹略︺は、B 29 の空襲 と 造船 所
動 の低下 であ った。 これが ど の程 度 ま で直 接 に都 市 空襲 に起 因 し た
機 雷敷 設 作 戦 の開 始
の引 渡 量と の劇 的な 関 係 を よく 説 明 し て いる 。
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の独 航船 を 捕捉 した が 、大 体 に お いて 、南 方 で の獲 物 は き わめ て 少
潜 水艦 によ るも ので あ った。米 ・陸 軍機 が 南 シ ナ沿 岸 で少 数 の日本
な か った 。 残留 した 船舶 は日本 に引 き 揚げ を命ぜ ら れ 、 そ の後 は、
船 舶 攻撃 の最 終 段階 は、 三月 七 日 に第 二〇 航空 軍 のB 29群 が、 日 本 沿 岸 に機 雷 敷 設 をし た こと では じ ま った 。 こ の機 雷 敷設 は、 五月 、
も は や南 方 に送 られ な か った のであ る 。
長 らく 提案 され て いた共 同船 舶 輸 送 計 画 を、 日本 は つ いに 一九 四
全船 舶 の整 理統 合、 戦 力 会議
五年 五月 に実施 す るに 至 った 。 こ の計 画 に基 づ き 陸軍 、海 軍 お よ び
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六月 お よび 七 月 を通 じ て次第 に強 化 され 、 結 局、 日本 海 や朝 鮮 海峡 に臨 む 重要 港 もす べ て敷 設さ れ て し ま った 。機 雷 作 戦 が真 に軌道 に
ち瀬戸 内 海 西 口であ り、本 州 の鉄 道 の西 端 に位 置 し 、九 州 鉄 道 の北
船 舶運 営 会 の全所 管 船 舶 は 一つの船 舶 プ ー ルに整 理さ れ 、 陸軍 省 、
乗 った の は四 月 の こと であ った 。 最 重要 目 標 は下 関 海 峡︱ ︱す な わ
四月 中 に 一八隻 計三 〇 、九 一七 ト ン の船 舶 を 撃沈 ま た は損 傷 を与 え
端 、 そ し て 日本 で船 舶 の集中 す る 最 重要 水 域 であ った 。 こ の水域 で
員 会 の管 理下 に置 かれ る こと にな った。 し か し実 際 こ の再 編制 は、
海 軍省 、 軍 需省 、 運 通省 、 船 舶運 営 会 の代表 者 で構 成 さ れ る統 合 委
こ の機雷 敷 設 作戦 は 日本側 にと って は、 ま ったく の不意 打 ち であ
て、終 戦時 ま で こ の海 峡 で の船 舶 の行 動 を 不 能 の状 態 と し た。
な にが し か の実 効 を 挙げ る にはす で
ン以 下 にな って いた と いう 単 純 な事 実 のな か に、 な お こ の四月 の貧
日本 と 満洲 =北 支 と の間 の海 上 輸 送が 米 ・潜水 艦 のた めに停
弱 き わ まる数 量が 出 てき た理 由 を挙 げ れば 次 の通 り であ る。
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下 関 海峡 、 神 戸 =大 阪 お よび 瀬 戸内 海 で の海上 交 通路 が 米機
止 さ れ て いた こ と。
1
に時 機 を 失 し て いた。 残 り少 な い船 腹 は、 こ の組織 に よ って系 統 的 に指 揮 され た が 、損 傷 のた め就 航 不能 の 船 の続 出 や 、 撃沈 によ る、 断 え 間 な
果 は、 お話 にな ら な いほ ど少 な か っ
統 一管 理 を も って して も な おそ の成
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5
4
3
南朝 鮮 から積 換 え て 到着 す る 貨物 (転 貨輸 送 品 )が 減少 し た
要 修 理 船 舶 の比 率 が増 大し た こと。
燃 料 油 の配給 が 不規 則 だ った こ と。
北朝 鮮 の穀 物 類 の船 積 能 力が 低 下 し た こと 。
北 支 の塩、 ア ル ミナ等 の船積 能 力 が減 退 し た こと 。
の機 雷敷 設 によ り封 鎖 さ れ た こと 。
た 。 こ の制 度 の下 に、 移 動 され た 全
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い喪失 が 非 常 に多 か った ので、 こ の
こ の統 合 委 員 会 、す な わ ち戦 力 会
ン、 機帆 船 で五 三万 四千 ト ンと いう
る議 題 と い えば 、汽 船 で 一 一六 万 ト
が ら、 当時 の困 難 の主 な るも のは何 と い っても 燃 料事 情 であ った。
ら の船 の能 率 はき わ め て悪 く 、 たえず ご たご た を 生じ た。 し か しな
画 で生 産 され た船 舶 の貧 弱 な 品質 にそ の 一部 の原因 が あ った 。 これ
機 帆 船 の低 劣 な 性能 は、 病 的興 奮 によ ると も いえ る 木造 船建 造 計
こと 。
民 需 物資 は上 記 の表 の通 り であ った。
議 は 一九 四五 年 五 月 一〇 日に最 初 の
四月 の船 舶積 荷 の貧弱 な量 に参 集者
ルにす ぎず 、 これ は 最 低記 録 であ る。 戦力 会 議 の報告 は、 四月 中 に
四月 中 の機 帆 船 への燃 料 割 当 は、 わず か に 一、 一〇 四 キ ロ ・リ ット
会 合 が開 かれ た 。 こ の会 議 で の 主な
一同 が 落 胆 した ことだ け であ った。
機 帆船 が 燃 料 配給 を 待 って いる 間 に、 三 、 五 四四 船 ・日 の遅 延 が 生
こ の数 字 は当 時 の日 本政 府 の管 理下 にあ る 海 上輸 送 力 の全 部 を示 す も の
った。 四月 の配給 量 は 一九 四 三年 の平 均 のわず か 一〇 % で あ った。
じ た こと を引 用 し て いる。 こ の機 帆 船 用燃 料 の大 不足 は蒸溜 液 にあ
そ の後 は こ の分 量 は増 加 され たが、 ついに 三月 の配給 量 の水準 には
で、 陸 海 軍船 舶 や 機帆 船 を 計算 か ら
達 し な いで 終 った。
除 い て、 な お民 間 船 だ け で三 〇 〇 万 ト ン以 上 を取 り扱 った 一九 四 二年 四
南 方 か ら の 石油 供 給が 全 面 的 に停 止 し た にも か か わらず 、 晩春 に
月 に比 す れば 大 変 な減 少 振 り で あ る。 全 商船 隊 の稼 働 貨 物 船 が 一三 〇 万 ト
る。
機帆 船 の運 航続 行 に非 常 な重 要 性を み と め て いた こ と を立 証 し て い
な って機 帆船 に対 す る 石油 配 給 量が 増 加 し たと いう こ と は、 日本 が
る のも 一番 早 か った。 一九 四 四年 末 に船 舶 燃 料 の油 が 不足 し は じ め
も 長 か った。 そ こ で重 油 船が 真 先 き に陸 海 軍 に徴 傭 さ れ、 撃 沈 され
船 と で は、 後 者 の方 が 一般 的 にす こ ぶる能 率 が良 く 、 か つ航 続 距 離
に就 役 す る よう に配 船 さ れ た。 一方 、石 炭 船 は内 地 に よび 戻 され た 。
た 時 、残 存 し た 重油 船 は 、油 田 の近 く の南 方 水域 で でき る限 り任 務
これ と 同時 に建造 の面 で は重 油 船 か ら石 炭 船 に重 点 が移 さ れ 、す で
に 就 役中 の船 を 石炭 船 に改 装 す る 改 造も 開 始 され た 。 こう し て、 一
九 四 五年 の春 にな ると 、 日本 の支 配 下 の海 域 に は比 較的 少 数 の重 油
船 が 残 って いるだ け で、 それ ら が 当時 日本 商船 隊 と し て就 役 中 のな
か で最 優 秀 船 隊 であ った。 そ の大 切 な船 に燃 料不 足 を甘 受 さ せ る こ
と は、 と ても 考 えら れ ぬ こと であ る 。民 需 用 の貯 油が 干 上 った時 、
つけ る こと を 許 され な か った が 、 これ は汽 船 に行 動 を続 け さ せ て、
汽船 は、 減 少 の 一途 を た ど り つ つあ る貴 重 な陸 海 軍用 の貯 油 に手 を
よ り 一俵 の米 でも 一ポ ンド の石炭 でも でき るだ け本 土 に運ば せた か った か ら であ る。
海 軍機 は南 鮮 水域 や 朝 鮮海 峡 上 空 に対 す る 広汎 な対 船 舶 哨 戒を 開始
米 軍 は五 月 に沖 縄 攻略 を 終 了 す る と、 必要 な 航 空基 地 を完 成 し、
一九 四 五年 五 月
一九 四 五年 の春 季 には 、汽 船 への重 油 燃 料 の補 給 は、 いく ら か 不
し、 二九 隻 五 七、 〇 四 一ト ンを 撃沈 した 。 そ の間 に、 第 二〇 航 空 軍
終 局 の はじ ま り
規 則 で は あ った け れど も 、蒸 溜 燃 料 の場 合 のよ う に急 激 に低 下 し な
は下 関 海 峡 と 瀬戸 内 海 全域 にわ た って、 以前 にも増 して 多数 の機 雷
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か った。 そし て 、燃 料 不 足が 、 輸 送 力 の減 少 の原因 だ と 、 たび た び
これ は 日本 の残存 商 船 隊 の九 % に相 当 し た。 日本 は、 船 舶が 機 雷 に
二 一三 、〇 〇 〇 ト ン の船 舶 を 撃沈 、 大 破 ま た は行 動 不能 に し たが、
漠 然 と言 及 さ れ て いる が 、 し かし 一般 的 にせ よ、 周 期 的 に せよ 、 こ
こ の説 明 に は多 く の理 由が あ げ られ る。 す な わち 、 石炭 船 と 重油
な い。
を敷 設 し た。 五月 中 に機 雷 爆 発 に よ って 、 日本近 海 にお い て 八五隻
キ ロ ・ リ ッ トル
の減 少が 汽 船 の運 行 を 繰 返 し遅 延 さ せ たと いう何 ら の証 拠も 見 当 ら
機帆船に対す る蒸溜燃料の配給
れた。
中 旬 に なる と 、機 雷 封 鎖 の た め に毎 日平 均 約 八〇 隻 の船 が 足 止 めさ
った た め に、 大陸 と の海上 輸 送 を中 絶 せざ る を得 な くな った 。 五月
よ り 大損 害 を 受 け、 加 う る に掃 海 企 図 は、 混 乱 し統 制が と れ なく な
械 を 日本 海 諸 港 に移動 す る 大計 画 が 一九 四 四年 秋 に着 手 さ れた 。 こ
す るや、 港 湾 能 力 を増 す た め、 封 鎖さ れ た 太平 洋 諸港 の重 ド ック機
と にな った。 これ ら の諸 港 を通 過 す る貨 物 量が や が てそ の極限 に達
び 朝 鮮 か ら の海 上 輸送 路 を 極力 短 縮す るた め に盛 んに使 用 され る こ
ク レー ンお よび コンベヤ ーが移 動 され 、 か つ、 多 数 の鉄 道引 込 線 が
新 設 さ れ た。 海 峡 ごと に機 雷が 敷 設 され た と いう 困難 が 加 わ る に つ
れ は 一九 四 五年 の冬 から 春 の終 り ま で継 続 され た。 三〇 台 以上 の重
量 は、 約 一 一〇 万 ト ンに すぎ な か った。 機 帆船 の実 績 に対 す る見 通
り、 太 平洋 諸 港 も ま た こ のよう にな った結 果、 日本海 沿 岸 の敦 賀 、
れ て、瀬 戸 内 海 の諸 港 には船 舶 が 自由 に近 接す る ことが 出来 な く な
こ の月 は、 関係 各 部 の最 大 限 の努 力 にも か かわ らず 、 日本 の海 上
し は 、 戦 力 会議 の五 月 に対 す る 予 想 に示 さ れ た通 りであ る。 ﹁ 機帆
輸 送 力 はさ ら にいく ら か 縮少 して い った。 汽船 によ り輸 入さ れ た物
船 輸 送 計画 は四 月分 と 同様 であ ろ う し、 そ の実際 の成果 は、 お そ ら
で航 洋 船 が 入港 した こと も な い小 漁村 の港 が 大陸 から の貨 物 の流 入
お負 担 を 消 化す る には能 力 の不足 を感 ず る に至 った。 そ こで これ ま
七尾 、 伏 木、 新 潟 等 の大 港 は、 増 強 さ れ た能 力 をも ってし ても 、 な
日 本商 船 隊 は、 真 に断 末 魔 に のぞ ん で いた 。沈 没 と 大破 は、 毎 月
く 言 及 に値 す る 改善 を 示 さ な い であ ろう 。﹂
稼 働 船 舶 の 二 一% にも 達 し て いた 。 鋼船 建 造 は最 盛 期 一ヵ月 の約 二
は、 ま こと に微 々た るも のであ っ
って開 かれ た諸 小 港が 収 め た成 果
た 。 これ ら の小港 が最 も 頻繁 に使
を助 け る た め に使 用 され た 。言 う ま でも な く 、 こ の最 後 の段階 にな
前 の配 給 量 の約 一〇 ︱ 二〇% し か入 手 でき な か った。 修 理 問題 が 重
用 さ れ た 一九 四 五年 四月 ︱ 六月 に
〇 % に落 ち、 な お引 き 続 き急 テ ンポ で低 下 し つ つあ った。 木 造 船建
大 化 し は じ め て いた。 五 月 に は五 〇 万 ト ン以 上 の船 が 造 船所 で修 理
造 は最 盛期 の約 一二% に落 ち、 ま た 、建 造 済 み の船 への燃 料 は、 以
さ れ つ つあ った。 し かし 話 は それ だ け で終 った ので はな い。 と いう
お いても 、 こ の小 港 全部 で扱 った
日本 の大 港湾 はB 29 から 猛撃 を
量 は、 輸 入 貨物 の約 一五% にす ぎ
受 け たが 、 そ の模 様 は上 記 の表 の
の は、 下関 海 峡 に機 雷 が 投下 され た た め の、 西海 岸 にあ った修 理 を
機 雷 に よ る下 関海 峡 の締 めあ げ が 次第 に効 果 をあ ら わ す に つれ、
通 り であ る 。 残余 の貨 物 輸 送 の大
な い。
日本 海 側 の本 州 の諸 港 が ま す ます 注 目 され る にい た った 。既 述 の通
部 分 は、 こ の猛 撃 の前 に、 す で に
要 す る 船舶 は、 大造 船 所 の多 い瀬 戸 内海 に入 る こと が 不 可能 と な っ
り、 一九 四 二年 末 か ら始 った、 これ ら の諸 港 の開 発 は、船 舶 を 太 平
て いた のであ った。
洋 の米 ・潜 水 艦 攻 撃 に暴 露 され る こと を 回避 し、 か つ、 北海 道 およ
情 を左 右 す る ほど の重 大 な要 素 で はな か った。
諸 港 は、 ま だ空 襲 を 受 け て は いな か った ので、 こ の損害 は、 船 舶事
日 本海 沿 岸 の大 港 や 小港 に移 さ れ た の であ った。 と ころ で これ ら の
た。
人、 朝 鮮 人 が新 潟 、 敦 賀、 伏 木 、 酒 田、 船 川 で こ の作 業 に使 役さ れ
そ こ で外 国 人 が 移 入さ れ る こと と な り、 八、 五〇 〇人 以 上 の中 国
を 大 量 徴集 した た め、 こ の時 以来 沖 仲仕 が大 不 足 を告 げ た か ら であ
︱ 六月 ご ろ に は、 殆 ん ど最 悪 事態 にな って い た。 陸 軍が 熟 練 沖 仲仕
下 で あ った。 ま す ます 複 雑 な機 雷 が 敷 設 され 、 こ のた め有 効 な 掃海
五月 中 の通過 船 舶 の合計 は四〇 万 四千 ト ンで、 これ は四 月 の半 分 以
じ めた 。 四 日間 に 一隻 の船 も こ の海 峡 を 通過 でき な い ことも あ った。
五月 中 旬 にな ると 、下 関 海 峡 の機 雷 敷 設が 実 際 の効 果 を 発揮 し は
る。 そ の補 充 には、 中 国 人 や朝 鮮 人 を移 入 し、愛 国団 体 か ら の パ ー
は殆 ん ど ま った く 不 可能 に な った。 こ のた め日本 側 は危険 を 顧 みず
一九 四 四 年 の夏 の終 り に悪 化 し はじ め た 沖仲 仕 問 題 は、 こ の四月
ト タイ ム援 助 を受 け 、 学 校 生徒 、 前 科者 、 捕虜 の使 用 およ び最 後 に
が 黄金 一ト ンに値 す る と いう 時 期 に、 貴 重 な船 舶 、時 を 失 いなが ら
に 一隻 の割 合 で行 動 不 能 にな ってい た)、 あ る いは 輸 入貨 物 一ト ン
も 、海 峡 はやが て開 通 す るだ ろ う と いう 希望 の下 に、 待 つべき や の
海 峡 に船 を 送 り こむ べき か (五月 中 に こ の海 峡 を通 過 し た船 は三隻
送 が 一九 四 二年 と 同 率 で進 めら れ た とし た な らば 、 沖 仲仕 不足 は 重
困 難な 選 択 を行 なわ ね ば なら な か った。
は陸 軍作 業 隊 を 召集 して こ の不足 を 切 り抜 け た。 一ヵ 年 に能 率 が 七
大 な輸 送 の隘 路と な った であ ろ うが 、 これ ら の諸 都 市 の港 湾 活 動 は、
〇 %も 低 下 し た太 平 洋 岸 や瀬 戸 内 海 の大 港 湾都 市 にと って、 も し輸
1潜 水 艦 の回避 およ び海 上 航 路 短縮 のた め 輸送 路 転 換 が行 な わ れ た
た。 燃 料 が 依然 と し て最 重 要 品 目 であ った。 下 関方 面 だ け で、 燃 料
六月 の海 上輸 送 に対 す る戦 力 会議 の見 通 し は悲観 的 な も のであ っ
大 した こと に より 低 下 し て いた。 つま り、 これ ら の諸 要 素 の結 合 が 、
を待 つた め の船 の遅延 は、 "E" 型 船 (八 三〇 ト ン) で 七 七九 船 舶 ・
こ と、 2商 船 隊 が 一般 に縮 少 さ れ た こと 、 3機 雷 封 鎖 の有 効 度 が増
沖 仲 仕 の供 給 の不如 意 と 能 力 低下 によ る よ りも 港 湾活 動 の急速 な低
先 順 位 を与 え ら れ た。 戦 力会 議 は "E " 型船 二三五 隻 の石炭 船 改装
の下 に統 合 され た にも か かわ らず 、 陸 海 軍用 船 舶が 燃 料 配給 で は優
を 促進 す るた め (九月 ま で に完 了す る のは七 八隻 だ け と 期待 さ れ て
時 、 機 帆船 で四 、 二 六 六船 舶 ・時 に達 し た。 全船 舶 は、 統合 委 員会
し か し平 常 は少 量 の輸 送貨 物 し か取 り扱 って い な か った 日本 海 の
減 を 招 来す る のに作 用 した のであ る 。神 戸 =大 阪港 地 区 の有 用 度 の
諸港 で は事 情が ま った く ちが って い た。 一九 四 三年 以 来、 港 湾 活 動
いた)、 燃 料 供 給 の面 から は、 全 船 舶 を 同 一立場 にお く こと 、 タ ー
低 下 に影響 した諸 要 索 は、付 図第 64 ︹ 略︺に示 し た通 り であ る。
が 政策 的 に拡 大さ れ た 時、 人 力 不 足 は直 ち にこれ ら の諸港 に感 じ ら
ルを燃 料 と し て使 用 す る た め の研 究 を ま じめ に決 定 し た。
29 の空 襲 によ る造 船 所 の労 力 補 充難 、 ま す ます 急 迫す る材 料 不足 、
修 理 を 要 す る貨 物 船 は 五月 中 に三 三% から 三五 % に増 加 し た。 B
れ た。 こ のた めき わ め て老 練 な沖 仲 仕 の組織 され た 数 班を 大 阪 か ら こ の港 々に派 出 す る案 も 企 図 され たが、 労 働 者 の 一般 的 にみ られ る 不動 性 と、 加 う る に住 宅 不 足 のた めに こ の便 法 は 成功 を 見 な か った 。
下 関海 峡 の機雷 堰 以東 の大 造 船 所 に近 接 でき な いこ と、 これ ら が相
下関 海 峡 の機雷 敷 設 に よ って 引 き起 こさ れ た船 舶 修 理 への妨 害 は
合 し て こ の問 題 の解 決 を 困難 な ら し め た。
日 本 にと り致命 的 であ った。 日 本 の大 造 船 所 二 一個 所 のうち 一八 は 海 峡地 区 、 瀬 戸内 海 ま た は本 州 の太 平洋 岸 に位置 し て いた。 北 海道
一九 四 五年 に入 り、 戦 争が 終 り に近づ い たこ ろ は、 日 本中 の造 船 所
の 二ヵ所 と 長 崎、 大 連 の各 一ヵ 所 だけ に は船舶 が 自 由 に接 近 でき た。
は機 雷作 戦 開 始後 の月 間 修理 工 事 は、 そ の前 年 に比 し 平均 五 九 %多
は 修 理作 業 で ご った返 し て いた が 、機 雷 堰 の背 後 にあ る 各造 船 所 で
いだ け であ った。 機 雷 堰 を通 航 せず に接 近 でき る四 大 造 船所 と 三 小
の唯 一つの造 船 所 たる 富 山造 船 所 で は 五〇 倍 に増 加 し た 。
造 船 所 と は、 そ の月 間 修 理 工事 が 一二 六% 増 加 した 。 日 本海 沿 岸 で
戦 力会 議 は 船 舶修 理 施 設を 日 本 海沿 岸 に移転 さ せる こと (こ の計 画 は全然 実 現 を 見 なか った)、 修 理 工作 船 を も っと 活 動 さ せ る こと 、 造 船 工 を優 遇 す る こと 、 お よび 船 舶修 理材 料 の船 積 み に最 優 先 順位 を 与 え る こと を遅 蒔 き な がら 決 定 し た。 造 船 工業 で は造 船 よ りも修 理 に最 高 優 先 順位 が 与 え られ た 。 不思 議 な こと に、船 員 用 の食 糧 や 衣 服 の問 題 が こ の場 合 非常 に重 要 性 を占 める こ と にな り、 これ ら の 品 物 を確 保 す る た め に船 の発 航 を 遅 ら せる に至 った 。 そ こ で戦 力会 議 は、 "これ ら の必需 品 に軍 需 品 と同 格 の地位 を与 え、 か つそ の必 要 が 生 じ た場 合 は直 ち に 入手 で き る よう に手配 す る こ と" を 決 定 し
戦力 会 議 の五月 三 一日 の会 合 の議 事 録 には、 ﹁穀 物 と食 塩 の 輸 送
た。
を 優先 し、 物資 動 員 計 画 の管 理 下 にあ る他 の必需 物 資 は 、穀 物 と食
争 末 期 の船 舶 積 荷配 当(1945年) 付 表 第67戦
も のら し い。 これ ら の品 目 の重 要 度 の増 加 状 況 は付 表 第 67 に示 さ れ
足 と いう 二 重 の圧 迫 下 に、 しば らく の間非 公式 に 発 展 し つ つあ った
る。 こ の明快 な方針 の声 明 は、本 国 にお け る食 糧 不 足 と航 洋船 の不
塩 と共 にでき る限 り積 込 む も のとす る ﹂ と いう 決 定 が記 録 さ れ て い
れ た 。海 上 護 衛艦 隊 に対 し て は、敵 の機 雷 や潜 水 艦 に対 抗す る た め
監 査 し、 か つこの作 業 を促 進 す る 具体 的 手 段を 案 出す る よう 要 請 さ
再 び 力説 され た 。海 軍 に対 し ては 、船 舶 修 理 の請 求 を残 らず 厳 重 に
品 を 輸 送す るた め に配 当 さ れ た。 食 糧 や食 塩 の船 積 み の優 先順 位 が
れ た。 そ の他 、 別 に 八万 ト ンの貨 物 船 空積 が陸 海 両 軍 の各 種 の軍 需
一九 四 五年 六 月中 、 主 と し て 日本 海 に行 動 し 、時 に は七尾 湾 に侵
てい る。
方 式 で は取 り 扱 えな い貨 物 に対す る沖 仲 仕 の能 力増 進 に関 す る 具体
戦力 会 議 の全委 員 に対 し ては、 "沖 仲仕 の能 力、 特 に通 常 の営 業
の具体 的 手 段 を案 出 す る よう 、 こ れ また 強く 要 求 され た。
的 手 段" に つい て真 剣な 考 慮 を払 う よ う懇 請 さ れ た。 こ の会議 の委
入し た 米 ・潜 水 艦部 隊 は船 舶 九 万 二千 ト ンを 撃 沈 し た。航 空部 隊 は 朝 鮮 沿 岸 を哨 戒 し、 瀬 戸 内海 にも 侵 入 し、 五 万 六千 ト ンの船 舶 を撃
員 の 一人 は、議 事 の進行 は現 在 の苛 烈 な 現実 に直 面 し て いな い こと
を認 めた が、 "委員 た ちは 一人 残 ら ず 状況 を 承知 し ており 、 殺 到す
でB 29 は大 阪 で 一万 八千 ト ンを仕 止 め た)。 B 29機 群 によ っ て 敷 設 さ れ た機 雷 は、 行 動 不 能 にな った全 船 舶 の半分 を屠 った。 こ の月 に
いる。 そ し て、 と にかく 会 議 と し て はそれ に対応 でき そう な 手段 を
る諸 事 件 に対応 す る に は日 本 はも はや無 力 であ る こと を よく 知 って
沈 し 、あ る いは終 戦 時 ま で行 動 不能 に した (六 月 一日 の 一回 の空襲
裏 日本 の諸 港 で少 数 の船 舶が 撃 沈 し たが 、機 雷 によ る 沈没 ま た は損
海軍 は修 理促 進 のた め各 班 三 乃至 四 名 より 成 る別 動修 理 班 を
2
さ ら に相当 数 の機 関技 師 の兵役 を 猶 予 して 、 これ ら の人 員 を
船舶 修 理 工 場 の " 奉 仕 " 制 度 を組 織 す べき こと。
編 成 の こと 。
1
べき 措 置 が次 のよ う に記 述 さ れ た。
前 述 のよう な 審議 の結 果 、 六月 二 八 日 に報告 書 が作 成 さ れ、 執 る
と る より 外 はな い のだ" と 説 明 した 。
傷 の五 七% は 下関 海 峡 水 域 に おけ るも ので 、機 雷 によ る船 舶 全 被害 は 八 三隻 一六 万三 千 ト ンに達 し た。 あ ら ゆ る 原因 に基づ く 日 本側 の 全 損失 は、 沈没 と終 戦時 ま で行 動 不能 にな ったも のと を合 し て 三三 万 ト ン に のぼ った 。 貨物 一五 〇 万 ト ンを 目標 と した 、 六月 中 の汽 船 によ る貨 物輸 送 量 は 、 わず か に八 六三 、 一三 六 ト ン にす ぎ な か った
3
こと は、 こ の点 から 見 ても 何 ら 異 とす る に当 らな い のであ る 。 これ ら の壊 滅 的 打撃 が 戦 力会 議 の決 議 に及 ぼ し た 影響 は奇 妙 な も
5
海 軍 技 術研 究 所 は船 舶 修 理 に 必要 な 重要 資 材 の入 手問 題 を研
"船 舶 が修 理 を 受 け る前 後 に無 為 にすご す 日数 を 減ず る た め"
究 の こと。
4
計 画 さ れ た補 修 工事 任 務 に任 命 の こと。
のであ った。 同 会 議 の 六月 の会 合 では 、 そ の決 定 は 従来 よ りも も っ と漠 然 と し てお り 、そ の報告 に は非 現実 的 な 感 じ が みな ぎ って いた。
ンだ け の船舶 を 保 有 し得 る と し て、も しも そ の中 のいず れ かが 沈 没
す な わ ち 、 こ の会 合 で は、純 作 戦 のた め に陸 海 軍 合 せ て八万 五 千 ト
ま たは損 傷 を 受 け たと し ても 、 そ のト ン数 は補 充 され な い と決 定 さ
仲 仕 用 の宿 舎 を 増設 の こと 。
関係 各 機 関 は ﹁港 内 奉 仕仲 仕 制 度﹂ の育 成 に努 力 を集 中 す る
輸 送 業務 の監督 を さ ら に厳 重 にす る こと。 6
7 工業 従 業 員計 六、 五 〇 〇名 を 日 本海 各 港 の仲 仕作 業 に転 用 す
こと。
8
" 諸 港 で の仲 仕 業 務 に関 し府 県 知事 の協 力 を増 加 す る た め"
る こと。 9
大 阪 "神 戸 お よび 東 京 =横 浜 地 区 から さ ら に迫 加 の船 舶 を、
の命 令 が 発 出 され た 。 10 1
"現在 遊 休中 の" 機 帆船 の利 用 計 画を 設 定す べき こと (燃 料
下関 海 峡 の機 雷 原 を通 過 し て転 用 せし め られ た。1
統帥 部 に対 し、 対 潜 水艦 、 対 機 雷用 機 を 増 配 し、 か つこれ ら
を ど こ に求 め るか に つい て は言 及が な い)。 12
船舶 の ﹁ 自 衛 力 ﹂ を増 強 し、 か つ "本 件 を審 理す る適 当 な 船
の飛 行 機 に対 す る十 分 な燃 料 の補 給 を 確保 す るよ う要 望 さ れ た。 13
陸海 軍 別 個 の対 機 雷本 部 は、 相 互協 議 の上海 軍 の指揮 下 に、
舶 課" の開 設 を促 進 す べき こと 。 14
〇 重 量 ト ン (総 ト ンの約 一 ・五 倍 )と いう 数字 か ら出 発 し た戦 力 会
議 が 、 つい には "物 資動 員 " に使 用 し得 る貨 物 船能 力 は、 わず か に
五 〇 九、 七〇 〇 ト ンと いう数 字 に落 ち つく ま で の複 雑 な 算 術的 計算
一九 四 五年 七 月、 空 襲 日本 の全海 域 にお よぶ
を 示 し て い る。
8
七 月中 に日本 はそ の残 存 稼 働商 船隊 の四〇 % を喪 失 し た。 す な わ
ち 、 そ の半 数 は沈 めら れ 、他 の半 分 は大 破 し て終 戦 ま で つい に使 用
で き な か った。 結 局 合 計 四 七八 、 〇〇 〇 ト ンの船舶 が 行 動 不能 と さ
れ た。 そ し てそ の半 数 は 、 空襲 によ り破 損 され た も の であ るが 、 今
や 戦 争が き わ め て 日本本 土 に近 接 し た ので 、 日本 の海 上 航 路 の いか
米 ・空母 機 は、 同 月中 に行 動 不 能 にさ れ た 日本 船舶 の約 四分 の 一
な る部 分も 空中 か ら の攻 撃 圏内 に入 ってし ま った。
を 仕 止 め たが 、 そ のも っとも めざ ま し い攻 撃 は、 七月 一四 日 に北 海
道 と 北 海道 =本 州 間 の津軽 海 峡 に加え ら れ た急 襲 であ った 。 こ の攻
撃 によ り五 〇〇 ト ン以 上 の船 舶 四 六隻 、 計 一 一万 ト ンが 行 動 不能 に
これ ら の種 々 の無 言 劇 の裏 面 で、 海 運関 係 者 は、 彼 ら は海 上 輸 送
局 こ の 一撃 によ って こ の重要 な 隘 路 に おけ る鉄 道 の能 力 を 空襲 直 前
道 連 絡船 のう ち 一〇 隻が 、 こ の空 襲 によ り沈 没 ま た は大 破 し た。 結
間 の石炭 輸 送 にき わ め て 大き な 役 割 りを 果 し て いた 一二隻 の大型 鉄
の小 型機 帆 船 約 一五 〇隻 が 同 様 な 目 に会 った。 さ ら に北 海 道 =本 州
陥 った。 そ の他 にも 北 海 道 と本 州 間 の石 炭輸 送 の往復 航 海 に従 事 中
の完 全 か つ全 面 的な 停 止 を 回避 す る に は無 力 であ り 、 た だ四 方 八方
そ の統 合 を達 成 す べき こと 。
から 生 起す る多種 多 様 な 苦難 を処 理 す る身 振 だ けを 演 じ て い るにす
の能 力 のわ ず か 一八% (一ヵ月 四 万 ト ン) に急 減 さ せ る に至 った。
し て、 こ の消 耗 を 埋 め合 せる措 置 が と られ た 。 し かし これら の船 は
そ こで下 関 か ら 二隻、 樺 太 と 瀬 戸内 海 から各 一隻 の連 絡 船 を移 動
ぎ な いこと を 知 って い た。 以 上 の記 述 を参 照 し つ つ、 付 表第 68 ︹ 略︺を吟 味 す ると興 味 あ る こ とが わ かる 。 同表 は六 月初 頭 にお け る現 有 船 腹 は 二、 四 三 二、 七〇
鉄 道 連絡 船 で は なく 、 ま た、 そ の能 率 は連 絡 船 とし て設 計 さ れ たも
の攻撃 以 前 の北 海 道 地区 の空襲 で は、 命 中 し た船 の八〇% は千 ト ン
攻 撃 で は爆弾 が 命 中 し た船 の三分 の二 は千 ト ン以 下 であ ったが、 こ
て代 換 す る こと が でき る が、 し か
隊 の移動 を 阻 止す る のが そ の狙 いだ った。 攻撃 は 九州 南半 部 特 に鹿
一日 ご ろ から開 始 さ れ た。 この攻 撃 は戦 術 思想 か ら出 たも ので 、軍
こ の沖 縄 基地 から は、 ま た、 九 州 の鉄 道 施設 に対す る攻撃 が 七月
を 撃 沈 ま たは 大破 さ せ た。
北 九 州 の周 辺 に対 し効 果 あ る攻 撃 を開 始 し、 一七隻 計 三 万 五千 ト ン
沖 縄 の新 設基 地 か ら出 動 し た陸 軍 航 空隊 は、 朝 鮮海 峡地 区 お よび
いは 行動 不 能 とし た 。
に参 加 し、 大 阪以北 の日本 海諸 港 に お いて多 数 の船 舶 を沈 め、あ る
これ ら の七月 中 の空襲 にお いて は、 英 国 の空 母 隊も この船 舶 攻撃
以 上 であ った。
の にく ら べて非 常 に低 か った。 造 船 工業 の情 況 から 見 て、 た と え空 襲 直 後 に連 絡 船 の新 造 が発 注 さ れた と し ても 、 翌年 の五月 にな らね ば 引 渡 し は行 な われ な か った であ ろう 。 行 動 不能 にな った貨 物船 の大 部分 が 石炭 輸 送 に従 事 し て いた と仮 定 す れば 、 こ の空母 機 空襲 の結 果、 失 わ れ た北 海道 =本 州 間 石炭 輸
喪 失 し た汽 船 や機 帆 船 の石 炭 運
し それ は 他 の重 要 な物 資 の移 動 を
児 島 市 を中 心 とし て行 な わ れ た。 最 初 の攻 撃 は戦 闘機 と 戦闘 爆撃 機
搬力 は、 他所 で就 役中 の船 をも っ
であ る。鉄 道 連 絡船 の能 力 の低 下
によ る補 助 爆撃 およ び列 車 と鉄 道 施 設 に対 す る機 銃掃 射 であ った。
犠 牲 にす る こと によ って のみ可能
か ら生 じ た青 森 =東 京 間 の過 剰 鉄
の与 え た損 害 は甚 大 であ った。 こ の二 回 の空襲 で 駅舎 、 石炭 昇降 機 、
七 月 二 七日 と 三 一日 に鹿 児 島 駅と 同 構内 に空襲 が 加 えら れ たが 、そ
構 内軌 道 の大部 、 貨 車 一八 〇輛 、 客 車 一二〇輛 を 破壊 した。 機 関車
は利 用 で き な か った。 と いう のは、
六 輛 、機 関 車庫 、 そ の他 の建物 にも 損傷 を 与 えた 。 七月 三〇 日に は
道 能 力 は 、他 港 か ら の石 炭移 動 に
北 海道 =本州 間 に生 じた 過剰 能 力
海 運 上 の隘路 と機 雷封 鎖 に よ り、
鹿 児 島本 線 川内 駅 北方 の川 内川 鉄 橋 が高 性能 爆 弾 に よ って切 断 され
た。 この攻 撃 の結 果、 同鉄 橋 はそ の後 四三 日半 の間使 用 不能 と な っ
を 他 の石 炭 移動 の径路 に転 用 し増
た。 この使 用 でき な い期間 に、 日本 軍 の 工兵隊 が そ の付 近 に応 急運
を運 ぶ ことが でき た。
搬 橋 を 架設 した。 こ の応 急 橋 に よ って、 同 鉄道 は 一日平 均 六貨 車量
日本 近 海 を動 く貨 物 輸送 量 が減 少 した ので、機 雷 によ る待 ち受 け
船舶 約 四 万 二千 ト ンを 撃沈 ま たは行 動 不能 にし た。 と ころ で大 型船
中 され て い た こと を書 き 留 め る こと は興味 が あ る。 瀬 戸内 海 水 域 の
は これ よ り先 き 、 こ の水 域 から 引き 揚 げ られ て沖 合 の大 洋航 路 に集
七 月 の下 旬 には、 米 ・空 母 群 は反 転 し て瀬 戸 内海 水 域 を空 襲 し て、
加す る こと は最 初 から 不 可能 で あ った のであ る 。
*北
海道供給量 の約24%
送能 力 は大 体 次 の通 り であ った だ ろう 。
力 能
攻撃 も、 七 月 にな ると 以前 の数 ヵ月 にあ った 効果 よりも いく ら か少
会合 にお い て取 り扱 った事 務 の概要 は 次 のと お りであ る。
こ の席 で の戦 力会 議 は、 効 果 のな い不決 断 の模 様 を現 出 し た。 こ の
れ た概 要 によ り実 施 す る。 但 し積 載 量 を増 加す る に努 める こと 。 そ
八月 の船 積 み 予定 (付 表第 69 )。 八月 の予 定 は、本 計画 に 示 さ
し ても し こ のよう な努 力 が 成功 し た場合 には、 増 加 した船 舶 は穀 物
1
な か った。 そ の成 果 は 七 八隻 計 一九 万 八千 ト ンであ った。 そ のう ち
で行 動 不能 にな ったが、 こ の攻 撃 で喪 失 し た総 ト ン数 の五 五% は下
数隻 は 日本 海 お よび 瀬 戸内 海 沿岸 の諸港 、 特 に新 潟 、舞 鶴 、 大阪 港
関海 峡 に お いて であ った。 こ の海 峡 の封 鎖 はき わ めて有 効 と な った 。
青 森 =函舘 地区 に おけ る緊 急 措置 。 北海 道 の石 炭 輸送 、特 に
お よび 食 塩 に振 り 向け る 。
鉄道 連 絡 船が 七 月 一四 日 の空 母 攻 撃 から受 け た打 撃 と 士気 低下 を 回
2
七 月中 こ の水 道 に ま った く通 航 船 のな い 日数 が 九 日も あ り、 通 航船
れ な か った 三月 以降 毎 日 の合計 交 通量 は 図表 第 65 ︹ 略︺に示 され て い
部 )と 協 議す るよ う各 機 関 に要 請 し た。
復 す る 手 段と 方法 を案 出す る こ と に関 し、 運 航 監 督 長 ( 海 運 総監
が 三隻 以下 だ った 日数 が 八 日あ った。 下関 海 峡 に まだ 機雷 が 敷設 さ
る。 こ の海峡 の封 鎖 の累積 的 効 果 は日 本 の造 船 工業 にと って災厄 的
海 軍 およ び国 鉄 当局 は、 二隻 の鉄道 連絡 船 を運 航 さ せ る方 法
六 つの異 な った 政 府機 関 は、 "物資 動 員" のた め北 方海 域 か
ら 帰還 し た漁 船 隊 を利 用 す る方 法 とそ の手段 を協 議す る よう指 令 さ
4
に つい て協議 の上 協定 す る よう 指 令 され た。
3
な も の であ った が、 これ は 瀬戸 内海 の中 心部 に造 船 工業 が建 設 さ れ て い たか ら であ る。 さ き に述 べ た よう に、 主 要 な修 理 工 場 は瀬戸 内 海 にあ った。 し か し損 傷 船 は戦 力会 議 の主要 関 心 事 とな る ほど ま で
て制 限 さ れ て いた。 し た が って日本 中 の造 船 所 で 修 理中 の船 の数 は、
5
れ た。
に増加 し た のであ るが 、損 傷 船 が避 船 所 に接 近 す る こと は、 き わ め
四 月 の五 五 万 ト ンから 七 月 の三 七 万 ト ンに減 少 し て い る。神 戸 =大
す ます 船 舶 を増 配 し つ つあ った ことが あ りあ り と示 さ れ て いる (八
付表 第 69 に は国 内 の絶 望的 な 食 糧事 情 のた めに、 食 糧品 輸 入 にま
手 配 を行 なう べき こと 。
船 舶と 鉄 道 によ り、 九 州 への食 糧 輸送 を促 進 す る ため特 別 の
阪 両港 を 併 せ て の港 湾 活 動 は、 商 船隊 の規 模 が 減 じ た こと、 貨 物 の 輸 送を 鉄 道 に転 換 した こと など の種 々 の理由 によ り、 す で に 一九 四
月 分と し て全 体 の三 一 ・九% )。 沿 岸輸 送 で は機 帆 船 の使 用 で極 力
二年 の毎 月 平均 七 二万 総 ト ン の船 舶 から 一九 四 五 年 三月 には三 二万 総 ト ンに減少 し た の であ る が、 下 関と 神 戸 =大 阪 の機 雷 封鎖 と 六月
補 足さ れ て いた 鉄道 輸 送 に依 存 し て いた こと は、 本 土 の海 域 に は 一
船 舶 し か配 当 され て いな か った。 これ に反 し、 元 山、 城津 、 清 津、
て い る。 南朝 鮮 で は米 軍 の航 空 制 圧を 回 避す る た め、 一九 ・五% の
三 ・八% と いう 僅 少な 船 舶 し か割 当 てて いな い事実 によ って示 され
一日 のB 29 の大 阪 空襲 によ って さ ら に二 八隻 計 四 万四 千 ト ンに ま で
戦力 会 議 の最 終 会 合
低 落 した 。 これ は 一九 四 二年 の活 動量 の六% 弱 であ る。
9
七月 一八 日 の大 本営 海 運 会議 は、 こ の会議 の最 終会 議 と な った が、
付 表 第69 1945年 8月 の船 積 み 輸 送予 定(汽 船 のみ)
でも 七 五〇 マイ ル離 れて いた ので、 これ ら の諸港 を経 由す る 輸送 に
羅 清 な ど の北 朝 鮮 の諸 港 は、 米 軍 の沖 縄 航 空基 地 から 、最 も 近 い港
は、 残 存船 舶 の三 九% が 割当 てら れ て いた。 これ によ っても 、沿 岸
一九 四 五年 八月、 降伏
輸 送 が 結局 は鉄 道 に依 存 し て いた こと を 明ら か に窺 知 でき る であ ろ う 。1
0
八月中 の諸 事件 は、 め まぐ る しく 動 き か つ混沌 と し て いた。 海 運
事 情 の特 色 と いえば 、 そ れが ま ったく 崩壊 し て いた こと であ る。 戦
争 の最後 の数 日 間 に米 軍 の航 空威 力 圏 が急 速 に延 伸 し た ので、 撃沈
およ び撃 破 し た船 舶 は 四万 二千 ト ン に達 した。 八月 一五日 ま で にあ
ら ゆ る 原因 によ る喪 失 船舶 は 一八万 三 千 ト ンであ った。
一九 四 五年 八月 六 日 の広 島 に対 す る原爆 投 下 は、鉄 道 に対 して は
比 較 的軽 微 な 損害 し か 与え な か った 。 交通 は 四 八時 間 杜 絶 し、 ま た、
本 線 の運 転 は 五 六時 間 遅延 し た。 鉄 道 の レ ー ルには大 した損 害 は な
ル、 幅 一メー ト ル の亀裂 を 生 じた こと であ った。 貨車 四 六輛 と 客車
く、 路 盤 の損 害 も わず かだ った。 路 盤 の損 害 は、 長 さ九〇 〇 メー ト
五輛 が 破 壊 さ れ、 鉄 道職 員 一九 八名 が 死亡 し 一四〇 名 が行 方 不 明 に
な った。鉄 道 の受 け た損 害 が非 常 に少 なか った こと には 二 つの原因
があ げ ら れ る。 そ の第 一は、 鉄 道 が報 告 さ れ た 原 爆 投 下 地 点 か ら
二 ・五 キ ロ乃 至 三 キ ロ離 れ て いた こ と、 第 二 は、鉄 道 そ のも のが直
撃 を受 け な い 限り は 、特 に損 害 を 受 け易 いも ので はな いこと で あ る。
一九 四 五年 八月 九 日、 長崎 に原爆 が 投 下 され たが 、 鉄道 には殆 ん
ど損 害 を与 え なか った。 停車 場 区域 内 の軌道 約 一〇 メ ート ルが損 傷
付表第70終 戦時における日本商船隊の状態
一九 四 五年 八月 一四 日、 第 二〇 航 空 軍 は 一 一五機 を 飛 ば せ て山 陽
し 駅 の建 物 の若 干 が 燃 え た にすぎ な い。
日本 国 内 で実 施 し た唯 一つ の純 粋 に戦略 的 な こ の鉄 道 攻 撃 の結 果 、
本 線 岩 国 駅 の構 内 お よび 建築 物 を 空襲 し た。 米 国航 空 部 隊と し て、
同 駅 か ら 東西 両 方 向 の山 陽本 線 の運 行 は、 一〇 二時 間 止 ま って しま
広 島 と 長崎 への原爆 投 下 は、 船 舶 に は直 接 的 にも 間 接 的 にも 殆 ん
った 。 構 内 の レ ー ルと本 線軌 道 、 構 内建 物 が 破 壊さ れ た 。
ど 損 害 は与 え な か った。 八月 八 日に ソ連 が 参 戦す る や 、 そ の極 東 空 軍 は従 来 機 雷 投 下 に従 事 す るも の以外 に は、連 合軍 の航 空力 の及ば な か った北 鮮 諸 港 を 主と し て、 たち ま ち 五万 ト ンの船 舶 を撃 沈 破 し た。
1 1 終 戦 時 に おけ る海 運 業 の状況 八 月 一五日 の降 伏 時 、 日本 商 船 隊 は 一〇〇 ト ン以 上 の汽 船 は合計
八月 の入港 船 の総 ト ン数 をも って 、 そ の相 対 的活 動 を記 録 し たも の
い た (付表 第 72 )。付 表 第 72 は 日本 の主要 港 二 二個 所 に おけ る 三月 と
一、 八 一八、 〇 七 一ト ンに減 少 して いた。 そ のう ち 一、 六 五七 、 一
に稼働 状態 にあ る 五〇 〇 総 ト ン以 上 の鋼 船 三 二九 隻 合計 六五 万 総 ト
九 四 ト ンは内線 地帯 す な わ ち上 海 以北 にあ った。 日 本 は こ の地 帯内
で、 戦 争末 期 の五 ヵ月 間 に生 じた 変 化 と減 退 の状 況 を物 語 って いる。
雷封 鎖 を受 け て交通 量 が 激減 し、 他方 、北 海道 と本 州 の日本 海 側 で
ンを保 有 し て いた が、 これ は 日本 が開 戦 のさ い現 有 し て い た商 船隊
は 一般 にそ の減 少 は甚 大 で あ ったが 、結 果 は各港 によ り差 異が あ っ
の期 間 ま ったく 無為 に経 過 し、 瀬 戸 内海 と 下関 海 峡方 面 の諸 港 は機
の長物 にす ぎ な か った 。 貨物 船 隊 は殆 んど残 らず 本州 の 日本 海方 面
こ こ に注 目す べ き こと は、 太平 洋 お よび 東 シナ海 に面 す る 諸港 は こ
と 朝 鮮 お よび 北 海 道間 の貨物 輸 送 に従 事 中 であ った 。貨 物 船 の就役
日本 海 運 の全 貌 を 示す に最 良 の指 標 と な る下関 海 峡 で は、活 動 は
区 分 は大 体 のと ころ付 表 第 71 の とお り であ る 。 港 湾 活 動 は三 月 を 一〇 〇 と し て、 そ の率 の大体 三三% に低 下 し て
た と いう こと であ る 。
の一 二 % にすぎ な か った。 こ のわず かな 残存 船 舶 のう ち、 一三% は
稼働 日本 貨物 船 の就 役 区 分
油 送 船 であ った が、 これ は油 田地 帯 に接 近 でき なく な って いて 無用
(1945年8月15日現在)
ン以 上 の残 存 線 地帯 に お け る500ト 付表 第71内
付 表 第72 1945年 3月 と 8月に お け る主 要 港湾 活 動(入 港 船 の総 トン数) 主
要22港
一
覧
1,潜 水 艦封 鎖 2,地 区 爆 撃 を受 く 3,5 月27日 以 降 皆無 4,5 月23日 以降 皆 無 5,6 月29日 以降 皆 無 6,5 月14日 以 降皆 無 7,4 月27日 以 降 皆 無 8,大 量 の機 雷敷 設
9,7 月18日 以 降 皆 無10,沖
以降 皆 無12,機 雷 も投 下 されず,潜 14,少 量 の 機 雷敷 設
縄 か ら容 易 に 近 接 で き る距 離 内11,9 水 艦 攻撃 に も暴 露 せ ず13,4
月21日
月26日 まで 皆 無
海 道 本 線 、 山陽 本 線︱︱ こ の路 線 が 貨物 運 輸 の大 部 分を 動 か し て い
脆 弱 にし て接近 し易 い多 く の路 線 の切 断点 を 一ヵ所 と いえ ど も 空襲
造 船 作 業 は殆 んど休 止 し た 。 八月 中 に はわ ず か に 五隻 の鋼 船 が引
た︱︱ の線路 切 断 点 の 一ヵ所 か 二ヵ 所 を攻 撃 し て いたな らば 、 鉄 道
三 月 の水準 の六〇 % に減 少 し 、 八月 の前半 中 の通 航 船 は わず か三〇
き渡 され た が、 そ のト ン数 の 一 一、 八〇 一ト ンは 三月 引渡 分 の 一〇
自 体 と 、 やが ては 日本 経 済 そ のも のに計 測 でき な いほど の損害 を 与
し て いな い。も し も東 京 と 下関 間 、 そ の中 間 に は 工業 地帯 のあ る東
% であ った 。機 帆 船 は九 隻 、 一、 六 五〇 ト ンが引 き 渡 され たが、 こ
隻 計 二 九、 九 五 四 ト ンにす ぎ な か った。
れも 三月 引渡 量 の 一〇 % にすぎ な か った。
操 車 場︱ ︱ 線路 の使 用 阻止 に比 べ れば 貧 弱な 代 用品 であ るが︱ ︱ 、
え 得 たであ ろう 。
った 。 それ が 既述 の鹿児 島 、 岩 国両 駅 構 内 であ るが 、 そ のいず れ の
は米 ・陸 軍 航 空 部隊 によ って 二回 だ け攻 撃 目標 に選ば れ た こと が あ
八月 中 の汽 船 に よ る全 貨物 輸 送 量 は わず か に三 一万 二千 ト ンに過 ぎ ず 、 これ は 一九 四五 年 三月 の輸 送量 の二 七 ・四 %、 また 、海 上 輸
受 け た際 の車 輌 の焼 失 によ って起 こ って いる 。最 終 の財 産 目 録 に よ
た。 客 車 施 設が 最 も広 汎 な 損害 を 受 け た の は、大 都 市が 地 域 爆撃 を
であ った が、 そ の損害 が 最 高 に達 し た の は戦 争末 期 の数 ヵ月 であ っ
を通 じ、 日 本 国有 鉄 道 の施 設 が爆 撃 によ り受 け た損 害 は 相当 のも の
駅 も鉄 道 組 織 に お いて は最 重 要 なも ので は なか った。 戦争 の全期 間
送 の戦時 最 高 月 であ る 一九 四 二年 一〇 月分 のわ ず か に 七 ・八% に留 ま った 。
終 戦時 に おけ る 日本 の自動 車 輸 送 一九 四 五年 八月 ま で の日本 の乗 合自 動 車 お よび ト ラ ック の運行 は、 取 る に足 らな いほど であ った。 作 動中 の ト ラ ック はわず か に 一万 七
れ ば 、 蒸気 お よび電 気 関 係 を含 む 全客 車 施 設 の約 一 二・三 %が 修 理
不 能 な ま で に損 害 を受 け た こと が 判 明 し た。 こ の損 失 は、 鉄 道旅 客
千 台 、 バ スは四 千台 にすぎ な か った。 しか も これ ら の大 部 分 は木 炭 動 力 で あ った。 日本 側 は こ の よう な貧 弱 な自 動 車 の状 態 を 補 う た め
輸 送 力 の不足 に拍車 を か け る こと に な り、 か つ、 終 戦後 に客車 の不
足 を 補 う た め に、 短 距 離輸 送 および 都 市 用 と し て箱 型 や ゴ ンド ラ型
に、 牛 馬牽 引 車 や、橇 を広 く 復 活 し て使 用 し た。
1 2 鉄道 攻 撃 の概 要
空 襲 は機 関 車 や貨 車 の実 質 的 な 不 足を 増 大 させ は しな か った。 破
客 車 を 使 用す る原 因 とな ったも のであ る。
った 。 入手 し得 た最 も 確実 な 資 料 に よれば 、国 鉄 の機 関 車 で空 襲 の
壊 さ れ た の は全機 関 車 の約 五 ・三% と全 貨 車 の三 ・一% にす ぎ な か
青 函連 絡 船 、鹿 児 島 駅、 岩 国 駅構 内 に対 しな さ れ た空 襲 を別 と す
いは機 会 爆 撃 の結 果 であ って 、特 に鉄 道 を目 標 と し た計 画的 爆 撃 攻
合 は な く、 ま た、 空 襲 に よ り、動 け な か った貨 車 の比 率 は さら に 低
被 害 に よ り、 使 用 不可 能 だ ったも のが 全 機 関車 の二% を 超 過 した 場
れ ば、 鉄 道 が受 け た 数 回 の攻 撃 は、 他 の目標 から のこぼ れ爆 撃 あ る
勢 によ るも ので は決 し て な か った。 鉄 道 に対 す る航 空 機 に よる 計 画さ れ た 攻撃 と し て は、 主幹 線 上 の
か った。 爆 撃 の結 果 とし て、 運 輸交 通 の遅 滞が 生 じ たが 、 そ れ は短 の では な い。
下 量 も ま た空中 爆 撃 の結果 だ と断 定 し た 結論 を 出 せる ほど 単 純な も
関 係を 持 って いる こと を示 し て いる。 な お ここ で留意 す べ き点 は、
者 の誰 彼 の如 何 を問 わず、 日本 への輸 送 攻 撃が も たら し た 成果 には
他 のよ りす ぐ れ た解 決 法 はな いが 、 以 下 の べる 結論 は 、攻 撃 実施
期 間 にすぎ ず 、 破 壊 され 、損 傷 し た装 備 品 の数量 も 、全 鉄 道 組織 を
運 輸 量 が減 じ はじ め た のと ほぼ 同 一時 期 に、爆 盤 によ って 装備 品
特 に海 上 輸 送 に対 す る成 果 に お い て、 空 襲 によ る特定 な効 果 は、 よ
持久 的 な 不能 状 態 に陥れ る ほ ど の効 果 はあ ま りな か った。
の損害 が 増 加 し はじ め た。 し か し、 装備 品 の喪失 から受 け た打撃 は、
つ以上 の原因 によ って起 こ って おり、 一つ 一つの原因 と 成果 を そ れ
合 に のみ行 な う ことと す る。 殆 ん ど の場 合、 ど んな単 一的成 果 も 二
別 に至 っては 、 入手 で き た証 拠 により これが 正 当 であ る とさ れ る場
攻 撃 によ る日本 経 済 への打 撃 と、 他 の諸 々の原 因 によ る 打撃 と の区
と ころ は単 に戦 術 的 効 果 のみ にあ った こと であ る。 も し、 そ れ輸 送
り 小 さな 割 合 し か占 め て はお らず 、 か つ、 こ の空 襲 は そ の意図 す る
輸 送 攻撃 の経 済 的効 果
運 輸 量が ま だ 依然 と し て大 き か った時 にく ら べ て、 そ の影 響 は も は
一般 考 察
第七章
や衝 撃的 で はな か った。
1
戦 略 爆 撃 のう ち 、輸 送 機 関 に対 す る攻 撃 が 、 日本 人 の経 済 的 生活
めねば なら な い の であ る。
以 上 の説 明 の根 拠 は、 実 際 、同 時 に展 開さ れ た 二 つ の物 藷 り から
ぞ れ整 然 と し た枠 内 に都 合 よく ま と め る こと は難 かし い。 これ は認
な さ れう る。 つまり そ の第 一は、 あ ら ゆ る形 式 による 攻 撃計 画 は、
に、ど ん な 効果 を 与 え た かを評 価 す る の は、 そ こに 二 つの 主要 な 困
送 機 関 への攻 撃 に よる 大撹 乱 と、 同 時 に起 き て いた他 の諸 々 の原 因
敵 の領 土 の占 領 を企 図 し た戦 争 遂行 の物 語 り であ り、 第 二 は、 敵 の
難が あ る ことを 見 出 す。 第 一は、 戦 略爆 繋 の総 合 的効 果 のう ち 、 輸
に帰 せら る べき 混 乱 と を、 ど う区 別 し う る かと いう こと であ る。 す
によ る効 果 のみ に ついて報 告 す る責 任 を 負 う て いる。 し かし なが ら
る ことが 、 これも 困 難 だ と いう こと であ る 。本 調 査 団 は、 戦略 爆 撃
的 は達 成 さ れ る のであ る。 か か る攻 撃 は結 局 のと こ ろ、敵 の戦線 へ
敵 の経 済 を真 向 か ら 攻撃 し て これ を弱 体 化 す る こと によ って最 終 目
にあ る 。 こ の こと は、 さ ら にも っと直 接 的 な 攻撃 目的 、 す な わ ち、
戦 略 的攻 撃 の最 終 目 的 は、 戦 闘 そ のも ので敵 を弱体 化 し て し まう
ら か に望 ま し い こと で はあ るが 、実 際 には 不 可能 な のであ る。
一歩 と 、 さら に 一項 目 毎 に、 密 接 に平 行 さ せ て記述 す る こと は、 明
経 済 機 構 にま つわ る物 語 り であ る。 こ の二 つの物語 りを 、 一歩 ま た
な わ ち こ の効 果 は、 占 領地 の喪失 、 都 市 地域 への空襲 、 生産 施 設 へ の攻 盤な ど と、 簡 単 に分 ち難 い と いう こと であ る 。第 二 は、戦 略 爆 撃 によ る輸 送機 関 攻 撃 と、 潜 水艦 や水 上 艦 の攻 撃 による も のと 、 さ
こ の問題 は、 例 えば 日 本 の全 喪 失船 舶 のう ち 三〇 % は空 中 爆 撃 で撃
ら に純 粋 に戦術 的 空 襲 や機 雷 封鎖 に よる 効 果と も 切 り離 し て評 価 す
沈 さ れ た のだ か ら、 輸 入 や生 産 高 にあ ら わ れ た三 〇% の減 少 量 や 低
に のみ限 定 し て、 も って戦 争遂 行 能 力 の弱 体 化 を延ば し、 さ ら にも
の交 換 に 大き な 困難 を も た らす も ので はな いと 敵 が判 断す れば 、 そ
し 損 失が 、 甚 大 でも なく 、 長期 にも わ た らな けれ ば 、 こ の攻撃 の影
の補 給 を 不 十分 にし、 そ の結果 と し て、 敵 の戦線 を 弱 化 し、 非活 動
輸 送 に対す る攻 撃 は、 戦 場 への完 成品 の引き 渡 し と、 本 国 の工業
の受 け る影 響 を 戦争 遂 行 の目的 に 利用 す る こと の最 も 少 な い輸 入品
地 帯 への原材 料 の受 領 に大き な 影 響 をお よぼ す 。 こ の二 つの面 で日
的 に し てし ま い、 効率 を 低 下 さ せる こと を 意 味 し て いた。
本 は特 別 に脆 弱 性 を持 って い た。 日本 が東 南 アジ ア と西 部 太 平洋 に
す が 、 こ の場 合 には、 敵 にと って は船 舶 喪 失 の恐怖 感 は、 実 際 の喪
輸 送 に対す る攻 撃 は、 敵 を封 鎖 し て しま う効 果 を しば しば も た ら
響 は 全面 的 に 回避 でき る かも し れな い。
数 の部 隊 を展 開 し た こと にな り 、 これ ら の部 隊 の戦 力 維 持 は、 海 上
二 の特 性 の、 き わ め て重 大な 例 外 を なす も のであ る。 と いう のは、
失 に劣 ら ぬ ほど 重 大な 関 心事 と な る。 封 鎖 され た状 況 は、 前 記 の第
広 く 分 散 し て いる諸 島 を占 領 し た こと は、 文 字 通 り、 おび た だし い
輸 送 によ る補 給 品 の絶 えざ る流 れ に全 面的 に依存 せざ る を えな か っ
日本 は攻 撃 の方向 決 定 に ついて、 も はや 主動 的地 位 を失 ってい た か
た 。 そ し て島 国 日本 の諸 工業 は、 海 外 の原 料 に大き く 依存 し て いた こと も、 同 様 に周 知 の事 実 で あ り、 こ れ は本 報告 の冒 頭 の章 で論 じ
ら で あ る。 も しも 、 多く の地 に広 く 分散 し て いる良質 の原 料 の供 給
日 本 は封 鎖 に よ って 受け た 衝 撃が 最 も 大き い地域 を選 ん で攻撃 の方
源 を 日本 が 自 由 に支 配す ると いう 、 あ りそ う もな い可能 性 に立 てば、
た と おり であ る。
輸 送攻 撃 の特性
向 を決 定 し え よう 。 ま た艦 隊 の行 動 可能 区 域 を制 限す る こと は、 艦
2
一国 の産 業 の中 心 地 に向 って流 れ て いる輸 送 に対す る攻 撃 は、 二
隊 そ のも のを行 動 不能 と し 、撃 滅 さ れ た のと ま ったく 同 じ結 果 を 意
る のを 阻 止 し て、 日本 への輸 入 を確 実 に滅少 さ せ る こと であ った。
手 段 は、商 船 隊 の切 り 崩 し と、商 船 が 自 由 に か つ効 果 的 に運 営 され
米 軍 は封 鎖 の強 行 を 完 全 に はな し えな か った ので、 これ に代 わ る
て おく 。
五年 も か な り後 の時期 ま で は、 達 成 され て いな か った こ とを 強 調 し
味 す る。 し か しな が ら今 次 の太 平 洋 戦争 では封 鎖 の条 件 は、 一九 四
つの 一般 的特 性 を持 って いる。 そ の第 一は、 原 料 に 対す る 攻撃 であ り、 こ の攻撃 によ り生 産高 の効 率 に遅 延 を生 ぜ し め る に いた る こと。 第 二 は、貯 蔵 中 や製 造 中 の資 材 (製 造 工程 中 の貨物 )が あ る程 度 の 数 量 が あ る とき は、 原 料品 を喪 失 し た時機 と、 こ の喪 失 に よ る製 品 高 の著 し い減 少 が現 わ れ る時 機 と の間 に、 数 ヵ月 の遅 れ ( ずれ)を 十 分 に生ぜ し める かも しれ な いが、 他 に代 用 で き るも のが 全 然 なく 、 また 相 当多 量 な貯 蔵 が 容易 では な い燃 料 の場 合 に は、 こ の遅 れ の例
ん船 舶 攻撃 が 現実 に行 な われ る 以前 から であ る。 ト ン数 基 礎 で の輸
既 述 のよう に こ の減 少 は 日米 開戦 以前 にさ か のぼ って い た。 もち ろ
こ のよう な 攻撃 の最 終 的 効 果が 、 い った いど こ に現 われ るか の決
入 量 で は早 く も 一九 三 七年 (昭和 十 二年 )が 、 また 価格 基 礎 で は 一
外 を 生 ず る であ ろう と いう こと 、以 上 であ る。
定 は、 敵 を し て行 な わ せる のであ る 。す な わ ち こ の攻 撃が 輸 送機 関
発 生 に左 右 さ れ て おり 、も し く は戦 争 と 同時 に起 こ って いる 。
干 は、 開戦 前 にす で に存在 し て い たが 、 主 な る原 因 は、戦 争 状 態 の
以 後輸 入が 確 実 に減 少 し た のに は種 々 の原因 が み られ るが 、 そ の若
九 四〇年 が 、 そ の最 高 に達 し た年 であ った。 これ を最 高 の年 と し て
の顕 著 な 例 は、 木棉 織 物 の大 市 場 とし て の イ ンドを 失 った結 果、 以
開始 によ る市 場 喪 失 など に より 減少 は必 然と な った のであ った。 そ
争直 前 に起 き た世界 貿 易 の 一般 的制 限 、 これ に 加え て、 む ろ ん戦 争
原料 は、 ヨー ロッパ戦 争 の勃 発 、 日本 の在 外 資金 の凍 結、 お よび 戦
前 に は単 一輸 入 品 と し ては最 大 の量 であ った外 国棉 花 の需 要が 急 減
総 合 的結 果 と し て は、 日本 の輸 入量 は 一九 四〇年 から 終戦 ま で 一
減少 は、 も しも 他 の要 因 が加 わ ら な か った ならば 、 おそ らく そ の容
着実 な減 少 を たど った。 以上 の戦争 に直 接寄 与 し な い資材 の輸 入 の
小麦 な ど 、棉 花 と 同 じ性 格 を持 つ産 物 の輸 入 も 、 一九 四〇 年 以後 は
し た こと であ る。棉 花 の外 にも 、羊 毛 、木 材 、 人絹 、 パ ルプ、 紙 、
定 の上 昇率 を も って連 続 し て減少 の 一途 を たど って いる 。扱 わ れ た
量 に お いて、 種 々 の戦 争 資材 の増 加す る 需要 によ り、 さ ら に大 きく
輸 入量 の減 退
全 ト ン数 の数 字 は入手 できな か ったが 、 付 表第 73は、 最 大 ト ン数 に
3
な る、 かさば った 多数 の品物 の輸 入数 字 を年 毎 に示 し て おり、 これ
な った こと であ ろう。
こり、 こ のた め原 料 の供 給 源が 漸 次失 われ て い った こと に よる 。す
にこ の減 少 に作 用 し て いた第 二 の要 因 は次 の諸 事件 が 順 を追 って起
輸 入 の減少 を 招 来 し、 か つ米 軍 の攻 撃 が効 を 奏す る以 前 に、す で
が漸 減 の傾向 を よく表 わし て いる 。 一六種 の産 物 輸 入 は、 一九 四 一
五 年前 半 期 六 ヵ月 には 二七〇 万 メー ト ル ・ト ンにま で減 少 し て いる。
な わ ち1 ヨー ロ ッパ 戦争 の勃 発 によ る各 交戦 諸 国 か ら の多量 の輸 入
年 の二千 万 メー ト ル ・ト ンから 四 四年 の 一千 万 メート ル ・ト ン、 四
した こ とを 示 し て いる。 一九 四三 年 の数 字 が や や増 加 を示 し て いる
減 じ て い る のに価 格 は 増 えて い る。 ま た他 の輸 入品 でも 増 加 し た価
中 には、 石 油 、屑 鉄 、 銅金 属 、鉛 、 ボ ー キ サイ ト、燐 灰 土、 ゴ ムが
の戦 争開 始 。 これら の原因 で 減少 を 余儀 な く され た多 数 の輸 入品 の
4 反 枢軸 賭 国 と
3 米 、英 、
各 種輸 入品 の合計 価格 も ま た 一九 四〇 年 から 四 二年 へと次第 に減 少
のは 、輸 入量 が増 加 し た ので はな く 、円 貨 の変 動 の結 果 であ る。 例
フ ラ ン ス地 域 で の 日本 の資 金凍 結 、 そ して最 後 に
物 資 の喪 失
2米 、 英 を主 とす る数 ヵ国 の対 日輸 出禁 止
え ば 、棉 花 、 石炭 、 白 雲石 、 マグ ネ サ イ ト の場 合 には、 ト ン数 で は
格 はト ン数 の増 加と は比 例し て おらず 、 ま た はト ン数 の数 字 ほ ど価
の要 因 があ った。 そ の 一つは利 用 可能 な船 腹 の喪失 であ る。 ごの喪
右 のほ か開 戦 の際 、 確実 に輸 入減 少 をも たら し た重要 な いく つか
本 の手 に取 りも ど され たも のも あ った。
る地 域 が、 開 戦 に よ り日本 軍 の管 制 下 に 入れ ら れ た時、 全 面 的 に日
含 ま れ て いた 。 し かし これ ら の品 目 の多 く は、 連 合 国 の支配 下 にあ
こ の減少 を き た し た のは、 日本 が 戦 備 を整 え る に当 り、 必 須 でな
格 は減 少 し て いな い。
い各 種 の物 資 の輸 入を 自 発的 に差 し ひ か え た から と推 定 しう る 。 こ の必須 な らざ る物資 に準ず る品 目も 輸 入 が減 少 し て いる が、 これ ら の大部 分 は 日本 で加 工さ れ て輸 出 品と な る品 目 の原 料 で あ る。 こ の
付 表 第73日
本 の重 要戦 略 物 資 の輸 入(1940-1945)
失 には ま た 三 つ の要 素 が作 用 し て いた。 そ れ は戦 前 の若 午 の時 期 に、
々に増 加 し、 一九 四 二年 九月 に最高 ト ン数 に達 し、 そ の後 は、 商 船
らず 、 民 間用 に利 用 し得 る稼 働 貨物 船 のト ン数 は、真 珠 湾 以後 、 徐
力 や航 空 兵力 に対 抗 でき な い脅 威 に直 面す る ま で の期 間 、 利 用 可能
資 源 を 日本 は、 同海 域 にあ った 日 本船 舶が 漸 増す る連 合 軍 の海 上 兵
ピ ン、蘭 印︱︱ の莫 大 な富 源 が 日本 の管 理下 に 入 った。 こ の豊 富 な
出す る に つれ 、南 方 地 域︱ ︱ イ ンド シ ナ、 タイ国 、 マル ー、 フ ィリ
と し て日本 を 封鎖 して い った 、 そ の効 果 であ る。 日本 軍 が 南方 に進
と は、 南方 生 命線 に対 す る連 合 軍 の攻 撃が 強 化、 増 大 し、 そ の結 果
日本 へ の輸 入 の減 退 を説 明 す る の に、右 の事情 と 同様 に重要 な こ
あ る。
で の間 、商 船 隊 のト ン数 の増 減 と ほぼ 同 じ率 で増 減 し て いた よう で
基 礎 と し て で はあ るが 、総 輸 入 ト ン数 は、 一九 四 一年 から 四 五年 ま
隊 の損 失 は常 に増 加分 を 超過 し て いた のであ った。 不完 全 な資 料 を
傭 船 と し て利 用 し て いた 外 国船 が 減少 し た こと であ る。 一九 三七年 に は、 日本 の外 国貿 易 は 、 四六 % が外 国 船 で、 残 り 五四 %が 日本船 で運 営 さ れ て いたが 、 一九 四 一年 にな る と外 国 船 の占 める 比率 は三 五% と 減 って いた。 こ の比率 の変 化 は、 日本 が 海 運 に お いても 国 家 的 独 立 を達 成 せん と の自 覚 的企 図 の表 わ れ とも 受 けと ら れ よう が、 実 は ヨー ロ ッパ戦争 によ り 日本 の貿 易 に関 係す る 多数 の ト ン数 に の ぼ る外 国船 が 凍 結 され た た め であ り、 これ は日 本が 計 画 を決 定 す る 以 前 にす で に疑 う余 地 な く行 な わ れ て いた。 日 本 の宣 戦 布告 は、す
輸 入貿 易 に使 用す る 船腹 の喪 失 は、 ガ ダ ル カ ナ ル作 戦 以後 、 ま す
な わち こ の外 国 船 の全 部 を 即時 に失う こと を意 味 し た。
ま す 多 く の船 を軍 事 上 の要 請 に応 じ て配 当す る に つれ 激 しく な った。
て いた 船 の多 くが 、 空 船 で帰 港 す ると いう、 ど んな 理論 を も って し
さ ら に 日本 は、中 国 大 陸 や 太平 洋 で の戦 闘 正而 への補 給 任務 に服 し
の 一途 を たど り 、 フ ィリ ピ ンの再 占領 で そ の最高 潮 に達 した。 これ
な かぎ り の船 舶 をも って、 最 大 限 に開 発 した。 連 合 軍 の封 鎖 は強 化
った。 一九四 五 年 に は、も っと も切 実 に必要 とさ れ た資 材 が少 量 輸
よ り後 の日本 への南方 か ら の輸 入 は、 ほ ん の細 流 にしぼ ら れ て しま
ても 通 用 し な い不 可思 議 な こと を や って いた。 こ のよう な こと は 、
一年 の夏 に船 舶 を "A " ( 陸 軍 )、 "B " ( 海軍) 、 "C " (民間 ) の三
こ こで 注目 す べき は、船 舶 の不 足だ けが 全 品目 の日本 への輸 入量
入 され た にす ぎ な か った 。
真 珠 湾 攻 撃 の数 年前 の日 支事 変 中 にも や って いた ら し いが、 一九 四
部 に配 当 し た以後 は、 確 か に空船 で帰 港 し て いた。 そ し て戦 争 が進
で取 り 続け て い った。
行 す る に つれ、 軍 事 上 の要 求 によ り全 船舶 の大 半 は "A " と "B"
愈 々激 しく な って い った。 連 合軍 の船舶 攻 撃 は 戦争 の開 始 と同 時 に
来 と同 一の量 、 も しく はより 大 量 に引 き 続 いて輸 入され て いた の で
側 にあ った。 より 重要 な 品目 は、 より 重要 でな い品 を儀 牲 にし て従
の攻 撃 か ら受 け た 衝撃 に、 ど う 対 処す る か の決定 は依然 と し て 日本
減 少 を 招来 し た 十分 な 理由 で はな か った と いう こと であ る。連 合 軍
始 ま り、 次 第 に強 化 さ れ て全 戦争 期 間中 続 行 さ れ た。 日 本 は造船 計
あ る。 ボ ー キ サイ ト、 マンガ ン、 錫、 銅 鉄、 ク ロー ム鉱 、 ニ ッケル
最 後 に は、利 用 可 能 な船 が 実際 に失 わ れ る に つれ て輸 入 の減 少 は
画 を 大拡 張 し 、 か つ征 服 に よ って莫 大 な船 舶 を 敢得 し た にも かか わ
日 本 に向 け て積 み出 し を開 始 し、 約 二 五万 ト ンの油送 船 が この作 業
一九 四 二年 五月 ま で に、 復 興 さ れ た南 方 油 田 から 相 当 量 の石油 が
ンにす ぎ な か った ので あ る。
に従 事 し て いた。 そ の後 の 一二 ヵ月 間 に、 日本 の油 送 船 ト ン数 合計
真 珠 湾 以 後 の 一 二ヵ月 間 に、油 送 船 の全 建造 量 は、 わず か に九 千 ト
減少 し た。 同年 中 の鉄 鉱、 石 炭 、燐 灰 石 、米 の輸 入 は 一九 四 二 年中
撃 が 激 化 し た ので 、南 方 地 域 か ら の物 産 の輸 入 は、 全品 目 にわ た り
は、 艦 隊給 油 艦 を除 い て、 二 六% 増 加 し たが 、蘭 印 から の石油 輸 入
鉱 、 コプ ラ、 マ ニラ麻 のよ う な南 方 地域 の物 産 は 一九 四 三年 中 に最
の半 量以 下 で あ った 。 一九 四 五年 に は、 日 本 に無 事 に到着 した 貨物
大 の輸 入 量 に達 し た。 しか し 、 一九 四 四年 に は連 合軍 側 の商 船隊 攻
は き わ め て少 量 の鉄 鉱 (二 七、 〇 〇 〇 ト ン)、 ボ ー キ サイ ト (一五 、
に使 用 さ れ る油 送船 の百 分 比 は 一九 四 二年 五月 の四 二% か ら 一九 四
す る に足 ら な か った 。す なわ ち 、 一九 四三 年 の晩 春 に短 期 間 に米 軍
三年 五 月 の約 九 〇 % に急 増 し た 。油 送 船 の沈没 は この期 間 は問 題 と
の猛烈 な 活 動 があ って 、 そ の た めに 約 七万 五千 ト ンが沈 めら れ ただ
五 〇 〇 ト ン)、 錫 (三、 六〇〇 ト ン)、 ゴ ム (一六、 五〇 〇 ト ン) お
石 油 ︱ ︱蘭 印 地域 から 石 油 を輸 入せ ん とす る 日 本 の努 力 は、 日本
け で 、 そ の後 一九 四 三 ︱ 四 四年 の冬 期 ま で は、奇 妙 な こと に重 大な
よび 米 (二〇 〇 ト ン) に すぎ な か った。
そ の "脈 搏 "が た ど った盛 衰 の物 語 り であ る。 本 土 の油 資 源 が き わ
防 衛 の三 大要 素 で あ る、 航 空 部 隊、 海 軍 、商 船 隊 の活動 の いわば 、
攻 撃 を ま ぬ かれ て い た。
こ の有 利 な 環境 の下 で 、輸 入 は飛 躍 的 に増 加 し、 一九 四 二年 の末
め て貧 弱 な 日 本 は、 南方 の油 田を 征服 し 、 そ こ から 最 大 限 の収 益 を
ま で には 一ヵ月 一〇 〇 万 バ ー レ ル以 上 の割合 で輸 入さ れ て い た。 一
確 保 しな け れ ば なら な か った し、 これが な け れば 日本 の戦争 努 力 は、 崩 壊 の憂 目を 見 る の であ る 。戦 時 の油送 船 隊 と 南方 石 油 輸 入 の経 過
の多 く の無 活動 ト ン数 に加 え て、 日本 は外 国油 送 船 約 七 万五 千 ト ン
滞 し、 一九 四 三年 の 一月 から の三 ヵ月 は、 日本 への石油 輸 入 の順 調
い組 織 編 成 が 必要 か 否 かを めぐ る 全海 運 業 の再 編 のた め、 運航 は遅
と ころ が、 こ の船 団護 衛 組 織 の効 果 を めぐ り 、 ま た こ の予期 し な
と にな った。
じ め に は、 日本 と シ ンガポ ー ル間 の航 路 に船 団 護衛 が 開 設 され る こ
方 、 貨 物 船 は大 き な損 失 を 受 け て おり 、 こ の結 果、 一九 四 三年 のは
戦 争 初 期 の数 ヵ 月 間、 す な わ ち征 服 と そ れ に続 く油 田復 旧 と の期
は、 付 図 第 75 にそ の概要 を示 し て あ る。
間 は、 石 油輸 入計 画 が休 止 の状態 であ った 。艦 隊 の補 給 に従 事 す る
を捕 獲 し た ので、 油 送 船建 造 は無 視 され る こと にな った。 一九 四 一
四三 年 の前 半 期 中 に は 一五% 増 加 し 、 輸 入量 は、 一ヵ 月約 一五〇 万
な 流 れ は妨 げ ら れ た。 石油 輸 入 に配 当 され る 油送 船 ト ン数 は、 一九
多 数 の給 油 艦 を除 け ば 、 日本 の油 送船 は活 動 を し て いな か った 。 こ
年 と 一九 四 二年初 頭 に は、 海軍 艦 艇 の建 造 が最 優 先 と さ れ て いた の
最 初 は躊 躇 さ れ たが 、護 衛 船 団 制 度 は実 施 さ れ た。 こ の制 度 が運
ト ン平 均 で、 わ ず か で はあ る が増 加 して いる。
で 、 商船 建 造 は 圧迫 さ れ 、 一九 四 二年 の後 半 にな り、 よ う やく そ の 建 造 が促 進 さ れ、 全 面 的 に貨物 船 隊 の増 強 が 指 令 され た が、 これ は 貨 物 船が 戦 争 の開始 時 以 来 、 極度 に不 足 を呈 し て い た から であ った。
付 図 第75
用 さ れ るや 輸 入 の流 れ は 再び 上 昇 し だ し た。 七月 と 八 月 に は輸 入 量
への油輸 送 と いう本 務 に従事 中 であ った。 日本 が 油 輸送 の促 進 のた
いう 空前 の量 のトン 数 にま で達 し た。 就 役 油送 船 の四分 の三 は本 国
八月 に石油 輸 入 に従 事 して い た油 送船 の ト ン数 と輸 入 量と の比率 が、
量 は 一九 四三 年 八月 に達 成 し た絶 頂 点 に ほぼ 匹敵 し た。 一九 四 四年
め払 った集 中 的 な努 力 は発作 的 な 精 力 とな って爆 発 し、 二月 の輸 入
は急 増 し 一七 五 万バ ー レ ルと いう 絶 頂 に達 した。 こ の有 望 な 結 果 は、 殆 んど 同時 に生 じ た貨 物 輸 送能 率 の最高 点 と合 致 し て いる。 シ ン ガ ポ ー ル船 団 航路 は、 そ の能 率 を最 高 度 ま で発 揮 し て いた 。
隊 のト ラ ック島 急 襲︱ ︱ 日本 にと って は、 まさ に災厄 的 とも いう べ
いた こと の証 拠 でも あ る。 一九 四 四年 二月 に行 な わ れ た米 ・空 母部
一九 四 三 年 八月 のも の と殆 ん ど同 一で あ る こと は興 味 のあ る ことで
こ の頃 か ら連 合 軍 の潜 水 艦攻 撃 が 真剣 さ を加 え る こと にな った。
損 害 は重 大 であ った。 す な わち 、 一九 四 三年 の最 終 の四 ヵ月 間 に、
き︱ ︱ によ って、 日 本 海軍 の給 油艦 勢 力 が激 減 し た。 これ に より 同
一九 四三 年 の秋 に おけ る 日本 の油送 船 の喪 失 は重 大 で はな く (毎 月
潜 水 艦 に よ り六 三万 七 千 トン も 撃 沈 され 、 これ に先 立 つ四ヵ 月 間 に
年 はじ め の 二ヵ月 間 に全 油送 船 隊 は、 一三 %減 少 し て しま った。 一
能率 が 三 六% 低 下 し た こと は、当 局 の注意 が 石 油輸 入 に集 中 さ れ て
比 べる と撃 沈 量 は実 に六 五% も 増 加 し た。 こ のよう な 大損 害 に直 面
方 、 本 国 への油 輸送 に割 当 てら れ た 油送 船 は 次第 に増 加し 、 三月 一
あ るが 、 ま た、 同 一期 間 に シン ガポ ー ル航 路 に就 航 す る船 舶 の総合
し て日本 は、 船 団制 度 を いよ い よ強 化 し、 あ り とあ ら ゆ る回 避 戦 法
日現 在 で は、 全就 役 ト ン数 の八〇 % が 、 こ の 重 要 任 務 に 服 し て い
全 就役 船 の約 三% にすぎ な か った)、 ま た 、 こ の喪失 量 は、 一ヵ月
を 採 用 し た。 こ の採 用 は、 ただ に船 団 の能 率 を 低下 せし めた と いう
約 三 万 ト ンの造 船 率 で 十分 に余 裕 をも って補 われ た が、 貨 物船 隊 の
注 目 す べ き結 果 を も たら し た の みな らず 、 潜 水 艦 に より 撃沈 さ れ る
た。
て いた合 成 油 工業 を 一九 四四 年 はじ めか ら復 活 し た。 さ ら に 日本 は
こ と に失 敗 し た日 本 は、 南 方 の豊 富 な 油 田地 帯 の占 領 以来 、 放 置 し
南 方 油 田 から 石油 を妨 害 を受 けず にそ の油 全部 を 日本 に輸 送す る
船 は依 然 と し て ほぼ増 加 の 一途 を たど った の であ る。 他 方、 一九 四
航 路 の稼 行 率 は急 降 下 し、 秋 には〇 ・三 四 九 とな った。 し たが って
内 線 地帯 全 域 にお いて 、将 来 の保 障 とな り、 同 時 に輸 送 が 大 い に節
三年 春 の〇 ・四 二六 か ら夏 には〇 ・四 七 〇 に高 ま った シ ンガ ポ ー ル
ー レ ルを や っと 越 す程 度 に低 下 した 。
た。 一九 四 二年 と 一九 四三 年 に は、 造 船高 のう ち、 わず か に約 二 五
日本 側 は大 い に驚き 、 油 送船 建 造 にあ ら た めて重 点 を置 く にい た っ
ト ラ ック島 と パ ラ オ諸 島 の空 襲 で多数 の油 送船 を 一挙 に喪 失 した
約 でき る よう な新 石油 資 源 の探 査 に乗 り出 し た。
南 方 から の石 油輸 入も 困難 が 加 わ り、 同 年 末 に は 一ヵ月 一〇 〇 万バ
一九 四 四年 にな ると 、 日本 は 一大 決 心 の下 に、南 方 油 田と 精 油 所
半 に促進 され た 油 送船 建 造 (六 ヵ月 間 に 一八万 六千 ト ン)と 、 船 舶
% が 油 送船 であ ったが 、 一九 四 四年 のは じ め に、 油 送 船 の建 造 に、
から 多 量 の石 油 を 本土 に輸出 す る努 力 を開 始 し た。 一九 四 三年 の後
と と によ り、 全 油 送 船 隊 は四 四 年 一月 一日現 在 で八 三万 七 千 ト ンと
喪 失 のう ち油 送 船 の損 害 は、 相対 的 には 大 し たも ので はな か った こ
再び 重 点が 移 さ れ る や、 造船 高 は急 増 し、 三 月 に は、 七 万 八千 ト ソ
輸入量 は平均 三 〇 万バ ー レ ル以下 と な ってし ま った。 日本 は こ のよ
し ま った。 こ の結 果 日 本 への油 輸 入は急 減 し、 一〇月 と 一一月 中 の
こ のた め シ ソガ ポ ー ル船 団組 織 を 望 み のな い混 乱 の中 に投げ こ んで
う に た い へんな 大損 失 を 受 け た にも か か わらず 、 同年 中 の油 送船 建
の絶 頂 に達 し た 。そ し て同年 三月 以降 の 一〇 ヵ月 間 に油送 船 引 渡 し
油 送 船建 造 計 画 の強 化 と時 を 同じ く し て、 護 衛 艦 隊 にも 非 常 に大
造 を 大量 に行 な った。 これ に より 就役 全 油送 船 隊 の ト ソ数 は維 持 さ
造 を強 力 に進 め、 さ ら に 一九 四 四年 秋 には貨 物船 から 油送 船 への改
は全 新 造船 の三 七 ・五% を 占 め た。
き な増 強 が行 なわ れ た 。 し かし、 こ の事 は 回避 戦 法 の採 用 を 倍加 さ
れ 、 一二月 一日現 在 の稼 働 油 送 船 隊 は依 然 と して 約 大〇 万 ト ソで あ
せ 、輸 送 の遅 延も ま た 倍 加 さ せる に いた った 。油 送 船 の合 計 ト ン数 と 輸 入 従事 ト ソ数 は、 ト ラ ック島 空襲 によ る 尨大 な喪 失以 後 、 再 び
った。
海 岸線 に接 航 し、 夜 間 は安 全 な港 内 に停 泊 せざ るを 得 なく な った。
半 ば ま で に、 米 ・潜 水艦 攻 勢 に よ る影 響 で、 日本 の船 団 は、中 国 の
油 送船 の引渡 し は次第 に減 少 し、 つい に 一九 四 五年 四 月 に は皆 無 と
貨 物船 建 造 のた めに油 送 船 の建 造 は延 期 され た 。 こう し て、 そ の後 、
こ れが 油 送船 需 要 よ りも 優 先 す ると 認 め ねば な ら ぬ事態 が 発 生 し、
同 時 にほぼ こ の時期 に、穀 類貨 物 用 船腹 への必 要 が緊 急 と な り、
上 昇 し は じ めた が、 船 団 制 度 の能 率 は大 い に低 下 し た (油 送船 撃 沈
こ れ ら の制 限 を受 け て いる運 航 により 、 油 送船 の喪 失 は最 少 限 に喰
れ た。
な った 。改 造 貨物 船 の再改 装 は 一九 四 五年 の冬 と春 を 通 じ て促 進 さ
数 は、 一九 四 四年 大 月 ま で は、 再 び 新造 船 数 以 下 であ った)。 夏 の
い止 め られ て いたが 、し か し海 運能 率 は、根 本 的 に崩 れ 去 った。 (六
し かし、 石 油輸 入劇 の最 後 の舞 台 はまだ 上演 され る に至 ら な か っ
月 、 七 月、 八月 の喪 失 は、 総就 役 船 のいず れ も 八% 以 下 ) 。 七月 に
た。 同 年末 、 企 画院 は内 閣 への報告 中 に次 のよう に述 べ た。 ﹃南 方
な ると シ ンガポ ー ルま で の片道 航 行 は 三 週間 以 上 を要 し た 。同 月 中 、 油 送 船 の喪 失 はわ ず か に 四万 八千 ト ンにす ぎ な か ったが 、 輸 入油 も
占領 地 域 と 日本 と の連 絡 を 保 持 す る こと は、 国 象 の物 質戦 力 の定 着
る こと にな る とす れば 、時 日 の経 過 と とも にわ れ われ は つい には抗
と 維持 上 絶 対 に必 要 であ る。 も し、 南 方 の資 源 特 に石 漁 が放 棄 され
三 六 万バ ー レ ルと いう 空 前 の低 額 とな った 。 八月 には 、 一〇 〇 万 ト ンと いう汕 輸 入 があ り、 これ で特 別 の持 ち
が や って来 た。 一九 四四 年 の秋 の フ ィリピ ン作 戦 の大 混 乱 の中 に、
う 重 大 な損 失 を受 け、 ま た、 残 存油 送 船隊 の半数 が 沈 め ら れ た にも
米 ・空 母 部隊 の南 シナ海 侵 入 作 戦 に よ って全 船団 が 一掃 され ると い
本 土 の死物 狂 いの防 衛 を実 施す るた め であ っ た。 日 本 側 は 二 月 の
こ こで 日本 側 は、 再 び 石 油 の輸 入 を 企図 す る決 意 をす る 。今 回 は
戦 能 力 を喪 失す る に至 るも のと 認 め られ る 。 ﹄
直 しが 起 き たが 、 こ の数 字 に達 し た の は こ の八月 が最 後 であ った。 油 輸 送 の任 務 に 配当 さ れ る 油送 船 ト ソ数 は引 続 き増 加 し、 一〇 月 二
米 ・空 母 群 と潜 水 艦 部隊 は、 四 ヵ月 間 に三五 万 ト ンの 日本 油送 船 を
日 には 六九 万 ト ソに達 し た 。 し かし、 そ の直 後 、急 激 に減退 の頂 点
撃 沈 し、 加 う る に 日本側 は、 フ ィリピ ソ の日本 軍 の増 援 を企 図 し、
九 四 四 年中 は シ ンガ ポ ー ルに向 け 出 航 し た船 団 は月 平均 約 三 回 にす
か かわ らず 、 船 団 を後 から後 から 繰 り 出す こと を や めな か った。 一
万 トン を も たら した 。 そ し て四 月 一日ま で に南 方 と の交 通 は 一切停
千 ト ン、 三月 に は、最 後 に南 方 から 日本 に着 いた油 送 船 隊が 約 三 五
込 み のな い任 務 に配 船 さ れた 。 そ の成 功 の程 度 は、 二月 は 一五万 六
隻 が 撃 沈 さ れ、 最 後 の 一隻 は船 団 から 離 脱 し て ホ ン コンに滞 留 し た。
でも 次 の日 に空母 機 の攻 撃 を 受 け た。 残 って い た貨 物船 のう ち の四
の報 が あ った の で、 船 団 は反 転 し て ホ ン コンに逃 げ こ んだ が、 そ こ
撃 破 され て 船 団 から 落伍 した 。海 南 島 沿 岸 を南 下 中 、空 母 群 接近 中
た。 高 雄 港 内 で三 隻 の油 送 船 が 空母 機 に沈 めら れ た 。護 衛 艦 一隻 は
隻 から 編 成 さ れ て いた。 台 湾 沿岸 で油 送 船 一隻 が 潜 水艦 に撃沈 され
次 の よう に のべた 。 ﹁ 船 団 は油 送船 八、 貨物 船 五 、 お よび 護衛 艦 八
送 船 ﹁サ ラ ワク﹂ の船 長 は、 こ れら の船 団 が受 け た 典型 的 な経 験 を
た が、 下 関 で は、 E 型 船 の燃 料 待 ち の船 積停 泊 期 間 は 七 ・九 九 日も
四 ・二 六 六日 であ った 。 同月 中 に小 型 汽 船 が燃 料 不 足 を感 じ は じめ
料 不足 のた め に 三 ・五 四 四 日 にお よび 、 ま た、 下 関 海 峡 だ け で は
が 、真 先 にそ の危 機 を 感 じ た。 四月 中 機 帆 船 の船 積 み停 泊 期 間 は燃
そ れが す で に枯 渇 し は じ め て いた。 比 較 的 に小 型 で能 率 の悪 い船舶
て の緊 急 度 で は、 航 空 燃 料 に次 いで第 二位 の重 要 度 を持 って い たが、
撃 的 であ り、 待 った 無 し であ った。 艦 船 用 の燃 料 油 は、 国 家 にと っ
日 暮 し の状態 を続 け て いた 日本 にと り 、 油 の完 全杜 絶 の影 響 は、直
南方 から と どく 、 わず か な石 油 を お互 に奪 い合 って 、辛 う じ て そ の
す で に、 は る か以 前 に貯 油 が 底を つき 、 ま た、 全 石油 消費 者 が、
止 した 。
護 衛 艦 三 隻 も 大破 し た の で船 団 を離 れ ね ば なら な く な った。今 や減
一九 四 四年 の最 後 の日 に シ ンガポ ー ル に向け て日 本を 出 航 し た油
ぎ な か ったが 、 一九 四五 年 のはじ め には、 月 間 八回 と増 し て い た。
少 し てわ ず か護 衛 艦 三隻 と 油 送 船 一隻 だ け にな ってし ま った船 団 は
あ った。
輸 入 源 の変 更
総 輸 入量 の減 少 と共 に、輸 入源 地域 にも 重要 な 変 化 が相 次 いで起
4
シ ャム湾 を 横 切 って南進 を つづ け た。 マレ ー半島 沖 で は護 衛 艦 の 一 隻 が 潜 水 艦 の攻撃 によ り損 傷 し て落 伍し た。 一月 二七 日、 日本 を 出
った唯 一隻 の商船 ﹃サラ ワ ク﹄ は水 道 通 過 中 に機 雷 に触 れ つ い に坐
て か ら 二 八日 目 に船 団 は や っと シン ガポ ー ルに着 いた 。 と ころ が 残
こ の全努 力 は米軍 の台 湾 か沖 縄 への進 攻 が 予 期 さ れ る事態 に直 面 し
以 上 の石 油 が 日本 に輸 入 され た が 、 それ が こ の冒 険 の最後 であ った。
以 上 の よう な悲 壮 な 努力 によ って、 一月 中 に実 に九〇 万 バ ー レ ル
域 の資 源 に対 す る 依存 、 3船 舶 事 情 の急 迫 と 南方 地 域 が連 合 軍 に よ
アジ ア地域 から の輸 入源 の消 滅 、 2 南方 地 域 征服 後 におけ る この地
国 の輸 出禁 止 措 置 と 日本 資産 凍 結 、 お よび 最 後 に開 戦 に引 き 続く 非
みれば 、 通 常 品 目 の輸 入 は次 の よう な経 過 であ った 。す な わ ち 1米
こ った。 こ こで 開戦 以 前 か ら の 日本 の輸 入 の跡 の大 要 を再 び か えり
て 三 月 に崩 壊 し た。 そ の時 ま で に稼働 油 送 船 トン 数 は約 五 二万 ト ン
り最 終 的 に封 鎖 さ れ た ため 、結 局 は内線 地 帯 の資 源 のみ に依 存 す る
州 す る の 止 むな き に 至 った 。 ﹂
と 低 下 し、 こ のう ち三 〇% だ け が 、 石油 を 日本 に持 ち 帰 る と いう 見
に至 った こと 、 であ る。 いま数 例 を あげ て右 のこ とを 説 明 し よう 。 一九 四〇 年 に は、 燐 灰
るを 得 な か った 。
内線 地帯 内 の供給 源 だ けが 利 用 され た。 鉛 、 亜鉛 、 屑 鉄 の輸 入 に っ
け る こと にな り 、 残 り は内 線 地帯 で産 出 し た。 一九 四 五年 にな る と、
消滅 し 、南 方 地 域 の鉱 床 が 新 た に開 発 さ れ て 七六 % の供給 を引 き 受
して 約 二% が 内線 地 帯 であ った。 一九 四 三年 には、 遠 方 の供給 源 は
し 、 か つ同 時 に船 舶 需 要 度 を切 り下げ よう と す る、 日本 の企 図 に特
線 地 帯 内 の自 足 度 を高 め 、 そ れ に よ って自 国 の防 衛 上 の地 位 を改 善
ソ数 が常 続 的 に減 少 し 、 そ の運 営 能率 も 次 第 に低 下 し た こと は、 内
の自 給自 足 計画 に注 意 を集 中 せし む る に いた った 。 日本 の商船 隊 ト
い る こと は、 内 線 地帯 、 す な わ ち北 東 ア ジ ア の "円 ブ ロ ック" 内 で
日本 にと り南 方 地 域 と の全 連 絡 線が 不 断 の敵 の脅威 にさ らさ れ て
内線 地 帯 に おけ る自 給 自足 計 画
いても 同 様 な 傾向 が 認 めら れ る 。米 と鉄 鉱 の場合 に は、南 方 地 域が
別 の刺 激 を与 え た 。 一九 四 五 年 のはじ め に、 日 本 は急 速 に悪 化 す る
5
一九 四〇 年 度 輸 入 の最 大部 分 を 引き 受 け 、 内 線 地帯 と 遠方 の供 給 源
土 の輸 入先 は、 そ の八 一% は遠 方 の供給 源 、 一七% は南 方 地方 、 そ
が これ に続 いた 。遠 方 供 給 源 から の輸 入 は、 一九 四 一年 後 には消 滅
し 、依 然 と し て使 用 可能 な驚 く べ き小 型 船舶 のプ ー ルを 極度 に活 用
の調査 を 行 な った。 そ の結 果 は、 こ の ような 大 陸 への依 存 度 を軽 減
す べ き であ る と いう 勧告 が出 さ れ た。 こ の大東 亜 省総 務 部 研究 課 の
船 舶 事 情 に鑑 み、 中国 大 陸 の原 料 品 に日本 が ど れ だけ 依 存 しう る か
し て いた が、 これ ら は 一九 四 五年 にな っても 、 おそ らく 南 方 地域 の
報 書 は 、情 勢 が絶 体 絶 命 的 なも の にな り つ つあ る事 実 を認 めた こと
し、 内 線 地帯 諸 国 だ けが 、 実質 的 な 唯 一つの供 給 源 とな った 。錫 、
物 産 のう ち 内線 地 帯 内 でも 入手 し得 る物 資 は輸 入 せず、 こ の犠粧 に
ボ ー キ サイ ト、 ゴ ム のよう な 物資 は、 南方 地 域を 唯 一つの供 給源 と
お いて、 量 こそ減 少 し て い たが 依 然 と し て輸 入 され た。大 豆、 豆粕 、
大 陸 か ら の供 給 の保 証 を 必要 とす る 物産 は食 塩と 大 豆 の 二種 であ
を 示 し て いる。
る と結 論 され た 。 次 に 日本 本 土 で は代 用物 が な いので 、第 二位 の重
の物 資︱ ︱ そ の唯 一つのも しく は主 要 な供 給 源 は 内線 地 帯 であ った
食 塩 、 鉄 お よび鋼 、 マグ ネ サ イト 、 白雲 石 、 石炭 のよう な他 の 一群
︱︱ も ま た 一九 四 五年 中 で さ え同 様 に引 き 続 き 輸 入 され た 。非 食 糧
用) 、 マグ ネ サ イ ト、 黒鉛 、 マンガ ソ、 そ の他 の鉄 合 金 であ り 、 ま
た 、 大陸 産 の物 資 で "必要 品 " と書 かれ た第 三 群 の物 資 は 鉄鉱 、 石
要 性を 有 す るも のは、 燐 灰 土 、 ア ル ミ ナ頁 岩 (研磨 材 料 や耐 火煉 瓦
炭 、銑 鉄 、 ア ル ミナ頁 岩 (ア ルミ ニゥ ム用 )、 原棉 、 脂 肪、 油 類、
で あ った こと は 重要 であ る。 敵 の領 土 の有 効 な 封鎖 と 海 運制 限 の最 終 的局 面 は、領 土 の征 服、
品 物 産 の輸 入数 量 の減 少 が 、食 糧 品 の輸 入減 少 よ りも はる か に大 量
ま た は再 征 服、 そ し て実 際 の占領 に より 完 了す る。 日 本 は フ ィリピ
石 綿 、 雲 母 であ った。
これ ら の物 資 の日本 で の用 途 、 大 陸各 供給 源 の重 要度 の比 較、 お
ン諸 島 お よび沖 縄 が 占 領 され た後 は、 両 地 域 (フ ィリ ピ ンは鉱 石、 大 麻 、砂 糖 、 コプ ラ、沖 縄 は砂 糖) から の輸 入 を、 完 全 に停 止 せざ
よ び将 来 の方 針 等 に関 し て次 の結論 に達 し た。 食 塩 ︱ ︱ 食 塩 の国産 はわず か に 四〇 万 メー ト ル ・トン、 す な わ ち
な か った ので 、 日本 で貯 蔵 す る た め 、 入手 可能 な 最 大量 の燐 鉱 石 を
製 造 地 に堆 積 さ れ て、 日本内 地 で の蓄積 が 妨 げ ら れ て いる 事 情 の改
よ う な 重要 工業 の必 要 物 であ った。 こ の食 塩 が 輸送 力 不 足 のた め に
化 学 工業 の基 礎 であ り 、 か つ、 精 油、 軽 金 属 な らび に爆発 物 製 造 の
た 。食 塩 は食 物 とし て不 可欠 な も のと考 え ら れ て い た のと同 様 に、
の要 求 を 十分 に満 足 さ せる だ け の、 頁 岩 を引 き 渡す こと は、 困 難 で
れ た。 と こ ろが 船 舶 事情 が 悪 化 し たた め 、 こ の要求 と 金属 工業 から
一ヵ年分 の ス ト ック を国 内 に貯 え るた め輸 入を 継続 す る よう 要 求 さ
に大 量 に 必要 と し た。 日 本 で は満 足 す べき 代 用品 が 得 られ な い ので、
の金 属 工業 の維 持 に 必要 と し た研 磨 料 と耐 火煉 瓦 材 料 を製 造 す る の
ア ルミ ナ頁 岩︱ ︱ 北 部 中 国 の ア ルミ ナ頁 岩 と福 州 の粘 土 は、 戦時
中 国 から 積 出 す こ とが 肝要 だと 声 明 され た。
善 を 企 図 し、 さ ら に1 工業 に おけ る 食 塩 の使 用 を節 約 す る た め技 術
を犠 牲 にせ よと 書 かれ てあ った 。頁 岩 を 基礎 と す る ア ル ミ ニウ ム計
あ ろう と 認 めら れ た 。そ こ で、 勧 告 には 必要 と あ らば 後者 の 一部 分
一ヵ年 需 要 量 の二〇 % にす ぎ ず 、 不足 量 は中 国 と満 洲 か ら輸 入さ れ
を 改 善 す る こと 、 2人 間 生 存 の た め の最 低 必要 量 を確 保 す る こと 、
を輸 送 す る のに船 舶 が 不足 な ので、 結 局 見 込 みが な い こと が分 った 。
画 は、 日 本 の諸 工場 の改 造 が お く れ た のと 、増産 され る 大 陸 の頁 岩
3 内 国 で の製 造 を 従 来 の年 間需 要 量 の 二〇 % より増 産す る こと等 が 勧告された。
よ って、 ア ルミ ニウ ム工業 とし て は、 1 国 産材 料 から ア ルミ ナを生
大 豆 ︱ ︱ 大 豆 の年 間輸 入 量 は 戦争 の殆 ん ど全 期 間 を 通じ 、 増 加 を 見 たが 、 これ は 大豆 への食 物 と し て の依 存 度が 高 ま った こ と (大 豆
おけ る ア ル ミ ニウ ムの代 用 品 の諸 研 究が 勧 告 さ れ た。
産 す る方 法 、 2 ソ ーダ の使 用 を 必 要 と しな い技 術 、 3航 空 機 工業 に
マグ ネ サ イト︱︱ マグ ネ サ イ トは 電気 鋼 炉用 の マグ ネ シ ア煉 瓦 の
に含 まれ る 蛋 白質 が 動 物質 食 料 品 の不足 を 補 う た め) と、 潤 滑 油 や
製 造 、 お よび 金属 性 マグ ネ シウ ム の製 造 に主 と し て用 いら れ た 。大
各 種 工業 用 油 の源と し て 必要 と さ れ た から であ った。 輸 入総 額 は 一 九 四 四 年 に は七 二万 八千 メー ト ル ・トン に達 し たが 、 そ の大 部 分 は
陸 産 マグ ネ サイ トを輸 入 す る船 腹 を あ る程 度 軽減 す る た め、 1 国産
白 雲 石 を マグ ネ サイ ト に代 用す る技 術 の開 発 、 2朝 鮮 、満 洲 で 金属
満 洲 か ら であ った。 輸 入 は引 き 続 いて輸 入可 能 量 の最 高 に 維持 さ れ
燐 灰 土︱︱ 太 平洋 の諸 島 を喪 失 後 、 燐 灰土 は中 国中 部 沿 海 地方 か
性 マグ ネ サ イ トを 精製 し たう え、 かさば る原 料 品 を船 積 みす る 必 要
ねば な ら な か った。
ら少 量 な が ら 入手 さ れ た。 一九 四 四年 の六 万 六千 トン と いう 数字 は
分 がな か った ので、 大 陸産 黒 鉛 を輸 送 し て貯 蔵 し なけ れば なら な い
全 面的 に満 洲 から 輸 入 され た 。 人 工黒 鉛 電極 用 のピ ッチ コー ク の余
黒鉛 ︱ ︱ 電極 に使 用 でき る ほ ど高 級 な 黒鉛 は日本 には 産出 せず 、
を 除く 計 画 が立 てら れ た。
し て い た重 要 肥料 の 一つであ り 、 ま た化 学 工 業 で無 数 の重要 な 用 途
数 量 の約 四 分 の 一にすぎ な か った。 燐 は日 本 の大 部 分 の農 業 が 依存
最 高 で はあ ったが 、 し かし 以 前 に 日本 が 太 平洋 の諸 島 から 取 得 し た
が あ る物 産 であ った。 当時 の供 給 量 は需 要 量 に対 し、 は る か に及ば
鉄 鉱 ︱︱ 一九 四〇年 中 は日 本 の鉄 鋼 工業用 の鉱 石 は、 そ の大部 分
れ た。 一九 四 四年 には、 全 供 給 量が 一二 万 五千 トン に減 じ た のみ な
年間 の需 要 量 三四 万 メー ト ル ・トン のう ち 五〇% が 国産 品 で賄 な わ
は 不 可能 だ と いう こと を 日本 側 は率 直 に認 めて いた 。戦 前 には、 一
グ リ セリン お よび 各 種 工業 用潤 滑 油 の輸 入 な く し ては、 戦 争 の継 続
が 南方 地 域 か ら輸 入さ れ た。 一九 四 二年 と 一九 四三 年 には中 国 が 主
らず 、国 産 量が 一万 四千 ト ンす な わ ち 一一% に低 下 した 。 そ の残 り
切実 な 必 要が あ った。
った 。 一九 四 三 年中 に日 本が 使 用 し た鉄 鉱 石 の供給 源 は次 のと お り
要 供給 源 であ った。 日 本 産鉱 石 は 一九 四四 年 に は重 要 とな り つ つあ
こ のよ う に鉄 鉱 が大 陸 産 のも の に圧 倒的 に依 存 し て いる 事実 に か
方 地 域 か ら の石 油 お よび 植 物油 は全 然輸 送 され な か った ので、 大 陸
た、 二万 八千 トンが 南 方 地 域 から 送 られ て き た。 一九 四五 年 に は南
のう ち、 約 六 万 七千 トンが 満 洲 か ら、 一万 六千 ト ンが 中 国 から 、 ま
んが み 、中 国 産 の高 級 鉱 石 を でき る だ け多 量 に輸 入貯 蔵 す る こと 以
った。
か ら の輸 入 と国 産 増 加を 促 進 す る の必要 が ます ます 急 な るも のがあ
であ る 。
外 に、 1 国 内 の鉱 石 の増 産 、 2 主 とし て 電気 鋼 能 力 の増 加 によ り、
粘 結 炭︱ ︱ 中 国 炭 は 日本 の コー ク ス製 造 の基礎 であ り、 石 炭 輸 入
製 鋼法 の改善 、 3国 内屑 鉄 回 収 の増 加 、 が計 画 さ れ た。 これ と 同時 に、清 津 付 近 にあ る茂 山鉱 山 に多 大 の努 力 が 注 入さ れ た︱ ︱ 同 鉱 山
トンが 輸 入 さ れ、 同 年 の硬 質 粘 結炭 全 消費 量 の約 八 八% を占 めた 。
総 量 の五 〇% を占 めて いた。 一九 四三 年 に は中 国 の粘 結 炭 二 五〇 万
たび あ った。 鉄鋼 工業 は重 要 であ り、 か つこ の 工業 は、 中 国北 部 の
全 輸 入炭 ト ン数 のう ち中 国 北部 から のが 七〇 % も 占 め た ことが たび
は選鉱 法 の改善 を要 す る ほ ど低
土 に最 寄 り の大 規 模供 給 源 を な
品 位 のも のであ ったが 、 日本 本
し て い た。
を補 う た め の対 策 と し て、 高 品
かく し て、 粘 結 炭 の輸 入を 犠性 にす ると いう、 初 期 の方 針 か ら思 い
〇 % を 石炭 輸 送 の専 用 に使 用す る こと は、 妥当 でな いと感 ぜ ら れ た。
特 に食 糧品 の需 要 も ま た大 き か った ので、 減少 し てい る全 船 舶 の七
石 炭 に依存 し て いた。 し かし前 述 のご とく 、他 の大陸 産 の戦 略物 資、
位 鋼確 保 のた め に マンガ ン の供
切 って離 れ た決 定 が な さ れ る こと にな った。
マン ガン︱ ︱ 鉄 鉱 の品 位 低 下
そ れ は中 国 中 部 から 鉱 石 を輸 入、
不具 の状 態 に陥 った製 鋼 工業 に対 し て は、 次 の勧 告 が出 さ れ た。
給 維持 が ま す ます 重 要 と な った 。
貯 蔵 す る こと と、 国 産 マン ガン
1
2
コー ク ス炉 無 し で ター ルを 生産 す る方 法 を 調査 す る こ と。
と。
北 支 炭 に依 存 す る を要 し な い製 鉄 と製 鋼 方 法 を 調 査 す る こ の品 位 を改 善 す る努 力 を 含 ん で
油 と 脂 肪︱︱ 食 用油 と ヘ ット 、
い た。
3
コー ク ス炉 ガ ス に依 存 しな いでも 済 む 製 鋼方 法 を 準 備す る こ
国産 粘結 炭 の増産 。
と。 4 国 産 炭 を基 礎 と す る 日本 の小型 炉 や 中型 炉 の使 用 に、さ ら に
大 陸産 の戦 略 物資 の スト ック を獲 得 す べき 緊 急 の要 望、 代 用 物資
ため に、 日本 が 伝統 的 な 〃鉄鋼 第 一"方 針 を 放棄 した こと は、 船舶
や 技 術 への熱 狂 的 な探 求 、 そ し てと り わけ 食 糧 と いう 単純 な 要 求 の
不 足 と いう 事 態 が、 戦 争 の最 後 の年 の初頭 で そ の経 済 に及 ぼ し た広
食 塩 と 食糧 品 の輸 入 は、 日本 が 工業 化 を開 始 し て以 来 、 はじ め て、
範 囲 な影 響 を 雄弁 に物 語 って い る。 一九四 五 年 の前 期 の六ヵ 月 間 に、
基 礎的 工業 材 料 に充 てら れ た総 トン 数 を超 過 し た。
重要 性 を 与 え る こと 。
5
日本 内 地︱ 主と し て北 海 道︱ に小 型 溶鉱 炉 を 設 置す る こと 。
連 合 軍 の日本 の内 線 地帯 に対 す る封 鎖 状態 を強 化す る努 力 は、 南
電 力 で操 作 す る 工場 を 強 化 し、 か つ疎開 す る こと 。
無 煙 炭︱ ︱ 以前 には無 煙 炭 は仏 印 (イ ンド シ ナ) か ら輸 入さ れ て
と な った が、 こ の強 化 は そ の後 の日本 の輸 入量 に影響 して く る。 い
方 地域 で 日本 の生 命 線 を攻 撃 す る こ と より は、 必 然的 には る か に後
6
い た。 南方 から の船 舶輸 送 が 制限 され る にお よび 、 朝鮮 お よび中 国
7
の陽 泉 (山 西省 ) か ら の輸 入 が次 第 に増 加 し、 一九 四 三年 には 合計 二八 万 トン に達 し た。 これ を運 ぶ海 上輸 送 の負 担 を減 少 さ せ 、 か つ、
し は、 一九 四四 年 中 に大 部 分 が中 止 さ れ て いた 。内 線 地 帯だ け の物
ず れ も 内線 地 帯 の物産 であ る 食 塩、 豆 粕 お よび 穀物 等 の物資 の積 出
産 であ る 豆粕 は 、 一九 四四 年 に は以 前 のど の年 よ りも 多 量 に輸 入 さ
輸 入 杜 絶 の場合 の苦痛 を 避 け る た め、本 土 の地方 で産 出 す る無 煙 炭 、 木 炭、 コー ク スと 、 コーラ イ トを 代 用す る処 置 を と る のが 肝要 だ と
本 商 船隊 が 大 陸 の物 資 を 本 土 へ輸 送 す る能 力 が 、 日本 内 地諸 港 への
爆 撃 と機 雷 敷 設 とが 大 陸 と内 地 と の海運 航 路 を寸 断 し 、ま た 、 日
れ 、 ま た、 一九 四 五年 には 以前 にま さ る増 加 率 を示 し た 。
のあ る棉 花 は、 依然 と し て中 国 が 事 実上 唯 一つの供 給 源 であ った 。
は、最 終 的 崩 壊 は追 って い た。 た と え減 少 し た商 船 隊 であ っても 、
米 軍 の機 雷 敷 設 のた め減 勢 され 、 大 妨害 を受 け た戦 争 の末 期 ご ろ に
棉 花 ︱ ︱ 衣 服 、綿 火 薬、 自 動 車 、 航空 機 タイ ヤ の た め多 量 に需 要
声明された。
再生 量 を 増 加 さ せ るた め、 あ ら ゆ る努 力 を 払 う こと が 勧告 され た 。
中 国綿 の輸 入 を最 大 限 に ま で達 せ し む る 一方 、国 内 にお け る古 綿 の
所 要輸 入品 を輸 送 す る のに は おそ らく 十 分 だ ったであ ろう 。商 船 隊
も し そ の能 率 と行 動 海 面が そ れ ほど ま で に制 限さ れ て いな か ったら 、
の全面 的 喪 失 よ りも む し ろ、 日 本 帝国 の心臓 部 にお け る船 舶 関係 者
そ の結 論 にお いて 、勧 告 は ﹁も し アジ ア大陸 から の原料 品 の供 給 が 断 たれ る よ うな 時 が来 ると すれ ば 、 今 次 の近 代 戦 の遂 行 は殆 ん ど
の完全 な 士 気沮 喪 が 、最 後 の苦 難 の数 ヵ月 を支 配 し た の であ る。
生産 高 の減 退
不可 能 にな る であ ろ う と予 言 せざ るを 得 な い﹂ こと を 認 め て いた。
6
そ し て 要す れば 、 全 輸 入量 の六〇 乃 至 七〇 % を 占 め て い た鉄 鋼 工業 用 材 料 の輸 入 に重 点 を置 く べ し、 と いう 従来 の方 針 を放 棄 しても 、 食 塩 と 大 豆 の輸 入 を 極力 続 行 す べ しと いう 決定 が 行 な われ た。
連 合軍 の船 舶 攻 撃 によ って生 じ た 日本 経 済 に対 す る第 二 の主要 な
ら の輸 送 問題 と は関 連 なく 生 産 高が 減 退 し て い った要 因 で あ った こ
撃 で直 接 に攻 盤 で き る ま で に進進 を 遂げ た ことが 、 おそ らく 海 外 か
産 高 の減 退 に輸 送 上 の困 難が いか な る影 響 を与 え た かを 評 定す る こ
以 上 のご とき 多 数 の要 因 が お 互 い に作 用 し合 って いる 場 合 に、 生
と は明 ら か であ る 。
る効 果 は、 そ の産 業生 産 物 の量 と 質 の減 退 とな って現 われ た。 こ の
の単 純 な 因果 関 係 を過 度 に強 調 しな いよ う にす る ことが 必 要 であ る。
と は容 易 な こと で はな い。 し かし なが ら 労 力 の配 置 や そ の他 の生 産
生 産 の減 退 と 原 料 品輸 入 の減 少 と の関 係 は明 白 であ るが 、 し か し こ
輸 入縮 小 の場 合 も そう であ ったが 、 生 産 高 の削 減 も 多く の場 合 に は、
に必要 な条 件 に お い ても 、 高 い優 先 順位 を 与 えら れ た ほど 、 た い へ
のが 空襲 さ れ る 以前 にす で に重 大 な 減退 ︱︱ 原料 の受取 り の減 退 と
戦 争 の勃 発 以前 にす で に起 こ って い た。 商 船 隊 の喪 失 にも 、 封 鎖状
似 たよう な 減 退︱ ︱ にな ってい た場 合 に は、 輸 入減 退 と 生産 高 と を
ん 重 要と さ れ た産 業 が 、 そ の生 産 高 に お いて は、 工 場 や都 市 そ のも
日本 産 業 の生産 高 の事実 上 の頂点 は、 日 支 事 変 の刺 激 を受 け た 産
関 連 さ せ て考 察 す る こ と は、 あ なが ち 無 理 と は いえな く な る。 こ の
態 へ追 い こま れ て いく過 程 にも、 ま ったく 無関 係 な 諸 要因 が 、 こ の
業 界 の下 に、 ま た、 世 界貿 易 が 一般 に制 限 さ れ る に先 だ ち、 早 く も
物 質 上 の減 少 に影響 を 与 え て いた のであ る。
一九 三 九年 に到 達 され た 。全 産 業 生 産高 は、 世 界貿 易 の 一般制 限 が
よ う な事 例 は数 多 く み ら れ る ので あ る。
れ と同 一時期 に、 必要 な戦 争資 材 、 鋼 、 セ メン ト、 電 気器 具 、艦 船 、
磁 器 の全 品 目 に わた って生 産 高 は大 き く 減 少 し て い った。 他 方 、 こ
た こと は、 戦時 工業 が 船 舶 の減 耗 に対 し て は ま こと に脆 弱 性 を持 っ
にも か かわ らず 、 そ の生産 が 、 莫大 な 輸 入 石炭 と鉱 石 に依 存 し て い
の期 間を 通 じ て、 最 高 優 先 順位 を 与 えら れ て いた 。 し か し こ の事 実
日本 の戦時 工業 にと って基 礎 と な る鉄 と鋼 と は、戦 争 中 の殆 んど
こ の事 態 は各 々生 産 高 の低 下 に作 用 し た。
日本 は輸 入 の減 少 に よ り、 基礎 原 料 と燃 料 に非常 な 不 足 をき た し、
起 こり、 前 述 し たいく つか の要 因 によ って 日本 の世 界 貿 易が 特 別 に 制 限 さ れ た の に引き 続 いて、 原 料 品 供 給源 と 市 場 と を失 った 一九 三 九 年 以 後 に は低 下 し て いた 。開 戦 直 前 の年 と、 開 戦 に引 き 続 く数 ヵ
合成 油 、兵 器、 弾 薬 そ の他 を 生産 す る多 数 の産 業 部 門 に は大 増産 が
て いた こと を意 味 し、 結 局 は生 産 高 の大 減 少 を招 いて しま った。 早
年 間 に、 木綿 、 羊毛 、 人 絹 、絹 の各 織 物、 木 材 、 紙製 品、 ま た陶 器、
起 こ り、 さ ら に ア ル ミ ニゥ ムと マグ ネ シウ ム のよう な 新 工業 が 誕 生
れ た こ と によ る 労働 力 の喪 失 と 、 日本 の戦 時 経済 の特 質 た る、 大 な
用 な ど に よ り部 分 的 に は補 足 さ れ た。 石炭 輸 入 は 戦争 中 た えず 減 少
や 朝 鮮 の鉱 石 の使 用 量 の増 加 、屑 鉄 回 収運 動 、 お よび貯 蔵資 材 の使
リピ ンや マレ ーか ら の鉄 鉱 はそ の後 、 国内 で の鉄 鉱 石 の増産 、 中 国
期 に輸 入 の停 止、 ひ い て は輸 入減 と な った米 国 から く る屑 鉄 、 フ ィ
る 無 秩序 を 伴 った 一般 的 混乱 によ り、 さら にそ の能 率 は 低 下 し て い
を たど った が、 こ の鉄 鋼 工業 への影響 は、粘 結 炭 輸 入 に重 点 を置 き
日 本産 業 の生 産力 は右 の事 情 に加 え て、 軍 隊 に多 数 の人が 召 集 さ
し て い る。
た。連 合軍 側 の戦争 遂 行方 策 が 、 日本 の産 業 諸 施 設 と都 市 地 域を 爆
か つ国 内 炭 の使 用 を 増す こと によ り先 に延ば され た。 これ ら の処 置 に よ り銑 鉄 と鋼 鉄 の生産 高 は 一九 四三 年 中 は維 持 さ れ た。 し か し 海
た スト ック は細 る 一方 と な り、 生 産高 への影響 は結 局 のと こ ろ避 け
運 上 の諸 困 難が 増 大 す る に つれ て、 石 炭 や 鉱 石 の受 取高 が 減 り 、 ま
ら れな く な った。 コー ク ス の生 産 高 は、 一九 四 三年 の 八百 万 トン と いう 最 高 か ら 一
の生 産 は、 一九 四三 年 三月 の最 高 月額 四〇 万 ト ンから 一九 四五 年 六
九 四 五年 の最初 の三 ヵ 月 間 の五 三 万 八千 ト ンに ま で低 下 した 。銑 鉄
万 ト ンと いう最 高 に達 し た後 、 一九 四五 年 六月 に は三〇 万 トン 以 下
月 の 一〇 万 トン に下 り、 溶製 鋼 の生産 は、 一九 四三 年 一二月 に七 〇
と ま でな った。 戦 争 中 の輸 入原 料品 と 製 品 生産 高 の対 照 は、 下 記表 に 示す ご と く であ る 。中 国 大 陸 で 溶鉱 炉 の能 力 が 増 大 し て銑 鉄 の輸 入 が増 加 し 、 これ が 鉱 石輸 入が 激 減 し たず っとあ とま で製 鋼 量 の減
ア ル ミ ニウ ム︱ ︱ 船腹 消 耗 の影響 が 産 業 の生 産 高 に及ぼ し た 例 と
少 を延 期 さ せ る の に寄 与 し た こと が認 めら れ る 。
し て は、 おそ らく ア ルミ ニウ ム の場合 にま さ るも のはあ るま い。 一 九 四 一年 にお け る ア ルミ ニウ ム の生産 の九 〇% は、 マレーと 蘭 印産 ボ ー キ サ イ ト の使 用 を 基礎 とし て いた から 、前 提 と な る こ の 工業 が
こと は明 白 であ る。 開 戦 と同 時 に 日本 や 台 湾 にあ るア ルミ ニゥ ム工
依 存 し て いた原 料 が 引 き続 いて輸 入 しう る か否 か は不 安定 で あ った
場 の能 力 が 増強 さ れ 、 そ の結 果 、南 方 産 ボ ー キ サ イ ト の需 要 が ます ま す増 加 した のであ った 。対 日輸 出禁 止 のた め、 ボ ーキ サ イ ト の輸 入 量 は 一九 四 一年 に は 一四 六、 七 一 一ト ンの低 さ にま で落 ち こん だ が 、蘭 印 の征 服後 は上 昇 し て 一九 四 三年 には 八 二〇 、 五 三四 トン に
(単 位 メ ー トル ・ ト ン)
達 し、 こ の時 点 で スト ック は再 び戦 前 の水準 にも ど った。 激 甚 をき わ めた船 舶 喪 失 は 、 一九 四四年 のボ ーキ サ イ ト の輸 入減 少 にひ し ひ しと 痛感 さ れ たが 、 そ の輸 入量 は前年 よ りも 、 実 に ほぼ 五 〇 万 ト ソも 急減 し た のであ った 。 こ の事 態 に直 面 した 日 本政 府 は、 大 陸 に頁岩 工場 を建 設 し 、 日 本 の 工場 を 頁岩 使 用方 式 に改 造 し よう と し てあ らゆ る努力 を 払 った 。頁 岩 の生産 お よび輸 入 は増 したが 、 船 腹 や荷 役 施 設 が 不十 分 な た め に、 鉱 山、 鉄 道 最末 端 駅 、 港湾 に は、
内 線 地 帯 か ら産 出す る 頁 岩、 明 礬 石 、粘 土 を 利用 した にも か か わ
多 量 のト ン数 の頁 岩が 集 積 さ れ た ま ま であ った。
ら ず 、 一九 四 四年 の ア ル ミ ナ生産 は 一九 四 三年 の生産 高 の七 〇% に 低 下 した 。 一九 四 四年 の第 四 ・四 半期 にな ると 、 ボ ー キ サ イ ト の輸
た。 こ の原 料 品不 足 を反 映 し て、 一九 四 五年 の第 一 ・四半 期 の ア ル
入 は散 発 的 と なり、 一九 四 五 年 一月 が す ぎ ると 全 然停 止 し てし ま っ
ミ ニゥ ム生 産率 は前年 の 二 四% にす ぎ な か った。 ボ ーキ サイ トと 明馨 性 頁 岩 の日本 本 土 、朝 鮮 、 台 湾 への輸 入 量 と スト ック (メー ト ル ・ト ソ)、 ま た 日 本本 土 、 朝 鮮、 お よび 台 湾 に おけ る ア ルミ ナと ア ルミ ニウ ムの生 産 (メー ト ル ・ト ン) は下 記 の
日本 にお け る マグ ネ シ ウ ム生産 は、 輸 送 問題 に より 塩 水、 食 塩 、
表 のと おり で あ る。
マグ ネ サイ ト、 マグ ネ シウ ム硬質 煉 瓦 の満 鮮 から の輸 入が 阻 害 さ れ た後 、 一九 四 五年 に減 退 し た 。鉛 精 錬 は船 舶が 朝 鮮 か ら 粗製 鉛 を 運 ん でく る こ とが で き なく な った 一九 四四年 第 四 ・四 半期 以 後 が た落
の産 業 でも 原 料 品 の輸 入 が少 なく な り 、 ま た はま ったく 途 絶 し た場
ち と な った。 亜鉛 、錫 、 化 学 肥料 、 ゴ ム、皮 革 、 お よび そ の他 多 く
礬 石 お よ び屑 金 か ら の生 産 を含 む 。
礬粘 土,明
1.明 礬 性 頁 岩,明
臓 量 は 期末 の 現 在 高。 2.貯 度 は乾 燥 重 量 で 示 す。 度 は湿 潤 重 量 で,1942―1945年 1.1941年
合 には同 様 な状 態 に陥 った。 生 産 周期 の後 期 にあ って は、 これ ら の
った 。 化学 工業 で は、 持 続 用資 材 特 に圧 力 タ ンク用 の鋼 の不 足 に悩
合 金 の生 産 にと って は、電 極 用 の黒 鉛が 十分 でな い ことが 隘 路 とな
不 足 によ るも のであ った。 米 や他 の食 糧 が 輸 入肥 料 の不 足 から減 産
そ の原 因 の 一部 は、 資 材 、鋼 、 セ メ ント、 ゴ ム、 木 材 、 とく に鋼 の
一九 四四 年 には、 内 地 の炭 礦 から の出 炭 は 、大 減 産 に陥 って い る。
な った と報 告 した。
ま さ れ た。 造 船界 も 海 軍 軍省 需 局 も鋼 鉄 切 断 用酸 素 の不足 が 隘 路 に
基 礎 主要 物 資 の不足 は 、 結局 のと こ ろ末 端 の生産 工業 の生産 高 減少 に反 映 し た。 一九 四四 年 に な ると 陸 軍省 整 備 局 で は数 種 の原料 品 、 特 に銅 と 二 流 金属 の 不足 に よ って 、弾 薬 の能 力 に欠 陥 が 出 は じ めた こと を 認 め
に な った のも 、 いく ら か事 情 は これ に似 て いる。
た が、 さ ら に適 量 な ス ト ック にも 欠 乏 を来 し 、散 発 的 にし か原 料 を 供 給 し えず 、 こ のた め弾 薬製 造 工業 は 生産 の停 止 と いう 現実 に直面
料 と し て いた 他 の多 く の 工業 にと っても 、 そ の不 足 は重 大 な 影響 を
重 の能 力 に依 存 し て いた鉄 鋼 業 ば か り で はな く、 主 と し て石 炭 を燃
石炭 の輸 入 が減 少 し た こ と は、 石炭 のも つ燃 料 と 原料 品 と いう 二
し た。 原 料 品 の減 量 は、 約 五〇 から 七〇 % で あ ったと 報告 さ れ た。 海 軍省 軍 需 局 は鋼 、 銅 お よび 合 金 類 の不足 を 報告 し た。造 船 関 係 で は鋼 と銅 の不 足 に苦 し ん だが 、 と り わけ 鋼 は 、 一九 四 五年 中 に極度
感 じ さ せた 。 国内 炭 の生産 は若 干 の間 は増 産 され た が、 前 記 の材 料
に不足 を 来 し、 予 定 表 の上 です ら 削減 が 行 な わ れ た。 白 銅、 ア ルミ ニウ ム、 タ ング ステ ン、 ゴ ム、 鉄 、鋼 、 非 鉄金 属 、 コー ク ス、 石炭 、
の不 足が 起 こる と急 激 に低下 した 。
た 。航 空機 工業 は戦 争 末 期 に至 ってあ らゆ る資 材 の久 乏 に直 面 し、
給 を受 け て いた ので 船 舶 を必 要 と し た。 本 土諸 島 間 の輸 送 の混乱 と
そ れ でも 日 本 の工業 は、そ の大 部分 を九 州 や北 海 道 産 の石 炭 か ら供
一般用 石 炭 は 、粘 結 炭 ほど 外 国 か ら の供 給 に依 存 し て いな か ったが 、
一九 四 二年 以降 、 石炭 の輸 入は引 き 続 き 減少 して いた。 日 本 で は
な ら び に 石油製 品 の不 足 は、 自 動 車 工業 に影 響 を およぼ し、 一九 四
一九 四 五年 の春 ま で に は、 ア ル ミ ニウ ムの供給 は皆 無 にま で に窮 迫
二年 以降 は結 局生 産 が 激減 し た。 化学 機 械 工業 は銅 不 足 に悩 ま さ れ
し て いた。 航 空機 発 動 機 の生 産 減 少 は 一九 四 四年 五 月 以後 は危 機 に
電 極 の 不足 を 痛感 した 。鉄 工業 は 耐火 材 料 の輸 入減 に悩 まさ れ た。
内 の出 炭 は、 一九 四〇 年 の最 高出 炭 量 か ら 六五 % 減少 と な った。 諸
工業 にと り 重 大問 題 の 一つと な った。 一九 四 五年 七 月末 ま で に、 国
退 さ せ、 光 学機 械 の製 造 を 阻 害 し、 一九 四 四年 一二月 以 後 は 、造 船
石 炭 の不 足 は、 戦争 の最 後 の二年 間 に は国 内産 の銅 の生 産 量を 減
いた だけ の数 量 を消 化 す る こと は 不 可能 であ った。
一か に減 った 。 日本 海 の諸 港 では、 以 前 に、太 平 洋側 諸 港 に入 って
とも に、 本 州 が受 け 取 る産 地 から の石 炭 は、 以 前 の合計 量 の何分 の
仕上 製 品 に使 用 す る 基礎 材 料 の不足 に加 う る に、 多 数 の産 業 は、
陥 った。
そ の初期 加 工に 必要 な 他 の材 料 の欠乏 に悩 んだ 。 ア ル ミ ニウ ム工業
組 立式 ラ イ ニング の輸 入減 少 に つれ て 一九 四 一年 か ら 一九 四 三年 ま
は食 塩 (ソ ーダ 灰 と 苛 性 ソーダ ) の 不足 を、 ま た、 瀝青 コーク スは
で 困難 が 続 いたが 、 一九 四三年 末 に は危 機 に直 面 し た。 あ ら ゆ る鉄
た 。他 の要 因 に より 、 い まだ に 操 業 を停 止 し て いな か った石炭 を燃
島 間輸 送 は殆 んど 休 止同 様 と な り 、 ま た激 烈 な船 舶 不足 のた め に石
サ イ ト代 用品 と の基礎 の上 に置 く こと が企 図 さ れ た。
用 でき な く な ると 、 ア ルミ ニウ ム 工業 を内 地 産 の粘 土 と他 のボ ーキ
年 中 に は増 加 し続 け た 。ボ ー キサ イ ト供 給 源 とし て の南 方 地 域が 利
地 に頼 り 、 これ よりも さ ら に遠 い海 外 か ら 入手 し よう とす る場 合 で
必 要 で あ っても 内地 で供 給 し えな い材料 は、最 寄 り の海 外 の供給
炭 の輸 入 は停 止し 、食 糧 品 と 食 塩 と に輸 入 最高 優 先順 位 が 与 え られ
料 と し て消 費す る殆 んど あ ら ゆ る 産業 は、 つい に深刻 な石 炭 不 足 に 直 面 し た の であ った 。
米国 が 一九 四 一年 にと った対 日禁 輸 は、 日本 の鉄鉱 輸 入 に痛 手 を与
も 、 な る べく 船 舶 を減 ら し 用船 時 間 を 短縮 して 危険 を 少 なく し た。
え、 少 量 は フ ィリピ ン諸 島 と マレー から、 中 国 と朝 鮮 から は大 量 に
日本 戦 時 産業 の対 策
海 外 から く る諸 材 料が 不 足 に な るだ ろう と いう 予想 と、 そ の後 に
7
こ の予想 が 現実 と な った時 、 日 本 は こ の損 傷 から 受 け る苦 痛 を緩 和
これ をも って し ても フ ィリピ ンと マレ ーか ら 入 って い た鉱 石 の喪 失
し は じ めた 。中 国 から の輸 入 は 一九 四 一︱ 四 二年中 に増 加 し たが、
よ り 次第 に窮 屈 の度 を増 し て いく 影響 に、 産業 界 が 示 し た種 々 の反
を補 う ま で に は いた ら な か った 。戦 争 の最 終 段 階 で は、南 方 地 域 か
輸 入す る結 果 と な った。 南 方 か ら の鉱 石輸 入 は、 一九 四 一年 に減 少
応 を 十分 に説 明 し て いよう 。 (各 工業 の戦 時 体験 の詳 細 な 史 実 は、
ら の鉱 石 の輸 入 は殆 ん ど停 止 し 、中 国 か ら の供 給も 次 第 に減 少 し て
す る た め に多 く の対 策 を つく り あ げ た。 次 の諸 例 は、 船 舶 の喪 失 に
本 調 査団 の他 の部 門 の報 告 、 特 に基礎 材 料 、 民需 品 、 主要 装 備 、 軍
く な り、 国 産 お よび 朝 鮮産 の粗 銅 と、 中 国、 台 湾、 フィリ ピ ンの鉱
一九 四 一年 の米国 の禁 輸 措 置 に より 、 外 国 から銅 が 日本 に 入ら な
いき、 結 局 、 朝 鮮だ け が頼 れ る供給 源 とな った。
の措 置 のう ち 、最 も 顕著 なも の は、 従来 海 外 か ら 入手 し て い た材 料
の マンガ ン鉱 を 入手 で き なく な り、 一部 は 品種 の劣 る フ ィリ ピ ン産
石 に 依存 せざ る を得 な く な った 。戦 争 の初期 段 階 で、 日本 は イ ンド
外 国産 材 料 の輸 入杜絶 に よる 影 響 を相 殺 し よう と 考案 され た 諸 々
需 品 、油 と 化 学薬 品 、航 空機 に関 す る報 告 に 示 され て いる。)
を 国 内 で生 産 し う る工業 を創 設 、 も しく は拡 張 し て、 ここ で生 産 さ
一年 の二千 八百 ト ンか ら 一九 三 六 年 に は 五〇% 増 産 し て 四千 二百 万
れ る 材料 を 使 用す る こと であ った 。 例 えば 内 地炭 の生 産 は、 一九 三
ら に 一〇 〇 % 増 加 した。 イ ンド の マ ンガ ン鉱が 輸 入さ れ なく な った
三 〇 %増 加 し、 ま た 一九 四 一年 から 一九 四三 年 ま で には、 そ の上 さ
要 に し よう と 努 め た。 戦争 の初 期 に、 製 鉄 生産 計 画 の完 遂が 危 ぶ ま
供給 地近 く 移 転 し、 これ に より 、 かさ ば った原 料 品 の海 上輸 送を 不
こと以 外 の状 況 を判 断 し て、 日 本 は いく つか の工業 設 備 を 原 料品 の
海 運 航 路 を 短 縮 し、 ま た船 腹 の需 要 を軽 減 す る た めと 、 ま た こ の
鉱 石 に 依存 し た。
ので 、そ の国 内産 出 は 一九 四 一年 の 一九 万 六 千 ト ンか ら 一九 四 四年
れ た と き、 中 国 大陸 の鉱 石産 地 付 近 に小 型熔 鉱 炉 を建 設 す る 提案 が
ト ンと な り、 内 国産 の銅 鉱 は、 一九 三 七年 か ら 一九 四 一年 ま で に二
の四 〇 万 ト ンに増 加 し た 。本 国 諸 島 に お ける 銅 の産 出 量 は 一九 四 四
のが 目 的 で あ ったが 、 同時 に爆撃 を避 け よう と す る狙 いもあ った。
に移 転 す る 計 画が 承 認 され た。 そ れ は、 一つに は輸 送力 を 節約 す る
日 本 の製 鉄 所 と製 鋼 所 のいく つか を満 洲 、 北支 、 朝 鮮 お よび 内蒙 古
あ ったが 、 これ は立 ち消 え にな って いる 。 一九 四五 年 三月 にな って、
を つ いて しま った 。
量 に手 を つけ ね ば なら な く な ってお り、 夏 の中 ご ろ に は貯 蔵 品 は底
あ った 。航 空 機 製 作者 た ちは 一九 四 四年 の初 夏 こ ろ には、 そ の備 蓄
は少 な か った。 ゴ ム の貯 蔵 量 は戦 争 末期 ごろ には急 速 に減 少 し つつ
だ け であ った。 南 方 地域 に産 す る材 料 を基 礎 と す る ア ル ミ ニウ ム 工
五 八〇 万 ト ンと いう 空 前 の回 収 高 に達 し た。 こ の運動 は、生 産 予 定
五 ︱ 三 六年 に は、 早 く も屑 鉄 回 収 運動 が はじま り 、 一九 三九 年 には
屑 金 を使 用 す る と いう のが、 一般 に経 験 した こと であ った。 一九 三
金 属 工業 で は 、金 属 鉱 石 の輸 入量が 需 要 量 以下 に減 少 した 場合 は 、
業 の不 安定 さ は、 早 く から 認 識さ れ て お り、 大 陸 に ア ル ミ ニウ ム頁
計 画 の完 遂 が おび や か さ れる た び に時 折 強化 さ れ た。 屑銅 回収 運 動
そ のう ち 戦 争 の終 り ご ろ完 成 に近 づ いて いた のは 、 わず か に三 ヵ所
の マグ ネ シウ ム工業 は、 終 戦時 ま で に、 日 本 内地 の 工業 と殆 ん ど 同
岩 工場 の新 設 が 企 て られ た 。 マグ ネ サイ ト供 給 源 の近 く にあ る 朝 鮮
は たび た び行 な わ れ たが 、 第 二次金 属 を 使用 す る 回数 が増 す に つれ、
別屑 金 回収 運 動 を 発表 し た。 一九 四四年 の第 四 ・四半 期 まで には、
等 の能 力 にま で拡 張 され た 。 かさば る パ ルプ を紙 に して船 腹 を 節 約
多 く の場 合 、在 外 の供給 源 の喪失 また は 輸 送難 を 想定 し て、情 勢
と いう状 況 であ った。
航 空機 工業 が 入 手 でき る ア ル ミ ニウ ム の八〇% が 、屑 ア ル ミ ニウ ム
結 局銅 の品質 は低 下 せざ るを 得 な か った。 鉛 工業 は 一九 四 四年 に特
が有 利 なう ち に材 料 を 大 い に蓄 積す る こと が 企図 さ れ た。 一九 三 六
す る た め、 製 紙 工 場が 海 外 属領 ︹ 樺 太な ど ︺ に建 設 さ れ た。
年 六月 に日 本製 鉄 会 社 は、 含 鉄分 五 五% の鉄鉱 三 〇 〇万 ト ン の備 蓄
的 な 情勢 に直 面 し た。 これ を反 映 し て、 あ り とあ ら ゆ る代 用品 を 使
戦 争 末期 には 、諸 般 の対 抗措 置 は失敗 に帰 し、 多 数 の 工業 は絶 望
こ の備 蓄 量 を 食 い つぶ す こと で維 持 さ れ た。 一九 三 九年 六 月 に同 社
をす る よう 政 府 から 指 令 され た。 戦 争 の初期 段 階 で は銑 鉄 の生産 は、
は、 自 社 需 要 量と は別 に、 高 品位 マンガ ン鉱 一 一万 五千 ト ンを備 蓄
て は鋼 索 に ア ル ミニウ ムを まぜ た も の、 薬 莢 に対 し て は鋼 、容 器 と
用 し た こと 、 こ れが 日本 戦 時 工業 の特 性 であ った 。銅 の代 用品 と し
し て は竹 、 造船 お よび 兵 器 に銅 合 金部 品 と いう よ うな 類 であ った。
す る こと を命 ぜ ら れ た。 し か し、 一九 四 五年 八月末 現 在 の鉄 合 金 備
ルミ ニウ ム工業 で は明礬 石 を ボ ー キ サイ ト に代 用す る こと を試 み て
光 学機 械 工業 で は鉄 と ア ルミ ニウ ムが た び たび銅 に代 用 され た 。 ア
蓄 量 は、 一ヵ月 乃 至 三 ヵ月 の供給 量 し か な か った 。 一九 四 一年 中 のボ ー キ サイ ト備 蓄 量 は 二五 万 ト ン であ った (六 ヵ
あ る程 度 は 成功 し た 。化 学 肥 料 工業 で は カ リ の代 り に原始 的 な木 灰
月 乃 至 九 ヵ月 分 の供 給 量 )。 そ れ は開 戦 後 た ち ま ち急 減 し たが 、 南 方 征 服 の結 果 、 戦前 の水準 に復 し た。 錫 の不 足 は海 上 輸送 の利く 期
汁 を使 用 し た。
航 空 機 工業 では 、鋼 製 部 品 付属 品 が ジ ュラ ルミ ン部 品 に代 用 され 、
間 に、 適 量 の備 蓄を や ら な か った こと から 生 じた 。 一九 四 一年 の石 油備 蓄 は 二ヵ年 分 の供 給 量 に等 し か ったが 、 一九 四 三年 末 の備蓄 量
ま た、 接 合 部 を つく る の に鋼 と 真 鍮 の鋲 が使 用さ れ た。 一九 四 五年 可能 であ った の であ る。
使 用 す る 化 学薬 品 の需 要 を 犠牲 に した こ と によ って のみ、 はじ め て
全 般 的 な 原材 料 の不足 が 日本 の全 産業 の縮 減 を招 来 し たが 、 こ れ
の春 ま で に ア ルミ ニウ ム の供 給 が 途絶 え る こと は予 測 さ れ た ので、
の生 産 は大幅 に減 少 し たが 、産 業 界 全 般 の硫酸 に対す る需 要 が 、硫
に対 し 明 ら か に例 外 とも いえ る生 度 型式 も 生 じ て いた。 例えば 硫 酸
設 計家 の注 意 は全 木造 機 に向 け ら れ た。 木 材 は翼 端 部、 尾翼 面 お よ び 全 尾部 の組 立 に代 用 され た。 全 部 を木 材 で代 用 し た数 例 はあ るが 、
酸 自 体 の減 少を 上 回 って減 少 し た ので 、品 不 足 の問 題 は起 こらず 、
生 産 の方 は大 規模 には 進 まな か った。 木 材 あ る い はガ ラ スが プ ラ ス チ ックに代 用 され た 。 石油 工業 の代 用品 の中 に は、 松 根 油、 魚 油 お
それ ど ころ か生 産 能力 が 過 大 にな った と さえ 主張 す る こ とが でき た。
戦 争 の最 後 の数 ヵ月 間 に日本 の残 存 し た小 商船 隊 の行 動 範 囲 は非
よ び植 物 油 な どが あ り 、 ア ル コー ルが 航 空 用 ガ ソ リ ンに代 用 さ れ、 ま たゴ ムから 潤滑 油 が つく ら れ た。
に し て驚 く べき 速 度 で落 ちは じ め た。 工業 用 原料 は石炭 の輸 入 さ え
も食 糧 の輸 入 の た めに譲 る こと を要 求 され た 。 こ の最 後 の段 階 で は、
常 に制 限 さ れ た ので、 す で に急 速 に減 少 し つ つあ った 輸 入量 は忽 ち
原 材料 の久 乏 と いう 衝 撃 を緩 和 し得 な い諸 工業 は崩 壊 に直 面 せざ る
こ のよう な 海外 から の輸 入杜 絶 の影響 を な る べく 生 じ な いよ う に
れ た こと に より、 愈 々大 な る速 度 で 海外 から の物 資 の流 入 は減 少 し
を 得 な か った 。
す る 、 あ らゆ る努 力 にも か か わらず 、船 が 撃 滅 され て完 全 に封 鎖 さ
て い った の であ る。 貯 蔵 原料 は底 を つき 、 屑 金 回収 の可能 性 も 消 失
は、 減 少 し た輸 入量 の品質 管 理 に つ いて は、 一時 的 にそ う であ った
え ら れ た痛 手 に対 し 日本側 が あ る程 度 の管 制 力 を保 持 し え た場 合 に
を 使用 し たた め鉄 含 有 量も 減 少 し た。 そ の上 硫 黄含 有 量 は高 か った。
し た結 果 、 ジ ュラ ル ミ ン の品 質 低 下 にも ま た直 面 し た。 国産 の鉄 鉱
を 示 し た。 こ の航 空 機 工業 は、 ま た銅 や そ の他 の合金 に不足 を来 た
使 用す る供 給 量 の 八〇 % を維 持 し て いた が、 そ の品 質 は極度 の低 下
一九 四 四 年 の第 四 ・四半 期 に、屑 ア ルミ ニウ ムは、 航 空機 工業 に
か ら生 じ た当 然 の結 果 であ った。
料 の使 用 、 間 に合 わ せ の代 用 品 処 理法 、 お よび 不 満足 な 代 用品 原 料
の低下 が あ ったが 、 こ れ は劣 等 な 品位 の国産 あ る い は最 寄地 域 の原
品質 の低 下 ︱︱ 全 生産 量 の減 少 に伴 って多 数 の産 業 製 品 の品 質 上
し 、 ま た国 内 の資 源 は結 局十 分 でな いこと も 判明 し、 さ ら に代 用 品 に よる 措置 も 失 敗 に終 った。 かく し て 不可 避 的 に生 じ た 結 果 は、 戦
特 に原料 をも っぱ ら 海 上輸 送 に より 入手 し て い た、 き わ め て重 要
時 諸 産 業 の生 産 高 の減 退 にほ かな ら な か った。
な 産 業 た る鉄 鋼業 が 危 機 を感 じ はじ め る に つれ て、 多 少 と も鉄 鋼 に
よ う に、明 白 な いく つか の例外 が あ った。 最 も重 要 な 戦 時 工業 の生
内 地炭 の使 用率 が 増 し た た め、 コー ク ス の品 質 が 低下 し た。 輸 入炭
依 存 し て い た 工業 は、 す べ て同 じ よう な困 難 に陥 った。 と こ ろで 加
工業 生 産 の犠 牲 にお いて な さ れ て いた。 爆 薬 用化 学 製 品 は 、 い つで
減 少 の結 果 あ る 種 の化 学 薬品 の品 質 が落 ち た。
産 高 は戦争 の中 でも かな り後 にま で維持 さ れ たが 、 そ れ は常 に他 の
も 十 分 な分 量 の完 成品 を 入 手 でき たが、 そ れ は 他 の多 く の製品 が 、
ル ト含 有 量が 一六 % であ った 高速 度 鋼 が たび た び コバ ル トを 入れ ず
有 量 が 減 り、 構 造 用鋼 の成 分 か ら ニ ッケ ルが 除 か れ た。 従 来 は コバ
か入 手 で き な か った 。そ の ため高 速 度 鋼 お よび 磁 石鋼 の コバ ルト含
に 一九 三 九年 にお いて は、 コバ ルトと ニッケ ルは 所要 量 の三〇 % し
鉄 合 金 工業 に は品 質低 下 の例が かな り多 数 に のぼ って いる。 す で
一九 四 三年 以 後 はま ったく 消 滅 し た。 輸 出 は停 止 され 、 ま た、 魚 を
度 分 と 推定 ) に減 少 し た。 一九 四 一年 以 後 に は輸 入 は急 激 に減 少 し、
一九 三 九年 の四 八〇 万 ト ンか ら 一九 四 五 年 に は二〇 八万 ト ン (全年
燃 料 お よび 漁 網 用 マ ニラ麻 の大 不足 が 生 じ た。 こう し て、 漁 獲 高 は
方 地 域 か ら帰 って く る船 舶 が 危 険 にさ ら され て いた ので、 漁 船 隊用
攻撃 への恐怖 心 によ って漁 場 が 制限 を 受 け た。 これ に加 え る に、南
肥料 や飼 料 に使 用す る こと も や めた 。 そ れ にも か かわ らず 、 食 用 に
に生 産 さ れ た。 ニ ッケ ル =ク ロー ム ・ステ ンレ スが ニ ッケ ル抜 き で
これ ら の結 果 、海 外 から の食 糧品 の輸 入を 増 加 し よう と いう要 求
供 し得 る総 量 は、 戦 争中 三五 % も減 少 し た。
は、 国 民 への配給 量を 減 らす こ と によ って いく ら か抑 制 され た。 し
造 ら れ 、 ま た、 モリブ デ ン構 造用 鋼 が モリブ デ ンを使 わず に つく ら
ンガ ンが 入手 でき な くな った 後 は、 フ ィリピ ン産 や 国産 の鉱石 にも
か しなが ら 、 一九 四 四年 には、 減 ら さ れ た基 本配 給 量 ( 穀物だけで
れ た。 砲 身 と装 甲 鈑 の ニ ッケ ル含 有 量 が減 らさ れ た。 イ ンド産 の マ
海 外貿 易が 日増 し に衰 退 を たど った 影響 は、 た ん に日 本 経済 に お
っぱ ら 依存 す るよ う にな った の で、 マ ンガ ン鉄 の品 質 は低 下し た 。
戦 前 に お いて 日本 は、 米 の所 要 量 の二〇 %、 す な わ ち 二〇 〇 万 ト
砂 糖 と豆 製 品 を除 く ) でも、 そ の 一〇 % は依 然 とし て輸 入が 必要 で
ンを 通常 輸 入 し て おり 、 こ の二〇 〇 万 ト ン の六〇 % は朝 鮮 か ら、 残
あ った。
食 糧 に対す る影 響 であ った 。 日本 は明 ら か に戦 争 努力 の全 段階 を 通
り四〇 % は台湾 か ら輸 入 し て い た。朝 鮮 米 が 不作 だ った 一九 四〇 年
い て産 業 の分 野 だ け に はと ど まら ず 、 民 間 の生 活 品 とそ の供 給 の面
じ て 、 適切 な る補 給 に全 面 的 に依 存 し て い た。既 述 のと お り、 通 常
でも 殆 ん ど 例外 な く 同じ く 苦 痛を 与 え た。 な か でも 特 に顕著 な のが 、
所 要 量 の二〇 % が ほぼ 内 線 地 帯 から で はあ る が、 とも か く海 外 か ら
対 処 す る た め、 食糧 の需 要 が増 加 す る と いう 不運 な事 態 に直 面 し た。
じ た。 これ は 米産 地 帯 が 米袋 材 料 の不足 に悩 んだ う え に、 氾濫 状 態
〇 万 ト ンと いう 最 高 値 に達 し た。 と こ ろが 翌年 には、 約 五 〇% も 減
りも南 方 地 域 の方 が 上 であ った。 一九 四 二年 に は、輸 入総 量 は 一五
った。 一九 四 四年 ま で は、 日本 に対す る米 の供 給 地 は、 内線 地帯 よ
以 後 は、 輸 入先 は大 体 、 南方 地 域 、 タ イ国 、仏 印 お よび ビ ル マとな
地 方 の供給 が 減 った と いう こと に は、 いく つか の要 因 が 関係 し て い
戦 争 が進 行 す る に つれ て 、 日本 は内 地 で の原材 料 の供給 の減 少 に
輸 入 され て いた。
た 。す べ て の食 糧 品 工業 はそ の作 業 に充 てる べき 人 手 を 失 って し ま
用 の原料 にも っと多 く の船腹 を割 か ねば な ら ぬ 必要 が生 じ た から で
に よる輸 送 難 に出 会 った のと、 南 方 地域 産 の原料 のう ち、 軍需 工業
し た こ と から 、 部分 的 に生 じ た急 激 な減 産 に悩 ま され た。 漁 業 は漁
あ った。
った 。 各種 の農産 物 は、 以 前 に は大 量 に輸 入 さ れ て いた 肥料 が 欠 乏
船 を 軍 用 に徴 発 さ れ たば か り で はな く、 米 軍 の船 舶 攻 撃 、あ る いは
る 数量 の 一〇 倍 を 供給 し た。 一九 四五 年 に は、 南 方 地域 から の、米
び 内線 地 帯 が対 日 輸 入米 の主 供給 地と し て復 活 し 、南 方 地 域 か ら来
よ り、 米 の輸 入 はわず か七 万 五 千 ト ンにす ぎ な か った。 同 年 には再
喪失 が 次第 に増 し 、 か つ連 合 軍 の進 攻 に伴 い、国 内 の食糧 品 分配 機
と し て七 月中 に断 行 し た。 し かし なが ら、 爆 撃 に より 貯蔵 食 糧 品 の
こ の場 合 や む を得 な い措 置 を 、 生存 を 保 つた めの唯 一つ可能 な 手段
て 日本 政 府 は、 基 本配 給 量 一〇% 切 下 げと いう思 い切 った、 し かも
食 糧 品輸 入 の完 全停 止が 間 も なく や ってく ると いう 脅威 に直 面 し
月 に 日本 にとど いた。
の供給 は全 然な く 、 台湾 から の輸 入 は九 千 ト ンと いう 細 流 と な り、
一九 四 四年 には、 船 舶 不 足 と南 方 地 域 の封 鎖 が 強 化 され た こと に
ま た朝 鮮 か ら は 一四 万 二千 ト ンであ った が、 これ は そ の期 間 の所要
構 の崩 壊 が 不 可避 的 と な った 情 況 に直 面 し ては、 これ ら の緊 急措 置
結果 であ る 海外 から の食 糧 品 供 給 の杜 絶が 日本降 伏 の決定 的 な極 め
さ えも 、 結 局 は無 効 と な った だ ろう し 、 ま た商船 隊 の喪失 と 、 そ の
量 の約 一五 % にす ぎ な か った。
ら の食 糧 輸 入が 増 加 し は じ めた ので、 前 途 は 一時 的 な 光 明 に照 ら さ
手 とな った であ ろう と いう こと は、 真 実 と考 え られ る 。
一九 四五 年 の春 には、 内 線 地 帯 内 で利 用 でき る残 さ れ た供 給 地 か
れ た。 四月 には、 殆 ん ど の船 腹 を 食糧 品 輸 送 に実 際 に充 当す る と の 決 定が な さ れ た こと は 、 た ん に食 糧供 給 の重要 性 だ け で はな く 、 日 本 が 同時 に 一般 情 勢 にお い ても 、 いか に絶 望 に陥 って いた かと いう こと を反 映 し て い た。 一九 四五 年 の第 二 ・四 半期 で は、 米 と大 豆 の 入 手 量 は第 一 ・四半 期 よ り多 く 、 食 塩取 得 量 が わず か に少 な か った だ け であ った。 六月 の大 豆受 取 額 は、 全 戦 争期 間 中 の以 前 のど の月
し か しな が らそ れ も 永 続き はし な か った。 た えず 強 化 され て いく
と 比 べ ても 二倍 と いう 大 量 であ った 。
米 軍 の封 鎖 が、 これ ら の緊急 物 資 に ついても 、 適 当 な 受 取高 の引き 続 く流 入を 阻 止 した か ら であ る 。 大豆 の輸 送 は 六月 中 の二 六五 、 四 〇 〇 ト ン から 七月 には 一七 六、 〇 〇〇 ト ンに減 少 し た 。 満洲 から の
に は 二 一、 五 六 八 ト ンに、 ま た 、 八月 には 一 一、 四 九 〇 ト ン に減少
穀 物 の輸 入 は、 六月 に は合 計 四 八 、 一七 三 ト ンであ った のが 、 七月
し た。 台 湾 から の最 後 の輸 入 米 は 一九 四 五年 四月 に到 着 し、 朝 鮮 か ら の最 後 のも の は、 わず か に 二七 三 ト ンと いう 少 量 で あ ったが 、 九
付録 A 潜水艦 による日本油送船の撃沈
1.戦 略 爆 撃 調 査 団 の 「船 舶沈 没 リス ト」 よ り計 算 を第 1欄 で 割 っ た もの
2.出 所 1に 同 じ。 艦 隊 給 油 艦 お よび 「丸 」 と呼 ば れ ない 軍 用
4.第 4欄 は付 録 B と Cの第 1欄 の合 計
第 7欄 は 米海 軍 攻 撃一 覧 表 か ら
8.出 所 は第 7欄 と 同 じ
5.第 5欄 は第 1欄 と付録 Cか ら
9.1 ヵ月 の 平均10.1
年 の 平均
6.第 6欄 は第
付録 B 戦争時 中の日本商船隊 月別 総 合 情 勢 摘要(油 送船 を除 く)
付録D 船舶攻撃の担任区分 1 要 約
(1)資料 入 手で きず
(2)実用 頭 部 1個 を1/3と して 計算
2
米 国陸 軍航 空部 隊(第20航 空軍 を除 く)
3 米国海 軍 と海兵隊基地航空部隊
(1)内訳 数 字 入 手 で きず
4 米 国 陸 軍,海 兵 隊 甚地 航 空 部 隊(第20航
(1)内 訳数字入手で きず
5 米国空 母航空部隊
(1)内訳 数 字 入 手 で きず
空軍を含 まず)
6
米 国海 軍,海 兵 隊統 合 航 空 部隊
7
8
第20航 空 軍
米 陸海 軍 航空 総 兵 力(第20航
9 米国潜水艦部隊
(1)魚雷 実 用 頭 部 1個 を1/3ト ンと して他 に 計 算
空軍 を含む)
付録 F
戦時 中 の民 間 船 に よ る重 要 物 資 の輸 送
1 船 舶 運 営会 所 管 船 に よ る会計 年 度別 汽 船輸 送 比 較(輸 入,植 民地,本 土間および沿
1資料 出所:船
舶 運営 会(1000メ
ー トル ・ トン にて 示 す.会
計年 度 は 4月 1日 よ りは じま る.)
2
1資料 出所:船 舶運営会
民 間 商 船 隊(鋼
船)に
よ る 貨 物 海 上 輸 送 一 覧 表 1(1942年
4月 ∼1943年 3月
3
1資料 出所:船 舶 運営会
民 間 商 船 隊(鋼
船)に
よ る 貨 物 海 上 輸 送 一 覧 表 1(1943年 4月―1949年
4
1資料出所:船 舶運営会
民 間 商船 隊(鋼 船)に よ る貨物 海 上輸 送 量 一 覧表 1(1944年4月―1945年
5
民 間商 船 隊(鋼 船)に
よる 貨物 海 上輸 送 量 一 覧表
(1945年 4月― 8月)
二
対 日船舶 撃滅 戦
一 日本 の海 洋 依存 性 日営 は そ の地 理 的環 境 によ って、 遠 く建 国 の昔 か ら海 洋 国家 であ った。 明 治初 年 にお け る長 期 間 にわ たる鎖 国 によ る 国際 的 孤立 の脱
炭 鉱 から 本 州 の南 部 にあ る 工場 ま で は本 土内 で さ え海 路 に依 ら ねば
開戦 と 船 舶護 衛
な ら な か った ので あ る。
二
太 平洋 戦 争 の勃 発 に当 って、 日本 は約 六 二〇 万 総 ト ン の船舶 を 保
却 と近 代化 への決 意 が、 日 本 を し て世 界各 国 と の海 外 交 通 上 、商 船 隊 の規 模 を増 大 せねば な ら ぬと いう 気 運 を勃 興 さ せ る に与 って力 が
有 し て い たが 、 そ れ は 日本 の生 存 と当 面 の軍 事 上 の要 求 を 充す には
︹ 編者注︺ 開戦時における日本船腹保有量
充 分 であ った。
諸記録 の数字が必ずしも 一致 せず、五三〇万 トン∼六三〇 万トンと 一
あ った。 二十 世 紀 の最 初 の 二十 五年 間 に おけ る 急速 な 工業 の発 達 が
を 国際 水 準線 上 に押 しあ げ た。 日本 はち ょう ど 英 国 の よう に、 緊要
外 国貿 易 への関 心 を高 めさ せ、重 要 な海 洋国 家 と し て の 日本 の地位
な 原材 料 を供 給 し て海 外 市 場 を開 発 す る と いう 基 盤 の上 に建 設 され
も のと思 われる。
〇〇 万トンの開きがあり、 まちまちであるが、 これは次 の理由 に基づく
五〇〇総 トン以上 のものだけを計 上す る場合
可働 のものだけを取りあげ る場合
四六三 計 五、九九六、六〇 六
五〇〇総 トン以 上の保有 量 商船五、四二 一、 一四三 油 送船 六七五、
4
3 現有船 舶全部 の場合
2
1 五〇〇総 トン以下 も含 む場合
た 近代 経 済 を 維持 す る た め には、 ます ま す海 運 に依 存 せ ねば な ら な
イギリスほどは食糧 の供給源 を海外 に
い度 合を 増 し て行 った。
日本 は西洋 の片方 の国︱
仰 いで は いな か った が、 原 材 料 に対 しま た 工業 国 家 と し て、 そ の成 長 を持 続 す る た め に は専 ら 海 上 交 通 に頼 ら ざ るを 得 な い こ と はま っ た く 同様 だ った。 近 代 工業 にと って 不可 欠 の石 油 は海 外 よ りし か入 手 でき な か った。 石 炭す ら 大 陸 か ら の海 上輸 送 を 必 要 と し、 北 方 の
本文内 の六 二〇万ト ンは可働船舶五、 二九六、〇〇〇 に機帆船 一 〇〇 万ト ンを加えたも のと考 えられる。 日 本 当局 は こ の船 腹 は決 し て十 分 な数 量 で はな か ったと 言 明 し た
に大 量 の船 腹 が 要求 され た か を決 定 す る こと は実際 問 題 と し て は殆
が 、南 方 に お い て急 速 に獲得 さ れた 資 源地 帯 を 開発 す るた め に如 何
日本 には護 衛 艦 の建 造計 画 が なく 、 一九 四 三年 四 月以 前 に はわ ず か
日本 の船 舶 運 営 と護 衛 組織
し か しな が ら 、戦 時 にお い て 一つ の国 家 が そ の商 船 隊 を維 持 し 増
母 が や はり この任 務 に配属 され た。 これ ら の部 隊 は付 表 第 1 ︹ 略︺に
〇 隻 を船 舶 護衛 に充 当 し た。 大 分 あ と にな って航 空 隊 四隊 と補 助 空
駆 潜艇 お よび 其他 の小 型 艦艇 一〇 〇 隻、 改 造商 船 (特設 艦 艇 ) 二一
開戦 時 、 日 本海 軍 は駆逐 艦 十 二隻 、魚 雷 艇 、
日 本、 護 衛 問 題 を軽 視 す
三
に 二隻 が建 造 さ れ て い た に過 ぎ な か った 。
1
強 す る に はた だ建 造 す る か、 ま たは 他 の何 等 か の方 法 で沈 めら れ る
一九 四 一年 十 二月 ︱
よ りも 早 く 船 を 入手 す る 以外 に はな い。 と ころ で日 本 は戦 争 の発 端
示 さ れ たよ う に鎮 守 府 、警 備 府 、根 拠 地 隊 と支 那 方 面艦 隊 に分 属 し
んど 算 出 不 可能 であ ろう。
に当 ってそ の造船 計 画 を 積極 的 に増 強 す る た め強 力 な 措置 も 執 ら な
る 中 央機 関 は設 置 さ れ て い なか った。 た だ 方面 艦 隊 司令 部 を含 む 各
て いた ので あ る。 し かし、 そ こに は護 衛 任 務 を明 示 し、 航 路 を決 定
司 令部 が そ の担 任 海 域 内 の護 衛 作戦 に関 し て全 責 任 を有 し て い ただ
し 、船 舶 に対す る新 し い脅 威 に対 抗 さ せる た め迅 速 に兵 力 を操 作 す
わず か に 一九 四 二年 度 年間 造 船 量 二 六万 ト ンと いう いか にも 控 え
か った し、 一方 消 極 的 にはす で に保有 して いた船 舶 の護衛 制 度 を 確
目 な 日本 の造 船 努力 の規 模と いうも の は、 さ ら にも っと重 要 な 別 の
立 す る こと も や ら な か った 。
理 由 に よ って そ の程 度 に止 ま ったも の かも 知 れな いか ら、 あ ま り そ
白 に船 舶 護衛 専 門 に使 用さ れ て い たわ け で はな か った。 ま た 一貫 し
前述 の艦艇 は これ ら の司 令 部 の指揮 下 に 配分 さ れ て は いたが 、 明
け だ った。
衛 艦 建 造 計 画 に着 手 す る こと 、 お よび 有 効 な対 策 の線 に沿 って船 団
った各 司令 部 間 の協 同動 作 に関す る手 続 は緩 慢 で か つ非能 率 的 なも
た船 舶 護 衛組 織 が な く、 隣 接 司令 部 間 あ る い は拡 張 され た航 路 に沿
の怠 慢 を 責 め る のは酷 で あ る かも 知 れ ぬ。 し か しな が ら、 日本 が護
は並 外 れ た 過度 の自 信 に よ ったも の であ ろう と 辛 う じ てそ の理 由 を
護 衛 を 組 織 的 にす る こと に失 敗 し た こと は見 透 し の不足 か、 あ る い
説 明 す る 外 はあ るま い。
戦 で英 国が ド イ ツ の潜 水 艦戦 か ら嘗 め た そ の苦 い経 験 の方 は 一向 学
を運 営 し た。 海 軍 は海 軍 運 輸 本部 (東京 )、 艦 隊 司令 部、 鎮 守 府、
船 舶 輸 送司 今 部 と外 地 の五 ヵ所 の下 級 司令 部 を通 じ て管轄 下 の船舶
陸 軍 と 海軍 に徴傭 さ れ た以 外 の 民需 船 舶 を統 制 し た。 陸 軍 は宇 品 の
三 つの省 が それ ぞ れ分 け 前 の船 舶 の運 営 を統 制 し、 船 舶運 営 会 が
のであ った。
ば な か った。 開 戦 初期 に は、船 舶 護 衛 を 主と し て担 任 す る 単 一の司
日本 海 軍 は多 く の点 で英 国 に範 を と って利 益 を得 たが 、第 一次 大
令 部 ま た は機 構 と いう も のは 日本 海 軍 に は存 在 しな か った。 さら に
警 備 府 お よび 占 領 地 の下 部 組織 が 徴 傭 し た民 間 船 舶 や、 直 接艦 隊 の 指 揮 下 に入 れ ら れ たも のを 除 い て全 海軍 所 属 の貨物 船 や 運 送船 を統
統 制 上 の協 同関 係 と い えば 、 た だ関 係 各 省 の上 層 部 間 で船舶 の 一
制 し て い た。
般 配分 に関 す る会 議 を 通 じ て行 な わ れ る程 度 のも の に過 ぎ な か った 。 遠 隔 地 の港 湾 間 の船 舶 護 衛 の手 配も まち ま ち であ り航 行 、出 入 港 お よ び敵 潜 発 見等 の情 報 の交 換 も常 に 不完 全 か つ不備 な も のであ った 。 日本 の南方 地域 に対 す る最 初 の進 撃 や 中 部 太平 洋 を 席 捲す る 攻 勢 は 、 そ の赴 く所 、 ま さ に 鎧袖 一触、 あ ら ゆ る連 合 国 の海 軍 兵力 や 航
米 海 軍 無制 限 潜 水 艦戦 を 開始 す
一九四三年六月、三十 四隻 の海防艦建造計画が予算面 に加 えられた。
2
日営 の真 珠 湾 攻繋 後 六時 間 以内 にア メリカ海 軍 作戦 主 脳部 は 日本
船 舶 に対 し即 刻潜 水艦 作 戦 と航 空作 戦開 始 を 発令 し た 。
︹ 編者注︺ ア メリカ作戦当局 の発した重大命令は次のようなも のであ った。
この “ 無制限潜水艦戦” の実施に対する所見 に つい ては、 大 井篤著
﹁日本に対し無制限潜水艦戦及び航空戦を実施す べし﹂
当時 、 米 ・潜 水艦 は南 西 太平 洋 方 面 に 二十 九 隻 、中 部 太 平洋 方 面
﹃ 海 上護衛戦﹄六六頁 を参照されたい。
に 二十 二隻 が配 備 され て いた。 こう し て前者 の 二十 九隻 はす で に日
空 兵力 を 僅 少 の潜 水 艦 を除 き 、 そ れ ら の地 区 か ら 一度 は 掃蕩 し て し ま った。 こ の進 攻 作 戦 に随 伴 した 日 の丸 船 隊 は戦 争 の最 初 の六 ヵ 月
大 半 は直 ち に横 浜 、 長 崎 お よび 下 関沖 、 豊後 水 道 、紀 伊 水 道内 、 対
本 の南 進 を 阻 止 す る た め展開 し て いた し、中 部 太 平 洋潜 水 艦 部隊 の
馬 海峡 と いう よ う な日 本 船 舶 の常 用 航路 の焦 点 に移 動 し て行 った。
間 は殆 んど敵 の反 撃 を 受 けず あ た かも 鼻 歌 ま じ り で無 人 の境 を 行 く
わず かに南 シナ海 、 フ ィリピ ンお よび 蘭 印方 面 に行 動 中 の ア メリ
太 平洋 潜 水 艦 部 隊 に割 当 て られ た任務 と いう の は、 前記 持 場 の監 視
よ う な有 様 で あ った。
カ潜 水艦 が 独力 で 日本 の前 進 に対 抗 して 黙 々と任 務 に就 いて いた 。
哨 戒 を強 化 し、 でき るだ け 多数 が 哨 戒区 域 に留 って船 舶 も 含 め て敵
︹ 編者注︺ 一九四二年末 の米 ・潜水艦保有全数 は 一三八隻。行動基地
であ った 。
洋 にお け る哨 戒 中 の全数 ︹ 常 に哨戒区域に留 っていた数︺は約 三十 五 隻
米 ・潜 水 艦 の数 は 一九 四 二年 中 に徐 々 に増 大 しそ の年 末 に は太 平
と同様商船 でなく戦闘艦艇 であ った。
︹ 編者注︺ 戦争初期 においては米 ・潜水艦 の優先的な攻撃 目標 は日本
海 上 兵力 に最 大 限 の損 害 を 与 え る こと であ った。
ま た船 舶 に対す る長 距 離 攻撃 に適 し た少 数 の連 合 軍 機 は哨 戒 や 軍 艦
日本 の統帥 部 はそ の海 上交 通 線 は確 保 さ れ て い ると 考 え て いた 。
の攻撃 に従 事 し て い た。
何 故 な ら 日本 は 一隻 の護 衛 艦も 新 た に建 造 せず 、 ま た 一九 四 三年 三 月 に終 る会 計 年度 分 と し て わず か に 四隻 の建 造 を計 画 し た に過 ぎ な か った。 ︹編者注︺ 開戦時 日本海軍 の現有 海防艦 は四隻 ( 占守、国後、 八丈、 石垣)であり、昭和十七年度に起工された海防艦 は三十隻であ った。(昭 和十 八年四月に この第 一艦が竣工した。 )
日 本 の海 上 か ら の ガダ ルカ ナ ル増援 企図 に対す る 連 合軍 航 空部 隊
ソ ロモ ン の補 給 戦 と船 腹 難
の頑 強 な反 撃 は 、次 第 に いわ ゆる ﹁ 東 京 急 行 ﹂と 呼ば れ た軽 快艦 艇
3
米 ・潜 水 艦 の日 本船 舶 撃 沈 は次 第 に確 実 に増 加 し て行 き 一九 四三
によ る輸 送 を 主 用 せざ るを得 な いよ う に した 。 こ の艦艇 の変 則 な用
は ハワイ、 ミッドウ ェー島、 フリ マントル、プ リスベーンであ った。
年 一月 一日現 在 で 合計 六七 万 ト ン以 上 に達 し た 。 こ のと き ま で に、
法 は ま た ニ ュー ギ ニア作戦 に お いても 、 米 軍 と連 合 軍 の爆 撃 機が 一
計 、 三万 ト ン の輸 送 船 全 部 を撃 沈 し 、護 衛 駆逐 艦 八隻 のう ち の四隻
九 四 三年 三 月 に 、ビ ス マ ルク海 で 一六隻 の日 本船 団 を 攻撃 し て 八隻
軍機 と 海 軍 機が ほぼ 半 々であ った 。 一九四 一年
空 中 攻撃 に よ るも のは約 二五 五、 〇 〇〇 ト ンに 上 ったが 、 それ は陸
四二年)
︹ 編者注︺ 米 ・潜水艦に撃沈 された日本艦船表 ( 開戦︱ 十 二月︱
そ れ以 来 と いう も のは、 日本 の残 り少 な い輸 送 船 が米 ・陸 上基 地
を 沈 め た後 に、 こ の方 面 にも 事 実 と な って現 われ た 。
機 の行 動 圏 内 に 入 った が、 し かし 一方 護 衛艦 兼 輸 送艦 の役 目 を引 き
受 けざ るを得 な か った 日本 海 軍 は結 局 のと こ ろ、 駆逐 艦 兵 力 の重 大 な 減 少 に直 面 し た の であ る 。
︹ 編者注︺ ガダ ルカナ ル戦 からビ スマルク海海戦 の約半年間に日本は、
駆逐艦 一六隻 を喪失、 二三隻 を損傷した。
他 方 、 米 ・陸 軍 第 一四航 空 軍 は、 揚 子 江 に おけ る 日本 の河 川運 輸
に対 す る 攻撃 規 模 を 増 大 し、 日 本 の鉄 鉱 石 の大 部分 を 供給 し て いた
この地 区 か ら の積 荷 量 を致 命 的 に減 少 さ せ た。 この航 空 隊 はま た東
京湾 から 上海 に至 る中 国沿 岸 に沿 って航行 す る日本 船 舶 を間 断 なく
一九 四 三年 中 に、 ソ ロモ ンお よび ニ ューギ ニア作 戦 の戦 局 は日本
攻撃 して 悩 ま し続 け た 。
側 にそ の地区 に対 す る補 給 努 力 を倍 加 す る こと 、 なら び に さら に大
と にあ わ ただ し いも のが あ った 。米 ・潜 水艦 は日本 本 土 か ら南 東方
兵 力 を そ の地 域 に針 付 けす る ことを 要 請 し なが ら、 そ の推移 はま こ
面 に いた る航 路 に沿 った海 面 を 狩場 と し て待 ち構 え て日本 船 舶 を痛
して 、 日本 の船 舶 にと り 、絶 対 に逃れ え な い危 険 地 帯 を増 大 さ せ つ
撃 し 、米 ・航 空 隊 は、 そ の ルー ト の最 後 の数 百 マイ ルを そ の持 場 と
ク島 や ラバ ウ ル の よう な 太平 洋 上 の中 枢基 地 にお け る修 理 設備 の貧
まず 、外 地 の船 舶 修 理 施 設 の不 足 が常 に重大 であ り、 中 でも ト ラ ッ
日 本側 が 夜 間 のみ 、 自軍 の前 線 の目 的 地 近く に軍 需 品 を輸 送 し は
た 攻撃 で元も 子 も 失 って し まう ことが 多 か った。 第 二は 、 これ ら の
を無 事 脱 出 し て移 動 さ せ る こと が 殆ん ど できず 引 き続 いて こうむ っ
弱 さが 特 に大き く 響 いた。 これ ら の海 域 で損 傷 し た船 舶 は危 険 海 面
じ めた とき 、連 合軍 航 空 隊 は待 って まし た とば かり 船 舶攻 撃 用 の夜
根 拠地 から の艦 隊 行 動 を十 分 続 行 させ る に は現 地 の燃 料 貯蔵 施 設能
つあ った。
て反 撃 し た。
潜 水艦 はそ の数 にお い て 日を 追 う て増強 され つ つあ ったば かり で な
点 や港 湾 に滞 留 さ せ ざ るを 得 な い ような 結 果 を招 いた 。第 三は、米 ・
間 レ ーダ ーを 装 備 した 海 軍機 “黒猫 ” と 陸 軍 の低 高 度 爆撃 機 をも っ
二 五〇 万 ト ンの喪 失 と海 上 護衛 総 司 令 部設 置
力 が 不足 し、 そ れ が 油送 船 を 常 に米 軍 の空 襲 の好 餌 と な る よう な地
4
く、 そ の作戦 基 地 が 前進 し て日本 に近 接す るに つれ 、 従 来 よりも 長
期 にわ た って作 職 地 域 に留 まる こ とが でき るよ う にな った こと は、
一九 四三 年 一 一月 、 船舶 喪 失 が累 計 約 二 五〇 万 ト ンに達 し た とき 、 日本 は、 す で に遅き に失 し て は いたが 、 そ の護 衛 兵 力 の再 編 と 強 化
日 本 にと って は 二重 の不 利 とな った。
アメリカ潜水艦基地 の進出状況
いずれにせよ、空 母建造 の増強振 りは次 の通 りであ った。
海上交通線 の破壊 に重点を置 きはじめたことも看過 できないであろう。
生じたことも 一つの理由であろうが、日本屈服 の最も有効な方法として
︹ 編者注︺ 米国が日本船舶攻撃 に空母群を使用し たのは、 その余裕を
の兵 力 を 割 く余 裕 が でき る隻 数 に達 し た の であ る。
第 四は 米 ・空 母 の増勢 も めざ ま しく 、対 船舶 攻 撃 に空 母機 動部 隊
月以降 メジ ユロに進出した。
最初 は ハワイ、 ミッドウ ェー島、ブリスベーンであ ったが、四 三年九
②
均五隻∼七隻が就役し た。
建 造は平均六ヵ月を要し、 一九四三年末から四四年にかけ ては毎月平
一九四二年 四〇隻、 一九四三年五九隻、計九九隻
︹ 編者注︺ ①米 ・潜水艦 の増強状況
に乗 り出 し た 。東 京 に司令 部 を 置 く海 上 護衛 総 隊 が 一九 四 三年 一 一 月 一五 日 に設 置 され 、 付 表第 2 ︹ 略︺に示 さ れ た よう な 編成 上 の変 化
に開 始 され た護 衛 艦 建 造 の増 加 は、 利 用 可能 な商 船 隊 の総 ト ン数 が
が 起 こ った 。 し か しな が ら こ の海 上護 衛 部 隊 の再 編 および 数 ヵ 月前
下 降 の 一途 を た ど る傾 向 を い まさ ら喰 い止 め る効 果 を 発揮 でき そう も な か った。 日本 の商 船 隊 は、 ど んど ん拡 張 され たそ の造 船 計 画 にも かか わ ら
し て いた。
ず 、 造船 は沈 没 に追 い つかず 、 す で に最 初 の保 有 量 の八〇 % に減少
︹ 編者注︺ 一九四三年 一 二 月はじめに日本保有船 舶は四八〇万 トンに 低下した。 そう して 手 の打 ち よ う のな い、統 制 や管 制 も き かな い外 的 の数 個 の要素 が 着 々と船 舶 を 減少 さ せる方 向 に動 き つ つあ った の であ る。
なお、進水より就役までは、空母 (二七、〇〇〇 トン)三∼七ヵ月、 軽 空母 (一一、〇〇〇 トン) 三∼ 四ヵ月であ った。 第 五 に、 ア メリ カ の レーダ ー と水 中聴 音 器 の生産 上 のすば ら し い 進 歩 と量 産 は、 日本 側 の防 禦 の立 ち後 れ や非 能率 と米 国 側 の攻 撃 力 と の間 の開 き を益 々大き く ひろげ つつあ った。 要 す る に、 日本 はそ の船 舶保 護 の能 力 を 欠き 、 あ ら ゆ る努 力 も 効を 奏 せず 、 そ の置 かれ
日本 船 舶 に対 す る 本格 的 猛 攻 (一九 四 四年 )
ト ラ ック島 大 空 襲
四
た 地 位 は急 速 に悪 化 す るば か りだ ったと いえ よう 。
1
一九 四 四年 二月 一六 ︱ 一七 日両 日 の米 ・空母 機 動 部隊 の ト ラ ック 島 空 襲 は 日本 船 舶 に対 し て 最初 の連続 的 大 打撃 を 与 え たも の であ っ た。 五 万 二千 ト ン の油 送 船 を含 む 一八万 六千 ト ン以 上 のも のが 急降 下 爆 撃 機 お よび 雷撃 機 によ る 二 日間 の攻 撃 で撃 沈 さ れ た の であ る 。 ︹ 編者注︺ 実際 は商船だけで 三二隻二〇 万トン以上、 この外 に 艦艇 一 二隻 二八万 トン。 こ の油 送 船 の損 失 は 同 じ月 に潜 水 艦 に撃 沈 さ れ た四 万 八千 ト ンと 相 ま って 日本海 軍 の燃 料 補 給 量 を致 命 的 に減 少 さ せ、 や が て は艦 艇 の行 動 力 そ のも の にも深 刻 な 影 響 を及 ぼ し た の であ った。
華 々しく目立 ちこそしないが、敵 の単独航行船や小型 の内航船 に 対し絶 えざる圧迫を加え続け ていたのが連合軍 の水陸両用 の長距離
索 敵機 の仕 事 で あ った ことも 見 逃 す わ け に は行 かな い。 米 ・海軍 哨
六〇〇 ∼ 七〇 〇 マイ ルも ひ ろが って いる扇 形 捜索 弧 を 飛び ま わ って 、
戒 機 と陸 軍 のB 24 は、 毎 日 のよう に爆弾 を 積 み こ んで そ の基 地 から
太 平 洋上 の かな り の広 さ の海 面 を 黙 々とく ま なく 索敵 し つづ け た。
米 軍 が 北部 ニ ューギ ニア海岸 に沿 って進 攻 す る に つれ、 母 艦 か ら飛
した 重 爆用 の飛 行場 が 完 成 す る のを 待 って、 母艦 と艦 上 機 は新 し い
び 出 し た水 上 機 は、 日本 船舶 に対 し て そ の進 出地 点 か ら作 戦 を実 施
狩 場 にぐ んぐ ん進 出 し た。
米 ・水 上機 は、 日本 の艦船 が 生 き 残 る機 会 の少 な か った 地 区 に昼
った 。陸 軍 と海 軍 の基 地 機 は ボ ルネ オ、 セレベ スおよ び南 部 フ ィリ
間行 動 し 、夜 間 には “黒 猫 ”機 が 代 って索 敵 し て 日本 軍 に襲 いか か
地機 と 水 上偵 察 機 は ト ラ ック島、 ラバ ウ ル、 ポ ナ ペ島 を含 んだ 飛石
ピ ン地 区 を通 じ て日本 船 舶 の強 行 索 敵 を実 施 し た。 ま た連 合 軍 の基
れ る沈 没 船 のト ン数 は、 他 の兵 力 に よ るも の ほど強 い感銘 を 与 え る
作 戦 で置 き去 り にし た島 々 の封 鎖 を 続 行 し た。彼 等 の功績 と 認 めら
数 量 で はな いが 、 そ の連 日 の出撃 は 日本側 に水 上補 給 を断 念 さ せ、
潜水 艦 によ る水 中 補 給法 を 採 用 せざ るを 得 な いよう に仕向 け たも の
で、 ち ょう ど ビ ン の 口を栓 で押 え つけ るよう な 役 目を 果 し た のであ
る。 も し こ の役 目を す るも のが な か ったら 日本 の潜 水 艦 はそ の攻撃
力 を連 合軍 の船 舶攻 撃 に向 け てあば れ まわ った にちが いな い。
ガダ ルカナル輸送
︹ 編 者注︺ 日本潜水艦による補給作戦
一九四 二年 一一年中旬から第 六艦隊麾下 の潜水艦 の大部分が輸送任務
①
に投入されたが其 の間、伊号三潜、伊 号 一潜を失 った
三 日前 に空 母機 動 部 隊 は そ の付 近海 域 か ら逃 走 中 の輸 送 船 団 一二隻
四 万 七千 ト ンは油 送 船 の総 ト ン数 であ った。 米 軍 のサ イパ ン上 陸 の
ニューギ ニア方面
②
日本 つい に 五〇〇 万 ト ンを喪 失 (一九 四 四年 八月 )
一、 六二 三、 四 〇〇 〃
一、 八 一四、〇〇〇 〃
六、〇 六六、七〇〇 トン
二、 六二九、三〇〇 〃
保有船腹 海軍徴傭
の絶 望 的な 試 み と し て 日本 は そ の護 衛部 隊 を 一九 四 四年 八月 に再 編
そ こで、 ま だ 残 って いる 貴 重な 船 舶を 保 護 し海 運 を維 持 す る た め
護 衛 部 隊 の再 編 (一九 四 四 ・八 ・九)
護 的 な意 義 を 持 って いた米 ・空 母機 によ る攻 撃 はこ の地 区 の日本 の
1
民需用
陸軍徴傭
たのである。
一九四四年 一月初頭 にすでに日本 の民需船腹はそ の最低必要量を割 っ
〇万 トンの民需用船 腹を最小限必要とする計算であ った。
︹編者注︺ 日本が国民 の生活物資 や軍需生産物資 を輸送するには三〇
い前 に早 く も 破 壊 さ れ てし ま った。
要 船 腹 量 は平 均 四 四 七万 ト ンであ った。 日本 商 船 隊 は十 分 役立 た な
庁 (F EA ) の推 計 によ れば 、 一九 四四 年 に おけ る 日本 の最 小 限 必
え 不 十分 で あ った と いう厳 然 たる事 実 であ った。 ア メリカ外 国 経 済
って し て は極 度 に縮 減 さ れ た 日本帝 国 の最 小 限 の要求 量 に対 して さ
を 突破 した が 、 さ ら に 一そう 重 要 な こと は残 り の三 二五 万 ト ンを も
一九 四四年 八月 ま で に日本 の喪 失 した船 腹 はす で に五 〇〇 万 ト ン
五
の小型 貨 物 船 のう ち 一〇 隻 と護 衛艦 一隻 を海 底 に葬 った 。
三隻∼七隻 の潜水艦が従事 していたが 一九四三年九月上旬まで続行 さ ③ 輸送専用潜水艦 の建造
れ。その間伊号四潜が沈没し た。 一、五〇〇 トン級と四〇〇 トン級 二〇隻以上を急速建造する ことにな ったが、南鳥 島、ウ ェーキ島、 トラ ック島など の水中 輸送に 一部使用 さ れたにすぎ ない。 一九 四 四年 二月 、 日本 は ラバ ウ ル の増強 と 確 保 を断 念 し て そ の航 空 隊を 撤 退 さ せ た。 ト ラ ック島 は空 母 に よ る攻 撃 の脅 威 に よ って艦 隊 根拠 地 と し て は無力 化 され、 日本 の手中 にな お残 ってい た ギ ルバ ー ト諸 島 や マー シ ャ ル諸 島 の水上 兵 力 によ る増 強も 米 機 に よ って阻 止 され 沙 汰 や み とな って しま った。 水上 兵 力 を使 用 し て ビ ア ク島 に対 す る最 後 の補給 と増 援 が 企図 さ れ た の は 一九 四 四年 六 月中 旬 のこと だ ったが 、 そ の部 隊 も B 25 に よ って大 打 撃 を う け てし ま った。 ︹ 編者注︺ ホランジ ア沖海戦と称 せられ るも の。六隻 の駆逐艦 のうち 一隻沈没、 二隻が損傷を受け目的 を達 せず 後退した。
パ ラオ空 襲
ニ ューギ ニア に対 す る補 給 は こう し て そ の年 の七月 に終 止符 を打 った 。
2
全 船舶 の 一掃 を 現実 化 し た。 即 ち、 一九 四 四年 三 月 三〇 日 の艦 上機
成 し た。 こ の第 二次改 編 の主 要 な眼 目 は、 海 上護 衛 総隊 を 聯 合艦 隊
マリ ア ナ諸 島 と パ ラオ諸 島 に対 す る米 軍 の進 攻 に先 行 し 、 か つ援
のパ ラ オ強 襲 は実 に 一挙 に九 万 五千 ト ンを撃 沈 したが 、 そ の半 分 の
の指揮 下 に入 れ る こと 、 八 つの護 衛船 団 司 令 部 の新 設 お よび 第 二海 上 護 衛 隊 の編 成 上 か ら の削 除 であ った 。 ︹ 編者注︺ 第 二海上護衛隊 の司令官以下幕僚 は米軍 のサイパン進攻 の 際 すでに全員戦死し、そ の司令 部も消滅していた。 八 つ の護 衛 船 団 は計 画 準 備 さ れ たが 、適 任 の士官 と 船舶 の 不足 の た め四 つ以上 は即時 編 成 が で き な か ったが 間 も なく 五 番 目だ け は 付 け 加 え られ た 。 護 衛 艦 の隻 数 は 一九 四四 年 一 一月 の最 初 の再 編 ︹ 海 上護衛総司令部 の創設︺以 来 約 二〇 % 増 強 さ れ た。 そ し て護 送 さ れ る船 団 航 路 全 長 の縮 少 によ って護衛 部 隊 を 従 来 よ りも 十分 に充 実 す る こと が でき た 筈 であ る 。決 戦 の機 会 を 待 って そ の後 あ ま り活 発 に行 動 し な か った 日本 艦 隊 は、 しば しば そ の軽 快 部隊 を 重 要船 団 の護 衛 を支 援 す る た め割 愛 す る こ とが でき た。 これ は護 衛 部 隊 の 一切 の指揮 が 聯 合艦 隊 によ って行 使 され る こと に よ って促 進 さ れ た 一面 であ る。 し か し な が ら、 新 し い指揮 制 度 の取 り極 め は護 衛 部 隊 にと って は憂 う べき 結 果 を 招来 し た 。従 来 、 護衛 部 隊 の艦艇 ま た は航空 隊 は、 護 衛 本 来 の 任 務 以外 に艦 隊作 戦 の支援 であ る と か、 日 本 が確 保 し て い た地 域 の 防衛 上 の任 務 に転 用 す る こ と は でき な か った 。 し かる に今 や こ の制
一九 四四 年 一〇 月 の台湾 に対 す る 米 ・空 母 機動 部 隊 の空 襲 最 中 に、
度 は取 り除 かれ 変更 され た のであ る。
特 に対 潜水 艦 戦 のた め に訓練 され て いた護 衛 艦隊 航 空 隊 の所 属 機 と 搭 乗 員 は米 艦 隊 に対 す る夜 間攻 撃 に使 用 され て、 そ の揚 句 の果 て は 、
これ は 護衛 に使 用 され て こそ 、 そ の威 力 を発 揮 し つ つあ った護 衛 航
そ のと って おき の航 空 隊 は 飛行 機 と 共 に空 しく消 耗 さ れ て し ま った 。
護 衛 改 組 の効 果
空 隊 の真 価 を す っか り帳 消 し にし た 致命 的 な打 撃 であ った。
2
か く て、 船 舶 防護 に対 す る日 本 部 隊 の再 編 と強 化 も思 わ ぬ結 果 に
った 。 一方 、 マリ ア ナ に進 出 し た 米 軍 の基 地 は、 今 や そ の潜 水艦 に
な って高 率 で継 続 し たそ の喪 失 量 を 軽減 す る ど ころ の騒ぎ では な か
シ ナ海 に おけ る 日本 船 団 航路 に沿 う 哨戒 の持続 時 間 を さら に増 大 さ せ る こと に な った 。
︹ 編者注 ︺ 一九四四年六月末 の米 ・潜 水艦全保有数 は二 一三隻に達 し、
常時 その哨戒区域にいた数は四六隻 であ ったといわれる。
適 任 の士官 を 補 充 し、 所 要 の艦 艇 を 編 入す る こと のでき た米 ・空
は 二 日間 の航 程 で フ ィリピ ンま た は琉 球 に対 す る 空中 攻撃 に必 要 な
母 機 動 部 隊 は、 四 コ部隊 以 上 の編 成 を 一応中 止 し、 第 五番 目 のも の
は グ ア ム島 に進 出 し て い た。 さ ら に、 就 役 し た空 母群 の増 加が 着 々
発 進 点 が 必 要 であ り 、 そ の時期 が や って き たと き ウ ル シー島 あ る い
と進 ん で いた の で、 そ の兵 力 はも し必 要 が あれ ば 、 日毎 にい つでも
日本 の海 上 交通 線 に対 す る攻 撃 を続 行 す る こと が でき る 程 だ った 。 ︹ 編者注︺ 米 ・空母 の増強状況 一二隻、軽空母
八隻、護衛空母
八隻、護 衛空母
一四隻
五二隻
開戦後 から 一九四四年 八月 までの進水就役数
七隻、軽 空母
イリア ナ海 戦当時 の参加空母兵 力
空母
① ②
レイテ海戦前 の兵力
空母 ③
一八隻
空母群 ( TASK GROUP) ×四 (ハルゼー第 三艦隊)
空 母 八隻、軽 空母 八隻、護衛空母
日本 軍 が レイ テ増 援 企図 を 反復 実 施 し た こと は 、米 ・航空 部 隊 に
三、
六
日本 船 舶 へ の攻 撃 最高 潮 に達 す (一九 四五年 )
南 シ ナ海 の ハルゼ ー台 風
に、 六 万 八千 ト ン の油 送 船 を含 む 二六万 ト ン以 上 の日本 船 舶 を撃 沈
ホ ン コンにわ た る海 面 に密集 す る日本 船 舶 に加 えた 。 そ の戦果 は実
て南 シナ海 に躍 り こ んだ 。 そ し て矢継 早 の空 中 攻撃 を サ イゴ ンから
陸 掩 護 のた め、 な らび に所 在 の日本船 舶 の徹 底 的攻 撃 の目 的 をも っ
米 ・空母 機 動 部隊 は 一九 四 五年 一月 上 旬 に連 合軍 のリ ンガ エン上
1
二 ・一二ま で第 一次多号作戦より第九次多号作戦ま で続 けられた。
︹ 編者注︺ オルモック輸送 は 一九四四 ・一〇 ・二六より 一九四四 ・一
よ り撃 沈 さ れ た。
軍艦 艇 が 、 さ ら にオ ル モ ック湾 かそ の付近 海 面 で 一九 隻が 米 軍機 に
軍隊 およ び軍 需 品 を輸 送 中 かま た は護 衛任 務 に従事 中 の 一五 隻 の海
一二 隻 の輸 送 船 と、
ビ ア ク島 お よび モ ロタ イ島 か ら の基 地 機 は、 遠 く南 部 フ ィリ ピ ン、
四、 一〇〇ト ン。商船 (港内沈 没二隻
ず し て与 え られ たよ う なも のであ った 。そ れ は
と って は、 ま さ しく 敵 の残 存 船 舶 を撃 破粉 砕 す る絶 好 の機 会 を 求 め
空 母 機 マ ニラ港 を 攻撃 す (一九 四 四 ・九 ・二一 )
セ レベ ス、東 ボ ルネ オ 地 区 の日本 船 舶 に攻撃 を 加 え る こと が でき た。
3 一九 四 四年 九 月 、 米 ・空 母 機 動部 隊 は フ ィリピ ン所 在 の日本 航 空 兵 力 を反 復 攻撃 し て殆 ん ど潰 滅 的打 撃 を 与 え た後 、 そ の攻 撃 目標 を 日本 船 舶 に変換 し た。 九月 の空 母機 に よる マ ニラ港 に対 す る 攻撃 は 大 成功 を 収 め、 そ の港内 は 日本 の商 船 や 艦艇 の沈 んだ 船 体 で 埋 ま る と いう 惨 状 を呈 した 。引 き 続 く 空母 の コ ロン湾 空襲 は、 そ こに避 難 し た船 舶 を 残 らず 一網 打 尽 に海 底 に葬 って し ま った。
三隻
︹ 編者注︺ マニラ湾および付近 の日本艦船損失 (一九四四 ・九 ・二一 艇
︱ 二二) 艦 駆逐艦、海防艦等 七二、 八五 八トン)
三〇〇 トン) 一〇、〇〇〇 トン。油送船二隻外、 二四隻 一〇 四、 六八七 トン ( 港内沈没 一六隻
破 し た のであ る 。
︹ 編者注︺ サイゴン、 ホン コン方面 の空襲による日本艦船損 失表
か つて、 蘭 印 と 日本 本 土 間 の最 も 安 全 な船 団 航路 はボ ルネ オと フ ィ リピ ンの西 岸 、 台湾 と 琉 球を 経 由 す るも のであ った 。良 好 な 港 湾 、
①
其 他
貨物船
油送船
一二 〃
三三 〃
二三〃
六〃
四隻
一四、九四〇 〃
一四二、 二八五 〃
三九、 三六 一 〃
三二、 二 一五 〃
七〇、七〇九 トン
ホン コン方面 (一九四五 ・一 ・一六)
計
商船 ②
艦艇 計
サイゴ ン、ツーラン方面 (一九 四五 ・一・一 二 )
護 衛 飛行 機 用 お よび 日本 の強 力 な 地 域 に近 接 し た飛 行 場 の連 鎖 は こ の ルー トを 安 全 か つ理 想 的 なも のと し て いた。 し かる に、 一九 四 四
を 失 って 、 日 本船 団 はイ ンド シ ナと南 支 海 岸 に沿 って空 襲 に対 す る
年 九月 以 後 と いう も のは、 も は や こ の申 し 分 のな い ルー ト は安 全 さ
最 大 の危 険 地 区 の北 方 の東 シ ナ海 を横 断 し て迂 回 し た長 大 な 、 そ れ も 不安 を伴 う 航 路 を と らね ば な ら なく な って しま った。
油送船
五隻
( 海軍輸送艦 一を含 む)
四六、七 二二トン
したが って沈没油送船 の実際 は、 一〇隻 一一七、四三 一トンであり、 沈没艦船は合計 二〇 三、 九九 七トンとなる。 (本文中 の二六万 トンは撃 破し たも のを含 んでいる。 ) 哨戒 隊 を 伴 った水 上機 母 艦 は レイ テ、 ミ ンド ロお よび リ ンガ エン 上 陸進 攻 軍 に随 伴 し て フ ィリピ ンに移 動 し た。 連 合 軍機 と “黒猫 ” 機 作戦 に よる 日本 船 舶 に対 す る 日施 強 行 索敵 と探 索 飛行 の実 施 は間
四 五年 五 月 ま でに ア ジ ア本 土 に対 す る 日本 の最後 の頼 み の綱 の船 舶
B 29 の機 雷 敷 設 と潜 水 艦 の日本 海侵 入
航路 を そ の攻 撃 圏 内 に収 めた 。
2
B 29 は、 日本 の港湾 と近 海 に対 し いよ いよ 組織 的 な 機雷 作 戦 を開
始 し た。 こ の作 戦 は、 戦 争 の最 後 の四 ヵ月 間 に六五 万 ト ンに近 い船
︹ 編者注︺ 四ヵ月間 のB29機雷による損失 と大破 ( 括弧)
舶 をあ る いは沈 めあ る い は行 動 不能 にす る功 績 をあ げ た 。
一〇九、九九 一トン
(一三四、 三七二 〃 )
( 九四、 一七六 〃 )
(一〇六、 三〇 二ト ン)
ト ン数 五月
六九、〇〇九 〃
( 四八、 一八六 〃 )
も なく 南 シ ナ海 の大 部 分 を カバ ーし て昼 夜 を問 わず蟻 の這 い出 る隙
六月
六三、三二三 〃
( 三八三、〇三六 〃 )
も な いよ う に完 成 され た。
七月
一八、四六二 〃
一九 四 五年 二月 ま で に、 フ ィリ ピ ン に基 地 を置 いた 米 ・航 空 隊 は、 従 来 は中 国 か ら行 動 し て いた米 ・陸 軍 第 一四航 空軍 によ って援 護 さ
八月
六四三、八二 一トン
二六〇、七八五 〃 二八七隻
計
一方 、 米 ・潜 水 艦 は 六月 に日本 海 に進 入し てそ の作 戦 を開 始 し た。
合計
れ てい た アジ ア海 岸 寄 り の地 区 にま でそ の毎 日 の作 戦 行 動区 域 を延 長 す る よう にな った。 こう し て南方 資 源 地 域 に対 し て 日本 の残 存船 舶 に残 さ れた 航路 と いう も の はあ らゆ る地 点 で絶 え ず 空襲 の脅 威を
致命 的 な 欠 乏 は、 日 本海 軍 と 航 空部 隊 に残 され たあ ら ゆ る作 戦 を制
本 生命 を 甚 だ しく 減 少 さ せ て いた。 艦 船 の燃 料油 と航 空 ガ ソ リ ン の
主要 原 材 料 の スト ックの集 積 はす で に枯渇 し て底 を つき、 戦 時 の日
一九 四 五年 初頭 、 こ の航空 部 隊 に よ る上 海 入 口の機 雷敷 設 は中国
限拘 束 し、 石 油製 品 を 内地 に輸送 す るた め 主力艦 を使 用 す ると いう
受 け ねば なら な く な ってし ま った。
中 部 と の交通 を さ ら に減 少 さ せ た。 B 29 によ る パ レ ンバ ン、 サイ ゴ
よ う な、 そ ん な思 い切 った窮 余 の対 策 に訴え る よう な こと ま でや ら
ねば な らな か った。 国 内 で多 量 に 入手 可能 の唯 一つの燃 料 であ った
ン、 シ ンガポ ー ルお よび 上海 港 の機 雷敷 設 は 、 ま たさ ら に 日本 船舶
フ ィリ ピ ン の米 軍 は南 方資 源地 帯 と 日本 本 土 と を遮 断 し てそ の孤
んど 杜絶 す る 有様 だ った。 こ の空襲 は北 海道 から本 州 の工業 地 帯 に
石 炭 の供給 さ え、 空 母 機 の函 館︱ 青 森 間 の連 絡 船 の攻 撃 によ って殆
に航 行 上 の困 難 を 負 わ せ た。
立化 を 完 了 し、 南 シナ海 を 通航 す る 日本 船 舶 は 一九 四五 年 三月 ま で
石 炭 を 運 ぶ た めに使 用 さ れ て いたあ らゆ る鉄 道 、車 輌 、連 絡 船 、 石
で そ の跡 を絶 った 。硫 黄 島 を基 地 と す る米 ・海 軍哨 戒 機 、沖 縄 から 行 動す る陸海 軍 機 お よび 中 国基 地か ら 飛来 す る 第 一四航 空 軍 は 一九
終 戦時 の日 本船 舶 状 況
炭船 を 破壊 す るか動 け な いよ う にし たも のだ った。
七 八月 一五 日 に敵対 行 為 を や め た以 前 に 日本 は 一五〇 万 ト ンの船 舶 を保 有 し て い た。 し か し こ の船 腹 は、 そ の航 路 を完 全 に連 合軍 の手 中 に握 ら れ て いた のと、 重 要 な港 湾 が 殆 んど 機雷 敷 設 によ って閉 塞
ス ト ック の貯 蔵 はす で に使 い果 さ れ 、燃 料 タ ンク は空 っぽ にな っ
され て いた た め に実際 に は使 用 不能 のも のであ った。
て お り、残 存 艦 隊 は大 損 害 を 受け てそ の残骸 を横 た え、 独 り航 空 部 隊 のみが ガ ソリ ン の欠乏 によ って最 後 の自 殺 的 な特 攻 戦 法 に 迫 い込 ま れ て 日本 は気 息 奄 々とし て す で に戦 争 継続 の能 力 を喪 失 し て いた 。 三年 有 半 にわ た って、 米 ・潜 水艦 、 空 母機 な ら び に陸 上 基 地機 に よ って仮 借 な く遂 行 さ れた 日 本商 船 隊 に対 す る戦略 的 作 戦 は、着 々 と 日本 の軍 需 工業 力 と 戦闘 力 を 弱 化 さ せ、 そ の最 後 の崩 壊 に拍車 を か け る の に非 常 に大 き な寄 与 を 為 し た のであ った 。
B 29部 隊 の対 日戦 略 爆 撃 作 戦
搭 乗員 の損 粍 を要 約 し て概 述 し 、 か つ、 そ の作戦 用 法 を 簡潔 に論 述
本 報 告 書 の目的 は、 超 重爆 部 隊 の任 務 、 編制 、 成 果 および 機 材 、
爆 を も って遂 行 さ れ た。 こ の投下 爆 弾 総 ト ン数 の約 九 〇% は戦 争 末
た。 B 29部 隊 の任務 は 一六 万 五千 ト ン の爆 弾 と機 雷 の外 に 二発 の原
本 攻 撃 中 の月 平 均 可働 兵 力 は わず か に 一〇 ・三 航 空群 に過ぎ なか っ
戦 域 に 到着 し た 次第 であ った。 B 29 部 隊が 行 な った 一四 ヵ月 間 の日
三
す る こと にあ る。 した が って本 書 に お い ては、 作 戦 ま た は作 戦 の各
に実際 に戦 闘 作 戦 に従 事 し たが 、 そ の大部 分 はよう や く終 戦 間際 に
個 の局面 に つ いて の詳 細 な 分析 を 提 示す る試 み は行 な わ れず 、 たん
日本 本 土進 攻 以 前 に 日本 を 戦 争能 力 が なく な るま で叩 き のめ して お
期 の五 ヵ月 間 に使 用 され た も のであ る 。 こ の期 間中 、 B 29 部隊 は、
ま えが き
にB 29部 隊 の組 織 は いか に構 成 さ れ て いた か 、 ど んな 任 務 が割 り当
第 二〇航 空 軍 は 戦 争 の終 り ご ろ ち ょう ど全 力 作戦 可能 と な ったば
く た め、最 大 限 の能 力 を発 揮 し て間 断 な く出 撃 を行 な った。
てら れ て いた か、 ど ん な 成 果を 収 め た か、 な ら び に全 般 と し てそ の 爆 撃 作戦 は いか に実 施 さ れ た かを でき るだ け 簡 明 に述 べる に 止 める 。
そ れ は、 日本 の工業 生 産 能 力 と 戦争 継 続 の意 志 に対 す る 攻撃 は、 日
ると 、き わ めて 興味 のあ る 一つ の事 実 が 否応 な し に 浮び 上 って く る。
日 本本 土 に対す るB 29 超 重爆 部 隊 の戦 略 爆 撃 作 戦 を再 検 討 し てみ
化 でき る量 で あ った。 ま た こ のト ン数 は、 第 二〇 航 空軍 と 第 八航 空
機雷 は、 戦 争終 結 時 の出撃 可働 兵 力 をも ってす れ ば 三 ヵ月 以 内 で消
〇航 空 軍 が 五 ヵ月 間 に日本 帝 国 に 投下 し た 一六万 五 千 ト ン の爆 弾 と
旬 に第 一回 の出 撃 を 予 定 し て琉 球 に移 駐 し た と ころ であ った。 第 二
か り であ り、 ま た 、第 八航 空 軍 の最 初 の部 隊 は、 一九四 五年 八月 中
本 本 土 に 対す る 最終 的 攻 撃 に振 り向 け ら れ たB 29 の大 部隊 のご く 一
軍 の兵 力 を 充 分 に展 開 し て作 戦 で き た場 合 には、 二ヵ月 以 内 に投 下
言
部 によ って実 施 さ れ た に過 ぎ な い と いう こ と であ る 。 究極 的 に日本
で き た数 量 を 示 し て いる 。職 争 が 終 わ るま でに は、 以 上 の 二 つ の超
緒
攻 撃 用 と 定 めら れ た 三 三航 空 群 のうち 、 二 一航 空群 だ け が 戦争 末 期
重爆 部 隊 の編 制 の外 に 、新 編 の三 つの航 空 部 隊が 攻 撃 に着 手す るか、
商 船 隊 は開 戦 時 にお い てさ え、 工業 生産 の要求 に辛 う じ て応 じ 得 る
軍 需 品を 補 給 す る こと が でき な い苦境 の段 階 に達 し て い た。 日 本 の
から の手 き び し い猛攻 にあ えぎ な が ら、 南 方資 源 地 帯 への補 給 路 を
程 度 だ ったが 、 そ の時 期 に な ると 、 わず かな残 存 船 腹 が空 中 と 水 中
あ る い は日 本 本 土 の攻 撃 開始 地 点 に 移動 中 で あ った。 使 用 され た 航 空兵 力 は申 しわ け 程 度 のも のであ ったと いう事 実 に
維 持 し よう とし て絶望 的 な 努力 を 続 け て いた 。米 国 側 はす で に空 母
も か か わらず 、 B29 部 隊 は通 常 の持 久能 力 を は る か に上 回 る作 戦 に よ って見 事 な 成 果を 収 めた結 果 、 日 本 の降 伏 と米 軍 の日 本 本 土上 陸
う 確 信 を抱 い て いた。 日本 陸海 軍 航 空 部隊 の第 一線 戦 闘 兵力 の精 鋭
兵 力 に お い て優 越 の地 位 を 確立 し てお り、 日本 艦 隊 の残存 部 隊 は 米
部 隊 は 、陸 海 軍 と も 、征 服 地 あ る い は前線 への途中 です で に消 粍 さ
に予 定 され た 時 期と の間 に はわ ず か に 二ヵ 月 半 の開 き し か 生 じな か
こ の事 実 の意 味す ると こ ろ は明 白 であ る。 す な わ ち、 超 重 爆撃 機
機 動 部隊 に挑 戦 す る たび ご と に、 減勢 の 一途 を たど るば かり だ と い
の能 力 は、 まだ 充分 に認 識 さ れず 、 対 日戦 争 指 導 で立 案 さ れ た諸 計
れ てお り 、 さ ら に重 要 な こと は 、 こ の損 失 の中 に は 日本 空軍 の熟 練
った。
画 に お いて、 適 切 な 重要 度 を与 え ら れ て いな か った と いう こと であ
パ イ ロ ット の大 部分 が 含 まれ て いた と いう事 実 であ る。
傷 のまま 残 さ れ て いた 。 日本 は本 土防 衛 用 と し て各種 の戦 闘 用航 空
だ爆 弾 の洗 礼 を受 け て お らず 、 満 洲奥 地 に隠 さ れ た重 工業地 帯 も 無
日本 の工 業 中 心部 は、 ド ーリ ット ル隊 に よ る爆 撃を 除 いて は、 ま
る。 B 29部 隊 の対 日作 戦 は、 それ 自 体 に おけ る決 定 的 な力 と し て で
段 と し て考 え られ て いた の であ る。 こ の こと は別 に航 空戦 略 爆 撃 計
は なく 、 一つの目 的 、 つま り 日本 本 土 進 攻 と いう 目 的 の た め の 一手
画が 、 他 の い っさ い の作 戦 と 別 個 に独 立 し て立 案 さ れ る べき であ る
上 を、 満 洲 の防 衛 に はさ ら に 二五 〇機 をそ れぞ れ 配 置 し て いた 。 マ
リ アナ諸 島 は米 水陸 両 用 部隊 の攻 撃 を受 け つ つあ った。 フ ィリ ピ ン
機 二、 六〇 〇 機 以上 を 配 備 し、 中 国 の占 領 地域 防 衛 に は 四五〇 機 以
進 攻 途中 のビ ア ク島 はす で に米 軍 の手 中 に落 ち て いた。 米 本 国 か ら
と いう こと を 言 おう と し て いる ので はな い。 ただ し 、 航 空戦 略 爆 撃
攻 の実 施 以 前 にそ の能 力 を発 揮 し、 でき れば 日本 に降伏 を強 要 す る
太 平洋 戦 域 に続 々と増 強 され る武 器 の補 給 状況 から 見 て、 米 軍 が対
と いうも のは 、 そ の めざす 目 的 を分 析 し て明 確 にし た 上 で、 本 土 進
よ う 充分 な 時 間 と機 会 を与 え るべ き であ った 、と いう こと を強 調 し
か った。
日戦 の完 遂 のた めに十 分 に装 備 さ れ る こと に は いさ さ か の疑 問 も な
た か った の であ る。
第 一章
マリ ア ナを 基 地 と す るB 29部 隊 が 一九 四四年 十 一月 に対 日爆 撃作
いた。中 国戦 域 にお け る局 地 的 成功 を 除 いて 、 日本 側 の必死 の努 力
戦 を 開始 し た時 、 連 合軍 の対 日 攻勢 はま さ に絶頂 期 にさ し か か って
戦 局 の状況
最 初 に B 29 部 隊が 日本 本 土 を攻 撃 し た 一九 四 四年 六月 には、 戦 局
1
は 日本 が広 大 な 地域 に展 開 し たそ の全 兵力 に、 も は や充 分 に兵 器 や
も 敗 北 に次 ぐ に敗 北 を重 ね る 結 果 に終 わ り、 今 や フ ィリピ ン諸 島 の
第 一の任 務 の遂 行 のた め に、 イ ンド =中 国 を基 地 とす るB 29部 隊
レイ テを めぐ る攻 防 の死闘 が 展 開 され 、 ミ ンド ロ島 と ルソ ン島 へ
足 し て、 パ レ ンバ ン から 上海 に至 る 重要 港 湾 や航 路 に対す る機 雷 の
空 機 工場 、海 軍施 設 お よ び輸 送 機 関を 攻 撃 し た。 これ ら の攻 撃 を補
中 国 占領 地 区 、台 湾 、 ビ ル マ、 マレー の重 工業、 石 油 生産 施 設、 航
は、 日本 本 土 の重 工業 ( 製 鉄 所 と製 鋼 所 ) と 航 空機 製作 所 、 満洲 、
の進 攻 が 目 前 に迫 って い た。 日 本 空 母航 空 部隊 が 洗 いざ ら い繰 り 出
防衛 の成 否 が そ の最 大 の関 心事 と な って い た。
さ れ たが 殆 ん ど撃 滅 さ れ て しま った 。そ し て、 そ の陸 海軍 航 空 部 隊
空 中 投 下も 実 施 さ れ た。
潜 水艦 と 航 空 攻撃 から 受 け た商 船 隊 の喪 失 は さ ら に増 加 す る 一方
関 が 高 い優 先 度 を占 め るに 至 った。 交 通機 関 に対す る 最初 の攻 撃が
対 す る 爆 撃が 開 始 さ れ、 ま た攻 撃 の最 終 段階 には製 油 施設 と 輸 送機
れ て、 日本 の港 湾、 航 路 へ の機 雷 投 下、 お よび 武器 弾 薬製 造 工 場 に
地 域 を第 一目 標 と し て攻 撃 を加 え た 。超 重 爆 に よ る攻 撃 の進 展 に つ
マリ ア ナを基 地と す る B 29 部 隊 は、 日本 の航 空機 産 業 と都 市 工業
の残存 兵 力 の大部 が フ ィリ ピ ンの最 終的 防 衛 のた め に投 入 され た 。 フ ィリピ ン防衛 に当 た って いた日 本 艦隊 の残 存 部隊 は本 国 に向 か っ
で 、 南方 補 給 線 の完 全 な 切 断も 切 迫 し て い た。 日 本本 土 の防衛 用 と
て後 退 し て しま った 。
し て 三千 機 以 上 の戦 闘 用 航 空兵 力 が 配備 され 、 神 風攻 撃 隊 も誕 生 し
行 な わ れ た の は爆 撃作 戦 の最後 の 日 であ った。
編 制 お よび 戦 闘 装 備
幕僚 長 会 議 (J C S ) の直 属部 隊 と し て第 二〇 航 空軍 が 創設 さ れ た。
超 重 爆 部隊 の戦略 任 務 を 遂行 す る た め に、 一九 四 四年 四月 に統合
3
た 。 日本 の戦 時 工 業 は依 然 と し て高 い生産 率 で戦 争兵 器 を 産出 し て いた が、 状 況 は次 第 に急 迫 の度 を加 え 、 数 部門 にお い て は封鎖 の た め生 産 高 の減 少 を 来 し て いた 。 し かし なが ら、 戦 争 は依 然 と し て本 土 の心臓 部 より はる か に遠 く、 日本 の抗戦 意 志 は、事 実 上 いさ さ か も 衰 えを 見 せず 旺盛 であ った。
司令 部 は、H ・H ・ア ー ノ ルド将 軍 を 軍 司令 官 と し て ワ シ ント ン地
に戦 域 指 揮官 に付 与 さ れ た。第 二〇 航 空 軍 は 二 つ の爆 撃 機 集団 で編
区 に設 置 され た。後 方 業 務 支援 の責 任 は、 若 干 の管 理行 政責 任 と 共
成 さ れ たが、 そ の 一つは イ ンド = 中 国 を 基 地 とす る 第 二 〇 爆 撃 機 集
超 重爆 部 隊 の任 務
統 合 幕僚 長 会 議 指 令第 七 四 二 一二号 に述 べら れ た よう に、最 初 の
2
に 日本 の軍 事 、 工業 お よび 経 済 組織 の漸 進 的混 乱 を 成就 さ せ 、 ま た、
超 重 爆 部 隊 であ る 第 二〇 航 空軍 の第 一の任 務 は、 で き る限 り 速 や か
必 要 と しな く な り、 第 二一 爆 撃 機 集 団が そ の部隊 を 吸 収し て グ ア ム
った。 戦 争 が進 展す る に つれ て 、第 二〇 爆 撃機 集 団 はあ ま り活 動 を
団 であ り 、他 の 一つは マリ ア ナを基 地 と す る第 二一 爆 撃 機 集団 で あ
そ の戦 意 を破 砕 し低 下 さ せ る にあ った。 そ し て、 太 平 洋諸 作 戦 を 支
島 に司 令 部 を置 く 第 二〇 航 空 軍 と し て再 編 され る こと にな った。 ヨ
日本 国 民 の戦争 継 続 の能 力 と 意 志 が決 定 的 に弱 めら れ ると ころ ま で、
援 す るた め の作 戦 は第 二義 的 な 任 務 であ った 。
ー ロッパ戦 争 の終 結 に伴 い、第 八航 空軍 を 超 重爆 部 隊 に 編 成替 え し
を 実 施す る こと が決 定 さ れ た。
情 報資 料 を 提供 す る こ と とな り 、 こう し て中 国 を通 じ て重爆 機 作 戦
はB 29 の生産 の線 に沿 って調 整 され た 。統 合 幕 僚 長会 議 は太 平洋 方
( C B I )戦 域 に展開 し た。 米 本国 にお け るB 29 部隊 の編 制 と 訓 練
撃 機 集 団 (一隊 の戦 闘航 空団 よ り成 る も の) が 中 国=イ ンド =ビ ル マ
基 地 群 の提 供 を申 し出 た。 そ こ で、 最 初 の超 重 爆隊 であ る 第 二〇 爆
第 二〇 航 空軍が 創 設 さ れ た 際 に、 中 国 は直 接 に 日本 を 攻 撃 でき る
整 備 の人 員 一万 二千名 以 上 と、 一八〇 機 のB 29 の収 容 施設 を 備 え る
各 個 に建 設す る こと が 決 定 さ れ た。 これら の基 地 はそ れぞ れ 戦 闘と
とし て 利 用 でき る 土地 面 積が 限 られ て いる た め、 航 空 団用 の基 地を
外 派 遣 の航空 部 隊 に比 し 大変 更 が 加 え られ た。 マリ ア ナ諸 島 は基 地
たか ら であ った 。第 二一 爆 撃 機 集 団 の編 制 計 画 は こ の集 団 や 他 の海
方 支 援 の困 難 性 のた めに、 恒 久 基 地 と して発 展 す る こ とが 妨げ られ
集 合基 地 を通 じ て作 戦 し た。 これ は、 中 国 の基 地 は そ の危 険 性 と後
第 二〇 爆 撃機 集 団 は イ ンド 所 在 の各 基 地群 から と中 国 所在 の前進
て沖 縄 に再 展 開す る決 定 が 行 なわ れ た。 これ ら の二 つ の超 重爆 部 隊 を 管 理 し統 制 す る た め、 米 陸軍 戦 略 空 軍司 令 部 (US A S TA F )
面最 高 指 揮官 (ニ・ ミッ ツ提 督 ) に対 し 、 軍隊 輸 送 集合 基 地 、 艦隊 根
こと にな った。 爆撃 群 ま た は爆 撃 大 隊 と対 比 し て、 き わ め て有 力な
が グ ァ ム島 に設 置 さ れ、 活 動 を 開 始 した 。
拠 地 およ び今 後 のB 29部 隊 展 開 基 地を 建 設す る た め、 マリ ア ナ諸 島
作 戦 単 位 と し て航 空団 司 令部 が 設 置 さ れ た。 ま たあ ら ゆ る部 門 に お
の補給 お よび 整備 機 能 は、 諸 隊 の統 合 と いう 若 干 の犠 牲 を 払 って航
の経 済 牲 を 発揮 す る こと が 必 要 であ った。 こう し て、 個 々の作 業隊
け る整 備 と補 給 品 の重大 な 不 足 の た めに、 作 戦機 能 を 統 合 し て最大
を 確保 す べき任 務 を 与 え た 。
圏 内 に 入れ る こと が で き た。 一方 、中 国 の既存 基 地 か ら の超 重 爆 に
空 団 と し て の機 能 の面 に集 中 さ れ た。
々リ ア ナ諸島 から は、 日本 本 土 の心臓 部 を直 接 にB 29部 隊 の攻撃
よ る爆 撃 作 戦 で は 日本 の心 臓部 ま で は達 す る こ と は でき な いう え に、
遅延 を来 す だ け で、 当初 意 図 さ れ た中 国 =ビ ル マ=イ ンド 方 面 よりも
マリ ア ナ作 戦 の日 程が 進 行 す る に つれ、 第 七 三航 空 団 は わず か な
そ の爆撃 行 は世 界 で最 も 険 酸 な山 岳地 帯 の 一部 の上 空 を 飛行 せねば
む し ろ サイ パ ン島 に展開 で き る こ とが 明 ら か にな った。第 五 八航 空
な ら ぬと いう大 掛 り な 補 給努 力 を 必要 と し て い た のだ った。 そ れ に、 B 29 部隊 が 海上 輸 送 施 設 にょり 近 く 展開 し て いれ ば いる ほど 、 そ の
団が や む を 得ず 実 施 し た面 倒 な輸 送 作 戦 の性 格 は、 こ の最 初 の展開
計画 の変 更 がぜ ひと も望 ま し いと いう 確信 をさ ら に深 めた のであ っ
マリ ア ナ諸 島 の基 地 が 占 領 され る ま で の間 も、 B 29 部 隊 は兵 器 と し て の実験 を 重 ね、 戦 闘 に臨 ん で重 爆 を操 縦 し運 用 す る 搭 乗員 の能 力
に配 属 替 え と なり 、 一九 四四 年 十月 から十 一月 に か け て マリ ア ナ諸
た。 そ こ で第 七 三航 空団 は第 二〇爆 撃 機集 団 から第 二 一爆 撃 機 集団
補 給 は より 容易 に でき る ことも 理 の当 然 であ った。 し か しな が ら、
に応 じ た訓 練を 試 験 し 、 さ ら に こ のよう な 作戦 に必 要 と見 ら れ る 後
島 に展開 した 。 そ の ころ第 三 一 三と第 三 一四 の両 航 空団 が 戦時 編 制
方 業 務支 援 の要 素 を 決 定 す る た めに、 戦 闘 に 即応 す る 任 務を 与 え ら れ る こ と にな った。 第 二〇爆 撃 機 集 団 と第 五 八 航 空団 が この重 要 な
と なり 訓練 中 であ った。 さ ら に装 備 を 取 り 外 し たB 29 隊 と改 良 さ れ
大 型 で強 力 だ った の で、 燃料 を最 も 経 済 的 に使 用す る ため の発 動機
を 持 って いた ことだ った 。 エ ンジ ンは 従来 使 用 さ れ たど の型 よりも
ル、戦 術 行 動 半径 一、 五 〇〇 マイ ル、爆 弾 最 大搭 載 量 一〇 ト ン の能
出 力 の調 整 の決定 が 最 大 の問 題 点 だ った。 巡 航速 度 時 速 三〇 〇 マイ
た レーダ ーを備 え た 第 三一 五 航 空団 が 編 成 中 であ った 。 一九 四 五年 の初 め、第 五 八航 空団 を そ の戦 闘 お よび作 業 部 隊 と 共
力 を持 つこ のB 29 は、 新 しく か つ強 力 な兵 器 と し て出 現 し たも ので
に マリ ア ナ諸 島 の第 二 一爆 撃 機集 団 に転 属 さ せ、 ま た、 第 二〇 爆 撃
あ る。
B 29 はそ の機 首 にす え つけ た ノ ルデ ン式 爆弾 照準 器 用 と し て安定
機 集 団 司今 部 を解 散 し、 そ の兵員 を 新 編 の超 重爆 部 隊 の中 核 と し て
一九 四 五年 七月 と 八月 に若 干 の 主要 な 編 制替 え が 行 な われ た 。 ま
し た高 座 を 備 え て いた 。 集中 射 撃 管制 装 置 は、 尾部 、 機 首、 左 右 の
沖 縄 に移 駐 さ せる ことが 決 定 さ れ た (第 1図 )。
ず 第 二一 爆 撃 機 集 団 は第 二〇 航空 軍 と し て 改編 さ れ た。 琉 球 列島 に
照 準位 置 は五 つの砲 座 を管 制 し 、 う ち 四砲 座 に は連 装 五〇 口径機 関
後方 席 、 上 部 後方 席 の五 ヵ所 の照 準位 置 から 成 って いた 。 これ ら の
〇 航 空 軍副 司 令 官 の指 揮 下 にあ ったも のだが 、 副 司 令官 司 令 部 の廃
砲、 残 り の 一つの上 部 前方 砲 座 には 五〇 口径機 関
配 備 さ れ た戦 闘 機 集 団 お よび グ ア ム航 空 補給 廠 は共 に正式 には第 二
止 と 同 時 に、 第 二〇 航 空 軍 司令 官 の指 揮 下 に置 かれ る こと にな った。
て い た。 砲 塔 の射 撃 管制 はあ る 程 度 ま で は砲手 の間 で 融通 が でき 、
四 門が 装 備 され
これ ら の改 編 の結 果、 グ ア ム島 に司 令 部 を置 く 第 二〇航 空 軍 は、 総
給 廠 を そ の指 揮 下 に持 つ こと にな った 。 ま た、 第 二〇 航 空 軍 と再 展
群 (原爆 隊 ) と 四戦 闘 群 よ り 成 る戦 闘 機集 団 、 お よ びグ ア ム航空 補
で知 ら れ た レーダ ー装 置 は全 周 に わ た って尾 部 の レーダ ー手 に レー
に最 も 重 要 な照 準 計 算 器 を備 え て いた 。 AN / A P Q︱ 一 三の記 号
よう にな って いた 。 各 照準 位 置 には、 目 標 を 正確 に捕 え追 尾 す る上
原 計画 には 関係 な く 攻 撃 の模 様 や 進展 に応 じ て火 力 の変 更 が でき る
開 を 命ぜ ら れ た 第 八航 空 軍 の作 戦 を 管 理、 統 制 す る た め に、統 合 幕
計 二〇 の戦 闘 群 よ り 成 る五 つ の超 重 爆 機 航 空団 、 第 五〇 九 混 成航 空
僚 長 会議 の直 接 指揮 下 に行 動 す る 米 陸 軍戦 略 空 軍 司令 部 が グ ア ム島
にも 示 さ れ た。
ダ ー映 像 を提 供 し たが 、 こ の映 像 は遠 隔 鏡 を通 じ て 操縦 室 の航 空士
上 のよ う な航 空 群 四 つより 成 り、 そ の全 戦闘 力 は B29 が 一八〇 機 、
のB 29 と 六〇 名 の搭 乗 員 が 与 え られ る こ と にな った。 各 航 空団 は以
と 搭 乗 員が 配 属 さ れ た結 果 、各 B 29 航 空群 に は攻 撃力 と し て 四 五機
あ った 。 生産 が 間 に合 う と 直 ち に、 全 飛 行大 隊 には こ の予備 のB 29
機 のB 29 を持 つ三 個大 隊 で編 成 され 、 予 備機 は各 大隊 に つき 五機 で
B 29 航 空群 の 一つは、 単 位 部 隊装 備 機 と し て 一飛行 大 隊 当 り 一〇
に設 置 さ れ た (第 2 図 ) 。 第 二〇 航 空 軍 に与 え ら れ た兵 器 は最 新 式 の超 重爆 機 B 29 であ った 。 同 機 は通 常 型 の中翼 で、機 内 の戦 闘部 署 の充 足 に は十 一名 の搭 乗 員 を 必要 とし た 。 ま た同 機 に は最 新 式 の航 空 レ ーダ ー およ び 集中 射 撃 管 制 装置 (C F C) と し て知 られ た 遠 隔操 作 自 動 砲塔 装 置が 装 備 さ れ た。 な お、 追 記す べき重 要 な 特徴 は、 高 度 三 万 フィ ート で飛 行 中 の機 内 圧力 を 八 千 フ ィ ート飛 行 中 の場 合 の気 圧 に維 持 す る与 圧 装 置
第 1図1946・3・1現
第 2図1945・8・15現
在 の超 重 爆 部隊 編 制
在 の超 重 爆部 隊 編 制
戦 闘搭 乗 員 が 二 四〇 名 と な った。 し か しな が ら生 産 が 軌道 に乗 る に 強 さ れ た。
二四機 のF 5 ( P 38 )型 で編 成 され た偵 察機 一個大 隊 が供 与 さ れ
たが 、 戦 域 到 着が 遅 過 ぎ て戦 闘 行 動 に参 加 す る こと は ついに でき な
つれ、 各 航 空 群 に はさ ら に 三機 のB 29 (一飛 行大 隊 当 り 一機 ず つ) が 与 えら れ た ので、 一航空 団 当 り のB 29総 数 は 一九 二機 に増 加 し た。 か った。
戦 略 爆 撃 の成 果 ( 付録A、 B、C参照)
第 二〇 航 空軍 の超 重爆 部 隊 は、 一九 四 四年 六 月 から 一九四 五 年 八
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中 国 =ビ ル マ=イ ンド 戦域 に お いて は、 搭 乗員 と飛 行 機 の比 率 は ま っ たく 制 限 要素 に はな ら な か った。 と いう のは、 後 方業 務 上 の困難 が そ の兵 力 を最 大 限 の作 戦 能 力 ま で活 用 す る こと を 妨げ た から であ っ た。
一六 万 五千 ト ン の爆弾 と機 雷 を投 下 し た。 これ ら の作 戦 は、 発 進 地
月 ま で の 一五 ヵ月 間 に わた る対 日作 戦 で、 延 べ 一億 マイ ルを 翔破 し、
飛 行 を行 な った 三月 、 四月 の出 撃 率 を 維持 す る こ とが でき な い こと
点 から 通常 一、 五 〇〇 マイ ル以 上 にあ る 目標 に対 し延 べ 三 二、 六 一
し か し なが ら マリ ア ナ諸 島 の基 地 にお い て は、 三 五回 の戦闘 出 撃
が 明 ら か にな り 、航 空 機 に配 属 さ れ る搭 乗 員 の割 合を 一 ・二 五 から
た らず に緩 和 さ れ た。 マリ ア ナ にお け る航 空 機 と搭 乗 員 の兵力 は、
に、 六 月 から 追 加搭 乗 員が 到 着 し 始 め た の で搭 乗員 不足 は 大事 に い
後 の部隊 が 戦 域 に到着 した が、 これ は完 全 な 作戦 兵 力 と はな ら な い
を 指 摘 せ ねば な ら な い。 戦 争終 結 の二 週 間前 の八月 一日 ま で に、 最
と って超 重 爆 部 隊 の全 兵 力 が 一度 も 活 用 され た こ とが な か った こ と
二回 の戦 闘 出 撃 を 行 な った こ とを 示 し て い る。 こ こで は、 指 揮 官 に
新 航 空 団 の到 着 に よ って 一九 四四年 十 一月 二四 日 の発 足当 初 の 一 一
う ち に戦 争 は終 った。
二 ・〇 ま で増 す よう にと の強 い勧 告が 出さ れ た。 こ の増 員 承認 の下
九機 から 一九 四 五年 八 月十 四 日に は保 有 機 数 九 八 六機 に増 加 して い
目標 分 析 と 損害 査 定 のた め の写 真偵 察 資 料 を 入手 す る た め、 特 別
ころ に よれ ば 軍需 工場 は約 四〇 〇 が破 壊 され 、あ る いは甚 大 な被 害
方 マイ ルが 灰燼 に帰 し てし ま った 。情 報 資 料 に よ って確 認 さ れ た と
人 口合計 二、 一〇 〇万 人 ) に含 ま れ て い た都 市 工業 地帯 約 一八〇 平
B 29部 隊 の爆 撃 を受 け た 結果 、 日 本 の六六 の主要 都市 (爆 撃前 の
装 備 の超 空 の要 塞 の飛 行 大隊 (F 13) が 供 与 され た。 ま た、 行 動 半
を 受 け た。 これ ら の中 には、 主 要 航空 機 工場 二 五、 石油 貯 蔵、 精 製
た。
た特 別 のB 29 を使 用 し て、 各 航 空 団 は気 象 偵 察 を行 な った。
径 が たえ ず増 大す る に つれ て、 最新 式 の航 空 気象 観 測 器材 を 装 備 し
と独 自 の戦 闘機 掃 射 作 戦が 実 施 さ れ た。 そ の第 一陣 は 三月 中 に硫黄
チ ト ラ エチ ル鉛 工場 二 が 入 って いた。 日本 に は こ の外 に無 数 の小 下
お よ び人 造 石 油系 統 の主 要施 設 一八、 主要 兵 器廠 六、 軽 金 属 工業 二、
島 に進 出 し 、最 初 の護 衛出 撃 は 一九 四五 年 三 月七 日 に実施 さ れ た。
割 を果 たし て いたが 、 これ ら は焼 夷弾 攻 撃 によ って破 壊 さ れ て し ま
請 工場 と 家 内 工業 が あ り、 戦 争 遂行 能 力 の発揮 にき わ め て大 き な役
硫 黄 島 を基 地 とす る 第 七戦 闘 機 集 団 の各 隊 に よ って 、戦 闘 機 護 衛
第 七戦 闘 機 集 団 の兵 力 は 三月 の 一九 四機 か ら 八月 に は三 六〇 機 に増
八月十 五 日 ま で の間 に、史 上 最 も 大規 模 な空 中 か ら の機 雷投 下 作 戦
第 二〇 航 空軍 の超 重 爆部 隊 は 一九 四四 年 八月十 日 から 一九 四五 年
超 重 爆 部 隊 の戦 略 的 航空 作 戦 の七 五% は、 沖 縄 作 戦 の支 援 に向 け ら
場 に投 下 し た。 一九 四 五年 四 月十 七 日 か ら五 月 十 一日ま で の期 間 の
〇 〇 回 の出 撃 によ って、 七 、 八〇 〇 ト ンの爆弾 を九 州 と 四国 の飛行
を 爆 撃 し た。 沖縄 進 攻 作 戦 の直 接 支援 に お いて は、 B 29 は約 二、 一
マーカ ス島 ( 南 鳥 島 ) お よ び九 州 、 四国 にあ る約 二〇 の主な 飛行 場
を 実 施 した 。第 二〇 航 空 軍が そ の ﹁日本 帝 国 に対 す る戦略 的 機 雷 封
った。
鎖 の局面 分 析 ﹂ で の べ て いる よう に、 こ の期 間 中 にB 29 は 一、 七 八 れ た。
日本 航 空 部隊 の撃 破 にも っぱ ら寄 与 し た の は、 硫黄 島 を基 地 と す
三回 の出撃 で日 本 領海 に対 し て 一万 二千 個 以上 の機 雷を 投 下 し た。
る 第 七戦 闘 機集 団 の遠 距 離用 戦 闘 機隊 の作戦 であ った。 これ ら の戦
日本 と 朝 鮮 の 主要 港 湾 と航 路 には残 ら ず 機 雷 が投 下 され た ほか、 上 海、 南 京、 サ イゴ ン、 シ ンガポ ー ル およ び パ レンバ ン付 近 水 域 にも
の出撃 を行 な い、 空中 と 地上 で 四九 五機 を 撃墜 破 し、 約 五 六七機 に
損 害 を与 え た。 さ ら に、 機 銃 と ロケ ット弾 によ る地 上 掃射 によ り、
闘 機隊 は わず か に 四 ヵ月 余 の期 間 に日本 本 土 に対 し て 六、 二〇 〇 回
機 関 車 一 三四、 鉄 道車 輛 三 五 五、 船 舶 二 五四 、 そ の他 の多数 の地上
に機雷 によ って沈 めら れ ( 戦 争 中使 用 不能 と な ったも の を 含 む)、 さ ら に 四七 万 八千 ト ンが 大損 害 を 受 け た。 こ の結果 、 日 本本 土 は重
機 雷が 敷 設 さ れ た。 こう し て、 日本 船 舶 の推 定 七万 二千 ト ンが 実際
要 な 食糧 と 原 料 の海 路 によ る補 給 源 か ら切 断 さ れ て しま った。 そ こ
目標 を 破 壊 す る か大 損害 を与 え た。
大規 模 な 焼夷 弾 攻 撃 を 開始 でき る程 度 ま で は増 強 され て いな か った。
一九 四 五年 三月 ま で は、 第 二〇航 空 軍 のB 29 部 隊 の総 兵力 はまだ
で、 終 戦時 に行動 可能 であ った 日本 船 舶 は封 鎖 破 り の密 航 船 な み に
攻 撃 に対 し 重 ねて 好 餌を 提 供 す る こと にな った。 戦 争が 終 わ った時 、
に達 し たが 、 こ の兵 力 を も ってす れば 焼 夷 弾攻 撃 によ って都市 地 域
三 月 にな ると マリ ア ナ諸 島 に おけ るB 29 部隊 の保 有機 数 は三 八 五機
減 少 して お り、 商 船 隊 の迂 回 行動 は、 機 雷 のほ か潜 水艦 や 飛 行機 の
日本 の戦 争遂 行 のた め に使 用 さ れ る はず だ った厖 大 な 量 の石 炭 と原
の破壊 を効 果 的 に完 成 で き ると 信 じ られ た。 三月 九 日 から 八 月十 五
料が 、 封 鎖 のた め に朝 鮮 の港 に空 しく 山 のよ う に積 み 上げ られ て い た 。 一方 、 供給 され たわず かな 原料 と食 糧 は、最 終 的 な 消費 者 に 届
本 の主要 な都 市 工業 地 帯 に投 下 され た。 戦 争終 結 時 には、 第 二〇 航
日ま で の五ヵ 月 余 り の期 間 に、 九 万 四千 ト ンを超 え る 焼夷 爆弾 が 日
B 29部 隊 と 遠距 離 用 戦 闘機 隊 の統 合作 戦 の結 果、 第 二〇 航空 軍 に
空軍 は日 本本 土 の目標 に対 し 一ヵ月 当 り五 万 ト ン以 上 の爆 弾 を 投下
く ま で に は、陸 路 を 汽 車 で遠 距 離 間運 ば ね ば な ら なか った。
でき る能 力 を持 って いた。
機材 、 搭 乗 員 の損 失
よ って審 査 の上 承 認 され た資 料 によ る と、 空 中 と 地上 で撃 墜破 した
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日本 機 は総 計 一、 九 一 三機 に上 り 、 損 傷 を与 え た も の は 一、 五〇 一 機 に達 し た 。 太平 洋作 戦 の支 援 のた め、B 29 部 隊 は 台湾 、 硫 黄島 、 ト ラ ック島 、
二〇 航 空 軍 はあ ら ゆ る原 因 に よ るも のを 合 せ て超 重爆 機 四 八五 機、
中 国 =ビ ル マ=イ ンドと マリ ア ナ基 地 か ら の作 戦 全般 を通 じ て 、第
発端 であ った 。
本 土 に出 撃 し た。 こ の攻撃 が 日 本本 土 に対 す る超 重爆 の戦 略爆 撃 の
六 八機 のB 29爆 撃 機 が 九州 八幡 の日本 製 鉄 の工場 を 目標 と し て 日本
を 飛 行 し て 日本 本 土上 空 に出撃 し た事実 を考 え る と、 受 け た損 害 は
越 え " の飛 行 によ って燃 料 を運 ば ね ば な ら な か った。 前線 の整 備 と
前 進 基 地 に は給 油機 が 非 常 な悪 気 象 条 件 を冒 し て、 "ヒ マラ ヤ 山 脈
カ ル カ ッタ地 区 に基 地 を置 き、 中 国 の前進 基 地 を経 由 し て行 動 し た。
術 的 能 力 の充 分 な 発揮 を不 可能 にす るよ う なも のであ った。 部 隊 は
第 二〇爆 撃 機 集 団 に よ る作 戦上 と後 方 業 務上 の実情 は、 B 29 の戦
戦 闘 機 二一 二機 を 失 った。 こ の間 、 戦 死 ま た は行方 不明 と な った戦 闘 搭 乗員 は総 計 三 、〇 四 一名 に達 し、 攻 撃行 動 中 の戦 傷 者 は 三三二 名 であ った 。
き わ め て微 々た るも ので あ ったと いう べき だ った。 B 29 で 出撃 し て
るた び に大 掛 り な準 備 が 必要 であ った 。 そ こで、 攻 撃 の規 模 と 回数
修 理 の施 設 は不 充分 であ った。 中 国 基 地 から 大き な攻 撃が 行 な われ
延 べ 三 三、 〇 四 七機 のB 29 と 六、 二 七 六機 の戦 闘機 が 、 大 遠 距離
戦 死 ま た は負 傷 し た人 員 は、戦 闘 搭 乗員 の 一% にも 達 し な か ったか
一九 四 四 年 の四月 と 五 月 に、 第 二〇 爆 撃 機集 団 の最 初 の超 重 爆 機
施 設、 航 空 機 工業 、 石 油貯 蔵 所 、精 油 工場 、都 市 工業 地域 、交 通 、
一般 に最 初 の攻撃 目 標 と し て選 ば れ たも のに は、 日本 の鉄 鋼生 産
標 であ った が 、 これ ら は攻撃 可能 半 径 か ら外 れ て いた 。
本 土 内 の最 も 重 要 な戦 略 目標 は東 京 =名古 屋 =大阪 =呉 地 区 に あ る 目
には わず か に本 州西 部 、 九州 それ に満 洲が 入 るだ け で あ った 。 日本
は常 に低 い段 階 に とど ま った。 中 国 か ら発 進 す るB 29 の行 動 半径 内
ら であ る。 出 撃機 数 と の比率 で いえば 、 B 29 の損 失 率 は 平均 一 ・三
爆撃作戦
八% 、 戦 闘 機 の損 失 率 は 二 ・五% と な って いる 。
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隊 が イ ンド =中 国戦 域 で任務 に就 いた。 展 開 を最 大 限 に早 め るた め、
造船 、 桟 橋 設 備 が含 ま れ て い た。 気 象条 件 と 行動 半 径 の制 限 が 目標
A 、 第 二〇 爆 撃 機 集 団 (イ ンド=中 国 よ り の作 戦 )
本 国 の生 産 部 門 お よび 訓練 機 関 にあ らゆ る可能 な圧 力が 加え ら れ た。
一九 四四 年 十 月 の半 ば、 第 二〇爆 撃 機 集 団 の各 部 隊 は日 本 側 の重
の選 定 にき わ め て大 き な 影響 を お よぼ し た。
つけ られ か つ同時 に実 施 さ れ た。 米本 土 内 で米 陸 軍 航 空部 隊 が 集 め
B 29 の機 体 と装 備 の実 用 試験 は、 最初 の戦 闘部 隊 の作戦 訓練 と 結 び
作戦 と フィリ ピ ン防 衛 の支 援 に向 かう 航空 兵 力 の輸 送 のた め の有 力
要 な整 備 、 修 理 それ に補給 施 設 で あ った台 湾 地区 の岡 山航 空補 給 廠
な基 地 と し て使 用 さ せな た め、 全力 をあ げ て努 力 を し て、 空 母機 の
と諸 飛 行 場 に 攻 撃を 加 え た。 これ ら の作 戦 は、台 湾 を 日本側 の航 空
六月 の初 め、 第 二〇爆 撃機 集 団 は敵 に対 す る作 戦 開始 の準 備 を 完
る こ とが でき た最 も 優 秀 か つ経 験 豊富 な 人 員が B 29 部 隊 に配 属 さ れ
了 し た。 そ の "最 初 の具合 を 見 る "飛 行 と し て、 一九 四 四年 六 月 五
攻 撃 と密 接 に 協力 し て実施 さ れ た も のだ った 。
た。
日 にバ ン コック に対 し て第 一回 の攻撃 が 行 なわ れ た。 六月 十 五 日 、
的 爆 撃 単位 を構 成 し 、先 導 機 が 一つ の 中心的 な 照 準作 業 を実 施 し た。
の作 戦 期間 を通 じ て採 用さ れ た。 九 機 か ら 一二機 の大 隊編 隊 が基 本
昼 間高 々度 精 密 編隊 爆 撃 に つい て の基 本 的 な 教 義 が、 一〇 ヵ月 間
第 五 八航 空 団を 中 国 =ビ ル マ=イ ンド戦 域 か ら マリ アナ諸 島 に移 駐
そ の戦 闘 部 隊 の編 制 と 展開 を左 右 す る決 定 的 な要 素 とな って い た。
の こ ろ米 本 国 で編 制 と 訓練 の途 上 にあ ったが 、 超 重爆 の生 産状 況 が
って中 止 さ れ、 同 航 空 団 は 五月 一日 ま で にテ ニア ン島 のウ エスト ・
さ せ る こと が 決定 す ると 共 に、 イ ンド から の作 戦 は三月 三 十 日を も
フ ィー ルド に配備 され 、 五 月 五 日、第 七三 航 空団 の戦闘 部 隊 と共 に
日 本本 土 に対 す る爆 撃 に お いて、 日没 前 に帰 投 し、 着 陸す る た め に
か う途 中 で 集 合 し た。 気 象状 況が よく 目 視爆 撃が 可 能 で あ った時 に
二〇爆 撃機 集 団司 令 部 は解 散 し、 そ の要 員 はド イ ツ降伏 後 ヨー ロ ッ
広 海 軍航 空 廠 に対 し て マリ ア ナ方 面 から 最 初 の攻 撃 を実 施 し た。 第
は夜 明 け前 に前 進 基 地 か ら発進 す る必 要 があ った。 編 隊 は目 標 に向
は精 度 は 一般 に良 好 であ ったが 、作 戦 の後 半期 に は搭 乗員 の経 験が
B 29 部 隊 の第 一陣 と し て第 七 三航 空団が 作 戦 開 始 のた めに同 地 区 に
一九 四 四年 十 月 か ら十 一月 の期間 に、 マリ ア ナ諸 島 を 基地 と す る
B、 第 二一 爆 撃機 集 団 (マリ ア ナ諸 島 より の作戦 )
吸 収 さ れ た。
パ戦 域 から 沖 縄 に 再 展開 し て 超重 爆 部隊 に改 編 され た第 八航 空軍 に
増 し た結 果 さ ら に大 い に改 善 さ れ、 爆 撃 高 度 も いく ら か低く な り、
戦域 後 方 業務 、 最 大 限 行動 訓 練、 ま ったく 新 型 の戦 闘 兵 器、 さ ら
ル メイ将 軍 に よ る 先導 機 搭乗 員 の猛訓 練 が 開 始 され た。
に利 用兵 力 の制 限 な ど のた め生 じ た 言語 に絶 し た障 害 にも か かわ ら ず 、第 二〇 爆 撃機 集 団 は 二 つの航 空機 工場 、 一つの重 工業 地帯 およ
そ の攻 撃半 径 内 にあ った 多数 の重 要施 設 を 破 壊 す る か大 損害 を与 え
つの飛 行場 を基 地 と し て作 戦 す る た め の能 率 的 な 方法 を 案 出せ ねば
到着 し た。 同 航 空 団 は 四 つの爆撃 群 と 四 つの支 援業 務 群 が、 た だ 一
び 目 標 と した 多 数 の海 軍 施設 、 輸 送機 関 なら び に石油 貯 蔵 所 を含 む 、
た。 これ ら の爆 撃 に よ って、戦 争 を直 接 日本 の中 心部 に持 ち こむ こ
マリア ナ諸 島 か ら 日本 に対 す る最 初 の攻撃 を で き るだ け早 い時 期
なら な い と いう 必 要 か ら生 ず る 、種 々 の独特 な 諸 問題 に直面 し た 。
と に成功 した 。 ま た それ ら の行 動 はさ ら にB 29 の徹 底的 な 戦闘 能 力 の テ スト にも な り 、多 く の貴 重 な資 料が 入手 さ れ た。 す な わ ち、 そ
第 二〇爆 撃 機 集 団 が イ ンド と中 国 に創 設 され て最 初 の作 戦 が計 画
て出 撃し た。 こ の攻 撃 で は雲 によ る妨 害 のた め、 わず か に二 四機 が
ンジ ン工 場 の 一つ であ る東 京 近 郊 の中 島 飛行 機 武 蔵 野 工場 に向 か っ
一月 二十 四 日、 サイ パ ン島 から 一一 一機 のB29 が 日本 最 大 の航 空 エ
に開 始 す る た めに 、 あ り とあ ら ゆ る努 力 が払 わ れ た。 一九 四 四年 十
のデ ー タに基 づ いて 生産 線 上 にあ る 機体 に改 善 と 修 正が 加 え られ 、
さ れ て いる間 、 マリ ア ナ諸 島強 襲 の最 終 的準 備 が 太 平洋 方 面 最高 指
当 初 の目 標 を爆 撃 し たに 過 ぎず 、 一方 、 他 の五九 機 は東 京 の都 市 工
ま た健 全 な巡 航 調 整 図 やそ の他 の作 戦 資 料が 開 発 さ れ た。
領 し た後 、第 二 一爆 撃 機集 団 のB 29 戦 闘 部隊 を 収 容 す る た め の巨大
業 地帯 を レ ーダ ー に より 爆 撃 し た。 こ の爆 撃 行 は マリ ア ナ から のB
揮 官 (ニ ミッツ提 督 ) に よ って進 めら れ て い た。 これ ら の島 々を占
な 航空 基 地 を建 設 す ゐ 計 画が 立 てら れ た 、第 二 一爆 撃 機集 団 は、そ
こ の期 間中 の攻 撃 計 画 は本質 的 に は日 本 本土 に対 す る 他 のす べて の
東 京 に対 す る小 規模 な 心 理的 効 果 を ね ら った夜 間 攻 撃 を除 けば 、
防 衛 施 設 を無 力 化 す る のを 支 援 す る ため 二 回 の出撃 が あ った。
ン の爆 撃 と 機 雷 の雨 を降 ら せた 一大 航 空作 戦 の皮 切 りを な すも のだ
れ 以 上離 れ た 日本 の目標 に対 し 、 そ の後 の九 ヵ月 間 に 一五 万 五千 ト
攻 撃 と 同様 のも のであ った。 す なわ ち 、B 29 部隊 は夜 明 け に各 基地
29 に よ る爆 撃 、す な わ ち発 進 地 か ら通 常 一、 五 〇 〇 マイ ルな いしそ
った。
一千 フ ィー ト の爆 撃高 度 ま で上 昇 、 現 地 時間 一四時 か ら 一六時 ま で
の島 々を 避け な が ら、 本 土 沿岸 に到 着 す る前 に 通常 二万 八千 ∼ 三万
の間 に爆撃 を実 施 し 、次 いで 各機 が そ れ ぞれ 帰 投針 路 を と り 日没後
を 発 進 し、 マリ ア ナ上 空 で大隊 編 隊 を 組 み、 日本 本 土 と の連 結線 上
この段 階 は戦 術 的 実験 と調 整 の時 期 に当 り、 爆 撃 機集 団 は高 々度
1第 一段階 (一九 四 四 ・一 一 ・二四 ∼ 一九 四 五 ・三 ・九 )
昼 間編 隊 精 密爆 撃 の教義 を 忠 実 に実 施 し 、 B29 の作 戦能 力 を 決定 す
基 地 に着陸 す ると いう わけ であ った。 航 法上 の便 宜 な ら び に燃 料補
第 二一 爆 撃機 集 団 の作 戦 は明 白 に 二 つ の段階 に区 分 され る。
る と 共 に、敵 の脆 弱 性 と防 衛 戦法 から 得 ら れ た知 識 に照 ら し て これ
給 およ び 不時 着 用 基地 とし て使 用す る た め、 中 間基 地 の建 設 が 強く
識 と経 験 の適 用 に集 中 され た。精 密 を要 す る目 標 の高 々度 昼 間編 隊
こ の期 間 中 の爆撃 機 集 団 の努力 は、 それ ま で に得 られ た戦術 的 知
に不 時着 を余 儀 な くさ れ た爆 撃 機 は極 度 に困 難 な状 況 に 直面 し た。
な ら な か った。 戦 闘 に よる被 害 や燃 料 不 足な ど のた めに、 夜 間 海上
て左 右 さ れ、 爆 撃 機 は敵 勢 力下 の広 大 な 水域 上 空を 夜 間 帰投 せ ねば
前 述 の変 更 を 許 さ な い作戦 型 式 も 、 そ の時 々 の戦 術 的状 況 によ っ
要 望 さ れ た。
爆 撃 一本 槍 の教 義 は修 正さ れ 、都 市 工業 地 域 に対 す る低 高 度夜 間 焼
2 第 二段階 (一九 四 五 ・三 ・九 ∼ 一九 四五 ・八 ・ 一五 )
ら の能 力 を 最 大限 に 発揮 す る方策 の究 明 に 従事 し た 。
夷 弾 攻 撃 お よび 中 高 度昼 間 攻 撃法 も 併 用 さ れる こと にな った。 こ の 段 階 を 通 じ て 不断 に最 大 限 能 力 に お いて作 戦 を 持 続 す る方 針が 堅 持
の航 空基 地 と の連 絡を き わ め て困 難 にす る ことが しば しば 起 こ った 。
救 助能 力 が 不 十 分 な上 に通信 上 の問 題が 、 他 の爆 撃 機 ま た は根拠 地
回 は航 空 工 場群 、特 に航 空 機 エ ンジ ン工場 を優 先 目標 と し て出 撃 が
あ る。 三 月 九 日以前 に行 な わ れ た 二 二回 の主要 な 攻撃 のう ち、 一 六
験 と し て都 市 工業 地区 に対 し高 々度 昼 間焼 夷弾 攻 撃 が 三 回と 夜 間攻
日本 航 空機 工業 の主要 施 設 を破 壊 す る にあ った が、 一方 、戦 術 的実
こ の段階 の爆 撃 機集 団 の作 戦 方 針 は高 々度 昼 間精 密 爆撃 によ って
常 五〇 〇 ポ ンド G P の高 性能 爆 弾 だ け が使 用 さ れ た。
て は高 性 能 爆 弾 と 焼夷 弾 が 混合 し て使 用 され たが 、 全 般 とし て は通
都 市 地域 に対 し て は焼 夷 弾が 使 用 さ れ、 若 干 の精 度 爆撃 目標 に対 し
さ れ た。
1 第 一段階 (一九 四 四 ・ 一 一 ・二四∼ 一九 四 五 ・三 ・九)
実 施 さ れ た。 そ のう ち四 回 は東 京 、 名古 屋 、 神 戸 の都 市 工 業地 帯 に
撃 が 一回実 施 さ れ た。 結 果 は参 加機 数 が 少な か った た めと、 投 下爆
十 一月 二十 四日 の攻 撃 はそ の後 の諸 攻撃 の原 型 を形 成 し たも の で
向 け ら れ た。 これ に加 え て 、十 二月 に は硫 黄 島 の日本 軍 の飛行 場 と
弾 量 が 不充 分 だ った こと 、 お よび 高 々度 の気 象 条件 が 不 良だ った た
あ った。 各 航 空 団 は迫 加 の滑 走 路が 工事 中 に他 の 一つの滑 走路 から
利 用 でき る 駐機 場 の数 も 十 分 でな いた め、 利 用 でき る 場所 には 二
作戦 を開 始 せねば な ら ぬ と いう 問題 に直 面 し た。
重 に駐 機 せ ねば な らず 、 既 存 の格 納 庫 前 の整 備 用広 場 は押す な 押す
二月 四 日ま で は第 二一 爆 撃 機 集 団 に は第 七 三航 空 団 し か配 属 され
めに成 功 と は いえ な か った。
て いな か った の で、 利 用 でき る B 29爆 繋 機 の平 均 機 数 は大 体 一 二五
はひ ど く錯 綜 したも のと な った。 し かも 、 これ ら の発 進機 は地上 で
な の混 み具 合だ った 。地 上 の交 通 整 理 は困 難 を き わ め、次 々 に発 進
の空 費 時間 が 多 過ぎ て、 エンジ ンが 過 熱し た り詰 ま ったり し な い よ
しな け れば な らな い重爆 機 が 一列 に長 蛇 の列 を つく った ので、離 陸
た。 こ の結果 、 第 二一 爆 撃 機集 団 のB 29爆 撃 機 の兵力 は 一九 四 四年
さ ら に二 月 二十 五 日 に は第 三 一四航 空 団 の二戦 闘 群が 戦 闘 に 加 入 し
十 一月 二十 四 日 の 一 一九 機 か ら 一九 四 五 年 三月 九 日現 在 では 三 八五
機 と いう と こ ろだ った。 二月 四 日 に第 三 一 三航 空 団が これ に加 わり 、
機 に増 強 され た 。 出撃 は天 候 に応 じ て 四 日な いし 六 日ご と に実 施 さ
よう な 状況 は編 隊 の集 合 を困 難 にし、 そ の結 果 は余 分 な燃 料 の消 費
う に 点 検 し て発 進 さ せ る必要 が あ った ので 、 な お大 変 だ った 。 こ の
を 来 し 、爆 弾 搭 載定 量 を 減少 さ せ た。 正常 に は 一分 間 の飛行 機 間 の
れ た。十 二月 、 一月、 二月 の 三 ヵ月 間 は、 こ の九〇 日 間 に 一八回 出
これ ら の作 戦 の犠 牲 は比較 的 に大き く 、 飛 行中 失 わ れ た重 爆 機 は
撃 が 行 な われ た が 、 これ は五 日間 に 一回 の割 合 であ る。
爆 撃行 で はそ の都 度 、 二〇 〇 ∼ 三〇 〇 機 の敵 戦闘 機 か ら 五〇 〇 回 を
日 本戦 闘 機 隊 の攻撃 に対す る完 全 な保 護 には な らな か った。 数 回 の
よ って、 航 法 上 の困 難 な問 題 は、 一段 と複 雑 さ を増 し、 編隊 隊 形 の
日本 への往 復 途 上 にお いて しば しば 遭 遇 し た気 象 上 の急 激 な変 化 に
戦 闘 部 隊 の直 面 した最 も 重 大 な障 害 と な った のは気 象 であ った 。
つ いに は四 五 秒 に縮 めら れ た。
離 陸 間隔 は、 時 間 の遅 れ の不利 を克 服す る た め に五〇 秒 に縮少 さ れ
越 え る攻 撃 を受 け た。 さ ら に敵機 に よる 攻 撃以 外 の原因 に基づ く損
保 持 も 危 険 に さら さ れ る始 末 で あ った。視 界 を さ えぎ る機 体 への着
一月 に は 五 ・七% に達 し た。 高 々度飛 行 はB 29 にと って は必 ず し も
失 も 比 較 的 高 か った。硫 黄 島 のよう な 好 適 な中 間 基 地を 欠 いて い た
風 は爆 撃 に非 常 な 影響 と 困 難 を与 え 、 さら に目標 地 点 への接 近 と選
ルから 一八〇 マイ ルに およ ぶ 猛烈 な 強 風 に出 会 った。 この よう な強
第 一段 階 の全 期 間 を通 じ て、 各 航 空 団 は飛 行 場施 設 、 整 備器 材 、
定 は な か な か意 のま ま にな ら な か った。 爆 撃 接 近運 動 中 に時 速 五 三
氷 も ま た重大 な問 題 の 一つであ った。 日本 上 空 で は時 速 一〇 〇 マイ
補 給 品 の いず れ も 不充 分 な まま で作 戦を 続 行 し た。 海 軍 建 設大 隊 お
五 マイ ルと いう 大き な 対 地速 度 が経 験 さ れ た こ とも あ った 。発 生 し
た め、 そ れが あ れ ば 燃料 補 給 や修 理 のた め に緊 急 着陸 が でき た の に、
よ び 航空 工兵 隊も 戦 闘 用 飛行 場 あ る い は集 団配 備 用 基 地 地域 を 準備
ったり 、 ま た は第 二次 目標 に対 し て レーダ ー爆 撃 を 行 なわざ るを え
た 雲が たび た び 照準 点 の明視 を 妨げ た ため 、爆 撃 接 近 が失 敗 に終 わ
む ざ むざ 海 上 に不 時 着水 せ ねば な ら な いこ とが た び たび 起 こ った。
の展 開 計 画 が最 初 の計 画 の 一二群 から 二〇 群 に拡 張 さ れ た ため でも
す る の に十 分 な 兵力 は与 え られ な か った。 これ は 一部 に は重 爆 部 隊
な か った。 以 上 の よう な条 件 の結 果 と し て、作 戦 の第 一段 階 に おけ
日 本側 はそ の重 要 地区 の防 衛 に戦 闘機 を 集中 す る余 裕 を まだ持 って
ま た こ の段階 ではB 29 の攻撃 型 式 は いろ い ろ の制 限 を受 け た ので 、
起 こ った。
レーダ ー装 置 で容 易 に識 別 でき る都 市地 区 は通 常 第 二次 目標 とし
いた。 日本 本土 に侵 入す る 比較 的 小兵 力 のB29 に対 す る これ ら の攻
る爆 撃 精 度 は満 足す べ き も ので は なか った。
て 指定 さ れ た。 と いう のはA P Q︱ 一 三レ ーダ ー の精 度 で は高 々度
撃 は、 単 に数 の上 か らだ け でも 一つ の重 大 な問 題 を構 成 し た。
を 維 持す る た め の小 兵力 の最初 の努 力 と して認 識 され ねば な ら な い。
に おけ る第 二一 爆 撃機 集 団 の作 戦 は、 日本 帝国 に対 す る戦 略 的圧 力
この第 一段階 (四 四年 十 一月 二十 四 日 より 四五年 三 月九 日ま で)
か ら の 工業 目標 に対 す る精 密 レーダ ー照準 爆撃 の成 功 が期 待 でき な
さ ら に、 作戦 の第 一段 階 の期 間 に おけ るB 29爆 撃 隊 の爆 撃 効果 が
か った か らであ る。
不 十分 だ った理 由 と し て は、各 機 の運 ぶ爆 弾 搭載 量 が 比 較的 に少 な
たが 、 な お学ば ね ば な らな いこと が 多 く残 って いた。 な おま た、 気
象 観 測、 通 信、 空 海 協同 救 助作 業 、 目標 および 攻 撃後 の偵 察 な ど の
第 二一 爆 撃 機 集団 の作 戦 から多 く の貴 重な 経験 と 資料 が得 ら れ て い
よう な 支援 業 務も 、 す べ て は これ まで に出 会 った こと のな い作戦 状
か った こと と、 第 一次 目 標 の爆 撃 に失 敗 し た機 数 の率 が高 か った こ
れ に つれ て爆弾 搭 載 量 は減 少 し た。出 会 った気 象 の悪 条 件 と高 々度
況下 の新 戦 域 に お いて確 立 し 組織 して行 かねば な らな いも のであ っ
と であ った。超 高 々度 編 隊 飛行 は莫大 な ガ ソリン 量を 必 要 とし 、 そ
作 戦 が エンジ ンに大き な 負 担 を課 し た こと のた め に、 多 数 の爆 撃機
戦 の完 了 は多 く の貴 重 な 戦術 的 教訓 を 残 し、 さ ら にこ の種 の航 空 作
効果 は、期 待 さ れ た ほど のも ので はな か った に せよ、 第 一段 階 の作
第 一段階 を 構 成す る最 初 の二 二 回 の主要 な 攻撃 か ら得 ら れた 爆撃
た。
が 第 一次 目標 以外 を爆 撃 せざ るを 得 な か ったり 、 あ る いは 日本 本 土 に到 達 し な いで引 き 返 さざ る を得 な い こと が たび たび あ った。
果 敢 で は あ ったが 、 全 般 とし て の反撃 はド イ ツ空 軍 に よ って示 さ れ
戦 の遂 行 にと って、 き わ め て重 要 に し て必要 欠く べか らざ る非 戦 闘
こ の段階 におけ る日本 戦 闘機 の迎撃 は強 烈 でそ の攻 撃 ぶ りも 積 極
た よう な 大規 模 なも ので はな か った。 こ の敵対 期 間 を通 じ て、 日本
側 はそ の施 設 の疎 開を 命 じ た。 し か し、 この疎 開 に対 す る混雑 と 賢
補 助業 務 体制 の確 立を 完 成 した 。 重要 工業 の脆弱 性 を認 識 し た日 本
明 な計 画 の欠如 によ って、結 果 は大 混乱 に陥 り 、 これ に付 随 し て生
た 向上 はな か った。 日本戦 闘 機 の攻 撃 は大 部分 が 単 機 で行 な われ た が、 航 空 攻勢 が進 展す る に つれ て いく ら か協 同攻 撃 が増 加 し た。 最
産 低 下 を招 いて しま った。
航 空部 隊 の戦 術 は殆 ん ど変 化 を見 せず 、 そ の技 倆 と練 度 にも 目立 っ
も 数多 く 行 なわ れ た の は機首 攻 撃 であ ったが、 戦 術 全 般 とし て基 準
れ て 大幅 に克 服さ れ た。 第 二一 爆 撃 機集 団 は本 当 の意 味 にお いて、
第 一段 階 の終 了 と 共 に、諸 隘 路 は打 開 さ れ、 主 な障害 は取 り除 か
にな る よう なも のは殆 んど持 ち合 わ せて いな いよう に思 われ た。 日 本 の戦 闘 機 パイ ロット は通常 "突 き抜 け" と よば れ る 攻撃 法 を と り、 前 方 は る かに展 開 し て、 編隊 を 完 全 に突破 通 過 す る事 態 が たび たび
五 年 三月 上 旬 ま でに は日 本 に対 し て猛 烈 な打 撃 を与 え る た め にそ の
創 設、 組 織 お よび 戦 術的 発 展と いう 困 難 な時 期 を卒 業 し て、 一九 四
第 二一 爆 撃 機 集団 は平均 三 八〇機 の保有 機 数 をも って、 延 べ 一、 五
戦 時 産業 の密 集地 帯 三 二平 方 マイ ルを破 壊 し 去 った。 この十 日間 に
爆 撃 を行 な い、 日本 の四大 都 市 に焼 け野 原 を 出現 さ せ、最 も 有力 な
達 成 は多 く の要 因 に よ って妨 げ られ たが 、 そ の中 の主 な要 因 は如 何
る こと が 論 理的 でも あ り、 ま た 必要 な こ と でもあ った。 こ の目的 の
ら、 たと え 修正 す る とし ても そ の前 に徹 底 的 に教 義 通 り にや って み
29爆 撃 機 は特 別 にこ の形 式 の作戦 用 と し て設 計 され たも ので あ る か
方 針 は高 々度 (七、 六〇〇 メー ト ル以上 ) 精 密爆 撃 法 であ った。 B
に な った 。 と いう のは、 これ よ り以 前 の九 ヵ月 間 はB 29 の 一般使 用
夷 弾 によ る "電撃 攻 撃 " は、 対 日戦 略爆 撃 の全 コー スを変 え る こと
な った。 三月 九 日 の夜 か ら十 日 に かけ て開 始 され た夜間 低 高 度 の焼
った 。硫 黄 島 は戦 闘 で被 害 を受 け た た り、燃 料 不足 にな った B29 の
いち だ んと よく す る こと にな った 。搭 乗 員 の士気 は攻撃 ご と に高 ま
だ け操 作 上 の無 理 を 少な く す る こと を意 味 し、 一機 当 り の出撃 率 を
視 でき る程 度 のも のとな った。 爆 撃高 度 を引 き 下げ た こと は、 そ れ
撃 機 の数 は五 八% か ら 一躍 九 二% に増 大 し た。敵 戦 闘機 の反撃 は無
も 障 害 の重 大要 因 で はな く な った。 第 一次 目標 に爆 弾 を投 下 す る爆
爆 弾搭 載 量 は 二倍 以 上 にな り、 レーダ ー爆 撃 法 の利 用 によ って天候
こと に よ って、 B 29爆 撃 機 各機 の有 効 性 は測 り知 れ ぬ ほど 増大 し た。
含 み は共 に見 逃 す こ と のでき な いも のであ った。 爆撃 高 度 を下げ る
この "電撃 攻 撃 " から引 き出 さ れ る結論 と 、将 来 の計 画 に対 す る
最 低 の損 粍率 にと ど ま った。
を 投下 し たが 、 参 加搭 乗員 の犠牲 は〇 ・九 % に過 ぎず 、 これ ま で の
夷 弾 九 、 三 六五 ト ン (過去 三 ヵ月 半 の投 下 爆弾 総 量 の三倍 に相当 )
九 五機 ( 過 去 三 ヵ月 半 の総 出 撃機 数 の七五 % に相 当) が 出動 し、 焼
兵 力 を集 結 中 であ った。
2第 二段階 (一九 四 五 ・三 ・九 ∼ 八 ・ 一五 ) 三 月 上旬 には B 29 爆撃 機 の保 有 数 は三 八五機 に達 し、 日 本 の都 市
とも 克 服 しが た い気象 上 の障 害、 高 々度 作 戦 に よ って装 備 に加重 さ
工業 地 域 に対 す る大 規模 焼 夷 弾攻 撃 を開 始 す る こと が でき る よう に
れ る緊 張 、 不十 分 な 兵力 、低 い出撃 率 お よび 爆撃 搭 載 量 の少 量 な こ と であ った。 第 二〇 爆 撃機 集 団 はあ る程度 の成功 は収 め たけ れ ども 、
日本 の都 市 工業 密 集 地帯 が 焼夷 弾 攻撃 に よる威 力 に対 し て はき わ め
退 避 基地 と なり 、 作 戦消 粍 は大 幅 に減 少 し た。 同様 に重要 な こと は、
主と し て レーダ ー爆 撃 に よ ってわ ず か十 日 間 に主 要 工業 地区 の三
る大 規模 な 焼夷 弾 攻 撃 を実 施 す る準 備 が行 な わ れた 。
を 強 要 せ んと す る立 場 か ら、直 ち に日本 の残存 重 要 工業 地区 に対す
爆 撃 の結 果 を綿 密 に分 析 し た後 、 日本 本 土上 陸 以前 に日本 に降 伏
て脆 い こと が判 明 した こと であ った。
一九 四五 年 一月 の中国 戦 線 にお け る 日本軍 の進 出 と、 ヒ マラヤ 山脈 を 越 え て の補 給 物 資 の輸 送 の困難 の ため に前 進基 地 の撤 収 を 余儀 な く さ れて し ま い、 この方 面 の作戦 活 動 は、 東 南 ア ジ ア戦 域 最 高 指揮 官 の作 戦 を 支援 す る だけ に限定 さ れ る こと にな った。 し かし 、 全般 の局面 はわず か 十 日間 で 一変 し て しま った。 B 29爆 撃 機 は各 機 ご と に飛行 し なが ら 平均 高 度 二、 一〇〇 メ ート ルで夜間
こと の決定 的 な 重要 性 は い よ いよ明 白 に な った。 こ こに お いて、 対
の積 荷 を 急 送す る た めにあ ら ゆ る努 力 が 払 われ た。 ま た、 集中 的 な
こ の計 画 に従 って、 米本 国 か ら マリ ア ナ基 地 に莫 大 な量 の焼 夷弾
を 投 入す る こと を 決定 し た。
日戦 略 航 空攻 撃 計 画 とし て は、 手持 ち のB 29 爆撃 機 三七 五機 あ ま り
B 29 の攻撃 は間隔 を 最 少限 にし て連 続 反復 せねば な ら な か った。す
都 市地 区 の目標 偵 察 と 目標 資 料 の分 析 準備 が最 優 先 的 に実施 さ れ た。
二 平方 マイ ルを 破壊 した 事実 から見 て、 焼夷 弾 攻 撃計 画 を推 進 す る
と、 近 く本 国 か ら相 次 いで到 着す る追 加 の六 〇〇 機 をも って、焼 夷
こ こで、 指揮 官 (ル メイ 将 軍 )が 元来 は高 々度 昼 間精 密爆 撃 機 と
べ てが最 大限 の努 力 を 要 求 され た 。
弾 攻 撃 に よ る主要 都 市 工業 地 区 の破 壊 と同 時 に、 高 性 能爆 弾 に よ る 精 密 爆撃 で日 本 の主要 戦争 兵 器 生産 施設 を 破 壊 す ると いう 方 法が 併
が 適 当 であ ると思 わ れ る。 前述 し たよ う に、作 戦 の第 一段階 には全
法 を 採 用 の こと に決 定す る に至 った背景 を 簡単 に検討 し て見 る こ と
し て設 計 の上 製造 さ れ たB 29爆 撃 機 を使 って、 低 高 度夜 間焼 夷 弾戦
七〇 〇 メー ト ルから 六、 一〇〇 メー ト ルま で) で精 密 目標 に対す る
夜 間 焼夷 弾 攻撃 の開 始 と殆 ん ど同 時 に、 中 高 度 な いし高 々度 ( 三、
用 され る こ と にな った。
昼 間 攻 撃 を開 始す る ことが 決 定 され た。 これ ら の攻 撃法 が 当 初 の超
で、 爆撃 成 果 は主 と し て猛 烈 な高 空 の強 風 と 目標 地 区上 空 の連 続性
の雲 の層 のた め に 一般 に思 わ しく な か った 。第 一段階 の終 り に近 づ
期 間 を通 じ て高 々度 昼間 精 密爆 撃 の教義 が 忠実 に守 られ た。 と こ ろ
少 な くな り 、行 動 距 離が 増 大 し、 風 や気 象 条 件 の悪 影響 を 受 け る こ
く に つれ て、戦 術 的 教義 を 変更 せねば な ら な い こと は いよ いよ 明白
の爆 弾 量を 運 ぶ こと が でき 、 爆弾 精 度 は向 上 し、 目 視爆 撃 の好機 が
とが 少く な り 、全 般 的 に柔 軟 性 のあ る作 戦 が遂 行 さ れ る よう にな っ
と な った。 一九 四五年 三 月 ま で に は、 日本 側 の戦 闘機 の迎撃 は非 常
高 々度攻 撃 法 と比 べた 場合 の利点 は直 ち に明 白 にな った。 よ り多 く
た。 日本 の天気 予 報 が 目視 爆 撃 の条 件 に合 致 す る好 機を 示 し て いる
に弱 体化 し てい た。
一方、 そ のこ ろま で に第 二一 爆 撃 機集 団 の兵 力 は 三戦 闘航 空 団 に
時 期 には、 高 性能 爆 弾 に よる 重要 工業目 標 の攻撃 が 計画 さ れ 、目 視 爆 撃 に適 当 でな い気 象条 件 を 予報 し て い る時 に は、 都市 工業 地区 に
れ だ け の機 数 は都 市 工業 密 集地 区 に対 し大 規模 な 焼夷 弾 攻撃 を実 施
増 強 され 、 総機 数 約 三 八〇機 のB 29爆 撃 機 を保 有 す る に至 った。 こ
こ のよう に し て、 一つは航 空機 工 場、 兵 器廠 、 操 車場 、 石 油施 設
対 し て レーダ ー爆 撃 法 に よる 焼夷 弾 攻撃 が 行 なわ れ た。
よ って大 い にそ の有効 度 が減 少 す る に違 いな いと 感ぜ ら れ た。高 度
一、 五〇〇 メー ト ルな いし 三、 七 〇〇 メ ート ルに お いて さえ 、爆 撃
す る の に充 分な 兵 力 であ った。 日 本側 の抗戦 力 は夜 間 攻撃 の遂行 に
部 隊 は 日本 軍 の自 動あ る いは重 火 器 の いず れ の対 空砲 火 から も、 大
な ど 、他 のもう 一つは、 都 市 工業 密集 地 区 と いう 二 つの目標 系 列 に
な 様 相を 呈 し始 めた。 ル メイ将 軍 は全 面 的 航空 攻 勢 に よ って 予定 さ
き な損 害 は受け な いだろ う と いう ことが 確 信さ れ た。
対 す る攻 撃 が 平行 し て進 めら れ た。戦 争 は "短 期 間 " で終 わ りそ う
のと確 信 し、 可働 全搭 乗 員 を消 粍 す る危 険 を覚 悟 の上 で、集 団 兵力
れ て いた日 本本 土 上 陸作 戦 に 先だ って、 日 本 に降 伏 を強 要 し得 る も
爆撃 目標 系列 そ れ自 体 が 日本 の工業 構 成 に おけ る致 命 的 な線 を構 成 して い た。 日本 の工業 はそれ ぞ れ小 人 数 を雇 って、 重 要 な組 立 部 品 を 生産 し て いる 数 千 の零 細下 請業 者 、 小 工場 の協 同 生 産 の上 に 大 き く依 存 し て いた から であ る。 これら の下 請 工 場群 は日 本全 国 の都 市 地 区 にぎ っし り と詰 め込 まれ て おり、 これ を 一掃 す る に は広範 囲 な 焼夷 弾 攻勢 によ る破 壊 以外 には なか った。 日本 の戦 争兵 器 と 国民 経 済 の重 要物 資 を 一生 懸 命 に生 産 して いた大 工 場 は、 こ の小 規模 な 工業組 織 か ら相 当程 度 支 え られ て いた 。 そ こで これ ら の密 集 地 区 の 破 壊 は、 大 工場 と小 工場 の双方 の工業 の労 働 力 の重 大 な 混乱 を来 す も のと 見 ら れた 。都 市 工業 地区 は ひど くご たご た と密 集 し てい るう え に、 木 造 で火 災 に はも ろ か った。 問 題 は いか に して 一定 の時期 に 集 中 し て必要 な 大 量 の焼 夷弾 を 投下 す る こと であ った 。 マリ ア ナを基 地 とす る B 29爆撃 作 戦 の第 二段階 は、 こ の時期 を 通 じ て実 施 さ れた 次 の六 つ の型 式 の作 戦 に よ って特 色 づけ ら れ るも の であ る。 1 大都 市 工業 地 区 に対す る焼 夷 弾攻 撃 ︱︱ 一九 四五 ・三 ・九 から 六 ・ 一五 ま で 2中 小 都 市 工業 地 区 に対す る焼夷 弾 攻撃 ︱ ︱ 一九 四 五 ・六 ・一七か ら 八 ・一四ま で 3中 高 度 より の主要 工業 目 標 に対 す る高 性能 爆 弾 攻撃 ︱︱ 一九 四 五 ・四 ・七 から 八 ・ 一四 ま で 4沖 縄 侵攻 支 援 の た め の戦 術的 爆撃 作 戦 ︱ ︱ 一九 四 五 ・四 ・一七 から 五 ・ 一 一ま で 5機 雷投 下作 戦
︱︱ 一九 四 五 ・三 ・ 二 七 か ら 八 ・ 一四 ま で 6第 三 一五 航空 団 の作戦
︱ ︱ 一九 四五 ・六 ・ 二 六 か ら八 ・ 一四 ま で 7 原爆 投 下作 戦
︱ ︱ 一九 四五 ・八 ・六 か ら 八 ・九 ま で
前 記 の項 目 を見 る と、 各 種型 式 の作 戦 が お互 いに重 複 し て いる こ
とが 指 摘 され る。 し か し これ ら はそ れぞ れ 独立 し たも のであ り、 そ
の特 異 な戦 術 的原 則 を説 明 す る た めに それぞ れ 別 個 に切 り離 し て こ れ から検 討 す る こと と し よう。
1大 都市 工業 地 区 に対 す る焼夷 弾 攻撃
B 29対 日攻撃 の第 二段 階、 つま り最 終 段階 は 一九 四 五年 三月 九 日
に新 戦術 を も って開 始 さ れ た。 す な わち この日 はB 29爆 撃 機 を東 京
に向 け て発 進 させ、 夜 間 平均 高 度 二、 一〇〇メー ト ルから の攻 撃 を
行 な い、 この大 工業 都 市 の最 も 燃 え易 い地区 に対 し て、 一、 六六 五
ト ンの焼 夷 弾 の雨 を降 ら せ た ので ある 。 こ の攻撃 に続 い て直 ち に名
古 屋、 大 阪、 神 戸 に対 し、 同 様 の戦法 によ る焼夷 弾 攻撃 が 四 回 にわ
た って敢行 され た。 こ れ ら の五 回 の攻撃 の結果 と し て、 密集 し た都
市 工業 中 心地 帯 の三 二 平方 マイ ルは焼 け野 原と な ってし ま い、米 軍
は マリ ア ナ基 地 の手 持 ち の焼夷 弾を 消費 し てし ま った。損 害 は わず
か に二 二機 に過 ぎず 、 出 撃機 数 の 二% 以 下 であ った。 こ の連 続攻 撃
に よ って樹 立 され た焼 夷 弾 に よ る破 壊 の迅 速な進 展速 度 は、 マリ ア
ナ方 面 の焼 夷弾 貯 蔵 量が 補給 され る ま で 一時 中断 され た。 補 充焼 夷
工業 目標 の精 密 爆撃 法 によ る破 壊 に向 け られ た。
弾 の荷揚 を 待 つ間 、集 団 の攻撃 努 力 は高 性能 爆弾 を 使 用す る 、重 要
本 質 的 に、 こ の計 画 は東 京 、 大 阪、 神 戸 、横 浜 の都 市 工業 地 帯 を
の場合 に はそ の地 理的 な事 情 から、 必 要 な 爆撃 精 度 を 得 る た め には、
補 給 と戦 術 的条 件 が 許 す 限 り速 や か に破 壊 す る こ と であ った。 横 浜
昼 間 日視 精 密爆 撃 法 を 使 用 し て攻撃 す る ことが 至 当 だ と 考 えら れ た。 四 月中 旬 ま でに、 三回 の大規 模 攻 撃を 行 な う のに十 分 な 焼夷 弾 が 入 手 さ れ た。 そ こで、 四 月十 三 日と 十 五 日 の両 日、 二 回 の最 大限 の攻 撃 隊 が発 進 して東 京 北 西 部 と東 京 南部 ︱ 川 崎 地 区 に対 し て 三、 八六
る神 風特 別攻 撃 隊 の輸 送 ルー ト上 にあ る、 飛 行 場 お よび 航 空補 給 廠
の戦 術支 援 に切 り換 えら れ た。 こ の支 援 作 戦 は 、 九州 と 四 国を 通 ず
四 月十 五 日 の攻撃 の後 、 爆撃 部 隊 の努 力 は戦略 出撃 から沖 縄 侵 攻
日本 市 民が 死 傷 しあ る いは そ の家 と 仕 事 を奪 わ れ た。 大き な 負 担 に
に加 え て無 数 の下請 工業 群 が完 全 に破 壊 され て しま った。 数 十 万 の
接 銃 後 にま で波 及 し た から であ った 。多 数 の大軍 需 工業 の生 産能 力
こと に加 え て、 日本 国 民 の戦 意 にも 深 刻な 一撃 を与 え た。 戦 争 は直
三 月 に開 始 さ れ た 一連 の攻 撃 は、 五 大都 市 の重 要 地 域を 一掃 し た
四 ト ンの焼 夷 弾 を投 下 し 、 二〇 ・八平 方 マイ ルを 焼き 尽 く し た。
に対 す る 攻撃 と し て実 施 さ れ た。 五 月十 一日 、 爆 撃部 隊 はそ の戦 略
爆撃 を 免 れ た多 数 の工 場 の生 産能 力 も 、 労働 者 の離 散 、 輸 送 そ の他
計 画 に戻 り、 大 都 市 工業 地 区 の破 壊 の完 了と いう 最 初 の作 戦 を 再開
のサ ービ ス機 関 の崩 壊 や破 壊 のた め に激 減 し てし ま った 。今 や日 本
す る住 宅 、医 療 そ れ に食 糧 配 給 の深 刻 な 問題 が 加 わ る こと にな った。
て 、計 画 ど お り東 京 、横 浜 、 名古 屋 、 大 阪、 神 戸 の破 壊 を完 了 し た。
は突 如 とし て、 そ の国 内経 済 全 体 を迅 速 に崩 壊 に追 い込 み得 る恐 る
あ え いで い た 日本 政府 およ び 地方 当 局 に と っては、 さ ら に緊 急 を要
三月 九 日か ら 六月 十 五 日ま で の間 、 大都 市 工業 地 区 の破 壊 を 要求
し た。 六 月 十五 日ま で に、 さ ら に九 回 の最 大 限 の機数 の出 撃 が行 な
さ れ た 一七 回 の大 規 模 攻撃 は、 B 29 の出 撃機 数 延 べ 六、 九 六〇 機 、
べ き兵 器 に直 面 さ せら れ たが 、 そ の兵 器 に対 し て日 本 は有 効 な防 衛
わ れ て、 これら の目標 に対 し 二 万七 、 九 四 三 ト ン の焼夷 弾 を 投下 し
投 下 し た焼 夷 弾 は 四万 一、 五 九 二 ト ン に達 し、 日本 にお け る最 も密
戦 中 の米海 軍 と 米 地上 軍 の支援 に向 け ら れ てい る間 、 日本 の全 主要
の努 力 が 日本 の五 大都 市 の工業 密 集 地帯 の破 壊 と、 沖縄 に対 し て作
一九 四五 年 三月 九 日か ら 六月 十 五 日 ま で の期間 、 爆撃 部 隊 の第 一
2中 小 都市 工業 地 区 に対 す る 焼夷 弾 攻 撃
手 段 を講 ず る ことが でき な か った のであ る。
一七 回 の出 撃 の実施 に当 って、 総 計 一 三六機 のB 29 が 失 われ た が、
集 し た重 要 都 市 工業 地 区 の 一〇 二平方 マイ ルが 完 全 に破 壊さ れ た。
これ は 出撃 機 数 の平均 二 ・一% であ った。 これ ら の諸 攻 撃 の結 果 と し て、 五大 都 市 に与 え た損 害 は次 の表 の と おり で あ る。
日本 の 五大 都市 の事 実上 の破 壊 に伴 い、 ま た、 これ ら の出撃 が 実
た め非常 な肉 体 的緊 張 の下 に 長時 間 作業 を し なけ れば な らな か った。
施 さ れ た高 度 の有 効 性 を考 慮 し て見 ると 、 日本 の残存 し た中 小都 市
都 市地 区 の写 真 を 入手 す る 目 的を も って、 広 範 囲 に わた る 空中 偵 察
基 づ いて、 次 の諸 要 素 を 基 盤 とし て これ ら の目標 を評 価 す る た めに
工 業地 区 はき わ め て貴 重 にし てか つ脆 弱 なも のと な った。 一九 四五
計 画 が 実施 さ れ た。 これ ら の写 真 や他 の出 所 か ら 入手 さ れ た情 報 に
継 続 的 な分 析 が行 な われ た 。
お り、 こ の兵力 を も って焼 夷 弾 攻撃 を 実 施す る とす れ ば 、 日本 の重
年 六月 一日 の爆 撃 機 集 団 の兵 力 は B29 爆撃 機 七 〇〇 機 以 上 を数 え て
よ って、 殆 ん ど完 全 に破 壊 す る ことも 作 戦上 から は容 易 な よう に見
要 都 市 工業 地 区 の残存 部 分 を 、 三 ヵ月 以 内 の最 大 限 の持 続 的作 戦 に
密 集度 =燃 焼 性 の要 素
重 要な 陸 上 と海 上 輸 送施 設 の範 囲
軍 需 工業 の範 囲
規 模 と人 口
利 用 し得 る情 報 が 限定 され て いた ため に、 目標 分 析 は集 団 司令 部
す る と いう 計 画 の下 に、 爆 撃 隊 の全作 戦 努力 の七〇 % な いし 八〇 %
の 他 の場 合 には レーダ ー焼 夷 弾 爆 撃法 によ って 都 市 工業 地区 を攻 撃
え た。 天 候 が許 す 限 り昼 間 目 視 精 密爆 撃 で重 要 工 場を 攻 撃 、 ま たそ
の写 真解 読 班 と 目標 分 析班 に よる おび た だ し い量 の作業 を 必要 と し
を レーダ ー焼 夷弾 攻撃 に向 け る ことが 計 画 され た。 こ の計画 は目 標
レーダ ー爆撃 法 に対 す る 目標 の適 応 性
た 。 選定 さ れ た各 目 標 に対 し ては レーダ ー 手 段 に基 づく 戦 術 攻 撃計
達 成 に充 分 であ る と考 え られ た。
東 京 、 名 古 屋、 大 阪、 神 戸 、 横 浜 に対 す る焼 夷 弾攻 撃 計 画 の完 了
画 が 制定 さ れ た。 こ の計 画 を実 施す るた め に は、 目 標 への各 種 進 入
て 、 照準 点 の選 定 と 、使 用 兵 力 お よび レーダ ー爆 撃 法 の平 均 推定 円
入 路、 最 も 効果 的 な爆 弾 の型 式、 必 要 と され る ト ン数 の決 定 に加 え
効 な 種類 の爆 弾 の選 定 に つい て徹 底 的 な 研 究が 行 な わ れ た。 爆撃 進
る 骨 の折 れ る仕 事 と な った。 必要 な兵 力 が綿 密 に計 算 され 、 最も 有
29 可 働 全兵 力 は多 数 の中 小都 市 地 区を 破 壊 す る こと は要 求 され な か った か ら、 こ の出 撃 計 画 は、 厖 大 な量 の研 究 と頭 脳 労働 を 必要 とす
ル から 各爆 撃 機 ご と の攻 撃 に よ って実 施 さ れ た。 レーダ ー爆 撃 法が
これ ら の攻撃 は大 体夜 間 、 高度 二、 五〇〇 な い し四 、 三〇〇 メー ト
二都 市 が 全 面的 に破壊 さ れ 、 さ ら に六都 市 が 部分 的 に破 壊 さ れ た。
さ れ、 七 六 平方 マイ ルを 焦 土 化す る のに成 功 し た。 そ の結 果 は、 五
八、 〇 一四 機 の出 撃 に よ って 、 五 万四 、 一八四 ト ン の焼 夷弾 が 投 下
日本 に残 った都 市 工業 地 区 の重 要 群 に対 し て向 け られ た 。 これ ら の
路 を 網羅 す る レーダ ー ・ス コープ 写 真 を 入手 す る必 要が あ った。 B
形 誤差 を 考慮 した う え で、 予 想 され る 地域 爆 弾 密 度 に ついて も綿 密
に続 い て、 六月 中 旬 から 八月 中旬 ま で出撃 機 総 延数 八、〇 一四 機 が
な 計 画を 立 て ねば な ら な か った。 こ の作業 は高 い優 先度 を 与 えら れ 、
であ った。地 理 的 状況 の ため に 八幡 市 の爆 撃 は困 難 な 問題 を 提 供 し
使 用 さ れ た 。 ただ し、 八幡 市 は こ の 一般 攻 撃 計画 の例外 をな すも の
た の で、 目 視精 密爆撃 法 によ って昼 間 攻撃 に依 る 必要 が あ った 。
戦 争 の全 期 間を 通 じ て続 行 さ れ た。 し か し、 これ には比 較 的 少数 の 人 員 し か充当 されず 、 そ の要 員 は作 戦 の急 速 な 進 展 に歩 調 を 合 せ る
出 撃 計 画 は でき るだ け最 初 の攻撃 で 確 実 に目 標 を破 壊 す る た め、
た め に、 再 度 攻撃 をし な けれ ば な らな か った の は、 わず か三都 市 に
述 の期 間 に攻撃 を加 え た 五 八都 市 のう ち 十分 な 損 害 を与 え な か った
た こと 、 一方 で は友軍 戦 闘 機 の護衛 が つ いた こと、 目標命 令 資 料が
た こと 、 戦闘 搭 乗 員 の経 験 が 増 し た こと 、 日本 戦闘 機 の抵 抗 が 減 じ
とが でき た。 さら に ま た現 地 に お い て先任 搭 乗 員 の訓 練が 実 施 さ れ
力を 減 少 さ せ、 そ の結 果 同 じ 日 に より 多く の数 の目標 を攻 撃 す る こ
こう して 全 般的 な 効 果性 は驚 く ほど 増 大 し た。 こ のこと は 必要 な 兵
〇 メー ト ル以内 に命 中す る爆 撃 が平 均 一 二 % から 三 七% に増 加 し た。
過 ぎ な か った 。 し かも これ ら の数 回 の攻 撃 が失 敗 し た の は、 日 本側
改善 さ れ た こ と、 そ の他 雑 多 な 要因 が こ の爆 撃 精度 の増 大 に貢 献 し
各 目標 に対 し て十 分 な 量 の焼 夷弾 を 投 下 す る よう に立 案 さ れ た。 前
防 衛 力あ る いは対 空砲 火 組織 の有効 性 と いう より も、 む しろ 主 と し
れ た。 そ し て そ の主 な作 戦 努 力、 つまり 約 七〇 % は大 体 に お いて 夜
間編 隊 精 密爆 撃 によ る 、 主要 工業 目標 に対す る高 性能 爆撃 に充 て ら
第 二段 階 の期 間 、爆 撃 部 隊 の戦闘 努 力 の約 二二% は全般 的 には 昼
た。
て 目標 地 区 の気 象 と いう作 戦 条 件 のた め であ った。 焼 夷 弾 攻 撃作 戦 中 に多く の作 戦 上 の問 題 が発 生 し た。 例 え ば、 各
立昇 る猛 烈 な 上昇 熱 気 の乱流 によ って生 ず る障 害 、 攻撃 兵 力 を 目標
間 レ ーダ ー爆 撃 法 によ る都 市 工業 地 区 の焼 夷 弾 爆撃 に充当 さ れ た。
種 の焼 夷 爆 弾 の最 も 有 効 な投 下 密度 型 式 の決定 、 炎 上地 区 の上 空 に
つい て は、 各爆 撃 行 か ら得 ら れ た戦 術 的 教 訓を 活 用 し て、 戦 術的 教
地 区上 空 にち ょう ど い い時 期 に集 結 さ せ る 問題 等 であ った。 そ れ に
残 り の作 戦努 力 は、九 州 飛 行 場 に対 す る 攻撃 、 機雷 敷 設、 そ の他 の
った 。
義 と それ に伴 う戦 闘 命 令 を絶 えず 修 正 し 、 改善 す る努 力 を 怠 ら な か
に入 れ て、 日本 の輸 送機 関 と し て の施 設 が昼 間 精密 爆 撃 の最 優 先 目
標 の外 に、 作 戦 の後 半 の段 階 には本 土 上 陸 に予 定 さ れ た期 日を 考慮
航 空 機 工業 施 設 、 兵 器廠 、 石 油施 設 、 化 学 工場 な ど の重要 工業 目
比較 的 重 要 度 の低 い諸作 戦 に対 し な され た 。
す で に説 明 し たと お り、 爆撃 部 隊 は天 気 予報 が 目標 地 区 に雲 に よ
3 主 要 工業 目標 に対 す る 高 性能 爆 弾 攻撃
る妨 害 が な く、 計 算 さ れ た爆撃 の好 機 を 提 供 して いる こと を 示 し て い る場 合 には、 い つも 目視 精 密爆 撃 法 によ って主 要 工業 目標 を 攻撃
の戦 闘 努 力 の 二五% は 主要 工業 目標 に対す る攻 撃 に当 てら れ た。 こ
六月 中 の 日本 上 空 の気 象 条 件 は 予想 よりも はる か に良 好 で、 同 月
標 と し て指定 され た 。
体 に お いて 九 な い し 一 一機 の大隊 編 隊 を基 本爆 撃 単位 と して 中高 度
の月 の 一ヵ月 間 に二〇 以上 の最 重要 目 標 が高 性 能爆 弾 によ り攻 撃 さ
す る こと を方 針 と し て い た。第 二段 階 にお け る これ ら の攻 撃 は、 大
から 実施 され た 。最 初 の照 準作 業 は編隊 長 機 が行 な い、 他 の列機 は
一日間 に投 入 され た作 戦 努 力 を 略述 す ると 次 の表 の通 り であ る。
め に、 ど の程 度 兵 力が 拡 大 さ れ た かを 示す た めに 、 六月 二十 六日 の
れ た。 恵 まれ た好 天 の日を 利 用 し、 最 大 限 の数 の目標 を 攻撃 す る た
爆 撃高 度 を 高 々度 から 中 高度 に下 げ た こと によ って、 B 29爆 撃 機
隊 長 機 の爆 弾 の行 方 を 見 なが ら 投 弾 し た。
一機 分 の爆 撃 搭載 量 は約 二倍 とな り 、爆 撃 精 度 は 目標 地点 から 三 五
1945年 6月26日 に 実施 され た諸 爆 撃一 覧
(1)全壊 また は大 破。(2)レ ー ダ ー爆 撃 に よ り投 下,損 害 は認 め られ ず。
七 月 中 の 日本 上空 の気 象 条 件 は、 わず か に 一回 の昼間 編 隊 出撃 を
許 し た に過 ぎ な か った。 四 七 七機 が 参 加 した こ の作 戦 は、 大 阪=名
の妨 害 に出会 って 部分 的 にし か 成功 しな か った。 七 月中 の作 戦努 力
古 屋 地 区 の六 つ の主要 目 標 に対 し行 な わ れ たが、 数 目標 の上 空 で雲
の 八 二% は都 市 工 業地 区 に対 す る夜 間 焼夷 弾 攻撃 に向 け られ た。 八
月中 の昼 間 編隊 爆 撃 は わず か三 日 間だ け計 画 さ れ たが 、最 大 の攻撃
は 、諸 作 戦 の最 後 の日 の 一九 四 五 年 八月 十 四日 に実 施 さ れ た。
主 要目 標 に対 す る 昼 間爆 撃 に加 え て、 これら の目標 に対 し て は戦
衛 実 験 とし て の夜 間 出撃 も ま た実 施 され た 。 これ ら の攻 撃 の第 一の
連 続 は三月 の都市 工業 地 区 に対 す る 焼夷弾 爆撃 の成功 から 発展 した
も のであ った 。 レーダ ー航法 と照 明弾 を 使 用 し て目標 を 照 ら し出 す
方 法 を併 用 す る こ と によ って、 焼 夷 弾爆 撃 に予定 さ れ た地 区 の外 側
にあ る精 密 目 標 に対 して 、 目視 爆 撃 法 に よる高 性 能 爆弾 攻 撃 を実 施
し て成功 し得 る こ とが 期 待 され た。 こ の計 画 の下 に、 三晩 に五 回 の
爆 撃 が 行 なわ れ たが 結 果 は不満 足 に終 わ った 。 照明 弾 を投 下 す る爆
でき たが 、 使 用 さ れ た照 明 弾 の照 明 度が 十 分 で なく 、 そ の ため爆 撃
撃 機 はA PQ ︱ 一 三型 レ ーダ ー に よ って 目標 上 空 に到達 す る ことが
手 が 爆撃 照 準 器 の レンズ を 通 し て 目標 を捕 捉 す る まで に は 至ら な か
った。 二 つの品 目が そ の成 功 のた めに 必要 であ った。す な わ ち、 適
当 な 目標 識 別 用爆 弾 と反 射 投影 式 の爆撃 照 準 器 と であ った。 直 ち に
これ ら の器材 を 入 手す る措 置 が講 じら れ、 そ れが 到 着 す る まで は、
こ の形 式 の出撃 は計 画 され な か った。 と ころが こ の目 標 識 別用 爆 弾
は戦 争 が終 わる ま で つい に到 着 し な か った の で、 結局 こ の形式 の攻 撃 は 二度 と 採用 さ れ な か った。
4
沖 縄侵 攻 の支援 作 戦
こ の作 戦 は沖縄 への海 上 作 戦 と 上陸 作 戦 を支 援 し て 三月 二十 七 日 と 三十 一日 の両 日、 九州 の飛 行 場施 設 に対 す る 二回 の急 襲 を も って 開 始 さ れ た。 そ のう ち最 初 の攻撃 は、 二航 空団 によ る中 高 度 か ら の
本 側 は縮 少 さ れ た作 戦 規 模 に甘 んず る より 外 は なく な り、 も は や分
5
機 雷 投下 作 戦
散 さ れ た陣 地 か ら集 中 攻 撃を 加 え る こ と は不 可能 と な った 。
日本 本 土水 域 に対 す る機 雷 投 下作 戦 は、 一九 四 五年 三月 二十 七 日、
1 日本 への原 材 料 と食 糧 の輸 入を 阻 止す る こと
全 力 攻 撃 であ った 。 琉球 海 域 に進 出 した 米 国艦 隊 を 、 日本 航空 隊 が
2 日本 軍 隊 の補 給 と移 動 を阻 止 す る こ と
持 って いた。
日 に本 格的 に始 め ら れ五 月 十 一日ま で続 い た。 こ の二五 日 間 に、 重
3 日本 内 海 の海 運 を崩 壊 さ せ る こと
第 二 一爆 撃機 集 団 によ って開始 され た 。 こ の作 戦 は次 の三大 目 的 を
爆 撃 部 隊 は九 州 と 四 国 の飛行 場 に対 す る九 三回 の攻撃 に 従事 した 外 、
攻 撃 す る た め に中 継 用と し て い た飛 行 場 に対 す る 攻撃 は、 四月 十 七
五 月 十 七 日 に は徳 山 地 区 の燃 料 貯 蔵 所 を攻 撃 し た。 出 撃機 数 は総 計
日本 本 土 水 域 に は次 の企図 を も って総 計 四 六 回 の出撃 が行 なわ れ た。
延 べ 二、 一〇 四機 に達 し た。 これ は こ の期 間 の爆 撃 と機 雷 投 下作 戦 の七 五% に相 当 し た。
1 日本 商 船隊 の 八〇% が 通 航 す る下 関 海峡 の封 鎖
2内 海 の工業 港 と商 業 港 、 お よび 東 京 港と 名 古 屋港 の封鎖
こ の攻 撃 は 四、〇 〇 〇 メ ー ト ルか ら六 、 四〇 〇 メ ート ル の高度 で 実施 さ れ た 。最 初 の爆撃 行 では 二 五〇 ポ ンド の破 砕 性爆 弾 が使 用 さ
3朝 鮮 の諸 港 な らび に日 本 の北 岸 諸港 に機 雷 を敷 設 す る こと に よ
長 時 間制 圧 す る た め に爆 発時 間 を 一時 間 から 三六時 間 ま で い ろ いろ
ー機 雷投 下戦 法 を 使 用 し て、第 三 一 三航 空 団 の爆 撃機 が 一万 二千 個
高 度 一、 五〇 〇 メート ルな いし 二、 五〇〇 メー ト ルで夜 間 レーダ
って、 日本 と朝 鮮 間 の海運 を 停 止 さ せ る こと
れ たが 、 攻撃 後 の偵 察 写 真 に 照ら し て見 て、 携 行爆 弾 は 一般 用爆 弾
遅 ら せ てあ った。 飛 行 場 の固 定 施 設も また 攻 撃を 受 け 、大 半 が使 用
以 上 の機 雷 を敷 設 し た。 機 雷投 下 によ って 収 めた 沈没 と 損 傷を 正 確
に変 更 され た。 そ し てそ の半分 は、 これ ら の重 要 飛行 場 の日本 機 を
不能 の状態 にな った。
し かし そ れ より も さ ら に重 要な こと は、米 国 艦 隊 を攻 撃 す べき 日 本
空中 で 二〇 八機 の日本 機 が 破 壊 ま た は撃破 され たも のと 推 定 され た 。
た輸 送 日数 の合 計 は算 定 す る こと はでき な いが、 日本側 の掃海 器 具
八千 ト ンが 大 破 し た と見 積 られ て いる 。封 鎖 の影響 を 受 け て失 われ
ンの船 舶が 沈 没 し
に 測定 す る こと は不 可能 であ るが 、 現 在 で は触 雷 に よ って 七七 万 ト
側 の能 力 に対 す るB 29 の急襲 効 果 で あ った。 飛 行場 使 用妨 害 の空 襲
が 適 当 でな か った こと 、 掃海 そ のも のが が 不完 全 な た め に、船 舶 は
以 上 の攻撃 は成 功裡 にそ の目的 を 達 成 し た。 地 上 で 三五 〇機 以 上 、
が 続行 され 、 日本 側 はそ の航 空 兵 力 を分 散 す る こと を 余儀 な く さ れ
機 雷 封鎖 の突 破 を敢 て余儀 なく さ れ た事 例 が 多 か った こ と は明白 で
( 戦 時 中行 動 不能 のも のを 含 む)、 さ ら に四 七 万
た ので、 日本 軍 の攻 撃 の規 模 と 回 数 は 大幅 に低 下し てし ま った 。 日
あ る。 これ ら の 一、 六 一四機 の機 雷 投 下 延 出撃 機 の犠牲 は、 飛行 機
し て 実施 され た。 第 一目 標 に対 して投 下 さ れ た爆 弾 は九 、〇 八 四発
は る かに多 く の爆 弾 量 を 運 ぶ こ とが でき たた め、 平 均爆 弾 搭 載量 は
防 禦 兵装 を 取 り去 った こ のB 29 航 空団 は、他 のど の航 空 団 よ りも
で、 そ の大 部 分 は 五〇 〇 ポ ンド GP爆 弾 であ った。
第 三 一五航 空 団 に よる 作 戦 は 六月 二十 六 日 に三 五機 の重 爆機 が 、
石油 会 社 工場 を 攻撃 し た時 には 二万 〇 六 四 八ポ ンド に増加 した。 全
第 一回 目 の出 撃 時 の 一万 四 六 三 一ポ ンド から 八月 九 日 に尼 崎 の日本
6第 三一 五 航 空 団 の作 戦
損 失 に関 し て は 一% 以 下 、搭 乗 員 の死傷 は〇 ・七% 以 下 であ った。
の攻撃 で は各 機 は平 均 一万 四、 六 三一 トン の爆 弾 を搭 載 して い た。
こ の レーダ ー爆 撃 によ って成 就 され た破 壊 の成 果 は甚 大 なも のが
いう 報 告 はな か った。
B 29 ただ 一機 だけ が 損傷 を 受 け た に とど ま った。敵 機 を 撃墜 した と
は 二〇 名 だ け であ った 。 日本 機 の攻撃 を 受 け た のは わず か に 一 六回、
出 撃総 機 数 の〇 ・ 二 五% に過 ぎず 、 破 損機 は六 六機 、 搭乗 員 の死傷
作戦 を通 じ て、 第 三一 五航 空 団 が失 った爆 撃 機 はわ ず か に四 機 で、
四 日市 の宇 津 部 精 油 所 に対 して出 撃 し た時 に開 始 され た。 こ の最 初
第 三 一五航 空 団 は特殊 装 備 の重爆 撃 機 を保 有 し てい た。 これ ら の 爆 撃 機 は他 のも のと次 の重 要 な 二点が 違 って いた。 1 レーダ ー爆 撃 用 と し て特 に設 計さ れ 、 A PQ ︱ 一三型 の約 一〇 倍 の解 像 力 のあ る A P Q︱ 七 (イ ーグ ル) を装 備 し て いた こと。 2 尾部 の五〇 ミリ ロ径 機 関砲 を 除 き完 全 に兵 装 がな く 、防 禦 火 力 を犠 牲 にし て爆 弾 搭 載 力が 著 し く増 大 さ れ た こ と。
の個 別 的 な人 造 石油 と精 製 施設 が 、 破 壊さ れ る か大 損害 を 受 け た。
あ った 。 日本 の石油 貯 蔵 タ ンク能 力 の相 当 な部 分 な らび に 一〇 ヵ 所
った 。
これ ら は日本 の石油 精 製 お よ び貯 蔵 能 力 の主 要部 分 を なす も のであ
こ の爆 撃 機 の装 備 し た特 殊 レーダ ー の作 戦 能 力 を査 定 す る た め、
決 定さ れ た。 石 油 工業 は 主要 な攻 撃 目 標 の系 列 と な って いたが 、 こ
第 三 一五航 空 団 は各個 に分 離 し て いる 目標 の攻 撃 に充 当 す る こと が
れ には日 本 の大 精 油 所 の多 く が沿 岸 ま た は そ の近 く に位 置 し 、比 較
の被害 およ び装 備 の性能 の査 定 も容 易 にし た。 し かし こ の爆 撃計 画
弾 が 日本 に初 めて 投 下 され た。 こ の第 一回攻 撃 は、 数 年 間 にわ た る
一九 四五年 八月 六 日、 連 合 国 の新 し い秘 密 兵 器、 す な わ ち原 子爆
7 原爆 投 下作 戦
は防禦 砲 火 の久 如 が 昼 間 攻撃 を 不 利と し た ので、 全 面 的 に レ ーダ ー
研 究 と数 ヵ 月 に およ ぶ慎 重 な 訓練 の 二 つなが ら の頂 点 を なす も ので
的 良好 な レーダ ー目 標 と な って い たと いう利 点 が あ り、 それ が 目標
夜 間 爆 撃 であ った。
の沙 漠 で訓 練 を受 け た後 、 マリ ア ナ諸 島 のテ ニアン島 の基 地北 飛 行
場 に海 を越 え て は るば る 進 出 し てき た。 こ の基 地 か ら混 成 群 は 日本
あ った。 き わ め て極 秘裡 に、 第 五〇 九 爆 撃 混成 群が 編 成 さ れ て ユタ
が 支 配 し て いる 島 々の上 空 を まず 演 習 飛行 のた め に飛 んだ 。 それ か
六月 二十 六 日 か ら 八月 十 四 日ま で の間 に、 一〇 目 標 に対し て 一五
参 加し、 一、 〇 九 五機 の爆 撃機 が 第 一目標 を 爆 撃 し た。 これ ら の出
回 の出撃 が 行 な われ 、 延 総計 一、 二〇〇 機 (内 二〇 機 は補給 機 )が
撃 は全 部夜 間 爆 撃ば かり で、爆 撃 の九 五% はA P Q︱ 七 装置 を使 用
同様 な 弾 道 牲 を持 つT NT 火薬 を 充 填 し た爆 弾 を投 下 し た。
底 的 に熟 知 さ せる た め に、 日本 本 土 上 空を 飛 び 超高 々度 か ら原 爆 と
ら爆 撃 手 の練 度 を 向上 さ せ、 搭 乗 員 に日本 本 土 の海 岸 線 と地 形 を徹
は 、全 体 の五% に当 る総 延 数 一、 四七 八機 が 次 の事 項 に関 連 し て行
実 施 にと って 不 可欠 な貢 献 を果 た した のであ る。 こ の部門 にお いて
る価 値 が あ る と思 う 。 これ ら の任 務 飛 行 は戦 略 航空 作 戦 の総 合 的 な
る航 法 上 の護送 飛 行 、気 象 偵察 任 務 、 目視 およ び レーダ ー偵 察 飛行 、
動 さ せら れ た。 海 上 に 不時 着 水 し た人 員 の捜 索 飛行 、 戦闘 機 に対す
伝 単撒 布 飛 行、 な ど であ る。
原 爆 の攻撃 目標 は ワ シ ント ンか ら の秘密 指 令 に よ って他 の いか な る型 式 の攻 撃 から も 一切 除 外 され て いて、 原 爆 の使 用 に対 す る殆 ん
八月 十 五 日 の事 実 上 の敵 対行 為 の停 止 の命令 と共 に、 第 二〇 航 空
終 戦 直 後 の作 戦
軍 は爆 弾 を積 み込 ん だま ま 、飛 行 機 お よび 搭乗 員 は命令 一下 直 ち に
七
ど 無 傷 の効 果 試 験 地域 を 構 成 し て いた 、 八月 一日 ま でに訓 練 は完 了 し、 部 隊 は い つで も出 撃 でき る態 勢 を整 え た。統 合 幕 僚 長会 議 は こ
に対 し て 投下 す べ し と の命 令 を受 け た。 原 爆 投下 によ り、 陸 軍 の各
飛 び 立 て る態 勢 のま ま地 上警 戒 配 備 に就 いた。 六万 三、 五 〇〇 名 の
の報 告 を 受 け たが、 やが て第 二〇 航 空 軍司 令 部 は最 初 の原爆 を 広 島
され て いた広 島 市 の市 街 地 区 の六〇 % 、 四 ・七平 方 マイ ルが 壊滅 し
司 令 部 、軍 需 品 倉庫 、 陸軍 補 給 廠 、 主要 海 運 施設 、 倉 庫施 設 で構 成
が 雲 にお おわ れ て い たた め、 予 定 を変 更 し て第 二目 標 の長 崎 市 の都
八 月 九 日、 第 一目標 と され て いた 小倉 市 の兵器 廠 と都 市 工業地 区
こ の任 務 飛行 に従事 した 機数 は総 延機 数 一、〇 一〇機 であ り、 一五
容 所 の全 部 から 捕虜 の引 き揚 げ が 終 了す るま で輸 送 が続 け られ た。
補 給 物資 は パ ラ シ ュー ト投 下用 に包装 さ れ て、 判 明 し て いた捕 虜 収
が 、 重爆 機 部 隊 に割 り当 て られ た のは こ の時 であ った。 要 求 され た
連 合 軍捕 虜 に対 す る多 量 の必要 な 医療 品 と 食糧 物 資 を投 下 す る計 画
市 工業 地区 に対 し て第 二の原 爆 が 投 下 され た 。長 崎 地 区も 雲 の切 れ
た。
目 を 通 し て爆 撃 手が 辛 う じ て目 視 でき る程 度 であ った が、 こ の攻 撃
東 京 湾 に おけ る降 伏 調 印 と日 本 や朝 鮮 におけ る 数 地点 への進 駐 に
三 ヵ所 の捕 虜 収 容所 に四 、 一〇 四 ト ンの補 給品 を 投 下す る のに成 功
際 し ては 、 三回 の ﹁威 圧 ﹂ 飛行 の実 施が 要 求 され た 。そ の任務 と い
し たが、 こ の間 七機 の喪 失 を生 じ た 。
これ ら の 二回 の原 爆 攻撃 は、 国 民 の戦 争 継 続 の能 力 と意 志 が 大幅
に より都 市 密 集 地域 の四 四% す な わ ち 一 ・四 五平 方 マイ ルが 炎上 し
に低 下 し て い た時期 にち ょう ど 実施 され た ので、 日 本 朝野 に対 し て
荒 廃 に帰 し た。 原爆 機 には いず れ も 損害 が な か った。
甚 大 な 衝撃 を 与 え た。 降伏 の勧 告 が行 なわ れ た の は、第 二回 目 の原
れ た地 域 を警 戒 飛 行す る にあ った。
う の は、現 実 の上陸 行 動 と最 初 の占領 行 動 中 に紛 争 の発 生 が 予想 さ
8 そ の他 の特 殊作 戦
爆 攻 撃 の次 の 日 の八月 十 日 のこと であ った。
戦 闘 以外 の任 務 飛行 に派 遣 され た 重要 な 努 力も ま た こ こ に記述 す
日本 戦 闘機 の反撃 状 況 目標上 空のB29の 1機 当 りの 日本機攻撃数
日 本側 航 空 機 の損 耗 状 況 ( 審査、確認 を受け たるもの)
B29の 戦 闘 損 傷 原 因調 査
要
約
一九 四 五年 四 月 に 始ま ったB 29 爆 撃機 の個 別 目標 の精 密 爆撃 の結
ロ精 密 高 性 能 爆弾 攻 撃
の戦 略 空 軍 をも ってすれ ば 、 二 ヵ月 以 内 に投 下 でき た総 量 だ った。
超 重 爆作 戦 は、 B 29 の作 戦 規 模 の漸 進 段階 、 太 平 洋戦 域 にお け る
B 29超 重爆 部 隊 の対 日戦 略 爆撃 作 戦
こ の兵 器 の潜 在 的性 能 、実 施 さ れ た攻 撃 の主要 形 式 お よび 超 重爆 機
一三 、化 学 工場 二、 主な 兵 器 工廠 六、 ア ル ミ ニウ ム処理 工 場 二、 重
果 、 日本 の航 空 機 工業 の主 要施 設 二五、 石 油 の貯 蔵 お よび 油製 施 設
本 の戦 争経 済 にと り最 も 重 要 な生 産 施設 を 無 力化 した。 こ の爆撃 は
B 29 爆撃 部 隊 は こ のよう にし て制 空権 を利 用 し なが ら、 無 数 の日
も気 象 条 件 の不利 な 期 間 の五 ヵ月 間 以 内 に達 成 され たも の であ る。
七 の施 設 や諸 設 備 が 破壌 され た。 これ ら の成 果 は、 精 密爆 撃 には最
援 し て行 な わ れ たB 29 の攻 撃 によ って、 九州 と 四 国 にあ る 飛行 場 一
を 破壊 す るか 大破 さ せた 。以 上 の戦 果 の外 に、 海 軍 の沖 縄進 攻 を 支
機 械 工場 一、 重 兵 器 工場 一、 海 軍 航 空訓 練 中 心部 一、 鉄 道 操車 場 一
の割 り当 てら れ た任 務 の実 施 計 画 の遂 行能 力 に関連 し て見 る こと に
イ作 戦 規 模
よ って、 さ ら に明快 な 理解 が 得 られ るだ ろう 。
超 重 爆 作戦 の第 一段階 で は、 B 29部 隊 は イ ンド の基 地 と中 国 の前
て は これ ら のも のし か利 用 でき な か った。 こ の C B I (中 国 =ビ ル
進 基 地 を 通 じ て作 戦 し たが、 当 時、 日本 本 土 を 攻撃 で き る基 地 と し
マ=イ ンド戦 域 ) に おけ る作 戦規 模 と攻 撃 目標 の選 択 は、 兵 站 、 中 継 作 戦 お よび 新 兵器 の戦 闘 テ スト に よ って著 しく 制 限 を受 け た。
日本 がも し これ 以 上戦 争 継 続 の道 を 選 んだ 場 合、 さ ら に 日本 に加 え
の指導 者 たち が降 伏 後 にひ と しく 証 言す る と こ ろで あ る。 超 重爆 部
ら れ た であ ろう破 壊 を 否 応 な し に示 し たも のであ った こと は、 日本
第 二 段階 は マリ ア ナ諸 島 の基 地 を 利 用 し て開 始 され た。 こ の基 地 か ら は 日本 の心臓 部 にあ る諸 目標 を 攻 撃 す る こと は 可能 で あ ったが 、
隊 は か なり の短期 間 に、 日本 のあ らゆ る 確 認 し得 る 重要 工 業 を破 壊
基 地 の開 発 、 攻撃 兵 力 の増 強、 有 効 な 戦法 の開 発、 これ ら を なさ ね ば な ら ぬた め に時 間 を要 し たた め、規 模 の点 で は依 然 と し て制 限 を
一九 四 五年 三 月 か ら終 戦 まで の第 三 段階 、 す なわ ち 最終 段 階 に お
日本 の主要 鉄 道 輸 送 を効 果 的 に遮 断 す る能 力 が あ ったこと を 示 し て
だけ 行 な わ れ た のみ であ るが 、要 求 兵 力 の計 算 結果 は、 B 29 部 隊 が
運 輸 交 通機 関 の目 標 に対 し ては、 爆 撃作 戦 の最後 の日 に ただ 一度
ま た は無 力 化 でき る能 力 があ った と いう 確 信 を与 え た。
い て は、 前後 一五 ヵ月 にわ たる 全 作戦 期 間 中 に超 重 爆部 隊 が 行 な っ
受 け て い た。
た全 出撃 飛行 の八〇 % を 越え る作 戦飛 行 が実 施 され た。 B 29 部 隊が
いる 。 日本 が 空 襲 の脅 威 の下 に、 一部 の枢 要 工業 を 疎 開す る こと に
失 から 殆 んど 立 ち 直 る こと が でき な か った。
の生 産 力 に甚 大 な損 失 を 生 じ させ た。 そし て 日本 は終戦 ま で そ の損
決定 し た こと には 、戦 略 爆 撃 作戦 の効 果が 大 きく 作 用 し、 関 係 工業
投 下 し た爆 弾 と機 雷 の総計 一六 万 五千 ト ンのう ち、 九〇 % 以 上が こ の最後 の 五ヵ 月 間 に投 下さ れ たも の であ る。 と ころ で、 こ の投 下 総 ト ン数 は、 終 戦時 に展開 して い た兵 力 の全能 力 を も ってす れば 三ヵ 月 以内 に運 び得 た量 であ り 、最 終 的 か つ全面 的 に展 開 を 終 わ った時
い たと 確 認 され た工業 施 設 五 五〇 以上 が破 壊 さ れ る か大 損害 を受 け
明 ら か に戦 争 資材 の生 産 に従 事 し 、ま た 諜報 活 動 によ って従事 し て
本 の都 市 工業 地域 の 一七〇 平 方 マイ ルを 荒廃 さ せ焼 け野 原 と し た。
B 29重 爆 部 隊 は 主と し て レ ーダ ー爆 撃 法 に よ る焼 夷弾 攻 撃 で、 日
隊 が パ レ ンバ ンから 上 海 に い たる アジ ア大陸 沿 岸 の重要 港 と航 路 に
傷 を 与 え る成 果 を収 め た。 ま た、 イ ンドや 中 国を 基 地 とす る B 29 部
上 の船 舶 を沈 める か行 動 不能 にし た 外 、さ ら に 四七 万 八千 ト ンに損
著 しく 制 限 し、 日本 本 土 に直接 隣 接 し た海 域 にお い て七 七万 ト ン以
は封 鎖 さ れ て しま い、 内 海 に後 退 し て い た日 本海 軍 部 隊 の機 動性 を
以 上 の機 雷 を敷 設 し た。 こ の結果 、 日本 の内 海 で の重 要 な船 舶輸 送
し た出 撃 機 は延 べ 一、 五 二 八機 に達 し、 五 ヵ月 間 以内 に 一万 二千個
た。 こ の外 さ ら に日本 の戦 時 生産 機 構 に決定 的 に結び ついて い た莫
ハ都 市 地 域 焼夷 弾 攻 撃
大 な数 の下請 工場 やそ の他 の群 小 生 産施 設 が 破壊 され 、 ま た労 働 力
対 し て実施 した 機雷 投 下 も 重要 な も のであ った。
側 の疎開 努 力 を最 小 限 度 に押 こみ え、 中 小 部品 製 造 工場群 の戦争 へ
焼 夷 弾 攻撃 が 漸進 的 に中 小都 市 地域 にま で拡 大さ れ た のは、 日 本
し、 こ の封鎖 を持 続す るた め の迅 速 にし て柔軟 性 のあ る経 済 的 な か
爆機 に よる機 雷投 下 は、 日 本 の残存 水 上部 隊 と 商船 隊 を海 上 で封 鎖
雷敷 設 作 戦 も 及ば な い最 大 の集中 投 下 成績 を 示 し て いた 。 こ の超 重
B 29 の総 出 撃 数 の六 % 以下 で はあ ったが 、 これ 以前 のど のよう な機
こ の マリ ア ナを基 地 とす るB 29超 重 爆 部隊 によ る機 雷 投 下作 戦 は、
の移 動 と 崩壊 、 あ る い は輸 送機 関 やそ の他 の諸 施設 の破 壊 や崩 壊 に
の寄 与 を無 力 化 し、 国 民 の抗 戦 意 志 を低 下 さ せ る こと を狙 いと し て
よ って 、 そ の機 能 を失 った ので被 害 総計 は驚 く ほ ど増 加 し た。
企 図 され たも のであ る 。悪 天候 や 夜間 爆 撃 の条 件 の下 で、 こ のよう
つ有 効 な 方 法 であ る こ とを 実 証 し た。
た 日本 国 民 全体 の戦 意 に対 し 、仮 借 のな い複 雑 多様 な 衝 撃 力を 与 え
さ れ て い る。 航 空機 雷 投下 に従 事 し た重 爆隊 は、 レーダ ー使 用 によ
た 全 機 雷数 に つい ては 一個 当 り 八五 ト ンの損 害 を与 え たも のと 推定
効 機 雷 一個当 り の船 舶 損 害 (沈 没 と損 傷 ) は 一〇 〇 ト ン、 投下 さ れ
こ の封 鎖効 果 は 日本 船 舶 の甚 大 な 消粍 によ って増 大 され た が、実
な 型 式 の攻 撃 を敢 行 で き るB 29 の性能 は、 天候 が 許す 場 合 の個 別 目
る 結果 を 生 じ た。 焼 夷弾 攻 撃 の効 果 は 、各 種 の攻 撃 が 集 中 した 時 期
る か ま た は悪 天候 の状 況 下 に でも 夜 間 に有 効 な 投 下 の実 施が 可能 で
標 の昼間 爆 撃 と の協 同 に お いて、 日本 の全戦 争 経 済 に対 し 、 は たま
に そ の攻 撃 が実 施 さ れ た こと に よ り、 そ の威 力 を さら に大き く し た
を 機雷 投 下 のた め に発 進 させ る とす るな らば 、 海運 依 存 国家 にと っ
た 。も し かり に将 来 、戦 争 が起 こ った 場 合、 相 手が 十 分 な重 爆 兵力
あ った から 、 日本 側 が こ の重 爆 隊を 撃 破 す る こと は困 難 な こと だ っ
B 29 重爆 部 隊 の見 事 な 適応 性 は航 空機 雷 の投 下 作 戦 に よ って 十分
て こ の こと は かな り の重 要 問 題 を課 す こと にな る の は必 定 であ ろう 。
ニ 航 空機 雷 投 下作 戦
の であ った 。
に発 揮 され た。 マリ ア ナ基 地 に展 開後 こ の作戦 に充 当 され たB 29部
ホ原 子 爆弾 の使 用
隊 は 、機 雷 投 下 のす ぐ れ た技 術 を発 展 さ せ 、独 自 に偵 察 を 行 な い、 機 雷 原 の設 置 を計 画 し、 作 戦 上 の要 求 を算 定 した 。 こ の作 戦 に従 事
発 の原 爆 を積 んで、 そ れ ぞ れ 二 大都 市 を攻 撃 し た。 かり に 日本 が 抗
五 平方 マイ ル余 を 壊滅 さ せ る と いう 結 果 を生 じ た。 一機 のB 29が 一
発 は か つて企 て られ た こと が な いほど 、 一つの飛行 場 に戦 闘 要 員 と
め編制 上 でも 作 戦方 面 でも 独 自 の問題 を 生 じ た。 マリ アナ基 地 の開
マリ ア ナ諸 島 から の作戦 の開 始 は、 基 地 施設 が 不十 分 であ った た
改善 さ れ た 。
戦 を続 行 し たと し ても 、 原 爆 の出 現 は 日本 の戦 争経 済 に対 し て米 ・
装備 が 最 大 限 に集 中 し た配 備 を 形 成 し て いた。 爆撃 照 準装 置 の限 ら
史 上 最 初 の原 爆 の使 用 は、 四 日間 で日本 の 二 つの主 要都 市 の 六 ・
戦 略 空 軍 の破 壊 能 力を 飛 躍 的 に増 大 さ せ た のであ る。 原爆 はま た さ
戦 のテ ンポ を 遅 ら せる こと は認 め られ な か った。 レーダ ー爆 盤 の能
の目視 爆 撃 の有 効性 は減少 した 。 この悪 条 件 に伴う 不 利 か ら爆 撃作
力 が 認識 さ れ る に およ び、 戦 域 におけ る訓練 を 強化 し、 こ の能 力 を
れ た 性能 と 日 本 上空 の異常 な 気 象条 件 の双方 のた め、 超高 々度 か ら
は警 報 のたび に防 空壕 に逃 げ こ む か、 あ る いは恐 るべ き 原爆 攻 撃 を
ら に 日本 を 一つ の克 服 し 難 い問 題 に直 面 させ た。 日本 側 は本 土 上 空
甘 受 す る か のど ち ら かを 選 ぶ よ り外 し か なく な った。 B 29が 間 断 な
の B29 超 重爆 隊 に対 し て効 果 のあ る抵 抗が で き な か った ので、 大 衆
く 日本 上 空 に出 撃 す る に つれ て、 空 襲警 報 によ る 日本 の生産 力 の低
広 大 な海 域 にわ た って空 海 救 助 体制 を確 立す る 必要 から新 し い問
完 全 に活 用 す る た め操 作技 術 を 発 展 さ せる ことが要 求 さ れ た。
題 が 提起 さ れ た 。 ま た、太 平 洋 戦 争 の舞 台 と な った遠 大 な距 離 は通
下 は、 おそ らく そ れだ け で 破滅 的 な も のとな った であ ろ う。 B 29 の
よ って測 り 知れ ぬほど 増 大 し た のであ った。
作 戦 が 日 本 全国 民 の戦 意 に与 え て いた深 刻 な 衝 繋 は、 原 爆 の出 現 に
地 の使 用 によ り生 じ た困 難 な 中 継作 戦 は、補 給 の点 で持 久 作 戦 を十
は、 こ の計 画 に 間 に合う よう に大 変 に忙 が され た のであ る。 中 国基
れ たも のであ る。 B 29 の開 発 と 展 開 な らび に そ の戦 術 的教 義 の発 展
完 成 さ せ 、 か つ日本 国民 の戦 意 を、 そ の戦 争 遂行 の能 力と 意 志 が 決
か つ早 い時期 に、 日本 の軍事 的 、 工業 的 お よび 経済 的 組織 の崩 壊 を
あ る こと を 立証 し た。 そ の目的 と は ﹁⋮ ⋮ ⋮ でき得 る 限 り積 極 的 に
され 、 B 29自 体 は超 重爆 部 隊 が 創設 さ れ た 目的 に適 応 でき る能 力 が
雑な 事 情 が あ った にも か かわ らず 、 確 固 た る構 想 の下 に着 々と 実 施
B 29部 隊 が 従事 し た 対 日遠 大 距離 爆 撃 の計画 は、 多 数 の問 題 と 複
成 果 を 収 め た。
は、戦 争 史 上 最 も集 中 的 で か つ破 壊的 な攻 撃記 録 を樹 立す る と いう
つ克 服 され て行 き、 戦 争 の最 後 の五 ヵ月 間 におけ る B29 部 隊 の攻 撃
信 と連 絡 上 の大 きな 問 題を 生 じ た 。 し かし 、 これ ら の問 題 は 一つづ
ヘ 機 能的 能 力 B 29 超重 爆 部 隊 に割 り 当 てら れ た任 務 を 遂行 す る計 画 の機 能 的 能 力 は今 や 歴史 的 なも のと な って いる 。 こ の計 画 た るや 、進 行 中 の複
分 に実 施 し 得 る段 階 ま で は至 らず 、 当 初 の組 織 では適 応 でき る 準備
定 的 に弱 体化 され る に 至る ま で打 ち砕 く こ と﹂ に ほか なら な か った。
雑 さ にお い て前 例 のな い戦 争 の巨 大 に し て強 力 な圧 力 の下 に作 成 さ
か ら 日本 本土 に対す る最 後 の五 ヵ月 間 の持 久 性 のあ る攻 撃 を通 じ て、
が な いよ う な諸 問 題 が提 起 さ れ た。 C B I戦 域 におけ る最 初 の展開
B 29 の整備 は最 終的 な 促 進 さ れ た作 戦 計 画 に適 応す る た めに 大 い に
付 録 A.都 市 地 域 目標 の破 壊(注.こ
こには主 要目標 のみ を列挙 して あ
(1)大 阪 に 含 まれ てい る。(2)大阪 の 欄 を 見 よ。(3)予定 地 域 目標 な し。(4)原爆 攻 撃 飛 行,原 (出 所:第20航
空 軍 対 日作 戦統 計 集)
爆 重 量 含 まず 。(5)損害 な し
付録 B.航 空 機 工 場 の破 壊
(1)損 害 な し。(2)損 害 な し。(出 所:第20航
空 軍 対 日作 戦統 計表 )
付 録 C.そ の他 の工 業 目標 の破 壊(石 油 関 係)
1.戦 後 の調 査 で は,こ の数 字 は7,469,750に 増 大 した。 実 際 に破 壊 さ れ た貯 蔵 量 は471,000バ ー レル に の ぼ って い る
付 録 C.そ の 他 の工 業 目標 の 破壊
出所:日 本に対する第20航空軍 の統計概要
四
終
戦
し た こと は 幸 い であ った。 と こ ろ で、 これら は 一九 四 四年 七 月 に お
日 本 の終 戦 努 力
け る東 条 内閣 の倒 壊 から 、 一九 四五 年 八月 一五 日 の終 戦 詔 勅 ま で の
一
太平 洋 戦 争 の全 局 面 に おけ る連 合軍 の航 空作 戦 の打 撃 力 は 、直 接
時 期 に対 し て かな り詳 細 に述 べら れ て い るも の であ る。 これ ら の史
の大部 分 が 、 日本 が こ の宣 言 の受 諾 に追 いこま れ た理 由 を明 ら か に
に 日本 の軍 事 的な ら び に経 済 的 抗戦 能 力 に 影響 し たが 、 一方 で は、
言
これ ら の軍 事的 およ び経 済 的 効果 を 政 治的 諸 問 題 に置 き 換 え る こと
緒
に よ って、 米国 が声 明 した 無 条件 降 伏 と いう 戦時 目標 は実 現 可能 と
か に つい て、 日本 側 の努 力 に参 加 し た かあ る い は影響 を持 って い た
陸 軍 、海 軍 、 政 府 およ び 天皇 側 近 や重 臣 たち に対 す る調 査 団 の尋 問
実 は、 主 と し て戦争 を 継 続 す る か、あ る いは降 伏 の要 求 を 受 諾す る
装 備 の軍隊 と 九 千機 の神 風特 攻隊 を 有 しな が ら、 本 土 進 攻 以前 に敗
によ って 入手 され た証 言 ︹ 編者注 報告第 七二﹁日本官吏尋問記録﹂抜萃
な った のであ る。 し かも 、 日本 が 依 然 と し て本 土 に 二五 〇 万 の戦 闘
北 を自 認 し た こと は、 政治 的 成 果 に移 され た 米国 側 の軍事 作 戦 の影
を指す。次章参照︺ によ るも のであ る。
降 伏 以 前 の時 期 の重 大 事 件 に対 す る天皇 のご参 加 は他 の関 係 者 に よ
す る こと が でき な か った か ら であ る。数 名 の者 は降 伏直 後 に自 決 を ︹ 惟幾︺ 遂 げ たが、 特 にそ の中 には 鈴木 内 閣 の陸相 阿 南将 軍 が含 まれ てい る。
ら し た にち が いな い数名 の重要 人物 は、 つい に利 用 できず に終 った。 ︹ 英機︺ ︹ 国昭︺ ︹ 茂徳︺ そ れ は、 東 条、 小 磯 、東 郷 および 戦 犯 と し て東京 裁 判 のた め に拘 置 ︹ 弘毅︺ ︹ 葵︺ ︹ 美治郎︺︹ 騏 一郎︺︹ 繁太郎︺ され た他 の数名 (広 田、 重 光、 梅 津 、 平 沼、 嶋 田) に対 し て は尋問
も し尋 問 し え たな らば 、 そ の証 言 は、 調 査団 に 大 い に利 益 をも た
響 が いか に大 き な説 得 力 を持 って いた かを 示す も ので あ る。 そ こ で、 日 本 の政 治 機 構 の性 格 お よび 戦 略爆 撃 に対 す るそ の脆 弱性 と 反応 は、
" は、 共 に日 本 の国 家 政策 の主 要 問 題 を決 定 し て い
調 査 団 にと って は主 要 なそ し て顕著 な調 査 の対 象 と な るも のであ っ た。 "政 治 的 目標
た陸 軍 、 海軍 、 政 府、 なら び に天皇 側 近 や 重臣 の活 動 の中 枢 を構 成 し て いた 。 ポ ツダ ム宣 言 を 受 諾 す るま で の諸 事 件が 経 過 す る、 そ の さ な か にお かれ た 日本 の指導 者 たち に 関連 質 問 を し、 得 ら れ た回 答
な か った 。事 件 の推移 の全般 の模 様 は 、も し 前 記 の東 条 、小 磯 のよ
って明 ら か にさ れ 、ま た は確 証 され た ので、 天皇 と の会 見 は 必要 が
け る 機 会が 多 か った 。
官 を兼 任 し て こと い るが多 く 、 各 重 臣 はしば しば 天皇 のお 召 しを 受
ち はま た外 交 政策 に対 す る重 要 な 認 可権 を 持 って いる枢 密院 の顧 問
限 りず っと 長 続き す る のが 常 であ った。内 閣 の持久 力 と 成功 の重要
当 時 の内 閣 は ひと た び 成立 を 見 た場 合 に は、 大 き な失 敗 を しな い
う な人 物 が尋 問 に応 じ得 た と し ても 、実 質 的 に は何 ら 内 容 に は変 更
日 本 の政 治 機 構 の若 干 の特質
を 生 じ な か った にちが いな いも のと 信 じ られ て い る。
第 一章
層 間 の意 見 一致 によ って運営 され て いた と いう こと であ る。 主 要 な
と が 必 要 であ る。 出発 点 は日本 の動 向 はも っぱ ら少 数 の最 高 指 導 者
の混 み 入 った機構 や相 互 に関 連 し合 う 圧力 の大要 を まず 想 起 す る こ
︹ 幕僚長︺と も 最後 ま で、陸 軍 将校 と多 数 の海 軍 将校 の強 硬論 によ っ
立 を意 味 し て いた)。 し かも 陸 軍 参謀 総 長 と海 軍 軍令 部 総 長 の 両 名
に単 独上 奏 す る こと が でき た (これ を帷幄 上 奏 と い い、統 帥 権 の独
ぞ れ 独自 にそ の大 臣 を 任命 し たが 、 さ ら に陸 海 両幕 僚 長 は直 接 天皇
いは それ を 変 更 し得 るか のそ の能 力 にか か って いた。 陸海 軍 はそ れ
な テ スト は、 陸海 軍 の見解 と主 張す る政策 を鵜 呑 み にす る か、あ る
国 家 政策 の決 定 は、 こ のよう な意 見 の 一致 に達 す る ま で はそ の成 立
て 影響 を 受 け て い た。 国務 処 理要 領 に対す る唯 一つの戦時 中 の新 制
日本 が降 伏 す る ま で の諸事 件 を 評 価 す る に当 って は 、 日本 の政 治
を 見 る こと は でき な か った。 し かし 、 この処 理方 法 は どう し ても 時
度 であ る最 高 戦争 指 導 会議 す な わ ち戦 時内 閣 に つい ては、 小 磯 内閣
日本 の政 治機 構 は若 干 の特 質 を持 って おり 、 そ れら は米 国 側 の見
間 を かけ ねば な らず 、 そ の間 に意 見 を異 にす る人 々 の間 に は複 雑 な
主 要 な 圧力 の相 互関 係 図 に は、 天 皇 の側 近 グ ループ の代 表 者 と し
の諸 事 件 に対 し て は重 要 な作 用 を お よぼ し た。 1内 府 は 天皇 の政 治
地 か らす れば 一種 異 様 の性 格 のも のであ ったが 、 これ ら は降 伏 ま で
時代 を取 り 扱 って い る第 三章 にお い て説 明 を行 な う であ ろう 。
て、 内 閣 の諸 問 題 や、 そ れ ら の処 理 能 力 の観 測者 およ び判 定 者 と し
圧 力 関 係 や意 志 の葛藤 を 生ず る に至 った 。
て の内 府 (内 大 臣 )が まず 姿 を見 せ る であ ろ うが 、 こ の地 位 に は木
で あ った。 これ ら の元 首 相 たち は、 そ の見解 を相 手 に無 理 に押 し つ
の機 密情 報 ル ートを 別 に持 って いた のが 長 老政 治 家、 す なわ ち 重臣
合 には内 外 の問 題 に つ いて政 府 から の通 報 以外 にそ の真 相 に つ いて
一方 に お いて、 法 制 上 の責 任 あ る い は権 限 は別 に な いが 、 こ の場
4政 府 の組 織 は巨 大 な分 野 を 包含 し てい たが 、最 終 政第 を 決 定 し た
やう やし さ を籠 め た感 情 の神 秘 なも や を通 し てこれ を 眺 め て いた。
自身 も や は り そう であ ったが 、 天皇 と 祖国 を 神 聖視 し 、感 動 的 でう
在 し て いた 。 3 日本 の政治 家 お よび 熱 烈 な軍 国 主義 者 た ち は、国 民
2 日本 には 政 治上 の責 任 を分 散 さ せ て曖昧 にす る傾 向 が明 ら か に存
力 の代 表 者 であ り 、 "国体 " つま り天 皇 制 の守 護者 の筆 頭 であ った。
け る こ と はで き な か った けれ ど も 、内 府 や他 の政 府 指導 者 に対 し説
のはそ の中 の小グ ル ープ の個 人的 判 断 や推 定 であ った 。5 一般 民衆
戸 幸 一侯 爵 が 戦 争 全期 を 通 じ て留 任 し た 。
得 力が あ り か つ消 息 に通 じた 適 切 な圧 力 を たび たび加 え た。 重 臣 た
決 し て支 配 的な も ので はな か った。
考慮 せら る べき 諸要 素 の中 の 一つにす ぎず 、ど ん な 意味 にお いても
の世 論と 動 向 は、 指導 者 た ち の考 え の中 で は国 家 政第 の決 定 に当 り
は実 際 に 干渉 に動 いた のは、 そ のは っき りと し た徴候 であ った。
争 に反 対 す る か、あ る いは戦 争 の初期 の段階 で は同 調 し たが、 後 に
珠 湾以 前 にお い ても "引 退 し て いた" 有 力 なる 元指 導者 た ちが、 戦
日本 は、 も はや 確 実 に敗 北 に直 面 し て いる こと 、あ る いは少 なく
ソ ロモン諸 島、 ニ ューギ ニア お よび マー シ ャル諸 島 に おけ る 日本 軍
によ る 日本 戦争 経 済 への致命 的 打 撃 と結 び つい た、 ミ ッド ウ エー、
真 珠湾 攻 撃 から 一九 四 四年 六月 ま で の期 間 に お いて は、 船 舶喪 失
満洲 事 変 を契 機 と し て勢力 を 拡 大 し、 そ の後 東条 将 軍 に よ って指 導
日 本が 戦 争 を はじ め た根拠 を 簡 単 に再 述す ること が 必要 と 思 われ る。
ち ) の立 場 の矛 盾 と活 動 を説 明 す る た めに は、 一九 四 一年 十 二月 に
こと を、 一九 四四年 の春 に感 得 し た これ ら の 指 導 者 た ち (重 臣 た
とも 戦争 を 終 ら せる た め に積極 的 な 措置 を 講ず べき 時 機 が到 来 し た
の打 続 く 敗 北が 、政 治 的 にも 重 大 な影 響 をも たら し た。 そ れ は政府
され 代表 さ れ た軍 部 の手 中 に日本 は着 々と 掌握 さ れ て行 った。 そ の
東条 将 軍 退陣 の背景
が執 った 度 々の遣繰 り、 ま た応 急 処置 を み ても 明 ら かであ り、東 条
揚 句 の果 て に戦争 に 突 入し た の であ った。 こ の東条 グ ループ は第 一
第 二章
首 相 は、多 く の大 臣 を 兼任 す る こと によ り、 個人 的 権 威 を増 し、 ま
次 、第 二次 近衛 内 閣 に お いて、 保 守 主義 者 たち と の不 安定 な 協力 を
通 じ て、 す で に警 察 国家 と な った 日本 の政策 の立 案 、 遂行 の支配 的
た、 長 期戦 と な った戦 争 に対 応 し て軍 需品 の生産 高 を 増強 す る政 府 の努 力 の た め の発 言 力 を強 化 し て い った。 対 米英 戦 を はじ めた 日本
い かに し て、 こ の戦 争 を終 結 に導 く か、 こ の問 題 に ついて 、最 小
地 位 を完 成 し てし ま った 。
パ ン島 失 陥 後 の こと であ る。 す な わ ち、 失陥 の 一〇 日後 の七月 十 八
限 に せよ最 大 限 にも せ よ、 軍 部 は、 何 ら の具体 的 目標 も な け れば、
の政 治的 挙 国体 制 に最 初 の決定 的 な破 綻 が起 こ った のは、 実 に サイ
日 に東 条 将 軍を 首班 と す る内 閣 は、 一九 四 一年 十月 二十 日以 来 引き
ま た、 い かな る確 固 た る信 念 をも 持 たず し て、 日 本 を戦 争 に突 入 さ
せ た こと は注 目 に値 す る。 日本 側 が 攻撃 を 決意 し た の には、 おお よ
続き 政 権 を担 当 し た後 、 つい に総辞 職 に追 い こま れ た。 現 在 か ら顧 み ると 、 この政 変 は、 日 本 の戦 時 政治 体 制 の過 程 に お
る こと にな る米 英 と の和 平条 件 にお い て、 勝 利 者側 と し て行 動 し、
そ 次 の二 つ の投 機 的計 算 が な され て い た。第 一はも し も、 ヨー ロ ッ
機 か らだ け 生 じ た結 果 では な か った。 と いう の は、 か なり早 い時 期
報酬 を 得 る権 利 を要 求 しう る であ ろう 。他 の 一つは、 ヨー ロッパ方
パ の枢 軸 国 が ソ連 を大 いに撃 破 し た暁 には、 日 本 はお そら く 追 求す
にお い てさ え、 戦争 の継 続 に反 対 す る分 子 は、 日本 軍部 の熱 狂 的 な
面 の情 勢 と は無 関係 に、米 軍 に前 例を み ぬ 一連 の徹底 的 な 敗 北を 与
はな いほど 大 きな も のであ った。 そ し て、 そ れ は決 し て当 面 す る危
代 表 者 た ち に対 し て圧 力 を加 え る方 策 を 見 つけ だ そう と し て いた よ
え た後 に、 南 方資 源 地 帯 へ迅 速 に 日本 軍 は進撃 す る。 かく て 日本 の
け る 顕著 な 転 回点 と な った も ので、 そ の重 要 性 は強 調 しす ぎ る こと
う だ から であ る 。ま だ 表 面化 し て は おらず 内 密 にで はあ ったが 、真
日 本 にと って は、有 利 な 条件 で係 争問 題 を 協議 す る こと と なり 、 日
相 対 的兵 力 の損 害 は非 常 に軽 微 にと ど まる だ ろう 。 ま た この こと は、
と であ った。
一 の例証 はと 言 えば 、 そ れ はま さ しく高 木 、迫 水 両氏 の作 業と 行 動
を退 陣 さ せ る こと であ った。 こ の時 期 におけ る こ のよう な 運動 の第
海 軍 軍令 部 出 仕 に補 職 され た高 木 惣吉 海 軍少 将 は、 一九 四三 年 九
本 と和 平 を 講ず る ことを 米 国が 欣 然 と し て受諾 す る、 そ う いう 情 勢
月 二十 日 から 一九 四 四年 二月 ま で の間、 そ の時 ま でに起 こ った諸 作
を つく り 出 す こと になろ う、 と いう も の であ った 。 米国 の潜 在的 な物 量 的 優越 に対 し て は、 日本 の戦 闘 精 神 の優 越 が
こと はでき な いと いう 結 論 に達 し、 一九 四三年 三 月 にまず 口頭 で そ
戦 の戦 訓 の研 究 を行 な った。 彼 は結 局、 日本 は戦 争 で勝 利 を収 める
の調 査 結果 を 海 相 米内 光政 大将 と海 軍次 官 井上 成 美中 将 に報告 し た。
終 局 の勝 利 を収 める要 素 と して 、 大き く 信 頼さ れ て いた 。 以上 の計
り 、明 白 に二 つの重大 な 誤算 を 含 ん で いた 。第 一のも のは、 米 国 の
の終 り に着 手 さ れ たも のであ ったが 、 そ の時期 よりも ず っと以 前 の
高 木 の研究 はき わ め て興味 深 いも のであ り 、 それ は戦 争 の第 二年 目
算 は、 そ の他 の不 当な 推 定が 何 であ れ、 少 なく と も米 国 に関す る 限
戦 争 を遂 行 す る に当 って は、 不 屈 で熱 情 的 で終 始 一貫 す る態 度 であ
こと は でき な いと 推定 し て いた。 高 木 の研 究推 論 はそ の時 期ま でに
開 戦 前 にす で に、海 軍 軍令 部 で は 日本 は成 算 のあ る戦 争 を 遂行 す る
る こと を正 しく 認 識す る のに失 敗 し た こと 、第 二に、 米 国が 技 術 的 に はる か に優秀 な 兵力 を 生 み出 し 、 か つこれ を維 持 し得 る 恐 るべ き
受 け た艦 隊 、 航 空 兵力 、商 船 隊 の損 害、 重 要輸 入物資 の深刻 な 入 手
巨 大 な経 済 潜在 力 の持 主 であ る こと の軍 事 的重 要 性を 、 過 小評 価 し
対米 英 戦 に包 蔵 され て いる冒 険 の危 険 性 は、 真 珠湾 以 前 に行 な わ
た こと であ った。
いう "知識 階 級 " の間 に増 大 し つつあ る感 情 など の分 析 に基 づ いて
難、 日 本 国内 の混 乱 およ び東 条が お払 い箱 にしな け れば な らな いと
争 決意 と 、 太平 洋 で圧 倒 的 な攻 勢 を執 り 得 る米 国 の巨 大 な能 力 は、
で に、 ヨー ロ ッパ に第 二戦線 が 開 かれ る前 に お いてさ え 、米 国 の戦
面 し て いる と、 彼 らが 認 識 した そ の基 礎 であ った 。す で にそ の時 ま
初 の危 惧 こそ、 一九 四四 年 の初 春 の頃 に、 日本 が終 局 的 な 敗北 に直
兵 し、 和 平条 項 の 一部 と し て朝 鮮 と台湾 の双方 を放棄 す る こと を 計
白 であ る と高 木 の眼 には 映 った。 高 木 の見 解 は、 日本 は中 国 から撤
本が 妥 協的 和 平 を 求 めねば な ら ぬ事 態 に追 いこ まれ て いる こと が 明
生産 のた め の重 要物 資 輸 入が 殆 んど 不 可能 にな った こと 、 これ は日
ア メリ カ の日 本本 土 に対 す る長 距 離爆 撃 の可能 性 と、 日 本が 戦時
いた。
れ た論 争 にお いて、 数 名 の重 臣 により 、 十 分 に理 解さ れ か つ強 く 主
諸 般 の事 情 に通 じ た 日本 の人 士 の多数 にと っては、 十 分 に実 証 ず み
の重 臣 た ちが 抱 いて いた懸 念 を 文書 で証 明 し た も のであ り 、そ の後、
画す べ きだ と して い た。 彼 の研 究 は、 と にか く、 戦 争前 に米内や 他
張 され たと こ ろであ った 。開 戦 後 にお いて こ の重 臣 たち が抱 いた最
の こと であ った。 こ の事態 を十 分 に認 識 し た人 々にと って の政 治 問
は ら はら し なが ら 見守 って いた 東条 一派 の戦 争 指導 で は、 は た せる
題 は、 引 退中 の、 また は 政府 の外 にい る他 の指 導者 たち に、 戦 争 の 真 相 を周 知 さ せ、 かく し て終 戦 を 意図 す る 人物 を 支持 し て東条 政 府
かな 万事 が う まく 行 か な か った事 態 に対 す る 、重 臣 の深 刻 な憂 慮 の 増 大 を 全面 的 に支 持 し たも のであ った 。 一方 、 迫 水 久常 は、戦 争 の思 わし く な い実 相 を、 政府 外 の重臣 た
一 敗北 に直 面し た 日本 は、連 合 国 の条 件 をそ のま ま受諾 す る こと
以 外 には、 日本 自 身 を救 う 方 法 はな いこと をす で に承 知 し て いた人
二 日本 は、 無 条 件 降伏 よ り は有 利 な降 伏条 件 を招 来す る こと を望
人。
み、戦 争 を 終 ら せる た め、 活 発な 対策 を 講ず べき であ ると 信 じ てい
ち に対 し て早 く から あ り のま ま伝 え て、 和 平 運動 の有 力な 推進 役 を
三 日本 の情勢 は絶 望的 であ ると は自 覚 し たが 、抗 戦 を最 悪 の事 態
た人 々。
ま で深 入り さ せず に、収 拾 の方途 を 見 出す た めに は東 条内 閣 を打 倒
つと め た実 例 であ る 。 一九 四 三︱ 四 四 年 の大 蔵 省や 内閣 の職 員 であ
報 の 一部 を提 供 し、 岡 田 はそ れ を他 の同志 、 特 に木 戸 に受 け 売 りし
す る外 はな いと考 え て い た人 々。
った 時 に、 彼 は 不利 な 戦局 の推 移 に つ いて義 父 の岡 田啓 介 提 督 に情
た。 岡 田 はま た東 条 首 相 に対 し て嶋 田 海相 を 更 迭す る こと が 政 府 の
無為 に終 った小 磯政 権
東 条政 権 の崩 壊 を も たら し た サイ パ ン島 の失陥 は、 戦争 指導 の主
第 三章
た め にも な ると 主張 し た。 以 上 の研 究 や行 動 は当時 の日 本 の実 情 に関 し 啓蒙 的 であ ったば か
る のを 助 け る こと にな った。 こう して 重要 な 具 体策 と し て加 え られ
たち を 失望 さ せ るも のであ り 、あ のき わめ て慎 重 な政 治判 定 者 と目
昭 の内 閣を 誕生 さ せ た。 だ が し かし、 こ の内 閣 は熱 心 な平 和促 進 者
り でな く、 ま た 間接 に東条 内 閣 の崩 壊 に対 す る 政治 的 圧力 を 強 化す
た、 そ の圧力 は次ぎ の よう なも のであ った。 ︹ 信介︺ 一 岸 商 工相 は七月 中 旬 に東 条 首相 から内 閣 改 造 のた め に辞 職 を求
の支 配 力を バ ラバ ラにく ず し、 平 和 に向 か って重要 にし て必 要 な措
であ る。 と は い って も、 小 磯 政府 は 指導 グ ル ープ と して の東 条派 閥
され て いた 木 戸内 府 が、 そ の選定 を 誤 ま ったも のと考 えら れ るも の
要 な 転 回点 と なり 、東 条 批 判 者と し て知 ら れ た退役 陸 軍大 将 小磯 国
め られ たが 、 これ を承 諾 せず 、 重光 外 相 と共 にむし ろ総 辞 職 を 主張
二現 内閣 の総 辞職 が 必要 であ り、 内 閣 の改 造 は 不可 であ る と 決議
し た。
し た重 臣 た ち の支持 の下 に、 米 内 は国 務相 とし て 入閣 し て欲 し いと
置 を と るた め の、 東 条 戦争 内 閣 から 鈴木 終戦 内 閣 への移り 変 わ りに
お言 葉 が和 平 を探 求 す る こと を意 図 さ れて い たと すれ ば、 “再 考 ”
べき で あ ると いう 御 注意 を 天皇 から与 えら れ た。も し この控 え 目な
結 にも 眼を 向 け て、 日 本 の現 情勢 に対 し “ 根 本 的 な再 考” を 加 える
東 条 の後 継 内閣 の首 班 に指 名さ れ た とき、 小 磯新 首 相 は戦 争 の終
おけ る やむ を 得な い過 渡的 な 段階 であ った かも 知 れな い。
いう 東 条 の要 請 を 拒否 した こと、 お よび 三重 臣 たち (特 に岡 田 ) と木 戸 に よ って積 極 的 に推 し進 めら れ た 海相 嶋 田繁 太 郎 の辞 任 要 求 は、 東条 を 強制 的 に退陣 さ せ る の に極 め 手 と な った 。 これ ら の措 置 は、 舞 台裏 の話 し合 いが表 面 にあ らわ れ たも のであ り、 同 時 に次 のご とき 和 平派 の連合 の存 在 を示 す も の であ る。
議 の構 成 の第 一の役 割り は、作 戦 指導 はも ち ろん の こと、 戦力 維 持
の方法 、 重要 な 経 済政 策 の決 定 、 戦争 を継 続 す る かど う かと いう よ
と いう こ とは、 結 局 の と ころ、 小 磯 内閣 では国 力 を徹 底 的 に結 集 し
う な最 高 政策 およ び計 画 の決定 と実施 に関 係 のあ る戦 時 内 閣と し て
海 軍両 軍 務局 長 ) に よ って 予 め お膳立 てを され て いたが 、 こ の最高
と いう 決定 に終 った こと か らし て、
てあ く ま で戦争 の完遂 を 期 す︱
戦 争指 導 会議 の協議 事項 は構 成 員 の間 で準 備 され た。 会 議 の決 定事
そ の権 限 を強 化 し たも のであ る。 審議事 項 は従 来 は二人 の幹事 ( 陸
こ の新 政 府 は、 全 体 と して 決 し てそ の使 命 を了 解 し て は いな か った
当時 、 す なわ ち 一九 四 四 年 の晩 夏 に お いて は、 日本 本 土 に対 す る
項 は、 最 終的 に実施 に移 さ れ る前 に は閣議 によ って 承認 さ れね ば な
こと が早 く も 明白 にな った 。
の生産 高 はす で にピ ー クを 過ぎ てお り、 船舶 の損 失 は甚 大 で、 現 存
猛 烈 な空 襲 はま だ 開始 さ れ て いな か った 。 し かし 、多 数 の重要 品 目
ら な か った。
き た。 最高 戦 争 指導 会 議 は閣 議 と 同様 に多 数決 で 物事 を 決定 す る の
ず から のご発 意 によ って最 高 戦 争 指導会 議 を特 に召集 す る こと が で
こ の会議 に は、天 皇 の御臨 席 を仰 ぐ こと が でき る し、 天皇 は 、 み
の産業 施 設 能力 のは るか 必要 量 以 下 に重 要 原料 の輸 入 は減 少 し てし
必 需品 の生 産量 の大き な 減少 に直 面 して いた。 戦 争 の成 行 き に対 す
で はな く、 全 体 の同意 あ る い は “全員 一致 ” を必 要と した。 一致 し
ま って いた 。 日本 は飛 行 機 、油 、 輸送 船 、鋼 材 、 石炭 の ような 戦 争
る国民 の信 頼は 依 然と し て まだ 強 か った が、 指 導 者 と “知 識階 級 ”
な か った 重要 問 題 は、 天皇 のご 選 定 に対 す る 二者 択 一の形式 を も っ
割 され た権 限 と統 制 権 、バ ラバ ラに細分 さ れ た責任 と 決 定 の所 在を
の戦意 は、 かな り 低下 し つ つあ った。 これ は主 と し てそ れ ま で の軍
熟 知 し て いた 人 々にと って、 ま た、 総力 戦 の必要 から 事 物 を 一元的
事 的敗 北 を 認識 し た こと 、諸 種 の困難 の増 加が 一般 に軍 部 に対 す る
小磯 新 内閣 の最 初 の仕事 の中 には最 高 戦争 指 導会 議 の創設 が あ っ
て天 皇 に申 し あげ る のを 例と し た。 日本 人 の島 国 根性 から生 じ た分
た 。東 条 政権 が 倒 れた 三 週間 後 の 一九 四 四年 八 月 五 日 に、 こ の新 し
に処 理 す る こと に対 す る過 去 の失 敗を考 え ると 、 この最 高戦 争 指導
不 信 とな って次 第 にひ ろが った から であ った。
い戦時 内 閣 と いう べき機 構 が 設 置 され た。 こ の会 議 の目 的 は発表 文
陸 相 、 海 相、 参謀 総 長、 軍 令 部総 長 ︱
結 さ せ る ため の政 治 的決 意 を 表 明す る こと にあ った の は確実 だ った
年 五 月 は じ めか ら 八月 の降 伏 ま で の、 日本 の 主要 問題 は、戦 争 を終
ど んな に強 調 し ても 差 支 えな いかも し れな い。 と いう のは 一九 四 五
あ る い は こ の委 員 会 (最 高 戦 争指 導会 議 ) の中 心的 重 要 な役 割 は、
会 議 は 一つのめざ まし い業 績 と し て受 け取 ら れな いこと も な い。
に応 じ て そ の他 の国 務相 や 参 謀次 長 と 軍令 部 次長 を列 席 さ せる こと
から であ る。 この期 間中 にお け る米 国側 の諸 作 戦が 、 日本 の軍事 面 、
首 相 、外 相 、
によれば 、 “戦 争指 導 ノ根 本 方針 ノ策定 及 政 戦 略 ノ 吻 合 調 整 ニ任
に な って い た (ただ し、 両 次 長 は両 総長 出 席 の場 合 には署 名 せず )。
経 済面 お よび戦 意 に与 え た影 響 は、 す で に行 な われ た 最高 の政 治 的
ズ” と いう も のであ った。 そ の会 議 は 六名 の構 成員 ︱
ま た こ の会 議 には幹 事 (三名 )が 置 か れ た。 こ の組 織 は 元来 は統 帥
で成 り立 って いたが 、 必要
部 と政府 と の間 の連 絡機 関 と し て設 置 され たも の であ るが 、 こ の会
に反対 の色 を強 め てい った和 平 派 に、 さ ら に強 い決意 を育 てさ せ る
た 。敗 北 と 困難 の累 積 は、 抗 戦 派 の非 妥 協 的な 態 度 に対 して、 次 第
軍 部 と の間 の争 闘 の上 に、 直 接 加 えら れ た から き わ め て重 大 であ っ
導 者 と、 これ に対 し 依然 と して 戦 争を 継 続 す る こと を 決 心し て いた
決 定 と、 ま たす で に抗 戦 以外 の道 を と る こと を決 意 し て いた 政 治 指
木 少 将 の外 は誰 も 加 え られ な か った。 取 り上 げ た いく つか の問題 は
始す る こと を命 じた 。 研究 は米 内海 相 、海 軍 次 官井 上 成美 中 将 と高
旬 、高 木 少将 を呼 ん で、 終 戦 のた め の対策 の研 究 を、 秘 か に再 び開
小磯 首 相 の下 に副 首 相兼 海 相 と な った 米内 は、 一九 四四年 九 月初
例 えば 賠 償 問 題、 “国 体” 護 持 問題 等 ︱
三和 平 の場 合 の世 論 お よび 戦 意 の動 向 。
要 求︱
を含 む 諸 問 題。
二 休 戦 に続 いて 日本 に課 せ られ る と考 え られ る 連 合軍 の種 々 の
一 終 戦 工作 を陸 軍 に同 意 し ても ら う た め の困難 さ 。
次ぎ のと お り であ る 。
し たが って こ の最 高戦 争 指 導会 議 が 設 置 され た と いう こと は、 一
に至 った の であ る。
つに は日本 の開 戦 か ら の戦 争 の遂 行 にお い て、統 帥部 と 政府 と の提 携 や 連合 が 、 爾後 い か にお 互 い に信 用 を しな く な り、 こ の相 互 の不
よび そ の代 理者 ) は、 今 や あ らゆ る 国家 政 策 、経 済 的 能力 に関 す る
の介 入 を許 さず 、 ま ったく の独断 で行 な って いた 二人 の幕僚 長 (お
戦 計 画 の実施 だ け に責 任 を 持 ち、 ま たそ の作 戦 計 画 の作 成 に は他 人
す る こと によ って 示 し得 るだ ろう 。 第 一に、 そ れ ま で は、 た ん に作
も あ った と いえ る。 この最 後 の点 の重 要 性 は次 ぎ の考察 事 項 を 列記
に向 って行 動 す る こと のでき た 指 導階 級 の再出 発 と いう 点 で成功 で
方 にお い て は、 日本 の陥 った苦 境 を打 開 す る の に、 権威 あ る、 目的
そ う と努 力 し た、 と高 木 少将 は証 言 し た。 し かし なが ら 、あ ら ゆ る
人 は情勢 をよ く 理解 し て おり 、 現 にそ の中 の数 名 は阿 南 陸相 を 動 か
陸 軍 の人 々と の連 絡も む ろ んと ら れ た。 陸 軍 士官 のう ち相 当数 の人
志 郎 大 将 や軍 令 部 次長 小 沢 治 三郎 中将 も こ の特 別 作 業 に加 わ った。
人 と の間 に開 かれ た。 かな り後 にな って から は、 軍 令 部総 長 及川 古
木 戸内 府 、松 平 康 昌内 大 臣 秘書 官 長 、 岡 田啓 介 提督 そ の他 多 数 の人
こ の研 究 が進 捗 す る に つれ て 、秘 密 打 合 せ の会合 が 近衛 文 麿 公、
を 天皇 のお耳 に入 れ ご 同意 を 得 る か の問題 。
四 天 皇 を通 じ て こ の目的 を 貫徹 す る た め、 いか にし て こ の運動
諸 問 題 、政 治 的現 実 問 題 な ど の検 討 にも 参 画 す る こと にな った 。 こ
和 平運 動 に対 す る陸 軍 の態 度 が 硬 化す る に つれ て 、陸 軍 側 の同 志 の
信 用 の清 算 を 迫 られ て いた か の表 象 であ り 証跡 であ った し、 ま た 他
の要 求 に ついて の問 題 にも 参 加 す る に至 った 。第 二 に、 会 議 は和 平
う し て 、軍 部 は終 局 的 に は、 政 治 、経 済 お よび民 間 より起 こる諸 々
これ ら の話合 い の中 で、 和 平 の条 件 に ついて は いく ら か意 見 の相
多 数 は、 統 制 上 と個 人 の安 全 の見 地 から 考 え方 を変 え てし ま った。
工 作 に つ いて は、 さ ら に い っそ う積 極 的 にな らね ば な ら ぬと 決意 し て いた数 名 の重要 閣 僚 を出 現 さ せ た し、 ま た 会議 は極秘 裡 に行動 す
ま いと 感 じ て い たが 、 一方 で は、 台 湾 と 朝鮮 だ け は日 本 の食 糧 供給
違が生じ た︱
源 とし てぜ ひ必 要 だ と論 ず る 人 々も いた。 国 民 の総 意 にま で盛 りあ
一般 には占領地域や領有地は残らず手放さねばなる
る 小グ ル ープ の主 導 を 通じ て、 天皇 と 直 接 か つ公 式 に接 触 し て、 和 平 を達 成 す る た め の基 礎を 強 固 なも のと し た。
あ り 、 可能 性 のあ る軍 事革 命 が 回 避 され るな らば 、 天 皇 を通 じ てと
げ る唯 一つの方法 は、 も し和 平 決 意 への 一致 が確 保 さ れ る見 込 みが
て お り、 直 ち に和 平 を 求 め る べき であ る と いう も のであ った。
れ た が、 重 臣 層 の 一致 し た意 見 は、 日本 は今 や確 実 に敗 北 に直 面 し
り 、 一九 四五 年 二月 に重 臣 た ち に、 個別 に戦局 観 に ついて ご下 問 さ
じ ま る以 前 か らす でに戦 争 は早 期 に終 結 す べき だ と いう意 見 を 抱 い
邇宮 稔 彦 王が こ のも く ろみ の主 唱者 であ ったが、 こ の工作 は重 臣と
る居 中 調 停 を通 じ て 和 平 工作 を 開 始 せん とす る計画 であ った。東 久
一九 四五 年 三月 中 に少な く と も 論議 さ れ た こと は、 重 慶路 線 に よ
いう のが 一般 の結 論 であ った。 岡 田 は こ の首題 に つ いて たび たび木
て い たと いう こと であ る。 高 木 は さら に次ぎ のよ う に 述 べ た。 ﹁こ
戸 に接 近 し た。 高 木 の証 言 によ れば 、 近 衛 公 は これ ら の話 合 いが は
れ ら の活 動 の結 果 と し て、 わ れ わ れ は陸 軍 の反 対 を押 し切 っても 、
の中 で の交 渉 相 手 と し て の中 国 は、 何 と い っても “共 栄圏 の隣邦 で
あ り 、 か つア ジア人 同 志 であ る” から 中国 の仲裁 は、 米国 への直 接
外 務 省 の 一部 にお いても あ る 配慮 と支 持を 受 け た。 そ れ は、 連 合国
た。 ﹂
も し 必要 な らば 革 命も 辞 せず和 平 工作 を やり と げ よう と 準備 し て い
も のと され た。 そ の後 、 こ の計 画 が いか に進 めら れ た か に つい ては、
満 洲 事 変以 前 の中国 国 境 ま で後 退 す る と いう こと に基礎 を 置 く べき
一部 は根ざ し てい た の であ った。 そ の条 件 は 、 日本 は 一九 三 一年 の
た し、 これを 希望 して 戦 争努 力 を 継 続 し、 か つこれ を 強 化す る こと
調 査 団 にと って 利用 す べ き 明白 な 証 拠書 類 は な いが 、 少な く とも 一
の呼 び かけ より も、 はる か に時 宜 に適 し て いると いう 単純 な考 え に
であ った。 しか し和 平 派 の判 断 が 正 当 であ った こ と は、 そ の後 の航
平 和 論 者 た ちは 小磯 政 府 内 に、 可能 の限 り 働 き かけ たが、 し かし
空 兵 力 お よび 船 舶 の消 耗、 基 礎 産 業 の生 産 高 の減 少 、 そ の間 極 度 に
内 閣 の方針 は、 戦 局 の好 転 を つか んで 妥協 平 和 を 求 める こと にあ っ
低 下 し た国 民 生活 の水 準 に よ って 論証 され る こと にな った。 と か く
こ の 一般 的 に絶 望 的 な状 況 、 そ し て政 府内 外 の指導 者 の重要 人物
たこ と は注 目 す べき こと であ った。
る マリ ア ナ基 地 から の最 初 の空 襲 (一九 四 四年 十 一月 )が 指 導 者 た
た ちが 平 和 運 動 に眼 を向 け 、 和 平 工作 を 開始 して い ると き、 他 方 、
九 四 五年 三 月 ま で に、 特 別 な和 平 交 渉 の開 始が 内 閣 の議 題 に のぼ っ
ち の態 度 に深刻 な 影 響 を与 え た 。 指導 者 た ち の間 には特 に この 空襲
小磯 内 閣 が 一九 四四 年 の秋 に終 戦運 動 を やら な か った理 由を 探 求す
す る う ち に、 フ ィリピ ンの喪 失 の脅威 と 結 び つい た日本 本 土 に対 す
の生産 部 門 への脅 威 、国 民 戦 意 の低下 お よび 当 時 す で に壊 滅 寸前 に
る こと は意義 が あ る。 戦 争 の初 期 から の戦 争 続 行支 持 派 の メンバ ー
に陸 軍 省 、陸 海 軍 の中 堅 幹 部 や 政府 部 内 の 一部 官僚 のな か に依 然 と
あ ったド イ ツと 同 じ 運命 に立 ち到 る ので は な いか と いう 恐 怖 が渦 巻
一九 四 四年 十 二 月 ま で に、木 戸 、 近衛 、 米 内 、 岡 田、 平 沼等 を 含
し て大 き な勢 力 と し て残 って い た。 こ の人 々 は、革命 あ る い はク ー
た ち は、 も は や強 力 な支 配 勢 力 で はな く な って い た にせ よ、 いまだ
む 重 臣 グ ループ の間 の秘 密 会合 が 屡 々開 かれ 、和 平 に対 す る緊 急 の
デ タ ー の明 ら かな脅 威 を 包 蔵 し て い ると、 民 間 の指 導 者 や皇 室 関係
い て い た。
要 望 から生 ず る諸 問 題 を 話 し合 った。 天皇 はみず から のご 発意 に よ
素 は、 爾 後 の戦争 指 導 と 小磯 内 閣 の重 要 政 策 の決 定 を 左 右 し た ので
の有 力者 は推 測 し て いた のであ った。 かく し て こ の よう な 心理 的 要
ま った ので あ る。 政 府 部 内 の官 僚 の 一派 は、 も しも 実際 の事 態が 明
の真 実 から 国 民 の眼 を 覆 う て しま い、 国民 を 現実 から遊 離 さ せ て し
に はあ る のだ と誇 張 した 報 道政 策 が 、 日本 のあ り のま ま の軍 事情 勢
ら か にな れば 、国 内 は混 乱 し、 “共産 革 命 と 無 秩序 状 態 ” が 発生 す
あ った。 1 日本 の指導 者 たち は、 日 本が 戦 争 を 始 め た の は、 国 家 の 自 存
そ の形 成 を 決定 し て い った の であ った。 そ し て こ の相 互 関 係 は、 政
制 が とら れ て い た。 そ し て これ ら の相 互 関 係 こそ が、 政 策 の表 現 と
こ の よう に 支配 階 級 ( 軍 部 の抗戦 派 ) 間 には、 き わ めて 見事 な 統
る か も しれ な いと 恐 れ て いた。
の原 則 を 日本 に強 要 せん と し た のであ って、 決 し て自 国 の危 急 存 亡
こ んで お り、 一方 これ に反 し米 国 は、 た ん に経 済的 利 益 追求 と 一連
自 立 そ のも の のた め に のみ戦 わ ん と し た のだ と、 いず れ も深 く 信 じ
のた め で はな か った のだ と、 日 本側 が これ ま た信 じ て いた こと は明
府 の最 高 首 脳 部と 軍 部 が敗 北 を 承認 し、 最終 的 に降 伏 を 受 諾す る と
四月 一日 の米 軍 の沖 縄上 陸 は、 た ちま ち 四月 七 日 にお け る小 磯 内
と は、 少 な く とも 一時 逃れ の行詰 り に終 って しま った のであ った 。
く とも 部 分 的 に説 明 し う る根 拠 であ る。 結 局、 小磯 内 閣 のな し た こ
いう政 治 決定 に い たる ま で の、 異常 なま で の長 い時 日 の経 過 を少 な
ら かであ る。 2 日本 は自分 が 始 め た戦 争 を終 結 させ る た め に は、外 交 交 渉 に
過 去 にお いて、 日 露 戦争 を 終 ら せ る の に示 され た も の、
よ る ほ か には、 何 ら 特 別計 画 は 持 って いな か った。 交 渉 に対 す る特 殊 な好 み︱
閣 の倒 壊 と な り、 引 き 続き 後 継首 班 と し て男 爵 鈴木 貫 太 郎提 督 の指
あ る い は 日支 事変 を 終 結 さ せる た め に米 国 に協 力 さ せ よ うと す る努
名 が行 な わ れ た。
が 、 日本 に連 合 国と 交 渉 を取 引 き す る こと が でき ると いう
力 等︱
3 無 条 件 降伏 に対 す る連 合 国 の条 件 を 発 表 し た カイ ロ宣 言 お よ
鈴 木終 戦 内 閣 の登場
当 時 の政 治 情 勢 に対 処 し て、最 上 の指導 者 を 選ば ね ば な ら ぬと い
第 四章
希 望 を持 続さ せ て い た のであ った。
び カ サブ ラ ンカ声 明 は、 日本 の指導 者 た ち に と って は、 課 せら れ る べ き現 実 の最終 条 件 を 示 した も ので はな く て、 いわば 意 志 表 示 の域
当時 の日本 の事 態 を 処 理す る には、 事 物 を根 本 的 に再 検討 す る こと
う木 戸 の判 断 が 鈴 木 内閣 を 誕 生 さ せ た。木 戸 内 府 は調 査 団 に対 し、
4 面 子 を 立 て よう とす る熱 望、 天 皇 制 を護 持 せん と す る 願 望 、
を 出 な いも のと、 な おも 軽 く考 え られ て いた ふ しが 十分 にあ る 。
が でき 、 か つ、 抜 群 の誠 実 さ と 不動 の個人 的 勇 気 の持 主 を必 要 と し
た人 物 を長 い間 心 が け て いた が、 木 戸 は少 な く とも ド イ ツが 戦 争 に
て い たと の べ た。 平和 論 者 の間 で は多 数 の人 々が小 磯 よ りも 傑 出 し
残 って いる限 り は、 日本 が 直 ち に戦 争 を終 結 さ せ る ため 堅確 でか つ
お よび こ の時期 に おけ る軍 部 と警 察 への恐怖 が 、 抗 戦 を続 け る こと
5 米 国 側 の成 功 と能 力 は最 小限 に見 せ よう と す る 一方 、 日 本 側
に賛 成 し て いる人 々を 大 い に支 持 し て い た。
の損害 の事 実 を陰 蔽 し、 有 効 な 大作 戦 を 実施 し得 る 軍事 能 力 が 日本
るだ け十 分 に強 力 に行 動 でき な か ったた め に達 成 さ れ な か った。 鈴
し て の積 極 的 な措 置 に対す る希 望 は、 主 と し て 小磯 が 軍部 と対 抗す
ら さ れ る にち が いな いと信 じ て いた。 と に かく、 小 磯 将 軍を 後楯 と
積 極 的 な措 置 を 強行 しよ う とす れば 、 必ず や クーデ タ ー の危 険 にさ
﹁日本国力の現状︱
の写 し は、 一九 四下 年 十 一月 に米内 海相 から 調査 団 に提 出さ れ たが 、
る 日本 の現 状 から の推定 に基 礎 を置 く も ので あ った (こ の調 査 資料
と 損傷 、 最 悪 に近 い食 糧事 情 およ び国 民 の勝 利 確信 の動 揺等 に対 す
か ったが 、 そ れ は航 空機 の生 産 力 を失 った こと 、甚 大 な 船舶 の喪 失
戦 争 を継 続 す ゐ こ と はむ し ろ 不可能 であ ると の結 論 に達 す る外 はな
一九四五年六月上旬現在﹂ として翻訳 の上 付
か続行 す る か で はな く て、 ど のよ うな 方 法 で い か にし て 迅速 に終 戦
木 提督 が首 相 に指 名 さ れ た時 、 木 戸 は問 題 は も はや 戦 争 を終 ら せ る
録 と し て添付 さ れ てい る)。 こ の判 断 資料 に同 意 し た鈴 木 首 相 は こ
第 であ り ます ﹂、 と 調査 団 に対 し述 べて いる。 こ の期 待 を 遂 行 せ ね
け る こと が、 私 に寄 せ られ た 天皇 のご 期待 であ る ことを 了 解 し た次
終 戦 の方 法 を論 議 し は じ めた 。 同時 に 正規 の会 議 の開 催 と は別 に、
日 以前 に)、 首 相 の意 向 によ り最 高 戦争 指 導会 議 (六 巨 頭 だ け) が
五月 の前 半 に (海軍 軍 令 部 総 長豊 田副 武 大将 の言 明 に よれば 十 八
れ を後 日 、最 高 戦 争指 導 会 議 に提出 さ せ る こと に した 。
に持 って行 く か と いう こ と であ った と証 言 し た。 鈴木 提督 は内 閣 首 班 と して 組閣 の大 命 を 受 け た と き の 気 持 を 、
ば な ら ぬ鈴木 首 相 は、 非 常 に困難 と 感 じ た立 場 にお かれ て いた の で
め られ た。 こ の問 題 で は東 郷外 相 が指 導 的 役割 を 演 じ た。 元 首相 広
適 当 な時 機 に ソ連 の仲 介 を 得 る た めに六 巨 頭だ け の極秘 会 談 が はじ
﹁でき る限 り速 や か に戦 争 を 終 結 に導 く た め に、 あ ら ゆ る 努 力 を 傾
あ る。 と いう の は、 一方 では 、天 皇 から与 え られ た 戦争 終 結 の準 備 をす る任務 を 全 力 を つく し て実 行 せね ば なら な か ったが 、他 方 で は、 も し こ のよう な 和 平運 動 を 天皇 、 鈴 木 首相 の ほか の誰 かが洩 れ聞 い
使 が 派 遣 され る こ と に つ いて の予 備交 渉 をす る よう 訓令 を 受け て い
日 ソ関係 の改善 と終 戦 に関す る ソ連 の仲 介 を討 議 す る た め、 日本 特
た にち が いな か った の であ る。 つま り 、鈴 木 は統帥 部 、 一般 的 意 味
た。 戦争 を 終 ら せ るた め の特 別 の条件 は こ の時 期 に はま だ は っき り
田弘 毅 は ひそ か に米 国 と の間 の調 停 に関 し、 駐 日 ソ連 大 使 ヤ コブ ・ ︹ 尚武︺ A ・マリ クを 打 診す る よう 依頼 さ れ、 一方 、 モ ス ク ワの佐 藤大 使 は
に おけ る政 府 お よび 国 民 と共 に戦 争継 続 への努力 と決 意 の強 化 を 図
にせ よ、 “開 戦前 の状 態 よ り は悪 くな るだ ろう” と いう こと は覚 悟
と 頭 を出 し て い な か ったが 、 最 高 戦争 指 導会 議 は ど んな 結 果 にな る
た とす れば 、 鈴 木 は 主戦 論 者 から 襲 撃 され 、 おそ らく 生 命 を奪 わ れ
らね ば なら ぬ 一面、 同 時 に 反対 に “ 外 交 的 措 置 や利 用 で き る何 ら か
そ れ は 一つ の宣 言 と し て 受 け取 ら れ て いた ので あ り、 そ の条項 は交
言 の条 件 は現実 に は適 用 され な いだ ろう と 感ぜ られ て いた。 つま り、
し て い た。 ポ ツダ ム宣 言 は まだ 発 出さ れ て いな か ったが 、 カイ ロ宣
の手 段 を通 じ て ”、 戦 争 を終 結 さ せ る た め に他 の国 々と 交渉 す る こ とを や って行 かねば なら な か った ので あ る。
の能 力 が戦 争 を継 続 す る のに十 分 であ るか ど う か に つい て調 査 をす
渉 によ って、 ま たも し戦 争 が 継 続 した 場合 には、 確 実 に “大き な犠
鈴 木 首相 は組 閣直 後 に迫 水 書 記官 長 に対 し 、 日本 の戦争 能 力 と そ
るよ う命 じ た。 五月 上旬 にま と ま った調 査 の結果 によ れば 、 日本 は
指 導会 議 の和 平 論 議 に対す る彼 の反 対 に つ いて は厳秘 にし て これ を
し て いた 豊 田軍 令部 総 長 に割 れ て い た。 し か し豊 田も また最 高 戦 争
定 す べき 御前 会議 の開 催 を 内閣 に要 求 し た。 こ の動 き は と り た て て
べ き かど う か に つい て、 ﹁ 今 後 採 ルベ キ戦 争 指 導 ノ基 本 大 綱 ﹂ を 決
争 が終 結 し た直後 の 五月 八 日、 陸 相 の阿 南 惟幾 大将 は戦 争 を続 け る
関 し ソ連 と の話 し合 いを 始 めん と す るも のであ った。 ヨー ロ ッパ戦
知 す べき 事 柄 で は な い。 軍 人 と いう も の は戦 争を 遂 行す る ことだ
関 し て話 し 合 いが 行 な わ れ て いる け れど も 、 それ は 一般 士 官 の関
軍 令 部次 長 には次 ぎ のよ う に言 渡 し てあ り ま し た。 “戦争 終 結 に
知 れ ま せん 。 私自 身 と し て は多 分 そ んな こと もあ ろ う かと 思 って、
上 層 部 の方 で は何 かや って い るな と感 づ いて いた 者 があ った かも
総 長︱
海 相 と 軍令 部
陸 軍 が戦 争 をや め る準 備 を し て いた こ と を示 す も ので はな か った。
け に全力 を つく せば よ い”。 こ の こと は陸 軍 の場合 も 同 様 だ った
って い た のは、 当 時 海 軍全 体 と し て、 ただ 二人 ︱
﹁ソ連 を 仲介 と す る和 平 の話 し 合 いが 進 めら れ て い た こ と を 知
他 に洩 ら す こ と はな か った。 豊 田 の証 言 は次 ぎ のと お り。
牲 ” を 連 合 軍 に払 わ せ るよ う な立 場 を獲 得 す る こと によ って か な り
こう し て 五 月 の前 半 の間 に、 二 つの別 々 の、 し かし相 互 関 係 のあ
緩 和 し得 るも のと 考 え ら れ て いた 。
る 主題 が 戦 時 内閣 によ って提 起 さ れ たが 、 そ の 一つは 日本 の戦 争 継
(そ れ ど ころ か陸 相 と参 謀 総 長 は抗 戦 の続 行 を 推進 し た。) し か しな
と信 じ ます 。 これが われ わ れ 二人 だ けが 和 平 討議 の限定 さ れ た知
だ け でし た。 た び たび 会 合が 開 か れ て いた ので、 海 軍 の
が ら こ の御 前会 議 開催 の要 求 は、 ド イ ツの崩 壊 後 に お いて のみ、 陸
識 を 持 って い た理 由 です 。﹂
続 が 可能 であ る こと を 扱 うも ので あ り、 他 のも の は、和 平 の仲 介 に
軍 当 局 が か か る問 題 を内 閣 で公 然 と考 慮す る こと を許 容 す る であ ろ
六月 はじ め から 戦 争終 結 ま で の 日本 におけ る政治 的 諸事 件 の物語
り は、 木 戸、 近 衛 、 平 沼 お よび そ の他 によ って確証 さ れ たと ころ の
う と いう 、木 戸 の確 信 を裏 書 きす るも のであ った 。 ま た こ のこ と は
な ったと いう こと が 、 い っそ う 重要 であ った よう だ。
木 戸 にと って は、 阿 南を 陸 相 に し た こと の賢 明 さ を確 認 す る証 拠 と
阿南 そ の他 の人 々を こ の調査 団 の質 問 に対 し て利 用 でき たと し た ら、
間 は な か った。 陸 軍 指 導者 たち によ る、 こ の和 平 運 動 反対 は、 も し
他 の人 々 によ ってと ら れ つつあ った積 極 的 な和 平 措 置 を阻 止 す る 時
木 内閣 を 総 辞職 のや む なき に至 ら し めた か も知 れ な いが 、 鈴 木 そ の
も (阿 南 は八月 十 五 日 に自 決 し た)、 ま た彼 自 身 の辞職 に よ っ て 鈴
断 に関す る も のであ った。 六月 六 日 に最 高 戦 争指 導 会 議 の六 名 の構
綜 合 計画 局 を 中 心と し て、 作 業 を は じ め た国 力 の現 状 と国 際 情勢 判
ま と め られ たが 、 これ は鈴 木 内 閣 成 立直 後 に首相 の命 に よ って内 閣
争 指導 ノ基 本 大綱 ﹂ の案文 を準 備 し た。 こ の外 に同時 に調 査資 料 が
衛 シ⋮ ⋮⋮ ” と いう 方 針 の記 述 によ って はじ ま る ﹁ 今 後 採 ルベキ 戦
迫 水書 記 官 長 は “飽 ヲ迄戦 争 ヲ完遂 シ以 テ 国体 ヲ護 持 シ、皇 土 ヲ保
く実 相 を 伝 え て いる 。御 前 会 議 の奏 請 に対す る阿南 陸 相 の要 求 の後 、
鈴木 、 米 内、 豊 田、梅 津 、 迫 水 の証 言 によ るも のが 、 と りわ け 詳 し
あ る い は調 査 上興 味 のあ る 別 の線 が出 てき た かも 知 れ な い。 海 軍 の
たと え 最 後 ま で阿 南が 無 条 件降 伏 に反 対 し て頑 張 って いた と し て
方 も、 む ろ ん和平 派 の代表 者 の随 一であ る米 内海 相 と 陸 軍側 と同 調
論 と して は 、 国民 を 奮 起 さ せる た め に何 か 思 い切 った措 置 を と ら な
を 長 時 間 にわ た り 検討 した 。 ︹ 吉積正雄、保科善四郎︺ な お、 こ の会 議 には特 に内 閣書 記 官 長、 陸 海 軍 両 軍務 局 長、 内閣 ︹ 池田純久︺ ︹ 豊田貞次郎︺ 綜 合計 画 局 長官 (以 上 四幹 事 ) と軍 需 相が 出席 し た。 こ の会 議 の結
成 員 は会議 を開 き ﹁今 後 採 ルベ キ戦 争指 導 ノ基 本 大 綱﹂ お よび資 料
長 に対 し て次 のよう に語 った。 ﹁今 日 は陛下 から わ れ われ が 内 心 考
決 意 し たと 証 言 した 。 会 議後 官 邸 にも ど った鈴 木首 相 は迫 水書 記官
のご発 言 の後 に、 鈴 木 首 相 は戦 争 を終 結 に持 って行 か ねば なら ぬと
派 道 され るこ とを 希 望 し て い ると いう こと であ った。 天 皇 の これ ら
それ から天 皇 は今 度 は、 構 成 員 たち に特 派 大使 を モスク ワ に派道
の時期 は、 は っき り は し な いけ れ ども 、 ポ ツダ ム会 談 以 前 に大 使が
でき ると 期待 し て いる 時 期 は い つかと お尋 ね にな った。 答 え は、 そ
た。 そ の会 合 に つい て豊 田軍 令 部 総 長 は次 ぎ のよう に のべ て いる 。
け れば 、 戦 争遂 行 力 は急 速 に衰 え る にち が いな いと いうも ので あ っ
え ても、 口 に出す こと が 憚 か られ る こと を率 直 に仰 せ られ て、 ま こ
二日 に いた り天 皇 はみず か ら のこ発 意 で最 高戦 争 指 導 会議 の六 名 の
し て まだ 自 分 の ほ んと う の考 え を述 べた 者 は いな か った。 六 月 二 十
を 見 た。 構 成員 の各 員 は それ ぞ れ 公式 の意 見 を の べたが 、 誰 一人 と
六 月 六日 の会議 に付 議 され た案 件 をあ ら た め て提 出 し て正 式 の決定
合 を開 いた 。 こ の御 前会 議 では特 に討 議 と いう こと は行 な わ れず 、
六月 八 日 に最 高 戦 争指 導 会議 の 六名 の構 成員 は天皇 臨 席 の下 に会
継 続 す る た め何 か やら ね ば なら ぬと いう こと でし た 。 ﹂
難 か し い こと だ か ら です 。 そ こで 採用 され た 決議 は、 この戦 争 を
の改 善 を は かり たき こ と、 2対 米 和平 の斡 旋 を ソ連 に依 頼 し たき こ
訓 令 さ れた 。 1中 立 条 約 の ソ連 側 よ り の廃 棄 通 告 に鑑 み、 日 ソ関 係
な 内 容 を要 求 し た の で、佐 藤 大 使 は次 のよう に使命 を説 明す るよ う
の申 入れ を さ せ る こと にな った。 ソ連 側 は特 使 の使 命 に つい て詳 細
は佐藤 大 使 に再 び 訓 令 し て直 接 モ スク ワの ソ連 外務 次 官 に特 使 派 遣
う こ と で、外 務 省 と ソ連 大使 と の会 談 は進 捗 し な か った ので、 政府
のか﹂ と ご督 促 にな った。 そ のこ ろ マリ ク駐 日 ソ連 大 使 は病 気 と い
のと こ ろだが 、 特使 を モス ク ワに遅 滞 なく 派 遣 すべ き 時機 で はな い
七月 七 日 に天 皇 は鈴 木 首 相 を お召 し になり ﹁も う七 月 上旬 ぎ り ぎ り
と し て の承認 が あ った ら、 彼 を モスク ワに派 遣す る こと を決 定 し た。
そ の後 政 府 は ソ連 と の会 談 を推 進 し、 も し近 衛 公 が 好 まし い人 物
と に有 難 い こと であ る 。 ﹂
﹁ 和 平 を 乞 う べき だ と いう 意 見 を述 べた 者 が 一人 でも あ った わ と いう のは 、そ んな に 大勢 の人 の列席 し て
構 成 員を 召 集 さ れ、 次 のよう な ご 発言 が あ った。 ﹁本 土決 戦 の 準 備
いる所 で、 そ ん な 風 に頭 を下 げ る べき だ と 主張 す る こと はと ても
け で はあ り ま せ ん︱
を 整 え る こと もも ち ろ んであ るが 、 ま た 一面 時局 収 拾 方に つい て考
出発 し たば かり で あ る から 、 二人 が モス ク ワに帰 着 す る まで 回答 は
ソ連 側 は七 月 十 三 日 に ス タ ーリ ンと モ ロト フが ポ ツダ ム に向け て
と。
下 のご見 解 とま ったく 同 じ 考え であ り、 それ ぞ れ そ の目 的 に向 って
出 せな いと返 事 し て き た。 一方、 七 月 十二 日 に天 皇 は近衛 を 召致 し
はど う か。﹂ こ のご 下 問 に対 し、 首 相、 外 相 、 海 相 は自 分 た ち も 陛
慮 す る こと も 必要 と思 う 。 こ のよ う な考 え 方 に ついて 構 成員 の意 見
手 段を 講 じ つ つあ る 旨 を お答 え し た。
ら の条 件 を直 接 天皇 に電 報す る よう指 令 され た 。近 衛 は、 ま た、 佐
て ひそ か にど ん な条 件 で あ ろう と これ を受 諾 す る こ と、 お よび これ
た。
し、 軍 部側 は まだ そ の宣 言 を受 諾 す る決意 を固 め る には 至 らな か っ
ツダ ム宣言 を受 諾 す べき 時 機 が や って来 た こと を話 し合 った。 し か
ポツ ダ ム宣 言 発 出前 の数 日 間 に、 鈴 木、 東 郷 、米 内 は ソ連 と の交
仲 介 と す る交 渉 の成 行 に関 し て は、 す で に非 常 な悲 観 論 が ひ ろが っ
への期 待 と希 望 が 一挙 にけ し 飛 ん でし まう まで続 い て いた。 ソ連 を
し たと いう 驚 く べき ニ ュ ー スが と ど いて、 ソ連 から の望 ま し い回答
これ ら の意 見 の相 違 は、 八月 九 日 の早朝 に ソ連 が 対 日 宣戦 布 告 を
藤 大 使 が ソ連 側 を 打診 し つ つあ った時 、彼 が ソ連側 は無 条 件降 伏 で な い限 り は和 平 の仲 介 を 考 え な いだ ろ う と報 告 し た こ とと、 こ の報
渉 に つ いて悲 観 的 と な った。 彼 ら三 名 は結 局 は何 か 回答 を 得 るだ ろ
て は いたが 、 さり と て政 府 は ソ連 を 相 手 とす る戦 争 は考 え てお らず
告 は天 皇 に大 き な 影響 を 与 え た こと を 証 言 し た。
う と は期 待 し たが 、も しそ れが 思 わ し く な いも のであ った ら、 残 っ
職 と、 ポ ツダ ム宣 言 を受 諾 し て終 戦 す る こと、 あ る い は対 ソ宣 戦 詔
た。 こ の時 、鈴 木 首 相 は こ の際政 府 と し て と るべき 措 置 は内閣 総 辞
書 の発 布 を仰 い で全 国民 の全滅 を 賭 して 戦争 を 継続 す る 、 こ の三方
軍 部 にし て も何 ら の強 力 な 反撃 計 画 を 持 合 せ て いるわ け で もな か っ
ポ ツダ ム宣 言 は七月 二十 六 日 に発 出 さ れ た。 早速 開 始 さ れ た そ の
はな か った であ ろう 。
声 明 に関 す る討 議 に際 し、 最 高戦 争 指 導会 議 の構成 員 は 一人 と し て
た唯 一つ の頼 み の綱 は、 直 接 に米国 に放 送を 通 じ て交 渉 す る よ り外
根 本 的 な 立 場 で終 戦 に 反対 し た 者 は いな か った。 鈴木 首 相 、東 郷外
直 ち に最 終和 平 条 件 と し て受 諾 され ね ば なら な いと感 じた 。 一方 、
意 を得 た も のであ った。 最 高 戦争 指 導 会議 の六 名 の構 成員 だ け の会
式 に よ って 戦 争を 終 結す る決 意 を示 した が、 そ の決 意 は天皇 のご 同
十 時 過 ぎ 、首 相官 邸 に戻 った 鈴木 首 相 はポ ツダ ム宣 言 を 受 諾す る方
鈴 木 首 相 は とも かく陛 下 の思 召 しを 伺 う べく 急ぎ 参 内 し た。 午 前
法 が あ る こと を考 慮 に置 い た。
阿南 陸 相 と梅 津 、 豊 田両 幕 僚 長 はそ の条 件 は “受 諾 し難 いも の”と
相 、 米 内 海相 は、 こ の宣 言 は そ れを 好 む と好 ま ざ る と にか か わ らず 、
将来 の地 位 に関 す る こ と、第 二 は戦 争 犯 罪人 の処 理 の問 題 、第 三 は
感 じ た。 議 論が たた か わさ れ た 問題 点 は 三 つあ った。 第 一は 天皇 の
そ の会 合 は以 前 の よう に次 の二 つの反 対 意 見 に分 れ たま ま行 詰 ま っ
議 が 午 前 十 一時 に招 集さ れ た 。 二時 間 にわ た る重苦 し い論議 の後 、
ルー マ ン大統 領 の宣 言 と、 広 島 に派遣 さ れ た科 学 者 の調査 団 が 実情
東 京 に対 す る最 初 の報告 は損 害 甚大 と のべ てあ ったが 、 軍 当 局 は ト
は降 伏 、 武 装 解除 の処 置 をと ら れ る こと な く自 主的 に撤 退 し た上復
諾 す る、 イ 連 合軍 は 日本本 土 の保 障占 領 はし な い、 ロ在 外 日本 軍 隊
ポ ツダ ム宣 言 を受 諾 す る、 二 、 一 の外 に次 の条 件 を付 し て 宣言 を 受
一、 国 体 が護 持 さ れ る こと を唯 一つ の条 件と し て、 他 は無 条 件 に
て し ま った。
を 確認 す るま で は、 そ れが 原 爆 であ ったと は考 え な か った。 八 月 八
八月 六日、 これ ら の論 議 の最 中 に 一発 の原 爆 が 広 島 に投 下 さ れ た。
日 本 の将 来 の “国 体 ” の型 式 と いう 問 題 で あ った。
日 の朝 、 東 郷外 相 は 参 内 し て原 爆 のこと を 上奏 し、 首 相と 今 こそ ポ
鈴 木 、 米内 、 東 郷 は、 第 一の意 見 に賛 成 し た のに対 し、 阿 南、 梅
員す る、 ハ戦 争 犯 罪 人 の処 罰 は 国内 に おい て処 理す る、 こと 。
津、 豊 田は第 二 の意 見 を固 持 し て対 立 し た。 こ の三対 三 に意 見が 分
府 はそ れ に従 う 所存 であ り ます 。﹂
陛 下 は それ から 自分 のご 意 見を 次 のよう に のべら れ た (以下 は再
あ る 。念 のた め に 理由 を 申 し て おく。 世 界情 勢 およ び 日本 の国 内
﹁わ たし の意 見 は、 さ き ほ ど から東 郷 の申 し て いる所 に 同 意 で
び 迫 水 が そ の後 趣 旨 を伝 え た も のであ る)。
ら 開 かれ た。 東 郷 外 相 お よび 阿南 陸 相 の報告 や説 明が あ った後 、 大
亡 させ るば かり で なく 、 世界 人類 を い っそ う 不幸 に陥 れ るも の で
現 状 に想 到 す る と、 これ 以上 戦 争 を継 続 す る こと は わが 民 族を 減
裂 し解 決 さ れ な いま ま、 閣 議 に移 る こと に な り閣 議 は午 後 二 時半 か
は陸 相説 (四 条 件) を 支持 し た 。閣 議 は結 論 に達 し な いま ま つい に
よび 国 際 世界 の平 和 を増 進 す る こと を念 願 し て来 た。 こ の際 速 や
あ る。 わが 祖 宗 と わ たし は常 に第 一の関 心事 と して 国民 の福 祉 お
部 分 の閣 僚 は外 相説 (国体 護 持 の 一条 件 のみ ) に賛 成 した が 、 一部
午 後 十時 と な り閣 議 は 一且休 憩 に 入 った。 こ の行 詰 り の状 態 にお い
か った。 も し戦 争 を 継 続す る にお いて は、 今 後 にお いても そ う い
か に戦 争 を終 結 さ せ る こと が 国家 を破 滅 から 救 い、世 界 の平和 を
て、 鈴 木首 相 は最高 戦 争指 導 会 議 に対 し て天 皇 のご 臨 席を 奏 請 す る
う 事態 が 起 こ る の で はな いか 。 し かし 、 わが 忠 良な 出 征将 兵 や 戦
こと を 決意 し た が、 これ は こ の御前 会 議 の席 上 で対 立 の見 解 が表 明
九 日 の午 後 十 一時 三十 分 に御 前 会 議 は開 かれ たが 、 六名 の構 成 員
野 に死傷 した 人 たち 、 本 土 の空 襲 に よ ってそ の全財 産 を 焼 かれ ま
回復 す る唯 一つの道 であ ると 思 う。 戦 争開 始 以 来、 陸海 軍 のや っ
の外 四名 の幹 事 と 平沼 枢 密 院議 長 も 列 席 し た。 ポ ツダ ム宣 書が ま ず
たは そ の生 命 を 失 った人 に思 いを致 す と き、 す べて の犠牲 者 を 思
た所 を 見 ると 、 計 画 と実 際 と の間 には非 常 に懸 隔 のあ る ことが 多
書記 官 長 に よ って朗読 され 、 それ から 東郷 外 相 が意 見 を陳 述 し、 次
う とき ま こと に悲 痛 の念 を禁 じ 得 な い。 し かも 堪 え難 き を堪 え て
され 、 これ に対 し て天 皇 ご自 身 の決 定 を仰 ぐ ことが 考 え られ た ので
い で 五名 ( 阿 南 、 米 内、 平 沼 、梅 津 、 豊 田) が そ れぞ れ 見 解 を の べ
連 合 国側 の条 件 をも 甘 受 し、 こ の際 ぜ ひと も戦 争 を停 止 せ ねば な
あ った。
た。 十 日 の午 前 二時 ご ろ、鈴 木 首 相 は迫 水書 記 官 長 の証 言 によれ ば
ら ぬと 決 意 し た。 ﹂
大 体 次 の よう に発 言 した。 ﹁す で に長 時 間 に わ た って こ の問 題 の論議 を 重 ね、 各 位 は そ れ
い状 態 で あ る。 そ こで前 例 も な く 恐れ 多 い極 みで あ るが 、 こ の際
そ の後 直 ち に全 閣僚 が 出席 し て首 相 官 邸 で閣議 が 再 開 され、 天 皇
決定 と いた し た いと存 じま す 。 ﹂
﹁御 思 召 の ほど はう け た ま わり ま し た。 只今 の聖断 を 本 会 議 の
陛 下 のお 言葉 が 終 る と、 鈴 木首 相 はう やう や しく のべ た。
陛 下 の思 召 を伺 い、 それ に基づ い て会 議 の決定 を得 た いと 思 う 次
の大権 を 変 更 しな いと いう こと を条 件 と し てポ ツダ ム条項 を 受 諾す
し か し、事 柄 はき わ め て重 大 であ り、 ま た 一刻 の猶 予 も 許 され な
ぞ れ熱 心 にご意 見 を述 べら れ たが 結 論 は つい に得 られ な いで い る。
第 であ り ま す。 陛 下 のお考 え が こ の問 題 を 決す る であ ろう し 、政
ると いう最 高 戦争 指 導 会議 と 同 じ議 決 を満 場 一致 で 承認 し て閣議 決
いは和 平 決 定を 無 効 に せん とす る抗 戦派 の絶体 絶命 の努 力 から 来 た
皇制 を 護 持 せ んと す る代 表 的な 真 剣 な試 みから 生 じ たも のか、 あ る
この持 ち 出さ れ た 異議 が 、語 義 に関す る日本 側 の関 心 を 通じ て天
も の か、 あ る い はま た、 も し天 皇 の地位 が 十分 に保 有 さ れ な い場 合
定 と し た。 十 日 の午 前 七時 ご ろ米 国 に伝達 を 依頼 す るた め、 こ の決
に起 こり 得 る軍 事 革命 への恐れ から 出 たも のかど う か は明白 でな い。
定 に基 づ く通 告が スイ スに電 報 で打 たれ た。 米 国 の 回答 は十 二日 の 午 前 四 時 ご ろ サ ンフ ラ ン シス コ放送 を 通 じ て、 公式 に は十 三 日 の午
会 を 米国 に要 求す るよう 外 相 に懇 請 し て深 夜 ま で首 相官 邸 に坐 り こ
十 三 日 の閣 議散 会 後 、 二人 の幕 僚 長 はも っと "正 確な " 回答 の再 照
ん だ。 し か し、 外 相 はそ う す る こと は提 示 し た条 件 の拒 絶 とし て解
に よ って検 討 され 、 日 本 の公 式 回答 は十 三 日午 後 三時 ご ろ 閣議 に提 示 され た 。閣 議 は大 多 数 が受 諾 に賛 成し て 午後 七 時 に散 会 し たが 、
釈 さ れ るだ ろう こと 、 ま た、 そう す れば 、 日 米両 国 間 の せ っかく の
前 七時 ご ろ受 信 され た。放 送 によ る 回答 は直 ち に最 高 戦 争 指導 会 議
豊 田軍 令 部総 長 の回答 に対 す る異 議 は次 のよ うな も のであ った。
で 開 催 でき るが 、 政 府 と して奏 請 す る 場合 には首 相 の外 に陸海 両 幕
と こ ろで 従来 は御 前会 議 は天皇 の方 から お 召し を いた だ けば そ れ
し て これ を 拒 否 し た。
連 絡 の いと ぐ ちも ぶ っ つり 切れ てし まう こと にな るば か り だと 主 張
結 局 陸 相 と両 幕僚 長 の三名 が 再 照会 論 を強 く 主張 し て譲 ら な か った。
﹁天 皇 の地 位 の問 題 に つい ては、 米 国 の回答 は直 接 に は 何 ら 触 れ る所が なく 、 そ の代 り に、 天 皇 と 日本 国政 府 の国家 統 治 の権 限
僚 長 から も 奏 請書 類 に署 名 花押 を も ら わね ば なら な か った 。 し かし、
は、 連 合軍 最高 司 令 官 の権 限 の下 に置 か れ ると だ け述 べてあ り ま し た。 そ の日 の会 合 の論議 の焦 点 は天 皇 の地位 に関す るも のでし
み はな い と判断 し た迫 水書 記 官長 は、鈴 木 首 相 に対 しき わ めて異 例
たが 、 そ れ は天皇 は生 き て い る神 (現 人 神 ) であ って、 現 世 に住
で はあ るが 陛 下 の方 か ら お召 し を いた だ い て御前 会 議 を開 く外 はな
いで最 高 戦 争 指導 会 議 を開 く こ と は奏 請 に両総 長 の同意 を 得 る見 込
位 の下 に置 く な ど と いう米 国 政 府 の回 答 の文 句 は、 日本 国 民 はと
いと 進 言 し た。 これ に同 意 した鈴 木首 相 は次 の日 の朝、 十 四 日 の午
十 三 日 の 六巨 頭 会談 の情勢 では、 十 四 日 に正 式 に陛 下 のご 臨 席を 仰
て も容 易 に受 諾 し な いだ ろう と いう こと が懸 念 さ れ ま した 。 ⋮⋮
む 者 で天 皇 の上 に位 置 す る者 は絶 対 にあ って はな ら な いと いう の
⋮ つま り、米 国 側 の提 案 の文 句 を そ のま ま 受諾 す る こと はど うも
が 日本 人 の信 念 であ った から です。 天 皇 を 占領 軍 最高 指 揮 官 の地
困 難だ ろう と思 わ れ た ので、 そ の困難 を 取 り除 く た め に提 案 が会
の範 囲 も構 成 員 の外 幹 事 、全 閣僚 お よび 平沼 枢 密院 議 長 とす る よ う
と にな った。 出 席 者 は鈴 木 首相 と 一二名 の閣僚 、陸 海 軍 両幕 僚 長、
こう し て、 最 後 の御 前 会議 は八 月十 四 日 午前 十時 に開催 され る こ
お願 い申 しあ げ た 。
前 八時 ご ろ ひそ か に参 内 し て こ の旨 上 奏 の上 お許 しを得 て、 お 召 し
に は日本 政 府 に与 えら れ る も のと す る。 そ し て内 閣 か ら 天皇 に伝
議 に持 ち出 され ま し た︱︱ そ れ は最高 司 令 官 の命 令 や指 令 は直 接
いう 風 に はでき な いも のだ ろ う かと いう こと で し た。﹂
え ら れ る⋮ ⋮⋮ 天 皇 はそ こで終 戦 に関 す る責務 を 実 行す る︱︱ と
枢 密 院 を代 表 す る平 沼議 長 、 陸 海 軍 両軍 務 局長 、 内閣 綜 合 計画 局 長
す る ため に こ の会 合 を召 集 され た も のであ るが、 各 位 は腹 蔵 なく 意
抗 戦 に ついて 思 い めぐ ら して いた人 々にと って は、 日本 に降 伏 を 強
った 狂信 的 な 日本 の兵 士 たち に象 徴 され る 、 日本 全体 の死物 狂 い の
A .そ の絶体 絶 命 のた こ つぼ から狩 り 出 され る ま では、 頑 強 に戦
の要素 を 評 価す る ことが 残 さ れ て いる。
見 を開 陳 さ れ た いと発 言 し た。 阿 南 陸相 お よび梅 津 と豊 田両総 長 は、
い って も、 太 平洋 戦 争 に おけ る 米国 側 の目 的 は、 日 本 の責 任あ る指
要 す る 可能 性 と いう も のは、 殆 んどあ り 得 な い よう に見 え た。 と は
官、 書 記 官 長 の 二〇 名 であ った 。 首 相 は、 陛 下 は米 国 の回 答 を熟 考
米 国 の 回答 は内 容 に不満 、 不審 の点 があ り再 照会 の上 さら に具体 的
い時 機 に このよ う な自 認 を 日本 側 に強 要納 得 さ せ る ことが 米 国側 の
導 者 た ち に敗 北 を 説 い てそれ を 自 認さ せ る にあ った。 でき る だけ 早
な 回 答 を望 ん で いる こと 、 も し条 件 が改 善 され れば 格 別、 さ も なけ れ ば この際 、 死中 に活 を求 めて戦 争 を 継 続す る 外 なし と の べた。 以
﹁外 に別 段 意 見 の発 言が な け れば わ たし の考 え を 述 べ る。 わ た
民 と 支配 階 級層 と の間 に相 違 があ った。 こ の指 導 者 た ちと 民衆 の戦
状 態 と関 連 し て いる 。 日本 の場合 にあ っては、 そ の精 神 面 は 一般 国
総力 戦 にお い ては、 政 治 的 目標 の性 格 は相 手 の政治 的機 構 と精 神
攻 撃 の目 的 とな って いた。
上 の三 名以 外 は全員 受 諾 に同 意 し た。 そ れ から 天皇 は迫 水 によ って
し の考 え は こ の前申 した こと に変 り は な い。 ⋮⋮ ⋮ こ の際先 方 の
引 用さ れ て いる よ う に次 の要 旨 のお言 葉 を のべら れ た。
回答 を そ の まま 受諾 して も よ ろし いと考 え る。 ど う か皆 も そう 考
の最 高 指導 者 層 によ る政 治 に慣 らさ れ てき た 。高 圧 的 な警 察 力を 背
意 の高 低 の差 は 重要 な考 慮 事 項 であ った。 し か し日 本 は長 い間 少 数
﹂
景と し て、 指 導 者 の意 図 お よび 気持 を 民衆 のそ れと は関係 な く つく
え ても ら いた い⋮
はさ っそく そ の起 案 を し ても ら い た いと 述 べら れ、 ま た、 国 民 に呼
の見 積 り の中 で は大 し て重 要 な要素 で はな か った。
りあ げ る こと が 可能 であ った。 そ こ で国 民大 衆 の戦 意 は指導 者階 級
天 皇 はそ れ か ら、 こ の際 終戦 の詔 書 を 出す 必 要 もあ ろう から政 府
し出 ら れ た。 そ こで閣 僚 はそ ろ って首 相 官 邸 に戻 り、 閣 議を 開 いて
広大 な 領 土を 手 に入れ 、 そ の征 服 を強 固 にす る 必要 性 だけ は痛感 し
るを 得 なく な った。 日本 の進 撃 は挫 折 し たけ れど も 日本 はそ の間 に
ビ ー、 ガダ ルカ ナ ル におけ る 敗 北後 は、 日 本 は戦 略 的守 勢 を続 け ざ
土 拡 張 に大 きく 傾 いて い た。 し かし、 ミ ッド ウ エー、 ポ ート モレ ス
の精 神 状 態 は盲 目的 に排 外 色 一つ に塗 り つぶ され 、 か つ攻勢 的 な領
開 戦 に際 し ま た初 期 の戦 局 を通 じ て は、指 導 者 た ちと 国民 の双方
び かけ る こと が よけ れば 、 自 分 は い つでも マイ クの前 に立 つと も 申
ポ ツダ ム宣 言 を 受諾 、 戦 争を 終 結 す る旨 の閣 議 決定 に全 閣員 異 議 な
本 土 戦略 爆 撃 と 政 治的 目 標
く 署名 し 、 こう し て無 条 件降 伏 は正式 に受 諾 され た。
第 五章
って 示 され た そ の政治 的 目標 の性 質 のあ らま し を説 明す る こと 、次
て い た。 そ の後 はと いえ ば 結局 のと こ ろ、 日本 側 は連 合軍 の反 攻 の
これ ま で述 べ た日本 国 内 の諸 事 件 の経 過 概 要 から、 まず 日 本 に よ
には 日本 の抗戦 意 志 の低 下 に対 す る戦 略爆 撃 の成功 に寄与 し た 各種
に封 鎖 され た戦時 経 済 は崩 壊 に瀕 し、勝 利 への早期 の希 望 は敗 北 の
の艦 隊 と航 空 部 隊 は致 命 的 に減 少 し てし ま い、 も とも と 不 十分 な 上
圧 力 下 に、 そ の本 土が 直 接 攻撃 の脅 威 にさ らさ れ る こと になり 、 そ
こ ろで、 いよ いよ降 伏 と いう 瀬 戸際 には 別 に国民 が強 く 降 伏 を求 め
か らあ ま り前 方 に離 れ すぎ て行 動 す る ことを 好 ん で いな か った。 と
っと以 前 にす でに崩 れ 去 って いた 。然 し なが ら 、指 導 者 たち は世 論
日本 の政治 指 導者 たち の抗 戦 意 志 は国 民全 般 の戦 意が 低下 す るず
われ て お り、 お そら く驚 愕 は免 れ なか った にせ よ、 一部 の指導 者が
恐 怖 感 に よ って置 き 換 え られ る に いた った。 そ し て つ いに は抗 戦 へ
恐 れ て い たよう な 積極 的 な 反 対 は別 に 示 さず に、 天皇 の終 戦 の詔勅
る よう な こと はな か った にせ よ、 国 民 の勝 利 への確信 は全 面的 に失
日 本 の抗 戦 意志 、 す な わ ち米 国側 の戦 略 爆 撃 の中 心 と な った 攻撃
の絶 望 的 な決 意 だけ が 残 る こと にな った 。
目 標 は、 主 と し て日 本 の軍 事能 力 、 国 民 の戦 意 お よび 天皇 制 の護 持
をそ のま まお と な しく 受 け容 れ た 。
の指導 者 たち の決 意 に影 響 を 及ぼ したも の は、 た んに本 土 防衛 に任
す る 障害 物 と し て作 用 し た。 こう し て、 戦 争 を継 続 せ んと す る 日本
本 本 土 に対 す る進 攻な し の無条 件 降伏 に対す る真 の基 盤 と 理由 を説
露 さ れ た上 無防 備 な状 態 に置 かれ てい た のであ るが 、 そ の事 実 は 日
そ れ は、 日 本 に存 在 し て いた政 治 的 目的 は、戦 略 爆撃 に対 し て は暴
さ ら に こ こで特 に取 りあ げ て強 調 せ ねば な ら ぬ 一つの事柄 が あ る。
な ど のよう な戦 争 指 導上 の政 治的 考 慮 に よ って維 持 さ れ て いた。 こ
ず る 航空 兵 力 の現 実 の損 失 ば か り ではな く 、 これ ら の航 空 兵力 が 増
明 す る の に大 い に役立 つも の であ る、 と いう こと であ る。 空 襲 に対
れ ら の諸 要 素が 抗 戦 を支 持 す る限 り は、 そ れ ら はも ち ろ ん降 伏 に対
強 さ れ る望 み のな い のは当 然 と し て、そ の補充 さ え 覚束 な いと いう
的 性格 に由 来す る も の であ る。 そ れ は結 局 のと こ ろ は、本 質 的 に は
す る政 治 的 目的 の脆 弱 性 は、 一部 は決 定 的 局面 におけ る 戦争 の基 本
米 国側 にと っては、 日本 の都 市 を 一つ 一つ焼 き 払 う こと 、 工場 を
希 望 そ のも のの消 滅 であ った。
片 端 から 全 部破 壊 す る こと 、飛 行 機 を 一機 残 らず 撃 墜破 す る こと 、
った から で あ る。 こ の観 念 は た ん に米 国 の作 戦 を指 導 す る戦略 の中
枢 であ ったば か り でな く 、 また 、 戦争 を終 結 さ せ るべき 政 治力 を 考
日 本本 土 上 空 の制 空権 を 獲得 す る た め の戦争 であ る ことが 明 白 にな
と は特 に必 要 で はな か った 。や ろう と思 えば これ ら の こと す べ てを
え 、そ し て それ を 成就 し た 日本 の指導 層 の中 心勢 力 によ っても全 面
あ る い は船 舶を 沈 め つく し 、 ま た は国民 の 一人 一人 を飢 え さ せ る こ
米 国 はや って のけ る こ とが でき た こと︱︱ 米国 は、最 後 ま で攻 撃 の
一九 四 四 年 の夏 から 秋 にかけ て、 ま たそ の後 の戦 争 の全 期 間 を通
的 に了解 さ れ か つ恐れ ら れ て い た のであ る。
あ った のだ 。 こ のよ う に、 降伏 への決定 に対 し て責 任を 持 って いた
じ て、 米 国 航空 兵 力 の各 種 の任 務 にわ た る 大規模 な 使 用 は、 日本 の
手 を弛 めな い能 力 と 意図 を 持 って いた こと を明 示 す るだ け で十 分 で
の大き な 圧迫 力 は日 本 の抗 戦を 無 力 なも のに した ば かり でなく 、 さ
日 本 の指 導 者 たち は 、戦 略 爆撃 から 二重 の衝撃 を 感 じ て いたが 、 そ
は無 理 から ぬ こと であ った 。と いう の は、 日本 の指 導 者 た ちが 熟 知
指 導者 に対 し大 き な説 得 力 をも って恐 怖 の念 を与 え続 け たが 、 これ
ら に また 将来 の抵 抗 の いか な る希 望 をも粉 砕 した も の であ った。
接 支援 を 与 え るや、 各 基 地 は 孤立 無援 に陥 り、 次 か ら次 へと 日本 軍
よ って、 基 地群 を封 鎖 して し ま い、 さら に米 軍 が 基 地占 領作 戦 に直
米 空軍 が これを 攻撃 し てそ の機 能 を奪 い、空 中 と 海上 から の増 援 に
力 の結 果 であ った から であ る。 ま た、 日 本 の主 要 な外 周 基 地群 は、
艦隊 や 航 空部 隊 の無 力 化 は、 殆 ん ども っぱ ら米 国側 の空 中 優勢 の威
し て いた よう に、そ れ な く して は有 効 な 防衛 が 実施 でき な い 日本 の
さ れ た。 米 国 の潜 水 艦部 隊 に よる 撃沈 量 は全 喪 失量 の五 五% にのぼ
れ て しま った。 日本 の戦 時中 の全 使用 可能 船 隊 の八 八% ま でが 撃 沈
であ った 。 日本 の造 船 能 力 は船 舶 喪失 量 によ って たち ま ち追 い越 さ
期戦 に応 じ得 るか どう かと いう のが き わ め て切 実な 問 題と いう べき
万 ト ン の船 腹 量 を も って日本 が 戦 争を はじ め て以来 、少 な く とも 長
にな ってい た。最 小限 の必要 量 に対 し て、 辛 う じ て間 に合 った 六百
な原 料 を搾 取 す る こと によ ってそ の能 力を 大 いに拡 張 し よう と躍 起
た。 こ のためす でに 原材 料 の面 で ひど い欠 乏 に苦 し み、制 限 を うけ
雷 投下 作 戦 を も って、 日本 の全喪 失 船舶 の四〇 % を沈 めると いうす
主 要港 湾 を 一つ残 らず 壊滅 さ せ たB 29重 爆 隊 によ って実施 さ れ た機
争 の最 後 の数 ヵ月 間 には重 要 な瀬 戸 内海 一帯 を封鎖 し、 日本 本 土 の
った。 米 国 の陸 海 軍 航空 部 隊 は、 海上 輸 送 の攻 撃 に より、 ま た、 戦
の手 から 失 われ て しま った。
て いた 日本 の戦時 生 産 は、 新 し い基 地 が昼 夜 を 問 わず 完 全な 封 鎖 を
ば ら し い功 績 を 収 め た。
一方 、 米 国潜 水 艦 に より 、 日本 商 船 隊 は撃沈 され 、 減少 し て い っ
料枯 渇 の追 い打 ちを 受 け た の であ る。 重爆 と 空 母機 に よる都 市 、軍
受 け るに いた る や、 空中 から す る海 上 交通 の切 断 に より、 さら に原
輸 送力 を さ ら に打 ち砕 き 、戦 意 を 低下 さ せ、 そ こで現 実 に総力 戦 の
さえ 思 う よう にでき ぬく ら い、 多 量 の油 を 日本 に利 用 さ せな いよう
乏 を生 み出 し た。 ま た、 日本 の艦 隊や 航 空隊 を行 動 不能 にし、 訓 練
安 定 な ま ま にし て落 着 か せず 、 さ ら に戦時 生 産を 制 限す る物資 の欠
封 鎖 は征 服 地域 の資 源開 発 を 足踏 み さ せ、 日本 の経済 を絶 えず 不
実態 をまざ まざ と 日本 国 民 の眼 前 に展 開 し た。 こう し て、 日本 の指
に輸 入 を 阻止 して し ま った。 これ ら の封鎖 の効果 は東 条 お よび小 磯
事施 設 、産 業 設 備 に対 す る猛 攻 は、 細 々と残 って い る資 源、 生 産力 、
導 者 た ちは米 国 の空 軍 力が 、 日本本 土 上 空 の制 空 権 を確 立 し たとき
両内 閣 の末 期 にお い て最高潮 に逮 し、 政治 情 勢 と密 接 に結 び つい て
抗 戦力 と 抗 戦希 望 の両 方 と も 失 ってし ま った 。 戦 争 を終 結 さ せ るに 至 った諸 々の事 件 に関 係 のあ った、 諸要
そ の倒 壊 をも たら し たも のであ った。 重 要物 資 の欠 乏 に よ って生 じ
B.
た直 接 の軍 事的、 経済 的 不如 意 は、 日本 の防 衛上 適 切 な戦 時 生産 を
ら び に経 済的 重 大 問 題を 惹 起 した 。海 外 依存 性 のき わ め て大 きな 島
因 で降 伏 に主要 な る役 割 を 果 した も のを 、 こ の報 告書 の第 二章 から
国 の国民 が 、常 にそ の重 圧 か ら免 か れる こと のでき な か った封鎖 に
完成 せん とす る に当 って、 結 局、解 決 す る こと のでき な い政 治的 な
一、 ア メリ カ軍 が行 な った 日本 の海上 交 通 の封 鎖 は、 島 国 であ る
対 す る脆 弱 さ に持 つ特殊 の感 情 は、 とり わけ 指 導者 に対 し て は、 そ
第 四章 ま で の各 章 で記 述 し たが 、 こ の間 の経 過 に、 そ の事 柄 を関 連
日 本 の根 本 的脆 弱 性 を利 用 し たも のであ る が、 日本 は 元来 が 先天 的
さ せ つつ、 別 々に のべ ると す れば 次 のよう に な るだ ろ う。
に、 第 二流 の資 源 を 持 つ国 にす ぎ な か った 。 し かし 征 服地 域 の豊 富
の地 位が 絶 望 的 とな って いく こと を 増 大 さ せて実 際 以 上 にそ れ を思 内閣 であ った。
にも って行 く よう 天皇 の特 旨 によ って組 閣を 命 ぜ られ た最 後 の戦 時
事 諸 作戦 の圧 力 と切 り 離 し て考 え る こと は妥 当 で な い。 封鎖 は他 の
的 な 働き を し たが 、 一方 、封 鎖 作 戦 を、 同 時 に行 なわ れ た 米国 の軍
二 、封 鎖 は日本 の戦 時 動 員 お よび 戦時 生 産 を絞 めあ げ る のに決 定
け で は なく 、 し たが って日本 の軍 事 的無 力 化 が 決 し て全般 的 には完
本 の地 上 兵力 と 神風 攻 撃 隊 の全部 を す っかり 消 耗さ せ てし ま った わ
の現 有兵 力 の損 失 は圧 倒 的 な も の であ ったが 、 米国 と して は まだ 日
勝 利 が得 られ た も の であ り 、 一方 、 日 本側 の海 軍 お よび基 地 航 空機
に よ って 指導 さ れ て おり 、 か つ空中 優 越 の確 保 に よ って輝 やか し い
米 国 の諸 作 戦 にお い ては 、制 空権 の獲 得 に対 し て は中 央部 の要 求
い こま せ、 敗 北 はも はや 必 至 であ る と いう 確 信 に拍 車 を か け る の に
諸 作 戦 と結 合 され て、 日 本 の軍 事 潜 在力 を 一個 の無 力 な る 残骸 に寸
あ ず か って 力が あ った 。
断 し た大 ば さ み の役 目 を つと め たか ら であ る。 日本 軍 の破竹 の進 撃
して撃 破 さ れ て は おらず 、 軍 部 の大 勢 を依 然 と し て支 配 し て いた考
え 方 も、 降 伏 決 意 に対 し て 死物 狂 い の抵 抗 を 続 け る こと にあ った。
成 さ れ た わけ で はな か った。 日本 の地 上軍 の主力 は実 際 に はま だ決
と は いえ、 マリ ア ナ失 陥 後 の 一九 四 四年 七 月 ︱ 八月 の頃 にな る と、
は これら の外 周陣 地 の防 衛 に対 し て 、重 要 な陸 海 空 の兵 力 を小 出 し に使 用す る過 失 を犯 した のに対 し、 米国 側 は空 軍力 を 集 中 的、 か つ
を 阻 止 し た初期 の抗 戦 に続く そ の後 の基 地 争 奪戦 に お いて、 日本 側
適 切 に使 用 し た。 こ のた め 日本 本 土 が直 接 の空襲 下 に置 か れ る以 前
陸 軍 の首 脳部 でも さ す が に最 後 の勝 利 の確 信 は抱 かな か ったが 、米
功 にせ よ戦 術 的 勝利 に せよ、 も しも そ の機 会 が与 え ら れ た場 合 に は、
国 のそ の後 の作 戦 に対 す る 反撃 によ って、 た だ 一回 の制限 さ れ た成
理 解 し か つ恐 れ て い たと お り、 航 空 兵力 を 有 効 に ま た大 量 に使 用 し
入れ る 好機 を つか み得 るかも 知 れ な いと いう 観測 を 下 し て いた よう
う ま く行 け ば 無 条件 降 伏 よ り は好 条 件 の下 に協定 に よる和 平 を 手 に
に、 早 く も 日 本海 軍 は撃破 され 、 航 空部 隊 も 弱体 化 さ れ る に至 った。
つ つあ ったが 、 日本 は こ の空 の優 越 に対 抗 す る適 切 な 防 衛 法を 持 た
これら の諸 作戦 を 通 じ て、 米 国 側 は 日本 側 の指 導 者 た ちが 十 分 に
な か った。 終 戦 の詔 勅 が 出 され るま で は、 はげ し い最 後 の抵 抗 の中 心 は陸 海 軍 の中 に存 在 し て い たが 、 東条 内 閣 の倒壊 と 引 き続 く 小 磯
以 前 にお い ても、 日本 の政治 指 導 者 た ち にと って は十 分な 説 得 力を
三 、本 土爆 撃 に対 す る 恐怖 はそ の直 接 の効 果が 実 際 に感 ぜ ら れた
に見 え る 。
サイ パ ン島 の失陥 直 後 に起 こ った こと は注 目 さ れ ねば な ら な い。 な
内 閣 に おけ る 和平 工作 グ ループ の活 動が 、 一九 四 四年 七 月 に おけ る
て の ニ ュー スは 一九 四 三年 に は 日本 に とど いた。 そ し て中 国 基 地か
ら す る九 州 や 本州 南 部 を 目標 と した B 29 の空襲 は 一九 四 四年 六 月 一
持 つも のであ った。 B 29 の出 現 およ びそ の遠距 離 爆 撃 の能 力 に つい
五 日 に はじ ま った。 七 月 はじ め の サイ パ ン島 の喪 失 と 共 に、 指導 者
お 、 パ ラ オ、 フ ィリピ ン、 硫 黄 島 にお い て日本 の防 衛 が 成功 せず 大
大 挙 し て沖 縄 に上 陸 し たが 、 小 磯 内 閣 は こ の危 機 に臨 み 、次 は順 番
き な犠 牲 を 払 った後 敗 北 し、 さ ら に 一九 四 五年 四月 一日 に は米 軍 が
と し て鈴 木内 閣 に後 を譲 って退 陣 し た。 こ の鈴 木 内 閣 は戦 争 を 終結
戦 略 爆撃 によ る 対 日攻 撃 時機 の選 定 は、 日本 の降伏 決 定 に当 ってそ
空 襲 と 同じ よ う な爆 撃 を 受 け る にち が いな いと いう 気 持 で あ った。
時 日本 の同 盟 国 のド イ ツに 対 し て浴 せ かけ て いた猛 烈 で粉 砕 的な 大
った が、 そ の要 素 の 一つは マリ ア ナ基 地 から す れば 日本 本 土 は、 当
の多 数 は全 面 的 に 日本 の終 局的 な 敗 北 に つ いて 確信 を 抱 く よ う にな
の両 爆撃 法 の併 用 によ って現 在 と、 明 白 に予 知 でき る 将来 の生 産損
く 示 す こと に よ って 日本 側 上 下 の戦 意 を 低下 さ せ、 精 密 お よび 地 域
に外 な ら な い。 戦 略爆 撃 は総力 戦 にお け る 不利 な立 場 を直 接 仮借 な
全 に制 空権 を手 に入 れ、 し か も それ を 十分 に行使 でき る こ と の立証
ても 暮 れ ても 、 日 夜 を問 わず 繰 り返 さ れ る本 土 空襲 は、 米 国 側 が完
に よ って、 降 伏 の決 定 に の っ引 な ら ぬ圧 力を 及ぼ した のであ る。
失 の致命 的増 大 を 図 り、 最 後 の抵 抗 の成 功 の希 望 を消 滅 さ せる こと
マリ ア ナ の失陥 後 で はあ るが 、 サ イパ ンから の最 初 の空 襲 が 一九
の役 割 り を十 分 に果 し たも のと いえ る。
と航 空 部 隊 は極 度 に弱 体 化 さ れ て お り、 政 府 と軍 部 に対す る "知識
は 、証 拠 と 後 知恵 は明 白 であ る。 も ち ろ ん、事 実 と し て は日本 は進
な 条件 であ った こと が 論 争 の的 にな った。 こ の複 雑 な問 題 に つい て
行 な われ な か ったと し て も、 降 伏 条件 の受 諾を も た らす ため に必 要
四、 日 本 が本 土 進 攻 な し で降 伏 を受 諾 し た時 、 この本 土進 攻 の脅
階 級 " の信頼 は消 失 し つ つあ り 、 民衆 の最後 の勝 利 に対す る確 信 も
攻 を 受け ず に降 伏 した こと と、 そ の陸 軍 の主力 は無傷 のま ま であ っ
四四 年 一 一月 に実施 さ れ る 以 前 に、 東 条 はす で に退陣 し て おり、 和
失 われ て いた。 一九 四 四年 の中 ご ろ ま でに食 糧 と 民 需 物資 の欠 乏 は、
た と いう こと であ る。 調 査 団 に対 す る証 言 は、 予 期 され た " 神聖な
つい て回 想 的 な疑 問 が 提起 され た 。進 攻 の脅 威 はも し現 実 の作 戦 が
低 下 し た生活 水 準 に そ の ま ま反 映 さ れ て いた。 そ こ で、 戦略 爆 撃 に
威 が 降 伏 決定 の上 に及ぼ し た効 果 が果 し て ど んな も の であ った か に
よ って行 な われ た実際 のす さ ま じ い破 壊 は、 す で に動 き 出 し て いた
日 本 本 土 の蹂 躙 ( 皇 国 不 可侵 信 仰 の崩 壌 )" が そ の以前 に お け る 降
は じ めて い た。 そ のこ ろ は戦 争 経済 はす で に そ の絶 頂 を過 ぎ 、 艦隊
和 平 への支 配力 を 助 け、 か つこれ を 推進 す る た め の加 速 器 の役 目 を
伏 決 定 を促 進 す る た め の若 干 の恐 怖 と な って作 用 し た こと を 示 し て
平 論 者 た ち は、 なく て はな ら ぬ 存在 と し て政 府 内外 に お い て活 動 を
であ る 。
果 し た。 そ れ は これ ら の支 配 力 に恐 る べき 多 量 の重 み を 加 え たも の
素 と な った。 と いう の は、本 土空 襲 は爆弾 を 国 民 の頭 上 に直 接浴 せ
使 と な って現 わ れ た。 そ し て こ の戦 略爆 撃 は降伏 決 意 上 の決定 的 要
いた ので、 攻 撃 は米 国 機 だ け に よる 制 空権 の全面 的 か つ 一方 的な 行
った。 米 軍 の上陸 に対 す る防 衛 準 備 は、 米 国 の航 空打 撃 を 一部 は緩
さ れ た和 平 条件 を 改善 でき るだ ろう と いう希 望 を 伴 って いた の であ
は、 相 手 方 に莫 大 な犠 牲 を 生 じ さ せる 機 会を 得 る こと により 、 協 定
つ つあ った。 予 想 され た本 土 上陸 は、 日本 陸 軍 の期 待 す ると ころ で
念 を 抱 いたが 、 民 衆 はす で に直 接 の空襲 によ って大 損害 を与 え ら れ
政 府 と 天皇 側 近 の指 導 者 た ち は、 "日本 国 民 の破 滅" に対 し て 懸
い る。
かけ る こと によ って敗 北 感 を 大き く ひろげ 、 和 平派 の小 グ ループ が
空襲 に対 し直 接 抵 抗 す る諸 手 段 はす で にそ の大 部 分 が 破壊 され て
す で に承知 し てい た脅 威 を 全 国 民 の胸 中 に強 烈 に焼 き つけ た。 明 け
実 の情 勢 を 正 しく 読 み と り、 本 土進 攻 が 予期 され る 以前 にゆ と り を
に取 り あ げ る ほ ど の こと はな か った。 日 本 の有 力 な 指 導者 た ち は真
し か し、 日 本 の当 時 の枯 渇 し た資 源 状 態 にお いて は 、 そ の流 用 は特
和 し た かも 知れ な い疎 開 や 保護 運 動 のた め に若 干 の資 材 を 流 用 し た。
決 意 し て いた のであ る 。 た だ陸 相 と陸 海 両 幕僚 長 は無 条件 降伏 に は
受 諾す る こと を意 味 し た と して も 、終 結 に持 って行 く べき であ ると
一九 四五 年 五月 早 々 には、 戦 争 は たと え 連 合国 の条 件通 り に降 伏 を
が し たも のでも な か った。 天 皇、 内 府 、 首 相、 外 相、 海 相 はす で に
に よれ ば 、 原爆 投 下 だ けが 日本 に無 条 件 降伏 を 受 諾す る よう にう な
調 と、 和平 実 現 への有 力 な る材 料 と し て、 こ の席 に提 出 され た ので
な わ ち平 和 を 実 現 す べき 機 構 ( 最 高戦 争 指 導 会議 ) に、 和平 説 の強
広 島 に投 下 さ れ た原 爆 の衝撃 は、あ る情 勢 に大 き く作 用 し た。 す
反 対 し た。
も って降伏 の機 会 を つか んだ 。 五、 ド イ ツが 戦争 に残 って抵 抗 す る限 り は、そ の事 実 そ のも のが、
て いた と いう 証 拠 も いく ら か残 って いる。 し かし、 五月 六 日 に東 京
間 期 待 し て い たド イ ツ の奇跡 の兵 器 に対 し て かな り の希 望が 持 たれ
あ った 。あ る情 勢 と は、 ポ ツダ ム宣 言 の即時 受 諾 に依 然 と し て反 対
ま だ 日本 側 の戦 争継 続 の中 心点 と し ても 大 い に作 用 して いた。 長 い
のド イ ツ大 使 館 で 受 信 し た 一通 の電 報 は、 ヒト ラーが 死 亡 し た こと 、
鈴木 首 相 の決意 に より、 こ の拒否 を無 効 にす る のに利 用 しう ると 確
意 見 を 持 し 、 これ を 拒 否す る 三名 が いた こと であ った。 原爆 投 下 は、
信 さ せ て いた 天皇 を 、 今 や公 然 と こ の最 高戦 争 指 導会 議 に御 出 席 し
約 束 し た新 兵 器 の実 現 は失 敗 し た こと 、 ド イ ツ は数時 間 以 内 に は降
は陸 軍 の平 素 の主 張 か ら見 て、 ド イ ツが 戦 線 に踏 み 留 ま って いる 限
ツダ ム条 項 に関 し て最 高戦 争 指 導 会議 の受 諾 か否 か の表 示 自体 (三
て いただ く こと を鈴 木 に許 す こと とな った 。 かく て 原爆 攻 撃 は、 ポ
伏 す る であ ろう と いう こと を 漏 ら し て いた。 これ よ り先 、 木 戸内 府
り は、 抗 戦 派 は和 平 運 動 に は同 意 しな いだ ろ うと 確 信 し て いた 。 こ
名 は反対 ) には変 化 はな か ったと し ても 、 原爆 は、戦 争 期 間 を短 縮
の不 同意 は、 よ り早 い時機 に おけ る 日本 の降 伏 を 回避す る ため に計
以 上 の結 論 を 支 持す る出来 事 や 証 言 は、 こ の報告 の前 述 の各章 に
さ せ、 か つ和 平 を 促進 す る こと に はな った ので あ る。
お いて 記 述立 証 さ れ た経 過 の大要 から 次 の よう にまと める こと が で
い。 と に かく 、陸 相 阿 南 大将 はド イ ツ降 伏 直 後 の五月 八日 に、 戦 局 を 再 検 討す る ため 内閣 に対 し御 前 会 議 の奏 請 を要 求 した 。 し か しな
画 さ れ たと ころ の面 子 を 立 て る態 度 であ ったか どう か は明 ら か でな
が ら 、 日本 が ド イ ツ の崩 壊 以前 に和 平 を 追求 し て い た こと、 ド イ ツ
き よう 。
が 、 それ は土 壇 場 に おけ る武 士道 の面 目 のた め に抗 戦 を決 意 し て い
よ う に、 いく ら か有 利 な 条件 への交 渉 を し て い る外 見 を装 って いた
を 講ず る こと であ った 。 そ の和 平運 動 は、無 条 件 降 伏だ け は免 れ る
イ 一九 四 五年 四月 七 日 に組 閣 を命 ぜ ら れ た鈴 木 内 閣 の使命 は和 平
民 衆 が 悲惨 な境 遇 に陥 った こと、 お よび ド イ ツが 分 裂 した ことが 、 す で に非妥 協 的 な 日 本 に対 す る同 様 な 結 果 の不 吉 な 徴候 を 与 え て い
六、 広 島 と 長崎 に対す る原 爆 投下 は、 日 本 を敗 北 に追 い こん だ決
た こ と は顕 著 な事 実 であ る。
定 打 で はな か ったし 、 ま た戦 争 終 結 に尽 力 し た 日本 の指導 者 の証 言
た。 八月 九 日 から 十 日 に かけ て の最終 的 な 御 前会 議 にお い ても最 高
き はそ の決意 を 法律 化 す る こと と詔勅 の準 備 をす るた め に計 画 され
て は つい に自 ら ポ ツダ ム条 項 の受 諾 に対 す る そ の熱 望 を発 言 さ れ る
戦 争 指 導会 議 はま だ 三対 三 の分 裂 が そ のま ま続 い てい た。 天皇 と し
る軍 部 と官 僚 連中 を 牽 制 す る た め にし た にす ぎ な か った 。 さ ら にお
内 部 から の和平 妨 害 を 最 少 限 にと ど め て、 和 平 実現 の自 由 を得 る た
そ ら くも っと重 要 な 意 味 は、 首 相 は じ め閣 僚 の個人 的 生 命 の危 険 と 、
め であ った よ う であ る。 し か しな が ら、 いか な る条 件 に せ よ、 平 和 論 者が 結 局 は和 平 を 手 に 入れ るだ ろう と いう こと は明 白 と思 わ れ た。
投 下 さ れ る 予定 であ ると いう米 国 人捕 虜 (B 29 の パイ ロ ット) の尋
ニ 広 島 に原 爆 を投 下 さ れ た こと 、 お よび東 京 に八 月 十 二 日原爆 が
こと が 必要 であ った。
り、 四月 の木 戸 と 重 光 の会 談 の結 論 であ り 、 四月 はじ め の小 磯 内閣
か つ戦 争を 終 ら せ よう と す る運 動 の背 後 で大き な 作 用 を 及ぼ し た こ
問 か ら 入 手さ れ た流 言 が 、 日本 の要人 の心 中 に危 急 の念 を生 じ さ せ、
これ は 二月 に重 臣 た ち に よ って天皇 に言 上 さ れ た戦 局 観 の要 旨 で あ
倒 壊 の根 本 理由 であ り 、首 相 に任命 され る に当 って の鈴木 に対 す る
った ) の意 味す るも の に外 な らな か った。
天皇 の特 旨 (それ は 鈴 木 内閣 の閣 員 全部 に対 し ても 同 様 に明白 であ
六 月 二十 二 日 に は天皇 は首 相 、 外 相、 海 相 に時 局 に関 す る所 見 を求
れ た。 六 月 八 日 の第 一回 の会 議 に お いて は戦 局情 勢 が 検討 され た。
一連 の御 前会 議 は六 月 八 日 に はじ ま り 八月 十 四 日ま で たび たび 開 か
九 四 五年 六月 のは じ め に東京 と モ スク ワ の両方 で はじ ま った。 特 派
表 示 を変 更 す る こと も し な か った。仲 介 のた め の ソ連 と の交 渉 は 一
降 伏 の受 諾 を 実質 的 に促 進 も しな か ったし 、 ま た 六巨 頭会 議 の賛 否
下 の後 に や ってき た 二日 間 の動 き は、 日本 を敗 北 も さ せ なか った し、
おけ る ソ連 の太 平洋 戦 争 参 戦 の効 果 を は っきり 示 し た。 広 島 原爆 投
七 、以 上 に列 挙 し た諸 事 件 の連 続が 、 ま た 一九 四 五年 八月九 日 に
と は疑 う余 地 が な いよう だ 。
め ら れ、 みず から 終戦 措置 の推 進 を指 示 さ れ た。 陸 相 と陸 海 両幕 僚
使 節 と し て モ スク ワ に派 遣 され る予定 にな って いた近 衛 公 は、 表 面
ロ戦 争 を続 け る か、 終 戦 す るか を 主題 と す る最 高 戦 争 指導 会 議 の
天皇 は再 び ソ連 を 通 じ て の仲 介 に よ る和 平運 動 を いそ ぐ よう 首相 を
的 には政 府 訓令 に よ って 和平 の交 渉を や る手 はず であ ったが、 一方 、
長 は時 局 収拾 (終戦 ) に はす こしも 乗 気 で は な か った 。七 月 七 日 に
督促 され たが 、 ポ ツダ ム会 談 が この間 に開催 され た 。 日本 政 府が 依
ま た 、迫 水 書 記官 長 が 明 ら か にし たと ころ に依 れ ば、 鈴 木 首相 と 東
た と えど んな困 難 を冒 し て も、 いかな る犠 牲 を 払 っても 、 和 平を 実
ハ最 高 戦争 指導 会 議 にお け るポ ツダ ム条 項 の検 討 に当 っては 、 六
郷 外 相 は仲 介 に ついて の ソ連 側 の回答 を 待 つ 一方 、も しそ れが 拒 否
現 せ よ と いう 天皇 から の特 旨 を 受 け て いた こと を 調査 団 に証 言 した。
月 二十 二日 の御 前 会議 に お い て現 われ た最 初 の 三対 三 の意 見 の分 裂
さ れ た。
と 同 じ結 果が 示 さ れ た 。 八月 九 日 の朝 、 鈴 木 首相 と 天 皇 は ただ ち に
たと いう こと であ った 。 ソ連 を 通 じ て の和平 に対 す る 日本 の努 力 は、
さ れ てう まく行 か なけ れば 、 米 国 と直 接 交渉 を はじ め る よう決 定 し
然 と し てソ連 の回答 を 待 って いる間 に、 八月 六 日広 島 に原 爆 が投 下
ポ ツダ ム条項 を受諾 し て終 戦 に導 く決 意 を し た。 そ の後 の会 議 と 動
ス タ ーリ ンと モ ロト フ のポ ツダ ム への早急 な 出発 に よ って 出 し抜 か
こう し て、 す で に隷 下部 隊 と補 給 品 の半分 を 南 方 地 域 の島 々の防 衛
れ て中断 し、 そ の後 赤 軍 の満洲 進 撃 と いう 事 実 によ って回 答 され た。
強 化 のた め に転 用 さ せ られ 、 ま た、 日 本本 土 の防衛 のた め にそ の精 鋭 を 引 き抜 かれ て いた関 東 軍が 敗 北 す る こと は不 可避 で あ った。 日 本 を崩 壊 せし め る に、 相 合 し相 重 な って作 用 し た諸 原 因 のいず
は的 外 れ と いう べ き であ る 。 日本 が 完 全 に敗 北 し た こと はま ったく
れ か 一つの み に、 日本 の無 条 件降 伏 の原因 を 帰 す る こと を 試 み る の
っと 明 確 に 国策 を 決定 す る よ うな 仕 組 み であ った な らば 、 軍 事的 無
疑 問 の余地 は な い。 も しも 日本 の政 治 構造 が も っと 迅速 に、 か つも
力 化 と 避 く べ からざ る外 圧 によ る政 治 的受 諾 と の間 の時 間 の経過 は、 も っと 短 縮 され て いた かも 知 れな か った。 それ にし ても 、 日 本 に対 す る 米 国 の航 空優 越 と 日本 本 土 に おけ る制 空 権 の行 使 が 、 無 条件 降 伏 を 招 来 す る の に十 分 な圧 力 を加 え 、 本 土進 攻 を 不 必要 にし た こと
あ ら ゆ る事 実 の詳 細な 調 査 に基 づ き 、 か つ、 生 き残 った 日 本側 指
は ほぼ 明 白 であ る。
か ったと し て も、 ま た、 ソ連 の対 日参 戦が な か った と し ても 、 さら
導 者 たち の証 言 に照 し て見 る とき 、 日 本 は たと え 原爆 が 投 下 され な
に は ま た米 軍 の日本 本 土進 攻 が計 画 、 企図 され て いな か った に し て も、 一九 四 五年 十 二月末 には 間違 いな い と し て、 お そら く も っと早 く十 一月 一日 以前 に は降 伏 して い た であ ろう 、 と いう のが 調査 団 の 意 見 であ る。
付録A
日 本側 資 料
昭 和十 六 年 (一九 四 一) 十 二月 現 在
開 戦 の場 合 の日本 国 力 推 移判 断
A︱1
A、 要 旨
一、 米︱ ︱ 米 の供給 は仏 印 お よび タ イ国 よ り確 保 さ れ ねば な
C 、 主 要物 的 国 力 の検討
ら な い し、 も し輸 送 余 力が 利 用 でき るな らば 期 待 し得
九 、 〇 五〇 、 〇 〇 〇 キ ロリ ット ル
一九 四 一年 十 月 一日現在 の貯蔵 量
二、 燃 料 (石 油 ) 推定 a
五、 五 〇〇 、 〇 〇 〇 キ ロリ ット ル
b 消 費 の推 定
海軍
六〇 〇 、 〇 〇〇 キ ロリ ット ル
二、 五 〇 〇 、〇 〇 〇 キ ロリ ット ル
開 戦 後 一年 に つき
陸軍
激 動 し て止 ま な い世 界 情 勢 の中 にあ つて、 日 本 帝 国 の採 用 せ んと
の地位 に達す る こと であ る。
二、 四 〇〇 、 〇〇 〇 キ ロリ ット ル
(数 字 はキ ロリ ット ルを示 す )
万 ト ンに達 す る 見 込 みで あ つた 。 一九 四 二会計 年 度 に対 す
ンであ つた。開 戦 時 にお け る日 本 の保 有 船 腹 は合 計 六 一〇
三 、 一九 四 一会 計年 度 に対 す る総 輸送 能 力 は五、 三〇〇 万 ト
第 一表
c 供給見込
民 間需 要
す る政 策 は、 そ れ を独 立 し て維 持 で き る 国力 に基 礎 を置 く 自給 自 足
戦 争 か平 和 か の全般 政 策 を決 定 す る に当 つて は、 国力 の適 切 な判 断 を行 ふ ことが 、 常 に 必 要 であ る。 し かし なが ら 、 完全 な デ ー タを入 手 す る こと が 極 度 に困 難 な た め、 ま た、 変 動す る物 的 国力 の情 況 に おけ る 多数 の複 雑 にし て予 言 し得
こう し て、国 力 を 算術 的 な条 件 に翻 訳 す る こ と お よび それ ら を 戦争
な い諸 要 素 の た め に、 帝 国 の現 国力 の判 断 は単 純 な 事 柄 で はな い。
か平和 を決定 す るた め の基 準 と し て躊 躇 なく 使 用 す る こと は危 険 な
B 、完 全 な自 給 自 足 のでき な い不 足品 目
作 業 で あ る。
一、 米
三、 輸 送能 力
る推 定総 輸 送 能 力 は 一九 四 一年 の約 八五 % す な は ち四 、 五
二、 燃 料
四、重 要 戦 略物 資
船 腹損 耗 推 定 と 補 填量
〇〇 万 ト ンであ つた 。 第 二表
さ れ る総 量 は四 五、 〇 〇 〇 ト ン であ る。 国 内需 要 は 六五 、
〇 〇 〇 ト ン であ り、 手 持 総 量 は五 〇〇 ト ン以下 であ る。 仏
印 と タ イ国 から 入手 さ れ る総 量 が 増 大す る のでな け れば 、
五、 二五〇 、 〇 〇〇
らう 。
戦 争 の 二年 後 に は現 在 の貯 蔵 量 は完 全 に涸 渇 す る こと にな
なく 平 時 軍 事 的準 備 さ へも 行 詰 り を生ず る こと にな ら う。
( 数字 はトンを示す)
あ る ひ は蘭 印 から 二万 ト ン以 上 の供給 が 確保 さ れ なけ れ ば
そ の不足 は国 内 工業 特 に軍 事 準 備 の進 行 の上 に大き な 影 響 を 持 つであ ら う。
二、 四 〇〇 、 〇 〇 〇
れ なけ れ ば 、 国家 の需要 に応 ず る こ とが でき な いば かり で
七 、錫 ︱︱ 年 間約 一万 ト ンの供 給 が タ イ国 と 仏印 か ら獲 得 さ
保 有 全船 腹
二、 八五〇 、 〇 〇〇
戦 争 第 三年 以 後 の船 腹 事 情 推 定
陸 海軍 に よる 徴傭 船 腹
八、 銅 ︱ ︱ も し現 在 の情勢 が 続 く な らば 、手 持 ち の在 庫 品 は
民 間用 船 腹
四 、鉄 ︱︱ も し軍 事 作 戦 準備 が 現 在 の比 率 で進 行 し、 現時 の
間 も な く 半分 に削 減 され る であ らう 。 かく て、銅 の供給 の
二、 二〇 〇、 〇 〇 〇
た め に フ ィリピ ンに おけ る 資 源 を開 発す る ことが 必 要 とな
生 産能 力 が拡 張 さ れ た 場合 の年 間需 要 量 は次 のと お り。 軍 事 上 の需要 量 、
一、 六 〇 〇、 〇 〇 〇
であ らう 。 も しも つと多 量 の鉛が ビ ル マから 入手 さ れ る こ
九、 鉛 ︱ ︱ も し現 在 の事 態 が 続 く な らば、 在 庫 品 は半 減す る
な い。
十、 コバ ル ト︱︱ コバ ルト は蘭 印 か らぜ ひ 入手 さ れね ば な ら
と にな れば 、 供 給 は十 分 と な る であ らう 。
る で あら う 。
生 産設 備 の拡 張
一、 二〇 〇、 〇 〇 〇
一、 五〇 〇 、〇 〇 〇
六、 五 〇 〇、 〇 〇 〇
民 間 の需 要 量
計
そ の他 合
前記 需 要 に対す る鉄 鉱 石 は、 日本 、満 洲 、 中 国 (海 南 島 を含 む ) お よび 仏 印 より 供 給 さ れ る はず。 五 、 ニ ッケ ル︱︱ 不 足 は甚 大 であ るが 、 現 在 日本 の勢 力 圏 の
ひ 入手 され ねば なら ぬ。
中 で は供 給 を仰 ぐ 手 段 は な い。 そ れ は南 方占 領 地 域 か らぜ
六、 生 ゴ ム︱ ︱ 経 済 協定 を基 礎 と し て タイ 国 と仏 即 か ら 期待
(1 )カ
ッ コ内 の 数字100,000は 意 味 不 明。
を示 す 。 字 が,は
4加工再生。 っ き り しない。
2最 初 の ア ラビ ヤ数 字 は 、 は っ き り しない 。
5多 分7,000で あ ろ う。 数 字 が鮮 明 を 欠い てい る。 7多分110,000で あ ろ う。
3鉱石
6 第二 番 目の 数
8一 石 は4.96ブ ッ シ ェル。
付 録 A︱ 2 国 力 の現状 昭和 二十 年 (一九 四五) 六月 八日 御 前会 議 報告 第 一号
国力 ノ現状
ト ナ ル ヲ予 期 セザ ルベ カ ラズ 三 、人 的 国 力
イ 人 的 国 力 ハ戦 争 ニ因 ル消耗 モ未 ダ 大 ナラズ 物 的国 力 ニ比 スレ
推移 ニ即 応 セズ 人 員 ノ偏 在 遊 休化 ヲ見 ツ ツア ル現 状 ニシテ徹 底 的
バ 尚 余 裕 アリ唯 其 ノ使用 概 シテ効 率 的 ナラズ 動 員 及配 置 ハ生産 ノ
配置 転 換 及 能率 増 進 ヲ強 行 ス レバ 人 的 国 力 ノ部 面 ニ於 テ ハ戦争 遂
行 ニ大 ナ ル支障 ナ ク之 ガ活 用 ノ如 何 ニ依 リ テ ハ戦 力造 出 ノ余 地 ア
リ ト認 メ ラ ル但 シ今 後 ニ於 テ大規 模 ノ兵 力動 員 ア ル ニ於 テ ハ必 ズ
ロ戦 争 ニ基 ク増 殖 率 低下 ノ徴漸 ク顕 ハレ且体 位 ノ低 下 ハ特 ニ戒
シ モ楽観 ヲ許 サ ザ ルモ ノ アリ
心 ヲ要 ス
戦 局 ノ急 迫 ニ伴 ヒ陸 海交 通 竝 ニ重要 生 産 ハ益 々阻 害 セラ レ食 糧
一、 要 旨
ノ逼 迫 ハ深 刻 ヲ加 ヘ近 代的 物 的 戦 力 ノ綜 合 発揮 ハ極 メテ 至難 ト ナ
商
産
業
業
五〇 〇 、 〇〇 〇
二、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
過剰人的国力
(注 ) イ
従 ツテ之 等 ニ対
ルベ ク民 心 ノ動向 亦 深 ク注 意 ヲ要 ス ルモ ノ アリ ス ル諸 施 策 ハ真 ニ 一瞬 ヲ争 フベ キ情 勢 ニ在 リ
国 民 ハ胸 底 ニ忠 誠 心 ヲ存 シ敵 ノ侵 寇等 ニ対 シテ ハ抵 抗 ス ルノ気
二、 民 心 ノ動 向
五〇 〇 、 〇 〇〇
予 備人 員 は三〇 〇 万 人 であ る 。 現在 のと ころ、 この過 剰 人員 は
そ の他
不足 を告 げ て いる農 業 お よび 輸 送 部門 に充 当す る努 力を 払 い つ つ
軍部及政
府 ニ対 スル批 判 逐次 盛 ト ナ リ動 モ ス レバ指 導 層 ニ対 ス ル信頼 感 ニ
構 ヲ有 シア ル モ他 面 局 面 ノ転 回 ヲ冀 求 スル ノ気分 ア リ
動 揺 ヲ来 シ ツ ツア ル傾 向 ア リ 且国 民 道 義 ハ頽 廃 ノ兆 アリ 又自 己防
ロ
あ る。
人 的 国 力 の動 員 と 配分 ︱︱ 一九 四四 年 十 二月 に おけ る 各種
テ モ諦 観 自 棄 的 風潮 アリ 指 導的 知 識 層 ニハ焦 燥和 平 冀 求気 分 底 流
衛 ノ観 念 強 ク敢闘 奉 公 精神 ノ〓 揚 充 分 ナ ヲズ庶 民層 ニ ハ農 家 ニ於
子
子
二 四、 〇〇 〇 、 〇〇 〇
二〇 、 三 〇〇 、 〇 〇〇
産 業 に使 用 可能 な 労務 者 (一六歳 より 六〇 歳 ま で の間) 男
四 四、 三〇 〇 、 〇〇 〇
カカ ル情 勢 ニ乗 ジ 一部 野 心分 子 ハ変 革 的 企
女
計
シ ツ ツ アル ヲ看 取 ス
合
図 ヲ以 テ蠢 動 シ ア ル形 跡 アリ
尚 今後 敵 ノ思 想 撹 乱 行 動 ハ盛
沖 縄作 戦 最 悪 ノ場 合 ニ於 ケ ル民 心 ノ動向 ニ対 シテ ハ特 ニ深甚 ノ 注 意 ト 適切 ナ ル指導 ト ヲ必 要 ト ス
一九 四〇
一四、 二
一五、 二
一 二 、七
の増 加 は約 一〇 〇 万人 であ る
本年
以 前 の平 均
現 在 の損 害
一九 四 五 年 四月
一九 四 四 年 七月
一九 四 三年 一 二 月
一、 二五 〇 、〇 〇 〇
三 、 一〇 〇 、〇 〇 〇
三 、七 〇 〇 、〇 〇 〇
(三、 七 五 〇 万人 はす で に諸 産 業 お よび 軍 隊 に勤 務 中)
一九 四 一
一 三、 八
一、 〇 〇 〇 に対 す る人 口増 加 率 ︱ ︱ 一九 四〇 年 以後 、 毎 年
一九 四 二
不明 ( 出 生率 は減 少 し 幼 児 の死 亡が 増 大 し た
ハ
一九 四 三
ト ナ ル虞 大 ナリ
今 後敵 ハ交 通破 壊 空襲 ヲ激 化 スベ
一九 四 二
一九 四 一
一九〇 、 〇 〇〇 、 〇〇 〇
一八〇 、 〇 〇〇 、 〇 〇〇
一六〇 、 〇 〇〇 、 〇 〇 〇
一五〇 、 〇 〇〇 、 〇〇 〇
鉄 道 輸送 能 力
一九 四 三
*九〇 、 〇 〇〇 、 〇〇 〇
( 注)
一九 四 四
ハ陸 上 小運 送力 竝 ニ港湾 荷 役 力 ハ資 材 、燃 料 及 労務 事 情竝 ニ運
*計 画 を示 す
一九 四 五
トン
分 ノ 一程 度 ニ減 退 ス ベ ク特 ニ中 期 以降 一貫 性 ヲ喪 失 シ局 地輸 送 力
ク為 ニ鉄 道 輸 送力 ハ各 般 ノ努 力 ヲ尽 シ ツ ツア ル モ前 年 度 ニ比 シ二
害 ニ因 リ逐 次 低 下 シ ツ ツア リ
ロ鉄 道 輸 送 力 ハ最 近 ニ於 ケ ル車輛 ハ施設 等 ノ疲弊 ニ加 ヘ空 襲 被
二三
七 ︱ 一〇
%
一九 四 四 から 、数 字 は前 年 より も 低 いも の であ る)
イ汽 船 輸 送力 ニ付 テ ハ使 用 船 腹 量急 激 ニ減少 シ テ現 在約 百 万 総
四、 輸 送力 及 通 信
若 シ最 近 ニ於 ケ ル損 耗 ノ実績 ヲ以 テ
屯 ナル モ而 カ モ燃 料 ノ不足 、 敵 ノ妨 害 激 化 及荷 役 力 ノ低 下等 ノ為 著 シク運 航 ヲ阻 害 サ レ アリ
推 移 ス レバ 本年 末 ニ於 テ ハ使 用 船 腹量 ハ殆 ンド皆 無 ニ近 キ状 態 ニ 立 到 ルベ シ且大 陸 ト ノ交 通 ヲ確 保 シ得 ル ヤ否 ヤ ハ沖 縄 作戦 ノ如 何 ニ懸 ル処 大 ニシテ最 悪 ノ場合 ニ於 テ ハ六月 以降 殆 ンド其 ノ計 画 的
機 帆 船 輸 送力 モ亦 燃 料 不足 及 敵 ノ妨 害 ニ因 リ急 激 ニ減 少 ス ル虞
交 通 ヲ期 待 シ得 ザ ル ニ至 ルベ シ
大 ナリ (注)
五 、 五〇 〇 、 〇 〇〇
総 トン
四 、 六〇 〇 、 〇〇 〇
舶
一九 四 一年 一 二 月
船
一九 四 二年 一 二 月
ニ付 テ ハ今 後 敵 襲 ニ依 リ其 ノ機能 ヲ停 止 セラ ル ル虞 大 ナリ
及海 上 輸 送自 体 ニ対 シテ モ重 大 ナ ル隘 路 ヲ形 成 シ ツツ アリ 尚港 湾
営体 制 ノ不備 等 ニ伴 ヒ末端 輸 送 及海 陸 輸送 ノ接 続 ノ ミナ ラズ鉄 道
帯 ノ工業 ハ石 炭供 給 ノ杜 絶 ニ依 リ相当 部 分 運転 休 止 ト ナ ル虞 大 ナ
全 面 的 ニ下 向 シ ツツ アリ 中 期以 降 ノ輸送 ノ状 況 ニ依 リ テ ハ中 枢 地
ハ 大陸 工業 塩 ノ還 送減 少 ニ因 リ曹達 ヲ基 盤 ト ス ル化 学 工 業生 産
リ
ハ加 速的 ニ低下 シ ツ ツア リ特 ニ中 期以 降 原 料塩 ノ取得 ハ危 機 ニ直
ニ 通 信 ハ資 材 、要 員 等 ノ事 情竝 ニ空襲 被 害 ニ因 リ其 ノ機 能 ヲ阻 害 セ ラ レ ツツ アリ 今 後空 襲 激 化等 ニ伴 ヒ本 年 中期 以降 ニ於 テ ハ各
面 スベ ク之 ガ為 軽 金 属 及人 造 石 油 ノ生 産 ハ固 ヨリ火薬 、 爆薬 等 ノ
確保 ニモ困 難 ヲ生 ズ ル ノ結 果 ト ナ ルベ シ
種通 信 連 絡 ハ甚 シク困 難 ト ナ ルベ シ
五 、物 的 国 力
一九 四 五年 の第 一 ・四半 期 にお い て目標 は四 六、 〇〇 〇 ト ン
(注 )
を 入手 予 定 であ ったが 、 実 際 の入手 量 は約 四〇 % にすぎ な か っ
イ 鉄 鋼生 産 ハ主 ト シ テ原 料炭 及 鉱 石 ノ輸 送 入手 難 ニ因 リ現 在概 ネ前 年 同期 ニ比 シ四分 ノ 一程 度 ニ陥 リ 鋼船 ノ新造 補 給 ハ本 年 中 期
た。
一九 四 四
一九 四 三
一九 四 二
一九 四 一
一 一〇 、〇 〇 〇
一四 〇 、〇 〇 〇
一 一〇 、 〇〇 〇
七 三 、〇 〇 〇
トン
四、 二〇 〇、 〇 〇 〇
一九 四 五
ア ルミ ニウ ム生 産
以 降 ハ全然 期 待 シ得 ザ ル状 況 ナリ尚 所在 資 材 ノ活 用 戦 力化 ニ付 テ
( 注)
モ実 行 上多 大 ノ困難 ヲ克 服 ス ルノ要 アリ
四、 一〇 〇、 〇 〇 〇
トン 一九 四 一
四 、 二 〇 〇、 〇 〇 〇
鉄鋼生産
一九 四 二
( 注)
遂 行 ニ重 大 ナ ル影響 ヲ及 ボ ス情 勢 ナリ
底 ト増産 計 画 ノ進 行 遅 延 ニ伴 ヒ航 空 燃料 等 ノ逼 迫 ハ中期 以 降戦 争
ニ 液 体燃 料 ノ供 給 ハ今 後 日満 支 ノ自給 ニ俟 ツ ノ外 ナ ク貯 油 ノ払
*第 一 ・四半 期 分 の計 画
*九 、〇 〇 〇
一九 四三
二、 七〇 〇 、 〇 〇〇 *二七〇 、 〇〇 〇
一九 四四 一九 四五
*第 一 ・四半 期分 の計 画
ロ東 部 及 西 部地 域 ニ対 ス ル石 炭 ノ供 給 ハ生 産 及輸 送 ノ減 少 ニ伴 ヒ著 シ ク低 下 シ空 襲被 害 ノ増 大 ト相 俟 ツテ中 枢 地帯 ノ工業 生産 ハ
(単 位 一、 〇 ○ 〇 キ ロリ ット ル)
更 ニ海外 輸 移 入 ノ妨 害 、 国 内輸 送 ノ分 断
天 候 及敵 襲 等 ニ伴 フ生 産減 少 等 ノ条 件 ヲ考 慮 ニ入 ルルト キ ハ局
尚 来 年 度 ノ食 糧 事 情 ガ本 年度 ニ比 シ更 ニ深 刻化 スベ キ ハ想察 ニ
地 的 ニ饑 餓 状 態 ヲ現出 ス ル ノ虞 ア リ治安 上 モ楽観 ヲ許 サズ
ロ物 価 騰貴 ノ趨 勢著 シ ク闇 ノ横 行 、 経済 道 義 ノ頽 廃 等 ニ依 ル経
難 カ ラズ
済 秩序 紊 乱 ノ傾向 漸 ク顕著 ト ナリ今 後 ノ推移 ニ依 リ テ ハイ ン フ レ
ノ虞 ナシ ト セズ
ー シ ョン昂進 ノ極 遂 ニ ハ戦 時 経済 ノ組 織 的運 営 ヲ 不能 ナラ シ ム ル
(注)
七 七、 一六 五、 〇 〇〇
一九 四 五年 度 米穀 需 給 予 想 (六 月 上旬 作 成推 定 ) イ 本土 産 米 予想
ホ航 空 機 ヲ中 心 ト スル近 代 兵 器 ノ生産 ハ空 襲 ノ激 化 ニ因 ル交 通 及生 産 ノ破壊 竝 ニ前記 原 材 料 、燃 料 等 ノ逼 迫 ノ為在 来 方 式 ニ依 ル
四 、 二五 〇、 〇 〇〇
量産 遂 行 ハ遠 カ ラズ 至難 ト ナ ルベ シ
によ つて緩 和 され る予 定 であ る。
不足 分 は軍隊 米 を も つて又 米穀 配 給 量 の制 限 を行 ふこと
な る 見 込 み)
(空襲 によ つて は こ の数 字 を 実現 す る こと は次第 に 困 難 ど
ハ 満 洲 お よび 朝 鮮 より の輸 入推 定
八 四、 二五 八、 〇 〇〇
一、 八〇 〇
二、 二 三〇
ロ 需要 推 定
(注 ) 航 空機 生 産 高
一九 四五 年 四月
一、 六〇 〇
一九 四四 年 の月 産
一九 四五 年 五月
極 メテ困 難 ナ ル状 況 ニア リ ト雖 モ之 カ最 大 ノ隘 路 ハ生 産意 慾 竝 敢
国 力 ノ現 状 以上 ノ如 ク加 之 敵 ノ空襲 激 化 ニ伴 ヒ物 的 国力 ノ充 実
決
イ食 糧 ノ逼 迫 ハ漸 次 深 刻 ヲ加 ヘ本端 境 期 ハ開 戦 以 来 最大 ノ危 機
闘 精神 ノ不 足 ト国 力 ノ戦力 化 ニ関 スル具 体 的施 策 ノ不徹底 ナ ルト
判
ニシテ 大陸 糧 穀 及食 糧 塩 ノ計 画 輸 入 ヲ確 保 シ得 ル ト モ今後 ノ国 民
ニ存 ス
六、 国 民 生活
ノ塩分 ヲ漸 ク摂取 シ得 ル程度 ト ナ ルヲ覚 悟 セザ ルベ カ ラズ
食 生活 ハ強 度 ニ規 制 セ ラ レタ ル基 準 ノ糧 穀 ト 生 理的 必 要最 少 限 度
水上機母艦
潜水艦
*五
六四
之 カ為 国 民 ノ戦 意 特 ニ皇 国 伝統 ノ忠誠 心 ヲ遺 憾 ナ ク発揮 セ シ ム ル ト共 ニ戦 争遂 行 ニ必要 ナ ル最 少 限 ノ戦 力 維持 ヲ可 能 ナ ラ シム ル
一八〇
三〇〇
五〇〇
艦上簸 機
三 五〇
戦闘機
陸 上 攻撃 機
一五
三四 〇
考
昭 和 十 六年 (一九四 一)十 二月 に おけ る 目米 海軍 兵 力比 較
( 参考)
四 、 日米 全 艦艇 の兵力 比 は米 国 に対 し て約 六 八% とな る 。
ンを含 まず
三 、 米 国全 艦 艇中 枢 艦 に は英 国 へ譲 渡 の五〇 隻 約 五万 五 、〇 〇 〇 ト
え ら れ る。
出 法 よ りす れば 当 時本 国 にて修 理 改装 等 に従事 中 のも のが 若 干 考
二、 米 国 大西 洋 方面 兵 力 は各 艦 とも 旧 式 に属 す るも の多 く 、 且 つ算
一、 米 国 太平 洋 方面 兵 力 は当 時 各艦 種 共 比較 的新 式 艦 であ る。
備
︹組 編 者注︺ カッコ内 の数字 は実際のも のを示す。
飛 行艇
水 上偵 察 機
艦 上爆撃機
三
如 ク八、 九 月頃 迄 ニ完 了 セ シム ル コト ヲ目 途 ト シ強 力 ナ ル各種 具
*改装水上機母艦 二隻 を含む
潜 水母艦
九
一〇
二、航空部隊兵力
体 的 施策 ヲ講 ス ル ノ要 ア リ ︹ 編者注︺ ﹁ 国力 ノ現状﹂ の最後 には右のような ﹁判決﹂が付 さ れ て いるが、調査団はこの判決 の収録 を省略して、 その代 り 各項 目 末 尾 に ( 注) として必要 と認めた数字 ( 調査により入手した) を挿 入 し て、具 体性 を欠く ﹁国力 ノ現状﹂ の原文を明確に把握 できるようにし たものと 思 われる。なお ﹁ 国力ノ現状﹂ に引き続 いて政府は ﹁国際情勢 ノ判断﹂ を行な っているが、 この付録 には採録 されていない。
付録A︱3 開 戦時 に おけ る 日米 両国 の軍事 力 比 較
A、 開 戦 時 にお け る日 本帝 国 海 軍 の主 要兵 力
戦艦
一、 水 上部 隊 兵力
空母
八
重巡
一〇 一六 (二〇 )
第 一級艦
軽巡
一 一〇 (一 一 二)
第 二級 艦
駆 逐艦
開戦時における連合海軍および日本海軍兵力比
B、開戦時における連合軍海軍 および航空兵力 (日本海軍 の推定)
一、 米国 海 軍 全兵 力
(注)
六
}
(七)
一三 (一七 )
二
戦艦
空母
三五
二 五〇 (二一 四 )
一〇 (一九 )
九
一八 ( 九 )
改装 空母 重巡 第 一級 艦 第 二級 艦 軽巡 駆逐 艦
潜 水 艦 (局 地 用潜 水 艦 を除 く )
︹ 編者注︺ カッコ内は実際 のも のを示す。
二、 戦時 中 の海軍 兵 力増 強 (推 定 )
一九 四 二年 一二月 末︱︱ 戦 艦 一、 空 母 二
a 米国
一九 四 三年 一 二 月末 ︱ ︱戦艦 四、 空 母 二
強 は行 わ れ な か った。
b 英 国︱ ︱ 欧州 戦 局が 改 善 さ れ るま で極 東 に対 す る兵 力 の増
ラ ンダ よ り英 国 に移 動 し、 そ れ に建 造 中 のも のが 一九 四 二
c オ ラ ンダ︱︱ 巡 洋艦 一、駆 逐 艦 一およ び潜 水艦 数 隻が 、 オ
年 中 期 ま で に極東 に増 派 され た ら し い。
第 1表
1 + 四隻
2 し ばら く は利 用可 能 の予備 の兵力 な し
主な水上部隊 の配備推定
(?)
3概 略
を示す
4数 隻 を 示す
2
ミ ッド ウ
ェー
航空兵力 の配備推定
ウ ェー ク
第 2表
1
( 注)
七、 一〇 〇
二、 六〇 〇
a 陸 海 軍 第 一線 機
一、 米国 第 一線 機 の増 強 予想
一九 四 一年 末
一九 四 一年 末
五 、 四 八〇
二、 六 六〇
九〇 〇
一六、 二〇 〇
一九 四 二年 末 一九 四 三年 末
一九 四 二年末
b 戦 闘機
一九 四 三年 末
一九 四 二年 末
一九 四 一年 末
二、 六九 〇
三〇〇
一〇 〇
c 四発 爆 撃 機
一九 四 三年 末 二、 米 国 航 空機 生産 能 力 の推 定
海軍
陸軍
七 〇 、〇 〇 〇
三〇 、〇 〇 〇
四〇 、〇 〇 〇
一九 四 一年 末 の推 定保 有 機
計
四七 、〇 〇 〇
一九 、 三〇 〇
一 二 〇 、〇 〇 〇
一九 四 三年 末 の推 定 保 有機
一九 四 一年 生産 高 推 定 一九 四 二年 生産 高 推 定
一九四三年生産高推定
八五、〇〇〇
終戦時における日米両国 の軍事力比較
付録A︱ 4
八 月末
記
A、終戦前後 における米国 の対 日軍事力 (推定)
七月末
可能 と な った。
事
三、 新 造 空 母 は次 の よう に作 戦
戦 可能 とな った。
は三 ヵ月 から 四 ヵ月 にか け て作
戦 可 能 とな り、 一方 、他 の半 分
月 か ら 三ヵ 月 ま で の期 間内 に作
破 し た艦 艇 のう ち約 半 分 は 二ヵ
二、 沖繩 の防 衛作 戦 にお い て大
戦 に充当 さ れた 数字 を示 す)。
表 わし、 は じめ の数 字 は対 日作
づ い で いる (後 の数 字 は 全体 を
い て米 国 で公 表 さ れ た数字 に基
よ って修 正 され た、 四月 末 に お
作 戦 に よ って完 成 さ れた 結 果 に
一、 本 表 は沖 繩 の防 衛 に対 す る
一、 主要 海 軍兵 力 (一九 四 五年 )
母
艦 種
空
艦
護衛空母
戦
巡 洋艦
駆 逐艦
潜 水艦
面
二、 航 空 兵力 (一九 四 五年 )
方
ア ラ スカ
北方方面
ア リ ュー シ ャ ン
西 ニ ュ ー ギ ニア
東 ニ ュー ギ ニ ア
ニ ュ ー ギ ニア =濠 州 方 面
濠州
﹁ア ン チ ェ タ ム ﹂ 六 月 末 、 ﹁タ ラ
ンジ ャ ー ﹂ は 訓 練 に 使 用 さ れ て
九 月末
計
太平洋主要基地 の配備機 種 一覧
(一九四五年航 空兵力付表)
て逐次太平洋戦域に進出 するも のと予想されでいる。
( 注) 現在欧州占領 地域 にある若干 の航空部隊 は七月末ごろを起点とし
合
艦隊航空部隊
イ ン ド =中 国 輸 送 機
米 ・中 航 空 部 隊
米 国 航 空 部隊
中国
イ ン ド = ビ ル マ戦 域
ニ ュー ジ ー ラ ン ド
フ ィジ ー
ニ ュー カ レ ド ニア = エ スピリ ッ サン ト
ソ ロ モ ン諸 島
南 太 平 洋方 面
ワ ﹂ 七 月 末 、 お よ び ﹁ボ ク サ ー ﹂ 八 月 末 。 ﹁サ ラ ト ガ﹂ お よ び ﹁レ
い て こ の中 に は 含 ま れ て い な い。 四、 英 国 に譲 渡 さ れ た護 衛 空 母 お よび 沖縄 作 戦 以 前 に喪 失 し た
八月 末
も の は 護 衛 空 母 総 数 の中 に 含 ま
七月 末
れ て い な い。
エ リ ス =ギ ル バ ー ト = サ モ ア マー シャ ル マリ アナ 中部 太 平洋 方 面 ペ リ リ ュ ー= ウ ル シ ー
ハワイ
硫黄島
フィ リピ ン
輸送機
琉 球 諸 島 (南 西 諸 島 )
七 月末 八月 末
る。
記
事
合
計
計
海兵師団 総
右 記 の数字 のう ち 後 のも の は全師 団 数 を、 は じ め の数字 は対 日 作 戦 に充 当 さ れ たも のを 示 す も のと す。
2
欧 州 西部 戦 域 の作 戦 に使 用 さ れ
た約 六 〇個 師 団 の大 体半 数 が 次 に
こ と にな った。
示 す よ う に対 日戦 に再 展開 さ れ る
1約 一〇
六月
五月 中下旬
八月末
七月末
九月末
八月末
軍 事 力 欧州戦場 フィ リピ ン作戦準備 ( 師団数)の出発 方 面 到 着 完成
2約 二〇
再 展 開 兵 力所 要 の装 備 お よび 作戦
ンに向 け 輸 送 され た。
所要 の弾 薬 は米 国 か ら直 接 フ ィリピ
B 、終 戦 前 後 にお け る 日本軍 事 力
日本 の国 力 は フ ィリピ ン諸 島 お よび 沖 縄 の喪 失 と共 に累進 的 に弱
体 化 の 一途 を た ど った 。 日本 の現有 航 空 機 の全 部 は特 攻 機 に改 装 さ
れ つ つあ った 。 日本 側 は本土 防 衛 の た め に、 比 較 的軽 易 に生 産 でき
る大規 模 の特 別潜 水 艇 攻 撃部 隊 の転 換 に集中 し つ つあ った。 日 本側
は双発 双胴 の輸 送機 (キ 一〇 五 ) の よう な機 種 の生産 増 加を 通 じ て
六三 六
一二五
一、 一七〇
日本 の軍 事力 を 高 め よう と計 画 し た。 と はいえ 、 相当 の不安 が な お
一、 航 空兵 力
感 ぜ ら れ て い た。
夜 間戦 闘 機
戦闘機
小型 爆 撃 機
1
た め に派 遣 され た。
団 が米 国 か ら対 日作 戦 に参加 す る
五月 以来 、 一ヵ月 に つき 二個 師
本 表 の数 字 は次 の推定 に基 づ い て い
三 、 地上 兵 力 (一九 四 五 年) 師団数
陸軍 歩兵師団 機甲師団 空挺師団 騎兵師団
二六六
三 一〇
六〇
爆撃機
戦闘爆撃機 攻撃機
艦 艇 は燃 料補 給 の現 状 に鑑 み重 点 は置 か れ な か った。 そ れら は
港 湾 の対 空 防 禦艦 とし て 使 用 され た にす ぎ な い。
(計 算 の基 礎 は省 略 )
四 七〇 隻
二、 〇 〇〇 隻
撃沈 し得 る と 思 われ る数 (大 約 )
来 攻輸 送 船 の全数 (大約 )
一、 日本 本 土 に対 す る 米 国 の攻 撃 の場 合 に撃破 可 能 と思 われ る輸 送 船数 の推 定
C 、 日 本本 土 防 衛 作戦 に お いて期 待 さ れ た連 合軍 の損害
一九七
九 月 ご ろ関 東 地区 に対 す る実 施 予定 の攻 撃 の推 定
一九七
中型陸上攻撃機 一五五
中型爆撃機 陸上爆撃機 三四八
三九八
水上偵察機
水上機 一〇
こう し て、 約 四分 の三 が上 陸 す る こと にな る ので 、海 上 に お い
四〇
て の全 滅 を通 じ て米 国 の計 画 を失 敗 さ せ る こと は困難 であ ろう 。
飛行艇 七〇
二、 も し 攻撃 に成 功的 な 遅 延が 起 こると す れば 、 純 粋 に戦術 的 立
水上爆撃機 単発偵察機(MYRT) 七五
計
二、 八二六
小
その他可動機
二、 二一 八
三一 八
る よう に燃料 の生 産 を 増加 の ため 工夫 さ れ た特 別 手段 を維 持 す
ろ う。 ま た毎 月 の約 三 万 ト ン の航空 ガ ソリ ンの生 産が 確保 さ れ
維 持 でき な い限 り は、 日本 の空 軍力 を 維 持す る こと は困難 であ
よう に見 え る 。敵 の猛 烈 な 空襲 にも か かわ らず 、 生産 レベ ルが
場 か ら漸 進 的 に潜 水 艇 特 別攻 撃 隊 を増 加 す る ことが 利 用 可能 な
五、〇四四
一、九〇〇
計
中型練習機
練習機
計
白菊( 偵察練習機) 小
水中破壊隊
三〇〇
一〇〇
一九 四 五 年 二月 のはじ めご ろ、 天 皇 は内 府 お よび 重 臣 た ちを ひそ
近 衛 公 上奏 文 控 (一九 四 五年 二月 )
付 録 A︱ 5
る こと は困 難 で あ ろう 。
総
水上特攻艇 ( 魚雷装備)
一二〇
二、特別攻撃機
人間魚雷
特攻艇( 爆破用爆弾携行) 二、〇〇 〇 三、艦艇
方 針 に ついて の意 見 を聴 取 さ れ る所 が あ った。 近 衛 公が 戦 局 観 言上
御座 候 。 ソ聯 は究 極 に於 て世 界赤 化政 策 を 捨 てざ る は最 近 欧州 諸 国
に進 行 し つ つあ り と存 候。 即 ち 国外 に於 て は ソ聯 の異 常 な る進 出 に
っら つら 思 ふ に我 が 国内 外 の情 勢 は今 や 共産 革 命 に向 つて急 速 度
と あ るべ き 共産 革 命 に御座 候 。
のた め に天 皇 のお召 し を受 け た のは 一九 四 五年 二月 十 四 日 の こと で
に対す る露 骨 な る策 動 によ り明 瞭 とな り つつあ る次第 に御 座候 。 か
か に お召 し にな り、 日 本 の現 状 に ついて の見解 およ び国 家 の今 後 の
あ る。 こ の日 の参 内 に先立 って近衛 公 は自 分 の見 解 を覚 書 に認 め て
乗 す る所 謂 新 官 僚 の運 動 、 及之 を 背後 よ り操 り つ つあ る左 翼 分 子 の
敵 愾 心 の昂 揚 の反 面 た る親 ソ気 分 、軍 部 内 一味 の革 新 運動 、 之 に便
ゆ く 観有 之 候 。 即 生活 の窮 乏、 労 働者 発 言 度 の増 大 、英 米 に対す る
翻 て国 内 を 見 る に、 共 産革 命 達 成 のあ ら ゆ る条 件 日 日具 備 せ られ
し 来 る危 険 十 分 あ り と存 ぜ られ 候 。
く の如 き 形 勢 よ り推 して 考 ふる に、 ソ聯 はやが て日本 の内 政 に干 渉
準備 し て持 参 し 天皇 の御前 で は 口頭 で申 し あげ た。 以 下収 録 さ れ て いる のは、 ず っと近 衛 公 の秘 書 で あ った牛 場 友彦 に よ って準 備 さ れ た覚書 の英 訳 文 であ る。 こ の翻 訳 の写 しと 覚 書 原文 は 一九 四 五年 一 一月 三〇 日 に調 査 団 に提 示 さ れ た。
要 部 分 の正確 な 要約 を示 す も の であ る 。翻 訳 者 の牛 場 氏 によ って使
次 の翻 訳 文 の各部 は必ず しも 日 本 語 原文 の逐 語訳 で はな いが 、 重
用 さ れ た訳 出 法 は、 要 点 は 決 し て抜 か さ な い よう に して 、近 衛 公 に
暗 躍 等 に御座 候 。
分 子 は国 体 と 共産 主義 の両立 論 を以 て 彼 等 を引 きず ら んと し つつあ
る も の の如 く、 軍 部 内革 新 論 の基 調 も 亦 ここ にあ り と存 じ候 。 共 産
少 壮 軍 人 の多 数 は我 国 体 と 共産 主義 は 両立 す る も のな りと 信 じ 居
よ って列 挙 され た あ ま り重 要 で はな い文 句 を省 略 す ると いう や り方
いる。 一方 、 あら ゆ る 場合 に重 要 な結 論 はそ のま ま 忠実 に訳 出 さ れ
る ソ連 の政 治 的浸 透 への強 い主 張 の如 き 個 所 は訳 文 か ら は除 か れ て
に大東 亜 戦 争 にま で導 き 来れ る は 是等 軍 部 内 の意 識 的計 画 な り し こ
る も の に御 座候 。 抑 々満 洲事 変 、支 那 事 変 を起 し 、之 を 拡 大 し て遂
であ った。 例 えば 、 フラ ン ス、 ユーゴ スラ ビ ア、 ベ ルギ ー等 に おけ
て い る。 数 例 におけ る 小 さな 補 助 的 な論 旨 の削除 によ って、 全 体 と
る べき も 、英 米 の輿 論 は今 日 ま で の所 国体 の変 革 と ま で は進 み居 ら
意 識 的 に共産 革 命 にま で引 きず ら んと す る意 図 を包 蔵 し 居 り、 此結
も、 これ を 取巻 く 一部官 僚 及 民 間有 志 (右翼 にせ よ左 翼 に せ よ) は
是 等軍 部 内 一味 の革 新 論 の狙 ひは 必ず しも 共産 革 命 に非 ず と す る
公 言 せ し は此 の 一味 の中 心的人 物 に御 座候 。
﹁事 変 永引 く が よ ろ しく 事 変解 決 せば 国内 革 新が でき な く な る﹂ と
新 にあ りと 公 言 せ る は、 有名 な る 事実 に御 座 候 。 支 那 事 変 当 時 も
と 今 や明 瞭 な り と存 候 。 満洲 事 変 当時 、 彼等 が 事 変 の目的 は国 内 革
し て の原 文 の逐語 訳 では なく な ったが 、 こ のこ と は こ の文 献 の全 般 的 重 要 性を 決 して減 少 さ せ るも ので は な いと 信 じら れ て い る。
上奏 文 控
ず 、 随 て 敗 戦だ け な らば 国 体 上 はさ まで憂 ふ る要 な しと 存 候。 国体
敗 戦 は遺 憾 なが ら最 早 必 至 なり と 存候 。 敗 戦 は我 が 国 体 の瑕 瑾 た
の護 持 の建 前 より 最 も憂 ふる べき は敗 戦 よ りも 敗 戦 に伴 ふて起 る こ
大命 を 拝 し た るが 国 内 の相 剋 摩擦 を避 け んが た め出 来 るだ け是 等 革
節 々頗 る 多き を 感ず る次 第 に御 座 候 。 不 肖 は此 間 二度 ま でも組 閣 の
論 の鏡 にかけ て 過 去十 年 間 の動 き を照 ら し見 る時 、 そ こ に思 ひ当 る
岡田啓介、小沢治三郎、迫水久常、重光葵、嶋 田繁太郎、
美、木戸幸 一、岸信介、小磯国昭、近衛文麿、及川古志郎、
(阿南惟幾、東久邇稔彦、平沼騏 一郎、 広田弘毅、 井上成
付録B 日本側 戦時指導者 の略歴 (アルファベット順)
鈴木貫太郎、高木惣吉、東郷茂徳、東条英機、豊 田副武、
新 論者 の主 張を 容 れ て挙 国 一体 の実 を 挙 げ ん と焦 慮 せ る の結 果 、彼
二月
陸軍士官学校卒業
東京 に生れる
梅津美治郎、米内光政)
二十年
阿南惟幾
等 の主張 の背後 に潜 め る意 図 を 十分 看 取 す る能 はざ り し は、 全 く不
昨今 戦 局 の危 急 を 告 ぐ ると 共 に 一億 玉砕 を叫 ぶ声 次 第 に勢 を 加 え
明治
明 の致 す 所 に し て何 と も申 訳 無 之 深く 責 任 を感 ず る 次第 に御 座 候。
つつあ りと 存 候。 かか る 主張 を な す老 は所 謂 右 翼者 流 な るも 背 後 よ り之 を煽 動 し つ つあ る は共 産分 子 な り と 睨 み居 り 候 。 かか る情 況 下 に勝 利 の見 込 なき 戦 争 を之 以 上 継 続す るは、 全 く 共
八年十二月 参謀本部部員
七年十 一月
陸軍大学校卒業
大正
三十 八年十 一月 同
同
り と確 信 仕 り候 。
産 党 の手 に乗 る も のと 存 じ、 一日も 速 に戦 争 終 結 を講 ず べき も のな
戦 争遂 行 の自 信 を 失 ひ居 るも 、 今迄 の面 目 上飽 く ま で 抵抗 可致 者 と
局 を推 進 し来 り し軍 部 内 の か の 一味 の存 在 な り と存 候 。彼 等 は 已 に
同
同
同
同
十六年
十三年 三月 陸軍中将
十二年
陸軍省兵務局長
存 ぜら れ 候。 も し 此 の 一味 を 一掃 せず し て早 急 に戦 争終 結 の手 を打
同
十七年 七月 第 二方面軍司令官
八月
つ時 は右 翼、 左 翼 の民 間有 志 、 此 の 一味 と対 応 し て、 国内 に 一大混
同
戦 争 終結 に対 す る最 大 の障害 は満 洲 事 変以 来 今 日 の事 態 にま で時
乱 を惹 起 し所 期 の目 的 を達 成 し 難き 恐 有 之侯 。 従 て戦 争 を終 結 せ ん
同
十八年
三月 陸軍省人事局長
と す れば 先づ 其 前 提 と し て此 一味 の 一掃 が 肝要 に御 座 候。 此 の 一味
同
十九年十 二月 陸軍航空総監兼軍事参議官、陸軍航空本部
昭和 十 一年
を 一掃し 軍部 の建 直 し を実 行 す る こと は 、 共産 革 命 よ り 日本 を 救 ふ
同
二十年 四月 陸軍大臣 ( 鈴木内閣)
十四年
長
五月 陸軍大将
四月 第十 一軍 司令官
十月 陸軍次官
九月 参謀本部付
十 一月 第 一〇九師団長
先 決条 件 な れば 、 非 常 の御 勇 断 を こそ 願 は しく 奉 存 候 。
同
八月 自決 明治 二十 一年
東京帝国大学法学部卒業、司法省 に入る
同 四十四年
九月
内閣総辞職 により法相辞職
司法大臣 (第二次山本内閣)
大審 院長
検事総長
司法次官
法学博 士
同
十年
同 四十五年十 一月
同
十二年
枢密院副議長
大審院検事
大正
一月
枢密院議長
東京地裁判事
同
十三年
十 三年
四月
内閣総理大臣
二十三年
同
十五年
一月
六月
同
七月 歩 兵少佐、歩兵第七聯隊大隊長
三年十 一月 陸軍大学校卒業
同 三十九年十 一月 東久邇宮 の称号を賜わる
明治
七年
同
十 一年
同 三十八年
大正 四月
同
十四年
東久邇宮 稔彦王 ( 東久邇稔彦)
同 四年十二月 陸軍少将 参謀本部付
九年
昭和
八月 兼陸軍航空本部長
同
同
フランスに留学
四月 第 二軍司令官
同
四十年
同 八月 歩兵第五旅 団長
同
二十年十二月 京都 に生れる
昭和 五年 八月 第 二師団長
七年十二月 陸軍中将
十五年十二月
五月 陸 軍士官学校卒業
同 八年
同
十六年 七月 国務大臣 (第三次近衛内閣)
十 二年
陸軍大将 軍事参議官
四十 一年
同 八月 第 四師団長
同
同 十三年 八月
同
同 九年
同
同 十 四年
防衛総司令官兼軍事参議官
同
起訴さる
四月 極東国際軍事裁判にA級戦犯容疑者として
広 田弘毅
十 一月 右法廷で終身禁錮刑に処せらる
二十 一年
十 二月 戦犯容疑者として収容
四月 枢密院議長 (鈴木議長 の後任者)
八月 右翼分子 の 一味 に狙撃され重傷を負う
内務大臣 ( 米内内閣)
八月 内閣総辞職
国本社を創立社長となる
同 十年十二月 軍事参議官
同 十六年十二月
内閣総理大臣
岡山県 に生れる
二十年
同
同 八月 平沼騏 一郎 元年
同
二十年
四月 軍事参議官
同 同
慶応
同
十年十 一月 海軍少将、横須賀鎮守府参謀長
八年十 一月
比叡艦長
同
十 二年 十月 海軍省軍務局長
東京帝国大学法学部卒業、外務省 に入る
二月 福岡県に生れ る 同
三十八年
明治 十 一年 四十年 十月 清国公使館付外交官補
同 同
十四年 十月 支那方面艦隊参謀長
十六年
十五年 十月 海軍航空本部長
十 一月 海軍中将
同 同
十七年 十月 海軍兵学校長
同
十年 九月 外務省情報部課長
同
十 二年 九月 欧米局長
大正 オランダ駐在公使 同
同 二年 ソ連駐在大使
八月 海軍次官
八月 第 四艦隊司令長官
五年十二月
四月
昭和 八年 九月 外務大臣 (斎藤内閣、岡 田内閣)
十九年 二十年
十月
四年
京都帝国大学法学部卒業、農商務省 に入る
東京に生 れる
予備役
五月 兼航空本部長、海軍大将、軍事参議官
十 一月 兼艦政本部長
同
同 三月 内閣総理大臣
同 十 一年
同
同
同
二月
内閣総辞職
十 二年
同
同 六月 外務大臣 ( 第 一次近衛内閣)
木戸幸 一 大正
父孝正死去により襲爵 (侯爵)、貴族院議員
内大臣秘書官長
商 工省部長
商工省総務文書課長
農商務大臣秘書官
六年 同 同 五年
同
明治 二十 一年
五月 外務大臣辞任、貴族院議員
二十年十二月 戦犯容疑者として収容
十 三年
同 同
四月 極東国際軍事裁判 にA級戦犯容疑者として 起訴 さる 十 一月 右法廷で絞 首刑を宣告さる
二十 一年
同 同 同 井上成美 宮城県 に生れる
昭和
明治 二十 二年十二月
同 十 一年
五月 厚生大臣
十月 文部大臣 (第 一次近衛内閣)
四十 二年十 一月 海軍兵学校卒業
同
十三年
十 二年
同
同
大正 十 一年十二月 海軍大学校 甲種学生
同
宗秩寮総裁
二年十 一月
十三年十二月 海軍省軍務局局員 七年十 一月 海軍省軍務 局第 一課長
同 昭和
イタリー大使館付武官
同
同
同 十五年
十四年 六月
一月 内大臣
内務大臣 (平沼内閣)
同
同
同
同
七年
六年
五年
四年
八月 陸軍中将
八月 陸軍省軍 務局長
八月 陸軍省整備局長
二月 陸軍次官
戦犯 として の指定を受く
四月 極東国際軍事裁判にA級戦犯容疑者として
二十年十 二月 二十 一年
八月 関東軍参謀長
東京帝国大学法学部卒業、商 工省に入る
山 口県 に生れる
同
同
同
同
同
二十年 四月 内閣総辞職
十九年 七月 内閣総理大臣
十七年
十 四年
十 三年
五月 朝鮮総督
四月 拓務大臣 (平沼、米内両内閣)
七月
十 二年十 一月 陸軍大将
三月 第五師団長
満洲国実業部次長
同
九年
九年 商工次官
同
同
同
同 同 起訴さ る 十 一月 右法廷で終身禁錮刑 に処せらる
十二年 商工大臣 (東条内閣)
同
大正
国務大臣 ( 東条内閣)
十年十二月 朝鮮軍司令官
昭和 十五年 六月
十 六年 十 一月
同
同 十 八年
京都帝国大学法学部卒業
貴族院議員となる
父篤麿 の死去 により襲爵して公爵となる 五年
一月
十月 東京に生れる
右法廷 で終身禁錮刑 に処せらる
起訴さる
四月 極東国際軍事裁判にA級戦犯容疑者として 十 一月
二十 一年
十 一月 戦犯容疑者として収容
予備役
同
同
岸 信介
同 十九年十 一月 衆議院議員とな る
明治 二十九年
同
同
二十年
九月 戦犯容疑者として収容されたが その後釈放
同
明治 二十四年
近衛文麿 同
四月 宇都宮市に生れる
小磯国昭 三十三年十 一月 陸軍士官学校卒業
十三年
四十三年十 一月 陸軍大学校卒業
明治 同
六年
三十七年
同
大正
八年
歩兵第 五 一聯隊長
八月
同
一月 西園等公随員 としてパリ平和会議に出席
同
陸軍航空本部総務部長
五月 参謀本 部課長 二年 七月
十四年
大正 十 二年 同 昭和
三年 十 一月
即位大典大礼使長官
昭和 一月 貴族院副議 長
同
十五年十 二月 海軍兵学校教頭
十三年十 二月 軍令部 一班 一課長
三年十 二月 海軍少将、呉鎮守府参謀長
同 昭和
六月
貴族院議長
六年 五年
八年
七年十 一月 第 一航空戦隊同令官
同 同
同 同
枢密院議長
内閣総辞職
内閣総理大臣 (第 一次近衛内閣)
同
同
同
同
同
同
十 五年
十五年
五月 横須賀鎮守府司令長官
十 一年十 二月 海軍航空本部長
八年
九月 海軍大臣 ( 第 二次近衛内閣)
十四年十 一月 海軍大将
十 三年
十月 軍事参議官 ( 海相辞任)
四月 支那方面艦隊司令長官兼第三艦隊司令長官
十年十 二月 第三艦隊司令長官
十 一月 海軍中将
十月 海軍兵学校校長
内閣総理大臣 (第二次近衛内閣)
同
十 六年
八月
二月 岩手県 に生れ る
及川古志郎 十六年
六月 軍令部 一班長
らと会見
九年
十六年
二十年
十八年
渡米、 ルーズ ベルト大統領や ハル国務長官
同 十二年
大政翼賛会 を設立
同
十月 兼海軍大学校校長
一月
内閣総理大臣 (第三次近衛内閣)
同
十 七年
八月 軍令部総長
十 八年十 一月 海上護衛司令長官兼軍事参議官
十四年
十月
同
十九年
七月 七月 内閣総辞職
同
五月 軍事参議官
十五年
十月 大政翼賛会顧問
同
二十年
六月
同 同 同 同 同 同 同
同 国務相 ( 東久邇内閣)
同
十二月 自決す
同 同
明治
二年十 二月 海軍大学校甲種学生
同 三十六年 十二月 海軍兵学校卒業 大正
一月 福井県 に生れる
岡田啓介 元年
三年
八月 第 二戦隊司令官
九月 海軍大佐、海軍水雷学校校長
三月 海軍大学校甲種学生 同
同 三十二年
十 一年 十二月 第十四駆逐隊司令
大正
明治
一月 多摩艦長
十二年 十二月 海軍大佐、鬼怒艦長
四年 十二月 東宮武官
同
十三年
同 同
四十 一年
同
同 同 同
第三水雷戦隊司令官
第 一水雷戦隊司令官 同
同 十 二年
十 一年十二月 海軍少将、海 軍大学校教官
十月 海軍省艦政局長 同
同
同
十 六年 九月
十 五年十 一月
十四年十 一月
海軍大学校校長
海軍中将、第三戦隊司令官
第 一航 空戦隊司令官
十三年十 一月 海軍水雷学校校長
十 一月 第八戦隊司令官
二月 聯合艦隊参謀長兼第 一艦隊参謀長
四月
十 二月 十二月
四年 海軍省人事局長 同
十月 海軍艦政本部長
同
六年十 二月 海軍中将、佐世保海軍工廠長
五月 海軍次官
同
六月 海軍大将、軍事参議官
七年 十二年
同
十三年
九年
同
同 同
同
同
二十年
十九年十 一月
十九年
軍令部次長兼海軍大学校校長
第 一機動艦隊司令長官兼第三艦隊司令長官
一月 第 一南遣艦隊司令長官
十月 南遣艦隊司令長官
同
十五年十二月 横 須賀鎮守府司令長官
同
十月
五月
護衛司令長官 予備役
海軍総司令長官兼聯合艦隊司令長官、海上
三月
十 一月 第三艦隊司令長官
四月 海軍大臣 (田中内閣)
同
十七年
四年 七月 軍事 参議官
同
一月 後備役 ( 海相辞任)
七年 五月 海軍大臣 (斎藤内閣)
二年
内閣総辞職
七月 内閣総理大臣
聯合艦隊司令長官兼第 一艦隊司令長官
同 八年
退役
十二月
同 九年 一月
三月
同
同 十 一年
同
同 十 三年
昭和
同
鹿児島県に生れる
迫水久常 明治 三十五年
東京帝国大学法科卒業、大蔵省に入る
同
同 小沢治 三郎
十 一月 十九年
内閣参事 官
企画院第 一部第 一課長
大蔵省理財局金融課長
岡田首相秘書官
米国駐在大蔵財務官
大正 十五年 五年 九年︱十 一年
昭和
十 六年
同 同
十九年 十月 宮崎県 に生れる
同
四十 二年十 一月 海軍兵学校卒業 八年十 二月 海軍大学校甲種学生
明治
九年十 一月 摩耶艦長
同 大正
六月
昭和
同
十年
十月 棒名艦長
同
同 同
四月
十 一月 二十年
同
同
十三年十 二月 海軍大佐
十二年十 二月 海軍大学校教官
六月 軍令部第 一班 一課員
大蔵省銀行保険局長 同
九年
内閣書記官長 (鈴木内閣)
三年
八月 多摩艦長
十五年十 二月 第七潜 水隊司令
昭和
四年十 一月 海軍少将、第 二艦隊参謀長
同 大分県 に生れる 同
五年十 二月 聯合艦隊参謀長兼第 一艦隊参謀長
七月 同
重光 葵 東京帝国大学法科卒業、外務省 に入る 同
二十年 条約局長
明治 同 四十四年 中国駐在公使
同
同
八年 十月 軍 令部 一部長
七年
一月 ソ連駐在大使
同
六年
十 二月 比叡艦長
大正 十二年
イギリ ス駐在大使
同
昭和
南京駐在大使
二月 第三艦隊参謀長
十月
十 一年十 一月
外務大臣 (東条内閣)
六年十二月 海軍潜 水学校校長
一月
九年十 一月 海軍中将
同
十三年 四月
十年十二月 軍令部次長
外務次官
同 十七年
同
五月
同 十八年
外務大臣兼大東亜大臣 (小磯内閣)
同
八年
同 七月
同
同
同 十九年
戦犯容疑者として収容
九月
同
十 五年
十三年十 一月 呉鎮守府司令長官
十 二年十二月 第 二艦隊司令長官
東京に生 れる
同
同
同
同
十月 海軍大臣 ( 東条内閣)
十六年 九月 横須賀鎮守府司令長官
十 一月 海軍大将
五月 支那方面艦隊司令長官
起訴される
同
海軍兵学校卒業
同
二十年 九月 戦犯容疑者として収容
八月 軍事参議官 (海相、総長辞職)
二月 兼軍令部総長 海軍大学校甲種学生
十九年 イタリー大使館付武官補佐官
同
右法廷で禁錮七年 に処せらる
十 一月 兼軍令部第 一班長
六月 軍令部第三班長
同
極東国際軍 事裁判でA級戦犯容疑者として
四月
二十年十 一月
十六年
嶋 田繁太郎
十 一月
二十 一年
同 同 同
明治
二年十二月
三十七年十 一月 五年
同 大正
八月
同
海軍大学校 甲種学生
常備艦隊付属第三水雷艇隊艇長
同
昭和
同
同
同
同
同
同
同
同
同
十四年 四月
十三年十 二月 軍事参議官
十三年
十 二年
八月
十 一年 七月
十年十二月
七年十二月
聯合艦隊司令長官兼第 一艦隊司令長官
海軍大将
呉鎮守府司令長官
第三艦隊司令長官
九年十二月 第 二艦隊 司令長官
六年
一月
慶応
十 一月 右法廷で終身禁錮刑 に処せらる 鈴木貫太郎 大阪府に生れる
七月 海軍兵学校卒業
三年十二月 二十年 四月 十二月
三十年
二十七年 十月
明治 同 同 同
四年
二月
一月
二 ・二六事件 により重傷を負う
予備役、侍 従長兼枢密顧問官
八月 枢密院議 長
六月 枢密院副議長
男爵、依願免本官、枢密顧問官 十五年
四月 内閣総理大臣
十 一月
十 一年
軍令部長
海軍兵学校校長
軍令部第 一局局員兼海軍省軍務局軍務課課
同
三十七年
同 三十六年 十二月
十九年
八月 内閣総辞 職
二十年
明治 二十六年十 一月 熊本県に生れる
同
同
明石艦長
四年十 二月 海軍兵学校卒業
九月 海軍大佐
十 一月 海軍大学校教官
宗谷艦長
二年十二月
四十年
六月 海軍中将、練習艦隊司令官
員
同
四月 極東国際軍事裁判 にA級戦犯容疑者として
春日回航員
二十 一年
春日副長
同
二月
起訴される
同 一月 第 四駆逐隊司令
同
同 三十八年
同
同
十月
同 四十 一年 九月
大正
同 同 四十二年
七月 海軍水雷学校校長
昭和 四月 海軍次官
同
八年十 一月
六月
一月
海軍省副官兼海軍大臣秘書官
軍令部出仕兼海軍省出仕
海軍中佐、海軍大学校教官
同
高木惣吉
同 四十三年
五月 海軍少将、舞鶴水雷隊司令官
二月
海軍少佐、 フラ ンス駐在被仰付
八月 第 二艦隊司令長官
同
二年
五年
大正
同 三年
十二月 海軍省人事局長 五年
同 同
兼海軍省軍務局長
同
十二年十 二月
十 一年 海軍大佐
海軍省軍務局局員
四月
同 十四年
同
二十 一年
四月 極東国際軍事裁判にA級戦犯容疑者 として
起訴 される
六月
十五年十 一月
十 一月 海軍省調査課長
海軍大学校教官
同
四年十 二月 陸軍大学校卒業
明治 十 七年十 二月 東京 に生れ る
十 一月 右法廷で禁錮 二〇年に処せらる
五月 海軍少将
五年
同
同 十七年
大正
海軍省調査課長
同
同 十八年
同
四月
同
同 三月 海軍省教育局長
同
同
四年
八月 歩兵第 一聯隊長
三年 三月 陸軍省 整備局動員課長
十年十 一月 陸軍大学校教官
八年
八月 参謀本部課長
八月
八月 陸軍省副官
三月 陸軍士官学校卒業
九月 軍令部出仕
昭和
六年
三十八年
東条英機
同 十九年 予備役
同
同
舞鶴鎮 守府参謀長
同
鹿児島県 に生れる
東郷茂徳
同
同
八年
三月 陸軍少将、参謀本部付
明治 十五年十二月
同
八月 歩兵第 二十四旅団長
三月 陸軍士官学校幹事
軍事調査委員長
外務省 欧米局課長
八月
十二年
一等書記官 アメリカ在勤
スイ ス、 ドイツへ出張
東京帝国大学文科卒業
同
四十 一年 外務省 に入る
二十年 九月
同 四十五年
同
同 大正 十 四年
九年
同
三月 関東軍参謀長
十 一年十 二月 陸軍中将
九月 関東憲兵隊司令官
五月 陸軍次官
十年 十 二年
同 同
十 三年
欧米局長
同
八年
同
昭和
十三年十月︱十四年十月
十二年十二月
外務大臣 ( 東条内閣)
同
同 十月
大東 亜省設置問題でそ の地位を去る
同
ドイ ツ駐在大使
同 十六年
九月
外務大臣兼大東 亜大臣 (鈴木 内閣)
ソ連 駐在大使
同 十七年
四月
十二月 戦犯として指定される
十五年 七月 陸軍大臣 (近衛内閣)
十 二月 陸軍航空総監兼航空本部長
同
二十年
同
同 同
同 八年
三月 海軍省教育局長
九月 聯合艦隊参謀長兼第 一艦隊参謀長
六年十二月 海軍少将、軍令部第二班長
五年十二月
日向艦長
同 十年
十月 内閣総理大臣兼内務大臣、陸軍大臣、陸軍 同
十 六年 大将 同
同 兼外務大臣
十 一月 海軍中将
四月 兼 文部大臣
十二月
九月 同
十七年
同
十八年 十月 兼商 工大臣
第二艦隊司令長官
十二年 十 月 第四艦隊司令長官
同
十 一月 兼軍需大臣
海軍艦政本部長
同 同 同
十四年 十月
十三年十 一月
同
同
同
同
二十年
十九年 五月 聯合艦隊司令長官
十八年
十七年十 一月
十六年 九月 海軍大将、呉鎮守府司令長官
同
同
十 一月
五月
予備役
軍令部総長
四月 兼海軍総司令長官
五月 横須賀鎮守府司令長官
軍事参議官
同
海軍省軍務局長
同 二月 兼参謀総長
同
四月 極東国際軍事裁判 にA級戦犯容疑者とし て 起訴される 十 一月 右法廷で絞首刑を宣告さる
二十 一年
二十年十 一月 戦犯容疑者とし て収容
十九年
同
同 七月 依願免本官並兼官 (内閣総辞職)
同
同 同 同
五月 東京 に生れる
豊 田副武 十八年
四年十二月 海軍大学校甲種学生
三十八年十 一月 海軍兵学校卒業
明治 同 大正
三十六年十 一月 陸軍士官学校卒業
第七潜水隊司令
由良艦長
昭和
同
大正
五年
四年
二年
八月
八月 デ ンマーク駐在
四月 ドイ ツ駐在
一月 東京 に生れ る
十 一年十二月 球磨副長
同
四十四年十 一月 陸軍大学校卒業
梅津美治郎
十 二年
同
二年十 一月
明治 十五年
同
十四年十 二月 海軍大佐、軍令部出仕兼海軍大学校教官
八年十二月 イギリス駐在被仰付
同
十 五年十 一月
同
同
三年十 二月 海軍省教育局第 一課長
六月 海軍省軍務局員
同 昭和
陸軍少将、歩兵第 一旅団長
同
同
同 九年
六年 三月
八月 支那駐屯軍司令官
参謀本部総務部長 同
同 十二年
三月
十 一年十二月
磐手艦長
春日艦長
五年十二月 海軍中将、鎮 海要港部司令官
三年十二月
陸奥艦長
昭和
海軍少将、第二艦隊参謀長
陸軍次官 同
十三年十 一月
第 一軍司令官
同
三月 関東軍司令官
七年十二月
第二艦隊司令長官
八年十 一月 佐世保鎮守府司令長官
八月 陸軍中将 十年 五月 同
九年十 一月
同 十 一年 九月
同
軍令部第 三班長
同 十三年 陸軍大将
同
十四年十二月
同 十四年 八月 参謀総長
十月 関東軍総司令官
十 五年十二月
同 十五年 七月
同
同 十七年
同
同 十九年
横須賀鎮守府司令長官
八月 第 二師団長
同
十年十二月
聯合艦隊司令 長官兼第 一艦隊司令長官
第三艦 隊司令長官
第 一遣外艦隊司令官
同
同
十 一年十二月
九月 ﹁ミズーリ﹂艦上において日本軍 を代 表 し
十 二年
二月 海軍大臣 (林内閣、第 一次近衛内閣、平沼
同
軍事参議官 (海相辞職)
海軍大将
内閣 ) 四月
内閣総辞職
八月
現役復帰、海軍大臣 ( 小磯内閣、鈴木内閣)
十 四年
七月
同
同
同
二十年
四月 極東国際軍事裁判でA級戦犯容疑者として 起訴 十 一月 右法廷で終身禁錮刑に処せらる
二十 一年
十 一月 戦犯容疑者として収容
て降伏文書 に署名
同 同 同 同
十九年 七月
内閣総理大臣、予備役被仰付 同
退官
一月 同
二十年十二月
十 五年
同
同
海軍兵学校卒業
三月 岩手県 に生れる
米内光政 明治 十三年
同
同
大正
七年
六年
四年
四月
五月
二月
軍令部出仕 (ロシア出張)
佐世保鎮守府参謀
ロシヤ大使館付武官補佐官
元年十 二月 海軍大学校甲種学生
同 三十四年十 二月
同
1
二
永 野 修 身
R ・A ・オ フス テ ィ
問
問 答筆 記
( 海 図 を ひ ろげ な が ら) 閣 下、 わ れ わ れ は最 高統 帥 部 の計 画 や
ま ず 、 そ れ に つ いて説 明 し て い ただ き た い。
たも の であ る かと いう こと 。
私 が 軍令 部 総 長 に就 任 し た のは昭 和 十 六年 四 月 で した。 今 、 あ
な た方 のた め に こ の海 図 に示 され た線 と いう も のは、 軍 令 部 で旧
いわ ゆ る南 方 資 源 を獲 得 し、 そ の防 衛 のた め、 外 郭 圏 を決 定 す
部 下 の人 々が 一緒 に 研究 し た 結果 決 めた線 だ った と思 います 。
答
げ る こと にな った 理 由、 そ し て こ の新 し い計 画 は ど こで 発案 さ れ
から 、 そ の後 そ の計画 を変 え て いる こと です 。そ の外 郭 圏 を ひろ
し兼 ね る点 が あ り ます 。 そ れ は最 初 に作戦 地 域 の外 郭 圏 をき めて
そ の第 一の問 題 の 一つで すが 、 わ れ われ にどう も 充 分納 得 いた
に ついても ご意 見 を 承 り た い。
そ れ か ら、 多 分 あ な た の権 限内 にあ ったと 思 われ る各種 の問 題
ます 。
決 定 に つい て、 若 干 の重要 な 点 をあ な た にご 説 明 願 いた いと思 い
問
重 臣、 陸海軍 人 尋問 記録
( 昭和十 一年三月海軍大臣、同十二年二月聯 合艦隊司令長官、 同年十二月軍事参議官、同十六年四月軍令部総長、同十 八年 二 月辞任。海軍 元帥。昭和 二十 一年十 一月極東国際軍事裁判 で終
米海 軍 少 将
東京
T ・J ・ヘデ ィング
昭和 二十年 十 一月 二十 日
大佐
身禁錮刑に処せらる。 ) 質 問者 同 日 時場 所
陳述要旨 永 野 元 帥 は高 等 用 兵計 画 、 陸 軍 と の協 同 作戦 、 米 海 軍作 戦 が 日本 の戦 力 にお よぼ し た 主 な影 響 等 に つい て説 明 を行 な った。 彼 は、 そ の背 後 の多数 の海 軍 軍人 、 経 験 に富 んだ 多く の高 級海 軍 士 官 と 同 様 に、 真 先 き に戦 争 に 反対 し、 三 国同 盟 に不同 意 であ った。
て い た。
そ し て 軍人 ( 特 に陸 軍) が 政 治 に干 与 容喙 す る こと を非 難 し嫌 悪 し
答
ると いう ことが 、 も と も と の基 本 計画 だ った ので し ょう ? こ こ に記 入 され て あ る外 郭 圏 は全 海 軍 作 戦 計 画 の 一部分 を 示 し てい るも のと 思 いま す 。 つま り、南 方 地 域 か ら資 源 を 獲得 す るた め の外郭 圏 だ った と考 えま す 。 と こ ろ で、 い った んそ の作 戦 を は じ め てみ た と こ ろが、 と ても す ら す ら と運 ん だ。 そ こで、 こ の外郭 圏を 確 保 し た後 、 こ の線 を
問
答
一般的 に い って、 そ のよう な 規 模 の海 軍 側 の計 画 は い つでも 陸 軍 の同意 を 必要 と し まし た か。
これ を海 軍 だけ の作 戦 と よ ぶ の はま ちが いと思 いま す。 なぜ か
のと 考 え た ろう と思 われ ま すが 、 そ の中 国 作 戦 に ついて、 海 軍 は
中 国 におけ る 作戦 は、 あ な た方 は、そ れ を 圧 倒的 に陸軍 的 なも
いう べき です から 。
と 言 えば 、 これ は と ても 大 き な問 題 で、 む し ろ 国家 全 体 の問 題 と
問
大 陸 方 面 の純 陸 上作 戦 と み な され る も のに つ いて は、海 軍 は、
し た か。
そ の作 戦規 模 や 必要 な資 材 資 源等 に つ いて充 分 な情 報 を 得 て いま
答
て、 そ の案 を海 軍 に見 せ 承諾 を 求 め てき ま し た。も し、 そ の作 戦
し かし 連 合作 戦 と いう よう な 場 合 には 、陸 軍 が まず 計 画 を た て
そ の計画 の準備 や 作 戦 指導 に加 わ り ま せ んで し た。
まず 第 一に、 陸 軍部 はそ の 一番 最 初 の段階 の基 本 的 要 素 に同 意 し
ち出 し、 関 心 を も った のも 主 と し て海軍 で はな か った のです か 。
次 は ア リ ュー シャ ン作 戦 の こと です が 、 あ の作 戦 は海 軍 側が 持
ん でし た。
く し 立 て し たり、 好 ん で対 立 す るよう な 気 持 ち はさ ら にあ り ま せ
両 部 の間 の協 力 は円滑 に お こな われ て、 ど ちら 側 にも 相 手 に か
車 で五分位 の距離 であ った。
︹ 編者注︺ 軍令部 と参謀本部は同じ区内 の霞 ヶ関と三宅坂 に あ って、
た ので連 絡 は楽 に でき ま し た。
な こと に、 両統 帥 部 の建 物 は東 京 で お たが い に近 いと こ ろにあ っ
な いで承 諾 す ると いう よう な こと も たび た びあ り ま し た。 仕合 せ
が 海 軍側 によく 分 ら な い よう な 場 合 には 、海 軍 は研究 も 討 議も し
そ の計 画 は陸 海 両統 帥 部 が 協 議 の結 果、 採 用 さ れ たも ので す。
問
てく れ ま し た か。
って、貴 下 はそ れ を参 謀 本 部 に説 明 し て そ の同 意 を 得 まし た か。
こ の拡 張計 画 を 立案 す る に当 って、 ま たそ れ を 決定 す る にあ た
です。
こ の線 が 完 成 す る と間 も な く南 方 への進 攻 が は じ め られ た わけ
され ま した 。
さ ら に拡 大 し 、 占領 地 域 の防衛 を 確 実 に し よう と いう こと に決 定
問
答
そ の後 の南 方 に向 って の進撃 、ま た 東方 への拡 大 に ついて も参
両 方 とも 陸 軍 側 と 相談 の結 果 に よ った も のです 。
謀 本 部 の同意 に よ った も のです か 。
問
答
貴 下 は陸 軍 の充 分 な 同意 、 完 全 な意 見 一致 が あ った と言 わ れ ま
で なけ れ ば な らな か った の です 。 と いう のは、 陸 軍 の協力 支 援が
そ う で す。 そ の点 に ついて は 完全 な 同 意が 得 ら れ ま し た。 そう
す か。
問
答
た。
な けれ ば そ れ ら の作 戦 を 企 てる こ と はと う て い でき な いも の でし
答
私 の手 許 にそ の作 戦 計画 が と どけ ら れ た とき に は、そ れ はす で
て から と いうも の は、 わが 国 は石 油 不足 で の っぴ き なら な い危 険
た 。と いう のは、 米 、英 、 蘭 の諸 国が 日本 に石 油 を売 る のを断 っ
り でな く 、 軍以 外 のも の︱︱ 政 府筋 も 非 常 に関 心 を寄 せて いま し
一般 的 に言 って 、陸 軍 の関 心 は主 と し て大 陸方 面 であ り、 海 軍
私 は こ の戦 争 の主な 原 因 の 一つは 石 油問 題 だ った と思 います 。
面 に大 変 な関 心 を 持 った ので す。
状 態 に追 いこ ま れま し た。 そ れ で、 日本 は南 方 地 域 のす べ て の方
に、 完 成 さ れ た計 画 にな って いた ので、 い った いそ れが ど う し て
問
い いえ 、私 はま ったく そ の通 りだ った と は言 いたく あ りま せん。
の関 心 は 主 に東 方 に向 って いた と いう ことが で きま す か 。
中 国 、 つま り、 大 陸 に ついて は 、陸 軍 の方が 海 軍 よ り大 きな 関 心
をも って いた こと は疑 う余 地 は あ りま せん。 し か し南 方 地域 に関
し て は、 陸軍 も 海 軍 と 同様 に深 い関 心を 持 って いたと 思 います 。
中 国 に おけ る陸 軍 作 戦 は、 た と え、 ど ん な成 果 を収 めた に せ よ、
海 軍が 全 力 を あげ て参 加 し て い る南方 作 戦 を牽 制 し た かどう か、
と いう 点 に つ いて のご 所 見 を おう かが いし た い。
少 なく と も 私 が軍 令 部 総長 在 任 中、 中 国方 面 の陸軍 作 戦 によ っ
て、海 軍 の有 効 な作 戦 が 掣肘 を受 け た と いう よう な印 象 は持 ち ま せ ん でし た。
し か し今 から ふり返 って み る と、 も しあ んな に多 数 の地 上 軍 を
中 国 や 満洲 で作 戦 さ せ る代 り に、 南 方 地域 に つぎ こん で い たら 海
る 日本 の能 力 に つい て の見 解 を う かが いま し た。 同 じ問 題 に つい
等 ︺か ら、 緒 戦 期 に占 領 した 地域 を 確 保 し、 さ ら に これ を開 発 す
閣 下 、 わ れ われ は数 名 の 日本 海軍 高 級 士官 ︹ 野村、米内、豊田、
軍 作 戦 はも っとう ま く い ったか も知 れ ませ ん。
こ の国 家 資源 地 域 の利 害 関 係 は陸 軍 が 主 と か海 軍が 主 と か いう
問
答
問
答
発 案 さ れ たも のか、 私 は 正確 に知 り ま せ ん。 そ れ は ち ょう ど、 あ な たが 食 卓 に つい て いる所 に上 手 に 調理 さ れ た ビ フテ キを 出 され た よう な も のです 。 ビ フテ キ はお いし いが 、 さ て 誰 が つく って くれ た のか わ から な いと 同 じ よう な も のです 。 あ の作戦 は比 較的 には 小規 模 のも のだ ったか ら、 私 の想 像 で は、 陸 海 両 統帥 部 の下 級参 謀 た ち が集 ま って い ろ いろ 討議 し て いる間 に、 こ の作 戦 をや る こと に つい て結 論 を得 たも のと 思 いま す。 そ の作 戦 は聯 合 艦 隊が 非 常 に熱 望 し 、 そ の実 施 に つい て大 いに
南 方 資 源 地域 で は、 そ の方面 の防 衛 お よび 資 源開 発 関 係 は、 主
信 じ ます 。
ま す 。 こ の 二 つは 海軍 が 発案 し て、 陸軍 が そ れ を支 持 し た も のと
ガ ダ ルカ ナ ルと ツ ラギ の作 戦 は主 に海 軍 側 のも のだ った と思 い
よ せ、 発案 し たも のです か。
つ いて お尋 ね し ます が 、あ れ は主 と し て陸 海軍 のど ち らが 関 心 を
南 方 、 つま り、 ガダ ルカ ナ ルや ソ ロモ ン群島 に沿 う作 戦 行 動 に
と にな り ま したが ⋮ ⋮⋮ 。
た て る の で つい に承 諾 を与 え ま し た。 そ の結果 はあ ん な ひど い こ
乗 気 でし た 。初 め軍 令部 は反 対 で し たが、 艦 隊 側 が あ ま り にせ き
問
答
問
と し て、 陸 軍 の担 任 でし た か、 海 軍 の受 持 ち でし た か。 そ れ とも
の で なく 、 両方 平 等 に関 係 を 持 って いた と 思 いま す 。陸 海 軍 ば か
陸 海 対 等 のも の でし た か。 ど ち ら で し た か。 答
答
問
答
た しか に私 とし ては、 当 初 の外 郭 圏 内 の領域 を 維 持 し て行く に
て、 あ な た の御 意 見 は いかが です か。
同 時 に、 日本 軍 が 東方 お よび南 東 方 に進 撃 し、 外郭 圏 を ひ ろげ
は、 海 軍 力、 こと に航 空兵 力 が 不足 のよ う に感 じ て い ま した 。
て行 った こと が賢 明 であ ったか ど う かと いう こと に つい ても 、 い ろ い ろ の見解 をき き ま し たが 、 こ の問 題 に つい ても 閣下 の お考 え を 承 り た いも のです 。 賢 明 であ った かど う か は別 と し て、 私 は これ が 大 体 の限 界 であ ったと 思 います 。 つま り、 わ れ わ れ の能 力 の最 大 限 度 だ ったと考 え ます 。 日 本陸 海 軍 が 動 か せる 兵力 をも って し て は最初 の攻 略 予
緒 戦 期 にお い て は、 そ の外 郭圏 に対 し て何が 一番 大き な 脅威 を
定 外 郭 圏 が ち ょう ど ぎ りぎ り のと こ ろ でし た。 問
私 は終 始 、 米国 の反撃 攻 勢 の主軸 は、 マーシ ャ ル諸島 から は じ
のも の はど の方 向 から や ってき ま し た か。
与 え ると 思 わ れ て いま し た か。 そ の安 全 を おび や か す危 険 の最 大
答
ま り、 そ れ を 一種 の飛 石と し て、 そ れ から サイ パ ン島を 通 り 、 フ ィリピ ン諸 島 の方 に のび る大 体 一直 線 のも のだ ろう と思 って いま し た。 そ し て、 こち ら (ニ ューギ ニア、 ソ ロ モンを 指 しな が ら) の作 戦 は た ん に、 そ の主要 な 反攻 を 準 備 す る た め にす ぎ な いも の と い つも 考 え ま し た。 これ は あ と にな って そう 思 ったば かり で はな く 、 はじ めか ら そ
艦 隊 支 援 下 の進 攻 作戦 を主 な 脅威 と感 じ てい たわ け です ね 。
解 を 述 べ たも ので し た。
う いう 考 え を 持 って いた ので す。 そ の当 時 から 私 は そ の よう な見
問
答
問
答
問
答
問
答
そ の通 り です 。 あ な た方 の海 軍兵 力 と それ を 推進 援 護 す る海 軍
閣 下 、 日本 にと って は攻 勢 か ら守 勢 に移 った 戦局 の転 換期 は い
航 空 兵力 です 。
私 はガ ダ ルカ ナ ルと ツラギ 作 戦が そ の転 機 であ ると 思 って いま
つで した か。 そ して 、 そ の原 因 は何 であ ったと 認 めま す か。
す 。そ し て、 われ わ れ の敗 退 の原因 は 、 ア メリ カ側 と 同 じ よう な
作 戦 が 主 と し て実 施 さ れ た のは東 方 海 洋地 域 であ った わけ です
早 い スピ ード で増 援 す る能 力 が な か った こ と であ った と 思 いま す。
か ら、 そ の線 を保 持 す る に ついて の責 任 はど こ にあ った と説 明 し
あ な たはそ れ は海 軍 の責 任 だ ったと 言 われ ま す か、 そ れと も 陸
ま す か。
陸 海 軍 のど ち ら の責 任 と、 決 定的 にま た は は っき りと 定義 す る
軍 の責 任 だ った と言 わ れ ます か。
こと はむ ず か し い。 む ろ ん、 占 領地 域 を 確保 す る の は陸 軍 の任 務
で あ り、 ま た 一方 、 そ の占領 軍 の補 給 を 維 持 して や る のは海 軍 の 任 務 で し た。
そ こ でそ の意 味 で 、 そ の線 を 確保 す る の は陸 海双 方 の責 任 だ っ
さ て次 は、 主と し て 地上 軍 の作 戦 であ った ニ ューギ ニア作 戦 に
た と いう 方 が さ ら に適 当 で し ょう。
つい て ですが 、 そ の作 戦 はそ の地域 を 持 ち こ たえ る た めの作 戦 だ
った ので す か、 そ れ とも 、 同 方 面全 域 に おけ る他 の作 戦 に直 接 の 効 果を およぼ す も の でし た か。
同島 は主 と し て陸 軍 兵力 によ って確 保 され 、 海軍 と し て は陸 上
に若 干 の支援 兵力 を 置 いてあ った の です 。そ の占 領 目的 は、 た ん
にそ の地 域 を確 保 す るだ け では なく 、 そ れ を確 保 す る こ と に よ っ
展 に っい て は っき りと 実 情 を把 握 し てい たと あ な たは お考 え です
り でな く 、 陸 軍 大臣 に対 し ても 、 ま た 彼等 の補 佐 役 、 とく に参謀
私 自 身 と し て は戦 局 の推 移 変 化 に応 じ て、 それ を 参謀 総 長 ば か
か。 答
て付 近 一帯 の作 戦 を 有利 にす る にあ った 。 つま り 、 同島 の占 有 を
閣 下 、 あ な たが 軍 令部 総 長 だ った期 間 の太平 洋 全作 戦 を回 想 し
利 用 して 、 周囲 地 区 の作 戦 を 容 易 にす る にあ った のです 。 問
次 長 に対 し て た び たび 説 明 し まし た 。 です か ら参 謀 本部 側 で は こ
航空 攻 撃 で 困 り まし た。 そ し て 、航 空兵 力が 活 躍 しだ す と 、 こ の
初 期 の段階 で は潜 水 艦 の攻 撃 が おも な障害 でし た。 後 にな ると
いや いや 、開 戦 後 のこと に つい て お たず ね して い る んです 。
にく 思 い出 せ ま せ ん。
い つオラ ンダ 政 府 か ら最 後 の拒否 にあ った か、 そ の 日付 をあ い
い つ危 険 な 状態 にな った の です か 。
があ ったとす れ ば 、 そ の主 な 原 因 は何 でし た か。 そ し て、 そ れ は
南 方 から 石油 を充 分 持 ってく る こ とが でき な か った と いう事 実
あ ると 指 摘 され まし たが 、 そ の石 油 に ついて おう かが いし た い。
さ き に、 石油 は戦 争 にと って最 も致 命 的 に必要 なも の の 一つで
て、 と く に ア メリ カ 軍 のど の兵力 が 日 本 の戦争 能 力 に対 し て最 大
問
れ ら を詳 し く 了解 し て いたも のと 信 じ ます 。
何 と い っても 、 最 も悩 ま さ れ た の は海 軍 航空 兵 力 で し た。
の影 響 を およぼ し たと 思 い ます か 。 答 参 謀 総 長も あ な た と の話 し 合 い のと き 同 じ よう な意 見 を 述 べ ま し た か。
問
私 は自 分 自 身 と し て は、 そう とう 公 平無 私な 意 見 や判 断 を 持 っ
答
問 答
方 が 潜 水 艦 より も 、 石油 輸 送 にと って は、も っと 痛手 と な り まし
閣 下 、 ド イ ツに関 し て はど んな 風 に感 じ て いま す か。
た。
日独 同 盟 に よ って 利 益を 得 た か。
問
あ な た は ド イ ツ の成 功を 確 信 し て い まし た か。
答
て いた と 信 じて います 。 し か し、 他 の人 た ちか ら はそ う は見 え な か った かも 知 れ な い。 同 じ ことが 参 謀総 長 に つい ても 言 え る わ け で、 彼 も ま た、自 分 の意 見 や判 断 は非常 に公 平 で か た よ って い な い と思 う わけ です 。 結 局 のと ころ 、 私自 身 が 陸軍 の意 見 を 採用 し て いた こと も た び
って いま せ んが 。
たび あ った と思 います 。 そ れ はあ な た の質 問 に対す る答 え に は な
ア メリ カ の海 軍 航 空兵 力 が参 謀 総 長 に と って も 相当 の関 心 、懸
意 見 だ った と信 じ て いま す 。私 にと って非 常 に痛恨 にた え な い こ
念 の種 であ った 事 実 から 推 し て、 私 は、 彼 が 大体 に お い て私 と 同
と は、 われ われが 持 てる 限 り のも のを注 ぎ こん で ア メリ カに 匹敵
全 般 的 に い って、助 け にな り ま し た か。
こ の問 題 は本 質 的 に軍 事 的 で はあ り ま せ ん から、 私 はそれ を 論
で き る よう な 航 空 兵力 を つくり あ げ よう と努 力 し た にも か か わ ら
答
ド イ ツと の同 盟 か ら い った いど んな 利 益 を得 ま し た か。
あ な た の在 職中 の戦 争期 間を 通 じ て、 参 謀 総長 は事 態 の推移 発
ず 、 遂 に それ が でき な か った こと です。 問
議 す る 充分 な適 格 者 と は思 いま せ ん。 し か し ド イ ツと 結ぼ う と いう 考 え が か な り以 前 か ら、 陸 軍側 で 表 明 さ れ、 そ れ に対 し て海 軍 で は終 始 反対 し続 け て いた こと は事 実 です 。 ド イ ツと の同盟 に関す る賛 否 両 論が はげ しく たた か わ さ
結 局 、昭 和 十 五 年 ︹ 九月二十七日︺ 三国 同 盟が 実 現 し まし たが 、
れ 、 そ の結 果 、 二 つ の内 閣 ︹ 平沼、米内内閣︺が つぶれ ま し た。
そ のと き で さえ 、 私 の前 任 者 であ った軍 令部 総 長 ︹ 海軍元帥、伏見
らす よ う に望 み 、 か つ、 期 待 し たわ け で し た。
さ て 、太 平 洋 海 軍作 戦 に関 し て、 ド イ ツ はそ の代 表 を通 じ 、 日
本 の作 戦 計画 を 変 え さ せ よう と試 みた こ と はあ りま せ ん でし た か。
問
たと えば 潜 水 艦 と か、 ま たは そ の他 の兵力 を 日本 側 の方 針 と ち
が った考 え で使 う こ と を示 唆 し た こと は な か った か。 つまり 、 太
平 洋 で日 本が 実 際 や った のと ち がう 方 法 を と るよう にド イ ツ から
ド イ ツ側 から そ ん な 示唆 を 受 け た こと は全 然 あ り ま せん。 ド イ
何 等 か の圧迫 が 加 え ら れ た こと はあ り ま せ ん でし た か。 答
ツ代 表 と 日本 と の間 に 意見 の交 換、 つま り、 わ れ われ が お互 の利
宮博恭王︺ は次 の よう な意 見 を 述 べ た のです 。 つま り、 三 国 同盟 が 成 立 し た と い って も、 米 、英 と の戦 争 を 企 てる よう な こと は 日
︹ 編者注︺ ド イツから の譲渡 潜水艦
たこ とが あ り ま し た。
を 寄贈 さ れ た こと が あ って、 そ のさ い技 術者 も 一緒 に送 ってく れ
こと は 一度も あ り ま せ ん。 か つてド イ ツか ら 一隻 か 二隻 の潜 水 艦
し かし 、あ な た が述 べ られ た よう な 示 唆を ド イ ツ側 から受 け た
益 とな る と考 え る情 報 や技 術 を 交換 した こと は たし か にあ りま す。
そ し て、 こう いう 海軍 の感 情が 、 海 軍 当 局を し て 、終 始 一貫 、
本 にと って 決 し て好 ま しく な いこ とだ と いう こと を。
ド イ ツと の同 盟 に、 反対 さ せて い た ので し た。 と ころが 、 一た び 三国 条 約が 調 印 さ れ る と、 国 民感 情 は、海 軍 の欲 し な い方 向 に走 って行 き ま し た。 そ れ は、 いわば 堤 を 切 った 濁 流 の力 であ って、 ち ょう ど エリ ー湖 の水が ナイ アガ ラ の上 流 の
無償 で日本海軍 に提供するから、日本側も この潜水艦 を参考にして、交
昭和十八年 に入 って、ドイ ツから、最新鋭 の 一千 トン級潜水艦 二隻を、
通破壊用の潜水艦 を多く建造し、商船攻撃を更に徹底 してや っても らい
早 瀬 と な り、 次 に更 に瀑 布 と な る のと 同 じ よう な も の で し た。 そ の流 れ の勢 を と める こと は、 も は や でき な くな った わけ です 。 だ
海軍 の乗員で、 ドイツから日本 へ回航してもらいたいとのドイ ツ側 の申
ドイ ツ海軍の乗員 によ って、日本まで回航さ せるが、他 の 一隻は、 日本
この二隻 のドイ ツ潜水艦︱︱いず れも七五〇 トン︱︱ のうち、 一隻 は
たいと申入れが あ った。
から 、 そ れが い いと か悪 いと か は批 判 し な いが 、 三 国同 盟 の成立 は ま こと に 遺憾 な こと だ った と思 い ます 。 ︹ 編者注︺ 三国同盟 の詳細については ﹃現代史資料 10、日中戦争3﹄、 ﹃ 太平洋戦争 への道4﹄ ( 朝日新聞社)参照。
燃料が足りないので、印度洋上において、わが海軍から燃料を補給 して
出 であ った。譲渡第 一艦 であ るドイ ツの潜水艦 は、 シンガポールまでの 欲し いとの交渉が あ った。
そ れ は それ と し て、 一た ん戦 争 が はじ め られ た後 は、 ド イ ツは
の成 功 が英 国 の対 日 戦参 加 を妨 げ、 そ の日本 に差 向 け る兵 力 を 減
同 盟 国 だ か らそ の成 功と 勝 利 を待 望 しま し た。 わ れ われ はド イ ツ
問
このドイ ツ潜水艦譲渡第 一艦 (U511) は、技師ドクター ・シ ュミ ット外五名 の技術者を乗せて、ドイツ海軍 の乗員により日本に回航され、 印度 洋上 の燃料補給も、わが伊 一〇潜 によ って順調に終 り、昭和十八年 八月上旬無事呉軍港に入港した。野村直邦中将が この潜水艦 に便乗して 帰国した。 この譲渡第 一艦 は、日本海軍では呂 五〇〇潜 と命名 され、潜水学校 の 練習潜水艦として、ドイ ツ乗員乗艦のも とに、そ の操 縦法を習得した の ち、わが潜 水艦乗員 と交代した。そし て、 この呂五〇〇潜 は、造艦そ の 他 の参考資料 とし て使用し、譲渡第二艦 を作戦に充当する予定 であ った。 譲渡第 二艦 (U512)は、ドイツで竣 工し たばかり のものを譲 って も らう ことに話がき まり、伊八潜に便乗 してドイ ツに着 いた乗 田貞敬少 佐以下四十数名 の乗員が これをうけとることにな った。 この譲渡第二艦 は、日本海軍では呂第 五〇 一潜と命名 された。昭和十 九年 の春、乗 田少佐指揮 のもとにキー ル軍港 を田発して日本 へ向 ったが、 五月中旬 以後 アゾレス諸島付近において、消息 を絶 ってしま った。戦後 わかったところによると、 米 国駆逐艦 の攻撃 を受 けて沈 没 し て い る。 そ のほか、 イ ンド洋 でドイ ツ潜水艦が いく らか活躍した ことはあ った。
( 井 浦祥 二郎 ﹃ 潜水艦隊﹄ 一五二︱ 一六二頁) ( 野村 直邦 ﹃ヒットラーの贈りも の﹄) 商 船 を改 装 し た巡 洋 艦が 太 平 洋方 面 に回 航 され た ことも 一度 あ り ま す。 ︹この仮装巡洋艦は昭和十五年十 一月末横 浜に寄港 し た ことが あ った。 ︺ 太 平洋 戦 争 にド イ ツが参 加 また は援 助 し た こ と は、 大体 こ の程 度 の こと に過 ぎ ま せ ん でし た 。 閣 下、 わ れ われ は今 度 の戦 争 中 の日本 の潜 水艦 用 法 に非 常 に興 味 を 持 って います 。 あ な た方 は潜 水艦 の使 い方 に ついて、 特 に制
離 島 ま た は孤 立 さ せら れ た島 嶼 に対 す る補 給任 務 以 外 には、 日
私 は潜 水 艦 に つ いて、 残 念 です が 殆 ん ど何 も 知 り ま せん。
限 を設 け た り、 ま たは訓 令 を 出 し た こと があ り ま す か。
問
い いえ 、 わが 方 で潜 水 艦 の用 法 を制 限す る よう な特 別 の方 針 が
と 思 って いま し た。
本 の潜 水 艦 は何 か特 別 の目 的 のた め に控置 して あ る んじ ゃな い か
側 の船 舶 はあ まり 被害 を受 け て いま せ ん。そ こで 、 われ わ れ は 日
本 潜 水 艦 の用法 はあ まり 活 発 で は な か った よう です ね 。 ア メリ カ
答
答
あ った と は考 え ら れ ま せ ん。も し、 日本 の潜 水 艦が あ な た方 の船
あ な た方 にそ んな こと を話 し た 人 は陸 海軍 人 では な い官吏 です
に つい て、 あ な た のご意 見 を き か せ ても ら い た いも のです 。
た は充 分 の協 調が でき な か った 、 ほ んと う の根 拠 が何 であ った か
想 的 に行 かな か ったよ う です ね 。 そ の両 者 の意 見 の相 違 とか、 ま
と です が 、 そ れ に よる と、 陸 海 両 最高 統 帥 部間 の連絡 協 調 が、 理
これ ま で、 日本 政 府 の指 導 者 層 と話 し合 って おう かが いし た こ
していたと聞 いている。
︹ 編者注 ︺ 軍令部部員中佐山口史郎 は永野元帥に随行 して訊問に同席
そ れ から そ の使 用 法 が効 果 的 で な か ったと述 べ てい ます 。
山 口中 佐 の意 見 でも、 潜 水 艦 の数が す く な か った と いう こと、
た と は信 じ ら れ ま せん 。
そ し て私 は、そ れ 以外 の潜 水艦 の使 用 に つい て特 別 の制 限 を加 え
遠 隔 島嶼 の補 給 に用 い た潜 水艦 の数 は 比較 的 に少 いも ので し た。
か、 ま たは そ の用 法 に欠 陥 が あ った から にち が いあり ま せ ん。
舶 攻 撃 に効 果が あ まり な か った とす れ ば、 そ れ は潜 水 艦 そ のも の
問
答
問 私 自 身 と し て は、両 最 高 統帥 部間 に協 力 や協 調 が特 に大 き く 欠
軍 人連 中も 含 ま れ て いま す。 最 高 のと ころ の協 調が ど う も ⋮ ⋮。
か。
答
答
能 率 ︱︱ 軍 隊 の能 率 を低 下 さ せ る主 因 とな った大 き な事 由 が 何
あ ま り に老 齢 で あ った かと いう ご 質 問が 出 た の で思 い出 し た ん
か外 にあ り ま し た か。
です が 、 軍 令部 総 長 が あま り に年 寄 り すぎ て いた と いう こと は、
か ら そ の結 果 と いう も のが ど んな こ と にな って いた か に つ いて、
陸 軍 、 ま たは海 軍 が 日本 国 家 に占 める 政 治的 地 位、 権 力 、 それ
ほ ど聞 かさ れ て いま す 。
決定 的 な 影 響力 を 持 って い たと いう こと を われ わ れ は いや と いう
あ る特 定 のグ ル ープ 、 つま り 陸軍 か海 軍 かが 、 国策 に対 し て、
どう も 、 ご 説 通り のよ う です 。 ︹ 永野元帥は開戦当時六十二歳 ︺ 問
出 す こ と は でき ま せ ん。 し かし なが ら 、 そも そも のは じ め から 、両 統 帥 部が 合 体 す べ き だ と いう 意 見が かな り つよく 行 な われ ては いま し た。 し かし そ の 要 望 は通 り ま せ ん でし た 。
あ な た の お考 え を腹 蔵 なく 述 べて いただ き た いも のです 。
あな た 方 に対 し て、 両 統 帥 部 間 に密 接 な連 絡 が 欠 け て いた と い
いか と いう 気が し ます 。
一国 の政 治 動向 と か、政 治 問 題 に軍人 が 関与 す る こと に つい て、
ち の意 見 を国 策 問 題︱ ︱ と く に中 国 問題 に反 映 さ せよう と 努 め た
陸 軍将 校 の中 に は政 治 問 題 に は っきり し た 見解 を 持 ち、 自 分 た
陸 海 軍 の間 には根 本 的 な 相違 が あ った と私 は 思 いま す。
も のが たく さ んあ りま し た。 これ に反 し て海 軍 士官 は、 明 治 天皇
よ し て いた。 海 軍 士官 は こと 政治 問 題 に関 す る限 り 、 と ても 控 え
た機 会 あ る毎 にそ の考 え を 発表 しよ う と望 んで いた 人 々が う よう
陸 軍 将校 は政 治向 き の こと に、 多 く の意 見 を持 って い たし 、 ま
ま せ んで し た。
よう と いう こと を望 みも し な か った し、 ま たそ んな 努力 も 払 われ
そ こで は、 国策 に対 し て、 海 軍 のた め に政 治的 影 響力 を 獲 得 し
な い こと を信 条 と し てき ま し た。
が 軍 人 に賜 った勅 諭 に厳 格 に従 って 、政 治 問 題 に は 一さ い容 喙 し
います ﹂
閣下 、 あ な た は 日本 の最 高 統 帥 部 で犯 し た主 な過 誤 はど んな も
こ って いた かを 知 る こ と はで き ま せ ん。
の問 題 はき れ いに片づ け られ て いる ので、 途 中 でど んな 困難 が 起
し か しな が ら、 私 の手許 に報 告 提 出 され る ま で に は、 それ ま で
れ は主 と して作 戦 に関 す る意 見 の相 違 に基づ くも ので あ ったと 思
﹁両統 帥 部 間 不 一致 を来 し た事 例 は 二、 三 た し か にあ った。 そ
に知 ら し てく れ ま し た。
︱ ︱ と ころ で、 いま、 山 口中 佐 がそ ば にや ってき て、 次 のよ う
う よう な こと を指 摘 し た連 中 は 、 例 の陸 海統 帥 部 合 同論 者 で はな
答
如 し て いた 顕著 な 、或 は は っき り 言え る よう な 特 別 の事 例 を 思 い
問
のだ ったと お考 え にな り ます か。 貴 下 の意 見 で は、 高 級 将校 が 年
て いた と か、 ま た は、 彼 等 の経 験 が せ まく 限 ら れす ぎ て い た と か
を と りす ぎ て いた とか 、 これ ら の人 々が 航 空 に対 す る認 識 に欠 け
いう こと にな りま す か。
約 二年 間 は成 功裡 に遂 行 でき ると いう 意 見 を の べま し た。 そ れ か
ら 先 は、 当 然 兵 力補 充 や 戦線 拡 大 の問題 が 起 こ って く るだ ろ う か
目 な のが ふ つう で し た。 閣 下、 ただ い ま のご 説 明 で は、陸 軍 は、 政治 問 題 の討 議 に加 わ
しで し た。
ら 、 そう な る と 、そ の後 は決 定 的 な困 難 が や ってく る と いう見 通
でき な くな る と、 ひ ど いこと にな るぞ と 私が 予 言 し て いた 恐 ろ し
った ので、 ま こと に憂慮 にた え な い事 態 にな った のです 。 それ が
い結果 が や ってき た のです 。 こ の日米 両 国 の兵 力維 持 増 勢 力 の相
に偉 大 であ った のに対 し て、 日 本側 の方 は と ても 及 び も つか な か
にあ たり 、 同格 の立 場 で調 整 を は か った ので、 彼 等 は あ る程 度 は、
た のです 。 有 能な 海 軍将 校 の連 中 が、 陸 軍 将校 と い っし ょに仕 事
閣下 、 あ な た は前 に、 攻 勢 か ら防 勢 への戦 争 の転 換 点 は 、 ガダ
わ れ は、 き っと 長期 戦 に耐 え る ことが でき た でし ょう。
か り に、 南方 資 源 の利 用 に制 限 を受 け な か った と し たら、 われ
り 、戦 争 目 的 を達 成 す る こと が でき たと 感 じま す か。
用 す る こと が でき た と し たら 、 日本 は生 産能 力 の維 持が 可能 にな
閣下 、 も し 日本 が か り に、 緒 戦期 に獲 得 した 資源 を思 う存 分 利
能 力 設備 が 貧 弱 で した 。
驚 く べき 大 量 のも のを 生産 でき た のにく ら べ て、 日本 はま ったく
米国 が 必 要 で充 分 な 兵器 を 、 あ らゆ る 種類 にわ た って、 し かも
ら 土木 技 術 ︱︱ 飛 行 場造 成そ の他 の点 にお い ても 同様 です 。
研 究が ア メリ カ側 よ りも はる か に立 遅 れ て いた こと です 。 それ か
更 に他 の日 本 敗戦 の重要 原 因 は、 私 の考 え では、 日本 の科 学的
陸 軍 の政 治 的 権力 にブ レー キを か け る こと が でき た事 情 にあ り ま す。 私 のこ の意 見 は、 行 政的 方 面 、 つまり 内 閣 を通 じ て実 施 され る 問 題 だ け に つい て述 べた も の です 。内 閣 を 経由 しな い問題 に つ い て は、 陸 軍 が ど の程 度 にそ の政 治 力 を ふる って いた か、 私 は知 り ま せ ん。 これ はど ち ら か と言 えば 、 広 汎 な問 題 ですが 、 太 平洋 戦 争 を ふ
ふく め て の戦 争全 期 間 を考 察 し て 、 日本 が 戦 争 目的 を達 成 でき な
り 返 って みて︱︱ 総 長 在職 中 ば か り でな く 、退 職 後 の私 的 生 活も
か った理 由 のう ち 、 主 なも の は何 であ った と考 え ま す か。 で は、 ここ です こしば かり 、 開 戦当 時 にさ か のぼ って述 べて み ま し ょう 。 問
答
違 の背 後 に は両 国 の生 産能 力 の差が 控 え て い た のです 。
う と 苦 心し た こと で、 あ る程 度 は 抑制 でき た と思 いま す。 そ れ で、
ア メリ カ側 が そ の兵 力 の維 持 増強 を はか った速 度 と成 果 が非 常
順 調 にす す める こと が でき な く な り ま した。
そ し て果 せ る かな 、 開戦 後 約 二年経 つと、 わ れ わ れ は、 戦 争 を
一歩 すす め て、陸 軍 は実 際 に政 治 的勢 力 を 振 る ったと お考 えで す
陸 軍側 で は政治 的 勢 力 を振 り ま わ そう と す る何 等 か の努 力 を し
か。
った り、 意 見 を述 べ たりす る傾 向 が 強 か った と いう こと です が 、
問
陸 軍 は自 分 勝 手 にそ の好 む コー スを 独走 す る わけ には 行 かな か っ
た こと は たし か です 。 し か し海 軍 が 陸軍 と 密 接 に調 和 を 維持 し よ
問
答
問
答
私 は開 戦 に先 立 って お こな わ れ た公 式 討議 の際 に、 こ の戦 争 は
答
ルカ ナ ル戦 だ ったと 言 明 しま し た。 し かし ここ で、 全 面的 な 戦 局 の経 過 から 見 て、 戦 争 の転 機 は い つだ った と考 え ま す か。 つまり 終 戦 に つ いて、 確 定 的 な措 置 を 講 じ なけ れ ば なら な く な った時 期 は い つでし た か。 そ れ は総 長 と し て の地 位 か ら でも 、 ま た は、 あ な たが 知 り得 た情 報 から判 断 し ても 、 ど ち ら でも 結 構 で す。
答
︹﹁壁の上の文字﹂ は、 旧約聖書 ダ ニエル書第 五章にある有名 な話 か
う な 意味 です か。
ら出た言葉 (メネ、 メネ、テケ ル、 ウパルシン) を指す。転化して、 一
般には不吉な兇兆 の意に使われる。︺
必ず し も 、 は っき り そう いう 意 味 で はあ り ま せ ん。 それ はも う、
ま たそ れ か ら先 は、戦 争 努 力 を放 棄 す ると いう ほど 強 いも のでも
戦 争 継 続 の意 志 を 失 ったと いう ほど の強 い意味 で はあ りま せ ん。
あ り ませ ん。 し か し と にか く、 大 変 な こと にな った こ とだ け は争
ご 質 問 の時 期 が や ってき た と き、 私 はも はや 軍令 部 総 長 で はあ り ま せ んで し た。 そ れ でも 、 私 の意 見 が な に かお 役 に立 つで し ょ
日本 の立 場が ど う だ った か と いう ことを お伺 いし た い。
継 戦意 志 に つい て でな く 、冷 静 に打 算 的 に観 察 し てみ た 場 合、
る と、 い った いど う いう こと にな り ます か。
理 想 的 な情 勢 判断 、 つま り、 戦 力 を比 較 検討 し ての話 に立 ち返
う か。
ど う ぞ 、 個人 的 な ご意 見 を ⋮ ⋮。
む ろ ん、 戦 力 の比較 、 較 量 を基 礎 とす る 軍事 的 研 究 は終 始 や っ
て い たわ け です が、 サイ パ ン島 を 失 ったとき に は、 文 句 な し に、
2
合 衆 国第 五艦 隊 司令 長 官
米 海 軍 少将
米 内光 政
列席 将校
質問者
R ・A ・オ フステ ィ
り のま ま の感 情 を 現 わし た も の です 。
こ の言葉 は別 に科 学 的 な も の でも、 打 算 的 なも のでも な く、 あ
﹁これ は恐 る べき 状態 ﹂ だ と いう こと にな った ので す。
答
問
う余 地 が あ り ま せ んで し た。
︹ 昭和十九年二月、 トラック島に対する米機動部隊来襲直後、 東条陸 相、島 田海相 は現職 のまま、 それぞれ参謀総長、 軍令部総長 に 就 任 し
問
サイ パ ン島 を 失 った とき は ま ったく 、 ﹁万 事 休 す﹂ でし た。 す
た。︺
答
ひ ど いこと にな った と いう のはあ の ﹃壁 の上 の文 字 ﹄ と 同 じ よ
した。 ﹂
に、 日本本土に対しても直接空襲基 地とし ての足場を持 つことになりま
すなわち、 フィリピ ンおよび中 国と直接に接触できる道 を開 く と と も
るべき深刻な事態になりました。米軍が サイパ ン島を攻略し たことは、
場で両手をあげ るというほどではなくとも、日本にと って文句なしに恐
﹁ 私 はサイパ ン島 の喪失 をも って、 戦争は重大転機に達 し、 すぐそ の
パ ン島 の喪失 について次 の通 り の答弁を行な った。
︹ 編者注︺永野元帥 は本訊問 のほか、 合衆国空軍 の訊問に対し、 サイ
と に かく 、 ひど いこ と にな り ま し た。
ぐ そ の場 で、 両 手 をあ げ る と いう ほど で はあ り ま せ ん でし たが 、
問
日時 場所
陳 述要 旨
海 軍 大将 米 海軍 大 佐
う 印象 を与 え て い たよう です 。 と こ ろが 実際 は、政 府 筋 や最 高 軍
には、 上 層 部 で起 こ って い る こと は何 でも 心得 て いる はず だ と い
T ・J ・ヘ ッデ ィ ング
事 機 関 な ど で、 ど んな こと が 起 こ って いる かと いう こと は何 も 知
J ・H ・タ ワ ーズ
W ・ワ イ ルズ
米 予備 海 軍 少佐
いと 、 わ れわ れ が 予想 して いた 重要 問 題 に つ いて、 あ な た のご意
そ れ か ら、 貴 下 こ そ誰 よ り も よく 通 暁 し てお られ る にちが いな
思 って いま し た。
定 され た重 要事 項 に つ いて、 は っき り し た と ころ を つかみ た いと
実 は本 日 の質 問 によ って、 わ れ われ は最高 統 帥部 の計 画 や、 決
誤 解 を受 け て いた よう です 。
こ の重臣 たち の 正 し い権 能 に つ いて は、 一般 の人 々から多 少 の
わけ で す。
の です から 、 そ の進 言 な ど ま ったく 問 題 にさ れな い ことも あ った
重 臣 グ ル ープ は右 に述 べ た よう に、 ただ の諮問 機 関 にす ぎ な い
相 手 にな る だ けで し た 。
決定 的 な行 動 をと る 権 限が あ る わ け では なく 、 ただ 内 大臣 の相 談
こ の重 臣 と いう のは ど ちら かと いえ ば、 得 体 の知 れ な いも ので、
わ け です 。
で す。 つま り この人 たち はそ んな 時 に、 は じ めて存 在 理 由 があ る
れ る のを主 な 目的 と して お か れた 一団 の人 た ち の ことを 指 す わけ
な け れば な ら ぬ こ と にな った 場合 、 それ に つい て の意見 を 求 めら
いわ ゆ る重 臣 と いう のは 、内 閣 が 総辞 職 し て次 の内閣 を つく ら
位 に いな か った。
って いる の やら そ の反対 の方 に動 い て いる のや ら、 重 臣 は知 る 地
ら され て い な か った のです 。 し たが って、 国 内 の傾 向 が戦 争 に向
問
東京
昭 和 二十 年 十 一月 十 七 日
米 内 海 軍 大将 は政 治 お よび 戦争 遂 行 に最 高 の責 任 をも って い る各 種 の機 関 に つい て、 そ の機 能 を説 明 し た 。 それ から、 戦 時 中 の重 大
と はな にも や って いま せ ん。
お たず ね の時 期 には実 質 的 に、 これ と い って お話す る よう な こ
伺 いし た いも のです 。
そ こ で、 こ の期 間 にど んな 仕 事 をし てお られ たか、 あ ら ま し お
閣 に入閣 した とき の間 の期間 に つい て は よく わ かり ま せ ん。
ま すが 、 昭 和 十 五年 に首 相 であ った とき と 、 昭和 十 九年 に小 磯 内
閣下 、 われ わ れ はあ な た の経 歴 に つい ては だ いた い承知 し て い
な事 件 や 、終 戦 工作 のいき さ つに ついて 述 べ た。
問
答
しか し 交友 関 係 か ら国 内 の思想 動 向 に ついて 、 だ い たい の所 は お分 り だ った でし ょう 。 当 時、 上 層 部 でど んな 論議 が 行 なわ れ て い たか な ど に つ いて ⋮⋮ 。 日 本 の政 界 、 言 論界 では、 首 相 の経 歴 を 持 った人 、 ま た は、 天 皇 か ら総 理 大 臣前 歴 者 と 同 じ待 遇 を許 さ れ た者 は ﹁重 臣﹂ と よば
問
答
れ て い ま し た。 こ の重 臣 と いう のは、 元 老 的政 治 家 と いう 意 味 で、 一般 の人 々
答
問
答
見 を 承 り た か った次 第 です が ⋮ ⋮。 す で に申 し あげ た通 り、 私 は昭 和 十 九年 七月 末 に小磯 内 閣 に 入 閣 す る ま で は、 ま ったく政 治 活 動 に縁 が な か った ので、 残 念 なが ら 何 も知 ら な い立 場 に置 かれ てい ま した 。 し たが って 、そ れ 以 前 の重 大 な案 件 や 計画 に つ いて、 何 も申 し 上 げ る よう な こと はあ り ま せ ん。 し かし 昭 和 十九 年 七月 末 以 後 の こと な ら、 そ れ も む ろ ん、副 総 理 兼 海軍 大 臣 と いう 立 場 です か ら、 そ れ な らば 私 の知 ってる限 り の こと を喜 んで申 し あげ まし ょう。 そ の点 は、 これ から、 いろ い ろ お訊 ねす る の にあ た って 、 心 に と め て おく こと に い たし ま し ょう。 さ て、 閣 下、 ﹁最 高 戦争 指 導会 議 ﹂ の機 能 、 お よび そ の運 営 法 に ついて 、 どう ぞ 、 簡単 にお 述 べ下 さ い。 最 高 戦 争指 導 会議 は次 の 二 つの部 分 か ら成 り 立 って いま し た。 一、 六 名 より な る 正規 の構成 員 ︱︱ 首 相 、 外 相、 陸 相、 海 相 (以上 政 府 側) 参 謀総 長 、 軍令 部 総 長 (以上 統 帥 部側 ) 二、 右 の外 、 正規 構 成員 は必 要 に応 じ 、 他 の閣 僚 を構 成 員 に加 え る権 限 を も って い まし た 。 ま た、幹 事 と いう も のが あ りま し たが 、 こ の幹 事 は、会 議 で 行
ま た 、正 規 構 成員 では な いが 、参 謀 次 長 と軍 令 部 次 長が 会 議 に
な わ れ た こと に つい て、直 接 の責 任 は持 ち ま せ ん でし た。
こ の両 次 長 が列 席 し て、 両 次官 が 列 席 し な か った のは、 以 前、
列 席 し ま し た。
参 謀 総 長 と軍 令 部総 長 が皇 族 ︹ 閑院宮と伏見宮を指 す︺ であ った と
問
答
問
答
問
答
た慣 例 が でき た のです 。 こ の慣 例は、 両 皇 族が 総 長 を や めて、 臣
き 、 輔 佐 のた め に、次 長 の出 席 が必 要 であ る と思 わ れ て、 そ う し
下 の者 が そ の後 任 者 にな って も続 け られ ま し た。
︹ 編者注︺ 昭和十 二年 十 一月 の大本営設置から、大本営連絡会議、最
高戦争指導会議 の設置 の経緯、 および機構、人員に ついては ﹃ 現代史資
料 37、大本営﹄ の ﹁ 資料解説﹂を参照されたい。
では 、 こ の最 高戦 争 指 導会 議 にはど のよう にし て問 題 が提 出 さ れ た のです か。
そ れ が機 能 を 果 す手 順 はど ん な風 で し たか。
最高 戦 争 指 導会 議 にお け る議 案 は、 作 戦計 画 の討議 にかぎ らず 、
む し ろ、 戦 争 努力 の他 の面︱ ︱戦 力維 持 の方 法 特 に問 題 、 お よび
現 情 勢 の下 で 、戦 争 が 順 調 に遂 行 され て行く かど う かと いう 点 に そ の重点 が おか れ た よう で し た。
な る ほど 、 そ こ で、 そ うゆ う 問 題 は、 別 に、 最 高戦 争 指導 会 議
以 外 の機 関 を通 じ てか 、或 は両 統帥 部 総 長 によ って提 出 され たわ
け です ね。 そう でな いとす れ ば 、 ど んな筋 から 討議 材 料 が提 出 さ
提案 はす べ て、 六 人 の正規 構 成員 から持 ち 出 され ま し た。 い い
れ まし た か。
そ れ な ら 六人 の構 成員 だ け が 、 いわ ゆ る決議 参加 権 を持 って い
か え ると 、 外 部 か らは 何 も提 案 さ れ ま せん でし た。
た も のと 推 断 でき ます が 、 正 規 メンバ ー の外 の人 にも 、決 議 参 加
いや 、議 決権 を 持 って いる のは 六人 の正 規構 成 員 に限 られ て い
権 のよう な も のが あ り ま し た か。
ま し た。
問
答
こ の六 名が 、自 分 たち の必要 と 思 う政 策 な ら 何 でも 採 択す る の です 。 し か し これ は最 終 的 な も の では あ りま せん 。と いう のは、 一た ん 、 この会 議 で 可決 さ れ た提 案 も、 何 か重 要事 項 と 関連 のあ る も のは、 内 閣 に まわ さ れ、 そ こを通 過 し な けれ ば 最 終的 な も のとな ら な い から です 。 ︹ 編者注︺ 実際において、政府 は最高戦争指導会議決定事項 の内容 に 鑑 み、閣議 の決定 を必要 とするも のに ついては、更めて、之 を閣議に付 し、いわゆる閣議決定 の手続を経た後、実行に移した。 この閣議 に付す る際、所 要に応じ、決定事項 の中から統帥事項を除き、 この事項は両総長が幕僚長として、それぞれ、別個 に処理した。 なお、重要な決定事項 は天皇に上奏して、裁可 を仰ぐ のを例 とした。 最 高 戦 争 指導 会 議 は、意 見 の相違 や 論 争 のあ った 事項 に つい て は 、そ れ を直 接 、 天 皇 のお耳 に入れ ま し た か。 論 議 が 特 に重 要 なも のと 考 え られ る 場 合、 会 議 は天 皇 の御 臨 席 を お願 いす る こと に な って いま した 。 も ち ろ ん天 皇 の御 臨 席 を 至当 と す る ほど 、 問題 が 重 要 であ る か ど う か、 そ れ を決 める こと は六 名 の構 成 員 にゆ だ ね られ てい ます 。 天皇 の御 発意 で、非 公式 な 最高 戦 争 指 導会 議 を 開く こと もあ り
天 皇御 自 身 の要 請 によ って、 非 公式 会 議 が 開 かれ た 例 とし て は 、
ま し た。
こ の会 議 で は、 これ 以上 、 戦 争 を継 続 す る こと が 可能 かどう か
たぶ ん、 六月 六 日 の会 議 が そう だ ったと 思 います 。
の問 題が 討議 され ま し た。
問
な お、 似 た よう な性 質 のも のと し て は、 六月 二十 二 日 の会 議 も そ う だ ったと記 憶 して います 。
︹ 編者注︺ 六月 六日 は六月八日の御前会議を指し ていると思う。 この
日 の最高戦争指 導会議 は天皇 の発意によるものではなか った。証 言者米
この会議 では ﹁ 今 後採 ルベキ戦争指導 ノ基本大綱﹂が採択された。内
内 大将 の記憶 のあやまりと思 われる。
天皇 の発案 による会議 は、 六月 二十 二日と八月十四日 の二回であ った。
容は本土決戦 態勢 の徹 底化を主とす るも のであ った。
しかし、 この両回とも、厳密 な意味 の最高 戦争指導会議 ではなか った。
同 様 に、 大 本営 と いう制 度 に つ いても 、 それ が ど んな 仕事 を し
最 高 戦争 指 導 会議 にく ら べ て見 ると 、大 本 営 の方 はそ の処 理事
て いたか 、 ご 説明 願 え ま せ ん か。
織体 でし た か。
とも かく、 大 本 営 は恒 久 的 な事 務 機 関 を備 え たチ ャ ンと し た組
び あ り まし た 。
すも のと思われる︺ は作 戦計 画 に つい て何 も知 らな い こと が たび た
そ れ で、 最 高 戦争 指 導 会議 の メンバ ー ︹ 政府側 の首相、 外相を指
項 が 、 統帥 や作 戦 問 題 に限 定 され て いま し た。
答
問
そ れ とも 、 た ん にそ の会 議 だ け を 大本 営 と呼 ん だ のです か。 そ
して 、そ の形式 のも のが戦 争 中 、 一種 の常 統 的 な会 合 と し て存 在
こ の 二 つのう ち のど ちら か︱ ︱ ど ち ら でも よ ろし いが、 そ れ は、
し て い たも ので し ょう か。
に して 意見 の 一致 を求 めた か を話 し て 下さ い。
貴 下 の御 説明 にま つこと にし て、 い った いそ の機 関 で は、 ど ん な
答
そ れ は、 投 票 権 の よう な も ので 決 め ま し た か。 そ れ 以 外 の方 法
大 本 営 に ついて申 し上げ ます が 、そ こ で討 議 し採 決 さ れ た こと
に よ ってです か。
は、 原則 と し て二人 の幕僚 長 以 外 に は通 告 さ れ ま せ ん。 とく に、 採 択 前 に は厳 重 にそ れ が 守 ら れま し た 。 採 択後 は、 時 に よ って は、 最 高戦 争 指 導 会議 に回 付 され る こと が あ り まし た が、 そ れ は、 大 本 営計 画 が 遂行 でき る か どう かを 審
答
問
大 本営 内 で は、 陸 軍 作 戦 の問 題 に関 す る 限り は参謀 総 長が 、 海
り まし た。
軍 作 戦 に関 す る限 り は 軍令 部 総 長 が、 こうす る と 言え ば それ で 決
そ し ても し、 両 総 長 の間 に意 見 の相 違が 起 こる よう な こと があ
れば 、ど う にも な らず 、 何 も で き な か った のです 。
重要 問 題 の決 定 法 と し て、 多 数決 制 を と ると いう 構 成 に はな っ
こ り得 な か った のです 。 そ の状 況 は閣議 の場合 と 非常 に似 か よ っ
多 数 決 制 など と いう も の はあ り ませ ん。 多数 決 と いう 問 題 は起
て いな か った のです か 。
て い まし た。 そ れ は多 数 決 の問題 ではあ り ま せ ん。 あ る問 題 に つ
答
一方 最 高 戦 争指 導 会 議 の権 限 に関 し て、誤 解 が あ る かも 知 れ ま
い て、 一致 を見 る こと が でき な いと すれ ば 、そ れ は協 調 和 合 に欠
議 す る ため です 。 い つでも そ う だ ったと は 限 りま せ ん が⋮ ⋮ 。
せんが 、 そ れ は統 帥 部 と内 閣 と の連 絡 機関 と し て設 置 され た こと
問
答
そ れ で は意 見が 決 定 的 に割 れ ても 、問 題 を直 接 天皇 に持 って行
のです が 、 こ の会議 に お いて は陸 軍 と 海軍 の影響 力 に差違 はあ り
さ ても う 一度 、最 高 戦 争 指 導 会議 に つい て、 おう かが い した い
天 皇 はご 聖断 を 下 され ま し た。
を 採 る べき か ご裁 断 を仰 いだ の でし た。
そ こ で 二 つの可 能 な場 合 の こと を天 皇 に申 し あげ 、 そ のいず れ
な が ら、 あ る詳 細 な 点 に つい て意 見が 分 れ た のです 。
場 合 に直 面 し まし た 。終 戦 と いう こと に大体 の意見 は 一致 し て い
じ っさ い、終 戦 時 にはそ んな 情 況 でし た。 終 戦直 前 にそう いう
天 皇 の御 裁 断 を仰 ぐ こと が あ り得 るわけ です。
合 意 に到 達 し な か った 場合 、 し かも問 題 が非 常 重 大な 場 合 は、
く と いう こと はな か った わ け です ね 。
問
け て いる こ とを 意味 す る こと に な ります 。
が お分 り にな れば 、 誤 解 は 一掃 さ れ る でし ょう 。 最 高 戦 争 指導 会 議 な どと 呼ば れ るも のです から 、 国家 の 一元的 な戦 争 努 力 のピ ラ ミ ッド の頂 点 に当 る も のだ と い う 印象 を 受 けや す い のです 。 し かし それ は名前 の つけ方 が 間 違 って い たと 私 は考 え ます 。 な ぜ な ら 実質 的 には、 戦 争 指導 機 関 で は なく て、連 絡 機 関 であ った
つま り、 戦 争 指導 に関 す る限 り で は大 本 営 が最 も 有 力 な組 織 だ
のです か ら ⋮ ⋮。
ったわ け です ね。 そ の通 り です 。 統 帥 事 項、 作 戦問 題 に関 す る限 り は 、明 ら か に そう で す。 大本 営 の決定 事 項 はどう し て き めら れ ま し た か。 全 員 一致 と い う のが原 則 で し た か。 い った い、ど んな方 法 で決 議 に 到達 し ま し
問
答
問
たか 。
答
問
答
そ の問 題 ですが ︱ ︱ 一概 に こう こう だ と 一般 的 に説明 す る のは
ま せ ん で した か。 つま りそ の勢 力 が何 か のか たち で ⋮ ⋮。
と て も むず かし い。 私自 身 、 時 には こ の会 議 の席 上 で、 かな り 強
答
そ し て 海軍 の方 も、 陸 軍 の置 かれ て いる地 位 、戦 力 等 に つ いて、
い つも 十 分 な知 識 な り認 識 な り を持 ってい まし た か。
少 く と も、 海 軍 は陸 軍 の残存 兵 力 の状 況を 承 知 し て いまし た 。
そ し て陸 軍当 局 も 海軍 兵 力 の現 状 に つ いて認 識 し て いた と信 じ ま
と か いう 武力 戦 だ け の問 題 で はな いか ら です 。そ れ は国家 全 体 と
と いう のは、 近 代戦 と いうも の は陸 軍 の戦 争 と か海 軍 の戦 闘 だ
す。
のが あ った こと は言 え ます 。 陸 軍 の代 表 者 が提 議 し た こと で、何
一般 論 と し て、 陸 軍 と海 軍 と の間 に は かな り肌 合 のちが った も
硬 な 、思 いき った こと を述 べね ば な り ま せ んで し た。
か 納得 でき な い こと が あ った場 合、 私 は決 し てそ れ に反 対 す る こ
った と予 想 さ れ ます が、 主な 討 論 の趣 旨 を 簡単 にご 説 明願 え ま せ
答
問
答
政 治 的影 響 力 に つい て言 えば 、 それ は決定 的 に陸軍 の方が 強 力
そ う です 、 政 治 的 な⋮ ⋮。
政 治 的方 面 です か。
戦 争 中 のい つの時期 でも ⋮ ⋮。
戦 争 末 期 にな って から の こと です か 。
おき か せ下 さ い。
う です か 。若 し こ の問 題 に つい て御 意 見 を述 べ て いた だけ る な ら
で は、 陸軍 と 海 軍 とが 国策 の上 に及ぼ し て いた勢 力 の比 較 は ど
し て の総 合戦 力 に依存 し て いるも のだ か ら です。 問
と を た めら いま せ んで し た。 こ の会 議 で は真剣 猛 烈 な討 議 論争 が 展 開 さ れ た こと もあ り ます 。 特 に戦 争 の終 りご ろ に は、 き っと若 干 の根 本 的 な 意見 の対 立が
ん か。
問
あ って、 合 意 に 到達 す る ま で には、 た い へん むず かし い こと に な
陸 軍 と海 軍 の意 見 が、 は っき り分 れ た根 本的 な 問 題 と いえば 、
答
戦争 も 終 り に近 い頃 のこと で すが 、 当 時 の戦 局 で は、 海軍 が 航
影 響 す る ほど の⋮ ⋮。
響 を 及ぼ す ほど のも ので し た か。 つまり 海 軍独 自 の作 戦 にま で、
そ の陸軍 のわ け のわ から ぬ力 と いう の は、直 接 、海 軍 作戦 に影
と思 いま すが ⋮ ⋮ 。
を持 って い まし た。 多 分 同 じ よう な こ とが 他 の国 々にも あ る こと
陸 軍 は われ わ れ に は分 析 し たり 、 測定 した り でき な いあ る圧 力
で した 。
何 と い っても 、戦 争 を継 続 す べき か、 終 戦 に みち び く べき かと い
こ の意 見 の対立 は、 六月 に入 る と はじ ま って、 八 日 お よび 二十
答
問
う こと で し た。
二日 の最 高 戦 争指 導 会議 で持 ちあ が りま し た。 し か しそ れ が決 定 的 に割れ てし ま った のは、 八月 上旬 の こと で した 。 陸 軍 は最 後 ま で徹 底抗 戦 を 主張 し、 そ れ に反 し て、 私 はす べ て
そ れ に関連 し てお う かが い致 しま すが 、 陸 軍 は終 始 、 海 軍 の状
て 、す で に終 戦 の時 期 に来 て い る と いう 信 念を 表 明 しま し た。
物 事 に は限 度が あ り 、世 界 情 勢 な らび に国 内動 向 の両方 から考 え
問
態 に ついて の十 分 な 認識 を 持 っ て い た のです か。
空兵 力 の支 配 権 を 握 る べき だ と考 え ら れ て いた のに結 局、 そ れ を 実 現 す る こと が でき な か った こ とを 記 憶 し て います 。 ︹ 編者注︺ 昭和十 八年、ソ ロモンの航空消耗戦とな ってから、 わが軍 備 の根本的革新 について活溌 な議論が まき起 こり、特 に、航空戦 に自 信 を失いかけた海軍 の焦慮は深刻 であ った。 また十八年 の年間消耗百分比は、完成機数に比較して、海軍二〇 五% 陸軍一 〇 七% であ った。 かかる消耗 の実情 に照し、従来 の航空軍備 では戦局の転換は絶 望と見 られ、果断をも って、全海軍を空軍本位 に再編成し、資材 および生産を 統 一す るか、少 くとも海空軍重点主義 に移す べき であるとの意見がひろ がり、十九年二月、陸 海両大臣、両総長の協議 とな ったのであるが、結
問
答
これ に対 し、 陸 軍 の反応 はどう でし た か。 そ んな 考 え方 に対す
る 陸 軍 の反 対 の主 な も の はど んな種 類 のも の でし た か。そ れ は自
そ の通 り です 。 煎 じ つめれ ば、 まあ 、陸 軍 のプ ラ イド の問 題 に
負 心 と いう も のでし た か。
帰 着す ると 思 いま す 。 陸軍 の連中 は自 分 の兵 力 の 一部 を海 軍 に渡
海 軍 の考 え で は、 これ は陸 海 軍連 合 航空 兵 力 の攻 撃 目標 とす べ
す こと を好 ま な か った 。
き も のだと 感 ぜ られ る 場合 が たく さ んあ ったと 思 います 。 と ころ
が 、 陸 軍 は何 か別 のも のを連 合 攻撃 の目標 とす べき だと 考 え て、
反 対 し よう と す る。 そ し て、 陸 海 軍航 空 兵 力 の指 揮 系統 が 全 然別
空兵 力 に海 軍 作 戦 を支 援 さ せ る よう に説 得 す る こと が でき な か っ
個 のも のにな って い るか ら、 海 軍 と し て は、陸 軍 に対 し、 そ の航
そ の、 航 空 兵力 使 用 に ついて の意 見 の相違 と いう の は具 体的 に
作 戦 目標 を ひ ろく 分 散 し よう と いう 問 題 に帰 因 し た の です か。
航 空兵 力使 用 に つ いて意 見 の相違 が起 こ った のは、 陸 軍側 では 、
た のです 。
た。陸 軍 は当時 、 第 六航 空 軍 を聯 合 艦 隊司 令 長官 の指 揮下 に入 れ
承 諾 した ことが あ った の です 。 これ は沖 縄 作 戦 のとき のこと で し
陸軍 が そ の航 空 兵 力 の 一部 を聯 合 艦隊 の指 揮 下 に 入れ る こと を
陸 軍 に容 れ ら れ た ことが 一度 だ けあ り ま し た。
の 一つです。 戦 争 も 終り に近 いこ ろ、海 軍 側 の意見 が あ る程 度、
これが 海軍 が 全 航 空兵 力 の支配 権 を持 つべき だ と主 張 し た理由
と も あ った わ け です 。
た。 これ と反 対 の ことが 、 陸 軍側 と し て は海 軍 に対 し て感 じ た こ
( 高木惣吉 ﹃ 太平洋海戦史﹄ 一〇 六頁)
問
局従来通りほぼ 均等 に二分する政治的 妥協案 に落 ち つい てし ま った。
特 に、 具 体 的 な事 件 を あげ るわ け に は行 き ま せ んが 、 私 は 陸 軍 の政 治力 によ って海 軍 作 戦が 、 或 程 度 影響 を 受 け たと感 じ て いま
こ の点 に ついて は、 人 によ って意 見が ちが って いた かも 知 れ ま
です か 。
て使 用 でき る よう に、 陸 海軍 を協 調 さ せ た いと いう 所 にあ った の
に つ いて です が 、そ れ は最大 の脅威 に対 し て 、航 空 兵 力を 集中 し
いま い われ た 、あ らゆ る航 空 兵 力 の指 揮 権 を 握 ろう と いう 目 的
す。 問
答
せ んが 、 少 く と も私 は海 軍 の方 が 、 航 空活 動 のあら ゆ る分 野 にお い て陸 軍 より 優 れ て い ると感 じ て いま し た。 し たが って航 空 関 係 のあ ら ゆ る方 面 の支 配権 を海 軍 が にぎ る こ とが 、陸 海 軍 お互 の利 益 にな る だ ろう と 感 じ たわ け です 。
答
言 え ば 、 ど ん な こと です か。 私 は、 こ の意 見 の相 違 は、 ア メリ カ側 が 次 にど こを 狙 って攻 め て く る か と いう こと に つ いて、 陸 海軍 間 に情 況 判断 の相 違が あ っ た ため に起 こ った も のと 信 じ ます 。 一例 をあ げ れ ば、 海 軍 は ア メリ カが 、 今 度 は多 分 、 沖 縄 を攻 め る だ ろ う と思 うの に対 し 、陸 軍 側 は ア メリカ の鉾 先 は台 湾 に向 け ら れ そ うだ と 判 断 しが ち だ った よう なも ので す。 閣 下 、 あ な た の占 めら れ た地 位 をも う 少 し 正確 に知 る た め に、 ち ょ っと、 こ こで お たず ね し ます 。 大規 模 な 海 軍作 戦 計 画が 責 任 あ る機 関 によ って承 認 さ れ た際 に、
問
答
問
省 の 一部 と し て 、総 長 は大 臣 の下 にも ってく る べき だ と思 って い
それ で は、 海軍 大 臣 は、 一つの作 戦 の進 行 中、 そ の経 過 に応 じ
ま す。
て 、忠 告 的 にせ よ、 直 接的 に せよ 、 そ の いず れ か の支配 権 を 時 々
一旦、 作 戦が 発 動 さ れ ると 、 海 軍 大臣 はそ の後 は、も はや 、支
行使 し たわ け です か。
さ て、 戦 争 の基 本 計 画︱ ︱ 緒戦 期 の進 攻作 戦 によ って表 現 され
配 権 は行 使 し ま せ ん でし た。
たあ の戦 争計 画 に つ いて、 こ の辺 で、 お う かが いし た いと思 いま
あ な た は当 時 、直 接 にそ の計画 に は関与 し てお られ な か ったわ
す。
持 って お られ た こと を知 って いま す から、 お訊 ねす る 次第 です。
本 の潜 在的 戦 争 能 力 に ついて は、 広 汎 且 つ 一般的 な 深 い理 解 力 を
け です から、 非 公 式 な 御意 見 と し て承 り ます 。 し か し、貴 下 は日
実 際 の情 況 を 申 し上 げ る と次 の通 り です 。
言力 を も って いま し た か。
海 軍 大 臣 と いうも のは、 そ の作 戦 の実 施 に対 し て、 ど の程 度 の発
問
答
と いう のは、 海 軍 大臣 には 二 つの大 き な仕 事 ︱ ︱そ の 一つは前
能 力 は 十分 な も のであ った か に つ いて、 あ な た の御 意見 はど う で
よび そ の計 画 に付随 す る要 求 に応 ず る た め、 は たし て 日本 国 家 の
最 初 の戦 争 計 画 は妥 当 な も の であ った かど う かと いう こと 、 お
線 部 隊 を し て採 択 され た作 戦 計画 を 遂行 でき る よ う に し てや る こ
詳 し い こと は言 え ま せ ん。 詳 し い こと は実 はよ く 知り ま せ ん。
の程知 ら ぬ計 画 だと 考 え た わけ で す か。
つま りあ の計 画 は、 は じ め から、 あ まり に手 を 拡げ す ぎ た 、身
じ て います 。
みる とき 、 決 し て適 当 な 計画 で はな か った と 、今 日 に至 るま で信
あ の戦 争 計 画 は、 当 時 の情 勢 や 、 わが 国 の戦 争 能 力 の実 際 に鑑
す か。
長 の緊 密 な 協 調が な け れば な ら な か った のです 。
何 か大 き な作 戦 計 画が 採 択 され る前 には、 海 軍 大臣 と軍 令 部総
答
答
問
と 、 他 の 一つは、 海軍 省 内 に おけ る指揮 を維 持 し てゆ く こと の二 つの責 務 が あ り ま した 。 他 の適 当 な 言 葉 で いえ ば 、海 軍 大 臣 は作 戦 資 材 を宰 領 し て い る ので す か ら、 軍 令 部総 長が 何 か大 き な作 戦 に つ いて決 定 を 下す 前 に は、 ど う し ても 海軍 大 臣 に相 談 し なけ れ ば な ら な い立 場 にあ り ま し た。 これ は私 個 人 の私 見 にす ぎ ま せ んが 、 軍 令部 と いう も のは海 軍
し か し、 私 は 、 そ んな 戦争 計 画 は全 然 、 試 み て は いけ な か った と
私 は 次 の よう に説 明 し た いと思 います 。 一旦、 開 戦 と いう こと に
それ も あ りま すが 、 ま た、濠 州 にい た陸 軍 兵力 と か イ ンド の兵
にな って お られ る ので し ょう か 。
機 動 部隊 か、潜 水艦 か、 そ れ とも 外 の何 かと いう こと を お聞 き
か。 ど の反 撃兵 力 を 防ぐ べき だ った ので し ょう か。
し かし戦 争 の初 期 に、 日本が 防 禦 せ ねば な ら ぬ対 象 は何 でし た
の補 給 路 は断 ちき ら れ、 日本 の資 源 は最 後 の宣 告 を受 け ま し た。
ア メリ カ軍 が 、 フ ィリ ピ ンを 占領 し た とき 、 そ こで、 南 方 から
域が 、 わ れ われ にと って は最 も 占領 し や す か った わけ です 。
た。 そし て 、 ア メリカ の海 軍 基 地 から 一番遠 く 離 れ て い る南方 地
な る と、 南 方 か ら重 要 な資 源 、 とく に油 を輸 入 せねば な ら な か っ
私 は堅 く 信 じ て います が 、仮 に当 時 、 私が 首 相 だ ったと し た ら、
問
そ れ は何 と い って も合 衆 国艦 隊 で す。 そ の海 軍 力 が 干渉 して こ
お っし ゃるわ け です か。 そ れと も 日本 側 か ら見 た所 で は、 陸 軍 の
で は、 あ な た は こ の戦 争 は 主と し て、 海 上 兵力 の戦争 だ った と
と でし た。
な い限 り、 日 本 は南 方 から の資 材 供 給を 確 保す る こと は容 易 な こ
答
力 と か いう こと も 。
問
答
問
す ら 考 え た の です。
われ わ れ は こ の戦 争 を はじ めな か った でし ょう。 閣 下 、 これ も、 あ な たが 責任 の地 位 にお ら れな か った こと を 承
して は 不充 分 でし ょう か。 ア メリカ の戦力 を 分 析 し て お答 えす べ
ア メリ カ の戦 力が 主要 な 脅威 であ った と い った だ け では答 えと
それ と も ど こか外 の方 から で す か。
ア から で す か。 中 国 か ら です か。 東 万 のア メリ カ軍 か らで す か。
のです 。 そ し て、 そ の脅 威 は ど ちら から や ってき ま し た か。 ロシ
そ の脅 威 は外 郭 圏 と資 源 地帯 の両 方 を 維持 す る こと に対 す るも
まし た か。
ま た は南方 資 源 地 域 の維 持 に対 す る 主 な 脅威 は何 で あ ると 思 われ
知 の上 で お尋 ねす る のですが 、 戦 争 初 期 の段階 に お いて、 外郭 圏
問
答
き でし ょう か。 そ う です ね、 分 析 し ても ら い まし ょう。 これ を逆 に説 明 しま す と、 わ れ われ が 最 も 安 全だ と 感 じ て いた
支 配 力 の方 が 大き か った か と観 測 し ます か 。 ま た は両方 が 同 じく
日本 政 府 の要 人 たち と いろ いろ話 し合 った結 果 か ら言 え ば、 陸
私 は、 海 軍 の戦 争 だ った と信 じ ます 。
ら い の責 任 を も って いた のです か。
た は思 われ ま し た か。 ア メリ カ軍 の手 のと ど か な い地 域と いう の、
答
海 軍 間 の協 調 は 必ず し も 良好 で はな か った よう に見 受け ま すが 、
問
軍 はど んな 手 を打 つだ ろ うと 考 え ま した か 。 日本 に脅威 を 与 え る
原 因 は何 だ った のです か 。
も し貴 下 も そ の通 り 認 め る とす れば 、 陸 海軍 間 の摩 擦対 立 の主な
ご質 問 に対 す る直 接 の答 え にな る かど う か 、 わ かり ま せ んが 、
た め に、 ア メリ カ は何 を す るだ ろう と 予 想 し て いま し た か。
は 、 い ったい、 ど こを 指す ので す か。 外 郭 圏 に対 し て 、 ア メ リカ
さ て、 そ れ で は、 ア メリ カ軍 はど う す る つも りだ ろうと 、 あ な
場 所 は、 米 軍 が や って こな い場 所 で し た。
問 答
問
答
答
問
答
問
答
そ れ は当事 者 の性格 の 不調 和 か ら来 る も ので し た か、 戦 争 目的
そも そ も 開戦 時 にさ か のぼ る べき で した 。 私 は当 初 から 、 こ の戦
そ こで 日本 艦 隊 は、 散 々な 目 に会 いま した。
ミ ッド ゥ ェー は主 と し て海 軍 と し て の立 場 から 選 んだ も のです 。
を転 機 と見 た 所以 は何 で し ょう か。
ミ ッド ウ ェーを 指 摘 され た理 由 、 それ か ら ガダ ルカ ナ ル の撤 退
う こ れ で万 事 終 りだ と 感 じ て いま し た。
ン島 の失 陥が あ り 、 レイ テ の敗 北が 起 こり まし た。 そ こで私 はも
く な いも のと 見当 を つけ て いま し た 。も ち ろ ん其後 にも 、 サイパ
た い の です 。 それ から と いう も のは 、も はや挽 回 の余 地 はま った
ド ウ ェー の敗戦 、 ま た は、 ガダ ルカ ナ ルか ら の撤 退 を転 機 と い い
そ こ で、 一旦、 戦 争が はじ めら れ て から の こと を言 え ば 、 、 ミッ
対す る答 弁 に はな って いな い かも 知 れま せ んが 。
争 は成 算 は な いも のと感 じ て いま し た。 む ろ ん、 これ はご質 問 に
答
問
の見 解 の相 違 から で し た か、 い った い、何 が 協 調 を妨 げ ま し た か。 私 は、 根 本的 な も のは陸 軍 と海 軍 の教 育方 針 の相違 にあ った と 思 います 。 陸軍 は十 五歳 か十 六 歳 の少 年 か ら軍 隊 教 育 を始 めて い ま す。 ︹ 編者注︺ 陸軍幼年学校 の教育を指 している。 そ し て、 そ んな 若 年 の時代 から 、戦 争 以外 の何 も 教 え な か った。 そ こに陸 軍 士官 と海 軍 士 官と の考 え方 に根本 的 な 相 違が 生じ た と 信 じ ます 。 そ の結 果 、 当 然 の帰 結 と し て、陸 軍 士 官 は見 解 が 馬 車
でき な く なり ま す。
馬 のよう に狭く なり 、 海 軍士 官 ほど広 い視 野 で物 事 を 見 る こと が
陸軍 士 官 が戦 争 以 外 のこと は何 も教 え ら れな か った と いう 意 味 は 、広 い国 際 的 な視 野 に つい て の教育 が 欠 け て いた と いう よう に
慮 に 入れ て 見 て、 も はや、 戦 争 も これ まで だ と感 じ まし た。 さら
す。 あ の撤 退が や む を得 な く な った当 時 、 私 は全般 的 な 情勢 を考
他 方 、 ガダ ルカ ナ ルの方 は、 一般 的 な 観点 から 指摘 し た も ので
そ の通 り です 。 軍 隊 以 外 の こと は何 も 教 えな か った と思 わ れ ま
に レイ テ の惨 敗 で は、ず で に フ ィリ ピ ンを喪 失 し たも 同 様 だ と痛
と れ ま すが 、 そう で し ょう か。
す 。 む ろ ん、 これ は私 の感 じ に過 ぎ ま せ ん。 私 が こう 言 ってる か
感 し ま した 。
ア メリ カ の渡洋 作 戦 が 完壁 な徹 底 振 り と、 水 も洩 ら さな い計 画 の
非 常 に漠 然 とし た 言 い方 を す れば 、 日本が 致 命 傷 を受 け た の は、
の効 果 をあ げ たと 考 え ら れ ます か 。
ア メ リカが こ の戦 争 でと った措 置 のう ち で、 は た し て何が 最 大
と 影響 を与 え た と思 います か。
ア メ リカ 軍 の作 戦 のう ち、 ど れが 日本 海軍 の戦 力 に主 要 な打 撃
ら と い って、 それ は別 に、 こ こで 陸軍 を 非難 し よう と し て る ので
問
答
はあ り ま せ ん。 閣 下 、 あ な た はど こが 戦 争 の転機 だ った と思 われ ます か。 つま り 、 こ の戦 争 を成 功 裡 に終 結 さ せ る こと が覚 束 な く な った は っき り し た徴 候 があ らわ れ た のは、 い つど んな情 況 のと き であ った か、 と いう こと に つい て、 ご意 見 を 承 り た い。 それ はあ な た の お気 に
き わ め て率直 に申 し 上げ れ ば 、戦 争 の ター ニング ・ポ イ ン トは、
入 る よう な 言 い方 で結 構 と思 いま す。
下 に行 な わ れ た事 実 に よ ってで し た。
い過 失 が 混 入 し て来 る こと は免 れな いの です 。
︹ 編者注︺ 台湾沖航空戦に関するラジオ放送 の基礎にな った大本営発 表 は次 の通り。
も う す こし詳 し く 言え ば 、 ミ ッドウ ェー海 戦 の結果 と 、 レイ テ 海 戦 後 の潜 水艦 作 戦 に よ って、 日本 はひ ど く叩 き のめ され ま し た。
破
墜
で した 。
私 が 本 当 に おう かが いし たか った点 は、 つま り次 のよう な こと
( 註)本戦 闘 を台湾沖航空戦と呼称す。
飛行機未帰還 三百十 二機
二、我方 の損害
百十二機 ( 墓地における撃墜を含 まず)
撃
十 三隻、其他火焔火柱 を認 めたるもの十 二を下らず。
空母八隻、戦艦 二隻、巡洋艦四隻、巡洋艦若くは駆逐艦 一隻、不詳
撃
空母十 一隻、戦艦 二隻、巡洋艦三隻、巡洋艦若くは駆逐艦 一隻 。
轟撃沈
一、我方 の収めたる総 合戦果次 の如し
を猛攻し其 の過半 の兵力を壊滅し て之を潰走 せしめたり。本戦闘に於 で
我部隊 は十月十 二日以降 連日連夜台湾及 ルソン東方海面 の敵機動 部隊
大本営発表 ( 十九年十月十九 日十 八時)
昭 和十 九 年 の晩秋 、 日本 は、 ラジ オ放 送 によ って、 台 湾沖 で、
昭和 十 九 年 の秋 に東京 から 放 送 し た数 字 は、 現 在 はむ ろ ん記億
ア メリ カ は持 て なく な ったも のと 思 った ので す か。
と 真 面 目 に信 じ 、米 艦 隊 が レイ テ海 戦 に出 て来 た ほど の海 軍力 を
日本 海 軍 は ア メリ カ海軍 に対 し 、 ほ んと に大打 撃 を与 え たも の
まし た 。
十 三 日 か ら 二十 五 日 にか け て、 フ ィリ ピ ソ地 区 で 一大 攻勢 を とり
米 海 軍 に途 方 も な い大 損 害 を与 え た と 発表 し、 日本 海 軍 は 十月 二
問
事 実 です 。
渡 洋 作 戦が 、 完 全 に計 画 通 り に着 々と 遂行 され た と いう 厳 然 た る
要 す る に、 日 本 に 一番 大 きな 打 撃 を与 え たも のは、 ア メリ カ の
われ が 予期 し て いた より も は る か に威 力 を発 揮 し ま した 。
おま け に、 ア メリ カ の空 軍 力 は、 フ ィリ ピ ン地 域 にお い て、 われ
問
そ の いわゆ る誇 張 され た戦 果が 、 そ の後 の作 戦 に何 か実 質 的影
答
し て い ま せ んが、 発 表 さ れ た数 字 に若 干 の誇張 が あ った こと は、
し かし 、 一般 的 に言 って、実 際 に戦 闘 に従事 し た将 兵 と 、 司令
あ り う る こ とで す。
︹ 編者注︺ 1日本航空部隊 の戦果報告に反 して、実際にはアメリカ艦
実際 に誇 張 が あ った かど う か、 私 は知 り ま せ ん。
体 化 し て い たと 信 じ て い た ので はあ り ま せん か。
し た際 に、統 帥 部 で は、 ア メリ カ機 動部 隊 が 実際 よ り はず っと 弱
響 を 及ぼ し た かど う か と いう こ とで す。 あ の攻勢 作 戦 の命 令 を出
答
部 から 戦 闘 を見 守 って いる 人 々と の間 に判断 の相 違が 起 こる のは 当 然 だ と 思 います 。 こと に大 部分 の被 害が 航 空 兵 力 に よ って生ず る航 空 戦 の場 合 は尚更 の こと です 。 飛 行 機 の搭 乗 員 から の報告 は
い こと で す か ら、 故意 に誇 張 す る つも り は なく ても 、 や む を得 な
重 複 す る こ とが 度 々あ り ます 。 こ の こと は報 告 者自 身 には 分 ら な
問
艇 は 一隻も撃沈 されなか った。ただ巡洋艦 ﹃キ ャンベラ﹄ と ﹃ヒ ュー ス ト ン﹄ 二隻が大損害 を蒙 ったのみ であ った。 (フィールド ﹃レイテ湾 の 日本艦 隊﹄六七頁) 2 この航空戦︱︱特 に夜間雷撃に参加したのはそ の名 も "台 風部 隊 (T部隊ともいう) "と呼ばれる陸軍 の飛行機を訓練し た部隊であ った。 洋上飛行機 や雷撃 の腕前 は、訓練 の結果相当 の高度 に達し ていたが、天 候 も悪 く、 おまけに敵 の艦隊 を識別する能力が不足し ていた。惜 しいこ とであ ったが、始めて敵 に見参す る隊員には無理な注文 であ った。実際 に、 この攻撃 で敵に与えた損害 は、前記 の二隻の大型艦を大破させたに 過ぎ なか ったのである。 一方、 アメリカ側 では十 二 日、十三日台湾 空襲 で目本機五 二〇機以上を撃墜破、日本海軍 の艦船三七隻を撃沈 した大戦 果 を主張 させたという。大本営 の誇大な戦果 は国民を有頂天にさせ、報 道部特 に陸軍 の肩身 を広くさ せた のはまだいいとし て其後 の作戦 にも重 大な影響 を及ぼ したことはアメリ カの史家が指摘した通りである。 T部 隊も必死 の攻撃を反復 した揚句、殆んど全滅 の憂目を見るに至 ったので あ った。 戦果訂正 の意見も出 たのであ ったが、 この戦果を嘉賞 した勅語 も出 て
問
答
問
答
こ の戦 争 で は この両 者 の釣 合 は主 と し て資 材 の欠 乏 のた め に、
国 家 戦 力 が直 接 に海 軍戦 闘 力 を 左右 し た のです 。
ま ったく 破れ てし ま いま し た。 教 育 訓 練 と いう 問題 も あ る 程度 は
影 響が あ りま し たが 、 国 家戦 力 と海 軍 戦闘 力 と の調 和 が 失 われ た
東条 大将 は、海 軍 力 や 海軍 作 戦 の本 当 の意 義 や問 題 等 に ついて、
主 要 な 原 因 は、 資材 の不 足 と いう こと でし た。
そ れ に ついて は、 想 像 的 な こ とを 申 し上 げ る こ と は避 け た いと
十 分 な 理解 を 持 って い たと 思 います か。
思 い ます 。 東 条 大将 にまず 尋 ね て見 て から で な いと 申 し 上げ ら れ ま せ ん。
海軍 最 高 統 帥 部 は、 か り に自 分 たち だけ で、 自 由 に終 戦 を 決 定
す る こ とが でき たと す る な らば 、 戦 争 のど の段階 で、終 戦 の対策
を と った ので し ょう か。 そ んな 段 階が いろ いろ な時 期 に考 え ら れ
た ん に、 ま ったく 日 本 の立 場 から だ け観 測 し て、 私 は最 初 のチ
たわ け です か。
ャ ン スは、 開 戦早 々 の頃 だ ったと 信 じ ます 。 つまり 、 ハワイ 、 シ
ンガ ポ ー ル等 で勝 利 を 収 め た直 後 、第 二 の機会 は サイ パ ン陥 落 の
し ま っているし今更何ともならなか った。 ( 冨永謙吾 ﹃大本営発表﹄ 二 五四頁)
これ は、海 軍 だ け のこと で すが 、 た とえば サイ パ ン失 陥後 、 海
それ は相 手 の出 方 や態 度 に よる こ と です か ら⋮ ⋮ ⋮。
かり ま せ ん。
軍が 終 戦 を 提議 し たと し ても 、 終 戦 にも って行 け た か どう かは わ
以上 は 日本側 から だ け見 て の話 です が 、 し か し、も し、 日 本海
よ う なも のだ った、 と 思 い ます 。
あ と で し た。 そ の後 はた だ、 情 勢 にず るず る と引 きず られ て いる
問
戦 争 中 のど の時 期 に つい てで も よ ろし いが 、 と にかく 、 海 軍戦
ご 質 問 に対 す る 直接 の答 え と し て は、 海軍 が 大 打撃 を 受 け た場
見 を 承り た いも の です 。
力 と国 家 戦 力 と の関 係 に ついて 両者 を 比 較 し て考 え て み て のご意
答
合 は、 そ の当 然 の結 果と し て、国 家 全 体 の戦 力 は 低 下し ま し た。
し かし 、 一般 的 に 言 えば 、 実 情 は概 し て そ の逆 で し た。 つま り、
と いう のは海 軍が 失 った も のを補 充 せねば なら な か った か ら です 。
答
問
軍 の若 い将 校 た ち は終 戦 工作 のよう な も のを 聴 き 入れ る気 持が 、 はた し てあ った でし ょう か。 む ろん 、 これ は、 ただ た ん な る意 見 と し て お伺 いす る わけ ですが ⋮ ⋮⋮ 。 それ は問 題 です 。 や は りあ る適 当 な時 期 が や って く る ま で は、 な かな か終 戦 など で き るも ので はな い よう にも 思 わ れ ます 。 そ ん な時 節 が 到 来す るま で は、 或 る 種 のいき お いと いう も ので戦 争 は
ド イ ツが 最 後 の勝利 を 得 る だ ろう と いう希 望 が、 ど の程 度 、 終
動 い て行 く も のです から。
私 に関す る かぎ り、 そ れ は全 然 影 響 はあ りま せ ん で した 。 と い
戦 をお く ら せ る のに、 影 響 し た で し ょう か。
答
日本 の戦 争継 続 能 力 は ど んな 具 合 でし た か。
大 体 こ の頃 にな る と 日本 の戦 争 経 済力 は、 殆 んど 枯渇 し切 って
いる ことが は っき り と分 り ま し た。 何も かもが 、 ま ったく 底 を つ
い てし ま ってい た ので、 特 にとり たて て これ は顕 著 だ と いうも の
更 にも う す こ し、 立 ち 入 って説 明 しま す と、 例 えば 、 石 油 の欠
はあ り ま せ んで し た。
乏 の問 題 で すが 、 これ は フ ィリピ ン失 陥 後 、 一滴 も南 方 か ら入 っ
造 船 状 況 に つ いて 言 えば 、 鉄鋼 不足 のた め にそ の能 力 は ガ タ落
て こ なく な って、 深 刻 な状 態 にな って いま し た。
たけ れ ども 、 あ る 種 の理 由 で 生産 関 係 に お いて、 人 的資 源 は決 し
人 的 資源 の面 では 、頭 数 に関す る限 り充 分 だ ったよう に思 わ れ
ち にな って し ま って いま し た。
いう見 込 はな いと思 って い た から で す。 私 はと う の昔 から ド イ ツ
て豊 富 と は言 え ま せ ん でし た 。 つま り人 的 資 源 の能 率的 使 用が で
う のは、 私 はそ も そも のは じ め から 、 ド イ ツが 結局 勝 つな んぞ と
に勝算 は な いと確 信 し て い た の で、 ド イ ツと の提携 に は真向 から
そ ん なわ け で私 は五 月 頃 ま で には、 ど ち ら を向 いて見 ても 、 日
き な か った の です 。
そ し て 、 こ の、 私 の所 信 が 、 あ る方 面 に洩 れ たも のです から 、
本 はす っか り行 き 詰 って し ま った こ とを 、 ひ そか に感 じ 取 った の
し か し、 鈴 木 大将 が 首 相 に な って か ら は、 抽 象 的 な言 い方 で し た
いや、 誰 で も そう だ った で し ょうが 、 ほん と に難 し い こと で し た。
問 題 を持 ち 出 す など と いう こと は、相 手が 誰 であ ろ う と、 私 に は、
鈴 木 内 閣 は本 年 四月 上旬 ︹ 七 日︺に成 立し ま し た。 当時 は、 終戦
いた だ け ま せ んか 。
に つ いて、 あ な たが 鈴 木 海 軍 大将 と 話 し合 わ れ た内 容 を説 明 し て
鈴 木 内閣 に 入閣 後 、終 戦 のた め積 極 的方 法 を講 ず る と いう こと
です 。
反 対 し た 一人 でし た。
問
私 は首 相 の地位 から引 き ず り 落 さ れ る形 にな った のです 。 そ れ は、
を そ の方 面 で強 く 感 じ たか ら で し た。 諸 情勢 の大 局 か ら見 て、 統 帥 部 や、 政 府 上 層部 で、 こ こら で終 戦 に持 って行 く べき だ と いう 意 見 を積 極 的 に述 べ たり 、表 明 し た
今 年 (昭 和 二十 年 ) の五月 初 旬 で す。
り し はじ めた のは い つご ろ の こと です か。
で は、 そ の頃 の日 本戦 力 の顕著 な事 象 は何だ った で し ょう 。 ま
答
米 内 が 総 理 大臣 で は ドイ ツと の同盟 を 実 現す る 可能 性 が 少 い こと
答
問
答 問
た、 当 時 の日本 戦 力 の主な 欠陥 は 何だ った で し ょう か。
あ ま り 長く 続 け る わけ には行 く ま いと思 う ﹂ と い ったよ う な表 現
が 、 彼 と話 し 合 い ま した。 ﹁私 の考 え で は、 こん な状 態 のま ま、
す 。 同 じ こと が 陸 軍 に ついても いえ る でし ょう 。 し か し結 局 のと
手 段 を と りま し た 。そ う し てど う や ら事 なき を得 た と信 じ て い ま
はあ ら ゆ る不 慮 の事態 の発 生 を未 然 に防ぐ た め に、 でき るだ け の
こ ろ、何 等 不 祥 の重大 事 件が 起 こらず に おさ ま った と いう のも 、
で。 戦 争 をや め る と いう 考 え で、最 初 にと った 具 体的 な手 段 は、 た
私 の海 軍 大 臣 と し て の長 い経 歴 ︹四年十 一カ月間︺を 通 じ、 八月
お力 で し た。
十 四 日 から 二十 三 日ま で の期 間 ほ ど、 心 痛 し た こと は恐 らく あ り
私 ど も や陸 軍 側 で打 った 手 のお かげ と いう よ りも 、 む し ろ天皇 の
上 の戦 争 の継 続 は困 難 に なり つ つあ ると いう 情況 が 、 ます ます は
ま せ ん でし た。 そ して こ の期 間 が、 海 軍 部内 に何 の重 大 事件 も 発
し か、 内 閣綜 合計 画 局 に対 し て、 各種 の戦 争 資 材 の現 状 を調 査 す
っき り しま し た。 五 月 に私 は個 人的 に、 情 況 は極 度 に逼 迫 して る
る よ う に命 じ た こと だ ったと 思 います 。 こ の調査 の結 果 、 これ 以
と感 じ、 六 月上 旬 には 、 これ 以 上 こ の戦 争 を 続 け る こと は絶 対 に
豊 田副 武
たく ホ ッと し ま し た。
生 せず に過 ぎ去 ったと き に は、 私 はそ れ こそ 胸 を撫 で卸 し てま っ
私 はす で に重 臣 の方 々 には 若 干 の説 明 を し ま し たが、 そ れ に つ
3
R ・A ・ナ フス テ ィ
東京
意味 が な い ことだ と 感 じ ま し た。
い ても う 一度 繰 り 返 し て述 べた いと 思 いま す 。と いう の は、 こ の よく 知 ら れ て いる グ ループ の地位 や 性 格 に つい て、 あ まり にも多
す で に述 べ た通 り、 重 臣 団 と いう も のは何 等 の権 限も 持 た な か
く の誤 解 があ った よう に思 わ れ るも の です か ら。
米海 軍 少 将
W ・ワ イ ルズ
O ・A ・ア ンダ ー ソ ン
質 問者
米陸 軍 少 将
ったし 、 国策 の討議 にも 参 加 しな か った のです 。 国 内 に お いてす
米海軍少佐
R ・H ・ニッツ
T ・J ・ヘッデ ィ ング
J ・A ・フ ィ ールド
沼 和 二十 年 十 一月 十 三 日、 十 四 日
米 予 備海 軍 少 佐
米 海 軍 大佐
副委員長
合 衆 国 戦略 爆 撃調 査 団
ら、 一部 の人 々 に誤解 され て いるた め、 重臣 たち は、ち ょ っと困
日 時 場所
列 席 将校
難 な 立 場 に置 か れ て い る次第 です が 、 あ な た方 はけ っし て 誤解 な さら な いよう に。く ど いよ う ですが 、 こ こ に繰 り 返 し て述 べ る次 第 です 。 戦 争 の終 り に当 って、私 を非 常 に 悩 ま した こと は次 の点 で した 。
れま し た。
す な わ ち、 八 月十 四日 に終 戦 の詔書 が 発 布 さ れ、 十 五 日 に放 送 さ
海 軍 の若 い将 校 た ちが 、 何 を し で かす かと 深 刻 に 心配 し て、 私
陳 述要 旨 豊 田海 軍 大将 は、 日本 陸 軍 の政 治 に対す る影 響 力、 日本 発 展史 に おけ るそ の影 響 力 の演 じ た 役 割、 日本 の対 米 基 本 戦略 お よび 戦争 経 済 計 画 、軍 備 、 戦備 関 係 、 昭和 二十 年 夏 の御 前 会議 に おけ る降 伏 受 諾 の問 題等 に つ いて述 べた。
問 答筆 記 貴 下 は 、戦 争 の全 期 間 を 通 じ て、 軍 事参 議 官 会 議 、大 本 営、 参
問
答
問
閣 下、 そ の基 本的 作 戦 計 画 を作 成す る に当 って、海 軍側 か ら も、
した か。
陸 軍 側 か らも 、 十分 な 了 解 と 同意 が表 明 さ れ た よう に感 ぜ ら れ ま
い や、 遺 憾 なが ら そ う で はあ り ま せ んで した 。陸 軍 が 大き な政
治 力 を持 って い た ので、 も し海 軍側 が 自 分 の方 の希 望 を 達 成 し よ
う と努 力 し ても 、 あ る種 の困 難 にぶ っつか る のが 常 でし た。 そ れ
は何 も 、 戦争 が はじ ま ってか らば かり で なく 、開 戦 前 も や はり 、
では、 もう す こ し、 戦 局が 進 んで か ら の ことを お 伺 いしま し ょ
そ んな 情 況 で した 。
攻 す る こと に決 め た際 、陸 軍 は こ の修 正 に同意 ま た は考 慮 を与 え
か 拡 大 し て、 ア リ ュー シ ャン、 ソ ロモ ン、 ミ ッド ウ ェーな ど に進
例 えば 、 戦 争計 画 の根 本 を 変 更 し て、 当 面 の作 戦 目標 を いく ら
う。
日 本 海軍 では各 艦 隊 司令 長 官 、 各鎮 守 府 司 令長 官 は中 央統 帥 部
て くれ ま した か。
し たか 。
ま た、 戦争 の経過 に ついて、 十 分 に情報 を 入手 でき る地 位 に いま
謀 本 部 、軍 令 部等 で討 議 さ れ て い た計 画 と か政 策 と か に つ いて、
問
答
から 作戦 命 令 は与 え ら れ て い たが 、根 本 的 な政 策 に関 す る相 談 は
私 は当 時 、呉 にお りま し た ので、 海軍 側 の基本 方 針 や 、そ の点
そし て 、 結局 、 満 足 な協 調 が 得 られ ま し たか 。
う け ま せん で した 。 し たが って、 開戦 当 初 か ら、 私 はそ んな 事柄
答
に ついて の陸 軍 と の協 力 問 題 に触 れ た りそ の情 報 を 知 る 地位 に い
そ れ はそれ と し て、 あ な た は 日本 の戦争 計 画︱︱ 太平 洋 戦 争 に
に つい て東 京 から 何 も 相談 にあず か りま せん で し た。
関す る 日本 国 家 の最 高 方針 を熟 知 し て い たと 思 わ れ ます が 、 そう
そ うあ っさ り言 わ れ ます が 、 アリ ュー シ ャン に進撃 す ると か、
ま せん で し た。 問
ソ ロモ ンや ポ ー ト モ レ スビ ー に進 攻す る と か、 ミ ッド ゥ ェー上 陸
正 確 な日 付 け は保 証 しま せ んが 、 た し か昭 和十 六年 十 一月 五 日
じ ゃあ り ま せ んか 。
作 戦 をや る と か︱ ︱ そ れ を決 定 す る大 き な計 画変 更 の場 合 に は、
問
答
と 記憶 して います 。 各鎮 守 府 、 警備 府 司 令 長官 が 東 京 に参 集 を命
陸 軍 と海 軍 と の間 で かな り 広 範 囲 にそ の問 題 を討 議 し 合 って見 る
む ろ ん そ んな 重要 な点 で は、 陸 海 軍当 事 者 の間 で、当 然慎 重 に
ん じ ゃあ り ま せん か 。
ぜ られ て、対 米 開 戦 と な った と き の作 戦 計 画 に つ いて の説 明 を受
し かし、 われ わ れ はそ の計 画 に対 し 、意 見 を のべ る とか 、 修 正 答
け た こと が あ り まし た。
を勧 告 す る と か いう 機 会 は与 え られ ま せ ん でし た 。
し て東 京 には い ま せ んで し た。
話 し 合 いが 行 な わ れ た と思 います 。 し か しそ の頃 、私 は呉 に在 任
そ れ で、 そ の話 合 いが 、 ど ん な風 に行 な われ た か知 りま せ ん。
問
( 豊田副武に対す る総司令部戦犯軍事裁判所判決前文)
えた⋮⋮﹄
戦 争 を 回避 す る た め に は、 ど んな 手 段 を執 った らよ か ったと 思
戦 争 を 回避 す る には、 強 力 で賢 明 な 大政 治 家が い て、 日 本を 指
います か。 当時 と られ た 措置 以 外 に。
さ か のぼ って考 え るべ き で はな いで し ょう か。 おそ らく 満 洲事 変
答
そ れ に つ いて は、 開 戦当 時 の政府 だ け を開 戦 責任 者 と 見 る べき
導 す る こと が 必要 であ った の です 。
あ た りま で。 そ の頃 、 天 皇 の眼 に映 った日本 の姿 と いう も のは、
か ど う か に つい て、 私 は 大き な 疑 問を 持 って いる 。 も っと 過去 に
戦 争 目的が 何 であ った か に つ いて、 私 が 自 分 の考 え を持 って い
た と、 あな た はお考 え です か。
閣 下 、 簡 単 で い い のです が 、 い った い日 本 の戦 争 目 的 は何 だ っ
機 会 は あり ま せん で し た。
なり に、 は っき り し た 意見 はあ り ま し たが、 それ を 中 央 に伝 え る
後 日、 私 宛 に これ ら の事 柄 が 通告 さ れ てき た とき には 、私 に は私
問
答
た こと はも ち ろ ん の こと です 。 一般 国 民 の側 にも、 変 った意 見 が
私 は、 あ な た方 が 、 い った い何 を尋 ね て お られ る の か、 そ の辺
外 国 に知 ら せる ことな ぞ 、殆 んど でき そ う もな い有様 で した。
の所 は分 って いる つも り で すが 、 ここ に 一つだ け 是 非 了解 し て い
は、す で に明 白 に され て います 。 し か し私 は、 日本 の戦 争 目的 が
あ った こと は事 実 です 。 政府 当 局 が 抱 い て いた 戦争 目的 は現 在 で
ど う あ る べき かと いう こと に は 一度 も ふれ た こと はあ り ま せ ん。
のいま し め は、 明 治 天皇 から軍 人 に賜 った勅 諭 に示 さ れ た、 極 め
捲 き こま れ て はな ら な いと いう 信 念 に生き てき ま した 。事 実 、 こ
私 は若 い頃 か ら 、陸 軍 であ れ、 海 軍 であ れ、 軍 人 が政 治 運 動 に
ただ き た いこと が あ り ます 。 そ れ は こう いう こと です 。
し からば あ な た は、 戦 争 目的 に関 す る政 府 の立 場 をど う 了解 し
私 の公 職 上 の立 場 か ら もそ う で し た。 問 て お ら れま し た か。
て重 要 な 事柄 の 一つです 。 政 治 力 と軍 事力 と を 同 一人 が 合 せ て掌
そ れ は大変 む ず か し い こと です な 。 と いう の は、 日本 が も し、 全力 を つく し て努 力 さ えす れば 、 あ の戦 争 は 必ず や 回避 す る こ と
答
握 し た結 果 は ろく な こと にな ら な いと いう こと は、 私 の平素 の固
て き ま した 。 私 は こ の戦 争 に関 し て、 個 人的 な 意 見 はも って いま
れ 以来 、 私 は た えず 部 下 の若 い士官 に こ の私 の信 条 を い いき か せ
満 洲 事 変 が発 生 し た のは、 私が 少 将 にな った ころ でし たが 、 そ
い信 念 でし た 。
が でき ただ ろう にと 、現 在 で も信 じ て います し、 ま た当 時 も そう 思 って いま し た か ら。 ︹ 編者注 ︺ ﹃⋮⋮彼 (豊田) は、 太平洋戦争 には決し て賛成していな
す が、 以 上 のよ うな わ け で、 そ の考え 方が 他 の人 々の見 解 と 一致
か った。 この戦争 の実際 の主謀者であ った東条 に、彼 は強硬に反対し、 させるよりは、政権を握 る時期 を 一時 待 つ方が得策 であると、東条 は考
頑 とし て譲らなか った。 ⋮⋮豊 田を、野望を実 現するために内閣 に入閣
問
作 戦 方 面 で は、陸 海 軍 間 の協 力 はか なり 満 足す べ き も のが あ り
け た よう に感 じ て いる。
ま し た。 も っとも 、若 干 の例 外 はあ った よう です が 。
緒 戦 期 に、 日本 の基 本 作 戦 計 画 の成功 に対す る主 な 脅威 は何 だ
中 国 大 陸 に い る敵 兵力 でし た か。 ロシヤが 満 洲 に侵 入 し て来 る
ろう と 、 上 層 部 で は判断 し て いま し た か。
か も知 れ な いと いう こ と でし た か。 オ ース ト ラリ ヤや ニ ューギ ニ
答
太 平 洋 を横 切 って や って く る ア メリ カ海 軍 の行 動 が 最 大 の危 害
ど こ か、特 定 の地 点 に、 最 大 の脅 威 が感 じ ら れ た はず です が 。
開 戦 時 に、 日本が ぐ るり と 外郭 圏 を設 定 し た当 時 のこ と です。
東 方 か ら の脅 威 です か。 そ れと も 南東 方 面 から のも の です か。
は ア メリ カ の海 軍 と空 軍 の脅威 に対 処す る こと でし た 。
でし た か ら、 個 人的 な 意 見 にな り ます が 、 わ れわ れ の最 大 の目標
私 は既 述 のよ う に、 中央 の作 戦計 画 の立案 に参 加 し て いま せ ん
メリ カ軍 の進 攻 で し た か。
ヤ方 面 の米 軍 の脅 威 で し た か。 それ と も、 東 方 か ら や って く る ア
答
こん で いた と し ても 、陸 軍 と 比 べ たら 問 題 にな ら な い︱ ︱と 考 え
私 は何 等 の躊 躇 も な し に、 言 下 に、 そ の通 り で した と き っぱ り
す な わ ち、陸 軍 は政 治 にたず さ わ って いた 。 そ れも 近 頃 は じま
断 言 しま す 。
った こと で はなく 、 も う 大分 前 、 明 治時 代 にま で さ か のぼ る わけ です 。 陸 軍が 組 閣 など の国 事 に ま で い つも容 喙 し た所 から 判断 す る と、 陸 軍 の政 治活 動 は過 去 長年 月 にわ た って続 け ら れ てき た こ とが よく 分 り ます 。 換言 す れば 、 陸 軍 は国 策 の上 にも 大 き な隠 然 たる 影響 力 を 及ぼ
貴 下 は、 い ま、 東方 から の攻撃 を 指 摘 し まし たが 、 そ れ な ら陸
を 加 え ると 思 いまし た 。
軍が 中 国 大 陸作 戦 を や って いた こと が 、 こ の東方 か ら の脅 威 に対
問
陸軍 の政 治方 面 に対 す る影 響 力 は、 海 軍作 戦 にも 直 接 ひび く ほ
し て 日本 の防衛 態 勢 を ど の程 度 、弱 めた り、 外 に何 か悪 影 響 を与
時 に ア メリ カと戦 端 を 開 こう と いう こと はと ん でも な い計 画 だ と
る わ け で はあ り ま せ んが、 ア ジ ア大陸 で中 国 と戦 争 し なが ら 、 同
も ち ろ ん私 は陸 軍 そ のも の に つい て、あ まり く わ しく 知 って い
ど のも の でし た か。 た と えば 、 あ る方 面 に戦 域 を 拡 大す ると か 、
答
前 線陸 兵 の補給 に潜 水艦 を使 う と か、 海 軍 兵力 を 陸 軍 の選 定 し た
軍事 資 材 の面 で は、相 当 程 度 、 陸軍 の政 治 力 の影 響 を 海軍 は受
れ ば 、陸 軍 は海 軍 自 体 の担 任 分 野 にま で干 渉 し まし た か。
目 標 に む か って、 主 と し て使 用 す る と か いう よう に。 言葉 を換 え
え ま し た か。
は い、 そう です 。
し て い たと 了解 し ても 差支 え あ り ま せ ん か。
問
てお られ るよう です が、 そう でし ょう か。
陸 軍 は全 面 的 に政 治 に関 与 し て い る、 も し海 軍 が 政 治 に首 を つ っ
と に かく 、あ な た の今 ま での陳 述 から 判断 す る と、 あ な た は、
を懸 念 し て いま す 。
と こ ろで 、 それ が、 あ な た 方 に と って 大 し て お役 に立 たな い こと
そ れ で す から 、戦 争 の各 段階 に関 し て、 私 の意 見 を述 べて み た
す る かど う か疑 念 をも って います 。 多分 、 一致 し な い でし ょう 。
問
答
問
答 問
答
問
答
たえ ず 思 って いた こと で し た。 そ し て、 私 は 日中 戦 争 の方 は若 干
し たが って、 局 部 的 に は多少 の例 外 はあ った かも 知 れ ま せんが 、
ったと 思 います 。
戦 争 末 期、 こと に フ ィリ ピ ン失 陥 後 は、 日本 の海 軍 兵力 はア メ
太平 洋 戦 争全 体 と し て は、 ア メリ カ の海軍 兵 力が 日本 の主敵 で あ
リ カ海 軍 力 と 正面 か ら太 刀 打 す る に はとう て い勝 目 が な い ことが
の儀 牲 を払 って も 早目 に片付 け てし まう べきだ と いう考 え 方 で し
かさ ね て、 お 訊 ね しま すが 、 も し 主 な脅 威が 東 方︱ ︱ ア メリ カ
った こと 。精 神 的 方 面 で は、 一番大 き な 障害 は国 民が 何 の た めに
物 資 方 面 で は、 日 本 は資 源 に恵 まれ ず、 はな はだ し く脆 弱 で あ
が でき なか った 原因 は何だ った と思 いま す か。
戦 局 の推 移 を振 り 返 って見 て 、 日本 が 戦争 目 的 を達 成す る こと
ことができず、軍港 、そ の他要地に配備し て局地防空用に供せられた。
部少数 の潜 水艦 を のぞ いては、燃料窮乏 のため作戦部隊 として使用する
上を以 て特殊戦隊を編成し、各要地に配備 せられた。そ の他 の艦船 は 一
器) 、 ﹁回天﹂(人間魚雷)等 であ ったが、 これらは 一種、または二種以
ト)﹁鮫龍﹂( 特攻潜航艇 )﹁海龍﹂ ( 小型特殊潜航艇)﹁伏龍﹂(独行潜水
また水上、水中、特攻兵器 の主なものは、﹁ 震洋﹂( 爆装 モーターボー
った。
耗が予想を超 えた のと、空襲による被 害のために、 目標達成は困難 であ
全海軍航空兵力整 備の目標は六月約五千機 であ ったが、作戦 による消
入した。練 習機 を爆装し て特攻機 として使用しようとす るのである。
海軍では全練習航空部隊を以て第十航空艦隊を編成し、戦闘部隊 に編
︹ 編者注︺ いわゆる ﹁ 出血作戦﹂ の内容 は次 のようなも のであ った。
と 呼 んだ 戦 法 に よる 外 はな いと 決 めま し た。
な らば 、 米艦 隊 に立 向う 唯 一の方 法 は、わ れ わ れが ﹁出血 作戦 ﹂
リカ海 軍 が、 日本 本 土 か、 ま た は近 海 の島 々 に上陸 作 戦を 企 て る
海 軍 か ら 来 るも のと し たら 、そ れ に正 面 から対 抗 す る のは日 本 海
そ う で す。 私 の意見 も そ の通 り でし た し、海 軍 中 央当 局 も 同 一
明 白 にな り ま し た。 そ こ で、 昭 和 二十 年 の夏 頃 に は、 も し、 ア メ
た。
問
答
軍 の責 任 だ ったと 見 る のが 至当 で はな いでし ょう か。
私 は次 のよう な こと を 聞 いた こと が あ りま す。 ち ょう ど ニ ュー
の考 え だ った と信 じ ます 。
ギ ニア作 戦が 行 な われ て いた頃 で した 。海 軍 士官 の中 に、 日本 の
こ んな 態 勢が 相 当 期 間、 続 き ま した か 。 つま り東 方 か ら の脅 威
た。
と は でき な い と いう意 見 が 強 硬 に 主張 さ れ て いた と いう こと で し
て使 用 し な けれ ば 、 とう て い太平 洋 作 戦 の最 大 効果 を 発揮 す る こ
全 航 空 兵 力 を︱︱ 陸 軍機 も 含 ん で︱︱ 海 軍 の統 一指 揮 の下 に お い
問
は、 マー シ ャル喪 失後 も 、 サイ パ ン失 陥後 も 、 フ ィリピ ンを失 っ て も続 い た でし ょう か。 それ と も 、米 海 軍 の脅 威 の重 要 性 は変 化 した で し ょう か。 あ る
そ う です ね︱ ︱戦争 の全 期 間 を通 じ て、 ア メリ カ海 軍 兵力 は依
時 期 に、 そ れ は以 前 よ りも 重 要 で はな く なり ま し た か。 答
然 とし て、 つね に最 大 の脅 威 だ ったと 感 じ て います 。 そ れ に つい て、 ア メ リカ空 軍 の効果 を 見 落 し て いる わけ では なく て、そ の空 軍 の威 力 そ のも のも、 ア メリ カ機 動 部 隊 と の協 同作 戦 によ って の み有 効 だ った わけ です 。
問
答
こ の戦 争 を し て いる か が分 ら な か った こと だ と いえ る でし ょう 。 そ のた めに、 国 民 は ほ んと に 一生懸命 にな って戦争 に没 入す る こ
ア メリ カ側 の見 地 に立 って 、 日本 にそ の戦 争 目的 を貫 徹 さ せな
と が でき な か った の です 。
か った主 な ア メリ カ の力 は何 だ ったと 思 い ます か 。
答
生 産力 が 思 う よう にあ が らな か った原 因 を、 何 か特 別 に引 き 出
退 の主 因 は い った い何 だ った の です か。
し て、指 摘 す る の はむず か し い こと です 。 と いう のは多 数 の原 因
が あ って、 そ れぞ れ 他 に影 響 を およぼ し 、 いわ ば 一種 の悪 循環 を
し かし何 かを 指摘 しな け れば な ら な いと すれ ば 、 原料 お よび天
生 じ たか ら です 。
然資 源 の不足 を あげ た い。 申す ま でもな く 、 日満 支 ブ ロック圏内
ア メリ カ の立 場 か ら 言 えば 、 十分 な 原料 、 豊 富 な資 源、 偉 大な
か らだ け で は、 日本 の生 産 施 設 に十 分原 料 を供 給 す る こと は不 可
こそ、 南方 から 豊 富 な原 料 を 獲得 す る た め、 日本 の陸 海 軍 はあ ん
能 だ った のです 。 そ れ は最 初 か ら分 りき った こ と で、 そ れだ か ら
生 産能 力 を持 って いた こと、 そ れ から 軍需 生 産 が 殆 ん ど計 画 通り
ここ で思 い出 し た の です が 、 私が 聯 合 艦隊 司令 長 官 に任 命 さ れ
実 施 され た こと で はな いで し ょう か。
て東 京 を出 発す る にあ た って、 私 は海 軍 大 臣 に 一つ の要 求 を 出 し
補 給 のこと に立案 規 定 さ れ て いる 艦艇 、 飛行 機 お よび 其他 一切 の
まし た。 そ の要 求と いう のは、 海 軍 の最 高方 針 で聯 合 艦隊 に充当
手 を ひ ろげ た の です 。そ し て守 備兵 力 に釣 合 わ な い領 土 を占 領 す
な広 大な 地 域 にわ た って、 不 充 分 な兵 力を も って 不相 応 な戦 線 に
主 な 理由 は、 まず 第 一に十 分 な 数 の船 舶 を持 って いな か った こ
由 は何 で し た?
南方 から 日本 に原 料 を運 ん でく る ことが でき な か った主 要な 理
る こと にな り ま し た。 問
も のを 、文 字 通 りぜ ひ実 行 し ても ら い た いと いう こと で し た。 そ し て、 も し、 そ の計 画 にき め られ て い る数 量 通 り の調 達 が出 来 な
答
と 。 ま た、 手持 ち の船 腹 は ア メ リカ の潜 水艦 や 航 空機 に よ って、
た と えば 、 十機 の飛 行 機 の供 給 が 無 理だ と 認 め たら 、 は じ め か
いな ら 、計 画 の数字 を変 更 す べき で あ ると いう こと でし た。
片 端 か ら甚 大 な損 害 を 受 け た から だ と思 います 。
今 年 (昭和 二十年) に入 って から の こと に つい て いえば 、 生産
も本 土 爆撃 が 生 命 取 り でし た か。
の損 失 です か。 飛行 機 や 潜 水艦 によ る封 鎖 の結 果 です か。 そ れと
船 舶 の喪 失 です か。 艦 隊 の蒙 った深 刻 な打 撃 です か。 航 空兵 力
し て、そ の主 な 原因 を あ な た は何 と お考 え です か。
日 本が 、 ど う にも 動 き のとれ な い破 目 に陥 った 大き な 項 目 に対
ら十 機 と せず に五機 な ら五 機 と少 な く決 め てお い て、 そ の五機 だ
問
答
け は確 実 に供 給 し て も ら いた いと いう わけ でし た 。し か し実 際 の
さ い。
そ れ で は、 そ の生産 力 に つ いても うす こし つ っこ ん でお話 し下
い つけ な か った から で し た。
それ は実行 の意 志 の問 題 で はなく 、 生 産力 が どう し ても 計 画 に追
跡 を た ど って見 る と、 海 軍 大 臣 はそ の約 束 を 実行 でき な か った。
問
生 産 力 の 不足 し た 原 因 は多 々あ り ま し ょう が、 当 時 の生 産力 減
問
答
力︱ ︱特 に、 飛 行 機 お よび航 空機 材 の生 産低 下 の最 大 原 因 は 日本 本 土 に対 す る爆 撃 の結 果 だ と 思 います 。 し か し日 本 の戦 力 全般 に つ いて いえ ば 、船 舶 の不足 、 そ し てそ の結 果、 南方 か ら の原料 輸 入 が 殆 んど 止 った ことが 一番 大 き な打 撃 だ った と思 います 。 これと 同 じ よ うな こと ですが 、 戦 争 のあ る 段 階 に は国 内 に原 料 が あ る に はあ っても 、輸 送 力 が 不 足な た め 、 加 工 地点 に運 ぶ ことが で き な いと いう こと さ え起 こり ま し た。 以 上 のよ う に種 々 の原 因 が お互 に から み合 い、 重 なり 合 って、 生 産 力 は低 下 の 一途 を たど って行 き ま し た。 生 産 力低 下 、艦 隊 の状 態、 航 空 戦 力 の不振 等 のす べ て の要 素 を 考 慮 し て見 て 、あ な た は戦 局 のど の段 階 にお いて、も はや 勝 利 に 持 って行 けそ う にも な いと観 念 しま し た か。 そ れ に ついて は、 何 か 一つの時期 、 作 戦 、戦 闘 と いう も のが あ
ィリ ピ ンを ア メリ カ に奪 回 され た のが運 の尽 きだ と 思 いま し た。
を 、 以前 にも ま し て痛感 し ま し た。 燃 料 の補 給 に関 す る限 り、 フ
な んと なれ ば 、そ の後 、 ア メリ カ側 に南 シ ナ海 の制 空、 制 海 権も
とら れ 、 わが 海 上 輸 送路 は完 全 に遮 断 され てし ま いま し た。
タ ー ニング ・ポ イ ントと いう のは 、そ の時 期以 後 、 わが 燃 料事
艦 隊 燃料 の状 況 は、 今 年 の初頭 から非 常 に深刻 にな り ま した。
た のは い つご ろ から です か。
燃 料 の不足 に よ って、 艦 隊 の行 動 が、 は っき り制 限 さ れ はじ め
情 が 極 度 に逼 迫 し た と いう 意 味 です 。 問
答
そ して 燃料 の大 量補 給 を 必 要 とす る よ う な大 規模 作戦 など は と
艦 艇 は訓 練行 動 にす ら制 限 を 受 け まし た 。
て も のぞ め なく な り ま し た。 今 年 の四 月 七 日か ら 八 日 にかけ て、
戦 艦 ﹁大 和﹂ が 十 二隻 かそ れ よ り少 しす く な い 駆 逐 艦 ︹ 巡洋艦 一
隻 と駆逐艦 八隻︺を伴 って 沖縄 に向 け て出 撃 し たと き に は、 五分 五
す る のにさ え 、そ の片道 行 動 用 の二、 五 〇 〇 ト ン ︹ 実際積んだ量は
分 の成 功 の見 込 みも あ や し いと疑 って いま した 。 この 一隊 を編 成
り ま し たか。 私 は 、そ も そ も の最 初 から 、 勝 利 を得 る こと は困 難 だと 思 って
艇 を本 土 の水 域 に、 何 も しな いで、 と ど め て お いて も何 にも得 る
し か し、 たと え、 五 分 五分 の勝 算 し かな いにせ よ 、 これ ら の艦
四、〇 〇〇 トン︺ の燃 料 を 工面 す る のに非 常 に苦 労 し ま し た。
いま し た 。 し かし、 ま あ 、そ の後 転 機 とも いう べき も のをあ げ れ
はわ れ わ れ に致 命 的 な深 刻 な打 撃 を 与 え ま した 。 こ の打撃 は 、 当
と ころ はな い のです 。 そ の上 、 五 分 五分 の見通 し し か立 た な い か
ば ミ ッド ウ ェー海戦 が そ うだ ったで し ょう 。 ミ ッド ウ ェー の損 害
時 、 非 常 に多 量 の燃 料 を 使 った こと を 付け 加 え ねば な り ま せ ん。
ら と い って、 そ れを 出 撃 さ せな いと いう のは海 軍 の伝統 にも反 す
深 刻 であ った かは お分 り の こと と 思 います 。
以 上 のよう に、今 年 のは じ め に、 い か に燃料 事 情 が逼 迫 し て、
る こと に な ると 考 え まし た 。
予期 し た以上 に燃 料 を費 し た こ と は、 別 の打 撃 と な ってず っと後
(昭和 二十 年)、 五 月 私が 軍 令 部総 長 と し て、 東 京 に着 任
ま で影 響 し ま し た。 本年
し、 航 空 機、 航 空 燃料 、 艦 艇 用 重油 の実状 に ついて報 告 を 受 け た とき 、 こん な有 様 で は戦 争 の継 続 は極 度 に むず か し いと いう こ と
︹ 編者注︺ 大和隊出撃 に ついては太書 の付録第 一の第 二章 の ﹁沖縄進 攻と天号作戦﹂ の条 を参 照された い。なお、1大和隊 の出撃に関し当時 第五航空艦隊長官であ った宇垣纒中将は昭和二十年 四月七日付 の戦陣 日 誌 に次 のように記入し ている。
す でにそこまで急迫したも のであ った。 ﹂( ﹁リーダーズ ・ダ イジ ェスト﹂
3超大戦艦大和 の出撃は、制空権を失 ったその頃 とな ってはま ったく
一九五 二年十 一月号 二三頁)
しなかった。 たとえ無力な ﹁現存 艦隊﹂におわ っても、海軍発言権 の裏
無意義 であるとし て、大本営海軍部 は司令長官 のたび たび の要請 に同意
づけ として、終戦対策 のためにも留保すべきであるという のが、識者 の
﹁余は同隊 の進撃に ついては最初 より賛意を表せず。全軍 の士 気 を昂 揚せんとし て反 つて悲 惨なる結果を招き痛憤復讐 の念 を抱 かしむる外何
し かるに作戦部長 の不在 の間に、ある誤 った判断 から、出撃 の命令 を
一致し た意見であ った。
出し たのが当時 の実情 である。( 高木惣吉 ﹃ 太平洋海 戦史 ﹄ 一四二頁)
とはもうすでに豊 田長官も決裁をされたが、参謀長 のご意見はどうです
ところが私 の留守 の間に、 これを斬り込ますことにな って、 "このこ
か"と、 いう。 "きま ってから参謀長の意見はどうですかもな いも のだ。
4大和隊 の斬込 み
すなはち、航空専門屋等 は之にて厄介払したりと思惟 する向もあるべ
きま ったも のなら仕様がないじゃな いか"と憤 慨 し た。 ( 草鹿龍之介
の多数を吾等 の眼前 に使用し第三十 二軍 は戦艦 一隻 は野砲 七ケ師団に相
きも、尚保存 して決戦等 に使用せしむるを妥当としたりと断ずるも のな
﹃ 聯合艦隊﹄二五七頁)
そ れ な ら、 そ の 一年 前 の状 況 はどう で し た。 艦 隊 は自 由 に動 か
り。そもそも、茲に至 れる主因は軍令部総長奏上 の際航 空部隊だけ の総
当し之が撃滅 を度 々要望し来れるに徴するも明なり。
するは皮相 の観念にして、 一度攻勢 に転ぜば、必要 なること、敵が戦艦
料 の欠乏甚 しき今日において、戦艦を無用 の長物視し又厄介なる存在視
等得る所無き無謀 の挙といわずし て何ぞや。退嬰作戦 において、殊 に燃
問
い いえ 、 一年 前 にも 、 十分 な燃 料が あ った と は いえ ま せ ん。前
せ ま した か。
じ め まし た。 そ し て サ イ パン 作 戦 のと き に、 そ の計 画 を 立 て る の
入手 でき ま し たが 、 ア メリ カ の潜 水 艦 に次 か ら 次 へと 撃沈 され は
私 は艦 隊 作戦 用 と し て約 八万 ト ンの油 送船 を要 求 し て、 どう や ら
料 ス ト ック は、 艦隊 用 と し て 十分 で し たが 問 題 は油 送 船 で した 。
き 、 南 方 から 直 接補 給 を 受 け る ことが でき ま し た。 南 方現 地 の燃
当 時 はま だ、 艦 隊 はボ ルネ オ 、 ス マト ラ方 面 に行 動 す る こと が で
年 (昭 和 十九 年 ) 五月 、 私 は聯 合 艦隊 司 令 長官 に就 任 し まし た。
答
攻撃なるや の御下問 に対し海軍 の全兵力 を使用すと奉答 せるにありと伝 ふ。帷幄にありて〓画補翼 の任にある総長 の責任 蓋し軽 し と せざ る な り﹂( 宇垣纒 ﹃戦藻録後篇 ﹄二一 一頁) 2当時軍令部第 一部長 ( 作戦部長) であ った海 軍少将富岡定俊 は、大 和隊出撃 の動機 を次 のよ うに説明している。 ﹁ 海軍航空隊 の若い生命が こうし て惜しみなく失 われてゆ く の に、 水 上部隊が いつまでも安全地帯に避退していていいも のであろうか。 水 上特攻は、神風特攻 に対する精神 的呼応 であると同時 に、全軍 の士 気 を鼓舞する上にも大 いに効果があるに違 いない。 こういう考慮から、 海軍首脳部 の議が まとま って、当時鹿屋 の航空基地 にあ った豊 田聯合艦 隊長官 から、大和以下十隻 の残余艦隊に対して、沖縄作戦牽制 のため最 今 から考 えて見 ると、無謀な作戦 であ ったと言 えるが、当時 の情勢 は
後 の突撃 を敢行 する出動命令が出た のであ った。
に最 大 の障害 にな った の は、 実 に こ の油 送船 の不 足 と いう こと で
通 信連 絡 が 思 う よ う に行 か な い ので、 両 部 隊 の指 揮 官が 陸 上 で
軍 令 部 か ら も参 謀 を 送 ったり し まし た 。 し かし 全般 的 に見 て、 た
参 謀 を派 遣 し合 った り、 あ る 場合 は、 陸上 基 地航 空 部 隊 司令 部 に
会 合 す る こ と は事 実 上、 不 可能 でし た。 とき どき 、 打 合 せ のた め
も う 一度、 サ イパ ンす な わ ち マリ ア ナ作 戦 に つい て、 おう かが
した。
い しま す が、 も と も と ﹁あ 号 作 戦﹂ 計 画 で は、 マリ ア ナ諸 島 の防
隊 を いざ と いう 場 合 に申 し分 なく 協 力 さ せ る上 に大き な 障害 と な
えず 密 接 な 通信 連 絡 を維 持 す る こと が でき な か った ことが 、 全 部
そ う です 。艦 隊 を使 用す る と い う こと は 、 はじ め か らそ の計画
衛 に艦 隊 を 使 う お考 え でし た か。
に含 まれ て いま した 。 し かし 、 ア メリ カ艦 隊が マリ ア ナを 攻 撃 し
し て いる 飛行 機 か ら の発 信 を受 け たり傍 受 した りす る 域 に は達 し
り ま し た。 日本 の通 信 は幼 稚 で、 例 えば 水 上 艦艇 が 基 地 か ら行 動
て いな か った の です 。 こ の通 信が う ま く行 かな か った 理由 の 一つ
問
答
てく る可 能 性 を、 別 に、無 視 し た り軽 視 し た わけ で は あり ま せ ん
﹁あ 号 作 戦﹂ に ついて はわ れ われ は五 月 に攻 撃が あ り そ う だ と
し て ち ょう ど そ の頃 作 戦が はじ ま り ま した 。
ろう と予 想 し て いま し た。 そ し て、 こ の点 で は私 の見 込 み は適 中
私 の見 当 で は、 ア メリ カ の フ ィリピ ン攻 撃 は九 月頃 はじ ま るだ
し てそ の攻 撃 の結 果 はど う なり ま し た か。
か。 ア メリ カ軍 はあ な た の予 想 よ り はや く や ってき ま し た か。 そ
貴 下 の見 込 で は、 米軍 の フ ィリピ ン攻 撃 は い つ頃 の予 定 でし た
た い。
次 に、 フ ィリピ ン諸島 防 衛 に おけ る ﹁ 捷 号 作 戦﹂ に つい て承 り
が 、 む し ろ 、 パ ラオ諸 島 を 攻 撃 し てく る見 通 し に重き を置 き ま し
問
は通 信 装 置 の能 率 が 低 い こと を 挙げ ね ば な りま せ ん。
基 地 か ら の作 戦距 離 が 短 い た め日本 側 には有 利 で、 あ る程 度 油 送 船が 少 な く て も間 に合 うだ ろう と考 え られ ま し た。 こ の油 送 船 問
す。
題が 前 にも 述 べ た通 り 、 われ わ れ の最 大 の障 害 にな って い た ので
し か し、若 し マリ ア ナが 攻 撃 に さ ら され る とし た ら 、 はじ めか ら 、艦 隊を 差 向 け る つも り で し た か。 そ の通 り です 。 も し マリ ア ナが 米軍 の攻 撃 目標 にえ らば れ るよ う な こ と にな れば 、 は じ め から 、 ど う して も 艦隊 を 使 わ ねば な る ま いと いう 考 え で は おり ま し た。
予見 しま し たが 、 実 際 に は 一ヵ 月 おく れ た 六月 で し た。 も っと も 、
米軍 の攻 撃が 、 八月 か 九 月頃 には じま る だ ろう と 思 った と い って
さ て、 艦 隊 と基 地 航 空部 隊 と の協 同作 戦 に関 す る あ な た の胸 算 用 に つい てです が 、 こ の二 つの部 隊 を緊 密 迅 速 に協 同 さ せ るた め
日本 側 は、陸 軍 も 海軍 も 、 そ れ ま で の諸作 戦 で 、協 力 す べき 航
は あ り ま せ ん。
も、 わ れ わ れ の対 抗 準備 が そ の頃 に は 一応 でき 上 ると いう 意味 で
です 。
陸 上基 地 航 空 兵力 と 艦隊 と の協 同使 用 は極 度 にむ ず か し い こと
に、 ど ん な方 策 を お持 ちで し た か。
答
た。 そ れ で ﹁あ 号 作 戦﹂ を 採 用 し た の です。 こ の計 画 に よれ ば、
問
答
問
答
月 に サイ パ ン作 戦が 行 な わ れ た後 、 十 月 か十 一月 にな ら なけ れ ば、
とも 四 ヵ月 乃 至 五 ヵ月 を 必要 と しま し た から 。 つまり 、 六月 と 七
空兵 力 の殆 んど 全部 を 失 って しま って 、そ れ を 再建 す る のに少 く
さ せ なく て は 、在 比 陸 上基 地 航 空部 隊 だ け では 、 ア メリ カ艦 隊 に
を 北方 に誘 致 す る と いう計 画 を 立 てま し た。 し か し全 艦隊 を参 加
し た。 そ れ か ら、 わ れ われ は艦 隊 の 一部 を使 って、 ア メリ カ艦 隊
答
は、 全艦 隊 を 失 う よう な こ と にな り かね な い。 そ れ でも 、 一か 八
あ な た方 が ﹁オ ト リ﹂ と呼 んで いる 北方 部 隊 の使 用 法 は最 初 か
か、 や って見 る べき だと 私 は肚 をき めま し た。
いて 、台 湾 に送 り 、陸 上 基 地兵 力 を増 強 し た よう です が 、 それ は
十 月中 旬 ご ろ 、第 三、 第 四航 空 戦隊 か ら 相当 の飛行 機 を ひき ぬ
れ はも とも と ﹁捷 号作 戦 ﹂計 画 には織 り こん でな か った も のです 。
レ イ テに上 陸 し た と いう 情 報 によ って の臨機 応 変 の計 画 です 。 あ
いや、 あ れ は も と もと の計 画 には なか った使 い方 です 。 米軍 が
でし た か。
ら の計画 でし た か。 そ れ と も、当 時 の情 況 に応 じ て、 決 め たも の
問
予 想外 の大 戦 果が あ が る かも 知 れな い。 し かし 万 一、 最悪 の場 合
と いう バ クチ を打 つこと にき めた わけ です 。 も し う まく行 けば 、
対 し て、 全 然 勝算 が 立 た な い ので、 あ り ったけ の艦 艇 を送 り こむ
﹁捷 号作 戦 ﹂ に つい て、 も う 一つお う かが いし た い。 い か な る
ィリピ ン攻撃 にと り か かる だ ろう と 思 った の です。
し か し米 軍 はそ んな に長く 待 た な いで、 多 分 八月 か九月 に は フ
﹁捷 号 作戦 ﹂ を は じ める よ う な態 勢 は整 わ な か った の です 。
問 利益 を 得 る代 り に、 艦 隊 にど んな 損 害 を受 け る こと を、 あ な た は
ア メリ カ軍 の攻撃 が はじ ま ったと き 、す で に述 べ た通 り 、 日本
き をす る つも り でし た か。
覚 悟 の上 で し た か。 い いか え れば 、 あ の作 戦 で差引 き ど ん な取 引
答
軍 は水 上 部隊 も 航 空 部隊 も 作戦 準 備 は完 了 し て いな か った のです 。 レイ テ にわが 方 の水 上部 隊 を 投 入す る のは 大 バクチ だ とわ れ われ は思 いま し た。 一方 、 日本 海 軍 が 世論 に動 か され たと い って は正 当 でな いかも
問
ど んな情 報 に基 づ いたも のです か。 ど んな 理由 でそ うし た のです
知 れ ま せんが 、 と にかく 、 マリ ア ナ、 次 はビ ア クと いう よ う に、 南方 要 地 が 次 々に奪 取 され てか ら と いう も のは、 い った い、 帝国
そ の命 令 を 出 し た の は、多 数 のパ イ ロットが 訓練 不充 分 だ った
か。
から です 。 つま り そ の搭 乗員 たち は、 や っと母 艦 か ら飛 び 出す こ
答
と はでき るが 、 帰着 す る こと は自 信が な か った のです 。 そ こ で、
じ めて いま し た。
海 軍 は何 を し て いる のか、 健 在 な の かと いう声 が 国 内 に起 こ り は
それ で、 大本 営 と も 相談 の上 、そ の賛 成 を得 て、 この大 バク チ
台 湾 の陸 上 基 地 部 隊 に編 入 す る措 置 を取 り ま した 。
ア メリ カ機 動 部 隊 を撃 滅 す る こと だ った のか。 輸 送船 団 を や っ
栗 田提督 の任 務 は何 でし た か。
とを き めま し た。 問
を や って見 る こと︱ ︱フィ リピ ン作 戦 に全 艦隊 の運 命 を賭 け る こ
当 時 、 聯 合艦 隊 の 一部 は内 地 に い ま した 。 全艦 隊 を こ の作 戦 に 参 加 さ せる た め に、 こ の内 地 在 泊 部隊 は急 速 に南 下 を命 ぜ ら れま
答
のか。 具体 的 にど んな 任 務が 与 えら れ て いま し た か。
つけ る こと だ った の か。 それ とも 上 陸地 点 を 攻撃 す る こと だ った
ら れ てし ま う。 そ う な れば 、 艦 隊 だ けが の こ のこと内 地 に帰 投 し
え 、艦 隊 が 残存 し て いて も、 南 方 と の海 上 交 通路 は完全 に断 ち切
に、南 方 海 域 に留 って いると し て も、 爆 弾 や武 器 の供 給 を 受 け る
て み たと ころ で、 燃 料 の補 給 は受 け られ な く な って し まう 。 さ ら
こと は でき な くな る。艦 隊 を 温 存 し よう と し て、 結 局 フ ィリ ピ ン
そ れ から 栗 田提 督 に対 し て、 ど の程度 の損害 な ら 蒙 っても よ い
栗 田 提督 は、 あ の作 戦 で、 ど の程 度 の独 断 を 許さ れ て い たも ので
で は、 な ぜ栗 田艦 隊 は引 き 返 そ うと し た のか。 栗 田提 督 は、 途
を 失う こと は ま ったく意 味 のな い愚策 であ る。
と いう 限度 を 、 具体 的 にかそ れ と な く か、 何等 か指 示 し ま した か 。
問
中 から 反 転 し て レ イテ湾 内 に突 入 しな か った理 由 に ついて、 あ な
栗 田艦 隊 の任務 は レイ テ湾 で敵 輸 送船 団 を 完全 に撃滅 す る こと
し ょう か 。
であ り ま し た。 ただ し そ の命 令 の中 に は、味 方 の こう む る かも 知
当 時 、聯 合艦 隊 司令 部 は日本 内 地 に置 かれ て いま し た。 ︹ 横浜市
た にど んな 報告 を しま し た か。 答
です 。
港北区 日吉︺ そ れ は、 こ の作戦 期 間 ば か り でな く 、 そ の以前 から
十 月 二十 四 日午 後 、 こう いう ことが あ り ま した 。第 二艦 隊 は 、
れ な い損 害 の限界 に つ いて は何 も 示 し てあ り ま せ んで し た。
ア メリ カ航 空 部隊 から 相当 の打 撃 を与 え ら れ た ので 、 まだ 海 峡 に
︹ 編者注︺ 聯合 艦隊 から出す命 令は、作戦 の大綱 であ っで、兵力 の配
ま し た。
す だけ で 、 そ の詳 細 な問 題 に つい て は、 現地 指揮 官 に任 せ てあ り
な お、聯 合艦 隊 司令 部 は、作 戦計 画 に関 し て 一般 的 な 目的 を 示
い る間 に反 撃 し て引き 返 し はじ め ま した 。 そ こ で私 は、 聯 合 艦 隊 司令 長 官 と し て、 ﹁天 祐 を信 じ 進 撃 せ よ﹂ と いう よ う な文 句 の命
︹ 編 者注︺ ﹁ 天祐を確信して全軍突撃 せよ﹂という のが全文 であ った。
令 を出 し まし た。
こ の命 令 の中 に は、特 別 に書 いて はな いが 、 そ の意味 す るも の
下各艦隊個 々の作戦 に ついては、計画実施 ともに、それぞれ の指揮官 の
転用とい ったようなも のを指令するに止 まり、各方面部隊および そ の隷
備、軍隊区分、各方面部隊 の主要任務、各部隊相互の協同連繋、兵力 の
す る こ と は許 さ れ な い。 た と え全 艦 隊が 全 滅 し よう と も進 撃 せよ
は、 損 害 に限 度 を置 いた り、 損 害 を少 く す る た め に引き 返 した り
と いう こと でし た。 そ れが 、 こ の命令 を 出 し たと き の私 の気 持 ち
処断に委 任するのを原則としていた。 ( 豊 田副武提出 ﹁国際軍事裁判所
り ま せ ん。
ら れな いだ ろ う と の結 論 に達 し 、 そ こ で退 却を 決 心 した に相 違 あ
栗 田提 督 は、 こ のま ま レイ テ湾 に進 撃 し ても 、 予期 の戦果 は得
口供書﹂ )
です 。 し たが って、 第 二艦 隊 はど ん な損 害 を受 け よ う と、 そ れ に つい て の制 限 はう け てい な か った と 言 っても 差支 え な い の です 。
のよ う な こと です 。
こ の よう な 命 令を 下 し た とき の私 の決 意 の理由 と な ったも のは 次
つまり 、 こ のフ ィリ ピ ン作 戦 で 日本 が 敗 れ てし ま った ら、 た と
問
答
問
答
今 日、 ふり返 って見 て、 当 時 の情 況 下 で栗 田提督 が 反 転 を 決意 し た こと は正当 だ った と、 あ な た は お考 え で し ょう か。 当 時 を ふり返 って 見 て、 あ の退 却 は別 に誤 り では な か った と思
戦 の失 敗 の原 因が あ りま し た 。
第 二艦 隊 (栗 田 部 隊) を レイ テ湾 に突 入 さ せる こと に決 し た こ
と に伴 って、 一つ の予期 し な い結 果が 生 れ ま した 。 それ は 、 いわ
を 持 って いな か った 。 そ の後 、 ハル ゼ ー提督 の率 いる機 動 部 隊が 、
当時 私 自 身 も 司令 部 の連 中 も 、あ の海 戦 の詳 細 に つい て の情 報
各 航 空 部隊 の隊 員 間 で話 し合 われ て いまし た 。そ れ は士 官 や 参謀
も のだ と いう わ け で はあ り ま せ ん。 この問 題 は、 そ の以 前 か ら、
当 時 の急 迫 した 四 囲 の情 況 にせま ら れ て、 は じ め て組織 化 さ れ た
ゆ る ﹁神 風 特 別 攻 撃 隊﹂ の出 現 です。 と い っても 、 この特 攻 隊が
わ れ われ が 想 像 し て いた より 、 は る か南 方 に行 動 し て いた こと を
こ んな考 え 方 が 起 こ った 理 由 は、 そ の頃 の搭 乗 員 の訓 練 が 不足
た ち の間ば かり で な く、 下 士 官、 兵 、搭 乗 員 の間 にもあ り ま し た。
いま す。
知 った とき に、 私 は、 栗 田部 隊 はそ のと き ア メリ カ機 動 部 隊 の航
る よう に感 じ られ て いま し た。
し て いた た め に、 特 攻だ け が唯 一の成功 の可 能性 を 約束 し てくれ
空 攻撃 圏 内 に いた こと にな るか ら、 彼 が 引き 返 した のは 一応 も っ と も な こと で 決 し て愚 挙 で はな か ったと 感 じ ま し た。 そ れ なら 、 現在 、 あ な た は栗 田艦 隊 の避 退行 動 を 非難 しよ う と
第 二艦隊 を レイ テ湾 に突 入 さ せ ると いう 情 報が 陸 上基 地 航 空 部 ︹ 滝治郎︺ ︹ 繁︺ 隊 にと ど いた時 、 大 西、 福 留 両提 督 は、 そ れ ぞれ 第 一、 第 二航 空
思 いま せ んね 。 は い、 非 難 す る気 持 ちはあ り ませ ん。
水 上 部 隊が そ んな 無謀 に近 いよう な 死物 狂 い の手 段 を と ると い
艦 隊 を 指 揮 し て いた のです が 、次 のよ うな 決 心 を しま し た。
う のな ら 陸上 基 地 航 空 部 隊も 同 じ よう な捨 身 の方 法 に訴 え ねば な
︹ 編者注︺ たしかに、彼 ( 栗 田提督)は間違 いを犯した。しかし、彼 が当時手許 に有し ていた情報に基づくならば、敵航空母艦群と の交戦 を
ら な いと いう の です 。 そ こ で、 いわゆ る最 初 の特 攻 作 戦が 発 動 さ
航 空 兵力 が 劣 弱 であ った ことな ど を ふく め て、 日 本 側が 充 分 な態
艦隊 自 体 の訓練 が 不 充分 であ った こと や、 す で に述 べた 通り 、
のです が 、 根 本的 な失 敗 、 ま た は不成 功 の原 因 は何 でし た か。
特 攻隊 の こと で はな く 、あ の艦 隊 の作 戦 に つ いて お訊 ね した い
した。
第 一、 第 二航空 艦 隊 は当 時 、 フ ィリピ ン方 面 に配備 さ れ て いま
れ る こと にな り ま し た。
打ち切 って、 それより北方 に変針 する決断 をしたことは、双方 ともに論
問
答
理的 であり、 且つ正当 であるものとして弁 護することが できる。 (フィ ールド ﹃レイテ湾 の日本艦隊﹄二七六頁) 西村 部隊 は スリ ガ オか ら、 栗 田部隊 は サ ンベ ル ナ ルジ ノか ら行
航 空 兵 力が 弱 体 だ った こと です ね。 何 と い って も 。 お ま け に
て、 貴 下 は ﹁捷 号作 戦 ﹂ 失敗 の主 因 は何 だ った と思 いま す か。
動 し、 そ し て小 沢部 隊 は北方 で使 わ れ たあ の作 戦全 体 を考 え て見
問
答
沢提 督 麾 下 の飛 行機 搭 乗 員 の訓 練が 未 熟 だ った こ と にも 、あ の作
︱ ︱ と いう より も、 こ の理由 の 一部 と いう 方 が 本当 ですが ︱ ︱ 小
問
答
問
答
勢 を 整 えな いう ち に戦 闘 に引き 込 まれ てし ま ったと いう こと です 。
でき れ ば、 日本 に進 撃 して く る場 合 のア メリ カ側 の上 陸作 戦 は短
そ こで、 日本 が も し ア メリ カ機 動 部 隊 に大 打撃 を 与 え る ことが
い地 点 に上陸 作 戦 を 企 てる 場 合 は絶 対 的 です 。
時 日 の間 に次 々と は でき な く な るだ ろ うし 、 そ の飛 石 上陸 地 点も
特 攻隊 の ことも さ き ほ ど、 ご 説 明が あ り ま した が、 い った い特 攻 隊 の攻 撃 目標 は何 で し た か。 艦 船 でし た か。 陸 上 の地 点 で し た
問
な か った のです か 。そ れ と も 、外 郭 基 地 の補 給が でき な か った か
は、 充 分 に大 き な 基 地が な く 、 必要 な 兵力 を 配備 す るこ とが でき
う です ね。 そ れ が でき な か った原 因 は何 でし た か。 つま り、 それ
です が 、引 き 続 き それ を 安 定 さ せ確 保 す る こと は でき な か った よ
日 本 軍 は緒 戦 の六 ヵ月 間 に殆 んど 外 郭圏 の設定 を 完 成 した わけ
距 離 も 短 かく せざ る を得 な く な るだ ろう と思 いま し た。
か 。 そ し て、特 攻 隊 の主 攻撃 目 標 は何 でし た か。 海軍 の特 別攻 撃 隊 の主 目標 は敵 の航 空 母艦 でし た。 一方 、 陸軍 の特 別攻 撃 隊 は ア メリ カ機 動 部 隊が 沿 岸 近く にや ってき たとき 、 これ を攻 撃 す る こと に な って いま した が 、 主目 標 は む しろ 米 軍 の
(ワイ ルズ 少佐 ) さき ほど のお話 の中 で、 あ な た は 日本 軍が 外
上 陸 地 点 や輸 送船 でし た。
郭 圏 を占 領 後︱ ︱ も っと も、 そ れ は戦 争 初期 の こと です が︱︱ ア
。
し こ の現 代 戦 の特質 に つい て、 も っと 適 確 な認 識 をも って、 はじ
た。 も し、 あ の戦 争 を もう 少 し綿 密 に研 究 し て いた ら、 そ し ても
交戦 し て いた ころ 、 そ の戦 闘 は物 資 の大 量消 費 を意 味 し て いま し
第 二次 大戦 が 欧 州 で勃 発 し た とき 、 とく に地中 海 方 面 で英 独が
に 重大 な 誤 りが あ った と思 いま す 。
私 は現代 戦 の性 格 に つ いて 、戦 争 当 初 から 、最 高 首 脳部 の認識
ら です か。 言 い換 え れば 、 そ れ は補 給 の問 題 でし た か。 答
メ リカ海 軍 が東 方 から 脅威 を 与 え た と言 わ れ ま した 。そ の脅 威 を、 航 空 母艦 によ るも の、 水 上艦 隊 によ るも の、 水 陸 両 用作 戦 によ る
⋮
も のに わけ て、 そ の評 価 に ついて 御意 見 を う かが いた い ので すが ⋮
戦 争 初期 の米海 軍 か ら の最 大 脅 威 の 一つと し て、 ほ か に潜 氷艦
では 、 空母 部隊 、 水 上 艦隊 、 そ し て予 期 し得 る上 陸 作戦 の脅 威
の脅 威 が あ った と 思 いま すが ⋮ ⋮。
開 戦 時 、 日本 は六 百 万 ト ン の船 腹 しか持 たな か った のです 。 そ
め か ら計 画 を 立 てて いた ら、 結 果 は ちが って いた かも 知 れ ま せん。
画 を た てた 。 と ころが 、 こ の数 字 は実 際 に 必要 と し た船 腹 量 にく
し て、 一た ん、 開 戦 にな って から は、 毎 年百 万 ト ンを建 造す る計
も ので す。 そ し て、 上 陸 作戦 に お いても 、 海 上 部隊 の協 力 が な く
積 極 的 な攻 撃作 戦 にお いて は、 航 空母 艦 は 必要 欠 く べ から ざ る
下 さ い。
を 比 較 し て、 あ な たが ど う考 えら れ た か に つい て、 詳 しく 述 べ て
問
答
ら べ る と ま るで少 いも ので し た。
たく スケ ー ルが 小 さ すぎ たわ け です 。
同 様 な ことが 、 他 の消耗 品 、 兵器 等 に つい ても 言 え る︱ ︱ ま っ
て は、 陸 上其 他 航 空兵 力 だけ は 不充分 だ と いう こと に つい て、 私 はあ な た と同 意見 です 。 そ の見 地 か ら、 私 は機 動 部 隊 の価 値 を 非 常 に高 く 評価 し ます 。 と く に、 陸 上基 地 航 空 兵力 の足 のとど かな
問
答
問
では 、 日本 が実 行 した 計 画 は、 日本 の能 力 を超 え た も のだ った
前 に も言 った通 り、 立 て た計 画 さ え満 足 に実 行 でき な か った の
と言 わ れ る わけ です か。
です が 、そ も そ もそ の立 て た計 画 自 体が 、 戦争 の要 求 に応 じ得 る も の で はな か った と 私 は思 いま す。 日本 海軍 は戦 争 を や める のに はど うす る つも り で した か。 終 戦
開 戦 時 、 私 はそ ん な情 報 を 入手 し 得 る立 場 に は い ませ ん で した
に関 す る 日本 海 軍 の具体 的 な 予想 はど う でし た か 。
こ の会 議 の結 論 と し て は、 国 民 を奮 起 さ せ るた め に何 か過 激 手
段 を採 らな け れば 、 戦 争遂 行 の国 力 は非 常 な急 角 度 で衰 え る に ち
が いな いと いう の でし た 。そ れ だ か らと い って、 和 平を 乞う べき
と いう の は、 そ んな に大勢 の人 の列 席 し て い る所 でそ んな風 に
だ と いう 意 見 を 述 べ たも のが あ った わ け ではあ りま せ ん。
頭 を下 げ る べき だ と 主張 す る こ とは 、 と ても むず か し い こと だ か
ら です 。そ れ で 、採 用 さ れ た決 議 は 、 この戦 争 を継続 す るた め、
何 かや ら ねば な ら ぬ と いう こと で し た。
二日後 、 六月 八日 に は 六日 と殆 んど 同 じ顔 触 れが ま た会 合 し ま
と いう も のはな く 、 六月 六日 の会 議 で 決定 さ れ た こと を報 告 し た
し た。 今 度 は天 皇 陛 下御 臨 席 の下 に。 この御 前 会議 では特 に討議
だ け でし た 。
答 か ら、 終 戦 に ついて海 軍 が ど ん な予 想 を持 って いた かを は っき り
そう です 。本 年 五 月、 軍 令部総 長 にな って以 来 は 、終 戦 のた め
終 戦 に関す る御 前 会議 と いう も の には列 席 さ れ た で し ょう。
は申 しあ げ か ね ます 。 問
︹ 編者注︺ この会議 には六人 の構成員 ( 梅津参謀総長の代理として河
辺虎 四郎参謀次長) 、幹事 の外 に特 に、枢密院議長、軍需相、農 商 相 が
た。 そ の以 前 、 たし か 五月 上 旬 のこ とと 思 いま す が 、最 高 戦 争 指
東京 に着 いて新 任 務 ︹ 軍令部総長︺に つ いた の は五 月十 九 日で し
て い ま し た。 こ の問 題 で は外 務 大 臣が 指 導的 役 割 を演 じ 、そ の件
だ け で、 適 当 な時 機 に ソ連 に仲 介 を依 頼 す る目 的 で、 談 合 をや っ
ま た、 正規 の最 高 戦 争 指導 会 議 の開 催 と は別 に、 六人 の構 成 員
出席した。
導 会 議構 成 員 が終 戦 方 法 を話 しあ って お った の です 。 こ の最 高 戦
に つい て は マリ ク ・ソ連 駐 日大 使 にす で に申 し入 れ てあ り ま した 。
を 簡 単 に述 べて い ただ け ま せ ん か。
そ れ ら の会議 を 列 挙 し て、 審 議 の内 容 と、 そ の到達 し た決議 と
の御 前会 議 には出 席 し ま し た。
答
問
答
争 指 導会 議 と いう の は六 人 の構 成 員 から 成 って いま し た。 首 相 、
コー に派 遣 さ れ る に つ いて の予 備 交 渉 をす る よう 、外 務 大 臣 か ら
同 時 に モス コーに い る佐 藤大 使 は、 そ のた め の特 派 大使 が 、 モス
の交 渉 は、 順 調 には かど り ま せ ん でし た。 交 渉が 始 ま ってか ら 約
訓 令 を受 け て いま し た。 し か しな が ら、 東 京 でも モ ス コーでも こ
こ の会 議 ︹ 六月六日の最高指導会議 を指 す︺ は以 上 の 六名 の外 に、
陵 相 、海 相 、 外 相、 参 謀 総 長、 軍 令 部総 長が そ れ です 。
農 商 務 大臣 ︹註 軍需大臣 の誤りと思 われる︺ 、 内閣書記官長、陸海
二十 日 間 も経 っても 一向 に何 等 の成 果 もあ が ら な か った のです 。
軍 省 軍 務 局 長、 内 閣綜 合 計 画 局長 官 など 多 数 のも のを 加 え て、 戦 争 遂 行 上 執 る べき 方 策 を審 議 し ま し た。
六月 二十 六 日 ︹ 六月二十 二日︺天 皇 陛下 は最 高戦 争 指 導 会議 の構 成 員 六名 を 召 集さ れ 、次 の よう な御 発 言が あ り ま し た。 ﹁こ の戦 争 を継 続 す る こと は む ろ ん必 要だ が 、 そ れ と 同 時 に、 国 内 情勢 にか んが み 終戦 の可 能 性 を考慮 す る こと も 必要 と 思う 。
ソ連 側 から は、 ス タ ーリ ンと モ ロト フは二人 とも ポ ツダ ム に向
ら 回答 す る と いう 約束 だ と いう返 事 が あ りま し た。
け 出 発 す るば か り のと ころだ から 、 二人 が モ ス コー に帰 着 し て か
日本 政 府が 、 実際 に モ ス コー から 回答 を 得 た の は八月 八日 で し
争 を終 結 し よう 、 と いう わ れ われ の努 力 はす べ て水 泡 に帰 し て し
宣戦 布 告 ︱ それ が 回答 で した。 こう し て、 ソ連 を仲 介 と し て、戦
たが 、 そ れ は日 本 と外 交 関 係 を断 絶 す る と いう 内 容 のも ので し た。
こ の御 下 問 に対 し 、首 相 、 外 相、 海 相 は、 自 分 た ちも 陛 下 の御
ま いま し た。
こ のよう な 考 え方 に つい て、 構 成員 の意 見 はど う か ﹂
思 召 しと ま ったく 同 じ考 え であ り、 そ れ ぞ れ の目 的 にむ か って、
の は、 当 時、 海 軍 全体 と し て、 ただ 二 人︱ ︱ 海軍 大 臣 と軍 令 部総
ソ連 仲 介 に関 す る話 合 いが 進 めら れ て いた こ とを 知 って いたも
は何 日頃 にな る見 込 み かと おたず ね にな ら れま し た 。そ れ に対 し、
か や って いる なと 感づ い て いたも のが あ った かも 知 れ ま せ ん。 私
たび た び会 合 が 開 かれ て いた ので 、海 軍 省 の上 層 部 の方 で は何
長︱ ︱ だ け で し た。
七 月十 日 に、 天 皇 陛 下 は急 に外務 大 臣 を お 召 し にな り、 ﹁ もう
には次 のよ う に言 い渡 し てあ り まし た 。 "戦 争終 結 に関 し て話 し
自身 と し ては、 多 分 そ ん な ことも あ ろ う かと 思 って、 軍令 部 次 長
合 いが 行 な われ て いる けれ ど も それ は 一般 士官 の関 知 す べき こと
はな いか﹂ と仰 せ られ ま し た。
で は な い。 軍 人と いうも の は戦 争を 遂 行 す る ことだ け に全力 を つ
士官 が 和 平 問題 に首 を突 っこむ とど う し ても 自然 に士 気 の低 下
そ の頃 、 駐 日 ソ連 大使 は病 気 と いう こと で外 務 省 は ソ連 大 使館
不 振 を来 す も と にな る だ け です 。 こ の こと は陸 軍 の場 合 で も同 様
く せば よ い。"
る と いう申 入れ を さ せる こと に決 めま した 。 駐 ソ佐 藤 大使 は ソ連
と連 絡 を と る のに困 難 を感 じ て いま し た。 そ こ で、 モ ス コー に い
外 務 次 官 を通 じ て 以上 の申 入 れを しま し た。 そ うす ると 、 ﹁特 使
和 条 件 は、 い った いど んな こと にな っただ ろう かと いう こと です
件 とす る つも り でし た か。 そ の大要 を述 べ て下 さ い。 つま り、 講
ソ連 を仲 介 と して 和 平 を求 める場 合 、 ど んな こと を主 な基 礎 条
だ った と信 じ ま す。
る 日本 大使 に訓 令 し て、 ソ連 政 府 に直接 モス コー に特 使 を派 遣 す
七 月 上旬 ぎ り ぎ りだ が、 特 使 を 遅 滞 なく 派 遣 せね ば な らな い ので
う に考 え て おり ます と いう答 弁 が あ りま し た。
日 取 り は確 定 し ま せ んが 、 ポ ツダ ム会 議 開 会前 に は派遣 でき る よ
そ こ で、 陛 下 から 、 かさ ね て 、特 使 を モ ス コー に派遣 でき る の
手 段 を講 じ つ つあ り ま す と、 答 え ま し た。
問
を派 遣 す る の は何 の目的 が あ る のか 、そ れ は終戦 に つ いて ソ連 の 仲介 を乞 う た めであ る か﹂ と の反 問 があ った ので、 佐 藤 大使 はそ の通 りだ と 答え ま し た。 こ のよう な 交渉 が 行 な わ れ た のは 七月 十 三 日 頃 で した。
答
問
答
が。 ど ん な こと を条 件 にす る か に つい て、 外務 省 側 では考 え て いた かも 知 れま せ んが 、 わ れ われ の間 の談 合 には別 に出 ま せ ん でし た。 そ れ は、 わ れ われ と し て は、 そ の問題 は ソ連 側 の意 見 を尊 重 す べ き だ と考 え て いた から で し た。 具体 的 条 件 と し て、 わ れ われ は、 む ろ ん、 ど んな結 果 にな る に せよ、 開 戦 前 の状 態 より悪 く な る だ
それ は非 常 に むず か し い質 問 で すρ
従 し た でし ょう か。
戦 争 のど の時 機 に、 終 戦 の詔 勅 が 出 され た ら 、海 軍 はそ れ に服
だ った で し ょう 。
る場 合 に、 大き な 犠牲 を払 わ せ る よう な 手段 を 日本 側 が と る こと
合 軍 が 戦 闘 をぐ んぐ ん継 続 す る とす れば 、 本 土上 陸 作 戦 を はじ め
問
答
え、 猪 突 猛 進 主義 の第 一線 部 隊 を抑 え る のに苦 労 しま し た から 。
と いう のは、 実 際 に終 戦 の詔 勅 が 出 さ れた あ の八月 十 五 日で さ
じ っさ い、 血気 に はや る連 中 を宥 める のは大 変 な骨 折 り で し た。
ろ う と いう こと は覚 悟 し て い ま した 。 ︹ 編者注︺ 広田 ・マリク会談 とし て進行中であ った日 ソ交渉 の具体的
原子 爆 弾 や ソ連 の参 戦 が 終 戦 の直 接 原 因だ った と い った ら正 確 な 表現 で はな い かも 知 れ ま せ ん。
乱 を捲 き お こさず に、終 戦 に こぎ つけ る ことが でき たよ う に思 わ
し かし 、 以上 の 二 つの大 き な事 件 のお かげ で 、国 内 に大 し た混
れ ます 。
海 軍 が 戦 争 の経 過 を冷 静 に分析 し て、 い った いど んな 情勢 判 断
たず ね し て いる ので はあ り ま せ ん。
は 日本 海 軍 が 天皇 の御意 志 に従 順だ った かど う か と いう こと を お
質 問 の意 味が 十 分 よく のみ こ め なか った かも 知れ ま せ んが 、 私
上巻 四二二頁)
三、其 の他 ソ連 の希望 する諸案件を論議 する ( 外務省編纂 ﹃ 終戦史録﹄
二、石油 の供給あれば漁業権 を解消する こと差支なし
一、満洲国 の中立化
越旨は左記 のようなものであ った。
提案 とし て、六月二十 八日東郷外相から広田氏に手交された対ソ譲歩 の
問
そ れ で は、 実際 的 に言 えば 、 海 軍 はど ん な条 件 だ ろ う と、 講 和
講 和 の話 し 合 いが はじ め られ た 当時 は、 む ろ ん、 ポ ツダ ム宣 言
す る こと に賛 成だ った と いう こと になり ま す か。
の こと は まだ耳 にし て いま せ んで し た。 そ れ はま だ 発表 され て い
に達 し て いた か を知 り たく て、 質 問 した わけ です 。そ こで戦 争 の
な か った のです 。 し か し、 わ れ わ れ は、 一旦終 戦 と な れば 、 そ の
が それ で結 構 です と喜 ん で賛 成 す る気 にな った か どう か、 私 に は
機 よ り以 前 に、 天 皇 が終 戦 の詔 勅 を出 さ れ た と仮 定 し ても、 海 軍
ソ連 の仲 介が あ れ ば 別 です が 、 じ っさ いに終 戦 に な った あ の時
ま た はそ れ を 支持 した で し ょう か 。
時 の実 際 の情 況 は、 ま さ か ポ ツダ ム宣言 のよ うな そ んな苛 酷 な も
カ イ ロ宣 言 に つ いて も同 様 な 考 え でし た。 われ わ れ は ポ ツダ ム
ど の時 機 に、終 戦 のた め の詔 勅が 発 布 さ れ る こと を海 軍 は賛 成 し、
答
の にな ろう と は考 えま せ ん で し た。
宣 言 を 一つの宣 言 とし て受 け取 った のであ って、 そ の条 項 を字 義
これ ら の条 件を 緩 和 さ せ る可 能 性 のあ る方 法 と し ては、 も し 連
通 り の条 件 と し て適 用 され るも のと は思 って いま せん で し た。
問
答
問
答
も ま た、 戦 争 はす で に転 機 に立 った んだ と いう こと を悟 り、 そ し
一般 国 民 は ミ ッド ウ ェー海 戦 は大 勝 利 だ ったと 思 い こま され た。
て将 来 に対す る覚 悟 をき め るべき だ った と考 え ます 。 と こ ろが、
む ず か し い と考 え ます 。 それ と いう のは、 いや しく も 、 まだ 勝 算が 残 って いる と信 じ 込
な り つ つあ る と いう こと を 知 る機 会 は与 え られ ま せ ん でし た。 そ
し か し、 国 家全 体 と し て の戦 用物 資 の欠 乏が 日 を 追う て ひど く
って い る こと は わ か って いま した 。
国 民 の 一人 一人 に ついて は自 分 た ち の直 接 の生 活 用品 が 心細 く な
減 って いる こと は国 民 には ち っと も知 ら さ れな か った。 も っと も 、
こと は はじ めか ら分 って い た の に、 開 戦 時 の手 持 資材 が ぐ んぐ ん
物 資 方 面 で も、 戦 争が 進 む に つれ て、資 源 が 根 本的 に不足 す る
と ば かり 鼻 高 々と発 表 さ れ ま した 。
で あ った にか かわ ら ず、 そ れ は 日本 軍 の見 事 な 作 戦 であ り戦 術 だ
さ ら に、 ガ ダ ル カ ナ ルから の撤 退 も 、 まぎ れ も な い敗 北 の結 果
ん で い る かぎ り、 も う 投げ 出 し ても い い時期 だ と見 切 りを つけ る
閣 下 は 六月 八 日、 最 高 戦争 指 導会 議 が 天皇 の御 前 で開 かれ たと
こと は 、非 常 にむず かし い も のだ か ら です 。
申 さ れ ま したが 、 そ の時 に申 し 上げ た情 報 に対 し て、 天皇 はど ん
私が 記 憶 し て い る限 り で は、 陛下 から は 何 の御 批 判 も御 質 問 も
な 批 評 ま た は反 応 を示 さ れ ま し たか。
あ り ま せ ん でし た。 昨 日 の午 後 、敗 戦 の原 因 に つ いて検 討 し ま し たが 、 そ の話 のは
ら さ れ て よ い こと を知 ら され な か った と述 べ ま し たね 。そ の問 題
れ と いう のも 、国 家 全 体 と して の物 量不 足 は機 密 事 項と し て未 発
じ め の部分 で、 あな たは 国民 の精 神力 に言 及 し て、 国 民 は当 然 知
に つ いて、 あ な た の お考 え をも っと 具体 的 に詳細 に説 明 し て下 さ
"一億 結束 、 国 に殉 ず る覚 悟 を せよ " な ど と いう ス ローガ ンを 政
国 民 は こ のよう に、 情 報が さ っぱ り耳 に入 らな いも のだ か ら、
路 を たど って いる か を嗅 ぎ 出す 機 会 を得 ま せ ん でし た。
表 にな って いま し た。 そ こ で、 国 民 は 一般情 勢 が いか に悪 化 の 一
い。 戦 争 初期 の こと にさ か のぼ り ま すが 、 そ れ 以後 の戦 争 段階 に対 し て国 民が 充 分 の覚 悟 を す る ことが でき な か った理 由 の 一つは、 緒 戦 時 の作戦 が あ ま り順 調 に運 び すぎ た こと だ と思 います 。
府 が ふ り かざ し て見 ても 、そ の ス ロー ガ ンをど こま でも 忠 実 に守
こと に真 珠 湾 と か南 方 諸作 戦 が そ う で した 。 それ が 国 民 を戦 勝 に酔 わ せ る よう な 公表 と し て次 から 次 に勝 利 の記録 と し て発 表 さ
ろ う とす る決 心が でき な か った わ け です 。 国民 はそ んな ス ロー ガ
と いいま す と、 戦 争 の全期 を 通 じ て、 作 戦行 動 の進行 の模様 を
詳 し く 国民 に知 ら せ る と いう のが あ な た の信 念 です か。
問
す。
ンを 行動 の上 に実 行 しよ う と いう 心 境 に はな り切 れ な か った の で
れ た の で、 国 民 にし て見 れば 、 戦 争が 日本 側 に不利 にな り は じ め
った の です 。
て後 も 、 そ の緒 戦期 の勝 利感 から 脱 け切 る こと は中 々むず か しか
昨 日 も 申 し た通 り、 私 個 人 と して は、 戦 争 の転機 は ミ ッド ウ ェ ー海 戦 だ ったと 思 い ます 。当 時 、 政 府 や陸 海 軍 ば か り でな く 国民
答
問
答
も かでも 知 ら せる こと は でき な い相 談 です から 。 し か し、 も っと
い こと はあ りま す 。 敵 に 知 られ な いよう にし て、 国 民だ け に何 で
む ろ ん、事 柄 によ って利 敵 行為 の見 地 か ら、 一般 に発 表 でき な
う に考 え ます 。
必ず しも そう で はな か った と 思 いま す。 海 軍将 校 の中 に自 分 達が
け な いと いう こ とが 海軍 の伝統 でし た。 し か し、 今 度 の戦 争 で は
こ の筋 を通 す んだ と いう こと、 そ れ以 外 のやり 方 によ っては い
全 戦 争 期間 を通 じ、 天 皇 ご自 身 ば か りで なく 、 国 民 一般 も 陸 海
単 独 で、 政府 の国策 樹 立 に影響 を与 え よう と し たも のが あ った よ
一方 、 ア メリ カ側 のや った こと で、感 心 し た こと の 一つは、 グ
て、 陸 海 軍 間 に円 滑 な協 調 が 保 たれ る と いう こと は、 戦争 に勝 つ
軍 の協 力 と いう こと に ついて は深 い関 心を 抱 いて いま し た。 そ し
る ような 努 力を す べ き だ った こと は たし か です 。
ル ー大使 が 帰国 し てア メリ カ国 民 に対 し て 日本 を あ ま り軽 侮 し て
国 民 に情 報 を与 え て 、少 く と も戦 局 の推移 や変 化 を よく 理 解 さ せ
はな らな いこと や 、 日本 の戦 意 は非 常 に根強 いも のだ と警 告 し続
軍 間 の協 調 を 円滑 にし よう と す る ため に必 要 な唯 一の道 は、 海 軍
し かし 、 日本 陸 軍 は偉 大 な 政治 的 勢力 を も って いた ので、 陸 海
た め に絶 対 欠 く こと のでき な い要件 です。
ア メリ カ側 から得 た情 報 を まる で 反対 に使 う よ うな こと をや った
関連 し て、 海 軍 大臣 の地位 と いうも のは、 戦 争 全期 を 通 じ、 極 度
が 陸 軍 の指 導 力 に唯 々諾 々と 従 う しか な か った の です 。 こ の点 に
これ に反 し、 日 本 の情 況 はど う かと いえば 、 我 方 の宣伝 機 関 は
け て いた こと です 。
って、 ア メ リカ側 が 物 的 にも人 的 にも 力 が 弱 ってき た証 拠 だ と 指
に困難 な も ので した 。 そ し て嶋 田海 軍 大将 が 海 相と し て執 った措
の です。 た と えば 、 重 工業 方 面 に婦人 労 務 者が 増 加 し た こと を も
摘 した類 です。 日米 両 国 の宣 伝 方 針 はま ったく 対 蹠 的 だ った よう
置 に は遺 憾 と 思 われ る ふしが 若 干あ り ま した が 、そ の置 か れ て い
海 軍 の勢 力が 国策 の立案 に最 も効 果 的 に反 映 され た のは、 日露
た立 場 の困 難 さ に は深 い同 情 を 禁じ 得 な いも のが あ り ま す。
戦争 のち ょ っと前 か ら と、 戦 争中 およ び戦 後 に かけ て の短 い期 間
昨 日、 あ な た は、 軍 人 は政 治 に関与 す べき で はな い と信 ず る と
に思 わ れ ます 。
言 わ れ まし たが 、 日本 海 軍 はど ん な方 法 で 国策 を 形 成 し たり 、 影
当 時 の海軍 大 臣 は 山本 権 兵衛 海軍 大将 でし た。 彼 は海軍 軍 人 と
であ ったと 思 います 。
し て偉 か ったば かり で なく 、 す ぐれ た 政治 家 で し た。 そ し てそ の
さ せる こと が でき まし た か 。 表 向き の制度 と し て は、 政 府 の政策 が ど うあ る べき と か、 それ
響 を 与え た り しま し た か。 海 軍 の見 解 を 、 どう し て、 国 策 に反映
に は、す べ て海 軍 大 臣 を通 じ て 意志 表 示 をす る こと にな って い ま
を ど う改 める べき かと いう こと に ついて海 軍 が 意 見 を述 べる 場合
画 を た てる基 礎 をきず いて 、 あ の日 露戦 争 を 通 じ て海 軍 を立 派 に
政 治 的 力 量 をも って 海軍 戦 備 を 充実 さ せ十 分 に勝 算 のあ る作 戦 計
指導 す る ことが でき ま し た。
した 。そ れが 正 当 な き ま った筋 道 です 。 ま た常 にそう あ るべき 方 法 です。
問
答
問
戦争 が 終 ったば かり の現在 、 過 去 を ふり 返 って み て、次 にあ げ
ん に戦争 が 進 行中 だ った と いう 理 由 で、 不 利だ と いう意 味 な の か
し て い ただ け ま せ ん か。 ア ンダ ー ソ ン将 軍 も言 って い ますが 、 た
む ろ ん、 戦 争が 進 行 中 だ と いう こと は重要 な 要 素 の 一つ にな り
ど う か と いう 点 も ⋮ ⋮⋮ 。
ま す 。 し かし 、 も っと 根 本的 な 問 題 とし て は、 も し 、 日本 で陸 海
軍 を 一し ょ に合 同 し てし まう こと と なれば 、 おそ ら く、 そ の指 導
こ の最 高 指 揮官 の下 に陸軍 部 と 海軍 部 と の二部 が 置 かれ る。 こ
老 は陸軍 出 身 者 で なけ れ ば なら な か った でし ょう 。
う し て陸 軍 出 身 の軍 部 大 臣が でき れば 海 軍 部 は相 対 的 に貧 弱 な こ
陸海 軍 合 同 制度 の論 議 にあ た って、 海 軍 航空 部 隊 と陸 軍 のそ れ
と にな る こと は 当 然避 け ら れな い運 命 です 。
答
陸 海軍 を 合 同 し て、 統 一軍 を 組 織 す る にし ても 、 海軍 に関す る
な 地 位 に置 こう と いう の でし た か。
当 時論 議 さ れ た 合同 案 のも と では 、航 空 兵力 と いう も のを ど ん
せ んで し た か。
と を 合同 し て、 別 個 に独 立 空軍 を 設 け よう と いう 案 は考 え られ ま
問
答
る 兵 種 のお のお のに、 ど う いう 割 合 で海 軍 の努 力を 注 ぎ こ めば よ か った と お考 え です か。 すな わ ち、 第 一は航 空 母艦 、 第 二 は陸 上 基 地 航 空 兵力 、 第 三は水 上艦 艇 と いう分 類 によ ると し て。 つま り、 海 軍が 保 有 し て い る力 を ど んな 比 例 で以 上 の三 つに分 配 しま す か。 わ れ わ れが 直 面 した 物 的情 況 の実 際 から 判 断 し てみ て、 第 二 の
わ れ われ は航 空兵 力 強 化 の計 画 は 持 って いた の です が、 そ のプ
陸 上 基 地 航空 兵 力充 実 にも っと 努 力 を払 う べ き だ った と思 い ます 。
ラ ンを実 行 に移す こと が でき な か った ので す 。 われ わ れ は戦 艦 の 価 値 を買 い かぶ りす ぎ て いま し た。 あ んな に主力 艦 と いう も のを 重 視す る 必要 はあ り ま せん で した 。 た し か に。 戦前 ま た は戦 時中 、 陸 海空 軍 を 合 同 し、 単 一の統 一空軍 を つく り 上げ る こと を 審議 し た ことが あ った で し ょう か。 そ ん な提 案 を 陸軍 側 か ら申 し入 れ てき た ことが あ った と聞 いた
限 り 、海 軍 航 空 部 隊 は、 水 上部 隊 と 有効 に協 同す るた め にぜ ひ と
ことが あ り ます が、 詳 し いこ と は知 り ま せ ん。 そ のよ うな 提 案が 海 軍 側 か ら出 た こ と はあ り ま せ んか。
答
問
も 海 軍 に直 付 付 属 さ せ ねば な らな いも のです 。
いう 一つの統 一部隊 にす る のも 結 構 か も知 れ な いが 、 実際 問 題と
な た めに、 実 際 には、 空 軍 の独 立 は名称 の上 だけ のよ うな も ので、
ス で は空 軍 は独 立 し て いるが 、 空 軍 と海 軍 と の協 力 が非 常 に密 接
そ れ は英 国 の制 度 と非 常 に似 かよ った よう に思 います 。 イ ギ リ
海軍 はそ う いう制 度 の改変 に は終 始 反 対 し て い たと 私 は 了解 し
して は ︱︱ こと に、 当 時 の日本 の情 勢 で は︱ ︱ そ んな こと を す る
む しろ 海軍 の 一部 と い っても い い よう に考 え ます 。 こ の形 式 が 理
(ア ンダ ー ソ ン陸軍 少 将 ) それ は英 国 の いわ ゆ る沿 岸 航 空 部 隊
想 的 な も のだと 私 は信 じ て います 。 問
こと は不 可能 に近 く、 や れば ただ いたず ら に混 乱 を ひき 起 こすく
そ れが なぜ 実 現 不 可能 だ った か に つ いて、 も っと 具体 的 に説明
ら いが 関 の山だ った で し ょう 。
て います 。 理 想 と し て は、陸 海 軍 を 合 同し て 、 ﹁国防 軍 ﹂ と でも
答
問
答
問
答
や艦 隊航 空 部 隊 のこ と です か。 こ の二 つの航 空 部 隊 はイ ギ リ ス で
第 一の点 、 つま り、 天 皇 の地 位 に ついて は、 構 成員 は全 員 一致
とは後段 の陳述内容から推定す ることが できる。
であ って 、連 合 軍 当 局 によ って指 導 され る 国 民投 票 な ど にゆ だ ね
言 い換 えれ ば 、将 来 の政 体 の決 定 は 日本 国 民 に 一任 さ せる べき
いう 希 望 が の べら れ ま した 。
基 づ いて い る のだ か ら現 在 通 り存 続 さ せて も らわ ねば なら な いと
日本 の将来 の国体 に ついて は、 現 在 の国体 は国 民 の深 い信 念 に
が あ り ま し た。 ︹ 梅津参謀総長をさす)
し ても よ い よう にさ せ ても ら わ ねば な らぬ と いう 希 望 を述 べ た人
戦 争 犯 罪人 の問題 に つい て は、 一部 には 日本 政 府が 犯 罪 を捜 査
で、 現 在 の地 位 が維 持 さ れ ねば な らな いと いう 意 見 で した 。
は海 軍 と非 常 に緊密 に協 同 し て いま し た。 しか し こ の沿 岸 航空 部 隊 の所属 は空軍 でし た 。 私 は艦 隊航 空 部 隊 の こと を の べた のです 。 イ ギ リ ス に はこれ と な ら んで陸 軍 と 協力 す る空 軍部 隊 も あ る に違 いあ り ま せ ん。 そ の上、 ア メリ カ の戦 略 爆撃 部 隊 のよう な 陸 上 基地 航 空 兵力 を 別 に独 立 さ せ ても つこ とも 一向差 支 え な い こと でし ょう 。 (ワイ ルズ 海 軍 少佐 ) 昨 日 の午 後 、 終 戦 に つ いて話 し合 い ま し たが 、 そ れ に つけ 足 し てさ ら に述 べた い と考 え て いる情 報 か意 見
ら る べき で な いと いう こと で し た。
はあ り ま せ んか。
この会議 の構 成 員 の中 に は 一人 とし て、 根 本 的 な 立場 で、終 戦
で は、最 高 戦 争 指 導会 議 の会 合 に つ いて話 を 続 け ま し ょう。
︹ 編者注︺ 挙げられた三 つの問題 のうち天皇 の地位 の問題 と政体 また
は国体の問題 とは殆んど同 一のも のである。実際 は以上二 つの外 に、武
に反対 し た も の はあ り ま せ んで し た。 た だ ポ ツダ ム宣 言 の条 件 を 全 部 そ のま ま受 諾 す べき かど う か と いう点 で、 若 干 の意 見 の相違
装解除および占領軍 の進駐 に ついて論議された。
こと を 条 件 と し て、 ポ ツダ ム宣 言 の条 件を 受 諾 す ると いう 決 定 に
そ し て、 天皇 の地 位 に は決 し て影 響が あ って はな ら な いと いう
ま し た。
られ な か った の で、 八月 十 日 の午前 二時 半 頃 に御 前 会 議が 開 かれ
これ ら の論 議 は八月 九 日 に行 なわ れ まし たが 、 意 見 の 一致 が得
いる。( 豊田副武 ﹃ 最後 の帝国海軍﹄ 二〇七頁)
処罰、武装解除 の問題、占 領軍 の進駐︱︱ についての論議が記述 されて
れる。後 日の回想録には四 つの問題︱︱国体護持 の問題、戦争犯罪人 の
豊田大将 は当時 はこのことを思 い違いしたり失念していたものと思わ
は起 こ りま し た。 可 なり 議 論が た た か わ され た 問題 が 三 つあ り ま し た。 第 一は 天 皇 の将 来 の地位 に関 す る こと 、第 二 は戦 争 犯罪 人 の処 理 の問 題、 第 三 は日 本 の将 来 の国家 機 構 の形 と いう 問題 でし た。 ( 通 訳者 の 註 。 われ わ れ はし ば しば こ の言葉 を ナ シ ョナ ル ・イ ク オ リテ ィと 訳 し て お った よう に思 う ) ︹編者注︺ ナシ ョナル ・イクオリティはナシ ョナル ・ポリティの誤り と思われる。戦争裁判 でも ナショナ ル ・ポ リテ ィと訳していたように記 憶し ている。 しかし豊田大将 は ﹁ 国体﹂または ﹁ 政体﹂と述 べたも のと思 われる こ
達 し た のです 。 十 日 朝 の会 議 が す む と、 ポ ツダ ム宣 言 を受 諾 す る 用意 が あ る こ とを 、 中 立 国 であ る スイ ス政 府 、 スウ ェーデ ン政 府 を通 じ て、 ア メリ カ政 府 に伝 え ま した 。 そ し て、米 政 府 から 正式 回答 を 受 けと った の は十 三 日 の こと で し たが 、 そ の回答 内 容 は サ ン フ ラ ン シス コ放送 によ って十 二日 に 知 る ことが で き ま し た。 最 高 戦 争 指導 会 議 は十 三日 に開 かれ て、夜 おそ く ま で、 ア メリ カ の回 答を 検 討 し続 け ま し た。 天皇 の地 位 の問 題 に つい て は、 回答 は直 接 に は何 等触 れ てお ら
従属 す ると 述 べ てあ り ま し た 。
ず 、 そ の代 り に、 天 皇 と 日本 国 政府 は連 合 軍最 高 司 令官 の権 限 に
そ の 日 の会 合 の論 議 の焦 点 は天 皇 の地 位 に関 す るも ので した が 、 それ は 天皇 は 生き て いる神 であ って、 現 世 に住む 者 にはそ の上 に 位置 す るも のは絶 対 にあ って はな ら な いと いう のが、 日本 人 の信
天 皇 を占 領軍 最 高 指 揮 官 の地 位 の下 に置 く など と いう ア メリ カ
念 で あ った から です 。
政 府 の 回答 文 の文 句 は、 日本 国 民 は と ても 容 易 に受 諾 しな いだ ろ う と いう懸 念 が あ りま し た 。
め に、 こ んな ことが でき な いだ ろ う か と いう 示 唆 が持 ちだ され ま
う も困 難 だろ う と 思わ れ ま し た。 そ こ で、 そ の困 難 を取 り除 く た
した。
つまり 、 占 領軍 最 高 指 揮官 の命 令 や指 令 は直 接 には 日本政 府 に
与 え られ る こと にす る。 そ し て内 閣 か ら天皇 に伝 え ら れ る。
天皇 はそ の憲法 上 の権 限 に従 って、 終 戦 に関 す る責 務 を実 行 す
し かし 、 これ ら の議 論を 重 ね て見 ても 結局 何 等 の結 論 にも到 達
る ︱︱ と いう 風 に でき な い のだ ろ う かと いう こと で し た。
し ま せ ん でし た。 一方 、当 時 の国 際情 勢 にて ら して 見 て、連 合国
側 にそ んな 虫 のい い仕 組 みを 持 ち 出 し ても 承認 しな いだ ろう と い
そ こ で、 八 月 十 四日 に、 も う 一度御 前 会議 が 開 かれ そ こで ポ ツ
う 憂慮 が 意 見 と し て述 べ ら れ た ので す。
終 戦 に対 す る最 後 の御 聖断 は、 天皇 陛 下御 自 身 で なさ れ たも の
ダ ム宣 言 を全 面 的 に受 諾 す る と いう 決定 が さ れ まし た。
で あ って、 何 等 外部 から の勧 告 によ ったも ので はあ り ま せん。
そ の時 、 陛 下が 用 いられ た 御 言葉 ︹八月十四日、午前十 一時 、宮中
防空室 の御前会議席上︺は大体 次 のよ う な要 旨 のも ので し た。
﹃ど の角 度 か ら情 勢 を観 測 して見 た と ころ で、 戦 争 を 継 続 し て
も いい結 果 を 得 る見 込 み はな い。 だ か ら私 は誰 から も忠 告 を受 け
の上、 世 界 平 和 の撹 乱 者 と いわ れ る こ とを考 え ると 、そ の思 い に
と いう のは、 私 は臣 民 を幾 万 いや何 十 万 も 殺す こと にな り、 そ
た わけ で はな いが 、 終 戦 を命 令 す る こ とを 決意 した のだ。
戦 勝 国側 の代 表者 の下 位 に置 かれ る のは当 然 な の であ って、 分 り
む ろ ん、 実 際問 題 と し て は、 日 本 は戦 敗 国 だ から 、そ の 元首 が
き った こと です。 当 時 の情 勢 はま さ にそ の通 りだ と いう こ と は容
より に し て いる将 兵を 連 合軍 当 局 に引 き 渡 さ ねば な ら ぬと いう こ
耐 え ら れ な い。 私 に は自分 の身 体 の 一部 のよ う にし て、 終始 、 た
し か し、 ア メリ カ側 の提案 の文 句 をそ のま ま受 諾 す る こ と はど
易 に理 解 でき る も ので した 。
ツダ ム宣 言 を受 諾 す る こ とを 決 心 し た。﹄
あるが、日本がま ったく無 くなるという結果にくらべて、少しでも種子
よるとし ても、素より先方 の遣り方に全幅 の信頼 を措 き難 いのは当然 で
定を聞く場合動揺 も甚し かろう。陸海将兵 はさらに動揺も、大きいであ
つ。 一般国民には今 まで何も知らせずに いた のであるから、突然 この決
ない。国民に呼び掛 けることがよければ私 はい つでも マイクの前 にも立
心配する所である。 この際私としてなすべき ことが あれば何でもいとわ
戦傷を負い戦災を こうむり、家業を失 った者 の生活に至 っては私 の深く
に斃 れた者、またそ の遺族 を思うときは悲嘆に堪えぬ次第 である。ま た
立ち直りたいと思 う。今 日まで戦場にあ って陣歿し、或 は殉職して非命
び、 この際耐え難 きを耐え、し のび難きを忍び、 一致協力将来 の回復 に
私 は明治大帝が涙 を のんで思 いきられた三国干渉当時 の御苦衷 をし の
が残 りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。
と は、 この上 も な く堪 えが た い こと だ が、 た え難 き を忍 ん で、 ポ
そ し て最 後 に、 も し 必要 な らば 、 終 戦 の詔 勅 を発 布 す る外 に、 さ ら に、国 民 に ラジ オ放 送 も し よう と申 され 、最 高 戦 争 指導 会 議 構成 員 は ひき 続 いて、 自 分 を補 佐 す る よう にと仰 せ られ ま し た。 そ れ は非 常 に感 動 的 な場 面 で し た。 む ろん、 以 上 は 当時 天皇 が お述 べ に な った要旨 のあ らす じを 申 し 上げ た わ け です 。 ︹ 編者注︺ 第 二回御前会議における天皇 の御発言を最も真に近く写 し たも のとし ては、次 のも のをあげ ることが できよう。 諚
ろう。 この気持 ちをなだ めることは相当困難な ことであろうが、 どうか
御 外に別段意見 の発言 がなければ私 の考えを述 べる。
(ア ンダ ー ソ ン将軍 )記 録 に残す た め に お伺 いした い の で す が 、
( 下村海南 ﹃終戦秘史﹄ 一一八頁)
際詔書を出 す必要もあろうから、政府 は早速そ の起案をしてもらいたい。
てもらいたい。必要あらば自分が親しく説き論してもかまわない。 この
私 の心持をよく理解し て陸海軍大臣 は共に努力し、 よく治まるようにし
問
反対論 の意見 はそれぞ れよく聞 いたが、私 の考 えはこの前申したこと に変りはな い。私 は世界 の現状 と国内 の事情 とを十分検討した結果、 こ れ以上戦争 を続ける ことは無理だ と考える。 国体問題 に ついていろいろ疑義があると のことであるが、 私はこの回
って、 そ の考 え 方 を 支配 した根 本 的 な また は主導 的 だ った 理由 は
最 高 戦 争 指導 会 議 で 終戦 す べき だ と 考 え、 そ れ を決 定す る にあ た
答文の文意を通じ て、先方 は相当好意を持 っているも のと解 釈する。先 方 の態度 に 一抹 の不安が あるという のも 一応 はも っともだが、私 はそ う この際先方 の申入れを受諾し てよろしいと考 える。どうか皆 もそう考 え
最 高戦 争 指 導会 議 の第 一回会 合 は 六月 に始 ま った の です ね。 私
であ った かを お答 え 願 い た いの です 。
つま り、 そ の考 慮 され た 理由 と か、 考 慮 を 必要 と し た原 因が 何
考 慮 さ れ て いた 要 素 は い った い何 でし た か。
最 高戦 争 指 導 会議 で終 戦 を討 議 し たり 審 議 し て る間、 い つでも 、
何 で した か。
疑いたくな い。要は我国民 全体 の信念と覚悟 の問題 であると思うから、
さらに陸海軍 の将兵 にと って武装の解除なり保障占領 というような こ
て貰 いたい。 とはまことに堪 え難いことでそ の心持 ちは私 にはよく分 る。し かし自分 はいかになろうとも、万民 の生命 を助けたい。 この上戦争 を続けては結 は私としてじ つに忍び難 い。祖宗 の霊にお応えできない。和平 の手段に
局我が国が ま ったく焦土となり、万民 にこれ以上苦悩 を〓 めさせる こと
令された。
であ った ことが最初 であ った。 その際、すみやかに対策をたてるよう下
そ こ で、 最 高戦 争 指 導会 議 が降 伏 の決 定 をす る に あた って、 次
いま し た。
いま し た。 し かし、 同 時 に日本 本 土 空襲 も そ の以 前 か ら はじ め て
当 時 、 ア メリ カ側 は海 上作 戦 を す す め、 海 上 から 進 攻を 続 け て
は当時 、 そ の会議 が 最 初 に終 戦 対 策 を 見 出す こと を議 題 に取 りあ
問
げ る よう にな った のは、 ど う いう 要素 が はた ら い て いた か らだ っ た か を確 かめ た い のです 。 そ れ から も 一つ、 ポ ツダ ム宣 言 を受 諾
確 認 し た い ので す。
す ると いう 最後 的 決定 に導 いた 要 因が 何 であ った かと いう こと を
こ こ で 一応 お断 り し て おき た いこと は、 こ の問 題 に つい て話 し
にあ げ る軍 事 行動 のう ち どれ が降 伏 を 促 す の に 一番 重要 な 要素 と
答
と いう こと です 。 つまり 、 そ の話 し は五 月 はじ めご ろ持 ちあ が っ
あ な た は軍 用物 資 が 急激 に欠 乏 し た こと を述 べま し たが 、 それ
上 部隊 に多 く を 期待 す るこ とが でき な い こと は明 白 でし た。
海 軍 に関 す る 限 り、 燃 料 の関 係 で、 フ ィリ ピ ン失 陥後 はそ の水
与 って 大 い に力 があ ったと 信 じ て いま す。
土 に対 す る爆 繋 が沖 縄 作戦 の敗 北 と 相俟 って終 戦 を 決 意 さ せる に
を 一般 の人 々 には ま だ知 ら れ て いま せ ん でし た。 そ こで、 日本 本
日 本 側 で は艦 隊が す で に潰滅 的 な 敗 北 を喫 し て い たと いう こと
上 部 隊 によ る封 鎖 の脅威 。
す な わ ち、 第 一が 本 土空 襲 、第 二 は海上 から の攻略 、第 三 は海
合 いが はじ ま った のは、 私 が 軍令 部 総 長 就任 す る数 週 間前 だ った
答
な った かを あ な た の お考 え通 り 順 々に述 べ て下 さ い。
た も の です 。 ︹ 編者注︺ 昭和二十年 五月十四日開 かれた六人 の構成員だけ の最高戦 争指導会議 において、東郷外相起草 の ﹁ソ連を仲介 とする終戦方針 ﹂が 合意 に達した ことを指 すも のと思われる。当時 の軍令部総長は及川古志 郎海軍大将 であ った。 当 時 、 私 は最 高 戦 争指 導 会 議 の構成 員 ではあ り ませ ん で し た か ら、 私 の説 明 に は権 威が な いと 思 います 。 し か し、 と に かく そ の
問
で は ア メ リ カ の対 日兵 力 のう ち 、 ど の兵 力 が、 日本 の戦力 を枯 渇
こ とが は っきり し て い ま した ので 、そ の情 況 は天 皇 陛 下 にも お わ
年 の春 の はじ め頃 か ら 日本 の戦 力 は非 常 に急速 に低 下 し つつあ る
か り にな り、 陛 下 か ら総 理 大 臣 ま た は他 の閣僚 に対 し、 そ の種 の
南 方 の資 源 か ら の補 給が 断 た れ た こと で し た。 そ れ は主 と し て、
さ せ る の に 一番 有効 だ った と思 います か。 答
こ とを 話 し 合 って 見 たら ど う か と、 そ れ と なく お諭 しあ った ので はな いか と も考 え ら れま す 。 も っとも 、 そ れ はた んにそ んな こ と
で し た。
船 腹 の喪 失 と、 輸 送 手 段 一般 が 何も 無 く な った こと か らき たも の
貢献 し たと 思 います か。
日 本 の戦力 を破 壊 す る の に空襲 や焼 夷弾 に よる 攻撃 が あ る程 度
り ま せ ん。 問
も 無 いと は いえ な いと申 す だ け で、 は っき りし た こと は私 には分
︹ 編者注︺ 天皇 の御内 心は別 とし て、終戦 の御意 図を表明さ れた のは、 六月九 月に木戸内府が終戦試案を天皇 に説明した際 深く御満足 のご様子
本 年 (一九 四 五年 ) に入 る ま で は日 本 の船 舶 被害 は主 に潜 水 艦
たし か に、 本 土 空襲 に よ って、 輸 送部 門 も 遮 断 され 軍需 生 産 も
答
勤 した も のが あ る こと は事 実 です 。 生産 は落 ち ま した が 、国 民 の
打 撃 を 受 け ま した 。あ る場 合 に は、爆 撃 を 避 け る た め、 工場 を 欠
最 高 戦 争 指導 会 議 構 成員 の集 り で、降 伏 を 審 議 す る こと にな っ
た と いう こと です が 、 そ の際 本 土空 襲 を ど の程 度 重視 し ま し た か。
ょう か 。
つま り、 終 戦 の審 議 にあ た って爆撃 問 題 を ど んな に評 価 し た でし
最高 戦 争 指 導 会議 構 成 員 と し て空襲 と いう も のを そ れ自 体別 に
う に思 います 。
切 り は な して 、 特 に重 要 視 し よう と し た こと は殆 んど 無 か った よ
生 産能 力 です か。
さき ほど 国 民 の戦 意 に つい てち ょ っと 述 べ ま したが 爆 撃 を受 け
って い った こと で し た。
般 的 に国 家 の戦 力 特 に生産 力 が 低下 し た こ と、 戦 争資 材 が無 く な
答
問
戦 意 はが た落 ちと いう 程 の こと はあ り ま せ ん でし た。
の攻 繋 に よ るも の で し た。今 年 にな って か ら、特 に 四月 、 五月 以
に本 土 には ほ ん の僅 少 の戦 力 資源 し か持 て な くな った こと は承知
海 上 輸送 が 相 当打 繋 を 受 け 、 日本 はそ の後 作 戦 行動 を 続 け る の
降 は飛行 機 から の攻 撃 が 船 舶喪 失 の主 な 原因 とな り ま した 。 問
し て います 。 そ こ で日本 側 が ま だ 本土 に持 って い た戦 争 資源 ︱︱ つまり 戦 争 継 続 に必 要 と考 え ら れ る軍 事 資 材 に対 し て 、 本土 空 襲 や焼 夷 弾 攻 撃 はど んな 影 響 を与 えま し た か。 空 襲 によ って 日本 本 土 にあ った 軍需 品 が ど の程度 の損害 を被 っ
つま り、 空 襲 の脅威 を のが れ るた め に、 一日 も早 く 戦争 を 止 め
た いな ど と考 え た こと は 一度 も あり ま せ ん。
は い、 生 産 能 力 です 。
な か った所 ︱︱ こ と に地 方 で は爆撃 に対 し て 住民 は殆 んど ま った
答
た か に つい て は、 私 は残 念 なが ら 大 体 の数 字 す らあ げ る こ とが で
し かし、 私 は資材 そ のも のの受 け た 損 耗 の影 響 よ りも 生 産施 設
き ま せん 。
問
空襲 は、 国 民 の継 戦意 志 に影 響 を お よぼ し た と思 います か。 い
終 戦 決 意 に際 して 、第 一に考 慮 し た こ と は、 結 局 のと こ ろ、 全
答
い換 えれ ば 、 これ ら の都 市空 襲 、 焼 夷弾 攻 撃 は 国民 の戦意 にど ん
に対 す る破 壊 の影 響 の方 が はる か に大 き か ったと 思 い ます 。
問
た こと でも 明 ら か です 。 し たが って、 日本 全 体 から 考 え て見 る と、
く 無 関 心 であ った よう です。 そ れ は 田舎 で は 防 空壕 を掘 ら な か っ
問
つまり 、 戦 争が さら に数 ヵ月 も 続 いた と し て 日本 の戦 争能 力 、 生
当 時 、 こ の よう な爆 撃が 引 き続 いて行 な わ れ た場 合 の累 積 効 果、
う。
戦 意 に及ぼ し た 空襲 の影 響 は 大 した こ と はな か ったと 言 えま し ょ
な 影響 を 与 え ま した か。 抗 戦 意 識 は衰 え はじ め ま した か。 も し 戦
爆 撃 の戦 意 に対 す る影 響 は、 わ れ われ が 最 初 心配 して いた程 大
意 が 低下 し た とす れ ば ど の程度 に減 退 し ま した か。 答
き く はあ り ま せ ん で した 。 言 い換 え れば 、 家 を 失 った人 々は此 の 上 も な く難 渋 し ま し たが 、 それ で厭 戦 思想 に取 り つかれ る 程 ま で に は行 き ま せ ん でし た 。
答
問
答
存 能 力 に対 し て 継続 的 爆撃 の与 え る累 積 効 果 を重 大 視 す る よう な
にさげ な いよう にす る た め、 量 的 にも 、 質 的 にも海 軍 の整 備 に向
米 英 両 国 を相 手 にす る こと が 必要 にな った ので、 米 国 と の相 対 的
保 って いた か、 数 字 上 で は おぼ え て おり ま せんが 、 こ の戦 争 では
私 は艦 種 別 に、 わが 海 軍 が ア メリ カ に対 して ど のよ う な比 率 を
って努 力 を はら い まし た。
一年 前 に は海 軍機 だ け で、 一ヵ月 一千 機 以 上 を生 産 し て い た のに
私が 最 も 心 配 し た点 は、 航 空 機 生産 に対 す る爆 撃 の影響 でし た。
様 子 はあ り ま せ んで し た か。
対 し 、今 年 の四 月 に は 一年 前 の半分 以 下 に減 じ、 月 産 約 六百 機 に
比 率 はも は や、 大 し た問 題 では なく な り ま した 。
そ れ ま で 日本 海 軍 は米 英 両国 を同 時 に敵 にま わ して 戦 う など と
な って し ま った のです 。
いう こと を考 え て作 戦計 画 を た て た こと は 一度 もな か った のです 。
そ れ から 、 私 の知 って る限 り で は、 航 空 燃 料 の供 給 は殆 んど 絶 望 で し た。 ま た 九月 以 降 の分 を 取得 す る見 通 しも 立 ち ま せ んで し
そ う です か ら、 今 度 の戦 争 は日本 海 軍 にと って、 勝 て る見 込 み の
答
問
も 差支 え な い でし ょう。
こ の戦 争が 避 け ら れな く な った後 、 そ し てこ の戦 争 を はじ め る
こ の敵 の強 大 な 海 軍兵 力 にど う して 対抗 す る つも り で し たか。
ん な計 画 を た てま し た か。
昨 日も 申 し上 げ た 通 り、 私 は当 時 中 央 部 ︹ 海軍省、軍令部︺に は
いま せん で し た。 そ れ で、 私 は米 英 海 軍 に対す る戦 備計 画 や作 戦
海 軍作 戦 の重 点 は奇 襲 戦法 に おか れ て いた の で はな い かと、 私
計 画 のあ ら ま し に ついて 通 報を 受 け て い まし た か。
あ な た は日 本海 軍 が 米英 連 合 海 軍 力 に対 し て立 て い た 一般作 戦
たと 思 い ます 。
海 軍 は敢 然 と 起 ち上 って現有 兵 力 を あげ て戦う より ほ か はな か っ
し か し、 私 の想像 を申 し 上げ ると 、 一旦開戦 と き ま った 以上 は、
計 画 に つい て説 明 す る に は適任 であ り ま せ ん。
答
決 意 に到達 し た のち 、米 英 海 軍 に対 抗 す る ため 日本 海 軍 は大 体 ど
問
あ る よう な計 画 な ど 、 と ても 立 て よう のな い戦争 だ った と言 って
た。 こ の二 つの要素 ︱︱ つまり 航 空機 生 産 のが た落 ち と 航空 燃 料 の ひ ど い 欠乏 は、 ア メ リ カ軍 の空 襲 に よ るも ので し た から、 爆 撃が
るわ け です 。
そ の後 何 ヵ 月 も続 け ば 戦争 継 続 は 不可 能 に な ると いう 結論 に達す
開 戦 前 、 日 本海 軍 は ア メリ カ海軍 に比 べ て ど の程 度 の能 力 があ る と思 って いた か。 そ の問 題 に つい てあ な た の御 意 見 をう け た ま わ り た いも のです 。 ワ シ ン ト ン条 約 ︹一九 二二年︺、 ロンド ン条 約 ︹一九三〇年︺ の結 果、 日本 の海軍 力 は ア メリ カ の約 六割 に制 限 さ れ ま し た。 これら の条 約 を 廃 棄 し てか ら はむ ろ んそ の比率 を 遵 守 す る義 務 は、 なく な った わ け です 。 ︹ 編者注︺ ワシントンおよび ロンドン両条約 の制約は昭和十 一年 (一 九三 六)十二月末 日限り無効となり以後無条約時代 に入り、我国 は自主 的軍備に邁進し得 ることとな った。 そ こで わ れ われ は ど んな ことが あ っても 、 対 米比 率 を 六割 以 下
問
答
は怪 し ん で います 。 そ の お話 で思 い出 し た のです が 、 真 珠湾 の計 画 的攻 撃 で は、 目
基 づ いて か 、自 分 の知識 に基づ い てか ど ち ら かは分 り ま せ んが 、
そ れ によ る と南 方 であ る 一定 地 域 を占 領 す る こ と。 そ し て これ
基 本 作 戦 計 画 に ついて 一般 的 な こ とを 説 明 し てく れま し た。
から の資 源 地帯 を 防 衛す るた め に次 のよう な 外郭 線 を 設定 す る こ
標が 集 中 し た と ころ を狙 って攻 撃す る にあ ったよ う です ね 。 も し、 あ んな 風 に米艦 隊が 集 中 し て いな か った 場 合 に備 え て、 奇 襲 攻撃
と。 そ の外郭 線 と は、大 体 にお いて 、千 島 列 島 、 マー シ ャル諸 島、
し た。
あ な た は 日本 の海 軍力 は この広 汎 な計 画 を 実行 す る のに十分 だ ったと 思 います か。
日 本海 軍 は自 分 だ け の力 で は実 行 でき な いよ う な尨 大な 計 画 を
局 のと こ ろ、 消 耗 され て 行く も のだ と いう こと を考 え るな らば 、
た にちが い な い のです か ら、 まし て や、 海 軍 兵 力 と いうも のは結
答
ビ ス マ ル ク諸 島 から ス マト ラの南 方 、 マ レー、 ビ ル マと いう ので
に代 る作 戦 計 画を 日本 海 軍 はも って い まし た か。 ア メ リカ艦 隊 が外 洋 に出 動 し たあ と で、あ のよ う な集 団 目標 を 発見 でき な か った 場合 にで も適 用 でき る計画 を 準 備 し て いた ので
さあ 、 そ んな 計 画 に ついて は聞 いた ことが あ り ま せ ん。 も し、
し ょう か。
真 珠 湾 で敵艦 隊 を発 見 でき な か ったと し た ら、 あ の奇 襲 攻 撃 は大
ア メ リ カ海軍 でや ったと 同 じ よ う に、 万 一の場 合 に対 して も あ る
開 戦 時 の兵力 を も ってす ら、 こ の計画 を実 行す る のは困 難 だ っ
たく さ ん 持 って いま した が これ も そ の 一つだ と 思わ れ ます 。
種 の基 本 計画 を 立 て て いた も のと、 私 には想 像 でき る ん ですが 、
(ヘデ ィ ング大 佐 ) 日本 海軍 は戦 争 準 備 にあ た って、 わ れ われ
バ ク チだ った で し ょう。
そ のよ う な基 本 計 画を あ な た はご 存 知 で した か 。あ る いは ま た、
南 方 資 源 を獲 得 す る 必要 はむ ろ んあ った のです か ら、 ジ ャワ お
域 に兵 力 を 集 中す べき だ と いう のが 私 の考 え方 でし た。
でき るだ け 緊 縮す べき だと 常 に感 じ て いま し た。 比較 的 、狭 い地
は 手 を拡 げ す ぎ る なあ と はじ めか ら感 じ て いまし た。 私 は戦線 は
私 は ア リ ュー シ ャンや ミ ッド ウ ェー に手 を のば し たと き 、 これ
と し ても そ れ は不 可能 な こ と でし た 。
せ て ゆく よう な 手 段 は十分 執 ら れ て いな か ったし 、 ま た、執 ろう
も 、 人的 物 的 両 面 の資 源が 欠乏 す る た め に戦時 消 耗 を連 続 埋 め合
戦 局が 進 行 す る に つれ て、 わ れ わ れ は当 然損 害 を うけ る。 し か
そ の後 の困難 は申 す ま でも あ り ま せん。
答 いい え。 ︹ 敏 一︺ 大前 大 佐 ︹ 開戦時、 軍務局員。 終戦時、軍令部作戦課長︺が記 録 に
し か しあ な た は 一般 計 画ぐ ら いは、 多 少 は ご 承知 でし ょう 。
守 府 の幹 部 にす ら知 ら さ れ て い るか ど う か疑 わ し いも のです 。
軍 部 内 です ら 非常 に狭 い範 囲 にし か知 らさ れ な いと 思 います 。 鎮
御 裁 可 を仰 ぐ こと にな って い ます 。 し か し、 そ の よう な 計画 は海
知 って いま す 。海 軍 でた て た計 画 はす べ て天 皇陛 下 に奏 上 して
か。
そ んな 開 戦前 の諸計 画 に つい て現 在 あ な た は相 当ご 承知 で し ょう
問
答
問
問
問
答
よ び ス マト ラま で はど う し ても 進 出線 を 拡 げ なけ れ ば な らな か っ 答
問
そ の通 り です 。 私 は大 体 、 戦 争 の初 期 、 一年 か そ こ いら は十 分
現 在 、 あ な た はそ れ と同 じ よう な御 意 見 です か。
私 は開 戦前 、 海 軍艦 政本 部 長 を 二年 間 や ってい ま した。 そ れ は
か れ る よう に な るだ ろ う と いう 意 見 で した 。
な こ とが や れ る かも 知 れな いが 、 そ の後 は非 常 に困難 な 立 場 に置
た こと は当 然 です が 、 そ れ より 更 に南 方 にま で拡 張 す べき で はな か った と 思 い ます 。 中 部 太平 洋 ︹ 中部太平洋という のは当時 の日本軍 の考 えでは小笠原、 マリアナ諸島 からカ ロリン諸 島 の海域 を指していた︺ で 踏 み 止 ま り 、 ト ラ ック島 より東 方 に は進 撃 しな いこと が 賢 明 だ った で し ょう 。
力 は 、 た ん に同諸 島 方 面 か らく る ア メリ カ軍 の進 攻 を 阻 止し おく
成 す る と いう 意味 で はあ り ま せ ん。 マー シ ャ ル諸 島 に配備 す る兵
を知 り ま し た。 資 材 に ついて の困難 な 点 はど こか ら来 て い る かと
保す べき か など のこ と に つ いて 意見 が ま ち まち で 一致 し な い こと
そ の艦 艇 は ど んな 要 目 の装 備 を 施す べき か、 資 材 を いか に し て確
私 はそ のポ スト に つい て、 ど ん な種 類 の艦 艇 を建 造 す べき か、
艦艇 や装 備 に対 し全責 任 を 負 わ ねば なら ぬ地 位 で し た。
ら せ 、内 方 防 禦線 を強 化 す る の に十分 な 時 間的 余 裕 を 得 る︱︱ つ
そ う は言 っても 、 最 初 か ら マー シ ャル諸 島 を放 棄 す る こと に賛
ま り 時 を か せぐ こ とを 目 途 とす る程度 のも のに し てお けば い いと
私 は、 も は や量 的制 限 は解 か れ た のだ から 考 え の重 点 は質 より
ら艦 の性 能 を よく す る要 求 が 強 く 主張 さ れ て いま し た。
う こ とが 造 艦専 門 家 の頭を 強 く 支 配 し て いまし た。 また各 方 面 か
で に ト ン数 の制 限 は なく な って いま し たが 、 や はり 質 の向 上 と い
条 約 では制 限 の重 点が 量 にお かれ て いて、 私 の在 任 時代 に はす
的制 限 を 受 け て いた 名 残 り でし た 。
が 区 々だ った原 因 は、 ワ シ ント ンお よび ロンド ン条 約 によ って量
も う 一度造 艦 の こと に つ いて 言 えば 、艦 種 や要 目 に つい て意 見
な り ま せん で し た。
た。 日本 は年 間 必 要 量 の約 一割 し か生 産 でき な い状 況 で、 問 題 に
のでし た 。燃 料 の供給 量 に つ いて 両国 の差 は更 に ひど いも の でし
ト ン から 一億 ト ンぐ ら いも あ る のに比 べ、 て んで話 にな らな いも
日本 の鉄鋼 の年 間供 給 量 は約 六百 万 ト ンで、 ア メ リ カが 八千 万
言 えば 、 鋼材 の不 足 と いう こと で し た。
わ れ われ は日本 海 軍 の高 級将 校 のあ る人 た ち から こう いう 意 見
いう 意 味 です 。
そ れ は、 これ ら の士 官 は 戦争 前 、 日本 海 軍 は、 おそ らく 一年 ま
を 聞 き ま し た。
た は 一年 半 く ら いしか 満 足 な作 戦 はでき な い と思 って いたと いう ので す。 あ な た はそ れ に同意 しま す か、 そ れ とも 反 対 意見 です か。 高 級 将校 たち は そう いう 意見 だ ったと 思 います 。 も っとも 、 私
った こと を言 って い る のを 聞 い た ことも あ り ま せ んが ⋮ ⋮。 み ん
はそ れ と同 じ こと を言 って い る のを聞 いた こ とも な け れば 、 ち が
な 自 分 の意 見 を 他 人 に は、 洩 し ま せん で した か ら。 た だ 、 山本 大 将が ﹁一年 は何 と か や って行 け るが 、 そ の後 の こ と はわ か ら な い﹂ と言 った と いう こと は本 人 か ら直 接 で はな く 、 間 接 に耳 に 入 った こと はあ り ま し た。
も 量 に向 け る べき だ と 感 じ て いま し た。 当 時 、 欧 州 で はす で に第 二次 大戦 が は じ ま って いま し たが 、 そ の戦 訓 を見 ると、 艦 艇 は い つま で も浮 いて い な いで だ ん だ ん沈 め ら れ る と いう 傾 向が 見 ら れ た の です。 言 い換 えれ ば 、 艦 艇 は消 耗
ェー海 戦 の教 訓と し て、 あ ま り に艦 隊 の編 成を 重 視 し、 し かも そ
あ な たが 前 にお述 べ にな ったと ころ に よ ると、 日本 は ミ ッド ウ
は迅 速 に補 充 しな け れば な ら な いも のです 。
す る も の であ って、 或 る程 度 の海 軍 力を 維 持 し よう と す れば 艦 艇
問
私が 聯 合 艦隊 司令 長 官在 任 中 に、 海 軍 の全 母 艦機 群 を 投 入し た
協 同さ せ る計 画が あ り ま し たか 。
た か。 ま た、 陸 上 基地 航 空 部隊 に直 接 機動 部 隊 を支 援 す るた め に
果 を た か め るた め 、艦 上 機 群 と協 力 さ せ ると いう 計 画が あ り ま し
答
命 令 と し て は 、基 地 航 空部 隊 と 母艦 航 空部 隊 の両司 令 部間 に、
大規 模 な 海 戦が 二 回起 こり まし た 。
最 も緊 密 な 協 力 を さ せ るよ う に した の ですが 、 そ の協 力 は あ まり
そ れ は母艦 航 空 兵 力が 量 的 に も質 的 にもあ ま り に劣 弱 だ った か
う ま く ゆき ま せ んで し た。
ら です 。 母艦 機 数 は十分 でな か った し 、搭 乗 員 の訓 練 や力 量 も 未
の編 成 は戦 艦 偏重 であ ったと いう こ とで し たね 。 そ し て海 戦 の結 果 編 成を あ ら た め航 空 母艦 を 艦 隊 の主力 と し てそ の後 ます ます 重
私 は日 本海 軍 の陸 上基 地 航 空 部隊 の用 法 に関 す る兵 術 思想 に つ
熟 でし た 。 これ で は協 同が う ま く でき る わけ が あ りま せ ん。 問
隊 の作 戦能 力 を 増 大す るた め の戦 法 に つい てお聞 き し た い のです 。
いても っと 突 込 ん で お尋 ねし た い。 つま り、 基 地航 空 兵 力 の傘 下
日本 海 軍 は こ の防衛 外 郭 圏 を設 定 す る にあ た って、 東方 から や
で 、基 地航 空 部 隊 の行 動 圏内 で、 ま たそ の支援 距 離 内 で、海 上 部
の大 海 戦 が あ ると 思 った から です 。 し か し ミ ッド ウ ェー海 戦 の結
ってく る 米軍 を邀 撃 す る能 力 を増 大 す る た め前 記 の ような 戦 法 を
そ う で す。 そ の通 り です 。
果 か ら見 て、戦 艦 は有力 な航 空 兵 力 の支 援 を得 な け れば 、 強 力 な
き ま せ ん で し た。 両者 が 協 同 し て作 戦 す る場 合 はそ の司令 部 を通
ゆ かず 、 し たが って 両者 間 の協 力 はち ぐ はぐ でそ の威 力を 発 揮 で
昨 日 も述 べた 通 り、 基 地部 隊 と 母艦 部 隊 と の間 の連 絡 が 円滑 に
力 を有 効適 切 に使 用す る ことが でき ま せ ん でし た。
確 か です 。 し か し、 何 と い っても基 地 航 空が 弱 体 な た め、そ の兵
そ う で す。 そ の よう な思 想 を 日本 海 軍 当局 が 抱 い て いた こ とは
兵 力 で はな いと いう 教訓 を 得 ま し た。 駆 逐艦 、 潜 水艦 に ついて も
答
同 様 な戦 訓 を 学 んだ ので、 こ の海 戦後 そ の建 造 方 針 は変 更 さ れ ま
(ア ンダ ー ソ ン将 軍 ) こ の戦 争 遂行 の全 般 的計 画 にお いて、 日
し た。
と ろう と いう 考 えが あ った かど う か お伺 いし た い。
ミ ッド ウ ェー海 戦 ま で、戦 艦 中 心主義 を と った 理由 は艦 隊同 士
し いと 思 い ます か 。
点 を 置く よう にな ったと いう こと でし た。 そう 言 わ れ た のは よろ
答
問
本 海 軍 はそ の外 郭 線を 拡 張 す る にと も な って 、基 地 航 空 部 隊 に海 上 機 動 部隊 を支 援 し協 力 さ せ るた めに、 そ の協 同使 用 に つい て、 ど んな 基 本 的構 想 を 持 って いま し た か。 こ の外 郭 線 の拡 大 に つ いて は、 基 地航 空 部 隊 を、 外 郭 防衛 の効
そう です。 戦 争 の後 半期 は ア メリ カ航 空兵 力 が最 も有 効 な武 器
日本 海 軍 兵 力 に対 し て です か ?
す。 問
じ て連 絡 を 保 たね ば な り ま せん で し た。 日 本海 軍 の通 信組 織 は両 部 隊 の下 部 組織 間 に直 接連 絡 を 保 ち得 る 程 度 に ま で発達 し て いま
でし た。
答
ミ ッド ウ ェー海 戦 ︱︱ それ はま ったく 決定 的 な も ので、 日本 海
で は もう 一つだけ お伺 いし た い。
ッド ウ ェー海 戦 の目的 はい った い何 だ った のです か。 戦略 的 見地
軍 の作 戦力 を 変 え て しま う よう な も のだ った わ け ですが 、 そ の ミ
か ら、 な ぜあ の作 戦 を企 てた のです か。
私 は知 り ま せ ん。そ の目 的が 何 であ った か私 には分 ら な い ので
す。 そ れ だ か ら、 私 はあ の作 戦 は ま ったく の失 敗 だ と い いた い の
と に成 功 した も のだ から 、そ の結 果 と し て生 じ た傾 向 の 一つの ス
これ は私 の勝手 な 推 量 です が 、あ の作 戦 は、 第 一段作 戦が みご
です 。
テ ップ と し て企 図 され た も ので はな いかと 思 います 。 つまり 各方
答
問
せ んで し た。 考 え方 と し て は、 われ わ れ はむ ろ ん、 ア メリ カ艦 隊 を わが 基 地 航 空 威力 圏 内 に ひき 入れ た か った のです 。 し か しそ れ を成 功 さ せ る こと は い つも難 し い こと であ った。 な ぜ か と 言 えば 、前 にも 説 明 した 通 り、 航 空 機 の数 は不十 分 だ った し、搭 乗員 の訓練 も 不充 分 だ った か ら です 。 一例 を あげ る と 、 マリ ア ナ海 戦 のと き、 われ わ れ は来 る べき 戦 闘 に備 え て 、第 一航 空艦 隊 を マリ ア ナ に送 って テ ニア ン島 に 配備 し た。 こ の航 空兵 力 は日本 内 地 で訓 練 し た も の で、急 い で マリ ア ナ に派遣 した わけ でし たが 、 到 着 展開 し たば かり のとき に マリ ア
あ な た は昨 日、 あ る質 問 に答 え て、 海 上 兵力 が 日本 海 軍 にと っ
面 にわ た って活 動範 囲 を ひ ろげ よう と いう わ け です ね 。東 は ハワ
ナ の戦 闘 が はじ ま った の です。
て最 大 の脅 威 だ った と思 う と言 わ れ た よう に了解 し て います 。 そ
日 本 の指 導 者 は、 ア メリ カ側 の こ の戦 争 に対す る気 持と 日本 側 の
の感 情 が 流 れ て いた ので はあ る ま い かと 考 えら れ ます 。 つまり、
問
れ では 、 こ の戦 争 で 日本 海 軍 に さし む け られ た 武 器 のう ち で は何
イま で、西 は イ ンド洋 の セイ ロン島 ま で と いう よう に。
ど ん な武 器 です って ?
げ よう と し た根 底 には当 時 の日本 の戦 争指 導 者 が抱 いて い た 一つ
も う 一つの当 推 量が 許 さ れ るな ら ば 、あ んな に作 戦 範 囲を ひ ろ
が 一番 有 効 だ った と 思 わ れま す か。 水上 艦 艇 から の砲 火 と航 空 攻 撃 の火 力 と にわ け て と申 し た方 が 、
空中 から の武 器 と海 上 か ら の武 器 のう ち 、 日本 の海 軍力 を 減 殺
質 問 の意 味 が た ぶ んも っと は っき りす る と 思 いま すが 。 答
争 はた んな る国家 の面 目 、あ る いは 極東 に おけ る経 済的 利 益 の保
生 存 そ のも の のた め のも のだが 、 ア メリ カ側 にと って は、 この戦
そ れ と は大 変 な開 き が あ る︱︱ こ の戦争 は日本 にと って は国家 の
そ れ に答 え る に は戦 争 を 二 つの時期 に分 け て考 え て見 た いと 思
す る のにど ち らが 有 効 だ った かと いう こと です が 。
問
答
います。 そ し て 前 半期 は潜 水艦 が 最 も有 効 な 武 器だ った と思 いま
と 思 われ ま す。
護 のため にす ぎ な いと いう よう な観 念 を持 って い た の では な い か
ッド ウ ェーが ア メリ カ軍 の手 中 に残 って いる から と い って 、そ れ
る と いう こと はな かな か 考 えら れ な いこと です 。 と いう のは、 ミ
れ は必 ず し も 日本 の安 全感 を 強 め るも ので はな いで し ょう 。 だ か
い から で す。 日本が ミ ッド ウ ェーを 手 に入 れ た から と い って、 そ
ら 私 に は、 本 当 に何が あ の作 戦 の目 的 だ った のか了 解 に苦 し む の
が 日本 の安全 にと ってそ ん な に深 刻 な脅 威 にな ると は信 ぜ ら れな
れ ば 継続 意 志 を失 って し ま うだ ろ う と いう よう な 感 情 を 日本 の戦
です 。 私 は今 日 ま で誰 とも こ の問題 を 話 しあ った こと はあ り ま せ
そ して 、 ア メリ カ側 にと って は、 そ ん な条 件 の戦争 は 日本側 の
争 指 導者 た ちが 持 って いた の で はあ りま す ま い か。 そ ん な考 え の
そ れ にく ら べ て重 要 性が 少 い のだ から 、戦 争 が す こし長 期 にわ た
下 に、 日本 は、作 戦 圏 を ひ ろげ 続 け た ん では な か った で し ょう か 。
んし 、 ま た何 のた め にあ の作 戦 を や った のか聞 い た こと もあ り ま せん 。
(大正十五年七月軍令部次長、 昭和三年二月出仕、 同 四年 二月
4
練習艦 隊司令官 、同五年 一月出仕、同年 六月呉鎮守府司令長官 、
野村 吉 三郎
私 は実 のと ころ 、 ミ ッド ウ ェー作 戦 の戦 略 的 重要 性 を いか に評 価 す べ き か を知 り た いと思 った のでし た 。
問
つま り 、 ハワイ か らあ んな 近距 離 にあ って、 し かも 他 の陸 地 か ら はま った く 孤立 し て いる こ の小 さな 一つの島 を 占 領す る利 益 を 日 本側 が ど う評 価 し て いた かを 知 り たか った の です。 更 に言 えば 、
高 める た め の作 戦 だ った のか、 あ る いは、将 来 の進 攻 作 戦︱︱ つ
同六年十二月横須賀鎮守府司令長官、同七年 二月第三艦隊司令
そ れ は 日本 の安 全 感 を 増 す た め の作戦 だ った の か、 日本 軍 の力 を
まり さ ら に進 撃 す る た め の足 場 と し て利 用 し よう と す る 作戦 だ っ
同 八年十 一月軍 事参議官、同十 二年四月予備役、学習院長、同
長官、同年 六月軍事参議官、同年十月横 須賀鎮守府司令長官、
た のか を 確 か めた か った の です 。 ご ら ん の通 り 、 こ こ に た った 一つ の島が あ る きり です 。 何 か防
十四年九月∼十五年 一月外務大臣、同十五年十 一月駐アメリカ
大使、同十九年 五月∼ 二十 一年 六月枢密顧問官、同 二十九年 六
P ・ニ ッツ
P ・バ ラ ン
C ・M ・スピ ンク ス
R ・A ・オ フステ ィ
米 予 備 海 軍少 佐
米 海 軍 少将
係が な け れば 、 ミ ッド ウ ェー作 戦を 説 明す る こと は ち ょ っと困 難
質問者
月参議院議員。海軍 大将 )
はそ の後 の作 戦 準 備 の足掛 り と し て使 う た め に計 画 さ れ たも のだ
これ も ま た、 同 様 に当 推 量 に過ぎ ま せ んが 、 ミ ッド ウ ェー作 戦
です ね。
衛 のた め と か、 将 来 の進 攻 作 戦 に使 う た めと か いう の に重 大 な関
答
し かし 、 日本 の安 全 性 を増 大 す る た めに ミ ッド ウ ェーを 占 領 す
と いう 可能 性 はあ り ます ね。 そ れ は考 え得 ら れ る こと です 。
陪席者
日 時場 所
陳 述要 旨
米海 軍 大 佐 P ・コー ル
T ・J ・ヘデ ィ ング
東京
濠 陸軍 大 佐 昭和 二十年 十 一月 八 日
野村 海 軍 大 将 は太 平 洋戦 争 の背 景 、 戦時 日本 の各時 期 にお け る国
野村 大 将 は 過去 の主 な ト ラブ ルを論 議 す る に当 って は実 に完 全 に
内 情勢 お よび 終戦 努 力 に つい て述 べ た。
率直 明快 に解 明 し た。 彼が 一九 四 一年 ア メリ カ大 使 と し て派 遣 され た のは、 戦 争 防止 の任 務 の成 功 を祈 る海 軍高 級 士 官 た ち のす す め に
が 、 二、 三 ヵ月 の間 は承 認 され ま せ ん でし た。 当 時 、私 は無 任 所
帰 国 の途 中、 シ ンガポ ー ル に着 くと 同 時 に辞 意 を表 明 しま し た
で の経 歴 お よび動 静 に つい て、 あ らま し お話 し下 さ い。
(オ フステ ィ海 軍 少 将 )あ な たが 日本 に帰 国 さ れ て か ら 終 戦 ま
問 答 筆記
よるも の であ った。
問
答
大 使 だ った のです が 、 そ の地 位 のま ま終 戦 を 迎 え まし た。 私 は別 に、 こ れ と い ってき ま った仕 事 が な か った ので、 外 務 省 に出 勤 し ま せん で し た。 私 は今 年 にな って枢密 顧 問 官 に任 命 さ れ ま した 。 ︹ 枢密顧問官にな った のは昭和十九年 五月︺ そ れ は、 当 時 、 枢 密 院 の議 長 か副 議 長 で あ った鈴 木 海 軍 大 将 ︹ 副議長 ︺の推 薦 によ るも ので し た。 こ の間 に私 は 国内 を方 々旅 行 し まし た。 そ し て 、戦 争 の真相 が さ っぱ り国 民 に はわ か って いな
問
答
あな た は、 大 本 営 内 でど んな こと が 話 題 にな って い たか、 相 当
いと いう こと を知 り ま し た。
く わ しく ご 承知 でし ょう か。 そ し て政 府 要路 の友 人 とそ のこと に
大体 のと ころ は、 ど ん な こと が話 し合 わ れ て いた か 承知 し て い
つい て話 し合 いま した か 。
ま し た。 将 官 た ちと 会 って話 し てみ る と、 私 は率 直 に話 し た の で
す が 、彼 等 はあ まり 真 相 を知 ら な いよ うな 風 に見 え ま し た。戦 況
が あ ま り芳 し く な い ので 、将 官 たち は当 惑 し て いた のかも 知 れ ま
枢 密 院 に入 って から 、陸 海 軍 士 官 の説 明 を聞 き ま し たが 、そ れ
せ ん。
は報 道 関係 者 に対 す る よりも も っと率 直 な も のだ った に ちが いあ
りま せん 。ま た 、 私自 身 が か つて正規 の海 軍 士官 であ った関係 で、
陸 海 軍 の人 た ちと話 し合 って み て、 普 通 の人 よ り は いく ら か戦 況
陸 海 軍 の代 弁 者 た ち は、 も し、 日本 が頑 強 に構 え て いれば 、 ア
を は っき り つかむ こと は でき ま し た。
メリ カ側 は 段 々戦 争 に嫌 気 が さ すだ ろう と考 え て い る よう に見 え
私自 身 はそれ を 望 み ま し た。 開戦 時 のは じ めか ら、 私 は 日本 は
そ こ で、妥 協 的 平 和 に乗 り だ そう と いう わけ で す か。
ま し た。 問
こ の戦争 に は勝 てな いと信 じ て いま し た。 なぜ な ら、 ア メリ カは
答
国 土 もあ んな に広 大 で、資 源 も 非常 に豊 富 であ り 、要 す る に偉 大
私 は戦 争 の結果 や成 行き に殆 ん ど自 信 が持 てま せん でし た。 私
な強 国 で し た から。
が 昔 海 軍武 官 と し て ア メリ カ に駐 在 し て いた期 間 、 私 は ア メリ カ
問
と いう国 を よく 研 究 し て み まし た 。そ の結論 は、 ア メリ カ は軍 事
そ の陸 軍 出 の人 は、 い つでも 陸上 作 戦 のこと し か考 え な い ので海
顧 問 官 の中 に は海軍 出 身 者 三名 、 陸 軍出 身者 が 二 名 いま した 。
三郎 の三大将 、陸軍出身は南 次郎、奈良武次 の両大将と大島健 一中将 の
︹ 編者注︺ 当時、海軍出身 の顧問官 は鈴木貫太郎、野村吉 三郎、百武
軍 戦略 を理 解 す る ことが でき ま せ ん でした 。
的 に強力 でと う て い打負 かす こと は でき な いと いう こ と でし た。 あ な た のお考 え の よう な 人 た ちや ま た は公職 にあ る 人 々のう ち で、 も っと 早 く妥 協 によ る和 平 工作 に乗 り だそ う と つと め た人 が
三名。
あ と で、 聞 いた話 で すが 、 前 枢密 院 議 長 は 一年前 に亡 くな り ま
した が 、そ れ は時局 を 深 く憂 え て、 落 胆 のあ まり は やく 亡く な っ
私 が 顧 問官 に任 命 された とき 、 こ の人 ︹ 原嘉道︺が ち ょ う ど 議
たのだ と いう こと です 。
長 でした 。私 は この人 に会 って戦 争 の真 相 を告 げ てあ げ ま した 。
う な顔 を し て び っく り し て いま した 。
私 が 戦 局 の進 展 状 況 をあ り の ま ま説 明 した 所、 思 いも よら な い よ
あ なた は戦争 全 期 に わた って同 じ よ うな 状 態、 つま り、 陸 軍側
参 謀 本 部 と 軍令 部 と の間 で は、 情 報 や意 見 の交 換 を や って いた
にちが いあ り ま せ ん。そ して 陸 軍 は真 相 を知 って いた に相 違 あ り ません。
いや、 枢 密 院 はと ても無 力 で 飾 りも のでし た 。政 府 か ら議 案 が
枢 密 院 は ほ んとう に政策 の決 定権 を持 って いま し た か。
枢 密 顧問 官 は軍事 問 題 に は全 然 干 渉 しな か った のです か。
れ を 承 認す るだ け で した 。
れ はす べ て 正当 なも のだ と考 えら れ、 多 く の場 合、 われ わ れ はそ
提 出 さ れ、 天 皇 が裁 可さ れ ると 、枢 密 院 に 回付 さ れ ました が 、 そ
問
問
答
答
が 海 上 およ び海 軍 の問題 が わ か らな か ったと 思 いま す か。
問
そ んな 感 情が 起 こ ってきた のは い つご ろ から だ と思 いま す か。
枢 密 院 は戦 況 に つい て は つんぼ 桟 敷 で した 。 ま ったく 何 にも 知
院 で はそ の問題 を 審議 し ま した か。
当 時 はも ち ろん、 あ なた は枢 密 顧 問官 だ ったわけ で す ね。 枢 密
ら ぬ事 態 だ と思 いま し た。
あ と で 、 サイ パ ンを 失 った時 、 私 は これ は日 本 にと って容 易 な
な か った のです 。
の結 果 は分 って いまし た 。 と こ ろが、 国 民 は 何 にも 知 ら され て い
こ の海戦 後 、 ニ ュー ヨー クを出 発 した の でそ こ で新 聞 を読 ん でそ
ミ ッド ウ ェー海 戦 の結 果 は国 民 に秘 密 にされ て いま した 。 私 は
後 の こと で した か。
そ れ は昭 和十 八年 か ら 十 九年 頃 、何 か特 別 の作 戦 が行 なわ れた
な いと いう 方 向 で した 。
め る こと は不 可能 な こ とだ から 、 どう し ても 団 結 しな け れ ば な ら
ったと思 います 。 し か し、 一般 国民 の考 え方 は、 戦 争 を はやく 止
も っと 早く 戦 争 を や めね ば な らな いと考 え た 人 は尠 な か らず あ
じ て いた人 は有 識者 の中 にた く さ ん いま した 。
戦 争が 永 び けば 永 び く ほど、 日本 に はま す ます 不 利 にな ると 信
あ ったで し ょう か。 答
問
答
問
答
ら され な か った の です 。
答
日本 の政 治機 構 では 干渉 しな いこと にな って いま し た。 天 皇 は 陸 海 軍 の大 元 帥 であ り 、 そ の幕 僚 長と し て参謀 総 長 、 軍令 部 総 長
確実 な こと は 知 りま せんが 、 海 軍が 緒 戦 期 にあ まり 遠方 ま で手
す か、 そ れ とも 陸 軍 の戦 争だ った と考 え ます か。
こ んど の太平 洋 戦 争 は、 主 と し て、 海 軍 の戦 争 だ ったと 思 いま
べき 問 題 だ と思 い ます 。
これ が 、 適 当な 制 度 であ った かど う か と いう こと は慎 重 に検 討 す
し た。 お まけ に彼 等 は外 部 から の 一切 の干渉 を 許 しま せん でし た。
や そ の部 下 の参謀 が おり 、彼 等 はま ったく 政 府 か ら独 立 し て いま
問
答
最 初 の基本 計 画 をき め たとき 、 陸 海 軍 の意 見 が 一致 し て い たと
ま なか った と いう こと を聞 いて いま す 。
を ひろげ 過 ぎ 、 陸 軍 は海 軍 に お つき あ い をし て 一緒 に行 く のを 好
問 思 い ま せ んか。
心 から よろ こ んで か、 いや いや なが ら か 知 り ませ んが 、 と に角
答
問
結 局 のと こ ろ、 陸 軍 は実 際 に作戦 と し て実 施 され た こと に は同
日本 の制 度 で は、陸 海 軍 は単独 で は行動 でき な い のです から 、
ェー に進 撃 す る前 に意 見 が 一致 しな け れば な らな か った の です か。
た と えば 、 最 初 の計 画 を ひ ろげ て 、 アリ ュー シ ャ ンと ミ ッド ウ
にな り ます か。
つまり 、 大 本 営 で は事前 に意 見 の 一致 が 必要 だ ったと いう こと
意 し た にち が いあ り ま せん。
答
意見 の 一致 が あ った と 見 る べき です 。 それ で困難 は いろ い ろあ っ
た にせ よ、 作 戦が 行 な わ れ る前 に合 意 が あ った にちが いあ り ま せ ん。
私が ア メ リ カに赴 任 す る前 、 戦 争 の可 能 性 に つ いて海 軍 士 官 た
って いな か ったが 、老 年 組 の方 は米 国 と の戦 争 に はま ったく 反対
ちと 話 しあ った ことが あ り ます 。 若 い連 中 の気持 ち は し っか り決
で、 私 の使 命 が 成 就 す る よう に切 望 し ま した 。私 の会 った老 提督
中 は日本 軍 が 外郭 線 を占 領 し て守 備軍 を 配 備す れ ば 、あ と で実 際
彼等 は ア メリ カ軍 の反撃 の速 度 を見 く び って いま し た。 そ の連
の人 た ち は戦 争 を のぞ ん で いま し た か。
満洲 や 関 東 軍 の連 中 に ついて、 あ なた はど う 感 じ まし た か。 そ
連 中 は 一人 残 らず 私 の使 命 の成功 を 心 か ら望 ん で い たと思 いま す。 問
答
予想 して い な か った 。 ア メ リカ軍 の対 日反 攻 は非 常 に遅 いだ ろ う
に起 こ った よう に、あ んな に早 く 米 軍が 反 撃 に転 じ て こ よう と は
と思 って いた者 も あ った︱
答
陸 海 軍 の間 に意 見 の 一致が あ った こと は たし か です 。 し か し、 陸 軍 は たぶ ん 、そ の問題 をそ ん な に深 刻 には考 え な か った ので し ょう 。そ し て、海 軍 で立案 し た若 干 のも の に同意 す る こと は困 難 だ ったで し ょう 。 たと え ば、 ソ ロモ ン群 島 のブ ーゲ ンビ ル島 の例 です が 、陸 軍 は
陸 軍 の関 心 は 主と し て満 洲 と 中国 に向 け ら れ て いた の です か。
米軍 が あ ん な に早 目 に、 あ んな に大 規 模 に動 員 され よ う と は考え
そ ん な遠 方 ま で進 出 す る こと を いや が った と聞 いて い ます 。 問
陸 軍 は たし か に、 大 陸方 面 を 重点 と考 え て いま し た 。
現 に、 私自 身 も 、同 じ よ う な考 え で
答
陸軍 は太 平 洋 に おけ る海 軍 の行動 を妨 害 す る よう な 態度 に出 た
及 び ま せ ん でし た。
問
と思 います か。
私 が帰 国 後 話 し合 った人 たち は、 私 が い つでも ア メリ カ の能 力
本艦 隊 は対 馬海 峡 で勝 利 を 得 ま した。 そ こで 首 脳部 では これ で戦
当時 、 全 国 を遊 説 し て まわ った人 た ち は、 い つも 、 これ で輝 や
争 は ケ リが つい て妥 協 平 和 にな る のだ と 思 った 。
かし い勝 利が 日本 の頭 上 にや ってき たと 胸 をそ ら し、 軍 部も 、 勝
心思 って い たが 、国 民 の士気 を落 さな いよ う にと の配慮 から 公然
た だ 、達 見 の有 識 者 だ けが これ で互 角 の戦争 に漕 ぎ つけ た と内
負 な し の戦 争 と は考 え な か った。
あ らゆ る 総合 に ついて です 。
って い る のです か。
そ れと も海 陸 協 同 部隊 に つ いて言 う のです か、 或 は何 に つい て言
それ は ア メ リ カ海 軍 の こと です か、陸 軍 兵 力 移動 の こと です か、
の私 自身 です ら ア メリ カを 過少 評 価 し て い たわ け です 。
を 過 大 に見 積 って いる と思 った よ うだ が 、 今 にな って見 ると 、 そ
問
答
大本 営 で は、 ド イ ツが ソ連 ま た は英国 に対 し て勝 利 を収 める と
と実 際 は勝敗 な しな ど と言 わ な か った のだ と 思 いま す 。 問
大 部分 の人 た ち、 少 く とも 過 半数 はド イ ツが 勝 つと 思 って いた
期 待 し て いた連 中 が た く さ ん いたと 思 います か。
そ こで、 も し ド イ ツが 勝 てば 、妥 協 によ る平 和 にな る公算 が さ
よう です ね。
ら に増 す と いう わ け です ね 。
統 帥 部 の連 中 は ド イ ツが 敗 け るな どと は考 え ても 見 な か った。
ノ ル マンジ ー上 陸 ︹ 昭和十九年六月六日︺ の時 です ら 、 こ の上 陸 は
た い へん難 か し い作 戦 であ ると信 じ こん で いた し、 連 合軍 が あ ん
な に迅 速 にド イ ツ の防 禦線 ま で進 撃 を つづ け るだ ろう と は 予想 し
て いな か った。 取 返 し の つかな い思 い違 いを して いたわ け です ね。
日本 とド イ ツと の間 に は、 そ れぞ れ 両 国 の利 益 のた めに協 同 し
か った のです 。 大 体 、 こ の同 盟 は日 本 にと って失 策 であ った し、
一旦 、同 盟 が 結ば れ ると 、 日本 は それ を 固 執 しな け れば な らな
って いた と思 います か。
て 連 合軍 と戦 って い る のだ と いう外 に、 何 か 共通 の利害 関 係 を持
答
問
答
問
答
私 は第 一次 大戦 中 、 駐米 武 官 と し て ア メリ カ造 船 所 の視 察 を許
そ れ で は、 あ な た は ア メリ カが ど れだ け の戦備 を ど れだ け 早 く
を 想像 す る ことが でき ま し た。
に いた ので 、今 度 の戦争 でも 米 国が ど れ だけ の事 を や りとげ る か
行 でき な か ったと 信 じ て いま し た。 私 は 四年 間 も 当時 ワ シ ント ン
日本 人 は第 一次 大戦 で ア メリ カ はそ の計 画 の八 割 か九 割 し か実
く、 量 の方 でも 買 いか ぶ って い ると 思 って い た よう です 。
し た。 日本 人 は、私 が ア メリ カ の能力 を そ の スピ ード ば かり でな
さ れ 、自 分 の二 つの眼 で ア メリ カが そ こ でや って いた ことを 見 ま
問
や れ る か の見 当 が ついて いたわ け です ね。 日本 の統 帥 部 で は戦 争 はほ んと に勝 利 にも って行 け る と思 って る よう に見 え ま し た か。 それ と も 、 み んな 妥 協 に よる 平和 を 予 期 し て いま し た か。 日本 の戦 争 指 導 者 た ちが考 えて いた こと は、 戦争 は勝 敗 な し に 終 り、 日本 は国 家 の体 面 を保 って、 無 条件 降 伏 で なく 終 戦す る つ
答
日露 戦 争 で は、 ロシ ア は優 勢 な大 兵 力 を繰 り出 し て来 たが 、 日
も り であ った よう に思 われ ま す。
問
答
問
答
問
答
問
実 際 、 そ れ は大 変 馬鹿 げ た 政策 だ った と思 いま す。 戦 争 に勝 ち た いと いう 以外 に は共 通 の利 害 関 係 は な か った と い
答
そう です 。 し か し、 事 態 はす で にあ ま り にも進 みすぎ て いま し た。
が、 海 軍 の連 中 ︱ ︱ と く に そ の首 脳部 が 、 戦争 回 避 の努 力 をも う
私 は元 来 外交 官 では な いし、 ま た外 交 はよく は分 らな いの です
お 互 に助 け 合 う こ と は不 可能 であ った し、 日本 の利 害 関 係 は海
一度試 み て 欲 し いと 切 望 し たも のです から 、私 はやむ を 得ず ワ シ
う ので す ね。
上 で 非 常 に大 き か った の に、 ド イ ツ の海軍 力 は米 英 にく ら べ て少
私 の述 べ た意 味 は、 陸 軍 は政 治 力 で は海 軍 よ り有 力 だ ったと い
それ は ど うだ った か よく 知 り ま せ ん。
ま し た か。
陸 軍 は天皇 直 属 の大本 営 でも 、海 軍 よ り実 際 に大き な 力が あ り
を も って いま し た。
し かし 、 一方 、 政 治方 面 では海 軍 より 陸軍 の方 がず っと 影響 力
ント ン に行 く こ と にな った の です 。
問
答
な か った のだ か ら、 ド イ ツと 同 盟を 結 ぶ こと はま ったく 愚 劣 な国 策 だ った わ け です 。 私 は 日本 海 軍 が こ の同 盟 を支 持 し た と は信 じ て いま せ ん。 山本 大 将 は聯 合艦 隊 司令 長 官 にな る前 に海 軍次 官 だ った のです が 、 血 気 には や る海 軍 青年 士官 に非 常 に悩 ま され ま した。 無 法 老 共 に脅 迫 さ れ た よう な こと さ えあ り ま し た。 陸軍 は ソ連 のア ジ ア大 陸 に おけ る 勢 力を 無 力 化す る ため に 、海
陸 軍 は市 、 郡 、 町、 村 に いた る まで、 そ の組織 を配置 し、 地方
う のです 。
の警 察 や府 県 のあ ら ゆ る官 庁 にも 直 接 の組 織 の勢 力 を 植 え つけ て
陸軍 の考 え方 は そ の線 に沿 ったも のだ った にちが いあ り ま せ ん。
軍 よ り 三国 同 盟 の締 結 に熱 心だ った と 思 い ます か 。
いま し た。 そ れ に比 べ て、 海軍 の方 は横 須 賀 と か呉 と か、 わず か
般 の意 見 はど ん な も の でし た か。
防 衛線 で最 大 の弱 点 、 日 本 にと って最も 危 険 な個 所 に つい て、 一
あ な た は ミ ッド ウ ェー海 戦後 、 帰 国 され た わけ ですが 、 日本 の
り はる か に大 き な 勢力 を 握 って い たと思 いま す。
そ れ で、 陸 軍 は世 論 に対 し ても 、 ま た、 政界 に お いても 海軍 よ
って いた の です 。
って いま せ んで し た。 海 軍 は お お よそ政 治 と いう こと から 遠 ざ か
の所 にこ じ んま り と 固ま って い て、 地方 政 治 には殆 んど関 係 を持
日本 の陸 軍 は 主 目標 と し て ソ連 に 目 を向 け て 居 り、 海 軍 は たぶ
問
私 は 三国 同 盟 は 防共 協 定 よ り 一歩 前進 し たも のと信 じ て います 。
ん太平 洋 に眼 を 注 い で いた と いう のが あ な た のお考 え です か。 そう は思 います が 、 前 にも 述 べた通 り、 大 多 数 は ア メリ カ の実 力 を認 識 して い な か った の で、 海 軍 にも 対 米 強 硬論 者 が あ った で
開 戦 論 者 は、 私 が 駐 米 大使 に任命 され た のは、 海 軍 の働 き かけ
し ょう 。 も っとも 、 そ の主張 は微 力 だ った に相違 あ り ま せ ん。
そ のわ け は、 日本 海 軍 は戦 争 を避 け たが って いた と いう こと で
によ ったも のだ と思 い こん で い た こと は事 実 です 。
す か。
答
問 答
問
答
日本 の作 戦 が 国 力 以 上 にあ ま り にも 遠 く ま で延 び すぎ 、 ど こも か し こも み な弱 体 化 し て おり 、そ の弱 点 に救 援 軍 を 送 り こむ こと が でき な く な って いた と思 います 。 国 力 を無 視 し た作 戦 の連 続 で
それ で 、 あ の計 画 は 攻撃 だ け を して 、す ぐ 引 き あげ ると いう も
南 方 戦 線 に つい ては、 私 個 人 の考 え で は、 米 艦隊 は ニ ューギ ニ
のでし た 。 そ の辺 が 日 本軍 の能 力 の最 大 限度 だ ったわ け です 。
れば シ ンガ ポ ー ルと ジ ャワ に空襲 を加 え て来 る と 予想 し て いま し
アを経 て北 西 に向 って や ってく る と思 って いま し た。 そ う でな け
た。 両 方 共 、 日本 にと って は致 命 的な 脅 威 であ って、 ど ちら が ど
手 を ひ ろげ 過 ぎ て いま し た。 中 国 で は、 相 手 は戦 わな い のです から、 日本 軍 は何年 でも そ の
南 方 か ら北 西 に向 って や って 来 る脅 威 と いう のは ア メリ カ艦 隊
広大 な 作 戦 を維 持 で き たわ け です が 、 そ の中 国 にお いてす ら 戦線
問
う と は言 え ま せ ん。
し か し、 太 平洋 戦 線 の方 はど う し た でし ょう か。
衛 線を 突 破 し てや って く ると す れば 、 若 干 の陸 軍 は伴 ってく る か
もし 、 ア メ リ カ側 が ニューギ ニアと フ ィリピ ンの間 の日本 の防
によ るも のを指 し て いま す か。
も 知れ な いが 、 そ の反 攻作 戦 は主 とし て海 軍 によ って行 なわ れ る
答
が あ ま り にも 延び す ぎ て い ま した。
こ こ でも 必要 な 船 舶 を供 給 す る こと が でき ま せ んで し た。 日本
べ て緒 戦 期 に第 一線 に配 備 さ れ、 こ の予備 兵力 を 使 い切 って し ま
であ ろ う と いう わ け で す。 そ の際、 少 数 の陸 軍 兵 力 の方 が却 って
軍 は当 初 の計画 で あ ま り遠 方 へ進 みす ぎ て、 海 軍 の予備 兵 力 はす
う と、 も う そ れを 増 援 す る ことが でき な か った。 最 前線 に補 給 す
しか し、 ミ ッド ウ ェー海 戦 後、 ア メリ カ側 は非常 にち いさ な 艦
です から 。
適 当だ った と思 いま す 。 同方 面 の島 嶼 守 備 の 日本 軍 は少 か った の
る こと は でき なく な りま し た。 中 部 太 平洋 から や ってく る も のと 、 オ ー スト ラリ ア、 ニ ュー ギ ニア か ら のも のと 、 連 合軍 の進撃 はど ち ら が 大き な 脅威 を 日 本 に 問
両方 とも 非 常 に危 険 で し た。
与 え た でし ょう か。
は でき な か った のです 。 それ で当 時 と し て 日本 は 米艦 隊 恐 るる に
正確 な こと は分 りま せ ん でし たが 、 ア メリ カ の艦 隊 勢 力を 回 復
足 らず と 思 って い た ので は な いで し ょう か。
隊 しか 持 って居 らず 、 そ の後 しば らく は 大 した 脅威 を 与 え る こと
答
私 は 日本 海軍 が 真 珠 湾 に対 し て奇 襲 攻撃 をす る こと を、 ま った く知 りま せ ん でし た 。 し か し、帰 国 後 、海 軍当 局 に聞 い たと ころ で は、 これが 海 軍 戦 力 のギ リギ リ の限 度 で、 ハワイ か ら前 方 に は 進 め な いと いう こと が わ か った。 ア メリ カ の人 たち の中 に は、 日
し、 そ の回復 力 はわ れ わ れが 予 期 し て いた より も 、ず っと早 か っ
す る に は相 当 の 日数 を 要す るだ ろう と は 想像 し て いま し た。 し か
日本 海 軍 の スポ ーク ス マンが 説 明し た と ころ に よ ると 、 ア メリ
た のです 。
本軍 は ハワイ上 陸 作 戦 をや って のけ る ことが でき ただ ろう と いう 向き もあ り ます が 、 上 陸 し占 領す る ほど の大 げ さ な 部隊 を も って い った ので は、 奇 襲作 戦 な ど 成 り た たな い のです 。
問
た。 そ し て、 米 大 陸 から 浮 ド ックを も ってき て、艦 艇 の修 理 に使
カ は 日本 側が 想 像 し な か った 修 理施 設 を も って いた と のこと で し
の島 で十分 修 理が 間 に合 う こと な ど は思 いも及ば な か った にち が
引 き 返 さ ね ば なら な いと考 え てお り、 浮 ド ックを 利 用 した り近 く
ったと いう こと で し た。 ア メリ カ の修 理設 備 は わ れ われ が 推定 し
い な い。 私 は そ のド ック のう ち に は大 艦 さ え修 理 でき る も のが あ
あ な た方 は 日本 軍が 兵 力 を 配備 し て待 ち かま え て いる所 には こ
ミ ンダ ナオ島 のダ バ オ に上 陸 す る も のと 考え て いまし た 。
顧 問 官 た ち は、 米 軍 は ソ ロモ ン、 ニ ューギ ニアの線 にそ って、
驚 か せ ま した か 。
に レイ テま で や って来 た とき 、 そ の レイ テ上陸 の実 現 は枢密 院 を
これ ら の大 規 模な 反 攻 作戦 が 次 から 次 へと実 行 に移 され 、 つい
し て こ の洋 上 決 戦 に望 みを つな い で いま した 。
が あ る こと を頼 も しく 思 い、 艦 隊同 志 の戦 闘 が 起 るだ ろう と 予 想
ち っと も知 らさ れ て いま せ ん で し た。 し か し、国 民 は聯 合 艦 隊
民 に は知 ら 、 れて いま し た か。
米 軍 の サイ パ ン上 陸が 開 始 さ れ よう と し て いた こ と は、 一般 国
ま った こと を 知 って、 私 は ま った く落 胆し て しま いま した 。
彼 の言 を信 じ て い た。 と こ ろが 、 米 軍 にや す やす と 上 陸さ れ て し
こ の話 は、 実 際 の上 陸 のほ ん の 二、 三 日前 のこと で し た。 私 は
で巧 妙 に防 戦 でき れば 、 大 丈 夫 だ と答 え た。
て み た。彼 は サイ パ ン島 は断 崖絶 壁 が 多 い から 、も し、上 陸 地 点
って い た ので、 サイ パ ン島 の防禦 は自 信が あ るかど う か と たず ね
し て い まし た 。 ち ょう ど、 航 空 関 係 の知 人 が そ こに行 く こと にな
枢 密 院 です 。私 は サイ パ ン島 が 戦 略上 の要 地 であ る こと を熟 知
ど こでそ れ が 聞 か され ま し た か。
て いた よ り はる か に立 派 な 成 績 を収 めま し た。 問
答
問
答
問
答
ると 聞 か され て いま し た。
日本 側 を 驚 か せ た の は、米 艦 隊 がす ば ら し い速 さ で再 建 され た と いう こと で し た か、 そ れ とも 日本側 で予 想 し て い たよ り は る か
米 軍 の作 戦 の速 度 は 日本 で 考 え て いた よ りず っと 迅速 だ った 。
に巨大 な 勢 力 だ った こと で し た か。
日本 の海 軍 はび っく り し た に違 いな い。 たと え ば 、 マー シ ャ ル作
あ な た方 の修 理 設 備 は非 常 に大き な価 値 があ りま し た。 私 は ア
たた め だ と思 います か。
の速 度 で建 造 さ れ、 同 時 にそ の背 後 に優 秀 な 修 理施 設 を 控 え て い
あ な た は、 そ の由 って来 た と ころ は、 や はり 米海 軍 が 予期 以 上
ア メリ カ の反撃 は予想 し て いた よ りも遙 か に急 速 で し た。
米 軍 は防禦 体 制 が 整 わな い前 に、 いた る所 を 攻 撃 し てき ま し た。
はいなか った︺
部 の視 察 も 終 って いな か った。 ︹ 当時グア ム島 に出張中 でサイ パ ンに
われる︺ はそ の着 任 後 、米 軍 の攻 撃開 始 時 には、 ま だ 担任 地 域 全
送 った が、 師 団 長 ︹ 第三十 一軍司令官小畑英良中将 を指し たも のと 思
パ ンは 全然 、 準 備 が間 に合 わ な か った。 陸 軍 は そ こ に 二 コ師 団 を
戦 後 の サイ パ ン進 攻 の早 さ は意 外 と す る 所 でし た 。だ から 、 サイ
答
問
答
ド ミ ラ ル テ ィー諸 島 に大修 理 基 地が つく ら れ、 ま た マー シ ャ ル諸 島 にも 修 理 場が あ る こと を知 って い ます 。 日本 軍 はあ な た方 の艦 船が 損 傷 を 受け たと き に は、 真 珠 湾 ま で
な い で、 そ の守 備 地 点 を飛 び 越 え て、 弱 点 を突 いてき まし た 。 わ が 陸 海 軍 は過 去 の経 験 に照 ら し ても 、 そう いう 作戦 に対 応 す る警
ューギ ニア や ソ ロモ ン地 区 にも 十分 な 防備 を施 し た地 点 も いく つ
戒 や 配 備 を し て おく べき で し た。 あ な た方 が 避 け て素 通 り し た ニ
か はあ り ま し た。 米 軍 は ラバ ウ ル に は来 な い で、そ れ を取 り 残 し て おき ま し た。 だ か ら、 そ ん な 例 に対 し て、 これ に応 ず る よう な
れな いと 考え ま した か 。
も し か し た ら、 米軍 は、 全 然、 フ ィリピ ン に上 陸 し な いか も知
手 を 打 って お か ねば な らな か った の です。 問
日 本 軍 は米 軍 が フ ィリピ ン に来 るだ ろ う と思 った に ちが いあ り
問
を占 領 す る 方が ず っと容 易 だ ろう と常 に考 え て いまし た。
そ んな ら、 な ぜ 、 フィ リピ ン に行 く の か、 あ な たも 、 や っぱ り
は い、そ れ はあ な た 方 の 将 軍 の 一人 ︹マッカーサー将軍 を指す︺
米 軍 が フ ィリピ ンを 奪還 す る だ ろう と いう 気 が し まし た か。 答
あ な た は、 米 軍 が フ ィリピ ンに行 か ねば なら な い義 務 を負 う て
わ れ の意 見 でし た 。
メリ カ軍 は どう し て もそ こ へ行 か ねば な る ま いと いう のが 、 われ
と フィリ ピ ンに帰 って来 る﹂ と確 言 し ま し た。 そ れです から、 ア
彼 は フ ィリピ ン人 に讃 辞 と激 励 の言葉 を与 え て、 ﹁自 分 は き っ
が 再 び フ ィリピ ンを 占領 す るだ ろう と 言 いまし た。
問
そ の辺 の所 は私 には は っき り分 り ま せ ん。 し か し、当 時 、 われ
いた と お考 え にな った わ け です か。
わ れ の補 給路 は殆 んど切 断 さ れ て いま し た から 、 ただ 、 た んにそ
答
れ 以 上 の作 戦 を進 める 目的 のた め に、 一つの大 き な島 を 占領 す る
答
ま せ ん。 一方 私 は、 あ な た方 は 台湾 はそ のま ま にし て沖 縄 に向う
鈴 木 首 相 は、 一年 程 前 に、 わ れ われ は沖 縄 にり っぱ な防 禦 施設
だ ろう と 考 え て い た。
を持 た ね ばな らな いと 演説 の中 で強 調 し た こと が あ った。 彼 は米
こと は、 いわば 、 非 常 に無 益 な 血 を流 す こ と にな った ので はあ り ま す ま い か。 ︹ 編者注︺ ルソン島か台湾か
私 自 身 も 台湾 は索 通 りさ れ る な と感 じ た。 そ ん な 大き な 島 は住
軍 が き っと や ってく る ことを 感 じ て い た のです ぴ
民ば か り 多く て利 用物 はご く 少 い から です 。 そ れ にく ら べ て、沖
この問題は同年九月に至 って、 ニミ ッツ提督が 四囲 の情勢から台湾進
で出かけて軍事会議 を開く という 一幕もあ った。
聞くために、 四四年七月末にはルーズベ ルト大統領が わざわざ ハワイま
督 であ ったが、 この日本本土進行路 をめぐ る論争 に対 する両者の言分を
でもなく マッカーサー将軍 であり、台湾攻略を主張したのはニミ ッツ提
ツとの間に深刻な意見 の対立を生 じた。 ルソン進攻論 の筆頭は、 いうま
ーサー ・ライ ンの総帥 マッカーサーと ニミッツ ・ライ ンの指揮官 ニミッ
米軍 の進攻目標 として、 ルソン島 と台湾 の何れかを選ぶ問題は マッカ
そ の問 題 は たび た び 論議 さ れ ま し た。
た か。
ア メリ カ軍 が 中 国海 岸 に向 う かも 知 れ な い と は考 え ま せ ん でし
なく 沖 縄 に 来 る だろ う と考 え た わ け です 。
縄 に は豊 富 な利 用 物 と 軍需 品 が 期待 でき る。 そ れ だ か ら台 湾 では
問
答
そ し て 、例 えば 、済 州 島 や朝 鮮等 が 一応 予想 さ れ た よう です 。 私 はも と も と海 軍 出 身 です か ら 、大 陸 より も、 作 戦 上 有利 な島 々
問
攻をやめてルソン進攻に同意し たので解決 を見 るに至り、 マッカーサー 軍 は十二月下旬に、 いよいよ ルソン島 に進撃 することにな った。 (フィ リピ ン奪回計画に ついては、本書付録第 一、 七九四頁を参照されたい) なおシャーウ ッド ﹃ルーズベ ルトとホプキンス﹄八〇九頁参照のこと。 日 本 の防 禦 の 一つの弱 点 は、 散在 し た島 々 の守 備 兵 力が 不充 分 だ った か らだ と 考 え られ ま せ ん か。 ま さ に、 そ の通 り です 。 私 は中 部 太 平洋 を 通 じ て、 弱 点 だ らけ だ と 思 った。 前線 基 地 の
そ う です 。 し か し、 日 本 軍 は ソ ロモ ン群 島 のブ ーゲ ンビ ル島 ま
そ の通 り です 。 み んな が 日 本 の輸 送 船 の喪 失 を 誤算 し て いたと
船 舶が あ まり にも たく さ ん必要 だ から と いう 理由 でし ょう か。
で進 撃 し て行 き ま し た。 そ れ は ま った く 途方 も な い暴 挙 で し た。 問
答
答
思 います 。 当 事 者 は船 腹 の大き な減 少 を 予見 し得 ま せん で し た。
の甘 い考 え に対 し て、 あ な た方 の潜 水艦 と飛行 機 とが ど し どし 日
喪 失 は新 し い建 造 量 で埋 め合 せが つく と 思 い こん で いま し た。 そ
あ な た は前 に、 日本 人 の誰 も が 、 米海 軍 の立直 り の早 いの に驚
本 の船 舶 に 損害 を 与 え ま した 。
いた と 言 われ ま し た。 そ ん な ら、 日本 は ア メリ カが 真 珠 湾 の大 損
問
害 か ら再 起 す る た め の所要 年 月 を ど のく ら いに見 積 って い た ので
兵 力 は弱 少 で し た。 そ こ に派 遣 され た将 兵 た ち は外 部 か ら の 一切 の援 助 を 頼 むす べも な く、 玉砕 す る ま でそ の最 善 を つく し て戦 う
すか。
っき り分 り ま せ ん。
日 本 の指 導 者 た ちが 、 ど のく ら いと推 定 し て い たか は私 に はは
よ り外 はな か った。 そ こは致 命 的 な弱 点 で あ り、 そ の貧弱 な防 備
答
は お話 にな り ま せん で し た。 も し われ わ れが 補 給 線 を 確保 でき て いたら 、 ど ん な地 点 か ら の救 援 の要 求 で も無 線 通 信 で 之 に応 じ得
私 個 人 と し て は、 真 珠湾 でや ら れ た艦 船 は、 ま ず 、最 大 限 に見
た でし ょう。 し か し 、 われ わ れ は兵 站 線 を維 持 す る ことが でき ま せ ん でし た から 、 前線 将 兵 を 見 殺 し にす る外 はな か った の です 。
積 っても 一年 以内 で復 旧 でき る と 思 いま し た。 わ れ われ は旅順 口
答
日本 が そ の外 郭 圏 防衛 のた め に、 二、 三年 の準備 期 間 を与 え ら
こと はで き る と思 った わけ です 。
そ れ はど うも 、 大 へんむず か し い質 問 です ね。 日本 の人 た ち の
ど んな 風 に この 二、 三年 を 使 った で し ょう か。
れ たと 仮定 し て、 日 本側 はど ん な利 用 計 画 を立 て た でし ょう か。
問
能 力 に物 言 わ せれ ば 、 一年 以 内 に元通 り に浮揚 さ せ たり 修 理す る
日本 艦 隊 の戦 列 に加 わり ま し た か ら ⋮⋮ 。 いわ ん や、 ア メリ カ の
で の古 い経 験 を持 って いま した 、 そ れ は、 そ こ で沈 んだ 艦 が後 日、
そ れ な ら、 ど のくら いま で ひ ろげ た外 郭 圏 を 設定 す べき で あ っ た と お考 え で し ょう か。 私が 軍令 部 に勤務 し て いた頃 は、 日本 軍 にで き る最 善 の こと は フ ィリ ピ ンで戦 う こと であ る と考 え ら れ て いま し た。 それ はそ れ と し て、 今度 の場 合 は、 最 初 の成功 が 戦 争 指導 者 た
線 を 確 保す る こと に なり ま す か。
フィ リピ ンを 最 初 に占 領 す る こと は、 南 方 お よび 西 方 への連 絡
いぜ い の と ころ、 フ ィリ ピ ンく ら いま で で した 。
ち の計 画 を拡 大す る こと にな ったに 相違 あ り ま せ ん。 はじ め は せ
答
問
答
問
考 え は、 戦 争 は長 期 にわ たる か も 知れ な い。 そう な った ら、 日本
も 知れ な いと いう と ころ だ った と 私 は思 いま す。
が じ っと 頑張 って いれば 、 ア メリ カ側 はしび れ を切 ら し て参 るか
(バ ラ ン氏 )南 方 占領 地 域 の経 済 資 源 を 組織 化 す る強 い 考 え が あ った でし ょう か。 わ れ わ れ は、 例 えば 油 のよ う な必 要 不 可欠 の資 源 は 確保 し よう
答
問
問
答
家 たちが 採 油 工事 のた め に派 遣 さ れ まし た 。 はじ め のう ち は、 万
答
と しま し た。 です か ら、 これ ら の地 域 を 占 領 す ると 、す ぐ に専 門
事 順 調 に運 んだ のです が 、 し か し、 海 上 輸送 が 妨 害 さ れ る よう に な って か ら は、 さ っぱ りう ま く行 き ま せん で し た。
さ あ、 ど う だ った か は知 りま せ ん。 し か し、 私 の常 識 から 言 え
発 の準備 は十 分 だ ったと お考 え です か。
ば 、 計画 者 たち は、 日本 が こ の地 域 から 油 を 手 に 入れ、 そし て戦
争 を つづ け て行 け ると 計 画 して いた と言 え ま す。 しか し なが ら、
彼 等 は ア メ リカ潜 水 艦 の能 力 を ま る で過 少 に評 価 して いまし た。
貴 国 の潜 水 艦 が あ んな にすば ら し い威 力 を 発揮 し よう と は夢 にも
ア メリ カ の潜 水艦 はす こし早 く 来す ぎ ま し た か。
考 え て見 な か った のです 。
た し か にそ う で し た。 ア メリ カ潜 水 艦 はま ったく 有効 で、 し か
日 本 で は ア メリ カ の人 た ち は潜 水艦 は大 嫌 いだ と 思 い こん で い
も あ ら ゆ る方 面 に活躍 し ま し た。
ま し た。 と いう の は、 昔 か ら、 米海 軍 は い つも潜 水 艦廃 止 を 主張
も し 、 日本 が も っと時 間 を か せ い で いた ら、 南 方 地 域 から も っ
し て いた から です 。 そ ん な風 で し た から 、 今度 、 あ な た方 があ ん
当時 (一九 一二年)、す でに次のような卓見を発表している。
今次戦争 において、米太平洋艦隊長官 であ った ニミッツ元帥 は、 大尉
しようとす る熱意 の点 では他 のどこの海軍にも劣 らなか った。
し かし、 アメリカは潜水艦を将来、有力 な海軍用攻撃兵器とし て活用
たと 一般に は信じられている。
量 (五二、七〇〇ト ン) に決定したが、 これは潜水艦廃止 の伏線 であ っ
一九三〇年 のロンド ン会議 では、 日英米 三国とも潜水艦保有量 は同 一
襲兵器 とし てそ の強化増勢 を抑えようという戦略からであ った。
なり アメリカ海軍 の目のかたきとして登場 した。 これは寡勢海軍国 の奇
の議題 のうち、潜水艦 は毒 ガスとならんで、新式武器 の取締 りの対象 に
︹ 編者注︺ 一九二一 年 ( 大正十)末 から開 かれたワシントン軍縮会議
な に縦 横 に潜 水艦 を 活 用 し よう と は思 いも よ らな か った のです 。
と大 き な利 益 を 引 き出 す ことが でき て いた かも 知 れ な いと いう 意
南 方 地 域 の軍 事 占領 計 画 を 抱 いて から 、 日 本 の資 源 地帯 経 済 開
した 。
れず に続 く な らば 、 長期 戦 に持 ち こむ ことが でき る と 思 って いま
大 多 数 の人 々は、 も し、 南方 地域 から の補 給 輸 送 が 妨害 切 断 さ
重 大関 心事 だ った の です 。
かどうかは大問題︱ す なわち、戦争 の決定的 な運命を左右する
そ こで、 ア メリカ側 が 、 す ぐ に、 また は ゆ っく り 反 撃 を始 める
引 き 続 いて こ の地 域 か ら油 を獲 得 せね ば な ら な か った のです 。
日本 の油 の ス ト ック は、 ご く 限ら れ た量 で し たし 、 われ わ れ は
日本 はそ の資 源 に依 存 しき って いた の です 。
わ れ わ れ はそ こか ら必 要 な原 材 料 を 入 手 でき ると 思 いま し た 。
味 です か。
問
答
問
問
﹁ 近 い将来 にお いて、 潜水艦 の大きさ、 原動力および 速力が次第に改 善されるとともに、絶 えず魚雷が進歩 するならば、潜 水艦 は非常 に危険 な攻撃兵 器、 すなわち艦隊決戦 に重要な役割を占める兵 器 とな るだ ろ う。 ﹂ 次の戦争 にあ たって、 潜水艦が必要 であり重要であろうという確信 の 下 に、米海軍 はこの艦 種 の建造 や実験に異常 な努力を払 った。 この結果、
答
か ら、 そ れが 太 平 洋戦 争 の遂 行 にも 大 き な影 響 を 及ぼ し た と考 え ら れま す か。
私 は わ かり ま せ ん。 し かし 、 日本 政 府 は常 に大陸 の戦 争を 終 ら
せよ う と希 望 を し て いま し た。 私 が ワ シン ト ン滞 在 中 も われ わ れ
は大統 領 に仲 介 を お願 いし たわ け で し た。 そ れ は、 も し、 日 本 の
いう了 解 に達す るな らば 、 日 米 間 の協 定 は成立 す る 可能 性が あ る
主 張が 米 国 の基 本 政 策 と 一致 し 、 わ れ われ が中 国 か ら 手 を引 く と
米国 の潜水艦 の攻撃 目標 は、日本と同様 に敵 の艦隊であ って、開戦 後
でし ょう ね。
勿 論、 そ のよう な 国 民 感情 を 起 こさ せ た のは陸 軍 の責 任 だ った
ょう 。
っと 早く 止 めて いたら 、 今 度 の戦 争 は起 こる 理由 が な か った で し
の最 大 の原因 だ った の です 。 も し、 日 本が 大 陸作 戦 を も っと 、ず
ば な ら な い と思 い つめ て いま し た。 こ の期 待 が そ もそ も この戦 争
と信 じ 、 ま た 一方 わ れ われ は 中 国 から 何 か大 き な獲 物 を 得な け れ
し かし 、 そ の当 時、 わが 国 民 は中 国 で日本 軍 が 勝 ち放 し であ る
と 思わ れ た か ら でし た 。
日米開戦 までに米国 の潜水艦 は計 一一一隻 に達 し ( 太平洋方面には七 三
問
そ う です 。 し かし 陸 軍 は 日中 戦 争 を早 く 切り あ げ る こと を望 ん
で いま した 。 と は いえ 、 同時 にそ こから 何 物 かを 得 た いと も考 え て いま し たが ね。
陸 軍 は中 国 から 完 全 に兵 力 を引 き上 げ て しま う こと を 喜ば な か
完 全 な撤 兵 は無 論喜 ん で いま せ んで し た。 そ し て、 中 国 の要 地
った の です ね。
を 払 ったが 、 し か し、 一方 ま た多 く のも のを 獲 た のだ ﹂ と言 え る
要 所 に駐屯 軍 を 置 いて、 国 民 に は ﹁わ れ われ は非 常 に多 く の犠姓
答
問
答
隻) 、建造中 のも のが七 三隻であ った。 も依然とし てこの基本戦術 は守られていたが、そ の後 の情勢 の変化 に伴 って、日本 の交 通線破壊 に重点を置き換 えられて行 った。 第三次 ワシント ン会談 (一九四三 ・五 ・一一)において、潜水艦によ る遠距離作戦 の強化が決定されてからは、そ の猛威は日本 の生命線をず たずたに引 き裂 いた。日本商船 の六〇 ・三%が米潜 の餌食 とな った ので アメリカ潜水 艦は ミッドウ ェー海戦後 のあらゆる海戦 にもその威力を発
ある。また、機雷敷設、人命救助、奇襲上陸 (マキ ン) に活躍したほか、 揮 し、結局、 日本艦艇 の三〇%を海底に葬り去 った。 日 本 はそ の可 能 な時 機 に、 必要 な 経済 的 利 益 を得 たか どう か に つ いて、 判 断 を 下 し て み てく れ ま せん か。
(オ フ ステ ィ少 将 ) あ な た は、 日 中戦 争 は非 常 な努 力 を 要 し た
ったと 信 じ ます 。
せ ん でし た し、 ま た 当事 者 は最 初 のう ち は、 あ ま り にも楽 観 的だ
し かし 、初 期 の段 階 で は、 入 手 し得 た も のは僅 少 な 量 にす ぎ ま
し て い た こと は深 刻 に考慮 され て い た にちが いあ り ま せ ん。
れ われ が 非 常 に多 量 の油 や ゴ ムや鉄 鉱 石 や そ の他 のも のを必 要 と
答 .そ の問 題 に つい て、 私 もく わ し い情 報 は得 て おり ま せ んが 、 わ
問
問
答
よう にし た いと 望 ん で いま し た。 今 、考 え て見 れば 、 中 国 で起 こし た事 態 はと ん でも な い重大 な 錯 誤 だ った わけ です。 あ な た は陸 軍 は中 国 であ まり 手 を ひ ろげ す ぎ た。 つま り、 陸 軍
答
そ れ は 不可 能 で はな か った かも 知 れ ま せんが 、 と ても 困 難 な こ
地 理的 条 件 のた め に、 重慶 政 権 に対 し てわが 全 兵力 を ふり む け
と だ った で し ょう 。
る 余 地 はあ り ま せ ん でし た。 です か ら、 將 介 石 は、あ る程 度 、 ま
これ は ち ょう ど、 独 ソ戦 で、 ソ連が ウ ラ ル の東 方 ま で退 却 し て、
さ に難 攻 不落 の位 置 に安 住 し て いた と いう こと にな り ます 。
の場 合 と似 て いま す。 ソ連側 は長 期 にわ た って抗 戦 でき た でし ょ
そ こで軍 隊 を 改 編 し たり 鉄鋼 や そ の他 の生 産資 材 を 入手 でき た あ
陸 軍 は中 国 で の仕 事 は実際 より ず っと たや す い も のだ と 思 って
は能 力 以上 の計 画 に従 って行 動 した と思 われ ま す か。
いた よ う です ね。 そ し て 大 し た労 力 を支 払 わ ず に や って のけ ると
同 様 の ことが 、 日本 側 と 蒋 介 石 の場 合 にも あ て はま り ます 。 わ
方 まで 繰 り出 す こと は 不 可能 で し た。
う し 、 一方 、 こん な状 況 の下 で、 ド イ ツが そ の全力 を ウ ラ ル の彼
た か を くく って いたら し い。 し かし 、私 は陸 軍が あ んな に深く 奥
な ぜ 、陸 軍 は計画 線 よ り 遠方 に進 出 し た のでし ょう か。
地 に入 り こむ 計 画 を最 初 から持 って いた と は信 じ ま せ ん。 問
多 分 、そ のと き の情 勢 と いう も のが彼 等 を 遠方 ま で行 かせ る こ
れ われ が 蒋介 石 と和解 す る機 会 は何 度 も あ った のです が 、自 分 た
答
ち の面 子 を立 て るた め か、 そ れ に近 い理由 のた め に和 解 の試 みを
問
それ は当然 そう だ と思 いま す 。陸 軍 はそ の国 内勢 力 に物言 わ せ
て、 国 民 にい ろ いろ な こ とを 約 束 しま し た。 も しも 、 陸 軍が 中 国
か ら撤 兵 し た ら、 彼 等 は そ の威 厳 を失 った で し ょう 。 そ の陸軍 の
と し ま せ ん でし た か。 例 えば 現 地 守 備隊 に補 給 をす る た め潜 水 艦
た にも 拘 ら ず 、 戦時 中 、 海軍 作 戦 をあ る程 度 コント ロー ルし よ う
陸 軍 は中 国 にそれ 程 関 心を よ せ、 そ れ 程 い ろ んな こと を し て い
です 。
威 信 の た め に彼等 は否 応 な し に戦争 を つづ けざ るを得 な か った の
答
う 意 味 です か。
中 国 の状態 が あ あ いう こと にな った のは陸 軍 の責 任 だ った と い
止 め てし ま った ので す。
と にな った の でし ょう 。 私 は彼 等 が 戦争 を 六ヵ月 以 内 に片 付 け る
問
こと が 可能 だ と考 え て い ると 聞 いた こと が あ りま す 。 あ な た は、 陸 軍が 日中 戦 を 終 ら せ るた め に、 で き るだ け の こと を や った と思 いま す か。 或 は最 低限 度 の努力 し かし な か った と考
問
えま す か。 陸 軍 はも って いる 限 り のも のを 日中 戦 にあ ら いざ ら い
陸 軍 と し て は、 日 中戦 は制 限戦 争 なん だ から 彪 大 な 兵力 や 物 資
ょう か。 そ れ とも 制 限戦 争 の つも りだ った のです か。
注 ぎ こんだ の でし ょう か。 そ れ は全 面 戦 争だ った ので はな いで し
答
昭 和 十 四年 と昭 和十 五 年 初 期 に は、 大 陸 戦 の作 戦 行動 は非 常 に
を 消 耗 す る 必要 はな いと 信 じ て いた と、 私 は考 え ま す。 問
困難 なも のだ と分 った に ちが いあ り ま せん 。 も しも 、 日本 の軍 隊 を 他 の戦 場 で 必要 と し な か った のな ら、 日 中戦 に勝 利 を 収 める た め に なぜ 全 兵 力 を投 入 し な か った のです か。
答
将 校が 海 軍 軍 令部 長 に任命 され た よ う な。 ︹ 樺山資紀中将を指す︺
いて は それ に近 い実 例 があ り ます 。 例 えば 日 清戦 争 のとき 、 陸軍
あ な たは それ を 改革 す る 余 地が あ ると考 え た ことが あ り ま せん
関係 のあ り方 が 戦 争 の経過 に影 響 を与 え ま せ んで し た か。
多少 左 右 さ れ た こと はお考 え にな り ま せん か。 陸 、海 、 空 軍 間 の
( バ ラ ン氏 )戦 争 の経 過 が 最 高 戦争 指 導 機構 のあ り方 に よ って
は 陸軍 に はあ り ま せ んで し た。
で し た。 た と えそ ん な こと を い っても そ れ を実 行 さ せ る程 の権 限
し か し、 今 度 の戦 争 で は、 そ ん な バ カげ た こと は 起 こり ま せ ん
を使 用 す る こ とを 主 張 し ま せん で し た か。海 軍 の仕 事 に ま で 口を
問
入 れ ま せ んで し た か。 時 に は海 軍作 戦 のや り方 に不 満も あ った で し ょうが 、 作 戦 にま で立 ち入 る よう な こと はな か った と信 じ ます。 私 は、 ま た、 陸 軍 が そ の専 用 の潜 水 輸 送艇 や飛 行 機輸 送 艦 を 建
ま に動 か そ うと や って見 ると ころ まで 行 って いま せ ん で した 。 し
造 した と いう こと を 聞 いた こと もあ り ま す。 陸 軍 は海 軍 を意 のま
ンを占 領 し たと き 、 陸 軍 はそ の御 用船 を 修 理 した り、 新 造 し た り
か し、 彼 等 は陸 軍 用 と し て船 舶 を徴 傭 し よう と し ま し た。 ホ ン コ
す るた め、 ド ック の半 分 を押 え よ うと しま し た。
陸 、 海 軍 と は別 に空軍 を 独 立 さ せ る こと に つい て はか な り活 溌
か。
な議 論 が あ り まし た。 ま たど ん な割 合 で、 軍 需品 を陸 海 軍 に分 け
答
訓 練 し た りす る た め の要 員 や 教官 を派 遣 し てや り ま し た。 し か し、
る かと いう 方 法 に つい ても 相 当 の論 議 があ り ま し た。 それ は つね
そ こで 、海 軍 と し て は、 陸 軍船 の建 造 を手 伝 った り乗 組 士 官 を
それ 以 上 すす ん で陸 軍が 艦 隊 作 戦 にま で容 喙 、 干 渉す るよ う な こ
に大 問 題 で し た。
そ こで軍 需 省 と いう も のが でき たわ け です 。 し か し日本 の全 国
せ んで し た。 陸 軍が し ゃに む に分 前 を 多く と ろう と す れば 、 海軍
力 を 一つの 目的 に む か って最 善 に利 用 す る こと は順 調 に は運 び ま
場等 の船舶建造に経験 のない工場 を利用し、排水量約二七〇 トンの潜水
い議 論 が つづ き ま し た。
も ま けず 劣 らず 文句 を 言 って多 く を 欲 しが り 、 そ こ では て し のな
そ れ な ら、 あ な た自 身 は ど んな ご 意 見 を お持 ち で した か。
或 る 一つの決 定が され た後 、枢 密 院 で は誰 にそ の こと を報 告 し
われ て いる こ と は知 って いま す。
ま せん 。 し か し現在 でも 、 そ の問 題 に関連 した論 議 が 盛 ん に行 な
そ の問題 に つい て は、 私 は 何等 の決 定的 な 意見 を 持 ち合 せ て い
問
問
艇 を数十隻完成し た努力 は大いに見るべきも のが ある。建造着手後に海 三隻が 比島 まで軍需品を輸送したが、他 の約四〇 隻は内地 で訓練中であ った。(福井静夫外 ﹃ 造艦技術 の全貌﹄ 一八五頁) 陸 軍 は海 軍 に対 し、 出 動 し て ア メリ カ艦 隊 を 撃滅 す るよ う圧 迫 を加 え た ので はあ り ま せ ん か。 私 は そ う いう 圧 迫が 加 え ら れ たと は 聞 いて いま せ ん。 過去 に お
答
軍 は若 干 の技術指導 を行な ったが、殆 んど陸軍 の独力によ った。うち約
輸 送艇を試作 のう え、同型艇を多数建造した。民間 の機 械工場、車輌工
︹ 編者注︺ 昭和十 八年夏以来、陸軍 は独自に マルユゆ艇 と称する潜水
と は しま せん で し た。
間
答
天 皇 にです 。
た の です か 。 答 で は、 そ の場 合、 枢 密 院議 長 は直 接 陛下 に申 しあ げ る のが な ら
そ れ は お答 え す る の に難 し いご質 問 です ね。 戦争 のは じ め頃 、
が った目 的 をも って 行動 し たで し ょう か。 答
陛 下 が 最終 の枢 密 院本 会 議 に臨席 さ れ る のが 常 で し た。 私 の顧
東 条 に追 従 しす ぎ る と 言 って不 平 た らた ら で した 。そ し て こ の感
れ た の です 。 これ では海 軍 独自 の立場 はな くな る、嶋 田 はあ まり
と ころ で 、海 軍 は こ の唯 々諾 々に は、 ま ったくが っか り さ せら
力 し ま した 。
当 時 海 軍 大 臣 であ った嶋 田大 将 は、 き わ め て緊 密 に東 条 首 相と 協
問官 時 代 にはあ まり 論議 はな く て、 い つも意 見 は 一致 し ま した。
情 が積 り つも って、 嶋 田 に勇 退 を 迫 った のです 。 海軍 は常 にそ の
独 自 の個性 を 維持 し よう と望 ん で いた よう に思 います 。
真 珠湾 以 来 、 三年 間 の長 き に わた って、 嶋 田 は東条 の言 いな り
放 題 に な って いま した 。 海 軍 は特 に航 空機 生 産高 の処 理 に つ いて
め に、 も っと飛 行機 を た く さ ん確 保 す べき だ と強 く 感 じ て いた の
非 常 な 不満 を抱 いて いま し た。 海 軍 の参 謀 連 中 は嶋 田が 海 軍 のた
です 。 そ の三年 間 の大 臣 在 任 中、 彼 が 全海 軍 の期待 に添 い、 満 足
民 には こ の敗 戦 の真 相 は何 にも 分 って いま せ ん でし た。 み ん な戦
私が 帰 国 し た の は、 ち ょう ど ミ ッド ウ ェー海 戦後 でし たが 、 国
って い ま した か。
それ な ら 、あ な たが 帰 国 さ れ た とき 、 そ の頃 は物 事 は順調 に行
た。 彼 は 天皇 の信 任が 厚 か った の で、 国内 の こと に大 き な 影 響を
問
を与 え たと は思 いま せ ん。
(スピ ン ク ス少 佐 ) 内 閣 が 退陣 し た後 、 後 継 首 相 を えら ぶ とき に 重臣 の力 はど んな も ので し た か。 重臣 たち は 、殆 んど 無力 に近 い存 在 で し た。 ほん の最 近 にな っ
争 はう まく 行 って ると 思 って いた ので、 何 の不平 も抱 い てお り ま
て 、 こ のグ ル ープ は次 の首 相 の人 選 にあ ず か りま し た 。 し かし 、 彼 等 は 二、 三 年 の経 験 し かも って いな か った の で、 重 要 な会 合 に
と ても ほ ん の 一部 に過 ぎ な か ったわ け です が、 これ に対 し てひ ど
し か し、 後 にな って損 害が 小 出 し に発 表 さ れ はじ め ると 、 これ
せ んで し た。
閣下 、 戦 局 全般 を 眺 め て見 て、 今 度 の戦 争 中 の陸 海 軍 の協 同 に
く 不満 を 訴え ま し た。 こ の頃 、 す で に海 軍 だ け は形 勢 われ に不 利
言 力 が あ り ま した 。
は 招 かれ な か った の です。 内 大 臣 は、 誰 よ り も組 閣 には 大 い に発
答
与 え ま した 。
木 戸 侯爵 は枢 密院 に関 す る かぎ り 、 隠然 た る力 を も って いまし
た で し ょう か 。
彼 (平沼 ) は多 かれ 少 な かれ 、 木 戸侯 爵 よ りも 勢 力 を も って い
い の感 化力 を 持 って い たか 分 り ま せん 。
彼 は 一度 は首 相 にな った こと が あ り ますが 、 はた し て ど のく ら
え です か。
あ な たは 平 沼男 爵 が 天皇 に大 し た影 響 力 のあ る 人 だ ったと お考
わ し で した か 。
問
答
問
答
問
答
問
答
問
関 す るあ な た の御 意 見 は ど んな も ので し ょう か。 陸 海 軍 は く いち
問
そ れが 誰 だ った か知 り ま せ ん。 し か し、 天 皇 だけ し か首 相 の辞
東条 に引 退 を すす め た のは内 大 臣 だ った のです か。
人 三 役 でし た から ね 。
嶋 田大 将 は い つ海 軍 大 臣 を や めた のです か。
だ と いう 認 識 を持 って いた と思 います 。 問 答
え たり す る こと は で き ます 。
陛 下 は た い へん物 柔 らか な お方 です か ら、 不満 だ から と い って
露 骨 に大臣 を 替 え た り はさ れ ま せ ん。 で も、 た った 一度だ け 、 田
中 義 一首相 が 引 退 さ せ られ た 前 例 のあ った こと を 私 は覚 え て いま
で は、も しも 、陛 下 の御 信任 が な く な ったと 首相 が 感 じ たら、
す 。 し か し、 そ ん な ケー ス は稀有 の こと です 。
首 相 は自発 的 に身 を 引 くわ け です ね。
問
田中 首相 の場 合 は た しか にそう でし た。 そ れ は満 洲 の張 作 霖爆
死事 件 のた め でし た 。陛 下 が 当時 、 ご 自分 の気 持 ち を表 明 され た
いず れ に せ よ、陛 下が 御 不 興だ と 感 じ たと き は首 相 は多 分 骸 骨
かど う か は分 りま せ ん 。
を乞 う て引 退 した で し ょう 。
は っき り と は知 り ま せん 。 し か し、 東条 はそ の地 位 に留 任 す る
東 条 の場合 も これ と 似 たも のだ ったで し ょう か 。
内 閣 が最 初 に こ の戦 争を 継 続す べき か 、 止 める べき か の問題 を
問題に ついては前出 ﹃大本営﹄ の ﹁ 資料解 説﹂を参照されたい。
︹ 編者注︺ 東条 の陸相 と参謀総長兼務 、嶋 田の海相と軍令部総長兼務
め る べき であ った と 言 った のを 聞き ま した 。
こと が 不 可能 だ った のです 。 私 はあ る重 臣が 東 条 は も っと早 く や
問
問
答
答
いま せ ん。 も ち ろ ん、 内 大 臣 は陛 下 に進 言を し たり 、 御下 問 に答
職 を 求 め る こと が でき な い のです か ら 、 私 はそ んな 風 に は考 え て
昭 和十 九 年 七 月 の中 旬 頃 です 。 ︹ 七月十七日、 嶋 田大将 は海相を辞 職し、軍令部総長専任 とな った︺
答
後 任 と し て野村 直 邦 大 将が 就 任 し ま し たが 、 この人 は 三 日後 に 東 条 内閣 が 倒 れ た ので 、 三 日間 だ け の大 臣 だ った ので す 。︹ 東条内
あ な た の御 意 見 で は、 ど う し て海 相 の更 迭 が 内 閣崩 壊 の直 前 に
閣 は七月十八日総辞職 し、 二十 二日 に小磯 ・米内協力内閣が成立した︺ 問 行 な わ れ た と お考 え です か。 こ の頃 にな って も、 東 条 は依 然 と し て現 職 に留 任 した いと望 ん
こ の問 題 は海 軍が 背 後 で糸 を引 いた のです か。
答
で いて、 自 分 が引 退 さ せら れ る と は夢 想 も しま せ ん で した。 そ こ で、 新 し い海 軍 大 臣が 任 命 され ま したが 、 東 条 が引 退 し た 以上 こ
問
海 軍 と し て は別 に 口を 出 し た わけ で は あ りま せ ん。 し か し なが
の更 迭 は 意味 が な く な ったわ け です 。
答
ら、 そ の根 本 的 な 関 心 は海 軍 と いう も のを維 持 し よう と す る こと にあ り ま し た。 海 軍 部 内 で は海 軍 大臣 の職 と軍 令 部 総 長 の椅 子 を 一人 で 兼務 す る こと は も って の外だ と いう のが 殆 ん ど 全員 一致 の気 持 ち で し た。 そ の強 固 な感 情 が 結果 に お いて嶋 田が 引 退 を余 儀 なく さ れ た 原動 力 で し た。 海 軍 と し て は、 陸軍 も 一人 二役 は いけ な いと は別 に言 いま せ ん
のだ と 、 私 は思 って い ます 。彼 は首 相 兼 陸軍 大 臣 兼 参謀 総 長 の 一
で した が 、 こ の大 勢 の赴 く と ころが 東 条 の引 退 と な って現 わ れ た
答
私 の知 って いる限 り で は、 鈴 木内 閣 の末 期 にそ の問 題が 表 面 化
考 慮 し 始 めた のは い つの こと で した か。
しま し た。 私 は鈴 木 大 将 を非 常 によく 識 って います し 、彼 の部 下 とし て 勤務 し た こ とも あ り ま す。
私 が 地方 に住 ん で いた と き、 そ こ の農 夫 た ち は、 いよ いよ と い
う 場 合 に立 ち到 ったら 、 最後 の覚 悟 を決 めな け れば な ら な いと信
鈴 木首 相 は、 陸海 軍 のた め に国 民 を犠 牲 に し て はな ら な い、 国
じ て いた こと を知 って いま す。
民 を 救 わね ば な らな いと 考 え て いま し た。 こ の強 い考 えを も って
私 は今 でも 、鈴 木 さ んが 総 理大 臣 と し て、戦 争 を や め 日本国 民
い たた め、 戦 争 の終 り 頃 、 鈴木 さ ん の家 は焼 かれ てし ま いま し た。
た し か に彼 は戦 局 の実態 を 把 握 し て おり 、 ま た首 相 に な った と
いた と思 いま す。 彼 はさ ら に天 皇 の御 気 持 も よく 分 って いて、 そ
い ます 。 私 は首 相 は、 陸 海 軍 の顔 が つぶ れて も 、国 民 を救 う こと
を 破 滅 か ら まも る手 段 を 選 ん だ こと を 正 し い ことだ った と信 じ て
き 、多 分 陸 軍側 から も 海軍 側 から も軍 の本 当 の状 態 を 知 ら され て
の上 自分 自 身 の信念 も あ り 、 ソ連 が 仲介 の労 を と ってく れ る こと
の方 に没 頭 して 、戦 争 そ のも のより 神経 を使 った と思 います 。彼
を念 願 し て、 ソ連 と外 交 交 渉 し よう と試 み た ので し た。
は 国民 を 滅 亡 の淵 か ら救 わ ね ば な ら ぬと考 え た のです 。彼 は今 日
そ の考 え 方 が 、 は たし て賢 明 であ った かど う か は分 り ま せ んが 、
でも 、 自分 は正 し か った と信 じ て いま す 。
私 の知 って い る範囲 で は、 最 高 戦争 指 導会 議 の メ ンバ ーの間 で
鈴 木 首 相 はそ の政策 に ついて多 く の人 々から 支持 さ れ ま した か。
と にか く、 三国 同 盟 は まだ 効 力を も って い ま した し 、ま た 、 ど の
問
みち ソ連 から は返事 が あ り ま せ ん でし た。 ︹ 鈴木 内閣 は昭 和 二十 年 五月十五日閣議 で三国同盟 の効力が失 った ことを決定 し、必要なあらゆる
答
﹁こ のこと で は、 私 の心 は決 ま って い る。 諸 君 の考 え はよ く分
かわ らず 、 陛 下 は仰 せら れ ま し た。
あ る大 臣 た ちが 、 雄 弁 を ふ る って、 戦 争 継続 を 強調 し たにも か
て いた も のと 信 じ ます 。
天皇 は戦 争 を止 めた い と いう 御 決意 を 鈴木 さ ん に お伝 え にな っ
や め る責 任 を と る わけ にはゆ か な い のです。
相 は引 退 し なけ れ ば な ら ぬ こと にな る のです 。 首 相 一人 で戦 争 を
致 しな け れば なり ま せ ん。 も し 全 員 一致 が得 ら れ なけ れ ば鈴 木 首
首相 と し て、 戦 争 を や め る べき だ と思 っても 、 会議 で は全 員 一
は か なり 意 見 の対 立が あ り ま した 。
処置 をとった。 ︺ 日本 の大使 は モ ロト フ のと ころ に行 って、 ソ連 に戦争 終 結 の仲 介 を頼 ん だ のでし た 。 こ の事 実 から 言 って も、 鈴 木が 戦 争 を 終 ら せ ねば な ら な いと 強 く感 じ て いた に相 違あ り ま せ ん。 一方 で は、 戦 争 継 続 を希 望 す る要 人 た ち もす く な か らず あ り ま し た。 陸 軍 や海 軍 が ど ん な こと を 考 え て いた か と いう こと は、 私 に は
いた ら、 日本 は完 全 に崩 壊 し去 った でし ょう 。 しか も驚 く べき こ
わ か りま せ ん。 しか し 、 いず れ に せ よ、 も し あ のま ま 戦争 が つづ
こと です 。 こ の人 た ち は 国民 に死 ぬ ま で戦 え と説 い て いま した 。
と は、 陸 海 軍 の 一部 には こ の破 滅 さえ 躊 躇 し な か った人が あ った
る。 し かし 、 こ の場 合、 われ わ れ のと る べき こ とを 、 私 は心 得 て
これ を 聞 い て、 あ る 人 たち は 目 に涙 を 浮 べ て御 前 を 退 いた と 聞
いる 。﹂
陸 軍 大 臣 にと って は、 そ の直 面 し た立 場 は非 常 に困難 だ った で
いて い ます 。
し ょう ね ⋮ ⋮ ⋮。 内 閣 の 一員 と し て、 陸 相 は 真実 の情 勢 を熟 知 し て いま した 。 一 方 、 陸 軍 の長官 と し て は、 そ の部内 に継 戦 の強 い空 気 のあ る こと
問
答
も よく 分 って いま し た。 そ こで陸 相 は両 者 の立 場 の板ば さみ にな
った のち自 決 し ま し た。 詔 書 に は全 大 臣 の副 署 が 必要 だ った ので
り、 全 大 臣が 終 戦 の責 任 を と った のだ と いう 終 戦 詔書 に署 名 を終
阿 南 陸相 はま こと に困 難 で つら い立 場 に置 かれ て い まし た。 内
す。
こと に立 派 に行 動 し た と言 わ れ て いま す 。
閣 の 一員 でも あ れば 全 陸 軍 の長 官 でも あ った ので す か ら。彼 は ま
海 軍 大 臣 の方 は それ ほど 困難 な立 場 には いな か った の でし ょう
米 内 大将 も 実 に見上 げ た人 で し た。 彼 も 国民 を 犠牲 に して は な
か。
答
問
答
問
答
ソ連 が 参 戦 し、 原 子 爆 弾 のこと も いわれ ま し たけ れ ども 、 そ れ
ますか。
で な く とも 、 国 民 に真 の事態 を了 解 さ せさ え すれ ば 、 われ わ れが
当 然 す で に消 耗 し つく し て い た こと を国 民 は分 ってくれ たと 思 い ます。
昭 和 十 九 年 十 二月 には 早く も 有 識者 たち の間 で、 な に か論 議が
あ って、 そ のとき 終 戦 に関 す る問 題 もと り あげ ら れ た とき き ま し
たが 、 そ の こと を御 存 知 あ り ま せん か。
は っき り 知 り ま せん 。 し か し、常 に平 和 を結 ぶ 機 会を さが し て
いた人 々 は いま し た。 こ と に外 交官 の中 に。 と ころが これ を頑 冥
鈴 木 大 将が 首 相 に就 任 し たと き、 彼 は戦争 継 続方 針 を 考 え直 し
な軍 人 連 中 は敗 戦 主 義 者 とき め つけ て非 国 民扱 いを しま し た。
て見 る人 物 だ と思 わ れ て い た ので す か。
彼 は国 民 の戦 意 を 昂 揚 し よう と し て いま し た。 そ れ で終戦 努 力
の た め には、 戦 争 の真 相を かく す こと が 必要 だ と考 え たに 相違 あ
り ま せ ん。 そう す れば 、国 民 の戦 意 は失 わ れな いで し ょう か ら。
私 は鈴 木 首 相が そ の問 題を 深 く考 慮 し、 ま た常 に脳裏 にお い て い
た こと を 耳 に し た ことが あ り ま す。 そ の目的 のた め に ソ連 にさ え
問
答
東 郷 は ソ連 と の折 衝 に鈴 木 首相 と協 力 し ま した か。
は い、 知 って いま し た。
東 郷 外 相 は真 実 の ことを 知 って い た のです か。
接近 し たわ け です 。
と い っても 、若 い士 官 た ち、 例 え ば と く に厚 木 海軍 特 攻 戦 隊 な
問
ど のよ う に、 戦 争 継続 を 欲 し たも のも あ り ま した 。 し かし、 米 内
開 戦 前 に も、 東 郷 は外 務 大 臣 で した 。私 が ア メリ カか ら帰 って
間も な く 、彼 は自 分 が 外相 在 任中 あ らゆ る ことが 戦 争 の方 向 に進
答
終 戦 の決 定 に あ た って 、 原子 爆 弾 は ど んな 影 響 を与 え た と 思 い
大 臣 は 大 局 を見 抜 いて、 鈴 木 さ ん に協 力 し ま し た。
木 首 相 を支 持 し た こ とを 、 私 は よく 理 解 し て いま す。
ら な い と考 え て い ま し た。彼 が 戦 争 を打 切 る こと で、 全 面 的 に鈴
問
答
問
もな いと痛 感 し た こと を し み じみ と 私 に洩 ら した こ とが あ り まし
めら れ て い ると 感 じ た こと、 ま た自 分 は行 動 の自 由 を持 て そう に
し ま せ んで し た。 彼等 は戦 争 が ど んな 風 にな って い る か、 ほ んと
す こと を や めず 、 戦 局 の成 行 きが ど う な っても 講 和 の こと を 口 に
相 違 あ り ま せ ん。 し か し、 そ れ にも か か わら ず 、 国民 は忠誠 を 尽
う の所 を 感づ い て いた かも 知 れ ま せんが 政 府 に大 へん忠 実 で した 。
た。
日本 人 は 政府 の命 令 に従 いま す。 で す から 、 そ の中 に少 し は平
当 時、 彼 は 一方 で 三国 同盟 に縛 ら れ なが ら 、他 方 で は蒋介 石 と の和 平 工作 を 企 図 し て いた に ちが いあ り ま せ ん。 し かも 、あ らゆ
ん で し た。 私 は国 民 の殆 んど 大 部分 は戦 争 の実 相 を知 ら な か った
和 熱 望 者 が い ても 、そ の人 た ち は自 分 の意 見 を 公 然と 発 表 しま せ
そ れ とも 都 市 の焼 失 や被 災 者 の苦 痛を 重 視 した か ら です か。
空 襲 を 恐 れた のは軍 需 資 材 の生産 低 下 を懸 念 し た から です か、
れ ても 戦 わ ねば な ら な いと力 み かえ って いま し た。
いと考 え てい たと 言 え ま し ょう 。 し かし 、陸 軍 の方 で は、上 陸 さ
海 軍 側 は、 ア メリ カ軍 に本 土 上陸 を さ れた ら 、 勝目 はむ ろ んな
よ う な気 が し ます 。
る こと がう まく 行 かず 、 行 動 は思 う に任 せな か った わけ で す。 外
小 磯 の後 継 首 相 と し て、鈴 木 大 将 を 選 ぶ よう に 天皇 に奏 請 した 主だ った 人 は誰 々だ った でし ょう か。 そ れ は、 も ちろ ん、 重 臣 た ちだ った と信 じ ます 。 昔 は、 元 老が いて天 皇 に進 言 し た も ので す。 そ の意 味 で は 重臣 は元老 で はあ り 問
務 大 臣 と し て彼 は 宣戦 布 告 に副署 は した ので すが 。 問
答
ま せん。 いわ ゆ る 重 臣 は総 理 大臣 の前 歴者 で した 。 と い って も彼
飛行 機 生 産 は当 然 、 大被 害 を 受 け まし た。 しか し、 一般 の人 は
あ ま り よく 知 り ま せん で し た。 彼 等 は空 襲 に よる 自分 たち の身 近
か な苦 痛 で他 を 省 み る余 裕 な ど な か った 。そ んな時 に でも、 私 が
答
五、 六名 で し ょう。 前 首 相 た ち や内 大 臣 な ど。
前 に述 べた よう に、 国 民 は歯 を 食 いし ば って平 和 の こと な ど は殆
進 ん でと い ったら いい か、 不 承 不承 にと言 え ば い い か、私 に は
んど 口に出 さ な か った。
る 用意 が あ り ま し た。
私が 疎 開 し て いた 田舎 で は、 二月 (昭 和 二十 年 ) にな って事 態
分 りま せんが 、 国 民 は政 府 が も し そう 要求 す れば 自 分 を 犠牲 にす
民 心 は最 後 ま で 抗戦 を つづ け る こと に決 ま って いま し た。 し か
よ こう な って は斬 り 死す る より 外 に道 はな い) と 昂然 と 言 い まし
が 非 常 に悪 化 し かけ た頃 、 小 さ な郵 便 局 の局 長 さ んが 、 (いよ い
局 の敗 退 に よ って て です か 。或 はま た絶 え間 のな い空襲 の激化 に
し、 思 慮深 い人 の中 に は、 空襲 が 頻 繁 にな り、 日本 軍が ち っとも
よ って です か 。
う か。 陸軍 の態 度 に左 右 さ れ た で し ょう か。 そ れ と も度 重 な る戦
ったと お考 え です か 。海 軍 の動向 に よ って 影響 さ れ た も の でし ょ
終 戦 派 の人 たち の心 を動 か し た根 本 的 な要 因 は、 い った い何だ
思 います か。
ど んな人 た ちが 、鈴 木 大 将 を指 名 す る よう に天 皇 に進 言 し たと
等 が 非 常 に有 力 な存 在 であ った と は思 わ れ ま せ んが 。 問
答 問
答
反撃 し な い で いる のを 見 て非 常 に幻 滅 を味 わ い、 が っかり し た に
問
答
問
答
問
答
た 。 こん な切 羽 つま った 感情 が 一般 で し た。 そ ん な感 情 はや ぶれ
と は いえ、 首 相 と し て、 そ の終 局 に のぞ んで、 そ の所 信 を 実行
こと は たし か です 。
に移 す ことが 出 来 た かど う か は分 り ま せ んね 。終 戦 にな ってか ら
か ぶ れ なも ので ち っと も 感 心 した も ので はな い、き わ めて 不 見識 な も のだ と思 って い た人 た ちも いた で し ょう 。 口に こそ 出 し ま せ
さ え 陸 軍 の 一部 は鈴 木 大 将 の邸 宅 を 襲 撃 し、彼 はわず か に身 をも
戦 争 を 、そ れ も 最 後 の土 壇 場 ま で続 け ねば な ら な か ったと いう こ
って逃 れ たく ら いで した 。 です から 、私 は こ のま こと に無 分 別 な
ん で し たが ⋮ ⋮ ⋮。
等 は や っぱ り 終 戦 にな って よ か った と大 喜 び だ ったと 思 いま す。
し か し なが ら 、戦 争 を や め て、真 相 が す っか り解 った と き 、彼
た と えば 、 五人 の男 子 を 全 部前 線 に出征 さ せた 農 夫 を私 は知 って
を 変 え て、 空 襲 によ る被 害 や陸 海 軍 の損害 な ど をあ り のま ま発表
問
と は、 日 本 の悲 し む べき 宿 命 であ った よ う に思 いま す ね。 ︹ 源基︺ 鈴 木 内閣 の内 相 だ った 安 倍 はそ の報 道方 針 と し て、従 来 の政 策
いる 。 そ の健 気 な 父 はそ の愛 児 たちが 一人 残 ら ず異 境 の土 にな っ
に 入れ な い と いう方 法 は反 って種 々 の臆説 、 デ マを 生 ん だ、 そ し
す る よう に した と 述 べま し た。 彼 は ニ ュー スをそ のま ま国 民 の耳
て永 遠 に還 って来 な い こと を覚 悟 し て い た。 祖 国 に差 し上 げ たも のと し て諦 め て いたそ の子供 たちが 戦 争 が 終 って無 事 生 還 でき る
問
の変 った こ とを おき き にな り ま し た か。
一向、 存 じ ま せ ん。 も し 、あ り のま ま の報 道が 国 民 の前 に発表
ったと 怒 りだ し た に ちが いあ り ま せ ん。
され た ら彼 等 は自 分 たち が 馬鹿 にさ れ 、真 実 を教 え ても らえ な か
あ る地方 では 、 発表 さ れ て い た通 り を信 じ つづ け て い ま した。
(オ フ ステ ィ少 将 )あ な た と鈴 木 大 将 と米 内 大将 が支 配 力 を 握
た し か にそ う だ った と思 います 。
のが 民 心 を鎮 め落 着 か せる のに十 分 役 に立 った と聞 いて いま すが 、
め 二日後 れ た ことが 非 常 に幸運 だ った こと、 そ の 二日 間 と いうも
まだ 頑 固 一徹 でし た。 私 は マ ッカ ー サ ー の厚 木進 駐 が 悪 天候 のた
そ の結 果、 県 知 事 の官 舎 を 襲撃 しま し た。 国 内 を通 じ て、 国 民 は
答
針 は間違 って いる と考 え ら れ たと 言 いま し た。あ な た はそ の政策
て、 侵略 に抗 す る た め の協 力精 神 を 打 ち樹 てる た め には従 来 の方
と 分 った とき 、 こ の老 父 は 涙 を流 し て歓 喜 した のです 。 で は 、 国民 が 戦局 の真 相 を、 そ の頃 知ら さ れ て い たら 、 政 府 は
国 民 の戦 意 を 持続 さ せる た め に政 府 は戦 争 のみ じ めな 真 相 に つ
も っと 早 い時 機 に妥 協 的 な 和平 工作 に乗 り 出 せ た で し ょう か 。
いて 発 表 しな か った のだ ろ う と思 いま す。 そ の頃 、も し陸軍 が 政 府 部内 に対 し て支 配 的 な勢 力 を持 って い な か った ら、 海 軍が も う 少 し早 目 に終 戦 工作 に取 り か か った とあ な た は思 います か。 そ れ は大き な 責任 であ り 、 こ の責 任 を負 う には よ ほど の大 人物 の出 現 を 必要 と した で し ょう 。 小磯 内 閣 に米 内 大将 が 入 閣 し たわ け です が 、 彼 だ ったら そ うす る こと が でき た でし ょう か。 そ れ は私 に は分 り ま せん。 し かし、 米 内 大 将が 断 じ て全 国 民を 破 滅 さ せ て はな ら な い、 そ ん な こと は でき な いと固 く 信 じ て いた
答
問
って いた と 仮定 し て 見 て、 あ なた は い つご ろ終 戦 工作 に踏 み出 し
そ れ は お答 え す る のが たい へん 難 か し いご 質 問 です 。 わ れ われ
た で し ょう か。
三 人 は昔 、 軍 令 部 で 一緒 に仕事 を し て い ま した 。鈴 木 が 軍令 部 長 、 私 が 次 長、 米 内 が第 一部 長 ︹ 作戦部長︺で し た。 そ し て、 そ の時 以 来 、 わ れわ れ はた い へん 仲 のよ い友 人 で し た。 鈴 木が 聯 合艦 隊 司 令 長 官 の とき 米 内 はそ の部下 の艦 長 だ った こと も あ りま す 。 実 の所 、 私 はこ の最 近 戦時 下 の二 年間 に い った いど ん な 風 に戦 争が 進 行 し て行 った か に つい て、 中 心 に い な か った ので 、あ ま り 詳 し いこと は知 り ま せん 。
し かし アメ リ カで や ったよ う に、 日本 でも 戦 局 の推 移 に ついて
ん ね、 多 分。
完 全 な 発表 が 行 な わ れ て いた と仮 定 す れば 、 そ の場 合 は い つが 妥
問
ング ロ ・サ ク ソ ン民族 に対 し て戦 争 を し かけ る こと は向う 見ず な
開 戦 のそも そ も の初 め にあ た って 、多 数 の人 々はあ の強 大 な ア
協 によ る戦 争 終 結 の時 機 であ った でし ょう か。 答
はじ め のう ち は潜 水 艦 によ って、 われ わ れ の商 船 隊が 大き な 損
は何 だ ったと 思 わ れ ます か 。
軍 事力 方 面 で、 日本 の崩壊 をも た ら した ア メリ カ の大き な 影響
れ た のです 。
行 動 だ と 承知 し て い ま した 。 し かし情 勢 や む なく 戦 争 に引 きず ら
問
答
さ せま し た。 わ れ われ の補給 路 は切断 され 、 そ の生 命線 を維 持す
害 を 与 え られ 、後 期 は空 軍 と協 同 し た潜 水 艦が 日本 の船舶 を 減 少
戦争 が 終 ってか ら、 も っと早 く終 戦 す べき だ った、 そ し て サイ パ ン陥 落 時 が 終 戦 に 一番 よ い時 機 だ った と考 え た 人 はた く さ んあ
補 充が 十 分 でき な か った が、 一般 の人 々 は船 舶 喪 失 の重大 性 の認
次 に 日本 の飛行 機 工場 は破 壊 さ れ、 わ れ わ れ は前 線 に消耗 機 の
る こと は でき ま せん で し た。
り ま し た。 そ の頃 、 嶋 田海 相 は引退 の こと を考 え て いた けれ ども 、 ず る ず る と サ イ パ ン失陥 後 まで 延ば しま し た。 私 自 身も 、 サイ パ ンを 失 った後 にそ のよう な時 機が く る と思 いま し た 。そ して ま さ しく そ
ん でい た。
識 が欠 け て いて、 一番 大 切 な の は飛行 機 の問 題 だ とば かり 思 い こ
日 本 はそ のた め にさ んざ ん に痛 め つけ ら れ ま し た。
そ れが 敗戦 の大 き な原 因 で あ る かどう か は別 と し てと にかく 、
か。
で は、専 門 家 の意見 と して 船 舶 の喪失 は敗 戦 の原因 と 言え ま す
船 腹が 絶 対 必要 であ る ことを 知 って いま した 。
われ わ れ専 門 家 は国 民 の生 活 に だけ でも 少 く と も 三百 万 ト ン の
の時 機 に嶋 田は引 退 しま し た。 し か し彼 はさ っさ と 自分 が 引 退 し
問
答
た のみ でし た 。 で は、 あ な た方 が 別 に最 初 に戦 争 を はじ め た わけ で はな いです
も し 、 わ れ われ が も っと 早 い時 機 に戦 争 を や めて いたら 国 民が
米内 大 将 だ った らど う す る でし ょう か。
が 、 あ な た だ ったら そ の頃 (サイ パ ン陥 落後 )を 選 ぶわ け です ね。
答
承服 し な か った でし ょう 。 国 民 は戦 況 に つい て真 実 を知 ら さ れ て いな か った から 、 日 本国 内 で は内 乱 が 起 こ って いた かも 知 れ ま せ
終 戦時 に は、 わ れわ れ は 日本 本 土 の周囲 にわず かば かり の航路 し か持 って おらず 、朝 鮮 航 路す ら途 絶 え ま した 。 北 海道 から 石炭 を 輸 送 す る の にさ え事 欠 く よう な始 末 で 、船 舶 の欠 乏 に はま った
問 そ れ は専 門 家 の殆 んど 一致 した 見解 で した 。
戦 争 継 続 上、 三 百 万 ト ンは絶 射 必要 でし た か。
く 手 を あ げ ま し た。
答 そ れ に加 え て、 前 線 の陸 海 軍 を 維持 す るた め に は外 にど のく ら
問
答
問
答
も し、 時 間 の余 裕 もあ り 、 船舶 も あ った ら、 も っと守 備隊 を増
守 備 隊 には いく ら か 大砲 を 与 え ねば な ら な か った のです 。 し か
強 し、 も っと 大砲 を 増 備す る ことが でき た で し ょう か。
し、 前 線 に大砲 を 持 って行 く だ け の余 力 が あ りま せ ん でし た。 日
あ な た は、 何等 か の方法 で ク ェゼ リ ン環礁 の よう な と ころ を防
本 内 地 にす ら 満足 に大 砲が 配 備 で き な か ったく ら いで し たか ら。
わ れ われ は米軍 が ク ェゼ リ ン にや って来 な けれ ば いいが と 念 じ
禦 し お お せ る手が あ った と は思 いま せん か。
の ですが ⋮ ⋮⋮ 。 し かも な お当 時 と し て はそ ん な空 頼 み を せざ る
て いま し た。 そ れ は ま こと に頼 み にな ら な いは かな い望 みだ った
を得 ま せ ん で した 。
枢 密 顧 問官 と し て、 ま た 、陸 海 軍 の指導 者 た ち と 公式 ま た は非
公式 に戦 争 の経 過 を 論議 した 立 場 か ら見 て、 い つが 日本 にと って
戦 局逆 転 の時機 だ った と お考 え で す か。
私 が 六 月 のな かば ︹ 昭和十七年︺に ニ ュー ヨー クを発 つと き、 私
は ミ ッド ウ ェー海 戦 の経 過 は正 確 に知り ま せ ん でし た。 ま さ かあ
大 き な 相違 のあ る ことが ピ ンと来 まし た。 そ こ で、 私 は これ で 、
答
日本 の周 辺が いた る所 、 が っち り防 備 さ れ た と は思 いま せ ん。
た。
今 後 戦争 が 都 合 よ く行 かな く な る ので は な いか と懸 念 を 抱き ま し
し か し、 真 珠湾 で われ わ れが や った こ とと 比 べて 、そ こ に何 か
んな に多 く の空 母 を失 った と は知 り ま せ ん でし た。
こ の問 題 に つ いて私 は十分 な 確 信 はあ りま せ んが 、 と にか く 防禦
れ た で し ょう か 。
あ った と す れば 、 そ の周辺 を 固 め る に はど ん な種 類 の手 段が と ら
日本 の外郭 圏 を も っと強 化 す ると か、 ま た は要 塞 化 す る時 日が
隻、約 二十 二万ト ン︺
そ れ は ほ ん の十 分 の 一位 のも のでし た 。 ︹ 拿捕船舶は 合計 五〇 三
方 は マ ニラ や シ ンガポ ー ルや其 他 で商 船 を拿 捕 し た で し ょう 。
六 百 万 ト ン は日本 側 の船腹 だ け で し た。 し か し、 そ の上 あ な た
百 五十 万 ト ンで し た。 そ の半 分 が 民需 用 に、 残 り の半 分 が 陸海 軍
問
用 に割当 て られ て いま し た。
私 は、 正 確 には言 え ま せ んが 、 開戦 前 日本 の保 有 船 腹 は 大体 六
い の船 腹 が 必 要 で し た か。
問
答
問
答
問
答
が 手薄 だ った こと は争 え な い事 実 で す 。
そ れ で、 帰 国 後 は、私 の見 た ア メリ カ の恐る べき 実 力 をぜ ひ国
私 の言 う ことな ぞ てん で信 用 し よ うと はせず 、 これ から は 困難 な
民 に分 っても ら いた いと思 った のです 。 し かし そ の当 時 の国民 は、
日本 は 大砲 が非 常 に不 足 で したが 、 とり わ け 対 空砲 はそ う で し
で し た。
た 。 周 辺 を防 備 す る こと は 不 可能 で し た。 守 備 隊も ほ ん の小 人数
戦 争 にな るだ ろ う と いう こと は、 解 ら な か った のです 。 答
そ う です。 そ の通 り です 。 彼 等 はただ ﹁攻 撃 は最 良 の 防 禦 な
す か。
り﹂ と いう 考 え を十 分 な準 備 も し な いで墨 守 す る と いう 取 返 し の
私 は、 ま た、 八 月 に ガダ ルカ ナ ル に多 数 の運 送 船 を送 って、 そ れ が 殆 ん ど 全部 沈 没 し たと 聞き ま した 。 別 に発 表 はされ ま せ ん で
そ んな考 え方 は海 軍 の人達 の考 え方 だ った のです か、陸 軍 の人
ん で いた の です 。
あ る 一部 の人 たち は、も っと 更 に遠 く ま で進 撃 す る こと さ え望
つか な い大 失 敗 を犯 し た のです 。
あ ま り遠 く ま で行 き 過 ぎ た わ い) と いう のが 私 の偽 ら な い感 じ で
あ な た は決 定 的 な戦 局 の転 機 は ソ ロ モ ン︱ ︱ガダ ル カ ナ ル等 の
し た。
日 本 は せ っせ と油 を 貯 め こ んで い まし た 。 日露 戦 争当 時 も無 煙
たも ので し ょう か。
占 領 す るだ け のも のだ った とし た ら、 油 の問 題 はど んな 風 にな っ
日本 の戦 争計 画 が も っとず っと小 規 模 で、 た ん に フ ィリ ピ ンを
か った ので す。
は現 在 目 の前 のこ とば か り に気 を と られ て 、 細密 な 計画 を たて な
いう こと に は、 い った いど ん な意 味が あ る のでし ょう 。 わ れ われ
か け はな れ た力 に対 す る 空 し い攻 撃 に、 血 を いたず ら に流す と
ので す か。
達 の考 え方 だ った ので す か、 そ れと も 陸海 軍 全 体 の考 え方 だ った
答
問
答
問
し たが 、 そ ん な噂 が 耳 に 入 った の です 。 (ど うも 、 これ は日 本 は
問
私 はそ れ を よく 研 究 し た こと はあ り ま せ ん。 しか し彼 等が 取 り
大 本 営 の作戦 指 導 は堅実 なも のであ った と 思 い ます か。
日本 に おけ るあ な た の立 場 から 、戦 争 の全 過 程 を眺 めて み て、
し た。
返 し てき たと き に は、 日 本 はズ ルズ ルと退 却 のや むな き に到 り ま
し ま した 。 と こ ろが 、 ア メリカが 反撃 態 勢 を 整 え て、 堂 々と 押 し
日本 はア メリ カが 準備 のでき な い中 に、疾 風迅 雷 のよう に進 撃
初 期 に生 じ た と お考 え です か。 答
問
答
は持 って いま す 。
返 し の つかな い大 失 策 を たび た び や ら かし た と いう 一般 的 な 考 え
し た。貯 油 タ ンクが 方 々 に造 られ ま し た。 し か し、 そ の量 には 限
度が あ って長 年 使 用 の分 を ま か なう こ と はと ても でき な か った の
炭 を 貯蔵 し て いた の です 。 そ の同 じ政 策 がず っと 続 いて いた ので
です 。 だ か ら、 そ の実情 を よく知 って る人 々 は全 然開 戦 を 主張 し
作戦 を ね る と き は必 ず 防禦 の手 を用 意 し てお く べき で し ょう 。
は慎 重 に考 慮 し 見積 り して お かね ば な り ま せ ん。 と ころが 、 日本
ま せ ん でし た。
攻 勢 に出 て占 領 し た地 域 を確 保 し 補給 を つづ け る た め に、 こ の点
と はあ ま り関 心を 払 わ なか った。 彼 等 は船 舶 の喪 失 や占 領 地 を 維
消費量に近 い数量 と推定されていた。実際消費高 は昭和十七年が 二、五
︹編者注︺ 開戦時 の石油貯蔵量は四、 二七〇万バ ーレルで約二ヵ年 の
側 のや り方 は ただ前 進 す る こ とば か り に気 を とら れ て、 防禦 のこ
日本 の戦 争構 想 や 計 画 はあ ま り に攻 撃 一点 張り だ ったと 思 いま
持 す る ため の資 材 を 勘定 に入 れ ま せ ん でし た 。 問
問
答
五五万バ レー ル、昭和十 八年が 二、八 一一万バ レール、計五、三六六万
一部 の人 は、 こ の戦争 の主 張 者 の 一人 は、 聯 合 艦 隊司 令 長 官 だ
バ レールであ った。す なわち貯蔵量は約 一年半分 であ った。
った 山本 大 将 だ った よ う に思 って い るよ う です が 、 決 し てそ う で はあ り ま せん。 彼 は日 米開 戦 には常 に反 対 で し た。 彼 は近 衛 公 に も 次 のよう に話 し て いま す 。 ﹁そ う です ね、 ま あ せ いぜ い 一年 か 二年 は何 と かや っ て 行 け る かも 知 れま せ ん。 し か し それ から後 のこと は分 り ま せん 。 ﹂ そ れ です か ら、 一旦 、戦 争 と いう こと にな れば 、 一年 か 二年、 そ れが も っと 永く 続 く こ と に なれば われ わ れ はど んな こ と にな る
こんな 風 で し たか ら、 こ の戦 争 は最 初 か ら非常 に投 機 的 で危 険
つき ま せ んで し た。
な 戦争 だ った の です。 軍 令 部 総 長 さえ 私 にそ う いいま し た。
われ わ れ は彼 にそ れ を尋 ね た のです が 、そ れ は石油 禁 輸 で打 撃 を う け て いる とき の こと です 。
︹編者注︺ 日米通商条約は昭和十 四年七月二十 六日に廃棄通告 を受 け、
昭和十五年 一月 二十 六日をも って期限が切れ、日米両国 は無条約時代 に
突入し た。米国は昭和十六年八月 一日に対日石油全面禁輸を断行 した。
当時 、 誰 も今 後 い った いど う な って行 くも のや ら、 さ つぱ り 分
れ な い︱︱ こん な甘 い考 え で、 日 本 の貧 弱 な資 源 で長 期 戦 を や ろ
も し作 戦 が 日本 に有 利 に展 開 し た ら、 機会 に めぐ まれ るかも し
り ま せ ん でし た。
私 は ワ シ ント ン に滞 在中 、 政 府が こ の こと を よ ほど慎 重 に考慮
か皆 目 、見 当 が つか な か った のです 。
う と いう の は、 ま こと に危 険 千 万 な こと であ る。 し かも 、 この戦
私 は ア メリ カ とぜ ひ と も協 定 を 結ば ね ば な らな い と いう 近衛 公
し てく れな け れば 困 った事 態 を招 く んだ が と い つも 気が 気 では な
の確 信 に 心 から賛 成 し ま した 。 彼 は、 でき れば 大 統領 と会 見 の た
争 は必 らず 、 長び く だ ろ うと 或 る 人 々は言 いま した。
長 期 戦 にな る こと は明 白 で し た から。 そ の場 合油 や 其他 軍 需 資 材、
め ホ ノ ル ルに行き た いと 思 って いま し た。そ こ で、私 はそ の申 入
か った の でし た。 一た び 始 ま った ら、 ど う し ても 何 年 にも わ た る
原 材 料 の 不足 がど んな こと にな るか は誰 も は っき り つか め な い の
つま り、 長 期戦 を 戦 い抜 く た め にはそ の準 備 の中 に石 油資 源 を
です から 。
ると いい まし た 。 われ わ れ は何 と か し てそ う し た了解 に達 し た い
れ を し ま した 。 大統 領 は そ の前 に大体 の了解 点 に達す る必 要が あ
われ わ れ とし てはそ の方が は る か に賢 明 な行 き 方 で あ ったに ちが
れ ば 、 そ の協 定 は成 立 し て いた かも知 れま せ ん。 今 に し てみ れば 、
も し も、 私 が 前述 し た よう に、 中 国問 題 で歩 み寄 って いた とす
でき ませ ん でし た。
とあ ら ゆ る努 力 を払 いま し たが 、 そ の協 定 ま で こぎ つけ る こと は
計 箕 に入れ て置く こ とが 必 要 だ った わけ です ね。 そ の通 り です ね 。 お っし ゃる通 り です 。 そ う な ると 、 日本 はど う し ても 南進 しな け れ ば な りま せ ん。 ス マト ラを占 領 でき る かど う かが 問 題 でし た 。
一た ん 使用 でき なく な った 油 田 の復 旧 にど のく ら い の日 時 を要 す
次 は、 占領 でき る と して も 、 油 田地 帯が ど の程度 破 壊 さ れ る か、
る かと いう ことが 問 題 にな り ま した 。 し かし 、そ の見 当 は誰 にも
問
答
いな いと思 う のです が ⋮ ⋮ ⋮。 こ こで 、 いま お話 す る のも ま った く 馬鹿 げ た繰 言 です 。 あ な た の見 る所 では、 軍 令 部 は そ の戦 争 計 画 の中 で航 空兵 力 の 問 題 を充 分 重 視 し て いま し た か。 そう で はな か ったよ う です ね 。 私 はそ の 一例 とし て 、 軍令 部 次 長 ︱︱ こ の人 ︹ 大西滝治郎中 将︺ は終 戦 のとき 自 決 しま し た︱︱ が
問
閣 下 、戦 争 ま で行 かず に、 仏印 進 駐 を や って のけ た の です か ら、
トも いま し たが 、 こ の方 も 速 成を 期 待 す る こと は無 理 でし た 。
フ ィリピ ンに は全 然 さ わら ず に、 ス マト ラ やジ ャワを 占領 す る こ
とが 望 まし か った ので は な か った ので はな い でし ょう か。 そ れ は 討 議 され た のです か。
私 は知 り ま せ ん。 しか し、 別 に私 は ア メリ カ政 府 とそ の問 題 に
っいて 討議 しま し た。 ア メリ カ政 府 は 八月 十 七 日 (一九 四 一年)
ら帰 ってき たと き 私 はそ の警 告 を手 交 さ れま し た。
対 日警 告 を発 しま し た。 ル ーズ ベ ル ト大統 領 が ﹁大 西洋 会 談 ﹂ か
答
た のを 知 って いま す。 老 提督 た ちだ け で なく 若 い提 督 連 中 で も 航
そ の頃 、 日本 軍 はす で に仏 印 に進 駐 し て おり ︹ 日本軍 は八月 二十
八日南部仏印 に進駐 の第 一歩 を印し た︺ 、 そ の警 告 の中 に は、 も し も
お い て、直 ち に、 そ の権 益 を保 護 す る た め にあ らゆ る 必要 な 措 置
ま は覚 え て いま せ んが︱︱ そ の時 こそ、 ア メリ カ は現在 の状態 に
日 本が さ ら に少 し でも 遠 く に進 出 し たら︱︱ 私 はそ の文 句 そ のま
そ れ は、 われ わ れ の能 力 の範 囲 内 で は 可能 であ った かも 知 れ ま
れ て いた よ り は るか に よく や った と思 って い ます。 飛 行 機 生 産高
に着 手 せざ るを 得 な い であ ろ う、 と いう よう な こ とが書 かれ て あ
ま せん 。
い いえ、 知 り ま せ ん。 そ んな 会 議 のこと など は全然 承 知 し て い
す か。
り す る こと に つい て日 本政 府 が 討 議 した か どう か ご存 知 な い ので
そ の時 期 に、 ジ ャ ワと ス マト ラを占 領 し て、 フ ィリピ ンを素 通
り ま した 。
け た こと は 予 想以 上 の成績 でし た。 こ の実 績 はわ れ わ れ の予 期 し たも のを上 ま わ って いた のです 。 し か し、 も し 日本 の飛行 機 生 産 高が 毎 月 四 千機 だ った らそ の周
そ れ は分 り ま せ ん。 と いう のは、 と に かく 搭 乗員 を 急 速 に多 数
辺 を 防衛 す る ことが でき た で し ょう か 。
答
を 上昇 さ せ る た め に日 本 は努 力 し ま し た。 月産 二千機 にも って行 問
せ ん。 生 産面 で日 本 は立 ち 後 れ て いま し た。 一方、 日本 は予 期 さ
ちり 握 って おら れ た と思 わ れ ます か。
あ な た は日 本が 十 分 な 空軍 力 を も って いた ら、 そ の周 辺を が っ
理 解す る こと はどう も 困 難だ ったよ う です ね 。
空方 面 に熱 心 で はあ り ま せん で し た。 彼 等 にと って 空軍 の真 価 を
海 軍 の長老 であ る提督 連 が 航 空 問題 にま ったく 冷淡 だ と 嘆 いて い
問
答
問
答
そ の当時 、 ボ ルネ オや マレーを と る 可能 性 に ついて、 そ う な れ
く て イギ リ スと事 を 構 え る こと に つい て何 か論 議が 行 な わ れ まし
ば そ の時 は欧州 大 戦 に捲 き こま れ る こと 、即 ち アメリ カ と で はな
問
至難 で し た。 彼 等 を 一人 前 に仕 上 げ て前 線 に送 り 出す に は、 少 く
養 成 す る こ とが わ れ われ には 不 可能 で し た。 日本 で はそ の仕 事 は
とも 一年 半 は た っぷ り か かる で し ょう 。 別 に予 備 学 生 の パイ ロッ
た か。 す ぐ 前 に申 上げ た よ う に、 日本 当 局 ばも しわ れ われ が仏 印 にな
さ れ、 異 端 視 され遂 に無 視 され た。 そ の昭 和 十 八年九 月 以降 翌十 九
年 二 月 に至 る戦 局 各段 階 の検 討 は、 日本 はす でに 敗北 し たと いう確
と し て、 す べ て の通商 は ス ト ップ し 、 日本 船 は ア メリ カ の港 から
た のです から 知ら な い筈 はあ りま せ ん。 仏 印 に軍 隊 を進 めた 結果
た 。熟 知し て いた わ け です 。 私が 日本 政府 に詳細 な 報告 を 送 付 し
必 要 な あ らゆ る手 段 を 講ず るだ ろう と いう こと は承 知 し て いま し
軍 軍 人 にも 接 近 し て、そ の人 た ち に戦 争を 終 ら せねば な ら な いと い
か る運 動 の中 心人 物 と なり 、 海 軍軍 人 、各 界 指導 老 お よび 数 名 の陸
終 結 の方途 に つい てひ そ か に研 究さ せた。 そ の頃 高 木 は公 表 を はば
昭 和 十 九年 九 月、 米 内 は高 木 を閑 職 (軍令 部 出仕 ) に就 け 、戦 争
彼 は米 内 大将 に この結 論 を提 出 し た。
信 を彼 に抱 か せた 。
閉 出 さ れ、 あ りと あ ら ゆ るも のが 凍 結 され ま し た。 それ は致命 的
だ れ こんだ ら 、 ア メリ カが そ の権 益 を 保護 す るた め に、直 ち に、
答
な 経 済封 鎖 で した 。 も しわ れ われ が それ か ら 一歩 で も前 進 す れば
・H ・テ リ ル
ビ ッソ ン
ドーア
た。
昭 和 十 八年 あ な たが 軍令 部 に勤務 中 の職 務 は何 でし た か。
︹ 編者注︺ 。高木 は昭和十八年九月 まで舞鶴鎮守府参謀長で軍令部出仕 は同年九月。
答
次 の年 (昭和 十 九年 ) の二 月ま でです 。
ど のく ら い そ の研究 を つづ け ま し た か。
昭 和十 八年 九月 二十 五日 以来 の こと です 。
い つから 、 そ の特 別作 業 は始 めら れ ま し たか。
問
私 はあ る特 別な 戦争 過 程 お よび 戦 訓 の研 究 をや って いま し た。
答
そ のと きど き の結 論 に基 づ いた 一つの報告 書 を作 製 した の です
問
問
答
問
問答 筆 記
高 木 は昭 和十 九年 九 月 か ら終 戦 ま で海 軍軍 令 部 出仕 のま ま であ っ
よう 命 じ た。
訊 問中 、 これ ら の供 述 が 始 ま る前 、高 木 は同席 の書 記 に座 を外 す
う確 信 を持 たせ る た め に努 力 を 重 ね た。
ア メリ カと の開 戦が あ るば か り でし た。 彼 等 はそ れ を知 って いた
高木 惣 吉
中尉
米 陸 軍大 佐
昭 和 二十 年十 一月 二十 三 日
東京
筈 です 。 た し かに、 そ れ は 八月 十 七 日 ︹ 昭和十六年︺の こと でし た。
5
質 問 者R
旨
日時 場所
要
本 訊 問中 、高 木 はす で に昭 和十 五 年︱ 十 六年 、 客 観的 な 調査 分 析 者 の立 場 を守 って いた こ とを 明 か にし た。 そ の穏 健 な意 見 は嶋 田大 将 が海 相 に就 任 す る に及 ん で殊 更 に反 対
か。そ れ と も、 研究 の進 行 のあ る段 階 に中 間 報告 を 作 って いた の
答 報 告 は何 にも 作ら れ な か った のです か。
報告 とし て は 別 に作 り ま せ んで し た。 問
答
問
問 は い、作 ら れ ま せ んで し た。
です か。
答 何 か結論 を 出 し ま した か。
答
問
答
最 後 ま で抗 戦す る見 込 み に つ いて はど う でござ いま した か 。そ
何 の見込 みも あ りま せ ん で した 。
の問 題 に ついて はど のよ う に感 じ て いま し た か。
あ な た はそ の当 時 、 日本 敗 れ た り、 無 条件 降伏 あ る のみ︱ ︱ と
( 高木 はまた次 のように述 べた。 潜水艦 の活躍 と相俟 って、 米 空軍が
し た。
私 個人 の考 え では、 ど う し ても そ こま で は行 くだ ろう と思 いま
を 手離 さ ねば なる ま いと 考 え ま し たか。
あ なた は 日本 が 満洲 、 台湾 およ び朝 鮮 を含 む す べ ての占 領 地 域
た。
を存 置 し て おく と いう 条 件付 で戦 争 を終 結す べき だ と は感 じ ま し
いや 、そ こま で は考 え ま せ んで し た。 し かし、 日本 はそ の国体
感 じ まし た か。
問 は い、 結 論 はいく つか出 ま し たが 、 そ れ を成 文化 す る こと はし
結 論 に つい て、外 の誰 か と相 談 し ま し たか。
ま せ ん でし た。
答
問
米 内 大将 と井 上 大将 ︹ 井上成美大将。米内 海相の海軍次官︺ の 二人
あ な た の結 論 は い った いど んな も ので し たか。
答
問
最 も 重 要 な最 終 的 な結 論 は、 でき る だけ す みや か に、 戦 争 を終
だ け と意 見 の交 換 を し ただ け です 。
答
威力 の及ぶ所 は、日本艦 隊を無力化するば かり でなくあらゆる基地も破
その優越を拡大して行く ことに日本は致命的 な脅威を感じでいた。 その
壊 され尽すであろうという のであ った。 )
結 さ せ る こと が、 賢 明 な考 え だ と いう こと でし た。
一言 で いえば 、 も は や勝 利 の見 込 みは金 輪 際な いと いう こと で
あ な た の結 論 の基 礎 は何 でし た か。
最 初 あ な たは、 そ れ に つい て嶋 田 と論議 して み ませ ん でし た か。
け に ひそ か に提 出 し て おき ま し た。
た から、 報 告 は私 の信頼 す る 二人 の上 官︱ ︱ 米内 、 井上 両 大 将だ
まし た。 私 は嶋 田大 将 とあ まり顔 を合 せ る ことも あ り ま せん で し
たが 、戦 争 に つい て の彼 の意 見 と私 の考 え方 は相 当 の開 き が あ り
そ の当 時︱ ︱昭 和 十九 年 二月 に は︱ ︱ 嶋 田大将 が海 軍 大 臣 でし
の です ね。
そ し てあ な た は こ の報 告 を 米内 大 将 と井 上 大将 に 口頭 で伝 え た
問
問
問
答
答 し た。
︹ 編者注︺ 1戦局 の真相は政府 の内部 でも外部でも支配階 級 の多数 に よく知 られていた。 一九四三年 から翌 四四年 の冬には早くも軍令部 の高 木惣吉少将によ って、戦争 の研究が行なわれていた。 この研究 はソロモン群島戦における莫大な損害と原料資源 の輸入難 の 分析に基づ いたもので高木少将は勝利 は不可能であり、したが って、た とえ中国、台湾、朝鮮 から撤兵する犠牲 を払 っても戦争を終結させる努 力を開始しなければならないと結論した。 ( TA フィールド ﹃レイテ湾 の日本艦隊﹄三五頁)
答
直 接 彼 と は討議 しま せ ん でし たが 、 海 軍省 の幹 部 の何 名 かと は
そ の人 たち の考 え は いかが でし た か。
意見 を 交 換 しま し た。
彼 等 は こ の こと に ついて はあ ま り は っき り言 明 し ま せん で し た。
問 答 言 い替 えれ ば 、彼 等 はあな た の考 え に同意 しな か った と いう こ
問
これ は以 前私 が 提 出 して 置 いた結 論 に基づ く も ので した。
のた め の対策 を こ っそ り研 究 し はじ め る よう に命 じ ま した。
秘密 研 究 と いう のはど ん な意 味 のも ので あ った か︱︱ あな た方
私が 人 知 れず 研 究す るた め にとり あげ た いく つか の問 題 は次 の
が 熟 考 の宋 に想 到 し た 手法 に つい て説 明 して 下 さ い。
通 り です 。
二、休 戦 に引 き 続 い て日 本 に 課 せら れる と思 わ れ る各 種 の要 求
答
に かく 日 本 は何 と か し て戦争 を つづ け て行 け る と考 え て いた よう
︱︱ 例 えば、 賠 償 問題 、 政 体 問題 ( 国 家政 体が 安 全 に擁 護 され る
一、 そ ん な運 動 を陸 軍 側 に同意 して もら う ま で の困 難 さ。
です 。 そ れを 、 ど の よう な方 法 で継続 し て行く か に ついて は、 あ
三 、世 論 の動 向 調 査 。
こと) 等 を 研究 す る 必要 が あ る こと 。
四、 天 皇 を通 じ て、 こ の目的 を貫徹 す る た め、 いか にし て天皇
の お耳 に入 れ る か の問題 。 これ を木 戸 内大 臣 を通 じ て行 なう つも
問
米内 と 井 上両 大将 と私 の三 人 の外 に は誰 も 加え ま せ んで した 。
そ の戦 争終 結 のた め の極 秘裡 の研 究 に は何 名が 参 加 しま し たか。
り でし た。
答
(前記 の極秘 作 業 に ついて 、高 木 少将 は これ から自 分 が 述 べ ね
問米内 はあ な た の出 し た結 論 に賛 成 のよう に見 えま し た か。何 か
米内 大 将 はそ のとき 別 に何 も言 いま せ んで し たが 、私 は自 分 の
意 見 を誉 わ な か った のです か。
彼 が 海 軍大 臣 に就 任 す る ま で、 何 を し たか 私 は存 じ ま せん。
或 はど んな行 動 を と り ま した か。
あ な た が米 内 大将 に意 見 を述 べて から 、 彼 は何 か 言 いま し た か。
き りし な い基 盤 の上 に立 脚 し て や って行 った のです 。
ま り は っき り し た 対策 は持 ち合 せは な か った の ですが 、 そ のは っ
彼 等 は形 勢 が 非常 に悪 化 し て いる こと は認 め て いま したが 、 と
と です ね 。
問
答
問
答
答
っ兇。そ し てそ の付添 い に座 を外 してく れ る よう に頼 んだ )
く な い程 、 いろ いろ 差障 り のあ る性 質 のあ る も のであ ると こと わ
ば な ら ぬ事柄 は、 こ の席 上 のア メリカ 士官 の他 の人 に は打 明け た
問
そ の話 のあ と で、あ な た は海 軍 大学 校 の教 頭 にな った のです ね 。
結 論 に賛 成 だ と いう 印象 を 受 け まし た。 問
いや 、 ちが いま す。 教 育 局 長 に補職 さ れた のです 。
問
体的 にはど んな 手段 が 講ぜ ら れ ま し たか。
これ ら の 四 つの事 項 ︹この頁下段 の答弁︺ を 処理す る ため に、 具
将 も こ の特 別 作業 に加 わ り まし た。
だ いぶ後 にな って か ら、 軍 令 部総 長 の及 川 大将 や 次長 の小 沢 中
そ の後 、数 ヵ月 経 って から 軍令 部 出仕 にな った んです ね 。
答
答
そ のと き のあ な た の職務 は何 でし た か。
は い、 そ う です 。
そ の頃 、 米内 大 将 はす でに海 軍 大 臣 で した が、 私 を 呼 ん で終 戦
問
問
答
答
答
これ ら の問 題 を軌 道 に乗 せ るた め に、 私 は まず 、近 衛 や 木戸 や 岡田 ︹ 側田啓介海軍大将︺や松 平 ︹ 松平康昌内府書記官長︺を 訪 問 し は じ め ま した。
答
彼 等が そ の問 題 に触 れ る こと を危 険視 して遠 のい たか ら でし ょう
われ わ れ は相 当数 の陸 軍 士官 にも状 況 を よく 呑み こん でも ら え
か。
し た。 し か し、 と かく す るう ち 、陸 軍 省 の空 気 が硬 化す る に つれ
そ し て、 事 実 彼等 の多数 は陸 軍 大臣 そ の人 を動 かす 努力 を し ま
ま し た。
って、 私 と同 様 な結 論 に到逮 さ せる こと で し た。 も ち ろん、 す で
私 の目的 は、彼 等 に戦 争経 過 の実 態 と 一般 情 勢 を熟 知 し ても ら
に最 小 限 の範 囲 内 で着 手 して いた極 秘 研究 の こと は おく び にも 出
あ な たは、 な ぜ、 彼 等 の生 命 が 危険 にさ らさ れ ると 考 え る ので
底 では ま だ ひそ か に私 と 同意 見 を 持 ち つづ け て い たと 信じ ま す。
し かし 、 これ は私 個 人 の考 え です が 、変 心し た人 々も、 心 の奥
でし た。
後 に は た った 一人 か 二人が そ の信念 を 堅持 し ている に過 ぎ 楼 せ ん
て極 く わず か の人 々を のぞ いて 、 こ の人 たち はみん な態 度 を変 え、
問
し ま せ んで し た。 上 記 の人 々 の中 で、 近 衛 は最 も早 く 事 の成 行 き を見 抜 き ま した。 彼 は私 が 彼 と会 談す る以 前 から 、ど う も 私 と同 じ結 論 に達 し て い
これ ら の会 合 の大 体 の日付 をな ら べる ことが でき る でし ょう か。
た よう に見 え ま した。 問
会 合 は頻 繁 であ った し、 ま た長期 にわ た りま し た から 、今 す ぐ
す か。 彼 等が 戦 犯 に でも指 定 され る かも 知 れな いと いう ので す か。
答
或 は 誰 かが 彼等 に仕 返 しを す る かも 知れ な い と いう の です か。
さ ね ば な るま いと 感 じら れ て いま し たが、 台湾 と 朝 鮮 に関 し て は
わ け で はあ り ませ ん で した 。 一般 的 に漠 然 と は、 占領 地 域 は手 放
こ の点 に関す る 限 り、 米 内 大将 と 私 は完 全 に意見 の 一致 を見 た
あ り ま せ んで した 。
し た が、 日 本が 何 を放 棄 せねば なら ぬかと いう こと は正式 の話 は
そ の問 題 に ついて は、 個人 的 に はひそ か に いろ いろ 話 し合 いま
備 す べき こと に つい て は、 ど ん な結 論 が出 ま し たか。
陸 軍 の問題 はそ の辺 で打 切 りと し て、 日本 が 降伏 す る た め に準
う のは陸 軍 省 の過 激分 子 の報 復 に よる も のを指 し て いる のです 。
私 はそ の人 たちが 戦 犯 と 見敬 さ れ る と は思 いま せ ん。危 険 と い
こ の場 でお答 えす る こ と はでき ませ ん。 も し、 是 非 とも 必 要 なら
答
問
答
喜 ん でそ の正確 な資 料 をま と め てお 渡 しし ま し ょう 。 ひそ れ を頂 き た いも の です。
と いう のは、 彼 等 を納 得 さ せ得 な か った か ら です か 。そ れ と も、
も あ れ、 わ れ われ は陸 軍 の連 中 と はそう 深 入 り しま せ ん でし た。
せ んし、 ま た彼 等 が身 辺 の危険 を感ず る かも分 りま せ ん から 。 と
と申 し上げ る のは、 関 係 のあ った 人 々に迷惑 にな る かも 知 れ ま
り深 入 りし な い でほ し いも の です。
し かし、 も し どう し て もと いう ので な か った ら、 そ の問題 にあ ま
はい、 わ れ われ は彼 等 ︱ ︱陸 軍 にも連 絡 を つけ よ う とし ま し た。
得 さ せ るた め に何 か や って見 ま し たか。
あ な たは陸 軍 側 の誰 かと も相 談 し まし た か。 そ の際 陸 軍 に も納
問 ぜ
答
問
意 見 の相違 が あ り ま した 。 台 湾 お よび朝 鮮 は食 糧 供給 源 と し て、
問 国 民 の総意 にま で 盛 りあ げ る唯 一つ の方 法 は天 皇 を通 じ て と い
で は 、 一般 世 論 の動向 はど う で し たか 。
日 本 の生命 線 であ る と いう ことが 論 ぜ ら れ て い た のです 。
答
答
問
日時 は 一々 は っき り覚 えて いま せ んが 、昭 和 十九 年 九 月 に私 が
軍令 部 出 仕 にな った とき から 八月 のな かば ︹ 昭和 二十年︺終戦 時 ま
他 の民 間指 導 者 た ち はあ な た 方 に会 って から 納得 し た のです か。
で つづ き まし た。
か。
そ れ とも 、 そ の以 前 か ら戦 争 早 期終 結 の必要 を 痛感 し て いま し た
間 接 で はあ り ま し たが 、 六月 の はじ め には早 く も 天皇 が 終 戦 の
何 か 日付 が あ り そう な も のです が ⋮ ⋮ ⋮。
い つだ った か、 は っき り覚 え て は いま せ ん。
か。
木 戸 が最 初 に終 戦 に乗 気 であ る様 子 を見 せ た の は い つご ろ です
と をよ く 知 って いま し た。
は岡 田、 米 内 両 大将 を 通 じ て木 戸 内 府 が終 戦 案 に傾 き つ つあ る こ
私 個 人 に対 し て、 彼 が そ う述 べ た こと はあ り ま せん 。 し かし 私
ことが あ り ます か。
木 戸 は戦 争 終 結 の意 見 に賛 成 だと いう こと を あな た に表 明 し た
も 同様 に いく ら か の影響 は受 け た で し ょう。
思 召 によ るも のか は分 り ませ ん 。 こ の人 たち は、多 分 、 よそ から
た も のか 、或 は他 の人 に説 得 さ れ た の か、 ま た は天 皇 御 自身 の御
木 戸内 府 に関 して は、 彼 が 私 の意見 で影 響 を受 け てそ の気 にな っ
私 は近 衛 公 は以 前 か ら強 く そ の意 見 を 持 って いたと 思 います 。
う のが 私 の結 論 で し た。 こ の点、 日本 の場 合 は、 世 論 を作 って行
そ の線 に沿 って 、 天皇 に近づ く こと が でき ると 感 じ て いま し た か。 ただ 哺つの方 法 は 、木 戸 内 府 を通 じ て や る こと だ と考 え て い ま
答
答
問
この問 題 に つい て、 木 戸を 納 得 さ せ る こと は相 当 の困 難 があ る
りも っと 早 く終 戦 に傾 き は じ め て いた に ちが いあ り ま せ ん。
御 決 意 をさ れ て おら れ た と聞 き まし た。 そ の場合 、 木戸 はそ れ よ
問
答
問
答
く こと が でき る ア メリ カ と は大分 趣 を異 にし て いま す 。 問
答
し た。 一度 び彼 が わ れ われ の考 え方 に完 全 に同 調 す れば 、 つま り 彼 を 承 服 さ せれ ば 、 其後 は天 皇 に働 き か け る こと はた やす いこ と で し た。 天 皇 御自 身 が 、 も とも と 、熱 烈 な 平 和 主義 者 で あ り、 はじ め か
日 本 国家 の運 命 は今 や 累 卵 の危 き にあ る と痛 感 し ま した 。そ こ
て おし 進 め て行 く こ とが 、 はた し て可能 であ ると 思 いま し た か。
陸 軍 の反対 の矢 面 に敢 然 と 立 って、 そう いう 問 題 と取 組 みそ し
から で す。 天 皇 は戦 争 に は反 対 であ ら れ ま し た。
ら 戦 端 を 開き 、 干 戈 に訴 え るこ と に はち っとも 御 同 意 でな か った
問
答
でわ れ わ れ は陸 軍 の反対 を 押 し切 り 、 も し 必要 な らば 革 命 も辞 せ
あ な た は木 戸 に接 近 し まし た か。
ず や り とげ よう と 決 意 し ま した 。 問
は い 、 われ わ れ は 岡 田大 将 を通 じ て、 たび た び彼 に近づ き ま し
ど の時期 に です か。
た。
答
問
答
問
私 は木 戸 を承 服 さ せ る こと は 大 して むず か し いと は思 いま せ ん
と 感 じ ま し た か。
でし た。 最 大 の難 事 は革 命 の危 険 を冒 さ な い で陸 軍 を説 得 す る と い う こと で し た。
問
答
昭 和 二十 年 に入 って から の米陸 軍 と 空軍 の対 日作 戦が こ の決定
に参 加 し た色 々 のグ ル ープ の態度 に及ぼ し た 影響 は、 い ったいど
それ は、 む ろん、 こ の人 た ち に深 刻 な影 響 を与 え ま し たと も 。
ん なも のだ った でし ょう かね 。
と申 しま す のは、 生 産部 門 に対す る脅 威、 国 民 の不 安 動揺 の可能
性 、 日本 も ド イ ツと 同 じ運 命 に立 ち 至る ので はな い かと いう 恐 怖
あ な たが 直 接 に、 ま た は第 三 者 を介 し て、 陸 軍 と の間 に行 な っ
そ のまま で 行け ば 、 ど ん な事 態 が起 こ った と思 います か。
等 が そ こ に渦 巻 い て いた か ら です 。
そ んな風 でと こと んま で行 け ば 、 何 の罪 科も な い婦 人 、 子 供等
こなわ れ まし た か。 そ し て問題 はど ん な風 に発 展 し ま した か。 問
た論 議 に ついて知 って いま し た か。両 者 の間 で はど んな 話合 が お
そ の辺 の話 全 体 に つい て はど んな こと をご 承 知 です か。第 一は
あ な た は、 日本 が 受 け て いた連 続 空襲 下 にお いて 政治 的 安定 が
ご質 問 の内 容 は政 府 の意 味 で し ょう か、 そ れと も 天皇 の意 味 で
まず 第 一、陸 軍 の主 張だ け を 支 持す る こと は政府 にと っても 非
両方 です 。あ な た のご都 合 で分 けら れ て も結 構 です 。
し ょう か。 問
答
問
内閣 そ のも のを 指 し て おら れ る の です か。
う か。
政 府 は つぶれ て しま う か も知 れ な い程 度 ま で弱 体 化 し たで し ょ
常 に困 難 にな って い ただ ろ う と思 います 。
答
答
ず っと維 持 され ると 考 え ま し たか。
問
本 を 破 滅 の淵 に追 い込 んだ で し ょう 。
そ し てド イ ツが そ のと った政 策 の結 果 破 れ去 った と同 程 度 に日
と は必 至 です 。
そ の結 果 は、 歴 史 上、 日本 の存 立 を 二千年 も 三千 年 も脅 や かす こ
に塗 炭 の苦 し みと、 目も あ て ら れな い犠 牲 を も たら し た でし ょう
答
私 はあ る陸 軍 軍人 たち か ら直 接 に、 阿 南 大 将が そ の提案 に賛 成
こんだ ことを 区 別 し て いた だき た いと思 いま す 。
わ れ われ はあ なた が 個 人的 に知 って いる こ と と、 あ な たが 聞 き
と に つ いて。
直 接あ な た自 身 知 って い る こと。 第 二はあ な た が人 か ら聞 いた こ
答
し かし 、米 内 大将 は阿 南 大将 が 強 硬 の立 場 を と って容 易 に賛 意
す る よう にな る かも知 れな いと 聞き ま し た。
を 表 しな い ことを 知 って いま し た。 そ し て私 の想 像 で は、 木 戸内 府 も 陸軍 の強腰 な態 度 を よく 知 って いた ので、 そ の必 然的 な 成行
あく ま で天 皇 と し て 残 られ る と いう 条 件 で、 天皇 御自 身 によ って
陸 軍 は、 最 後 に は、 日本 国家 の形 体 は存 続 す る、 即ち 、 天 皇 は
そ れ とも 陸 軍 の態 度 にか か わら ず 、事 は運 ば れ た の です か。
陸 軍 は結 局 、 納得 し た のです か。
をし た のだ と 思 います 。
き を懸 念 し て、 しば ら く の間 、 様 子を 見 て いて、 や が て重 大 決 意
問
答
納 得 さ せら れ ま し た。
問 私 は革 命 の危険 に つ いて はと く に心配 した と いう よ り は、 現 在
内閣 も 政 治 形態 を ひ っく る め て の つも りです 。
あ な た の言及 し た 不安 動 揺 と いう のは 何 です か。
ま し た。
の内 閣 に よ る政 府が はた し てど う な る かが も っと気 にか か って い
答
問 私 はそ の不安 動 揺が 、 必 ず しも 、 農 民 や 労働 者 に よ る本 格的 革
問
答
あな た の意 見 では、 サイ パ ン失 陥 と いう こと に、 特 に何 か 重要
一般 的 に言 って、 二 つの大 き な理 由 が あ りま す。
性 があ った ので し ょう か。
第 一は、 サイ パ ン の陥 落 は日本 本 土 に対す る空襲 の激 化を 意味 しま し た。
第 二は、 日 本 国 民が 絶 大 の信 頼 を つな いで い た海軍 の惨敗 でし
た。 そ の大敗 北 は当 時 のわ れ われ の戦争 に対す る気持 ちを非 常 な
答
り得 ると いう こと で し た。 都 市が 破 壊 さ れ て、 日本 本 土 の国 民が
そ れ か らも う 一つは、 連 合 軍 の日 本 本土 上 陸 と いう 可能 性 があ
て、 そ の生 産 能 力 を奪 い去 ら れま し た。
た。 日本 は大 都 市ば かり で なく 、中 小都 市 の工業 施 設も 破 壊 され
れ 、 日本 の戦略 はな りた た な いと いう こと が は っき り してき まし
サイ パ ンが 敵 手 に落 ち て から は、 B 29 の日本 本 土攻 撃が 強 化 さ
の推移 に つ いて、 ど ん な段 階 が や ってく る と予 想 し ま した か。
た か。 戦 争 は継 続 で き そう で し た か。 サイ パ ンを失 って から 戦 局
あ な た は戦 局 の成行 き に対 し て、 ど ん な見 透 しを 持 って いま し
と は 、む しろ 戦争 努 力 に対 す る 無関 心 、 消 極的 な 反 抗、 サボ タ ー 問
命 の形 を と った のだ ろう と は思 いま せん 。も っと 起 こ り得 べき こ
木 戸 幸 一
調 査 団委 員 長
サイ パ ンは非 常 によ く防 備 さ れ て堅 固 な要 塞 だ と信 じ こ ん でいま
国 民 は 一般 に、 サ イ パ ン防衛 に大 き な期 待 を かけ て い た のです 。
なも ので し た か。
んな グ ループ が 反対 意 見 で し たか 。 ま た、 そ の両 者 の関 係 はど ん
せ んか。 ど んな グ ル ープが あ な た と 同意 見 だ ったで し ょう か。 ど
で は、 サイ パ ンが 落 ち た当 時 の国内 政 治情 勢 を 説 明し て頂 け ま
生 活が 崩 壊 す るだ ろ う と いう こと を私 は非常 に心配 しま し た。
答
問
答
不安 に投げ こ みま し た。
ジ ュと な って発 展 し て行 くだ ろう と いう こと で した。 そう な れば 、
6
質問者
問 答筆 記
それ は かな り早 く か ら で、 サイ パ ン喪 失直 後 で し た。 当時 の私
模 様が 悪 化 し た のは い つでし たか。
あ な た から見 て、戦 争 継 続 は考 え も のだと 思 われ る ほど戦 局 の
F ・ド ナリ ア
戦 争 努 力 に関 す る 限 り、 国 家全 体 の力 は無 に等 しく な る わけ で す。
問
答
の気持 ち で は、 これ は戦争 に終 止符 を 打 つこ とを 考 え た方 が 得 策 だ と感 じ まし た。 し かし 、種 々 の政 治 上 の理由 で、 そ の方 向 に動 き 出 す のは、 そ の頃 は でき な い相 談 で し た。
し た。 と ころが 、 実 際 は難 攻 不 落ど ころ か ま こと にあ っけ な く奪 た か。
問
問
答
問
サイ パ ン失陥 後 、 あ な た と同 様 に、 戦 争 をと こと ん ま で継続 す
全 然 気乗 薄 のよ う に見 受 け ま し た。
米 内 大将 はそ の動 き に積 極的 でし た か。
統 合 す る か合 同す べし と いう声 が あが って いま し た。
も ち ろ ん、 そ の問 題 は大 い にあ り まし た。 陸 海軍 の両統 帥 部 を
東 条 内 閣 退陣 当 時 、陸 海 軍 の間 のすき ま は大き く な って いま し
取 さ れ る始 末 で し た。 そ し て こ の予想 に反 し た結 果 は国 民全 体 に 答
であ った東 条 大 将 は陸 相 の外 に更 に参 謀 総 長 ま で兼 任 ︹サイパ ン失
大 き な衝 撃 を 与 え ま し た。 そ の事態 に備 え る た め と称 し て、 首 相
彼 は 一人 で三 役 を兼 ねる こと にな り、 前 よ り亀ず っ之 大 き な勢
陥は十九年七月、総長兼任は同年 二月︺す る こと に な りま し た。
力 を 持 つこと にな り ま し た。 こ の お手 盛人 事 は、す で に国 内 にく
る こと は考 えな お す必 要 が あ る と いう よう に考 え たグ ループ はど
一般 的 に言 え ば 、 ク ラブ に集 る いわ ゆ る自 由 主義 者 た ちや 相当
すぶ って い た反 東 条熱 に拍 車 を かけ る こ と にな り 、 ﹁東 条 打 倒﹂
答
ん な連 申 で し た か。
そ の頃、 軍 需 物 資 の生産 も 遅 々と し てす こ しも 進 まず 、 国 民 生
の気 運 は日増 し に大 き くな るば か り でし た。
な 人数 の貴 衆両 院 議員 や重 臣 層 の人 々 の大部 分 も、 これ は何 か 手
答
問
そ のご質 問 に対 し て、 私 にはそ の答 弁 が で き兼 ね ま す。 私 自身
なぜ 、何 の手 段も 講 ぜ ら れ な か った のです か。
た。
そ れが 、 ただ 意 見 を 述 べ 合う 程 度 で、 何等 具体 化 し ま せん でし
そ れ で、 ど ん な こと にな り ま した か。
活 も ます ま す窮 屈 の度 を 加 え る 一方 でし た 。 そ こ へも ってき て 、
問
を 打 たね ば な る ま いと いう意 見 で七 た。
経 済 生活 に関 す る諸 制 限 を 一層 強 化 しま し た 。 こ んな ことが 、 か
答
東条 政 府 は急 迫 した 事 態 を乗 切 り、 成 果 を あげ よう と し て国 民 の
て て 加 えて 、 国 民 の東 条 に対 す る 強 い反 感 を そ そ り たて た他 の原
一般 国民 と し て は、 自 分 達 を押 え つけ るだ け で なく 、 も っと ゆ
因 でし た。
るや か な自 由 と 、も っと 大 き な国 民 の創 意 工夫 を 認 め て ほし い と
も他 の同志 も 、 何 か手 が 打 た れ ると いいと は 思 ってい た のです が 、
お っし ゃる通 りで す。 陸 軍 が そ の支 配 的な 理 由 で した 。そ のう
陸軍 の態度 が 、 そ の支 配 的 な 理由 です か。
いう こと で し た。 そ う し た方 が天 下 り式 統 制 よりず っと い い成 績
問
急 に は何 の変 化 も起 こり ま せ ん でし た。
最 高 潮 ま で盛 りあ が って、 昭 和十 九 年 七 月 に東 条 内 閣 は倒 壊 し ま
をあ げ る こ とが でき る と信 じ て い た のです 。 こ んな 民 心 の動向 が
した。
え 、 陸 軍 はそ の憲 兵 政 治 の網 の目 のよう に は り めぐ ら した組 織 を
そ の当時 、 天 皇が 詔 書 を 出 さ れた と した ら 、陸 軍 は それ に従 っ
強 化 拡 大 し て、 反戦 言 動 を弾 圧 しま し た。 問
答
これ よ りさ き、 大 政 翼賛 会 な ど 種 々 のグ ループ が 、 生産 増 強 の た めに国 民 の創 意 をも っと は働 かせ る よう にし よう と いう の で、 毎 日 のよう に会 合 を 開 い て いま し た。
答
問
答
問
答
問 答
問
た でし ょう か。 も し、 ド イ ツ崩 壊 以 前 に、天 皇 が終 戦 を命 令 され て いた と し た ら 、 ク ー デ タ ーを起 こす危 険 が あ り ま し た。 当時 終 戦 詔書 を 発 布 さ れ た らど んな こ と にな った かを 判断 す る こと は困 難 です 。 実 際
に はむ ろ ん の こと、 政 治 家 た ち の間 にす ら 、 まだ 発 生 し行 き わ た
問 題 と し て、終 戦 と いう よ うな 、 そ ん な 風な 感 情 や雰 囲気 は 一般
陸 軍 を終 戦 の勅 命 に従 う よう な 気 にす る のに は、 そ の前 に、 ど
っては いな か った のです から ⋮ ⋮ ⋮。
軍 部 の指導 者 た ち自 身 が、 勅 命 を 必要 と認 める よう な 事態 に追
んな こ と が 必要 条 件だ と あ な た は考 え ま し た か。
い こま れ る こと が 必要 だ った でし ょう 。 し かし、 少 く と もド イ ツ
東 条 が引 き さ が って小 磯 が後 を 継 い だ時 、 彼 は戦 争 の終結 を 考
降 伏 前 に は軍 側 には何 も そ ん な徴 候 は あ りま せん でし た 。
え る こ と に つ いて、 何 か措置 を 講 じ な けれ ば な ら ぬと いう気 持 ち
彼 は何 か考 ねば なら な いと いう 気持 ち は早 く か ら持 って い た よ
にな って い た でし ょう か。
で戦 い抜 く と いう 戦争 指 導 政策 を実 行 す る こと にき ま った のです 。
う で す。 と ころが 、 組 閣が 完 了 した とき に は、彼 の内 閣 は最 後 ま
首 相 の選考 に は重臣 全 部 の承認 を 要 し ま した か 。
つま り 、 この点 で は前 内 閣 と 同 じ でし た 。
い いえ、 別 に要 りま せん。 首 相 の選 考︱ ︱ 奏請 は内 大 臣 に よ っ て行 な わ れ ますが 、内 大 臣 は首 相 の内定 に当 って は重 臣 と協 議 し ます 。 重 臣 は小 磯 を つぐ 鈴 木 の選 考 に つい て相 談 を受 け ま し た か。
答
ほ か にも あ った後 継 首相 候 補 者 の中 から 、特 に、鈴 木 を選 ぶよ
そ の通 り で す 。
二十年︺ の八 月 か九 日 で した 。
も し、 私 の記憶 に誤 りが なけ れば 、 最 初 の第 一歩 は 六月 ︹ 昭和
間 の いく つか の段階 を述 べ る こと が で き ます か。
終 戦 の詔 書 が 発布 に こぎ つけ る ま で に、 万事 を と り運 んだ そ の
いか に し て、 い つ収 拾 に乗 りだ す か と いう こと でし た。
は常 識 的 に言 って、 ど んな措 置 を と る かと いう こと で はな く て、
私 は彼 が ど ん な手 を 打 った かよ く は存 じ ま せ んが、 当 時 の事 態
た か。
鈴木 は こ の問 題を 根 木的 に再 検討 す るた め ど んな ことを し まし
が け の至難 事 で し た から。
な ぜ な ら、 そ の直 面 し た課 題 はそ れ を実 現 す る の に文字 通 り生 命
そ の適 格 者 と し て は鈴 木大 将 を のぞ い て外 に誰 も いま せん で した 。
討 す る に は、 よ ほど の誠実 さ と 不動 の 勇気 の持 主 を 必要 と し ます 。
そう いう 問題 を、 一切、 行 きが か り にと ら われず 本 質 的 に再 検
争 政策 の根 本 的 な再 考 に徹 底 的 に掘 り さげ て行 け る 人物 で し た。
しな か った こと で し た。鈴 木 大 将 は 過 去 の行き が かりが な く、 戦
小磯 内 閣 が 支持 を 失 った最 大 の点 は、 各 種 問題 を 抜本 的 に考 慮
う にさ せた 素 因 は何 でし た か。
問
答
問
答
問
答
つま り、 そ の頃首 相 、外 相 およ び陸 海 両 相が 、 あ る 決定 的 な手
そ の時 の大 体 の考 え は ソ連 に和 平 の調停 に乗 り出 し て貰 う と い
段を と ら ねば な ら な いと いう こと で 意 見 の 一致 を見 ま し た。
う こと でし た。話 は、 も し近 衛 公が ソ連 の同 意を 得 れば 、 特使 と
し て彼 を 派 遣 し よう と いう 所 ま で進 みま し た。 近 衛 使節 派 遣 を 示 唆 し た文 書 は 多分 、 モ ロト フが ポ ツダ ム会 議 に出 かけ て しま った 後 で モス コーに着 い た ので し ょう 。何 の返 事 も あ りま せ ん でし た 。 そ れ から 、 ポ ツダ ム宣 言 の発 布 と な り、 そ し て モ ロト フが モ ス コー に帰 ると 、 ソ連 は 日本 に宣戦 布 告 を し まし た 。 そ こで戦 争 を 続 行す る こと は、 も はや、 でき な いも ので す か ら、 ポ ツダ ム宣 言受 諾 の問題 が 起 こ った の です 。
問
ソ連 の参 戦 と原 爆 の投 下 のど ち らが 陸 軍 に大 き な影 響 力を も っ
て いた か は、 私 と し て は お答 えが でき な い次第 です。
終 戦 の詔 書 が い よ いよ 出 る ま では、 い つでも 陸 海 両大 臣 を含 む
ら れ まし た。 そ う で な けれ ば 、 軍隊 の秩序 を 保 ち軍 紀 を 維持 さ せ
詔 書 が出 る前 に、陸 海 軍 両 大 臣 の同意 を得 る た め に、 手段 が と
て いま し た か。
閣 僚 全 員が 、 大体 、 意 見 を 一致 させ る こと を 必要 と し たと 、考 え
答
はじ め から賛 成 でし た。 し かし 、陸 軍 大 臣 はそ の背 後 の軍隊 の動
る こと は極 度 に困 難 な問 題 だ った でし ょう。 海 軍側 はそ もそ も の
答
問
答
問
答
れ る前 に、 早 く も 六月 上 旬す で にわ れ われ は終 戦 方 法 発見 のた め
前 述 のよう に、原 爆 が 落 され 、 ソ連 から最 後 通 牒 を つき つけら
はど のくら い続 い たと 考 え ます か。
原爆 投下 も なく 、 ま た ソ連 の宣戦 布 告 も な か った場 合 には戦 争
的 な も のと し て は、 そ の前 に はな にも あ り ま せん で し た。
次第 に、 種 々の意 見 の表 明 が 活溌 に はな ってき ま し たが 、 具 体
か の手 段が と ら れま し たか。
六月 以 前 に、 例 えば 四月 に鈴 木大 将が 登場 し てき たとき に、 何
いろ い ろ活 動が 行 な わ れま し た 。
六 月上 旬 か らず っと続 け てき ま し た。そ し て 、 そ の方 向 に対 し て
は い、 前 にも 申 し上 げ た よ う に、 軍部 大 臣 の同意 を得 る ため に
に何 かや って見 ま し た か。
も 、 も っと 直 接 的な 終 戦 方策 と して、 軍 部 大臣 の同意 を得 る た め
八 月 八 日よ り 以前 、 ソ連 を通 じ て行 な われ て いた外 交 折 衝 よ り
向 を顧 慮 して か、 最 初 のう ち は容易 に承 諾 し かね て いま し た。
閣 議 が 何 度も 開 かれ ま し たが 、 一向 に意見 の 一致 に達 しま せ ん
問
で し た。陸 軍 大臣 は最後 ま で戦 い抜 く 以 外 にと る べき道 はな いと
ど ち らが 日 本 の降 伏 に大き な力 を も って いた かと いう こと で す ね 。
あ なた の御質 問 の内 容 は、 ソ連参 戦 の衝撃 と原 爆 投 下 の影 響 の
りま す か。
制 圧 し た こと は原 爆 投下 よ りも っと重 大 な 影響 を 与 え た こと にな
あ なた の意 見 で は、 ソ連 が 参戦 して 、 そ の軍 の威力 で 日本軍 を
こう いう所 で よ ろし いです か 。
べき 連 中 を し て、 終 戦 と いう意 見 に同 意 さ せる こと にな り ま し た。
原子 爆弾 の投 下 が あ ったと いう こと は ﹁日和 見 主 義者 ﹂ と も いう
抗 戦、 和 平 のそ れ ぞ れ の側 に言 分が あ った のです 。 と もあ れ 、
り ま せん で し た。
思 って いま し たが 、 軍 部全 般 の感 情 や意 見 は 必ず し もそ う では あ
問
答
原 子爆 弾 に関 す る限 り、 陸 軍 は最 初 そ の威力 や 効 果 を見 く び ろ う と し まし た。 か て て加 え てそ の現場 の調 査 も い い加 減 で、 そ の
で し た。
恐 るべき 真 の力 を われ わ れ に考 え さ せ る程 十 分 に徹 底 さ せま せ ん
の決意 を しま し た。 終 戦 は既 定 の事実 であ り ま し た。 原 爆 が 落 ち た こと と、 ソ連 の戦争 加 入 は明白 に軍 部 大臣 に戦 争
原 爆 にも 見舞 わ れず 、 ソ連 もそ のま まだ った と仮 定 し た場 合、
持 ち上 って いま した 。
終 戦 に関 し て陸 海 両 軍間 に意 見 の 一致 を得 さ せる た め に は、 米軍
問
が 日本 本 土 の 一部 に成功 的 な侵 入を す る ことが 必 要 だ った でし ょ
けば 、 何 等 か の混 乱 が起 こ った かも 知 れ ま せん。 し かしそ のま ま
って行 く た め にあ ら ゆ る努 力 が払 われ ま し た。も し、 時 日が 長 び
事 実 、 日本 本 土 にア メ リ カ軍 の 一兵 も上 陸 さ せず に、終 戦 にも
う か。
し た こ と は事実 ですが 。 も し も 、 原爆 が 投 下 され ず 、 ソ連 の参 戦
答
も な か ったな らば 、 戦争 を 終 結 にも って行 こう と す る 政策 が あ ん
の状 況 でし た から 大 し た困 難 もな く 事 態 を収 拾す る ことが でき る
問
われ わ れ に は陸 軍 は そう 説 明 し て いま した 。陸 軍 は自信 あ り げ
る のに自 信 が あ った のです か。
わ れ われ はあ る段 階 で、 天 皇 が陸 海 両 大 臣を 招 いて ﹁す べ て の
で し た。
戦 争 は初 めが あ る よう に、 そ れ は ま た、終 りが な けれ ば な ら な い。
たと 信 じ ます 。 し か し謁 見 の場 に居 合 せ ま せん で した か ら、 ど の
天 皇 の方 に は絶 えず そ のお考 え と 、折 に ふれ て のお尋 ね が あ っ
と いう と、 そ の話 は大 体 正 し いわ け です か 。
り ま した 。
終 戦 問題 に つい て は、 天皇 から た び たび そ のよ う な御 下 問 があ
し渡 さ れ た と聞 き ま した 。 それ はほ ん とう の話 です か。
陸 海 軍 は こ の戦争 を終 結 さ せ るた め にど んな提 案 が あ るか ﹂ と申
問
答
陸 軍 は連 合軍 の日本 本 土 侵 攻を 阻 止 し、 上次 を 不 成 功 に終 ら せ
な にす ら す ら と順 調 に進 んだ かど う か は疑 わ し いも のです 。 軍 隊
問
ことが 分 りま し た。
のです 。 ソ連 の飛 入 りが なく て も、 原 爆 が落 下 しな く ても 、 十 一月 一日 以 前 に と にか く 戦争 は終 って いた だ ろう と いう のが あ な た のご 意 見 だ と み な し ても よ ろ し いです か。 私 個 人 の意 見 と し て は、戦 争 終 結 のた め にあ らゆ る努 力が す で に、 出 し つく さ れ て いま し た から 、 十 一月 以 前 に は終 末 は つい て
ドイ ツが降 伏 し て、 日 本 が ひ いき 目 に み ても 孤 立無 援 に な った
い ただ ろう と思 いま す 。
とき 、 日 本 の置 かれ た国 際 的 地位 に つ いて、 ど んな論 議 が 行 な わ
ドイ ツが降 伏 した とき に は、特 に取 り 立 て て いう ほど の盛 ん な
れ ま し た か。戦 争 続 行 の 可否 に つい て論 議が あ り ま し た か。
答
内 部 に相 当 大規 模 な叛 乱が 起 こ った ろう こと も容 易 に想像 さ れ る
徹 底 抗 戦 を 主張 す る連 中 を 沈 黙 させ 、 終戦 への運 び を たや す く
それ は時 間 的 な問 題 で はあ りま せ ん で した 。
ど の程 度 早 めた か と いう こと です 。
終 結 への同 意を 早 めさ せ たわ け です ね 。 われ わ れ が 知 り た い のは
問
答
問
答
問
答
答
程 度 の こと を言 わ れ た のか 、話 の内 容が ど んなも のであ った か、
討 議 はあ りま せ ん でし た。 し かし、 ド イ ツ の前 途 には も はや 望 み が な い と いう議 論 と 平行 し て、 日本 は戦 争 を打 ち切 ら ねば な ら な いと い う見 地 から 、 何 か手 段 を 講ず べき だ と いう 意見 も 一部 には
問
答
問
答
問
答
近 衛 文麿
詳 し い こと は知り ま せ ん。
7
問答筆記 い つご ろ政 府 の有 力者 た ち、 た とえ ば 木戸 侯 のよう な 人 は、 こ の戦 争 に は勝 目が な い から 、 どう し ても 終戦 工作 に乗 り 出す べき
た ぶ ん、 そ んな 人 た ち は、 サイ パ ンが 敵 手 に落 ち たと き 、 こ の
だ と いう 風 に考 えま し た か。
ま ま で は いけ な いと 感 じた でし ょう 。 サイ パ ン失陥 以後 は、 彼等 は も は や、 日本 に は勝利 の望 み は なく な った と思 った の です 。
問
答
問
皇 に終止 符 を 打 って いた だ くと し て、 そ れ に は側 近 の木 戸 内府 を
そ れな ら 、木 戸 を 通 じ て、 天 皇 に進 言 し よう と努 力 し た 人 々 は
通 じ て天 皇 にお 願 いす る 努 力が 行 な われ ま し た。
誰 です か。
そ う です ね 。 一番 熱 心 に奔 走 し た の は現 在 ︹ 昭和 二十年 十 一月︺
で は、 主題 を “ 終 戦 は いか に して 到達 さ れ た か”と いう こ と に
の外 相吉 田茂 あ た り で はな いで し ょう か。
あ な た は、 戦 争 を成 功 裡 に収 める こと は、 サ イ パ ン失 陥 後 に は、
もど し ま し ょう 。
不可 能 に な った と 言 われ ま し たね 。 ま た、 そ の時 期 に、 一部 の人
も ち ろ ん、 そ の工作 は陸 軍側 の こと で はあ り ま せん。 陸 軍 以外
が 戦 争終 結 の準 備 運動 に着 手 し はじ め たと も お っし ゃいま し た ね。
で天 皇 に働 き かけ よう と して い た人 た ち の こと です 。当 時 と し て
は、 そ ん な談 合 や 運 動 をや る のは、 ま ったく 生命 が け の危 険 な 仕
答
事 でし た か ら、 大 っぴ ら にや れ るわ け で はな く 、人 目 を避 け て 極
サイ パ ンが 失わ れ た とき 、 戦争 を終 結 さ せ る ため 何 の手 段 も講 ぜ ら れ な か った の は、 なぜ です か 。 ま た、 ど んな 見 透 しが あ って
まず 、吉 田が そ の 一人 でし た。 そ れ か ら、米 内 、 岡 田両 海 軍 大
と誰 でし た か。
あ な たが 直 接 に知 ってる 人 た ち のう ち で、 そ の意 見 の人 々は誰
日本 政 府 は サイ パ ン陥 落 後 も 終戦 措 置 に手 を つけ な か った のです
問
実 です か。
和 平 派 の人 々が 昭和 十 九 年 十 二月 に会 合 を開 い たと いう のは事
級 に属 し て い た人 で、 こ の運 動 に参 画 し た人 は 一人 もあ り ま せ ん。
た のは 例外 なく 高 官連 でし た。 私 の知 って いる限 り で は、 下 層階
将 です 。彼 等 はみ な上 層 階 級 で し たが、 こ の終 戦 運 動 に乗 り 出 し
答
問
秘裡 に進 め ねば な ら な か った のです 。
何 にも し な か った わけ で はあ り ま せ ん。 戦争 を 終 ら せ よう とす
か。
る 努力 は払 わ れ た のです 。 し か し軍 部 、 特 に次 軍 が そ んな 動 き を
そ の辺 を は っき り さ せ た い のです が 、 和 平運 動 のた め の努 力 と
封 殺す る こと に努 め、最 後 ま で 戦 いぬく 決 心 を した のです 。
結 局 のと ころ、 最後 は天 皇 の命 令 に よ って はじ め て終 戦 が 招来
はい った いど ん な内 容 のも の でし た か。
さ れ た こと でも わ か る よう に 、 サ イ パ ン失陥 後 も 、 そ こま で 行く 過程 と して、 天 皇 の耳 に お入 れ し よう と す る努 力︱ ︱ いず れ は 天
答
時 折、 元首 相連 中 ︱︱ つま り重 臣 グ ループ の会 合 は や って いま し た。 と ころ で重 臣 た ち は、 こ の意 見 、 つま り終 戦 意見 の支 持 者 だ っ
東 条 政 府が 総 辞 職 す る三 日前 、 彼 等 は海 軍大 臣︱ ︱ たし か嶋 田
そ れ は、 おも に、米 内 大 将 の活 動 によ ったも ので した 。 米内 大
か。
だ ったと 思 いま す が︱︱ を や め さ せる こと にも 関 係 し て いま した
問
答
将 は当 時 、嶋 田以 外 のあ る 人 ︹ 東条 を指したものと思われる︺の退 陣
た んで す ね。 そ う で す。
問
答
も ちろ ん、 こ の内 閣 は戦 争 を終 結 にも って行 こうと し て 、熱 心
て い まし た か。
小 磯 内 閣 は戦 争 継続 の問 題 を考 え直 す か も知 れ な いと 期 待 され
の た め に奔 走 し て いた の で した 。 問
重 臣 や、 実 業界 の巨 頭 連中 のグ ル ープが 関 心 を 抱 い た主 な 事柄
答
にそ の問 題 をと り 上げ よう と し て いま し た。 そ の解 決 が 小 磯内 閣
小 磯 内 閣 の全 閣 僚 は、 自 分 た ち の前 に、 いま や 、戦 争 を 続行 す
で し た。
四囲 の情勢 は、 ま だ 、終 戦 処 理 に手 を つけ る こと を許 さ な い時 期
が 成 立 し 、 ま た約 束 し た重 大 課題 でも あ り まし た から 。 と こ ろが
問
べき か、終 結 せし む べき かと いう 大問 題 が横 たわ って いる こ とを
小 磯 内 閣 は重慶 政 府 と連 絡を と る こ と で何 を劃 策 し た ので す か。
た め に努 力 し た こ と は承 知 し て いま す。
か ら彼 等 が 何 を し たか 一向 存 じ ま せ んが 、 重慶 政 権 と連 絡 を と る
私 はそ の当 時 、 小 磯内 閣 と 直 接 、何 の関 係も あ り ま せ んで し た
な 対策 を 講 じ た で し ょう か。
小 磯 内 閣 は戦 争 を 終結 に導 く方 法 や 手 段 を探 求 す る た めに ど ん
って いる こと を了 解 し な い人 も あ った よう です 。
知 って いた人 も あ った でし ょう が 、 今 や 日本 が 重大 な 岐 路 に立
知 って いま し た か。 答
し て いた のです 。 サイ パ ン失 陥 以後 、 日本 が 次第 に負 け て行 く に つれ て、 ど ん な
第 一の段階 と し て は、 当 然 、 空襲 が 日を追 う て 激 化す る だ ろう
段階 を 辿 る こ とを 予 想 し た の です か。
問
答
問
没 落 は 必 至と な り、 共 産 主 義 国家 が 生 れ る かも 知 れ な い﹂ と 憂慮
めさ れ る だ ろう 。 そ し て戦 敗 の結 果 は、支 配 階 級︱ ︱ 上 層 階 級 の
彼 等 は、 も し 、戦 争 が こ のま ま続 け ば、 ﹁日 本 は結 局 、 打 ち の
し ょう か。
も し、 戦 争 が 長び け ば 、 そ の懸 念 はどう いう 風 に表 面 化 し た で
︹ 編者注︺ 本書、前章 の ﹁ 近衛 上奏文﹂を参照 のこと。
り や し な い かと いう こと を 恐 れ て いま し た ね。
彼 等 は、 こ のま ま で は、革 命 ︱ ︱ 共 産革 命 のよ うな も のが起 こ
は、 い った いど ん な こ と です か。
問
答
問
答
問
答
と考 え ま し た。 封鎖 に よ って 、 日本 は世 界 のあ ら ゆ る 国 々 から完
は い、 持 って いま し た。
る こと に、何 か影 響 力 を持 って いま し たか 。
いわ ゆ る支 配 階 級 は、 東 条 の後継 者 と し て小 磯 を 首 相 に任 命す
全 に孤 立 す る こと を 恐 れま し た。 問
答
彼 等 が 日中 和平 工作 に よ って米 英 側 に交 渉 し よう と し て い た こ
大 体、 そ れ は い つご ろ のこ と か記 億 が あ りま す か。
答
問 は っき り 覚 え て いま せ ん が、 何 でも 四 月頃 のこ とだ った と思 い
と は明白 です 。
答 ます。︹ 繆 斌工作 のこと︺ そ れ は小 磯 内 閣 のとき で し た か、 鈴 木 内閣 にな って から で し た
ち ょう ど 、 小 磯 内閣 から 次 の内 閣 に変 ろう と す る時 でし た 。
問
昭 和 二 十年 四 月 、誰 が 木 戸 に、 首 相 を 変 え るべ きだ と 進 言 し た
か。 答
重 臣 たち は、 こ こで職 争 を 終 結 さ せる た め最 善 の努 力 を 傾 け る
のは ど んな 考慮 から で す か。
そ の当時 、 他 の人 で はな く、 鈴 木 を 首 相 と し て選 ぶ こと にし た
そ れ は 明 ら か に重 臣 のグ ル ープ か ら です 。
の です か 。
間
答 問
答
べき であ る と痛 感 し て い ま した が 、鈴 木 大 将 こそ はそ れ を実 行 で き る最 適 の人物 であ る と いう のが 、大 多 数 の 一致 し た意 見 でし た 。 ︹ 編者注︺ 小磯内閣総辞職に伴 う重臣会議顛末 の 一部 この際国民 の信頼を つなぐ意味にて鈴木大将に御引受 け願い
一 近衛 今 迄の行がかりなき人が 宜しからん
同感 なり
一 平沼 一 近衛
そうなれば申し分なし、 これより結構 なることなし
度希望す 一 若槻
鈴木氏は海軍軍 人なるも文官 としても最も御親任 のある人な り。国民 も行が かりなき誠忠無比 の人 なることは信ず る所 な
一 平沼
り
問
答
問
答
問
答
一 東条
一 木戸
戦争 の推移を考 うるとき国内防衛が重点となる故、陸軍を主
自分は此 の際 は鈴木閣下 の御奮起 を願 い度しと考う
体をし て考えざ るべからず此 の見地 より畑元帥 を適当と信ず
一 岡 田 人を知らない故意見を申上難し
軍が ソ ッポを向く虞 れあり
国内が戦場とならんとする現在 よほど御注意 にならないと陸
一 広 田 陸海軍を統率し得 る人 ならばよし 一 東条
ッポを向くとは何事 か国土防衛は誰 れの責任か陸海軍にあら
一 岡田 此 の重大時局大国難 に当 り苟も大命 を拝したるものに対し ソ
ずや ( 木戸 口供書より抜萃)
鈴 木 内 閣 で は閣 員 一人 残 らず 、時 局 の重 大 性 とそ の容易 でな い 使命 を 認 識 し て いま し た か。
は い、 認識 し て いま し た。 そ の点 、 それ を 自 覚 しな い閣 員 も い
た小 磯 内 閣 と は著 し く 対 照的 でし た。
こ の、 継戦 から 終 戦 への、 重 大な 戦 争指 導 方 針変 更 の基 礎 を 据
何 も のよ り も 重く 考 え られ 、 何事 より も早 く 着 手 され ねば なら
え つけ る た め、 ど んな 工事 が 、 まず 、 必要 だ と 考 えら れ ま し たか。
な い こと は 、陸 軍 に効 き 目を も た せ る ため に︱ ︱ 即 ち陸 軍 に重 大
決意 を さ せ 、そ の方 向 を転 換 さ せ る た め に︱ ︱天皇 を通 し て立 ち
国民 全 般 に向 っても 、施 す べき 手 段と し て何 か考 え られ た でし
向 う 必要 が あ ろ う と いう こと でし た 。
ょう か。
陸 軍 を 慰 撫 、鎮 静 さ せ る た め の手 段 を天 皇 にと って いた だく こ
と さ え でき れば 、国 民 を 通 じ て働 き か け る こと はあ ま り有 効 で は
な いと政 府 当 路 者 は考 え て いま した 。 そ こ で、国 民 に対し て働き
問
か け る努 力 は何 にも され ま せん で し た。 鈴 木 内 閣が いよ いよ登 場 し た頃 、 宜伝 方 針 にど んな変 更 が あ っ た か、 あ な た は熟 知 し て おら れ ま し た か。 鈴 木 終 戦内 閣 が 執 ろう と して い る政 策 や 主義 に は、急 激 の変 化
そ の頃 軍事 情 勢 の真相 を 多 少発 表 した で し ょう か。
答 は 別 に見 ら れ ま せ んで し た。 彼等 はそ の考 え をす ぐ には表 面 化 さ せず 、 また や って行 こう と す る計 画 や 内 容 を声 を 大 にし て発 表 も
そ れ は、 む し ろ漠 然 と し て つかま え 所 のな い よう な も の でし た。
し ま せ んで し た。
た だ、 戦 況 発表 報 道 上 の従 来 の宜伝 や 誇 張 ぶ り に思 い切 った手 心 や制 限 を 加 え て、 そ れが 次 第 に真 実 に近 い方 向 に変 り つ つあ った
陸 軍 の方 針 は全 体 と し て、 秘密 主 義 で、 真 相 はあ まり 発 表 し ま
こ と は認 めら れ ま した 。 問
戦 争 を 終 結 さ せる た め に、 天皇 の御 聖断 を得 る のに、 ど んな問
せ ん で した 。
答
問 題 が 含 ま れ て いま し たか。
何 より も まず 、 内 大臣 を 通 し て働 き かけ る こと 、 つまり 木戸 内 府 を同 意 さ せ る こと で した 。 これが う ま く運 び さ え すれ ば 、 もう
答
べ てだ った と 言 え る のです 。
そ れ で九 分 九厘 目 的 を達 し た こと にな る のです 。 そ れが 必要 なす
一番 の難事 は、 陸 軍を 説 得 し、 押 え つけ 、 承 服 さ せ る こと で し
問
答
問
答
あ な た のご意 見 で は、 も し、 天 皇が 早 く も 四月 に終 戦 の詔 書 を
終 戦 工 作が そ ろそ ろ 表 向き にな ってき た 七月 でさ え、 示威 運 動
出 し て おら れ た ら、 陸 軍 は文 句 なし に受 け 入 れ たで し ょう か。
や 反政 府 運動 が あ った のです から、 も しも、 も っと早 く 表面 化 し
勅 命 に は従 ったか も 知 れま せんが 、 過 激な 反 政府 運 動 のよう な
て い たら 、 陸軍 側 に は更 に 大き な混 乱が 起 こ ったで し ょう 。
木 戸 内 府 の胸 奥 には、 叛 乱 や 暴動 が 起 こり はし ま い かと いう 憂
も の は免 れ な か った と 思 い ます 。
和 平 対 策が 提 案 さ れ た とき 、 いよ いよ終 戦 と いう こと にな れば 、
慮が 絶 え ず 去来 し て いた ので し ょう か。
も ち ろん 、 一部 には そ ん な 不祥 事 の発 生 は避 け られ ま いと いう 予
木 戸 内 府 は自 分 の生命 す ら 投 げ出 す こと を覚 悟 の上 で、戦 争 終
感 は終 戦 関係 者 の誰 にも あり ま し た。
問
も し 、終 戦 への努力 が も っと 早く 進 められ て い たら 、 さら に重
は い、 八月 の こと で す。
あ な た は 八月 の こと を指 して お られ ると思 います が ⋮ ⋮。
結 の第 一歩 を ふ み出 し た の で し た。
答
大 な問 題 が起 こ って いた で し ょう か。
問
詔 書 が発 布 さ れ た とき 、 混 乱 を生 ず る危 険 を少 く す る の に役 立 った事 柄 は何 でし た か 。
何 と 申 し ても 、 戦争 努 力 の不振 は争 え な い事実 でし た 。そ れ か
ら、 ソ連 の思 いも よ らな い参 戦 と原 爆 投 下と とも に、戦 争 努 力 の
不振 が こ の終 戦 への動 き を 一挙 に成 熟 さ せ る のに大 い に力 が あ り
答
と であ り 、 天皇 に進 言す る 唯 一つの ルー ト は内 大 臣 を経 由 す る外
ま した 。
た。 こ の難物 にウ ンと言 わ せ る唯 一無 二 の望 み は 天皇 に訴 え る こ
に は絶 対 にあ り ま せ ん で した 。
問 ど れが より多 く 終戦 機 運 を促 進 さ せた と か、 ど ち らが も っと 降
あ なた の述 べた 順序 は、 重要 と思 う 順 序 に述 べ た も のです か。
十 八、第 二次は同じく四、五月 の機動兵団八、 独立職車六旅団、戦車五
聯隊、満洲 からの還送四 コ師団、 第三次 は五、六月から沿岸配備 ならび
に機動兵力 とし て 一般師団十六、 混成五 コ聯隊、外に兵站部隊として約
四十万、自動車 一万二千台、馬 四七万頭、輜重車 二万輌を徴集 し、合計
2、作戦計画要旨 ( 昭和二十年 四月 八日策定)作戦計画 の荒筋 は、来
百五、六十万 を動員しようとするものであ った。
私 は誰 一人 と し て、 そ の頃 あ ん な時 期 にな って、 ま さ か、 ソ連
隻)待機、特 攻艇をできるだけ集中させ、大型潜水艦 ( 十七隻)は敵 の
百浬に潜 水艦 の哨戒幕を張り、予想泊地 の外方に中、小型潜水艦 (二 一
攻予想地域 の距岸 六百浬に哨 戒機約 一四〇 の網を、ま た距岸 二百乃至三
から 最後 通 牒 を つき つけ られ よう と は考 え 及ば な か った と思 いま
航空部隊はそ の精鋭 ( 海軍 特攻約 三三〇機)を米機動部 隊に当らせ、
背後 の輸 送遮 断にさしむける。
の他 の全航空兵力は敵船団空襲に専念 し、上陸船団泊地に接近すれば潜
夜間攻撃 のできる 一部 ( 海軍約五〇機) で艦砲射撃隊 を攻撃さ せる。 そ
水艦、水上、水中特攻艇 と協同して極力 その撃破に努 め、来攻部隊が宮
崎沿岸、四国南西岸に迫 った場合には駆逐艦十九隻 の夜襲も実行する。
敵船団 の第 一次到着 から約十日間に航空の全部、特攻艇 の大部を集中し
つき ま せん 。
さ あ 、 ど ん な計 画 を た てて 対 応 し よう と した か、 私 には見 当が
て い たら 、 日 本陸 軍 はど ん な計 画 を 立 てた で し ょう か。
ア メ リカが 対 日戦 には空 襲 だ け で上 陸作 戦 はや らな いと 宣言 し
なお本土決戦に ついては次章 ﹁付録﹂ を参照されたい。
戦史﹄ 一五 一頁 )
あ てて、 わが特攻攻撃を支援する計画 であ った。 ( 高木惣吉 ﹃太平洋海
五四〇〇機 の予定で、泊地附近 の制空には陸海軍戦闘機約 二〇〇〇機 を
泊地附近 の船団攻撃には陸軍機約 二五〇〇、海軍練習 機二九〇〇、合計
空中戦は体当りを建前 とし、外洋上の船団攻撃には海軍実用機八二五、
ほ か の こと︱ ︱ この上 、 上陸 作 戦 が あ る かも し れ な いな ど と考 え
日本 陸 軍 の最 後 の計 画 は残 存 国 力 を 全面 的 に動員 し て、侵 攻を
て反覆攻撃に努める。
来 る 日 も来 る 日も 、 空襲 が 繰 り返 され る こと を考 え るだ け で、
し たら 、 そ の結果 は い ったいど う な った でし ょう か。
に は空 軍 によ る 攻撃 ︱ 空襲 だ け を 無 限 に継 続 す る つも り だ と宣 言
も し も、 ア メリ カが 日本 本 土 に進 攻す る意 図 はな く て、対 日戦
す 。 ま ったく 寝 耳 に水 でし た。
かも し れ な いと いう よ う な予 感 が 何 かあ り ま し た か。
ソ連 の参 戦が 決 定す る前 に、 或 は ソ連 は 日本 に宣 戦 布告 をす る
ぶ ん難 し い こと です 。
伏 の動機 と し て重 大 であ った と か を は っき り断 言 す る のは、 ず い
答
問
答
問
答
問
答
な い でも 、相 当 の打撃 だ った で し ょう 。
は い、そ れ が 陸軍 の本 土決 戦 計 画 で し た。
い返 し て見 せる と いう ことだ ったと いう の は事 実 です か。
防 ぎ 、 そ し て米 軍 に莫 大 な損 害 を 与 え て、 出 来 れば 、 上 陸 軍 を追
問
答
︹ 編者注︺ 1、動員兵力、本土決戦対 策とし ては昭和十九年十 一月末 現 在約六三九万 の在郷軍人から、召集できる者約四 六九万と いう驚 くべ き判決 を下し、参謀本部 の要求する本土決戦用 の 一般師団四〇 、独立混 成旅団 二十二、 および付随する直属部隊要員を動員しても余裕が あると いう 一方的結論とな った。そ の第 一次動員 は二十年四、五月 の機動兵団
そ れ な ら、 そ ん な宣 言 が通 告 さ れ て い た場 合 、陸 軍 の国 内 にお け る地 位 は、 そ れ で強 化 さ れ たで し ょう か、 弱 体 化 した で し ょう
国 民 の信頼 と、 天 皇 に対 す る 陸軍 の立 場 と の両 方 です。
ご 質 問 の意 味 は国 民 の信 頼 と いう見 地 から で し ょう か。
問
問
答
戦 争 が 長び く に つれ、 両 方 の感情 ︱︱ 国 民感 情 も 天皇 の御 覚 え
か。
答
私 が聞 いた所 で は、 木 戸 内 府 は本 年 四月 ご ろ 、 はじ めて天 皇 に
いう と こ ろ でした か ら、 明 ら か に機 が熟 し てく る のを 待 って、 や
られ ま し た。 し か し 、全 般 と し て の国 内 の空 気が まだ な か な かと
天皇 御 自身 は 一日 も早 く 戦 争 行為 を 終 ら せた いと 日夜 念 じ てお
な か った の です か。
思 い切 った決定 が され た のは、 そ の間 に、 天皇 の方が 気 乗 り され
そ れ で は、 四 月 から 八月 ま で延 び のび にな って から、 や っと、
終 戦 のや む を得 な いこと を進 言 し まし た 。
答
問
答
のも のよ りも 、 現実 に戦 争が 長 び いて いると いう事 実 の方 が 余 計
も 陸 軍 には 不利 に傾き つつあ り まし た 。 です から 、 そ んな 布告 そ
そ う ですね 。 そ の見当 を つけ る こと は私 に は少 々無 理 です 。
も っと、 あ と ま で続 いた で し ょう ね。
木戸内府と終戦促進 のことに関し御談合
東条首相に対し終戦機会捕捉 を御忠告
ソ連 と の和 平 工作 が有 利 な結 果 を も たらす かも 知 れな いな どと
暦)
昭 和十九年 六月 二十六日であ った。 ( 外務省編 ﹃ 終戦史録﹄ 下巻付録日
尚、木戸内府が聖断による外 なしと重光外相 と極秘に申し合 せたのは
した﹂(木戸口供書)
対し速に時局収拾対策に着手する様にとの仰 せをいただ いた のでありま
て居りました ので、私 の進言に ついては深く御満足の様 に拝され、私 に
多数が衣食 住を奪 われて困窮 に悩む情 況に ついては最 も御心を悩まされ
に中小 の無防備都 市が空襲 の度毎に つぎ つぎ に灰燼に帰 し、無辜 の国民
﹁陛下は素より予 てより戦局 の推移 を最も御憂慮遊ばされ て居 り、 殊
二〇 ・六 ・九 木 戸内府 の終戦試案に満足さる
二〇 ・四 ・七 終戦促進 の御思召によ って鈴木内閣親任
二〇 ・一・六 戦局観聴取 のため重臣招致を要望さる
一八 ・三 ・一〇
昭和 一七 ・二 ・一〇
︹ 編者注︺ 天皇 の終戦 に対する御配慮 と御勇断
む を 得ず 、 其 の間 躊躇 し て居 ら れ た のです 。
問
こた え た で し ょう 。 原爆 が 投 下 され な か った ら、 戦 争 は ど のく ら い続 いただ ろう と
答 あ な た が最 善 と 信ず る見 当 で結構 です 。
お考 え です か 。
問
たぶ ん、今 年 中 (昭 和 二十 年) は 続 いた の で はな か った で し ょ
問
答 う か。
十 一月 一日 以前 に戦争 を や め る こと は でき な か った でし ょう か 。
そ の根 拠 はい った い何 です か。
問
答
これ だ と い って理 由 を は っき り さ せ る のは、 た い へんむ ず か し
そ れ で よ ろし いで す か。
問
木 戸 は 八月 一日 以前 に終 戦す る方が 得 策 だ と いう考 え に同 意 し
一種 の感 じ です 。
いこと です 。 そ れ は具 体 的 な 実際 の根 拠 はな く 、 た だぱ っと し た
答
問
ま し た か。
答
いう 希望 が 八月 に は い って か ら でも 、 あ った のです か。 あ な た のお っし ゃる のは ソ連 を通 じ てと いう意 味 で し ょう か。
ソ連 を 通 じ て ア メリ カ と の和 平交 渉 の こと です 。
そ れ と も ソ連 を相 手 と し て と いう 意 味 でし ょう か。 問 無条 件 降 伏 と いう こと に せず に何 と かし よ うと いう のであ れば 、
これ ら の交 渉 に お いて 日本 は譲 歩 の用 意が あ った でし ょう か。
した 。
そ れ は ソ連 を通 じ てや る な ら可 能 性が あ る だ ろう と いう 考 え方 で
答
問
答
問
答
答
問
れば 、 其 の他 の何 物 も犠 牲 にし よ う、 何 で も放 棄 し よ う と肚 を き
問
で し ょう が、 一方 日本 の面 目 も 失 われ な い わけ で し ょう。 なぜ はじ め か ら直 接 に ア メ リカ と交 渉 をす る こと に決 め な か っ た のです か 。 直 接 交 渉 は陸 軍が 反 対 だ った の です 。 ソ連 を通 じ て交 渉 を 申 し
な ぜ 、 陸軍 は直 接交 渉 より も ソ連 を 仲介 とす る 交 渉 を選 んだ の
入 れ る こと で辛 う じ て 陸軍 の同 意が 得 られ ま し た。
ア メ リカ は 日本 軍 隊 の無 条 件 降伏 の外 はあ り 得 な いと声 明 し て
です か。
いた か ら です 。 それ に陸 軍 は ソ連 を通 じ て働 き かけ れば 日本 の面 目 も つぶ れ な いと 考 え た のです 。 あ な た の御 意 見 で は、 ま す ま す増 大 す るB 29 の焼 夷弾 と高 性 能 爆弾 の猛 撃 は、 原爆 と同 程 度 に和 平決 意 を促 進 さ せ る 効果 が あ り
答
問
答
問
答
問
答
めて い まし た。 そう いう こと にな れば 、実 質 的 に は降 伏 であ った
答 ﹁ 日本 の当事 者 は、 日本 国 土が 保 有 され、 面 目を 保 つこ とが でき
問
答
問
答
問
根本 的 な 終戦 気 運 を も た らし た のは、 B 29 の連続 的 な 空襲 が 大
ま し た か。
い にあず か って力 が あ った こと は事実 です 。
政 治 的 な 論議 に対す る原 爆 の影響 は、 B 29 のそれ と は違 った も のが あ りま した か。
原爆 投 下 によ って 政治 論 議 の性 格 をと く に かえ たと は思 いま せ
ん 。 ただ 原 爆 は、 降 伏 を多 少 早 め たと 思 います 。
天皇 は、 日本 の敗 北が 必 至 だ と いう こと を、 七月 の終 り ま で に
勿 論 です 。
は認 めて お られ た ので はな い のです か。
日本 はB 29 の空 襲が 七月 より も 八月 はも っと 激化 さ れ る こと が よ く分 って いた でし ょう ね。
は い、 お そら く 加 速度 的 にひ ど くな る だ ろう と予 期 し、 観 念 し て い まし た 。
そ して 、 八月 より も九 月 には も っと 、 ひど く なり 破 壊的 にな っ
は い、勿 論 です 。 なぜ な ら、 空襲 のはげ しさ は増 し て ゆく 一方
て ゆく だ ろう こと も ⋮ ⋮ ⋮。
も し、終 戦 の詔 勅 の発 布 が な か った ら 、 日本 は現 在 ま でも 抗 戦
な こ とが は っき り分 って い まし た か ら。
は い。
を続 け て いるだ ろう と言 われ ま し た ね。
B 29 の空襲 が ど ん な に激 化 し ても 、 戦争 を 続行 す る こ とが 、 は
日本 の抗 戦力 に は、む ろ ん、 限 界が あ り まし た 。
た し て出 来 た で し ょう か。
問
答
し か し、 あ な た は、 た った今 、 も し勅 命 が な か った ら今 日ま で も 戦 い抜 いて る と お っし ゃ った ではあ り ませ ん か。 私 の答 え は、 勿 論 、条 件 付 き の表 現 でし た。 日本 の抵 抗 には自 ず と限 度 が あ った のです 。 し か し 、わ れ わ れ は最 善 を尽 し た で し
日本 はも う、 そ の頃 、 継 戦 の限界 点 に達 し て いた の で はな か っ
ょう。
お っし ゃる通 り、 ヘト へト で し た。 し かし 、 陸軍 はそ れ に目 を
た でし ょう かね 。
抗戦 限 度 に来 て いた と す ると 、 かり に、 ソ連 が 参 戦 せず 、 原 爆
近 づ い て い る こと を敢 て 認 め よう と し な か った のです 。
蔽 う て、 そ の実 情 を認 めよ う と し ませ ん でし た 。彼 等 は、滅 亡 に
問
答
問
が 投 下さ れ な か った と し ても 、 降 伏 せざ るを得 な か った ので は な いで し ょう か。 と こ ろが、 陸 軍 は山中 に自 分 た ち の手 で洞 窟 を 掘 ったり 、穴 籠 り の準 備 を しま し た 。彼 等 の戦 争 継 続 と いう 考 え方 は、 組織 的 抵
陸 軍が そ んな振 舞 いを す る こと を 、天 皇 はお許 しに な った で し
の こと であ りま し た 。
抗 で はな く て、 あ ち ら の岩 かげ 、 こち ら の穴 か ら と いう ゲ リ ラ戦
答
問 ょう か。
そ こま で行 く こと を、 天 皇 は許 さ れな か った ろう と思 います 。
や B 29 以上 の ことを ソ連が でき る と でも 考 え た の です か。
日 本 は ソ連 が ど んな 手 を 打 って く る のを恐 れ た の です か。 原 爆
の措 置 を命 ぜ ら れ た にち が いあ り ま せん 。
陸 軍 が そ ん な常 軌 を 逸 し た行 動 に出 る のを 止 めさ せ るた め何等 か
答
問
答
問
答
そう は思 いま せ ん でし た。 た だ ソ連 に対す る最 大 の恐 怖 は、 む
ソ連 が 日本 を占 領 し やし な いかと いう よう な こ とを 心配 しま し
し ろ、 心理 的 なも の でし た。
た か。
私 の申 しあ げ た 恐怖 と いう の は、 そ んな こと で はあ りま せ ん。
ソ連 が今 の今 ま で中 立 国 と し て存 在 し、 考 え られ て いた のが、 突
た。 そ れが 私 の述 べ た恐怖 です 。
如 と し て敵 側 と し て起 ち 上 ったた め 異常 な 心 理的 打撃 を受 け まし
︹ 編者注 ︺ 1横浜沖 の軍艦上で この質問が行なわれた時、近衛はあま
りぱ っとしなか ったが、木戸 の出来栄 えはよか った。だが、質 問者 は木 への道 程﹄ 一 二 四頁)
戸に対してよりも近衛に多く の同情 を寄 せた。 ( 加瀬俊 一 ﹃ミズーリ号
2 近衛公 はそ の受けた質問が、予想に反 して、かなり詰問的な語調を
帯び ていたことを心外と感じ た様子 であ った。彼 は帰宅後、打ち沈んだ
面持 ちで ﹁ あんな質 問をされようとは思いもよらなか った﹂と家人に洩
そし て、答弁 の表現が言葉 の不足 や適切 でなか ったために、そ の真意
らし た。
が米側当局に誤解 されたり痛 くない肚 をさぐられたことを気 に病 んでる
そ の立場が、悪化 こそすれ、好転 の望みが ないことを深く気にしてい
様子で ﹁二度 と再びあんな席 には出 たくない﹂ と付け加えた。
鈴 木貫 太 郎
た ことはその後 の行動によ っても明白である。
8
問
答
問答筆記 米 国 と戦 端 が 開 か れ た とき 、 あ な た の考 え で は、 い った いど う な る と思 い ま した か 。ど う して 結 末が つけ られ ると 思 いま し た か。 私 は元海 軍 士 官 と し て、 海 軍が 直 面 し て来 た問 題 を熟 知 して い ます ので、 まず 、 そ の件 に つい て の意 見 を申 述 べ た いと 思 います 。 日本 海軍 は常 に日本 国 防 に全力 を あげ 、 そ の防衛 計 画 を 樹 て て いま した 。 ︹ 編者注︺ 海軍国防計画 明治四十年 四月、 ﹁ 帝国国防 方針﹂が はじめて策定せられた。 それは 次 のような情勢判断 の上に立 っていた。
戦 一本で終始し ていた。
な お明治 四十年 の ﹁国防計画﹂ の策定経緯 に ついては角田順 ﹃ 満洲問
(福留繁 ﹃ 海軍 の反省﹄九 八頁、高木惣吉 ﹃太平洋海戦史﹄ 一八頁) 題と国防方針﹄参照 のこと。
そ こで、 こ の戦 争が はじ ま ったば か り の時 に は、 日本 は防禦 の
し かし、 私 自 身 と して は、 長 期 戦 にな ると 日本 は いろ い ろ不利
役 割 を や ってる 限 り は勝 つか も知 れ な いと 感 じ て いま し た。
な状 況 に落 ち込 む だ ろう と 思 い まし た。
例えば 、 あ な た方 は五 ・五 ・ 三の比率 の ロ ンド ン条 約 を成 立 さ
せ まし た 。 ア メリ カ は こ の五対 三 の比率 の海 軍 を持 って い るば か
を要する。 アメリカの西進発展政策 は歴史的にも極 めて根強 いも ので、
抗 す る こと にな り まし た 。当 時 、 そ の圧 倒 的 な優 勢 に対 し て、 日
う こと は、 イギ リ スと も 戦 う こ と です。 そ こで十 対 三の比率 で対
り でな く 国土 は日 本 の十 倍 の広 さ でし た 。そ の上、 ア メリ カ と戦
特にそ の対支政策は、日本と の利害衝突 を来すおそれが多 い。同時に露
﹁ 今後 は太平洋 から押し寄せてくるアメリカの西進に対し て最 も 警 戒
支両国も大国 である。他日、再び 日本 に取 って脅威となるおそれがすく
参 加方 を要請し、中国、 オランダ、ベ ルギー、ポ ルト ガルの四国も関係
太平洋問題を解 決するため、同年十 一月を期し で日英仏伊の四国に対し
して列国の軍備を制 限し、且 つ将来 の紛争の原因をなす極東問題 および
ワシントン会議は米 国の提唱 にかかるもので、大正十年 八月、突如と
︹ 編者注︺ 1 ワシントン会議 ( 大正十年)
のが 、 海 軍的 見 地 で の私 の観 測 であ り ま した 。
ぶ かも 知 れな いが 、 結 局 の所 は、 日 本 は負 け る だ ろう︱ ︱ と いう
こ んな わけ で 、開 戦 当 初 か ら、 ち ょ っと の間 は、 う まく 事 は運
本 はと て も太 刀 打 ち でき な いと考 え て いま し た。
なくない。 すなわち米露支三国をも って、そ れぞれ第 一乃至第 三仮想敵 国 として国防対策 を確立し なければならぬ﹂ 国防方針 は策定以来、大正七年六月 および大正十二年 二月、 ワシント ン会議後若干 の修正が加えられ、更 に昭和十 一年に満洲事変以来 の対外 情勢 の変化に対応す る修正が行なわれ、昭和十五年新たにイギリスおよ び オランダが仮想敵 国に加えられた。 アメリカ海空軍 の前進根拠地を覆滅 し、米艦隊をして直接本 国より日本
対米作戦 の綱領 は、陸海軍協同して、 フィリピ ンの戦 略要地を占領し、 に渡洋進攻 を余儀なからしめ、 これをわが近海に邀 えて撃破 する。以後、
運び とな った。 この会議 の特質 はたんなる軍縮会議でなく、太平洋をめ
事 項に参加を要請、各 国は米国 の提議を容 れて各 々そ の全権 を任命する
ぐる 一切 の問題が爼上に上り、再検討されることにな った のであ るが、
ますます激撃態勢を強化し て、第二次、第三次 の米艦 隊来攻 を撃砕し、 海軍 の対米作戦 は三十年来 、太平 洋戦争直前ま で本土近海激撃防衛作
も って不敗持久 の作戦に導 こうというのであ った。
問
答
問
主目的 は日本 の進展を還元阻止し、手も足も出 ぬようにしようという英
理 由 は、 日本 は先 制 の利 を 占 め て居 り 、 攻勢 を 先 に とれ るが 、 攻
の は開戦 当 初 の戦 略 の こと で す。 私 は、 あ れ は拙 いと思 いま し た。
答
問
せ られ 、 ま た戦 災 のた め に生命 を おと す 国民 のこ と や、 前線 の甚
言 葉 か ら、 天 皇 が 日本 の直 面 し て いる 戦 局 に非 常 に深 い関 心を 寄
令 は受 け ま せん で し た。 しか し、 そ のとき は っきり と 言 われ たお
内閣 首 班 を 拝命 す る にあ た って、 私 は天 皇 か ら何 等 直接 の御命
首相 就 任 に際 し て、 あ な た はど ん な勅 命 を 受 けら れ ま し た か。
方 は上 策 と は思 いま せ ん でし た。
海 軍力 が 食 わ れ て しま う こと にな り ます 。 そ こ で、 私 はそ のや り
分 散 し て配 備 せね ば な り ま せ ん。 そ のう え、 それ の連 絡 補 給 上、
手を 拡 げ すぎ ると 、 ど う し ても 、海 洋 上 い た る所 に少 い兵 力 を
ひ ろげ る こ と は決 し て賢 明 の策 で はな いと 思 い まし た。
いに は相 違 な いが 、 そ れも 程 度 問 題 で、 あ ま り途 方 も なく 、 手 を
勢 を 先 に と るか ら に は、 或 程 度 の先 制 を 持 ち続 け な けれ ば な ら な
米合作 の計画によるものであ る。 この結果、 日本 は海軍軍備 に極 めて不
ロソド ン軍縮会議に ついては ﹃現代史資料7、満洲事変﹄を参照され
ロンドン会議 (一九三〇年)
利 な屈辱的な比率︱︱ 五 ・五 ・三︱︱を押 し つけられた。 2 た い。 政 治 的 見 地 から み て 、 日本 は緒戦 期 に輝 か し い勝 利 を得 てお い
米 両者 共、 決 定的 勝 利 を得 な いで 、 長期 戦 にな れば 、 お 互 に戦 争
交 渉 に よる 和平 はと ても む ず か し いと 考 え ま し た。 し か し、 日
て、 そ れ から 妥協 に よる講 和 を や れ ると 思 いま し た か。
を 止 め よう と いう 交 渉 も 出来 る可 能 性が な いで も な いと は考 え ま し た。 日 本 海軍 の真 珠湾 やプ リ ンス ・オブ ・ウ エルズ、 レ パ ル スに対
結 局 は、 ア メリ カ は必 ず や 緒戦 の欠陥 を取 り も ど すだ ろう と思
す る空 中 攻撃 の戦 果 に対 す る 感想 を述 べ て 下さ い。 答
そ こで 、 でき る限 り速 に戦 争 を終 結 に導く た めに、 あ ら ゆ る努
大 な損 害 に つい て御 心 痛 にな って い る ことが 分 り ま し た。
力 をす る ことが 、 私 に寄 せら れ た天 皇 の御期 待 であ る こと を 了解
い ま した 。 私 は数 量 の上 から も ア メリ カ空 軍が 優 れ て い る こと を 知 って いま し た。 緒 戦 の勝 利 は た し か に目覚 し いも のだ ったが 、
し た次 第 です 。
なきよう、和 の機会を掴むべし、 との思召と拝された。
無用 の苦しみを与 えることなく、又彼我共 にこれ以上 の犠牲 を出す こと
一言 にして言えば すみやかに大局 の決した戦争を終結して、国民大衆に
ところで、陛下 の御思召 はいかなる所にあ ったであろうか。それは唯
一貫 とな って この難 局を処理し て行 こうと深く決意したのである。
︹ 編者注︺ 唯、余 とし ては、 一旦大命 を拝受した以上、誠心誠意、 裸
そ れだ け で は 日本 が 勝 つと は考 え ま せん で し た。 こ の意 見 は、 私
平 洋 で 攻勢 に出 る こと は あ り得 る こと です 。 し か し、 私が 述 べた
日 本海 軍 はこ の大 成 功 に唆 かさ れ 、む し ろ得 意 にな って、 全 太
の考 え方 はど う です か。
攻 勢 をと り 、 ア メリ カ海 軍 に決 戦 を 挑む よう にす る こと に ついて
緒 戦 の成 功 を利 用 し て、 日本 海軍 が 防 勢 をす て て遠く 太 平 洋 に
が 戦 史を つぶ さ に研 究 し て得 た も ので し た。 問
答
問
答
問
答
もちろん、 この思召を直接陛下が 口にされた のではないことは言うま でもないことであるが、 それは陛下に対する余 の以心伝心として、自 ら 確信したところであ る。( 鈴木貫太郎 口述 ﹃ 終 戦の表情﹄ 八頁) 戦争 を 終 結 に導 く た め に、 最 初 にあ な た が積 極 的 に ふみ出 し た の はい つで し た か。 そ し てあ な た の執 った行 動 は何 でし た か。
終 戦 の動 機 に つい て これ か ら申 述 べ て見 た い と思 います 。
天 皇 は連 合 軍が 日本 本 土 に上陸 作 戦を 行 なう こと になれ ば 、 そ
れ は連 合国 側 にも 莫 大 な 人命 の損 失 は免 か れ な い であ ろう が 、何
と か し てそ の不要 な おび た だ し い流 血を 避 け た いと の御 希 望 で し
し た 。 す なわ ち、 あ る者 は と こと ん まで 戦 争 を続 け た いと 主 張 し、
軍 事的 方 面 か ら見 れ ば 、 そ こ には いろ いろ意 見 の相違 が あ り ま
た 。 そ こ で、 交 渉 に よる 戦 争終 結 を望 ん で お られ た のです 。
は 、戦 争 終 結 の準 備 をす る よう に天皇 から 与 え られ た 任務 を 全 力
私 の立 場 は非 常 に困難 なも ので し た。 と 申 し ます のは、 一方 で
を つく し て実行 しな け れば な り ま せ ん でし た。 と ころが 、 他 方 で
徹 底抗 戦 論 老 の言 分 は、 こう な っては 、 日本 の執 る べき 道 は唯
あ る 者 は何 と かし て終 戦 にも って行 き た いと 思 って いま し た。
一つし かな い。そ れ は最後 の最 後 ま で決 戦 を戦 い抜 く こと だ 。勝
は、も し こ のこと を 外 の誰 かが 洩 れ聞 い たら 、私 は当 然 和平 反 対 派 ︱ ︱ 主戦 論者 から 襲 撃 され 、 た ぶ ん生 命 を うば わ れ た で し ょう。
敗 の問 題 は ア メリ カ軍 の日本 本 土 上陸 の最終 決 戦 によ って決 す る
言 葉 を替 え てい えば 、 本 土決 戦 だ け は日 本 にと って勝利 とい う
そ れ 以 上 の敵 の攻 撃 には 屈 服す る よ り外 は な か った で し ょう 。
り 、 最 後 の勝 利 を得 るこ と は とう て い覚 束 な い ので あ って、 多分 、
部 的 に勝 った と し ても 、 わ れ われ は現 実 的 に は敗 北 し た国 民 であ
勝 利 と は程 遠 いも の であ った に相 違 あり ま せ ん。 も し か し て、局
った と し ても 、負 け たと し ても 、 それ はた ぶ ん、 戦 争 の決 定 的 な
ま こと に疑 わ し いも ので あ り ます 。 たと え 、そ の戦 闘 に 日本 が勝
し か しな が ら、 そ の最 後 の頼 み の綱 の決戦 から 得 ら れ るも のは、
外 はな い、 ︱︱ と いう よう な 考 え方 で した 。
つまり 、 戦争 継 続 の努力 と 決 意 の強 化 を 図 ら ねば な ら な い 一面、 こんど は反 対 に、 外 交 的措 置 や 利 用 でき る何 等 か の手 段 を通 じ て、 戦 争 を終 結 さ せ る た め に、 他 の国 々と交 渉 す る こと を や って行 か ね ば な り ま せん で し た。 昭和 二十 年 五月 から 六 月 にか け て、 対 ソ和 平 工作 に乗 りだ し ま し た。 そ れ は当 時 ソ連 が 接近 しや す い唯 一の中 立国 でし た から 。 日本 が ポ ツダ ム宣 言 を 受諾 せざ る を得 な か った政 治 的 お よび 軍 事 的 要 因 は何 でし た か。 戦争 終 結 の動 因 に つ いて は、 一般 国 民側 な ら び に陸 海 軍側 両 方 面 のおび ただ し い損 害 を 未然 に防 が ねば な ら な いと いう こと は、
ま た政 治 的観 点 から 言 っても 、 天皇 は将 兵 の死傷 や 罪 も な い国
大 な こと は明 白 であ りま す 。 そ こで 、多 か れ 少な かれ、 こ の尨 大
果 に終 った でし ょう 。 し か も、 生 ず る こと を 予想 さ れ る損 害 の莫
結 果 を も たら し た と して も 、最 後 の段階 はおそ ら く 敗 北 と いう結
民 大衆 の苦 悩 を 一方 な らず 御 懸 念 さ れ て、 これ 以上 の惨 害を 最 少
な 日 本 人 の生 命 の損 失 を 回 避 し た いと いう 見 地 から も 、政 治 的 軍
一部 を のぞ いて、 あ ら ゆ る 人 々の願 望 であ り ま し た。
限 に喰 いと め た い と いう 御 気持 でし た 。
事 的 指導 者 た ち は、 こ の辺 の段 階 で戦 争 を 終結 さ せた いと熱 望 し
者 の権力及勢力 は永久に除去せられざ るべからず。
国国民を欺 瞞し之 をし て世界征服 の挙 に出づる の過誤を犯さしめたる
含む 一切 の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰 を加 へらるべし日本国
めんとするの意図を有するものに非ざるも吾等 の俘虜を虐待 せる者を
十、吾等 は日本人を民族とし て奴隷化せんとし又 は国民とし て減亡 せし
和的且生産的 の生活 を営む の機 会を得しめらるべし。
九、 日本国軍隊は完全に武装 を解除 せられたる後各自 の家庭 に復帰し平
海道、九州及四国並に吾等 の決定する諸小島に局限せらるべし。
八、﹁カイ ロ﹂ 宣言 の条項は履行 せらる べく又日本国 の主権は本州、 北
らる べし。
諸地点は吾等 の茲 に指示する基本的目的 の達成を確保するため占 領せ
たる こと の確認あるに至るま では連 合国 の指定 すべき日本国領域内 の
七、右 の如き新 秩序が建設 せられ且日本国 の戦争遂行能力が破砕 せられ
て いた次 第 であ り ま した 。 ︹ 編 者注︺ ﹁ポツダ ム 宣言 全文﹂ 一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席 及 ﹁ グ レート ・ブリテ ン﹂ 国 総 理大臣 は吾等 の数億 の国民を代表し協議の上日本国に対し今次 の戦 争 を終結 する機会を与 ふることに意見 一致 せり。 の陸軍及空軍 に依る数倍 の増強 を受け日本に対し最後的打撃を加ふる
二、合衆 国、英帝国及中華民 国の巨大なる陸、海、空軍 は西方より自 国 の態勢を整 へたり右軍事力は日本国が抵抗を終止 に至 る迄同国に対し 戦争を遂行 するの 一切 の連合国の決意に依り支持 せら れ且鼓舞せられ 居るも のなり。
政府は日本 国国民 の間に於ける民 主主義的傾向 の復活強化 に対する 一
三、厥起 せる世界 の自由なる人民 の力 に対する ﹁ドイ ツ﹂ 国の無益且無 のなり現在日本 国に対し集結し つつある力 は抵抗する ﹁ナチス﹂ に対
意義 なる抵抗 の結果 は日本国国民に対 する先例を極めて明白 に示すも
の尊重は確 立せらるべし。
切 の障害 を除去 すべし言論、宗教 、宗教及思想 の自由並に基本的人権
十 一、日本国は其 の経済を支持し其 公正な る実物賠償 の取立を可能なら
し適 用せられある場合 に於 て全 ﹁ ドイ ツ﹂国人民 の土地、産 業及生活 なるものなり吾等 の決意 に支持 せられる吾等 の軍 事力 の最高度 の使用
の為再軍備 を為すことを得し むるが如 き産業 は此の限に在らず 右目的
し むるが如き産業 を維持する ことを許 さるべし但し日本国をして戦争
様式 を必然的に荒廃 に帰 せしめたる力に比し測り知れざる程更 に強 大 は日本国軍隊 の不可避且完 全なる壊滅を意味 すべく又同様必然的に日
十三、吾等 は日本国政府が直 に全日本国軍隊 の無条件降伏を宣言し且右
占 領軍 は直 に日本国より撤収せらるべし。
い平和的傾向を有し且責任 ある政府が 樹立せらるるに於 ては連合国 の
十 二、前記諸目的が達成せられ且日本国国民 の自由に表明 せる意思に従
将来世界貿易関係 への参加 を許さるべし。
の為原料 の入手 (其 の支配 とは之を区別 す)を許可さるべし日本国は
本 国本土 の完全なる破壊 を意味す べし。 主義的助 言者に依り日本国が引続き統御せらるべきか又 は理性 の経路
四、無 分別なる打算に依り日本帝国 を滅亡 の淵 に陥 れたる我儘なる軍国 を日本国が履 むべきかを日本国が決定すべき時期 は到来 せり。 五、吾等 の条件 は左 の如し 吾等 は右条件より離脱する ことなかるべし右に代 る条件存在 せず吾ら
同政府 に対し要求す右以外 の日本国 の選択は迅速且完全なる壊滅ある
行動 に於け る同政府 の誠意 に付適当且充分なる保障を提供 せんことを
は遅延を認むるを得ず 安全及正義 の新秩序が生じ得ざ る ことを主張するも のなるを以 て日本
六、吾等は無責任 なる軍国主義が 世界 より駆逐せらるるに至 る迄 は平和、
問 日本 が 長 い間 には空 襲 に よ って殆 ん ど破 壊 さ れ る こ と は避 け難
B 29 の攻撃 に対 し て、 ど の程 度 の重 要性 を 置 き ま し たか。
のみとす。
答 いと 私 には思 われ ま し た。 故 にB 29 群 の攻 撃 のみ を基 礎 と し ても 、 日本 は講 和 を望 む べき だ と 私 は信 じ て いま し た。 B 29 の空 襲が 最 高 潮 に達 し た時 、 即 ちポ ツダ ム宣 言 の直後 に原 爆が 投 下 さ れ た。 原爆 投 下 は屈 伏 す る為 の追 加的 理由 であ る と 共 に、非 常 に好 都 合 なも の であ って平 和談 判 を 開始 す る為 の好機 会 を 与 え ま した 。 私 はB 29 の空襲 だ け を基 礎 と し ても 、 事 態 が望 みな いも のと 考 え て
米 軍 が 上陸 作 戦 を や らず に空襲 や封 鎖 だ け で対 日 戦 を続 行 し た
いま し た。
場合 、 日本 は ど んな 作戦 計 画 を 持 って いま し た か。
日本 の最 高 戦争 指 導者 たち は、 ア メリ カが 日本 本 土 上陸 作 戦 を
飛 行 機 で B 29と 戦 わざ るを 得 な か ったと 思 います 。
問
答
最 高 戦 争 指 導会 議 と し て は原 爆が 投 下 さ れ る ま で は空襲 だけ で
と に ど の程 度 に ついて考 え た でし ょう か。
や らな いで 空爆 増 強 だ け の戦 法 を つづ け る かも 知 れ な い と いう こ
問
答
そ のう え 、 同会 議 は アメ リ カは上 陸 し て来 ると 信 じ て い ま した 。
日 本が 参 ると は 信じ て いま せ んで し た 。
空襲 だけ で や っ つけ て し まう つも り で はな いと思 って い ま し た。 他方 、 一部 の有 識 者 の中 に は 日本 は爆 撃 だ け で破 滅 す る 、敗 れ る と 信 じ て いた 人が たく さ んあ りま し た 。 とも かく 、 戦争 指 溝 者側 で は、 米軍 の上 陸 地点 に おけ る本 土 決 戦 計 画 を立 て 、そ の準 備 をす す め て い た の です。 最 初 に原爆 を投
下 さ れ て から はじ め て、 わ れ われ は ア メリ カ は上 陸 作戦 はや らず
そ こで、 今 こそ 和 を乞 う べき 絶 好 の機 会 だと 、 私 は決 意 し ま し
に原 爆 を引 続 き 使 用す る つも りだ と 信ず る よう にな り まし た。
た。
付
録
一
一
︹ 大本営海軍部指示︺ 大海 指 第 九 十 四号
作 戦計画
別冊
一 日本
大本 営
大本 営
海軍部
陸軍 部
﹁ミ ッド ウ ェー﹂ 島 作 戦 ニ関 スル陸海 軍 中 央協 定 昭和 十 七年 五月 五 日
一 作 戦 目的 ﹁ミ ッド ウ ェー﹂ 島 ヲ攻 略 シ同方 面 ヨリ ス ル敵 国艦 隊 ノ機 動 ヲ
圧ス 陸軍 ハ ﹁イ ー ス タ ン﹂ 島 ノ
海 軍 ハ ﹁サ ンド﹂ 島 ノ攻 略 ニ任
海 軍 航 空部 隊 ハ上 陸数 日 前 ヨリ ﹁ミ ッド ウ ェー﹂ 島 ヲ攻撃 制
作 戦 要領
ノ防 備 ヲ強 化 ス ルト共 ニ航 空 、 潜 水艦 基 地 ヲ整 備 ス
陸 海軍 協 同 シテ ﹁ミ ッド ウ ェー﹂ 島 ヲ攻略 シ海 軍 ハ急 速 ニ同島
作 戦方 針
封 止 シ兼 ネ テ我 作 戦 基 地 ヲ推 進 ス ル ニ在 リ 二
三 一
二
三
ェー の西 方 一〇 〇 粁 ︺
シ別 ニ海 軍単 独 ニテ ﹁キ ュア﹂ 島 ヲ攻略 ス ︹ 編 者注
ミ ッド ウ
攻 略 完 了後 概 ネ 一週 間 以 内 ニ陸 軍 部隊 ハ海 軍部 隊 掩護 ノ下 ニ
﹁イ ース タ ン﹂ 島 ヲ撤 収 シ同 島 ノ守 備 ハ海 軍 之 ニ任 ス
海 軍 ハ有力 ナ ル部隊 ヲ以 テ 攻略 作 戦 ヲ支 援 掩 護 スル ト共 ニ反
力
指揮 官 兵
力
指揮 官 兵
歩 兵第 二十 八聯 隊
一木 支 隊 長 陸 軍大 佐 一木 清 直
聯 合艦 隊 ノ大 部
︹ 山本五十六︺ 聯 合艦 隊 司 令 長官
撃 ノ為 出 撃 シ来 ル コト ア ル ヘキ 敵艦 隊 ヲ捕 捉 撃 滅 ス
海軍
指 揮官 竝使 用 兵力 一
陸軍
工 兵 一中 隊 速 射 砲 一中 隊
六月 上旬 乃 至中 旬 ﹁アリ ュー シ ャン﹂ 作 戦 ト略 同時 ニ作 戦 ヲ開
作戦開始
二
四
四
五
始ス
六
七
八
九
十
集合点 上 陸 部隊 及 護 衛隊 ノ集 合 点 ヲ ﹁サイ パン﹂ ニ概 定 ス 陸 軍 部隊 乗 船 地 ヨリ集 合 点迄 ノ航 行 ハ海 軍之 ヲ護 衛 ス 指揮関係 ︹ 近藤信竹︺ 集 合 点 集 合時 ヨリ第 二艦 隊 司今 長 官 ハ作 戦 ニ関 シ陸 軍 部隊 ヲ指 揮ス 通信 連 絡 A L、 M I、 F作 戦 通 信 ニ関 ス ル陸海 軍 中 央協 定 ニ拠 ル A L︱ アリ ューシャン、MI︱ ミッドウ ェー、 F︱ フィジ ー、
海図
部隊 ノ 一 部 輸 送 ノ為海 軍ハ作 戦期 間輸送 船 一隻 ヲ供 出 ス
サモア、 ニューカレド ニア︺
︹ 編 者注
輸送 陸軍 使用地図 二〇 一七号 海 図 ト ス
作 戦 名称
中 央標 準 時 ト ス
十 一 使用時
十二 本 作 戦 ヲM I 作戦 ト呼 称 ス
作戦方針
スル敵 ノ機動 竝 ニ航 空 進 攻 作戦 ヲ困 難 ナ ラ シ ム ル ニ在 リ
﹁アリ ュー シ ャ ン﹂ 群 島 西 部要 地 ヲ攻 略 又 ハ破 壊 シ同 方 面 ヨリ
一 作戦目的
二
陸 海 軍 協 同 シ テ ﹁キ スカ﹂、﹁ア ッツ﹂ ヲ攻 略 ス ルト共 ニ ﹁アダ
三
ック﹂ 島 ノ軍 事 施 設 ヲ破 壊 ス 作戦要領
次 テ陸 軍 部隊 ハ ﹁ア ッツ﹂ ヲ
海 軍特 別 陸 戦隊 ハ
陸 海軍 協 同 シ先 ツ ﹁アダ ック﹂ 島 ヲ攻 略 シ要 地 ノ軍 事施 設 ヲ 破壊撤収 シ
一
海 軍 ハ有 力 ナ ル部隊 ヲ以 テ攻 略 部 隊 ヲ支 援 ス ルト共 ニ上 陸前
﹁キ スカ﹂ ヲ攻 略 シ冬 季 迄 之 ヲ確 保 ス
母艦 航 空 部 隊 ヲ以 テ ﹁ダ ッチ ハーバ ー﹂ 方面 ヲ空 襲 シ主 ト シテ 所 在 航空 兵 力 ヲ撃 破 ス
指揮官
聯 合 艦 隊 司令 長官
聯 合艦 隊 ノ大 部
工兵 一中隊 基 幹
北 海 支 隊長 陸 軍 少佐 穂 積 松年
力
歩兵 一大 隊
兵
力
指揮官 兵
六 月 上旬 乃 至中 旬 ﹁ミ ッド ウ ェー﹂ 作 戦 ト略 同 時 ニ本作 戦 ヲ開
作 戦開 始
陸軍
海軍
指 揮 官竝 ニ使 用 兵力 一
二
四
五
上 陸 及 上陸 戦 闘 ニ於 テ陸 軍部 隊 及 海軍 陸 戦 隊 同 一箇 所 ニ作 戦
指揮 ス
︹ 細萱戊子郎︺ 集 合 点集 合時 ヨリ第 五 艦 隊 司令 長官 ハ作 戦 ニ関 シ陸軍 部 隊 ヲ
指揮 関 係
陸 軍 部 隊乗 船 地 ヨリ集 合 点 ニ至 ル航行 ハ海 軍 之 ヲ護 衛 ス
トス
攻 略 部隊 ノ集 合点 ヲ厚 岸湾 ニ概 定 シ集 合 日 時 ハ五 月 二十 三 日頃
集合点及日時
始ス 六
七 一
二
大 海指 第 百 二十 七 号
別冊
ス ル場 合 ハ作 戦 ニ関 シ高 級 先任 ノ指揮 官 之 ヲ指揮 ス
二
要 地特 ニ飛行 場 ヲ奪 回 ス
前 項 ノ作 戦 間速 カ ニ ﹁ラビ ﹂ 飛 行場 ヲ占領 ス
又 努 メテ遠 カ ニ﹁ツラ ギ ﹂ 方 面 ヲ 攻
﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島奪 回作 戦 概 成後
略奪回 ス 2
航 空 部隊 ヲ以 テ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面敵 航
海軍 兵 力 ヲ ﹁ニ ュ ー ギ ニ
3
ヤ﹂ 方 面 ニ転 用 シ
海軍部
陸軍部
ヲ攻 略 ス
海 路作 戦 部隊 ト相策 応 シテ ﹁ポ ー ト モ レスビ ー﹂ 附 近飛 行 場群
陸 海 軍協 同 シテ ﹁ポ ー ト モ レスビ ー﹂ 附 近 ニ上 陸 スル
陸 路攻 撃 部 隊 ヲ シテ ﹁コ コダ﹂ 方面 ヨリ南 下
情 勢 ニ応 ズ ル東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ ﹁ソ ロモ ン﹂
空 兵力 ヲ撃 破 シ
大 本営
東 部 ﹁ニューギ ニヤ﹂ 作
大本 営
前 諸 項 ノ作 戦 間 又 ハ其 要 地 攻略 後
防衛
東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 作 戦 ニ関 ス ル陸 海軍 中 央協 定 ニ準 ス
指 揮関 係
戦 ヲ行 フ
戦 ニ関 ス ル陸 海 軍 中央 協 定 第 四 項作 戦 要領第 四条 所 掲 ノ戡 定作
4
四
五
防 衛 ニ関 シテ ハ東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 作 戦 ニ関 スル陸 海 軍 中 央 協 定 ヲ準 用 ス
1
第 十 七軍 (歩 兵 約十 八 大隊 基 幹)
行 フ モノ ト シ
其 細 部 ニ関 シ テ ハ現 地 陸 海軍 指 揮官 間 ニ於 テ協
但 シ ﹁ソ ロ モン﹂ 群 島 要 地 ノ防衛 ハ当分 ノ間 陸海 軍 協 同 シテ 聯 合 艦 隊 司令 長 官
︹マ レ ー ︺
本作 戦 ノ為 馬来 及 ﹁ス マト ラ﹂ 方 面 海 域 ノ敵 艦船 ( 潜 水艦 ヲ
右 期 間情 況 之 ヲ要 スレ ハ陸 軍航 空 部隊 ハ ﹁チ モ ー ル﹂ 方 面 ノ
隊 之 ニ任 ス
除 グ) ニ対 ス ル警 戒 及 攻 撃 ハ本 作 戦 一段 落 ニ至 ル迄 陸 軍 航空 部
2
定 ス ル モノト ス
第 二艦隊 、 第 三 艦 隊 ノ大 部 ヲ基 幹 ト ス ル部 隊
陸 海軍
第 八艦 隊 及第 十 一航 空 艦 隊 ノ大 部 ヲ基 幹 ト ス ル部隊
︹ 百武晴吉︺ 第 十 七 軍 司令 官
セシメ
群 島 作 戦 ニ関 ス ル陸海 軍 中 央 協定 昭 和 十 七年 八月 三 十 一日
力
力
作戦要領
兵
指揮官
海軍
兵
指揮官
陸軍
指 揮 官 竝使 用 兵 力
ニ ﹁レ﹂ 号作 戦 ヲ概 ネ規 定 計 画 ニ基 キ努 メテ 速 ニ遂 行 ス
陸 海 軍協 同 シテ速 カ ニ ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 ノ要 地 ヲ奪 回 ス ルト共
一 作戦方針
二
三
海 軍兵 力 ハ先 ツ其 主力 ヲ ﹁ソ ロ モン﹂ 方 面 ニ充 当 シ
協 同 シテ速 カ ニ ﹁ガダ ルカ ナ ル﹂ 島 所 在 ノ敵 ヲ撃 滅 シ テ同 島 ノ
1
防空 ニ協 力 ス
作 戦 名称 ﹁カ﹂ 号作 戦
ューギ ニヤ﹂作 戦 ニ関 ス ル陸 海 軍 中央 協 定 ヲ準 用 ス
別冊
大本営 大本営
海軍部
陸軍部
﹁ソ ロ モン﹂ 群 島 方 面 陸軍 部 隊 ニ対 スル補 給 等 ハ差 当り 東 部 ﹁ニ
補給
六 陸 海 軍 指 揮官 間 ノ協 定 ︹ 三川軍一︺ 第十 七軍 司令 官 と聯 合 艦 隊司 令 長官 、 第 八艦 隊 司 令 長 官 及第 十 ︹ 塚原二四三︺ 一航 空 艦隊 司令 長官 ハ適 宜 作戦 ニ関 ス ル協 定 ヲ行 フ 七
八
大 海 指 一五 九 号
﹁ソ ロ モン﹂ 群 島 要 地奪 回作 戦
三 南 太 平 洋方 面 作 戦陸 海 軍 中 央協 定 昭 和十 七年 十 一月 十 八 日
一 作戦目的 南 太平 洋 方 面作 戦 ノ目 的 ハ ﹁ソ ロモン﹂群 島 及 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂
作 戦方 針
ル ニ在 リ
方 面 ノ要 地 ヲ攻略 シテ南 太 平 洋方 面 ニ於 ケ ル優 位 ノ態 勢 ヲ確立 ス
二
陸 海 軍 緊 密 ナ ル協 同 ノ下 ニ ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 ヲ攻 略 ス ル ト共 ニ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ ノ要 地 ヲ確 保 シ テ同方 面 ニ於 ケ ル 爾 後 ノ作 戦
三
四 一
ヲ準 備 ス
力
力
指揮官
兵
指揮 官
一
聯 合 艦 隊 ノ大 部
聯 合 艦 隊司 令 長 官
方 面 軍 直轄 (一師団 其 他 ノ部隊 )
飛行師団
シ増 強 ヲ予期 ス)
第十八軍 ( 差 当 リ歩 兵 六 大隊 基幹 ト シ所要 ニ応
第十七軍( 第 二、第 三十 八、 第 五 十 一師 団基 幹 )
第 八方 面 軍
︹ 今村均︺ 第 八方 面 軍 司令 官
指 揮 官 竝 使 用 兵力 陸軍
海軍
兵 作 戦 要領
陸 海軍 協 同 シテ速 ニ ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 方 面 ニ対 スル所 要 ノ
﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 方 面
以 テ為 シ
此 ノ間 ﹁ガダ ルカ ナ ル﹂ 島 ニ於 テ ハ爾 後 ノ
航 空基 地 ヲ急 速 ニ増 設 整備 スル ト共 ニ 各要 地 ノ防備 特 ニ防
1
空 ノ強化 ヲ図 リ
攻 撃拠 点 ヲ確 保 ス ルト共 ニ戦 力 ノ恢 復 強 化 ヲ図 リ
得 ル限 リ作 戦 準備 ノ促 進 ニ努 ム
又陸 海 軍協 同 シテ敵 機 ノ活 動 ヲ封 止 ス
右 ノ間 各 種 ノ手 段 ヲ尽 シテ海 軍 ハ ﹁ソ ロ モン﹂ 方 面 ニ対 ス ル敵 ノ増 援 ヲ阻止 シ
ル ニ努 メ航 空基 地 ノ推進 ト相 俟 チ テ適 時 航空 作 戦 ヲ強 化 シ
敵 航 空 勢 力制 圧 ノ機 ニ投 シ 一挙 ニ陸 軍 兵力 其 他 ヲ輸 送 シ攻 撃
五
六
七
二
又努 メテ速 ニ ﹁ツラギ ﹂其 他 ノ ﹁ソ ロ モン﹂群 島 ノ要 地 ヲ
ナ ル﹂ 島 飛 行 場 ヲ奪 回 シ所 在 ノ敵 ヲ撃 滅 ス
前項 ノ進捗 ヲ待 チテ陸 海 軍 ノ戦 力 ヲ統 合発 揮 シ ﹁ガダ ル カ
準 備 ヲ拡 充 ス 2
3 攻略 ス ﹁ニューギ ニヤ﹂ 方 面 前 項 ノ作 戦 間陸 海 軍 協同 シテ ﹁ラ エ﹂ ﹁サラ モ ア﹂ 及 ﹁ブ ナ﹂ 附 近 ニ堅 実 ナ ル作 戦 拠 点 ヲ確 保 シ且 飛 行 場 ヲ増 強 整備 シ テ航 空
戦闘
司偵
二 七機
七 四機
九機
飛 行 師団 長 ノ指 揮 スル左 ノ兵 力
軽爆
右 ハ作 戦 当 初 ニ於 ケ ル兵 力 ニシ テ戦 力維 持 竝 ニ作 戦 ノ情
軍
況 ニ応 シ兵 力 ( 差 当 リ軽 爆 二七機 ) ヲ増 加 ス 海
戦闘機
四〇 機
五〇 機
2
攻
一五機
五機
第十 一航 空艦 隊 司令 長 官指 揮 ノ大約 左 ノ兵 力
陸
爆
偵
艦
二〇機
陸
等 ヲ占 領 ス ルト 共 ニ所要 ノ要 域 ヲ 掃蕩 戡 定 ス
飛行艇
若
之 が為 陸 海 軍協 同 シテ成 ルベ ク速 ニ ﹁マダ ン﹂ ﹁ウ ェ ワ ク﹂
爾 後 ノ作 戦 準 備
水上機
作戦 ヲ強 化 シ爾 後 ノ作 戦 ヲ準 備 ス
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル爾 後 ノ作 戦 準備 ハ ﹁ポ ー ト モ レ
艦載機
干
五機
スビ ー﹂ ﹁ラビ﹂ 及 ﹁ルイ ジ アド﹂ 諸 島 ヲ攻略 ス ル目的 ヲ 以 テ 為
兵力 ニシテ関 聯 作戦 スル基 地兵 力 航 空 母艦 其 ノ他 艦 載航 空
右 ハ ﹁ソ ロモ ン﹂ ﹁ニ ューギ ニヤ ﹂方 面 ニ直 接 作 戦 ス ル
兵力 ヲ含 マズ
軍
陸
軍
同 地附 近 ノ防空 ニ協力 シ次 デ戦 闘 軽爆 戦 隊
速 ニ先 ヅ戦 闘飛 行 団司 令 部 及戦 闘 一戦 隊 ヲ ﹁ラボ ー ル﹂ 方
メ ツツ
同方 面 部 隊 ノ作 戦 ニ協 力 シ
補 給 輸 送 竝 ニ基 地設 営
ヲ進出 セ シ メ ﹁ニューギ ニヤ﹂方 面 ノ敵 航 空 兵 力 ノ撃 破 ニ努
面 ニ進 出 セ シメ
1
作 戦要 領
指揮関係
其作 戦 実 施 ニ関 シ テ ハ別 ニ協 定 ス
シ得 ル範 囲 ノ計 画 準備 ヲ行 フ
二
陸 海 軍 協同 ト ス 但 シ陸 上 作戦 ニ於 テ陸 軍 部 隊 及海 軍 陸 戦隊 同 時 同 一方 面 ニ作 戦 ス ル場 合 ハ 作 戦 ニ関 シ高 級 先任 ノ指 揮 官 ヲ シ テ統 一指 揮 セシ ム
空
陸
使 用兵 力 1
航
ル コト アリ
一
三
同方 面 地 上 作 戦 ニ直 接
適 時 ﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 ノ敵 航 空
右 ノ間 ﹁ソ ロモ ン﹂ 方面 基 地 ノ整 備 ニ伴 ヒ航 空 兵力 ヲ逐 次
ヲ掩 護 シ且 ﹁ニューギ ニヤ﹂ 作 戦 ヲ準 備 ス
推 進 シ海 軍 航 空部 隊 ニ協力 兵力 ヲ撃 滅 シ之 ガ擡 頭 ヲ破 摧 シ ツツ 又 成 シ得 ル限 リ同 方 面 ニ対 スル輸 送掩 護 ニ協 力 ス 軍
協力 シ 海
南太 平 洋 方 面 ノ海 上 作 戦 ﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 ニ於 ケ ル
基 地 ノ整 備 ニ伴 ヒ逐 次航 空 兵 力 ヲ ﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 ニ推 進 シ ツツ
﹁ガ﹂ 島 ヲ攻略 セバ 成 ル ベ ク 速 ニ 一
基 地 ノ防 空 ハ現地 両 軍 指 揮 官間 ニ於 テ協 定 実 施 ス
海 軍 主用 、 陸 軍 共 用 ノ基 地 ﹁カヴ ィ エン﹂ ﹁ラバ ウ ル﹂ 東 西 陸 軍主 用 、 海軍 共用 ノ基 地
﹁ ブ ナ﹂
航空 基 地 ノ使 用 区 分 ヲ左 ノ如 ク概 定 ス
﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ ﹁ビ ス マ ルク﹂ ﹁ソ ロ モン﹂方 面
航 空基 地
テ協 定 ス
﹁ガ﹂島 攻 略 後 ノ作 戦 使 用 兵力 竝 ニ作 戦要 領 ニ関 シ テ ハ改 メ
4
力 ヲ統 合発 揮 ス ル
3 敵 航 空兵 力 ノ撃 滅 ニ方 リ テ ハ陸 海 軍 部隊 協 同 シ努 メテ 全 戦
努ム
部 兵 力 ヲ推 進 シ海 上 作 戦 ヲ強 化 シ敵 ノ来 援 ヲ阻 止 スル コト ニ
空 部 隊 ノ作 戦 ニ協 力 ス
成 シ得 ル限 リ適 時地 上 作 戦 竝 ニ ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 陸軍 航
航 空 撃滅 戦 竝 ニ同方 面 ニ対 ス ル補 給 輸 送、 基 地設 営 ヲ掩護 シ
2
四 1
1
2
五
3
4
5
6
﹁サ ルミ﹂ ﹁ラ エ﹂﹁サラ モ ア﹂ ﹁ウ ェ ワ ク﹂ ﹁サ ル ミ﹂ 附
近 (新設 ) 又 ハ ﹁マダ ン﹂
其 使 用 区分 ハ現 地両 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協 定
﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 ニ於 ケ ル基 地 ハ陸 海軍 協 同 シ テ 急 速 ニ 設 定整 備 シ ス
海 軍 ハ西部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 北岸 附 近 ニ中 継 基 地 ヲ急 速 ニ設 営 ス
補 給 、連 絡 等 ノ為 陸 軍 ハ前 (二) 号 ノ基 地 及 ﹁メ ナド ﹂
連 絡等 ノ必要 ニ依 リ テ ハ右 ニ拘 ラズ 現 地 両
(之 ガ 為 陸軍 ハ所要 ノ航 空保 安 施 設 ヲ 各 基 地 ニ
﹁ア ンボ ン﹂ ﹁バ ボ﹂ ﹁ラボ ー ル﹂ 等 ニ於 ケ ル海 軍 基 地 ヲ 共用 ス 整 備 ス) 作戦 ノ情 況
軍指 揮 官 ハ相 互 協 定 ノ上 適 当 ニ共 用 スル モ ノト ス
航 空基 地 ノ設営 竝 ニ整備 ハ主 用軍 之 ヲ担任 ス ルヲ原 則 ト ス
ル モ作戦 ノ情 況、 兵 力 配 備等 ニ鑑 ミ互 ニ協力 ス ル
﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 中 継 基 地
馬 来、 ﹁ス マト ラ﹂ 方 面海 域 ノ敵 艦 船 ( 潜 水 艦 ヲ 除 ク) ニ
本 作 戦 一段 落 迄 南 西方 面 航 空作 戦 ハ左 ノ如 ク実 施 ス
南 西 方 面航 空 作 戦
完 成 迄海 軍 ハ航 空 母艦 等 ヲ以 テ輸 送 ニ協 力 ス
下 ノ中 小型 機 ハ秋 津 丸 ニ依 ル外
陸 軍航 空 部 隊 ノ集 中 竝 ニ爾 後 ノ機 材 輸 送 ニ於 テ双発 軽 爆 以
用 ス ル燃料 ヲ融 通 ス
作 戦初 頭 ニ於 テ ハ情 況 ニ依 リ 一時 海 軍 ハ陸 軍 航 空部 隊 ノ使
補給輸送
2
1
2
六
1
八
一
所 要 ニ応 シ陸 軍 航 空部 隊 ハ ﹁チ モ ー ル﹂ 方 面 ノ防 空 ニ任 ス
対 スル警 戒 及攻 撃 ハ陸軍 航 空 部隊 之 ニ任 ス 2 小 ﹁ス ンダ ﹂ 列 島 、﹁タ ニンバ ル﹂ 諸 島 及 ﹁ア ル﹂ 諸 島 ノ
衛
航 空 兵 力 ヲ以 テ ス ル防衛 ハ陸 海軍 航 空 部隊 協 同 実施 ス
3
防 防 衛 ニ関 シテ ハ南 太 平洋 以 外 ノ防 衛 ト関連 シ別 ニ定 ムベ キ モ 当分 ノ間 作 戦 ニ関聯 シ左 ノ方 針 ニ基 キ テ行 フ モノ ト ス 海 軍 ハ艦 艇竝 航 空 兵力 ヲ以 テ 極力 積 極 的 ニ敵 ノ反 攻 企図 ヲ破 摧 ス ル ニ努 ム
作 戦 ノ要 求 ニ応 ジ相 互 緊密
情 況 大 ナル変 化 ナキ限 リ各 要 地 ノ直接 防
陸 上 防 衛 ハ主 ト シテ陸 軍 、 占 領地 域 一般 ノ海 上 防 衛 ハ海 軍 之 ニ任 ズ ル ヲ原則 ト シ 衛 ハ左 ノ分 担 ニ依 ル モ ノト ス ル モ
﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 南部 ノ要 地 主 ト シテ陸 軍
ト シテ海 軍
陸海軍協同
}主
}
}
ナ ル協 同 ノ下 ニ敵 ノ来襲 ニ対 シ之 ヲ先 制 撃破 ス ルヲ本 旨 ト ス
﹁ブ ナ﹂ 附 近要 地 ﹁ラ ボ ー ル﹂ 附 近 ﹁シ ョ ー ト ラ ンド ﹂ 附 近 要 地
﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 ニ於 テ今 後 更 ニ設 定 セラ ル ヘキ航 空 要 地 ﹁ラ エ﹂ 及 ﹁サ ラ モ ア﹂ 附 近
爾余 ノ要地
信
其 他 ノ方面 ハ当 時 ノ状 況 ニ依 リ別 ニ協定 ス
航 空兵 力 ヲ以 テ スル防衛 ハ ﹁ラ ボ ー ル﹂ ﹁ソ ロ モ ン﹂ 方 面 ハ
通
海 軍 担任 ト シ
三
二
九
十
別冊 ﹁南 太 平洋 方 面 作戦 通 信 ニ関 ス ル陸 海 軍 中央 協 定﹂ ニ依 ル
局 地 ニ於 ケ ル陸 軍 ノ補給 輸 送 及 患 者 ノ収 療 後送 等 ニ関 シテ ハ海
補 給 及衛 生
軍 之 ヲ援 助 ス
モノ ト ス
且集 団 航 行 ヲ行 ハシ ムモ ノ ト ス
海軍 ハ所 要 ニ応 シ護 衛 ヲ行 フ
陸 軍部 隊 及補 給 資 材 シ
大 本 営陸 軍 部 又 ハ関 係陸
陸 軍 ノ輸 送 竝帰 航 (空船 ヲ含 ム) ニ対
右 ノ航 行 ニ関 シ テ ハ現 地陸 海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協議 決 定 ス ル
ヨリ努 メテ直 行 セ シ メ
﹁ラ ボ ー ル﹂ 方 面 ヨリ帰航 ス ル船舶 (空 船 ヲ含 ム) ハ出 発 地
ス
右 ニ関 シ テ ハ関 係 陸 海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協議 決 定 ス ルモ ノト
ハ 情 況 ニ依 リ海 軍之 ヲ援 助 又 ハ実 施 ス
前 項 以外 ノ陸 軍 部隊 及 補 給資 材 等 ノ局 地 作戦 輸 送 ニア タ リテ
右 ノ実施 ニ関 シテ ハ其 都 度大 本 営 陸海 軍 部 ニ於 テ協議 決 定 ス
海 軍 ハ所 要 ニ応 シ為 シ得 ル限 リ其 輸 送 ヲ援 助 ス
送等 ハ出 発 地 ヨリ努 メテ直 行 セ シ ムル モ ノト ス
﹁ラバ ウ ル﹂ 方 面 ニ対 ス ル陸 軍部 隊 ノ集 中 及 補 給 ( 補充)輸
十 一 輸送及護衛 一
二
三
四
右 ノ実 施 ニ関 シテ ハ前 各 項 ニ準 シ
使用時
海 軍 指 揮官 間 ニ於 テ 協議 決 定 スル モ ノト ス 十二
情報交換
中 央 標 準 時 トス 十三
二
両軍 ニ関 聯 スル重 要 ナ ル事 項 ハ相 互 ニ夫 々現 地 陵海 軍 ニ通報
陸 海軍 ハ連絡 ノ為 所要 ニ応 シ相 互 ニ幕 僚 ヲ交 換 ス
且之 ガ迅 速 ナ ル連 絡 ヲ図 ルモ ノト ス 道
左 ノ陸 海 軍指 揮 官 ハ適 宜 作 戦 ニ関 ス ル協 定 ヲ行 フ
陸海 軍 指 揮官 間 ノ協 定
別命 ア ル迄 大 本 営 ニ於 テ統 一シ テ行 フ
報
シ
一
十四
十五
聯合艦隊司令長官
大 海 指 第 一八四 号
別冊 第 一
南太平洋方面作戦陸海軍中央協定
四
昭和十 八年 一月 三日
大本営
大本営
大本営
海軍部
陸軍部
海軍部
註 昭和十七年十 一月十八日附南太平洋方面作戦陸海軍中央協 次 作戦目的
目
定 ( 爾後 ノ改訂 ヲ含 ム) ハ之ヲ廃棄 ス 第一
第八方面軍司令官 ト {第十 一航空艦隊司令長官 (第八艦隊司令長官) 第 八艦隊司令長官
航空作戦
作戦指導
指揮関係
指揮官竝使用兵力
{
第三
第二 第四
通
ト
第十 一航空艦隊司令長官
第十 一航空艦隊司令長官
第五
第十七軍司令官 第 八艦隊司令長官
ト
第六
補給及衛生
{
第十 八軍司令官
ト 第十 一航空艦隊司令長官
輸送及護衛
信
第 六飛行師団長
第七
使 用時
十 六 作戦名称
第八
﹁カ﹂ 号作 戦
第九
情報交換
﹁ソ ロモン﹂ 群 島作 戦
第十
南太平洋方面作戦 ﹁レ﹂ 号 作 戦 }
第十 一 報
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面作 戦 ﹁ト﹂ 号 作 戦 ﹁ポ ー ト モ レ スビ ー﹂ 作 戦
﹁ラ﹂ 号 作 戦
八号作戦
﹁ラビ ﹂ 作 戦
﹁ル﹂ 号 作 戦
第 一 作戦 目的
作戦名称
第十 二 陸海軍指揮官間 ノ協定
道
﹁ルイ ジ アド﹂ 作 戦
第十三
南 太 平洋 方 面 作戦 ノ目 的 ハ同 方 面 ニ於 ケ ル優位 ノ態 勢 ヲ確 立 ス ル
ューギ ニヤ﹂ ノ要 域 ヲ確 保 シ爾 後 主 ト シテ ﹁ポ ー ト モレ スビ
戦 根 拠 ヲ増 強 シ且概 ネ ﹁ス タン レ ー﹂ 山 脈 以 北 ノ東 北部 ﹁ニ
ー﹂ 方 面 ニ対 ス ル作 戦 ヲ準 備 ス
﹁ブ ナ﹂ 方 面 ノ部隊 ハ状 況 ニヨリ適 宜 ﹁サラ モ ア﹂ 方 向 ニ
陸軍
航空作戦
陸 海 軍航 空 部 隊 ノ任 務分 担 左 ノ如 シ イ
在 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 部 隊 ノ地 上作 戦 及 防衛 協 力竝 ﹁ニ ュ
為 シ得 ル限 リ海 軍 ト協 同 シ東 部 ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面航
ーギ ニヤ﹂ 方面 ニ於 ケ ル補 給 輸 送掩 護
陸 軍 ノ担 任 ス ル以 外 ノ ﹁ソ ロモ ン﹂ 群島 及 ﹁ニューギ ニ
海軍
空撃 滅 戦 ノ実施 ロ
ヤ﹂ 方 面 ノ航 空作 戦
使 用 兵力
別 紙 第 二 ノ如 シ
ハ 局 地 ノ防 空 ニ関 シテ ハ相 互 ニ所在 部 隊 ニ協 力 ス
別 紙第 一ノ如 シ
2
1
一 作戦要領
第三
撤 収 シ所要 ノ地 点 ヲ確 保 ス
2
之 ガ為 陸海 軍 緊 密 ナ ル協 同 ノ下 ニ先 ツ速 ニ左 記要 域 ヲ確保
ニ在 リ シテ堅 実 ナ ル戦 略 態勢 ヲ確 立 ス
作戦指導
東 北部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ ノ要 域 ヲ攻 略 確保 シテ 爾後 ノ作 戦 ヲ
東 部 ﹁ニューギ ニヤ﹂ 方 面
ヲ確 保 ス
﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 ( ﹁ニュージ ョージヤ﹂島及 ﹁イサベ ル﹂島 以北)
一 ﹁ソ ロモン﹂ 群島 方 面
二
準備 ス 第二
在 ﹁ガ﹂ 島 部 隊 ハ概 ネ 一月 下旬 ヨリ二 月上 旬 頃 ニ亘 ル間 ニ
撤 収 作 戦 ニ関 シテ ハ別 ニ協 定 セ ル処 ニ拠 ル 第 一項 作戦 目 的 所掲 ノ確 保 地 域 ノ防 備 ヲ速 ニ強 化 ス
ー ゲ ン ビ ル島) カ 島
シ ョー ト ラ ンド 島
ブ
(ボ
海軍
陸 軍
之 ガ為 左 ノ如 ク陸 海軍 地 上 防 備 ヲ分 担 ス 北部 ソ ロ モン群 島 ニ ュー ジ ョ ー ジ ヤ 島 )
概 ネ歩兵 二大隊基幹 (ノ 陸軍部隊 ヲ海軍指 ) 揮官 ノ指揮下 ニ入 ル
航 空基 地 ノ利用 区 分 島
陸 軍 航 空 部隊 ノ集 中 竝爾 後 ノ機 材 輸 送 ニ於 テ双発 軽 爆 以下
ル
3 ベ
4
サ
﹁ガ﹂島 方 面 ニ対 シテ ハ海 軍部 隊 ヲ以 テ航 空 戦 ヲ 継 続 シ潜
イ
ノ中 小型 機 ハ陸軍 船 舶 ニ依 ル外 ﹁ニューギ ニヤ﹂ 中 継 基 地完
指揮 官 竝 使 用兵 力
成 迄海 軍 ハ航 空母 艦 等 ヲ以 テ本 輸 送 ニ協 力 ス 第四
水艦 作 戦 ト相 俟 ツテ敵 ノ補 給 遮 断 ニ勉 ム
速 ニ ﹁ラ エ﹂、﹁サ ラ モ ァ﹂、﹁マダ ン﹂ 、 ﹁ウ ェワク﹂ 等 ノ作
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面
3
2
於 テ陸 海 軍有 ユル手 段 ヲ尽 シ テ之 ヲ撤 収 ス
1
一 ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 方 面
二 1
陸
海
軍
兵
力
指揮官
軍
第 八方 面 軍 司令 官 第 八方 面 軍
聯合 艦 隊 司 令長 官
指揮関係
聯 合 艦 隊 ノ大部
第五
力
指揮 官 兵
但シ
陸 上作 戦 ニ於 テ陸 軍 部 隊 及海 軍 陸戦 隊 同 時 同 一方 面 ニ作
陸海軍協同トス
通
信
戦 ス ル場 合 ハ作 戦 ニ関 シ高級 先任 ノ指 揮 官 ヲ シテ統 一指 揮 セ シ ム
第六
ル コト アリ
第七
補 給 及衛 生
別冊 ﹁ 南 太 平 洋方 面作 戦 通 信 ニ関 ス ル陸 海 軍 中 央協 定 ﹂ ニ拠 ル
前 項 以 外 ノ南 太平 洋 方 面 ニ於 ケ ル陸 軍 部 隊 ニ対 ス ル補 給 竝 患
ニ対 ス ル補 給 竝患 者 ノ収療 後 送 等 ハ海 軍 之 ヲ担任 ス
一 ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 方 面 ニ於 ケ ル海 軍 指 揮 官指 揮 下 ノ陸 軍 部 隊
二
第八
輸 送 及護 衛
者 ノ収 療 後 送 等 ニ関 シ テ ハ海 軍 之 ヲ援助 ス
一 南 太 平 洋 方 面 ニ対 ス ル陸 軍 部 隊 ノ集 中 及補 給 ( 補 充) 輸 送 等 ハ出発 地 ヨリ努 メテ直 行 セシ ム ル モ ノト ス 海 軍 ハ所 要 ニ応 シ為 シ得 ル限 リ 其 ノ輸 送 ヲ援助 ス 右 ノ実 施 ニ関 シテ ハ其 ノ都 度 大本 営 陸 海 軍 部 ニ於 テ協議 決 定 ス
二
前 項 以 外 ノ陸軍 部 隊 及補 給 資 材等 ノ局 地作 戦 輸 送 ニア タリテ
右 ニ関 シテ ハ関 係 陸 海軍 指 揮 官間 ニ於 テ協 議 決 定 スル モノ ト
ハ状況 ニ依 リ 海軍 之 ヲ援 助 又 ハ実施 ス
南 太平 洋 方 面 ヨリ帰 航 ス ル船 舶 (空船 ヲ含 ム) ハ出 発 地 ヨリ
ス
陸 軍 ノ部 隊 及補 給 資 材 等 ノ輸 送 竝 帰航 (空船 ヲ含 ム) ニ対 シ
モノトス
右 ノ航 行 ニ関 シテ ハ現 地 陸海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協議 決 定 スル
努 メテ直 行 セ シ メ且集 団 行 動 ヲ行 ハシ ム ル モノ ト ス
三
四
右 ノ実 施 ニ関 シテ ハ前 各 項 ニ準 シ大本 営 陸海 軍 部 又 ハ関 係陸
海 軍 ハ所 要 ノ護 衛 ヲ行 フ
第九
使 用時
海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協 議 決 定 ス ルモ ノト ス
情報交換
中 央標 準 時 ト ス 第十
両 軍 ニ関 聯 ス ル重 要 ナ ル事 項 ハ相 互 ニ夫 〓現 地陸 海軍 ニ通報
一 陸 海 軍 ハ連 絡 ノ為 所要 ニ応 シ相 互 ニ幕 僚 ヲ交換 ス 二
第十 一 報
道
シ之 ガ迅 速 ナ ル連 絡 ヲ図 ルモ ノト ス
第十二
陸 海 軍 指 揮官 間 ノ協 定
別 命 アル迄 大 本営 ニ於 テ統 一シテ行 フ
一︺
南東方面艦隊司令長官
(︹草 鹿任
聯合艦隊司令長官
左 ノ陸海 軍 指 揮官 ハ適 宜 作戦 ニ関 ス ル協 定 ヲ行 フ
第八方面軍司令官
ソ ロ モ ン群 島 作 戦
ト号作 戦
ケ号作戦
カ号作 戦
八号作戦
}
南太平洋方面作戦
爾余 ノ関係陸海軍指揮官間 ノ協定 ニ関 シテ ハ右陸海軍指揮官 ノ協 定 スル所 ニ拠 ル
ガ 島 撤 収 作 戦
レ号作 戦
作戦名称
ニ ュー ギ ニ ヤ 作 戦
第 十三
ポ ー ト モ レ スビ ー作 戦
別表第 一
戦 爆
闘
司 偵
二七機
二七機
七四機
九機
1 陸 軍 ︹ 板花義一︺ 第六飛行師団長 ノ指揮 スル大約左ノ兵力
重 爆
軽
但 シ 当分 ノ間軽爆二七機 ヲ増加 ス 2 海 軍 陸 攻
闘
偵
二〇機
六〇機
八〇機
五機
南東方面艦隊司令長官 ノ指揮 スル大約左 ノ兵力 戦
爆
五機
陸
二〇機
艦
水上機
飛行艇
( 海 軍 主 用)
バ
一 陸海軍航 空基地利用区分
別表第 二
在 アイ ルラ ンド飛 行 場
ワクデ 島
ボ
( 陸 軍 主 用)
ラ ボ ー ル東
( 陸 海 共 用)
在 東 部 ニ ューギ ニヤ
ラボ ー ル西
在 ソ ロモ ン群 島 飛行 場
飛行場
ツ ルブ
マーカ ス岬
スルミ
ラ ボ ー ル新
ホ ー ラ ンデ ィヤ
右 ノ外 陸軍 ハ ﹁パラ オ﹂ ヲ爆 撃 一戦隊 ノ退 避 飛行 場 ト シテ
陸 軍 ハ作 戦 竝 連 絡 ノ為 左 ノ基 地 ニ所要 ノ地 上 勤務 部 隊 ヲ配
使用ス 二
用 シ又整 備 給 養 等 ニ関 シ相 協力 ス ル モノ ト ス
別冊第二
大本営
海軍部
以上 ノ如 ク定 ム ル モ作 戦 ノ状 況 ニ応 シ相 互 ニ基 地 ヲ融 通 使
﹁シ ョー トラ ンド﹂ 附 近 一及 ﹁ブカ﹂ ヲ共 用 ス
﹁ケ﹂ 号作 戦 ノ タ メ陸軍 ハ 一時 ﹁ム ンダ﹂ 附 近 一ヲ 主 用 シ
ミ ンダ ナオ、 メナド、 ア ンボ ン、 ナ ム レア、 ブ ラ、 パ ラ オ
置 シ且 航 空 保安 施 設 ヲ整 備 ス
三
四
大 海 指 第 一八 四 号
﹁ケ﹂ 号 作 戦 ニ関 ス ル陸海 軍 中 央協 定
五
昭 和 十 八年 一月 三 日
要
針
大本営
陸軍部
現 ニ実 施 シ ア ル ﹁ガ﹂ 島 再攻 撃 ニ伴 フ攻 勢 作 戦準 備 ハ急 速 ニ
領
二月 上旬 頃 ニ亘 ル間 ニ於 テ在 ﹁ガ﹂ 島 部 隊 ヲ撤 収 ス
﹁ケ﹂ 号 作戦 ニ関 シテ ハ有 ユル手 段 ヲ尽 シテ概 ネ 一月 下 旬 ヨ リ
一 方
二 1
旨
大 本営
大 本営
陸軍 部
海軍部
南 東方 面 就 中 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 作 戦 ノ遂 行 ハ現 下 帝 国国 防
一 要
ル時 ハ重 大 ナ ル事 態 ニ立 到 ルノ虞尠 カ ラズ 尚南 東 方 面全 般 ノ堅 固
上 極 メテ重 要 ナ ル事 項 ニシテ然 モ其 ノ指 導 及実 施 シテ機 宜 ヲ失 ス
ン﹂ 及 ﹁ビ ス マ ルク﹂ 方 面 ニ於 ケ ル現 態 勢 ヲ確 保 ス ル コト絶対 必
ナ ル戦略 態 勢 ヲ保 持 ス ル為 ニ ハ少 ク モ ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ ﹁ソ ロ モ
要 ニシテ孰 レカ ノ 一方 面 ニ於 ケ ル重大 ナ ル破綻 ハ累 ヲ南 方 方面 全
ナラシム 速 ニ先 ツ第 十 七軍 ノ戦 線 ヲ整 理 シテ後 方 要 線 ニ戦 面 ヲ収縮 ス
般 ニ及 ボ ス ニ到 ル虞 大 ナ リ
之 ヲ整 ヘ以 テ撤 収 作戦 準 備 ヲ促 進 ス ルト 共 ニ企 図 ノ秘 匿 ヲ容 易
2
撤 収作 戦開 始 迄 ノ間 各 種 ノ方 法 ニヨリ補 給 ヲ続行 強 化 シテ在
夫 々航 空戦 力 増 強 ノ措 置 ヲ講 ス
之 ガ為 大本 営 陸 海軍 部 ハ不 取敢 左 ノ如 ク措 置 ス
針 ノ下 ニ万難 ヲ排 シ有 ユル努力 ヲ傾倒 シ テ之 ガ作 戦 ノ遂 行 ヲ期 ス
軍 作 戦 計 画 及御 前 研究 ノ方 針 ニ基 キ陸 海 軍 中 央 竝現 地 一貫 セ ル方
依 テ 大本 営 陸 海 軍部 ハ右 情 況判 断 ニ立 チ三 月 五 日允裁 策 定 ノ両
3
﹁ガ﹂ 島 部隊 ノ戦 力 ヲ保 持 シ且補 給 ノ場 合 勉 メ テ 在 ﹁ガ﹂ 島患
陸 海 軍 協 同 シ テ ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 方 面 ニ対 ス ル航空 攻 撃 ヲ強
右 補 給 輸 送及 患 者等 ノ後 送 ハ主 ト シテ 海 軍之 ヲ担任 ス
者 等 ノ後 送 ヲ実 施 ス
4
二
両 軍 ハ速 ニ南 東方 面 ニ対 シ航 空兵 力 ヲ新 ニ増 加 シ又 ハ所在 部
隊 ノ兵力 ヲ充 実 シ且分 担 ヲ定 メ航空 基 地 ノ増 設 強 化等 航 空 戦力
一
ノ船 舶 ヲ併 用 シ各 種 ノ手 段 ヲ尽 シ テ在 ﹁ガ﹂ 島 部隊 ヲ後方 要地
補 給特 ニ東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ノ部 隊 ニ対 ス ル補 給 ハ陸
1
両 軍協 同 シ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂方 面 ニ対 ス ル小型 船艇 ヲ以 テ
両軍 ハ新 ニ小船 舶 舟 艇 等 ヲ速 ニ南 東 方 面 ニ増 加 ス
之 カ為 速 ニ左 ノ措
2
置 ヲ講 ス
海 軍 協 同 シ有 ユル手 段 ヲ講 シテ之 ヲ実 施 ス
二
発 揮 ニ必要 ナ ル諸般 ノ措 置 ヲ講 ス
南 東 方 面 作 戦 ニ関 ス ル 両 部 申 合 覚
本 作 戦 ニ関 ス ル機 密保 持 ニ ハ特 ニ注 意 ス
ニ撤 収 ス
前 号航 空作 戦 ノ遂 行 ニ伴 ヒ為 シ得 ル限 リ多 ク ノ艦艇 及 其 ノ他
化ス 5
6
六
昭 和 十 八年 三月 二十 二日
ス ル補 給 線 ノ整 備 及 之 ニ依 ル補 給実 施 ヲ促進 シ併 セテ 一部 海
又 空中 補 給 ヲ強 化 ス
右 ノ間 陸軍 ハ極 力 陸路 補 給 路 ノ整 備
軍 艦 艇 ニ依 ル応 急輸 送 ヲ行 フ
ニ勉 ム 而 シテ 各種 ノ手段 ヲ尽 シテ右 ノ如 キ措 置 ヲ講 ズ ルモ前 各項 ニヨル補 給実 施 著 シク困 難 ト ナ リ タ ル際 ハ海 軍 ハ有 ユル方 策
昭和十 八年三月二十 二日
大本営
海軍部
大本営 陸軍部
昭和十 八年 一月三日附南太平洋方面作戦陸海軍中央協定 ハ之
註
第二
第一
指揮官竝 ニ使用兵力
航空作戦
作戦指導
作戦 目的
次
基 地 設 定 ニ必 要 ナ ル防 空 兵器 ヲ新 ニ速 ニ増 加 ス之 等 既 定 計画 以
第三
目
ヲ廃棄 ス
外 ニ新 ニ南 東 方 面 ニ増 勢 ス ル部 隊 ノ為 陸 軍 ハ其 ノ保 有 船 舶 ヲ最
第四
指揮関係
3
ヲ尽 シテ之 カ補 給 遂 行 ニ努 力 ス
高 効率 ニ運 用 シ海 軍 ハ極力 其 ノ輸送 ヲ援 助 ス
第五
陸 軍 ハ ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ヶ ル防備 施 設 ノ増 強 ニ努 メ
敵 航空 機 ノ攻撃 威 力圏 内 ニ対 ス ル補 給 ハ将 来 ニ亙 リ戦 局 ヲ左右
三
スル重大 要 素 タ ルヲ以 テ速 ニ具 体 的方 策 ヲ確 立 シ之 カ実 現 ノ為 各
輸送及護衛
三
報道
補給及衛生 第八
通信、航空保安及気象
大 本 営陸 海 軍 部 ハ 一致 セ ル作 戦 指導 ノ具 体 的方 策 ヲ策 定 ス
第九
作戦名称
第六
四
右 方 策 ニ基 キ現 行南 太 平 洋方 面 作 戦 陸海 軍 中 央 協定 ヲ改 訂 ス
第十
第七
五
大 本 営 陸 海軍 部 ハ右 中 央 ノ方 針 ニ基 キ現 地 ヲ指 導 シ作 戦 指導 ノ
第十 一 陸海軍指揮官間 ノ協定
種 施 策 ヲ促進 ス ルト共 ニ所 要 ノ資 材 ヲ整 備 ス
六
之 ガ為 差当 リ三 月 下旬 頃 両 部 ハ現
南東方面作戦 ノ目的 ハ同方面 ニ於ケ ル要域 ヲ確保攻略 シテ優
第 一 作戦目的
南東方面作戦陸海軍中央協定
︹ 編者注 右第十 一項は目次、本文とも三月二十七日付軍令部副官名を もって追加されている。︺
一貫 及協 調 ニ遺 憾 ナ カラ シム
別冊
地 軍、 艦 隊 参謀 長 ヲ同時 ニ東 京 ニ招 致 シ以上 ノ諸 件 ニ関 シ所要 ノ
大 海 指 第 二 一 三号
指 示 ヲ行 フ
七
南 東 方 面陸 海 軍 中央 協 定
位 且強 靭 ナ ル戦 略 態 勢 ヲ確 立 ス ル ニ在 リ
作 戦指 導 方針
作 戦指 導 一
第二
陸 海 軍 真 ニ 一体 ト ナリ 両軍 ノ主 作 戦 ヲ先 ヅ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ指 導 シ該 方 面 ニ於 ケ ル作 戦 根 拠 ヲ確 立 ス 此 間 ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 及 ﹁ビ ス マ ルク﹂ 諸 島方 面 ニ於 テ ハ
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 作 戦遂 行 ノ為 陸 海 軍 協 同 シ ﹁ニ ュ
化持 続 シ且 我輸 送 補 給掩 護 ニ遺憾 ナ カ ラ シ ム
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 東岸 ニ於 ケ ル敵 ノ輸 送増 勢 遮 断 ヲ極 力 強
航 空 作 戦 ヲ強 化 シ敵 航 空 兵 力 ノ撃 滅 ニ努 ムル ト共 ニ特 ニ
給 ヲ確 保 シ所在 部 隊 ノ戦力 ヲ増強 ス
之 ガ為陸 海 軍 有 ユル手 段 ヲ尽 シ テ同方 面 部 隊 ニ対 スル補
ノ要 地 ヲ確 保 ス
空 地 ヨリ ス ル敵 ノ攻 勢 ニ対 シ ﹁ラ エ﹂ 、 ﹁サ ラ モ ア﹂ 附 近
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面作 戦
防 備 ヲ強 化 シテ現 占領 要 域 ヲ確 保 シ来 攻 ス ル敵 ヲ随 時 撃 破 ス 二 1
2
3
ー ギ ニヤ﹂ 及 ﹁ニ ューブ リ テ ン﹂ 方 面 ニ於 ヶ ル防 空補 給 輸
爾 後 ノ作 戦実 施 ニ関 シ テ ハ別 ニ協 定 ス
ー﹂ 方 面 ニ対 スル作 戦 ヲ準 備 ス
﹁ニ ュージ ョージ ア﹂ 島 及 ﹁イ サベ ル﹂ 島 以北 各 要 地 ノ
﹁ソ ロ モン﹂ 方 面作 戦
)
)
防衛 ヲ強 化 シテ現 態 勢 ヲ確 保拡 充 シ来 攻 スル敵 ヲ随 時撃 破
(
(
現地陸海軍指 揮官間 ノ 協定 ニ依 リ所要ノ陸軍 部隊 ヲ配備 シ之 ヲ海軍 指揮官 ノ指揮下 ニ入 ル
﹁イ サベ ル﹂ 島 等
﹁ ニ ュー ジ ョ ー ジ ヤ ﹂
陸軍
之 ガ為 左 ノ如 ク陸海 軍 ノ地上 防 備 ヲ分 担 ス 北 部 ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島
ス
中 部 ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島
海軍
海 軍航 空 竝 ニ潜 水 艦 作戦 ニ依 リ ﹁ガ﹂ 島方 面 ニ対 ス ル敵
ノ増 援 補 給 ヲ遮 断 ス ルト共 ニ敵 勢 ノ減 殺 ニ努 ム
陸 海 軍協 同 シ速 カ ニ ﹁ソ ロモ ン﹂ 群 島 方 面 ニ対 ス ル補 給
陸 海 軍 協 同 シ ﹁ニ ューブ リ テ ン﹂ 島特 ニ同 島 西部 及 ﹁ス ル
﹁ビ ス マル ク﹂ 方 面 作 戦
ニ勉 ム
方 策 ヲ確 立 スル ト共 ニ ﹁ボ ーゲ ンビ ル﹂ 島 内所 要 陸路 整 備
3
2
1
三
四
又 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂方 面 ニ
ミ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル防 衛 ヲ強 化 ス
般 ノ作 戦遂 行 ニ遺憾 ナ カ ラ シム
共 ニ戦 力 ノ維 持増 強 ヲ図 リ以 テ航 空 作 戦 ヲ劃 期 的 ニ強 化 シ全
陸 海 軍 ハ各種 ノ手 段 ヲ尽 シテ速 カ ニ航 空兵 力 ヲ増 勢 ス ルト
航 空作 戦
部隊 ヲ以 テ極 力 所要 ノ道 路 ヲ整 備 シ且 特 ニ軍 需 品 ノ集 積 ヲ
第三
対 ス ル補 給 ノ為 速 ニ之 ガ海 陸 輸送 基 地 ヲ完 成 ス
亘 ル作 戦 根 拠 ヲ造 成 整 備 ス 前 項 作 戦根 拠 ノ整備 拡 充 ニ伴 ヒ ﹁ラ エ﹂、﹁サ ラ モア﹂ 附
一
促進 シ以 テ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 及 ﹁ニ ューブ リ テ ン﹂ 西部 ニ
送 等 ノ所要 基 地 群 ヲ速 ニ整 備 強化 ス ルト共 ニ主 ト シテ陸 軍
4
近 ノ兵 力 其 他 ヲ増 強 シテ該 方 面確 保 ノ態勢 ヲ強 化 シ且爾 他 ノ諸 施 設 整 備 ヲ促 進 シ以 テ爾 後 主 ト シ テ ﹁ポ ー ト モ レ スビ
二
三
航 空 作戦 ノ指 導 ニ方 リテ ハ特 ニ陸 海軍 航 空 戦 力 ノ統 合 発 揮 ニ努 ム 作 戦 間特 ニ十 八年 九月 頃 迄 ノ間 ニ於 ケ ル陸 海 軍航 空 部 隊 ノ 任 務 分担 左 ノ如 シ
所要 ニ応 ジ陸 海 軍 航 空 部隊 ヲ以 テ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面
各 其 ノ所 在 部隊 ヲ以 テ相 互協 同 之 ヲ実 施 ス ル モ ノト ス 4
作 戦 ノ状況 ニ依 リ テ ハ右 任 務 分担 ニ拘 ラズ 両軍 協 力 シ作
陸 海軍 部 隊 ニ対 シ空 中 補 給 ヲ実 施 ス
戦 目 的 ノ完 遂 ニ努 ム ル モ ノト ス
5
ス 陸軍
使 用 兵力 左 ノ如 ク極 力 之 ガ戦 力 ノ保 続 増 強 ニ努 ム ルモ ノト
1
四
ス マル ク﹂ 諸 島 方 面 ニ於 ケ ル輸 送 補給 援 護 ニ関 シ海 軍 ニ
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル輸 送補 給 援 護 竝 ニ ﹁ビ
陸軍
協力
七 四機 ( 概ネ 四月乃至九月ノ間 一一一機 ニ増強)
九機 ( 概ネ四月以降 一 二 機 ニ増強)
司偵
五 四機
第 八方 面 軍 司 令官 ノ指 揮 ス ル大 約左 ノ兵力
ニ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル敵 ノ陸 上輸 送 遮 断
戦闘
﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル地 上 作戦 及 防 衛 協 力 竝
ハ 海 軍 ト協 同 シ ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル航 空撃 滅
九 機 (概ネ五月以降)
南 東 方 面艦 隊 司令 長官 ノ指 揮 ス ル大 約左 ノ兵力
海軍
輸送
二 七機 (概ネ六月乃至九月 ノ間 五四機 ニ増強)
2
軽爆
戦 ニ ﹁ブナ﹂ 附 近以 北 ニ於 ケ ル敵 ノ海 上 輸 送 遮断 ニ関 シ海 軍 ニ協 力 海軍
五月及六月ノ二ケ月 ( 間 一四四機 ニ増加
)
重爆
ロ
イ
1
2
﹁ニューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル敵 ノ海 上 輸 送 遮 断 及 陸
二四機
一二 機
一〇 八機
一 二六機
(五月以降 ノ兵力)
陸偵
七 二機
一〇 八機
﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 ニ於 ケ ル航 空 作戦 ( 航 空 撃滅 戦 、敵 ノ
戦闘
ロ
陸攻
一二機
二 七機
輸 送 遮断 、 防 衛 、地 上 作 戦協 力 、輸 送 補 給 援 護)
六機
四 二機
二 七機
ハ ﹁ビ ス マ ルク﹂ 諸 島 方 面 ニ於 ケ ル輸送 補 給 援 護
飛 行艇
艦爆
援護 ニ関 シ陸 軍 ニ協 力
一八機
状 況 ニ依 リ母艦 飛 行 機 ヲ転 用 増 強 ス ル コト アリ
水上機 右 ノ外 局 地 ノ防 空 ハ陸 海 軍
﹁ビ ス マ ルク﹂諸 島 ノ防 衛 ハ主 ト シテ海 軍 之 ニ任 ジ 陸 軍
ニ 為 シ得 ル限 リ ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル輸 送 補 給
軍 ト協 同 シ テ行 フ航 空撃 滅戦
イ
3
ハ所 在 部 隊 ヲ以 テ之 ニ協 力 ス
五 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 海軍
陸軍
陸 海 軍 ノ航空 基 地設 定 及 整 備拡 充 区 分 左 ノ如 シ
﹁ ビ ス マルク﹂ 諸 島 及 ﹁ソ ロモン﹂ 群 島方 面 但 シ ﹁ビ ス マ ルク﹂ 諸 島 内 ﹁ツルブ﹂ ﹁ロ レ ン ゴ ウ﹂ ハ陸 軍 ト シ ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 ﹁ラ エ﹂ ノ共用 飛 行 場 ハ海 軍 ト
陸海 軍 ノ航 空基 地使 用 区分 竝 ニ航空 路 ノ設定 別 紙 ノ通
尚 両軍 ハ飛 行 整備 場 ニ関 シ極 力 相互 協 力 ス ルモ ノ ト ス
陸 軍 航 空部 隊 ノ集 中 竝 ニ爾 後 ノ機材 輸 送 ニ於 テ双 発 軽 爆 以
ス
六
下 ノ中 小 型機 ハ陸 軍船 舶 ニ依 ルノ外陸 軍 航 空 路 完成 迄 海 軍 航
七
空 母艦 等 ノ協力 ヲ受 ク
第七
リ先 ヅ ﹁パ ラ オ﹂ ヲ中 継 ト シテ行 フ
南 東 方 面 ニ対 スル陸 軍部 隊 ノ集 中 及 ( 補 給) 輸 送等 ハ差 当
輸送及護衛
者 ノ収 療 後 送 等 ニ関 シテ ハ海 軍 之 ヲ援 助 ス
前 号 以 外 ノ南 東 方 面 ニ於 ケ ル陵 軍 部 隊 ニ対 ス ル補 給 竝 ニ患
スル補 給 竝 ニ患 者 ノ収療 後 送 等 ハ海 軍 之 ヲ担 任 シ陸 軍 援助 ス
﹁ソ ロモ ン﹂ 諸 島 方 面 ニ於 ケ ル海 軍 指揮 下 ノ陸軍 部 隊 ニ対
テ 一部 海 軍 艦艇 ニ ヨル応急 輸 送 ヲ行 フ
ニ対 ス ル補 給 ハ陸 海軍 協 同 シ小型 船 艇 及補 給 ニヨル ノ外 併 セ
東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面特 ニ ﹁ラ エ﹂ ﹁サ ラ モ ア﹂ 附 近
補給 及 衛 生
央協 定 ﹂ ニ拠 ル
一
二
三
第八 一
ル モ ノト ス
右 ノ航 行 ニ関 シテ ハ現 地陸 海 軍指 揮 官 間 ニ於 テ協 議 決 定 ス
航 行 ヲ行 ハシ ム ル モノ ト ス
メテ直 行 セ シ ムル モ差当 リ ﹁パ ラ オ﹂ 中継 ト シ且勉 メテ集 団
南 東 方 面 ヨリ帰 航 ス ル船 舶 (空船 ヲ含 ム) ハ出発 地 ヨリ努
トス
右 ニ関 シテ ハ関 係 陸海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協議 決 定 ス ルモ ノ
ハ情 況 ニ依 リ海 軍 之 ヲ援 助 又 ハ実 施 ス
前 項 以外 ノ陸 軍 部隊 及 補 給資 材 等 ノ局地 作 戦輸 送 ニ当 リテ
以上 ノ実施 ニ関 シテ ハ其 ノ都 度 大 本営 陸 海
ノ輸 送 ニ協 力 ス
海 軍 ハ所 要 ニ応 ジ為 シ得 ル限 リ 其 ノ艦 船 ヲ以 テ右 陸軍 部 隊
聯 合艦 隊 ノ大部
三
二
聯 合艦 隊 司令 長 官
第 八方 面 軍
第 八方 面 軍 司 令官
軍 部 ニ於 テ協 議 決 定 ス
指 揮官 竝 ニ使 用 兵力 海軍
第四
力
指揮官 兵
力
指揮関係
兵
指揮官
陸軍
第五 陸海軍協同トス
但 シ陸 上 局地 作戦 ニ於 テ 陸海 軍 部隊 同 時 ニ作 戦 ス ル場 合 ハ作
通信 航 空 保 安 及 気 象
戦 ニ関 シ高 級先 任 ノ指 揮 官 ヲ シテ統 一指 揮 セ シ ム ル コト アリ 第六
別 冊 ﹁南東 方 面 作戦 通 信 、航 空保 安 及 気象 ニ関 ス ル陸 海 軍 中
第九
陸 軍 部隊 及 補給 資 材 等 ノ輸 送 竝 ニ帰航 (空 船 ヲ含 ム) ニ対 シ海 軍 ハ所 要 ノ護 衛 ヲ行 フ 右 ノ実施 ニ関 シテ ハ前 各 項 ニ準 ジ 大本 営 陸 海軍 部 又 ハ関 係
報道 別命 ア ル迄 大 本 営 ニ於 テ統 一シテ行 フ
﹁カ﹂ 号 作 戦
作 戦 名称 ﹁ソ ロモ ン﹂ 方 面 作 戦
﹁レ﹂ 号 作 戦
﹁ト﹂ 号 作 戦
南東方面作戦 八号作戦
}
陸 海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協 議 決 定 スル モ ノト ス
四
第十
﹁ポ ー ト モ レ スビ ー﹂ 作 戦
﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面作 戦
ト第八方 面軍司令官
}
左 ノ陸海軍指揮官 ハ適宜作戦 ニ関 スル協定ヲ行 フ
第十 一 陸海軍指揮官間 ノ協定 聯 合 艦 隊 司令 長 官 南東方面艦隊司令長官 ノ協 定 ス ル所 ニ拠 ル
主 用
モ ツルブ
サ
ラバ ウ ル西
陸海 共用
爾 余 ノ関 係 陸 海軍 指 揮 官 ノ協 定 ニ関 シテ ハ右 陸 海 軍指 揮 官
海 軍
ラバ ウ ル東
在 ﹁ソ ロモン﹂ 群 島 飛 行 場
陸海軍航空基地使用区分
別紙
陸軍 主用 在 東 部 ニューギ ニ ヤ (除 共用 ) 飛 行 場 ラバ ウ ル南
ワ クデ 島
ロ レ ンゴ ウ
ル ミ
カ ビ エン
ス
ラ
エ
ウ
ボ
ェワ ク
マダ ン
バ
ホー ラ ンジ ア
右 ノ外 陸 軍 ハ ﹁パ ラ オ﹂ ヲ爆撃 一戦 隊 ノ退 避 飛行 場
ハ現 地 両 軍 指揮 官 間 ニ於 テ決 定 ス ルモ ノト ス
陸 軍 ハ所要 ノ基 地設 定 迄 作 戦 竝 ニ補 給 ノ為 左 ノ海軍
ト シテ使 用 ス
基 地 ニ所 要 ノ地 上 勤務 部 隊 ヲ配置 シ且 航 空保 安 施 設 ヲ
﹁ミ ンダ ナ オ﹂、﹁メナ ド﹂、﹁ア ンボ ン﹂、﹁ナ ムレ ア﹂、
整備 ス
作戦 ノ状 況 ニ依 リ相 互 ニ基 地 ヲ融通 使 用 シ又整 備給
﹁ブ ラ﹂、﹁パ ラ オ﹂、﹁ケ ンダ リ ー﹂、 ﹁マカ ッサ ル﹂
大 海指 第 二 百 八十 号
別冊
養 等 ニ関 シ相 互 協力 スル モ ノト ス
四
三
二
行 場 ノ決 定 及新 ニ設 定 スル飛行 場 ノ使 用 区分 ニ関 シ テ
一 ﹁ラ エ﹂ ﹁マダ ン﹂ ﹁ウ ェワク﹂ 飛 行 場群 中 ノ 共 用 飛
フ ィ ン シ ュ
備考
八
昭和十八年九月三十 日
中南部太平洋方面作戦陸海軍中央協定
大本営
海軍部 第五
第四 中 部 太平 洋 方面
濠 北方 面
其 ノ他
陸軍部
帝 国 陸海 軍 ハ密 ニ協 同 シ南 東 方 面 ノ要 域 ニ於 テ来 攻 ス ル敵 ヲ撃 破
第六
大本営
本 協 定 ハ今 明 年 ニ於 ケ ル中南 部太 平洋 方 面 全 般 ニ 亘ル作戦 指
シ テ極力 持 久 ヲ策 シ此 ノ間速 ニ濠 北方 面 ヨリ中 部 太平 洋 方 面要 域 ニ
第 一 作 戦方 針
中 南部 太 平 洋方 面
亘 リ反 撃 作戦 ノ支〓 ヲ完 成 シ且 反 撃戦 力 ヲ整 ヘ来 攻 ス ル敵 ニ対 シ徹
注
導 ノ大 綱 及特 ニ必 要 ナ ル事 項 ニ関 シ協 定 ス
底 的 反 撃 ヲ加 ヘ勉 メテ事 前 ニ之 ヲ覆 滅 シ其 ノ戦 意 ヲ挫 折 セ シ ム
概 ネ昭 和 十九 年 春 頃 ヲ目 途 ト シテ濠 北方 面 要域 及 ﹁カ ロリ ン﹂
敵 ノ来攻 ニ方 リ テ ハ其 ノ主 反 攻 正面 ニ対 シ前 項要 域 ニ於 ケ ル基
地 ヲ支 〓 ト シ各 種 ノ戦 力 ヲ集 中 シ テ敵 ヲ反 撃 シ勉 メテ事 前 ニ之 ヲ
概 ネ昭 和 十 九年 中期 以 降 ニ於 テ濛 北方 面 ヨリ状 況 之 ヲ許 ス限 リ
覆 滅 シ其 ノ反 攻企 図 ヲ撃 摧 ス
積 極 作戦 ヲ実 施 スル ニ努 ム
第三
南東方面
攻勢 指 向 方 面 ニ関 シテ ハ別 途 研究 シ所要 ノ準備 ヲ進 ム
南 東 方面 当 面 ノ作 戦 ニ関 シテ ハ別 冊 ﹁南東 方 面 作 戦陸 海 軍中 央 協 定﹂ ニ拠 ル
四
三
撃 態 勢 ヲ速 急 ニ強化 ス
比 律賓 方 面 ニ於 ケ ル作 戦根 拠 ノ造 成及 空 海陸 反 撃戦 力 ノ整備 等 反
﹁マリ ア ナ﹂ 各群 島 方 面要 域 ニ 亘リ作 戦 基 地整 備 及其 ノ防備 強 化、
二
要域 ニ於 テ 来 攻 ス ル敵 ヲ撃 破 シテ極 力 持久 ヲ策 ス
一 東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 以東 ﹁ソ ロ モ ン﹂群 島 ニ亘 ル南 東 方面 ノ
作戦 指 導 要 領
中 ノ南 東 方面 及 其 ノ他 ノ方 面 ニ関 ス ル作 戦 ニ就 テ ハ別 途 所要 ニ
﹁ス ン ダ ﹂ 諸 島 ﹁セ レ ベ
第二
応ジ協定ス 爾 今 陸海 軍 間 及 中央 現 地 ニ於 ケ ル方面 用 語 ヲ左 ノ如 ク ス 中部 太 平 洋 ( ﹁カ ロリ ン﹂ ﹁マー シ ャル﹂﹁マリ ア ナ﹂ ﹁ギ ルバ
(東 部 ﹁ニ ュ ー ギ ニ ヤ﹂ 竝 ニ ﹁ビ ス マ ル
(﹁ア ル﹂ ﹁ケ イ﹂ ﹁タ ニンバ ル﹂
﹁ニ ュー ギ ニヤ ﹂ 方 面
ンダ﹂ 海 方 面
(小
ンダ﹂ 海 方 面 ノ要域 ヲ指 ス
次
{
前 記南 部太 平 洋方 面 中 西北 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ ﹁バ
ス﹂ 島 )
﹁フ ロ レ ス﹂ 海 方 面
﹁チ モ ー ル﹂ ﹁モ ル ッ カ ﹂ 諸 島 )
{﹁バ
西部
ク﹂ ﹁ソ ロ モ ン﹂ 群 島 )
南 東方 面
ート﹂ 群 島方 面 ヲ指 ス)
南太平洋
濠北方面 目 第 一 作戦方針 第二 作戦指導要領 第三 南東方面
第四
濠北方面
一 陸海 軍 協 同 シ昭 和 十 九年 春 頃 ヲ目途 ト シテ濠 北 方 面 ニ於 ケ ル基 地 整 備、 防 備 強化 、 軍 需 品 ノ集 積、 海 運 、 兵站 根 拠 ノ造 成等 作 戦 準 備 ヲ速急 ニ強 化 ス 右 作 戦 準 備 ハ濠 北 方 面 当面 ノ防衛 ニ遺 憾 ナ カ ラ シ メツ ツ特 ニ南
シ
濠 北 方 面 ニ於 ケ ル陸 海軍 ノ航 空基 地 整備 ニ関 ス ル分 担 別 紙 ノ如
ヲ期 ス
東方 面 ノ作 戦推 移 ニ応 ジ反 撃 作 戦 ノ支 〓 タ ラ シ ム ル如 ク之 ガ促進
二
三
又陸 海 軍協 同 シ為 シ得 ル限 リ 航空
濠 北 方 面作 戦 準 備 強 化 ノ為 該方 面 ニ対 ス ル陸 軍 部隊 及 軍 需 品 ノ 輸 送 ニ対 シ海 軍 ハ護 衛 ヲ行 フ
四
兵 力 ヲ以 テ右 ノ輸 送 補 給掩 護 ヲ実 施 ス
ノト ス 中 部 太 平洋 方 面
以 上 ノ実施 ニ関 シテ ハ関 係 陸 海軍 指 揮 官間 ニ於 テ協 議 決 定 スル モ
第五
陸軍 ハ所 要 ノ陸軍 部
一 海 軍 ハ昭 和 十 九年 春 頃 ヲ目 途 ト シテ ﹁カ ロリ ン﹂ ﹁マリ ア ナ﹂ 群 島 方 面 ニ於 ケ ル作 戦 準 備 ヲ速急 ニ強 化 ス
隊 及 一部 ノ兵 站 機関 ヲ中 部 太平 洋方 面 ニ派 遣 シ海 軍 指 揮官 ノ指 揮
前 項 陸軍 部 隊 ノ派遣 輸 送 ハ主 ト シテ陸 軍 之 ヲ担 任 シ爾後 ノ常 続
下 ニ入 ラシ ム ル等 之 ガ作 戦 準備 強 化 ニ関 シ海 軍 ニ協 力 ス 二
補 給 (補充 ) 輸 送 及患 者 後 送 ハ海 軍 之 ヲ担 任 ス
決定 ス 第六 其 ノ他
濠北方面作戦
南東方面作戦
四号作戦
三号作戦
二号作戦
一 作戦名称
中部太平洋方面作戦
第 八方面軍司令官 ︹ 古賀峯一︺ 聯合艦隊司令長官 (南東方面艦隊司令長官)
イ 南東方面作戦
二 指揮官 陸軍 海軍
( 終)
ロ 濠北方面作戦 ︹ 寺内寿 一 ︺ ︹ 北野憲造︺ 南方軍総司令官 ( 第十九軍司令官) ︹ 高須四郎︺ 聯合艦隊司令長官 ( 南西方面艦隊司令長官) 陸軍
海軍
聯合艦隊司令長官
ハ 中部太平洋方面作戦
中 南 部太 平 洋 方 面 作 戦陸 海 軍 中 央 協定 別紙
濠北方面 ニ於 ケル陸海軍 ノ航空基地整備 ニ関 スル分担 ︹ 略︺
大海 指第 二百 八 十号 別冊 ﹁中 南 部 太平 洋 方 面作 戦 陸 海
南東方面
軍 中央 協 定 ﹂ 別 冊
又陸 軍部 隊 ノ常 続 補 給 資 材中 兵 器被 服 ハ陸 軍担 任 ト シ爾 他 ノ糧 食、 築 営 材 料 等 ハ主 ト シテ海 軍 担任 ト ス
以上 ノ補 給 及其 ノ他 作
戦 資 材 供出 ノ細 部 ニ就 テ ハ其 ノ都度 大 本 営 陸 海軍 部 間 ニ於 テ協 議
南東方面作戦陸海軍中央協定
大本営
大本営 陸軍部
海軍部
一 本協定 ハ ﹁ 中南部太平洋方面作戦陸海軍中央協定﹂ ニ基
昭和十八年九月三十 日
註
ハ之ヲ廃棄 ス︹ 編者注 三月二十二日は参謀総長指示の発令され
昭和十八年 三月 二十二日附南東方面作戦陸海軍中央協定
キ南東方面当面ノ作戦 ニ関シ協定 ス 二 た日付 軍令部総長指示は三月二十五日付︺ 南東方面作戦陸海軍中央協定
作戦指導
作戦目的
次
第一 航空作戦
目 第二 指揮官竝 ニ使用兵力
第三 第四 通信航空保安及気象
指揮関係
第六 輸送及護衛
補
第五 第七
作 戦名称
報 道
給
第八 第九 第十
第 十 一 陸海軍指揮官間作戦協定
第 一 作戦 目的
( 目次終)
南 東 方 面作 戦 ノ目的 ハ同方 面 ノ要域 ニ於 テ来 攻 ス ル敵 ヲ撃 破 シテ
作戦指導
極 力 持 久 ヲ策 シ以 テ爾 後 ノ作 戦 ヲ容易 ナ ラ シ ムル ニ在 リ 第二
陸海 軍 緊 密 ニ協 同 シ東 部 ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 以 東 ﹁ソ ロモン﹂ 群 島
之 ガ為
ニ亘 ル南 東 方 面 ノ要 域 ニ於 テ来 攻 ス ル敵 ヲ随 時撃 破 シ以 テ極 力 持 久 ヲ策 ス
ビ ル﹂ 方 面要 域 ノ防備 ヲ強 化 シ極 力 永 ク之 ヲ保 持 ス ル ニ勉 ム
一 ﹁ラバ ウ ル﹂ 附 近 ヲ中 核 ト スル ﹁ビ ス マルク﹂ 群島 ﹁ボ ー ゲ ン
又 ﹁ ダ ンピ ー ル﹂ 海 峡 両岸 要 域 及 北部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂方 面要
域 ニ対 シ極力 補 給 ヲ確 保 シ之 ガ保 持 ニ勉 ム
来 攻 スル敵 ニ対 シ テ ハ航空 及 海上 兵 力 ヲ以 テ敵 ヲ其 ノ上陸 前 ニ
前 記 要 域 ニ対 シ速 ニ多 量 ノ軍 需品 ヲ集積 ス
敵 ノ反 攻 企 図 ヲ阻 止 ス ル ニ勉 ム
特 ニ ﹁ニ ューギ ニ
敵 ノ上 陸 セ ル場 合 ニ於 テ ハ其 ノ上 陸 初動 ニ於 テ之 ヲ撃 破 シ以 テ
撃 摧 ス ル ニ勉 ム
二
三
第三
航 空 作戦
ヤ﹂ 方 面 ニ対 シ テ ハ急 速 ニ補 給 輸送 ノ促 進 ヲ期 ス
一 陸 海 軍 ハ各 種 ノ手段 ヲ尽 シテ航 空 作戦 ヲ強 化 シ特 ニ陸 海 軍 航 空
ヲ強 化 ス ルト共 ニ敵 ノ上 陸 ニ方 リテ ハ積 極 果敢 勉 メテ上 陸 部隊 ヲ
航 空 作 戦 ノ指 導 ニ当 リ テ ハ全 般 ノ作 戦 方針 ニ鑑 ミ特 ニ索敵 哨 戒
戦 力 ノ統 合発 揮 ニ勉 メ以 テ作 戦 遂 行 ニ遺 憾 ナ カ ラ シ ム 二
洋 上 ニ撃 摧 ス ル ニ勉 ム
三
四
尚 両軍 ハ飛行
撃 機一 八機 、 陸 上 攻撃 機 一〇 八機 、 水 上偵 察機 五 四機状 況 ニ依
リ好 機 母 艦 飛行 機 ヲ転 用増 強 ス ル コト アリ
航 空 基 地設 定 、 整 備拡 充 及使 用 区 分 別紙 ノ如 シ
場整 備 ニ関 シ極 力 相 互 ニ協 力 スル外 作 戦 ノ必要 ニ依 リテ ハ現 地 陸
五
海軍 相 互 協 定 ニ拠 リ別紙 区 分 ニ拘 ラズ 相互 ニ基 地 ヲ使 用 シ又兵力
東 部 ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂(﹁ダ ンピ ー ル﹂海峡 ヲ含 ム)方 面 ニ於 ヶ ル航空 作 戦 ( 航 空 撃滅 戦 、 輸 送 、補 給 掩護 、地 上作 戦 協 力)
移動 航 空 連 絡 ノ為 相 互 利用 ス ル コト ヲ得
東 部 ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル敵 上陸 船 団 ノ攻 撃 及 海
﹁ソ ロモ ン﹂ 及 ﹁ビ ス マル ク﹂ 群 島 方 面 ニ於 ケ ル航 空 作 戦
亜全域 にわたる ﹁航空基 地 ニ関 スル陸海軍中央協定﹂が発令されており、
文 の別紙 は未発見。しかし十月十 一日付大海指第二百 八十四号により大東
右 ノ場 合 所在 軍 ハ所 要 ノ便 宜 ヲ供 与 ス ルモ ノト ス ︹ 編者注 本条
(敵 上陸 船 団 ノ攻撃 、航 空撃 滅 戦、 海 上 輸 送遮 断 、 地 上 作 戦
海軍
上 輸 送遮 断 ニ関 シ海 軍 ニ協力
二
一
陸軍
任務分担 イ
ロ 一
この中 に南東方面 の航空基地整備拡充等計画が記載 されている ので、 これ
第五
指 揮 官 竝 ニ使 用兵 力
指 揮関 係
聯 合 艦 隊 ノ大部
聯 合 艦 隊 司令 長官
第 八方 面 軍
第 八方 面 軍 司令 官
第四
を参考 のため付記しておく︺
協 力 、輸 送 補 給掩 護 ) 東 部 ﹁ニ ュー ギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル敵 上陸 船 団 ノ攻 撃 、海
指揮 官
陸軍
兵
力
ニ協 力
力
通 信 航 空保 安 及 気 象
別冊 ﹁ 南 東 方 面 作 戦通 信 航 空保 安 及 気象 ニ関 ス ル陸 海 軍中 央 協定 ﹂
第六
関 シ高 級先 任 ノ指 揮官 ヲ シテ統 一指 揮 セ シ ム ル コト アリ
但 シ陸 上局 地 作 戦 ニ於 テ陸 海 軍 部隊 同 時 ニ作 戦 ス ル場 合 ハ作 戦 ニ
陸海 軍 協 同 ト ス
兵
指揮 官
海軍
局 地 ノ防 空 ハ陸海 軍 各所 在 部 隊 ヲ以 テ相 互協 同 之 ヲ実 施 ス ル
東 部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 ニ於 ケ ル航 空撃 滅 戦 ニ関 シ陸 軍
上 輸 送遮 断
二
三
ハ モノトス 使用兵力 陸軍
第 八方 面 軍 司令 官 ノ指 揮 ス ル大約 左 ノ兵力 戦 闘 機 一八 五機 、軽 爆 撃 機 五 四機 、 重爆 撃 機 七 二機 、 司令 部
海軍
偵察 機 三六 機、 軍 偵 察機 九 機
イ
ロ
南 東 方 面艦 隊 司令 長官 ノ指揮 ス ル大 約左 ノ兵 力 戦 闘 機 二一 六機、 偵 察 機 一 二 機 、 艦 上爆 撃 機 四 五機 、艦 上 攻
参考 方 面別 ビ ュ ー ゲ ン ビ ル ニ ュ ー ブ リテ ン
ニ ュ ー ア イ
部 東
空 ィ ボ
ラ
ー
レ
ル
ン
基
地 成 成 成
設定中
概
現 状
陸 軍主 用 海 軍副 用 海軍主用 陸軍副用
陸海軍共用
海
海 海
軍
軍 軍
設 定担 任 (管 理)
南 東 方 面 ニ於 ケ ル陸 海 軍 ノ航 空基 地 整備 ニ関 ス ル分 担 ︹十八年十月十 一日附大海指第 二百八十四号より︺
航 リ
概 概
軍 軍
カ
海 海
ブ
軍 軍 軍
ラ ボ
二 ー
ー
サ ル
ル
モ
新
エ ン
第 ラ ボ
第 一カ ビ
一
軍 軍
第
海 海 海
軍
西
東
概 成 概 成 概 成
設定中 新 設
海 海
軍
カ
海
カ
海
軍
軍 軍
ブ
成 成
海 海
ブ
概 概 設
海
二
第 二 カ ビ エ ン
設
概 成
新
成
三
第 三 カ ビ エ ン 第 一 サ モ
概
第
第 三 ラ ボ ー ル
海 軍 海 軍
第
第 四 ラ ボ ー ル
設
軍 軍
設定 中
ミ
海 陸
新
ル
ウ
軍 軍
ス
ウ
陸 陸
カ ブ ブ 第 一乃 至 第 三 ゴ
ベ
軍 軍 軍
設
ゴ
タ
陸 陸 陸
新
ン
ブ
ン
ル ン
ポ
レ
コ
レ
ツ ダ
ロ
コ
ロ
マ
ハ ン サ 第 一、 第 二
ア レ キ シ ス 第 一、 第 二 ウ ェ ワ ク 第 一乃 至 第 三 イ
軍 軍 軍
成 成 成 成 成 成 成 成 設 ア
ブ ー ツ 第一 、 第 二
陸 陸 陸
概 概 概 概 概 概 概 概 新
バ
ト
ヴ
附表
ド ル ラ ン
ニ ュ ーギ ニヤ
摘
要
ニ拠 ル ︹ 編者注 第七
給
別冊未入手︺ 補
東部 ﹁ニ ューギ ニヤ﹂ 方 面 特 ニ ﹁ ダ ンピ ー ル﹂ 海 峡 及 ﹁マダ ン﹂ 方 面 ニ対 ス ル補給 竝 ニ ﹁ボ ーゲ ンビ ル﹂ 島方 面 ニ対 ス ル補 給 ハ陸海 軍
輸 送 及護 衛
協同 シ小 型 船 艇 ニ依 ル ノ外 海 軍 艦艇 ニヨ ル応 急 輸 送 ニ依 リ極 力之 ヲ 確保 ス 第八
右 ノ実 施 ニ関 シテ ハ
一 南 東 方面 ニ対 スル陸 軍 部隊 ノ集 中 及補 充 輸 送 ニ対 シ海 軍 ハ為 シ 得 ル限 リ其 ノ艦 船 ヲ以 テ 之 ガ輸 送 ニ協力 ス 其 ノ都 度 大 本営 陸 海 軍部 ニ於 テ協 議 決 定 ス
右 ノ航 行 ニ関 シテ ハ現 地陸 海 軍 指揮 官 間 ニ於 テ協 議 決定 ス
右 ノ実施 ニ関 シテ ハ前 各項 ニ準 ジ大 本 営 陸海 軍 部 又 ハ関 係 陸海
陸 軍 部隊 及補 給資 材 等 ノ輸 送竝 ニ帰航 ニ対 シ海 軍 ハ護 衛 ヲ行 フ
ル モ ノト ス
トス
差当 リ ﹁パ ラ オ﹂ ヲ中 継 ト シ且勉 メテ 集 団航 行 ヲ行 ハシ ム ルモノ
南 東 方 面 ヨリ帰 航 ス ル船 舶 ハ出発 地 ヨリ勉 メ テ直 行 セシ ム ル モ
右 ニ園 シ テ ハ関 係 陸海 軍 指 揮 官間 ニ於 テ協 議 決 定 ス ルモ ノ ト ス
シ船 艇 及海 軍 艦 艇 ニヨル
二 前 項 以 外 ノ陸軍 部 隊 及補 給 資 材等 ノ局 地 作戦 輸 送 ハ陸 海軍 協 同
三
四
第九
報
道
軍 指 揮 官 間 ニ於 テ協 議 決 定 ス ルモ ノ ト ス
作戦名称 ﹁カ﹂ 号作 戦
別 ニ定 ム ル時 機 迄 大本 営 ニ於 テ統 一シテ行 フ 第十
﹁ソ ロ モン﹂﹁ビ ス マルク﹂ 諸 島方 面 作 戦
﹁ニュ ーギ ニヤ﹂方 面 作戦
第 十 一 陸海 軍 指 揮 官協 定
聯 合 艦隊 司令 長 官 ト第 八方 面軍 司令 官
﹁ト﹂ 号 作 戦
左 ノ陸 海軍 指 揮 官 ハ適 宜作 戦 ニ関 ス ル協 定 ヲ行 フ
大 海 指 第 三 四 一号
別冊
南 東方 面 艦 隊 司 令 長官 ト第 八方 面 軍 司令 官
九
昭和 十 九 年 二月 三日
海軍 部
陸軍部
( 終)
大 本営
中 部 太 平洋 方 面 作 戦 ニ関 ス ル陸 海 軍 中央 協 定
大 本営
来 攻 ス ル敵 ヲ撃 破 シテ 中部 太 平 洋方 面 ノ要 域 ヲ確 保 シ該 方 面 ヨ
一 作 戦 目的
陸 海 軍 ハ緊 密 ニ協 力 シ作 戦 準備 ヲ速 急 ニ強 化 ス
作 戦準 備 一般 ノ要 領
リ ス ル敵 ノ作戦 企 図 ヲ挫 折 セ シ ム ル ニ在 リ 二
海 軍 ハ昭 和 十 九 年 四月 末 ヲ目途 ト シテ ﹁カ ロリ ン﹂
﹁マリ ア ナ﹂ 及 小笠 原方 面 ニ於 ケ ル作戦 準 備 ヲ速 急 ニ強 化 ス ︹ 小畑英良︺ 陸軍 ハ現 ニ海 軍 指 揮 官 ノ指 揮 下 ニ在 ル部隊 ノ外 第 三十 一軍 司
イ
ロ
指 揮下 ニ入 リ陸 上作 戦 竝 ニ之 ガ作 戦準 備 ニ任 ゼ シ ムル等 海軍 ニ
令 部及 所 要 ノ陸 軍 部 隊 ヲ中 部 太 平洋 方 面 ニ、 派遣 シ海 軍 指 揮官 ノ
三
協力 ス
第 三十 一軍司 令 官 ハ聯 合艦 隊 司令 長 官 (中 部太 平 洋方 面 艦隊
指揮関係 イ
中 部 太 平洋 方 面 ニ対 スル陸 軍 部 隊 ノ派遣 輸 送 (部隊 ノ同時 ニ
輸 送 及補 給
部隊 (航 空及 防 空 部隊 ヲ除 ク) ヲ統 一指 揮 ス
各 島嶼 ニ於 ケ ル陸 上 作 戦 ニ関 シテ ハ所 在 先 任 指揮 官 所在 陸 上
ア ナ﹂ 及小 笠 原 方 面 ノ陸 上 作戦 ニ任 ズ
司 令 長官 ) ノ指揮 下 ニ入 リ主 ト シテ 中 西 部 ﹁カ ロ リ ン﹂ ﹁マリ
ロ
四 イ
携行 ス ル軍 需 品 及 資 材少 ク モ三箇 月分 ヲ含 ム) ハ主 ト シテ陸 軍 之 ヲ担 任 シ爾 後 ニ於 ケ ル常 続補 給 ( 補 充 ) 輸 送 追 送軍 需 品 及資
軍需 品 ノ揚搭 及 局 地 輸送 ハ海軍 ノ担 任 ト ス ルモ陸 軍 ハ所要 ノ
材 ノ輸 送 及患 者 ノ後 送 等 ハ海 軍 之 ヲ担 任 ス
但 シ兵 器 ( 燃 料 ヲ除 ク) 被 服 及陸 軍 特 有 ノ其 ノ他 ノ軍 需 品 ノ
陸軍 部 隊 所要 ノ軍 需 品 及資 材 ノ整 備 補 給 ハ海 軍 ノ担 任 ト ス
機 関 ヲ派遣 シ テ之 ニ協 力 ス ロ
通 信連 絡
如シ
中 部 太平 洋 方 面陸 軍 部 隊 ニ対 ス ル補 給 系 統 ノ大 綱 附 表 ︹ 略︺ノ
シテ ハ中 央部 ニ於 テ之 ヲ行 フ モノ ト ス
陸 軍 部隊 ノ為 消費 セ ル軍需 品 等 ノ陸 海 軍 間 ニ於 ケ ル調整 ニ関
ハ陸 軍 ノ担任 ト ス
又 陸軍 部 隊 ニ対 ス ル陸 上補 給 及小 笠 原 地 区集 団 ニ対 スル補 給
整 備 ハ陸軍 ノ担 任 ト ス
ハ
ニ
五
陸 軍 部隊 内 通 信竝 ニ第 三十 一軍 司令 部 ト大 本 営 陸 軍部 及 関 係
陸 海 軍爾 後 ノ作 戦 指 導大 綱
大本営
海軍部
陸 軍部 隊 ノ軍事 郵 便 業務 ハ海 軍軍 事 郵便 機 関 ニ依 リ処 理 ス
陸 軍暗 号 書 ノ運 用 ニ関 シテ ハ大本 営 陸軍 部 ヨリ直 接 指 示 ス
陸 海軍 相 互 間 ハ主 ト シテ海 軍 暗 号書 ヲ使 用 ス
陸 軍 部 隊 相 互及 部 隊 内通 信 ニ ハ陸 軍 ノ暗 号 書 ヲ使 用 ス
ノ定 ム ル所 ニ拠 ルモ ノ ト ス
通 信 管 制 ニ関 シ テ ハ聯合 艦 隊 司令 長官 ( 方 面艦 隊 司 令長 官 )
等 ニ関 シ海 軍 ハ陸 軍 ニ便 宜 ヲ供 与 スル モノ ト ス
陸 軍 部 隊 ノ指 揮 連 絡等 ノ為 所要 ニ応 ジ通 信機 関 水 上 機 ノ利 用
庁通 信 機 関 ヲ優 先 使 用 ス
但 シ通信 施 設 障 碍等 ニ際 シテ ハ陸 海軍 相 互 融通 利 用 シ又南 洋
用ス
隣 接 部 隊間 ノ連 絡 ハ陸 軍 通 信機 関 ニ依 ル ノ外 海 軍 通 信 機関 ヲ利
イ
ロ
ハ
ニ
ホ
一〇
昭 和十 九年 七 月 二十 四 日
陸軍部
以 テ敵 継 戦
大本営
帝 国陸 海 軍 ハ敵 戦 力 ヲ撃破 シ ツ ツ国防 要域 ヲ確 保 シ
針
企 図 ヲ破 摧 ス ル為 左記 ニ基 キ爾 後 ノ作戦 ヲ指導 ス 第 一 方
一 本 年 後 期 米 軍 主力 ノ進攻 ニ対 シ決戦 ヲ指導 シ其 ノ企図 ヲ破 摧 ス
決戦 方 面 ヲ本 土 ( 北 海 道、 本 州 、 四国 、九 州 付 近 及情 況 ニヨリ
小 笠 原 諸 島 ヲ指 ス)連 絡 圏 域 ( 南 西 諸 島、 台 湾 及東 南 支 那 付 近 ヲ 指 ス) 及 比島 方 面 (地上 決 戦 方面 ハ概 ネ 北部 比 島付 近 ト ス) ト 予 決 戦 ノ時 期 ヲ概 ネ 八月 以降 ト予 期 ス
要
領
決 戦 実 施 ノ要 域 ハ大本 営 之 ヲ決定 ス
定シ
第二
西 太 平洋 方 面 ニ於 テ ハ敵 ノ来 攻 ニ先 タ チ機 会 ヲ捕 捉 シ極 力 敵
対米決戦指導
其 ノ進 攻 ヲ防止 ス ル ニ努 メ又手 段 ヲ尽 シテ敵 情
偵 知 ニ努 ム ︹ グアム島︺ 速 ニ小笠 原 諸 島、 大 東 島 及千 島要 域 ノ戦 備 ヲ増 強 ス ルト共 ニ
戦 力 ヲ漸減 シ
イ
二
ロ
又概 ネ 十月 頃 ヲ目途 ト シテ直 接 本 土 ニ於 ケ ル決 戦 戦 備 ヲ概 成 シ
概 ネ 八月末 頃 ヲ目途 ト シテ連 絡 圏 域 及 比島 方 面要 域 ニ於 ケ ル
ス
爾 後 更 ニ之 ヲ増 強 シ此 間 本 土枢 要 部 ノ防 空 戦備 ヲ更 ニ促 進 強 化
敵 ノ決 戦 方 面 来攻 ニ方 リ テ ハ空 海陸 ノ戦 力 ヲ極 度 ニ集中 シ
又敵 潜水 艦 ノ跳 梁 ヲ封 殺 シ本 土 及 南
以 テ敵 機 動 部隊 ノ策 動 及基 地 ヨリ
国 力 戦 力 ノ維 持 培 養 ノ為 特 ニ連絡 圏 域 方 面 ニ於 ケ ル対 潜 対 空
部 隊 ノ指向 方 面 其 ノ他 全 般 ノ戦 況 ニ鑑 ミ之 ヲ決 定 ス
敵 ノ来 攻 二方 面以 上 ニ亘 ル場 合決 戦 実 施要 域 ハ 敵 主力 機 動
極 力 敵 ヲ反 撃 ス
此 際機 ヲ失 セ ス空 海 協 力 ノ下 ニ予 メ待 機 セ ル反 撃 部隊 ヲ以 テ
之 ヲ地 上 ニ必滅 ス
敵 空 母 及輸 送 船 ヲ所 在 ニ求 メテ之 ヲ必殺 ス ルト共 ニ敵 上陸 セ ハ
ハ
ニ
ス ル敵 空 襲 ノ激 化 ニ備 ヘ
兵力 ノ重 点 的 配備 ヲ構 成 シ
三 イ
ロ
ハ
方 資 源要 域 間海 上 交 通 ノ確 保 ヲ期 ス 中 部 太平 洋 方 面作 戦
機 宜航 空 基地 ヲ活 用 シ テ奇襲 攻撃 ヲ行 ヒ 敵 基 地 ノ利 用 封殺 竝敵 兵 力 ノ漸減 ヲ策 ス
小 笠 原 及 ﹁パ ラオ﹂ 両 方 面 ヨリ主 ト シテ航 空機 ヲ以 テ ﹁マリ
敵 来 攻 セ ハ概 ネ 所在 兵 力 ヲ以 テ之 ヲ撃 破 シ敵 ノ進 攻 ヲ阻 止 ス
ァ ナ﹂ 方 面 ノ敵 ニ対 ス ル攻 勢 ヲ極 力 持 続 スル ニ努 ム
ル ニ努 ム 南西方面作戦
南 西方 面作 戦 ノ重点 ハ比 島方 面 ニ於 ケ ル決戦 指 導 竝 ニ油 田地
来攻 ス ル敵 ヲ撃 破 シ
濠 北方 面 (﹁ソ ロ ン﹂ ﹁ハル マ ヘラ﹂ ﹁ア ンボ ン﹂ 付 近 ノ 地 区
ヲ重 点 ト ス) ハ南 方 圏 東翼 ノ支 〓 ト シテ テ極 力 之 ヲ確 保 ス
印 度 支 那方 面安 定 確保 ノ前 哨 タ ル
緬 甸 方面 ハ南方 圏 北 翼 ノ支 〓 ト シ印支 分断 ノ戦略 根 拠 及 西南
情 況 之 ヲ許 セ ハ 一部 潜 水艦 ヲ以 テ機 宜
印度 沿海 及濠 洲 西岸
又独 国潜 水 艦 ノ印 度 洋 ニ於 ケ ル交 通破 壊戦 ニ対 シ積 極的 ニ協
ニ於 ケ ル敵 情 偵 知 及敵 補給 路 ノ遮 断 ニ努 ム
千 島 、樺 太 方 面 ニ於 テ ハ概 ネ所 在 兵 力 ヲ以 テ来 攻 スル敵 ヲ撃 破
北 東 方 面作 戦
力 シ之 ヲ促 進 ス
ニ
如 ク来 攻 ス ル敵 ヲ撃 破 シ ツ ツ其 ノ要 域 ヲ確 保 ス
支 那 方 面 ノ把 握 ト相 俟 ツテ
ハ
ロ
﹁リ ンガ﹂) ノ確 保 防 衛 ト ス
帯 、 艦 隊 主要 泊 地 (﹁ギ マラ ス﹂ ﹁タウ イ タウ イ﹂ ﹁ブ ル ネ ー﹂
イ
四
五
六
七
海軍部
昭和 二十年 一月 二 十 日
陸軍部
シ テ其ノ 要 域 ヲ確 保 ス 北海 道 方 面敵 来 攻 ニ方 リ テ ハ機 宜決 戦 ヲ指 導 ス
大本 営
昨 年 七月 ﹁サイ パ ン﹂ 島喪 失 後 爾後 ニ於 ケ ル国 軍 ノ 作 戦 ニ関 シ
戦 計 画 大綱 案 ノ要 点 ニ関 シ上奏 致 シ マ ス
謹 ミテ陸 海 軍 両部 ニ於 テ 目下 研 究中 ノ今 後 ニ於 ケ ル帝 国 陸海 軍 作
大本 営 尚
南東 方 面 作 戦 所 在 兵 力 ヲ以 テ来 攻 ノ敵 ヲ撃 破 シテ 極力 其 ノ要 域 ヲ確 保 ス
右 ニ引 続 キ全
一部 飛 行 場 ノ機 ニ投 ス ル利 用 ヲ可能 ナ ラ シ ムル ニ努 ム
概 ネ本 年 末 頃 迄 ニ 一号 作戦 ノ全 目的 ヲ達 成 シ
対支作戦
リ比 島 ニ 亘ル要 域 ニ捷 号 戦備 ヲ促 進 セ シ メラ レ次 デ敵 ノ比島 方 面進
概 ネ之 ニ基 キ国軍 ノ作 戦 ヲ指導 セ ラ レテ参 リ マシ テ特 ニ先ヅ 本 土 ヨ
﹁陸 海軍 爾 後 ノ作 戦 指 導 大 綱﹂ ヲ決定 セ ラ レ爾 来 今 日 ニ至 リ マス迄
浙東 沿 岸 要 地 ヲ占拠 シテ米 支 連 絡 ヲ未 然 ニ封 殺 ス ルト共 ニ
而 シテ昨 年中 期 以 降 ニ於 ケ ル世界 情 勢 ノ変 転 及 大東 亜 戦局 ノ推 移
ヲ挙 ゲ テ其 目的 達 成 ニ向 ヒ邁 進 シテ居 ル次第 デ 御 座 イ マス
攻 ニ伴 ヒ ﹁捷 一号 作 戦﹂ ノ発 動 トナ リ咋 年 十月 下 旬以 降 国 軍 ハ主 力
主 ト シテ印 支 分 断 及印 度 支那 方 面 ノ安 定 確 保 ヲ容 易 ナ ラ シ ム
般 ノ状 況 之 ヲ許 ス限 リ西 南支 那 方 面 ニ於 ケ ル戦 略 態 勢 ヲ強 化 シ
イ
ロ 連 絡圏 域 周辺 ノ確 保 及船 艇連 絡 ヲ容易 ナ ラ シ ム
九 州、 沖 縄 、台 湾 ト相俟 チ東 支
中支 三角 地 帯 (南京 、 上海 及 杭 州付 近 ノ地帯 ) 方 面 ニ於 ケ ル
シ等 ト関 聯 シ汎 ク政 戦 両略 ノ大 局 ヲ考 察 致 シ マス ル ニ国 軍今後 ノ作
特 ニ ﹁ 捷 一号作 戦 ﹂ ノ現 況 及今 後 ニ於 ケ ル彼 我 国 力戦 力 推 移 ノ見 透
東 面 ノ空 地 戦 備 ヲ極力 強 化 シ
ハ
那 海 ニ於 ケ ル強 力 ナ ル支〓 ヲ構 成 ス
第 一 敵情判断
陸 海 軍 作 戦計 画 ノ大 綱 ニ関 シ申 上 ゲ マ ス
最 初 先ヅ 敵 情 判断 次 テ彼 我戦 力 推 移 ノ概 況 次 テ今 後 ニ於 ケ ル帝 国
ノ ﹁陸 海軍 爾 後 ノ作 戦指 導 大綱 ﹂ ハ之 ヲ廃 棄 シテ戴 キ 度 ト存 ジ マ ス
尚 右 ノ作 戦 計 画 策 定 セ ラ ル ル ニ至 リ マ スレバ 之 ニ伴 ヒ マシテ現 行
究中 デ 御 座 イ マシテ 近 ク策 案確 定 次 第允 裁 ヲ仰 ギ奉 リ度存 ジ マス
ト スル今 後 ノ国 軍 作 戦計 画 ニ関 シ陸 海 軍 両部 間 ニ於 キ マシテ慎 重研
重 要 ナ ル段階 ニ在 リト存 ゼ ラ レ マ スル ノデ 目下 概 ネ本 年 中期 ヲ目途
戦 ハ洵 ニ重 大 ナ ル モ ノガ御 座 イ マ シテ今 ヤ大 亜 戦 争完 遂 ノ為 極 メテ
対 蘇 施策 蘇 聯 ニ対 シテ ハ有 ユル戦 政 略 施策 ヲ講 シテ 日蘇 戦 ノ惹 起 ヲ防遏
各方 面 毎 ニ後方 断 絶 ニ備 ヘ極力 各 地 域 ノ自 活 自 戦能 力 ヲ向 上 シ
ス ル ニ努 ム
長 期克 ク独 力 ヲ以 テ作 戦 ヲ遂 行 ス
八
九
右 ニ関 聯 シ特 ニ船 艇輸 送 及 之 カ掩 護 竝 ニ主 要 幹線 鉄 道 ノ強 化 確
帝 国 陸 海 軍作 戦 計 画 大綱
保 ヲ重視 ス
一一
世 界 情 勢 全般 ヲ考 察致 シ マス ル ニ今 ヤ世 界戦 争 ハ東 西 共方 ニ決 戦 段階 ニ突 入 致 シ マシテ 反枢 軸 側 ノ攻勢 ハ本 年 ニ於 テ最 高潮 ニ達 ス ル
ルモ ノ ト判断 セラ レ マ ス
対 日本 土 空襲 基 地 推進 ノ為敵 ハ近 ク硫 黄 島攻 略 ヲ企 図 ス ルノ算 大 ナ
尚 北東 方 面 ニ対 シテ ハ本春 融 雪 期 以降 牽 制 乃 至政 略 的見 地 ヨリ 一
方 ニ決 戦的 様 相 ヲ呈示 シ ツ ツア リ マシテ敵 ハ万 難 ヲ排 シ本 年成 ルベ
域 ニ近 ク其空 海 基 地 ノ推 進 ヲ図 リ マシ テ先ヅ 我 武力 特 ニ空海 勢 力 ノ
ニ於 キ マ シテ モ其 強大 ナ ル海 空 ノ圧 倒 的 優勢 ヲ特 ニ極 力 本土 周 辺要
敵 ハ爾後 ノ作 戦 指導 ニ方 リ マシテ ハ以 上何 レ ノ案 ヲ採 用 ス ル場合
部 作 戦 ヲ実施 ス ル ノ算 ア リ ト存 ジ マス
ク早 期 ニ欧洲 戦 局 ニ結 ヲ付 ケ ルベ ク努 力 ス ルモ ノト存 ジ マスガ欧 洲
打 倒及 国 土 ノ空 襲 特 ニ軍 需 生 産 ノ破 壊 日 満支 相 互間 及之 ト南 方 ト ノ
即 チ欧 洲 ニ於 キ マシテ ハ独 対 米 英 ﹁ソ﹂ ノ決戦 ハ愈 々熾 烈 ヲ加 ヘ
モ ノ ト存 ゼ ラ レ マス
戦 局 ノ推 移 如 何 ニ拘 ラズ東 亜 ニ於 ケ ル米 国 ヲ主 体 ト致 シ マス ル対 日
交 通破 壊 ヲ強力 且執拗 ニ努 力 ス ルモ ノ ト判断 セ ラ レ マ ス
尚 空 海 ノ優 勢 ナ ル ニ反 シ敵 陸 上兵 力 ハ十分 デ 御 座 イ マセ ヌノデ 米
断致 シマス 東 亜 ニ於 キ マシテ ハ敵 ハ速 ニ ﹁ルソ ン﹂ 島 奪 回 ニ依 リ我 本 土 ト南
ヲ極度 ニ利 用 シ陸 戦 ハ前 述 ノ空 海基 地 獲 得 ノ為 必 要最 少 限 ト シ我 有
国 ノ人 的 資 源 ノ現 況 ト併 セ考 ヘマス ル時 敵 ハ其 空海 優 勢 戦力 ノ特 色
作戦 ハ ﹁ 捷 一号 作 戦﹂ ノ推 移 ト モ関 聯 シ今 後 愈 々激 化 ス ルモ ノト判
方 資 源 要 域 間 ノ動 脈 分断 ヲ策 ス ルト共 ニ空 海 ノ基地 推進 作 戦 ヲ強 行
力 ナ ル陸 上 部隊 ト ノ対 戦 ヲ極 力 回避 シ ツ ツ而 モ成 ルベ ク速 ニ其 戦 争
致 シ我 本 土 空襲 ヲ強 化 シ両 々相俟 チ マシテ 我国 力 戦 力 ノ急 速 弱 化 ヲ 策 ス ルト共 ニ機 ヲ見 テ 一挙 戦 局 ノ帰 趨 ヲ決 セン ト シテ居 ルモ ノ ト存
目 的 達 成 ヲ冀 求 ス ルモ ノト判 断 セ ラ レ マス
シ マセ ヌガ我 海 空武 力 ノ打倒 、 空 海 基 地 ノ推 進 、 日満 支生 産 及 交通
帝 国本 土 攻 略 開始 時 期 、方 向 及規 模 等 ニ関 シ マシテ ハ尚 予 断 ヲ許
ゼ ラレマス 而 シテ今 後 ニ於 ケ ル主敵 米 ノ対 日進 攻 ノ為 ノ主 要 作 戦 線 ト致 シ マ
ノ徹 底 破壊 等 ニ依 リ我 戦 争遂 行 能 力 ヲ打破 シ且 大陸 ト本土 ト ノ兵力
二 ニ ハ中 部 太 三 ニ ハ北東 方 面 ヨリ 千島 及 北
一ハ比島 ヨリ東 支 那海 周 辺 要域 ニ向 フ モノ
平 洋 ヨリ 小笠 原 諸島 方 面 ニ向 フモ ノ
ヲ開 始 ス ルヲ 至当 ナ ル手 順 カト存 ジ マス
機 動 ヲ遮断 シ且 十分 ナ ル陸 兵 ヲ集 中 指 向 ス ル準 備 ヲ整 ヘテ初 メテ之
シテ ハ
海 道 方 面 ニ向 フ モ ノノ三 者 ガ考 ヘラ レ マ スガ彼 我 全般 ノ状 況上 敵 ハ
我 戦 勢 ノ推移 其 他 諸種 ノ要 素 ニ依 リ変 化 ス ルモ ノト存 ジ マ ス ルガ 本
其 時 期 ハ今 後 ニ於 ケ ル彼
目 下 ノ主作 戦 線 ニ大 ナ ル変 更 ヲ加 フル コト ナ ク比 島要 域 ヲ対 日進 攻 ノ 一大 拠 点 ト致 シ マシ テ速 ニ東 南 支 那 周 辺要 域 ニ向 フノ算 ガ最 モ大
航 空 兵 力 ノ増 強 ニ努 メ マシ テ太 平洋 方 面 ヨリ スル主敵 米 ノ進 攻 ト相
支 那 大 陸 ニ於 キ マ シテ ハ敵 ハ重慶 軍 兵 力 ノ米 式化 ヲ図 リ特 ニ在 支
年 秋 以 降 ハ特 ニ警 戒 ヲ要 ス ル モ ノト思 考 致 シ マス
策 応 シ東 西 両 面 ヨリ 我強 大 ナ ル在 支 陸 上 武力 ノ打 倒 拘束 及 大陸 作 戦
然 シ敵 ガ 南西 諸 島 方面 ヨリ ス ル逐 次 ノ躍進 ヲ省 略 シ損 害 ヲ顧 ミ ズ
ト判 断致 シ マス
然 ラザ ル場 合 ニ於 キ マシテ モ
ス ルガ如 キ算 モ亦 無 シト致 シ マセ ヌ
主力 ヲ挙 ゲ テ我 本 土 要域 ノ速 急 侵攻 ニ依 リ 一挙 対 日短 期 決 戦 ヲ企 図
線 ノ分 断 乃 至 ハ我 国 防 資源 取 得 ノ妨 害 ヲ策 シ以 テ主 敵 米 ノ我 本 土攻
貫 徹 ノ為 ニ ハ此 間 ニ処 シ毅 然 ト シテ強 烈 ナ ル戦 意 ヲ保 持 シ不断 且 強
極 ニ達 シ戦 争 ノ様 相 ハ誠 ニ機 微 ナ ルモ ノガ御 座 イ マ シテ我 戦争 目 的
彼 我 戦 力 ノ状 況
彼 我海 上 兵 力 ノ現 況 ハ ﹁別 表 第 一﹂ ノ通 デ御 座 イ マシテ 其懸 隔
ス
料 其 他 ノ関 係 モ アリ之 ニ大 ナ ル期 待 ヲ懸 ケ得 ザ ル実 情 デ御 座 イ マ
尠 カ ラザ ル モ ノガ御 座 イ マス ノデ特 ニ水 上 艦艇 ニ於 キ マシテ ハ燃
一
次 ニ彼 我 作 戦 可能 兵 力 ノ現況 ニ就 テ申 上ゲ マス
第二
烈 ナ ル作 戦 ヲ指導 致 シ マ ス コトガ 最 モ緊 要 ト存 ジ マス
略 作 戦 ヲ容 易 ナ ラ シ ム ル ニ努 ム ル モノ ト判 断 セラ レ マス 又南 方 圏 域方 面 ニ於 テ ハ印 度 洋、 南 支 那 海 両方 面 ヨリ我 海 空 戦 力
ニ南 方 現 地 資 源 ヲ利 用 シテ対 日進 攻戦 力 ノ維 持培 養 ヲ企図 シ以 テ 米
ノ転用 又 ハ減 少 ノ罅 隙 ニ乗 ジ戦 政略 上 ノ要 地 奪 回 ヲ策 ス ルト共 ニ特
本 土 及濠 洲 方 面 ヨリ ス ル厖 大 且長 遠 ナ ル補 給 ヲ緩 和 ス ル ニ勉 ム ル モ ノ ト察 セラ レ マス 之 ガ 為作 戦 指 向 ノ目標 ヲ緬 甸 ニ於 テ ハ ﹁ラ ング ー ン﹂ ニ印度 洋 ニ ︹シンガポール︺ 於 テ ハ昭南 ニ求 メ又 仏 印 ﹁ボ ルネ オ﹂ ﹁ジ ャワ﹂ ﹁ス マト ラ﹂ 等 ニ対
従 テ右 ニ代 リ制 海 権 ヲ確 保 ス
又航 空 母艦 ニ於 キ マシテ モ搭 載 機 数 及練 度 ノ関係 上 ヨリ当 分 期
待 ヲ懸 ケ得 ル見 込 ハ御 座 イ マ セン
ル為 ニハ現作 戦 様 相 ニモ鑑 ミ有 力 ナ ル航 空兵 力 ヲ必要 ト ス ルモ ノ
尚 敵 ハ仏印 方 面 ニ対 ス ル政 略的 効 果 及 海 洋方 面 ヨリ ス ル援 蒋路 啓
シテ ハ資 源獲 得 ノ為 一部 ノ作 戦 ヲ指 向 ス ル算 ア リ ト存 ゼ ラ レ マ ス
開等 ノ為 海 南 島、 香 港 方面 ニ対 シ 一部 ノ作 戦 ヲ指 向 ス ルノ算 モ尠 ク
又東 支 那 海 及本 土 近 海方 面 ニ於 ケ ル我 対潜 艦 艇 ハ約 一 二 〇隻 、
ト存 ジ マ ス
不足 ヲ来 シ ツ ツ ア ル現 況 デ御 座 イ マ ス
内 直接 護 衛 ニ従事 シ得 ルモ ノ約 六〇 隻 デ御 座 イ マシテ尠 カ ラザ ル
敵 ノ交 通 破 壊戦 ハ基 地 ノ推 進 ト其 活 動 海 面 ノ縮 少 ト ニ伴 ヒ今 後 益
無 イ モノ ト判 断 セ ラ レ マス
々激 化 シ南 方 要域 ト ノ連 絡遮 断 ノ外東 支 那 海 其 他本 土 近海 ニ対 ス ル
尚 陸海 軍 ノ現 有船 舶 ノ状 況 ハ ﹁別表 第 二﹂ ノ通 デ 御 座 イ マシテ
潜 水 艦 及航 空 機 ヲ以 テ ス ル跳 梁 ハ益 々強 化 拡 大 セ ラル ル モノ ト判 断 セラ レ マス
損耗 累 加 ノ止 ム ヲ得 ザ ル実 情 デ御 座 イ マ スル ノデ 南 西 諸島 、 台湾
有 ユル努 力 ニモ拘 ラズ 最 近航 空 機 ニ依 ル被 害 ノ激 増 ト相俟 テ逐 次
支那 沿 岸 及小 笠 原 竝 千島 方 面 ニ対 ス ル兵力 展 開 又 ハ補 給輸 送 ノ為
以 上 ノ如 ク致 シ マ シテ モ結 局帝 国 ヲ屈 伏 セ シ メ マス為 ニ ハ我 陸 上
ト ハ従 来 ヨリ敵 ノ揚 言 シ テ居 ル所 テ御 座 イ マス ル ノデ海 空 勢力 ヲ主
武 力 及 国 土 ノ直 接 占 領 ヲ最 終 ノ努 力 目 標 ト致 サネ バ ナ ラ ヌ ト謂 フ コ
彼 我 基 地 航 空兵 力 ノ現況 ハ ﹁別表 第 三﹂ ノ通 デ御 座 イ マ シテ現
ニモ逐 次制 扼 ヲ受 ケ ツツ ア ル実情 ニ御 座 イ マス
マス
在 敵 ノ対 日 正 面展 開 兵 力 ハ我 ニ比 シ相 当 ノ優 勢 ヲ保持 致 シテ居 リ
二
体 ト致 シ マ ス ル主 敵 米 ハ其 欠 陥 ヲ補 ヒ迅 速 ナ ル戦 争 終 末 ヲ期 ス ル為 ニモ ﹁ソ﹂ 聯 邦 及重 慶 勢力 等 ノ利 用 ニ終 始 最 大 ノ努 力 ヲ傾 倒 ス ル モ
之 ヲ要 シ マス ル ニ今 ヤ世 界戦 争 ハ東 西 ヲ通 ジ 彼 我共 ニ戦 争努 力 其
ノト考 ヘラ レ マ ス
然 シ乍近 日中
御 裁 定 ヲ仰 ギ マス ル作 戦 計 画 ニ基 キ敵 ガ東 支 那
之 ガ為真 ニ陸 海 軍 ノ全 戦 力 ヲ展 開 運 用 シ帝 国本 土 ヲ中核 ト ス ル要
遺 憾 ナ ク活 用致 シ マシテ靭 強 不 抜、 機 略 ニ富 ム作 戦 ヲ指 導 シ特 ニ機
域 ヲ確 保 シ之 ヲ支 〓 ト シテ大東 亜全 域 ニ於 ケ ル既 得 ノ我戦 略 態 勢 ヲ
巧 ニ活 用 シテ我 必 殺 ノ攻撃 ヲ加 フ ル コト ニ依 リ マシテ我 航 空 兵力
ヘ所 謂出 血作 戦 ヲ強 要 シ敵 ノ戦 意 ヲ撃 摧 セネバ ナ ラ ヌト存 ジ マス
会 ヲ求 メテ敵艦 船 ノ覆 滅 ニ依 リ敵 ニ甚 大 ナ ル損 害 特 ニ人 的 損耗 ヲ与
海 方 面 ニ来 攻 ス ル場 合 ニ於 キ マ シテ ハ該 方 面 ノ航 空 基盤 ノ優位 ヲ
ヲ計 画通 集 中 指向 スル コトガ出 来 マス レバ 大 量 ノ敵 艦 船 ヲ撃 沈破
而 シテ帝 国 本 土 ヲ中 核 ト ス ル要 域就 中 南 西諸 島 、台 湾 及 上海 附 近
尚 状 況 之 ヲ許 ス限 リ本 年 中期 頃 ヲ目標 ト シ精 錬 ナ ル航 空 戦力 ヲ
御 座 イ マスノデ 之 カ確 保 ニ努 メ マス ル ト共 ニ速 ニ尚 戦 備 不十 分 ナ ル
笠 原 群 島 ノ失 陥 ト共 ニ帝 国 ニト リ マ シテ戦 争遂 行 上 重大 ナ ル影響 ガ
ハ実 ニ今 後 ニ於 ケ ル敵 ノ主 反攻 方 面 ト 予想 セラ レ且 又之 ガ喪失 ハ小
整 備致 シ マシテ特 ニ局地 制 空 権 ノ獲 得 ニ勉 ムル コトガ肝 要 ト存 ジ
本 土全 般 ニ亘リ戦 場態 勢 ニ転 移 セシ メ マ シテ作戦 即 応 ノ国 内 態勢 ヲ
空 戦力 及 目 下 整備 中 ナ ル敵 艦 船 攻撃 用 各 種奇 襲 兵力 ヲ要 時要 点 ニ集
確 立 シ且 東 支那 海 周 辺地 区 ノ縦深 地 域 ヲ活用 致 シ マシテ 陸海 軍 ノ航
中 発 揮 シ海 上 兵力 地 上 兵力 ノ健 闘 ト相 俟 チ マシ テ靭強 ナ ル出 血作 戦
彼 我 ノ陸 上兵 力 ハ概 ネ ﹁別 表 第 四﹂ ノ通 デ御 座 イ マ シテ我 兵力
スル ノデ 今 後有 力 ナ ル兵 団 ヲ本 土 又 ハ支 那 方 面 ニ使 用 ス ル為 ニ ハ
マス
ヲ指 導 致 シ マシテ敵 ニ痛 撃 ヲ与 フ ル ノ機 ヲ捕 捉 セネバ ナ ラ ヌト存 ジ
ハ広 ク大 東 亜 各域 特 ニ南方 圏 域 及 支那 大 陸 方面 ニ分 散 シテ居 リ マ
マス
マス
マシ テ其 企図 ヲ挫 折 セ シ ム ル コト必 ズ シ モ不 可能 デ ハナ イ ト存 ジ
シ敵 ニ甚 大 ナ ル損 耗 ヲ強 要 シ地 上 兵力 及 海 上 兵力 ノ健 闘 ト相 俟 チ
三
速 急 ニ所要 ノ戦略 兵 団 ヲ新 設致 シ マ シテ特 ニ満 鮮 及中 北 支那 方 面
ノ戦 争 遂行 上 必 須 ノ政 戦 両略 上 ノ中 枢 特 ニ軍需 生 産 組織 ヲ包 含 ス ル
作 戦 指 導 上最 モ努力 スベキ 二大 要 目 デ御 座 イ マシテ 前者 ハ帝 国今 後
即 チ 国防 要 域 ノ確 保 ト敵戦 力 ノ撃 破 ト ハ実 ニ今 後 ニ於 ケ ル国軍 ノ
要 域 ヲ確 保 シ以 テ敵 戦 意 ヲ挫 折 シ戦 争 目 的 ノ達 成 ヲ図 リ マス
攻 破摧 ニ指 向 シ随 処 縦 深 ニ 亘リ敵 戦 力 ヲ撃破 シテ戦 争 遂 行 上緊 喫 ノ
帝国 陸 海 軍 ハ機 微 ナ ル世界 情 勢 ノ変 転 ニ莅 ミ重点 ヲ主 敵米 軍 ノ進
先ヅ 作 戦 ノ根 本 方 針 ニ就 テ申 上 ゲ マス
マス
以 下 右 ノ趣 旨 ヲ基本 ト致 シ マス ル作 戦 計 画 ノ大 綱案 ニ就 テ申 上 ゲ
ニ成 ルベ ク多 ク ノ大本 営 予 備 ヲ準 備 ス ル コトガ 緊 要 ト存 ジ マ ス 特 ニ本 件 ハ欧 洲方 面 ノ情 勢変 転 ニ伴 フ敵 ノ対 日 武力 転 用 ニ対 処
帝 国 陸 海 軍作 戦 計 画 ノ大 綱
ス ル為 ニモ今後 益 々必 要 性 ヲ増 大 スル モ ノト存 ジ マス 第三
以 上申 上 ゲ マ シタ ル諸 状 況 ヲ考 察 シ マス ル ニ帝 国 ト致 シ マシテ ハ 比 島 方 面 ニ於 テ靭強 ナ ル作 戦 ヲ続 行 シ ツツ如 何 ナ ル場 合 ニ於 キ マシ テ モ本 土 ヲ中核 ト シ日満 支 ヲ 一環 ト ス ル戦 争 遂 行態 勢 ヲ確保 シ重 点
破 シ飽 ク迄 透徹 セ ル方 針 ノ下 ニ組 織 ア ル戦 争 ヲ遂 行 シ屈 敵 ニ邁 進 致
ヲ 主敵 米 軍 ノ進 攻 破 摧 ニ指 向 致 シ マシテ随 処縦 深 ニ亘リ敵 戦力 ヲ撃
サネ バ ナ ラ ヌト存 ジ マス
我 本 土 ノ要 域 ヲ中核 ト シ且其 外 周要 域 タ ル小 笠 原、 沖 縄 、台 湾 、東 南 支 那沿 岸 、 上 海 附近 ノ空 海基 地 ヲ前 哨 防衛 線 トス ル国 防上 緊 要 ナ ル地 域 デ御 座 イ マシテ若 該要 域 ニ敵 ノ基 地推 進 ヲ許 スガ 如 キ場 合 ニ 於 キ マシテ ハ敵 ノ空海 ヨリ ス ル我 本 土 攻撃 ハ著 シク容 易 トナ リ我 戦
テ 之 ガ確 保 ニ努 力 シ ナケ レバ ナ リ マ セヌ
争 遂 行 態 勢 ハ直 接 大 ナ ル脅 威 ヲ受 ク ル ニ至 リ マス ルノデ 手 段 ヲ尽 シ
尚 従 来 ノ経 験 ニ鑑 ミ マス ル ニ右 ノ如 ク努力 致 シ マ シテ モ敵 ノ制 空 制 海権 下 ニ於 ケ ル島嶼 作 戦 ハ中 々困 難 テ御 座 イ マス ノデ 我 外 周要 域 ニ対 ス ル敵 ノ上陸 ヲ阻 止 シ得 ザ ルガ如 キ場合 ニ於 キ マ シテ モ此機 ヲ 利 用 シ敵 ニ甚 大 ナ ル戦 力損 耗 ヲ強要 致 シ マス ルト共 ニ爾 後 ニ於 ケ ル
(昭和二十年一月現在)
敵 ノ空 海 基 地使 用 ヲ妨害 拘 束 ス ル如 ク準 備 シ且戦 闘 ヲ指導 ス ル コト
帝 国現 有 船腹 ― 覧 別表第二
ガ 必 要 デ御 座 イ マ ス
又後 者 ハ敵 米国 ノ人 的資 源 ノ現 況 特 ニ人 命 愛 惜 ノ特 色 ヨリ敵 ノ最
別表第 一 彼我海上兵力 ノ現況表
( 註)敵兵力 ハ現対 日指向兵力 ヲ示 ス
モ痛痒 ヲ感 ズ ル所 デ御 座 イ マ シテ既 ニ敵 ハ欧 亜両 方 面 ニ於 ケ ル相 次 グ 莫 大 ナ ル人 的損 耗 ニヨリ少 カ ラザ ル動 揺 ヲ招来 シ ツ ツア ル実情 デ 御 座 イ マス ノデ 我 ト致 シ マシテ ハ此 敵 ノ弱 点 ニ乗ジ 各 種 ノ手 段 ヲ併
彼 我基 地 航 空兵 力 ノ現況 表 ( 我ノ兵力 ハ実働機数 ヲ示 ス)
用 シ敵 ニ甚 大 ナ ル損 耗 ヲ強要 致 シ マシテ 之 ガ綜 合累 積 ニヨリ敵 ノ戦 別表第三
意 ヲ挫 折 セ シ ム ル コトガ必 要 ト存 ジ マス
右 ノ要 域 確保 竝 敵 戦力 撃破 ノ為 ニ ハ量 的 優勢 ヲ望 ミ得 ザ ル我 ト致
シ マシテ ハ以寡 制 衆 ノ方 策 ニ就 キ特 ニ工夫 ノ要 ア ルモ ノト存 ジ マス
次 ニ作戦 指 導 ノ大綱 ニ就 テ申 上 ゲ マス ︹ 以下不明︺
注
方
部
南
部
航空軍
島 太 東
太
(濠 北 ヲ含 ム)
北 度
那
鮮
平
平 洋
飛行師団
方 洋 方
洋
方
面
方
方
面 面 面
面
面
面
方
面 地
方
(緬 甸 及 仏 印、 泰 方 面 ヲ含 ム)
印
支
満 内
GFB
彼 我 陸 上兵 力 配置 概見 表
FD
(小 笠 原、 南 西 諸 島、 台 湾 ヲ含 ム)
中
比
別表 第 四
FA
海上護衛総隊
( 昭和二十年 一月現在) 敵
箇 師
師
団
団
団
一︱ 二箇 師 団 (別 ニ加 奈 陀 二箇 師 団 )
軍
四 箇
師
団
我 一 二
箇
師
箇
師
二 三
慶
軍
撃 戦 車 飛行 機
一 狙
延 安 正規 軍
重
二 重慶 軍
八 〇 〇 ︱ 一、 〇 〇 〇 約 一、 五 〇 〇
約 二三箇 師 団
三 二万
二 三 二箇 師 団
三六箇 師 団
一 英米 軍 二 一︱ 二 二箇 師 団
(別 ニ
濠 洲 新西蘭軍 二一 箇 師 )
一 三︱ 一二 箇 師 団
一 一︱ 一四 箇 師 団
(更 ニ近 ク数 箇 師 団 ノ増 勢 ヲ予 想 セラ ル)
二
六
箇
一〇︱ 一 三箇 師団
一
四
(後 方 含 全 兵 力 、五 二︱ 五 五 箇師 団 )
団
団 師
師 箇
箇 七
二
二 三
〇
二 〇 箇 師 団 戦 車 一箇 師 団 及 二 旅 団 一
軍
一
二 作 戦計 画
二 連合国
南 西 太 平 洋 方 面 最 高 指 揮 官 へ の指 令 (一九 四 一 ・ 3
よび基 地 を 阻 止 し撃砕 す る こと。
最 近 敵 が征 服 した 地域 か ら原 材 料 を日 本本 土 に向 って 運ぶ船
フ ィリピ ンに おけ るわ が 方 の陣 地 を維 持す る こと。
三 ・三〇 )
4
舶 を撃 破 す る こと によ って敵 に経 済的 圧 迫 を加 え る こと。 1、南 西 太 平 洋方 面 の地 域 は別図 に定 める と おり 。
南 西太 平洋 方 面 と そ の近接 地 域 におけ る地 上 、海 上 、空 中 の
2
1
する 。
二
太 平 洋 方 面 最 高 指 揮 官 へ の 指 令 (一九 四 二 ・四 ・三)
国陸 軍参 謀 総 長 は統 合幕 僚 長会 議 の代 表 と し てそ の権 限 を代行
米 国統 合幕 僚 長 会 議 は作 戦 上 の戦略 に関 し権 限 を有 す る。 米
む補 充 に必 要 な事 柄 の指導 に権 限を有 す る。
連 合参 謀 本部 は全 般 の大 戦略 指 導 お よび兵 力 と戦 争 資 材を 含
す る。
10、 関 係 国 は南 西太 平 洋方 面 におけ る作 戦 の指導 を 次 の要 領 で実 施
補 給 路 を保護 す る こと。
5
る 総 て の兵 力 の最 高司 令 官 とし て任 命 さ れ た。
2、貴 官 ︹マッカーサー大将︺ は南 西太 平 洋方 面 部 隊 と して充 当 さ れ
3 、最 高 司 令官 と し て貴 官 は各 国 の軍 隊 を 直接 指 揮 す る こと は許 さ れ な い。
を、 ま た 東部 マレー シア、 ニ ューギ ニア、ビ ス マ ルク、 ソ ロモ
濠 州 および そ の地 域 への重 要 な交 通 補 給線 に対す る敵 の進 撃
地域 を 保 持す る こと。
太平 洋 方 面 の征 服 を阻 止 す る目 的を も って、 濠 州 の重 要 な軍 事
将 来 日本 に対 す る攻 勢作 戦 の基地 と し て、 ま た、 日 本 の南 西
う に指 導 せ られ た い。
4、 関係 国 の基 本 的 戦略 方 針 と調 和す る よう 、貴 官 の作 戦 は次 のよ
1
2
ニ諸 島 地 区 に進 出 して来 た、敵 の戦 闘 部隊 、 補 給船 、 飛行 機 お
1、 北、 中 部 お よび 南 太 平洋 方 面 から成 る太 平 洋方 面 の 地域 は 別図 に定 める と おり。 2、貴 官 (ニミッヅ大将︺ は太 平洋 方 面部 隊 と し て充 当 さ れる 総 て の 兵 力 の最高 苛 令官 と して任 命 さ れ た。
ば貴 官 の指 揮 下に 、 また 貴 官 の全般 指 導 の下に 行動 し、そ の地域
3 、関 係 国 ば南 太平 洋 方 面指 揮 官 を任 命 す る こと に なる 。同 指 揮官
に 配当 さ れる 兵 力 を指 揮 す る こと にな る。
施 ざ れ た い。
4、 関係 国 の基 本 的戦 略 方針 に基づ き 、 貴官 の作 戦 は次 のよう に 実
日本 軍 に対 し、 米国 と南 西太 平 洋方 面 の中間 にお いて 、 交通
三
南 西 太 平 洋 方 面 への 作 戦 指 令 (一九 四 二 ・七 ・二)
ガ ダ ルカ ナル攻略 に はじ ま る対 日反 攻作 戦 は、 一九 四 二年 六月
二五 日、 第 二次 ワ シ ント ン会 談 にお いて決定 さ れ、 七 月 二日 統合
幕 僚 長会 議 から作 戦 指令 が 出 され たが 、 そ の大 要 は次 のと おり︱ 編者。
トギ ニア方 面 の攻略 にあ る。
1、最 終 目標 は、 ニューブ リ テシ 島 “ニ ューア イ ルラン ド 島 ” ニ ュ
2、 作戦 名 を ﹁望 楼﹂ (ウ オ ッチ ・タ ワー)作 戦 とす る。
サ ンタ ・ク ル ーズ諸 島 、 ツラギ お よび付 近 要 点 を占 領防 衛 し、
これ ら の地 区を 敵 手 に任 ねな い よう に し、 そ の後 の攻 勢作 戦 の
1
3、 作 戦任 務 を 次の 三 つ とす る。
南 西太 平洋 方面 部 隊 の支 援に 当 る こ と。
本作 戦 は 太平 洋艦 隊 司 令 長官 (ニミ ッツ大 将) が 指揮 を とる 。
準 備 と して ア メリカ 側 の基 地 を つく る こと。
1
補 給線 の 確 保、 海 軍、 航 空 部隊 および 上陸 部隊 の作 戦 に必 要 な
2 太平 洋方 面 に日 本軍 を牽 制 す る こと 。
島 々を保 持 す る こと。
3
重要 な 海上 、空 中 の交 通補 給 を保 護 す る こ と。
3
本 作戦 は マ ッカー サ ー将 軍が ふた たび 指揮 を と る。
点 の攻 略 な らび に占 領 。
ラバ ウ ルと ニュー ギ ニアお よ び ニ ュー アイ ル ランド の接続 要
揮 に当 る 。
本 作 戦 は南 西 太平洋 方 面 指 揮官 (マ ッカー サ ー大将 ) が全 般 指
らび に占 領 。
ソ ロ モヒ群 島 の残 余 と ラ エ、 サラ モ アお よび パプ ア の攻 略 な
4
日本 軍 の保 持 す る陣 地 に対 し、 大規 模 な 上陸 攻 勢 の実 施 を準
連 合 参謀 本 部 は全 般 の大戦 略指 導 お よび 兵 力 およ び 戦争 資 材
2
5
から 発 動 され る はず であ る。
備 する こと 。初 期 の攻勢 は南太 平 洋方 面 およ び南 西 太平 洋方 面
1
10 、 関係 国 は太 平 洋方 面 にお け る作戦 指 導 を 次 の要 領 で実 施す る。
米 国統 合幕 僚 長会 議 は作戦 上 の戦 略 に関 し権 限 を有 す る。 合
を含 む補給 に必 要 な事 柄 の指 導 に権 限 を 有す る。
衆 国 艦隊 司令 長 官 は 統合 幕僚 長 会 議 の代 表 と し てそ の権限 を代
2
行す る。
四
一九 四 三 年 に お け る 太 平 洋 戦 域 の 戦 争 指 導 方 針 (一九 四 三 ・一 ・二 二)
一九 四 三年 一月 のカ サブ ラ ン カ会 談 におけ る米 国統 合幕 僚 長 会 議 覚 書 に基 づ き 、 一九 四三 年 一月 二二 日 に連 合 参謀 本 部 指令 第 一 六 八号 と し て発 出 さ れ たが 、 そ の要 旨 は 次 のと お り。 ︱︱ 編 者 。
2、 日本 本 土 の最 後 め 敗北 は、封 鎖 (艦 艇 およ び 海 上輸 送 への攻 撃 )、 爆 撃 (軍 隊、防衛 施 設 、工業 お よび 戦 意 に対 す る攻 撃 ) 、進 攻 ( 海
これ ら の手段 のう ち敵 の海 上交 通 補 給 線 に沿 い、 船舶 およ び輸
上 より の浸 入) 等 の手 段 に よ る。
送 物 件 に対 し て攻 撃 を加 え る こ と は、 す べ て の攻 勢 作戦 の中 で基 本 的 な も のであ る。 一九 四 三年 中 に 基 地航 空 部 隊 をも つて 日 本本 士 を 攻撃 す る た め の地点 を 入 手す る目 的 を有 す る 。 本 土 への 進攻 はま だ遠 い先 め こ と で、 あ る いば そ の必要 が なく
一九四 三 年 の連 合 軍 の攻 撃争 段 は 、 敵 船 舶 ( 海 上 交 通) を 攻 撃
て す む かも 知 れ な い。
し 、日 本 本 土 と占 領 地 と の間 の交 通 線 を 分 断す る よう脅 威 す る 。 3 、ド イ ツが 主敵 ( 第 一に打 倒 す べき も の) であ る と いう前 提 には 変更 はな い が 、 一九 四三年 にお け る 太平 洋 方 面 の戦 争努 力 の範 囲 と そ の猛 烈 さ の度 合 には敵 の対 抗策 に十 分 対 抗 でき 且 つさ ら に手 中 にあ るも のを最 高 度 に活 用 す る よう にす る こと を要 求 し て いる 。 7、 運 合軍 が 別 途 に実 施 せん とす る 事 項
4
2
1
十分 兵力 が 手 に入 る ま で ラバ ウ ルから ト ラ ック "グ ア ム への
サ モア "ヤ ルー ト の線 に沿 って進 撃 す る。
ミ ッド ウ ェー から ト ラ ック =グ ア ム の線 に進 撃す る 。
アリ ュー シ ャ ン列島 を確保 する (でき る限 り 安全 にす る)。
一九 四 三 年 の 南 お よ び 南 西 太 平 洋 作 戦 (一九 四三 ・
や む を得 な け れば ア ナキ ム作 戦 ( ビ ル マ) に参 加す る。
チ モー ルま で マ レー防壁 に沿 って 進 撃す る。
進 撃 は これ を 慎 しむ 。
3
5 6
五
三 ・二八)
一九 四 二年 七 月 二 日 に第 一回 の南 西太 平 洋方 面 作 戦 を指 令 し た
し たが 、 そ の要 旨 は次 のとお り 。︱ ︱ 編 者。
統 合幕 僚 長会 議 は、 一九 四三年 三月 二 八 日に第 二回 の指 令 を発 出
さ れ た。
1、 一九 四 二年 七 月 二 日のJ CS 指 令 は これ を 取消 し 次 の指 令 が出
1
下 に南 太 平洋 方 面 指 揮官 が 直 接指 揮 す るも のとす る。
ソ ロモ ン群 島 の作 戦 は南 西 太平 洋 方面 最 高 指揮 官 の全般 指 導
実 施 され る。
本 指 令 に よ る作 戦 は南 西 太 平洋 方 面最 高 指揮 官 の指 導 の下 に
2、 指揮 権
2
4、任 務
1 ラ エ =サ ラ モ ア =フ ィ ン シ ュハー フ ェン = マダ ン地 区 を奪 取
キ リウ ィナと ウ ッド ラ ー ク島 に飛 行 場 を建 設 す る。
ブ ーゲ ンビ ル の南 部 をも含 む ソ ロモ ン群 島 を 奪取 占 領す る。
し、 西 部 ニ ューブ リ テ ンを 占 領 す る。
2
3
2、 太 平 洋 全面 攻 勢 の開 始
1
日本 に最後 の降 伏 を強 要 す る拠 点 の獲 得 。
太平 洋 方面
中 国 におけ るま た中 国 よ り の航 空作 戦 の実 施 。
中 国 に対 日戦 を 継 続 さ せ る こと。
①
マー シ ャル お よび カ ロリ ン諸島 の占 領。
ア リ ュー シ ャ ン列島 よ り日 本軍 を 駆 逐。
海 上交 通 線 の維 持 。
②
3
日本 軍 に損 害 を与 え る こと 。
③
2
1 日本 軍 占 領 地域 を 奪 回す る こと。
④
5、 目的
2
ビ ス マルク諸 島 の最 終的 奪 取 を準 備 す る こと。
先 制 攻 撃 に よ り日 本 軍 を太 平 洋方 面 に誘 致 す る こと。
八 ・二 四)
一九 四 三 ︱ 四 四 年 の 太 平 洋 進 攻 作 戦 (一九 四 三 ・
日本 の海 上交 通 線 に対す る作 戦 の強 化。
いて 日本 軍保 持 部 分 を 占領 す る。
ソ ロ モン群 島 、 ビ ス マル ク諸 島 お よ び ニ ューギ ニア にお
4
⑤
3
6、 計 画 南 西太 平洋 方 面 最高 指 揮 官 は部 隊 の編 制 、 攻 勢 作戦 の順序 およ び 時 機 を含 む 全般 計 画 を提 出 せよ。
七
一九 四三 年 八月 の第 一次 ケ ベ ック会 談 に当 り連 合 参 謀本 部 より
日 本 撃 破 の た め の 戦 略 計 画 (一九 四三 ・五 ・二五)
大 統 領 お よび 首相 への最 終 報 告 によ る 一九 四三 ︱ 四 四年 の太平 洋
六
一九 四 三年 五月 の第 三次 ワ シ ント ン会 談 に当 り連 合 参 謀本 部 よ
戦 争 の計画 の大要 は次 のと おり 。︱ ︱ 編者 。
全 般 戦略 概 念
のと お り。︱ ︱ 編 者 。
Ⅱ
り 大統 領 お よび 首 相 への最 終 報告 によ る 日本 撃 破計 画 の大要 は次
般
た、 所 要 の拠 点 を占 領 し て 日本 に降 伏 の止 む なき に至 ら し める。
4、 日 本 の軍 事 力 を低 下 さ せ る 目的 で絶 えず 日本 に圧力 を 加 え、 ま
全
し て ド イ ツに対 し連 合軍 の兵 力 資材 を 集 中す ると いう 決定 の再確
5、 欧 州 の独 伊 が 屈伏 した ら、 ソ連 と 協力 し て 出来 る だけ 早 く 日本
1、 でき る限 り速 や か に欧 州 枢 軸 国 の降 伏 を得 る ため、 ソ連 と協 同
認。
対 日 戦争
を 無 条 件降 伏 さ せ る。 Ⅳ 20 、 長期 戦 略 ︱ ︱ 日本 を 敗 北さ せ る た め の長期 戦 略 。 22 、 ド イ ツ屈 伏後 計画 と し ては 一二 カ月 以 内 に 日本 に屈 伏 を 強要 す る。 25 、 南 西 太平 洋 を含 み東方 から 作 戦す る部 隊 は米 国 が出 し、 西方 か ら 作戦 す る部 隊 は英 国 が出 す 。 27 、 一九 四 三︱ 四 四年 にお け る太 平洋 作 戦 一九 四 三年 の統 合 幕 僚長 会 議 (J C S ) の計 画 し た作 戦 で 承 認
ギ ルバ ー ト
さ れ た も の。
マー シャ ル に前 進 す る前 提 と し てギ ルバ ー ト の奪 取 と整 備 。 マー シ ャル
カ ロリ ン諸 島 (ト ラ ック)
中 部 太 平 洋 を経 て 西進 を 行 なう 前 提 と し て マー シ ャル の奪 取 。
パ ラオ諸 島
ト ラ ック に艦 隊基 地 を と ると いう 前 提 で東 部 カ ロリン を と る。
1
2
3
4
ヤ ップ を含 む パ ラ オ諸島 の占 領。 グ ア ムお よび マリ ア ナ諸 島
ホ ロムシ ロと 千島 作 戦 の考 慮 。
ホ ロムシ ロ
グ ア ムお よび マリ ア ナ諸 島 の奪取 。
5
6
ニ ューギ ニア=ビ ス マル ク =アド ミラ ル テ ィ諸 島 東 部 ニュー ギ ニア、 ビ ス マルク の奪 取 か制 圧 。 ラバ ゥ ルはむ し
7
ニ ューギ ニア の北 岸 に沿 って前 進 。
ウ ェワ ク =カビ エンに つづ く ニ ューギ ニア作 戦。
ろ無 力 化。 8
37、 一九 四三 ︱ 四 四年 におけ る中 国、 ビ ル マ、 イン ド (CB I )方
2
1
中 国 に対 日戦 を 継 続 さ せ る。
中 国 の航 空路 を 建 設 し空 路 によ る物 資 を増 強 す る。
ア キ ヤブ と ラ ム リー島 奪 取 のた め準 備 (一九 四 四年 春)。
北 部 ビ ル マ奪 取 (一九 四四 年 二月を 目標 ) 。
面。
3
中 国軍 に装備 を与 え る 。
(一九 四 三 ・
5
一二 ・三)
日 本 撃 破 の た め の 一九 四 四 年 の作 戦
4
八
一九 四 三年 一二月 はじ め の第 二次 カ イ ロ会談 にお け る米 国統 合
幕 僚 長会 議 覚 書 に基 づ き、 連 合 参謀 本 部 は 一九 四 三年 一二月 三 日 次 のよ う に決 定 し た。 ︱ ︱編 者 。
テ ニア ン に進出 さ せ る。
日本 本 土 戦略 爆 撃 のた め、戦 略 爆 撃 部隊 を グ ア ム、 サイ パ ン、
の南洋 委 任 統治 領 の占領 と共 に進 め る。
ニ ューギ ニア =蘭 印 =フ ィリピ ンの軸 線 に沿 う 進 撃 は、 日本
6、 中 部 太平 洋 ・南 太 平 洋 お よび 南 西 太平 洋 方面 1
2
3
1
蘭 印 お よ び フ ィリ ピ ン の目標 に対 す る空 襲 は これ を強 化す る。
長距 離 戦 略爆 撃 隊 を カ ル カ ッタ に置 き 成都 にそ の前 進 基 地を
7 、 中 国方 面
設 け、 〃日 本内 部 防 衛 圏" の重 要目 標 を攻 撃 でき る よう に す る (日本 防 衛 圏 に は 日本 本 土、 満洲 、 朝 鮮 、北 支 、 南樺 太 お よ び 台湾 を含 む )
四年 の春 北 部 ビ ル マを奪 取 す る。 兵 力 の許 す かぎ り 一九 四 四年
中 国 への空路 を 改 善 し、 ま た、 陸 上補 給 路 建 設 のため 一九 四
8、 東 南 アジ ア方 面 1
秋 の作 戦 を 続行 し 、 ま た北 部 ビ ル マで獲 得 した 地歩 を拡 張す る 。
太 平 洋 進 攻 目 標 の指 令
(一九 四 四 ・三 ・一二)
一九 四四 年 の対 日作 戦 は別 表 のと お り。
九
統 合 幕 僚 長会 議 は 三 カ月 にわ た る太 平洋 進 攻 目標 を めぐ る論 争 を慎 重 に考慮 し た後 、中 部 太 平洋 (ニミ ッツ路 線) と南 西 太平 洋 (マ ッカ ー サ ー路 線) から の両進 撃 路 に よ る並 進策 を 続 行 し、 台 湾 =ル ソ ン=中 国 沿 岸 地区 の全般 目標 を保 持 し、 こ の地 域 に至 る近 接 路 は マリ ア ナ、 カ ロリ ン、 パ ラオ諸 島お よ び ミ ンダ ナオ地 区 を 経 由 す る こと を 決定 し、 一九 四四 年 三月 一二日 大要 次 の指 令 を 発 出 し た 。︱ ︱ 編 者。
1、 マ ッカ ー サ ー軍 の カビ エン (ニ ュー アイ ルラ ンド) の取 止 め。
別表 日
付
南西太平洋
北 ビ ル マ ・ア ラ カ ン地 区 お よ び 中 国 作職
中国 、 東南 アジ ア
一九 四四 年 の た め の日本 撃 破特 別 作 戦 (一九四三 ・一二 ・三) 中部 太 平 洋
一月 一日 ∼ マ ー シ ャ ル (エ ニ 西 ニ ュ ー ブ リ テ ン 三 一日 ウ エ ト ク 、 ク サ イ の 占 領 ラ バ ウ ル 無 を含 む) の占 領 力化 続 行 一月 一五 日 ∼ 三 月 一五 日
日本 内 地 に対 す る 中国 基 地 か ら のB 29 の爆 撃
ニ ュー ギ ニア 、 ハ ン サ湾 地 区 の 占 領
カビ エン の占領
二 月 一日
三月 二〇 日
アド ミ ラリ テ ィー 諸 島 の マヌス の占 領 ポ ナ ペ の占領
ニューギ ニア の ホ ー ラ ンジ ァ地区 コ ンボ湾 ルト地 区 占 領
四月 二〇 日
五 月 一日
六 月 一日
東 カ ロ リ ン 諸 島 ト 濠 州 から の蘭 印 の 重 要目標 に対 す る ラ ッ クの占 領
B29 の攻撃
七月 二〇 日
ニ ュー ギ ニ ア 北 岸 に沿 いボ ーゲ ル コ ップ 半 島 ま で 西 進 グ ア ムおよ び マリ ア ナ諸 島 の 占 領
マリ ア ナ基 地 より
東 南 アジ ア部 隊 の 攻勢 作 戦 の強 化
八 月 一五 日 一〇 月 一日 一 一月 一日 (モ ン ス ー ン の終 り )
標 に爆 撃 開始
一二 月 日本 本 土 の重 要 目 三 一日
最 小 限 の兵 力 使 用 に よる ラバ ゥ ル=カビ エン地 区 の孤 立 化 の完 成 。
す る最 善 の可能 な 方 策が 決 定 さ れ た。 次 の連合 参謀 本 部 の勧 告 は
う とす る意 志 を粉 砕 す る こ と によ って、 日 本 に無 条件 降 伏 を強 要
1
2
3
海 、 空 両方 面 に よる封 鎖 の確 立、 集 中 爆撃 の実施 、 お よび 日
日 本 に進 攻 し て そ の産 業 中心 地 におけ る目標 を占領 す る こと
に よ って 日本 に 無 条件 降 伏 を強 要 す る こと 。
レイ テ
タ ラ ウド島
フィ リピ ンの再 占 領 一九四 四年 一〇 月 一五 日
台 湾 、 ア モイ地 区 ま た は
一九 四 四年 一二月 二〇 日 一九 四 五年 三 月 一日
ルソ ン
関東平野
九州南部
琉球 諸 島
一九 四 五年 二 月 二〇 日
一九四 五 年 五月 一九 四 五 年 一〇 月 一九 四 五年 一二月
東 南 ア ジ ア戦 域 で はで き るだ け 速 や か にビ ル マ全 域 を奪 回 す
3 、各 作 戦 は でき る だけ 早 期 に 日本 打 倒 を達 成 す る よう 工夫 す べ き
る。
そ の後 の作 戦
り。
2、 前 記 に基 づ く作 戦 方 針 に含 まれ る主要 作 戦 の予定 表 は次 のと お
2
抗 戦 意 志 を低 下 さ せ る こと 。
本 の航 空 な らび に海軍 兵 力 の撃滅 によ って、 日 本側 の抵抗 力 と
1
1、 対 日戦 に おけ る 一致 し た総 合 目 標 は次 の よう に表 現 され た。
九月 一六 日 の会 議 で 大統 領 お よび 首 相 に 承認 さ れ た。︱ ︱ 編 者。
2、 マ ヌ ス島 占 領 の早 期 完 成 と航 空 ま た は艦 隊 基地 と し て の同 島 の 開発。
ア地 区 ) の無力 化 のた め に重 爆 を配 備 す る た め、 一九 四四年 四月
3 、 パ ラ オ諸 島 の準 備 的爆 撃 お よび ハル マ ヘラ地 区 (西 ニ ュー ギ ニ
一五 日を 目 途 と して ホ ー ラ ンジ ア の占 領。
ト ラ ック の無 力化 。
4、太 平 洋 方 面部 隊 を 以 て 1 六 月 一五 日 を目 途 と す る マリア ナ諸 島 南 部 の占 領 。 ミ ンダ ナオ、 台 湾 お よび 中 国 に対 す る作 戦 を援 助 のた め の艦
2 3
隊 と航 空 基 地 お よび 前進 準 備 地 区 を建 設 のた め、 九月 一五 日 を 目途 と して パ ラ オ の占領 。 以 上 によ り マリ ア ナ諸 島 、 カ ロリ ン諸 島 および パ ラオ 地 区 に 対 す る支 配権 の確 立。 5、 さ ら に、直 接 ま た は ル ソ ンを経 由 し て、 台 湾進 撃 の準備 とし て、 フ ィリ ピ ン方 面 の日本 軍 を撃 破 か つ牽 制 す る た め、 な らび に蘭 領 東 イ ンド諸 島 に おけ る 日本 の諸 施 設 に対 し 空中 攻 撃 を実 施 す る た
日 本 を 屈 伏 さ せ る 方 策 (一九 四 四 ・九 ・一六)
め 、 一 一月 一五 日を 目途 とし て ミ ンダ ナォ の占 領 。
一〇
一九 四 四年 九月 の第 二次 ケ ベ ック会 談 (オ ク タゴ ン) にお いて は、 一九 四 五年 の対 日 戦最 終 目標 を討 議 し 、 日本 が戦 争 を 続 け よ
2、 統 合幕 僚 長 会議 は対 日 戦争 計 画 立案 の基礎 と し て次 の ことを 採
1
用 し た。太 平 洋 に おけ る 戦 力努 力 のた め の作戦 構 想 は次 のと おり 。
であ る。 連 合 国 の海 上 、航 空 力 の優 越 を 極 度 に利 用す る こと。
日本 本 土 に対 す る大 遠距 離 爆撃 作 戦 は、中 国 の基 地 から続 行
敵 船 舶 に対 し間 断 な き潜 水 艦戦 を続 行 す る。
沖縄 作 戦 に続 い て次 項 のた めに有 利 な情 勢 を 作 為す る た め、
1
敵 の大 部 隊 を牽 制 、 撃 破す る こと に より、 さ ら に 日本 の職 争
日本 の封 鎖 と爆 撃 を強 化 す る た め の追 加 の戦 略 要 点 の占 領。
関 東 平 野を 経 て 日本 の産 業中 心 地 への決 定的 進 攻。
た め、 さ ら に封鎖 と爆 撃 を 強化 す る 目的 で九州 に上 陸。
一九 四 五 年四 月 一日︱ 八 月
一九 四 五年 三
3 、 次 の順 序 と期 日 の当面 の作 戦が 、 統 合幕 僚 長会 議 によ って指令
3
能 力 を 減殺 し 、 か つ次 項 のた め に有利 な 戦術 的 態 勢 を確 立す る
2
2 す る と共 に、 マリ ア ナ諸 島 に建 設中 の基 地 や将 来 の基 地 か らも 実 施 され る であ ろ う。 4、 対 日戦 終 了 の予定 時 期 を ド イ ツ敗 北後 一八 カ月 目 と 設定 す る。 5、 ソ連邦 を でき る だけ 早 期 に対 日 戦争 に参 加 さ せる た めあ ら ゆ る 努力 を なす こと に意 見 が 一致 した 。
フ ィリ ピ ン解 放完 成 の ため の ルソ ン基 地 作 戦
さ れ た。 1
硫黄 島 攻 略作 戦
日 本 打 倒 計 画 (一九 四五 ・二 ・九 )
2
沖 縄 から 琉球 諸 島 占 領 作戦
一一
3
一九 四五 年 二月 一九 日
一九四 五 年 二月 の ヤ ルタ会 談 の軍 事 会議 に お いて は、 前 回 の第
月
二 次 ケ ベ ック 会談 (四 四年 九月) の後 を 承 け て日 本打 倒 計 画 と近
ー 地区 ( 中 国 ) に おけ る戦略 要 点 の占 領 作 戦 と、 一九 四五 年︱ 四
4、 欧 州 か ら の兵力 再 展 開 を確 実 に開始 し得 る まで 、舟 山 島 ニンポ
海 空 に よ る封 鎖 の確 立、 集 中爆 撃 の実 施 お よび 日本 の航 空 な
日 本 打 倒 戦 略 方 針 (一九四 五 ・六 ・一八)
爆 に つ いても 討 議 され た。 原爆 に つ いて は軍 事 首 脳 部 は 誰 一人
方 法 に よ って戦 争 を 終 結す る可 能 性 に つ いても 討議 さ れ、 また 原
一九四 五 年 六月 一八 日 の ホ ワイ ト ハウ ス軍 事 会議 で は、 政 治的
一二
六年 の冬 の九州 = 本 州 進 攻 に 対す る計 画 の立 案 は続 行 され る。
い将 来 の太 平 洋作 戦 の時間 表 を 次 の とお り 予定 し 、 二月 九 日 に連
り。︱ ︱ 編 者 。
合 参謀 本 部 は大統 領 と首 相 の承 認 を受 け た 。 そ の要 点 は次 のと お
1
1、 対 日戦 争 に おけ る 一致 し た総 合 目標 は次 のよう に表現 さ れ た。
ら び に海 軍 兵 力 の撃 滅 によ って 、 日本 の抵 抗力 と 抗 戦意 志 を 低
日 本 に進 攻 し て そ の産 業中 心 地 におけ る目標 を占 領す る こと
下 さ せ る こ と。 2
に より 日本 に無 条 件降 伏 を 強要 す る。
"事 が う まく 運 ぶ だ ろう " と確 信 し た者 は いな か った 。 な か でも
1、 でき る だけ 早 い時 期 に日本 の無条 件 降 伏 を達 成す る総 合 目的 に
認 を 受 け た。 ︱︱ 編 者 。
進 攻 計 画 は認 めたが 、 "し か し、 私 は他 の手 段 を通 じ て な に か有
従 って、 統 合幕 僚 長 会 議 は太 平 洋 に おけ る主 要 な努 力 のた め に次
レー ヒ提 督 は原 爆 不信 の筆 頭 だ った 。 スチ ム ソ ン陸 軍 長 官 は本 土
終 の美 を達 成 す る こと を ま だ希 望 し て い る" と述 べた 。 レー ヒお
次 の目的 の ため に有 利 な情 勢 を 作 為す るよ う、 沖 縄 、硫 黄 島、
の作戦 構 想 を 採 用 し た。 1
マリ ア ナ諸 島 およ び フィリ ピ ンの基 地 より の日本 の封鎖 と 爆撃
ト ルー マン大統 領 は決 断 を下 さ ざ る を得 な か った。 それ は、 九
よ び キ ング両 提 督 は こ の進 攻案 に仕 方 なく 同 意 の様 子 だ った。
を強 化 す る。
関 東 平野 を 通 過 し て日本 の産 業中 心地 への決 定的 進 攻 。
1
総 合 目 的 達 成 に必 要 な西 太 平洋 に至 る、 ま た 西太 平 洋 にお け
一 一月 一日 を 目途 と し て九 州 への進 攻。
る海 上 交 通 路支 配 権 の獲 得 と維 持 のた め の作 戦 の続 行 。
総 合 目 的 に対 し 不利 を 来す こと な く実 施 す る こと のでき るよ
一九 四 五年 七 月 一日を 目途 と す るバ リ ック パパ ン の占 領 。
うな 作 戦 に よ って、 フ ィリ ピ ンの残 存 日本 軍 の撃 破 。
総 合 目 的達 成 を援 助 す る た め の戦略 爆 撃 作戦 の続 行。
予定 期 日 た る 一九 四 六年 三 月 一日 に間 に合 う よう 続 け られ て いる。
4、 九 州 進 攻 以後 の対 日作 戦 の計 画 立 案 と準 備 は、 関 東 平 野進 攻 の
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した 。
3、 総 合 目 的 の達 成 を促 進 す る た めに、 わ れ われ は次 の よう に指 令
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する。
って 日 本 の戦 争 能力 を さ ら に減 殺 す る 目的 の ため に九 州 に進 攻
要 部 隊 を牽 制 、 撃破 し、 か つ、 封鎖 と爆 撃 を強 化 す る こと に よ
次 の目的 のた め に有 利 な戦 術 的 条 件 を確 立す る よ う、 敵 の主
州 は計 画ど おり 一 一月 に 進攻 し 、 本 州進 攻 準備 は続 行す るが 、最
(オ リ ン ピ ッ ク 作 戦 ) (一九 四 五 ・
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終 的 決 断 はぎ りぎ り まで行 なわ れ な いだ ろう 、 と いうも の であ っ た 。 こう し て、大 統 領 によ って 承 認 され た 対 日戦 略 は次 のと お り だ った。 ︱ ︱ 編 者。
地 よ り 日本 本 土 の戦 略爆 撃 と海 上封 鎖 を 持 続す る。
一、 沖 縄、 硫 黄 島、 マリア ナ諸 島 お よび フ ィリピ ン各 方面 の米軍 基
二、 一九 四 五年 一 一月 一日 に九 州 に対 す る 上 陸作 戦 を行 な い、ま た 海 上封 鎖 と空 襲 を強 化 す る。 三 、 関東 平 野 を経 て日 本 の産 業 中 心部 へ進 攻す る こと。 そ の攻撃 期 日 は 一応 一九 四 六年 三月 一日 と 予 定す る 。
九 州 進 攻作 戦
四、 作 戦 は マッカ ー サーと ニミ ッツ の 二人 の指 揮 下 に行 な われ る 。
一三
六 ・二九)
一九 四 五年 六月 二九 日 、統 合 幕 僚 長会 議 は九州 進 攻作 戦 (オ リ ンピ ック) の期 日 を 一九 四 五年 一一月 一日 と 決定 し 、大 統 領 の承
一四
対 日 最 終 作 戦 計 画 (一九 四 五 ・七 ・二 四)
一九 四 五年 七月 のポ ツダ ム会談 に お いて は、 論議 はな る べく 早 い時 機 に日 本 に降 伏 を強 要 す る こ と に集 中 され た。 一九 四 五年 七 月 二 四 日 に連 合 参 謀 本部 が 提 出 し た ﹁大統 領 お よび 首 相 への最 終 報 告 ﹂ 中 、 対 日最 終作 戦 計 画 と し て承 認 さ れた も の は次 の内 容 の も のであ った 。︱︱ 編者 。
に 日本 の無 条件 降 伏 を実 現 す る にあ る。 こ れを 達成 す る に は、 海
1、 われ わ れ の戦 略 目 的 は、 他 の連 合 国 と協 同 し て でき る限 り早 期
上 お よび 空中 封 鎖 を完 成 す る こ と に よ って 日本 の戦 争 能力 と 抗 戦 意 思 を 低 下 さ せる こ と、 さ ら に激 烈 な 空襲 を 実施 す る こと、 さ ら
要 であ り か つ実 行 可能 な援 助 が 提供 さ れ るだ ろう 。
4、 太平 洋 戦 域 に おけ る作 戦 、 戦略 の統 制 の権 限 は依 然 と して 米 国
統 合幕 僚 長 会議 にあ るも のと す る。
供 す る。
5、 英国 は太 平洋 艦 隊 お よび 長 距離 爆 撃 部隊 、 そ の他 を対 日戦 に提
一五 日と す る。 ただ し、 占 領 目的 を も って日本 本 土 に進 攻 す る作
6、補 給 計 画 上、 日本 の組 織 的抵 抗 の終結 日付 を 一九 四 六年 一一月
戦 は、 日 本 の突 然 の崩 壊 あ る い は降 伏 のご と き有 利 な情 勢 を ただ
ち に利 用 す る た め にそ の準 備 を なす べ し。
原 爆 投 下 命 令 (一九 四 五 ・七 ・二四)
一九 四 五 年 七月 二四 日、 陸軍 省 はト ルー マン大 統領 の承 認 の下
一五
に進 攻 し 主要 目標 を攻 略 す る こと 、 日本 本 土 以外 の目標 に対 し て
ツ将 軍 に 指 示す る 次 の よう な命 令 を与 え た。︱ ︱ 編者 。
に、 参 謀 総 長 の名 をも って 原爆 第 一号 を 投 下す べき こと を スパ ー
に 日本 の航 空、 海 軍兵 力 を 一掃 す る こと、 主 作戦 とし て 日本 本 土
も 主 作 戦 に寄 与 す る場 合 は攻略 作 戦 を行 なう こと、 日本 の絶 対 的
おけ る 至上 作 戦 と みな され る。 よ って こ の進 攻を で き得 る限 り早
降 、 天候 が 目 視 爆撃 を 許す かぎ り 、な るべ くす み や か に最初 の特
1、 第 二〇航 空 軍 第 五〇 九 混 成部 隊 は、 一九 四 五年 八月 三 日ご ろ以
合 衆 国戦 略 空 軍司 令 官 カ ー ル ・スパ ー ツ将 軍 へ
軍 事 支 配 を実 現 す る こと 、 さ ら に必 要 なら ば 日本 軍 の占 領 地 域 を 解 放 す る こと。
い時 期 に達 成 す る た め必要 な 兵 力 お よび 資 源 は優 先 的 に確 保 され
(目標 ) 広 島 、小 倉 、新 潟 、 長 崎。
殊 爆 弾 を つぎ の目 標 の 一つに投 下 せよ。
2、 日 本 本土 の進 攻 お よび これ に直 接 関係 のあ る作 戦 は、 対 日 戦 に
る 。 封鎖 と爆 撃 に よ って進 攻 への道 を 開 いた後 、 日本 本 土 の南 端
にと って有 利 な戦 術 的 地位 を 確 立す るた め であ る 。
に投 下す るも のとす 。 前 記以 外 の目標 を 選 定す る 場合 は別 に指 令
2、 特 殊爆 弾 計 画者 に よる諸 準 備 の完 了 次 第 、第 二発目 を 前 記目 標
九 州 に 上陸 を 決行 す る 。そ れ は本 州 ( 関 東平 野 ) への決 定 的進 攻
3 、 ソ連 の対 日 戦参 加 は促 進 さ れ る べき で あ り、 そ の戦 争 遂 行 上必
す。
には い っさ い洩 らさ な いこと 。 あ ら か じ め特 別 の許 可 なく 現 地指
3、 本 兵 器 の対 日 使用 に関す る情 報 は、 陸 軍 長 官 お よび 大統 領 以外
揮 官 は、 本 件 に 関す る コミ ュニケも し く は新 聞発 表 を 行 なわ な い こと。 ニ ュー ス記 事 はす べ て陸 軍省 の特 別 検 閲を 受 け る こと 。
ら れ た も ので あ る。 貴 官 は こ の指令 の写 し 各 一部 を 個 人的 に マ ッ
4、 以 上 は陸 軍 長官 およ び参 謀 総 長 の指 令 な ら び に承 認 の下 に発 せ
カ ー サ ー将 軍 (南 西太 平洋 方 面 最高 指 揮 官) お よび ニ ミッツ提督
ト ー マ ス ・T ・ ハンデ イ
(太 平洋 方 面 最高 指 揮 官) に情 報資 料と し て手 交 さ れ た い。 参 謀 総長 代 理
一六
第二次大戦連合国首脳会談一覧
三
太平洋戦争諸統計 1.日 米 軍 事 力 の推 移(各 年末) 1.人員数(軍 人,軍 属)
2.艦艇数(小 艦 艇 を含 む)
3.航空機 数
備 考1945年
は 8月15日 を示 す.
2.開 戦 時,日 本,連 合 国海 軍 兵 力一 覧(太 平 洋方 面)
*日 本 はこの ほか水上機 母艦 5.
3.戦 時 中 日本,米 国 の建 艦 状況
4.主 要 海 空 戦 日米 呼称 対 照表
5.主 要 海 空 戦 要 目一 覧(一)
6.主 要海 空 戦 要 目一 覧(二) (1)ハ
(2)マ
(3)ス
ワイ 海 戦
レー 沖 海 戦
ラ バ ヤ 沖 海 戦
(4)サ
ン ゴ海 海 戦
(5)ミ
ッ ドウ ェー 海 戦
(6)第
一 次 ソ ロモ ン海 戦
(7)南
太平 洋 海 戦
(8)第
三次 ソ ロモ ン海 戦
(9)ル
ンガ 沖 夜 戦
(10)マ
リア ナ 沖 海戦
(11)台 湾 沖 航 空 戦
(12)捷
一 号 作 戦
(13)サ
マ ー ル 沖海 戦
(14)エ
ン ガ ノ岬 沖 海 戦
(15)ス
リガ オ 海 峡 海 戦
(16)大
和 隊の 海 上特 攻
7.日 米航 空兵 力 の推移 一 覧(太 平 洋方 面,第 一 線機 のみ)
8.後 期 主 要陸 戦要 目一 覧
ガダ ルカナル作戦 (1)
ニューギ ニア作戦 (2)
アッツ作戦 (3)
タ ラワ作戦 (4)
マーシャル ( ク エゼ リ ン )作 戦
(5)
イ ンパー ル作戦 (6)
サイパ ン作戦
(7)
グ アム作戦 (8)
テ ニアン作戦 (9)
ペ リ リ ュー 作 戦
(10)
アンガウ ル作 戦
(11)
フィリピ ン作 戦
(12)
硫黄島作戦
(13)
沖 縄作 戦
(14)
9.
(備考)
特攻
(神 風,
桜 花, 震 洋, 回天) に よる艦 艇 攻 撃 一覧 表
(1944・10・21―1945・8
1.海軍神 風特 攻隊 の最初 の出撃 は44.10.21.陸 軍航空 特攻隊 の初 出撃 は44.11.12で あっ た.2.沈没 には攻撃 に よ り 3.艦名 に付 随 した カ ッコ内の数 字 は命 中回数 を示 す.
10.日 本艦 艇 沈没 損 傷残 存 状況(一)
日本艦艇沈没損働残存状況(二)
11.日 米 両軍 死 傷者 数
12.地 域別 日本陸 海軍 戦 死者 数 一覧
*第 5,第 6表 と多少 の相 異 が あ るが,例 え ば沖 縄 につ いて,第 は大 和 隊 出 撃 の戦 死 者 は含 まれ て い な い こ とな ど に よ る.
6表 で
13.戦 時 中,日 本陸 海 軍第 一 線機 損 耗数(月 別)
14.終 戦 時 に お け る 日本 軍 事 力
15.終 戦 時,米 軍 の太 平 洋方 面 展 開兵 力一 覧
16.戦 時 中,日 米 商船 建 造量 比 較(年 度別)
17.日 本商 船 撃沈 トン数 の 三大 原 因別 毎 月 比 較 図 油 送船 を含む1,000総トン以上 の鋼船 出所
海軍情報部
18.対 日海上 交 通 破壊 戦 と 日本 船 舶 の推 移
編
者
略
歴
冨 永 謙 吾 〈と み なが ・け ん ご 〉1905年 長崎 県 に 生 れ る. 1926年 海 軍兵 学 校 卒 業(54期).横 須 賀 鎮守 府 参 謀.大 本 営海 軍参 謀.パ ラオ 根 拠 地 隊 参 謀.元 海 軍 中佐.戦 後,防 衛 庁 防 衛研 修 所 戦 史 編 纂 官.駅 書 L ・グ ロー ブ ス 『私 が 原爆 計画 を指 揮 した』(恒 文 社).ニ ミ ッツ 『太 平 洋 海 戦 史 』 (恒文 社)な
ど.
現代史資料
39
太平洋戦争
5
冨永謙吾編
1975年
3 月 31日
1991年11月
15日
第 1刷発行 第 5刷発行
発行者 小熊勇次 発行 所 株 式 会 社 み す ず書 房 〒113東 京都 文 京 区 本郷 3丁 目17-15 電 話3814-0131(営
業)3815-9181(本
社)振
替
本文印刷所 三陽社 扉 ・口絵 ・函 印刷 所 栗 田印 刷
製本所 鈴木製本所
C1975Misuzu Printed
Shobo
in Japen
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東 京0-195132