鉄
現 代 史 資 料
満
33
三
み す ず 書 房
「 満鉄 ト同業従事労働者待遇 調査」綴表紙
「 上海事 件 ト排 日英事件 関係 」 情報綴表紙
白 開 線 敷 設 に 関 す る野 村 正 宛 書 簡(19...
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鉄
現 代 史 資 料
満
33
三
み す ず 書 房
「 満鉄 ト同業従事労働者待遇 調査」綴表紙
「 上海事 件 ト排 日英事件 関係 」 情報綴表紙
白 開 線 敷 設 に 関 す る野 村 正 宛 書 簡(194.-5頁
参 照)
上:「北 満生産貨物東南両径路別輸送数量配分 二関 スル南満洲鉄道烏 蘇里鉄道会議議事録ノ表紙 下:同 会議 の模 様
一九 二 五年 にお け る南 満 洲鉄 道 株 式 会 社 (満 鉄 ) 関 係資 料 を収 録 し た 本巻 によ って、 満 鉄資 料 全 3冊 は完 結 す る。
例
一
資 料 は内 容 ・形 式 の上 から 三 部 に分 け て整 理 し、 第 一部 は満 鉄 経 営 の記録 文 書 、第 二部 は断 続的 な情 報類 、第 三 部 は比
凡
二
情 報 類 の整 理 区 分 と 、区 分 見 出 し は 、編 者 が付 し たも の であ る。 そ の配列 は、 地域 別 (東 三 省 ・関 内 ・極東 ソ連 ) とし
較 的 ま と ま った調 査報 告 書 類 と し た 。 三
資 料 原 文 は片 仮 名 タ イプ 印 刷 形 式 のも のが大 部 分 であ った が、電 報 以 外 は平 仮 名 に改 め 、 そ の際適 宜 に句読 点 、 濁 点 を
た。 四
五
明 白 な 誤字 ・誤 植 と 思 わ れ るも のは 訂 正 した が、 他 の意 味 不 明 のも のは 横 に ︹マ マ︺ を付 し た。 外人 名 表 記 の不 整 合 は
漢 字 は略 体 を用 いた 。
加 え た。
六
七
宛 名 中 、 社 長 及庶 務 部 長 は省 略 し た。 北京 公 所 、 哈爾 賓 事 務 所 のも のは、 そ の写 の配 布 先 を記 載 し て あ る が、 これを省
本 文 中 の六 ポ イ ント 二行 の編 注 ︹ ︺ お よ び、 傍 注 の ︹ ︺ は編 者 の補 記 し た も の であ る 。
一々、統 一を試 み て いな い。
八
九
本巻 の編 集 ・資 料 解 説 は 、伊 藤 武 雄 ・荻 原極 ・藤 井 満 洲男 が担 当 し た。
﹁庶 調 情 ﹂ と 文書 番 号 に冠 し てあ る のは 、情 報 係 が、摘 要 を作 成 し関 係 者 に配布 し たも の であ る。
略 し た。
十
凡例 資料解説
目
第 一部
次
満 鉄 ド キ ュメ ン ト類
重役 会 議 提 出各 部 課 作 成資 料
六 一
三 七
三
二
北満 貨 物 数 量配 分 に関 す る満 鉄 ・鳥 鉄代 表 者 会 議議 事 録
一 重役 会 議 決議 事 項
三
五
四
奉軍 内 変 及 其 他 時局 関 係諸 件
于冲 漢 更 迭 問 題 並東 三省内 政 問 題 諸件
満 鉄 (札 免 公 司 を含 む) 関係 諸 件
一 五 二
一 二 四
一 〇 七
九一
情 報 類
六
東 三省 排 外 運 動 並罷 工事件
第二部
七
九
八 米 国 筋 の北 満 移 民 計 画 及 其 他 諸 件
東 三 省 官 憲 の報 道 機 関 へ の圧 迫 並 報 道 関 係 諸 件
一 七 六
一 六 三
一四
一三
一二
八区 構 内 入 換料 徴 収反 対 運 動
イ ワ ノ フ排 斥 運 動 並 同 局 長 の動 静
東 鉄 露 、中 理事 間内 訌 問 題他 東 鉄 関 係諸 件
松 花 江航 運 問 題 並東 三 省交 通 関 係 諸 件
三 三 六
三 二 七
三 〇 二
二 四 〇
二 二 〇
一 八 三
一五
東 鉄 九 四 号 命 令 (無 国 籍 者 解 職 ) 事 件
三 四 六
〓 昂鉄 道 及 白開 線 敷 設 問題
一六 綏芬 河駅 爆 薬 抑留 事 件
三 五 五
一〇
一七
旧 東 鉄 幹 部 の其 の後 の動 静
三 六 〇
二 〇 一
一八
段 執 政善 後 会 議 他中 国 内 政問 題 諸 件
一 一 賓 黒 (呼 海 ) 鉄 道 敷 設 問 題
一九
三 九一
四 六 〇
金 法 、 関税 問題 並 中国 財 政 問題 諸 件
五 ・三 〇 事 件 及 之 に伴 う 反 響 諸 件
五 〇 七
二〇
二二
日米 無 線 電 信 問題 並 関内 諸 件
五 二一
四 二 六
二三
日露 協 定 成 立 並 之 が 影 響
二 一 時 局 に よ る関 内 鉄 道 被 害 他 交 通 関 係
二四
二七
二六
二五
蒙 古 関 係諸 件
極 東 露 領事 情 並烏 蘇 里 鉄道 関 係 諸件
露 中 関 係 並露 国 内政 諸 件
五 八四
五 七一
五 三 九
五 九 五
報 告書 類
満 鉄 と同 業 従事 労 働 者待 遇 調査
第三部 二八
七 七 三
七 三 八
東 支 鉄 道 幹 部 更 迭 に伴 ふ運 賃 政 策 の変 更 と 満 鉄 の対 策 (星 田 信 隆 )
八一 八
札 頼 諾 爾 炭 礦 罷 業 顛 末 (堀 内 竹 次 郎 )
三二
満 鉄 が 対 東 支 と の競 争 方 法 に関 す る 意 見 書 (魏堯 )
八二 五
二九
三三
一九 二 四 年 度 労 農 露 西 亜 の国 有 鉄 道 と 東 支 鉄 道 の営 業 成 績 (商 業 電 報 )
八 三 四
七 四 六
三四
極 東 鉄 道 の概 況 (高 橋 捨 次 郎 )
八 四 三
北 満 に於 け る 一般 労 働 運 動 (北 川 鹿 蔵 )
三五
極 東 露 領 の交 通 (飯 村 穣 )
八 五 五
三〇
三六
支 那 に 於 け る 労 農 聯 盟 の勢 力 進 展 の状 況 (神 田 正 種 )
八 六 四
七 六六
三七
極 東 に 於 け る 露 西 亜 (エ ヌ ・ウ ス ト リ ヤ ー ロフ)
三 一 京 漢 鉄 道 長 辛 店 工 場 視 察 記 (伊 藤 武 雄 )
三八
三九
蒙 古 共和 国 憲 法 及軍 事 基礎 法 規 (高 橋捨 次 郎 )
八七二
資 料 解 説
こ の巻 に収 録 す る資 料 のう ち、 直 接満 鉄 の社業 に関 す るも のと し て は、 一九 二 五年 一月 から十 月 な か ば ま で に 亘 る
﹁重役会議決議事 項﹂(三頁以下)があ り 、記 録 の日づ け だけ を追 えば 欠落 は比 較 的 少 い よう に見 え る。 そ れ にし て も、 こ の
う ち満 鉄 の会 計年 度 で大 正 十 三年 度 の終 り 三 ヵ月 分 に つい ては 、﹁重役会議提出各部課作成資料﹂( 三七頁以下)のほ か、前 巻
にお さ めた ﹁処 務 週 報 ﹂ のうち この期 間 に該 当 す る部 分 ( ﹁満鉄﹂Ⅱ一八〇︱二〇五頁)な ど の豊 富 な資 料 があ って 、 そ の理解
を 助 け て いる の に対 し 、 十 四年 度 分 は大 体 前 半 六 ヵ月 分 が残 され て いる にと ど ま る上 に、 この種 の いわ ば 基礎 的 な資 料
が全 く 欠 け て い る こと が目立 つ。 だ が、 奉 ソ協 定 の成 立 以後 特 に急迫 し た満 鉄 の対 北 満 方策 お よ び中東 鉄 路 、 ウ スリー
鉄 道 と の関係 の打 開 、 調 整策 に つ いて は、 ﹁ 満鉄 ( 札免公司を含む)関係諸件﹂( 九 一頁以下) そ の他 の項 目 に お さ め ら れ た
電 報 、情 報 類 が あ る ほ か、庶 務 部 調 査課 交 通 係 員星 田信 隆 の ﹁東支鉄道幹部更迭に伴ふ運賃政策の変更と満鉄 の対策﹂ (七七三
頁以下)が詳 細 なデ ー タ に基 い て全 面的 に問題 の要 点 を 取 りま と め て おり 、 こ の年 八 月 から 九 月 にかけ 、 こ の方 面 で の満
鉄 の努 力 の 一応 の成 果 と し て成 立 し た ﹁北満貨物数量配分に関する満鉄 ・烏鉄代表者会議議事録﹂( 六 一頁以下)の内 容 を 理解 す
る ため にも 、 きわ め て有益 な基礎 資 料 と な って い る。 ま た満 鉄 の借 款 鉄 道 、主 と し て〓 昂 鉄 路 を めぐ る動 向 に つ いては 、
﹁〓昂鉄道及白開線敷設問題﹂(一八三頁以下)そ の他 の項 に若 干 の情 報 があ る。 以 上 の資 料 と全 く趣 き を異 にし な がら 、 この
巻 の内 容 に独 特 の価 値 を添 え て いる のは 、 調査 課 が ﹁上海 、 青島 邦 人 紡 績罷 工以 来 の風潮 に鑑 み﹂、会 社 の内 外 に 調 査
を委 嘱 す るか た わら 、 手持 ち の資 料 を も動 員 し て集 成 し た ﹁満鉄と同業従事労働者待遇調査﹂( 五九五頁以下)の成果 であ る。
こ の ﹁調 査 ﹂ は、 蒐 集 し た資 料 と 、 これ に 一応 の取 りま と め を加 え た 本 文と から 成 る が、 いず れ にし ても 取 り急 い で の
﹁予報 ﹂ の域 を脱 せず 、内 容 の不 統 一と体 例 の混乱 と が見 ら れ る から 、 ここ で多 少 の説 明 を加 え て お く 。﹁調 査 ﹂ の一
は 中 国 人鉄 道 労働 者 の労 働 事情 に関 す る も の で、 そ の資 料 は 四〓 、 膠 済 、吉 長 、 京奉 、 中 東 の各 鉄 路 に ついて の新 し い、
比較 的詳 細 な 調 査 から 成 る 。満 鉄 に つ いて は本 文 のうち 若 干 の項 目 に断 片 的 な数 字 が あ るだ け で他 の資 料 は な い。 中東
鉄 路 に関 す る部 分 は中 国 人 のほ か ロシ ア人 労 働 者 に関 す るデ ータを 含 む 。伊 藤 武 雄 の ﹁京漢鉄道長辛店 工場視察記﹂( 七六
六頁以下)の ﹁従事 員 調 査 ﹂ の項 は この ﹁調 査﹂ の京 漢鉄 路 の部 分 の資 料 に当 るも のと み る こと が で き る。 ﹁調査 ﹂ の二
は満 洲 に あ る機 械 器 具 工場 と いう 観 点 から 、 満 鉄 の鉄 道 部沙 河 口、 遼陽 の両 工場 、撫 順 炭 礦 工業 課 修 理 工場 の日本 人 、
中 国 人労 働 者 の労 働 条 件 を 社外 の使 用労 働 者 百 人 以 上 の 三工場 と 比 較 し て い る が、本 文 は 専 ら調 査 課編 纂 の調査 報 告書
第 二 十 二巻 B ﹃満 洲 労 働 統計 調 査 票 (大 正 十 三 年 三 月十 日現在 )﹄に よ って取 りま と め て あり 、資 料 と し て収録 され た遼
陽 工場 の ﹁職 工事 情 ﹂ は 利 用 さ れ て いな い。 ま た 、 これも単 な る資 料 と し て附載 さ れ て いる満 鉄 鞍 山製 鉄 所 の労 働 条件 、
労務 管 理諸 規 程 に関 す る調 査 は、 詳 細 であ り 独 自 の価 値 を も つ。 ﹁調 査 ﹂ の三 は満 鉄 の大連 、 営 口両埠 頭 、天 津 、青 島 、
上海 (満 鉄 埠頭 を含 む ) 三 碼頭 の中 国 人荷 役 労働 者 の労 働事 情 比 較 であ る。 大連 埠頭 労 働 者 に つい ては、 本文 中 の記述
は き わ め て不備 であ る が、本 文 作 成後 に到 着 し た相 当 詳 し い資 料 が こ の項 の終 り に載 せら れ て い る。 ﹁調 査﹂ の四 は関
東 州 及 び満鉄 沿線 の戸 数 一千戸 以 上 の都 邑 に ハルビ ン市 を加 えた 各 地 の日本 人 、 中国 人 、 ロシア人清 掃 労 働者 の労働 事
情 比較 で本 文 お よ び資 料 か ら成 る。五 は窯 業 工場 労 働 状 態 の比 較 であ る が、 ﹃満 洲 労 働統 計 調 査票 ﹄ を 使 った 簡 略 な 本 文 が あ る だけ であ る。
満 鉄 をめ ぐ る国 際 環 境 に つい ては 、 この巻 には 一九 二五年 分 の資 料 を収 め るわ け であ る が、 こ の年 十 二 月 に入 る と情
報 、報 告 書 と も に全 く 跡 を絶 つ。 重役 会 議 記録 保 存 の状 況 と あわ せて考 え れば 、 十月 末 松 岡洋 右 が京 城 を 経 て東 上 し た
(一四二頁)のち ほど な く 、 そ の秘 書 とし て文書 の整 理 、 保管 に格 段 の努 力 を 払 って いた大岩 峯 吉 が転出 した こと が、 こ
う いう 結 果 を も た ら し た も の と お も わ れ る 。 す で に 七 月 四 年 間 の 理 事 の 任 期 を 終 え 、 一旦 重 任 さ れ た 松 岡 は 翌 一九 二 六
年 三 月 に は 辞 任 し 、 田 中 義 一内 閣 成 立 以 後 一九 二 七 年 七 月 社 長 山 本 条 太 郎 の も と に 副 社 長 と し て カ ム ・バ ック す る ま で 、
満 鉄 に し ば し の別 れ を 告 げ た 。 結 局 こ の 資 料 ﹁満 鉄 ﹂ が 三 巻 に 亘 って 収 録 し て き た 松 岡 文 書 は 、 内 容 成 立 の時 期 か ら い
え ば 、 一九 二 三 年 四 月 か ら 一九 二 五 年 十 一月 ま で 二 年 七 ヵ 月 間 に 及 ぶ と いう こ と に な る 。 と ころ で こ の 巻 の情 報 、 報 告
書 の 性 格 、 来 源 に つ い て は 前 二 巻 と の間 に格 別 の変 化 は な い 。 こ こ で は た だ 、 ハ ル ビ ン事 務 所 の蒐 集 し た 資 料 のう ち 、
こ こ に 一い ち 例 を 挙 げ る ま で も な い が 、 呉 三 立 、 戴 〓 卿 、 蘇 子 真 ら 中 国 人 エジ ェン ト と お も わ れ る も の あ る い は いわ ゆ
る 特 報 員 の も た ら す 情 報 の 確 度 が 、 程 度 の差 こそ あ れ お し な べ て い か に も 低 い と 思 わ れ る こ と を 指 摘 し て お こ う 。 こ の
点 は陸 軍 特務 機 関 あ る いは内務 省 駐 在 官 筋 が外 国 人 諜者 の たぐ いを使 用 し て集 めた と お も われ る情 報 に つい ても同 じ で
あ って 、 情 報 提 供 者 が 情 報 を 蒐 集 し あ る い は 利 用 す る 側 の 志 向 、 好 悪 に迎 合 し た あ と が あ り あ り と み ら れ る 。 同 事 務 所
が 利 用 し つ つあ った ハ ルビ ン の ロ シ ア 語 、 中 国 語 の新 聞 に つ い て は 、 前 巻 の解 説 で も 簡 単 に ふ れ た が 、 こ の 年 十 一月 は
じ め に 成 った ハ ルビ ン事 務 所 調 査 課 の ﹁哈 爾 賓 に 於 け る 露 、 支 新 聞 一覧 ﹂ (一六七︱七三頁) は 、 お な じ く ﹁在 哈 電 報 通 信
に 関 す る 調 査 ﹂ (一七三︱ 五頁) と あ わ せ て 、 北 満 に渦 ま く 宣 伝 戦 の 様 相 に つ い て 一応 の 概 念 を 与 え る 。 ロ シ ア語 新 聞 の う
ち ザ リ ャ ー に 対 し て は 満 鉄 も 資 金 を 援 助 し て い た こ と 、 ま た 満 鉄 が ﹁準 機 関 紙 ﹂ ( 五頁)と し て 扱 って い た 日本 人 経 営 の
ヴ ォ ス ト ー ク (BOCTOK) が ソ連 軍 の動 向 な ど に つ い て の セ ン セ ー シ ョ ナ ル な 報 道 を 流 し た あ げ く (五八 一頁)十 一月 早 々
あ え な く 廃 刊 し た (一六七頁) こ と な ど に 注 意 し た い 。 こ の年 奉 天 軍 憲 の ソ連 系 新 聞 に 対 す る 圧 迫 は き び し く 、 ト リ ブ ー
ナ は 四 月 末 発 行 を 禁 止 さ れ 、 代 替 紙 も あ い つ い で潰 さ れ た た め 、 六 月 に 入 って 週 刊 紙 エ ー ホ (〓xo) を 日 刊 に改 め て よ
う や く 局 面 を 維 持 し た (一六三 、 一六四、 一六八頁) が 、 こ れ ま た 十 一月 に 入 って 一ヵ月 の発 行 停 止 を 命 じ ら れ る (一七三頁) と いう 状 態 で あ った 。
一
一九 二 五 年 も ま た 、 満 鉄 の社 業 そ の も の は 大 体 に お い て順 調 に 、 本 資 料 ﹁は し が き ﹂ の いう ﹁比 較 的 平 凡 な 一種 の中
年期﹂( ﹁ 満鉄﹂Iiii v頁) を 経 過 し つ つあ った 。 年 度 が わ り に 当 って 行 わ れ た 日 本 人 社 員 約 千 二 百 名 、中 国 人 社 員 九 百 名 と 定
員 の五 分 に の ぼ る 人 員 整 理 (七頁)、 前 巻 の 解 説 で も ふ れ た 電 気 、 ガ ス ( 六、 一五、 四〇、五 一頁)、 ガ ラ スお よ び 耐 火 煉 瓦 製
造 (一七、 一八、五四、五六頁) な ど の 事 業 の 分 離 、 移 譲 は 、 当 時 ソ 連 系 の新 聞 が宣 伝 し た よ う に ( 九二︱ 三、九五︱ 六頁)中 東 鉄
路 と の運 賃 競 争 に よ る 経 理 内 容 の 悪 化 を 示 す も の で は な く 、 朝 鮮 鉄 道 の 委 任 経 営 の返 上 ( 三、 一五︱ 六頁)な ど と 合 わ せ て 、
む し ろ か ね て 現 れ て い た 満 鉄 経 営 の転 換 の傾 向 、 い わ ば 国 策 性 か ら 営 利 性 へ の そ れ が 、 社 長 安 広 伴 一郎 と 、 幣 原 喜 重 郎
の ﹁終 生 の盟 友 ﹂ と し て知 ら れ た副 社 長 大 平駒 鎚 と のも と で引 き つづ き進 行 し た こと の表 現と 見 て も よか ろう 。右 にあ
げ た事 象 が果 し て これ にあ たる か どう かは とも かく 、松 岡 が お そら く 翌年 の退 任 直後 と おも わ れ る時期 に、満 鉄 に対 す る
﹁希 望 ﹂ と し て、 ﹁満 蒙 に対 す る経 営﹂ の ﹁根 本的 方 針 の改変 と いふか確 立 と いふ か﹂、 これら を ﹁講 究決 定 し なけ れば
な ら ぬ﹂ と説 き 、 特 に ﹁余 り に帳 尻 に のみ頭 を悩 ま し て収 支 の状況 のみを 完全 にし や う と い ふ考 へであ る なら ば ⋮ ⋮此
際是 非 方針 を 一変 し て貰 ひた い﹂ と強 調 し た のも 、松 岡 在 任 中 の満 鉄 に右 に述 べ た傾 向 が強 く働 いて いた こと を物 が た
って いる。 いず れ にし ても この年 度 におけ る満 鉄 の収 益 は 、鉄 道 輸 送 の面 で の着 実 な伸 び が炭 礦 そ の他 の減 収 を補 い、
全 体 と し て前年 度 の水 準 を う わま わ る成 績 を 挙 げ た 。 つ い でな がら 、会 社 が試験 研究 を続 け て き た撫 順 の油 頁 岩 工業 に
つ いて、 一旦 は海 軍 の強 い要 望 で ス コット ラ ンド式 乾 溜 法 に よ る急 速 な企 業 化 の方針 が五 月末 決 定 さ れ た が ( 二六︱七頁)、
会社 と し て は技 術 的 に も経 済 的 に も より 有 利 な内 熱 式 乾溜 法 の試 験 を こ の年 後 半 から 強 力 に押 し進 め て これ に成功 し、 のち に結 局 ス コ ット ラ ン ド 式 を 放 棄 す る に い た る 緒 を 開 い た 。
と ころ で 、 前 年 末 一応 決 裂 し て ﹁休 戦 状 態 ﹂ ( 九二頁) に陥 った 中 東 鉄 路 、 ウ ス リ ー鉄 道 と の 交 渉 は そ の後 再 開 さ れ た 。
日 ソ基 本条 約 が調 印 さ れ てま も な く 二月 な か ば の重 役 会議 は 一般 に ﹁対東 支 、 鳥鉄 方策 ﹂ に つい ては ﹁後 日 協議 決 定 ﹂
す る こと とし 、 同時 に この交渉 を主 管 し て いた理 事 大 蔵公 望 が上 京 す る のを機 に、﹁会 社 の経済 状 態 と 北満 と の関係 ﹂を
外 務 省 に説 明し てそ の了 解 を 得 る こと に決 定 し て い る が (七頁)内容 は明 ら か でな い。 す でに交 渉 決裂 の以前 か ら、満 鉄
は北 満 産大 豆 お よび 豆粕 の南 満 向 け運 賃 を 日 本人 特 産 商 に対し て割 り引 き (八 一〇頁)、 中東 鉄 路南 部 線 背 後 地 か ら 長 春
乃 至 吉 長鉄 路 沿 線 への貨 物 の馬車 輸 送 を 強 行 す る (﹁ 満鉄﹂Ⅱ 一六五、 一六七頁)な ど の手 を 尽く し 、 中東 側 も こ れ に運 賃 お
よ び いわ ゆ る調 節費 の 一方 的 な操 作 など で対抗 し たが (七八五︱六頁)、 結 局 一九 二四 年 か ら 二五 年 にかけ て の冬 季 を 通 じ、
満 鉄 は 北満 輸 出穀 類 の六割 強 を 吸引 す る こと が でき た (八 一〇頁)。 し かし こう いう 競 争 に所 詮 一定 の限界 があ ると いう こ
と は さき に挙 げ た星 田 の報 告 書 が論 証 す る通 り であ って、 これら の方 策 は さ し あ た っては協 定 の成 立 を見越 し、 そ の内
容 を自 己 に有 利 にす るた め の駆 け引 き の域 を 出 な か った 。早 く と も 四月 末 以後 再 開 され た と お も わ れ る (二六四頁)予 備
会 議 の進 展 の状 況 は明 ら かで な い が、 八 月下 旬 から 九 月中 旬 にか け て開 か れ た満 鉄 、 ウ スリ ー鉄 道 両 代表 の正 式会 議 で、
ウ スリ ー側 首席 代表 の表 現 を借 りれ ば ﹁第 三者 た る隣 接 鉄 道 ﹂ つま り 中東 鉄 路 から ﹁発 送 せら る べ き貨物 を両 径 路別 に
善 意 的 に配 分 せ んと す る﹂、 ﹁全 く 新 奇独 特 の﹂( 六二頁)﹁北満 出 産 貨物 東 南 両径 路別 輸 送 数 量配 分 に関 す る南 満 洲鉄 道 鳥
蘇 里鉄 道 協約 (千九 百 二十 五年 於 哈爾 賓 )﹂が成 立 す る こと にな った 。協 定 の対 象 は 北満 産 の大 豆 、小麦 お よ びそ の製 品
に限 ら れ るが (第 一条 )、 数量 の配 分 は 一穀 物 出 廻 り年 度 に つき南 行 す な わ ち満 鉄 向 け 五割 五分 、東 行 す な わ ち ウ ス リ
ー鉄 道 向 け 四割 五分 と 定 めら れ た (第 二条 )。 決 裂当 時 す で に六割 の要求 を五 割 ま で引 き下 げ て いた ウ スリ ー鉄 道 側 (九
二頁)とし ては 、 さら に 一歩 を 譲 った形 であ る。 この配 分 を越 え て輸 送 した側 は そ の数 量 に応 じ て相 手方 に 払 い戻 し 金
を支 払 い (第 三条 )、 一方 が中 東 鉄 路 から連 絡 運 賃 改 訂 の申 し 出 を受 け た ば あ いは 相 手 方 に通 告 し て対策 を協 議 す る こ
と に な った (第 八 条 )。 こ の ﹁協 約 ﹂ は 形 の 上 で は 満 洲 事 変 後 な お し ば ら く の あ い だ 維 持 さ れ て いた こ と を つ け 加 え て
お こう 。 な お こ の 貨 物 吸 収 競 争 の問 題 に つ い て は 星 田 の報 告 書 の ほ か に 、 ハ ル ビ ン の 一部 の中 国 商 人 の 見 地 か ら 書 か れ
た ﹁ハ ル ビ ン事 務 所 顧 問 ﹂ (三七三頁)魏 堯 の ﹁満 鉄 が 対東 支 と の競 争方 法 に 関 す る意 見 書 ﹂ ( 八 一八頁 以下)が あ る 。 こ の な か で
く り返 し北 満 の ﹁資 力 あ る﹂ 中国 人 商 人 は 日本 人 よ り も ロシ ア人 に対 し て親 近 感 を も つと説 か れ て いる のは 興味 が深 い
さ て満 鉄 の中 東 鉄 路 に対 す る方策 が いわ ば単 な る商業 ベ ー ス の問 題 にと ど まら な か った こと は いう ま でも な い。 そ の様
前 年 張作 霖 の諒 解 を取 り つけた 吉 敦鉄 路 に つ い ては、 こ の年 松 岡 の久 し い北 京滞 在 が実 を結 ん で、十 月 二 十 四 日松 岡
相 のう ち若 干 に つ いて は、 あ と で それ ぞ れ の場 所 でふ れ る。
と奉 天 派 の推 す (三八 一頁)北京 政府 交 通総 長葉 恭 綽 と の間 に ﹁吉敦 鉄 道 建 造請 負 契 約 ﹂ が成 立 し た。 す でに前 年 九 月 満
鉄 と 奉 天 政権 と の間 に契 約 が成 立 し て いた〓 昂 鉄 路 は、 三 月測 量 に着 手 、 五月 には起 工 の運 びと な った。〓 昂鉄 路 の終
点昂 々渓 と チ チ ハルとを 結 ぶ中 国 側 経営 の斉 昂軽 便 鉄 路 に対 し ては 、 二 月中 から中 東 鉄 路 の働 き かけ があ り ( 二二五頁)、
満 鉄 と し て も これ に い か に対 応 す る か が問 題 と な った 。奉 天 当 局 は過 去 し ば しば 熱 河 向 け鉄 道 の敷 設 を 満鉄 に要 望 し て
いた が、 この年 七 月 な かば 天津 で張 作霖 と会 見 し た松 岡 は 、 こ の鉄 道 の 一部 と し て、 パイ ンタ ラ (白 音 大来 、通 遼) か
ら西 方 開魯 に通 ず る白 開 線 を 、 四〓 鉄路 局 への立 て替 え の形 式 で満鉄 か ら資 金 を出 し、 年 内 に敷 設 す る用意 があ る旨 を
告 げ た 。 これら の動 き に つ いては ﹁〓昂鉄道及白開線敷設問題﹂(一八三頁以下)に資 料 があ る。 満 鉄 が白 開 線 の建 設 を 引 き
受 け た と いう報 道 は外 部 にも流 れ た が、 こ の鉄道 も、 こ の年 五月 頃 ﹁何 処 より と も知 れ ぬ風 説 ﹂ ( 三二八頁)と し て喧 伝 さ
れ、 中東 鉄 路 の ソ連 側 幹 部 を刺 戟 し た ( 三二八︱ 三一、二三四頁)長 春︱ 農 安 ︱ ペ トナ (伯 都 訥 、扶 余 ) を 結 ぶ 長 扶 線 (長
農 線 )建 設 計 画 と同 じく 、 つい に具 体化 を見 な か った 。 ま た 二月 には新 邱 炭 田 と満 鉄 本 線 の新 城 子 と の間 に京 奉 線 と併
行 す る鉄 道 を敷 設す る計 画 が興 業 部 か ら提 起 され た ( 三七︱四〇頁)。 新 邱 炭 礦 (のち の阜 新炭 礦 の 一部 ) は満 鉄 が 一九 一
六年 大倉 組 から採 掘 権 を 引 き つぎ 、 日中 合 弁 を看 板 とす る大新 、 大 興 両鉱 業 公 司 の手 で経 営 を続 け て いた が ( ﹁ 満鉄﹂Ⅰ一
六九頁)、 運炭 鉄 道 の設 備 を 欠 いて いた ので 、新 線 によ って開 発 を促 進 し 、 一九 三 一年 には 天井 を つく も のと当 時 見 ら れ
て いた撫 順 炭 の輸 出 余 力 を確 保 す ると いう の が趣 旨 であ った が、 二月 の重役 会 議 は この計 画 を 見 送 った (五頁)。 あ た か
も こ の年 八 月 、 かね て 一九 二 二年 中 に張 作霖 政権 が京 奉線 の打虎 山 から 八 道濠 炭 礦 ま で進 め て い た 鉄 道 (虎 濠 鉄 路 )
( ﹁満鉄﹂Ⅰ四六 一︱二頁)の工程 は 、漸 次 北 へ延 び て ついに新 邱 東 方 の新立 屯 に達 し 、九 月 にな る と東 三省 交 通委 員 会 から 、
こ れを 京 奉鉄 路 の支線 と し て さら に鄭 家 屯 ま で 延長 す る計 画 が抜 き打 ち に発表 され 、 直 ち に実 施 に移 さ れ て日本 側 を驚
か せた 。 こ の鉄 道 は、 延長 の目 標 鄭 家屯 が 工事 進捗 の途 で パイ ンタ ラ に変 更 さ れた た め打 通線 と呼 ば れ る が、満 鉄 本線
に対 す る併 行線 を形 成 し て のち に いわ ゆ る ﹁抗 日鉄 道 ﹂ の花 形 と な った 。本 線 の東 側 で奉 天 と海 竜 と を結 ぶ 奉海 鉄 路 の
敷 設 に ついて は (二二七頁)、満 鉄 も前 年 〓 昂 鉄 路 に関 す る契 約 と引 き かえ に承認 を 与 え た が 、奉 天 政権 が これ を更 に吉 林
ま で延 長 し て満 鉄 と の競 争 線 たら し め よう と す る意 図 も (二二五頁)、翌 年 以 降急 速 に具 体化 す る。 自資 自 弁 の鉄道 で満鉄
を包 囲 し よ う とす る東 三 省交 通 委員 会 の動 き が、 こう し て漸 く鋒 鋩 を あ ら わ し てく る のにく ら べ て、 この年 十 一月 参謀
本 部 が決 定 し た ﹁満 蒙 地 方 に於 け る鉄 道 政策 要 綱 ﹂ は こ の後 しば らく はな お単 な る作 文 にと どま る。立 ち 消 え と な った
長 扶 線 は ﹁要 綱﹂ が建 設 を 要望 す る長春 ︱ 安 達 線 、白 開 線 は おな じく パイ ンタ ラ︱ 開 魯︱ 林西 線 のそ れ ぞれ 一部 を な し
て いた の であ る。 な お長春 ︱ 安 達線 に つい ては 、吉 敦 鉄 路 と な ら ん で松岡 と北 京 政 府 と のあ いだ に協 定 が成 立 した と の
報 道 が十 一月 にも流 布 され た (一〇六頁)。 ただ こ こ に ﹁要 綱 ﹂ の いう ハルビ ン︱海 倫 線 に相 当 す る呼海 鉄 路 の建 設 計 画 に
つ いて は、満 鉄 の発 言 が 一応 の成 果 を お さめ た と いえ る。前 年 スキデ ル スキ ーと のあ いだ に成 立 し た契 約 を奉 天 から の
厳 命 に よ って放 棄 した 呉俊 陞 は、 こ の年 も 極 秘 のう ち に運 動 を進 め、 ほぼ 八月 中 旬 張作 霖 の同 意 を 取 り つけ た よう であ
る 。間 も な く 呉俊 陞 と 中東 鉄 路 の ソ連 人管 理 局 長 イ ワ ノ フ (A.H.NBaHOB)と の間 に、軌 条 そ の他 の建 設材 料 を 中東 鉄
路 か ら供 給 す る 話 し合 い が つ いたと いう 情 報 が伝 わ って満 鉄 を刺 戟 し 、 九 月上 旬 ハルビ ン事 務 所 長 古沢 幸 吉 は 、 そ の後
﹁奉 天側 の制 肘 に依 り﹂ 呉 俊 陞 の ﹁態度 漸 次 吾 方 に有 利 に向 ひ つ ゝあ るも の﹂ と見 な が ら も、 念 のた め資 材 の 一部 を無
償 で提 供 し て も会 社 自 ら が敷 設 工事 に当 った ら どう かと 進 言 し た ( 二〇六︱八頁)。 だ が北 満 で ﹁日露 の鉄道 競 争 時 代 ﹂ (二
一一頁)がは じま った と いう 観 点 から見 て、材 料 や資 金 の供給 問 題 に劣 らず 重要 な の は、 新 鉄道 の軌 間 を満 鉄 や中 国 の国
有 鉄 道 とお な じ 四 フ ィ ート 八 イ ンチ の スタ ンダ ー ド ・ゲ ージ とす るか 、中 東 鉄 路 と お なじ 五 フ ィ ートと す る かと いう問
題 であ った 。結 局 張 作霖 の圧力 と満 鉄 の働 き か けと によ って、九 月 な かば には 、材 料 は日 本側 か ら 、 ゲ ージ は標 準 軌間
で と いう 方針 が確 定 し た。 以 上 の経 緯 は ﹁賓黒 (呼海)鉄道敷設問題﹂(二〇 一頁以下)の項 に詳 し い。 そ の ﹁賓 黒線 重要 問題
日暦 輯 ﹂ ( 二 一二︱ 三頁) に は 、 九 月 八 日 奉 天 公 所 長 鎌 田 弥 助 が 張 作 霖 を 訪 問 し た こと 、 九 月 十 四 日 鎌 田 が チ チ ハル で 呉 俊
陞 と 会 談 し た こ と を 補 って お く 。 十 月 は じ め の重 役 会 議 は 一部 の 材 料 を 無 償 で提 供 す る 腹 を き め 、 直 ち に 供 給 の 準 備 に
( 二 一九頁)、 日 本 の ジ
ャーナ リズ ムは 以後 久 し く この鉄 道 の背 景 を ソ連 側 だと 報 じ て いた。 そ の後 実 際 に資 材 の供給 に当 った のは 鈴木 商 店 で
着 手 し た (三四頁)。 呼 海 鉄 路 と 満 鉄 と の 関 係 は 間 も な く ハ ルビ ン の中 国 新 聞 に よ っ て 暴 露 さ れ た が
あ り 、 工 事 の采 配 を 振 った の は 、 一年 近 く の拘 禁 の の ち 釈 放 さ れ た (三五八頁)オ ス ト ロ ウ ー モ フ で あ った と い わ れ る 。
な お こ の年 五 月 に満 鉄 は 二 隊 の調 査 班 を 組 織 し て蒙 古 の調 査 に 派 遣 し た 。 そ の 一隊 は 〓 南 を 出 発 し て ソ ロ ン か ら 西 北 へ
興 安 嶺 を 越 え て マ ン チ ュリ ア に達 し 、 警 護 のも の も の し さ に ソ連 側 の 注 意 を 惹 い た が (五九二頁)、 別 の 一隊 は パ イ ン タ ラ
か ら 西 進 し 、 西 北 に折 れ て 外 蒙 に は い った ば か り の と ころ で 全 員 抑 留 さ れ 、 年 末 に い た って 漸 く 張 家 口 経 由 で 帰 還 し た 。
この隊 に陸 軍 少佐 竹 下義 晴 ら の 一行 が参 加 し てい た こと が 、事 を ひ と し お面倒 にし たも のと思 わ れ る。
と ころ で のち に ふれ る 五 ・三 〇運 動 (五 卅運 動 ) が こ の年 満 鉄 の首 脳 部 に与 え た衝 撃 は きわ め て大 き か った よう に見
え る。 勿 論 さ し当 っては 、 この運動 の反 帝 国 主義 の実 質 よ り も、 労働 運 動 と し て の側 面 がお もな 関 心 を ひ いて いた こと
は否 めま い。 六 月早 々の重役 会 議 は、﹁支 那 従 業員 罷 業 予 防 に関 す る件﹂に つ いて、﹁支 那 人 を 侮辱 せざ る こと﹂、﹁支那 従
業 員 の待 遇 は相 当 改 善 す る よう 考慮 す る こと﹂、 ﹁官 憲 に依 頼 し共 産党 の活 動 を極 力 抑 圧 す る こと﹂、 ﹁工人 会 の成 立 は な
るべく これ を防 止 す る こと﹂ など 十 五項 目 の対策 を決 定 し た (二七︱八頁)。 ﹁支 那 従業 員 の収 入 を他 の支 那鉄 道 及 満 洲 に
於 け る社 外 支 那 従業 員 のも のと 比較 研 究 す る こと﹂ も そ の 一項 であ り 、 さき にあ げ た ﹁調 査﹂ は そ の成 果 の 一部 であ ろ
う 。 この 日 の会 議 は ﹁沙 河 口 工場 工 学会 の取 扱 に つい ては 別 に老 慮 す る こと ﹂ と し た が、 工学会 の代表 がす でに 二月 鄭
州 で開 かれ た全 国鉄 路 総 工会 第 二回 代表 大 会 に参 加 し て い た ことま では知 ら な か った。 共 産 党側 の資料 は前 年末 す で に、
満鉄 の組 合 メ ンバ ー は四 百 人 に達 し た と い って いた の であ る。会 社 の経 営 す る奉 天 の南 満 医 科大 学 、南 満 医 学 堂 、南 満
中 学 堂 の学 生 、生 徒 が六 月 はじ め大 挙 し てデ モに参 加 し た (一五四頁)問 題 に つい ても 重役 会 議 は即 日対策 を検 討 し た (二
八頁)が、 八 月 に入 って医科 大 学 の中 国 人 学 生 は 一旦 は総 退学 を決 議 さ えし た (一〇三︱四頁)。 そ の後 七月 なか ば の 会 議 で
は、 当 時 日本 人 従 業員 より や や多 く、 一万 四千 八百 名 を こえ て いた会 社 の中 国 人労 働 者 に対 し、 退職 お よ び死 亡傷 病 手
当 、 銀 建 て給 料 支 給 方 法 など の制度 が多 少 と も改 善 され 、互 助 救 済 制度 が新 設 さ れ た。 社 宅給 付 、 住 宅料 の制 度 に手 が
加 え ら れた のも こ の年 のう ち であ る。 だ が ﹁単 な る筋 肉 労働 ﹂ に従 事 す る中 国 人 の賃 金 は 日本 人 の五 分 の 一 (鞍山 製 鉄
所 )( 六八四頁)、 ﹁同 じ技 量 を有 す るも のに在 り て も﹂ 三 分 の 一乃 至 四分 の 一 (遼 陽 工場 )(六五九頁)、﹁平 均 基 本 賃 銀 は 日
本 人 は満 鉄社 外 に比 し 一様 に高 率 な る も、 中国 人 に於 ては必 ず し も然 らず ﹂ (満 鉄 各 工場 ) ( 六五六頁) と いう 根 本的 な給
与 体 系 が厳 存 す る かぎ り、 多 少 の手直 し によ って当 時 のは やり こと ば た る ﹁一視 同 仁共 存 の実 ﹂ を挙 げ る こと は 、 いか に も難 し か ったと いう ほ か はあ るま い。
二
前 の年 の十 一月 下旬 段 祺 瑞 の臨 時執 政 政 府 が成 立 した ころ 、馮 玉 祥 の電 請 に応 じ た孫 文 は 、著 し く 強固 の度 を加 え た
国 共 合 作 、革 命 統 一戦 線 を背 景 と し て、 不 平等 条 約 の廃 除 と国 民会 議 の召 集 と を呼 号 し な がら 広 州 を離 れ、遠 く 日本 を
経 由 し て北 上す る途 上 にあ った 。 国 民会 議 の ス ロー ガ ンは 一九 二 三年 七月 中 国共 産 党 が提 出 し た のち中 国 国 民党 のと り
あげ ると ころと な り 、軍 閥 に反 対 す る民 主 運動 の旗 印 と し て全 国 に影 響 を拡 大 し つつあ った。段 祺 瑞 の政 府 は十 二 月末
孫 文 が入京 す る の に先 手 を 打 って 、不 平 等 条約 の遵 守 を誓 う 一方 では、 かね て準 備 し て いた善 後会 議 条 例 を 公布 し た。
善 後 会 議 は名 こそ国 民代 表 会 議 への道 を開 く も のと さ れ た が、 実質 は軍 閥 実力 派 、 安福 系 そ の他 の御 用 政 客 、御 用 学者
と いわ れ る人 びと の顔 合 わ せ に過 ぎず 、孫 文 が主張 す る よう な 、民 衆 団 体 が下 から選 出 し た 代表 を 主 体 と し て こ れ に
﹁曹 〓 、 呉佩 孚 に反 対 す る各 軍﹂ と政 党 と の代 表 を 加 え て組 成 さ れ 、究 局 にお いて軍閥 専 制 の根絶 を使 命 と す る国 民会
議 お よび そ の予備 会 議 の構 想 と は全 く 相容 れ な か った 。善 後 会 議 の準 備 は賛 否 の論 議渦 ま く な かで (三六〇︱ 一頁)進 め ら
れた が、国 民 党 は つい に こ の会 議 への参 加 を拒 否 し た 。 三月 は じ め の開 会 式 に参 集 し た議 員 は 定 足数 に みたず (三六六︱
七頁)、十 日以 上 お く れ てよ う やく 第 一回会 議 が開 か れ た (三六八頁)。会 議 は 四月 下旬 ま で に、国 民 代表 会 議 、 軍事 善 後委
員 会 、財 政善 後 委 員会 に ついて の条 例 を議 決 し て閉 会 し た が、 これら の条例 は結 局 執 政 政 府 が ﹁場 を も たせ るた め の道
具 ﹂ と し て の役 割 り を 果 たし た だ け で、 この年 秋 以後 政 府 の基礎 が根 本的 に動 揺 す るな か で泡 と消 え た。 ﹁段執政善後会
議他中国内政問題諸件﹂(三六〇頁以下) の収 め る情 報 は多 く な いが、 そ のう ち には議 員 の顔 触 れ、 三 つの条 例 お よ び こ れ に
直 接関 連 す る国 民 代表 会 議 籌 備 処条 例 、 国憲 起 草委 員 会 規 則 のほ か、 執 政政 府 があ い つい で公布 し た臨 時 法 制 院 弁事 規 則 、 国 政商 〓 会 およ び 外交 委員 会 の 二条例 が それ ぞ れ全 文 収 録 さ れ て いる。
それ にし ても 、善 後 会 議 が ﹁無 事 完 了﹂ し た こと は、 金 フ ラ ン問 題 が解決 し た こと と あ わせ て、 四月末 ま で に執 政 政
府 が成 就 し た た だ 二 つの ﹁顕 著 な事 業﹂ と な った (四〇九頁)。曾 て野 にあ ったと き 張紹 曾 内 閣 の金 フ ラ ン問 題 処 理 に反 対
し た段 祺 瑞 が、多 少 の粉飾 は加 えな が ら も実質 的 に は同 じ 条件 で問 題 の解 決 に踏 み切 った のは、 のち に述 べ る関 税 会議
の開 催 を急 いだ こと もあ った が、 ひ と つには フラ ンス、 ベ ルギ ーな ど金 フ ラ ン関 係 四 ヵ国 が押 さ え て いた 関税 、塩 税 の
剰 余 金 千 五 、 六百 万元 の払 い戻 し を受 け る こと に あ った 。 こ の金 額 は 、 三月 な か ば財 政 総 長李 思浩 が総 税 務 司 アグ レ ン
の了 解 を 得 て発 行 し た 千 五百 万 元 の内 債 (中華 民 国 十 四年 八釐 公 債) (三九六︱七頁)と 共 に、暫 時 と は いえ 執 政 政 府 の
﹁想像 も許 さぬ無 財 政 ﹂ の急 を救 った 。金 フ ラ ン問 題 の解 決 に関 す る フラ ン スと の間 の交 換 公文 、 公 債 発行 の条 例 そ の
他 の全 文と これ を め ぐ る若 干 の動 き と は ﹁金法、関税問題並中国財政問題諸件﹂( 三九 一頁)の前 半を 成 し て い る。 外国 借 款 関
係 では 、 日本 と ア メ リ カが激 し く争 ってき た いわゆ る無 線 電 信 問 題 は、 交 通総 長 の交 代 に伴 って再 燃 し た が ( 五〇七︱八、
五 一〇︱ 一頁)、 この年 も な んら 解決 は見 なか った。 執 政 政府 が ﹁中 国 政 府 一九 二五 年 隴秦 豫 海鉄 路 八 釐 借款 債 票 ﹂ の名 で
発 行 し た 二 千 三百 万 フ ラ ン の国 庫 証券 は、 こ の年 はじ め に支 払 い期 限 の来 た 一九 一九年 発 行 の七分 利 つき債 券 の借 り替
え であ る (四四八︱五 一頁)。 つ いで な がら 三 月 下旬 つ い に全 線 にわ た って営 業 を中 止 し た こ の隴 海 鉄路 を 含 め て、京 漢 、
津 浦 、 膠 済 各鉄 路 の運 営 は前 年 秋 以来 の戦 争 の影 響 を受 け て極 度 の混 乱 に陥 り 、 二 月 中旬 には カラ ハンを除 く 北 京 外交
団 が執 政 政府 に警 告 を発 し (四四七︱八頁)、 政府 の交 通 部 も鉄 道 に割 拠 す る各 軍 閥 に対 しく り か えし 各 種 の要 請 を お こな
った が、 法外 な附 加 税 乃至 は荷 主 から の賄 賂 を含 む 鉄 道 収 入 は軍 閥 の好 餌 と な って ( 七六六頁)事 態 は悪 化 を 続 け、 こ の
年 秋 から 軍閥 戦 争 が全 面的 に再開 さ れ る に及 ん で爾 後 永 く収 拾 の でき な い紊 乱 が続 い た。 こ のう ち 三 月末 ま で の状 況 に つ いて は ﹁時局 による関内鉄道被害他交 通関係﹂(四二六頁以下) に情 報 があ る。
と ころ で、 一九 二三年 の 二 ・七事 件 以後 沈 滞 に陥 った労 働 運 動 は 、 こ の年 に入 ってあ ら た な高 潮 に向 か った。 広 州 政
府 の治 下 は も と より 、北 方 でも 国 民軍 の支 配 の及 ぶ 地 域 で は労 働組 合 の組 織 が公 然 と 復 活 し た。 そ の他 の各 地 でも 共産
党 は国 共合 作 のも と で国 民党 の歴 史 的 、 社会 的 な つな が り を利 用 し て労 働 者 の組 織 活 動 を進 め た。広 州 から華 中 さ ら に
華 北 に広 が った国 民党 の組 織 のな か で、 工 人部 の書 記 や幹 事 の大半 は共 産 党員 が占 め た 。 はげ し い スト ライ キ の波 が 二
月 に上海 、 四月 に青 島 で 日本 人経 営 の紡績 工場 を襲 った。 こ の波 が起 伏 し な が ら発 展 す る な か で、 五月 な かば 上 海 の内
外 綿 紡績 第 七 工場 の労 働 組 合幹 部 が 工場側 に射 殺 さ れ る と いう 事件 が起 った 。 五月 三 十 日、 こ の事件 に対 す る抗 議 運動
が重 な る弾 圧 を 受 け た こと に憤 激 し た学 生 団 が、 共 同租 界 南京 路 の老 閘警 察 署 に近 づ いたと き 、 イギ リ ス人 警 官 が発 砲
を命 じ 、学 生 ら 十数 名 が死亡 し、 数 十 名 が 重傷 を 負 った。 これ が 五 ・三 〇運 動 と よ ば れ る全 国的 な反 帝国 主 義 運動 の発
端 と な った五 ・三〇 事 件 (南 京 路 事件 、 上海 事 件 、 五 卅惨 案) であ る。事 件 直 後 上海 で は労働 者 二十余 万 の ゼネ ・スト、
学 生 五 万余 の スト ライ キ、大 部 分 の商 店 の 一斉閉 店 が決 行 さ れ、 こ の総 罷 工、 総 罷 課 、総 罷 市 の三罷 と いう 形 で、当 時
の いわ ゆ る国 民絶 交 運 動 、実 質 にお いて全 面 的 な帝 国 主 義 反 対 の運 動 が展 開 され た 。 この運 動 を指 揮 し た のは 、共 産 党
の指 導 のも と に事 件 の翌 日成 立 し た上 海 総 工会 が 、全 国学 生連 合 総会 、 上海 学 生連 合 会 、 上海 各 街 商業 界 総 連合 会 (上
海 各 路商 界 総聯 合 会 ) と 共 に形 成 し た 工商 学連 合 会 であ って、 連 合 会 は事 件 解 決 のた め の四 ヵ条 の先決 条 件 と十 三 ヵ条
の正 式 条 件 と を提 出 し た 。運 動 の空 前 の盛 り 上 が りを 見 た租 界 当 局 は、 各 国 の陸 戦 隊 や外国 人義 勇隊 の応 援 を得 て流 血
の弾 圧 を く り かえ し 、 以後 半 月 のあ い だ に中 国 人側 から 六十 余 人 の死 者 、 七 十余 人 の重 傷 者 が出 た。運 動 の火 の手 は急
速 に北 京 を はじ め全 国各 地 に燃 え ひろ がり 、奉 天 から ハルビ ン にも及 ん だ。各 地 の運 動 は そ れ ぞれ多 かれ 少 か れ血 な ま
ぐ さ い圧迫 を受 け た が、 漢 口で はイ ギ リ ス陸 戦 隊 そ の他 の発 砲 で多 数 の死 者 を出 し、 広 州 で イギ リ ス租 界 か ら の射 撃 を
受 け てデ モ隊 の五十 余 人 が 死亡 し た事件 は香 港 の スト ライ キを 一気 に拡 大 させ 、香 港 化 し て臭 港 、 死港 とな る と いう事
態 を 生 ん だ。 上 海 で は六 月 な かば 二千 の兵 力 を牽 い て上海 地区 に入 った張 学 良 は 一週間 余 り で北 に帰 った が、 入 れ かわ
り に奉 天軍 の旅 長 〓士 廉 ら の大 部 隊 が到着 し 、租 界 周 辺 に戒 厳令 が布 か れ て〓 士廉 が淞 滬戒 厳 司 令 と な り、 工商 学 連 合
会 や労 働 組 合 に対 す る圧 力 を 強 化 し た。 買弁 的 と呼 ば れ る大 資 本 家 を 代表 す る上海 総商 会 は 、当 初 一旦情 勢 に押 され て
総 罷 市 の指 令 を 出 し な がら 、 工商 学 連 合 会 への参 加 を 拒 ん だ が、 つ いで連 合 委 員会 が出 し た十 七 ヵ条 の条 件 から ﹁上 海
駐 在 のイギ リ ス、 日本 の陸 海軍 の永 久 的 な撤 退 ﹂、 ﹁領 事裁 判 権 の廃 止﹂、 ﹁労 働 者 の労 働 組 合組 織 と ス ト ラ イ キ と の 自
由 ﹂ な ど の項 目 を削 除 あ る いは緩 和 した 十 三 ヵ条 を別 に提 起 し た あ げく 、 結 局 中 小資 本 家 を誘 って六 月 下旬 総 罷市 を解
いた 。労 働 者 の スト ライ キも そ の後 労 働 組合 側 の戦 術 変更 によ って経 済 要 求 の貫 徹 に重点 が移 り 、個 別 の交 渉 を 通ず る
﹁五 ・三〇事件及之に伴う反響諸件﹂ ( 四六〇頁以下) は 、 こ の運動 の前 後 、 二月 末 から 十 月 はじ め に かけ て の北 京 、天津 一
局 部的 な解 決 を 重 ね て八 月 末 か ら 九 月末 にか け て終 熄 し た 。
帯 の動 き を断 片 的 な がら やや詳 細 に伝 え るほ か、 八月 末 す で に経 済 スト に転 化 し た のち の上海 の争 議 に つ いても 若干 の
情 報 を お さ め、 ﹁ 東 三省排外運動並罷工諸件 ﹂(一五二頁以下)の情 報 は お も に運 動 の東 三省 に おけ る反 響 の 一部 に ふ れ て い る。
これら の資 料 に即 し て 二、 三 思 い ついた 点 を補 足 し て おき た い。 す で に この年 初 頭 から北 京 では 、近 代 工業 が何 も な い
都 市 と し ては空 前 の奇 現 象 だ と いわ れ る ほど スト ライ キが頻 発 し た 。 な か でも 印刷 労働 者 の スト ライ キ ( 四六二︱三、四六
五頁)は 、当 初 から 共産 党 が指 導 し て労 働 者 側 の勝 利 に終 り 、 そ の後 こ の印 刷 労 働 者 を 中 心 に労 働者 ク ラ ブ (工 人 倶 楽
部 ) が 組織 さ れ、 これ が更 に発 展 し て翌 年 は じ め北 京 総 工 会 が成 立 し た 、 と いう 意 味 で重要 であ る。 ま た 当時 コミ ンテ
ル ン執 行 委 員 会 幹部 会 員 であ った片 山 潜 も 六 月 に は北 京 に現 れ たが 、 月末 広 州 の流 血 に抗 議 す る た め開 か れ た国 民 大会
では 、 国際 労 働 者救 援 会 (メジ ラブ ポ ム) の代 表 たち 外 国 人 が演 説 し た な か に 日本 労働 者代 表 も 加 わ って いた (四九三頁)。
八 月 天津 の裕 大 紗廠 に起 こ った いわ ゆ る騒擾 事 件 ( 四九九︱五〇〇頁)に つ い て中 国 の史 家 は 、 こ の日労 働 者 側 に死 者 八 名
と 多数 の負 傷 者 を出 し、 裕 大 の労 働 者 を 救援 す る集 会 でも 軍警 の包 囲 攻撃 によ って 六十 名 を越 す 死者 が出 た と い ってお
り 、奉 天 派 の直 隷 軍 務 督 弁李 景 林 が罷 工 、罷 市 の禁 止令 を出 し て極 度 の重 圧 下 に置 い て いた天 津 と し ては ( 四七四、四八五
頁)、 この時 期 で のも っと も重 大 な事 態 であ った。 裕 大 紗廠 は王 克 敏 が創 設 し た が業 態 振 るわず 、債 権者 た る東 洋 拓 殖 会
社 が ﹁委 託 経 営 ﹂ の形 で接 収 し て いた。 李 景 林 のこう いう 態度 は、 青 島 そ の他 です でに 五 ・三〇 以前 から これ に劣 ら ぬ
流 血 の惨 事 を引 き起 こし て いた山 東軍 務 督 弁 張 宗昌 、 九 月 中旬 上海 総 工 会閉 鎖 の挙 に出 た〓 士 廉 ら の行動 と共 に、奉 天 派 軍 閥 の本性 を露 呈 し た も の とし て、民 衆 の反奉 の気 運 を 一挙 に高 め た 。
三
と ころ で、 五 ・三 〇 のあら し が捲 き お こし た反 帝 国 主義 の激 動 は 、 さ しあ た って大 体 つぎ の三 つの局 面 に重大 な影響
を及 ぼし た 。 そ の 一。広 州政 府 を めぐ る情 勢 は急 激 な 好転 を続 け た 。 す で に メ ー ・デ ーを 期 し て広 州 では、 全国 的 な 労
働 運 動 の高 まり を 反 映 し て第 二回全 国 労 働 大会 が開 か れ 、中 華 全国 総 工会 の結 成 と赤 色 労働 組 合 イ ンタ ナ シ ョナ ル (プ
ロフ ィンテ ル ン) への参 加 と を決 議 し 、 省 内 の農 民 運 動 の波 に乗 った広 東 省 第 一回農 民 代表 大 会 も 同時 に開 催 さ れた 。
五 ・三 〇 で爆 発 し た香 港 の大 スト ライ キは 、広 州 政府 の支 持 を受 け て、 爾 後 一年 四 ヵ月 にわ た って頑 強 に持 続 す る。 こ
れら を 情勢 の基 調 と し て、 軍 事的 にも 大 体年 末 ま で に、省 内 の敵 対勢 力 は 一掃 さ れ た。 七 月 はじ め広 州政 府 は 従来 の大
元 帥 政 府 から 面 目 を 一新 し て委員 制 の国 民政 府 と な り 、汪 精 衛 が主 席 委 員 に就 任 し た。 八 月 下旬 には政 府 軍 事委 員会 の
もと に、麾 下 の雑 多 な部 隊 が改編 さ れ て国 民革 命 軍 と な った。 黄 埔軍 官 学 校 の精 鋭 が参 加 し た第 一軍 の軍 長 には蒋 介 石
が当 り 、 以 下第 五軍 ま で 、 のち に成 立 し た第 六軍 を含 め て、 各 軍 には ソ連 人 の顧 問 が配 属 さ れ、 党 代表 、 政 治部 が おか
れた が、代 表 お よび 政治 部 主 任 の地位 を占 め たも の には共 産 党 員 が多 か った 。 こ の 一連 の重大 な 改 革 は国 民 党内 の右 派
分 子 が北方 の段 祺 瑞 政府 や香 港 のイギ リ ス勢 力と 結 ん で の、大 小 の反 政 府 陰 謀 事件 を呼 び起 こし た。 そ の 一つは、 左派
のな か でも最 も 忠実 に孫 文 の連 ソ連 共 政 策 を執 行 し つ つあ った 財 政部 長 廖 仲 〓 の暗 殺 であ る 。 八月 な かば にお こ った こ
の事件 の処 理 に当 って蒋 介 石 は 、陰 謀 の背 後 に あ った と み られ た外 交 部 長 胡漢 民 、 つい で軍 事 部 長許 崇 智 ら の長 老 を広
東 から追 い、 広 州衛 戍 司 令 を 兼 ね て 一挙 に勢 威 を高 め た 。胡 漢 民 が追 放 され た名 目 は友 邦 ソ連 への派 遣 であ ったた め、
この骨 ま での右 派 、実 質 上 の亡命 者 が、十 月 はじ め ヴ ラ ヂヴ ォ スト ー ク に盛 大 な歓 迎 を 受 け て上 陸 し (五六六頁)、 翌 年 二
月 には モ スク ワ で大元 帥 の制 服 を着 用 し て コミ ンテ ル ン執 行委 員会 第 六回総 会 に臨 み、 世界 革 命 万歳 を叫 ぶ と いう奇 現
象 も 生 ま れ た。 胡漢 民ら に前 後 し て、 右派 の重 要 人 物 のう ち広 州 にあ った も のは あ い つ い で北 上 し て反 共 反 ソ の活動 を
続 け 、十 一月 には 右派 の中 央 執行 委 員 は北 京 の西 山 で会議 を開 いて共 産 党 員 の国 民党 から の追 放 と ソ連 人 顧問 の排除 と
を決議 し たあ げ く 、逆 に暫 時 国 民党 の指導 部 から 姿 を 消 す破 目 に陥 った 。 全 国 に わた る五 ・三〇 運動 の政 治的 な影響 と
革命 根 拠 地広 東 の軍事 的 統 一と によ って、翌 年 七月 国 民革 命 軍 が北 伐 の征途 に上 るた め の前 提 条 件 は充 分 な成 熟 を見 た
と いえ る。 勿 論 、 いわば 老 右 派 と も いう べき 人 びと が 一時 退場 す る のと 同時 に、 反 ソ、反 共 の点 では老 右派 と 一致 し な
がら 、当 面 ソ連 、 共産 党 と絶 縁 す る のを得 策 と見 な い新右 派 も擡 頭 し た 。 ﹁一文 一武 ﹂ と し てあげ ら れ る新 右 派 の代 表
者 は 、 イデ オ ロギ ーの部 面 では戴 季 陶 (天仇 ) であ り 、武 力 の部 面 では 蒋介 石 で あ った 。 だ が こ の時 期 に急 速 に軍事 の
大 権 に近 づ い て行 った蒋 介 石 の右 派 と し て の面 目 は 、 そ の時 には極 左 的 と ま で見 ら れ た 言動 に覆 わ れ て、 ま だ 一般 に知
ら れ て は いな か った し、 左派 そ の も のが これま た き わ め て雑多 な分 子 か ら組 成 さ れ て いた。 こ の年 三月 孫文 が北 京 で客
死 し て か ら、 国 民党 内 の分 化 に つ いては さ まざ ま な 取 りざ たが 行 わ れた が、 ﹁民 国 国 民党 幹 部 色彩 別 の件﹂ (三八二︱ 三頁)
と いう情 報 な ど は 、当 時 問題 の実 相 に迫 る こと が いか に難 し か った かを物 が た る 一つ の例 であ る 。複 雑 な内 部 対 立 の本
質 が何 び と の目 にも あら わ と な るま で には、 こ の年 以後 二年 にわ た る事 態 のき びし い発 展 が必要 であ った 。
そ の二。 五 ・三〇 事 件 の直 後 北 京 の執 政 政 府 は 、 まず 公 使団 に抗 議 を提 出 し 、 以 後抗 議 と 回答 のやり と りを 重 ね た あ
げ く、 六月 中 旬 交渉 は上 海 の現 地 に移 さ れ た が、 これ も政 府側 の委 員 が 上海 総 商 会 の手 に成 った 十 三 ヵ条 の解 決 条件 を
提出 し た のち打 ち 切 られ た 。執 政 政 府 は下 旬 あ ら た め て こ の十 三 ヵ条 を 公使 団 に提 示 す ると 共 に ( 四九二︱三頁) 、 これと
は別 に領 事 裁判 権 、 外 国 租界 、 租 借 地 、協 定 税 則 な ど に関 す る 不平 等 条約 の修 正 を提 議 し、 こ の提 議 に各国 がま だ 回答
を 発 し な い う ち 、 追 い か け て 八 月 な か ば 関 税 特 別 会 議 へ の 招 請 状 を ワ シ ン ト ン条 約 の 関 係 諸 国 に送 った 。 ワ シ ン ト ン会
議 の ﹁中 国 の 関 税 に関 す る 条 約 ﹂ に よ る 関 税 会 議 の 召 集 は 、 金 フ ラ ン問 題 の 解 決 に と も な い フ ラ ン ス が こ の条 約 を 批 准
し た こ と に よ って 現 実 の 問 題 と な っ て い た 。 上 海 事 件 そ の も の に つ い て の交 渉 は 、 日 本 、 イ ギ リ ス 、 ア メ リ カ の 三 国 の
委 員 に よ る い わ ゆ る 司 法 調 査 を 経 て 、 十 月 共 同 租 界 工 部 局 当 局 が イ ギ リ ス 人 警 官 二 人 の辞 職 と 死 亡 者 の 遺 族 に 対 す る弔
慰 金 の支 払 いと を言 明 し た こと で ﹁無 解決 の解 決 ﹂ に到 達 し た 。北 京 政 府 は 、未 曾 有 の激 烈 な 大衆 運動 に直 面 し て、 一
方 では問 題 の局 地 化、 部 分 化 に努 め、 上海 事 件 の解決 と不 平 等 条約 の改 正 と を適 当 に切 り はな す こと によ って運 動 の骨
を 抜 き 、他 方 では こ の運 動 が列 国 に与 え た シ ョック に乗 じ て、各 国 間 の対 立 を利 用 し な が ら出 来 る だけ 多 く の譲 歩 を か
ち と り 、政 権 の維 持 に役 立 てよう と し た 。事 件 直後 北 京 で淞 滬 市 政 公 署 会 弁 に任 命 さ れ た上 海 総商 会 会 長 虞 沿 卿 (四七
四頁 )が 運 動 の 切 り く ず し に腕 を 揮 う の も 北 京 政 府 の こ の意 図 に密 接 に 添 って の こ と で あ った し 、 そ の た め に 犬 馬 の 労
を と った 戴 季 陶 が 唱 え は じ め た ﹁イ ギ リ ス だ け を 相 手 と し て ﹂、 ﹁日 本 を 切 り は な せ ﹂ と い う 主 張 は 、 梁 啓 超 や ( 四七七頁)
( 四八八頁)。
い わ ゆ る ﹁北 京 大 学 一派 ﹂ (四八三︱ 三頁) の意 見 に も 通 じ る も の が あ り 、 そ の影 響 は 随 処 に現 れ た (四八六頁)。 六 月 下 旬 北
京 か ら の情 報 は 、 ﹁幸 に 要 路 者 の 善 導 宜 し き を 得 て﹂ 排 外 運 動 は ﹁今 や 排 英 運 動 に 一変 し ﹂ た と い っ て い る
運 動 を 排 英 に 限 定 し た 上 で 、 南 京 路 事 件 を う や む や な が ら も 解 決 に 持 ち こ む こ と に よ って 、 こ れ を 収 束 に導 き 、 す さ ま
じ い 威 力 を 示 し た 反 帝 国 主 義 の エネ ルギ ー は 、 関 税 会 議 の 開 催 と いう 目 標 を 与 え て 発 散 さ せ よ う と いう の が 北 京 政 府 、
上 海 総 商 会 、 国 民 党 右 派 、 ﹁高 等 華 人 ﹂ と 呼 ば れ た ﹁識 者 ﹂ の グ ル ー プ を 通 じ て の 総 方 針 と な った 。 こ れ に 対 し て 列 強
の 側 で は 、 正 に こ の 五 ・三 〇 運 動 に 対 処 す る 過 程 で 北 京 公 使 団 の ﹁所 謂 協 調 外 交 と 謂 ふ も の が 破 れ た と 謂 は れ ﹂、 ﹁之 は
或 程 度 迄 事 実 で﹂ あ った 。 北 京 公 所 の 情 報 は 各 国 の 態 度 に つ い て 、 イ ギ リ ス は ﹁飽 迄 強 硬 に積 極 的 に﹂、 日 本 は ﹁ 穏 健
に 且 消 極 的 ﹂ に 、 フ ラ ン ス、 イ タ リ ア は ﹁傍 観 し ﹂、 ア メ リ カ は ﹁此 の機 会 を 利 用 し て 飽 く 迄 親 米 的 思 想 を 植 付 け ﹂ よ
う と し 、 ソ 連 は ﹁此 の 機 会 を 以 て 帝 国 主 義 的 の英 国 及 日 本 の 支 那 に於 け る勢 力 を 駆 逐 せ ん ﹂ と 努 力 し て い る と 報 じ た
(四八六頁)。 ソ 連 に つ い て は 別 問 題 と し て 、 こ こ に い う 足 並 み の 乱 れ は 、 も と よ り 公 然 た る 決 裂 に は い た ら な か った に し
て も 、 上 海 事 件 の 解 決 に関 す る 限 り は つ い に立 て 直 す こ と が で き な か った 。 さ ら に ま た 、 全 中 国 を 揺 り 覚 ま し た 反 帝 国
主 義 運 動 の鋭 鋒 を 挫 く た め 、 ワ シ ン ト ン 条 約 の結 果 と し て 当 然 開 催 さ れ る 関 税 会 議 を 利 用 し よ う と いう 限 り で は 、 各 国
の意 図 に ち が い は な か った が 、 ワ シ ント ン で の約 定 の枠 を こえ 、 中 国 の関 税 自 主 権 の 原 則 的 な 承 認 を 含 む 条 約 改 正 に応
じ る 用 意 を 表 明 す る か ど う か に つ い て は 、 こ れ を 主 張 す る イ ギ リ ス、 ア メ リ カ と 反 対 す る 日 本 と の意 見 は容 易 に 一致 を
見 な か った 。五・三〇 運動 の衝 撃 の前 に、 一歩 を進 め た譲 歩 が避 け ら れな く 見 えた と き 、列 強 の利害 はま た も赤 裸 々 に
対立 し 、 ワ シ ント ンが も た らし た協 調 の仮象 を維 持 す る こと は不 可能 とな って行 った の であ る。 十 月末 北 京 で関 税 特 別
会 議 が開 か れ たと き には、 軍 閥戦 争 の戦 雲 は す で に華 中 か ら華 北 の空 に ひろ が り、 執 政政 府 の声 望 は 地を 掃 って いた 。
し て中 国 の世 論 に案 外 の思 いを させ た が (四一五︱六 頁)、 こ れは 実 は イギ リ ス、 ア メリ カ が考 慮 し て いた よう な 一割 二分
会 議 の開会 式 で 日本 全 権 日 置 益 は、 ﹁関 税 自 主権 問 題 ニ対 シ極 メ テ友誼 的 考 慮 ヲ加 フル ニ十分 ノ用意 ア ル コト﹂ を声 明
五厘 にも達 す る税 率 の 一律 引 き 上げ 案 に対抗 し て、 綿 製 品 を主 体 と す る 日本 の対中 国 輸出 の構 成 に適 し た差等 税 率 の実
現 をは か り 、 さら に進 ん で は日 中両 国 間 で個別 に関 税 に つい て の互恵 協 定 を成 立 さ せる気 運 を つく るため の伏 線 であ っ
た 。会 議 は 以後 十 一月 中旬 関 税 自主 権 を 原則 的 に承 認 す る決 議 を 採 択 し た だけ で、 そ の他 の問 題 に つ いては 、主 と し て
日本 が強 く そ の意 図 の貫 徹 に努 め た こと か ら 、年 末 休 会 す るま で何 ら の結 論 に達 す る こと も でき な か ったし 、翌 年 二 月
再 開 され て から は、執 政 政 府 が没落 し た こと も あ って、 七月 には つ いに立 ち 消 え の形 と な った 。開 会 後 十 二月上 旬 ま で
の会 議 の情 況 と 地 元 で の反 響 と に つ い て は、 ﹁金 法 、 関 税問 題 並 中 国 財政 問 題 ﹂ の末 尾 (四 一四︱二五頁)に情 報 が あ る。
つい でな が ら こ こ で、主 と し て アメ リカ の宜 教 師 の中国 の民 族 的要 求 に対 す る態 度 にふ れ て おく 。反 帝 国 主義 運 動 は常
に外 来 のキ リ スト教 に対す る反 対 の運 動 を伴 って来 た が 、特 に こ の年 には 五 ・三〇 事 件 のあと 教 会 学校 から の退 学 者 が
続 出 し た ほ か、 クリ ス マ ス前後 つい に全 国的 に教 会 学校 への通 学 が危 険 と な ると いう 事 態 が生 ま れ た。 こう いう 情 況 の
な か で、宜 教 師 の 一部 に、 砲 艦 と領 事 裁判 権 、本 国 か ら の送 金 に支 え ら れた 布教 の方 式 に疑 問 を いだ き、 ま た多 少 と も
中 国 の民衆 、 特 に学 生 と の直 接 の接 触 の体験 も あ って、 不平 等 条 約 の改 正 、 ひ いて は民 族 主義 に対 す る 一定 の同 情 と 理
l
Rawlinson ) な ど は (五〇五︱ 六頁)は そ の 一 人 で
Christi) aあ n るC いoは u中 n国 ci キlリ ス ト教 青 年 会 な ど の中 国 人 ク リ ス チ ャ
) に拠 った ロ ー リ ン ソ ン (Frank
解 を 示 す 人 び と が 生 ま れ 、 外 交 官 や 商 人 た ち の激 し い 嘲 笑 を 買 う に い た った の は 怪 し む に 足 り な い。 雑 誌 チ ャイ ニー ズ ・ レ コ ーダ ー (Ch inese R ec o rder あ っ た 。 全 国 ク リ ス チ ャ ン会 議 ( N a tiona
ン の有 力 な指 導者 が、 す で に多 く 国 民党 の同 情 者 であ った こと は勿 論 こう いう 傾 向 を強 め た。 だ が 四千 五 百 人 にのぼ る
ア メ リ カ人プ ロテ スタ ント宜 教師 の全 体 か ら見 て、 当時 条 約 改 正 に賛 成 し た 人 び と が、 北 京駐 在 の アメ リ カ公使 の評価
を借 りれ ば、 ﹁強 力 で か つ格別 口 やか ま し い少 数 派 ﹂ に過 ぎ な か った こと は否 め な いよう であ る。
そ の三 。す で に執 政政 府 が成 立 し た前 後 から 、直 隷 派 に対 す る反 対 の 一点 で結 ば れ た張 作森 と 馮 玉祥 と の連 合 は いく
た び か危 機 に見 舞 わ れ た。 問 題 は いま や単 に軍閥 あ りき た り の地 盤 の争 奪 だけ には な か った 。馮 玉 祥 の革 命 勢 力 への傾
斜 は、 五 ・三〇 運 動 の過程 でさ ら に強 ま った 。国 民 軍 の支配 が河北 から 内蒙 、 河南 に 及 ぶ に つ れ て、 さ き にも ふ れた
北京 め ほ か京綏 (北 京 ︱綏 遠 ) 鉄 路 沿線 、 張 家 口 の労 働 運動 は共 産 党 の指 導 下 に急激 に発 展 し 、河 南 の農 民運 動 も展 開
を見 せ た。 共産 党 がそ の幹 部 を軍 内 に送 り こ み、 ソ連 が多数 の顧 問 を派 遣 し 、 大 量 の兵 器 、弾 薬 とを 供給 し た こと は、
って いた。 だ が現 実 の軍事 行動 は 、 十 月中 旬 にな って奉 天 軍 と直 隷 派 の浙 江軍務 督 弁孫 伝 芳 の軍隊 と の間 で開 始 さ れた 。
国 民 軍 の革 命 的 な傾 向 を 強 め た。 ま さ に この点 から こそ国 民 軍 と奉 天 軍 と の衝突 は 早晩 避 け る こと の出来 な い勢 いとな
五 ・三〇 事 件 を好 機 とし た 奉天 派 が 、 こ の年 二月 に成 立 し た ば か り の孫 伝芳 と の和約 を破 って上海 周 辺 に大兵 を入 れた
ほか 、 九 月中 旬 こ の派 の楊 宇霆 、 姜 登 選 が そ れ ぞれ 江蘇 、 安 徽 の軍 務 督 弁 に就 任 し た こと は、 こ の戦 争 の直接 の起 因 で
あ る。孫 伝芳 が動 く と共 に、長 江流 域 の直隷 派 の軍 隊 も 一斉 に これ に呼 応 し た。 兵 力 の南 に延 びす ぎ て いた奉 天 軍 は た
だち に上海 、 南 京 から北 方 に引 き あげ 、 孫 伝芳 軍 が これ を追 って徐 州 入 り を し た十 一月 中旬 、 この戦 争 は 一段 落 を 告 げ
た。 だ が こ のころ 、 河南 の国 民軍 は北 と東 と に動 き 、奉 天 軍 は 国 民軍 の駐 屯 す る北 京 に対 し 三方 から包 囲 を 強 め、 戦機
は刻 々 に動 いて いた 。十 一月 下旬 、河 北 省 の〓 州、 山 海 関 一帯 にあ った奉 天 軍 の第 三軍 団 副軍 長 郭 松齢 は、突 然叛 旗 を
ひ る がえ し て張 作 森 の下野 を要求 し 、奉 天 軍 中 で精 強 を誇 った麾 下 五 万 の兵 を東 北国 民軍 の名 で東 に進 め た。郭 松 齢 は
張 学 良 と 特 に親 し か った が、 これ ま た五 ・三 〇運 動 のあ らし の中 で革 命 に傾 いた。 軍 閥 内 の分化 は奉天 派 の内部 にも 現
れ た の であ る。 馮 玉祥 と郭 松 齢 が具 体 的 に いか に し て接 近す る に いた った かは 明 か でな い。馮 玉 祥 軍 に配 置 さ れ て いた
ソ連 人 顧問 の詳 細 な 回想 に よれ ば、 十 一月中 旬 天 津 で奉 天軍 、 国 民軍 の間 の交渉 に よ って 一旦妥 協 が成 立 し た のも 、郭
松 齢 が国 民軍 と 戦 う のを肯 じ な か った か ら で あ る。 馮 玉祥 、 郭松 齢 間 の協 定 の内 容 に つ いて も説 は多 いが、 ソ連 人 閣
は、 こ の天 津 で の交渉 を機 と し て密 か に成立 し た協 定 には、 ﹁民 族 工業 の発 展 、労 働 者 、農 民 の状 況 の改 善 、中 央 人 民 政
府 の樹 立 、満 洲 の統治 の改 組﹂ など に関 す る条 項 が含 ま れ て いた と述 べ て いる。 共 産 党 は 、 五 ・三 〇運 動 の発 展 た る反
奉 運 動 の 一翼 と し て郭 松 齢 の行 動 を と ら え これを 支 持 し た。 党内 では のち のち ま で、 こ の郭 松 齢 に対す る態度 を含 め て、
﹁民族 運 動 に同情 す る軍 人 に連 合 す る、奉 天 軍 閥 に反抗 す る かぎ り誰 でも よ い﹂ と いう 方針 の当 否 が論 議 の的 と 。 なる
北 京 に あ った 国 民党 左 派 の人 びと も宣 言 を出 し て反 奉戦 争 を 支持 し 、 北 京 では十 一月 末 二 日間 にわ たり 、奉 天 派 と の結
び つき を いよ いよ露 骨 にし つ つあ った ﹁段 祺 瑞 政 府 を倒 せ﹂ と いう ス ローガ ンでデ モが行 われ た (一五〇︱ 一頁) 。 郭松齢
軍 は東 進 を続 け て奉 天 を震 憾 さ せた が、 十 二月 下旬 に い た って巨 流 河 の 一戦 に潰 え 、郭 松 齢 は 銃殺 され た。 郭 松 齢 の敗
因 が関 東 軍 の干 渉 にあ った こと に異 論 は な い。執 政 政 府 の国憲 起 草 委 員長 の仕 事 を投 げ て駆 け つけ た林 長 民 そ の他 の知
ったか を問 わず 、 馮 玉祥 と傾 向 を同 じく す る郭 松 齢 を張 作繰 の地 位 にか わ ら せ る こと は、 全 体 とし て の当 時 の日 本 の当
日派 がそ の幕 下 にあ って日本 と の連 絡 に努 め た と は いえ 、 ま た外 務 大 臣幣 原 や陸 軍 大臣 宇 垣 一成 のおも わく がど う で あ
局 者 と し て は全 く 容 認 し が た いも の であ った 。 国 民軍 と の関 係 が切迫 し て いた 十 月末 、松 岡 は奉 天 から鉄 道 部 長藤 根 寿
吉 にあ て て、 総領 事 吉 田茂 には 了解 済 み だ と断 って、 ﹁申 ス迄 モナキ事 ナ ガ ラ、 此際 奉 天 側 ニ対 シ極 力 軍隊 其 ノ他輸 送
上 ノ便 宜 ヲ与 ヘラ レ タ シ﹂ と電 報 を打 ち (一四 一頁)、奉 天 か ら上 京 す る途 中 では京 城 で朝 鮮 総 督斎 藤 実 に中 国 の時 局 、
﹁殊 二張 総 司 令 ノ立場 ﹂ を説 明 し て い る。 以 上 の経 過 のう ち年 頭 から郭 松 齢 の旗 挙 げ ま で の、主 と し て奉 天 側 の動 き に つ いて は、 断片 的 な がら ﹁ 毒 軍内変 及其他時局関係諸件﹂ (一二四頁以下)に情 報 があ る 。
四
﹁于 冲 漢 更迭 問 題 並 東 三 省内 政 問 題 諸件 ﹂ (一〇 七頁以下)、 ﹁東 三省 官 憲 の報道 機 関 への圧 迫並 報 道 関 係 諸件 ﹂ (一六三頁以下)、 ﹁松 花
江航 運 問 題 並東 三省 交 通 関 係 諸件 ﹂ (二二〇頁以下)、 ﹁ 東 鉄 露 、中 理 事 間内 紅 問 題 他東 鉄 関 係 諸件 ﹂ ( 二四〇頁以下)、 ﹁イ ワ ノ フ排 斥 運動
並 同局 長 の動 静 ﹂(三〇 二頁以下)、﹁八 区構 内 入 換料 徴 収 反 対 運 動﹂( 三二七頁以下) 、﹁東 鉄 九 四号 命 令 ( 無 国 籍 者 解 職 )事 件 ﹂(三三六頁 以下)、
﹁綴芽 河駅 爆 薬 抑 留事 件 ﹂ (三四六頁以下)、 ﹁露中 関 係 並 露国 内 政 諸 件 ﹂ ( 五三九頁 以下)、 ﹁ 種 東 露領 事 情 並 烏 蘇 里鉄 道 関係 諸 件 ﹂ ( 五七 一
頁以下)、 ﹁札頼 諾 爾 炭 礦 罷業 顕 末﹂ (七三八頁以下) 、 ﹁ 北 満 に 於 け る 一般 労 働 運動 ﹂ ( 七四六頁 以下)、 ﹁一九 二四 年 度 労農 露 西 亜 の国 有鉄
道 と東 支鉄 道 の営 業 成 績﹂( 八二五頁 以下)、 ﹁ 極 東 に 於 け る 露 西亜 ﹂( 八六四頁以下) の題 下 に お さ め ら れ て い る の は 、 主 と し て北 満 、
特 に 中 東 鉄 路 を め ぐ る 奉 ソ 、 中 ソ の関 係 に つ い て の 情 報 、 報 告 書 で あ って 、 相 互 の 関 連 が き わ め て 密 接 で あ り 、 特 定 の
問 題 に つ い て の 内 容 も 豊 富 な 上 に 、 前 巻 ま で の解 説 で ふ れ た と こ ろ も 多 い か ら 、 こ こ で は た だ 金 体 の輪 廓 の中 で 、 多 少 の脈 絡 を 指摘 す る にと ど め て おく 。
中 ソ 協 定 の成 立 後 一ヵ 月 以 内 に 開 か れ る は ず の細 目 交 渉 に つ い て の会 議 は 、 こ の年 に な って か ら も 延 び の び に な った 。
会 議 開 催 の障 碍 に な った 問 題 に は 、 カ ラ ハ ン が こ の 年 二 月 と 四 月 重 ね て 北 京 政 府 に抗 議 し た よ う な 、 上 海 、 南 京 間 に駐
大 き な影響
在 す る 奉 天 派 の張 宗 昌 の部 隊 中 に ﹁第 一 ロ シ ヤ混 成 旅 団 ﹂ と 名 乗 り 将 軍 ネ チ ャ ー エ フ を 首 領 と す る 白 系 ロシ ア 人 の 一隊
が存 在 し て いる と いう 事態 も あ った (一九 一頁)。 だ が この間 には、 日本 の手 によ る桃昂 鉄 路 敷 設 の問 題 が楚
を 及 ぼ し た (一九 一︱四、 一九九頁)。 ソ 連 側 が お も に 留 意 し た の は 、 中 東 鉄 路 の 営 業 上 の 利 益 が ど う こ う と い う こ と よ り も 、
これ が 日本 の北満 への進 出 のあら た な端 緒 と な る こと、 特 に こ の鉄 道 が日本 の対 ソ戦 略 上重 要 な 地位 を 占 め る こ と (三
一〇頁)で あ った と思 わ れ る。 ソ連 側 の挑 昂 鉄 路 反 対 の動 き に つい て の情 報 は、 ハルビ ン事 務 所 調 査課 の ﹁露 国 の挑斉 線
敷 設 反 対 運動 概 要 ﹂ (一九五︱九頁) に詳 し い。 つい でな がら ソ連 側 は いわ ゆ る 日本 、 中 国 、 ロシ ア合弁 の札 免公 司 に深 い
疑 惑 の目 を向 け 、 公 司 の林 場 は軍 事 基 地 化 さ れ て いる と見 て いた が (三〇九︱ 一〇頁)、﹁南 満 鉄 道 は此 の会 社 に於 て は単 に
上 から受 け る指 令 訓 示 の遂 行 者 であ る に過ぎ ぬら し い﹂ と いう観 測 が当 って いたか ど う か はと も かく 、 こ の年 も満 鉄 は、
七 月上 旬公 司 の株 主 総 会 で中 国 、 ロシア側 の株主 が公 司 の解散 を決 定 し た (一〇 一︱二頁)のに対 し、 そ の直前 の重役 会 議
で、札 免 公 司 に投 じ た資 金 は ﹁全 損 を覚 悟 し﹂ て いる け れど も 、 でき れ ば ﹁何 等 か の形式 に依 り権 利 を 保留 す る﹂ と い
う 方 針 をき め て対 抗 し た(二九頁) 。満 鉄 と 黒 竜 江省 当 局 と の間 に札 免 林 区善 後 弁法 に つい て の協 定 が成 立 し た こと と の関
係 はあ き ら か で な い が、満 鉄 か ら銀 二 万元 を公 司 に贈 与 す ると いう形 で (三三頁) さし あ た り権 利 の保 留 には成 功 し た よ
う であ る。中 ソ協 定 の細 目 に ついて の中 ソ交 渉 は結 局 こ の年 八月 下旬 、北 京 で曲 り なり にも開 会 さ れ た が、討 議 は さら
に進 行 し な か った。 奉 ソ協 定 の細目 に関 す る奉 天 、 ソ連 間 の会 議 に いた っては 、開 催 の見 こみ は全 く立 って いな か った。
こう いう情 勢 のも と で、奉 天 側 は あら ゆ る 方面 から 北満 に おけ る ソ連 の活動 に制 限と 圧 迫 と を加 え た。 中東 鉄 路 の労
働 組合 、 消費 組 合 に対 す る迫 害 は絶 えず 、 ﹁御 祭 気 分横 浴 ﹂ し た十 月 革命 記念 日 の当 日 も中 国 側軍 憲 の発砲 騒 ぎ が 起 き
た 。﹁赤 化宣 伝 ﹂ の取 り締 ま り は、 前 にも述 ぺた よう に ソ連 系 の新 聞 の報 道 か ら ソ連 人 小学 校 の教 育 内 容 にま で及 ん だ。
﹁共産 党 員 が混 入 す ると いう懸 念 ﹂ か ら 二月 末 には中 東 鉄 路 の鉄 道 警 察 に当 た る東 省特 別 区 路警 隊 の ロシア人警 官 は全
員 解雇 され 、 十 月 上旬 には鉄 道 付 属 地 を管 轄 す る ハルビ ン の東 省 特 別 区警 察 総 管 理 処 に ﹁奉 天 の例 に倣 ﹂ って政治 探偵
部 が置 かれ 、 ﹁赤 派 の政治 的 企 画 の探 査 ﹂ に当 った。 ソ連 紙 幣 チ ェルヴ ォネ ツ (知 留 )に対 し て も輸 入禁 止 、流 通制 限等
の措置 がく り か えし と ら れ た。 こ の間 松 岡 の形容 を借 り れば ﹁露 西亜 人扱 ノ骨 ヲ呑 ミ込 メ ル辣 腕 家﹂ (一二二頁)の干冲漢
が、 八月 中 旬東 省特 別 区 行 政長 官 に就任 し、 東 省 鉄路 護 路 軍総 司 令 代 理張 換 相 と結 ん で、 ﹁赤 化 防止 ﹂ に乗 り 出 し た こ
と は 、北 満 に対 す る満 鉄 側 、 ひ いては 日 本側 の働 き か けと いう 点 から み て重要 であ る。 于冲 漢 はす で に 一九 一〇 年 以来
満 鉄 と の因 縁 は 深 く 、満 鉄 の合 弁 事 業 鉄 嶺電 灯 局 、遼 陽 電 灯 公 司 、鞍 山 製 鉄 所 に鉄 鉱 を 供給 す る振 興 鉄 礦 公 司 (﹁ 満鉄﹂
I 一六九頁、Ⅱ 一 二 七頁)の合 弁 の相 手 方 であ り、 会 社 が 一九 二三年 海 城 滑 石鉱 区 のう ち買 家 蟄 子鉱 区を 買 収 し た と き の 名 義 人 でも あ った (二四頁)。
こう いう 空 気 のな か で の中東 鉄 路 の運営 は、 依 然 と し てき わ め て変 則 的 な 状態 にあ った。 ハルビ ン事 務 所 調 査課 長 の
﹁東 支 鉄 道 理事 会 の現 状 に 対す る意見 書 ﹂ ( 二六 一︱三頁) に よ ると 、中 国 側 も ソ連 側 も 理 事 の多 く は 他 に重 要 な職 務 を も
ち 不在 勝 ち で、理 事 会 が 成立 す る こと は ほと ん ど なく 、成 立 し ても 中 ソ の意 見 は 全く あ い反 す る のを 常 とす るか ら理 事
会 の議 決 に必 要 な過 半 数 は得 ら れ な い。管 理 局長 ﹁イ ワ ノ フた らず と 難 も斯 る環 境 に置 かれ た る者 誰 か独 断 専 行 せざ る
べき﹂、 と いう わけ でも な か った ろう が、 事実 ソ連 側 は 理事 会 の機能 が麻 痺 し て いる あ いだ に、 業 務 の実 権 を 握 る イ ワ
ノ フを 通 じ て、 そ の必 要 と 認 め る処 置 を進 め て行 った。 こ の間 直 接 中 東 鉄 路 に関 連 し て奉 ソ間 の緊 張 を招 いた問 題 は 二
つあ る。 そ の 一つは いわゆ る八 区問 題 であ る。 そ の内 容 と 経 過 と の説 明 は ハルビ ン事 務所 調 査 課 情報 係 の ﹁哈 爾 賓 八区
問 題 に就 て﹂ (三三二︱五頁) に譲 る が、 こ の問 題 は結 局 中 東 鉄 路 付属 地問 題 の 一部 であ り 、 ソ連 側 は そ の解 決 を、 中東 鉄
路 が中 国側 に返 還 す べ き土 地 を劃 定す るた め中 ソ双 方 か ら代 表 を出 し て組 成 す る委 員 会 に委 ね よう と主 張 し 、中 国 側 は
これ に反 対 し た。 す でに張 換 相 は行 政 公 署 地畝 管 理 局長 とし て、各 地 で 一方 的 に附 属 地 に属 す る土 地 の接 収 を お こな っ
て いた。 こ の問 題 に つ いては 一月 中旬 張 作霖 と カ ラ ハンと の間 に電 報 の交換 がお こなわ れ た (三三〇︱ 一頁)が、 一月 下旬
に は現 地 の中国 側 の態度 が軟 化 し て緊 張 は緩和 し た。 いま ひと つは 四 月 上旬 イ ワ ノ フが鉄 道 従 業 員 中 の無 国 籍 者、 つま
り白 系 ロシ ア人中 中 国 の国 籍 を取 得 し て いな い者 を 五月 末 日 を期 し て解 雇 す ると いう 、 いわ ゆ る中 東 鉄路 第 九 四号 命 令
を発 し た問 題 であ って、 八 区問 題 にく ら べ ては る か に急迫 し た事 態 を 生 ん だ。 四 月 な かば の理 事 会 では呂 栄 寰 が 理事長
の資 格 で詳 細 な反 駁 を新 聞 に発 表 し た (三 一四︱八頁) 。 中 国側 の主 張 の内 容 は こう いう命 令 の発 布 は管 理 局長 の権 限 を越
鮑貴 卿 の臨 時 代 理 とし ては げ しく イ ワノ フを攻 撃 し 、 ソ連 の ハルビ ン総 領 事 グ ラ ント (N.P.ГPa H〓) Tは副 理 事長 代 理
え ると いう の であ った が、 そ の狙 いが ロシア人 職員 の ﹁赤 色 化﹂ が 一歩 を 進 め る のを押 さえ る こと にあ った のは いう ま
でも な い。無 国 籍 者 は全 従 業 員 の三 パ ー セ ント強 の四百 人あ ま り であ った が 、 そ のう ち に は比 較的 高 い職 務 に ついて い
る者 が多 か った よ う で あ る。 五 月中 旬 鮑 貴卿 は東 省 鉄路 公 司 督 弁 と し て ﹁意 外 に強 硬 ﹂ な ﹁奉 天 の態度 ﹂ を背 景 に九 四
号 命 令 の無効 を布 告 し 、下 旬 カ ラ ハンは 北 京政 府 の外 交 総長 沈 瑞 麟 に抗議 を提 出 し た ( 三三九︱四 一頁) 。 六 月 に 入 って 間
も なく ハルビ ンで中 ソの現 地 当 局 の間 に協定 が成 立 し て、 中 国 側 は無 国 籍 者 の罷 免 を認 め 、罷 免 によ って生 じ た欠員 の
う ち百 名 を中 国 人 によ って補 充 す る こと にな った 。無 国 籍 者 のう ち に は取 り いそぎ 中 国 あ る いは ソ連 の国籍 を取 得 し た
者 もあ った から 、 実 際罷 免 さ れた のは 二百 名 あま り にと ど ま った 。解 決 の隠 れ た条 件 と し て は、管 理局 側 が 一月 分 か ら
支 払 いを停 止し て いた東 省 特 別 区 の行 政 長 官 公署 、警 察 総 管 理 処 、 法院 、 吉 林 、黒 竜 江 両交 渉 局 への経 費 と し て、 七 月
分 ま で の五 十 万元 を 支出 す ると いう こと があ ったら し い。 情 勢 がも っとも 緊張 した 五月 下旬 、護 路軍 、 極東 赤 軍 双 方 の
移 動 の情報 が おも に特務 機 関 筋 か ら流 さ れた 。当 時 のプ ラヴ ダ が張作 霖 お よ び中東 鉄 路 の中 国 側 理事 の背 後 で これを操
って い るも のと し て、満 鉄 だけ の名 を挙 げ て攻撃 し て いる のは興 味 が深 い。 いず れ にし ても鉄 道 を め ぐ る中 ソ の対立 は
終 始緩 和 を 見ず 、翌 年 一月早 々には 、軍 隊 輸 送費 の前 払 いを鉄 道 側 が 一貫 し て要求 し た こと から 、 郭松 齢 軍 の潰 滅 で気 を 良く し た 奉 天側 が イ ワ ノ フを逮 捕 す る と ころ ま で発 展 す る。
情 報 の多 く の部 分 を占 め る中 東鉄 路 の培 養 線 の問 題 は 、 三月 開 通 し た穆 林 炭 礦 と東 部 線 馬橋 河 駅 間 の運 炭 鉄道 が中 東
鉄 路 の支 線 と な った ほか は、 イ ワ ノ フも いう よう に、 およ そ培 養 線 の建設 に はす べ て中 国 地 方当 局 の承 認 が必要 な ため 、
いず れも 具 体化 しな か った。 満 鉄 の長 扶 線 計 画 に対抗 す るた め計 画 され た と いわれ る中 東 鉄 路南 部 線 の陶 頼 昭あ る いは
これ に隣 接 す る石 頭 城 子 (三岔 河 ) か ら ペ ト ナ への鉄 道 (陶 伯 線 、 扶 陶線 、石 伯 線 、石 扶 線 ) は、 中 国 側 の反 対 で立 ち
消 え と なり 、西 部 線 の安 達 か ら拝 泉 を経 て 二克 山 に至 る線 、拝 泉 と海 倫 を結 ぶ線 の計 画 も、 たと い存 在 し た にし ても紙
上 のそ れ に過 ぎ な か った 。 イ ワノ フが 四 月 はじ め 札免 公 司 林 区 の西 に接 し て広 大 な 地域 を占 め る ロシ ア人商 人ヴ ォ ロン
ツ ォ フの林 区 を 、と り いそぎ ﹁専 断﹂ を 以 て買 収 し た こと は 、満 鉄 の手 には いる こと を 恐 れた か らと も 、安 達 ︱ 拝泉 線
の建設 に備 え る た めと も いわ れた が 、 そ の意 図 は 明 か でな い。 ハルビ ン事 務 所 が 二 露 人﹂ か ら提 供 を 受 け た と いう
﹁東支 鉄 道管 理局 長 最 近 の活 動 振 り﹂ ( 三〇六︱ 一三頁)は 、 こ の問 題 を 考 え る上 で多少 の参 考 にな る。 呼海 鉄 路 が 満 鉄 の
援 助 の下 に建設 さ れ る こと が あき ら か と な って間 も な い十 月 中旬 、 カ ラ ハンは駐 ソ大 使 田中 都 吉 に、 満 洲 で の無 益 な 競
争 を 回避 す るた め ソ、 日 、中 三国 の会議 を開 く こと を提 議 し、 やむ を得 なけ れ ば表 面 上 中東 鉄 路 と満 鉄 と の会議 と し て
も よ い と 申 し 入 れ た が 、 日 本 側 は 確 答 を 与 え な か った 。
総 じ て こ の 年 、 ソ連 の 北 満 ひ い て は 中 国 に 対 す る政 策 は 、 軍 事 力 を 以 て 事 を 図 ろ う と す る 形 態 と 精 神 と か ら は 程 と お
い も の で あ った よ う に 思 わ れ る 。 い わ ゆ る ポ グ ラ ニ チ ナ ヤ の爆 薬 密輸 事 件 も ソ 連 の陰 謀 と いう に は余 り に 幼 稚 で 、 結 局
は 何 者 か の た め にす る 謀 略 の感 じ が 強 い 。 極 東 の こ の 地 域 で平 和 が 保 持 さ れ る こ と こそ こ の時 期 の ソ連 に と って は 有 利
で あ った 。 だ が 事 ご と に 、 ﹁此 の 際 更 に張 作 霖 を 指 導 し 機 を 失 せず 、 北 満 に 於 け る 労 農 勢 力 駆 逐 策 を 実 現 せ し む る を 必
要 と 認 む ﹂ (五五三頁)と い う 特 務 機 関 の 見 地 か ら は 、 ま た 日 本 の庇 護 を 侍 む 奉 天 政 権 の立場 か ら は 北 辺 の軍 事 的 脅 威 を 繰
り か え し 強 調 す る こと が 必 要 で あ った 。 の ち に 九 ・ 一八 事 変 に際 し て朝 鮮 軍 参 謀 と し て 朝 鮮 軍 の 越 境 出 兵 に活 躍 し た 神
田 正 種 の ﹁支 那 に 於 ける 労 農 聯 盟 の勢 力 進 展 の状 況 ﹂ (八五五頁以下)も 、 情 勢 の綿 密 な 分 析 と い う よ り は 、 ﹁毅 然 彼 の侵 襲 に 対
抗 せ ざ る 可 ら ざ る﹂ 所 以 を 部 外 に宣 伝 す る の を 目 的 と し て い た よ う で あ る 。 十 二 月 中 旬 、 郭 松 齢 が ま だ 破 竹 の勢 で東 進
し て い た さ な か に、 全 連 邦 共 産 党 第 十 四 回 大 会 の 政 治 報 告 の な か で 、 中 国 の 革 命 運 動 が 進 展 し た か ら と い って 、 ソ連 と
日 本 と が 決 裂 し な け れ ば な ら な い わ け は な い 、 日 本 と し て も 中 国 の 日 ま し に 増 大 す る 民 族 運 動 に然 る べ き 評 価 を 与 え る
の が 得 策 だ ろ う と 述 べ 、 張 作 霖 が こ の評 価 を 忘 れ た こ と 、 そ れ に も ま し て ﹁ソ連 と 日 本 と の不 和 、 関 係 の悪 化 の 上 に そ
一種 の 自 信 を 以 て 語 った ス
の 全 政 策 を う ち 立 て た ﹂ こ と が 彼 の 失 敗 の原 因 だ と 説 き 、 さ ら に 、 こ の点 は 誰 が 満 洲 の あ る じ に な って も 同 じ だ 、 日 本 と の関 係 を 尖 鋭 化 さ せ る の で は な く 、 日 本 と の接 近 を は か る の が ソ連 の利 益 な の だ か ら と 、 タ ー リ ン の こ と ば は 、 爾 後 の事 態 の 発 展 に 照 ら し て い か に も 示 唆 に 富 む よ う に 思 わ れ る 。
(1) 南満洲鉄道株式会 社庶務部調査課編 ﹁ 南満洲鉄道株式会社第二次十年史﹂ 、 一四 一頁 (2) 幣原平和記念財 団編 ﹁ 幣原喜重郎﹂、 一五頁 (3) 高橋嶺泉 ﹁満鉄 地方行政史﹂、六二七頁 (4) ﹁ 第 二次十年史﹂、 一二四 一頁 ( 5) 同、八〇〇頁、南満洲鉄道株式会社総裁室弘報課編 ﹁南満洲鉄道株式会社三十年略史﹂ 、四 一三︱ 四頁 ( 6) ﹁ 第 二次十年史 ﹂ 、三六〇︱ 四頁
(8 )
(7 ) ﹁第 三次 十 年 史 ﹂、 四 五 九頁
﹁三十 年 略 史 ﹂、 一 一八頁
(9 ) 大阪 毎 日新 聞 社 編 ﹁毎 日年 鑑 (大 正 十 五年 )﹂、 二 二〇 頁 (10 ) 張 雁 深 ﹁日本 利 用所 謂 “合 辮 事 業 ”侵 華 的 歴 史 ﹂、 北 京 一九 五 八年 、 第 五 八頁 二頁
(11 ) C.W alt er Yo ung,The InternationalRel ati onsofManc hur ia,Chi cao g , 1929,PP.279−280.満 史 会 編 ﹁満 州開 発 四十年 史 ﹂ 上 巻 、 三四
(1 2) 日本 国 際 政 治 学会 太平 洋 戦 争 原 因 研究 部 編 ﹁太 平洋 戦 争 への道 ﹂第 一巻 、 ﹁満 洲 事 変前 夜 ﹂、 二 六五 ︱ 六 頁 ﹁毎 日年 鑑 (大 正十 六年 )﹂、 三 八 八︱ 九頁 、 ﹁満 鉄 地 方 行 政 史﹂、 六 一八頁
(13 ) 菊 池 寛 ﹁満 鉄 外 史 ﹂、 三 一 二 ︱ 三〇 頁 (14 ) ﹁第 三次 十 年 史 ﹂、 一 二五 八︱ 九頁
(15 ) The Internati ona l Relati ons foMan churi a,P.278. (16 ) (17 ) 佐 々木 到 一 ﹁あ る軍 人 の自 伝 ﹂ 増 補 版 、 一 二八頁 (18 ) 伽藤 武 雄 ﹁黄 竜 と 東 風 ﹂、 五 五頁 ﹁第 二 次 十年 史 ﹂、 一三六 頁
(19 ) 郡中 夏 ﹁中 国 工 人的 力 量 ﹂ (人 民出 版 社 編 ﹁第 一次 国 内 革 命 戦争 時 期 的 工 人運 動 ﹂、第 八 頁) (20 ) (21 ) 同 、 一五 四頁 (22 ) 同 、 一五 三頁 (23 ) 同 、 一六 四︱ 五頁 (24 ) 同 、 一五 八頁 (25 ) 同 、 一六 一頁 (26 ) 李 剣 農 ﹁中 国 近 百年 政治 史 ﹂、台 北 二九 六 五年 、第 六 六 二頁 ﹁毎 日年 鑑 (大 正 十 五年 )﹂、 八 九 頁
(27 ) 劉 彦 ﹁中 国 外交 史 ﹂、 台 北 一九 六 二年 、 第 七 九 一頁 (28 )
(29 ) 田村 幸 策 ﹁支 那 外債 史 論 ﹂、 三 〇 五頁 一頁
(30 )H .G.W .W oodhead,The Truth aboutthe Chi nese Rep ubli,clon don,n.d., PP.156-159 .吾 孫 子豊 ﹁満支 鉄 道 発 逮 史﹂、 三 四 九︱ 五 (31 ) 鄙 中 夏 ﹁中 国 職 工運 動 簡 史 ﹂、 一九 五 〇 年 、第 九八 頁 (32 ) 同 前 、 第 一〇 八︱ 九頁
﹁黄 竜 と 東 風 ﹂、 六 二頁
(33 ) 宮 昧 祖 ﹁来函 更正 ﹂ (﹃近 代史 資 料 ﹄ 一九 六 三 年第 二期 、 第 二四 四︱ 五頁 ) (34 )
(35 ) 張 璋 瑛 ﹁“五 班 ” 運動 中全 国 人 民 反 帝 闘争 的 概 況 ﹂ (来 新 夏 、 魏 宏 運編 ﹁第 一次国 内 革 命 戦 争 論 集﹂、 武漢 一九 五 七年 、第 八 九頁 )、許 世 華 、 強
﹁五 冊 運 動 ﹂、 北 京
一九 五 六 年 、 第 三 九 頁
厳 中平
重 華
H ar ol d Isaacs,The Trag edy of Chin ese
Revol utio n,Stanf ord,19 62,pp.86 -8 7.
﹁中 国 棉 紡 織 史 稿 ﹂、 北 京 一九 六 三 年 、 第 一八 〇 頁
(36 )
葉 蠖 生 、羅 仰 伸
﹁五 卅 運 動 中 的 大 資 産 階 級 ﹂ (﹃歴 史 研 究 ﹄、 一九 六 五 年 第 三 期 、 第
﹁第 一次 国 内 革 命 戦 争 簡 史 ﹂、 上 海 一九 五 七 年 、 四 二 頁
(38 )
(37 )
﹁中 国 外 交 史 ﹂、 八 〇 七 頁
a
一七 頁 )
New Order in th e Far East ,1921 ︲1931, Cam br idge, 1 965 , pp.63-70.
﹁五 ・三 〇 事 件 と 在 華 紡 ﹂ (﹃近 代 中 国 研 究 ﹄ 第 六 輯 、 一五 五 頁 )
一六 六 頁 、 黄 逸 峰
(39 ) ﹁中 国 職 工 運 動 簡 史 ﹂、
Aht er Im peria li sm :The Sear ch for
一次 国 内 革 命 戦 争 簡 史 ﹂、 第 四 四 頁
中 村 隆 英
(40 ) (41 ) ﹁第
外務 省 編
Aki raIri ye,
(42 ) (43 ) ﹁日 本 外 交 年 表 竝 主 要 文 書 ﹂ 下 、 文 書 七 七 頁
(44 )
一 ﹁中 国 解 放 闘 争 史 ﹂、 二 六 頁
﹁幣 原 喜 重 郎 ﹂、 三 〇 一- 二 頁 鈴 江言
(45 )
Paul A.Var g,M issi onari es ,Chinese and Uiplomat s: T he Am er ican P r ot estn at Movement in Chi na, 1 890-1952,Princet on,1958,
Univers i t y, Septem ber 1 7-20,192 5, Bal
(46 )
Ibi d. , p.20 2.
pp.195-196
A m eri can R elations with Chi na: A Repor t of th e Conference hel d at
Mis si onari es, Chin ese and D i pl om ats, p.1 97 .
Johns H opkins
(47 )
(48 )
B.B.BИШ HRK OBa A KNMOBa, Д Ba roдa
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(49 )
(50 )
“合 弁 事 業 " 侵 華 的 歴 史 ﹂、 第
( 藤 井 満 洲男 )
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(51 )
Jam es E.Sher idan,Chinese W arl or d :The Career of Feng Y uhsian St anford,1966,p. 18 2. ﹁中 国 職 工 運 動 史 ﹂、 再 版 声 明
(52 )
CoBeTckoKиTa иckиe OTHOШ eHИR,1917-57:Cбopник дokyMeHTOB,M ocкB, a 1 959,cT p. 10 0,103.
(53 ) (54 )
﹁日 本 利 用 所 謂
クタ コフ
同前 、第 三 九- 四 〇頁
一六 五 頁
(55 )
﹁日 ソ 外 交 関 係 史 ﹂ 第 一巻 、 一 一二 頁
(56 ) (57 )
同 前 、第 六 八- 九 頁
И. B.CTa дNH, Coчи HeHиR,ToM 7,M ockaBa,1 950,c TP.293 -294 .
﹁満 洲 事 変 前 夜 ﹂、 二 七 三 頁
(58 ) (5 9) (6 0)
第 一部
満 鉄 ド キ ュメ ン ト 類
極秘
社長室
文 書 課 長 ︹省 以略 下︺
一 重役 会議 決 議 事項
一
大 正十 四年 一月 二 十 四 日 ︹洋 右 ︺
松 岡 理事 殿 ︹ 以 下 省 略︺ 一月十五日重役会議決議事項
京鉄局 は朝鮮線収支 の現況 に鑑み本年度補給金 は前半期十 六万
より約 十六万円を節約 せり。而 し現行共済組織は総督府 に於 て財
余円に止め、後半期 の約同額 は之が支出を中止し以て鉄道経費中
政 上の理由に依 り継承を拒否す るを以 て当然解散 の運命 に在り、
加入者 に対し所定 の年功金を給付するは最少限度 の義務なり。更
而 し解散 の場合 、之 が善後処理に関す る規定を欠除するも、共済
に剰余金 の存す るあらば其 の 一部を加入者 に割賦す るも亦自然 の
余金 の払戻を行 はんとす。現在 の予想 に於 ては前記払戻を了し尚
勢 ひなるべし。故 に京鉄局 に於 ては加入者 の醵金額 を限度とし剰
にし て其 の大部分 は兵役応召中 の者 なり。総督府 は直営 引継 の際、
社友会 の積立金とするかは京鉄局 の収 入関係を顧慮し局長 の自由
約弐 万円 の残額 を得 る見込なるが、右を会 社の支出 に戻入するか、
一、京鉄 ( 京城鉄道局)非役社員は十三年十 二月末現在約 百三十名 当然是等社員 をも引受け任用すべき筈なるも、官庁 に於 ては直 に
本人 の能力、欠員 の有無其 の他各般 の事情 を考慮し多少 の採用
四、引継後元京鉄社員 を会社 に採用希望 に関する件
相当考慮 すること。
三、箇所場長 、学校長等 に対し特別慰労金支給 の件
裁量 に委任 のこと。
之 が任用を為すべき手段を欠くを以て、兵役満 了後引取任用 のこ と に協議中 に付、右協定成立 の暁は前示応召中 の非役社員 に限り 総督府 の任用 を見 るまで 一時本社 に在籍 せしむ ること。右 に対す る退職慰労金 は 一般引継 社員 と等しく総督府 の負担とする こと。 直営後任用迄 の期間 は在職年限 に加算せざる こと。 二、京鉄共済補 助金 の減額 竝剰余金処分 に関する件
を 為 す こと あ る べき こと 。
五、報 告 事 項 本件金額 は従前概算 七百余万円と称 せしも旧臘計算 の結果約
① 退職手当金総額 に関する件 百弐拾 万円 の増額を見たるは既報 の如し。初 回の概算は十三年 七月末 現在 の職、傭員 、日、鮮人別より年度内 の退職予想員数 を控除 し、之 に想定平均在職 月数竝平均給額 を乗 じ急遽算 出し たるも のなり。今回全員約壱 万参千弐百名 に対し、 一箇月 に亘 り精算 の結果 、前示差額を生ぜしは遺憾なり。朝鮮総督府 に対 しては既 に内報承認を経たり。因 に総督府は対議会 策上之を極 秘 に附し依然 七百万円とし て説 明を試む べしと。 ② 特別休暇換算額 に関する件 職員約参千五百弐拾名 に対する十三年十 一月二十日打切り計 算総額拾 四万七千弐百 四拾六円也。 ③ 鍋勝次郎俸給其 の他給与金請求の件 本件 は原告が水原 駅長在職中部下 の窃盗事件 に連座し共犯 の
て鉄 道枕 木 の製 作事 業 経 営 の欠損 補 填 方 を要 求 す る も のにし て
其 の間複 雑 の事 情 あ る も勝 訴 の見 込充 分 にて目 下 応訴 手 続 中 。
極秘
尚 本 件 は移 管 の上 は 一括 総 督 府 に引継 の筈 。 以上 ︹ 大平駒槌︺ ︹ 公望︺ ︹ 実︺ ︹ 多次郎︺ 列 席 者 副 社長 、 松 岡 、大 蔵 、 梅 野各 理事 、白 浜 経 理部 長 代 理 、 ︹ 頼久︺ ︹ 信次︺ 石 崎京 鉄 庶 務 課長 、築 島 文 書 課長
二
大 正 十 四年 二月 七 日
博 覧 会 補 助 の件
二 月 六 日 重役 会議 決議 事 項 一、 大連 勧 業
経 費 不足 額 金 九 万 四千 円 の支 弁 に関 し 会 社 に対 し金 六万 円 の補
会社 の補 助 は経 費 不足 額 金 九 万 四千 円 の半 額 即 ち 金 四万 七 千
助 申 出 あ り た るも 審議 の結 果 ①
予算 以 上 の欠 損 を 生 じ た る場 合 と雖 も会 社 は前 項 以 上 の補 助
円 と し 、如 何 な る場合 に於 ても 金 五万 円 を超 えざ る こと。 ②
③
会 社 の業 務 に支 障 な き限 り要 求 に応 じ社 員 を し て博 覧会 の手
会 社 の補 助 金 支 出 に関 し て は特 別 の条 件 を附 せざ る こと 。
見込にて拘留を受 けたる際、局は本人 の出勤と給 与 の支払 を停
④
金 の支 出 には応 ぜざ る こと。
止せし ことあ るに基 く。訴状 に依れば、原告は当該期間中 の諸 仮りに之 ありとするも民法第百七十 四条を援用し て之を拒絶す
特 設 館 を設 置 す るや否 や、 若 し 設置 す ると し て其 の規模 如 何
き 金 壱 万 四千 円 は 市 中 一般 より の寄 附 に依 る予 定 の由 。
関 東庁 に対 し 寄附 申出 額 弐 万 円 、市 役 所 の負 担 に帰 す べ
は更 に協議 の上決 定 の こと 。 備考
⑤
伝 を 為 さ し む る は差 支 へな き こと 。
給 与 の支払方を請求 するも のなれども固 より支払 の義務 なく、 れば足 れりと思料す。 ④ 小杉謹 八受託経営 に因 る損害賠償 の訴 本件 は原告 の希望 に依 り京鉄局が在 江原道国有林材 の払下名 義 人となり、 一定 の供給契約 の下に全然原告 の危険と計算 に於
極秘
以上 ︹ 安広伴 一郎︺ ︹ 克己︺ ︹ 虎太郎︺ 列席 者 社 長 、 副 社長 、松 岡 、 大蔵 、 赤 羽 各 理 事 、岡 興 業部 長 、 ︹ 盛 一郎︺ 向 坊 商 工課 長 、築 島 文 書課 長
三
大 正 十 四年 二 月十 八 日
四
極秘
二 月十 三 日重 役会 議 決 議 事項
大 正 十 四年 二月 十 八 日
大 蔵 理 事 よ り毎 年 支 出予 算 は重 役 会 に於 て査 定 す るも 良好 な る
一、支 出 予 算 標準 研 究 委 員会 設置 の件
①
地 方 支 出 は定 額 を定 む る こと
電 気 、 瓦斯 、 窯 業 及旅 館 は 一般 会 計 よ り之 を 切 り離 す こと 。
結 果 を得 ら れ ざ る を以 て
②
鉄 道 、鉱 業 の支 出 は其 の収 入 に対 す る 一定 の比率 を 定 む る こ
一、新 邱炭 田開 発 の為 新 邱新 城 子 間 鉄道 建 設 の件 ︹ 孚︺ 久 保 撫 順 炭 礦 礦 務 部長 よ り撫 順 炭礦 の現 状 並 に将 来 の増 掘 見 込
③
二月 十 二 日 重役 会 議 決議 事 項
に付詳 細 な る説 明 あ り た る後 興 業部 提 案 の審議 に入 り、 左 の通 り
に よ り毎 年 重役 会 に於 け る支 出 の細 目 査定 を止 め 、当 該 部 を し て
と
決 議 あ り た り。 大 体 に於 て興 業部 の提 案 を認 む る も、 他 の培養 線 建 設 と の利 益
右 割 当 額 の範 囲 内 に於 て適 当 な る 予算 を編 成 せ しむ る こと とし 、
が即時実行 には種 々困難あるを以 て、先づ各部 をし て
大蔵 理事 より原価償却主義採用 の必要を力説 せられたるも、之
三、原価償却主義採用 の件
︹マ マ︺
ると き は、 其 の都度 相 当 手 数 料 を支 払 ふ こと 。
特 に機 関 銀 行 を 定 めず 、 特 殊 の保 証 を 依頼 す る等 手数 を煩 し た
二、 機 関 銀行 を定 む る こと の可 否
な れり 。
なり と の反 対 論 も 出 て結 局 予算 整 理委 員 会 にて更 に研究 の こと と
重役 会 は 主 と し て収 入剰 余 額 を如 何 な る方 面 に振 向 く るか を審 議
を 比較 し 、 且 資 金繰 り其 の他 を 考慮 し更 に研究 の上 決 定 の こと。
決 定 す る こと にし た し 、と の意 見 を陳 述 せら れ た るも 、実 行 困 難
︹ 3apя︺
二、 ザ リ ヤ紙 援 助 の件 ︹ 幸吉︺ 同 紙 社長 よ り年 額 金 壱 万 五千 円援 助 方 申 出 あ る も、古 沢哈 爾 賓 事 務 所 長 の意 見 を徴 し適 当 額 に査 定援 助 の こと。 三、 大 河 原 露 字 紙援 助 の件 会 社 の準 機 関 紙 た る面 目 を備 へしむ る 為 月額 金 五 百 円 を限 度 と し て古 沢 哈 爾 賓事 務 所長 の意 見 を徴 し 決 定 の こと。 以上 ︹ 俊六郎︺ 社 長 、副 社 長 、 松岡 、 大 蔵 、赤 羽 、森 、 梅 野各 理事 、藤 ︹ 逸郎︺ 根 鉄 道 部 長 、 岡 興業 部 長 、 白浜 経 理部 長 代 理 、 小川 販 売
列席者
課 長 、久 保 撫順 炭 礦 々務 部 長 、 築島 文 書 課長
① 会 社所 有 土 地 現 価
原価 償 却 を 行 ふと し て の所 要 見込 額
の業 務 上好 ま し から ざ る を 以 て、松 岡 理事 と 同社 幹 部 間 に於 て中
漢 字 紙 と し て勢 力 ある 同紙 の支 那側 に渡 る こと は国 策 上 且 つ会 社
金
金
五万 円 ( 外 務 省 、 数年 間 に 亘 る補 助 金 充 当 )
五万 円 ( 東 拓 、 貸 金 充当 )
こと に在 り 、内
る と し て同 社幹 部 の提 出 せ る案 は 差 当 り金 三 十 万 円 の醵 金 を得 る
島 氏 隠 退後 の同 紙 経 営 に関 し懇 談 あ り た る が、同 紙 を独 立 経営 す
② を 調 査報 告 せし め 予 算整 理委 員 会 にて研 究 の こと 。
大 体 に於 て改 正 す る を有 利 と認 む る も、 更 に経 理部 に於 て研 究
四、 会 計年 度 を暦 年 に改 む る の件
のこと 。
外 に貸 金 弐 万 円 に対 す る 利 子年 金 弐 千 円 を特 別広 告 料 と し て整 理
に し て、会 社 は現 在 同 社 に対 し年 額 金弐 万 四千 円 の補 助 を 与 へ、
金 二十 万 円 ( 会 社 、 内金 弐 万円 貸 金 充当 )
特 殊 の智 識 、技 能 を 有 す る者 は之 を採 用 す るを 必 要 又 は有 利 と す
を避 け得 る のみ な らず 、会 社 に割 当 てら れ たる 金 弐拾 万 円 も満 蒙
其 の年 度 に於 け る学校 卒業 生 以外 は採 用 せざ るを 原則 とす る も、
五、 社 員 採 用銓 衡 委 員 会 設 置 の件
る こ とあ り 。斯 る場 合 は 総 て銓 衡 委員 会 の詮 議 を 経 る こと。 以 上
に関 係 深 き 正金 、 三 井 、鮮 銀 等 を 説 けば 相 当 出資 を得 る見 込 に て、
哈 爾 賓 日 日新 聞 社 に対 す る外 務 省 の出 資 金 中金 四千 三 百 余円 は
上決 定 の こと 。 ︹ 四郎︺ 三 、山 内 哈 爾賓 総 領 事 負 担補 充 の件
を監 査 せし む る こと 。 尚 同 社 の将 来 の経 営 に関 し て は更 に協 議 の
必ず し も全額 会 社 の負 担 に帰 すと は 認 め ら れず 、旁 々本 整 理案 を ︹ 戌子郎︺ 容 る る を有 利 と認 む るも 、 一応 橋 本 監査 役 を し て同 社 の経 済状 態
し居 る を以 て、前 記 整 理案 に依 れば 将来 年 々多額 の補 助 金 の支 出
社 長 、 副 社 長 、松 岡 、 大 蔵 、赤 羽、 森 、 梅 野各 理 事 、白 ︹ 健吉︺ ︹ 正三郎︺ ︹ 正太郎︺ 浜 経 理 部 長 代 理 、市 川 主 計課 長 、 中 山 、 入 江人 事 課長 、
列席者
築島文書課長
五
極秘
二月 十 四 日重 役 会議 決議 事 項
大 正 十 四年 二月 十 八 日
一、 瓦 斯事 業 を 独 立 経 営組 織 に改 む る件
以 て、 多年 同 氏 の会 社 に対 す る好意 に酬 ゆ る意味 に於 て相当 す る
哈 日社 には資 力 なく 、 山内 総 領 事 に於 て負 担 す る は気 の毒 な るを
山 内 総 領事 の責 任 に於 て哈 日社 より 外務 省 に返 還 を迫 ら れ居 る が、
一日 よ り実 行 す る こと とし 、 原価 償 却 其 の他 の条 件 は総 て興 業 部
哈 日株 を買 収 し、 右 金 を山 内 氏 に提 供 の こと。
十 四年 度 初 頭 よ り 実行 を希 望 す る も手 続 上 不可 能 なれ ば、 十 月
と 経 理部 に於 て研究 協 議 の上 細 目 決定 の こと 。
四 、会 社 の建 築 方 面 視 察 依頼 の件
二 、盛 京 時 報 援 助 の件 同 社 長 中島 真 雄 氏 隠 退 を 機 と し張 作霖 氏 同紙 買 収 の希望 あ るも
明 年 度 に於 て京 大 武 田 五 一博 士 、 又 は其 の推 薦 者 に建 築 方 面 の 視 察 を依 頼 す る こと。 五 、 外務 省 に懇 談 の件 大 蔵 理事 上 京 の節会 社 の経 済状 態 と北 満 と の関 係 を 説 明 し 、外 務 省 の了 解 を得 て置 く ことは 将来 社業 遂 行 上 便宜 あ りと 認 む る こ と。
指 揮 監督 を 承 く 。
石 炭 販売 は興 業 部 の直 属 とす 。但 し 地方 行 政 に関 係 あ る 重要 事
三 、中 等 以上 の学 校 、医 院 、 大連 図 書 館 は 地方 部 、 電灯 瓦斯 営 業 、
項 に付 ては 地方 事 務所 長 の規 矩 を 承 く。
四、 奉 天 、長 春 、 安 東 の事 務 所 長 の権 限 は大 体 現在 各 部 長 の専 決
事 項 に準拠 し、 其 の他 の事 務 所 長 の権 限 は大 体 現在 地 方 事務 所
く の外 は奉 天 、 長 春 、安 東 の事 務 所長 に は、 土木 に在 り て は五
専 決 事項 に準 拠 す ( 但 し 工事 に付 て は別 に定 む る特 種 工事 を除
附 属 地 の拡 張 は鉄道 用 地、 工業 用 地 、水 源 地 等 に限 り、居 住 用
千 円 、 建 築 に在 り ては 弐 万円 、 其 の他 の事 務 所長 には 、 土木 に
六、 附 属 地拡 張 目 的 決 定 の件
地 の拡張 は為 さざ る方針 な る が、 尚本 件 に関 し ては 地方 部長 を も
社長 、副 社 長 、松 岡 、 大 蔵 、赤 羽、森 、梅 野 各 理事 、 岡
興 業 部 長 、 向坊 商 工課長 、白 浜 経 理部 長 代 理 、市 川 主 計
六
極秘
課 長 、築 島 文書 課 長
件
員
費
既 定 定 員 (純 定員 数 、格 下数 及 臨 時 定員 数 を 合算 した る も の)
定
大 正 十 四年 度 俸 給 、給 料 、 在 勤 手 当予 算 に対 し五 分 を減 ず 。
人
以上
在 り ては壱 千 円、 建 築 に在 り て は五 千 円 とす )。
②
①
一、 人件 費 、 定 員 及 社員 整 理 の件
二 月十 九 日重役 会 議 決 議 事項
大 正十 四年 二月 二 十 三 日
列席者
五、 所 長 の待 遇 は身 分 関 係 に依 り各 別 に定 む る こと。
参 加 せ し め更 に協 議 決 定 し置 く こと 。 七 、 能 率増 進 施 設 に関 す る件 十 四年 度 に於 て相当 の施 設 を 為 す こ と。 八 、 油 母頁 岩 に関 す る件 起 業着 手 の時 期 、規 模 及 何 式 を採 用 す る かは 来 る 四月 ス コツ ト ラ ンド に派 遣 し あ る技 師 帰 社 の上 、会 社 の関 係技 師 と海 軍技 師 と に て委 員 会 を組 織 し慎 重審 議 の上 決定 のこと 。
大蔵 理事 よ り説 明 あ り 、詳 細 は更 に後 日協 議 決定 の こと 。
九 、 対 東 支 、烏 鉄 方 策 決 定 の件
一〇 、 地 方 職制 改 正 に関 す る件
記
左 記 を骨 子 とし て具 体案 を作 成 、審 議 決 定 の こと。
一、 現在 の地方 事 務 所 を廃 し 地方 区 を 地 方事 務 所 と改 称 す 。 二、 地 方事 務 所 は 地方 部 を 以 て主 管部 と し各 事 務 に付 ては 関 係部 長 (人事 課 長 、 文 書 課長 及 之 に準ず る も のは 部長 と看 做 す ) の
よ り其 の五 分 ( 部 内 総 定 員 の五分 とし 端 数 は 四捨 五 入 す) を減
整
理
じ た る数 を 以 て四 月 一日以 降 の新 定 員 と す 。 ③ 職 員 に在 り て は既 定 々員 の五 分 相 当 数 を整 理 す る も のと し 、
る も のと し 、此 の際 其 の三 分五 厘 を整 理 し、 残 一分 五厘 は四
傭 員 にあ り て は 二月 十 五 日現 在 員 数 の五分 相 当 数 を整 理 す
し て存 置 し自 然 減 に待 つも のと す 。
此 の際 其 の四分 を整 理 し 残 一分 は 四 月 一日 以降 当 分定 員 外 と
イ
ロ
整 理 人員 数 の算 出 は 各 定員 箇 所 に付各 個 に之 を実施 せず 、
月 一日以 降自 然 減 に待 つも のとす 。 ハ
整 理者 に対 し ては待 命 を命 ず 。 右 待 命 期間 は人 審課 に於 て
す る こと ( 端 数 は 四捨 五 入 す)。
既 定 々員 を 限度 とし て部 内総 定 員 に対 し前 記 の率 を 以 て算 出
ニ
査 定 す るに 付申 請 の際 は 恒 例 に依 り事 由 、希 望 期 間 、在 職 年
格 下 を 有 す る箇 所 に於 け る定 員 の減 少 は先 づ 格 下 よ り之 を
部 内 各 定員 箇 所 の変 更 申請 は同 時 に提 出 す る こと 。
の事 情 な き 限 り本 文 の整 理 と同 時 に行 ふ こと。
人人 第 一、 七 三九 号 (定 員外 社 員 の件 ) に依 る整 理 も特 殊
数 、年 齢 、給 額 、家 族 数 等 を記 入す る こと 。 ホ
ヘ ト
昇 給 基 金
行 ふ こと 。
月俸 百 五十 円 以 上 の職 員 は家 族 手 当 全 廃
二 、 家族 手 当 減 廃 の件
以上
月俸 百 円以 上 百 五十 円 未 満 の職 員 は 現行 家 族 手 当 の五 割 減
月俸 百 円未 満 の職員 及 傭 員 は現 行 家族 手当 の三割 減
計 課 長 、 築島 文 書 課 長
社 長 、副 社長 、 赤 羽 、森 各 理事 、入 江 人事 課 長 、市 川 主
右 を標 準 とし て人事 課 に於 て具 体案 作 成 の こと 。 列席者
七
極秘 二 月 二十 一日重役 会 議 決 議 事項
大 正 十 四年 二月 二十 六 日
一、 南満 鉱 業 会 社 請 願 に関 す る件 一、 教 育銀 行 請 願 に関 す る件
社 長 、 副 社長 、赤 羽 、森 各 理 事 、岡 興 業 部 長 、向 坊 商 工 ︹ 豊︺ 課 長 、 古 仁所 経 理部 長 、白 浜 会 計課 長 、 築島 文 書 課 長
以上
に関 し て は何 れ も 原案 可 決 せ ら れ た るを 以 て原 案 を決 議 録 に代 ふ。
列席者
南満 鉱 業 会 社 請 願 に関 す る件 一、 同 社 と 当 社 と の関 係
鉱 石 の 一手販 売 竝 中 央試 験 所 研 究 のリ グ ノイ ド の製 作 を与 へ、
一、 大 正 七年 創 立 に当 り 当社 所 有 の大 石 橋 マグ ネ サ イト の製 作 原
④
職 員 及 傭 員 を 通 じ 十 四年 度 人件 費 予 算 に対 し 二分 を 同年 度 昇
尚 窯 業 試 験 工場 の マグ ネ サ イ ト ・ク リ ン カ の販売 を同 社 を し て
給基 金 とし て人事 課 に留 保 し 、各 其 の 一分 を同 年 四月 及 十月 の 昇給 基 金 に充 つる も のとす 。
三三 六 、〇 〇 〇 円
産
長
一二六 、 〇 〇〇 円
一〇 〇 、 〇〇 〇 円
資
川 崎 土 地
当 らし めた る こと。
夏 家 河 子 工場 土地
五九 、 〇 〇〇 円
月 島 工場
石
一 一 三、 八〇 〇 円
七 、 〇 〇〇 円
春
三 、当 社 所 有 の長 春 石 碑 嶺 、陶 家 屯 炭 坑 の経 営 を 許可 せ る こと 。
大 石 橋 工場
五 、 〇 〇〇 円
一 一、 〇 〇〇 円
二 、資 本 の 一割 に当 る三 十 万 円を 引受 け 七万 五 千 円 を投 資 し た る
四 、次 で当 社 所有 の滑 石 、粘 土 の販 売 を な さし め た る こと。
山
大 連 工場
場 資 金 金 五 万 円 、 ス タ ツ コ ・マン チ ユリ ア (耐 火塗 料 ) 工 場資
運 転 資 金
こと。
五、 長 春 炭 鉱 経営 資 金 と し て十 万 円 の借 入金 の保 証 、滑 石 製 粉 工
金 金 十 万 円 を貸 与 せ る こと。
一
長 春 炭 坑 の経 営 全 然 失 敗 せ し こと 。
リグ ノイ ド製 品 の売 行 き少 き こと 。
製 鋼 事 業 不振 の為 マグ ネ サ イ ト製 品 の売 行 き 少 き こと。
支
収
出
入
四 五 七 、〇 〇 〇 円
五 一〇、 〇 〇 〇 円
三十 八 万 円 の ( ) 約 一割 と し て
十 四年 度 予算 (十三 年 度実 績 よ り推 算 )
二
二 、同 社 不 振 の原因
三
五 三 、〇 〇 〇 円
益
一五 、〇 〇 〇 円
三 八、 〇 〇 〇 円
利
益
純
払 に追 は る る有 様 な り 。 リ グ ノ イド も漸 次 販 路 を拡 張 し つ つあり 。
も運 紙 資 金 の欠 乏 に より存 分 の活 動 を な し得 ず 、 一方 借 入金 の利
業 の進 展 に伴 ひ益 々増 加 の傾 向 よ り現 に注 文 に追 は るる状 態 なる
営 業 の状 況 は スタ ツ コの売 行 き 極 め て良 好 にし て、 京浜 復 興事
残
借 入 金 々利
滑 石 の原鉱 が満 鉄 礦 区 の紛 擾 より滑 石 工場 は休 業 の已 む な き
債
収 益 な き 不動 産 の固 定 大 な る こと 。
借 入 金 の利 払 に追 は れ 運転 資 金 の欠 乏 をな せ る こと。
こと。
四
五 六 三、 同 社 の現 況 負
追 は る る こと 、収 益 な き 不動 産 の固 定 多 き こと 、不 良 資産 の多 額
前 記 の如 く同 社 今 日 の行 詰 り は借 入 金 の多 額 な る為 之 が利 払 に
四 、請 願 の要 旨
な る こと に起 因 す。 依 て同 社 は此 の際 根本 的 整 理 を なし内 容 を健
三七 五 、 〇〇 〇 円
一〇 〇 、 〇 〇 〇 円
一七 五 、 〇 〇〇 円
実 に す る にあ ら ざ れば 折 角曙 光 を認 めた る スタツ コ の事 業 も前 途
三 八 二、 八〇 〇 円
二 六、 八〇 〇 円
八 一、 〇〇 〇 円
資本払込額
銀
満 鉄 保 証 、早 川 銀 行
満
銀
借 入金 (固 定)
鮮
鉄
満
減資 に よ り不 良資 金 の切換 を な し得 る こと。
運輸 資 金 の潤 沢 と な り業 務 の発 展 を な し得 る こと。
げ 得 る こと。
土 地処 分 に より借 入金 の償 還 を なし 得 る こと。
六 七
満 鉄 以 外 の借 入金 一〇 六、 八 〇 〇 円 と満 鉄 の保 証 債 務 一〇 〇 、
の発 展 を 期 し難 き を 以 て左 案 に よ り満 鉄 に請 願 し来 れり 。
八
借 入 金 一七 五 、〇 〇 〇 円 を株 式 に振替 へら れ度 き こと。
資 本 を 相 当 減資 す る こと。 右 二件 を 実行 す るを 以 て満 鉄 は
一
一 〇 〇 〇 円 、計 二 〇 六、 〇 〇〇 円 の大 半 は川 崎 の土 地 を売 却 し 償
二
現 在 の滞 利 子 三 一、 〇 〇〇 円 を免 除 せ ら れ たき こと 。
貸 金 を 株式 に振 替 へ承 認 の こと 。
川 崎 の土 地売 却 を 条件 と し て左 記承 認 の こと。
六、 回 答 要 項
還 す る こと 。
三
滞 利 子 三 一、 〇 〇 〇 円免 除 承 認 のこと 。
四
担 保交 換 承 認 の こと 。
二
資 本 を 二 十万 円 に減資 の こと 。
現 在 借 入金 の担 保 たる夏 家 河 子 の土 地 、 工場 を担 保 よ り解 除
三
五
四
必 要 な る条 件 を附 す る こと。
五 、右 に対 す る意 見
せ ら れた き こと 。
万 一土 地売 却 遅 延 の場 合 は担 保 交換 に つき て は別 に考 慮 す る
現 状 の儘
し
一七 、 五〇 〇 ( 年 一割 ) な
一七 、 五 〇 〇
整 理後
な
一七 、 五 五〇
一七 、 五 五〇 ( 年九分)
後
五
金
現 状 の儘
八 六 、〇 〇 〇 川 崎 土 地 に当
六六 、 〇〇 〇 夏家 河 子土 地 一六、 〇 〇〇 坪 ( 坪 三 円当 )
無担保
理
先 方 提 案 によ れ ば当 社 は 従来 単 な る貸 付 金 が株 主 権 に変 化 す る
こと。
入
整 理 に基 く当 社 収 入 関 係 其他
当
力
二四、 〇 〇 〇 五〇 、 〇 〇 〇
整
六
収
計 保 付 イ、
額
貸 付金 利 子 配
担 貸
ロ、
ハ、 一〇 〇 、 〇 〇 〇
し
こと、 利 息 の代 り に配 当 を受 く る こと、 従 来 全株 式 の 一割 を所 有 せ し 当社 が全 株 式 の五割 二分 と な り、 過 半 数 の株 主 とな る こと を
の程 度 と将 来 本 事 業 を助 成 す べ き 必要 と に鑑 み左記 諸 点 に考慮 し、
考慮 せざ る可 ら ざ る も、 翻 て同社 に対 す る当 社 の創 立 以来 の援 助
同 社 に対 し 当 社 の既 に投 資 せ る金 額 は株 式 、貸 金 、 保証 を併
る こと 。
同 社 の事業 た る マグ ネ サ イ ト 工場 は 満 洲産 業 開 発 上 有意 義 な
此際 先 方 請 願 を 承 認 す る こと 妥 当 な る べし と 思料 す。 一
二
せ三 四 〇 、〇 〇 〇 円 と な り、 同 社 の払 込株 金 三七 五 、 〇〇 〇 円
滑 石事 業 休 業 に つき ては当 社 にも多 少 の責 任 あ る こと。
に対 し 八割 以 上 に達 し居 る こと 。 三
株式 に切換 ふ るも 利 息 と配 当 金 と 大差 な き こと 。 同 社 は本 整 理 によ り根 本 改 革 を行 ひ従 事 員 も 緊張 し成 績 を 挙
四 五
ニ、 一〇 〇 、 〇〇 〇 ( 早川保証)
教 育 銀 行 の現 状 に依 り将来 を推 定 す る に同行 の負 債 総額 は合 計
四百 十 三 万 余 円 にし て、 之 に対 す る貸 出 金 は総 額 四百 八 万余 円 な
り 。而 か も貸 出 額 の大 半 は回 収 不能 見 込 に属 し何 等 か整 理方 法 を
講 ず る に非 ざ れ ば将 来 復 活 の望 みな き も のな り。 依 て当社 は救 済
に拠 り本 請 願 を処 理 せ ん とす 。
当時 の事 情 に鑑 み 一面 当 社 債 権 の保 存 に資 す る為 左 記 各案 の順 位
イ 、 三五 、 〇 〇〇 (早 川 保 証)
四 〇、 〇 〇 〇 夏 家 河 子 工場増 築 建 物 及 機 器 五 九、 〇 〇 〇 大 石橋 工場 五九 、 〇 〇〇 大石橋工場 一 一、 〇 〇〇
位 に て担 保 権 し た り。 然 る に東拓 は教 銀 其 の後 の営 業状 態 を慮
万 円 を貸 出 す こと に決 定 せら れ 、斯 く て東拓 、 正 隆 、満 鉄 の順
に対 し 、東 拓 は八拾 七万 円 、 正隆 は 四拾 八 万 九千 円 、満 鉄 参 拾
貸 付 当 時 救 済 委員 に て作 成 せ る救 済 実 行案 に は松 山台 不動 産
と き は当 社 は本 請願 に応 ず る こと 。
他 の二社 に て債権 金 額 に応 じ適 当 に担 保物 の分 配 を承 諾 する
第 一案
大連工場 七、〇〇〇 月島 工場
三 八 、〇 〇 〇 夏 家 河子 土地 一部 工場 建 物 三九 、 〇 〇〇 長 春炭 坑 三九 、 〇 〇〇 長春炭坑 計 一一六 、 〇 〇〇
計 一三六 、 〇 〇〇
教 育 銀行 請 願 に関 す る件 一、請 願 の要 旨
第 一担 保
〃
五分
年 利壱 割
正隆
東拓
社 に於 て松 山台 不動 産 を担 保 とし て貸 付 け た る金 額 は
り、依 て 一応 本 案 の主 旨 に依 り交 渉 を試 む る こと とし幸 に承 諾
顧 みず し て独 り優 先権 を主 張 す る は余 り に横 暴 にす ぐ る の感 あ
を 以 て此際 三 社 にて担 保 を 引 取 る に当 り、東 拓 が当 時 の事 情 を
満 洲 の財 界 救 済 の主旨 に基 き 共同 貸 付 の意 味 を も含 む も のな る
り僅 か に参 拾 五 万 円 の貸 出 し を為 せ し にす ぎず 。 加 之本 貸 出 は
金 参 拾 五万 円
第 二担 保
満鉄
大 正 十 二年 二月 教 育 銀行 救 済 実 行 案 に基 き東 拓 、 正隆 及 満 鉄 三
金 四拾 八 万 九 千 円
七分
若 し第 一案 の協 定 な らざ る時 は 三 社 の貸 付 金 は現 状 の儘 とし 、
第 二案
を得 ば 本請 願 に応 ず る も可 な らむ 。
〃
金 百 拾 参 万 六千 七 百 円
第 三担 保
合計
金 弐拾 九 万 七 千 七百 円
な り 。然 る に其 の後 同 行 の営 業状 態 は全 く 救 済案 の予 想 に反 し利
三社 及 他 の債 権共 同 な ら ば利 息 の軽 減 に応 ず る こと を三 社 間 に
息 の収 入 は意 の如 く な らず 、 之 に反 し借 入金 に対 す る利 息 の支 払 多 額 にし て将 来 の復 活 は到 底 望 みな き に付 、 此 の際 前 記 借 入金 決
協 定 す る こと。
第 一案 の協 定 な らず し て東 拓 独 り第 一担 保 権 を 主張 し 優 先的
裁 の為 め該担 保 を 債 権者 に て引 取 ら れ度 し 、と 言 ふ に在 り。 二 、当 社 の採 る べき 措 置
は無 担 保 貸 付 の状態 に な り教 銀 も亦 整 理 の目 的 を達 し得 ざ る こ
恐 らく 当 社 の取 得 に帰 す べき 何 物 を も余 さざ る べ く、 結 局当 社
に該 不 動 産 を 取 得処 分 す ると せ ば、 現 今 の如 き 不況 時 代 に於 て
立 を見 る に至 り、 爾 来 再 び開 業 業 務 を継 続 す る に至 りし が 、該 救 済
長 、 東 拓 、鮮 銀 両 総 裁 竝安 田 、正 隆頭 取 の同 意 を得 たる救 済 案 の成
︹ 竹治︺ 支 払 停 止 の醜 状 を暴 露 す る や之 が救 済 の為 め翌 十 二年 二 月川 村 当 社
し て実 行 困 難 の事 項 不 尠 らず 今 日再 び行 き詰 り の状態 とな り何 等 か
案 は当 面 の破 綻 を防 止 す る に急 な る余 り其 の整 理 方法 頗 る 不徹 底 に
の整 理 を要 す る に至 れ り。 依 て当 時 松 山台 不動 産 を 担保 とし て救 済
と と な る べく 、 何 れ に し ても 斯 か る解 決 方 は策 の得 たる も のに
資 金 を貸 出 し た る東 拓 、 正 隆 及当 社 に対 し 別紙 の通 り請 願 書 を提 出
あ らざ る が故 に此 の場 合 三社 の債権 は現 状 の儘 と し 、各 債 権 者
の途 を 講ず る外 な から む。
イ
内
訳
債務 総 額 金 四 、 一三 五、 二三 八 円
救 済後 に於 ける 同 行 の営 業 状 態 に付 大 要 を 示 せば
一、 請 願 の要 旨
し 来 れ り。
と も最 少 限度 に利 息 の軽 減 を為 さ し む る こと とし 以 て教 銀 復 活
第 一案 及 第 二案 の協 定 な らざ る場 合 は 三社 の貸 付 金 は適 当 の
第 三案
時 期 に至 る 迄 現状 の儘 とす る こと を三 社 間 に協 定 す る こと。 第 一、 第 二案 の協 定 な ら ざ る と きは 已 む を得 ず 現 状 の儘 に据 置 く 外 なし 。但 し利 息 の回 収 は当 分 覚 束 な き も のと覚 悟 せざ る
年利五分
以 上各 案 共 な らず 万 一東 拓 、 正隆 にて順 次 其 の担 保 権 を 行使
金
金
金
六 〇 、 〇〇 〇 円
七 五 六 、 七 三六 円
五 〇 六、 五七 四 円
〃
七分
年 利 五分
一日 支払 の約
未 整 理預 金
七分
〃
大正十五年三月 金
金
〃
五〃
す る と き は当 社 貸 金 は無 担 保 とな る べ き を以 て、 此 の場 合 利 息
金
二 六、 二九 二 円
べか らず 。 加 之 教 銀 が再 度 の破綻 を出 来 す が如 き場 合 あ る 時 は
鮮 銀 経由 低 利 資 金
〃
六四八、九三六円 据置預金
元 本 の回収 も亦 困 難 な る べし 。
金 一、 〇 〇〇 、 〇 〇 〇 円
銀 行 団 よ り借 入
〃
一割
は軽 減 せざ る こと 。 万 一東 拓 、 正 隆 二 社 に て担 保 権 を行 使 す る
第 四案
正金 より借 入
鮮 銀 より借 入
〃
時 は恐 ら く当 社債 権 の弁済 に充 つ べき余 剰 を生 ぜざ る べく 結 局
金
一、 二 一二 、 〇〇 〇 円
三五 〇 、 〇〇 〇 円 東拓 より 借 入 松 山 台 第 一担保 四 八九 、 〇〇 〇 円 正隆 銀 行 よ り借 入 松 山台 第 二担 保 二 九七 、 七 〇〇 円 満 鉄 よ り借 入 松 山 台第 三担 保 ︹鏆 太郎︺ 石 本関 係 貸 金 内 回 収 不能 見 込
金 二、 八〇 八、 七 七 一円
金
ロ
無 担 保 とな る べ き を以 て此 の場 合 当 社貸 付金 の利 息 は軽 減 せざ る こ と。
教 育 銀 行 請 願 の由 来 大 正 十 一年 八 月 教 育 銀行 が財 政 上 窮迫 を告 げ 、 同 月 二十 八 日 遂 に
金 一、 二 八〇 、 三 六 二円
一般 貸 出 金
斯 く の如く救済実行案は実行困難 の実情 を現はし将来復活 の望
右 借 入金 の外 、救 済 案 に依 れ ば鮮 銀 より 五 十 五 万 円、 東 拓 よ り
に対す る利息 の負担 を免れ、 一面各銀行 の借入金利率 の半減又は
百拾参 万六千八百円の代償として右担保を提供決済 し、該借入金
みなきを以て此際松山台不動産 を担保 とする当社外二社 の借入金
五 十 二 万 円 (松 山台 不動 産 を 担保 とす るも の にし て現 に借 入 れ の
免除 を要請し、斯く て年額八万四千七百九十 一円 の損失を軽減 せ
一、 〇 四〇 、〇 〇 〇 円
三 十 五 万円 と併 せ て 八十 七 万 円 と な る) を借 入 れ得 る こと と な り
むとす るにあり。
内 回収 不 能 見 込
居 る を 以 て、 此 の資 金 を運 転 し其 の他 整 理 前 の石 本 関 係 竝 一般 貸
二、担保物 の内容価値
東拓、正隆及当社 の貸付金合計金百拾参万六千八百円 に対す る
出 金 の回収 に因 り其 の利 息 収 入年 額 四十 五 万 七千 円 を得 、 之 に対 す る支 払 利 息 、営 業 費 等 の支出 金 三十 九 万 六 千 円 を差 引 き年 額 六 万余 円 の利 息 を 得 べ き計 画 な り し が事 実 は 全 く予 期 に反 し 却 つて
宅地 (地上権)約 畑
)〃
)〃
六万三千〃
此 の地積 救 済 当 時 の地積 に 六千〃 し て最 近民 政 署 にて実 測 の { 結 果多 少 の増減 を生 じ 居 れ り。
五千八百坪
担保不動産 の内訳左 の如 し。
山林 ( 〃
( 〃
〇 円 に対 す る収 入利 息 と し て 一四 〇 、〇 〇 〇 円 を 計 上 し あ れど
合計
十 二棟 約 五百坪
〃 七 万 四千 八 百 〃
も 、 実 際 に於 ては 回 収 困難 のも の多 く僅 か に弐 万 六 千余 円 の利
建物
庁
鉄
〃
〃
〃
評価
一、 七 二 〇 、〇 〇 〇 円
一、 一〇 〇 、 〇〇 〇 円
一、 五九 四 、 〇〇 〇 円
乃至 拾 万円 程 度 を 運転 せし にすぎ ず 。
(
)
前記 不動産 の価格 に付救済当時関係者間に於 て評価 したる所、 満 東
団
左 の如 し。
右 は 主 と し て牛 心台 炭 鉱 の収益 皆 無 な り し に依 る。
関
行
三五六、八〇〇円 山林評価 を含まず
新 調達 資 金 其 他 旧債 の回 収 に依 り新 た に約 百 五十 万 円 を 運転
銀
二 、 一二 八 、〇 〇 〇 円
れ ど も 実際 其 の約 一割 を収 入 せ し にす ぎ ず 。
救 済 実行 案 に石 本 関係 貸 出 利 息 一 一五 、 〇 〇 〇 円 を計 上 し あ
息 を 収 入 せ し にす ぎず 。
救 済 実 行案 に依 れ ば回 収 不能 の 一般 貸出 金 一、〇 九 九 、〇 〇
欠 損 を 生ず る の結 果 を示 せ り 。其 の主 な る 原因 は 一
二
三
整 理 委 員
〃
し 、 此 の利 息 一九 三、 〇 〇 〇 円 を計 上し あ れ ど も実 際 は五 万 円
教 育 銀 行
右 の結 果 救済 実 行 案 の初 年 度 の利 益 金 予算 八 万 三千 円 は却 つ
四 七 、 二 六六 円 九 〇 銭
以 上 の価 値 あ るも のと認 めら れ、 左 の通 り貸出 を決 定 せら れ た る
な りし が結 局関 東 庁 及整 理委 員 の両 者 を折 衷 し 百六 十 五 万九 千 円
上 記 の如 く各 方 面 の評価 区 々にし て何 れを 標準 とす べき や 困難
大 正 十 二年 下半 期 純 損 金
七 八 、 一二八 円 二〇 銭
て反 対 の成 績 を示 し左 記 の如 く欠 損 を招 き た り。
大 正 十 三年 上半 期 純 損金
金 四拾八万九千円
金 八拾七万円 満鉄
正隆
東拓 三 〃
二 〃
一番担保
も のなり。
金参拾万円 合計金百六拾五万九千円也 尚最近東拓 の評価せし所 に依れば左 の如 し。
因 み に担 保 不 動産 の価 値 利 用 法 等 に付 種 々調 査 を要 す る こと あ るも 他 の誤 解 を招 く 虞 あ る を以 て、 目下 は故 ら に之 等 の踏 査 を 避 け居 れり 。
八
大正十四年二月二十七日
極秘
二月 二十四日重役会議決議事項
一、建築 の設計監督を社外委託 に附する件
設く ること に主力 を注ぐ こと。
① 建築課は会社経営 の諸種 の建築施設に付 て方針 を定め準則 を
② 建築課 は年 々の新規建築施 設に付 ては需要者側 の希望を聴取
り、前項 の方針準則 に照し て設計 の大綱 を定め て社外建築 事務
所 に其 の設計 を委 託すること。
③ 建 築課は前項 の委託設計 を審査決定し、該工事請負人に関す
る建築事務 所 の意見を参酌 して之が選定 の案を立 てて工事契約
締結箇所 に通知し、契約締結 の上は工事監督を該建築事 務所 に 依頼 すること。
所 の能力 不足な る場合は自ら設計監督 に当ること。
④ 建築課 は特殊 の建築を為す ことを要する場合又は各建築事務
築事務所 に対す る割当を立案し決裁を求むる こと。
⑤ 建築課 は毎年度末迄に翌年度 の建築設計監督 に付自課竝各建
所 に内示し て相当準備を為さしむ ることを得。
⑥ 建築課は前項 の割当決裁前 に委託工事概算予想 を各建築事務
⑦ 建築課 は第五項 の割当案 に最 近年度 に於 ける各建築事務所 の 附
設計 、監督成績審査報告を附すること。
本案施行 のことに決定 の上は地方部長は各建築事務所経営者 に交
渉 して其 の実力を調査 し、設計監督 の報酬 を協議し、之 を鉄道部長
及技術審査委員長 に告 げて最初 の委託割当額 を商議立案 の上、重役
極秘
部長、築島文書課長
会議 に提出 し決裁を求むる こと。 以上 ︹ 敏行︺ 列席者 社長、副社長、松岡、赤羽、森 、安藤各理事 、田辺地方
九 大正十四年 二月二十七日 二月 二十六日重役会議決議事項 本件 に関 しては既 に本 月十四日重役会議 に於 て大綱 を決定 せら
一、瓦斯事業 を独立経営組織に改む る件 れた るが、財産 の減価償却及配当其 の他 の条件 に関し研究中 のと 資本金 は金 一千万円とし第 一回払込金額を金九百五十万円と
ころ興業部 の成案 に基き審議 の結果、左 の通り決定せられたり。 ①
現在 の瓦斯事業投資額 八百五十八万円は帳簿価格其 の儘新会
す ること。 ②
第二項財産出資額 の外 、現金 にて金九十二万円を払込む こと
社 に出資す ること。 ③
新会社 は十四年 度以降満鉄 に対し五箇年間毎年出資額 に対す
(十三年度事業費繰越額及十四年度事業費予算額合計) る五分即ち金四十七万五千円を下らざ る株主配当 を為す こと。
④
新会社 は前項配当を為 したる残余益金を以 て可成固定財産 の 社外 より投資を希望 する者あるときは満鉄は其 の持株を譲渡
減 価償却 を為す こと。
⑤ ⑥
する こと。
⑦
前 項株 式 売 買 の際 に生ず る株 式 額 面金 額 と の差 損 益 は 総 て満
現 在 及将 来 本 事 業 に使 用 せら るる 共同 使 用 の事 務 所 、 倉庫 竝
るも のは相 当 料 金 を 以 て貸 付 く る こと 。
現 在 及将 来 本 事 業 に使 用 せ ら るる 土 地 にし て満 鉄 の所 有 に係
鉄 の計算 に於 て為 す こと 。 ⑧
⑨
全 部 の社 宅 にし て満鉄 よ り引 継 ぎ 難 き も のは 相当 料 金 を 以 て貸
新会 社 に引 継 げ る瓦 斯 従 事 員 は 本人 の希望 に依 り 五年 を限 り
現 在瓦 斯 事 業 に属す る従 事 員 は 総 て新 会 社 に引継 ぐ こと。
付 く る こと。 ⑩
撫 順 炭 を 使 用 す る場 合 は其 の炭 価 は社 内炭 並 とす 。但 し社 外
は社 内 事 業 と同様 の取 扱 を 為 す こと。
新 会 社 に於 て物 品 の購 入 、 工業 の施 行 を満 鉄 に依頼 す る場 合
満 鉄 の非 役 社 員 の待 遇 を与 ふ る こと。
⑪
⑫
⑬
⑭
来 る 四月 一日 よ り実 施 を 期 す る こと。
新 会 社 の名称 は南 満 洲 瓦 斯 株 式会 社 と す る こ と。
以上
炭 価 に依 るを瓦 斯 会 社 の有 利 と す る場 合 は之 に依 る こと。
⑮
列席 者
社 長 、副 社 長 、 赤 羽 、森 各 理事 、古 仁 所 経 理部 長 、 向坊 ︹ 素平︺ 商 工課長 、 富 次 瓦 斯 作業 所 長 、 入 江人 事 課 長 、築島 文書 課長
一〇
極秘
二 月 二十 六 日重役 会 議 決 議 事 項
大 正 十 四年 三月 三 日
第 一条 ﹁解除 す ﹂ と あ る を ﹁解 除 し会 社 は朝 鮮 国 有鉄 道 を現
一、朝 鮮 国 有 鉄 道 経営 委 託 解 除契 約 案 ① 状 の儘 総 督 府 に引 継 ぐ も のとす ﹂ に改 正 方 、京 城 鉄 道 局 よ り総 督 府 鉄 道 部 に交 渉 中 同 意 を得 る見 込 な る が仮 令 同 意 を得 ざ るも
第 三条 ﹁貯 蔵 せ る物 品 ﹂中 に は貯 蔵 品 は勿 論 既 に現場 に配 給
除 方飽 く迄 主 張 す る こと。
第 二条 但 書 中 ﹁ 朝 鮮 総 督府 に於 て継 承 し能 はざ る も の﹂ を削
委 託 経 営 引 受 当時 の条 件 に鑑 み同 一趣 旨 に解す る こと 。 ②
③
せ る も委 託 解 除 の日 に於 て現 在 す る も のは 総 て之 を包 含 せ し む る こと 。
第 一条 、貯 蔵 物 品帳 簿 価 格 は 買 入価 格 を 記 入 し あ るを 以 て右 に
二、 朝鮮 国有 鉄 道 経 営 委 託解 除 契 約 書附 属 協 定 書案
釜 山 迄 の運賃 加 算 方 、総 督 府 鉄 道 部 の了解 を得 べ く交 渉 中 。 三、 残 務 引継 員 に引 継 終 了後 謝 礼 支 給 の件 相 当 考 慮 す る こ と。
就 職 のと き よ り引 継 に至 る勤 続年 限 に対 す る退 職 手 当中 より 前 記
よ り要求 あ り、 合 理 的 な れば 已 む を得 ず 同 意 す る こと。
退 職 手当 を控 除 し た る残 額 は 会 社 に於 て負担 せら れ た き旨 総 督 府
六 、 社 員 と同 一義 務 に服 し来 た る嘱 託 に対 す る退 職 手当 は会 社 に於
て負 担 せ ら れ たき 旨 総督 府 よ り要 求 あ り、 已 む を得ず 同 意 す る こ と とし 引 継 の際 支 給 の こと。
七 、 総 督 府 の要 求 に基 き嘱 託 医 師 に対 す る退 職 手当 は 会 社 に て負 担
右 退 職 手 当 は会 社 より 支給 の こと 。
のこと と し 引継 の際 支 給 のこ と。 ︹ 明九郎︺ ︹ 深︺ 八、 黒 沢 、 中 野 工務 課長 、赤 井 鉄 道 学校 長 の引 継前 の退 職 を認 め 、
に し て渡 切 り のも のは其 の儘 とし 会 社 に於 て負 担 す る こと。
九 、十 四 年 度 に亘 る外 国 出張 、 留 学 の者 に対 す る 十四 年 度 分 の旅 費
安 東 駅 使 用料
貨 車 使 用料
社 貨車 一輌 一日金 弐 円参 拾銭 とす る こと。
①
十 四 年 度 に於 て局 にて運 用 の安 奉線 食 堂 車 欠損 見 込額 金 弐 万
十 、局 社 聯 絡 運 輸協 定 に関 す る件
②
鮮 満 案 内 所費 用中 、 金 弐 万 円総 督 府 に て負 担 のこと 。
円 を会 社 に て負 担 のこと 。
十 四年 度 に限 り年 額 金 弐 拾 六万 円 と す る こと。 ③
④
軍 事 輸 送 会心 議 の件
総 督 府 に於 て は引 継 に際 し 一応 会 社 の非 役 と為 し置 き全 快 の上
四 、 病気 の為 三箇 月 以 上 欠勤 者 の取 扱 に関 す る件
は な る べ く鉄 道 局 に於 て採 用 す る こと とす るも 、之 等 に対 す る退
⑤
列 席者
以上
社 長 、副 社長 、 松 岡 、赤 羽 、 森 、安 藤 各 理事 、 藤根 鉄 道
こと 。
将 来 局 の新 造車 及 改 造車 には移 上 設備 を施 す ことを協 定す る
従 来 通 り 局 社聯 合 す るを希 望 す る こと 。
職 手 当 は 会 社 に於 て負 担 せ ら れた し 、 と要 求 ある も 一般 社 員 同 様
カ ツ プ ラ ー移 上 の件
引 継 方 強 硬 に主 張 の こと。 ⑥
右 の者 に 対 し て会 社 年限 長 く 京 城 鉄 道局 の勤務 年 限 極 め て短 き
五、 会 社 よ り 京城 鉄 道 局 に転 勤 し た る者 の取 扱 に関 す る件
者 に対 し て は京 城 鉄 道 周 に転 勤 のと き 新 に採 用 し た る も のとし 、 其 の勤 務 年 限 に対す る退職 手 当 は総 督 府 に て負 担 す る も、 会 社 に
極秘
部長、古仁所経 理部長、入江人事課長、築島文書課長
一 一
大 正十 四 年 三 月 二 日 二 月 二十 八 日 重役 会 議 決 議事 項 ︹ 旭硝子株式会社︺ 一、旭 社 と窓 硝 子 工場 共 同 経 営 に関 す る件
①
②
旭 附 帯 票項
六 六 ・六 % 前案 同 様
現金 出 資
二〇 〇 万 円
窓 硝 子 工場 経 営 の為 旭 社 と共 同 にて新 会 社 を設 立 す る に付 、
右 実 行 に必要 な る左 の附 帯 決 議 あ り た り。
新 会 社 設立 に付 定款 作 成 等 は旭 社 と協 議 の上 、更 に顧 問弁 護
に必 要 な る全 権 を赤 羽 理事 に委 任 す る こと 。
本 会 議 の決 議 に依 る条 件 を以 て旭 社 と交 渉 し 、契 約 を 締結 す る
②
③
本 案 実 行 に伴 ふ社 内 整 理 は左 の如 く す る こと 。
新 会 社 設立 に付 ては 政府 の承 認 を得 るを 条 件 とす る こと。
士 の意 見 を聴 き遺 漏 な き を期 す る こと。
④
窓 硝 子 工場 の共同 経 営 に関 し て は予 て旭 社 と交 渉 中 のと ころ、
を得 た るを 以 て審 議 の結 果 、 第 二案 は不 適 当 と し て排 除 し 、第 一
四割 現 金 出資
工場出 資
一八 〇 万 円
一二 〇 万 円
)
)
十 四 年度 欠損 見 込 額 フリ ンク機械 代
同
現金回収
同
会社出資
事 業費 総 額
十 三年 度 決 算 見 込額 ( 総 体 費 割掛 を含 まず )
金百万円
三 四 七、 〇 〇 〇 円
金 三 六 五 、 五 四六 円
一六 五、 五 四 六 円
二 一〇 、 〇 〇 〇 円
(第 三案
金
(第 三案
内 金 一、 二〇 〇 、 〇 〇〇 円
計 金 二、 二〇 二、 九 四 三 円六 〇
同
金 一、 三 三八 、 七 九 九 円
窓 硝 子 工場 十 二年 度 迄 決 算 額 ( 総 体費 割 掛 を含 む )
金 八 六 四、 一四四 円 六〇
旭 社 よ り の提 案 を基 礎 とし 興業 部 に於 て対 策 考究 中 な り し が 三案
六割
三 〇 〇 万円 (全 額払 込 ) 満鉄 旭
附 帯 事項 中石 炭 産 業 助 成 金 よ り噸 当 り金 五十 銭 差 向 き 一箇
内
資本金
案 又 は第 三案 に依 り具 体 的 交 渉 を進 む る こと と な れ り。 即 ち 第 一案 ①
②
年 補 助 す る こと (工業 用炭 割 戻 金 五十 銭 を加 ふ れば金 壱 円 の 値 引 とな る )
金
第 三案
金
貯蔵品 に戻 入 特許権仮払整 理
右十 五万余円は已むを得ざ れば十四年度 に於 て欠損整理すべき
一五八、〇六六円六〇
第 一案 は 満 鉄 四割 、旭 六 割 の共 同 出 資 な るが 、此 の比率 を変
工場 出 資
差 引金
更 し満 鉄 三 割 三 分 三厘 、 旭 六 割 六分 六、 即 一と 二 の比 にて出 資
三 三 ・三 %
一〇 〇 万 円
一二二 、三三 一円 満鉄
三 〇 〇 万円 (全 額払 込 )
金 内
資本金
す る も のな り 。 ①
も 出来 得 れば赤 羽理 事 に於 て今 日迄 の窓 硝 子 工場 の地代 、 人件 費 其 の他 を考 慮 し 、其 の幾 分 な り と涙 金 とし て支出 方 旭 社 に交 渉 の こと。
大 正十四年三月十 日
極秘
三月九日重役会議決議事項
れ たり。
れたるが、興業部 の具体案 に就 き審議 の結果、左 の通 り決議 せら
本件 に関しては二月二十八日重役会議 に於 て其 の大綱を決 せら
一、空洞硝子竝耐火煉瓦事業を独立経営組織 に改むる件
空 洞 硝 子 及 耐 火煉 瓦事 業 を独 立会 社 と し て経 営 せし む る こと。
二、 空 洞硝 子事業 及 耐 火煉 瓦 事 業 を 独 立 経営 組 織 に改 む る件 1
1 資本金 を金百弐拾万円とし全額払込とす。
現 設 備 の中 、試 験 設備 に し て将 来 不用 のも のは 新会 社 に於 け る利 用 価値 迄 価格 を 切 り下 げ、 其 の差 額 は此 の際 会社 の欠 損 と
2
るも のは相当料金 を以て貸付 くること。
7 現在及将来本事業 に使用 せらるる土地にして満鉄 の所有 に係
鉄 の計算 に於 て為 すこと。
6 前項株式売買 の際 に生ず る株式額 面金額と の差損益は総 て満
する こと。
5 社外 より投資を希望 する者 あるときは満鉄は其 の持株 を譲渡
当をなし残額 を以 て固定財産 の減価償却 に充当すること。
4 新会社は大正十四年度 以降 五箇年間年三分を下 らざる株 主配
金出資額は金 八万五千弐百五拾五円となる。
内弐万弐千円は欠損処分とす)を同社 に引継ぐを以 て実際 の現
但 し新会社設立後未収金 五万八千円 ( 宋収金は八万円なれども
3 前項財産 の外、金拾 四万参千弐百五拾五円を出資する こと。
用を其 の儘新会社 に出資す ること。
四千弐百五拾五円を切り落したる残額金百五万六千七百四拾五
将来使用せざ るも の及 不良製品評価値引 に依 る欠損金弐拾六万
拾弐万省千円より破損 の為使用不可能 のもの、試験設備 にして
2 現在 の両 工場事業投資額 (興業費、貯蔵品、生産 品)金百参
新 会 社 の組織 、 資 本 其 の他 は瓦 斯 会 社 設 立 の例 に依 り 追 て立
二万 一千 円 を充 当 す る こと 。
此 の欠損 財 源 に は大 正 十 四年 度 に於 け る同 事 業 損 失予 算 金 十
此 の予定 金 額 十 九 万 三千 円
す る こと 。
3 案 決 定 す る こと。 三 、鞍 山修 理 用 耐 火煉 瓦 工場 建 設 に関 す る件
鞍 山 修 理 用 耐 火煉 瓦 は古 煉 瓦材 料 の利 用 竝 運賃 節 約 等 の諸点 よ り鞍 山 に於 て製 造 す る を有 利 と認 め ら る る に付 、硫 酸 工場 建 設 費
以上
を流 用 し 工費 約 金 二 十 五万 円 の工場 を十 四 年 度 に於 て建 設 す る を 認 む る こと。 列 席者
社 長 、副 社 長 、松 岡 、赤 羽 、森 各 理事 、岡 興 業 部長 、古 ︹ 耕輔︺ ︹ 多喜助︺ 仁 所 経 理部 長 、向 坊 商 工課 長 、 平 野 窯業 工場 長 、横 田窯 業 工場 次長 、市 川 主 計 課長 、築 島 文 書課 長
一二
従事 員 の社 宅 と し て当 社 々宅 を使 用 す る 場 合 には相 当 料金 を
ば第 二案 に依 る こと 。但 し目 下経 済 界 の状 勢 に於 て社外 よ り の投
帰 社 の上更 に協 議 決 定 の こと 。
8
第 三案
資誘 致 困 難 な ら ば当 分現 状 維 持 の外 なら む も、 松 岡 、赤 羽両 理事
現在 両 工場 に属 す る従 事 員 は総 て新 会 社 に引 継 ぐ こと。
以 て貸 付 く る こと 。 9
三 八 二、 〇 〇 〇円
七 〇 、〇 〇 〇 円
資 本 金 は 金 八拾 万円 全 額 払込 とす る こと とし 、 払込 の内 訳 左
大 華 出 資 金 振替
の如 し。
大 華 貸 付 金振 替 出 資
現 金 出 資 三 四 三 、〇 〇 〇 円 ︹ 慶篤︺ 新 会 社 は大華 に対す る貸 付 金 回収 方 法 と し て上 島 名義 の特 許
7
6
5
4
仮 に新 会 社 の方 針 に依 り大 華 は製 造事 業 を閉 鎖 す るも のとし
工 具会 社 の合 併 に付 て も新 会 社 成 立後 決 定 す る こと 。
福 州水 鉛 鉱 買 収 に就 て は新 会 社 に て決 定 す る こと 。
大華 冶 金 公 司 の経営 に付 ては 新会 社 に て決 定 す る こと 。
新会 社 の重 役 は 当社 と し て何 等 関与 せざ る こと。
資 本 金額 は第 三案 同 様 と し 工場 拡張 資 金 は 社 外資 本 に依 る こ
と とし 、 当 社 は大 華 冶 金 に対す る出資 金 及 貸 付 金全 部 を株 式 に 振 替 ふ る こと 。
1
第 二案
て計 算 す れば 其 の新会 社 及 残 存 大 華 の事 業 目論 見別 紙 の通 ( 上 ︹ 宣威︺ 島 及 李 に対す る報 酬 は 計 上 せず )
8
権 、機 器 、 什 器 及流 動 資 金 は 別製 評 価 に て取 得 す る こと 。
3
2
業 家 に譲 渡 し 、譲 受 人 をし て工場 拡 張 資 金 を提 供 せ し む る こと 。
当 社 の大 華冶 金 に対 す る出資 金 及 貸 付 金合 計 額 を 以 て社 外 企
新会 社 に引 継 ぐ べ き従 事 員 は本 人 の希 望 に依 り 五箇 年 を 限 り
新 会 社 の名 称 は大 連 窯業 株 式 会 社 と す る こと。
1
10 満 鉄 の非 役 社 員 の待遇 を与 ふる こと。 満鉄 にて現 に採 取権 を有 す る硅石 は無 償 に て新会 社 に採 取 せ し む る こと。 但 し 採 取規 則 に依 り官 に納 付 す べき料 金 は新 会 社
1 1
の負 担 と す る こと 。 満 鉄 の供 給 に依 る石 炭 は社 外炭 並 と し当 分 の内 工業 用 炭 割戻 の外 、産 業 助 成 費 よ り噸 当 り 金 壱 円 を補 助 す る こと。 新会 社 に於 て物 品 の購 入、 工 事 の施 行 を満 鉄 に依 頼 す る場 合 は 社内 事 業 と同 様 の取扱 を為 す こと 。但 し本 項 は 当社 の都 合 に
12
13
彫 刻 師 イ ー ナ ー の嘱 託 手 当 月 額 六 百 円 は大 正 十 五年 三月 末 日
依 り後 日変 更 す る こと あ る べし 。 14
15
来 る四 月 一日 よ り実 施 を期 す る こと 。
迄 産 業 助 成費 よ り補 助 す る こと 。
16
満 鉄 に於 て平 野 式 熔 融 窯特 許 権 を 従 来使 用 し た るも のに 対 し、
附帯事項
も 同様 無 償 とす る こと。
満 鉄 は報 償 せ ざ る も のと す 。尚 新 会 社 に於 て将 来 使 用 す る場 合
前 二項 に関 し ては覚 書 を作 成 し置 く こ と。 二、 大 華電 気 冶 金 公 司 拡張 に関 す る件 ( 興 業 部 提 案 参 照) 興 業 部提 案 に付 審 議 の結 果 、 第 三案 を希 望 す るも 已 む を得 ざ れ
取 締 役 二名 、 監査 役 一名 を 当 社 よ り推 薦 す る こと。
2 3は第 三案 に同 じ。 4 5 67 8 は第 三案 に同 じ。 三 、 欧 亜鉄 道 聯 絡 状 況視 察 の為 社 員派 遣 の件
極秘
大 正 十 四年 三月 十 三 日
撫 順 炭礦 長
古 城 子 河附 換 工事 に関 す る稟 議
古 城 子大 露 天掘 の炭 層 に連 続 せ る華 勝炭 礦 新 礦 区 を大 露 天 掘 区 域
が 、支 那 官 憲 の承 諾 を得 なけ れ ば な ら ぬ ため 、其 の実 行 は却 々至 難
内 に取込 み、 河 の中 心 よ り以 西 に亘 る浅 き炭 層 を 露 天 掘 にて採 掘 せ
鉄道 省 より勧 誘 も あ り同 省 の派遣 者 と共 に当 社 鉄道 部 員 二名 を
と さ れ て を る の であ り ます 。 然 る に今 回大 瓢屯 操 車 ヤ ード に要 す る
出 張 せ し む る こと 。但 し旅 費 は 鉄道 部 予 算 内 より支 弁 の こと 。
社 長 、 副 社長 、森 、 梅 野両 理事 、 藤 根 鉄道 部 長 、 岡 興業
ん と せ ば是 非 とも 古城 子 河 々流 を附 換 へね ば なら な い ので あ りま す
部 長 、 向坊 商 工課 長 、 平野 窯 業 工場 長 、市 川 主 計 課 長 、
以上 列 席者
土 地 の買 収 方 に就 ても亦 支 那 官 憲 の承諾 を 得 な け れば な ら な く な つ
子 河附 換 工事 の 一件 も亦 不 即 不 離 の関 係 あ る難 問 題 と 具 体 化 し来 り、
る支 那炭 礦 と の種 々複 雑 な る経 緯 が こ の土 地買 収 事 件 に絡 ん で古 城
た 為 に、昨 年 十 月 以 来頻 り に交 渉 中 のと ころ 、撫 順 炭 礦 々区外 に在
築 島 文 書 課長
一三
目 下 当礦 に於 て非 公 式 に支 那 官 辺 の関係 者 と接 衝 をし て居 り ま す。
幸 にし て若 し此 の際 そ の交 渉 が纏 り得 る なら ば 此 の好 機 を 逸 せず 、
極秘
大 瓢 屯 土 地 問題 の解 決 と 共 に支 那 宮 憲 の公 許 を経 て急 速 に古 城 子 河
大 正 十 四年 三月 二十 日 三月 十 九 日 重役 会 議 決議 事 項
々流 の附 換 を為 し、 予 よ り其 の交 渉 が難 中 の至難 事 なら んと 予測 さ
一、 古 城 子 河附 換 工事 に関 す る件 撫順 炭 礦 の提 案 を 認 め 左記 金 額 の支 出 を承 認 す る こと。
河 流附 換 工事 費 ( 露 天 掘仮 払 )
が無 事 成 立 せ し場 合 には曩 に提 出 せる 当礦 々務 課長 立 案 に基 き 左記
れ て居 る 該 工事 を完 成 し た く、 就 ては右 経 費 と し て若 し今 回 の交 渉
保 安 公 司採 掘 炭 買 収 前渡 金 (貸 金 整 理 )
記 金弐拾万円
一金 弐 拾 万 円
一金 弐 拾 万 円
運動 費 其 の他 一切 (説 明 別記 )
河流 附 換 工事 費
記
金拾五万円
大 瓢 屯 土 地買 収 運 動費 ( 用 地費 )
以上 ︹ 恒郎︺ 社長 、森 、梅 野 両 理事 、岡 興 業部 長 、古 仁 所 経 理部 長 、 山 ︹ 鉦太郎︺ 西撫 順 炭 礦 次 長 、大 藪 撫 順 炭 礦庶 務 課 長 、 築 島 文書 課 長
五万円
金 額 の支 出 を 特 に御 認 可 相願 ひ た し。
金
列席者
一
交 渉 の経緯 及費 途 説 明 大 瓢 屯 操 車 ヤー ド の設 置 に就 て
宝炭礦 を満鉄 に強制買収 せしめ ん為 の魂胆 であります。 天宝炭礦 の価値 に就 て
ぬ為 、該 所 要 地 域 は 大露 天 掘 計 画案 に基 き 去 る大 正 十 一年 以来 支
ます。併し乍 ら若 し其 の下を流 るる古城子河を撫順炭礦 々区内 に
つたのであるから之を買収しても 一文半銭 の価値なき炭礦 であり
して居るが華勝炭礦 の水没後同 じく出水の為稼行が絶対不能 とな
天宝炭礦 の破区は東方華勝炭礦 に接し、西方は瓢爾屯炭礦 に隣
那 人 名義 に て秘 密裡 に買 収 を 続 け 、昨 今 に ては其 の 一小 部 分 を除
附換をすれば該炭礦は復活し得 るのであります。其 の事が彼等関
三
く の外 殆 ど 買 収 を 終 り しも 、 之 を会 社 用 地 に移 し本 年 の予 定 工事
大 瓢 屯 操 車 ヤー ド は千 金寨 停車 場 撤 廃 の必要 上 新 設 せ ね ば なら
た る線 路 其 の他 の施 設 を為 す には支 那 官 憲 の承認 を得 な け れば な
主義 の炭礦買収強要 が古城子河附換 工事 の交換条件 に変化し来 つ
係者 の漸く了解する所となり種 々接衝 の結果妨害運動 に依 る敵本
のであります。
たのでありますが、彼等 の要求 は要す るに会社 の思 ふ壺 に嵌 つた
ら な い ので あ るが 、昨 年 十 月 以 来 の交 渉 が裏 面 に於 て支 那炭 礦 に
得 兼 ね て居 る の であ り ます 。 既 に工事 着 手 解 氷 期 にも迫 り 、 且買
四 華勝炭礦 の礦区権許可証 に就 て
支 那 官 吏 が敵 本 主 義 で始 め た る運動 で あ りま す 。事 の起 り は昨 年
炭礦 区 外 に在 る天 宝 炭礦 の採 掘 権者 保原 公 司 及 振 興通 に関 係 あ る
大 瓢 屯 土 地買 収 の認 可 を支 那 官憲 が妨 害 す る に至 つた のは撫 順
支 那 官吏 の牽 制 的 妨害 に就 て
河 の西方 一円を支那側 に統 一せしむ る好餌 を与 へて彼等を必死 に
古城子河附換後 新河左岸となる撫順炭礦 の不用礦区までを併 せ、
せ、若 し運動成功 せば華勝炭礦 旧礦区 の採掘権を保原公司 に譲 り
件も古城子河附換 工事承認運動 と共 に天宝炭礦関係 の官吏等 に任
就き種 々苦心をしたが其 の甲斐 なく今 日に及 んで居 ります。此 の
に提出 せしまま差押 へられ、是 れ迄興業部 に於て其 の取戻 運動 に
華勝炭礦 の破 区権許可証は昨年其 の名義書換を為す べく実業庁
以 来 天 宝炭 礦 が出 水 の為稼 行 不能 と な り 、之 に関係 あ る支 那 官吏
投 じ ても之 を急 速 解 決 す る のが利 益 で あ る、 と認 め ます 。
れ ば 取 り纏 め難 き 事情 が あ りま す か ら寧 ろ此 の際 多 少 の運 動費 を
残 り の土 地 一小 部 分 の買 収 に就 ても何 れ支 那 官憲 の助 力 を 得 な け
関係 あ る奉 天 官 辺 の官吏 等 に より牽 制 的 妨 害 を受 け今 以 て公認 を
二
連 の投 資 が到 底 回収 し 得 る見 込 な き に至 り し為 、会 社 が大 瓢 屯 に
の中 の金拾五万円は別紙契約書案 の如く天宝炭礦復活後石炭 を買
運動費其 の他 一切として金弐拾 万円を計上してありますが、其
運動費支途 に就て
て土 地 買収 の必要 あ るを勿 怪 の奇貨 と し、 振 興 通 の投 資 者 とし て ︹ 鏡寰︺ 王 政 務 庁長 の舎 弟 がそ の中 に あり 、保 原 公 司 の株 主 中 にも 有 力 な ︹ 永江︺ る奉 天 省 の官 吏 が居 る為 、 一同 結 束 し て 王省 長 の諮 問 機 関 たる行
収する形式とし、古城子河附換 工事 の公認 を得た時前渡金として
運動させることは以夷制夷 の良策であらうと考 へます。
政 会 議 を利 用 し て、 大 瓢屯 の土地 買 収 に異 議 を 申 立 た ので ある 。
五
即 ち共 の真 意 は大 瓢 屯 問題 の交換 条 件 と し て自 己等 の投 資 せる天
六
渡 す こと とす れば 工事 は着 手 後 一年 で出 来 上 る 見込 で あり ま す か ら 、天 宝 炭 礦 が復 活 す れば 来年 遅 く も明 後 年 よ り石 炭 を引 き 取 り
し ます 。
契
約
書
撫 順 炭 礦 (以 下単 に甲 と 称 す) は□ □ □□ を代表 とし 、保 原 公 司
得 る こと に なり ま す 。即 ち 此 の分 は軈 て幾 年 の後 に石 炭 で全 部 回 収 し得 る訳 であ りま す か ら、 仮 に 一日 の出 炭 高 を最 少 に見 積 つて
甲 は 乙 に対 し、 乙 の採 掘 す る石炭 参 万噸 を 切込 炭 壱米 噸 金
(以 下単 に乙 と 称す ) は□ □ □ □ を代 表 と し て本契 約 を締 結 す。
甲 は 乙 の採 炭 作 業 復 活 の為 、 乙 の依 頼 に応 じ古 城 子 河切 換
乙 は 前条 の工事 に関 し専 ら中 国官 民 に対 す る交 渉斡 旋 を 引
乙 は天 宝炭 礦 及 振 興 通 に対 し将 来絶 対 に争議 、 苦 情等 の発
受 く る と共 に、甲 に対 し 将 来永 遠 に好意 的 援 助 を 与 ふ べき も のと
第 三条
の工事 を 引 受 く る も のと す 。
第 二条
る も のとす 。
五 円 の割 合 にて買 収 す べ き 予約 を為 し金 拾 五 万 円 の前 渡 を 承諾 す
第 一条
三 百 噸 とす るも 、 其 の十 分 の 一づ つと し て三 年 以内 に は回 収 し得 ら れ る ので あり ま す 。金 弐 拾 万 円 の中 、 右 の拾 五 万 円 を除 き た る 残 額 金 五 万円 は要 す る に大 瓢 屯 土 地買 収 及 古 城 子 河附 換 の二件 認 可 に対す る運 動 費 の名 目 に て彼 等 官吏 連 中 の間 に分配 さ れ る賄 賂 であ り ます 。 運動 の順 序 対 手者 の言 ふ所 に拠 れば 、 運 動 の方 法 とし て先 づ華 勝 炭 礦 々権
す。
者 よ り の古 城 子 河 附換 請 願 に関 す る委 任 状 と 撫順 炭 礦 よ り の礦 区 内 に河流 附 換 を 承 諾 せ る証 書 を 得 て、 一切 の出願 手 続 を保 原 公 司
第 四条
第七条
甲 は 乙 に対 し古 城 子 河附 換 工事完 成 後 、 乙 が新 河 流 の左 岸
古城 子河 新 河 流 の左岸 方 面 に在 る華 勝炭 礦 々区 の採 掘 権
甲は乙 に対し乙 の採炭稼行 に必要 なる電力 の供給を承諾す。
編 注、( )内 は朱書 ︺ 注 意 によ り削 除 ) ︹ ︹ ︺ 内 は 朱線 抹 消
内 よ り石炭 を無 償 に て採 掘 す る こと を許 可 す る も のと す 。 ︺ (社 長
が現 採 礦権 者 よ り甲 の所 有 に移 りた る とき は 、前 条 に準 じ該 礦 区
︹ 第 六条
る も のと す 。
方面 に在 る 甲所 有 礦 区 内 の石炭 を無 償 にて採 掘 す る こと を 許可 す
第 五条
出 す べ きも のと す。
生 せざ るや う機 宜 の契 約 を 取 り結 び、其 の契 約書 写壱 通 を甲 に提
名 義 に て運 ぶ こと と し 、其 の認 可 を得 た る上 は 石炭 売 渡 契 約 の前 渡 金 と し て金 拾 五 万 円 を交 附 さ れ たく 、 一方 大瓢 屯 土 地問 題 の認 可 は関 係 方 面 の官 吏 を買 収 し 、行 政会 議 を形 式 的 に開 催 し て可 決 す べ し、 と の こと であ る が凡 て運動 費 は成 功報 酬 とす るも 、或 は 此 の運 動 に要 す る 小洋 参 万 元見 当 の金 だけ は 成 功 の後 と せず 、寧 ろ思 ひ切 つて前 渡 し た方 が彼等 の感 情 を好 く し速 に成 功 の結 果 を 見 得 る こ と にな ら う か、 と思 は れ ます から其 の辺予 め御 含置 き願
裏 面 の交渉 に は今 迄 当 課庶 務 課 長 が専 ら之 に当 つて居 り ます が、
ひ た いと 存 じ ま す。
今 後 引 続 い て其 の運 動 を進 め る とす れ ば従 来 接 衝 し 来 つた経 緯 も あ り ま す か ら裏 面 の交渉 は 一切 当 礦 に御任 せ下 さ る や う御 願 ひ致
但 し 電 力料 金 は既 往 の例 を標 準 と し て 別 に之 を 協 定 す る も のと す 。
価 格 十 六 万 三 千九 百 三 十 五 円 七十 八 銭 を 以 て造 林 目的 に て支 那 人
名 義 を 用 ひ買 収 し、 其 の後 造 林 計 画 中 な る も支 那 側 と の関 係紛 擾
を 来 し 到底 近 き将 来 に於 て実 地 経 営 着 手 不可 能 と な り、 且 他 に会
第 一条 に依 り乙 よ り甲 に売 渡 す べ き石 炭 は 毎 月 乙 の採 掘 せ
る石 炭 総 高 の十 分 の 一を 翌 月中 に引渡 す べ き も のと す。
第八条
社 と し て差 当 り利 用 の途 な き を以 て此 の際 売 価 は 約原 価 七 〇% を
年
月
日
今 回海 城 県 下 宋 家 堡 子 に於 け る 滑 石鉱 区経 営者 ( 武 人 出 の有 力 者
海 城 滑 石 鉱 区 処 分 の件 ( 興 業 部 提 出)
回 収 し 得 る見 込 に付 全 部之 を売 却 整 理 し たし 。
以 上 の契 約 は甲 に於 て古 城 子 河 々流 附 換 工事 の件 に関 し 中 国 官憲 の公 認 を得 た る と き より其 の効 力 を 発 生 す るも のと し 、茲 に甲 、 乙 代 表 者 間 に於 て中 、 日両 国文 よ り成 る本 契 約 書 各 弐 通づ つを 作 製 し、
大正
双方 と も 中 、 日文 契 約 書各 壱 通 づ つを所 持 す るも の也。
馮 隣閣 一派 ) よ り会 社所 有 に係 る 同所 礦 区 を 譲受 度 き旨 申出 あ りた
と す る事 情 あ る を 以 て、 奉 天 公所 をし て其 の衝 に当 らし む る こと。
六 、支 那 側 と の交渉 は従 来 の行懸 り上 興 業 部 に於 て接 衝 す るを 困難
を低 減 す る こと。
儘 馮 氏 に引継 ぎ、 其 の代償 と し て小 洋 六 千元 以 内 に於 て譲 渡代 価
五 、右 請 負 人 に於 て鉱 区 の関 係 離 脱 を 欲 せざ る場 合 は 、現 在 関係 の
補 償 を 支給 し関 係 を離 脱 せ し む る こと 。
四 、〓 子 峪鉱 区 の現 在 採 掘請 負 人伊 藤 謙 次 郎 に は最 高 小洋 六 千 元 の
額 を 一時払 と し、 残 額 は適 当 の方 法 に て後払 とす る こと。
三 、譲 渡 代 金 の割賦 弁 済 は拒 絶 す る も、 已 む を得 ざ る場 合 は其 の半
る場 合 は弐 万 四 千 元迄 低 減 す る こと。
二 、譲 渡 代 価 は 取得 原 価 奉 小票 五 万 四千 元 の半 額 と し 、 已む を 得ざ
し て譲 渡 し 、 他 は放 棄 す る こと 。
一、五 鉱 区 を 一括 し て馮 氏 に譲 渡 す 。但 し 止 む を得 ざ る場 合 は分 割
な る を 以 て、 左 の方針 に依 り先 方 と交 渉 す る こと の可 否 。
るが、 之 れ従 来 の滑 石鉱 区 に関 す る紛 議 を 一掃 す る には寔 に好 機 会
日 調印
月 甲 、 乙記 名
年
極秘
民国
一四
大 正 十 四年 三月 二十 八 日 三 月 二十 八 日重 役 会譏 決 議 事項 一、 東 蒙古 胡力 海 廟附 近土 地 処 分 の件
興 業部 提 案 を 認 め 売却 整 理 す る こと。 二、海 城滑 石 鉱 区 処 分 の件 以上
社 長 、赤 羽 、森 各 理事 、岡 興 業 部 長 、古 仁 所経 理部 長 、 ︹ 壬五郎︺ 栃 内 農 務 課 長 、築 島 文書 課 長
興業 部 提 案 を 認 め譲 渡 整 理 す る こと 。 列 席者
東 蒙 古 胡 力海 廟 附近 土 地売 却 処 分 の可否 一、 大 正 九年 中 、 三露 秀 一の申出 に基 き 未 耕 地約 二千 三 百 九十 四町 、
八 、輸 送 禁 止 に関 す る滑 石 鑑 定 人樺 山 重 次 の功績 に対 し 、本 件 売 却
七 、 輸送 禁 止 は 交渉 進行 中 と雖 も適 当 の時 期 に解禁 す る こと 。
譲 受 け 度 き旨 会 社 に申 出 あ り たる好 機 会 を 利 し前 記 方針 に基 き支 那
思 料 せら る 。仍 ち 今 回奉 天 公 所 を介 し馮 隣 閣 に於 て宋家 堡 子 鉱 区 を
縁 し、 す べ て従 来 の行 き が か りを 一掃 す るを 以 て策 の得 た るも のと
し。 寧 ろ 適当 の機 会 に於 て全 鉱 区 を 処分 し 会 社 と鉱 区 と の関 係 を絶
考
奉 小票
鉱 区買 収 代 価
備
側 と交 渉 を試 み度 し 。
代 金中 よ り金 壱 千 円 以内 の報償 を与 ふ る こ と。 (備 考 五参 照 ) 但
由
一
但 し 海 城 公益 公 司株 式 八 八株 、 一株 五 〇 〇 元
鉱業権
同
同
五 四、 〇 〇 〇 元
一〇 、〇 〇 〇 元
公 益 公 司 総 理 田雨 時 報酬 金
計
賈 家 堡 子鉱 区争議
鉱 区 経 営者 寧 仁甫 は会 社 の監 視 の不備 に乗 じ久 し く 盗掘 し 居 り、
つ之 に対 し請 負資 金 とし て金 三 千 円 を貸 与 し た る所 、之 より 先隣
本 鉱 区 は大 正 十 二年 大 羽豊 治 を し て請 負 採掘 を開 始 せし め 、 且
負 人 を更 迭 し 紛争 の部 分 的 解 決 を な す こと を 得 た るも 、 賈 家堡 子 鉱
大 羽 に於 て作 業 を開 始 す る や暴 力 を以 て之 を妨 碍 す る の気 勢 を示
二
四四 、 〇〇 〇 元
し 金額 は事 件終 了 の諸 条 件 を酌 量 し 興 業 部 に於 て決 定 の こと。 理 海 城 県 に於 け る宋 家 堡 子 、賈 家 堡 子 、〓 子 峪 、楊 家 甸 及麻 峪 の五 の滑石 鉱 区 は 大 正 七 、八 年 の交 長 崎 に設 立 せ ら れ た る東 亜 タ ルク株 式会 社 の懇 請 に因 り其 の原 料供 給 の途 を 確 保 す る目 的 を 以 て会 社 に 於 て之 を買 収 し た るも のな る所 、 前 記会 社 は設 立 の後幾 許 も なく 戦 後 の不 況 に際 会 し 遂 に其 の操 業 を 見 ず し て解 散 す る に至 れ り。 依 て 会 社 は 不得 已風 化 の虞 あ る既 採 貯 鉱 の売 捌 に努 む ると共 に、 近年 斯 業 の景 況恢 復 し たる に乗 じ〓 子 峪 及 賈家 堡 子 二鉱 区 の開 鑿 を 画 し た る が、両 鉱 区 共 に其 の頭 初 より境 界争 議 を惹 起 し 数年 に亘 り て紛 糾
区 に就 ては 其 の採 掘 を断 念 し会 社 の採 掘 請 負 人 を し て現 場 を撤 退 せ
解 けず (備 考 参 照) 依 て会 社 は最 后 に〓 子 鉱 区 に就 ては 其 の採 掘 請
し む る と共 に、事 案 の解 決促 進 の 一法 と し て争 議 の相 手 方 た る隣 鉱
て買 収 し たる も 、其 の譲 渡 の法的 手 続 を完 結 せざ り し事 が 相手 方
し た り 。然 る に偶 々会 社 が前鉱 業 権 者 田雨 時 より 于冲 漢 名義 を以
を絶 対 に禁 止 せり 。而 し て請 負 人 大 羽 に対 し賠 償 と し て 八千 円 を
手 方 の屈服 を予 期 し 難 か り し を以 て、報 復 を 兼 ね其 の出 鉱 の輸 送
此 の間会 社 は大 襟 度 を示 し穏 便 に解決 す る に努 め たる も到 底 相
た り。
に有 力 なる 口実 を 与 へ、知 県 と腹 を 合 せ暴 戻 厭 く な き情 勢 を示 し
区 の出 鉱 に対 し ては 運 送 名義 人 の如 何 に拘 らず 、 之 を盗 掘 品 と認 め
然 れど も斯 る非 常 手段 は久 し く 之 を継 続 すべ き にあ らざ る のみ な
悉 く 鉄 道輸 送 受 託 拒 絶 の非 常 手 段 を採 る の余 儀 な き に至 れ り。
らず 、 又斯 く の如 き局 部 的 問 題 に関 聯 し て支 那側 と紛 議 を持 続 す る
に至 り た る経 緯 に徴 す るも 亦斯 業 の性 質 自 体 に鑑 み るも 会 社 に於 て
は会 社 の本 旨 と す る所 にあ らず 、 且会 社 に於 て本 件 鉱 区 を買 収 す る
此種 の小 鉱 区 を所 有 し 、之 を自 営 す る の利害 に至 り ては遽 に断 じ 難
三
体 的 数 字 は追 て確 認 す る方 法 なき に非ざ るも 両者 を合 し 大 体奉 小
負 以 後 に於 て已 に開 鑿迄 に要 し た る費用 尠 からざ る べし 。其 の具
社 に要 求 す べし 。 最亦 遽 に不 当 と し て郤 け 難 し。 又同 人 は自 己 請
輸 送禁 止 が相 手 方 に与 へた る衝 動 に至 り ては 固 よ り言 ふ迄 も な
支 給 し 、別 に貸 金 三 千円 及 其 の利息 を全 免 せり 。
く 十 数 次邦 人 を介 し何 等 か解 決 の途 を講 じ度 き 旨 申 入 れ た るも 、
一万 〃
十 六 万噸
会 社所 有 滑 石 鉱 区 の鉱 量 は地 質 調 査所 の予 想 に依 れば
会 社 所有 滑 石 鉱 区 の価 値
洋 六 千 元 以内 を伊藤 に補 償 せば 円 満 に解 決 す る見 込 な り と す。 四
其 の申 入 の条 件 に ては到 底 承 服 し難 き も のあり た る を 以 て悉 く 之 を 拒 絶 し 、輸 送 禁 止 以来 一年 を 経 過 せ り 。然 れど も輸 送 禁 止 は漫 然 久 し き に亘 り継 続 す べ き も の にあ らざ る を以 て、今 回 の馮 氏 の
二等 品
峪
三千〃
麻
五 万噸
申 込 を 好機 と し金 鉱 区 を 一括 売 渡 す に決 せば 無 条 件 にて解 禁 し 、
不 明 、但 し 馮 一派 が本 鉱 区 よ り無 断採 掘 せる 滑
二等 品
一〃
子
甸
一〃 〓
家
峪 楊
賈 家 堡 子
〓 子 峪鉱 区境 界 争 議
宋 家 堡 子
会 社 鉱 区採 掘 と同 時 に境 界 に関 す る 紛争 を生 じ 、 年 と共 に高 潮 し
山 重 次 に採 掘 請 負 を指 定 す る こと と な れ り。 果 し て両鉱 区 の間 に
売 課 長 宛 数 次申 出 あ り た り。 然 れ共 他 の行 き が かり に因 り前 記 樺
り、 従 て会 社 と し て は之 等 鉱 区 を所 有 す る も現 状 に於 て は経 済 価
て之 が採 掘 を な す に は主 と し て支 那側 と の関 係 上 困難 な る専 情 あ
採 掘 に当 り ては 、 面倒 な る関 係 を 生ず る虞 あ り て何 れ も会 社 と し
峪 及宋 家 堡 子 は 現 に夫 々種 々 の葛 藤 あ り。其 の他 の二鉱 区も 実 際
にし て合 計 約 二十 余 万噸 なり 。然 れ ども 右 鉱 区中 賈 家堡 子、 〓 子
あ り と いう 。
会 社 の迷惑 を蒙 る こと不 尠 、 昨 年 に至 り伊 藤 は自 己経 営 鉱 区 の買
石 約 八百 万 斤 は ( 輸 送 禁 止 の為 ) 山元 に貯 鉱 し
上 方 を 会 社 に申 出 でた り 。会 社 に於 て は滑 石 鉱 区 拡 張 の意 図 な き
には何 等 の支 障 な き も、 満 鉄 と事 を構 へ以 て滑 石 の輸 送 を禁 止 せ
値殆 ど無 し 、 と いう も不 可 な らず 。 一方支 那側 より考 ふ れば 採 掘
区 境 を 接 す る を以 て、若 し会 社 に於 て採 掘 を開 始 す る場 合 は争 議
の みな らず 申 出 代 価 は 又十 数 万 円 と称 す る不 当 のも のな り。 依 て
ら る る は大 痛 棒 にし て、 只 管 満鉄 と の協 調 を望 み居 る際 な れ ば 二
曾 て〓 子 峪鉱 区請 負 人 た りし 以 来 会社 と密接 な る関 係 を 保 ち
滑 石 鑑 定 人 樺 山 重次 の功績
し て同 人 に会 社 に於 て金 弐 千 円 、伊 藤 に於 て金 壱 千 五百 円 、 計 三
イ
万 元 乃至 三 万 元 な らば 勿 論 異存 な き所 な る可 し 。
会 社 は 解決 の 一方 法 と し て樺 山 重 次 の請 負 を解 除 し 、其 の代 償 と
を 避 く る 為 同 人 に採 掘 を許 さ れ度 き 旨 、当 時 の本 鉱 区所 管 箇 所 販
始 せし め た る所 、 之 よ り先 、 隣 鉱 区 経営 者 伊 藤 謙 次郎 は予 て両 鉱
本 鉱 区 は大 正十 年 販売 課 に於 て樺 山 重 次 を請 負 人 と し採 掘 を 開
又 過 去 を追 及 す る の要 な か る べし 。
五
千 五 百 円 を支 給 し 、新 に伊 藤 を指 定 し て請 負 採 掘 人 と為 し 問 題 は 一段 落 を告 げ たり 。故 に若 し 今 日卒 然 伊 藤 を し て関 係 を 離 脱 せ し め んと す る も到底 承服 せざ るべ し 。即 ち 最 低 千 五 百 円 の補 償 を会
ロ
会 社 の為 め に陰 に陽 に努 力 せ り。 今 回 の輸 送禁 止 に際 し 滑石 の鑑 定 人 と な り完 全 に禁 止 の実 を
滑 石鑑 定人 とし て満 鉄 よ りは 何 等 の給 与 を受 けざ る に不拘 、
と な し。 之 等 の費 用 は皆 樺 山 自身 の負 担 な り 。
し〓 々出 連 せし め た るも 、 パ スを支 給 す る 外旅 費 を 支給 せ る こ
滑石 に関 す る 調 査、 輸 送禁 止 に附 帯 せる 諸問 題 の打合 等 に関
分 水駅 に ては 滑 石 の鑑 別 不 可能 な り)
挙 ぐ るを 得 た り 。 ( 滑 石 の鑑 別 には 専 門 家 を要 し 、海 城 駅 又 は
ハ
ニ 満 鉄 の利 益 の為 尽 力 し た る結 果 、他 の同 業 者 ( 滑 石 業 者 ) の怨
極秘
以上
恨 を買 ひ所 謂 ノ ミナ ル ・ダ メ ージ を受 け自 己 の取引 上 にも若 干 影響あり。
一五
大 正十 四年 五 月 五 日 五月 五日 重 役会 議 決 議事 項
自 然 造 林 は打 切 り の こと 。
一、撫 順 炭 礦 坑木 造 林 事業 に関 す る件
金 五拾 銭 の利 益 配 当 を為 す こと。
り離 し 解 決 す る も不 可 な き こと。
交 渉 の模様 に依 る2 3 の解 決 は之 を後 日 に譲 り此 の際 1 だけ を 切
1
然 れど も 同社 事 業 の価 値 と現 在 の業 務 成 績 と に鑑 み興業 部 に
る こと 。
将 来 に悪 例 を貽 す こと と なる を 以 て地 方部 とし ては補 償 せざ
三 、南 満 製 糖 会 社開 原 空 け渡 し に対 す る損 害補 償 の件
2
於 て産 業 助 成 の見 地 より 相当 補 償 の起 案 を 為 す こと。
将 来 守 備 隊 を配 置 すべ き鞍 山集合 社宅 の模 様 換 へ及 附 属 家屋 新
四 、鞍 山 に守 備 隊 配 直 に関 す る件
築 は本 年 よ り 二年 計 画 に て工費 約 六 万 円 を以 て実施 の こと 。
社 長 、 大蔵 、赤 羽 、 森 、梅 野 、安 藤 各 理事 、古 仁 所経 理
設 計 及予 算 細 目 に関 し ては 地方 部 に於 て起 案 決裁 を受 く る こと。 列席者
部 長 、 築島 文書 課 長 、 一 ・二 ・三岡 興 業 部 長、 一・三栃 ︹ 多美雄︺ 内 農 務 課長 、 三 ・四 田 辺 地方 部長 、井 下 地 方課 長
一六
極秘
五 月 二十 八 日 重役 会 議決 議 事 項
大 正 十 四 年 五 月 二十 九 日
一、 オ イ ル シ エー ル専 業 に関 す る件
新 礦 区 炭量 に付 ては 新 旧両 河 中 央 迄 を南 昌 に譲 る こと。
は差 し 当 り パ イ ロツ ト ・プ ラ ント に依 り両 三年 間 実 地試 験 を為 す
オ イ ル シ エ ー ル事 業 委員 会 を開催 し討 議 研 究 の結 果 、 社内 に於 て
本 月 二 十 一日 より 二十 八 日 に亘 り海 、陸 軍 関 係 者 の参 加 を 得 て 、
新 礦 区 よ り の出 炭 に付 て は実 際 採 掘 炭量 に応 じ南 昌 に噸 当 り
(会 社 の貸金 該 当 額 は 相 殺 す) 河 附 換 を承 諾 せし む る こと 。
南 昌 の華勝 関 係 投 資 総額 約 金 八 拾 万 円 を 会 社 に於 て 補 償 し
左記 に依 る交 渉 のこと 。
二 、南 昌 洋 行 に関 す る件
1
2 3
四
三
支 那 従 業 員 の収 入 を他 の支 那鉄 道 及満 洲 に於 け る社外 支 那 従
官 憲 に依 頼 し 共産 党 の活 動 を極 力 抑 圧 す る こと 。
政 府 よ り本 事 業資 金 と し て低利 資 金 の貸 下 を受 く る こと 。
課 に於 て至 急 支 那従 業 員 に対 す る差 別 待 遇 を調 査 し 、其 の緩 和
支 那 従 業 員 の待遇 は相 当 改 善 す る様 考 慮 す る こと 。仍 て人 事
業員 のも のと 比 較研 究 す る こと 。
り急 速 開始 を希 望 せ ら る るを 以 て、 会 社 は 左記 条 件 が充 た さる れ
海 軍 省 に於 て生産 品 を実 費 計算 にて買 上 ぐ る こと。
六
工人 会 の成 立 は な るべ く 之 を防 止す る こと 。但 し 既成 のも の
策 を講 ず る こと 。
五
を 妥 当 と す、 と の意 見優 勢 な りし も海 軍 側 に於 て国 防 上 の見 地 よ
1
ば 直 に事 業 に着 手 す る も差 支 へな き こと。
2 海 軍 省 の都 合 に依 り生 産 品 の買 上 を中 止 す る と きは 事 業費 中
及成 立 の機 運 に向 へるも の に対 し て は会 社 に於 て其 の規 則 を 定
償 却 未済 額 を海 軍 省 に於 て負 担 す る こと 。
3
第 一項 は絶 対条 件 と せず 万 一低 利資 金 の貸 下 げ を受 け得 ざ る と き
工場 支 那 従事 員 に はな る べ く賃 仕 事 を多 く す る こと。
支 那 従 業員 公傷 に罹 り し場 合 は充 分 の待 遇 を為 す こと 。
沙 河 口工場 工学 会 の取扱 に就 いて は別 に考 慮 す る こと。
め、 之 に準拠 す るも の のみ を 認 む る こと 。
七
以上 ︹ 謹吾︺ ︹ 虎次︺ 社長 、 大 蔵 、赤 羽、 森 、梅 野 各 理 事 、貝 瀬 委 員 長 、牧 野
は社 債 に依 る資 金 調 達 を考 慮 する こと 。 列席者
嘱 託 、 岡 興業 部 長 、 白 浜経 理部 長 代 理、 市 川 主 計 課長 、
監視 す ると共 に各 所 に支那 従 業 員 中 勢 力 あ る穏健 な る人 物 を物
支 那 従 業員 中 首 謀 者 と な る虞 あ る人 物 の黒 表 を作 成 し 、 之 を
と。
問 題 が未 だ表 面 に現 は れざ る内 は露 骨 に警 察 力 を 用 ひざ る こ
八
十
九
築島文書課長
一七
極秘
色 し 之 を 懐 柔 す る こと 。 ︹ 日報︺ 十一 支 那 従 業員 中 に勢 力 あ る漢 字新 聞 を操縦 す る こと とし 泰 東 、 ︹ 時報︺ 盛 京 を し て形 勢 緩 和 の報知 、社 説 を書 かし む る こと 。
六 月 四 日重役 会 譏 決 議事 項
十二 支 那 従 業員 は 一所 に同 郷者 を多 数 集 合 せ し めざ る様 配 置 す る
大正十四年六月四日
支 那 国 民性 を能 く研 究 し支 那 人 を侮 辱 せ ざ る こと。 特 に下級
十五 支那従業員 に関係する日本 人職員をして徹底的 に支那語を学
十四 支 那 従 業員 にはな るべ く 土着 民 を多 く採 用 す る こと。
十三 支 那 従 業員 にはな るべ く妻 帯者 を採 用 す る こと 。
こと。
日 本 人 社員 に於 て支 那 従 業 員 を罵 倒 殴 打 等 す る ことな き様 徹 底
雇 せ ざ る こと 。
平 常 に於 ては 仮令 不良 な るも支 那 従 業員 のみ を多 数 一時 に解
は す こと。
的 に厳 達 し、 若 し違 背 す る者 あ る と きは其 の直 属 上長 に責 を負
一、 支 那 従業 員 罷 業 予防 に関 す る件 一
二
ば しむ る こと。 以上 ︹ 守 一︺ 社 長 、副 社長 、 大蔵 、赤 羽 、 森 、安 藤 各 理 事 、木 部 庶 務
列席 者
極秘
部 長 、藤 根 鉄 道 部長 、 田辺 地 方部 長 、 岡 興業 部 長 、 白 浜 ︹ 弘次郎︺ 経 理 部長 代 理 、 佐 田調 査 課 長 、 入 江人 事 課長 、 築 島 文 書 課長
一八
大 正十 四 年 六 月 十 日 六月 十 日重 役 会譏 決 議 事項
1
一時 的 付 和雷 同 の生徒 に対 し ては直 ち に処 分 せず し て暫 時 形
一、会 社 経営 学 校支 那 人 生徒 騒 擾 対 策 に関 す る件
排 日を煽 動 し 又は 暴行 脅 迫 等 に出 づ る生 徒 に対 し ては 直 ち に
勢 観 望 の こと。
奉 天 公所 長 を経 、 王省 長 に会 社 経営 の学 校 支 那 人生 徒 の軽 挙
厳 重 処 分 す る こと。
2
3
学 校 長 に事 件 突 発 の際 は慎 重 考 慮 し機 宜 の処置 を誤 ら ざ る様 、
妄 動 せざ る 様 、訓 告 方依 頼 の こと 。 4
奉 天 地方 事 務 所長 、 築 島 文書 課 長
学 務 課 長 より通 達 の こと。 以上 ︹ 隆矣︺ ︹ 信翁︺ 副 社長 、大 蔵 、赤 羽、 安 藤 各 理事 、 保 々学 務 課 長 、井 上
列席者
一九
極秘
六 月 二 十 二 日重 役会 議 決 議 事 項
大 正十 四 年 六 月 二十 三 日
古 城 子 河附 換 に関 し実 業 庁 より抗 議 あり 、右 は受 入 る べき 筋合
一、 古 城 子 河附 換 に関 す る件
に非 ざ れ ど華 勝 炭礦 採 掘 許 可 証 も引 続 き実 業庁 に押 収 せら れ居 る
現 状 な る を以 て、之 が無 条 件 下 渡 し及 附 換 新 河流 を 挾 み て存 す る
撫 順炭 礦 及 華 勝 炭礦 両 礦 区 の作 業交 換 公 認 を条 件 と し 、実 業 庁 に
願 書 を提 出 し 認 可 を受 け上 記 の問 題 を 一括 解決 す る ことと し 、籍
理部 長 代 理 、市 川 主 計 課長 、 築 島 文書 課 長
以上
副 社 長 、大 蔵 、 赤 羽 、 梅野 各 理事 、岡 興 業 部長 、 白 浜経
に金 五 万 円を 追 加支 出 を認 む る こと。
備 費 と し て河 流 附換 工事 費 残 余 見込 額 金 五 万 円を 流 用 す る外 、更
列 席者
二〇
極秘
六 月 二十 九 日重 役 会議 決議 事み 項
大 正 十 四年 七月 二 日
電 力 料 一キ ロ ワツ ト時 に付 き金 六 厘 宛補 給 す る こと。 此 の金
万参 千 円 (百 斤 四 、六 〇 )
限度 とし 之 が 関税 に相 当 す る金 額 を 補給 す る こと。 此 の金 額弐
実験 を容 易 な ら し む る為 、 日 本 へ輸 出 し た ると き は 五〇 万 斤 を
日本 に於 け る石 鹸 業 者 の要望 に鑑 み該硬 化油 に依 る石 鹸 製造
同 社 の苦 痛 と す る 日本 輸 入 関 税及 電 力 料 に付考 慮 し
一、 大連 油 脂 工業 会 社援 助 に関 す る件
1
2
合計
参 万弐 千 円
額 九 千 円 (一箇 年 使 用 料 概算 百 五十 万 キ ロ) 補給金 但 し補 給 金 期 間 は大 正 十 四年 四 月 一日 より向 ふ 一箇 年 間 の予 定
副 社 長 、 大 蔵 、赤 羽、 梅 野各 理事 、 岡 興業 部 長 、白 浜 経
以上
な る も、 中 途 関税 撤 廃 せら るる と き は之 が援 助 を打 切 る も のとす 。
列席者
極秘
理部 長 代 理 、向 坊 商 工課 長 、市 川 主 計 課長
二 一
大 正十 四年 七 月 一日 六 月 二十 九 日重 役 会 議 決議 事 項
一、 札 免 採 木 公司 出 資 会議 に於 け る支 那側 主 張 に対 す る当 社 方 針確
1
満 鉄 は既 に弐 百 万 元 の資 本 を投 じ て札 免 公 司 株主 と なり た る
定 に関 す る件
こと は争 ふ べ か らざ る 事 実 な れば 、支 那側 が字 句 に拘 泥 し て横
と に尽 力 す べく 、 但 し 此 の目 的 を 達 す る為 には 会議 の期 間 等 は
車 を押 す に対 し ては 飽 く 迄 も対 抗 し 満 鉄 の出 資 を 認 め しむ る こ
会 社 の意 向 と し ては 札 免関 係 に投 じ た る資 金 は 全損 を覚 悟 し
顧 慮 す る 必要 な く相 互 根 気 比 べを な す べ き こと 。 2
居 る に依 り背 水 の陣 を 張 る こと可 な る も 、出 来 得 れ ば何 等 か の 以上 副 社長 、 大 蔵 、 赤 羽 、梅 野 各 理事 、岡 興 業 部長 ︹ 幸吉 、︺ 白浜経
形 式 に依 り権 利 を保 留 す る こと。 列席者
理部 長 代 理 、 栃 内農 務 課 長 、 市 川主 計 課 長 、古 沢 哈 爾 賓
極秘
︹ 正雄︺ 事 務 所長 、早 川 斉 々哈爾 公 所 長 、 入 江人 事 課長
二二
大 正十 四 年 七 月 四 日
七月 四 日重役 会 議 決 議 事項
本 件 に関 し ては 既 に本年 五月 五 日重役 会 議 にて産 業 助 成費 より
一、(再 ) 南満 製 糖 会 社 開 原農 場 空 け渡 し に対 す る損 害 補 償 の件
相 当 額 補 償 方決 定 せら れ た る が協 議 の結 果 、 之 を 止 め見舞 金 とし
以上
て地 方 部 負担 に て申 出 額 の約 七割 即 ち金 拾 参 万 円也 を贈 与 す る こ
白浜 経 理 部 長 代 理 、市 川 主 計課 長 、 栃 内農 務 課 長 、井 下
社 長 、副 社 長 、 大蔵 、赤 羽 、梅 野 各 理事 、岡 興業 部 長 、
と と し、 右 に対す る追 加 予算 を認 む る こと。 列席 者
極秘
地 方 課長 、 築 島 文 書 課長
二三
大 正 十 四年 七 月 七 日
七 月 四 日重 役 会議 決 議 事 項
石炭 代 金 一噸 に付 一円 九 〇宛 一箇 年使 用 見 込 五 、 五 二〇噸 、
〇 〇 〇 キ ロワツ ト時 、 此 の補 助金 五、 九 七六 円
電 力料 金 一キ ロワ ツ ト時 に付六 厘 宛 一箇 年 使 用 見込 九 九 六、
左記 条 件 の下 に先 づ 一箇 年 間左 の援 助 を与 ふる こと。
一、満 蒙 毛織 会 社援 助 に関 す る件
1
2
3
鉄 道 運 賃 一噸 に付 七 円 六 〇宛 、 製 品 一箇 年 輸 送 高 一、 一 一 一
此 の補 助 金 一〇 、 四 八 八 円
支 那 側 に対 す る製 品 販 売 奨 励金
噸 、此 の補 助金 八 、 四 四 四 円 4 此 の補 助 金 約 二 五、 〇 〇 〇 円、 一箇 年補 助見 込 額 四 九 、九 〇 八円 記 1、 年 額 三十 万 碼 生産 に対 す る営 業 費 ( 次 項 記載 のも のを 除 く) を 十 万 円 以内 に節 約 す る こと (従 来 年額 約 十 一万 円な り )
は之 が利 息 の免 除 を 受 く る こと。
2、 東 拓 会 社 よ り の借 入 金中 壱 百 万 円 也 に対 し 当 社 の援 助 期 間中
3 、満 鉄 援 助 期間 内 に於 け る 配当 金 は年 三 分 を以 て限度 と し、 剰 余 金 あ れば 之 を減 価 償 却資 金 に充 当 せし む る こと 。 4 、其 の他 当 社 と し て 必要 な る条 件 を附 す る こと。 二、 撫順 電 気 機 関 車購 入 に関 す る件 電 気機 関 車 の時価 低 廉 に し て将 来 騰 貴 の見 込 な る を以 て、十 四 年 度 予算 三十 四 万 円 に対 し 五輛 を購 入す る こと とし 、 一輛 分 は十 以上
極秘
七 月 十 四 日重 役会 議 決 議 事 項
大 正 十 四年 七 月 十 五 日
中 国 人社 員 中 職 員 に対 し ては忌 引 を適 用し 、傭 員 に対 し て は将
一、 中 国 人社 員 忌 引 に関 す る件
来 問 題 が 生 じ た ると き之 を解 決 す る こと 。 二、 中 国 人傭 員 退 職 手 当 の件
中 国 人傭 員 退 職 支給 率 を邦 人 傭員 と同 率 とす る こと 。
1
に因 て生 ず る 中 国 人傭 員 の損 失 は幾 分会 社 に て負 担 す る こと に
現 行 銀 建 給料 支 給 方 法 を 其 の儘 と し 、銀 の騰貴 し たる と き之
更 に研 究 す る こと。
一箇 月 の平 均 小洋 相 場 のと り方 及 両替 手 数料 の金 額 に付 て は
に金 一円 を加 へた るも のを社 定 小洋 換 算 相場 とす る こと 。
両 替 手 数料 とし て小洋 銀 百 元 に対す る金 の 一箇 月 の平均 相 場
三、 中 国 人 傭 員銀 建 給 料 支給 方 法 に関 す る件
2
3
関 し 研究 す る こと 。
中 国 人傭 員 の傷 病 手当 支 給 率 は邦 人 傭 員 と同 率 と す る こと 。
四、 中 国 人傭 員 傷 病 手当 に関 す る件
1
中 国 人傭 員 多 数希 望 あ る箇 所毎 に会 社所 定 の共 済案 に依 り箇
五、 中 国 人 傭員 共 済 制度 制定 に関 す る件
別 的 に実施 す る こと 。但 し 箇 別実 施 に依 て 生ず る 経 費 の増 加 は
社長 、副 社 長 、大 蔵 、 赤 羽 、梅 野 各 理事 、岡 興 業 部長 、
五年 度 予算 に計 上 の こと 。 列席者
白 浜 経 理 部 長 代 理 、向 坊 商 工課 長 、 市 川主 計 課 長 、築 島
共 済 醵金 額 を金 四 十銭 とす る こと 。但 し 日給 金 四 十銭 未 満 者
会 社 之 を負 担 す る こと 。
社長 、副 社 長 、 大蔵 、赤 羽 、安 藤 各 理事 、 木 部庶 務 部 長 、
は 日給 一日 分 とし 、 其 の差 額 は会 社 に て負 担 す る こと 。 以上 列席者
2
文書 課 長
二四
イ
に当 り 、右 以 外 の鮮 人教 育 は 朝鮮 総 督 府之 に当 る こと。 従 て
安 東 鮮 人 学校 は将 来 会 社 に於 て経営 す る こと とす るも 、同
主計 課 長 、築 島 文 書 課 長
地 は朝 鮮 の対岸 に在 り附 属 地外 鮮 人 の居 住 者 多 く、 朝 鮮 と密
接 な る関 係 あ る特 殊 地 位 に鑑 み、総 督 府 の補 助金 は将 来 引続
奉 天 鮮 人学 校 は会 社 に於 て経 営 す るも 、本 校 は附 属 地外 に
き之 を 申 受 く る こと。
在 り且 通 学生 に は附 属 地 外居 住 鮮 人子 弟 多 き を 以 て総督 府 よ
長 春鮮 人学 校 に対す る総 督 府 の補 助 は之 を辞 退 す る こと 。
り の補 助金 は将 来 引続 き之 を 申 受 く る こと 。
掏鹿 東 山 学 校 に対す る会 社 の補 助 は 之 を止 め総督 府 の補 助
右 列 記 以 外 の箇 所 に於 け る鮮 人 教育 の将 来 に関 し ては 総 て
に委 す る こと 。
原 則 に照 し 之 を決 定 す る こと 。
ホ
ニ
ハ
ロ
︹ 羊三︺ 白 浜 経 理 部長 代 理、 入 江 人事 課 長 、 田村 社 会 課 長 、市 川
二五
極秘
七 月 十 六 日 重役 会 議決 議 事 項
大 正 十 四年 七 月十 六 日
一、 埠 頭繋 船 料 に関 す る件 大連 埠 頭 に於 け る船 舶 の輻輳 を緩 和 し 岸壁 の利 用 を増 加 す る為 、 本年 十 一月 一日 よ り埠 頭 繋 船料 を徴 収 す る の意 嚮 な り し も、 日本 船 主 協 会 より海 運 界 不 況 を 理由 とし て当 分実 施 延 期方 嘆 願 あ り、 種 々の関 係 上無 下 に拒 絶 し難 き 事情 も あ るを 以 て今 回 に限 り 、特
2
会 社 経営 の鮮 人 学 校 の校 舎 設備 は現 在 の日、 支 人 学校 の校 舎
の設 備 を標 準 と せず 、実 用 を旨 と し極 力 節約 に努 む る こと。
田 辺 地方部 長 、保 々学 務課 長 、築 島 文 書 課 長
社長 、 副 社長 、大 蔵 、 赤 羽 、安藤 各 理事 、 木部 庶 務 部 長 、
本 案 は来 年 度 よ り 実施 を期 す る こと。 列席者
4
3
爾 賓 の例 に依 る こと 。
督 府 に於 て六割 、 会 社 に於 て四 割負 担 の こと 、 に総 督 府 と協 定
哈 爾 賓 に於 け る鮮 人教 育 費 (経 費 、事 業 費共 ) の不足 額 は総
す る こと 。哈 爾 賓 以 外 の土 地 にし て 、将 来 日本 人 教 育機 関 を会
に明 年 三 月 末 日迄 実 施 を 見合 せ四 月 一日 より は 必ず 之 を 実施 す る こと 。 列席者
以上 社 ︹ 寛︺ 長 、 副 社 長、 大 蔵 、赤 羽、 安藤 、梅 野 各 理事 、千 秋 鉄 ︹ 数造︺ ︹ 金 一︺ 道 部 長 代 理 、市 川 埠頭 事 務 所 長 、 吉富 海 運 課長 、築 島文
社 に於 て経 営 す る と き は、 其 の地 の鮮 人 教育 に関 し て は大 体 哈
極秘
書課長
二 六 大正十四年七月二十 一日
七月十八 日重役会議決議事項 1 鉄道附属 地及其 の接続 地在住 の鮮人教育は大体 に於 て会社之
一、在満鮮人教育 に関する件
二七
大 正 十 四年 八 月 十 三 日
極秘
八 月 八 日 重役 会 議決 議 事 項
一
のに付之 を決定すること。
箇所長代理を置くべき箇所 は大体左記標準 の 一に該当するも
二、箇所長代理を置 くべき箇所 の決定 に関 する件 一
1、社内外 の事務繁多 にして平素箇 所長たる事務 の 一部を特定
の代理者 に代行 せしむる必要 ある場合。
理す る箇所 に於 て、箇所長 が平素或 る種 の事務 又は技術 に付
2、事務 と技術 、若しくは性質上別種 の事務又は技術 を併せ処
き実際上之を代理者 の代行 に 一任するの必要ある場合。
社長室文書課
奉天地方事務所
経理部用度 課
以上
二 右 の標準 に準拠し箇所長代 理を置くべき箇 所を左記 の通り決
各鉄道事務所
定す。
ら れ たる者 な る こと 。
4 、専 門 学 校 卒業 者 若 く は之 と同 等 以 上 の学 力 経 験 あ り と認 め
埠頭事務所 工務課 文書課長 二八 大正十四年 八月二十二日
本契約 は当事者双方 に於 て夫 々監督官庁 の承諾を得たるとき初
こと。
興業部提案を認め、尚希望事項 の四として左 の 一項 を追加す る
一、奉天電車事業 に関す る件
八月二十 一日重役会議決議事項
極秘
列席者 社長、副社長、大蔵 、赤 羽各理事、入江人事課長、築島
電気作業所
医 長 及 衛 生技 術 員 に就 て は本 俸 弐 百 円程 度 に付 て銓 衡 し 、 在
中 に限 り参事 待 遇 とす 。
本 俸 百 八十 円以 上 の院 長 、中 等 程 度 の校 長 及 大 学 教授 は在 職
く は参 事 待 遇 とす 。
本 俸 百 八 十 円以 上 者 に し て、 博 士 号 を有 す る者 は参 事 、 若 し
は参 事 と す 。
本 俸 百 八 十 円 以上 の現在 課長 、 若 し く は課 に該 当 す る所 の長
3 、人 物 手 腕優 秀 にし て実務 に関 し経 験 豊富 な る こと。
2 、特 別 の場合 を 除 き 満 五箇 年 以上 会 社 に在 職 す る こと。
1 、本 俸 百 八 十 円以 上 者 た る こと。
参 事 銓 衡 標準 を左 記 の通 り 定む る こと 。
一、 参事 銓衡 標 準 の決 定 に関 す る件
二
三
四
五
職 中 に限 り参 事 待 遇 と す。 本 俸 弐 百 弐拾 円 以 上 の専 門 学 校 教 授 は在 職 中 に限 り参 事 待 遇 とす 。 参 事 待遇 者 に就 ては 社報 其 の他 形 式 上 の発 表 を為 さず 、 所属 長 及 本 人 に対 す る通知 に止 む 。
六
七
め て其 の効 力 を生 ず る も のとす 。 右 は本 契 約 に規 定 せざ る事 項 に関 し 後 日細 目協 定 に際 し紛 議 を避 く る趣 旨 なり (例 へば 会 社 に利 害 関 係 あ る電 力 供 給 に関 し) 二、 守 田 商会 援 助 に関 す る件 原 案 を認 め本 年 四 月 一日 よ り明年 三月 三十 一日迄 の間 に於 て守 田商 会 借 入金 に対 し 、年 利 四分 六厘 に相 当 す る 金額 を補 給 す る こ と。 但 し補給 金 は年 額 金弐 千 円を 限度 とす る こと 。尚 将 来 関 東 庁 の補 助 金 廃 止 又 は減 少 に依 り会 社 の補給 金 を増 額 す る等 、 関 東 庁 の当 然 為 す べ き補 助 の肩 代 り に類 す る補 給 は絶 対 に避 く る こと 。 列席 者
社 長 、副 社 長 、 大蔵 、赤 羽 、安 藤 各 理 事 、 木部 庶 務 部 長 、 ︹ 善次郎︺ ︹ 義臣︺ 岡 興 業部 長 、谷 川商 工課 参 事 、 三浦 庶 務 課 参事 、中 野 地 方 課 員 、築 島文 書 課 長
二九
極秘
九 月 七 日 重役 会 議 決 議事 項
大 正 十 四年 九 月 七 日
一、 札 免 公 司 善後 処 置 に関 す る件
以上
贈 与 は 銀 弐 万元 と定 め置 き其 の範囲 内 に て節 約 に努 む る こと 。
本 案 実 行 前 予 め奉 天 、哈 爾 賓 総 領事 の了 解 を 受 け置 く こと 。
て了 解 せし め、 之 を明瞭 なら し め置 く こと。
将 来 会 社 よ り公 司 に多 大 の出 資 を為 さざ る こと を支 那 側 を し
興 業 部 提案 を認 む る こと、 但 し 1
2 3
列席者
︹ 海平︺ 社 長 、副 社 長 、 大蔵 、森 、 安藤 、入 江 、梅 野 各︹ 進 理︺ 事、木
部 庶務 部 長 、 岡 興 業 部長 、 古 仁所 経 理 部長 、 木 村興 ・庶 ︹ 弥助︺ ︹ 英雄︺ 務 課 長 、栃 内 農 務 課 長 、鎌 田奉 天公 所 長 、 三隅 農務 課 員 、 築 島 文 書 課長
三〇
極秘 九 月九 日重役 会 議 決 議 事項
大 正十 四 年 九 月十 二日
す) 動 揺 の虞 な から し む る為 、な るべく 前 広 に 且明 確 に方 針 を
社 務 の簡 捷 を図 り又 社務 に関 す る 方針 (以 下単 に方針 と略 称
一、社 務 の方針 決 定 に関 す る件 1
2
方 針 決 定 に関 す る決 議 は多 数決 に依 る こと。
方 針 を 決 定 す る に は必ず 重 役全 部 の意 見 を徴す る こと 。
決 定 し置 く こと。
3
方 針 を決 定 す る 必要 あ る場 合 、 重役 中 に欠 席 者 あ ると き は副
社長 及 本 社 在 勤 理事 数 の和 の過半 数 以上 の賛 成 を得 て之 を 仮決
4
方針 決 定 に関 す る決 議 及 仮 決 議 は社 長 の決 裁 を 得 る に非 ざ れ
議 と 為 す を得 る こと 。 5
仮 決 議 と為 し た る事項 に関 し ては成 るべ く速 に不在 重役 の意
ば 効 力 を発 生 せざ る こと 。
見 を徴 し 、之 を決 議 とな す か又 は之 を改 廃 す る こと。但 し仮 決
6
重 役 は 何時 た りと も 方針 の樹 立 又 は変 更 を社 長 に申請 す るを
議 と雖 も 廃 止 又 は変 更 せ ら る る迄 は 有効 とす る こと。 7
前 項 の申請 あ り た ると き は社 長 は 成 る べく 速 に重役 会 議 を開
得 る こと 。
決 定 事 項 に関 し て は文 書 課長 に於 て議 事 録 を 作 成 し て之 を 保
き之 を議 す る こと 。 8
直属 部 課 長 には当 該 部 、 課所 に関 係 あ る も のに限 り其 の写 一部
管 し 、且 重 役 ( 東 京 支 社 長 にも ) には右 議 事 録 写 一部 を 、社 長
を 交 付す る こと 。 監事 に は社 長 に於 て必 要 と認 めら れ た る事 項 に限 り議 事 録 写 一部 を交 付 す る こと。
以上
決 定 事 項 は厳秘 と し社 内 外 に対 す る 発 表 は社 長 に於 て のみ之
極秘
社 長 、 副 社長 、大 蔵 、森 、 安 藤 、 入 江 、梅 野 各 理事
を な す こと。
9
列席者
三 一 大 正十 四年 九 月十 一日 九 月 十 一日 重役 会 議 決議 事 項
当 社 の手 取 大 洋 銀 弐 万元 程 度 にて本 事 業 を 売却 し全 然 関係 を絶
一、赤 峰 電灯 に関 す る件
以上
社 長 、 大蔵 、森 、 梅 野各 理事 、 岡 興業 部 長 、 古仁 所 経 理 ︹ 充 一︺ 部 長 、 向坊 商 工課 長 、 上野 庶 務 部員 、築 島 文 書 課長
つ こと 。 列席者
三二
大 正 十 四年 十 月 六 日
極秘
九月 二十 四 日大 蔵 理 事 よ り程 黒 竜 江省 政 務 庁長 に手 交 せ し甲
十 月 三 日重 役会 議 決 議 事 項 ︹ 呼蘭海倫間︺ 一、 呼海 鉄 道 所要 材 料 供 給 に関 す る件 1
が準 備 に着 手 す る こと。
表記 載 諸 材料 を至 急 供 給 す る こと と し、 鉄 道部 に於 ては直 に之
支 那 側 を督 励 し万 難 を排 し本 年 中 に松 浦 よ り呼 蘭 迄 の鉄 道 の
諸材 料 は差 当 り無 条 件 に て交付 し 、 代金 又 は料 金 に付 ては将
ふ こと。
諸 材 料 は長 春 渡 と し、 其 の以遠 の運送 は支 那側 に於 で之 を行
開 通 を期 す る こと。
2
3
4
とし て は本 鉄 道 が スタ ンダ ード ・ゲ ージ に て建 設 せ ら れ、維 持
来営 業 開 始 の暁 に於 て更 に協 議決 定 の こと とな し お くも 、 当 社
せら れ 、 且将 来 延長 線 も同 一軌 幅 に依 る こと の見極 め つき た る
以上
とき は今 回 供 給 の諸材 料 に限 り決 局 無 償 に て贈 与 す る も辞 せ ざ
極 秘
社長 、 大 蔵 、森 両 理事 、庶 務 部 長 、鉄 道 部 長 、文 書 課 長
る腹 を決 め置 く こと 。 出席者
三三
大 正 十 四年 十 月 八 日
十 月 六 日重 役 会議 決 議 事 項 ︹ 〓南昂々渓間︺ 一、〓 昂 鉄 道 用 車輌 に関 す る件 ︹ 景貴︺ 〓 昂線 車 輌 購 入費 に就 て は曩 に盧 局長 時 代 ﹁契 約 に依 る工事 の 請 負 金 額 は多 額 の剰 余 を生 ず べ き によ り 、車 輌 費 二百 五十 万 円 を 右 よ り 交付 せら れ た し﹂ と の意 味 の公文 を 以 て申 出 あ り、 其 の後 ︹ 長冨︺ 于 代 理 局長 よ り差 向 き金 六十 万 円 を ﹁ 機 関車 購 入 費 と し て前 記 同 様 、 工 事請 負 金 額 中 より支 出 方 ﹂ 要 求 あ り 、何 れも契 約 に依 る建
極秘
課長、主計課長、梅津 (理)参事、文書課長 三四 大正十四年十月十日
十月八日重役会議決議事項
をなすも のとし、関東庁 の現金支出額と同額 の金弐万円を支出す
満洲地方財界救済 の意味 に於 て関東庁、満鉄両者 にて共同整理
一、鉄嶺商品陳列館解散資金援 助に関する件
ること。但 し整理 の基礎数字 に関し ては商 工課に於 て 一応調査す
設 請 負 金額 中 よ り交 付 の要 求 な る が、契 約 書 にも 右金 額 は車 輌 費 を含 ま ざ る旨 明記 し あ り 、 且又 剰 余 を 生ず る や否 やも 予測 し難 き
ること。支出科目は経理部 に於 て研究 の上決定 のこと。
三五
十月十 二日重役会議決議事項
大正十四年十月十五日
極秘
部長代理、文書課長
出席者 社長、大蔵 、森両理事、興業部長、商工課長、白浜経理
を 以 て、建 設 請 負 金 額 中 よ り車 輌 購 入 費 を流 用 す る こと は之 を 謝
車 輌 購 入 に当 り其 の代 金 支 払 に関 し会 社 の保 証 を要 求 せ ら る
な る方 面 より購 入 す るも 、 支 那側 の自 由 選 択 に委 す る こと 。
支 那 側 に於 て資 金 を調 達 し車 輌 を購 入 す る場 合 に於 ては如 何
の基 準 のも の に依 る こと 。
何 れ の方面 よ り購 入 す る も車 輌 の カ ップ ラ ー ・ ハイ ト は会 社
絶 し 、 左 記 によ り回 答 を な す こと。 1
2
3
る と き は、 会 社 は 保証 を為 す に就 き予 め政 府 の承認 を受 く る 必
一、資金計画及預金其 の他 に関する件
査し、重役会議 に於 て慎重 に決定 したるものに基き従来よりも
1 当社資金計画 は将来経理部及東京支社経理部 に於 て詳細 に調
に 限 り之 に応 ず る こと とし 、若 し会 社 に於 て代位 弁 済 をな す と
要 あ る を理 由 と し 、信 用 ある 日 本 の メー カ ーよ り購 入 す る場 合
き は 、右 会 社 の債 権 に関 し ては 勿論 保 証 を 為 す に当 り、購 入 車
礎を作成 し回覧 のこと。
2 東 京支社経理部 に於 て銀行団 の横暴を抑止する為の合理的基
一層有利なる結果 を得 る様実行 を期する こと。
輌 及 一切 の鉄 道 財 産 竝鉄 道 収 入 を 担 保 と なす こと を条 件 と な し
社 長 、大 蔵 、 森 両 理事 、 庶 務 部 長 、鉄 道 部 長 、庶 ・庶 務
所要 車 輌 代 金 は 二 百 七十 五 万 五 千余 円 の見 込 な り。
置 く こと 。 備考 出席者
3 有力なる内 地信託会社は当分 の間当 社関係会社 の金融 に利用 するに止めおく こと。 と。
4 東京支社 の預金 は将来 一層当社 に有利ならしむ る様研究 のこ 5 当社社債市価 の高騰 を期する為社員退職手当積立金を以て当
経 理課長、文書課長
社長、大蔵、森 両理事、経理部長、会計課長、東京支社
社 々債 を買 入るることは尚研究を要 し実行せざる こと。 出席者
三六 極秘
十月十 三日重役会議決議事項
大正十四年十月十五日 一、南昌洋行持ち撫順炭販売会社株式処分 の件
1 払込金全額 に対する金融
南昌洋行荒井泰治氏より金策 の必要上、同行 所有 に係る撫順炭 ︹ 治右衛門︺ 販売会社株式 に関し販売会社武部専務宛
の順位 に依り処分方希望 の旨申出あり、協議 の結果、興業部第二
2 払込 の売却 (但し全株 に対 し約十万円のプ レミアム附 ) 案 に依 り ﹁ 当 社保証 の下 に金融業者より払込金額相当 の融通を受 けしぬ、之が見返 しとし て南昌洋行持株全部 を担保として当社 に 提供せしむ ること﹂ に決定せり。尚此 の場合 に必要 なる委任状 を提出せしむること
1 債務保証契約を締結すると同時 に株式名義書換及配当金受領
2
当 社 保 証期 間 中 、 株 主 権 の行 使 に付 必 要 の場 合 、 当 社 の意 思
に基 き行 動 す る旨 の覚 書 を提 出 せし む る こと
社 長 、大 蔵 、 森 両 理事 、興 業部 長 、 経 理部 長 、 販売 課 長
を 条 件 と す。 出席者
二
明)
六年後
四五七万円余
山元 (十二年十月興業部庶務課立案) 新 投
資 予定出 炭期
運炭 (十三年九月調査課踏 査報告)
山元原価 ( 新投資 に対する資本費及諸税 を含む)噸四円七五
工事完成期
建設 実費
二年後
三〇八万円 ( 車輌 を含まず)
イ、新 邱︱新立屯鉄道 (二四哩)及炭礦線
二
一
年五〇万噸新邱出炭計画 (在来案)
備 考
ず べき石炭 不足 の大勢 に備 へたし。
依 て生ず る撫順炭 の余力をば輸出方面 に向けて、近く日本内地 に生
右鉄道 にて輸送 する石炭 をば奉天及以北の地売並に社用 に充当し
にて社線と炭礦 とを結び付くる最も経済的な る 一線を必要とす。
重 役会議 提 出各 部課 作 成資 料一
大 正 十 四年 一月 三 十 一日 (興 業部 提 出 )
新 邸︱ 新 城 子鉄 道 の件 ( 極秘)
一、 新 邱 炭 田開 発 の為 同地 と 社 線 の 一駅 (奉 天 の北 二 一哩) 新 城 子 と の間 ( 約 一〇 〇 哩 ) に運 炭 鉄 道 を許 可 す る か、 若 し く は借 款 鉄
( 説
道 を布 設 す る様 、 支 那官 憲 に交 渉 す る の可 否 。
出 炭 の山 元原 価 を 安 く す る には 少 く も年 二〇 〇 万 噸出 炭 程 度 の規 模 を必 要 と す (十 三年 二月撫 順 礦 務 課 長視 察 報 告 )。然 る に 此 の規
無関 係 な る他 鉄 道 の手 に委 ね 難 き と同 時 に此 の量 は以 て 一鉄 道 を 養
模 は 一日約 六 千 噸 の輸 送 力 を 要求 す るが故 に、此 れ が輸送 をば 我 と
ふ に足 る。 依 て支那 側 の意 向 次第 に て或 は 一般 の貨 客 を取 扱 はざ る
毎噸 一円六八 ( 噸 哩六 ・七八)
ロ、新立屯︱奉天間 (一一五哩)
自立的運賃
一程 度 に我 と親 和 す る借 款 鉄 道 と す るも 可 、 いず れ にせ よ奉 天 附 近
炭 礦 附 属 の運 炭 鉄道 と す るも 可 、或 は車 輌 の借 用 其 の他 四〓 線 と同
大正十四年度 に於 ける輸出力
達 す。
撫順炭は今より六年後 (大正 二十年度) に於 て出炭力 の極限 に
この運 賃 を 京 奉 本線 並 と仮 定 せば 、 毎 噸 二円 二 一 (噸哩 一銭 九
( 但 し新立屯附近十五哩未開通) 二) 即 ち運 賃 合 計
噸 三 円八 九
計
日本 へ
支那 へ
三四〇万噸
一五〇万噸
九〇万噸
合
噸 八 円六 四
(三 五)
新邱炭 のなき場合
ロ 同上現出 の場合
四五五万噸
十 四年度 に比し毎年三〇万噸
二五五万噸
尚 翌年度は二三八万噸となり
宛 の増加 に該当する。
石渡信太郎氏 一、五〇〇万噸﹂
大正二十 一年 に於ける日本内地石炭不足額推測、赤羽理事 六〇〇万噸
撫順山元手取額 の減少 噸 二円四〇
七年後 二〇〇 万噸 の新邱炭現出 に伴 ふ影響 は
六円五六
但 し奉天及以北地売炭 、社用炭山元手取額 (十二年度実績)
輸出炭 同 上 (同 上 ) 四 円 一六 ( 三〇) 新 邱炭 販売 上 の利 益 ( 前 出 ) 噸 一円 一五 (一、二九八) 〃 一円 一八 社 線 運輸 上 の利 益
但 し 蘇 家屯 ︱ 大 連 間 (二 三七 哩 )輸 出 炭 運 送 に付 き噸 哩利 益 五
厘 (運賃 二銭 、 実 費 一銭 五厘 ) と し て算 出 す 。
即 ち 差 引 毎噸 七 銭 、 二 〇 〇 万噸 に付 き十 四 万 円 を損 失 す るが如 き
ハ
ロ
イ
五、会 社財政上 の影響
﹁ 備考
逐年漸減す
イ
七年後 (大正二十 一年度 ) の輸出力
三
奉天 着 原 価
噸五
新 邱 年 二〇 〇 万 噸 出 炭計 画 (改 正 案)
資
一、〇〇 〇 万 円
投
新 六年 後
一、 山元 (十 四 年 一月撫 順 礦 務 課 立案 )
予定 量 出 炭 期 山 元 原 価 (新 投 資 の資 本 費 及 諸税 を含 む) 噸 二 円 五〇 二、 運炭 (十 四 年 一月 調 査課 机 上 調 査)
噸二円〇〇 (噸哩二銭)
(一 ・八五 )
新 邱︱ 新 城 子 鉄 道 及炭 礦 線 ( 建設費総額) (一、〇〇〇) ( 内) 建 設 実 費 一、 〇 三三 万 円 (車輌 を含 まず ) ( 二年) 三年 後 工事 完 成 期
自立的運賃 三、需要地 (十四年 一月販売課調)
同二〇〇万噸
現在年九〇万噸
同上七年後 (大正二十 一年 ) の予想
イ、奉天及以北 の地売及社用炭 数量 ロ、売価と差益
)
噸
四円五〇 ( 三〇) 一円 一五
撫順炭 に比し十五乃至二十%を値引す。新城子駅手取
〃
円六五 新 城 子 着 原価
算出基礎の説 ( 明 を要す?
差 引 利 益
四 、撫 順 炭 の輸送 力 (十 三 年 七 月販 売 課 調 )
大正十四年 二 月興 ・庶 調製
如 く 他 の経 営 に移 し 得 る も の は速 に之 を 社業 よ り分 離 し 、将 来 必
要 の資 金 の活 用 を なす こと が 必要 で あ る。
第 二、 事業 経 営 を 合 理 的 な ら しむ る こと。
瓦 斯事 業 は 一面 又営 利 事 業 な る が当 社 の直 営 であ る間 は所 謂 大
に公 共的 施 設 と 言 ふ意 義 にの み偏 し易 く 、同 時 に 一般 の経 営 がと
満 鉄 の事 業 であ ると言 ふ観 念 に支 配 され 、 不知 不 識 の間 に自 他 共
真 の経 済 的 経 営 が 困難 で あ る故 に、之 を 独立 会 社 に改 め営 利 事 業
( 興業部)向坊
も、運輸上 の利益 を噸哩五厘 五毛と見れば却 つて毎噸四銭 八厘、 ) 総 額 九 万 六 千 円 の利 益 な り。︹編 注 、 ( ︺ 内 は鉛筆書
二
大 正 十 四年 二月 三 日 (極 秘)
た る観 念 を明 確 にす る と共 に人事 、経 理 其 の他 の満 鉄 制度 の覊 絆
にか く贅 沢 に流 れ 、 従事 員 は他 の刺 戟 に乏 し く緊 張 味 を 欠 き易 く
当 社 が現 に経 営 し つ つあ る事 業 中 には 、今 日 必ず し も会 社 自 身 が
当 社 瓦斯 事 業 を独 立経 営 組 織 に改 む る件
の 一つか と思 は る。 元 来 当社 が本 事 業 を直 営 す る に至 つた主 な る事
経 営 し な く と も宜 し いと 思 は る る種 類 のも の が ある 。瓦 斯 事 業 も そ
と し て 一つの独 立 せ る経 営 組 織 に改 む る の計画 を立 てま し た。
右述 べ た様 な 見 地 か ら茲 に当 社経 営 の各 地瓦 斯 事 業 を打 つて 一丸
が必要 で あ る。
を脱 却 し、 自 由 に瓦斯 事 業 と し て の合 理 的経 営 に移 ら し む る こと
由 は 瓦斯 事 業 は 一面 公 共 的性 質 を 有 し て居 る こと と 、当 時 満 洲 領有 後 匆 々で内 地資 本 の誘導 困 難 であ つた こと等 であ つた と思 ふ。 然 る に今 日内 地各 都 市 に於 け る状 態 を 見 る に全 国 七 十 余 の中 四、 五 の例
の類 似事 業 と同 様 に収支 勘 定 よ りも寧 ろ 一般 瓦斯 利 用 者 の便益 と言
そ こで当 社 瓦 斯事 業 の従 来 の業 績 を観 察 し ま す と、 当 社経 営 の他
満 洲 も相 当 内 地 に理 解 せ ら れ て来 た か ら資 本 の誘 導 と いう こと も増
ふ事 を 主眼 とし た 傾 き が あ り、 従 つて固 定資 本 の多 額 の割合 に収 益
外 を 除 き大 部 分 は単 な る私 設 会 社 の経 営 にな つてお り、 又今 日 では
加 し つ つあ る から 、 当社 が従 来 の直営 方 針 を変 更 し て も敢 て支 障 は
が之 に伴 つて居 な い こと に な つ てゐ る。 大連 は とも かく鞍 山 、 奉 天 、
安東 、長 春 みな然 り で あ る。 そ れ から 固 定 し た投 資 額 も 当社 の経 理
な いと思 料 せら る 。 次 に当 社 と し て本 事 業 を独 立 分 離 せ しむ る積 極 的 の 必要 を考 へて
入 を な さし む る と せ ば、 右 二箇 の欠 陥 を補 ふ の外 はな い。即 ち 鞍 山
し て を る。 然 る に こ の事 業 を 独 立 し た会 社 に分 離 し 且 社 外資 本 の流
方針 か ら投 資 額其 のま ま が帳 簿 上 に計 上 さ れ て い て、 之 が為 特 に減
当 社 は 此 れ迄 瓦 斯 事 業 の為 約 八百 万 円 を投 下 し てる が将 来 共 尚
見 ると
相 当 の資 金 を 必要 とす る。然 る に当 社 は 其 の使 命 よ り 見 て本 事 業
以北 の地方 瓦 斯 に対 し て は当 分満 鉄 より 一定 の補 助 金 を 与 へると か、
価償 却 を や つ てな い。大 連 瓦 斯 のみ に て此 の金 額 約 百 万 円 以上 に達
よ りも更 に重要 に し て緊 切 な る方 面 の事 業資 金 に逼 迫 を感 じ て る
財 産 価 格 の未 償却 分 は此 の際 切 り捨 て満 鉄 にて負 担 す る と かし て、
第 一、 当 社 事 業 資金 を有 意 義 に活 用す る こと 。
故 に、本 事 業 の如 き 既 に経 営 上 の基 礎確 実 の見 込 が 立ち 、 前 述 の
が飜 て当 社 目下 の財 政 状 態 を 見 ま すと 、 右 の様 な巨 額 の補 助 な り、
以 て之 に充 て 、 不足 す る分 は 可成 之 を社外 に調 達 せ しむ る こと 。
五、 大 正 十 五年 度 以後 の建 設 竝 運転 資 金 は先 づ以 て其 の社 の益 金 を
と。
六 、株 式 の募 集 は 此 の際 一般 に公募 せず 、満 鉄 に て全 部引 受 く る こ
以 て新 会 社 の投 資 額 を 合 理 的 な らし む る 必要 があ ると 考 へま す。 処
右 の次 第 で理想 の実 現 は 今 直 に困 難 な事 情 が あ り ます から 漸 を 以
負 担 な り を 一時 に計 上 す る こと は聯 か困 難 な問 題 か と考 へま す。
て之 を進 む る こと と し、 先 以 て投 資 額 其 のま ま を出 資 と し て新 会 社
の財 産 (未 完 成 事業 、貯 蔵 品 竝債 権 、債 務 を含 む ) を 以 て出 資 に
充当 す る こと 。 但 し特 殊 の事 由 あ る も のは 此 の限 り にあ らず 。
七 、満 鉄 出 資 の内 容 は 土 地を 除 く大 正十 四年 末 現 在 の瓦斯 事 業 所属
益 金 を 以 て右 の減価 償 却 を 行 は し め 、其 の間 社外 資 本 家 の希 望 あ ら
組 織 に改 め、 全 株式 を当 社 に て所有 し 、向 ふ五箇 年 位 の間 に其 の収
八 、前 項 財 産 の引 継価 絡 は本 年 三 月末 日現 在 の帳 簿 記 帳価 格 に よる
内 に委 員 を 設 け速 に具 体 案 作 成 を な さし む る こと 。
一六、 定 款 の作 成其 の他 新 会 社 創 立事 務 を 取扱 はし む る為 、 興業 部
計 る こと。
一五、 将 来 満鉄 の持 株 は可 成之 れ を社 外 に分 与 し 社 外資 金 の流 入 を
は、 社 内事 業 と同 様 の取 扱 を な す こと 。
一四、 新 会 社 に於 て物 品 の購 入 、 工事 の施 行 を満鉄 に依 頼 す る場 合
非 役 社 員 の待 遇 を与 ふる も のとす 。
一三 、 新 会社 に引 継 げ る 瓦斯 事 業 に限 り、本 人 の希 望 によ り満 鉄 の
一二、 現 在瓦 斯 事 業 に属 す る従 事 員 は 凡 て新 会 社 に引 継 ぐ も のと す 。
満 鉄 より引 継 ぎ 難 き も のは相 当 料 金 を 以 て貸 付 く る こと 。
一一、 現在 及 将 来 本事 業 に使 用 せら る る事 務 所 、倉 庫 並社 宅 にし て
かる も のは相 当 料 金 を 以 て貸 付 く る も のと す 。
一〇 、 現在 及 将 来 本事 業 に使 用 せら る る土 地 にし て満 鉄 の所 有 にか
によ り漸 次 之 をな さ し む る こと 。
九 、前 項財 産 の価 格中 減 価 償 却 をな す べき も のは新 会 社 の営 業 益 金
も のと す。
ば 当社 に於 て損 失 な き限 り漸 次 当 社持 株 を分 与 す る ことと し 、 今 日 の予 定 にて大 凡 大 正 十 九年 度 以降 、年 八分 以 上 の純 益利 廻 を見 る に 至 ら ば さ し た る損失 な く し て当 社持 株 を処 分 し 、 以 て名 実 共 に独 立
次 に新 会社 に分 離 後 の事 業 資 金 は で き得 る限 り 社 外資 金 の借 入 に
事 業 た ら し む る事 を 期 し得 る と思 ひま す 。
俟 つも 、 事情 之 を許 さ ざ る場 合 は当 社 よ り融 通 す る 事 と し て おき た
右 の様 な 方針 の下 に大 体 汽船 会 社 の如 き も のを 作 る こと に計 画 し
い。
新 会 社 に つき て の要項
て見 ま し た 。
一、 経 営 の組 織 は事 業 の性 質 よ り之 を株 式 会 社 と なす こと 。
と な す こと 。
二、 会 社 の設 立時 期 は満 鉄 会 計年 度 の関 係 よ り大 正 十 四年 四月 一日
適 当 に決 定 す る こと 。(一千 万 円見 当 を妥 当 と す べ し)
三 、公 称 資 本 金 は現 在 の瓦 斯 事業 投 資 額 に将 来 の拡 張 資 金 を考 慮 し
に計 上 せ る事 業 費 を 考慮 し決 定 す る こと。
四 、第 一回払 込 金額 は現 在 の投資 額 に差 向 き 大 正十 四年 度 満鉄 予算
満 洲 瓦 斯株 式 会 社 目 論 見 (草 案 ) ( 極秘) 前 記 の趣 旨 と 要項 と に基 き富 次瓦 斯 作 業 所長 の呈 示 に かか る数 字
大 正十 六年度 以 降 毎年
二 五 九、 一〇 〇円 宛
依 て大正 十 四年 度 より 大 正十 九年 度 迄 、 計 二 、 一六九 、七 七 五 円
金壱千万円
大 正 十 四年 四 月 一日
金 並其 の年 度 の営 業 益 金 によ り十 分支 弁 し 得 る見 込 な り (別 表 第
右資 金 に対 す る財 源 計 画 と し ては大 正十 四年 度 に於 ては払 込 株
となる。( 別 表 第 二号 表 参照 )
一、 設 立 の時 期
三 号 表参 照 )
によ り試 み に首題 会社 目 論 見 を作 成 す れ ば 左 の如 し 。
二、資 本 金 額 金 五十 円
蔵
品 (
器 (
〃
〃
)
六 、五 八 六 ・〇 〇
四 七 八 、九 八 七 ・〇 〇 )
四 二五 、九 〇 六 ・七 三 九、 〇 〇 〇 、〇 〇 〇 ・〇 〇
八 四四 、 四 二七 円
た め な り。 然 し な が ら之 れを満 鉄 経 営 当 時 の如 く 減 価償 却 を な さ
の にし て、 十 九年 度 の利 廻 り良好 とな るは第 一償 却 を完 了 し た る
を 行 ふ こ と と、 大連 以外 の地 方瓦 斯 の収 益 少 な きと に起 因 す る も
込 な り。 かく 収 益 利廻 り の低 下 せ る原 因 は 、前 記 二 重 の減 価 償 却
年度 に は 四分 四厘 一毛 と なり 、 一九年 度 八分 二厘 一毛 に達 す る見
収 益利 廻 り は大 正 十 四年度 の 一分 一厘 二毛 よ り漸 次増 加 し、 十 八
之 れ に事 業 の拡 張 に伴 ふ増 収 を 加算 し計 上 せ ら れた る も のな るが、
本 会 社 の収 支 予算 は従 来 の収 支 並経 費 と大 差 な き も の とし て、
一〇 、収 支 予 算
号 、第 五 号 表 参 照 )
な す も のと す 。其 の各 年 度 割当 額 は別 表 の通 り な り。 (別 表 第 四
却 を要 す るも のは第 二償 却 と名 づけ 、右 同 様 の方 法 に よ り償 却 を
り積 立 つる か、 又 は償 却 を行 ふ も のと す 。右 の外 、今 後 普 通 に償
大 正 十 四 年度 以降 十八 年 度 迄 の五ケ年 間 に分 割 し営 業 利 益金 中 よ
九五 、 三 三 三 円 に達 す。 本 償却 未 済 額 は之 を第 一償 却 と 名 づ け 、
行 はざ り し結 果 、今 日之 れ が償 却 を 要 す る見積 金 額 大 凡 そ 一、 一
満 鉄 の出資 に充 当 せ る固 定財 産 ( 貯 蔵 品 を 含 む) は 従 来償 却 を
九、 固 定財 産 の減 価 償 却
三 、 一株 の金 額
二十 万 株
一株 に付 金 四十 五 円 と し 、此 の金 額 九 百 万 円
五、総 株 式 数 全株 式 を引 受 く る こと 。
四 、 第 一回払 込 金 額
六、 満 鉄 引受 株
什
貯
瓦 斯 事業 費 ( 十 三年 度 末予 想 ) 円 八、 〇 八 八 、五 二〇 ・二 七
七、 満 鉄 出 資 の内 容 財産出資
計
現金出資 ( 債 権 を含 む)
(別 表 第 一号参 照 )
大 正 十 四年 度 は長 春 瓦斯 完 成 の為多 額 の資 金 を要 す る も、 其 れ
八、 将 来 の事業 拡 張 資 金所 要 額 及 其 の財 源
大 正 十 四年 度
二八 八 、九 四八 円
以後 は 毎 年 三十 万 円 以 内 に止 ま る見 込 な り。
大 正 十 五年 度
ざ る も のと し て計 算 す ると き は 、大 正 十 四 年度 五 分 六厘 より 十 八 年 度 九 分 七厘 と な り、 十 九 年 度 一割 八厘 とな る 。 (別表 第 六 号甲 ・ 、傍 点 乙表参照)︹編は注 ︺ ペ ン書 き
一 一、利 益 配 当 前 項 収 支 予算 の如 き利 廻 り な る を 以 て第 一の減価 償 却 を 終 る 大
係
費
の利 廻 に達 す る を俟 ち 低 率 な が ら配 当 を なし 得 る に至 る。
正 十 八年 度 迄 は株 主 に配 当 を な さず 、 大 正 十 九年 度 に至 り約 八 分
一二 、総
従 来 満 鉄 経営 中 の本 社 総 体費 の割 掛 を見 る に年 に よ り て増 減 あ る も 、最 近 両 三年 は毎 年 興 業 費 並営 業 費 割掛 を 合計 し約 二十 万 に 達 す 。 新 会 社 に於 け る本 社 総体 費 とも 言 ふべ き総 係 費 は 今直 ち に 詳 細 の数 字 を計 上 し難 き も 、 以 上両 割 掛 を合 計 し て大 約 年 十 万 円 内 外 に て事足 る べく 約 半 減 す る見 込 な り。 (別表 第 六号 表 参 照)
新 会 社 に於 て希 望 す る場 合 は社 内 と 同 様 の割 掛 を以 て其 の委 託
一三、 物 品 購 買 、建 物 の建 設 の委 託
に より 物 品 の購 買 、 建 物 の建 設 を取 扱 ふ恩 典 を与 へら るる も のと す。
満 鉄 瓦斯 作 業 に属 す る 従事 員 は此 の際 全部 新 会 社 に引 継 ぐ も の
一四 、 従 業 員 の引 継
とす 。 こ の内本 人 の希 望 によ り退 職 の上 で転 ず る者 と 、 満鉄 非 役 社 員 と し て転 ず るも のと に分 つ。 非 役 社 員 には 一般 非 役 社員 の待
を受 く べき 従事 員 は職員 三 十 二名 、傭 員 日本 人 八十 七 名 、中 国 人
遇 を与 ふ るも 、再 び満 鉄 に復 帰 せざ る こと を条 件 と す 。 現在 引 継
一名 、 計 百 二十 名 な り 。
俸 給 、 在 勤 手 当 、旅 費 、 住 宅料 、家 族 手 当 並賞 与 金 等 の給 与 は
一五 、 従事 員 の給 与
満鉄 給 与 規 程 を 参 酌 し 、新 会 社 に て立 案 、 満鉄 と協 議 決 定 す る こ
と 。但 し満 鉄 に て引 継 ぎ た る従事 員 の給 与 は当 分 の内 、 現在 の収
入 よ り下 らざ る様 な す も のとす 。
重要 財 産 の処 分 、給 与 規 定 、事 務 規 定 並 定員 の制 定 、変 更 そ の他
一六、 毎 年 度 の予算 、決 算 、 損益 金 処 分 法 、 社債 又 は資 金 の借 入、
( 注 、本 目 論 見 は急 を要 し たる為 極 め て概 略 を 示 し た る にす ぎず 、
重要 な る事 項 に つき て は満 鉄 の監 督 を受 く る こと 、 と す る こと 。
更 に精 査 の上 具 体案 を作 成 す べ し)
第一号表 満鉄 出資内訳表 営
業
費
出 資 額
蔵
品
出 資
内 大正十三年度予算 中次年度へ繰越見込額 差
引 貯
額
大正十二年度決算類(大 正十三年度 は不明) 大正十二年度決算額(同 現
什
器
出
資
額
現
金
出
資
額
上)
金 総
計
第二号表 事業拡張費予算
第三号表
備考
資金計画表
大 正十 四 年度 前 年 度 繰 入 金 は株 式 払 込 現金 に して 、 前 年度 繰 越 事業 費 は満 鉄 よ り引継 次 年度 へ 繰 越 高 は従 来 の例 に よ り約10%の 繰 越 を予 算 せ り。 支 出 の本 年 度 事 業 費 は 計 上 せ り。 本 年 度利 益 金 は収 支 予算 第 六 号(乙)表 参照。
第四号表
固定 財 産償 却 未 済 高 (第一 減 価 償 却 )
固定財産償却所要高 ( 第二減価償却)
第 五 号表
固 定 財 産償 却 予 定 表
(甲)
第 一 減価 償 却 高 内 訳
(乙 )
備考
第 六 号 (甲) 表
本 表 支 出 中 に は第 一及 第 二 の 減価 償 却 を含 み 居 れ り。
收 支予 算
備考
第 六 号 (乙) 表
本 表 の 支 出 には 第 一、 第 二 減 価 償却 を含 ま ざ る計算 な り。
收支予算
本表満鉄経営当時 の総体費
以上 は瓦斯事業独立後の総係費
第 七号 表
総 体 費内 訳 表 ( 満 鉄経 営 )
総 係 費 ︹以下イ ンキ汚損不明︺
三
大 正 十 四年 二月 二十 六 日
当 社 瓦斯 事 業 を 独立 経 費 組 織 に改 む る件 極秘 本 件 に つき て は去 る本 月十 四 日重 役 会議 に於 て
(向 坊 印 )
一、 当 社 瓦斯 事 業 を 独 立会 社 組 織 に改 む る ことと し出 資 す べき財 産 の減 価 償却 金 額 並 方法 に つき ては 、 興業 部 と経 理部 と の間 に協 議 研 究 す る こと。 の通 り根 本方 針 に つき決 定 せら れ た る も のな るが 、 そ の際 満 鉄財 政 上 の見 地 よ り最 も議 論 と な り たる 財産 の減 価 償却 額 並 満 鉄 直接 収 益 金 の減 少 に つき 考 ふ る に、 今 日 の場 合 新 会 社 と し て負 担 し得 る程 度 に於 て 、而 も 満 鉄 の収 益 に甚 だ し き影 響 を与 へざ る為 には 、減 価 償 却 は当 分 な るべ く之 れ をな さ ざ る こと、 其 の社 の収 益 の大 部 分 を満
記
左 の案 を樹 つる こと と せ り。
と。
一、資 本 金 は 一千 万 円 とし 第 一回払 込 金 額 を 九 百 五十 万 円 とす る こ
社 に出 資 す る こと 。
二、現 在 の瓦 斯 事 業投 資 額 八 百 六十 七 万 円 は帳 簿 価 格 そ のまま 新会
三 、第 二項 財 産 出資 額 の外 、 現 金 に て九 十 二 万 円 を払 込 む こと 。
万 円) を下 ら ざ る株 主 配 当 を なす こと。
四 、新 会 社 は 十 四年 度 以降 満鉄 に対 し 毎 年 金 四十 五 万 円 (又は 五 十
減 価 償 却 を な す こと。
五 、新 会 社 は 前項 配 当 なし た る残 余 益 金 を 以 て な るべ く固 定 財 産 の
渡 す る こと 。
六 、社 外 より投 資 を希 望 す る も のあ ると き は 、満 鉄 は そ の持 株 を譲
計 算 に於 てな す こ と。
商
工 課
七 、前 項 株 式売 買 の際 に生ず る株 式 額 面 と の差 益 金 は す べ て満 鉄 の
営業収支予想表
鉄 に配 当 せし む る こと の外 に良 策 な き が如 し 。此 の意 味 に於 て茲 に
大 正 十三 年 二 月二 十五 日調 (単 位 ・円)
資 金 計 画 表 (甲)
資 金 計 画 表 (乙)
甲
(配 当 金 50 万 円 の場 合)
鉄
減 収
調
営業収支並利益金処分案
満
乙
(単 位 ・円 )
(配 当金 45 万 円 の場 合 )
四 大正十四年 二月二十八 日重役会議案 興業部
商工課
(向坊)
( 大正十四年 二月二十八日重役会議 にて第 一、二案 に依 り交渉 は黒色鉛筆
松 岡 花 押)︹編注、本添書︺
旭 社 提 案窓 硝 子 工場 共同 経 営 に関 す る件
のこと に決定
右 に関 し 当 社 とし て の対策 如 何 は 先づ 直 接 当事 者 等 の意 見 に より
裁 断 あ るべき も のと 思 料す る も、当 方 の意 見 と し て は左 記利 害 を 考
慮 し 、 大体 に於 て先 方 提案 は妥 当 な るも のと し て応 諾 す る方 得 策 の
提 案 承諾 の場 合 の利害
様思料せらる。
一、 速 に本 工場 設 立 当初 の趣 旨 を達 成す る こと。
有 利 の点
二、 当 社資 金 の運 用 上 利益 な る こと 。
四、事 業 の基 礎 安 全確 実 な り、他 と の競争 に対抗 し 得 る こと 。
三、彼 我両 工場 の長 短相 補 ひ事業 の合 理 的 経営 をな し得 る こと 。
点は
五、当 社直 営 をな す場 合 よ り採 算上 有 利 な る こと (別表 参 照 )
当社 窓 硝 子 工場 の経 営 に関 し従 来 最 も 困難 な り、 と 認 め ら れ たる
一、本 事 業 に実 地経 験 あ る技 術 者 、 経 営 者 並職 工 を有 せざ る こ と
一、当 社現 在 の投 資額 を 一部 切捨 つる必 要 あ る こと 。
不 利 の点
二、 現 在従 業 員 、 雇 傭外 国 人 の処 分 の必 要 あ る こと 。
抗 し新 に販路 の開 拓 を要 す る こと 。
二 二年 建 設 、 イ ギ リ ス ・ベ ルギ ー系
二 、旭 硝 子 、秦 皇 島︹編注、耀華機器製造玻璃 公司、 一九︺其 の他外国品と対
に し て、 此 の二点 は当 社 工場 経 営 上 の短 所 とし て 一日 も速 に此 れを
当 社 の提 案
前 述 の如 く 大 体 に於 て先 方提 案 に応 ず る ことは 、 当社 とし て有 利
補 ふ 必要 あ り 、之 が為 には 現今 日本 に於 け る唯 一の本 事 業 成 功 者 に し て当 地 方 窓硝 子 の供 給者 た る旭 硝 子会 社 と提携 す る外 、 良 策 な き
な る事 自 明 な る が 、共 同 経営 の形 式 内 容等 に至 り ては多 少 考 究 の要
あ り。 依 て当 社 の対策 とし て三案 を掲 ぐ 。 第 一案
右 の如 き 必要 の下 に客 年 十 二月 十 九 日重 役 会 議 に於 て ﹁旭 硝 子 に
が如 し 。
対 し 当 工場 開 業 の暁 は販 売 上 、 外 国 品 に対 抗 し て提 携 を旨 と す べ し、
六割
四割
現金 出 資
工場 出 資
一八〇 万 円
一二 〇万 円
(全 額 払 込 ) 満鉄
三 〇〇 万 円
先 方 提 案 を 全 部其 のま ま 承諾 す るも の、 即 ち
旭
二、 附 帯 事項 中 石 炭 、 産業 助 成 金 よ り噸 当 り金 五十 銭 さ し向 き 一ケ
内
一、 資 本 金
又 先 方 の希 望 次 第 何 時 に ても 合 同 、 も しく は譲渡 の相 談 に応ず べ し、 と の諒 解 を与 へて適 当 な る主 脳技 術 者 割 愛 方 を依 頼 す る こと ﹂ に決 ︹ 多喜助︺ 定 せ ら れ、 右 趣旨 の下 に横 田 工場 次長 上 京 、同 社 に交 渉 の結 果 、同 社 重役 、技 師 を渡 満 せし め 親 し く当 社 工場 視察 の上 、 当 社 に 対 し別 記 の如 き提 案 を な し来 れり 。
年 補 助 す る こと (工業 用 炭 割 戻 金 五 十銭 を加 ふ れ ば金 一円 の値引 と な る)
(此 の三十 万 円 の欠 損 は、 十 四年 度 同 工場 予算 に計 上 せ る欠 損額
イ
と
満 鉄 が少 く と も表 面 二〇 〇 万 円 に対 す る株 主 権 を有 し居 る こ
会 社 の財 産 を 実 価 以上 に評 価 す る こと
次 に本 案 の場 合 には
四 十 二 万円 より 十 分支 弁 し 得 )
費 決 算 見 込額 二三 〇 万 円 と 工場 評 価 格 一三 六万 余 円 と の差 額 約 九 ロ
三、 本 案 の利 害 、 満 鉄 は 現金 十 六余 万 円 を受 取 ると 同時 に 工場 建 設
四 万 円 を 此 の際 欠 損 処 分 す る の 必要 あ り (尤 も 十 四年 度 窓 硝 子 工 場 損 益 予 算 は 四十 二万 余 円 の欠 損 計 上 し あ るを 以 て、之 を差 引 く
とな る 。
ハ
反 対 に旭 が未 払 込 一二〇 万 円 の義 務 を有 す る こと
と き は予 算 外 五十 二万 円 の欠損 増 加 に て足 る)
三割 三 分 三
現金 出 資
工場 出 資
二〇 〇 万 円
一〇 〇 万 円
( 全額払込)
六割 六分 六
三〇 〇 万 円 満鉄
一、資 本 額
し て出 資 す る も のな り。
変 更 し 、 満鉄 三割 三 分 三 厘 、旭 六割 六 分 六厘 、 即 ち 、 一と 二 の比 に
前 二案 は何 れ も満 鉄 四割 、 旭 六割 の共同 出 資 な る が、 此 の比率 を
第三案︹編ン注書き、 ペ︺
注、朱線 る も の︹編 にて抹消 ︺
実 価 格 を 一二〇 万 円 と なし 、 差 額 十 六 万円 を 現金 に て払 戻 を受 く
本案 の配 当 率 を 第 一案 の骨 子 と 同 様 なら し む る為 、 当 社 の出 資
本 案 の別案
第 二案 第 一案 の満 鉄 欠損 額 を少 な か ら しむ る 為 、 工場 を 評 価額 以上 に出
一八〇 万 円
三 〇 〇万 円
二 〇〇 万 円
二 〇 〇万 円
資 す る こと と し 、此 の評 価額 超 過分 に対 す る 不公 平 を カバ ーす る意 味 に て先 方 出 資 を優 先 株 と な す も の
四万 株
五 〇〇 万 円 (三 〇〇 万 は増資 ) 普 通 株 (全額 払 込 )
六万 株
払込額
満鉄
優 先 株 (一株 三〇 円払 込 )
一、 資 本 金 内
旭
払込額
満 鉄 出 資 は 工場 財 産 の中 、 一 二 〇 万 円 を充 当 す る こと と し、 其
旭
前案同様
内
満 鉄 は現 金 三 十 六余 万 円 を受 取 ると 同時 に、第 一案
率
二 、附 帯事 項
当
の超 過額 は現 金 を 以 て払 戻 を 受 く るも のと す。
三 、本 案 利害
二 、配
優 先株 への配当 率 は普 通 の夫 れ に対 し 三 対 五 の比 例 と す ( 例 へ
本 案 の趣 旨 は経 営 を全 然 先 方 に 一任 す る 以上 、 当 社 は極 め て無
り)
同様 九 十 四 万 円 の欠 損 処 分 を要 す (予算 外 負 担 は 五 十 二 万 円 な
ば普 通 株 へ三 分 、 六分 、 九 分 に対 し、 優 先 株 は 五分 、 一割 、 一割 五 分 と な る) 三 、附 帯事 項 中 、 石炭 運賃 は第 一案 同様 四 、本 案 の利 害 、本 案 に よ れば 前 案 の満 鉄 欠 損額 が 三十 万 円 と な る
度 き意 味 にし て、之 に より旭 社 の営 業 政 策 によ る不 利 を免 れ ん為
力 の株 主 と な るを 以 て可 成 同 社 と の利 害 関 係 を希 薄 な ら し め置 き
を最 良 と 考 ふ る も、 当 社 目 下 の財 政 的 見 地 よ り せば第 二案 を と る べ
と し て掲 げ た る にす ぎ ず 。而 し て以 上 三案 中 、 当 方 とし ては第 三案
にし たし 。 尚 先 方提 案 第 七 項 は可 成 之 を 削除 す る こと に し、当 社 は
く第 二、第 三案 と も交 渉 不 調 の場 合 は第 一案 によ る も差 支 な き こと
本 案 は先 方 提 案 に比 し、旭 の現 金 出資 二〇 万増 加 し 、当 社 と の
なり。
商 工課
承諾 す る の外 な か る べし 、 と 思考 す 。
興 業部
可 成 速 に本 事業 と分 離 す る こと と した し 。其 の他 の先方 提 案条 項 は
( 極秘)
出資 比率 を異 にす る も のな れ ば多 少 交 渉 の余 地 あ る べし 。
窓硝子工場損益比較表
向坊 松岡花
三 、新 会 社 の組 織 、資 本 其 の他 は 瓦斯 会 社 設 立 の例 に依 り追 て立 案
十 四年 度 に於 け る同 事 業 損 失 予算 金 十 九 万弐 千 円 を 充 当す る こと 。
の予 定 金 額 十 九 万 三千 円 ︹ 編 み傍 注に 、九二 を と鉛 し筆 てあ で囲 る︺、此 の欠 損財 源 は大 正
用価 値 迄 価 格 を 切 り下 げ 、 其 の差額 は此 の際会 社 の欠損 とす 。 此
二 、現 設 備 の中 試験 設 備 にし て将 来不 用 のも のは新 会 社 に於 け る利
一、空 洞 硝 子 及 び耐 火事 業 の 一独 立会 社 とし て経 営 せし む る こと 。
瓦事 業 は之 を独 立 会 社組 織 に改 む る を得 策 と 認 む。
従来 窯 業 工場 の事業 と し て経 営 し来 り たる 空洞 硝 子 事 業及 耐 火 煉
本 表 は 直営 す る もの と して 仮 に其 の 売価 を当 社 の 予算 、 1箱 ¥11. 333 と旭 の予 算 ¥8 .04に依 り損 益 を比 較 した る もの な り。
大 正 十 四 年二 月二 十 八 日調
以 上各 案 の外 、 尚幾 多 立 案 し 得 べ き も大 体 可能 と見 ら る べ き も の
摘要
五 大正十四年 二月 二十八日重役会議案 (第 二) 興業部 (大正十四年二月二十八日重役会議 にて主義上決定す 注、黒色鉛 押 )︹編 筆にて添書 ︺
空洞硝子事業及耐火煉瓦事業 を独立経営組織 に改むる件
決定す ること。
向坊
14 ・3 ・7
空洞硝子並耐火煉瓦事業 を独立企業 に改むる件 本件 は二月二十八日 の重役会 に於 て 1 空洞硝子及耐 火煉瓦事業 を独立会社として経営せしむること
を 以 て漸 次償 却 せし む る の外 良 策 な し 。依 て新会 社 は右 償 却 を了 る
事 情 あ る を 以 て、 此 の儘 帳 簿 価 格 を 以 て引 続 き其 の社 の毎年 の益 金
ば約 五十 一万 円 の積 立 金 を保 留 す る こと と な り予 定 の減 価 償却 を完
迄 は当 社 に対 し利 益 配 当 を な さざ る こと と せば 、 大 正十 九 年 に至 れ
了 す る こと を 得 、大 正 二十年 以降 相 当 の配 当 をな し得 る に至 る べし 。
二、 現 在 の両 工場 事 業投 資 額 (興 業費 、貯 蔵 品 、製 産 品 )金 百 参 拾
一、 資 本金 を金 壱 百 四拾 万円 と し 全額 払 込 を払 込 むも のとす 。
窯 業 会 社 設立 要 項
右 の趣 旨 に依 り 新会 社設 立 要 項 を掲 ぐ る こと 左 の如 し 。
用価値迄価格を切下げ、其 の差額 は此 の際会 社の欠損とすること
2 現設備 の中試験設備 にして将来不用 のも のは新会社に於 ける利 此 の予定金額拾九万参千円 にして其 の欠損財源 には大正十四年 に
弐 万壱 千 円 よ り、 大 正 十 四年 予 算 にて決 定 せる欠 損 額 金拾 弐 万 壱
と。
千 円を 切落 し た る残額 金 百弐 拾 万 円 を其 の儘 新 会社 に出資 す る こ
於ける同事業損失予算金拾弐万壱千円を充当する こと と決定 せられたり。而 して前掲欠損処分要求額拾九万参千円 ( 横田
し新 会 社 設 立後 約 八 万 円 の未 収 金 を新 会社 に振 替 ふ る を以 て実 際
三 、前 項 財 産出 資 額 の外 、 金 弐拾 万円 を 現金 に て出資 す る こと。 但
次長計算)は現 に使用不可能 なる破滅 せる財産弐万九千五百参拾 五 円と、試験設備 にし て将来独立 の場合使用 の見込なきもの拾六万参
八 、従 事 員 の社宅 と し て当 社 々宅 を使 用 す る こと 。
も の は相 当 料金 を以 て貸 付 く る こと 。
七 、現 在 及 将来 本 事 業 に使 用 せ ら るる 土 地 にし て満 鉄 の所有 に係 る
算 に於 てな す こと。
六、 前 項 株 式売 買 の際 に生ず る株 式額 面 と の差 損 金 は総 て満 鉄 の計
す る こと 。
五、 社 外 よ り投 資 を希 望 す るも のあ る と きは満 鉄 は其 の持 株 を譲渡
固 定財 産 の減 価 償却 に充 当 せし む る こと。
四、 新会 社 は十 四年 度 以降 当 分 配当 を な さざ る こと と し 、利 益 金 は
の現金 出 資 は 金拾 弐 万 円と な る 。
千 七百弐拾円、計金拾九万参 千弐百五拾 五円を計上せるにすぎず 。 然 るに平野工場長 の計算 に依 れば、右 の外尚減価償却を要す べきも
七 一、〇〇〇円
二九八、六四八円 二二、〇〇〇円
一、現存財産 の減価償却所要額
のに左 の如きも のあり。 二、不良製品評価値引 を要す るも の
三九 一、六四八円
三、売掛 金回収見込 なきも の 計
右は此 の際欠損処分をなし新会社 に引継ぐ べきも のにし て、之 に 前掲欠損額財源不足額七万弐千円を加ふるときは金 四拾六万参千六 此 の如き多額 の欠損 を此 の際計上する ことは当社財政 上困難なる
百四拾八円 の巨額 に達す。
事 業費 出資 額
大 正 十 三 年 度 決 算 見 込 額80,420.00
1,002,524.21
貯蔵品出資額
say1,003,000.00
大 正 十 三 年 度 決 算 見 込 額114,000.00
大 正 十 三 年 度 決 算 見 込 額204,000.00
生 産 物 出 資額
1,321,000.00
内 減 価 消 却 高(-)121,000.00
1,200,000.00
現 金 出 資 額
(払 込 金 に 充 当)1,400,000.00
九 、 現 在両 工場 に属 す る従 事 員 は 総 て新 会 社 に引 継 ぐ こと 。
満 鉄 の非 役 社員 の待 遇 を与 ふ る こと。
大 正 十 二 年 度 決 算 額922,104.21
一〇 、新 会 社 に引継 ぐ べき 従 事 員 は 本人 の希望 によ り五 ケ年 を 限 り
一一、満 鉄 に て現 に採 取 権 を有 す る硅石 は 無償 に て新 会 社 に採 取 せ
り。
会 社 に 譲 渡 す る 予 定 な る を 以 て 、 実 際 現 金 出 資 は¥120,000.00な
し む る こと 。但 し採 取 規 則 に依 り官 に納 付 す べ き料 金 は新会 社 の 負 担 とす る こと 。 一 二 、満 鉄 の供 給 に係 る石 炭 は 社 外 炭並 と し 、当 分 の内 工業 用炭 割
は満 鉄 の都 合 によ り後 日変 更 す る こと あ るべ し 。
戻 の外 、 産 業 助 成費 よ り噸 当 り金 壱 円 を補 助 す る こと。 但 し本 項
は 、社 内 事 業 と 同様 の取 扱 を な す こと。但 し本 項 は当 社 の都 合 に
一三 、新 会 社 に於 て物 品 の購 入 、 工事 の施 行 を満 鉄 に依 頼 す る場 合
よ り後 日変 更 す る こと あ るべ し 。
迄 産 業 助 成 費 よ り補 助 す る こと 。
一四 、彫 刻 師 イ ー ナ ー の嘱 託 乎当 月額 六 百 円 は大 正 十 五 年 三 月末 日
一五 、新 会 社 の名 称 は大 連 窯 業株 式 会 社 と す る こと 。
附 帯 事 項
一六、 来 る四 月 一日 より 実 施 す る こと。
満 鉄 は報 償 せざ るも のと す 。尚 新 会社 に於 て将 来 使 用 す る場 合 も
未 収 金 を新
現 金 出 資 を な す も新 会 社 設 立 後 約¥80,000の
備 考¥200,000の
一、 満 鉄 に於 て平 野 式 熔融 窯 特 許 権 を 従来 使 用 し た る も のに対 し 、
金200,000.00
現
同 様 無 償 と す る こ と。 二、 村 井 式硝 子製 造 器 特許 権 あ るも 関係 なき を 以 て之 を除 く 。
満 鉄 出 資 内訳 表
固定財産減価 消却所要高
営業損益並利益金処分案
資 金
計
画 表
耐火練瓦並空洞硝子工場収支予想表
三
北 満貨 物 数 量配 分 に関 す る満
烏 蘇 里鉄 道 員
鉄 ・烏 鉄 代 表 者 会 議 議 事 録
同
南満洲鉄道
会 議 書 記事 務 担 当 者
北満貨物数量配分 に関 する南満洲鉄道 ・烏蘇里鉄道代表者会 自
字 佐 美 寛 爾
千 九 百 二十 五年 八 月 二十 二 日 於 哈爾 賓 九月 十 四 日
鉄道 部 貨 物 課 長
烏 蘇 里 鉄道
福
本
井
直
敬
道
蔵
ペ ・ア ・カ ム シ ヤ
エヌ ・デ ・カ ー チ ン
坂
森 永 不 二 夫
エム ・ハ ・ピイ ル
ベ ・ア ・カ ム シヤ
エヌ ・デ ・カ ー チ ン
男
蔵
済
義
義
敬
道
利
孝
司
井
直
谷
田
軍
福
本
塩
同
運輸 課 員
前
運輸 課 長
同
坂
長
ウ エイ ゼ ル代 表 は議 長 と し て推 薦 せ ら れ た る好意 を謝 し 、 之 を承
ふ こと と し た し と述 べた り 。
南 満 洲 鉄道 主 席 代 表 宇 佐美 氏 は ウ エイ ゼ ル氏 に、本 日 の議 長 を願
挙 を提 議 し た り 。
烏 蘇 里 鉄道 主 席 代 表 ウ エイ ゼ ル氏 は 会議 の劈 頭 、本 日 の議 長 の選
議
第 一回 (八 月 二十 二 日) 土曜 日
同
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
森 永 不 二 雄 副 局長
同
ゲ ・ペ ・ザ ブ ルード ス キ ー
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
鉄 道 部 貨 物 課員
哈爾 賓 事 務 所 庶 務課 長
同
議 々事録 至
議長
議長
会議出席代表者 南満洲鉄道
鳥蘇里鉄道
権
エム ・ハ ・ピイ ル
全
ウ エ ・ユ ・ス リ マ ア ・イ ・イ シチ エン コ
産業課長次席
浦塩出張所長
商 業 課 哈 爾 賓出 張所 長 同
る べ きを説 き 、将 来 の会議 に於 ては 両鉄 道 代 表 主席 代表 に於 て 一回
諾 す る旨 を答 へ、 更 に議長 の職 責 を 一人 に て担 任 す る こと の困難 な
を両 径 路 別 に善 意 的 に配 分 せ む とす る に あ りま す が 、是 は啻 に両
根本 義 とす る処 は、 第 三 者 た る隣 接鉄 道 よ り発送 せ ら るべ き貨 物
き 一新 紀 元 を劃 す る も のと 思 ひ ます 。吾 々の行 は む とす る協 約 の
北 満貨 物 を太 平洋 の呑 吐 港 に移出 す る上 に於 て互 に協 調 を保 つべ
締約 鉄 道 の利 害 一致 の関 係 上 のみな らず 、 更 に北 満 全 体 の輸送 業
毎 に交 代 し て議 長 を 執 る こと とし た し、 と述 べ 宇 佐美 代 表 は之 に同
次 で ウ エイ ゼ ル代 表 は烏 蘇 里鉄 道 の代 表 者 を 紹介 し た る後 、烏 蘇
及産 業 の利 害 を 一致 せし む る 点 に於 て頗 る複 雑 な る のみな らず 、
意 せ り。
右 は全 く 新 奇 独特 の考 と 存 じ ま す。 何 と な れば 、吾 々の知 れ る範
を 俟 たざ る所 であ り まし て十 分 に之 が目的 を達 せん か、 鉄 道 運輸
ず 、更 に進 ん で北 満 の農 民 、 又 は輸 出業 者 の利 益 上 必要 な るは言
さ れば 此 の目 的 の達 成 は独 り鳥 鉄 及満 鉄 の利 益 上 よ り の みな ら
を 聞 か ぬ から であ り ます 。
囲 に於 て は世 界 の鉄 道 中 、未 だ嘗 つ て斯 の種 協 定 の行 は れた こと
里鉄 道 局長 クゾ ヴ レ フ氏 よ り満 鉄 社 長安 広 伴 一郎 氏 宛会 議 に関 す る
宇 佐 美代 表 は右 委 任 状 を受 理し 、 南満 洲 鉄 道 の代 表者 を紹 介 し た
全権 委 任 状 を宇 佐 美 代 表 に手 交 せり 。
る後 、満 鉄 社長 よ り烏 蘇 黒 鉄道 局 長 宛会 議 に関 す る全権 委 任 状 を ウ
斯 く て ウ エイ ゼ ル代 表 議 長 の席 に就 き 、北 満 貨 物 数量 配 分 に関 す
史 上 に興味 あ る 一新 記 録 を残 す こと とな り ます 。
エイ ゼ ル代表 に手 交 せり ( 委 任 状 は 其 の写 を本 議 事 録 に添 附 す )。
る南 満 洲 鉄道 、烏 蘇 里 鉄 道 代 表者 間 の会議 を正 式 に開催 す べ き旨 を
本協 約 は以 上 申 上 げ た如 く 難事 で はあ り ます が、 吾 々は既 に本
宣 し 、次 で両鉄 道 代 表 は次 の如 き挨 拶 を交 換 し た り。 烏 蘇 里鉄 道 主席 代 表 ウ エイ ゼ ル氏 の挨 拶
に隔 意 な き意 見 を 交換 し 尽 した る のみな らず 、 総 て の障 害 が除 去
会 議 に先 立 ち予 備 会 議 に於 て長 日 月 に亘 り た る討 議 の結 果 、 相 互
せら れ た る を 以 て本 会議 は速 に予期 の好 果 を収 め得 べ き ことを 確
本 会 議 の議 事 に 入 る に先 立 ち会 議 の議 長 と し て でな く 、鳥 蘇 里
信致します。
鉄 道 を代 表 し て列 席 の 一同 に代 り 一言 申 上 げ る こと を 御 許 し願 い 度 い のであ り ま す 。私 は茲 に北 満 輸出 貨 物輸 送 業 者 と し て の両 鉄
南 満 洲 鉄道 主 席 代 表 宇 佐美 氏 の挨拶
が速 に予期 の成 果 を 収 め る やう希 望 致 し ま す 。
終 り に臨 み列 席 の御 一同 に対 し御 悦 びを申 上 げ 、 併 せ て本 会 議
道 の使 命 を 履 行 す る上 に於 て、両 者 の将来 に於 け る親 善協 調 の基 礎 を 造 る ため始 め て開 催 され た る両 鉄 道 会議 を祝 福 致 し ま す。 鳥 蘇 里 鉄 道 及南 満 洲 鉄 道 は 、右 の如 き 共通 的 使 命 を有 す る に拘 らず 従来 此 等 の貨 物 吸 収 のた め箇 々別 々 の行 動 を採 り甚 し き に は
同 に代 り ま し て 一言 御挨 拶 を申 上 げ る の光 栄 を有 しま す 。長 い間
南 満 洲鉄 道 を代 表 致 し ま し て此 の会 議 に列席 致 し て居 り ます 一
今 回 の会 議 の結 果 、 両 鉄 道間 に協 約 成 り 以 て両 鉄 道 の有害 な る
の予 備 会 議 も漸 く 終 りを告 げま し て愈 茲 に本 日 よ り貴 我 両鉄 道 の
競 争 にま でも出 た ので あ りま す。
単 独行 動 を 中 止 し 、斯 く し て従 来 と異 り 両鉄 道 親 善 関 係 は固 よ り、
り慶 賀 の情 に堪 へま せ ぬ 。顧 みま す れば 、 昨 年 六 月烏 蘇 里 鉄 道 の
正式 会 議 に移 る こと と な り まし た こと は列 席 の諸彦 と共 に衷 心 よ
ま し た が、 之 は皆 御 互 に飽 く 迄腹 蔵 のな い意 見 を披 瀝 し て十分 に
如 き は時 に激 し い議 論 を交 換 致 し ま す る の已 む を得 ぬ場 合 もあ り
ま し て今 日正 式会 議 の開 催 の段 取 り とな り ま し た事 は 実 に欣 喜 の
でし た が、 之 がた め 互 に意 見 のあ る処 を十 分諒 解 し合 ふ事 が出 来
情 に堪 へな い の であ りま す 。 協約 の骨 子 をな し ま す る根本 問 題 に
徹底 的 な討 議 をし よ う と いう 事 の理由 に出 たも のに外 な り ま せ ぬ
行 は れま し てか ら 正 に 一年 有 余 の時 日 を費 し た ので あ りま す 。 元
に 、北 満 貨 物 の輸 送 径 路 別 数 量 配分 の問 題 に就 て非 公 式 に商 議 が
来 北 満 貨 物 の呑 吐 港 と し て は東 に浦 塩 港 があ り 、南 に大 連 港 があ
就 き ま し て は既 に予備 会 議 に於 き ま し て殆 凡 て商 議 し 了 つた事 で
代 表 ヂ キ ー氏 及 前 東 支鉄 道 管 理 局 長 オ スト ロウ モ フ氏 並 小 職 の間
つて其 の関 係 は極 め てデ リ ケ ート で あ りま す た め に、 動 も す れ ば
立 を 以 て単 に鳥 蘇 里 、南 満 洲鉄 道 の親 善 関係 の助 長 と いふば かり
あ り ま す から し て 、 正式 会 議 は列 席 の代 表 一同 の此 の上 の努 力 に
で な く、 日露 両国 の間 の友好 関 係 も更 に之 に依 て 一層増 進 せら れ
依 り ま し て間 も な く終 了 す るも のと考 へま す。 私 共 は本 協 約 の成
は両 港 の繁 栄 の為 にも、 亦 親 善 な る べ き貴 我 両鉄 道 の関 係 の上 に
ら し て来 る処 の自 然 の勢 ひ であ る ので あ りま す 。併 しな がら競 争
も、 亦 貴 我 の国交 上 から も決 し て好 ま し き 結果 を招 来 す るも の で
其 の間 に競 争 の生ず べ き余 地 があ り ま す こと は 蓋 し地 理 的 関 係 か
は な い の であ り ま す。 従 つ て之 等 の貨 物 の輸送 の任 に当 つ て居 り
い ので あり ま す 。
坂
福
本
井
直
敬
道
蔵
森 永 不 二 夫
エム ・ハ ・ピイ ル
エヌ ・デ ・カ ー チ ン
ま し た 処 の 一年 余 り の日 時 は、 寧 ろ 短 かか つたと 言 は ねば な りま
し諮 る処 あ り、 宇 佐 美 氏 之 に賛 し全 会 一致 之 を 可 決 せ り。 ( 会議 の
社 長 及 烏蘇 里鉄 道 局 長 に対 す る会 議 開催 に際 し て の挨 拶 電 報 案 に関
右 終 へて議 長 より 会 議 の議 事 規 約 並 両鉄 道 代 表 よ り 、南 満 洲鉄 道
烏蘇里鉄道
南満 洲 鉄 道
之 よ り会議 は議 事 に入 り会 議 書 記 を 左 の如 く指 命 せ り。
且裏 書 され る も ので ある 事 を信 じ ま し て衷 心御 同 慶 の情 に堪 へな
に無 策 で あ る と言 はね ば な ら ぬと 信 じ ま す 。是 貴 我 両鉄 道 の間 に
ま す る吾 々鉄 道 が、 之 を 自 然 の成 行 に委 し て置 く と いう 事 は余 り
置 き ま し て本 問 題 に関 す る商議 が行 は れ るに到 りま し た 所 以 で あ り ま す 。併 し な が ら吾 々が 茲 に協 約 を せむ と す る輸 送 配 分 の問 題 の如 き 内容 を有 す るも のは全 く世 界 の鉄道 に前 例 のな いも ので あ
つあ り ま し た が為 に、時 に或 は其 の難 問 に逢 着 し 、時 に或 は其 の
り ま す 。 従 つて其 処 に幾 多 の難 問 、 幾 多 の難 礁 が当然 に横 は り つ
せ ぬ。而 し て本 日茲 に本 協 約 に関 す る 正式 会 議 を 開 く に至 りま し
議 事 規 約 及挨 拶 電 報 は 其 の写 を本 議 事 録 に添 附 す) 次 で議 長 は会 議
ペ ・ア ・カ ム シヤ
た こと は 、 両鉄 道 当 局 が 其 の親 善 関 係 と いふ高 所 に立脚 し て の考
難 礁 に乗 り あ げま し た こと を思 ひま す れ ば 、最 初 の交 渉 以来 費 し
を 片 時 も忘 れ な か つた為 であ る と信 じ ま す 。従 つ て予備 会 議 中 の
の閉 会 を宣 す 。
長
第 二 回 (八 月 二 十 四 日) 月 曜 日 議
宇 佐 美 寛 爾
議 長 は開 会 と 同時 に会 議 開 催 に関 し、 鳥 蘇 里鉄 道 局 長 クゾ ヴ レ フ 氏 よ り の両 鉄 道 代 表 宛 左 の電 報 を朗 読 披 露 せり 。 鳥 蘇 里 鉄 道 局 は 正式 会 議 の開 会 を祝 し 、 其 の円満 な る進捗 を冀 望 す ると 同 時 に、 会議 が所 期 の成果 と協 調 を齎 し 且親 善 なる 両隣
ロ
協 約 の表 題
賓 グ ラ ンド ・ホ テ ル に於 て 開催
哈爾 賓 に於 て
北 満 貨物 数 量 配 分 に関 す る南 満 洲鉄 道 ・烏 蘇 里 鉄 道協 約 二 五年
一九
次 で議 長 は議 事 録 及 協 約 の冒頭 に挿 入す べき 文句 に つき 、 次 の如
議 事 録 の冒頭 文 句
く 之 を挿 入す る こと を諮 り た り 。 イ
南 満 洲 鉄 道 、鳥 蘇 里 鉄 道 向 け輸 送 せら る る北 満 生産 貨 物 に関 し 、
両鉄 道 は其 の親 善 関 係 を 保持 し併 せ て各 自 の利 益 を増 進 せむ が た
接 国 の鉄 道 運 送 業 を 代表 す る両 鉄 道 の友 好 関 係 を 鞏固 なら し む る も のた る こ とを 確 信 す 。
の意 見 を述 ぶ る こと と し 、 予備 会 議 に於 て未 だ決 定 を 見ざ りし 事 項
て本 会議 に於 て商 議 す る こと を止 め 、別 に議 長 より 決議 と し て最後
幾 分 其 の文 句 に つき修 正 を加 へ得 る こと の余 地 を存 せし め た き旨 を
も、協 約 の冒 頭 文 句 に就 て は後 に到 つて何 等 か の事 情 発 生 の場 合 、
ウ エイ ゼ ル代 表 は右 に関 し 、 議事 録 の冒頭 文句 に就 ては異 議 な き
の利 益 を増 進 せむ が た め左 の協約 を締結 す 。
南 満 洲 鉄 道 、鳥 蘇 里鉄 道 は 其 の親 善 関係 を保 持 し 、併 せ て各 自
協 約 の冒 頭 文 句
め 左 の決 議 を 為 せ り 。 ロ
次 で議 長 は ﹁本 会 議 の骨 子 を成 す 根本 問 題 に就 ては既 に予 備 会議 に於 て十分 商 議 を 了 し 居 る こと な る によ り、 正 式 会 議 を し て、 一刻
に限 り 商議 す る こと と し た し﹂ と 諮 り 、 ウ エイ ゼ ル代 表 は之 に賛 し
述 べた り 。
も早 く終 了 せ しむ る為 、 既 に予備 会 議 に於 て決 定 を 見 た る点 は 改 め
﹁既 に予備 会 議 に於 て決 定 を見 た る事項 に関 し ては 正 式会 議 に上 程
日 に至 る間
哈爾
会 議 は 討議 の結 果 、 協 約 に は右 の文 句 は其 の儘 第 一条 とし て採 用
粕 、 小 麦粉 並各 種 〓 の六 品 と す。
輸 送 せら る る北 満 生 産 の各 種 豆 、 小麦 及 之 を 原料 とす る豆油 、 豆
東 支鉄 道 各 駅 所 発 ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅著 及 通 過 並長 春 駅 著 及通 過
関 す る討 議 に移 り、議 長 は之 を次 の如 く決 定 せむ こと を諮 り たり 。
き こと を確 め て其 の可決 を宣 し、 次 で本 協 定 の目 的 た るべ き貨 物 に
議 長 は ウ エイゼ ル代表 の意 見 に対 し ては満 鉄 代 表 に於 ても異 議 な
す る形 式 を取 る為 、 議 長 に於 て之 を朗読 す る ことと し 、追 加 又 は修 正 を必 要 と認 む ると き は 本 会議 に於 て之 を審 議 決 定 し た し﹂ と 述 べ、
月
北満 貨 物 数 量 配 分 に関 す る南 満 洲鉄 道 ・鳥 蘇 里 鉄 道 代表 者 会 議
議 事 録 の表 題
会 議 は引 続 き議 事 録 及 協 約 の表 題 に関 し左 の如 く 之 を 決定 せり 。
全 会 異議 な く之 を 可 決 せ り 。
イ
一九 二五年 八月 二十 二日 よ り 一九 二五年
議事録
し 、 プ ロト コー ルに は右 の文句 の外 、 更 に左 の如 き 文 句 を附 加 する
貨 物 に つき 之 を行 ふ。
ヤ駅 に到著 し 、 又 は鳥 蘇 里鉄 道 及 南満 洲鉄 道 に引継 が れた る協 定
右 に対 し烏 鉄 代 表 は何 等 異議 を有 せ ざ る が、 豆 粕 の両 径 路 向輸 送
調 節 に就 て本 会議 中 更 め て問 題 を提 出 す る こと を留 保 し たし と述 べ、
右 六品 以 外 の貨 物 に関 し ては 両締 約 鉄 道 は後 日之 等 六 品 以外 の
こと と せ り。
貨 物 を協 約 に追 加 す る こと の問題 の提 議 を 保留 す 。但 し 前 顕 六品
る べき 其 の配 分数 量 の算 定 に就 て は南 満 洲鉄 道 と し て も亦 異 存 な き
宇 佐 美 代 表 は協 約 第 二条 第 一項 た るべ き 配分 の割 合 並同 条 第 二項 た
調 節 委 員 会 の設置 を条 件 と し て之 に同 意 す べし と 答 へ、更 に本 問題
ず る が故 に、烏 蘇 里鉄 道 代 表 の本 提 案 に対 し て は南満 洲 鉄 道 は 輸送
送 調 節 委 員 会 の設 置 に依 り初 め て之 を な し得 べき も のな る こと を信
は、 本 案 の解 決 は 予 て南 満 洲鉄 道 側 より 予 備会 議 に於 て提 出 せ る輸
所 な るが 、鳥 蘇 里鉄 道 代表 の提 案 た る豆粕 の輸 送 調節 の問 題 に就 て
以 外 の貨 物 に関 す る協 定 成 立 せ ざ る場 合 と 雖 も、 本 協 約 の効 力 に
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
は 何等 の影 響 を 及 ば さざ るも のと す。 右 終 は り て議 長 は閉 会 を 宣 す 。
長
第 三 回 (八月 二十 五 日) 火 曜 日 議
議 長 は開 会 を 宣 し た る後 、 会 議 開催 に関 し 両鉄 道 代 表 宛 満 鉄 社長 より の電 報 を朗 読 披露 せ り。
は之 を協 約 中 に挿 入 せず 議 事録 に留 む るを 可 な りと信 ず る旨 を 述 べ
蘇 里 並南 満 洲 鉄 道 へ引継 がれ た る貨 物 ﹂ なる文 句 は、南 満 洲 鉄 道 代
貴 電 拝 承、 従 来 久 し く両 鉄 道 の抱 懐 せ る冀 望 が実 現 せら れ 、 二
表 の意 見 に依 り ﹁ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 に到 着 し 、 又 はポ グ ラ ニチ ナ ヤ
れ た り。 又議 長 は 第 二項 中 の ﹁ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 に到著 し、 又 は烏
た る こと を確 信 し、各 位 の異 常 な る御 努 力 に依 り 本会 議 の円 満 に
又 は長 春 駅 に於 て烏 蘇 里鉄 道 又 は南 満 洲 鉄 道 に引 渡 手続 を了 し たる
討 議 の結 果 、 配 分 並 其 の配 分数 量 の算 定 に付 て は原 案 通 り採 用 せら
進 行 せむ こと を祈 る。
貨 物 ﹂ と修 正 せら れ た る旨 を述 べ 、尚 鳥 蘇 里鉄 道 代 表 の提 案 た る豆
十 二 日 よ り愈 正 式 会議 開催 の報 に接 し欣 快 の至 り に堪 へず 。 本協
次 で議 長 は 、両 径 路 向貨 物 数 量 配 分 割 合 の問 題 に関 し、 予 備 会議
定 の成 立 は両 鉄 道 将来 の親 善 と協 調 と に対 し 堅 き基 礎 をな す も の
に於 て決 定 し た る所 に基 き 、協 約 第 二条 と し て次 の如 く決 定 せむ こ
粕 の輸 送 調 節 問 題 に関 し ては 、 輸 送調 節 委 員会 の設 置 を 条件 と し て
会 議 は協 約 第 三条 とし て左 の通 り可 決 し た る旨 を告 げ 之 を朗 読 せり 。
払 戻 金 の問 題 に関 し ては 予備 会 議 に於 て決 定 せ ら れ た る所 に基 き、
右 に引 続 き議 長 は協 定数 量 以 上 に貨 物 を輸 送 し た る場 合 に於 ける
告げたり。
同意 せ ら る べき 旨 の文句 を議 事 録 に録 す る こと に決 定 され た る旨 を
と を諮 り た り 。 両 締 約 鉄道 は 一九 二五年 十 月 一日 よ り 一九 二六 年 九 月 三十 日 に 至 る 一穀 物出 廻 年 度 内 に輸 送 せら る る第 一条 に つき 、南 行 (南満 洲 鉄 道 向 ) 五割 五分 、東 行 (烏 蘇 里鉄 道 向 ) 四割 五 分 の割 合 に配 分す。 前 項 配 分数 量 の算 定 は 其 の受 託 日 の如何 に拘 ら ず ポ グ ラ ニチ ナ
一出廻年度中第 二条 に定む る割合以上 の貨物を輸送 したる 一方 の むる損失を補償す る為、 協約附属書 第 一﹁ 北満生産貨物東南両径路別
締約鉄道 は相手方鉄道 に対し其 の輸 送減少 により て相手方鉄道 の蒙
第
一
階
五百五十万布度迄
階
段
段
中 の超過輸送数量 に対し、左表 に定むる払戻金を支払 ふの義務負 ふ。 割合表
イ 鳥蘇 里鉄道 より南満洲鉄道 へ払戻 す場合 に適 用せらるる払戻金
四
階
段
五
階
段
一布度に付金哥 (東支鉄道貨物運賃 に適用 せらるる)建 とし累加 計算法 に依る。 段
第
階
第
三
第
段
千 五百 四 十 万 一布 度 以上
階
千三 百 二 十 万 一布 度 以 上千 五 百 四十 万布 度迄
二
第
九 百九 十 万 一布度 以 上千 三 百 二 十 万 布 度 迄
計 算 法 に依 る 。 四
階
段
五
階
段
第
段
第
階
千 七百 十 六 万 一布 度 以上
三
第
千 四 百 三十 万 一布 度 以 上 、 千七 百 十 六 万 布度 迄
段
第
千 〇 三 十 四 万 一布 度 以 上 、 千 四百 三 十 万 布 度迄
階
五 百 五 十 万 一布 度 以 上、 千 〇 三 十 四 万布 度迄
二
一布度 に付 金 哥 (東 支鉄 道 貨 物 運 賃 に適 用 せら るる) 建 と し累 加
五 百 五十 万 一布 度 以 上 九 百 九十 万布 度 迄
輸送数量配分 に関す る南満洲鉄道 ・鳥蘇里鉄道千九百二十 五年協約 に伴 ふ払戻金 に関する相互計算規則﹂ の定 むる所 に依り全出廻年度 払戻金 割合階段 超過貨 物数量 五 百 五十 万布 度 迄 の場 合 九 百 九 十 万布 度 迄 の場合 千 三 百 二十 万布 度 迄 の場 合 千 五 百 四 十 万布 度 迄 の場 合 千 五 百 四 十 万 一布 度 以 上 の場 合
一
五 百 五十 万 布 度迄
第
南満洲鉄道 より烏 蘇里鉄道 へ払戻す場合 に適用せらるる払 戻金
割 合表
ロ 払戻金 割合階段 超過貨 物数量 五百五十万布度迄 の場 合
千〇 三十 四 万布 度 迄 の場 合 千 四 百 三十 万布 度 迄 の場 合 千 七 百 十 六 万布 度 の場 合 千 七 百 十 六 万 一布 度 以 上 の場 合
斯 く て議長 は閉会を宣す。 第四回 (八月二十六日)水曜 日 議 長
宇 佐 美寛 爾
議長 は第四回目 の会議開催を宣 し、締約鉄道相 互間 に於ける計算、 清算並支払 の方法 に関し、次 の如 く之を協約第四条 として採用せむ ことを諮 れり。 第 四条 の冒頭 文句 ﹁締約鉄道相互間 に於ける払戻金 の計算、清 締約鉄道相互間 に於 ける払戻金 の計算、清算並其 の支払方法は
算 並其 の支払方法﹂基本文
右 に引続き議長 は右計算規則 の首 文及第 一条 の本文並払戻 を為す
場合 に適用 せらる払戻金割合表 につき諮 る所あり、会議は原案通 り 可決し議長 は次 の如く朗読 せり。
本協約第 三条 に依る払戻金 に関する両鉄道相互間 の計算は左 に 第 一条
一出廻年度中協約第 二条 に定むる割合以上 の貨物 を輸
定むる所 に依 る
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
て生ずる損失 を補償する為、其 の超過輸送数量 に対し左表 に定む
送したる 一方 の締約鉄道 は相手方鉄道 に対し其 の輸送減少 により る払戻金を支払 ふものとす。 編 注 、前 掲 と 同 一の表 あ ︹る も内容同 一に付省略 ︺
茲 に於 て議 長 は閉 会 を宣 す 。
凡 て協約附属書第 一 ﹁北満生産貨物東南両径路別輸 送数量配分 に 関する南満洲鉄道 ・鳥蘇里鉄道千九百二十 五年協約 に伴ふ払戻金
長
第 五 回 (八月 二十 七 日) 木 曜 日
前 条 払 戻 金 の計 算 は東 支 鉄道 が貨 物 運賃 の建 値 に採 用
せ る金 哥 を 以 て之 を 支 払 ひ 、其 の支 払 は ﹁南 満 ・東 支 ﹂ 及 ﹁ 鳥蘇
第 二条
定 せむ こと を諮 れ り。
議 長 は第 五 回目 の会議 開 催 を 宣 し 、 計算 規 則 第 二条 を次 の如 く決
議
に関す る相互計算規則﹂ の定むる所 に依る。 会議 は異議なく之 を可決し、次で協約附属書第 一、前顕計算 規則 の討議 に移 り、議長 は之 が表題を次 の如く決定せむ ことを諮り全会 一致 之を承認 せり。 烏蘇里鉄道千九百二十五年協約 に伴 ふ払戻金 に関 する相互計算規
里 ・東 支 ﹂聯 絡 運 輸 貨 物 上 に於 て東 支 鉄道 発 送 貨物 に対し 南 満洲 、
﹁北満 生産貨物東南両径路別輸送数量配分 に関する南満洲鉄道・ 則﹂
東 支、 烏 蘇 里 三鉄 道 代 表 者協 議 の上 決 定 せら れ 、其 の都 度 東 支鉄
の換 算 率 に依 り 円貨 を 以 て之 を為 す も のと す 。前 項 金 留 対 金 円 の
道 に於 で達 電 に依り 公 示 せら れ た る上 、 適 用 せら る る金 留 対 金 円
換算 率 は計 算 の行 は る べ き全 期 間 を通 じ実 施 せら れ た る換 算 率 の 平 均 に依 るも のと す 。 両鉄 道 は 特 に協 議 の上 、 円貨 以外 の貨 幣 を
ロ
ハ
第 二期 終 了 のと き行 ふ計 算 には 、十 月 よ り 翌年 三月 に至 る六
月間 に適 用 せら れ た る金 留 対 金 円 の換 算 率 の平 均
箇 月間 に適 用 せら れ た る金 留 対金 円 の換 算 率 の平 均
第 三期 終 了 のと き 行 ふ計 算 には 、十 月 より 翌年 六 月 に至 る九
第 四期 終 了 のと き 行 ふ計 算 には 、十 月 よ り翌年 九 月 に至 る 一
箇 月間 に適 用 せら れ た る金 留 対 金 円 の換 算 率 の平 均
出 廻年 度 間 に適 用 せら れ た る金 留 対金 円 の換 算率 の平 均
ニ
前項 換 算 率 の平 均 は 同 一換 算 率 の適 用 せら れ た る 日数 に応 じ之
以 て支 払 を為 す こと を得 。此 の場 合適 用 せ ら る る換 算 率 は其 の都 度之を定む。
に二 つ の異 り た る換 算 率 が適 用 せら れ た る場 合 、第 一の換 算 率 の
を算 出 し 、 一暦 月 は 三十 日 よ り な るも のと看 做 す 。但 し 一暦 月中
会 議 は異 議 なく 之 を 可 決 せ り。 次 で議 長 は規 則 第 三 条 を 次 の如 く 定 めむ こと を諮 り全 会 一致之 を承 認 せり 。 払 戻 金 の計 算 は 一出 廻 年 度 を 四期 ( 第 一期 十 月︱ 十 二
適 用 せら れた る 日数 を 三十 日 よ り控 除 し た る残 り の日数 を以 て、
第三条
のとす 。
月 、 第 二 期 一月︱ 三 月 、第 三期 四 月 ︱ 六 月 及第 四期 七 月︱ 九 月)
第 一期 終 了 のと き は十 月 よ り十 二月 に至 る 三箇 月間
右 に対 し 両 鉄 道 代表 は何 等 異 議 な き旨 を答 へ、議 長 は 本案 は原 案
其 の暦 月 中 に於 け る第 二 の換 算 率 の適 用 日 数 と看 做 す 。換 算 率 の
第 二期 終 了 のと き は十 月 よ り 翌年 三 月 に至 る 六箇 月 間
に分 かち 、各 期 の終 了 毎 に出 廻 年 度 当 初 よ り 当該 期 末 迄 の全輸 送
イ
第 三 期 終 了 のと き は十 月 よ り 翌年 六 月 に至 る 九箇 月 間
平 均 は之 を百 円 以 下 五位 に止 め 、 六位 以 下 は之 を 四捨 五 入す るも
ロ
第 四期 終 了 のと き は十 月 よ り翌 年 九 月 に至 る全 出 廻 年 度 分
数 量 に対 し 之 を 行 ふ も のと す 。仍 ち
ハ
長
宇 佐 美 寛 爾
第 一次 計算 の結 果 一鉄 道 が他 の締 約鉄 道 に交 付 し た る
額 は 、 支 払 を為 し た る鉄道 に 対し 本 規 則第 十 一条 所 定 の期 間 内 に
過 す る こと と な り た る場 合 に於 ては 、其 の 一部 若 し く は全 部 の金
払 戻 金 の 一部 若 しく は全 部 が 、第 二次計 算 の結 果其 の相 当額 を超
第 五条
く決 定 せ む こと を諮 れ り。
議 長 は第 六 回 の会 議 開 会 を宣 し、 計算 規 則 第 五条 の文 句 を 次 の如
議
第 六 回 (八月 二十 九 日 )土 曜 日
通 り 可決 せ られ た る旨 を告 げ 、 次 で閉 会 を宣 す 。
ニ
前 項 の計 算 中 第 一期 、第 二期 及第 三期 終 了 の上 行 ふ計 算 は概 算
に対 し之 を行 ふも のと す。
にし て 、第 四期 終 了 の上行 ふも のは之 を清 算 と す 。
前 条 計算 の場 合 適 用 せ ら る べ き金 留 対 金 円 の換 算 率 は
更 に規 則 第 四条 に付 議 長 は之 を 次 の如 く決 定 せむ こと を諮 れ り。 第 四条
第 一期 終 了 のと き 行 ふ計 算 には 、十 月 より 十 二 月 に至 る三 箇
左 の通 り と す 。 イ
年 四 分 の利 息 を 附 し て返 還 せら る べ きも のと す 。 前 項 利息 は本 規 則第 十条 及 第 十 一条 に依 り 、第 一次 計 算 に基 き 払 戻 金 の支 払 が行 は れ た る 日 より 、第 二次 計 算 の結 果 支 払 の行 は るべ き 日 の前 日迄 の期間 に対 し 之 を附 す るも のと す 。第 三 次 、第 四次 計 算 に基 く 払戻 金 の支 払 並 第 三 次計 算 に基 く払 戻 金 の返 還 の 場 合 亦 之 に準 ず 。 右 に対 し両 鉄 道 代表 は 何等 追 加 又 は修 正 の必 要 を認 めざ る旨 を答 へ、議 長 は本 条 は原案 通 り決 定 の旨 を告 げ 、 更 に第 六条 の協 議 に移
本 規 則第 三条 所 定 の計 算 を行 ふ為 、協 定 配 分 超 過輸 送
り、 同 条 を左 の通 り 決 定 せむ ことを諮 れ り。 第 六条
第 一期 二〇 %
三 五% 第 四期
第 二期 一〇%
三 五%
貨 物 数 量 は、 之 を 左 の通 り同 条 所 定 の各 期 に按 分 す る も のと す 。
第三期
南 満 洲 鉄 道 に適 用 の分
即 ち 之 を各 鉄 道 別 に表 示 す れば 次 の如 し 。 イ
ロ 鳥蘇里鉄道に適用 の分
本 条 各 期 割 合 は作 柄 の実 情 出 廻 の状 況 其 の他 の事 由 に依 り、 両
長
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
両鉄 道 代 表 は右 に対 し何 等 異 論 な き旨 を答 へ原 案 通 り可決 の旨 を
鉄 道 協 議 の上 之 を変 更 す る こと あ る も のと す 。
告 げ 、次 で閉 会 を 宣 す 。
議
第 七 回 (九月 一日) 火 曜 日
議 長 は第 七 回目 の会 議 開 会 を 宣 す る と同 時 に計 算 規 則 第 七条 を次
両 鉄道 間 に配 分 せ ら る べ き輸 送貨 物 の数 量 の計 算 は各
の如 く 決 定 せむ こと を諮 れ り。 第 七条
出 廻年 度 又 は各 期中 の左 記 貨 物 に付之 を行 ふ 。
東 支 鉄 道 各 駅所 よ り発 送 せら れ ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 及長 春 駅 以
東 支 鉄 道 各 駅所 よ り発 送 せら れ ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 を著 駅 と す
が れ た る貨 物
日時 の如 何 に拘 ら ず 、 東 支 鉄道 よ り烏 鉄 又 は満 鉄 に実際 に引継
遠 並 長 春 駅 を著 駅 と す る貨 物 に し て、其 の東 支 鉄 道 発 駅受 託 の
イ
ロ
る貨 物 にし て、 其 の東 支鉄 道 発 駅 受 託 日時 の如 何 に拘 らず 実際
式 ) は ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 又 は長 春 (又 は寛 城 子 ) 駅 に駐 在 す る
前記 引 継 証 書 又 は同 書 写 及 日計 報 告 書 ( 第 イ 号 及 第 ロ号 様
作 成 せら れ たる特 別証 書 た る日計 報 告 書 ( 第 ロ号 様式 )
各 出 廻 年度 又 は其 の各 期 は各 々其 の年 度 又 は其 の期 の最 初 の
同 駅 に到 着 せ る貨 物
日 の午 前零 時 に始 ま り最 終 の日 の午後 十 二時 に終 るも のと す 。
南 満 、烏 蘇 里 両鉄 道 代 表 係 員 に於 て東 支鉄 道 係 員 よ り之 を 受領
( 第 イ号 及 第 ロ号 様 式 ) の相 当 欄 に其 の正 確 な る こと を 立 証す
し 、 現物 に つき 立会 対 照 を な し之 を 確認 し た る上 、 日計 報告 書
前 記 期 間 の計 算 に採 用 す る時 間 は ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 に於 ては
哈 爾賓 及大 連 間 の時 差 は 二十 六 分 にし て、哈 爾 賓 時 間 の正 午
考
之 を 哈爾 賓 時 間 、 長春 駅 に於 ては之 を大 連時 間 とす 。 備
前 記 六 通 の書 類 中 各 一通 宛 は南 満 洲鉄 道 本 社 及烏 蘇 里鉄 道 局
る旨 記 載 し て署名 す るも のと す。
に、 各 二 通 は哈 爾 賓 満鉄 鳥 鉄 共 同 事務 所 に於 け る両 鉄道 代 表 者
十 二時 は 大連 時 間 の午 前 十 一時 三 十 四分 に当 る 。 両 鉄 道 代表 は右 に対 し何 等 異 議 な き旨 を答 へ、議 長 は原 案 通 り決
ラ ニチナ ヤ に駐 在 す る南 満 鉄 道 及鳥 蘇 里鉄 道 代表 係 員 に於 て各
宛 各 一通 宛 送附 せら るる も のと し 、 他 の各 二通 は長 春 駅及 ポグ
払 戻 金 の計 算 上 輸 送貨 物 の数 量 に関 す る基 本 書 類 は 左
定 の旨 を 宣 し 、更 に同 第 八条 の文 句 を 次 の如 く採 用 せむ こと を 諮 り、
第 八条
会 議 は 全会 一致 之 を 承 認 せ り。
右 証 書 の内 容 に関 し長 春 駅 及 ポ グ ラ ニチ ナヤ駅 に駐 在 す る南
自 一通 宛 を保 有 す るも のと す。
記 戦 し て署 名 す る と同 時 に両 鉄道 代 表 係 員 は共 同 し て東 支 鉄道
議 を 有 す る鉄 道 の代表 係 員 は前 記特 別 書 類 の記 事 欄 に其 の旨 を
満 、 鳥 蘇 里両 鉄 道 代 表係 員 の意 見 一致 せざ る場 合 に於 て は、 異
(又 は寛 城 子 ) 駅 に於 て、 東支 鉄 道 係員 に依 り 作 成 せ ら れ、 受
通 過 輸 送 せら る る貨 物 に対 し て は、 ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 又 は長 春
係員 の助力 を 需 め遅 滞 な く 、右 証 書 の内容 に関 し 調査 を 行 ふ に
東 支 鉄 道 各 駅 所 発 ポグ ラ ニチヂ ヤ駅 通過 又 は長 春 駅著 及同 駅
に定 む る所 に依 る 。
授 鉄 道 係 員 に於 て署 名 せ ら れ た る烏鉄 、東 支 又 は南 満 、東 支 聯
前 項聯 絡 貨 物 引 継 証書 又 は同 書 写 に は、 東支 鉄 道 係 員 に依 り
宜 引 継 証 書 又 は同 書 写 或 は東 支 鉄 道 係員 に依 り作 成 せら れ た る
が解 決 せら れ ざ る場 合 に於 ては、 計 算 を遅 滞 せ し めざ るた め便
右 調 査 が期 末計 算 を行 ふ と き迄 に完 了 せず し て意 見 の不 一致
必要 な る手 段 を講 ず るも のと す。
被 協 定貨 物 に つき 其 の品 目 並 数 量 を抜 萃 し て作 成 せら れ たる特
か りし払 戻 金 を受 けざ りし こと が 立証 せら れ た ると き は 、右 計
後 日 一鉄 道 が受 く べ からざ り し払戻 金 を受 け 、若 しく は受 くべ
日計 報 告 書 ( 第 ロ号 様 式) 面 に記 載 す る所 に依 り計 算 を行 ひ、
東 支 鉄 道 各 駅所 発 ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅著 貨 物 に対 し ては 、到 著
別書 類 た る 日計報 告書 (第 イ号様 式 ) を 添附 す るも のと す 。
証 明 せら れ た る同 書 写 。
絡 貨 物 引継 書 又 は東 支 鉄道 係 員 に依 り其 の誤 り な き こと に つき
イ
ロ
貨 物 書 類 に基 き ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 に於 て、東 支 鉄 道係 員 に依 り
算 は 次 回計 算 の際 訂 正 す べき も のとす 。 但 し 最 終 の計 算 た る 一
を有 せざ る場合 は 、右 請 求書 の共同 事 務 所 を発 送 せら れ た る 日
前 項 払 戻 請 求書 を受 理 した る鉄 道 に於 て其 の請 求 に対 し異 議
遅 滞 な く相 手 方 鉄 道 に転 送 す るも のとす 。
よ り 、返 還 せら る る請 求 書 が 共 同事 務 所 に到 著 す る日 迄 を通 じ
出 廻 年度 全 体 の計算 を訂 正 す る場合 に於 ては 、前 顕 誤 謬 の事 実 が立 証 せ ら れ た ると き よ り 一箇 月 以内 に之 を 行 ふも のと す 。
を要 求 せざ る場 合 に於 ては右 支 払 の請求 は前 記 所 定 の期 間 内 に
請 求 書 を返 還 し て支 払 の拒 絶 を為 さず 、 又 は支 払 請求 書 の訂 正
す る異 議 申 立 の文 書 を 発 送 す る も のと す 。但 し 右 期 間中 に支 払
書 を返 還 し て支 払 の拒 絶 を為 し 、 又 は支払 請 求 書 の訂 正 を要 求
右 所 定 の期 間 に其 の理 由 を附 し 、共 同 事務 所 を経 由 し 支払 請 求
共 同事 務 所 に返 還 し、 其 の請 求 に対 し 異議 を有 す る場 合 に は、
の計 算 の場 合 には 四十 五 日以内 に支 払 承 認 の形 式 を 採 り 、之 を
第 一次 、 第 二 次 及第 三 次 計算 の場 合 には 三 十 日以 内 に、 又最 終
右 に引続 き議 長 は 同第 九条 の文 句 に付 き諮 る所 あ り、 会 議 は 原案
両 鉄 道 の協 約 に関 す る計 算 事 務 は 、 哈爾 賓 満 鉄 鳥 鉄 共
通 り之 を 可決 承 認 せり 。 第 九条 同 事 務所 に於 て総 て の計 算 材 料 を審 査 し、 左 記 書類 を作 成 す る も のと す 。 引継 証 書 又 は 同書 写及 日 計報 告書 (第 イ 号 及第 ロ号 様 式 ) に
日迄 に両 鉄道 代表 者 署 名 の上各 一通 宛 を 南満 洲鉄 道 本 社 及烏 蘇
次 で議 長 は閉 会 を宣 す 。
め た る場 合 亦同 じ。
宇 佐 美 寛 爾
の拒 絶 又 は支 払 請 求書 の訂 正 の要 求 の正当 な ら ざ り し こと を認
承 諾 せら れ た る も のと 看 做 す 。異 議 を申 立 て た る鉄 道 が右 支払
又最 終 計算 に於 ては 第 四 期終 了 後 十 五 日 以内 に討 算 書 ( 第 ホ号
第 八 回 (九 月 二 日) 水 曜 日
第 一次 、第 二 次及 第 三 次計 算 に於 ては期 限 終 了 後 十 日 以内 に、
保 有 す るも のと す。
里鉄 道 局 に送 附 し、 他 の二 通 は両 鉄 道 代表 者 に於 て各 一通宛 を
基 き 月計 報 告 書 ( 第 ハ号 及 第 ニ号様 式 ) 四 通 を作 成 し、 翌 月十
イ
ロ
様 式 ) 六 通 を作 成 し 、 両 鉄道 代 表 者 署 名 の上直 ち に各 二通 を大
長
承 認 し た る と きは 其 の全 額 の、 又 計 算 上異 議 あ る 為其 の 一部 の金
払 戻 金 支 払請 求 書 を受 理 し た る鉄 道 に於 て其 の支払 を
著 す る日迄 を通 じ第 一、第 二次 及第 三 次計 算 の場 合 には 三十 日
の解 決 如何 に拘 らず 、第 十 一条 所 定 の期 間 内 に其 の承 認 せる部 分
額 の支 払 を承 認 し た る場 合 に於 ては 、其 の承 認 せざ る部 分 の金 額
第十条
定 せ ん こと を諮 れ り。
議 長 は第 八 回 目 の会 議 開会 を宣 し、 計算 規 則 第 十条 を次 の如 く決
議
連 満 鉄 本 社 及 ハバ ロフ スク烏 蘇 里鉄 道 局 に送 附 し、 残 り の二通
満 鉄 本 社及 烏 蘇 里 鉄 道 局 に於 ては 右 計算 書 を審 査 確 認 し た る
は共 同 事務 所 に於 て各 一通宛 を保 有 す る も のとす 。
上 、 払戻 金 を受 く べ き鉄 道 は払 戻 金請 求書 を作 成 し 、計 算 書 の
以 内 に、 又最 終 の計算 の場 合 には 四十 五 日以 内 に相手 方鉄 道 に
共 同 事 務 所 を発 送 せら れ た る 日 より 、請 求 書 の共 同 事務 所 に到
提 出 す る為 、 之 を 共 同事 務 所 に送附 し共 同 事 務 所 に於 て は之 を
討 議 の結 果 、 第 十 二条 の文句 に付 て は原案 通 り採 用 せら れ た る も、
ては、 更 に次 回 の会 議 に於 て審 議 す る こと に決 せり 。引 続 き議 長 は
保 証状 の形 式 並 第十 二条 の末 尾 に挿 入 せら る べき保 証金 額 の表 に付
の金 額 の支 払 手続 を為 す と 同 時 に其 の旨 相 手方 鉄 道 に通 告 す る も のと す。
本規 則 第 一条 及第 五条 に定 む る金 額 の支 払 は支 払 承
第 十 四条
本 規 則 に関聯 す る凡 て の問 題 にし てポ グ ラ ニチナ ヤ
本 協約 第
条 所 定 の場 合 に於 て第 四期 終 了 のと き の
︹ア キ マ マ︺
議 長 は更 に同 十 四 条 を左 の如 く 決 定 せ む こと を諮 れ り。
る日 よ り二箇 月以 内 に解決 せ ら るべ き も のとす 。
は、 南 満 洲鉄 道 本 社 及鳥 蘇 里鉄 道 局 間 に於 て問 題 の提 議 せら れ た
鉄 道 共 同 事 務所 に於 け る両 鉄 道 代 表 に於 て解 決 す る能 はざ る も の
駅及 長 春 駅 に駐 在 す る両鉄 道 代 表 係 員 並哈 爾 賓 南満 洲 鉄 道 烏蘇 里
第十三条
同 十 三条 を次 の如 く 決 定 せ ん こと を 諮 り全 会 一致 之 を承 認 せ り。
両 鉄 道 代 表 は右 に 対 し何 等 異議 な き旨 を 答 へ、 議 長 は原 案 通 り決 定 の旨 を述 べ、 同第 十 一条 の文 句 の討 議 に移 り議 長 は本 条 を 次 の如
第 十 一条
く定 め む こと を 諮 れ り 。
認 の日 よ り十 日 の期 間 内 に之 を為 すも のと す。 前 項 の期 間 内 に支 払 を怠 り た る場 合 に於 て は毎 一昼夜 に付 支 払 金 額 の三 千 分 の 一の割 合 を 以 て、 支 払 期 限 の翌 日 よ り支 払 前 日迄
本 条 に定 む る支 払 金額 は南 満 洲 鉄 道 よ り烏 蘇 里鉄 道 へ支 払 ふ場
の日数 に依 り 計算 し たる 延 滞利 息 を附 す る も のと す 。
合 に於 ては 、 ダ リ バ ンク哈 爾 賓 支 店 、鳥 蘇 里鉄 道 当座 勘 定 に、 又
る迄 の期間 に対 し 、 本規 則 に伴 ふ 凡 て の支 払 金 に関 する清 算 を行
計算 に準 じ 、出 廻年 度 の当 初 より協 約 の廃 止 せ ら れ た る当 日 に至
本 規 則 の実施 に伴 ひ哈 爾 賓 南 満 洲鉄 道 鳥蘇 里鉄 道 共
之 に対 し烏 蘇 里鉄 道 代 表 は右 の文 句 を計 算 規 則 の末 尾 に挿 入 す る
年 十 一月 一日 よ り実施 せら るべ き も のと す。
本 計算 規 則 は本協 約 の認 可 と 同 一の手 続 に依 り 、千 九 百 二十 五
に挿 入 す べ き文 句 を 次 の如 く 決 定 せ む こと を諮 れ り 。
会 議 は 何等 異 議 な く 之 を承 認 せり 。右 終 て議 長 は計 算 規 則 の末 尾
細 則 を 要 す る事 項 に就 て は両 鉄 道協 議 の上 之 を定 む るも のとす 。
同事 務 所 並 ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 及長 春 駅 駐 在 係 員事 務 取扱 上 、特 に
第 十 五条
採 用 せ む こと を諮 れ り 。
会議 は異 議 なく 之 を可 決 せり 。次 に議 長 は同第 十 五 条 を次 の如 く
ふも のと す 。
鳥 蘇 里 鉄 道 よ り南 満 洲鉄 道 へ支 払 ふ場合 に於 ては 、朝 鮮 銀 行 哈 爾 賓 支 店 南 満 洲鉄 道 当 座勘 定 に之 を払 込 む も のと す 。 会 議 は全 会 一致 承 認 せ り。 次 に議 長 は同 第 十 二条 を左 の如 く 採
本 規 則 第 一条 及 第 五 条 に定 む る金 銭 の支 払 義 務 を履
用 せむ こと を諮 れ り。 第 十 二条
行 す る保 証 と し て鳥 蘇 里鉄 道 は南 満 洲鉄 道 に対 し 、 ダ リ バ ン ク哈 爾 賓 支 店 支払 の保 証 状 を、 又南 満 洲 鉄道 に対 し 朝鮮 銀 行 哈 爾 賓 支 店 支 払 の保 証状 を提 出 す る も のと す 。
前項保証状 は各出廻年度中 に行はるる四回の計算 に対 し各別 に 之が支払 の履行を保証す るものとし、左表所定 の金 円額 の保証状 各四通
編 注 、附 ( 附録第六号︱十三号)︹録 なし ︺は之を本協約署名と同時
に交換 す る も のと す 。
規 則 の末 尾 に会 議 列 席 者全 部 をし て署 名 せし む る ことを 必 要 と す べ
こと に付 て は其 の必 要 を認 む るが故 に異 議 を き所 な るも 、 更 に計 算
﹁第 ハ号 様式 及第 ニ号 様 式 月計 報 告 書 ( 附 録 第 三 号及 第 四号 )﹂ に、
二項 (イ) 号中 ﹁月 計 報 告書 (第 ハ号 及第 ニ号様 式 )﹂ と あ る を
証 書 た る第 ロ号 様 式 日 計報 告 書 (附 録 第 二号 )﹂ に、 又 第 九 号 第
同 (ロ) 号 中 ﹁計 算 書 (第 ホ号様 式 )﹂ と あ るを ﹁ 第 ホ 号 様 式計
し と 述 べ 、議 長 は南 満 洲鉄 道 代 表 に於 て異 議 な き ことを 確 め て計 算 規 則 の末 尾 に挿 入す る文句 に付 ては原 案 通 り之 を決 定 し、 又 其 の末
右 に 対 し両鉄 道 代表 は何 等 異議 な き旨 を答 へ、議 長 は原 案 通 り決
算 書 (附 録 第 五 号 )﹂ に改 む る こと。
定 の旨 を告 げ た り 。 次 で議 長 は 予備 会 議 に於 て打 合 済 と な れ る、第
尾 に会議 列席 者 全 部 署 名 の こと に付 て は鳥 蘇 里鉄 道 代表 の提 案 の承
引 続 き 議長 は 以上 を以 て計 算 規 則 は 同規 則 第 十 二条 に挿 入す べ き
認 せら れた る旨 を述 べた り 。
(第 ハ号及 第 ニ号 ) の様 式 を 承 認す べく 、 又第 九 条 の附 録 た る計算
八 条 及第 九条 の附 録 た る 日計 報 告書 (第 イ 号及 ロ号 )、 月 計 報 告 書
書 ( 第 ホ 号) の様 式 に付 て は尚 修 正 の余 地 あ る を以 て、之 を次 回 の
銀 行 保 証 状 の形 式 並 保 証 金額 を表 示 す る表 を除 き ては殆 凡 てを 議 了
会 議 に於 て審 議 す る こと と し たし と諮 り、更 に前 記 報 告書 は 五 つと
し た る次 第 な る が、 既 に決 定 を見 た る所 に 一部 修 正 の必要 を認 む る に依 り其 の審議 に移 り たし 、 と述 べ て之 が修 正 を 要 す べ き点 に関 し
第 二、 計 算 上 に於 て採 用 せら る る貨 物 の重量 に依 るべ き か、 或
場 合 に於 ては烏 蘇 里 鉄 道 を 先 にし、 尚 英文 の場 合 に於 ては抽 籤 の方
か の問 題 に付 て は、 日 本 文 の場 合 に於 ては南 満 洲鉄 道 を、 又露 文 の
成 に際 し 両鉄 道 を併 称 す る場 合 、 其 の何 れ の鉄 道 を先 に記載 す べき
全 会 一致 之 を承 認 せり 。更 に右 に引続 き議 長 は議 事 録 及協 定 文 の作
も之 を 日露 両 国 語 を 以 て印 刷 に附 す る こと と し た しと 諮 り 、会 議 は
次 の如 く 諮 れり 。 第 一、 規 則第 五条 第 一項 中 ﹁本 計 算 規 則第 十 一条 所 定 の期 間 内
は実 重量 に依 る べ き か明 瞭 を 欠く を以 て、 之 を 明瞭 なら し む る た
法 に依 り其 の何 れ を先 にす べ き かを 決 定 し た しと諮 り 、会 議 は之 を
に於 て﹂ を 、 又同 条 第 二項 中 ﹁ 第 十 条 及 ﹂ を削 除 す る こと。
め之 に関 す る 一条 項 を、 第 八条 第 二項 の次 に第 三項 と し て挿 入す
最 後 に ウ エイ ゼ ル代 表 は会 議 の実 績 に鑑 み 、議 事 規 約第 三号 に定
る こと に決 定 せ る旨 を告 げ た り 。
承 認 せ り。右 抽 籖 の結 果 、議 長 は英 文 の場 合 は鳥 蘇 里鉄 道 を 先 に す
る こと、 即 ち 次 の如 し。 計 算 上 採 用 せ ら る る貨 物 の重量 は運 賃 計算 重量 に依 らず 、発 鉄 道 の運 送 状 所 定 欄 に記 載 せら れ た る実 重 量 に依 るも のと し 、
む る会 議 の開 会 時間 を休 日を 除 き (一) 正 式会 議 開 会 の時 間 は毎 日
各 計算 期 末 に当 り布度 未 満 の端 数 を生 じた ると き は之 を 一布度
と 。 (二) 書 記 会議 の開 会 時 間 は 四時 より 七時 迄 三時 間 と す る こと 。
午前 十 時 より 午 後 四時 迄 六 時 間 と し内 三十 分 を休 憩 時 間 に充 つる こ
尚 非公 式 会 議 開 催 の必要 あ る場 合 は其 の都 度 両鉄 道 打 合 せ の上之 を
に切 上 ぐ るも のと す 。
と あ るを ﹁第 イ号 様 式 日計 報 告 書 ( 附 録 第 一号 )﹂ に、 同 (ロ)
第 三 、第 八条 第 一項 (イ) 号 中 ﹁日計 報 告 書 (第 一号 様 式 ) ﹂
号中 ﹁ 特 別 証書 た る日計 報 告書 (第 ロ号 様 式 )﹂ と あ る を ﹁特 別
開 き得 る こと に決 定 し たし と提 議 し、議 長 は南 満 洲 鉄 道 代表 に於 て
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
異 議 な き こと を確 か め て、烏 蘇 里鉄 道 代 表 の提 案 の承 認 せら れた る
長
第 九 回 (九 月 三 日) 木 曜 日
旨 を述 べた り 。次 で議 長 は閉 会 を宣 す 。
議 議 長 は第 九 回目 の会 議開 会 を宣 し 、 小委 員 会 に於 て研 究 訂 正 せ ら れ た る計算 書 第 ホ母 様 式 の審 議 を 諮 り、 且述 べ て計算 書 は之 を哈 爾 府 及 大連 宛 発送 す る場 合 、右 計 算 書 作 成期 限 後 哈府 行 最
保 証状 雛 形
日南 満 洲鉄 道 株 式会 社 及 鳥 蘇 里鉄 道 局 間 に
せり 。 引 続 き議 長 は保 証状 の文 句 を 左 の如 く決 定 せむ こと を諮 れ り。
千 九 百 二十 五年 九 月
に対 し支 払 を為 す べ き場 合 に於 て、南 満 洲鉄 道 株 式 会 社 が其 の支 払
締 結 せ ら れ た る規約 に基 き 、 南満 洲 鉄 道株 式 会 社 よ り烏 蘇 里 鉄 道 局
義 務 の履 行 を怠 りた る とき は 弊 行 は貴 鉄道 に対 し 、 左 記条 件 の下 に
記
南 満 洲 鉄 道 株 式 会 社 に代 り支 払 を為 す こと を保 証 す 。 左
近 便 聯 絡列 車 のあ る 日 に両 方 へ同 時 に之 を 発 送 す る 必要 あ り、 此 の
道 局 に支 払 ふ べ き金 額 に付 、南 満 洲鉄 道 株 式 会社 の確 認 し た る烏
一、本 保 証 状 に依 る金 銭 の支 払 は南 満 洲鉄 道 株 式会 社 よ り烏 蘇 里鉄
賓 より 哈
点 に聯 関 し計 算 書 は尚 一部 修 正 の要 なき やを 思 ふ 。尚 同 時 発送 を証 す る方法 と し ては 発送 せら るべ き 日 の日 附 印 を 双 方 に同 時 に押 捺 す
し支 払 の請 求 あ り た る上之 を行 ふ。
二、 本 保 証 状 に依 る弊 行 の貴 任 は、 千 九百 二十 五年 十 月 一日 よ り同
蘇 里 鉄 道 局 の支 払 請 求 書 を提 示し て、鳥 蘇 里 鉄道 局 より 弊 行 に対
審 議 の結 果 、 小委 員 会 に於 て訂 正 せら れ た る計 算 書 は、報 告 書 と
年 十 二月 三 十 一日 に至 る期 間 に付 き行 は るる 計算 に基 き 、南 満 洲
る こと と せば 可 な ら む と説 け り 。
共 に其 の発 著 日 を明 瞭 なら し む る為 、 其 の表 面 に六 箇 の発著 印 章 押
鉄 道株 式会 社 よ り鳥 蘇 里鉄 道 局 に支 払 ふべ き 金銭 に限 る。
三 、 本保 証状 に依 る弊 行 の責 任 は金
捺欄 を設 く る こと に決 定 せり 。 更 に議 長 は右 取 扱 方 の 一部 変 更 に 伴 ひ 計 算 規 則 第 九 条 第 二項
月 三十 一日 に至 る 七 日 間其 の効力 を有 す 。
円也 を 限度 とす 。
(ロ) 号 中 ﹁ 第 ホ号 様 式 六通 を作 成 し 両鉄 道 代 表 署 名 の上﹂ の下 に
四 、本 保 証状 は千 九 百 二 十六 年 三 月 二十 五 日 よ り千 九 百 二十 六 年 三
﹁最 近 の列車 便 に て同 時 に﹂ の文 句 を挿 入す る の必要 起 り たり と述
右 に対 し両 鉄 道 代表 は何 等 異 議 な き旨 を 答 へ、議 長 は原 案 通 り決
払 が前 記 期 間中 に行 は れざ る 部分 の金額 に付 、南 満 洲鉄 道 株 式会
の全 部 又 は 一部 を承 認 せざ るが為 、 本 状第 二条 件 記載 の金 銭 の支
南 満 洲 鉄 道 株 式会 社 に於 て烏蘇 里 鉄 道局 の提 出 す る支 払 請 求書
定 の旨 を告 げ た り 。次 で議 長 は 前 日来 の会 議 に於 て決 定 の計算 規 則
べ、 之 が 修 正 に関 し 両鉄 道 代 表 の意 見 を求 め た り 。
は 、本 日 の会 議 に於 け る保 証 状 の文 句 の審 議 並報 告 書 類 の 一部 修 正
二十 五 日 よ り同 年 同 月 三 十 一日 に至 る 七 日間 、更 に其 の効 力 を有
社 及 烏 蘇 里鉄 道 局 の通 告 に依 り、 本 保 証状 は千 九百 二十 六年 五月
す。
に伴 ひ多 少 の追加 訂 正 を必 要 と す る点 あ り と思 考 せら るる が故 に、 之 を 小委 員会 に附 す る こと と し て は如 何 と諮 り、 全 会 一致 之 を承 認
締約 鉄 道 の 一方 も し く は 双方 が次 の 一穀 物 出 廻年 度 に対 し 本協
約 を更 改 せむ と 欲 す る場 合 に は、 前 項 期間 の満 了 前 九十 日以前 に
名
之 を 相 手 方鉄 道 に通 告 し て 、前 項 期 限 の到 来 迄 に之 に関 す る協議
行
更 に議 長 は右 の保 証状 の文 句 に付説 明 を 加 へて ﹁ 本 保 証 状 の文 句
銀
は第 一次 の計 算 に対 す る 文案 な るが更 に第 二次 、第 三 次及 第 四次 の
を遂 ぐ べき も のとす 。
締 約 鉄 道 の 一方 も し く は 双方 が次 の 一穀 物 出 廻 年 度 に対 し 、本
計 算 に対 す る保 証 状 の文 案 は 、其 の保 証 せ ら るべ き 金額 並 有 効 期 間
協 約 の継 続 を希 望 せざ る場 合 に於 て は第 一項 の期 間 満 了前 九 十 日
に付 、 第 一次 の計 算 に対 す る も のと は自 然 相 違 あ るべ し 。併 しな が ら烏 蘇 里 鉄道 に代 り てダ リバ ンク より南 満 洲 鉄 道 に、 又南 満 洲 鉄 道
以前 に之 を相 手 方鉄 道 に通 告 す る も のと す 。
第 一項 期間 の満 了 九 十 日 以前 に締 約 鉄道 の何 れ の 一方 よ りも 何
に代 り て朝鮮 銀行 よ り烏 蘇 里鉄 道 に提 出 せ ら る る各 四 通 の保 証 状 の
き其 の効 力 を 有 す る も のと す 。
等 の申 出 を 為 さざ る とき は 、本 協 約 は次 の 一穀 物 出 廻年 度 間 引続
文 案 は、 曩 に議 了 せ ら れた る払戻 金 額 の相 違 に伴 ひ変 化 あ る べ き其 の保証 金 額 を 除 き 、其 の他 の点 に関 し ては 同 一たら ざ る べ か らず 。
第 三次 一穀 物年 度 以降 に於 け る本 協 約 の更 改 、 更 新 並其 の廃 止
尚 本保 証 状 の文 句 は決 定 的 のも のに あらず し て、 更 に双 方 よ り朝 鮮
に就 ても亦 以上 各 項 に依 る も のと す 。
銀 行及 ダ リバ ン クに 対 し交 渉 し 、其 の同 意 を 得 て初 め て決 定 せ ら る べ き も のな れば 、右 の文 案 は仮 に之 を承 認 し 置 く ことと し た し﹂ と
て之 を 一箇年 とす るも 或 は 二箇 年 と す る も亦 は三箇 年 とす る も、 南
述 べ、 更 に敷 術 し て本協 約 の期 間 に付 ては当 初 南満 洲 鉄 道 代表 に於
右 に対 し て ウ エイ ゼ ル代 表 は議長 の諮 れ る通 り に て異議 な き旨 を
両鉄 道 代表 は右 に対 し異 議 なき 旨 を答 へ、 議 長 は 両鉄 道 代 表 に対
述べたり。
し右 保 証 状 の文 案 に基 き 、朝 鮮 銀 行 に対 し て は南 満 洲鉄 道 より 、 又
り し を以 て鳥 蘇 里鉄 道 は今 回之 を 一箇 年 とす る こと と し た る次第 な
満 洲 鉄 道 は 大体 に於 て烏蘇 里鉄 道 の希 望 を容 れ得 べ し 、と の意 見 な
す。
議
長
第 十 一回 (九 月 五 日) 土 曜 日
第 ホ号 様 式 の修 正 に伴 ひ計 算 規 則 第 九条 第 二項 (ロ) 号 以 下 の条 文
議 長 は第 十 一回目 の会 議 開 会 を 宣 し 、昨 日 の会 議 に於 け る計 算書
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
答 へ、 議 長 は 原案 通 り可 決 の旨 を告 げ たり 。斯 く て議 長 は閉 会 を宣
り と説 き、 南満 洲 鉄 道 代 表亦 議 長 の諮 れる通 り に て何 等異 議 な し と
を最 近 の議場 に報 告 方 を依頼 し然 る上 に て最 後 の文 案 を決 定 し たし 、
長
宇 佐 美 寛 爾
ダ リバ ン クに 対 し て は烏蘇 里鉄 道 より速 か に交 渉 を 為 し 、其 の結 果
と述 べ たり 。 次 で議 長 は閉 会 を宣 す 。
議
第 十 回 (九 月 四 日) 金 曜 日
議 長 は第 十 回 目 の会 議 開 会 を宣 し 、本 協 約 の有 効 期 間 に関 す る協 約 文 を 次 の如 く 決 定 せむ こと を諮 れ り。 本協 約 は千 九 百 二十 五年 十 月 一日 よ り千 九 百 二 十六 年 九 月 三 十 日 に至 る 一穀 物 出 廻 年度 間 其 の効 力 を有 す るも のとす 。
を左 の如 く修 正 採 用 せ む こと を諮 れり 。
し て其 の旨 を認載 し 、右 払 戻 金 請求 書 の共同 事 務 所 を 発送 せら れ
第 一次 、第 二次 及 第 三 次計 算 に於 て は期 間 終 了後 十 日以 内 に又
達 す る やう 之 を返 還 す るも のと し、 共 同事 務 所 に於 て右 請 求書 を
日 以内 に、 又 最終 計 算 の場 合 には 四十 五 日以 内 に共同 事 務 所 に到
た る 日 よ り起算 し て第 一次 、 第 二 次及 第 三 次計 算 の場 合 には 三 十
最 終 計算 に於 て は第 四期 終 了 後 十 五 日 以 内 に計 算 書 (第 ホ 号 様
受 け た ると き は、 之 に到達 日附 印 を押 捺 し たる 上 遅滞 なく之 を相
第 九 条 第 二項 (ロ) 号
式 ) 六 通 を作 成 し 、 両鉄 道 代 表 者署 名 の上 発 送 日附 印 を押 捺 し、
手 方 鉄 道 に転送 す るも のと す 。
払 戻 金 請 求書 を受 理 し た る鉄 道 に於 て其 の請 求 に対 し 異議 を有
最 近 の列 車 便 に て同 時 に各 二通 を大 連 南 満 洲 鉄道 本 社 及 哈 府烏 蘇 里 鉄道 局 に送 附 し 、 残 り の 二通 は共 同 事 務 所 に於 け る両 鉄道 代 表
す る場 合 には、 其 の理 由 を 詳記 し たる支 払 の拒 絶 又 は支 払請 求 書
一通 を前項 所 定 の期 間 内 に共同 事 務所 に到 達 す る やう 之 を返 還 す
の訂 正 の要 求 を為 す 文 書 を 作成 し、之 を添 附 し て払 戻 金 請求 書 の
者 に於 て各 自 一通 宛 を保 有 す るも のとす 。 南満 洲 鉄 道 本 社 及鳥 蘇 里鉄 道 局 に於 て右 計算 書 を受 理し た る と
戻 金 請求 書 の共 同 事 務所 を 発送 せら れ た る日 よ り起 算 し て第 一次 、
支 払 講 求書 の訂 正 を 要求 せざ る場 合 に於 ては 、右 支 払 の請 求 は払
前 項期 間 中 に支 払 請求 書 を返 還 し て支 払 の拒 絶 を為 さず 、 又 は
す。
日附 印 を押 捺 し た る上 遅 滞 なく 之 を相 手 方 鉄 道 へ転 送 す る も のと
るも のと し 、共 同 事 務 所 に於 て右 書類 を受 け た る と きは 之 に到 達
き は審 査 の上 、 其 の内 一通 に異 議 の有 無 を 記戦 し、 右 計算 書 が共 同 事務 所 を発 送 せら れ た る日 より起 算 し て第 一次 、第 二次 及第 三 次 計算 の場 合 と は 三 十 日 以内 に、 又最 終 計算 の場 合 に は四 十 五 日 以 内 に共 同 事 務 所 に到 達 す るや う之 を発 送 す る も の とし 、 共 同事 務 所 に於 て右 計 算書 を受 けた る と き は之 に到 逮 日附 印 を押 捺 し た る上 、之 を遅 滞 な く相 手 方 鉄 道 に転 送 す る も のと す。 払 戻 金 を受 く べ き鉄 道 は右 計算 書 に基 き相 手 方鉄 道 宛払 戻 請 求
に は四 十 五 日以 内 に承認 せ られ た る も のと 見做 し、 異 議 を申 立 て
た る鉄 道 が右 支 払 の拒 絶 又 は支 払請 求 書 の訂 正 の要 求 の正当 な ら
第 二次 及第 三次 計算 の場 合 に は三 十 日以 内 に 、 又最 終 計算 の場 合
終 計算 の場 合 には 四十 五 日以 内 に共 同 事 務所 に到 達 す るやう 之 を
ざ り し こと を認 め た る場 合 亦 同 じ 。
書 二通 を作 成 し 計算 書 が共 同事 務 所 を 発 送 せ ら れ た る日 よ り起 算
発送 す る も のと し 、共 同 事 務 所 に於 て右請 求 書 を受 け た る と きは 、
右 に対 し両 鉄 道 代表 は何 等 異 議 な き旨 を 答 へ、 議 長 は ロ号 以 下 の
し て第 一次 、 第 二 次及 第 三次 計算 の場 合 に は 三十 日 以 内 に 、 又最
之 に到 達 日附 印 並 発送 日附 印 を押 捺 し 遅 滞 なく 相 手 方 鉄道 に転 送
本協 約 の条 文 中 に挿 入 せ ら る べく非 公式 会 議 に於 て審議 を遂 げ た る
本 条 の修 正案 は原案 通 り可 決 せら れ た る旨 を 告げ たり 。 次 に議 長 は
前 項 払 戻 金 請求 書 を受 理 し た る鉄 道 に於 て其 の請 求 に対 し異 議
各種 条 項 中 議 了 決定 を見 た るも のに付 、 本 会議 に於 て承認 の手続 を
す る も のと す 。
を 有 せざ る場合 は 、払 戻 金請 求 書 の 一通 に支 払 承 認 の日附 を表 示
両 鉄道 代 表 は何 等修 正追 加 の必要 な き旨 を答 へ、 右 は 原案 通 り決
は 、南 満 洲 鉄 道 本 社及 烏 蘇 里鉄 道 局 間 に於 て問 題 の提 議 せら れ た
本協 約 に伴 ふ計 算 並 に之 に関 聯 す る 事 務 を 処 理 す る
取 る こと と し た し と冒 頭 し て 、第 一に計 算事 務 を処 理 す る共 同 事 務
条
る 日 よ り 二箇 月 以 内 に直 接 之 を解 決 す るも のとす 。
第
所 に関 す る条 文 を次 の如 く決 定 せむ こと を諮 れ り。
定 せら れ た り。 議 長 は更 に協 約 並附 属 書 の条 項 に将 来 追 加訂 正 を 要
両 締 約 鉄 道 代表 者 より 成 る共 同 事 務 所 を 哈爾 賓 に設置 す。 共
為
条
を諮 れり 。
す る場合 あ る べき に鑑 み 、之 に関 す る 一条 を 次 の如 く 決 定 せむ こと
﹁哈爾 賓 南 満 洲 鉄道 烏 蘇 里 鉄道 共 同 事 務 所 規 程﹂ の定 む る所 に依
第
一方 の締 約 鉄 道 は、相 手 方 鉄 道 に対 し何 時 に ても之 が提議 を為 す
本 協 約 条項 並附 属書 条項 に追 加 訂 正 の必 要 を認 め たる
同事 務 所 の組 織 、権 限 並 に其 の費 用 に関 し ては本 協 約 附 属書 第 二
る。 両鉄 道 代 表 は 之 に 対 し異議 な き旨 を答 へ、議 長 は原 案 通 り 可決 せ ら れ た る に付 ては 共 同事 務 所 に関 す る規 程 を 小委 員 会 の研 究 に委 し、
前項 の提 議 あ りた る場 合 には 両締 約 鉄 道 は 速 か に之 が協 議 を為
こと を得 。
す べき も のと し、 其 の意 見 一致 せざ る場 合 に於 て も本 協約 の効 力
其 の結 果 を本会 議 に附 議 す る こと に し たし と 諮 り 、全 会 一致之 を承 認 せり 。 次 で議 長 は 保 証状 交 換 に関 す る条 文 を 次 の如 く 採 用 せ む こ
会 議 は 原 案通 り之 を 承 認 可決 せり 。右 終 て議 長 は本 協 約 の認 可方
は之 が 為 何等 の影 響 を受 けざ るも のと す。 本 協 約 に伴 ふ両 締 約鉄 道 間 に於 け る金 銭 の支 払義 務 を
と共 に会 議 列席 の全 委 員 に依 り署 名 せ ら れ、 且 一方南 満 洲鉄 道 社 長 、
法 に関 す る条 文 の審 議 に移 る べし と前 提 し、 本 協約 文 は他 の附 属 書
条
履 行 す る保 証 と し て両締 約 鉄 道 は 、本 協 約 署 名 と同 時 に南 満 洲鉄
第
と を諮 れ り。
道 株 式 会社 に対 す る ダ リ バ ンク哈爾 賓 支 店 発 行 の、 又鳥 蘇 里鉄 道
保 証 期 間 並形 式 其 の他 は本 協 約 附 属 一 ﹁北 満 貨 物輸 送 数 量 配 分 に
を 次 の如 く 決 せ む こと を 諮 れ り。
一日 よ り実 施 せ ら る べき も のな り と説 き 、之 に関 す る協 約 の 一条 文
局 に対 す る朝 鮮 銀行 哈爾 賓 支 店 発 行 の保 証 状 を交 換 す。 保 証金 額 、 他 方 交 通 人 民委 員 会 全 権 兼鳥 蘇 里鉄 道 局 長 の認 可 を得 た る上 、十 月
関 す る南満 洲 鉄 道 及鳥 蘇 里 鉄 道 千 九 百 二十 五年協 約 に伴 ふ払戻 金
本 協 約 は南 満 洲 鉄 道 株 式会 社 社 長 及 交通 人 民 委員 会 全 権 兼烏 蘇
里鉄 道 局 長 認 可 の上 其 の効力 を発 生 す 。
相 互 計 算規 則 ﹂ に之 を 定む 。 会 議 は 全会 一致 之 を 承 認 せ り。
会 議 は協 議 の結 果 、 全 会 一致 之 を承 認 せり 。但 し本 条 文 に付 ては
条
本 協 約 の解 釈 に関 す る 疑 義 に し て哈爾 賓 南 満 洲 鉄道 烏
尚 議 長 は本 会 議 に於 て議 了決 定 せ る前 顕 の四条 項 を協 約 中 の何処
こと に決 定 せり 。
別段 に番 号 を附 せず 、 協 約 文 の最 終 の箇 所 に別 項 と し て記 載 し 置 く
右 に引 続 き議 長 は協 約 の実 施 中 に起 る こと ある べ き疑 義 問 題 解決
第
に関 す る 一条 文 を次 の如 く定 めむ こと を諮 れ り。
蘇 里 鉄 道 共同 事 務 所 に於 け る両 鉄 道 代表 者 に於 て解 決 せざ るも の
す べき旨 を述 べ、 最 後 に本 協 約 に将 来 東 支 鉄 道 の参 加 を 必要 と す る
の箇所 に挿 入す べき か の問 題 に付 て は 、之 を会 議書 記 の選 択 に 一任
置 く 必 要 あ りと し 、 之 が条 項 に関 し諮 る所 あ り た る も時 間無 き為 、
想 像 し 得 る が故 に、 其 の場 合 に処 す る準 備 の条 項 を協 約 中 に挿 入し
第 十 三 回 (九 月 八 日) 火曜 日
本 条 項 の研究 は之 を 次 回 の会 議 に譲 る ことと せり 。
並 小綏 芬 駅 よ り鉄 道 に依 らず 、 馬車 も し く は鉄 道 以 外 の運 送 方 法 に
議 長 は第 十 三 回 目 の会 議 開会 を宣 し 同 時 に述 べ て曰 く ﹁寛 城 子駅
長
支 鉄 道 よ り本 協 約 に正 式参 加 の申 込 を受 け た る場 合 には 、右 に付
依 り ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 及 其 の以 東各 駅 並 長春 駅 及其 の以南 に輸 送 せ
議
必要 なる 手段 を講 ず るも のとす 。 但 し 右前 段 の場 合 に於 て東 支 鉄
ら れ、更 に鉄 道 に託送 せ ら る る貨物 も しあ り と せば 夫 れは両 鉄 道間
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
時 期 到来 の場 合 に於 け る取 極 め に関 し 、議 事 録 に次 の如 き文 句 を 記 載 し 置 かむ こと を諮 れり 。
道 が其 の正式 参 加 を拒 絶 す る こと ある も 、本 協 約 の効 力 は之 が為
の被協 定貨 物 数 量 よ り 、 此 の数 量 だ け除 か る ると等 し き結 果 を招 来
両 締 約鉄 道 は本 協 約 に東 支 鉄 道 の正式 参 加 を認 め た る場 合 並 東
に何 等 の影 響 を受 く る こと なく 、 其 の効 力 は全 期 間 を 通 じ て有 効
せ しむ るも のにし て、 両鉄 道 の執 らざ る所 であ る故 に此 の種 貨 物 に
車 共 の他 鉄 道 以外 の運 送 方 法 に依 り輸送 せ ら る る貨 物 の調 査並 其
の以南 各 駅 並 小綏 芬 駅 より ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 及 其 の以東 各 駅 へ馬
南 満 洲鉄 道 及烏 蘇 里 向 鉄 道輸 送 す る為 、寛 城 子 駅 及長 春 駅及 其
は 如何 と 、協 約附 属 書 第 二
属 書 の表 題 並其 の冒 頭 文 句 に就 て之 を 次 の如 く 決 定 す る こと と し て
上述 の趣 旨 に依 り之 に関 す る附 属 書 の取極 め を為 す 必要 あ る が、 附
定 貨 物 数 量 中 に包 含 せし む る こと の当 然 な る を信ず る も の であ る。
し て は之 を 十分 に調 査 す る の必要 あ る と共 に、 其 の数 量 は之 を被 協
な り。
宇 佐 美 寛 爾
右 に対 し 両 鉄 道 代表 は異 議 な き旨 を答 へ、 議 長 は原 案 通 り可決 せ
長
第 十 二 回 (九 月 七 日) 月 曜 日
ら れ た る旨 を 述 べた り 。次 で議長 は閉 会 を宣 す 。
議
議 長 は第 十 二 回目 の会議 開 会 を 宣 し 、本 協 約 並 附 属書 は何 れ の国 語 に て作成 し 且其 の何 れ を正 本 と す べき か の問 題 に関 し 、 一条 項 を
とを 諮 れ り 。 条
本 協 約 は日 、露 、 英 三 国 語 を 以 て各 二通 を作 成 し、 両
協 約 中 に挿 入 し置 く 必要 を認 むと て之 が 条 文 を次 の如 く決 定 せむ こ
第
南 南 満 洲 鉄 道 各駅 並 小綏 芬 駅 よ り ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 及其 の以東 鳥
本 協 約 第 一条 に定 む る貨 物 に し て寛城 子 駅 よ り長 春駅 及 其 の以
の算 定 に関 す る規則
蘇 里鉄 道 各 駅 へ馬 車 其 の他鉄 道 以外 の運送 方法 に依 り輸 送 せら る
て各 一通 宛 を保 有 す る も のとす 。 本協 約 並附 属 書 条 項 の解 釈 に付
締 約 鉄道 会 議 代 表 者 署 名 の上 本 協 約 認 可 の手 続 を経 て両鉄 道 に於
疑 義 を 生 じ た る場 合 に於 て は英 文 正 本 に記 載 す る所 に依 る。
る貨 物 の調 査 並其 の算 定 に関 し て は左 に定 む る処 に依 る。
会 議 は右 に 対 し何 等 異議 な く之 を 承 認 せ り。 次 で議 長 は或 る特 定 の場 合 本協 約 の全 部 も し く は 一部 が其 の効 力 を停 止 せら る る場 合 を
ざ る と共 に其 の附 属 書 の表 題 並 冒頭 文 句 に就 ても異 議 な し ﹂ と答 へ、
約 附 属 書 を協 定 せ む と す る議 長 の意 見 に対 し ては何 等 の異 議 を有 せ
に よ り之 に関 し 取極 め をな す こと は結 構 であ る 。其 の意 味 に於 て協
の種 貨 物 は当然 に被 協 定 貨 物 数量 中 に加 ふ べき も のな り、 と の趣 旨
は東 支 、 烏蘇 里 の聯 絡 運 輸 に依 り運 送 せら る べき も のであ る故 に 此
こと は 不 自然 で ある 。由 来 此 の種 貨 物 は 其 の性 質 上 南 満 、 東 支 、 又
ヤ駅 又 は 其 の以 東 の駅 或 は長 春 駅 又 は 其 の以南 の 駅 へ運 送 せ ら る る
於 て取卸 さ れ、 後 日 更 に馬 車 其 の他 の運送 方 法 に依 りポ グ ラ ニチ ナ
右 に 対 し南 満 洲 鉄道 代 表 は ﹁被協 定 貨 物 が寛 城 子 又は 小綏 芬 駅 に
け る意 見 の交換 は 可成 之 を避 け 、南 満 洲 鉄道 の提 案 を仮 に承 認 し置
大 な り。 故 に色 々 の意 見 ある べ き は当 然 な る が、 此 の際 本 議 場 に於
長 に於 て も未 だ外 に途 あ りと 信ず る も のであ る 。素 よ り本 文 案 は 重
以 外 の運 送 を 禁 ぜ む と す る にあ らざ る べく 、之 が防 止策 に就 ては 議
惟 ふ に本 案 に対 す る烏 蘇 里鉄 道 代表 の主 張 は決 し て馬 車其 の他 鉄 道
法 に依 り之 等 被 協 定貨 物 の数量 を奪 取 せし めざ らむ と す る に在 り 、
貨 物 を調 査 せむ と す る所 以 のも のは 、馬 車 其 の他 鉄 道 以外 の運 送 方
り な き も のと 認 め ら る 。元 来 馬 車其 の他 鉄 道 以 外 の運 送 方法 に依 る
茲 に於 て議 長 は ﹁本 文案 に対 す る 両鉄 道 代 表 の意 見 には大 な る隔
き 、後 日 一方 よ り修 正案 を提 示 し再 審 議 を為 し得 る こと に取 り極 め
定 せむ こと を諮 れ り。
旨 を告 げ 、 次 で本 規則 第 一条 の審 議 に移 り 、議 長 は 之 を次 の如 く 決
右 に対 し 両鉄 道 代 表 は異議 な き旨 を 答 へ、議 長 は 原案 通 り可 決 の
置 き ては 如 何 ﹂ と諮 れ り。
鳥 蘇 里鉄 道 代 表 は ﹁協 定 附 属書 を協 定 せむ と す る議 長 の意 見 並其 の附 属 書 の表 題 文句 に付 ては 、鳥 蘇 里鉄 道 も 亦原 案 通 り に て異議 な き所 な る が、附 属 書 の冒 頭 に挿 入す べき 文 句 に就 て は鳥 蘇 里 鉄道 は ﹁両鉄 道 の被協 定貨 物 数 量 の減 少 を防 止 せむ が為 云 々﹂ の文 句 を採 用 せ む ことを 提 議 し た る に対 し 、南 満 洲 鉄 道 代表 は何 故 か之 に反 対
東 支鉄 道 各 駅 所 よ り列 車 に依 り東 支 鉄 道寛 城 子 駅 又 は
小綏 芬 駅 に到 著 し た る被協 定貨 物 に し て、更 に南 満 洲鉄 道 又は 烏
第 一条
蘇 里 鉄 道 へ発 送 せ ら る る目 的 を以 て、 馬車 其 の他鉄 道 以 外 の運 送
し斯 る文 句 の挿 入 に は賛 成 す る を得 ず 、 と 主 張 せ ら れた り 。 而 し て
な らざ る を以 て、鳥 鉄 は之 が文 句 を後 日修 正 し得 る こと の条 件 を留
若 し鳥 蘇 里鉄 道 にし て自 己 の主 張 を飽 迄 主 張 せむ か 、之 が解 決容 易
ラ ニチ ナ ヤ駅 及 其 の以 東烏 蘇 里鉄 道 各 駅 に輸 送 せら る るも のは 、
方法 に依 り、 南 満 洲鉄 道 長 春 駅及 其 の以 南各 駅 又は 東支 鉄 道 ポ グ
南満 洲 鉄 道 代 表 は之 に対 し ﹁烏蘇 里鉄 道 代 表 の留 保 に対 し ては若
保 し て臨 時 右 の文句 を採 用 せむ こと に同 意 す べし﹂ と述 べ たり 。
し 其 の修 正案 にし て、馬 車 其 の他鉄 道 以外 の運 送 方 法 を防 止 し 、或
千 九百 二十 五 年 協約 の定 む る 所 に依 り協 定貨 物 数 量 中 に之 を加 算 す る も のと す 。
総 て北 満 貨 物 配 分 に関 し南満 洲、 鳥 蘇 里鉄 道 間 に締結 せら れた る
会議 は全 会 一致 之 を 承認 せり 。 次 に議 長 は 同 第 二条 の文 案 を左 の
は其 の輸 送 方法 を行 は ざ る が為 にと 言 ふ が如 き意 味 のも のなり せ ば 、 南 満 洲鉄 道 は絶 対 に同意 す る を得 ざ る が、 そ れ以 外 の適 当 な る何 等
如 く決 定 せむ こと を諮 れ り。
か の修 正 を加 ふ に在 り と せば 、 其 の修 正案 を見 たる 上 に て、 若 し 同 意 し 得 る も のな り せば 同意 す べし ﹂ と 答 へた り。
烏蘇 里鉄 道 代 表 は 議 長 の諮 れ る通 り に て全 然異 議 なし と答 へ、 議
長 は第 二条 に 付 ては 原 案 の通 り之 を 可決 す る旨 を宣 し、 又 第 二条 に
前 条 貨 物 の運送 に関 し 調 査 並之 が数 量 の算 定 を為 す 為 、
一方 の締 約鉄 道 の要 求 に依 り両 鉄 道 は 寛 城 子 駅 、長 春 駅 、 小綏 芬
を嘱 託 とな し 得 べ し﹂ と言 ふ文句 を議 事録 に登 載 方 に付 て は、南 満
規 定 す る各 駅 に両鉄 道 の係員 を駐 在 せし む る場 合 ﹁ 東 支 鉄 道 の係 員
第 二条
駅及 ポグ ラ ニチナ ヤ駅 に、 又協 議 の上 其 の他 以遠 の駅 に各其 の鉄
イ
前 条 駐 在 員 は 次 の事 項 を取 扱 ふも のとす 。
第 一条 所 定 の発 著 地 、品 名 及 数量 (布 度) の取 調 べ を為 す こ
第 三条
右 に引 き続 き議 長 は 第 三条 を次 の如 く 採 用 せむ こと を諮 れり 。
定 せる旨 を告 げ た り 。
洲鉄 道 の意 見 に依 り之 を広 義 に解 釈 し て議 事 録 に留 め置 く こと に決
道 係員 を駐 在 せし む る も のと す 。 更 に議 長 は右 に対 し説 明 を加 へて ﹁馬 車 其 の他 以外 の運 送 方法 に 依 る輸 送貨 物 調 査 の為 、鳥 蘇 里 鉄 道 は場 合 に依 り東支 鉄 道 の従 事 員 に之 が調 査嘉 務 を依 頼 す る こと あ る べ き旨 を提 議 した る に付 ては 、 之 を記 録 に止 め置 く こと と し たし 、 但 し 右 の場 合 に於 ては東 支 鉄 道 従 事 員 は 鳥 蘇 里鉄 道 の代 表 と し て仕 事 を 為 す も のな る に依 り、 其 の
本 規 則 第 一条 に定 む る貨 物 に対 し別 に定 む る第 (ヘ)号 様 式 、
と。
日計 報 告書 ( 附 録 第 一号 ) 六通 を作 成 し、 両鉄 道 係 員 署名 の上
ロ
であ ら ねば なら ぬ。之 を要 す る に東 支 鉄 道 従 事 員 は証 明 書 を携 帯 す
を 定む る通 り各 宛 先 へ送 附 す る も のと す。
各 自 其 の 一通 を保 有 し 、 他 の四通 は最 近 (列 車 )便 に依 り 、之
に於 て同 鉄 道 が 選 定 し た る代表 を し て仕 事 を 為 さ し む る場 合亦 同 然
旨 を記 載 せる 証 明書 を携 帯 す る こと 勿 論 たる べ く 、斯 は南満 洲 鉄 道
る こと に依 り て烏 蘇 里鉄 道 の代表 者 た る こと を 証 明 せ ら れ、 且 当 人
如 く 決 定 せ む こと を諮 れ り 。
会 議 は異 議 なく 之 を承 認 し、 次 で第 四条 に移 り議 長 は 本条 を左 の
表者 各 一通
二 、哈 爾 賓 南 満 洲鉄 道 烏 蘇 里鉄 道 共 同事 務 所 に於 け る両 鉄 道 代
一、南 満 洲 鉄道 本社 、 鳥 蘇 里鉄 道 局 各 一通
に依 り作 成 せら れ たる文 書 は証 明書 を携 帯 し て署 名 す る こと に依 り 初 め て効 力 あ る も のと な る から であ る ﹂ と述 べ たり 。 之 に対 し南 満 洲 鉄 道 代 表 は ﹁第 二条 を議 長 の諮 ら れ た る通 り決 定 す る こと に就 ては何 等 異 議 な き も、 二 条 に規 定 す る各 駅 に両鉄 道 の 係員 を駐 在 せし む る場 合 に於 て ﹁其 の鉄 道 係 員 は場 合 に依 り て は東 支鉄 道 の係 員 を 嘱 託 と なす こと を得 べ し﹂ と の意 味 の文 句 を 記録 に
係 員 のみ な らず 、 本協 定 に依 るポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 又 は寛 城 子 駅或 は
計 上 す る も のと す 。
第 一計 算 規 則第 九条 に定 む る第 ハ号 様 式 、月 計 報告 書 ﹁ト ﹂欄 に
計 表 を 受 理 し た る とき は 、之 を両 鉄道 千九 百 二十 五年 協 約附 属 書
哈爾 賓 南満 洲鉄 道 烏 蘇 里鉄 道 共 同 事務 所 に於 て前 条 日
長 春 駅 に駐 在 す る係員 又 は南 満 洲鉄 道 烏 蘇 里 鉄 道 共 同事 務 所 の代表
第四条
者 も場 合 に依 り て は、東 支 鉄 道 の職員 或 は其 の他 の人 に嘱 託 し 得 べ
両鉄 道 代 表 は 異議 な き旨 を 答 へ、 議 長 は 原案 通 り決 定 の旨 を 述 べ、
止 め置 く こと に関 し て は、 南満 洲鉄 道 代 表 と し ては単 に此 の場 合 の
き旨 を議 事 録 に載 せ置 く こと の寧 ろ至 当 な る を信ず る﹂ と 述 べた り 。
北 満 貨 物 に関 す る南満 洲 鉄 道 烏蘇 里鉄 道 千 九 百 二十 五
更 に第 五条 を次 の通 り決 定 せむ こと を諮 れり 。 第 五条
の場 合 に於 け る条 項 の審 議 に入 り 、議 長 は 本件 に関 す る 一条 項 を次 の如 く決 定 せむ こと を諮 れ り 。
満 洲里 駅 大連 港間 又 は満 洲 里 駅浦 塩 斯徳 港 間 に於 て発
生 す る こと あ る べ き貨 物 輸送 の或 る期 間 に亘 る停 止 に依 り 、両 径
条
す るも のと す。
路 の 一方 も し く は 双方 に於 け る被 協 定 貨 物 の全 部 も し く は其 の 一
第
之 に対 し 両鉄 道 代 表 は何 等 の修 正 を加 ふ る の必要 な か るべ し と答
定 は被 協 定 貨 物 の輸 送 数 量 の算 定 及之 が払戻 金 の計算 に関 し其 の
部 の輸 送 の常 態 が破 壊 せ ら れ た る場 合 に於 て は、 其 の期 間 中本 協
年 協 約附 属 第 一計 算 規則 は本 規 則 第 一条 に定 む る貨 物 に之 を準 用
へ、 会 議 は原 案 通 り之 を承 認 せり 。 次 で議 長 は 本 規則 の末 尾 に行 を
態 の破壊 せら れ た る貨 物 は、 之 を 本協 約 第 一条 に定 む る貨 物 の品
前 項 本 協 約 の効 力 が停 止 せら れ た る場 合 に於 ては其 の輸 送 の常
効 力 を停 止 せら る 。
改 め、 次 の 一項 を加 へん こと を諮 れ り。 本 規 則 は本 協 定 認 可 と同 一の手 続 に依 り千 九 百 二十 五 年 十 月 一 日 より 実施 せ ら る べき も のとす 。 両鉄 道 代 表 は之 に対 し 何 等異 議 なき旨 を答 へ、 議長 は原 案 通 り決
亘 る 左記 事 由 の 一も しく は 二以 上 に依 り、被 協 定 貨物 の輸 送 が行
本条 貨 物 輸 送 の或 る期 間 に亘 る停 止 とは 十 日間 又 は其 の以 上 に
目 中 よ り除 外 さ れ た るも のと看 倣 す。
は れざ る を謂 ふ 。
更 に議 長 は 小委 員 会 に於 て作 成 せら れ た る本 規 則 の附 属 書 第 一号
定 の旨 を告 げ た り。
の日計 報 告 書 (ヘ) 号 様 式 の審 議 を諮 り 、之 が表 題 文句 を次 の如 く
原因 の如 何 を問 はず 貨 物 列車 の運 転 休 止
ハ
非 常 事 変 及 不可 抗 力
公 力 に依 る本 協 約 第 一条所 定 貨 物 の輸送 禁 止
更 に議 長 は本 条第 二項 の (イ) 並 (ロ) の解 釈 に付他 日疑 義 を 生
鉄 道宛 発 せら る る通 電 に基 き之 を定 む 。
の発 生及 消 滅 の時 期 は上 記 三鉄 道 に依 り 発 せら れ 、其 の写 を関 係
は ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 に於 け る貨 物 引 継 の停 止 の事 実並 之 等 の事 実
列 車 運 転 の停 止 、東 支 鉄 道 に於 け る貨 物積 込 の停 止及 長 春 駅又
ニ
止
ロ 原 因 の如 何 を問 はず 大連 港 又 は浦 塩 港 に於 け る港 湾 作 業 の休
イ
採 用 せむ こと を諮 れ り。 寛 城 子 及 小綏 芬 駅 に到 著 し 、更 に南 満 洲 鉄 道 及烏 蘇 里鉄 道 に発
年
ナ ヤ並 南 満 洲鉄 道 、烏 蘇 里鉄 道 以 遠各 駅 へ輸 送 せ ら れ た る 貨 物
送 す る為 、 馬車 其 の他 鉄 道 以 外 の運送 方法 に て長春 及 ポグ ラ ニチ
日分
( 各 種 豆 、 豆粕 、 小麦 、 小麦 粉 及 各種 〓 ) に対 す る千 九 百 月
宇 佐 美 寛 爾
両鉄 道 代 表 は何 等 異 議 な き旨 を答 へ、議 長 は右 報告 書 は原 案 通 り 決 定 の旨 を告 げ た り 。議 長 は閉 会 を宣 す 。
長
第 十 四 回 (九 月九 日) 水 曜 日 議
議 長 は第 十 四 回 目 の会 議 開会 を宣 し 、会 議 は本 協約 の効 力 の停 止
じ た る場 合 、 基 準 と な る べき説 明 を加 へ置 く の必 要 を認 むと て、議
て、右 の文 句 は 之 を ﹁朝 鮮 銀 行大 連 支 店 発行 、 同行 哈 爾 賓 支店 支 払
て之 を為 し 、 支 払 のみ を哈 爾 賓支 店 に於 て為 す こと とな り た るを 以
本 条 (イ )項 の貨 物 列車 運 転 の停 止 と は、 第 一に は東 支 鉄 道
蘇 里鉄 道 に対 し 発行 す る保 証状 は、 其 の発行 は同 銀行 大 連 支店 に於
イ
事 録 に左 の意 味 の文 句 を記 載 し置 かむ こと を諮 れり 。
の﹂ と改 む る の必要 を生 ぜ り 。叙 上 の理由 に基 き同 条 第 一項 は之 を 、
本協 約 に伴 ふ両締 約 鉄 道 間 に於 ける金 銭 の支払 義 務 を
に於 け る貨 物列 車 の運 転 が東 支 鉄 道 の公示 す る通 電 に依 り 停 止
条
次 の如 く修 正 の こと と した し と諮 れ り 。 第
せら る る こと を意 味 し 、第 二 には南 満 洲 鉄 道 長春 ︱ 大 連 間 及 烏
と 同時 に、 南 満洲 鉄 道 株 式会 社 に対 す るダ リバ ンク哈 爾賓 支 店 発
履 行 す る保 証 と し て、 両 締約 鉄 道 は 本協 約 鉄 道 は本 協 約 認可 交 換
蘇 里 鉄 道 ポ グ ラ ニチ ナ ヤ︱ 浦 塩 間 に於 け る貨 物列 車 の運 転 の停 止す る こと に依 り、 烏 蘇里 或 は南満 洲 鉄 道 の公 示 す る通 電 によ
会 議 は右 の修 正 に対 し 何等 異 議 な く 之 を承 認 せ り。 次 で会議 は保
行 、同 行 哈 爾賓 支 店 支 払 の保 証 状 を 交換 す。
行 、同 支 店 支 払 の、 又烏蘇 里鉄 道 局 に 対 す る朝鮮 銀 行 大連 支 店 発
り長 春 駅 或 は ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 に於 け る東 支鉄 道 よ り の被 協 定 貨 物 の引 継 が停 止 せら る る こと を意 味 す。
証状 に記 載 す べ き銀 行 の支払 保 証 金 額 の審 議 に移 り、 議 長 は烏 蘇 里
同 条 (ロ) 項 の大連 港或 は浦 塩港 に於 け る作 業 の休 止 と は港
湾 作 業 の休 止 せ ら る る こと に依 り烏 蘇 里或 は南 満 洲 鉄 道 の公 示
鉄 道 の為 にダ リバ ンク か、 又南 満 洲 鉄 道 の為 に朝鮮 銀 行 が保 証 す る
ロ
す る通 電 によ り長 春 駅 或 は ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 に於 け る東 支 鉄道
五四九
三九 二
六八六
六八六
額 (千留 )
五 四九
金
三 一四
計算 次
ダ リバ ンク が烏 蘇 里 鉄道 に代 り て保証 す る金額
金額 を次 の如 く 決定 せむ こと を諮 れり 。即 ち 一
〃
円(千 円 )
より の被 協 定貨 物 の引 継 が停 止 せ ら る る こと を意 味 す 。 会 議 は右 条 文 並議 事 録 に記載 せら る べ き説 明 文 句 を何 等 異 議 な く
第 十 五 回 (九 月十 一日 )金 曜 日
可決 承 認 せり 。 次 で議 長 は閉 会 を 宣 す 。
〃
第 一次計 算 に対 し 第 二次
ウ エ ・カ ・ウ エイ ゼ ル
第三次
長
議 長 は第 十 五 回 目 の会 議 開会 を 宣 し 、同 時 に前 の会 議 に於 て議 了
議
決 定 した る 保 証状 の交 換 に関 す る条 文中 二 つ の修 正を 要 す る箇 所 あ
一九 六
〃
八八〇
八八〇
円(千円)
七〇四
額(千留)
七〇四
金
載︺ ︹記 なし
〃
第 二次
第 一次計算 に対し
計算次
朝鮮 銀行 が南満洲鉄道 に代りて保証する金額
第四次
二
る を発 見 し た り 。即 ち 其 の第 一は 同条 中 ﹁本 保 証状 は本 協 約調 印 と 同 時 に之 を交 換 す るも のと す﹂ と あ る点 な るが 、保 証 状 の交 換 を本 協 約 調 印 と同 時 に行 ふ こと は実 行 上 困難 な るを 以 て、右 文 句 は之 を ﹁本 協 約交 換 と同 時 に﹂ と訂 正 す る の要 あ り 、第 二は ︹ 朝鮮銀行哈 爾賓 支店 発 行 の﹂ と あ る点 な る が、 南 満 洲鉄 道 の為 に朝 鮮 銀 行 が烏
二五 二
五〇 三 第四次
第三次
二月 一日︱ 二月 十 五 日
九 月 二十 五 日︱ 十 月 十 日
十 一月 二十 五 日︱ 十 二月 十 日 四 月 一日︱ 四 月十 五 日
両鉄道代表 は之 に対し何等修正を加 ふる の必要を認 めずと答 へ、
四〇 二
議長は原案通 り可決せられた るに就 ては、保証状並計算規則第十二
二〇 一
更 に議 長 は 右 に付 説 明 を加 へて ﹁右 の計 算 上 、 金 留 対 円貨 の換算
条 に之 が記 入を為す こととすべしと告げ、次で両鉄道輸送調整事務
〃
率 は金 貨 百 留 に対 し百 二十 五 円 の率 を 採用 し 、換 算 上 生 じ た る千 円
所 に関 する条文 の審議 に入れり。議長 は本条文 を次 の如く協約中に
〃
以下 の端 数 は 之 を切 上 げ 千 円 と し たり と説 き、 更 に右 の保 証 金 額 は
挿入せむ ことを諮れり。
第 三次
小委 員 会 の審議 に依 て決 定 せ る所 にし て 、之 が算 定 の根 拠 に就 ては
第 四次
今年 よ り来 年 に亘 る 一穀物 出 廻年 度 内 に於 け る被 協 定貨 物 の全 数量
輸送 の割合 と第二条 に定むる当該貨物配分 の割合とを可及的 一致
第 一条 に定むる貨物 の南満洲、烏蘇里両鉄道向け実際
せしむる目的を以て両締約鉄道代表者より成 る南満洲鉄道烏蘇里
条
ら る る超 過 数 量 を 二割 即 ち 二 千万 布 度 と仮 定 し、 之 を各 期 の出 廻実
第
績 に鑑 み第 一期 、第 二期 各 三割 五分 、 第 三期 二割 、第 四期 一割 の割
鉄道輸送調節事務所 を哈爾賓 に設置す。輸送 の調節 の方法並輸送
を 一億 布 度 と 仮 定 し、 此 の 一箇 年 に於 て 一方 の鉄 道 に傾 き て輸 送 せ
合 に配 分 し 斯 く し て得 たる数 量 、 即 ち 第 一期 及 第 二期 七百 万 布 度 、
調節事務所 の組織権限及其 の費用 に関し ては本 協 約附 属書 第 四
三月 二 十 五 日︱ 四 月 十 日
全額 支 払 の場合
八 月 二十 五 日︱ 九 月十 日
五 月 二十 五 日︱ 六 月十 日
一部 支 払 の場 合
南満洲鉄道烏蘇里鉄道輸送 調節事務所 は両鉄道同数 の代表
本調節事務所 の職務 は哈爾賓南満洲鉄道烏蘇里鉄道共同事 務所 に之を委任す るも のとす。
第 二条
せし めて之 を組織するも のとす。
者並必要 に応 じ、関係汽船会社 の決議権を有せざ る代表者 を参加
第 一条
哈爾賓南満洲鉄道烏蘇里鉄道輸送調節事務所概則
協約附属書第 四
次 の概則 を諮 れり。
鉄道烏蘇 里鉄道輸送調節事務所概則﹂ の審議 に入るべし、 と言ひて
会議 は異議なく之 を可決承認 せり。引続き議長は ﹁哈爾賓南満洲
別 に定めらるべき細則 に拠る。
﹁ 南満洲鉄道烏蘇里鉄道輸送調節事務所概則﹂並び之 に準拠 して
第 三期 四百 万 布度 、 第 四期 二百 万 布 度 に対 し各 鉄 道 に対 し定 め ら れ た る払 戻 金 の率 を乗 じ たる も のな り、 と述 べ たり 。 右 に対 し 両鉄 道 代 表 は何 等 異 議 な し と答 へ、 議 長 は原 案 通 り 決 定 せ ら れ た る に就 て は、 之 を計 算 規 則 第 十 二条 の表 中 に挿 入 すべ き 旨 を告 げ た り。 引 続 き議 長 は 両鉄 道 間 に交 換 せら るべ き銀 行 保 証 状 に は、 其 の支 払 保 証 期 間 を 二様 に記 入 し置 く こと の必要 を認 む 、 即 ち第 一には 全 額 支 払 の場 合 の保証 期 限 にし て、 第 二 には支 払 を 為 す鉄 道 に於 て異 議 あ る場 合 に於 け る 一部 支払 に対 す る保証 期 間 な り と て、 之 が 期 間
第 一次
計算 次
六月 二十 五 日︱ 七 月 十 日
に関 し て左 の通 り決 定 せむ こと を諮 れり 。
第 二次
本 調 節 事 務所 の経 費 は両 鉄道 に於 て之 を等 分 に負 担 す る も
本 調 節 事 務所 は被 協 定貨 物 の協 約 所 定 の配 分 割 合 と 、其 の
のと す。
第三条
第四条 実 際輸 送 の割 合 と が相 当 の相 違 を生 じ たる が為 、 之 を調 整 す る の 必要 を生 じ、 両鉄 道 の 一方 も し く は双 方 よ り 調節 事 務 開始 の希 望
第 五条 輸 送 調 節 の方 法 は 大連 港 日本 諸 港間 に於 け る聯 絡汽 船 会 社
本 調 節 の目的 物 は之 を被 協 定 貨 物 中各 種 豆 及 豆 粕 に限 る。
を通 告 し たる場 合 其 の事 務 を行 ふも のと す 。
第 六条
の船 運 賃 を豆 又 は豆 粕 に付其 の都 度 人 為 的 に上下 す る こと に依 り、 両 径 路 向 け 実 際輸 送 貨 物 の割合 を協 定 配 分割 合 と可 及 的 一致 せし む る よう に調 整 す るも の にし て 本 協 約実 施 後 被 協 定貨 物 が烏 蘇 里鉄 道 向 け協 定割 合 以上 に輸
の 一部 を 一定 支 出 の限 度 に於 て南 満 洲 鉄 道 に於 て負 担 す るも のと
し 、烏 蘇 里 鉄道 は何 等 の分担 を為 さざ るも のとす 。
本 調 節事 務 所 細 則 は本 協 約 実施 後 両鉄 道 代表 者 に於 て別 に
之 を定 め 、 本協 約 と同 一の実 施 手 続 によ り之 を 実施 す るも のと す。
第 九条
之 に対 し 両鉄 道 代 表 は異議 な き旨 を 答 へ、議 長 は右 概 則 は 原案 通
宇佐 美寛 爾
り決 定 の旨 を 告げ 次 で閉 会 を宣 した り 。尚 次 回 は九 月十 二日午 前 十 時 よ りと せり 。
議 長
第 十六 回 (九月 十 二日 ) 土曜 日
議長は第十六回目 の会議開会 を宣し同時 に前 日の本会議 に於 ける
輸送調節事務所概則 の決定 に聯関し て烏蘇 里鉄道代表 より、協 定六
て、両鉄道代表者間 に非公式に協議を遂げたることに関し議事 録中
品 の貨物中豆粕 に対し て特別 の配分割合を協定 せむ ことの提議 あり
かむ ことを諮 れり。
協約附属書第 四 ﹁輸送調節事務所概則﹂ の後 に、左 の如く記録し置
烏蘇里鉄道代表 は烏蘇 里鉄道 に於 ける豆粕運賃 は他 の被協定貨
む る こと に依 り て、貨 物 の発 駅 日 本著 港 間 の直 通聯 絡 運 賃 額 を
被 協 定貨 物 が南満 洲鉄 道 向 け協 定 配分 割 合 以 上 に輸 送 せら れ
は同鉄道に取 りては大豆又は豆油 の輸送 よりも比較的 不利益 なる
物中 の大豆並豆油 の運賃 に比 し著しく低率な るが為、豆粕 の輸送
低 下 し て之 を発 表 し 、 又
送 せら れ た る とき は 、汽 船 会 社 を し て船 運 賃 の引 下 げ を為 さし
イ
ロ
たる と き は、 汽 船 会 社 を し て船 運賃 の引 上 げ を為 さ しむ る こと
に不利益 なるにあらざ るを以 て被協定貨物全体 の協定配分割合 を
満鉄に取 りては豆粕 の輸送 は大豆並豆油 の輸送に比し収入上 、特
が、満鉄 に於 ける豆粕 の運賃は大豆並豆油 と同 一率な るに依 り、
によ り て、 貨 物 の発駅 日本 著 港間 の直 通 聯 絡 運賃 額 を高 め て之
船 運 賃 の引 上 又 は引 下 及其 の率 並 其 の実施 期 間 は本 調 節事
を 発表 す。 第 七条
務 所 の決 定 に より 之 を定 む るも のと す。
破壊せられざ る限度に於 て被協 定貨物中 豆粕 の両径路向け の割合
のみは之を本協約第 二条所定 の配合割合 ( 即ち南行 五割五分 、東
本 調 節 事 務 所 の決 定 に依 り 一般 市 場 の船 運賃 に対 し 、其 の
運 賃 を引 下 げ 又 は 引 上 ぐ る こと によ り 生ず る こと あ る べき 聯 絡汽
行 四割五分) に準拠せず、之を千九百二十四年 より千九百二十 五
第八条
船 会 社 の損 失 は 、当 該 汽 船 会 社 に於 て其 の全 部 を負 担 し 、 又 は其
割 五 分 と為 す こと を 公平 なり と思 考 す る に依 り 、南 満 洲鉄 道 代 表
年 に亘 る最 近 出 廻年 度 中 の輸 送 実績 に近 き 南 行 六割 五分 、東 行 三
れり。
定 の旨を告げ たり。次で哈爾賓 に設置 のことに決定せる両鉄道共同
右 に対し両鉄道代表 は何等異議 なき旨を答 へ、議長 は原案通 り決
第三
事務所 の規 則の審議 に移 り、議長は之 を左 の如く決定 せむ ことを諮
第 一条
本共同事務所は両締約鉄道 の各自任命 する同数 の代表者並
哈爾賓南満洲鉄道烏蘇 里鉄道共同事務所概則
協約附属書
に於 て之 に同 意 せ ら れ む こと を希 望 すと 述 べ 、 且 豆粕 に対 す る右
きも のな り 、 と附 言 し た り。
配 分 割 合 の実 行 を す る こと は、 両鉄 道 調 節 事 務所 に依 り行 は る べ
南 満 洲 鉄道 代 表 は 烏 蘇 里代 表 の右 の希 望 に対 し 、被 協 定 貨 物 の配 分 割 合 は被協 定貨 物 を 一団 と し て之 を 定 め た るも のな れば 其 の内 特
上之 を定むるも のとす。
第二条 本共同事務所 には本協約 並本協約附属書に準拠して、本協
若干 の事務員 を以 て組織す。本共同事務所 の定員 は両鉄道協議 の
約 に伴 ふ計算事務 、輸送調節事務其 の他両締約鉄道 の委任する 一
種 の 一品 目 に付異 り た る配 分割 合 を協 定 す る こと は全 然新 たな る提
平 な り、 と言 ふ烏 蘇 里鉄 道 代 表 の意 見 は不 合 理 な り と信ず る も、烏
切事務 を処理す るも のとす。
案 な る のみな らず 、 特 に豆粕 の南 行 数 量 を 六割 五 分 と 為 す ことを 公
が 為 に、 烏 蘇 里 鉄道 が其 の収 益 関係 上 豆 粕 の輸 送 を欲 せざ る事 、 自
め、之 を折半負担するものとす。但 し両鉄道 の各別 に任命する人
第三条 本共同事務所 の経費は両締約鉄道に於 て協議 の上予算 を定
蘇 里鉄 道 に於 て豆粕 運 賃 が 大 豆 並豆 油 の運賃 に比 し著 し く低 率 な る
から烏 蘇 里鉄 道 自体 の運 賃 政 策 に起 因 す る と は言 へ事 情 亦無 理 から
送 調節 を行 はざ るべ き こと を 承 諾 し 且輸 送 調 節 の目的 物 と し て大 豆
期間中両鉄道 は収貨 の為競争を惹起するの虞 ある 一切 の行動を執ら
定 の旨を宣したり。引続 き議長は協約中適当 の箇所 に本協約 の存続
両鉄道代表 は之 に対し何等異議なき旨 を答 へ、議長は原案通り決
協約と同 一の実施手続 に依り之を施行するものとす。
第 四条 本 共同事務所細則は両鉄道代表者 に於 て別に之 を定め、本
員 の人件費 は之を各鉄道 の負担とす。
ぬも のあ るを 認 め 、両 鉄 道 の親 善関 係 に鑑 み烏 蘇 里鉄 道 代表 の希 望 に添 は ぬ こと を 希 ふ が故 に、南 満 洲 鉄 道 は 豆粕 の配 分 割 合 を南 行 六 割 五分 、東 行 三 割 五分 とな し 、 従 て東 行 豆 粕 の数 量 が北 満 よ り輸 移
及 豆粕 に対し 調 節 を行 ふ必 要 の程度 相 等 し き 場合 に於 ては 、 調節 は
出 せ ら る 豆粕 全 数量 の三割 五 分 を超 ゆ る場 合 にあ らざ れば 、之 が輸
先 づ 豆粕 に付 之 を行 ふ こと と し た し、 と言 ふ烏 蘇 里鉄 道 代 表 の希 望
両締約鉄道 は本協約実施 の日より其 の存続期間中故意
ざ るべし、と言 ふ意味 の 一条項を左 の如 く挿入せむ ことを諮 れり。
に被協定貨物 を各自東行又は南行に誘致する為、其 の形式及実行
第 条
を容 るる に吝 ならず 、 と答 へた り 。此 の場 合 豆粕 に 対し て のみ定 め
手段 の如何を問 はず 、自己 の計算 に依 り貨物 の発駅著港間 に於け
ら れ た る特 別 の配 分 割 合 の為 、 被協 約 貨 物 全 部 に付定 めら れ た る基
る こと 勿 論 な り。
本 配 分 割 合 た る南 行 五割 五分 、 東 行 四割 五 分 の割 合 は破 壊 せ ら れざ
る運 賃 、料 金 其 の他 の諸 掛 の割 引 、割 戻 又は 之 と 同 一の結 果 を 生
ば東 支 鉄 道 に対 し確 定 的 の回答 を与 ふる こと を得 ず 。
方締 約 鉄 道 に通告 し 、 之 が 対策 に付 商議 を遂 げ た る後 にあ らざ れ
東 支 鉄 道 が 両締 約 鉄 道 と協 議 を為 さず し て南満 東 支 、 烏 蘇 里東
ず べき 一切 の行 為 を な さざ る事 を約 す 。
支聯 絡 貨 物 運 賃 ( 料 金 並 金留 、金 円 の換 算 率 に関 聯 し て施 行 せ ら
更 に議長 は、 右 条 文 中 の 一部 字 句 に関 し少 し く詳 細 に其 の意 味 を 敷 衍 し、或 は限 定 し置 く こと必 要 な る べ し と て、 之 が説 明 を左 の如
た る と きは 、 本協 約 の円 満 な る遂 行 を期 す る為 、両 締 約 鉄 道 に於
道 、烏 蘇 里 鉄 道 向 け協 定貨 物 運賃 の現在 の均 衡 が失 は る る に到 り
る る調 節 費 以 外 の凡 て の諸掛 を含 む ) を変 更 し た る為 、 南 満洲 鉄
条 に所 謂 ﹁一切 の行 為 ﹂ と は、
く議 事 録 に登載 せむ こと を附 言 せり 。 南 満 洲鉄 道 ・烏 蘇 里鉄 道 協 約 第 海 陸 運送 共割 引 、 プ レミ ア ム の交 付 、特 典 の附 与 等其 の他 割 引、
ては之 が具 体 的善 後 策 を 協議 す る も のとす 。
会議 は何 等 異 議 なく 之 を 可決 承認 せり 。次 で議長 は曩 に仮 承認 せ
こと を諮 れ り。
ら れ た る協 約 の冒頭 文 句 に つき 、之 を幾分 修 正 し 左 の如 く 決 定 せ む
条 に所 謂 ﹁形 式 及実 行 手 段 の如 何 を問 はず ﹂ と
は公 式 な る と、 秘 密 な る と 、海 上 運送 な ると 、 陸 上運 送 な ると 、
両 鉄道 協 約 第
割 戻 と 同 一の結 果 を 生ず べ き 一切 の行 為 を謂 ふ。
又鉄 道 自 ら 行 ふ と、 運送 会 社 、 商 人 、 代 理業 其 の他 を し て行 は し
し 左 の協 約 を締 結 す 。
増進 せ ん が為 、東 南 両 径 路 向 輸送 せら る る北 満産 貨 物 の数 量 に関
南 満 洲 鉄 道 、烏 蘇 里鉄 道 は 親善 関 係 を保 持 し併 せ て其 の利 益 を
会 議 は異議 なく 之 を 可決 承認 し、 次 で議 長 は閉 会 を宣 す。
む る とを問 はず 、 苟 く も鉄 道 自 ら の計 算 に於 て為 す こと を意 味 す。
第 十 七 回 (九月 十 四 日) 月曜 日
会 議 は 異議 なく 之 を可 決 承 認 せ り。 引 続 き議 長 は協 約 の実 行 に伴
ひ、東 支鉄 道 に於 て統 計 作 業 を 行 ふ が為 に必要 と な れ る諸 経 費 の両
ウ エ ・カ ・ウ エイゼ ル
鉄 道負 担 方 に つき 、議 事 録 に次 の文 句 を 録 し置 かむ こと を諮 れり 。
長
議 長 は第 十 七 回目 の会議 開会 を宣 し 、東 支鉄 道 が東南 両径 路 向 け
議
運賃 の均 衡 を 破 る が如 き貨 物 運 賃 の変 更 を な し た る場合 、両 締 約鉄
締 約 鉄 道 の 一方 もし く は 双 方 が、 東 支 鉄道 よ り両鉄 道
一日 よ り施 行 せら る るも のと す。
本 議 事 録 は本協 約 と同 一の認 可手 続 を経 て千 九 百 二十 五 年 十 月
に関 す る 一条 項 を 左 の如 く 決 定 せ む こと を諮 れり 。
会議 は異 議 な く之 を可 決 承 認 せ り。 更 に議 長 は議 事 録 の認 可 手続
用 あ る とき は、 両締 約 鉄 道 に於 て之 を折 半 負 担 す る も のと す 。
駅 及 ポ グ ラ ニチナ ヤ駅 に於 け る統 計 作業 を行 ふ に付 必要 な る諸費
東 支鉄 道 に於 て南満 洲 鉄 道 及烏 蘇 里鉄 道 の為 、長 春 (寛 城 子)
条
せ む こと を諮 れ り。
道 が之 に対 し執 る べき 手段 に関 す る 一条 項 を協 約 中 に次 の如 く 挿 入
第
間 の協 定 に依 る貨 物 の東 南 両 径 路 向 け 運賃 の均 衡 を破 る が如 き南 満 、 東支 又 は烏 蘇 里 、東 支 聯 絡 貨 物運 賃 (料 金 並 金留 対 金 円 の換 算 率 に関 聯 し て施 行 せ ら る る調 節費 以外 の凡 て の諸掛 を含 む) 変 更 の交渉 を受 け た る場 合 に は、 当 該鉄 道 は其 の交 渉 の内 容 を相 手
会 議 は之 を異議 な く可 決 承 認 せ り 。次 で議長 は計 算 規 則 第十 四条 を 一部 次 の如 く修 正 せ ん こと を諮 れ り。
(ロ)
宇 佐 美 氏 の挨拶
前 後 三週 間 に亘 りま し た る吾 々両 鉄 道 の正 式 会議 が所 期 の成果 を
本 規 則 に伴 ふ総 て の支 払 金 に関 す る清算 を行 ふ も のと す 。
当 初 より 協 約 の効 力 が停 止 せ ら れ たる 当 日 に至 る迄 の期 間 に対 し 、
続 す ると き は 、第 四期 終 了 のと き の計算 に準 じ、 穀 物 出 廻年 度 の
止 す る事 由 が 、当 該 穀 物 出 廻年 度 の終 期 迄 又 は其 の以 後 に亘 り存
意 義 を 有 す る こと は事 理極 め て明白 で あり ま す。 従 つて吾 々両鉄 道
栄 の為 に、更 に延 い ては 日露 親 善 関係 将 来 の発展 に対 し て重 大 な る
のみな らず 、 地方 産業 開発 の ため に、将 又浦 塩斯 徳 、 大連 両 港 の繁
鉄 道 の隔 意 な き提 携 は 単 り両 鉄 道 自 ら の利 益 増進 のため に必要 な る
共 に小 子 の衷 心 より 同慶 に堪 へな い次 第 であ り ます 。 抑 々吾 々隣接
収 め て、 本 日茲 に恙 な く終 了 を告 げ ま し た こと は列 席 の代表 諸 賢 と
会 議 は異議 な く之 を承 認 せ り 。斯 く て議 長 は協 約 に関 す る総 て の
の経営 に携 は る者 が今 後 本 協 約 を適 用 す る に当 り ま し て協 力 一致 本
本 協 約 第 十 三 条 に定 む る場 合 に於 て協 約 の効 力 を停
問 題 の討 論 を終 へた る旨 を 告 げ、 更 に会 議 に於 て議 了 決定 せら れた
りま す 。終 り に臨 み ま し て本 会議 中 議 長 の席 を汚 し た る小 子 が、 列
協 約 の精 神 を如 実 に体 現 せむ こと は 小子 の希 望 し て止 まな い所 であ
第 十 四条
る協 約 並 其 の附 属 書 及 議 事 録 を 一応 朗読 し 、若 し異 議 な き とき は会
右終 り て議 長 は本 正 式 会議 の閉 会 を 宣 し たり 。
を 厚 く感 謝 致 し ます 。
席 代表 諸賢 の御 援助 に依 り 大 過 な く其 の職 責 を 全 ふ し得 ま し た こと
議 出 席 者 一同 之 に署 名 す る こと とし 、其 の署 名 期 日は 九 月十 七 日 と
ウ エイ ゼ ル代表 の挨 拶
次 で両鉄 道 主 席 代 表 は 次 の如 く 閉 会 の挨 拶 を交 換 せ り。
せむ こと を諮 れり 。 会 議 は之 を承 認 せり 。
(イ )
予備 会議 並 之 に引 続 き開 催 せら れ た る正 式 会 議 が代表 者 諸 君 の長 期 間 に亘 る熱 誠 な る努 力 の結 果 茲 に漸 く所 期 の成 果 を収 め、 会議 に 際 し て逢着 し た る幾 多 の難 関 も総 て満 足 な る解 決 を 遂 げ た の であ り ま す 。抑 々斯 の如 き は 代表 者 諸 君 の互譲 協 調 の精 神 の致 す 所 であ り ま し て、両 鉄 道 の繁 栄 、親 善 関 係 と の基 礎 亦 之 に外 なら ん の であ り ま し て 、南 満 洲 並 烏 蘇 里両 鉄 道 間 に於 け る今 次協 定 が、 両 者将 来 の 親 善 関 係 の楔 子 た るべ き は私 の信 じ て疑 はざ る 所 であ りま す 。終 り に臨 み 私 は宇 佐 美 氏 と 共 に本 会 議 の議 長 を務 め ま し た 一人 と し て、 茲 に列 席 の代 表 諸彦 が 此 の容 易 な らざ る商 議 に際 し甚 大 な る努 力 を 致 さ れ ま し た こと に対 し衷 心 感謝 の意 を 表 し ま す 。
第 二部
情
報
類
四
北 公調 二 四第 甲 号 の七 七 北 京 公所 長
送 状 況 は 哈爾 賓 、 長 春 を経 て満 鉄 大 連 に出 づ る も の約 十分 の七 、哈
増 加 を謀 る に至 るべ し 。東支 要 人 の語 ると ころ に拠 れ ば、 現 下 の輸
並 欧 米商 人間 の双 方 に裨 益 す ると ころ あ る に至 れば 、 即 ち北 満農 産
北 満 農産 を直 接 欧 米 各国 に販 出 せ むと 欲 せる が、 此 の暁 に於 て東 支
利 少 なく 、従 つ て進 ん で買 出 を為 すも のな か りき 。依 て今 後東 支 は
り 。然 れば 間 接 に北満 農 産 を購 入す る欧米 人 は 買価 増 高 の故 を以 て
れ し も のな るが 、其 の間 更 に仲 介 者 あ り て之 に再 び又 利 を奪 は れ た
来 既 往 に於 け る東 支 輸 出 の大 豆 、 麦 類 の多 く は間 接 欧米 に販 出 せ ら
聯 邦 の浦 港経 営 は商 業 を振 興 す る こと に甚 だ努 め余 力 を遺 さず 。 元
ると き は 、浦 港 輸 出 貨物 は実 に数倍 の上 に在 り たり 。 近来 ソビ エト
は満 鉄 の敵 た る能 は ざ る な り。然 れ ど若 し 欧戦 以 前 の状 態 より稽 ふ
浦 港 信仰 力 は仍 ほ大連 の渾 厚 な る に如 かざ るも のあ り て、 到底 東 支
れ ど も猶 藉 す に時 間 を以 てせざ れば 完 を 尽 し難 し 。乃 ち 一般 商 人 の
満鉄 ( 札 免 公 司 を 含 む)関 係 諸 件一
大 正十 三年 十 二 月 二十 七 日
東 支 、 満 鉄 の運 輸 競争 (十 二月 二 十 五 日鉄道 時 報 )
爾 賓 、 綏 芬 河 を経 て烏 鉄 浦 港 に出 づ る も の僅 に十分 の三 に すぎ ず 。
の輸 出 は 当 然増 加 し浦 港経 由 欧 米 各国 に販 出 せ ら る るも のの多 かる
東支 鉄 道 の聯 絡 運輸 協 定決 裂 後 双 方 は 互 に種 々 の手腕 を 施 し 輸送
る に因 り喜 ん で之 に就 き た る に在 り 。而 し て東 支亦 多 年 の歴 史 あり
蓋 し此 は満鉄 の多 年 経 営 に於 て輸送 上商 人 に種 々 の利 便 を 与 へ来 れ
べ き は火 を 睹 る よ り瞭 な る べ し。
る効 果 は久 し く顕 著 な る所 な り 。過 去 に於 て東 支 、南 満 間 には此 の
又混 合 保 管制 度 が売 買 両 者 の信 用 を 鞏 固 にし 取引 を利 便 なら し む
と 雖 も、 欧 戦 以来 極 大 な る悪 影 響 を蒙 り運 輸 設 備 の弛廃 そ の極 に達
施 設 あ り、 東 支 は露 人 カ オ コワ ス (訳 音 ) をし て之 を請 負 は し め来
せ り 。殊 に浦 塩 地方 は当 初 に於 ては 欧戦 に因 り、 つ いでは露 国政 変 の損 害 を受 け 破 壊凋 弊 は言語 に絶 せし を 以 て商 人 は足 を〓 み て進 ま
︹コ ワ ル ス キ ー ︺
ざ り き 。今 や ソビ エト聯 邦 は国 基 漸 く 定 ま り、 建 設是 れ努 め つ つあ
其 の便 僅 か に日本 商 人 に在 る のみ にし て 、欧 米 貨 物 の大 連 経 由 す る
一法 た り。更 に輸 入 貨 物 を観 る に大連 経 由 東 三省 内 地輸 入 の貨物 は
芬 河間 に之 を実 施 せむ と せ り。 是 れ即 ち浦 港 輸 出 を奨 励 せむ とす る
オ コワ ス の請 負 を取 消 し、 東 支 の自 営 に於 て明 年 一月 よ り満 洲里 綏
り し に、 東支 、烏 鉄 の間 に在 り ては之 を闕 き た るも 、今 や東 支 は カ
当 上 の優 越 点 を見 出 さ う と す る も の であ らう 、 と吾 々は 観 て居 る﹂
絶 し た。 此 の挑 戦 的 南 下 策 は来 春 の会 議 に於 て現状 を 基 礎 とし て割
随 つて満 鉄 の吸貨 量 は 五割 以 上 に達 す る筈 であ る にも拘 らず 之 を拒
豆 油 外 六 品 で あ る から 、満 鉄 は六 品 以外 の雑 穀 をも 吸 収 し得 べく 、
た が最 後 に至 り五 割 ま で譲 歩 し た。而 も 協 定貨 物 は 唯 豆粕 、 大 豆 、
よう と し て居 る。 烏鉄 は満 鉄 と の数量 協 定 の際 、初 め 六割 を要 求 し
あ る 、 と 一流 の曲 筆 を弄 し 見 方 に依 つ ては社 員 淘汰 に伴 ふ動 揺 を 主
鉄 道 た る東 鉄 に及 ぶ は勿 論 、 北満 一帯 の商 人 にも影 響 す る所 多 大 で
も 早 く斯 かる競 争 を 止 め財 政 難 を緩 和 し なけ れ ば、 其 の迷 惑 は隣 接
つて来 る所 は東 、烏 両 鉄 に対 す る無 益 の競 争 に在 る も のと し 、 一日
紙 は何 れ も 予算 削 減 、輪 転材 料 の不足 等 満 鉄 の財 政 難 は畢 竟 其 の因
於 け る材木 積 換 停 滞 の事 実 が突 然 さ る ゝや 、反 満 鉄 系 即 ち赤 系露 字
︹マ マ︺
最近満鉄明年度 予算 が 一般 に公表 されたると同時 に、寛城子駅に
満鉄 の予算削減 、輪転材料不足 に関する赤系露字紙 の曲筆
大正十四年 二月二十 五日 哈爾賓事務所長
哈調情第七四六号
三
も のに至 り ては積 圧 せら る る こと 鮮 からざ り き。 蓋 し此 は満 鉄 の鉄 道 政 策 に因 り たる も のなれ ば何 等 怪 し む に足 らざ るな り。 但 し 欧米 商 人 は如 此 久 し く南 満 鉄 道 の痛 苦 を感 ぜ るも 如何 とも す べ きな かり き。 ソビ エト聯 邦 にし て果 し て浦 港 を戦 前 の状態 に恢 復 し 、東 支 輸 送 上 の設備 に力 め て利便 を謀 る こと を得 ば 、 既 に同 港 輸 出 の貨 物 は 増 加 す べ き を 以 て、 其 の輸 入貨物 亦 甚 だ 増 加 す る に至 ら む 。由 此 観
二
哈爾 賓 事務 所 長
之 将 来 東 支運 輸 の発 達 は当 然 自 ら 満鉄 の線 を凌 駕 す べし 、 と。
哈 調情 第 六 一九号 大 正十 三 年 十 二 月 三十 日
烏 満 会 議休 会 後 満 鉄 の態 度 は挑 戦 的
義 宣 伝 に利 用 せん と す る準 備 行 動 を執 つて居 ると も考 へら れ る。 今
当 地鳥 鉄 商 業部 出 張 所 主 任 スリ マ氏 は 当所 特 報 員 に 語 つ て 曰 く ﹁大 蔵男 は烏 鉄 と会 議 は明 年迄 休 戦 状 態 であ る、 と日本 新 聞 に語 ら
ノ ーウ オ ス チ ・ヂ ーズ ニ紙 二月 二十 五 日 の記 事 を 見 る に左 の通 り。
も其 の根 本 は昨 秋 以 来 満鉄 幹 部 の採 り来 つた 北満 政 策 は遂 に今 日 の
一見 右 の事 実 は それ自 身 さし たる 重要 意 義 を有 し て ゐな い。 け れ ど
﹁満 鉄 は寛 城 子 駅 に於 け る材 木 の積 換 に非 常 な 困 難 を感 じ てゐ る。
る るも決 し て休戦 で はな い。満 鉄 は目 下 色 々な貨 物 吸 収策 を講 じ て
布 度 に付 き十 六銭 安 価 な る にも拘 らず 殆 全 部満 鉄 に向 ふと い ふ状 況
居 るも の の如 く 、最 近 チ チ ハル、 安 達 発東 行貨 物 が大連 向 よ りも 一
で満 鉄 は貨 物 を南 下 せ しむ る為 、傅 家 甸 雑 穀商 、油 房 業 者 を圧 迫 し
不始 末 を惹 起 せし め た に在 る は明 か であ る。 近頃 満 鉄 機 関 紙 の発表
哈爾 賓 事 務 所 長
政難 に陥 つた こと が察 せら れ る。 即 ち 明年度 の予算 総額 は 三四 、 四
の方法 に より 必要 な る反 駁 的宣 伝 を試 みて置 き ま し た が、其 の後 東
三 、 七五 六 号 を 以 て報 告 の通 り であ り ま す が、之 に対 し 当所 は機 宜
労 農 機 関 紙 の反 満 宣 伝 は 近時 益 露 骨 と な つた こと は、 哈調 情 七 五
赤 系露 字 紙 尚 反 満 鉄宣 伝 を罷 めず
大正十四年三月六日
六 〇 、 七〇 二円 で、之 を今 年度 の四 四、 七 一七、 五 三 六 円 に比 較 す
鉄 の漢 字 機 関紙 ﹁ 国 際 協 報﹂ も 三月 四 日露 字 紙 と同 様 の記事 を掲 載
せ る満 鉄 予 算 に関 す る資 料 を見 る に、満 鉄 が新 政策 の為 に多 大 の財
れ ば 一〇 、 二五 六 、 八 三四 円 の緊 縮 であ る 。更 に稍 詳細 に満 鉄 の財
し 、満 鉄 北 満 政策 に対 し あ ら ゆ る非 難 中傷 を加 へて ゐま す 。更 に本
日 の赤 系 露 字 紙 ト リブ ー ナ、 ノ ウ オ ス チ ・ジ ーズ ニ両 紙 は右 国 際 協
の毎 年 の利 子 の み に て大 約 二千 万 円 に達 す る 。然 る に満 鉄 の収 入 は
報 の記 事 を転 載 す 、と の題 下 に前 号 と 同 一の記 事 を再 掲 し 、満 鉄 の
政 を検 す る と、 本年 一月 一日 現在 の満 鉄 負債 額 は 二億 円 に昇 り、 其
殆 ど営 業 収 入 に依 る も の であ るか ら斯 か る際 満 鉄 は特 別 に多 大 の支
と論断 し更 に論 鋒 を 一転 し て 、同 政 策 の結果 支 那特 産 商 並 に油 房 は
割戻 政策 に毒 づ き 、予 算 の削 減 、社 員 の淘 汰 は同政 策 の犠牲 で あ る、
出 を要 す る が如 き 計 画 を目 論 見 て は なら ぬ筈 で あ る。
多 大 の損 害 を 蒙 り 破綻 の深 淵 に臨 ん で ゐる 、 と結 ん で ゐる 。
と ころ が満 鉄 は東 、烏 両 鉄 道 と競 争 の為 、断 然 割 戻 政策 を採 る の 方針 に出 で た。 之 が為 に既 に八 百 万金 を 支出 し、 尚 将 来多 大 の経 費
五
を 支出 す る で あら う 。斯 か る法 外 の支 出 は忽 ち鉄 道 営 業 に影 響 し遂 に輪 転 材料 の不足 に依 り、 東 鉄貨 物 の積 換 を停 滞 せし め た 。尚 人 件 費 、 事 業費 に多 大 の削減 あ りと聞 く が、 然 も割 戻 政 策 を 廃 棄 せざ る
満鉄 は露支国民離隔 に努力す (三月二十四 日 ト リブ ーナ所
日露支三ケ国語を以 てす る統 一戦線
論)
満鉄 が東鉄 に対し て執 つて居 る態度 は将 に右 の如く言 ひ表はすべ
喧噪、悪童、喧噪
○ 満鉄 は何時日支共同事業となるか
○ 満鉄 に於ける日支人 の差別待遇
○
大正十四年三月二十 四日 哈爾賓事務所長
であ る が、 明 日 は之 に伴 つて更 に恐 るべ き珍 事 が惹 起 す る で あら う 。 哈調情第 八 一〇号
以 上 、 目 下 の財 政 難 は救 済 さ るべ く もな い。 今 日 は輪 転 材料 の不 足
満 鉄 の現 状 は単 に隣 接鉄 道 の東 鉄 のみ ならず 、北 満 商 界 に多 大 の脅 威 を 与 へる も のであ る 、 云 々。 右 と 大 同 小異 の記 事 が 二 月 二十 五 日 のト リブ ー ナ、 二月 二十 四 日 の モリ ワ両紙 に掲 載 さ れ て ゐま す 。
四 哈調情第七七六号
き であ る 。 日本 の悪 童 は露 字 紙 は ウ オ ス ト ツ ク、 日本 紙 は満 鉄 の支
る貨 物 が大連 に赴 く 如 く 北満 豊 穣 の地 に鉄 道 建設 の権 利 を獲 得 し た 。
商 企 業 た る東 支鉄 道 で ある 。 日本 は東 支 を経 済的 に封鎖 し 、 重要 な
し て居 る。 日 本 の満 洲 殖 民 地政 策 に対 す る 一大障 碍 は、露 支 共 同 の
︹ BOCTOK︺
持 を受 く る 凡 て の新 聞 、支 那 紙 は最 光 報 に於 て騒 いで居 る 。換 言 す
戦 線 に就 て、実 際 的 問題 を新 聞 紙 上 に て審 議 す る 事 が 必要 で あ る 。
赤 色帝 国 主 義 及東 支 に於 け る支 那 従事 員 の悲 境 に就 て宣伝 を行 つ て
と努 め て居 る 。 又新 聞 殊 に露 及 支 那紙 に は盛 ん に ソヴ エー ト露 国 の
業 が恰 も日本 の支 那 に対 す る好 意 に依 るも の であ る か の如 く観 せん
此 の事 業 の前 に 日本 人 は殊 更 に喧 騒 を起 し て居 る。 而 し て此 の事
れ る のであ る 。
而 も此 の鉄道 は支 那 の利害 を顧 る事 な く只 日本 に利 ある如 く建 設 さ
れば 三 ケ国 語 を以 て統 一せ る戦線 を作 つて居 る 。 統 一戦線 夫 れ は実 に有 益 なも のに相 違 な い。然 し其 の戦 線 が労 働 者 衆 の利益 を保 護 す る時 に於 て のみ で あ る故 に、 日露 支 三 国 民 に対
露 日支 の三 国 語 を以 て極 東 に於 け る 帝国 主 義 国 家 の強 奪 的 、腕 力 的
し 経 済 的連 絡 、商 業 関係 及 支 那 を 分割 せ んと す る帝 国 主 義 者 の統 一
行 為 に対 し抗 議 、反 対 す べ き必 要 が あ る。 吾 人 は 再言 す る。之 を 日
居 る 。 三月 二 十 日晨 光 報 は東 支 鉄 道 のソヴ エート露 国 赤 色帝 国 主 義
に就 て非 難 し て居 る が、露 国新 幹 部 就 任後 僅 か五 ケ 月 にし て露 支 人
に夜 を 次 い で行 ふ事 は極 め て重 要 であ り、 又利 益 であ る事 を 。
の給 料 を同 率 と し 、 又支 那 労働 者 社 宅 のた め 二十 四 万五 千 円 の予 算
然 し満鉄 の満 洲 に於 け る行 為 が利 を齎 し 且 つ思 慮 あ る も のと言 ふ 事 は出 来 な い。彼 等 は眼鏡 拭 ひを し て居 る ので あ る。彼 等 は 露 支 両
を 設 け た事 は 何 と見 る か。
飜 つて満 鉄 に於 け る 日支 従事 員 の差 別待 遇 を 見 よ 。 日人 従事 員 は
国 民間 及 東 鉄 に於 け る露 支 従事 員間 を離 間 せ んと 努 め て居 る 。
何時 支 那 人 を 奴隷 視 す る事 を 止 め る であ らう か、満 鉄 は 何 時 日支 共
日本 には 満 洲 と蒙 古 が必要 であ り 、之 を 以 て朝 鮮 を繞 囲 せん と し て居 る。 此 の目 的 は既 に久 し き以 前 に日 本帝 国 主 義者 に依 つ て立 て
伝 し て居 る が、 此 の小 日本 人 の価 値 は 言語 に於 て判 断 せず 、事 実 を
す る大 な る徳 と 、赤 旗 の下 に露 国 と 支 那 に施 かる ゝ ﹁悪 政 策 ﹂ を宣
小 日本 人 は 日支露 三 ケ国 語 を 以 て騒 々しく 日本皇 帝 の支 那 人 に対
同 の事業 と な る であ らう か。
用 し満 洲 に兵 力 を集 中 し て、脅 威 を 以 て支 那 に於 け る各 種 の特殊 利
見 て判 断 せね ば な ら ぬ。 北満 の支 那 人士 よ、 慎 重 に自 称 ﹁ 親 友﹂ に
欧 洲 帝 国 主 義諸 国 が戦争 に忙 し か つた時 、 日本 は支 那 の弱 き を 利
ら れ た の であ る 。而 し て満 鉄 は此 の政策 の実 行 者 であ る。
ら 、 日本 は 華 府会 議 を筆 頭 に逐 次 失 ふ処 多 く、 今 では 日本 資 本 家 は
権 を獲 得 し た 。然 し戦 後 右 欧洲 列 国 が極 東 に復 帰 す る様 にな つ てか
れ 。国 民 的 反感 を唆 る も のは極 東 平 和 の ため に呪 ふ べき 敵 で あ る。
と を称 ふ る人 は総 て真 の親 友 ではな い。事 業 上 に於 て真 の親 友 を知
神 よ 、神 よと 口走 る者 は悉 く信 仰 者 と思 つては な ら ぬ。 愛 と親 善
対 し な け れば な ら ぬ 。
地位 を何 と かし て堅 固 に維 持 せん と し 、 日本 は現 時 に於 て満 洲 に各
其 の位 置 の不 安定 を感 ず る に至 つた 。而 し て彼 等 は未 だ失 は れ な い
種 の画 策 を な し 、蒙 古 は其 の腹 案 中 のも ので ある 。 満 洲 に於 け る 日本 の大勢 力 は 満 鉄 で あ り、 之 が保護 に全 力 を傾 注
六
大 正 十 四 年 三月 二十 五 日
哈 調情 八 一三号 哈 爾 賓事 務 所 長
東 鉄 改組 後 満 鉄 の受 け た る創 痍 東 支 鉄 道 は満 鉄 と の聯 絡 運 輸 会議 決 裂 後 運輸 方 面 に於 ては特 に極 力 積 極 的 改良 を施 し 、殊 に浦 塩 向 け貨 物 に対 し て は出 来 得 る限 り の
が対 策 と し て先 に大連 経 由 輸 出貨 物 に対 し ては毎 布 度 十 二銭 の割 戻
便 宜 を 計 り 、以 て貨物 の南 行 を 妨 げ た為 、南 満 線 は大 恐慌 を来 し之
し を な す旨 の公 告 を為 し、 東 支 と の競 争 の意 を明 ら か にし て居 るが 、 満 鉄 が 周章 此 の挙 に出 で たる は既 に其 の蒙 れ る創 痍 の少 な から ざ る
此 の外 近来 満鉄 の政 策 を 見 る と明 ら か に其 の衰 微 を来 し て居 る事
を物 語 る も の では あ るま いか 。
が観 取 さ れ る。例 へば 先 月 来満 鉄 の淘 汰説 が喧 伝 さ れ る や約 一千 三
の為 執 つた割 戻 政策 の結 果 で、之 が為 満 鉄 の失 ふ所 は年 額 七百 万 円
自 己 の手当 を減 す べ き案 を 決 議 し た 。之 は 近頃 満鉄 が北 鉄 貨物 吸 収
哈 爾 賓 事務 所 長
であ る ﹂ と説 明 を加 へて居 る 。
七
大 正十 四 年 三 月 二十 八 日
哈 調情 第 八 二三 号
赤 系 新 聞 の反 満 宣 伝 一束
一、 ノ ウ オ ス チ ・ヂ ーズ ニ (三月 二十 八 日)
満 鉄 が財 政困 難 に陥 つて ゐ る事 は吾 人 の屡 報 導 し た処 であ る が
最 近 其 の附 帯 事 業 たる電 気 、 瓦 斯 、硝 子 、 ホ テ ル営業 等 を民間 に
移 さ んと し て ゐ る事 も其 の 一例 であ る。
長 春実 業 日報 に依 ると 先 頃 長 春 地方 の事務 所 長 招宴 の席 に於 て
二、 モル ワ (〃)
百名 の馘 首 を 見 る 可し 、 と の事 で あ つた が、 昨 報 に依 つて知 る所 は
々あ る 、吾 人 は 其 の前 途 幸 福 を祈 つて止 ま ぬ、 と 公言 し た 。
某 駅 長 は満 鉄 の事 業 は 日 に非 にし て将 来 改善 せら る べ き問 題 が多
三、 同 右 (〃)
此 の数 字 を凌駕 す る こと 著 し き有 様 であ る。 即 ち 職員 四百 五 十 八名 、
三 月 二十 五日 奉 天 民報 訳 載
傭 員 一千 五 百 七十 一名 、高 級 社 員 十 一名 、計 二千 四百 名 の多 き に達 し、 本 週 内 には 正式 に発 表 さ る べき由 で あ る が如 斯 は実 に南 満線 の
十 三年 度 と 十 四年度 の会 計 予算 を掲 げ 、来 年度 の数 字 の小 な る
四、 ト リブ ー ナ (〃)
使 を 通 じ て抗 議 を申 込 んだ 。
企 図 し た処 、 北 京交 通 部 は 支 那 の主 権 を 犯 すも のと し て、 日本 公
満 鉄 は百 二十 六 万円 の巨費 を投 じ て哈︱ 長 間専 用 電 話 の架設 を
以上 の記 事 は本 日赤 系紙 ト リブ ーナ 、 ノ ウ オ スチ ・ヂ ーズ ニ及 モ
凋 落 を か たる動 か す可 からざ る鉄 証 であ る。
ル ワ 三紙 、之 を飜 訳 掲載 し 、 ト リブ ー ナ紙 の如 き は、 割 戻 し と註 記 し た車 輌 バ ツ フア ー の間 に モー ニング を着 た 社長 が鋏 ま れ て 大汗 を 流 し居 る漫 画 を掲 げ 、之 に ﹁満 鉄 本社 の重 役 会議 で社 長 以 下 重役 は
八
を指 し会 社 財 政困 難 の為 であ る、 と言 つて居 る 。
哈調 情 第 四 号 哈 爾 賓 事 務所 長
満 洲 文 物 研 究 会 の反 満 鉄 講 話 会
大 正 十 四年 四月 四 日
満 洲 文物 研 究 会 は昨 三 日午 後 八時 よ り東 支 倶楽 部 に於 て例会 を催 し講 話 会 を行 つた が、 イ ワノ フ管 理 局長 以下 デ イ キ ー等 出 席 し将 に 反 満鉄 講話 会 の観 を呈 し た。
東支 及満鉄 の相 互関 係
満 洲 に於 け る新 鉄道
講 話 の内 容 は 一
東 支 南 線 に於 け る貨 物 争 奪戦
二 三
一 に就 い ては 三月 二十 六 日 ト リブ ーナ紙 所 載 記事 と同 様 の事 を述
であ つ て、
べ (三 月 二 十 六 日附 哈 調情 第 八 一七 号参 照 ) 是 等 の諸鉄 道 は経 済 的 より も 寧 ろ戦 略 的 に重 要 であ つ て、 日本 が 目下 財 政的 困 難 の境 に在
将 に言 語 に絶 し て居 ると叫 び、 デ イ ー キ ーは之 を受 け て、 東 支 は満
鉄 の魔 手 よ り脱 し て独 立 の政 策 を行 はざ る べ か らず 、 と結 ん で破 れ
三 の内 容 は 二月 二十 六 日哈 調 情第 五七 三 号 の記 事 と同 様 で、 国際
る が如 き 拍手 、 拍 手 裡 に降壇 し た。
運送 を通 じ て行 つた満 鉄 の馬 車 輸送 が不 成 功 に終 つた事 を指 摘 し 、
か か る満鉄 の行 為 は 商 業 的 に は何等 の意 義 を有 せず 単 に東 支 を 威嚇
せ んと し た ので あ ると 結 ん だ。 尚 此 の際 嘗 つ て鉄 道 部 嘱託 で あ つた
セー リ セリ ツ ク が、満 鉄 の陰 謀 の恐 る べき を説 いた のは 一般 視 線 を
之 に由 つて観 る に、 文 物研 究 会 は露 支 協 同 の研 究 会 であ る が、東
引 い た。
の主 宰 であ る事 と に依 つ て近来 は ソヴ エー ト露 国 の 一宣伝 機 関 た る
支 経 済 調 査 局 と密 接 に関 係 を有 する も のと 、後 者 はデ イ ー キ ーが其
九 秘
哈爾 賓 事 務 所 長
の感 を抱 かし む る に至 つた 。
哈 調情 第 十 七 号
し た際 、 カラ ハンは安 価 の妥協 に応ず る事 なく 飽迄 満 鉄 と の競 争 を
ソヴ エート露 国 系 某 の伝 ふ る所 に依 る と過 般 イ ワ ノ フ局 長 が赴 燕
カ ラ ハン の対 満 鉄 政 策強 硬
大 正十 四 年 四 月九 日
来 に於 て 一大 事 件 の起 る べ きを 予想 し て居 る から であ ると結 び 、支
る に拘 らず 斯 く の如 き 鉄道 を急速 に建 設 せ んと す る は、 実 に近 き将
那 国 民 た る も のは 宜 し く熟 考 の上 日本 野 心 実 現 の傀 儡 た るを避 く べ
法 に至 つては イ ワノ フ の考 へに 一任 す べ き に付 、 理事 等 と の相 談 を
継 続 せ んと す る イ ワ ノ フの意 見 を認 可 し 、之 が為報 る べき 手段 、 方
二 に於 て は満 鉄 は 一九〇 四年第 一回東 支 満 鉄連 絡 運 輸 会 議 の根 本
避 く べ きを 命 じ 、若 し事 態 甚 だ しく 紛 糾 す る に至 ら ば 、 カ ラ ハ ン自
き であ る 、 と附 言 し た 。
精神 を無 視 し 、東 支 運賃 政 策 の改 正 を慫 慂 す る が如 き近 来 の横 暴 は
ら解決 の衝 に当 る べき 旨 を 明 示し たと 。
一〇
哈 爾賓 事 務 所 長
満 鉄 の東 鉄露 支 離 間 策 に対 す る攻 撃
大正 十 四年 四 月 二十 日
四 月 十 八 日 の国際 協 報 は ﹁ 某 国 の東 鉄 に 対す る種 々 の陰 謀 ﹂ と題
し 、 暗 に満 鉄 を攻 撃 し て居 る。 東鉄 の宣 伝 と見 られ る か ら全 訳報 告
某 国 は 以前 東 鉄 と若 干 の関 係 が あ つた様 であ る が、昨 年 露 支 協定
し ます 。
成 立 後 東 鉄 が ソヴ エート新 職 員 の手 に管 理 せ ら る ゝ こと と な れる 為、
大 正 十 四年 四月 十 一日
哈調 情 第 二 五号
札 免 公 司林 区 引 込線 閉 鎖 事 件 に関 す る支 那
某 国 方 面 は大 いに之 に不満 を 抱 く に至 つた 。蓋 し東 鉄 が其 の後 独 立
し て事 を行 な ひ 、彼 の指 揮 を聴 かな いから であ る。 咋 年 ソヴ エート
紙 の論 調 (四 月 五 日国 際 協報 ) 札 免 公 司林 区引 込 線閉 鎖 事 件 及 其 の後 の経 過 に関 す る 日満 通 信
支管 理局 支 那側 に儼 然 と し て理事 長 及 副 局長 あ り且 事件 は商 業範 囲
交渉 せ りと あ る も是 日本側 の単 独 行 為 な る べし 。 蓋 し札 免 公司 及 東
所 に依 れば 、 札免 公 司 よ り東 鉄 管 理 局露 国副 局 長 及 日本 総 領事 館 に
気 を呈 し て来 た 。即 ち 従 来 の東 鉄 は 一千 元 の僅 少 な る金 も各 銀 行 で
月 を経 過 し 期 せず し て東 鉄 の状 況 は 従 前 に比 し頗 る面 目 を 一新 し 活
は 引継 以来 大 い に整 頓 し て他 人 の譏 を免 れ ん こと を力 め、既 に六 ケ
月 定期 に支 給 さ れな いと か 云 々し て居 た。 之 が為 ソヴ エート新 職員
は車 輌 不 足 と か 、或 は常 に脱 線 す ると か、 或 は 下級 職 員 の俸 給 は 毎
の新 聞 は 種 々 の批 難 を加 へ、 或 は東 鉄 は近 く行 詰 るだ らう と か、 或
に属 す るを 以 て毫 も張 、 呉 両 軍務 督 弁 に陳 情 す る の必要 な し 、況 ん
融 通 し な か つた位 で あ るが 、 近 日 は東 鉄自 身 の預 金 が既 に百 万元 以
新 職 員 が東鉄 を管 理 す る事 とな れ る当 時 、該 国 の機 関 紙 及 旧露 国 派
や運 動 を や、但 し東 鉄 の此 の種 の制 限 は誠 に日満 通信 に謂 へる如 く 、
の記 事 を 掲 げ左 の如 き結 論 を下 し てゐ る。
対満 鉄 政 策 の 一種 にし て是 陸 戦 の急 に応ず る為 散 兵 壕 を掘 れる も の
の如 き 、寒 気 の為列 車 の聯結 機 が折 断 せる こと 例年 よ りも 著 しく 減
上 に達 し た から将 来 の金 融 に窮 しな い こと は言 を俟 たな い。 又昨 冬
按 ず る に札免 公 司 は日中 露 の合 弁 事業 な る に、 日満 通 信 の報 ず る
と異 な らず 、満 鉄 が対 抗 方法 とし て果 し て 先づ 榴 散 弾進 撃 を開 始 す
而 し て斯 く の如 き事 は図 ら ず も益 々某 国 の嫉 妬 を招 いた。 東鉄 が
す る が如 き は露 支職 員 の共 に知 る通 り であ る。
の如 き支 払 期 日を遅 延 す る こと なく 、 祭 日 に際 し ては期 日前 に支 給
東 鉄 は 近来 地方 の各 銀 行 と 充 分 密接 な る関 係 を結 び 、各 職 員 の俸 給
少 し た 。之 を以 て見 て も整 理宜 し きを 得 た と言 は ね ば なら ぬ。 且 つ
る や将 又直 ち に攻 城 重 砲 を 用 ゆ る や、 其 の実現 必 ず 亦遠 き にあ らざ る べ し 。記 者 は濃 厚 なる 興 味 を以 て之 を 記載 せ んと す。
一 一
哈調情第 五三号 哈爾賓事務所長
従 前 白系 に依 り て管 理 せら れあ り し時 代 は、某 国 は裏 面 より 種 々指 揮 し て居 た のであ る が、 近 頃 は容 喙 の余 地 な き に至 つた から 、 其 の 嫉 妬 も 当然 のこと で あら う 。今 春 八区 問 題 発生 す るや 又裏 面 より教
一二
は同 会議 に於 て自 己 の利 益 を確 保 し、 又 商 人 の利 溢 を も尊 重 す る事
将 来 近 く東 支 、 南満 両 鉄 道 会議 が開 かれ る こと にな つて居 り 、 東鉄
は確 証 な し と雖 も、 日本 の満 蒙 政策 上 に多 大 の影 響 を 及 ぼす こと は
的計 画 も 成 立 し た、 と の説 が近 来盛 ん に伝 へられ て居 る。 其 の実 否
露 支 会 議 に際 し督 弁 王正 廷 は南満 鉄 道 を 回収 す る意 見 で其 の具 体
南 満 鉄道 回収説 に関 す る件 (五月 十 三 日鉄道 時 報 摘 録)
大 正 十 四年 五月 十 四 日
北公 情 二五第 四号 の六 一 北 京 公所 長
に決 し居 れ る が為 、某 方 面 では深 く ソヴ エート職 員 及 イ局 長 の態 度
言 を俟 たざ る 次第 であ る 。王 正 廷 は曾 つ て巴 里、 華府 会 議 に於 て 日
ラ ハン大 使 が親善 関 係 を 保 つ て居 た が為 、 其 の教 唆 に応 じな か つた。
唆 し 、露 支 間 の感情 を破 壊 せん と し た の であ る が幸 に張 上 将 軍 及 カ
せん と し、 若 し 此等 の方 法 にし て其 の目 的 を達 せざ る時 は別 に方針
本 に対 し 極 力攻 盤 を 以 てし 、 二十 一箇 条 の取消 を提 議 し たる こと は
を 怨 み、 八 区問 題 に 対し た る手 段 を再 び弄 し て露 支問 の感 情 を 破 壊
吾人 の知 る 所 であ る故 に、 王 正 廷 の南 満 鉄道 を 回収 す る こと を主 張
日本 某 博 士 の論 じ た る意 見 ﹁前清 末 期 よ り満 蒙 は殆 ど露 国 の専 有
を 立替 へ、 理 事会 に手 を 着 け徐 ろ に進 行 せ ん とし て居 る。 之 を要 す
と なり 、 当時 露 国 の武断 的 政 策 は朝 鮮 にも 及 ぼす勢 ひ であ つた。 日
し た り、 と の説 も故 な き に あら ざ る な り。
ると か言 ふけ れ ども 、 其 の指 摘 す る所 の確 実 な る や否 やは 事実 に徴
る に始 終 露 支 間 の感 情 破 壊 を主 とし 、 或 は イ局 長 は規 定 に依 ら ざ る
す べ き であ つて、 一方 の言 のみ信 ず る訳 に行 かな い。 即 ち事 実 は ソ
行 為 に出 づ と か、 或 は剛腹 専 断 で あ ると か 、或 は 支那 を蔑 視 し て居
ヴ エート職 員 管理 後 露 支職 員 及 職 工 の給 料 は力 め て公 平 にせ ん とし 、
日本 の勝利 と な つ て朝 鮮 は保 護 国 とし て取扱 はれ 、次 い で新 領 域 と
な つた 次第 で あ る。之 と同 時 に日本 は露 国 の権 利 を継 承 し 且旅 大 を
本 は自 衛 と東 亜 の平 和 の為 に遂 に露 国 に対 し宣 戦 を為 し、 其 の結 果
平等 提 携 の道 を講 じ 親善 関 係 は 益 鞏 固 に し てゐ る。 然 る に某 方 面 は
租 借 地 と し、 之 に関 聯 す る各 種 の権 利 、特 権 と 南満 鉄 道 の幹 支 線 、
又 イ局 長 は 今年 に入 り 、支 那 の職 工 の為 に宿 舎 を建 築 す る等 、 種 々
之 を破 壊 せ ん とし てゐ る から 、露 支 両国 人 は益 一致 し て東 鉄 の事 に 関 し ては 両国 人 民 共 同し て処 理 し 、第 三者 の言 に耳 を傾 く べ き でな
対 し 、 斯 く し て露 支 両 国 始 め て 円満 な る親善 の地 位 を保 持 す べ き で
滅 し た る が、然 し満 蒙 に対 す る条 件 は 日本 の経済 的 発 展 に関 係 あ り、
排 日 の材 料 た る 二十 一箇 条 は満 蒙 以 外 に関 す る条 件 も 亦 今 は殆 ど 消
の戦後 条 約 内 に中国 は之 に対 し承 認 す る の規 定 が あ る 。 ( 中略)且
之 に附 属 す る権 利、 財 産 等 を 日本 の処 理 す る所 と な つた 。中 日政 府
あ る 、 と。 又 同 日 の松 江 日報 も之 と同 様 の記 事 を 東鉄 某 露 国要 人 の
実 際 上 之 を 容易 に抛 棄 す る こと は出来 な い ので あ る。 日本 は満 蒙 の
い。 其 の東 、 満 両鉄 道 会 議 の際 は更 に強 毅 な る方 針 を 定 め て満 鉄 に
談 と し て掲 げ てゐ る。
経 済 的 発展 に素 よ り積 極 的 方法 に あらざ れ ば不 可 であ る 。之 は 日本 国 家 及 国 民 の経済 的 生存 上 必 然 の結 果 で、中 国 は当 然 其 の事 情 を諒 と し 日本 人 の為 に満 蒙 を 解 放 す べき であ る 云 々。﹂
一三
北 公情 二五 第 二号 の 二六 北 京公 所 長
一四
北 公情 二 五第 一号 の三 四
哈爾 賓事 務 所長
満 鉄 沿 線 各 地委 員 会 に関 す る件 (五月 十 七 日京 報摘 録 )
大 正十 四年 五 月十 八 日
日本 の脅 迫 的 締結 た る二 十 一箇 条 は 中国 人 曾 つて華 府会 議 に於 て
之 が撤 廃 を要 求 し、 且五 七 (五 月七 日)、 五 九 (五月 九 日) を 国 恥
五月 十 五 日附 の当 地 にて発 行 せら れ る晨報 及 益 世報 等 の漢字 紙 に
租 及 其 の他 の問 題 に関 し討 論 を 為 し 、其 の提 出 す る案 左 の如 し 。
実 行 を 迫 り現 に満 鉄 沿線 の地 方 委員 会 は本 月聯 合 大会 を開 き 土 地商
に努 めた る が 、満 鉄 会 社 は屡 々日本 政府 に懇請 し て二十 一箇 条 約 の
記念 日 と定 め 、 上下 極 力 之 が取 消 し に力 め中 日間 の悪感 を除 去 す る
左 の様 な記事 を載 せ、 満鉄 当 局 は 之 に対 し 非 常 に心配 し て居 る、 と
満 鉄 労働 者 ス ト ライ キ の恐 れ あ り
大 正十 四 年 五 月十 五日
言 つ て居 る 。
一、 南満 鉄 道 沿 線 の各 郵 便 事 務 は現 在 奉 天、 吉 林 、哈 爾 賓 の郵 便 事
長 春満 鉄 委 員 提 出
四 月 末 営 口東 亜 煙 草 会社 の民 国職 工 二百 五 十 五名 は スト ラ イ キを
務 撤 回後 其 の事 務 の遅 滞 、 送 達 の不 確 実 な る が為 、南 満 に於 け る
記
開 始 し た ので、 会 社 は毎 日 日給 三割 を増給 し 、夜 勤 料 十銭 及同 額 の
一、南 満 に駐 在 せる 日本 軍 隊 及 延吉 、 琿 春 、和 竜 、汪 清 に設 く る 日
吉 林満 鉄 委 員 提 出
は教育 権 に対 し 干渉 す る こと 得ざ る こと。
二、 日本 所 管 内 に於 け る各 種 学校 の中 国 学生 収 容 に対 し 中国 官 公 署
郵 便事 務 を撤 廃 す る こと能 は ざ る こと 。
ひ入 れ たる 六十 九 名 の職 工 で漸 く事 業 を 経 営 し て居 る。
弁 当 代 を支 給 す る こと を承 認 し 、 二百 二 十 二名 の復 業者 と新 た に傭
亦 本 漢湖 中 日合弁 の煤 鉄 公 司 の職 工九 百 六十 名 も スト ラ イ キを開 始 せ んと し た が、 公 司 が 日給 十銭 、十 四銭 、 十 六銭 と に分割 し た る
雲 は甚 だ険 悪 で あ つ て将 に満 鉄 の労 働 者 にも 及 ぼう とし て居 る の で、
こと能 はざ る のみ な らず 機 に乗 じ て之 を増 加 す る こと。
本 軍 警 は土 匪 の終熄 せざ る以 前 に あ り ては、 之 を完 全 に撤去 す る
支 給 を 実施 し た の で漸 く治 ま つて ゐ る。乍 然 目下 の南満 に於 け る風
満 鉄 当 局 は之 に対 し 甚 だ恐 れを来 し て居 る 云 々。
護 を為 し、 若 し 保護 或 は其 の他 に於 て過失 あり居 留 民 に損 失 を与
二、 満蒙 に在 住 す る 日本 人 民 に対 し て中 国官 憲 は特 別 に責 任 あ る保
へた ると き は中 国 官憲 之 に相 当 の弁 償 を為 す こと。
連 絡 を 保 ち、 支 那全 国 の罷 業 状 況 を詳 細 モ ス コーに報 導 し 居 り 且罷
因 る暗 示 か は審 か では な い が、 由来 ロスタ通 信 員 は各 地 労 農 官憲 と
一六
哈 爾 賓 事 務所 長
も多 く 、 日 本 人 の命 脈 に関 す る こと 大な る地 なれ ば な り。
の労 働 者 に対 し て は特 別 の注 意 を払 ひ居 れ り。 之 此 の両 地 が華 工最
究 、 調 査 を為 し、 之 が防 禦 に勉 め つ ゝあ り、 就 中沙 河 口、撫 順 両 地
策 、 現 在 の労 銀 と 物価 と の関 係 、労 働 者 の待 遇法 等 に就 き 充 分 の研
聞 く所 に よ れば満 鉄 の調 査 課 、人 事 課 は目 下罷 工 の事 実 と之 が対
非ず 、実 に待 遇 の不平 等 華 人 労働 者 を 卑賎 視 す る が為 な り 、 と。﹂
の工場 のみ に発 生す 。 人 あ り て謂 ふ、 こは日 本人 の運 気 の悪 しき に
即 ち最 近 の鉄 嶺 精糖 会 社 の罷 工 の如 き是 な り。而 し て罷 工 は 日本 人
等 、踵 を連 ね て起 るあ り 、今 や此 の新 風 潮 は東 三 省 に襲 来 し 来 る。
﹁ 上 海 に於 け る過 般 の紡 績 工場 罷業 以来 、 又青 島 の紡 績 罷 工事 件
掲 載 す。 時 節 柄参 考 の為 訳報 す。
本 日当 地晨 光報 は ﹁南満 路 防 備華 人大 罷 工﹂ と 題 し 、左 の記専 を
満 鉄華 人 の大 罷 工 を防 備 す
大 正 十 四年 六月 六 日
哈 調 情第 一六九 号
こと を 恐 れ、 之 が防 止委 員 会 を 設け たと報 じ て居 ます 。
又 五 日 ノ ー ウ オ スチ ・ヂ ーズ ニ紙 は 、満 鉄 が罷 業 の撫順 に及 ば ん
業 煽 動 にも関 係 あり と噂 あ る に付、 時 節柄 注 意 を要 す 。
奉 天 満 鉄委 員 提 出 一、南 満 鉄 道 の西 側 の土 地狭 隘 な る が故 に之 を広 く す 。 日 本 の土 地
な る値 を 以 て之 を売 り与 ふ こと 。
購 買 権 に対 し中 国 官憲 は干 渉 す る を得 ざ る こと 且中 国 人 民 は公 平
奉 天、 安 東 に長 距 離電 話 を設 く る こと。
二 、 日本 は奉 天 、大 連 、吉 林 、 長 春 、哈 爾 賓 に無線 電 信 を増 設 し 且
三 、南 満 鉄 道 沿線 に於 け る軍 警 を 増加 す る こと 。 鞍 山満 鉄 委 員提 出 一、 土 地商 租 に関 し 日本 当 局 に注 意 を促 す こと 。 此 の案 の起 案 者 は鞍 山 委 員副 会 長 坂 本某 にし て連署 二十 四名 あ り、 原 文 中 民国 四年 五 月九 日中 国締 結 の二 十 一箇 条 中 第 二 条 第 二 項 の ﹁日本 臣 民 は満 洲 に在 り て商 工業 に使 用 す る家 屋 を建 築 し 、或 は農 業 を経 営 す る に当 り借 入或 は其 の使 用 す る土 地 を購買 す る こと を得
哈爾 賓 事 務 所 長
一五
云 々﹂ の字 句 を記 入 し あ り。
哈 調情 第 一六 七号 大 正十 四 年 六 月 五日
奉 天 の罷 業 と撫順 炭 礦 当 地 ロスタ通信 員 マル ツキ ー (当 地 同社 代 表 フ ヨド ロフ の部 下 ) は本 月 四 日某 邦 人 に対 し ﹁奉天 の同盟 罷業 は近 く 撫順 炭 礦 にも波 及 す る筈 であ る﹂ と語 る。 此 の言 は単 な る推 察 か将 た何 等 か の劃 策 に
一七
札 免 公 司 は民 国 の黒 竜 江省 実 業庁 、 日本 の満 鉄 及露 商 シ エフチ エ
ン コ兄 弟商 会 の合弁 で あ る。 呼 倫 貝爾 政 庁 が独 立 し た とき に シ エ兄
二年 間継 続 し た呼 倫貝 爾 政 庁 が独立 を取 消 し たと き に、 シ エ兄 弟 は
弟 は該 政庁 に対 し 、興 安 嶺 の札 敦及 免 渡 両 河 の森 林 区 の採伐 権 を得 、
満 鉄 支 那人 職 工 の スト ライ キ ( 七 月 二日 北京 日報 摘訳 )
立 を 取消 し たと き に、 民 国 は 国際 審 査 委 員会 な るも のを 組織 し 、該
資 本金 二百 万 円 を注 入し たと謂 は れ て居 る。 一方呼 倫 貝 爾 政庁 が独
利 権 を保 護 す る目 的 で 、満 鉄 会 社 と合 資 経営 を経営 し、 当時 満 鉄 は
日本 人 経営 の満 鉄 は其 の重要 職 務 は 日本 人 が処 理 し、 只 職 工労 働
政 庁 が外 人 に与 へた る利 権 に対 し て は均 し く該 国際 審 査 委員 会 の審
大 正 十 四 年 七月 二 日
北 公情 二五 第 二号 の三 一 北 京 公 所長
に支 那 人 を多 く使 用 し て居 る。 上 海事 件 発 生 以来 該 鉄 道 会 社 は厳 重
を受 け て居 ら な いが、 満 鉄 と関 係 があ る 為 に、 奉天 に於 て日露 支 三
査 を経 て初 め て有効 とし たも ので あ る。然 る に シ エ兄 弟 商会 は審 査
国 の会 議 を開 き黒 竜 江 省 実業 庁 を加 入 せ し め、 民国 は札 敦 、免 渡 及
に防 圧 手段 を講 じ て居 る ので現 在 迄 は何 等 の支 那 人労 働 者 の スト ラ
房 店 の支 那 人職 工は 確 か に スト ライ キ を開 始 す る模 様 であ る。 之 が
シ エ商 会 は建築 物 、鉄 道 等 を 大洋 二百 万 元 に見 積 り て出 資 とな し、
黒 竜 江 の三 林場 を提 供 し 、之 を大 洋 二百 万元 に見積 り て出資 に替 へ、
イ キ が発 生 し て居 ら な か つた。但 し最 近 某 方 面 の情 報 に依 る と、 瓦
全 線 に及 ぶ か如 何 か分 ら な い、 と の こと で日 本 の警 察 は 大 いに驚 き 、
満 鉄 は現 金 二 百 万 円を 出 し資 本 とし 、 茲 に 日露 支合弁 の札免 公 司 が
最 近 命 令 を発 し昼 夜 を 分 か たず種 々偵 察 し 、 一方 種 々之 の防 止 策 を
成 立 を告 げ た ので あ る。 経 営 二年 以 来 満鉄 は株 主 の名 義 を 以 て未 だ
み 日露 合弁 の シ エフ チ エン コ兄 弟 商会 に属 し て居 る、 と謂 ふ ことを
本側 は黒 竜 江省 庁 が既 に林場 に於 て権 利 を回 収 し、 唯其 の採 伐 権 の
と し、 出 資 の権 利 を解 除 せ む と企 て ゝ居 る。 一方聞 く 所 に依 ると 日
に於 て取 極 め た る大 綱 を 取消 し、 該 林場 を回 収 す る こと を宣 告 せむ
て居 る が、露 支 株 主 は 満 鉄 が出 資 を し て居 ら な いから根 本的 に奉天
た が、 開 会 以来 既 に 一箇 月 を経 、 満 鉄 の所 謂 出資 に対 し研 究 を 加 へ
が未 だ解 決 せず し て今 日 に至 り、 今 回 の株 主 会議 に 日本 側 も出 席 し
に対 し民 国 側 は 不合 理 と な し屡 々株 主 会議 を招集 会 議 し た の であ る
投資 せず 、 総 て の経 費 は 均 し く借 款 の名義 を 用 ゐ て居 る。此 の借款
の防 止策 で治 ま る か如 何 か甚 だ疑 問 であ る 云 々。
北 京 公所 長
講 じ て居 る と言 はれ て居 る が、愛 国 心 のあ る支那 労 働 者 は果 し て其
一八
北 公情 二 五第 二号 三 六
大 正十 四年 七 月十 五 日 日露 支 合弁 札免 公 司 の解約 首 題 の名 目 を 以 て 七 月十 五 日附 晨 報 に左 の記 事 を 載 せ て居 る か ら 摘訳 報 告 す る 。 記
民 国 四年 十 一月 六 日呼倫 貝 爾 の露 支協 約 第 八条 内 に露 国 資 本家 が、
主 張 し て居 る。
呼 倫 貝 爾蒙 古 政庁 と 契 約 す る処 のも のに就 ては総 て露 支 両 国 政府 委 員 の審 査 を経 、 中 華 民 国政 府 の承 認 を受 く べき も ので あ ると謂 ふ言 葉 が ある 。之 に依 て見 れ ば該 委 員 会 の審 査 を 経 た る後 初 め て正当 で あ るも のと し、 民 国 政 府 が之 に承 認 を与 へた る後 初 め て其 の権 利 は 確 定 せら れ た も のと 謂 ふ べ き であ る 。民 国 三 年 一月 シ エフ チ エ ン コ と蒙 古 人 の契 約 し たる 所 は、 九 年 一月 二十 九 日 以前 に既 に露 支 両 国
哈 爾 賓 事 務 所長
一九
し 一切 の契 約 を締 結 す る こと を 得ず 。
商 側 は建 築物 及 鉄 道 を 回収 し 今 後中 外 の何 れ を論 ぜず 、該 林 場 に関
右 通 知 す 云 々。
哈 調 情 第 三 二六 号
及 早 川 では な い の であ る。 彼 シ エフチ エ ン コは斯 う 言 ふ こと を声 明
承 認 の義務 を負 は な い ので あ る。 況 ん や三 年 六 月契 約 の当 事者 は即 ︹ 鐘五郎︺ ち シ エフチ エ ン コであ つて、 日本側 即 ち 満 鉄 側 を代 表 し て居 る庄 司
本 を納 めざ る に依 り 、支 那側 株 主 は 林場 を 、露 側 株 主 は建 築 物 及鉄
を宣 伝 し 、最 近 では 特 区 行政 長 官 を動 かし ﹁ 満 鉄 は協 定 に違 反 し資
る が、 其 の後 支 那 側 は 当 地各 漢 字 新聞 を利 用 し て極 力満 鉄 側 の不当
当 り曲 論 を固 持 し て下 らず 遂 に去 月 七 日協 調破 る ゝに至 れ るも のな
札 免公 司 に対 す る其 の後 支 那側 の態度
大 正 十 四年 八 月 五 日
し て居 る。 該 林 場 の採 伐 権 は既 に奉天 に於 け る協 定書 に調 印 の際 黒
道 を 回収 せり 。今 後 何 人 と雖 も該 林 場 に関 す る契 約 を結 ぶ事 を得ざ
政 府 委 員 の審 査 を 受 け て居 らな いも ので ある か ら 、 民国 政 府 は当 然
竜 省 庁 に回収 せら れ た る も のであ る と。 而 し て黒 竜 江 省 の代表 は利
査 す る に札 免 採 木 公 司 は黒 竜 江 実 業 庁 、満 鉄 及 シ エフチ エ
総弁 に任 ぜり。
哈爾 賓 事 務 所 長 大正 十 四年 八月 八 日
哈 調情 第 三 三 二号
二〇
江札 免 林 場籌弁 処 な る も のを当 地傅 家甸 北 九道 街 に設 け〓 延 鐘 氏 を
右 を以 て林場 は已 に黒 竜 江省 に回 収 し たる も のと な し新 た に黒竜
過 般 開 かれ た る札免 公 司 の株 主 総会 に於 て は露 支協 同 し て満 鉄 に
とし 、資 本 とし て提 出 し た る所 の林 区を 一切 回収 す ると 謂 ふ こと を
権 喪 失 の危 険 を 感 じ 、本 月 七 日会議 の席 上 に於 て正当 の理 由 を根 拠
る旨 ﹂ を宣 布 せ しめ た り 。
右 の主 張 は露 商 代表 の同 意 を 得 、露 支 株 主 代表 の名 を以 て左 の通
厳 重 に声 明 し た。
拝啓
告 を 発 し た。
ン コ兄弟 商 会 が大綱 を協 定 し て以 て成 立 し た も ので あ る。 然 る に満 鉄 は 該協 定 の大 綱 に違 反 し、 資 本 を交 付 し な いか ら露 支 株 主 は損 害 を受 け て居 る故 に、 七 月七 日株主 会 議 の席 上 に於 て解 散 す る こと を 決 定 し、 民 国 側 の出 資 し た る札敦 、免 渡 両 河流 の林 場 を 回 収 し、 露
満鉄 医 科大 学 中 国 学 生全 部 退 学後 日 本 人 に警 告 す (八月 七 日
暴 已 に極 れ り と言 ふべ し 。親 善 の道 果 し て斯 く の如 き乎 。
本 社 は昨 日満 鉄 医 科 大学 中 国 学 生 全 体 退学 後 日本 人 に警 告 す 、 と
▲
▲
▲
黄種 民族 の地 位 危 し 、速 に覚 悟 せ よ
不 平 等 の条 約 を 取 消 し誠 意 の親善 を実 行 す べし
吾 人 は須 く 団 結 し て碧 顔 黄 髪 賊 に抵 抗 せ よ
供 し 、我 が精 髄 を以 て汝 の欲望 を満 たす 、之 に対 し 貴 国 は如 何 な る
業 を発 達 せし む 。中 国 の金 銭 を 吸収 し 、 我 が脂 膏 を 尽 く汝 の啜 る に
及 労銀 低 廉 にし て勤 労 に耐 ゆ る 中国 労 働 者 を利 用 し 以 て貴 国 の商 工
を操縦 し 、鉱 山 を 開掘 し、 森 林 を伐 採 す 。 又 我 が国 の豊富 な る物産
然 る に強 硬之 を拒 ん で還 さず 擅 に之 を蹂 躙 す 。交 通 を把持 し 、金融
旅 大 は 我 が良 港 にし て、蒙 古 、 東 三省 は元 よ り我 が国 の地 たり 。
題 す る 一宣 言 書 に接 せ り。 之 を読 む に痛 快 淋 漓 、 同 文同 種 を 口 にし
を 視 る事 牛 馬 奴隷 の如 く 虐 屠 殺意 の儘 に行 ひ、 一網打 尽、 沢 を竭 く
感 を 以 て報 恩 す べ き ぞ。 然 も 猶野 心 収 めず 兇 暴 を 肆 に す。 我 が人 民
哈爾 賓 晨 光 報 掲 載)
常 に親 善 を 以 て前 提 と な す の日本 は 此 の 一文 に対 し て果 し て如 何 の
唐 の時 代 よ り互 に往 来 し、 地 理 上唇 歯 の関 係 あ り 、文 化 上 兄弟 の間
界 の平和 を維 持 せ し め ん とす るに外 なら ず 。 夫 れ中 、 日は遠 く隋 、
国 人 の覚 悟 を促 し 誠意 の親 善 運 動 を起 さし め 、黄 色 人種 の地位 、 世
生 全 部 は退 学 を声 明 し 以 て奴 隷 式 の教 育 よ り離脱 せ り。 之 一つは貴
明 す る に足 るも のな り。 故 に今 回謹 ん で満 洲 医科 大 学 の中 華 民国 学
ら も、 我 が人 民 を奴隷 視 し、 又虐 待残 殺 を敢 てし毫 も憚 る所 なし 。
生 せし は 実 に 日人 の罪 な り。 平 日我 が食 糧 を 喰 ひ 、吾 が土 を践 み乍
な り。 親 善 の道 果 し て斯 の如 き乎 。這 般 青 島 、 上海 事 件 相 継 いで発
優 待 の条 件 は我 が国 民 を し て貴 国 の従順 な る忠 僕 た らし む る麻 瘁 剤
知 な るを 利 用 し て我 が国 民 を同 化 せ ん と す る機 関 に外 な らず 。 学 生
中学 堂 、 専 門学 堂 を 建 設 せ る も循 々善 誘 の道 を 用 ひず 、 其 の蒙 昧 無
教 育 は素 よ り神 聖 の事 業 な り。 貴 国 人 は親 善 の工具 とし て公学 堂 、
し て漁 ら ざ れ ば已 ま ざ る 底 の感 あり 。親 善 の道 果 し て斯 の如 き乎 。
感 想 を 抱 く や 、茲 に原 文 を照 録 す る 事 、次 の如 し 。 茲 数 十年 来 貴 国 は 日 支親 善 の真 諦 共存 共 栄 の本 旨 を棄 て、屡 々我
柄 た り 。近 年 我 国内 変 事 多 く 政 治 は稍 常 軌 を 逸 す と雖 も 、 こは種 族
又已 に禍 心 を蔵 し て英 人 を応 援 し 甘 ん じ て他 人 の傀 儡 とな り 、同種
試 に問 は ん 、人 道 は 何処 に在 り、 公 理 は何 処 に存 す る かを 。況 んや
を陥 れ ん と謀 る。這 般 の青 島 、 上海 事 件 は益 々貴 国 の侵 略 野 心 を証
の競 争 、経 済 発 展 の時 、 一種 の過渡 期 の現 象 な り 。同 文 同 種 の国 は
し て貴国 人 艮 の覚 悟 を促 せ り。 唯望 む所 は此 の退学 書 接 取 の後 貴 国
吾 人 は 今貴 国 人 の言 ふ中 日親 善 は虚 偽 の表 示 な る を知 り全 部 退 学
相 鬩 ぐ を 思 はざ るを や 。親 善 の道 果 し て斯 の如 き乎 。
宜 く 互 に相 団 結 し て彼 碧 眼 黄 髪 の賊 に拮 抗 す べ き に非 ず や。然 る に
を以 て敵 国 と為 せり 。 且 つ侵 略 は後 れ る事 毎 に作 乱 の第 一人者 と為
何 ぞ 図 ら ん。 貴 国 当 局 は此 の理 を省 みず 友 邦 を 以 て怨 敵 と 為 し善 隣
り、 我 が台 湾 を割 き 、 我 が朝 鮮 を滅 し、 二十 一ケ条 の無 理 要求 を為
人 道 正 義 を主 持 し 先 づ第 一に貴 国 と締 結 せる 不平 等 条 約 を撤 廃 し、
人 民 は我 が国 策 の是 非 を知 り、 今 日黄 色 人 種 の地位 危 険 な る を悟 り 、
人 道 公 理 を滅 却 し 甘 ん じ て不 義 を 冒 し東 亜 の平 和 を乱 す 。喪 心狂
し て国 際信 義 に背 け り 。
誠 意 の親善 に障 碍 た る も のを除 く べ し。 茲 に於 て始 め て我 が国 は貴 国 を信 頼 す る に至 ら ん 。貴 国 果 し て此 の親 善 の覚 悟 有 らば 両 国 の国 交 、 東 洋 平和 は期 し て待 つべ き の み。 謹 み て満 洲 医科 大 学 校 長稲 葉 逸 好 に書 を 呈し 、 左 の件 を声 明 す 。 一、在 校 中 は 諸先 生 の指 教 を 蒙 り感 謝 に堪 へず 。 。 二 、学 生 が学 校 に未 納 の雑 費 は各 自 負 担 し て全 納 す 。
于 駟
呉 俊 陞
中華民国十四年七月三十 一日
兼黒竜江省長
興 代
教 育 庁 々長
中華 民国十四年七月十二日 黒竜江省長
殿
哈爾賓警察総管理処金処長
温処長
日露 支 三方 合弁 の札 免 採 木 公 司 は前 回 の株 主 総 会 に於 て、 日本側
札 免 採 木 公 司株 主 総 会 は 已 に月余 を 閲 し た り。 日本 側 の出資 す べ
随時 協 力 せら れ たし 。
区 を回 収 せ り。 或 は之 が為 事 端 を滋 く し外 交 問題 を惹 起 す る やも 知 ︹ イレクテ︺ れず 。 貴 処 に於 ても博 克 図、 興 安 、 宜 立克 都 三 駅 の警 察 に訓 令 の上
株 主 が終始 出 資 を拒 絶 し た る為 、 当 方 は已 む を得 ず 脱 退 を声 明 し 林
路警処
﹁ 正直﹂ (山 根 )
三 、学 生 の残 せし旅 行 費 及 其 の他 の金 円 は 尽く 返 済 を要 求 す。
秘
四 、 学 生 の校 内 に遺 留 せし 物 件 、書 籍 等 は 自由 に取 り出 す 。
二 一
哈 庶 二五 第 二 七号 の 三二
き資 本 金 弐 百 万 元 に関 す る件 は、 日本 側代 表 が徹頭 徹 尾 出 資 を拒 絶
哈 爾賓 事 務 所長
札 免 林業 籌弁 処 宛 黒 竜 江省 長 公 署第 一、 四 四 二 号訓 令 の件
大 正十 四 年 八月 十 日
し た る為 、 資 本 の出 処 なく 、 従 つて事 業 を継 続 す る能 はざ る こと と
を声 明 し林 区 を回収 し将 来 は全 然自 営 す る こと と せり 。惟 恐 ら く之
なれ り 。故 に当 方 に於 ては 已 む を得 ず 七 月 七 日会 議 席 上 に於 て脱 退
別 紙、 札 免 林業 籌弁 処 宛 黒 竜 江省 長 公 署 第 一、 四四 二 号訓 令 を 三 隅 支 配人 よ り内密 に送 付 あ りし に付 き訳 出 し て参 考 に供 す。
が為 に事端 を滋 く し 外交 問 題 を惹 起 す る やも 知 れざ るを 以 て随 時適
(別紙 ) 札 免 林業 籌弁 処 宛黒 竜 江省 長 公 署第 一、 四 四 二 号訓 令
当 に協 力賛 助 せら れ た し 。
す。
呼 倫 県 張 知 事殿
七月 十 二日
黒竜江省長
印
尚 林 区 内警 察 の経 費 節減 と組 織 改 正 に関 し 貴見 具 申 あ れ 。右 電 命
札 敦 、免 渡 林 場 の回収 声 明は 恐 ら く は事 端 を滋 く し牽 い て外 交 問 題 を惹 起 す る やを 知 れず 、既 に特 別 区警 察 総 管 理 処 、路 警 処 、 呼倫 県知 事 に随 時協 力 す る や う電 命 し置 き た り。 各 電 原 文 写送 付 す 。承
別紙 電 文 写 二通 同 封 す 。
知 せ ら れ よ。右 訓 令 す 。
二二
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正 十 四年 八 月 十 五 日
哈 調情 第 三 五八 号
札 免 公 司 に関 す る呉督弁 の談
(別紙 )
別紙 の通 り報 告致 し ます 。
資 金 を納 む る事 に応 ぜず 、業 務 の停頓 を致 し 支露 資 本 家 の権 利 を損
ず る に由 り 、多 数 決 を以 て解散 に決 し た 。而 て東 支 の資 本 主 は林場
及建 築 物 、 鉄道 等 を 回収 し 吉 、黒 各 官 憲 に其 の旨 を届 け出 で且特 別
区 王長 官 を 経 て今 後何 人 と 雖 も林 区 に関 す る契 約 を結 ぶ事 を得 ざ る
旨 を 布告 し 、 又 本 社 を経 て委曲 を関 係 方 面 に報 告 し た 。
然 る に聞 く 如 く は哈 爾 賓 交渉 署 は昨 日 哈爾 賓 日 本総 領 事 を経 て札
の主旨 の抗 議 を 受 取 つた 。
免 公 司資 本 主 た る満 鉄 会 社 の代 表 から 、 支那 官 憲 の布告 に対 し て左
る か尚未 定 であ る 。惟 ふ に行 政長 官 の本 件 に関 す る 布告 は殊 に満 鉄
曰 く、 札 免 公 司 の紛 糾 は目 下交 渉 中 に在 り将 来 如 何 な る解 決 を得
の権 利及 名 誉 を 毀 損 す る も の であ る。 希 く ば前 布 告 を取 消 し 以 て交
札免 公 司 の件 は黒竜 江省 政 府 の意 見 であ つ て財 政 庁 長 、実 業 庁 長 、
が奉 天 滞 在中 曾 つ て王樹 翰 に話 を し た こと があ る、 其 の時 の呉 督弁
政 務 庁長 が合 議 決 定 し たも の であ るら し い、 と の意 味 の事 を呉 督弁
誼 を 厚 く し た い云 々。
二四
北 公情 二 五第 一号 の九九 大 正十 四年 九 月 三 十 日
も ので茲 に司 法 部 は各 国 の委員 が来 華 し て司法 を考察 す る に当 り、
南 満鉄 道 沿 線 附 属 地 の司 法権 に関 し て は元来 日本 の侵 略 に基 づく
( 九 月 三 十 日附 北 京 日報 摘 録 )
南 満 沿 線 の司法 権 回収 に関 す る件
北 京 公所 長
の話 に此 の種 の手 段 を採 ら な いと 。 日本 人 側 を譲 歩 させ る こと が出 来 な い から と言 つた こと があ るが、 其 の言 葉 の意 味 は外交 問 題 とな つた 後 に大 綱改 正 の意 嚮 で あ つた ら し か つた。然 し談 判 が破 裂 し て
日附 戴 〓 卿氏 来 信 )
了 つ ては 調停 の方 法 も な い から 正式 解 決 に俟 つ外 な い。 (八 月 十 三
二三
哈爾 賓 事 務 所長
た る次第 な り。 其 の原文 の大略 左 の如 し 。
此 の機 に乗 じ之 が回収 を せん と欲 し昨 日外交 部 に其 の意 見 を陳 述 し
大 正 十 四年 八月 十 八 日
哈 調 情 第 三 六 五号
札 免 公 司 日本 側資 本 主 の抗議 ( 支 那 紙 報)
南 満鉄 道 附 属 地 内 に於 ける 中国 人 の犯 罪 に対 し ては 日本 警察 に於
支 那官 憲 の布 告 は 不当 と 謂 ふ 札 免 採 木 公 司 は七 月 廿七 日 の資 本主 会 議 に於 て、 日本側 資 本主 が
て之 を逮 捕 し 、 大連 裁 判 所 に於 て裁 判 を行 はれ る が、 之全 く中 国 主 権 を 犯 す も の で純然 た る清 朝 に於 け る官 吏 の漠視 に外 な ら ん。 現 在
る時 に当 り斯 る陋 習 は 当然 駐 京 日 使 に提 議 す べ き で、領 事 裁 判 権 取
各 国 が ワシ ント ン条 約 の履 行 を力 倡 し、 領 事 裁判 権 を回収 せ んと す
二五
速報
哈 爾 賓 事 務所 長
消 と 同 時 に本 件 も 合 せ て解 決 せら れ ん こと を請 ふ 。
哈調 情 第 七 〇 八号 大 正 十 四年 十 一月 十 四 日
(十 一月十 四 日ザ リ ヤ紙 )
北 満 鉄道 網 案 に関 す る露 字 紙 の論 調
本 日 のザ リ ヤ紙 は、 松 岡 理事 が北 京 政府 と協 約 せ り、 と 言 は る ゝ 北満 洲 新 鉄 道 線 ( 長 春 ︱ 伯 都納 ︱ 安 達 間 、吉 林 敦 化 間) に関 す る北 京 天津 タイ ム ス紙 所 載 (東 京 日 日新 聞 にも掲 載 あ り) を転 載 し 、 此 れ は 旧来 の鉄 道網 案 を正 式 化 せ る も の に過 ぎ な い が、要 す る に該 鉄 道 建 設 と共 に斉 々哈 爾 黒 河 間 、哈 爾 賓 黒 河 間 の鉄 道 を期 待 し 、 地 方 農 村 経済 の発 達 及 移 民開 発 期 し て俟 つべ く 、支 那 人 間 に於 ては 大 な る満 足 を表 し て居 る 。而 し ソビ エト政 府 は之 を如 何 に見 る か、東 支 鉄 道 が 一時 貨 物 を奪 は る ゝ こと あ るも 、兎 に角 将 来 は 地方 の経 済 的
が、 兼 ね て より〓 斉 線 建 設 に対 し猛 烈 な 反 対 を表 示 し た に係 は らず 、
発 達 によ り て輸送 増 加 を 見 るで あ らう 、 と の見 地を 持 つに至 つた の
今 日 では沈 黙 し て居 る。
五
一
大 正 十 四 年 一月七 日
哈 調 情 第 六 二 六号
査 し相 違 なき を 認 め た る上 、 正 式登 記 を為 し 登記 証 明 書 を発 給 す 。 ﹂
別 区 地畝 管 理 局 仮 許 可 の印 を 押 捺 し原 契 約 を返 却 し 、 本局 に於 て調
第 四条 の規 定 に ﹁本局 の仮 登 記 を許 可 せる も のは、原 契 約 に東 省特
本局 開 設 以 来 土 地仮 登 記 に関 し既 に布 告 を為 し、 其 の仮 登 記弁 法
左 訳 の如 き 布告 を出 せり 。
む 。幸 に自 ら損 害 を招 く 勿 れ 。 ︹ 大正十三年︺ 二、 東 省 特 別 区 地畝 管 理 局 は張 煥 相 の名 を 以 て、十 二月 二 十 日附
と 見做 し 縦 令原 借 地契 約 を有 す るも のと も本 局 は 一切之 を 無効 と認
若 し更 に遷 延 し て期 限 を 経過 せ るも のは 直 ち に権利 を放 棄 せ る も の
于 冲 漢 更 迭 問 題 並 東 三省 内 政 問 題 諸 件
哈 爾 賓 事 務 所長
借 地 登 記 に関 す る支 那 地畝 管 理 局 の布 告 ︹ 大正十三年︺ 一、 東 省 特 別 区第 一地畝 管 理 分 局 は委 員 馮 惟徳 の名 を 以 て十 二 月
本 局 管 轄 内 に於 け る借 地 人 は其 の地 代 の納 付 済 た る と否 と を 問 は
し、 十 四年 即 ち 一九 二 五年 一月 一日 よ り実 行 す る事 に決 定 せ るを 以
等 の語 あ り た る が、 現 に特 別 区 法院 に於 て正 式 登記 を行 ふ事 を許 可
一日附 左訳 の如 き 布告 を出 せり
ず 、 又其 の借 地 の長 期 たる と、 短 期 た る と を論 ぜず 、本 局 に来 り 登
に届 け 出 でた る も のを 以 て証 と なし 、 も し本 局 に届 出 ざ る も のは法
て あら ゆ る特 別 区 に於 け る土 地 に関 す る各 種 権 利 の登 記 は総 て本 局
記 す べ き旨 再 三 布告 せ り。借 地人 の中 其 の命 令 に遵 ひ登 記 せ る者 も 多 数 あ る が、 登 記 せざ る者 も亦 尠 からず 。如 斯 任 意 に遅 延 す る は命
と な り。 本 局 は 人民 の土 地権 利 確 定 の為 、茲 に布 告 せ るを 以 て内 外
院 に於 て登 記 を拒 絶 す 、 故 に本 局 に届 出 つ る こと は最 も必要 な る こ
令 に違 背 す るも のな り。是 が為 重 ね て茲 に布告 す るを 以 て各 借 地 人 は 、 地代 納 付 済 と否 と に論 な く総 て本 年 十 二 月 二十 日以前 に原 借 地
人 民 一体 に之 を知 悉 し、 凡 そ未 だ本 局 に届出 をな さ ざ るも のは有 効
契約 及 地代 納 付 の領 収証 を 持 ち て速 に南 崗 郵 政街 本 局 に来 り之 を提 出 し て登記 を経 べし 。別 に手 数料 を徴 せず 。之 を最 后 の期 限 と な す。
の土 地契 約 を持 ち て 、最 後 の期限 た る十 四 年 一月 二十 日 以前 に本 局 ︹ 福松︺ ( 浜岡訳)
哈 爾 賓事 務 所 長
に来 り 届出 を少 し も 遅 延す る勿 れ 。右 布 告 す 。
二
大 正 十 四年 一月 十 九 日
哈 調 情 第 六 五 七号
哈市 支 那 基 督 教青 年 会 の援 孫 運動 ︹ 捨次郎︺ (一月十 七 日 高橋 中 佐 報 ) 哈 市 基督 教 青 年 会 は中 国国 民 党 の主 張 に係 る国 民会 議 開 催 運動 に 対 す る援 助 を依 頼 せ る上海 基 督 教 青 年会 、 全 国 商 務 聯合 会 、 学 生聯
と。
哈 爾 賓 事 務 所長
合 会 の電 報 に接 し 、 該 会幹 事 長 童 星 門 は 目下 各 方 面 に運 動 中 な り、
三
大 正十 四 年 一月十 九 日
哈 調情 第 六 五 八号
朱 慶 瀾 辞表 提 出 の原 因 (一月 十 七 日高 橋 中 佐 報) 東 支 鉄 道 赤 化後 に於 け る露 人理 事 の専 横 並 時 局 の為 に張 作 霖 の北 満 政 策 が徹 底 せざ り し嫌 あ り て従 来 屡 々朱慶 瀾 の辞 職説 流 布 せら れ た る が、 護 路 軍内 の消 息 を 聞 く に今 回愈 々彼 が辞 表 を提 出 す る に至
一、 一月 二日 国 民党 代 表 朱 際青 外 三名 哈 市 に到 着 し て朱慶 瀾 を 訪 問
れ る原 因 と 見 るべ き は左 の数項 に あ りと 。
し 、孫 文 の手 書 を提 示 し て国 民会 議 即 開運 動 援 助 の件 を 懇 請 す る
処 あ り、 依 つ て朱慶 瀾 は 一月 五 日哈 市 商 民、 学 、言 論 各 界 の代表
者 三 十余 名 を 招 待 し て朱 際 青 を紹 介 し 、朱 際 青 は席 上 さ かん に孫
の反 感意 外 に猛 烈 にし て、 支 那 が 民国 以来 内争 の絶 たざ る は実力
文 主 義 の宣 伝 をな せ り 。然 る に之 に対 す る前 記 各 団 体並 一般 市 民
なき 孫 文 の悪 宣 伝 に禍 せ ら れ たる も のな り 、吾 人 は如斯 孫 文 主 義
に は絶 対賛 成 す るを 得ず と の輿 論 喚起 せら れ 、 一月 七 日 に は東 三
と の電 報 哈市 自 治 会 に到着 す る等 甚 だし く 朱 慶瀾 をし て失望 せし
省 議 会 聯合 会 の名 を 以 て ﹁ 国 民党 の運 動 に乗 ぜ ら る る こと勿 れ﹂
め た る事 。
形勢 に ある こと 。
二 、 八区 問 題 に関 聯 し て東 支 鉄道 と支 那商 と の関係 が益 々紛 糾 せ ん
三 、奉 露 協 定 の精 神 が無 視 せら れ あ る こと等 なり 。
而 し て彼 の今 次赴 奉 の目 的 は就 中 前 記第 三項 東 支鉄 道 問 題 に対 す
る張作 霖 並 鮑 貴 卿 の意 中 を 確 かむ る に在 る も の の如 く 、も し 彼等 が
四
秘
将 来 の如 く不 徹 底 な る態 度 を 持 す る に於 て は朱 の 辞 職 も 実 現 す べ しと。
哈 調 情 第 七〇 一号
哈 爾 賓 事務 所 長
張 煥相 赴 奉 要 務 の内 容 (二月 四 日高 橋 中佐 報 )
大 正 十 四年 二月 七 日
張 煥 相 赴奉 の目 的 が目 下開 催 中 な る軍 事 会議 参 加 の為 な る は勿論
な る も、 右 に関 し護 路 軍 司 令 部 の消 息 なり と て密 偵 の報ず る 処 左 の
張煥 相 は今 次 の赴 奉 に当 り 三個 の重 要問 題 を 有 し あ り、 第 一 八
如 し。
区 問題 、第 二、 東 支 護路 問 題 、 第 三 、東 支 附 属 地 問題 、是 な り。
支 那 側 の切 な る希 望 を 斥 け て 示威 運 動 を禁 止 せし む る等 、東 支 側
1. 八 区 問題 に関 し ては彼 は最 初 よ り 和平 解 決 を 希 望 し た る が故 に、
に好 意 を見 せ た る に拘 らず 、 イ ワ ノ フが終 始 頑 迷 の態度 に出 で、 支 那 商 を侮 蔑 す る傾 向 を探 知 し、 彼 は張 作 霖 と 直 接 本問 題 に関 し て打 合 せす べく 決 心 し あ り し と。
哈 調 情 第 七 二 一号
秘
大 正十 四年 二月 二十 日
哈爾 賓 事務 所 長
特 別 区行 政 長官 公 署 存 廃 の件 ︹ 盛 一︺ 右 に関 し在 奉 蔡 道 尹 よ り の通 報 な り とし て、当 所 佐 々木 参 事 が当
一、 会議 の当 初 に於 て特 別区 は存 置 せ ら る る こと に決 定 せ り 。
地 道 尹秘 書 徐 鴻 漸 より聴 取 し た る要領 左 の通 り 。
る。
一、 護路 軍総 司 令 は新 に吉 林 省 長 王 樹翰 兼 任 し 実務 は察 道 尹之 に当
一、 警 察総 管 理 処 並 に路 警 処 は依 然 存 置 せら る る も、 処 長 は無 論 更
迭 し其 の人選 は未 だ 決 定 に至 らず 云 々。
く ﹁或風 説 に よれ ば特 区行 政 長 官 は 王 氏 の専 任 と な り、 別 に吉 林省
と 異 な らざ るも の の如 き も、 氏 は 更 に 不安 の色 を浮 べ語 を続 け て 曰
更 に本件 に就 て山根 所 員 が十 七 日特 区警 察 総管 理 処 督 察長 李 済 東
3. 附 属 地問題 は彼 が直 接 の当事 者 た る責 任 上、 土 地 問題 の紛 糾 は
長 は任 命 せ ら る べし と言 ふ。 此 の説 却 つて重 要 視 さ る べき も のあり
本 件 に関 し て は昨 年 より 朱慶 瀾 と東 支 と の間 に交 渉 を進 め あ りし
2 . 又 東 支護 路 軍 問 題 と は護 路 軍 に対 す る東 支 の支 給 金問 題 にし て、
彼 の最 も不 快 と す る所 な るべ く 且 つ今 回 の八区 増 費 問題 が 土 地問
氏 を 訪 れ其 れと な く意 見 を聞 き たる に 、氏 の護路 軍 総 司 令 及行 政 長
題 に其 の端 を 発 せ る等 に鑑 み て、 本 問 題 を速 に解 決 す る 必 要 を痛
と 。 かく な れば 特 区警察 総管 理 処 の現 処 長 た る王順 存 氏 の更迭 は無
官 の後 任 並 に其 の実務 担 任 者 に就 て の観 察 も亦 既 に右 に述 べ た る所
感 し た るな るべ し 。之 に関 連 し て特 別 行 政 制度 を撤 廃 し て ( 前掲
論 のこと にし て、 其 の後 任 と し ては 前 特 区警 察 総管 理処 長 たり し金 ︹ 毓︺ 栄 桂 氏 、 現 吉 林警 察 庁 長 鐘氏 の呼 声 高 く 、紙 上 報ず る如 き 浜 江警 察
が未 だ解 決 を見 ず 、 張 作霖 と協 議 の上 東 支 よ り の支 給金 其 の他 の
朱慶 瀾 滞 奉 中 云 々 の彼 の言 は此等 に も関 連 あ る も のな ら ん )適 宜
特 権 を某 程度 に回収 す べ き 計 画 を有 し あ り しと 。
接壌 各 県 に併 合 せ し め延 い ては附 属 地 の司 法 制度 を改 善 せん と の
六
庁 長 興 今 氏 説 は 到底 も の にな ら ざ る べし 云 々﹂
す べ し 云 々。
哈 調情 第 七三 二号
意 嚮 を有 し あり 。 今 次 の赴 奉 に当 り本 問 題 を も張 作 霖 と 直 接協 議
五
大 正十四年二月二十四日 哈爾賓事務所長 (二月二十 一日高橋中佐報)
在北満外国人監視 に関す る張煥相 の意嚮
哈調 情 第 五 号
哈爾 賓 事 務 所長
呉 、 張 の勢 力 争 ひ
大正十四年四月四日
呉 は列 車 の用 意 を命 じ て帰斉 せ んと し た が、 王行 政 長 官 の仲 介 によ
の両 人 間 に端 な く争 論 を起 し 、各 自 ら主 人 たら ん とし て譲 らず 遂 に
り 、張 吉 林 督 軍 、 呉黒 竜 江 督 軍 及 王行 政長 官 三人 が主 人 と な る事 と
呉 俊 陞 と 張 作 相 の勢 力争 ひ が起 る べし、 と は坊 間 予 想 さ る処 であ ︹ 新平︺ る が、 偶 々支 那側 後 藤 子 爵 歓 迎会 の其 の主 人 の件 に就 て折抦 滞 哈 中
日露協定調印に依 りて東三省 の対日、対露外交関係は愈重大 なら
な り 一段 落 を告 げ た 。之 は単 に 一些 事 にすぎ ぬが張 、 呉勢 力 争 ひも
護路軍総司令部員 の語る処に依 れば、張煥相 は二月十八日帰哈せ しが、彼 が滞奉中北満往来 の外国人監視 に関 し、左 の如 き電報 を総
んとす。当局は東 三省及外蒙古 の開墾 に意を注ぎ、日露 両国侵 入の
漸 次 激 しく な るだ ら う 、と 観 察 さ れ る。
司令部 に発 せりと。
余地なからしめんとす。哈市は各国 の勢力錯綜 せる北満 最も重要 の
記
北京公所長
負 ひ て之 を 解 決 す る こと を願 はず 、 北京 に之 を移 さ んと し て居 る 。
の注 意 を促 し て居 た が最 近 の消 息 に依 れば 、 東 三省 の当 局 は責 任 を
は其 の関 係 す る所 大 な る を 以 て従 来 再 三本 問 題 に就 き報 道 し民 国 人
日支 間 の満 蒙 商 租 権 細 則問 題 に関 し て は既 に久 し き問 題 で、 吾 人
左
げ て居 る から 〓訳 之 を 報告 す 。
動 は 日本 政 府 の尻 押 し であ る と謂 ふ観 測 の下 に、 左 の様 な記 事 を掲
本 日 (四 月 八 日) 附 の京 報 に は、商 租 権 問 題 に関 し 、朝 鮮 人 の運
商租 問 題 と朝 鮮 人参 加 問 題
大 正 十 四年 四月 八 日
北 公 情 二五第 一号 の十 八
九
都市なり。護路軍は東支鉄道各列車 に密偵を配置し て、外国人 の往 来及赤党露人 の宣伝を厳重 に監視すべし 云々。 尚探聞 する処 に依 れば近く奉 天より特使来りて護路軍 の検閲 を行 ふ筈なりと。 七 哈調情第七四七号 特区行政長官事務引継
大正十四年二月 二十六日 哈爾賓事務所長 新任特別区行政長官王樹翰 は明 二十七日来哈し、三月 一日行政長 官公署 の引継を為す旨、昨 日蔡道尹宛入電 あり。 八
あ る から し て至 急 に交渉 を進 捗 せし め 、以 て其 の終 局 的 目的 を達 す
権 の施 行 細 則 は、 二 十 一箇 条 条 約 に基 づ き享 け たる所 の権 利 であ る。 ︹ 高明︺ 而 し て現在 の加 藤 総 理大 臣 は当 時条 約 を締結 し た る所 の外 務 大 臣 で
又朝 鮮 人 の代表 が日 本 の議 会 及内 閣 に請 願書 を提 出 し 至急 交 渉 之 を
き も の であ つ て決 し て軽 々 に観 る こと が出来 な い の であ る 。蓋 し日
解 決 せむ こと を要 求 し たが 、 此 の朝 鮮 人 の行動 は最 も注 意 を促 す べ
の不 合 理 な る偏 務 的 条 約 で あ る 二十 一箇 条 は既 に久 しく 我国 は正 式
に無 効 を 宣言 し て居 る ので 、所 謂 商 租 権等 と 謂 ふ こと は既 に存 在 の
べき であ る 云 々と 言 つ て居 る が、吾 人 は之 に対 し贅 言 を し な い。 彼
余 地を 有 し て居 らな い から、 我 が民 国 人 は之 等 の点 に対 し 特 別 の注
本 人 は其 の人 口問 題 に基 因 し て、我 が国 東 三 省 方面 に殖 民 を実 行 し
多 の困難 な る事情 を有 す る の であ る から 、 従 来 の方針 を改 め 、移 花
意 を以 て監 視 し な け れば な ら な い。
て 以来 積 極 的 に大 い に尽 力 を 惜 し ま な い の であ る が、 其 の前途 は幾
へ、満 蒙 に移 住 す る事 を余 儀 な く せ し め、 以 て其 の残 され たる 地 に
一〇
北 公 情 二五第 二号 の 一五
東 三 省移 民 の件 (四 月十 三 日順 天時 報 摘 録 )
大 正 十 四年 四 月十 三日
北京公所長
接木 の政策 を採 用 す る様 にし た 。即 ち朝 鮮 内 の鮮 人 に対 し 圧迫 を加
日本 側 の調 査 に依 れば 、 満 蒙 各 地 に移 住 し て居 る所 の朝 鮮 人 は総
日 本 人 を安 住 せし め む とす る の であ る。
数 二 百余 人 を下 らず 。 彼 等 は総 て最 も得 意 とす る 水 田 を経 営 し て居 る ので あ る。 之 等 の朝 鮮 人 は我 が 民国 の土 地 を 租 借 す る の であ る が、 期 日 に到 るも 之 を返 還 せず 、 又租 借 料 も往 々違 約 し て事 件 を 発 生 せ し む る ので あ る。而 し て 日本 の官 憲 は亦 所 謂 不 逞鮮 人 を取 締 る と謂
民 国 人 を し て之 に服 従 せ し め、 国 際間 の不良 問 題 の発 生 を免 れ る 様
を 以 て東 三省 の当 局者 は民 国 五年 に ﹁商 租 須 知 ﹂ 等 の規 則 を設 定 し、
と し て多 数 に及 ん で居 る。 尚 海 路 よ り営 口、大 連 を 経由 し て満 鉄線
絡 に割 引 乗 車 券 を発 行 し、 直接 東 三省 に向 ひ つゝあ る者 が現 在絡 繹
其 の移 民 募 集 に就 て は交 通 部 に於 て既 に京奉 、 津 浦 両鉄 道 に対 し連
人 民 を募 集 し て東 三省 に移 民 せ しむ る こと は目 下 尚募 集 中 であ る。
張 作 霖 氏 東 北 辺防 屯 墾 督 弁 に就 任 し たる 以来 、直 隷 、山 東 両省 の
にし た ので あ るが 、之 は唯 日本 一国 に対 す る規 則 でな い ので甚 だ 至
に由 り 入 る者 も 甚 だ多 い。 我 が 社 に於 て調査 し たる 所 に依 ると 二 月
ふ口実 の下 に、 我 が国 の主 権 を侵害 す る こと が屡 あ る のであ る。之
当 な る も のと謂 ふ べ き で あ る。 即 ち 今 回朝 鮮 人 が日 本 の当 局 に提 出
及 三 月 の両 月 中 満鉄 線 より 東 三 省 に 入 り込 み た る移 民 は 左 の通 り で
三八 三 人
し た る 請願 書 中 に ﹁商租 須 知 ﹂ 等 の規則 は 、排 日的 妨害 の行 為 であ
一、 八七 八 人
ある。
中旬
二 月 上旬
ると 論 じ て居 る が、 之 は甚 だ人 を し て笑 は し め る様 な こと で、 彼 等
〃
と雖 も 木 石 に非 ざ れ ば道 理 の解 ら ぬ こと は な い の であ る が皆 強 制 的
にも 送 ら れ 言論 の後 援 を得 む と欲 し て居 る が、 其 の要 点 は満 蒙 商 租
使 嗾 に基 因 し て居 る ので あ る。 又 朝 鮮 人 の請 願 書 は日 本 の各 新 聞 社
合
計
二 月下 旬
六、 二八 九 人
四、 九 三 九 人
二、 六 七 八 人
軍医処長
軍法処長
軍需処長
軍務処長
〃
〃
〃
〃
三百元
三百元
三百元
三百元
張
王
宋
艾
明
樹
汝
廼
文
声
賢
芳
煦
三 月 上旬
春
崔
升
翰
二百元
樹
〃
運
外交科長
王
次
六、 三 九 八 人
蔡
三 月中 旬
吉林省長兼務
顧 前浜江県知事
周
劉
慮
貽
廷
維
〓
〓
時
英
議
前総務科長
劉 秘書 代 理
書
秘
孫
棠
内務科長
(大正十四年四月十四日調)
樹
教育、実業科長
一二
総務科長 前吉林財務庁科長
△ 東省特別区行政長官公署 浜江道伊兼務
一七、 六 二六 人
行政長官
前吉林省長公署参議総務科畏
一二、 六 八 七 人
政務庁長
計
に達 し、 昨 年 の同 期 間 に於 け る 一四、 二 六 三人 に比 し 三、 三 六 三 人
参
計
を増 加 し て居 る。 尚 聞 く所 に依 る と、 四 〓鉄 道 に於 て も之 等 移 民 の
合
乗 車 す るも の毎月 四、 五 百 人を 下 らな い。之 を以 て見 れ ば、 東 三省
同
総
の移 民募 集 開 墾事 業 は将来 甚 だ有 望 で あ ると謂 ひ得 る 云 々。
哈爾賓事務所長
一 一
哈調情第 四〇号 秘 大正十四年四月十五日
護路軍司令部及行政長官公署 の新陣容 東省鉄路護路軍総司令部並東省特別区行政長官公署 は今回新総司、 新長官を迎 へ、其 の陣容 を 一新 せり。即ち、左 の通り。
書
参 謀 長
総 司 令
〃
月俸
月俸
三百元
三百元
五百元
五百元
劉
陳
孫
趙
月俸壱千元、弁公費壱千元計弐千元 張
祥
荊
〓
金
作
麟
玉
芳
麟
相
辞職を乞 へる主要 なる原 因は呉督弁と意見 一致せざ るが為 にし て、
りと言ふ。之 に関 し魏氏 の語 る所 に依れば茲暫くは実現 せざるべく、
特別区行政長官 (王樹翰氏) は既に張作霖 に向 つて辞職 を申出 た
大正十四年 五月六日 哈爾賓事務所長
哈調情第九三号
秘
〃
△ 東省鉄路護路軍総司令部
参謀処長
王特 別区行政長官辞職 を乞 ふ
副官処長
す る も、 王 長 官 は之 を承 諾 せず 、故 に今 後事 毎 に呉 督 弁 の〓 肘 を受
呉督 弁 は特 別 区 の 一半 を 割 き て黒 竜 江 省 管轄 下 に置 かん こと を 希望
を 通 じ 、馮 を倒 さ ん とす る の計画 は之 が為 な り。 彼 は 先づ 復辟 に名
希 望 を達 成 す る に最 も邪 魔 者 と な る は馮 玉祥 な り 。張 が呉 佩孚 と款
( 佐 々木)
せ んと す る計 画 な る が如 し。
を 籍 り 、宣 統 帝 を擁 立 し て帝 位 に即 かし め徐 ろ に自 己 の野 心 を達 成
一五
大 正 十 四年 七 月十 五 日
哈爾 賓 事 務所 長
張 作霖 将 軍 は熱 河特 別 行 政 区 が従来 直 隷 派 の勢 力 範 囲 にあ つた も
し、 支 那官 憲 時 々其 の具体 的 事 実 を提 へて抗議 、干 渉 を 為 し来 つた
て、 之 が為 教 育 機 関 の把 握 を志 し 着 々其 の歩武 を進 め つ ゝあ る に対
労 農露 国 は教 育 によ つて北 満 殊 に東 支 鉄 道 の根 底 であ る赤 化 を 企
教 育 に依 る赤 化運 動 に対 す る督 弁 公 所 の内 訓
哈 調 情第 二七 六号
く るを免 れざ る べき を予 想 す るを 以 てな り 。尚 其 の他 にも種 々の問
北 京 公所 長
題 ある も 夫 は辞 職 の主 因 にあ らず と の こと な り。
一三
北 公情 二 五第 一号 六 四 大 正 十 四年 六 月 二十 日
の を、 奉 直戦 争 の結果 自 己 の勢 力範 囲 にな つた ので 一省 に改 む る の
が、 此 の種 の赤 化 運 動 は隠 約 の間 に行 は れ、 支 那側 に於 ても之 が取
熱 河特 別 行 政 区改 省 の件
必要 を 感 じ、 東 三省 会議 の結 果 及 内蒙 古 各 王 の賛 成 を得 た ので目 下
締 に困難 を 感ず るら し い。殊 に東 支附 属 教 育 機 関 の赤 裸 々な赤 化 占
し ます 。
西 部 線 対 露探 訪 員 の報 告及 黒 竜 江 省 呉督 弁 の密報 に基 づ く 七月 九
記
公 所 が管 理局 (郭 副 局長 ) 宛 に送 つた左 記指 令 の本 文 、御 参 考 に供
関 す る露 支 の衝 突 は将 来 数 々繰 返 さ る ゝ であ らう 。 本件 に関 し督 弁
拡 張 す る の は沿線 旅 行 者 の直 ち に看 取 し 得 る処 であ る。 教 育 問題 に
産 青 少年 団 の組 織 、 教 育 に力 を注 い で居 り近 時 同 団 の勢 力 が 次 々に
訴 へて赤 化 運動 を企 て ゝ居 る 。例 へば如 何 に彼 等 が 沿線 に於 け る共
領 に蹉 跌 し た労 働 者 では 、是 等 表 立 つた機 関 に依 らず 他 の教 育 方 に
北 京 の蒙 蔵院 と其 の細 則 を協 議 中 であ る から し て早晩 実 行 せ ら れ る
一四
極秘 哈 爾賓 事 務 所長
だ らう 。
哈 調情 第 二三 〇 号
大 正 十 四年 六 月 二 十 二 日 張 作霖 の大 野 心
支 那 側 某要 人 の談 に依 れば 、 張 作霖 が自 ら 皇 帝 た ら んと す る の野 心 は近 来 に至 り 一層 其 の度 を加 へん と す る に至 れ り 。于 冲 漢 の渡 日 は此 の目 的 を達 せ ん が為 、 日本 の意 嚮 を探 ら んと す る に在 り 。 此 の
日附 東 支 鉄 道護 路 軍 総 司 令 部 の報 告 に拠 れ ば、 労 農 露 国 は 現 に外 蒙
の旨 一先 づ 回答 し 置 き た るが 貴 職 に於 ても学 務 処 を し て取 調 べ の上
一六
大 正十 四年 七 月 十 五日
哈 爾 賓事 務 所 長
報 告 せし め 、之 が処置 に付 き 依 る処 あら し め ら れた し 。右 指令 す。
哈 調情 第 二七 七号
に於 て徴 兵 実 行中 で あ り、 尚 同 地 に於 て軍 馬 を購 入 し 之 を露 領 に輸
も の にあ らざ れ ば労 農 陸 軍 上 官 た る を得ず と 。更 に人 民 最 高行 政 執
送 し 、騎 兵 隊 編 制 に充 て つゝあ り と。 又 凡 そ労 農 国 籍 を 取 得 せざ る
行 委 員長 た りし レー ニ ンの遺 言 に基 づき 、 東 支鉄 道 に対 し ては武 力 奪 取 の計画 に出 でず 、労 農 少 年 団 に レー ニズ ムを注 入し 徐 々 に之 を 東 支 鉄道 職 工、 或 いは東 支 鉄 道 沿 線 の商 人 と な し漸 を以 て進 む の主
行政 長 官 は曩 に労 農 露 国 ﹁チ エル オ ン ヌイ﹂留 ( 知 留 ) の輸 入 制
支 那 官 憲 の露 国 知留 流 通 禁 止 策
移 る べく 、今 日 の少 年 団 は将 来 東 支 鉄道 の主 人 公 と な る に至 ら ん 為
限 暫法 を草案 し 、之 を北 京財 政 部 税 務 処 に致 し て取扱 方 を 申請 し て
義 を 取 るも のにし て、 か く て東 支 鉄道 の不 知 不識 の裡 に労 農 の手 に
に、 東 支 鉄道 学 校 教 員 は労 農 国 籍 を有 す る も のを 用 ひ 、 以 て此 の種
て、 同長 官 は之 を督 弁 公 所 、路 警処 、 地 畝 局 に通 告 す ると 共 に、 尚
是 等 官憲 に於 ても 税務 処 より の回 示 に基 づ き協 力 し て知 留 紙 幣流 通
置 き た る に今 回 税務 処 より草 案 の主 旨 に賛 同 せる 回答 を得 た る を以
ば 、労 農露 国 は教 育 の潜 勢 力 を利 用 し 、東 支 鉄 道 利 権攫 取 を将 来 に
た。
防 止 の策 を実 施 せん ことを 求 む る旨 の公 文 (七月 十 一日附 ) を発 し
計 画 の実 行 に資 す る処 あ ら ん とす るも の の如 し と 。 之 を各 方 面 の報
期 せ ん とす る も の にし て、 又疑 を容 る ゝ の余 地 な し と言 ふ べし 。 さ
告 、 通 報 に徴 す る に、 又 上 述 の報 告 と 其 の軌 を 同 じ う す る も のな れ
れ ば綏 満 沿 線 の駐 屯 軍 一帯 に厳 密 に偵 査 、防 遏 に従 は し む る と共 に
一、 労 農 知留 の支 那流 通 は支 那 主 権 の侵 害 にし て 且留 紙幣 の轍 を踏
労 農 紙 幣 輸 入制 限 暫 法 と看 る べき も のであ る 。
前 記 北 京税 務 処 の吉 林 省 長 に宛 た 回示 の要 領 は左 の通 り で、之 は
申 上 ぐ ると 同 時 に管 理 局 の教 育権 を 回収 し 、現 に労 農 籍 教員 の過 激
時 々報 告 方 を命 じ、 尚 各 方 面 に通 報 し置 き た る が貴 公 所 にも御 通 知
主義 を教 授 す る も の を厳 重 取 締 り、 事 を未 然 に防 がれ た し 。現 在 の
む 憂 ひあ り 。
四、 各 徴 収機 関 に之 が受 付 を拒 絶 せし む る こと。
三、 各 地 方官 、警 察 庁 を し て同 紙 幣 の行使 方 を厳 止 せし む る こと 。
二、 各 税 関 に通令 し 大 口労 農 紙 幣 の輸 入 を禁 止 せ しむ る こと。
証 あ ら ば教 育 権 を 回収 し 、 以 て厳 重取 締 に容易 なら し む べき も 、 回
五、 各 法 団 、商 団 及 銀 行 、公 会 等 と 密議 の上 協力 し て知留 の流 通 を
抑 々労 農 露 国 が教 育 の潜 勢 力 を 以 て鉄 道 利権 攫 取 の企 画 を な す確
処 置 並 に労 農 学校 の現 況 御 調 査 の上御 回 答願 度 し 云 々と 。
収 の提 議 は確 証 なく て は到 底 よ く し能 はざ る処 な る が故 に、各 労 農
阻 止 せし む る こと 。
学 校 の教 育 模 様 、現 在 の状 況 並 に教 科 書 購 入及 教 授 課 程 等 に 付 いて、 過激 主義 宣 伝 の実 証 有 無 詳 細 調査 の上 に て交渉 提 議 の事 と 致度 、右
一七
哈 爾 賓 事 務 所長
護 路軍 総 司 令 部 に於 て探 聞 す る に、 該 総 司令 部 は赤 化防 止 に関 し、
記
七 月 二十 四 日左 記 の如 き張 作 霖 の布告 に接 せり と 。 左
労 農 側 が東 三省 の赤 化 を計 画 し て暗中 飛躍 を 逞 ふ し、 東 三省 労 働
階 級 の連 絡 を策 し ある 件 に関 し、 本 督弁 は 日本 政 府 の照 会 に接 せり 。
告す。
本 督 弁 は東 三省 の治 安 維 持 の為 に 三省 軍 民長 官 に対 し、 左 の如 く布
大 正 十 四年 八 月 一日
哈 調 情第 三 一三 号
東 支鉄 道 沿 線 に於 け る赤 化 宣伝 状 況 並 赤 化防 止 に関
一八
ら し め 、彼 等 の宣伝 に乗 ぜ ら れざ る様 警告 す べし 。
には有 害 無 益 にし て世 界 列強 も該 政 策 には絶 対 反 対 な る こと を知
中 華 五族 共 和 の精 神 を説 明 し 、労 農 側 の宣 伝 たる 共産 制 度 は支 那
2. 行 政 長 官 は管 下 の県 知 事 、自 治 会 首 脳者 等 を 通 じ て 一般 人 民 に
1. 陸 軍 は再 び後 三 ケ月 を 期 し て匪 患 を絶 滅 す べし 。
す る張 作 霖 の布告 (七月 二十 八 日高 橋 中 佐報 ) 東 支 鉄 道 沿線 に於 け る赤 化 宣 伝 状 況 に関 し護 路 軍 総 司令 部 密偵 が
一、東 支 鉄 道 沿 線 に於 け る赤 化 宣伝 状 況
該 総司 令 部 に報 告 せ る処 、 左 の如 し 。
1. 哈 市 労農 総 領 事 館 は毎 日午 前 中 多 数 の書 類 を東 支 沿線 各 地 方 に発送 す るを例 とす 。 右 書 類 は支 那 の政 治 、経 済 に関 す る情 報 各 地 に於 け る 共産 党員 に関 す る情 報 宣伝 用 印 刷 物等 な り。 又該 総 領 事 館 は沿 線 に在 る宣 伝員 よ り殆 ど 毎 日書 類 を受 了 し あ り。 右書 類 の内 容 は当 該 地 方 に於 け る宣 伝 状 況 其 の結 果 等 に関 す る報 告 な り 。
竹中
受信者
発信者 鎌 田
労 農 義 勇 軍 に編 入 せ ら れあ り て、栄 農 政 府 の軍事 命 令 に服 従 す る の
二時 十分発 発著信月日 大正十四年八月十 二日 午後四 時 二分著
2. 東支 沿 線 赤党 露 人 中 十 八歳 以上 (最 高 年齢 不明 ) の男 子 は、
義 務 を 負 ふ。 而 し て労 農 政 府 は哈 市総 領 事 に該 義勇 軍 の総 指 揮権 を
本
一九
于冲漢氏任命サ レタリ。
吉林省長兼東省特別区行政長官王樹翰 ハ其 ノ兼務 ヲ解 カレ後任 ハ
文
附 与 し あ り。 3. 東 支沿 線 赤 党 小 学校 に於 ては 共 産主 義 に関 す る教 授 を為 し あ り 、但 し支 那側 の干 渉 に備 ふ る為 に特 に教科 書 を用 ひず 、 只 一切 の 時間 口演 を 以 て児 童 の脳裡 に共産 主 義 の理 想 、 故 レ ー ニン以下 共産 党幹 部 の奮 闘史 を印 象 せし む る方 法 を 採 用 し あ り。 二、 赤 化防 止 に関 す る張 作 霖 の布 告
秘
斉 々哈 爾 公所 長
大 正 十四 年 八 月十 三 日
斉 公 第 一二七 号
再 び呉 督弁 更 迭 説 に関 し 呉 督 弁 は綏 東 県 に於 け る米 人 殺 害事 件 、 大 洋票 発 行 問 題 等 の不始 末 の為 、張 上 将 軍 の忌 避 に触 れ近 く 挫冠 す べし と の噂 あ る こと は曩 に斉 公 第 一二 三号 を 以 て報 告 し置 き た る と ころ な る が、 最 近 此 の噂 日 に高 ま り つ ゝあ り 、肯 否 両説 あ り て頗 る判 断 に苦 し む も茲 に両 説
迭
説
に関 し見 聞 せ る所 を 御 参考 ま で報 告 す 。 更
の噂 あ る こと。
一、既 報 の通 り秘 書 役 に命 じ 現金 引 継 の準 備 を な さ し め つゝあ る と
二、 呉 少権 代 理師 長 (督 弁 の甥 )に馬 匹 現在 数 の調 査 を命 じ た る こと 。 ︹ 徳権︺ 三 、近 く 清 郷 の為 、 省 内 を 巡 視 せ ん とす る劉 少 将 の出 発 を無 期 延 期 せ し めた る こと 。 四 、昨 日督 弁 第 二夫 人 来 所 の節 、平 常 の快活 に似 ず 快 々と し て楽 ま
む に非 ず や と も考 へら る 。
ず 、談 話 の際涙 さ へ湛 へ居 た る は督 弁 の挂 冠 を予 知 し 、之 を悲 し
定
説
五 、赴 奉 の際 省城 出 発 当 時 督 弁 の意 気 消 沈 し居 た る こと 。 不
一、督 弁 更 迭 説熾 な る に拘 らず 官 界 更 に動揺 を見 ざ る こと 。 二 、後 任 に擬 せ ら れ つゝあ る郭松 齢 は目 下 天津 に滞 在 し て動 かざ る こと 。
連 の多 忙 ら し き を見 ず 。
三 、秘 書 役 に命 じ現 金 引 継 の準備 を なし つ ゝあ ると 言 ふも 、秘 書 役
二〇
大 正 十 四年 八月 十 三 日
斉 々哈 爾 公所 長
四、 小 職 と懇 意 な る某秘 書 役 は更 迭説 を打 消 し つ ゝあ る こと。
斉 公 第 一二八号
于 冲漢 の行 政 長 官就 任 説 に関 し
首 題 の件 に関 し劉 徳 権 少将 の小職 に語 る処 左 の如 し 。
六 月中 旬 出 奉 王省 長 に面 会 の際 、 省 長 は東 支 督弁 及 近く 空 位 とな
るべ き特 別 区 行 政長 官 の位 置 に は于 冲 漢 を適 任 と 認 め 、上 将 軍 と共
に就任 方 を慫 慂 し た る も激 職 を 好 ま ぬら し く引 受 く る模 様 な き に閉
口し居 れ り。 然 し現 在 奉 天系 中彼 を措 いて他 に適 任 者 なし と 考 ふ る
に つき何 と かし て之 を説 伏 せざ る べ からず と語 りた り 云 々。
八 月 十 二 日附 哈 調情 第 三 四 六 号、 于 氏 行政 長 官 に新 任 と題 す る件
へら る 。
斉 々哈 爾 公 所 長
大 正 十 四年 八 月 十 五 日
二 一
は、前 記 王省 長 の劉 少 将 に語 れ る談 と綜 合 し て確 実 性 あ る も のと考
﹁新 聞 掲 載 御断 ﹂
斉 公 第 一三 一号
呉 督弁 更 迭 せず
呉 督 弁 更迭 説 の噂 熾 な りし こと は屡 報 し た る通 り なる が、 左記 を
綜 合 す れば 更 迭 説 は立 消 へと なり た る も のと 認 む 。
永 江 、 楊 宇霆 で あ る。 哈爾 賓 か ら来 た蔡 道 尹な ど は、 行 政 長官 と し
長 官 にし て督 弁 を 兼 任 し た例 は先 づ な いが最 も之 を主 張 す る の は王
う し ても赴 任 す ると言 ふ こと で結 局 今日 の様 な結 果 を見 た のであ る 。
て時 とし ては督 弁 の仕 事 を や る場 合 非常 に立場 に窮 す る こと が あ る
記
長 が留 守宅 に宛 ﹁事件 一切落 着 せ る に より 北 京 に向 ふ﹂ と打 電 せ
一、 北京 参 政 会 議 に参列 す べく 奉 天迄 呉 督 弁 に随 行 せ る李省 議 会 議
と言 つて居 る 。 つま り各 々其 の立 場 を異 にし て居 る関係 か ら 一つ の
左
る こと ( 事 件 一切 と は 、奉 天 派 対内 問 題 ︱ 江 蘇問 題 ︱ 呉督 弁 進 退
か若 しく は市 政 局 の方 を担 任 せし め 、宋 は専 ら 秘書 の仕 事 を や ら せ
を歴 任 し た 王某 を 帯 同 す る こと に予 定 し て居 る 。儲 知 事 は政務 庁 長
処 長 宋 文林 、 外 に 一名天 津 に居 る 矢張 り本 省 人 で税 揖 局 長 、知 事 等
り であ る が、 主 と な る も の は遼陽 県儲 知 事 及 前察 哈 爾 都 統衙 門 秘 書
今 回赴 任 す る に就 ては自 分 の信頼 す る人 物 を 二、 三 連 れ て行 く 積
い かと思 ふ。
に鉄 道 だけ に限定 さ れ て居 る か ら寧 ろ自 分 は長 官 の方 が面 白 く は 無
体 を 二様 に使 ふ と言 ふ無 理 が出 て来 る。 且 東支 鉄 道 督弁 の仕 事 は単
問 題 等 と思 は る)。
鎌 田 弥 助
印
二、 督 弁 第 二夫 人 が昨 日 小 職妻 に対 し ﹁更迭 せざ る こと ゝな り た る に つき 安 心請 ふ﹂ と語 り た る由 。
二二
奉 天公 所 長
三 、督 弁 は奉 天 に於 て呼 海 線敷 設 問 題 を 画策 中 な る由 。
極秘
る積 り で居 る 。遼 陽 県 知事 の事 は王 省長 の承 諾 を経 て已 に後任 者 も
大 正 十 四年 八 月 十 七 日
奉 天 情報
東 省 特別 区 行 政 長官 任 命 に関 す る楊 宇 霆 及
決 定 し て居 る 。多 分 義 県 の知事 斐 煥 星 が 行 く こと にな る だら う 云 々。
言 ふ名 義 で赴 任 す る こと と し時 機 を見 て督 弁 を兼 任 せ し め ても宜 し
あ る が、 督 弁 問題 は飽 貴卿 の進 退 が決 定 し な い為 、 不取 敢ず 長 官 と
楊 宇 霆 曰く 、于 冲 漢 の長 官 問 題 に付 ては 吾 々が専 ら推 薦 し た ので
于 冲漢 氏 の談 、 別 紙御 送 附 致 し ます (別 紙 )
于冲 漢 氏 曰 く 、今 回 の特 別 区 行政 長 官 の任 命 に就 いて は色 々曲折
い。 只此 の際 于冲 漢 が使 用 す る処 の人 物 に就 て同 氏 と し て充 分 銓衡
楊 宇 霆氏 及 于 冲 漢 氏 の談
も あ る が、 要 す る に東 支 鉄道 督 弁 と 言 ふ問題 が急 に決 定 し な い為 、
係 から御 受 けし た 様 な次 第 であ る 。然 し行 政長 官 の仕 事 は督 弁 に比
ら の問題 で あ つ て、張 上将 軍 の頭 は今 も尚 変 ら な い。 盧永 祥 は既 に
自 分 の江蘇 督 弁 と 言 ふ こと に付 ては既 に天津 に逗 留 し て居 る時 か
い。
す る 必要 が ある と思 は る ゝ から貴 下 (鎌 田) よ り も注意 し て貰 ひ た
し 、 局 面 が非 常 に広 いか ら却 つ て面 白 く は な いかと 考 へら れ る。 張
其 の職 を免 ぜ ら れ た の であ る から 何 う し ても 何 人 か を後 任 た らし め
無 いと言 ふ説 も あ り、 自 分 と し て此 の場 合拒 否 す る こと も出 来 ぬ関
兎 も角 長 官 の席 に坐 り場 合 に依 り て は督 弁 を兼 ね るも 別 に不 都 合 は
上 将 軍 は 最初 から 督弁 問 題 を主 張 し て来 た の であ る が、鮑 督 弁 が何
にあ る代 表 者謝 蔭 昌 な ど が極 力 自 分 ( 楊 ) が行 く こと を希 望 し て、
は非常 に狼狽し当 地交渉使に種 々不平 を並べ居 れりと言ふ。(了)
今回于冲漢氏 が特別区行政長官 に任命 されたるに対し、露国側
二三
秘 哈爾賓事務所長
と にな る だら う 。 只 目 下 の処 河 南 問 題 が少 し く 面倒 の様 に思 は れ る
遣 し置 いた が、 之 が 当 分 其 の儘 居 坐 つて自 分 の仕事 を見 て呉 れ る こ
共 の儘存 させる。蓋 し労農 に代 つて過激 なる宣伝文を送達させるの
為 には大金を投ず ることを惜しまない風 である。然 し支那 の国籍は
号電報 に依れば、労農側は支那 人を誘惑 して自党に加入 せしむ るが
昨 二十日哈府及浦塩駐在支那領事より行政長官公署 に達 したる暗
在極東露領支那人赤 化に対する駐露支那領事 の警告
大 正十四年 八月 二十二日
哈調情第三七九号
な け れば な ら ぬ が別 に適 当 な 人 もな く、 又江蘇 出 身 者 にし て東 三省
る こと は欲 し な い のみ な らず 、 王永 江 初 め其 の他 の友 人 の引 止 め策
張 上将 軍 に願出 た りす る様 な状 態 で元 よ り自 分 と し ては東 三省 を去
を 講 じ て居 る 様 な 次第 で あ るけ れ ども 、 若 し 万不 得 已 場合 に は 一応 ︹ 謙︺ 自 分 が御 受 け し 差 当 り代 理者 を 派遣 し、 鄭省 長 と協 力 し て江蘇 の仕 事 に当 ら しめ 、後 日適 当 の時 機 に短 期 間 自 分 が行 つて見 る こと にし
が之 も急 に処 置 す る方 法 も無 い。今 秋 収穫 時 季 を 過 ぎ た ら何 と か 考
が其 の目的 だからである。故 に貴所属各機関 に厳命して露領 から支
たら 宜敷 し いと も 考 へて居 る 。数 日前 模 様 見 旁 々参 謀 長 〓 式毅 を派
へな けれ ば な る ま いと 思 ふ (于冲 漢 氏 の言 に拠 れ ば張 上将 軍 は河南
て戴きた いと。 二四 秘 大正十四年九月二日
哈調情第四 一三号
題其 の他 に関して協議す る所 あり、護路軍総司令部 に就き該協議 の
新行政長官于冲漢は着任〓 々護路軍総司令代 理張煥相と対露人問
(八月二十九日高橋中佐報)
新特別区行政長官于冲漢 の施政方針 一端
哈爾賓事務所長
那 に這入るものに対しては、内外人孰 れを問 はず厳密なる検査をし
問 題 に付 き討 伐 の意 志 充 分 な り と)。 先 日来 元 直隷 省長 王 承 斌 が当年 二十 一歳 の令 息 と 来 奉 し て居 つた が 目 下大 連 の某 病院 に て静 養 し つ ゝあ る。 四 、 五 日過 ぎ た ら 一旦奉 天 に引 返 し数 日 滞在 の上天 津 、 北京 に行 く こと に な つて居 る 。王 承 斌 は 奉天 の出 身 で督 弁 と し ても 省長 とし ても申 分 無 い資 格 の所 有 者 であ る か ら、 急 には之 を推 薦 す る訳 に も行 く ま い が 二、 三箇 月 も過 ぎ た ら適 当 の所 に推 薦 し た いと 思 ふ 。張 上 将 軍 と の間 も 非常 に良 く 諒 解 し て居 る から今 度 天津 に行 つた ら家 族 を 引纏 め て来 る だ らう 。 去 る八 日 の晩 に は東 北倶 楽 部 に於 て在 奉 天 の各主 脳 者 三 十 余 名 が集 つて同 氏 の歓 迎 会 を 開 いた 。其 の際 吉 林張 督 弁 同 王省 長 等 も出 席 し て非 常 に盛 会 であ つた 。 つま り奉 天側 の人 々と 同氏 と の感 情 も別 に 何 等 蠕 り のな いこと が 窺 知 さ れ る云 々。
一、 特 別 区 内 に居 住 す る総 て の露 人 及赤 化 宣 伝 を厳 重 に監視 し て、
内容 を探 知 す る所 、 左 の如 し 。
支那 主 権 に牴触 す る が如 き彼 等 の言 動 に 対 し ては容 赦 な く 取締 を加 へ、 此 等 支 那側 の取 締 に対 し て為 さる ゝ ことあ る べ き労農 総領 事 等 の抗 議 を絶 対 に拒 否 す る こと 。 二、 特 別 区市 会 の 一切 の権 限 を 支 那市 政 管 理 局 に 回収 す べ く相 当
三 、 行 政長 官 公 署 、 護路 軍 、 路 警 処、 特 別 区警 察 、 東支 附 属 学 校
の準 備 を 為 す こと 。
哈爾 賓 事 務所 長
二五
に関 し ては、 労 農 側 理事 の任 意 削減 を許 容 せざ る こと 。
其 の他 例年 東 支 より補 助 を受 け来 れ る機 関 に対 す る東 支 の補 助 金 額
哈 調 情 第 四 一八 号
馬 忠 駿 解 職 当時 の真 相
大 正 十 四年 九 月 三 日
二六
秘
大 正 十 四年 九月 五 日
哈 調情 第 四二 九号
哈爾 賓 事務 所 長
于 長官 と張 煥 相 と の関 係
呉 三 立 の観 察 に ては ﹁于長 官 は張煥 相 に対 し 不満 な るが如 し。故
哈 爾 賓 事務 所 長
に張 の地 畝管 理局 長 は 不安 と言 ふ外 な し﹂ と 。
二七
秘 大 正 十 四年 九 月 五 日
哈 調情 第 四 三〇 号
呉 俊 陞 の転 任説 及 馬 忠 駿 の辞 任 説 (九 月 四 日高 橋中 佐 報 )
呉俊 陞 の転 任 説 及馬 忠 駿 の辞職 説 に就 き 、黒 竜 江 交 渉局 員 の談 る
の意 中 に於 ては 予定 の処 置 であ つた が、 解 職 前 の事 情 を伝 え聞 く に、
拉 致事 件 に因 り て張作 霖 と の間 は益 面 白 から ざ るも のあ り て、彼 が
融 合 せざ るも のあ り 、殊 に最 近 の黒 竜 江 省馬 賊 の米 国 人殺 害 、 人質
ざ るは周 知 の事 実 に し て、 奉 直戦 当 時 より 呉 及張 学 良 間 にも 感情 の
第 二 次奉 直 戦 を 区界 とし て呉俊 陞 、 張 作霖 間 の感 情 元 の如 く な ら
所 左 の如 し 。
去 る 二十 七 日于 氏 が市 政 管 理事 務 に就 き 種 々突 込 みた る質 問 を な せ
辞 任 を申 出 た るは 事実 な るべ し 。唯 張 作 霖 は 従来 の友 誼 上素 気 なく
八 月 二十 一日附第 六〇 七 号 当所 報 の如 く 、 馬忠 駿 の免 職 は于 冲 漢
し際 、 終 に両 者 の間 に激 論 を 生 じ、 其 の結 果 九月 一日馬 氏 は懲 戒 免
に長官 と し て赴 任 せ し め、露 支会 議 后 の外蒙 回収 に当 らし め 、然 る
彼 を馘 首 す る こと を為 さず し て 、現 在 の奉直 省 界 に在 る特 別 区 地域
職 と な り更 に何 分 の処 分 を も受 く る事 にな つてを る と 。 尚 聞 けば 馬 氏 在職 中 市 政 局 の公 金 二十 七 万 元 を私 に費 込 ん でを る
後 該 地方 に 一省 を 設立 し て其 の長 官 に当 ら し む る筈 な り、 と 伝 へら
さ う で あ る。 又 馬氏 の辞 職 と 同時 に直 ち に辞 表 を提 す べ き筈 であ つ た会 計 課 長 朱 小候 は昨 二日 同 じく 解 職 せ ら れ た。
る。尚職責上労農方面 の反感を招 きある黒竜江交渉局長馬忠駿は呉 と共同 して辞表を提出すべし、と。但し表面上は各自任意辞職 の形 式を採 るべし云 々。 註、九月二日大北新報 には馬忠駿 の辞職請願許可せられ、現副
哈爾賓事務所長
二八
局長李紹庚後任 となれり、と伝 へあり。
哈調情第四三四号 新任市政管理局長来哈
大正十四年 九月七 日 馬忠駿氏 の後 任として東省特別区市政管理局長 に決定せる儲鎮氏 に入れり。史課長 の車中 にて山根当所員 に語る処 に拠れば、儲氏 の
は、四〓鉄路局検査課長史怡祖氏を伴 ひ本朝七時半来哈、交通銀行 着哈後 公式 に新旧局長 の更迭発表せらるべし。儲氏 は鉄生と号し江 蘇宜県 の人、上海南洋大学 の出身 にして前 の遼陽県知事たり。 二九 哈爾賓事務所長
三〇
哈調情 第五〇 一号 哈爾賓事務所長 馬忠駿 の新任命説
大正十四年九月二十 四日
馬忠駿 の黒竜江省財 政庁長任命説 を齎し て同 氏を訪 へば生憎く不
在 にて、馬氏 の秘書格 たる朱煌氏代 て語る ﹁目下馬忠駿氏 には財政
庁長任命説 以外 に尚広信公司総弁説あるも何れも噂 に止まる。之等
哈爾賓事務所長
三一
実現は呉督弁 の奉天より帰任後或は発衷せらる ゝやも知れず﹂云 々。
哈 調情第五〇八号
支那官憲 の赤派取締
大正十四年 九月 二十五日
東鉄 の職工聯合会と消費組合 とは仮面を被 つた赤化宣伝機関 であ
るから充分 に取締 つてもらひ度 い、と言 ふ申請が、綏芬駅商務会長
宋振鳳 から張作霖宛 に差出されたも のと見え、 これに関し張作霖と
東 鉄督弁公所と特別区行政長官 公署と の間 に公文が往復 されて居 る。
行 政長官公署 の発し た書面中に ﹁職工聯合会 は民国十年十 二月特区
哈調情第四七五号
大正十四年九月十六日
警察総管理処が許可したも ので、当時 の会則 では何等治安上差支 へ
二月になつて当署 が受取 つた報告 に依ると、該会は純然たる赤化宣
なか つたのであるが知 らぬ間 に段 々変化して行 つて、民国十二年十
松北鎮改名 黒竜江省官憲は、呼海鉄道 の起点たる哈爾賓傅 家甸 の対岸松北鎮 を、今回 ﹁松浦﹂と改 名する旨、本日当地新聞紙 を以 て発表す。
伝 機 関 で あ つて常 に過 激 思 想 を伝 播 し て居 る事 が分 つた 。依 つて厳
哈 調情 第 五五 一号
哈 爾 賓 事務 所 長
今 回奉 天 の例 に倣 ひ当 地特 別 区警 察 管 理処 内 に新 た に政 治 探 偵部
政 治 探 偵 部 新設
を設 置 す る事 に決 定 し 、主 と し て赤 派 の政 治 的企 劃 の探 査 に当 る と
大 正 十 四年 十 月 六 日
と 、 同 会内 で は矢張 り秘 密 集 会 を催 し過 激 の宣 伝 を なし 各 人 の給 料
言 ふ。
重 取締 方 を警察 に命 じ沿 線 各 駅 の分 会 は 尽 く 解散 さ せ、残 り は不 法
を差 引 いて会 の費 用 に充 当 し たり 、主 義 を異 にす る者 と の間 に城 府
行 為 が な け れば寛 大 の処 置 を 執 ら し て居 つた が、 最 近 の報 告 に拠 る
を設 け たり し て居 る事 が分 つた から 、再 び警 察 に命 じ交 通 部 の禁 令 に従 つて至 急解 散 さ せる手 配 中 であ る。消 費 組 合 の事 は若 し 果 し て
暗 号電
三四
奉天
大 正十 四年 十 月 八 日
に厳 重取 締 方 を警 察 に命 じ て置 い た から 、其 の報 告 あ り次 第 何 分 の
綏 芬 商 務 会 長 の報 告 通 り で あ る とす れば甚 だ不 都 合 で あ る。 依 て更
松岡理事
鎌 田公 所 長
処置 を なす 積 り で あ る﹂ の文 句 が あ る。 支 那官 憲 の赤化 宣 伝 に対 す
発 信者
山 東 張 宗昌 督弁 ノ苛歛 誅 求 ヨリ人民 ノ奉天 側 ニ対 ス ル反 感
三五
秘
哈爾 賓 事 務 所長
当 地支 那 警 察 内 に露 人警 察 官 同 盟 あり て、 ソビ エト露 国 の探 偵 網
露 人 警 察 官同 盟 掃蕩 開 始
大 正十 四 年 十 月十 日
哈調 情 第 五 七 〇 号
ヤ モ知 レズ。 但 本 問 題 ニ関 シ于 冲漢 氏 ノ態度 ハ極 メテ 不得 要領 ナ リ。
モ既 ニ承諾 シ タ リ ト伝 へラ ル。或 ハ来 ル九 日 ノ会議 ニテ決 定 ヲ見 ル
ニ于冲 漢 氏 ヲ同 省長 ニ推 薦 シ、之 ヲ牽 制 セ シメ ント ノ議 ア リ、本 人
ノ度 次第 ニ加 ハリ、殊 ニ直隷 派 巧 ニ之 ヲ利 用 スルタ メ最 近 当路 者 間
極秘
受信 者 三二
秘
哈 爾 賓 事務 所 長
る態 度 が窺 はる ゝから 為 参 考報 告 す 。
哈 調 情 第 五 五〇 号
于 冲漢 氏 の警 察 従事 員 同 盟 掃 蕩
大 正 十 四年 十 月 六 日
目 下 赴 奉 中 の于冲 漢 氏 は帰 哈 後 直 ち に警 察 従 事 員同 盟 を掃蕩 す可
ピ ン コ、 チ エリ ミ ー シ ン の両名 は同 同 盟 よ り脱 党 し 、今 回支 那 籍 に
し 、 と の決 意 を漏 ら せし 為 、 そ れ に恐 れ を為 し て乎 、警 部 補 ア ンチ
入 れ り。
三三
と し つ ゝあ る事 は 既報 の通 り な る が、 其 の第 一着 と し て、 昨 九 日右
を構 し あ る事 を探 知 し た る支那 官 憲 が之 に対 し徹 底 的 手段 を 執 ら ん
取 リ テ モ、 山 東 問題 以上 頗 ル重大 ナ ル問 題 ナ リ。 此 ノ際 于冲 漢 ノ如
北満 ニ於 ケ ル露 西亜 側 ト ノ関 係 ガ日 本 ニ取 リ テ ハ固 ヨリ張 総 司 令 ニ
( 極 秘 ) 山 東 ニ於 ケ ル張 宗昌 ノ遣 方 モ誠 ニ困 ツ タ モノト思 フ モ、
鎌 田奉 天 公 所 長
三八
暗号
他 方 野村 氏 ヲ シテ 王 永 江 ニ モ阻 止 セ シ ム ル様 措 置 アリ タ シ。
ノ外 ナ リ ト思 フ。貴 職 ハ顧 問各 位 ト モ連 絡 シ之 ヲ阻 止 スル ニ努 メ、
同 盟 の巨 頭 と目 せ ら る ゝ露 人警 部 ウ ラ セ ン コを逮 捕 す る に至 れり 。
事 ( 署名)
而 し て支 那 官 憲 は 同 人 よ りポ グ ラ事 件 に関 す る何 等 か の緒 を 得 んと
理
キ露 西 亜 人 扱 ノ骨 ヲ呑 ミ込 メ ル辣 腕 家 ヲ他 ニ転 ゼ シ ムル如 キ ハ以 テ
極秘 岡
希 待 し あ り、 と 君 ふ 。
三六
大 正 十 四年 十 月 十 五 日 松
鎌 田公 所 長
午前十 一時十分発 午後 一時 十 分著
発信者
松岡理事
大正十四年十月十六日 受信者
過 日奉 天 ノ鎌 田公 所 長 ヨリ山 東 督弁 張 宗昌 ノ遣 方 ガ悪 イ ノデ 人 民
︹ 繁︺ 本 庄 少 将 閣下
電 返 、 小 職 モ至 極 同 感 ニテ 于冲漢 氏 ト モ懇 談 シタ。 目 下 ノ処 到底
三九
秘
余 は 張 上将 軍 と の意 見衝 突 より 辞意 を洩 し た と か、 又 は山 東 省 長
れ る処 、 左 の如 し。
于 長 官 は彼 の留 守 中 に起 れ る諸風 説 に就 き 十 六 日佐 々木 参 事 に語
于 冲漢 の談
大 正 十 四年 十月 二十 日
哈 調情 第 六 〇 二号
実 現 セザ ル モ ノト信 ズ 。
ノ奉 天 側 ニ対 ス ル反 感 ノ度 ガ次 第 ニ加 ツテ来 タ カラ 、于 冲 漢 氏 ヲ省
シタ。 然 ル ニ現 時 北 満 重 大 ナ ル形 勢 ヨリ考 へ此 ノ際 于冲 漢 氏 ノ如 キ
事
哈爾 賓 事 務所 長
長 ニ任 ジ 以 テ之 ヲ牽 制 シ ヨウ ト ノ議 略 内 定 シタ旨 ノ極 秘 電 ガ ア リ マ
人物 ヲ他 ニ転 ゼ シ ム ル コト ハ以 テ ノ外 ナ リ、 ト信 ジ マスノデ 本 日鎌 田 氏 へ別 紙 写 ノ通 リ之 ガ 阻 止方 ニ関 シ尽 力 ス ル様 電命 シテ置 キ マ シ
岡
理
タ 。就 テ ハ奉天 顧 問 等 ニ於 テ モ協 力 同 様 ノ措 置 ニ出ヅ ル様 、 老 兄 ヨ
暗号 松
リ モ何 分 ノ儀申 送 ラ ル ル様希 墓 シ マス。右 御 依 頼 迄 。
三七
大 正 十 四年 十 月 十 五 日
北京
て は此 の際 此 の地 を去 る方 が同 氏 のた め却 つて有 利 と思 惟 し 警 戒的
注 意 を 与 へた こと が あ る。 さ れ ど彼 に強 いて退 去 を迫 ま る の意 志 な
命 令 を発 し た、 と 巷 間 に伝 へら る ゝも然 る こと な し。 唯 オ 氏 に対 し
く 、 他 の者 に は何 等 注 意 を 与 へた こと も な い。 又 今後 と ても 与 へぬ
たる可 し等 の風 説 あ り たる や に聞 く も 、右 は全 然 無 根 で赤 党 が支 那
ポ グ ラ爆 薬輸 入 の目的 は橋 梁 破壊 に在 り と伝 へら る るも 、 さ る 小
人を 通 じ て の宣 伝 に過 ぎ な い であ らう 。
事件 の為 で な い。更 に 重大 な る意義 を蔵 す るも のに て日 支 何 れ に 対
積 り で あ る。
り た る に付 、貴 官 の意 嚮 を其 のまま ゴ氏 へ伝 へ て 差 支 へな き や を
(右 に就 ては ゴ ンダ ツ チ氏 よ り貴 官 の内意 を 確 か む る 様 依 頼 あ
する 危 害 を 目的 す る や に就 き ては 目 下慎 重 取 調 中 な れば 判 明 次 第 通
時 局 風 雲急 な り、 と の風 説 に就 ては 一時 甚 だし く 緊張 せ るも 目 下
ふ。)
佐 々木 参 事 より 質 し た る処 、 本 人 に安 心 す る様 伝 へら れ た し と 答
知す べ し 。
小康 を 保 つ て居 る。但 し戦 ひ起 る と せば 河南 の岳 維峻 よ り始 ま る で
四〇
哈 爾賓 事 務 所長 大 正 十 四年 十 一月 十 二 日
哈 調情 第 七〇 〇 号
あら う 。 然 し支 那 と し て自 今 対外 関 係 重大 の折 〓 張 上将 軍 は李 景 林 をし て岳 と の連 絡 を保 たし め つ ゝあ るか ら当 分 憂 慮 す る に及 ば ぬ。 先般 奉 天 に於 け る軍 事 会議 を見 合 せ た のも世 間 の疑 惑 を避 け ん が為 で あ る。 呼 海 線 に対 し 露 国側 よ り何 等 か の抗 議 あ る べし 、 と期 待 し 居 る も今 日迄 其 の事 なし 。 若 し抗 議 し来 ら ば 立所 に説 明 す る考 へで あ る。
月 六 日 哈 調情 第 五五 一号) の如 く で あ る が、尚 今 回鉄 路 警 察 内 に も
当 地 特 別 区警 察 管 理処 内 に政 治探 偵 部 が設 置 され た事 は既 報 ( 十
鉄 路警 察 内 に政 治探 偵 部 設置
な り 。之 も恐 ら く赤 党 の中 傷 的 宣伝 で あら う 。余 は就 任 の当時 各 関
近来 劉 東 鉄 督弁 と 三 理事 と の間 面白 から ず 、 と の貴 説 は 事実 無 根
係 者 に ﹁諸 君等 は 目 下 対外 的 に 一致 し て活 躍 す べ き秋 で内 訌 は 一切
同様 の探 偵 部 が 設置 さ れた。
と申 渡 し あ る為 、 彼 等 の間 に不 和 あ るべ き筈 は な い。而 已 ならず 自
避 け ねば な ら ぬ。 反 目 あ ら ば及 ば ず な が ら余 は調 停 の労 を執 ら ん ﹂
今 対 露 関 係 重 大 な れば 我 が官 憲 の代 表 者等 は 内 々 ﹁ 銷 寒 会 ﹂ (之 は 内 輪 の こと な れば 他 言 せざ る様 願 ふ) な る も のを 設 け、 一週 一回 は 必ず 会 談 し 、 相互 意 志 の疎 通 と対 外 的 団結 を図 り つ ゝあ れば 、 支 那
オ スト ロウ モ フ、 ゴ ンダ ツ チ及 ミ ハイ ロフ三 氏 に対 し、 余 は 退 去
側 の内 訌 は万 な か る べし 、 と確 信 す 。
六
一
三時二十五分発 午後 四時〇 分著
文
三
哈爾 賓 事 務所 長
電 な き を以 て新 聞 に掲 載 せず 。
本 電 は東 陲商 報 社長 尹 捷 郷 の受 領 せ るも のな る が未 だ官 庁 に確
す る の気 勢 あ り。
景 林、 第 一軍 副 司令 郭 松 齢 は 各省 に通電 を発 し 段 政府 に反 対 せん と
十 二月 三 十 一日夜 東 陲 商報 着 北 京電 に依 れば奉 天 第 二軍 総 司 令李
李 景 林等 段 政 府 に反 対 か
大 正 十 四年 一月 七 日
哈調 情 第 六 二 一号
局長 ノ帰 任 ノ上 、奉 天 交 通委 員 会 ノ諒 解 ヲ得 タ ル後 ニ発表 スルト ノ ︹ 謙介︺ 情 報 アリ。 中 村 氏 ニ伝 ヘテ。
十 二月 三 十 一日附 ニテ交 通部 ヨリ盧 局 長 宛 正式 ノ辞令 来 タ。但 シ
本
奉軍 内 変 及其他 時 局関 係諸 件
大正十四年 一月 七日
奉天公所長
﹁ 極秘﹂ 発信者 文
発著時間 本
電 返、 当 地総 司令 部 ニ ハ未 ダ 何 等確 報 ナ シ。 天 津 ヨリ特務 機 関 ヘ ノ消息 ニ依 レバ段 祺 瑞 ヨリ暫 ク止 マル様 話 ア リ シト。 其 ノ外京 奉 線
二
四〓 鉄 路 局
︹ 遠四郎︺ 古 川 事 務処 長
ニモ聞合 セタ ル モ之 又何 等 通知 ナ シト 。
﹁極 秘﹂ 発信者
九時四十五分発 発著月日 大 正十四年 一月七日 午後十時三十五分著
四 哈調情第六二八号 哈爾賓戒厳令撤廃 の件
大正十四年 一月八日 哈爾賓事務所長 当地戒厳令 は愈 々客月三十 一日限り撤廃 の旨 、吉林保安副司令 の
五
第 一〇六電
大 正十 四年 一月 九 日
午後五時 十 分発 同 五時 四十五分著
命 に依 り、客 月三十日戒厳司令 の名を以て布告しました から為念報 告 します。
発著 信 月 日
発信者 奉天公所長
受信者
松岡理事 大 正十 四年 一月 十 日
一時 五 分 発 午後同 十五分著
(明 日午 前 八 時 三十 分 著
︹ 長三︺ 足立印)
打 合 セ ノ件 ア リ。 程 課長 ヲ代 理 ト シテ今 日第 一四列 車 ニテ 遣 ル。
発著月 日
ヨ ロシ ク。
七
秘
北 京 公所 長
北 公 情 秘 二 四第 三 二号 の 一三
張 作 霖 氏 と 時局 に関 す る件
大 正 十 四年 一月 十 一日
張 使 は中 央 の政 情未 だ安 定 せず 、南 方 の形 勢 亦 確 定 せざ る を 以 て
一月 十 一日 天津 発 帰奉 の途 に就 け り。 中 央政 府 に対 し ては表 面容 嘴
夙 に帰 奉 の予定 を 延期 し居 た るが 、各 方 面 よ り帰 奉 を勧 めた る結 果
案 し 、 中 央 は何 等 異議 な く之 を 認 容 す べく打 合 せを 了 し たり 、 と張
せざ る こと とな り居 れ ど も事 苟 も 東 三省 に関 す る範 囲 は張 使 より立
文 ︹ 蔵之助︺ 茂木 博士 十 二日 発 帰国 ノ タ メ支 那 側 ニテ ハ特 ニ十 日総 司 令 ノ名 ニ
べく 歩 調 を 整 ふ る の必 要 あ る べく 、張 使 を差 し置 き て直接 中 央 と事
使 自 身 言 明 し居 た れば 、各 方 面 共 此 の際 張使 を推 し て事 を為 さし む
本
テ 一行 ヲ招 待 、 送 別会 ヲ催 シ尚総 領 事 ヲ経 テ慰 労 金 三 千 円 ヲ贈 リ、
を劃 す る方 法 は之 を避 け 、暫 く 其 の経 過 を見 た くと 思 考 せら る る状
其 ノ他 各病 院 附 医 官 一同 ヨリ銀製 七宝 花瓶 ヲ博 士 以 下各 医員 ニ ( 看
態 に在 り。
八
(二月 一日高 橋 中 佐報 )
護 婦 ニ ハ金 指 輪 ) ヲ贈 ル等 優 待至 ラザ ル ナ シ (東 京 支 社 通 知 済)
盧景貴
六 四〓局長
哈 調情 第 六 八 八 号
編 注 、満 鉄 に て招 聘 、 ︹奉 天軍傷 病兵治療。 ︺
発信者
大 正 十 四年 二月 三 日
哈爾 賓事 務 所 長
張 作 霖 の兵 器充 実 計 画 張 作霖 の兵 器 充実 計 画 の内容 と し て護路 軍 総 司 令 部 に於 て探 聞 せ る所 、 左 の如 し。 1. 漢 陽兵 工廠 製 造兵 器 の三 分 の 一を奉 天側 に納 入 せし め 、製 造 高 監 視 の為 、奉 天 側 人員 を若 干 入廠 せし む 。 2. 上 海 、 江南 、 徳 州 兵 工廠 製 造 兵 器 の二分 の 一を奉 天 側 に納 入 せ し む。
大 拡 張 を 行 ふ。 之 が為 に目 下渾 河 流域 に 工場 敷 地 を測 量 中 な り。
3. 漢 陽 兵 工廠 職 工中 一千名 内 外 を 奉天 に招 来 し て 、奉 天 兵 工廠 の
三 名専 ら其 の設 計 に任 じ あ り。
新 工廠 は独 逸 ク ルツプ兵 器廠 を模 し て建 設 せら る べ く、 独 人技 師
4. 日本 三八 式銃 器 、 弾 薬 の補 充 を為 す。 而 し て右 兵 工廠 の大 拡 張 を建 言 せ るは米 人技 師 ﹁ 福 提 曼 ﹂ にし て、
哈爾 賓 事務 所 長
兵 界製 造 の技 術 方面 は独 人技 師 及 墺 人 技師 ﹁利 徳 来 ﹂担 任 す る筈 な り、と。
九
大 正 十 四年 二月 二十 三 日
哈 調 情 第 七 三三 号
第 十 八 旅改 師 延 期 と 護路 軍 の東 支 沿線 に 増 加 説 (二 月 二十 一日高 橋 中 佐 報 ) 第 十 八旅 改 師 の件 は確 定 的 のも のとし て 一般 に信 じ ら れ あ りし が、
編 し、 現 旅 長張 煥 相 を師 長 に昇 任 せ し む るは 、彼 より 古参 の地 位 に
右 に関 し 護 路 軍総 司令 部 参謀 処 長 の談 に依 れば 、第 十 八旅 を 師 に改
在 る他 旅 長 と の均 衡 上 面 白 か らざ る も のあ るべ く、 該 旅 の改 師 は当
尚護 路 軍 の配 置 、其 の他 重要 事 項 は張 作 霖 、 鮑貴 卿 の賀 宴 後 張作
分 延期 さ る べし 、 と 。
二十 一旅 を新 に東 支東 部 線 の護 路 軍 に増 加 す るは確 定 的 のも のな り 、
相 、 呉俊 陞 以 下 来 哈 し て之 を 決 定す べ し 。但 し 吉林 第 十 旅及 吉 林第
と。
北 京 公所 長
因 に第 十旅 は綏 芬 河海 林 間 に、第 二十 一旅 は海林 哈 爾 賓間 に駐屯 す る予 定 な り 、 と。
一〇
北 公情 秘 二五 第 一号 の 二
時 局 に関 す る件
大正 十 四 年 四 月 二十 日
張 作 霖 及馮 玉祥 両 人 の間 に裏 面 に確 執 あ る こと は屡 々紙 上 に報道
一
河 南督 軍 問 題
胡 景翼 の後任 とし て岳維 峻 を 推 さむ と す る に
さ れ居 る所 な る が、 確 かな る筋 より聞 きた る所 に拠 れ ば、
対 し、 奉 天側 は張 宗 昌 を 山東 に据 え る事 を 条件 とし て承認 せむ と す
る に あ る が現 在 山東 督 軍 鄭士琦 の処 分 に対 し 困難 な る問題 あ るを 以
二
熱 河 の争 奪
馮 玉 祥 は熱 河 を自 己 の勢 力範 囲 に置 かむ と す る
て之 が実 現 行 悩 み居 る事
も のな る が、 李 景林 は之 を奉 天 側 の勢 力範 囲 に置 か むと し て其 の引
渡 し を要 求 し 、応 ぜざ る 場 合 に於 ては武 力 に訴 へても之 を奪 取 せ む と す る の形 勢 に在 る事 等 が目 下 の確執 の原 因 な る が如 し 。而 し て其 の一 は 比較 的 困 難 な ら ざ る問 題 な る も、 其 の二 は収 入 の関 係上 大 問 題 な る を以 て可 な り困
( 極秘)
一 一
難 な る べし と想 像 せら る 。
電 信確
第 六〇 二号
奉 天 公所 長
発 信番 号
大 正 十 四年 四 月 二十 四 日午前 十時 四 十 分 発
発信者
発信 月 日 暗号 、ウ ニ
発信 者 発信月日
電信確
一二
( 極秘) 第六〇七号
大 正 十 四年 四月 二十 五 日
奉天 公 所 長
暗号、ウ ニ
午 前 十 一時 二 十分 発
于 冲漢 ノ談 。 今 回張 上 将 軍 ハ吉 林 張 督軍 、 王 省長 、 黒竜 江 呉 督軍 、
文
用 語 、指 定 電
ル奉直 戦 ノ軍備 立 替 金 ノ負担 額 ニ付 キ会議 ヲ為 シ、 結 局 左 ノ通 リ決
于 省長 、直 隷 李督 軍 、 熱 河〓 都 統 ヲ招 集 シ、 奉 天省 ガ前後 二 回 ニ亘
五百 万 元
八 百 万元 (内 弐 百 万元 ノ公債 ヲ発行 ス)
定 シタ リ ト。
黒竜江
五百 万 元 ( 外 ニ七 拾 五 万元 今 回持 参 ス)
吉林
四百 万 元 ( 同 管 内 ニ於 ケ ル皇 室財 産 ヲ処 分 シ提 携 ス)
一
直隷
二
熱河
文
用語 、指 定 電
三
其 ノ二
張 作 霖 ノ談
四
発信者
一三
( 極秘) 第六〇八号
暗号、 ウ ニ
大 正 十 四年 四 月 二 十 五 日午 后 二時 四 十五 分
奉 天 公 所長
電信確
以 上 何 レ モ二ケ 年 ニ分 納 スル コト ト ナリ居 レリ。
目 下 馮 玉 祥 ハ其 ノ腹 心 ヲ派 遣 シ奉天 側 ガ直隷 、山 東 、 安 徽 、 江蘇 、 河南 、 熱 河 ヲ事 実 其 ノ勢力 圏 ニ入 レ居 ル関 係 上 、彼 ハ問 題 ノ岳 維 峻 ヲ陜 西 督弁 ニ、李 鳴 鐘 ヲ甘 粛 ニ推 薦 セ ント余 ノ同 意 ヲ求 メ来 リ タ ル モ、 余 ノ関知 スル所 ニ非 ズ 、 ト刎 ネ 付 ケ タ リト 。張 宗 昌 ノ山東 督弁 問 題 ハ二十 二 日発 表 スベ シ、 ト ノ内報 ア リ タ ル モ今 ニ其 ノ任 命 ヲ見 ザ ル ハ、或 ハ馮 ト 交 渉 ア ル為 遅 レ居 ル ニ非 ラザ ルカ 。馮 ハ尚 山 西 閻 錫 山 ノ地盤 ヲ モ奪 ヒ、西 北 諸 省 ヲ自 己 勢 力 下 ニ置 カ ント 目論 見 居 ル 傾 向 ア リ云 々。
発信月日 用 語、 指 定
電
文 目 下来 奉 中 ノ馮 玉 祥 使 者騎 兵 旅 長 張樹 声 ト張総 司 令 ト ノ会 見 ニ付
テ ハ、去 ル十 八 日奉 天 情報 第 六号 ニテ報 告 シ置 キ シ ガ、 今 聞 ク所 ニ
之 が為 に目 下 秘 密 に画 策 中 な り 。当 派 の宣 伝 す る処 に依 れば 、 某 方
す る の説 は之 を悉 く信 ず る こと能 はず 。
面 に既 に其 の指 揮 の承 諾 を承 け た りと 言 ふ が、 某方 面 が当派 に援 助
二、其 の 一派 は孫洪 尹 を以 て中 心と す る 民治 派 の分 子 及 一部 の国
府 及 国 民 軍 を飜 し、張 作霖 を以 て時 局 解 決 の人物 と し 、時 局 平 定後
民党 な り 。当 派 の主 張 は張 作 霖 及 呉佩 孚 と 聯絡 をと り同 時 に臨 時 政
奉 直 戦 ノ論 功 に付 テ ハ已 ニ各 軍 長 以 下 ソ レゾ レ行 賞 セ ラ レ最 近更
と言 ふ。 此 の主 義 に基 づ き運 動 を開始 し た るは既 に五 旬 な り。 本党
即 法 統 を 恢復 せ し め、 国 会 よ り張作 霖 を推 薦 し て臨 時 総統 と な す、
ス ル コト ニ決 定 セリ ト。
依 レバ 、河 南 ハ孫 岳 ヲ軍 務督弁 ニ、 岳維 峻 ヲ省長 兼 軍 務 幇弁 ニ任 命
ニ第 一軍長 姜 登 選 ヲ ( 徐 州 ニ駐屯 スル蔡 平 本 ノ 一個 師 ト外 ニ混 成 一
政 客 は 一面 奉 天 派 に馮 玉祥 が最 近労 農 政 府 と聯 絡 を 取 り且 労農 政
らざ るも 、政 客 が之 を挑 撥 す る こと が其 の 一部 であ る。
右 三派 の活 動 は最 近 に至 つ て猛烈 とな り 、其 の原 因 は各 々同 じ か
定 む と 言 ふ 。本 党 の称 へる主 張 は若 干 実 現 す る可 能 あ り。
と 言 ふ に あり 、 其 の臨 時 政 府 の形式 は現制 を飜 し た る後 其 の弁法 を
馮 玉祥 と を提 携 せし め 、別 に臨 時政 府 を組 織 し て時 局 を解決 す る、
三 、其 の 一派 は張 紹 曾 な り 。当 派 の主 張 は現 状 を飜 し 、張 作 霖 と
と を得 ざ るな り 。
が 此 の主 義 に基 づく 運 動 は如 何 な る程度 ま で為 す か は今窺 ひ知 る こ
旅 ヲ其 ノ指 揮 下 ニ措 キ) 山 東 、 江蘇 、安 徽 ノ三 省 剿 匪総 司 令 ニ任 命
北 京 公 所長
シ、 許 蘭 洲 ヲ井 径 炭 坑督弁 ニ任 命 セリト 。
一四
大 正 十 四年 五月 十 五 日
北 公 情 二 五第 一号 の三 二
時 局 の内 幕 に関 す る件 (五 月 十五 日 フ ア ー ・イ ー スタ ン ・タ イ ム ス摘録 )
府 の軍 機 及軍 費 の援 助 を仰 が んと す る こと を 力説 し 、 何時 奉 軍 に攻
近 来 時 局 問題 に関 し頻 々とし て謡 言 が続 出 し居 るも 、 其 の原 因 は
撃 令 を 発 す る や も知 れ ず と称 へ奉 天 派 をし て恐怖 心 を抱 か しむ 。 亦
一面 に政 客 は馮 玉祥 方 面 に対 し、 奉 天 派 が 日本 と聯 絡 し如 何 な る手
に乗 じ て挑 撥 し 、積 極 的 活動 中 のも のに 三派 あ り 。 一、 其 の 一派 は黎 元 洪 を 以 て中 心 と す る政 学 会 の分 子及 法 統 (約
の念 を抱 かし む 。
段 を取 り て国 民 軍 に対 す るや も知 れず 、 と力 説 し馮 玉祥 を し て不 安
野 心家 の挑 撥 す る陰 謀 に外 なら な い。時 局 の内幕 に精 通 す る も の機
を 飜 し法 統 を 恢復 せ んと 欲 す る も ので、即 ち黎 元 洪 を し て法 統 の継
言 を以 て双 方 を煽 動 し 極 力 現状 を 改 造 す る の計画 を企 て、其 の挑撥
政 客 は斯 く の如 く 双 方 に対 し て其 の破 裂 せん こと を促 し同 時 に謡
法 系 ) の恢 復 を主 張 す る議 員等 な り。 此 の 一派 の主張 は臨 時 執 政 制
承 者 と せし め、如 何 な る党 派 に対 し ても 等 しく 之 を 持 し 、根 本 上当 派 に意 見 同 じ から ざ る も のは相 当 の手 段 を 取 り て之 に対 す ると言 ふ、
の目 的 と なし 張 、馮 両派 を破 裂 せ し め て執 政 府 を飜 す こと の困難 な
某 要 人 の説 。 目 下 の形 勢 に あり て時 局を し て小康 なら し め ざ る に
之 に関 し国 民軍 系 各領 袖 の会 議 があ つた事 を報 じ て居 る。兎 に角全
報 は 張作 霖 氏 から 国 民軍 へ正 式 交渉 し た旨 を伝 へ、 北 京 の各 通 信 も
南 北 苑護 防 問 題 は 執政 府 では 絶 対 に否 認 し てゐ たけ れ ど も、 奉 天電
奉 天軍 の入 関 に依 つて時 局 は愈 々不 安 の形 勢 を呈 し て来 た。 所謂
下 尚 完全 の同 意 を求 む る迄 に至 らざ る由 であ る 。
は、張 、馮 両 方 面 に謡 言 を信 ぜし めず 合 理 的 の現状 を維 持 し極 力 段
︹マ マ︺
執 政 を 擁 護 し て段 執 政 を し て時 局 の根 本 的 解 決 を せ しめ 、 大 局 を平
支 那 の各 政 治 的 勢 力 が 一斉 に分 解 作用 を 起 し 、其 の離 合 集散 が時 局
ら ざ る ことを 伝 へて居 る 。
の境 に導 く こと を実 現 し得 る次 第 であ る 。然 ら ざ れ ば軍 事 行 動 は勢
から 伝 へら れ た新 三角 同 盟 説 、 即 ち奉 天 派 と聯 治派 (唐 継堯 氏 を領
不 安 の根 本 原 因 と な つて居 る こと は断 言 し ても よ い。 従 つて某 方面
一
呉景 濂 派
奉天 派
六
二
黎元洪派
唐継堯派
三
斉燮元派
にし て実 現 せば 新 三角 同 盟 の組 成 分 子 は
五
呉佩孚派
天 軍 は 今 明 日中 〓 州 か ら近 畿 地 方 一帯 に配 置 され 、専 ら 張 学 良氏 之
今 後姜 登 選 の指 揮 を 受 く る こと にな つた が、 別 に 二 ケ旅 約 一万 の奉
た奉 天 軍第 六 師 は津 浦線 に よ つて昨 日 山東 、 河南 の省 境 に輸送 さ れ
昨 日 支 那側 に達 し た 天津 か ら の情 報 に依 れば 、前 日〓 州 に到達 し
な い。然 し全 然 可 能 性 が な いと は謂 へな い。 何 と な れば 張 、馮 二氏
し て ゐる さう であ るか ら愈 々同 盟 が成 立 す る の時 機 は勿 論予 測 出来
採 用 を主 張 し、 旧 直隷 派 は旧 国 会 恢復 と曹 〓 民 の形 式 的 復任 を要 求
軍 系 と の生死 的 対 抗 を 現出 す る訳 で あ る。但 し聯 治 派 は行政 委 員 制
に国 民 党系 を残 す のみ で 、大 西 北 主義 を完 成 せ む とし つ ゝあ る国 民
の東 南半 璧 、長 江 一帯 、雲 、 貴 、 広西 一帯 に及 び僅 か に広東 の 一隅
の六 ツを数 ふ べく 、其 勢 力 の範 囲 は満 洲 、 津浦 線 を 境 と し浙 江 ま で
四
と の説 も決 し て 一笑 に附 す る こと は出 来 な い ので あ る。 若 し此 の説
袖 と す) 及 旧直 隷 派 ( 呉 佩 孚 氏 一派) と の聯 絡 が進 行 し つ ゝあ る、
ひ全 国 に弥 漫 し国 民 の祝 福 す る平 和 統 一の実 現 も 又 益遠 く な る 次第
北 京 公所 長
であ る 。
一五
北 公情 二 五第 一号 の三 三 大 正 十 四年 五月 十 六 日
を統 率 す る事 に決 せ る由 で あ る が、奉 天 軍 の近畿 地 方移 駐 に つき張
奉 軍 の 入関 と 最 近 の時 局
作 霖 氏 は 、今 日ま で段 執政 に は単 に京 奉 間 の往来 に あ たり護 送 の面
一致 す れ ば新 三角 同 盟 の起 る理 由 がな い。 それ に関 す る謡言 も製 造
さ れる 訳 も な い の だが謡 言 既 に起 る 、是 即 ち 張 、馮 二氏 の関 係 がう
の関 係 断絶 は最 早 既 定 の事 実 であ る か ら であ る 。張 、 馮 二氏 にし て
ま く 行 つ てゐ な い証拠 であ る。 (当 地各 新 聞 の論 調 を綜 合 し た る説 )
倒 を省 く外 、 京 奉 沿 線 の保 護 並 秩 序維 持 の ため 一部 の奉 軍 を 駐在 せ
直 接 交渉 を重 ね つ ゝあ る も の で、奉 軍 の駐 在 地点 に つき 已 に〓 州 と
しめ む と す る も の であ る こと を告 ぐ る 以外 一切 の ことは 馮 玉 祥氏 と
北 苑 の二箇 所 は馮 の諒 解 を求 め居 る も 、南 苑 と古 北 口 の 二箇 所 は目
哈 調情 第 一 一六号
一 六
東 三省 軍 備 充 実計 画 に伴 ふ経費 の
内 容 (五月 二十 一日高 橋 中 佐報 )
浜 江 鎮 守使 署 に於 て探 聞 す る処 に依 れば 、 四 月 二十 二 日奉 天 に於
て開 催 され た る軍 事 財 政 会議 に於 て、東 三省官 銀 号 を し て 一千 万元
の内 容 は奉 天兵 工廠 拡 張費 及 飛行 機購 入費 二百 五十 万 元 、普 通 経費
の紙 幣 を 増 発 せし め て、陸 軍 経 費 に充当 する に決 せり と 。而 し て其
張 、馮 確 執 問 題 に関 し護 路 軍 総 司令 部 に於 て開 催 せ
大 正 十 四年 五月 二十 日
奉 天省 三 百 万 元 、吉 林 省 二百 万元 、 黒竜 江省 百 五十 万 元 な りと 。
一八
哈 爾 賓事 務 所 長 黒 竜 江 省 露 人軍 隊 組 織
大 正 十 四年 五 月 二十 三 日
哈 調情 第 一 三四 号
られ た る 軍事 会 議 の内 容 (五月 十 六 日高 橋 中 佐報 ) 張 、馮 確 執 問 題 に 関 し 奉 天 よ り の通報 に基 づ き 、 五 月 十 二日護
一、 軍 人 が奉 軍 の行 動 を漏 洩 す る を厳 禁 す る は勿 論 、 哈 市警 察 庁 を
路 軍 総 司令 に於 て軍事 会 議 を開 き 、左 記 方針 を決 定 せり 、 と。
し て軍事 に関 す る新 聞記 事 の登載 を禁 止 せ し む 。 二、吉 黒 護 路 軍 が 新 兵募 集 を開始 せ る場 合 には臨 時 戒 厳 令 を布 き て
呉俊 陞 は目 下 奉 天 軍 に勤 務 し 居 る ネ チ ヤ ー エフ将 軍 と の間 に、黒
べき 者 は支 那 に国 籍 を移 し た露 人 のみ であ る と。 但 し実 現 迄 には尚
竜 江 省露 人軍 隊 組 織 に関 す る交 渉 を進 め つ ゝあ る が、右 隊 に編 入す
ふ こと。
遊 民 、馬 賊 を 防 止 し 、 且新 募 集 兵 の輸送 は 原則 とし て夜 間之 を行
三、 張 、馮 開 戦 の暁 には第 一次 と し て、 吉 黒 聯合 軍 騎 兵 三 ケ旅 を〓
一九
極秘
哈 爾 賓事 務 所 長
一日高 橋 中 佐 宛 朝鮮 軍 参 謀長 報 )
呉 佩孚 の鮮 人 軍隊 編 成 の件 ( 六月十
大 正 十 四年 六月 十 二 日
哈 調 情 第 一九 七号
相 当 の日 子 を要 す る見 込 み で あ ると言 ふ。
南 、 通遼 、 開 魯 、 赤 峰 に出 動 せし む る こと 且之 に対 す る兵站 の準 備 を 為 す こと。
演 習 を行 ふ こと 。
哈 爾 賓 事務 所 長
四、 各 営下 級 軍 官 の軍 事智 識 啓 発 の為 、 毎 週 火 、 土曜 に は必ず 野 外
一七
大 正 十 四年 五月 二十 二 日
哈 調 情 第 一 三 一号
近時 鴨 緑 江 対 岸 支那 領 土 に於 て左 の如 き風 説 あり 、真 偽 疑 はし く
記
或 は 不逞 鮮 人 一流 の宣 伝 かと 思惟 せ ら る ゝも参 考 迄 。 左
一層 謡 言甚 しく 、 同 地方 の富 豪 連 は陸 続 と し て上 海 に避難 し つ ゝあ
行 はれ た る督 弁 孫 伝 芳 の閲 兵 後 、松 江 に来 り て其 の儘 屯営 せし よ り
る。松 江停 車 場 は 昨今 之 等 避 難 民 の家 財 其 他 の荷 物 に て山 を 為 す。
の筧橋 ( 杭 州 の北 )着 と共 に乗客 は荷 物 の検 査 を受 け なけ れ ば なら
尚 滬杭 鉄 道 の乗 客 に 対 す る浙 江 派 の警 戒 は頗 る厳 重 にし て途 中 汽車
な い。
一、呉 佩 孚 は 張作 霖 に対 し 雪 辱 す べく 目 下 ソヴ エート露 国 と 密 か
一定 の条 件 の下 に之 を利 用 す る 目的 を以 て、露 国 よ り小銃 及 拳 銃 五
二 一
哈爾 賓 事 務 所 長
に連 絡 し且 南 、 北満 洲 に散 在 す る 不逞 鮮 人 軍隊 を其 の麾 下 に引 入 れ
万挺 、金 五 千 万 円 の補 助 を 受 け し め、 呉 佩孚 自 ら三 万 円 を出 し鮮 人 軍隊 を編 成 せし む る 予定 な り 。
秘
大 正 十 四 年 九 月 二十 九 日
哈 調情 第 五二 六号 二〇
九 月 二十 七 日、 吉 黒 江防 司 令 毛 鐘 才 氏 の言 ふ所 に依 れば
一、 張 上将 は中 秋 節後 天津 に赴 く筈 な り。
時 局 に関 す る諸 要 人 の談 上 海 事 務 所長
二、 上 海 仮 政府 は 、是 を 河南 江東 方 面 に移 動 せし む可 し と 。
上事 情 第 三 三 号
一、 奉 天 軍 は既 に数箇 旅 団 を 関 内進 出 さ せ吉 林第 十 六 師長 于 仙洲
( 張 作 相 の率 ゆ る師 団) も動 員 す べ し、 と の説 あ り。 吉 張 の奉 天行
(農 安 駐 在 ) は〓 南 よ り蒙 古 地 帯 に向 け出 発 せ り。 吉 林 第 二十 師団
奉 浙開 戦 の謡 言
大 正 十 四年 七 月十 九 日
奉 浙 開 戦 の風 説 は奉 天派 の当 地 戒 厳 総司 令 〓 士廉 や浙 江督 弁 駐 滬
出 京 に際 し ﹁江蘇 と 浙 江 と は既 に 二回 の戦 争 を経 て 地方 商 民 に甚 大
張 作 霖 を 大 総統 に、 馮 玉祥 を副 総 統 に推 挙 せし む可 し ﹂ と の事 な り。
十 日国 慶 記念 日後 段祺 瑞 退 位 せざ れ ば馮 これ を 駆逐 し、 各省 をし て
一、馮 玉祥 は代 表 を 奉 天 に送 り張作 霖 と約 束 せ し め て曰 く ﹁十 月
は軍 事会 議 の為 な り、 と 言 ふ。
弁 事 処 長 宗雪 琴 等 が全 然事 実 無 根 な る を声 明 し 、謡 言 の打 消 に努 め
な る損 害 を与 へ、 未 だ に夫 れ に対 す る救 済 法 も 講 ぜ ら れざ る に今 や
つゝあ る に拘 らず 、 十 五 日北 京 電 に て同 日湯 山 に赴 き た る盧 永祥 が
遠 から ざ る中 に第 三 回 の戦 争 を避 け 難 き場 合 に当 面 せ り云 々﹂ と談
一、 山 東 駐剳 某 旅 団 長 よ り の来 信 に よ れば 、 山東 省 内 軍隊 は徐 州
一、 段祺 瑞就 職 の際 には 一年 後 退位 す べし と 宣言 し 、 遠 から ず其
に集 中 し 動 員令 已 に下 れ り。
れ る旨 入 電 あ りし に依 り 、当 局 者 が打 消 さば 打 消 す程 戦 争 の謡 言 は 盛 ん に流 布 さ れ つ ゝあ る。 而 し て目 下戒 厳 を布 か れ た る奉 浙 戦争 地 点 な る松 江 に於 ては 、浙 江軍 の精鋭 た る盧 香 亭 軍 が 、過 日 筧 橋 に て
移 動 の事 に就 き尋 ね た る に何 等 知 る処 なし 、 と語 れ り 。(山 根 )
に堪 へず と平 素 の大 言 壮 語 に も似ず 頗 る憂 色 あ り。 尚農 安 第 十 六師
哈爾 賓 事 務 所長
の時機 な る にも拘 らず 退 位 の様 子 な き のみ な らず 、 自 ら 新 軍十 八 個
二二
秘
直 隷 省 より哈 爾 賓 に来 り商 業 を営 み居 る者 は 奉天 軍 が臨 楡 、 撫寧 、
支 那時 局 緊 張 説 に就 て
大 正 十 四年 九 月 二十 九 日
哈 調情 第 五 二 七号
旅 を編 成 せん と し つ ゝあ るを 以 て 、馮 、張 共 に段 に対 し 不快 に感 じ 居 れ り。 一、国 慶 記念 日後 各 省 一斉 に爆 発 す るや も知 れず 、 河南 岳 維 峻 と 山 西閻 錫 山 と 及 江蘇 楊 宇 霆 と浙 江孫 伝 芳 と の間 に は孰 れ も開 戦 を免 れざ る 可し 。 一、内 乱 勃 発 の徴 あ る為 、 今 回 のポグ ラ爆 薬事 件 に関 し積 極 的 に
本 月 二十 八 日 特別 区行 政 長 官 于 冲漢 氏 来 所 し た れ ば佐 々木参 事 は、
抗 議 を為 し 得 ざ る は甚 だ遺 憾 なり 。
如 何 に も昨 今 御 説 の如 き謡 言 は 広 ま り居 れ り 。時 局 の為自 分 は
し て居 る こと 及 民間 所 有 の車 輛 、馬 匹 、糧 秣 は全 部軍 隊 に登録 され
天 の管 轄 とな れ り) に命 じ て 、大 県 四 万元 、 小 県 二万 元 の軍 費 を徴
昌 黎 、楽 亭 、遷 安 、盧 竜 、〓 、豊 潤 の八県 (奉 直戦 後 此 の八県 は奉
近 日奉 天 に行 く や も 知 れず 。 馮 玉 祥 は目 下 山 西 を 占領 せ んと の野
ふ こと は無 根 の謡言 だ と断 ず る 訳 に はゆ か な い。
徴 発 を待 ち居 れ り と言 ふ郷 里 の通信 に接 し た。 従 つ て時 局 緊張 と 言
毛 鐘 才 氏 の語 りし 所 を 更 に質 し た る に、 氏 は次 の如 く語 る。
心 あり 、愈 々之 が実 現 せ ば張 、 馮 の戦 ひ は免 れ ざ る処 にし て其 の
し居 れり 。
が独 立 せ んと す る と の消 息 あ り た る に起 因 す る、 と の説 あ り。
奉 直 両 省 が軍 事 行 動 を開 始 す べし 、 と の風 説 は、 湖 北督 弁 蕭 耀南
奉 直 両省 の軍 事 行動
大 正 十 四年 九月 三 十 日
哈 調 情 第五 三 六号・ 哈 爾賓 事 務 所 長
二三
際 北 満 の守 備 薄 き に乗 じ 、 労農 の侵 入 は 必然 な りと て前途 を 悲 観
段 祺 瑞 の退位 云 々は 同 氏 臨 時執 政 就 任 以来 既 に 一年 に垂 んと す る今 日、 新 た に臨 時 参 政 院 を 設 け、愈 々段 を正 式 に総 統 に推 薦 す べ し 、と 言 ふ誤 伝 な ら ん。 本 月 二十 八 日古 沢所 長 張 煥 相 氏 を訪 問 し 今 回 のポグ ラ爆 薬事 件 に 就 き 意 見 を徴 した る処 、張 氏 は本 件 の性 質 は極 め て重 大 な り と なし 、
る陰 謀 を 目的 とす るも のと推 断 し 居 れ り。 張 氏 は護 路 軍 就 任 以来 六
其 の真 相 は目 下 取 調 中 に て何 とも 言 明 し兼 ぬる も 、右 は奉 天 に於 け
年 と なり最 近労 農 が東 鉄 に入込 み てよ り約 一年 と な れ る が、 労農 勢 力 の浸 潤極 め て迅 速 にし て、 此 の形 勢 を 以 て推 移 せば将 来 の事 寒 心
哈調 情 第 五 五三 号
二四
秘
哈爾 賓 事 務所 長
松岡 理 事 殿
(別 紙) 陸 軍 総 長 呉光 新 氏 の談
別 紙 呉光 新 氏 の談御 参 考迄 及報 告 候
北 京執 政 府 陸 軍 総長 兼 訓練 処 総 監 呉 光新 氏 は 六 日午後 七時 十 五分
参 謀 陸 軍 少将 ヨウ ・テ イ ・ホ上校 レ ウ ・ コウ ・ケ ンの幕僚 を伴 ひ着
翌 日午 前 十時 二十 分 発 に て同 地 に向 ひ八 日早 朝帰 奉 せり。 総 長 曰 く、
奉 、 都 ホ テ ルに投宿 せ り。 恰 も張 上 将 軍高 山 子 に帰 省 し居 りし為 、
大 正 十 四年 十 月 六 日
の通牒 (十 月 四日 高橋 中 佐 報)
会 見 懇 談 し た る が何 れも 段氏 擁 護 に付 て は意 見 一致 し居 れり 。只 直
今 回 渡 日 に先 立 ち問 題 の中 心 た る馮 玉祥 、岳 維峻 、 蕭耀 南 の三氏 と
ふ こと と せ り。尤 も他 に単 に見 学 と し て参 名 の訓 練 処員 を 同 行 せり 。
演 習 陪 観 に招 待 せ ら れた る を 以 て、 段執 政 の許可 を 得随 員 拾 名 を伴
其 の時 機 に非 ざ る を 以 て中 止 し た る が、 今 回 日本 政 府 よ り正 式 に大
是 迄 渡 日 を企 図 せ し こと 一再 な らざ り し も種 々謡 言 の起 るを 慮 り 且
に対 し 日本 政 府 と隔 意 な き 意 見 の交 換 を為 さむ と す るに あり 、余 は
余 の赴 日 は固 より 大演 習 陪 観 が表 面 の目 的 に て、裏 面 には関 税会 議
東 三省 軍 事 に関 し 護 路 軍総 司 令 部 へ
東 三 省 の軍 事 に関 し張 作 相 よ り護 路 軍司 令 部 に左 の如く 通 牒 し来
本 督弁 (張 作相 ) は九 月 二十 二日張 作 霖 よ り国 境 に臨 時 戒厳 令
れり 。 一 施 行 の命 令 に接 せり 。 奉 天省 に於 ては新 たに騎 兵 三箇 旅 を編 成 し 不足 馬 匹 は海 拉 爾及
本年 十 月 本督 弁 は護 路 軍 の検 閲 を為 し国防 事 宜 を処 理 す べし。
二
奉 天 軍 よ り更 に歩 兵 一箇 師 一箇 旅 を直 隷 北京 、天 津間 に派 遣 し、
呼 倫 貝 爾 地方 に於 て購 入 す る筈 な り ( 其 の数約 一万 三千 頭 )。 三
が厳 重 に取締 りを な せば 可 な り。 漢 口は直 隷 派残 党 の根 拠 地 に し て、
隷 派 の残党 機 を見 て之 に乗 ぜ ん と種 々宣 伝 を なす も のあ るも責 任 者
奉 天 公 所長
ぎ ず 。之 と ても単 に武 器其 の他 弾薬 の補 給 を仰 ぐ 一の方 便 に利 用 す
ず 。馮 玉祥 に至 つて は極度 に自 己擁 護 の必要 上露 国 と親善 す る に過
去 の今 日 に於 ては 恐 らく孫 岳 と の間 に衝 突 を 起 す如 き憂 ひな しと 信
岳維 峻 は 地盤 の不安 より動 も すれ ば問 題 の中 心と な るも 、胡 景 翼 死
意 し 、 本人 も大 い に諒 解 し た る模 様 な れば 将来 何 等 懸念 す る所 なし 。
南 に対 し軽 挙 妄 動 を戒 し め決 し て首 鼠 両端 の計 を なす べ からず と注
呉 佩 孚 も亦 岳 州 にあ り相 呼応 し て宣 伝 に余念 な きを 以 て、 余 は蕭 耀
奉 天 省 の防 備 手薄 と為 れ る を 以 て吉 林軍 より歩 兵 二箇 旅 を 奉 天省
秘
兵 を 募集 し て奉 天北 大 営 に輸 送 す る計 画 な り 。
張 作霖 の命令 に基 づ き歩 兵 一万 、騎 兵 一箇 旅 、 砲兵 二箇 旅 の新
内 に派遣 す る筈 。
四
五
二五
奉 天情 報 第 五 七号
大 正 十 四年 十 月十 二日
る の み。彼 は現 に露 国 武 官 を招 聘 し居 る も砲術 の教授 を な さし む る 外、 兵卒 と伍 せし む る こと なく 随 て毫 も赤 化 の懸 念 な し。 彼 の性格 上少 な く も十 年 以 上寝 食 を共 にし 、而 も志 を 同 うす る も の に非 ざ れ ば決 し て 近付 かざ る状 況 にあ れば 、労 農 が如何 に宣 伝 に巧 みな りと 雖 も其 の策 を施 す の余 地な し。 只 奉天 派 の圧迫 を恐 れ馮 には 野 心 の 大 な るも のあ るは蔽 ふ べ からざ る事実 な るも 、彼 は容 易 に鋒 鋩 を 現
二六
秘
哈 爾賓 事 務所 長
因 に同氏 は九 日急 行 に て渡 日 の途 に上れ り 。
所 を伝 へ、時 局 収拾 に努 力 せん こと を勧 告 す る積 り な り云 々。
哈 調情 第 五 七 三号
蘇 子真 氏 の時 局談
大 正十 四年 十 月 十 二 日
呉敏 麟 ( 前 交 通 総長 )張 英 華 ( 前 財 政総 長 )呉 景 濂 ( 前 衆議 院 議
わ さず 、 又張 作 霖 と の関 係 に付 ては段 執 政 の意 見 をも 説 明し 懇 々勧
和 す る必 要 あ り と説 き 、張 上将 軍 も 亦 大 い に悟 る所 あり 、之 が為 九
員 )張 志潭 (前 曹 〓 秘書 長 ) の四名 は 目下 漢 口に在 り て反 奉天 運 動
告 し置 け り。 張 上 将軍 に面 会 の際 にも 馮 に対 す る態 度 を 今少 し く緩
日 より 開 かる べき 軍事 会 議 は 一時 延 期 す る こと に決 定 し 夫 々密 電 を
画策 中 なり と言 ふ。
楊宇 霆 の江蘇 督 軍 問 題 に就 ては余 の飽 迄 不賛 成 な り。 之 偏 に彼 の
隊 の整 頓 並 中央 政 府 が之 を統 率 し得 る の機 運 を促進 す る に至 る べし 。
那 が幾 分 に ても利 益 す る こと を得 ば 外債 の整 理 も自 ら方 法 あ り 且軍
に至 る べし 。之 に依 て国 本 を 固 め近 く 開 か る べき関 税 会 議 に於 て支
事 困難 なら ん 。有 事 の際 重 ね て奉 天 の用 をな さし め得 る や否 や疑 問
ば 、奉 天 は恰 も 四隻 の鷹 を野 に放 ち たる と同 様 、再 び手中 に収 む る
投 降 せ ん こと を申 出 で、 呉 の拒絶 に会 ひ た る位 にし て現状 より見 れ
其 の人物 頼 む に足 らず 、殊 に前 奉直 戦 争 の際 李 、張 両 氏 は呉 佩孚 に
李 景 林 は直隷 派 にし て、山 東 督弁 張 宗 昌 は山 東派 な る のみな らず 、
段祺 瑞 と の関 係 密 切 な り。 江 蘇督 弁 楊 宇霆 亦 准段 派 な り。 直隷 督 弁
奉天 は現在 全 く 空虚 な り。 安徽 督 弁姜 登 選 は純 粋 の安 福 派 にし て
発 し たり 。目 下 中 央 政府 とし て の主 な る問 題 は国 民会 議 な る が、之
部 下朝 宣 、 王 子林 等 の慫 慂 に依 る も の にて 、之 が為 奉 天 側 に与 ふ る
と ても 已 に手 配 済 み居 れば 遅 く も来 年 一、 二月 迄 に は開 会 す る運 び
影 響 は決 し て僅 少 に非 ず 。 楊督 弁 は 一個 の人 材 には相 違 な き も其 の
哈 爾 賓事 務 所 長
なり 。
二七
秘 大 正十 四 年 十 月十 二日
哈 調情 第 五 七 五号
慾望 を充 た す に余 り に汲 々た る は却 つ て本人 の将来 を危 く す る も の にて、 彼 去 り し後 の奉 天 は郭松 齢 、 張 学良 の 如き若 輩 の跳梁 を招 来 し 前途 決 し て楽 観 を 許 さざ るも のあり 。張 上将 軍 と雖 も徒 ら に猛進 す る こと のみ知 つて、 退 い て内 を整 う る の途 を知 らざ ると き は結 局 自滅 を招 く の外 なし 。余 は王永 江、 張 学 良 と も懇談 せむ と欲 す。 尚 日 本 より の帰 途 上 海 に廻 り更 に孫 伝 芳 を訪 ひ て段執 政 の意思 の ある
広東 方 面 戦 況 十 月 十 日、 蘇 子真 談 広 東 赤軍 首 領蒋 介 石 は陳 〓 明 の為 に 一敗 地 に塗 れ たり 。 従来 広 東 にあ り た る露 国 人赤 軍 は其 の数 五 、六 千 の多 き に達 し たる が蒋 介 石
二八
極秘
哈 爾賓 事 務 所長
の失 敗 と共 に、露 人 イ ロン (陸軍 総 長 ) は陳 〓 明 の為 に生檎 りせ ら れ たり 。
哈 調情 第 五七 六号
吉 林 及 鄭 家屯 (呉 督弁 母 堂 葬儀 の為 ) に赴 き最 近帰 哈 し た る張煥
斉公第 一六九号
二九 斉 々哈爾公所長 江省軍界異動 の件
大正十四年十月十八日
奉天楊総参議江蘇督弁就任の後を受 けて江省督弁公署参謀長兼歩
兵第二十二旅 々長王樹常氏 (日本陸大卒)総参議 に栄転 せり。 その
結果江省軍界 に左 の異動を来 せり。
濤
王 南 屏
未定(現軍官養成所教育長張貫 一?)
第十八師参謀長
与
王 爾 〓
王
一、督弁 公薯参謀長
督弁公署副官長
国 綸
職 一、第十八師参謀長
憲兵第 三営長
聶
原
一、満洲 里歩兵第 三十八団長
第十八師少佐参謀
任
一、督辮 公署副官長
満洲里歩兵三十八団長 靖
新
一、憲兵第 三営長
大 正十 四年 十 月 十 二 日
相氏 を本 日訪 問 し 、 第 三奉 直 戦 の風 聞 に就 き尋 ね た る処 、張 氏 は 曰
一、砲兵第 二団長 ( 省城)
殿 九 泰 来
時 局問 題 に関 す る張 煥 相 の談
く 、張 と 馮 と の衝 突 は到 底 避 く べ からず 、唯 北 満 一帯 の動 乱 を 顧慮
砲兵第 二団長 張 ( 兼)安達騎兵第四旅長 呉
人
し て極 力這 般 の衝 突 を避 く べし と主 張 す るも のあ るも 、馮 玉 祥 が近
一、安達騎兵第四旅長 一、歩兵第 二十二旅長
三〇 哈調情第 六〇五号 秘 張 、馮関係
大正十四年十月二十日
哈爾賓事務所長
来 益 露 国 赤党 と緊 密 な る関 係 を維 持 し 、其 の援 助 に依 り て盛 ん に軍 容 を整 へつ ゝある現 状 に照 ら し、 徒 ら に時 日を遷 延 す る に於 ては遂 に抜 く べか らざ る の勢 力 と な り結 局 奉張 の敗 北 に帰 し北支 那 一円 は 赤 化 の危険 に瀕 す べ きを 以 て、馮 軍 の準 備 な ほ完 成 せざ る に先 ち急 速 に之 を覆 へす に如 かず 、 と 主張 す る有 力 の意見 も ある が、 目 下 の 処 近く 開 戦 を見 るが如 き 模 様 なし と 。尚 奉 天 が新 た に二 ケ師 団増 設 の計 画 に就 き尋 ね た る に、張 氏 は何 等聞 く 所 な し、 と 語 れ り。
一、 奉天 に於 て は目 下軍 事 会 議進 行 中 で其 の主 要 問題 は対 馮 玉祥
時 局 に関 し十 月 十 六日蘇 子真 の報ず る処 、 左 の如 し。
め軍 心 の離散 を計 り つ ゝあり 、奉 天 に於 て は此 の種 の間 諜 を発 見
左 の電 あ り。 ( 馮 玉 祥 は国 民 軍 の兵 士 を東 三省軍 隊 内 に 潜 入 せ し
孫 伝芳 、〓 士 廉 は銃 火 を交 へた り) 又 同 日張 作霖 よ り督 弁 代 理宛
な る注 意 をな す べし )
三二
秘
大 正十 四年 十月 二十 一日
哈 調 情第 六 〇 八号
哈爾 賓事 務 所 長
し銃殺 せし も の三件 に及 ぶ。黒 竜 江 軍隊 の将 校 は本 件 に対 し綿 密
問 題 であ る。 蓋 し 労農 と 馮 玉祥 と の密 約 が成 立 し た る為 に て、右 密
労 農 は金 額 一千 五 百万米 弗 の範 囲 内 に於 て毎年 馮 玉祥 に武 器 を供
約 の内 容 は左 の如 き も の であ る。
給 し 十年 後 年 賦償 還 する筈 な るが 、現 金 に て購 入す る場 合 も 労農 に 注 文 し 、他 国 より購 入す る こと は出 来 な い こと、 並 に労 農 側 陸軍 士 官 多 数 を雇 入 れて馮 の軍隊 を訓 練 す る と言 ふ のであ る。 右 の密約 が奉 天側 に知 れ た の で馮 玉祥 の羽 翼未 だ豊満 なら ざ る に
時 局 に鑑 み北 満 警 備 に関 し張 作 霖 の護 路 軍 に
先 立 ち て之 を討 つに非 ざ れ ば遂 には〓 臍 の悔 あ る べし 、 と の理由 に
与 へた る訓 令 (十 月 二十 日高 橋 中 佐報 )
六 、満 洲 里 及 ポ グ ラ の国境 方 面 には歩 哨 を派 遣 し て赤 軍 の軍 事 行
し。
五 、東 支 鉄道 の橋 梁 其 の他 の要害 地帯 は陸 軍 に於 て増 員守 備 す べ
内外 人 の発 信 す る 暗 号電 報 を厳 査 す べ し 。
四 、労 農 の為 に哈 市 無線 電 台 を破 壊 せ ら れざ る様 警 戒 す べし 。尚
三 、 一切 の新 聞 紙 に対 し 江浙戦 の記 事 登載 を禁 止 す べし 。
と。
二、戦 時 逃 亡兵 補 充 の為 に各 旅 は 二ケ営 の予 備 兵 を募 集 し置 く こ
直隷 派 間諜 の捜 索 を 厳命 す 。
一、吉 林 省 、黒 竜 江 省 の全 陸 軍 に戒 厳 を命 じ、 労農 赤 化宣 伝員 及
大 要 左 の如 き張 作 霖 の電 報 に接 せり、 と 。
謹 路軍 総 司令 部 に於 て採 聞 す る所 に拠 れ ば該 司 令部 は十 月十 七 日
て軍事 会議 開 催 の運 びと な つた の であ る。 従 つて西 北 に事 あ れば 労
を裏 書 す る も の であ る。然 し若 し 開戦 す る こと とな れ ば北 満 の人民
農 は必ず 馮 を 援 け る こと は 必然 であ つて、 先 の爆 薬 事件 の如 き は之
は更 に苦痛 を増 す訳 であ る から 、 先 づ外 交 手 段 を以 て解 決 す る の外 な かる べく 果 し て良 好 な る結 果 を 得 る や否 や疑問 で ある 云 々。
斉 々哈 爾 公所 長
三 一
秘
大 正十 四年 十月 二十 日
斉 公 第 一七 一号
張 、馮 愈 開 戦 か (二十 日哈 事 宛 転電 方 依頼 せ る電 報確 )
( 奉 天 は 愈 国民 軍 と 開戦 に決定 し江 省 の騎 兵 第 十 七、 歩兵 第 十 八
十 八 日在 奉 呉督 弁 より江 省 当 局 に宛 左 の電 あり 。
両師 団 を 出動 せし む る に つき至 急 準 備 を整 へ出 発 の命 を待 つべし 。
動 を偵 察 せし む べし 。
し 。 又浦 塩直 通 列 車 には軍 人 及 警官 を乗 車 せし め監 視 せし む べ
七 、東 支 鉄道 の車 輛 を労 農 の為 に騙 取 交 換 せ ら れざ る様 注意 す べ
し。 八 、北 満 の軍 事 に関 し て は 一日 一回奉 天 に報告 す べし 。 又赤 化 宣 伝 を為 す 者 は総 て奉 天 に護 送 す べ し。 九 、露 領 より 入満 す る列 車 に は軍 事戒 厳 令 を適 用 し て旅 客 及郵 便 物 を検 査 す べ し。
斉 々哈爾 公 所 長
三三
秘
大 正 十 四年 十 月 二十 一日
斉 公第 一七 五号
日哈 事 を通 じ て転電 し た る電 報確 )
時 局 に関 す る程 政 務庁 長 の談 (二十
三四
哈 爾 賓事 務所 長
大 正 十 四年 十 月 二十 一日
哈 調 情第 六〇 九 号
蘇 浙 事 件 の影響
一、 支那 官 憲 は当 地露 、支 新 聞 に対 し 蘇 浙戦 記 事掲 載 を 差 止む 。
三五
秘
哈爾 賓 事 務 所 長
二、本 二十 一日 大 洋相 場 百 八 円 に下 落 す 。
哈 調 情 第 六 一 一号
時 局 に関 す る件 (十 月 十 九 日蘇 子 真報 )
大 正 十 四年 十 月 二 十 一日
時 局 風 雲忽 然 と し て打 開 し 楊 督弁 は上 海 を敵 の蹂 躙 に委 す る の已
手 の下 し様 なし 。 楊宇 霆 は之 を敵 手 に委 す る を主張 し奉 天 亦南 京 を
両 混 成 旅 は孰 れも 呉佩 孚 、 孫 伝芳 側 に与 し居 るを 以 て、 蘇 州 以南 は
の途 な し 、 と の こと な り。 蓋 し白 宝 山 、 陳調 元 の二 ケ師 団 及張 、 王
江 省 軍隊 の出 動 は省 内 馬 賊 の蜂 起 を来 す べ く、 満 洲 里駐 防 歩 兵第 十
棄 て徐 州 を守 り安 徽 を保 つべ し 、 と決 議 せ り。 要 人 の談 に依 れば 、
む なき に至 れ り。 本 日 入手 せ る確 報 に依 れば 、 江蘇 は遂 に保 守 する
五 旅 の出 動 は労農 に対 す る防 備 を撤 廃 す る こと ゝな り、 北 満 に対 す
徐 州 以 北 に在 る江 蘇 、安 徽 の軍隊 も亦 多 く頼 む に足 らざ る を 以 て遂
黒竜 江省 軍 隊出 動 に関 し 程 政務 庁 長 の談 、左 の如 し 。
る 大脅 威 にし て目下 軍 、 政 両関 係 者 は善 後 策 に多 忙 を極 め つ ゝあ り、
に は安 徽 を も敵 手 に委 す る の已 む な き に至 る べし 。
十 八 日呉 督 弁 の命 令 に接 し た る両 師 団 は目 下 出 動 準備 中 な る が、
一切 を決 定 す べし 。時 局 の推移 に より ては 日、露 の関 係 に重 大 な る
呉 督 弁 は 二十 二日帰 任 の筈 な れば 、 其 の上 に て軍 隊 の移 動 、 配置 等
結 果 を来 す べし 。何 れ にし て張 と馮 と の開 戦 が如 此 早 か りし は意 外 なり。
三六 哈調情第 六二〇号 秘
哈爾賓事務所長
大正十 四年十月二十三日 ︹マ マ ︺
時局 の切迫 と馬糧 の準備 ︹マ マ︺
奉 天 張 学 良 よ り馬 糧 用麦 八百 布 度 、乾 草 六 千 布 度至 急 購 入輸 送 方 、
北京 公 所 長
別 の便 宜 取 計 ひ方 、 昨 日張 煥 相 より 当所 に申 出 あ り たり 。時 局 切迫
当 地護 路 軍 司 令部 に依頼 あ り た る由 にて 、長 春奉 天 間 輸 送 に関 し特
の 一証 と し て右 報 告 す 。
三七
北 公 情 二 五第 一号 の 一〇 〇 大 正 十 四年 十 月 二 十四 日 最 近 の時 局 と今 後 の趨 勢
今 回勃 発 し たる奉 浙 戦 争 は孫 伝 芳 が奉軍 〓 士廉 の上海 駐 兵 の撤 廃 を 口実 に て火 蓋 を 切 つた 次第 であ る が、事 前 に於 て反 奉 天 派 の呉 佩
昨 年 失敗 後 岳 州 に於 て時 機 を待 ち た る呉 佩孚 は 二十 一日漢 口 に赴
孚 及 直 隷 一派 と予 め聯 絡 を取 り居 り た る こと と観 測 さる 。
き 、十 四省 の推 戴 に依 つて討 奉聯 軍 総 司 令 を名 告 り た る が、 一方 対
の眼 の如 く 変 化 す る支 那 の戦 局 は 、 呉佩 孚 一派 の暗 中 飛躍 と国 民 軍
出 でざ る限 りは 本年 内 に於 て大 戦 を 見ざ ると 観測 さる 。然 れ ど も猫
斉 々哈 爾 公所 長
三八
の戦 略 に依 つ て、孫 伝 芳 の導 火 戦 は奉 直 両 派 の再 戦 を見 るや も計 り 難し。
斉 公 第 一八〇 号
時 局 に関 す るゾ ケ チ ンべ の談
大 正 十 四年 十 月 二十 四日
第 十 八師 歩 兵 第 十 五旅 ( 満洲里)
旅
長
長
万
梁
福
忠
麟
甲
一、出 動 軍 隊 今 回出 動 に決 せ る も の左 の如 し 。
騎兵第十七師 ( 安達)
旅
海 拉 爾 歩兵 第 十 七 旅 ( 旅 長 張 明九 ) は 歩兵 第 十 五旅 に代 り満 洲 里
梁旅 長 の派 せ る密 偵 の報告 に よれ ば、 赤露 は約 二
方面 の防 備 に任 ず 。 一、 赤露 の行 動
週 間 前庫 倫 よ り自動 車 八十台 に飛 行 機 其 の他 の軍 器 を積載 し張 家 ︹ 汾齢︺ 口 に輸 送 せ り、 と 。 又裘 ハバ ロフ ス ク駐在 支 那領 事 の報告 に依 れ
に手 を伸 ば さ ん とし つ ゝあ るは 疑 ひ を容 る ゝ余 地 な く、 東 三省 は
其 の他 種 々 の情 報 を 綜合 す る に赤 露 が 一方 馮 を援 け 、 一方 北満
ば 、約 五千 の赤露 精 兵 は日 々猛 烈 な る演 習 をな し つゝあ りと 。
一兵 を も 動 か さず 、 且 馮 玉祥 は各 新 聞 に報 導 す る如 く 表 面 上 は兎 も
之 に対 し多 大 の注意 を払 ひ つ ゝあ り。
奉戦 に なく ては な ら ぬ国 民 軍 と の聯 絡 に就 て は目 下 河南 の岳 維峻 は
角 軍 事 行 動 に出 でざ る状態 で あ る。 要 す る に奉 天側 が積極 的行 動 に
一、呉 督 弁 の行 動
斉 公第 一八 一号
当 分省 城 及 哈市 を往 復 し 留守 任 務 を担 当 す べし 。
三九
斉 々哈 爾公 所 長
大 正十 四年 十 月 二十 五 日 江 省 軍 事会 議 内 容 二 十 三 日督 弁 公署 に開 催 せ ら れ た る軍事 会 議 の内 容 左 の如 し 。
四〇
秘
哈爾 賓 事 務所 長
大 正十 四 年十 月 二十 七 日
哈調 情 第 六 三 二号
南 京 に於 け る戦 況 の真 相 ︹ 成立︺ 旅 行 中 の徐嘱 託 が奉 天 よ り致 せ る通信 に拠 れ ば、 甫 京 の戦 ひは陳
調 元 、白 宝 山 の両 軍 が孫 伝芳 に加 担 せ る為 、 退却 中 の奉 天軍 隊 を追
れ た る由 な り 。東 三省 軍隊 は南 方 に向 つて出動 す る事 を見 合 せ、防
撃 し奉 天 側 蔡平 本 の 一ケ師 団 は殆 全滅 し、 楊宇 霆 は〓 に身 を 以 て免
備 を厳 に し て馮 玉祥 に備 ふる ことと な れ り。 山東 の六 ケ師 団 は徐 州
一、出 動 軍 隊 騎 兵 一師 (第 十 七師 ) 歩 兵 一旅 (第 十 八師 第 十 五 旅) 砲 兵 一連
四 一
秘
哈 爾 賓事 務 所 長
爾 賓 に進 出 せし め 以 て赤 露 に備 へしむ るに如 かず 、閣 下 離 哈後 イ ワ
張 督弁 を出 動 せ し む る は極 め て不 利 益 な り。 出来 得 れば 同督 弁 を 哈
乗 じ て侵 入 す る の恐 れ あ れ ば、 仮 令 内 的関 係 如何 に緊 張 す るも 吉 林
を多 数 移 動 せ し む る に於 ては北 満 の守 備 空虚 と なり 、労 農 其 の虚 に
徐 嘱 託 が奉天 に て袁 金鎧 訪 問 の際 、今 回 の動 乱 の為 吉黒 両 省 軍隊
南 方事 件 と 奉 天 の対 露 策
大 正 十 四年 十 月 二十 七 日
哈 調 情第 六 三三 号
参 観 の為 赴 日せ し も中 途 電 報 を 以 て招 還 さ れ たり 。
に集 注 し、 江蘇 、安 徽 の後援 を なし つ ゝあり 。郭 松 齢 は 秋季 大 演 習
(砲 兵第 一団 より) 二、補 充 兵募 集 出 動 軍隊 の補 充 と し て新 た に歩 兵 六営 、騎 兵 四 営 を募 集 し左 の
歩 兵 第 十旅 (黒 河) に歩 兵 四 ケ営
通 り 配属
歩 兵 第 十 七旅 ( 海 拉 爾 ) に歩兵 二ケ営 騎 兵 第 二旅 (拝 泉 ) に騎 兵 二 ケ営 騎 兵 第 二 十 二旅 ( 呼 蘭 ) に騎兵 二 ケ営 三、 遊 撃 隊増 加 各 隊 に遊 撃隊 を増 加 す 。毎 隊 四 十 人 とし 隊 数 を 定 めず 、 県 の大
税
小、 財 政 に応 じ て増 減 す 。 四 、増
全省 を通 じ 土 地 一天 地 に大〓 党 券 二角 を増 徴 軍 資 に充 つ。 五、 呼 海線 工事 は継 続 進 行 す 。
を悟 り、 遂 に陰険 な る手段 を以 て北 満 を 攪 乱 せ ん こと を 企 画す る に
失 敗 し た る 為 、外 交 的手 段 を以 て し て は 日本側 に対 抗 し 得 ざ る こと
ノ フは 満鉄 に 対抗 の為東 支 沿 線 に培 養 線 建 設 を企 画 し た る も事 毎 に
を籍 さ ざ る べ し 云 々、 と語 れ り 。
態 に在 り 、鉄 道 敷 設 の問 題 は 奉海 、 〓 昂 両路 竣 工後 に あら ざ れば 耳
尚 省 長 は 昨今 軍 用 金 調達 に没 頭 し居 る為 一切 の事務 は全 く停 頓 の状
き旨 を 依頼 し快 諾 を得 たり 。 王 曰く 、戦 争 は到 底免 る能 はざ る べし 。
に建 議 せ る と同 様 の意 見 (哈 調情 第 六 三 三号 ) を省 長 に伝 へられ た
聞 く 処 に拠 れば 、 王賢 貴 は東 北大 学 の幹 部 と協議 し、満 鉄 沙 河 口
至 れ り。 ポ グ ラ爆 薬 事件 の如 き 其 の 一例 な り 。 近頃 聞 く所 に拠 れば
工場 に倣 つて東 北 大 学内 に 一工場 を建 設 し自 ら其 の副 廠 長 た ら んと
呼 倫 貝 爾 独 立 の陰 謀 を 企 て興 安嶺 以 西 を赤 露 の殖 民地 たら し め ん と す る の計 画 あ り、 と言 ふ は 必ず し も無 根 の風 説 にあら ざ るが如 し。
吉林 張 督 弁 を 出動 せし む る ことは 万 々是 れな し 。
り急 に動 乱 を 発 生す る に至 り たる も のな り 。
議 に於 て財 政 を安 固 にせ ば 、中央 政 府 を 倒 す こと容 易 な らざ る を知
選 挙 す るは 、北 京 政 府 の基 礎 を 鞏固 にす る も のにし て、更 に関 税 会
呉 佩 孚 一派 は参 政 会議 及 国 民会 議 に於 て大 総 統 及 副総 統 を 正式 に
税 会 議 は 一時 停 頓 の状態 なり 。
に整 へり。 江 浙 問 題 発 生以 来 北京 に於 け る参 政 会議 、国 民会 議 及 関
明 な る も、 奉 天 側 よ り〓 端 を開 く こと な し。 馮 に対す る の防 備 は 既
奉 天側 は江 蘇 、浙 江 を抛 棄 す る の説有 力 な り。馮 玉 祥 の態 度 は 不
なせり。
袁 金 鎧 は 二十 一日北 京 よ り帰 奉 し往 訪 の徐 嘱託 に対 し 左 の談 話 を
時 局 に関 す る袁 金 鎧 氏 の談
大 正 十四 年 十 月 二十 七 日
秘
四三
す る計 画 な り 、 と言 ふ。
呼倫 貝爾 独 立 の問題 は恐 る ゝに足 らず 。
哈爾 賓 事 務所 長
現 に既 に興 安 嶺国 境 には赤 軍 を配 置 し居 る が如 き は前 記 の事実 を証
一
赤露 に対す る防 備 に付 ては張 上将 軍 も 注意 を怠 らざ る処 な るを
哈 調情 第 六 三 五 号
明 す る も の なり 。要 す る に赤 露 に対 す る の防 備 は 一日 も之 を忽 せ に す る能 はざ る のみ な らず 、 今後 更 に厳 重 に す る必要 を認 めら る ゝ旨
二
反覆 説 明 せ る に、 袁金 鎧 は之 に答 へて曰 く 、
三
し早速 建 議 す べし 。
以 て、貴 下 の此 の忠言 あり た る を機 会 に余 ( 袁 ) よ り 上将 軍 に対
哈 爾賓 事 務 所 長
四二
希 く ば 今 後 に於 ても此 の方 面 に対す る貴 下 の特 別 な る御 注 意 を 煩 はし たし 。
哈 調情 第 六 三 四号
時 局 に関 す る王 賢 貴氏 の談
大 正十 四年 十 月 二十 七 日
徐 嘱託 は 二十 四 日更 に王 賢貴 (王 永 江 の甥 ) を 訪問 し前 日袁 金鎧
呉 佩孚 は馮 玉 祥 を憎 む こと 甚 し き を以 て、 彼 の部 下 に馮 と の聯 絡 を 説 く も のあり と す る も恐 ら く は耳 を傾 け ざ るべ し 。又 馮 が 代表 を 張 作 霖 に送 り段 政 府 を倒 さ んと す 、 と の説 をな す も のあ るも 、張 作
段 の退 位 は要 す る に時期 の問 題 な り 。彼 は呉 佩孚 を操 縦 す る こと
霖 が馮 と 手 を握 る の意 思 な き は明 ら か な り。
生 す る に至 る べき を 以 て吉 、 黒 二省 より の出 兵 数 を 二万 に制 限 し 、
専 ら 国防 を厳 重 なら し め られ た し 。
四五
暗
﹁ 極 秘﹂
を得 ず 。 又 張作 霖 、馮 玉祥 を指 揮 す る 能 はず 。 単 に執 政 の虚 位 を擁
号
す る のみな り 。
大 正 十 四年 十 月 二十 九 日 (発 著時 間 記 入 な し)
発信 者 松 岡 理事 ︹ 寿吉︺ 藤 根 鉄 道 部長 宛名
発 著月 日
楊 宇 霆 、姜 登 選 、李 景 林 、 張宗 昌 等 が果 し て奉 天 側 の味 方 な り や
本
文
否 や に付 て説 を な す も のあ る も、 楊 の家族 は既 に奉 天 に避 難 し 、李
極秘
四六
の老 母 も既 に奉 天 に送 り返 さ れ、 姜 は温 順 な る君 子 にし て張 も 亦 其
哈 爾 賓 事務 所 長
申 ス迄 モナ キ事 ナ ガ ラ、 此際 奉 天 側 ニ対 シ極 力軍 隊 其 ノ他 輸 送 上 ︹ 茂︺ ノ便宜 ヲ与 ヘラ レタ シ。 奉天 吉 田総領 事 ト ハ了 解 ズ ミ。
四四
秘
哈 調 情 第 六 五 七号
が如 く 、 一般 住 民 は尚 平 静 な る も黒竜 軍 隊 の出 動 の為 多 少 不安 の念
尚表 面 の行動 を避 け あ るも裏 面 に於 け る活 動 は寧 ろ活 気 を呈 しあ る
人 の往 来 及 宣伝 の取 締 り 並 に馬 賊 の討 伐 を 命令 せ り。 当 地労 農 側 は
露 人 の行 動 を徹 底 的 に取 締 り、 特 に東 支 東 部線 の軍 隊 に対 し ては露
支 那 官 憲 は今 次 の時 局 は労 農 露 国 と大 な る関 係 あ る に鑑 み、 赤党
一、哈 爾 賓 方 面
時 局下 に於 け る 北満 の状 況 ( 十 月 二 十九 日高 橋 中佐 報 )
大 正 十 四年 十 月 三 十 日
哈 爾 賓事 務 所 長
の種 の疑 ひを 容 る べ き余 地 な し。 恐 ら く は 敵 の宣 伝 な ら ん と思 ふ。
哈 調 情 第 六 四〇 号 大 正 十 四年 十 月 二十 八 日
北満 の国 防 に関 し哈 市 商 務会 の建 議 ( 十 月 二十 七 日高 橋 中 佐 報) 十 月 二十 四 日哈 市 商 務会 代 表 李 明 遠 、張 鳳 亭 、 王 立夫 は于 冲漢 を 訪 ひ北 満 防 備 に関 し、 左 記要 旨 の如 く張 作 霖 に伝 達 方依 頼 せり と。 建 議 要 旨
せ ら れ た る今 日 、 四 万 の北満 軍隊 を 南 方 に移 動 せし む る に於 ては 、
ポ グ ラ爆 薬 密輸 事 件 其 の他 に依 り て労 農 の東 三 省 攪乱 の野 心 実証
北満 は国 防 上多 大 の脅 威 を 感 じ引 い ては商 民 の生 命 財産 上 の危 険 発
に駆 られ あ るは事 実 な り 。 二、満 洲 里 方 面 満 洲 里 よ り出 動 せる第 十 五旅 の交 代 と し て 二十 八 日海 拉爾 よ り第 九十 五団 到着 守 備 に就 け り 。而 し て労 農 領 事 館 は 二十 八 日よ り西 伯
︹ 未三︺ 坂 東 顧 問等 ヘ モ御 伝 ヘ乞 フ。
宛
時
名
発信名
大 正十 四 年 十 月 三十 日
奉天
京城
野 村 課長
松 岡 理事
四八
於 け る行 動 秘匿 の為 な る べ く、 目 下 ボ ルジ ヤよ り サ ンベ イズ に向 ひ
日
(暗 号 ) ﹁ 極秘﹂
兵 器輸 送 を 開始 し、 又庫 倫 よ り は馮 玉祥 に対 し 約 五十 台 の自動 車 を
本
利 及 蒙 古 に対 す る旅 券 の査 証 を 一切 停 止 せ り。察 す る に後 貝 加爾 に
以 て兵 器 、 特 に飛 行 機 、毒 瓦斯 を輸送 し あ り、 と 。尚 二、 三 日前 ダ
文
ウ リ ヤよ り 二名 の赤 軍将 校 、満 洲 里 ゲ ・ペ ・ウ の許 に来 り爾来 ダ ウ
(極 秘 ) 斎藤 総 督 東 京 ヨリ昨 夜 帰任 サ レタ リ ト ノ コト ヲ聞 キ 、今
朝 不 取 敢 ズ京 城 ニ下 車 シ、 三時 間 ニ亘 リ支那 時 局 ニ関 ス ル本 職 ノ所
四九
リ。 右 含 ミ迄 ト シテ 王省 長 ニ御四 伝 ヘ乞 フ。
明 、 誤 解 ナ カラ ム コトヲ希 望 セ ルト コ ロ、 両者 共 充 分了 解 セラ レタ
見 (殊 ニ張 総 司令 ノ立場 ) ヲ披 瀝 シ、 又 序 ニ王 省長 ノ為 メ ニ付 キ説
於京城
四七
三 、 ポ グ ラ方 面
極秘
松岡理事
号
ポ グ ラ方 面尚 平 穏 な り 。
リ ヤ と の自 動車 往 復 頻繁 と なれ り 、 と 。
暗 発信名 鎌 田公 所長
大 正 十 四年 十 一月六 日
哈爾 賓 事 務 所長
名
大 正 十 四印 十 月 三 十 日
秘
宛 日
哈 調情 第 六 七 七 号
月
在 吉 林 蘇 子 真 が特 使 を 以 て (郵 便 、電 信 は総 て検 閲 せ ら る ゝを 以
て) 齎 せ る十 一月 三 日附書 面 に依 れ ば 、
奉 天 側 積極 的 行 動 に出 でん
本 文 ︹ 実︺ ( 極 秘 ) 釜 山 ヘ直 行 ノ筈 ナリ シ モ、 斎藤 総 督 昨 夜 帰任 サ レタ リ ト 京 城 駅 ニテ 聞 キ 、突 然 下 車 ス ル コトト ナ シ、 本 日午後 三時 間 ニ亘 リ
一
春 ) 第 十 六師 ( 農 安 ) 及 一混 成 旅 に て既 に陸 続 出 発 せ り。 途 中 逃
張 作 相 は 十 一月 五 日出 発 赴 奉 に決 す。 南 下 す べき 第 十 五師 ( 長
支 那時 局 ト張 総司 令 ノ立場 ヲ詳 述 シタ ル ニ、総 督 ハ全 然 小職 ト所 見 ︹ 武夫︺ ︹ 武馬︺ ヲ同 ウ セ ラ レタ リ。 右含 ミ迄 ト シ テ張総 司令 ニ伝 へ、 且菊 地 、 町野 、
画 なり と も考 へら る 。労 農 は常 に他 国 を騒 がす る事 に巧 みな るを 以
南 方 を 平 定 せし 上 、更 に北 進 し て労 農 と提 携 し 、張 を 撃 た んと の計
の出 動 を期 待 し 、 馮 にも亦 統 一の意 志 あり て、馮 は先ず 張 と握 手 し
三 日第 五 軍 司令 部 の編 成 を了 る。 張 作相 は此 の編 成 式 に臨 み約
亡兵甚だ多し。
一時 間 の訓 示 を な せ る が、 其 の内 容 は 奮 勉努 力 の 一語 を 以 て尽 さ
て今 後 尚 此 の種 の陰 謀 は絶 えざ るべ し 、と 。
五〇
秘
哈 爾 賓 事務 所 長
る ゝも、 尚 今 回 の目的 地 は 南方 な り、 或 は長 江 以 南 に向 ふ や も知 れず 、と の語 あ り 。元 来 第 五師 は〓 州 、喜 峰 口 一帯 に向 ふ予 定 な り し も張 、 馮 の提 携 なり し 為 、奉 天 側 は積 極 的 行 動 に出 づ べく 変
哈 調 情 第 六 七八 号
時 局 と対 露 警戒
大 正 十 四年 十 一月 六 日
し、満 洲 里及 ポ グ ラ ニチ ナ ヤを窺 ひ つ ゝあ り 。支 那 側 は夫 れ に防 備
ヤ に進 出 せ し め、 又 三 万 の軍 隊 を ニ コリ ス ク ・ウ ス リ ー スキ に集 中
密 偵 が蘇 子 真 に齎 せ る報 に依 れ ば 、労 農 露 国 は軍 隊 五 万 をダ ウ リ
今 爾 の戦争 の費 用 は吉 林 官銀 号 より 一時 立 換 へ当 分 の間 、 人 民
の手 配済 な るも 尚 一層 厳 重 に其 の行 動 を監 視 し つ ゝあ り。
五 一
秘
哈爾 賓 事 務所 長
十 月 二十 七 日附 哈 調情 第 六 三 五号 中李 景 林 は 其 の老 母 を奉 天 に送
李 景 林老 母 の件
大 正 十 四年 十 一月 六 日
哈 調 情 第 六 八〇 号
厳 重 な る警 戒 を 為 し つ ゝあり と 。
琿 春 は露 国 と の境 界 に近 く モツ キ湾 より も遠 から ざ る を以 て最 も
に負 担 せし め ざ る事 とな り居 れ るも 、将 来 更 に軍 用金 問 題 起 ら ば
馮 、 呉 、 孫 の四者 間 に は既 に密 約 あり 、段 は調 停 の労 を執 り長 江
探 聞 す る所 に依 れ ば、 段 と呉 は握 手 し あ り と の噂 も あ り、 段 、
ば 十 円 を 増 徴 す る訳 なり 。
事 に決 定 せり と言 ふ 。例 へば商 店 の売揚 げ高 一日百 円 あ りと す れ
如 何 に変 化 す る や も知 れず 、奉 天 に ては所 得 税 を 一割 に増 加 す る
徐 州 、 浦 口、海 州 に在 る 軍隊 に は既 に進 軍 命 令 下 れ り 。
す る も の の如 し。
に在 り て、 今 や其 の勢 ひ当 るべ から ず 。或 は遂 に中 原 を収 め んと
江 蘇 を奪 回 し 、成 し得 れば 浙 江、 福 建 、湖 南 、 湖 北 を も平 定 す る
更 し 、吉 林 軍 も直 ち に徐 州 に向 ふ事 と な れ り。 此 の計 画 は安 徽 、
二
三 四
五
々防 特弁 の職 を 呉 に与 へて、 江蘇 、 安 徽 、 江西 、 湖 南 、湖 北 、 四 川 の六省 を 管 轄 せ し め、 浙 江 、福 建 、 広 東 、広 西 を 孫 に、山 東 省 を馮 に与 へ、 直隷 以 北 の地 を張 作 霖 の勢 力 下 に 入 れ、 四足 対立 の
言 に あら ざ る も の の如 し 。 只張 作 霖 は 全 く之 を信 じ居 らず 云 々。
り て 二心 な き を示 せ る旨 報告 せ るが 、之 は張 學 良 が李 に強 要 し て人
形 を作 ら んと す る事 に て、 現在 の状 況 に鑑 み れば 必ず し も無 稽 の
尚 蘇 子 真 の観 察 に依 れば 、 労農 露 国 は 最初 二馬 (馮 玉 祥 を指 す )
兼 ね し め た る次 第 に し て、 其 の結 果 は余等 の予 想通 り 対外 間 題 を惹
判 ら ぬ処 よ り余 等 の忠 告 には 耳 を傾 けず 、李 、 張 両督弁 に民治 を も
る が果 然孫 伝 芳 の挙 事 と な れり 。 即 ち孫 一派 は ソビ エト側 よ り軍資
撃 を 開 始 す べく 、 之 が運 動 に関 し ては既 に手配 を了 せ る旨 報 じ来 れ
に宛 た る密 電 に依 れ ば、 支 那 南 方 の軍 閥 は 近 く北 方 の軍 閥 に対 し攻
一、 九月 二十 八 日在 莫 斯 科 カラ ハン大 使 よ り当 地グ ラ ンド総 領 事
憾 の こと を し た も のな り 。奉 張 が到底 駄 目 な 如く 孫 、 呉 と雖 も亦 駄
す る能 はず 、結 局 奉 張 に膝 を屈 す る に至 り し な らん 、 返す 返 すも 遺
態 度 を持 し て東 三省 に立籠 り居 た ら ん には 、中 原 の群 雄 は如 何 と も
安 民 を 標 榜 し て雌 伏 し た る は最 も 上 々の政 策 にし て、 何時 迄 も此 の
求 む る こと極 め て困 離 な り。 第 一奉 直 戦 の失敗 に鑑 み 張作 霖 が保境
ざ る べ か らず 。 併 し軍 閥 跋 扈 の今 日 、政 治 家 的才 能 は 影 を没 し 之 を
す る に於 て は、 目 下 の時 局 を収 拾 す る も の亦軍 閥 以 外 の政 治 家 な ら
乱 な り し も、 之 を平 定 し た るは 曾国 藩 、 李鴻 章 等 文 治 派 た る に想到
人 民 の迷 惑 譬 ふ るも のなし 。 そ の長 髪 賊 の乱 は十 六年 に亘 りた る大
軍閥 の私 闘 は余等 文 治 派 に於 ては誠 に苦 々しく 感ず る処 にし て、
自 ら 惹起 し た るも のと為 す も 過 言 に非 ざ る べし 。
を し て乗 ず る の隙 を与 へし め た る訳 な り 。 さ れば今 次 の内 乱 は奉 張
起 す る や ら又 は 苛斂 誅 求 の悪 政 と もな り忽 ち民 心 の離 反 を 招 き 、他
質 と な し た る も のな り と の風 説 一般 支 那 人 間 に伝 へら る。 真 な る が
五 二
極秘
哈爾 賓 事 務所 長
如し。( 蘇 子真 )
哈調 情 第 六 八 二号
時 局 に関 す る于 冲漢 氏 の談
大 正十 四 年 十 一月 七 日
本 月 五 日小 職 于冲 漢 氏 訪 問 の際 時 局 問 題 に関 し 氏 の語 る処 大 要 左
金 を受 け居 る こと 言 はず し て明 ら かな り。 依 て今 回 の戦 争 は南 方 よ
目 なり 。 今 日 は何 ふし ても 民 心 の帰 向 を察 し 得 る の文 治 的才 能 に俟
の通 り 。
り仕 掛 け た る も の にし て奉 天 は 全 く受 動 的 な り と す る も、 然 も よく
たざ る べか らず 。
一、 徐 州 方 面 は敵 と相去 る 百哩 な れ ば何 れ 一戦 を交 へる ことと な
考 ふ に、第 二奉 直 戦後 奉 天 側 が余 り に中 原 に乗 り出 し過 ぎ た る処 に
る べし 。 岳 、 馮 両者 は戦 局 の利 否 によ り去 就 を決 す べき は 言 を俟 た
禍 根 を 培養 し た るも のとす 。 当 時余 等 文 治 派 は張 作 霖 氏 に対 し て、 こ の進 出 の有 害 無 益 な る ことを 説 き 且李 景 林 、張 宗 昌 の如 き は単 に
ず。
し 一旦乗 ず べき あ ら ば莫 斯 科 の訓 電 に依 り起 つべき も のた る や明 ら
一、北 満 の赤 党 は 目下 鳴 り を 鎮 め居 るも 、畢 竟 時 局 の推 移 を 注 視
を携 帯 し たり と 言 ふ は事 実 にあ らず 。
一、馮 の使 節 が莫 斯 科 より 帰 来 し た るは事 実 な る も、 多 量 の武 器
督弁 た れば 何 れも 満足 す べき も のな れば 、 之 に行 政 を委 す る こと あ る べ からず 。 若 し彼 等 に行 政 権 を も併 せ て委 す る に於 て は憲 政 百出 し て、 奉天 派 は直 ち に人 民 の信 望 を失 ふ こと と な る の危 険 あ り、 軍 民 両 政 は断 じ て之 を 分割 し各 適 材 を 配置 す べし 、 と苦 諫 した る も張 作 霖 氏 は眼 中 武 力 以 外何 物 もな く 、 又近 時 の国 民 思想 の帰 趨等 皆 目
上 海事 務 所 長
五三
一、余 は今 明 日 中 一、 二泊 の予 定 に て赴 奉 す べし 、 云 々。
かな り。
上情 第 五 五号 大 正 十 四年 十 一月 九 日 上海 租 界 外 戒 厳令 実 施 淞 滬 戒厳 総 司 令 は十 一月八 日よ り上 海 租 界外 の戒 厳 令 を布 告 し た 。 而 し て夜 間 十 二時 より 翌朝 六 時 迄 一般 の通 行 を禁 止し 、軍 隊 、 警 察
哈 爾賓 事 務 所 長
五四
協 力 し て巡察 を行 ひ警戒 厳 重を 極 め る。
哈 調 情 第 七 〇 一号 大 正 十 四年 十 一月 十 二 日 馮 軍 行防 寒 具 の註 文
庫 倫 に在 る蒙 古 コー ペ レー シ ヨンは最 近当 地 ウイ ノ ク ー ロフ、 ゴ
五五
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正十 四 年 十 一月十 二日
哈調 情 第 七 〇 二 号
通 遼 附 近 の状 況
十 一月 七 日 哈爾 賓 発 商 用 を 以 て通 遼 に至 り十 日同 地を 発 し て帰 哈
せる某 米 商 勤 務 の支 那 人 の言 、左 の通 り 。
め て居 る。
一、通 遼 には 当 時黒 竜 江省 派 遣 の軍 隊 一師 一混 成旅 宿 泊 し混 雑 を極
二、右 軍 隊 は 毎 日陸 続 自 動 車 にて開 魯 に向 ひ つゝあ る が、同 地 より は徒 歩 林 西 に赴 く筈 。
三 、馮 軍 は既 に赤 峰 に到 着 し あ り、 と の噂 が あ る。
北 京 公所 長
四、馮 玉祥 は米 国 の援 助 をも 受 け つ ゝあ り 。
五六
北 公 秘 二 五第 一八 号 一〇
交 通 部及 京 漢 局 に て聞 き得 たる所 に依 れ ば 、河 南 岳維 峻 愈 旗幟 を
時 局 に関 す る件
鮮 明 にし 、直 隷 に於 け る順 徳 、 石 家荘 、 大 名 、保 定 に於 け る李景 林
大 正 十 四年 十 一月 十 三 日
は皆 右 コー ペ レ ー シ ヨン の手 を経 て馮 玉祥 の許 に送 ら る ゝ筈 な り、
軍 と 戦 端 を開 く に決 し 既 に動 員 を開 始 せ る由 に て、 京漢 線 本 日 不通
ロワ ー ノ フ及 オ ク ロワ の三露 商 人 に防 寒用 外 套 及 長靴 四万足 を 、 又
と 。尚 右 軍 靴 の内 八百 足 は既 に受 授 を 了 し た が、 残 り 一千足 は支 那
満 洲 里 シメ リ ヨ フ商 店 には 軍靴 一千 八 百足 を 注 文 し た。 而 し て之 等
官 憲 の為 に押 収 さ れ た、 と の噂 があ る 。
とな り 北段 は順 徳 迄 、南 段 は新 郷迄 の区 間 運 転 を為 す のみ。 尚津 浦
線 方 面 に て は張 宗 昌 敗 残 の兵 を集 め 、第 一線 を臨 城 に置 き主 力 を徳 州 に置 き南 軍 と 一戦 を試 みる計 画 な り と 。
五七
大 正 十 四年 十 一月 十 三 日
北 公 情 二 五第 一号 一〇 一 北 京公 所 長
時 局 に関 す る件 時 局 は 日 々意 想 外 の展開 を為 し 且甲 の説 く 所 は 乙 の否 定 す る所 多 く 、到 底 予 測 を許 さず 。而 し て 日 々 の出 来 事 は大 体各 地 の新 聞 に電
記
の時 局 の開 展 を 記 せば 右 の如 し。
せ ら れ居 るを 以 て 重要 な る出 来 事 のな き限 り電 報 せ ざ るも 、 今 日迄
左
一、南 方徐 州 方 面 は 奉天 軍 不 利 にし て連 戦連 敗 の如 し。 二、 重要 視 さ れ た る河南 軍 は徐 州 に向 ひ て動 き初 め た るは両 三日前
得 ざ る形 勢 に在 り、 而 し て奉 軍 は之 に応 ず る の見 込 みな きを 以 て、
四、 之 を 要 す る に、 奉 軍 が関 外 に撤 兵す る に非ざ れば天 下 事 な き を
時 局 の紛 糾 は免 れざ るべ く 、段 執 政 以下 万 一の用 意 を為 し居 る は
事 実 な れど も、 各 官 衙 共 平 常 の如 く執 務 し 居 れ り。 市 中 も頗 る平 隠 無事 な り。
遅 延 は免 れず 。貨 物 列 車 は不 自由 とな り、 物価 殊 に石 炭 は非 常 に
五 、交 通 は津 浦線 が 不通 の外 各線 共 一般 乗 客 を扱 ひ居 れる が時 間 の
騰 貴 (一噸 二十 五 元 よ り 三十 元位 ) せ り 。
は其 の形 跡 なし 。
六 、 書 面 の検 閲 は 張 家 口 に て は之 を行 ひ居 れ る が、北 京 発 着 のも の
五八
上海 事 務 所 長 大 正十 四年 十 一月 十 三 日
上情 第 五六 号
見 るべ き は広 州 民国 日報 (十 一月七 日 号) に記述 せ る左 の論 説 を 以
時 局 に対 す る広 東 政 府 の態 度 は極 め て冷 静 であ る。 其 の表 示 と も
時 局 に関 す る広 東 政 府 の態 度
と認 む べ か らず 。 河南 に集 り居 る軍 隊 多 き に 過ぎ 何 れ か に出 動 せ
の こと な る が、 必ず し も未 だ岳 維 峻 が呉 佩孚 と共 に立 ち た るも の
しむ る必要 あ り、 も と 呉佩 孚 の部 下 たり し 者 が動 き たる も のな る
て想 察 す べき であ る 。
め つ ゝあ る も のな る が、 奉 軍 が馮 軍 に対 し て北 京 の明渡 し を要 求
之 に備 へざ る べか らざ る為 、北 京 方 面 の護 衛 を名 とし て防 備 を固
民 政 府 の真 の態度 如 何 、 吾 人 は慎 重 に其 の態 度 を探 得 し た い。素 よ
府 が奉直 何 れ に組 み す る か、 興味 あ る問 題 と され て居 た。 果 し て国
今度 奉 直 戦 争 開始 せ ら る ゝや 国民 の注 目 を集 中 し、 従 つて国 民 政
広 州 民 国 日報 記 事 要 訳
べし 。
す る に於 て は、 馮 玉祥 の本 意 は別 と し ても 、其 の部 下 の鹿 鐘 麟 が
り国 民 政府 の態度 を決 す べ き真 髄 は是 を国 民党 総 理 の宣 言 に俟 つ外
三、 馮 玉 祥 は固 より戦 意 なく 今 も尚 同 様 な る も 、奉 軍 の圧迫 強 き 為
奉 軍 と衝 突 す る の危 険 あ るを免 れざ るが如 し 。
は な い。 即 ち 孫 中山 先 生 は嘗 つて民 国 十 三年 十 一月 十 日北 上 の節 に
時 局 に関 す る件
和 議 の決 定 如 何 は 今俄 に予 測 し 難 し。 恐 ら く は江 蘇 、 安徽 、 山東 は
十 一月 十 七 日蘇 子真 の来信 に依 れば 、 時 局 は 一段落 を告 げ た るも 、
主義 結 合 の現 象 を 一掃 し 、武 力 をし て国 民 と相 結 合 せ し め国 民 の利
に至 ら ん。 如 此 馮 の得 る所 尠 少 な らざ るも 、今 後 果 し て平 和 の状態
呉 佩孚 に属 し 、 馮 玉祥 は保 定 道 及大 名 道 を管 轄 し京 畿 駐兵 権 を 得 る
宣 言 し て 曰く 、時 今 や国 民革 命 の秋 であ る 。従 前 の如 き武 力 と 帝 国
益 を根 本 問 題 と し て策 応 す べ き であ る。須 ら く国 民 を し て其 の要 求
若 し再 び干 曳 相 見 ゆ る事 あり と す る も、 此 の小康 期 間 中 にゆ る ゆ る
張 し 、張 学 良 、 韓 麟春 、〓 朝璽 、郭 松 齢 は武 力統 一を 主張 し た り。
を 持続 し得 る や保 証 の限 り にあ らず 。 王 永 江 は例 に依 つて和 平 を主
を 選択 せし め苟 く も軍 閥 者 流 を し て利 益 権利 を壟 断 せ し む べ からず
此 に於 て か吾 人 は武 力 の向 ふ所 、 人 民 の福 利 増 進 の為 な らざ る べ
と。
からざ るを 知 る 。然 る に此 の度 の奉 浙 戦 は奉 直 兵 自 ら の利 益 擁 護 に
奉天 方 面 の情 報 に依 る に、 温 、李 、 張 、 馬 四人 は 、 ポグ ラ駅 、馬
河 、密 山 、 饒 河 地 方 に て労農 と結 び、 土 匪 と款 を通 じ其 の数 約 二万
準 備 を整 へ置 く 事 を得 る は取 り も直 さず 奉 天側 の幸 福 と謂 ふべ し。
人 を算 し、 機 を 見 て東 鉄 沿 線 の秩 序 を乱 し 哈爾 賓 地 方 に侵 入 せ んと
非ず し て、 武 力 と帝 国 主 義 結 合 の現 象 に外 な ら ぬ。 吾 人 の許 す べ か
撲滅 を標 榜 す る も ので なく ては なら ぬ、 又国 民 の要 求 す る も の でな
らざ る所 であ る 。吾 人 国 民 政府 の賛 許 す べ き戦 争 は 、須 く 帝 国 主 義
く て は なら ぬ。而 し て今 日 国 民 の要 求 す る所 は国 民 会議 を開 き 不 平
す る の形 勢 あ るを 以 て厳 重 防 備 を なす 様 已 に電 命 し 置 け り。
先 づ 支 那 人 と結 び彼等 をし て直接 其 の衝 に当 ら しめ 、最 初 は 労農 政
聞 く所 に拠 れば 馮 玉祥 は南 北満 洲 の赤 化 を労 農 に許 し、 差 し当 り
等条 約 を撤 廃 す る事 に あ る。然 る に今 度 の奉 直 戦 争 は 一つの私 怨 の
府 の名義 を出 さざ る も 、支 那 が武 力 を以 て対抗 す る に至 ら ば 労農 は
み、帝 国 主 義 の傀 儡 のみ。 我 等国 民 党 の主義 を障 害 す る も のであ る 。
と。然 し乍 ら吾 人 の使 命 は斯 の如 き も の では な い。 即 ち国 民政 府 の
或 者 は 言 ふ、 此 の機 を利 用 し て広 東 政 府 の勢 力 を拡 張 す べ き であ る
出 で て干渉 す る に至 る べ し、 と 言 ふ 。
上 情 第 六 三号
上 海事 務 所 長
六〇
農 より供 給 す る由 な り。
界 地 方 七県 に人 を 派 し 、土 匪 と結 ん で難 を構 へんと し武 器 は之 を労
在 天津 某 実 業 銀 行 は赤 化 宣 伝 機関 に し て、吉 林 省 と 沿海 州 と の交
地 盤 は国 民 の心 中 に於 け る地 盤 で あ つて、 湘 、鄂 、 蘇 、浙 で はな い。 国 民 政府 は須 く 彼等 軍 閥 に組 す る事 なく 、 本党 の主 義徹 底 に力 む べ
五九
秘
哈 爾 賓事 務 所 長
き であ る。 只 国 民要 求 の時 を 俟 つて討 伐 を な す のみ であ る 、云 々。
哈 調 情 第 七 三 四号
大 正 十 四年 十 一月 二 十 一日
大 正十 四年 十 一月 二十 二 日
徒 ら に労 農 側 に利用 の余 地 を 与 ふ る も のな り、 と の小職 の言 を多謝
く が如 く んば 東 鉄支 那 理事 間 に於 てす ら 不和 あり と、 斯 く の如 き は
たり。
と の問 に対 し て は、奉 天 の事 が全 く 不明 な るを以 て何 と も言 ひ難 し、
六 、 左程 事 態 不安 な り や
は不 明 な り。 悲 観 的 の答 のみ な るを 以 て
五 、 馮 軍関 外 に侵 入 す る哉 否 哉
に就 て全 く疑 問 。
四、 山海 関 、 熱 河 の線 に て関 内 に在 る張 軍 の収 容 能 否如 何
三 、 張 学良 の鎮 圧奏 効如州 何
に就 て は何 と も言 ひ難 し 。
二、 郭 松齢 の独 立 説
一、 李 景 林 と馮 玉 祥 と の提 携 説
問 せ る に、
も同 様 の情 報 を得 て居 り 、露 国 は先 づ 日本 に出 兵 せ しめ て後 己 れ も ︹ 亀之助︺ 幽兵 す るな る 可 し、 と 答 へた り。 又 当 地駐 在 奥大 尉 が同 じ く彼 を訪
を利 用 し て騒擾 を起 さす る計 画 あ り、 と の情 報 あ り と語 り し に、彼
は 日本 に出 兵 の口実 を 与 ふ るを 以 てな さざ る事 な る べき も 、馬 賊 等
の窺 知 し得 べ き処 に非 ざ る も 、露 国 は自 ら其 の兵力 を北満 に入 る事
態度 を執 るべ き哉 、 と の問 を 発 し たれ ば、 是 等 国策 に関 す る事 は 余
彼 は張 作 霖 の失 墜 、 北 満 へ労農 勢 力 の侵 入 に対 し 日本 は 如何 な る
二、 日 本 の態 度 に就 て
し 、 今 日 に ても会 合 し て協 力 同 心 の実 を 挙 ぐ る様 致 す べし 、 と答 へ
上 海 特 別 戒厳 令 撤 廃 淞 滬 戒 厳 司 令 厳 春陽 氏 が支那 街 一帯 に 特 別戒 厳 令施 行 以来 、 地 方 に ては甚 だし く 不便 を感 じ各団 体 より最 早静 穏 に帰 し た から 撤 廃 し て欲 し い、 と 申 請 が あ つた が、 二十 日 午后 三時 四十 分遂 に右 戒 厳令
つた。
六 一
秘
哈爾 賓 事 務 所長
を 撤廃 し 、 同 夜 よ り午 前 一時 以後 と雖 も自 由 に通 行 し 得 る こと と な
哈 調情 第 七 四 七号
奉天 側 内 訌 と 張煥相 の談
大 正十 四年 十 一月 二十 六 日
奉 天 側内 訌 問 題 に関 し 本 二十 六 日 小職 は張 煥 相 を訪 問 す 。彼 は 心
に新 情 報 あ らば 通 知 願 ひ度 し、 と 前置 きし 語 る 処 左 の如 し 。
配 顔 に て未 だ何 等 の報 に接 せず 状 況全 く 不 明 に て困 り居 れ り、 貴 方
一、 労 農 露 国 勢力 の北 満侵 入 に就 て 護 路 軍 の兵 力 は 従 前 と差 な く 、 又従 来 奉 天 よ り は殆 独 立 し て此 の 方 面 の治 安 に任 じ来 れ る を以 て、今 急 に労 農勢 力 が侵 入 す る事 な か るべ し 、 と答 へた れ ば、 小 職 は今 迄 は奉 天 と言 ふ大 な る背景 あ りし 為 労農 側 も矛 を 収 め居 たら んも 、今 此 の大背 景 瓦解 せば 護路 軍 の兵
際 之 を恐 れを る事 を告 白 し 如 何 に此 の局 に処 す べ き や、 と問 ひし を
とな し 、
力 に差 なし と て楽 観 を許 さざ る に非 ず や 、 と反 問 し た る に、彼 は実
以 て、此 の際 支那 側 は 一致 協 力 し て外 勢 力 に当 らざ るべ からず 、 聞
七 、労 農 軍 の北満 侵 入
意外 ( 申 報 ) 今 日奉軍 内 部 の突変 は意 外 な る が如 き も、 其 の実 は
此 の例 に出 づ べき か 。
一旦幸 にも成 功 し て気高 け れば 、 外 に あ るも のは仇 恨 し 、内 にあ る
八 、 此 の時 局 に際 し 充分 な る覚悟 を以 て最 善 の努 力 を 尽 す べき も 、 事 理 を 分 明 せ ば意 中 の事 な り。 暴烈 の性 を具 し智 識 学問 の修 養 無 く
は 国 際関 係 上 あ るべ し と思 はれず 、要 す る に、
其 の結 果 は今 よ り何 とも 云 ひ難 し
も の は怨望 し 、 一度 事故 あ れば 内 外 均 し く之 が敵 とな り 、土 崩 瓦 解
︹マ マ︺
を挽 回 せ んと望 み し が、計 らず も 奉 軍忽 ち内 変 を 生じ 形 勢 全く 非 と
両 方 に妥 協 の説 あ り、 政府 も亦 加 入 奔 走 し戦 争 停 止命 令 を 下し 頽 運
中 央 問 題 (新聞 報 ) 浙奉 戦 起 つて中央 の地位動 揺 し たる が、 奉 馮
二、 二 十 七 日 の分
子弟 を以 て子 の盾 を攻 む と は昨 年 と 今 日 の奉 天 の謂 な り 。
の勢 を現 は す べし 。 奉 天今 日 の狼 狽 は昨 年 の〓赫 が之 を成 せ るな り。
と て甚 だ 不安 な る感 を起 さ しめ たり、 と 。 尚 当 地 に於 て は多 少 銀票 の下 落 す る も未 だ 差 し た る動揺 の色 を 見 ず 。 (午後 三時 )
六 二
上 海 事 務 所長
な り 、段 は退 位 を復 す と言 ひ、 中 央 問 題 は ま た衆 人 の注 意 す る所 と
上情第六五号
な れ り。 中 央 問題 に関 し ては 目下 両 種 の主張 あり 、其 の 一は黎 元 洪
が三度 出 山 し て任 期 を補 足 す る こと、 其 の二 は現 状 を維 持 す る こと
奉 軍 内変 と当 地 の輿論 奉 軍 内 変 に対 す る当 地 の輿 論 、左 の如 し。
な る が、 前 説 は 名流 の発 議 にて郭 松 齢 等 は殆 同 意 を表 し、 後説 は馮
大 正 十 四年 十 一月 二十 七 日
一、 十 一月 二十 六 日新 聞紙 の分 奉軍内変 ( 新 聞 報 ) 郭 松齢 〓 州 に於 て忽 ち 独 立 を宣 布 し 、 戈 を返
にし て段 が維 持 す る と す るも亦 断 じ て久 し き事 難 し 。 一意 永遠 の為
玉 祥 に出 づ るが 両説 は皆 過 渡 の弁法 な り。 黎 の任 期 は僅 か八十 三 日
に計 る に あ らず 。根 本解 決 の策 を求 めざ れ ば 不可 な り 。然 ら ざ れば
し て奉 天 を撃 ち 、是 に於 て大 局急 変 し 張作 霖 困 境 に陥 れ り。 昨年 山 海 関 激 戦 の時馮 胡 直 を倒 し 、李 、郭 は 奉 天 を倒 す の説 あ り た るが 、
な らざ る はな し 。袁 氏 志 を 得 て馮 、 段 、陳 、楊 等携 弐 し、 段 氏 専 政
劇 再 び今 日 に演 ぜ ら れ たり 。 さ れ ど民 国 以来 所 謂 有 力 者 は是 の如 く
あ り、 未 だ 大成 せざ る も敵 の失 敗 は既 に明 ら か なり 。其 れ能 く若 干
る も実 は結 ばず し て消滅 に帰 せ り 。今 次 戦 争起 つて又 三角 同 盟 の説
き、 張作 霖 危 く 、 段 も亦 退 位 せ ん と し所 謂 過去 の三角 は 一時 成功 せ
前 三角 ( 申 報 ) 反直 の時 所 謂 三角 同 盟 なる も のあ り た るも孫 文 逝
両 三 月後 又大 紛 擾 を免 れず 。
し て直 系 起 つ て推 飜 し 、 曹 、 呉 の敗 に至 つて は尤 も 明顕 な り。 奉軍
の時 日を 維 持 す る かは 同盟 中 の処 置如 何 にあ り 、敵 の外 にあ ら ざ る
じ て長 駆 入関 し内 部 は渙 散 せず 、 と見 ら れ た る に 一年 を隔 つる此 の
其 の後 孫 岳 内意 し て曹 〓 捕 は れ奉 天 は無事 な りし が 、奉 軍 は勝 に乗
の内変 も亦循 軌進 行 に過 ぎず 。 今後 の有 力者 も苟 く も 改悔 せざ れ ば
は幾 度 の事 変 を経 て深 く信 ず べ し 。同 盟 の破壊 は 必ず戦 時 の内 部 よ りす 。内 部 の変 化 の原 因 は戦 勝賞 功 の不 平 の念 よ り起 る も のな り 。 今後 戦 勝 の軍 は稍 此 れ に注 意 す る を要 す 。
六三
北 京 公所 長
大 正 十 四年 十 一月 二 十九 日
北 公 秘 二 五第 一八 号 三 四
六四
北 公秘 二 五第 一八号 三 七
時 局 に関 す る件
北 京 公 所長
大 正十 四年 十 一月 三 十 日
段 執 政 の智嚢 曾 敏 〓 二十 六 日警 備 総 司令 鹿 鐘麟 の手 に逮 捕 され 、
其 の後 段 執 政 よ り厳 重 抗 議 し釈 放 の方法 を講 じ つ ゝあ る も未 だ 其 の
昨 日 国 民党 大 会 あ り 一種 の示 威 運動 を兼 ねた る も の にし て、 左 記
勢 益悪 化 し つ ゝあ り、 段 執 政 は手 足 を も ぎ取 ら れ下 野 の思 い切な る
章 士釗 及 朱 深 は遁 亡し 、 姚震 は 二十 九 日鹿 鐘 麟 の手 に て逮 捕 さ れ形
運 び に至 ら ず 。葉 恭 綽 は 夙 に天 津 に難 を避 け 辞表 聴 許 さ れ、 李 思浩 、
の如 き議 決 を為 し 、 学 生 団体 と共 に段 執 政 邸 に下野 の示 威勧 告 を試
も体 よ く擁 護 せ ら れ、 之 を 果 し得 ざ る 状態 に在 り 、右 は 国 民党 穏 健
時 局 に関 す る件
み、 次 いで警 察 総 監 朱 深邸 を焼 打 ち し、 更 に教育 総 長 章 士釗 邸 に暴
の運動 盛 ん に行 は れ つ ゝあ り 。
派 の意 中 に落 ち た る も のな る も未 だ 急 進 派 の要望 に は副 はず 。 種 々
一
国 民新 政 府 の建 設
朱 及 音早 両 氏 の銃 殺
段 執 政 府 を 倒 し 、執 政 下 野要 求
大 正十 四年 十 一月三 十 日
北 公秘 二 五第 一八 号三 八
六五
行 を 加 へた る が、 警 察 及鹿 鐘 麟 の軍 隊 は傍 観 の態 度 を取 り居 れ り。
二
関税会議反対
北 京 公 所長
段 執 政 邸 は安 全 な りし が、朱 及 章 両 氏 は夙 に逃 亡 し居 た り 。国 民 大
三
会 決議 、
四
あ り、 国 民 軍 も之 に賛 成 し居 れ るを 以 て 、郭 一人 の単 な る私 怨 、 又
今 回奉 天 に裏 切 りた る郭松 齢 は馮 玉祥 と連 絡 し、 李 景 林 とも 了解
時 局 に関 す る件
んと す る も の に て、 何 れ にし ても奉 天 派 の勢 力 減 退 と共 に既 に社 会
穏 健 派 は飽 く 迄 段 執 政 の擁 護 を称 へ居 ると 。之 と ても 亦之 を利 用 せ
は 野望 にあ らず し て国 民党 の社 会 革命 に利 用 さ れ た るも のと 見 る を
等 にし て、 右 は先 電 の国 民党 急進 派 の主 張 を 代表 す るも のな る が、
革 命 に 一歩 を入 れ た る も のな る こと明 ら か な り。 支 社 す み 。
妥当 と す 。而 し て国 民党 内 に は、 馮玉 祥 一派 の穏 健 派 は飽 く迄 段 執
せ し め て委 員 制 を布 か むと す る も のにし て、 両者 の意 見未 だ合 致 せ
し て 、李 石 曾 、徐 謙 、岳 維 峻 及 孫岳 の急 進 派 は此 の際 段 執 政 を下 野
政 を擁 護 す る こと を標 榜 し て、 之 を其 の傀 儡 と為 さむ と す る も の に
のは拘 禁 せ ら れ、 段 執 政 は事 実 に於 て全 然無 力 の状 態 に置 かれ た る
五第 一八 号 三 七 の如 く 、段 執 政 の要 人 は或 は遯 亡 し、 其 の残 れ るも
健 派 は 今 尚 頻 り に段 執 政擁 護 及 関 税 会 議 進行 とを主 張 し、 北 公秘 二
右 は 国 民 党急 進 派 の意 見 を代 表 せる も のな る が、馮 玉 祥 一派 の穏
を以 て下野 せ んと 欲 す る も、 鹿 鐘 麟 の監 視 厳 重 な る ため 遯亡 す る こ
ざ る 状 態 に あ る こと は既 に報 導 し た る処 な るが 、 一両 日前 よ り国 民 党 大会 を開 き 、 学 生団 と共 に示威 運 動 を行 ひ 、左 の各 項 目 を唱 へて
と能 はず 、表 面 段 執 政 は飽 く 迄 責 任 を 重 ん じ退 位 せず 、 と標 榜 せし
右 の状 態 は既 に報導 し た る如 く何 れ に し ても 社会 革 命 に 一歩 を入
め て拘禁 同様 の状 態 に置 き、 之 を 傀儡 と為 し 居 れ り 。
市 中 を 練 り歩 き たり 。 一、打 倒 売 国 政府
カ ラ ハン大 使 の如 き は此 の際極 力裏 面 の運 動 を為 し 、 国 民党 急 進 派
れ た る も のな る こと 明 ら か にし て、最 近 に北 京 に帰 来 せ る労 農 露国
二 、建 設国 民 政府 三 、請 段 下 野
の希望 を貫 徹 せし めむ とし 、之 が運 動 費 に弐 百 万金留 を準 備 し 居 れ
四 、槍 斃 朱 深 、章 士釧 五 、反 対国 税 会議
ると さ へ伝 へら る 。
と を 予想 し得 べし 。
関 係 あ る も のな るを以 て、 其 の帰来 後 は関 係 益複 雑 な る も のあ る こ
執 政 には非 常 の近親 な る も国 民党 、殊 に其 の急 進 派 と は相 容 れ ざ る
孫 伝 芳 と電 報 を 以 て聯 絡 し 相 当 の了解 有 りと のこと な る が、 徐 は段
目 下 日本 に在 り 帰国 の途 に着 か む とす る徐 樹 錚 は 、夙 に馮 玉 祥及
るも の の如 く 観 測 せら る 。
領 に復 位 せ しめ む と す る の説 は 、現 今 の空 気 よ り見 て問 題 とな らざ
天津 に於 け る孫洪 伊 一派 の運 動 に依 る黎 元洪 を出 馬 せ し め て大統
尚大 会 は大 要 左 の如 き決議 を 為 せ り。 一、 民衆 指 揮 の下 に革 命 政 府 を 組織 す 。 二 、 人 民 に は結 社 、集 会 、 言 論 、出 版 等 の自由 あ り、 階級 は分 たず 、 男女 の論 な く 絶 対自 由 な り 。 三 、直 ち に労 働 法 を発 布 し 、 八 時間 労 働 制 と 女 工、 少 年 工 の保 護 を 確定 す べし 。 四 、直 ち に命 令 を発 布 し、 国 家 所 定 の租 税 を納 む る外 は 、軍 人 、 官 吏 が何 等 一切 の租 税 徴 集 す るを得 ざ ら し む 。 五 、直 ち に真 正 国 民会 議 を召 集 せ よ 、金 国 各階 級 は皆 代表 を派 遣 す
之 を要 す る に各 要 人 の結 合 及新 政府 の組 織 が如 何 な る 形式 に於 て
ゝあ る こと は事 実 なり 。
行 はる ゝや は予 想 を許 さざ るも 、支 那 が赤 化 的社 会 革命 に進 行 し つ
べし。 六 、 北 方 は南 方 革 命 政 府 と聯 合 せよ 。
自 主 の実 現 を 以 て要 求 と希 望 とな す 。
七 、 人 民 は新 政 府 に対 し帝 国 主 義 の反抗 、 不 平等 条 約 の取 消 、関 税
七
一
大 正 十 四年 四月 十 三 日
〓 発 三 二号
二
哈 爾 賓事 務 所 長
支 那各 地 に亘 る罷 業 は単 な る労 働 問 題 に非 ず し て、 反 帝 国主 義 運
︹ 安次郎︺ 支 那 の赤 化 運動 に関 す る件 (六 月 四 日中 村内 務 事 務官 報 )
大 正 十 四年 六 月 八 日
哈 調 情第 一七 五 号
東 三省排 外 運動 並罷 工事 件
〓 南 公 所長
〓南 に於 け る郭 県知 事 の排 日真 相 (続 ) 〓 南 排 日問 題 に関 し 李道 尹及 郭 県 知事 が過 去 の罪 状 又 は 不成 績 を 掩 はん が為 、之 を提 げ て自 己 の地 位 保善 に努 め つ ゝある こと は已 報
るを 諾 か る 。此 の背 後 に露 国 共産 党 の赤 手 が動 ける は従 来 の反帝 国
を以 て排 日行 動 のみ と見 ら る ゝも、 漢 口方面 の状 況 を見 れ ば然 らざ
動 の目 的 た る排 外 にあ る こと は 明ら か にし て、 日本 人 の被害 が多 き
県 知 事 に対 す る商 務 会 を始 め市 民 側 の排 斥 猛 烈 な る為 、 同知 事 は早
の如 く な る が、 之 に関 し て当 地商 務会 側 の観 測 す る所 に拠 れば 、 郭
晩 自 己 の馘 首 せら るべ き運 命 に逢 着 し あ る こと を自 覚 し あ る も、 市
に あ るも 、上 海 、 青島 方 面 の罷 業 の影 響 を受 け て、 既報 の通 り去 る
奉 天 に於 け る罷 業 の原 因 は表 面奉 天 票 の下落 に伴 ふ賃 銀 の値 上 げ
主 義 の行動 よ り推 す も否 定 は出 来 ざ るべ し 。
際 極 力 排 日 を断 行 し 依 て以 て自 己 の地位 保 全 に努 め、 若 し之 が為 失
四月 中 旬支 那 職 業 組合 の幹 部 た る北 京 、 上海 方 面 の学 生 二十 六名 が
民側 の排 斥 に拠 り て退 官 せ ば将 来 他 に就 職 す る の困難 な る為 、 此 の
脚 す るも罷 免 の原 因 を 排 日問 題 に転 化 し得 ら るべ き を以 てな り と言
に来 り、支 那 人 町 に於 て鍛 工、 火酒 製 造 所製 工其 の他 に運 動 を 試 み、
︹マ マ︺
ふ 。恐 ら く如 上 の観 察 は 其 の肯 綮 に当 れ る も の ゝ如 し。
来 満 し 、南 満 は奉 天 を中 心と し て組 合 加 入 と連 絡 を勧 誘 し て哈爾 賓
の金 銭 を 与 へ、 帰 途 は プ ロフ イ ンテ ル ンより 発 行 し た る公 用乗 車 証
其 の際 彼 等 に孫 文 の追 悼 の為 な りと称 し、 二百 円宛 に て計 千 円近 く
▲
▲
▲
我 等 は速 に立 つて上 海 、青 島 の学 生 、労 働 者 を援 助 せざ るべ か
我 が中 国 の同 胞 よ、速 に立 つて此 の悪魔 と 奮 闘 せ よ !!
所 謂 親 善等 の名詞 は之 悉 く我 が中 国 人 民を 欺 瞞 す る 口頭 禅 な り。
らず 。
に て浦 塩 に出 で天 津 、 上海 方 面 に出 た る際 に大 体 の連 絡 を得 た る も
今 回惹 起 せる青 島 、 上 海 の日本 工場 に於 け る中 国 人 同盟 罷 工は是
のな り と 言 ふ (当 時露 国 の支 那 赤 化 方策 と題 し て既報 した るを 以 て 参 照 せら れ た し)。 亦 北 方支 那 の赤 化 に就 て は既 報 の通 り 昨 年 末 哈
破格 の低 廉 に起 因 す る も のな り 。 こ れ要 す る に我 が 国 の労 働 者 を 人
類 視 せざ る に因 る も のな り 。而 し て現 時 の物 価 は日 一日 と昂 騰 し 、
全 く外 国 資 本 家 の我 が国 労 働者 に対 す る待遇 の不 平等 、労 働 賃 銀 の
勢 ひ労 働 者 の生 活 は安 定 を 欠 く に至 れ り。茲 に於 て青 島 、上 海 二箇
爾 賓 を 通 過 し て片 山潜 が浦 塩 に出 で 、同 地 より 北京 、天 津 、 上海 に
際 庫 倫 ま で左 傾 学 生多 数 を同 伴 し来 り 、同 地 に於 て支 那 問 題 の演 説
所 の工人 は立 つ て罷 工 を決 行 せ り 。其 の目的 た るや 只 自 己生 活 の安
至 り、 支 那党 員 と の間 に活動 し帰 途 庫倫 を経 て モ ス コー に向 ひた る
を為 し た る事 あ るが 、之 等 の学 生 が多 方 面 に亘 り て宣 伝 を な し つ ゝ
青 島 に在 り ては無 数 の労働 者 を惨 殺 し 、 上海 に在 り て は啻 に工 人 の
然 る に外 国 資 本 家 の心 は食慾 飽 くな き 虎狼 に比 す る も尚 足 らず 。
全 を求 む る に過 ぎず 。
帰 途 に着 き た る も のあ り と言 ふ。 之 等 左 傾運 動 者 の費 用 は カ ラ ハンよ り支 出 す る も のな ると 馮 玉祥
馮 玉 祥 と の今 日 の関 係 にて は結 果 に於 て同 一に等 し き も のな る べし 。
へて之 を 銃 殺 せ り 。世 界 の終末 未 だ至 ら ず し て安 ん ぞ斯 の如 き 暗黒
被 害 に止 ま らず 、英 租 界 の巡捕 は童 に工 人 を援 助 す る学 生数 名 を捕
よ り支 出 す る も のと の両 方面 な りと 言 ふ も、 孰 れ にせ よ カ ラ ハンと
比 較 的 楽 観 し来 れる 満 洲 も今 や楽 観 を許 さず 。 満鉄 沿線 に於 け る我
等 学 生 、 労 働者 を援 助 す べ し 。大 衆 共 に起 り来 つて 一致 団 結 以 て中
果 し て尚 死 せざ れ ば此 の際 拱手 傍 観 す る に忍 びず し て断 然 立 ち て彼
の生 命 は凡 て外 国帝 国 主 義 者 の喜 怒 に依 り て左 右 せ ら る 。我 が 人 心
れず とす るも 中 国 人 の人 格 は亦 全 く 滅 亡 す る に至 ら ん 。我 等 中 国 人
し、 中 国 人 民 の血 を悉 く 啜 る に至 らん 。縦 令 殺 し 尽 さ れ、 血 を 啜 ら
則 ち 日英 帝 国 主義 者 は機 乗 ず 可 し とな し 、我 が中 国 人 民 を悉 く 殺害
に我 が中 国 人 民 此 の惨 殺 事 件 に対 し て寸 毫 不関 焉 の態 度 を執 ら ん か、
学 生惨 殺 事 件 は 上海 一隅 の問題 に非 ず し て全 中 国 の事件 なり 。 仮 り
惨 憺 の現 象 あら ん や。 故 に這 般 の青 島 労働 者 殺 害 、 上海 英 国 巡 捕 の
国 の利害 関係 と共 に、 特 に満 洲 の将 来 にも 赤 化 運動 には細 心 の注 意 を要 す べ し 。 関 東 庁 に ては奉 天 の罷 業 状 況 御通 報 相 煩 度 し 。
三
哈 爾賓 事 務 所 長
青 島 、上 海の大惨 劇 は是 帝 国 主義 者 悪口 の暴露 な り。
中 国国 民 党 同 志 の排 外 宣 伝 文 (六月 九 日哈爾 賓 全 市 に配布 )
大 正 十 四年 六 月 十 日
哈 調 情 第 一九〇 号
▲
国 の敵 た る 日英 帝 国主 義 者 に抵 抗 す べ し 。中 国 学 生 、労 働 者 を 殺害 せ る此 の種 の暴 行事 件 は 工人 、 学 生 の 一方面 の私 事 に非 ず 。是 我等 同胞 協 力 一致 し て力争 す可 き国 家 、 人 格 の生死 に関 す る所 なり 。 中
四
奉 天鎌 田公 所長
大 正 十 四年 六月 十 日来 電 発信者
国 一線 の生機 を維 持 し 、死 命 を恐 れざ る 工 人、 学 生 、彼 等 は国 家 の
北京
松 岡 理事
本
受信者
存 亡 の為 奮 闘 せ る急 先 鋒 た る なり 。 現 下 野 蛮 の外 国 々家 、 帝 国主 義 者 と塁 を 設 け て奮 闘 し 同胞 の赤 誠
文
血肉 を以 て銃 弾 と相 抗 し居 れ り 。今 や我 が 国 各 地 の民 衆 の 一致 的 声
な り 。心 血 を 注 ぎ て力 争 せ る愛 国 的 学 生 、 労働 者 に対 し 何 の顔 か あ
案 ヲ東 三省 同胞 ニ通 告 ス、 ト題 スル宣 伝 ビ ラ ヲ配布 シ ツツ隊 伍 ヲ整
救 済 同 胞 等 ノ文字 ヲ記 載 シタ ル旗 ヲ手 ニシ、 日英 ガ過 日惨 殺 シタ ル
今 朝 七 時頃 ヨリ 四、 五 百名 ノ中 国 男 女学 生 、 一切救 国 、 力争 日英 、
ら ん 。斯 く の如 き は明 ら か に亡 国 の民 を自 ら 表 示 す るも のと言 はざ
ヘ省 長 公 署 前 ニ集合 シ将 ニ示威 運 動 ヲ開始 セ ムト、 官 憲 ト ノ間 ニ交
援 を望 む や切 な り。 我 等 尚 これ を無 関 心 に過 す と せば 敢 て問 はざ る
る べ か らず 。 茲 に吾 人 が知 ら ざ る 可 から ざ る 一事 は、 今 回 青島 の警
者 ハ基 督 教 青 年 会、 女 子 師範 、第 三中 学 、基 督 教 分会 堂 院 、南 満 医
渉 中 ナ リ 。右 宣 伝 ビ ラ ハ配 布中 途 ニ没 収 セラ レタ リ 。学 生 ノ主 ナ ル
科 大学 々生、 支 那籍 商 事 社 員 等 ナ ルガ刻 々増 加 シ、午 後 一時 迄 ニ壱
察 媚 を外 国 に呈 し 同胞 の 工人 を惨 害 せ し こと 、 並 上海 英国 巡警 の学
侵 略 進 入 の先 鋒 た る ことな り 。若 し 今 に於 て我 等 一致奮 起 せず 、 此
モ聞 キ 入 レザ ル ニ付 キ、 警 官 ノ外兵 一連 ヲ出 シ之 ヲ包 囲 シ、 所持 セ
千 名 ニ達 シ タ リ。 王政 務 庁 長 及 教育 庁 長 ハ懇 々諭 シ解 散 ヲ命 ジ タ ル
生 、労 働 者 銃 殺 の行 動 は、 全 く 日 、英 等 の帝 国 主義 者 が我 が 中国 に
の侵 略 の先鋒 を挫 か ざ る に於 ては 、 彼等 帝 国 主 義 者 は無 人 の境 を 入
ル旗 ヲ没 収 シ警 戒厳 重 ナ リ シ為 、学 生 団 ハ手 モ足 モ出 セズ 、 已 ムナ
る が如 く直 ち に長 駆進 入 し来 り、 我 等死 す とも 身 を葬 る の地 な き に
ク代表 員 十名 ヲ残 シ、他 ハ午 後 三時 警 官 ニ守 ラ レ学校 ニ引 揚 ゲ タ リ。
哈爾 賓 事 務 所長
至 ら し め ん 。吾 人 は畢 竟 如 何 にし て此 の帝 国 主 義 者 と抗 す べき か 、
五
極秘 大 正 十 四年 六 月 十 一日
哈 調 情 第 一九 二号
他 な し 、 我 が中 国 工 、農 、 兵 、 商 の各界 同 胞 聯 合 し て奮 起 し て、青 島 、 上 海 の工 人、 学 生 を援 助 し、 彼 等 と堅 く 一致 の行動 を執 て上海
遠 に立
哈爾 賓 中 国 国 民党 同 志啓
吾 人 速 に立 ち て上 海 、青 島 の 工人 、学 生 を 援 助 せ よ !!
英 、 日各 帝 国主 義 者 に向 つて攻 繋 を 開始 す べき な り 。
て !!
北 満 に於 け る罷 工取 締 方 法
吉林省長公署某要人 の談 に依 れば、上海、青島方面 の同盟罷工が 如何 なる程度迄満洲 に波及するか疑問 なるが、かなり煽動者もある 見としては極力取締 を励行する方針 にて示威運動 の如きは絶対 に禁
様 子なれば必ず しも楽観は許 さない。然 し張作相、王樹翰両氏 の意 止し、学生が軽 挙妄動 したる場合は、当該校長 に全責任 を負はしむ る旨、内達 せる由 である、と。 六 哈爾賓事務所長
大正十 四年 六月十 一日
哈調情第 一九三号 同盟罷業 の件
朱
霽
青
本 月 九 日哈爾 賓 中 国 国 民 党同 志 と記 し て当 地 全 市 に配 布 せる排 日
平 民周 報 社
英 宣 伝 文 は、 取 調 べ の結 果 左 の所 よ り出 た も の の如 し 。 西 馬家 溝 教 堂 街 九 八号
東 三省 商 報 社長 葉元 宰 (広東 人) 氏 は言 ふ 。中 国 国 民党 本 部 は杭
州 に在 り、 当 地 には其 の支 部 二個 所 あ り、 即 ち 一は 馬 家溝 と 今 一つ
八
秘
哈 爾賓 事 務 所 長
は 南 崗な り と。 但 し其 の人 は 知 らず 云 々。
哈 調情 第 二〇 一号
に対し罷業期間中下級労働者 には 一ケ月十 七元、普通労働者 には三
地に上海 の如 き罷業勃発 の場合職業同盟会 の態度としては、罷業者
る こと を報 じ来 れ る を以 て、 呉督 弁 は省 内東 支 各 駅及 各 郵 便 局 に書
と し て東 支 沿 線 軍隊 に主 義 宣 伝 の目的 を 以 て、 北 満 に潜 入せ し め た
は在 露 支 那 人 共産 党 員 数 名 に多 数 の支 那 文印 刷 物 を携 帯 せし め 、主
五 月 三十 一日附 奉 天 より 呉督 弁 に達 せる電 報 によ れば 、 労農 当局
赤 化 宣 伝 防 止策 実 施 (六 月 十 一日高橋 中 佐 報 )
大 正十 四年 六 月 十 二 日
十 五元を給与する事 に内定し居 る由。尚職業同盟会と罷業団と の交
哈市職業同盟会創設者 の 一人クリウエツ氏 の言 に拠 れば、万 一当
渉 は現 に東鉄従事員同盟副会長兼職業同盟会員たる劉某之 に当るべ
類 検 査員 を配 置 し て厳 重 な る検 査 を開 始 せし め たり 。
九
哈爾 賓 事 務 所長
上海 事 件 に関 す る 王長 官 と 学 生 の態度
大 正十 四年 六 月 十 三 日
哈 調 情第 二 〇 二号
しと。
哈爾賓事務所長
七 哈調情第 一九五号
中国国民党同志排外宣伝文出処 の件
大正十 四年六月十 二日
昨 十 二日当 地 工業 大 学 、 六中 、 東 華 、 普育 、広 益 、 三益 、 許 公 の 七校 代 表 者 は 普 育学 校 に会 し 、今 回 の上海 事 件 に対 し義 捐 金 募集 の
王氏 は学 生 の募捐 運 動 は賛 成 す るも 激烈 の行 動 に出 で、 外 交 事件 を
件 を議 決 し 、 更 に代 表 者 を挙 げ て特 区 行政 長 官 王 樹 翰 氏 に接 見 せ り 。
発 生 せ しむ る事 なき 様 訓戒 せ りと 言 ふ。 又昨 夜 王 長 官 は当 地 中学 部 各 校 長 を長 官 公署 に招 集 し 、学 生 が不 穏 の行 動 に出 でざ る様 充 分 監
哈 爾賓 事 務 所 長
一〇
督 す べし 、 と 命 じ たり 。
哈 調情 第 二〇 九 号
哈 市 鶏鴨 公司 華 工 の罷 工説
大 正十 四 年 六 月十 七 日
六 月 十 六 日 の東 陲 商 報 に ﹁ 某 公 司怠 業 の消息 ﹂と 題 し、哈 市 に於 て 二 千人 近 く の職 工を 有 す る某 国 の会 社 が 近 々同 盟 罷 工を行 ふ べし と
き歴 史 を 有 す る英 国 人 経営 の物 産 出 口有 限公 司 (俗 名 、鶏 鴨 公 司 又
報 じ て居 るが 、 諸情 報 を綜 合 し て見 ると 、其 の某 公 司 と は当 地 に旧
は幽 霊 会 社 と も 言 ふ) な り と判 定 し得 ら れ る 。本 公 司 には平 時 七 百 人、 繁 盛 時 には 千余 人 の苦 力 、職 工を 使 用 し て居 る。 本 公 司 の罷 工 を魁 に哈 市 各 工場 会 社 に之 を波 及 せし め る計 画 で あ ると 伝 へて居 る。 東 陲 商 報 の記事 は左 の通 り であ る 。 ﹁当 地 某 国 の某 公 司 は支那 人職 工約 二 干 人 近 く を使 用 し て居 る が、
( 山根)
今 回上 海 事 件 発 生し た為 、之 が後 楯 と な り同 盟 罷 工を 敢 行 し て該 公 司 の華 人 虐待 方策 を 打 破 し よう と 目 下 目論 ん で居 る﹂
哈 調情 第 二 一二号
一 一
哈 爾 賓 事 務所 長
上 海 事 件 に対 す る哈爾 賓 晨 光 の主 張
大 正十 四年 六 月 十 七 日
哈爾 賓 晨 光 は 当 地漢 字 紙帝 国主 義 及資 本主 義 に反 対 し 、学 生及 労
働 者 側 に声 援 し居 り、 上 海事 件 に際 し 十 七 日 の紙 上 に て左記 各 項 を
一、 対 英 、 日 経済 絶 交 は 該 国 の貨 物 を買 はず 、該 国 人 に貨 物 を売
実 行 せ よ、 と 主 張 し て居 る。
らず 、 又其 の紙 幣 の使 用 を拒 絶 す る こと 。
二、 漢 文 の英 、 日機 関 新 聞 を 全部 拒 絶 し て閲 読 せざ る こと 。
三、 各 商 店 は英 、 日機 関 新 聞 に広 告 を 掲載 せざ る こと。 既 に契 約
四、 各 団 体 は組 を 分 ち て義 損 金 を募 集 し 商務 会 に交 付 し、 五 百 元
せ る広 告 も全 部 解 約 し て決 心 を 示す こと 。
或 は 千元 に達 す るを待 ち上 海 に送金 す る こと 。
五 、罷 工、 罷 学 、罷 市 を鼓 吹 せず 、専 ら 実 力上 より根 本 的 援 助 を
哈 市 三 十 万 の市 民 が若 し果 し て 一致 し て其 の精 神 を 実際 的 に奮 起
な す こと 。
(浜 岡 )
作 興 せ し む れ ば、 遙 か に罷 工、 罷 学 、罷 市 にも亦 示 威 運動 に も優 る。
一 二
秘
大 正 十 四年 六 月 十 九 日
哈 調 情第 二 一五 号
哈 爾 賓事 務 所 長
上 海 事 件 に関連 す る哈 市 其 の後 の情 況 上 海事 件 に関 連 し 哈爾 賓 基 督 教 青年 会 、商 務 会 、学 生 聯 合 会 等 の 活 動 に就 ては、 其 の都 度報 告 し た処 で あ る が、 其 の後 尚 依 然 と し て
一
日、 英 官 公衙 に外 交 後 援会 の内 情 を 内通 す る支那 人 の有 無 を
日、 英 人合 営 会 社 の支 那 人使 用 人 は罷 工 を開 始 せ よ。
各商 家 の所有 す る 日、 英貨 物 の数 量 を 調査 す る こと 。
監視せよ。
二
三
る。
日 、英 銀 行 の預 金 者 は即 時預 金 を引 出 し、 花 旗 銀 行 に預 け 替
示威 運 動 、 同 盟罷 工、 日、英 貨 排 斥 を 為 す こと 。
るも のな きや を 監視 す る旨 全 国 の基 督 教 団体 に通 電 を発 した 。
外国 宣 教 師 中 牧師 の仮 面 を 冠 り て、 他 の使 命 に依 り て活 動 す
哈 市 基督 教 青 年 会 は救 国 後 援 会 の名 を以 て左 の如 き 宣 伝 をし て居
三、 基 督教 青 年 会 の宣伝 (高 橋 中 佐報 )
の取 締 が厳 重 な る為 、 未 だ具 体 的 運 動 を 見 る に至 ら な いが、 ソヴ エ
一
彼 等 の間 に日 、英 排 斥 の劃 策 及 宣 伝 が 行 は れ て居 る 。然 し 支 那 官憲
ート露 国 側 は盛 ん に暗 中 飛躍 を行 ふ 一方 、其 の機 関紙 を通 じ て極 力
二
排 日及 排 帝 国主 義 の宣 伝 を為 し つゝあ る か ら、 今 後 の形勢 の推 移 に 就 ては 大 い に注 意 を要 す る と観 察 され る 。今 其 の後 の状 況 に就 て記
示 威 運 動 の件 は事 重 大 な るを 以 て俄 か に確 答 し 難 し。
に名 を藉 り 共 産主 義 の宣 伝 に努 め て居 る 。
露 国職 業 同 盟幹 部 は最 近屡 々支 那 人 工場 に出 入 し、 労 働 事情 調 査
六 、露 国 職 業 同盟 会 の暗 中 飛躍
て不安 を感 じ て居 る者 も 尠 く な い。
着 々と進 捗 し居 り、 当 日或 は暴 動 化 す る や も知 れ ぬ、 と の風説 あ り
六月 二十 四 日端 午 節 を 期 し全 国 的 に行 は るべ き大 示 威 運 動 の準 備
五 、端 午 節 と 大示 威 運 動
を し て居 る 。殊 に夜 間 の巡察 を増 加 し た 。
中 に配 置 し て、不 良 分 子 の盲 動 を警 戒 し 且陰 に日 、英 人 の保 護 監 視
護 路 軍総 司令 部 は 特 別 区警 察 総 管 理処 と連 絡 し 、多 数 の密 偵 を市
四、 支 那 官憲 の市 中 警戒
え を 為 す こと 。
三
日、 英 と経 済 的 絶 交 を為 し、 日 、英 貨 物 、 貨 幣 の排 斥 を な す
商 、 工 、学 自 治 団 体合 同 し て示 威 運動 を挙 行 す る こと 。
一、傅 家 甸 商 務会 緊 急 会 議 ( 高橋中佐報)
述 す れば 左 の通 り。
一
上 海 罷 工労 働 者 の為 に義 捐 金 を 募 集 す る こと 。
こと 。
二
三
経 済 的 絶交 の件 は今 暫 く 他地 方 商 務 会 の態 度 を見 た る上 、会
等 に関 し、 他 地 方 と の共 同 動 作 に就 き 左 の決 議 を為 し た。 一
義 捐 金 募 集 に賛 成 す 。
の態 度 を 決 定 す る こと 。
二
三
二、外 交 後 援 会 の排 外 宣 伝 (高橋 中 佐 報 ) 傅家 甸 商 務 会内 附 設 ﹁外 交後 援 会 ﹂ は哈 市学 生、 労 働者 に 対し 左 の如 き宣 伝 を開 始 し た 。
一三
完 全 な る教 育 を受 け た者 で あ る が従来 何 等聯 絡 的 組 織 が設 け ら れ て
居 な いか ら 一致 の動作 を為 す 精 神 に乏 しく 、斯 く ては徒 ら に外 商 の
下 に屈 服 し 、其 の心 力 を 費 し て僅 少 な る報 酬 を得 て生 活 す る に過 ぎ
ず し て、 社会 公 益 的 方面 に裨 益 す る所 なき を遺 憾 とし 、 此次 上 海事
件 の刺 戟 を受 け 、 外 人被 雇 用 華 人 聯合 会 の組 織 を計 画 す る に至 り 、
哈 爾 賓 事 務所 長
数 日来 某 地 に会 合 し て協 議 の結 果 既 に準 備 員 を 選定 し 積極 的 進 行 に
哈 調情 第 二一 八 号
晨 光 報 の排 日毒 舌
一五
哈 爾 賓事 務 所 長
は よ く之 を制 し 、以 て秩 序 を 維持 し有 ゆ る外 人 の生命 財 産 に対 し て
べか らず 。 若 し之 が為 暴 動 を 発 生 し治 安 を擾 害 す る等 の事 あ る場 合
動 に於 て正 軌 の行動 以 外 に出 で、外 人 に口実 を与 ふ る が如 き 事 あ る
も のと同 一心 理 な る が、 唯 本件 未 解 決 以前 は全 国各 界 一切 の集会 運
度 を取 れ るは 、 政府 が理 に拠 り て抗 争 し 正義 の貫徹 を期 せ んと す る
此次 上 海事 件 勃 発 し全 体 の市 民 が愛 国 の誠 意 に基 づ いて悲 憤 の態
記
に関 す る命 令 を 、浜 江 警 察 庁 ( 在 当 地 ) に移 牒 し来 つた、 と 。
吉林 警 務 処 よ り昨 日左 記 の如 き執 政 府 の対 上海事 件 運動 集 会 取締
上 海事 件 に関 連 す る 運 動集 会 取 締 に関 す る執 政府 の命 令
大正 十 四年 六 月 二十 日
哈 調情 第 二二 〇号
着 手 し 、 成立 の暁 は 官庁 の承 認 を得 る段 取 り にな つて居 る と。
大 正十 四年 六 月 十 九 日
当 地 の排 日紙 晨 光報 は咋 今 上海 其 の他 支 那 各 地 の騒 擾 事 件 に関 し、 殆 ど 全紙 を埋 め て憤 慨 記事 を掲 げ て居 るが 、 九 江 に起 つた我 が台 湾 銀 行 の焼 失 事 件 は 、 日 本人 自 ら放 火 し て焼 き 払 つた も ので、禍 を支 那 民 衆 に嫁 し た愚 劣 手段 で あ ると報 じ、 又 過 般 の上海 に於 け る仏 人 探 偵 殺害 事 件 は、 日 本 人 が支 那 人 に仮 装 し て行 つた も ので所謂 赤 化 、 暴 動 、排 外 等 の名 詞 は 、禍 を我 に嫁 す る為 の 一種 の謬 妄 宣 伝 で あ る。
哈爾賓 事 務所 長
一四
の社 説 に書 い て ゐる 。
此 の如 き 日本 人 の陰 険 卑劣 行 為 は 実 に言 語 に絶 す 云 々と、 本 十 九 日
哈 調 情第 二 一九 号 大 正 十 四年 六 月 二 十 日
支 那側 の報 道 に拠 れ ば、 哈 市 に於 て営 業 す る 欧米 の商 工業者 は大
外 人 被 雇 用 支 那 人聯 合 会組 織 準 備
小計 一千七 百 八 十戸 、 日本 の商 工業 者 同 二百 三 十 七戸 、 合 計 一千 三
は 、条 約 に照 し て保 護 の責 を 負 ひ決 し て粗 略 に 流 る ゝ べ か ら ず 。
( 浜岡)
百 十 五戸 にし て、之 に雇 用 せら れ居 る支 那 人 、 其 の労 働 に従事 す る 者 を除 き尚 数 百 名 の多 き を有 し 、彼 等 は 多 く 中等 以 上 の智 識 を有 し
一六
事件 を斯 く 称 す る な り) 発 生 以 来 全 国震 駭 、 各 地奮 起 し て応援 せざ
る な し 。就 中 旅 順 、大 連 の同 胞 は最 も久 し く 帝 国主 義 の惨 酷高 圧 の
下 にあ り 、其 の救 国 の熱 心、 民 族 隆 興 の精 神 に至 り て は最 も 猛烈 な
大 正 十 四年 六月 二十 三 日
す るよ り も甚 しく 、 工 場 、学 校 は武 装 の警 官 に依 り て包 囲 せら れ 、
本 帝 国 主義 政 府 は 遂 に其 の残 暴 圧 迫 の手段 を逞 ふ し て亡 国 人 民 に対
生 全 部 結合 し て同 盟休 校 を行 へり 。 労働 方 面 も 亦 不穏 の兆 あ り 。 日
り 。茲 に於 て各 団 体風 起 雲 涌 し て滬 案後 援 会 を 組織 し 、旅 大 中 国学
張 督 弁 及 王省 長 は 東鉄 よ り受 領 す べ き 五 十万 元 (六 月 二十 二 日 附
覚 醒 せ る 一般 青 年労 働 者 は或 は 駆逐 せ ら れ、 或 は逮 捕 せら る ゝに至
哈爾 賓 事 務 所 長
哈調情第二 二 四号 参 照 ) を受 領 後 帰 吉 の筈 な り し が、吉 林 省 城 に於
哈 調 情 第 二 三六 号
け る同 盟罷 業 の主 謀 者馬 駿 の行 動 日 に悪 化 し 、或 は端 午 節 を期 し 事
れり 。 茲 に其 の大 要 を 述 べ ん 。
の警 官 、憲 兵 は尽 く 武装 し て出 動 し 、大 敵 に臨 む が如 く 将 に為 す あ
三 、 旅順 、大 連 の中等 学 校 以 上 の学 生全 部 同盟 休 校 す るや 、 日本
日 の如 き は遂 に義 捐 金募 集 の学 生 数 名 を捕 へて獄 に投 ぜり 。
初 心 を貫 徹 せし む る に在 り。 而 し て日人 は極 力之 を挫 かん と し て昨
し 、 上海 其 の他各 処 の罷 工 労 働者 を援 助 救 済 し て、 其 の堅 忍 不抜 の
帝国 主 義 者 に対 し直 接 打 撃 を 与 ふ る は、 只 一歩 退 き て義捐 金 を募 集
組 織 なく訓 練 なく 、 未 だ よ く罷 市 、 罷 工 を な し能 はず 。茲 に於 て彼
二 、大 連 商 人 の凡 庸 怯 儒 な る と労 働 者 の幼 稚 な ると に依 り何 等 の
なく 竟 に公然 た り。
僅 か に国 歌 を唱 ふ るを 得 た る も、 彼 日本 は我 を亡 国 奴視 し て憚 る事
列 を 許 さず 。幟 を 掛 く る を禁 ぜり 。 後 我 が同 胞 は 死 を誓 つて力争 し
酷 、 真 に亡国 奴 に対 す る に如 かず 。 国歌 を唱 ふ るを 許 さず 。 隊 伍 行
僅 か に 一追 悼 会 を 開 け ば直 ち に横 暴 な る干 渉 を 蒙 り 、其 の圧迫 の厳
為 し 能 はざ る所 、 止 む な く消 極 的表 示 に至 ら ざ る を得 ず 。 茲 に於 て
一、 此 の武 装 圧迫 の下 に在 り て積 極 的 に示 威 行列 を行 ふは固 よ り
件 の勃 発 す る や の懸 念あ る た め 、突 如 二十 二 日朝 出 発 し た る次 第 で
る。
あ ると 。尚 馬 駿 は カ ラ ハンよ り相 応 の資 金 を 入手 し居 る と の事 であ
一七
哈爾 賓事 務 所 長
大 正 十 四年 七月 一日
哈 調 情 第 二五 〇号
松 江 日 報 の排 日記 事 当 地松 江 日報 が 近来 屡 猛 烈 な る排 日記 事 を掲 載 し て居 れ る は注 意
▲追 悼 会 に於 て国 歌 を唱 ふ る を禁 じ、 義 捐 金 募集 の学 生 を捕 へ
日本 、 旅順 、大 連 の中 国 人 を蛮 圧 す 。
を要 す。 本 日 の社説 欄 に論ず る所 左 の如 し。 ◎
て牢 獄 に投 じ 、罷 業 学 生 を境 外 に駆 逐 し 華 人 の領 袖 を将 に逐 は ん とす 。 ﹁五 卅﹂ 惨 殺 事 件 ( 訳 者 曰く 、 支 那 人 は 五月 三十 日 上海 に於 け る
ら ん と す る学 生 に対 し 一律 に圧迫 し て、 一刻 も 州内 に留 ま るを許 さ
怒 り て 工場 を退 き以 て解 決 を待 つ て居 る。 又 大連 沙 河 口 の日本 人 の
れざ る の みな らず 反 対 に警 察 に暴 動 で あ る、 と報 告 し た為 に、 一同
経 営 し て居 る 処 の鉄 工場 は待 遇 問 題 に関 し、 労 働者 か ら三種 の要 求
一、 労働 者 に対 し無 賃 乗 車 証 を 発給 せら れ度 し。
をした。
四 、傅 立 魚 は大連 華 人 の領 袖 た り 。其 の熱 心 救 国 の行 為 は大 いに
ず 出 境 せ し め たり 。
日本 帝 国 主義 の嫌 悪 忌 恨 を蒙 れり 。傅 君 の行 動 に対 し厳 重監 視 を附
二、 支 邦 人職 工 に対 し宿 舎 を建 築 せ ら れ度 し 。
し並 に正 式 の警 告 を提 出 せ り と伝 へら る 。傅 立 魚 氏 は 日本 人 に対 し て 不満 の事 あ る が如 く 自 ら 大連 を去 る可 し と言 ふ。 其 の意 のあ る所
三、 賃 銀 は 小洋 計算 を 以 て可 な る も相 場 下落 し た る時 は損 失 を補 填
(山 根訳 )
を始 め た云 々。
哈爾 賓 事 務 所 長
編注 、哈調情第 二五〇号中 吻四と
末 尾 に於 て、 従来 親 日家 と 目 さ れ た る我 が満 鉄 嘱託 傅 立 魚 氏 に関 し、
旅 順 、大連 の中 国 人 を 蛮 圧 す ﹂ と題 し誇 大 な る排 日記 事 を掲 げ其 の
本 年 七 月 一日当 地漢 字新 聞松 江 日報 が其 の社説 欄 に於 て ﹁日本 は
傅立 魚 氏 の時 局 に 対 す る意 見 と輿 論 の傾 向
大 正 十 四年 七月 三 十 一日
哈 調 情 第 三 一〇 号
一九
以上 の三条件 は未 だ工 場 主 に入 れら れ な い の で、既 に総 スト ラ イキ
せら れ度 し 。
氏 が再 び愛 国 行為 あ らば 日 本 官憲 は即 刻 駆 逐出 境 せし む 可 し と の意 に在 る が如 し 。 嗚 呼 旅順 、大 連 は 中国 の領 土 に非 ざ る乎 。 日 人 何 を以 て此 の如 く 猖 獗 狂 暴 な る ぞ。 日人 何 を 以 て此 の如 く無 理 蛮 横 な る ぞ 。嗚 呼中 国
北 京 公所 長
未 だ亡 びず 。而 し て竟 に此 の亡 国 奴 の待 遇 を 受 く 。嗚 呼 、嗚 呼 。
一八
北 公 情 二 五第 二号 の三 三
東 三省 日本 人 工場 の罷 業 (七 月七 日京 報 摘 訳)
大 正 十 四年 七 月 七 日
最 近 奉 天省 の周 水 子福 房 工場 の女 工 三百 余 人 は 、昨 年 工場 に入 る
右 は 元 よ り誇 大 の記 事 な り と は信 じた るも念 の為 傅 氏 と〓 懇 の間
柄 な る当 地東 三省 商報 社 長 葉 元 宰 氏 が熊 岳 城 に於 て療 養 中 の傅 氏 と
左 の如 き面 白 か ら ぬ記 事 を 掲 げ た り。 ︹同 一に付き省略 ( 本頁上段参照)︺
中 か ら食 費 を 引 く ので、 各 人毎 日 の所 得 は七 、 八仙 に過 ぎ な い。 尚
る処 、本 月 十 七 日 の東 三 省商 報 紙 上 に於 て ﹁傅 立 魚対 時 局 之意 見 ﹂
会 見 の約 あ る を知 り 、葉 氏 に依 頼 し て右 に関 す る真 相 を 叩 かし め た
し て居 たが 、既 に 一年 に至 る も毎 日僅 か に 二十 八仙 を 支給 し、 其 の
労 働 時間 も十 二 時 間 で、 昼 の時 に僅 か三 十 分 の休 憩 があ る のみ で甚
時 に 、工 場 管 理人 は三箇 月 後 に於 て給 料 を増 し てや る と謂 ふ約束 を
だ苛酷 であ る為 に、 女 工等 は之 を 請願 し た る処 単 に賃 銀 の増加 せ ら
一、 記 者 は昨 日軽症 の胃 病 に て熊 岳 城 温 泉 に療養 中 な る 大連 中 華
と題 し 、 次 の記 事 掲載 せら れ た り。
青 年 会 長傅 立 魚 氏 を 訪問 し、 時 局 に対 す る意 見 を徴 し たる に 、其 の 語 る処 の大要 次 の如 し。
ことご と く 偽 り な るを 証 す べく 、 将来 永 く親 善 の日 な から ん と す。
此 の重 大 時 機 に当 つて毫 も誠 意 の表 示 な し。 則 ち 平常 云 ふ所 の言 、
第 三、 今 次 の上 海 事 件 は 日本 工場 に発端 す と 雖 も 、 五卅 案 (訳者
云 ふ 、中 国 人 は本 年 五 月 三 十 日上 海 工務 局英 人 巡 査 が中 国 学 生 を銃
日感 情 は著 し く緩 和 せら る ゝに至 れり 。 我 が国 民 は 既 に民 族 的 に覚
茲 に於 て我 が 国 民多 数 の意 見 は単 独 に英 国 に対 す べ き を主 張 し 、対
殺 せ る事 件 を斯 く称 す ) 発 生 以来 一変 し て事 件 は 対英 問 題 に移 れ り。
来 の久 し き に亘 り列 強 の虐 待 を 蒙 り 二 重 三重 の束縛 を受 く 。 此 の桎
一、 国 民 は須 ら く 非 常手 段 を 以 て国 を救 ふ べし 。我 が国 は 百余 年
梏 よ り脱 せん と せば 断 じ て尋 常 手 段 に拠 つては 奏効 す る能 はず 。 吾
醒 せ り。 之 に反 し て日 本 多 数 の新 聞 論 調 は依 然 旧 套 を脱 せず 極 力中
得 ざ る に勝 る 。我 が国 素 よ り貧 弱 にし て独 逸 に及 ばず とす る も白 耳
て不良 にし て、 日本 に対 す る悪 感 は著 し く軽 減 し 、奉 天 の輿 論 界 も
前 記 葉 氏 は旅 行 中 大 連 より書 を寄 せ ﹁ 南 満 各 地 の対英 観 念 は極 め
に遺 憾 に堪 へず 云 々。
国 を排 斥 し 、英 人 と共 同 し て我 が国 を 圧迫 せ んと す る に似 た り 。誠
人 は瓦 全 せん よ りは 寧 ろ 玉砕 せ んと の大 覚 悟 を 要 す。 例 へば 対英 宣 戦 の如 き寸 毫 の勝 利 を希 望 す る能 はず とも 、 死 し て
義 に勝 ら ん。更 に 一歩 を譲 り、 仮 令 白 耳義 に劣 る と も土 耳 古 に勝 ら
亦 改変 せ り。貴 重 な るは 此 の時 機 に乗 じ て誠 意 の親善 を実 行 し 、東
雄 鬼 たり と も 生 き て儒 夫 た る に勝 る 。敵 前 首 を棄 て る は逡 巡 死処 を
ん 。土 耳 古 の積 弱 は我 に比 し て更 に甚 し 。然 も猶克 く英 国 に対 し て
色 人種 は 一致 聯 合 し て奮 起 す べ き旨 を 高 唱 せ り。 又東 方通 信 の報ず
洲各 民族 之 結 合 を希 望 す ﹂ と題 し 、亜 細 亜諸 民 族 の衰 亡 を憂 ひ、黄
し が 、昨 今 稍緩 和 の気 味 あ り 。本 月 十 六 日 の論 説 には珍 しく も ﹁ 亜
当 地 の漢 字 新 聞最 光 報 は 過激 な る排 日 紙 に し て毒 筆 已 む時 無 かり
亜 の危 局 を 救 ふ 可 し﹂ と 説 け り。
に自 己 を 軽 んず る勿 れ 。
宣 戦 し 、 此 の強 権 に力 抗 し て遂 に勝 利 を得 たり 。 我 が国 民 も 亦余 り
二、 余 の日本 国 民 に切望 す る処 は 常 に黄 色 人 種 互 助 の精 神 を 以 て
る 所 に拠 れば 、本 月十 八 日上海 に於 て日 支倶 楽 部 の発会 式 あ り 、該
共存 共 栄 の大義 を持 し 、 英国 の為 に利 用 せ ら れざ ら ん事 な り 。 第 一、 日本 人 の知 る可 き こと は中 国 の国 民 が亡 国 を惜 し ま ざ る底
ん と す る に あり 、会 長 に は米国 仕 込 の唐 紹儀 推 さる ゝも の の如 く 、
倶 楽部 の目 的 は 共存 共 栄 の主旨 に基 づ き 、 日、 支 両 国 の親 善 を 計 ら
支 那側 会 員 の多 く は従 来 我 国 に は余 り親 し み を有 せざ りし 英 、 米留
の大 決 心 を有 す る こと な り。 然 れ共 若 し中 国 滅 亡 せ ば 日本 の前途 は
第 二、 日本 は維 新 以 前 嘗 つて 不平 等 の条 約 を結 び最 も苦 き 経験 を
畢 竟 如 何 にな り 行く 可 き 乎。 之 智 者 を 俟 たず し て明白 の事 な り。
有 す る事 は、尚 記 憶 に新 た な る所 な ら ん 。故 に日 本 は中 国 の条約 改
学 生 出身 者 なり 、 と の事 実 も亦 注 意 す べき事 な りと す 。
此 の日支 倶 楽 部 の成 立 、 上海 埠 頭 労 働 者 の総 首 領 が最 近催 ふせ る
訂 の大 事 業 に対 し て は深 甚 の同 情 と 最 大 の助 力 と を 与 ふ べき 筈 な り 。 日 人常 に 口を開 けば 即 ち 日華 親 善 を 唱 へ、共 存 共 栄 を 云 ふ。然 る に
日、 支官 民 有 力 者 数 十 名 の請 待宴 、 又馮 玉 祥 将 軍 の北 京 に於 け る 日 本 記 者 団 の招 待 等 、親 日 の傾 向随 時 随 所 に見 ら る ゝは誠 に喜 ば し き
哈 爾 賓 事務 所 長
二〇
現 象 な り。 (山 根 )
哈 調情 第 三 一五 号
留 日学 生 代表 の在 哈 動 静 (七月 二十 九 日高 橋 中佐 報 )
大 正 十 四年 八 月 一日
留 日学 生 国 民 外交 後 援 会 帰 国代 表 劉 祝 元 、 張 玉書 等 一行 六 名 及留 学 生黄 英 ら 七 名 は哈 市 滞 在 三 日 に し て七 月 二 十 四 日午後 南 下 せ る が 、 滞 哈 中 の動 静 左 の如 し 。
す。
一、 上海 事 件 に関 し哈 市 各 団 体 ( 主 とし て排 外団 体 ) と打 合 せ を な
二、晨 光 報 社 は 特 に彼 等 の為 に該 社 内 に歓 迎 会 を開催 し て、 日本 及
が 日本 の操 縦 す る に任 せ て幾 多 の外 交 上 の失 敗 を招 き ある に鑑 み 、
英 国 に於 け る 労資 関 係 、労 働 運 動 の現状 を聴 取 し 、併 せ て段政 府
全 国 の自 治 会 、新 聞 社 は学 生 と 共 同 し て輿 論 の喚起 に努 め ん事 を 申 し合 せ り 、 と。
八
一
哈 爾賓 事 務 所 長
二
哈 爾 賓 事 務 所長
立 ち て何 等 正式 の手 続 を 経 な か つた こと 、 且亦 二 十 八 日 の ﹁ 白系露
右 廃 刊 の原 因 は五 ケ 月前 既 に発 行 の許 可 を与 へた るも 、発 刊 に先
廃 刊 を厳 命 さ れ た 。
ズ ニ紙 は 第 一号 を出 し た のみ で、 本 日再 び特 別 区警 察 総 管 理処 より
ト リブ ーナ紙 に代 り て発刊 され た るダ リ ネ ウオ スト チ ナ ヤ ・ジ ー
ダ リ ネ ウ オ ス ト ーチ ナ ヤ ・ジ ーズ ニ紙 廃刊
大正 十 四 年 四 月 二十 九 日
哈 調 情 第 八〇 号
東 三 省 官 憲 の報 道 機 関 への 圧 迫 並 報 道 関 係 諸 件
大 正 十 四年 四月 二十 八 日
哈 調 情 第 七 三号
ト リブ ー ナ紙 の廃 刊 と 其 の真 相 昨 日特 別 区警 察 総 管 理処 は当 地 共産 党 機 関 紙 ト リブ ー ナ紙 の廃 刊 を厳命した。 右 廃 刊 の原 因 は、 当紙 が最 近 東鉄 露 支 幹 部 間 にイ局 長 の越 権 行 為
人 に与 ふる濠 洲 人 の手 紙 ﹂ な る記 事 は 社会 の安寧 秩 序 を紊 乱 す るも
に関 し 軋轢 が 生ず るや 、 二十 二、 二 十四 日 の両 日 に亘 り 、 呂栄 寰 並 に支 那側 官 憲 を中 傷 誹謗 し 、 イ局 長 を弁 護 した る論 説 を 掲 載 せ る為
三
のに付 き、出 版法 に違 反 す る も の であ る と のこと 。
であ る 。 因 にト紙 は 二十 七 日 を 以 て廃刊 し 、本 日 より ダ リ ネ ウ オ スト チ ナ ヤ ・ジ ーズ ニと改 名 し た
哈 調 情 第 九 一号 大 正 十 四年 五月 六 日
哈 爾 賓事 務 所 長
哈 調 情 第 一七〇 号
哈爾 賓 事 務 所長
当 地露 国極 左傾 紙 ト リブ ー ナが支 那 官 憲 に依 り廃 刊 され た為 、 其
た め檄 文 を 飛 ば し、 且 三 万金 留 を罷業 本 部 に送 附 し た事 は当 時 莫 斯
曩 に上海 紡 績 工場 に罷 業 の起 つた際 露 国 職業 組 合 が罷 業団 援 助 の
共産 党 機 関 紙 エホ ー社 上 海 其他 各 地罷 業 犠 牲 者 援 助資 金 募 集
大 正 十 四年 六 月 六 日
の翌 日直 ち に ダ リ ネ ウ オ スト ーチ ナ ヤ ・ジ ーズ ニ紙 を発 行 し た が、
た が、 今 回 の騒擾 に際 し 当 地共 産 党機 関 紙 エホ ー社 は本 日 よ り帝 国
科 発 行 イ ズ ヴ エ スチ ヤ紙 ( 官 報 に準ず るも の) の報 道 し た処 で あ つ
極 左傾 ノ ー ウイ ・ウ オ スト ツ ク紙 の発 行 と其 の発 行禁 止
これ亦 一日 にし て発 行 禁 止 に逢 つた事 は既 報 の如 く で あ るが 、同 社
手 し た。
哈 調情 第 二 一〇 号
六
支 那 の排 外 運 動 に関 す る哈市 労 農 機関
大 正 十 四年 六 月 十 七 日
哈爾 賓 事 務 所長
主義 の犠 牲 者 を援 助 せ よ、 と て檄 文 的広 告 を 出 し義 捐 金 の募集 に着
は更 に屈 せず 五 月 一日を期 し ノ ー ウイ ・ウ オ ス トツ クを 出 し た 。 然 る に之 も 七年 前 に発 行 の許 可 を 得 た も のであ る 、 と の記 事 が甚
四
だ しく 不 穏 に渉 る と言 ふ ので、 同 じ く 一日 にし て発 行 を禁 止 さ れ た 。
哈 調情 第 一〇 七 号 哈爾 賓 事 務 所 長
ル スキ ー ・ゴ ー ロ ス紙 の発 行 停 止
大 正 十 四年 五月 十 四 日
一、 支 那排 外 運 動 に関 す る哈 市 労農 機 関 紙 エホ ー の論 調
紙 エホ ー の諭 調 及 ト ロツ キ ー の言 明
労 農 露 国並 支 那 の国 民 運動 に対 す る反 対 運 動 は漸 次 拡 大 し つゝあ
近 来 支那 官 憲 の露 国 側言 論 機 関 に対す る圧 迫 は益 々露 骨 と な り、 曩 に赤系 機 関 紙 ト リブ ーナ が廃刊 を厳 命 せら れ た ことは 既 報 せし 処
海 に於 て今 回 の事 件 に関 し露 国製 の弾 丸 を発 見 せ り と伝 へつ ゝあ り、
に努 力 し 、 又帝 国主 義 国 の電 報 及 新 聞報 等 の誤 報 を指 導 し 、 且 又 上
ー ロ ス及 ウオ スト ー ク紙 、 ロイ テ ル及 日本 電 報 に競 ふ て情 報 の蒐 集
の横 暴 排 斥 運動 に対 す る反 対運 動 に共鳴 し つ ゝあ り 、 ル ス キ ー ・ゴ
る 。哈 市 帝 政派 及 白 党 新 聞 は反 労 農 運動 並 に、 支那 国 民 の帝国 主 義
であ る。然 る に今 亦 白系 露 字 紙 ル スキ ー ・ゴ ー ロスは明 日 よ り十 日 間 発 行 停 止 を喰 つた 。 右 発 行停 止 の原 因 は 同紙 の記載 せ る 五月 六 日、 十 二 日 の論説 が社 会 の安 寧秩 序 を紊 乱 す る科 に由 る 。
五
又彼 等 は支 那 国 民 の正 義 人 道 の為 の争 闘 を 以 て無 政府 主義 者 の行為
論 を 反労 農 化 し 、 且支 那 の学 生 運動 を以 てボ リ シ エヴ イ キ の運 動 な
し た り 、 日本 人 は 凡 ゆ る捏 造 的情 報 を支 那 新聞 に報 じ 以 て支 那 の輿
と見 做 し、 然 かも ボ リ シ エヴ イ キ が支 那 を煽 動 す るも のな り と宣 伝
の家 な り、故 に人 は 其 の門戸 を叩 き たる後 に始 め て其 の家 に入 る を
綱 な きを 以 て、余 は 次 の如 き 大綱 を提 出 せ ん、即 ち ﹁支 那 は支 那 人
義 者 等 は 支 那問 題 に関 す る聯 合 会 を 開 催 せ んと す る も該聯 合 会 の大
リ シ エヴ イ ズ ムな り と解 す る に至 る べ し。 欧 羅巴 の自 由党 及 社 会 主
り、 之 が為 支 那 人 は 生活 の自 由 、 人 類平 等 の為 に戦 ふ こと を以 てボ
得 べ し。 而 し て家 主 は独 り 自 分 の友 人 を屋 内 に入 れ 、自 己 の敵 と認
り と 報 じ つ ゝあり 、 六月 十 一日傅 家 甸 の東 三省商 報 は次 の如 く報 導
の擾 乱 に乗 じ 、満 洲 里 及浦 塩 方 面 より赤 軍 を秘 密 裡 に東 鉄 に侵 入 せ
せ り 。 即 ち ﹁在 哈 日本新 聞 は労 農 露 国 が 日毎 に悪 化 し つゝあ る 上海
む る も のを追 放 す べき 権 利 を 有 す る者 な り﹂
国 の労 働 者 を し て 、此 の綱 領 を後 援 す る こと に於 て始 め て国 民 の自
ら る べ きも 、 其 の反 駁 が寧 ろ 虐 げ ら る ゝ支那 人 及支 那 を 虐 ぐ る諸 外
斯 の如 き 綱領 は勿 論 諸 外 国 人 の為 ボ リ シ エヴ イ ズ ムと し て反 駁 せ
し め つ ゝあ り 、と 報 導 せ り﹂
す る帝 国 主義 国 か の如 く報 導 し、 以 て北満 の支 那 人 を し て反 労 農 化
由 を得 べし 。
之 を 要 す る に、 日 本 人 は労 農 露 国 が兵 力 を以 て北満 を占 領 せん と
せし めん と し つ ゝあ るは 明白 な り 。然 れ ど も北 京 及 上海 新 聞 は 事 件
七
の真 相 を 解 し 、上 海 事 件 に関連 し 、労 農露 国 を非 難 す る 帝国 主 義 者 を罵 倒 し つ ゝあ り 、支 那 国 民運 動 の反 対 者 並 に反 労 農 者 はボ ル シ エ ヴ イ キ が上 海 事件 に乗 じ 、 ボ ル シ エヴ イ ズ ムを宣 伝 し 且表 面 上 海 擾 乱 は帝 国 主 義 者 の野 心 な りと 言 ふ も内 心 大 いに之 を喜 び つ ゝあ り、
哈爾賓事務所長 大 正 十 四年 七 月 二 十 三 日
哈 調 情第 二九 八 号
の会 合 (七月 二十 二 日高橋 中 佐 報 )
日人 経 営 の漢 字 紙 排 斥 に関 す る支 那新 聞 者
の帝 国主 義 者 な り﹂ と のト ロツキ ー の言 明 は 、彼 等 の宣 伝 を反 駁 す
と宣 伝 す る も ﹁支那 に於 け る真 のボ リ シ エヴ イズ ム の宣 伝者 は現 在
る も のな り 。帝 国 主義 者 は支 那 国 民 に対 し 殺害 、強 制 、 圧迫 等 凡 ゆ
哈 市 国際 協 報 、晨 光 、東 三 省 商報 、東 陲商 報 、 浜 江時 報 等 の代 表
る 手 段 を 以 て覚 醒 し つ ゝあ る支 那 人 を分 裂 せ ん と す るも 今 や支 那 国 民 の自覚 鞏 固 にし て、彼 等 は自 己 の敵 を国 外 に駆 逐 し 、 真 の親 善 者
日人 経 営 の漢 字 紙排 斥 に関 す る協 議 を なし 、大 体 左 の如 き 申 合 せ を
は、 七 月九 日午 後 六時 国 際 協 報 社 の 一室 に会 合 し て、盛 京 時 報其 他
二 、支 那 の排 外 運動 に関 す る ト ロツ キ ー の言 明
一、 日 本 の機 関 紙閲 読 禁 止 に関 す る宣 伝 を開 始 す 。
為せりと。
と 永 久 に平 和 を 樹 立 せ ん とし つ ゝあ る なり 。
支 那 の擾 乱 と 題 す る論 説 中 に ト ロツ キ ーは 次 の如 く 言 明 せ り。
二、 日 人経 営 の新聞 社 に就 職 し あ る支 那 人編 輯 人 、記 者 等 の罪状 を
支 那 に於 け るボ リ シ エヴ イズ ム の宣 伝 者 は諸 外 国 人 自 身 にし て、 彼 等 は 支那 人 の自 由 運動 は ボ リ シ エヴ イズ ムな り、 と 声 明 し つ ゝあ
宣 伝 し て永 久 帰 郷 せし む 。
右 に対 し 日本 領事 の抗 議 あ り し場 合 に は、各 新 聞 社 は連 帯 責任 を
三 、 東 三省 支 那 新 聞 は 一斉 に日 本機 関 紙 (御 用紙 ) の攻 撃 を開 始 す 。
負 ひ、尚 支 那 の動 乱 に当 り て盛 京時 報 が事 実無 根 な る軍 事記 事 を 掲 載 し て支 那 の治安 を擾 乱 せ る 罪 を糾 弾 す 。 因 に抑 本 件 の発 端 は奉 天 盛 京 時報 と東 三省 民報 と の上 海事 件 に関
八
哈 爾 賓 事務 所 長
す る 論争 に始 ま る 。
哈 調 情第 二九 九 号 大 正 十 四年 七 月 二十 三 日 支 那 官 憲 の命 に依 りザ リ ヤ紙 夕 刊 を 廃 す
ザ リヤ紙 は本 二 十 三 日 より 夕刊 を廃 し朝 刊 と合 併 し ま し た。 (是 迄 四頁 の朝 刊 を 六頁 にす ) 社 長 レ ンピ ツ チ の語 る理 由 に依 る と、 二 年 前 夕刊 発 行 当 蒔 の支 那 警 察総 管 理処 長 は 夕刊 を朝 刊 の補 充 と見 、 更 め て許 可 を要 せ ぬ と の意 見 で、爾 来 何 事 も な く発 行 し て来 た ので あ る が 、今 春 新 任 の金 警 察 処長 は夕 刊 は 独 立 の新 聞 だ 、 と の見 解 を と り 手続 不 備 の廉 で廃 刊 を命 じ た のであ る 。
︹マ マ︺
ー の教 唆 に依 つて し 、起 訴 の理由 は未 だ判 ら ぬ。明 日支 那裁 判 所 に
九
秘
哈爾 賓 事 務 所 長
出頭 す る こと にな つて居 り ま す。
哈 調情 第 五 一一号
哈 爾 賓 晨 光報 東 鉄 に買 収 さ る
大 正 十 四 年 九 月 二十 六 日
新 聞 界 の事 情 に精 通 す る某 氏 よ り の報告 に依 れば 、 哈爾 賓 晨 光 編
輯張 樹 屏 、 韓 迭 生 二人 はイ ワ ノ フに買 収 さ れ て東 鉄 管 理 局嘱 託 と な
り 月 々二百 元 宛 の手 当 を受 く る ことと な れ り。 イ ワ ノ フが同 報 を買
収 せ る 目的 は 、 同報 文 芸 欄 に赤 化 宣 伝 の寓 言 を登 載 せし む る こと及
極 力 日本 側 に反 対 せ しむ る 為 な り。 市 政局 側 にて は此 事 を探 知 し該
報 に対 し特 別 の注意 を払 ひ つ ゝあ り、 と 。
一〇
哈 爾賓 事 務 所 長 大 正 十 四年 九 月 三十 日
哈 調情 第 五 三 七 号
国 権 通 信 社 は 王天 臣 等 の発起 に依 り 発刊 の許可 を得 た る が、 印 刷
国 権 通 信 社 の内 容
厳 し い感 が ある のは事 実 だ が 、本 件 に関 し 別 に第 三者 の圧迫 あ りと
其 の他 一切 の準 備整 ひ たる を 以 て十 月 一日 より出 版 す る事 に決 定 せ
尚 レ氏 は近 来厳 重 にな つた印 刷 物 取 締 がザ リ ヤ紙 に対 し て特 に手
は思 は れ ぬと 言 ふ て居 り ま す が 、世 間 一般 で はザ リ ヤ紙 が先 頃 穆 稜
一、 補 助 金
り 。其 の内 容 に就 き探 知 し 得 た る処 左 の如 し 。
地 畝管 理 局 、吉 林 交 渉 局 、長 官 公署 、 東鉄 督 弁 公 署 、
三 日附 参 照 ) を発 い た のを 不満 とす る イ ワノ フ局 長 及 スキデ ル スキ
炭 坑 に関 す る東鉄 対 ス キデ ル スキ ー の関 係 ( 哈 調 情第 二 五六 号 七 月
三、場
二、賛 的
所
助 人
留乱発 に対し攻撃を加 ふ。
東鉄 に関する支那 の主権 を保護し且極東銀行 の知
南崗軍官街 一三号
東鉄理事劉哲 、張煥相、馬子元、護路軍孫秘書等
以上五箇所より計毎月五百元
八 、 ルー ポ ル ( 右同)
七 、 ザ リ ヤ (日刊 中 立 )
六 、 コペ イ カ ( 右同)
五 、 ルー ス キ ー ・ゴ ロス (日 刊白 色 )
支 那 新 聞 の部 一、国 際 協 報 二 、松 江 日 報 三 、東 三省 商報
職 業 同盟 機 関 紙
四、目
一 一
哈爾 賓 事 務 所 長
四 、哈 爾 賓晨 光 五 、東 陲 商 報
報
六 、浜 江 時 報 七、 午
八、 大 北 新 報 九、 東 北 新 民報
露 字新 聞 の部
十、東 北 早 報
日刊 色 彩 系統 ︱ 共 産 反 帝 国主 義
一、 エホ
ソビ エト
経
用紙 営
長
者
同右 、但 し 実 権 は 共産 党 員 フ エオド ロフ (旧 トリブ
リト マン
露 国 領事 館 、東 鉄 ソビ エト露 国 幹 部及 ソビ エト露 国商 業 機 関 の御
反英 日
九 、 コンメ ルチ エスキ ー ・テ レグ ラ ツ フ (週刊 右 傾)
哈 調 情 第 六 九 二号 大 正 十 四年 十 一月 四 日 ウ オ スト ー ク紙 廃刊
大 河氏 の発 行 せる露 字 日刊 新 聞 ウオ スト ー ク紙 は都 合 に依 り 、昨 十 一月 三 日 を以 て廃 刊 し た 。
一二
哈 爾 賓事 務 所 調査 課 調
大 正十 四年 十 一月 十 日
哈 調情 第 六九 〇 号
哈 爾 賓 に於 け る露 、支 新 聞 一覧
一、 エホ (日刊赤 色 )
輯
露 字 新 聞 の部
二 、 モル ワ (〃)
編
ーナ主 筆 ) の手 に在 り。
号 ナ ムテ イ リ
三 、 ノ ー ウ オ スチ ・ジ ーズ ニ ( 右同) 四 、 ダ ー リ ニー ・ウ オ ス ト ツク ( 週 刊 桃 色)
一九 二五年
刊
創
ビ ルジ エワー ヤ街 四 〇
約 六 、 〇〇 〇
地 他
一
二
三
経
ネ チキ ンは元 ザ リ ヤ紙 の記 者 に し て白系 色 彩 の濃 厚 なり し も
のな るが時 勢 の変 化 と 共 に左 傾 し 、昨 年 本紙 を発 刊 せ る当 初 は
全 く 中 立 的態 度 を執 り 、後 赤 化 し てソ ビ エト露 国 御 用紙 とな れ
ソビ エト露 国 哈爾 賓総 領 事 館 は 同紙 に対 し 月額 二 百 五十 円 の
り。
者
一九〇 七 年
チ エル ニヤ フ スキ ー但 し 実際 の仕事 は ク リオ リ ン
チ エル ニヤ フ スキ ー及 ク リ オ リ ン共 同
営
長
地 他
ヤポ ン スカ ー ヤ街 一四
本 紙 は革 命前 迄 は公 衆 的 にし て多 少 急進 的 傾向 を帯 び し も の
記 者 とし て有 名 な る も の に マシ ユ コフあ り。
いに充 実 し 一大新 聞 た る の名 に背 かず 。
哈 爾 賓 に於 て最 も 古 き 歴史 を有 す る新 聞 にし て形 体 、 内容 大
在
約 二、 三 〇 〇
輯
日刊
エホ発 行禁 止 の場 合 を顧 慮 し予 備機 関 紙 た ら し めた り 。
現 況 に於 て本 紙 は ソビ エト露 国 に直 接 必要 のも の に非 ざ るも 、
補 助 を な し 、東 支 鉄 道 は比 較 的 多 数 の広 告 を なし つ ゝあ り。
所 其 一
二 三
赤色
三、 ノ ー ウオ スチ ・ジ ーズ ニ
発 行 部 数 比較 的 多 き も職 業 同 盟 会 員 は強 制 的 に購読 せし め ら
編
号 デ ウイ リ 又 は ア ルチ エフ スキ ー
刊
色 彩 系 統
れ居 る を以 て、実 際 の読 者 は発 行 部 数 の三分 の二 を充 たざ る べ
ネ チキ ン
発 行 部 数
創
日刊
各 種 ソビ エト露 国 機 関 より 月額 一、 〇 〇〇 円 の補 助 あ り。
あり。
時 とし て発 行禁 止 を顧 みず 支 那 に於 け る軍 閥 を 攻繋 す る こと
し。
ロ フの手 中 に在 り、 同 人 は在 哈 共 産 党員 中 の有 力 者 な り。
を 与 へら れ居 り、 実 権 は前 ト リブ ーナ紙 の主 筆 た りし フ エオ ド
故 にリ ト マ ンは単 に表 面 上 の経 営 兼主 筆 にし て月額 銀 二百 元
よ り 日 刊紙 と なせ り 。
紙 ト リブ ーナ が発 行 を禁 止 せら れ てよ り同 会 にて買 収 し 、 六 月
初 め 週刊 新 聞 と し て発 行 せら れた る が、 四月 職 業 同 盟 会 機関
在
発 行 部 数 所 其 一
二
三
四
五 二、 モ ル ワ
者 エシチ ン
ソ ビ エト露 国 予備 機 関紙
営 長
色 彩 系 統︱赤色 経 輯
ー臨 時 政 府 派 と な り、 過 激 派 を攻 撃 す る こと猛烈 な るも のあ り、
な り し が皇 室謳 歌 す ら之 を 辞 せず 。 革 命起 りし 後 は ケ レ ン スキ
編
一九 二 四年 九 月
奉露 協 定成 立 後 は 共産 的 色 彩 を有 す る に至 れ り。
ソビ エト政 権 極東 を統 一す る に至 り急 転左 傾 し 、妥 協 派 に変 じ、
約 九 〇〇 新 市街 モ ス コー フ スキ エ ・リヤ ド ウイ
刊
他
地
創
在
発 行 部 数 所 其
四
ソ ビ エト露 国 側 は本 紙 に物 質 的 援 助 を 与 へ居 るも 、其 の額 明
週刊
スキデ ル スキ ーが月 五 〇 〇 円 の補 助 をな す 。
瞭 な らず 。 東 支鉄 道 亦 多 く の広 告 を与 ふ。 五 四、 ダ ーリ ニー ・ウ オ スト ツ ク 経済新聞
オ チ エルテ イ ン
中 立 稍 桃色
者
色 彩 系 統 営
一
二
元東 支 及 露 亜 銀 行 の御 用 を 勤 め東 支 より 相当 の援 助 を受 け居
り し が 、昨 春 オ ス ト ロウ モ フと 衝突 し独 立 す る に至 り 、 一時 甚
だし く 経営 の困 難 を 感 じ た るが 、昨 年 十 月 以来 哈 爾 賓 に於 け る
唯 一の白系 新 聞 とし て盛 ん にボ リ シ エヴ イ キ ーに対 し 毒筆 を振
経 営 者 兼 主筆 ウ オ スト ロチ ンは 哈爾 賓 を去 り 、奉 天 に在 る こ
ふ が ため最 近好 況 を呈 す る に至 れ り 。
と既 に 一年 半 に及 ぶ 。 日刊
経
六、 コペ イ カ
白色
同右
者
長 一九 二五年 九 月十 七 日
営
色 彩 系 統
輯 刊
経
編 創 不明 な るも極 少
一九 二 三年
同右
コレイ スカ ー ヤ街 一七
約 三 、 八 〇〇
チリ キ ン
ボ リ シ エヴ イ キ ー攻 撃
発 行 部 数 ボ リ シ ヨイ ・プ ロ スペ ク ト 一九
長
地
刊
在
輯
所
編 創
他 本 紙 は創 刊 日浅 き ため 未 だ其 の存 在 を 認 め ら れず 。
其 一
地
発 行 部 数
本 紙 は中 産 階 級 以 下 を 目標 と し 比較 的 愛 読 せら る。
他
現 東支 鉄 道 上 海 営 業所 長 ゼ フイ ー ロフが 主筆 た りし当 時 ソビ
在
一
エト露 国 と妥 協 的 態 度 を持 せし を 以 て、 昨 年 現東 鉄 経済 調 査 局
二
其
所
経営 者 兼 主 筆 た る オ チ エルテ イ ンは元 ソビ エト露 国交 通 委 民
ソビ エト露 国 の経済 状 況 及 其 の発 達 に関 す る 転載 記 事多 し。
疑 問的 注 意 人 物 な り。
会 トラ ン スペ チ ヤテ イ (印 刷 局 ) の駐 哈 代表 た りし こと あ り、
二
三
長 ジ ーキ ーが烏 鉄 哈 爾賓 営 業 所 長 た りし 時 之 に買 収 せら れん と
日刊
ウ オ スト ロチ ン
白 色 極 右傾
せし こと あ り、 然 る に最 近印 刷 工と チ リ キ ンと の間 に起 りし 争
五、 ル スキ ー ・ゴ ロス
者
議 の為 チリ キ ンが ソビ エト露 国 々籍 を剥 奪 さ れ て より 全 く右 傾
ボ リ シ エヴ イ キ ー攻撃
営
一九 二〇年
同 右 、 但 し実 際 は コロボ フ
色 彩 系 統 経
刊
長
た る の観 あ り 。
従 つ て政 治的 に意 義 を 有 せざ るも反 ボ リ シ エヴ イ キ ー黄 色 紙
す る に至 れ り。 ポ チ ト ー ワー ヤ街
約 二、 五 〇〇
輯
地 他
三
編 創
在
発 行 部 数 所 其
四
五
重要 な る記 事 は嘗 て ルーポ ル の記 者 たり し マテ ユシ ン スキ ー の手 に成 る。
日刊
最 近反 日的 記 事 を掲 ぐ る に至 る 。
七 、ザ リ ヤ
買収す。 八 、 ルー ポ ル
タ刊
営
長
者
ミル レ ル
ミル レ ル及 カ ウ フ マン
色 彩 系 統 ︱中 立 な るも右 傾
輯
一九二 一年
編
一、 二〇 〇
経
創
中 立 な る も稍 右 傾 レ ンビ ツ チ
色 彩 系 統 者
刊
営
ビ ルジ エワ ー ヤ街 三
経
地 他
創 刊当 時 はグ ゼ リ の経 営 せ るも のな るが 、 一九 二 二年 現 在 経
在
発 行 部 数 所
シプ コフ及 コブ ツ オ フ
其
長 一九 二 一年
一
輯 刊 七 、 五〇 〇
編 創
キ タ イ スカ ヤ ー街 五
地
一時 経 営 困難 に陥 り し が 、 ザ リ ヤ夕 刊 の廃刊 と共 に哈爾 賓 に
政 治 的 色彩 を離 れ報 導 を 以 て唯 一の主 義 と す 。
在
発 行 部 数 所
二
営 者 の手 に移 れり 。
三
他 経営 者 レ ンビ ツ チ は哈 爾 賓 唯 一の新 聞 経営 業 者 な り 。
其 一
創
編
経
最 近 専 属 印刷 所 をザ リ ヤ に売 却 せる と 、ザ リ ヤタ 刊 が廃刊 と
な り た ると 、本 紙 が唯 一の夕 刊 紙 な ると に より ザ リ ヤ の別働 隊
同右
チリキン
週刊
又反 対 に本紙 は ソビ エト露 国 の企 業 と し て在 哈露 国 領 事 館 に
な り 、と の噂 あ る も詳 ら かな らず 。
登 録 さ れ あり 、 と言 ふ。
者
者
経済 新 聞 営
一九 二 一年
右傾
輯
刊
色 彩 系 統
九、 コンメ ルチ エスキ ー ・テ レグ ラツ フ
五
於 け る唯 一の夕 刊 紙 と な り稍 景 況 を恢 復 せり 。
本紙 は シプ コフと の共 同 経 営 な りし も最 近 レ ンビ ツチ の個 人 経 営 と な れり 。 創 刊 当時 は黄 色紙 た る の非 難 あ り し も近 来 は成 る べく 政治 的 色 彩 を 除 き報 導 の正確 迅 速 を主 と し 、発 行 部 数 に於 て哈爾 賓 第 一の新 聞 とす 。 只 稍 右 傾的 向 き あ る を 以 て ソビ エト露 国 側 に喜 ば れざ るも 、 而 も 其 の本紙 の勢 力 を度 外 視 し得 ざ る為 、 東 支露 国 側 幹 部 は特 に之 に広 告 を与 へつ ゝあ り 。
最 近 上 海 に支 社 を 開 き 、同 地 に於 て露 字 新 聞 ﹁上海 ザ リ ヤ﹂
経 営 者 レ ンビ ツ チが 政治 的 游 泳 に腐 心す る結 果支 那 官 憲 に阿
紙 を発 行 す る に至 れ り。 又 当 地 に於 け る ルー ポ ル紙 の印 刷 所 を
る風 あり 。
四
二
三
四
五
六
地 他
約 三〇 〇 コレイ スカ ー ヤ街 一五
二、松 江 日 報 長 郭
大 鳴
色 彩 系 統 軍閥擁 護色 社
墨 刊
哈爾賓道外北四道街
民国十 二年九月十六日
宣
筆 楊
地 他
面 の記事比較的正確 。
張学良氏 の機関紙なり。資本も同人より出づ。従 つて官 辺方
在
八〇〇
主
所
発 行部 数
其
創
経 営者 が コペイ カ紙 と同 様 な る を以 て コペイ カと 同 じ く 一時
と し て創 刊 せる も のにし て、当 時 は充 分 の物 質 的 援 助 を受 け つ
ジ ーキ ーに買 収 せ ら れ んと せ る こと あ りし も 成 立 せず 、 又昨 年
ゝあ り し が、 昨年 十月 以 来 全 く独 力 発 行 せら る ゝに至 れ り。
本紙 は オ ス ト ロウ モフが 東支 鉄 道 管 理 局長 時 代 に自 己宣 伝 用
在
発 行 部 数 所 其 一
二
一
二 奉天方面 の記事 を多く掲載す。
十 月 ル ーポ ル の記 者 スウ イ ト に売 却 を約 せし も再 びな らず 今 日 に至 れ り 。 以 前東 支 鉄 道 の成績 を主 と し て経 済 的 記 事 のみ を掲 げ し が 、
をも受けず 。
三 経費 は当地糧業取引所より出 て居るを以 て何れ の方面 の買収 三、東三省商報
従前排 日なりしも近来緩和 の傾向あり
三
近 来 コペイ カ の部 に於 て述 べ た る事 情 に依 り 、 右傾 せ る政治 的 記 事 を も載 す る に至 れ り。
葉
支 那 新 聞 の部
色彩系 統
地 哈爾賓道 外十 五道街口路南
民国十年 十二月 一日
元 宰
社長兼主筆
以前 は排 日 、昨 今 緩 和
五〇〇
一、 国 際 協 報 張
発行 部数
生
社長兼主筆 九 五〇
創
復
発 行 部 数
所
刊
民国 七年
南洋煙 公司主簡照南 の後援 ありと言 ふも経費 不充分なり。
他 黒竜江省方面 の記事多 し。
在
刊
創
哈爾 賓 道 裡 新 城 大街 五道 街 口
一
社長葉氏は満鉄嘱託傅立魚氏 の親友 。
在
地
所
二
其
当 地 に於 て松 江 日報 と 共 に漢 字 新 聞 中 重要 視 さ れ つ ゝあ り。
三
他
一
東鉄 に関 す る記 事多 し。
其
二
又烏 鉄 方 面 と 特殊 の関 係 あ り 、社 長 は金銭 を 以 て宗 旨 と し居
四、哈爾賓晨 光
三
れり 、 と悪 評 す るも のあ り。
色 彩系 統
范 介 卿
中立
色 彩 系 統 排 日、左傾、軍閥帝国主義排斥。 芳 洲
長 于
三〇〇
社 社長兼主筆
民国九年三月
発 行部 数 刊
創
哈爾賓道外南頭道街仁義巷東 口路南
樹 屏
筆 張 地 他
曾 つて日本軍北満出兵中特務機関より補助を受けた ることあ
在
主 所
民国十 一年 二月
刊 其
りしが、今や全く活気なく新聞 と言ふより寧ろ旧聞と称すべき
一
基督青年会 の機関紙 なり。
乎。
地 哈爾賓道 外北十四道街
米人も関係 を有す、と言 ふ。
他
一 極端なる排 日紙なり。
在
発 行 部 数 六〇〇 創 所
二
其
三 浜江商会出資。
社長兼主筆
色 彩 系統
四、〇 〇〇
趙 郁
無し。
報
発行 部数
七、午
添付し居 れり。
売行 き悪しき為昨今低級なる三面的画報を附 録とし て本紙 に
四 記者は尽く流氓 にして重視 されず。
二
五
捷 卿
五、東 陲 商 報 長 尹
其
所
小型新聞なり。主として三面記事 に重きを置き、廉価なる為
他
地 哈爾賓道外南十七道街
民国十年 六月
卿
社
創
三〇〇
色 彩 系 統 中立 伯 衡
民国 六年五月
刊
筆 郭 刊
一
在
主 創
地 哈爾賓道外華界昇平街
発行 部数 所 在
代
下級社会 には歓迎されつゝあり。
表 者
色 彩系統
山 本久治
奉天盛京時報 の附録
八、大 北 新 聞
二
発行部数多きも下級 の新聞として重要視されず。
他 記事 は浜江時報 に優 るも微力振はず 。
其 一
哈爾賓漢字新聞中最も早く創刊す。
三 株式組織なれ共、経営極 めて困難 の状態なり。
二
六、浜 江 時 報
発 行部 数
主 刊
哈爾賓道裡十四道街路北
民国十 四年八月
二〇〇
張
晋 (上海 の人)
王 作 鎬
地
筆
主 八、〇〇〇 所 在
創
筆
発行 部数 民国十 一年十月 一日
目
次
在哈電報通信 に関 する調査
大正十四年十 一月
哈調情第 七二六号 哈爾賓事務所調査課
一四
区警察総管理署は 一ケ月間 の発行停止を命 じた。
紙上掲載 の論文及挿画が共産主義宣伝 である、と の理由 の下に特別
当 地共産党機関新聞 エホ紙は十 一月七日露国革命記念 日当日発行
エホ紙 発行停止
大 正十四年 十 一月十二日
哈爾賓事務所長
一三
地 哈爾賓八站
在 他 以前 は 一新 聞とし て発行 したるも近来財政困難 なるため単に
小型新聞なり。
哈調情第六九六号
刊
創 所 其 一 盛京時報 の北満版とし て北満 に於ける盛京時報 の購読者 には無 二
年中謂 れなき詩詞多く掲載 せられ劇評、花柳評判等大部分を
代配 布を為し居 れり。 三 占 め居 れるは識者 の好まざる所 なり。
家 斎
排日
九、東北新 民報 色彩 系統
他
地 哈爾賓道外七道街
刊 民国十四年九月
不明
社長兼主筆 張
在
発 行部 数 創 所 其
奉天 に於ける排 日新聞東 三省民報 の哈爾賓附 録 版 な り。(小
不明
三、北 満 通 信
二、帝 国 通 信
一、東 方 通 信
盛京時報 の哈爾賓版たる大北新聞を真似 て最近現出 せるも の。 日 本 側
型)
一 二
李鉄鈎 (天津 の人)
十、東 北 早 報 長
色彩系 統 社
す。 三 、北 満 通信
社長
杉 浦竜 吉
四 、 一般 哈爾 賓 通信 員 の通 信 方法
の電 話 に依 る電 報 を中 継 す 。
哈爾 賓 埠 頭 区透 籠 街
商 業 通 信 と し て毎 日相 場 を報 導 す 。 又 一般 人 のため 哈爾 賓 長 春 間
七 、 哈爾 賓 国 権 通 信
電 報 を打 つも 、場 合 に依 り競 争 を要 せざ る電 報 、普 通 郵 便 に て長 春
至急 を要 す る 記事 は当 地 に在 る遼 東 通信 、 北 満通 信 等 を 経 て中 継
郵 便 周長 宛 発 送 し 、同 所 よ り電 報 に て内 地各 方 面 へ打 電 せし む る方
他
八 、哈爾 賓 無線 電 信電 台発 行 (無電 報 )
六 、 哈爾 賓 華 東 通 信
五、遼 東 通 信
︹マ マ︺
那 側
四、 一般 哈爾賓通信員 の通信方法 支
其
一〇 、 ロイ テ ル通 信
九 、 タ ツ ス通信
て精 算 す 。普 通 電 報 と し て掲 載 せ ら る ゝも のに郵 便 通 信 あ り 、此 の
輯 に於 て勝手 に発 信 日を 記 入 せし む 。
場合は ﹁ 哈 爾 賓 特 信 ﹂ と記 し、 以 下数 行 に余白 を 残 し置 き 、本 社 編
法 を執 る 。此 の場合 料 金 の計 算 は同 社 の有 す る長 春 支 社 と の間 に於
折橋慶治
一 一、 帝 通 タ ツ ス通 信
支社長
一二 、 ア ソ シ エートプ レ ス ( 合 同 通 信米 国 ) (日本 側 )
一、東方通信
す。其 の理由 は支那銭舗 が停車場電信係に 一通話 四十仙を支払ひ、
北満通信、遠東通信 一にして、総 て東支鉄道 の指定す る時間に通話
︹マ マ︺
当 地 に於 て 哈爾 賓 寛 城 子間 中 継 電 話線 を 利 用す る社 は東 方 通信 一、
支 那に於ける通信 を主とし、海外電報は外務省 の電報を利用す る
編 注、電話 哈爾賓埠頭区中国大街六号︹ 番号省略 ︺
のみ。哈爾賓支社と長春間 の連絡 は東支鉄道 の電話 を利用し、寛城
相場 に関する電報 を発受するため非常に電話を利用す る者多き故 な (支那側)
子中継にて長春東方通信支社 に通話す。 一日普 通午後 二時と午後四 支社長 細谷清
哈爾賓埠頭区地段街
り。
二、帝国通信
五、遠東通信 処長
主として邦人及支那人 のため哈爾賓長春間 の電話電報中継を為 す。
沙毓 山
時と の二回通話す。毎 日和漢露字各電報通信を発行す。 哈爾賓埠頭 区透籠街十 四号 帝国通信本社 が逓信省 より特許を得 、海上 に在る船舶旅客 に無線 電信 にて其 の日の出来事 を放送するを利用し、当地 の支那側無線電
六、哈爾賓華東通信
大阪毎日は本通信を利 用す 。
瞿 鉞
信台 に感受 するも のを通信 とし て発行す るも のなるが、当地よりの
社長
打電 は無線電信を用 ひず有線電信 に依 る。毎日和文電報通信 を発行
社長
毎 日漢 字 通信 を発 行 す 。 七 、 哈爾 賓 国権 通 信
哈爾 賓 埠 頭 区 中国 四道 街 二 十 号
哈 爾 賓 埠 頭 区単 官 街 十 二 号
王 宇 清 (天 民)
張 煥 相 氏 後援 、漢 字 通信 を発 行 す 。 八 、 哈 爾 賓 無線 電 信 台 発 行 ﹁無 電 報 ﹂ 主 と し て当 地 に感 受 す る無 線 電 信 は 上海 の無 線電 信 台 が中 継 す る 電 報 、 即 ち ナ ウ エン、 桑港 、伯 林 、 巴 里中 継 (欧洲 各 地よ り 発 す る 無 電 )電 及 ハバ ロフ ス ク ( 浦 塩 無 線電 信 台 の電 報 は感 ぜず )電 等 な る が、新 聞電 報 と し て発行 さ る ゝ通信 中 に は北 京天 津 タイ ム ス、 ノ ー ス ・チ ヤイ ナ ・スタ ー等 の ロイテ ル電 報 を 飜訳 せ るも の多 し 。毎 日露 文電 報 通信 を 発行 す 。 (其 の他 )
本 通信 は大 正 十 四年 八 月 一日 よ り発 行 せる も のにし てソ ビ エト聯
九 、 タ ツ ス通 信
東 支 鉄 道 及 労 農 総領 事 館 の接 手 せ る公 報 を 同社 支 局 に通報 す るも
邦 国 民委 員 会 の機 関 な り 。本 社 は莫 斯 科 に置 け り 。
の及東 支 鉄 道 の鉄 道 通 信 を利 用 し 通信 し 来 る も のの 二 つに分 つ。哈
を 主 とす 。当 地 よ り の発 信 も 労農 総 領 事 館 の電 報 を 利 用 し居 れ り。
爾 賓 タ ツ ス支 社 は前 記 の二方 法 中 、公 報 を 通信 とし て発行 す るも の
ロイ テ ル通 信 は 日本 に於 て国 際 通信 と な り 、国 際 通信 は支 那 に於
一〇 、 ロイ テ ル通信
て ﹁ロイ テ ル国 際 ﹂ と称 す 。 両 社 の通 信 条約 に依 り 支 那内 地 の通 信 権 は ロイ テ ル に在 り 。
一 一、帝 通 タ ツ ス通信
帝 通 の打 電 す る電 報 は露 国内 に於 てタ ツ スと称 し 、 日本 朝鮮 に於 て帝 通 と称 す 。
日 本電 報 通 信 が露 国 及 海 外 の電 報 を報 導 す る は、総 て ア ソ シ エー
一二 、 ア ソ シ エート ・プ レ ス ( 合 同 通 信米 国)
ト ・プ レ スの電報 に依 る。
二
煽 動 等 は積極 に出 づ るな ら ん と言 ふ 。
対 し、 米 国 は之 を喜 ば ざ る も のあ り 、将 来 支那 に於 け る米 国 の排 日
を 以 て米 人 の入露 は容 易 に許 さず と言 ふ。 日 、露 、 支 三国 の接 近 に
満 に於 け る英 、米 の経 済 的 活 動 並野 心 、計 画 に対 し警 戒 を な し居 る
米国 筋 の北 満移 民計 画 及其他 諸件
哈爾賓事務所長
一
九
哈調情第七四三号 大正十四年 二月 二十五日 (二月 二十三日附内務事務官代理報)
哈爾賓 方面 に於ける米 人の活動に就 て
北 公 庶 二 五第 六 五 号 の六 を以 て鉄 道 部 長 に照会 し た る如 く 、当 地
大 正 十 四年 三 月 七 日
北満 殖 民 に対 す る米 国 筋 の企 画
北 京 公所 長
上 の勢力を伸暢し来 るに対し、日本人 が之を閑却し居るを遺憾とす。
の燕 京 大 学校 及 中央 救 済 協 会 より昨 年 当 地 方 一帯 に及 び た る大水 害
北 公 調 二 五第 五 号 の 三
例 へば哈爾賓附近 に於 て米人 の農場経営説 に就 て注意するに其 の計 画あるは事実 なるが如く、東支鉄道 沿線方面 の水 田事業及朝鮮人問
の罹 災 民 を北 満 に移 住 せ し め 、開墾 を計 ら し む る の計 画 に関 し 我 が
北満方面 に於ては露国 の問題に目 を奪はれて日に月に米国が経済
の調査を為 し、準備を進 め つつあり、との密報 ありたるが相当信ず
題等 に関し相当事情 に通ず る日本人名を用ふる某鮮人を通じて諸般
れ 、 と の請 願 が あ り、 会 社 の方針 と し て之 を 無賃 で輸 送 し 且今 後 の
社 の耕 作 車 (ト ラ クタ ー ・ブ ロー) 及其 の運 転者 を無 賃輸 送 し て呉
最近表面商 人と称 して哈爾賓 に入込める米人増加し、更 に入露 せ
移 民 に対 し て は 五割 引 輸 送 の こと に決定 し た の であ る が、本 件 に関
べき点を有 す。 んとして露 国総領事館 に入露 の手続を為 す者尠 からざ るも露国は北
し 中 央救 済 協 会 の技 師 であ るバ ル ム氏 は国 際公 報 一月号 に、 北 満 移
家 畜等 の欠 乏 並 機械 の価 値 不 充 分 な る が故 に実行 し 能 はざ る状 態 に
べく 、最 近 農 具 を 利 用 し荒 地 を開 墾 す る こと を計 画 し た る が 工人 、
此 の種 に係 る提 議 は曾 て税 務 司 に供 職 のパ ロン氏 の発 起 によ り同
二、墾 務 公 司 の創 立
あ り、 と 。
民 の こと に就 て論 評 し て居 る から御 参 考 迄 に飜 訳 御 送 附申 上げ ます 。 本 件 は米 国 の勧 誘 に基 づく 事 業 であ る が、北 満 開 発 に対 し て は最
る から 、 彼 等 をし て充 分 に開 発 を実 現 せ しむ れ ば結 構 であ る 。
も 有 効 であ り 一面 其 の開 発 に従 つ て、我 社 も余 利 を獲 得 す る のであ
両江 間 会 流 の処 にし て人 煙 稀 な る 地) し 、 和蘭 公 使 、 スタ イド総 領
事及 其 の他 同 志 の賛 助 と 経 済 上 の供 給 を 得 て米 国 より大 な る農業 機
氏 が未 墾 地 一万 五千 英 畝 を租 借 ( 黒 竜 江 省東 部 ア ムー ル江 、松 花 江
械 を購 入し たり 。其 の内 に最 大 火梨 三台 あ り て、 青 草荒 地 を開闢 す
北 満殖 民 に就 て
東 三省 (満 洲) は其 の面 積独 、仏 両 国 に比 較 す る に稍 大 にし て清
る に利 便 し た り、 一方米 国 、 デ ン マル ク両 国 よ り農 学専 門 の人 才 を
一、 東 三省 の沿 革
朝 発祥 の地 なり 。 且近 く 二百年 来 は関 内 十 八省 の人 民 此 の地 方 に移
公 司 成 立後 二年 松 花 江未 曾 有 の水 害 あ り て築堤 、掘 溝 、排 水 等 に
三 、計 画 と戦 争 の影 響
り牛 、 羊 、馬 、豚 及 野菜 、穀 物 の種 子 を運 来 す る こと と な れ り 。
外 人 の住宅 に当 て遂 に各 駅 よ り工 人 、 小作 人 を招 致 し 、東 西 各 国 よ
一方多 く の家 屋 を 建 設 し住 宅 及 養 畜所 其 の他 に区 分 し 、内 二箇 所 を
招 聘 し 其 の事 に担 任 せ しむ 。 ク ニ ロ大学 の教授 も亦 其 の中 にあ り と 。
住 す る者 鮮 く 、荒 曠 昔 日 の如 く にし て農 業振 はず 、幅 員 広 袤 、 界 限 不 定 の土 地 なり し が、 時 勢 の変 遷 に因 り露 人 の為 に侵 蝕 さ れ、 一部
清 朝末 以来 中 国 人漸 く満 洲 が 世界 政 治 上 の重要 位 置 を 占 む る こと
は 其 の領 土 とな る 。
を 知 り 、 且 土地 美 沃 な る故 に直 隷 、山 東 等 の如 き人 口稠 密 、 土 地狭
因 り距 額 の消費 と 且欧 洲戦 争 の拡 大 は 、 此 の僻遠 な る地 にも影 響 し 、
〓 の各 省 の為 に殖 民 の用 に供 す る必要 を認 め 、当 局 は開 墾事 業 に対
し めた るが 、此 の試 行 は殆 失 敗 に帰 し 、歴 代官 弁 の殖 民 事業 と 同 一
し 小 規 模 に之 を行 ひ、 数 次人 口 の稠密 な る南 部各 処 よ り移 民 開墾 せ
唯 一の交 通 路 た る松 花 江 は航 行 中 断 さ れ 、東 支鉄 道 一帯 は 政治 党 人
の紛 争 点 と な り た り 。 シテ イ フ ン氏 の言 に、農 産豊 富 の土 地 に於 け
の轍 を 踏 む こと と なれ り 。
る交 通 は命 脈 にし て其 の主 要 な る こと 言 を俟 たず 、 と 。当 時 の状 態
昔 日米 国 のバ ー ジ ニア州 の殖 民政 策 と 雖 も屡 々困難 を経 た る如 く 北 方 の厳 寒 、交 通 の不 便 、第 一次 収 穫 前 の準 備 不完 全等 種 々の障礙
て戦 事 に於 け る農 民救 助 の目 的 を 以 て西 伯 利亜 を 調 査 す る こと と な
り た り 。蓋 し其 の時 紅 十 字 会 は 已 に多 額 を 支出 し 居 り た り、 と 。公
斯 の如 く 一方 ク ニ ロ大 学 教 授 は米 国政 府 の命 によ り 、農 業 委員 と し
司 に於 け る残 余 の外 人 も亦 追 々辞去 し、 公 司 の事 務 管 理 は茲 に完 全
あ る な り 。パ レイ教 授 が初 め罹 災 民 を招 致 し、 吉 林官 庁 よ り肥 沃 な
の不良 な る為 に良 好 の結 果 を 生 ぜず 。 十 年前 米 人 が 組織 し た る墾務
る 土 地 を受 け試 験 的 に行 ひた る が、 兵 匪 の兇 暴 と 招 致 し た る罹 災 民
公 司 は 近来 各処 の罹 災 民 を 以 て、農 に適 し た る北 満 を 発達 せ しむ る
の秋 再 度 公 司 を組 織 し て過去 十 年 来 の経 歴 に顧 み警 戒 す る所 と な れ
露 国 の在 満 被 難 民 の数 は甚 だ多 く 、其 の安 住 の方 法 は 困難 な る問
り。
土 地豊 富 な る こと を証 す る に足 る。 即 ち 上層 の土壌 は黒 色 にし て下
る こと 一箇 年 な る が其 の効 著 し、 と 謂 ふ 。
題 な るが 、現 に露 国 居 留 民 の 一部 が該 処 に来 り自 ら耕 作 し て試弁 す
然 る に開 墾 し た る土 地 二千 英 畝 にし て収 穫 の量 は甚 だ大 な る は、
に華 人 の手 に帰 し、 彼 等 に委 託 す る こと と なれ り 。
む 。小 麦 、 穀類 、麻 及 大 豆 の産 出 極 め て豊 富 なり 。其 の後 工 人 の欠
り 且多 数 の兵 器 の貸 与 を 受 け る こと を得 て、 小作 人 の居 住 す る十 数
北 満 軍 政 当 局 に対 し て余 (パ ル ム氏) 直 接 面会 し 幸 いに賛 成 を蒙
層 は沙 質 な る を 以 て、 野 生花 卉 地 表 を覆 ひ天 然 の景 色 人 目 を悦 ば し
乏 に て耕 作 宜 し か らざ る故 に土 地 を 小作 人 に貸 与 し 、毎 年収 穫 せ る 少 量 の食 糧 を納 め しむ る こと と せり 。
勢 力 を 有 し 、防 守 に当 り 居 る状 態 にあ り、 新 来 の小作 人中 には 彼 等
北 満 の富貴 者 の自 衛 策 と 相等 し 。彼 等 は 二、 三村 落 一団 と なり て 一
ケ村 を 保護 す る こと とな り た り 。此 の小 村 落 には垣 の築 き あ る こと 、
に任 命 さ れ た る も、 同 氏辞 職 六 年 後 再 び東 三 省 に来 り特 別 区行 政長
保 護 、 事 業 の奨 励 によ り全 省 平 安 にし て匪 患 な かり き 。後広 東省 長
自 身 に て家屋 を造 る者 あ り て、公 司 方面 は従 来 に較 べ宿 舎 に便 利 多
公 司 創 立 の初 め適 々朱慶 瀾 氏 黒 竜 江将 軍 兼 巡 按使 と なり 、 地 方 の
官 兼 東 支 鉄 道護 路 総 司 令 に任 命 さ る。然 し朱 氏 去 り て後 省 内匪 患 猖
れし む 、 と 。然 し 難 問 題 は該 地 に旅 舎 の皆 無 な る こと にし て往 来 す
く 、 税 金 の如 き は公 司 よ り代 納 し て官 吏 の小作 人 に及 ぼ す紛 争 を 免
る旅 客 、即 ち兵 民 を 論 ぜず 食 宿 を供 給 せざ る べ から ず 。 小作 人 に て
獗 し、 公 司 主要 宿 舎 は嘗 つて土 匪 に攻 め ら れ、 幸 ひ にデ ン マルク職
外 国 職 員 去 り て後 草 舎 中 の小 作 人 時 に土 匪 の為 に苦 し めら れ た り、
其 の余 力 な き故 、 公 司 に於 て之 を為 さざ る べか らざ る状 態 にあ り 、
員 に より 二 匪 を打斃 し た る為 難 を 免 れ 、後 塁 を 築 き防 禦 し た る が、
と。
委 託 を受 く る中 国管 理 人 等 は其 の事 に不忠 実 にし て、 二箇 年 間納
す 。昨 冬 曾 つ て太平 溝 金 礦 公 司 の運 糧 雪 車 約 二百 輛 が公 司 附 近通 過
此 の兵匪 雑 踏 の郷 に在 り て は手段 、閲 歴 、 忍耐 の三 要素 を 必要 と為
旅 客 に対し て接待 至 らざ る とき は或 は故意 に紛 争 を来 す こと あ り 、
入 し た る租 糧 を 尽 く私 し且 小作 人 に対 し て時 に欺 侮 す る こと あ る為
の時 公 司 に於 て食 宿 し た り、 と 。之 によ り該 処 に於 け る宿 舎 の 一班
四 、公 司 の再度 組 織
に小 作人 は逐 次 去 り、 一方 開墾 す べ き土 地 は荒 蕪 と な り 、且 人 才 は
斯 の如 き 現象 は固 より 不幸 にし て、米 人 の精 神 上及 資 本 によ る犠
花 江 の沿岸 の地 に稲 田事 業 を試 行 せ しむ 、 と 。該 所 に公司 の所有 す
数 年 開 墾 に従事 す 。近 来 公 司 は彼 等 を援 助 す る こと とな り 、明 年 松
公 司 小 作 人 中 に朝 鮮 人 ( 多 く中 国 に入籍 した る者 ) の 一組 あ り て
を得 る こと を 得 。
牲 は多 大 な るも のにし て、黒 竜 江 省 に於 け る米 商 の僅 か の事 業 が終
る土 地 二百 英 畝 あ り (此 の地 に て軽 載 汽 船 を停 泊 せし め貨 物 の積 卸
こと と な り、 茲 に事 業 は殆 ど全 廃 とな り た る次 第 な り 。
得 ら れず 資 金 は 余祐 なき に至 り遂 に火 梨 三台 は哈 爾賓 に て売 却 す る
に失 敗 に帰 し た る は、米 人 に対 し て惜 しむ べき こと なり 。故 に昨 年
し 。然 る に此 の稲 田事業 を知 らざ る者 或 は 日本 の北部 北 海 道 よ り の
北満 の情 形 を 熟知 す る者 は 、此 の稲 田事 業 を聞 く に何 等 怪 し む者 な
を為 すと 、 残 余 の公 司 主要 な る 田地 は松 花 江 の北約 五英 里 にあ り)
り 、と 。該 地 は未 開 の土 地 に し て居 住 者 な し、 と伝 ふ るが故 に前 述
南 に古 城 の遺 跡 あ り、 又 ア ムー ル江 附 近 の大 路 に円式 の砲 塁 あ り た
石 器 等 が発 現 さ れ た る こと な り。 多 く 朝鮮 の古 物 な り、 と 。 公司 の
人 に相 似 る な り 。最 も 人 の注 意 を 惹 く は此 の地方 曾 つて古銭 、磁 器 、
と な り 。若 し公司 方 面 に て新 来 の小作 人 に対し て食宿 以外 に耕 作 の
能 は ざ る を以 て仕 事 なき 冬 期 を待 たず 秋 期 末 に至 り他 に移 住 す る こ
ば 更 に便 利 とす 。惜 しむ こと は多 数 の移 民 中 工作 なき に因 り、 貯 積
運 賃 を 割引 し、 或 は多 人 数 の時 は 特 に専 用 車 を以 てす る こと にな れ
ば 其 の効 な し 。運輸 問 題 に至 り ては春 季 に於 て火 車 の融 通 を計 り 且
に就 かし め た るが 、須 く 自 発 的 に其 の業 に従事 す る者 を 選 択 せざ れ
菜 に良 く、 馬 鈴薯 最 も 佳 な り 。馬 鈴 薯 は該 地 に於 て多 く 栽 培 し 、粉
物 、蕎 麦 、 小 麦 、大 麦 等 の生長 を迅 速 な ら しめ 、稲 類 も亦 成 熟 し野
雪 車最 も適 す 。夏 は比 較 的短 く 昼長 く 酷 暑 は大 豆 、 玉蜀 黍 、高 梁 穀
木 柴 、米 糧 或 は其 の他 の物産 を 江岸 或 は城 内 に運輸 す る に困難 なく 、
適 す 。冬 寒 きと 雖 も 日光 強 く 、米 国 の北 部 と相 似 る 。雪 の量 少 なく
る薬 品数 種 を備 へた る が頗 る歓 迎 を受 け た り 。気 候 日常 生 活 に甚 だ
りた り 。 生徒 約 三 十名 なり 、 と 。 又該 地 に医師 尠 き 為公 司 は 簡単 な
一昨 年 の秋 小 学校 を成 立 し専 ら 小作 人 の子弟 を 教 育 す る こと と な
六 、 気候 の優 美
学 の方 法 を提 唱 し 、 小樹 木 の生 長保 護 を講 じ つ ゝあ り。
に炭 坑 あ り未 だ開 掘 せ ら れず )。 公 司 の樹 木 も亦 然 り 。 近 来 応 用 科
く、 大 木 は皆 採 伐 さ れ汽 船 或 は冬 の燃 料 に用 ゐら れ たり 、 と (附 近
該 地 は丘陵 起 伏 し 大 平原 に し て高 地 に樹 木 多 き も貴 重 な る木 材 な
各 物 の由 来 を研 究 す るも亦 興 味 あ る 一事 な り。
み産 す るも のと信 ず るも 、気 候 極 寒 の西 伯 利 亜 と 雖 も亦 能 く繁 殖 す る も のな り。朝 鮮 人 の 一部 が露 属 ア ム ー ル江 沿 岸 地方 に於 ても亦 完 全 な る殖 民 地 を設 置 し 、曾 つて稲 田事業 を施 し た る が頗 る効 あ り た
五 、移 民 の時 期
り 、 と謂 ふ。
本 公 司 の小作 人 は 多 く は南 満 、 山 東 、直 隷 よ り移 住 す る耐 労 の農
時 家畜 及 種 子 を貸 与 し、 且 該 処 に森 林 多 き為 柴 木 は随時 に採 伐 せ し
民 な り。 近年 来 の水 、旱 災 に よ り救災 団 体 が毎 度 災 民 を 移送 し て業
め ば燃 料 に欠 乏す る こと な き な り 。第 一次 の収 穫 前 に於 て如 此 な れ
該 地 は 又禽 獣 に富 む 。遊 猟 者 に適 す 。鴨 、雁 の如 き千 百 と 群 を成
の美 物 な り。 他 の各 地 にて は多 く 豆 類 を 以 て之 を製 す 、と 謂 ふ 。
糸 を製 造 す 。 其 の質 靱 にし て軽 く 、 其 の性 霜 を 畏 れず 、 と 。食 品 中
除 く外 少 人 数 あ り て松 花 江 及 ア ムー ル江 下流 に転居 し 、漁 獲 生活 に
こと を得 。又鹿 類 頗 る多 く狼 も亦 時 に見 る 。其 の他 、狐 、 貉 の類 の
し 、其 の他 季 節 の鳥 類 、 山雉 、烏 、 鶏 等 の如 きも冬 に於 て猟 取す る
該 地 の土 著 人 を韃 子 と謂 ふ 。現 在 は漸 次消 滅 し て数 人 の同 化 者 を
ば 困難 の事 な く 、只 災 民 の性 質 如 何 が最 も緊 要 な る こと なり 。
従事 す 。其 の最 も著 名 な る も のは俗 に魚 皮 韃 子 と 謂 ふ 。衣 服 及靴 等 、
如 き も あ り、 河獺 は江 沿 岸 に あ り て紅 魚 を取 り て食 と為 す 。
魚 皮 を 以 て作 り た るも のを着 用す 、 と 。該 族 は 自 称 満洲 と同 一種 族 な り 、 と謂 ふ。其 の〓 体 は較 小 にし て煙 草 、酒 を 嗜 好 す る こと満 蒙
を軽 減 せん 。若 し幸 い に三方 意 の如 く進 捗 す る を得 ば 哈埠 市場 始 め
く て東 支 若 し 運賃 改 正 す る を得 ば 、更 に満 鉄 と協 議 の上南 満 の運 賃
も のにし て 、 一露 国 側 理事 に運 動 の儀 は近 く交 渉 〓 ま る筈 な り 。 か
小蒸 汽 船 は航 江自 由 にし て沿 岸 の風 景 亦 画 の如 し。 時 に哈 爾 賓 より
松 花 江 は吉 林 省 城 下 よ り ア ム ー ル江 に相 会 す る間 長 さ約 八百 英 里 、
下 り ア ム ー ル江 に折 入 し て黒 河 に直 達 す る か、或 は ア ムー ル河 に沿
哈 爾賓 事 務 所 長
て発 展 の望 み あ りと 言 ふべ し 、云 々。
四
五
哈爾 賓 事 務所 長 大 正 十 四年 八 月 一日
哈 調情 第 三 一四号
代表 及張 煥 相 副 官 ) と共 に現 地 に急 行 せ り 。
した る当 地 米 総 領事 ソ コビ ン氏 は昨 二十 三 日支 那宮 憲 (古林 省 外交
ラ ー学 士 会 員 ) は人 質 とな り主 な る財 産 を掠 奪 せ ら る。 此 の報 を接
は殺 さ れ、 露 人事 務 員 は重 傷 を負 ひ、 ハーバ ード博 士 (ロツ ク フ エ
の襲 繋 に遭 ひ、 銃火 を以 て抵抗 せし も 、 パ ル マー氏 及 支那 人 ボ ーイ
今 よ り 二ケ 月 前 当 地発 現 地 に赴 け るが 、本 月 二十 一日同 地 に て馬 賊
松 花 江 富 錦 対岸 に て大 農 制農 業 を 経 営 し居 たる米 人 パ ル マー氏 は
米 人 農 場 主富 錦 対岸 に て馬 賊 に殺 さ る
大 正十 四 年 七 月 二十 四 日
哈 調情 第 三 〇 〇 号
ひ北 極 に接 近 す る玻 里 に赴 く 、 此 の種 旅 行 は航 海 の如 く に し て苦 痛 な く、 景 色 も亦 佳 美 な り 。 要 す る に北満 の富 源 は無 窮 にし て前 途 有 望 な り。 中 国 の人 口稠 密 は 工作 人 の欠 乏 を虞 ざ る を以 て将 来 時機 到 来 せ ば北 満 を世 界 食 糧 の
三
哈爾 賓 事 務 所 長
供 給 場 と な す こと 至 難 にあ らざ る な り。
哈 調情 第 八 二 〇号
王 省長 の哈 爾 賓市 場 救 済 策
大 正十 四 年 三月 二十 七 日
税 金 の低減 と東鉄 運賃 の改 正 ︹ 紹周︺ 王 省 長 は 哈爾 蜜 市 場救 済 策 に関 し 魏顧 問 に洩 し て曰 く 、現 時 左 の 事 を計 画 し つ ゝあり 。 1. 現 行 七種 税 目 中 国税 に属 す るも のを軽 減 す る事 2. 地 方 及 雑税 を綜 合 又 は削 除 す る事 3. 東 支 鉄道 運 賃 を低 下 せし む る事 に就 いて考 へて居 る。然 る共 其 の中 に 一の難 関 あ り、 即 ち 東鉄 運 賃
の態 度 (七 月 二 十八 日高橋 中 佐 報 )
北満 馬 賊 の米 人惨 殺 に対 す る張 作霖
軽 減 問 題 是 也 。 現 に東 支 支 那側 理 事 と協 議 し折 合 を付 け た れ ば 、 理
前 予 め運 動 し 、露 国 側 理事 一人 の賛 成 を得 ば本 案 は始 め て通 過 す る
事 会 よ り運 賃 改正 問 題 を提 議 す る こと と な ら ん。 只両 国 理 事会 開 会
も 左 の如 き 命 令 を発 し来 れり と 。
人質 拉 致 事 件 に関 し張 作霖 は痛 く憤 慨 せ る も の の如 く当 地 護 路軍 に
護 路 軍 総 司令 部員 の談 に依 れば 富 錦 方面 に突 発 せ る米 国 人 殺害 、
尹 と の間 に適 当 の方 法 あ り と の事 な り し かば 、両 商 会 は 更 に会 議 を
万元 発 行 に対 す る準 備 金 不足 の件 に関 し ては 、黒 竜 江 省長 と浜 江道
昨 日 省長 よ り 回答 す る所 に拠 れば広 信 公 司 が 発行 す る大洋 票 一千
も のな し は流 通 可 な る も 、 口先 又は書 面 一片 のも のな れ ば、 其 の発
東 三省 は最 近 十年 外 国 人 問 題 よ り解 放 せ ら れあ り し に今 米 人 殺害 、 開 き た る上道 尹 を訪 ね 、所 謂 適 当 の方 法 な るも のが信 拠 す る に足 る 人質 拉 致 事 件 発 生 せ る は本 督弁 の痛 恨 に堪 へざ る所 な り 。本 督弁 は
行 は不 可 能 な る旨 陳 述 せり と言 ふ﹂ (山根 )
七
哈 爾 賓事 務 所 長
に関 し 、 其 の後 富 錦 より駐 哈 米 国 領事 の下 に達 せ る電 報 に拠 れば、
黒 竜 江 省綏 東 県 に於 て過 日匪 賊 の為 撃殺 せら れ た るパ ル マー事件
支 那 紙 の報 ず るパ ル マー事 件 其 の後 の消息
大 正 十 四 年 八月 十 日
哈 調情 第 三 三 七号
茲 に吉 林 全 省 陸 軍 に対 し て馬 賊討 伐 と人質 米 人 の奪 回 と を厳 命 す 。
六
哈 爾 賓 事 務所 長
若 し右 命 令 を 励 行 せざ る場 合 には責 任 者 を厳 罰 に処 す 云 々。
哈 調情 第 三 一八 号 大 正 十 四年 八 月 四 日 広 信 公 司 の大 洋 票 壱千 万元 発 行 問 題
昨 今 黒 竜 江広 信 公 司 が大 洋紙 幣 壱 千 万元 を発 行 す る旨 発 表 せる為 、
つ ゝあり 。 黒竜 江 軍 務 督弁 呉 俊 陞 氏 は彭 金 山 司令 に命 じ 、騎 兵 六箇
人質 と し て拉 せ ら れ たポ アー ド博 士 は尚 土匪 中 に在 り て優 待 せら れ
大隊 を 率 ひ て星 夜 出 発追 撃 せ し めた る為 、匪 賊 は本 月 三 日夜 陰 に乗
哈爾 賓 商 界 は 之北 満 の経 済 界 を撹 乱 す る も のと見 做 し 、目 下 反 対 運
じ松 花 江 を渡 り吉 林 省界 に竄 入 せり 。依 て吉 林軍 署 より は直 ち に依
動 盛 ん な るが 国 際協 報 の報 ず る所 、 左 の通 り 。 ﹁ 広 信 公 司 は 大洋 紙 幣 一千 万元 を 発 行 し 、新 旧 紙 幣 の交 換 を標 榜
蘭 鎮 守 使 陳 玉崑 氏 に飛 電 し て目 下 追 撃 中 なり 。 ( 山根)
哈 爾 賓 事 務所 長
し居 れ る が当 地道 裏 、 道 外 の両商 務 会 は之 に頗 る反 対 し居 れり 。前
八
秘 大 正 十 四年 八 月 十 九 日
哈 調 情 第 三 六六 号
年 発 行 の旧 紙 幣 は 一百 五 十 万元 に過 ぎ ざ る に、 今 茲 に 一千 万 元 を発 行 し て之 に換 へんと す るは 明 ら か に濫 発 な り、 況 ん や 且 つ当 初 発行 の百 五 十 万 元 は其 の準 備金 に於 て尚 不足 せ る に於 てお や 。今 此 の 一 千万 元 に対 し て 旧来 の準備 金 を以 て今 回発 行 の準備 金 と称 す る広 信 公 司 は全 く他 に準 備 の金無 し 、故 に両商 会 は当 局 に書 面 又 は電報 を 以 て其 の発行 阻 止 を 請 求 せ る所 以 な り 。
北 満 に於 け る米 国 宣 教 師 の活 動 と馮 玉 祥
回記念 日 ﹂或 は ﹁ソビ エト政 府 健在 た れ﹂等 の扁 額 を掲 げ 、 新聞 ト
旗 飜 り イ ルミネ ー シ ヨ ンを点 じ 、或 は屋 上 に ﹁第 八 回 十 月 ﹂ ﹁ 第八
労農 露 国領 事 館 に於 て は午 前 十 一時 より 正午 迄 外 国 人 の祝 詞 を受
へたる も 、往 年 の如 き凄 惨 な る雰 囲気 なく 、御 祭 気 分 横溢 せり 。
リブ ーナ社 の如 き は 、 レー ニン及 ルイ コフ の肖 像 画 を掲 げ 気 勢 を添
の親 米 (八月 十 五 日附 高 橋 中 佐 報) 北 満 に於 け る米 国宣 教 師 の活動 と馮 玉 祥 の親 米 、 在傅 家甸 浸 信 会 に就 て探 聞 す る所 左 の如 し 。
け、 ソビ エト機 関 、 ソビ エト系 学校 に於 ては祝 賀 会 を催 し、 各 所 に
一、浸 信 会 牧 師米 人 ラ マチ ンは伝 道 の為屡 々東 支 沿線 を旅 行 し 伝 道 の傍 資 源 の調 査 、地 方 有 力 者 と の連 絡 に努 め帰 来 、米 領 事 に 一切
支 那 官憲 は時 局 柄 当 日 は全 然 集 会或 はデ モ ン スト レ ー シ ヨ ンを厳
革 命 に関 す る講 演 行 は る 。
二 、彼 の仲 介 に依 り て米 国 資 本借 入交 渉 中 のも の に鶴 立崗 炭 坑 、
の報 告 を為 し つ ゝあ り 。
馬 橋 河炭 礦 (穆 稜炭 坑 ?)、 密 山 県炭 坑 (鶏冠 山 炭坑 ? )等 あ り。
軍 警 を派 し解 散 を命 じ た る も 、之 に応 ぜざ る為 十数 発 を 発砲 し漸 く
し蠢 動 せん とす る気 配 見 へた る によ り 、支 那 官憲 は約 五十 名 の巡警 、
禁 せ る に拘 らず 、 職 業 同盟 本 部 た る労 働 者 倶楽 部 に は共産 党 員 集合
人 を 使 用 し て買 付 中 な る が特 産 物 資金 の みな らず 、米 国 製 品輸 入資
三 、花 旗 銀 行 は 大 豆 及 小麦 各 二 千車 買 占 の計 画 を 樹 て、 目下 支 那
金 と し て露 、支 人 に巨額 の融 通 を 為 し つゝあ り 、北 満 に在 る米 人宣
のあ り 。
解 散 せし む 。敬 意 を 表 す る た め 日本 人会 社 、 商 店 にし て休 業 せ るも
四 、 馮 玉祥 は西 北 各省 の富 源 開 発 に意 を注 ぎ山 西 、陜 西 、内 外 蒙
教 師 は屡 々之 等 の商業 的 事 務 の仲介 を為 す こと あ り 。
古 の汽 車 、自 動車 交 通借 款 、山 西 省 の石 油借 款 を米 国 資 本 家 と 交渉
九
哈爾 賓 事 務 所 長
中 な り と 。尚 米 国 は正 太鉄 道 に米 国資 本 の割 込 み を運 動 し あり と 。
哈 調 情 第 六 八六 号
哈爾 賓 に於 け る革 命 記 念 日 の情 況
大 正 十 四年 十 一月 九 日
十 一月 七 日露 国 共産 党 の政 権 掌 握 以来 第 八 回 の記 念 日 に際 し 、当 市 に於 ては東 支鉄 道 、 ソビ エト機 関 、 ソビ エト系 商店 等 、 全 市 に赤
一〇
哈調産第 二八三号 極秘
次
哈爾賓事務所調査課
〓 斉線 一帯 の地 方 よ り
斉 々哈爾 以北 の勢力 範 囲 一帯 よ り
東 支 鉄 道 の態 度
九 四 、 二〇 〇 噸
一八 一、 〇〇 〇 噸
二箇 の階梯 あ り。 其 の 一は〓 斉 線 の敷 設 前 に於 け る対 策 、他 は敷 設
東 支鉄 道 が今 日 迄 保有 せ し勢 力 範囲 を確 保 す る為 に採 る策 は自 ら
二
せし む る に遺 憾 な か らし む る事 が 必要 であ る 。
対 す る態 度 を考 究 し善 く 之 に処 し て、 〓 斉 線 の重 大 な る使 命 を完 ふ
を 講 ぜ ん とす る は当 然 の こと で あ る 。茲 に於 て東 支鉄 道 の本問 題 に
大 な る苦 痛 と す る処 な るは 明 ら か にし て、 予 め之 に対 し適 当 の対策
実 な る自 己 範 囲 とす る地 方 の物 資 を新 設 の〓 斉 線 に奪 は る ゝ こと は
他 方 東 支 鉄 道 の北 満 に於 け る目 前 の立場 よ りす る時 は、 今 日迄 確
得 ざ る のみ な らず 、 本鉄 道 敷 設 の意 義 と価 値 を 没却 す るも ので あ る。
体 の営 業 上至 大 の脅 威 にし て、 経 済 線 と し て の面 目を 永 久 に開 拓 し
最 大 の宝 庫 であ る故 に、之 を確 実 に〓斉 線 に保持 せざ れ ば〓 斉 線 自
即 ち 斉 々哈爾 以北 の農作 物 は現 在 並将 来 を通 じ て〓 斉 線 の拠 るべ き
は、
〓昂 鉄 道 及 白 開 線 敷 設 問 題
哈爾賓事務所長
大正十四年 二月二十 四日
言
目
東 支、〓斉鉄道 の対斉昂軽鉄問題 一 前
支那側並斉昂鉄道 の立場 より見 て
二 東 支鉄道 の態度 〓斉鉄道側 の対策案 言
三
前
四 一
斉昂軽便鉄道 の〓斉線 に対する関係 の根本的問題 に就 ては ﹁哈調 夫 に依 つて観る に〓斉線 の開通 の当初之に吸収 せらる ゝ北満 の穀物
資料第 三十八号、〓南斉 々哈爾鉄道 の価値﹂ に詳記したる処 である。
前 項 に述 ぶ る が如 き 東 支鉄 道 側 の提 案 に対 し 、黒 竜 江 省 官 民 に於
黒竜 省 官 民 並 に斉 昂 鉄 道 の立 場 より 見 て
ては 双手 を 挙 げ て之 を 歓 迎 す べ き事情 の下 にあ り 、新 聞 紙 の所 報 に
三
彼 の出 でんと す る態度 、特 に其 の中 心点 を為 す標 題 の対斉 昂 鉄道 問
後 に於 け る そ れ であ る 。後 者 は暫 く之 を措 き 、前 者 の場 合 に於 け る
題 に つき記 す る積 り で あ る 。凡 そ束 支 鉄 道 は自 己 の利 益 を侵 害 す る
あ り と言 ふ。 其 の然 る所 以 は 、
見 る も、 支 那側 の当 事 者 は大 い に其 の提 議 に賛 成 し審 議 を進 め つ ゝ
と いふ に在 り 。前 記 新 聞 紙 の所報 は真 疑未 だ調 査 中 に属 す る も、 東
ロ、斉 昂 鉄 道 に無 料 に て東 支鉄 道 の車 輌 を貸 与 し 、連 絡運輸 に便 す
も のあ る こと は凡 ゆ る過 去 の事 実 が証 明 し 一々枚 挙 に遑 な き状 態 で
黒 竜 江省 の官 民 が特 に頑 迷 固 陋 、排 外 、排 日的 にし て、度 し難 き
み の自 由 にな し 得 。
つて経 営 せら る ゝを 以 て、 其 の処分 に就 ては容 易 に 一部要 路 者 の
斉 昂鉄 道 の株 は大 部 分 広 信 公 司 の有 に帰 し 、現 に官 憲 の手 に依
斉 昂鉄 道 は累 年欠 損 を続 け 経 営難 に陥 つて居 る。
る。
黒 竜 江 省 の官 民 は特 に頑迷 固陋 にし て保 守 、 排 外 、排 日的 であ
て其 の達 成 の覚 束 な き こと を見 極 め た る上 は 、第 二 の策 と し て〓 斉 イ
〓 斉 線 の敷 設 の議 に対 し て は極 力 之 を妨 害 す べ く 、遂 に今 日 と な り
線 の敷 設 よ り来 る損害 を 出来 得 る限 り僅 少 に留 め ん と す るは 当然 で
ロ
あ る 。現 に近時 新 聞 紙 の報導 す る処 に依 れば 、 東 支鉄 道 は (大 正 十 四年 二月 二 十 二 日国 際 協 報 、哈 爾 賓 日日)
ハ
支 鉄道 と し ては 此 の際 斉 昂 鉄 道 を自 己 の勢 力 下 に併 呑 せ ん と す るは
要 す る鉄 道 枕木 を供 給 す
イ 、斉 昂 鉄道 の軌 幅 を 改 築 し て東 支 鉄 道 と同 一軌幅 と し、 其 の為 に
極 め て自 然 の こと に し て、 之 に拠 り斉 々哈爾 以北 の物 資 を 昂 々渓 に
曩 に斉 昂鉄 道 敷 設 に際 し其 の地 方 が完 全 に露 国 の権 力 下 に あり し
あ る。
於 て〓斉 線 に吸 収 せ し む る以 前 に斉 々哈 爾 省城 に於 て確 実 に自 線 に 吸 収 せ ん とす るも ので あ る。
(最 も こは 当時 の露 国 の侵 略 政 策 に備 ふ る意 も あ り た る な ら ん)、
に拘 らず 無 理 に之 を排 し 、今 日 の如 き軽 便 鉄道 を敷 設 し た る が如 き
近 く は札 免 公司 に対 す る態 度 、安 達 倉庫 金 融 会 社其 の他 東 支鉄 道 沿
若 し右 の計 画 にし て成 就 す る こと あ らば 東 支鉄 道 にと り ては、 〓
が成 就 せざ る場 合 に於 て も、 〓 斉 線 が斉 昂 鉄道 を有 利 に処 置 せ ん と
斉 線 は北 満 物 資 の吸収 上殆 ど 痛 痒 を感 ず るも のに あら ず 。 又 仮 に夫
蓋 し南 満 沿線 に於 け る邦 人 の地 歩 に見 て無 意 味 に恐 れを 抱 く は事
線 の邦 人 の諸企 業 に対 す る態 度 の如 き は総 て そ れ であ る 。
実 な るを 以 て、今 回 の東 支鉄 道 側 の提議 に対 し ても頑 迷 な 彼等 は〓
す る に当 り 、之 を有 力 に牽 制 す る地歩 を得 るも のな るを 以 て、東 支
る手 段 を講 ず る も のと思 惟 す 。
鉄 道 は斉 昂鉄 道 が経営 難 に あ る弱 味 に乗 じ 、 互助 の美 名 の下 に 凡 ゆ
ぬ。加 之 斉 昂 鉄 道 は久 しく施 設 の改 善 が出来 ざ るは勿 論 、僅 かに腐
た る東 支 鉄 道 と 結 び所 謂 以 夷 制 夷 の浅 慮 を敢 え て せ ぬも のと も 限 ら
斉 線 に依 り日本 の勢 力 の侵 入 す る こと を 恐 れ、 此 の際 正体 の知 ら れ
〓 斉 鉄 道側 に於 ては 右 の如 き事 情 を深 く 念 頭 に置 き慎 重 に事 に処 し誤 りな か ら む こと を 期 す べ き であ る 。
述 の如 く頑 迷 固 陋 の徒 な るを 以 て 、東 支鉄 道 の申 出 で に対 し ﹁ 渡り
朽 せ る体 を保 つて居 る状 態 で あ り、然 も其 の処 分 権 を握 るも のは前
の敷 設 を為 す にあ り 。尚 本 案 の実 施 は支那 人 を し て之 に当 ら しむ る
城延 長 を提 唱 せ し め 、〓斉 線 は適 当 の時 機 を見 計 ひ 一気 呵 成 に該 線
渓 に移 るべ き こと を知 ら し め、 省城 官 民側 より自 発 的 に〓斉 線 の省
第
二
案
〓 斉 鉄 道 は斉 昂 鉄 道 を直 接 買 収 或 は併 合 の形 式 をと る ことも 一策
B
しむ る策 であ る。
該 地 方 の実 情 より 見 て最 も確 実 に比 較 的 容 易 に所 期 の目 的 を達 成 せ
む るが 如 き は其 の 一策 で あ る。本 案 は稍 理想 に走 り た る感 あ る も、
け 、斉 々哈 爾 官場 の有 力 者 を首 脳 の地 位 に就 け 、 彼 を し て交渉 せし
方 が効 を収 む る に容 易 な るべ く 、其 の為 には速 か に〓 斉 鉄 道 局 を設
に舟 ﹂ と言 ふ態 に、彼 等 常 習 の私腹 を肥 す こと に機 会 を逸 せざ ら む 様 怠 り な き も のと 思惟 せ ら る。
〓斉 鉄 道 側 の対策 案
是 等 皆 東 支鉄 道 側 に於 て有 利 な る事 情 の下 にあ り。 四 事 態 右 に述 ぶ る が如 き を 以 て〓 斉鉄 道 に於 ても慎 重 に考慮 し速 か に適 当 の対策 を講 ぜざ れば思 はざ る結 果 を齎 し、〓 斉 線 の生命 と も す る処 を根 底 より覆 滅 せ ぬと も限 ら ぬ。 此 の場 合 〓斉 線 の強 味 とす
な る が、 斯 く て は問 題 を紛 糾 せし め 、却 つて迷 宮 に導 く も のにし て
る処 は 、
案
〓斉 線 が支 那 の敷 設 す る鉄 道 な る こと
三
イ
第
〓斉 線 の為 に策 の得 た るも のでな い。
し東 支鉄 道 及 〓斉 鉄 道 は互 に斉 昂 鉄 道 には 一指 を も染 めざ る こと で
道 の処 分 の自 由 を 官憲 及 広 信 公 司 の手 より奪 ひ、 若 し く は之 を牽 制
第 一案 の場 合 に於 け る如 く斉 々哈 爾 の有 力 団 体 を動 かし て斉 昂 鉄
C
斉 々哈爾 省 城 の繁 栄 の為 には東 支 鉄 道 と結 ぶ より も 、〓 斉 鉄 道
従 つて〓斉 線 側 に有 利 に解 決 せ し む る為 、斉 々哈 爾省 城 に於 け
と結 ぶ方 が よ り有 利 な る事
ロ
ハ る有 力 者 を動 かし て利 用 し得 る事
斉 昂 鉄 道 は賓 黒 鉄 道 借款 契 約 に依 り買 収 の優 先権 確 定 せ る こと
あ る 。本案 は隣 接 鉄 道 た る東 支鉄 道 に対 し て は最 も穏 便 なる策 な る
ニ
線 は第 一案 に依 り て極 力進 む べ く 、鉄 道 開 通 ま で其 の目的 を 達 成 し
が、 〓斉 線 の将 来 の為採 らざ る処 で あ る。之 を要 す る に此 の際〓 斉
一 案
即 ち之 で あ る。 従 つて本 問題 に 対す る方策 とし て考 へる事 も 大体 此
第
の範 囲外 に出 づ る も のでな い。 A
策 を選 ばず 、無 理 の態 度 に出 でた る場 合 の非常 の策 と し ては種 々あ
る べ し 。賓 黒鉄 道 借 款 契約 中 にあ る斉 昂 鉄 道 に対す る我 が地 位 は 、
得 ざ る場 合 、第 三案 を 以 て満 足 す べ き で ある 。尚 東 支鉄 道 側 に於 て
其 の際 第 一に利 用 す べき 点 で あ る。
地 方 の有 力 団 体 た る省 議 会 、商 総 会 等 を 動 か し運輸 系 統 上 に於 け
に は〓 斉 線 を同 地 ま で延 長 す る外 な き を説 き 、他 方 東 支鉄 道 を省 城
る斉 昂 鉄 道 の地 位 を徹 底 し て諒 解 せ し め、斉 々哈 爾 の繁栄 発 展 の為
ま で延 長 せ し む る こと は〓 斉 線 を 延長 せし む る場 合 に比 し、 斉 々哈 爾 の発 展 の為 に は資 す る事 なく 、斉 々哈 爾 の盛 ん は忽 ち に し て昂 々
哈 調情 第 八〇 八号
二
〓斉 線 起 工と束 支 鉄 道
大 正 十 四年 三月 二十 三 日
哈 爾 賓事 務 所 長
本 日 のザ リ ヤ紙 は ﹁ 新 鉄 道 の敷 設﹂ と題 し 左 の如 き記事 を掲 げ て
哈 調 情 第 二号
秘
三
哈 爾 賓 事務 所長
〓斉 線 敷 設 工事 愈 々開 始 す
大 正 十 四年 四 月 二 日
首 題 の件 に関 し ザ リ ヤ紙 は 四 月 一日 、 二 日 に亘 り て大 様 左記 の如
一、 日本 側 は愈 々〓 斉 線 敷 設 に着 手 し た。 斯 く し て斉 々哈爾 北 部
き記 事 を掲 げ て ゐる 。
地 方 の穀 物 は四 平街 を経 由 南行 す る こと とな り 、東 支 は今 後多 大 の
〓 斉 線 敷設 は愈 々実行 の第 一歩 に入 つた。 即 ち昂 々渓 駅 に は日 本
ゐる。
人 の新 鉄 道踏 査 員 収容 バ ラ ツ ク用建 築 材 が 二貨 車 も到 着 し て ゐる 。
ザ ツク バ ラ ン に言 へば 実 際 東支 現 幹 部 の政 策 は 全 く 不可 解 で ある 。
穀 物 を喪 失 す る こと と な る。
責 任 あ る労 農 外 交 家 カ ラ ハン大使 が日本 と友 誼 関 係 を保 持 す べく 努
の利 権 を 享有 し て ゐる 日支 合弁 の資 本 家 団 が敷設 す るも ので あ る。
尚 そ れと 同時 に技 術員 た る八 名 の日本 人 も 来 昂 し た 。右鉄 道 は相 当
今 日迄 右 鉄道 の敷 設 を遅 緩 せし め し原 因 は支 那側 が 日本 に対し 沿 線
﹁上 手 な競 争 は 下手 な妥 協 に劣 る﹂ の諺 を忘 れ て、競 争 者 た る 日本
と 何 等 の親 善 関 係 を結 ば んと し な い。其 の最 も露 骨 な る現象 は東 支
め て ゐる に反 し 、当 地 に於 け る露 支 企業 の代 表 者 た る 東 支 幹 部 は
道 敷 設 の暁 は貨 物 の南 行 運 賃 が 低減 す る結 果 、 エ埠 頭 は多 大 の脅 威
と満 鉄 の関 係 であ る 。〓 斉 線敷 設 完 成 の暁 は如 何 に東 支 幹 部 は楽 天
地帯 の割譲 す る を欲 せざ りし が為 であ る。 右資 本 家 団 の利 権 の主 眼
を感ず る であ ら う 。之 と同 時 に長 春 ︱ 陶頼 照間 の南 部線 買 収 問題 も
的 観 察 を保 持 し よ う とも 、 其 の足 元 は次 第 に危 く な つて来 る 。斯 か
は右 地 方 の富 源 経営 に あ り て、 鉄道 敷 設 は 第 二 の問 題 であ る 。当鉄
こと を提 言 し て拒 絶 さ れた こと が あ る。然 る に巷 間 伝 ふ る所 に依 れ
自 然 再起 す る であ ら う 。嘗 て日 本 は東 支 に対 し長︱ 陶 間 を売 却 せ ん
得 る の条 件 を附 し て ゐ る、 と の事 であ る 。尚 東 支幹 部 は昂 々渓 に於
ち 丸 太 は 既 に運 搬 を 終 了 し 目下 の処枕 木 の輸送 中 であ る 。右 材 料 は
設 さ れ、 技 師 は来 昂 し 、 調 査 を開 始 し 又材 料 の運 搬 も 始 ま つた。 即
二 、昂 々渓 駅 に於 け る 作業 準 備 は既 に万 端整 つた。 材料 置場 は建
る際 に故 意 的 に競 争 を 演 ぜ し め る のが果 し て賢 明 な策 であ らう か。
け る 日本 人 の活 動 に対 し 特別 調 査 を命 じ注 目 を 怠 ら な い、 と の噂 で
満 鉄 を株 主 とす る札 免 公 司林 場 に於 て採 伐 し て居 るも ので あ る。 又
ば 買 収問 題 が 再 燃 し、 南 部線 売 却 の代償 と し て〓斉 線 敷 設 を 放棄 し
ある。
同 線 敷 設 工事 は今 秋 中 に終 了 し 、来 る出 廻期 に輸 送 を開 始 す る様 建
設 者 に厳 命 し あ る と の事 。 是 等 の事 実 に対 し東 支 幹 部 は如 何 な る考 察 を持 つ てゐ る だら う か 。 最 初〓 斉 線 は全 然実 現 出 来 ざ る も のと 信 じ て居 た。 少 なく とも満 鉄 が 来 る聯 絡 会 議 に於 て東 支 に大 な る譲 歩 を強 要 す る 一つ のデ モ ン ス ト レ ー シ ヨン に過ぎ な いと看 做 し て居 た。事 実 東 支 幹 部 の或 る者 は 今 日迄 右 掲 の如 き考 察 を持 し てゐ た の であ る 。又 彼 等 は満 鉄 は〓斉 線 の敷 設 工事 に は着 手 し、 一万 円内 外 は投 資 す る であ らう が聯 絡会 議 の終 了 と共 に、右 工事 は 停 止 す るも のと認 め て居 た ので あ る。更 に右 観 察 を 一層 鞏固 に した も のは、 〓 斉 線 の経 済 的 生命 没 有 論 であ る 。嘗 て東 支 幹 部 が ザ リ ヤ記 者 に語 り て曰 く 、〓 斉 線 地方 は土 地 不
方 は今 日迄 殖 民 を見 な か つた ので あ る。 今後 十 年 にし て当 地 方 の穀
良 に し て穀 物 産 出高 も極 く僅 少 に過 ぎ な い。此 の理由 に基 づ き 当 地
物 産 出 高 は千 乃 至 千 二百 万布 度 に足 ら な い、 と。 且 亦〓 斉 線 が東 支
近距 離 に在 るが故 に運 賃 低 減 は可 能 であ る 。昂 々渓 駅 の東 支 従 業 員
は材 料 積 載 貨車 、技 師 の動 静等 に就 て細 大 洩 ら さず 管 理 局 に報 告 し
尚東 支 は伊 勒克 特 支 線 の配車 を停 止 し 、枕 木 の輸 送 を 差 止 め来 る
てゐ る 。
四
斉 々哈爾 公所 長
大 正十 四年 四月 三 日
早 川 正 雄
出 廻期 迄 に同線 敷 設 の完 成 せざ る様 只管 作 動 し て居 ると の噂 があ る 。
斉 公第 一号
〓 斉 鉄道 敷 設 に対 し 省議 会 議 員 反 対 の件
松岡理事殿
小職 土 地 買収 の件 あ り 一日 帰任 せり 。 李省 議 会 長 及其 の他 二 、三
記
の者 の談 を 綜合 す る に、 当 地省 議 会 員 中 〓斉 鉄 道 を 日本 の手 に より
左
本 日大 連 宛 架電 せ し左 記 電報 原 文 写 確 かめ の為 送附 致 し ます 。
故 に何 等 の利 益 を齎 す を 得 な い。即 ち如 何 な る場 合 に於 ても 同 線 は
て修 築 す る こと の不都 合 を 称 ふ る者 多 く屡 々議 長 に対 し 臨時 議 会 を
と穀 物 争 奪 戦 を 演ず る とし ても 、運 賃 低減 の必 然 的結 果 を 招 来 す る
る 。然 る に経 済的 調 査 に拠 れ ば前 記 と 全然 其 の趣 き を異 にす る。 日
開催 し、 省 の輿 論 に訴 へ、之 を破 棄 せ ん こと を 請求 し つ ゝあ り、 議
敷 設 費 を 償 却 し得 る が如 き経 済 線 では な い、 と断 定 し て ゐ た ので あ
本 側 の〓 斉 線 を敷 設 せん と す る〓 南 、 鎮東 、泰 来 、斉 々哈 爾 地 方 は
会 は数 日前 張作 霖 に対 し 契 約締 結 の内 容 、顛 末 に関 し説 明 を求 む べ
予定 に て、 奉 天 の説 明 如 何 によ り之 が対 策 を講 ず る筈 な りと 。以 上
く 公文 を発 送 し た る も未 だ回答 に接 せず 、 近く 議 員 を奉 天 に派 す る
は 〓斉 線 問 題 に重大 な る関 係 を有 す る に付 き、 小 職 は極 力之 が行 動
し 且人 口 も可 成多 い。唯 嫩 江 と遠 隔 に在 る 地方 は 人 口稀 薄 にし て農 業 に適 し な い。 斯 か る が故 に〓 斉 線 を 以 て経 済 的 生命 な し とす る は
を探 る積 りな る が尚 其 の外 小職 の採 るべ き方 針 に就 き至 急 何 分 の御
非 常 な る宝 庫 にし て、 良 質 の小麦 を 産 出 す る こと を 以 て有 名 であ る
も 〓斉 線 は充 分 東支 の競 争 線 と な り得 るも のにし て、〓 南 ︱ 四 平街
下命 請 ふ 。
事 実 に反 す るも ので あ る。 又東 支 幹 線 北部 地方 の貨 物 争 奪 戦 にし て
経 由斉 々哈 爾︱ 大連 間 は、 哈爾 賓 ︱ 長 春経 由 両 地 点 間 よ り も遙 か に
哈調 情 第 十 五号
五
秘 哈 爾 賓 事 務所 長
〓斉 線 に対 す る東 鉄 の妨 害 運 動 ( 特 報 員報 )
大 正 十 四年 四月 九 日
東 鉄 は沿 線 よ り昂 々渓行 枕 木 を 一切取 扱 はぬ こと に決 定 し 、現 在
哈爾 賓 事 務所 長
取扱 中 のも のに は取 卸 し を命 じ た。而 し て東 鉄 は之 に対 す る個 人 の
六
求償 に応ず る決 心 な り と 。
哈 調情 第 二六 号 大 正 十 四年 四 月十 一日 〓 斉 線 に関 す る露 字紙 の説 明 〓 斉 線 問 題 に関 し久 し く沈 黙 を守 り居 た る準赤 系 紙 ノ ウオ スチ ・
其 処 よ り西喇 木倫 河 に沿 ひ南 興 安 に至 る線 を其 の境 界 線 とす るも の
二、 境 界線 の第 一回 改 変 と 四〓鉄 道
で あ る。
其 の後露国側 より支那 に対し寛城子︱ 吉林鉄道敷設 の権利 を稟請
せ し際 、 既 に吉 林 は 日本 人 の勢 力 範 囲下 に在 つた 。 そ こで勢 力 範 囲
協 定 の際 は 其 の境 界 線 は 自 ら変 更 し 、琿 春 よ り東 部 線 に平 行 し て老
〓児 河 は当 時 の地 図 に拠 れ ば全 く 不 分明 で多 数 の屈 曲 を 以 て流 れ 、
焼 鍋 に至 り、更 に〓 児 河 に達 し同 江 に沿 ひ興 安 に至 る線 と変 じた 。
比較 的 広 漠 た る 地 を抱 擁 す るも のと 為 さ れ て ゐた 。然 る に事 実 同 河
の位 置 は地 図 よ り北 方 に位 し てゐ たが為 東 鉄 勢 力範 囲 境 界 線 は自 ら
二 百 五十 露 里 北 方 に偏 し て了 つた。 此 の結 果 経 済 上哈 爾 賓 地 方 に従
属 せ し〓 南 地 方 は 日本 の勢 下 範 囲 に加 つた 。
日本 は此 の期 を逸 せず 満 蒙 に五鉄 道敷 設 の利 権 を獲 得 し た が、 其
の第 一着 手 が 四〓 線 で あ る。 同鉄 道 建設 工事 は 一九 一六 年 五 月 に開
始 し 一九 二三年 九月 に竣 成 し た 。同 線 の延 長 は 三 一二 ・三 基米 で、
四〓 鉄 道 は 公 には支 那 政 府 のも の であ る が建 設費 は満 鉄 の投 資 に
其 の他 に鄭 家屯 ︱ 通 遼 間 一 一三 ・七基 米 の鉄 道 を有 し て ゐる 。
一、最 初 に於 け る東 鉄 、満 鉄 両 鉄道 の勢 力 範 囲
ヂ ーズ ニ紙 は 本 日大 体 左 の如 き論 説 を掲 げ て居 る 。
更 に同 鉄 道幹 部 の枢 要 地 位 は全 部 日本 人 に より て占 めら れ てゐ る。
係 は る の みな らず 、 運 転 材 料 は全 部 満鉄 より 借 入 し た も の であり 、
のな り、 と 思 込 ん で ゐ る。 こは 一つ に満 鉄 当 局 の賢 明 なる策 に出 づ
事 態 斯 の如 き に不 拘 ず 同 地 方 の支 那 住民 は 四 〓線 は支 那 政府 のも
即 ち事 実 上満 鉄 の借 款 鉄 道 であ る。
東 、満 両 鉄道 の勢 力 範 囲限 定 問 題 は 一九 〇 五年 日露 媾 和条 約 締 結
譲渡 す る こと に同 意 し 、 従 つて両 鉄道 の勢 力 範 囲 、境 界 線 は吉 ︱ 長
る も の であ る 。
の際 起 つた 。 当時 日本 側 は公 主 嶺 ︱ 寛城 子 間 の広 汎 な る地 を東 鉄 に
ココ フツ エフが極 東 歴 訪 の際 東 鉄 の勢 力 範 囲 を表 明 し た事 が あ る 。
三 、四 〓鉄 道 と新 鉄 道
線 に在 り、 且 両地 方 共 に東 鉄 の勢 力範 囲 下 に在 つた 。嘗 て大蔵 大 臣
夫 れ に依 る と 大約 琿 春 よ り南 、吉 林 、寛 城 子 を経 て鄭 家 屯 に至 り、
四〓 鉄 道 は 上述 の如 く であ る が同 鉄 道 は 今 日更 に〓 斉 線 を敷 設 し て〓斉 間 を連 結 し よ う とし て居 る 。新 鉄 道敷 設 策 は既 に二 年 前 よ り の問 題 にし て当 時 日 支 両技 師 より な る踏 査 隊 が北 京 より 同 地 方 に派 遣 さ れ、 〓斉 間 並 興安 に至 る百 四 十露 里間 を 踏査 し終 つた。 其 の後 前 記 地 方 に新 鉄 道 が敷 設 さ る ると 内 定 す る や、 四〓 鉄 道 支 那 側幹 部 並 黒 竜 江 督軍 等 が同 地 方 を買 収 し 、 茲 に全 く 新鉄 道 の基 礎 工事 が出
七
秘
大 正 十 四 年 四 月 二十 四 日
哈調 情 第 六 一 号
哈 爾 賓 事務 所 長
イ ワノ フの〓斉 線 布 設 妨 害 に対 す る呂 栄寰 の談
を 以 て同 鉄 道 に使 用 す る枕 木 の輸 送 を 遅滞 せし め、 或 は貨 車 の配給
支 那 の国 営鉄 道 であ る 〓斉 線 の布 設 に対し 、 イ ワ ノ フ局長 が命令
四〓 鉄 道 の北 方 へ延 長 に関 す る基 本 的契 約 は在 北 京 及奉 天 の四〓
来 た の であ る 。
では な い。 之 に就 い ては 既 に管 理 局 に其 の事 実 の調 査 方 を命 じ た 。
を停 止 し た 、 と いふ話 が あ る が、 事 実 と すれ ば断 じ て許 す可 き 行為
未 だ其 の報 告 に接 しな い ので、 更 に命 令 を発 し 調査 を督 促 す ると同
線 幹部 並 に満 鉄 の奔 走 に拠 り て 一九 二四年 六月 成 立 し た 。即 ち 斉 々
に移 り最 後 に張 作 霖 は同 鉄道 は地 方 の繁栄 を来 す も のと し て許 可 を
哈爾 満 鉄 公 所 長 早川 氏 は呉 督 軍 と協 議 を進 め 、其 の結果 問 題 は奉 天
時 に、支 那 国 営鉄 道 の敷 設 を妨 害 す べ き 行為 を 除 き た いと思 ふ云 々。
斯 く し て準 備 万端 整 ふ や約 一ケ月 前 四〓 鉄 道 員 は新鉄 道敷 設 用 労 八
発信番号
ウ
暗
ニ
号
大 正 十 四年 四月 二十 四 日
第 六 〇 一号
(極 秘 )
発信月日
発 信者
語
電 信確
四 、東 鉄 の脅 威
定
午 前十 時 四十 分
与 へた ので あ る。
働 者募 集 に営 口に出 懸 た の であ る 。其 の時 よ り営 口 より 〓南 、 斉 々 哈 爾 に毎 日多 数 の労 働 者 が輸 送 さ れ 、敷 設 工事 は南 北 両 方 面 よ り開
〓 斉 線敷 設 は東 支 に 取 り多 大 の脅 威 で あ るは論 を俟 たな い。即 ち
用
始 さ れ た 。而 し て今 秋 迄 に工 事終 了 の手筈 であ る。
之 を 一言 に言 へば 今迄 東 鉄 安 達 駅 に搬 出 され た貨 物 は全 部 新鉄 道 に
指
奉 天 公 所長
は 曰く 、 ﹁恐ら く 新鉄 道 敷 設 の暁 は 、東 鉄 は斉 々哈 爾 より の 東 行 運
文
拠 つて輸 出 さ る る や必 せ り で あ る。尚 四〓 鉄 道 日本 側 代 表 中村 技 師
電
数 日前 東 支 露 国 幹部 ハ張 総 司 令 ヲ訪 問 シ〓 斉 線 ノ敷 設 ハ露 国 ニ挑
昨 日張 総 司 令 ニ面 談 其 ノ談 (其 一)
賃 改 正 以 外 には何 等 施 す策 は な から う 。而 し て今 後 斉 々哈 爾 は第 二 の長 春 とな る であ ら う 云 々﹂ と。
ズ 、 ト答 ヘタ ル ニ彼 等 ハ言 フ所 ナ ク シ テ辞 去 セリ ト。 尚将 軍 ハ最 近
レ シ以 来 茲 ニ二十 年 、今 ナ ホ草 茫 々ト シ テ毫 モ発 展 ノ域 ニ達 セズ 、
戦 的 準 備 ナ ルカ ト問 ヒタ リ ト。右 ニ対 シ将 軍 ハ、 鎮 東 県附 近開 放 サ
今 暫 く形 勢 を 観望 す る こと と せ り。右 報 告 す 。
の宣 伝 を為 す は 却 つて藪 蛇 と な る こと を慮 り 、積 極 的 行動 を見 合 せ
なり 。前 記 の次 第 に付 き当 所 と し ては 此 の際 東 鉄側 に対抗 し 、 反 対
魏顧 問 に支 那 商 の意 向 如 何 を質 し た る に何 等 聞く 所 な しと の回答
一〇
極秘 大 正十 四年 四 月 二十 五 日
奉 天情 報 第 九 号
鎌 田 弥 助印
に還 付 せ しめ 以 て東 支 鉄 道 将 来 の支 障 を除 去 す べし 、支 那 が之 を 提
カ ラ ハンは条 約 を 以 て満 鉄 を東 支 鉄道 同 様 にな し 、安 奉線 を支 那
閣議 に於 け る王 正廷 の報 告 (四月 二十 一日)
北 京駐 在 武官 よ り当 地特 務機 関 宛 別紙 電 報 御 参 考迄 及 御送 付 候
奉 天公 所 長
之 ガ為 鉄道 ヲ敷 設 シ聊 カ ニテ モ地 方開 発 ニ資 セ ント ノ意 味 ニ外 ナ ラ
露 国 側 幹 部 ノ跋 扈 跳 梁 ニ鑑 ミ、 一日 ニテ モ早 ク鮑 督弁 ヲ赴 任 セ シ メ 彼 等 ト折 衝 セ シメ ントノ意 見 ナ ル モ、目 下 督弁 ハ夫 人 病 気稍 重 態 ノ
秘 哈爾 賓 事 務 所 長
為 、十 五 日頃 ナ ラデ ハ赴 任 六ケ敷 ト語 ラ ル。
九
哈庶 二五 第 一九号 二 大 正十 四 年 四 月 二十 五 日
〓 昂 鉄道 に関 す る件
松岡理事殿
べし 、支 那 は 目 下 此 の目 的 を 達 成す る に好 機 会 を有 す と主張 し、 馮
議 す れば 独 、 仏 、英 を連 ね、 運 動費 も又各 国 より提 供 す る様 尽力 す
玉祥 は大 い に之 に賛 成 し居 ると て討 議 を求 め しが 、段 執 政 は事 重 大
〓 昂 鉄 道 敷 設 は哈 爾賓 の市 況 を沈 衰 せ しむ る も のな り、 と言 ふ東
る が、 右 に つき仁 寿 医 院長 銭 春 源 氏 を煩 は し傅 家甸 商 務 会 にて夫 れ
とな し慎 重審 議 を命 じ 、閣 議 にて は外 交部 に て王 正 廷 と弁法 を研 究
鉄 管 理 局 側 の露 支 両 車新 聞 に対 す る宣 伝 あ る こと は御 承 知 の通 り な
と なく 取 調 べ た る処 に依 れば 、 東 支管 理 局 が同商 務 会 に依 頼 し 、支
支 那 人 の言 ふ 所 に依 れば 、自 己 に直 接 利 害 関 係 な き此 の種 の宣 伝 に
に出 づ る や は如 才 なく 取調 中 な る も 未 だ充 分 に突 止 め得 ず 。 二 、 三
景 と し て画策 し つ ゝあ りと信 じ 、之 等 大 事 を 藉 り て大 いに排 日を 鼓
せん とす るも のな る べ し。 馮 玉祥 は奉 天派 と段 派 と結 び、 日本 を 背
以 上 カ ラ ハンが〓 斉 線 対 抗 策 とし て支那 政 争 を 利 用 し、之 を撹 乱
し て定 む る こと と せ り と 。
対 し ては支 那 人 本 来 の性 質 と し て決 し て耳 を供 す るも のに非 ず 。 満
に売 名 の目 的 を達 せ んと す る に外 な らず 。 され ば支 那 政局 の悪 化 と
吹 し 、段 派 及奉 天 派 を窮 地 に陥 れん と企 図 し つ ゝあ り、 王正 廷 は単
こと も亦事 実 な り 。商務 会 が東 鉄 側 の此 の依頼 に対 し如 何 な る態 度
那 商 の輿 論 を 喚起 し 、満鉄 に対 し 反 対 の気 勢 を 煽 る べく 努 力 し居 る
鉄 側 と し て は寧 ろ 沈黙 を守 るを 上策 とな す と の意 見 あ り 。為 念 。
須 く 段 派 と奉 天 派 と の結 束 を固 く し 、張 作 霖 を し て国 民党 中 の穏 健
共 に之 等 の陰 謀 は 益 々政 争 の具 に供 せ ら る べし 。 故 に日本 は此 の際
な く と も開 期 遅 延 の理由 と な り そ う には思 はれ な い、 所 が 二十 九 日
実 際 又右 の両 件 は単 な る外 交 上 の問 題 で あ ると し か老 へら れず 、 少
こと であ つた 。然 し 此 の説 に対 し ては政 府 方 面 で屡 否 認 し て居 るし 、
道 に対 し カ ラ ハン大 使 が反 対 し て居 る から であ る と謂 ふ記事 が掲 げ
基 づ き露 支 協 定 の精 神 に悖 る と謂 ふ こと を 理由 に、 支 那側 に対 し て
つ て幾 分 衰 微 す る こと は免 れま い 。 カ ラ ハン氏 は本 国 政府 の訓令 に
ば 、 東支 鉄 道 にと つ ては確 か に容易 な ら ぬ打 撃 であ る 。浦 塩 も 亦 従
の鉄 道 が完 成 し、 四〓 鉄 道 を 通 じ て南 満 鉄 道 と聯 絡 す る こと にな れ
然 し 事 実 とす れば 労農 側 で は狼 狽 せ ざ るを 得 ま い 。斉 々哈爾 〓 南 間
も の であ る と謂 ふ が、資 本 関 係 其 の他 に関 し ては詳 述 し て居 な い 。
る 。益 世 報 の伝 ふ る所 では 、〓 斉 鉄 道 の権 利 は日本 方 面 で獲 得 し た
(五月 一日予 定 ) に対 す る事 さ へ拒 ん で居 る、 と の消 息 を 伝 へて居
張氏 が同 鉄 道 計 画 を放 棄 す る に非 ざ れば 交渉 に応 じ難 いと、 開会 式
斉〓 鉄 道 (斉 々哈爾 〓 南 間 ) に対 し て、 カラ ハン氏 が極 力 反 対 し 、
の益 世報 は開 会 日 取未 決 定 の理由 と し て、 張 作霖 の企 画 し つゝあ る
分 子を 抱擁 せ しむ る に努 め 、対 外 的 には巧 妙 な る宣伝 を 以 て カ ラ ハ
北 京 公 所長
ン、 王 正 廷 、馮 玉 祥 等 の陰 謀 を挫 く を急 務 なり と 信ず 。
一 一
大 正 十 四年 四 月 三十 日
北 公 情 二 五第 四号 の五九
露 支 会 議 と〓 斉 鉄 道
てあ つた が、 此 の記 事 に関 聯 し 本 日 の北 京 新聞 は左 の如 く論 評 し て
昨 二 十九 日附 の益 世 報 に露 支会 議 が開 会 せ ら れ な い のは 、〓 斉 鉄
居 る か ら参 考 迄 に報 告 す 。
露 支 会 議 に対す る露 支 双方 の準 備 は着 々進 行 中 の様 子 で殊 に支 那
協 約 を此 の問 題 に当 て嵌 め て貰 ひ たく な い、 と刎 ね 付 け て ゐ る。政
省 内 に於 け る鉄 道建 設 に露 国側 か ら干 渉 を受 け る余 地 なく 、 亦露 支
該 鉄道 計 画 の放 棄 を極 力 迫 つ て居 る のであ る が、 奉 天 当局 では 東 三
側 に は督 弁 公署 の事 務 を 二十 七 日以 来 開始 し て居 り 、其 の他 孔 祥 煕
題 と露 支 会議 を混 同 せざ る こと を要 望 し 且之 を露 奉 局 部 交渉 に移 し 、
府 は奉 天 側 の斯 の如 き 表 示 を見 て、 カ ラ ハン氏 に対 し て〓斉 鉄 道 問
記
氏 を坐 弁 に任 命 し た り 、露 国 通 と し て有 名 な哈 府 総 領事 裘 汾 齢 氏 を
る が、 如何 し た理 由 か開会 の日取 り は未 だ に確 定 し な い 。理 由 と し
総 務 処 長 に任 命 し て来 京 せ し む る等 既 に 万端 の用意 は出 来 上 つ て居
く カ ラ ハン氏 は開 会 式 の挙行 さ へ未 だ 承知 の旨 を答 へな いと のこと
兎 も角 会 議 を開 く こと にし た い と交 渉 を進 め つゝあ る が、前 述 の如
で あ る。 因 に過 般 奉 天 に赴 いた葉 交 通 総長 の任 務 は謂 ふま で もな く
て従 来 伝 へら れた も のは 、 一、 在 支教 会 党 の財 産返 還 の件
右 問 題 に因 る も のであ る が、 一般 に労農 側 の此 の牽 制 運動 は既 に時
機 外 れ のも ので ど の程 度 の効 果 を 収 め 得 る か疑 問 で あ る、 と観 測 さ
二、 張宗 昌 氏 の率 ゆ る白 党 露 人 処 分 の件 の 二 つ が解決 しな い為 カ ラ ハン氏 が 確答 を避 け て居 る の だ、 と いふ
れ て居 る 。
哈 調情 第 八 七 号
一 二
大 正十 四 年 五 月 四 日
哈 爾賓 事 務 所 長
露 支 会 議 と 〓斉 鉄 道 (五 月 三 日国 際 協報 ) 北 京 通信 に 曰く 、 日本 が〓 斉 鉄道 の敷 設 権 を 取得 せ る に対 し 、労 農 政府 は 大 いに反 対 し カラ ハ ンの如 き は該 鉄 道 が敷 設 せら る れ ば東
北 京公 所 長
し て商議 せし む る こと に な つ た。其 の結果 如 何 は 数 日後 に判 明す る で あら う 。(浜 岡 訳 )
一三
北 公情 二五 第 四 号 の六 〇
〓斉 鉄 道 と露 支 会議 に関 す る件 (五 月 十 三 日最 報摘 録 )
大 正 十 四年 五 月 十 三 日
四月 三 十 日附 北 公 情 二 五第 四号 の五九 を 以 て頭 書 の件 に関 し 御通
居 る 。本 問 題 に対 し て は労 農 政府 よ り カ ラ ハンに厳 重 な る訓 令 が来
権 を 日本 に譲 与し たり と謂 ふ が、該 路 が若 し果 し て建 設 さ るれ ば 、
問 題 であ る 。昨 年 奉 天派 は 日本 政府 と条 約 を締 結 し、〓 斉 鉄道 建 設
露 支会 議 の開 会 に最 も困 難 な る問 題 は〓 南 斉 々哈爾 間 の鉄 道 建 設
から 、茲 に摘 録 し て御 参 考 迄 に御 通 知致 し ます 。
た 。 之 に依 れば 〓斉 鉄 道 の敷 設契 約 が取 消 さ れざ る 限 り露 支 協 定 の
東 支 鉄 道 は 必然 其 の影 響 を受 く る こと と て、 労農 政 府 は東 支 鉄 道 の
知 し て置 き ま し た が当 地 各 新 聞 に同 様 の記 事 が記載 され て居 り ま す
精 神 を維 持 す る事 は出 来 な い、故 に露 支 会 議 遅 延 の責 任 は当 然 支 那
前 途 に対 し て非常 な る注 意 を注 ぎ 、 該路 の利 益 に対し て他 国 の侵 害
鉄 の営 業 が 其 の影 響 を 受 け る のみ ならず 、北 満 の貨 物 は全 部 大連 へ
側 に於 て之 を負 ふ べき で あ つて、 会議 は目 下 開 く訳 にゆ か な いと言
吸 収 せら る ゝか ら 、浦 塩 港 も無 用 とな ら ん とす ると の見 解 を 有 し て
ふ のであ る 。之 が為 幽 又那 政府 は特 に此 の事 を奉 天側 に伝 へた ので あ
に影響 す るも の であ る か ら、 カラ ハンは遂 に該 路 の建 設 権 を 日本 に
を 許 さざ る状 態 で あ る 。況 ん や〓 斉 鉄道 の建 設 は浦塩 商 埠 地 の営 業
譲 渡 し た る こと は露 支協 定 の大 綱 及東 支 鉄 道協 定 の精 神 に反 す る こ
る が、 奉 天 側 の意 見 は ﹁東 三省 の領 土内 に鉄 道 を建 設 す る に就 て何
と を声 明 し 、現 に本 国 政府 の訓 令 を得 、 〓 斉鉄 道 建 設 問題 に具 体 的
人 よ り材 料 を購 入 す るも 、露 国 が之 に干 渉 す る の余 地 は無 い 。若 し 露 支 旧約 に根 拠 す と謂 は んも 、該 旧約 は 労農 新政 府 が 之 を蹈 襲 す る
此 の種 の意 見 は既 に中 国 政 府 よ り奉天 派 に伝 達 し 、張 作霖 氏 も 該
弁 法 あ る に非ざ れば 、露 支会 議 は之 を開 会 せず と 云 々。
の此 の意 向 に依 り王 正 廷 に命 じ、 カ ラ ハンに対 し斉 〓 線 問 題 と露 支
こと を声 明 し て ゐる 。
路 の建設 は、 中 国 々内 の問 題 にし て第 三 国 の干 渉 す る所 にあ らざ る
ことは出 来 な い 。又斉 〓鉄 道 敷 設 に就 て 日本 よ り借 款 す る と否 と は、
会 議 と は之 を 別問 題 とし 、 先 づ露 支 会議 を開 かん こと を交 渉 せし め
カ ラ ハン氏 が質 問 す べき 限 り でな い﹂ と い ふ に在 る 。政 府 は奉 天 側
たが 、 カ ラ ハンは之 に応 じ な い。之 が為 政府 は既 に人 を奉 天 に派 遣
又 一消 息 に依 る と露 支 会 議 に対 し て労 農政 府 は左 の四問 題 を提 出 し て先 決 条件 とし てゐ る 。 一、 張 宗 昌 の部 下 たる露 人問 題 にし て中 国 に其 の解 散 を要 求 し て居 る。
の駆 逐 を要 求 し て ゐ る 。
二 、北 京 西 山 の八大 寺 に有 す る教 徒 、財 産 の問 題 にし て、 露 人 教徒
三 、 天津 旧露 租 界 の空 地問 題 にし て、 労 農政 府 と協 商 の上処 置 す る こと を要 求 し て居 る 。
北 京 公 所長
四、 〓斉 鉄道 問 題 にし て中 日協 約 の取消 を 要 求 し て ゐ る。
一四
北 公情 二五 第 四号 の六 七 月 一日
〓 斉 鉄 道 の件
大 正 十 四年六
昨 日 (五月 三 十 一日) の当 地 発行 の鉄道 時 報 に左 の記 事 を載 せ て 居 る から摘 訳 報 告 す 。
ひ ふ らし て居 る が、 其 の鉄 道 工事 は唯満 鉄 が請 負 つた の みで あ つ て、
背 後 に日本 が あ る次 第 で 、 日本 と 密 接 な る関 係 あ りと 謂 ふ ことを 言
鉄 道 敷 設 は 全 く張 氏 自 身 の自 発 的 行 動 であ つ て少 し も疑 義 のな い所
であ る 。張 作霖 氏 は露 西 亜 の抗 議 に対 し 甚 だ怒 つ て居 る が、夫 れ は
理 由 な き こと では な い。露 西亜 は曾 て露 支 国交 が恢復 し たと き に於
ては 、東 支 鉄 道 を放 棄 し ても宜 し いと謂 ふ こと を謂 つて ゐ る、今 東
る ことは 決 し て公 平 な態 度 とは 言 へな い。吾 人 は張 作霖 氏 の強 硬 な
支 鉄 道 の死 活 問 題 と し て支 那 が 自 ら鉄 道 を 建設 す る に対 し、 干渉 す
哈 爾 賓 事務 所 長
一五
る態 度 に対 し至 当 であ る と謂 はざ るを得 な い云 々。
哈 調情 第 二 二六号
〓 斉 線 に関 す る 日露 の打 合 (新 聞 報)
大 正十 四年 六 月 二十 二日
〓斉 線 問 題 に関 し て は露 支 両国 共随 分 僻 目 を 以 て視 て居 るが 、昨
道 の建 築 費 は 日本 金 一千 八百 八十 万 円 と為 し 既 に工事 に着 手 し 、明
を以 て鉄 道建 設 を積 極 的 に計 画 し て居 る が、 聞 く所 に依 ると 〓斉 鉄
東 三 省 当局 は交 通 の便 利 を 図 り 、東 三省 の富 源 を開 発 す る の目 的
策 と し て長 春 以 南 の鉄 道 は日 本 に於 て絶 対 に経 営 し 、露 国 は 之 に対
談 の結 果 日本 は〓 斉 線 の布 設権 は決 し て放棄 しな いが 、之 が緩 衝 の
で居 る 。今 日本 人 方面 から伝 つた消 息 に依 る と、 日 、露 の両 国 は相
た が、 現 在 では早 や日 、露 の両 国 が支 那 を打 捨 て ゝ直 接 談判 に及 ん
近 来 〓斉 線 問 題 発 生 以来 日、 支 、露 三国 間 に互 に交 渉 を 重 ね て来
りる。
廿 一日 当 地松 江 日 報 が掲 げ た 左 の記事 の如 き も其 の 一端 を窺 ふ に足
年 二月 全 線竣 築 の予 定 であ る 。又 確 かな る筋 の情 報 に依 れば 張作 霖
し て決 し て干 渉 す る事 は出 来 ぬ。 又長 春 以 北 の鉄 道 布 設 は露 国 側 に
記
該鉄 道 が南 満 鉄道 と関 係 甚 だ厚 く 、 露 西亜 方面 に於 ては張 作 霖 氏 の
氏 の鉄 道 敷 設 の重 要 な る目的 は、 地 方 の産 業 開 発 を計 る に あり 、唯
日本 が〓 斉線 を敷 設 す れば 、露 国 は斉 々哈 爾 から愛 琿 に至 る迄 の鉄
を以 て、今 や満 洲 に於 け る日 、露 の勢 力 範 囲 は自 然 に撤 廃 さ れ、 日
政 露 国 と の諸 条 約 の効 力保 留 を提議 し た るも 、露 国 は 之 を退 け た る
本 が如 何 な る行 動 に出 つ るも 自 由 な り、 と て甚 だ抗 議 方 に気 乗 り せ
於 て任 意 に興 修 す る が、 日 本 も亦 之 に干渉 す る事 は 出来 ぬ 。而 し て
道 を修 築 す る 、斯 く し て 一切 の争 執 は免 れ る事 が出 来 る 、 日、 露 の
天
一七
津
大 正十 四年 七月 十 三 日 在
野村正殿
托 送 せり 。松 岡 花 押 ﹂ の添 書 あ り 、発 信 者 名 な し
︺
註、本信 は天津日本租界花 園街、大和ホテル (満鉄指定旅館)封筒 ︹編 に厳封しあり、又本省信欄外に ﹁本信 は七月十三日長平丸便にて大連 経由帰奉 の筈 なる阪東顧問に社長宛卑信中に封入し
貴 職 は至 急 王省 長 に面 会 し 、本 職 よ り とし て左 の通 り伝 へ
込 入 り た る事 情 あ り 、小 職 な ほ暫 らく 北 京 に留 ま る を必 要 と す る
過般 野 村 君 への内 話 伝 承 、而 る に書 面 又 は電 報 に ては尽 し難 き
ら れ且 其 の結 果 電 報 あ り たし 。
拝啓
秘
あ り、 此 の点 は諒 解 し置 か れた し﹂ と述 べた り と 。
し く侵 入 し た るも 、露 国 とし ては是 非 共 昔 の地位 を得 ん とす る希望
に した る事 八 年 、 此 の間 支 那 を 筆頭 に 日本 其 の他 諸 外 国 の勢 力 が著
︹ 謙古︺ 又四 月 一日 カ ラ ハンが芳 沢 公 使 を訪 問 せる際 ﹁露 国 は極 東 を留 守
で た るも のの如 し ﹂
右 抗議 は露 国 政 府 の本 意 に非ず 、全 然 東 鉄 イ ワノ フ 一派 の意 見 に出
ざ りし が イ局 長 再 三 の進 言 に依 り遂 に抗 議 す る に至 り た る次 第 に て、
以 上 の事 は既 に多 く の日本 人 の口よ り出 で居 り 、其 の影 響 す ると
両国 は各 自 の範 囲 内 に於 て事 業 に努 力 す るも のと す 。
ころ は実 に尠 く な い。 我 が 土 地 で あり な がら 、 日本 と露 国 が斯 く の
り で あ る。 (山根 )
一六
極秘 哈爾 賓 事 務 所長
如 き任 意 の振 舞 ひ に出 で、 我 を支 配 せ ん とし て居 る 。実 に痛 恨 の至
哈調 情 第 二 六 三号 大 正 十 四年 七 月六 日 露 国 側 の〓 斉 線 問 題 共 他 に関 す る意 嚮 の件 ︹ 都吉︺ 四 日 イ ワ ノ フ局長 は 田中 大 使 を訪 問 せ る際
一、莫 斯 科 政 府 は大 い に日 、露 の親 善 関係 を希 望 し あ り 。 二 、〓 斉 線 問 題 は大 局 より 見 れ ば 一地 方 の小問 題 に過 ぎざ るを 以 て、 之 が為 露 国 が 日本 の反 感 を 買 ふ が如 き は策 を得 た る も のに あら ず 、
三 、満 鉄 と の関 係 は従 来 余 り 円滑 に行 かざ りし も将 来 は充 分 協 調 を
長 方屡 々希 望 あ り た るも 、 一足 飛 に地 理 及産 物 等 の関 係 も 知悉 せ
故 に露 国 も 一度 抗 議 せし も今 は全 く 思 い切 り居 れ り 。
保 つ考 へな り 。 ︹ 船夫︺ と述 べ たり と 。尚 宮 川 通 訳官 が小 職 に為 せ る内 話 に拠 れば ﹁〓斉 線
ざ る 地点 に遽 か に鉄 道 を延長 し得 るも の にあ らず 、 と説 明 し応 諾
に付 、 此点 不 悪 御含 置 乞 ふ。 な ほ従 来 張 総 司令 より熱 河 へ鉄道 延
し た る処 、 カ ラ ハンは 日露 会 商 の際 日本 が 帝
問 題 が露 国側 に知 れ た る当 時 イ局 長 は北 京 に来 り 、 カ ラ ハン に対 し 強 硬 な る抗 議 方 を慫慂
せざ り し を 以 て此 の点 自 然貴 省 長 の耳 にも特 に入 れた る記 憶 なし 。
大正十四年七月十五日 露国 の〓斉線敷設反対運動概要
哈爾賓事務所調査課 概
次
第 一、東鉄幹部 の対抗策
目
要 せず 、 工事 の進 行 す る に従 ひ随時 必要 の資 金 を 支 給 し ( 鄭〓線
第二、イワノフ局長 の配車禁令
にあ る を 以 て、 満 鉄 よ り 一時 四〓 局 への立 替 の形 に て何 等 契 約 を
而 る に本 日張 総 司 令 及楊 総 参 議 と 会 見 の節 又此 問 題 出 で た る に付 、 ︹ 通遼︺ 白 音 太 来 よ り開 魯 迄 五十 三哩 丈 本年 内 に延 長 す る丈 の準 備 は満鉄
は 此 の方法 に拠 れ り 。白 開 線 は 三百 万 円余 位 の事 な ら ん) 来年 五
第 三、斉昂線 の軌道改修援助
説
月 三 十 一日四 〓 短 期借 款 契 約 切 換 の際 、右 立 替 金額 を同 契 約 中 に
第 四、邦人をして〓斉線 敷設真相 を探査せしむ 第六、昂 々渓行枕木輸送禁止
編 入 す る事 と し 、直 ち に本 件 実 行 の事 を約 し 、 張総 司令 よ り も貴
第七、南満行木材貨車 の配給 を拒絶す
第 五、東鉄側 の日本人活動調査
の運 び に至 る様 御 配慮 の程 折 入 て御 願 す 。 な ほ張 総 司 令 へは開 魯
第八、労農側当局 の抗議
は前 陳 の事情 御 考 慮 の上 可成 速 か に盧 局長 に命 ぜ ら れ、 工事 着 手
より 先 は何 れ の地 点 を経 て熱 河 に達 す るか 、 又熱 河 以 外 の地点 に
第九、東鉄 は〓斉 線に対抗す るため安拝線を計画す
省 長 に電 報 す 可 し 、 と言 明 せら れ た り 。就 ては右 電 訓 御 接受 の上
達 す る を是 な り と す る か等 の点 実 地調 査 の上 慎 重審 議 し た る上 な
第 一〇、東鉄露国幹部 の煽動
概
説
露国 の〓斉線敷設反対運動概要
第 一七、露支会議 の遅延
第 一六、カラ ハン及 コツプ両大使 の抗議
第 一五、〓斉線 工事支那労働者 に罷業煽動
第 一四、カラ ハン氏 の陰謀
第 一三、東鉄露国幹 部張作霖氏に難詰す
第 一二、東鉄調査員を〓南 に派遣す
第 一一、馬賊を使嗾 して本線 の測量 を妨害す
ら では容 易 に決 定 す可 ら ざ る旨 反 覆 説 明 し置 け り。右 御含 み迄 申
天 羽 英 二 殿
哈爾 賓 事 務所 長
大 正 十 四年 七月 二 十 一日
一八
添ゆ。( 了)
極秘
哈 調情 第 二九 六 号
在 哈 日本 総領 事
露 国 の〓斉 線 敷 設 反 対 運動 概 要 の件 予 て御 依 頼 の首 題 の調 査 別 冊 の通 り添 附 回答 致 し ま す 。 (別冊 )
最 初 〓 斉 鉄道 敷 設 の報 伝 へら る ゝや 、東 支 鉄 道 の露 国 側 重 役 は東 鉄 の経 営 及露 国 の国 防 に重 大 な る関 係 あ る に鑑 み、之 が敷 設 を 第 三
の方法 に拠 らざ る べ からず 。
収減 を見 る べし 。故 に東 鉄 と し て此 の形 勢 に対 抗 せん と せば 左記
二、稍 や危 険 な れ共 〓斉 鉄 道 に対 し 東鉄 よ り出 資 す る か、 又 は
二 、東 鉄 の培 養 線 を敷 設 す る こと。
何等 か の方 法 に依 り之 に割 込 む こと。
国 の手 に委 す る ことを 不 利 と認 め、 凡 ゆ る手 段 方 法 を 以 て極 力敷 設 に反 対し た るも 、張 作霖 氏 の決 意 牢 固 と し て動 かし難 く、 当 初 の猛
(中 略 )若 し該 鉄 道 が全 く 他 人 の手 に依 り敷設 せ ら る ゝが如 き こ
を設くべし。
ざ れ ば満 鉄 の許 可 せ る如 き 代 理店 (国 際 運 送会 社 を指 す も の か)
四 、何 等 か の方 法 を以 て荷主 に特 権 を 与 ふ る こと。 万 止む を 得
と。
三 、現 在 の森 林支 線 を撤去 し総 て之 を 本線 の培 養線 に改 む る こ
烈 な る反 対 運 動 も其 の効 な く今 や漸 次 消極 的妨 害 運動 に変 じ つ つあ り 。今 東 鉄露 国幹 部 及露 国 政府 当 局 の〓 斉 線 敷 設 反 対運 動 の経 過 を 列 挙 し、 其 の概要 を述 ぶ れ ば 、 第 一、東 鉄 幹 部 の対 抗 策 〓 斉 線 敷 設 に 対 し ては 東 鉄幹 部 は四 〓 線敷 設 の当 時 即 ち今 よ り二
れ た る暁 東 鉄 の受 く る影 響 と其 の対策 等 に就 て は予 め 如 何 な る研 究
と あら ば 、東 鉄 は勢 ひ 必ず 運 賃 の減 収 を来 す を 以 て、 支 那政 府 設
年 前 既 に細 心 の注 意 を払 ひ居 り 、 四〓 線 が 将来 斉 々哈 爾 に延 長 せら
を 遂 げ、 其 の対策 を講 ぜ ん と せ し乎 は、 大 正 十 二年 十 月 七 日上 海 新
置 の各機 関 に対 し 東 鉄 が交 付 す る補 助 金 に影響 す可 き 旨 を支 那 政
尚 右 の意 見書 に対 し 東鉄 側 に ては 已 に会 議 を 開 き 、左 記 二項 を議
府 に通告 す べ し 云 々﹂
聞報 に掲 げ たる 左記 要 領 の記事 に て十 分 に窺 知 す る こと を得 べし 。 四〓 線 近 く開 通 し将 来 更 に〓 斉 線 の敷 設 せら る ゝ に於 て は、 東 鉄 の大 打 撃 な り と て深 く 之 を憂 慮 し 、 東 鉄技 術 部 及 商 業部 は協 議
爾 に延 長 せ ら る ゝに於 て は、 東 鉄 に絶 大 の影響 あ るを 通 告 す る こ
一、 督 弁 に請 ふ て支 那 政府 当 局 に対 し 、今 秋 完 成 の四〓 線 を斉 々哈
決 せ り。
﹁四〓 線 にし て更 に斉 々哈爾 に延 長 せら れ ん か、 斉 々哈 爾 対青
の上 左 の対 策的 意 見 書 を東 支鉄 道 本 社 に提出 せ り。
山 間 の輸 送 貨 物 は勢 ひ皆 無 の状 態 とな り 、満 洲 里 小 蒿 子間 輸 出 穀
と。
レ フス キ ー、兪 人 鳳 の両会 弁 、 リ ヒテ ル、 何 守 仁 の両 理 事及 東 鉄
二 、本 問 題 及 東鉄 に及 ぼ す危 険 を除 去 す る方 法 を 討究 す る為 、ダ ニ
物 も殆 ど全 部 を 此 の線 に吸 収 せ ら る ゝ に至 る べ し。 現 状 に於 て は 満 洲 里斉 々哈爾 間 の貨 物 輸 出 数 量 は余 り多 か らざ れど も統 計 の示
本 年 三月 二十 二 日東 鉄 管 理 局長 イ ワ ノ フ氏 は、 東 鉄西 部 線 巡察 中
第 二 、 イ ワ ノ フ局長 の配 車 禁令
管 理局 長 を 以 て委 員 会 を 組織 す る こと 。
す 所概 ね年 増 の傾 向 に あ るを 以 て注 意 を 要 す 。更 に商 業部 の調 査 に拠 れ ば〓 斉 線敷 設 の暁 は必ず 東鉄 よ り 二干 六 百万 布 度 (大約 四 拾 七 万米 噸 ) の穀 類 を奪 取 せら る ゝの みな らず 家 畜 輸 送 数 の減 退 ︹マ マ︺
を来すべく、東鉄 の蒙 る影響は蓋し甚大 にし て四百 万元以上 の鉄
後 何分 の指 令 あ る迄 は曳 出 し を禁 止 す ﹂ と の意 味 の電 命 を発 し た る
に於 て木 材 の積 込 を完 了 し た る配 給 貨 車 も 、同 局 長 が哈 爾 賓 に帰 任
特 別 調査 を命 じ 注 目怠 り なき も の の如 く 、 最 近 の情 報 に拠 れば 斉 々
員 の実情 を記 載 し 、東 鉄 幹 部 は 昂 々渓 に於 け る 日本 人 の活 動 に対 し
題 し 、〓 斉 線 の敷 設 を警 告 し 、昂 々渓 に於 け る 日本 人 の新 鉄 道 踏 査
本年 三月 二十 三 日 の哈 爾 賓露 字 新 聞 ザ リ ヤは ﹁新 鉄道 の建 設 ﹂ と
査報 告 せし め た る こと 、 、森 国氏 自 ら 某 邦 人 に語 れ る処 に より 判 明 す。
為 、同 日以 後 札免 公 司 引 込 線 への配 車 は禁 止 せ られ 以 て今 日 に及 べ
哈 爾露 国 領 事 は 同 地露 国 人 マカ ー ロフな る者 に金 銭 を 給 し て旅 館 を
第 五 、東 鉄 側 の日本 人活 動 調 査
り 。而 し て配車 禁 止 の表 面 的 理由 とす る所 は貨 車 配 給契 約 期 限 の完
に係 る林 区 内宜 立 克 都 引 込線 は閉 鎖 さ れ た るも のと看 做 し 、 引 込線
了 、同 公 司 理 事 シ エ フチ エン コ氏 の負 債 関係 等 に在 り と言 ふ も、 其
る証拠 を捕 へん と努 め居 る模 様 な り 。
開 設 せ し め、 同 地満 鉄 社 員 の言 動 を探 ら し め 、〓 斉 線 反 対上 有 力 な
宜 立 克 都 駅 長 に対 し突 然 ﹁ 札 免 公 司 (日露 支 合 弁 の採 木 会 社 ) 経営
の内面 的 理 由 と し て は同 公 司 の木 材 が専 ら〓 斉 線 敷 設 用枕 木 に供 せ
本 年 四月 初 旬 東 鉄 は 沿線 発 昂 々渓 行 枕 木 を 一切取 扱 は ざ る こと に
第 六 、昂 々渓 行 枕木 輸送 禁 止
ら る ゝも のな り 、 と の ことを探 知 し之 を 阻 止 せ んと す る も の なり 。 第 三 、斉 昂 鉄 道 の軌 道 改 修 援 助
決 定 し 、現 在 取 扱 中 のも のには 其 の取 卸 しを 命 ぜ り。
斉 々哈 爾 省 城 よ り昂 々渓 (東鉄 斉 々哈 爾 駅 ) に至 る軽便 鉄 道 (延 長 五十 支 里 ) の客 貨 車 数 は僅 か に三十 余 輌 に過 ぎ ず 。軌 幅 狭 少 (一
第 七 、南 満 行 の木 材貨 車 の配 給 を拒 絶 す
滑 な ら し めん と し 、東 鉄 商 業 部 長 レズ ネ チ エン コを し て、斉 昂 鉄 道
又 所要 の枕 木 を 供給 し 、尚 車 輪 を も提 供 し て 両鉄 道 の連絡 運 輸 を 円
が 為 に 、東 鉄 は此 の斉 昂 鉄 道 に援 助 し て其 の軌 幅 を露 国式 に改 め 、
り漸 次 其 の内 命 も 実 施 せ ら れざ る に至 れ り。
ると 共 に 一面 貨 車 を遊 ばす の不経 済 な る を感 じ てか、 本 年 五月 頃 よ
間 接 的 妨害 に て は〓斉 線 敷 設 に到 底大 な る痛 撃 を 与 へ得 ざ る を悟 れ
し の木材 に対 し ては厳 重 に貨 車 の配給 を拒 絶 せ り 。然 る に此 の種 の
〓 斉 線敷 設 に使 用 せ ら る も のな り と見 做 し、 特 に公 主 嶺 行 四平 街 卸
東 鉄 は本 年 三 月 末 よ り 四月 宋 に至 る迄 東 鉄 沿線 よ り積 込 む木 材 は
米 突) な れば 車輪 の積 載 量 も 極 め て僅 少 な り 。斉 昂 鉄 道 運輸 の発 達
総 弁 た る竜 江 県 知 事王 玉科 氏 に対 し 、東 鉄 の軌 幅 改 修 の意 嚮 あ る事
第 八 、労 農 側 当 局 の抗議
を 期 し東 鉄 財 政 上 の増 収 を計 り兼 ね て〓 斉敷 設 に容 喙 の口実 を得 ん
に省長 は ﹁本 問 題 は 地 方 とし ては国 際 的 重 大 問 題 な れば 、 一朝 一夕
設 に関 し ﹁ 該 計 画 は東 鉄 の経 営 に甚 大 な る打 撃 を 与 ふ る も のな る に、
十 二日赴 燕 の途 奉 天 に立 寄 り交 渉 署 長高 清 和 氏 に面会 し、 〓斉 線 敷
員 会 長 フオ ルト モスキ ー、哈 市 総 領事 グ ラ ンド の四氏 は、 本年 四月
極 東 革 命委 員 会 議 長 ガ ル マ ニク、同 事 務 長 クビ ヤ ー ク、 同 人 民委
を 語 ら し め た る為 、王 督 弁 は省 長 に対 し予 め 其 の可 否 を問 合 せ た る
に決 定 し得 べき も のに非 ず ﹂ と し て 、此 の提案 を拒 絶 せり と言 ふ 。 第 四 、邦 人を し て〓斉 線 敷 設 の真 相 を探 査 せ し む 露 国側 幹 部 は過般 川 崎 汽 船 浦 塩支 店 長 森 国 氏 ( 目 下 在 哈中 ) を赴 連 せし め 、〓 斉 線 敷 設契 約 及 軌 条購 入条 件 其 の他 に関 す る真 相 を探
利 害 を共 にす る支 那 側 当 局 が何等 の協 議 を為 さざ るは 不都 合 なり﹂
右 に 対し 高交 渉 署 長 は ﹁万 一〓 斉 線敷 設 の結 果 東 鉄 が営 業 不 能 に
と 抗議 せ り。
陥 り た る場 合 は 、支 那 側 に て回 収す るも 可 な り 。支 那 が自 国 領 土 内
本 年 四 月中 旬 東 鉄 は密 偵 を遠 く〓 南 に派 遣 し、 本 線 の測 量 及 材料
第 一二 、東 鉄 調 査 員 を〓 南 に派 遣 す
輸 送 の状 況 を詳 ら かに調 査 せり 。
敷 設 は露 国 に挑 戦 的 準備 を為 す も のな り や、 と の質 問 を為 せり 。右
本 年 四 月 二十 日 東 鉄 の某 露 国 幹 部 は張 総 司令 を訪 問 し 、〓 斉 線 の
第 一三 、東 鉄 露 国 幹 部張 作 霖 に難 詰 す
鉄敷 設 及 経 営 に関 す る条 約 にも 何等 明 文 な し、 且又 其 の資 金 を何 れ
に対 し張 氏 は、 鎮 東 県附 近開 放 され し 以来 茲 に二十 年 今尚 草 茫 々と
に自 ら鉄 道 を敷 設 す る に当 り 予 め他 国 に相談 す る の必 要 な く 、又 東
よ り借 入 る ゝも自 由 な り﹂ と 答 へた りと 。
次 行 は れ たる も のな り)。 北 京交 通 部 の意 嚮 は北 満 露 国 投 資 の可 否
十 一日哈 爾 賓 出 発赴 燕 せ り (前述 奉 天 高 交渉 署 長 と の会 見 は其 の途
交 通部 と交 渉 の為 安 拝 線 敷 設 に関す る 一切 の書 類 を 携 へ、本 年 四 月
上 海 、青 島 大 罷 業 に当 れ る陳 独 秀 一派 の急 進 共産 党 を 操 り 、満 鉄 に
じ て北 京 の ﹁京 報 ﹂ 其 の他 の新 聞 を買 収 し之 を鼓 吹 せし め 、 又曩 に
露 支 細 目協 定 の締 結 を盛 ん に叫 ば し め 、更 に数 十 万円 の運動 費 を投
に露 国 に好感 を有 す る青 年 及 学 生 を煽 動 し、国 民外 交 に手 を借 り て
し、 馮 玉 祥 と相 結 び 一面 王 正廷 をし て奉 天 側 を牽 制 せし め、 一方常
カ ラ ハン大 使 は張 作霖 氏 の本 線 敷設 に対 す る強 硬 な る態 度 を看 取
第 一四、 カ ラ ハ ン氏 の陰 諜
に資 せん と の意 に外 な らず 、 と答 へたり と 。
し て毫 も 発展 の域 に達 せず 、之 が為鉄 道 を 敷設 し聊 に ても地 方 開 発
東鉄 は〓 斉線 に 対抗 す る為 、安 達 より 北方 に向 ひ拝 泉 に至 る新 支
第 九 、東 鉄 は〓 斉 線 に対 抗 す る為 安 拝 線 を計 画 す
線 敷設 の計 画 を 立 て 、 ウ オ ロン ツオ ー フ商 会 と林 区 契 約 を遂 げ 、 枕
に就 て は目 下考 究 中 な り、 と の理由 に て体良 く拒 絶 せり と伝 聞 す 。
木 供給 の計 画 を な し ガ ル マ ニツク 、 クビ ヤク 、 グ ラ ンド 三名 を北 京
第 一〇 、東 鉄露 国側 幹 部 の煽 動
従 事 す る民 国労 働 者 に対 し て大 罷 業 を起 さし め ん と種 々陰 謀 を逞 し う し居 れ り 、 と伝 へら る 。
本年 四月 初旬 東 鉄 赤 派 の幹 部 は哈 市 に於 け る露 、 支 輸出 商 を煽 動 し て、〓 斉 線敷 設反 対 の声 を 大 な らし め ん と し、 本 線 の敷 設 は哈 爾
第 一五 、〓 斉 線 工 事 支那 労 働 者 に罷業 煽 動
〓斉 線 の工事 に従事 せ る支 那 人 に罷 業 を起 さ し む る目 的 を以 て、
賓 市 を不 況 に導 く も のな り、 と の宣 伝 を 試 み た るも 何 等 の反 響 効 果 な か りき 。
困難なり。
々渓 に赴 け りと の情 報 あ る も、 其 の行 動 巧 妙 に し て確 証 を得 る こと
労 農 側宣 伝 員 数 名 宣 伝文 及 資 金 を携 へ、本 年 六 月 二十 五 日当 地 発 昂
し 、〓 斉 線 の測 量 及 敷 設 を妨 害 せし 模様 な るも 確 実 な る証 拠 を挙 ぐ
第 一六 、 カ ラ ハン、 コツ プ両 大使 の抗 議
本 年 四 月 の頃 黒 竜 江 省 泰来 県 地方 に於 て東 鉄 は数 多 の匪 徒 を 使嗾
第 一 一、馬 賊 を使 嗾 し て本 線 の測 量 を 妨害 す
る こと困難 な り 。
本 問 題 に関 し て北 京 の カラ ハン大使 は芳 沢 公 使 に、 又東 京 の コツ プ大 使 は 我 が幣 原 外 相 に夫 々非 公 式 に抗 議 し た る こと は、 各 新 聞紙 の報 ず る所 にし て世 間 周 知 の事 実 な り 。 第 一七 、露 支 会 議 の遅 延 カ ラ ハン氏 は張 作 霖 氏 が同 鉄 道 布 設計 画 を放 棄 す る に非 ざ れ ば露 支 会 議 交 渉 に応 ず る能 はず と称 し 、 本年 五 月 一日開会 の予 定 な り し
哈爾 賓 事 務 所 長
一九
同 会 議 は 今 日 に至 るも 猶 開 か れざ る状 勢 にあ り (山根 編 )
哈 調 情 第 三 三五 号 大 正 十 四年 八 月 八 日 日露 会 議 と新 鉄 道 ( 〓 斉 線 ) (八月 八
哈爾 賓 事 務所 長
二〇
の 一と なら う ﹂ と 。
哈 調情 第 三六 三 号
マ ンチ ユリ ア ・デ ーリ ー ・ニ ユー ス紙
大 正 十 四年 八 月 十 八 日
の論 説 に対 す る露 紙 の反宣 伝
去 る 十七 日 の ノ ーウ オ ス チ ・ヂ ーズ ニ紙 は マ ンチ ユリ ア ン ・デ ー
リ ー ・ニ ユー ス紙 に掲 げ た ﹁ 〓 斉 線 に対 す る イ ワ ノ フ局 長 の奸 計 ﹂
と題 す る記 事 ( 該 新 聞 の日附 不明 ) を 全部 訳 載 し た後 ﹁満 鉄機 関 紙
が〓 斉 線 敷 設 の目的 を挫 き 、該 線 に痩薄 な 地帯 だけ を残 す のは悪 い
と言 ふ の は丁 度蛮 人 の哲 学 で人妻 を奪 ふ のは善 いが 、自 分 の妻 を と
赤 系 ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙 は久 振 り で〓 斉 線 問 題 を 取 扱 ひ
﹁アジ ア に於 け る 日本 帝 国 主 義 の内 幕 ﹂ と題 す る長 論文 を掲 げ 、大 ︹ 喜八郎︺ 倉 男 の蒙 古 旅 行 、 日 本大 会 社 の満 蒙 発 展 、 〓斉 線 等 を 引 いて日 本 の
ー紙 は 八月 五 日 の同 紙 掲 載 ﹁外蒙 に注 目 せ よ﹂ と 題 す る記 事 に対 し
ら れ る のは悪 い、 と言 ふ様 な も ので ある ﹂ と評 し 、 又同 日 の エツ ホ
﹁ 曾 て 日本 は英 米 の愛 琿︱ 錦州 線 計 画 に露 と提 携 し て国 防 上 の見 地
満 蒙 侵略 政 策 の立 証 と な し、 日 本 は労 農 の帝国 主 義 を 云 々す る資 格
日 ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙 社説 )
か ら抗 議 を し た が 、〓 斉 線 は ま た軍 略 的意 義 を有 し蒙 古 の脅 威 と な
がな いと説 いて居 る。
哈 爾 賓 事務 所 長
る 、併 し 此 の点 に は ソヴ エート露 国 は関 心 せ ぬ が、 同 線 は経 済 上 北
は支 那 人 が建設 し 、満 鉄 は単 に請 負 者 と な つ て居 るが 、支 那 が建 設 二 一
極秘 大 正 十 四 年 九月 五 日
哈 調 情 第 四 二 四号
満 に於 け る露 支 の利 益 に多 大 の危 害 を 及 ぼす ので困 る。 公式 上 新 線
費 を払 は ぬ中 は鉄 道 は 日本 人 の掌 中 に残 る訳 であ る。 日 本 は露 の抗
ると応 へて居 る が 、思 ふ に満 鉄 及東 支 間 の暗 闘 は運 賃 や配貨 の協 定
議 に対 し て経 済 上 の利 益 は適 当 な 運賃 及 貨 物 分配 に よ つて調 停 し得
で解 決出 来 るも ので な い 。此 の問 題 は来 る日露 細 目協 定 の重要 問 題
カ ラ ハン の陰 謀 八 月 二十 九 日着 哈 せ る カ ラ ハンは翌 三 十 日夜 十 二時 二十分 グ ラ ン
英 、支 両 国 の交 渉 は 必ず や 決裂 の日あ る べ し 。余 は速 に帰 国 し
ド、 イ ワ ノ フ及 東 鉄総 務 処 長 と密 議 せ り 。其 の要 領 左 の如 し 。 カ
今 回 は我 党 の為 に は絶 好 の機 会 な り、 万違 算 あ る べか らず 。
て本問 題 に関 す る 一切 の準 備 を 整 ふ べし 。 イ
イ
グ
今 後東 鉄 が支 那 の領 土 内 に建 設 すべ き 鉄道 も亦 之 を他 外 国 人 に
は恐 る ゝ に足 らず 。 今後 支 那 人 職員 採 用 の場 合 は従 来 の如 く 其 の
東 鉄 は精 神 上 に於 て異 常 なる 発達 を な せり 。支 那側 職 員 の如 き
彼 も 必ず 抗 議 す べ し 。
の余 地 な か る べし 。
請 負 は し め彼 の策 に倣 ふ て返報 す る こと と せば 、 彼 に於 ても抗 弁
カ
人 選 に腐 心 す る に及 ばず 。管 理 局 に勤 務 す る支 那 人 は総 て尸 位素
餐 の輩 にし て 、我 が政策 に干 預 す る の能 力 な し 。故 に用 人政 策 に
余 は北 京 に て政府 の電 報 を接 受 し準 備 既 に整 へる こと を知 れ り。 但 し 事態 極 め て重 大 にし て世 界 大草 命 の動 機 と な る べき を 以 て慎
カ
な り 、我 が党 の過 失 を 攻 撃 し延 い ては業 務 上 多 大 の障 碍 を惹 起 す
於 て寛 大 な る度 量 を 示 す にあら ざ れ ば自 然 支 那 人 の怨 望 す る処 と
る に到 る べし 。
命 に従 ひ以 後 職員 採 用 の際 は支 那 人 の推 薦 に対 し即 座 に賛 同 す る こと をす べ し 。
現在 各 国 に於 け る同 志 は其 の人 数 甚 だ多 しと の こと なり し が、
其 の事 に就 ては浦 塩 よ り毎 日報 告 あ り 、今 後 益 々発 達 せん こと
当 地 に於 て誤 り な き を確 かめ得 た り。
を期 す 。
し や を知 らず 。午 前 二時 三 十分 に至 り散 会 せり (呉三 立 報告 )
( 総 領 事 付 給仕 ) に退出 を命 じ た る を以 て其 の後 如 何 な る談 話 あ り
コフ他 の 二人 は之 を知 らず 。グ ラ ンド は窓 及 入 口 を 閉 鎖 せ し め 余
談 じ て此 に到 れ る時 露 人 四名 来 訪 す 。 一人 は ク リ コフ、 一人 は チチ
グ
カ
イ
重 考 慮 の要 あり 。 余 前 回帰 国 の際 陸 軍 総 長 に面 謁 し 、軍 事 上 の 一切 の計 画 は 一箇 年 間 の用 に供 す る に足 る こと を知 れ り 。惟 此 の大革 命 は 一に諸外
グ
国 に在 る同 志 の奮 闘 如 何 に在 り、 我 々と し て は之 を鼓 吹 し幇 助 す
然 らず 。在 外 同 志 の奮 闘 に侯 つべき は勿 論 な るも 、我 に は眼前
る の地 位 に立 ち 、各 種 の運 動 及宣 伝 を 助長 完 成 す る に過 ぎ ず 。 カ
の敵 あ るを 以 て之 を後 援 せざ るべ から ず 。中 央 執 行 部 要 人 の来 る
〓 昂 鉄 道 に対 す る抗 議 は何 等 の効 果 な し 。今 後 如 何 な る 手段 を
を待 つて重 ね て論 議 す べし 。 イ
該 鉄道 建 設 は労 農側 に取 り非 常 な る打 撃 な り 。経 済 上 には左 し
講 ず べ きや 。 カ
た る影響 なし と す る も 軍事 上 に於 ては、 日 本 側 に有 利 と な る故 に
回 の賓 黒線 問 題 の如 き も 、若 し東 鉄 が直 接 建 設 せ ば 日本 側 は必ず
非 常 な る決 心 を以 て抗 議 の目 的 を達 す る に非 ざ れ ば 不可 なり 。今
の故 智 に倣 ふ を可 とす 。
徹 底 的 に抗 議 す べし 。 日 本側 が〓 昂 鉄道 を英 人 に講 負 はし め た る
哈調 情 第 六 九 〇号
一一
一
露 亜 銀 行並 横 浜 正 金銀 行 は 一九 一六 年 三 月 二十 七 日露 亜 銀行 の支
賓 黒 鉄 道 企 業組 合 契 約 更 新 に関 す る附 加 契 約
上御 送附 致 し ます 。
別 紙首 題 の契 約 文 当 地 日本 総領 事 館 より 入手 しま し た から飜 訳 の
賓 黒鉄 道 企 業組 合 契 約 更 新 に関 す る附 加 契 約送 附 の件
賓黒 ( 呼 海 )鉄 道 敷 設 問 題
哈 爾 賓 事務 所 長
那 政 府 と締 結 せ る賓 黒鉄 道 五 分 利付 支 那 政府 金 借 款契 約 (以 下単 に
大 正 十 四年 二月 三 日
借 款 契約 と称 す ) を基 調 とし て、 一九 一九年 六月 十 四 日締 結 せ る賓
黒 鉄道 企業 組 合 契 約 を更 新 す る目的 を以 て左記 条 項 の取 決 を な す。
ソビ エト露 国 と賓 黒 、 〓斉 線 問 題
東 支 督 弁 公所 員 の語 る所 に依 れば 、在 北 京 カラ ハンは イ ワノ フ長
依 る 同契 約 有 効 期 間 は、 一九 二 四年 六 月 十 四 日よ り 五 ケ年間 之 を
一、 一九 一九 年 六 月 十 四 日締結 せ る賓 黒 鉄道 企 業 組合 契 約 第 一条 に
(一月 三十 一日高 橋 中 佐報 )
官 に対 し て支那 側 と の無益 の抗 争 を禁 ず べき 旨訓 令 せ るが 、右 は東
並 に 一九 二 四年 六 月 三十 日迄 の未 払 利 息 の 一九 二、 六 一九 ・三 四
日 に於 て借 款 契 約 に基 き支 那 政府 に前 渡 せ る 五十 万 上海 両 の 一半 、
二、 横 浜 正金 銀 行 は露 亜 銀 行 に対 し 、 先 に同 行 が 一九 一六 年 四 月八
す こと を得 。
れざ る場 合 は、 両 銀 行 は 一方 の同 意 を得 て更 に右 期間 の延 長 を な
延 長 す る も の とす 。但 し同 期 間中 に本 企 業契 約 の目的 の達 成 せら
支 線 の重 要 支線 た る賓 黒 、〓 斉 線 問 題 に対 す る支 那 側 の意 嚮 を東 支
二
極秘 哈 爾 賓事 務 所 長
に有 利 に導 か んと す る予備 的 計 画 な る べし 、 と 。
哈調 情 第 七 五 一号
大 正 十 四年 二月 二十 六 日
上海 両 の 一半 、合 計 三 四 六、 三 〇 九 ・六 七上 海 両 を貸 与 す る も の
露 亜 銀 行 は本 事 業 を企 業 組合 の事 業 と し た る こと によ り、 名
四、経 理課 長 に対 し て は賓 黒 鉄道 企 業 組合 契 約 に関 し 、支 那政 府 と
義 上 の出 資 額 に対 し て別 に二分 の 一% を受 く べ き も のと す。
イ 、賓 黒 鉄 道企 業 組 合 に就 き支 那 政府 の承 認 を 得 た る場 合 は 、前
交換 せ る往 復 文書 覚 書 第 四 項 に就 き 、支 那 政 府 と の間 に経 理課 長
と す 。借 款 条件 左 の如 し 。
渡 金 の権 利 及 計 算 書 を 、露 亜 銀 行及 横 浜 正 金 銀行 組 合 に対 し正
は 日本 人 た る べし 、 と の了 解 を得 べき も のと す 。
於 て協 定 す べし 。従 つて 一九 一九 年 六月 十 四 日締 結 せる 日本 に於
五 、賓 黒 鉄 道 借 款証 券 の発 行 に関 す る詳 細 な る規定 は、 発行 の時 に
式 に授 与 す る こと に つき必 要 な る手 続 を完 了 す る も のと す 。
け た る場 合 は其 の半額 を横 浜 正金 銀 行 に対 し償 還 す るも のとす 。
ロ、露 亜 銀 行 は支 那 政 府 よ り本 前渡 金 の 一部 又 は全 部 の支払 を受
て発 行 す べき賓 黒 鉄 道 借 款 の第 一編 に対 す る特約 は以後 無 効 と す
木 契 約 は 写本 二通 を 作製 し 一通 は露 亜 銀 行 に 、他 の 一通 は横浜
る こと を茲 に同意 す 。
正金 銀 行 之 を保 管 す 。 署 名人 た る横 浜 正 金 銀行 及 露 亜銀 行 代 表 た
尚 右条 項 は露 亜 銀 行 の支 那 政 府 よ り受 領 す べ き本 前 渡 金 の利 息
ハ、 露亜 銀 行 は賓 黒 鉄道 企 業契 約 の廃 案 又は 終 了 の際 は横浜 正 金
る余 等 は上記 契 約 の各 条項 並 条件 を承 認 す る も のと す 。
額 にも適 用 せら る ゝも のと す 。
銀 行 に対 し、年 八 分 の利 息 を附 し て本 借款 の未 済 償 還額 を完 済
露亜 銀 行 代 表
横 浜 正金 銀 行 代表
一九 二四年 九月 二十 二 日
書
ブ リ ユー ラ ー印 ︹ 和吉︺ 竹 内 印
す る も のと す 。
第 四条 第 三項 に於 て協 定 せ る手 数 料 に関 し ては 、露 亜 銀 行 並
覚
一九 二 四年 九 月 二十 二 日調 印 せ る賓 黒 鉄道 企 業組 合 契 約更 新 に関
輸 課 次席 は 日本 人 と し、 経 理課 次 席 は露 西亜 人 とす 。 外国 人 に
外国 人 を以 て充 当 す べき 他 の地位 に就 ては 、 工務 課 次席 並 運
銀行に送 りし書簡 に関聯し て、署名人たる横浜正金銀行及露亜銀行
具体的 に表はす 一九 二四年六月十六日附北京露亜銀行 より横浜正金
切氏との話合竝に露亜銀行巴里本店より北京同支店 に宛たる電文を
︹万 寿 之 助 ︺
す る附 加 契 約 及 一九 二 四年 七 月 四 日東 京 に於 てド ホ イ ヤ ー氏 と小 田
与 ふ べ き其 の他 の地位 に就 ては、 契 約 当 事者 た る両 銀 行 の国 民
約 は先づ横浜正金銀行 の手を経 て、現支那共和 政府 に提議し、次に
各代表者は、茲 に賓黒鉄道企業組合契約並 に之に附随する総 ての契
賓 黒 鉄 道 企 業 契約 第 七 条第 三項 は 左 の如 く 書 換 ふ 。
的 区別 に従 ひ 同 数 に割 当 つる も のと す 。
事。
中 技 師 長 及運 輸 課 長 は露 西 亜 人 た る事 、 経 理 課 長 は 日本 人 た る
本 企 業 組合 契 約 当 事者 た る両 銀行 は賓 黒 鉄 道 の建 設 工事 経営
本 契 約 の附 帯 条 項 第 一項 中 左 の如 く変 更 す 。
横 浜 正 金 銀 行 は等 しく 各 二分 五 厘 を受 く る も のと す 。
イ
三 、 賓 黒鉄 道 企 業契 約中 左 の如 く 変 更 す る こと に同 意 す 。
ロ
ハ
露亜銀行 が支那政府 より本賓黒鉄道企業組 合契約 の承認 を得次第当
竹
内
印
シー ・ブ リ ユーラ ー印
事者 たる銀行双方 より他 の有力 なる財団 に提議すべきものたる こと
哈爾賓事務所調査課長
三
横浜正金銀行代表
露亜銀行代表
一九 二四年九月 二十二日
を茲 に再 び確認す 。
哈調情第二四号 大正十四年 七月 二十二日 呼海線敷設計 画説
斉 々哈爾公所長殿
奉 天情 報 第 四 五 号
賓黒線問題
極秘
四
大 正 十 四年 八 月 十 六 日
奉 天 公 所長
鎌
田
弥
助印
従 来 黒 竜 江 省 政府 が単 独 に て賓 黒 鉄 道 を布 設 せ ん と企 図 せ し事 一
再 に止 ま らず 、曩 に は スキデ ルスキ ーと契 約 し 、張 上 将軍 の激 怒 を
とす るや 満鉄 に交 渉 を 試 み、 更 に最 近 奉海 鉄 道布 設 実 現 す る に及 び
買 ひ其 の 一喝 に逢 ふ て忽 ち廃 棄 を 余儀 なく せら れ、 〓斉 線 布 設 せ ん
遂 に江 省 重要 機 関 を 集 合 し、 銀 壱 千 万 元を 醵出 し て江 省自 体 が布 設
し同 省各 機 関 の代表 者 を出 奉 せし め 、彼 等 を し て張 上将 軍 の承認 方
す る形式 の下 に之 を 決行 せん と協 議 し、 呉督 軍 母 堂 の葬 儀 に参列 せ
を運 動 せ し め ん と目論 見 つゝあ り ( 八 月 十 四 日発 奉 公第 六 一〇号 電
依れば該省当局は本鉄道 が東北交通 上是非建設 の必要あるを以 て、
天当局より の中止命令 に接し其 の儘 中絶 の姿なりしが、今聞く処 に
仁氏を挙げ て総弁 と為し、哈爾賓 に籌備処を設置 されたりしも、奉
言 に依 り て 、甚 だし く張 上 将軍 の不 興 を買 ひ面 斥 せ ら れ たる事 実 も
と し て は広 信 公 司紙 幣 発 行 の失 敗 問 題 及 最 近満 鉄 と の借 款 云 々の謡
本 鉄道 に付 て は スキデ ルスキ ーと の契 約 破棄 の歴史 あ り、 又 呉督 軍
れず 、或 は抽 象 的 に楊総 参 議 等 に話 せ し こと は事 実 な ら んも 、由 来
一説 に呉 督 軍 は已 に将 軍 の承 認 を得 たり と言 ふ事 は容 易 に信 ぜら
参照)
于省 長は先般赴奉本件 に関し東三省交通委員会 に諮り て、之 が建設
あれ ば 、孰 れ の方 面 よ り見 ても 此 の際 呉 督軍 が自 ら 交渉 の衝 に当 る
(前略)往年黒竜 江省 に於 ては呼海鉄道を建設 せんとし已に趙仲
本日 の国際協報及東三省商報は同文にて左 の記事 を載 せて居ます。
費 の協 助を懇請する処 ありしが、于氏と王委員長 との協 商 の結果 は
と は信 ぜ ら れず 、各 機 関 主 脳 者 を利 用 し て極 力 運 動 せ しめ ん と の督
軍自 身 の告 白 蓋 し 真 に近 から ん か 。
極め て良好 にし て、交通委員会は既 に出費協助を許せし為 、于氏 は 右 に関し其 の真相取調 べの上御 回報願 ひます。
帰斉後 具体的準備を進 め居れりと言 ふ﹂
要 す る に是 等 の連 中 が本 鉄 道 の速 成 を提唱 す る所 以 のも のは、 交
にし て、松 北 鎮 商 埠 地 の地価 を 昂騰 せ し め依 て以 て各 自 の私 腹 を肥
通 の利便 、産 業 の発達 等 を企 図 す る にあ らず し て徒 ら に其 の声 を 大
さ んと す る に外 な らず 。呉 督 軍 の談 に依 れ ば 、初 一年 には綏 化 迄 の
極秘
哈 爾賓 事 務 所長
大 正 十 四年 八 月 二十 二 日
哈 調 情 第 三八 〇 号
呉俊 陞 賓 黒鉄 道 停 車 場 敷 地 を踏 査 す
当 地 市政 局 某 要 人 の談 に依 れば、 呉 督弁 は奉 天 に て張 上 将軍 より 、
本 件 は貴 督 弁 監 督 の下 に至 急 起 工 せ よ、 と の命 を受 け た る由 に て昨
線 を 完成 し、 営 業 成績 を考 察 し漸 次 延 長 せん と の意 見 な る も 、実 際 に於 ては馬 家 船 口 よ り呼 蘭 に至 る僅 々数 哩 の鉄 道 を敷 設 し て、 其 の
晩 着 哈 し市 政 局 を宿 所 とし 、 本 二十 一日午 前 五時 随員 帯 同 、同 江 北
哈 爾 賓 事務 所 長
馬 家 船 口に赴 き 賓 黒鉄 道 停 車 場敷 地 を実 地観 測 せり と 。
七
秘
目 的 を達 成 せん と の野 心 あ るが如 く。 而 し て 一切 の計 画 は現 四〓 鉄
五
哈爾 賓 事 務所 長
大 正 十 四年 八 月 二十 五 日
事 行 政 に関 す る 一切 の経 営 を張 作 霖 に御 委 せ す る こと にし た と言 ふ
答 に二 、 三 日前 奉 天 よ り吉 林 に電 話 があ つ て、呉 督 弁 は同鉄 道 の人
戴 〓卿 氏 が賓 黒鉄 道 問 題 に付 て昨 日王 樹 翰 に聞 い たら ば 、其 の返
同 鉄 道 の必要 な る レ ー ル約 二百露 里 の供 給 方 を交 渉 した 。之 に対 し
出 上同 鉄道 の東 鉄 に対 す る意 義 を説 き 、東 鉄 の援 助 を求 む ると 共 に 、
ー ルの至急 引 渡 を 交 渉 せ し後 話 題 を賓 黒 線 敷 設計 画 に転 じ 、穀物 搬
づ兼 て東鉄 と の間 に話 の纏 れ る督 軍所 有 の炭 礦 ( 鶴 立炭 坑 ?) 用 レ
過 般 当 地 通過 の際 呉 督軍 は イ局 長 と会 見 し (八 月 二 十 一日 )、先
極秘
哈 調 情 第 三 八七 号
道 建 設課 長 温 維 湘氏 を し て担 任 せ しむ べし と言 ふ 。(了)
哈 調 情第 三七 八 号 大 正 十 四年 八 月 二 十 二 日
こと であ る 。其 の時 に張 作 霖 の言 ふ た の には ﹁そう す るん な ら それ
賓 黒線 に関 す る呉督 軍 とイ ワノ フ局 長 と の会 談
で宜 し い。自 分 の方 で 一切 の画策 が出 来 た 時 に 重 ね て相 談 し よう ﹂
賓 黒 鉄 道 に関 す る続 報
と答 へた そう であ る 。
告 げ た と。 ( 東 鉄 理事 秘 書 朱 与忱 )
嘱 し あ れば 向後 馬 将 軍 を介 し て 一切 の交 渉 を運 ば ん こと を イ局 長 に
こと を約 言 し た 。尚 其 の呉督 軍 は本 計画 に関 す る事 務 は馬 忠 駿 に委
て イ局 長 は 地方 経 済 発 展 のた め、 呉 督軍 の計 画実 現 に援 助 を与 へん
此 の張 作 霖 の言 葉 に依 つて判 断 す れば 、 張 作霖 が許 可 し た と も言 へる だらう が、 確 定 し た と判 断 す る のは早 計 であ らう 。
六
八
哈爾 賓 事務 所 長
哈 調 情 第 四 一五 号
極秘
哈 爾賓 事 務 所 長
呼 海 線 に関 す る件 (九 月 一日附 戴 〓 卿氏 報 告 )
大 正 十 四年 九 月 三 日
高 崑 仁 (字 子 玉) は警 務 処 長 の職 を辞 し呼 海鉄 路 督 理 の職 を 専 行
す る こと と な り 、其 の後 任 には劉 徳 権 を任 用 す べ く、 又 呼海 路 に二
秘
大 正 十 四年 八 月 二十 八 日
哈調 情 第 四〇〇 号
協 理 を置 き、 一は常 蔭 廷 ( 呼 蘭 道 尹 ) を 、他 は 趙 廷震 (松 北市 政 局
今日 ( 九 月 一日 ) 二協 理 の語 る所 に拠 れ ば昨 朝 、督 理 、協 理連 同 来
長 ) を之 に充 て、馬 忠 駿 を し て監 理 の職 に居 ら し む る こと と せ り。
賓 呼 線問 題 に関 し 松北 鎮 の現状 調査 の件 ︹ 繁 一︺ 八月 二十 六 日賓 呼 線 問 題 に関 し松 北鎮 の現 状 調 査 の為 出 張 せ る村 辺 所員 の報 告如 左参 考 に供 し ます 。
も、 此 の間 は沼 沢 地 多 き為 、 先 づ常 道 尹 より管 下 各 県知 事 に命 じ 埋
る こと と な れり 。 又 一面 呼 蘭 よ り綏 化 に至 る間 を測量 す る処 あ り し
に至 る 七十 華 里 の土 工 は今 年 中 に片 付 け 、 明春 解 氷後 軌 道 を敷 設 す
以 後 と な る べく未 だ鉄 道 材 料 は 少 しも 無 し。 四、 五 日 中斉 々哈爾 よ
立 を行 は し む る こと と な れ り、 と 言 ふ 。尚 常道 尹 と の談 話 左 の如 し。
哈 引続 き 二 回 に亘 り て会 議 す る所 あ り、 其 の結 果 馬 家船 口よ り呼 蘭
り 四連 の兵 を派 遣 す る由 。 こは 過般 督 軍視 察 後 松 北 市 政 の上 に積 極
軌 道 は何 故 今 年 中 に敷 設 せざ る や 。
賓呼 線 は東 支 引込 線 小駅 よ り 発す るが如 く 同 駅附 近 に は広 信 公司
的 具 体 方 針確 定 し 、 先 づ商 民 の安 じ て業 に励 む に足 る警 備 を なす べ
軌 道 は米 国 よ り購 入す る こと と な り、 之 が到 着 迄 に四 ケ月 を要
が人 夫 十数 名 を 派 し て家 屋建 築 中 なり 。 同線 起 工 は 多 分十 五 、 六 日
し と 言 ふ に在 るも の の如 く な るも 、賓 呼 線問 題 にも 関 係 す る所 あ る
戴
し到 底 間 に合 はざ るが為 な り。
常
同 地 には振 業 公 司 (趙振 宸 管 理 せ り) の振 業 市 場 あり 、 五棟 の煉
や にも 認 め ら る。
常
此 の契 約 は未 だ締 結 せ ら れ た る にあ らざ るも 、聞 く 処 に依 れば
此 の米 商 は 何処 に て契 約 を結 びた る や 。
米 商 の手 を経 て購 入 す る こと に話 付 け り。
購 入 の件 は結 局 相 談纒 り た る や。
若 し兵 来 着 せば他 に適 当 の場 所 も な く 必ず 此 の家 に住 む こと とな る
戴
瓦 建 長 屋 あ り 。中 一棟 は屋 根 著 し く破 壊 し 到底 用 ふ るべ か らざ るも 、 戴
べ し 、 と同 家屋 管 理 人 は語 れ り。 同 人 の言 によ れ ば 、鉄 道 建 設 の議
常
要 す る に東 鉄 と の関 係 は如 何 。
又 趙 廷震 と の談 話 左 の如 し 。
フ局長 よ り紹 介 し た るも のな り 。
呉督 弁 と既 に相談 済 の こと な り と言 ふ (一段 声 を秘 め て) イ ワ ノ
は既 に確 定 し居 り、 唯 時 日 の問 題 な り と の事 な る も早 急 には敷 設 に 至 らざ る様 見 受 けら る。
九
戴
趙
米 商 は 即 ち東 鉄 の代 理 人 な り。 蓋 し東 鉄 が直 接 事件 に当 る は 不
戴
先 日呉 督 弁 は 管 理局 に於 て如 何 な る こと に付 き 協議 せ し や。
契 約 あ りと 言 ふ も極 秘 にせ ら れ あり 。
契 約 を 了 せり や否 や。
都 合 の点 多 き を 以 てな るべ し 。
趙
聞 く 処 に依 れ ば奉 天 側 にて は材 料購 入 は 日本 より す べき こと を
表 面 上 東 鉄 と は絶 対 に無関 係 な り。
購 入す るも のに し て、 比較 的 便 利 な る方 法 を撰 び た る迄 の事 な り 。
に し て、 材 料購 入上 東鉄 と間 接 的 関係 あ る に留 り代 金 を支 払 ひ て
に決 定 せ る な り 。故 に今 回 の計 画 も依 然 黒 竜 江省 の自 弁 た る も の
も 未 だ決 定 す る迄 に到 らず 、 奉 天 よ り の帰路 此 の方 法 に依 る こと
米 商 代 理問 題 の事 に就 てな り 。当 初 既 に此 の意 見 を有 し た りし
戴 趙
戴
奉 天 側 の是 説 に就 ては 呉督 弁 より は 何 等 の話 合 も な く、 只 日本
主 張 せ りと 言 ふ が如 何 。 趙
側 も材 料 売 込 運 動 を なし つ ゝあ り、 と 言 へる の みな り 。 新聞 の報 導 す る処 に依 れば 、資 本 金 二百 万元 なり 、 と言 ふも 右
趙
戴
趙
此 の点 に就 き ては未 だ論 議 せ し こと なく 、 只単 に普 通鉄 道 と言
軌道 は孰 れ の標 準 に依 るや 。
海倫 を終 点 とし 海倫 以北 に就 ては協 議 し た る こと な し 。
呼海 線 は何 処 を終 点 とす る や 。
馬家 船 口呼 蘭 間 の建 設 費 にし て金 線 の建設 費 にあ らず や 。
に て充 分 な り や。
戴
戴
趙
へる のみ な り (訳 者想 ふ に、普 通鉄 道 とは 中 国式 の こと を言 ふな らん)
戴
上 奉 以 前 は 此 の説 を 為 せ しも 、帰 着 後 は直 接 東 鉄 よ り材 料 供給
東 鉄 の軌 幅 を採 用 す る と聞 け る が如 何 。
の説 が なく な つた から 東鉄 の軌幅 を採 用 す る も の と は 謂 へな い
趙
( 斯 く 言 ひ乍 ら微 笑 し 且 つ秘 密 に願 ひ た いと述 べ た) ( 戴 曰く、
一〇
極秘
哈 爾 賓事 務 所長
微笑 せ るは 標 準軌 幅 にあ らざ る事 を意 味 す る も の にあ らず や)
哈調 情 第 四 二 七号
呼 海線 に関 す る件
大 正 十 四年 九 月五 日
九 月 一日附 楊宇 霆 発 呉督 軍 宛 来電 に拠 れば ﹁呼 海 線 用 レー ル及材
料 は 日本 より購 入す るを便 とす 、 御 一考 を 煩 度 し﹂ と あ り 。右 は 黒
竜 江省 張 秘 言 の通信 に て明 ら かと な れ り 。又 四 日黒 竜 江省 陳 秘 書 よ
り の来 信 に拠 れば 、 江蘇 督弁 鄭 謙 は呼 海線 に関 し シー メ ン スを紹 介
し 来 れ り と 。尚 三 日来 哈 せし黒 竜 江 省張 財 務 庁長 は呼 海線 の建 設 費
は 、 黒 竜江 省 に て支出 す る旨 を言 明 す (以 上 五日 呉 三立 氏談 )
一 一
哈爾賓事務所長 大正十四年 九月九 日
哈特第三号 極秘
本社 の呼海鉄道着手 に関し卑見開陳 の件
呼海鉄道 敷設計画は奉天側 の制肘 に依り て、呉督弁 の態度漸次吾
な く と も 日本 の進 出 に対 し ては極 力 妨 害 を試 む べき こと は 必然 的 に
必 らず 積 極 的 に何等 か の方 策 に出 で初 一念 を貫 徹 せん と す る か、 少
と せ ば 、呉 督 弁 一片 の拒 絶 に て到 底 穏 当 に引 込 む べき も のに あらず 。
を建 設 し て経 済 的 に将 た政 治 的 に斉 〓 鉄道 に対抗 せん と欲 す るも の
べし 。
は 之 だけ に ても鉄 道 敷 設 計画 上 其 の目 的 の 一半 を達 し たる も のとす
発 展 よ り も亦 多大 の利 益 を収 む るを 得 べく 、結 局彼 等 一派 にあ り て
北 鎮 に於 て現 に幾 多 の商 事機 関 を有 す る を 以 て、 此等 業 務 の自 然 的
主 た る呉 督 弁 以 下 は巨 利 を博 す る に至 るべ し 。其 の他 呉氏 一派 は松
随 つ て其 の地 価 は高 騰 す べく 、即 ち之 に依 り て同 市街 予定 地 の大地
第 一工 区 の鉄 道 開通 す る に至 ら ば松 北 鎮 の経 済 的 地位 忽 ち 昂 上 し、
之 を期 待 す るを得 べし 。右 予想 が果 し て事 実 とし て現 は る ゝ に於 て
方 に有 利 に向 ひ つ ゝあ るも のと察 せら る ゝ処 、労 農 側 が若 し本 鉄 道
は呼 海 鉄 道 の敷 設 計 画 は這 般 国際 的 紛争 の結 果 、 又 々行 悩 み の状態
此 等 の事情 よ り本 社 が第 一工区 の無償 建 設 は本線 計 画 者 を誘 引 し 、
る処 な り と雖 も 然 も之 が遂 行 上 亦多 大 の困難 に逢 着 す る こと を も覚
之 を的 確 に吾 が物 と なす に最 も 利 き 目 あ る条 件 た る こと 言 を俟 たざ
に陥 り遂 に実 行 不可 能 と な り 、結 局 現状 のま ゝ将 来 の懸 案 と し て持 越 さ る ゝ に至 る べき に非ざ る か。乍 去 日本 と し て は賓 黒 鉄 道 が露 国
悟 せざ る べ からず 。而 し て其第 一の難 関 は言 ふ ま でも な く労 農 側 の
の鉄 道 系 統 の 一部 と し て出 現 す るや否 や に依 て、満 蒙 乃 至 朝鮮 に於 け る帝 国 の利 害 に偉 大 な る影 響 を 及 ぼす 次 第 な れ ば 、本 問 題 を し て
一、鉄 道 材料 の輸 送 を拒 否 す る こと
妨 害 な り 。今 労 農 側 の妨 害 手段 と し て予 想 せ ら る ゝも のを挙 ぐ れ ば、
二 、露 亜 銀 行 と連 絡 し て抗 議 す る こと
永 く 未 解 決 のま ゝ に放 置 し 、露 国 を し て随 時 之 に乗 ず る の隙 を存 し
る呼 海 線 敷設 計 画 の擡 起 し た る機会 を逸 せず 、吾 は断 乎 た る 決 心 を
置 く こと は常 に不 安 の種 た る べき に付 、今 次 幸 いに賓 黒 線 の 一部 た
三 、吾 に対 す る直 接抗 議 並 吾 と の外交 談 判 に依 り て往 時 の如 き 鉄道
の三点 にあ り、 第 一の場 合 は斉 〓 鉄道 材 料 の輸 送 を拒 絶 し た る前例
勢 力 範 囲 の設 定 に努 む る こと
以 て根 本 的 に本 問 題 解 決 の端 緒 に着 く を必 要 と認 む 。
計 画 者 の多 く は鉄 道 本 来 の利 益 以 外 本計 画 を 利用 し て副 産 的 利得 に
の口実 も あ り た る こと な れば 、 東 支労 農 幹 部 が直 ち に之 を以 て南満 、
も あ るが 、右 は 一札免 公司 の引 込 線 た る と且 つ之 を拒 絶 す る に相 当
此 の見 地 よ り本 社 は 呼海 路 の敷 設 工事 に当 る を要 す 。而 も 本鉄 道
に喰 はす に好餌 を以 てす る を 必要 と な す 。今 具 体 的 に之 を述 ぶ れ ば 、
有 り つ かん と す る実情 な る に鑑 み、本 社 は先 づ之 に適 応 す べく彼 等
安 心 せら る べ き にあ らず 。而 し て愈東 支 が何 等 か の理 由 の下 に右材
か る べき も 、元 来 悪辣 隠 険 の手 段 に富 む労 農 幹 部 の事 な れば 決 し て
料 の輸 送 を拒 否 す る場 合 に於 ては 、本 冬 季 を 利 用 し て第 一区 工事材
東 支 聯 絡 輸 送 に よ る呼海 鉄 道 材 料 の輸 送 上 に適 用す る こと は万 之 な
本 社 は不 取 敢 之 に要 す る軌 条 及輪 転 材料 を無 償 に提 供 す る を条 件 と
料 の全 部 を馬 車 輸 送 す る の覚 悟 を 要 す 。尚 吉 長線 九 站 よ り松 花 江水
本 計 画 者 は松 北 鎮 (馬 家船 口) より 呼蘭 に至 る七拾 支 里 の第 一工 区
なし 、 而 し て呼 蘭 以 上 の線 区所 要 材 料 に関 し ては 相 当 な る条 件 を附
の土 工を 了 へ、 明年 解 氷 期 を待 ち 軌 条 を敷 設 せん と す る も のな れ ば 、
し以 て支 那 側 の本 鉄 道 建 設 を援 助 す る こと とす べ し 。
運 を利 用 し 材 料 を輸 送 す るも 一法 かと 考 へら る 。 第 二 の場 合 に於 て目下 労 農 政府 と露 亜 銀行 と の間 に は 、本 問 題 を 共 同 し て処 理 す べ き だけ 密 接 の関 係 な き を 以 て、 同銀 行 を表 面 に立 て有 力 な る抗 議 を為 す が如 き は到 底 望 み得 べ から ざ る こと と考 へら る 。唯 露 亜 銀 行 よ り の抗 議 は仮 に 八月 二 十 六 日附 を 以 て北 京 同 銀 行 支 店 よ り北 京 政 府 に提 出 せら れ た る こと にも あ れば 、 之 が推 移 は相
右 御参 考 迄 卑 見申 進 す 。
一 二
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正 十 四年 九 月 九 日
哈 調情 第 四五 四 号
大 打 撃 を 、〓 南 線 及 (東 方 通信 に よ れば) 今 次 決定 の賓 黒線 に対 し
九 月 八 日 の ノ ーウ オ スチ ・ヂ ーズ ニ紙 は社 説 に、支 那 側 が東 鉄 に
賓 黒 線 に関 す る件
意 志 あ る べし と は 思 は れず 、曾 つ て本 契 約 の締 結 者 た る ド ホ イ ヤ ー
て抗 議 を な さざ るを 不 可解 の現象 な りと し 、此 の満 洲 に於 け る新 鉄
当 注意 を要 す べ し 。但 し露 亜 銀行 は今 日 の処賓 黒 鉄道 を敷 設 す る の
が 小 職 に洩 ら せし 通 り 、同 銀 行 は契 約 金 と し て当 時 北 京 政府 に納 入
道 は来 る日露 及露 支 会議 の重 要問 題 と なら う 云 々、 と論 じ て居 る。
哈 爾 賓 事務 所 長
に異 議 な き こと と も考 へら る。 依 て愈 本 社 に於 て本 鉄 道 建 設 の事 に
一三
秘
然 も労 農 政府 が帝 政 時 代 の旧条 約 を破 棄 し且 他 国 の領 土 に勢 力 範 囲
画 を為 し、 結 氷前 に松 北鎮 呼 蘭 間 の鉄路 を修 築 し、 特産 出 廻 り に備
内起 工 の見 込 み な き為 、黒 竜江 督 軍 署陶 某 等 新 た に自動 車 運 転 の計
確 か なる筋 よ り聞 く 所 に依 れば 、 別項 所 報 の如 く 呼海 鉄 道 は今 年
呼 海鉄 道 の代 り に自 動 車 計 画
大 正 十 四年 九月 十 日
哈調 情 第 四 五 八号
せ る 五拾 万元 と 之 に相当 利 子 を附 し、 其 の返 還 を受 く る に於 て は別
当 ら ん と せば 前 例 に依 り 、正 金 銀 行 の名 に依 り右 金 額 を 同 銀 行 に返
第 三 の場 合 は最 も 必然 的 なる も 、斉 〓 鉄 道 に対 す る抗 議 と 同様 抗
戻 す る の手 段 を取 り、 以 て這 般 の抗議 を避 く べき こと 勿 論 な り 。
議 の理由 極 め て薄 弱 な れ ば 之を 拒 否 す る こと 必ず しも 難 事 にあ らず 。 唯 鉄 道 勢 力範 囲 の設 定 に関 す る交 渉 は 日 露国 交 恢 復 せ る今 日、 他 の
を設 定 す る こと を絶 対 に否 定 す る根 本的 政策 に鑑 み 、本 件 の提 議 に
問 題 とも自 ら関 連 し 一概 に之 を拒 絶 す る こと 或 は 困難 な る べき も 、
は幾 多 不 合 理 の点 を見 出 し 得 べく 、 吾 は 之 に依 りで巧 み に其 の交渉
へん と 画策 し居 れ り と の事 な り 。
一四
を避 く る の手 段 を講 ず べき な り 。尚 本 件鉄 道 を本 社 の力 に て敷 設 す る ことと す る も 、本 社 は出 来得 る限 り 表 面 に立 つを避 け 、場 合 に依
の注 文通 り に 工事 を請 負 はし む る が如 き も亦 一策 かと 思 考 せ ら る 。
り ては当 方 面 に最 も利 害 関 係 の薄 弱 な る独逸 商 会 等 を 引来 り 、本 社
哈 調情 第 四 三 二号 の 一 速 報
極秘
鉄 道 の権 利 株 を贈 与 す る条 件 を以 て之 を籠 絡 し 、其 の他 恐 ら く相 当
の贈 賄 も 行 は れ た るべ く 、是 等 搦 手 よ り の攻 撃 が功 を奏 し て八月 中
し て遂 に其 の認諾 を得 るに至 り しも の の様 であ る 。 此 の運 動 に参 加
旬 には 会 社 の組 織 、 総 弁 の任 命 等 は 張 作霖 の指 揮 を受 く るを 条件 と
哈 事 ・調 査 課
賓 黒 線 問 題 の経 緯
大 正 十 四年 九 月 十 六 日
言
二、 奉 天 に於 け る 呉督 軍 の画 策
せ るも のは督 軍 の外 李 黒 竜 江省 議 会 長 、程 同 省 政 務庁 長 、 傅 同省 商
一、 緒
三 、 哈爾 賓 に於 け る呉督 軍 の行 動
観 察 し た 。又 同 日 呉督 軍 は 東 支 管 理局 長 イ ワノ フと 会 見 し 、先 づ 予
爾 賓 に来 り、 翌 二十 一日該 鉄 道 の起 点 たる 哈爾 賓 の対 岸馬 家 船 口を
奉 天 に於 て鉄道 敷 設 の認 可 に成 功 す るや 、呉 督 軍 は 八 月 二十 日 哈
三、 哈 爾 賓 に於 け る呉督 軍 の活 動
務 会 々長 、 馮 同副 会 長 、 吉 呉督 軍 顧 問 等 で あ つて表 面 は黒 竜 江省 々 ︹二字不明︺ 議 会 、 工務 会 、農 務 会 、 商務 会 、□ □ 会 等 を発 起 と な し て居 る。
四 、 鉄道 敷 設 計 画 の概 要及 軌 隔 問 題
言 言
五 、 外 国 と の関 係 六、結 一、緒
て東 支 鉄 道 と の間 に話 の纒 れ る督軍 所 有 の炭 坑 (鶴 立 崗炭 坑 ?) 用
賓 黒 線 は 政治 、 軍 事 、 経 済 上重 要 の価 値 を有 し列 国 の着 目す る処
軌 条 の至 急 引 渡 を交 渉 せし 後 話 題 を賓 黒 線敷 設計 画 に転 じ穀 物 搬 出
鉄 道 に必要 な る軌条 約 二百 露 里 の供 給 方 を 交渉 せ る処 、 イ ワノ フは
に て従 来 屡 々其 の敷 設 を 目論 見 た るも のな り 。現 に黒 竜 江省 督 軍 呉
ざ る に至 つた 。然 る に去 る八 月 呉督 軍 は 奉 天 に於 け る巧 妙 な る運 動
地 方 経済 発展 の為 呉督 軍 の計 画 実 現 を援 助 せん こと を約 し た 。而 し
上 同鉄 道 の東 支 線 に対す る意 義 を説 き 、其 の援助 を求 む る と共 に同
の下 に遂 に張 作霖 を動 かし て鉄道 敷 設 を 認 諾 せ し め、 已 に江省 重 要
て黒 竜 江省 鉄 路 交 渉 局総 弁 馬 忠 駿 を 両者 の仲 介者 と す る こと に決 め
将 に着 手 せん と せ る も、 張 作霖 の反 対 に会 ひ て中 絶 す る の已む を 得
人 を網 羅 せ る鉄道 局幹 部 の任 命 を為 し実 現 の可能 性 を増 大 す る に至
たも の の様 で あ る。而 し て右 談 話 中 イ ワ ノ フは 呉督 軍 に対 し 、今 年
俊 陞 は曩 に大 正 十 三年 夏 頃露 商 スキデ ル スキ ーと の間 に契 約 を 結 び
つた 。今 其 の経緯 を略 述 す れ ば 次 の如 く であ る 。
中 に是 非 と も呼 蘭 に至 る ま で の建 設 を終 ら ん こと を慫 慂 し た る に督
の件 を 奉 天 に電 請 す べ く 、総 弁 任命 せ ら るれ ば契 約 調 印 の為貴 職 の
軍 は 是 に賛 同 し、 且 帰斉 後 可 成 く速 に総 弁 の任命 及 創 立 事 務所 開 設
二、 奉 天 に於 け る呉 督 軍 の画 策 奉 天 に於 て呉督 軍 が張 作 霖 よ り鉄 道 敷 設 の認 可 を得 る に至 りし 経
鉄 道 敷 設 の具 体 的 計 画 に就 て は尚 的確 の資 料 を 欠 くも のが あ る が、
四 、鉄 道 敷 設 計 画 の概 要 及 軌 幅 問題
来 斉 を 乞 ひ度 旨 を告 げ た と言 はれ る。
緯 に付 て は、 裏 面 に於 け る活 動 も あ る や に て其 の真 相 を 究 む る こと 稍 困 難 な る も大 体 に於 て、 最 初 (八 月上 旬 ) 呉督 軍 が広 信 公 司 の新 紙 幣 発 行 と共 に賓 黒 線敷 設 問 題 を提 議 せ る際 には 、張 作 霖 は是 に同 意 せざ り し為 、 呉督 軍 は張 の愛妻 第 五夫 人 及 び張 学 良 夫 人 等 に、 同
其 の概要 を摘記すれば左 の通り である。 同
外 二名 ( 計 五名 )
李
呉
廷
声
維
泰
樹
楡
恒
徳
周
来
督 弁 公署 秘 書 長 兼任
黒 竜 江 政務 庁 長兼 任
元同右
省 議 会議 長 兼 任
第 十 八師 長 代 理兼 任
参謀 長 兼任
同
梁
星
同
同
程
督 弁 公署 顧 問
同
張
呼 倫 道 尹兼 任
常
王
吉
りと言ふ。又全資金 の中 二百万元乃至 二百五十 万元は民間出資 の
確定せる建設区間 馬家船 口-海 倫間 の建設予算 は七百五十 万元な
同
省 議 会議 員 (省 長息 )
祥
事
董 事 長
名義 にて、奉黒両省有力者 の権利株 となすも のの様 である。而し 同
仁
董
て其 の残金 は黒竜江省 (広信公司)出資し、外資 は 一切入れぬと
仲
公称資本総額 は 一千万元 なるも のの如く、而して現在
一、会社 の名称 呼海鉄路局
称 して居 る ( 別説 には広信公司七割 、奉天辺業公司 三割 の比にて
張
来
二、資本金
幽資すと)
同
開
温 元 四〓鉄 路 技 師
財 政庁 よ り
広信公司より
一名
于
一名
同
同
同
呉督軍 の談 に依れば、先づ第 一年 目に馬家船口-綏化間を敷設
主 任技 師
三、建 設 工 程 し、其 の成績 に依り逐 次海倫 、墨爾根 に延長 せんとするも のの如
星 同
黒竜江省
警務処長
財務庁長
於 け る 行動 が前述 の如 く イ ワ ノ フと の間 に此 の問 題 に関 し 何等 か の
と 共 に我国 の利 害 に関 す る所 最 も 重大 にて 、而 かも 呉督 弁 の哈市 に
ヂ) と なす や、或 は露 式 の五 呎 二吋 とな す やは 、材 料 供給 者 の撰 定
本 鉄道 の軌 隔 を 一般 支 那 式 即 ち 四呎 八 吋 (スタ ンダ ー ド ・ゲ ー
五 、軌 幅 問 題
くであるが、 一般 に本年中に呼蘭迄六十支里開通せしめたい意思 を有し て居 る様 であ る。但し凍結期 に近づき つゝあ る事故、此 の 間 の土工 々事 を完成す る位で本年は終るかも知れ ぬ。
雲 崑
四、幹部 の顔触 張
桂
高
ら爾 後 の諸 情 報 を綜 合 す る にゲ ーヂ は支 那式 と し 、材 料 は恐 ら く満
理
鉄 よ り供 給 を受 く る事 にな る も のと判断 せら れ る 。 九月 三 日 呉督 軍
理
綏蘭道尹兼任
督
広信公司総弁兼任
総
同
黙契 あ る や の感 を 与 へた る為 、 一時 不安 の念 に満 た さ れた 。併 し乍
同
松北市政局長 廷
同
蔭
廷 震 興 仁
が斉 々哈 爾 公 所長 に対 し て ﹁先 日東 支 よ り材 料 及資 金 の提 供 方 を申
趙 常
し出 でた る も極 力之 を拒 絶 し 、材 料 は満 鉄 に依頼 す る こと と し 、温
理 張
第十八師参謀長兼任
協 理
督弁公署副官長兼任
同 監
濤
主 任技 師 哈 市 着 の上具 体 的 方 針 を決 定 し 正式 に交渉 を開 始 す べ し﹂
屏
南
黒竜江省鉄路交渉局総弁兼任
王 王
忠 駿
査
馬
監 同 同
ー等 赤 系 露 人 と関 係 を有 す る 人士 を幹 部 中 に置 き あ る が如 き 、大 い
あ る 。殊 に馬忠 駿 の如 き 従来 よ り本 鉄道 の敷 設 に関 し スキデ ル スキ
し て安 心 す べき で は なく 、 我 が方 の 一致 せ る努 力 を要 す る事 勿 論 で
であ る 。然 れ 共老 獪 な る呉 督 軍 の事 故 、愈 正式 に決 定 を見 る迄 は 決
と語 れ る こと 、其 の他 最 近 に於 け る幹 部連 の言 は 其 の証 実 とす べき
るは 前述 の如 く であ る 。
あ れ ば如 何 様 にも変 節 す べく 、唯 一片 の口実 を以 て安 んず る能 はざ
払 ひた る感 あ るも 、利 己 第 一主 義 の彼 及 其 の 一味 の事 故 、 他 の誘 惑
受 け る も のの様 で、哈 市 に於 け る呉督 軍 の行 動 より 生 じ た る疑惑 を
国 の鉄道 と し て スタ ンダ ード ・ゲ ー ジを 採用 し 、材 料 も亦 満 鉄 よ り
思 はし め る 。今 や最 近 に於 け る彼 及鉄 路 局 幹部 の言 動 に依 れば 、自
即 ち 我 国 が支 那 を後 援 し て〓 斉 線 其 の他 の諸 線 を敷 設 せし め、 北
と を観 取 す るを得 る 。
現時 北 満 に於 て は明 ら かに 日、 露 の鉄 道 競 争 時代 に 入 つ て居 る こ
に戒 心 を要 す る も のが あ る。 五 、外 国 と の関 係 今 回 の賓黒 線 問 題 に付 ては現 在 ま でに は露 国 以 外 の諸 列 強 は尚 多 く 其 の態 度 を明 ら か にし て居 な い。唯 仏 国 を背景 と す る露 亜 銀行 は 八 月 末頃 北京 に於 て抗議 を申 込 ん だ 。 又露 国 側 が材 料 供 給 を請 負 ふ
し露 国 も 亦 支那 側 を し て東 支 幹 線 と主 要 穀 産 地 と を連 ぬる数 多 の支
満 の開 発 を 捉 す と共 に、 其 の産 物 の南 方 吸収 策 を樹 て んと す る に対
状 態 よ り し て大 規 模 の鉄 道 建 設 には応 援 し得ず とす る も 、現 に沿線
線 政 策参 照)。素 よ り東 支 鉄 道 及 其 の背 景 の労農 露 国 も 現 下 の 財 政
線 を建 設 せ し め、 東 支線 の培 養 に資 せ ん とし て居 る (東 支鉄 道 の支
今 回 の呼 海 鉄 道 局 の創 立 は可 な り秘 密裡 に談 判 を進 捗 せ し め、 突
の炭 坑 、森 林 経 営 用 と し て有 す る 支線 の総 延 長 は 三四 〇露 里 以 上 に
言
如其 の成 立 を 公 け に し た観 があ る 。現 に其 の張 本 人 た る 呉督弁 は八
達 し 、其 の大 半 は 之 を他 に転 用 し得 ら れ る ので あ る。 此 の外 幹 線鉄
六 、結
場 合 に は米 国 より供 給 せし む ると の情 報 も あ る が 、尚 探究 を要 す る。
月 一日斉 々哈爾 公所 長 の質 問 に 対し 、 言 下 に之 を 否 定 し て居 る の に
露 里 )全 線 の需要 に応 ず るが如 き易 々た るも のであ ら う 。而 し て石
道 自身 の所 有 す る古 軌 条 等 を 流 用 す れば 呼海 線 (所 要軌 条 約 二〇〇
扶線 の建 設 に対 し露 国 側 が軌条 、枕 木 の無償 提 供 を 唱 へ居 るが 、呼
は 八月 十 四 日頃 奉 天 公 所 長 に対 し ﹁此 の問 題 は未 だ張 上将 軍 の承 認 を経 ざ る のみ な らず 、 自 分 よ り言 ひ出 す こと は可 成之 を避 け 陰 暦 八
拘 らず 、 同 月 上旬 出 奉 後 直 ち に張 作 霖 に交 渉 を開 始 し て居 る 。又彼
の機 会 に出願 せ しむ る方 針 な り 云 々﹂ と言 ひ乍 ら 、 八 月 二十 日 に は
月十 七 日 ( 新 暦 十 月 四日 ) 母 の葬 式 に各 機 関 列 席 す る筈 な れば 、其
の会 見 等 を な し て居 る。 斯 く邦 人 中彼 の最 も〓 懇 な 人 々に対 し て す
の出 様 一つ では満 鉄 側 と の交渉 は縦 令初 む るも 之 を打 ち切 り 、露 国
融 通 す る を以 て有 利 なり と す る観 念 を 以 て居 る者 が あ る故 、露 国 側
る 。 又支 那 人 中 に は呼 海 線 は露 国 式 軌 幅 と なし 置 き 、東 支 の材 料 を
力 鉄道 たら し む る為 には 、 石扶 線 以上 の犠牲 を払 ふ べ き は当 然 であ
海 線 は露 国 に取 り ても 最 も 重要 の価 値 を 有 す る以 上 、之 を自 国 の勢
ら真 情 を打 ち開 けざ り し原 因 に就 ては確 知 す るを得 ざ るも 、 其処 に
已 に認 可 を受 け て哈 爾 賓 に来 り 、発 起 点停 車 場 の視 察 、 イ ワ ノ フと
何 等 か邦 人 に予 知 せら る ゝを欲 せざ る事 柄 の有 り し に あら ざ る や を
以 て、 我 が 当事 者 を支 持 応 援 す べ き で あ る。而 し て是 が実 現 の方策
の勝 敗 を決 し延 い て北 満 に於 け る両 国 勢 力 の運命 を決 す る実 に国 策
と し ては 先 づ支 那 国内 鉄 道 の軌幅 統 一の要 を高 唱 し 、材 料 の供給 に
遂 行 上 の 一大 問 題 であ る 。国 家 は宜 しく 之 を洞 察 し断 乎 た る決意 を
賓黒 線 は露 亜 、正 金 間 の契 約 以来 我 国 の関 係 し て居 る鉄 道 線 であ
就 ては露 国 側 の為 さん と す る所 より 一層 有 利 の条 件 を提 供 す る の覚
の材料 と露 国式 軌 幅 に依 り て建 設 され る と も限 ら ぬ状 態 にあ ると言
る。 又本 鉄 道 が スタ ンダ ード ・ゲ ージ と な れば 必 ず や 東 支南 線 の軌
ひ得る。
幅 改 修 問題 が起 るべく 、又 一方 昂斉 線 の斉 々哈爾 進 出 を 容 易 なら し
一四 ・九 ・一五 爾
賓
斉
々
哈
る事 も注 意 と利 用 を怠 ら ざ る べ きは 敢 て贅 言 を要 せ ぬ。
悟 を要 す る 。 又支 那 側首 脳 者 が眼 中 国家 なく し て私 欲 に充 さ れ て居
至
其の 一
哈
斯 く 観 じ来 れば 本鉄 道 を我 が勢 力線 と為 す と否 と は、 日露鉄 道 戦
一四 ・八 ・ 一 他)
爾
む る。
自 奉
天 (其
賓 黒線 問 題 重要 事 件 暦 日輯
場所
呼 海 線 布 設 に関 す る公 所 長 の質 問 に対 し呉 督 軍 は言 下 に否定 す 。
月 日 八、 一
認 可 を 得 た る旨 督 軍署 に来 電 。
在 奉 呉 督 軍 より 呼 海線 は奉 天 当 局 より
呉督 軍 鎌 田 公 所長 に対 し 呼海 線 の 一般
八、 一 三
八、 一四
を 云 ふ。 但 し 正式 出 願 は 旧 八 月十 七 日
計 画 を語 り 材 料 は満 鉄 よ り購 入す べ き
呉 督 軍奉 天 より来 る 。
に為 さむ と 言 ふ。 八、 二〇
呉 督 軍馬 家 船 口 予 定停 車 場 敷 地 を 偵察 す 。 呉督 軍 イ ワ ノ フ局 長 と会 合 、 鉄道
八、 二 一
材 料 供給 に付 き 懇 談 す 。
八 、 二五
一
八、 二六
八 、 三一
九 、
九、 三
九、 九 九、 一三
九 、 一四
(北京 ) 露 亜 銀 行北 京 政 府 に対 し抗 議 を 申込 む 。
楊 宇霆 呉 督 軍 宛 材 料 を 日本 よ り 購 入 の 呼 海 鉄 路 局事 務 開 始 。 勧 誘電 を発 す 。
グ ラ ンド総 領 事 斉 々哈爾 に向 ふ 。
グ ラ ンド帰 哈
輜 重 兵 二百 を 馬 家船 口 に送 る。
呼海鉄路局最高幹部任命
カ ラ ハ ン帰 露 の為、 通 過 の際呉 督 軍出 迎ふ。
呉督 軍 早 川 公 所 長 に 対し 東 支 より の申
込 を拒 絶 せ る旨 及満 鉄 より 材料 を 受 く
べ き旨 言 明 す 。
温技 師長 、 早 川 公所 長 と 会 見、 材 料購
入 に関 し打 合 を 為 す。
大 正十 四年九月二十四日
呼海鉄道用枕木入札募集 (大正十
賓黒 線 の敷設 は端なく日露鉄道競争 を白熱点 に導 かんとし て居 る。
四年九月二十三日東三省商報)
すべし。入札期間 は十月三日を以 て締切りとし、翌十月四日正午本
局に出頭し、枕木 に関す る尺寸説明書及規則書 を受領 し然る上入札
木商 にし て入札希望者は松 北鎮 (江北馬家船 口)なる呼海鉄路 工程
んとし毎回五万本 、五回 に亘 つて入札 の事に決定せり。右 に就 き材
黒竜江省呼海鉄路 工程局は目下鉄道用枕木 二十五万本 を手に入れ
露国は今尚復興 の道程 にある。我国が北満 の支配権 を掌握するは正
哈爾賓事務所長
に此 の機 で在 る。茲 に再 び国家 の 一大決意を促して擱筆する ( 神田 正雄嘱託 ) 一五 哈調情第 五〇〇号 速報
工程 局 に於 て開 票 す 。 ( 山根)
一六
哈 爾賓 事 務 所 長
哈 調 情 第 五〇 九 号速 報 ( 新聞) 大 正 十 四年 九 月 二 十 五 日 満 鉄 、 呼 海鉄 道 を窺 ふ 本 日 当 地 の哈 爾賓 晨 光 は ﹁満 鉄窺 探 呼 海路 ﹂ と題 し て、 左 の記 事 を掲 げ 居 れ り 。 呼 海 線問 題 解 決後 大連 満 鉄 会 社 は大 い に之 を妬 視 し、 本 線敷 設 の 暁 拝泉 、克 山 地 方 の特 産物 は〓 斉線 への吸 収 困難 と なり 、 其 の影 響 尠 からざ る を知 り 、該 社 は早 川 正雄 を斉 々哈 爾 に駐 在 せし め て随 時 偵 察 を為 さ し め居 た る が如 何 せん 、其 の人 格 と 地位 の関 係 上 其 の陳
呼 海 線 着 々進 行 (九 月 二十 六 日各 漢字 新 聞 )
大 正 十 四年 九 月 二十 六 日
黒 竜 江省 当 局 呼海 線 を 計 画 し てよ り日 已 に久 し 。 呉督弁 は 奉 天上
将 軍 の許 可 を得 て、高 雲 崑 氏 を 本 鉄路 の総 理 と為 し 、新 た に本 線弁
理 事 務所 を設 置 し 、 又温 継 湘 氏 を 挙げ て技 師長 に任命 し以 て建 設 工
程 を 籌 画す る等着 々進 行 し つ ゝあ り 。又 敷設 に要 す る測 量 機械 (儀
に運 ば れ更 に呼蘭 に輸送 せら れ て工事 開 始 の用 意 は 万端 整 へり 。
器 ) 及経 験 深 き 人員 を 四〓 鉄 路 よ り借 受 け 、測 量 機械 は巳 に哈爾 賓
一八
哈爾賓事務所長 大 正 十 四年 九 月 二十 九 日
哈 調 情 第 五 一九 号
れば 遂 に本 社 理 事 入 江 海平 並 に奉 天公 所 長 鎌 田弥 助 を派 遣 し 、同 氏
を煽 ら し め 以 て巨 利 を博 せ んと す る に あ り、 と 云 へら れ居 るが果 せ
呼 海 線敷 設 計 画 は元 来 呉 督弁 が之 を好 餌 に江北 一帯 の地価 の昂 騰
松 北鎮 地 価高 騰 に関 す る件
等 貴 重 な る贈 物 を携 帯 し て、 本 月 十 二 日哈 爾 賓 を経 由 斉 々哈 爾 に赴
る哉 、本 日 の当 地 一、 二漢 字 新 聞 は早 く も 同 地方 地 価 の非 常 な る昂
述 報 告 す る所 は虚 実 相 半 し、 情 報 は之 こと ご と く閉 門 造 作 す る所 な
き 、機 を見 て ﹁満 鉄 は 呼海 鉄 道 に対 し材 料 、 金 円 凡 て尽 力 賛 助 を惜
の高 価 を呼 ぶ に至 れ り 云 々﹂ (山 根 )
前 に四 方 丈 四、 五 百元 に過 ぎ ざ り し も の が、今 日 に於 て已 に 一千元
て該 地域 を購 買 し 以 て巨 利 を 博 せん とし 、為 に地 価 は忽 ち昂 騰 し て
一般 投 機 者流 は江 北停 車 場 附 近 が最 も有 望 な り 、と 見做 し先 を競 つ
﹁呼 海 線敷 設 は 已 に宣 伝 よ り更 に進 み て事実 とな れ り 。茲 に於 て
騰 を 報 じ て曰く 、
今 其 の結 果 を聞 く に甚 だ円 満 に し て、 彼 は 毎 日応 待 挨 拶 に努 め、
ま ず 、 以 て 日支 経 済 の提 携 実 現 を希 望 し度 き ﹂旨 申 込 めり 。
一七
速報
哈爾 賓事 務 所 長
十 六 日 に至 り各 機 関 を訪 ひ懇 に辞去 せ り、 と 言 ふ 。
哈 調情 第 五 一二号
哈 調 情第 五 六三 号
一九
速報
哈 爾 賓事 務 所 長
呼 海 線 路 警 を配 備 す (十 月 八 日浜 江 時報 )
大 正 十 四年 十 月 八 日
呼 海線 高 総弁 は予 定線 の実 地 測量 に当 り不 慮 の変 に備 ふ る為 、当
二〇
速報
哈 爾 賓 事務 所 長
局 に対 し 二 十名 の警官 派 遣 方 を 求 め既 に其 の用意 成 れ り、 と 。
哈 調 情第 五 六七 号 大 正 十 四 年十 月 十 日
哈 調 情第 五六 八 号
二 一
速報
哈 爾 賓事 務 所 長
呼海 線 開 通 せば 哈爾 賓 衰 微 せ ん ( 十 月 十 日松 江 日報 )
大 正 十 四年 十 月 十 日
吾 人 の日夜 希 望 し てや まざ りし 呼海 線 は今 や 已 に起 工せ ら れん と
し つ ゝあ り 、将 来 本 線開 通 の暁 は 哈爾 賓 の市 況 は交 通 の便 利 に伴 ひ
日 に発 展 す べ きも のと予 想 され つ ゝあ り し が、 只茲 に商 界 の某 耆宿
は大 いに然 らず と 為 せり 。即 ち 呼海 線 の敷 設 は 一日遅 け れ ば浜 江 の
市 況 は 尚 一日 を維 持 し得 べ し、 若 し本 線 の開 通 を見 ん か、浜 江 の勢
ひ は 日 に必ず 衰 微 せ ん。蓋 し当 地 金融 の逼 迫 は 夙 に終 点 に達 す 。只
頼 む 所 は 特 産 の出 入 に在 り 、年 来 冬 期 江北 に於 ては特 産 市場 を設 け 、
赴 奉 の使 命 は 、賓 黒 鉄 道敷 設 契 約 問 題 に関 す る露 亜 銀 行 と支 那 当 局
十 月 十 日当 地新 聞 ザ リ ヤ紙 の報 ず る処 に拠 れば 、 ホ ルワ ツ ト及 オ
悉 く断 絶 せら れ 、啻 に市 面 経済 上 の打 撃 に止 らず 、 一般 に甚大 の影
鎮 よ り輸 出 す る に至 る べし 。茲 に於 て江省 よ り浜 江 に到 る の財 源 は
産 出 の特 産 物 は税 捐 減 少 し 、手 続 は簡便 と な るを 以 て勢 ひ必ず 松 北
浜 江 は為 に巨 大 の影 響 を蒙 り来 れり 。将 来 本 線 開 通 せん か黒竜 江 省
間 の懸 案 を 解決 す る にあ り 、 と の事 であ る 。即 ち 最 近 奉天 官 権 に於
べ し 云 々。
響 を受 く る や必然 な り 。而 て国 家 と地 方 税 捐 も亦 絶大 の減 収 を来 す
奉 天 に於 け る ホ ル ワツ ト及 オ スト ロウ モフ の使 命
て移 民 奨 励 の関 係 上該 鉄 道敷 設 の必 要 を 認 め 、目 下起 点 た る松 北 鎮
の経 済家 に質 す 。
二二
記 者 思 ふ に、 此 の言甚 だ価値 あ りと 認 む る を以 て茲 に掲 げ 以 て世
を松 浦 と 改 称 し 、将 に着 手 せ ん とせ る折 柄露 亜 銀 行 は之 が敷 設 権 利 を主 張 し 、 北京 及奉 天 に請願 し た。 而 し て目 下奉 天 に於 て該 問 題 の 協 議 が行 はれ 居 り 、 ホ ル ワツ ト之 に参 加 し専 ら露 亜 銀 行側 の利 益 を 主張 し、 オは 鉄 道 専門 家 と し て支那 官 権 のた め招 致 さ れた も のであ る 、 と。
哈調情第 五八九号 速報 大正十四年十月十九日
哈爾賓事務所長
呼海線 に関す る新聞記事 九月十七日ザリヤ紙は、賓黒線 の敷設権 は露亜銀行にあるに拘ら ず 、奉天官憲は既 に凡 ての外交関係 は解決 せるも のとし自 ら之を敷 設 するに決し、先づ第 一期事業として松浦︱海倫間二七〇哩 の敷設 に着手 し、之 に要 する資金は官民より募集し、技師は日本人及其 の 他外国人を使用すべく、ゲ ージは支那国有鉄道 と同じゲ ージにす べ き ことを決定 した、と記載 してゐる。 二三 哈爾賓事務所長
大正十四年十月十九日
哈調情第五九 一号 呼海鉄路総務課長任命
今 回呼海鉄路総務課長 に呉家〓 (号玉如、安徽 の人)氏が任命さ
哈爾賓事務所長
れた。氏 は前 に黒竜 江省鉄路交渉 局に科長兼秘書 たりし人である。 二四 哈調情第 六〇三号 速報
呼海線 の土 工事 (十月 二十 日松 江日報、晨 光報)
大正十四年十月 二十日 呼海線 の内馬家船 口より呼蘭県 の東関迄 は測量 の結果 六十 二支里
あ り、 沿線 平 坦 にし て丘陵 、 河 川 な し 。此 の間 全 線 土 工 は董 事 会議
にし て、 正 式契 約 は已 に結 ば れ目 下 工 夫 を募 集 し つ ゝあり 、来 る二
員 呂 尊 三 (呂泰 、露 亜 銀 行 の買 弁 ) 請 負 、十 一月 二十 日竣 工 の予 定
哈爾 賓 事 務 所 長
二五
十 五 日 よ り工 作 を開 始 す 、 と言 ふ 。(山 根 )
哈 調 情 第 六 二 七号
呼 海線 松 浦 駅 予 定 地再 び変 更 か
大 正 十 四年 十月 二十 六 日
曩 に呉 俊陞 氏 は母 堂葬 儀 の為 来 哈 し 、呼 海 線松 浦 駅 予 定 地 を決 定
し帰 鄭 せる は 既報 の如 く な る が、 同 氏 の決 定 せる予 定 地 は 地勢 上 は
兎 も角 、松 浦 繁 栄策 の見 地 よ りす れば 如 何 か と思 は る ゝ節 も あ り、
各 方面 に於 て多 少反 対 の模 様 な り し が、這 般 貴 紳 増 子固 氏 は 新 しく
の西 地 点 とす る事 に決 せら る ゝ様 請 願 し、 其 の請 願 を得 た る由 な り 。
赴 奉 し張 総 師 と会 見 し 、其 の不便 な る点 を 縷述 し、 新 た に振 業市 場
同 地 点 は曩 に呉 氏 の決 定 せ る地 点 の約 一哩 東 方 ( 別 図 参照 ) に当 り 、
呉 氏 所 有 土 地 とも 近 接 し居 る を以 て、呉 氏 も 同意 せ る由 にて愈 同 地
二六
秘
哈 爾 賓事 務 所 長
尚 増 子固 氏 は振 業 市 場 の大 資 本 主 な り 。
点 に決 定 せ り 、と 伝 へら る 。
哈 調情 第 六 七 三 号
大 正 十 四 年 十 一月 四 日 呼 海線 工事 進 捗 情 況 呼 海 線 の工 事進 捗 情 況 に就 き本 月 三 日 村 辺調 査 課員 の実 査 した る
尚 此 の外 に松浦 総 駅 予 定 地 よ り東 支 本 線 に向 つ て支 線 を 出 し、 鉄
先 に呉督 軍 が赴 奉 す る に当 り当 地広 信 公 司 よ り 二百 万元 を引 出 し
橋 の北 に於 て連絡 す る方 針 であ る 。(図 参 照)
有 様 であ り 、 工程 局 三十 余 名 の職員 が忙 はし く仕 事 を し て居 るか ら
為 工 事 の中 心を 命 じ た等 の噂 が あ つた が、 目下 の実状 は上 述 の如 き
て行 つた が 、此 の金 は呼 海 線 工事 資 金 で あ つた と か、南 支 の騒擾 の
呼海 線 は新 聞 紙 の報 ず るが 如 く去 月 二十 五 日以 降 土 工 を開 始 し 、
処 、 左 の如 し 。
目 下苦 力 五百 四 十 名余 を督 励 し 昼夜 工事 を 急 いで居 る。起 工 地 は東
工と いふ処 迄 漕 ぎ つけ る か は疑 問 であ る 。
遅 く と も 今年 中 には 何 と か かた を 付 け る つも り らし いが 、果 し て竣
哈爾 賓 事 務 所 長
支 引込 線 松 北 站 の西南 隣 接 地 点 であ つ て、其 処 に臨 時 駅 を設 け苦 力
二七
速報
海 線 敷 設 に関 し省 当 局 は大 連 な る 日本 満 鉄 に対 し機 関車 、鉄 軌等 鉄
本 月 二 十 二 日 の哈 爾賓 晨 光 報 は 黒竜 江省 城 よ り の来 信 とし て、呼
呼 海線 と満 鉄 と の関 係 世 間 に周知 せら る
大 正 十 四年 十 一月 二十 五 日
哈 調 情 第 七 四 一号
収 容 小屋 を建 て ゝ居 る 。其 処 から 正北 に向 つて約 四 粁 程路 盤 が進 捗 し て居 る 。路 面 は起 工 地点 附 近 にて高 さ平 地 よ り約 一米突 三 分 の 二
辺 駅 予定 地迄 は 三 粁 八百 程 にな つて居 る。呼 蘭 東 門 迄 の予 定線 全 距
幅 二米 突 余 であ る。臨 時 駅 から 呼蘭 河 岸 迄 は 十 四粁 、 松花 江岸 の江
離 は 二十 二粁 強 であ る 。臨 時 駅 から三 粁 、 七粁 、十 二粁 の距 離 に あ る 三 地点 に木 橋 を 架設 す る筈 であ る 。呼 蘭 河 を横 断 す る長 さ 四百 米 突 の橋 梁 も木 造 と す る事 とな つ て居 る 。此 の全線 の間 に三 〇 カ ーブ が あ る 。 一帯 に地 勢 は低 い方 であ る か ら盛 土 は出 来 る限 り高 くす る
き運 動 中 であ り、 工事 は 明年 春 暖 の期 を俟 つ て積 極 的進 行 の手筈 な
道 敷 設 諸 材 料購 入 の契約 を結 び、 目 下之 が輸 送 途中 の各 免 税 方 に就
可 き で あ り橋 梁 、 カ ーブ 等 も 其 の関 係 から 来 て居 る。 松 北站 の東 方 に殖 産 公司 の持 家 が あ り、 苦 力 の 一部 は其 の中 に収
り 、 と書 き 立 て ゝ居 る 。
容 され て居 る が、 将来 は同 所 に機 関庫 を設 け る事 に な り臨 時 駅 か ら 支 線 を つけ る 。臨 時 駅 の北 方 から 支線 を出 し 松 北站 と も連 絡 を と る
松 浦 総 駅 は曩 に報 告 し た呉 俊 陞 の指 定 地点 に決 定 し て は居 るが 、
筈。
振 業 市 場 の東 北 地 点 にせ よ 、 と の奉 天 の希 望 (曾 子固 の運 動 ) の為 、
る。
目 下 行 悩 み の状 態 に あり 、 其 の為 臨 時 駅 か ら起 工 し て居 る次 第 であ
一二
一
大 正 十 四 年 一月十 一日
二
哈 爾 賓 事務 所 長 大 正十 四 年 一月十 三 日
哈 調交 第 二五 六 号
松花 江航 運問 題 並東 三省交 通関 係 諸件
秘
北京公所長
北 公 情 秘 二四 第 三 二号 の 一四
督 弁 公 署 は 之 を廃 止 す る こと に張 氏 及葉 総 長 と の間 に談 合 成 り た
た も のを 抄 訳 し た も の であ る 。在 松 花 江 の支 那 河川 船 隊 が昨 年 始
本 文 は 束 支 経済 週報 第 四 七、 八 、第 五 一、 二号 に連載 し てあ つ
一九 二四年 に於 け る松 花江 航 運 の概 観 と本年 の予想
る も、 張 氏 帰奉 の上発 表 す る こ とと な り た る由 ( 程 式 峻 氏 談 )。尚
四 〓鉄 路 幹 部 に関 す る件
四〓 局 長 は 現 任盧 局長 そ のま ま任 命 の こと とな り 居 れ る が其 の間葉
の航 運 史 上 に重大 な紀 念 を標 し た年 で あ る だけ 、其 の航 業 状 態 の
如 き も常 規 を逸 し た も のが多 か つ た。本 文 に よる と支 那 は尚 近 い
め て江 上 に独 立 し 、露 西 亜 人系 の船 舶 が停 船 し た 、と 言 ふ松 花 江
其 の趣 を 異 にし如 斯 出 金 は 一切 局 長 限 り に て為 し 得 る と ころ にあ ら
総長 より 盧 局 長 に対 し 要金 の相 談 中 な る も、 四 〓鉄 路 は他 の鉄 道 と
ず 、 各 方 面 の交 渉 を重 ね た る が困 難 な る に付 、 盧 局長 自 身 出 金 にて
あ る と論 議 され て を る。
将 来 に於 て さ へ松 花 江 の航 運 を単 独 で行 ふ こと は絶 対 に不可 能 で
言
鉄道 建 設 当 時 迄 は僅 か に大 型 戎克 の江 上 を運 行 す る に過 ぎ な か つ た。
松 花 江上 に支 那 河川 船 隊 が出 現 し た のは極 く最 近 のこと で 、東 清
一、 緒
も 其 の位 置 を保 た れ たし と運 動 し つ つあ り、 盧 局 長 は不 日再 来 の旨 を 申越 し 、 天津 に赴 き張 使 と会 見 の上奉 天 に赴 き た る に非 ざ る や と 思 は る。因 に盧 局 長 の任 命 は 一月 九 日交 通 公 報 に十 二月 三 十 一日附 を 以 て正式 発表 せり 。
年 夏 始 め て支 那 は 蒸 汽 船 を浮 べた 。其 の後 支 那 河 川船 隊 の勢 力 は漸
松 花 江 上 に露 西 亜 の汽 船 が輻 輳 し 始 め る と之 に刺戟 さ れ て 一九 一二
貨 物 は此 の時 期 が最 も出 廻 り が殺 到 し た 。
減 水 と秋 期 後 半期 の減 水 と が著 し い水 深 の差 を 与 へた から であ る が、
て大 体 に於 て平 準 (平 水面 ) 以 下 であ る 。之 が 主因 は春 期 前半 期 の
が、 支那 河川 船 隊 は よ く動 いた 。東 支 八区 入 江及 埠 頭 を 見 る に 一昨
前 述 の如 く昨 年 度 の開 河 期 間 は減 水 で航 行 は比 較 的 困難 であ つた
三 、貨 物 出 廻状 況
次 世 間 に認 め ら れ、 超 え て 一九 二四年 に至 り突 猪 と し て在 松 花 江 の
年 度 の航 行 は 支那 河川 船 隊 と し て は忘 れ難 い記 念 す べき年 で ある 。
年 度 より は成 績 は良 か つた 。然 し 松花 江 上を支 那 河川 船 隊 が独 占 し
露 西 亜 人 系 統 の船 舶 を 威 圧 し て江 上 に覇 を唱 ふ る に至 つた 。実 に同
であ る か ら であ る 。是 は即 ち露 西亜 汽 船 の松花 江航 行 禁 止問 題 と 相
そ れ は外 観 上 支 那 河川 船 隊 が松 花 江 上 に於 て独 立 自 由 航行 を した年
て モノポ リ し て了 つた関 係 上船 賃 の如 き滅 法 に高 騰 し て了 つた 。
︹ 次頁表参照︺
も常 規 を 逸 し て ゐ た かを知 る こ と が出 来 る。
左 に示 す 運賃 表 から し て如 何 に本年 度 の船賃 に高 低 があ つて、 而
俟 つて永 く記 憶 す べ き特 筆 の事 件 で あ る。 二 、 一九 二四年 度 の松 花 江 の水 深 量
註 、第 一期 四 月十 五 日︱ 六月 十 五 日 、第 二期 六 月十 五 日︱ 七 月十
昨 年 度 の松 花 江 川筋 物 の出 廻 りは例 年 よ りも 幾 分 の減 退 であ る 。
を除 き 余 り大 き くは な か つた 。松 花 江 の船 舶 が江 上 を航 行 す る に就
腹 の不 足 は 、例 年 な ら ば其 の前 年度 物 の輸 送 は其 の年 の七 月下 旬 迄
旺 盛 を極 め る為 に木材 の輸 送 に応 じ 切 れず 、加 之 支 那 河川 船 隊 の船
少 常例 を破 つ て居 る 。最 初 開 河 と共 に 一、 二 ケ月 の間 は穀 物 の輸送
な ると き は下 落 す る が順 序 であ る が、 昨 年度 の運 賃 は前 述 の如 く多
運賃 高 率 とな る 。之 に尚 貨物 の出 廻 り忙 し いと き は 運賃 上 り 、 閑散
出 し た も の で、水 深 大 な る時 は運 賃 低 廉 にし て水深 浅 くな ると き は
下落 し て居 る 。蓋 し総 て松 花 江 の船 運賃 は三 姓 浅瀬 の水 深量 か ら割
前 表 を 通ず る に第 二 、第 四期 は 運賃 高 騰 し 第 一、 第 三 期 は 比較 的
は 寸 当 り仙
一月 五 日 ︹ クーポ︺ 単位 、穀 物 、 雑貨 の運 賃 は 布度 当 り仙 、薪 は估 板 当 り元 、 木材
五 日 、第 三 期 七月 十 五 日︱ 九月 十 五 日 、第 四 期 九 月十 五 日︱ 十
尤 も運 航 と最 も密 接 な 関係 のあ る三姓 浅瀬 の水 深 は 前半 期 の航行 期
一九 二 三、 一九 二 四年 両 年 度 の三姓 浅瀬 の水深 表 を示 せば 左 の如
て常 に苦 労 す る のは 三姓 浅瀬 の水 深 であ る 。
くである。
右 表 に拠 ると、 一九二四年度 の三姓浅瀬 の水深量 は開河期を通じ
には終 つて しま う筈 のも のが 八 月中 旬 に至 り辛 う じ て大 体 の決 済 が
の購 買 力 の衰 微 を 物語 る も の であ る 。
位 減 退 し て居 る 。之 は 一九 二 三年 度 の穀 物 の不作 よ り し て地 方 農 民
筏 に組 ん で哈 爾 賓 に輸 送 す る も のす ら 生ず る に至 つ た。斯 かる異 例
に、松 花 江 の航 運 を支 那 が単 独 で行 ふ事 は近 い将 来 に於 て望 む事 は
支那 河川 船 隊 と し て最 も記 念 す べ き昨 年 度 の航 運 業 の跡 を顧 み る
四 、船 舶 営 業
つき 、木 材 の輸 送 を 引受 け る時 と な つて減 水 に遭 遇 し、 之 が 為昨 年
の川 物 輸 送 の結 果 は輸 出 商 が資 金 を 永 く寝 か さね ば な ら ぬ こと と な
が あ ると 力味 返 つた 戊 通 公司 を見 る に、最 も 肝 心 な松 花 江 の穀 物 輸
出 来 ぬ。 一九 二 四年度 の開 河 に際 し 千 五百 万 布度 位 は輸 送 す る能 力
度 木 材 の哈爾 賓 未 搬 入 のも の五 〇 % 、約 四百 万 布度 内外 に達 し 一部
り多 大 の欠 損 を招 致 し て、 一九 二五 年 度 の事 業 を已 む な く縮 少 せね
ら支 払 ふ、 と 言 ふ呑 気 な 約束 を し た。
の如 き 半 分 だ け支 給 し 、 残 り半 額 は 一九 二五 年 度 の事 業 予算 収 入 か
た が、 之 は総 て債 務 の埋 合 せ に消 え て了 つた。 そ し て從 業員 の給 料
え てし た 。同 公 司 の船 舶営 業 収 入 は 一昨 年 度 よ り は無 論多 額 に上 つ
送 に配 船 せず に 二箇 月 も徒 費 し て黒竜 江 の川 薪 を運 ぶ が如 き愚 を 敢
ば ら ぬ こと と な つた 。九 月 以後 新 出 廻 穀 物 の輸 送 を開 始 し た が、 尚 契 約 未 履 行 のも の百 万布 度 内 外 に達 し た 。
三 、 五 三九 、 一 一九
一〇 、 八 二五 、 九 三六
昨 年 度 哈 爾 賓 に搬 入 さ れ た穀物 、木 材 類 の数量 は 左 の通 り で あ る。 イ 、穀 物 ( 単 位 、 布度 ) 八 区 入 江
茲 に戊 通 公 司 の船 を動 かし て金儲 けを し た も の に傭 船 主 があ る 。
亜 人船 舶 の航 行 禁 止 で船 腹 不 足 と な つた の で、傭 船 即 ち曳 船 四 、貨
彼 等 は最 初 は債 務 の抵 当 に安 価 な傭 船 料 を 以 て引 取 つた所 が、露 西 (六 五 五 、〇 〇 〇 )
一四 、 三 六 五、 〇 五 五
薪
客 船 八 、 来多 及 戎 克 三隻 を以 てボ ロイ儲 け を し た 。
次 は 玉魏 卿 の持 船 であ る が、 同 公 司 は戊 通 公司 と は経営 の方 法 全
( 六 三五 、 八 一九 ) (一、 〇 五 〇 、 〇〇 〇 )
て船 繰 宜 し き を得 た為 に輸 送 貨 物 一、 八〇 〇 千 布度 、純 益 八 万元 を
く違 ひ、 船舶 営 業 に堪能 な ロシ ヤ人 を傭 聘 し 曳船 二、 来多 四隻 を 以
四、 二 〇 〇估 板
(一、 一三九 、 〇 〇〇 )
薪
木 材 (角 )
二、 六 二〇 估 板
積 替 埠 頭 (輸 出︱ 直 通) 計
甸 長薪
其 の他 広 信 公 司 に せ よ、 同大 ︹八 編区 注雑 、穀 同商 大号、 ︺にせ よ 、主 と し て穀 物
上げ た。
(一、 四 五 二、 〇 〇〇 ) 三 、 七 九 二、 〇 〇 〇
木材 ( 角) 計
ロ、 木 材 及 薪
家
鉄 橋 上 流 傅
合
一九 、 二 九 六 、 八七 四
輸 送 に のみ従 事 し た ので、 其 の収 益 は相 当大 き か つた 。就 中 同 大 は
計
最 初 汽船 一、 来 多 二 を動 かし 、終 航 頃 汽 船 二、来 多 二、戎 克 九 隻 を
合
穀 物 の搬 入 高 一四 、三 六 五、 〇 五 五布 度 の中 二、 一六九 、 九 二 二
就 航 せ し め純 益 四 万 元 を挙 げ た 。
総
は 二 百五 十 万 布度 と言 ふ数 字 を現 はし 、例 年 よ り も約 百 五十 万 布度
布 度 は昨 年 度 も ので あ る。 其 の他 哈 爾賓 か ら川 筋 へ移 出 さ れ た雑 貨
卿
十 三 万〃
魏
玉
十万〃
十 二万〃
只 注 意 す べ き は如 何 に支 那 各 船 主 が 昨年 度 の航 業 で相 当 の収 益 を 広 信 公 司
百 二十 一万 〃
挙 げ得 た から と 言 つて、之 を 以 て松 花 江 の航 運 が整 然 と し て貨 物 の
計
号
大
同
一九 二四 年度 の北 満 地方 の穀 物 収 穫 の豊 作 であ つた為 、 農 作物 の
期 間 ) を 六箇 月 と見 て船 舶 の航 行 は 平均 一箇 月 に 二航 行 を出 でざ る
前 記 全 船 舶 の総 ト ンネ ージ を合 し て三百 万 布度 、 開 河期 間 (航 行
は ゐな いだ らう 。
行 であ る とす れば 、本 年 度 の松花 江 の航 運 は 一大 恐脅 が襲 来 せず に
右 表 か らし て若 し松 花 江 の航 運 が本 年 も尚 支 那 河川 船 隊 の単 独航
小
出 廻 り及 商 取 引 が活 発 にな つた、 と 言 ふ理 では決 し てな い。前述 せ るが如 く前 年 度 の埠 頭 出 廻 り 穀物 は其 の年 の七 月迄 に輸送 し切 れず 、 八 月 に至 つて漸 く決 済 が つく 様 で は未 だ松 花 江 の航 運 は 支 那河 川 船 隊 の独 占舞 台 では 決 し てな い。
輸 送 を 以 て大 宗 と す る松花 江本 年 度 の航 運 は祝 福 せず には ゐら れ な
之 は各 船 舶 が満 載 カ ー ゴ の場 合 を仮 算 し た も の で、 三姓 浅瀬 の水 深
故 に、 全 航 行 期 を通 じ て三 千 六百 万 布度 と言 ふ数字 が現 は れ る が、
五 、 一九 二五年 度 の航 運 の予想
い。其 の穀 物 の収 穫 は川筋 至 る処 三〇 % 或 は 四〇 % の増 収 を見 越 さ
を 規 準 と し て在 松花 江 の河 川 船 隊 の ト ンネ ージを算 出 す れ ば 明 ら か
れ てゐ る が、 目 下 の形 勢 では 間違 ひ はな いも のと見 て差 支 へな い。 最 近 年間 の松 花 江 下流 地 方 の出 廻高 は千 三 百 乃至 千 五 百 万布 度 位
の噸 ネ ージ も包 含 し て の上 の こと で あ る から 、支 那 河 川船 隊 の噸 ネ
而 も 概算 的 に見 て該 数字 は目 下航 行 禁 止 中 の東 支 及露 西 亜 人 船 舶
に前 数 字 の三分 の 一は削 減 さ るべ く︱ ︱ 二 千 四百 万 布度 ︱ ︱ 。
ージ ば かり で は到 底 本 年度 の松 花 江 の航 運 は 首尾 よく 決済 さ れ る こ
そ の中 冨錦 ︱ 三姓 間 に千 四百 万 布 度 、 三姓 ︱ 哈 爾 賓間 に六 百 万布 度
は あ るが 、本 年 度 は 少 なく と も 弐 千 万布 度 位 は 予想 す る事 が出 来 る。
位 出 廻 るも のと見 て大過 な し と思 ふ。 之 に尚 昨 年 度 の木 材 の未 搬 入
と は万 あり 得 な い筈 で ある 。
方 今 露 支 協 定 及奉 露 協 定 は締 結 さ れた り と は言 へ、 未 だ細 目 の協
高 四百 万 布 度 、本 年 の出 来 高 弐 百 万 布度 と 見 て合 計 弐 千 六百 万 布度 、
定 は 取極 めら れず 、両 国 間 に最 も難 関 の接 衝 懸 案 な る松 、 黒 両 江 の
其 の他 川 筋 行 雑貨 を四 百 万布 度 と見 て、 哈爾 賓 の対 川筋 貿 易 高 は 約
の河 川船 隊 中 曳 船貨 物 の噸 数 は僅 か に三 百 万布 度 であ つ て、 其 の内
三 千 万布 度 位 には 上 るや も知 ら ぬ 。然 る に飜 つて見 る に、在 松 花 江
忽 諸 にす べ き問 題 でな い事 を痛 切 に感 じ る。 ( 堀 内 竹 次 郎)
つた が 、本 年 度 松 花 江 の航 運 業 を 予想 し 、 該航 行 権 の解 決 は 一日も
航行 権 が未 だ解 決 さ れず 、 而 も本 年 度 の航 行 期も 余 す所 三 ケ月 と な
八十 六 万 〃
百七十万〃
五十万〃
百 二十 万布 度
訳 は 左 の通 り であ る 。 東 支船 舶 部
計
エス ・ソ ース キ ン 小 戊 通 公 司
三
北 公調 二四 第甲 号 の 一二 六 大 正 十 四 年 一月 二十 九 日 奉 吉 鉄道 起 工 の件
北 京 公所 長
本 日 (一月 二 十 九 日) の当 地発 行 東 方時 報 に奉 天電 報 と し て左 の 記 事 を掲 げ て居 り ます 。
ず 強 行 的 に本 年 度 よ り航 行 を 開始 し ては 如 何と ハバ ロ フス ク本 社 に
向 け 昨 八 日打 電 照 会 し た るを 以 て、返 電 次 第 に ては 或 は外 交 関係 を
五
無 視 し て迄 も航 行 を 開始 す る やも 知 れず 、 と 。
哈 調 情 第 七〇 九 号
哈 爾 賓 事務 所 長 馬橋 河運 炭 鉄道 開 通 式
大 正 十 四年 二月 十 二 日
ス キデ ル スキ ー の経 営 す る密 山炭 礦 馬 橋 河運 炭 鉄 道 は来 る十 七 日
記
奉 天 省 当 局 は 既 に奉 吉 鉄 道 を敷 設 す る こと に決 定 し 、予 定 線 路 も
つた 。元来 右 運 炭 鉄 道 は延 長 五 十 八露 里 で目 下 五十 二 露 里迄 完 成 し
開 通 式 を行 ふ筈 であ つた が、 工 事 の都合 上 二十 五 日 に延期 す る に至
左
せむ と し て居 る。同 線 は奉 天 を起 点 と し 、撫 順 、 興 京 経由 海 竜 に達
て居 る。 又将 来 礦 区 内 に約 六露 里 の岐 線 を布設 す る予 定 で あ る。 二
既 に測 量 完 成 、 現在 材 料 蒐 集中 に て三 月 の解 氷 期 を 俟 て直 ち に着 工
し 更 に吉 林 に延 長 せむ とす る も のであ る 。所 要 経 費 は当 局 の意 志 と
と。
六
斉 々哈爾 公 所 長
大 正 十 四年 二月 二十 七 日
に改 めし め 省 城 以北 の物 資 を 吸収 せん と 計画 し つ ゝあ り、 と の哈 市
東 支 鉄 道 が斉 昂 軽 鉄 に資 金 並 び に材 料 を提 供 し て、 東 支 と同 軌 幅
早 川 正 雄
十 五 日開通 式 には露 、支 官 憲 、 東 支幹 部 其 の他 を招 待 す る筈 であ る、
斉 公 第 二 二 九号
し ては外 債 に依 らず 官 銀 号 よ り支 出 す る の意 志 があ り 、既 に満 鉄 の
哈爾 賓 事 務 所 長
了 解 を得 たり 云 々。
四
秘
大 正十 四年 二月 九 日
哈 調情 第 七 〇 六 号
露 国 々営 ア ム ー ル汽 船 在 哈 代表 テ レ ンチ エ フ氏 の漏 らす 処 に依 る
斉 昂 軽鉄 軌 幅 改 修 の風 説 に関 し
と 、露 支 細 目 協 定 成 立 せざ る為 、露 国 汽 船 の松 花 江 航 行 は本 年 度 も
内外 諸新 聞 の記事 に対 し 、 当所 が省 議 会 議 長、 省 長公 署 科 長 、王 斉
露 国 汽 船 松 花 江航 行 問 題
困 難 な れ ば予 (テ レ ンチ エフ) は右 交 渉 の成 立 、 不 成 立如 何 に拘 ら
記
昂 鉄 路 局 員 に問 合 せ たる処 を綜 合 す れば 左 の如 し 。
東 支 鉄 道 が曩 に省 城 に営業 所 を 開 設 す べく 計 画中 東 支 商 業 部員 レ ズ ネ チ エン コが斉 昂 鉄 路 総弁 た る竜 江県 知 事 王 玉科 に対 し 、東 支 と し て軌 幅 改 修 の意 〓 あ る こと を語 り た る為 、 王 督緋 は省 長 に対 し予 め 其 の可 否 を 問 合 せ た る に、省 長 は 東 支鉄 道 関 係条 約 中此 の項 目 も な く 且 地方 と し ては国 際 的 重大 問 題 な れば 一朝 一夕 に決 定 し得 べ き も の に非 らず 、営 業 所 開 設 の上 は余 事 に関 係 せず 、 乗車 券 の発 売 を 専 業 と せ しむ べし 、 と はね つけ た り、 と 。 東 支 の此 の意 〓 あ る は鉄 道 政策 上 あ り得 べ き こと な る も 、実 現 困
七
哈 爾賓 事 務 所 長
難 な る べし、 と観 察 す 。
哈調 情 第 八 一二号 大 正十 四 年 三 月 二十 五 日 松 花 江 航 行権 問 題
首 題 の件 に関 し ア ムー ル国営 汽 船 在 哈代 表 テ レ ン チ エフ氏 が当 所 特 報 員 に洩 す 所 左 の通 り。 去 る二十 三 日東支 鉄 道 に於 て奉 天 予 備会 議 に提 出 す る松 花 江航 行
余 は 其 の際 航 行船 数 の制 限 は余 り に消極 的 であ る 。寧 ろ穀 物 輸 出
各 埠 頭 を各 汽 船 に割 当 つる こと が適 当 であ る、 と 力説 し た る も東 支
然 れ共各 汽船 の航 行権 問 題 は少 な く とも 四 月下 旬迄 に解 決 す る こ
側 の容 る ゝ所 とな ら な か つた。
北京公所長
と を奉 天 側 に要 請 す る の件 は各 代 表 一致 し て之 を決議 し た云 々。
八
北 公 情 二 五第 四 号 の三 八
東 三省 商弁 鉄 路 条 例 の件
大 正十 四年 三 月 二十 七 日
本 日 (三月 二十 七 日) 附 の東 方時 報 に左 の記 事 を載 せ て居 る から
左
記
参 考 ま でに飜 訳 報 告 す 。
東 三 省 当 局 は交 通 の便 を計 り産業 を振 興 す る為 に、東 三省 に於 て
し 、現 在 商 務会 に於 て審 査中 で ある と謂 ふ。該 規 定 は 五十 余 条 よ り
鉄 道 を積 極 的 に処 築 す る の方 法 を 立 て 、別 に私 設 鉄通 の規 定 を 設定
一、私 設 鉄 道 には外 国 人 の株 主 た る事 を許 さず
な り 、其 の中 重要 な る点 を挙 げ ると 、
二 、営 業 期 間 は 二 十五 箇 年 と す
四 、 私設 鉄 道 は 総 て官 家 より 派遣 さ れた る役 人 の監 督 を受 く
三 、事 務 員 は株 主 の選 挙 に依 る
一、 ア ムー ル汽 船 及東 支 所 有船 舶 船 数
権 問 題 に就 て会 議 を開 催 し た。当 日 は主 と し て、
以上
五 、 各鉄 道 の安 全 を計 る為 には官 家 に警察 官 の派遣 を請 求 す る事 を
得 、 或 は自 身 鉄 路警 察 を組 織 す る事 を得
二、 河 豆輸 送 に関 し 支那 側 と の数 量 協 定 に就 て討議 し た。
九
北 公情 二 五第 四号 の四 二 大 正 十 四年 三 月 三十 日 ︹ 奉天海竜間︺ 奉 海 鉄 道建 築 開 始
北京 公 所 長
本 日 (三 月 三十 一日)附 当 地出 版 の フ ア ー ・イ ー スタ ン ・タ イ ム スに 左 の記 事 を載 せ てあ り ます から 飜訳 報 告 し ま す 。 記 奉 天 の張将 軍 は予 て奉海 鉄 道 を 敷 設 す る計 画 を 立 て既 に交通 部 に も申 請 し て居 つた が、 其 の後 該 計 画益 進 捗 し内 部 の組 織 も既 に交 通
一、 資
本
部 の認 可 を得 た。 其 の内容 は左 の通 り で あ る。
置 く 。課 員 は事 務 の繁 閑 に依 り臨 時 之 を定 む 。総 務 課 は文 書 、 庶務 、
材 料 、統 計 の四係 及 警 察 、出 納 科 に分 ち、 工務 課 は測 量 、建 設 の二
係 に分 ち 、事 務 課 は検 査 、整 理 の二係 に分 ち 、営 業 課 は運 輸 及 経 理
尚 奉 天 より確 かな る情 報 とし て左 の事 を掲 げ て居 る。
に分 つ云 々。
現在 既 に各 県 に命 令 し株 式 の募集 を開 始 し た 。之 を 三等 に分 ち 、
一等 県 は 三十 万 元 、 二等 県 は 二十 万元 、三 等 県 は十 万 元 とし 、 其 の
北 京 公所 長
三 分 の 一を 先 づ募 集 し て着 工す る予定 で あ る云 々。
一〇
大 正 十 四年 四 月 十 四 日
北 公 情 二五第 四号 の五 四
株 券 (一百 元 ) の三種 に分 ち 、最 初 商 民 の間 に於 て之 を募 集 し 、 残
着 々進 行 中 であ る 。其 の計 画 に依 ると 、 奉天 よ り営 口 に至 り 、営 口
輸 送 を便 利 にす る 目的 の為 に、 目下 両 地 間 の郵 便 航 空 の計 画 を 立 て
奉 天 の通 信 に依 れば 、 東 北陸 軍 航 空 隊 に於 て は天津 奉 天 間 の郵 便
官 商 合弁 株 式 組 織 で、資 本 金 を奉 天 大 洋 二千 万 元 とし 、 二十 万 株
額 は 政 府 に於 て之 を負 担 す 。 但 し将 来 商 民 の株 主 増 加 す る とき は 官
よ り錦 州 に来 り 、 山海 関 を 経 て天 津 に至 る聯 絡 飛行 で あ る。 以 上 の
(四月 十 四 日順 天 時 報 摘 録)
憲 の引 受数 を減 少 す 。株 金 は東 三省 官 銀 号 に於 て代 収 し 、 四期 に分
各 地 点 に は既 に飛行 機 の着陸 場 の設 備 があ る の で別 に設 く る 必要 は
奉 天 天 津 間 定期 郵 便 飛 行 の件
ち て之 を納 入 す 。第 一期 は 民 国十 四年 六 月末 、第 二期 は同 年 十 二 月
な いが稍 修 繕 を加 へる必 要 が あ る 。錦 州 に於 て は駅前 に張 学良 氏 の
に分 ち 一株 百 元 と す 。株 券 は百株 券 (一万 元 )十 株 券 (一千元 ) 一
入十 日後 に於 て年 利 六歩 を 附 す 。
てん と の計 画 で目 下 地 主 と交 渉 中 であ る が、 其 れ が解 決 す れ ば直 ち
官 舎 の前 の空 地 百 五十 畝 の土 地 を航 空 所 に於 て買収 し 、着陸 場 に当
末 、 第 三期 は十 五年 六月 末 、 第 四期 は十 五年 十 二月 末 と す 。株 金 収
二 、 役員 は左 の如 し 。
に聯絡 飛 行 を 開始 す る予 定 で あ る。
総 理 一名 、 理 事長 一名 、 董 事十 一名 、 監 事 五名 三 、事 務 を 総務 、 工務 、 事務 、営 業 課 に分 ち、 毎 課 に課 長 一名 を
特秘第十三号 奉天 にて
一一
大正十四年四月二十八日 松岡理事殿
情報廻送 の件 (別紙) 哈爾賓事務所調査課長
築島文書課長
別紙 写の通り哈爾賓事務所長 より情報有之候間御廻送申上候 哈調交第四六号 秘 鉄道部長殿
大正十四年五月二十三日 伯都納方面派遣員情報 の件
椿
正
信
首 題 の件 に関し国際運送当地支店 より別紙 の通り情報 がありまし たから移牒致します。 (別紙) 一、五月十 日、伯都納 にて 東支陶頼昭伯都納間鉄道布設 の件 何処 よりとも知れ ぬ風説 に長春伯都納間満鉄線引延し問題が伯都 納 一般有志間 の話題 に上るや、東支伯都納出張商務員は当市有力者
塩 、老 少 溝 よ り伯 都 納 向 け船 輸 送
老 少溝
計 るべ し と説 明 せ り。
△
二 、 五月 十 一日
庫 迄 請負 輸 送 す 。
小 池 健 平︹ 編 引注 継、 国山 際口 社運 員輸︺
イ 、 中 東鉄 路 商 務 公司 (老 少溝 所 在 東 支 の別 動 隊 ) が長 春 官 塩 局倉
九十 銭 と 言 ふ 。
炭
秘密 運 賃 と 言 ふ
商 務公 司 の負担
賠償
料 率 不 明、 老 、伯 間 運 賃
特 に無 料 、 途 中減 量
十
ロ、 自 長春 塩 倉 至 伯都 納 駅 倉 請 負 運賃 諸 掛 一袋 (百 八 十 五斤 ) 大洋
長 、 老 間 汽車 運 賃
ハ、目 下 の輸送 し つ つあ る の方 法
文 、老 少 溝倉 庫 料
大 洋 二十 銭 、但 し積 卸 料 を含 む 、 江岸 よ り市 街塩 倉 迄 馬車 賃
額 不定 。
石
本 塩 は 二ケ 月余 老 少 溝 東 支倉 康 に収 容 し あ り たる も のな り 。 △
伯 都 納
九站 哈 爾 賓 間船 輸 送 の件御 下命 に依 り 、其 の後絶 えず注 意 を払 ひ
正 信
江 岸 に出 張 、 直接 間 接 に船頭 を捉 へ交 渉 し ま した が 、何 分 伯都 納 は
椿
イ 、長 春 石 炭 販 売 人新 泰 洋行 は老 少 溝 及 伯都 納 に出 張 所 を 設 け 、石
一袋 二十 吊
炭 の販 売 を開 拓 し つ ゝあり 。 ロ、 老 、伯 間 船 運 賃
一袋 十 五吊
河汽 船 、焼 鍋
ハ、江 岸 よ り市 街 迄 馬車 賃 ニ、目 下 の重 な る販 路 三 、五 月 十 三 日
伯都納間 の鉄路 が将来有望 なるを力説し、此 の布設に対 し東支は軌
只 今 の処船 不 足 且 つ九 站 哈爾 賓 間 の経 験 を有 す る船 は 、以 前 電報 及
九 站 哈爾 賓 間 石 炭 船輸 送 計 画 に就 て
条及枕木其 の他布設 に要する器具 一切を無代提供す、支那側 にて同
を商務会 に集 め長春伯都納間鉄道 の不能 を説き、是 に代 るに陶頼 昭
土地を支弁すべく計 り急設 、浦塩港発展 と相共 に地方 の福利増進 を
添 書 を 遣 し ま し た吉 林 恆茂 製 粉 の小麦 を積 み て参 り まし た 二十 六 隻 あ る の み です が、 其 の 一群 は其 の儘 未 だ帰 伯 致 し ま せ ぬ から只 今 の
尚 最 近水 量 が非 常 に減 り 、大 賚 から参 り まし た汽船 伯 和 号 も 立往
処見 込 み が立 ち ま せ ぬ。
陶 頼 昭伯 都 納 間鉄 道 計 画 に関 す る件
陶頼 昭伯 都 納 線 計 画 の真 相 取 調方 並 之 が対策 に関 し て は、 小職 よ
り当 地 和 登商 行 代 表 者 に旨 を伝 へ、伯 都 納 に於 て夫 々運動 致 させ置
にし て 、即 ち 之 に対 抗 す べ く陶 伯 線 の計画 を生 み 、同 予 定線 上 の大
き た る処 、本 日別 紙 の如 き報 告 に接 し た り。 之 に依 れば 、本 件 問題 ︹ 重高︺ の発生 せ るは過 般 石 原 長 春 駅長 が伯 都 納 に出 張 の際 商 務会 辺 の招宴 ︹ 長春農安間︺ 席 上長 農 線 計画 に言 及 せし よ り忽 ち 東 支側 の注 意 を喚 起 し た るも の
生 し て居 る位 減 水 し た の で、第 一回発 送船 が未 だ帰 伯 し な いも のが 多 く あ り ます 。斯 る有 様 で当 方伯 都 納 で九站 哈 爾 賓 間 の船 を得 ると
椿
正 信
劉 扶 余県 帰 来 報 告 ( 極秘)
( 別紙)
のに非 ず 、 と の口吻 な り き 。
線 に就 ては全 然 承 知 せざ るも 、斯 く の如 き 計画 は到底 実 現 す べ き も
〓 は別紙 報 告 の通 り な る が、 王 省長 の小 職 に語 る所 に依 れば 、陶 伯
税 局長 と も言 ふ)同 計 画 の首 脳 と な り たる次 第 な り 。尚 蔡道 尹 の意
地 主 た る韓 瀛 洲 及当 地露 人 間 に相 当 の知 己 を有 す る楊 貫 三 ( 前木石
言 ふ は至 難 で あり ま す。 然 し て伯 都 納 の貨 物 を九 站 へ出 す と言 ふ こ
伯 都 納
と も 今 の処 非 常 に無 理 が あり 、 困難 の様 考 へま す (以 下略 )
一、 五 月 十 五 日 東 支 陶 頼 昭伯 都 納 間鉄 道 布 設 問題
東 支 は満 鉄 の農 安 経 由 伯都 納 へ延 長線 計画 あ るを知 り直 ち に本部 に計 り、 其 の対策 と し て首 題 計 画 を 提起 し曩 に伯 都納 商 務 会 に命 じ、 当 地有 志 者 を集 め 其 の議 を計 り た る こと は既 報 の通 り で あり ま す が、
三 、副 会 長 王瑞 堂 と同 車 、趣 旨 を 談 じ 陶頼 昭下車 、即 日第 一信 長 春
劉 先 生 先月 廿 九 日当 地出 発 、折 善 く 従来 の発 起者 の内 楊貫
宛書 面 差 出 候 由 、貴 地 に ても 王瑞 堂 を訪問 せら れ し事 と 存候 。其 の
拝啓
後 一日扶 余 着 、 李知 事 の好 意 に依 り県 署 に滞 宿 し有 力 な る 人士 に全
其 の席 上 東 支 係 員 の言 明 せ し提 供 物 は 布 設 用材 料 のみ の寄 附 に止 り
ひ、 材料 の外 購 地 其 の他 一切 の費 用 を東 支 負担 のこと に本 部 に交 渉
余 り 反響 が な か つた様 子 な り し為 、此 度 再 び本 月 十 二 日商 務 会 を 訪
部 面会 、長 農 鉄 道 に連 絡 の利 点鼓 吹 し大 体 の賛 意 を得 て、 本 朝帰 店
ざ りし 由 に候 得 共 、 扶 余県 知 事 と し て長 、 農 に連 絡 す る とし ても 、
は同 意 せざ る様 せ よ、 と の事 なり し故 、扶 陶線 に は賛成 を表 し居 ら
談 じ た る折 、道 尹 は 日 本側 に て敷 設 す る故 、 地方 人 の発 起 に対 し て
李 監 督 と は最 も 討論 し た るも のに し て過般 監 督 出 哈 の節 蔡 道 尹 と
仕候。
中 に付 き 、 不 日必 ず 認可 あ る確 信 を有 す 、 右 を伝 へ来 れ り (伯 都 納
哈 爾 賓 事務 所 長
商務会頭談)
一二
極秘 大 正 十 四年 六 月 八 日
哈 調情 第 一七 七 号
さ せ度 に付 、 王府 より 正北 江 岸 に出 で、 地 方 名 ﹁達 子 溝 ﹂ 地点 に て
江 南 に駅 を置 くは 不 利 、 地方 繁 栄 と し て可 成 多 く 扶余 県界 内 を通 過
○韓 瀛
陳
程 輔
王 瑞 堂
堂
省議会農会長 (四郷電話総理)
副会長 華盛当財東
哈爾賓紳士
増盛湧財東
増盛通財東 三
貫
耀 東
洲
大成粮桟財東
河 を渡 り 、 社 里站 を 経 て扶 余 に至 る様計 画 せば 、 本地 方 人 に何 等 反
玉 堂
対 す べき も のな しと の事 に付 、 愈 々成 立 の節 線 路 変改 す ると も、 右
韓
一三
極秘 哈爾賓事務所長
より本月十 日附別紙 写の通り報告 ありしに付、同報告写御送附致し
本 月八日附哈調情第 一七七号を以 て本件報告 の処、更 に和登商行
陶伯鉄道計画 に関する件
大正十四年六月十 一日
哈調情第 一九四号
○印、従来計画者
○楊
監 督 の意 見 通 り の説 に て、 左記 の有 力者 を説 得 し 賛成 を得 申候 。 東 支鉄 道 過 般長 春 より 石 原 駅長 来 扶 の節 商務 会 に て宴 会 席 上 長農 線 を話 され し 由 聞知 し周 章 、彼 地駐 在 の商 筋課 通 訳 馬 氏 をし て商 務
て立 替 ふ る筈 に御 座 候 。
会 に向 け運 動 致 居候 由 、 条 件 は満 鉄 情 報 通 り材 料 費 用 共全 部 東 支 に
右 様 の次 第 に て彼 地人 士 は唯 陶頼 昭 に出 る線 を のみ思 考致 居 候 折 、 長 農 線 に連 絡 す る事 の利 点 を知 り 、長 農 線 の許 可 模様 に依 り別 に計 画 書 申 請 す る か、 或 は 合 同 す る か、 何 れ会 議 す べし と当 方 に賛 意 を
楊 貫 三等 と 東 支鉄 道 と の連 絡関 係 程 度 如 何 が 不明 に候得 共 、 最 近右
表 し た るは 確 実 に御 座 候 。唯 従 来 より 扶︱ 陶 間 計 画 致居 候 韓 瀛 洲、
両 名 及王 副 会 長 も当 地 に集 る べ き筈 に付 、 其 の節 一度 招 待 し て聞糺
商会長
扶余 県 監 督
具
昨日楊貫 三三岔河より帰哈仕候間直ちに訪問、面談仕候要
彼 等 (楊貫三等) の計画は陶頼 昭に出 るにあらず、三岔河站 に出
項、左の如く に候 。
拝啓
扶余三岔河間鉄道計画の件
古沢満鉄事務所長殿
大正十四年六月十日
(別紙)
ます。
要 す る に本 件 今 日迄 の如 く等 閑 に致 居 候 ては満 鉄 と し て意 外 の事
一
和登商行哈爾賓支店
し 計 画書 、 簡 章 等有 之 ば 写 取 る事 に可 仕 候 。
実 に現 は る べく 、危 機 に際 し 今 回 の出 張 は有 意 義 のも のに有 之 、 向
仁
敬
後 不 断 の運 動 と、 長農 線 許 可 の如 何 と其 の時 機 に依 り確 実 に当 方 意 の如 く為 し得 べき と信 じ申 候 。 先 は右 急 報 迄 只 今 よ り 当 地満 鉄 公所 の古 沢 氏 迄報 告 仕 可 候 。
利
会
面 会 し て発起 人 承諾 し た る者 李
大 徳 潤粮 桟 財 東
田
るも の にし て、在 三岔 河商 務 会 及 糧 桟 主 を も結 合 し て 、東 支 鉄 道 と
の模 様 に有 之 候 。
交 渉 し つ ゝあ り( 扶 余 県 人 士 よ り も該 地 方人 の方 力 を 尽 し あ るも の
而 し て現 在 の意 図 は、 材 料 其 の他 共 東 支 鉄道 よ り提 供 す る に付 、 軽 便 線 に て至 急建 設 し、 万 一長農 鉄 道 批 准 さ れ扶 余 迄 延 長 し経 営 困
哈 調 情 第 二 四 二号
一五
極秘
哈 爾 賓事 務 所 長
支 那 側 某要 人 の談 に依 れば 、 陶頼 昭伯 都 納 間鉄 道 敷 設 の件 は、東
陶伯 鉄 道 と 三岔 河伯 都 納 鉄道 の件
大 正 十 四年 六 月 二 十 四 日
鉄 、 労 農 側 に計 画 あ る も 理事 会 の決 議 を経 る能 はざ る可く 、 中 国官
難 と な れ ば、 東 支 に材料 を返 還 す る 心算 なり と の事 、 未 だ其 の計 画 書 類 等 は纏 り あら ざ るに依 り徹 し 得ず 候 。 当 方 の熱 心 を 意 外 に見 て
憲 に於 ても 之 を許 可 せざ る可 し 、要 す る に東 鉄 の枝 線 敷設 は今 日 の
敬具
上 、 商業 部 調 査 員 と な りし が常識 なく 、 人格 又高 からず 。支 那人
(注 )侯 徳 有 は 以 前ブ ロー カ業 を営 み居 り多 少 露 語 を解 す る関 係
を訪 問 し た るも 面 会 を拒 絶 せら れ空 しく 帰 郷 し た る事 あ り 。
あり 。其 の後 二、 三支 那 人 が其 の用 件 の為来 哈 し 、東 鉄 支 那 側 理事
下東 鉄 総 務 部 庶務 課 副 長 た り) を同 地 方 に派 遣 し遊 説 せし め た る事
り 。彼 は此 の計 画 を進 めん が為 、 支 那 人侯 徳 有 (号 は儀 容 と 称 し目
非ず し て、 石頭 城 子 (三岔 子) を 起 点 と し楡 樹 及伯 都 納 に至 る線 な
には障 害 多 かる可 し 。但 し イ ワ ノ フ の真 に計 画 し居 るは 、陶 伯 線 に
砂 地 多 く 、而 も其 の砂 丘 は強 風 あ る毎 に移 動 す る を以 て、鉄 道 敷 設
処 実 現 の可能 性 なし 。 又陶 、伯 間 は 僅 か に百 四 十支 里 に過 ぎ ざ るも
多 少 不 安 を感 じ た るら し く、 三 岔 河 へも計 画 取 止 む る様 注 意 す べ し
哈爾 賓事 務 所 長
王 副 商 会 長 は未 だ吉 林 よ り帰 来 せず 、韓 瀛 洲 は病 気 引 籠 り中 に有
と申居候。
之候。
極秘
一四
右 御 報 告 申 上侯 。
哈 調情 第 二 四 一号 大 正 十 四年 六 月 二十 四 日 長 農 鉄 道 に関 す る件
き を恐 れ 除 か んと し た る を、 イ ワ ノ フは彼 を利 用 せん が為 総 務 部
間 の受 け も面 白 からず 。同 部 副 長徐 〓 の如 き は同 人 が露 探 た る可
支 那 側 某要 人 の談 に依 れ ば、 長 農鉄 道 に関 し ては、 曩 に軽 便 鉄 道 敷 設 の計 画 あ り し も未 だ決定 し居 らず 、中 国 標 準軌 幅 に拠 る鉄道 敷
用 は し居 らず と 。
庶 務 課 副 長 に転 ぜ しめ た る も のな り 。尤 もイ ワノ フ自 身 も余 り信
設 の請 願 は未 だ 之 を知 らず と ( 筆 者 曰く 、右 請 願 は 王省 長 来 哈 後 に
尚 右 某 要 人 は 農 伯 延長 線 に就 ては何 等 言 及 す る所 な し 。
提 出 せ ら れ たも のら しく ﹁之 を知 らず ﹂ と言 ふ は真 な る べし )。
一六
北 公 情 二 五第 四号 九 七
北京 公 所長
大 正 十 四年 七 月 二十 一日
出 し 、補 助 を請 求 し 以 て 一日も 早 く実 現 す る様 にし て居 る。聞 く 処
に依 ると既 に王 永 江 氏 の完 全 な る諒 解 を得 て居 ると の こと であ る 。
東 支鉄 道 の松 花 江 大 鉄橋 は既 に二十 七年 を経 過 し 、保 険 期 限 を過
四 、 松花 江 鉄 橋 の修 繕
ぎ て居 る 。若 し現 在 修 理 し な か つた なら ば 恐 らく 危険 を発 生 す る だ
引 今 日 に至 つた が、 イ ワノ フ局 長 は最 近 既 に技 師 を派 遣 し、 其 の計
らう 。昨 年 オ スト ロウ モ フ局 長 が在 勤 中 既 に 此 の提議 が あ つた が延
画 を樹 て理 事会 に提 議 し、 其 の修 繕費 を要 求 し た から 早 晩改 築 せら
東 北 地 方 交通 情 況 今 日 の (七 月 二十 一日)京 報 に左 の記 事 を載 せ て居 る。
一七
極秘
哈 爾賓 事 務 所 長
右 計 画 は海 林 、寧 古 塔 方面 の地 方 民 よ り醵 金 し て地 均 し 工事 を 引
化 し来 れり 。
寧 古 塔 農務 会長 兼 商 務 会 副会 長 たる孫 氏 の熱 心奔 走 に依 り漸 く 具体
従来 屡 企 図 せ ら れ た る寧古 塔 海 林 間約 十 四 哩 の鉄 道 敷 設計 画 は 最 近
昨 日 東鉄 東 部 線 一帯 の視察 を 了 へ帰 来 せ る神 田嘱 託 の談 に拠 れば 、
寧海 線 計 画 具 体 化 す
大 正 十 四年 八 月 十 三 日
哈 調 情第 三 四八 号
れ る だら う と の こと で あ る。
東 三 省 東 北 部 の交 通 は 漸次 開 発 せら れ ん と し て居 る が、 其 の情 況 は 大体 左 の通 り であ る 。
〓南 よ り斉 々哈爾 に至 る鉄 道 全線 一四六 哩 は既 に 工事 に着 手 し 、
一、〓 斉 鉄 道
本 年 十 一月頃 に は完 成 す る であ らう 。各 停 車 場 の位 置 等 も既 に決 定 し 、給 水所 も設 けら れ た 。〓 南 斉 々哈爾 の間 は鉄 道 敷 設 以前 は極 め て交 通 困難 で あ るが 、鉄 道 が引 け る ので 一般 の在住 民 及商 売 人 等 は 非 常 に喜 ん で居 る 。又 聞 く処 に依 れ ば 一部 分 は既 に竣 工し陽 暦 八月 一日 から 一部 分 開 通 す ると の こと であ る 。
東 支 鉄 道 は 蔡 家溝 よ り三岔 河 に至 る支線 を敷 設 せ ん と計 画 し既 に
二、 東 支 鉄 道 支 線 の測 量
測量 隊 を出 し て之 を測 量 し た が、 其 の用 地 に関し 民 国側 官 憲 の同 意
受 け 、東 鉄 に鉄 道 諸材 料 の提 供 を仰 ぐ も のな り 。本 線 は東鉄 の培 養
を得 な いの で甚 だ 困難 を感 じ て居 る が、 行 々官 憲 に其 の許 可 の請 願 書 を出 さ ん と し て居 る 。
寧 、海 間 は 一つ の丘陵 あ る の み にし て大体 平 坦 な れ ば鉄 道 工事 は
設 せし む べし と 孫 氏 は意 気 込 み居 れ り。
線 計画 にも 叶 ひ殊 に該 地 は本年 作 柄 良好 な る為 、是 非 今 年中 には敷
黒 竜 江省 の呼 蘭 及 海倫 と の間 の呼海 鉄 道 敷 設 問題 は曩 に黒竜 江 省
三 、 呼海 鉄 道 の補 助
々長 子 駆興 氏 が奉 天 に出 た時 に東 三省 交 通 委 員会 に 対し 意 見書 を提
同
一日
側 一車 に付
六元
鉄
同
四元
▲ 東 車
同
甚 だ易 々た り 。現 在 寧 古塔 に於 て取 引 せ ら る ゝ物 資 は小 麦 の 一年 十
車
同
四元
機
同
四 十元
貨
同
大洋
五万 石 乃 至 二十 万 石 を 最多 と し、 之 に次 ぐ を大 豆 と す 。之 等農 産 物
二 等 客 車
関
は従 来 総 て寧古 塔 よ り馬車 にて海 林 に輸 送 せら れ た る も のな り 。 又
三 等 客 車
伯 都 納 側
寧古 塔 の南 方鏡 泊 湖 岸 の森 林 より は 木材 を多 産 し 、牡 丹 江 を筏 流 し
る。
一九
秘
三岔 河 伯 都 納線 計 画 に関 す る件
大 正 十 四年 八 月 二 十 五 日
哈 調 情 第 三八 五 号
哈 爾 賓 事務 所 長
庁 方 面 に運動 し て、 本 計画 に対 す る完 全 なる諒 解 を得 るに努 めて を
韓 氏 は此 の事 に対 し て頗 る熱 心 で、 目下 哈爾 賓 、 吉 林 、奉 天 各官
韓 瀛 洲 之 を負 担 す る。
鉄 道 は全 部 の敷 設 及 鉄道 工事 の費 用 ( 予 算 総額 百 二十 五 万元 ) は
▲
て海 林 方 面 に出 さ れた る も のな る が、 河水 の状 態 に依 り輸 送 困難 な り し も のな り 。 本 鉄 道 敷 設 の暁 は之 等 の物 産 は凡 て本 線 に依 り て、東 鉄 の海 林 駅 に出 さ る べく採 算 充 分 な り と言 ふ 。次 に寧 古 塔 より南 方 延 吉 方面 に 至 る鉄 道 敷 設 には莫 大 な る費 用 を要 す る ことと て屡 々噂 は され た る
一八
速報
哈 爾 賓 事 務所 長
も実 現 は甚 だ 困難 な り 云 々。
哈調 情 第 三 六 二号
伯都 納 支 線 敷 設 問題 (八月 十 八 日各 支 那紙 所 報 )
大 正 十 四年 八月 十 八 日
本 年 五 月頃 陶 頼 昭伯 都納 線 敷 設 に関 し て、 東鉄 管 理局 と伯 都 納 商
八 月 二 十四 日附 第 六 二八 号 暗 電 を 以 て不 取敢 其 の大要 を御 報 告 し ︹ 惟 一︺ て置 き た る 田中 所 員 の三岔 河 、 伯都 納 に関 す る出 張 報告 の結 果 、右
会 と の間 に契 約 を締 結 し、 合 資 会 社 を設 立 し た事 は既 報 し てゐ た が 其 の後 該 商会 は東 鉄 側 と種 々協 議 を 重 ね た るも 、商 会 の要 求 が過 大
電 確 め 且追 補 の為 茲 に重 ね て報 告致 し ます 。
田中 所 員 は 三岔 河商 務 会 副 会 長郭 文儀 氏 に就 き本 計 画 の真 相 を尋
で あ つた のと 、東 鉄 亦経 済 上不 如 意 の為 此 の計画 は 一時頓 坐 の姿 と
の口 より 斯 く事 の真 相 を洩 ら せし と判 れば 、将 来 自 分 の立 場 を 失 ふ
ね た る所 、郭 氏 は自 分 は本 件 の主 な る賛 成 者 の 一人 な る を以 て自分
な つた 。然 る に最 近伯 都 納 の巨 商増 盛 謙 (焼 酒製 造 業 ) 及 特産 商 増 貽 の資 本 主 た る韓 瀛 洲 氏 が東 鉄 と の協 議 を再 興 し 、初 め の計 画 を石
故 厳 秘 に附 せ ら れた し 、 と の条 件 の下 に左 の如 く語 れ り 。
頭 城 子 伯都 納 間 の鉄 道 に改 め て種 々条 件 を 提 出 し 、両 者 の議 近く 纏 ま ら んと す る趣 き であ る 。探 知 し た契 約 の大 要 は如 次 。
本 計 画 は伯 都 納 の巨 商増 盛 謙 、 焼 鍋出 資 者 韓瀛 洲 氏 が同 地東 鉄 商
を実 施 す る ことと な る や も知 れず 、 斯 る場 合 に対 し ては 三岔 河 は
条 件 と せ るも 、 鉄道 本 来 の性 質 上、 或 は開 通 後 に於 て貨 車 の直 通
絶 対 に反 対す 。
業 部 出 張 員 の勧告 に動 か さ れ (東 鉄 が〓 斉 線 及 当時 盛 ん に噂 さ れ た
要 之 発起 者 は本 計 画 に関 し東 鉄 に は比 較的 順 調 に話 を進 め居 るも 、
支 那 官 憲 方面 に は表裏 共未 だ何 等 の折 衝 を為 し居 らず 、例 へ折 衝 す
る農 安 線 計 画 に対 抗 上 本線 を計 画 せし こと は言 を俟 た ず )、 且 本 計
る も計 画 の実 現 は中 々困 難 な ら んと 。
画実 現 せば 発起 者 た る自 己 の名 誉 は勿論 、所 有 地 々価 の上 騰 に因 る 利益 あ るを 思 ひ、密 か に同 地 の官 商 、 名望 家 等 に謀 り て其 の賛 成 を
二〇
の ゝ如 く 、 且裏面 を言 へば賛 成 者 中 真 に気 乗 り せる も のの無 く 、勿
実 は東 鉄 商 業 部員 と発起 人 と の間 に於 け る単 な る 口約 にす ぎ ざ る も
設 及 経 営 方 法等 に就 き協 定 成 れ り と の事 な れど も 、是 は 協 定 と言 ひ
納 三岔 河間 鉄 道 敷 設 の議 纏 まり 発起 者 と東 鉄 と の間 に、 本 鉄道 の敷
林 省 政 府 は現 に東 鉄督 弁 公 所 に向 つて抗議 を提 出 し 、更 に扶余 県 知
仰 ぎ 度 し と の依 頼 を な さ し め たる も 、戴 は 之 を拒 絶 し答 ふる に ﹁吉
城 子 伯 都納 間 鉄 道 建 設 の件 に関 し吉 林 省 政府 に意 志疎 通 方 御高 配 を
石 伯 鉄 道 に関 す る件 ︹ イワノフ︺ 八 月 二 十六 日、 伊 局長 は侯 徳 有 に命 じ戴 〓 卿 を 訪問 せし め 、石 頭
大 正 十 四年 八 月 二 十 八 日
(極 秘 ) 哈爾 賓 事 務所 長
論 纏 りた る額 の出 資 など為 す意 志 全 く な く 、東 鉄 の勧 告 であ り 、 又
事 を叱責 せ る有 様 に て、中 国 主 権 に重 大 な る関 係 あ れば 全 然疎 通 の
哈 調情 第 三九 九 号
得 た る に端 を発 し た るも のに て、 最 初 本線 の予 定 終 点 た る陶 頼 昭 を 終 点 と す る を喜 ばざ る に鑑 み 、韓 氏 は最 近 著 し く発 展 の勢 ひ に在 る 三岔 河 を終 点 と す る こと に変 更 し 、同 地 に此 の計 画 を 齎 ら し て 予 (郭 氏 ) を始 め大 地 主 四、 五 名 の賛 同 を得 、茲 に愈 計 画 の具 体 化 を
成 否 共 に別 に損 のゆく 訳 に非 らざ るを 以 て単 に発 起者 の顔 を 貸 す底
余 地な き ﹂ を 以 て せり 。
見 、 又其 の間東 鉄 商 業部 員 再 三 度 三岔 河 に出 張 し来 り、 兎 も角 伯 都
のも の多 く 、 従 つて本 問題 の実 現 は当 分 不可 能 なら ん 。尚 其 の理由
計 画 し つ ゝあ り。
二 一
線 未 だ端 緒 を得 ざ る に、更 に此 の線 を延 長 し て楡 樹 に達 せし め んと
尚 伊 局 長 の培 養 線 建 設 に関 す る野 心 は之 を軽 視 す べ からず 。石 伯
を詳 説 す れば 、 一、本 計 画 の実現 に最 も大 な る関 係 を有 す る宮 憲 と の連 絡 な し 。官 憲 に接 近 連 絡 す る には相 当 の運 動 費 を要 す 。
ず 亦 政 界 にも何 等 縁 故 を有 せず 。
二 、発 起 者 は 其 の地方 の紳 商 た る も吉 林省 内 には 何等 の勢 力 を 有 せ
三 、東 鉄 が本 計画 の後 援 者 た る ことを 支 那官 憲 は 喜 ばず 。 四 、現 在 の計 画 に て は貨 物 を 必 らず 一旦 三岔 河 に て積 替 ふ る こと を
哈 調情 第 四 一七号
極秘
大 正十 四 年 九月 三 日
哈爾 賓 事 務 所 長
石 扶線 計 画 に関 し吉 林 公 署 の東鉄 督 弁 公 所 に宛 た る照会 文 吉 林 官 憲 が東 鉄 管 理 局 の石扶 線 計 画 に対 し て督 弁 公所 を経 て抗 議 と し た こと は 既報 (八 月 二 十六 日附 哈 調情 第 三 九 九号 ) の如 く で あ
八 月 三 十 日附 吉 林 省 公署 の東 省 鉄 路督 弁 公所 に宛 た る照 会 文
る が、 左 に右 抗 議 文 の全 訳 を供 覧 し ま す 。
本 公 署 は東 鉄 が蔡 家溝 三岔 河 間 鉄 道敷 設 の目 的 を 以 て密 か に測 量 を な せ る旨 聞 込 みた るを 以 て、 扶 余 県 知事 に命 じ 調査 せ しめ た る に、 該 県 知 事 に於 て は徐 一慶 な る者 を三 岔 河察 家 溝 地 方 に出 張 取 調 べ せ
致 調 査 禁 止 す る こと とな し 、 一面 行 政 長官 公 署 に向 つ て特 別 区 外 に
於 て線 路 改築 の場 合 は先 づ 、本 公 署 の認可 を経 た る後 之 に着 乎 す る
八月三十日 御中
北 京 公所 長
兼 吉 林省 長
張
作
相
こと、 擅 に線 路 を測 定 し標 識 を施 す が如 き こと なき 様 御取 計 願度 。
東 省 鉄 路督 弁 公 所
二二
大 正 十 四年 九 月三 日
北公 情 二五第 四号 の 一一七
九 月 三 日附 の交 通 時報 に左 の様 な記 事 を載 せ て居 る が、 当 地 で は
京 奉 、奉 海 両 鉄道 聯 絡 駅 の件
ひ蔡 家 溝 駅南 方 後 十 四号 屯 よ り石 城鎮 等 の村 落 に向 つて線 路測 量 を
し む る処 あ り たり 。 各取 調 べ の結 果 本年 春 数 名 の露 人支 那 人夫 を伴
其 の真 疑 不 明 で あ る から奉 天 方 面 に於 て其 の事 実 を 調 査 せら れ度 い。
長 常 蔭 槐 、奉 海 局 長 王 明宇 の両 氏 に協 議 す可 く 命令 し た が、両 局
京 奉 、奉 海 両 鉄 道 の聯 絡 設 備 に就 て奉 天 の張 作霖 将軍 は京奉 局
行 ひ、 標 木 を立 てた る こと あ り、 更 に其 の後 陰 暦 五月 初 め 再 び露 人
落 を経 て、遂 に前 二 十 四号 屯 南 方迄 測量 を行 ひ標木 を立 てた る こと
ンを 設 け 、両 鉄 道 の客 貨 の聯 絡 運輸 を便 にす る こと に決 定 し た 云
長 は協 議 の結 果 、 奉 天城 附 近 の毛 家屯 に セ ント ラ ル ・ステ ー シ ヨ
支 那 人 夫 十 三名 を 伴 ひ同 様 目 的 の為 に蔡 家 溝 駅 北 よ り車 家 店等 の部
あ る由 前 二 十 四号 屯 楊允 中 な るも のよ り申 出 あ り た るを 以 て、徐 自
々。
哈爾賓事務所長
戊通公司 は東北航業局と改名 す
大正十四年 九月四 日
哈調情第四二二号
二三
ら当 該 部 落 に出 向 き 詳細 調査 し た る 処 、各 村 落 には都 て標 木 あ り、 各 番 号 を 記 入 しあ り た り。 依 て各 村落 よ り証 明書 六枚 を徴 し 竝 地図 一枚 を作 り報 告 あり た る を以 て、 同県 知 事 より前 記 証 明 書 並 地図 写 を添 へ当 公署 に転 報 し 、尚 何 分 の指 図 仰 ぎ 度 き旨 申 来 りた り 。 思 ふ に管 理局 今 回 の行 動 は地 方管 轄 官 庁 の認 許 を得 ず 密 か に測 量 を行 ひ標 識 を施 し た る も のにし て、中 国 主 権 を侵 害 す る の甚 だ しき
の標 木 を 撤 回 し随 時報 告 せし む る と 共 に、 各 県 に通 知 を し て沿 線 一
も のなり 。依 つて当 省長 公 署 に於 ては該 県 知 事 に指 令 し 、 特別 区外
松黒両江航 業は私営 のものも総 て右航業 局に併合 せら るべし、と の
長 王順存 (理堂)は九月 一日附を以て右局長 に任命 せらる。尚爾今
戊通公司は今 回 ﹁東北航業局﹂と改名 し、前 特別区警察総管理処
点 は、 商務 会 は土 地 購 入費 及 土 木 工事 費 を 負 担 す ると言 ふ事 と 、吉
至 る 二百 二十 余 支 里 にし て 、本 線敷 設 契 約 に関 す る両者 間 の締結 要
る結 果 近来 着 々進 行 し つ ゝあ り。本 計 画 線 は伯 都 納 よ り石 頭 城 子 に
秘
二六
らざ る べし 。 ( 山根)
哈調 情 第 四 九 二号
三、 姚 錫 九 は始 め よ り本問 題 には 関 係 が な い。
ゝ今 日迄 帰 来 せず 、 従 つて今 日 で は呉 子 青 は本 鉄 道 に関 係 が無 い。
対 し て以来 吉 林 側 の反感 を買 ひし為 、 之 を 避 け て北 京 に赴 きし ま
て居 り し が 、呉 が哈 爾賓 電 車 問 題 に対 す る吉林 省 政府 の措 置 に反
二、 石 伯鉄 道 創 設 の議 起 り し当 初 は韓 瀛 洲 及 呉子 青 は互 に相 談 を し
一、 新 聞記 事 中 に在 る呉 子青 は目 下北 京 出 張 中 。
如し。
林 公 所 情報 にも有 り、 依 つて念 の為 当所 に於 て取 調 べた る処 、 左 の
者 が非 常 に活 動 し 居 れり と の点 は 、 九月 十 二日附 吉 公 第 五十 一号 吉
線 進 行 現 状 ﹂ と題 す る記事 に就 ては 取敢 へず 報告 し置 き し処 、 有 力
九 月 十 八 日 哈爾 賓 の主 な る漢 字 新 聞 に載 せら れ た ﹁東鉄 伯 都 納 支
石伯 線 に関 す る新聞 記 事 に就 て ( 哈 調 情第 四八 八号 参 照 )
大 正 十 四年 九月 二十 一日
哈爾 賓 事 務 所長
長 も本 件 に対 し已 に役 人 を派 し実 地調 査 中 な れば 許 可 調印 も 程遠 か
目 下 呉 子青 、楊 貫 三 の如 き有 力 な る諸 氏 が暗 中 活 動 し居 り、 王省
噂 あり。
秘 哈爾賓事務所長
二四
林 省 長 に請 願 し て許 可 調印 を得 ると言 ふ に在 り 。
哈調情第四五九号 大正十四年九月十日 石扶線 に関する韓瀛洲 の活動
確 かな る節より聞く所 に依 れば、石扶鉄道 の計画者 たる韓瀛洲 は 哈爾賓 に於ける画策が意 の如く進捗する能 はざりし為、自ら奉天 に に於け る聯絡関係 を取調べたる処、彼は東三省官銀号劉海泉 の外知
乗込 み要路 の人 々を動かさんとす る意気 込みな る由に付き、奉天側 己 なしと の事なり。 二五 哈爾賓事務所長
大正十四年九月十八日
哈調情第四八八号
東鉄伯都納支線進行現状 (九月十 八日附東 三省商報) 東鉄 の伯都納支線敷設問題 に関する経過 に就 ては已 に本紙 が屡 々 報導 せる所 なるが、今茲 に伯都納 商務会 より聞く処 に拠 れば、本鉄 道敷 設発起 人方面は韓瀛洲を代表 として東鉄側 と再度協議 を重 ねた
四 、楊 貫 三 は元 木 石税 局 の通 訳 で あ つ て昨年 カ ワ リ スキ ーと 葦 沙 河 の山 林鉄 道 に手 を出 し 、吉 林 省長 の逆 鱗 に触 れ三 ケ 月 間幽 囚 の身 と な つた ので あ るが 、今 春 にな つて哈 爾 賓紳 商 連 が保 釈 を願 つ て
が韓 瀛 洲 の通訳 をし た ので あ るが 、吉 林 省 政 府 が未 だ鉄 道敷 設 を
身 柄 を 引 取 つた の であ る 。而 し て本 鉄 道 問 題 に就 て は元 々楊 貫 三
許 可 し て居 な いか ら、 楊 も亦 敢 て表 面 に立 つ て居 な い。 又 吉 林省 長 は今 でも 深 く楊 貫 三を憎 ん で居 る 。 要 す る に新 聞 に書 いて居 る こと は古 い事 柄 で あ つ て今 では 韓 瀛洲 は 哈爾 賓 に帰 つ て居 り 、再 び本鉄 道 問 題 を論 議 す る意 志 はな く 而 も 此 の問 題 は完 全 に打 ち壊 され て居 る から であ る 。今 後 心配 す る必要
哈 爾 賓事 務 所 長
二七
は な い。 (呉 三立 )
哈 調 情 第 五 〇 二号 大正 十 四年 九 月 二十 四 日 長 扶 間自 動 車 計 画
市 政 管 理局 第 四科 長朱煜 氏 の山 根 課員 に語 る処 に拠 れば ﹁最 近 自 分等 は張 作 霖 系 の某 有 力 者 と謀 り て長 春 扶 余 間 の自 動 車輸 送 計 画 を 立 て居 れ り。 愈 具体 化 せば貴 社 の援 助 を乞 ふ積 り な れば 其 の節 は宜 し く頼 む﹂ 云 々。
二八
哈調情第五三五号
哈爾賓事務所長
安達拝泉間自動車道路
大正十四年九月三十 日
前浜江県財務処主任傅小嵐は安達︱拝泉間自動車道路 の修築を請
秘 哈爾賓事務所長
二九
負 はんとして運動中なり、と。
哈調情第五七四号
東鉄支線建設 に関 する件
大 正十四年十月十 二日 十月十日、蘇子真談
イ ワノフの手先 となり東鉄支線建設 のため努力し つゝあるは侯徳
有 の外山東人徐正寛、露 亜銀行買弁呂尊 五、埠頭区天成茶荘劉金州
満 鉄が長農鉄路及下九台法大哈門線等 を計画する場合 には、吉 林
の三氏なり。
教育庁長于慕枕 ( 楡樹人)、実業庁長馬徳恩 (長春人)等を利用し、
商務会をして発起 せしむ る手段 に出づ るを可とすべし。
哈爾賓事務所長
三〇 吟調情第七二〇号
哈爾賓総商会内に鉄路運輸交際部新設
大正十四年十 一月十七日
東鉄 の運 輸 、 運賃 事 項 は甚 だ複 雑 にし て商 人 は其 の内 容 不案 内 の た め従 来 常 に多 大 の損 失 を蒙 り来 た り し が、 今 回当 地総 商 会内 に鉄 路 運輸 交 際 部 な る も のを 設 け、 新 た に運 輸 顧 問 と し て経 験 深 き露 人
哈 爾 賓 総商 会 附 設 鉄路 運 輸 交 際部 事 務 章 程
を申 し 受 く 。
哈 爾 賓 事務 所 長
三 一
( 山根)
合 に は 一件毎 に五 角 を徴 し、 若 し僅 か に 一件 のみ な る時 は 一元
哈 調 情第 七 三七 号
延 吉 道 々路修 築 と吉 敦鉄 道
大 正 十 四年 十 一月 二十 四 日
延 吉道 ヂ陶 彬 氏 は 、 一、 延吉 よ り琿 春 に至 る道 路
運 賃 計 算 、輸 送 貨 物 の到達 期 日計算 等 は凡 て無報 酬 に て取扱 ふ 。
貨 物 の損 傷 、 紛失 等 に関 す る 一切 の運輸 手 続 事務 を指 導 す 。
賃 過徴 の有 無 、貨 物 の期 限内 に到 着 す る や否 や を取 調 べ、 又輸 送
本 会 は事 務 所内 に鉄 路 運輸 交 際 部 を附 設 し 専 ら商 人 に代 つて運
◎
を 招聘 し商 人 を指 導 す る こと と せり 。
一
二
損害 賠 償 の調 査 は 已 に受領 せ る賠償 額 に応 じ 、 次 の規 定 に拠 つて
二、 延吉 よ り敦 化 に至 る道 路
四、 延 吉 よ り汪 清 を 経 て寧 安 に至 る道 路
三、 延吉 よ り東 寧 を経 て ポグ ラ に至 る道路
料 金 を徴 す 。 一件 二十 元 以 上 な る時 は其 の百 分 の二十 を 、 二 十 元以 下 な る時 は 百 分 の三 十 とす 。
を 国 道条 令 に依 つ て修 築 せ ん事 を 上申 せり 。 工事 は三 年 を 以 て完 了
し 、 之 に要 す る経費 九十 万 円 は今 後 三年 間 延 吉所 属 の土 地 及商 店 に
貨 物 の損 傷 、 不足 、 紛 失 の賠 償 金 に関 す るも のは 、次 の規定 に
賦 課 し 、尚 附 加 税 一割 を増 収 す る由 な るも差 当 り官 銀 号 よ り借 款 し
三
拠 つて料 金 を徴 す 。 計 千元 以 下 な る も のは 已 に受 領 せ る額 の百分
其 の他 の代弁 事 務 に関 し て は、 次 の規 定 に拠 つて料 金 を徴 す 。
三二
速報
哈爾 賓 事 務 所長 大 正 十 四年 十 一月 二十 五 日
哈 調 情第 七 四 二号
敦 化 延吉 間 鉄 道 は自 然 布 設 の必要 なき に至 る可 し 、云 々。
延 吉敦 化 間 道 路 は吉 敦 鉄 道 と連 絡 の為 な るを 以 て木 道 路 完成 後 は
て工 事 を開 始 す る意 嚮 な り、 と言 ふ。
の十 五、 千 元 以 上 な るも のは其 の百分 の十 を 徴 す 。 四
の注 意附 加 等 は大 洋 五角 を徴 す 。
甲 、運 送 状 の代 書 、 貨 物等 級 表 の適 用 、 特 別 保護 を要 す べき貨 物
乙、 貨 物受 領 前 に於 け る支 払 運賃 料 金 の概 算 通知 は 一件 毎 に 五角 を徴す。 丙 、 鉄 道事 務 に関 す る 用談 は 毎 次 一角 を徴 す 。 丁 、 急 を要 す る運賃 に関 す る質 問 は毎 次 一角 を徴 す 。 戊 、貨 物 受 取 手 続案 内 の為 、 哈爾 賓 停 車場 或 は埠 頭 八 区 に赴 く 場
磐 海 鉄 道 の件 ( 十 一月 二十 四 日松 江 日報) 奉 海 線 は当 局 の主 張 に依 り 巳 に建 設 中 にし て 不 日竣 工 の筈 な る が、 磐 石 は海 竜 の停 車場 を距 る僅 かに 六十 余 里 に過 ぎず 且 つ道途 平 坦 に し て、鉄 道 敷 設 費 は 一支 里 に付 き約 一万 元 にて足 り、 総 計 七十 余 万
右 の次 第 な るを以 て磐 石 県 の人 士 は最 近之 が鉄 道 敷 設 を計 画 し 、
元 を出 でず 。
し め ん と目 論 み つ ゝあ り。
商 人 の資 本 、 農 家 の土 地を 考察 し て株 式 を 募 集し 、 海竜 線 に連 接 せ
已 に該 県 知 事徐 明 勲 氏 の同意 を経 たれ ば 不 日当 局 に懇 請 し て工事 に着 手 の運 び に至 る可 し 。
一三
房公会副会長孫亮臣氏より聴取した反対理由 左の通り。
し﹂ との東鉄 の新要求に反対 して居 る。之 に関し当所浜岡職員 の油
昨年末以来当地油房公会 は ﹁ 貨物引換証面に買 手名 を記 入す べ
支那油房公会 と露国輸出業者との確執
大正十四年 一月八日 哈爾賓事務所長
哈調情第六三〇号 秘
三
びに到 るべし、と伝 ふ。信を措き難きも 一説として報告す。
情報 に依 れば張総司令は鮑督弁転職 の (全国税務督弁?)後任 と し て現参議何守仁氏 を東支督弁 たらしむべく決意し、不日発表 の運
東 鉄 露、 中 理事 間内 証問 題 他東鉄 関 係諸件
哈爾賓事務所長
大正十 三年十二月二十八日
一哈調情第六 一六号 東鉄余副 局長辞任 の件
東鉄副局長余〓氏辞職 の件 は屡 〓理事会 に謂願せしも此 の職 たる や責任重大 にし て適任者を得る こと容易ならず。而 も余副局長事 を 処する老巧 の士たり。留任に勉む る所ありしも余氏 の辞意甚 だ堅く 数日内に哈爾賓を引揚ぐべし、 と言 ふ。許可す ると否 とに関らず。 二
東支鉄道 が今回吾 々の輸出する豆粕 の引換証面 に買手名義 の記
入方 を要求 したので、油房公会は之 に反対して居る のであるが、
鉄道側は之 に応ぜねば運賃 を値上げす る、と威嚇し て居 る。此 の
哈爾賓事務所長
要求 の裏面 には将来東行運賃 の割戻実行を予想 して居る。而も該
哈調情第六 一八号
東支督弁 後任 の件
大正十三年十二月二十八日
の声 援 を求 む る と共 に赤化 予 防 の注 意 を 促 す次 第 であ る。 し か し
そ こで吾 人 は朱 長 官 及蔡 道 尹 に別 紙 の様 な請願 書 を提 出 し 、其
る に近来 少 数 の露 商 屡 次 買方 よ り貨 車積 込 を為 し 、 鉄道 貨 物 引換 証
とし 、久 しく 此 の方 法 に依 り行 ひ決 し て差 支 な か つた の であ る。 然
道 貨 物引 換 証 を得 、 之 を買 方 に交 付 し以 て全 部 の代金 を 受 取 る こと
百 元 の手 附 金 を交 付 し 、期 日 に至 り売 方 よ り貨 車 に積 込 みは じめ 鉄
き 其 の明 証 であ る。 今 其 の事 情 を詳 細 陳述 せ ん に、 従 来 は各 油 房 が
本 問 題 に は買 手 た る露 商 が鉄 道側 と窃 に共謀 し て居 る らし く 容易
は買 方 の名 義 を用 ひ ん こと を要 求 し て来 た。本 会 も 再 三研 究 せ る が
豆 粕売 渡 契 約 を為 せ る後、 一貨 車 に付 き買 方 より売 方 に対 し大 洋 一
に吾 人 の有 利 な解 決 を観 る こと は 六 ケ敷 し いの で、 吾人 も 之 が 対
買 方 が未 だ全 部 の代 金 を 交 付 せざ る に若 し 買 方 の名 義 とす れ ば、 貨
割戻 は買 手 た る露 商 に対し て のみ行 な ほう とす る のであ る か ら吾
策 とし て従来 通 り解 決 す る迄 は、売 手 名 義 で託 送 す る事 にし 、露
物 を発送 し其 の聞意 外 の事件 発 生 せる場合 拠 る べき 憑拠 な け れば 、
人 は之 に賛 成出 来 ぬ。
商 と売 買契 約 を せぬ こと に申 し合 わ せ て居 る 。 で あ るか ら目 下露
何 処 に向 つて代 金 を要 求 す べ き術 も な く危 険 が多 いか ら、 其 の名 義
商 と の取 引 は 一切 中 止 の姿 であ る。 而 し て其 の割戻 率 は鉄 道側 で明 示 し な い から 不明 であ る が何 で
る に昨 年 十 一月 十 七 日東 支 鉄道 管 理 局商 業 部 よ り書 面 を以 て本会 の
変 更 の提 議 に は賛 成 し難 い ので、 当 時其 の反 対 の旨 を 回答 し た。 然
代 表 者 に出 頭 す る様 通知 し て来 た。 代表 者 を出 頭 せし め た る に露 商
も 三百 車 以 上 一布度 当 り 一仙 五厘 と し て、 更 に出 貨 増 大 に連 れ て
カバ ルキ ン、 シビ リ ー、 カガ ン並 其 の他 の露 人 が居 つた。 其 の席 上
割 戻 率 を 多 くす る模 様 であ る 。 一面 本問 題 は満鉄 の北満 豆粕 南 下 上 好結 果 を 与 へて居 る訳 で、 此 の際 満鉄 は何 等 か の対策 を講 ぜ ら
に於 て商業 部 の露 人 豆粕 の鉄 道証 券 には輸 出 商 の名 義 を 以 てす べ し、
れ ては如 何 云 々。
と提 議 し て大 に力 説 す る のであ る から 、之 に対 し本 会 代表 は此 の事
東 鉄 鉄道 証券 名義 変 更 反 対 に関 す る請 願 書
な さ しめ ん と 欲 せば 、其 の積 込 に先 だち貨 物 代金 の全 部 を交 付 す る
鉄 道 を設 置 す る は交 通 を便 にし商 売 に利 せ んが為 で ある 。而 し て
か、或 は管 理 局 に於 て相 当 の保 証 を為 し 、売 方 の被 るべ き 一切 の危
いか ら之 に干渉 す べき 理由 がな い、 若 し 必ず 買方 をし て貨 車 積 込 を
露 人 に属 せ るを 以 て、 我 が華 商 は言 語 文 字 の扞 格 に因 り常 に欺瞞 せ
険 を 除く べき で あ る、 と 回答 し た 。該 露 商 も露 人鉄 道 員 も之 に抗 弁
は売 買 者 双 方 の営 業 上 の手 続 であ つて、鉄 道 管 理局 と毫 も関 係 が な
られ而 し て如 何 す べ き、 且露 支 商 人 に対 し 明 か に軒 輊 す る所 あ る は
東鉄 は露 支 合弁 で あ るか ら露 支 両国 民 に対 し ては自 ら 一視 同仁 の下
巳 に確 実 に し て動 かす べか らざ る慣 例 とな り 、凡 そ東鉄 沿 線 に居 留
る こと が で きな け れば 、 鉄道 局 は運賃 を増 加す る権 利 があ る から 油
す べき余 地 がな い ので遂 に脅 嚇 手 段 に出 で、若 し其 の主 張 に服 従 す
に力 め て便 利 を謀 る べき も のな る に不 拘成 立 以来 其 の重要 職員 概 ね
す る者 は此 の種 の痛 苦 を感 受 せざ る は な い。 現在露 支協 定 成 立 せ る
房 の使 命 を制 す る ことが でき る、 と 言 ふ の であ る。斯 く し て何 等 の
を以 て其 の取 扱 は 従前 に比 し妥 当 に出 づ べき に不 拘 、 一切 の措置 実 に当 を得 な いも のが多 い。 即 ち今 回本 会 の豆粕 輸 送 に干 渉 す るが如
決 定 を見 ず し て退 出 し た。
促 し て置 いた 。然 る に十 一月 二十 四 日ま た 経済 調 査 局長 より本 会 副
運 賃 値 上 げ を実 行 す る こと に堅 き 決心 を有 し、 必ず 数 十 戸 の油 房 を
業 者 を敵 視 せ る ことを 知 る こと が でき る。 且聞 く所 に よれ ば東 鉄 は
を輸 出業 者 の手 に帰 せし め ん とし て居 る のであ つ て、 是 明 か に製 造
製 造 業者 は皆 支 那 人 であ り 、輸 出業 者 は皆 露 人 な る が為 に強 い て之
会 長 及 ソ ー スキ ンを 局 に招 き 大 いに威 嚇 し て曰く 、 東鉄 では 運賃 値
し なけ れ ば なら な い こと にな る。 数十 の資 本 家 の倒閉 は惜 し む に足
全 部 掃蕩 せ んと し て居 ると 。果 し て如 斯 な れば 油 房 は相 率 ひ て倒 閉
本 会 は此 等 の情 況 を 書面 を 以 て東 支 理 事 会 に通 報 し て其 の注 意 を
上 げ に決 定 し た 、但 し各油 房 が若 し買 方 の貨 車積 込 を承 認 す れば 尚
本 会 は露 支協 定 成 立後 外 は鉄道 当 局 の措 置 に対 し、内 は職 工 の挙
誠 に想 像 の及ば ぬも のが ある であらう 。
る こと は免 れ難 い。其 の時 哈 市 の市場 は如 何 な る現 象 を 呈す べ き か
らず と す る も、 多 数 の労 働 者 が職 を失 ふ ことと な れ ば彼 等 の赤 化 す
撤 回 の余 地 があ る、 と頗 る 理不 尽 の言 分 であ る 。種 々論 駁 の結果 依 然 と し て亦 何 等 の纒 りを見 な か つた 。 抑 々貨 物 の輸送 は何 人 の名 義 た る を論 ぜず 、鉄 道 の得 る所 は運 賃
か ら干 渉 を加 へ、 且卑 劣 手段 を弄 し て脅 嚇 す る ので あらう か、種 々
動 に対 し 、 時 々注 意 を加 へて居 る の であ るが、 蓋 し職 工 は智 識 が簡
のみ であ る。 然 る に 豆粕 の輸 送 に対 し鉄 道 が何 の関 係 が あ つて横 合
考 へて見 る も其 の理由 が分 ら な い。 若 し伝 聞 す る が如 く んば 其 の原
は微細 で ある け れど も 、其 の資 本家 を推 倒 さ ん と す る の心情 は既 に
因 は極 め て複 雑 であ る が、其 の主 要 な る 点 は、資 本 階 級 を打 破 し 共
其 の端 倪 を見 る ことが出 来 る。微 を防 ぎ漸 を杜 ぐ見 地 から之 を軽 視
であ る。 今 回鉄 道 当 局 が権 限 外 の貨 車積 込 問題 に干 渉 す る が如 き事
け れ ども 、霜 を履 ん で堅 氷 に至 るを 知 る のであ る 。蓋 し油 房 の税 金
単 な る が為 に、 も し之 に対 し 少 しく其 の措 置 を過 れば 其 の害 は激 烈
を負 担 す る こと は露 商 よ りも 重く 特 に困難 の立 場 に居 る。之 が為 連
産 主 義 を普 及 せし め ん とす るに あ る。 此 の事 は未 だ其 の証左 は な い
年鉄 道 局 で深 く 其 の困難 を察 し、 再 三 運賃 を軽 減 し た の であ る が尚
に出 づ るは果 し て如 何 な る目 的 を有 す る の であ る か、頗 る測 り知 る
も限 ら れ な い。本 会 は既 に見 る所 あり 、鉄 道 当 局 が威 嚇 せる情 況 を
し て種 々悪 辣 の手段 を弄 す る から 、 また如 何 な る 問題 を 惹起 せず と
れ ぬ であ らう 。但 し猶 太 商 人 は由来 陰 険 であ つ て鉄 道 当 局者 と共謀
閣 下 は人 民保 護 を念 と せ ら れ て居 るか ら自 ら 其 の横 暴 を看 過 せら
す る こと は出来 な い。
可 か らざ る も の があ る。 又聞 く所 に よれ ば輸 出 商 に対 し割戻 金 を与
具 陳 し速 に制 止 の法 を講 ぜ ら れん こと を請 ふ次 第 で あ る。
維持 し難 い状 況 に在 る 。然 るに今 鉄 道 局 が 以前 の態度 に反 す る処 置
へる こと を 承認 し た から、 輸 出商 を し て積 込 を為 さし めん とす るも
露 国商 業 会議 所 の反 駁書
に提出 し た。 其 の大 要 は左 の如 き も の であ る。
右油 房 公 会 の陳 情 書 に対 し、露 国 商業 会 議 所 が反 駁 書 を朱 長官
の であ るか 。原 来実 業 は市 場 の源 で ある故 に市 場 の発展 を期 せ んと せば実 業 を 保護 す べき で あ る。運 輸 を奨 励 す る為 に割 戻 制 を取 る と せば 、其 の割戻 金 は当然 之 を製 造業 者 に帰 す べ き であ る。 蓋 し製 造 業 者 が多 く な れば 多 く な る程 輸出 が盛 にな る から であ る。然 る に今
油 房 公 会 と輸 出 商 と の係争 は永 年 に亘 るも ので此 の間油 房 側 は常 に私 利 に汲 々とし て偏 頗 なる 手段 に出 る こと が多 か つた が、 輸 出商 は友 誼 関 係 の破 壊 を惧 れ て事 毎 に譲歩 を 重 ねた け れど 、其 の不 当 な
何等 の効果 を齎 す も の でな い。
四
発信者 哈爾賓事務所長
発著 月 日
る処 置 には 不満 を懐 かざ るを得 な か つた 。更 に最 近 油 房 公会 は豆粕
此等 売 買 当事 者 間 の紛 争 の結果 、 東 鉄 は多 大 の損 失 を 蒙 り た るた め
輸 送 に当 つて は、 油房 公 会 を発 送 人 名 と せ ん事 を輸 出 商 に要 求 し た 。
発信番号 第 二五号 (暗号)
六時二十分著
午後 四時 四 十分 発
東 支 理事 長 代 理袁 金 鎧 ハ理事 会 ニ於 ケ ル態 度 公平 ニスギ、 支 那側
同
大 正 十 四年 一月九 日
座 視 す るを得 ず 、 東鉄 商 業 部 は自 ら 調停 に立 つた が結 局何 等 の妥協
本
文
を見 ず 物 別 れ とな つた の で、其 の際 何 ら運 賃 引 上げ の威 嚇 手 段 を弄
モキダ イ ニテ支 那総 商 会 ト鉄 道 間 ノ調 停 ニ努 ム ル モ、 事態 更 ニ紛糾
理事 ノ受 ケ宜 シカ ラズ 且 ツ露 西 亜側 理 事 ノ圧 迫 甚 ダ シク最 近 ハウ ク
し た の では な い。 そ の後 ソ スキ ン氏 が油 房 公会 長 と 同道 で、 東 鉄調 査 局 に至 り同 様 威 嚇 に遭 ひた り、 と の如 きも事 実 無 根 にし て、単 に
尚朱 慶瀾 モ辞 表 ヲ提 出 シア ル コト事 実 ナ ルガ、張 作霖 ハ十 一日 (?) ︹ 官︺ 迄 ニ ハ帰奉 スベ キ ニ付 キ其 ノ上 東 三省 就 中東 三省 特別 区間 制 ニ 一大
ノ徴 ア ル ニ鑑 ミ愈 々辞 意 ヲ決 シ、 七 日張 総司 令 ニ電 辞 表 ヲ発 シタ リ。
︹ママ︺
東 鉄 で右 二氏 が邂 逅 し た にす ぎ な い。即 ち右 に述 べし が如 く 此 の陳
改革 ヲ行 フベ ク予想 サ レ、当 地 官場 ニ ハ尠 カ ラズ動 揺 ノ徴 ア リ ( 東
情 書 の内 容 は全 然 虚構 にす ぎ な い。
人問 題 を持出 し、 事 件 を複 雑 にし て支 那 側 を瞞 着 し、 東鉄 に 一大痛
更 に油 房 公会 は此 の係 争 に贏 を得 ん と て殊 更 に貨 物 引換 証 の名義
棒 を加 へん と画 策 し て ゐ る ので あ る。 又東 鉄 は資 本 家階 級 の倒 滅 を
哈爾 賓 事 務 所長
京支 社 長電 済 、 北京 公 所長 別 途 書 面済 )
五
秘
に て本 日浜 岡 当所 員 に語 つて曰く 、
東鉄 理事 袁金 鎧 氏 は昨 今 頻出 し た難 問題 に就 き頗 る昂奮 せる態 度
袁 金鎧 の東 支 諸問 題 に関す る談 話
大 正十 四年 一月 十 二 日
哈 調情 第 六 三 八号
図 り 一意 労農 政 策 を実 現 せん と し て ゐる 、 の文句 に対 し て は商 業会 議 所 は断 々乎 と し て否 定反 駁 せざ るを 得 ぬ。 油 房公 会 は 更 に苛 歛誅 求 を訴 へて ゐる が、 当 課税 者 は東鉄 でな く て支 那政 府 其 のも の では な いか 。 哈 市油 房 の現 状 は公 会 が言 ふ如 く困 窮 の状 態 にあ るが 、之 を以 て 輸 出商 と割 戻 金 と結 付 け て 云 々す る は不 可解 千 万 の事 であ る。 要 す
最 後 に吾 人 の最 も遺 憾 とす る は猶 太 商 人 云 々と の誹 諦 であ る。斯
る に公 会 は事 件 を無 暗 に紛糾 せし め ん とす る下 心 に外 はな い。
る事 柄 は単 に外 国人 間 に支那 人 に対 す る侮蔑 の念 を喚 起 す る而 已 で
れ ば北 京 にて は露 支細 目 協 定 に就 き腐 心 中 にて、東 支 鉄 道 の買 収 は
護 路 軍 司 令部 の傅 稽 査 は十 一日北 京 より帰 哈 せ る が、 其 の談 に依
東 支鉄 道 は東 三省 官 民 に て買 収 の計 画
では之 を切 抜 け る事 が六 ケ敷 いか ら、 五 日辞 職 電 報 を発 し た が未
一、 東支 諸 問 題 が支 那 商 と軍 憲 側 の要 求 によ り益 紛 糾 し、 自 分 のみ
だ何等 の返 事 が な い。 聴許 さ れね ば罷 め る訳 にも 行 かず 嫌 な が ら
と いふ。
東 三省官 民 の出資 を 以 て行 ふ計 画 にし て不 日資 金募 集 に着 手す べし、
七
大 正 十 四年 一月 十 七 日
哈 調情 第 六 四八号
の法 律 を適 用 し た る に鑑 み、 イ局 長 は之 を禁 止 す る為 、 左 紀要 旨 の
東 鉄管 理局 法律 課 其 の他 に於 て従来 の慣 例 に依 り 、帝 政露 国 時 代
東 鉄 の旧帝 政 露 国 法律 適 用 禁 止令
哈爾 賓 事務 所長
も 辛忙 し て やる の外 はな い。
あ る が、 カ ラ ハンよ り承 認 す可 からず 、 と の入電 あり 又 々行悩 み、
一、 八 区 の問 題 は ポ ズ シ エー エ フの承認 に依 り 一時 解 決 を見 た ので
其 の解決 至 難 と な り 、ポ ズ シ エー エフも自 分 も共 に板挾 みと な り 非 常 に困 つて居 る 。 ポズ シ エー エフは之 が為 一両 日中 に北 京 に赴 き カ ラ ハンに事情 を陳 べ る筈 であ る 。自 分 も両 三日 中或 は 張総 司 令 の下 に行 く かも し れな い。
し 、陸 軍 側 の反 対猛 烈 であ つて其 の解 決 も亦容 易 でな い。
一、 又陸 軍 の予 算 ( 路 警 処 及護 路 軍 経費 を指 す で あら う) 削 減 に対
一、 其 他用 人 問 題 、 土 地画 分問 題 等 至難 の問 題 が多 々あ る から、 六
命 令 を発 し本 年一 月 一日よ り実 施 す る事 と な れり 。
じ、支 那 共 和国 の現 行 法若 しく は国 法 に牴 触 せざ る慣 例 を適 用 す
一、 管 理 局内 の 一切 の件 に対 し ては 旧帝 政露 国法 律 を適 用 す るを禁
ケ 月 の期 限 内 には協 定 の成 立 は 到底 困難 であら う 。
せら る べき であ る が八 区 の土 地 は鉄 道 で買 収 し たも のであ る から
共 和国 の法 律 を適 用 す る事 。
は ソビ エト聯邦 共 和 国 公 民 に対 し て、当 該 外 国 又 は ソビ エト聯邦
適 用規 定 ﹂ の条 項 に該 当 す る場 合 に於 て、支 那 人 以外 の外 国 人 又
三、 支那 共 和 国第 八年 八 月 五 日附 を 以 て実施 せら れ た る ﹁ 外 国 法律
を禁 ず 。
二、 各種 事 件 に関 す る法 定 文等 に、 旧帝政 露 国 の法 律 を 利 用す る事
る事 。
一、 八 区 の問 題 は土 地 画 分委 員 会 の協 定 を 経 、更 に理事 会 に て議 定
其 の 一部 は支 那側 に移管 さ れよ う が、 大 部 分 は依 然鉄 道 側 の所 有
哈 爾 賓事 務 所長
に帰 せ ねば な る ま い。 支那 側 も余 り多 く を 回収 し よう と 欲張 る の は悪 い、 云 々。
六
大 正十 四 年 一月十 三 日
哈 調情 第 六 四 一号
哈 調情 第 六 六四 号
八
哈爾 賓 事務 所 長
シ ユシ コフ烏 鉄 長 官 罷免
大 正十 四年 一月 二 十 二 日
鳥 鉄 長 官 シ ユシ コフは昨 年末 莫 斯 科 よ り の召電 を受 け 、来 る 二十 五 日 当地 通 過赴 莫 の筈 な る が、信 拠 し 得 べ き消 息 通 の語 る 処 に拠 る と 、既 に烏 鉄長 官 を 免 ぜ ら れ将 来交 通 人 民委 員 会 に勤 務 す べく 、 後 任 は グゾ ウ レ フで ある と。 尚 シ ユシ コフは イ ワノ フ局 長 に代 る様 莫斯 科 政 府 よ り推 薦 せら れ
哈 爾 賓 事務 所 長
た る事 あ るも之 を拒 絶 し た と言 ふ。
九
哈調 情 第 六 六九 号
ボ ツデ ー エフ以下 帰 哈
大正 十 四年 一月 二十 四 日
ボ ツデ ー エ フ、 グ ラ ンド 、 イ ワノ フ、デ イキ ー及 ポ ポ フ (ボヅ デ
哈爾 賓 事 務 所長
一〇
ー エ フ秘 書 ) の五 名 は 二十 四 日 の列 車 に て帰 哈 す 。
哈 調 情 第 六七 〇号
ボヅ デ ー エフ帰 哈 後 の談
大 正 十 四年 一月 二十 六 日
曩 に東 支 重要 問 題 に就 ては カ ラ ハン の指 令 を抑 ぐ べ く赴 燕 せ る副
理事 長 ボヅ デ ー エフは帰 哈後 当 地露 字 紙記 者 に語 る所 は赴 燕 前 と何
て之 が解 決 を図 るを至 当 とす る と主 張 し て居 る。
等 異 な る事 なく 、 土 地問 題 の如 きも 依 然 とし て土地 委員 会 を 設 定し
一 一
北公調 二四第甲号 の 一二七
鮑貴卿東支鉄道督弁任命発表 の件
大正十 四年 一月三十日 北京公所長
王
王
鮑
景
逎
貴
春
斌
卿
一昨 二十九日 の臨時執政令を以て左 の通り発表せられました。 東支鉄道督弁 に任ず
東支鉄道督弁
東支鉄道督弁代理
久重く未就任 に付免職す 依願 免職
一 二
大正十四年 二月三日 哈爾賓事務所長
哈調情第六八六号
現 在露 亜 銀 行 は ソ ビ エト露 国 側 か ら の圧迫 と株 主間 の軋轢 によ り
特 報員 の齎 せる情 報 に依 る と露 亜 銀行 の近情 は左 の通 り 。
で ある 。
亜 銀 行 の差押 が実 現 す るやう 極 力運 動 し た が徒労 に帰 し た、 と の事
ら で、斯 の駐 仏露 国 使 節 ク ラ シ ンの如 き は露 西亜 の銀行 とし て、露
な か つた。 こは言 ふま でもな く 仏国 政 府 が自 国 の企 業 と看 做 し た か
て在 仏 の旧露 諸 銀 行 の差 押 を 始 め た が、此 の差押 は露 亜銀 行 に及 ば
頗 る困難 な試練 を経 つつあ る。 人 の知 る よう に銀 行 に は三系 の株 主
露 亜 銀 行最 近 の内情
団 言あ つて互 に勢 力 を争 つてを る。即 ち 露 国系
ギ ンスブ ルグ 男 を戴 く
レ ンデ ル父 子 を戴 く
頭 にプ チ ロフ、 バ ト ーリ ンを戴 く
め に従事 し てを る が、 現在 の処 では倫 敦 あ たり で小 数 の株 を 手 にし
勢 力 を増 し 、之 を乗 取 ら ん為 種 々 の陰 謀 を行 ひ、 ひ そか に株 の買 占
夙 に新 聞 紙 な ど の伝 ふる如 く ソビ エト政 府 は露 亜 銀 行 に対 す る実
仏 国系
得 た にすぎ ぬ、 と言 ふ。尚 ソビ エト政 府 が露 亜 銀行 を 重視 す る大 原
英 国系
最 近 に は此 の間 に ネ ン スキ ー某 が率 ゆ る ソビ エト露 国 系 の小団 が
せ らる) であ る 。
因 は同行 の保管 中 にあ ると言 はる ゝ東 支鉄 道 株 (五百 万留 以 上 と称
こ のソビ エト露 国 側 の陰 謀 に対抗 し て画 策 怠 り な い のは銀 行 の実
(理事長 ) 、 エゼ ル スキ ー伯 、 レ ンデ ル (子 )、ギ ン スブ ルグ 、 ピ ー
割 込 ん で来 て活動 し てを る。 巴 里 本社 に は取締 役 と し て プ チ ー ロ フ
メ ノ フ及 バ ト ーリ ンがを り、 相 談 役 と し て レ ンデ ル (父)、 ギ ン ス
国財 界 の有 力 若 及仏 国 の銀 行 株 主 と謀 り、銀 行 の改 革 案 を作 製 中 で
権 者 た るプ チ ロフで、 彼 は来 るべ き株 主総 会 及 露仏 会 議 を控 え て仏
あ ると共 に ソビ エト勢 力 の 一掃 に努 め てを る。 哈爾 賓 のブ ヤ ノ フス
の交 悉 く北 京 支店 長 の管 下 に統 一せ ら れ て完全 なる自 治 を享 有 す る ことと な り、 かく てプ チ ヒ ユーゲ ナ ンが亜細 亜 諸 支店 の総 支 配 を し
キ ーな どは 銀 行 に於 け る仏 人 の持株 が六割 に達 し、 露 人 の持 株 は小
ブ ルグ等 が居 る。在 亜 細 亜 の諸 支 店 は 一九 一七年 末 一九 一八年 始 め
て居 た が、 其 の後 レ ンデ ル派 の圧 迫 に よ つ て召還 せ ら れ、後 任 と し
よ つて左右 せ ら る ゝ憂 ひな し、 と語 つてを る が 一般 には此 の露 仏勢
レヂ ツト) と 言 ふ に保 管 し あ るを 以 て、銀 行 が ソビ エト露 国 株 主 に
力 の暗 闘 の結果 は、 来 る株 主 総 会 で始 め て明 白 にな る事 と観 測 し て
数 にす ぎず 且 銀行 の基 本株 は仏 国政 府 指定 の仏 国銀 行 (リ オ ン ・ク
極 東 に於 け る レ ンデ ル派 の勢 力 は次 の様 に分 布 し て を る。 プ ラ イ
て は レ ンデ ル (子) の任命 を 見 、 ブ ラ イ エルが事 実 に之 を補 佐 し て
エル (上海 )、 レ ンデ ル ( 子 ) (巴 里)、監 査 役 のクリ ーゲ ル (上海 )、
を る。若 し 夫 れ露 亜 銀 行 そ の者 の所 属 問題 は将 来開 催 の露 仏 会議 に
を る。
松 花 江製 粉 会 社 の支 配 人 ノ ヰ コフ、ブ ヤ ノ フ スキ ー ( 哈 爾賓 新 市 街
於 て其 の解 決 を待 つべき も のであ る が、 ソビ エト露 国 に於 け る露 亜
等 種 々複 雑 な 条件 を想 へば勿 論 難題 で ある。 ブ ヤノ フ スキ ー の談 に
銀 行 の没 収 国有 化 、 東 支鉄 道 附 帯条 約 た る支 那 政府 対 露亜 銀 行条 約
支 店長 ) レ ンデ ル派 に対す る反 対者 と し て は哈 爾賓 埠 頭 支店 長 のブ リ ヤ ツ ヘル のみ であ る。 昨年 末 仏 国 政府 は在 仏露 国 財 産 の保 護 を名 義 とし
に難 く な く 、従 つ て平生 プ チ ロ フ及 プ チ ヒ ユゲ ナ ンに睨 ま れ て居 る
制 度 の廃 止案 が提 起 せ ら れ結 局自 治 撤廃 の実 現 を見 る に至 るは想 像
レ ンデ ル の 一味徒 党 は 先づ ブ ヤ ノ フスキ ー等 を首 めと し て悉 く免 職
よれ ば、 プ チ ロ フ其 の人 など も ソビ エト露 国 の現 状 では、 露 亜 銀行
いて ゐる と か。 そし て今 や銀 行 を 叙 上 の危 機 から救 出 す る ため 複雑
が露 国 の管 下 に復 帰 す る こと はむ づ かし い であ らう 、 と の意 見 を抱
せ ねば な ら ぬ破 目 にな らう 。
レ ンデ ル 一派 言亜 細亜 支 店 を文 配 し て居 る間 に、 銀 行 は多 大 の関
巧妙 な る政策 の遂行 を促 が し つ つあ る大 過 渡 期 に あ ると称 し得 よ う。 次 に極 東 に於 け る銀 行 の営 業 状 態 を 見 る と、 銀行 は ソビ エト政府
ン スク製 粉 場 満洲 会 社 及 米国 商 工 会 社 (ア ンド レ ー エ ン 及 マ ヰ エ
ル) で、 ブ ヤ ノ フ スキ ー の専 ら 参 与 せ る製 粉業 は 約 六十 万 円 の損 害
係 を有 す る 三 大企 業 を 失 つて仕 舞 つた。 即 ち東 支鉄 道 ブ ラゴ エチ エ
を齎 ら し、 東 支鉄 道 に外 国商 品 及 材 料 の納 入 を目 的 と せ る米 国会 社
の東 支 回収 及 オ スト ロウ モ フ の逮 捕 の為少 な からざ る打 撃 を蒙 つた 。
は プ チ ロフ の信 任 を利 用 し て、満 洲 に於 け る営 業 の復 興 及蒙 古 に於
は、 其 の計 画 及 資金 の大 に拘 らず 二百 万円 の損 害 を 与 へた。
而 し て銀 行 の計 画 を 更新 す る の已 む なき に至 り、 現 にブ リ ヤツ ヘル
ル 一派 は固 よりブ 氏 の此 の計 画 を好 まず 、 極力 ブ 氏 の罷 免 を 策 し て
花 江 製粉 が ひ とり 完全 に営 業 し て居 る位 であ る 。此 の満 洲 に於 け る
満 洲会 社 は現 在 憫然 た る悲況 に陥 り銀 行 関係 の企 業 と し ては唯 松
け る営 業 の拡 張 を目 的 とす る計 画 を樹 てた が 、 レ ンデ ル及 ブ ライ エ
ゐ る。
営 業 状態 及関 係 企 業 の破 綻 に関 し ては 、既 にゴ イ エルが詳 細 な る 調
現 在 ブ リ ヤ ツ ヘ ルが上海 に在 る のは叙 上 の密接 の関 係 が あ る ので、 若 し バ トー リ ンの親 友 たる ゴ イ エル の何 か偶 然 の周 旋 がブ 氏 を 救 ふ
査書 を作 製 し 、之 を巴 里 のプ チ ロフに提出 し て居 る。
一 三
哈爾賓事務所長
露亜銀行と東支鉄道 の関係 は後者が赤化し て以来とかく円滑を欠
露亜銀行と東支鉄道関係紛糾
大正十 四年二月十八日
哈調情第七 一六号
於 け る企 業 投 資 銀行 とし て活 躍 し 来 る事 は疑 を容 れ な い、 云 々。
居 る が、 極 東 の新 形 勢 に応 じ て早 晩何 等 か の新 形式 を装 ひ 、満 蒙 に
要 之 露 亜 銀 行 は目 下 巴 里及 極 東 に於 て混沌 たる過 渡 の姿 を呈 し て
やう な こと なく ばブ 氏 の帰任 は覚 束 な か らう 、 と さ へ 一部 で は観測 さ れ て居 た 言、 数 日前 同 氏 は 帰哈 し た 。 仏 国 資 本 家 は亜細 亜 に於 け る仏 国 の新財 政方 針 に順 応 し 、満 蒙 に 於 け る仏 国 利 益 の唯 一の代 表 者 た る此 の露 亜銀 行 を介 し て、将 来 茲 に大資 本 を 投 じ得 るも のと考 へて居 る が、 此 の計 画 の支 障 とな る の は 亜 細亜 諸 支 店 の自 治 制度 と茲 に蟠 居 せ る レ ンデ ル 一派 の勢 力 で、 此 の自 治制 度 を撤 廃 せ ぬ限 り前 記 の計画 は其 の最 小 のも のでも是 が 実 現 は期 し難 い、 と観 ら れ て居 る。 然 る に勿 論 レ ンデ ル 一派 は亜 細 亜 諸 支 店 の完 全 な る自 治 の存続 を欲 重 て居 る。 プ チ ロフは目 下 欧羅 巴 に於 け る銀 行 の救 済 策 に没頭 し柳 か極 東 の 事 情 に遠 ざ か つて居 る が、 愈 株 主総 会 言 開 か る れば 直 ち に此 の自 治
るが如 き 事情 に在 る。其 の原因 は、
く風 があ つた が、 最 近 に至 つて愈 悪化 し 今 は将 に関 係 決 裂 せ んと す
せし め ん こと を本 社 に提 議 す。
可 を経 た る こと あ る鉄 道 の商 品 担保 貸 附事 務 を 左記 規 準 に拠 り復 活
信 用 を増 し 、貨 物 を 吸 収す る ことを 専 一と し て荷 主 の便 宜 を 計 る
第 一、最 初 の 一ケ年 間 に於 け る貸附 事 務 は試 験 的 の意 味 に て鉄道 の
露 亜銀 行 は 従来 東 支鉄 道 の委 任 に依 り 一分 の手 数料 を取 つて同 鉄
一、 タ リ フ及債 券 問 題
第 二、 一九 〇 八年 命 令 第 五 八 四号 ﹁商 品担 保 貸 附事 務 取 扱規 則 ﹂第
道 のタ リ フを売 り、 又 一割 の手 数料 を以 て鉄道 債 券 を交 換 し て居 た。
二十 七条 を 補 足拡 充 し て、右 規則 第 二十 八条 に示 す手 数料 と交 通
には 、
し て債 券 の交換 高 を制限 し て居 た事 が発 見 さ れ、 銀行 が自 己 の資 金
事 務費 とを 加算 し た る貸附 利 息 が常 に鉄道 金 庫 よ り の引出 金 若 し
と 共 に、 鉄 道業 務 上 の損失 な き こと を期 す る こと。 而 し て之 が為
を運 用す る事 な く、 単 に鉄 道 タ リ フ、 即 ち 鉄道 財 産 を以 て利 益 せ る
く は 銀行 より の融 通 資 金 に 対し支 払 ふべ き利 息 を 下 らざ る範 囲 に
然 るに満 洲 里 及海 拉 爾 の露 亜 銀 行支 店 は、 右 タ リ フ の売 上高 に比 例
の みな らず 、 右交 換 制 限 に依 り債 券 の信 用 を失 墜 せる事 。
再 割 引 を受 く る こと を管 理 局 に許 可 す る こと 。
第 四、 銀 行 に於 て コー ル及 特 定期 借 の形 式 に て商 品 担 保貸 附 証券 の
︹マ マ︺
く が如 き こと なき を条 件 と す 。
鉄 道 が 必ず 右 金額 に 対す る銀行 再 割引 を 余儀 なく さ れ、 損 失 を招
な る こと あ るも 、本 年 九 月 一日を超 えざ る ことと し 、且 之 が ため
接 需要 生じ 、 其 の返 還 を要 す る時期 迄 と す 。但 し 同返 還 期 は如 何
留 乃至 百万 金 留支 出 の許 可 を与 ふ る こと 。右 融 通 期間 は鉄道 に直
第 三、管 理局 に対 し商 品 担 保貸附 資金 とし て鉄 道 金 庫 より 三 十 万金
任 す る こと。
て、金 融 市 場 の状 況 に応 じ適 宜之 を決 定 す べ き こと を管 理 局 に 一
二、 担保 物 件 の自 由 処 分 鉄 道 が昨 年 十 二 月初 め某 商 会 の信用 保 証 状担 保 と し て露 亜 銀行 に
哈 爾 賓事 務 所 長
一四
る。 而 し て鉄 道 側 は露 亜 銀行 に対 し 二 月 十五 日 限 り タリ フ及 債 券 の
差 入れ置 き たる 第 三 回債券 十 万 元 を 銀行 が勝 手 に処 分 し たる 事 に在
取扱 を停 止 した 。
哈 調情 第 七 二五 号
東支 鉄 道 に て特 産 担 保金 融 実 施 計 画
大 正 十 四年 二月 十九 日
本 月 十 三 日暗 号 第九 号 にて取 敢 へず報 告 し て置 きま し た首 題 の件
り差 向 け 二、 三 の駅 に於 てな り とも右 事 務 を 開始 し 、此 の実験 の
第 五、 右提 案 に対 し本 社 の許 可 あり た る場 合 、管 理 局 は 二月 五 日 よ
東 支 鉄道 管 理 局 は鉄 道 に貨物 を吸 収 し貨 物 の南行 を防 止し て輸 送
に関 し、東 鉄 某 責 任者 より得 た る内 報 の訳 文 左 の通 り送 付す 。
を図 る予 定 な り。 然 る に管 理 局 は此 の提 案 に対 し本 社 の許 可 な き
結 果 に依 り春 期 穀物 出 廻 終 了 後秋 期新 出 廻 期 ま で には業 務 の拡張 ︹ママ︺
上 の偏 向 を匡 し 、 其 の激 調 を按 配 す る目 的 に て 一九〇 八年 本 社 の認
によ り 、 一月 三 十 日更 に本 社 に対し 来 る二 月 五 日 に貸 附業 務 を開
従 来露 亜 銀 行 は東 支 のタ リ フ販売 権 を 有 し 、 又東 鉄 の債 権 を交 換
二、 東鉄 タ リ フ販 売 中 止
は銀 行 に宛 、 タ リ フ の販売 並 に債 権 の交 換 を 中止 す べき 通牒 を 寄 せ
し而 も 奉露 協 定 後 と 雖 も之 を実 施 し来 れ る が、本 十 二日東 鉄 管 理 局
た り。 故 に銀行 は其 の理由 の如 何 を 問 はず 、 二月 十 五 日 之 を市 中 に
の補 足 事項 とし て管 理 局 の指 図 にて鉄 道 金庫 よ り右 業 務 担 保資 金 と し て五 十 万金 留 を 支出 す る こと、 及 同 じ く 五十 万 金 留 の再 割 引
発表 せり 。
始 す べ き希 望 を附 言 し て至 急 決裁 方 を 要 請 し 、同 時 に前 記請 願 書
を銀 行 より受 く べき 権 限 を同 局 に附 与 せら れ ん こと を申請 し居 れ
ーが本 一月 十 六 日頃 薪 及 枕 木 を東 鉄 に納 入 す る こと を契 約 し 、其 の
の東鉄 に薪 及 枕木 の納 入 に関聯 す る金 融 問題 にし て、 ス キデ ルス キ
厚 化 せ る こと の動 機 とも 見 る べ き 一事 実 あ り。 そ は スキデ ル スキ ー
東 鉄 が露 亜 銀行 と の取 引関 係 を絶 たん と する傾 向 が最 近 大 い に濃
三、 東 鉄 と極 東 銀 行 と の関 係
り。
一五
哈 爾 賓 事務 所 長
大 正十 四年 二 月 二十 日
哈 調情 第 七 二七 号
込 め る を以 て、銀 行 は貸 借 契 約 を締 結 し 約 十万 弗 を貸 与 せり 。其 の
保 証 の下 に銀 行 よ り東 鉄 の 一九 二 四年 度 発 行債 券 十 万弗 の借款 を申
資 金 と し て 二十 五 万弗 を 要 せ る も現 金 の持 合 せな き為 、 スは東 鉄 の
露 亜 銀行 と東 支 と の関 係 が紛 糾 せ る件 に就 て は 二月 二十 八 日附 哈
東 支 鉄 道 と露 亜 銀 行 に関 す る哈 市露 亜 銀 行 支 店 長 の談
調情 第 七 一六号 を 以 て報 告 し て置 きま し た が、 本 問 題 に関 し露 亜 銀
か に極 東銀 行 のみ が 之 を有 せる も 、東 鉄 の許可 な く し て は販 売 せず 、
後 銀 行 は商 用 上債 券 を購 入 せん と せ るも 当 地各 銀 行 の持 合 せな く僅
と の事 な る を以 て直 ち に東 鉄 管 理 局 に交 渉 せ る も、 之 亦販 売 を拒 絶
行 支 店長 ブ ヤ ノ フ スキ ー氏 が高 橋 中佐 に語 れ る所 は左 の如 く で あり
一、露 字新 聞 の報 導 は事 実 無 根
こと が明瞭 と なり 、 本 二 月十 二日 に於 て遂 に之 が実 現 せ る なり 。斯
せ り。 茲 に於 て東鉄 が債 権 竝 にタ リ フを 極 東銀 行 に集中 せ んと す る
ます。
露 字 新 聞 は東 鉄 と露 亜 銀 行 と の関係 悪 化 と題 し、 其 の原 因 は東 鉄
ことな く 、 従 つて之 が原 因 と な り て東鉄 と銀 行 と の関 係 悪 化 せり、
有 せ るも 、 昨年 十 月 三 日 奉露 協 定 に伴 な ふ東 鉄幹 部 の更 迭 に際 し 銀
露 亜 銀 行 は株 主 と し て従来 東 鉄 と は商 取 引 以外 に密 接 な る関 係 を
四、 奉露 協 定後 は何 等 正式 関 係 を 有 せず 。
の如 く 露 亜 銀行 は今 や東 鉄 と全 く 関 係 を絶 つ に至 れり 。
管 理 局 が 嘗 つて露 亜 銀 行 に預 入 れた る東 鉄 の財 産 を海 拉 爾 及 満 洲 里 同 行 支 店 に依 り て勝 手 に処分 せ る こと に起 因 せ る も の の如 く 報 導 し
と は全 く 事 実 無根 にし て 一片 の宣 伝 に過ぎ ず 、 現 に東 鉄長 官 イ ワノ
行 は株 主 と し て正 式 に支 那 官憲 に抗 議 せ る も遂 に何 等 の効 果 を も見
居 るも 、 元 来海 拉 爾 及 満 洲 里同 行 支 店 に於 て東 鉄 の財 産 を保 管 せ し
フは今 日中 に右 の報 導 を反 駁 す る筈 な り 。
ざ り き。 爾 来 銀 行 は株 主 た る の資 格 を 喪失 し 従 来 の如 き正 式 関係 を
つたが近く開催 する会議 では露国側も国交恢復を顧慮 し、満鉄 の利
成立前 の三鉄道会議 は国際関係 円満 でなかつたため双方相譲らなか
一七
哈調交第 二九六号 哈爾賓事務所長
東支出廻穀物融通資金貸 付政策 に就 て (東支
大正十四年 二月二十 二日
社告第四四号及東支経済週報第八号抜萃)
︹マ マ︺
益を重んず る考 へであるから円満 に片付くだらう﹂ と。
絶 ち、 単 に 一商 事 企 業 と し て今 日迄 タリ フの販 売 並 に債 権 の交換 を
を要 す る に莫 斯 科 の銀 行 対東 鉄 関 係 を 廃 し、 一切 の取 引関 係 を労 農
継 続 し来 れる も 、今 回 愈 東鉄 は此 の取 引関 係 を も絶 つに至 れり 。之
金 融 機 関 たる極 東 銀 行 に集中 せ んと す る も のな る や 明 ら か にし て、 今 回 の東 鉄 対露 亜銀 行 関 係悪 化 の報 導 も之 が為 にせ る 一片 の口実 に
(別紙 )
過 ぎ ぬ。 以 上
東 鉄 と 露 亜 銀行 と の関係 悪 化 (二月十 五 日ザ リヤ紙 ) 満 洲 里及 海 拉 爾露 亜 銀 行 支店 の行 動 に起 因 し て東 鉄 及露 亜 銀 行 間
告 示 し 、 一般 貨 物 に対 し貸 付 を な せ るも のが、 一九 一 三、 一四年 の
貸 付業 な る も のは 最初 一九 〇 八年 社 告 第 五 八四 及 第 五 八 五号 を 以 て
註 、今 回東 支 商 業部 で は社 告 第 四 四号 を 以 て沿 線各 駅 に出 廻資 金
当 地露 亜 銀行 も昨 十 四 日 より 東 鉄 のタ リ フ券 の販 売 権 を喪 失 せり 。
に重 大 な る衝 突 問題 発 生し 、 既 に東 鉄 は前 記 二支 店 と 関係 を絶 てり 。
事 件 にし て此 の儘進 展 せん か 、東 鉄 は近 く 哈市 露 亜 銀 行 と も全 然 断
世 界 大戦 勃 発 と 同 時 に中 絶 の止 む な き に至 り た るも のを更 に復 活 せ
告
論 を 俟 つ迄 もな い。 一、社
一九 二 五年 二月 二十 一日附
第 一条
融 通 資 金 業 に関 し ては東 支 本 社 が制 定 し た規 定 及 同 規 定取
之 が貸 付 に関 し ては左 の規 定 に拠 るも のとす 。
付 業 を 復 活 す。
十 四 日 以後 東 支 鉄 道 沿線 指 定 駅 に於 て出 廻穀 物 に対 し 、融 通 資 金貸
茲 に東 支 鉄 道 は 本年 二月 十 八 日 本社 の裁決 に基 づ き 、本 年 二 月 二
融 通資 金 貸 付 業復 活 に関 す る件
社 告第 四 四号
るも の にすぎ ぬ。 該問 題 が満 鉄 の北 満 貨 物吸 収 策 と利 益 関 係 あ る は
絶 す る に至 る べき 形勢 なり 。 因 に衝 突 問 題 発 生 の原 因 は 、東 鉄 管 理 局 が嘗 て露 亜 銀 行 に預 入 れ た る東 鉄 の財 産 が海 拉 爾 及 満洲 里同 行 支店 に依 り て勝 手 に処 分
一六
秘
哈 爾 賓 事務 所 長
せら れ た る こと判 明 せし に起 因 す、 と。
哈 調 情 第 七 三 一号
東 支副 管 理 局長 エイ ス モ ンド氏 の連 絡 会 議 に関 す る意 向
大 正 十 四年 二月 二 十 一日
東 鉄 副管 理局 長 エイ ス モンド氏 は特 報員 に語 つ て曰 く ﹁日露 協 約
扱 細 則 に依 る も のと す 。而 し て右 は 一九〇 八 年 社告 第 五八 四 及 第
第 十 一条
第 十条
商 業 部及 支 社 会 計 課 は之 等 使 用 人 の取 扱 ふ担 保 金 の保 管 方
融 通資 金 貸 付 業 に関 す る説 明 等 は ( 附 帯事 業 係 ) 内 にて 之 に応 ず 。
第 十 二条
以 上 た らざ る べか らず 。
対 す る保 険 額 は商 業 部 が貸 付 け せ る金 額 に 一五 % を加 算 し た る額
保 険会 社 は 商業 部 の指 定 せる保 険 会 社 と 取極 む る事 。 此 の貨 物 に
計算 の下 に保険 に附 す べき義 務 を負 ふも のと す 。而 し て此 の場 合
荷 主 が融 通 資 金 貸 付 を受 け た る貨 物 に対 し て は、荷 主 の
法 に就 て鉄 道 並請 負 人 間 の特 別 規 定 を制 定 す 。
五 八 五号 の鉄 道 に関 す る社告 に準 拠 せ る も のな り 。 ︹ 頼︺ ︹ 盆︺ 本 年度 穀 物 出 廻 期 に際 し ては 一面 披 、 陶来 昭 、 三叉 河 及斉
第 二条 々哈 爾 営 業出 張 所 の四 駅 に於 て の み貸 付 を開 始 す 。 各 駅 に振 当 てす る べ き貸 付 資 金 の額 及 同 利 子 に付 て は管 理
本 年度 の穀 物 出 廻 期 に際 し貸 付 け す べ き穀 物 の品 種 は左 記
局長 の指 令 の下 に商 業 部之 を決 定 す 。
第 三条
第 四条
大 豆 、 小 麦 、高 梁 、 碗 豆 、粟 、
のも のに限 る 。
営 業 課 長
ペ カ ル スキ ー
ウオ イ ト フ 会 計 課 長
イ ワノ フ 同
東支 鉄 道 管 理 局長
同
貸 付 金額 の限 度 は融 通 期間 一ケ 月 以内 の場 合 は穀 物 市 価 及
品質 を鑑 定 し て、定 め たる 評価 の七 〇 % を超 ゆ る事 を得 ず 。又 一
第 五条
ケ月 以 上 に亘 る と き は六 六% 以 上を 超 ゆ る ことを 得 ず 。
メ ン シ コフ 革
商 業 部 長代 二 、沿
同
穀 物 の評価 は大 洋 建 と す 。而 し て貸 付 及 回収 (返済 ) 共 に
大洋 建 とし て取 扱 ふ。
第 六条
本 年 二 月 二十 四 日 か ら東 支 では 沿線 各 駅 に出 廻 る穀 物 に対 し融 通
資 金 貸 付業 を復 活 し た が、 当 分 の間 は斉 々哈爾 、 一面 坡 、 三叉 河及
鉄 道 倉 庫 及個 人 倉 庫 (廠 子) に保 管 し 、 且鉄 道 に附 託 せ る
陶 来 昭 の四 駅 に の み限 ら れ て ゐ るが将 来 は他 駅 に も延 長 す る計 画 で
第 七条
貨 物 を担 保 と し て融 通 貸 付 を 行 ふ場 合 は 、鉄 道 の特 別 契 約 に依 り
貸 付 業 な る も の は鉄道 と し て は何 も 目新 たら し い事 業 では決 し て
ある。
取 扱 ふも のと す 。 貸付 は各 駅 の駅長 ( 又 は営業 出 張 所 長 ) を経 て商 業 部 の特
派 員 立 会 の下 に行 な ふ 。而 し て第 三者 の立 会 を要 す る場 合 は 地方
第八条
な い。 往 年 (一九 〇 八 )社 告 第 五 八 四 及第 五 八 五 号を 以 て告 示 せし
庫 を問 は ず 、尚 右 貨 物 が鉄 道 発 著 貨 物 の如 何 に拘 らず 、 或 は輸 送 中
も ので、 当 時 は穀 物 のみ に限 らず 一般貨 物 に対 し 、駅 構 内及 個 人倉
第 九 条 、商業 部 は前 記 請 負 人 を し て 一定限 度 の担 保金 を鉄 道 に予納
も のは実 に大規 模 な やり 方 で、 是 と聯 絡 し て露 亜 銀行 は鉄道 が貸 付
途 にあ るも ので も適 用 し た 。此 の時 代 に於 け る鉄 道 の貸 付業 と いふ
に在 住 す る鉄 道 請負 人之 が証 人 と な るも のと す 。 此 の場 合 鉄道 請
せし め 、 必要 ある 場 合 は各 駅出 納係 及支 社 会 計課 よ り支 出 す る と
負 人 に関 す る規 定 は 別 に定 む る所 に依 る。
同 様 に前 記請 負 人 の担 保金 よ り支 出 せ し む る事 あ る べし 。
たも ので あ る。 斯 く て商 人 は 他 の銀行 で低 率 の信 用 状 を出 し て貰 ふ
し た る貨 物 倉 庫 証券 及 運 送 副 状 に対 し信 用手 形 を ど し ど し再 発 行 し
て不 取敢 輸 出 穀 物 に貸 付 を行 な ふべく 其 の方法 を講 究 し た。
物 に融 通資 金 を 貸 付 け す る より 外 に な いと洞 察 し、 先 づ第 一歩 とし
最 大 原 因 を なし て ゐる。 然 る に前 管 理局 長 は之 が解 決策 は只 出 廻穀
地 方 に於 け る金 融 情 況並 信 用 貸 付 条件 を調 査 し て見 る と ︱︱ 或 駅 の
従 来 支那 金 融 業 者 対輸 出 商 人 の行 な つてゐ る沿 線 各 駅 及其 の出 廻
より も 、右 の様 に最 初 鉄 道 で融 通資 金 の貸 付 を受 け て後露 亜 銀 行 か
不 活 溌 な る鉄 道 営業 及 以前 の如 く鉄 道 が貸 付 け せ ぬ為 に、鉄 道 の無
如 き は貸 付 不可 能 の所 も あ り、 又 他 駅 の如 き は非 常 な 高率 な利 子 を
ら 高率 な信 用 手 形 を発 行 し て貰 ふ ので大 助 か りを し た 上 に、従 来 の
限 の発達 阻害 を救 助 す る事 が出 来 た 。然 る に 一九 一三 ︱ 一四年 に至
す る貸 付 方 法 を見 る に、普 通 は倉 庫 証券 によ つ て駅 に保 管 し て ある
徴し て ( 年 利 三六 % 以 上) 貸 付 け し て ゐ る所 も あ る。 其 の穀 物 に対
穀 物 を 担 保 と し て貸 付 を す る の であ る が、 其 の形式 の如 き非 常 に厳
一九 二 一年 に至 り鉄 道 が新 経 済 政策 を立 て ゝ、 輸 出 奨 励 及 営業 貨
り世 界 大戦 が勃 発 す る や貸 付 業 を 中 絶 す る の止む な き に至 つた。
物 を 各 地 方 か ら吸 収 す べ く努 力 を 開始 す るや 、更 に貨 物 に対 し融 通
密 なも の で、尚 穀 物 に対 し信 用 貸 付 を 得 んと 欲 せ ば、 前 記損 保 に入
る に、 更 に担 保 手続 及 貸 付 手 続等 の費 用 を も加 算 し て総 貸 付額 とす
る 。 も つと 甚 だ し いも の に至 つて は高 率 な利 子 附 の信 用 貸 付 に加 ふ
れる 外 に信 用確 実 な る商 店 の保 証 によ る保 証 金 を 取 る が如 き例 があ
資 金 貸 付 の必要 を痛 切 に感 じ た。
即 ち 一般 経済 界 の不 況襲 来 は多 く の商 人 にと つて説 明す る迄 も な く
雖 然 当 時鉄 道 沿 線 地 方 と言 ふも のは 一大 変 転 を来 し た頃 であ つた。
重 大 問 題 が眼 前 に横 た は つて ゐ た。 ︱︱ 問 題 と は各 商 人 が商 取 引 に
る も の さ へあ る 。
倒 し に閉 鎖 し て了 つ た。 今迄 小、 中 商 人 と し て資 金 の貸 出 し に融 通
四年 社告 第 三九 号 を 以 て銀 行 貸 付 、融 通 資 金 に対す る適用 に関 し告
る貨物 の鉄 道 営 業 と言 ふ も のは 決 し て発 達 し よ う筈 は な い。 一九 二
ふ粮桟 等 の間 に平 気 で行 なは れ てゐ る。 是 の如 き無 茶 な貸 付 法 に よ
右 の様 な貸 付 法 は各 地 方 及 沿 線各 駅 で輸出 を行 ふも の及 売 買 を行
投 資 し てゐ る資 金 を 突 急 に回収 す る必 要 に迫 ら れ て ゐ た時 で︱︱ 各
のき け た銀 行 と 手 が切 れた た め止 む な く輸 出 業 から 手 を引 かな け れ
銀 行 は 一斉 に貨 物 に対 す る貸 付を 縮 少 し た為 に、多 く の商 店 は 将棋
い外 商 (小 、 中 商人 ) が商 取 引 に 従事 し て居 た が、 一九 二 四年 に至
ば な ら ぬ破 目 に陥 つた。 此 の頃 (一九 一九年 ) 安達 駅 に は 百軒 に近
を触 れ ず 、他 の貸 付 方 によ る ことと し た。
此 の間 の消 息 を 知悉 せ る現 管 理 局長 は従 来 の貸 付 法 には 少 しも 手
示 す る 所 が あ つ たが 、誰 も理 解 を し て呉 れる 者 はな か つた。
る や安 達 駅 には 一軒 も姿 を 見 せ な か つた 。 そ し て凡 て の輸 出 穀 物 は 北満 洲 の市 場 を モノ ポ リし て ゐる僅 か四 、 五軒 の大 外 国商 人 の手 に
二月 二十 四 日 か ら鉄 道 で其 の出 廻 穀 物 に融 通 資 金貸 付 を す べく 告
三 、貸 付 方法
物 を モノ ポ リし て了 つた原 因 を糺 す に、 勿論 其 の原 因 は 一にし て留
示 す る や支 那 商 人 は雀 躍 し て喜 ん だ。 貸 付業 開 始 を 延 引し な い様 に、
納 め ら れ て了 ふ に至 つた。 今之 等 数 軒 の外 国 手筋 の大 商 人 が北 満 穀
ま ら な いが、 一般商 人 (小 、 中 ) に銀 行 の貸 付 がな い、 と 言 ふ事 が
のを其 の儘 引 用 し、 貸 付 利 子 を出 来 るだ け低 率 と し 、其 の方 法 を極
鉄道 は 凡 て の規 定 は曩 に 一九〇 八 年 社 告第 五八 四 号 に制 定 さ れ た も
手 形 仲 買 人 や銀 行 で行 ふ率 よ りも 無論 低 率 であ る。
其 の他 手 数 料 と し て各 件 に つき1 / 4% だけ 徴 収 す る。之 も前 記 割 引
や銀 行 で行 ふ利 子 より も著 しく 低 率 のも の であ る。 尚 貸 付手 数 料 及
最 近非 常 に高 騰 し て ゐ る日貨 の相 場 が常 に強 固 な 安 定的 な 地 方大 洋
物 が鉄 道 沿 線 の出 廻 駅 と関 係 のあ る処 に ある も のな ら ば 何処 にあ つ
物 はそ れ が 駅 の構 内 にあ らう が個 人倉 庫 ( 廠 子) にあ ら う が、 右穀
る も、 商 業 部 は勝 手 に之 を延 期 す る こと を得 。 そし て貸 付 をす る穀
貸 付 金 は貨 物 評 価 格 の七〇 % と し、 返 済 期 間 は 一ケ 月 を限 度 と す
く簡 単 にし た 。 さ れば 貸 付 を す る貨 幣 の如 き 一定 し たも のを 用 ひ、
相場 以 下 であ る と き に限 る事 とし 、 そ し て換 算 率 の変 化 で少 々位 の
各 駅共 に貸 付 及 回収 は総 て大 洋 建 と し た 。只 大 洋 建 と書 う ても是 は
損失 を招 い ても決 し て借 主 に は痛 手 を 負 は せ ぬ様 にし てあ る。 で若 し 日本 商 人 が銀 行 から 駅 にあ る穀 物 に対 し鉄 道 が貸 付を す る際 は大
時 行 つ ても差 支 はな い。貸 付 金 問題 に関 し て は決 し て訴訟 事 件 と せ
へ右 貨 物 が保 管 中 であ る に せよ 、輸 出 す る為 に要 す る作 業 な ら ば何
ても よ い。 又個 人 倉庫 に あ る分 に対し ては特 に保 管 料 は安 く し 、例
て日貨 を記 入 し て置 く 。尚 借 主 にと り て危 険 視 さ れ る如 き 建 を 以 て
洋建 で貸 出 す も 、会 計 簿 面 に は其 の日 の大 洋 対 日貨 の換 算 率 に よ つ
貸 付 し たる と き 、 又換 算率 が非 常 に上 つた とき に返済 す る場 合 と雖
貸 付 金 の貸 与 方 を希 ふ荷 主 は 駅長 又 は商業 部 の特 派員 と に相 談 し
ず。
て 一定 形式 の貸 付 手続 を済 ま し て、 現 品 の検 査 をし て品質 を 定 め検
も、 借 主 を し て換 算 率 の変 化 によ つ て決 し て損 も得 も与 へは せ ぬ。 そ れ は大 洋 建 の貸 付 金 は之 を 凡 て換 算 率 か ら来 る損失 に対 し 、鉄 道
貸 付 金 に対す る監督 は商 業 部 の特 派 員 之 に任 じ、之 等 特 派 員 の本
に取 ら れ る様 な 事 は な い。
から 借 り る時 の様 に城 内 に足 を 運 ぶ必 要 も なく 、 又 手続 料 金 を法 外
査 証 を作 製 し、 然 る後 に融 通 し て貰 ふ事 を得 る ので、支 那 金 融 業者
鉄 道 が今 回実 施 す る貸 付業 にと り て借 主 の 一大福 音 と 言 ふべ き は、
は保 証 をな し て保 護 す る事 と し たか ら で あ る。
従来 の地 方商 店 及 銀 行 業 の金 融 業 者 と 比較 し て異 な る所 は 、 地方 金 融 業 者 の様 に貸 付 金 に対 し前 利 子 を 取 つた り、 又 は貸 付 を し た 日 か
に は常 に荷 主 が貸 付 の下相 談 を持 掛 け て依頼 す る事 を得 る。 只総 監
貸 付 金 の返 済 、 即 ち 回収 は 貸出 し た駅 が哈 爾 賓 の管 理 局商 業部 で
ら利 子 の計算 をす る の でなく 、 一ケ 月 を期 限 と し て貸 付 た資 金 の利
も よ い。若 しも 貸 付 を し て貰 つた貨 物 を 仕向 駅 迄 地 方輸 送 せん とす
督 は商 業 部 の附 帯 事業 係 で行 ふ。
す る事 であ る 。之 は商 取引 を見 る に前 利 子 を取 つた り、 又 は高 率 な
るも のは 、直 ち に貸付 金 の返 済 を要 せず 。其 の儘 貸 付契 約 は存 続 す
子及 返 済 は 実際 に右 貸 付金 を融 通 し て使 用 し た日 か ら勘 定 し て計 算
利 子 を附 せ ら れ ては 複 雑 せ る幾 組 の商 取引 を入 乱 れ させ 、遂 に取 引
鉄 道 が貸 付 をす る融 通資 金 の利 子 は年 一二% 以 上 を取 ら な い。 こ
斯 く て融 通 資 金 な る も のを 一般 的 に布 衍 し て、 そ し て小 輸出 商 人
るも のと し てあ る。
上喰 違 ひを 生ず る が如 き例 を見 るか ら で あ る。
の利 率 は普 通商 人 が割 引 手形 仲 買 人 (ヂ スカ ウ ント ・ブ ローカ ー)
を復 活 せ し め、 又 沿 線各 駅 で比 較 的安 い相 場 で売 買 し て ゐる粮 桟 を 増 加 せ しめ 、延 いては 各 粮 桟 を し て 一六勝 負 的 に商 取 引 を 大 々的 に 行 ふ習 慣 を抑 圧 し 、 従来 自 己 の商 取 引 に保 守 的 であ つて、 活動 性 の な い支 那 商 人 をし て目 覚 ま さ せ 、 そし て沿線 各 駅 の商 取 引 上 に 一大 革 新 を与 へん とす るも の であ る 。尚 鉄道 が貸 付 け す る融 通資 金 の高
哈 調 情 第 七 五 五号
哈 爾賓 事 務所 長
束 支鉄 道 内 勤 路警 隊 露 人 全 部解 雇
大 正 十 四年 二月 二 十 八 日
東 支 鉄 道 内勤 路 警 隊 に雇 用 す る露国 人 全 員 は経 費 節 減 の理由 で昨
財 産 の監 視 保護 に任 じ 、 其 の総 数 約 六百 人 内露 国 人 四 百 六十 人 、文
此 の内 勤 路警 隊 は外 勤路 警 隊 と 共 に所 謂 路警 隊 をな す も の で鉄道
二十 七 日突然 解 雇 せら れ た。
に見倣 は させ ねば 済 ま な いだ ら う。 そ し て必 ず や好 結 果 を来 す に至
率 で貸 出 す こと や、 利 子 の小 さ いと言 ふ事 は地 方 金融 業 者 を し て之
普 通内 勤 路 警 員
四
四三 六
昨 日解 雇 され た露 人 の内 訳 は
訳 であ る 。
露 人 の代 り に支那 人 を以 てす る も年 額約 七 万 円内 外 の節 約 が出 来 る
支 那 人 は同 じ く 十 二元 の給 料 を受 け て居 た。 従 つて今 度 解雇 さ れた
那 人 百 四十 人 の比 で あ つた 。而 し て露 国 人 は平 均 一ケ月 銀 二十 五 元、
斉 々哈 爾公 所 長
一八
ら ん。 ( 堀内)
斉 公 第 二 二八 号 大 正 十 四年 二月 二 十 七 日
長
一六
区
下 級 幹 部
四
東支 鉄 道 が斉 〓 線 の対 策 と し て当 地 に営 業 所 を開 設 せん 、 と計 画 中 な りし こと は屡 報 の通 り な る が、 約 一週 聞 前 南門 大 街 露 商 ア ンゼ
員
Por oжNNKoB( 但し本人は多く哈市にあり)
雇 は単 に経費 節 減 のた め に の み で行 はれ た のか、 又 は他 の目的 を も
で あ るが 、尚 露 人 外 勤路 警 も同 日 三十 二人 の解 雇 を 見 た 。今度 の解
務
事
主
PNKJ I NH (支那語 に熟達す)
任
乗 車 券 係
に漸 次 ソヴ エー ト露 国共 産 党 員 が混 入 す る と言 ふ懸念 が、 従来 屡 々
含 ま れ て居 る のか は未 だ疑 問 と され て居 る 。何 故 な れ ば路 警露 人中
一、従 事 員
レウ ツ チ の 一室 を事 務 所 に充 て業 務 を 開始 せ り。
当 分 ア ンゼ レ ウ ツチ商 店 を代 理店 と し て乗 車 券 の発 売
務
二、業
二〇
支 那官 憲 を悩 し て居 た か ら であ る。
を な さ し め、之 を監 督 す 。 (開所 に関 し支 那 側 と折 衝 せ る レ ズ ネ チ エン ゴは不適 任 な り、 と て ロゴ ズ ニ コフ代 つて来 任 せ り)
一九
大 正 十 四年 三月 三 日
哈 調 情 第 七 六 六号 哈爾 賓 事 務所 長
職 業 同盟 と イ ワ ノ フ派 の確 執 及 イ ワ ノ フ派 の主 義 昨 年 十 月 三 日東 支 鉄道 幹 部 の更 迭 あ つて以 来 、 ソヴ エート露 国 の 勢 力 が駿 々と し て同 鉄道 に扶 植 さ れ つゝあ るは何 人 も之 を 認 む る処 であ るが 、之 を以 て直 ち に純 ソヴ エー ト露 国 共産 主義 化 と 看做 す訳 に行 か ぬ。 か の職 業 同盟 派 と イ ワ ノ フ派 と の確 執 の如 き は 此 の間 の 消 息 を 有力 に物 語 る も ので はあ る ま い か。 即 ち職 業 同 盟 は 一時 東 支 鉄 道 の露 国側 人事 及 政策 に就 て容 喙 せ んと し 、殊 に人 事 問 題 に至 つ ては 右 同盟 の推 薦 又 は同 意 せ るも のに非 ざ れ ば課 長 級 幹 部 と雖 も、
が、 カ ラ ハンに至 り ては イ派 の政策 を以 て適 当 な るも のと し極 力 之
在 つて支 那側 が如 何 な る画 策 をな す や は蓋 し注 目 を 要 す る点 であ る
二 一
を後 援 し て ゐ る事 実 が顕 著 で ある 。 ( 堀江)
哈調 情 第 七 七 二号
哈 爾 賓 事務 所 長
東 鉄 衛 生 課 長 に支那 人 を 任命 す
大 正 十 四年 三月 六 日
久 し く空 席 であ つた東 鉄 衛 生 課長 に は最 近魏 立 功 が任 命 され た。
局 長 の意 見 のみ に ては其 の候 補 者 を本 社 に申達 す る事 能 は ざ る べし 、
注意 を 引 いて居 る。 同 氏 は今 日迄当 地鉄 道 中央 病 院 に勤 務 し て居 り、
支 那 人 の課長 は同 氏 が 最初 の人 であ る から 、 此 の任命 は相 当 世人 の
露 国 陸 軍 々医学 校 の出身 で相 当 の手 腕 家 で露 語を 良 く す。 魏 氏 は将
と 言 ふ態度 を示 し 、 又 イ ワ ノ フ のブ ルジ ョア化 に 対し て非 難 し秘 密 会 議 を な し 、彼 の召 還 を モ ス コーに申 請 し た 、 と ま で伝 へら れ る。
来 の抱負 に就 て は、 鉄 道病 院 と 転 地療 養 所 の改 革 を 必要 とす る旨 を 発表した。
二二
秘 大 正 十 四年 三月 七 日
哈調 情 第 七 七 八号
針 に出 で運賃 政策 に因 り、南 北 満 洲 を経 済 的 に遮 断 せん とす る計 画
ん に反 満 鉄宣 伝 を行 ひ居 る ことは屡 報 せし 所 な る が、 更 に積 極 的方
東 鉄 は赤 化 以来 満 鉄 の北満 進 出防 圧策 に腐 心 し機 関 紙 を利 用 し盛
東 支 の砂 糖 及 石 炭 に対す る運賃 改 正 案
哈爾 賓 事務 所 長
然 る にイ ワノ フを 主体 とす る 一派 (庶 務 課 長 ヤツ ム スキ ー、 経 済 調 査 局 長 ジ ーキ ー、 新任 学 務 課 長 ウ スト リ ヤ ー ロ フ博 士 及 其 の他 の 専 門 家 ) は前 記 職 業 同盟 の態 度 を 以 て現 地 に適 応 せざ る策 な り とし 、 殊 に人 事 問題 に関 し ては単 に共 産 主義 者 た る の故 を以 て、 之 を 重要 職 に充 つる が如 き は 鉄道 に於 け る露 国 の使 命 を 誤 る も のな り 、 と の 意 見 を持 し結 束 し て之 に対 抗 す る に至 つた。而 し てイ ワ ノ フ 一派 の 主 義 は非 共産 主 義 即 ち国 家 主 義 であ る、 此 の意 味 に於 て彼 等 は寧 ろ 妥 協 派 (外 国 に逃 れた元 露 国 立 憲 民主 党 及 十 月 党員 が ソヴ エート 露 国 と の妥協 を主 張 す る も の) に近 いと 同 時 に、 其 の勢 力 の伸 展 は 反 つて吾 人 の立 場 を よ り多 く 不 利 な らし む るも ので あ る。 将 来 職 業 同盟 と イ ワノ フ派 と の確 執 が如 何 に発 展 し 、 又 此 の間 に
であ る 。若 し 当計 画 が実 現 せ ん か満 鉄 の打 繋 は勿論 、邦 貨 の南満 経 由 北満 輸 入 は全 然 杜 絶 の止 む なき に至 る で あら う 。 今当 所 特 報員 が
一
本 線 (一布 度 当 り) 十 露 里 迄
〃
〃
一哥
〃
〃
1/ 75
1/ 24
1/ 75
〃
〃
〃
里︱ 百 四十露里 迄
十
〃
〃
一 露
齎 ら せ る報 道 に依 れば 、 目 下 管 理局 は 其 の具 体 的 第 一案 とし て東 支
〃
〃
一布 度 露 里 を 1/ 34.金哥 とす 5 1/ 40 〃
二 百 九十 一〃︱ 四 百 四十
百 四 十 一〃 ︱ 二百 九十
第 一、浦 塩経 由 ジ ヤ バ粗製 糖 特 定 賃 率設 定 の件
四 百 四十 一〃︱ 七 百
南 部線 (一布度 当 り)
七 百露 里 以 上
二三
哈爾 賓事 務所 長
哈 爾 賓迄 の 一〇 ・五金 嵜 に加算 す る こと 1/ 75金 留 とす 。
哈 調情 第 七九 五 号
二
本 社 に提 案 せる も の左 の通 り 。
東 支 沿線 阿 什 河製 糖 会 社 は 甜 菜 の不足 によ り、 一ケ年 中僅 か四 ケ 月半 を 操業 す る に過 ぎ な いの で、可 成 り以 前 よ り粗 製 糖 の精 製 を計 画し て ゐた が、 運賃 高 率 の為 到底 実 現 は至 難 であ つた。 東支 管 理局 は精 製 糖 の南 満 より の輸 入 を防 遏 し側 ら 地方 工業 の発達 を期 せ ん が 為 、浦 塩 経由 ジ ヤ バ糖 に対 し、 東 ・鳥 連 絡 特 定 賃率 を設 定 す る こと を 本 社 に建議 し た。 右 計 画案 に依 れば 現 行 運 賃 (一布 度 単 位 ) 四 三 ・七〇 金 哥 を 二六 ・ 一五 金 哥 に低 減 し 駅 務費 、 交 通費 等 の附帯 費
設定 の件
は 一タ リ フ留 を金 一留 五十 哥 に換 算 せん と す る も の であ る 。 第 二、 穆稜 炭 地方 賃
露 亜 銀 行 対東 支 鉄 道 関係 断 絶
大 正十 四年 三 月十 六 日
露 亜 銀行 と 東 支鉄 道 と の関係 が悪 化 した る こと は 二月 十 八 日附 哈
既 報 の通 り穆 稜 運炭 鉄 道 も去 る 三月 三 日 開 通式 を終 り 、同 炭 坑 の
上撫 順 炭 と は到 底競 争 し得 ざ る 状態 に在 る。 斯 か る事 情 に鑑 み東 支
北 満 市 場 への進 出 も 目睫 に迫 つ て来 た が、 目 下 の所 特 定 運賃 の関 係
あ る が、 近 日 イ ワ ノ フは右 銀 行 と鉄 道 と の財 政 的 諸関 係 が全 然断 絶
し た事 及 東支 将 来 の取 引先 は極 東銀 行 及中 国 銀 行 であ る こと を外 国
調 情 第 七 一六号 及 二 月 二十 日 哈 調情 第 七 二〇 号 を 以 て報 告 し た処 で
七 五九 )撫 順 炭 の北 満進 出 防 止 策 を 講ず ると 共 に、他 方 穆 稜炭 地方
管 理局 は 一方東 支 ・満 鉄 聯絡 賃 率 の自線 収 得 額 を 二倍 にし (哈調 情
特 定 運 賃 を 設定 し 積 極 的 に 北満 燃 料界 を自 給 自 足 の状 態 に置 か ん と
〃
一二 ・二 三金 哥 八 ・四 五
画 し た のは 既 に 久し き 以 前 の事 であ る が、露 亜 銀 行 側 の之 に対 し て
ソヴ エート露 国 政 府 が露 亜 銀 行 を買 収 し 、 又は 之 と協 同 せん と企
一、 ソヴ エート露 国 と露 亜 銀 行 本店 の根 本 関 係
諸 銀 行 に対 し声 明 す る処 が あ つた 。右 に就 き露 亜 銀 行 支店 長 ブ ヤ ノ ︹ 勝雄︺ フ スキ ーが山 内 調 査 課 長 に語 る処 は左 の通 り。
〃
穆 稜炭 は穆 稜 よ り哈 爾 賓 駅迄
す る も の であ る。 現 行 運賃 に依 れば ( 附 帯 費 を 含 む単 位 一布度 )
撫 順 炭 は寛 城 子 よ り
な るが、 此 の度 の改 正案 に依 れ ば左 の通 り ( 附 帯 費 を含 む)
つた。 夫 れ以来 ソヴ エー ト露 国 は事 毎 に露 亜 銀 行 に対 し反 対 の態 度
提 出 し た条 件 が非 常 に大 で あ つた為 遂 に其 の成 功 を見 る に至 ら な か
那側 東 支 理事 を動 かし て元 の取引 関 係 を復 帰 し 得 る とは思 は れな い
る が、東 支 と の取 引 が中 国 銀 行 と行 は れて ゐ る以 上、 露亜 銀 行 が支
支 那 側 の露 亜 銀 行 に対す る態度 は従 来 と変 化 な く非 常 に良 好 であ
三、 支 那側 と の関 係
云 々。
を と る に至 り、 単 に地方 的 に哈爾 賓 支 店 に対 し東 支新 幹 部 が 反 対的
右 の如 く 露亜 銀 行 に対す る政策 が失 敗 に終 つた為 、 ソヴ エート露
哈爾 賓 事 務所 長
東 支 鉄道 は ウ オ ロンツ オ フ林 区 の評 価 の為 、 一昨 二十 五 日経 済調
東 支 鉄 道 は評 価 調 査員 を ウ オ ロンツ オ フ林区 に派遣 す
大 正 十 四年 三月 二十 七 日
哈調 情 第 八 一六号
二四
態 度 を執 つ て居 る ので は な い。
つ つあ るが 、莫 斯 科 に於 て は以 前 の露 清 銀 行 の如 き も のを新 た に露
国 は支 那 殊 に北 満 に対す る経 済 政策 上 先 づ在 哈 市 極東 銀 行 を 支援 し
支 合 弁 で起 さ ん、 と の議 が熟 し つ ゝあ る。 二、 東 支 鉄道 と露 亜銀 行 哈 市 支店 の関 係 東 支 鉄 道 と露 亜 銀 行哈 市 支 店 と の関 係 は 二月 十 五 日 を 以 て全 く断
る。 斯 く の如 く 関 係 が全 断 さ る ゝ に至 つた 原因 は 、 タ リ フ及 鉄道 債
査 局員 を派 遣 す 。評 価 の目的 は同 林 区 買収 の為 な りと も言 ひ、 又 は
絶 し て、 今 日 では 御 互 に 一文 の貸 借 関 係 さ へ有 し て居 ら ぬ状 態 であ
資 金 融 通 の為 な り 、 と も噂 せ ら る。
哈 爾 賓事 務 所 長
二五
二七 号参 照) に在 る が、 之 は表 面 の理由 で実 は前述 の如 く 、 ソヴ エ
哈調情 第 八 一八 号
券 問 題 (二月 十 八 日附 哈 調 情第 七 一八 号及 二月 二 十 日附 哈 調情 第 七
ー ト露 国 政府 と 露 亜 銀行 本 店 と の根 本 問 題 が悪 化 し た為 、 イ ワノ フ 管 理 局長 が莫 斯 科 よ り の訓 令 に基 づ いた も のら し く、 前 記 二 理由 は 一般 に対 す る申 訳的 宣 伝 に過 ぎ ぬ。 而 し て東 支 と の関 係 が断絶 し た 結 果 、当 哈 市 支 店 の事 業 が著 しく 打 撃 を蒙 む るや う に考 へる のは早
祥 就 職 す る能 はず 、 同 省 長鄭 謙 亦 職 に就 くを 願 はざ る によ り、 京奉
東支 督 弁 飽 貴 卿 は既 に来 哈 せざ る 事 に決 せ り 。右 は 江蘇 督 弁盧 永
鄭 謙 東 支 督弁 説
を 断 つた 。 そ こ で鉄 道 は 已 む なく 他 の諸外 国 銀 行 に資 金 を 求 む る に
両 方 面 に於 ては新 た に飽 氏 を江 蘇 督 弁 兼省 長 に、鄭 謙 氏 を東 省 鉄路
大 正 十 四年 三 月 二十 七 日
至 り、鉄 道 に対 す る資 金 融 通事 業 は 一露 亜 銀 行 か ら別 れ て数者 の手
督 弁 に任 命 す る の議 已 に定 ま れ る が為 な り、 と 。
り つも つて 二百 五 十 万円 に達 し た ので、 其 の後 に於 け る資 金 の融 通
に移 る様 にな つた 。従 つ て今鉄 道 と の関 係 を断 つた事 は単 に 一顧 客
計 であ る 。元 来 東 支鉄 道 が露 国革 命後 当 支店 に持 つて居 た負債 は積
を 失 つた に過 ぎず 。支 店 の事 業 に大 な る影 響 を 及 ぼす 如 き事 は な い。
哈調 情 第 八号
二六
哈爾 賓 事 務 所 長
東 鉄新 幹 部 の内 訌 と東 鉄 の新 経 営 方策
大 正 十 四年 四 月 七 日 (特 報員 報 )
最 近 莫 斯科 から 帰任 し た東支 鉄 道 副 理事 長 ポズデ ー エフは 、同 鉄
下 に 切 に同氏 の召 喚 を モ ス コー政府 に求 む る処 が あ つた。
実 利 実益 、 ロ
財 政 及 政治 上 確実
ポ氏 の見解 で は急 がず に徐 ろ に行 な ふ のが肝 要 で、 東支 鉄 道 経営
漸 次 伸張 す る支 那 の勢 ひ を押 ふ る事 、ニ
事業 に於 て主 眼 とす べ き は、 イ に鉄 道 を掌握 す る事 、ハ
る べき も の で、 共産 主 義 宣伝 の為 の策 源 地 ではな い、 と の思想 を モ
東 支鉄 道 は ソヴ エー ト露 国 に と つて、 先 づ第 一に経 済 上 の根 拠 地 た
言 ふ迄 もな く ポ氏 一派 に反 対 の急 先鋒 は イ ワノ フ で、此 の内 訌 の
ス コー政 府 に良 く諒 解 せし む る事 を考 へて居 る。
結 果 は遂 に本 年 一月末 に於 け る ポ副 理事 長 の モ ス コー召喚 と な つて
道 の将 来 の経 営 方 針 に就 て極 め て重要 な 計画 を齎 ら し て来 た 。其 の 内 容 は後 で記 す が兎 に角 此 の計 画 が愈 実 現 せ ら る ゝ こと とな ら ば、
て行 き、 イ ワノ フ局長 の遺 口 の失 敗 を 洩 さず 報告 し たか ら、 ポ氏 は
現 は れ、哈 爾 賓 では 大低 の者 が同 氏 は最 早帰 任 せ ぬ であ らう 、 と信
耳親 しく 当 局 に報 告 し 自分 の立 場 を極 力 弁解 した結 果 漸 く中 央 の諒
じ てゐ た。 ポ氏 は 東 支 の現 状 に関 す る詳細 の報 告 を モス コー へ持 つ
一体 共産 党 の間 に共 産 主義 の成 る べ く急 速 な る実 現 を 期 し、 動 も
解 を得 、 当該 訓 示 を 受 け 又従 前 に増 し て多 大 の全 権 を負 ひ て再 び帰
将 来東 支 鉄 道 の経 営 振 り に著 し い変 化 を 生 じ 、 又 ソヴ エー ト露 国 の
す れば 政治 の為 に経済 を犠 牲 に供 せん と す る極 左派 と 、 経済 復 興 を
哈 す る事 に成功 し た の であ る 。
東 支 に於 け る政 治 政策 方 面 にも影 響 が あ らう 。
派 と の二派 があ つ て中 央 及 地 方 に於 て互 に軋 轢 し て居 るが 、此 の現
当 面 の急 務 と し 、 其 の間 徐 ろ に主 義 の実 現を 期 せ んと す る所 謂 経 済
帰 哈後 ポ氏 は新 し い鉄道 政策 の案 を作製 中 であ るが、 同案 の主 眼
ト経 済 の堅 固 な る 一根 拠 地 た らし む る に在 る 。其 の大要 左 の如 く で
と す る処 は 現 在 の 一切 の要 求 に適合 し、 又東 支 鉄 道 を し て ソヴ エー
象 は亦 東支 鉄 道 に於 て も見 ら れ る。 ポ ツデ ー エフ が最 近 のモ ス コー行 の主 な る動機 は 二潮 流 の争 い に
あ る。
由来 す るも ので ある 。 即 ちポ 氏 は理 事 のイズ マイ ロ フと 共 に経 済 派 に属 し 、 管 理 局長 イ ワノ フ及庶 務 課 長 のヤ ツ ン スキ ー は所謂 労 農 政
一、 ソヴ エート露 国 産 の商 品 及 生産 品 の為 に保 護 運 賃政 策 を設 定 す
三 、 シベ リ ヤ経 由 直 通 連 絡 に依 り欧亜 間 に恒 久 の商 業関 係 を設 く る
の需 要 に充 つる事 。
二、 ソヴ エート露 国 工業製 品 の輸 入 を極 度 に発達 せし め、 東支 鉄 道
る事 。
府 の三頭 スタ ー リ ン、 カ ー メネ フ、 ジ ノーヴ イ エフと関 係 の深 い共 産 主義 者︱ 極 左 派 の連 中 であ る。 彼 等 は東 支 に於 て も主 義 の宣 伝 を 第 一眼 目 と し て行 動 し て居 る 。 そ こ でポ ズデ ー エフが任 命 せ ら る ゝ と 、其 の後今 日 に至 る迄 イ ワ ノ フ及 其 の郎 党 はポ 氏排 斥 の運 動 を行 な ひ、 同 氏 は共 産 党 の積 極 政 策 の実 施 を妨 ぐ るも のだ、 と の口実 の
事 。 此 の場 合 東 支 及其 の他 此 の商 業 に関係 あ る機 関 は総 て最大 利
は よく極 東 の事 情 に通 じ て居 り 、亜 細 亜 では亜 細 亜 民族 の思想 を顧
カ ラ ハンは イ ワ ノ フ の積 極的 支 援 者 でな いと いふ のは、 カ ラ ハン
フ技 師 の任命 運 動 は 之亦 満 更出 来 ぬ相 談 でもな い様 に考 へら る る。
慮 し て漸 次其 の同 情 を得 る やう な漸 進 策 を採 る べき で急 激 な政 策 は
便 をな す べき事 。 四、 ソヴ エー ト経済 機 関 を し て東 支 鉄 道 相手 の事 業 に於 ては同 鉄 道
是 に依 つて見 ると 先 週 の末 にポズ デ ー エフが支 那 に帰 化 し た露 国
寧 ろ有害 であ る、 と考 へて居 る か ら であ る 。
従業 員 の罷免 に関 す る イ ワ ノ フ の命 令 に認定 を与 へな か つた 理由 も
と最 も 密接 な る接 触 を保 ち 得 る やう にし 、 又 ト ラ ン スポ ルト (国
鉄 道 は 之 を支 援 す る事 。 ダ リ バ ンク に兌換 券 発 行 の権 利 を 与 へて
判 る訳 で、 土 地問 題 及 八区 問 題 に関 す るイ ワ ノ フ の過激 な意 見 が通
営 運 輸 )、義 勇 艦隊 、 国 立 銀 行等 が独 立的 に市 場 に出 づ る 場 合 、
を受 入 る べ き論 拠 に基 づ き 東支 に知 留 貨 幣 を流 通 せ しむ る事 。
二七
大 正 十 四年 四月 九 日
哈調 情 第 十 六号
哈 爾 賓事 務 所 長
ら な か つた のも矢 張 り ポ 一派 の反対 に よ つた のであ る。
金 融 政 策 を行 な は し め、 又 鉄道 が両 国 に属 し 、 従 つて両 国 の貨 幣
五、 主 義 、党 派 上 の関 係 を 主 と せず 、 事 務 上 の原 則 に依 り鉄道 に新 人 物 を採 用配 置 す る事 。 六、 ソヴ エー ト の主義 宣 伝 は 自 ら誇 揚 し 、広 告 す るが如 き 従来 の態 度 を 全然 棄 つる 事 。
れば 此 の協 調 な く ば ソヴ エート聯 邦 共和 国 は遂 に東 支 を 失 ふ の虞
七、 政 治 上 の行 動 を経 済 上 の原則 と密 接 に協 調 せ し む る事 。何 と な
東 鉄 管 理 局 は 二月 二 十 六日 ト ラ ンスポ ルト (ソヴ エート露 国 系 運
東 支 と ト ラ ン スポ ル トと の契 約
然 る に以 上 の方策 は イ ワ ノ フ 一派 から 強 い反 対 を受 け つ ゝあ る の
の認 可 方 を申 請 せり 。本 契 約 に依 れば 、 ト ラ ンスポ ルトは東 支 の地
送 会 社 ) と運 送 代 理業 務 に関 す る仮 契 約 を結 び、 三月 九 日本 社 に其
が あ る。
で ポ氏 は イ ワ ノ ブ局長 の退 職 を画 策 運 動 し つ ゝあ る。 イ ワ ノ フ局長
方 及 通 過輸 送 を助 長 す る為 所 要 の機 関 を 設 け倉 庫 、税 関 代弁 、貨 物
の退 職 は 或 は実 現 す る かも 知 れ な いが、 反 対 に ポ氏 に は積 極 的 な味 方 が少 な い ので、 同氏 の計 画 は 一切水 泡 に帰 す るや うな 事 にな ら ぬ
保 険 、 金融 其 の他 貨 物 運送 保 管 に対 す る各種 代 弁 業務 を行 ひ 、東 鉄
ム ・ア ル ヂ アー ノ フを東 支 管 理 局長 に据 え ん と運 動 し て居 る。 最 近
間 は 一ケ 年 な り と言 ふ。尚 本 契 約 は本 社 の認 可 を得 ら る ゝも のと予
対 し ては 東 支 の取 前 の四分 の 一乃至 二分 の 一を支 払 ふ べく 、契 約 期
く 、地 方 輸送 に対 し ては何 等 の手数 料 を 支払 はざ る も、 通 過貨 物 に
は ト ラ ン スポ ルト に対 し年 一割 二分 の利 子 を以 て十 万 円を融 通す べ
と も限 ら ぬ。
の露 国電 報 は ソヴ エート露 国 に於 け る新 経 済政 策 の拡充 に、 従 つて
ポ氏 一派 は現 在 ソヴ エー ト露国 交 通 の要位 にあ る著 名 な エム ・エ
経 済派 の政 策 の優 勢 な る事 を伝 へて居 る の に鑑 み ると 、 ア ル チ ヤノ
想 せら る。
哈 調情 第 三 七号
し、 イ ワノ フは カラ ハ ンに対 し 日 ・支 両 国 側 に強 硬 に妨害 運 動 を為
す ことを提 議 し たる が如 き も 、 カ ラ ハンは 大 局 よ り観 て過激 な る抗
議 は之 を避 け度 き旨 を述 べた る らし く 、之 に対 し イ ワ ノ フば 多 少 不
し本 件 に関 し 交渉 あ る場合 は 先づ 以 て東 支 鉄道 督 弁 又 は奉 天 張巡 閲
め つ つあり 、 一方 支 那 側 に対 し ては交 通 部内 にも 内命 を下 し て、 若
の態度 が協 調 的 に非 ざ る こと を述 べ、 之 を 阻止 せむ と す る の歩 を 進
公使 館 員 が露 国大 使 館 に赴 く 毎 にそ れと な く鉄 道 建 設 に関 し 日本 側
平 を漏 ら せ し程 なり し が、 イ ワノ フ滞 京中 既 に カラ ハ ンは芳 沢公使
二八
を訪 問 し婉曲 に鉄 道敷 設 に関 し抗 議 の端緒 を開 き 、 更 に最 近 に至 り 哈爾 賓 事 務 所長
秘
大正 十 四 年 四月 十 四 日
昨十 三 日電 報 を以 て報 告 せ し〓 斉 線 に対 す る 東 支 の培 養 線 計 画
東 支新 培 養 線計 画 に関 す る続 報
(哈調 情 第 三 二号 ) に関 し、 東 鉄余 副 管 理 局長 の語 る処 左 の通 り。
日本 公使 館 に在 り ても 、本 問 題 は何 等 の確報 に接 せず 何 事 も詳 知
と為 せ り。
使 に交渉 さ れた き旨 を述 ぶ べ しと て、 之 が直接 の交 渉 を避 く る こと
亜側 幹 部 間 に於 て極 秘裡 に計 画 さ れ たも ので ある 。是 に拠 る と安
一、線 路 は安達 ︱ 拝泉 ︱ 二克 山 及拝 泉 ︱ 海倫 が 二線 で あ つ て、露 西
達︱ 拝 泉 間 は本 年 中 に敷 設 を 終 る予 定 であ る。
上述 の如 く 未 だ露 国側 よ り何 等 具 休 的 の抗 議 、 又 は提議 なき も、
せざ る旨 を述 べ、之 と取 合 はざ る方針 を取 り 居 れり 。
之 に対 し種 々苦 慮 し つ ゝあ る こと は事実 に し て将 来 何 等 か の形式 に
は ウオ ロ ンツオ フ林 区 よ り供 給 を受 く る筈 で ある 。
二、右 に要 す る軌 条 は 札免 公 司 林場 線 及 其 の他貯 蔵 品 を充 て、枕 木
於 て、 或 る提 議 を 見 る こと かと予 想 せ ら る (哈 調情 第 十 七号 参照 )。
哈 爾賓 事 務 所 長
三〇
を許 可 す か否 かは第 一の疑 問 であ る 。依 つ てウ オ ロンツ オ フと斯
極秘
御 送 附 致 し ます 。
当 所 山内 調 査 課長 の東 支 鉄道 理 事会 の現 状 に対す る意 見 書 、別 紙
東支 鉄 道 理事 会 に対 す る意 見書
大 正 十 四年 四 月 二十 一日
哈 調 第 一号
三、 然 し支 那 側 と し ては 右計 画 を 余 り希 望 せず 、殊 に支 那政 府 が之
北 京 公所 長
く も急速 に仮 契 約 を結 ぶな ど の必 要 は金 く 無 いも のと 老 へる 云 々。
二九
北 公情 秘 二五第 四号 の二
満 蒙 の鉄 道 建 設 に関す る件
大 正十 四年 四 月十 四 日
過 般 イ ワ ノ フ来 京 の際首 題 の件 に関 し カ ラ ハン大 使 と打 合 せ を為
(別 紙 ) 東 支 鉄 道 理事 会 の現 状 に対 す る意 見 書
東 支 鉄 路
哈爾 賓事 務 所 調 査課 長 奉 露 協 定 によ る東 支 鉄道 理事 会 の規 定 は左 の如 し。
為 に理 事 会 の法 定 人 員 た る 七名 揃 いし こと殆 な く、 偶 あ り ても 支
那側 、露 西 亜側 利 害 相 反 し 相 対峙 し て下 らず 、 六名 以 上 の同 意 を 得
理事 長 代 理 袁 金鎧 氏 在 任 当時 七名 在 哈 せし 事 あ りし も 、露 西 亜 側 、
る 事難 く 、 従 つて 理事 会 の決 議 をな し得 ず 。
り各 理事 に明確 な る管 掌 事 項 な く 、決 議 を 以 つて事 を為 す に、 此 の
なく 、 公式 理事 会 開 か れ し こと は な き有 様 な り。 東支 は満 鉄 と異 な
三 ケ月 に垂 んと す る に今 に至 る ま で理 事 会法 定 数 七名 に達 せ し こと
支 那 側相 反 目 対峙 し て重 要 案件 一つも 決 す る無 く 、同 氏 去 り て 以来
那 側 及 ソビ エト政 府側 よ り各 五 名 を任 命 す 。 支 那 よ り任 命 せ る
決 議 出 来 ざ れば 理 事会 は有 名 無 実 にし て権 威無 しと 謂 ふ べし 。
本 鉄 道 に理事 会 を設 け議 決 機 関 と なす 。 理事 は十 名 を 置 き支
支 那 人 理 事 中 一名 を 理事 長 と為 し督 弁 を兼 任 せ し め、 ソビ エト
第 一条 六
政 府 より 任命 せ る露 国 人 理事 中 一名 を副 理 事 長 と為 し、 会弁 を
に宛 報 告 す る のみな り 。而 し て是 を 叱 す べき 公式 理 事 会 なく 、 彼 を
ん と欲 す る所 を勝 手 に処 理し て越 権 の処 置 多 く 、事 後 に是 を理 事会
斯 る中風 病 的 理 事 会 の為 体 を見 て管 理 局長 イ ワ ノ フは 、其 の為 さ
理事 会 の法定 人 員 は 七 名 を以 て最 少限 度 と 為 し 、 一切 の議 決
兼 任 せし む 。
は 六人 以 上 の同 意 を得 て始 め て執 行 の効 力 あ るも のとす 。 督 弁 と会 弁 は共 同 し て理 事 会 事務 を管 理 し 並各 項 の文書 に検 印 す 。
環 境 に置 かれ た る者 誰 か独断 専 行 せ ざ る べき 。 又仮 令 イ ワノ フ去 る
と も其 の後 継者 も亦 必ず や業 務 遂 行 の必要 上 越 権 の処 置 に出 づ べき
免 職 す べき 六票 を得 る こと 不可 能 な り 。 イ ワ ノ フなら ず と雖 も斯 る
理 せ しむ (督弁 は支 那 理 事 に於 て代 理 し 、会 弁 は露 国 理事 に於
督 弁 及 会 弁 事故 あ る時 は 各該 政 府 よ り 別 に理 事 を 任 じ職 務 を 代
本 鉄 道 に管 理局 を 設 け 局長 一名 は 露国 人 を任 命 し、 副 局長 二
や 明 ら かな り 。今 管 理 局 長 に関 す る奉 露協 定 を 見 る に、 八
て代 理 す)。 此 の七名 の法 定 数 は 理事 十 名専 任 にし て多 く在 哈 す る場 合 に は支 障 な かる べく 、 又議 決 に は最 少 限度 六名 の同意 を要 す る規 定 は露 支
な し、 各 該 政府 の承 認 を経 べ きも のと す。 局 長、 副 局 長 の職権
名 は支 那 、露 国 人 各 一名 を任 命 し 、 右任 命 は 理事 会 に於 て是 を
来 任 せざ るあ り、 来 任 せ し者 も屡 々旅 行 し て席 の温 る に隙 あ らず 。
鮑 督 弁 は病 弱 老 年 未 だ着 任 せず 、支 那 側 理 事 中奉 天 に別 の職 あ り て
述 の如 き為 体 に て且 労農 政府 が彼 を支 持 す る 以 上 は彼 の位 地 や安全
とを 併 せ得 ざ れば 、彼 を免 職 す るを得 ざ るな り。 而 し て理事 会 が前
即 ち イ ワ ノ フ如 何 に専 横 な り と も理 事 会 の決 議 と労 農 政 府 の承認
は 理事 会 に於 て之 を規 定 す 。
露 西 亜 側 重 役 亦中 央 政 府 、極 東 政 府 、哈 爾 賓 総領 事 等 に重 要 の職 を
な り、 と言 ふ べし 。
然 る に該 協 定 に基 づ き大 正 十 三年 十月 三 日 新幹 部 任 命 さ れ し も、
利 害 相 反 せざ る場 合 は差 支 へ無 か る べし 。
占 め 不在 勝 な る上 労 農 の政策 とし て任 免 交 替 多 く し て走 馬 灯 の如 し。
イ ワノ フ管 理局 長 と 軋 轢 の為 莫 斯 科 に召還 せら れ し ポ ゼ フ副 理 事 長 の出 発 に先 だち非 公 式 理事 会 ( 法 定 数 に充 たず ) を 開 き 、呂 栄 寰 臨 時 理事 長 代 理 が ポ ゼ フ副 理 事長 に対 し イ ワノ フ の越 権 行 為 を責 め し が 如 き は、 ポゼ フに対 し 莫 斯 科 政府 に向 ひて イ ワ ノ フ排 斥 の口実 を 与 ふる為 の贐 にすぎ ず 。
奉露協定以後東支重役更迭表
間に如何 に重役 の更迭多かりしかを表示せば、別紙 の如し。
◎ 大 正十三年九月二十日奉露 協定 の調印と共に、東鉄新重役内定 鮑
貴
卿
督弁兼理事長
す。
奉天省公署高等顧問 〃
吉林省選出北京参議院議員
哲
〃
理事長代理 光
監事長
理事 寰
鎧 其
澣
金 池
栄
袁
呂
東省保安総司令部上校参謀
理 事 会 の決 議 と な す を得 ず 、剛 腹 な る イ ワノ フは屁 と も 思 ひ居 ら
東 支 監 理局 長 の専 断 は即 ち 労 農 政 府 の勢 力絶 大 を示 し、 支 那 にと
陳
監事
劉
り ても 日本 にと り ても 不利 益 な り 。満 鉄 に不 利 な る は勿 論 な り 。 さ
卓
ざ るべ し。
れば 満 鉄 重役 諸 公 は 此 の際 張 作霖 に利 害 を説 き 、鮑 貴 卿 督弁 、鄭 謙
楊
交通 〃 財産 人民委員会代 ( 表 在北京商務官)
〃
奉天省議会副議長
理 事 を 一日 も 早く 赴 任 せ し め、 呂 栄寰 、 劉 哲 、范 其 光 各 理 事 を し て
交 通人民委員会代表 〃
副理事長
〃
理事(総領事) 外務 ン ド
〃
セレブ リヤ コフ ラ
コ
ラ キ ー チ ン グ
ル イ
は露 西 亜 側 を 圧 すべ く 、幸 ひ露 西 亜 側 理事 一名 を説 得、 威 圧 、 買 収
ク
任 地 を余 り放 れ しめ ざ る こと と せ ば 、支 那 側 五 名共 揃 ひ て其 の発 言
何 れ か の方 法 を 以 て同 意 せ し め得 ば 六票 を得 て、 支那 側 の意 の儘 に
ダ ニ レ フ スキ ー
シ
議 決 し東 支 の政策 を左 右 し得 べ し。 若 し そ れ鮑督 弁 、 鄭 理事 にし て奉 天 、 北京 方 面 の仕 事 に忙 しく し
監 理局 長
〃
監事
フ
て到 底 哈 市 に在住 し得 ず と せ ば、 背 に腹 は代 へら れず 、経 歴 較 々劣 る と も専 心 東 支 の事 務 に従事 し得 る士 を し て代 ら し む る を得 策 とす 。
ノ
コ ー ス ヂ ン デイヤト コー ウイ チ ワ
以 上 十 月 三 日 を期 し 正式 任 命 あ り た り。
イ
其 の後 十 一月 二十 五 日左 記 二 名 は辞 職 せ り。
督 弁 、 理 事 が個 人 とし て如何 に敏 腕 達 識 の士 なり と も 人数 足 らざ ◎
理事 (総 領事 )
副理事長
◎
セ レブ リ ヤ コフ
れ ば 理事 会 の決議 を なす を 得ず 。人 の問 題 に あら で組 織 の問 題 なれ
ラ キ ー チ ン
ば 、 寧 ろ閲 歴 多 少劣 ると も 専 心是 に従 事 し 得 る人 を任 命 し頭 数 を揃 ふる を可 とす 。斯 く し て初 め て東 支 に於 け る支 那 側 の利 権 を伸 張 し
辞 職 理由
得 べ く、 日本 も 亦是 に より て其 の利 益 を 擁 護 し得 べき な り 。 追 て参 考 の為奉 露 協 定 によ り昨 年 十 月 三 日新 幹 部 就 任 以来 半 年
◎
◎
◎
○
セ レブ リ ヤ コフは 労 農交 通 人 民委 員 長 代 の要 職 に在 り、 東 鉄 に永 く留 る こと を得 ざ り し に由 る。
◎
△
未 著任
側
〃
那
督 弁 兼 理事 長
支
因 に現在 の東 鉄 重役 及 管 理 局 長 を掲 示 す れ ば、 左 の通 りな り 。
れ、後 任 は現 在 哈 副領 事 コズ ロフ スキ ー に決 定 す 。
之 と同 時 に監事 デ イ ヤ ト コーヴ イ チ は病気 の ため辞 任 を 許 可 さ
理 由 、 イ ワ ノ フと の軋 轢 に依 る。
り、 四 月 十 三 日 の理事 会 に て副 理事 長 の辞 職決 定 す 。
四月 十 日副 理 事 長 ポ ズデ ー エフは莫 斯 科 に召還 さ る ゝ こと と な
露 支 会 議会 弁 を兼 任 す 。
◎
ラ キ ーチ ンは対 東 鉄 政策 を誤 り且 公金 消 費 等 共産 党員 た る の
◎
○ 資 格 な きを 理由 と し、 総 領事 の職 を 解 る ゝと共 に理事 を辞 す 。
◎
右 二氏 の後 任 とし て十 二 月 八 日左 の如 く 発 表 さ れ た り。 交通 人 民委 員会 代表
副 理事 長
ポズデ ーエ フ 外務
〃
キ セ リ ヨ フ (総 領 事) 当 時 に於 け る露 国 側 理 事 は前 記 二名 の外
理事長代理
貴
卿
鮑
謙
鄭
ド
理事
理事
ン
〃
〃
ラ
哲
〃
グ
光
ダ ニ レフ スキ ー
寰
劉 其
其 の後 十 四年 二月 二 日袁 金鎧 氏 の辞 職許 可 あり 、 呂栄 寰 が臨 時
栄
交通
財務
〃
〃
外 務 人艮 委 員会 代 表
理事 長 臨 時 代 理
范
監事長
呂
監事
袁 金 鎧 は理 事会 に於 け る態度 公 平 に過 ぎ 、支 那 側 理
澣
辞 職 理由
代 理 と な る。
卓
◎
陳
側
事 の受 け よろ し から ず 、 且露 国側 理 事 の圧迫 甚 だし く 、 且当 時 八
国
楊 △ 露
区問 題 に て支 那 総 商 会 と 鉄 道 間 の調 停 に努 めし も事 態 更 に紛 糾 の 兆 あ る に鑑 み辞 意 を決 せり 。
ド ( 総 領 事 ) 理事
副理事長
未
定 グ
理事
ン
二月 十 三日 ク リ イ シ コ理事 は商 務 官 と し て常 に北 京 に在 り て東
〃
管 理 局長
未
フ
〃 ノ
監事
ワ
コ ー ス チ ン
イ
コズ ロ フスキ ー
ラ
鉄 理事 の要 職 を 充分 に遂 行 し得 ざ ると て辞 職 し、 其 の後 任 は極 東
イズ マイ ロ フ
〃
◎
革 命委 員 会 財 産 委員 会 代 表 イ ズ マイ ロフ氏 に決 定 す 。
定 外 務係 が交 通 係 に圧迫 さ る ゝを 心 よし と せず 遂 に辞
る こと と なり し が故 に自 然 理 事 を も辞 す 。
之 と時 を同 じ く し て キ セ リ ヨ フ理 事 も総 領 事 を 辞 任 し 、帰 莫 す
ダ ニレ フス キ ー
◎
辞 職 理由
三 月 二十 五 日 鄭謙 は東 鉄 主席 理事 に任命 あ り たり 。因 に鄭 謙 は
意 を決 す 。
◎
◎
発信者
電
信
三 一
確
(極 秘 ) 第 六〇 四号
大 正 十 四年 四 月 二十 四 日午 后 三時 四 十分 発
奉天公所長
発信月日
張 作霖 ノ談
文 其ノ三
用語 、指 定 、暗 号 、 ウ ニ 電
哈 調 情 第 六 三号
三二
哈 爾 賓事 務 所 長 支 那紙 の〓 斉 線 敷設 観
大 正 十 四年 四月 二十 四 日
四月 二十 三 日 の哈 爾 賓晨 光 は首 題 に関 し 一論 評 を試 み て居 りま す
満 鉄 は近 く 開 か る べき 東 鉄 運賃 会 議 に烏 鉄 を参 加 せし め ん と主 張
か ら 、 左 に之 を摘 訳報 告 致 し ます 。
敢 テ辞 セズ 。露 国 ガ仮 令 十億 ノ国 帑 ヲ賭 ス ル モ、本 国 ヨリ多 数 ノ兵
法 ヲ詰 リ、 若 シ飽 迄 反 省 ノ態 度 ヲ示 サ ザ ル ニ於 テ ハ武 力 ニ訴 ヘル モ
る こと と な つた 。是 東 北 運 輸界 の 一大 変 革 で あ る。該 鉄 道 は黒 竜 江
至 り予 て問 題 と な り居 たる〓 斉 線 の敷 設 が愈 々具 体的 に実 行 せ ら る
ら れ ても 運 賃 協定 の解 決 を 見 る ことは至 難 と され て居 る。 此 の時 に
ので ある から 、烏 鉄 も参 加 し難 い事 情 が あ る、故 に該会 議 は開 会 せ
し て居 る 。其 の理 由 は烏 鉄 が列席 し なけ れ ば東 鉄 は 其 の政 策 を変 ぜ
員 ヲ出 動 セシ ム ル コト ハ恐 ラク 困難 ナ ラ ン。 余 ノ兵 力 微 々タ リト雖
の斉 々哈 爾 から 蒙 境 を経 由 し て奉 天省 の〓 南 に至 り 、南 満 経 営 の四
東 支鉄 道 露 国 幹 部 ハ近来 白 系 従 業員 ヲ馘首 シ旺 ニ左 傾露 人 ヲ引 入
モ鉄道 全 部 ヲ破 壊 ス ル如 キ コト ハ茶 飯 事 ニ属 ス、 ト 掫 楡 セ シ ニ彼 等
る に東 鉄露 西亜 側 は 東鉄 を犠 牲 にし て も浦 塩 の発 展 を謀 ら んと す る
ハ苦 笑 シテ答 ユル所 ナ シ。浦 塩 ニ ハ目下 十 五 名 ノ 日本 人 アリ ト聞 ク。
〓 鉄 道 に接 続 す る が故 に、 黒 竜 江省 及 蒙 古 の重要 産物 は 一網 打 尽 的
ず 、徒 ら に東 鉄 と 会 議 す る も隔 靴掻 痒 の憾 みが あ るか ら で ある 。然
支 那 人 モ以前 ハ三十 万 ノ居 住 者 ア リ シ モ、 現在 ニテ ハ僅 カ ニ百 五十
一線 の み命 脈 を有 し、 西 部 に対 し ては集 散 地 と し て の資 格 を失 はん
に南 満 に奪 は れ常 に四 通 八達 の称 あ る哈 爾 賓 は将 に只浦 塩 に出 づ る
ル ルノ ミナ ラズ 、 支 那 人 従業 員 ヲ モ我 ガ重 役 ニ何 等 交 渉 ナ ク罷 免 ス
名 ニ過 ギ ズ 。斯 カ ル状 態 ニア レバ余 ハ日本 ト提 携 シ テ、 対 露 政策 ヲ
ル等 横 暴至 ラ ザ ルナ シ。数 日前 露 国 側幹 部 ニ会 見 セ シ際 極 力 共 ノ不
樹 立 ス ルノ要 アリ ト思 惟 ス。露 支 協 約 ハ未 ダ 正 式 ニ開 会 スル ニ至 ラ
の であ る。 〓 斉 鉄 道 は官 商 合弁 な りと 称 し て居 るけ れ ども 、畢竟 如
何 なる性 質 のも の であ る か未 だ其 の発 表 を見 な い。然 し該 鉄 道 に需
と し 、単 に東 鉄 、烏 鉄 両 鉄 道 が満 鉄 に対 し て失 敗 せ る に止 ま ら な い
要 の枕木 、材 料 は早 く 日露 支 合弁 の札 免 公 司 に於 て已 に昨 年 よ り準
ズ 。東 支 鉄 道 回 収問 題 ニ関 シ、彼 ハ建 設費 七億 万 円 ヲ要 求 シ、 吾 ハ
リ。 サ レバ露 支 協 約 ノ前 途 モ四囲 ノ状 況 ヨリ決 シ テ楽 観 ヲ許 サズ 、
時 価 ニ評 価 シ 一億 万 元 ヲ越 エザ ル程 度 ニテ 回収 スベ シト 主張 シ居 レ
ト語 レ リ。
賓 の商 会 も亦 隠憂 を免 れ な い の であ る。 而 か も〓 斉 鉄 道 の敷 設 を 促
を 示 し て来 た。之 に 対 し ては 東 鉄当 局 の驚 愕 せ る の みな らず 、 哈 爾
も 支那 語 に通 じ な い。 其 の事務 所 は〓 南 に設 け不 日 工事 着 手 の形 勢
出 発 し た。 彼等 は長 衣 を 着 し 、 小帽 を 戴 き支 那 人 に類似 せ る が如 き
着 手 せら るで あ らう 。 該 鉄道 の測 量 に就 て は既 に百余 名 の測 量 隊 が
備 せら れ て居 る から 、 方法 を講 じ て東 鉄 の掣 肘 を排 除 し次 第輸 送 に
理 的 に委員 会 を組 織 し て平 和 に解 決 せ ん こと を希 望 し て居 りま す け
ま せ ん。 夫 れ です から委 員 会 は 今 以 て実 現 し ま せ ん。 労 農側 では 合
経 ま し た け れど も 、 支那 政 府 では今 日ま で正式 代 表 者 を 派遣 せら れ
す る こと に なり ま し た か ら、 労農 側 では カラ ハン大使 の正式 許 可 を
に申 請 し て代 表 者 の派遣 を乞 ひ 、委 員 会 を組 織 し て土 地問 題 を 解決
の後露 支 両 国 理事 が本 年 一月 十 二 日決議 し て双 方 共各 其 の自国 政 府
に同意 し な いば か り でな く 遂 に単 独 で高 圧手 段 を 執 ら れま し た。 其
て単 独 に処 理 せ ら れ て居 り ます 。 そ こ でカ ラ ハ ン大使 は 一月 二十 五
れ ど も、 支 那側 で は聞 い ても聞 か ぬ振 り をし 引続 き高 圧 手段 を用 ひ 三三
日張 上将 軍 に電 報 し て、 本 件 に関 す る顛 末 を陳 述 し ま し た次第 です 。
の親善 を証 明 す る も のであ り ま し て、 該協 約 の何 れ の部分 に就 ても
一九 二 四年 九 月 二十 日東 三 省 自治 政 府 と 労農 露 国 と の協 定 は両 国
総領 事 館 から 当署 宛 に参 り ま し た書 面 に左 の通 り記 載 し て あ りま す 。
東 三省 交 渉 総署 長 高 清 和 の報 告 に依 れ ば 、本 月 十 日 労農 露 国 駐 奉
事 グ ラ ンド 君 を委 員 に任命 し て居 り ます 。以 上申 上げ ま し た事 柄 に
区分 し て戴 き た い の であ りま す 。 労農 露 国 では 已 に正 式 に駐 哈 総領
に御 取 次 を願 ひ至 急 係員 を派 遣 し て、 鉄 道 用 地 と然 ら ざ る も のと を
使 の命令 も あり ま す か ら特 に書 面 を以 て貴署 長 を煩 は し 、張 上 将軍
と が御判 り に なり ま せ う。 前 記 の事 情 も あり ます し 、 且 カ ラ ハン大
を 御 覧 にな りま し た な らば 相変 らず 不 法 行為 を継 続 し て居 ら れ る こ
て居 り ます 。 試 み に四月 十 二 日附 の地 畝 管 理 局長 張 煥相 将 軍 の布 告
以 て勝手 に鉄 道 用 地 を処 理 し 、 且共 同委 員会 の成 立 を妨 害 せん と し
て居 ら れ る様 です が、 哈 爾 賓 で は張 煥 相将 軍 が相 変 らず 高 圧 手段 を
其 の後 張 上 将 軍 と し て は正 式代 表 派 遣 にも、 委 員 会組 織 にも賛 成 し
秘 哈 爾 賓 事務 所 長
進 し た のは、 烏 鉄 と満 鉄 が運 賃 競争 を した 為 であ る。 (浜岡 )
哈 調 情 第 七 六号 大 正 十 四年 四月 二十 八 日 東 鉄 土 地区 分 に関 す る委 員 任命
首 題 に関 し 四月 二十 三 日附 、 奉 天 張 上将 軍 公 署 よ り特 区 行 政長 官
露 支 両 国 は極 力 之 を尊 重 せな け れ ば な ら ぬ筈 であ りま す 。該 協 約 第
に致 せ る公信 、左 に訳 報 致 し ま す。
一条 に声 明 し てあ り ま す通 り、 東 鉄 の営 業 上 必要 な る土 地 以外 の土
右 に関 し交 渉総 署 長 高 清 和 か ら左 の如 く副 申 があ りま し た 。
就 ては貴 署 長 に於 か れ ても屹 度 御 賛 同 下 さ る こと と思 ひま す 云 々。
思 ふ に、 鉄 道 の必要 地 と 然 らざ るも のと乃 至 は支 那 に返 還 す べき
地 は当 然 支那 政 府 の管 理 に帰 す べき であ りま す 。 そ れ です か ら労 農
土 地 は数 から 言 つて も随 分 沢山 あ る の であ りま し て、其 の関係 す る
側 の東 鉄 理事 は屡 々支 那側 理事 と 相 談 し て営 業 上 必要 の土 地 と然 ら
ふ意 思 表 示 を しま し たけ れ ど も、 当 時 支那 側 では 此 の種 の意 思表 示
ざ るも のと を区 別 し 、 後者 は之 を 支 那 政府 の管 理 に移 し 度 い、 と い
処 も広 いの であ りま す 。 奉 露 協定 には 元 々鉄 道 自 身 の必要 地以 外 は
大 正 十 四年 四 月 三十 日
哈爾 賓 事 務 所 長
望 す る こと は、 原定 の事 実 (原 文 には原 定 実 相 と あ り) と牴 触 しま
労 農 総領 事 が委員 会 を組 織 し て討 議 の上 土 地問 題 を解 決 せ ん と希
換 があ り ま し た。 恐 らく 将来 必ず や重 大 問題 を惹 起 す る こと に なり
グ ラ ンド と の 口論 を謂 ふ) が 、 引続 き 劉 理事 と イ局長 と の悪 罵 の交
先 日 東 鉄 に て露 支 両国 の衝 突 が あ りま し た (訳者 曰く 、 呂 栄寰 と
東 鉄 露 支 理 事 の抗 争 (四 月 二十 八 日魏 顧 問談 )
す 。 若 し も今 後 重 ね て解決 を 必要 と す るな ら ば、 路 務 会 議 の時 に仔
びま し て、劉 理事 は尚 余 憤 を 洩 し て居 ま し た。 両 国 理事 が斯 く衝 突
ま せう 。余 (魏 氏 )昨 日劉 、 范 両 理事 に面会 し たる に談 此 の事 に及
総 て支 那官 憲 の管 理 に帰 す る旨 の規 定 があ り ます 。
細 に研 究 し、 事 情 如 何 を見 て討 議 し ても晩 く あ り ま せん 。協 定 の条
の通 り です 。
す る に至 り まし た事 を遠 因 、 主 因、 近因 の三 つに分 け て見 ま す と左
文 に照 し 一先 づ 回答 し て、 原 案 に符合 せし め 紛争 を避 け た いと思 ひ
右 に対 し 上将 軍 公 署 は 左 の通 り 交渉 総 署 に指令 し まし た 。
ます 。 卑見 が当 を 得 て居 る か否 か何 分 の御 指 図 を願 ひま す 云 々。
奉 直戦 後 両 国 理事 の感 情 が 面白 く な か つた の です が、浦 塩
方面 に て労農 側 の支 那 人虐 待 其 の他苛 酷 な る取扱 振 り が あ りま し た
遠因
為 、張 上 将 軍 と し ては非 常 に不 満 であ つた の です が、 更 に支 那 人 の
労 農 総 領事 の書 面 に謂 ふ処 の委 員 会 な るも のは 、鉄 道 用 地 と然 ら
は其 の性質 を異 にし て居 り ま す。 本 項 の土 地 は 支那 政府 の管 理 に帰
ざ る も のと を区 分 す る為 のも の であ つて、 奉 露協 定 の所 謂 委員 会 と
た か ら、 夫 れ に付 き 交 渉 し て見 まし た が何 等 の効 力 がな か つた ので
出 境 、 入 境 の護 照 受 領 に関 し て労農 側 で苛 酷 な る条 件 を新 規 制 定 し
益 々張 作 霖 の怒 りを 買 ひま し た。 夫 れ や是 や の関 係 で五 月中 北 京 で
す る事 に規 定 せら れ て居 る け れ ども 、其 の交 渉 を 為 す に は鉄 道 用 地
ま せ ん 。労 農 側 で駐 哈 総 領 事 を委 員 に任 命 し た のな ら ば、 此 方 でも
ま し た。 大 局 に於 て既 に協 調 の余 地 が無 く な つた の です か ら、 東鉄
開 会 の筈 であ つた露 支細 目協 定 も、 今 で は開 会 の可 能 性 が なく な り
と然 らざ る も のとを 区 分 す る 手続 を経 な け れば 確定 す る訳 には参 り
浜 江道 尹蔡 運 升 を委 員 に任命 し て、 双 方立 会 の上 区 分手 続 を履 行 し
満 鉄 と東 鉄 と は 不 日連 運 会議 を開 く 筈 でし た が、 議 案 と し
譲 ら な か つた のです 。
し まし た が、労 農 側 理 事 の同 意 を 得 る に至 らず 、反復 討論 し て互 に
の如 き は甚 だ し く公 平 を 失 し、 哈 爾賓 の繁 栄 に影 響 す る ことを 主張
の運 賃 を 増 加 せ んと 企 てて居 ます の で、支 那 側 理事 は之 に対 し 斯 く
て イ ワ ノ フ の提 出 し た も の は安 達 か ら の運 賃 を低 減 し 、哈 爾 賓 か ら
主因
方 面 の両 国 当 局 も益 々融 和 す る こと が出 来 なく な つた のです 。
早 く結 末 を つけま せう 。貴 交渉 総 署 長 は 此 の意 味 を駐 奉 総領 事 に回 答 せ ら れた い。
三四
右 様 の次 第 です から 貴 行 政長 官 は此 の趣 を蔡 道 尹 に伝 達 し て処 理 せ し め られ た い。
哈 調情 第 八 二号
更 にイ 局長 が五 月 以後 東 鉄 従事 員 中 白党 人員 を無 理 に労 農 露 国 の 国 籍 に登 録 せし め ん と企 て、之 を肯 んぜ ざ る者 は免 職 し よう と し ま し た が、 支 那側 当 局 が之 に反 対 し た為 、 彼 等 は新 聞 紙 を利 用 し て支 那 に対 し悪 罵 を 浴 せ 益 々支 那 側 理事 の反感 を買 ふ に至 つた の であ り ます。
哈 調情 第 九 四 号
三六
秘
哈 爾賓 事 務 所長
有力 者 の調 停 あ る こと は先 に報道 せし 通 り な るが 、右 は カ ラ ハンが
魏 顧 問 の語 る 処 に依 れば 、東 鉄 露 支 両国 理 事 の感 情 悪 化 に就 て某
東 鉄露 支 理事 間 調 停 運動 に関 す る後 報
大 正十 四 年 五 月 六 日
し て修 飾 し て居 ま す が、 支 那 側 の方 は未 だ 着手 しま せ ん 。 こん な 状
意 を王 正 廷 に授 け、 王 は奉 天張 作 霖 に密電 し た る為 、 双 方 従事 員 の
春 暖 の候 と な りま し て労 農 側 理 事 の住 宅 には花 を植 ゑ た り
況 です か ら自 然 波 瀾 を生 じ、 本問 題 に藉 口し て厳 しく イ 局長 を問 責
近因
し 相 互論 争 をな し 、感 情 益 々悪 化 す る に至 り まし たが イ ワノ フは最
移動 説 を生 む に至 れ り。 新 聞紙 の伝 ふる処 に依 れ ば、 楊卓 が調 停 の
哈調 情 第 九 〇 号
三七
し居 り十 一日離 哈 の予 定 な り と。
因 に余 前 副 局長 は交 通 部 に至 り 別 に任 命 を 待 つべし 、 と の命 に接
引継 を 了 し た と の こと であ る 。
五月 三日来 任 せ る東 鉄 管 理 局新 副 局長 郭 崇 煕氏 は、 昨 五 日事 務 の
東 鉄 管 理 局新 副 局 長 の就 任
大正十四年五月六日
哈 爾賓 事 務 所長
取消 さし め ん と す る に あり と の こと な り。
張 作 霖 の命 を受 け、 イ ワ ノ フと交渉 し 、彼 を し て第 九 十 四号 布 告 を
労 を取 ると言 ふ も、 彼 には其 の資 格 な しと 思 ふ。楊 卓 来哈 の目 的 は
後 に武 力 解決 を惜 し まず 、 と 豪 語 しま し た のです 。 呂 理事 が奉 天 に行 つた のは 以 上 の問題 を報 告 の為 で あ りま す が、
哈 爾賓 事 務 所 長
或 は 重 大問 題 を 惹 起 す る やも 知 れ ませ ん 。
三五
秘
大 正 十 四年 五 月 五 日
哈 調 情第 八九 号
東 鉄 露 支 理 事間 の 調停 露 支 の感 情 日 に険 悪 に趨 き つ ゝあ る も 、最 近 有 力者 (外 国 人 な ら ん か)出 で て調 停 に当 り つ ゝあ り、 其 の条 件 左 の如 し 。 露 西 亜側 はイ ワノ フ局 長 及 グ ラ ンド 理事 を罷 免 す る こと 、 支 那側 は呂 、劉 理事 を 罷免 す る こと 。 但 し右 条 件 は到底 奉 天 当 局 の承 認 を 得 難 か る べし と言 ふ。
哈 調 情第 九 五 号
三八
秘 哈 爾賓 事 務 所長
東 鉄 重 役秘 密 会 開 催
大 正 十 四年 五 月 七 日
るも のあ り。
護 路 軍司 令 部 に於 て探 聞 す る処 に依 れ ば 、張 作霖 は東 支 鉄道 問
一、 対 露 問題 に関 す る張 作 霖 の訓電
題 に関 し 遠 か らず 難 交渉 発 生 す べ し、 と の意 向 を 有 し之 が対策 考
究 の為 、屡 々会 議 を開催 し 四月 三十 日張 作 相 に対 し 、左 記 要旨 の
記
訓 電 を 発 せ り と。 左
那 地畝 管 理 局之 を管 理 し 、東 支 長 官 の任 意 処分 を厳 禁 す べし 。
1. 東 支 鉄 道 附 属 地 は露 支細 目協 定 の成 立 迄 奉露 協 定 に基 づ き て支
東 鉄 本社 に ては支 那 側 理 事 呂 栄寰 、 劉哲 、范 其 光 及監 事 楊卓 を加 へ、 露 国 側 理事 グ ラ ンド 、 ダ ニレ フス キ ー等 と六 日 以来 会 議 中 な る
に制 限す べし 。東 支 長 官 にし て其 の土 地 を任意 処分 す る場 合 には 、
2. 東 支 鉄 道 が営業 上 任 意 に使 用 し 得 べ き土 地 は ﹁材 料 置 場﹂ の み
が そ の内 容 は絶 対 秘密 と せら れ 特 に議 事 録 の作 成 を止 め て居 る。而 し て楊 卓 は管 理 局 商 業部 副 長 黄 貴 福 を吉 林 に派 し て何 事 か画 策 せ し
彼 に奉 露 協 定 違反 の責 任 を 負 は しむ べし。
支 沿線 に於 ては往 々にし て宣 伝 の事 実 あ り。本 件 に関 し ては目 下
3. 支 那領 土 内 に於 け る赤 化 宣伝 は絶 対 に禁 止 し あ る処 な る も、 東
カ ラ ハンに抗 議 中 な る が、 護路 軍 警 察 に於 ても極 力 之 を 取締 る べ
く 、 状況 に依 り ては彼 等 に退去 処 分 を為 す も可 な り 云 々。
露 支細 目会 議 督 弁 王正 廷 の特 派 せ る調 査員 周福 臨 は 四月 十 六 日
二、露 支細 目会 議 開 催 準備 の為来 哈 せ る王 正 廷 の特 派員 の動 静
来 吉 、 同 二 十 二 日黒 竜江 省 より 帰哈 、 同 二 十 六 日迄特 区行 政 長官
哈爾 賓 事 務所 長
め て居 る形跡 が ある 。 一般 に は露 支 理事 間 の感 情 調 停 のた め の会議 だ 、 と観 察 さ れ て居 る 。
三九
秘
対 東 支問 題 に関 す る張 作 霖 の訓 電 及 王 正 廷
大 正十 四年 五月 九 日
哈 調情 第 一〇〇 号
特 派 員 の北 満 視 察 (五 月 七 日高橋 中 佐 報 ) 最 近東 支 鉄道 及 〓 斉 線 問 題 を中 心と し て露 支 の関係 緊 張 し 、殊 に
し て 、彼 は哈市 滞 在 中 左 記事 項 に関 し軍 政 長官 、 東 支 支那 側 理 事 、
彼 の来 満 の目 的 は露 支 会 議 に関 す る準 備 調査 に在 り し は勿 論 に
公 署 に滞 在 し て帰 京 せ り。
と は既報 の如 く な る が尚 張 作霖 は過 般 東 支問 題 に関 し 、 左記 要 旨 の
張 作 霖 が北 満 に注 意 を 倍 〓 し 、而 も強 硬 な る態 度 を持 し つ つあ る こ
記
商 務 会 、 自 治会 及 華 僑 聯 合会 等 の意 向 を調 査 せ り、 と 。 左
訓 電 を発 し或 は 王 正廷 の特 派 調 査員 を北 満 に派 遣 せ り 。之 に対 し労 農 側 の態 度 亦頗 る強 硬 な るを 以 て今 後 形 勢 の推 移 は 一層 注 目 を要 す
一 東支鉄道幹支線 の敷設 に当 り露西亜 の資本を加入せしむ るや否
東支鉄道回収 に関する件。
外国船 の松花 江航行禁止に関す る件
や。
二 三 四〇 哈調情第 一〇六号 大正十 四年五月十三日 哈爾賓事務所長
而 し て露 国側 は殊 更 に理 事 の法 定 数 に達 せざ る如 く努 め て 理事 会
四 二
斉 々哈 爾 公所 長
大 正十 四 年 五 月 二十 一日
早 川 正 雄
成 立 を避 け 、 奉露 協 定 の精 神 を楯 に取 り イ ワノ フ局長 を し て独 断 的
秘
行 為 に出 でし め 居 る様 子 であ る 。
斉 公第 四 二号
イ ワ ノ フ東支 局長 最 近 の活 動 振 り
勤 務 せ し邦 人塚 田 興永 よ り聞 込 み た るも の にし て、 四月 十 七 日附 哈
左記 は小 職 過 般 海拉 爾 に出 張 の際 、久 し く ウ オ ロンツ オ フ林 区 に
在斉 々哈爾営業所は支那官憲 の命 により閉鎖 された。其 の理由は
爾賓 事 務 所 発 哈 調情 第 四八 号 ﹁ 東 支 管 理 局長 最 近 の活動 振 り ﹂ に関
在斉 々哈爾東鉄営業所閉鎖 右営業所 が特産資金 の貸付業務を行 ひ、民業を疲弊せしむる事 が甚
連 し 、之 を裏 書 す る も の とし て報 告 す。
を受領 せ りと 言 ふ 。 又 イ、 ウ オ間 林 区 に関 す る契 約 は極 秘 と し て、
四 月 七 日 (? ) ウ オ出 哈 イ局長 と密 議 し 、資 金 と し て 二十 五 万留
四日 間 に亘 り調 査 を な し て帰 哈 の途 に就 け り 。
より直 接 の命 令 を受 け たり と 称 し 、 ウ オと 共 に ヤケ シ林 区 に入 り、
四 月 一日 (? ) イ 局長 の秘 書 を交 へし 一行 四名 の調査 員 は イ局 長
一、 対 ウ オ ロンツ オ フ林 区 関係
だし い、 と言 ふに在 る。 四 一 哈調情第 一一三号 秘 東鉄露支理事 間感情依然緩和 せず
大 正十 四年五月十九日 哈爾賓事務所長 呂栄寰帰哈後直ちに在哈東鉄理事は二日間 に亘 り秘密会を開 きた 導 されたが、当所 の探査す る処 に依 ると、内実は決し て然らず依然
て、満 蒙 の地 上 、 地 下権 利 の獲 得 に投 入し 、 日本 を主 と す る諸 外 国
信ず べき 露 人 の談 によ れば 、 労農 露 国 は 自 国資 本 を東 支 名 義 を 以
二、満 蒙 利 権 獲 得 策
カ ラ ハン の許 に送 附 せ ら れ た りと 言 ふ。
とし て相反目し単なる打合会すらも開 かるべき予想 つかず 、為 に各
をし て投 資 の余 地 な か ら し め んと劃 策 し 、 東 支全 線 に亘 る 一流 の権
る為、露支 理事間 の感情 は或る程度 まで緩和せる如く新聞紙 上に報
種 の重要 なる未決問 題山積 せる有様 である。
た る二 十 五 万留 も 亦 此 の種 のも のな る べし 。
利 所 有露 人 に対 し 暗 中 飛躍 を 試 み つ ゝあ り 、従 つて ウ オ に交 付 され
イ局 長 は海 拉 爾 に於 け る 四、 五 の猶 太 商 人 に或 る特 権 と 資 金 と を 与 へ、 蒙 古 貿易 の発 展 を 期 し、 やが て は同 地 に購 買 組 合 (? ) を設
一
東 鉄 の野 心 (吉 林 某要 人 談 )
最 近 に於 け る東 鉄 労農 側 政 策 左 の如 し 。
な ら し む る手 段 に依 る 。
一、 理 事会 を 開会 せ し めざ る事 、其 の方 法 と し て理 事 の員 数 を 不足
二、 副 理事 長 及 局 長 の命 令 を以 て 一切 の事 務 を処 理し 、露 国 帝 政 時
し て始 終 強 硬手 段 を取 り つ ゝあ り。
代 に於 け る と同 様 東 鉄 従前 の権 利 を獲 得 し 、 一歩 一歩 前進 せむ と
け 、自 国 勢 力 を扶 殖 せ ん こと を計 画 し つ ゝあ るも の ゝ如 し。 三、 調 査 及 諜報
又航 権問 題 に就 ては 尼 港 を利 用 し 、下 流 の穀 物 を駆 り て同 港 より
禁止せり。
同 時 に知 多 に て支 那 人 の入境 を禁 じ、 支 那 の原 料 を輸 入す る こと を
尚 聞 く処 に拠 れ ば露 国 官 憲 は浦 塩 に ては支 那 商 の取締 を実 行 し、
一一、随 時 支 那 側 職員 及 軍 隊 、警 察 を 軽 侮 し之 を外交 団 に知 ら しむ 。
一〇 、鉄 路 督 弁 を 承認 せず
警 が貨 物 窃 取 及職 務 曠 廃 を誣 ひ た る こと も数 十 回 な り)
九 、支 那 路 警 及護 路 軍 隊 に対 し て は難 癖 を作 る こと に 腐 心 す 。(路
将 来 一括 し て賠 償 を求 めん と す。
八 、支 那 側 所要 の車 輛 、 バ ス、 公 共財 産 等 に対 し て は貸 金勘 定 とし
を なす 。
七、 特 別 区 の行 政 に就 ては 、補 助 金停 止 の方 法等 に依 り消極 的 抵 抗
六 、 奉 天側 関 係 の無 能 者 を 登用 せん とす 。
五 、 支 那職 員 中 有 能 者 は 口実 を 設 け て排 斥 せ ん とす 。
四 、 白党 露 人 を排 斥 す 。
任命 せ んと す 。
三、 露 支 両 国 の職 員 分 配 未 定 の際 に乗 じ、 各 処 正 処長 は総 て露 人 を
海拉 爾 在 住 の猶 太商 四名 に対 し東 支 よ り各 月 額 百 五 十留 の手 当 を 支 給 し 、調 査 及 諜 報 を な さし め つ ゝあ るが最 近之 が監 督 者 と し て商
秘
四 三
人 を粧 へる猶 太 人 一名来 海 す る由 。
哈 調情 第 一 三五号 哈爾 賓 事 務所 長
東 鉄 本 社 に於 け る露 国側 密 談
大 正十 四年 五 月 二十 三日
東鉄 本 社 には 目 下多 数 の露 国側 密 偵 を 入 れ あり 、 支 那 理事 及之 と
ると 。 ( 本 社 庶 務 課 員談 )
四四
極秘 哈 爾賓 事 務 所 長
交 通 す る 日本 人 の行動 を厳 重 に監 視 し て居 る から 充 分 の注 意 を 要 す
哈調 情 第 一三 七号
東 鉄 及露 支 国 交 の件
大 正 十 四年 五 月 二十 六 日
輸出 せ し めむ と す る を以 て、奉 天 側 は之 が 対策 を講 ず べく 、各 地 航 業 公会 及 汽 船 会 社 を招 集 し討 議 せし め つ ゝあ り。 三 江 口 ( 黒竜江と 松花 江 と の合 流 点) に は軍 艦 二隻 を増 加 せ り と言 ふ。 外蒙 に は已 に多 数 増 兵 せり と いふ。 伝 聞 す る処 に依 れ ば カ ラ ハ ン
対露 関 係 已 に此 の如 く な れ ば 、対 日 親 善関 係 は論ず るま でも無 き
開 かし め む とし つ ゝあ り 。之 が是 非曲 直 は自 ら 公論 あ る べし。
ことな り 。将 来 国 交 決 裂 の場 合 日本 側 の公然 参 加 を可 とす る や否 や
は、 外 交関 係 の如 何 に依 り決 定 す べし 。 現在 に於 て は援 助問 題 に付
を拒 ん で後 門狼 を 入 るる を 恐 る ゝも のあ り。 故 に本件 に関 し て は極
一般 国 民 は本 件 に関 し関 知 す るも の少 なく 、 当 局者 中 には前 門虎
き暗 々裡 に交 渉 し つゝあ る のみ。
せ ん た め に、馮 を し て国 民党 に聯 絡 せし め む と し つつあ る も 、国 民
と馮 玉 祥 と の間 には赤 化 鼓 吹 の密約 あ り、 且 馮 を助 け て支 那 を改 造
つ て西 、南 、 北 三 苑 に奉 軍 を 駐 剳 せし めた るは 、国 民 党要 人 の不 一
党 の多 数 は外 人 の力 を借 りる こと に賛 同 せず 、今 回馮 氏 の譲 歩 に依
にあ るを 以 て、相 互 赤 心 を披 瀝 し 以 て赤 化 に対 抗 し、 東 洋平 和 を 保
め て慎 重 な る判 断 を要 す る 次第 な るも 、 日支 両 国 は既 に与国 の関 係
持 す べき な り 。労 農 側 敗 退 せば 日本 の受 く る無 形 の利 益 鮮 少 なら ざ
致 に依 る (汪 兆銘 は共 産 主 義 を 主張 す るも 、 外 人 の援 助 を受 く る を 好 まず 、李 時 曾 、 于右 任 等 は 時 機尚 早 にし て、奉 天 側 の干 渉 を惹 起
四五
哈 爾 賓 事務 所 長
東 鉄管 理局 会議 は ウ オ ロンツ オ フ林 区 の共 同 経 営案 を承認 し、 其
東 鉄 管 理 局会 議 は ウオ ロンツ オ フ林 区 の共 同経 営 案 を可 決 す
大 正十 四年 五 月 二十 七 日
哈 調情 第 一四 一号
鉱 業 上 の特殊 の権 利 を附 与 す る意 向 な る が如 し )
東 支 鉄道 の管 理 は之 を 支 那側 自 ら し 、 日本 に対 し て は北満 の林 業 及
たり ( 徐 曰 く、 日本 の援 助 を得 て労農 を駆 逐 し た る場 合 に於 ても 、
る べき を 以 て、 北 満 の利権 に対 し 過 大 の要 求 を 為 す べ からざ る に似
対 露 政 策
す る を恐 る ゝ旨 主張 し居 れり )。 二
奉天 側 はグ ラ ンド 、 イ ワ ノ フ、 カ ラ ハ ンの横 暴 に対 し 強 硬 手段 を 採 るに決 し、 一方 馮 玉祥 に備 ふる と共 に他 方 に於 て は対 東 鉄 問題 に 付 き画 策 し つ ゝあ り 、張 作 相 は 不 日 、東 山 地 方 に赴 き軍 隊 検 閲 を名 とし て防 備 の計 画 を進 め つ ゝあ り 、満 洲 里 方 面 に就 て は密 か に黒 竜 江 省 に命 令 し注 意 せ し め つ ゝあ り 。馮 玉祥 に対 し て は李 景 林 、張 宗 昌 、姜 趙 六等 をし て之 に備 へし め 、労 農 軍 に対 す る計 画 も 秘 密裡 に 進 行 中 な り 。軍 器 は 日 本 の援 助 を受 く べく 于 冲 漢 の日本 行 き は 其 の 接 衝 の為 な り。 又 瑞 西 よ り飛 行 機 を購 入す る等 、 国 交決 裂 に備 へつ ゝあり 。
の通 り 。 約
案
の認 可 を本 社 に請 ふ事 に決 定 し た 。右 経 営案 の内 容 の主 なる 点 は左
更 に交 渉 総署 をし て カ ラ ハンに交 渉 せ し め、 万 已 む事 を得 ざ る場 合
一、契
表 面 は 平和 解 決 を 装 ひ イ ワノ フ の専 横 に 対し 督 弁 名義 に て抗 弁 し 、
は武 力 を 以 て解 決 せ んと す る意 向 に て、努 め て労 農 側 を し て戦 端 を
2. 運転 資 金 は 二十 五 万留 とし東 鉄 及 ウ オ ロ ンツ オ フ之 を等 分 に
事 務 は ウ オ ロンツ オ フに二十 万 留 を支 払 ふ事
1. 東 鉄 の林 区 に対 す る権 利 は ウ オ ロンツ オ フと 同 一な る事
3.
運 搬 支線 、埠 頭 及 総 て の営 造 物 は等 分 に両 者 に属 す る事
出 資 す る事 4. 5. 損 益 は 両者 等 分 に負 担 す る事
哈 調情 第 一四 二号
哈爾 賓 事 務所 長
張 作 霖 の知 留 流 通 禁 止電
大 正十 四年 五 月 二十 七 日
二十 五 日附 張 作霖 発 浜 江張 鎮 守使 、 特 別 区馬 市 政 局長 宛密 電 左 の
﹁従 前 哈爾 賓 に於 て外 国紙 幣 流 通 せ る こと あ りし も 信用 皆 無 にし
通 り。
て、我 が商 人 の蒙 れ る損 失 数 千 万な るを知 らず 。 近頃 聞 く所 に依 れ
ば 、知 留 紙 幣 現 は れ暗 々裡 に流 通し つ ゝあ り と の事 な り。速 に調 査
二、共 同 経 営 を 必要 と す る理 由
厳 禁 せ ら れ たし ﹂
哈爾 賓 事 務 所長
1. 東鉄 東 部 線 林 区 の蓄 材 僅 少 な る事
四七
極秘
(五 月 二 十 七 日高 橋 中 佐報 )
東 支 鉄 道 問題 に関 す る張作 霖 の命令
大 正十 四 年 五 月 二十 八 日
哈 調情 第 一四 五 号
2. チ ヨー ル林 区 は位 置 遠 隔 し 運材 に不 便 にし て今 日迄 経営 し居 らざ る 事 3. 木 材 の価格 日 に高 騰 す る為 、 共 同経 営 の代 価 二十 万 留 は 三、 四年 内 に償 却 す る事 三、 東鉄 調 査 隊 の調 査 に係 る林 区面 積 及 材 積 海 拉 爾 河 に沿 ふも の 約 三 、 五 〇〇 平 方露 里
イ 1. 面 積
信 ず べき諜 者 の報 告 に依 れば 、護 路 軍 総 司令 部 に於 て は五 月 二十
枕 木 一千 二 百万 本 分、 丸 太 八 百 万本 分 、 薪 三 百 五十 万 ク ーボ 分
2. 材 積
三 日張 作霖 よ り左 の要 旨 の命 令 を 受領 し、 目 下之 に基 づ き軍 隊 の移
一、東 支 鉄道 問 題 に関 し ては 目下 カ ラ ハンと交渉 中 にし て左 の如 き
動 を為 し つ つあり 、 と 。
イ ミ ヤ ンゴ ー ル河 に沿 ふ も の
枕 木 四 百 五十 万本 分 、 丸 太 七十 五万 本 分 、薪 五 十 万
約 五〇 〇 平 方露 里
ロ 1. 面 積
イ
商 に依 り 円満 解 決 せ ん こと を希 望 す 。 若 し本 問 題交 渉 中 イ ワノ
生 ぜ る は甚 だ遺 憾 と す 。無 国籍 従業 員 の淘 汰 は 奉露 及 露支 の協
イ ワ ノ フが第 九 四号 命 令 を取 消 さ ざ る が為 、露 支 間 に軋 轢 を
警 告書 を カ ラ ハンに提 出 せ り
2. 材 積
ク ーボ分
四六
フ が従業 員 の馘 首 を断 行 し、 之 が為 罷 工等 が 惹 起 せ る場 合 には、
奉露 協 定 に は理 事会 に し て東 支問 題 を解 決 し 能 はざ る場 合 に
之 に依 り て蒙 る東 支 の損 害 は 労 農政 府 の賠 償 の責 あ る も のと す。 ロ 在 り ては 、両 締 約 国 政府 に於 て之 を解 決 す べき こと を規 定 せ り。 今 次 の東 鉄問 題 は之 に基 き解 決 せん ことを 希 望 す 。 二、 東 三省 には 五月 二十 日 以後 臨 時 戒厳 令 を布 き 、 各 国防 司 令 は所 轄 軍隊 を 東 支沿 線 附 近 に移 動 せ し め て有 毒 の際 に備 ふ る と同 時 に
四八
極秘 哈 爾賓 事 務 所 長
哈調 情 第 一五 一号
哈爾 賓 事 務 所 長
東 鉄 土 地 問題 に関 す る カ ラ ハ ンの覚 書
大 正 十 四年 六 月 一日
(五 月 二十 六日 エホ ー紙 報 )
駐 支 労 農 大 使 カラ ハンは 五 月 二十 一日支 那外 交 総 長 に宛 土 地 問題
に関 し次 の如 き 覚書 を提 出 せり 。
東支 鉄 道 は 労 農露 国 民 の資 本 に依 り て敷 設 せら れ、 現在 は露 支 合
理 事会 の開 催 を提 議 し た処 、 露 西亜 側 に ては 理事 及 監 事 の連名 に て
二 十 八 日呂 栄寰 帰 哈す る や東鉄 支 那 側 理 事 は、 昨 二十 九 日非 公 式
地 に関 す る問 題 は 一九 二 四年 の露 支 交渉 の進 行中 東 支 鉄道 の定 款 編
なり 。 之 鉄道 の貨 物 輸送 を増 大 す る 為 極 め て重 大 な りと す 。之 等 土
地 方 の開 発 を目 的 と し 、経 済 振 興 の為 必要 な るを 以 て購 入 せ るも の
て購 入 せ る も のにし て、単 に鉄 道 の敷 設 の為 のみ な らず 、鉄 道 沿 線
し き は 東鉄 所 属 地 問 題 な り。 東 鉄所 属 地 は鉄 道 が莫 大 の資 金 を投 じ
ゝあ り 。斯 の如 き 事 実 は諸 方 面 に於 て 目撃 す る所 にし て、殊 に甚 だ
のみ な らず 、 却 て鉄 道 の所 有 財 産 を奪 取 し 直接 鉄 道 に損害 を来 し つ
数 ケ 月 に亘 り地 方 の支 那 宮 憲 は 鉄道 の将 来 の振興 発 展 を後 援 せざ る
す る こと を保 証 す る も のたら ざ る べ か らず 。然 る に事 実 に於 て最 近
イ ンテ レ ストを 有 す る該 企 業 の振興 発 展 の為 に、 凡 ゆ る手 段 を採 用
東 支 鉄 道 を厳 重 に保 護 し て、国 際 問 題 を惹 起 せざ る様 警 戒 す べし 。 弁 に係 る 一企 業 な り 。而 し て露 支合 弁 な るも のは露 支 両国 が相 互 に
哈 調情 第 一四 九号 大 正 十 四年 五 月 三 十 日
カ ラ ハン の訓 令 に依 り、 鮑 督 弁 が単 独 に てイ 局長 九 四号 命令 取 消 布
成 の際 起 り し交 渉 の結 果、 露 支 協 定 第 一条 第 九項 に次 の如 く規 定 せ
東 鉄 露 西亜 側 理事 理 事 会開 催 拒 絶
でな け れ ば 、絶 対 に他 の議 案 に就 ては審 査 を 忌避 し、 会 議 に出 席 し
告 及 満 鉄 と公 文 の往 復 を な せ る非法 行 為 の件 に就 き解 決 を 遂 げ た後
ら れ たり 。
一
両 条 約 国 政 府 は相 互 次 の宣 言 を 為 す 。即 ち東 支鉄 道 の直 接 監督 下
両 条 約 国 政府 は東 支鉄 道 が純 商 事 企業 た るを 宣 言す 。
題 を解 決 す る こと に同 意 す 。即 ち 、
両 締 約 国 は 前記 露 支 会議 に於 て下 記 の如 き原則 の下 に東 支鉄 道 問
難 き 旨 を 通告 した 。 之 が為 支 那 側 理事 は単 独 に て各 種 の打 合 せ を な し た。
四九
関 す る 凡 て の問 題 、例 へば 行 政租 税 及 土 地 所有 (東 支 鉄道 に 必要 な
に在 る事 業 上 の諸 問題 を除 き 、支 那 共 和 国 々民 及地 方 政権 の権 能 に
議 又 は特 別委 員 会 に於 て求 め 得 べ きも の にし て、 露 支 両国 は 特 別委
原 則 と な せ り。 而 し て此 の同意 は露 支 及奉 露 協 定 に基 づき 、露 支 会
も のた る を表 明 す るも のにし て、此 の同意 を 以 て露 支 及奉 露 協定 は
昨 年 末予 は土 地調 査委 員 会 の召集 問 題 を提 起 せ るも 、之 に対 し 予
員 会 に拠 る べく 議 決 せり。
は回 答 を得 ざ り き。 其 の後 露 支 両国 理事 の参 加 せ る東 鉄 理事 会 は 一
る土 地 を除 く ) 等 に関す る問 題 は、 支 那 官 憲 に依 り て管 理 せ ら る ゝ
奉露 協 定 第 一条 第 一項 は ただ 文 字 の配 置 に相違 あ るも 、 奉露 会 議
も のと す 。
は当 然 な り と言 はざ るべ か らず 。露 支両 国 を結 付 け る此 の条約 文 の
以 外 は 同意 義 に以 上 の宣 言 を繰 返 し 在 り、 斯 の如 き文 字 配 置 の変 更
使 に、露 支 両国 の代表 よ り成 る委 員 会 を組織 し、 東 鉄 よ り削 除
東 鉄 理事 長 を し て支 那 政 府 に、 又副 理 事長 を し て駐 支 労 農 大
月 十 二日 次 の如 く決 議 せり。 一
す べき 土 地 と、 東 鉄 の技 術 及 経済 上 必要 な る 土 地と の境 界 を制
の形 式 に於 て ( 奉 露 協 定 の意 味 に依 る )、商 事 企 業 た る東 鉄 に 必 要
本 義 は極 め て 明白 な り 。両 国 は ﹁露 支協 定 ﹂ に依 り、 又 は特 別協 定
な る予 備 地 の余 分 のも のを支 那 政 府 に分配 す る こと を同 意 す 。 問 題
以 上 の決 議 は単 に労 農 側 の理事 の みな らず 、 又支 那側 の理 事 の名
委 任 す る事 。
し め、 之 を 前 紀委 員 会 に提 出 せん が為 理事 会 に報告 す る こと を
東 鉄 管 理 局 に 対 し東 鉄 の技 術 及 経済 上 必要 な る土 地 を 調査 せ
定 す べき 必 要 を報 告 せし む る事 。 二
は鉄 道 の個 人 所有 権 に関 す る も の にし て、之 通 常 の所 有 権 と は 大 い に其 の意 義 を 異 にす 。 即 ち 鉄道 は相 当 の報酬 の下 に獲 得 せ る利 権 な る を 以 て、 鉄 道 よ り 此 の利 権 を 回収 せん と 欲 せば 少 な く も買 収 の形 式 に依 らざ る べか らず 。 故 に露 支 協 定 第 一条第 九 項 並 奉露 協 定 第 一
るも の、 と認 め た る こと を表 明 す る も のな る や明 ら かな り。 予 は 其
義 を 以 て支 那 政 府 が特 別委 員 会 に依 り て始 め て土 地 問題 を解 決 し得
の主旨 に同 意 し、 其 の委 員 会 の代 表 者 と し て在 哈 労 農 総領 事 グ ラ ン ド を 任命 せ り。
既 に該 問 題 の解 決 を 見 た る以 上、 総 て法 規 に基 づき実 施 し、 支 那
如 き奪 取権 を絶 対 に有 す るも のに非 ず 。 然 る に支 那 地 方官 憲 は 予 の
官 憲 の任 意 的 土 地 の奪 取行 は るべ き も の に非ず 。 又支 那宮 憲 は 斯 の
提 議 及 東鉄 理事 会 の決 議 を も無 視 し 不法 行 為 を敢 て為 せ り。
大体 に於 て該 問 題 を解 決 せ る後 に於 ては 、合 同 委 員 会 を 以 て現
を 制定 す る事 。
残余 の土 地 を 支 那政 府 に譲渡 す る に関 し 、之 が条 件 及売 買 個 格
支 両国 の協 定 。
商 事 企 業 た る東 鉄 の為 必要 にし て 且残 留 す べ き土 地 に関 す る露
ざ る べ か らず 。
条 第 一項 は、 東 鉄所 有 土 地 を処 理 せ ん が為 には次 の諸 項 を要 件 と せ
一
二
三
場 に於 て土 地 の境 界 を制 定 す る事 。
土 地 問 題 は露 支 両 国 の審 議 に附 す べき も の にな る に拘 らず 、 東 省
以 上 の露 支 協 定 第 一条 第 九 項 及奉 露 協 定 第 一条 第 一項 の条 文 は、 土 地 問 題 が前 記 の形 式 即 ち露 支 両 国 の同 意 に依 り て解 決 せら る べき
特 別 区行 政 長 官 の隷 下 にし て、 且軍 憲 及警 察 側 の後 援 を有 す る地 畝
哈 調情 第 一五 三 号
哈 爾賓 事 務 所 長
支 那 側 の命 令 に依 り知留 流 通 を禁 止 せ ら れ たる為 、本 日 以来 同 貨
満 洲 里 極東 銀 行 支店 取 付状 況 (五 月 三十 日 秦 大尉 報 )
大 正 十四 年 六 月 一日
所持 者 は当 地 極 東銀 行 に殺 到 し、 同 銀 行 は将 に取 付 け に遭 は ん とす
に其 の地料 を 東省 地 畝管 理 局 に支 払 は し め 、東 鉄 農 事 試験 所 を 破 壊
管 理 局 に隷 属 す る支 那 官 憲 は 、東 鉄 の所 有 地 の借 地 者 に対 し強 制 的
し 且某 所 に於 ては駅 の所 属 地 を も奪 取 せ り。 斯 の如 き支 那 官 憲 の不
る状 況 なり 。
哈 爾 賓 事 務 所長
法 行為 に対 し ては再 三在 奉 及在 哈 労 農 総 領事 は抗 議 せ り 。支 那 側 に
土 地問 題 を特 別委 員 会 の審 議 に附 す こと に同 意 し 、而 も支 那 側 の委 五 一
極秘
張 督 弁 、 王省 長 同 道来 哈 の目 的 は 、露 支 係 争中 の東 支鉄 道 問 題 解
(別 紙 )
首 題 の件 、 別紙 の通 り御 報 告 申 上 げ ま す。
張 督 弁 及 王省 長 来 哈 の目 的
大 正 十 四年 六 月 一日
哈調 情 第 一五 七号
於 て も自 ら 其 の不法 行 為 を 認 め 、奉 天官 憲 は在 奉 労 農 総領 事 に対 し 、
員 には浜 江 道 尹蔡 運 升 を 任 命 せ り。 而 し て委 員 任 命 せ ら れ た る以 上 支 那 官 憲 は東 鉄所 有 地 に対 す る奪 取 的行 為 を停 止 し 、委 員 会 の決議 を待 つべき こと当 然 なり 。蔡 氏 の任 命 せ ら れた る も 、支 那 官 憲 は依 然 東 鉄 に対 し奪 取 的 且強 制 的態 度 に出 で つゝあ り 。例 へば最 近 某事 件 の発 生 を 見 た る も、 蔡 道 尹 は支 那 官憲 に対 す る自 己 の無 力 を感 じ、
不法 行 為 を 続 行 し以 て東 鉄 の事 業 を 妨害 し、 多 大 の損 害 を与 へつ ゝ
之 に対 し 何 等 の策 を も講 ぜ ざ りき 。 其 の結 果 東 鉄 に対 し支 那 官憲 は
あ り。
隊 及 護 衛 兵 、夫 役 等 二千人 内 外 あり 、総 て米 力斯 営 内 に駐 屯 せし め 、
決 の為 にし て、 帯 同 の兵 は歩 兵 二大 隊 、砲 兵 一大 隊 、 機関 銃 一箇 中
現 在 の十 八旅 の道 外 鎮 守使 署 に移 し 、 かく て米力 斯 兵 営 は総 て十 五
以上 の諸 事 実 を貴 下 に報 告 す ると 共 に予 は協 定 に違 反 し、 而 も 不 法 強 制 的 な 支那 官 憲 の行為 に対 し 徹 底的 抗 議 を な し 、 且前 配 委員 会
箇 師 及 所 属部 隊 の駐屯 す る処 と な れ り ( 師 長 は張 督 弁 兼 務 す )。将
カ ラ ハ ン
結 果 露 支 交渉 の後 盾 と 為 ら ん が為 に外 な らざ るな り。 張督 弁 は卅 日
等 にあ り と なす も、暗 に対 露 政 策 の予備 的 行 動 に属 し 、示 威 運 動 の
回張 督 弁 の兵 を擁 し 来 哈 せ し目 的 は表 面東 支 沿線 の視 察 及 土匪 討伐
大 兵 を 駐 屯 せ しむ る に至 れ る は、露 人鎮 圧 に資 せ ん が為 に し て、 今
来 兵 力 不 足 の場 合 は再徴 募 す る こと と せ り。 此 の如 く 急遽 哈 爾 賓 に
が該 問 題 を 解 決す る迄 は 、 一切斯 の如 く任 意 的 に問題 を解 決 せ ん と
労 農 大使
哈 市 護 路 軍総 司 令 部 の不法 を制 止 せ しむ べく 、貴 下 が処 置 せ る こ
す る が如 き 行為 な か る べき こと を勧 告 す。
と に対 し ては深 く 感 謝 す 。
五〇
晩 前 の朱将 軍住 宅 に於 て秘 密 会 議 を開 き 、 東 支鉄 道 問 題 に付 き討 議 す る処 あ り し も、 内 容極 秘 にし て其 の詳 細 を知 る こと を 得ざ るも 、
らし む る も のな るも 、 予 は無 国籍 者 問 題 の解決 後 尚 多 く の問 題 に関
し て協 定 す べ きを 確 信 す る者 な り。
二、 我 が極 東 露 領 には多 数 の支那 人在 留 し 、而 し て彼等 は我 が国
民 と同 等 の権 利 を有 す 。極 東 に於 け る露 人 は支 那 を 以 て我 が親 善 国
近 日中 に東 部 沿線 視 察 の途 に上 り 、尚 機 を見 て土匪 討 伐 隊 を派 遣 す
と看 做 し 且吾 人 は支 那 の自由 及 外 国 の勢 力 より の離脱 運 動 に対 し凡
職 業 同盟 会 、 労 農 言 論機 関 等 に関す る白 党 分 子 の煽 動 並 に悪 意 的 捏
吾 人 は之 が実 現 を 見 ざ る なり 。 今 回 の命 令第 九 四号 に関 連 す る紛 争 、
宮 憲 の吾 人 に対 す る親 善 関 係 を期 待 す る は当 然 な り 。然 れど も未 だ
ゆ る方 面 に於 て之 を後 援 す る者 なり 。故 に極 東 に於 け る露 人 が支 那
る ことと し 、事 情 に依 つて は増 兵 し て変 に応ず る ことと も な る べく 、
哈 爾 賓 事務 所 長
五二
目下 の処 形 勢 観望 中 な り 。 (五月 三 十 一日)
哈 調 情第 一八八 号
す る圧 迫 は益 激 烈 とな り 、然 かも 倶楽 部 、 図 書 館等 に対 し 大 いに制
造 説 の流布 に基 因 す るも のなり 。之 が為 職 業 同盟 会 及 言論 機 関 に対
裁 を加 へつ ゝあ り。 無 国 籍者 の解 決 問題 に関 し 支 那言 論 機 関 が脅 威
大 正 十 四年 六月 十 日 東鉄 問 題 及 将 来 の露 支 関 係 に関 す る在 哈露 国 総
る 解決 を 見 た るを 以 て露 人 の不満 は漸 次緩 和 す べし 。尚 将 来 も露 支
的 態 度 に出 づ る や 、極 東 露 人 の不 満 益激 昂 せ るも 、今 回之 が 円満 な
領 事 グ ラ ンド の談 (六月 五 日 エホ ー紙 によ る) 在 哈 労 農 総 領事 グ ラ ンド は東 鉄 無 国籍 者 の解 職 に関 す るグ ラ ンド、
哈爾 賓 事 務所 長
五三
人 の上海 或 は青 島 に於 け る が如 き態 度 に出 づ る者 に非ず 。
問 題 を今 回 と同 様 に正義 と親善 の下 に解 決 せ ん とす 。吾 人は 諸 外 国
蔡 道 尹 の協 約 並 北 満在 留 邦 人 に関 す る諸 問題 に関 し 次 の如 く 談 ぜ り。 一、 無 国 籍 者 の解職 問 題 に関 連 し て発 生 せ る紛 争 は 周知 の如 く露
予 は該 問 題 の円 満 な る解 決 に対す る王 行 政長 官 及 該 問 題 の円満 な
支 両 国 のた め正 当 にし て 且円 満 な る解 決 を 見 た り。
る解 決 法 を発 見 し、 以 て両国 の為 無難 にし て然 か も迅 速 に協 約 の締
哈 調 情第 二 二 二号
露 亜 銀行 理 事 会 改 選
大 正 十 四年 六月 二十 二 日
今 回 の紛争 事 件 は 一方 に於 て吾 人 の間 に争 議 を起 す べき 重 大 な る
結 を 可 能 な ら し め たる蔡 道 尹 の功 績 を 認む る者 な り。
基 礎 の存 せざ る こと、 又 他 方 に於 ては露 支 両 国 間 に紛 争 を惹 起 し 、
人 側大 株 主 プ テイ ー ロ フと バ ト ー リ ンと の妥 協 成 り、 株 主総 会 に て
露 亜 銀 行 巴 里 本店 発 本 月 十 二 日当 地 支店 長 への入電 に拠 れば ﹁露
両 国 の関 係 を 悪 化 せ んと す る露 支 両 国 に対 し敵 意 を 有 す る分 子 の存
遺憾 乍 ら露 支 親 善 の反 対 分 子 の運 動 は露 支 間 の誤 解 を 一層濃 厚 な
在 す る ことを 表 明 せ る意 味 に於 て訓 戒 的 現 象 な り。
重 役 改 選 の結 果 プ テ イ ー ロフ理 事長 に、 ウ エイ スト ラ ー ト、 レ ンデ
東 鉄 土 地 問 題 に関 す る露 国側 の抗 議 と支 那 側 の意図
公 署 宛 公文 、 左 の如 し 。
東 鉄附 属 地問 題 に関 す る奉 天東 三省 交 渉 総署 発 特 別 区行 政 長 官
前 略 、 駐 奉労 農 総 領 事 館 発第 三〇 四 号公 文 に依 れ ば、 浜 江 道 尹蔡
ル (息 、仏 国側 株 主 )、 ギ ン スブ ルグ男 (国 籍 は 英)、 エゼ ル スキ ー 伯 及 ノ リデ男 の五 名 理 事 に決 定 す 。 尚現 在 株 主 は露 国側 四五% 、 仏
千 九 百 二十 年 東 鉄 は所 有 の土 地建 物 を職員 四十 五 名 に貸 与 し、 十
し 、御 注 意 を喚 起 せ ん とす 。
限 り な く あ るを 以 て繁 を避 け単 に土 地問 題 に就 き 其 の 一、 二を 引 証
ず 、奉 露 協 定 の精 神 を没 却 せ る も の多 き を遺 憾 と す 。 此 の事 実 は数
り。 近 来 沿 線 一帯 に於 け る貴 国 官 憲 の行動 は和 平親 善 の主 旨 によ ら
運 升 が東 鉄 沿線 地畝 委 員 会委 員 に任 命 せ ら れ たる旨 の御 通 知 拝承 せ
人側 四 二% にて、 他 は小 口 な り﹂ と 。
五四
哈 爾 賓 事 務所 長
大 正 十 四年 六月 二 十 二 日
哈 調情 第 二 二三 号
露 国 の東 鉄 監 督機 関 変 更 問 題
東 省 特 別 区 地畝 管 理 局 を設 置 し、 東鉄 に向 け要 求 条 件 を提 出 し、 地
の十 分 の 一づ ゝを 納 付 せ し め来 り た る に、 支 那側 に ては 其 の後 突 然
代 は 直 接 同 局 に納 付 せ し め、 東 鉄 管 理 局 に納 付 す る こと を妨 害 せり 。
年 経 過後 土 地及 建 物 の所有 権 を 完全 に譲 渡 す る目 的 に て、毎 年 価 格
よ り成 り 、 カ ラ ハン の監督 を受 け て外務 委 員 会 代表 其 の中 耳 を握 り
奉 露 協 定後 露 国側 の重役 及幹 部 は外 務、 財 務 及 交 通 の三委 員会 代 表
此 の種 の片 手落 ち の処 置 は現 行 協 定 に違 反 す るも のな り。 千 九百 二
確 かな る筋 より 得 た る情 報 に依 れ ば、 東 鉄 の露 国側 監 督 権 は帝 政
居 り、 各 代 表 の意 見 容 易 に纏 らず 屡 々紛 議 を醸 し た事 例 あり 、 因 つ
の改 良 を 計 る に便 せり 。 此 の種 の事 業 は 地方 開 発 に資 す る所 重大 な
十 二年 屯 河 駅附 属 地 内 に於 て農 事 試 験 場 を設 け 、農 業 調 査 及輸 出 品
当 時 大 蔵省 に属 し 、 ケ レ ン スキ ー政府 の時 交 通委 員 会 に移 つた が、
て元 東 鉄 理 事 で あ つた セ レブ リ ヤ コフ、 ポ ズデ エフ等 は ﹁東 鉄 関係
る に至 れり 。 此 の事 の発 生 以来 地畝 管 理 局長 張 煥 相将 軍 の方 針 は、
る に も拘 らず 、本 年 四月 前 記 土地 は多 数 の支 那 人 に分割 占 領 せ ら る
︹マ マ ︺
事 項 は ト ロツキ ー を首 脳 と す る コン セツ シ ヨ ン委 員会 本部 の管轄 に
で あ る。
申越 あ り。
決定 前 に於 て再 び斯 か る事 故 の発 生 なき 様御 注 意 あ り度 し 云 々、 の
し た き件 あ り 、 即 ち当 該 官 憲 に対 し、 委員 会 開 会 前 及 土 地 の境 界未
蔡 運 升 氏 が委 員 に任 命 せら れ た る機 会 に於 て、 貴 交渉 総 署 長 に依 頼
奉 露 協 定 を 無 視 す る も のな る こと を証 明 す る に至 れ り。 今 日新 た に
移 す べき も の﹂ と し最 近 中央 執 行 委 員会 に意 見 書 を提 出 し たと の事
五五
哈爾 賓 事務 所 長
大 正 十 四年 六 月 二 十 二 日
哈 調情 第 二 二七 号
誤 解 を 生ず る は不 思議 な り。東 鉄 地 畝委 員 会 も 已 に成 立 し 、 一切 の
実施 し た るも の にし て、 労 農側 の言 ふ が如 き違 反 に非ず 。 此 の種 の
惟 ふ に、 労農 総 領 事 の挙 ぐ る所 の事 実 は 凡 て奉 露協 定 に基 づ き て
〓 あ りと 言 ふ 。
聞く 所 に依 れ ば、 東 鉄支 那 側 理 事 中 呂、 劉 両 人 は自 発 的 に退 職 の意
は東 鉄 督弁 の倚 子 は張作 相 又は 王樹 翰 の兼 務 と な るべ し と言 ふ。 又
右 に関 し行 政 長 官 公署 要 人 の推 測 す る所 に依 れば 、鮑 貴 卿 免 職後
五八
哈爾 賓 事 務所 長
品 質 を決 定 す る の方 法 は、 よし ん ば検 査 人 が誠 実 に格 付 け せ んと す
せ てゐ る。 如 是 検 査 人 の主 観 的触 感 を基 本 と し て取 引所 受 渡 大 豆 の
準 見 本 に依 る品 質 の格 付 は大 豆 の外 見 のみ に依 り所謂 肉 眼 鑑 定 に委
現 在 取 引 所 に於 け る受 渡 大 豆 の品 質 を 決定 せら る べ き該 検 査 及標
検 査 人 の養 成 問題 に 一頓 挫 を来 した 。
ゐ た の であ る が 、混 合 保 管 に寄 託 さ る ゝ大 豆 の品質 (等 級 )鑑 定並
実 施 せ る が 、 近 き将来 に於 て之 を 東 行貨 物 にも 実施 せ んと 予期 し て
東 支管 理 局 は 一九 二 五年 一月 一日 か ら直 営 と し て大 豆 混合 保 管 を
る。
る や否 や は多 少 興味 あ る問 題 であ ら ねば な ら ぬ。本 文 は東 支 鉄道 ︹ MN Tape B ckNN,A.A. ︺ 管 理局 混 保 係 総 イ ン スペ クト ル、 ア ・ミタ レ フスキ ーの所 論 であ
き開 催 中 であ る が、 本 年 度特 産 物 の出 廻期 に際 し果 し て実 現 し得
受 寄 を 実 施 せ ん と欲 し 、既 に本 年 五 月 以来 検 査員 の講 留会 を引 続
註 、東 支鉄 道 では 年 来の希 望 であ る東 行 大 豆 に対 し て混 合 保 管
東 支 鉄 道 の新 事業 と し て向 上 の域 にあ る 大豆 混 合 保管
大 正 十 四年 六月 三 十 日
哈 調 交第 八 四号
事 務 は協 定 に準 拠 し て処 置 せら る 可 き を 以 て断 じ て越 権 的 事故 の発 生 す る事 な き筈 な り。 労 農 総 領 事 の言 ふ所 は杞 憂 に過 ぎ ざ るも のと
を 以 て貴 公 署 に転 知 す 。労 農 総 領 事 の言 に就 て も相 当 注意 を払 は れ
思 ふ。 該 総 領事 に は別 に書 面 を 以 て回 答 し置 き たる も、 改 め て書 面
哈爾 賓 事 務 所 長
五六
度 く、 地 畝 管 理 局 へも 其 の趣 き移 牒 せら れ度 し。
哈 調 情 第 二 二九 号 大 正 十 四年 六月 二十 二 日 東 鉄 収 入金 大 洋 本 位問 題
東鉄 の収 入 金 を大 洋 本 位 に改 め ん とす る件 に関 し 、 グ ラ ンド は 理
五七
秘
哈 爾 賓 事 務所 長
事 会開 会 の上 決 定 す る事 を 承諾 せ り。
哈 調 情第 二 三 二号
大 正 十 四年 六月 二 十 二 日 張 作霖 と東 鉄 支 那側 幹 部 張 作 霖 が張 作 相 、 王 樹翰 に与 へた る秘密 電 報 に依 れ ば、 東 支 督弁 理事 等 に関 し ては彼 自 身 には相 当 の腹 案 あ る も の の如 し。
る も常 に其 の格 付 が 正確 な る可 き こと、 又 は其 の格 付 に依 る商品 の
発 見 す る こと に決 し た ので あ る。
考 案 を得 る ため 懸賞 を附 し て、 大 豆品 質 格 付 用器 具 の最 秀 のも のを
一
疵 豆 及破 豆
有
黄
一、 考 案 器 械 は 左記 見 本 大 豆 の鑑 定 を なす 可 き も のた る べし 。
懸 賞 条 件
四 月 一日 に考 案 懸賞 に関 し之 を 地 方新 聞 に公告 し た。
価 格 が公 平 な る べき か否 哉 を 保 証 す る こと は出 来 な い事 であ らう 。 例 へば 数 人 の検 査員 が鑑 定 せ る結 果 を比 較 し た場 合 も、 或 は 又同 一人 の検 査 員 が鑑 定 す る とき も 、其 の 日 に依 り 大 な る差 異 が 生 じ て
二
未 成 熟 豆
ゐ る。 即 ち同 一品質 の商 品 であ つて も最 初 の格 付 で は 一等 品 に入 つ
三
夾 雑 物 豆 (黄 豆 、 有 色 豆 又 は半 有 色豆 )
豆
今 検 査 人 の肉 眼 に て鑑 定 を 格 付 け せ るも のを 哈 爾 賓 農 事 試 験 所
四
豆
( 東 支 ) 化 学 実験 室 で分 析 し た 結果 に依 る と 、検 査 人 の格 付 せ る 一
五
三、 六︱ 八 斤 を限 度 と せ る抽 出 豆 の格 付 に要 す る時 間 は十 二分 を越
積 に依 り )。
二、 大 豆 見 本 の鑑 定 の結 果 は凡 て百 分率 にて表 す こと (重 量 又 は容
色
〇 〇 の中 、 僅 か 五 二︱ 五 三だ け が満 鉄 で定 め た等 級 見 本 と適 中 し、
ても、 二度 目 には 二等 品 もし く は其 の反 対 の結 果 を招 い てゐ る。
残 部 四八 ︱ 四 九% に は検 査 人 は等 級 見 本 よ り も ( 品 質 ) 上級 のも の 或 は下 級 のも のと し て鑑 定 格 付 し て ゐ る こと が分 つた。 之 に依 ると 、大 豆 の格 付 は彼 此相 対 照 し て鑑 定 す る最 初 の主 観 的 格 付 方 法 は 不可 な れば 之 を廃 し 、代 ふ る に他 の何 等 か の異 な つた客
へざ る こと。
懸 賞募 集 考案 器 具 の提 出 期 限 は 一九 二 五年 七 月 一日ま でと し、 前
記 全 要件 条 項 に対 し 応答 せ る最 良 の器 具 に対 し て は、 賞 金 一、 二〇
普 通 あ りふ れ た等 級 格 付機 械 に依 り 分 類 さ れ た大 豆 にし て取 引 所
観 的 方 法 に依 つて格 付 をす る こと が必 要 と 認 め ら れ る。
〇 墨 弗 を贈 呈す べし 。 又応 募 条 件 の 一問 題 に対 し完 全 な る回答 を為
以
上
東 支鉄 道 が直 営 混 合保 管 大 豆 営 業 を発 展 せ し む る上 に於 て、 尚 他
べし。
せ ると認 む べき 器 具 に対 し ては 賞 金 六〇 〇 墨弗 を贈 呈 す る こと あ る
に出 現 さ れた る も の を検 査 し た る結 果 に依 る と、 多 少 は未 成 熟 穀 物 、
比 重 計 に依 つて穀 類 を撰 別 す る方 法 を採 用 す る こと は 、 理論 上 は
疵 傷 豆 、 虫 豆 及夾 雑 物 等 の検 査 上 には 効 果 が あ る よう であ る。
実 際 受 容 れ る価 値 はあ る。満 鉄 は大 豆 の等 級 標 準 を 決 定 す る に之 を 採 用 し た ので あ る が、 其 の機 具 の取 付 け に依 つて多 少 な り と も大 豆
満 鉄 道 の検 査 人 に依 つて行 つて ゐ るが、 エ埠 頭 向東 行 大 豆 に も混 合
現 在東 支 鉄 道 各 駅 にて受 寄 し て ゐる南 行 混合 保 管 大 豆 の検 査 は南
に忽 諸 に す べ から ざ る問 題 は大 豆 検 査員 の養成 と言 ふ 一事 で あ る。
最 近関 係 者 の多 く の人 々 に於 て は尚 其 の可 否 に於 て迷 ひ つ ゝあ る状
保 管 制度 を拡 張 す る 問題 が決 定 し た ので、 東支 鉄 道 は 先 づ自 ら検 査
乍 併 只 器 具 そ のも の に依 つて商 品 の等 級 を格 付 す る と言 ふ意 見 は
の鑑 定 を 正 確 に格 付 け す る こと は出 来 る 。
態 であ る為 、於 茲 東 支 管 理 局 は斯 界 の専 門 家 を促 し 何 等 か の実 際 的
員 の養 成 に関 し適 宜 の処 置 を採 る 必要 が生 じ た。
令 未 だ実 際 に大 豆 の検 査 に関 す る仕 事 を せざ る も、短 期 間 に検 査 の
其 の他 聴 講 生 の中 二 、 三人 は多 少農 事 に素 養 あ るも のにし て、縦
勤 務 し検 査 人 事 務 を 見馴 れた 者 であ る事 。
方 法 及 智識 を習 得 し 得 る資 格 を有 す る も の であ る こと 。 又他 方 学 科
エ埠 頭 向 混 合 保管 大 豆 の発達 が本 年 九 月 以 内 に開 始 さ れ る と仮 定 せ ば 、検 査員 の養成 は九 月 一日 ま で に は準備 を す る必 要 が あ る。 乍
目 の編 成 上 商業 部 は第 一に、 聴 講 生 にし て其 の学 科 を 済 ま せ る各 人
広 汎 な る 理 論 上 の素 養 を 受 け、 第 二 には聴 講 者 各学 科 を 修業 せ むと
併 九 月 一日 ま で に大 豆 の格 付 及 其 の格 付 によ つて、 取 引 所 受渡 所 受
す る に際 し て は充 分 な る智 識 と鑑 定 力 と を修 得 せし む る為 に、専 門
は大 豆 の発 育 、 商 品 とし て の大 豆 に対 し完 全 な る智 識 を与 ふ る為 に
日本 人 の検 査員 が正 検 査員 と呼 ば れて そ し て独 立 し て格 付 を す る
家 の指 導 の下 に化 学実 験 室 で出 来 る丈 多 く の各 種 の大 豆 に就 いて実
渡 大 豆 の等 級 に関 係 を 及 ぼす 所 の繁 雑 な そし て責 任 あ る仕 事 に携 は
様 にな るま で には 二︱ 三 年 間実 習 生 とし て の仕 事 を せ ね ば なら ぬ こ
験 研究 を せし む る こと であ る。
る専 門 鑑 定 人 を養 成 せし む る事 は 短 期 聞 の為 困 難 であ る。
と に留 意 した な らば 尚 難事 であら う 。 乍併 満 鉄 の検 査 人 の養 成 方 法
養 を以 て出 す事 が出 来 る 、 と確 信 す る。 何 とな れ ば満 鉄 に於 て は爾
保 係 を し てゐ た従 事 員 であ る。 学科 の授 業 は 祭 日以 外 は毎 日八 時 間
目 下 学術 に出 席 し て ゐる 聴講 者 は三 十 六名 で、 そ の中 二十 二名 は混
講 習 は前 述 の如 く 五 月 十五 日 か ら開 始 し 九 月 一日を 以 て終 了 す る 。
を 好 く 研究 且参 考 と し たな ら ば 、東 支 は混 合 保管 係 員 即 ち検 査 員 養
余 の検 査 人 は 公主 嶺 の試 験 場 に て二 週間 の講 習 を な し、 其 の後 約 二
め中 止 し 、午 後 四時 から 夜 の八時 迄 は 実験 室 に於 て実 験 又 は聴 講 の
制 で、 午 前 八時 に始 ま り正十 二時 から 四時 ま では 昼食 又は休 息 の た
成 のた め 五月 十 五 日 か ら開 講 し た聴 講 生 を 九 月 一日迄 に は充分 の素
ケ年 間 助 手 と し て修 業 し 、然 る後 一人 前 の検 査 員 と し て独 立 す る 。
学科 のプ ログ ラ ムは左 の通 り で あ る。
時間 で あ る。
惟 ふ に 理論 上 は是 の如 く養 成方 法 の貧 弱 な る こと は 明 ら か であ る が、
大 豆 の発 育 に関 す る 理科 学 及 大豆 の分析 及 分類 。 商 業 とし て の大
尚 又 此 の貧 弱 なる 理諭 を 以 て教養 さ れた 正 検査 員 の指 導 に依 り修 養 せ ら れ た丈 の経験 のみを 以 ては充 分 な る満足 を得 る こと は難 い。 之
分 析 及 技 術 分析 、鉄 道 営 業 運賃 及 混 合 保管 取 扱 で 、其 の実 地練 習 を
聴 講 者 を し て実 地 講 習 せし む べき も の は大 豆 の栽 培 、大 豆 の化 学
貨 物 運 輸 。穀 物 取 引 。混 合 保 管 大 豆 。北 満 洲 の経 済 的 価値 。
豆 の意 義 。大 豆 の加 工業 。 運 輸 経済 。運 賃 に関す る智識 。鉄 道 営 業 。
が 為 には尚 長 い間 の期 間 と修練 と が 必要 であ る。 輸 出 繁忙 期 に於 て格 付 を急 い で行 な は ねば な ら ぬと 言 ふ条件 の下
は不 可 能 でな け れば な ら ぬ。 東 支 の検査 員 養 成 に つき 教 授 す る基 礎
に あ りて は 、前 記 の如 き経 験 の みを 以 て は精 密 な る検 査 を行 ふ こと
的 学 科 目 及 其 の他 の数 科 目 は、 商 業 部 に於 て考 案 せ る も其 の内 容 は
常 に学 理 と 実 験 と に終始 せし め て ゐ る。即 ち業 務 そ のも のを 啓発 す
なす た め混 合 保 管受 寄 駅 に て実 習 せし む る。 如 是講 習 の根 本 方法 は
先 づ聴 講 生 の大 部分 は鉄 道従 業 員 にし て 半 ケ年 以 上混 保受 寄 駅 に
稍 異 にし て ゐる 。
な り、 商 界 幸福 星 の別 名 を 奉 ら れ る に至 つた のに は相 当 の事 情 が介
由 に局 長 室 に出 入 し得 ると 言 ふ 事情 は、 在 哈露 国 商 人 の羨 望 の的 と
イ ワ ノ フ局長 の代 にな つ て大 い に重 要 視 さ れ何 れ の時刻 を問 はず 自
而 し て聴 講 者 が全 学 科 を修 了 す る 間際 に於 て は、 取 引所 受 渡 豆 約
る理 論 の講 義 は、 同 時 に実験 講 習 と併 せ行 な つて ゐる 。
四〇 〇種 類 のも のに対 し 試験 検 査 を 為 す ので あ る が、 此 の方 法 は満
調 査研 究 を な さ し め 、後 日活 動 に資 せ しむ る 処 が あ つた頃 から 始 ま
る処 あ つ てイ ワノ フを哈 爾 賓 に特派 し、 詳細 に東 鉄 に関 す る各種 の
スと イ の関係 は奉 露 協 定 が未 だ成 立 し な い以前 労 農露 国 が予 期 す
在 す る。
品 陳 列 館 を之 に当 て、 化 学 分析 を行 ふ には農 事 試 験 場 の実 験 室 を 以
る。
学 科 を 授 け る教 室 は経 費 の関 係 上 東 支管 理 局 は モ ス コフ スキ ー商
鉄 の日 本 人検 査員 の 一ケ 年 の修 業 年 度 に該 当 せし む る こと が出 来 る。
てし 、畑 地 に於 け る大 豆 の発育 及 農 具 機械 の見 学 は満 洲農 事 会 社 の
識 つた支 那 人 で目 下 東 鉄 管 理 局 の要 職 に在 る者 も少 く な いと か。即
フを近附 け さ せ た のも 亦 彼 の功 で あ つた 。其 の頃 から イ ワ ノ ブと相
現 在 北 満 殊 に東 鉄 管 理 局 に重 き を なす 支那 官 界 の人 々に、 イ ワノ
対 す る腹 癒 せ の心 から の みで は な か つた 。
せ参 じ て犬 馬 の労 を約 し た のは 、必 ず し も オ スト ロウ モ フの圧迫 に
機 と 利 を 見 る に敏 な スキデ ル スキ ー が第 一着 にイ ワノ フの許 に馳
農 事 試 験 場 を 以 て当 てた が 、同 場 は こ の目的 の為 に特 に 一〇 デ シ ヤ チ ン の土 地 を提 供 し て呉 れ た。 聴 講 生 は学 科 の講 習 を修 了 す る為 に極 め て真 面 目 に誠 実 に研 究 し てを る のみ な らず 各 々各 人 が よ り深 く広 く研 究 し つ ゝあ る を見 る の
如 是 傾 向 並僅 か 二週 間 と言 ふ短 期 間 に於 け る或 る種 科 目 の実 際 成
で あ る。
績 等 に徴 し て も所 期 の目 的 を充 分 に達 し得 て、 東 支 鉄 道 は本 年 九 月
スの功 労 に対 す る イ の報 酬 であ る。 而 もイ 局長 の ス に対す る謝 礼 は
ち イ ワ ノ フ の スキデ ルス キ ー に対す る態 度 が特 殊 であ る事 は、 如述
な ら し む る 原因 は此 の点 に存 す る の でな い。 不幸 は他 にあ る。
つた。 従 つて 一年 を経 過 し た 今 日 に於 てイ 局長 と ス の関 係 を 不 都合
額 に相 当 す る 石炭 を納 入 し 得 な い事 は勿 論 最初 から 明 白 な事 実 であ
ら取 出 し た金 額 は実 に百 二十 万留 に達 し た。 一ケ年 の期 限 で此 の金
と し て、 又 炭礦 助長 の意 味 に於 てイ局 長 独 断 の指 示 を 以 て、 東 鉄 か
穆 稜炭 の供 給 者 とな つた スキデ ル スキ ーが未 だ納 め もし な い炭 代
れば な ら な く な つた。
限 界 を 超 え 過 ぎ た。 而 し て現在 イ局 長 自 身 が苦 し い立 場 に なら な け
に は三 十 名 以 上 の立 派 な る検 査 員 を 出 す こと が出 来 る、 と確 信 す る
哈 爾 賓事 務 所 長
五九
の であ る 。 (ミ タ レ ー フ スキ ー述 、 堀内 訳 )
哈 調 情 第 二 五 六号
大 正 十 四年 七月 三 日 スキデ ルスキ ー、穆 稜 炭 礦 、東 鉄 関 係 一、 スキデ ル ス キ ーと イ ワ ノ フと の関 係 オ スト ロウ モ フ局 長時 代 に全 然 忌避 さ れ て ゐた スキ デ ル スキ ーが 、
二、 穆 稜 炭礦 の現 況 撫 順炭 に優 る良 炭 を 産 す ると 言 ふ炭 田 の所 在 は 、 現在 スが作業 を 行 つて居 る地 点 より更 に六 十 露 里遠 隔 した 所 に存在 し所 謂 現 在 の穆 稜 炭礦 区 に は単 に 一断 層 の露 出 のみ で あ つて、 其 の埋蔵 量 僅 か に七 百 乃 至 八 百万 布 度 に過 ぎ ぬ事 が明 ら か にな つた ら し い。 従 つて炭 礦 とし て の生命 を得 ん が 為 に は、 更 に六十 露 里 の運炭 支線 を 建 設 せ ね ば な ら ぬ。金 あ らば 無 論 此 の障 害 に屈 す る スキデ ル スキ ー では な い。 六 十 露 里 の支 線 の建 設 位 は彼 の性 格 の前 に は茶 飯 事 にすぎ ぬ。 東鉄
通 じ て何 等 か の計 画 を 為 す 最 後 の手 段 を 執 らな け れ ば なら ぬ。而 し
て ス商 会 の援 助 は東 鉄 が穆 稜 炭 礦 に或 種 の参 加 をな す形 式 に於 て行
哈 爾 賓 事 務 所長
六〇
は れ る も のと観 察 さ れ て居 る。
哈 調情 第 二六 二 号
に遭 遇 し た 。穆 稜 炭 礦 事 業 の発 展 に伴 ひ 百 万元 迄 の出資 を約 し た 文
利 子 の支 払 に殆 ど消 費 尽 く さ れた 今 日 、更 に資 金 の調達 と言 ふ難 関
月 二日国 際 協 報 の報ず る処 に拠 ると 目下 同 鉄道 の財 政 情態 に ては之
那官 庁経 費 とし て東鉄 が支 出 に決 し た る五 十 一万元 の件 に就 て、 七
六 月 二十 二日 附 哈 調情 第 二 二四 号 を以 て報 告 し置 き た る特 別 区支
東 鉄 支 出 特 別 区各 機 関 経 費補 助 費 問 題
大 正 十 四年 七 月 三 日
那 側 協 同経 営 者 も、 此 の間 の事 情 を感 知 し て今 や出資 を拒 む に至 つ
を 一時 に支 払 ひ得 ざ る為 、数 日前 ま づ十 万 元 の支 払 通 知 を行 政 長官
から 引 出 し た 百 二十 万 留 は 四百 万 留 に達 す る年 利 一割 八分 の負債 の
た の であ る。
公 署 に与 へた 。 而 し て行 政長 官 公 署 は 七月 一日内 約 二十 三万 元 を受
各 地 の露 亜銀 行 代 表 に対 し資 金 融 通 方 を懇 願 した が 、露 亜 銀 行 の態
否 や疑 は しく 、 七 月 以 降 の分 に至 つ ては尚 更 の事 であ る 。斯 く て若
之 に拠 て見 ると 東鉄 側 に果 し て五十 万 元全 部 を支 払 ふ誠 意 ある や
領 し た り と。
度 は 一つに懸 つて スと 東鉄 と の関 係如 何 に依 つ て決 す る と言 ふ に在
し 東 鉄 が言 を左 右 に托 し て右 支 払 を 回避 す る に至 らば 所謂 九 十 四 号
斯 く し て最 近 スキデ ル スキ ー の上海 、北 京 行 き と な つた。 彼 は右
三、 露 亜 銀 行 と スキデ ル スキ ー の関 係
つた 。換 言 す れば スが東 鉄 に有 す る現 在 の地 位 を 保 留 し得 るな ら 、
命 令問 題 は全 然 露 国側 の勝 利 に帰 し た と言 は な け れば な ら ぬ。
四、 将来 に於 け る スと東 鉄 並 に労農 露 国 と の関 係 六 一
哈 爾 賓事 務所 長 大 正 十 四 年 七 月九 日
哈 調 情 第 二七 一号
露 亜 銀 行 必ず し も資 金融 通 に応 じ な い事 もな いと い ふ事 で あ る。
然 し スキデ ルス キ ーが従 来 の如 き 地位 を 東 鉄 に保有 す る のは余 程 の困 難 が 伴 ふ と観 な け れ ば な ら ぬ。 上述 の情 況 を 詳 知 し た イ局 長 の スに対 す る態度 は 近来 甚 だし く冷 淡 と な つて居 る。 従 つて スと し て は多 少 の連 絡 を有 す る カ ラ ハ ンを
東 鉄 学 校 教 員夏 期講 習 会 閉 鎖 を命 ぜら る 六 月 十 一日附 哈 調 情 第 一九 一号 第 一項 記 載 東 鉄 学 校 教員 夏 季 講 習 会 は、 一昨 七 日警 察 総 管 理処 長 の命 に依 つて閉 鎖 せ ら れた 。 其 の理由 は講 習 会 開 催 に関 す る許 可 を得 て居 ら ぬと言 ふ にあ る が 、
哈 調 情 第 二 九 三号
六三
哈 爾 賓事 務 所 長
農 露 国 が表 面講 演 と か講 習会 の名 義 でボ リ シ エヰズ ム の宣 伝 を な し、
七 月 九 日附 哈 調 情 第 二 七 一号 報 の通 り 、去 九 日支那 官 憲 は 近来 労
支 那官 憲 東 鉄 学 校 教 員夏 期 講 習 会 の閉 鎖 令 を撤 す
大 正 十 四 年 七月 十 八 日
一と も な り は しな いか と も思 は れ る 。尚 本 件 に関 し 、昨 八 日東 鉄 理
或 は 幼稚 園 を共 産 少 年 団 の蔭 に隠 れた 幹 部 と化 し つ ゝあ る に鑑 み、
の とも観 察 さ れ る し、 又 延 いて は東 鉄附 属 地内 教 育 権 回収 運 動 の第
之 は 或 は表 面 的 の理 由 であ つて、 赤 化宣 伝 防 止 の根 本 政策 に出 た も
事 ダ ニレ フ スキ ー氏 は劉 哲 氏 と 共 に全 処 長 を訪 ひ、懇 談 す る所 が あ
東 鉄 学校 教 員 夏 期 講 習 会 及哈 市 竝沿 線 幼 稚園 の閉 鎖 を命 じた が 、東
六四
秘
哈 爾賓 事 務 所 長
南 満 各 地 に於 け る東 鉄商 業 部 出 張 所 の重要 使 命
大 正十 四 年 八 月 四 日
哈 調 情 第 三 二〇 号
三 、 幼稚 園 の生 徒 は 六歳 以 上 十歳 を超 ゆ べか らず 。
二、 講 習 科 目 はボ リ シ エヰズ ム及 共 産 主 義 に関 聯 す べ か らず 。
手 の場 所 にて行 ふべ からず 。
別 に設 く べ から ず 。 又 講 義 は 一定 の教室 内 に於 てし 、野 外或 は勝
一、 講習 会 は或 る学 校 の附属 業 務 とし て行 ひ、 独 立 せ る機 関 と し で
右 講 習 会 及幼 稚 園 は本 日 か ら授 業 を再 始 す る筈 であ る。
鉄 学 務課 の要 請 を 容 れ 昨 十 七 日左 の条 件 の下 に其 の閉 鎖 を解 いた。
つた 。露 国側 は表 面穏 健 な態 度 を 持 し て居 る が、 今後 の経 過 に就 て
哈 爾賓 事 務 所 長
六二
は重 大 な 注意 を払 つ て居 る。
哈 調 情 第 二 七 二号 大 正 十 四年 七 月 九 日
東 鉄 管 理局 従 事員 のメ ス ト コム に対す る態 度 東 鉄管 理 局内 メ スト コム (鉄道 従事 員 同 盟 会 支部 ) は委 員 選 挙 の 為 、 集 会 を催 さ ん と せし が支 那 官 憲 之 を 許可 せざ り し を 以 て候 補 者 名 簿 と投 票 用 紙 を支 部員 に配 布 し 、 其 の目的 を 達 成 せ んと せり 。然 る に投 票 の結果 は予 期 に反 し最 も 多 数 は 白紙 に し て、之 に次 ぎ 委 員 たら し む べ か らざ る人 名 を記 入 せ るも のも あ り て、幹 部 は狼 狽 し居 れ り と言 ふ。
東 鉄 幹 部 が大連 、営 口及 奉 天 の各 商 業 部 出 張所 長 に対 し、 出 張所
と し て の本 来 の職 務 以外 に重 要 な る任 務 と し て内 命 を 下 し た り、 と
一 同
南 満 各 地 に於 け る政 情 の調 査報 告
伝 ふる所 に拠 れば
二 南 満 各 港 向 北満 特 産 物 は浦 港 向 け を 有利 と す る所 以 を支 那 商 人 に徹 底 せし む る こと。
経 済 調 査報 告
三
哈 調 情 第 三 二五 号
六六
哈爾 賓 事 務 所 長
支 那官 憲 の東 鉄 川 教育権 回収 要求
大 正 十 四年 八 月 五 日
尚 探 査 す る所 に拠 れば 、 大連 出 張 所 長 に内 定 の ク ルバ ー ト フ氏 は
め東 鉄 輸 送 に依 る方 便 宜 多 し と宣 伝 す る こと。
管 理 局管 下 露 支各 級 学 校 全 部 の支 那官 庁 引 継 の議 を理事 会 に附議 せ
公 暑 に提 出 し、 該 公署 は之 に基 づ き照 会 文 を督 弁 公 所 に送 り、 東鉄
月 九 日附 )、 今 回 愈 々市 政 管 理 局 は本 件 に関 す る申 請 書 を 行 政 長 官
う と は夙 に予 測 さ れ た所 で あ る が ( 哈 調 情 二 七 一号 、 大 正十 四年 七
支 那官 憲 が早 晩 東 鉄附 属 地内 教 育権 の回収 運動 を始 め る の であ ら
元露 亜 銀 行 員 に て最 近迄 バ ーデ ン ス商 会 に勤 務 し居 り 、奉 天 出 張 所
北 満 特 産 物 は毎 期 馬 車 にて南 下 せる も の多 き故 之 を阻 止 す る た
長 ズ ウ エレ フ氏 は最 近 迄 寛城 子商 業 部 出 張所 に勤 務 し 居 り、 キ エフ
ん 事 を求 め た。 左 に市 政 管 理 局 の申 請 文 及 行政 長 官 公署 の照 会 文 を
四
商 科 大 学 出 に て社会 革 命 党員 た りし こと あ り、 営 口出張 所 長 バ ー ニ
務 処 裁撤 方 を申 請 す る処 が あ つた が 、其 の回答 に接 し な か つた 。 同
昨年 十 月 十 七 日 当局 視 学 羅 緯 国 は意 見 を 具 し て東 支 督弁 公 所 に学
の学 務処 も自 然協 定 に依 つて取 消 さ る べき も ので あ る。
の規 定 に依 つても 明 ら かな る処 であ り、 之 を 以 て観 れ ば管 理 局 原来
係 あ る各 種 事 項 は 、支 那 官 憲 の処 理 に帰 属 す る事 は支露 、奉露 協 定
て、 該管 理局 に直属 す る も のを 除 く総 て の支 那国 家 及 地 方主 権 に関
東 支鉄 適 管 理 局 は純 商 業 機 関 であ つて、 鉄道 本 来 の営 業 々務 にし
も 明 定 さ れ、 公 布施 行 さ れ つゝあ る も のであ る。
各 学 校 は都 て市 政管 理局 の管 理 監 督 の下 に属す る こと は既 に章 程 に
教 育 の管 理 は行 政権 の範 囲 に属 す る も の であ つて、 特 別区 内 々外
市 政 管 理 局 の行 政 長 官 公 署 に宛 た る申請 文
掲ぐ。
哈 爾 賓事 務 所 長
六五
ン氏 は最 近 迄経 済 調 査 局 員 た りし 人 、安 東 出 張 所 の開 設期 は不 明 な り と。
哈 調 情 第 三 二 四号
穆 稜炭 礦 線 延 長 説
大 正 十 四年 八 月 五 日
穆 稜炭 礦 督 弁 の秘 書徐 鴻 漸 氏 の語 る処 に拠 れば 、穆 稜 炭 礦 の経 営 に関 し露 支幹 部 協 議 の上 運炭 鉄 道 を延 長 の こと に決 し 、現 場 にも新 事 務 所 を設 け露 支 各 半数 の事 務 員 を任 用 す る事 に決 せ りと ( 山根)
年 十 一月 四 日再 び学 務 課、 獣 医 部 及電 話 局 を支 那 官憲 の管 轄 に属 せ し む る 様 申請 せし も 、同 月 十 一日 の督 弁 公 所 第 一九 八号 の指 令 には 只 貴 局 の申請 は権 限 を 明劃 す る の主 旨 に出 づ るも のな り と思 考 す 、 東 支 鉄 道 理事 会 に提 議 し置 き た れば 回 答 を得 たる 上 、再 び何 分 の指
獣 医 部 は 現在 に於 ては完 全 に当 局 の処 理 に帰 す る 事 と な つた が、
令 を な す べ し、 と の事 であ つた。
学 務 課 に関 し て は如 何 な る解 決 策 を 採 る も のか、 今 日迄 理事 会 より
の討 議 に附 せ ら れた る 上何 分 の御 回答 を乞 ふ。
六七
哈爾 賓 事 務 所 長 大 正 十 四年 八月 十 一日
哈 調 情 第 三 四〇 号
東 鉄 教育 問 題 に関 す る件
ひ は専 ら教 育 問 題 に集 つた や う で あ る。 既報 (八 月 五 日附 哈 調情 第
北 満 の露 支 政治 関 係 は表 面 梢 落 着 い てを る が、 此頃 両 国 勢 力 の争
一方 該 学 務 処 は尚 現存 し 近 来 該 局所 属 華 籍 鉄道 学 校 に対 し て自 ら
三 二 五号 ) の如 く、 支 那 は既 に東 鉄 教 育 権 回収 に手 を 着 け てを る が
何 等 の指 示 な し 。
数 日来 東 鉄 白 系 教員 は当 地 に教員 同 盟 大 会 を開 き (代 表 は主 とし て
支 那 に帰 化 せ る教員 で、 哈 市 か ら 五十 名 、 沿線 から 二 十 五名 参 会 し
る も のは悉 く 独 断専 行 し、 居 然 と し て行 政 官 庁 を 以 て自 任 し 、 地 方
た )、
視 学 を派 し 、 休 暇期 間 を規 定 し 、課 程 を 変 更 す る等 教 育 行 政 に属 す
行 政権 を侵 害 す る殊 に甚 だし き も のあ り。 露 支協 定 に よ るも 存 在 の
イ
東 鉄 教 育 ソヴ エート赤 化 に抗議 す る こと等 。
憲 の保 護 を 請 ふ こと。
支 那 国 籍 の露 国教 員 解 職 に関 す る労 農 側 の計 画 に対 し、 支 那官
余 地 な き も の であ る か ら、 督弁 公 所 へ御 照 会 の上東 鉄 理事 会 と し て
ロ
管 理 局 学務 処 を即 日 取 消 さ し め、 以 て権 限 を画 定 し 、責 任 を明 ら か
右 の申請 に基 づ き 行 政長 官 公 署 より督 弁 公 所 へ送 り た る照 会 文 。
にせ し め ら れ たし 。
理由 で ソヴ エー ト式 教育 に圧 迫 を加 ふ る が、 露支 対等 条 約 の成 れ る
之 に関 し て労 農 側新 聞 は 此 の教員 同盟 大 会 は 一部 白 系 教員 が名 称
以上 北 満 の露 人 は当 然 ソヴ エー ト立 国 の精 神 によ つて教 育 さる べ き
特 別 区内 の司 法 、 民 政 、軍 警 、 市 政 、税 務 、 土 地 等都 て支 那 国 家
の であ る。管 理局 学 務 処 にて設 立 せ る中 、 小学 校 一切 の人事 行 政 が、
で、 露 国 子弟 の教 育 を 現 政府 に反 対 の教員 に委 ね ね ばな ら ぬ事 の不
き であ る 。支 那 官 憲 は意 義 曖 味 な る赤 化、 若 し く は共 産 主 義宣 伝 の
東 鉄 学 務 処 の管 掌 に属 す る は甚 だし く 我 国 の行 政 権 を 妨害 す る も の
合 理 は、 支 那 子弟 が同 様 の運 命 に会 ふ場合 を想 像 せ ばす ぐ 判 か る と
を 僣 し た も ので、真 の教 員 大 会 は ソヴ エー ト系教 員 の主 唱 によ るべ
であ つて、市 政 局 の之 が 取 消 方申 請 は正 当 な る も の であ る か ら、 貴
及 地 方 の主 権 に関 す る各種 の事 務 は 一概 に支 那 官 庁 の処 理 に帰 す る
公 所 に於 ても管 理 局 に て設 立 せ る露 支 各 級 学校 は全 て支 那相 当 の官
論 じ てを る 。 支那 官 憲 が将 来 ど こま で此等 白 系 露 教員 を保 護 し て ゆ
も の であ る ことは 、 奉露 協 定 第 一条 第 一項 に明 白 に規 定 し て あ るも
庁 に引 継 が し め、 引 継 手続 は 別 に詳 細 規 定 す る事 に願 度 く 、 理事 会
員 六 名 は昨 日帰 哈 した 。同 博 士 が莫 斯科 の命 を う け て将 来 益 北満 教
斯 科 に赴 いた東 鉄 学 務 課長 ウ ス ト リ ヤー ロ フ博 士 及東 鉄 附 属学 校 教
又 六 月末 北 満 露 国 教 育及 打 合 と ソヴ エー ト教 育視 察 と を 兼 ね て莫
長 就任 と同 時 に当然 平 理事 と な る べく 、東 鉄 内 部 の改 革 対 労農 政 策
兼 務 す る こと と な る を 以 てな り 。現 在 の理事 長 代 理 は 于冲 漢 の理事
暫 く 従来 の儘 と す。 蓋 し于 冲漠 が督弁 を兼 務 す れ ば当 然 理事 長 をも
め 、于 冲 漢 を し て其 の後 任 た ら しむ と の事 な り 。故 に理 事 の欠 員 は
な り。 張 作霖 の言 ふ処 によ れ ば将 来 何等 か の地 位 を与 へて辞 職 せし
育 の ソヴ エ ート化 に努 む べ き は勿 論 で、 現 に今 回 同博 士 は莫斯 科 か
等 は 総 て 于冲 漢 就任 後 に再 議 せら る べき も のにし て現在 に於 ては何
く かは 、此 の方 面 に於 け る両 国 勢 力 の消 長 上 見 物 で あ る。
ら数 名 の教 授 を哈 市 私 立法 科 大 学 に招聘 の話 を纒 め て来 た さう であ
等 の具 体案 な し 。 呂 理事 長 代 理 は辞 意 を 飜 し既 に帰 任 せ り。
視 察 の上 決 行 す る筈 な り。 (八月 十 三 日附 、戴 〓 卿氏 来 信 )
理事 及 重 要 職員 の更 迭 は 全権 を于 冲漢 に委 任 し 、同 氏 就 任後 実 地
漢 の督 弁 就任 後 なり と 言 ふ。
東 鉄 管 理局 長 イ ワ ノ フ弾 劾 の方針 決 定 せり 。但 し其 の実 行 は于 冲
て前 紀 制 限 を撤 廃 せし め ん と の意嚮 な りと 言 ふ。
せし も 、 張作 霖 は呂 理事 長 代 理 及蔡 道 尹 に命 じ、 グ ラ ンド と交 渉 し
東 鉄 従事 の支 那 人 職員 は露 語 を解 す るも のな る べき ことを 条 件 と
る。 因 に当 地 の法 科 大 学 は 従来 極 東 で欧 米 及 旧 ロシヤ の法 律 学 を授 け て来 た 唯 一の学 校 であ つた が、 こ の新 教 授 の招 聘 と 共 に ソヴ エー
哈 爾賓 事 務 所 長
ト法 の講 座 が 設 け ら る ゝ であ らう 。
六八
極秘
大 正 十 四年 八 月 十 五 日
哈 調情 第 三五 六 号
露 支会 議 は完 全 に頓 挫 せり 。奉 天 側 は 先 づ東 鉄 問 題 に関 す る会 議
を開 か ん こと を催 促 せ んと す る意 嚮 な り 。 (八月 十 三 日 附 、戴 〓 卿
一、東 鉄 督 弁 職 と 于冲 漢 及 鮑督 弁 二 、 呉督 軍 の賓 黒線 計 画
氏来 信 )
呉 督 弁の奉 天滞 在 は賓 黒 鉄 道問 題 に就 てな りと 言 ふ。 グ ラ ンド、
三 、露 支 会 議
(別紙 )
に関 す る別 紙 情 報 御参 考 に供 し ま す。
(グ ラ ンド 、 イ ワ ノ フは〓斉 線 問 題 の為 に狼 狽 し 賓 黒線 に突 進 せ る
イ ワノ フ等 は斉 々哈 爾 官 憲 に至 急 同 鉄 道 を敷 設 せ ん こ と を 慫 慂 し
も のな り)、 同 時 に資 本 を紹 介 せ り (此 の資 本 は東 鉄 、鳥 鉄 及 米 商
于 冲漢 は衆 人 の勧 め に よ り行 政 長官 に就 職 す る こと と な り、 十 日 会 議 の席 上 に於 て承 諾 の意 志 を 表 示 し、 決 定 と 同時 に哈 爾 賓 に赴 任
の合 資 借 款 な り )。 呉督 弁 は既 に草 案 を作 成 し、 奉 天 の許 可 を 請 願
王樹 翰 の知 れる範 囲内 に於 ては、 本 鉄道 は決 し て黒竜 江省 側 の敷
せし も張 作 霖 の 一喝 に会 ひた る為 目 下 何等 か の転 換 策 を講 究 中 な り。
し 事 務 引継 を なす こと を発 表 せり 。 鮑 督弁 に は辞 意 な く 、尚 天 津 滞 在 中 に し て来 奉 も せず 、 電報 にて 催 促 す れ ば言 を左 右 に託 し て応 じ も せず 全 く手 の付 け やう な き始 末
設 を 許 さ る べ きも の にあ らず 、 奉 天 側 に於 て自 ら出 資 経 営 せん と す
り 、労 働 運動 の共 同 戦線 を作 るべ く 照 会 があ つた が、 書 翰 で の打 合
最 近 北 京 、 上海 等 の支 那職 業 同 盟 会 から本 会 に対 し て互 に連 絡 を採
七〇
秘
哈爾 賓 事 務 所 長
イ ワノ フ局 長 の権 限 拡 張 に就 て
大 正 十 四年 八 月 二 十 日
哈 調 情 第 三 七 三号
響 をう く る虞 が あ る。 此 の点注 意 を 要 し ま す。
ば 、是 等 職 業 同 盟 が或 は赤 化 し 、或 は排 外 的 な る関 係 上其 の感 化影
た る も のな るも 、将 来 支 那要 地 の職 業 同 盟 と連 絡 を 設 定 す る に至 ら
因 に本 会 は 東 鉄沿 線 に於 ては労 農 側 職 業 同盟 に対 抗 し て設 けら れ
上 海等 へ出 張 す る筈 であ る 、 と 。
せ は 困難 な の で近 く会 長 自 ら之 が連 絡 設 定 のた め北 京 、奉 天 、 天 津 、
る意 嚮 な り。 訳 者 曰く 、 本 件 は十 四 日斉 々哈爾 公 所 来 電 と 正 反対 な るを 以 て 事 実 取 調中 な るも 、本 情 報 の方 確実 な る べし 、 と首 肯 せら る ゝ節
六九
秘
哈 事 ・調 査 課 長
大 正 十 四年 八月 十 七 日
あ り 。 (八月 十 三 日附 、 戴 〓 卿 氏来 信 )
哈 調情 第 三五 九 号
東 鉄 従業 員 の華 工会 組 織 計 画 の件
庶 ・調 査 課 長殿
八 月 七 日附 庶 調情 第 一二 八 七号 当 事 務所 長 宛 に て御 照会 の首 題 の 件 に関 し 当 課 調査 の結 果 左 に 回答 致 し ま す。
がグ ラ ンドを 監 督 し つ ゝある も のな り。 (八 月十 七 日 附 、戴 〓 卿 氏
ド の如 き は表 面 イ ワノ フを監 督 す る 地位 にあ る も、 実 際 は イ ワ ノ フ
従 つて労 農 側 各 領 事 は総 て彼 の管轄 に属 す る こと とな れり 。 グ ラ ン
労農 政府 は イ ワ ノ フに対 し 暗 に東 鉄 督 弁 及 遠東 指 揮 使 を命 じた り 。
り組 立 工 場支 那 従 業 員 四十 名 許 り を 入会 せ し め得 た事 と、 且上海 、
立 工場 及 沿線 に活 動 し 、支 那 従 業 員 の入会 を勧 誘 し 、本 年 二月 に至
報)
東 鉄 組 立 工場 支 那 従 業員 の 一部 は 労農 側 (赤 色 )職 業 同 盟 会 が組
天 津 等 に於 け る支 那 労働 組 合 の活 躍 に刺 激 せら れ 、 過般 東 省 鉄 路 工
七 一
哈 爾 賓事 務 所 長 大 正 十 四 年 八 月 二十 五 日
哈 調情 第 三八 六 号
業維持総会 ( 華 工労働 会 と も称 す ) な る職 業 同 盟 を組 織 し た 。 同会 は 其 の創 設後 ま ず 哈 爾賓 一円 に在 る 支 那従 業 員 の入会 を勧 誘 し 、 又 既 に労 農 側 職 業 同盟 に籍 を 置 い てを る従 業 員 を 已 に誘 致 し つ ゝあ り、 現在 同 会 に入 会 せる支 那 従 業 員 の数 は約 八 百 名、 支 那 に帰 化 せ る露 国 人 の会 員 及 秘書 が此 の目 的 で沿 線 に 赴 く 筈 で あ る。 会 長蕭 正 平 (山 東 人 )、 副会 長 劉 錫 田 (山棄 人) 以 外 に約 二十 名 の幹 部 を有 す 。
穆 稜 運 炭 線 東 鉄 の支 線 と な る 今 回 吉 林官 憲 は穆 稜 炭坑 本 社 の請願 を容 れ、 小 城 子待 避 駅 よ り穆 稜炭 坑 に至 る運炭 線 (約 六 十露 里) を普 通貨 物 営 業 支線 とす る こと に許 可 を与 へた 。 之 に就 き 現 在炭 礦 本 社 は 更 に東 鉄 本線 よ り此 の支 線 に至 る旅 客 及 貨 物 の直 通 輸 送 の設 定 を東 鉄 本社 へ請 願 中 で あ る が、 ス キデ ル スキ ー氏 の談 に よ ると 、 此 の点 に関 し ては既 に東 鉄側 の了 解 があ る と の事 であ る。尚 ス氏 は 本 支線 の密 山 への延 長 計 画 は目 下 の処 では実 現 困難 で ある と述 べた 。 (特報 員 談 ) 追 而 、本 件 に付 き戴 〓卿 の意 見 を 質 し た る に、 本 年正 月 中 変 更 せ
哈 爾 賓事 務 所 長
ら れ た るも の にし て事 実 相違 なし と の事 な り。
七二
秘
大 正 十 四年 九 月 五 日
哈 調情 第 四 二 六号
東 鉄 郭 副 局 長 が督 弁 に呈 し た る東 鉄 沿 線 教 育赤 化 状 況 報 告 ソヴ エト露 国 が教 育 的潜 勢 力 を 以 て他 日東 支 鉄 道権 を獲 得 せ ん と す る計 画 あ り と の こと に関 し 、実 際 の状 況 調査 方 命 に依 り学 務 処 副
人 を 立 て ゝ貴 国 の法 令 を遵 奉 し ソヴ エト の法 制 講 義 を停 止 す る旨願
出 によ り開 放 を 許 し 、尚 警 察 署 よ り監 視 し て弊 害 を防 ぐ こと と せ り。
是 一九 二 四年 以 前 に於 け る沿 線 の各 露 国 学校 の概 略 な り。 露 支 協 定
調 印 後 新 た に東 鉄 管 理 局長 の就 任 を見 、 又 学 務 処露 人 処 長 を任 命 し
竝 管 理 局 露 人 に対 し 支 、露 執 れ か国籍 を取 得 す る者 に あらざ れば 免
ト露 国 の新 学 制 を調 査 せし め て 、沿 線 の露 国 学 校 に対 し て大 いに改
職 を命 じ、 且本 年 六 、 七 月中 学 務 処露 人処 長 を 本 国 に派 遣 し ソヴ エ
革 を加 へ赤 化 せ し め んと し つ ゝあり 。 現 に沿 線 の支 那側 小 学 校長 及
教 員 の調 査 報 告 に依 れば 数 月 以来 白 党 の露 国 学 校 教 職 に任 ぜ る人 々
は何 れ も 大 い に恐慌 を来 し 自 ら 辞職 す る者 あ り、 又 僅 か に教 員 にし
て校 長 を臨 時 代 理 し 居 る有 様 に て、校 務 廃 弛 し責 任 者 な き為 露 国 学
校 の教 授 課目 等 の内容 を詳 細 に調 査 し難 し 。是 沿 線 露 国学 校 の現在
郭
崇
熈
の状 況 な り 云 々。 将 来 開校 の後 更 に詳 細 調 査 し て報 告 す べ き も差 当
東 鉄 管 理局 副 局 長
り右 不取 敢ず 復 命 し 謹 み て督 弁 に呈 す 。
七三
暗号電 哈爾 賓 事 務 所 長
大 正 十 四年 九 月 五 日
松 岡 理事
処長 をし て調 査 せ し めた る に左記 の如 く 報 告 し来 れり 。
発信者
五 日戴 〓卿 氏 ノ報 告 ニヨレ バ鮑督 弁 ハ辞 職 シテ天 津 ニ帰 レ リ。
東 支 沿 線 に於 け る露 人 は 一九 二 四年 以 前 は殆 ど白 党 の設 置 に係 り 、
本
受信者
後 任 ハ于 冲漢 兼 任 ノ説 ア リ、督 弁 公署 ハ引 継 ノ準備 中 ナ リト言 フ。
文
て僅 か に 四、 五 ケ 処 に過 ぎ ず 。 当時 行 政 長 官 公 署 が屡 々特別 区警 察
其 の宗 教 を排 除 し赤 露 の色 彩 を標 明 せ るも のは哈 爾賓 及 各駅 を合 し
め た るも の二、 三 ケ処 あ り た る が、其 の後 閉 鎖 各 学校 々長 よ り保 証
処 に命 じ て偵 察 し 過 激 主義 を宣 伝 す る学 校 に対 し て は之 を閉 鎖 せし
探 聞 ス ルト コ ロニ依 レバ、 于 ガ東 鉄 督弁 ヲ兼 任 ス ル ニ至 ラ バ劉 哲 、 范 其 光 両 理事 ノ移 動 ア ルベ シト 。右 ニ付 キ何 守 仁 ニ確 メタ ル ニ事
七四
秘
哈 爾賓 事 務 所長
実 誤 リ ナ キ モノ ノ如 シ。
哈 調 情 第 四四 一号
于 冲 漢東 鉄 督 弁兼 任 説
大 正 十 四 年 九月 七 日
六 日華 東 通 信 の伝 ふ る処 に拠 れ ば于 行 政長 官 は先 日張 作霖 よ り の 召電 に 対 し目 下 任 地 を離 れ難 き 事情 あ れば 暫 く延 期 願 ひた き旨 返 電 す る 処 あ り た るが 、昨 日銀 行 方 面 にて は東 省 鉄 路督 弁 鮑 貴卿 辞 職 し 、 于 長 官 之 を兼 任 す る こと とな り た り と言 ひ、 一説 には于 冲漢 は行 政 長 官 の職 務 重大 にし て、 目下 之 が整 理中 な れば 兼 務 を欲 せず 、 現 理
大 正 十 四年 九 月 十 二 日
支那 国 籍 を 有 す る東 鉄 露 国 人 教員 全 部 罷免
東 鉄 管 理 局長 イ ワ ノ フは九 月 七 月 附命 令 第 二 一三号 を 以 て支 那 に
国 籍 を有 し 、鉄 道 の管 轄下 に在 る露 人 の学 校 に教 職 を執 れ る露 国 人
を他 国 人 に依頼 す る こと は出 来 ぬ と言 ふ に在 る。
教 師 八十 八 名 を 一斉 に馘首 し た。 其 の理由 とす る所 は露 国 人 の教 育
此 の事 は鉄 道 の他 の職 に在 る支 那 国 籍露 国 従 事員 に 一大 恐怖 を起
さ せ た こと は 言 ふ迄 もな く 、 支那 新 聞 は 之 を以 て東 鉄 の学 校 が共 産
党 人材 養 成 の為使 用 せら れ 、 延 いて支 那 領 土内 に共産 制 の宣 伝 を な
尚 罷免 に依 る空席 は在 満 露 国 失 職 者中 から有 力 な る経 験 者 を 以 て
さ む と す る も の であ る とな し 盛 ん に攻 撃 し て居 る。
充 分 に補充 し得 る見 込 み で あ る、 と 。
発 信者
暗 号電
松 岡 理事
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正 十 四年 九 月 十 四 日
七六
尚 当 事 務 所 に於 て何 守 仁 に就 て質 し た る に呂 栄 寰 は 于 の督 弁 兼任
受信者
事 長 代 理 呂 栄寰 を其 の後 任 た ら しむ べ く目 下 推 薦 中 な り、 と 言 ふ と。
と 共 に問 題 視 せ ら る ゝ 一人 な り と言 へり 。然 し 呂 と 于 と は元 来 親 戚
本
故 ニ赴 奉 中 ノ呂 栄 寰 ハ帰 哈 スル ヤ否 ヤ不 明 ナリ ト。
弁 ハ辞 任 シ、 其 ノ後任 ニ東 三省 官 銀 号総 弁 劉海 泉 任 命 ニ決 定 セリ。
本 日呂 栄 寰 秘 書 カ ・コウ ・ヨクノ語 ルト コロ ニ依 レバ露 鉄 鮑督
文
関 係 あ り 、何 の説 の如 き は信ず る に足 ら ざ る も の の如 き も、 近来 呂
哈爾 賓 事 務 所長
七五
と 于 と の関 係 に稍 亀裂 を生 じ た る を以 て、 于 の督 弁 推 薦 云 々は些 か 疑 問 と せ ら る。
哈 調 情 第 四 六七 号
哈 調 情 第 四 七 四号
七七
哈 爾 賓事 務 所 長
東 支鉄 道 新 督弁 劉 尚 清 の略歴
大 正 十 四年 九 月 十 五 日
労 農露 国 が東 支 鉄道 の経 営 権 を 握 る に至 つて より 、其 の鉄 道 の経
であ つ て、南 線 貨 物 運賃 の引 上 、 浦 塩 の自 由港 問 題 の如 き其 の画策
営 方 針 が露 国 の利 益 を計 るを 第 一位 と なす に至 つた のは素 より 当然
の 一端 を 示 す も のであ る が、 奉 天 当 局 が満 鉄 と契 約 し て本 春 以 来斉
〓 線 の敷 設 に着 手 す るや 、其 の東 支線 に及 ぼす経 済 上 の打 撃 及 軍 事
上 の重 要 な る価 値 に付 き 大 いに憂 慮 し 、 イ ワ ノ フ局 長 はカ ラ ハンを
大臣 に対 し 申出 で た る等 の事 あ り、 一方 カ ラ ハンは露 支 交 渉 の主任
動 かし て支 那 政府 に抗 議 せし め 、東 京 にて は コツプ 大 使 が我 が外 務
者 王正 廷 を 煽動 し 、安 奉 線 回 収 、南 満 鉄道 警 備 権撤 回問 題 等 を提 出
今 回 東 鉄督 弁 に任 ぜ ら れ た劉 尚 清 氏 ( 号 海 泉 、奉 天 の人 ) は 民国
せ し め て、 張 作霖 の立 場 を 困難 な ら しめ 以 て相 殺的 に該 線 の敷 設 を
十 一年 哈 爾賓 東 三省 銀 行総 弁 たり し が 、同 十 三 年 同銀 行 は東 三 省官 銀号 と改 名 、長 春 に移 さ る ゝや其 の 総弁 と な り、 次 で于 冲 漢 の後 を
せ ら る ゝ に至 り し 為 、遂 に之 を打 ち切 り 新 た に他 の手 段 を 以 て東 支
断 念 せし め ん と計 り し も、 張作 霖 の意 志 強 固 にし て鉄 道 は 着 々敷 設
氏 は 理財 の道 に長 じ東 省財 界 の偉 材 と し て張 作 霖 、楊 宇 霆 両 氏 の
るも の の如 し。 而 し て 其 の対 策 の具体 的 と し て見 るべ き も の に東 支
鉄 道 の利 益 を 防 護 し 、帝 国 の鉄 道 政策 を破 壊 せ んと企 図す る に至 れ
襲 ふ て奉 天 東 三 省官 銀 号 の総 弁 に昇 任 し 、今 回抜 擢 せ ら れ て東 鉄督
信 任 厚 く、 先 般 楊宇 霆 氏 江蘇 督 弁 に任 ぜ ら る ゝや、 江蘇 財 政 庁 長 に
弁 に任 命 せら る。
任 命 せ ら る べし 、 と の説 盛 ん な りし も実 現 に至 らず 遂 に今 回 の栄 転
各 方 面 の農 業 の中 心 地 に支線 を出 し て、全 北 満 洲 の穀物 を東 支 線 に
鉄 適 の支 線 敷 設 政 策 が あ る。 即 ち東 支鉄 道 の幹 線 より 程遠 か らざ る
于 冲漢 、 劉 尚 清 共 に前 の官 銀号 総 弁 な り 。 今 回両 氏 の如 き財 界 上
吸 収 し之 を浦 塩 に送 ら ん とす るも の であ る。 其 の内 最 も大 な るも の
を見 る に至 れ り。
の手腕 家 が東 鉄 及 特 別 区 の首 長 と し て就 任 せ し は其 処 を 得 た りと 謂
は 前述 の呼 海 線 に対 す る割 込 運 動 であ る が、 此 の外 に目下 噂 に上 り
(速報 ) ( 極秘)
東 支 側 は之 に材 料 を 供 給 し て五 択広 軌 に改 築 せし め ん と す るも の
本 線 は現 に支 那 側 に依 つて軽 便 鉄道 が敷 設 運転 せ ら れ て居 る が 、
一、 昂 々渓 ︱斉 々哈 爾 間
又 は実 現 せ るも のは 左 の数 線 に上 る 。
ふべ き 乎 。 ( 山根 )
七八
哈 調 情 第 四 三 二号 ノ二
であ る 。是 鉄 道 の目 的 は斉 〓 線 を昂 々渓 に止 め 、東 支 鉄道 を横 断
せし め ざ る為 と、 一つは斉 黒 線 敷 設 の端 緒 を 着 け るも ので あ る。
哈 事 ・調査 課
東 支 鉄道 の支 線 政策
大 正 十 四年 九月 十 六 日
二、安 達 ︱ 拝 泉 間
る価 値 を有 す る こと論 ず るま で も な い。 労農 側 は〓 斉 線 に対抗 の
設 に付 き東 支鉄 道 側 の示 せ る条 件 は次 の如 しと 。
的 関 係 上 我 に対し 重 要 な る影 響 を与 ふる で あら う 。 因 に本 鉄 道敷
人 士 の乗 気 な る点 は 注意 を要 す べ し。 若 し是 が実 現 を見 ば、 地 理
斯 の如 く本 線 も 尚 具 体化 ま で に は相 当 の距 離 を 有 す る も、 地 方
り 、 と言 ふ。
意 味 を以 て本線 の建 設 を 目 論見 、 カ ラ ハンよ り北 京 政 府 に許 可 を
安 達 駅 より 北方 拝 泉 に達 す る も のであ つ て、培 養 線 と し て大 な
申 請 し た る こと張 作 霖 の知 る と ころと な り 、張 は之 を 以 て中 国 の
1. 軌 条 及是 に対す る附 属 品 、枕 木 全 部 無償 提 供 。
〃
〃
六元
四元
四元
四十元 〃
〃
大洋
機
〃
一輛 一日 貨
〃
車
一
三 等 客 車
関 二
二 等 客 車
2. 機関 車 、貨 車 、 客 車 は 左 の如 く 賃 貸 す 。
主 権 侵 略 な り と し 、段 執 政 に厳 重 な る抗 議 を提 出 せん 事 を電 請 し 且事 の如 何 を問 はず 東 三 省 は絶 対 に承 認 し能 はざ る旨 を 以 て した
三
と言 ふ事 であ る。 呉 督 軍 は 八 月下 旬 賓 黒 線 の認 可 を得 て奉 天 よ り帰 斉 の途 次 安 達
四
車
る所 、 彼 等 は該 鉄 道 完 成 せ ば安 達 駅 は単 に通過 駅 とな り 、土 地 の
駅 に下 車 し 、 同 地 の紳 商 を招 き安 拝 線敷 設 に関 す る意 見 を質 し た
此 の鉄道 は主 と し て寧 古 塔 支 那有 力 者 の企 画 す る も ので あ つ て、
四 、 海 林︱ 寧 古 塔 間
路盤 構 築 は支 那 側 に於 て負 担 し 、鉄 道 材 料 は東 支 鉄 道 側 よ り供 給
る。 以 上 の如 く現 在 に於 て本 線 実 現 の可 能 性 は乏 し いけ れど も 、
繁 栄 を拝泉 に奪 は る ゝ理由 を 以 て不 同意 を表 し た、 と 言 ふ事 であ
労 農 側 が 相 当真 剣 味 を 以 て建 築 し て居 る事 は 、之 を北 京 の問 題 と
を受 け ん とす るも ので あ る。 而 し て従 来 屡 々計 画 せら れ た るも 何
に関 す る情 報 を得 るや大 い に狼 狽 し 、 六月 下 旬 理 事会 に謀 る事 な
業 支 線 とす る 事 に変 更 せら れ た。 尚 此 の線 は将 来 密 山 に向 ひ延長
キ ー と の合弁 ) に属 す る運炭 線 で あ つた が 、本 年 一月普 通 貨 物営
本 線 (約 六 十露 里) は穆 稜 炭 坑 会 社 ( 吉 林 省 と 露 商 スキデ ル ス
五 、穆 稜 炭 礦 線
線 地 方 人 も乗 気 にな り実 現 の可能 性 を増 大 し た と伝 へら る る。
時 も資 金 の点 で行悩 ん で居 た が 、今 年 は 稀 に見 る豊 作 な る為 、 沿
した る事 に依 つても 伺 は れ る で あら う 。 三、 石 頭 城 子 (三岔 河 )︱ 扶 余 間 主 線 は 主 と し て長 扶線 に対 抗 す る意味 を 以 て企 画 せ ら れ たも の
く 独 断 にて管 理 局 庶 務課 次 長 侯 徳 有 を現 地 に派 遣 し 、 地方 有 力 者
で、 イ ワ ノ フ局長 は在 伯都 納 東 支 商 業 部出 張 員 よ り長 扶線 の計 画
を 勧 誘 し て鉄 道 敷 設 の利 益 を説 かし め 、大 い に其 の食 指 を動 かし
す る の企 図 を 有 し て居 る。
五常 ︱烏 吉 密 河間
六 、其 の他 計 画 の噂 あ るも の
め た る結果 八 月 下 旬 頃 地方 紳 商 よ り吉 林 省 長 宛 敷 設 の申 請 を 為 し 、 当 局 は 其 の回答 を 保留 す ると 共 に東 支 鉄 道 に対 し 無許 可 に て測 量 に従 事 せ る件 に関 し抗 議 し、 又 扶余 県知 事 に事 実 の調 査 を 命 じ た
一面坡︱方正間 七九 哈調情第四八〇号 哈爾賓事務所長 大正十四年 九月十七日 郭福綿 氏新 たに東鉄 理事 に任命
( 神 田)
東鉄本社庶務課長次席郭福綿氏は今回東鉄 理事 に内定 し四、五日
哈調情第五二八号
八一
哈爾賓事務所長
東鉄督弁 公所 の新幹部
大正十四年九月二十九日
東鉄督弁公所秘書長
号適斉、吉林侯補県知事 なり。
于芹 号朗昆、奉天省鉄嶺 県の人、浜 江、
今回新 たに東鉄督弁 に劉尚清着任 と共 に左 の通り決定 せり
奉天省営 口の人、前東三省官銀号
吉林県知事 を歴任す。 東鉄督弁公所秘書
中に正式発表せらるべし、と。
督 弁公所第 三科長 遅適夫
馬永年
氏 、字子久、〓琿 の人、東 鉄に古くより在 任 し露 語 に堪 能 な り
東鉄督弁と理事長と の兼職問題 に就 ては、奉天側 は呂栄寰 を理事
東 鉄督弁 と理事長 との兼職問題
大正十四年九月三十 日
哈調情第 五三四号 哈爾賓事務所長
八二
総稽核。(山根)
(山根 ) 八〇 北公庶 二五第七 一号 の三八 北京公所長 大正十四年 九月 二十二日 東支鉄道督弁更迭 の件 され、其 の後任 に劉尚清氏 (字海泉 、奉天省海城県人)任命 さる。
長 に、劉海泉 を督弁 に任命 せんとす る意嚮 なりしも、露西亜側が協
九月二十 一日附臨時執政令 を以て東支鉄道督弁鮑貴卿氏依願免職 劉尚清 は奉天法政学堂出身 にして民国八年九月黒竜江省財政庁長
する こととな れり。
に任命され、其 の後同十月四日吉林 省永衡官銀号総弁 に任命せられ、 定 に相違す、と反対 せるを以 て、従来 の如く理事長は督弁之を兼任 現 に東三省官銀号総弁 の職 にあり。
哈 調 情 第 五 三九 号
八三
哈爾 賓 事 務所 長
大 正 十 四年 十 月 一日 何 守仁 氏 辞 任 に決定 本 日劉 東 鉄督 弁 来 所 し語 る処 に拠 れ ば 、東 鉄 参 賛 何守 仁 氏 は愈 辞 任 の事 に決 し 、 今後 参 賛 の職 を置 く や否 や は未 定 な り 。 尚 何 守 仁 氏 よ り聞 く処 に拠 れば 、 陰 暦 八 月末 ま で には北 京 に帰 る 由 な り 。(山 根 )
八四
哈爾 賓 事 務所 長
大 正 十 四年 十 月 六 日
哈 調 情 第 五 四九 号
東鉄 代 表 赴 莫
郭
グ
福
光
ー
ラ
キ
ン
同
7. 同 8. 同
営 業 課 技 術係 嘱 託
庶務課次長
商 業 部 長
2 同. 汽 車 課 車 輛 係 長
9. 10 11 . 1
東 鉄 車 務処 次長
唐
士
元
清
13 . 北 京 交 通 部諮 議 (前 東 鉄管 理局 副 局長 ) 14.
.同 地 畝 処 次長 何 孝 右 一行 は本 朝 当 地発 赴 莫 せ り 。
15
八五
哈爾 賓 事 務 所長 大 正 十 四年 十 月 七 日
哈 調 情 第 五 五七 号
東 鉄長 春 駅 長 更 迭 か
夏
仲
貽
エメ リ ヤノ フ技 師
コヴ イ ル コ フ
. ゴリ ヤ イ ノ フ
ラ
ソ
〓
ウ
コ ヴ ザ レ フ
ヴ
余
東 鉄 長 春 駅 は直 接 満 鉄 と の関 係 を 有 し其 の他 各種 の政 策 上 重要 な
し を不 可 な り と し、 現 駅 長 は 近 く転 勤 を命 ぜら れ純 共 産 党出 身 の駅
る 地点 な る に拘 ら ず 、 其 の駅 長 は今 日迄 ソヴ エー ト露 国系 なら ざ り
長 が任 命 さる べ し。
哈爾 賓 事 務 所長
八六
ド
ー 〓 勣 哈 調情 第 五五 九 号
綿
莫 斯 科 に於 て開 催 の聯絡 運輸 会 議 に列 席 の為 昨 五 日出 発 せる東 鉄
東 鉄 理 事
側 人 員 左 の如 し。
同
徐
1.
商業 部 次 長
蔡
2.
用 度 課 次長
ジ
4. 同
営 業 課長
東 鉄 経 済 調査 局 長
同
同
3.
5.
ブ リ ー ヤ ン スキ ー
6.
大 正 十 四年 十 月 十 日 外国 顧 問 東 鉄 回収 を建 議 す ( 十 月 九 日 東 三省 商 報 ) 外 交 方 面 の消 息 に依 れ ば 、某 国顧 問 は昨 日 当 局 に向 つて公債 を 発 行 し 以 て東 鉄 を 回収 す べ し 、 と建 議 せ り。 其 の内 容 を 聞 く に、 同 鉄道 の株 券 中 の中 国 資 本 家 に属 せ るも のは 財 政 困難 の結 果 已 に某 国 に売 渡 せ る為 、東 鉄 に対 す る中 国 の権利 は 薄 弱 と な れり 。露 支 協 定 は 東 鉄 に関 す る契 約 第 九 条 第 二 項 の規 定 に 従 ひ、 中国 は当 然 之 を 回収 す べ き も のな り 。即 ち其 の回 収費 とし て 公 債 を発 行 し 、週 息 六厘 三年 乃 至 九年 の後 抽 籖 法 を 以 て償 還 せし む
哈爾 賓 事 務所 長
八七
べ し、 と 言 ふ に あり 。
哈 調 情 第 五九 六 号 大 正 十 四年 十 月 十 九 日
東 鉄管 理 局 長 権 限問 題 (十 月 十 八 日国 際 協 報)
同 局 長 は露 支 協 定 に拠 る規 定 に非ず んば肯 ず る こと能 はず 、 と言 へ り と。
八八
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正 十 四年 十 月 二十 日
哈 調情 第 五九 九号
東 鉄 の撫 順炭 不買 決 定 (十 月 二十 日 ザ リ ヤ紙)
東 文 鉄 道管 現局 は来 年度 よ り社 用炭 とし て撫 順 炭 を 使用 せざ る事 に決 定 し た 。
元 来 東支 鉄 道 社用 炭 は 一九 二 五年 度迄 ジ ヤ ライ ノ ー ル炭 、蘇 城 炭
及撫 順 炭 の三 種 で あ つた 。而 し て撫 順 炭 の使 用 量 は年 額 百 二 十万 留
であ る が、 来 年度 よ り蘇 城 炭 を 以 つて之 に代 ふる ので あ る から満 鉄
の収 入 減額 は莫 大 であ り、 一方東 支 鉄 道 の燃 料 は 漸 次薪 本 位 よ り 石
炭 本 位 と な り つゝあ る ので 、之 を 加算 せば蘇 城 炭 は年額 二 百万留 程
実 際 に於 て東 支 鉄 道 にと り て は撫順 炭 を買 ふ も 、蘇 城 炭 を買 ふも
販 路 の増 加 を見 る訳 であ る 。
何等 差 異 はな い ので ある が 、 此 の改 変 は何 に原因 す る か、 ま さ か撫
東 鉄 督弁 劉 海 泉 は已 に任 に在 る こと 一箇 月 、 常 に本 鉄 道 の整 理を 念 と し居 れ 共 理事 会 は 露 側 理事 の連 袂 欠席 に依 り法 定数 に達 せず 流
にと り て は大 な る利 益 で あ る。
順炭 坑主 た る満鉄 よ り の申 出 で も あ るま い。 と も あ れ蘇 城 国営 炭 坑
八九
速報
哈爾 賓 事 務所 長
会 を 重 ね つ つあ る為 、 奈 何 せ ん其 の新 政策 実 行 す る こと能 はず 、従
哈 調情 第 六 二五号
つ て路政 はイ 局長 一人 の独 断独 行 の儘 にあ り 、茲 に於 て乎 之 が抵 制 の策 を執 ら ざ るを 得ず 、 東 鉄 管 理 局 一切 の行 政 は局 長 並 副局 長 両 名 の署 名 に依 つて始 め て露 支 平 等 に進 行 せら る ゝも のな る こと に想 到 し 、 今後 同 管 理 局 の行 政 は支 那 側 の副 局 長 た る郭 崇 煕 の署 名在 つ て 後 始 め て有 効 な るも のな る旨 を 、郭 氏 を通 じ てイ 局長 に交渉 せ し が、
東 支 鉄 道 の禍 患 (十 月 二 十四 日ザ リ ヤ紙 )
大 正 十 四 年 十 月 二十 六 日
東 支 鉄 道 は 目 下 大戦 当 時 よ り の莫 大 な る 負債 を支 払 はな け れば な
国 人 及 外国 人 所 有 のも のが あ る。 殊 にタ ンク車 は ア ル コー ル、
石 油 輸 送 に使 用 し 、 主 と し て外 国 人 の所 有 に属 し 、之 が使 用料
を要 求 せ ん と し て ゐ る の であ る。
露 国 の手 に入 り し も のは僅 少 であ る 。此 の事 実 に依 つて米 国 政
場 に、 他 の大部 は東 支 鉄 道 哈 爾賓 工場 に至 り東 鉄 の所属 と な り 、
露 国 が米 国 に注 文 した 輪 転 材料 の内 一部 は浦 塩 郊 外 二番 川 工
三 、輪 転 材 料 に関 す る対 外 政 府 の問 題
し て居 る。 其 の内容 は 、
一、労 農 露 国 交 通 委員 会 が東 鉄 に対 し数 千 万 留 の支 払 を要 求 せん と
ら ぬ と言 ふ大 問 題 に悩 さ れ て居 る。 其 の概要 を述 べ ると 、
1. 輪 転材 料 使 用 料
て昨 年 覚 書 を 提出 し て鉄 道 に関 す る自 己 のイ ンテ レ スト であ る
府 は 二 千万 金 留 の支払 を要 求 す る に至 つた ので、 此 の事 に関 し
九〇
哈 爾 賓事 務 所 長
を与 ふ る事 と な る の であ る 。
実 際 に於 ては支 那 産業 の現状 に照 し 労 農露 国 人 に用 度 品納 入 の独占
此 の方針 は表 面 上 露 支 両国 商 人 に非 常 な特 典 を与 へる事 に な るが 、
を与 へよ う と言 ふ にあ る 。
及 支 那人 のみを 以 て し 、納 入 に就 て は主 と し て労 農 露 国人 に優 先権
該意 見 書 によ る と 、従 来 の外 国 人納 入者 を全 然 排 し 、労 農 露 国人
に関 す る意 見書 を提 出 し、 之 が審議 を求 め てゐ る。
東 支 鉄 道 管 理 局会 議 は同本 社 に対 し、 同鉄 道 各 種 用度 品 納 入改 変
東 鉄 用度 品納 入 外 国 人排 斥
大 正 十 四年 十 月 二十 八 日
哈 調 情 第 六 四 一号
こと を提 示 し た 。
従 来露 国 及 東 支 両 鉄道 の協 約 に依 り て 一方 所 有 の輪 転 材 料 が
の義 務 を有 し、 若 し 之 を保 留 す る場 合 に は 一定 の使 用 料 を支 払
他 鉄 道 に移 入 され た 場合 に は、協 定 期 間 を 限 り 相互 に返 還 す る
はな け れ ば なら ぬ。 然 る に 一九 一七年 以 来 両 鉄道 の連 繋 断 絶 し 、 露 国 の所 有 に属 す る莫大 な る輪 転材 料 は東 鉄 内 に残存 し 、加 之 内 乱 当時 西 比利 亜 撤 退 軍 隊或 は聯 合軍 の輸 送 に依 り更 に其 の数
に残 存 す る も のあ るも 、 其 の数 は前者 に比 し僅 少 であ る 。即 ち
量 を増 加 し た 。勿 論 東 支鉄 道 の所 有 に属 す る輪 転 材料 で露 国 側
露 国 側 は 今 日 に至 つて前 述 の協 定 に依 る保留 料 金 を 支 払 へ、 と 言 ふ の であ る。処 が実 際 に於 て は東 支 鉄道 は露 国 所 有 の輪 転材 料 は殆 使 用 せず 、寧 ろ之 を 保存 す る に各 種 の費 用 を 要 し て居 る の であ る が、 之 は協 約 破 棄 の理由 と はな ら な い、 と露 国 側 は主 張 し て居 る。
エゲ リ シ エード 使 用料
2. 数 年間 の国 税 3.
東 支 鉄 道 が使 用 せ る車 輛及 タ ンク車 の内 或 も のは個 人即 ち 露
二、 輪 転 材料 に関 す る対 個 人問 題
速報
九 一 哈調情第六四二号
哈爾賓事務所長
大正十四年十月 二十八日 東鉄商業部長 の上海訪問 (十月二十 八 日ノーウオ スチ ・ジーズ ニ紙) 東 支鉄道商業部長 一行 の上海視察中最も注 目を引 いたのは、在上 海東支鉄道附属埠頭 の股盛振り で各倉庫共貨物 を以て満ち、近き将 来 に於 て是非共倉庫 のみならず埠頭区域 の拡張を必要 とす る程であ る。而し て在上海東鉄商業部出張所は上海商業界 の大なる信用を博 して居 るので、此 の際東支鉄道 は将来 の営業 上其 の利益を思ひ万全
十 月 二十 六 日附 哈 調 情 第 六 三 〇号 を以 て報 告 せ る処 な るが 、最 近 東
鉄 イ局 長 は各 地営 業 部 出 張 所 に対レ ダ リ バ ンクと 同様 、 露 亜銀 行 支
尚 当 地阜 頭 区露 亜 銀 行 支 店 長 ブ リ ヤ ツ ヘルは罷 免 せら れ、新 市 街
店 を 通 じ送 金 其 の他 金 融 業 務 を な す様 命令 せり と 。
支 店 長 た り しブ ヤノ フ スキ ー其 の後 を追 ひ、 且新 市 街支 店 長 を も兼 務 す る こと と なれ り 。
哈爾賓事務所長
九三
哈 調 情第 六七 〇 号
東 文鉄 道 の大 建築 計 画 ( 十 一月 二 日ザ リ ヤ紙 )
大 正 十 四年 十 一月 三 日
東 支 鉄 道 財政 状 態 良 好 の結果 来 年 度 (三百 五 十 万留 ) 以 上 の建 築
の計 画 は イ ワ ノ フ管 理 局 長 の秋 期 巡視 に際 し、 自 ら の発 案 に成 る も
を為 す べく 、 目下 線 路 課 に於 て着 々建 設案 作 成 中 で あ る。 而 し て此
を期すべき必要を痛感 するに至 つた。 尚 一行 の上海訪問は同地の外国人商業界 に大なる満足 を与 へて居
五 箇所
二箇 所
二箇 所
旅 館 (鉄道 従業 員 或 は旅 行 者 の為 )
寛 城 子 、横 道 河 子
新 鉄 道倶 楽 部
寛 城 子、 一面坡
車 掌 及 機 関 士 の詰 所
〓 門 には学 童 の寄宿 舎附 設)
満 洲 里 、斉 々哈爾 、〓 門 、 ポグ ラ ニチ ナ ヤ、 哈 爾 賓 (ポ グ ラ及
学 校 大建 築
の であ る 。建 設案 に依 る と、
る。何故なれば東支鉄道幹部 の稀なる訪問 が同鉄道商業部出張所 の 一行 の不意 の訪問 に対 して神経 を尖らして居 る。
営業開始 により動機付けられたからである。然し日本人間 に於ては、
九二 哈爾賓事務所長
大正十四年十月三十 日
哈調情第六五八号
東鉄と露亜銀行 の接近 露亜 銀行巴里本店 が漸次労農露国と接近し つゝある事情 に就 ては、
三岔河 ( 満 溝 に在 るも のと同 様 の旅館 建 築 )
部 線
線 双城 堡
札頼諾爾
九 箇 所 (本年 度 の十 五 箇所 に追 加 )
部
停車場建物 西
る に第 一に支 那 の主 権 を 承 認 せ る国 家 の代表 にし て法 律 的教 育 を受
け た も の が、 吾 が要 求 を 拒 絶 す る が如 き 行為 のあ る は奇 異 で あ る。
之 に対 し東 支 鉄 道管 理 局 側 は 、支 那 官 憲 の言 ふと ころ は尤 も至 極
吾 が官憲 は 凡ゆ る手段 を以 て要 求 を貫 徹 す る 、 と。
にし て峻 拒 す るも ので は な い。東 支鉄 道 建 設 以来 二十有 五年 未 だ印
南
花 税 の如 き 納税 の要 求 を受 け た こと は な い。斯 く の如 き 重大 問 題 は
事
サヴ ラ ソ フ
ゲ ツケ ル、 ダ ニ レ フ スキ ー、 ホド ロ フ
の陣 容 を整 ふ べ く、 イズ マイ ロフ の理事 辞 任 も愈 決 定 し た模 様 であ
理
副 理 事 長
が到 着 就 任 の暁 に は、
科 に召 還 さ れ た東 鉄 副 理事 長 グ ラ ンド其 の他 の後 任 であ る。 同氏 等
出 発 し 、 十 三 日 には哈 爾 賓 に到着 の筈 であ る が、 同 氏等 は先 頃莫 斯
確 報 によ れば 、 サ ヴ ラ ソ フ及 ゲ ツ ケ ル の両氏 は本 月 三日莫 斯 科 を
[Γekkep A . N .]
東 鉄 露 国 側 新 理事 確 立赴 任 の途 に在 り (十 一月 七日 ザ リ ヤ)
大正十四年十 一月七日
吟調情第 六八三号 速報 哈爾賓事務所長
九五
本 社 に て決 定 す べ きも の にて自 分 の権 限 外 であ る。
馬 橋 河 、 哈 爾 賓 一面 坡 間 に 一箇 所 、 成高 子 、白 帽
線
吟 爾 賓 及 沿線 に従 業員 社宅 とし て二千 平 方 サ ーゼ ン
子 、蜜 蜂 、 小 九站 、亜 庫 尼 、帽 児 山
部
宅
東
舎 尚 沿 線 住 民 のため 祝福 す べき は 、 従来 駅 以 外 にな か つた 浴 場 を全 待 避 駅 に設置 す る こと にな つた こと で、来 年 度 は 先 づ其 の半 数 を 、 残 余 の半 数 六 十箇 は明 後 一九 二七 年 度 の財 政 の許 す 限 り設 置 す る筈 で あ る。 又 近 く 哈爾 賓 中 央 病 院 の建 設 工 事 開始 せら る べく 、 目 下 模
哈 爾 賓事 務 所 長
範 病 院 見 学 のた め専 門 家 を 北 京及 大 連 へ派 遣中 であ る。
九四
速報
大 正 十 四年 十 一月 四 日
哈 調 情 第 六 七 一号
東 支 鉄道 納 税 争議 ( 十 一月 四 日 ザ リ ヤ)
る 。其 の理由 は最 近 莫 斯 科政 府 の東 鉄 本 社 及 理事 組 織 に対 す る意 向
最 近 学 校 、 工場 其 の他 の東 支 鉄 道 附帯 機 関 に対 し 、吉 林 印 花税 局 よ り書 類 の監 督及 印 紙 税 の強 制 要 求 を為 し つゝあ る が、 之 に対 し東
任 命 す る こと と な り、 此 の意 味 に於 てイ ズ マイ ロフは既 に肉 体 的 に
が多 少 変 更 さ れ 、 理事 は全力 を鉄 道事 務 に集 中 し得 る者 のみ を以 て
事 務多 端 な重 役 の重任 を全 ふ す るを 得 な いの み でなく 、財 政 委 員 会
鉄 側 は其 の必要 な し、 と 主張 し、 此 処 に両者 間 に紛議 を醸 し つ ゝあ
印 花 税 局 の言 ふ と ころ は 、 恁 は支 那 政 府 の明 白 な る特 権 の 一つ に
る。
て単 に 支那 共 和 国 が自 己 領 土 内 に於 て主 権 を 主張 した に過 ぎ ぬ。 然
の極 東 代表 の重 位 にあ り露 支 通 商協 約 案 の起 草 及露 支 会議 の準 備 に
新 理事 の略 歴
忙 殺 され て居 る から であ る 。
サヴ ラ ソ フ 法 律 的教 育 を受 け た共産 主義 者 にし て数 年 間 莫 斯科 中 央 監獄 コミ サ ー ルの重位 に在 り、 極 東 方面 に於 ては全 然 新 らし き人 物 で、 レオ ニード ・ア レキ サ ンド ロヴ イ チ と言 ふ 名 と 父称 の みが今 の処 知 ら る ゝ のみ であ る 。尚 当 地総 領 事 を兼 任 す る かも知 れ ぬ。
と。
秘
九七
哈 調情 第 六九 九 号
哈 爾賓 事 務 所 長
ウオ ロ ンツ オ フ林 区 に就 て
大 正 十 四年 十 一月十 二 日
南 部 林 区 に就 て
革命 勃 発 当 時 参謀 本部 附 大 佐 にて 一九 二 一年︱ 一九 二 二年 陸 軍 大
コフに譲 つた 。 イ シ マ コフ の死 没 と 共 に ウ オ ロンツ オ フ之 を買 収 し
縁 の妻 たり し チ レド ニチ エン コの手 に移 り 、 同人 は更 に之 をイ シ マ
初 ラブ ン スキ ー が蒙 古 政庁 よ り獲 得 し たも ので、 其 の死 没 す るや内
ウ オ ロンツ オ フ林 区 は東 支 鉄 道 南北 両 側 に在 るが 、南 部 林 区 は最
学 教 官及 校 長 を 勤 む 。 次 いで労 農 政府 が ヨツ フ エを支 那 に使 せ しむ
た ので あ るが 、約 二、 三 ケ 月 を要 す る ので搬 出 が仲 々困 難 で あ る、
ゲ ツ ケ ル
る に当 り、 此 の使 節 中 に加 はり 専 ら軍 人 方 面 を 担 当す 。 次 いで長 春
と。
の手 に成 れ る林 区 図 を示 し 、満 鉄 が百 五十 万 円 に て林 区 を買 収 せ ん
本 年 初 頭 ウ オ ロ ンツオ フは東 鉄 イ ワ ノ フ局長 の許 に至 り、 柳 町氏
東 支 の経 営 参 加事 情
立 木 は 札免 の林 区 に比 し甚 だ多 く其 の九 〇% は落 葉松 で ある 。
立 木 状 況
も の であ る。
る。 露 人労 働 者 の大部 分 は白 系 避難 民 で ソビ エト露 国 に快 からざ る
人 を 主 と し て伐採 及 守 衛 に任 じ 、蒙 古 人 は食 糧 の運 搬 に従 事 し て居
目 下両 部 林 区 に在 る労 働 者 の数 は露 人 八〇 〇 、蒙 古 人 一〇〇 で露
労 働 者 の情 況
会 議 に参 加 す。 彼 は軍事 に趣 味 を 有 し、 革 命 戦 、内 乱 戦 に大 な る経
哈 爾 賓事 務 所 長
九六
験 を持 つ。
哈調 情 第 六 九 七号 大 正 十 四年 十 一月 十 二 日
東 鉄 は密 か に鋼 鉄 製 貨車 を浦 塩 に回送 ポ グ ラ ニチナ ヤ より の報 導 に依 れば 、東 支 鉄 道 より浦 塩 に輸 送 さ
塩 方面 よ り は之 を木 製 高 側 板 露 国式 貨 車 と 取換 へ石 炭 を積 ん で返 送
る ゝ特 産 物 を積 め る車 輛 中 には鋼 鉄 製 高 側板 米 式 無 蓋車 多 き が、浦
し て居 る。 之 は 右 鋼鉄 製 車 輛 を 軍事 上 の目 的 に使 用 す る為 で あ る、
一、東 鉄 は参 加 料 と し て二 十 万 金留 を ウ オ ロンツ オ フに交 付 す 。
を買 収 す る に決 し た。 其 の主 な る条 件 は、
デ ニー ソ フを 派遣 し て、 林 区立 木 の状 況 を検 査 せし め た後 政 策 上 之
グ レー ボ フ、 林業 士 ウ オ スク レセ ンス キ ー及 ケ ル ステ ン並 商 業 部 員
る から 東 鉄 に て買 収 し ては如 何 、と 提 議 し た 。其 処 で東 鉄 は監 察員
と し て居 るが 、若 し 売 却 せざ る時 は支 那官 憲 に没 収 さ れ る懼 れが あ
中 であ る が 、支 那 軍 権 の援 助 な く て は到 底 現在 の労働 者 を駆 逐 す る
防 止 し て居 る から であ る 。東 鉄 は 此 の事 情 を知 つて更 に対策 の考究
ラズ マフ ニ ン大 佐 で、其 の部 下 は皆 武 装 し て居 て赤 派 分 子 の混 入 を
て赴 任 を肯 じ な い。 夫 れ は同 林 区 に在 る守 衛隊 長 は陸 軍 大学 出 身 の
特 に二名 の派 遣 者 を林 区 に送 ら ん とし た が、右 二名 は危 険 な り、 と
し 、 新 た に ソ ビ エト露 国 労 働 者 を 入 れ んと し て、 其 の計 画 実 施 の為
東 鉄 は現 在 林 区 に在 る反 ソビ エト露 国 分 子 た る避 難労 働 者 を 駆逐
九八
秘
哈 爾 賓 事 務所 長
ふ。
若 しズ にし て右訓 令 に服 従 せざ れば免 職 せし む る旨 通 告 し た 、 と言
令 を発 し たが 、 ズ ウ エレ フ所 長 は之 に反 対し た る を以 て、 イ局 長 は
ウ エレ フ に対 し 、爾 今 在 奉露 国 総 領事 の指 揮 に依 り営 業 を行 ふ様 訓
公 署 に通 告 し た 。 又東 鉄 イ管 理 局 長 は 奉天 附 属 地 に在 る営 業 所 長 ズ
会 の意 嚮 を 入 れ許 可 せ ざ る事 に決 し 、右 の旨 昨 十 一日当 地東 鉄 督 弁
奉 天 省 長 に其 の認 可 方 請願 中 であ つた が 、王 省長 は同 地 警察 及 商 務
東 鉄 は 奉 天附 属 地 に在 る東 鉄 営 業所 の出 張 所 を城 内 に開 設 せ んと 、
奉 天城 内 に於 け る東 鉄 営 業 所開 設 不許 可
大 正 十 四 年 十 一月 十 三 日
哈 調 情 第 七 〇 六号
事 は不 可 だ 、 と観 察 さ れ て居 る。
二 、東 鉄 は林 区 所在 の建 築 物 、機 器 及 木 材 を 二十 万 金 留 と見 積 り、 其 の半 部 を買 上 ぐ 。 三 、東 鉄 は運 転 資金 と し て二 十 五 万金 留 を 出資 す。 四 、損 益 金 は折 半 す 。 五 、 ウ オ ロ ンツ オ フは林 区 支 配 人 を、 東 鉄 は副支 配 人 及会 計 を任 命 す。 と 言 ふ に在 る が、右 契 約 は本 社 の許 可 なく 本 年 四月 十 一日 イ局 長 と ウオ ロ ンツ オ フと の間 に調 印 さ れ た。 而 し て東鉄 は参 加 料 二 十 万金 留 を 支 払 ひ た る外 、 東鉄 への納 入 さ る べき 木 材前 渡 金 と し て 、更 に
木 材 納 入状 況
十 二 万 五 千金 留 を ウ オ ロ ンツ オ フ に交 付 し た。
然 し 本 年夏 季 に於 ては流 筏 が不 可能 だ つた為 、東 鉄 に納 め ら れ た 木 材 は 甚 だ 少量 であ る 。
目 下 支 配 人 は エム ・ウオ ロ ンツ オ フ ( 前 記 ウ オ ロンツ オ フ の弟 )
其 の他 一般 の状 況及 東 鉄 の政策
副 支 配 人 は セ ルゲ ー エフ (以前 西 比 利消 費 組 合員 ) 会 計 は クズ ネ ツ オ フ (元ブ キデ ル スキ ー商 会 に勤 務 し、 後 東 鉄 参 事 ロ ンバ ク附 とな り し者 ) であ る 。
哈調情第七〇七号
九九 速報
哈爾賓事務所長
大正十四年十 一月十 四日 東鉄奉天営業所 の活躍 ( 十 一月十三日松江 日報) △ 満鉄と の経済戦対策 の為 東鉄商業部奉天営業所 に於ては最近哈爾賓 より木材、火油を始 め とし、各種 金物、雑貨等 の輸 入甚 だ多く、又之等を販売 せしむる為 多数 の代理商 人を招聘せり。之等 の貨物は悉く南満倉庫 に貯蔵保管 し、各種 の見本 は営業所内に陳列し て各 方面 の参考 に供 し居れり。
哈爾賓事務所長
東鉄 の斯かる大規模 の措置 は南満方面と の経済戦 に根拠 を占めん、 との意なりと言 ふ。 一〇〇 哈調情第七〇九号 速報
東鉄 の財政改革 ( 十 一月十四日モルワ)
大正十四年十 一月十 四日 東 支鉄道管理局長 は社債券償還命令を発し、同時 に各銀行及金融 団体に対し九月十五日以後東支鉄道社債受入を停止すべき旨通知を した。該社債券 は将来東支鉄道中央会計局 に於 てのみ受 入し、同局 に保存 し追而償 還す る筈 である。 此の命令は旧管理局長時代随時発行せる社債券を整理せんとする
も の に て、東 支 鉄 道 が 如何 に良 好 な る財 政状 態 に在 り 、 且現 在 会計
に て之 を 償還 す る に充 分 な る現 金 あ る こと を保 証 す る も のであ る 。
因 に同 鉄道 の社 債 発 行高 は昨 年十 月 一日 現在 に於 て八十 五 万弗 を
算 し 、漸 次償 還 し つ ゝ本 年 十 一月十 三 日に は十 五 万弗 と なり 、即 ち
此 度 の命 令 は此 の残余 を償 還 せん とす るに在 る。
哈 爾 賓事 務 所 長
一〇 一
秘
大 正 十 四年 十 一月 十 七日
哈 調情 第 七 一六 号
東 鉄 高 級 職員 ソヴ エト露 国化 計 画
ソヴ エト露 国 の国 籍 を 有 す る東 鉄 課長 級 以 上 の幹 部 は最 近 秘密 会
議 を開 き 、支 那 国籍 取 得 露 人幹 部 を免 職す る必 要 あ る件 に就 き協 議
し 、 先 づ彼 等 に ソビ エト露 国 々籍 取 得 を慫 慂 し 、若 し 肯 ぜ ざ る時 は
免 職 す る事 に決 し、 各 課 長其 の部 下 高級 職 員 に対 し各 人 別 々に右 の
支 那 国 籍露 人職 員 は 初 め は自 分 のみ に与 へら れ た る注意 と思 ひ居
旨 を伝 へた。
た る に、 実 は全 部 に関 す る こと を知 り 、之 が 対策 を講 ず べく緊 急 会
に好 意 を有 す る河 船課 副 課 長 王 錫 昌 に相 談 す る処 があ つた 。
合 をな し た る後 支 那 官憲 の之 に対 す る態 度 を 確 か む べく 、帰 化露 人
王 錫 昌 の意 見 では 、 現在 の郭 副管 理局 長 は露 西 亜 側 に対 す る態 度
が優 柔 不断 だ か ら、或 は右 ソ ビ エト露 国 幹 部 の企 図 が実 行 さ れ る か
も知 れ ぬ、 と言 ふ事 で あ つた から 、彼 等 は免 職 命 令 の出 る に先 立 ち
辞 表 を 呈出 す る べく決 し た、 と言 ふ 。
尚 此 の支 那国 籍 露 人 職員 罷 免 に関 し て は、 露 西 亜側 は或 程 度 迄既
哈 爾 賓 事務 所 長
に支 那 側 の諒解 を得 て居 る と も伝 へら る 。
一〇 二
速報
大 正十 四年 十 一月 二十 日
哈 調情 第 七 二八号
東 鉄 と税 費 局と の切株 税 争 議 (十 一月 二十 日 ザ リ ヤ) 東 支 鉄 道 は支那 側 木 石 税費 局 と の契 約 により 、 毎年 東 部 線 林 区 よ り 切 り出 す 薪 に対 し鉄 道 自 用 の分 に対 し ては切 株 税 全免 の特 典 を得 て居 る が、 昨年 六千 ク ーボ の薪 を市 民 へ供 給 のた め市 会 に払 下 げ、 本 年 度 此 の企 てあ る によ つて木 石 税費 局 は之 を 契 約外 の伐 材 と し、 当 然 一般 木 材業 者 と同 様 の課 税 を なし再 三支 払 を 要求 し た る に、東
二 四︱ 二 五年度 の伐 材 六 千 ク ー ボ の薪 に対す る切 株税 を 一週 間 の期
支 鉄 道 は其 の都 度 曖 昧 な る態 度 を持 し 支払 はざ るを 以 て遂 に ﹁一九
間 内 に支 払 ふべ し﹂ と の最後 の要 求 を な し、 若 し 此 の期 間 内 に支払
哈 爾賓 事 務 所 長
一〇 三
はざ れば 相 当 の処 置 を 執 る べし 、 と息巻 き居 れり 。
哈 調 情 第 七 四 三号
東 鉄 商業 代 弁 処 の新 設 (十 一月 二十 四日東 三省 商 報 )
大 正 十 四年 十 一月 二 十 五 日
東 鉄 は商 業 発展 策 と し て今 回新 た に海 拉 爾 、 安達 、 宋 站 の三箇 所
右 各 代弁 処 は倉 庫 、 金融 業 を 除 き安 達 、宋 站 の両 処 は大 豆 の混保
に商 務 代弁 分処 を設 け 、 已 に開 業 せ り。
及 貨 物 の保 管 を掌 る、 と言 ふ。
一
一四
哈 調 情 第 六 一七 号 大 正 十 三年 十 二月 二十 八日
二
秘 大 正 十 四年 一月 七 日
哈 調 情第 六 二〇 号
哈 爾 賓 事 務所 長
る重 要 人物 の移 動 と な り た るも のなり 、 と い ふ。
フ ス ク極 東 局 に移 り 、活 動 期 に入 る 一歩 と し て の表 現 が当 地 に於 け
コー中央 委 員 会 の諮 問 に付 され 、其 の計画 が決 定 せ ら れ更 に ハバ ロ
イ ワ ノ フ排 斥 運 動 並 同 局 長 の 動 静
哈爾賓事務所長
イ ワノ フ局 長 の本 国 召 還 内命 に関 す る件 ( 十二 ︹ 信三︺ 月 二十 六 日附 内務 事 務官 代 理下 井 内 務 属 報) 東 支 鉄 道長 宮 イ ワ ノ フの就 任 以来 彼 は悪 評 を 生 み、 未 だ発 表 せ ら
ン コ等 あ る も、 既 に次席 エイ ス モ ント に確 定 し 居 れ りと 。 エイ ス モ
に関 し巷 間伝 ふ る処 には 、技 師 ワ シリ エフ、 同 カ ステ ル、同 カ チ エ
ず 、 直 ち に督 弁 公 所 に之 を報 告 し 其 の指 揮 を受 け つ つあり 。其 の内
告 す る処 あ り、 監 嘉 会 は事 件 重 大 な るた め 独力 で其 の解 決 を な し得
東 支管 理 局監 査 部 一月 四 日イ ワ ノフ の不 正行 為 に就 て監 事 会 に報
イ ワノ フの不 正 行 為
ントは 猶 太人 にし て露 人間 にて も有 名 な る排 日 者 にし て手腕 家 な り
と大 津 の換 算 に就 ては市 価 に依 らず 、 又 運輸 収 入 の如 き は規 定 に依
容 は東 支 の金 銭 出 納 は イ ワノ フ意 のま ま に之 を取 扱 ひ 、例 へば 金票
れざ るも 本国 召還 の命 を受 け 居 れ る は確 実 な る事実 なり 。其 の後 任
と認 め ら れ居 る人 物 な り。 イ ワ ノ フ更 迭 の理 由 は単 な る彼 が好 酒 家
らず 割 引 を行 ひ、 或 は 公金 を私 に貸 与 す る 等 、之 な り。
にし て、再 三 の失 敗等 些 々た る 理由 を以 て更 迭 す るも の にあ らず 。 要 す る に赤 化 方 策 の切烈 な る力 の有 無 が問 題 な り。 北 京 を中 心 と す る カ ラ ハン の極 東 赤 化 計 画 が秘 密 連 絡 の下 に モ ス
哈 調 情 第 六 三 一号
三
哈 爾 賓 事 務所 長
支 那 側各 公 会 のイ 局長 排 斥 運 動 、 イ罷 免
大 正 十 四年 一月 八 日
方 を 交 通部 、 張 作霖 、 カ ラ ハン等 に電 請
哈 調情 第 六 四七 号
四
哈 爾賓 事 務 所 長
イ局 長 が局 内 支那 職 員 に語 れ る東 鉄 経営 方 針
大 正 十 四年 一月 十 五 日
イ ワノ フ局 長 は 過 日局 内 の支 那 職員 に対 し鉄 道 経営 方 針 に就 き 左 の通 り語 る。
奉 露 協定 成 立 後 東 鉄管 理局 の施 設 方針 は先 づ速 に旧 債 を支 払 つ て
曩 に報 告 し て置 き ま し た 当 地 八 区中 心貨 車 廻 入 料 、 商 務捐 及 南 線 調 節 問 題 に対 し 、華 商 側 は そ の反 対奏 効 せざ る に鑑 み更 に今 回総 商
る銀 行 及 会社 等 より 施 設 上牽 制 を 免 れ な い から で あ る。 且 旧債 を全
債 権 者 よ り受 く る束 縛 を免 る る こと にあ る、蓋 し東 鉄 は債 権 を有 す
部 償 還 す る場 合 其 の利 子 が 今 よ り軽 減 せ ら るる で あら う 。即 ち 目 下
や イ ワ ノ フ排 斥 を行 は んと し 、各 公会 連 名 し て北 京 交 通 部 、張 総 司 令 、 カ ラ ハン大使 宛 に長 文 の陳 情 通電 を発 す る こと と な つた 。就 中
一割 八歩 であ つた が今 は 一割 乃 至 一割 二歩 にす ぎ な い。 又曩 には鉄
に就 て論 ず る も東 鉄 借款 の利 子 は従 前 よ り も已 に軽 く 、 従 前 は年 利
会 及 油 房 公 会 、 火磨 公 会 、 糧業 公会 、 雑 貨 公会 等 は益 激 昂 し来 り今
へ、 尚 か か る行 動 には出 で な か つた のに イ局 長 は公 然 敢 へて之 を行
交 通 部 及張 作 霖 宛 の電 文 中 に は ﹁暴逆 オ スト ロウ モ フ の如 き者 で さ
とし て中 国銀 行 及 ダ リ ーバ ン ク に依 ら ん とし て居 る。而 し て将 来 各
恐 れ が あ る から 、 目 下東 鉄 の当 局 は金 銭 の出納 事 項 に関 し ては 、主
行 は現 在 既 に資本 な く即 ち 巴 里 の本 店 も 亦資 本 を有 せず 将 来 倒閉 の
車 を東 鉄 の資 金 に て修 繕 す る が如 き は露 支共 有 の財 産 を犠 牲 にし て
銀 行 に於 け る当 座 預 金 の利 子も 漸 次 之 を高 め ん とし 、 従来 此 の種 の
道 の銀 行 と の往来 の事 は多 く露 亜 銀 行 に依 つた の であ る が、露 亜 銀
烏 鉄 の利 益 を 謀 り 、露 支 の親 善 関 係 を 破 壊 す るも の で、是 れ皆 イ ワ
い、 其 の罪 オ氏 以 上 であ る。 哈 市 の人 民 は誓 つ てイ ワノ フと 共 に天
ノ フ局長 の行 為 であ る か ら速 に彼 を罷 免 し て貰 ひ た い﹂等 の語 があ
た 。 又按 ず る に東 鉄 は露 支 両国 を連 接 す る鉄 道 であ る から 一切 の運
利 子 は多 く と も 四分 に達 せ な か つた ので あ るが 今 は已 に六分 に上 つ
を戴 かず ﹂ と の文 句 あ り 、 又 カ ラ ハン宛 の電 文 中 には ﹁烏 鉄 の破損
る 。 そ の理非 は遽 に断 定 し難 く 、 又 此 の排 斥運 動 が如 何 に変 化 す る
輸 事 業 を行 ふ の外 、北 満 農 業 の発 達 に対 し ても 亦 之 を援 助 す べ き で
か は予 測 し難 きも 、紛 争 は漸 次 拡 張 さ れ重 大 化 し行 く も の の如 く思 は る。 ( 浜 岡福 松 )
一、 支線 の増 築 事 業 を援 助 し て偏 僻 の農 民 の利 を謀 る こと。
あ る 。現 に之 に対 し行 な はん と す る は次 の三項 であ る 。
輸 不便 の為 、農 民 の受く る影 響 は甚 大 であ つ て、終 年 労 苦 し て得
北満 は穀 物 の産出 が豊 富 であ る が唯幹 線 を離 る る遠 き 地方 は運
家 の如 く し 、 和 衷協 同 し て阻隔 があ つて は いけ な い。 支 那職 員 増
道 の直 営 と し運 輸 上 の発展 を謀 ら ん と欲 し て居 る。 将 来鉄 道 の職
の壟 断 を免 れ難 い虞 れ があ る から であ る故 に、現 在 当 局 は之 を 鉄
加 の問 題 は若 し 適当 の候 補 者 が あ れば 随時 任 命 す る、 且商 業 部 及
員 採 用 問 題 は努 め て従 来 の露 支 差 別 的積 弊 を 除 き、 鉄 道同 人 は 一
各営 業 所 は多 く 支 那商 と往 来 があ る から 、其 の職員 は支 那 人 が適
た る処 の穀 物 を皆 安 価 で売 らね ば な ら ぬ から 農 民 の損 失 は 鮮 少 で
節 約 され る か ら農 民 の穀 物 を売 つ て得 る処 の金 銭 は 必ず 現 在 よ り
任 であ る。 尚 今 後 は余 暇 を利 用 し時 々会 合 し て意志 の疏 通 を 計 り
な い。 若 し 果 し て支 線 を増 築 す れ ば 運輸 が便 利 と な り、 運 送費 が
も多 くな る。 但 し支 線 の敷 設 に は地 方 官憲 の許 可 を要 す る の であ
た いも ので あ る。 (浜 岡 )
五
る か ら将 来 若 し 地方 人 士 が 支線 を敷 設 す る場合 、東 鉄 は唯 技 術 上
哈 調情 第 七〇 七 号
及 材 料上 の援 助 を 与 へ得 る のみ で あ る。 二、倉 庫業 務 を拡 張 し 並資 金 の融 通 を謀 る こと 。 北 満 に於 て は特 産 商 が第 一位 を占 む る の であ る が、 但 し農 民 と
の輸 出 商 が 之 を操 縦 し て居 る から であ る 。併 し て支那 商 が其 の拘
支 那 商 の得 る処 の利 益 は多 く な い。其 の理由 を究 め れば 実 に各 国
哈 爾 賓事 務 所長
時 は 、支 那商 及 農 民 は穀 物 を 鉄道 の倉 庫 に貯 存 し、 之 を抵 当 に金
を 操 縦す る 。若 し 鉄道 が倉 庫業 を設 く れば 将 来 相場 の引 合 は な い
る 訳 に行 か な い。而 し て各 外 国輸 出 商 は即 ち 長袖 よく 舞 ひ そ の間
り 、 と言 ふ。 中央 に て も彼 の父 は レ ー ニ ンの大恩 人 な る関係 に より
り 、奉 露協 定 の片 付 く 迄 は 必要 人 物 と し て当 分 は更 迭 せざ る見 込 な
な らず 浦 塩 、北 京 等 に行 き活 動 し 居 り 、 カ ラ ハンの信 用 を挽 回し来
は、 自 案 の八 区問 題 或 は支 那 商 務 総会 に対 す る態 度 が良 好 な る のみ
イ ワ ノ フは 一時 非常 に不評 判 にし て更 迭 説盛 んな り し が最 近 にて
イ ワ ノ フ管 理 局長 の近 情 (二 月九 日 下井 内 務事 務 官 代 理報 )
大 正 十 四年 二月 十 二 日
銭 の融 通 を謀 り、 相場 のよく な つた時 を待 つ て売 る ことが 出来 る。
優 遇 し居 り 、 其 の為 に態 々中 央 よ り補 佐役 とし て副 理事 ポ ツ ジ エー
上場 の時 直 ち に売 離 さ る るを得 ず 、 相 場 のよ く な る のを待 つて売
束 よ り脱 出 し得 な い所 以 は資 本 の欠 乏 せ る為 で あ る故 に、新 穀 の
斯 く の如 く す れば 輸 出商 操 縦 の害 を脱 離 す る こと を得 、且 先 物 契
伝 へら る。
エフを 人選 し て派遣 し来 り たる も のな れ ば更 迭 せ し む る意 な し、 と
約 の弊 を 漸 次解 除 す る こと が出 来 る 。
グ レ ン ・エレベ ー タ ー事 業 は穀 物 輸 出問 題 と至 大 の関係 があ る
三 、鉄 道 に於 てグ レ ン ・エレベ ー タ ーを直 営 す る こと 。
から決 し て商 人 に請負 はし め難 い。 蓋 し 商 人 が 一方 にグ レ ン ・エ レベ ータ ー事 業 を 請負 ひ、 一方 に自 ら 輸 出 業 に従事 す る時 は 、其
六
秘
哈 爾賓 事 務 所 長
大 正 十 四年 四月 十 四日
哈 調情 第 三 六 号
イ ワ ノ フ及 コー ス チ ン出 莫 を命 ぜ ら る 東 鉄 副 理 事 長 ポヅ デ ー エフ及監 事 デ ヤト コー ウ イ チ帰莫 の件 は 既 報 の通 りな るが 、之 と同 時 に監事 コー ス チ ン及 局 長 イ ワ ノ フも 同 じ く出 莫 命 令 に接 せ り、 と 伝 へら れ る。而 し てイ局 長 は 目 下多 忙 な る た め、 一先 づ秘 書 ボ リ シ ヨ フを代 理 と し て赴 莫 東 鉄 の状 況 を報 告 せ しむ べく 、其 の後 の模 様 に依 り或 は 五 月初 旬 自 ら 出 赴 す る やも知 れ ずと。 右 の情 報 を根 拠 と し て判 断 す る に、是 等 突 然 の召 還 は或 はポヅ デ ー エフと イ ワ ノ フ 一派 と の軋 轢 (四 月 七 日附 哈 調情 第 八 号 参 照) が
七
其 の因 を な せ る に非 ず や と観 察 せ ら る。
哈調 情 第 三 九 号 哈 爾賓 事 務 所 長
イ ワ ノ フ其 の他 の露 国側 幹 部 が 東 支鉄 道 の実権 を独 占 し て 、之 を
支 那 側 に割譲 せざ るは 支那 の主 権 を侮 辱 す るも のにし て、彼 を永 く
現 職 に置 く は露 支 親 善 に有 害 なり 。 又彼 は東 支鉄 道 の財 政状 態 が彼
の努 力 に依 り て改 善 せ ら れ た り、 と自 称 す る も当 ら ず 。全 く彼 の努
力 の結 果 に非 ず し て、前 長 官 時 代 の素 乱 状 態 が改 善 せら れ た る自 然
の結 果 に基 づく も のな り、 と の見 解 を事 実 の見聞 に依 り て深 め、東
哈 爾賓 事 務 所長
支 鉄 道 に関 す る支 那諸 団 体 の希望 を大 体 に於 て採 用 せ り と。
八
秘 大 正 十 四年 四 月十 五 日
哈 調情 第 四 二号
︹マ マ︺
理事 会 に於 け る呂 栄寰 のイ ワ ノ フ の攻 撃 に関 す る詳 報
既電 の如 く (四月 十 五 日 哈 調情 第 四 二号 ) 東 鉄本 社 は理事 の移 動 、
つた が、 一昨 十 三 日も 定 数 不 足 な がら 緊急 非 公 式 に理事 協 議 会 を開
出張 、欠 員 等 あ り、 法 定 数 に達 せず 久 し く理 事 会 は開 く に至 ら な か
一、 東 鉄 、満 鉄 連 絡 会議 に関 す る件
催 し 、左 記 の事 項 を協 議 す 。
二、 イ ワノ フ局 長 の越 権 行 為 に関 す る件
聯 絡 会 議 の件 は既 に会議 開 催 の期 日 も目 捷 に迫 れ る を以 て 、管 理
支 那 側 のイ局 長 排斥 に関す る会 議 の
大 正 十 四年 四 月十 四 日
る に決 し た 。
局 は至 急 当問 題 に関 す る 一件 書 類 を 本 社 に廻 附 す べき こと を命 令 す
フに対 し 大様 左 の如 き 弾劾 的 質 問 を試 みた 。 即 ち近 来 イ ワノ フ局 長
イ ワ ノ フ の件 に就 ては臨 時 督 弁 代 理 呂栄 寰 が副 理事 長 ポヅ デ ー エ
内 容 (四 月十 三 日高橋 中佐 報 ) 護 路 軍 総 司令 部 に於 で探 聞 す る処 に拠 れ ば 目下 滞 哈 中 の張 作 相 は 総 司令 部 に於 て時 事 問 題 に関 す る件 左 の如 し 。
て、 本 社 を無 視 し た も のであ る。支 那 側 理事 は決 し て ﹁ 白系露人﹂
に関 す る達 示 の如 き は全 然 本 社 の関 知 せざ るイ局 長 の独 断 行為 にし
から 充 分 の考 慮 を促 し た い。 之 を例 証 す れ ば 、無 国 籍 露 人 登記 期 限
す る こと が多 い と思 ふ 。既 に前 局 長 オ スト ロウ ー モ フの前 例 も あ る
の行 為 は 本社 の決議 を遵 奉 せず 、 為 に将 来 甚 だ遺 憾 な る結 果 を招 致
照 ) 等 か ら考 へると有 り得 る事 と 思 は れ る。
る が、 ポ 対 イ の政 策 上 に関 す る軋 轢 (四月 七 日 附 哈 調 情 第 八 号 参
の模 様 を 記述 せし め た と言 ふ。 此 の判 断 は余 り穿 ち 過 ぎ た やう であ
故 なれ ば ポ は激 し い呂 の語 調 を 常 に微 笑 を 以 て聴 き 、 且詳 細 に会議
め ポヅ デ ー エ フが呂 栄寰 と打 合 せ の上 なせ る が如 き疑 ひ が あ る。何
尚 右 会 議 に参 与 せ る者 の言 と し て伝 ふ る処 に依 ると 、本 会 議 は予
は争 ふ べ から ざ る事 実 であ る 。 特 に支 那 国籍 を有 す る露 人 は既 に支 九
哈爾 賓 事 務 所長
の給 料 を 予算 未 承 認 の理由 で支 払 を 拒絶 し な がら ポ グ ラ ニチ ナ ヤ露
職 しな がら 一方 露 国 側 従 業員 を採 用 す る が如 き 、或 は支 那 学 校教 員
後 安達 ︱ 拝 泉 線敷 設 に在 る こと判 明 せし も 、労 農 側 が如 何 に札免
ので あ る。 ウ オ ロ ンツ オ フ林 区 コ ンセ ツ シ ヨ ン契約 の目 的 は 其 の
本編 は最 近 イ ワノ フ長 官 の東 奔 西 走 に付 き 一露 人 に提 供 し た も
( 東 支 と ウオ ロ ンツオ フと の林 区 契約 )
( 赤 系 露 人 の札 免 公 司観 )
東 支 鉄 道 管 理局 長 最 近 の活 動 振 り
大 正 十 四年 四 月 十 七 日
哈 調 情第 四 八号
を 擁 護 す る も の では な い が、 只 彼等 の中 に有要 人 物 が多 いと言 ふ事
に近 く イ局 長 は 支那 の国 籍 のあ る露 人 を 二名 も解 職 し た事 実 があ る。
那 国 民 な る が故 に、之 は当 然 支 那側 の宰 領 に拠 る も の であ る。 然 る
而 し て其 の原因 は支 那 に国箱 を転 ぜし 為 で あ る由 な る が、 此 れは 充 分 調査 の上 果 し て事 実 だ と す れ ば、 イ局長 に対 し厳 重 な る処 分 を 執 る べ き必 要 が あ る。 更 に露 奉協 定 に拠 れ ば 東鉄 従 業 員 は露支 両 国 民 は 同数 な るを要 す
人 学 校 の費 用 は既 に支出 し て居 るが 如 き、 露 奉 協定 を蹂 躙 す る も の
公 司 を見 て居 る か、 又イ 局長 が新 林 区契 約 を 締 結す る迄 の暗 中飛
る に も拘 らず 、 イ局 長 は 東鉄 の財 政 上 に託 け て、 支 那側 従 業 員 を解
で あ る。 即ち イ局 長 の行 為 は本 社 を侮 蔑 す る越 権行 為 で あり 、露 支
の国箱 のあ る露 国 人 の解 職 は 確 か に不 法 であ る 。此 等 の問 題 に就 て
デ ー エフは就 任 後 日浅 く 管 理 局 の事 務 を充 分 に了解 せざ る も 、支 那
れ、 之 に依 つて東 支 が北 満 の西 北 部 の広 濶 な る森 林 地 を 手 に得 た 事
も 重 大 な事 件 は、 鉄 道 と ウ オ ロン ツオ フと の間 に或 契 約 が締 結 せら
(前 言 ) 一九 二四 年十 月 に於 け る東 支 鉄 道幹 部 改 革 以 来 恐 らく 最
東 支 鉄 道 対 ウ オ ロンツ オ フ契 約 の真 相
躍 の状 態 を 明瞭 に描 出 せ る を 以 て特 に報 告 す る事 と せり 。
は帰莫 の暁 詳 細 に莫 斯 科 政 府 に報 告 す る旨 を告 げ て理事 会 を閉 会 し
であ る。
以 上 の事 は非 常 に激 烈 な 口調 を 以 て述 べら れ た が、 之 に対 し ポズ
親 善 を 害 す る許 す べ か らざ るも の であ ると 。
た。
此 の契 約 を 結 ぶ当 時 の事情 に照 らし 合 せ て見 る と、 此 の取引 は普
ど 、無 制 限 の信 用 を 受 け つ ゝあ る と均 し く、 ウオ ロ ンツ オ フ亦大 な
設 上便 宜 を得 、彼 等 の保 障 な く鉄 道 から 二十 五万留 の金 融 を 得 るな
イ ワ ノ フ の世 とな つ て スキデ ル スキ ーが例 へば穆 稜 炭 坑 の支線 敷
る信 寵 を 得 つ ゝあ る。 乃 ち コワ リ ス キ ーは札 賚 諾爾 か ら追 ひ払 は れ、
通 の商 取 引 の外 更 に著 しく 重 大 な るも のを包 蔵 し て居 る と 考 へざ る
約 言 す れ ば 、東 支 対 ウオ ロンツ オ フ間 に結 ば れ た森 林 の共同 経 営
を得 な い。
の都 市 町 村 で札 賚 諾 爾 炭 の専 売 権 を与 へら れ た。
鉄 道 の炭 坑 は直 営 に移 さ れ た のに、 ウ オ ロ ンツオ フは西 部 線 の総 て
此 の専 売 権 は イ 局 長 が始 め て線 路視 察 を な し た後 間 も なく 十
に関 す る契 約 は専 ら重 要 な る政 治 的 意 義 を有 し、 直 接 日 本 人 に対 抗
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す る目 的 を 有 す る も の であ る 。 東 支 鉄道 管 理 局 長 イ ワノ フが利 権 屋 のウ オ ロンツ オ フと始 め
一月 (昨年 ) に附 与 せ ら れ たも の であ る。 ウ オ ロ ンツ オ フは専 売 権
1 て知 合 にな つた の は、 イ ワノ フが局 長 の職 に就 任 す る前ず うと 久 し
ロウ ー モ フを首 とせ る東 支 管 理 局 や ︱︱ 勿 論 非 公 式 の形 式 で︱ ︱ 現
月 は 決 し て彼 に よ つ て徒 費 せ られ な か つた。 当 時 イ ワノ フは オ スト
ロンツ オ フは 東 支 が同 人 に運 賃 の割 引 をし て居 る に拘 らず 、昨 年 度
行 為 に対 し て鉄 道 局長 に訴 ふ ると ころ が あ つた 。其 の主旨 は 、 ウオ
エ ・ウ エサ ピ ヨルキ ンは満 洲 里 市 会 の名 を以 て、 ウ オ ロ ンツ オ フ の
十 二 月 十 四日 イ 局長 が 二度 目 に満 洲 里 に来 た時 、 満 洲 里 の市 長 ウ
は称 し 難 いも の があ つた 。
の石炭 販 売 の仕 事 を行 な ふ に当 つ ては 、其 の遺 口 は余 り公 明 正大 と
を享 け 、 コワ リ スキ ー及 チ ベ ロの如 き 競争 者 を 押 し除 けた後 自 ら此
イ ワノ フが局 長 に就 任 す る以前 東 支 鉄 道 の現 状 を調 査 す る目
い事 であ つた ら し い。 2
在 及 過 去 の有 力 な る請 負業 者 と交 渉 を 開始 し て居 た 。 イ 局長 が就 任
より高 い値 段 で石炭 を住 民 に売 り つけ つ ゝあ る 、 と言 ふ ので あ つた 。
的 を 以 つ て政 府 から 哈 爾賓 に派 遣 せら れ 、此 の地 に過 し た 二年 の歳
早 々東 支 鉄道 を続 る 最 近 の複 雑 紛 糾 せ る状 態 を斯 程 迄 よ く分 解 会 得
併 し其 の話 し 振 り は自 分 の信 任 に叛 いた請 負 業 者 を相 手 にす る が如
イ局 長 は此 の事 に就 い て ウ オ ロンツ オ フ に談 ず る処 があ つた が、
し 得 た のも 、畢 竟 す る に前 以 つて相 当 の知 合 関 係 が出来 て居 た か ら であ る 。 イ 局長 と ウ オ ロンツ オ フと の相 識 が昨 今 のも ので な い こと は 、
く でな く 、昵 懇 者 に物 を言 ふ如 く であ つた。 併 し問 題 は石炭 にな く
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イ ワ ノ フが長 官 に新 任 し た当 初 彼 が オ スト ロー モ フ時代 の請 負 業 者
興安 の西 方 東支 鉄 道 沿 線 左 右 に三 つの森 林 コ ンセ ツ シ ヨ ンが
コン セツ シ ヨ ンにあ る 。
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此 の コン セツ シ ヨ ンは 鉄 道線 の両 側 にあ り、 可 な り森 林 に富
エフチ エン コ商 会 の コンセ ツ シ ヨ ンが あ る。
あ る。 先 づ興 安 嶺 の西 斜面 に イ レ クテ 駅 から の森林 支 線 を有 す る シ
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の篩 分 け を行 な い、 其 の或 者 を接 近 せ し め、 或 者 を 排斥 す る こと に 意 を 注 いだ事 に よ つ て見 て も疑 いを容 れ ぬ。 斯 く し て コワ リ ス キ ーは失 脚 し 、 夫 れ迄 オ スト ロー モ フに依 つて 殆 退 治 さ れ て ゐた スキデ ル スキ ーや 又 ウ オ ロン ツ オ フが接 近す る よ う にな つた。
らく 南 満 鉄道 は此 の会 社 に於 ては単 に 上 から受 け る指 令 、 訓 示 の遂
ん で居 る が最 近 二年 間 札 免 公 司之 を開 拓 し て居 る。 該 公 司 の持 主 は
つて惜 し ま ぬ程 の勢 ひ であ つた 。東 支 が其 の土 地 を得 、露 国 人 が コ
憲 にと つ て多大 の誘 惑 で、之 が ため 彼等 は敢 え て支 那 全 土 を す ら売
少 なく 、 従 つて露 国 の官 吏 若 しく は 商 人 から 受 く る幾 千 留 は 支 那官
東 支線 の南 方 チオ ル河 畔 に、東 支鉄 道 の有 す る小 さ いが然 し
フが コ ンセ ツ シ ヨ ンを得 た のも亦 同 様 であ る。
ン セツ シ ヨンを得 た のも 斯様 に容 易 く 安 価 で あ つた 。 ウ オ ロンツ オ
支 那 官 憲 及商 業 界 の代 表 者 シ エフチ エン コ及南 満 鉄 道 で あ る。 (恐
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行 者 で ある にす ぎ ぬら し い。)
併 し線 路 か ら離 れ て居 る が為 ウ オ氏 は其 の コン セツ シ ヨンを
当 然 の程 度 に開 発 し得 ず 、 今 日 に至 る ま で殆 ど未 開 拓 のま ま放 置 せ
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西部 コ ンセツ シ ヨンと 称 せら る ゝも ので あ る。 此 の コ ンセ ツ シ ヨ ン
ゐ る。第 一に特 記 す べ き事 は ウ オ氏 の有 す る森 林 は 大 部分 雑 物 のな
ら れ て あ つた 。 此 の コ ンセ ツ シ ヨ ンは殆 ど 際限 のな い林富 を包 ん で
森 林 に富 む コンセ ツ シ ヨ ンが ある 。之 は東 支 鉄道 のチ オ ル若 し く は
は西 部 線 の ホ ルゴ駅 と 関係 を有 し て居 る が、 現 在 には開 拓 経 営 せら
オ ソ ート等 の防 腐 剤 を浸 しま し た も のでも ) よ り耐 久 力 に於 て 二倍
る こと は 茲 に多 言 を要 し な い。 落葉 樹 の枕 木 は朝 鮮 松 の枕 木 (ク レ
い落 葉樹 で あ つ て、 此 の樹 が紅 松 (ケ ード ル) や松 (ソ スナ) に優
れ て居 な い。
正 し く言 ふと 茲 に は 一つ でな く 二 つ の コン セツ シ ヨンが あ る。 此 の
も長 い こと だ けを 見 て も想 ひ半 ば にす ぎ よ う 。最 近 の調査 に依 ると 、
更 に 一番西 方 に ウオ ロ ンツ オ フ兄弟 の コン セ ツ シ ヨ ンがあ る 。
コン セツ シ ヨ ンは 双方 と も鉄 道 に接 近 せず 多 大 の距 離 を 以 て隔 つ て
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居 る 。此 の コン セツ シ ヨ ンが東 支 線 へ出 づ る出 口は 邪克 斯 駅 や其 の
ウ オ氏 の コ ン セツ シ ヨ ンは千 七 百 万挺 の落 葉樹 の枕 木 と 九 百 万本 の
量 は決 し て誇 張 した も ので な い。
電 柱 と 六 百 万立 方 サ ージ エ ンの薪 を 供給 し 得 るらし く 、 此 の予想 数
西方 の ハイ ラ ル駅 であ る 。 ウ オ ロ ンツオ フの コン セツ シ ヨ ンの境界 を正 確 に定 め る のは極 め て困難 で、 ウ オ氏自 ら です ら 十分 正 確 に知 つて居 な い であ らう 。 コ
併 し東 支 鉄 道 、 正確 に言 へば 鉄道 幹 部 のソヴ エート の部分 が
と は余 り に関 係 のな い何 か他 の目 的 にあ る らし い。問 題 の要 点 は 次
興 味 を 感 じ て居 る のは 寧 ろ 此 の豊 富 な る林 富 にあ る の でな く 、経 済
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境 し 、其 の南 境 は東 支 の チオ ル ・コ ンセ ツ シ ヨ ンと 接 境 し て居 る。
ン セツ シ ヨン の北境 は シ エフチ エ ン コの コンセ ツ シ ヨ ン の北 部 と接
少 な く とも ウ オ氏自 身 では こう言 う て居 る が 、鉄 道 の土 地 管理 部 で
に あ る。即 ち線 路 の北 方 にあ る ウ オ氏 の コンセ ツ シ ヨ ンは、其 の東 部
勢 は山 が多 く 、他 の目 を 引 かず に軍 隊 を 通過 せし む る に都 合 がよ い。
に於 て は露 支 国境 に接 近 し て居 る。此 の地 方 に は殆 ど住 民 がな く 、地
に於 て シ エフチ エ ン コの コン セツ シ ヨンと接 触 し つ ゝ、其 の西 北 部
で、当 局之 を得 る に は多 く の金 も労 力 も費 さ な か つた の であ る。 其
ウ オ氏 が 此 の コン セツ シ ヨ ンを手 にし得 た のは多 年前 の こと
の当 時 支 那 の地 方官 憲 は露 国 の行 政 官 庁 か ら多 く 左 右 せ ら れ、 北 満
以上 の言 に依 つて万 事 が 言 ひ つく さ れ て居 る。 即 ち ウ オ氏 の コン
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は 此 の点 に関 し て幾 分 の嫌 疑 を懐 い て居 る相 だ。
地方 は現 在 ほ ど 人 口 が稠密 でなく 、 支 那 官憲 が住 民 から 得 る収 得 は
セ ツ シ ヨ ンは ソヴ エート政 権 にと つて之 に軍 事 設備 を施 し 、之 に よ
の二重 政策 を知 つて居 る も の は こん な事 は別 に異 と せ ぬ。
カ ラ ハン の公 式 上 の ﹁ 親 善 ﹂ 的 声 明 と矛 盾 し て居 る が、 ソヴ エート
イ ワノ フ局 長 は 其 の対 日本 人政 策 上 カ ラ ハン自 身 の訓 令 を 仰
ぎ 、 之 に依 つて行 動 し て居 るも の で、度 々北 京 に赴 く のも カ氏 に会
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つ て必要 の際 何 等 の騒 ぎ な し に軍隊 を集 中 し 得 る根 拠 地 の意 義 を有 す るも の であ る。 然 ら ば之 は何 人 に対 し て の挙 であ る かと 言 ふ に、 日本 人 に対
ふ て指 導 を 享 く る為 であ る 、 と の情報 が あ る が確 か な事 は判 ら ぬが
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若 し カ ラ ハンが 日本 の資 本及 日本 人 を北 満 から駆 逐 す る の使 命 を
兎 に角 あ り さ う な こと であ る。
イ ワノ フ に与 へた こと が真実 とす るな ら ば、 イ 局 長 の政 策 は 一々理
し て であ る。 日本 人 が北 満 に於 て余 り に積 極 的 な 政策 を行 な い、遂
哈 爾 賚 の ソヴ エー ト代表 者 は既 に久 し く 日本 資 本 の北 満 侵 入 扶 植
に は軍 隊 を 以 て北 満 占 領 を行 な ふ が如 き場 合 に備 ふ る為 で あ る。
を調 査 し 、満 洲 に於 け る 日本 人 の行 動 に関 す る 一切 の情 報 に対 し て
以 上 の大 体論 から 具 体的 事 実 に筆 をす す め る 。
解 が出 来 る やう で あ る。1
ソヴ エー ト の代 表 者 イ ワノ フは勿 論 、 其 の他 ボ リ シ エヴ イ キ ー で
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は ソヴ エート領 事 館 (探 偵機 関 )は 其 の密 偵 に多 大 の金 を払 つ て居 る。
な い東 支 管 理 局 の露 国 幹 部 連 は 、 シ エフ チ エ ン コの コ ンセツ シ ヨン
其 の遺 骸 は松 花 江
に関 係 あ つた ヨ コレー キ ツ チ某 が当 時 スパ
13 昨 年 青 年 ウオ ロテ リ ヤ ーク の殺 害事 件 ︱ の氷 上 に発 見 され た︱
に於 け る 日本 人 の事 業 の内 容 を能 く知 つ て居 る。
ろ 支 那 に多 く 関係 が あ る に係 らず 沈 黙 を 守 つて ゐる 。試 に札免 公司
能 く知 つて居 る が 、彼 等 は買収 さ れ て居 る ので仮 令事 は露 国 よ り寧
支 那 の官 憲 も亦 コ ンセ ツ シ ヨ ンに於 て日本 人 が何 を し て居 る かを
スキ ー な る仮 名 の下 に、 一時 日 本 の特 務 機 関 と ソヴ エート側 の探 偵
キツ チ は彼 の 二重 の役 割 と 被 害 者 ウ オ ロテ リ ヤー クと の関 係 が発 覚
機 関 と両 方 の密 偵 を勤 め て ゐた 事 を想 ひ起 す 必要 があ る。 ヨゴ レ ー
し た後 に投 獄 せら れ数 ケ月 を 獄 裡 に過 し た 。出 獄 後 彼 は ソヴ エート
であ る。 即 ち 先 づ第 一に注 意 を引 いた 事 は コンセ ツ シ ヨ ンに対 す る
の仕 事 に就 て ソヴ エー ト代 表 が探 知 し て居 る情 報 と は次 の様 な も の
茲 に此 の事 実 を 想起 し た のは ボ リ シ エヴ イ キ ー が如 何 に 日本 人 の
機 関 に雇 は れ、 相当 の職 にあ り つい て居 る 。
嘗 て東 支 鉄 道 は 比較 的 僅 かな薪 の請 負 (五 千立 方 サ ージ ン) を札
かな 木材 が山 から 搬出 さ れた事 であ る。
投 資額 と其 の結果 と の如 何 にも 不釣 合 な こと で、 投資 に似 合 は ぬ僅
には北 京 で交 渉 が行 な はれ 遂 には 日露 条 約 が成立 し た の に拘 らず 、
な か つた 。
免 公 司 に与 へた が 、公 司 は此 の僅 か な数 量 の薪 すら 完 全 に納 付 し得
ソヴ エート 代 表者 の 日本 に対 す る警 戒 は 毫 も減 退 せぬ 。 日露 の間
行 動 を注 意 し て居 る か を知 ら す 為 で あ る。
地 方 のソヴ エート官 憲 は絶 えず 日本 人 に対 し 、例 へば 南満 鉄 道 、 日
然 る に他 面 から 観察 す ると 、 満 鉄 が此 の会 社 に参 加 し て居 る以 上、
本 の諸 銀 行 、 私 設会 社 等 に対 し て敵 対 的 政 策 を曾 て行 な ひ 、今 尚 行 な ひ、 将 来 も 亦 行 な は んと し て居 る 。地 方 ソヴ エー ト代表 の政 策 は
普 通 他 の森 林 企 業 が苦 し ん で ゐ る資 金 欠乏 と言 ふ弱 点 は札 免 には な
︹ЯШ HoB,E .E .︺
特 に東 支 に於 け る ソヴ エート代 表 者 の神 経 を動 か し た のは 日
政 策 が 、 日本 人 を 駆 つて茲 に至 ら し めた も ので あら う 。 18
本 の新鉄 道 敷 設 であ る。 四月 三 日 エ ・エ ・ヤ シ ユノ フが 日本 の新鉄
い筈 であ る の だ。 茲 に於 てか 、此 の コン セツ シ ヨ ン の内 情 を 探 り始 め、 斯 く莫 大 な投 資 に拘 らず 甚 だ生 産 額 の少 な い理 由 を研 究 し始 め
講 演 者 は 言 ふ 。此 等 の鉄 道 は商 業 上 か ら観 れ ば互 に他 の基 礎
によ つた も の であ る事 は言 を 要 せ ぬ。
にす ぐ る も の があ らう 。 尚 此 の講 演 は ヂ ーキ ー (調 査課 長 ) の示唆
道 に関 し て為 し た講 演 と、 次 の様 な結 論 を想 起 す れ ば蓋 し想 ひ半 ば
其 の結 果 誰 から 知 り 得 た か知 ら ぬが東 支 の幹 部 は 左 の事 項 を 知 り
た。
得 た 。札 免 の支 那 側 の参 与者 は事 業 に関 係 のな い事 、唯 若 干 の支 那 19
ても 、常 に支 那 及 ソヴ エー ト露 国 に対 し て優 越 なる 地位 を占 め 得 る
本 は 此等 鉄 道 の軍事 戦 略 上 の価 値 に依 り 如何 な る政治 的 形 勢 に際 し
を 危 く す る も の であ つて、 満 鉄 に対し ても競 争 線 と な る 。此 等 鉄道
参 与 者 は哈 爾 賓 にす わ り 込 ん で ゐ て何 も せず に多額 の俸 給 を 享 け て
支 那 人及 反 ボ リ シ エヴ イ キ ー の露 国労 働 者 の手 を 籍 り て 日本 人 は
であ ら う 。此 等 鉄 道線 の主 な るも のは長 春︱ 〓 南 府︱ 海 拉 爾 線 、之
居 た事 、 シ エフ チ エ ン コです ら 仕 事 に関 与 さ せ ぬ事 、事 業 の指 導 者
コン セツ シ ヨ ンに軍事 工第 を施 し た 。実 際 言 ふと 、 其 処 に は未 だ 塹
に附 属す る ホ ル コ支線 及 四平 街︱ 〓 南︱ 斉 々哈 爾 線 及将 来 更 に黒 河
線 の計画 に は全 然 明確 に 日本 の大帝 国 主 義 が現 はれ て を る。 将来 日
壕 こそ出 来 上 つ てゐ な いが殆 ど 総 て の予 備 作 業 は竣 成 し て ゐ る。森
は総 て日本 人 な る こと が判 つた 。
林 を伐 採 し た のは 展望 の妨 害 を取 除 く 必要 あ る場 所 、敵 が かく れ て
す る 、 と の結 論 に達 し た の であ る。同 時 に是 等 の鉄道 が亦 経 済 的価
乃 ち ソヴ エート 側 で は研 究 の結 果是 等 の新 鉄 道 は戦 略 的 意 義 を有
へ延 長 す る線 路 であ る 。
る高 地 上 に撰 定 せ ら れ 、砲 兵 の瞰視 点 の如 き設 備 を施 さ れ、 砲兵 陣
ふ危 催 が あ る のみ な らず 、 従 つ て北満 に於 け る ソヴ エー ト露 国 の勢
値 を 有 す る こと は疑 ひ を容 れな い。 で東 支鉄 道 にと つて は貨 物 を喪
シ ヨ ンに於 け る 一般 の秩 序 を監 視 す べ き番 人 小 舎 は広 い展 望 を有 す
陣 地 に接 近す る こと を妨 ぐ必 要 あ る場 所 に限 ら れ てを る。 コン セツ
地 が設 け られ 、否 正確 に言 へば 準備 さ れ てを る。陣 地 の後 方 には 立
試 み に最 近 の出 来 事 を 回顧 す る に、 三 月 二十 三日 にイ 局長 は 諸駅
あ る 。 ソヴ エート 政権 は総 て此 等 の事 を能 く感 知 し た 。
力 を 奪 ふ の危 険 あ り 、直 接 ソヴ エー ト共和 国 に脅 威 を与 ふ る憂 いが
派 な道 路 が敷 か れ 、橋 が架 け ら れ 、労 働 者 の為 には 軍隊 の為 に立 派
此等 の情 報 が果 し て ど れ ほど 真 であ る かは 茲 に判 断 す る限 り で な
な 兵営 と な る やう な 大 き な建 築 物 が建 つて ゐ る。
いが 、只 東 支 鉄道 の ソヴ エー ト側幹 部 が斯 様 な報 知 を誰 から か探 知
際 は 私 の確 かめ得 た処 に依 ると 次 の様 であ る。 此 の旅 行 の際 イ 局長
の木 材 積 込 み状態 視 察 の目 的 を 口実 に急遽 西 部 線 に赴 いた。 其 の実
今 日迄 北 満 に於 け る 日本 人 の活動 が現 今 の様 に秘 密 に行 な は れた
は免 渡 河 駅 に至 る迄 一度 も車 か ら出 な か つた。 停車 に際 し て車 から
し 得 た の は事 実 であ る。
事 は な い。 是 は 恐 らく ソヴ エート露 国 の地 方代 表 機 関 の対 日敵 対 的
ロンツ オ フと 二人 き り旅 行 中 密閉 し た ク ツ ペ の中 に閉 ぢ籠 つて両 人
ワノ フ には何 か極 く 急 く 理由 があ つた から ら し い。
時 日を 指 定 せ ら れ急 速 に之 を完 成 せ ね ばな ら な か つた。其 の訳 はイ
調 査委 員 会 は 現 場 の調 査 を了 へて帰 ると直 ぐ 其 の委 員 会 次 長
彼是 と 小言 や教 示 を 与 へた のは課 長 連 で あ つて 、 イ局 長自 身 は ウ オ
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の量 に関 す る数 字 は こ の報 告 から採 つたも の であ る。
がイ ワ ノ フに呼 び出 さ れ踏 査 の結果 を報 告 し た 。前 に記 し た柱 及薪
さ し 向 つて鳩 首 談 合 し て時 を す ご し た。 又 イ 局長 は食 堂 に出 る時 も ウオ ロンツ オ フと 一緒 で両 人 昼食 及夕 食 を共 にし た。 彼 等果 し て何
イ ワ ノ フ は自 ら委 員 会 の各員 に厳 令 を発 し て旅 行 に関 す る 一
を 談 つた か は素 よ り知 る由 も な いが想 像 は出来 る 。兎 に角 談 は シ エ 25
に対 し てす ら も絶 対極 密 に附 す る よう に処置 した 。
切 の事 を総 て の者 に対 し、 副 局 長 エイ ス モ ンド技 師 及 其 の他 課 長連
フ チ エン コ及 ウ オ ロンツ オ フ の コンセ ツ シ ヨ ンに関 す る事 で あ らう 。 免渡 河 に着 く とイ ワ ノ フは随 行者 に と つて意 外 に も車 輌 解放 の命 令
調 査 委 員会 は 四月 九 日 の朝 に帰 哈 し た が、 イ ワノ フは 直 ち に
命 令 を発 し 商 業部 次 長 及 法律 顧 問 補 を し て前 記 委員 会 々員 と 共 に即
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を 発 し 、最 初 の東 行列 車 と 共 に直 ち に哈 爾 賓 へ帰 行 し た 。其 の間 ウ オ ロンツ オ フは満 洲 里 に赴 いた 。 途 中 三月 二 十 三 日 にイ 局長 は イ レ クテ支 線 の閉鎖 命 令 を 発 し 、
時 に会 議 を開 いて 、 ウ オ ロンツ オ フ林 区共 同 経 営 に関 す る 東 支鉄 道
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其 の後 支線 の軌 条 取除 き の命 令 を発 した 。 此 の命 令 の根 拠 は公 式 上
繰 返 し て之 に従事 し た 五 、 六名 の人 を除 い ては 何人 と雖 も契 約 案 の
十 日 に は既 に こ の案 が出 来 上 つて いな け れば な ら な か つた 。尚 更 に
該案 作 成 の期 限 とし ては 四月 九 日 及 十 日 の 二日間 が与 へら れ た。
対 ウ オ ロン ツオ フ契 約 案 の作 成 に着 手 せ し めた 。
ん と欲 し た の であ る 。即 ち 興安 嶺 に於 け る 日本 人 の将来 の事 業 を 困
之 は表 面 の理由 で実 際 はイ ワノ フは之 に依 つて 二 つ の目 的 を 達 せ
は札 免 と の契 約期 限 が終 了 し た、 と言 ふ に在 る。
難 にし 、 又鉄 道 の敷 設 を 困難 な らし む る こと で あ る。之 は シ エフ チ
作 成 に就 て知 り得 ぬ やう 厳命 が あ つた 。
其 処 へ用 紙 、書 籍 、 参 考 書類 、 地 図 、筆 墨 が搬 ば れ 、戸 口 に は 二人
該 案 作 成者 のため には 鉄道 管 理 局建 物 内 に特 に 一室 が与 へられ 、
エン コの山 から敷 設 地 へ枕 木 及電 柱 を輸出 し て ゐ るか ら で ある 。 支 線 の閉 鎖 が政 治 的歩 武 た るや 言 を要 せ ぬ。 三月 二十 四 日 イ ワ ノ フは西 部 線 旅 行 から 帰 来 し 、其 の二 十 九
の番 人 を立 て 一歩 も 戸 の側 を離 れ ぬや う、 又絶 対 に何 人 を も (ヨシ
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副 局長 自 ら 入 ら んと し ても) こ の部屋 に入 れ ぬやう に彼等 に厳 命 を
に昼夜 兼 行 で契 約 の作 成 に精 力 を傾 注 し た。
里 に亘 り馬 上 困難 な る旅 行 を続 け て、 帰 つた後 一息 も休 まず に直 ち
斯 様 な最 も秘 密 な る状 況 の裡 に於 て 、数 名 の者 は林 区 内 を数 百露
下 し た。
日 に は 又突 然 カラ ハンに報 告 の為 に赴 燕 し た。 報 告 の内 容 、 又 其 の
四月 三 日北京 より 帰 る と イ局 長 は自 ら数 名 の委員 から 成 る委
主 眼 と す る所 は前後 の事 情 か ら 明白 に推 察 し得 る。 23
た 。 そ し て此 の委 員 会 に ウオ ロ ンツ オ フ の林 区 を 調 査し 、 其 の実質
員会 を組 織 し た 。其 の内 には経 験 あ る農 学 、林 学 の専門 家 が参 与 し
及価 値 を判 定 す る ことを委 任 し た。 而 も 調 査 の期 限 と し て は極 く短
四月 十 日 イ局 長 は 度 々電 話 を其 の部屋 に掛 け 、契 約案 作 成 の進 捗
契約 案 は四 月 十 日 の午 後 五 時 に出 来 上 つ て直 接 局 長 に手交 せ
程 度 をた づ ね、 又 す ぐ出 来 る かど う か を催 促 し た 。 27
茲 に於 て自 ら 不 審 に思 は る ゝ のは何 が故 に斯 く ほど 迄 に急 ぎ、
ら れ た が、彼 は之 を 携 へて直 ち に鉄 道庁 か ら外 出 し た。 28 又異 常 な秘密 を保 つた の であ らう か の点 で あ る。
であ る 、 と言 ふ のは東 支 が ウ オ ロ ンツオ フの林 区 を 我 が物 にす る こ
此 の想 像 の確 実 な る事 は 、次 の事 実 即 ち イ ワノ フは カ ラ ハ ン
と は 、 イ局 長 の其 の前 の北 京 行 の際 既 に決 定 せら れ て ゐた か ら で あ
30
る。
の回 答 を待 た ず 既 に 四月 十 一日 ( 土 曜 日) に緊 急 手続 によ り 、契 約
案 審 議問 題 を東 支管 理 局評 議 会 例会 議 事 々項 たら し め ん事 を 命令 し
によ つ て、始 め て該 契 約 案 が作 製 さ れた事 を知 り 得 た 次第 であ る。
た 。 此 の日課 長 連 は 此等 の情 報 を既 に其 の前 日 に探 知 し得 た ザ リ ヤ
の問 題 が審 議 に上 る と 、 一同 は茲 に始 め て同紙 記 者 の探報 力 に吃驚
課 長 連 は ザ リ ヤ の記 事 を信 じ て居 な か つた が、 評議 会 で い よ いよ 此
惟 ふ にか く秘 密 を守 つた事 は ウ オ ロンツ オ フと の取引 が疑 いな く
爾 賓 か ら北 京 に向 け、 極 東 革命 委 員 会 議 長 ガ マ ル ニツク 、同 人 秘 書
政 治的 意 義 を 有 す る事 を 示 し 、 又 かく 急 いだ訳 は此 の十 日 の晩 に哈
及 西 比利 軍 管 区革 命 軍 事 委 員会 々員 クビ ヤツ ク、 共 産 党 地方 委 員 会 議 長 フキ ヨード ロフ、領 事 グ ラ ンド 、別 に有数 の共 産 党 員 一名 が出
31
勿 論評 議 会 出席 者 に対 し ては コン セ ツ シ ヨン に伴 ふ軍 事 、 政
せざ るを 得 な か つた の であ る。
治 的 考 慮 に就 て は少 し も打 明く る処 が な か つた、 単 に調 査委 員 会 が
齎 し た林 富 に関 す る資 料 を報 告 す る と共 に、 対 ウ オ ロンツ オ フ契 約
北京 で はカ ラ ハ ンの所 で北 満 に於 け る 日本 の攻 勢 的 傾向 に対
案 ︱︱ こ の案 では商 業 的 見 地 から 見 て、 該 コン セツ シ ヨンが東 支 に
29
発 す る予定 であ つた か ら で ある 。
が催 さる ゝこと は 今 や既 に かく れ な い事 実 と な つた。 外 交 上 の対 策
す る対抗 策 の討 議 研究 に殆 ど全 時 間 を捧 ぐ べき極 め て重 要 な る会 議
有 利 な も の であ る車 が判 る のみ であ る ︱ ︱
近い
を 審議 に附 せん事 を提 議
も亦 軍事 的 性 質 の対策 も共 に考究 さ る ゝ予 定 であ る。 軍 事 問題 に関
し た迄 であ る 。 な る ほど未 だ是 から 先東 支 理 事会 の認 可 が必要 で あ
る 。併 し こ の契 約 問 題 が本 社 理事 会 の討 議 に上 る のはま だ〓
内 で なく 、 又 々理事 会 々議 が 此 の次 に開 か る ゝ のは どう せ近 い内 の
イ ワノ フ自 身 は赴 燕 す る こと が 出 来 な か つた 。夫 で カ ラ ハン の審
す る報 告 に は クビ ヤツ ク が当 る こと と な つ てを る 。
査 を受 く る為 、 前 記 のウ オ ロ ンツ オ フ合 弁 の林 区経 営 案 を も ク ビ ヤ
事 で は な から う 。其 の間 にウ オ ロ ンツオ フの契約 は イ局 長 の命 に よ
実 現 せ ら る ゝ事 と なら う 。実 際 イ ワノ フは従 来 も支 那
ツ ク に托 し て北 京 に送 つた。
つて ど し〓
側 理事 の反 対 を招 き さう な案 は総 て理 事会 に諮 らず 、自 分 だけ の命
共 産 党 一行 の出 発 は半 日遅 延 し て 一行 は 四月 十 一日 の昼 出 発 し た。 恐 らく 此 の半 日 は 一行 によ り イ ワ ノ フと の会 見 に費 さ れ、 イ ワ ノ フ
令 で実施 し て居 る 。斯 様 な実 例 は少 なく な い。
(結 語) ソヴ エート共 和 国 はウ オ ロンツ オ フと の森林 共 同 経 営 に
は彼 等 に コンセ ツ シ ヨ ン に関 す る委 曲 を伝 へた事 と想 像 され る 。 契 約 案 は 唯 々其 の内 容 を報 告 す るた め に カ ラ ハンに送 られ た も の
よ つ て何 を〓 ち得 るで あ らう か。勿 論 森 林 の開拓 を や らう 。良 い枕
実 に相 違 し 徒 ら に無 責 任 な る言 を 吐く も ので あ る。無 国 籍 者 の解 職
す る も の であ る 。更 に支 那 に国籍 を有 す る露 人 解 傭 の問 題 にし ても、
る所 論 は露 支 親善 の破 壊 者 た る白 系 露 人 を擁 護 し 、露 奉 協 定 を 破壊
度 日本 人 が興安 嶺 の山 に対し て行 な つた やう に、 こ のウ オ氏 の コン
鉄 道 に有 害 な る行 為 を行 ふ従事 員 を解 職 せ る のは 当然 の処 置 であ ら ︹ Бо рз ов,Н.Н. ︺ う 。呂 氏 は特 に露 支提 携 に最 も有 害 な る帝 国主 義 者 ボ ルゾ フ教授 の
命 令 は奉 露 協 定 に基 づ き布 告 さ れ た るも ので、 寧 ろ呂 氏 の之 に関 す
セツ シ ヨン に軍 事 設備 を施 し 、 之 を根 拠 地 に変 へる事 に努 め よ う 。
木 を伐 り 出 す目 的 で仕 事 をし よ う 。併 し 之 は 表 面 の体 裁 であ る 。 又
日本 と ソヴ エー ト露 国 と の衝 突 が将 来 あ る か、 な いかを 判 断 す る
の功 績 に対 し ては 一言 半 句 も 言 及 し て ゐな い。 要 之呂 氏 は露 支 の提
解 職 の不 当 を 声 を大 にし て叫 ば れ て ゐ るが 、今 日迄 のイ局 長 の多 大
木 材 運 搬 用 の支 線 を敷 設 し よう 。 が之 と同 時 に ソヴ エー ト政 権 は恰
のが重 要 な のぢ や な い。衝 突 の可 能性 が あ る事 が重要 な の で、 従 つ
の であ る。 其 の他 張 煥相 にし ても 同 じく 不 法行 為 を敢 て し東 鉄 に多
携 に忠 な らざ る而 已 か 、濫 り に事 を構 へてイ局 長 を攻 撃 し て居 る も
て ソヴ エート露 国 は之 に備 へねば な ら ぬ 。而 し て実際 ソヴ エート は こ の準 備 を始 め た の であ る。
大 の損 害 を蒙 ら し た 。即 ち 支 那 側 は露 奉 協 定 を打 ち壊 す も の であ る。
臨 終 一言 を附 す る。 イ ワノ フ自 身 は革 命 の初 年 は鉄 道 方 面 でな く 、
一 一
余が非公式会議 の際イワノフ局長 の越権行為 に対し露国側 の注意
グラ ンド の抗議 に関する呂栄寰 の談
大正十 四年四月 二十四日 哈爾賓事務所長
哈調情第 五八号
き 之 が対 策 を協 議 せ し故 に、 今後 何等 か の処置 に出 る や も知 れず 。
右 抗 議 が公 表 さ る ゝや支 那 側 理事 は非 常 に激 昂 し 、秘 密 会 議 を 開
る云 々。
の攻 撃 と脅 嚇 を 為 せ し こと は、労 農 政 府 の到底 許 容 し得 ざ る所 であ
関 係 を結 ん だ ので あ る。 然 る に其 の親 善 国 の代 表 者 に対 し 暴 慢 無礼
労 農 露 国 は被 圧迫 国 た る支 那 に対 し総 て の特権 を放棄 し て真 の平等 竹内訳)
赤 衛 軍 で働 いて居 た者 で当時 彼 は多 少軍 事 上 の智識 を得 、 又赤 衛 軍
哈 爾 賓事 務 所 長
( 念 、 一四、 四 、 一四
の最 高 指 導 者 の間 に' 知己 を有 つてお る 。
一〇
大 正十 四年 四 月 二十 四 日
哈 調情 第 五七 号
呂 栄 寰 のイ局 長 攻 撃 に対 す る グ ラ ンド副 理事 長 代 理 の抗 議 去 る十 三日 の東 鉄 理 事 会 に於 け る呂 栄寰 のイ ワ ノ フ攻撃 に関 し て は 、 四月 十 五 日附 哈 調 情 第 四 二号 を 以 て詳 報 せし処 な る が、 一昨 日
理事 長 並 各 理事 に提 出 し た 。
東 鉄副 理 事 長 代 理 グ ラ ンド は右 攻 撃 に対 し大 要 左 の如 き抗 議 を東 鉄
呂栄 寰 の イ ワ ノ フ攻 撃 は名実 共 に暴 慢 無礼 を極 め る も ので全 然 事
を喚 起 せる に対し 、 グ ラ ンド は理事 会 に於 て余 の注 意 を論 駁 す る事
東 支鉄 道 理事 長 、 理事 長 代 理並 理 事各 位 に与 ふ
呂 栄寰 のイ局 長 攻 撃 に対 す る グ ラ ンド の抗 議 書 全文
一九 二 四年 四月 二十 日
を な さず 先 づ新 聞 紙 を 以 て此 の ﹁ 内 輪 も め﹂ を 発表 せ る に至 つた。 之 は即 ち露 国 が支 那 に対し て決 し て親 善 的 意 志 を有 し て居 な い事 を
去 る四 月十 三 日 の非 公 式 理事 会 で 、理 事長 臨 時 代 理 呂栄 寰 氏 は東
ヰ ・ペ ・グ ラ ンド
支 鉄 道 管 理局 長 イ ワ ノ フ氏 に対 し 、其 の内容 及形 式 共 に未 だ曾 て聞
東 支 鉄道 副 理事 長 代 理
フ局 長 の越 権 行 為 に対 し内 部 を 円満 に纏 め て行 か ん が為 警 告 し た の
に法 律 上 の根 拠 を 脱 し 、殆 ど 悪 口と 見 る べ き点 が あ る。 余 は イ ワノ
かざ る潜越 非 礼 な言 を な し た。 其 の言 の内 容 は全 然 認 容 し難 く 又何
発 表 し た ので あ る。 殊 に右 新 聞記 事 に表 は れた論 駁 中 の数 項 は余 り
で あ つ て、之 は完 全 な る証 拠 と法 理 上根 拠 を有 す る も の であ る 。然
等 根 拠 のな い幾 多 の批 難 及 恐喝 を含 ん で居 る 。
呂 氏 の言 明 し た所 に よる と 、鉄道 管 理局 長 は 不正 当 で且鉄 道 に有
る にグ ラ ンド 理事 は 理事 会 の討議 事 項 は秘 密 にす べ き筈 のも のな る に も拘 らず 、 先づ 新 聞 に反 駁 書 を 発 表 し た る後 之 を 理事 会 に提 出 し
害 な る幾 多 の行 為 を為 し 、濫 り に奉 露 協 約 に背 き、 理 事会 の権 限 を
し む る の憂 ひ が あ る﹂ と 。尚 同 氏 は自 分 の言 つた事 が能 く 理解 さ れ
侵 犯し て居 る 、而 し て ﹁管 理局 長 の権 限 を 遠 く喩 越 せる 此種 の行 為
ぬ のを 気 付 か つて か、 更 に次 の やう に自 分 の考 へを解 釈的 に拡 充 し
た の で ある 。 此 の行 為 は 理事 とし て の行 為 に非ず 、亦 理 事 会 の規 定
尚 イ ワ ノ フ局長 の権 限問 題 に就 いて は既 に委員 会 を組 織 し 材 料 を
た る秘 密 を 曝露 せし め た も の であ る か ら、 余 は 理事 長 とし て之 に対
蒐 集 し 、 其 の権 限 を 縮 少 せ んと す る も、 露 国 側 の理事 は常 に旅 行 し
て居 る。 ﹁現在 オ スト ロウ モ フ技 師 が裁 判 に附 せ ら れ て居 る原 因 は 、
は将 来 イ ワ ノ フを導 い て前 局長 オ スト ロウ モ フと同 様 な最 後 に致 ら
殆 ど法 定 数 に達 せし こと なく 、 又 残留 せ るグ ラ ンド 理事 と 同問 題 を
と にあ る 。 で あ る から 私 は若 し 管 理局 長 イ ワノ フが今 の様 な精 神 で
同 氏 が 曾 て同 様 に自 分 の義務 に背 き 、 又理事 会 の権 利 を侵 犯 し た こ
し相 当 の処置 を執 る筈 で あ る。
は決 定 せら る ゝに至 ら な い の であ る 。而 し て将来 右 権 限 の討議 確 定
仕 事 を続 け て行 け ば 必然 同 一の最後 に到 着 し は せ ぬ かと 心配 す る の
討 議 せん と す るも 、 同氏 は総 額事 と し て忙 し く今 日 に至 る も同 問 題
に就 ては直 ち に之 を 明 言す る事 は 困難 で あ るが 、支 那 側 は出 来 得 る
長 は オ スト ロウ モ フ の精 神 を 以 て行 動 し つゝあ り と言 ひ、 又之 に対
与 へら れ た告 訴 状 には こう書 い てあ る。 従 つて呂 氏 が現 鉄 道管 理局
性 質 を帯 ぶ る幾 多 の詐 欺 行為 を 遂行 し た か ら で ある 。︱︱ オ技 師 に
得 を 目的 とし 、 従 つ て鉄 道 に多 大 の損 害 を 及 ぼす が 如 き純 刑 事 犯 の
理事 諸 君 の知 る如 く オ技 師 が裁判 に附 せ ら れ た のは 不正 利 得 の獲
で ある﹂ 云 々。
哈 爾 賓 事 務所 長
限 り 之 を縮 少 す る 考 へで あ る云 々。
一二
大 正 十 四年 四 月 二十 五日
哈 調 情第 六 五号
し て監 獄 及 圧迫 の到来 を 以 て脅 嚇 し た と は期 ち イ ワ ノ フも 亦 同 一性
つた が、 之 は管 理 局長 の権 限 に属 す るも ので、 又 実際 同 局 長 によ つ
も の呂氏 並 呂 氏 が 代表 せ る支 那 民族 に属 せる他 の理 事 諸君 に対 し て、
る命令 に対 し て未 曾 有 の反 駁 及 威嚇 を為 せる に至 つ ては 、吾 人 た る
然 る に今 や呂 氏 が法 律 及 奉露 協 約 の主 旨 に基 づ き管 理局 長 の発 せ
て実 現 さ れ た の であ る。
が呂 氏 の如 き貴 任 あ る地 位 に あ る人 の 口か ら出 る に至 つ て は 必 ず
次 の様 な最 も重 い疑 惑 と必 然 的 な疑 問 を起 さざ る を得 な い。
し たも の に外 な ら ぬ。斯 様 な未 曾 有 な指 責 を為 す 以 上 は、 殊 に夫 れ
質 の刑 事 犯 を犯 し 、 同 一の刑 罰 を要 す る も のな り 、 と大 胆 にも 告発
や実 際 の材 料 及確 実 な る事 実 が儼 存 す る場 合 の み に限 ら る べき であ
即 ち 一体 彼 等 は我 々両 政府 の締 結 し た儘 の形 に於 ける 奉 露協
政 治 的 圧迫 を意 味 す る も のと看 做 し て居 る。 呂 氏 は何 故 か予 め 此 の
呂 氏 は 此 の命 令 を 以 て管 理 局 長 の権 限 を越 え 、兼 ね て認 容 し難 き
益 な れ ば其 の赤 、 白 両系 如 何 に拘 らず 総 て彼等 の利 益 を擁 護 す るを
居 る 。 曰 く ﹁支 那 の理事 は荷 く も 従業 員 の為 す処 にし て、鉄 道 に有
右 さ る ゝ ことあ る も のと看 做 し 、 次 のやう な特 筆 す べき言 を為 し て
局 長 の行 為 が往 々所 謂 ﹁白 系 ﹂ に対す る ﹁政治 的 偏 見 ﹂ に依 つ て左
呂 氏 の批難 指 責 は前 述 の事 項 に止 つ て居 な い。 氏 は鉄 道 管 理
種 の命令 が正当 であ る か 、 又奉 露 協 約 に適 つて居 る か如 何 かを 研究
以 て自 己 の義 務 と認 む る も の であ る﹂
二
其 の辺 り疑 ひ無 き を 得 ぬ次 第 であ る。
約 中 にあ る決 議 事項 の実 施 を阻 止 す る を必 要 と看 做 し て居 る の か、
約 に拠 つて働 く意 が あ る か、或 は該 協 約 の改訂 を必 要 と認 め、 該協
一
る。 然 ら ば 同 氏 は右 のや う な批 難 反 駁 の根 拠 とし て如 何 な る証 拠 を挙 げ て居 る か。私 は敢 て茲 に右 批 難 反 駁 を逐 一考 究 し て見 よう 。 一、 理 事 長代 理 を最 も 憤慨 せ しめ た のは第 九 十 四号 管 理 局 長 命令 (則 ち 六 月 一日以 降 ソヴ エー ト共 和 国及 支 那 の国籍 を有 せざ る従業
す る こと を 無益 と思 つ て居 る らし いが 、然 し之 は根 本 的 問 題 であ る 。
員 及 労 働 者 を解 雇 す 、 と の命 令 ) であ る 。
呂 氏 が反 駁 の根 拠 を 奉露 協 約 に措 か ん と す る以 上 は、 此 の根 本 問題
抑 々我 が奉露 協 約 は 完 全 な る断 定 と 明確 と を以 て、支 那 及 ソヴ エ
る ゝ人 々は ソヴ エート 共和 国 の大 勁 敵 で、多 年 祖 国 に対 し て干 戈 を
之 は何 を意 味 す る か能 く解 つて居 ら る ゝであ ら う 。氏 が茲 に云 々さ
惟 ふ に呂 氏 は充 分 教育 あ る人 であ る か ら ﹁所謂 白 系 に属 す﹂ とは
ー ト共 和 国 国 民 に限 り 鉄 道 に勤 務 し 得 、 と の規 定 を 定 め て居 る。 此
ラ ンド は支 那 理事 の北 京 及 奉 天協 約 に対 す態 度 に論 及 し て左 の如 く
執 る こと を 断念 せざ る徒 であ る ことを も 知 ら ぬ筈 は な い。 ( 更 にグ
を 回避 す る権利 を持 た ぬ筈 で あ る。
の問 題 は何 等 の補 充 的 解 釈 を容 さ ぬも の であ る。 呂 氏 が 正 し く言 つ
呂 氏 は ﹁従業 員 の採 否 を国 策 に依 つて定 め、 又 支那 に帰 化 せ
る 露 国従 業 員 を 解雇 す る﹂ 実例 を指 責 し て居 る。 然 る に国 籍 に依 る
三
述 べ て ゐ る)
た やう に本 問題 は政 治 問 題 な ので、 東 支 鉄道 の理 事会 及管 理局 が之 を解 決 せず 、 両 共和 国 政 府 が 決 定的 に解 決 し 認定 し た の であ る。 で 残 る処 は只 技 術 上 如何 に之 を 実 現す る か、 即 ち他 国 民 解雇 の期 限 を 撰 定 し、 又最 も 妥 当 な る解 雇 手続 及 方 法 を 定 む る等 の問題 のみ で あ
直 確 実 に遵 奉 し 、 ソヴ エー ト共 和国 及 支 那 国 民 に限 り採 用 し た る点
従 業員 の採 否 は、奉 露 協 約 の命ず る処 で管 理 局長 が斯 く 同協 約 を真
幟 鮮 明 な る帝 国 主 義 者 を 擁護 す るを 以 て 、よ り 正当 な る行為 と看 做
エー ト共和 国 に対 す る敵 愾 、憎 悪 の精 神 を子 弟 に鼓 吹 せ る 、此 の旗
を行 つた事 で あ り又 行 ひ得 た こと であ る。 と 同時 に左 の事 を 認 め ね
く は鉄道 に有 害 なる 行 為 を行 ひた る場 合 始 め て 一般 規 程 に基 づ き之
約 に背 い て個 人的 に擁 護 す る 必要 あ り と 認む るな ら ば宜 し く同 氏 は
人 々、 又 斯 様 な精 神 に於 て従業 員 の子弟 を教 育 す る人 々を 、奉 露 協
も のと認 め 、鉄 道 に勤 め 乍 ら ソヴ エート政 権 と の戦 ひを 目的 とす る
若 し 呂 氏 に し て斯 様 な 事態 を より多 く認 容 し 得 る も の又適 正 なる
し た。
ばな ら ぬ︱︱ 若 しも 呂 氏 に し て奉露 協 約 の実 現及 同 協 約 の精 神 に基
此 の旨 を直 載 に声 明す べき であ る。 イ ワノ フ氏 に対 す る攻 撃 や奉 露
支 那 に帰化 せ る露 国 人 の解 雇 は勤 務 上何 等 か の過 失 を 行 ひ 、若 し
は特 に賞 賛 に値 す る のみ であ る 。
づけ る路 務 の進 行 に努 む る なら ば 氏 は宜 し く ︱︱ 曾 て露 国 及 支 那 国
協 約 の引 証 な ど を籍 り て自 ら 本 意 を隠 蔽 す る要 はな い。
イ ワ ノ フ氏 は東 支 鉄 道 の財 政 経 済 状態 を改善 し 、基 礎 を強 固
民 の圧 制 者 た り、 今 尚 露 支協 約 を 潜 つて支 那 国旗 の下 に隠 れ 、鉄 道
五
にし 立派 な結 果 を 挙げ て居 り 、 其 の甚 大 な る功 績 は ソヴ エート政 府
に留 ま つて有 害 な る活 動 を為 し つ ゝあ る徒 輩 を無 碍 自 由 に支 那 に帰
之 を嘉 納 し 、張 作霖 総帥 躬 ら 満 足 の意 を 表 し て おる 。然 る に呂氏 は
此 の事 実 を黙 殺 し て 可 な り、 と 思 ふ て をる ら し い。
に注 意 す べ き で あ つた 。 更 に奉 露 協 約 の積極 的 参 加 者 た る呂 氏 は旧 実業 学 校 長 ボ ルゾ
化 せし む る こと の許 す べか らざ る も のた る こと を夙 に地 方 支 那官 憲
四
︹マ マ︺
管 理局 長 は 在 職 日浅 き に克 く 支 那従 事 員 及労 働 者 の状態 に改 善 を
加 へ、 又従 前 の管 理 局 の業 務 全 体 の再 調 を な し て ゐた 不平 等 及 人種
フ氏 の解 職事 件 を、 鉄 道管 理局 長 の罪 の如 く に論 じ て を る。 管 理 局 長 は 二 月 二十 八 日附 第 一 一、 一二 五号 報告 書 に於 て、 ボ ル
針 を と つた。 支 那 労働 者 の住 居 条件 を改 善 し 、彼 等 を汚 穢 な る非衛
ゾ フの犯 罪 的行 為 を阻 遏 す る為 已 む な く ボ氏 を解 職 せ る動 機 を 詳 細
生 的 の支 那 小 屋 か ら特 に彼 等 の為 に建 設 す る 予定 であ る建 物 に移 す
とし て人 種 に関 係 な く 一切 の従 業員 及 労 働 者 の労 銀 を 平等 にす る方
ボ ルゾ フが 如 何 な る精 神 的方 向 に ソヴ エー ト共 和 国将 来 の国 民 を
た め莫 大 の経 費 を 支出 し た。 又 管 理局 長 は 支 那 の学 校 網 を著 し く拡
的 差 別 の精 神 を根 絶 す る こと に多大 の貢 献 を な した 。管 理局 は 断乎
教育 し つゝあ る か は、 最 近 ソヴ エー ト共和 国 々民 の子弟 、 殊 に実 業
に理事 会 に陳 述 し て お る。
に、 ネ チ ア ー ヱフ の白 系 支隊 に徴 集 せし事 実 によ つ ても明 ら か に看
学 校 の学 生 を 、 来 る べ き ソヴ エー ト共 和国 と の武 装 戦 て ふ旗 幟 の下
傍 若 無 人 にし て、 貪婪 飽 無 き搾 取 政策 と全 く趣 き を異 にし 、 二箇 の
前 記 のやう に極 く 重要 な方 策 は帝 国 主 義 諸 国 の支 那 国 民 に対 す る
張 す る 予算 を 、 管 理 局評 議 会 を通 過 せし め た後 理事 会 に提 出 し た 。
か く事 態 明 白 な る に拘 らず 呂 氏 は、 管 理 局長 がボ ルゾ フを臨 時 解
偉 大 な る国 民 の同 胞 的 親 善 の実 例 であ る。 然 る に呂 氏 は 此等 重要 の
取 し得 る では な いか。
職 し た る後 此 の解 職 を決 定的 に認 定 す る こと を為 さず 、却 つて ソヴ
方策 を支 援 し 、 之 を汎 く 世 に知 ら しむ る代 り に、 箇 々の偶然 な 且 つ
が繰 返 さ る ゝ のを 実 見 す る。
全部 の修 繕 に着 手 し 、 為 に莫 大 の経 費 を投 ぜる に拘 らず 、 本問 題 は
月内 に解 決 す べし 、 と断 言 し、 之 に拠 つて鉄 道管 理局 長 は 急遽 船 舶
三月 初 め東 支 鉄 道 理事 長 は東 支 鉄道 船 舶 の松花 江航 行 問 題 を 一ケ
業 員 及労 働 者 に対 し て偏 見 的 で、 非親 善 な態 度 を持 す るも のな りと
今 に至 る迄 解 決 を見 ず 。而 る に既 に航 行期 は到 来 し 鉄道 は莫 大 な る
十 分 立 証 さ れ無 い事 柄 を挙 げ来 り 、之 に依 つて管 理局 長 は支 那 の従
て批 難 し 、 又之 によ つて同 局 長 に関 し て全 然 誤 れ る虚 偽 の観 念 を造
曩 に土 地問 題 の未 解 決 な る 為 、 八区 問 題 に就 て重 大 な る確 執 を生
く ︱︱ 鉄道 の福 利 の根 底 を覆 へす が如 き︱︱ 不正 行 為 によ つて破 壊
げ 得 た る は 、 一般 の公認 す る所 で あ る。 然 るに此 の業 績 も前 述 の如
財 政 経済 状 態 の改良 上過 ぐ る期間 に業 務 に尽瘁 し光 輝 あ る 成績 を挙
る ゝも のた る事 を裏 書 す るも ので あ る。 前述 の如 く 鉄道 監 理局 長 が
実質 上単 に紙 上 の空 論 に止 ま り 、鉄 道 の利 益 は随 時 随所 に揉 躙 せ ら
総 て 此等 の行動 は奉 露協 定 に於 て声 明 せ ら れた る 親善 関 係 は其 の
物質 的 損 害 を蒙 ら ん とし てを る。
ら ん とし てを る。 私 は茲 に呂 氏 が管 理 局 長 に対 し て等 し く此 等 の誤 れ る批 難 、 双 方 の利 益 に有 害 な る反 駁 を 列 記 し た後 勢 ひ 左 の事 実 を 声 明 せざ るを得 な い。従 来 我 々 ソヴ エー ト共和 国 の理 事 は絶 えず 支 那 の地方 官 憲 が 、
ぜ る悲 し む べき経 験 あ り、 其 の後 双方 は土 地 区劃 に関 す る両 国 委 員
奉 露 協 約 に違 惇 す る幾 多 の事 実 を着 せら れ て ゐ る。
会 設 置 の必要 を 決議 せ る に拘 らず 、地 畝 管 理 局長 張 煥 相 氏 は最 近再
せら れ つ ゝあ る。
借 料 を 納 付 せし め、 之 に違 反 す る場合 に は地 区 の接 収 を行 ひ、 又鉄
府 は自 国 の権 利 を明 ら か に破 壊 す るや う な企 図 を 認容 し能 は ぬ 。帝
的国 交 の実 例 を支 那 に与 へた唯 一の国 であ る。 さ れば ソヴ エー ト政
ソヴ エート共 和 国 政府 は世 界 各 国 中平 等 主 義 に基 づ け る真 の同 胞
業 績 を挙 げ てゆ か れ るか が疑 はし く な る。
叙 上 の有 様 で は鉄 道 の状 態 は 堪 え 難 い も のと な り、 将 来協 力 し て
び不 法 な る 一方 的 行 為 に出 で、 布 告手 続 に よ つ て土 地問 題 を 予 め解 決 し て仕 舞 ひ、 我 々を既 成 事 実 の前 に置 かん と し て を る。 地 畝 管 理 局 は本 年 三 月中 土 地 問 題 に就 て幾 多 の命 令 を発 し 、 之 に
道 金 庫 に納 入済 の支 払 を無 効 とす る旨 を 布告 し た が 、勿 論 理 事 会 は
国 主義 諸 国 が支 那 に対 し て行 ふ と同 様 な る 不法 不 正 の政 策 を 支 那 か
よ つて租 借 人 をし て速 に土地 の登 記 を な さし む ると 共 に猶 予 な く租
能 く こ の事 を知 つてを る 。張 煥 相 氏 は其 の布 告 に於 て土地 問 題 は既
ら自 国 に適 用 せ ら る ゝ こと を認 容 し能 は ぬ 。
き つ ゝあ る其 の最 も責 任 あ る代 表 者 に対 す る未 曾 有 の批 難 脅 嚇 を認
又 ソヴ エート共 和 国 政 府 は正 直 公 平 に我等 共 同 の利 益 のた め に働
に解 決 せら れ 、鉄 道 の土 地課 は本 問 題 に何等 の関 係 が な い と声 明 し
容 し能 は ぬ。
て を る。 加 之東 三省 特 別 区 の地方 審 判 所 は東 支 鉄 道附 属 地 の租 借 証 書 の登 記 に着手 す るや 、 予 め支 那 の地 畝管 理局 に登 記 し て居 な い書
斯 く の如 き態 度 は直 ち に又根 本 的 に改 良 せ ら る べく 、 又改 善 の立
類 は、 之 を租借 人 から 受 理 し な い、 斯 様 な 次第 で我 々は 一方 的 で法 律 上 の根 拠 を 欠 き、 鉄 道 に莫 大 な損 害 を 及 ぼす やう な 不正 当 な 行為
には鉄 道 は衰 微 し 、鉄 道 の福 利 は其 の基 礎 を ゆ る がさ れ 、 両国 の親
証 を 与 へら る べき で あ る。 管 理 局 長 は其 の困難 な る業務 を行 ふ に際
の如 き は全 然 理 事 会 に於 て討 論 さ れ た こと が な い。
行 し て居 る雑 穀 に対す る金融 開 始 の如 き 、 グ ラ ンド ホ テ ル賃 貸契 約
存 在 が自 然 に認 め ら れざ る に至 る の であ る 。管 理 局 商業 部 が事 実実
又 ウ オ ロ ンツ オ フ森 林 の契 約 及安 逮 ︱拝 泉 間 鉄 道 敷 設 の如 き も 理
し 、 理事 会 全 体 か ら完 全 な る 支援 を受 く るを要 す 。 之 に反 す る場 合
善 は恢 復 し 難 い害 を蒙 る に至 る であ らう 。
が結 ば れ た とし ても 、夫 れ は単 に管 理 局 の計 画 であ つて、 理 事 会 の
事 会 の与 り知 ら ざ る事 であ つて 、若 し ウオ ロ ンツ オ フ森 林 伐 木契 約
無 い。
あ るけ れ ど も未 だ其 の実 績 が挙 が ら な い。 従 つて何 等 執 る べ き術 が
遅 滞 せ し め て居 ると いふ こと は屡 聞 き、 且 新 聞 に於 ても見 る こと で
〓 斉 鉄 道 の必要 な る 材料 輸 送 に対 し 、イ 局 長 が妨 害 し其 の輸 送 を
題 であ ら う。
承 認 を経 た後 支 那 政府 の許 可 を受 けな け れ ば なら な いから 将 来 の問
私 は各 位 の適 当 な る処 置 を 期待 す る と共 に、他 方 我 々 の罪 に依 ら
哈 爾賓 事 務 所 長
ず し て発 生 し た此 の困難 な 状 態 を 、 ソヴ エート共 和 国 政 府 に報 告 す るを自 分 の義 務 と認 め る。
一三
秘
大 正 十 四年 四月 二十 五 日
哈 調 情 第 六 六号
イ局 長 の越 権 行 為 に関 し 呂 理 事 が非公 式 会議 に於 て露 国 側 に警 告
は如 何 と も す る こと が出 来 な い では な い か。 即 ち先 づ事 実 を語 る証
の為 に行 は る ゝの であ る と言 は る ゝけ れど 、 之亦 証 拠 物件 な くし て
札 免 公 司 の林 場 支 線撤 廃 問 題 及貨 車 配 給 停 止 の如 き も 、右 の目 的
を発 せる事 は 、東支 鉄 道 の立 法 命 令 機関 た る理事 会 の存 在 を無 視 し
し ては 管 理 局長 が理事 会 を除 外 し 、斯 く の如 き行 為 を 敢 てす る こと
拠 を 蒐 集 す る事 が最 も 直接 の問 題 であ ると 思 ふ。 勿 論 支那 側 理 事 と
グ ラ ンド の呂 栄 寰 攻 撃 に対 す る范 其 光 の意 見
居 る為 で、斯 く の如 き は啻 に支 那 側 理事 のみな らず 、 露 国 側 理事 の
哈 調 情 第 七 五号
一四
劉 哲 と イ ワ ノ フ の衝 突
大 正 十 四年 四月 二 十 八 日
哈 爾賓 事 務 所 長
を阻 止 し な け れ ばな ら な い云 々。
存 在 を も認 め な い事 であ る から であ る。 而 も非 公 式 と 雖 も 当時 列 席 せ る露 国側 副 理事 長 ポズ デ エフ氏 は 、呂 氏 の警 告 を諒 と し 最 近 の理 事 会 に於 て公 式 に同問 題 を討 議 す る必要 を認 め 、 且之 を明 言 し た の であ つた が、 グ ラ ンド理 事 は何 と 考 へた か、右 非 公 式 会 議 の席 上 で は何 等 反 対意 見 を述 べ る処 なく 、 後 に至 つて公 に反 対 の意 見 を声 明 さ れ た事 は奇 怪 と言 はな け れ ば な ら ぬ。 当 時 呂氏 の述 べた処 では 総 て法 理 上許 す べか らざ る越 権 行為 を指 摘 せ るも のであ つて 、斯 く の如 き 行 為 が継 続 さ る ゝな ら ば 理事 会 の
昨 二十 七 日東 鉄 管 理 局 に於 て車 輌 課 関係 大 会 が開 かれ た が、 此 の 開 会 式 に出席 し て挨 拶 の辞 を述 べた イ ワ ノ フと劉 哲 と の間 に紛 議 を 起 し た 。 イ ワノ フは 其 の挨 拶 中 殊 更 に命 令 第 九 十 四 号即 ち無 国 籍 従 事 員 解 雇 の件 に言 及 し 、坊 間 本 命 令 が取 消 さ る ゝな ど と伝 ふ る向 き あ る も 、 余 は実 行 せ ん が為 命 令 を 出 し た る も の にし て、取 消 さ ん が
一、無 国籍 者 解 傭 に関 す る件
無 国籍 者解 傭 命 令 は 理事 会 の決 裁 を経 ず し て、管 理局 長 之 を布 告
二、運 賃 改 変 に関 す る件
す る の権 限 を有 し な い。
管 理 局長 は最 近 勝手 に運 賃 を 改 正 し た るが 、現 行 規 定 に拠 れば 運
に契約 を締 結 し 得 る も のであ る が 、右 賃 借 の契 約 は 三年 以上 であ る
現行 規 定 に拠 れ ば 、管 理局 長 は右 に関 し契 約 期 間 三 ケ年 迄 は勝手
三 、 グ ラ ンド ホテ ル賃 借 に関 す る件
賃 の改 正 は本 社 理 事 会 の権 限 であ る 。
製 作 工場 の実 況 を活 動 写真 に て会 合 者 に示 さ んと し た る時 立 つ て挨
にも拘 ら ず 、 理事 会 の決 裁 を仰 が な か つた。
此 の挨 拶 半 ば に到 着 し た劉 哲 は 開 会式 終 り て、米 国 に於 け る車 輛
為 出 し た も のに非ず 、 と言 つた。
拶 を な し 、 且 イ局 長 が純 技 術 的 会合 の席 上 政 策 的意 義 を有 す る 言辞
せ し め て ゐる 。
一六
大 正 十 四年 四月 三十 日
哈 調 情 第 八 三号
し 支 那側 理 事 が 飽督 弁 に致 せ る弁 駁 的報 告
イ 局 長擁 護 の為 にな せ る グ ラ ンド の抗 議 に対
哈 爾 賓 事 務所 長
を 用意 せず 、 又 ウ スト リ ヤ ー ロフ博 士 を し て徒 ら に多 数 の兼 職 を有
管 理 局 長 は 支 那 人教 員 に対 し俸 給 を 支 払 はず 、 支 那 人学 校 の建 築
五、 支 那 人 学 校教 員 に関 す る件
長 は勝 手 に之 を受 入 れ た。
知留 の収 納 は 理事 会 の決裁 を要 す るも のな る にも拘 らず 、 管 理局
四 、百 二十 五 万知 留 受 入 に関 す る件
を弄 し 、殊 に命 令第 九 十 四号 の件 に言 及 せし が如 き は甚 だ不 当 な り、
此 の事 件 は近 来 支 那側 が露 国 側 、殊 に イ ワ ノ フ に対 し甚 だし く反
と 語 調 を強 くし て述 べ 、百 に近 き会 合 者 を 驚 かせ た 。
感 を抱 いて居 る事 と 、 対露 政 策 が強 硬 味 を 加 へて来 た事 を 裏 書 す る も ので あ つて、 又 今 日迄 単 に新 聞紙 上 や 口伝 のみ に て見 聞 し た露 支 相 軋轢 す る の状 況 を 眼前 に見 せ つけ ら れた 沿 線 従事 員 に、 多 大 の感
一五
動 を 与 へた事 は疑 ふ余 地 がな い。
哈 調情 第 七七 号 哈爾 賓 事 務 所長
イ局 長越 権 行 為 に関 す る呂 栄 寰 の報 告 内 容
大正 十 四年 四 月 二十 八日
呂 栄 寰 はイ ワ ノ フ越 権 行 為報 告 の為 、去 る 二十 五 日赴 奉 せ し事 は 既 報 の通 りな る が 、右 報 告 中 に列 挙 せる越 権 行 為 の大 様 左 の通 り。
四 月 十 三 日理 事 会 に於 て非 公 式 に会議 を開 け る時 、呂 栄 寰 等 は管
せず 、 之 を籍 り て 一例 とし 以 て宣 言 内 に有 す る理由 を表 し た る に過
議 を加 へた るが 、之 は実 に呂 栄寰 等 の意 料 の及 ばざ る 処 にし て如 何
又 理事 会 の開 会 を待 たず し て右 の問 題 に対 し専 ら 事 実 上 よ り別 に論
び討 論 す べし 云 々と 声 明 し居 り、 グ ラ ンド氏 は当 時 会議 に参 与 せず 、
労 農 側 副 理事 長 も 列 席 し 、本 問 題 に関 し ては次 期 理 事 会 開 会 の時 再
の書 翰 を飽督 弁 及 各 理事 に致 し た の であ る が、 右 非 公式 会 議 の時 は
意 見 を 発表 し た。 グ ラ ンド 代 理 副 理 事長 は之 に対 し 四月 二十 日 同 文
る等 弁 駁 の価 値 な き も のは 、先 づ 之 を 論外 とし 茲 には僅 か に其 の内
意旨 と 完 全 に相 反 し て居 る のみな らず 、其 の言詞 激 烈 、意 気 狂暴 な
て特 に規 定 せ ら れ て居 る 。然 る にグ氏 の書 簡 中 に称 す る処 は 、此 の
享く べ し 、 と言 ふ にあ り て凡 そ 此 の種 の事 項 は均 し く 奉露 協 約 に於
見を存 有 す る を許 さ ざ る こと 並 支那 人 民 も労 農 人 民 と 平等 の待 遇 を
居る 。 又栄 寰 等 の最 も 重視 せ る 点 は、 単 に鉄 道 営 業 内 に政 治 上 の成
考ふ る に 、栄 寰 等 の提 議 せる 処 のも のは 奉天 協 定 の精 神 に合 致 し て
将来 理事 会 開 会 の時 提 出 し て討 論 す べき で あ る。 之 を 当 日 の記 録 に
ぎな い の で、 其 他 の事 項 に至 つて は指 摘 せざ るも の尚 少 な からず 。
に思 考 し て も解 せざ る処 のも ので あ る。 グ 氏書 簡 は捕 詞 激 烈 にし て
容 に就 き分 析 し て之 を陳 ぶ る であ ら う 。
理 局 長 の行 為 に当 を 失 せ る処 あ るを 以 て 、其 の席 上 に於 て之 に関 し
公 信 にあ る まじ き言 詞 あ る のみ な らず 、 且 当 日討 議 せ る趣 旨 と全 く
フ の事 務 は 理事 会 の決 定 を待 つ て執 行 す べ き にも拘 ら ず 、 理 事 会 の
な る言 詞 を弄 し、 且誹 謗 を加 へて居 る が 、元 来 東 鉄管 理局 長 イ ワノ
未 だ言 及 せず 。 オ スト ロウ モ フ前 局長 を イ 局長 に比 し た る は僅 か に
長 の越 権 行 為 は当 を 失 す と言 ふ にあ り て、 其 の利 害 問題 に至 つては
今記 録 を見 る に斯 く の如 き 語 は載 せ てな い。蓋 し 当 日指 摘 せ るは 局
及奉 天 協 定 を 破 壊 す る行 為 あ り と称 し た 、 と言 つ て居 る け れど も 、
グ 氏 の書 簡 中 に は栄 寰 等 が 局長 の処 理 せ る各 事 は 、鉄 道 を妨 害 し
其 の意 見 を顛 倒 し て居 る。 而 し て四 月 二十 一日 に至 り右 の書 簡 を哈
承 認 を経ず 政治 問 題 に渉 れ るも のも 亦 少 く な い。 然 る に奉 天 協 定 に
越 権 の 一端 を指 し て言 つた の に過 ぎ な い。 グ 氏 が之 を以 て詐 欺 の罪
市 の露 字各 紙 に公表 し、 殊 にト リブ ー ナ紙 は支 那側 理 事 に対 し乱 暴
し あ り、 イ 局 長 の行 為 は 奉露 協 定 に違 背 し 及理 事 会 の職 権 を妨 害 せ
於 て東 鉄 は 純粋 の商 業機 関 と なし 、 露 支 理事 平 等 に管 理 す、 と規 定
あ つ て毫 も根 拠 が な い。 オ スト ロウ モ フ前 局 長 が法 院 に拘 引 せ ら れ
名 を イ 局長 に加 へた るも のと せ るは 、自 己 の杜撰 を発 表 せ るも ので
た るは 、越 権 以外 に其 の他 の犯罪 嫌 疑 が あ る から であ る。 当 日 の例
る も のであ るが故 に、 呂 栄寰 等 は之 を 放 任 し置 く こと は 出来 な い。
又 は鉄 道 営 業 内 に政 治 的 行 為 あ る を許 さず 、 と宣 言 せ る所 以 で あ る。
是 四 月十 三 日 理事 会 の時 局長 の職 責 を 踰 越 し て理 事 会 の権利 を侵 し 、
に は決 し て之 を援 用 し てな い ので あ る。
議 し な か つた の であ る 。然 る にグ氏 は局 長 の権 限問 題 に関 し て は 口
局長 の権 限 内 に非ず と言 ふ にあ り て、 其 の内容 如 何 に就 ては未 だ討
、 第 九 十 四 号 の命 令 に就 て当時 争 へる所 は 、此 の種 の命 令 の発 布 は
此 の宣言 に就 ては当 時 事 実 数 項 を列 挙 し て証 左 に資 し た が、唯 其 の
て再 び非 分 の行 為 を為 さ し めず 、 且 局長 の為 に 一つ明 確 の権 限 を定
争 点 は僅 か に根 本問 題 にし て、 共 の抱 持 せる意 見 は将 来 局 長 を制 し
め んと し た る も の であ る故 に、 列 挙 せ る事 項 に対 し て も詳 細 に討議
を緘 し て語 らず 、唯 此 の種 の命令 が如 何 に正 当 で あ り、 如 何 に協 定
令 局長 の執 務 成績 言優 良 な り と て、 其 の越 権 の咎 を之 に因 つて消 滅
料 がな い から 、今 直 ち に批 評 を加 へる こと は出 来 な いけれ ど も、 仮
管 理 局 長 が財 政 及 経 済 事務 に対 し 如 何 に処 理 せ る や は尚 充 分 の材
グ氏 の称 す る支 那 地 方 官憲 が奉 天 協 定 に違 背 せり と なす 種 々の事
の精 神 に適 合 し 、並 に政 治 上 の関 係 に於 ても 此種 の命 令 は端 を奉 天
実 は 、前 日 の宣 言 と何 等 連帯 的 関 係 は な い 。之 を要 す る に栄寰 等 の
す る こと は出 来 な い。
を 以 て帰 結 と す べ き で なく 、 必ず 其 の命 令 が相当 の機 関 と 階級 を経
宣 言 の目 的 は 理 事会 が局 長 に侵 害 せら れ た る法 権 を 回復 せん とす る
て居 る け れど も 、其 の命 令 の合 法 た る や否 やは単 に内 容 の正当 のみ
由 し て出 でた るも のな る や否 やを究 めな けれ ば な らな い。 栄寰 等 が
に在 る に拘 らず 、 グ氏 は之 に対 し何 等 同情 を表 せず し て全 く錯 誤 の
協 定 に発 し 、 内 容 正当 にし て完全 に合 法 と認 む べ き であ る と声 明 し
局 長 の第 九 十 四 号命 令 を発 布 せる の是 非 を責 む る は、 蓋 し 奉天 協 定
解 釈 に出 でた ので あ る。
以 上陳 ぶ る所 に依 り理 事会 の情 勢 が常 規 に乖 れ る ことを洞 察 せら
の精 神 に基 づ く も ので あ る。 栄 寰等 の意 見 に依 れ ば 、斯 く の如 き命
無 視 し て単 独 に施 行 し能 はざ るも の であ る。 又 グ は支 那 側 理事 が恐
ん こと を請 ふ。
れ る で あら う 。依 て書 簡 を 以 て督弁 に対 し、 法 を設 け て整 飭 せら れ
令 は 理事 会 、 委 員会 に於 て処 理 す べ き で あ つ て、 一局 長 が 理事 会 を
る か、若 し果 し てオ 前 局長 が法 院 に送 ら れ た、 と の 一語 を 恐嚇 な り
(浜岡 訳 )
極 秘 哈 爾 賓 事 務所 長
一、 一九 二 四年 十 月 四 日周 令 第 二 一 六 号 を以 て俸 給 、給 料 改 正 委
列 挙 し、 関係 の向 へ配 布 せ る も の左 の如 し。
東 鉄 支 那側 理事 がイ ワノ フ局 長就 任 以来 の専 断行 為 及違 法 行 為 を
イ ワ ノ フ局長 の専 断行 為
大正 十 四年 六月 一日
哈 調情 第 一五 五号
一七
本書 簡 の写 は露 国 側 副 理 事長 、 代 理 副 理事 長 及 各 理事 に送 付 した 。
尚 十 三日 の会 議 記 録 及 二十 一日 トリ ブ ー ナ紙 各 一部 を添 付す 。 又
嚇 し た様 に言 々し て居 るけ れ ど も 、畢 竟 何 を 恐嚇 し たと 言 ふ ので あ
と せ ば 、実 に誤 れ る も の にし て是 善 意 の警 告 であ つで恐 嚇 では な い
ボ ルゾ フの免 職事 件 を栄 寰 等 が提 出 せ る所 以 は 、単後 に東鉄 現行 規
の であ る。
定 に違 背 せ る引 証 と し た に過 ぎ な い。蓋 し職 員 にし て毎 年 の俸 給 三 千 六 百 元 以 上 に在 る 者 の其 の任 命 の権 は、 規 定 に依 り理 事 会 に属 す べき であ る。 当 日宣 言 せ る意 も之 を指 し て言 へる も の に外 な らな い。 然 る にグ氏 は之 を指 し て帝 政 派 を 保護 す る為 であ る と言 ふが、 是 何 に拠 つて斯 く 言 ふ ので あ る か、実 に人を し て解 せざ ら し む る ので あ る。商 業 学 校 の学 生 が ネ チ ヤ エフ の募 集 に応 じ て軍 隊 に入 つた と か、 ボ ルゾ フが之 を援 助 し たと か の事 件 は、 グ 氏 の書 簡 に依 つて始 め て 聞 き得 た こと であ る 。其 の事 の事 実 な る や否 や は グ氏 自 ら其 の責 任 を負 ふ べき であ る。
員 会 を組 織 す るに当 り 、管 理局 高 級職 員 以 外 に労 農 側 職 工会代 表 一
二 、 本年 四 月 十 一日管 理局 は日 本貨 幣 を 以 て知 留 五十 万 元 を購 入
思 惟 し、 二月 六 日該 区 長 を免 職 し、 二 月十 日 理事 会 に報告 せ る件 。
汽 車 区 長 兼 該董 事 会長 ペ ス レ ン コが故 意 に命 令 に反 抗 し た る も のと
を命 令 せり 。而 し て中 学校 董 事 会 が本 件 の処直 を遅 延 せ る は、 東鉄
九、 本 年 二 月綏 芬 駅 公 立中 学 校 と 労農 新 学制 小学 校 と の校 舎 交換
を免 職 し 、 事後 初 め て理 事会 に報 告 せ る件 。
し、 十 五 日更 に五十 万 元を 購 入 せ り 。同 月 六 日米 国 貨 幣 十 八 万 一千
人 を 加 入 せ る件 。
元 、 十 四 日同 二 十 五 万 元を 購 入 せ る も何 等 理 事会 の同 意 を 経ざ りし
哈爾 地方 より東 、南 両 線 に輸送 す る魚類 の運 賃高 率 な る為 運輸 発 送
一〇 、 昨年 十 二月 二十 二 日第 二五 三︱ 三 一二 号文 書 を 以 て、 斉 々
三 、管 理 局 長 は ウ オ ロ ンツ オ フと海 拉 爾 地 方林 場 を合 弁 す る こ と
件。
を 契 約 し、 東 鉄 が資 本 二十 万 元 、流 動 資 金 十 二 万 五千 元 を 出資 せ り。
て理事 会 に於 て は該 提 案 を討 議 せむ と せし に、 十 二月 二十 五 日附 該
せ ざ る を以 て運 賃 率 を 低 下 せ む とし 、 理事 会 宛 伺書 を提 出 せ るを 以
一 一、 四月 三 日第 一二 一号 ︱ 二五 二号 通 電 を 発 し、 穆稜 炭 礦 発 哈
局長 の報 告 に依 れば 既 に同 月 二十 四 日附 通 電 を 以 て実 施 せ る件 。
本 項 の契 約 は四 月十 二 日之 を 調 印 し 、 四月 二 十 二 日初 め て理事 会 に
四 、本 年 三 月 十 四 日 、管 理 局 会議 第 一七 四 号記 録 を 以 て議決 せ る
一二、 四月 十 五 日第 一九 七号 ︱ 二五 二号 通電 を以 て、浦 塩発 一面
爾賓 行 石 炭 運賃 減 額 に関 し 通電 を発 し た る後 理 事会 に経 伺 せ る件 。
報 告 せ る件 。
管 理 局 と ク ラ エフ洋 行 と の旅 館借 用 の契 約 は 、期 限 を五 ヶ年 と し家
一六、 歴 代 の局長 は公 用 に て東 鉄 沿線 外 に出 張 す る場 合 は 予め 理
理 事会 を通 過 せざ るを 名 と し 、俸 給 を 支払 は ざ る件 。
教 育 は督 弁 公 署 に於 て試 験 の上採 用 せる も、 該 局長 は該 予算 が未 だ
一五、 本 年度 予算 草 案 に依 れ ば沿 線 支那 人 学 校 を拡 張 し 、 必要 な
編 入 し 、理 事 会 の承 認 を経ず し て即 時 支出 せ る件 。
労 農新 学 制 高 等 小学 校 に合 併 し 、 且高 等 小学 校 経費 を東 鉄 予算 内 に
一四、 本 年 二 月該 局 長 は 学 務 課長 に命 じ、 綏 芬 駅東 鉄 初 等学 校 を
之 を実 施 し居 る件 。
も 、 理事 会 は未 だ之 を通 過 せ ざ る に拘 らず 、 該 局長 は該草 案 に依 り
一三 、本 年 度 東鉄 予 算 の草案 は管 理 局 に於 て調製 送 附 し 来 りた る
坡 地 方 行砂 糖 運賃 を低 減 し 未 だ 理事 会 に経 伺 せざ る件 。
賃 毎 月 二千 元 な り 。当 時 管 理 局 長 には別 に意 見 あ り た る趣 に付 き、 理 事 等 に於 ても 未 だ之 を通 過 せざ り し に、 該 契約 は 三月 十 八 日附 を 以 て調 印 せら れた る件 。 五 、昨 年 十 月 六 日管 理局 長 第 二二 〇号 命 令 を 以 て、 同 局 会計 課 長 スチ エプ ニ ンを 免職 し 、 コ ルス キ ー に命 じ て其 の職 務 を 代 理 せ し め、 十 月 八 日初 め て理事 会 に報 告 せ る件 。 六 、昨 年 十 月 営業 課 副 課 長 マク シ モ フを 免 職 し、 マル コフを臨 時
日 に到 り第 四 号 命令 を 以 て マル コフを課 長 代 理 に任 命 せ る件 。
職 員 と なし 、 該員 を し て暗 に其 の職権 を 代 行 せ し め、 本 年 一月十 二
七 、 十月 十 八 日第 一 一 三号 命令 を 以 て、 フ エド セ エフを商 業 部 一 等 商 務員 に任 命 し、 十 月 二十 五 日初 め て理 事会 に報 告 せ る件。 八 、本 年 二 月 二十 七 日第 五 三号 命 令 を 以 て、 商 業 学校 長 ボ ルゾ フ
事 会 の同意 を経 るを 例 と せ る に、 該 局 長 は前 回 の北 京行 、 浦 塩 行 に 関 し 、 更 に何等 の報 告 を為 さざ る件 。 一七 、 昨年 十 一月 十 七 日該 局長 の報 告 に依 れば 、 露 人設 立 の法 律 大 学 々生 が東 鉄 商 業 学 校 に於 て会 議 を 開 き た る際 、 労農 国 旗 を 侮 辱 せ る事 件 あ り 。当 時 直 ち に管 理局 庶 務 課長 ヤツ ム スキ ーに其 の始 末
哈 調 情 第 六 八 五号
一九
哈爾 賓 事 務 所長
東鉄 露 国 側 新 理 事確 定
大 正 十 四年 十 一月 七 日
件 に就 き 調査 せ る所 、 サ ウ ラ ソ フが副 理 事 長 に、ゲ ツ ケ ルが理 事 に
を命 じた る結 果 教 員 会 議 を開 き、 学 生 一名 を退 学 せし め 、其 他 夫 々
任 命 せら れ た る は確 実 にし て、 東鉄 本 社 にも 既 に入 電 あ り 、両 人 は
十 一月 七 日哈 調 情第 六 八 三号 を 以 て報 告 せる 東鉄 露 国側 新 理事 の
懲 戒 処 分 を 為 し た る件 。 ︹ママ︺ 一八 、 本年 二 月該 局 長 は孫 逸 仙 逝 去 の通電 を発 し 、全 線 に亘 り 三
ド の帰哈 せざ る は確実 にし て、 同氏 夫 人 は 来 る 九 日当 地 発帰 莫 す る
サ ウラ ソ フが在 哈総 領 事 が兼 任 す べ き や否 や 不明 な るも 、 グ ラ ン
去 る三 日莫 斯 科 を 出 発赴 任 の途 に就 け り。
日間 半 旗 を 掲 げ し め た る件 。 一九 、 本年 四 月九 日該 局長 は第 九 四号 命令 を発 し 、奉 露 協 定 に依
筈 。 尚 サ 、 ゲ両 人 任 命 の報 を得 た る イ ワ ノ フ局長 は心 中 甚 だ平 かな
れば 本 鉄 道 職員 は支 那 及 労農 人民 に限 る を 以 て、 本 鉄道 従 事 員 にし て 五月 三 十 日 以前 に於 て支 那 又 は労 農 国 籍 を取 得 せざ る も のは 当 然
ら ざ る か如 し。
二〇
哈 爾 賓事 務 所 長 大 正 十 四年 十 一月 二 十 一日
哈 調 情 第 七 三 二号
六月 一日を 以 て 一律 罷 免 す る ことと せる も 、事 前 に於 て 理事 会 の同
哈 爾賓 事 務 所 長
意 を求 め ざ り し件 。
一八
秘
大 正十 四 年 十 月 六 日
哈調 情 第 五 五 六 号
受 け悪 き為 帰 哈 せざ る べく 、 又 イ ワ ノ フは 当 地 ド ル コム其 の他 ソビ
グ ラ ンド は 既報 の如 く赴 莫 せ る も、 同 人 は 対支 政 策 上 北京 方 面 の
らな るも未 だ決 定 せず 。当 分 現 管 理局 長 次 席 エイ ス モンド技 師 局 長
発 す べし 、其 の後 任 は 莫 斯科 現 軍 事交 通 委 員 長 バ ル スキ ー就 任 説 専
莫 斯 科 政 府 よ り正 式 召 還 状 を接 受 し 、愈 々本 月 下旬 莫 斯 科 へ向 け出
各 種 情 報 を綜 合 す ると 、東 鉄 管 理 局長 イ ワ ノ フ氏 は十 一月 十 二日
イ ワノ フ退 職 に関 す る件
エト諸 機 関 より 悪評 を蒙 り つ ゝあ る も、 カ ラ ハ ンの支 持大 な るた め
グ ラ ンド 及 イ ワ ノ フ の件
依然 現 位 置 に留 ま る べし 、 と観 察 せ ら る。
元 来 イ ワノ フ氏罷 免 説 に就 ては巷 間種 々の報 導 を伝 へ居 るが 、 ザ
事 務 を 管掌 す る筈 だ と 。
此 の間 に惹起 し た の が八 区問 題 であ る。 此 の問題 を中 心 に東鉄 露
国側 と支 那 側 及 地方 商 人 側 と の紛 争 を悉 く イ ワノ フ氏 の所 為 に帰 し 、
は 取調 べ の結 果 イ ワ ノ フ氏 が単 に上官 の命 を 実 行 せ る に過 ぎ ぬ事 が
排 斥 運 動 の材 料 と し、 莫 斯科 に向 つて真 偽 取 り 交 え報 告 し た が、 之
判 明 し、 且支 那商 人 側 の感情 が恢 復 せ る を見 、莫 斯科 に於 ては何 等
リ ヤ紙 の報 ず ると ころ に依 れば 、 イ ワノ フ氏 の排 斥 は勿 論 支 那側 に
に於 ては既 に如 何 に カラ ハ ン氏 の擁 護 あ るも 、莫 斯 科 政 府 に於 て 召
於 て激 烈 な る も のあ る も、 其 の根 底 は 地方 共 産 党員 間 に在 り、今 日
其 の他 反 イ ワ ノ フ派 は 東鉄 が最 近 数 箇 の停 車 場其 の他 を 新 設 し、
意 に介 し なか つた。
つた が、 当 地 共 産党 と の不和 は到 底 イ ワノ フ氏 の居据 りを 不 可能 な
余 分 の費 用 を 費 消 せ るを 罵 れ る も、 之 等 は要 す る に問 題 と な ら な か
即 ち 今 日 よ り約 一ヶ年 前 東 鉄 監 事 会 監事 チ ヤト コーヴ イ チ氏 は莫
還 の已 む を得 ざ る に至 つた も の の如 く で あ る。
斯 科 政 府 へ宛 て、 イ ワノ フ氏 は東 支 鉄道 の労 農 化 に対す る手 腕 力 量
哈 調情 第 七 三三 号
二
一
速報
哈爾 賓 事 務 所長
ら し め た最 大 の原因 であ る 。
不充 分 にし て到 底 其 の重任 を完 ふし 能 はざ る旨 を具 陳 し、 同 氏 の解 職 を申 請 す る と ころ あ つて事 正 にな ら ん と した が 、 カ ラ ハン氏 の熱 心 な る擁護 に より て全 然 失敗 に帰 し た 。次 いで間 も なく 理 事 長 と し て来 任 せる ボヅ デ エ エフ氏 が来 任匇 々東 支 鉄 道 の事 業 が殆 ど挙 げ て 管 理 局 長 に掌 握 さ れ る為 に 、支 那 側 に対 し各 種 の 口実 を与 ふ る事 多
ハ ン氏 の反 対 に逢 ひ失 敗 に帰 せ る の みな らず 、 来 任匇 々莫 斯 科 に引
き に慊 らず 、 之 を 挙 げ て本 社 の手 に奪 回 せ んと 図 つた が、 之 亦 カラ
然 し乍 ら ヂ ア ト コーヴ イ チ及 ポヅ デ エエ フ両 氏 の反 イ ワ ノ フ運動
関 及個 人 に対 し ても発 売 す る こと を禁 止 し、 且外字 新 聞 発 売 者 は警
外露 字 新 聞 を初 め外 字 新 聞 は 一切警 察 の許 可 な く し ては如 何 な る機
当 地特 別区 警 察総 管 理 署 は最 近法 令 を発 し、 北 満 に於 て は爾後 在
外 字 新 聞 取締 令 (十 一月 二十 一日 ザ リ ヤ)
大 正十 四年 十 一月 二十 一日
が あ る 一方 、兼 ね てイ ワノ フ氏 が当 地 共産 党 の事 業 に対 し誠 意 を 欠
察 に購 入部 数 及 各部 毎 に其 の購 読 者 氏 名 を提 示 し 、 且 一々該 新聞 の
き返 す の余 儀 なき 事情 に立 ち至 つた ので あ る。
け るた め反 感 を有 す る当 地方 共 産 党 は 、 イ ワ ノ フ局 長 の態 度 に悉 く
禁 止 す る こと あ るべ し、 と 言 ふ にあ り、 之 の主 な る 目 的 は過 激派 宣
検 閲 を受 く るを要 し、 之 に違 反 し た る場合 は外 字新 聞 の取 扱 を 一切
伝 取 締 の為 なり 。
た め莫 斯 科政 府 では事 此処 に至 れ る事情 を聴 取 せ ん が為 、 莫 斯 科 に 召還 せ んと し た が折 し も莫 斯 科 及 支 那 の政 治 状 態 は 之 を 一時 中 止 せ
反 対 的 行 動 に向 つて終 始猛 烈 な る排 斥運 動 を試 みた ので あ る。 之 が
し む る に至 つた の であ る 。 此処 に於 て反 イ ワ ノ フ派 た る 地方 共産 党 は爾 来 凡 ゆ る苦 肉 の策 を弄 し局 長 排 斥 に努 めた の であ る。
哈 調情 第 七四 〇号
二二
極秘
哈 爾 賓 事 務 所長
大 正 十 四年 十 一月 二十 四 日 ジ ヤパ ン ・アド ヴ アタ イ ザ ー所 載 イ ワ ノ フ の談 に関 す る件 ジ ヤパ ン ・アド ヴ ア タイ ザ ー紙 所 載 東 支 鉄 道 監 理局 長 イ ワノ ブ氏 の同 記 者 ジ エ ムス ・ ヘツ ク氏 に語 れ り と称 す る日露 協 約 の成 果 、 日 米 戦 争 に際 す る労 農露 国 の親 米 的 態度 及〓 斉 線 の絶 対的 排 除 等 、労 農 露 国 の対極 東 政 策 に関 す る記 事 に対 し 、当 イ ワ ノ フ氏 は当 地 各 新
ニ ユー ヨー ク ・イヴ ニング ・ポ スト紙 記 者 に会 見 せ るも 、ジ ヤ パ ン・
聞 及 イ ンタツ ス通 信 機 関代 表 を通 じ 弁 明 せ る と ころ に依 れば 、 余 は
アドヴ ア タイ ザ ー記 者 に接 見 せ る ことな く 、而 も鉄 道 に関 す る会 談 を交 へし の み にて政 治 問 題 には ふ れず 、 即 ち 日本 の建 設 せん と す る
ン ・アド ヴ アタ イ ザ ー紙 所 載 と同 様 の会 談 を為 し 、其 の極 め て 重大
な る を慮 ひ、 之 を 中外 に通 信 発表 し て可 な り哉 否 や に昏 迷 し 米 国領
事 に垂 教 を 乞 へる に、領 事 は 通信 記 者 と し て其 の職 責 を全 ふす る上
に於 て何 等 差 支 へな き旨 を述 べし を以 て、直 ち に之 を 通信 し、 同 時
ストは自 己 の立 場 上 自 己 の通 訳 と な れ る を発 表 せざ る様 懇願 し 、同
に在 哈 日本 総 領 事 にも会 談 の内 容 を伝 達 せし 事 実 あ り。 通訳 スケ ル
哈 爾 賓 事 務 所長
二三
人 た る べし 、 と附 言 し て ゐる 。
時 に若 し 此 の問 題 が国 際 上 重大 化 し 証 人 を必 要 と す る場 合 は自 ら証
哈 調情 第 七 四五 号
ジ ヤパ ン ・アド ヴ ア タ イザ ー記 者 と天
大 正 十 四年 十 一月 二 十 六 日
十 一月二 十 四 日附 哈 調 情第 七 四〇 号 中 ヘツ クが 、在 哈 日本 総領 事
羽総 領 事 と の会 見 談 に就 て
関 知 せ ざ る旨 を述 べ 、之 を 避 け た 。然 る に何 処 よ り斯 く の如 き 記事
にも イ ワ ノ フと の会 談 の内 容 を語 りた る旨 報 告 し た る が、 天 羽総 領
新鉄 道 問 題 に関 し て は応 答 せ るも 、石 油 其 の他 の政治 的 問 題 は余 の
を得 た るや意 外 であ る 。斯 く の如 き 政治 的 問 題 に関 す る資 料 は 、当
る時 の模 様 に就 き語 ら れ た から 、之 を左 に報 告 し前 記 誤報 を訂 正 す
事 よ り其 の誤 報 な る旨 を示 さ れ 、 且当 日 へツ ク が同 総領 事 を 訪問 せ
︹英 二 ︺
地発 行 雑 誌 ヴ エ スト ニク ・マ ンチ ユリ ー にア ンド ル スキ ー将 軍 の発
ヘツ ク総 領 事 訪 問事 情
H H. o e c k
十 月 十 九 日午前 十時 頃
Mr .Jm ae s
提 示 せ る 名制
時日
る。
表 あ る を以 て、 セ ンセ ー シ ヨ ンを 引 き起 す為 に此 の内容 を附 言 せる も のな る べし と 。 又 一般 に当 地労 農 露 国 側 では 日露 関 係 を 破綻 せし む る為 日本 軍 閥 が行 つた 宣 伝 で あ る、 と 称 し て居 ると 。 然 る に此 の問題 に関 し事 実 を探 査 せ る処 に依 れ ば、 該 記 者 ジ エー ム ス ・ヘツ クは 十 月中 旬 来 哈 し 、当 地米 国 領事 秘書 宅 に滞 在 し 、露 人 スケ ル スト を通 訳 と し て管 理 局長 イ ワ ノ フ 氏 と 会 見 し 、 ジ ヤ パ
Speci al Correspondent
Le dge r
New York Evening Pos t Phi l adel phi a Publ i c Chi c ago Da i l y News 談 話 の模様 ヘツ ク午前 十時 頃 来 訪 、当 地天 羽 総領 事 は多忙 な り し為 暫時 待 つ か或 は後 刻 来 ら れ ん事 を乞 ひ た る に、 ヘツ ク は午 前 十 一時 よ り イ ワ ノ ブと会 見 の予定 な る ため 其 の後 に来 た る べ し、 と 去 れ り。 ヘツク ︹ 喜八郎︺ 正 午後 より 再 び来 訪 、北 満 洲 に於 け る日 本 人 の活 動 及 大倉 男 の活 動 状 況 に就 て質 問 す る処 あり 、総 領 事 は日 本 人 は微 々と し て振 はず 、
ヘツ クは更 に是 よ り蒙 古 に入 る筈 な る が旅 行 の手 続 は 如 何 に為 す べ
大倉 男 の事 業 も 失 敗 に終 り目 下 の処 何 等 見 る べ きも のな しと 答 へ、
き哉 、 と問 ひた る に依 り、 総領 事 は蒙 古 は目 下労 農 露 西亜 の勢 力 下 な れば露 国 の査 証 を 必要 とす 、 と答 へた 。 即 ち ヘツ クは天 羽 総 領 事 に対 し イ ワ ノ フと の会 談 内 容 に関 し語 りた る 事 な し。
一
四
特 に斯 感 を 抱 か し め る は土 地問 題 であ る 。 これ は露 奉 協 定 にあ
る通 り鉄 道 用 地 は経 済 上 、 技 術 上 必要 と す る範 囲 に限 ら れ て ゐて、
東支 鉄 道 の営 業 上 必要 な 地域 で、現 に同 区 の引 込 線 の総 延 長 二十
且最 近 の問 題 は 八 区問 題 であ る が当 八 区 は倉 庫 用 地 と し て当然
細 目協 定 で決 定 す べ きも の であ る。
三
一五 八 区 構 内 入換 料 徴 収 反 対 運 動
哈 調情 第 六 三 七号
五 ・五露 里 あり 、 内 私設 のも のは僅 か に半露 里 にす ぎ ぬ 。東 鉄 は
哈 爾 賓 事 務所 長
八 区 問題 及 イ局 長排 斥 問 題 に対
大 正 十 四年 一月 十 二日
両 国 民 の協 力 を 阻害 せ んと す る 圧迫 のあ るは衷 心遺 憾 に耐 え な い。
露 、支 両 国 民 は東 支 鉄 道 に共 助 す べき 筈 な る に、 余 の赴任 以来
し遽 に地 畝 管 理 局 が登 記 布 告 を発 し た為 、 八区 配 車問 題 は其 の帰
に限 る のは 既 に規 定 しあ る所 で あ る。 然 る に特 産 物 の出 廻 期 に際
が、 其 の配車 を受 け る者 は 地代 を 納 め 、東 鉄 土 地 課 に登 記 済 の者
又 貨 車 廻 入料 問 題 に就 ても東 鉄 は荷 主 の為 に配 車 す る の であ る
るか ら 、東 鉄 に対 し 相 当 の金 額 を 納 入 す る のは当 然 であ る 。
八 区 の施 設 に多 大 の経費 を投 じ て商 家 の便 利 を計 つてゐ る のであ
五
す るポ ズデ ー エフ理事 の意 見 イ局 長 排 斥 問題 に就 き 東 支 副 理事 長 ポ ズ ジ エー エフは赤 派 露 字 記
我 等 両 国 民 は露 奉 協定 に基 き 活 動 す る に他 よ り 何等 異 議 あ る筈 は
日 の紛擾 を惹 起 し た の であ る。 し かし斯 る排 斥 運動 を な す支 那 側
イ局 長 排 斥 問 題 は以 上諸 事 項 の外 に運 賃 問 題 と絡 ま つ て遂 に今
る を得 ず 、 貨 車 廻 入 料 を徴 収 し て之 を救 つた ので あ る。
趨 を失 ひ、 商 家 は狼 狽 し出 し た 、故 に イ局 長 は此 の窮 状 を座 視 す
東 支 鉄道 の事 業 が時 々遂 行 困 難 に陥 込 む 所 以 は 、支 那 地 方 官 憲 六
な い。
者 に語 つ て 曰く 。 一
二
が露 奉 協 定 の真 意 を解 せず 徒 ら に我 田引 水 に走 り 、 一部 奸 商 の悪 辣 手 段 を 矯 正 し得 な い為 では あ るま いか。
は 、露 支 の親 善 を 破壊 せ んと す る者 の犠 牲 に供 せら れた観 が あ る。 更 にイ局 長 誹 謗 宣 伝 の出 所 は 、 日字 紙 並 に満鉄 の援 助 に在 る白 系
哈爾 賓 事 務 所 長
露 字 紙 にあ る明 か であ る 、云 々。 ( 清水利吉)
二
大 正十 四年 一月 十九 日
哈 調情 六 五 六号
束 支 八 区問 題 と 附 属 地問 題 右 に関 し烏 鉄 哈市 営 業 所 長 秘書 ミ ハイ ロフ氏 の当 所 特 報員 に語 る 処 、 左 の通 り。 東 支 鉄道 副 理 事 長 ポ ズ ゼ エフ、 理事 グ ラ ンド 、局 長 イ ワ ノ フ、 ジ ー キ ー氏等 の北 京 行 は東 支 鉄 道 の重要 問 題 と され た土 地問 題 、 松花
の最 も好 都 合 で あ る。 本 問題 は東 支鉄 道 所 有 地割 譲 問 題未 解 決 の為
江航 行 権 問題 等 の解 決 の為 に て、 八 区問 題 の紛 糾 は右 諸 問 題 解 決 上
に起 つた も ので、 露 西 亜 側 は幾 度 か奉 露 協 約 の細 目協 定 及 北 京 細 目 協 定 を為 さん こと を促 し たが 、支 那 側 は 種 々口実 を 設 け て之 が討 議
イ ワ ノ ブ局 長 の北 京 行 も勿 論 八 区問 題 の責 任 上之 が精 細 なる報 告
あ る。
を なす 為 で、辞 職 或 は免職 さ る る如 き事 はな い。噂 に依 れ ば哈 爾賓
地方 共 産 党 が イ局 長 の辞職 勧 告 運 動 をな し つ つあ る、 と の事 な る が 、
同 党 は イ局長 の席 を動 揺 せ し む るが 如 き勢 力 な く 、 又莫 斯科 政 府 の
又東 支 本 社庶 務 課 次 長 郭福 綿 氏 の語 る処 に依 れ ば 、東 支 鉄道 と 八
イ 局長 に対 す る信 任 は厚 い ので あ る。
区 問題 に て目 下赴 奉 中 の袁 金 鎧氏 は茲 二 、 三 日中 に帰哈 す る予定 で
の結 果或 は根 本 問 題 た る東 支 鉄道 土 地課 問 題 の解 決 端 緒 を得 ら れ る
あ る が 、同 氏 は八 区問 題 に就 て奉 天 官憲 の指 令 を 齋 す で あら う 。其
やも 計 ら れ ぬ。 露 国 側 理嘉 キ セ リ ヨ フ氏 は 昨 日 八区 問 題 の解 決 を委
員 会 に計 ら ん とし た が、 支那 側 は袁 金鎧 帰 哈 迄 其 の討 議 を避 け何 等
三
哈爾 賓 事務 所 長
議 せら る る処 が な か つた 。
哈 調情 第 六 五九 号
余 裕 が な いと す れ ば、 露 国 側 は 此 の際 地 方官 憲 (哈 爾 賓) 及 地方 商
問 題 は露 国 側 理 事 の提議 で十 二日 本社 に臨 時委 貴 会 を 開 いた が議 は
東 支本 社 庶 務 課 次 長郭 福 綿 の当所 特 報員 に語 る処 に拠 れば ﹁八 区
八 区 問 題 解 決法 に関 す る露 支 理 事 意 見 の相 違
大 正十 四年 一月 二 十 日
業 団 体 が 、露 奉 条 約 の如 き国策 上 の協 定 に言 及 し、 且其 の解決 を妨
而 し て若 し 目 下支 那 政 府 にも官 憲 にも 奉天 と露 支 細 目協 定 に入 る
を避 け て居 た為 で ある 。
ぐ るが 如 き行 動 に出 な い言 質 を 北京 政 府 よ り 取 り、 地 方 官憲 及地 方
が、 支 那側 は袁 理 事 不在 と の理 由 で之 を 断 つた故 に、露 西 亜 側 は赴
纏 らず し て解 散 、 其 の後 キ セ リ ヨ フ理 事 は 委員 会 の再 開 を提 議 し た
燕 中 の理事 帰任 後 委 員 会 を再 開 し て解 決 を 期 せ ん とす るも 、支 那 側
的 商業 団体 を圧 迫 し 、或 は全 然 地方 官 憲 及 商 業 団体 が有 す る東 支 鉄 道 政 策 上 に及 ぼす 勢 力 を妨 げ 得 る何 等 か の保 証 を得 ん とす る も ので
2, 協 調違 反 者 監 視 委員 会 を挙 げ
1 , 問 題 解決 委 員 会 を組 織 し
袁
金
鎧 ポ ツデ ー エ フ
一月 十 二 日附 商 業 部 発令 八区 諸 料 金 の徴 収 を中 止 し 、之 を 借 地
一月 二十 日 以後 未 登 記 地 区 に対 す る 配車 に関 し て は、昨 年 十 二
料 金 支 払 を禁 止 し 且 之 を監 視 す る に至 つた 。
た。之 を知 つた 支 那官 憲 は八 区事 務 所 に巡警 を配 置 し 、支 那 商 人 の
車 輌 を貨 物 置 場 に集 中 し て守 衛 を し て監 視 せ し め荷 卸 を許 さな か つ
此 の命 令 と同 時 に鉄 道 側 は未 登記 地区 に対 す る配 車 を全 然 中 止し 、
四 、 二十 日及 二十 一日 に於 け る情 況
を 命ず る (東 支 管 理局 長 代 理 エイ ス モ ンド)。
月 六 日附 商 業 部 発令 第 二五 五︱ 四 一二号 を適 用 す る事
2,
人 の借 方 に記 入 し置 く の件 は 、 一月 二 十 日限 り之 を廃 止 す る事
1 ,
の協 議 会 に彼 ら は応 じ な か つた関 係 上 一月 十 日附 本 社 の命 に基 き
支 那 商 民 と交 渉 の為 本社 よ り与 へら れ た期 限 も経 過 し 、 又管 理局
し宣 戦 を 布告 し た。
代 理 エイ ス モ ンド は 左記 命 令 を第 八 区事 務所 に送 つ て支 那 商 民 に対
斯 く て期 限 の 一週間 は経 過 し 廿 日 に な つた が、 同 日東 支 管 理 局長
三、 東 支管 理局 長 代 理 の令 令
固 と な つた。
態度 を明 示 し た る を以 て、 支那 側 の意 気 は頓 に場 り其 の意志 は益 鞏
然 る に張 作森 及哈 爾 賓官 憲 は政 策 上 自 国商 民 を飽 く迄 援 助す べき
に運 動 を 開 始 し た 。
を決 議 し 、 イ ワ ノ フを排 斥 す る と同 時 に自 国官 憲 の後 援 を得 る こと
3, 若 し 廿 日迄 各 種 料金 が撤 廃 され な い場 合 は荷 積 を 中 止す る事
は既 に解 散 した 以 上其 の要 な し と し 、袁 理事 の帰 哈 と 同時 に奉 天 の
四
哈爾 賓 事 務所 長
命 通 り 商 民 と協 議 解決 し よう と の意 嚮 であ る 。 ﹂
哈 調情 第 六六 三 号 大 正 十 四年 一月 二十 一日 八 区問 題 決裂 情 況 既電 の如く 八 区問 題 は 一週 間 の期 限 に何 等 の解 決 を 見 る こと能 は ず 、遂 に昨 二十 日決裂 を見 る に至 つた。 今 其 の経 過 を記 さ ん に
八 区 問 題解 決 の為幾 何 の配 車 料 及未 登 記 地 区手 数 料 を 徴 収 す る を
一、 問 題 解決 の為 東 支 本社 が管 理 局長 に与 へた訓 令
右 期 間 内管 理 局は 如 上 の料 金 の徴 収 を中 止 し 、之 を地 区 使 用者 の
至 当 と す る や 、 七日 間 に支 那 商 民 団 と交 渉 協 議 せ よ。
借 方 と し て記 入 し置 く こと 。若 し 右 期間 内 に於 て所 要 の決 定 を 見ざ
一月 十 日
る場 合 に於 ては 、前 記 料金 は現 行 規 定 に依 り之 を 徴 収 す る こと 。
二 、支 那 商 民 側 の態 度 右 訓 令 に基 き 管 理局 長 は 商 業部 を し て協 議 会 を 開 催 せ し め んと し 、 商 業 部 は支 那 商 民 側 の有 力 者 を招 致 した が 、支 那 側 は 一人 も此 の招 致 に応 ぜず 、従 つ て協 議 会 は全 く 不成 立 に終 つた。 之 に依 つて見 る も 明 かな るが如 く 、支 那商 民側 の意 嚮 は意 外 に鞏 固 で十 一日及 十 六 日 の会 合 に於 て
斯 く し て第 八区 事 務 所 の空 気 は著 し く緊 張 し 、事 件 の突 発 を 予 想 さ れ たが 、 果 し て午 後 三 時頃 巡 警 の 一団 は貨 物 置 場 に侵 入し 、 料 金
の料 金 を 支 払 つて荷 卸 を し た支 那 商 は 六軒 あ る。
未 払 者 を 保 護 し十 一車 の荷 卸 を終 ら せ た 。 又正 午 迄 に秘 密 裡 に規 定
一方 管 理 局 に於 て は支 那 商 民代 表 と 鉄 道側 代 表 と の会 見 が あ つて、 支 那 側 は料 金 の徴 収 を撤 廃 せ ん事 を要 求 し た が鉄 道側 は之 を拒 絶 し 問 題 は愈 紛 糾 す る に至 つた 。 本 二十 一日鉄 道側 の報 に依 る と支 那 商 側 で秘 密 裡 に料 金 を納 め て 積 荷 す る も のが段 々あ る と言 ふも 、積 込 車 数僅 か 三、 四 十車 にすぎ な い。 五 、 将来 に関 す る諸 観察
哈 調情 第 六八 一号
五
哈 爾賓 事 務 所 長
八区 問 題 に関 す る張 作 霖 と カ ラ ハンと の往復
大 正 十 四年 一月 三 十 日
電 報 と ソビ エート露 国 機関 の論 評
( 大 正 十 四 年 一月 二十 日国 際 協 報 抜萃 )
張 総 司 令 より カ ラ ハン 大 使 に 致 せ る 電 文
東 鉄 の土 地 は鉄 道 自 身 に必 要 な る も の の外 一切支 那官 庁 に於 て処
理す る こと と な れ る は協 定 の条 文 に明 か に規 定 し あ り、然 る に今 イ
局長 は故意 に協 定 を破 壊 し 、返 還 す べ き土 地 に対 し理 事会 の通 過 を
如 き行 為 は 単 に協 定 の精 神 に違 背 す る のみ なら ず 且鉄 道 の前途 に対
経 ず 強 い て支 那商 民 に向 つて巨 額 の附 帯 費 を増徴 し つ つあ り、 此 の
哈 市露 国総 領 事 で東 支鉄 道 を兼 職 す る キ セ リ ヨ フの意 見 に依 る と、 支 那 商 民 を 第 三者 た る 軍権 其 の他 が陰 に陽 に後 援 し て殊 更 に事 件 を
ンと の特 別 交渉 に待 つ の外 あ る ま いと の事 であ る。
拡 大 さ せ て居 る の で、 其 の解 決 は到底 容 易 でな く 、張 作 霖 と カ ラ ハ
民 を虐 待 す る こと前 露 帝 政 派 よ りも 更 に甚 し き横 暴 を極 む る に因 り、
る にイ局 長 は 貴 大使 の意 を 体 す る能 はず 、支 那 領 土内 に於 て支 那 商
て協 定 の訂 立 せ る は実 に両 国 に均 し く利 益 あら し め ん が為 な り。 然
し亦 不良 の影 響 を 発 生 せん と す。 査 す る に東 鉄 に関 し友 好 の誼 を以
蒙 る こと が多 大 で あ る こと か ら考 へる と紛 争 が永続 す る とは 思 へな
商 民全 体 驚 愕 し て来 奉 そ の旨 を陳 述 せり 。本 総 司令 は実 に商 民 に 対
一般 の観 察 に依 ると 支 那商 側 も鉄 道 側 も此 の事 件 に依 つ て損 害 を
い。而 し て両 者 と も支 那 正 月 の閑 散 期 を 目前 に控 え て居 る の で各 々
使 は嘗 て此 の事 を 聞知 せら る ゝや否 や。速 に該 局 長 に打 電 し直 ち に
す る 詞 なし 。 畢 竟 イ 局長 が擅 に附 帯 費 を増 徴 せ る の件 に就 き 、貴 大
之 を停 止 し 、 理事 会 全体 の解 決 に俟 つ様 命 令 せら れ ん事 を 請 ふ 。然
ぎず 、実 は露 支 政治 的 関 係 が裏 面 に大 き な根 を張 つ て居 る から 両 国 官 憲 の後 援 が強 け れば 強 いだ け問 題 は永 引 き、 又 例令 単 な る八 区 問
強 が りを 言 つ て居 る の であ る 。然 し 八 区問 題 は単 に表 面 の問 題 にす
と な る だら う と 。
題 が解 決 し ても 、本 事 件 を 導火 線 とし て露 支 間 の勢 力争 ひ は益 露 骨
エト露 国 と 支 那 と は境 を接 し 関係 極 め て重大 な り 。 現 に大 綱 を決 定
ら ざ れ ば商 民 憤 慨 し事 故 発 生 の場 合 誰 が其 の責 を 負 ふ べき や。 ソビ
し 既 に其 の調 印 を経 た り と雖 も 会議 事 項 尚多 し。 若 し 貴国 方面 自 由 に行 動 せ ば協 定 の全 文 将 に之 より破 壊 せら れ ん とす る に因 り、 本 総
右 に対す る カ ラ ハ ン の回答
司 令 は 相 当 の対策 を 取 らざ る べ からず 。 茲 に電 を致 し尚 回答 を望 む 。
第 一、土 地 問 題解 決 に関 す る件 現 在 東 鉄 の所 有 に係 る土 地 にし て商 業 機 関 と し て直 接 必要 な き土 地 を支 那 に移 管 す る こと に何 等 の反 対意 見 を有 せず 。同 問 題 の解 決 策 とし て余 は既 に土 地 割譲 地域 設 定委 員 を 任 命 せ る に付 、 支 那側 も 即 刻 委 員 の任命 あり た し 。 第 二 、 イ局 長 の越 権 行為 に関 す る件
4,
東 鉄 理事 長 は 至急 実 際 に就 任 あ り たし 。若 し 鮑氏 実 際 事 務 を処
露 字新 聞 の論 調
理 し得 ざ る事 情 あ らば 、 新 に理事 長 を任命 さ れた し 。
右 カ ラ ハ ンの 回答 一度 公 表 さる ゝや 、労 農機 関 紙 は 口を揃 へて支
にすぎ ず と な し 、専 ら イ 局長 の擁 護 的論 調 を掲 げ て ゐ る。今 トリブ
那 商 民 の軽 挙 盲 動 を 非難 し、 イ 局長 の越 権 行為 は全 然 支那 側 の捏 造
支 那 商 民 は徒 ら に虚 偽 の宣 伝 に熱 中 し て問 題 を斯 く も拡大 させ た
ーナ紙 の論説 大 要 を記 す れば 次 の通 り であ る。
ので あ る。彼 等 は数 度 の会 合 を開 き て其 の気 勢 を掲 げ 、 東 支管 理 局
誠 に張 煥 相 の如 き は奉 露 協 定 、東 支 鉄 道 現行 法 規 の何者 をも遵 奉 し
も カ ラ ハン の暗 に指 摘 せ る通 り張 煥 相 の悪 辣 手 段 によ るも の であ る。
イ 局長 排 斥 示威 運 動 を も蹶 行 せ んと し た 。併 し 支那 側 の斯 か る暴 挙
長 は支 那 商 民 を倒 壊 剿 滅 せ し め んと す る も の であ る 、 と極言 し遂 に
の営 業 状 態 を完 全 にし 、 且 相 当 の利 益 を挙 げ専 ら 露 支共 同 の利 益 に
な い行 動 を や つ て居 る。
イ局 長 は 何等 の越 権 行 為 を為 し た るも のと認 め ら れず 、 寧 ろ 東鉄
没頭 し つ つあ り 。例 へば 新 任 日尚 浅 き に拘 らず 既 に東支 の債 務 を 千
で、 土 地割 譲 地 域委 員 会 が設 定 さ れ、 其 の決 議 を 見 る迄 は官 憲其 の
特 に八区 問 題 に対す る支 那官 憲 の処 置 は奉 露 協 定 を蹂 躙 す る も の
五 十 万 元 より 四 百 五十 万 元 に滅 却 し たり 。故 に貴 下 が 云為 す る如 く
第 三、 八 区問 題 に関 す る件
イ 局長 の非 難 は余 の首 肯 し 得 ざ る所 なり 。
八 区徴 税 廃 止 に対 し余 は奉 露協 定 を破 壊 す る が如 き 行為 に出 づ る
答 に明 記 す る通 り で、 支那 側 商 民 は徒 ら に事 を構 へて東鉄 の為 に奔
又イ 局 長排 斥 運 動 は事 実 何 等 の根拠 を有 し な いこと 、 カラ ハン の回
他 各 種 の権 力 を 用 ふ る も東 支 附 属 地 を奪 取 す る を得 ざ る も の であ る。
にし て将 に命 令 権 な く、 同 問 題 の変 更 は東 支 理事 会 の為 す べ き も の
権 限 を有 せず 、 又東 支 管 理 局 長 は東 支 理 事 会 の命 令 に服 従 す る も の
命 せ る イ局長 に眉 つく も のであ る 。
故 に吾 人 は既 に解決 期 の近 づ け るも のと信 ず る、 云 々。
決 は支 那 商 民 が誠 意 を披瀝 し て宜 し く 東鉄 と協議 す る より 外 はな い、
以上 縷 説 の通 り東 鉄 には何 等 の不 法 行為 がな い限 り、 当 問題 の解
な り 。 依 て東 支 の事 項 に就 て は左 記 の趣 旨 に拠 り解 決 致 し 度 し 。 1, 哈 爾賓 支那 官 憲 が商 事 機 関 た る東鉄 の事 業 を防 害 し 、 奉露 協定 を破 壊 す る が如 き行 為 を な さざ る こと。 2, 土 地 割 譲 地域 委 員 を 任命 す る こと 。 3, 支 那 商 民 に対 し東 支 管 理 局 と協 議 す べ く諭 告 す る こと。
六
哈 調 情 第 二 五〇 〇 号
調 査課 情 報 係
大 正 十 四年 二月 四 日
東 鉄 は八 区 引 込線 よ り発送 す る貨 車 に対 し 、予 告 せず し て 一貨 車
に付 き貨 車 廻 入料 五元 を 徴収 す る こと と な つた ので 、引 込線 を有 す
る各 商 人 は勿 論 、支 那 側商 総 会 は起 つて之 に反 対 の態 度 に出 た。 其
の後 交 渉 の結 果 一貨 車 三元 に減 少 し た ( 之 は従 来 の地代 及 支線 費 を
管 せ ら る ゝを 以 て其 の収 入減 の為 、 東 鉄教 育 費 の填 補 に充 てん とす
合 し たも のと称 せ ら れ、東 鉄 附 属 地 中 鉄道 に 不要 の地 が支 那 側 に移
る も のであ ると いう)。 然 し 此 の三元 も 亦 過重 に失 す る と て 支 那 側
哈爾 賓 八区 問 題 に就 て
設 立 し て貨 物 を長 春 に輸 送 し 、 以 て東 鉄 に対抗 す べき計 画 ま で樹 て
は依 然 反 対 し て居 る 。蓋 し 支 那側 は此 の外 に五元 の商務 税 を 課 せ ら
た る 程 な る も、 種 々 の事 情 より し て実 現 は し な か つた様 で ある 。
一、 八 区 地 域
支 那 側 の主 張
る ゝ為 、其 の負 担余 り に重 し と なし 、 一部 の人士 間 には馬 車 会 社 を
露 西 亜 側 の主 張
二、 本 問 題 発 生 の動機
一
三、 露 支 双 方 の主 張 と其 の経過
二 紛 擾 当 時 の状 況
地 の範 囲内 で な い。 八 区引 込 線貨 物 積 込 の件 を 理事 会 の決 議 を 経ず
八 区 引込 線 は元 来 支 那商 人 側 の出 資 に て建 設 し た も ので 、鉄 道 用
支那 側 の主 張
三、 露 支 双 方 の主張 と其 の経 過
三 露 西 亜 側 の硬 化
一
四
張 作 霖 よ り カ ラ ハ ン への電 報
四 、本 問 題 に関 す る張 作 霖 カラ ハン間 の往 復 電 報 一
し て徒 ら に商 人 の負 担 を重 く す る は 不当 であ る 。直 ち に理事 会 に命
じ て加徴 を取 消 さし め露 支 協 約 に基 づ い て鉄 道 用 地 を区劃 し以 て商
右 に対 す る カ ラ ハ ンの返 電 状
二
を支 那 側 に返 還 す べ き事 は協 定 の明 記 す る所 であ る から 速 か に鉄 道
五 、現
哈 爾 賓 八 区 は埠 頭 区 と傅 家 甸 と の間 に介 在 す る 一区 域 にし て 、北
用地 の境界 を定 め管 理局 に通 知 し 、協 約 調 印 の 日よ り凡 て支那 側 の
民 の艱 苦 を救 ふ べ き であ る。 東 鉄 の所 有 地 は鉄 道 用 地以 外 は悉 く 之
は松 花 江 に沿 ひ、停 車 場 は其 の西南 方 に位 し て居 る。 元 来 此 の区域
域設 定 委 員 会 ) に附 議 せん と す る が如 き は協 約 を無 視す るも のと言
管 理 に帰 せ し む べく 、 管 理 局 に於 て故 意 に之 を 委員 会 (土 地割 譲 地
一、 八 区 地 域
一帯 は東 支 鉄 道 会 社 に於 て倉 庫 用 地 とし て居 た も の で、 現 に停 車 場
又 八 区引 込 線 に対 し 地代 未 納 付 を 理由 と し て商 民 の負担 を増 加 す る
ふ べ く、 支 那 側 と し て は断 じ て之 に承 諾 を 与 へ難 いと い ふ にあ る。
よ り 此 の区 域 に通ず る引 込 線 は 総 延長 二 五 ・五露 里 (此 の外 私 設 の も の〇 ・五露 里 ) に達 し て居 る 。 二 、本 問 題 発 生 の 動機
六軒 あ つた 。
一方 管 理 局 に ては 支那 商 民 代表 と鉄 道 側 代表 と の会見 が あ つて 、
ら せた 。 又 正午 迄 に内密 に規 定 料 金 を支 払 つた荷 卸 を し た支 那 商 は
支 那 側 よ り料 金 の徴 収 を撤 廃 せむ事 を要 求 し た が鉄 道側 之 を拒絶 し、
は、是 管 理 局 が土 地 に関 す る協 定 を破 壊 す る も のと言 はね ば な ら ぬ。
た ね ば な ら ぬ。 局 長 の専 断 は許 さ な い。 即 ち 理事 会 の決 議 な け れば
而 も 此 の運 賃 加 重 が事 実 上必 要 のも のなら ば 必然 理事 会 の決 議 に待
如 何 な る 理由 あり と も 、 一文 の増 徴 に も応 じ な いと言 ふ ので あ る。
問 題 は 愈紛 糾 す る に至 つた。 其 の後 秘 密 裡 に料 金 を納 入 し て積 荷 し
露 西 亜側 の主 張
二
解 決 を 希望 し居 た る カラ ハ ン氏 は 、 支那 側 に於 け るイ ワノ フ長 宮 の
其 の後漸 次 妥 協 的 態度 を持 し 、 八 区問 題 其 の他 に対 す る 円満 な る
露西 亜 側 の硬 化
た るも の三 、 四十 車 あ つたと 言 ふ 。
も八 区 と 類似 の性 質 を 有 す る土 地 には同 様 の増 徴 を なし て居 る の で
四
イ ワ ノ フ長 官 が八 区 配車 に増 徴 し た る は前 理事 会 に於 ても同 様 行
あ る。 故 にイ ワ ノ フ長 官 今 回 の処 置 は極 め て正 当 で あ る。 世 人之 を
排 斥 運 動 の猛 烈 さ に鑑 み、 彼 の更 迭 を図 り以 て露 支 協 調 の実 を揚 げ
な へる 所 で、 且増 徴 率 に就 い ては 東鉄 理事 会 で決 議 し た事 で、苟 く
八 区 の み に行 ひ 且 イ ワ ノ フ長 官 の独断 に依 るも の の如 く論ず る の は
に て、 該 問題 も順 調 に進 捗 中 であ つた が、 其 の後 奉 天 支 那官 憲 より
接 受 し た電 報 が甚 だし く露 国 側 幹 部 を攻 撃 し居 る に憤 慨 し た矢 先 日
む とし 、東 支 露 国 側 幹部 を北 京 に招 致 し て其 の報 告 を 聴 取 し た る程
露 交 渉 成 立 を告 げ た るを 以 て、 カ ラ ハ ン氏 の態 度 は急 に強 硬 とな り 、
て露 西 亜 側 に於 て はあ ら ゆ る手 段 に依 つて八 区 問題 を解 決 せ ん と提 言 し、 先 づ 管 理局 に て問 題 を審 議 せ む と力 説 し 、 一月十 三 日 長官 に
誤 解 で、 実 は東 鉄 理 事 会 が イ ワ ノ フ氏 に命 令 せる も のであ る 。依 つ
依 つて該 会 議 は召 集 され た が 、支 那 人側 は最 早 此 の問 題 に つき論 議
前 記 の方針 を悉 く 翻 し て 、 イ ワ ノ フ長 官 の地位 を飽 迄 擁 護 す る と共
四 、本 問 題 に関 す る張 作 霖 カラ ハン間 の往 復 電 報
す る の要 な し 、 と の通 告 を発 し て来 た程 で あ る。依 つて ﹁愛 は強 制
紛 擾 当時 の状 況
に極 力 支 那側 に対 抗 せむ とす る に至 つた。
三
張 作霖 よ り カ ラ ハン への電 報
と な れ る事 は 、協 定 条 文 の規 定 によ つて知 悉 さ れ て居 る処 で あ る。
東 鉄 は 鉄道 に必 要 な る 土 地以 外 は 全部 支 那官 憲 に於 て処 理す る事
一
す る能 はず ﹂ と の露 西 亜 格言 を守 る ば か り であ る。
一月 二十 日該 問 題 に対 す る支 那 商 民 側 の態 度 は益強 硬 な る為 、鉄
に集 中 し て守衛 を し て之 が監 視 に当 ら せ絶 対 に荷卸 を許 さな か つた。
対 し理 事 会 の決 議 を経ず し て突 然 支 那商 民 に向 つて多 額 の附 帯 費 を
然 る に今 回 イ ワ ノ フ長官 は故 意 に協 定 を破 壊 し 、返 還 す べ き土 地 に
道 側 は税 金 未納 付 地区 に対 す る配 車 を 全 然中 止 し 、車 輛 を 貨 物 置場
依 つて支 那 官憲 は 八区 事 務所 に巡 警 を 配 置 し、 支 那 商 人 の料 金 支払
らず 、 鉄 道 の前 途 に対 し て悪 影 響 を 及 ぼす も の であ る。 元 来東 鉄 に
増 徴 し つ ゝあ り。 此 の如 き行 為 は単 に協 定 の精 神 に違 背 す る のみな
を禁 止 し 且之 を 監視 す る に至 つた。 かく し て八 区 事 務所 の空 気 は著
一団 は貨 物 置場 に侵 入し 、料 金未 払 者 を 保護 し十 一車 の荷 卸 を 終 は
し く緊 張 し 、事 件 の突 発 を 予想 さ れた が 、果 し て午 後 三時 頃 巡 警 の
が為 であ る 。然 る にイ ワノ フ長 官 は貴 大 使 の意 を体 す る能 はず 。 支
関 し友 好 的 に協 定 を訂 立 し た のは 実 に両 国 に均 し く利 益 あ ら し めむ
依 つ て東鉄 の事 項 は 左 記 の趣 旨 に依 つて解 決 し た い。
を破 壌 す る が如 き行 為 を 為 さざ る こと 。
1. 哈 爾 賓 支那 官 憲 は商事 機 関 たる東 鉄 の事 業 を妨 害 し 、奉 露 協 定
2. 土 地 割 壌 地域 委 員 を 任命 す る こと 。
那領 土 内 に於 て支 那商 民 を虐 待 す る こと、 前 露帝 制 派 より も 更 に甚 だ しく 横 暴 で あ るた め 、商 民憤 慨 し て来 奉 其 の旨 を陳 述 し た 次第 で
3. 支 那 商 民 に対 し東 鉄 管 理 局 と協 議 す べく 諭 告す る こと。
理 し得 ざ る 事情 あ らば 新 た に 理事 長 を任 命 され た し。
あ る。 依 つ て貴 大 使 は 速 か に該 長 官 に打電 し之 を停 止 せし め、 理事
右 に対 し カ ラ ハン氏 の返 電
4 . 東 鉄 理 事 長 は至 急 実 際 に就 任 あ り た し。 若 し鮑 氏 実 際事 務 を処
二
会全 体 の解 決 に俟 つ様 命令 せ ら れむ 事 を請 願 す る 。
現在 東 鉄 所有 の土 地 にし て商 業 機 関 と し て直 接 必要 な き土 地 を
は支 那 官憲 が糸 を引 き 、東 支 鉄 遣露 側 幹 部亦 露 国 官憲 の意 嚮 に拠 つ
の根 本 は東 支 鉄 道 土 地 回収 問 題 に触 れ て居 る為 、 支 那商 民 の背後 に
該 問題 は貨 車 廻 入料 金 に対 す る支 那 商 民 の不服 に起 因 す る が 、其
状
支 那側 に移 管 す る こと には 何等 反対 意 見 を 有し な い。 同 問題 の解
て動 い て居 る有 様 に て、事 件 が自 ら展 開 し て来 たも の であ る。 而 し
五 、現
決 策 と し て余 は既 に土 地 割 譲 地 域設 定 委 員 を任 命 した る に依 り、
第 一、 土地 問 題 に関 す る件
支 那 側 に於 ても 即刻 委 員 の任 命 あ り たし 。
鎧 の見 解 に依 れ ば、 該 問 題 は土 地 劃 分委 員 会 の協 定 を 経 、更 に東 支
て此 の土 地移 管 問 題 は 未 だ容 易 に解 決 の機 運 に向 は ぬが 、理 事 袁 金
イ ワノ フ長 官 は何 等 の越 権 行 為 あ り た り、 と認 め得 な い。寧 ろ
第 二、 イ ワノ フ長官 の越 権 行 為 に関 す る件
東 鉄 の営 業 状 態 を 完 全 にし 、 且相 当 の利 益 を 挙 げ 、専 ら 露 支共 同
鉄道 に て買 収 し た も の であ る か ら、其 の 一部 は 支那 側 に移 管 さ れる
と し て も大 部 分 は依 然 鉄 道 側 の所 有 に帰 せ ねば な ら ぬ筋 合 のも の で、
鉄 道 理 事 会 に於 て議 定 せら る べ きも のに て、殊 に八 区 の土 地 は東 支
東 支 の債 務 を千 五 拾 万 元 よ り 四百 五 十 万元 に滅 却 し た る が如 き は
支 那側 の主 張 も余 り過 激 だ、 と の事 であ る。 此 の見 解 は鉄 道側 及 支
の利 益 の為 に奔 走 し つ ゝあ る。 例 へば新 任 日尚 浅 き に拘 らず 既 に
是 であ る。故 に貴 下 が云 為 す る イ ワ ノ フ長 官 非 難 の声 に は余 は首
那 側 の何 れ にも偏 し か ぬる 同氏 の立 場 に於 て比 較的 公 平 な観 方 と も
支 那側 も之 を 自覚 し た為 か、其 の主 張 も漸 次 緩和 の傾 向 あ り 、且
思はれる。
肯 出 来 な い。
八 区徴 税 廃止 に対 し 、余 は奉 露 協 定 を破 壊 す が如 き行 為 に出 づ
て、之 亦 軟 化 の気味 あ り、 遂 に 一月 二十 七 日鉄 道 局 に於 て支 那側 王
商 民側 は自 己 の利害 関 係 上 飽 迄頑 強 の態度 を持 続 し難 き事 情 も あ り
第 三 、 八区 問 題 に関 す る件
る権 限 を 有 し て居 な い。 又 東鉄 管 理 局 長 は東 鉄 理 事会 の命 令 に服
警 察 局長 を中 心 と し 、 イ ワ ノ フ長官 と八 区商 民代 表 者 と の間 に会 合
従 す るも の にし て、 余 に命令 権 なく 同 問題 の変 更 は 理事 会 の為 す べ き も の であ る。
問 題 よ り出 発 し居 る こと な れ ば、 八 区問 題 は 一時 影 を潜 め ても将 来
着 す る も のと観 測 され て居 る 。但 し 前述 の如 く 其 の根 本 は土 地移 管
れ る様 にな つた と伝 へら れ て居 る か ら 、遠 からず 此 の問 題 一先 づ落
は 一層緩 和 せら れ 、 二 十八 日頃 よ り は貨 物 の積卸 も ポ ツ ポ ツ行 な は
が行 な は れ、 商 民 側 は譲 歩 の態 度 に出 でた る為 、 露 支相 互 間 の感 情
岡福松)
側 が其 の負 担 を承 認 す る か、 之 は自 ら第 二 の問 題 で あ る 云 々。 ( 浜
而 し て土 地問 題 解 決 後 鉄道 側 が各 費 の減 額 を承 認 す るか 、或 は商 人
て 、之 が未 解決 の間 は増 費問 題 の減免 に就 い て談 ず る訳 に は行 な い。
あ る。要 す る に吾 人 は先 づ我 が官 憲 の土 地回 収 を援 助 す べ き で あ つ
之 に類 似 の土 地 回収 問 題 は起 り勝 ち であ らう 。
七
哈 爾賓 事 務 所 長
大 正 十 四年 二月 十 七 日
哈 調 情 第 七 一四号
八 区問 題 の近 情 ︹ 文煥︺ 本 件 に関 し埠 頭 区 穆 総商 会 長 の語 る処 大 要 左 の如 し。 本 問 題 は奉 天 に於 て解決 す る筈 な り し が、 其 の後 奉天 当 局 よ り 又 哈 爾 賓 に て協 議 す べし 、 と命 じ て来 た故 に、 蔡 道 尹 の帰 哈 を 待 つて 解 決 さ るべ き筈 であ る。然 る に蔡 道 尹 は奉 天 で張 作霖 の誕 生 祝 を終 へた後 帰 へる ので あ る から其 の間 本 問 題 は暫 時 停 頓 の形 で あ る。総 商 会 は前 に各 団 体 を召 集 し て陳 情 委 員 を奉 天 に派 遣 す べ き や否 や に 就 き協 議 し た が 、之 も中 止 す る こと にな つた。 解 決 以前 に於 け る各
し 、東 支 支 那 側幹 部 に電 命 す る処 があ つた が、 管 理 局 に於 て之 を承
増 費 を記 帳 に止 め置 か んと す る要 求 に関 し て は奉 天 当 局 も之 に賛 成
認 せず 、 配 車 毎 に現 金 を徴 収 し て居 る。 何代 理督 弁 の増 費 減 額 に関 す る調 停 に就 ては商 人 側 と し て今 意 見 を 発表 す る事 は出 来 な い。 蓋 し 此 の増 費 問 題 は実 に其 の源 を 八区 の土 地問 題 に発 し て居 る から で
哈 調情 第 二三 号
一六
一
大 正 十 四年 四 月十 日
哈 調 情 第 一 一八号
二
委 任 に依 り管 理 局長 が之 を実 行 し て始 め て法 定 の手続 に合 す る も の
に帰 す べき を 以 て、 此 の種 の命令 の頒 布 は 理事 会 の会 議 を 経 、其 の
包 括 し関 係 重 要 にし て、 且高 級 職 員 任免 の権 は章 程 に依 れ ば 理事 会
一律 に免 職 す べ し 云 々の旨 を 以 て せる が、 本 命令 は鉄 道 職員 全 体 を
鉄 道 に通 告 し 、本 年 六月 一日限 り凡 そ露 支 両 国 に 入籍 せざ る職 員 は
東 省 鉄 路 局長 イ ワ ノ フが本 年 四 月 九 日第 九 四号 命 令 を発 布 し、 全
九 四 号命 令 無 効 に関 す る鮑 督弁 の布 告 全文
大 正 十 四年 五月 二十 日
哈 爾 賓事 務 所 長
令 を受 け た の で此度 斯 かる 布告 を見 た のであ る と。
鑑 み カ ラ ハン大使 が イ局 長 と会 見 の際 登 記 期 限 を短 縮 せ よ、 と の命
事 実 八 月 三 十 一日迄 と 其 の期 限 を 延期 し ても無 意 味 であ る、 是 に
東 鉄 九 四号命 令 ( 無 国 籍 者 解 職 )事 件
哈 爾賓 事 務 所長
東 鉄 の露 支国 籍 所 有 者 以外 の解 職 命令 昨 九 日東 鉄 管 理 局長 は従 事員 に対 し大要 左記 の命 令 を 発 し た。 東 鉄 従業 員 は露 奉協 定 に基 づ き ソヴ エート共 和 国 並 中 華 民国 の国 籍 を 有 す る者 のみ に限定 す 、 而 し て従 業 員 中国 籍 を有 せざ る も の は 六月 一日 を 以 て解 職 す 、故 に若 し 無国 籍 者 中 国籍 の登 録 を 為 さ ん と
右 命 令 は単 に イ局 長 の 一存 で布 告 し た も のな る が故 に、 一般 は単
す る者 は来 る 五月 三 十 一日迄 に之 が手 続 を為 す こと を要 す 。
な る威 嚇 手 段 に過 ぎ ず と看 做 し て居 る。
に此度 は期 限 を短 縮 し て、 五 月 三十 一日 と為 し た る こと に対 し 東 支
なり 。 況 ん や奉 露 協 定 第 一条 第 十項 ﹁本 鉄道 の人員 は両 国 平 均配 置
尚 前 回 の国籍 登 記 布 告 は其 の期 限 を 八 月 三十 一日迄 と なし 居 た る
管 理 局側 は左 の如 く弁 明 し て居 る。
の原 則 に依 り て任 用 す べ し﹂ と あり 、故 に其 の配 置 に関 し 妥 当 な る 協 定 を経 ざ る 以前 に於 ては 、 一方 より 大多 数 の人 員 の更 迭 を主 張 す る能 はず 。然 る に該 局 員 は 予 め之 を理 事 会 に請 はず し て擅 に権 限 を 越 え て命 令 を頒 布 せ る は、根 本 的 錯 誤 にし て法 理 上 効 力 を発 生 す る 能 はざ る も の是 其 の 一な り 。東 鉄従 業 員 数 千 人中 支 、 露両 国 の国 籍
哈 調 情第 一二〇 号
三
哈 爾 賓事 務 所 長
第 九 四号 命 令 無 効宣 言 公 布 の経緯 に就 き 、東 鉄 本 社庶 務 課 長 次席
九 四命 令 無 効宣 言 発 表 の経 緯
大 正十 四年 五 月 二十 日
郭 福 綿 の語 る処 に依 る と 、呂 栄 寰 帰哈 後 非 公 式 の理 事 会 に於 て妥協
を 取得 せざ る者 数 百 に下 ら ざ る べ し。 此 の従事 員 等 を免職 せ んと 欲 せ ば 、両 国 より 相当 の候 補 者 を 選定 し適 当 な る時 機 に於 て交 代 せし
長 の命 令 は全 然 認 容 す る こと が出 来 ぬ と い ふ の で、 遂 に今 回其 の無
的 意 見 を 見 出 し た やう であ つた が、奉 天 の態 度意 外 に強 硬 で、 イ局
効 宣 言 を 発 す る に至 つた 次第 であ る 。之 に対 し露 国 側 は 如何 な る態
を為 さ ざ る に先 立 ち 突然 命 令 を発 し 、期 日 を限 り て免 職 せ ん と す る が如 き は 、現 状 を破 壊 す る も の にし て業 務 を 妨害 し 、其 の方 法燥 急
む べ き も のな る に、 今大 多 数 の人員 更 迭 に対 し充 分 なる 準備 と計 画
に過 ぎ 、事 実 上 当 を 得 ざ る も の是其 の二 なり 。要 す る に東 鉄 は 支 、
は支 那 側 理 事 が奉 天 当 局 に要 請 せる 為 、鮑 督 弁 は 已 む を得ず 発 布 せ
度 を取 るか 今 の処 不明 であ る と。 又 何守 仁 氏 の言 に拠 れば 、該 布 告
る も の であ る 。該 布 告 に対 し露 国 側 は 之 を遵 奉 す る ことを肯 ず べき
露 合 弁 の営業 にし て、協 定 に依 り 両 国 よ り共 同 管 理 す べく 、 理事 会
を踰 越 し て任意 に事 を 行 ふ が如 き は、 実 に共 同 管 理 の定 義 に違 背 せ
様 子 もな く 、 已 にカ ラ ハン大 使 に打 電 せ る模 様 な れ ば、 問題 は益 紛
は鉄 道 の上級 機 関 にし て重要 任 務 に任 じ居 れば 、 局長 が権 限 の範 囲
る も のな る を 以 て、 本 督弁 は厳 重 に制 止 を加 へ、 一は 以 て協 定 の精
て支那 側 理 事 の強 請 に依 つて発 せら れ た る も の の如 き 口吻 であ つた 。
糾 し到 底 此 の地 にて は解 決 を見 る こと 能 はざ る に至 る べし 、 と反 つ
四
第九 十 四号 命令 の無 効 な る こと を宣 告 す 。本 問 題 に関 し て は別 に理
哈 調情 第 一二 三号
鮑 督 弁 布 告 の影嚮
大 正 十 四年 五 月 二十 日
鮑督 弁 の布 告 が 一般 鉄 道 従事 員 の心裡 に多 大 の衝 動 を与 へた こと
哈爾 賓 事 務 所 長
神 を重 んじ 、 一は以 て鉄道 の利 益 を維 持 せざ る べ からず 。 依 て茲 に
に依 り て解 決 す 。該 局 長 は 此 の旨 承 知 す べ し。 而 し て理事 会 の決 定
事 会 に於 て討論 し、 其 の平 均 配置 人 員 採 用問 題 を妥 当 に籌 画 し 、 法
督
の如 く其 の職 に任 じ自 ら紛擾 す る勿 れ。 切 に茲 に布 告 す 。 鮑
弁
を経 た る命 令 を 発布 せら れ ざ る 以前 は凡 ゆ る在 籍 従 業員 は 、各 従 来
五 月 十九 日
( 浜岡訳)
は否 む べ か らざ る事 実 であ る が、未 だ露 西 亜 側 の態 度 が判 明 し な い 為将 来 如 何 な る結 果 を招 致 す べき や は予 断 し 難 い。 只此 の二 日間 に 起 つた現 象 は 左 の通 り 一、 ソヴ エート露 国 々籍 登 記願 出 人 の数 が減 少 し た事 。 二、鉄 道 大 工 場 に 一時 罷 工 が起 ら んと し た が イ局 長 訓達 及 職 業 同 盟 会幹 部 の告 諭 に依 り中 止 され た事 。
六
北 公情 二 五第 一号 の 三九 大 正十 四年 五 月 二十 八 日
北 京公 所 長
東 支鉄 道 督 弁 鮑 貴卿 の布 告 に対 し 、 イ ワノ フ局 長 が
東 支 鉄 道 に将 に大 風 潮 起 ら んと す (五 月 二十 八 日晨 報 摘録 ) 哈爾 賓 通信
其 の無 効 を発 令 し て後 、該 局 長 は各 公 署 の公 費 支出 を停 止 す ると 同
三、督 弁 の布 告 に対 抗 し て管 理 局内 に第 九 四 号命 令 が新 た に多 数 貼
時 に東 支 鉄道 員 に対 し て中、 露 両 国籍 に非 ざ るも のは継 続勤 務 の厳
人 員 調 書 を作 成 し て居 るが 、職 業 同盟 、 ド ル コム、 メ スト コム等 の
こと を恐 れ て居 る。 東 支 鉄道 理事 長 呂 栄寰 は 此 の事 件 を如 何 に解 決
中国 警 察 は之 に対し て非常 な る注 目 を為 し今 や大 風 潮 が醸 成 さ れ ん
宣伝 さ れ、 哈爾 賓 居 留 の労 農 人民 は連 日秘 密 会 議 を 開 き居 る状 態 で、
を為 す 旨 返電 な した り 。今 や東 支 鉄道 側 に 一大 罷 工 が起 ら ん こと を
氏 は之 に対 し て鮑 貴 卿 の布 告 に関 し否 認 す ると 同時 に 一方極 力 抗議
記 し、 同 時 に カ ラ ハン氏 に発 電 し て其 の処 置 を請 ひ たり 。 カ ラ ハン
機 関 に発電 し、 駐 哈 露領 事 が鮑 貴卿 の布 告 に対 し て承 認 せざ る旨 を
卿 の布告 発 出 の時 イ ワノ フ局 長 は自 ら 電報 局 に赴 き、 本国 の各 重要
定 し た る に依 り 、最 近辞 職 者 の申出 既 に三 百余 名 あ り と聞 く 。鮑 貴
六 月 一日解 職 と共 に各 鉄 道員 の貯 金 を 没収 し て返 還 せ ざ る こと と決
禁 を発 令 し 、其 の辞 職 を迫 り 、辞 職 を肯 ん ぜざ る も のに対 し て は、
布 さ れ た事 。
哈爾 賓 事 務 所長
尚 本 日カ ラ ハ ンの訓 電 到着 し、露 国側 に ては午 后 五時 を 期 し 、之
五
を発 表 す る筈 であ ると 。
哈 調情 第 一三三号 大 正 十 四年 五 月 二 十 三 日 露 国 側 第 九 四 号命 令 実 施決 心
各 代 表 と 共 に秘 密 会 議 を 開 きし 際 (時 日 不明 ) 最 初 に免 職 す る のは
す る か に就 て昨 晩奉 天 に赴 き 、其 の臨 機 の処 置 を 仰 ぐ と言 ふと 云 々。
イ局 長 は第 九 四 号 命令 を飽 く 迄実 行 す る決 心 にて目 下 免 職 す べ き
無 国 籍 人 に非 ず し て文 那 に国籍 を 転 ぜ る露 人 な り 、 と言 明 せ し由 。
し。
斯 く ては 東 鉄 を中 心 とす る露支 間 の抗争 は将 来 益 紛糾 す る に至 るべ
七
哈 調情 第 一五 九 号
哈 爾 賓 事務 所 長
大 正 十 四年 六 月 二 日
理局 長 の義 務 で あ りま す ︱︱ 本 年 四 月 九 日第 九 四号命 令 を発 し 、本
年 五月 三十 一日 迄 に ソヴ エート或 は支 那 共和 国 の国 籍 を取 得 せず 、
官 憲 或 は ソヴ エー ト共 和国 領 事 館 の説 明書 を提 出 せざ る従 業 員 は全
若 し く は 両国 中 何 れ か の国籍 取 得 を 請 願 中 な る事 に関 す る支 那 当該
一九 二五 年 五 月 二十 三 日 ソヴ エー ト共和 国 駐 支 カ ラ ハン大 使 は 、
を かく 遅 れ て発 布 し た 訳 は、 管 理 局 長 が支 那 若 し く は ソヴ エート共
部 之 を解 雇 す る旨 を布 告 す る に至 つた ので あ りま す 。但 し 此 の命 令
九 四号 命 令問 題 に関 す る カ ラ ハン大使 の覚 書
支那 外 務 総 長 宛 ( 鮑 貴 卿将 軍 が東 支 鉄道 在 勤 の白 系 分 子 を擁 護 し 、
国 に有害 な る分 子 を除 き 、 又斯 く し て前 記 協 定 第 五条 の実 現 の期 す
蓋 し第 九 四号 命 令 の主 眼 とす る処 は 、鉄 道 従 業員 中 から露 、支 両
り ます 。
対 す る各 自 の態 度 を決 定 す る に充 分 の余 裕 を与 へん と した か ら で あ
和 国 の為 忠 実 に働 かう と す る総 て の者 に対し て、露 、支 両 共和 国 に
露支 及 奉 露 協 定 に違 反 せ し と の理 田 に依 る) 左 記 の抗議 的 覚 書 を 送 つた。 覚 書 の要 旨
有 せず 。 同 布 告 は責 任 を有 せ ざ る刑 事 犯 的 帝 政派 の分 子 を公 然 擁 護
鮑 貴 卿 の布 告 は明 ら か に不法 の書 類 で何等 公式 的 及 拘束 的 意 義 を
し た る も の で、 ソヴ エー ト共和 国 に対 す る 直接 な敵 対 行為 で あ る。
る の みな らず 、両 国 に有 害 な る無 責 任 の徒 を 艾 除 し以 て、 正常 な る
機 能 の発揮 と適 正 な る秩 序 の維 持 を 東 支鉄 道 に保障 せ んと す る当 面
の任 務 に応 ず る に在 つた ので あ りま す 。 それ 故命 令 が露 国 帝 政派 及
覚 書 全 文 (五 月 二十 七 日 エホ紙 所 載 )
カラ ハンは之 に関 し て 四ケ条 の要 求 を支 那 政 府 に提 し てを る。
昨年 五 月三 十 一日北 京 調 印 の東 支 鉄 道 臨 時 管 理協 約 第 五条 に よ る
共和 国 に敵 心 を懐 い てお る東 支 鉄 道 従業 員 擁 護 のた め、 支 那 の保 守
のは寧 ろ 自然 の理 であ り ま す。 かく 露 国帝 政 派 の残 党 が ソヴ エー ト
派 と吻 合 し た のは全 く 当 然 の ことと し ても、 支 那 政府 の任 命 せ る官
支 那 保 守 軍閥 の使 嗾 を 受 け た る無 責 任 の徒 から 烈 し い攻 撃 を受 けた
長 の命 令 を以 て、 ソヴ エート若 しく は支 那 共 和国 の国 籍 に在 らざ る
と 、東 支 鉄 道 の従業 員 は露 、 支 両国 の国 民 に限 る ことと な つて を り
者 を鉄 道 に雇 入 れ る ことを禁 じ まし た。 然 る に露 支 協 定 締 結 か ら約
次第 で あり ま す 。 且遺 憾 な こと は第 九 四 号命 令 に対 す る攻 撃 が 支那
吏 が帝 政 及 保守 派 の感 化 を受 く る に至 つて は、 之 を解 す る に苦 し む
ま す 。 で 此 の条 文 実現 の為 既 に 一九 二 四年 の十月 に東 支 鉄道 管 理 局
一年 を経 、 又 ソヴ エー ト及 東支 両国 理 事 会 の組 織 及 新 管 理 局 長任 命
理事 の側 から始 つた こと です 。 彼 等 理 事 は露 国 の帝 政派 を 直接 保護
以 降 九 ケ 月 を経 た ので 、管 理 局 長 は自 分 の義 務 と し て前 記協 定第 五
す る こと を 敢 てせず し て、該 命 令 は管 理 局長 の権 限 を踰 越 し 、 理事
会 の権 利 を 侵害 す るも のな り と し て、 之 に反 対 の態度 に出 ま し た 。
条 の実現 の為 に、更 に進 ん で歩 武 を と ら ねば な ら ぬ事 にな つた ので
乃 ち管 理局 長 は 現 行 の規 程 及 訓令 に依 る権 限 に基 づき 、 且 露 、支
而 も斯 様 な 根拠 のな い態 度 が本 年 五 月 十 九 日附 東 支 鉄 道督 弁 兼 理 事
あり ま す 。
両 国 間 の協定 を指 針 と し て︱︱ 此 の協 定 を厳 格 に遵 奉す る こと は管
長 鮑 貴卿 将 軍 の布告 と な つ て顕 は れ た こと は誠 に意 外 と す る処 であ
てを ら れ ます が、 ソヴ エー ト共 和国 の利 益 に反 し、 又露 支協 約 に違
と評 せざ るを得 ませ ん 。 且斯 様 な行 為 は鮑 将 軍 が督 弁 及理 事 長 に任
を保 護 す るが如 きは 無 責 任 で 、 又 ソヴ エー ト共 和 国 に敵 心 あ る態 度
反 し て 一万 七千 人 の支 那 及 ソヴ エート従 業 員 に対 し て数 百 名 の白 党
自 分 一個 の命 令 を 以 て東 支 鉄道 管 理 局 長 の命 令 を撤 廃 せ ん と
鮑 貴 卿将 軍 の布 告 に就 て私 は左 の事 項 を 御 通告 し ます 。
り ます 。
一
す る も ので、 又 かく頑 強 に自 己 の義 務 遂 行 を 回避 す る の で、其 の結
け 、其 の名 義 を 有 す る のみ で路 務 に対 す る 興味 を欠 け る こと を立 証
て、 一層 意 義 を深 く す る。 即 ち 右 の事 実 は 理事 長 が形 式 上任 命 を受
に明白 且完 全 に違 反 せ るを 以 て適 法 の文 書 に非 ず 。 従 つて鮑 貴 卿 将
果 自 然鉄 道 の現 状 を全 く知 ら ぬや う な始 末 にな る のです 。 こんな 状
命 後 未 だ 一度 も来 哈 せず 、曾 て理事 会 に参 与 せし 事 な き事 情 によ つ
軍 只 一人 の署 し た 此 の布 告 は 、鉄 道 諸 機 関 、 又第 一に管 理 局長 に対
態 であ り乍 ら露 支協 約 に違 反 し、 又白 党 分 子 を援 く る やう な行 動 に
す る鮑 貴卿 の布 告 は ﹁督弁 及会 弁 は 共 に理 事 会 の業 務 を行 ひ共 に理
し て何等 の公 式 的 及義 務 的 拘 束的 の意 義 を 有 せず 。 管 理 局長 にと つ
出 づ ると は尚 更 奇 怪 と せざ る を得 ま せ ん。
事会 の文 書 に連 署 す べし ﹂ と言 ふ条 項 を有 す る北 京 及奉 天 露 支協 定
ては 理 事長 並 副 理事 長 の連 署 あ る 理事 会 の命 令 のみ が、拘 束 力 を有
現 行章 程 に よ るも管 理 局長 は 年俸 三千 六 百 留 以下 の従 業員 を
す る ので あ りま す 。
四
解雇 す る権 利 を有 し 、 又此 より高 級 の従業 員 は之 を待 命 せし む る の
鮑貴 卿 将 軍 の斯様 の態 度 は前 述 せ る第 九 四号 命 令 の動機 の根
権利 を有 つ てを る。 従 つ て第 九 四号 命 令 及管 理局 長 が従 業 員 解雇 上
二
拠 に よ つて 明 ら かな る如 く 、今 日 に至 る迄 尚 東 支 鉄道 に勤 務 せ る無
以 上 の事 情 を閣 下 に通告 す ると 共 に、 私 は茲 に ソヴ エート共 和 国
と ら ん とし た 方 策 は同 局 長 の権 限内 に在 り 、 従 つて何 人 の抗 議 を も
の名 を 以 て 一九 二四年 五 月 三十 一日北 京 調 印 の露 支 協 定 及 同年 九 月
責 任 なる刑 事 犯人 た る帝 政派 の分 子 を支 那 の任 命 せる督 弁 が公 然 支
た露 国干 渉 政策 ︱︱ 単 に支 那国 民 に不幸 のみ を齎 らし た あ の政 策︱
二十 九 日奉 露 協 約 の違 反 に対 し て、 已む なく 断 乎 た る抗 議 を呈 し ま
喚 起 し能 はざ るも の であ り ます 。
︱ の継続 に外 な ら ぬの で あり ま す。 況 し て帝国 主 義 列 国 が夙 に白 党
す。 私 は又 東 支鉄 道 臨 時 管 理協 約 第 五条 の違 背 に対 し抗 議 し ます 。
援 し たも の であ り ます 。 支 那政 府 の任命 せ る高 官 が帝 政 派 に対 し て
に対 す る保 護 を 放棄 し た今 日尚 こ こに斯 の種 の政 策 を 見 る のは驚 異
蓋 し鮑 将 軍 の該 布 告 は前 記 協約 の実 現 を阻 害 す るも ので あり ます 。
斯 様 な保 護 を 加 へる こと は 、支 那 が五年 前 帝国 主 義 列 国 と共 に行 つ
に堪 へま せ ん。 真 に露 国 の帝 政派 が保 護 と 援 助 を享 け 、 又彼 等 の武
併 し更 に断 然 た る抗 議 を呈 せね ば なら ぬ のは、 支 那 官憲 、東 支鉄 道
ります。
理 事長 及 理 事 等 が依 然 白 系 帝 政 派 の分 子 を 保護 し つ ゝあ る こと であ
力 が ソヴ エー ト政 府 の抗 議 に拘 らず 存 続 し て居 る のは、 現 在 で は支
該 布告 中 に鮑 将 軍 は第 九 四 号命 令 に依 ると 、東 支 鉄 道 に 一万
那 の領 土 ば か り です 。 三
七 千人 の従業 員 が現 存 す る 際七 百 名 の解 雇 を 見 る こと と な ると 言 ふ
東 支 鉄道 理事 長 に対 し 、イ 鉄道 に於 け る適 正 の経 営 及 秩 序 を
一九 二 四年 五 月 三十 一日 の露 支
そ こ で私 は閣 下 に対 し て次 記 事 項 の実 施 を 主張 せざ るを 得 ま せ ん。 一 協 定 を 厳 格 に遵 奉 す る こと 、ロ 紊 す 憂 ひあ る鮑 理事 長 の布告 を即 時 撤廃 す る やう適 当 の指 命 を 発 せ
管 理 局長 の権 限 の及 ばざ る理 事会 の職 員 中 よ り 、露 、 支 両共
ら れん こと 。 二 和 国 の国 籍 に在 らざ る者 を即 時 解 傭 す る の決 議 を為 す 様 支 那 理事 に
帝 政 派分 子 に 一切 の保 護 を与 ふ る こと を総 て の支 那 官 憲 及東
命 ず る こと 。 三 支 鉄 道 支 那高 級 職 員 に厳禁 す る こと。
八
哈爾 賓 事 務 所 長
大 正 十 四年 六月 四 日
哈 調 情 第 一六 一号
東 鉄 無 国籍 従 事員 罷 免 に関 す る協 定
六 月 一日 以来 蔡 道 尹 と グ ラ ンド と の間 に東 鉄無 国 籍 従事 員 罷 免 方
法 に関 し 、 交渉 し た結 果出 来 上 つた 協定 書 は左 の如 く であ る。
一、 露 国 及支 那 に国籍 を有 し な い東鉄 従 事員 の罷 免 よ り 生ず る 欠
員 は、 左 の方法 に依 り補 充 せら る。
の他 の欠員 を進 級 の方法 に依 り捕 充 す る場 合管 理局 長 は詳 細 な る資
ら る べく 、其 の給 料 は罷 免 者 の受 け た る給 料 と相 当 す べ き こと 。其
管 理 局内 の欠 員 二十名 、 沿 線 の欠員 八 十 名 は支 那 人 を 以 て補 充 せ
道 の業 務 上最 も嘆 ず べ き影 響 を及 ぼ し つゝあ り 、 又督 弁 公 所 の経 費
鮑 将 軍 は任 命後 九 ケ月 にし て未 だ職 責 を遂 行 に着 手 せず 、鉄
及 督 弁 の年 俸 は毎 年 二 十 万元 の負 担 を鉄 道 に課 す る に鑑 み、 私 は実
格 調 査 を為 し之 を 本位 と し、 資 格 同等 な る場 合 に は支 那 人 に優 先 権
四
際 哈 爾賓 に在 り路 務 に参 与 し 以 て露支 協 定 の遵 奉 、 路 務 の適 正 な る
を与 ふる事 。
管
理
局
一、六 二八
総従事員数
グ
蔡
五四
無 国籍 者 数
ラ
運
尚 無 国籍 者 数 は左 の通 り にし て総 数 の三% 強 で あ る。
る 一般 的審 議 を開 始 す る事 。
ン
升
ド
三 、 罷免 命 令 後 露 、支 両 側 は 東 鉄 に於 け る従事 員 及 労働 者 に関 す
は同 五 日 、之 を発 布 す る事 。
二、 無 国籍 罷 免 に関 す る命 令 は 管 理 局 の分 は 六月 四 日 、沿 線 の分
進 捗 及 ソヴ エー ト側 理事 と の親 善 な る協 力 的作 業 を助 成 す る が如 き 新 理 事長 の任 命 を主 張 し て やま ざ る も の があ り ます 。 又茲 に特 記 せ ざ るを得 な い の は、 第 九 四号 命 令 は 四月 九 日 に発布 さ れた に拘 らず 、 其 の後 未 だ 一回 も理 事会 を開 催 し な か つた こと です 。 惟 ふ に若 し理 事 会 を開 いた なら ば 、管 理局 長 の此 の命 令 を 共 に審 議 す る こと も出 来 、 そ し て支 那 側 が真 に之 を求 め た な らば 特 に親 善 的 な解 決 を発 見 し 得 た筈 で す。 東 支鉄 道 に於 け る紛議 を此 の上 発展 さ せ ぬ為 私 は最 も 速 に閣 下 の 満 足 な る 回答 を受 け ん こと を希 望 し て居 りま す。 エル ・エム ・カ ラ ハン
沿 計
線
哈 調 情 第 一六 二号
一三、 三 四 七
一 一、 七 一九 四二二
三六八
九
哈 爾賓 事 務 所長
大 正 十 四年 六月 四 日
二
土 務
地
課
課
収 入審 査 課
学
務
課
課
六
一
五
一
六
商 業 学 校
法
会
律
計
課
課
七
三
三
張 作 相 及張 煥 相 の談 (六月 四 日高 橋 中 佐 報 )
大 正十 四 年 六 月 五 日
一、第 九 四号 命 令 は露 国 側 に於 て撤 廃 も せず 、 亦 延期 もせず 、唯
昨 三 日張 作 相 及張 煥 相 来 訪 せ り。 時 局 に関 す る談話 左 の如 し。
る を以 て、労 農 側 は何 時之 を実 施 す る やも 測 ら れず 目 下厳 重 に警 戒
吾 人 の態 度 強 硬 な りし為 、 一時之 が実 施 を見 合 せた る も の にすぎ ざ
中 なり 。
二、 馮 玉 祥 が労 農 側 より武 器 の供給 を受 け て段 、張 に対抗 し、 カ
一 一
哈 爾 賓事 務 所 長
し た 者 が あ つ た為 斯 く 減 じ た ので あ ると 。
は此 の罷 免 者 数 は三 六 八名 であ つた が、 三 日間 に露 、支 国 籍 に登 記
員 中 の無 国 籍 者 二〇 七名 を本 六 日 よ り罷免 し た。 六 月 一日 の予想 で
イ局 長 は六 月 五 日附 命 令 第 一四六 号 を 以 て、 予定 の如 く 沿線 従 事
沿 線 無 国 籍 従事 員 罷 免
大正 十 四年 六 月 六 日
哈 調情 第 一七 一号
線 の視察 を行 ひ爾 后 形 勢 の安 定 す る迄 引 続 き 滞哈 す べ し と。
三、張 作 相 は本 四 日 よ り哈 市 附 近軍 隊 の検閲 を為 し終 つて、東 部
て之 を 恐 れず 、 と て鼻 息頗 る荒 し。
ラ ハ ンが上 海 、青 島 及 南 満 方面 の各種 罷 業 を 指 導 し或 る事 に就 ては
東 鉄管 理 局無 国 籍 者罷 免 命 令
課
六
一一
業
頗 る憂 慮 に堪 へず 。然 れ ども 北満 に於 ては決 し て此 の事 な か らし む
務
課
部
医
イ局 長 は 本 六 月 四 日附 命令 第 一四 二 号 を 以 て、 管 理局 従 事 員 中 左
業
学
ると共 に仮 令露 国 が武 力 を以 て北 満 を 圧 す る事 ある も 、吾 人 は敢 え
庶
車 一
記 ( 略 す )の 者 は露 支 の国籍 を有 せざ る に つき、 六 月 五 日 より罷 免
商
三
す る旨 発 表 し た。 各 部課 の人 員別 は左 の通 り。
汽 課
一
課
課
度
舶
宅
船
五 六名
社
用 計
尚 此 の命 令 に依 り て罷免 さ れた も のの内 一部 は本 日直 ち に道 尹 公 署 に至 り 支 那 国籍 登 記 方 を願 ひ出 でた が、 之 等 は 支 那側 に於 て再 び
一〇
極秘
哈爾 賓 事 務 所長
旧職 務 に就 か せ る考 へであ る と。
哈調 情 第 一六 五 号
斯 く て 一時 騒 がし か つた 九 四 命令 も総 計 二 六三 名 の免 職 を 以 て 一
一二
秘
計 画 を 有 し 、東 鉄 に直接 に打 撃 を加 へ、 東鉄 を満鉄 の培 養 線 と 化 せ
右 の事 情 な ので満 鉄 は 、張 作 霖 及 支 那 理事 を介 し て露 国 理 事 及 イ
ん と し て居 る。
局長 に圧 迫 を 加 へ、以 て露 国 側 を譲 歩 せし む る か、或 は露 、 支 両国
理事 間 の不 断 の確 執 によ つて 、東 鉄 の順 当 且 生産 的 な業 務 の遂 行 を
不 可能 なら し む る に努 め て居 る。 勿 論 露 国政 府 及 外交 官 は本 問 題 に
於 て鞏 固 な る方針 を と つ た事 と思 ふ。 我 々は支 那 に於 け る 一箇 の私
営 会社 た る満 鉄 如 き も の の為 に 、露 、 支 両 国 々交 の発達 を阻 害 せ ら
哈 爾 賓 事 務所 長
先 づ 段 落 を告 げ た ので あ る。
哈 調 情 第 一八七 号
東 鉄 九 四命 令 に対 す る モス コー政
大 正 十 四年 六 月 十 日
れ ては な ら ぬ。露 支 の両 協約 は如 何 に外 国 の勢 力 が之 に反 対 す る も
り。
駐露 代 表 李 家 〓 より 六月 一日 護 路 軍 司令 部 に達 せ る報 告 、左 の通
又高 橋 中 佐 報 に依 ると 、露 国内 に於 け る露 支 問 題宣 伝 に関 し、
之 を実 現 せね ば な ら ぬ。﹂ (セメ ノ フ)
府 機関 紙 の 論調 と 反東 三省 宣伝 五 月 廿 三 日 モス コー発行 の共 産 党 機 関紙 プ ラウ ダ ー に左 の小論 文 が掲 げ てあ る。
五 月 二十 七 日よ り露 西 亜 各 地 に於 て は 一斉 に対支 問 題 に関 す る大
﹁北 京 及奉 天 協 約 の締結 に依 つて露 、支 両 国 は 、東 鉄 に対 す る権 利 と 共 管 の実 を挙 げ 得 るも のと期 待 し て居 た の に、事 実 は予 期 に反
チ エツ ク人有 力 者 と聯 絡 し て労 農 に対抗 せん と す。 労 農 は今 に於 て
隊 中 には多 数 の白 党 を雇 傭 し 、 又東 三 省当 局 は多 数 の白党 、波 蘭 人 、
﹁東 三 省政 府 は武力 を以 て東 鉄長 官 イ ワ ノ フを圧 迫 し 、東 三省 軍
宣 伝 開 始 せ ら れ たり 。其 の要 点 左 の如 し。
した 。 か の八 区問 題 は 一見 罪 のな い小 問題 の様 であ つた が実 は 支 那 側 理 事 が細 目協 定 前 に土 地問 題 を解 決 せ ん とし た協 約 違 反 の行 為 で
四問 題 が起 つた 。鮑 貴 卿 の取 消命 令 は総 て の点 で不 法 な も ので、 グ
あ つた の で、結 局支 那 側 の敗 北 に帰 し て落 着 し た 。 す る と今 度 は 九
ラ ンド及 カ ラ ハンの抗 議 は 当然 で あ る。
し﹂ と 言 ふ に在 り、 労農 は斯 の如 く にし て国 民 の排 支 那熱 を鼓 吹 し
あ るを 以 て、東 三省 、外 蒙 及 新 疆 等 の地 方 は特 に国 防 に注意 す る必
相 当 の対 策 を講 ず る に非 ざ れ ば 、労 農 の極 東 政 策 は危 機 に遭 遇 す べ
要 あり 云 々。
抑 々イ局 長 に対す る支 那 理 事 の不 断 の攻撃 は 、 個 人的 反 感 以 上 に
収 入 の増 加 を 図 つて居 る。 東 鉄 が改 善 す れ ば貨 物 が茲 に集 り、 為 に
深 い理 由 があ る 。 イ局 長 は露 、支 両国 の利 を思 ひ鋭 意東 鉄 の改 善 、
満 鉄 が打 撃 を受 く る のは勿 論 で、東 鉄 に白党 が跋 扈 中 売身 的 な幹 部 が傀 儡 とし て同 鉄 に我 がま ま を振 舞 ひ、 同 鉄道 の不 利 を 図 つた。 満 鉄 が之 を欣 ば ぬ のは勿 論 であ る。 現 に満 鉄 は満 洲 に新 鉄 道敷 設 の大
一三
極秘
大 正十 四年 六 月 二十 二 日
哈 調情 第 二 二四 号 哈爾 賓事 務 所 長
特 別 区 各 機 関 経費 補 助費 と し て東 鉄 は 五十 万 元 を 支出 に決 す 一時奉 露 武 力 衝 突 と ま で危 惧 せ ら れ た イ局長 九 四号 命 令問 題 は、 蔡 道 尹 と グ ラ ンド総 領 事 と の交 渉 の結 果 内 容 に於 て勝 利 と の 口実 を 以 て支那 側 の譲 歩 す る 所 と なり 、事 実 は名 突 共 に露 国 側 の勝 利 を以 で終 局 し た事 は周 知 の事 であ る が、之 れ が為 支 那 側 が莫 大 な る 収賄 を為 せり 、 と さ へ伝 へら れ た。 然 る に最 近当 所 が 信ず べき筋 よ り得 た情 報 に拠 る と 、実 際 に於 て左 の如 き事 実 があ り 、前 述 の噂 を 裏書
大 正 十 四年 六月 二十 四 日
東 鉄 の特 別 区各 機 関 への補 助 費 授受 未 了
東 鉄 が特 別 区各 機 関 への補 助費 と し て支 出 す る事 とな り た る五 十
万元 の件 に就 て は、 二十 二 日 イ局 長 も其 の書 類 に調印 を 了 し た が実
一五
極秘
哈 爾賓 事 務所 長
際 の授 受 は 未 だ終 つて居 な い。
哈 調情 第 二七 〇号
東 鉄 督 弁 更迭 説 及 九 四 号命 令 問 題 の
大 正 十 四年 七 月 八 日
経 緯 に関 す る 何参 賛 の談
即 ち 従 来 東鉄 よ り特 別 区 各機 関 へ支出 し来 つた補 助費 は、 本 年 一
のと せ ば 、夫 れは 明 か に カ ラ ハン の抗 議 の為 で あ る。 イ ワ ノ フが 九
鮑 督弁 は目 下 の処 辞職 の出 来 な い破 目 に在 り 、若 し 今辞 職 す る も
任 に、禽 人鳳 氏 理事 な る べし 、 と の説 に付 き説 明 せ る所 左 の通 り。
七 月 二 日何 参賛 が徐 嘱 託 に対 し 、鮑 督弁 辞職 し、 于冲 漢 氏其 の後
月 以 来停 止 せ ら れ て居 たが 今 回張 督弁 、 王省 長 来 哈交 渉 の結 果 、長
四号 命 令 を公 布 す る や自 分 は誤 謬 の点 が甚 だ多 い為 、 曾 て局長 を 督
す る に至 つた。
月至 六月 間 の分 (四十 四万 余元 ) 及 七 月 分経 費 を 合 せ総 計 五 十 万 元
弁 公 所 に招 き 二階 で三時 間 余 も 談 判 し、 誤 謬 の点 八件 を 挙 げ て問 責
宮 公 署 、警 察 管 理処 、 裁 判 所、 吉 、 黒 両交 渉 局 の経費 と し て、 自 一
(七月 分 尚 一万 元 不足 ) を 東鉄 よ り支 出 す る こと に決 し た。 只 七 月
し た い、 と の相 談 を 受 け た程 で交渉 頗 る我 に有 利 であ つた の であ る。
し た こと があ つた 。 局長 は 一々之 を承 認 し 尚何 等 か方 法 を 以 て修 正
至 つた の であ る。 当 時自 分 は支 那 側 理事 と意 見 を 異 にし て居 た ので
遂 に督 弁 の名 義 で九 四号命 令 取 消 の布告 を発 せん ことを 主 張す る に
至 つた ので あ る。 一方支 那側 理 事 も 相談 し て譲 ら ざ る の気勢 を 示 し 、
処 が料 らず も支 那 側 理事 は局 長 と衝 突 し 、 彼 の反抗 心 を 激 成す る に
以降 の補 助 を毎 月 支出 す るや否 や は目 下交 渉 中 で決定 し て居 な い、
一四
秘
哈 爾賓 事 務 所 長
と。
哈 調情 第 二 三八 号
あ つた が何 分 電 報 の ことと て理由 を詳 述 す る こと が出 来 な か つた の と、 之 よ り先 張 作霖 は 理事 側 の布告 発 布 を 主 張 せ る電 報 を受 取 つて
カ ラ ハン の提 出 し た抗 議 に対 し て自 分 は 一々反 駁 の上 ( 反駁文は
あ るま い か。
居 た 為 、所 謂 先 入 主 と な り却 つて自 分 の主 張 の手 緩 いのを 責 め て来
カ大 使 に通 告 し な い で居 る。 自 分 の反 駁 書 が未 だ カ大 使 に届 い て居
な い以 上 は現在 も尚 彼 の抗 議 中 に在 る のであ る から 、 鮑督 弁 は自主
新 聞 紙 に記 載 し あ り) 外交 部 に申 告 せ し に、 月余 を経 ても外 交 部 は
の妥 当 であ る の が判 つた の であ る。 乍 去 布 告 発布 後 の事 と て如 何 と
的 に辞 職 の出 来 な い破 目 にあ る訳 で あ る。若 し鮑 氏 が何処 か の督軍
た位 であ つた が、自 分 の詳 細 な る 上申 書 に依 つ てや つと自 分 の主 張
も致 方 が な か つた の であ る。
辺 に在 る か を慮 り 、決 し て公 然 と 九 四号 命 令 を実 行 し オ スト ロウ モ
関 心 の態 度 に出 た な らば 、 いく ら イ ワ ノ フ局長 で も支 那側 方 針 の那
う し た遣 方 も亦 誤 つた も の であ る。 何 とな れ ば支 那 側 が徹 頭 徹 尾 無
を表 し 、 今 回 の蔡 、 グ交 渉 に対 し ても 亦 支那 側 の大失 敗 であ る と見 、
単 に語 つた 。尚 何 氏 は支 那 側 理事 一切 の措置 に付 き極 め て不 満 の意
る。 又 呂 理事 辞 職 の噂 に就 ては 万 更確 実 性 のな い訳 では な い、 と簡
従 つ て于 冲漢 、 兪 人 鳳 両氏 の説 も 実現 の可能 性 を帯 び て来 る訳 であ
省 長 に ても陞 任 す るな ら辞 職 の如 き は問 題 にな らな い ので あ るか ら、
フの轍 を踏 む が如 き こと は為 し 得 な か つた に違 ひ な い。 処 が蔡 道 尹
不平 不 満 の気 言 外 に溢 れ て居 た 。
其 の後 蔡 道 尹 よ り労 農 側 と の交渉 方 を提 議 す る処 があ つた が、 斯
がグ ラ ンド に交渉 方 を提 議 す る や、 労 農 側 は 支那 側 の態 度 は決 し て 強 硬 な も の でな い のを見 透 し て了 つた の であ る 。斯 く てイ 局長 は六 月 二 日 沿線 陶 汰 人員 名 簿 を 発 表 す る に至 つた ので あ るが 、之 亦 一大
交渉 の結 果 支 那側 の得 た 処 は支 那 側 職員 百 人 ( 管 理 局 二十 人 、 沿
錯 誤 と言 はず し て何 であ ら う 。
線 八十 人 ) の採 用 で あり 、表 面 些 か に ても支 那 の体 面 を保 つたか の 如 く で あ つた が曾 て イ局 長 が自 分 に対 し 、凡 そ中 国 側 に し て相 当 の 人 才 あ り、 閣 下 が自 分 に御渡 し下 さる な ら ば、 自 分 は 早晩 全 部 を採 用 致 し ま せう 、仮 令 鉄 道 事務 に習 熟 し な い者 でも 露 語 さ へ出 来 れ ば、 先 づ管 理局 を学 習 せし め た 上追 々任 用 の事 とし 露 、 支職 員 数 を平 等 に致 しま せう 、 と言 明 す る処 が あ つた が、 今 交 渉 の結 果 を見 ると 二 十 人、 八 十 人 に局 限 せら れ、 今 後 一人 た り と も採 用 の見 込 な き こと と な つた。 か ゝる拘 束 を 受 く る に至 つた のは 又支 那側 の大 失 敗 で は
最初 前 記 ブ ル ラ コフは税関 吏 に対 し 自分 は外 交特 使 であ つて、 右
込 み 、同 夜 グ ロテ コウ オ方面 に陸 行 逃 亡 せり と 。
長 マ シ ユー ク) あ り、 彼 は事 件 の発覚 を恐 れ て綏芬 河領 事 館 内 に逃
に綏 芬 河駅 ま で同乗 し 来 れ る 一露 人 (ニ コリ スク鉄 道 従事 員 同 盟会
綏 芬 河駅 爆薬 抑 留事 件
哈 爾賓 事 務 所 長
一七
一哈調 情 第 五 〇 四号
ト ラ ンク は税 関 の検 査 を 受 く べ きも の でなく 、 且 ト ラ ンク所 有 者 は
が 、身 体 検 査 の結果 同 人 は外 交 特 使 の証 明 を有 せざ る のみ な らず 、
同 行 の他 の露 人 ( 前 記 の逃 亡 せ る マシ ユー ク ?) で あ ると申 立 てた
本 月十 七 日浦 塩 を発 し た哈 爾 賓 行 二十 一号 列 車 に連 結 さ れた鳥 鉄
ナ ヤ路 警 署 に拘 留中 窓 より 逃走 を企 て て失 敗 し た 。
上 衣 の背 部 に ト ラ ンク の鍵 を 縫込 み所 有 し て居 た し、 又ポ グ ラ ニチ
ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 に於 け る爆 薬抑 留 事 件
大 正十 四年 九月 二十 四 日
車内 か ら同 地 支那 税 関 に勤 務 す る露 人 及 支那 警 察 員 に依 り、端 な く
此 の勤 務 車 に露 人 二名 の内 ブ ルラ コフ の 一名 、 偶 々同 車 内 に乗 合
と を恐 れ 、当 地 支那 各 新 聞 に記 事 掲 載禁 止方 を交渉 し 、午 報 及 晨 光
る。本 事 件 の発 生後 労 農 領 事 は本 事 件 が支 那 新 聞 に掲 載 せ ら る ゝ こ
者 が露 国 の外 交 特使 で な い、 と 一斉 に同文 の弁 解的 記 事 を載 せ て居
派 の新 聞 は非 常 な大 事 件 と し て報 導 し 、赤 系 新 聞 は単 に捕 縛 され た
此 の事 件 は当 地 に伝 はる や 一般 に非 常 に衝 動 を与 へ、 中 立及 右 傾
普 通 二等 客 車 が 、翌 十 八 日 早朝 ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 に到着 し た時 、 同
も 二個 の ト ラ ンク に詰 め た約 四布 度 半 の爆 薬 及 一個 の籠 の中 に収 容
は せ た る鳥 鉄 車輛 係 員 マト ウ エ ン コは其 の場 に て捕 縛 、哈 爾 賓 に護
し た時 計 仕掛 棉 火 薬 入 点 火器 並 米 貨 五 万壱 千弗 が発 見 さ れた 。
送 さ れ、 爆 薬 は全 部 護 路 軍 司令 部 に保 管 さ れ あり 、 本 人 は昨 二 十 四
拠 り 、 同副 理事 秘書 グ レグ マンの指 図 に て、 ブ ルラ コフ に対 し て東
報 は 記事 を掲 げ ず 。東 支 鉄 道 理事 会 が副 理事 長 グ ラ ンド氏 の請 求 に
右 車 輛 係 員 マト ウ エン コの自 白 に依 れ ば、 十 八 日ブ ルラ コフと共
日午 後 六時 監 禁 目下 厳 重 な る取 調 べを 受 け つゝあ る 。
鉄 線 一等 パ スを発 給 せ る は事 実 にし て、 二十 二 日事 務室 に保 管 中 の
ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 に於 て逮 捕 せら れ た る爆薬 携 帯 人ブ ルラ コフ及
な る こと は 明ら か にし て、 其 の証拠 理由 は左 の事 実 に依 る。 即 ち 浦
ブ ルラ コフの携 行 せ る爆 薬 は 〓斉 線 嫩 江 鉄橋 爆 破 に使 用 せ ん が為
該 爆 薬 用途 に関 し 、露 人 シ ン ニ コフの語 る 処、 次 の如 し。
目 下支 那 側 は 爆薬 の用 途 の那 辺 にあ る や は第 二 の問 題 と し、 ブ ル
塩 執 行委 員 会 委 員 にし て自 称 技 師 ア レキ サ ンド ロフな る露 人 斉 々哈
パ ス発 給 の証 拠 の 一部 を破 棄 湮滅 せ る事 実 が あ る。
ラ コフが労 農 露 国 の政 府 員 であ る や否 や こ の証 拠 を 挙 ぐ る こと に努
労 農 側 と 共 に協 力 す べ き 支那 人 無 き哉 を問 ひ 、而 し て買 収支 那 人 は
邸 の招 宴 に際 し余 に対 し 、〓 斉 線 対策 上支 那 人 を買 収 し た き に付 、
ンド ロフ の後 を追 ひ、浦 塩 よ り来 れ る露 人 女事 務 員 は 嘗 て呉 督 軍 官
爾 に在 留 し 、〓 斉 線 敷 設状 態 を事 門 に調 査 し つ ゝあり 、 且 ア レ キサ
力 し つ ゝあ る。 右 爆薬 と金 が何 の目 的 のため に何 処 に輸 送 さ れ る筈 であ つた か不
一、張 作霖 暗 殺 の為 と す るも の。
明 であ る が、 坊 間 の噂 は 左 の如 く で あ る。
二、 工 事中 の〓 斉 線 鉄橋 爆 破 の為 と なす も の。
敷 設 妨 害 に使 用す べき旨 附 言 せ り。
に居 住 し 黒 河通 ひ自 動 車 運送 業 兼 旅 館 を経 営 し 、呉 督 軍 と は古 い友
因 に シ ン ニ コフな る露 人 は白 党 系露 人 にし て、 目 下斉 々哈 爾 城 内
三 、 日 本 に輸 送 す る筈 な りし と なす も の。
人 な り。 最 近来 哈 し今 回 の事 件 を聞 く や 、督 軍 通訳 楊 某 を通 じ呉 督
尚 本 件 は支 那 側 に於 ても 重大 問 題 と なり 、 于 冲漢 自 ら事 件 の審 査 に従 事 し て居 る。 本 事 件 以来 路 警 署 は税 関 と協 力 し て東 部 線 の税 関
三
哈 爾 賓 事 務 所長
が吉 林 、浜 江道 尹 に送 り た る抗議 文
ポ グ ラ事 件 の新 聞 記 事 に関 しグ ラ ンド 総 領 事
大 正 十 四年 九 月 二十 八 日
哈 調 情第 五 一六号
側 に対 し厳 重 な る注 意 を払 ふ要 有 り﹂ と の旨 出 書 せ り と。
巨 大 な る固 定 物 爆破 以 外 に使 用 せ られず と確 認 す る が故 に今後 労 農
﹁過去 の事 例 に徴 す るも 四 布度 余 量 の爆 薬 は殺 人 用 のも の に非 ず 、
軍宛 、
及 旅 券 の検 査 を厳 重 にな し居 る。 因 にブ ルラ コフは 八 日 東鉄 本 社 発 行 のポグ ラ︱ 哈爾 賓 間 のパ スを 所持し居れり。( 従 来 東 鉄 本社 は本 人 に対 し本 年 六 月 三 日 附 を 以 て 右 同様 の パ スを発 給 し た る事 あ り)
哈爾 賓 事 務所 長
尚 今 回 グ ラ ンド総 領 事 は同 人 に対 し 哈︱ 長 間 パ ス発給 方 を東鉄 管
二
秘
理 局 に申 込 み居 れ り。
哈 調情 第 五 一五号
ポグ ラ爆 薬 事 件 に関す る後報
大正 十 四年 九月 二十 六日
最 近 ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 に於 てブ ル ラ ー コフ某 の逮捕 せ ら るや 、 地
を楯 にし て同 句 同音 声 を揃 へて ﹁支 那 官 憲 はブ ルラ ー コフ の手 元 に
聞 は高 級 支 那官 憲 及機 関 の権威 の下 に隠 る ゝ こと に決 し、 此 の権 威
に よ つ て前 記記 事 が全 部事 実 無 根 であ る こと が判 明 す ると 、悪 口新
ソヴ エー ト共和 国外 交 ク リ エー ルの官 職 務 に関 す る証 拠 書 類 が無 い
方 新 聞 の 一部 は連 日 に亘 り ソヴ エート社 会 主 義 共和 国 聯 邦 政 府 及其
九 月 二 十 日 ザ リ ヤ及 ルーポ ル紙 が初 め てブ ルラ ー コフ逮 捕 の記 事
こと は重 大 でな いと考 へてを る、 支 那 官 憲 で は幾多 必要 な る材 料 を
在 外 支 外交 官 に対 し虚 偽讒 謗 の煽動 的 記 事 を 掲 げ て を る。
を掲 げ た が 、此 の記 事 の内 にブ ルラ ー コフは 外交 ク リ エー ルとし て
有 つてを る云 々﹂ と書 き立 て出 した 。 (ル スキ ー ・ゴ ー ロス)
同 時 に此 等 の新 聞 紙 は 専 ら ソヴ エート領 事 館 、特 に私 一箇 を ポグ
特 刷 車第 二〇 三号 に乗 つてポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 に到 着 し 、 其 の際 外 交
ラ の逮 捕 事 件 と関 係 あ る も のた らし む る 目的 で新 た に煽 動 的 な ﹁詳
郵 便 物 の体裁 で爆 発物 を持 つ て来 た、 と の事 を確 定 的 に書 いてを る。 且同 記事 に は今 一人 の外 交 クリ エー ルはポ グ ラ駅 ソヴ エート共 和 国
細 の顛 末 ﹂ を探 し初 め た 。
な か つた。 茲 に於 て か此 の際 物 的 にし て且 明 ら か に他 の使嗾 に よ る
ヤ)支 那 官 憲 は此 の卑 賤 な る煽 動 的 行 為 を排 絶 す る何 等 方策 を採 ら
の公 人 で あ る、 と書 い てあ る に拘 らず (一九 二 五年 九 月 二 十 日ザ リ
課 が 公式 に 証明 す るで あ らう か ら 、私 は茲 に此 の事 を と や角 言 はぬ 。
た 。 此 の記 事 の虚 偽 にし て取 る に足 ら ぬ こと は、 東鉄 理事 会 の庶 務
に無 賃乗 車 券 を交 付 し た事 実 が 文書 上証 明 さ れ た、 と の記 事 を掲 げ
カ の諸紙 は 、私 が東 鉄 理事 会 副 議 長 の職 権 によ つて、ブ ルラ ー コフ
ザ リ ヤ 、 ウ オ スト ーク、 ル スキ ー ・ゴ ー ロ ス、 ル ーポ ル、 コペイ
の領事 館 内 に遁 竄 し た、 と あ る 。
記 事 は卑 俗 な る黄色 新 聞 によ り悉 く 恰 好 の新 聞種 と せら れ 、 此 の問
私 の窃 か に考 ふ る所 に よれ ば 、 此等 の買収 さ れた新 聞 は明 日 も 明
右記 事 は明 ら かに虚 偽 又煽 動 で あ り、 且 此 の情 報 の出 所 は路 警 署
題 を機 会 に ソヴ エー ト政 権及 其 の在 支 領事 機 関 に対 し て未 曾 有 の卑
いが ) か ら 此 の攻 撃 中止 の命 令 を受 く る迄 は絶 えず 新 し い事 実 を 発
後 日 も兎 に角 其 の背後 に居 る黒 幕 ( 私 は其 の何 人 であ る か を知 ら な
見 し 、 そし て在 支 ソヴ エート領 事 館 が、 支 那領 土内 で暗 殺 を遂 行 す
私 が公 式 に取 調 べ の結 果 左 の事 実 即 ち ポ グ ラ駅 に は如何 な る外 交
賤 暴 慢 な る攻 撃 が始 ま つた 。
ク リ エー ルも居 ず 、 何 等怪 し い荷 物 が 同駅 で差 押 へら れ た ことも な
る 目 的 で爆 発 物 の輸送 を行 つた怪 し い人 物 と関 係 が あ る、 と 言 ふ嫌
も なく 、而 し て新 聞 で伝 へら れた 不思 議 の客 車 第 二 〇 三号 は、烏 鉄
し て幾 分 該 記事 を信 ぜし む る結 果 を招 き つ ゝあ る。
憲 は此 の未 曾 有 の讒 謗 攻 撃 に干 渉 せず 、之 に依 つで暗 々裡 に読 者 を
し くす る為 新 聞 が 支那 官 憲 の権 威 を笠 に着 て居 る に拘 らず 、 支 那官
此 の買 収 に基 づ く攻 撃 が既 に数 日間 継 続 し、 又此 の記 事 を真 実 ら
疑 の確 実 な る こと を裏 書 きす る こと に努 め る で あら う 。
く 、 何 人 も ポ グ ラ の ソヴ エー ト領事 館 に遁 竄 せず 、 又 何等 の勤 務車
編 成 列 車 の至 極 普 通 な 二等 車 であ り 、 翌 日同 編 成 の列 車 に連 結 せ ら れ、 列 車 ボ ー イ ・ヂ エ コスキ ー某 と共 に帰 行 し た ( 黄 色 紙 は此 の列 車 ボ ーイ を外 交 クリ エール に新 聞任 命 した も ので あ る) こと が判 明 し 、 又 地方 の他 の新 聞 に掲 げ ら れ た哈 爾 賓 ソヴ エート総 領 事 の証 明
友 国 の公 式 代 表 者 が帝 政 派 及黄 色 新 聞 から斯 様 な攻 撃 を受 け る場
況 し て東 三省 特 別 区 で従 来 或 る国 と の葛 藤 の因 とな るが 如 き記 事
合 に は、 他 の国 な ら 疑 ひ なく 之 を根 本 的 に停 止 す る であ ら う。
の記 載 に対 し て数 々最 も厳 重 な る制 裁 を 加 え てを る の に鑑 み れば 、 我 々が此 の場 合 此 の種 の制 裁 を 期待 し た の は当然 の権 利 であ る 。 然 る に拘 らず 支 那 地 方官 憲 は必要 にし て断 乎 た る処 置 に出 でず 、
尚右 に関 し反対派新聞 は抗議が具体的な根拠を有せず 且其 の言 ふ
所 が傲慢無礼な るを指摘 して嘲笑して居 る。 四
哈調情第五 一八号 極 秘 (暗号)
︺
編注 、欄 外 に 、 写 四通 作 成 のこ と 、公 使 、
大正十四年九月二十八日 哈爾賓事務所長
松岡理事殿︹本庄 少 将 へ写 送 付 の事 、 ス ミ大 岩 印
却 つて其 の政 策 に より新 聞紙 を し て支 那 官 憲 の権 威 に隠 れ恣 に我 が 政 府 及 其 の駐 支 外 交 代表 に対 す る讒 謗 の記 事 を新 聞 紙 に満 載 す る こ
ポ グ ラ事 件 に関 し于 氏 と 会談 の件
(別 紙 )
別 紙 の通 り
と を得 せ し め た。 私 は茲 に此 の新 聞 の攻 撃 を許 容 し 、 且或 る意味 に於 て之 を奨 励 す る結 果 を来 た す支 那 官憲 の無 為 怠慢 に対 し断 乎 た る抗 議 を 提 す る と
二十 六 日 小職 于 冲漢 長 官 を訪 問 、 ポ グ ラ駅 爆発 物 密 輪事 件 の真 相
乍 去 事 件 の性 質 は極 め て重 大 にし て、〓 斉 線 の 一部 破 壊 の如 き 小規
に付 き 尋 ね た ると ころ、 于 氏 は今 回 の事 件 は各 方 面 と連 絡 あ る見 込
模 な る計 画 に非ず 。今 回発 見 せる爆 発 薬 は 一四〇 斤 、之 に精 巧 な る
の讒 謗 虚言 の濁 流 より擁 護 す る為 、断 乎 た る方策 に出 でん こと を主
尚 私 は 現 在 の様 な 空 気 の裡 では 友誼 協 力 的 の作業 は到 底 之 を期 し
共 に、 敬意 す る道 サ が ソヴ エート 共和 国 政 府 及其 の在 支 領 事館 を此
難 い事 を力 説 す ると 共 に、尊 敬 す る道 尹 が至急 適 当 な る方 策 を とら
み に て目 下夫 々探 査 中 な る が、 未 だ適 確 な る断 案 を下 す に至 らず 。
れ 、 之 を 小官 に通 告 せら れ ん こと を期 待 す る。 此 の事 た るや私 が此
小城 砦 を 一挙 に爆 発 し得 るも のな る が、 更 に今 日迄 此 の種 危険 物 密
時 計 仕 掛 の爆 発 器 と米 貨 五 一、 〇 〇 〇弗 とあ り、 右 爆 薬 だけ にて も
張 す るも ので あ る。
の未 曾 有 の乱 暴 な る 新 聞記 事 に就 て已む な く本 国 政 府 に報 告 し た事 に鑑 みれ ば尚 更 必要 であ る。 蓋 し 此 の種 の攻撃 は ソヴ エート共 和 国
重要 営 造 物等 に対 し て も相 当 警 戒 の要 あ るべ し、 尚附 属地 内 に於 て
輸 入 を 為 し、 何 れ にか潜 伏 し 居 る者 な きを 期 せず 。 依 つて満鉄 沿 線
本 件 関係 者 の潜伏 し あ る や に付 き、 日本側 にても 充 分内 密 調査 せら
に敵 意 を有 つて居 る各種 の団 体 及亡 命 者 に よ つて最 近 他 の国 に於 て
供 給 し つゝあ り 、 と の情 報 も あ れば 、 今 回 の事 件 は或 は之 と何 等 か
小職 は自 己 の憶 測 とし て目 下労 農 側 は庫倫 方 面 よ り引 続 き 武器 を
ラ ー コフ事 件 も 亦遣 憾乍 ら此 の種 計 画 の 一であ る、 と 認 めざ るを 得
グ ラ ン ド
も 打 た れ た芝 居 で、 今 回黄 色 新聞 に よ つ て大げ さ に宣 伝 さ れ たブ ル
総領事
るべ き を望 む 、 と述 べ たり 。
な い。 一九 二 五年 九 月 二 十 五 日
を挫 き 、北 満 に於 け る労 農 の勢 力 を 回復 せ ん と す る に非 ず や 、 と申
の連 繋 を有 し、 先 づ 以 て城 内 に於 て大 陰 謀 を 企 て馮 と相 呼 応 し て張
こ と なく糺 弾 せむ と す る の意 気 込 みな れば 、或 は事 件 は近 く露 、 支
的 を闡 明 し、 場 合 に依 り て は グ ラ ンド総 領事 と雖 も 何等 の仮借 す る
要 す るに 于氏 は 今 回 の事 件 を頗 る重大 視 し徹 底 的 に爆 薬 所 有 の目
両者 の間 に意 外 の椿事 発 生 の端 緒 とな る やも 測 ら れず 、今 後 の成 行
述 べた る と ころ 于 氏 は之 に対 し 、同 様 の感 想 を抱 くも の の如 く頗 る 首 肯 す る と ころ あり 、 且 曰 く、 先 般 カ ラ ハンが 当 地 の秘 密 集 会 に於
き に付 ては大 い に注 目 の要 あ りと 思 考 せら る 。
五
秘
哈 爾 賓 事 務 所長
右 御 参 考迄 報 告 申進 す 。
て、 労農 聯 邦 は 日本 が南 満 に於 て有す ると 同様 のも のを有 せ ざ る べ か らず 、而 も現 状 より す れ ば 日本 は奉 天 張 の蔭 に潜 み て漸 次 北満 に
の急 務 な り 、 と激 語 し た る や に聞 く 。即 ち 是 等 の情 況 に鑑 みる も労
進 出 し 我 を脅 威 せん と す る の形勢 に在 り 、 是 を排 除 す る は方 に今 日
農 が最 近何 事 かし でか さ ん とす る は察 す るに難 か らず 。 今 は 最 も警
ポグ ラ爆 薬 使 用 先 に関 す る判 断
大 正 十 四年 九月 二 十 九 日
哈調 情 第 五 二 二号
ポ グ ラ爆薬 使 用 先 に関 し て坊 間 の噂 は、
依 て小職 は之 に応 じ て此 の際 奉 天側 よ り馮 と の間 に内 乱 を挑 発す
戒 を要 す る時 期 な り云 々。
る が如 き は極 め て危 険 な り と、 又多 少 隠 忍 し ても 先 づ無 事 を計 り力
一、〓 斉 線 鉄梁 爆 破
を北 京 に傾 注 す るを 可 と す べし 、 と説 きた る に、 于氏 は貴 見 には全 然 同 感 な り 、楊 宇 霆 氏 が 一兵 を伴 はず し て単 身赴 蘇 し た るも 、南 方
二 、 日本 への輸 送
三説 に就 て各 種 方 面 から推 論 す る と 一及 二 の予想 は殆 ど根 拠 がな く
三 、張 作霖 暗 殺 (又 は 一般 的 に奉 天 に於 て使 用)
な る。 即 ち〓 斉 線 に使 用 す る 為 とす れば、
に勢 力 を割 か つ の不 可 な る を知 るが故 なり 。 本 日 も余 は爆 弾 事件 の
を動 かす ことあ ら ん か 、余 (于 ) は直 ち に現 職 を辞 す る の決 心 な り、
一、 爆 薬 が 余 り に多 過 ぎ る 。
に別 れ て居 り 犯人 が自 白 せ ざ る以 上 其 の真 相 は 不明 であ る が、 右 の
と談 れり。 尚 于 氏 は 日本 の外 務 当 局 が労 農 の真 相 を究 めず し て軽 々
二、 時 計仕 掛 の如 き精 巧 な る機 械 を 要 せず 。
の不 可 な る を伝 達 す る 様 申 し置 け り。 若 し 張 上 将 軍 にし て関 内 に兵
し く問 題 を処 置 す る こと な か るべ き やを 危 み 、今 春 訪 日当 時 の冷 遇
三、 所 持 せ る カ ナデ イ ア ン ・バ ン ク ノー トは 使用 に不便 で ある 。
報 告 の為 人 を張 作 霖 の許 に派 遣 せる が、 之 に対 し て も極 力 内 乱挑 発
に対 し不 平 を 漏 し 、 又 日本 陸 軍 が最 近 馮 に軍事 顧 問 を 送 り た る は、
一、 非 常 な危 険 を 犯 し て多 量 の爆 薬 を輸 送 す る 必要 がな い。 日本 で
日本 へ輸 送 す るも のと せ ば、
奉 天 張作 霖 に対 す る 従来 の了 解 に反 す 、 右 は張 、馮 を争 はし め之 に 乗 ぜ ん とす るも のと観 ら れざ る に もあ らず 。甚 だ遣 憾 の処置 と言 ふ べ し 、 と語 り居 れ り 。
相 当 の金 を投 ず れば 爆薬 の密 買 は 不可 能 でな い。 二 、 バ ン ク ノー トを 現送 す る必 要 は絶 対 に な い。
二
三
ブ ルラ コフ の職 業 、 地 位 並 に イ ワ ノ フ、 グ ラ ンド と の関 係如 何
東 支 鉄 道 地 帯 並 に国 境 に国防 司 令 部 を 設置 し て、特 派 員 を置 き
を厳 重 に訊 問 し て確 証 を 獲 得 す べし 。
国 境 通 過 の列 車 を検 査 せし む べ し。 検 査 は 労農 其 の他各 国 の政 府
従 つて第 三説 を最 も 至 当 とす る。然 し張 作 霖 暗 殺 か或 は其 の他 の
員 に も及 ぼ し 、之 を拒 絶 す る者 は国 境 通 過 を許 可 す べ から ず。 策
り て実 行 せ ら れた るべ く 、東 支 地 帯 には 此等 危 険物 隠 匿 せ ら れ あ
今 回 の事 件 よ り推 察 す る に危 険 物 の密 輸 入は 従前 にも 赤党 に依
二、 対
目的 で奉 天 で使 用 せ んと し た かは容 易 に判 断 出来 ぬ。 只 此 処 に考 慮
一
を要 す る 事 は 犯人 た るブ ルラ コー フは前 后 二回 に亘 り東 鉄 のパ スを 貰 ひ居 り 、 又 今 回 は哈︱ 長 間 パ ス の発給 を受 け る筈 で あ つた と言 ふ 事 で ある 。而 し て第 一回 のパ スは 六 月 三 日発 給 さ れ て居 るが 、 七月
るも のと認 む るを 以 て、 護 路 軍 及路 警 処 は 此 等 の捜 索 に 当 る こ
二十 二日 奉 天航 空 所 に砲弾 爆 発 事 件 が起 つた事 や 、 又 四月 十 四 日 よ
のと も認 めら る ゝを 以 て、 東 支支 那 人 理 事 及高 級 職 員 に労 農 側要
害 即 ち鉄 道 、 鉄 橋等 の破 壊 の目的 を 以 て爆薬 を密 輸 せ ん と せし も
前 より 東 三省 政 府 の鉄 道 敷 設 に反 対 し来 れ る を以 て、 之 が 工事 妨
と し て爆 薬 を 密 輸 せ んと し た る も の とも 認 め ら れ、 或 は労 農 は 従
ブ ルラ コフは労農 政府 の命 令 に依 り て東 三省 の治 安擾 乱 を目 的
と。 二
り同 十 六 日 に亘 つてブ ルガ リ ヤ に於 て起 つた暗 殺事 件 を 回 想す ると 、
哈 爾 賓事 務 所 長
何 か其 処 に 一種 の暗 示 が あ る様 な気 がす る。 (堀江 )
六
秘
こと 。
員 の行動 を監 視 せ し め て、 行 政長 官 及 護 路 軍 に逐 次 報告 せし む る
大 正 十 四年 九 月 三 十 日
哈 調 情 第 五 三 一号
ポ グ ラ事 件 に対す る張 作霖 の訓 電 並 に北満 支
七
哈 爾 賓 事 務 所長
探 聞 す る処 に依 れ ば 、張 作 霖 は ポ グ ラ爆薬 事 件 犯 人 を奉 天 に護 送
ポ グ ラ爆 薬 犯 人奉 天 護 送 か
大 正 十 四年 十 月 一日
哈 調 情 第 五 三八 号
那官 憲 の対 策 ( 九 月 二十 六 日高 橋 中 佐報 ) 特 別 区行 政 長 官 公署 に於 て探 聞 す る に該 公署 は九 月 二十 四 日ポ グ ラ事 件 に関 し、張 作 霖 よ り左 記第 一の如 き 訓令 に接 せ るを 以 て長 官 于 冲漢 は哈 市 軍 隊警 察 其 の他 各界 の主 要 人 物 を長 官 公 署 に召集 し て、
ブ ルラ コフ の運 搬 せ る爆 薬及 発 火 機 は発送 地 、目 的 地 並 に使 用
一、張 作霖 の訓 電
労 農 側 の陰 謀 対策 を協 議 し 左 記第 二 の如 く 決定 せ りと 。
一
の目 的如 何 を厳 重 に訊 問 す べ し。
せ しめ徹 底 的 調 査 を な す意 〓 な るが如 し 。
八
哈 爾 賓事 務所 長
大 正 十 四年 十 月 八 日
哈 調情 第 五六 四 号
ポ グ ラ事 件 に関 す る沿 海 県言 論 機 関 の所 論 ポグ ラ ニチ ナ ヤ事件 に関 し、 沿海 県 言 論機 関 は事 件 勃 発 以来 二週 間 に亘 り 沈黙 を守 り 居 た り し が、 最 近漸 く 沿 海 県 当 局 の意 向 を掲 載 す る に至 つた。 之 に依 れば 、該 事 件 に関 す る県 職 業 同盟 会 の決議 或
哈 調情 第 五 六 六号
哈 爾 賓 事 務 所長
露 国 外交 ク リ エー ル密 輸 を 企 つ
大 正 十 四年 十 月 九 日
十 月 六日 満 洲里 支 那税 関 官 吏 は露 国 よ り来 れ る外 交 クリ エー ルの
手 荷物 の強 制 検査 を行 ひ 、多 数 の個 人的 書 簡 及絹 布 類 、 骨董 品 等 の
哈 爾 賓 事 務所 長
有 税 品 を差 押 へた り、 と 言 ふ 。
一〇
秘
ポ グ ラ事 件 発 生後 支 那官 憲 の労農 警 戒 情 況
大 正十 四年 十月 十 四 日
哈 調情 第 五 七八 号
( 十 月 十 日高 橋 中 佐 報 )
は ゲ ペ ウ幹 部 の言 と言 ひ、 然 も大 同 小異 に て要 す る に此 の度 の事 件 は労農 当 局 の全 然相 関 せざ る処 にし て、哈 市 に於 け る白系 諸 新 聞 の
ポグ ラ事 件 発 生後 支 那 官 憲 に対 す る警 戒情 況 に関 し、 護路 軍 司 令
言 動 は露 支 善 隣 関係 に嫉 妬 を 有 す る白 党 残党 の妄 言 であ り、 或 は 労
一、 十 月 三 日張 作霖 よ り護 路 軍 六箇 旅 三 遊撃 隊 に対 し 、赤 軍 の軍 事
部 に て探 知 せ る所 左 の如 し 。
農 露 国 の主 義 主 張 に反 感 を有 す る帝 国 主 義 的国 家 の煽 動 にし て、 斯 く の如 き彼 等 の反露 妄 言 は今 日 に始 ま れる に非 らざ るを 以 て何 等 問
行 動 偵 察 を命 じ 来 た れ り。
題 とす る に足 ら ぬ。 又 白党 諸 新 聞 は被 捕 縛 者 ブ ルラ コフは 労農 外 交
国境 に国 防軍 増 加 及 配置 方 法 を協 議 す。 (護 路軍 総 司 令 代 理 張 煥
二 、護 路 軍首 脳 は十 月 四 日吉 林 省 城 に於 て軍事 会 議 を 開催 し 、露 支
使 者 と称 す る も事 実 ブ ル ラ コフな る 名 は露 国 には イブ ノ フ、 ペ ト ロ フ の如 く 極 め て夥 し く 、彼 は 一介 の無頼 漢 で ある と言 ふ にあ り、 之
に対 し 白系 露 人 密偵 五 十名 、 支 那 人密 偵 百 名 を派 遣 し て劇 場 、旅
四 、特 別 区行 政 長 官 于冲 漢 は 金 特 別 区警 察総 管 理 処 長 及張 路 警 処長
の往 来 を監 視 し 、容 疑 露 人 は 逮捕 し て検査 す べし 、 と命 ぜ り 。
三、 張煥 相 は哈綏 線 護 路 軍 に対 し て 一般露 人 旅 客及 東 支 露 人就 業 員
相 は右 会 議参 加 の為 、 十 月 三 日午 後 十時 哈 市 発南 下 せり 。 )
に対 し哈 市 白系 新 聞 はブ ル ラ コ フは 何故 に勤 務 車 に乗 車 せ る哉 、 又 彼 は如 何 な る 方 法 を 以 て国 境 を通 過 し 得 た る やと 論 じ 、之 に関 す る 浦 塩 ゲ ペ ウ の回 答 を促 し て居 る 。
九
館 、 書 店 、学 校 等 に於 け る赤 化 宣 伝 並 に其 の他 一般 赤 化 宣 伝 を 取 締 る様 命 令 せ り。 五 、張 作 霖 は吉林 省 、 黒 竜 江省 の官 憲 に対 し爾 後 毎 月 三 回赤 化 露 人 に関 す る報 告 を要 求 せり。 六 、馮 玉 祥 は関 東 及労 農 方 面 と聯 絡 し て張作 霖 を圧 迫 せ ん と画 策 し
一二
秘
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正 十 四年 十 月 二十 二 日
哈 調 情第 六 一七 号
爆 弾 犯 人 ブ ルラ コフは最 近其 の罪状 を略 自 白 せ り、 と 聴 く。 労 農
ポ グ ラ爆 薬 事 件
側 よ り最 近煙 草 の差 入 あ り。 該 煙 草 の吸 口 には ﹁絶 対 に沈黙 を守 れ 、
つ ゝあ りと の情 報 に基 づ き 、張 作 霖 は北 満官 憲 に対 し馮 玉祥 関 係
し て は支 那 人 に対 す る護 照 発 行 し 一層 注意 を払 ひ、 且露 人 入満 者
者 の入露 及 出 露 を探 査 せん こと を命 じ、 吉林 及黒 竜 江 交渉 局 に対
若 し 守 ら ね ば此 の煙 草 を喫 ん で自 殺 せ よ ⋮⋮ 之共 産 党 の掟 な り﹂ と
一三
速報
哈爾 賓 事 務 所 長
は最 近 何 れよ り搬 来 し 来 れ る も のか 、 手榴 弾 を容 れ た る箱 約 八 拾箇
﹁公 文 書 破毀 ﹂ の罪 名 に依 り審 問 を 開 始 し た。 理由 はポ グ ラ 爆 弾 事
昨 日哈 市 地方 審 判 庁 は特 別 区 警 察総 管 理署 文書 係 ヴ ラ ン セ ン コを
各露字紙)
ポ グ ラ爆 薬 事件 に関 す る新 事 実 (十 一月十 一日
大 正十 四年 十 一月十 一日
哈 調情 第 六九 三 号
支 那 官 憲 は之 に鑑 み、 近 く 犯人 を 奉 天 に護 送 す るや も知 らず と。
書 付 けあ り と 。労 農 側 は 百 方犯 人 の救 い出 し に腐 心し 居 る模 様 に て、
に注 意 を怠 らざ る 様命 ぜり と 。
哈 爾 賓事 務所 長
七 、張 作 霖 は十 月 十 二 日奉 天 に於 て軍 事 会 議 を 開催 す る旨 、張 作 相
極秘
一 一
及 呉 俊 陞 に通 牒 せり 。
哈 調 情 第 六 一六号 大 正 十 四 年 十 月 二十 二日 労 農 総領 事 館 に爆 薬隠 匿
を蔵 匿 し ある 外 、尚 堅 牢 な る ト ラ ン ク ( 内 容 不 明 ) も多 数 あ りと 。
り替 へた 、 と言 ふ に ある 。其 の内 容 は 、刑 事 探 偵 局 が九 月 十 八 日ポ
件 の主魁 ブ ルラ コフ の為 に警 察 の出 発証 明書 原 簿 の名 前 及 写真 をと
当 地 露 国 領事 館 (新 市 街吉 林 街 ) 階 下突 当 り の部 屋 ( 左 側 ?) に
其 の目 的 は判 明 せざ るも 一説 に拠 れ ば 時 局東 鉄 線 の警 備 手 薄 とな れ
グ ラ ニチ ナヤ にて捕 縛 し たブ ルラ コフは 八月 下 旬哈 爾 賓 に居 た事 を
る に乗 じ 、 各 所施 設 を破 壊 し て撹 乱 し 以 て沿 線 の警 備権 獲 得 の 口実 を 得 る に あ りと 。真 疑 は兎 に角 報 告 す 。
探 知 し た ので何 者 か が彼 の黒 幕 に在 る こと と推 思 し、 警 察署 の出 国
ル ラ コフ ・ア ・ヤ に書 き 換 へら れ、 其 の写真 も他 のも のと取 り 代 へ
許 可 証 原簿 を点 検 し た処 、 此 処 にブ ル ラ コフ ・エル ・ヤ の名 前 がブ
ら れ た こと を 発 見 し た。 而 し て此 の偽 造行 為 は吉 林 旅券 局 より警 察
此処 に於 て文書 係 た る前 記 ヴ ラ ン セ ン コの家 宅 捜 索 を なし た処 、
総 管 理署 へ右 原簿 を要 求 し た 時 に為 され た も ので ある 。
ブ ルラ コフ の名前 の書 いた紙 片 を発 見 し た ので早 速捕 縛 され 、公 文 書 破毀 罪 に問 は れ た の であ る が、 彼 は 文書 保 管 所 の鍵 こそ有 す る が、
キ ー或 は旅券 係 ジ ユー クと 共 に出 入 し た と言 ひ、 又ブ ルラ コフと書
同 所 に彼 一人 にて出 入り し た る事 な く、 常 に査 読 主任 ミ ハイ ロ フ ス
いた前 記 紙 片 も彼 の筆 蹟 では な い、 と主 張 し て居 る 。
二
記 す れば 左 の通 り 。
哈爾 賓 事 務 所 長
(四 月七 日附 哈 調情 第 七 号) せ る処 な る が、 今 右調 書 内 容 の大 様 を
オ スト ロウ モ フ以下 東 鉄 旧幹 部 の予 審 調書 発 表 の件 に就 て は既 報
等 の抗 議
オ スト ロウ モ フ以 下 予審 調 書 の内容 と被 告
大 正 十 四年 四 月 十 八 日
哈 調 情第 五 一号
1. 土 地貸 付 並 地 代徴 収 に関 す る 不 正行 為
第 四、 ゴ ンダ ツ チ に関 す るも の
1. 右年 金及 前 払 金 支払 手 続 に関 す る不 正行 為
第 三、 ステ プ ー ニン に関 す るも の、
1. 年 金 及前 払 金 支 払 に関 す る 不 正行 為
第 二、 ミ ハイ ロ フに関 す る も の
旧 東 鉄 幹 部 の其 の後 の動 静一
哈 爾賓 事 務 所 長
一八
大 正 十 四年 四 月 七 日
哈 調情 第 七号
モフ以 下 の罪 状
支 那審 判 庁 よ り発 表 さ れ た オ ス ト ロウ
昨 六 日前 東 支 管 理局 長 オ スト ロウ モフ以 下 ミ ハイ ロフ、 ゴ ンダ ツ チ 、 ステ プ ー ニン氏 の予審 調 書 が支 那審 判 庁 より 発表 さ れた 。右 調 書 中 に列 挙 さ れ た る罪 状 左 の通 り。
グ レ ン ・エレベ ータ ー建 設 に関 す る不 正 行為
1 . 烏 鉄 よ り鉄 道 線 路購 入 に関 す る 不正 行 為
第 一、 オ スト ロウ モフ に関 す るも の
2.
3. 税 関証 書 に関 す る 不正 行 為 4. 大 豆混 合 保 管 に関 す る不 正行 為 5. 電 信電 話 線 購 入 に関 す る不 正行 為
認 せ る旨 を記 し、 ﹁即 ち オ スト ロウ モフは自 己 及 第 三者 を 利 益 せ ん
仲 買 人 ガウ リ ー ロフ の手 を経 ざ る べ からざ りし 旨 を述 べ、 事 件 を自
里 鉄 道 よ り直 接 軌 条 を購 入す る為 の現 金 を管 理 局 に有 せざ り し為 、
被 告 オ スト ロウ モフは中 華 民 国 十年 二月 東 支 鉄道 管 理 局長 に任 命
とし て、 右 の如 き行 為 に出 でた る こと 一点 の疑 ひを挾 む余 地 な し﹂
一般 事 情
さ る。 被 告 は ミ ハイ ロフを経 済 調 査 局長 に、 ステ プ ー ニンを会 計 課
と結 論 せ り。
△
イ ベ ンゾ ン、 ア リ ト シ ユー レル及 フア イ ニツキ ーと結 托 し 、軌 条 の
二、 グ レ ン ・エレベ ータ ー に関 す る私利 的 行 為
長 に招 聘 せ り 。彼 等 はガ ウ リ ー ロフ、 オ パ ー リ ン、 ソ ー スキ ン、 レ
購 入、 グ レ ン ・エレベ ータ ー の建 造 、 税 関 証券 の取 扱 ひ、身 元 保 証
本 事 件 には グ レ ン ・ エレベ ー タ ー の建 設 を オ ス ト ロウ モフ に勧 め
昨 年 十月 東 支 鉄 道 督弁 公 署 は 文書 を以 て特 別 区行 政 長官 に、 オ ス
の損 害 を 蒙 つた 。
証 券 を貰 つた経 緯 が示 さ れ て居 る 。 此 の売 買 に於 て東 支 鉄道 は莫 大
此 の項 には ガ ウ リ ー ロ フを仲 介 し て、 メ ル クー ロ フ政府 か ら税 関
三、 税 関 証券 に関 す る 私利 的 行 為
第 三者 を 利 す る目 的 で行 つた事 で あ らう と 。
契 約 は非 常 に東 支 鉄 道 に不利 益 であ つて、 オ スト ロウ モ フは 自 己及
た ガ ウ リ ー ロ フ及 オパ ーリ ンが関係 し て居 る。 検事 の意 見 に依 る と、
金 及 貯 金 を利 用 す る債券 の買 占 め 、 豆油 運 賃 の低減 其 の他 の諸 件 を 行 ふ に至 れ り。 土 地 課長 ゴ ンダ ツ チは昨 年 八 月 一日土 地 貸 下禁 止命 令 あ りた る後 に於 ても 、夫 れ以 前 に遡 り たる 日附 を用 ひ て貸 下げ を 継 続 し、 且 地
ト ロウ モ フ、 ゴ ンダ ツチ及 ミ ハイ ロフ は収 賄 行為 に依 り本 社既 に之
代 の徴 収 を行 へり 。
を免 職 せ り、 依 つ て彼等 を拘 引 せ ら れ たし 、 と 通告 せり 。
関証 券 は有価 証券 の性 質 を有 し売 買 せ ら る ゝも のなり 。 而 し て其 の
﹁ 本 件 に関 す る事 項 は 左 の弁 解 を 述 べ て事 実 を承 認 せ り 。即 ち 税
四 日拘 引 せ ら れ、事 件 取 調 べ の為 、 地方 審 判 庁 検事 に引 渡 さ れ たり 。
特 別 区行 政 長 官 公 署 は右 拘 引 方 を特 察 に命ず 。斯 く て彼 等 は十 月
検 事 は 取調 べを 終 り 予審 を開 か ん こと を請 求 せ り。 予 審 判事 は被 告
ポグ ラ ニチ ナ ヤ税 関 に対 し電 報 を 以 て正 当 政 府 に非 ざ れ ば金 銭 の決
第 三者 の手 に渡 りた る時 には支 払 ひせざ るを 得ず 、 と 。然 共 被 害 は
済 をな さず と通 告 し 置 き乍 ら、 彼 の昵懇 な る ガ ウ リ ー ロフが証 券 に
等 が背任 、 詐 欺 、 公 文書 偽 造 を行 ひ た る疑 ひあ る を認 め 、彼 等 を 裁 判 に附 す る事 を 決 定 せ り。
対 し 支 払 を要 求 せる 時 、 一時 に全 金額 を支 払 ひ た る は自 己及 第 三者
被 告 は本 事 業 を 私 人 た る コワリ スキ ー及 スタ へー エ フに経 営 せし
四、 大 豆 混 合保 管 に関 す る私 利 的 行為
を利 せ んが為 行 ひ た る こと明 ら かな り﹂ と 。
オ スト ロウ モ フ の罪 状
△
一、軌 条 購 入 に就 て の私 利 的行 為
め た る事 が罪 を構 成 す るも のと さ れ て居 る 。即 ち 管 理局 は之 が為 十
本 項 に は オ スト ロウ モ フが哈爾 賓 に於 てガ ウ リ ー ロフと協 議 の上
つ て東 支 鉄 道 は 六 万 円 の損 失 を蒙 り た るを 指摘 し、 被 告 は当 時 烏 蘇
鳥 蘇 里鉄 道 より 一百 万布 度 の軌 条 を購 入 し た る ことを 述 べ、 之 に依
所 は 三 回 に亘 り審 問 せ る に被 告 は其 の事実 を承 認 し、 且 土 地課 が土
び日附 を遡 つ て証書 を作 り 其 の行 為 を続 け た。 此 の事 に関 し て裁 判
地 を貸 下 ぐ る事 は 地畝 管 理 局 の関 す る 処 でな く 、 又土 地 課 の有 す る
し 土 地 の貸 下 及 地代 の徴 収 を継 続 し て居 た が、 住民 が反 対 す る に及
事 業 に関 す る専 門 家 が居 な か つた為 已 む を 得ず 私 人 に経 営 さ せ たも
正当 の権 利 であ る、 と 主 張 し た。 然 し 若 し被 告 に私 利 的 目的 が無 か
万 九 千 百 五十 留 三 十 八哥 の損 害 を蒙 つた の であ る。 然 し被 告 は本 項
の であ る 、 と弁 明 し て居 る。 然 し裁 判 所 は 監察 官 の詳細 な る計 算 に
つた なら ば 、 日附 を遡 つて証 書 を作 る 必要 は無 い筈 で、 本件 に関 し
を 承 認 せず 、 且 本事 業 は決 し て不利 益 の事 業 で は な いが 、 鉄道 に本
依 る と 、鉄 道 は全 く損 害 を 見 た と観 察 し て居 る。 而 し て ﹁若 し 被 告
て 双城 堡 の商 人等 が地 畝 管 理局 に申 告 し た処 に依 つても被 告 を無 罪
の犯 罪 を 行 つた も の であ る。 尚 ゴ ンダ ツ チ の犯行 は 刑 法第 二三 九条
刑 法 第 二八 、 二 九、 三 八 二条 に依 る 、刑 法 第 三 八五 条 及第 三八 六条
︹マ マ ︺
以上 の理由 に依 つてオ スト ロウ モ フ、 ミ ハイ ロフ及 ゴ ンダ ツチ は
と認 む る事 は出 来 ぬと 。
にし て私利 的 目 的 を有 せざ り せ ば、 輿 論 に反 対 し て不 正 当 な る決 議
五 、電 信 及 電話 線 購 入 に関 す る私 利 的 行為
を 敢 てせ る や﹂ と結 論 し てあ る。
本 取 引 に於 ても鉄 道 は莫 大 な損 害 を蒙 つて ゐ る。 即 ち 此 の取 引 に
ミ ハイ ロフ の罪 状
は 私 利的 行 為 が伴 つて居 る 、 と言 ふ に在 る。 △
あ る、 と 結論 さ れ て居 る。
以 上 の調書 を受 領 し た被 告 等 は各 々実 際 と調 書 と に非 常 な 相違 あ
及 三八 六条 にも該 当 し 、 且刑 法 第 二 六条 に依 り 重罪 に属 す るも ので
る旨 を抗 議 し 、 且 被告 等 の要 求 す る証 人 が 一度 も 召還 取 調 べ を受 け
一、 恩 給 及身 元 保 証 金 支払 に関 す る私利 的 並 詐 欺 的行 為
金 銭 を イ ンタ ーナ シ ヨナ ル銀 行 に特 別 口座 と し て預 金 し た。 此 の事
な い のは 不都 合 であ る 、 と附 言 し た。
オ スト ロウ モ フの委 任 に依 り ミ ハイ ロ フは不 正 手段 を以 て得 た る
実 は後 日逃 亡 し た ア リト シ ユー レ ル の密 告 し た所 で あ る。 即 ち彼 は
二、 油 房組 合 に対 す る豆 油 運 賃 低減 に関 す る 私利 的 行 為 三
哈 爾 賓事 務 所 長
﹁傍 聴 から受 け た印 象 は 重苦 し い。裁 判 の執行 総 て裁 判長 が行 な
第 三 回目 の公判 を傍 聴 し た当 所 嘱 託 フラ ンクは語 る。
オ スト ロウ モフ以 下 の公 判 に関 す る感 想
大 正十 四年 六 月 十 日
哈 調情 第 一八 二 号
他 人 と 共 同 し て詐 欺 行 為 を行 つた 、 と言 ふ に在 る 。
本 件 に就 て被 告 は 豆油 運 賃 低 減 の事 は被 告 の関 係 す る処 に非 ず 、 且全 く 知 らざ る処 であ る と言 ふ て居 る が、 家 宅捜 査 の結 果 豆油 運 賃 低 減 に関 す る意 見 書 及油 房 業 者 と の往 復 文 書 が発 見 さ れた 。即 ち之 は某 々油 房 支 配 人 が ﹁計 画 に関 す る支 出 ﹂ な る言 を裏 書 す る も の で
ゴ ンダ ツ チ の罪 状
ある。 △
土 地課 長 た り し被 告 は、 地畝 管 理 局新 設 後 も土 地 課 の復 活 を 予想
張 作 霖 の命 に依 り 日本 に註 文 せら る ゝ筈 なり 。
者 の間 には長 時間 に亘 る会 見 なり し も世 上 伝 へら る ゝが如 き顧 問
二 、 ホ ルワ ツト将 軍 は張 作霖 の招 電 に依 り赴 奉 し た るも のに て、 両
ふ て居 り 、他 の裁判 官 は全 然審 判 の進 行 に興味 を有 つ て居 な いら し く 、 一言 も 吐 かず 又質 問 も し な い。 或 る裁 判 官 は欠 呻 を し て居 る。
任命 等 の事 は な し。
或 者 は絶 えず 鼻 を ほ じく つ てゐ る。 検事 は悠 然 とし て読書 に余 念 が
三 、 オ は将 来 呉督 弁 の非 公式 顧 問 と し て、 呼 海線 松 浦 、鶴 立 崗 炭礦
な い。之 を見 ると判 決 は始 か ら決 つて居 る ので今 更 被告 が何 を 喋 ら う と無 益 だ、 と の感 を懐 か ざ る を得 な い。 裁 判 長 は 何時 も弁 護 士 の
四 、 オ は露 亜 銀行 と は今 の処 全 く関 係 なき のみ ならず 、露 亜 銀 行 は
哈 爾 賓事 務 所 長
五
秘
を有 す る やを探 る為 。
哈 爾 賓 事務 所 長
三 、北 京 に於 け る露 亜 銀 行 支店 が呼 海 線 の建 設 に就 て如 何 な る意 見
し た る か に就 ての詳 細 な る報 告 書 を同 氏 に手 渡 す為 。
二 、 プ の依 頼 に依 り昨 年 オが 労 農側 に如 何 な る状態 に て鉄道 を引 渡
を 以 て之 を 見 送 る為 。
一、 目下 天 津 に在 る前 露 亜 銀行 重役 プ チ ヒ ユゲ ネ ンが最 近帰 仏 す る
き ミ ハイ ロフ の語 る所 に依 れ ば 、
オは本 夕 当 地 発 天津 、北 京 方 面 に旅 行 の筈 な るが 、其 の用件 に つ
オ スト ロウ モ フ北 京 行 の件
大 正 十 四年 十 月 二 十 八 日
哈 調 情 第 六 四 六号
市 支 店 長 ブ ヤノ フ スキ ー は労 農露 国 の国 籍 を取 得 せ り。
五 、露 亜 銀 行 は東 鉄 と は最 近或 種 の妥協 なり し が如 し。 尚 同 銀 行哈
寧 ろ オ に対 し或 種 の反感 を有 す 。
其 の他 呉 督弁 所 有 の諸 工場 の業 務 に関 与 す る筈 。
峻 烈 な る弁 護 攻撃 を避 け 、他 を言 つ て問 題 の要 点 に触 れ た答 を し □ ︹ 六字不明︺ □□ □ □ □ 裁 判官 自 身 が 其 の位 地 の独 立的 でな い のを よ く自 覚 し て 居 る の であ ら う。 裁 判 官 の此 の態 度 は飽 貴 卿 が電 報 中 に 、今 度 の裁 判 は外 交 上 の考慮 に因 る も のだ、 と 言 つて居 る の に思合 す れば合 点 が ゆく 。 私 は 西欧 の多 く の裁 判 を 傍 聴 し た が、 此 の支那 の裁 判 ほ ど
に行 な は れ て居 る予 定 の芝 居 にす ぎ ぬ事 が 明ら か に感 ぜ ら れ る。
重苦 し い不 快 な感 を受 け た事 がな い。 こ の審 判 が行 政権 の圧迫 の下
哈 爾 賓 の露 字紙 は支 那 の行 政 処 分 を 恐 る ゝの余 り 弁護 士 の劇 し い 弁論 を極 く 和 ら げ て伝 へ、 又弁 護 士 が剔 発 した 裁 判官 や検 事 の不法 行為 に就 い ては 口 を閉 じ て居 る。 此 の際 外 国 の新 聞紙 は宜 し く支 那
四
秘
裁 判 所 の不 法 を白 昼 に暴 露 し 、被 告 の運 命 を軽 減 す べき であ る。
哈 調情 第 五九 八 号
オ ス ト ロウ モフ の帰 来 談
大 正 十 四年 十 月十 七 日
オ が奉 天 よ り 帰来 後 其 の親 近者 に語 る所 左 の如 し 。 一、 呼 海 線 は 直 ち に起 工 さ る べく初 期 に必 要 な る輪 転 材 料 其 の他 は
四 、呼 海 鉄 路 を そ れ とな く 監督 す る為 。 又 オは度 々松浦 (旧名 松 北 鎮) に至 り呼 海 線 の工事 に つき 、非 公
六
哈爾 賓 事 務 所長
式 の視察 及 監 督 を行 ひ つ ゝあ り 、 と言 ふ。
哈 調 情 第 六 九 八号
オ スト ロウ モ フ の帰 来 談
大 正十 四年 十 一月 十 二 日
オ は十 日北 京方 面 より帰 哈 せ る が、其 の旅 行 談 に就 き某 友 人 に漏 せ る処 、 左 の如し 。
さ ん と す る事 あ ら ば何 分 の援 助 を乞 ひた る に、 皆快 諾 した 。
一、 北京 に ては各 国 公 使 に会 ひ 、若 し 支 那側 が彼 を哈 爾 賓 よ り追 出
二、 天津 に於 て某 国資 本 家 と会 ひ 、北 京 より南 方 に通ず べ き運 河 の 建 設 を建 言 せし 処 、右 資 本 家 は 之 に同 意 し資 金 の援 助 方 を約 し た。
不可 な るを忠 告 せら れ 、北 満 に於 け る彼 の事 業 に就 ては何 分 の援
二 、大 連 及 奉天 (呉 督弁 ) に於 ては 、彼 が南満 にて仕 事 を為 す 事 の
助 を与 ふべ し、 と言 は れ た。
党 方面 にあ り ま す が、 其 の観 察 す る所 は 即 ち孫 文 、黎 元 洪等 は到 底
は な い、 と言 つて居 りま す 。悲 観 論 者 は 政府 に関 係 少 な き も のと民
説 く者 も あ り ま す が、 之 は 反 対派 の宣 伝 で あ つ て決 し て其 の真 相 で
各省 の有 力 なる代 表 者 は多 く北 京 に居 り ま す の で外 間 会議 不成 立 を
と 、会 議 開 会 前 に は会員 も十 分 法 定 人数 に達 す る こと を得 る、 現 在
段 執政 善後 会 議他 中国 内政 問 題諸 件
北 京 公 所長
一九
一
大 正 十 四年 一月 七 日
北 公 調 二 四第 甲 号 の七九
あ り ま す が、 本 日 (一月 七日 ) の順 天 時 報 には 、此 の両者 の代 表 的
議 に就 て の論 評 を 見 ま す と、 悲 観論 者 もあ り 、楽 観 論 者 も あ る様 で
善 後 会議 条 例 を 公 布 し た こと を 御報 告 申 上 げ ま した が 、最 近 の同 会
曩 に北 公調 二 四第甲 号 の七 六 を 以 て段 執政 が時 局 を救 済 す る為 に
こと は非 常 な る疑 問 に属 す る の であ る。 要 す る に執政 府 と民党 方面
南 、貴 州 の督 軍 、 寧 、桂 、 湘 等 は誠 意 を以 て代 表 を派 遣 す ると 謂 ふ
う かと謂 ふ こ とは甚 だ疑 問 であ る 。加 ふる に各 省 有力 者 の中 で も雲
中で も許 崇 智 、 譚 延〓 、 楊 希 閔 等 数氏 は代 表 を も派遣 し得 る か 如 何
そら く会 議 に出 ら れ ま い、 更 に曹 〓 を討 伐 し た る功労 のある 人 々の
章〓 麟 、 王 九 齢 、楊 庶 堪 、 江精 衛 、李 根 源 、彭 養 光等 十 数 名 は 又 お
不可 能 で あ り、 又著 名 の人 物 三 十名 と 言 ふ中 でも 唐紹 儀 、 岑春 〓 、
意 見 を 掲 げ 且推 薦 会員 の各 派 別 に予想 をし て居 りま す ので甚 だ参 考
の感 情 が 苟 も現 在 より も多 少 の変 化 な き に於 ては 、会議 の前 途 と 謂
段執 政 善後 会議 の近 状
善 後 会 議 の条 例 は 既 に公布 せら れ大 体 二月 一日 に開 会 せ ら れ る様
に達 す る か 否 か と謂 ふ こと は 一大 疑 問 であ る云 々、と 称 し て居 る。
ふ も のは悲 観 せざ るを得 な い の で、善 後 会 議 開会 の際 にも法 定 人 員
と な ると 思 ひ ます か ら 、其 の大 体 を意 訳 し て茲 に御 報 告申 上 げま す 。
予 定 さ れ て居 りま す 。其 の会 議 の将来 に就 ては楽 観 す るも のと、 悲
又推 薦 会 員 に付 て も段 執 政 は元 日 に於 て電 報 を 発 し て、会 に出席 せ
観 す るも のと の二説 があ る。 楽 観 論 者 は段 執 政 の方面 と其 の会議 に 賛 成し て居 る 各方 面 の人 で あ りま す が 、其 の観 察 す る所 に依 り ます
ら る る こと を厚 く依 頼 し て居 る。 其 の推 薦 会 員 は合 計 三十 人 であ り ま す が内十 人 は反 曹 〓 派議 員 、其 の余 の 二十 人 は実 業会 の 一名 を 除 く 外 総 て或 る勢力 団 体 の代表 者 であ りま す 。 今茲 に其 の氏 名 党 派 を
一名
挙 げ て見 よう 。 一、 北 洋派
三名
王子 珍 ( 聘 郷 ) 軍人 出 身 二 、孫 文派 汪兆銘 ( 精衛) 彭養光 ( 臨 九 ) 共 に反 曹 〓 派議 員 にし て法 律 家 楊庶堪 ( 滄 白 ) 文 学者 二名
郛 ( 膺 白 ) 元来 民党 出身 にて軍 事 及外 交 に通ず
三 、 馮 玉祥 派 黄
る 、軍 事 に通 ず
張紹曾 ( 敬 輿 ) 直隷 派 の失意 者 にし て灰色 の直隷 派 と称 せ ら
三名
趙爾 巽 ( 次 山 ) 前清 の遺老 にし て学者
四 、張 作 霖 派
楊 宇霆 ( 鄭 葛 ) 軍 事及 政 治 に通 ず
五名
邵瑞彰 ( 次 公 ) 反曹 〓 派議 員 にし て段 系 とし 、漢 学 者 五 、段 祺 瑞 派
劉振生 ( 慰 斎 ) 反曹 〓 派議 員 、 文学 者 烏 澤声 ( 謫生)
し て法 政 に通 じ 西洋 文 学 に通 じ て居 る
〓 (斐 子 )反 曹 〓 派議 員 、 聯省 自 治 を主 張 す る も段 派 に
潘大道 ( 立 山 ) 反曹 〓 派議 員 、章 太炎 の弟 子 湯
じ書 家 であ る
以上
林 長 民 (宗 孟 ) 研究 系 に属 し た るも現 在 段 派 にし て文 学 に通
二名
李根 源 (印 泉 )政 学 系
六 、黎 元 洪派
二名
饒漢 祥 (〓 僧 )文 学 に通ず
熊 希齢 ( 秉 三 ) 旧派 の学 者 にし て財政 家
七 、研 究 派
二名
梁啓 超 (卓 如 )新 旧両 学 派 に属 す
朱 啓 〓 (桂 〓) 挙 人 出身 の官 僚
八 、旧 交 通系
二名
梁 士詒 (燕 孫 )同 、 旧 派 学者
楊永 泰 (暢 卿 )反 曹 〓 派議 員 、 政 治法 律 家
九 、政 学 系
一名
李肇 甫 (伯 甲 )熊 克 武 派 、反 曹 〓 派議 員 、 政治 家
一名
一名
適 ( 適 之) 新 文 化論 者
閥
王九 齢 (竹村 ) 文 学 者
一〇 、 唐継 堯派
一 一、学 胡
一名
修 ( 範 孫 ) 旧 派 学者
一二、前 清 遺 老 厳
一三 、聯 治 派
〓輔成 ( 慧 僧 ) 政 治家 一名
虞和徳 ( 洽 卿 ) 上海 総 商 会 々長
一四 、実 業 会
二
北 公 調 二 四第 甲 号 の八 〇 大 正 十 四年 一月 七 日
北京 公 所長
善後 会 議籌 備 処 規 程 善 後 会 議籌 備 処長 許 世 英 が就 任以 来善 後 会 議 に対 す る準備 は着 々 進 行 し て居 りま す が 、其 の籌 備 規 定 が昨 日閣 議 を通 過 致 し て公 布 さ
善後 事 宜 命 令 に準 拠 し籌 備 処 を設 け、 善後 会 議 籌 備 処 と之
善 後会 議 籌 備処 規 程
れ ま し た ので、 之 を意 訳 し 参考 の為 御 報告 申 上 げ ます 。
第 一条
本籌 備 処 は 執政 に直 属 し 、 一切 の籌 備 事 務 は段 執 政 の依 嘱
を称 す 。 第 二条
に依 り之 を行 ふ。 重要 事 件 あ る場 合 は執 政 に請願 し た る後 委 員 を
善 後 会 議 の各 種 の議 題 は執 政 が指 定 し た る主管 機 関 に申請 し 、
集 め協 議 の上之 を 決定 実 行 す 。
或 は専 門委 員 に依 り之 を 処 理 す。 又 善後 会 議 条例 に疑 義 あ ると き
善後 会 議 に関 す る文書 、電 報 にし て直 接執 政 府 に到着 し た
は臨 時 法 制院 に於 て之 を研 究 す 。 第 三条
る も のは 、執 政 府秘 書 処 より随 時 本 籌備 処 に交 付 を受 け 之 を区 分
本籌 備 処 の組 織 を 左 の如く す 。
処 理す 。
丙 、文書股 股長 一名、主任三名、事務員五名 酌量す
丁 、交際股 交際股員を置き、其 の名称 は事務 の繁閑 に依り之 を
とを得 。
前項各職員は本籌備処 より傭聘し、或 は執政府 に請願したる後 之 を任用す。本籌備処各股は事務 の繁 閑に依り雇員を任用する こ
善後会議籌備処 は善後会議閉会後 に於 て、総 ての器具は国
第五条 本籌備処事務取扱細則は別に之を定む。 第六条
本規定は公布 の日より之を施行す。
民代表 の籌備処 に之を交付す。 第七条
三 北公調 二四第甲号 の八三
善後会議委員 一覧表送付 の件
大正十四年 一月八日 北京公所長
北公調二四甲号 の七九を以て執政府 の善後会議準備会 々長許世英
氏 が記者団 を招待 して発表 しましたものを 一覧表 として茲 に送付し ます。 孫文 黎元洪
一、国家 に功勲ある者
二、賄選討伐及内乱制止 の各軍最高首領
馮玉祥 胡景翼 孫
第 四条
何豊林 陳楽山 張載陽 潘国網
岳 唐継堯 閻錫山 鄭士琦 劉鎮華
孫
盧永祥 秘書 八名
張作霖 股長 一名 、 主 任 三名 、事 務 員 四 名
文
乙、 総 務股
甲 、 秘 書処
呉俊陞
李景林 姜登選 郭松齢 呉光新
張作相 鹿鐘麟
張学良
臧致平 楊化昭 韓麟春 張宗昌 許蘭洲 汲金純 楊希閔 林俊廷
何 遂
潜 范石 生 故思春
許崇智 程
李鳴鐘 劉〓芽 宋哲元 張之江 岳維峻 課延〓 劉震寰
岳 (河 南)
〓積柄 (山 東)
南) 李景春 (直 隷 )
湘 頼心輝 劉成勲 袁祖銘
李烈鈞 柏文蔚 沈鴻英 李宗仁 黄紹耀
熊克武 劉
陳烱明 林 虎 劉存厚 三、各省 区及蒙蔵青海軍民長官 天) 唐継堯 (雲 鄭士琦 (山 東)
張作霖 、王永江 (奉 楊 以徳 (直 隷)
北)
超 (浙 江)
趙恒惕 (湖 南)
王揖唐 (安 徽)
呉俊陞 (黒竜江) 韓国鈞 (江 蘇)
閻錫山 (山 西) 胡景翼 (河 南) 孫 張作相 (吉 林) 孫伝芳 (浙 江) 夏 方本仁 (江 西) 蕭耀南 ( 湖 胡漢民 ( 広 建) 劉顕世 ( 貴
東) 張其鐘 ( 広
彊) 〓朝璽 ( 熱
州)
西)
唐継堯 ( 貴
周蔭人 ( 福
河)
州)
建)
森 (四 川)鄧 錫侯 (四 川)
薩鎮泳 ( 福
遠)
劉鎮華 (陜 西) 楊
陸洪濤 (甘 粛) 楊増新 ( 新
黄 郛
梁士詒 四 北公調 二四第甲号 の八八 臨時法制院弁事規則 の件
大正十四年 一月十二日 北京公所長
十二月 二十九 日附臨時法制院弁事規則が発表されましたから御参
総
綱
臨時法制院弁事規則
考迄 に御送附致します。 第 一章 理す。
第 一条 本院 の事務 は臨時法制院官制を遵照する外本規則 に依り弁
第 二条 本院は 一切事務を院長 の認可後之を行 ふ。
本院は本院 の官制第 一条第 一款 より第 四款 に至 る列挙事務
第 二章 評議及参事 第 三条
第 三処 第 四処
を左記 の四処を設 けて弁理す。 第 一処 第二処 一、公 文 程 式
第 四条 第 一処は撰定或は審定 を掌り、左記各項 の命令案を有す。 二、官 制 官 規
第 二処は撰定或 は審定 を掌り、左記各項 の命令案を有す。 一、軍政 の法規 に関す る事項
第 五条
熊希齢
蒙古軍民長官、酉蔵青海
張之江 ( 察哈爾) 馬福祥 ( 綏 軍民長官
汪兆銘
岑春〓
王子珍
唐紹儀 章炳麟
李根源 藩
四、特殊 の資望、学術、経験 の者
湯 〓 林長 民 張紹曾
三、各種公共団体 の組織法規 王九齢 楊庶堪 〓輔成 虞和徳
劉振玉
趙爾巽 胡 適
李肇甫
道 烏澤声 楊永泰
郡瑞彭 彭養光
厳 修
梁啓超 朱啓針 楊宇霆
二、 外 政 の法規 に関 す る事 項 第 三処 は選定 或 は審 定 を掌 り 、左 記 各 項 の命 令 案 を有 す。
第十 四条
関 係 重 大 の事 務 にし て院 長 必要 と認 む ると き は、 四処全
全 体 の会議 は院 長 を 以 て主 席 と為 し 、両 処 以 上 の会議 次
体 の会 議 を開 き 公 議決 定 す 。 第十 五条
序 在 前 の主任 を以 て主席 と為 し 、各 処 の会 議 は本 処 の主 任 を以 て
一、 財 政 の法 規 に関 す る事 項
第 六条
二、 農 、 工、 商 、鉱 各 政 の法 規 に関 す る事 項
第 十 七条
各 処 の事 務 は稿 を 擬 し た る後主 任 、院 長 の認可 を請 ふ。
院 長認 定 の文書 は各 処 の主 任事 務 庁長 よ り各 科 に送 ら し
任 或 は兼 任意 見 あ ると きも 亦 直接 院 長 に対し 具申 す る こと を得 。
但 し院 長 必要 と認 む る とき は専 任 或 は兼 任 に対 し 意 見 を述 べ、専
第 十 六条
を決 定 す 。
主 席 と為 す 。多 数 に依 り決 を 取 り可 否 同数 のと き は主席 に依 り 之
第 四処 は 撰定 或 は審 定 を掌 り 、 左記 命 令案 を有 す 。
三、 交 通各 政 の法規 に関 す る事 項 第 七条 二、 内 政 の法 規 に関 す る事 項 二 、法 制 の法 規 に関 す る事 項 三 、教 政 の法 規 に関 す る事 項 四 、其 の他 の法 規 に関 す る事 項
命 令 の正 副 本 は抄 録 後 原案 人 に依 り校 正 せし む 。
め弁 理す 。 第 十 八条
本院 は官 制第 一条 第 三款 、 第 四款 に列 挙 の事 務 及 本規 則第
四条 よ り第 七条 に列 挙 す る各種 法 規 関 係重 軽 に応 じ 、院 長 よ り随
本 院 は撰 定 或 は審 定 案 を善 後 会議 、国 民会 議 其 の他各 種
第 八条
第十九条
本 院 の撰 定或 は 審 定案 、 各官 署 と協商 の必要 あ ると き は
編
訳
編輯股
外 国法 制 及法 制 一切 に関 す る資 料 を 繙訳 す 。
本 国法 制 及法 制 一切 に関 す る資 料 を 編纂 す
編 訳 事 務 は左 記 の二股 を設 け て之 を分 掌 す 。
繙訳股
第 二十 一条
第 三章
院 長 は 各該 官 署 に伝 達 し て其 の派 遣 を請 ひ会議 す 。
第 二十 条
を得 。
しむ 。但 し院 長 必要 と 認 む る と き は他員 を以 て指 定派 遣 す る こと
り指 定派 遣 す 。主 とし て該 案 の主 任、 専 任或 は兼 任 をし て担 任 せ
の会 議 に出 席 し て説 明 し 、或 は 各官 署 に赴 き協商 のとき は 院長 よ
時各 処 に交附 、或 は各 処 主 任 に於 て専 任或 は兼 任 中 よ り専員 を指
事 務 を何 処 に於 て弁 理 す べき かは、 院 長 文巻 に明 記 し て之
定 し て弁 理 す。 第 九条 を分 配 す 。 各 処 は主 任 を 設 け院 長 評議 中 より指 定 す 、 並専 任 を 設 け院
各 処 の事 務 は主 任 よ り専 任 或 は兼 任 に協 議 し て之 を 酌定
長指 定 す 。但 し他 処 に兼 任 す るを得 。
第 十条
第 十 一条
す 。但 し重 要事 項 或 は解決 に難 な る も のは 先 づ院 長 に示 し再 び稿
事 務 両処 に渉 る も の は各処 協 議弁 理す 。
を擬 す 。
各 処 或 は両 処 以上 の事務 は院 長或 は主 任 必 要 と認 む る と
各股 は主任 専 任 を 設 け院 長 編訳 中 よ り任 命 す 。
第 十 二条
第 二 十 二条
第 十 三条
き は 、各 処 或 は両 処 以 上 の会 議 を開 き公議 決 定 す 。
第二十三条
各股 の編輯及繙訳 の件 は院長 の指定 を除く外、主任よ
り目録 を撰定し院長 の許可を得 て弁理す。 第 二十四条 事務庁は調査科、保管科彙集 の資 料は院長 より編輯後 に交付し て編輯製本せしむ。 第 二十五条 編訳編成或は訳成 の件は院長 より審査 の後封印発売或 は保管科 に交付し保存を分別す ることを得。 前項編成、訳成 の件 は院長 、評議或は参事 に交付して之 を審定 す。 事務 庁 事務庁は左記各科 に分 つ。
第 四章 第二十六条 文書科、調査科、会計科、庶務科、保管科
一、 現金 収 支 事項 二、 会計 簿 登 録事 項
三、 予算 、決 算 及 其 の他 の諸表 編 製 事 項
庶 務 科 職 掌 左 の如 し 。
四、 現 金 及各 種 証 憑 保管 事 項
二、 物 品 の購 弁
第 三十 条
二 、家 屋 の修 繕 事 項 三 、夫 役 の管 理事 項 四 、他 科 に属 せざ る事 項
保管 科 職 掌 左 の如し 。 一、案 件 の編輯 事 項
第 三 十 一条
一、対外往来 の文書を撰擬す る事項
五、 書 籍 、雑 誌 及 新聞 の整 理 事項
四 、 現行 条 約 法規 の蒐 集 事 項
三 、 法令 正 本 の保 管 事 項
二 、案 件 及 会議 の記 録 保 管事 項
二、会議 の記録 を弁理する事項
六 、書 籍 、雑 誌 及 新 聞 の保 管 事項
文書科職掌 左の如し。
三、院令を伝達 する事項
七 、書 籍 、雑 誌 及 新閏 聞 の調 閲 及 交 還 の管 理事 項
第 二十七条
四、印鑑 の保存事項
八 、中 外 出 版 の図 書 目録 調 査 事 項
第 三十 四条
各科 に科 長 を 設 け院 長 、僉 事 中 よ り任 命 す 。科 員 は院
本院 は事 務 進 行 上院 長 より 嘱託 或 は 各種 の学識 経 験 あ
本 院繕 写及 雑 務弁 理 の為 に録 事 を雇 用 す。
るも のを命 令 し て院 事 を弁 理 、編 訳 及 事 務庁 各 科 に分 任 す。
第 三十 三条
長 、僉 事 、 主 事 及試 験 採 用 に依 り任 命 す。
第 三 十 二条
九 、物 品 の保管 事 項
五、文書 の発受事項 調査科職掌左 の如し。
六、職員履歴、進退及採用 の記録 に関する事項 第二十 八条
一、法制 に関係する本国史 の習慣及其 の他 の状況調査事項 二、外 国法制及法制 に関係ある各種 の状況調査事項 三、院長 の指定する事項調査 四、評議、参事、嘱託 の事項調査 第 二十九条 会計科職掌左の如し。
前項録事員は院長事務 の繁閑 に依り随時酌定す。雇員 の給料及
調査科所管 の事務は院長必要と認めたるとき、該科員
各科 の事務 は各科長、事務庁長 と協議し各科員を監督
昇給 の弁法は別 に院令 を以 て之 を定む。 第三十五条 弁 理す。 第三十六条 を指定して各処 に赴き実 地調査せしむ。 調査 の為人員を各科処 に派遣するとき の旅費 の支出を要す ると
五
大正十四年二月二日 北京公所長
北公情 二五第 一号 一 善後会議 の件
予定 の如く段執政主張 の下 に係る善後会議 は、去 る 一日旧総督府
に於 て開会されました。当 日善後会議籌備処 にて発表したる会議員
は左の通り。当 日出席会員 は八十六名 であります ( 括弧内 は代表 の
きは院長 に依 り酌定す。 第 三十七条 各科人員 の成績 は事務庁長随時院長 に報告す べし。
第 一〓会員 (二人)孫文 黎 元洪
氏 名)
孫 文
閻錫山 (温寿泉) 鄭士琦 (江 〓)
胡景翼 (李述膺) 孫
張作霖 ( 鄭
仁) 馮玉祥 (劉 驥)
何豊林 (汪慶辰) 陳楽山 ( 郡漢祥)
第二〓会員 (六十七人)
唐継堯
臧致平
岳 (王汝勤) 劉鎮華 (王印川)
張載楊 ( 張寿鏞) 潘国綱
〓)
李景林 (岳 屹) 姜登選 ( 黄栄恵)
張学良 ( 胡若愚) 韓麟春 (〓翼翹) 張宗昌 ( 許
楊化昭
謙) 盧永祥 (張
第三十八条 各科 の事務は各種簿冊 に依 り之 を整理す。前項簿冊 程 式 は院令を以て別 に之を定む。 第五章 当直及勤務 毎日勤 務時間以外は二名在院当直し事務庁長 より各科員
第三十九条 本院 の勤務時間は院令 を以 て之 を定む。 第四十条 及録事中 にて命ず 。 本院 は職員勤務簿を設 け各員毎日出院 のとき自書す。 本院員事故 に因り出院 し能はざるときは、先に請暇を
毎月曜日院長之を検査す。
第四十 一条 第四十二条
受け引続 き請暇す る者 は院長 の許 可を経 るべし。
呉俊陞 (張寿増)
呉光新
汲金純 ( 白文琳)
李鳴鐘 (劉之龍) 劉郁芬
遐)
郭松齢 ( 郭大鳴) 張作相 (張 恕) 許蘭洲 (王杢煥)
各種弁 事細則 は別 に之 を定む。
鹿鐘麟
則
第 四十三条
本規則は民国十三年十 二月二十九日より施行す。
第 六章 附 第 四十四条
譚延〓
張之江 (陳琢如) 岳維峻 ( 寇 燧 ( 金兆〓) 楊希閔
宋哲元 何
沈鴻英 (岑徳広 )
陳烱明
苑石生
陸洪濤 ( 魏洪発)
〓朝璽 (王守中) 張之洪 (余 詒)
楊増新 (王樹〓)
唐継堯 (李華英) 陸洪濤 (康新民)
李鳴鐘 ( 熊 斌)
薛篤弼 ( 曹壽麟) 那彦図 頼 貢桑諾爾布
玉) 達
李
米振標 (夏東暁)
梁啓超
唐紹儀
饒漢祥 〓輔成
王士珍 熊希齢
于右任
李根源
章炳麟
汪兆銘
超爾巽
楊永泰 彭養光 林長民
班禅額爾徳尼 (大堪布羅桑)
( 陳能怡)
程 潜
劉存厚 (伊朝楨)
章 嘉 ( 黄
方声濤
王揖唐 (汪声玲)
蕭耀南 ( 周 斌)
同
( 陳 強)
純) 韓 国鈞 (賈士毅 ) 孫伝芳 ( 高爾登)
一、予て直隷督軍 に野心 のあ つた李景林 は、朝陽陥落後曹〓から東
と孫岳と の勢力関係に就 き語りたる所 を、左に御報告申上げます。
に就 き報告しましたが、北京及当地要人 が其 の裏面 の事情及李景林
周学煕
適 烏 澤聲
楊庶戡 梁士詒
郛 胡
虞和徳 楊宇霆
黄
鄭金声 (楊兆庚)
第 四〓会員 (三十三人)
同
林俊廷
頼心輝 (張 英)
陸興祺
(銭 桐)
許崇智 柏文蔚
樊鐘秀 (王鼎洛)
同
胡思舜
湘 (張 再) 葉 挙
垣
袁祖銘 (周培芸)
李宗 仁 ( 厳直方) 黄紹雄 (蒙民偉)
李烈鈞
洪兆麟 (李 桓)
劉
劉成勲 ( 費行簡) 林
熊克武 但懋辛 虎 (申潤 生)
鄧本殷 馬福祥
林建章 (劉伝綬) 許建廷 〓玉〓 (斉真如)
厳 修
六
胡思義 (呉 〓)
同
( 潘連如)
周作民 岑春〓
湯 〓
馮玉祥 ( 薛篤弼) 張作霖 (戦滌塵)
王九齢
唐継堯 ( 徐之〓) 同
邵瑞彭
張作霖 ( 襲 玉〓)
楊以徳 (楊以倹) 鄭士琦 ( 黄家濂)
朱啓鈴
王永江 (〓克荘) 閻錫山 ( 蘇體仁) 同
秘 奉天公所長
盧永祥 ( 杜 章)
楊 森 ( 蒲伯英)
大正十四年 二月十二日
奉 天情報第六二号
夏 超 ( 郡
趙恒惕 (鐘才宏)
鎌 田弥 助
劉振生 李肇甫 張紹曾
李景林 (張化南)
孫 岳 (徐南増) 張作相
潘大道
襲積炳 (田歩蟾)
呉俊陞 (王樹常 ) 于駟興 ( 程廷恒)
第 三〓会員 (五十六人)
胡景翼 (劉守中)
(周鐘嶽)
王樹翰 (栄 厚)
方本仁 ( 何葆華)
同
一月十九日附当所情報第 四六号を以て李景林 の寝返りと言ふ こと
松 岡 理事 殿
(玉運孚)
( 劉朝望)
同
三省巡閲使 に任命 するとの通知があり、呉佩孚 からも祝電が飛来
(梁文淵)
劉鎮 華 ( 楚緯経)
鄧錫侯 ( 劉炳南) 胡漢民
した ので内心得意 であつたに違 ひな からうが、商務総会が李 を直
張 一気 (馬君武)
周蔭 人 (李鈞南) 薩鎮冰 (陳培〓) 劉顕世 (劉燧昌)
景 林 の仲 を 離 間 せ ん 、 と の陰謀 が暴 露 し た 。右 電 報 も これ から 推
と言 ふ春 秋 の筆 法 に より 、商 務 総 会 を使 嗾 し張 作 霖 、馮 玉 祥 、李
隷保 安 総 司令 に推 戴 した のは張 志 潭 、 辺守 靖 等 が ﹁ 二桃殺三士﹂
購 入契 約 を結 ん だ のは 要 す る に之 に備 へん が為 であ る云 々。 (了)
弁 が最 近 独 逸 か ら小 銃 五 万挺 ( 弾 丸 五千 万 発附 代 価 五 百 万円 ) の
春 に於 て再 び動 乱 勃 発 す る も のと見 る こと が至 当 であ らう 。 張 督
ら推 せば 此 の時 局 は 到 底永 続 す ると は思 は れ な い。 今 秋 もし く は
の間 の事 情 を 知 つた け れど も 、李 景 林 は 未 だ御 存 知 な い のであ る。 七
北 公 情 二 五第 一号 の四
本 件 に就 ては 既 に再 三報 告 致 し まし た が予 定 の如 く昨 十 三 日正 式
善 後 会 議 の件
大 正 十 四年 二月 十 四 日
に善 後 会議 第 一回会 議 を開 き ま し た 。全 会員 百七 十 五名 中 出 席者 百
北 京 公所 長
し て張 志 潭 等 の悪 戯 と思 は れ る 。張 督弁 ( 作 霖 ) は最 近 に至 り 此
但 し 両者 間 の感情 は案 外 良 好 で 、李 は先 般来 奉 し て弁 公処 を設 け た り 、張 督 弁 から 最 近 ド イ ツか ら購 入 し た 小銃 を七 千挺 (一挺 に 就 き 弾丸 一千 発 附 ) 分配 せら る る こと にな つて ゐ る。 二、 善 後会 議 に対 し 張 督弁 は あま り乗 気 でな く 、従 つて其 の効 果 に
もな く僅 か に秘 書 長 鄭謙 位 を委 員長 とし て、之 に若 干 の委 員 を附
二十 九 名 で 、 三分 の二 以 上 の会 員 を 以 て有効 に会 議 せ ら れ種 々討 議
つい ては多 く を期 待 し な い。 之 が為 別 に代 表 的 人物 を派 遣 す る で
民党 が馮 玉祥 、 胡 景 翼 、孫 岳 等 と結 合 し て、 段 執 政 に向 け或 物 を
の結 果 議長 に趙 爾 巽 九 十 五票 を 得 て当 選 し 、副 議 長 に湯〓 七 十 七票
随 せし め様 子 を見 に出 し て居 る にす ぎな い。 只 恐 れ て居 る の は国
強 要 し は し な い か、 と いふ こと であ る。 直 隷 省 に於 け る孫 缶 、河
にな りま し た。
を 以 て当 選 し愈 々職 員 の顔 が揃 つた ので今後 引 続 き 会議 を開 く こと
哈爾 賓 事 務 所長
の兵 力 は優 に四十 万 に達 し て居 る。 李景 林 は直 隷 軍務 督 弁 と は言
八
極秘 大 正 十 四年 二 月 十 六 日
哈 調情 第 七 一三 号
南 省 に於 け る胡 景 翼 の勢 力 は実 に侮 る 可 か らざ るも のが あり 、 其
へ、其 の政令 は前 清 時 代 の天津 、 永 平 二府 の地 域 に行 は る ゝ にす ぎず 。 他 の大 名府 、宣 化 府 、保 定 府 、 河 間等 の如 き は孫 岱 の勢 力 範 囲 に属 し て居 る ので、李 の勢 力 は 全省 の三分 の 一に限 られ 誠 に 微 々た るも ので あ る 。 又胡 景翼 軍 隊 は 全 部 馬賊 あ がり で 、現 に 一 万 以 上招 撫 す れ ば 師長 の官 職 を 与 へら れ 、 各師 団 が数 県宛 を繩 張
昨 今巷 間 に囂 し き特 区 行 政 長 官 公署 の廃 止 説 、当 地大 官連 の更 迭
束 省 特 別 区行 政 長 官 公 署 廃 止問題
江 、浙 に於 け る盧 永 祥 と斉 〓 元 と同 様 の関 係 が繰 返 へさ れ、 そ れ
説 を齎 ら し て本 月 十 四 日山 根 所員 は問 題 の当 面 者 た る道 伊蔡 運 升 氏
と し て喰 物 にし て居 る 。 され ば将 来 両 者 の確執 が嵩 じ て来 て恰 も
が 因 とな つて再 び 大波 瀾 を 惹起 す る やも 測 ら れ な い。斯 る状 態 か
の秘 書徐 鴻 漸 を道 伊公 署 に訪 れ た処 、徐 氏 は極 く内 密 な り公 表 を避
なら ん 。来 る陰 暦 二 月十 二 日 は張 作 霖 の誕 生 日 な れば 、赴 奉 中 の当
々﹂
九
地大 官 連 は往 復 の煩 を避 く る為 そ れま で帰 哈 す る こと な か る べし 云
昨 今 漢 字新 聞 紙 上 に散 見 す る記 事 は 何等 信 用 す る に足 らず 。 一昨
哈 調情 第 七 三 四号
大 正十 四 年 二月 二十 三 日 哈爾 賓 事 務 所長 ︹ 武夫︺ 二月 十 六 日張作 霖 の菊 地 少将 に対 す る談 話要 ︹ 川田明治︺ 旨 (二 月 二十 日関 東 軍 参謀 長 発 高橋 中 佐 宛)
極秘
けら れ 度 し と前 提 し て語 る 。
々日 (二月 十 一日 )目 下 奉 天 の会 議 に参列 中 な る蔡 道 尹 よ り予 の許 に来 信 あり 、 曰く ﹁ 特 別 区 の問題 に関 す る会 議 は 十 二 日よ り奉 天 に 於 て開 催 せ ら れ、 今 後 二週 間 は継 続 せら る べし 、朱 慶 瀾 氏 の辞 職 は 已 に決 定 し 、氏 の今後 は張 作霖 氏 の最 高 顧問 と し て就 任 し 、 月額 大 洋 壱 千 元 の俸 給 を 受 く る こと な ら ん。 而 し て哈 爾 賓 に は此 の度 新 に
の督 弁 たら しむ 可 く推 薦 し 居 れ り 。張 作 相督 軍 又 賛成 せり 。然 れ共
特 別市 政 督弁 公 署 を設 置 せら る べ く、 呉 督軍 は 極 力予 ( 蔡 氏 ) を其
せ ん とす る の野 心 あ る も、 呉 佩孚 と協 同 す る こと なし と て形 勢 を
又唐 継 堯 は胡 景 翼 と 相呼 応 し て湖 北 を攻略 し、漢 陽 兵 工廠 を掌 握
一、馮 玉祥 と国 民党 と の関 係 は 案外 薄 弱 にし て苦慮 す る の必要 な く、
け の実 勢 力 あ り や、 又張 作 相 氏 の賛 成 も 敢 て反 対 せざ るま で の賛 成
て、其 の死 期 の速 な ら ん こと を希 望 す る の口吻 を洩 らせ り 。
楽観 し、 孫 文 は 日本 医師 の診 断 に依 り死 期 は尚数 ケ月 の後 なり と
以上 は手 紙 の内 容 な り。 呉 督 軍 が果 し て此 の推 薦 を貫 徹 し得 る だ
予 は堅 く 此 の就 任 を辞 し つつあ り﹂
な る や不 明 とし て、蔡 氏 の今 の身 分 とし て 一段 高 き特 別 市 政督 弁 の
二、在 奉天 英 国総 領 事 代 理 (漢 口に転 任 ) の転 任談 に関 連 し て 曰く、
職 に昇 る こと は周 囲 の関 係 上 如 何 に と思 は る 。又 該 督弁 に蔡 氏 以外 の人物 を拉 し来 ら ば 馬忠 駿 、 王 順 存両 氏 の如 き は其 の下 に晏 如 たり
2
1
支那 政 局 の赤 化 す る こと 、 是 な り。
奉天 軍勢 力 の進展 す る所 は 即 ち 日本勢 力 の浸 潤 す る こと。
英 国 人 が斉 燮 元 を援 助 し た る こと。
英 国 の目 下 心 配 しあ る所 は、
張煥 相 は其 の希 望 の如 く なば 旅 を改 変 し て師 に改 め、 其 の師長 に
3
得 ざ る べく 、当 地 の大官 連 は大 異動 の行 は る べき は 必然 の こと な り。
任 命 せ ら る ゝや も知 らざ れど 、 護 路軍 総 司令 説 は不 可能 なる べ し。
北 公 情 二五 第 一号 の七
一〇
護 路軍 司 令 の職 は張 作 相氏 か或 は 飽貴 卿 氏 の再 任 の こと なら ん 。呉 督 軍 、馬 総弁 の関 係 極 め て親 密 な れ ば、 呉督 軍 が斯 く熱 心 に蔡 氏推
り にし て未 だ何 等 決 定 的 の公 文 書 に接 せず 。特 区 警察 総 管 理 処 の副
薦 を 主張 す るは そ れが為 なら ん。 奉天 の会議 は漸 く始 ま りたる ば か
処 長 を吉 、 黒 両省 より各 一名 宛 出 す 、と の説 の如 き未 だ後 々 の こと
大 正十 四年 二月 二十 七日
北京 公 所 長
宣 統帝 出 京 と漢 字 紙 の論 調 前 の宣 統皇 帝 であ る溥儀 氏 が 日本 公使 館 より脱 出 し て天津 に行 つ た こと に就 て は既報 の通 り で あ るが 、本 件 に就 て当 地 の支 那 新 聞 の
日本 公 使 館 の声 明 書 は 不満 足 、 不愉 快 だ 。 一、 二新 聞 の記 に籍 口
報
し て満 、漢 両 民族 を 離 間 し よう と し て居 る から であ る。 四 、京
日本 人 と溥 儀 と は 早く から 勾結 し て居 た のだ。 外 交部 は溥 儀 が日
す べき であ つた のだ 。而 し て其 の外遊 を許 さず 、 と 通告 す べ き であ
つた。 今 一歩 を進 め て将 来溥 儀 が民 国 に害 あ る行 動 を なし た時 は 、
本 公 使 館 に逃 げ た 時 に抗 議 を提 出 し 、溥 儀 は 民国 で保護 す 、 と声 明
日本 に内政 干 渉 の行 動 あ り し と認 む 、 と警 告 す べき であ つた。 然 る
一、 社 会 日 報 溥儀 は庶 人 と な つた百姓 であ る。彼 の行 動 は自 由 であ る。 然 し前
に外 交 部 は終 始知 らざ る真似 し、 反 つて日本 公 使 館 をし て我 が政 府
諭 調 は大 体 左 の通 り であ る 。
清 皇 族 と遺 老 が優 待 条 件 の修 正 を承 認 しな い こと、 国際 上 彼 を 奇貨
が同 意 せ る が如 く声 明 を 発表 せし め た。 国 家 の体 面 何処 にか あ る。
哈 爾賓 事 務 所長
一 一
であ る 。干 渉 す る のは つま り彼 の身 命 を安 全 にす る ことな のだ 。 日
るべ し。
かる べく 、 只馬 市 政 局 長 は奉 天 の覚 え面白 から ざ れば更 迭 す る に至
尚 当地 中 国官 庁 は王 省長 来 哈 後頗 る恐慌 の体 な る も大 な る変 動 な
りと 。
奉 天 派 は馮 玉 祥 の全 く 過激 化 せる に 対 し深 く 不満 の意 を抱 く に至 れ
政 府 に向 つて露 白党 軍 隊 の取 締 方 に付 き抗 議 を提出 せし む る所 あ り、
天派 に対 し動 も す れ ば挑 戦的 態 度 に出 で、 現 にカ ラ ハンを 懲慂 し て
馮 玉祥 と 奉 天派 の関 係及 王 省長 の来 哈 と馬 市 政 局長 の去就 ︹ 堯︺ 三月 一日王 省 長 が当 所 魏 顧閻 に語 る処 に拠 れば、 馮 玉祥 は 近来 奉
大 正十 四年 三月 三 日
哈 調情 第 七 六 四号
と な す陰 謀 があ る から 我 が政 府 に溥 儀 厳 重 監視 の責任 あり と す る の
本 公使 館 が彼 の出 京 を援 助し た と し たな ら ば、 芳 沢 君 に説 明 を 正式 に求 め なけ れ ばな ら ぬ 。政 府 は 日本 公 使 に始 終 溥儀 の保 護 に当 る つ も り だ、 と声 明 し て貰 ひ た い。 日本 公 使 に対 す る吾 人 の注 文 と し て は溥 儀 に北京 に帰 る こと を勧 め 、其 の外遊 を阻 止 し て貰 ひ た い。 外
ら ば、 我 が国 民 の日本 に対 す る感 情 が悪 くな る だら う 。其 の責 任 は
遊 の汽 船 に乗 つた後 で又 無 責任 な通 告 を す る やう な こと に な つ たな
日本 に帰 す る。 我 が政 府 に対 し ては 一般 的 責任 を問 ふ も の であ る。 二、東 方 時 報 溥儀 の出 京 は彼 の怯 儒 及 日本 公使 館 が彼 の久 居 を 欲 せざ る こと の 二原因 に よる も のだら う。 北 京 は総 体 に此 の件 に つき不 満足 で あ る。 本 紙 は彼 が大連 に行 く こと には反 対 であ る が、 彼 の外 遊 には賛 成 だ 。 国 内 でも 上 海 か天 津 に居 る こと は賛 成 だ 。︱︱ 復 辟党 の包囲 を免 か れ得 る から で あ る。 三 、北 京 日 報
一二
北 公 情 二 五第 一号 の十 一 北 京 公 所長 大 正 十 四年 三月 十 七 日 孫 文 氏 死去 に対 す る外 紙 の論 調 (2 ) 首題 の件 に関 し北 公情 第 一号 の九 を以 て大体 報 告致 し ま し た が、 去 る 十五 日 天津 に於 て発 行 され る ピ ー ・テ イ ー ・タ イ ム ス (ペ キ
最 も贔 負 目 に見 ても ド ク タ ー孫 は心 的 に バ ラ ン スを失 つた 一の夢
と言 つた 人 に はき ま つて軽 々し い信 者 と か、 利 己的 な 人 々から な る
想 家 以 上 に出 でな い。自 己 の大 を過 信 し 一生 を運 動 の為 に捧 げ る 、
と り ま き 言附 随 す る。
一八九 六年倫 敦 に於 け る ド ク タ ー孫 の拘禁 事 件 と 言 ふ彼 には も つ
て来 い の機 会 が発生 し 、 之 が ため 、彼 は欧米 人 の間 に其 の名 を知 ら
れ る に至 つた 。若 し こん な事 件 が な か つた ら彼 の名 も欧 米 人 に大 し
そ れ から も う 一つ彼 に都 合 の好 か つた のは、 彼 の政 策 が滅 法 破壊
た 印象 を与 へる には 至 ら な か つた だら う 。
的 なも の であ つた こと であ る 。教 徒 を 集 め る こと に就 いて は建 設的
ン ・テ ンシ ン ・タイ ム ス) に可 な り激 し い論 調 を 以 て評 論 し て居 り ま す から 翻 訳之 を 送 附致 し ま す 。御 存 知 の通り ピ ー ・テイ ー ・タ イ
な改 造 を鼓 吹 す る人 よ りも狂 的 に行 動 す る人 の方 が楽 に成功 す る て
ふ 一事 は 、悲 し い こと だ が然 し真 実 であ る。
ム スは帝国 主 義 的 の英 国系 新 聞 であ り ま す。 ド クタ ー孫 は北 京 で死 ん だ。 吾 人 は咋 年 五 月十 四日 、孫 文 死 せ り、
朝 と か 、国 と か 、階 級 と か言 ふも のに対 し 、人 々 の感 情 を煽 動 す
る こと は出 来 る。然 し 建 設的 努 力 に人 々⋮⋮殊 に無智 、無 自覚 な⋮
と の広東 来 電 を尚 記 憶 し て居 る。 実 際如 何 し て あ の誤報 が伝 は つた かは 当分 判 ら な か つた。然 し吾 人 は彼 が激 し い発 作 で 一時 卒倒 し周
⋮を関 与 せし む る こと は 容易 でな い。
ド クタ ー孫 は満 洲 朝 廷 へ資 本 主 義及 外 国 人 に対 す る激 論 によ つて
囲 の人 々も実 際彼 が死 ん だ も の、 或 は助 から ぬ も のと信 じ た結 果 だ ら う と考 へる。要 す るに吾 人 は ド クタ ー孫 が生 存 中 の有 害 な行 為 に 就 い て決 し て批評 を躊 躇 す るも の でも な か つたし 、 又今 日偽善 的 な
る こと及 社 会 改 造 、政 治 改造 の ﹁先達 な る こと を主張 し て居 た﹂ の
名 を為 し た。 彼 は常 に彼 の行 動 は最 も崇 高 な る理 想 に基 づく も のな
北公情 二五第 一号 の十三 北京 公所長
一三
外 の計 画 を たく ら ん で天使 を泣 かせ る の であ つた 。
は事 実 で あ る。然 し彼 は 少 し権 能 が 与 へら れ ると 直 ぐ公 然 と奇 想 天
弔 辞 を 並 べ んと す るも ので もな いし 、然 し 放 つて居 よう と 言 ふ訳 で も な い。 旧 い忘 れ た罪 を数 へた て る こと は固 より 死者 に対 す る礼 ではな い が 、然 し歴 史 的な 事 業 を や つた と主 張 す る彼 自 ら 亜細 亜 に於 け る先 覚 者 と為 す 、 即ち ﹁支那 共 和 国 の父﹂ てふ 称号 を 好 ん で求 む る彼 の 如 き 、其 の死後 に於 て偽 善 的 な追 従 を予期 す る こと は出 来 な い の で あ る。
昨 今 の善後 会 議
郭 同 の諸 氏 と の間 に疏 通 を は かり 、案 を 撤 回 さ せる か、 或 は形 式 上
に取 つて の大打 撃 であ る から 、 可成 な ら ば〓 輔 成 、鐘 才 宏 、蕭 〓 、
す る と の説 も あ つた が 、 もし 之 を提 出 す ると 会 員 から 待 ち兼 ね た と
二策 と し て執 政 々府 は、 聯 治派 牽制 の目 的 を 以 て臨 時参 政 案 を提 出
は考 へて居 る が、 さう 問 屋 で卸 す や否 やは 疑 問 であ る 。 それ か ら第
だけ 議 事 日程 に入 れ て事 実 上 は討議 せ ぬ事 にし た い、 と執 政 府側 で
大 正 十 四年 三 月 二十 六 日
善 後 会議 に就 て再 三報 告 し た が、 其 の後 の状 況見 聞 し た る処 、 又 は各 種 の新 聞 の論 調 を綜 合 し て茲 に報 告 す る。
ば か り多 数 の修 正案 が出 て来 る の みな らず 、 〓案 、 鐘 、蕭 案 、郭 同
記
善 後 会 議 の停 会 期間 はも は や満 了 し よう と し て居 る。 今後 二十 日
左
間 の延 会 期 限内 に於 て軍 事 、財 政 の両 大 綱 を議 決 し、 国 民会 議 組 織
の で見合 は せ る こと にな つたと 言 ふ。 かく て聯 治案 は最 近唐 継 堯 、
案 な ど に討論 の機 会 を 与 へる様 な も の であ る から 不得 策 だ 、と 言 ふ
趙 恒惕 両氏 が 通電 を以 て後 援 をし た事 実 も あ り、 執政 政 府 の 一大難
法 を産 出 し 得 る や否 や は実 に 一大 問 題 で ある 。然 し 此 の中 自 ら軽 重
関 を成 し て居 る ので あ る。
の順序 が あ つて 、軍 事 、財 政 両 大 綱 は国 民 会 儀 の決 定 に委 せ ても よ いが、 国 民会 議 組織 法 が産 出 せら れ な いとす ると、 そ れ こそほ ん と
一四
北 公情 二五第 一号 の 一四
国民 党 副 元帥 の件
大 正 十四 年 三月 二十 七 日
孫 文 氏 が死 去 以来 国 民党 の総 理或 は大 元帥 の後 任 に就 て同 党 内 は
北京 公 所 長
の大 問 題 であ る。 元来 善 後会 議 が愈 々開 か れ る かどう か言執 政 府 の
度 は国 民 会議 組 織 法 さ へ公 布 さ れ れば 、 執 政 々府 と し ては第 二歩 の
鼎 の軽 重 を問 ふ第 一の問 題 であ つた が、 其 れ は兎 に角 成 功 し た。 今
成功 で あ る。其 の組織 法 の出来 が よ い か悪 いか は必要 以外 の贅 沢な 問 題 で あ る ので ある 。 そ こ で段 執 政 は 一方 な らず こ の組 織 法問 題 を 重視 し 、連 日各 要人 を 召 集 し て会議 を 凝 らし つ ゝあ るが、 一昨 二十
両 派 に別 れ、 甲 派 で ある 譚 延〓 、伍 朝 枢 、 呉 鉄城 等 は胡 漢 民 を大 元
四 日も午 前 十 時 から 各 閣員 及 趙 爾 巽 、湯 〓 、 許世 英 、林 長 民 、 梁鴻
国民 会 議 組織 法 案 を善 後 会議 を通 過 さ せ る か に就 て協 議 し た が、 西
志 、 屈 映光 、 陳 宦、 曾毓 雋 、朱 深 、 姚震 緒 氏 を 召集 し 、如 何 にし て
る 、 と言 ふ ことを 主 張 し、 相 互各 々活動 し て其 の主 張 を貫 ぬ こう と
以 て副 元帥 の資 格 が 既 に ある から 之 を大 元 帥 に昇 任 せし む べき であ
運動 し、 甲派 は北 京 の江精 衛 、汕 頭 の許崇 智 等 の意 見 を求 め て居 る
帥 の後 任 に推 薦 し 、 乙派 であ る劉 震寰 、 田桐 、熊 克 武等 は唐 継尭 を
こ の聯 治 派 の国 民 代表 会 議組 織 法 案 は、 西南 派 の国 民代表 会 議 組
間 に、乙 派 は 迅雷 的 の手段 を以 て唐 継 尭 を副 元 帥 に任 命 し大 元 帥 に
す る か に就 て の名 案 なく 、 何 等決 す ると ころ なく散 会 した 。
織 法案 と同 意 の条 件 であ つて、 こ の案 さ へ通 過す れ ば国 民 会議 組 織
南 代 表 が政府 反 対 の目 的 で提 幽 し た臨 時政 府 組 織法 案 を 如何 に処 置
法 案 も 通過 の希 望 があ る のであ る 。然 し臨 時 政府 の改組 は執 政 政府
し て副 元帥 の職 に就 いた こと を各 地 に発 電 し た 。如 斯 状態 で今後 必
昇 任 す る根 拠 を作 ら んと し 、遂 に唐継 堯 自 身 は本 月 十 八 日電 報 を発
如 何 、尚 仏 国 政府 は在 東 京 の仏 大 使 にも 三月 二十 八 日 さ れる 云 々﹂
府 に向 け共 同警 告 を発 す る を機 宜 の処 置 と 考慮 す る が 、貴 見 果 し て
轢 益険 悪 とな り 、大 戦 の勃 発 を見 る の虞 あ る を以 て、外 交 団 は段 政
一六
哈爾 賓 事 務 所長
奉 天側 とし て は之 等 の軍 資 金 を東 三省 及直 隷 省 に分 担 せ し めむ と
ら む。
惟 ふ に第 一次奉 直 戦 に要し た る費 用 も 亦 其 の中 に計 上 し 居 る も のな
問題 なり 。奉 天 側 に於 て計 上 せ る金 額 一億 四千 万元 な り と言 ふも、
り 。軍 事会 議 の主 要 な る問題 は 、奉 直戦 に使 用 せ る東 三 省 の軍資 金
病 気重 態 の為 、 奉 天側 の外 省 に対 す る軍事 行動 は余 程緩 和 せら れ た
令 回 の奉天 会 合 は軍 事 会議 開 催 の為 な るも胡 景 翼 死去し 、 馮 玉祥
其 の語 る処 左 の如し 。
張督弁 、 王 省長 に随 行 し赴 奉 せる魏 堯 氏 は 二、 三 日前 帰 哈 せ るが
(哈 爾賓 事 務 所顧 問 魏 堯 氏 談)
奉 天 に於 け る軍 事会 議 に就 いて
大 正十 四 年 四月 二十 四 日
恰 調情 第 六二号
き も当 分極 秘 にせ ら れ たし 、 と のこと であ つた。
右 情報 に関し 小職 が芳 沢 公使 に確 かめ た る所 、 全 く 事 実 に相違 な
︹マ マ︺
ず 西 南 方 面 に は 一大変 化 を 来 し、 又 国民 党 の内 部 も 必ず 一大 激 裂 を 見 る であ ら う。 (三 月 二十 七 日順 天 時報 及 晨 報 )
一五
北 公情 秘 二五 第 一号 の 一 北京 公 所長
張 、馮 両 派 の軋 轢 と列 国 の共 同警 告
大 正 十 四年 四 月九 日
確 かな る筋 より 当 公所 が入手 し たる情 報 に依 れ ば目 下尚 極 秘 にせ ら れ つ ゝあ る が、 最 近奉 天 派 と馮 玉 祥派 の風 雲 が険 悪 であ る、 と観 察 し て居 る。北 京 公使 団 で は段 執 政 府 に 対 し共 同警 告 を 発 せむ と し 協 議 中 であ る。 其 の内 容 を聞 く に奉天 派 の張学 良 氏 は段 政 府 が国 民軍 を 援助 し つ ゝあ る状 況 に対 し、 将 来 奉天 派 の大 敵 と な る べ きを 以 て今 の内 に段 政 府 に兵 力 を以 て干 渉 す る と共 に、凋 派 の勢力 を減 少 せし め ざ る べ から ず と主 張し 、 同氏 に接 近す る在奉 天 英 国総 領 事 は 、張 馮戦 が開 始 せら れ る も のと 考 へ、 当 地 の英 国公 使 に向 け長 文 の電 報 を 寄 せ た ので、 英 公使 は 右報 告 に接 す ると 共 に直 ち に本 国政 府 に請 訓 せる所 、
の意 向 な るも 解決 容 易 な らざ る べく、 且何時 閉 会 す る や不 明 な るを
英 政府 は屡 次 の動 乱 に鑑 み共 同干 渉 の意 を定 め 、 先づ 其 の 一歩 と し
以 て、余 とし て は赴 奉 の必要 を認 めざ りき 。之 が為 租 税 の増加 は当
然 な ら む も、 奉 天側 と し ては非 常 に急 迫 の場 合 な るを 以 て立 所 に捻
て段 政 府 に警告 を与 へる こと にし、 在 支 公使 に向 け 日、 仏両 国 の意
仏 公使 は英 公使 の発意 に基 づ き芳 沢 公使 に対し ﹁ 張 、馮 両派 の軋
見 を聴 取 す る様 訓 令し た。
蔵 各 二名 、 青 海 一名 は臨 時 執 政 よ り之 を推 挙 し 、期 日 に於 て之 を
官 の推 薦 す る 一名 、 臨時 執 政 の指 名 す る 二十 名 、内 、 外 蒙古 、 西
国 憲起 草 委員 会 の委員 は各 省軍 民 長官 の推薦 す る 一名 、各 区 長
因 に記 す 。魏 氏 は当 分 王 省長 秘書 に就任 す る こと に決定 せり 。張
出 せ む が為 に は、或 は無 理算 段 を なす に到 る やも知 れ ず 云 々。
督弁 と も秘密 の就任 を約 束 せ る も未 だ発表 に至 らず 。 張督弁 、 王省
則
第三条
国 民 代表 会 議 は 三箇 月 を 以 て期 限 とし 、尚 一箇 月 を 延長 す
国 民 代表 会 議 は 召集 期 に臨 時 政府 所 在 地 に於 て開会 す。
国 民 代表 会 議 は議 員 の総 数 五分 の三 以上 の出 席 通 知 あら ざ
国 民 代表 会 議 の議 事 は議 員 総 数 の過半 数 の出 席 あ り 、且 出
織
国 民 代表 会 議 々決 の憲法 案 及 細 則 は国 民代 表 会議 よ り之 を
組
国 民 代表 会 議 は 左記 各項 に依 り議 員 を選出 し て之 を組 織 す。
第 二章
二、 京 兆 、熱 河 、察 哈 爾 、緩 遠 、 西康 の各 区 は各 八 名 を選 出 す。
各 二十 四名 、 浙 江 二十 六名 、 直 隷 、江 蘇 各 二十 七 名 を選 出 す。
山 西 十 九 名、 広 東 二十 名 、山 東 、 河南 各 二十 二名 、 四川 、 江 西
各 省 よ り各 十 六名 を選 出 、奉 天 、 安徽 、 湖北 、 湖 南各 十 八 名 、
一、吉 林 、 黒竜 江 、福 建 、 陝 西、 甘 粛 、新 疆 、広 西 、 雲南 、 貴 州
第 八条
宣 布 す。
第七条
席 議員 の三分 の二 以上 の同 意 を 以 て議決 と看 做 す。
第 六条
れば 開会 す るを得 ず 。
第五条
る こと を得 。
第 四条
国憲 起 草 委員 会規 則 は別 に之 を定 む 。
事 を 得。
各 地方 団 体 は憲 法 に関 し其 の意 見 を国 憲 起 草委 員 会 に提 出 す る
会 議 に出 席 す る ことを得 。
召 集 す 。国 憲起 草 委 員会 委 員 は草 案 を説 明す る為 に随 時 国 民代 表
北 京 公 所長
長帰 吉 の際 同氏 も 亦赴 吉 す べ し、 と 言 ふ。
一七
北 公情 二五第 一号 の二五
国 民代 表 会議 条 例
大 正 十 四年 四月 二十 七 日
軍 事善 後 委員 会 条 例 財 政善 後 委員 会 条 例 約 三箇 月 の時 日を要 し た善 後 会 議 に於 て最 も 重大 であ り、 且善 後 会議 の目 的 は 一に之 を議 決 す る にあ つた と謂 は れ る程 に看 做 され て
総
中 華 民国 臨 時 政府 は憲 法 及其 の施 行細 則 を制 定 す る為 に国
第 一章
一、国 民 代表 会 議 条例
から 翻 訳 之 を報 告す 。
居 つた首 題 の三条例 が、 四 月 二十 四 日臨 時 執 政令 を 以 て発 表 さ れ た
第 一条 民 代表 会議 を 召集 す 。
中 華 民国 憲 法 及其 の細 則 の起 草 は国 憲 起草 委 員 会 に於 て之
を 行 な ふ。
第二条
憲 法 案 起草 の期間 は 三箇 月 を超 ゆ る ことを 得ず 。 草 案完 成 後 は 臨時 執 政 よ り国 民代 表 会 議 に提 出 し て之 を諮問 す 。
三 、内 、外 蒙古 は 三十 名 を選 出 す。 其 の人数 の分 配 は 別 に之 を定 む。
被 選 挙人 は 選挙 人 を以 て限 ら る。
左記事 項 の者 は 選 挙権 及 被 選挙 権 を得 ず 。
一、 公権 の剥 奪 さ れ、 尚 復権 せざ る者。
第 十 四条
二、白 痴 の証 明 あ る者 。
四 、 西蔵 は前 後 西蔵 各 八 名 を選出 す 。 五 、青 海 は五 名 を選 出 す 。
三 、本 国 の日 用文 書 の解説 並之 を書 く能 はざ る者 。 但 し蒙 古 、西
現 在 の陸 、 海 軍 巡防 隊 、 警 備隊 、 警察 署 職 員及 現 役 兵、
現在 の行 政 官 吏 及 司法 官 吏 にし て管轄 或 は駐在 す る地方
選 挙 人 は 選 挙 人名 簿 に列 記 す るも のに限 る。
初 選 は無 記 名単 記 投 票法 を用 ひ、覆 還 は無 記 名連 記 投 票
覆 選 、 単 選 の当 選 者 は国 民代 衷会 議 々員 と為 す 。
に て之 を定 む。
当選 者 の順 序 は投 票 の多 寡 に て定 め、 投票 数 同 数 のと き は抽 籤
第 二 十 一条
単 還 は初 選 の規 定 を 準用 す。
法 を用 ひ、各 投 票 数多 き者 を以 て当選 と為 す。
第 二十 条
し て之 を示 す。
ず 。 選 挙 人 の名 簿 は該 管 選 挙 監 督 に由 り 調査 し 、選 挙 期 前 に編 製
何 人 を論 ぜず 同 時 に 一選 挙 区 以 上 の選 挙 人名 簿 に列 記 す る を得
第 十 九条
蔵 、青 海 並在 外 居 留 民 の選 挙 は単 選 制 を 以 て之 を 行 な ふ。
各 省 区 議 員 の選挙 は覆 選制 を以 て之 を行 な ふ。 蒙 古 、西
選 挙 を弁 理 す る者 は其 の選挙 区 内 に於 け る被 選 挙 権 を停
に於 け る其 の被 選 挙 権 を停 止 す 。
第 十 六条
巡警 に対 し ては其 の選 挙 権 及被 選 挙 権 を停 止 す。
第 十 五条
蔵 、青 海 の選挙 人 は各該 地 方 の通 用 文字 を標 準 と す。
六 、在 外 居 留 民 は十 六 名 を選 出 す。 国 民 代表 会 議 の議員 は開 会後 満 一箇 月 に於 て尚 来 会 せざ る
議 長 、 副議 長 及 審 査会
者 は其 の職 を解 く。
第九条
第 三章
国 民代 表 会 議 は議 長 一名 、副 議 長 一名 を設 け 、議 員 の互 選
第 十 七条
に依 り定 む。
第十条
前 項 の互選 は有 記 名単 記 投 票法 を 用 ひ 、投 票 総数 の半 数 を 以 て
止 す。
挙
第 十 八条
当 還 と為 し 、投 票 二回 に亘 り当 選す る者 なき と き は投 票 数 の最 も 多 き者 二名 を選 出 し 、 内投 票 数多 き 者 を 当選 とす 。 議長 は議 場 の秩 序 を維持 し 、 議事 を整 理 し 、秘 書 庁職 員
を指 揮 監 督 し 、対 外 的 に本 会 議 の代 表 と す。 議 長事 故 あ ると き は
第 十 一条
副 議 長 其 の職 権 を代 理 す。 国 民代 表 会議 は審 査 会 を設 け 、議 員 の互 選す る審 査員 六
十 名 に て之 を組 織 し 、審 査長 は審 査 員 の互選 に依 る。
第 十 二条
前 項 の互選 審 査 員 の互選 は有 記名 連 記投 票 法 を 用 ひ、 審 査長 は
選
凡 そ中 華 民 国 々民 にし て年 齢 満 二十 五歳 以上 の男 子 に て
第 四章
有 記 名 単 記投 票 法 を 用 ひ 、各 投票 数 の多 き者 を以 て当 選 と す。
第 十 三条
第 十 四条 乃至 第 十 七 条 の事 故 な き者 は 選挙 及 被 選 挙 の国 民 代表 会 議 々員 の権 を有 す 。
第 二十 二条
初 選 、覆 選 或 は単 選 に於 け る当 選者 の次 点 者 を当 選候
第 二十 三 条 選 挙 監督 の設置 左 の如 し。
選 挙 期 日 は臨時 執 政 より令 令 を 以 て之 を 定 む。
補 者 と し 、其 の人数 は当 選者 と同 一な る事 。
第 二十 四 条
政 官 長 を 以 て選挙 監 督 と す。
一、 初 選 は県 知事 を以 て選 挙 監 督 と し 、覆 選 は各 該 省 区 の最 高行
二、 単 選 は各 該 地方 最 高行 政 長 官 を 以 て選 挙監 督 と 為 す。 初 選 は県 を以 て選 挙 区 と為 し、 各 県 は初 選 当選 者 一名
を選 出 す 。但 し 内務 部 の改 正行 政 区域 に依 り合 併 の県 の当 選 者 人
第 二十 五 条
員 は 県 数 に依 る。 初 選、覆 選 或 は単 選 は該管 選 挙 監督 よ り該 選挙 区 に於
各 省 区事 故 に因 り全 部 の選挙 を挙 行し 能 は ざ る とき は、
け る地 方 の情 形 を参 酌 し 、若 干 の投票 区 を分 別す る こと を得 。
第 二十 六 条
第 二十 七 条
該 省 区 初選 の当 選者 総 数 に依 り議 員 人数 の比例 に応 じ 議員 若 干名
蒙 古 、西 蔵 、青 海 の選挙 は各 該盟 部 に於 て之 を 行 な ふ。
開票 は選 挙 監督 所 在 地 に於 て選挙 監 督 の監視 に依 り之
前 項 の選 挙 は 選挙 監 督 に て臨 時 に該 区域 内 の行 政 長 官 を派 遣 す
を選 出 す。
る事 を得 。
を行 な ふ。
第 二十 八条
第 二十 九条
被 選挙 人は 各 本盟 部 人 を以 て限 ら る。 在 外 居 留 民 の選 挙 は命 令 す る指 定 の地 方 に於 て之 を行 な ふ 。被
秘
書
庁
選挙 人 は在 外居 留 民 を 以 て限 ら る。 第 五章
第 三 十条
国 民 代表 会 議 は秘 書 庁 を設 け、 文書 、議 事 、速 記 、会 計 、
秘 書庁 は秘書 長 一名 を設 け臨 時執 政 よ り任令 し、 議 長
編纂 、庶 務 等 の事 項 を掌 る。 第 三 十 一条
秘 書庁 は秘書 十 二名 を設 け、 秘書 長 よ り臨 時執 政 に上
の指揮 を承 け 本庁 の事 務 を管 理 し本 庁 職 員 を監 督す 。
秘書 庁 は事務 員 六十名 を設 け 秘書 長 よ り任令 し、 長 官
申 任命 し 、 秘 書長 の命 を承 け本庁 の事 務 を掌 る。
第 三 十 二条
第 三 十 三条
則
国 民代 表 会議 の議 事細 則 は会 議 より 秘書 庁弁 事 規 則 を
附
秘書 庁 は事務 の繁 閑 に応 じ速 記 及 雇員 を設 く ことを 得 。
の命 を承 け 各 科 の事 務 を 分掌 す 。 第 三 十 四条 第 六章
国 民代 表 会議 を準 備 す る事 務 の為 に国 民代表 会 議 籌 備
本 条例 に疑義 を生 じ た ると き は臨 時法 制 院 によ り解 釈
定 め 、秘 書 長 よ り議 長 に商 議 し て之 を定 む。
第 三 十 五条
第 三 十 六条 す。 第 三 十 七条
第 三 十 八条
本条 例 は 公布 の日 よ り施 行 す。
選挙 の規 定 は別 に之 を定 む 。
処 を設 く 。 其 の組 織 は別 に之 を 定 む。
第 三 十九 条
中 華 民国 臨 時 政府 は全 国 の軍 事 を総 攬 し 、全 国 の軍 事 を整
軍 事 善後 委 員 会 条令
理す る為 軍事 善 後 委員 会 を 設 く。
第 一条
本委 員 会 は 左 の役 員 よ り成 る。
一、 参 謀総 長 、陸 軍 総長 、 海 軍総 長 、執 政 府 軍務 庁 長及 財 政 総長 。
第 二条
二、 各 省 区軍 事 長 官 。
︹マ マ ︺
三、 各 辺防 督弁 、各 辺 地弁 事 長 長 及中 央 直轄 の各 総 司令 。 四、 各 軍最 高 将 軍 とし て政府 の命 じ た る者 。 五、 軍 事 に関 す る格 式 と経験 を有 す る者 にし て、 臨時 執 政 府 よ り 推 薦 し た る も の五名 乃 至 八名 。 本 条 第 一項 よ り第 四項 に至 る各 委員 にし て会 議 に出 席 能 はざ る
本 委員 会 に委 員 長 一名 、副 委員 長 二名 を設 く 。共 に臨 時執
時 は全 権 代表 各 々 一名 を出席 せ しむ る事 を 得 。 第 三条
本 委員 会 は左 の事 項 を議 決 す 。
政 に於 て委 員 中 より之 を任 命 す。 第 四条 一、 裁 兵 問題 に関 す る件
会 議 は全委 員 三分 の二 以上 の出 席 ある場 合 に成立 し、出 席 委員
あ る時 は委 員 長 は別 に開会 せし む べし 。
過 半数 の同意 を以 て議 決す るも のとす 。
特 定 の事 項 に関 し て は委 員 長 は関係 各 省 区委 員 と共 に協議
会 を開 く こと を得 。 協議 会 の結果 は大 会 に報 告 す る時 に於 て討論
第十条
本委 員 会 の討 論事 項 に対 し て必要 な る場 合 は、財 政 善後
本委 員 会 議 決 の事 項 は随 時 臨 時 執政 に報 告 し 之 を施 行す 。
を 経ず し て議 決 す るも のと す 。 第 十 一条
各 省 区 の事 項 に し て必要 な ると き は、委 員 長 は特 別 委員
委員 会 と聯合 し て会 議 を開 き、或 は主 管機 関 に対 し交 渉 す べし。
第 十 二条
第 十 三条
第 十 四条
本委 員 会 の細 則 は委 員会 に於 て別 に定 む。
を指定 し報 告 を提 出 せし め、 派員 調 査 せ しむ る事 を得 。
三、 軍 隊 配置 に関 す る件
本 委員 会 に文書 係 、 議事 速 記 係 、会 計 係 、庶 務係 を有 す
二、 軍 事 費 に関 す る件
四、 其 の他 軍事 に関 す る主 要 な る事 項
る事 務処 を 設 く。 事 務 処 に処 長 一名 、 事 務員 三十名 を置 く。 処長
第 十 五条
は委員 長 より臨 時 執 政 府 に請 求 し て之 を 定 め、 事務 員 は委 員 長之
前 条各 項 は臨 時 政府 より提 出 し 、或 は委員 長 より提 出 し 、
委 員 を特 定 し て期 限 内 に草 案 を提 出 せ しむ 。
第 五条
第 二条 第 二項 、第 三 項 、第 四 項 の委 員 は各 省 区 の軍 事善 後 に対 し
本 条令 は公 布 の日 よ り施 行 す 。
中 華 民国 臨 時 政 府 は全 国 財 政 の為 に、 特 に財 政 善後 委 員会
本 委 員会 は左 の役員 よ り成 る。
二、 各 省の軍 民長 官 。
塩 務署 長 。
一、財 政総 長 、交 通 総 長 、審 計 院長 、税 務督弁 、煙 酒 事務 署 督弁 、
第 二条
を設 く 。
第 一条
財 政善 後委 員 会 条 令
第 十 六条
を 任命 す。
二 、協 議 会
本 委員 会 の会議 を左 の通 りと す。
別 に提 案 を す る こと を得 。 第 六条 一、 大 会
大 会 、協 議会 は共 に委 員長 を 主席 と為 す 。委 員長 事 故 な る
時 は副 委 員長 一名 を し て代 理 せ しむ 。
第 七条
本 委員 会 委 員 長 は大 会 の議 決 に依 り委 員 を指 定 し、 審 査 員
大 会 は委 員 長 の命 令 によ り之 を 開く 。但 し十 名 以上 の請 求
を し て期 日 ま で に報 告 せし む る事 を 得 。
第 八条
第 九条
三 、財 政 に関 し 学識 と経 験 を有 す るも のにし て、 臨 時 執政 の推薦
前 項 第 一項 、 第 二項 の委 員 にし て会 議 に出席 し能 はざ る時 は
し た るも の十 名 乃至 十 六 名 。
全 権 代 表 一名 を 出 席 せし む る こと を 得。 本 委 員会 の委 員 長 一名 、副 委 員 長 二名 を設 け共 に臨 時 執 政
本 委 員会 は左 の事項 を 議決 す 。
に於 て委 員 中 よ り之 を 任命 す 。
第三条
第 四条 一、歳 入、 歳 出 の整 理 事項 に関 す る件 二、 国家 直 接税 及 地 方 税 の区分 及 国家 並 地 方 の支 出 事項 に関 す る 件。 三、 関 税増 収 に関 す る件 四、 釐 金撤 廃 に伴 う補 充 方 法 に関 す る件 五 、内 外債 整 理 及 従来 の内 外 債 の確 定数 及 其 の用途 に関 す る件
本 大会 は委 員長 に於 て期 日 を定 め之 を開 く 。 但 し委 員 十名
以 上 の請 求 あ る時 は 委員 長 之 を開 会 な す べし。
第 九条
会 議 は 全員 三分 の二 以上 の出 席 ある に あらざ れば 会議 す る こと
特 定 事項 に関 し ては委 員 長 より関 係 を有 す る各 省 区委 員 と
を 得ず 。 出席 委 員 過 半数 の同 意 を 以 で議 決 す。 第 十条
共 に協 議 会 を開 く 。 協議 の結 果 を大 会 に報 告 す る時 討 論 を経 ず し
本 委 員会 討 論 事 項 にし て必要 あ るとき は 、軍 事 善 後委 員
本 委員 会 の議 決 事 項 は随 時臨 時 執政 に報 告し 、 之 を施 行
て議決 す る こと を得 。 第 十 一条 す。
各省 区 の事件 に就 き 必要 ある時 は特別 委 員 を任 命 し 、報
会 と聯 合 し て会 議 を開 き 、 或 は主 管機 関 に対し 交 渉 す る こと を得 。
第 十 二条
第 十 三条
本委 員 会 の細 則 は文書 係 、議 事 速 記係 、 会 計 係 、庶 務係
告 を提 出 せ し め、 或 は派 員 調 査 せ しむ る こと を得 。 第 十 四条
を含 む 事 務 処 を設 け 、事 務 処 に処長 一名 、事 務員 三十 名 を置 く 。
六 、裁 兵 に伴 う 経 費 に関 す る件
処 長 は委 員 長 よ り臨 時執 政 府 に請 求 、 之 を任命 し、 事 務員 は委 員
本 条令 は公 布 の日 よ り之 を施 行す 。
一八
北京 公 所長
王正 廷 の行動 に関 す る件
大 正十 四年 四 月 二十 九 日 。
北 公 情秘 二五 第 一号 の三
第 十 六条
長 に於 て之 を任 命 す 。
七 、予 算 概算 を議 定 す る標 準 及会 計 審 査 に伴 ふ件
前条 各 項 の事 件 は臨 時 執政 及 委員 長 より 随 時提 出 し 、委 貴
八 、其 の他財 政 の重要 事 項 第 五条
本委 員 会 の会議 を左 の如 くす 。
を任 命 し て起 草 せし め期 日 に至 り提 出 せ し む。 第 六条
二 、協 議 会
大会 の協 議 会 は委 員 長 を主 席 と す 。委 員 長 事故 あ り た る時
一、 大 会 第 七条
は副 委 員 長 一名 を し て代 理 せし む。 本 委 員会 の委 員長 は大 会 の議 決 によ り委 員 を任 命 し て審 査
員 と なし 、期 限 に於 て報 告 せ しむ 。
第 八条
款 を張 作 霖 に通 じ段執 政 に和 す る が如 き 形 をと り な がら 、其 の実 馮
二
一
第 二条
国 民 代表 会 議 の籌備 に関 す る事 項 。
国 民 代表 会 議 選 挙程 序 の審 査 に関 す る事 項 。
国 民 代表 会 議 々員 の選 挙 程序 の監督 に関 す る事 項 。
国 民代 表 会 議 籌備 処 の職務 左 の如 し。
玉 祥 に媚 を 売 り 、最 近 に至 り彼 が露 支 協 定 の細 目 協定 督弁 を命 ぜら
国 民 代表 会 議 々員 選 挙 程 序令 に定 む る所 の本籌 備 処 に属 す る
処 を設 け 、員 を派 し て 一切 の事宜 を 籌備 せし む。
れた る に付 き 、更 に カラ ハ ンと の関 係 を 深 く し、 一方 露 西亜 側 の歓 三
王正 廷 の才 子 にし て 八方 美 人 な る こと は周 く 人 の知 る所 な る が、
心 を買 ふと 同時 に、 他 方国 民 党 に対す る人気 取 り策 よ り極力 日本 の
四
第 三条
国 民代 表 会 議籌 備 処 に評議 庁 を設 け評 議長 一人 、評 議 八 人
各事項。
満 蒙方 面 に発展 す る事 を妨 げ む と す る の行動 を採 り 、利 権 回収 を名 と し て安 奉 線 の買 収 を提 議 し 、 馮 玉祥 を説 き て之 を 閣議 にま で上 せ し め た る が目 下 の時 局 に鑑 み、 段執 政 に於 ても素 よ り之 に傾聴 す る
に関 す る事 項 を弁 理 す。
を置 き、長 宮 の令 を 承け 各 地 方 の執 行 す る選 挙程 序 の監督 及 審査
国 民代 表会 議 籌 備 処 に秘書 庁 を設 け 、 秘書 長 一人、 秘 書十
筈 なく 、 馮 玉祥 も 王正 廷 を敬 し て遠 ざ け 居 れ る態 度 な れば 、結 局問
す。
第九条
国 民代 表会 議 籌 備 処 に科 長 、 副科 長 各 五 人、 科員 若 干 人を
国 民代 表会 議 籌 備 処 は 各地 方 の選 挙弁 理情 形 を 調査 す る に
評議 長 、 秘 書 及評 議 は 臨時 執 政 よ り派 充 す。 秘書 、視察 科
国 民 代表 会 議籌 備 処 は文件 繕 写及 雑 務 襄 理 に依 り雇 員 を酌
国 民 代表 会 諸 籌備 処 は 国民 代 表会 議 の閉会 の後 に於 て裁撤
用 す る こと を得 。
第 八条
長 は均 し く薦 請 補 充 す。 科 員 は委 充 す。
第 七条
因 り、 必要 あ ると き は視 察 若 干人 を 置 き専 ら 実 地考 察事 務 に任ず 。
第 六条
招 待 の各 事項 を籌備 す。
置 き、 文書 、編 輯 、会 計 、 庶 務を 分 掌 し、 国 民代 表 会議 の開 会並
第 五条
事務 を弁 理 し並 本 処 所属 各 職員 を 監 督す 。
人 を置 く 。秘 書 長 は長 官 の命 を承 け 、秘 書 を 督同 し て 一切 の機要
第 四条
題 と な らず し て終 りた る も、 彼 が斯 の如 き 行動 をと り つゝあ る こと は事 実 に し て、 一方 張 馮 間 の平 和 を害 し 延 いて は我 が国 の利 害 にも 関 係 あ る結 果 を来 す 次 第 な るを 以 て、 公 使 館其 の他 に於 ても夫 々適
北 京 公 所長
当 の処置 をと り 、彼 を し て再 び斯 の如 き行動 に出 でし めざ る様 配 慮 さ れ つ ゝあり 。
一九
北公 情 二 五第 一号 の二五 大 正 十 四年 五 月 四 日
国 民会 議 の籌 備 処 条例 国 民 会議 の籌 備 条例 が五 月 一日附執 政 令 で公布 さ れ た。 其 の全 文
臨時 執 政 は国 民会議 条 例 第 三 十 七条 に依 り、国 民 代 衷籌 備
記
( 訳 文 ) 左記 の如 し。
第 一条
第十条 第 十 一条
国 民代 表 会議 籌 備 処 の弁事 細 則 は本 処 よ り自 定 す。
北 京 公所 長
本条 例 は 公 布 の日 より施 行 す 。
二〇
北 公情 第 二五 第 一号 の 二六
国 憲起 草 委昌 会 規 則 の件
大 正 十 四年 五 月 四 日
国憲 起 草委 員 会 規 則 が昨 日執 政令 を 以 て公 布 さ れま し た から 茲 に
国 憲起 草 委 員会 は委 員 長 一名 、 理事 六名 を設 け、委 員 の無
記
御 通 知 しま す。
第 一条
本 委 員 会 の委 員 は国 憲 問 題 の全 部或 は 一部 の議 案 を提 出 す
草 及 各委 員 の分任 方 法 は 、出 席 委 員過 半数 の同意 を以 て之 を定 む。 第 五条
委員 会 の会 議 録 は 公 報 に登 載 す る の外、 委 員長 及 理 事 の署
前 項議 案 は理由 書 を附 し 委員 長 に提 出 し印 刷 を 以 て各 委員 に配
る こと を得 。 但 し 十人 以 上 の連 署 を有 す る事 。
布す。 第 六条
す 。委 員 は 会議 録 の所載 に対 し て異 議 あ ると き は、 委員 長 及 理事
名 に依 り 政府 に交 付 し て保 存 す。 会 議録 は列席 委 員 の姓 名 を登 載
第七条
国 憲 起草 委 員 会 は事 務 処 を設 け 、臨 時 執 政 よ り派員 し、本
国 憲 起草 委 員 会 の議 事 細 則 は本委 員 会 よ り定 む 。
は 連 名 に て回答 或 は之 を更 正 す 。
第 八条
を処 理 す 。文 書 、議 事 編 纂 、庶 務 各科 を 設 け、 各 科長 一名 、科 員
前 項事 務 処 は 秘書 四名 を置 き、 長官 の命 を承 け 本処 の機要 事 務
委 員 会 の各 事 務 を準 備 管 理 し 且所属 職 員 を監 督 す 。
す 。委 員 長 は議 事 を 整 理 し、 会 場 の秩 序 を維 持 し 、 外部 に対 し本
二 十名 、技 士 二十 名 を置 き 、秘 書 科長 は臨 時執 政 に由 つて之 を任
記 名投 票 に由 り分 次 互 選 の上 投票 数 の多 き も のを 以 て当 選者 と 為
委 員会 を代 表 す。 委 員 長 事故 に依 り出 席 し能 はざ る とき は 理事 に
北 京 公所 長
本 規 則 は公 布 の日 よ り施 行 す。
二 一
大 正十 四 年 五月 七 日
北 公情 二五第 一号 の二七
第九条
事 務処 の弁事細 則 は本処 より 定 む。
事務 処 は 文書 記 録 及雑 務 の整 理 によ り雇 員 を臨 用 す る こと を得 。
令 す。 科 員 、技 士 は秘 書 科 長 に於 て之 を任 命 す。
国 憲 起 草委 員 会 は 委員 総 数 五 分 の三以 上 の通 知 あ る に非ざ
一切 の文 書 を整 理す 。
依 つて之 を代 理 す。 理事 は委 員 長 を輔 佐 し 議案 及 議案 に関 係 す る
第 二条
国 憲起 草 委 員会 の議 事 は委員 総 数 の過 半 数 の出 席 を 以 て開 議 し、
れば 開会 す る こと を得 ず 。
出 席 委 員 三分 の二 以 上 の同 意 を 以 て議決 す 。 国 民代 表会 議 条例 第 二条第 二項 の憲 法 案 の起 草 期 限 は、 国
本委 員 会 委 員 は部 分 的 に国 憲 を起 草 す る こと を得 。分 部 起
憲 起 草 委員 会 開 会 の日 よ り起算 す 。
第 三条
第四条
最 近 に於 け る中央 政 府 各派 の趨 勢 (五月 六 日京 報摘 録 )
既 に失 敗 に終 り た る直隷 派 は現在 呉 佩 孚 は天 津 派、 保 定
茲 に述 ぶ る中央 各 派 は最 近 の時 局 を中 心 とし て活動 す る党 派 なり 。 直隷派 派 に対 し て大 な る痛 恨 を有 し て居 る故 に、 先般 呉 毓 麟 が多 額 の金 銀
安 派 (安徽 人 を 中 心 とす る 一派 ) 王 揖唐 、 〓 心湛 、 段 駿良 、 許 世
英 及 之 に接 近 す る二 、 三閣員 な り。
浩 、林 長 民 、光 雲 錦 及之 に接 近 す る 一、 二人 物 な り。
福 派 (福 建 人 を中 心 とす る 一派 ) 曾毓 雋 、梁 鴻 志 、 李鴻 志 、 李 思
志 に為 し たる ことあ り 。
最 初 財 政 総長 た る〓 心湛 を 李 思浩 に改 め、 秘書 長 許 世英 を梁 鴻
福建派
を贈 り た るも之 を受 けず 、 且今 回 八 禍首 の財産 没 収 に当 り ても 呉佩 孚 は 之 に殆 注意 せざ り き。 呉佩 孚 の主 張 は依 然 と し て国憲 、 憲 法 の
奉 天 と特 別 の接 近 を 計 る。 曾 て張 作 霖 が福 建 派 に疑 心を
統 一論及 聯 省自 治 に反 対 なり 。 一方 聞 く所 に依 れ ば、 一部 の壮 士 が 暗 中 に張 作 霖 と聯 絡 を取 り現 状 を維 持 せし め、 呉 に対 し ては危 害 を
派 の他意 なき こと を通 じ た る が為 、 現在 は依 然 と し て活 動 し つ つあ り。
抱 きた る とき 、 奉 天 より 来京 し たる鄭 謙 の帰 奉 によ つて、梁 鴻 志 一
あ るを 以 て、 同善 社 等 の滑 稽 団 体 が彼 と 往 復 し て居 ると 謂 ふ。 故 に
加 へな い こと を運 動 し て居 ると謂 ふ。 呉 自身 も亦道 教 に熱中 し つ ゝ
一方 安 徽派 は 王揖 唐 の失敗 に因 り其 の勢力 を減 少 し たり 。
目下 政 局 を左 右 す る 人物 は勿 論 段 祺瑞 にし て、其 の政府 派 中 屈指 な
安徽派
る者 は当然 福 建 派 の曾 毓雋 に し て彼 は多 智多 謀 なる手 腕 家 にし て、
直 隷 派 は 一時 無能 の状態 で北 方 の有 事 静 待 に依 ら ざ れば 政 界 に出 で
一派 は 之 を数 ふる に値 せざ るな り 。
ず 、 と 主張 し て居 る。 目 下 の中 央 各派 の活動 を述 ぶ る に当 つて直 隷
刮 目す べ き で遠 く 安徽 派 の及 ぶ所 にあ らず 。安 徽 派 は段 祺 瑞 郷 土 の
北 方政 治 派中 の最 も勢 力 を有 す る首領 た り。彼 の行動 に就 ては 今後
誼 と段 氏 子 息 の段 駿良 を有 す る関 係 上 其 の位 置固 より 不安 な ら ざ る
孫 文 逝 世後 国 民党 一派 は其 の内 部 の整 理 に当 り 、 且革 命
政府 の基 礎 を固 む る こと に全 力 を 注ぎ 、 今 暫 く は中央 政 府 の渦 中 に
国民党
投ず る を願 はず 、 現政 府 の如何 な る行 動 によ る も彼等 一派 は 之 に対
系 の重鎮 たる梁 士 詒 は欧 米 よ り帰 朝 後 其 の手 腕 を振 ひ奉 天方 面 の財
葉 恭 綽 は奉 天 派 に より て交 通 の要 職 を占 め、 且旧 交通
政 問題 に対 し全 力 を注 ぎ た るが如 く 、 旧交 通 系 は 一方 段 派 と提 携 し、
旧交 通 系
も 、然 し 重要 問 題 に対 し ては福 建 派 に優 先 権 を有 す る状 態 に在 り。
居 る次第 であ る故 に、実 際 上国 民党 は 目 下苦 衷 の状 態 に在 り 。 (目
他 方 奉天 派 と聯 絡 を 取 り 、其 の前 途 た るや 必ず驚 く べき結 果 を 発生
一派 は冷 静 に之 を 処 し、 表 面 上所 謂 孫 文 対段祺 瑞 の初志 を確 守 し て
し抗 議 を加 へざ る状態 で、 金 フラ ン案 に対 す る問 題 の如 きも 国 民党
下 中央 に在 り て活 動 す る党 派 は 政府 派 及 政府 派 与党 の三 、四 団 体 に
人物 で、奉 天 の張 作 霖 に対 す る態 度 は曾 て王 揖 唐 が徐 世 昌 に対 す る
す るな ら む。 目 下梁 士 詒 は国 民会 議 の選 挙 に於 け る最 も 注意 す べき
外 な らず )
関 係 にあ る が如 き状 態 に在 り。 段派 が実 際 上認 む る与 党 は旧 交 通系
段 祺 瑞 は元 々北洋 系 の首 領 な り し が、 其 の左 右 の者 の運動
に より 世 人 が曾 て注 目 し た る安 福 派 の首領 とす 。 安福 派 の内 容 を 二
段派
派 に分 つ。
の梁 士 詒 、葉 恭 綽 にあ らず し て新 交 通系 の陸 宗輿 、曹 汝 霖 にあ り。 梁 士 詒 の赴 奉 の結 果当 然奉 天 方 面 が中 央 の財 政 を詢 問 す る に当 り、
之 は今 後 政 治 の将 来 と 関係 を 有 し必 ず や影響 あ る こと は言 を侯 たざ
新 、 旧両交 通 系 は近年 に至 つて分 離 し利 害 上 の価 値 に より 即ち 最
る次第 であ る が、 之 は復 他 日報 ず る ことと す る。
近 対奉 、 対段 問 題 、 中 法実 業 銀行 総 裁問 題 、 交通 銀 行 張季 直 の更 迭 、
梁士 詒 を 財 政調 査 の任 に命ず る こと な りし が、段 派 は之 に対 し特 に 注意 を加 へ、張 作霖 と意 見 を交 換 し た る後 新 交通 系 の曹 如 霖 を し て
る次第 であ る。
組 織 変更 問題 等 に関 し 、両 交 通系 は各 々他 の派 と敢 て折衝 を作 り居
北 京 公所 長
此 の重任 に当 らし む る こと と な りた る が、 一方梁 士 詒 は福 建 派 と の
は目 下段 派 に対 し何 等 の不 利 あ る にあ らず し て、将 来 政治 を左 右 す 二二
大 正 十四 年 五月 十 二日
北 公情 二五 第 一号 の三 〇
覃振 (湖南 )
譚延
恩 克 巳 図 (蒙古 )
石青 陽
廖 仲愷 ( 広東)
石瑛 ( 湖 北)
李守常 ( 直隷)
居 正 (湖北 )
楊 希閔 (雲 南)
譚平山 ( 広 東)
不協 調 を避 け 、 目下 中央 の財 政 に投 ず る を願 はず 。 其 の赴 奉 の目的
る国 民会 議 の選挙 にあ り、 それ が為 に同前 奉 天 の張 作霖 に加 担 し て
曹 汝 霖 、陸 宗 輿 は 目下 福 建派 と接 近 を計 り居 る感 あ り、
居 る状 態 であ る。 新交 通 系
民国 々民党 幹 部 色彩 別 の件
曾 て五 四運 動 の首 謀 者 た る林 長 民 は今 福建 派 の中心 人 物 と な り居 る
△
〓 ( 湖南)
李烈 釣 (江 西)
于樹 徳 (直隷 )
王法 勤 (直隷 )
国 民党 中 央 執行 委 員 (二十 四 人)
をし て如 何 な る感 想 を抱 かし む る や。 抑 々曹 汝 霖 は其 の態 度 消 極 的
△反 共産 派
△共 産 党
次 第 で、外 面 よ り之 を 見 る に全 く仇 を 恩 に報 ゆる感 にあ り て、 世 人
で吾 人 は公 平 に彼 を論ず る に其 の 一、 二は罪 と せざ る所 あ り。 彼 は 目 下 湯山 に逗留 し強 い て財 政 部 の財 政 調 査 に携 は らざ る こと を表 示 し て居 る。 一方財 政 部 は 一切 の帳 目 を 準備 し 、 其 の検 査 を待 つ て居 る次 第 で
柏文 蔚 ( 安徽)
熊 克 武 (四川 )
汪兆 銘 ( 広東)
(四川 )
戴伝 賢 (浙 江)
ある 。探 索 す る所 に依 ると 、 馮 軍 の張 之 江、 李 鳴声 と の来 京 に依 り
胡 漢 民 (広東 )
立
△中
葉
△准 共産 党
鄒魯 ( 広東)
財 政部 の帳 目検 査 の任 は問 題 になら ざ る こと と な り、 一方 奉 天 派 も
丁惟 汾 (山東 )
林森 (福建 )
邵 元仲 (浙 江) 楚 〓 (浙 江) 于右 任 (陜 西) 国民 党 監察 委 員
△半 共産 党
実 際 上本 問 題 を諒 解 し て居 る次第 であ る故 に、 一時 財 政総 長 李 思 浩
曾 て梁 士 詒 の赴 奉 は現 政 府 を し て財 政状 態 に関す る検査 の準 備 を
の辞 職 を唱 へら れ た るも目 下 安全 な る状態 にあ り。
完 全 になら し め た る次第 であ る 、梁 士 詒 は其 の後福 建 派 と の関 係 を 円満 にす る が為 、 梁 鴻志 宅 に於 て長 日 或 る問 題 を協 議 し て居 ると 。
△共 産
張 継 (直隷 )
無し
以上
茅 祖権 (江蘇 )
白雲梯 ( 綏遠)
家彦 ( 広 西)
︹ 沢如 カ︺
傅汝霖 ( 黒 竜 江)
于方舟 ( 直隷)
李煜 瀛 ( 直隷)
謝 持 (四川 )鄧
△反 共 産 党 呉敬恒 ( 江蘇)
党
△准 共 産 党
家彦 ( 広西)
瞿 秋 白 (江蘇 )
韓麟符 ( 熱河)
候 補執 行 委 員 △共 産 党
△反 共 産 党鄧
北京 公 所長
張秋白 ( 安徽)
二三
北公 情 二五第 一号 の三五
国政 商 権 会 条例 発表 の件
大 正 十 四年 五 月 二十 日
臨 時 執 政 は国 計 、 民生 及 一切 の興 革 す べ き事項 の諮 詢 に備
記
一昨 十 八 日附 執政 令 で国 政 商 権 会 条例 が発表 さ れた 。全 文 左 の如 し。
第 一条
本会 に会 長 一人 、副 会 長 二人 を置 き臨時 執 政 よ り特 派 す。
ふ る に国政 商 権会 を設 く 。 第 二条
会 長 は会務 を綜 理 し、 副会 長 は会 長 を襄 助 し会 務 を整 理す 。 会長
本 会 員 は臨 時執 政 より簡 派 或 は聘任 す 。 政治 或 は特 権 行 政 の学
事 故 あ る時 は副会 長 より 次 に依 り て代 理 す 。
識経 験 に富 め る者 を以 て合格 とす 。
本会 々員 は 股 を分 か つて国 計 、民 生 及 一切 の興 革事 宜 を討
論 す 。各 股 の股 員 は会 長 よ り指 定 し 並 に会 員 中 に就 て主 任 を指 定
第 三条
本 会 の討 論事 項 は臨 時 執 政 よ り特 交 し、 或 は会 員 よ り提 出
す る事 を得 。 但 し副 会 長 は 一股 以 上 の主 任 を兼 任 す べ し。 第 四条
第 五条
本 会 各 股 の討 論 事項 は決 定 を経 たる後 会 長 よ り臨時 執 政 に
本 会各 股 の討論 方法 及 弁 事細 則 は会 長 より之 を定 む。
す 。討 論 事 項 は 均 しく 会長 よ り各股 に分配 す 。
第 六条
呈 す 。臨 時 執 政 が前 項 の意 見 を求 め て採 用す る に足 ると 認 め た時
本 会 に秘 書 庁 を 設 け秘 書 長 一人 を置 き臨 時執 政 より簡 派 し 、
は、各 主 管 官 署 に発 交 し て核 弁 せ し む る事 を得 。 第 七条
四名 を置 き 秘 書長 を補 助 し て秘 書庁 の事務 を弁 理 せ しむ 。秘 書 庁
本会 秘書 庁 の事 務 を綜 理 し所 属 職員 を監督 せし む。 秘 書庁 に秘 書
に文 書 、編 輯 、 調査 、 会計 、 庶 務等 の科 を置 き、各 科 長 一名 を置
く 。 科員 は共 計 三十 人 と す。 秘 書 科長 は秘書 長 よ り薦 派 す 。科 員
は委 派 とす 。 秘書 庁 は文件 繕 写 及雑 務 襄 理 のため雇 員 を酌 用 す る
二四
哈爾 賓 事務 所 長
本条 例 は公布 の日 よ り施 行 す。
こと を得 。 第 八条
哈 調情 第 一四 七号
支 那 の六十 四屯 回収 運動
大 正 十 四年 五月 二 十九 日
黒 竜 江 省〓 琿 地 方 の対 岸 俗 称 江東 六 十 四屯 は元 支 那 の領 土 た りし
も の にし て、現 に支 那 発行 の旧 地図 には依 然 黄 色 を以 て塗抹 し 居 れ
江左 岸 六 十四 屯 は庚 子 団匪 の事 変 以前 〓 琿官 庁 の管 轄 統 治 す る所 に
治 下 に還附 し、 各 地占 領前 の状 態 に復 さし む﹂ 云 々 の語 あ り。 黒 竜
光 緒 二 十八 年露 国 の満 洲 里撤 兵 条約 中 にも ﹁東 三省 各 地 は中 国 の
属 せり 。該 地 は中国 に属 し 、民 皆 我 国籍 たり。 歴 史 も未 だ遠 から ず、
り 。 明治 三十 三年 団 匪事 件 以来露 国 に奪 は れ今 日 に及 べり 。今 回 張
に打 電 し、 又黒竜 江 省 国 民 対俄 外交 討 論会 は輿 論 を喚 起 す べく 奮 起
作 霖 氏 は来 る露 支 会 議 に於 て之 を 回収 す べく 努 力 方 を北 京 王正 廷 氏
遺 蹟 猶存 す。
し も、 露 国内 乱 相 続 き交 渉 に由 なく 懸案 遂 に今 日 に至 る。
我 が民 業 を復 す べき の地 な り。 近年 黒 竜 江 の人士 屡 建議 す る所 あり
諸 の条 約章 程 を 按 じ公 理 上之 を判ず る も当然 速 に我 が領 土 に納 め 、
せり 、 と聞 く 。而 し て本 件 に関 し支 那 紙 ( 国 際協 報) 報 ず る処 の該 地 の沿革 並 論 調 左 の如 し。 往 昔露 国 強 大 に し て威 を東 亜 に振 ひ専 ら侵 略 を 事 と し、 我 が東 北 の辺 土 を侵 す 。咸 豊 八 年〓 琿 条 約 成 り、 黒竜 江 左 岸 の地 にし て支 那
今 や露 支 両国 々交恢 復 し 多年 の懸 案 将 に解 決 せん と す。 本 案 は事 、
領 土 に関 し 甚 だ重 大 の事 項 た り 。中 央 政 府 は速 に本 交 渉 を始 め露 国
に属 す る も のは僅 か にゼ ーヤ河 以 南広 袤 約 二万 方 里 を有 する 六十 四 屯 の地 にし て、即 ち該 条 約第 一款 に載 る所 た り。 元 ゼ ー ヤ河 以南 に
従 来 の伸 占 地域 を還附 せし め 以 て国 権 を 保持 す べき な り 云 々。
二五
孫 宝琦 、汪 大〓 、 顔 恵慶 、 王 正 廷 、黄 郛 、 江庸 、顧 維 鈞 、李 盛鐸 、
こと に内 定 し た る諸 氏 、 左 の如 し 。
す る人 士 に依 り 政府 を 補 助 せし む る ことと な り、右 委 員 に挙 げ ら る
委 員会 を設 立 す る こと に決 定 し 、之 等 在 野外 交 、法 律 の人才 を網羅
政 府 は根 本 の方針 を民意 に基 づ き 、 上海 問題 が重 大 な る に鑑 み外交
で之 に当 るか 、其 の方針 に就 き 種 々伝 へら る ゝが 、大 体 に於 て段執
支那 各 方 面 の排 英 、 日 の声 高 き時 に方 り支 那 政府 は如 何 な る方針
外 交 委員 会 に関 す る件
大正 十 四年 六月 二 十 四 日
北 公情 二 五第 一号 六八
北 京 公所 長
住 す る満 洲 人 民 は永 久 に該 地 に居 住す る こと を得 、 中国 官 吏 の保 護 下 に在 り 。成 豊 十年 北 京 続 約中 にも ﹁ 黒 竜 江 の左 岸 にし て中 国 人居 住 の地 並 に中 国 人 の占 有 す る漁 猟 地域 は露 国 に於 て占 む るを得 ず 。 境 界 上 に碑 を立 て以後 永 遠 に改 む る事 を能 はず 、 且附 近 の地 を侵 略
爾 来 中 俄 の住 民雑 居 し て農耕 に従事 し互 に争 端 を起 せ り。 光緒 十
す るを 得 ず﹂ 等 の語 あ り。
三年 清 国 政府 は李金鏞 を派 し 、露 人 と交 渉 せ し め境 界 を劃 し 、溝 壕 を穿 ち て堺 を定 む 。此 の縦 長 二百 余 里、 横 長 七、 八 十 里 、村落 六十 有 四、 居 民 三万余 、地 を 墾 す る事 五 十余 年 に及 べ り。 庚 子 拳 匪 の役 に於 て露 軍 は中 華 の人 民 を駆 殺 し屯 地 を占 領 す 。 当
斯 く て中俄 和 約 既 に成 るも撤 兵 せず 、漸 次露 国 移 民 を増 し 終 に条
時 の惨 状思 い出 す だ に慄 然 た らし む。
心 す る処 た り。
約 に違 背 し 、公 理 に背 き 抗 し て 地を 還 へさず 、之 我 が 国 人 の最 も痛
梁 士 詒 、梁 啓超 、 許 世英 、屈 映 光 、林 長 民、 熊 希齢 、 胡 維徳 委 員長 は大 体 に於 て孫 宝琦 或 は 汪大 〓 な らむ 。 外 務委 員 会 設 置 の上 は 先づ 第 一に交 渉 条件 とし て、 上 海 総商 会 の 修 正 せる 十 三箇 条 に加 ふる に威 海 衛 、九 竜 等 の対 支 条約 をも 提出 さ れ る模 様 で、同 時 に或 は例 の二十 一箇 条 ま でを も提出 せず と も 限 ら ず と予 測 され て居 る。 之 を要 す る に上 海 事件 の交 渉 は北 京 に移 りた る次 第 で、政 府 の之 に処 す る外 交 難 よ りし て親 米 外 交家 が外 交委 員 会 に 入ら ん と す るは
外交 委 員会 に委 員 長 一人、委 員 十 八 人 を置 き全 部 臨時 執 政
よ り転 任 す。 委 員長 は外 に対 し ては本 会 を 代表 し 、会 議 の時 は主
第 二条
席 と な る。委 員 長 事 故 あ る時 は委 員 長 よ り委 員 に委 託し て代 理 せ し む。
本 会 の討 議 事 件 は委 員 長 下記 の規定 に依 つて開会 を通 知 す。
一、 臨時 執 政 よ り提 出 せ る も の。
第三条
二、 委員 五 人以 上 の提 議 に依 るも の。
本会 の討 議 事件 は委 員長 必要 の場 合 委員 若 干 人 を指 定 し て
審 査委 員 と 為 し、 審 査員 は審 査報 告 を委 員 長 に提 出 し開 会 の時 委
第 四条
員 長 よ り会 議 に提 出 し 、 並 に審 査員 会議 に出 席 し之 を説 明す る こ
大 い に注 目 され 、外 交 委員 会 をし て排 英 を 以 て終 始 を告 ぐ るか 、或 は 一変 し て排 日、英 に転 じ延 いて 二十 一箇 条問 題 が盛 返 さ れ るか は、
本 会 の開会 は委 員 総数 の過半 数 に依 る可 く 、其 の議決 条 件
と を 得。
第 六条
本 会 は随 時 主管 各 官 署 に向 つ て討 議 事件 に関 係 あ る文書 の
本会 の議 決 条件 は委員 長 よ り臨 時 執 政 に呈請 す。
本 会 に事務 長 一人 、秘 書 、 事務 員 若干 人 を 設 け、 委員 長 之
本会 の経 費 は委 員 長 よ り臨 時執 政 に呈請 し、財 政 部 よ り支
第十条
本会 条令 は公 布 の 日よ り施 行 す 。
本 会 の弁 事 規 則 は委 員 長 よ り之 を 定む 。
出 せし む 。
第 九条
を命 じ 文書 、 編 輯 、会 計 、庶 務 の事務 を処 理 せ しむ 。
第 八条
提 出 を命 ず る こと を得 。
第七条
は列 席委 員 の過 半 数 を以 て之 を行 ふ。
第 五条
此 の数 週 間後 に於 て展 開 さ れ む と推 測 さ る故 に、今 回 設立 さ る ゝ外 交委 員 会 な る も の に対 し ては 、段 執 政 側 は素 よ り 日本 側 よ り見 ても 決 し て楽 観 す る こと能 はざ る次第 な り。
二六
北公 情 二五第 一号 の七 一 北京 公 所 長 大 正 十 四年 六月 二十 七 日 外 交委 員会 条例 の発 布
第 十 一条
北 公情 二五第 一号 の六八 を 以 て報 告 し た る が、国 民 政 府 は時 局 の
る 二十 五 日執 政令 を以 て外 交 委 員会 条令 を 発布 し た 。其 の内 容 左 の
廷 、 蔡 廷幹 の三 名 を任 命 し た。
因 に本 委 員 よ り上 海 事件 に対 す る特 別 委員 と し て顔 恵 慶 、王 正
重 大 な る に鑑 み、 外 交 委員 会 を 設 け時 局 を処 せん と計 画 を 樹 て、 去
外交 事 実 に関 し諮 詢 及建 議 に備 ふ るた め外 交委 員 会 を 設 く。
如 く であ る。 第 一条
七 月 二十 日
二七
極 秘 (大 正 十四年 )
陜西及上海問題 に関する件 一、 陜 西 問題 関 係
︺
編 注、 本 書 信 は 発信 箇 所 不 明 で、 満 鉄 大型 ︹二 重封 筒 に厳 封 し、 機 密 文 書 と表 記 し あ り
は 十 六 日午後 西安 を 逃出 し、 国 民軍 第 三軍 第 三旅 は 已 に省 城 に
a . 河南 馬 驤 十 八 日附 前財 政 次 長 賀徳 麟 宛来 電 に依 れば 、 呉新 田 入 り何 遂 は 已 に飛 行機 に て西 安 に到 れり。 呉 新 田 は甘 粛 に向 ひ 退 き孔 繁錦 と聯 合 し 、国 民 軍 に反 攻 を加 へ つつあ り、 依 て目下
を採 り あ るも未 だ中 央 が如 何 に応 対 せ るや を知 らず 。 尚 吾 兄随
時 密 示 せ ら れ敝 処 をし て事 情 を 知碍 せし め ら れた し。 張 は已 に
帰 奉 のた め列車 を準 備 し あ り 云 々。
之 に ﹁不発 ﹂ と批 した り と。
d. 孫 岳 は十 七 日政 府 に電 し更 に火食 六十 万元 を 要 求 せり 。段 は
︹ マ マ︺
二、 上 海案 に関 す る件
三代 表 委員 の上 海案 会 議 の本 と原 定 の法 なり し が、 目 下 公使
a . 交 渉 手 渉 に就 て
団 は会 議 の形式 を 取 り消 し 、 先 づ書 面 にて交 渉 し支 那 政府 方 面
に意 見 あ れ ば、 伊 太利 公 使 より之 を支 那政 府 に伝 ふ る こと とし 、
一方各 国 は自 動 的 に華 府 会 議協 定 の種 々な る準備 を履 行 し、 支
︹ 瑞麟︺
援 軍 の急 派 を求 め つ つあ り 云 々。 又第 二軍 代 表 税務 処 幇弁 張 壁
那 の十 三 ケ条 は直接 協 定 の直接 回答 せざ る こと に決 定 し為 沈 外 相 は頗 る難 色 あり と 。
は 七月 十 九 日孫 岳 の代 表 と 同 道 し、 馮 玉祥 に援 兵派 遣 を請 ふ べ く張 家 口 に向 け出 発 せ り、 と 。
対 外 宣 伝 を行 ふた め記 者 四 人 を英 、 日 、仏 、伊 に派 遣 し兼 ね て
報 界後 援 会 は意 見 書 を 外 交部 に提 出し 、 此 の際 五 万 を支 出 し
b . 報 界 後 援会 の意 見 具申
識 らず 。本 人 は保境 安 民 の志 を以 て顧幇 弁 と 会同 し 臨 、潼 、 〓
前 に孫 軍 の前 進中 止 を出 願 せ し が未 だ貴 命 に遵 ひし や否 やを
b . 西安 呉新 田十 六 日執 政 宛 来電 要 旨
橋 一帯 の防 備 を厳 に し静 に訓 示 を俟 ち あ り 云 々。
本書信は北京小柴印刷所製用︺ ︹編箋注を、 用 い、 左 の書 信 が 添附 し てあ る
に密 交 し 研究 せし む る こと と せ る が容納 の意 あ りと 。
海 外 の真 情 を報 告 せ し めん ことを 主 張 せり 。外 相 は之 を唐 在章
c . 楊 宇 霆 七月 十 八 日夜 張 伯 英 に電 報 せ る要 旨 ︹ 光新︺
陜 局 紛糾 し 彼 等 一派 は歩 を得 て歩 を進 めん と し あり 、呉 新 田 任 命 の時張 作 霖 は曾 て後 日 之 が争 執 の種 と な るべき を慮 り呉 陸
の回答 中 、支 那 と の接 壌 関 係 には露 支協 約 第 三項 の領 土問 題 を保
に加 入す 、 と のノ ート を外 交 部 に送 り た る が、右 に対 す る外 交部
露 国 は十 六 日 ﹁土 耳其 斯 坦 ﹂﹁阿 富 汗斯 坦 ﹂ を ソビ エット 政 府
極秘
施 政 を敢 て干 渉 す る に由 な く黙 し た る が、 今 や 不幸 にし て其 の
留 す る旨声 明 せり と。
相 の如 き は親 し く 此 の言 を 聞 き たり 。然 れど も張 作 霖 は執 政 の
だ懸 念 に耐 え ず 。張 作 霖 の已 に執 政 を擁 護 し 、完 全 に服従 主 義
言 適 中 せり。 中 央 を電 阻 し た りと 言 ふ も未 だ 返電 に接 せず 。 甚
二八
北 公情 秘 二 五第 一号 六
北 京 公 所長
張 作 霖 将 軍天 津 滞 在 の 一観 測
大 正 十 四年 七 月 二十 四 日
四、 執 政府 改 造 問題
張 将 軍 は現 政府 の 一部 人士 が馮 玉祥 系 に加
担 し て居 る も のと 考 へ、之 を 除去 す る の意 志 を暗 に各 方 面 に表 示 し
て居 つた の で、段 執 政 が張 将 軍 の専 横 な る態 度 に漸 く 不満 を抱 く態
度 俄 か に硬 化 し、 奉 天 軍 が我 の政 策 を 事 々に干渉 す る に於 て は野 に
々を 威嚇 せら る ゝに至 つた。
下 る のみ だ、 と漏 し た為 、張 氏 の希 望 は 水泡 と帰 し却 つ て段 派 の人
是 よ り先奉 天 派 が東 に張 宗昌 氏 を 据 へ、 鄭 士琦 の軍 隊 を武 装 解除 し 、
即 ち江蘇 、 安 徽 に奉 天 系 人物 を 配置 せむ と し た。
鄭 の安 徽赴 任 を不 可能 なら し め た る こと は、 反奉 天 派 に対 し 多大 の
五 、 地盤 問 題
在 し て居 つた が、 実 力派 の代 表 で あ るだ け に謡言 発 生 の因 を為 し 、
張 将 軍 が 五月 三 十 日 から 七 月 二十 日 迄満 五 十 日間 に亘 り天 津 に滞
政 界 不安 の唯 一の原 因 であ つた が 、同 将 軍去 るに及 び北京 の政 界 も
反感 を招 か し め た。 且張 将 軍 より 江蘇 、 安 徽 を も自 己勢 力 に置 かむ
奉楡 鉄 道 局 を廃 止 し て京 奉鉄 路 局 を合 併 し 、奉
進 出 せば 一致 し て之 を除 く べく誓 つた。 之 を知 つた張 氏 は大 いに驚
此 の聯盟 は極 秘裡 に進 め ら れ、 若 し奉 天 派 が江 蘇 、 安徽 に現在 以 上
建 が加 はり 九 省聯 盟 を結 成 し 、奉 天 派 に対抗 す る の状態 と な つた 。
湖南 、 四川 (劉湘 ) 江 西 の六 省 が聯 盟 を結 び、更 に河 南 、浙 江 、福
と し た非 公 式 の言 から段 派 に同情 す る実 力 派 な る山 西 、甘 粛 、湖 北 、
一安 心 し た様 であ る。 張 将 軍 が天 津 に来 た目的 の如 何 は 解 らな いが、 同将 軍 が 天津 に滞
北 は山 海関 より南 は 馬廠 に至 る鉄 道
在 し て居 つた結 果 か ら見 る と大 体 左 の通 り であ る。 一、 入 関奉 天 軍 の地盤 配置
二 、鉄 道 の整 理
沿線 に奉 天 軍 の主 力 を配 置 し 、予 定 の目的 を完全 に実 行 し た。
天 派 の常 蔭 槐 を其 の局長 に任 命 し 、昨 年 の戦 争 以来 軍 隊 に蹂 躪 され
へら れず極 秘 に附 せ ら れ て居 る が、 主 とし て北京 に於 け る各省 代 表
き自 説 を放 棄 し て急 拠 帰 奉 し た。 此 の九 省 聯盟 説 は未 だ新 聞 に も伝
が会 合 し て締 結 せる も の で、之 は法 政院 長 姚震 氏 が或 る筋 に漏 らし
て居 つた津 浦 鉄道 、 膠 済鉄 道 を 通常 状 態 に恢 復 し 、有 力 な る憲 兵 を 乗車 せ し め て軍 人 を取 締 り、 鋭 意 旅 客待 遇 の改 善 を計 り大 成績 を挙
浙 江 に目 を 注 いで ゐる間 に、 国 民軍 は陜 西侵 入 を企 て遂 に西安 を占
た 言 であ る。地 盤 問 題 に関 聯 し 上海 事件 の突 発 で、 奉 天派 の連 中 が 奉 天 軍 を北 京附 近 に駐屯 せし む る問
げ た。 三、 奉 天 軍 の京畿 駐 屯 問題
上海 事 件 は張 氏 入津 と 同 時 に発 生 し たも のであ る
が、 張氏 は常 に沈 黙 を 守 つて居 つた に反 し 、馮 将 軍 は大 言 壮語 し 絶
六、 上海 事 件
領 し 、奉 天 派 の呉 新 田将 軍 を追 出 した 。之 は国 民軍 の大 成功 であ る。
えず 学 生 の心理 を捕 へ、 張学 良 の上海 行 は徒 ら に孫伝 芳 の疑 惑 を 招
局 の不利 な る を観 て張 将 軍 は 一歩 を譲 り、 唯 通州 に呉光 新 の軍 隊 を
題 に就 ては可 なり馮 玉 祥 側 と暗 々裡 に衝 突 があ つた様 で あ るが 、時
た が、之 は張 将軍 の希望 が実 現 出来 な か つた 一つであ る 。
移 駐 せし め た る の み で、他 の希望 を放 棄 し た ので表 面 無 事 に治 ま つ
二、聯 防 各 省 は 地形 状 勢 最 も緊 切 な るも のを主 と し 、其 の他各 省 に
合保 境 を協 同 す る規 約 を作 り、之 を信 守す 。
た。 之 等 は軈 て両 派 の消 長 に多 大 の影 響 を与 へる であ らう 。 之 を要
ても同 一の宗 旨 に て加 入 を願 ふも の は会議 に依 つて之 を許 可 す。
き たる が、馮 将 軍 は却 つ て学生 を軍隊 に 入れ 労 せず し て 人気 を博 し
す る に張作 霖 氏 今 次 入津 の結 果 から見 れば 完全 に失 敗 し たも のと謂
三、聯 防 各 省 は共 同 の利害 、 相 互補 助 の義務 より 対内 的 には聯 関 の
三〇
北 京 公所 長
発生 し 、大 局定 ま れ る時 に至 れば 之 を取 消 す。
八 、本 規 約 は聯 防 省長 官 或 は派 遣 せる全 権 代表 の署 名 に依 り効 力 を
よ り員 を派 し所 在 地長 官 の監督 を受 け しむ 。
七 、聯 防 事宜 に関 し ては武 昌或 は漢 口 に聯 防 事務 所 を設 け、各 長 官
難 き時 は、全 権 代 表 を派 し 主席 は所 在 地 の軍事 長 官 を推 す 。
議 決 を以 て進 退 す 。会 議 地 点 は武 昌 と なし 、各 長 官 親 しく 出席 し
六 、聯 防 各省 は対 内 、 対外 と も に 一切 の進 行 に関 し ては聯 防 会議 の
ず べし 。
並各 方 面 の制 止 に服 せざ るも のに対 し て は、 正当 の防衛 手 段 を講
妨害 し 或 は武 力 、詐 術 を以 て侵 略 せん とす る も の、 更 に中 央 政府
五 、聯 防 各省 は隣 省 の反 軍 に対 し友 誼 的 の聯 絡 を保 ち 、若 し 聯 防 を
し 以 て和 平統 一の盛 治 を期 す 。
四、段 合 肥 は国 家 の元 老 な る が故 に、 執 政 に対 し て は共 同 し て擁護
精神 を以 てし 、対 外 的 に は同 一の歩 調 を と る。
はざ るを 得 な い。 第 一、 第 二 の問 題 の如 きは奉 天 に居 つて処 理 し得 べ き問 題 で態 々天 津 に出 張 す る必 要 な き も の で、 入津 し た為 に却 つ て専 断 視 せ ら れ、 政客 の宣 伝 と相 俟 ち て遂 に九省 聯 盟 を結 成 せ し め た 。学 生 団 の反 奉 天熱 を煽 り 、斯 く し て奉 天 派 の前 途 に暗 雲 を 漂 は
北 京 公所 長
す に到 ら し む る の結果 と な つた のであ る。
二九
北 公情 二五第 一号 八 四
九 省 聯 合
大正 十 四年 七 月 二十 五 日
北公 庶 秘 二五 第 二一 号 第 一号 の六 を 以 て報 告 し た る張作 霖 将 軍天
し つゝあ つた の であ る が、 本 日 (二十 五 日)当 地 の新 聞 に は遂 に左
津 滞 在 の 一観 測 中 に記 し たる反 奉 天派 の九 省聯 合 は極 秘 の内 に進 行
記
の様 な記 事 を載 せ之 を発 表 し た。 左
湖 北 、 四川 、 湖南 、 貴 州 、 江西 、 河南 、 陜 西 、山 西 、甘 粛 、 安徽
大 正十 四年 八月 十 日
北 公情 二五第 一号 九 〇
等 を連 合 す る各 代 表者 会 議 を 、湖 北督 弁蕭 耀南 氏 主 催 の下 に最 近漢 口で開 いた。 此 の内湖 南 が正式 に承認 し な い のみ で、 他 の九 省 は全
奉 天楊 参 議 江蘇 督 軍 説 (八月 十 日北 京 日報 摘訳 )
部 調印 し た と言 ふが所 謂 九 省聯 防 規約 な るも のは次 の如 く であ る。 一、九 省 は時 勢 の要 求 に応 じ大 局 の平 和 を促進 す る見 地 より し 、聯
江 蘇省 長 鄭謙 氏 は政 府 に対し 極 力兼 務 し て居 る所 の江蘇 督弁 を辞 任 す る様 に運動 し て居 る が 、政 府 は其 の慰 留 の電 報 を出 し て居 る。 聞く 所 に依 ると鄭 省 長 は 中央 に辞 職 の電 報 を発 す ると 同時 に張作 霖
記
に左 の電 報 を発 し た。
自 分 は 軍政 に対 し全 く 素 人 で あ る。 只政 府 の命 令 に依 り軍 務 督弁
ふ に総 参 議 楊宇 霆 氏 は軍 略 に富 み、 軍隊 統 轄 に非 常 な る知識 を 有 し
を兼 務 し て居 る が御 承 知 の通 り既 に電 報 で辞 任 を願 つ て置 い た。惟
て居 る。 江蘇 省 の形勢 は甚 だ 重大 であ つて、 有 力者 が赴任 し其 の手 腕 を俟 たな け れば な ら な い所 で あ る故 に、 自 分 は中 央 に対 し辞 職 の
張将 軍 は 右電 報 を受 け ると 共 に楊 参議 の同 意 を得 、 昨 日中 央 に対
電 報 を出 す と共 に楊参 議 を極 力推 薦 し た から 御承 知 願 ひた い。
し 同意 の電 報 を発 し た 。尚 聞 く 所 に依 ると鄭 省 長 は同 日張将 軍 に電 報 を出 し、 楊参 議 が中央 の命 令 に依 り赴任 す る以 前 に 一先 づ参 謀 長
云 々。
及 副官 長 を 派遣 し江蘇 の事 務 を 一切処 理 し て貰 ひた い、 と請 願 した
二〇
大 正 十 四年 一月 二十 日
北 公 調 二 四第 甲号 の九 七
江蘇 督 軍 斉〓 元 の同意 を得 、在 倫 敦 大温 赤 斯徳 街 二十 一号利 物 浦 及
本 契 約者 呉 鴻 昌 (以下 単 に甲 と称 す) 浦 口商 務 督弁 の職権 を以 て
浦 口商 埠 借 款契 約
手 し た、 と言 ふ て連載 し て居 り まし た か ら之 を御 送附 申 し あ げま す。
た が、 其 の後 当 地漢 字 新 聞順 天時 報 及晨 報 が上海 よ り其 の明細 を入
北公 情 二五第 二号 の 一に て首 題 の件 に付 き 其 の大 体 を報告 しま し
浦 口商 埠 借 款契 約 の件
大 正十 四年 三月 四 日
金 法 、 関 税 問 題 並 中 国 財 政 問 題 諸 件一
北 京 公所 長
庚 款 に対 す る英 国 ジ ョルダ ンの主張 外 交 部 は昨 日駐 英 民 国代 理公 使 よ り次 の電 報 に接 し た (一月 二 十 日順 天時 報 )
四年 八 月 二十 六 日 中華 民 国南 京 に於 て契 約 を結 ぶ こと 左 の如 し。
馬 田銀 行 を ( 以 下 単 に 乙 と称 す) と す る英 仏 支那 有 限 公司 と 一九 二
第 一条
英 政府 の庚 子賠 款 に対 す る用途 は今 尚考 慮 中 な る が、 ジ ョルダ ン は之 を 以 て民国 鉄 道 を建 設 せむ と し、 英 政府 も 之 に賛 成 せ むと し て
本公 債 は浦 口 に於 け る埠 頭建 設 に充用 す 。其 の内 訳 左 の如
甲 、 浦 口に於 け る 江岸 堤防 を建 設 す る の費 用 。
し。
第 二条
附く。
を与 ふ 。右 公 債 は 一九 二四年 浦 口建 築 官 営 公用 事業 価 款 公債 と名
甲 は乙 に対 し英 金 一千 五百 万榜 、 七 分半 利 附 の公債 発 行 権
居 る。中 央 は英 国 賠 款 の用 途 に対 し如 何 な る見 解 を持 つや、 交 渉 上
北 京 公 所長
に便 す る為 至急 意 見 を表 示請 ふ 。
二
北 公 情 二 五第 二号 の四
乙、 一切 の渡 船場 、護 岸 、貯 水 池 及倉 庫 並之 等 に関 係す る総 て の 建 築 物 の費 用 。 丙 、 商 埠 区内 に於 け る道 路 、橋 梁 、溝 渠 の費 用 。 丁 、 商埠 区域 内 の底 地を 土 埋 めす る の費 用 。
す 。 此 の月 給 及旅 費 は公 債 の収 入 よ り支 給 す るも 予 め甲 の認 可 を
得 て指命 す 。技 師 長 、 総 会 計 の職 務 は本 公債 が 完全 に償 還 せら れ
総 て の会 計 帳簿 は漢 字 及英 字 を 以 て記 載 す。総 会 計 は 一切 の会
た ると き に於 て停 止す 。
己 、 商埠 内 に於 け る宮 公 署借 家 、 発電 所 、 水道 局 、 商品 市 場 、 公
ち 総 て の支 払 は総 監 督 、 技 師長 、 総会 計 三 名 の捺 印 なき も のは無
其 の外何 種 の費 用 に拘 らず 総 て総 監督 及総 会 計 の捺 印 を 要 す。 即
総 て の建 築費 は総 監 督 及技 師 長 の捺 印 を要 す る を本 則 と す。 又
計 事 務 を処 理 し技 師 長 、 総 監督 を経 て甲 、 乙両 方 に之 を 報 告す 。
職 員 の官 舎 、私 人 の住宅 、病 院 、図 書 館 、倉 庫 、 揚屋 等 を 建設
戊 、 埠頭 建 築 に要 す る土 砂 、石 材 等 の費 用 。
す る の費 用 。 庚 、 電気 材 料 、 工廠 建 築費 及之 の経 営 費 。
ると き は総 事 務所 の認 可 を得 て代 理人 を命 じ職 権 を代 理 せ しむ 。
効 と す 。若 し総 監 督 、 技 師長 或 は総 会 計事 故 に因 り任 務 を離 れた
本 公 債 の利 息 七 分半 は毎 年 一回 之 を支 払 ふ 。本 利 息 は額 面
各種 官 営 公用 事 業 の収 入 は別 冊会 計帳 簿 に之 を記 入 す べ し。金
有す。
の利 息及 当 初第 六 回 の毎年 最 低 元 金償 還準 備 金 を引 去 る の権 利 を
甲 乙両 方 は其 の協 議 に依 り甲 は 公債 収 入金 よ り先 づ 当初 第 三回
事 業 の全 収 入 よ り之 を 引去 り 乙方 に交 付 す るも のとす 。
列 記 の利 息 及 元金 償 還 準 備 は 、第 二条及 第 八条 所 定 の各 種 官営 公 用
表なし
事 宜 処督 弁 は期 日 三十 日前 に於 て基 金 を 準備 し 並附 表 ︹編 注 、附︺
価 額 に照 し本 公債 発 行 の日 よ り計算 す 。 公債 利 子支 払 の時 は浦 口
第 四条
総 て の工事 費 は技 師 長 の捺 印 なき も のは 支払 ふ事 を得 ず 。
辛 、電 話 の建 設及 経 営 費 。
築 工 の時 は甲 は 浦 口 に 一総 事 務 所 を設 け浦 口商 埠 事 宜処 に
壬 、汚 物 整 理 場建 設 及 経営 費 。 第 三条 直 属 し 、前 述 各種 営 業 を経 営 管 理 す。 総 事 務所 に下記 職 員 を置 く。 総 監督 一名 、副 監 督 一名 、 甲 の承 認 し たる英 或 は米 の技 師長 一名 、総 会 計 一名 、此 の手続 は乙 の推 薦 に依 り甲 之 を任 命 す 。但 し甲 は 之 を更 任 せ し め適 当 の人 材 を推 薦 す る の権 を 有 す る も、 乙 方 の認 可 を受 く る を要 す 。 各 係 の職 員 は該 係 主 任 の申 請 に依 り甲 に於 て委 任 或 は之 を 罷免 す 。 外 に中 国 人事 務 員 若 干名 。 之 等 人員 は 総 て月 給 を給 し本 公債 の収 入 金或 は第 二条 列 記 の官 営 各極 事 業 の収 入 より 之 を交 付 す。
員 文 払 の時 は第 三条 の規 定 に依 り捺 印 之 を支 払 ふ も のと す。 若 し
各種 公用 事 業 の収 入 が本契 約 に於 て定 む る本 公債 の利 子 及元 金償
該 職 員等 の職 務 は商 埠 督弁 事 宜 処 及債 権 人 の利 益 を 増進 す る為 な るを 以 て、 職 員間 に於 て争 議 を生 じ或 は本 契 約 文 に於 て争 議 あ る
し。
還 準備 金 を 超 過 し た ると き は、 其 の超 過額 は甲 方 に之 を交 付 す べ
技 師長 、 総会 計 の月 給 及偏 傭 条件 は乙 よ り甲 の認 可 を得 て指 命
場 合 は総 事 務 所 に於 て処 理解 決 す 。総 事 務所 の解 決 は最 後 と す。
本 公 債 は其 の発 行 の日 よ り 二十 五年 間 に之 を完 済 す る も の
商 埠 事 宜 処 督弁 は第 九 条 の規 程 に照 し 、市 政 各 種 税金 或 は 中央 政
務 を有 す。
府 よ り支 給 せ ら れ た る経費 を 以 て相 当 期 日内 に乙 に交 付 す る の義
第 五条 と す 。其 の償 還 方法 は英 国 公司 の認 可 を得 て償 還 積立 準 備 金 を 以
甲 、 甲 は 左 の件 を声 明 す。
て抽 籤之 を支 払 ふ も のと す 。第 一期 償 還 は発 行 第 十 六年 目 六月 に
一切 の市 政 の税 金 収 入 は、 本 公債 元利 支 払 に対し 第 一担 保 に位す 。
甲 乙両 方 は前 述官 営 公 用 事業 及 浦 口商埠 事 宜 処 督弁 の管 轄 す る
第 九条
而 し て此 の税 金 収 入 一切は 他 の担 保 と為 す を得 ず 。但 し此 の財産
甲 、公 債 発行 の 日 より起 算 し第 十 五年 後 第 二十 二年 前 期 に
之 を 施行 し以 後 毎年 之 を 施 行 す (附 表 公債 償 還 細 則 に準 拠 す )。
至 る七年 間 は、 若 し浦 口商 埠 事宜 処 督 弁 が希望 す る に於 ては額 面
第 六条
価 額 に百 分 の二 ・五 を加 へたる も のと償 還 日 に至 る利 子 を支 払 ひ、
債 償 還 細則 及 附 表 に定 め た る事項 を履 行 す る能 はざ ると き は、総
とき と雖 も 乙 は之 を 取 る事 を 得ず 。 甲方 が 本契 約 第 五条 列 記 の公
会 計 は 此 の種 官 有 財 産 及税 金 収 入 並 其 の用途 に就 き査問 す る の権
及 税 金収 入 は附 表 の利息 及 公債 償 還 準 備 金 を除 き 、 其 の残 額 あ る
を支 払 ふ のみ に於 て之 を 回収 す る 事 を得 。 即 ち奨 励 金 百 分 の二 ・
限 を 有 す 。浦 口商 埠 事宜 処 督 弁 は 之 を詳 細 に回答 す る の義務 を 負
公 債 の金 部或 は 一部 を 回収 す る 事 を得 。 第 二 十 三年 目 よ り浦 口商
五 を支 払 ふ事 を要 せず 。若 し数 回 に分 ち 回収 す る事 を 欲 す る な ら
埠 事 宜 処 督弁 は未 償 還 公債 の全 部 或 は 一部 を額 面 金 額 に照 し利 子
ば 、其 の回 収額 又 は本契 約 所 定 の額 を超 過 す る と き に於 ては 、期
ふ も のと す 。
税金 収 入 が差 押 へら れ、或 は其 の他 の団体 と契 約 し 公債 を 発行 す
丙 、 本 公 債 が完 全 に償 還 せ ら れざ る以前 に於 ては浦 口市 政署 の
き は、 中 華 民 国政 府 に於 て之 を償 還 為 す も のと す 。
乙 、 若 し浦 口商 埠 事 宜処 督 弁 が期 に至 り償 還 す る事 能 は ざ ると
借 款 の 日よ り 充当 す べき事 を茲 に再 び声 明 す 。
切 の課 税 を減 率 す る事 を得 ず 。 且 商 埠督 弁 は毎年 の之 等 収 入 は本
本 契 約有 効 期 間 中 に於 て は浦 口商 埠事 宜 督 弁 は其 の管轄 す る 一
前 六箇 月 に乙方 に之 を 通 知 し抽 籤 を 以 て之 を 定 む 。 乙 、乙 方 或 は其 の指 名 せ ら れ た る代 理人 は本 契約 に於 て完全 な る債 権 人 の権利 義 務 を 有 す 。 丙 、 乙方 或 は其 の指 名 せ ら れ た る代表 人 は償 還 済 の公 債 及 支払
総 て の元金 、 利 息 及半 年 償 還 準備 金 及 公 債 発行 手 数 料 千 分
済 の利 息 表 を南 京 に於 て甲 に引 渡 す も のとす 。 第七条
の五 は 、浦 口商埠 事 宜 処 督弁 に於 て期 日 前 三十 日 に倫 敦 に於 て乙
頼 人 の有 す る同 等 の権 利 を 与 ふ る の条 項 、或 は抵 当 の価 額 を減 少
る が如 き場 合 に於 て、 商 埠事 宜 処 督 弁 は本 契 約 に基 づき 乙 方及 依
と す 。若 し第 二条列 記 の各 種官 営 公用 事 業 ( 第 五条所 定 の如 く 此
の中 に於 て本 契約 に依 り 乙 及債 権 者 に優 先権 を授 与 し あ る事 を声
せ し む る が如 き条 項 を他 の団 体 と契 約 す る事 を得 ず 。 又其 の契 約
浦 口商 埠 事宜 処 督 弁 は 本 公債 の元 利支 払 の義 務 を負 ふも の
方 に交 付す るも のとす 。
の種 事業 は浦 口商 租 事 宜 処 督弁 よ り之 を 総事 務 所 に委 任 し た るも
第八条
のな り) の収 入 が利 息 及 公 債償 還 に不 足 し た ると き は 、即 ち 浦 口
甲 、 乙方 は甲 より 送附 の様 式 に基 づき 公 債 を印 刷 し 之 を売
明 す る の義 務 を有 す。 第十条
は金 融 界 の要 求 に応 じ 、 乙 は浦 口商埠 事 宜 処 督弁 の派 遺 す る倫 敦
出 す の権 利 を有 す 。但 し 若 し倫 敦 或 は他 国 に於 て証 券 の交易 所 或
を得 。但 し額 面 金 額 、数 量 、 期 限 、利 率 及浦 口商 埠 事 宜 処督 弁 の
駐 在 代 表 、或 は其 の代 理 人 の許 可 を得 て公 債 の様 式 を 変 更す る事
江 蘇 省 政府 及 浦 口商 埠事 宜 処督 弁 は左 の件 を声 明 す。
於 ては 、 乙 は之 を計 算 の上 甲 方 に返 還 し原 公債 を 無効 と為 す。
本 公債 及 利 息 に 対 し て は現 在及 将 来 に於 ても 一切 の課 税 を為 さ
第 十 一条
本 契 約成 立 後 乙 は公 債募 集 規定 を定 め 浦 口商 埠 事宜 処 督
ず 、 公債 を し て民国 に於 て自由 に融 通 せ しむ るも のとす 。
弁 の倫 敦駐 在 代表 の之 に同 意 し た る事 を 明 らか にす る意 味 を加 へ、
第 十 二条
其 の捺 印を 得 て広 く 之 を 配 布 す るも のとす 。 若 し 右 代表 倫敦 に居
乙 方 或 は其 の指 名 人 は細 心 の考 慮 の後 一千 五百 万英 榜 の
貴 任 等 に関 し ては 、 一切変 更 す る事 を得 ず 。右 変 更 の場 合 は 乙 は
第十三条
ら ざ る とき は第 十条 甲 項 所 定 の代 理 人 に於 て之 を 執 行 せし む。
の捺 印 を 以 て有 効 と し署 名捺 印 の手 数 を 省 く 。但 し 浦 口商 埠 事 宜
直 ち に甲 に報 告 す るも のとす 。 公債 は英 文 を 以 て印 刷 し 甲 の職 印
督 弁 の派遣 す る倫 敦駐 在 代 表 、 或 は代 理 人 は 公債 発 行 前 に於 て公
の価 格 は乙 方 所定 の銀 行 の買 入価 格 を参 照 し 之 を 定 む。 但 し額 面
全 数 を 一公 債 価額 幾 何 と 分 割 す る の自由 の権 利 を有 す。 発行 債券
価 額 二 百八 十 四 (此 の点 疑 問 )を 低 減 す る事 を 得ず 。中 華 民国 々
債 に捺 印及 署 名 し 、該 公 債 の発 行 が浦 口商埠 事 宜 処 督弁 の責 任 に 係 はる事 を 明ら か にす べ し。 此 の公 債 の番号 は コン セク テ イヴ ・
民 及 他 国民 は 公債 売 買 の自 由 の権 利 を有 す 。
理 人 に通 知 す るを 要 す 。 乙 方 は双 方署 名 捺 印 し本 契 約 成立 し た る
日 以前 に、浦 口商 埠 事 宜 処 督弁 の派遣 す る倫 敦駐 在 代表 の或 は 代
乙 方 が公 債規 則 を発 行 す る とき は 発表 す る時 よ り少 な く も 二十
ナ ンバ ー を用 ゐ、 乙方 監 督 印 刷 し浦 口商埠 事 宜 処 督弁 の派 遣 す る
公 債 の印 刷 紙 及 発売 の費 用 は 乙 に於 て第 十 三条 に定 む る所 に依
後直 ち に新 聞 に広 告 す るを要 す。尚 左 の声 明 を為 す べし 。
倫 敦 駐在 代 表 の捺 印 を受 けた る後 、 乙 は 副署 す るも のとす 。
り之 を処 理す 。而 し て公 債 の誤 刷 及 錯誤 を生 じ 紛 糾 の生 じ た る と
公債 発 行 及収 入 印 紙 税 、附 加 税 、広 告 費 、 手数 料 及其 の他 の費
き は 乙 に於 て責 任 を負 ふも のとす 。 乙 、債 券 所有 者 以外 の事 故 に因 り債 票 を遺 失 、 毀損 し たる と き
二条 列 記 の各 種 科 目 を斜 酌 し、若 し純 収 入 が 上海 銀 行 ( 双 方 に於
甲 、総 監 督 は 即 ち公 債 発売 に依 る純 収 入 の項 目 の下 に第
用 を清 算 後 公債 の収 入 金 は甲 方 に交 付 す 。
な る事 を 声 明す べし 。而 し て 三十 日 を経 て何 等 の申 出 な き場 合 は
て認 めた る) に送 附 せ ら れ た る時 一九 二四年 浦 口商 埠官 営 公 用事
第 十 四条
新債 券 を 発行 、 旧 所 持 人 に交 付 す 。之 等 一切 の費 用 は 乙 方或 は 旧
に之 を通 知 し 、同 時 に倫 敦 に於 け る三種 の新 聞 に之 を報 告 し無 効
は 、 乙 は直 ち に甲 方 或 は 浦 口商 埠 事宜 処 督 弁 派 遣 の倫 敦 駐在 代表
公 債所 持 人 の負 担 とす 。
の費 用 及本 契 約 第 三条 所 定 の各支 払 金 に充 用 す べし 。
業 借 款 の金 額 とし て 之 を保 管 し 、専 ら 第 二条 列 記 の各 種 公 用事 業
丙 、若 し 十年 を 経 て公債 の償 還或 は利 息 支払 の請 求 な き場 合 に
債 発 行 後 三 十 日内 に百分 の 二十 五 を交 付 し 、 六十 日以 内 に百 分 の
前 述 の為 替 は 甲 方 は公 債 発行 後 十 四 日 間 に請 求 す る を得 ず 。 公
を低 減 す る の義 務 を 有 す。
展 せし む る為 に公 債 の利率 を低 減 す ると き は 、乙 方 は甲 方 に利率
契約 を改 訂 す る の優 先権 を有 す 。第 二条 列記 の各 種 官営 事 業 を 発
甲 、甲 乙 両 方 が若 し共 に予期 す る能 はざ る金融 界 の事情
二十 五 を 交付 し 、 残 額百 分 の五 十 は 六 ケ月 内 に交 付 す る事 を甲 乙
を延 期 せ し む る為 に別契 約 を結 ぶ も のと す 。但 し 六十 日間 以 上 を
め、 或 は之 を発 売 し 能 はざ る とき は合 意 の上 乙方 をし て発 行 期 限
突 発 の為 に公債 発 行 規 則交 付 以 前 に於 て公 債 の市 価 に影 響 あら し
第 十 七条
銀 行 、 渣打 銀 行 、 匯豊 銀 行 、 正金 銀 行 、 万 国通 宝 銀 行 及 其 の他 の
延 期 す る事 を得 ず 。 (但 し十 二月 十 五 日 より 一月十 五 日 に 至 る 、
乙 、倫 敦 より 為 替 が中 国 に到着 し た る時 、 乙方 は利 物 浦及 馬 田
双方 に於 て同 意 す 。
し、 中 国 貨幣 に換 算 す る事 を 甲 方 に通 知 す 。其 の支 給 を要 せざ る
為 替 銀 行 に対し 為 替 相場 を 調 査 し、 甲 方 に最 も有 利 な る率 を調 査
又六 月 十 五 日 より 九 月 十 五 日 に至 る休 暇 中 は之 を除 く)
た ると き は 二千 英 傍 を超 えざ る範 囲 に於 て賠償 金 を要 求 す る の権
乙 、若 し甲 方 が自 ら 本契 約 を 実 行 す るを願 はず 、 或 は之 を怠 り
金 額 は中 国 に之 を 保 管 し利 息 収 入 を得 。 其 の倫 敦 に保 管 す る残 額
利 を有 す 。即 ち之 は 借 款 の相 談 及 公債 発 行 等 に関 し当然 損 失 を 負
は亦 利 息 を附 し 、 其 の利 益 を 計 り甲 方 が若 し為 替 相 場 が 適当 な る とき に於 ては倫 敦 の為替 を 売出 し 、其 の収 入金 を倫 敦 の収 入帳 簿
担 す る の所 以 なり 。 又 同様 の状 態 に於 て乙 方 が本 契 約 を 実行 し 得
に之 を 振替 ふ。 甲 、中 国 の実業 を発 達 せ しむ る の目 的 を 以 て此 の材 料 の
ざ ると き は 、甲 方 又 三 千英 榜 の損 害 を要 求 す る の権 利 を有 す 。 是
第 十 五条
個 格 相等 し きと き は 、先 づ 中国 産 の材 料 を 用 ふ。 但 し 本 公債 が英
本 契 約 に基 づ き 乙方 の権 利義 務 が若 し他 の団 体 ( 個人、
亦 前 述 と同 様 の理 由 な り 。 第 十 八条
会 社 、 銀行 等 を論 ぜず ) に譲 渡 せら れ た る場 合 、甲 方 の同 意 及 其
し優 先 権 を有 す 。 総 て の建 築材 料 其 の他 機 界 、物 件 一切 は中 国 産
国 に於 て発行 せら るべき を 以 て 、英 国 産 諸 材料 は他 国 のも のに対
のも の に て、現 地 供 給 を仰 ぎ得 ざ るも のは 総 て 乙方 より 甲 方 に代
甲 方 は左 の事 を声 明す 。 一九 二四 年 八月 二十 六 日 の本 契
の認 可 を経 る を要 す 。
を経 て、 浦 口商 埠 督 弁 呉鴻 昌 が浦 口商埠 事 宜 処 督弁 に任 命 せ られ
約 は中 華 民 国大 総 統 曹 〓 、蘇 皖 〓 巡 閲使 兼 江蘇 督 軍 斉 〓 元 の認 可
第十九条
り査 問 、 調 査 の上 代 理之 を買 収 す 。乙 方 は 之 に対 し 一切 の手 続 に
乙 、 技 師長 は第 二条列 記 の各種 工事 に対 し完 全 執 行 の責任 を負
依 り手 数 料 を収 得 す る事 を 得 。
ひ、 第 三 条所 定 の方 法 に依 り之 を 実行 す る の義 務 を有 す 。 其 の工
た ると き に於 て記 名 調 印 し 、甲 方 よ り正 式 公 文 を中 華 民 国 外交 部
本 契 約 は英 、 漢両 文 を以 て七部 を作 成 し 、甲 は 四部 、 乙
事 に際 し ては英 国 の信用 す べき請 負 人 に之 を請 負 は し め、 旦各 種
第 二十 条
を経 由 英 国 駐 在中 華 公 使 館 に之 を 送 附 す る こと に依 り効 力 を生 ず 。 乙 方 は本 契 約調 印 の日 よ り 六年 間 、契 約 の 日 より 六年 間
材 料 購 入 の際 は価 額 に照 し 手 数 料 を支 払 ふも のと す。 第 十 六条
は三部保管し文字上 に疑義 ある場合 は英文を以て標準 とす。
四年 及 五年 の公 債 に対 す る利 息 及 独逸 賠 償 金 を担 保 と し た る公債 、
元 利 は本 公債 に優 先 し 第 一担 保 権 を有 す る こと を認 む ( 訳 者 日、
即 ち 前 記発 行 の各 公 債 に対 す る利 息 又 は 元 金 を支 払 ひ た る後 更 に
第二十 一条 本契約は公債全部を償還 せられたるときに於て無効と す。
本 公債 は毎 年 二 回利 息 を 支払 ふ。 上 半期 のも のは 三月 三 十
本 公 債 の元 利 金 は 十 九 回 に分 かち 之 を償 還 す。 第 一期 より
本 公 債 の第 五期 に至 る 迄 の利息 は合 計 三 百 万 元 とす 。之 は
対 独 賠償 金 を 流 用 せず し て、 財 政部 が 別 に準 備 し た る 三百 万 元 を
第 七条
前 項公 債 の抽 籤 は北 京 に於 て之 を行 ふ。
日 と為 す 。
前 項 公 債 の元 金 償 還 は 毎 年 三月 三十 一日及 九 月 三十 日を 以 て期
全 部償 還 す るも のな り。
編注 、 別 ︹表 ︺に従 ひ抽 籤 に依 り 毎年 二回之 を償 還 す 。第 十 九 回 に於 て なし
第 五期 に至 る も の は単 に利 息 を支 払 ふ。 第 六 期 以 後 は 別 表 記 載
第 六条
一日 を期 限 とし 、 下 半 期 のも のは 九月 三十 日 を期 限 と す 。
第 五条
剰 余 金 あ り た ると き に於 て本 公債 の担 保 と す る の意 味 であ る)
八月二十六日
西暦 一千九百二十四年 八月二十六日 中華民国十三年 浦口商埠督弁 呉鴻昌、倫敦聯華銀公司代表伯捷洋行拍捷、本契約 紹介人呉宗濂 、鄭啓聡、楊祖謙、劉 成厚、梁卓梧、陳楽信、張魯 泉、蘇皖〓巡閲使兼江蘇督軍斉〓元閲 三
大正十四年 三月十七日
北公情二五第 二号 の五 北京公所長 民国 十四年度公債発行 の件
以 て支払 ひ担 保 と 為 す べ きも のとす 。利 子基 金 は総税 務 司 に於 て
首題 の件に関し北公情 二五第二号 の二を以 て既 に報告しましたが、
本 項 公 債 の第 六期 以後 に於 け る元 利 支払 基 金 は 本規 則 第 四
しましたから飜訳報告致 します。
第八条
昨 (三月十六日)臨時執政令を以て民国十四年八釐公債条例 を発表
政府 は中央政府 の緊急なる政費及国外公使館及領事館 の経
記
保 管 す る も のと す 。利 息 支 払 期 日十 五 日前 に於 て中 国 及交 通 両銀 ︹ 印刷不明︺ 行 に於 て之 を□ 交附 し 支払 準 備 を為 す べし 。
第 一条
本 項 公債 発 行 は内 国 公債 局 に於 て之 を 管 理 す。
条 及 第 六条 の規 定 に従 ひ 、総 税 務 司 は対 独逸 賠 償 金 の名 目 の下 に
本公債 の利率は年八釐とす。
本 公 債 は無 記 名 と す 。
銀 行 に保管 し あ る預 金 を 以 て、 期 日前 十 五 日 に於 て中 国 、交 通 両
本公債発行価格は各 一百元とす。実収九十元とす。
費 に充当する見地より公債 一千五百万元を発行し、之を民国十四 第二条
本公債 は対独逸 の賠償金を以 て担保と為す。但し民国三年 、 第 十条
第 九条
銀 行 に之 を交 付 し支 払 準 備 に充 つべ き も のと す 。
第三条
年八釐 (即ち年八分)公債と名附く。
第四条
本 公 債額 面 額 は左 の三種 と為 す 。
一万 元、 一千 元 、 一百 元
第 十 一条
本 公 債 の債 券 及 利 札 は 元利 支 払 期 日 以後 海 関 税 、 塩税 を
は既 に八 十 元 で あ る) 而 し て右 九 百 二 元 より 更 に利 息 三百 万 元 を控
あ る。 上述 の如 く 本 公 債 の発 行 は国 内 に於 ては既 に全 部 解決 し た か
除 す るを 以 て 、残 額 六百 二万 元 の みが財 政 部 の実際 収 入 と な る の で
従 ひ政 府 に抗 議 を提 出 せ んと す る の傾 向 があ る 。夫 れ で政府 は之 に
出 し て居 る 。此 の外 義 和団 事 件 に対 す る関 係各 国 も 仏 蘭 西 の抗 議 に
ら、 今 後 は 対外 問 題 に関 す る義 務 であ る。 今 仏蘭 西 は既 に抗 議 を提
本 公 債 は随 意 売 買 及 担保 と 為 す 事 を得 。 又 公 務 上保 証 金
本 公 債 は銀 行 の紙 幣 発行 準 備 金 に充当 す る事 を 得 。
除 き 一切 の租 税 及其 の他 現 金 支払 に充 当 す る こと を得 。
第十二条
第十三条
を納 付 す る場 合 に於 ても 同 じ く担 保 と 為 す こと を 得 。
各公司。
四
以上
実業 、 農 業 、 五族 、新 享 、大 生 、 新 化各 銀 行 並 通易 托 信 及 太平 貿 易
︹マ マ ︺
中 国 、 交 通 、塩 業 、 金 城 、大 陸 、 中南 、商 業 、匯 業 、 懋業 、 中 国
であ る、 と 記載 し て居 る。
更 に本 日附 (三 月十 七 日 ) の晨 報 は 本 公債 の引受 銀 行 は 左 の如 く
事 は絶 対 に出 来 な い、 と謂 つて居 る 云 々。
既 に賠 償 金 の権 利 を放 棄 し た る を以 て、右 賠 償 金 を 一般 関 税 と見 る
あ る 。今 外 交部 の非 公 式 の消息 に依 ると 、民 国 政 府 に於 ては 独逸 が
り 、 其 の優 先 権 を 有 し て居 る こと が条 約 面 に規 定 さ れ て居 るか ら で
右 国公 使 の抗 議 し た る理 由 は 、即 ち 関 税 は外 国 公債 の担 保 品 であ
抗 議 を提 出 した 。
日外 交部 に抗 議 を 提出 し た。 而 し て 日、 英 、米 各 国 公使 も十 四 日 に
債 発 行 に 対 し、 執 政府 が関 税 を 担保 す ると謂 ふ事 に対 し 、既 に十 三
(即 ち順 天 時 報 ) の調 査 す る所 に於 ては、 仏蘭 西 公 使 が 十 四年 度 公
対 し て如 何 な る処 置 を取 る かと 謂 ふ こと は 注 目 に 値 す る 。又 本 紙
第 十 四条
本 公 債管 理人 が若 し 本 公債 の信 用 を毀 損 す るが 如 き行 為
あ り た ると き は 、内 国 公 債 信 用毀 損 に対 す る懲 罰 令 に基 づ き之 を
第 十 五条
懲罰 す。 元 利 支払 期 日十 日 以前 に於 て財 政 部 内 国 公 債 局 は審 計 院
審 計 官 (会 計検 査 院 の検 査官 ) 二名 の特 派 を受 け 、 本 公債 に対 す
第 十 六条
る帳 簿 及 元 利 支払 の現 金 に対 し検 査 を受 く べき も のとす 。
以上
公 債 償 還 の抽 籤 の場 合 に於 ても 亦審 計 官 立 会 の上財 政 部 長 、 内
本 条 例 は 公 布 の日 よ り施 行 す。
国 公 債 局 長 及副 局 長 に於 て 一切 を 監視 す 。 第十七条
本 公 債 発行 に 対し 順 天時 報 は本 日附 (三月 十 七 日) 左 の様 な 記 事
公 債 の総額 一千 五 百 万 元 の内 四 百 万元 は圏 外 各国 公使 館 の経費 に
を 載 せ て居 る。
(銀 行 手 数料 は 三種 に分 つて居 るが 、各 銀 行 共各 百 万元 以 上 を引 受
充 当 し 、 残余 の 一千 万 元 公債 額 面 に対 し実 収 は 九百 二 万元 であ る 。
け る の であ る から 事 実 上 六釐 の手数 料 を支 払 は な け れば な ら ぬ故 に、 八 十 八 元 の発 行 価格 よ り 六釐 の手数 料 を 支 払 ふ を以 て、 政 府 の実 収
北 京 公 所長
借 款 を償 還 せん と 試 み 、中 仏 銀行 の代表 者 サ イザ ルは之 を許 可 し た。
呉 督 弁 は遂 に倫 敦 ポ ロト銀 行 団 代表 パ イ チ エと 借 款 の ことを 相談 し
北公 情 二五第 二号 の九 大 正 十 四年 三月 二十 五 日
た 。 其 の金 額 一千 五 百 万榜 で手取 金 八 十 二% 、 利 息年 八分 半 の条 件
に て殆 ど成 立 せ んと し た処 、 江浙 戦 争起 り パ イ チ エは狼 狽 し て香 港
浦 口商 埠 借 款 の件
に帰 つて仕舞 つた ので あ るが 、最 近 又 々南 京 に来 り て呉 鴻 昌 、 呉宗
北 公情 二 五第 二号 の 一及 同 第 二号 の四を 以 て浦 口借 款 の件 は大 体 報 告 し て置 い た が、本 日 の順 天 時報 に右 借 款 は進 行 中 であ る 、と 称
任 せ し め、 若 し 会弁 を置 く 場合 に於 て自 ら其 の会 弁 と な り て利 益 を
望 を有 し て居 るが 、自 ら之 を 取 る事 は出 来 な い の で其 の父 を し て兼
の であ る。 盧 永 祥 の息 子 盧 小嘉 は江蘇 省 の督 弁 に代 ら んと す る の希
濂 、楊 祖 謙 と再 三 往来 し て居 る 。蓋 し其 の借 款 を 再 び相 談 し て居 る
江蘇 省 の民 国 二年浦 口を 開 埠 す る の条 件 に て中 仏 実 業銀 行 よ り 一
記
へ大体 左 の記 事 を載 せ て居 るか ら飜 訳 之 を 報 告 す。
億 五 千 万法 の借 款 を 為 し、 第 一回 の五千 万 法 の交 附 を 受 け中 央 の政
計 ら ん と試 み つ ゝあ る 云 々。
五
大 正 十 四年 四 月 二 日
北 公 情 二 五第 二号 の十 三
金 フラ ン案 に係 る新 決定 の内 容 に関 す る件 (四 月 二日
北 京 公所 長
費 に充当 し た。 第 二 回 の五 千 万法 が未 だ交 附 さ れ な い内 に欧 洲 戦 争 が突発 し た。 中 仏 実業 銀 行 は 右 金額 を交 附 す る の力 な く 、政 府 に対 し 反 つて利 子 の催促 を為 す 様 相 談 し た が、 其 の後 政 府 は再 三借 款 の 交 附 を請 求 し て居 る 、処 が中 仏 銀行 は其 の借款 が商 埠 の為 に用 ひら れな か つた事 を 言 ひ 、契 約 違 反 の責 任 は支 那 側之 を負 ふ べ き であ る、
京報摘録)
と 言 ふ ので政 府 は致 方 なく 某 政 客 の意 見 を採 用 し安 値 にて浦 口 の地
の であ る、 と 説 明 し た ので中仏 銀 行 も回 答 の辞 なく 、 自 ら契 約 取 消
当 地 の京 報 は 金 フラ ン問 題 の新 決 定 の内 容 と し て左 の如 く 発表 し
券 を買 収 し銀 行 に呈 示 し、 五 千 万法 は此 の地券 買 収 の費 用 に充 てた
を 願 ひ、 交 附 され た借 款 の返 還 を請 求 し た 。
段 執 政 は外 交 、財 政 両 部 か ら専 門委 員 を定 め 仏 国公 使 、 中法 実 業
記
事 を取 り計 ら つた ので甚 だ 困難 の地 位 に立 ち 、斉 〓 元 は当 時 第 六師
公 司 と意 見 を交 換 し、 民 国 十 二年 七 月九 日 の仏 支協 定 に対 し 左 の修
て居 り ます 。
団 長 で あ つた 関 係 上呉 鴻 昌 が再 び此 の事件 のため 立 つ事 の出 来 な い
此 の浦 口商 埠 借款 は浦 口 の土 地 と関 係 を有 す る の で、其 の性質 は
事 を自 覚 し て、 力 を用 ひ て呉 を督 弁 に任 命 し た。 呉 の督 弁 に任命 後
一、 庚 子 賠款 の残 額 は 仏 国 政府 より正 式 に其 の拠 棄 を 声 明 す る事 。
正条 件 を 提 出 し た り、 と 。
契 約当 初 の場 合 と 同 じ からず 。 江蘇 省 政府 当 事 者 は自 ら独 断 に此 の
中 仏銀 行 は更 に交渉 を継 続 し 、別 に外 国 の借 款 を な し て中 仏 銀行 の
二、 総税 務 司 の抑 留 す る 二年 間 の賠款 は悉 く 支 那政 府 に返 還 す る事 (一千 百余 万 元 。)
る事 。
三 、 賠款 の計 算 は 一九 〇 五年 協 定 の電 信 為 替 の方法 に依 つ て弁 理す
四 、 中 法 実業 公 司 の資 金 は改 め て借款 と為 し 支 那政 府 は債 務 者 の位 置 より 債 権者 の位 置 に改 め る事 。 五 、 前 項 の借 款 は確 実 な る担 保 と 償 還 方法 を 指 定 し 、 且毎 半 年 に 一
四
今 回 協 定 す る此 の款 の主体 を中 国 政 府 と為 し た る は、 此 の款 を
無 利 子 証 券 を 以 て借 款 の抵 当 物 と為 し 銀行 は完全 に償 還 の責 を
の位 置 に立 つを以 てな り 。
相 当 す る期 間内 に銀 行 に貸与 す る故 に、中 国 政 府 は完 全 に債 権 者
五
負 ひ、 並 若 し将 来 フラ ン の価 格 が現 状 に回復 す ると き は借 款 を償
教 育 費 の 一項 は 改 め て借 款 の利 子 とし 、其 の額 最低 米 金 二十 万
還 し て尚 残 額 を有 す るも 、中 国 政 府 に交 付す べ き事 を規 定 す。
債 券 の償 還 に対 し既 に列 挙 す る指 定 の各項 収 入を 以 て担 保 と す。
六
七
中 国 政 府 の借 款 の各 款 は 発行 債 券 内 に て償 還 す る事 を承 認 す 。 八
元 な る も 二十 五 万元 と す る事 。
六、 毎 年 の教育 費 は現 協 定 の額 より も増 加 す る事 。
債 券 の分 配 と償 還 は毎 半年 決 算 のと き に分配 を検 査 し、 且 其 の
回 づ つ返 還す る事 。
七 、 極 東 に於 け る預 金 者 に対 し て の払戻 は支 那 政府 よ り係 員 を派遣
他 の預 金 者 と 同 等 の利 益 を受 く る事 。
債券 の様 式 は 中 国政 府 に て之 を 定 む る こと を得 。
向 を 示し て居 た が 、現 在 は黙 認 す る程 度 にな り、 馮 玉祥 側 其 の他 に
因 に本 件 に関 し当 地 公 使 館 に訊 し た る処 、当 初 奉 天側 は反 対 の意
る事 。
十六 仏 国 は文書 を 以 て ﹁秋季 ?﹂ に於 て関税 会 議 を 開 く事 を 承認 す
十五 仏 国 は 華 府会 義 に於 け る条 約 を承 認 す る事 。
十四 仏 国 は 税関 附 加 税 を承 認 す る事 。
十三 中 国 政府 の株 金 は借 款 中 よ り之 を 控 除す る事 を得 。
来 一切 の権 利 は 当 然同 等 な る事 。
十二 管 理 公司 の資 本 は中 国 を 一千 万 フ ラ ンとし 、 仏国 と同額 と し将
極 東 に於 け る預 金 者間 に債 券 を分 配 す る事 項 を 検査 す 。
十一 極東 預 金 者 に払 戻 す と き は中 国 政 府 よ り係 員 を派 遣 し 、帳 簿 及
十
九
し 、 之 を 監視 且帳 簿 の検 査 を為 す 事 。 八 、 管 理 公 司 の資 本 に対 し中 国 政 府 の出 資 額 は仏 国 と同 額 な る事 。
一九〇 五 年 協 定 の電 信 為 替 方法 の計 算 法 は数 年 以 来 中 国 政府 は
正式 に声 明 す 。
十 二 、十 三 両年 間 に抑 留 す る款 を 悉 く中 国 政 府 に返 還 す る事 を
の用 と為 す こと を承 認 す 。
仏 国 政 府 は 正式 に庚 子賠 款 の残 額 を 返還 し、 中 仏 間 の有 益 事 項
折 衝 数 十 回 に渉 り現 在 決 定 の事 項 は 左 記 の通 り 。
を 以 て承 認 す る事 。
九 、 此 の案 解決 と同 時 に関税 会 議 を 短 期間 内 に開会 す べき 事 を書 面
一
二
三
屡 々電 信 為 替 の弁 法 を要 求 し たる も仏 国 は 之 を承 認 す る に至 らざ り し も 、今 回 之 を譲 歩 す る事 と な り電 信 為替 の計 算 法 に由 る額 は、 中 法 実 業銀 行 の附 帯業 務 の用 に不足 な るを 慮 る に よ り、 電 信 為替 以 外 の額 を 一部 借 款 と し て加 へ以 て其 の煩 雑 を除 く 。
て公表 す る と の こと を大 体 十 日前 後 一週間 には 公表 せら るべ し 、 と
政 府 に送 附 し 居 るを 以 て、其 の承 認 の返 電 あ り 次第 直 ち に当 地 に於
於 て大 体 の了解 を得 た るを 以 て、 執 政府 は協 約 に調 印 し 正 文 を仏 国
を感 ず る ので 、 日本 政 府 は関 税 会 議 を開 く と共 に、其 の関 税 の増 加
に停 滞 し て居 る。 対支 借 款 が斯 の如 く長 引 く こと は整 理上 甚 だ困 難
つて、 現在 右 借 款 は元 金 も既 に使 ひ尽 し て 一文 も な い。 利 息 も亦 常
に就 き外 務 、 大 蔵 、商 工 の三 省 に於 て協議 を為 し て、関 税 問 題解 決
日本 政 府 は 既 に対中 国 の関 税 会議 召 集 の準 備 に着 手 し、 其 の方 針
記
掲 げ て ゐる か ら 、右 東 方 時報 の記 事 と参 照 せ られ た い。
尚 同 日 の京 報 に は 日本 の関 税 会 議 に対す る準 備 と し て左 の記 事 を
税 会 議 の実現 を希 望 し 積 極的 の方 針 を執 る こと に決 定 し て居 る 云 々。
又 関税 収 入も 預 金 せ ら れ る であ ら う、 と謂 ふ見 込 み で日本 政 府 は 関
の正金 銀 行 が非 常 に大 な る金 額 を預 金 す る に至 る であ ら う。 同 時 に
居 つた も の であ る が 、今 回 の関 税増 加 後 は 対支 貿 易 上 に於 て、 日本
又 支那 の関 税 収 入 は従 来 僅 か にイ ング ラ ンド銀 行 支 店 に預 金 さ れ て
収 入 の 一部 を 以 て 対支 借 款 の 一部 に充当 し之 が活 用 を願 つ て居 る。
北 京 公所 長
想像 し 居 る と の事 で あ る。
六
北 公情 二 五第 二号 の十 四
金 フラ ン問 題 と 関税 会 議 (四 月七 日東 方時 報 摘 録 )
大 正 十 四年 四月 七 日
1 、 日 本 政 府 は既 に対策 を決 定 す
最 近 金 フ ラ ン問 題 の解 決 が評 判 せら れ引 続 い て関 税会 議 の召 集 が
2、 関 税 増 収 予算 四千 万 元
あ る だら う 、 と謂 ふ事 が専 ら伝 へら れて居 る。 政 府 方 面 に於 ても 亦
と 同時 に 対中 国 の借 款 問 題 を解 決 す べく 研 究中 なり 、 と。
九 箇 国条 約 の批 准 が当然 解 決 せ ら れ る問 題 であ る から し て、関 税 会
る 東京 方面 の情 報 に依 れば 、 日 本政 府 は 金 フラ ン問 題 解 決後 華 盛 頓
最 近 日本 政 府 に於 ては既 に関税 会 議 に対 す る方 策 を 研 究 し つ ゝあ
会 議 に於 て其 の実 現 を希 望 し 、積 極 的交 渉 の方 針 を執 る事 に決 定 し
む る見 地 よ り し て、 関 税預 金 を正 金 銀行 に取 扱 は し め、 日 本 政府 は
国 の借 款 の償 還 に充 当 せし め、 又 一方 日本 の利権 も完 全 に活用 せし
利 は 今 日迄 返 還 せざ る状態 に て、 今 回 の関 税 増加 の収 入 を認 め対 中
は興業 、台 湾 、 朝 鮮 の三銀 行 発 行 の興 業 債 券 に係 る も ので、 其 の元
日本 の対 中 国 借款 総 額 は既 に 一億 七 千 万 元 に達 し 、 其 の内 一億 元
金 フラ ン問 題 解 決後匇 々関 税会 議 を召 集 し 、 二割 五 分 の税 率 増 加 を
議 と 支那 の外 債 整 理 問題 と は緊 急 に其 の対 策 を決 定 す る必要 を認 め、
企 てて居 る様 であ る が、 之 に関 し別 に 一問 題 が あ る。
現 に外務 省 、大 蔵 省 に於 て は各関 係者 を集 め 研究 協 議 し 、 既 に支 那
政整 理会 の調 査 に依 る 対中 国 関税 増 収 表 左 の如 し (単位 、 一千 元)。
華 盛 頓 会議 関税 委 員 会 委 員 長安 徳 渥 (ア ンド リ ユー) 氏 及 中国 財
た り と 云 々。
日本 の対支 借 款 総 額 は既 に 一億 七 千 万元 に対 し 、其 の内 一億 元 は
の関 税 問題 の解 決 と 対 支借 款 問 題 を 研究 す べく着 々歩 を 進 め て居 る。
興 業 、 台湾 、朝 鮮 の 三銀 行 が興 業 債 券 を発 行 し て借 款 し たも の であ
安徳渥氏調査 一九二 一年純 収入
宝道氏調査 一 九 二二年純収 入
財政整 理調査 自 一九 一八年 至 一九二二年 の平均収入 八 〇 、〇 八九
別 七 七、〇 〇 〇
入 類 六四、 〇〇〇 一二 、〇〇 〇
収 旧 税 率 収 入 一〇 、〇 〇 〇 二五 、〇 〇〇
一 一九 、八 四 六
二 八、〇 〇 〇
一 一八 、〇 〇 〇
二、七 五 七
一七 、 〇〇〇 二九 、一六七
一 一〇 、一六 七
三、〇 〇 〇
百分 の五 の増 収 二 五附 加 税増 収 貿易 発展増収 計
交 通部 公債 募 集 説 (四月 十 四 日順 天 時報 摘 録 )
交 通 部 が鉄 道 線 路 を整 頓 し 且車 輛 を購 求 す る為 に交 通 公債 を発 行
に非 ず と否 定 し て居 る。 但 し外 間 伝 ふる所 に拠 れ ば、 今 回 の公債 募
し 、 二千 四 百 万 元を 募 集 す る と謂 ふ説 があ る に対 し、 交 通部 は事 実
( 包 頭 鎮 〓夏 ) の線 路 建 築 と各 鉄 道 の車 輛 増 設 の為 に使 用 せ ら れ る
集 は 二千 四百 万 元 に非 ず し て三千 六 百 万元 であ る 。其 の用途 は包 〓
の発行 方 法 は 先 月 発行 の 一千 二 百万 元 公債 と稍 相似 て居 つ て、唯 手
と謂 つて居 るが 、其 の担 保 は各 鉄 道 及電 信 の財 産 を充 て て居 る。 其
百 万 元説 は目 下 尚 研 究中 であ るが 、之 を 実行 せむ と す る には 先 づ銀
尚 一説 に依 れば 、今 回発 行 の公債 は 二千 四百 万 元 であり 、 三千 六
合
本 政 府 調査 の結 果 は約 二千 二百 万海 関 両 、 即 ち 三千 四百 万 元 の増 収
行 団 と 相談 しな け れ ば なら な い ので目 下 下 調 べ中 であ る。 右 二説 を
数 料其 の他 に於 て幾 分 か勝 つ て居 ると 謂 は れ て居 る 。
な り と の事 な るも 、然 し実 際 上 恐 ら く四 千 万 元 を超 過 す る な らん 。
掲 げ 後 日 の確 報 を待 つ。
右 の表 は其 の調査 の基 礎 不 同 の為 に多 少 の差 異 を免 れず 。 一方 日
一、 増 収 の全 部 を 以 て中 国 旧債 の整 理 に充 当 せ し む る事 の可否 。
八
北 京 公 所長
此 の増 収額 の処 分 方 法 を結 局 如 何 にす る かは 以 上 三種 の方 法 が あ る。
後 の用 と し て提 出 す る の可 否 。
二、 現 在 に於 ける 有 力 な る執 政 府 に対 し、 其 の 一部 を中 国 内政 の善
北 公 情 二五第 二号 の十 六
三、 日本 の将 来 対 中 国 に輸 出 す る事 を 予期 し て、 今 回 の関 税 特別 会 議 の 日本 の態 度 に対 し強 硬 に旧 債 整 理 の要 求 を 主張 す る の可否 。
仏 国 政 府 は 中 国政 府 に対 し庚 子 賠 款 仏国 部 分 の残 額 を 中 国 に還 附
(A)
情 報 に依 れば 其 の内 容 は大 体 左 の如 く で あ ると想 像 され る 。
二 十 日以 後 でな け れば 発表 し な いと の事 であ る 。各 新 聞 及各 方 面 の
金 フラ ン問 題 は既 に正 文 の交 換 を 見 た の であ る が、 種 々 の都 合 で
金 フ ラ ン問 題
大 正 十 四 年 四 月十 七 日
北京 公 所 長
此 の内 最 も 日本 の注意 す る事 項 は 第 三項 にし て現 に慎 重 に研究 中 な り、 と 謂 ふ 。
七
北 公情 二五 第 四号 の五三 大 正十 四 年 四月 十 四日
す る事 を声 明 す 。 仏 国 政 府 は前 項 に依 り還 附 す べ き賠 款 を 一九 二 四年 十 二月 一日 よ
一九 二 二年 十 二月 一日 よ り 一九 二四年 十 一月 三 十 日ま で 二十 四 ケ
り起 算 す る事 を承 認 す 。
(B)
月間 の猶 予賠 款 は全部 中 国 に交 附 す 。
中 国 政 府 は仏 国 政 府 に対 し前 記 還 附 さ る べ き賠 款 残額 を 一九 〇 五 年 の交 換 文 書規 定 の電 報 為替 法 に依 り計算 し 、為 替 に依 り て得 る事
中 国 政 府 が中 法 実 業 銀行 に負 へる冬 債 券 を償 還 す るを 妥当 なり
百 五十 六万 余 元 と な る)。
弗 とす れば 二千 五百 万 フラ ンは米貨 百 七十 八 万余 弗 に当 り、 銀 三
( 此 の残 額 は 二千 五 百 万紙 フラ ン にし て、 十 四紙 フラ ンを米 貨 一
中 国 政 府 が中 法 実 業 銀行 に納 付 す べ き資本 残 額 を 代 つて納 付 す
は 此 の項 の数 目 を米 貨 二十 万 弗 の程 度 達 せ し めん と努 力 す べ し 。
万 弗 の五 分金 債 を提 出 し、 借 款 利息 の代替 た らし め ん とす 。 同行
中法 実業 銀 行 は中 国 の教 育 及慈 善 事 業 に対 し毎年 最 小 米 貨 二十
用 に供 す る も のに係 は る 。 一
二
三
と す べ し。 但 し 此 の項 の債 務 は中 国 政府 にし て期 限 延 長 す る分 は
あ る べ き盈余 を加 へ、 之 を米 貨 に換 算 し 一九 二四 年 十 二 月 一日よ り 一九 四 七年 ま で継 続 し て中 法 実業 銀 行 に貸 与 し、 該 行 の発行 す る五
中法 実 業 銀 行 管 理 公司 は中 国 政府 にと り最 も便 利 な る弁 法 を 講ず
前列 各 項 の用 途 を 実行 し尚 余債 券 あら ば 、之 を中 国 政府 に還 附 し
分 金債 券 の担 保 と な す事 を 声 明 す 。其 の毎 年 交附 す る処 の額 は別 に
て教 育事 業 の用 に供 す べ し (仏 国賠 款 は右一 二 三 の三項 用 途 に供 す
べ し。
中 法 実業 銀 行 は仏 国 政 府 の同意 を経 て、 極 東 に於 け る預 金者 のま
附表 ︹ 編 表注 な、 し附︺を 以 て之 を 定 む 。
さ に得 べき 無 利 証券 の金 部 を 一回 に中 国 に交 附 し、 前 項 借 款 の担 保
此 の項 の無 利 証 券 は既 に前 項 債権 の担 保 と せ るを 以 て正 に本 協定
(D)
るも 、尚 米貨 五百 三 十 二 万弗 、 こ の換 算 銀 一千 六十 四 万元 を 余 す)。
つる も のとし 、 二 十 三年 内 に償 還済 み とな ら ざ る時 は、 中 法 実業 銀
と な す 。其 の償 還方 法 は本 協 定第 四条 の各 項 収 入 を分 配 し て之 に充
行 は 中 国政 府 に対 し責 任 を 以 て残 額 を完 済 す べ し 。
第 二条 第 二項 の規 定 及 仏 国法 廷 の判決 に按 照 す べし 。 以下 各 項 還 債 収 入を 列 す 。
此 の種 無 利 証 券 は協 定 の弁 法 に按 照 し逐 年 米 貨 に換 算 す べく 、其 の数 が借 款 米 貨額 を超 過す る場 合 に生 じ た る剰余 証 券 はな ほ中 国 政
四
三
二
中 法 実 業 銀行 が管 理 公 司 に交 附 せる流 動 資 金 五 千万 フラ ンに依
管 理 公 司 の紅 利 百 分 の九 十 五。
中 法 実 業 銀行 が自 ら 財産 の経 営 を行 ひ得 た る額 。
る額 。
管 理 公 司 が代 理 の資 格 を以 て中 法 実 業 銀 行 の財 産 を経 営 し得 た
府 に交附 す べし 。若 し フラ ン価 格 恢復 し 無 利 証券 が盈 余 を 得 た る と
一
港 も亦 一併 に中 国 政府 に交 附 す 。
中 法 実業 銀 行 が極 東 に於 け る預 金 者 に還 附 す べ き預 金 は仏 国 法 廷
(C)
判 決 の弁 法 に按 照 し 、極 東 に於 け る債権 者 に還 附 す べ き無 利 証 券 の
五 中 法 実 業 公 司 が管 理公 司 の同意 を 得 て直 接 営 業 し 得 た る及 其 の
中 法 実 業 銀行 固 有 の各 項 専利 に依 る収 入。
つて得 る利 息 。
六 他 の収 入。 (E) 極東 預 金 者 の得 る と ころ の無 利 証券 は欧 洲預 金 者 の得 る処 のも の と 一律 平 等 に待 遇 し 、 半年 毎 の決算 に際 し ては前 項 各 項 収 入 を管 理 公 司 の仏 支両 国 董事 会 よ り合 同 査 明 し、 和 解協 定 に按 照 し て平 均 分 配すべし。 (F) 債券 発行 の格 式 、 定 名及 其 の数 目 は中 国 政 府 よ り定 む (格 式 は後 に附表 と し て示 す 。) (G) 極 東 預 金者 の預 金 を 返 還 す る時 は中 国 政 府 は株 主 の資 格 を 以 て帳 簿 を 検 査 し 並 に極 東 預 金者 への預 金 返 還 を監 視 す る こと を 得 。 (H) 一九 二二年 六月 二十 四 日 、 七月 五 日 、九 日及 七 月 十七 日両 政府 の 各 項 交 換 文書 及 一九 二 三年 二 月八 日仏 国公 布 の法律 中 の各 項 にし て、
北 京公 所 長
本 協 定 と 牴触 せざ る も のは有 効 と す 。
九
北 公情 二 五第 二 号 の十 八 大 正 十 四年 四 月 二十 二日
金 フラ ン問 題解 決
仏 支 間多 年 の懸 案 であ つた金 フラ ン問 題 に就 て は従前 時 々其 の経
過 を 報 告 し て置 いた が去 る十 二日 両国 代 表 者間 に於 て調 印 せら れ、
昨 二十 一日午 後 四 時当 地 に於 て発 表 せ ら れた が、 当 日 外交 部 より発
一、 財 政 総長 よ り執 政 に宛 て金 フラ ン案 協 定 を 司法 部 に廻 し て審 査
表 し た る 関係 文 書 は 、
を求 め し書 翰
書
一、 右 に関 し司 法 総 長 よ り審 査 の結果 穏 安 にし て疵 無 し と の報 告文
と正 式 に協定 を求 む る 文書
一、 財 政 総 長 よ り執 政 に宛 て金 フラ ン案 を外交 部 に移 し 、仏 国 公使
一、 執 政 よ り外 交 部 へ弁 理 せし む る旨 の臨 時 執 政令
一、 之 に関 し臨 時 執 政 府 秘書 庁 より 外 交部 への公函 第 七 百 四十 六号
一、 外 交 総 長 よ り仏 国 公使 への照 会
一、償 還 年 度表
一、仏 国 公 使 よ り外 交 部 への照 会
に関 す る照会
一、外 交 総 長 よ り仏 国 公 使 に中 仏 実 業 銀 行管 理 公 司 及中 国 政府 持 株
一、右 に関 す る仏 国 公 使 の回答
の十種 のも の であ る。 之 に依 つ て支 那 政 府 は千 九 百 二十 二年 よ り積
立 てら れ た る約 一千 万元 の金 の払戻 し を 受 け、 中 仏 実業 銀 行 を復 活
つた も ので、 仏 支 間多 年 の懸 案 は茲 に全 く解 決 した 。尚 両 国 政 府間
し 、尚 仏 国 の華府 会議 条 約 批 准 に依 り愈 々関 税 会 議 を開 き得 るに至
に取 交 は さ れ た交 換 公文 の内 容 は 左記 の如 く で あ る。
記 一千 九 百 一年 賠 償 金 の仏 国 に支 払 ふ可 き残 額 の返還 及 其 の用途 に 関 し 、中 国 政 府代 表 と仏 公 使 と意 見 を 交換 し た る後 両国 政 府 左 の如 く議 定 す 。 一 仏 国政 府 は中 国 政府 に対 し 庚 子賠 款 仏 国 部 分 の残 額 を 中国 に還 附
交 附 す べし 。若 し フ ラ ン価 格 恢 復 し無 利 証 券 が盈 余 を 得 た る とき は
第 八 条 仏 支 間 の有 益 事 業 の用 に供 す るも のと す 。 三
中 法 実 業 銀 行 は仏 国 政 府 並 支 那政 府 の同 意 を得 て五厘 金 公債 の用 途 、分 配 を 左 の如 く定 む。
二、 中 仏 間 の教 育 及 慈 善事 業 に関 す る執 行 条 件 は、 毎年 北 京 に於 て
の項債 権 人 の債 券 と 引換 ゆ。
一、和 解 弁 法 に根拠 し中 仏 実 業 銀 行極 東 債 権 人 に額 面価 格 を以 て此
仏 国 政 府 は前 項 に依 り 還附 す べき賠 款 を 一九 二 四年 十 二月 一日 よ
が為 借 款 利 息 の代 り に五厘 米 金 公 債若 干 を提出 し て、中 仏間 の教
仏 国 政 府 代表 と中 国 教育 部 代 表 と 之 を商 定 す 。中 仏 実業 銀行 は之
す る こと を声 明 す 。
り起 算 す る こと を承 認 し 、 一九 二 二年 十 二月 一日よ り 一九 二四年 十
年 の交換 文 書 規 定 の電 報 為 替 法 に依 り計 算 し 、為 替 に依 り て得 る こ
一弗 と す れ ば、 二千 五 百 万 フラ ンは米 貨 百 七十 八 万余 弗 に当 り 、
(註 、 此 の残額 は 二千 五 百万 金 フラ ンにし て十 四 金 フラ ンを 米 貨
三 、 中 国政 府 が中 法 実業 銀 行 に納 付 す べき 資本 残 額 を代 つて納 付 す。
は更 に此 の項 の額 を 二十 五 万弗 の額 に迄達 せし む可 し 。
育 事 業 の用 に充 つ。其 の数 は毎 年 最 少美 金 弐拾 万弗 と な し、 同 行
一月 三十 日ま で二十 四 箇 月 間 の猶 予 賠款 は全 部 中 国 に交 附 す 。 二
と ある べ き盈 余 を 加 へ、之 を 米 貨 に換 算 し 一九 二 四年 十 二月 一日 よ
銀 三百 五 十 六 万余 元 と な る)
中国 政 府 は仏 国政 府 に対 し前 記還 附 さ るべ き賠 款 残 額 を 一九 〇 五
り 一九 四 七年 ま で継続 し て中 法 実 業銀 行 に貸 与 し 、該 行 の発 行 す る
四
二 、中 法 実 業 銀行 自 ら財 産 の経 営 を行 ひ得 た る額 、此 の項 は管 理公
る額 。
一、 管 理 公 司 が代 理 の資 格 を 以 て中法 実 業 銀 行 の財 産 を経 営 し得 た
担 保 品 の債 券 は和 解弁 法 に照 し 以 下各 項 の収 入 より 之 を返 還 す 。
供す。
あ れば 、 之 を 中国 政 府 に帰 し中 仏 間 の教 育 、 或 は慈 善 事 業 の用 に
四、 中 国 政 府 が中 法 実 業 銀 行 に負 へる各 債 務 を償 還 す る以 外 に余 額
五厘 金 公債 の担 保 と な る ことを 声 明 す 。其 の 二十 三年 間 毎 年 交 付 す
中 法 実 業 銀行 は仏 国 政 府 の同 意 を 経 て極 東 に於 け る預 金 者 の正 に
る処 の額 は 別 に附 表 を 以 て之 を定 む 。
す 。其 の償 還 方法 は本 協 定第 四条 の各 項 収 入 を分 配 し て之 に充 つる
得 べ き無 利 証券 の全 部 を 一回 に中 国 に交附 し、 前 項 借 款 の担 保 と な
も のとす 。 若 し 二 十 三年 内 に償 還済 みと な らざ る時 は中 法 実業 銀 行
此 の種 無 利 証 券 は協 定 の弁 法 に按 照 し逐 年 米 貨 に換 算 す べく 、其
は、中 国 政 府 に対 し責 任 を以 て残額 を完 済 す べ し。
の数 が借 款 米 貨 額 を超 過 す る場 合 生 じ た る剰 余 証券 は尚 中 国 政府 に
司 に代 理 権 な き も のと す 。 三 、中 法 実 業 銀 行 に属 す る管 理 公司 の純 利 百分 の九 十 五。 四 、中 法 実 業 銀 行 が管 理 公 司 に交 附 せ る運転 資 金 五 千 万 フラ ン に依
五
つて得 た額 。
極東 債 権 者 の所有 す る債 券 は中 国 政 府 に交 附 し た る以後 其 の他 債 権 人 の所 有 す るも のと 一律 平 等 の利 益 を享 受 し、 半 年 毎 に決 算 に際 し ては前 項 各 項 収 入 を管 理 公 司 の仏 支 両 国董 事 会 より 合 同査 明し 、
六
和 解 協 定 に按 照 し て 比例 を 以 て分配 す べし 。
五厘 美 金 債 券 と所 載 の文 字 、 発行 数 目 及 其 の額 面 金 額 は中 国 政 府
七
よ り定 む る格 式 を 以 て処 理 す 。
中国 政 府 は株 主 の資 格 を 以 て帳 簿 を検 査 し 並極 東 預 金 返還 を監 視
八
す る事 を得 。
本協 定 以外 の事 に関 し て は 一九 二 二年 六月 二 十 四 日、 七 月 五 日、 九 日 及 七 月 二十 七 日両 政 府 の各 項交 換 文 書 及 一九 二 三年 二 月 八 日仏
還
表
国 公布 の法 律 中 の各 項 を有 効 と す。
償
一〇
北 公情 二五 第 二 号 の十 九 大 正十 四 年 四 月 二十 三 日
北 京 公所 長
四月 二 十 一日発 表の金 フラ ン案 解 決 と各 新 聞 紙 の論 調
一
前 回 の協 定 では 金 フラ ンに依 る ので あ つた が、 今 回 は電 報為
替 に変 更 さ れ た。 之 は有 利 で あ ると 謂 ふ が、 吾 人 は 左様 に思 は ぬ。
我 等 小民 は 是 で安 心 し た と題 し 、金 フ ラ ン案 は 四月 十 二日 に文 書
換 文 と に根拠 を置 い て居 る 。而 し て辛 丑条 約 がな け れば 補 充 で あ る
が、 団 匪 賠償 金 問 題 は辛 丑 条約 と其 の補充 で あ る。 一九 〇 五年 の交
た仏 国 は 放棄 を声 明 し た ので、 其 の他 の国 と は事情 が異 な つて ゐ る
は放 棄 を声 明 し たも のと然 らざ るも のと が あ る。今 回単 独 に交 渉 し
彼 の金 紙 の争 いは已 に八 ケ国 共 同 の交渉 に な つ て居 る。 八 ケ国 中 に
を 交 換 し た が、善 後 会 議 で面 倒 を起 し ては と の心配 か ら発 表 を 延 ば
社 会 日 報
し た政府 の意 思 を 我 等 小 民 は当 然諒 解 す る、 と前 提 し て財 政 総長 の
交 換 公 文 は 、 其 の意 義 を 失 ふ のが当 然 であ る。
ては辛 丑 条 約 や 一九 〇 五 年 の交換 文 を 根拠 と し て主 張 し て居 る。 即
き で あ る。 然 る に仏 国 は 一方 に於 て放 棄 を声 明し な が ら、 他 方 に於
賠 償 金 を 放棄 すれ ば 条 約 上 の此 の項 に関 す る束縛 は自 然 消滅 す べ
説 明 の司法 当 局 の研究 に満 足 の意 を表 し 、 今回 の交 渉 は我 等 の外交 的 大 勝 利 だと 提 燈 を 持 ち 、 我等 は 仏 国 が何 時 華府 条約 に批 准 す る か を聞 き た い。
ち放 棄 す ると 謂 ふ が束 縛 を 加 へて居 る。 此 の如 き 協 定 の将 来 必ず 他
関 税 二分 五厘 の増 率 が 実 行 さ る れば毎 月 の関 税 収 入 は増 加 す る 。 現 在 足 らざ る も の は唯 金 銭 のみ で ある。 金 銭 が充 分 であ れば 支 那 は
晨 報 の一 に指 摘 し たと 同 じ意 味 の質 疑 を掲 げ て居 る。
国 が援 用 す る であ らう 。
報
第 二条 に ﹁ 支 那 政 府 は ⋮ ⋮電 報 為 替 の率 で計算 し、 且 為替 の
疑 点 を質 問 し た。
金 フラ ン新 協 定 の批 評 及 質 疑 と題 し 、 五項 に分 つ て政 府 当 局者 に
晨
二
何 事 も為 せ ぬ問 題 は な い。 今 回 の交 渉 に は何 人 も 反 対 す る こと が 出 来 ぬ。 今秋 か ら毎 年 二千 四 百 万 の収 入 が増 加 す る 。是 で我等 小 民 は 枕 を高 う す る こと が出 来 る 。 慶 賀 々 々之 を要 す る に言論 界 は解 決案 の内 容 が 経済 問 題 であ る 為、 可 否 を論ず る に苦 し む で居 る。 唯 為替 の余 云 々と 米弗 に換 算 す る と
一
剰余 を 一併 米 弗 に換 算 し⋮ ⋮ 毎年 中 法 実 業 銀行 に対 し継 続 し て貸 与
の規 定 に対 し て は均 し く疑 惑 を抱 い て居 る。 更 に詳細 に研 究 し た 上
定 の相場 が な い ので剰 余 を 生 ず る筈 がな い。 又中 法 実業 に貸 付 く る
九 〇 五年 に決 定 し た電 報 為 替 の率 で計 算 す る 以上 、電 報 為 替 には 一
で改 め て何 等 か の反 対意 見 を試 み よう とし て居 るも のと想 像 され る
報
⋮ ⋮﹂ 云 々と ある が、 此 の 一段 は全 案 中 最 も 重要 な点 であ つ て、 一
世
が 、今 の所 では反 対 の空 気 は極 め て稀薄 で あ る。 益
も の であ る か。
金 額 を米 弗 に換 算 す る 理由 如 何 。 之等 の曲 折 は果 し て何 を意 味 す る
支 仏 新協 定 の是 非 観 と 題 し、 前 回 の協 定 より は 進 歩 し た と思 ふが 、
日 改 め て論 じ よう 。
然 し懐 疑 す べ き点 も あ る から是 非 観 数則 を掲 げ 一日 で尽 せ ぬ点 は 後
二
中 法 実業 銀行 に対 す る貸 付 の担 保 は極 東 債 権 者 に交付 す べき
弗 社 債 券 を 以 て前 記 の債 券 に取換 ゆ る の であ る が、 前 記 の債 券 は廃
に質 問 し た ので あ る が、 当 局 は慎 重 に研 究 し た の であ る から 必 ず吾
と に何 等 の差 異 も な い。 吾 人 は差 当 り感 じ た所 を 五点 を 挙げ て当 局
が政 府 は 其 の金 額 を支 仏 間 の有 益 な事 業 に提供 す る のは 、償 還 と 否
釈 に苦 し む 。所 謂 償 還 と は中法 実 業 銀 行 か ら我 が政 府 に償 還 し 、 我
紙 同 然 のも の であ る。 之 が担 保 に な る が且前 回 の協 定 では 、此 の債
フア ー ・イ ー スタ ン ・タイ ム ス
人 の疑 惑 を 解 き 、其 の態 度 を 天 下 に明 示 す る で あら う 。
債 券 で あ る が、 そ れ は無 利 子 のも の で且 中法 実 業 銀 行 は 五分 利 付 米
か。
権 を 我国 に交 付 す る と規 定 さ れ た。 何 故 に今 回 は 之 を 担 保 と し た
で あ る。数 年 来 仏 支 両 国 が金 フラ ン問 題 が解決 しな か つた ため ど れ
金 フラ ン問 題 の解 決 し た と いふ事 は 一般 の人 民 が慶 賀 す べき こと
だ け の迷惑 を受 け た か分 から な い。 多 く の紛 擾 は総 て真 情 を 誤 解 し
借 款 には 当然 償 還 期 限 が あ る べき であ る 。﹁前 記 貸 付 は 本 協
に幾 何償 還 す る かを定 め てな い。 又第 四条 に掲 ぐ る 六項 の収 入 は其
定第 四条 に掲 ぐ る各 項 の収 入 が あ つた時 に﹂ と規 定 し、 期 限 及何 年
て居 る者 に於 て特 に甚 し か つた。 二十年 前 に於 て支 那 の外 交 は放 任
三
の数 目 が結 局 幾 何 であ る か、償 還 用 に足 る か否 か の数 字 を 表 は し て
な評 論 攻撃 が出 て非 常 に事 件 を紛 糾 せ し め た。 吾 人 は深 く 希 望 す る
に居 つた が 、其 の後 種 々 の事 件 に就 き真 相 を知 ら な か つた為 に雑 多
主 義 を と つ て居 る。 団 匪 事変 問 題 に於 ても尚 泰 然 と し て同 主 義 の下
事 で ある が 、既 に出 来 上 つた事 実 に鑑 み て再 び同 じ様 な事 件 の発 生
借 款 には 当然 利 息 があ る べ き で あ る。 之 は現 時 の経 済 界 に於
け る普 遍 的 条 件 であ る。 何 故 中 法 実業 銀 行 に対 す る貸 付 は 利 息 の規
四
な い。
定 が な いか、 第 三 条 の第 二項 に ﹁中 法 実 業 銀 行 は借 款 関 係 に因 り利
を制 止 し た い ので あ る。
例 を開 いた ので 、仏 国 とし ては 二十 三年 間 に於 て万 一公債 に対 し金
た。 斯 の如 き は 即 ち金 フラ ン問 題 を 一種 の金 貨 本 位 に依 り償 還 す る
標 準 金 と し 同 時 に新 契 約 中 に於 て 二十 年 前 の電 報 為替 方法 を 規 定 し
を以 て仲介 物 と し永 らく の間紛 糾 し て居 つた金 フ ラ ン の償 還 に対 し
今 回 の金 フラ ン問 題 の解 決 は常 識 に準拠 し て居 る。 即 ち米 国金 弗
息 の意 味 で、 五 分 利付 米 弗 債 券 若 干 を支 仏 間 の教育 経 費 に提 供 ﹂ と あ る が、 所 謂 若 干 と は 一箇 年 最低 二十 万 弗 、 最 高 二十 五 万米 弗 で借
新 協 定 に謂 ふ償 還 は此 の貸 付金 が将 来 我 が政 府 の自由 な支 配
款 の何 分 に当 る か、 そ れ は極 め て低 率 のも の であ る こと が知 ら れ る。 五
さ れ る仏 国 分 の団 匪賠 償 金 を 以 て支仏 両 国 間 の有 益 な る事業 に充 当
貨 本 位 を 以 て償 還 せ ら れな か つた場 合 の非常 な る危 険 を負 担 し た の
に帰 し毫 も損 失 のな いやう であ る が、 内 容 から 考 へて見 る に、放 棄
す る事 を明 白 に規 定 し た も の であ る。 且 有 益 な 事業 に就 ては教 育 、
であ る。 金 フラ ン の現 価 に換算 せ ら れ て得 た る所 の剰 余 は総 て支 那
さ れ る こと にな つ てゐ る。
政 府 の所 得 に帰 す る の で あ るが、 之 は仏 支 両国 間 の公 共事 業 に費 や
慈 善 の二項 の みを 挙げ 、 其 の他 に関す る明 文 がな い。 而 し て教 育 、慈 善 に関 し ては 我 が政 府 の干 与 す る機 会 が あ る が、 其 の他 の有 益 な 事 業 に対 し ては 我 が政 府 に参 加 権 が あ る か否 か の解
金 は稍 相似 た る状 況 の下 に在 る が如 何 に解 決 せ ら れ る か未 だ不 明 で
七 、極 東 預 金 者 への返 還 は 支 那 政府 監 視 並帳 簿 を 検 す る事 。
六 、毎 年 の教 育費 は原 協 定 よ り増 加 す べ し。
五 、前 記 の借 款 は定 額 及 償 還 方 法 を定 め毎 半 年 に 一度 償 還 す べし。
債 権 者 の地 位 にな る可 し 。
あ る。 但 し伊 太 利 の団 匪償 還金 は既 に伊 太 利 政 府 が自 己 の借 款 の抵
今 日仏支 間 の金 フラ ン問 題 は既 に解決 し た が、 伊 太利 の団 匪賠 償
当 とし て居 る から 、 其 の解 決 は仏 蘭 西 の場 合 に比 し 更 に困難 を来 す
八 、管 理 公司 の資本 は中 仏 同 額 と す る事 。
明した。
一、 返 還 賠償 金 は原協 定 で は明 白 でな か つた が、新 協 定 は 明白 に声
と原 協 定 の異 な る点 を 左 の如 く 列 挙 し た。
全 部 仏 国側 で承 認 し た ので今 回 解決 す る に至 つた旨 を述 べ 、新 協 定
附 加 税 も 承認 し た 。唯 前 記 支 那 側 の要 求 は 数 十度 に亘 る 交渉 の結 果 、
の問題 の解 決 前 に承 認 し た。 尚 此 の外 罹災 民救 助 の目 的 の為 の海 関
此 の外 本 問 題 と別 離 し て関 税会 議 開 催 承 認 を要 求 し た が、 之 は 此
で あ らう 、 と想 像 さ れる 。
一一
北 京公 所 長
大 正 十 四年 四 月 二十 四 日
北 公情 二五 第 二号 の二 二
金 フラ ン問 題 の件
二、 総 税 務司 保 留 金 返 還 の規 定 が 一層 明白 とな つた 。
北 公情 二 五第 二 号 の十 八 を以 て金 フラ ン問題 に 対す る仏 支間 正 式 協 約 及 そ れ に対 す る 各新 聞 の論 調 を報 皆 し て置 いた が、 各 新聞 の評
の差 があ る 。唯 新 協 定 で は中 仏 実 業 銀行 の復 業 資金 に不 足 す る怖
三、 計 算 方法 は原 協 定 は金 フラ ン新 協定 、 電 報 為替 率 と言 ふ根 本 的
の通 り であ る。
論 に対 し財 政 部 では説 明書 的 のも のを昨 日発 表 し た。 其 の大 体 は 左
れ があ る の で、盈 余 あ れ ば 、 と言 ふ字 を使 用 し た 。
四、 原 協 定 では支 那 は債 務 者 の地位 にあ つた が、 今度 或 る期 間 は支
記
其 の前半 は金 フラ ン案 解 決条 件 を 司法 部 の審 査 の結 果 更 に閣 議 を
那政 府 が中 仏 銀行 に金 を 貸 す と言 ふ形式 に な る の で、支 那 政府 は
左
し た る後 執 政 に呈 請 せし 呈 文 と同 様 の字 句 を、 同 問題 交渉 開 始 に至
完 全 に債 権 者 の地位 に立 つ。
七 、 支 那 政府 未 払 の金 の規 定 に関 し新 協 定 で発行 す る債 権 の内 より
十 万 弗 よ り 二十 五 万弗 に達 せし む る如 く な つた。
六 、 教 育費 は百 万 フラ ンと 定 め て居 た が、新 協 定 は借 款利 息 最 少 二
如 く担 保 償 還 等 明白 な規 定 は な い。
五 、原 協 定 には無 利 証 券 を 支 那 政府 に渡 す規 定 は あ るが、 新 協 定 の
る迄 の理 由 及経 路 を述 べ、 十 一年 七 月 九 日 の中 仏 協 定 を基 礎 と し て 支 那側 より は 次 の如 き修 正 条件 を提 出 し た、 と 。 一、賠 償 金 残額 の正式 放 棄 声 明。 二 、総 税 務 司 の許 に積 立 てあ る金 預 金 部 の返 還 。 三 、賭 償 の計算 は 一千九 百 五年 交 換 文 中 の電 報 為 替 方 法 に依 る べし 。 四 、中 仏 実 業 銀行 復 業 資 金 は支 那 の借 款 と なし 、 政 府 は 債務 者 より
代 つて支 払 ふ事 を規 定 し た 。 八、 原 協 定 で債 券 に関 し ては 一言 も 及 ば な か つた が、新 協 定 では 和
純 理 よ り謂 へば 新協 定 の第 二条 所得 方法 は仏 蘭西 が最 初 に要 求 し
た る所 で、 唯 其 の形 式 を変 へた る のみ であ る。 此 の点 に就 て世 人 が
表 せら れ た る関 係 文書 を精 密 に検 査 す る とき に於 て、 政 府 が最 善 の
れ ば 是 以 上 の要 求 を 通 過 せし む る事 は 困難 であ る。 本 問 題 に就 き公
不 満 を抱 いて居 る と謂 ふ事 は 亦 当 然 であ る が、 中国 の現 状 を以 てす
九、 債 権 の分 配 、利 益 分 配 の明 確 な る規定 。
解 法 を 作 り 各収 入 を 担 保 と定 め た。
十 、債 券 格 式 の規 定 。
努 力 と誠 意 を払 つた と謂 ふ こと を 認 め ら れ る の であ る。
い。而 し て其 の整 理 方法 の根 本 と し ては均 し く 関税 会 議 を論 じ てゐ
最 近中 外 人 士 が 中国 の財 政 整 理意 見 を発 表 し て居 るも のが甚 だ多
十 一、 極 東 預金 者 へ返 還 の時 支 那 政 府 立会 並検 査 の規 定。 十 二、 管 理 公 司 の資 本 は 従前 支 那 は三 分 の 一であ つた が、 新 協 定 で
る事 は 人 の知 る所 であ る。 惟 ふ に二分 五厘 附 加 税 の増 収 は 二千 数 百
は等 分 とし た 。 十 三、 原 協 定 に依 れば 管 理 公 司 の支 那 政府 持 株 は 支 那側 よ り調 達 す
金 フ ラ ン問題 解 決 し た る と共 に早 晩 民国 関 税 に就 き各 国 の会 議 が
であ る。
来 根本 的 整 理 の基 礎 を定 む る の に対 し絶 望 と謂 ふ こと は出 来 な いの
を 得 る なら ば 、枯 渇 し た る中 国 の財 政 の前途 に 一道 の光 明を 与 へ将
一大事 件 で ある と謂 つて ゐる が 、 政府 当 局 者 に し て若 し交 渉 宜 し き
所 以 で あ る。 誠 に段執 政 の通電 に謂 ふ如 く 関税 会 議 は 最 も重 要 な る
し 、或 は 一部 を 回 収 す ると 謂 ふ こと は国 家 の財 政 的 信 用 を恢 復 す る
た る内 外 の国 債 に就 き其 の 一部 と 雖 も整 理を為 し、 或 は担 保 を 提供
整 理 す る の には 用 を為 さ な い。然 し乍 ら従 来 の無 方 針 に発行 せら れ
五 百 万 にす ぎ な い ので あ る から し て、 五億 に達 す る無 担保 の国 債 を
万 元 で 一割 二分 五 厘 の税 率 を 増 加 す る とし ても 、其 の増 収額 は四 千
北京 公所 長
る事 と な つ て居 た が、 改 め て借 款 中 より差 引 く 事 と な つた。
一二
北 公 情 二五 第 二号 の 二 二 大 正 十 四年 四 月 二十 四 日
開 か れ る事 は 已 に各 方 面 に就 き 予想 され て居 るし 、 又 同会 議 に相 応
応 に開 か れ んと す る関 税 会 議 に就 て
重 大 な る議 題 が提 出 され る だ らう 、 と は当 地 日本 公使 館 方 面 に於 て
居 る 。即 ち 九箇 国条 約 に率 先 調 印批 准 し た事 を以 て見 る も之 を知 る
日英 米 三国 の態 度 は従 来 よ り 支 那 の関 税会 議 に対 し甚 だ同 情 し て
事 が出 来 る。仏 蘭 西 も亦 金 フラ ン問 題 解 決 し た る今 日中 国 と 其 の友
も観 測 し て居 る が、 本 日 の順 天 時 報 は 関税 会 議 に就 て左 の如 き 論 評 をし て居 るか ら之 を 摘 録 報告 す る。
便 利 が多 い。何 と な れば 班 氏 は往 年 支 那 を視 察 し た る後 親 支主 義 の
誼 を恢 復 し 、更 に班 内 閣 の成立 し たと 言 ふ こと は支 那 に と つ て甚 だ
記
左
段 執 政 府成 立 以 来 其 の顕 著 な る事 業 は即 ち 善 後会 議 を無 事 完 了 し た る事 と 金 フラ ン問 題 を解 決 し た る事 であ る。
人 であ り、 其 の外 相 ブ リア ンは 曾 て華 府 会 議 に列 席 し九 箇 国 条約 を
財 政 当 局 の呈文 及 段 執政 の通 電 を見 るも 、 今 回 の金 フラ ン問題 の
締 結 し た る所 の当 路 者 であ る から であ る。
解 決 の目的 は将 来 に於 け る関 税 会議 であ る故 に、関 税 会 議 の成否 は 支 那 の財 政 の将 来 に重 大 な る影 響 を有 す るも の であ る。 該 会 の議 題 中 其 の二 分 五厘 附 加 税 の 一件 は既 に決 定的 のも のと観 る べく 、唯 該 会 に於 ては 実際 の方 法 を詳 細 に研 究 す る の み であ る か らし て比較 的 本 件 は簡 単 であ る。 唯 其 の増 収 額 を 以 て内 外 国 債 の整 理 に関 し 如何
一三
北京 公 所 長
金 フラ ン案 関 係 文 書送 附 の件
大 正十 四 年 四 月 二十 日
四月 二十 二 日附 北 公 情 二五第 三号 の十 八を 以 て御 報 告 し て置 き ま
金 フラ ン関 係 文書 の大 要
し た金 フ ラ ン案 関 係 文 書 飜 訳茲 許 御 参 考迄 に御 送附 致 し ます 。
於 て も既 に此 の点 を承 認 し て居 る が、 実際 を質 せば 今 日釐 金 の収 入
居 る の で、 其 の撤 廃 に賛 成 し な いも のは な い。 華 府 会議 の議 定 書 に
と中 国 の産 業 の発達 を害 す る と謂 ふ事 は如 何 な る人 でも之 を知 つ て
率 増 加 の問 題 と釐 金 制 撤廃 の事 で あ る。釐 金 の悪 制 であ る と謂 ふ事
易 に決 定 す る事 は出 来 な い。 又更 に困 難 な る問 題 は 一割 二分 五 厘 税
あ る が、 事 専 門 に属す る の で外間 の輿 論 、或 は 一致 し難 く 、 此 の問
雑 であ る が、 此 の問 題 に対 し て深 く 研究 し て居 るも のも 、妥 当 では
此 の情 形 は既 に洞 察 さ れた事 と察 す る 。惟 此 の案 の内 容 は極 め て複
面 よ り論 ず るも 一日 も早 く解 決 を図 ら ざ る可 からざ る の理由 が あ る。
達 し た。 仏 国 方 面 で は最 後 の譲 歩 を 為 し 、我 が国 は財 政 、外 交 の両
あ り、 此 の問 題 の交 渉 は 二箇 月 の久 し き に亘 り商議 す る事数 十 回 に
中 仏 協 定 修 正 の交 渉 経 過 並 に協 定 の全 文草 稿 は業 に執 政 に報 呈 し
財 政 総長 よ り執 政 への呈文
額 は 六千 五 百 万 元 に達 し、 新財 源 の発 見 せ ら れな いと き に於 ては 之
な る分 配 を な す か は各 国 の利 害 一致 せず 、困 難 な る問題 で あ つ て容
を撤 廃 す る事 は 甚 だ 困難 であ る。 況 んや釐 金 の収 入 は 既 に外 国 借 款
の問 題 も特 に慎 重 に せざ るを得 ず 。 猶思 慮 周 からず 尚 疎 漏 の処 あら
題 の真 相 を 明 ら か に せず し て妄 り に議 論 を加 ふ るも のもあ る可 しと
ん か、 事 後 に至 つて譏 評 は補 救 す る に術 もな い。事 前 に審核 し て完
謂 ふ。 弁 法 の妥善 は 明 ら か に知 るも 、 政 治上 の関 係 に因 つ て故 意 に
民国 成 立 以 来 今後 の関 税 会 議 は支 那 が最初 に其 の国 権 を伸 張 せし
全 を期 す る に如 く は なし 。茲 に執 政 に呈 し旧 案 及 此 の度 修正 せ んと
の担 保 とな つて居 る か らし て、其 の関 係 は 益複 雑 とな つ て居 る。 世
む る第 一の方 法 であ る から し て、 吾 人 は 深 く政 府 当 局 者 が周 到 な る
す る協 定 の全 文 を司 法 部 に交 し て、 各 司法 機 関 を邀 集 し て詳 か に審
毛 を吹 い て疵 を求 む る も のあ る べき に依 つて、 今処 理 せん と す る此
用意 を以 て該 会 に臨 み 、且 国 民 を し て其 の結 果 の如 何 に対 し充 分 に
査 を為 し 行 ふ 可 き や を指 示 さ れ ん事 を 。
であ る が内 外 の実 状 を 調 べ ると甚 だ実 行 し難 い様 に観察 せ られ る。
監 視 す る様 に せし む る こと は甚 だ適 宜 な処 置 であ る べき で あ る、 と
人 は 一割 二分 五 厘 関税 増 加 は 釐金 に代 る も ので あ る、 と観 て ゐ る の
謂 ふ事 を願 つ て止 ま な い。
此 の詳 述 す る理由 を審 査 す る に、 問題 の交 渉 に全く 一日も 早 く解 決
ばし 、我 が国 財 政 の損 失 至 つ て大 であ る が、 財 政部 の説 明 書 の内 に
ふ に在 る。 又 一方 関税 会 議 は仏 国 が是 案 未 解 決 の故 を 以 て批 准 を 延
借 款 は中 仏 実 業 銀 行及 教 育 、 慈 善 等 の事 業 を弁 理 す る為 であ ると謂
よ り 庚 子賠 償 金 残 額 を返 還 す るも ので 、中 国 は 債権 者 の地 位 に立 ち 、
同 研 究 の上詳 し く 審 査 を行 つた末 一致 し た意 見 は 、 此 の問 題 は仏 国
択 要 一冊 を拝 受 の後直 ち に京 師 各 司 法機 関 の重 要 人員 を召 集 し 、 共
査 に交 す る の件 に就 て の下 命 及 財 政 部提 出 の説 明書 及中 仏 協 定 文 牘
本 月 三 日臨 時 執 政 府 秘書 庁 の公 函 に、財 政 部 呈 請 の中仏 協 定 を 審
既 に批 准 を 発し 、 独 り仏 国 は 此 の問 題 の未 解決 を 以 て批 准 を せず 、
あ る。 此 の頃 の条 約 に関 係 あ る も の九 国 、 其 の中 の八 国 政府 は早 く
る に毎 年 関 税 の収 入 を少 なく と も約 二千 四百 万 元 を増 加 し得 べ き で
を 召 集し 先 づ 百 分 の二十 五を 増 加 す る事 にな つ て居 る。 之 を計 算 す
増 加 に関 し、 該 会 議 閉 会後 各 国 政 府 の批 准 を 得 れ ば、 即 ち関 税 会 議
国 家 の損 失 は鉅 大 であ つた。 思 ふ に、華 府 会 議 条約 は我が 国 の関 税
の影 響 を受 けし は浅 鮮 に非 ず 。 而 も 関税 会 議 は之 に因 つて延 期 され
て延 擱 両年 の久し き に至 り未 だ能 く解 決 せず 。 財 政 上直 接 、 間接 そ
も仏 国 外務 省 は始 終 前 察 を堅 持し て金 を 用 ふ るを要 求 し 、 之 に因 つ
仏 車 の選 定 す る所 のも のは 乃ち 電 報為 替 送金 の方 法 であ る。然 れど
五 年 交換 文 に根 拠 す べし 、 と決 議し た 。 蓋し 千 九 百 五年 の交 換 文 に
対 に会 ひ再 び 此 の案 を 国 会 に提 交し 、 同年 十 月 十 三 日車 会 は 千 九百
せ ね ばな ら ぬ必要 に迫 つて居 る 。 此度 修 正 の案 件 は全 部 我 が 国 よ り
関 税 会 議 の召 集 は定 ま らず 、国 家 無 形 の損 失 は甚 だし い。 且此 の問
司 法 総長 よ り執 政 へ の呈 文
提 出 せ る も ので 、幾 度 か の磋商 を経 て仏 国 は完 全 に承 認し た 。原 協
題 の解 決 せざ る の故 を以 て、仏 伊 白 西 の四 国賠 償 金 は総 税 務 の手 で
の全 部 を 合 す れ ば已 に千 五 百 万元 以 上 に達 す。 其 の内 の千 万 元 前 後
毎 年 金 フ ラ ン の計 算 で差 引 いた額 、 民 国 十 一年 十 二月 一日 より 四 国
り、 原 協 定 より確 か に進 歩し て居 り、 更 に新協 定 の全 文 を逐 条 審 議 す る に悉 く 穏安 にし て疵 なし 。本 総 長 各 員 と討 論 の結 果 意見 全 く合
定 と不 同 の処 を相 互 に比 較 す る に 、修 正 の点 は皆 我 が国 に有 利 で あ
致し た 。 右報 告 す 。
ち 六月 二 十 四 日、 七 月 五 日 、七 月 九 日 、 七 月 二十 七 日 両国 政 府 の交
十 一年 六 、 七月 の間 外交 部 と仏 国 公 使 と始 め て協 定 を 訂し 、 初 め即
仏 国 の庚 子賠 償 金 残 額 と 中仏 実 業 銀 行 復業 の件 に関し ては、 民 国
根 拠し 迭 々解 決 を促 す の で専 門 委 員 を 派し 、仏 車 公使 及中 仏 実 業 銀
ば 一切 財 政 上 の計 画 は進 行 の方 法 なし 、 と 考 へ且仏 国 公使 は前 案 に
思 浩 就 任 以来 財 政 上 周 囲 の形 勢 に鑑 み、 此 の問 題 を 再 び解 決 せざ れ
続 さ れ 二十 三年 以 来 中 央 財 政金 融 の停 滞 は 実 に半 ば は 之 に依 つた 。
は此 の問 題 解 決 せざ る以 上 、 此 の金 の使 用 は出 来 ぬ。 且毎 年 之 を 継
換 文 が即 ち是 で あ る。 嗣 いで金 紙 問 題 に因 つて未 だ解 決 せざ る故 に
財 政 総長 よ り執 政 への呈文
協 定 は 未 だ 実行 せず 。 十 三年 二月 九 日 の特 別国 務 会 議 にも金 フラ ン
ん とし た 。 交 渉数 十 次を 経 て漸 く 緒 に就 き 、当 方 より提 出 の条 件 及
行 管 理 公 司 と意 見 を交 換し 、妥 当 な る方 法 を研 究し 以 て解 決 を 期 せ
先 方 譲 歩 の情 況 は 已 に協 定全 文 及 説 明 書 中 に詳 載し 、執 政 の察 閲 を
に て計算し て支 払 ふ件 、 並 に大 総 統 の批 准許 可 を請 ふ件 を議 決し 、 外 交 部 は 即 ち 二月 十 日仏 国 公使 に照 会 を 発し た が、 嗣 いで国 会 の反
呈 請 せ り。 嗣 い で此 の案 の内 容 非常 に複 雑 な る為 深 く 此 案 の顛 末 を 知 るも のも、 此 の弁 法が 妥 当 なり と謂 ふも 、 事 専門 に関 す る を 以 て 特 別 に慎 重 に せざ る 可 か らざ るを 思 ひ、 四 月 二日執 政 に請 ふ て協 定 全 文 を 司法 部 に交し て厳密 な る審 査 を請 ふ た。 其 の結 果司 法 部 の審 査 も完 全 に終 り執 政 の財 政部 に命 じ て処 理 せし む 、 と の指 令 を得 た ので本 日議 案 を提 出し 、 駐仏 公使 館 と協 定 の交 換 文 稿 を国 務 会 議 に 提 出 、 已 に 一致 通 過 を 見 た 。執 政 より 直 ち に外 交 部 に命 じ駐 京 仏 国
李
思
浩
十 四 年 四 月十 一日
公使 と正 式 に文書 交 換 を行 な はし む 可 く命 令 あ ら ん事 を請 ふ。 財 政 総 長
実業 銀 行 仏 国 管 理 公 司 をし て中 国 の資 本 総 額 は最 少 千 万 フラ ン迄 増 す 事 を希 望 す 。 該 公 司 の章 程 此 れ に因 つ て修 改 を需 む る処 は須 く 中 国 政府 の同 意 を得 べ し。 此 の外 、中 国 政 府 は銀 行 の名 称 を 以後 修 正し 、中 仏 合弁 の性質 を確 定 せん 事 を希 望 す 。 (四月 十 二日) 仏 国 公使 より 外 交総 長 への回 答 本 日来 翰 の中 仏 実 業 銀行 仏 国 管 理 公 司 の承 認 す る該 公 司 中 の中 国 政 府 持株 は千 九 百 二 十 五年 五厘 米 金 公債 中 よ り清算 す る件 は 、管 理 公 司 よ り仏 国 公 使 に承 諾 の回答 来 れ り 。仏 国 管 理 公 司 の中 国 資 本 を 最 少 一千 万 フラ ンに迄 増加 す る の件 に関し て は、仏 国公 使 館 は 該 公 司が 最 短 期 の間 に完 全 に希 望 に副 ふ べく極 力努 む る旨 の声 明 を 受 取 れ り。 又 該 公 司章 程 に此 れ に因 つて修 改 す可 き処 は 中 国政 府 の同 意 を得 可 き 事 及中 国 政 府 は今後 銀行 の名 称 を中 仏 合弁 の性 質 に確 定 す る件 は、 管 理 公 司 が董 事 会 に依 つて之 を 決 す る旨 の声 明 を仏 国 公 使 に於 て許 可し た 。右 照会 に回 答 す 。 (四月 十 二 日)
一四
大 正 十 四年 五月 二十 日
北 公 情 二 五第 二号 の二七
北 京 公所 長
対支 債 券 整 理委 員 会 の件 (五月 十 九 日 京報 摘 録 )
外 交 団 は関 税 会 議 に就 て近 来 屡会 議し て居 る 。支 那 に対し て債 権
関 係 あ る 各 国公 使 は 対支 債 権 整 理 会 を組 織 す べし 、 と 主 張し て居 る
も のも あ る 。此 の議 は 一九 二 一年 に起 つたも の で、 今 日 では各 国 は
支 那 の関 税 が 七分 五厘 増 加 され 、 結局 一割 二分 五厘 とな る から 釐 金
廃 止 の損 失 を填 補し ても毎 年 の増 加 、海 関 両 三千 八百 万 両 か ら 四千
五 百万 両 に及 ぶ故 に、 此 の中 か ら中央 の政 費 を 支払 つた残額 を以 て
外債 整 理 の用 に供 す べく 、其 の為 に整 理会 を組 織 す べし 、 と謂 ふ意
も 確実 な 担 保 な く 、立場が 異 な ると 謂 ふ ので、 此 の整 理会 計画 に賛
見 らし い。 只 日本 は西 原 借款 が 対支 外債 々権 の百 分 の二十 に達し 而
成 せず 、 日支 間 の直 接 交 渉 を 近 く開 始し よ う とし て居 る。 米 国 も 日
北 京 公所 長
本 の此 の態 度 を 諒 解し て居 る云 々。
一五
北 公 情 二五第 一号 の三 七
中 国 関税 会 議 の最 近 (五月 二 十 二 日 ファ ー ・イ ー スタ
大 正 十 四年 五 月 二十 七 日
ン ・タ イ ム ス摘 録 )
関 税 会 議 は本 年 九 月 頃 開会 され る と外 部 に伝 へて居 る が、 政府 方 面 の意 嚮 は該 会 の開 会 期 日 に対し て 一日 も早 く 実 現 さ れ ん事 を希 望 して居 る。 且税 率 の増 加 に対 し て目下 一歩 進 ん だ協 議 の進 行中 で あ る。 即 ち華 府 会 議 の条 約 に依 ると 、中 国 は華 府 会議 の条 約 締結 後 三 箇月 以 内 に関税 会 議 を 召集し て関 税率 を増 加 (二 分 五厘 ) す る こと とな つ て居 る が、華 府 会 議 後 既 に四箇 年 を 経 過し 、 中 国 政 府 の経 済 状態 は 既 に 一変 し 、 国 内 の用 途 益頻 繁 とな り 且 生活 程 度 も 亦増 加 を 見、 二 分 五厘 の増収 に て は不 足 の状 態 であ る が為 、 中 国 政府 は華 府 会議 の条約 を根 拠 とし て 一割 二分 五厘 の規 定 を提 議 す る意 見 で あ る。 即ち 現在 徴 収 の五分 税 率 の外 に七分 五 厘 を 増 加し て合 計 一割 二分 五
最 近中 国 政 府 は外 交 団 に対 つて右 の意 嚮 を漏し た る所 、外 交 団 方
厘 の税 率 と す ると謂 ふ。
面は仏 国が 未 だ華 府 会 議 の条 約 を 完 全 に承 認 せざ るを 以 て、 中 国 政 府の此 の項 の弁法 に対 し何 等 意 思 表 示 をし て居 ら ぬが為 に、 本 事項 が成 功 す る や否 や は未 だ確 定 せざ る 状態 で あ る。 中 国 政 府 とし て殊 に難問 題 とす る は関 税 会 議 の後 華府 会 議 の条 約 規定 に基 き 一九 〇 二年 及 一九 〇 三年 に於 て、 中国 政 府が 米 、 英、 日 等に対 し て締 結し た る 条約 の履 行 であ り、 今 一つ の釐 金 税 の撤廃 で あるが 、 政府 方 面 の意 見 を徴 す る に 、加 税 収 入 の十 分 の四 を 以 て各 省の釐 金 税撤 廃 後 に於 け る損 失 に充 て ると 謂 ふが、 目 下 各 省 に於 け る状 態 は複 雑 にし て極 め て不 一致 な次 第 であ る か ら、 将来 釐 金 税 撤 廃に関し 多 少 の波瀾 曲 折 を 免 れ な いと 云 々。 関 税 会 議 に関 す る外 交界 の消 息 (五月 二十 二日 京報 摘 録 ) 中 国 政 府 は 金 フラ ン問 題 解決 後 外 交 団及 外 国 駐 在 の中国 公 使 よ り
関 税 会議 の提 議 に対し て未 だ正 式 に 回答 な き状 態 な り 。
外 国駐 在 の中 国 公使 よ り の関 税会 議 に対 す る各 国 の態度 の報 告大
英 国 、依 然 とし て駐 京 公 使 の主張 通 り馬凱 (訳 音 )条 款 に依 り関
略 左 の如 し。
仏 国 、対 華 輸 出 品 の大 部 分 を奢 侈 品 と 看做し 、 此 の項 の税 率 増加
税 の増 加 と釐 金 税 撤廃 を主 張し て居 る。
に対し て目下 準 備 中 な り。
米国 、 即 時釐 金税 撤 廃 と 関税 増 収 に対 す る用 途 の方 面 に制 限 を加 へると主 張し て居 る 。
伊 国 、 仏 国 と 同 一地 位 に於 て金 フ ラ ン問 題 解 決 し た りと 雖 も 、中
日本 、 寺 内内 閣 時 代 の西原 借 款 の整 理 を要 求 す る事 を 主張し て居
国 内 は常 に内 乱 あ る が為 開会 を延 期 す る こと を主 張し て居 る 。
中 国 政 府 は 不確 実 な る外 債 の整 理案 に対 し ては恐 ら く 国内 に影 響
る。
す る事 と な るが 為 に何等 未 だ意 見 を 発表し 居 らざ る状 態 であ る。
一六
北 京 公所 長 大 正 十 四年 五 月 二 十 七 日
北 公 情 二 五第 二号 の二九
関 税 会 議 と 各国 の態 度
本 日 (五月 二十 七 日) の フ アー ・イ ー スタ ン ・タ イ ム ス には関 税
記
会議 に対 す る態 度 に就 き 左 の如 く 論 評し で居 る 。
難 い。 又 日本 の関 税会 議 に対 す る主 張 は既 に報 告し た通 り であ る が、
最 近 日 本人が 二十 四 日附 東 京 よ り得 たる電 報 に依 れば 、仏 国 政 府 は
中 華 民国 は関 税 特 別会 議 を至 急 開 き た い ので、 曾 て外 交部 か ら北 京 駐 在 の各 国 公 使 に対し 、 九 月 に開 会し た いと謂 ふ意 思 を陳 述し た 。
て居 るが 、 六月 には議 会 に提 出 さ れ完 全 に批 准 せら れ る であ らう か
華府 会 議 の批 准 に対 し曩 に内 閣瓦 解 等 の原因 もあ り最 近 ま で遷 延し
ら 、 民 国 の関 税 会 議 は 十月 頃 には召 集 せら れ る であ らう 。 目 下民 国
之 に対し 北 京 駐 在 各 国公 使 は 各 本国 政 府 に照会し 其 の訓 電 を仰 いだ
に対 し詳 細 な る指 示 を受 け て居 る。其 の内 容 を聞 く所 に依 る と 、大
政 府 は 速 か に会 議 を 召 集 と の希 望 の下 に 一切 の準 備 を整 へてゐ る か
の であ るが 、 英 米 両 国公 使 は既 に本 国 政 府 の訓 令 を受 け 、 関 税会 議
体 賛 同 の意 志 を表 示し て居 る が、 唯関 税 増 収 の用途 に対 す る監督 に
会 を 組 織 せ む とし て居 る 。其 の委員 長 は外 務 及大 蔵 大臣 の何 れ かが
の研 究 の為 に外務 、 大蔵 、商 工、 農 務 の各 省 よ り委 員 を選 出し 委 員
任 命 さ れる筈 であ る。 而し て右 委 員会 に於 ては 民国 の特 別関 税 会 議
ら、 日本 政府 も亦 現 に準備 中 であ る 。即 ち 日 本 の外 務省 に於 ては其
ので、 昨 日 特 に仏 蘭 西駐 在 民国 公 使 の陳 〓 氏 に早 速 国会 に提 出し て
に対 す る 日本 の主張 す る 各事 項 に就 き具 体 的 に研究し 、会 議 に当 り
就 き主 張 が冬 異 な つて居 る。 外 交 部 は現 在 仏 蘭 西 国会 が開 会 せ ら れ
速 か に批 准し て貰 ふ様 催促 をし た。 我が 国 の発 行し て居 る外 債 は欧
各国 と の協 商 を便 にせむ と 企 て て居 る云 々。
て居 りなが ら、 仏 蘭 西政 府 が尚 華 府会 議 の協 定 を 批准し て居 ら な い
洲戦 後 以 来 非常 に価 格 が低 落し て ゐる ので北 京 駐 在英 米 公使 より屡
政 及沈 外 交 総 長 よ り開 会 の辞 あ り、 尚 十 一月 一日 よ り正式 に会 議 は
関税 特 別 会 議 は 本 日午 前 十時 南 海 居 仁堂 に於 て開 会 せ ら れ、 段 執
関税 会 議 開会 に関 す る 件
大 正 十 四年 十 月 二十 六日
北 公情 二五 第 一号 一〇 一 北京 公 所 長
一七
政府 に対し 注意 を促し て居 る。 最 近某 方 面 に入 り た る倫 敦電 報 に依 る と、 各 国 は 我 が 国 の関 税 金
し多 く賛 成 の意 思 を表 示し て居 る から 、倫 敦 市 場 に於 け る民 国 公 債
議 を 召集し 、釐 金 を撤 廃し 関税 を増 率 せし め外 債 を整 理 す る事 に対
の価格 は最 近 漸 次騰 貴し つ ゝあ る、 と 謂 つて居 る。 又 聞 く所 に依 る と 、各 国 政 府 は 民国 の関 税会 議 を本 年 十 月前 後 に開 き た い、 と の こ
将 来 関 税 増 率 実行 後 に於 て加 税 す べき 商品 の種 類 及 関 税増 収 金 の
と であ る。
用 途 に就 き、 先 づ協 議 す る の必要が あ る か ら、 上 海 に於 て商 品 価 格
一、 国定 税 則 制 定
関 税自 主 問 題
関税 会 議 々事
協 定委 員 会 を 開 き 、其 の細 日 を加 税 実 行前 に完 全 に定 め て置 き た い、
甲
開 か れ る由 。
と希 望し て ゐる様 であ る。但し 他 の方 面 の消 息 に依 ると 、 此 の協 議 は 某 々両 国 公 使 の主 張 す る のみ で あ つ て、其 の他 の各 公 使 は尚 一致 同意 し て居 ら な い。又 将 来 実 現 す る か何 う か と謂 ふ事 は 目 下予 測 し
乙
二 、釐 金 撤 廃 籌 備 期 間 暫行弁 法
可 な ら ぬ歟 。
外 字 新 聞 も 日置 氏 の演説 に注 意 し 、英 字 京 津 タ イ ム スは其 の道 を
特 に注意 し ﹁各 国 全 権 の大 部 分 が歓 迎 に対 す る答 辞 を述 べ た る にす
ぎ ざ り し に、 日本 全権 日置 氏 は尚 説 き進 み て ( 前 略 )今 回 日本 は 公
一、臨 時 附 加税 の徴 収 二、 奢 侈 品附 加 税 の徴 収
開 外交 の決 心 を 以 て臨 み、 本 演説 の如 き も其 の例 であ ると 言 ひ 、支
も あ つた。 十 二箇 国 の全 権 も夫 々演 説 す る と ころ あ つた が何 れも 彼
ド ・ド ウ ・ライ ク ワ イズ ﹂ と は附 加 し な か つた。 又夫 れは 不 必要 で
革 完 成 に向 け て 一図 に努 力 し た﹂。 然 し 日置 氏 は ﹁ゴ ウ ・ザ ウ ・エ ン
ら れざ る を経 験 し、 此 の信念 を黙 々と し て徐 々に勇 敢 に其 の内政 改
自 国 の弱 点 に原 因す る と信 じ 、其 の原 因 を除 く こと な し に結 果 の得
本 は 過去 に於 て自国 の弱 さを非 常 に痛 感 し た。 国 際 的 地位 の弱 さ は
全 権 の強 調 せ ると ころ と同 一な る こと は京津 タイ ム ス ら し い) ﹁日
且次 の数 句 は最 も 重要 な意 味 を 有 つ (以下 イ タ リ ツ ク⋮ ⋮之 は英 国
府 樹 立 を 必要 とす る こと、 日本 に於 け る関 税 改正 の経 験 を朗 読 し 、
を示 唆 し 、尚 支 那 に於 け る関 税 自 主権 の設 定 は充 分 蛩 固 な る統 一政
こと、 又 平 均 一割 二分 五厘 を超 へざ る程度 の漸進 的 階 段 税率 の設 定
し 、特 殊 貨 物 に対 し て は当 該 関税 国 と の間 に特 別 の税 率 を 協 定す る
那 が 公 正的 合 理 的基 礎 の上 に立 つ国 定 税 率 を定 め て之 を 一般 に適 用
三 、 陸 海境 界 同 一徴 収 の弁法 四 、 貨 物価 格 の見 積 其 他 の事項 一、 外国 貨 物 出 産 地 証 明弁 法
北 京公 所 長
二 、 関税 の預 金貸 出 し弁 法
一八
大 正 十 四年 十 月 二十 九 日 関 税 会議 情 報 (第 一号 )
関 税 会 議 二十 六日 開 会式 に於 け る日置 全 権 の演 説 は 、爾 余 全 権 の 普 通 の挨拶 に比し て甚 し く端 的 に日 本 の態 度 を 表 明 せ る も のと し て 内 外 の注 目 を惹 いた 。 日本 側 有 力 新 聞記 者 の 一部 は 、其 の余 り に早 き切 札 の出 し方 に就 て憂慮 せ るも のも あ る程 であ る が、 支 那 側 に対
﹁( 前 略 ) 各 国代 表 の演説 中 更 に重 要 な る意 義 を含 む も の は 、 日 本
し ては 当然 に好 印 象 を 与 へた。 二 十 七 日当 地 青年 会 館 に於 け る支 那 全 権 王 正 廷 博 士 の ﹁関 税自 ︹ 武雄︺ 主 ﹂ の演 説 を聞 け る に ( 伊 藤 ) ⋮ ⋮ 日本 全 権 の対 支 同情 に対 し 我 が
身 此 の際 為 さざ る べ から ざ る直 接 にし て第 一歩 の方 法 に関 し注 意 す
北京 リ ーダ ー は 二十 七 日 の社 説 に 於 て 日 本 全 権 の 演 説 を 評 し
主張 の正 当 な る こと を裏 付 け る こと及 日本 の自 主権 恢 復 の為 に挙国
明 し、 之 より支 那 は何 等 か学 ぶ と ころ あ る べき を 示 し、 更 に支 那 自
全 権 日置 氏 の夫 れ であ る 。氏 は 日本 の過去 に嘗 め た苦 しき 経験 を説
等 は自 重し て、 只数 語 を 以 て謝 辞 を 述 べ て居 る に過ぎ な い﹂ 以下 略 。
一致 執 れ る苦 心 (日置 氏 の演 説 に示 さ れ た こと を繰 返 し ) に就 き支 那国 民 も鑑 みる 必要 あ る こと を特 に強 調 し た如 き は其 の証 左と 見 て
国 と の間 に特 別 の税 率 協 定 を なし 、 之 に依 らし む る云 々﹂ 即 ち 日本
な提 案 を 試 み た 。﹁公 正 且合 理的 基 礎 に立 つ国 定 税 率 ⋮ ⋮ 当 該 関 係
る と ころ あり 、 次 に最 も重要 な る会 議 の行 動 に対し 独 特 にし て顕 明
あ るも のと見 る (伊藤 )。
相 当 熾烈 な事 実 等 より見 て、 却 つて今 次 日 支間 の協 調 は相 当確 実 性
るも 、 現 政府 の対 日関係 及反 関 税会 議 気 運 ( 直 隷 派 の攻 戦 と 共 に)
直隷 派 の攻 戦 は国 民 軍側 の自 重 と奉 天 軍 の消 極 的防 禦 と によ り て、
関 税 会議 の前 途 に対し て は楽 観 説 漸 く盛 ん であ る のみ ならず 、寧 ろ
は支 那 の税率 に関 し ては 明 ら か に日 本或 は他 の独 立 国 と 同 一権 利 を 与 ふ て ふ提案 を為し た る こと を意 味 す る。 夫 れは完 全 な る形 の関 税
其 の進 行 を早 め る気勢 さ へな き にしも あ らず 。
せ んと す る支 那代 表 の要 求 よ り可 成 り積 極 的 なも の であ る ⋮ ⋮此 の 一九
大 正 十 四年 十 一月 五 日
自 由 であ り 、支 那 への輸 出 中 第 一位 を占 む る綿 花 品 に高 率 税 を 課 せ
半 面 にそ れ が適 用 せ ら れ た る場 合 日本 は支 那 と 単 独協 定 を為 す こと
議 は恐 ら く 日本 政 府 の心 に存 す るも のと見 て よか ら う 。提 案 の他 の
一
て、
一定 期 間 内 に釐 金 撤 廃 の実 現 。
近 の活 動 努 力 に負 ふ と ころ のも のであ る 。但し 列 国 は承 認条 件 とし
に承 認し た 。 此 の こと は大勢 上当 然 の如 く にし て、而 も 青年 支 那 最
昨 三 日開 かれ た第 二 回委 員会 は各 国 共 支 那 の関 税自 主 権 を原 則 的
(関 税 自 主案 に対 す る 日 、米 の基案 と輿 論 )
関税会議情報 ( 第 二号 の 一)
北 京公 所 長
自 主 であ る 。之 は釐 金 撤廃 後 又 は三 年 以内 に完 全 に関 税自 主 を恢復
項 は リ ーダ ー の誤 解 であ る 。 日置 全 権 の謂 が支 那 の釐 金撤 廃 、其 の 他 不合 理 課税 制 度 を 整頓 せ る後 に、 此 の原 則 適 用 を 為 さ む と い ふ意 味 な る こと は 明 ら か であ る。 (伊 藤 ) ⋮ ⋮ 日本 の斯 る提 議 を 為 せ る こと は支 那 に完 全 な る関 税自 主 権 を 与 へん とし つ ゝあ る証 左 にし て、
ら る ゝ危 を避 け る為 であ るら し く 取 れ な い こと は な い⋮ ⋮此 の こと
再 び各 国 と 支 那 と の間 に新 協 定 関 税 条約 を締結 す る こと。
支 那 の輿 論 が 日本 に適 切 に反 響 し た も のであ る こと は疑 ひ な い。提
は 日本 政府 の消 息 に通ず る も のあり と認 めら れ て居 る 小村 俊 三 郎氏
二
開 会 式 に於 け る提 案 を補 足 す る意 味 に て次 の如 く解 説し た。
甲 、 日本 は 十 月 三十 日 第 一回委 員 会 に於 て日 置全 権 よ り 二十 六日
六 日討 議 の基案 た る べき 日米 両 国 案 な る も の次 の如し 。
一九 二九 年 一月 一日迄 に釐 金 を完 全 に撤 廃 す る ことを 宣 言し た。
如 き 日、 米 提 出 の二案 に就 き討 議 す る こと とし た 。尚 同 日支 那 側 は
の二条 件 に於 て 一致し 、 第 三 回委 員 会 に於 て (明後 六日) 後 述 す る
が 、 北 京 の或 る会 合 に於 け る談 と符 合 す。 (伊藤 ) ⋮ ⋮ 日 本 の 提 案 を 考 ふ れ ば考 ふ る程 提案 そ れ自 身 と開 会 劈 頭 に述 べ ら れ た事 実 の意 味が 明 ら か と な る。 ﹂ 尚 本 日 の新 聞 に依 れ ば、 支 那 側 政府 要 人 林 長 民 、梁 士 詒 等 も 日置 氏 の演 説 に対し 非 常 な歓 喜 を表 示 し て居 る⋮ ⋮ 日本 側 一部 新 聞 記者 の憂 ふ る 如く 、 国 際会 議 に於 け る支那 側 従来 の行 動 を見 て、 会議が 常 に日 支 の協 調 に保持 せ ら る ゝ や否 や を怪 し む は無 理 な き と ころ な
あ る が、 此 の税 率 は 各 国 間 の貿 易 を 阻害 せざ る様 にな さ る べく 、 又
提 示 す ると ころ あ つた 。 国定 税 率 は 支 那 の自 由 に制 定 す ると ころ で
る特 殊 貨 物 に対 す る個 別協 定 税 率 を制 定 す る案 を 、第 一基 案 とし て
日本 全 権 は支 那が 其 の国 定 税 率 の制 定 と共 に特殊 国 と の間 に於 け
ゝ時 間 中 にそ れを 成 就 さ す こと は 不可 能 であ ら う 。之 に反し て第 一
す べく 課 税 を修 正 す る に非 常 な 障 害 で あ つて、今 会 議 の予定 せら る
近 の実 状 に全 く 背 馳し て居 る。 其 の上 各 国 の複 雑 な利 害 関係 に適 合
は現 存 輸 出税 を存 置 す る のみな らず 、其 の増 加 を さ へ認 め て居 て最
実 際 上 公 正 にし て合 理 的 国定 税 率 の採 用 は、 特 殊 貨 物 に対 す る個 別
に 対し て其 の予 備 的 期間 中 に特 殊 税問 題 に就 き 支 那政 府 と商 議 す べ
き充 分 な 時 間 を与 ふる こと が出 来 、 又支 那 政 府 は釐 金 廃 止其 の他 通
案 に よれ ば 此 の会 議 に於 て 明ら か に着 手 す る事が 出 来 、 同時 に列 国
の改 訂 条 約 は 五年 後 に実 施 さ れ て其 の後十 二 ケ年 有 効 で あ つ た。 此
的 協 定 数 を減 少 さす 利 益 が あ る。 日 本 の経 験 に よれ ば 、 一八 九 四年
商 上 の障 害 を除 去し 国定 税 率 施 行 に当 り列 国 と の円満 な 同意 を得 る
こと が出 来 る で あら う 。 此 の案 た るや 実 に支 那が 関税 自 主 を恢 復 す
のこと は 支 那 の場 合 にも参 考 に資 す る ことが 出 来 る 、 と思 ふ。
る た め に比較 的 簡 単 にし て亦 実 際 的 な方 法 であ る と信 ず る。(以 上 )
王 正 廷 全権 の開 会 式 に於 け る声 明 によ れば 、 支 那 政府 は釐 金 廃 止 と国 定 税 率法 制 定 を 三 年 以内 に完 成 す る決 心 の由 であ る。 支 那 は其
十 一月 三 日 の委 員 会 に於 ては 日 置全 権 は再 び繰 返し て、吾 人 の良 案 と信 ず る案 に よれ ば 、
の準 備 期 間中 前 述 第 一案 に よ り列 国 と協 定 を なす ことが 出 来 、 国定 税 率 法 実 施 と同 時 に有 効 と な る であ ら う。 該 新 協 定 は現 行 関 税条 約
支 那 は 一定 期 間 内 に裁 釐 を 実 行し た る後 国 定税 率 法 を実 施 す る
一
其 の予備 期 間 中 は支 那 と列 国 と の間 に 一新 条約 を 締 結し て現 行
こと
であ る本 案 は簡 単 にし て頗 る実 際 的 な も のであ る 。(日本 の経 験 す
二
に代 るも のにし て現 に支 那 に課 せら れ て居 る片 務 的制 限 を 除 去 す る で あら う 。今 会 議 に於 て第 一基 案 が決 定 さ れた 場合 に は、 日 本全 権 は国 定 税 率実 施 前 の期 間 は、 華 府会 議 に於 け る条約 第 三条 によ る暫
る と ころ によ り) 現 在支 那 と列 国 と の現 存 条 約中 の不 平 等点 は次 の
条 約 に代 ら し め、 国 定税 率 法 実 施 と同 時 に之 を 実施 す る こと
日本全 権 よ り提 示 さ れ た第 二基案 は 一般 的 に 一九 〇 二︱ 三 年 に支
二点 に要 約 す る こと が出 来 る。 其 の 一は支 那 は 条 約改 正 を経 る に非
行 税 率 を適 用 せ ん こと を提 示 す る。
那 と列 国 間 に締 結 さ れ た条 約 に従 つて税 率 を 定 め ん とす るも の であ
ざ れば 其 の関税 率 を 変更 出 来 ぬ こと ( 協 定 関 税 )、其 の二は 関税 々率
第 一の束 縛 を除 去 す る た め 日本 は五年 を 、第 二 の束 縛 を 除 く た め に
る。 此 の案 の採 用 せ ら る ゝ場 合 には 、之 等 条 約 の規 定 せ る単 一税 率
十 二年 を 要し た 。然 る に吾人 の提 案 に従 へば 、 支 那 は此 の二種 の束
は、 不 合 理 にし て非 科学 的 にし て列 国 と支 那 と の間 の貿 易 を 害 す る
吾 人 は 第 一基 案が 第 二基 案 に比較し て優 れ るも のと思 ふ。第 二基
縛 を 一時 に而 も短 時 期 に免 れ得 る故 に、 日本 全 権 は本 会 議 締結 の条
中 に片 面 的 束縛 を受 け て居 る こと 、 之 であ る。 吾 人 の経 験 によ れば 、
案 は今 を 去 る 二十 年前 の条 約 に基因 す るを 以 て、其 の条 項 は 経済 現
こと あ る べ き を以 て等 差税 率 を 採 ら む ことを 提 議 す る。
状 にし つく り適 合 せず 、 又実 施 困 難 な も のがあ る 。例 へば 之 等 条約
新 条 約 は 現行 関 税 条 約 に代 は るも の であ る。
す る。
第 三項 に いふ国 定 税 率法 は各 国 と締 約 せ る新 条 約 と 同 時 に実 施
し、 其 の条 約 は 一定 期 間 中効 力 を 存続 す る。
の希 望 によ り、 特 殊 貨 物 に対し て適 用 す る相 互 的 協 定 税率 を 包 含
上 述 期 間 に支 那 は締 結 国 と各 個 別 に新 条 約 を 結 ぶ 。 本項 は双 方
税 条 約 第 三条 第 二項 に承 認 せ る附 加税 を徴 課 す る。
支 那 は前 項 過 渡 期 内 に在 り て輸 入貨 物 に対 し ては 、 華府 会 議 関
撤 廃 後 実施 す る こと を声 明 す る。
中 国 は 即刻 国 定 税 率 法 及附 属 税 率表 を制 定し 、 三年 以内 に釐 金
支 那 は各 項 所 定 の方法 によ り関 税自 主 権 の実 行 を計 る 。
権 の原 則 を完 全 に享 有 す る こと を 認 め る こと を声 明 す る 。
支 那 以外 の締 約 国 は厳 粛 に支 那が 国 家 主 権 に基 づ き 、関 税 自 主
約 基 礎 案 とし て、 次 の条項 を提 示し 委員 諸 賢 の考量 に資 せ んと 思 ふ 。 一
二 三
四
五
六
七
関 税 会 議情 報 二 ノ 二
認 む るを 以 て稍 冗 慢 な れ ど も な る べく全 文 を 訳 す 。 括 孤内 の見 出
乙 、米 国 全 権 の提 議 次 の如し (日本 案 と 対抗 す る意 味 に於 て重要 と
し は訳 者 の附 せ る も の) ( 如 何 に支 那 の収 入を 増 さし む べき か) 十 月 二十 六 日 の王全 権 の
米 国 全 権 は 右提 議 に成 る べ く合 意し 実行 せむ こと を欲 す る と共 に、
本 会 議 決 定 事 項 は支 那 の要 望 に添 ふと 共 に、 関 係各 国 及 其 の人民 の
( 即 刻 増徴 )華 府 会 議 条約 に従 つ て直 ち に普 通貨 物 二分 五厘 、 奢
利 益 に合 せむ ことを 希 望 す る も の であ る。
二 月 六 日華 府会 議 条 約 によ り直 ち に協 定 す るを 必要 と思 ふ。 又吾 人
侈 品 目 決 定 と 同時 に之 に五分 加税 を承 認 せむ と す 。之 は 一九 二 二年
は 関税 自 主 権 の原則 を 認 め 且更 に 一新 条約 を締 結 によ り自 主 原則 実
施 に便 な らし め む とす 。 新 条約 内 に は裁釐 条 款 、 現 行条 約 中 の束 縛
華 府会 議 条 項 を実 行し 更 に範 囲 を超 す 大計 画 に対 す る案 とし て次
取 消 並国 定 税 率法 の実 施 等 を含 ま し め る。
恢 復 さ れ る迄 の期間 内 の実 行 税 率 と し て、 現行 五 分 輸 入課 税 を 一
本条 約 は締 結後 三 ケ月 にし て効 力 を発 生し 、 支 那 関税 自 主 権 が
(水陸 均 等 税 )
項 を含 む 。
右規 定 は陸 境 に於 ても 完 全 に適 用増 徴 す る。 該 新 条約 は次 の要
した使 途 に向 け る 。
以後 五分 加 税 を実 施 す る。 其 の増 収 は海 関 に保 管し 本会 議 の決 定
税 の実 施 並 早 速奢 侈 物 品 表 を 作成 し、 遅 く も 一九 二 六年 七 月 一日
支 那 以外 の列国 は 一九 二 六年 二 月 一日 以後 普 通 品 二分 五 厘附 加
の示 唆 を 呈 せん と す 。 一
二
一
割 二 分 五厘 に、 五 分輸 出 税 を 七 分 五厘 の均 一課 税 と な す自 由 を 有
本 条約 に よ る関税 収 入 の増 加 は 税 関 に保 管 さ れ下 記 の用 途 に向
同 時 に陸 地関 税 も海 関 と同 率 に課税 せら る。
演旨 は支 那 の関税 自 主 原 則 の尊 重声 明 を列 国 に求 む る こと 、並 現 行
二
す。
府 は釐 金 撤 廃 を声 明し 臨 時 附 加税 の徴 収 を要 求 せら れ 、 今 次会 議 決
三
条約 中 の支 那 関税 の 一切 の束 縛 を解 除 せ ん こと を要 求し 、 且支 那 政
定 の各 事 項 は 早急 に実 施 せ む ことを 以 て せ られ た 。
釐 金 其 の他 の関 係 協 定内 地課 税 の廃 止 。
た。 三 日席 上 支 那 全権 王 正廷 氏 は、 日米 両 国 の提案 を見 る に支 那 側
す る基 礎 案 を作 り、 第 二組 委 員 会 に附 す る こと に大 体 の意 見 一致し
裁 釐 案 に対し て亦討 論 の結果 王 案 、 日 置案 、 マク マ レー案 を 骨子 と
廃 止 され た釐 金 の代 り に関 税 中 よ り填 補 さ る べき 地方 各 省 収 入
け ら る べし 。 四
こと を希 望 す る。其 の点 日本 の提 案 に不 満足 な り、 と 述 べ た。
は 日本 の提 案 に賛 成 す る外 な い。但し 附 加 税 は是 非 五分 にせ られ ん
由 来 米 国 全 権 は本 国 の提 案 必ずし も 日本 の提 案 と 両 立出 来 ぬも の
(増 収 使途 ) 将 来 若 し裁 釐 協 定 に違 犯し て釐 金 徴 収 さ れ、 之 を完 納 せる者 あ
への補 償 。
五
六
所 納 釐 金 の補 償
釐 金撤 廃 によ る 各省 への填補
例 の ミ ラ ード氏 (ニウ ー ヨー ク ・タ イ ムス の特 派員 とし て来 京 中 )
国 の或 新 聞 記者 の如 き 、 日本 は愈 極 東 の主 人 た る であ らう と 言 ひ、
輿 論 に就 て
に非ざ る こと を 弁 明し た由 。
イ
無 担 保 借 款支 払 基 金
増 率 によ る関 税 収 入 は次 の用途 に当 ら る。
り た る時 は海 関 に対し 、之が 補償 を要 求 す る こと を得 。
ロ
の如 き も 、今 次 の 日本 の態 度 には 感 心 せ る由 聞 き 及 び たれ ど 、 三日
七
ハ 中 央 政 府 の政 費
第 四、 五 、 六及 七項 の実 行 さ る ゝ時 は 、 現存 関 税 上 の束 縛 は 一
の利 益 に 対し ては 相反 す るも の少 な か らず 。例 へば 即 刻 均 一税 率 の
米 国 の公 表 せ る提 議 は其 の非 科 学 的 な る点 に於 て非 難 多 き も、 日本
二十 六 日 の開 会 式 以 来 日本 全 権 の人 気 は素 晴 らし き も のあ り 、米
ニ
九 二九 年 一月 一日 に於 て撤 廃 され 、 国 定税 率 法 は同 時 に効 力 を 発
上 述 条約 は調 印 後 即 刻実 施 さる べし 。
自 主 権 原 則 承 認 に於 ては さし た る問 題 な く支 那 の提議 を容し た る会
担 保 債 務 整 理 を 重視 せざ る)等 に於 て明 ら か に 日本 の立場 に相 反 す。
八
若し 協定 各 国 にし て 一九 二九年 一月 一日以 前 に於 て希 望 す る な
り 、其 の真剣 味 を示 す も のと想 像 せら る 。
議 も、 各 国 の利 害 の直接 影響 あ る課 税問 題 討 議 (第 二組 委 員 会 ) よ
実 施 、陸 地 関 税 の特 典 否 認 、輸 出 課 税 の増率 、増 収 金 使途 順 位 ( 無
九
ら ば 、 一九 二九 年 五 月一 日 に該締 約 国 代 表 者 会議 を開 く こと を得 。
生する。
十
裁釐 の実 行 せら れ た る や否 や 本条 約 の内 容 に関 し 、尚 必要 な る協
演 説 の誠 意 なき は 明 ら か な るが 、米 国 の昨 日 の提 案 十 項 は 日本 の
晨 報 四 日 は ﹁英 米 と自 主 権 問 題﹂ の下 に、 英 国代 表 の二 十 六日
内 外 新 聞 の評 論 の二 、 三 を訳し 参考 に供 す 。
夫 に比し て較 具 体 的 で あ るが 、 吾 人 の反 対 せざ る点 は 次 の如し 。
イ
案 に 一致 し、 支 那 の関 税 自 主 の主 張 に対 し ては完 全 に同意 す る こと
一
三 日各 提 案 演 説 後討 論 に移 り 、其 の結 果 大 体 日置 氏 提 案 の第 一基
定 事項 の有 無 を 商 訂 す る。 (以 上)
と なし 、 王 正 廷 の大 会 席 上提 出 の自 主 案 に対し て は、 前 半段 を賛 成
米 国が 関 税 自 主 に賛 成 せ る も のなら ば第 一、 第 二項 の附 加 税
︹マ マ︺
と認 め、 後 半 段 の手 続 に関し て は第 二組 委員 会 に附 議 討論 に決 し 、
予 期 の事 実 にし て、 之 に関 し 日米 両 国 は中 間 手 続 に関 し 二様 の提
案 即 ち中 間 手 続 の実 行 に対し 何 等 の反 対 を表 示し な か つた事 も亦
に依 り討 議 さる べ き事 は 、 今 日迄 の成 果 に於 て観 取 さ る ゝと ころ
東 方時 報 五 日 の社 説 は、 米 国案 を極 力 支持 す る点 に於 て異 色 あ
であ る 。
関 税自 主 権 の恢復 は令 や確 保 せ ら れ た。然し 会 議 将来 に関し て
るも ので あ る。 社説 ﹁関 税 自 主 ﹂
日米 両国 により 二提 案が な され て居 る。 其 の何 れが 支那 政 府 に採
用 さ るべ き かは 直感 的 に は米 国案 の如 く 思 は れ る。 ( 中 略 ) 日米
両 国 案 共 に其 の予 備 的期 間 を 三 年 とし た こと は、 開 会最 初 に王 正
ハ
案 を出し て居 る 。而し て之 等 の細 目が 相 互的 の友 誼 と協 調 の精 神
提 案 は無 意 味 であ る。 国定 税 率 法 実施 前 の過 渡弁 法 は第 三 条 第
増 収 関 税 の保 管 と 其 の使 途 の指 定 は 、支 那 財 政 の監督 にし て
た る内 政 干渉 であ る 。
関 税 増 収 の使 途 、 非 法釐 金 徴 収 時 の補 償 を言 ふ に至 つては 純 然
自 主権 に対 す る条 件 中釐 金 に関 す る も のは暫 ら く 問 はざ るも 、
の誠 意 な き も の であ る 。
一 項 の規定 に て充 分 であ る。 前 述 二 項 の提 出 は自 主 権 を認 む る
二
三 断 然 容 認 出来 ぬ。 一九 二八年 五月 一日 の再 会 議 開 催 は 支 那 を拘 束 す る こと甚 だ
過 渡弁 法 に輸 入税 の増 徴 一割 二分 五 厘 は甚 だ低 率 にし て、 而
に対し 、各 個 特 殊 条約 の提 言 せ るも の よ りも遙 か に多額 の収 入 を
延 全 権 の提 言 せ るも のと合 致し て居 る。 米 国案 の最 も長 所 は支 那
し い。
も之 に等 差 を設 け ぬ は現 時 の経 済 状 態 に相 反 し 、 又輸 出税 の徴
提 供 す る こと で、 而 も其 の手 続 最 も簡 単 な こと で あ る。実 に夫 れ
収権 を税 関 の手 に存 置 す るは 不可 で ある 。 日 本提 案 は前 二 回 に 比 し て具 体的 な る も、 尚 大 綱 に過 ぎ な い。漸 次支 那 側 に接 近し
の急 激 な変 動 性 に対し て は利 益 であ る 。両 案 と も同 期 間 内 の釐 金
が簡 単 であ る が ため に科 学 的 精 巧 さ は少 な いが 、現 今 の世界 貿 易
の撤 廃 を 条 件 とし て居 る が、 米 国 案 は其 の取扱 を極 め て周密 に考
来 れ る も細 目 を見 、其 の税 率 と種 類 の公 表 あ る ま で批 評 を留 保
の余 地 あり 。附 加 税 第 二委 員会 を開 き て日米 両案 を討 議 せ む と
は暫 らく 問 はず 、 支 那 全権 が両 案 の何 れ を採 用 す べき か に就 て先
量し 、 同 時 に其 の増 収 の用 途 にま で及 ん で居 る 。増 収 用 途 の問 題
す る 。要 す る に列 国 の態 度 は英 国 最 も強 硬 にし て、 米 国 は磋 商
す る は、 英 米が 陰 に自 主 権 問 題 を附 加 税 問 題 に転 移 せむ と す る
を考 慮 す る時、 多 少 に拘 らず 収 入 増 加 の道 を 採 る こと は賢 明 な策
づ 考 慮し て見 よう 。 釐 金其 の他 関 係税 金 撤 廃 に関 す る支 那 の能 力
む のにし て、 吾 人 は自 主 権 決 せざ る に附 加 税 を討 議 す る には反 対 す る も の であ る 。自 主 権 未 だ解 決 せず 、 前 途 の難 関 愈 多 き を
施 行後 三 ケ月 以内 に此 の増 加 を 三倍 にし 得 る道 を 得 る な らば 、 即
千万弗 の増 収 を得 る こと に注 意 せ ねば な ら ぬ。 若 し華 府 会 議税 率
で あ る。 奢 侈品 課 税 を 除 いて も、 輸 入貨 物 二分 五厘 の増 収 は約 三
思 ふも のであ る 。 (以 上) 其 の他 ペ キ ン ・リ ーダ ー、 益 世 報 (共 に米 国 系 と認 めら る) 等 、 何 れも 社説 を掲 げ た る も深 く 批 評 せ ず 、前 者 は ﹁関 税 会 議 の劈
五
四
ロ
頭 ﹂ と 題 し て会 議 の進 行順 調 な るを喜 び、 終 末 に列 国 が支 那 側提
撤 廃 が成就 さ る ゝであ らう 。 凡 て の こと が 云 ひ尽 さ れ、 為 し 尽 さ
数字 を 示 し 、現 在 必 要額 を超 過 す る に至 り実 に重 大事 業 た る釐 金
であ ら う。 若 し 奢 侈 品税 と輸 出附 加税 を加 ふる な らば 一億 万 元 の
ち年 九 千 万 弗 を 得 る こと にな り 、釐 金 撤 廃 に非 常 に好 都 合 と な る
金撤 廃 の ため の会 議 召 集 の筈 では な か つた が、 今 回彼 等 が斯 く も
顧 維 鈞 博 士 の華 府 会 議 席 上 で の声 明 に依 れ ば、 支 那 は 二年 前 に釐
批 判 を す る必要 を認 め る。批 判 は阿 附 よ り親 切 であ る筈 であ る。
吾 人は 支 那 政府 の誠 意 は 兎 も角 とし て、其 の能 力 に対 し て厳 格 な
し吾 人 は 此 の信 用 を 列 国 と共 にす る こと の出 来 ぬ不 幸 を 悲 し む。
こと を悲 しむ 。 正直 のと ころ 吾 人 は何 等 の意 味 に於 ても自 主 権 容
確 信 あ り気 に、 過去 二年 間 に出 来 な か つた釐 金 を 、 今後 二年 又 は
れ、 万 事 は釐 金 の問 題 に懸 か る時 、 科学 的 美 点 を 犠牲 に し て急 速
認 を歓 迎 す る気 持 には な れ な い。 (中略 ) 支 那 は全 体 と し て 人 類
な而 も 確 実 な増 収 資 源 の実際 的 便 宜 を採 る こと は 賢 策 と思 は れ る。
外 国 側 の会 議 に於 け る指 導 勢力 に関 す る 消長 を見 る こと は興 味
に対 し て責 任 を有 す る 。彼 女 の現 状 は 世界 の平和 に対 す る 一つ の
が掩 う て居 る では な いか。 吾 人 は深 い悲 観 を表 白 せざ る を得 な い
あ る こと で あ る。 開会 式 に於 け る英 国 全 権 の寛 容 さは 自 主 権討 議
脅 威 であ る こと、 其 の国 民 に対 す る脅 暴 と同 様 で あ る。今 や支 那
三 年間 に実 現 す ると言 ふ て居 るが、 其 の国 民 の上 空 は今 既 に暗 雲
を本 会 議 、 若 し 此 の機 を不 便 と す れ ば支 那 政府 の望 む 場 所 と時 に
之 を 以 て見 れ ば 一見 米 国案 が 支那 全 権 に採 用 せら る ゝと見 る は至
於 てな さ る べ きを 声 明 し て其 の人気 を集 め た が 、其 の具 体 的提 案
は関 税 に関 し て は其 の自 主 が容 さ れ た 。然 し 其 の世 界 通商 及 其 の
関税 会 議 の開 会 に当 り、 先 づ 支 那代 表 を 第 一着 手 と し て 日本 、米
以上
は 日米 全権 委 員 に よ つて発 表 さ れ 、爾 余 の全 権 は 凡 て空 拳 を 以 て
二〇
国 の両 全 権 が之 に続 いて完 全 な 自主 権 の発 生 に至 る迄 の中 間 期 間 に
(十 一月 六 日北 京 リ ーダ ー論 説 )
関税会議情報 ( 第 三号 )
大 正 十 四年 十 一月 八 日
北 京 公 所長
のは結 局 自国 民 で あ る から ⋮ ⋮。 (下 略 )
国 民 に対 し て は 一つ の重荷 を得 た も ので あ る⋮ ⋮重 税 に苦 し むも
下 に論 ず る こと次 の如 し 。
英 国 を 代表 す る ﹁京津 タ イ ム ス﹂ 五 日 の論 説 ﹁此 の自 由 ﹂ の題
(以 上 )
会議 に臨 み道 徳 的 指 導 は今 や疑 いも な く米 国 全 権 の上 に 在 る 。
当 で あ る。
ニ
(前 略 ) 原 則 の大 体 承 認 を与 ふ る こと は易 い。 如何 に原 則 を適 用 す る か が問題 で あ る。原 則夫 れ自 身 は討 議 価 値 の最 も少 な いも の で あ る こと は支 那 人 た り と も知 つて居 る 筈 で あ る 。(中 略 ) 外
吾 人 は支 那 官 憲 の能 力 と 真 実 に対 す る彼 等 の信 用 を羨 む 。彼 等 は
於 て道 用 す べき 暫 行手 続 の制 定 に関 し提 言 す る と ころ が あ つた が 、
国 全 権 団 は 王 正 廷博 士 によ り提 出 せら れ た提 議 を 真直 に容 認 し た 。
に遂 行 す る積 り であ り、 又 遣 り遂 げ ると 信 じ て居 る様 であ る。 然
支 那 政 府 が此 の新 提 案 に含 ま れ る 凡 て の義 務 を、 此 の二 、 三年 間
出 発 点 と為 す べき も のであ り 、 且之 に関 聯 し て主 題 に対 す る 三者 の
之 等 の提 案 は少 な く と も本 日 か ら開 催 さ るべ き会 議 に於 け る討 論 の
し も言 及 し て居 な い。 十 一月 三 日提 出 の細 目案 に於 ても亦 単 に ﹁支
提 言 し た丈 であ つて、 同 日提 出 し た 二提 案 の中 に も此 の点 に関 し 少
大 問 題 の 一に ﹁直 ち に釐 金制 度 廃 止 の策 を 講 ず べ き こと ﹂ であ ると
国 定 関 税法 の制 定 を 主 張 し て居 る に過ぎ な い。
那 の宣 言 通 り 三箇 年 後 に且釐 金 の廃 止 に依 つて﹂ 効 力 を 発 生す べき
見 解 の差 異 を 表 示 す る も の であ る から 、 茲 に各 種 の方 面 か ら サ ム マ
釐 金 に関 し て
リ ーし て見 る こと にす る。
4 . 釐 金 竝 之 に関 聯 す る 内 地税 を 廃 止 す べき こと
編 注 、1 、 米 国 全 権 は十 一月 三 日、︹2 、3 欠 ︺
5. 釐 金撤 廃 に対 す る代償 と し て関 税収 入 を 各省 に分 配 す べき こと 。
米国
日 を期 し て ﹁支 那国 定 関 税 税率 の施 行 と 同時 に釐 金 の廃 止 を実 行 す
支 那 全権 は関 税 会 議 の開 会 に当 つて 先 づ 一九 二九年 一月 一
べ き こと ﹂ を提 言 し たけ れ ど も、 十 月 三 十 日 の第 一部 委員 会 に於 て
合 には 、納 入者 は関 税 収 入 よ り其 の金 額 の補填 を受 く べ き こと を
6. 釐 金廃 止 の協 定 に背反 し暴 力 を 以 て之 が徴収 を及 ぼさ れ た る場
支那
は ﹁一九 二八年 二 月末 日迄 に完 全 に廃 止 す べ き こと ﹂ を述 べ、 更 に
保 証 さ るべ き こと
十 一月 一日 には ﹁支那 は遅 く と も中 華 民 国第 十 八年 一月 一日迄 (一 九 二 九年 ) には 完全 に釐 金 制度 の廃 止 を 為 す べ き こ と を 茲 に 宣 言
b
a
減 少 税収 の支 弁
各 省 の釐 金 廃 止 代償
と
7. 税 率増 加 に依 る関 税 収 入増 加 額 は次 の目 的 の為 充 用 さ る べき こ
此 の関 税 率 が支 那側 の提 案 に成 る釐 金 廃 止案 の実 施 に依 つて来 だ さ
然 し て釐 金 廃 止 に関 す る之等 の各 誓 言 は絶 対 且無 条 件 的 で あ つ て、
す ﹂ と の誓 言 を 発表 し て居 る 。
る べ き収 入 減 を補 填 す る に足 る丈 のも のな る や否 や等 の事 に関 し て
上 納 者 は関 税 収 入 を 以 て賠 償 さる べ き点 であ る。 最 後 に米 国 は 、 関
異 は 、 中央 政 府 の制 度 に反 し て釐 金 を徴 収 せ ら れ た る場 合 、 該 釐 金
等 の こと を提 言 し て居 る 。本 提 案 の支那 側 提案 に対 す る具 体 的 の差
併 し乍 ら 十 月 三十 日 の会議 に於 て釐 金廃 止 案 提 出 の際 先づ 第 一に
は何 等 直 接 的 関係 を包 含 し て居 な いも の であ る 。
べ き収 入 減 に対 し ては 毎 年 の不 足 額 に応 じ て﹂ 完 全 な自 主 権 発 生 に
自 ら各 省 の釐 金 収 入を 徹 底的 に調 査 し 、 且 ﹁ 釐 金 廃 止 の結 果 発 生 す
るや否 や を検 査 し 、 且 此 の際 必 要 あ らば 更 に新 協 定 を制 定 す る が為 、
税 列 国 大多 数 の希望 あ る時 は、 支 那 が現 実 に釐 金 の廃 止 を実 行 し た
一九 二 八年 五月 一日 を期 し て 一会議 を開催 す べき こと を附 言 し て居
至 る迄 は 増 率 に依 る関 税 増収 に依 り 、自 主 権 の恢 復 後 に於 ては国 定 税 率 に依 つ て徴 収 す べき 関税 収 入 の 一部 に依 つて補 填 す べき こと を
る。
那 側 の ステ ート メ ン トに表 は され た期 日よ り遅 く 、 十 一月 三 日宣 言
茲 で 一寸 注 意 し な け れ ばな ら な い のは 、本 期 日 が十 月 三十 日附 支
提 言 し て居 る。 十 一月 三 日確 定 的 誓言 発 表 の際 には釐 金廃 止 宣 言 に
開 会 の頭 初 日本 代 表 は釐 金問 題 に関 し ては簡 単 に会議 の二
対 し 何 等条 件 を附 加 し な か つた 。 日本
十 一月 三 日米 国 全 権 は ﹁本 条 約 調 印後 三箇 月 目 よ り完 全 な
る自 主権 の発 生 に至 る迄 支 那 は 暫行 的 手 段 と し て、 輸 入品 に対 し て
米国
は現 行 税率 ( 五 分 ) よ り 一割 二 分 五厘 迄 の範 囲内 に於 て、輸 出 品 に
せ ら れ た廃 止 期 日 よ り早 い こと であ る が、 併 し乍 ら米 国 は恐 らく 本 期 日 を 以 て最 も 適 当 な り とす る成算 が あ つた 為 で なく 、単 に討 論 の
暫 行 制度 に関 し て の対案 を提 出 せる 日 、支 、 米 の三国 は 何 れ も直
な点 は、 釐金 の廃 止 前 最高 一割 二分 五 厘迄 の税 率増 加 を 主 張 し た点
率 を実 施 す べ き こと を 提言 し て居 る の であ る が、米 国 の提 案 の重要
対 し ては 現行 税 率 (五 分) より 七 分 五厘 迄 の範 囲内 に於 て﹂ 増 加 税
用 に供 せ ん が為 に過 ぎ な か つたら う と思 は れる 。
ち に華 府会 議 に於 て協 定 せ る附 加 税 の徴 収 を実 行 す べき こと を主 張
マツ ケ ー条約 並華 府 条 約 の協 定 を 一蹴 し た も の であ る。
にあ つて、 此 の点 釐 金 廃 止後 効 力 を 発 す る と言 ふ こと にな つ て居 る
中 間 暫 行 税 率 に関 し て
を実 現 し 、遅 くと も 一九 二 六年 七 月 一日迄 には 奢 修 品 に対 す る 五 分
る。
し た のであ つ て、即 ち 支 那側 の意 思 に従 へば 、自 主 権 発生 の時期 を
月 一日迄 に﹂ 支 那国 定 関 税 法 の実 施 と同 時 に実現 す べき こと を宣 言
支 那 代表 は開 会 の際 、釐 金 廃 止 は ﹁ 遅 く と も 一九 二九年 一
き旨 を 以 てし た の であ る 。 爾余 の物 品 に対 す る附 加 税 に関 し ては 言
史那
中 間 期 間 のは 終末 期
つて、 其 の他 の提 案 に比 し て 一層 支 那 側 の提 案 に接 近 した も のであ
即 ち現 在 の条 約 に対 し て は劃 然 た る 一大前 進 を 経験 した も のであ
し 、 特 に米 国 は 一九 二六年 二 月 一日を期 し て 二分 五厘 の附 加 税 徴収
の増 税 を徴 収 す べく 、 且 即刻 奢 侈 品 目表 を作 製 す べき ことを 提 言 し
開 会 の際 支 那 は 、中 間 暫 行 税率 と し て現 行 の五分 に加 へて、
て居 る 。 支那
A級 奢侈 品 ( 煙 、 酒 ) に対 し て は三 割 、 B級 奢 侈 品 に対 し ては 二割
及 す る 処 のな か つた のは 、恐 らく は非奢 侈 品 に対 し ては現 行 の五 分
一九 二九 年 一月 一日 と限 定 し た ので あ つ て、 此 の際 果 し て釐 金 を廃
の附 加 税 を徴 す べき こと を主 張 し 、 調 印後 三箇 月 を 期 し て実 施 す べ
に華 府 会 議 に於 て決 定 せ ら れ た 二分 五厘 増 加 を 以 て満足 す べき も の
であ る。
止 さ る べ き や否 や の点 に関 し て は之 を全 然 別 個 の問 題 と し て居 る の
十 一月 三 日 日本 全 権 は 支 那 は即 時 に ﹁三箇 年 を経 過 し且釐
とし た と 認 む べ き か。 B 級奢 侈 品 を以 て遇 す べき 品 目 に関 し て は何
日本
とを 主 張 し て居 る。 而 し て 此 の際 或 は ( or) な る文 字 を 以 てせず 、
金 制 度 の廃 止 せら れ た る後 実 施 す べ き ﹂国 定 関税 法 を制 定 す べき こ
日 本 代表 は開 会 の際 に は本 問 題 に対 し て少 し も接 触 し な か
つた け れ共 、 十 一月 三 日 の会 議 に於 て は ﹁前述 中 間 期 間 に於 け る輸
日本
等 言 及 し て居 る処 がな い。
入品 に対 し て は、支 那 は華 府 条 約 第 三条 第 二項 に於 て決 定 せ ら れ た
に対 し ては 、釐 金 制 度 を廃 止 す る と同 時 に三箇 年 間 の期 日を 経過 す
且 ( and) な る字 義 を 以 てし た所 以 のも のは、 日本 が自 主 権 の実 現
る こと の必要 と す る と言 ふ旨 を表 示 し た も の、と 見 る べき であ る。
る税 率 を適 用 す べ き こと ﹂ を 主 張 し て居 る の であ る から 、 日本 の提
の範 囲 内 に局 限 さ れ たも のと認 む べき であ る。
案 に従 へば 完 全 な 自 主権 恢 復 に至 る迄 の附 加 税 率 は、 華 府 会議 協 定
米国
米 国 は前 述 四、 五 、 六、 七 条 の実 行 を条 件 と し て、 現 に支
に依 つ ては、 之 等 各関 税条 約 は即 時 に或 は 後 に協 定 し て差 支 な き こ
し 乍 ら 一方 日置 全権 は昨 日 (五 日 ) の講 演会 に於 て、参 加 国 の希 望
結
と、 と 言 明 し て ゐる )
那 の関税 に制 限 を 加 へ つ ゝあ る条 約 を 破 棄 し 、同 時 に支 那側 全 権 の 主 張 に従 つ て 一九 二 九年 一月 一日 を期 し て、 支 那 の国 定 関税 法 を実
と 同 時 に自 主 権 を 恢 復 す べ く、釐 金 を廃 止 せざ る限 り自 主権 を恢 復
が廃 止 後 各 省 の蒙 る べき 収 入減 を補 足 す る為 、 中 間期 間 に於 て は奢
を期 し て無 条 件的 に釐 金 を廃 止 す べき こと を誓 約 す ると 同時 に、 之
之 を 要 す る に茲 に簡 単 に総 括 す れば 、支 那 は 一九 二九年 一月 一日
論
施 す べき こと を提 言 し て居 る の であ つて、 要 す る に釐 金 を廃 止 す る
せず 、 と言 ふ の であ る 。 此 の点 に関 し、 時 な る問 題 は寧 ろ第 二義 的
侈 品 に対し て夫 々三割 及 二割 の附 加 税 を賦 課 す べき ことを 主張 し て
該 関 税 法 に規定 せ ら れ た る税率 の変 更 を為 す事 を得 る権 利 を獲 得 す
︱ 自 己 の関 税法 を制 定 し 、 且其 の欲 す る場 合 各 国 に対 し 条約 に依 り
乃 至 は 華府 条 約 実 施 の結 果 発 生 す べき増 収 関税 の用 途 等 の問 題 に関
し ては 関税 附 加 税 の徴収 に よ る か、 或 は其 の他 の財 源 に求 む べき か
為 さず 。之 は 以上 の問題 、即 ち 釐 金 の廃 止 に依 る各 省 の収 入減 に対
附 加 税 率問 題 に関 し ては華 府 会 議 の定率 に依 る旨 の外 何等 の発 言 を
日本 は釐 金 の廃 止 を主 張 し て居 る こと は 各国 と同 一であ るけ れ 共、
し て居 る の であ る 。
自 主権 発 生 は釐 金 の廃 止 問 題 と は全 然 関 係 のな い別 箇 の問 題 を構 成
居 る のであ つ て、支 那 側 の主 張 に従 へば 一九 二九 年 一月 一日 の関 税
の要 素 で あ つて、 釐 金 廃 止 と言 ふ現 実 の問 題 を 第 一義 的 のも のと し
案
た の であ る。 代
支 那 側 並米 国 側 の提 案 の骨子 は、本 会 議 に依 つ て参 加国 全 部 を網 羅 せ る 一の条 約 を締 結 し 、 本条 約 に期 間 の満 了 後 或 は 本条 約 中 に規
る のであ つ て、欧 洲 各 国 の関税 条 約 に於 て殆 ど必 ら ず 協 定 さ る ゝ最
定 せら れ た る条 件 の完 成 後 、支 那 は完全 な る自 主 権 を 恢 復す べく︱
恵 国約 款 の除 去 に就 て は何 等 言 及 し て居 な い。即 ち 自 主 権 の効 力 発
法 定税 率 を 制 定 し 、然 る後 各 国 に対 し て特 別 な 関税 条 約 を 締結 す べ
日 本 は開 会 の際 に於 ても十 一月 三 日 の会 議 に於 て も、 先 づ支 那 が
中 間 期 間 に於 ても其 の暫 行 率 に最 高 一割 二分 五厘 迄 の附 加 税 を課 し
税 を徴 収 す る こと を得 べき 従前 の各 条約 に 一歩 を進 め て、 廃止 前 の
し、 且釐 金 の廃止 に依 つ て のみ得 らる べ き最 高 一割 二分 五厘 の附 加
は之 を時 間 上 の問 題 と せず し て寧 ろ釐金 廃 止 と 言 ふ事 実 上 の問 題 と
米 国 も亦 釐 金 の廃 止 を主 張 す るけ れ共 、 自 主権 恢 復 の期 に関 し て
し て は少 し も言 及 し て居 る処 がな い。
き こと を主 張 し て居 る のであ つ て、本 提 案 は 日本 自 身 の経 験 に基 礎
得 べ き こと を 主張 し て居 る の であ つて、同 時 に之 に依 る収 入増 加 を
得 る こと にな る の であ る 。
生 後支 那 が或 一国 に対 し て許容 し た特 定 品 に対 す る特 定 税率 は、 各
を 置 いた も の であ る。 十 一月 三 日 の会 議 に於 ては国 定 関 税 法 、或 は
各 省 の釐 金 廃 止 によ る収 入 不足 額 の補 填 に充 当 し 、無 担 保 債 務 の保
国 悉 く之 に均 霑
三箇 年間 の中 間 期 間 を 置 く べき こと を主 張 し て居 る の で あ る 。 ( 然
之 に変 る べ き協 定 関税 法 が効 力 を 発 生 す る に至 る迄 に は少 な く と も
証 に充 つべき事 を併 せ 主張 し、 加 之釐 金 廃 止 の有無 を検 す る為 、 一 九 二 八年 五月 一日 を期 し て更 に 一会議 を開 く べき旨 を以 てし て居 る。
調査 課
情報 係
3
滄 石 線 は元来 民国 九 年 梁士 詒 の主 張 に依 り罹災 民 救 済 の為 其
交 通 系 の大成 功 と該 系 人員 の配 置
も亦 節 減 し 得 る事 少 く な い。
之 に よ つ て東 部 地 方 殊 に天 津 に向 へば運 輸 上捷 径 にし て、費 用
二 一 時 局 によ る関内 鉄 道被 害 他交 通 関係
一
秘
の基 礎 工事 に着 手 し たも の であ る が、 政 変 しば し ば起 つた為 其
の儘 に放 置 され て居 たも の であ る。 今 次 葉恭 綽 入閣 す るや着 々
政 変 後 津浦 、京 漢 両 鉄道 沿 線 では 奉 軍 、国 民 軍 の両 勢 力 が相
奉 軍 々事 行動 上 の便 利
ば な ら ぬ 。之 亦 該 線促 成 の 一因 であ る。
配 置 す る余 地 は殆 ど な い。 依 つ て他 方 面 に其 の配 置 口 を覓 めね
力 あ る 軍官 に依 つ て既 に先 鞭 を つけ ら れ居 る為 、該 系 の人 々を
は 葉氏 の入閣 に依 つて活 動 す る と は言 へ、各 交 通機 関 は殆 ど 勢
があ る 。従 つ て該系 人 員 の配 置 も亦 必要 と な つた。然 る に該 系
北 京 特 報 (大 正十 四年 一月 六 日) ︹ 滄州石家荘間︺ 滄 石 鉄 道建 設 問 題 大要
1
対峙 し て居 る 。滄 石 鉄道 は此 の両 鉄 道 間 を横 貫 し 、該 鉄 道 完 成
導 該線 の所 要 資 金
土 木 技 師 李 大受 の見 積 に依 れば 約 一千 万元 であ る。 其 の内 訳 左 の
該 線 の基 礎 工事 は既 に成 つ て居 る か ら所 要資 金 も自 ら 限度 あ り 、
石 炭 運 搬 上 の便 利
如 し。
に比 す れば非 常 な便 利 であ る。
石家 荘 に至 り て南 下 し 得 べ く、 之 を 京 奉線 を迂 回 し て南 下 す る
せば 奉 軍 は其 の勢 力 を 中原 に拡 張 し 、 滄州 より滄 石線 に沿 ふ て
該 鉄 道 建 設 の意 義 には 左記 三 つがあ る。
と し て該 案 を 進 行 せ し め遂 に成 功 し 、 其 の成 績 誇 る に足 るも の
二
本 件 に関 し 交 通部 某 秘 書 及某 司 長 の談 を 綜合 せば 左 の如 し 。
庶 調 情 第 二 二九 五号
一
2
山 西 省 産 の石炭 を 各 地 に供 給 す る に当 り、 滄 石線 完 成 の暁 は
三
四
1
該 線 総 里程 は 二百 七 十 四基 米 、 一基 米 当 り 軌 条 の敷 設 、 枕 木 の購 入等 平 均 二 万元 を要 し 、全 線 二百 七 十 四基 米 には 五 百 四十
み。
将 来 車 輛 の購 入 は客 、貨 車通 じ て二 百輛 、約 三百 万 元 の見 込
八 万 元を要 す る計 算 と な る 。 2
該 局 機 密費 及職 員 の俸 給約 百 万 元 。
北京公所長
京 津 間 旅 客 列車 に土 匪 掠 奪 の件
大 正 十 四年 一月 七 日
京 津 間旅 客 列 車 内 に土匪 潜 入 し 旅客 の金 品 を掠 奪 し た事 件 が あり
三 十 日午 後 四時 二十 分北 京 を 出 発 し ま した第 五列 車 が 同夜 八時 頃
ま し た 。 大略 左記 の通 り であ りま す 。
楊 村 北倉 間 運 輸 中 、忽 然 乗 客 に扮 装 し居 りた る土 匪 七 名 (五名 と も
言 ふ ) が列 車 中 央 部 に連 結 され あ りし 一等車 内 に闖 入 し来 り、 拳銃
3
及 小銃 を擬 し て乗客 を脅 迫 し 、主 とし て外 国 人 に向 ひ 双手 を挙 げ し
約 二 十名 に て、掠 奪 の難 に遭 ひ し も のは 外国 人 のみ に係 り、 其 の損
当 時 乗 客 は日 本 人 二名 、 欧 米 人 七名 (内 一名 婦 人) 其 の他 支 那 人
倉 駅 に 近 づ き徐 行 す る や飛 下 り 逃 亡し 去 れ り。
め其 の携 帯 せ る指 輪 、 時 計 、 金銭 及外 套 、鞄 等 を強奪 し、 列 車 が北
以 上総 計 一千万 元 内 外
該 線 の完 成 は既 に運炭 上 の利 便 にあ る が故 に、 開〓 炭 鉱 会 社
資 金 調 達 の計 画 1
は先 づ政 府 に対 し立 替 を申 込 ん だ が、其 の金 額 は三 百 万 元 であ
害 額 は約 一万 円 の多 き に達 す る が如 し 。
る 。其 の条件 次 の如 し 。
ロ、 該 炭 鉱会 社 は優 待 的利 益 に預 る こと。
イ、 開 通後 二 ケ年 にし て金 部 償 還 す る こと。
而 し て該 土 匪 は 奉天 軍 の兵 士 な り、 と 伝 へら れ し も、 其 の携 帯 品
の観 測 に依 れば 奉 天軍 の兵 士 には あら ざ るが如 く 、直 ち に廊 坊附 近
借 款 五 百 万元 乃 至 千 万 元 は猶 議 決 す る に至 ら な いが 、借 款 を
に於 て縛 に就 き既 に銃 殺 され た り 、と 称 せら る るが 一面 には 嫌 疑 の
2
編注、 承 認 した も のは南 満 鉄道 会 社 にし て、現 に商 議 中 であ る ︹傍 朱線
︺
交 通 銀 行 の政 府 株 内 よ り 百万 元 を支 出 す る。 工事 開 始 並 に竣 工期 日
の 一隊 を乗 務 せし め居 る趣 なり 。
浦 線 天津 桑 園 間 各 列車 毎 に稽 査 兵 十 四名 、憲 兵 六名 、私 服 探 偵 数名
其 の後 列 車 の警 戒 に 対 し ては 又 大 に意 を用 ひ、 京 奉線 京 津 間 及津
居 れ る趣 な り。
態 度 を持 し 、 調 査 に着 手 し 夫 々賠 償 の方 針 を 以 て既 に賠 償 を 実 行し
外 人乗 客 の被 り し損 害 に対 し ては京 奉 鉄路 局 に於 て直 ち に慎 重 の
下 に未 だ審 訊 中 な り、 と も伝 へ居 れり 。
を附 し そ の上 部 に?あり
3
該 線 は已 に測重 に着 手 し 二箇 月 以内 には 工事 を開 始 し 、十 五 年 七 月開 通 の予 定 で あ る。
二
北 公 調 二四第 甲 号 の八 一
三
北 公調 二四 第 甲 号 の八 二 北 京公 所 長
葉 恭 綽 鉄 道 拡 張計 画
大 正十 四年 一月 七 日
北京 着 四鉄 道 発 送穀 類 運 賃半 減 の件
北 公 調 二 四第 甲 号 の七 二 を以 て首 題 の件 に就 き報 告 せ し が、 本 月
北京 公 所 長
七 日附 を 以 て更 に其 の貨 物種 類 に米 、麦 、 麦 粉 の三種 を も同 様 半 減 す る こと を 発 布 せ り 。
北公 調 二四 第 甲号 の八 六
五
整 理 もし 拡 張 も計 画 し て居 る こと は既 に報 告 致 し ま し た が、 本 日 の
滄 石 鉄 道 の件
大 正 十 四 年 一月 八 日
葉 恭 綽 氏 が交 通 総 長 に就 任 し て以来 鉄 道 政 策 に付 き、 熱 心 に種 々
京 報 に よ り ます と 、葉 氏 は 昨 日附 を以 て段執 政 に、 国有 鉄 道 大 拡張
滄 石鉄 道 の件 に付 ては既 に再 三報 告 せ し が、 交 通部 方 面 を探 り、
の意 見 と並 に軍 隊 を 以 て工 事 を な さし む る政策 に就 て の意 見 書 を提
窮 し遂 に工 事 を中 止 せし む る の止 む な き に至 れ り。 依 て交 通部 内 に
又 新 聞紙 上 の報 告 を 参 照 す る に、葉 恭 紳 氏 が交 通 総 長 に就 任 以来 、
於 て再 三 其 の善後 策 を研 究 し た る結 果 今 回同 鉄路 局 の人員 は京 漢 、
出 し た さ う で あ りま す。 其 の国有 鉄 道 の大 拡張 と言 ふ のは 左 の四線
京 奉 線錦 州 、 〓南 経 由 斉 々哈 爾 に至 る線
工程 局 長 、総 工程 師 を任 命 し直 ち に着 工せ し め た るも、 又復 金 策 に
第 一線
京 漢 線漢 口 より広 州 に延 長 す る線
更 に京漢 、 津 浦 両 鉄 道 よ り借 用 す る の方 針 を樹 つる に至 れり 。 一面
津 浦 両 鉄 道 より借 用 し、 更 に同 鉄 道 開 通後 に於 ても、 其 の車輛 を も
であ り ま す が、 其 の工事 に就 ては決 し て外 債 を借 ら な い、 と言 ふ て
第 二線
隴 海 線蘭 州 より 伊梨 に延 長 す る線
居 りま す 。
第 三線
北 公 調 二 四第 甲 号 の八 九
六
し を以 て、 再 び線 路 建 設 に着 工す る に至 れり 。
速 に其 の開 通 を希 望 し 応 分 の出 資 を厭 はず と の旨 を発表 す る に至 り
該 鉄 道 沿線 の各 石 炭 業者 も其 の運輸 の便 を 得 る起 見 の下 に、 一日 も
第四線 京紐線包頭沈 より恰克図 に延長する線 追 て本件 の虚実 に就 ては交通部そ の他 を取り調べ、後便として報 告致します。右 不取敢えず。 四
大正十四年 一月八日
北公調 二四第 甲号 の八五 北京公所長
北 京 公所 長
民 国鉄 道 民 有 論 に就 て
大 正 十 四年 一月 十 三 日
亜 米 利 加 の銀 行 団 領袖 モ ルガ ン氏 が本 国 に於 て 、中 華 民 国 の諸問
北 京 公 所長
日 の通 り運 転 し 居 る趣 き で あり ま す。
八
北 公 調 二四第 甲 号 の九 一
題 を論 究 し た る 一節 と し て 、昨 十 二 日附 の漢 字 新 聞順 天 時 報 に掲 載 し て居 り ま す所 を 見 ま す と同 氏 は、 民国 の現 状 は財 政 の困 難 と 軍閥
大 正 十 四年 一月 十 四 日 兵 工 政策 と 交 通 政策
の横 暴 に基因 し て居 る こと を論 じ て居 りま す が、其 の末 段 に総 て の 借 款 は全 部之 を公 開 せ よ 、 と謂 ふ こと を力 説 し 、更 に民国 の交 通政
葉 恭 綽 氏交 通 総 長 に就 任 以来 鉄 道 、道 路 の修築 、建 設 に意 を注 ぎ 、
の政 策 の具 体的 方 法 は未 だ公 布 され ぬ が 、最 近 の順 天 時 報紙 上 に沈
其 の前 提 と し て兵 工 政策 を計 画 し 居 る ことは前 報 告 通 り な る も、 此
策 に大 障 碍 を与 へて居 るも のは鉄 道 国有 の為 であ る と し、 之 を 一日 も早 く 民 有 にし なけ れ ば な ら ぬ、 其 の理由 と し て
租 蔭 氏 が 其 の 一端 を 発表 し て居 る から之 を摘録 、御 参 考 の為 送 附 し
一、 民 国 の政体 に符 合 し て居 る 二、 民 国 の商 工業 を 発 達 せ し む
一、 交 通 工程 隊
ま す。
一、 自 動車 、電 車 工廠
の修築 に用 ひ、交 通事 務 所 之 を管 轄 す 。
程 完 了 のとき は 工程 隊 の十 分 の 一、 或 は 百分 の五 を酌 留 し て道 路
及 工程 の計 画 に当 り各 省 に設 け ら れ交 通 部 が直 轄 す 。但 し 将来 工
交 通事 務 所 は 交 通 工程 隊 の支配 管 理 の機関 にし て、 工務 の進 行
一、 交 通 事務 所
にし て 一箇 年約 四 十 五万 里 を修 築 し 得 る、 と。
里 ) の築 路 に当 ら しむ れば 、 即 ち 三千 隊 一日 の修 築 は 一千 五 百 里
分 ち 大省 に 二百 隊 、 小省 に百 隊 を配 置 し 各隊 をし て 一日半 里 (支
国 道 の修 築 、 鉄 道 の建 設 に従 事 せ し む。 約 百 五十 万 人 を 三千 隊 に
交 通 工程 隊 は 鉄道 開 拓 の目 的 を 以 て設 け 五 百人 を 一隊 と なし 、
三、 貿 易 を盛 にせし め 得 る
北 京 公所 長
四、 民 有 鉄道 な らば 軍 閥 が之 を横領 し て其 の収 入 を独 占 す る こと が 出来 ぬ と の理 由 を挙 げ て居 る。
七
北 公 調 二四第 甲 号 の九 〇 大 正 十 四年 一月 十 四 日
京 漢 線 黄 河 鉄橋 破壊 訛 伝 の件 本 日 の邦 字 及 漢 字新 聞 に本 月 十 二 日貨 物 列車 が黄 河 鉄橋 通 過 の際 、 鉄 橋 破壊 貨 車 二輛 河中 に墜 落 せし旨 報 導 し て居 り ます が、京 漢 鉄 路 局 に就 き 取調 べた る 所 に依 れば 、右 は 一の謡 言 に過 ぎ ず 、列 車 は平
地 方 の発 展 を 計 る目的 に て自 動車 工廠 を 創 立 し て広 く 之 が製 造 を な し 、 又電 車 工 廠 を設 け て電 鉄 を各 省 に推 し広 め、 且 各省 繁 盛 な る地 に発電 廠 を 設 け電 気 の充 実 を計 り、 一方該 地方 の電 気事 業 の需 要 に応 ず る、 と 。電 鉄 の事 務 は各 省 交 通事 務 所 に於 て取扱 ふ。 一、 鉄 路 籌 備処
九
北 公 調 二 四第 甲 号 の九 二
北 京 公 所長
事 せし む 。 同時 に経 験 あ る築 路 工人 百数 十万 人 を 採 用 し て各 要 処
の 一部 を し て別 に組 織 し 、鉄 路 籌 備処 に属 せし め 鉄道 の修 築 に従
空 貨車 に附 属 の鉄棒 離 脱 し 、鉄 路 之 を 引 きず りた る為 、貨 車 二輛 脱
無 根 の こと では な く、 当 時 本 月 十 二 日第 四 〇 六号貨 物 列 車 連結 中 の
路 局当 局者 の声言 に基 づ き訛 伝 な る旨 報告 致 し ま し た が、右 は全 然
首 題 の件 、本 月十 四 日附北 公 調 二四 第甲 号 の九〇 を以 て 、京 漢 鉄
京 漢 線黄 河 鉄 橋 破壊 の件
大 正 十 四年 一月 十 六 日
に配 置 す 。 此時 全 国 の交 通 は既 に修整 し自 動 単 、電 車 亦 運行 し 鉄
線 し 、内 一輛 河 中 に墜 落 し た る 様 子 で あり ま すが 、 人畜 の死傷 な く
交 通 を広 む る目 的 を 以 て設 け 、 各省 交 通 事 務 所 よ り酌 留 工 程 隊
路 材 料 の供 給容 易 且 工事 の進 行 迅 速 な る こと言 を 侯 たざ る を以 て、
一〇
北 京 公所 長
であ り ま す から 、右 改 め て報 告 し ま す。
線 路 も約 十数 時 間 に て修 理 を 了 し 、午 後 平 日 の通 り 運転 し 居 る趣 き
数 年 後 に は諸 大幹 線 の築 路 を視 る こと 容 易 な り、 と 。 ︹ 二字不明︺ 開 墾 の 一事 は 地利 □ □ の目 的 を 以 て設 け ら る交 通 の範 囲 に非 ざ
一、移 墾 事 務 局
る も 、開 墾 の時 器 具 の供 給 、農 産 物 、 工 作物 の輸 出 、 輸 入 は均 し く交 通 と関 係 あ る 、 以 て暫 次 交 通部 之 を弁 理 す る、 と 。
北 公 調 二四第 甲 号 の九 五
一、 交 通研 進 社 人材 増 進 の目 的 を 以 て交 通 研進 社 を設 け専 門 の学 者 を 招聘 し、
張 作 霖 よ り交 通 部 宛
八 日電 見 、本 軍 占 用 の京 奉 車輛 は予 て派
張 作霖 、京 奉抑 留車 輌 を悉 く 返 還す
大 正 十 四年 一月 十 九 日
一
路 務 の改 革 を研 究 し交 通 利 器 の発 明 に当 ら し め む。 又 一面 一般 有 志 の士 を徴 求 す る為 、器 械 発 明 者 あ る とき は本 社 之 を 審 査 の後 全 国 各 鉄路 工廠 に於 て地点 を指 定 し て試 用 せし め 、而 し て器械 の製
しく 徒 歩行 軍 に依 ら し め鉄 道 輸 送 を 用 ひざ る ことと し た 。
員 返 還 し つ つあ るが 、現 に帰 奉 せ ん とす る本軍 は鉄 道維 持 の為 均
九 日電 見 ( 前 略 ) 今次 の車 輛返 還 並 奉 軍
徒 歩 凱 旋 の挙 は商 難 を垂 念 せら れ し に出 でし も の感 佩 に堪 へず 。
交 通 部 よ り張 作霖 宛
造 精 巧 な る も のは 国家 よ り工廠 設 立 に補 助 し 、 且若 干 年 特 許権 を
二
与 へ次 は国 家 に於 て其 の権 利 を 買受 く ると 、斯 の如 く し て科学 の 発 達 に努 む 。
に、信 陽 州 武 勝 関 以南 は完 全 に湖 北蕭 耀 南 に各 管 轄 せら れ て居 る。 ︹ 承訓︺ 然 れ ば葉 交 通 総 長 は 近 く楊 京 漢 局長 と共 に、之 等 各 軍 事長 官 に積 極
︹マ マ︺
て 不取 敢 滞貨 の 二、 三 割 を輸 送 せし め商 因 を 緩 にせ む ことを 期 す 。
あ るが 、各 軍 事 長 官 が能 く 此 の請 を容 るれ ば 交通 は恢 復 せ ら れ、京
的 交 渉 を 遂 げ、 其 の抑 留 車 輌 の如 き も返 還 を 請 ふ こと にな つた由 で
今 や旧年関 に近く商情益逼迫す るも のあれば、既 に各鉄道 に令し 唯 津 浦 局 よ り の報 告 に依 れ ば沿 線 の滞 貨 六、 七十 万 噸 あ り、 此 の
一二
大 正 十 四年 一月 十 九 日
北 公 調 二四第 甲 号 の九 四
一三
北京公所長
ら被 害 車 輌 は現 に大 急 ぎ修 理中 であ る 、 と。 (一月十 八 日 鉄道 時 報 )
を 損 傷 し 、津 浦 線 は 目 下調 査 中 にし て其 の数 未 だ 明 か でな い。尚 之
に は五 十 輌 と あ るも 見 出 の数 と合 は ざ る故 、 訳者 に於 て斯 く記 す )
十 輌 、 京 奉線 は 二百 輌 中 五十 輌 、 京綏 線 は八 十 五輌 中 二十輌 ( 原文
な る が、 中 にも機 関 車 の破損 最 も 多 く 、京 漢 線 は 二 百三 十輌 の中 四
交 通 部 の調査 に依 れ ば、 今 次 の変 乱 に依 る鉄道 の被 害 は極 め て巨
今 次 の変 乱 に依 る各 鉄 道 破 損機 関車 数
北京公所長
漢 局 も 或 は 破産 を免 れ る こと が出 来 よ う。 (一月 十八 日鉄 道時 報 )
内 其 の 二、 三割 を先 送 せ む に は約 一千輌 を要 す るが 、現 在 該 鉄 道 所 属 並他 線 の車 輌 合 計 千 八 百輌 中 千 五 百 輌 は軍 隊 に抑 留 せ ら れ、 残 余 の約 二百輌 を 以 て纔 に機関 車 用 の石 炭 及 小 口貨 物 を輸 送 し つ つあ る状 態 な れ ば 、尚 七 百 輌 の不足 あ り と 。依 て京 奉 車輌 は将 に 旧 態 に復 せむ と し つ つあ るが 、尚 津 浦 沿 線 の商 艱 をも 賢察 さ れ、 該 線 商家 も同 様 の恩 沢 に浴 し 、 又鉄 道 は 一般 輸 送 を 維 持 し得 る様 、
北京 公 所 長
其 の車 輌 の返 還 方 を現 在 津 浦線 駐 屯 の各 軍 に命 令 請 ふ (一月十 六 日鉄 道 時 報 )
一一
北 公 調 二 四第 甲 号 の九 三
京 漢 局 の危 機
大 正十 四年 一月 十 九 日
京 漢 線 は曹 〓 、 呉 佩孚 が全 線 を南 北 の両 区 間 に分 つて其 の収 入 を 把持 し て より 、 局員 の給 料 は 全 く借 財 に依 り 支出 せら れ て居 る。 十
北 公 調 二四 第 甲号 の九 六
二 年 秋 よ り十 三年 末 ま で其 の額既 に五、 六 百 万 元 (一説 には 三 百 万 元 ) に達 し、 殆 ど該 鉄 道 は破 産 の域 に近 づ き つ つあ り。 即 ち昨 年 奉
大 正 十 四 年 一月 二十 日
京 漢 線 の収 入 は 三段 に区 分 し、 彰 、 順 、京 畿 一帯 のも のは 該本 局
交 通 部 鉄道 収 入 を供 用 せ し め難 し
直 戦 再 発後 各 鉄 道 は 軍 人 に掌 握 せら れ、 近 来 漸 く 之 が整 理 を 見 つ つ あ る も 、京 漢 線 は な ほ 四分 五 裂 し 、聞 く所 に依 れ ば、 該 線 北 京保 定 間 は 国 民軍 孫 岳 に、保 定 鄭 州 間 は 岳 維峻 に、 鄭 州 信陽 州 間 は胡 景 翼
に 、黄 海 武 勝 関間 のも のは 河南 軍 に、 武勝 関 漢 口間 のも の は湖南 政
本線 では数日前 上り第八十六列車と第 八十八列車 が昌黎附近 にて
京
線
府 に徴 収 せ ら れ つつあ り 、交 通 部 は 旧年 関 に際 し需 款 す る こと極 め
報告を得 たる後直ちに該線鎮威軍子運輸司令 に次 の如く其 の査弁方
衝突 を起し、転轍夫数名を傷 つけた。交通部路政司長劉景山は其 の
奉
て急 な れ ば 河南 、 湖 北 の各 地方 機 関 に対 し、 鉄 道 収 入 を 一律 本部 に
関 鉄 道 収 入 の十分 の六 を 軍費 と し て納 入 せ し む る様 命 令 し て居 る 。
合中なりしが、忽 ち第 二軍 々用列車 は信号を突破して進 入し来 り、
黎 に於 て入換 の際 、第八十八列取 も同駅遠方信号及場内信号間に待
京 奉線 よりの報告 に拠 れば去 月三十 一日、上り第八十 六列車 は昌
移 牒するところがあつた。
送 附 方 移 牒 せ る に、 胡 景 翼 は未 だ之 に従 はず 、 孫 岳 の軍隊 も信陽 に
然 れば 鉄 道 収 入 は啻 に交 通部 の命 令 通 り本 部 に送 附 せ ら れざ る のみ
第八十八列車と衝突 し車掌並開〓炭礦局転轍夫 に重傷 を負はせ、且
進 軍 し 胡 景 翼 の軍 隊 と 交 替 北 上 す るを 以 て、再 び 南 段 に於 け る各機
な らず 、 反 つ て地方 に於 て越 権 徴 発 さ るる 次第 に て、 交通 部 の権 力
緩 急車及 二十噸、四十噸無蓋車各 一輌を破壊す るに至 つた。惟ふに、
当地日本国際観光局には未だ公報なき趣 ですが昨二十日の順天時
津浦線の乗車券発売停止
大正十四年 一月二十 一日 北 京公所長
北公調二四第甲号 の九九
一五
易 きに依 り、鉄道維持を念 とせられ軍專輸送規定 に拠 り相当処分請 ふ。
用列車 の我儘勝手 なる運転は頗 る危険 にして恐 るべき事故を発生し
品積載車 は、第 四列車 の線路 明渡 を俟 たず先行 せむとした。之等軍
将 に落垈 を出発せむとす るときも、郎坊第六旅司令部員附添 の軍需
結果 此の事変を惹起したるもの である。又本月 二日上 り第四列車 の
此 れは該列車が軌道 の開通前 に於 て、利害 を顧 みず突 入し来りたる
は 実際 は僅 か に 一小 部 分 に行 使 せら る る にすぎ な い。 (一月 十 九 日
北京公所長
鉄道時報)
一四
北 公 調 二 四第 甲号 の九 八
線
軍 人 の頻 々た る鉄 道障 害 (一月 二十 日順 天時 報 )
大 正 十 四年 一月 二十 一日
浦
一昨 午 後 十 時頃 本 線 門 台 子瀛 懐 舘 (訳音 ) 間 魚 貫 站 (八 五 六、 二
津
粁 地方 ) に於 て、軍 人 が無 理 に五輌 (原 文 は 五列 と あ る も異 な る故 、 暫 く斯 く 訳 す) の空 車 を 北行 せ しめ む と し た る折 柄 、北 方 より南 行 し つつあ り た る 二輌 (之 も原 文 は 二列 と あ り) の空車 あ り、 此 の間 隔 余 り に短 か か りし 為 、待 避 の余 裕 な く 両列 車 遂 に衝 突脱 線 し 、 車 軸 を破 損 し た る 上車 掌 は 負傷 す る に至 つた 。詳 細 は 続 報 を侯 つ て再 報 す る。
見 て恐 らく 一時的 の事 であ ら う と思 ひま す 。
て居 る が 一説 に拠 る と 、機 関 車 の スパ ーク が車 扉縁 の柔 軟 部 に落 ち
津 に着 し幸 に旅 客 には聯 も 異 状 が な か つた 。原 因 は種 々 に唱 へら れ
一七
北 公調 二 四第 甲 号 の 一 一五
され て居 た。 初 め 二 等車出 火 の際該 列 車 の車 掌 は 直 ち に之 を機 関 手
由 し て来 た も ので、 又 機関 車 の直 後 には張 宗 昌 の家 族搭 乗 車 が連 結
行 嚢 二百 五 十個 を 悉 く焼 いた。 右 郵 便行 嚢 中 十 一個 は西 比 利亜 を経
ず 、列 車 開 通後 返 還 を 受 け た る は僅 か に機 関 車 三輌 、 貨 車 百十 八 輌
以 て各 軍 当 局 に対し 車 輌 返還 の交 渉 を 為 し居 るが結 果 捗 ば か し から
よ り、 大 にし ては国 家 の歳 入 に も関 係 あ りと し 、従 来 種 々 の方法 を
に抑 留 せら れ て居 る。 然 し京 奉 局 では 之 が為 一般 の民 衆 の困 難 は固
総 て之 等 の車 輌 は国 民 軍第 二、 三 軍 、湖 北 第 一師 、 第 二 十 五師 等
八 二 四輌
客 車 一〇 六 、無 蓋 車 五 一八、 有 蓋 車 二 五三 、 其他 九 四七 、計 一、
せ ら れ て い る車輌 を掲 げ る と次 の如 く であ る。
送 停 止 は各 所 に甚 大 の影 響 を 与 へて居 る。 今 同 線 が軍 隊 の為 に抑 留
沿 線各 駅 の滞 貨 は山 積 せら る る 一方 であ る が中 にも穀 類 、 石炭 の輸
京漢 線 は昨年 戦 乱 勃 発 以来 其 の所 属 車輌 は大 部 分軍 用 に徴 さ れ、
京 漢 線 の被 抑 留 車 輌 (一月 二十 一日順 天 時報 )
大 正十 四年 一月 二十 二日
北京公所長
発 火 し た 、と 言 は れ て居 る。
報 に掲 載 され て居 り まし た か ら 不取 敢 御 知 ら せ致 し ま す。 前 例 から
江 浙 戦 の再 発 に伴 ひ天 津 駐 屯 の鎮 威 軍 は 紛 々とし て南 下 し、 之 等 軍隊 輸 送 列 車 の為 、津 浦 線 旅 客列 車 はま た 不通 と な つた 。 一昨 日 発 売 の乗 車 券 は 之 が為 通 用 せず 、其 の賃 金 を払 戻 し 昨 日 よ り は全 く 発 売 を停 止 し た 。 旧年 関 を 眼 の前 に控 へた る 今 日鉄 道 の不通 は各 地 の
北 京 公所 長
年末 決 算 を 困 難 なら し む る も の故 、 商 家等 は異 常 に焦慮 し て居 る 。
一六
北 公 調 二四第 甲 号 の 一一二 大 正 十 四年 一月 二十 二 日
京 奉列 車 関 外 に於 て火 災 (一月 二十 一日 順 天 時報 ) 一昨 午後 一時 京 奉 列 車 が関 外 錦 州附 近 の陳 家 屯 に至 つたと き 、 二
に警 報 し 、車 外 に難 を避 けむ とし た が困 難 なり し為 、鉄 槌 を 以 て車
等 車 よ り忽 ち出 火 し 一等寝 台 車 、 二等客 車 、 郵 便 車 各 一輌 並 郵便 物
を 破壊 の上 脱 出 し 漸 く乗 客 に出 火 を知 らす こと が出 来 た。 当 時張 将
にすぎ な い、 と 。
北 公調 二 四第 甲 号 の 一二〇
一八
軍 の家族 は 一隊 の奉 軍 を附 添 はし め て居 た の に、該 軍人 等 は列 車 が 停 車 す る や ピ スト ルを翳 し て機 関 士 に列 車 の運 転 を強 制 し た 。而 し て郵 便 車搭 載 の郵 便 物 は車 掌 が来 て漸 く 七十 個 を 取 り出 し た け れ ど も 、 其 の他 及 手 荷物 は其 の暇 がな か つた。 猶 該 列 車 は 一昨 夜 六時 天
北 京 公 所長
天津 各 国 商 議 の鉄道 輸 送 改 善 に対 す る聯 合 会
大 正 十 四年 一月 二 十 七 日 一九
北 公 調 二 四第 甲 号 の 一二 一
支 那 鉄道 の輸 送 恢 復 不敏 活 に は天 津各 国商 人 も 痺 を 切 らし た と 見 え、 二十 一日午 後 五時 よ り ゴ ルド ン ・ホ ー ルに 日、 英 、米 、仏 、 独
大 正 十 四年 一月 二 十 七 日
北 京公 所 長
最 初 聯合 商 議 の起 草 に係 る天 津 首 席領 事 宛 輸 送 改善 請 願 草 案 を附
資 金 の出 所 を 鉄道 に仰 がむ と す る所 より出 で たも ので あ ると 伝 へら
測 量 の上、 米 国 の資 本 に依 り 営 む筈 で、右 は彼 が 西北 督 弁 に就 任 後
長 区 間 不明 ) を企 て て居 る 由 であ る。該 計 画 は米 国 技 師 を 聘 し実 地
る と馮 は綏 遠行 を変 更 、 依然 平 地 泉 に在 り て京綏 線 の延 長 ( 但し延
馮 玉 祥 の其 の後 の消 息 は沓 とし て不明 であ つた が、 昨 日着 報 に依
摘要 )
馮 玉祥 の京綏 線 延長 計 画 説 (一月 二 十 三日 新 支 那所 載
の各 国 商 議 聯合 会 を開 催 し 、 之 が 対策 を 講 じ た様 であ り ま す が、 従 来 の如 き 手 温 い交 渉 方 法 では 到底 役 に立 た ぬ、 と看 取 し た か同 会 議 に於 て大 部 打 込 ん だ手 段 を 以 て目的 を貫 徹 せむ と す る議 論 のあ つた こと は稍 注 目 に価 す る こと と思 ひ ま す。 以 下 聊 か二十 二日 ( 京津 日
議 せ るが 、議 論 百 出 の中英 商 議 会 頭 ビ ータ ア ス氏 は従来 の方 法 にて
れ て居 る。
日紙 ) 所載 の大 意 を 掲 げ て御 参 考 に供 し ま す。
は無 効 な り し 次第 を述 べ、 開〓 炭 礦 局 総 支 配 人代 理 ネ ーサ ン氏 は 同
し 、普 通 列 車 も各 国 軍 隊 の直接 保 護 の下 に輸送 を為 す 外 改善 の途 な 二〇
北公 調 二四第 甲 号 の 一二 二
業 状態 及収 支 損益 を国 有 鉄 道 会計 規 則 に準 じ、 交 通 部 に報 告 の上之
私設 鉄 道 法 第 四十 二条 に依 れ ば鉄 道会 社 は毎 年末 に於 て、其 の営
依 り 、昨 日左 の如 く 部 令 を 発 し た。
葉 交 通 総 長 は私 設 鉄 道 よ り の交 通 部 に対 す る報 告 甚 だ少 な き廉 に
交 通 部 の私 設 鉄 道 審 査励 行 (一月 二十 三 日鉄 道 時 報 )
大 正十 四年 一月 二十 八 日
北 京 公所 長
炭 礦 の運 炭 列 車 が英 国 兵 の乗車 保 護 に依 り 漸 く輸 送 し 得 る実 験 に徴
し と結 び、 京 津 タ イ ム ス紙 主筆 ウ ツド ヘツド氏 は支 那 各 鉄道 は諸 外 国 の債 務 担 保 に供 せ ら れ居 る に、支 那 軍 隊 は 自由 に車 輌 を抑 留 し鉄 道 収 益 を害 す る も のな れば 、列 国 は此 の点 よ り厳 重 に支 那 政府 に圧 迫 を 加 ふ べき な り と論 じ、 日商 議 小林 氏 は 一般 論 の主 張 は実益 なし 、 宜 し く 実際 に有 効 な る 方法 を講 ず べ く、 之 が為 には支 那 人 以外 の輸 送 監 理官 を採 用 す る要 あ り と て、 支 那 の軍 人 大 官 等 が車 輌 を抑 留 し て私 利 を営 め る実 例 を説 示 せり 。 此 の結 果 会 議 各 代表 の意 見 を参 酌 し、 改 め て首 席 領 事 に請 願 書 を 提 出 す る こと とな れ り。
を 株 主 総会 に提出 す る こ と にな つて居 る か ら、 本 部 は之 が遵 照 方 に
て居 ら ぬ。然 れば 此 の際 十 三年 分 の営 業 報 告書 等 にし て未 提 出 のも
条 令 に依 る報 告 は極 め て稀 な れば 、 大 部 分 審 査 を欠 き 甚 だ体 を成 し
のな れば 切 実 に之 を審 査 す る要 が あ る。然 る に近 来 之 等 諸会 社 よ り
も の な れば 重要 な る関 係 あ り 、殊 に本 部 は 私設 鉄 道 監 督 の責 あ るも
道 の営 業 状 態 収支 損 益 を 比 較 の上、 全 国 鉄 道統 計 を作 製 せ む と す る
就 き各 会 社 に屡 次通 告 す る所 が あ つた。 蓋 し本 項 営 業 報 告書 は各 鉄
又 一面 同 線 貨 物輸 送 善 後 策 講究 の為 、 部員 劉 思 承 を特 派 し て其 の状
及 盧宣 撫 使 に対 し 、各 軍 抑 留 の車輌 を至 急 返還 す べ き様 電 請 せ る が、
れ ざ る と きは 将 来益 支 持 困 難 な る に至 る であ らう 。然 れば 本 部 は張
も 先 づ平 時 の十 分 の二、 三 に恢 復 す る要 あ り 、若 し 之 さ へ実 行 せ ら
と す る 。今 本 部 の調 査 し た る所 に依 れ ば、 津 浦線 貨 物 輸送 は少 く と
し め 金融 を 円滑 にす る に あ り、 従 つて輸 送 の復 旧 は刻 下 の最 大 急 務
二二
大 正十 四年 一月 二十 八 日
北 公 調 二 四第 甲 号 の 一二 四
北 京公 所 長
を 以 て輸 送維 持 の為 充 分 の協 力 あり た し 。
況 を視 察 せし め 、尚 欧 慶 瀏 、黄 哲 裴 を も同 線 に派 し折 衝 せし む べき
北京 公 所 長
のは 、 再 び 遅 延す る事 な く至 急 提 出 す べ し 。
二 一
大 正 十 四 年 一月 二十 八 日
北 公 調 二四 第 甲 号 の 一二 二
葉 交 通 総 長再 び鎮 威 軍 に津浦 線 の輸 送恢 復 を函 請 す
還 の命 令 方電 請 す る と ころ あ つた旨 報 じ て置 きま し た が、 却 々其 の
隊 に車 輌 を抑 留 せら れ て輸 送 上不 足 に付 、該 線 駐 屯 の各軍 に車 輌 返
( 前 略 ) 馮使 平滂 線 敷 設 の 一節 に就 き 聞 く所 に依 れ ば、 交 通部 は
点 が分 明 にな り ま し た から 続報 と し て其 の概 要 を御 知 ら せ致 し ます 。
のま ま概 報 致 し てお きま し た が 、去 る 二十 三 日 の盛 京時 報 で其 の地
曩 に馮 玉 祥 の ﹁ 京 綏 線 延 長 計 画説 ﹂ と題 し 、其 の敷 設 区間 不 分 明
馮 玉祥 の京綏 線 延 長 計 画 説続 報
効 果 が現 は れず と見 え、去 る 二十 三 日 の鉄 道 時 報 は 葉交 通 総 長 よ り
曩 に交 通 部 は 張作 霖 宛 津浦 線 の滞 貨 六 、 七 十 万噸 に達 す る も、 軍
鎮 威 軍 于 運輸 司令 宛 再 び函 請 し た旨 掲 げ て居 りま す 。 不取 敢 ず 其 の
視 察 を 終 へた る後 、 更 に本平 滂 線 (訳 者 注、 平 地泉 ﹁地図 には平 地
数 日前 既 に人 を平 地泉 に派 し 調 査中 な るが、 馮 使 は京 綏 鉄 道 全線 の
本 部 は 戦乱 終 息 後 各 鉄道 の 一般 輸 送 恢復 に極 力 〓 め つ つあ るが 、
大 意 を 御覧 に供 しま す 。
既 に 一箇 月 を経 過 せ る今 日 な ほ実績 挙 らず 、今 年 冬 季 の輸 送 は 例 年
江 は平 地 泉 の正 北 方 ⋮ ⋮ 北京 よ り の庫倫 に衝 た る﹂) 四 百 二 十 支 里
を調 査 す る こと と な つ て居 る由 であ る 。而 し て本線 は曾 て平 地泉 駅
泉 の地 名 な く平 地川 と あ り 、大 同 綏 遠 間 の中 央 に位 す﹂ 滂 江間 ﹁滂
水 災後 引 続 き の兵 乱 に て経 済 界 困難 の状 は近 年 稀 に見 ると ころ のも
技 師 孫煜 芳 に依 り て精 密 に測 量 せら れ た る が、其 の全 線 の敷 設 費 は
の十 分 の 一に も達 せず 、現 在 各 鉄 道 沿線 の滞 貨 は 四 百 万噸 を 逾 え 、
の であ る 。而 し て之 が救 済 は停 滞物 資 を輸 送 し て商 取引 を 容 易 な ら
車 輌 費 を 除 き て枕 木 、軌 条 代 計 一千 万 元 に及 ば な か つた、 と 。猶 本
徳 以北 にな る と殆 ど 平 常 と か は りな いほど にな つて来 て居 る 。殊 に
一般 に湖 北内 、 河 南 の胡景 翼 の勢 力範 囲 が暇 ど る ことが多 く、 彰
其 の混 雑 は察 す る にあ ま り あ る も のが あ る。
貨 物 列 車 の如 き は彰 徳 以 北 では 旧正 に拘 ら ず 可 な り頻 繁 に動 か され
線 は平 庫 ( 平 地泉 庫 倫 間) 鉄 道 の起 点線 に当 れ るも 、平 庫 金 線 二千 二百 支 里 を 一時 に敷 設 す る は其 の費 用余 り に莫 大 な る に依 り、孫 技
線
師 は測 量 当 時交 通 部 に於 て不取 敢 本 線 、 即 ち平 滂 線 よ り敷 設 を 先 に
海
て居 る。
を綜 合 す る に、右 は帰 徳 方 面 にあ る奉 軍 が列 車 を抑 留 す る の で敢 て
中 止 し た。 そ は 石炭 不 足 のた め な り、 と の口実 であ る が種 々 の情 報
⋮ ⋮隴 海 線 は去 る 一月 二 十 一日 より 開封 徐 州 間 に客 貨 車 の運転 を
隴
す べく 建 策 し た。 (後 略 )
二三
北 公 調 二四 第 甲号 の 一二五
⋮ ⋮開 封 停 車 場 には 三門 の大 砲 を積 ん だ列 車 が二 十 日 よ り何時 で
此 の挙 に出 た も のら し い。
も発 車 出来 る やう に用意 さ れ て居 る 。 それ が為 愈 人 心 は不 穏 にと ざ
北京 公 所 長
さ れ て居 る由 であ る が 、 旧 正後 にな る と何 か 一騒 動 勃 発 す る の でな
最 近 の京漢 綿 と隴 海 綿
大 正十 四 年 一月 二十 九 日
本 日 の邦 字 紙 北 京 新聞 は最 近 の京 漢 、 隴 海 両 鉄道 の交 通 状態 を親
二四
し く視 察 し た人 の談 と し て、 該 線 の乱状 を掲 げ て居 り ます 。 左 に同
線
いかと 臆 測 さ れ てゐ る 。
漢
北 京 公 所長
記 事 を 其 の儘 転 記 御 覧 に供 しま す 。 京
北 京 漢 口間直 通 列 車 は毎 日 一回 宛 相 互 に発 車 し つ つあ るが 、其 の
大 正 十 四年 一月三 十 日
北公 調 二四第 甲 号 の 一二八
多 く は三 等客 車 の み に て稀 に普 通 一、 二等 車 及 食 堂車 一台 位 を連 結 し て居 る こと が あ るけ れ ど も、 其 の時 は皆 兵 隊 や軍 人 に占 領 せ ら れ
英 里 にし て、 開弁 以来 二十 年 の久 しき に亘 り僅 か に広 州 よ り韶 関 に
奥漢 鉄 路 は広 州 よ り湖 南 を 経 て漢 口 に達 す る全 線 の長 さ七 百 五十
か ら 、茲 に摘 録御 参 考 迄 に御 通知 申 上 げ ます 。
奥 漢 鉄 路 の仏 国 商 款 一千 五 百 万元 に関し 其 の内 容 を発 表 し まし た
奥 漢 鉄道 借 款 に関 す る 件 (一月 三十 日晨 報 摘 録 )
る のが常 であ る。 三等 客 車 も窓 ガ ラ ス のあ る のは未 だ ま しな 方 で、
立 派 な寝 台 車 は多 く各 地 の停車 場 に軍 人 用 と し て抑 留 せ ら れ て居 る 。
多 く は津浦 線 の貧 民車 よ り は よ い方 で有 蓋貨 車 を かり集 め たも ので、
目 下北 京 漢 口間 は 七十 時 間 乃至 時 に九 十 時 間 か ら百 時 間 を要 し て 居 る有様 な の で、平 常 の 三十 二時 間 を要 し た の に比較 す る と当 に二 倍 から 三倍 の時 間 を要 し て居 る 訳 であ る。 加 之 一日 一回 であ る から
至 る百 三 十 九英 里 の 一路 線 と、 此 の外 に三水 支 路 三十 英 里 のみ の築
︹マ マ︺
と同時 に陳興漢 を再び総理 に任 じて借款成立 の時を作 つたのである
撃 を受 く るを 以 て、即 ち 陳 興漢 派 の計 画 を破 壊 す べ く廖 仲〓 に由 つ
な る が故 に、 若 し孫 科 派 に依 り借 款 が成 立 す ると き は政 争 上 一大打
成 に過 ぎ な い。該 路 は 戊 戌 の政 変 後 に成立 し た るも のに し て張 之洞 、 が 、孫 文 北 上後 胡 漢 民 派 が広州 に て政 色 を清 一色 主義 を実 行 し 、孫 ︹ 美︺︹ TheAme ric a n Chi naD e ve l o pme ntCo.︺ 盛 宣 懐 両 名 が米 国 借 款 に て中 華 合 興 公 司 を組 織 し た る も の であ る が 、 科 派 に属 す る陳 興漢 を 眼 中 の釘 と し、 且陳 興 漢 が孫 科 派 の有 力 分子 其 の実 日、 仏 、露 、米 等 の合 資 で 乙巳 年 に張 之 洞 が紐 育 に て借 款 築
胡漢 民派 が此 の項 の借 款 の成 立 を急 ぎ た る第 一の原 因 は、 孫 科 が
て奥 路 の共 産 党 工団等 に運 動 を し 、陳 興 漢 の十 大 罪 を列 挙 し 、 陳 一
広 東 に帰 る こと に因 り政 局 に激 変 を生 じ、其 の結 果 胡漢 民 が其 の位
路 会 議 を開 き 、 其 の結 果 三 百 七 十五 万 米金 を得 、 仏 山 三水 間 の三 十
局 を漢 口 に設 け ら る 一方 之 がた め湖 南 、湖 北 両省 の人 民 は借 款 以 外
置 を 保 つ能 はず 、廖 仲 〓 が三度 省長 に任 命 さ れ る こと は 明ら か で、
派 を 倒 す べ く全 力 を注 いだ の であ る。
の苛酷 な る条 件 に因 つて首 先 之 に反 対 を唱 へた り。 当 時岑 春 〓 が鉄
英 里 の路 線 を 築 成 し た の であ る 。当 時 の借 款 条 約 は湖 南 、湖 北 、 広
路 の風 潮 を醸 し 出 し 、其 の結 果 遂 に此 の事 業 は商 弁 に帰 し 、広 州 に
れば 、之 に依 つて体 面 を維 持 す る こと と なる を 以 て、 之 が成 立 を急
胡 派 が省 長 問 題 に恐慌 を来 し た と謂 ふ こと は事 実 若 し借 款 が成 立 す
東 の 三省 に依 つ て借 款 金 を負 担 す る こと と な り た るを 以 て 、鉄 路 総
鉄路 公 司 を設 立 し黄 沙 砕 石 間 の路長 二百 英 里 を築 成 せら れ た の であ
ぎ 全 力 を 注 いだ の であ る。
る。当 時 該 公 司 の株 は 一株 に付 き銀 五 元(目 下広 州 の時 価 四 毛 上下 ) 計 八 百 八十 万 株 、資 本 金 四 千 四 百 万 元 にし て、軍 事 の起 ら ざ る以 前
聯 合 軍 が広 東 に入 り てよ り 沈 鴻英 が首 先 し て該 路 に盤 踞 し 、其 の
界 は 賄 選 に反対 し 且孫 文 も之 に反 対 し、 帥 令 を 以 て今 次 の賄 選 は査
金 にし て 、胡 毅 生 は市 長 の位 置 に全力 を注 いだ のであ る が、 市 の工
第 二 の原 因 は胡 毅 生 が今 次 の市 選運 動 に関 し用 いた 運動 費 は数 万
後 孫 文大 元帥 の名義 を 以 て軍 政 府 に根 拠し 毎 日 三千 元 を 収 め た り。
るも 市 選 運動 に用 ゐた る数 万 元 も 亦之 を棄 す る こと 能 は ざ る を以 て、
弁 を 要 す べ く発 表 し た る を以 て、胡 毅 生 は必然 上場 す る こと能 はざ
は毎 日 の収 入 一万 四 、 五千 元 より 一万 七、 八 千 元 に達 し た り と。
に六 、 七 千元 と な り燃 料 及 工夫 の賃 銀 を除 き余 す所 がな い ので、 株
斯 の如 く し て軍 人 の暴 力 に因 つ て蹂 躪 され 、 近来 毎 日 の収 入 も僅 か
借 款 に関 し 一致 の行 動 を取 る べく協 議 せら れ た り。 軍 政府 は当 時 銀
定 つ て居 る 、 と。 仏 国 方面 は著 名 な る富 商 ロレ氏 に依 り署 名 され 、
商 人 と は 秘密 商 款 を 締結 し て既 に大 体 が成 立 し 、 双方 の契約 も既 に
陳 興漢 は既 に去 つて 王棠 を 以 て代 理 さ れ て居 る が、 一方胡 派 と仏
る。
借 款 に由 つて之 を 補 ふ と謂 ふ こと も亦 借 款 成 立 を急 ぎ た る 一因 であ
行 団 に対 つて借 款 を提 議 し 韶 関 株 州間 に対 し 該銀 行 団 に敷 設権 を認
一方 広 州 方 面 は該 路 公 司 の組 織 を 改 め 、胡 青 瑞 を以 て総 理 に命 じ 、
民 国九 年 英 、 米 、 日 、仏 四 個 国 にて銀 行 団 を組 織 し 、 中 国 の鉄 路
主 は利 子 さ へも 入 らざ る事 既 に二十 余 年 な り と。
に仏国 に 対 つて大借 款 の運 動 を 開始 し 、昨 年 秋孫 文 が大 本 営 の移 駐
め た ので あ る。 昨年 孫 文 が陳 興 漢 を該 路 の総 理 に任 命 し た る と き既
司 は利 息 を 納 付 し ロベ及 ロル ハの承 認 を要 す。 ロ氏省 城 或 は彼 の
鉄 路 の敷設 は須 く順 序 に依 り弁 理 す 。広 州 韶 関 間 の旧 路 線 は
借 款 の順 序 及其 の処 置 法
居 住 地 に在 り て認 め る も可 な り 。
甲
第 四条
林 直勉 を 監 督 に任命 し、 胡 氏帥 令 に代 つて令 し 林直 勉 をし て奥 路 の
に北 上 し、 孫 文 に胡漢 民 の独 専 政 権秘 密 借 款 の十 大罪 を述 べ 、 且 胡
仏商 の新 資 本 と 関係 あ るを 以 て、 仏 商 は該 路 の支 配権 を有 す る
事 務 を管 理 せし む 。 外間 は許 崇 浩 の謀 と伝 へ、 胡 が林 直 勉 に要 職 を ︹ 以下9行目マデママ︺ 与 へた る も のな り 、 と 。 一方 陳 興漢 の借 款 に極 力 反 対 し陳 興 漢 は 既
漢 民 が仏 商 と締 結 す る条 件 が非 常 に苛酷 で路 権 剥 奪 た る こと を 告 げ 、
韶 関 湖 南 間 の路線 は仏 国 公 司 よ り随 意建 設 し、 中 国公 司 は之
も のな り。
公 司 の全 権 は総 理 に より て負 責 し 、該 総 理 の選任 は仏 国 公
に干 渉 す る の権 限 な し。
総 理 は中 国 人 中 に 一名 を 設 け之 を 補 佐 す。 機 器 総長 亦 同 じ。
一千万元 の借 款 を し て如 何 に穏固 の地 位 に置 く かは 奥漢 鉄 路 公
長 は則 ち路 公 司 より 決 定 す。
但 し 中国 人 の総 理 は 仏 国 公司 即 ち債 権 者 によ り て決 定 し、 機 器 総
第六条
は秘 書 よ り株 主 代 表 (仏 国株 主 ) の認 可 を 得 て支 出 す べし 。
は汽車 並其 の他 各 用 具 等 の購 入 に依 る支 出 金 は 、該 管 機器 総 長 或
司 より選 択 す 。 総 理 は 独断 に銀 元 を支 出 す る能 はず 。築 路 の材料
第五条
乙
仏 商 と奥 漢 鉄 路 修 築 の借 款 契 約 の英 文 原案 は 二十 六箇 条 にし て、 該 契約は、 中 国 政府 は奥 漢 鉄 路 を 以 て外 商 に抵 当 と な し借 款 修 路築 工事 務 及
但 し 公 司 は ロベ (仏 人 )及 ロ ル ハ (仏 人 )或 は其 の代 理者 の指 揮
株 の種 類 は悉 く該 路 公 司 に属 し て弁 理 す 、未 完 。
本 契 約 の要 点 を大 別 す る に 、甲 已 に築 成路 た る黄 沙 韶関 間 は毎 日
を受 け 以 て其 の効 力 を 発 生 す る も のと す 。
運 転 し 停 工 す る を得 ず 、 以 て双方 の損 失 を免 ず べし 。 乙築 路 の計 画 は韶 関 よ り 湖南 を経 て漢 口に至 るも の にし て以 て全 線 の路 線 を完 成 す 。 其 の条 件 左 の如 し 。 ロベ及 ロル ハ或 は其 の代 理 者 は 、中 国 政 府 と 已 に訂 定 の条
さす べ き なり 。 凡 そ株 式 、貨 物 倉庫 、 停 単 場 等 及如 何 な る物 品 の
司 が債 権 者 を し て第 一回 の抵 当 物件 を安 全 に保 留 す る ことを 認 め
第 一条
の手 を 経 て 一千 五百 万 元 ( 香 港 銀 ) を 借 入 れ、 而 し て契 約 締 結 後
積 立金 は事 業 の達 成如 何 、或 は財 産 の市価 如 何 によ り て定
積 立金 は省 城 ( 広 州 ) 或 は香 港 に於 て預 入 る べし 。湖 南 辺
境 の如 き危 険 の地 に在 り て は平 安 を俟 ちた る後始 め て建 築 を 始 む。
第 八条
む。
第 七条
しく 他 に抵 当 とす る こと 能 はず °
積 存 し居 るを 論 ぜ ず 、 本 公司 が路 公司 の物 件 と声 明 せる も の は均
件 に依 り 奥漢 鉄路 の建 設 を立 案 す べし 。其 の計 画 の需 用金 は ロ氏
支 出金 は中 国 の責任 者 を設 け て是 に支 出 し 、 分期 し て若 干
一千 万 元 を発 出 す 。 築 路費 用 は即 ち 此 の 一千 万元 を 以 てす 。 第 二条
を交 付 す る に当 り、 香 港 銀 を以 てす ると き は香 港 銀 を 以 て利 息 を
借 款 の期 限 は四 十年 を以 て期 と 為 し 十 五年 後 よ り償 還 を 為
計 算 す る こと 。 第 三条
す 。 即 ち 仏商 の借 款 を 交付 し た る日 よ り起 算 す。而 し て毎 年 路 公
︹マ マ︺
本 公 司 は 収 入金 に対 し特 に注 意 を要 し、 毎 月 の費 用 を詳 抄 し 以 て
第九条 毎 日 の収 支 計算 書 は必 ず 広州 に送 り、 毎 日 の収 入金 は総 理
各 工 人 は総 理 に依 り採 用 及 解〓 を為 す 。
錯 誤 な から しむ 。
第十条
第 十 一条 収支 計 算 書 以外 の費 用 は保 証 人 に由 り て支 出 、 利 息 を保
毎月 の収 支計 算 書 及 費 用 は毎 月 本 公 司 に送 附 す べ し 。
よ り欧 米 人経 営 の銀 行 に預 入 れ債権 者 代 表 の認 め を要 す 。
第 十 二条 証 せし め 且弁 済 な さ しむ 。 鉄 路 及 停 車場 、 貨 物 倉 庫等 の築 成 を要 す る と きは 本 公司
借 款 契 約 成 立 は 六ケ 月 を 以 て限 り と す 。但 し意 外 の事 故
( 略)
より 計 画 し借 款 金 よ り支 出 す 。
第十三条
第 十 四条 第十五条
北 京 仏 国 公使 館 の立 案 に依 り董 事 局 を パ リ に設 け、 重
軍機 器 、 禁 制 品 は輸 送 す る を得 ず 。
は 総 理 に申 請 認 可 後 弁 理 す る こと 。 第 二十 五 条
要 事 項 は パ リ会 議 の通 過 を要 す 。
第 二十 六条
此 の次 の奥 路 借 款 は 市 政借 款 と双 方 並進 し、若 し胡 毅 生 市 政庁 長
に任 命 す れ ば 、市 政 借 款 は当 然 活 動 を 起 す こと な ら む。 但 し 政敵 方
に て、 昨 既 に 一派 の代 表羅 燕 平 、 陳 森 、梁 福 勝 の三名 、 亜 洲皇 后 船
面 は 工 会 の名義 を 以 て賄選 に対 し て激 烈 な る攻 繋 を す る こと は当 然
に乗 じ 北 上 、孫 文 に訴 へた り 、と 。 今 又 孫科 広 東 に入 り因 って元 老
に対 し ても皆 特 別 に注 意 す る こ とと な り 、之 に因 つて元 老 派 の奥 路
派 幾 分 譲歩 す る ことと な り 、而 し て国 内 外 の広 東 人 は如 何 な る借 款
第十六条
支路 の建 築 は本 公 司 より支 配 す 。
労 工保 護 ( 略)
政 局変 更 す る も本 路 公 司 は影 響 を 生 ぜず 。
て 五十 仙 一、 二 に至 り、 株 売 買者 の言 に拠 れ ば奥 路 の株 は六 十仙 半
の資 本 派 が市 場 に 対 し、 鉄路 の株 を買 収 に因 り株 の市 場 は活 気 を 呈
が未 だ打 消 さ れ な いこと を確 実 に証 明 す る こと で、現 に連 日教会 中
大借 款 は暫 時 中 止 の形 勢 と な る。 但 し茲 に 一新 事 あ り。 それ は該 案
第 十 七条
材料 を購 入 す る費 用 は 百元 に付 き 二割 五分 を控 除 す 。
あり て途 期す ると き は 此 の限 り に在 らず 。
第十八条
以上 に至 るは 容易 な り、 と 。是 即 ち借 款 を打 消 す こと能 はざ る こと
借 款 償 還後 の湖 南 路 権 は 本 公司 の支 配 に帰 す 。
斗 の方法 を用 ゐる こと に決 定 す 。
方法 と し て陳 興漢 の罪 状 を 拡 大 し 、陳 派 よ り該 銀 を 取 入 る べく 程 天
引去 る こと に決 し た る が、 鉄 路 の収 入金 は 分配 不 足 に因 り、 第 三 の
にて之 を補 ふ べく計 画 な り し も 、其 の後 又 鉄路 収 入 金中 毎 日若 干 を
市 選 に用 ゐた る運 動 費 の三 万余 元 は元 老 派 の〓 子 によ り て奥 路 借款
の証 明 にし て、其 の形 勢 が稍 緩 和 さ れた る のみ、 と 。但 し 胡 毅 生 の
し、 日前 額 面 五元 のも の四 十仙 七 、 八 な り しも 今 日 に し ては高 騰 し
第十九条
利息 の償 還期 ( 略) 将 来 已 む を得 ず し て別 の公 司 に借 款 す る と きは 一千 五
第 二十 条 第 二十 一条
第 二十 二条
五年 を 以 て建 築 の期 限 と す 。意 外 の事故 あ ると き は 此
百 万 元 の五分 の 一を逾 え る を得 ず 。
第 二十 三 条
客 車 、 貨車 の支 配 は該管 理 人 に より 弁 理 し 、重 要 事項
の限 り に在 らず 。 第 二十 四 条
し胡 漢 民 の独断 政 権 、 借款 に係 る十 大罪 状 を 上申 し 、 並右 は現 在 総
如 何 に解決 す る やは 計 り難 し。 然 れ ど も陳 興漢 も 亦 赴京 、 孫 文 に対
〓 、 利 樹幹 の二名 を 押 留査 弁 す る こと と な り、 目 下 懸案 未 結 、 将来
得 た る後前 任 総 理 陳 興 漢 の舞 弊 案 に対 し 十 大罪 を 列 挙 し、 現 に鄭 子
一方 陳派 も亦 敵 に対 す る手 段 軟 弱 な らざ る が、 胡 派 の奥 路 総 理 を
の所 では生 命 に危 険 と言 ふ程 でも な いと思 ふ が、 兎 に角 医 者 は安 静
つ て居 る。 世 評 では甚 だ重 病 であ る、 と 言 つて ゐ る者 も あ る が現 在
調 べ た所 に依 る と少 なく も 後 二週間 位 は静養 を要 す るだら う 、 と言
る 、 と言 つ て居 た が今 日 に至 るも尚 出 勤 せず 。 交 通 部其 の他 に於 て
居 ら な い の で、 過 日病 気 見 舞 と し て訪 問 し た節 は経 過 甚 だ良 好 で あ
を 要求 し て居 る 様 な状 態 であ るか ら御 参 考 迄 に報 告 す 。
二六
大 正 十 四年 二月 二 日
北 公情 二 五第 四 号 の 一
左
記
首 題 の件 に関 し 左記 情報 を得 ま し た。 御 参 考 に供 しま す。
膠済 鉄 路 の南 方潰 兵 輸 送 に関 す る件
北 京 公 所長
理林 直 勉 に関 聯 す る こと も陳 べた り 、 と。 是 を 観 る に双方 の訴 訟共 に相 手 方 の罪 状 を具 陳 し た る次 第 な り 。 一説 に陳 興漢 は恐 ら く 第 二 の程 天 斗 で現 に上海 に逃 れ 、自 己 の立 場 を公 告 (公 告 文 を略 す ) し たり 、 と 。
人 を 射 る は 先ず 馬 を 射 る こと、 賊 を捕 へる は先 ず 王 を捕 虜 にす る 様 に林 直 勉 を 攻撃 す るな ら ば、 即 ち 先 づ胡 漢 民 を攻 撃 す べ きな り 。 陳 興 漢 も亦 理 由 あ る なり 。其 の内 容 を知 る も のは謂 ふ 、胡 派 は 恐 ら く陳 興 漢 を 圧迫 し て 一時 に成 功 す るは 至難 な る を以 て現 に小 借 款 弁
今 次 上海 に於 て武 装 解除 さ れた る張 允 明 の潰兵 約 一万 五 千人 は 山
東 人 な る為 、青 島 へ回 漕 し 夫 々帰 郷 せ しむ べし 、 と て同 鉄路 へ無 賃
法 を講 じ つ ゝあ り、 と。 右最 近 の元 老 派 の通信 に て証 明 し て居 る が、 修路 、 枕 木 等 の小借 款 にし ても少 なく と も 三 十 万元 以 上 な り。 之 に
着 、 一個 列 車 に て輸 送 せ し が前 同様 浦 口 へ南 下 す べく 今 二十 三 日 は
一杯 喰 は され た る 次第 な り。 昨 二 十 二 日も 文 明丸 に て二千 四百 人 到
せ し む る為 南 京 に在 る 旧主 将 盧 永祥 の下 へ送 る も の にて、 鉄 路 局 は
せ た る儘 浦 口 へ南 下 せし め た り。 之 は 予定 の行 動 な るが如 く 、参 戦
長 及 段 長 等 を威 嚇 し、 津 浦 線 へ引 込 み 、 二個 列 車 八 十輌 は潰 兵 を乗
へは 一人 も 下車 せし め ず し て済 南 へ送 り、 済 南 に ては武 力 を 以 て站
着 せし に付 、 二個 列 車 有 蓋貨 車 百 二十輌 を仕 立 て輸 送 せし処 、沿 線
輸 送 方 交渉 有 之 、 第 一回 は 二 十 日英 船 タ ル マ丸 に て約 四 千 五 百人 到
北京 公 所 長
よ り て是 を 観 る に奥 路 借 款 は免 れざ る こと な り 、 と。
二五
大 正 十 四年 一月 三 十 一日
北 公 調 二 四第 甲 号 の 一二九
交 通 総 長 葉 恭 綽氏 病 気 の件 交 通 部葉 総 長 は約 二週 間 前 か ら 神経 衰 弱 に罹 り 交通 部 に出 動 し て
悉 く 津浦 線 へ拉 致 せ ら れ て、高 級貨 物 の輸送 を杜 絶 す る のみ な らず 、
用 に抑 留 さ れ何 時 還送 す る や測 り難 く 、斯 く て同 鉄 路 の有 蓋 貨 車 は
一万 五 千 人 の潰 兵 は悉 く南 下 す る ことと な り 、其 の車 輌 は兵 士 収 容
急 速 に奥 地 へ輸 送 を強 要 し 、済 南 督 弁 亦該 地下 車 を 許 さざ る に由 り 、
ト レオ ト号 に て五千 人 到 着 す べく 、 青島 戒 厳 司 令 は 地 方治 安 維 持 上
旭 丸 に て千 二 百 人、 海 通 丸 にて 二千 人 到着 し、 明 二 十 四 日 は米 船 ハ
前 記 分段 長 等 を 復 職 せ し め た る為 、馬 総 段 長 も亦 一先 づ辞 表 を撤 回
調 し 、更 に貨 物 の不積 同 盟 及 四 方 工場 沿 線各 駅 員 等 の同盟 罷 業 決行
後 し て山 東 省 議会 及 青 島 総 商会 等 に運 動 し所 謂 山 東 人 の山 東 熱 を高
仇 を為 す も のと な し、 先 づ 総 段 長 馬廷 は辞表 を提 出 す る や、 之 と前
江浙 出 身 者 が新 局長 を 擁 し て曩 日 山東 出 身者 の為 圧迫 せら れ た る復
長 等 山 東 出 身者 数 名 を 馘 首 し た る為 、 山 東出 身 者 は朱 庭 祺 等 の所 謂
日 に し て機 務処 長 孫 継 丁 、 工務 処 長 周迪 評及 分段 長 、 車 務処 文 牘 課
二八
か し、 之 を 実行 せ しめ た るも のに外 な らず 、 と 言 ふ。
得 た るを 以 て早速 之 が報 復 手 段 を講 じ、 次 で来 任 し た る〓 局長 を動
多 か りし が、呉 の失 脚 と 共 に邵 局長 免 職 せら れ 、前 記 朱 等 之 に代 り
軍 閥 の悪 用 す る所 とな り 、鉄 道 とし ても 之 が禍 を受 け たる こと甚 だ
り し が為 、 同人 来 任 と 共 に当 時 副 局 長 た りし 前 記山 東 人 の山東 出 身
尚 更 に聞 く所 に依 れ ば 、前 任 邵 局 長 は 呉佩孚 系 に属 す る 山東 人 な
と信 ぜ ら る 。
動 を継 続 し 居 る や に有 之 、本 件 は今後 尚 多 少 の曲 折 を免 れざ る も の
(朱 と 同 音 )会 な るも のあ り、 朱 庭祺 駆逐 を 以 て最 後 の目的 と し運
の意 志 を表 示す る に至 り、 遂 に調 停者 の出 現 と為 り 其 の斡 旋 に より
客 車 に累 を及 ぼす や も難 計 、 依 之 局長 は済 南 督弁 及 交 通 部 へ電 報 を ︹ 卓 一︺ 頻 発 し て交渉 し居 るも 何等 の効 果 な く、 大 村 膠済 鉄 路 車 務 処 長 は昨
し 、 一般 の風 潮 亦 稍 平穏 に帰 す る に至 れ るも 、同 局 内 には尚 駆 逐 猪
北 京 公所 長
日総 領 事 館 を通 じ て北 京公 使 へ電 請 す る所 あ り 、他 面 山 東 商 界 の呼 吁 を 期 待 さ れ居 れり 。
二七
北公 情 二五 第 四 号 の二 大 正十 四 年 二 月 三 日 膠 済 鉄 路 内争 に関 す る件 首 題 の件 に付 き在 青 島 総領 事 代 理 より 外務 大 臣 に左記 の通 り 報 告
記
され し趣 で あり ま す か ら、 御 参考 の為 御 報 せ致 し ま す 。 左
膠 済 鉄 路 局 長 任免 等 の経 由 に関 し ては 、客 年 十 一月 以来 屡 次 公 信 及電 報 を以 て報 告 し た る が、 同年 十 二月 三 十 一日交 通 部 は〓 鐸 (段
大 正十 四年 二月 四 日
北 公情 秘 二五 第 四 号 の 一
粤 漢 鉄 道 借款 に関 す る件
北 京 公 所長
し、 両 人共 本 年 一月 五 日正 式 に就 任 し た る 次第 な る が、〓 局長 は恒
祺 瑞 派 に属 す 、安 徽 省 人 ) を 同 局長 に、朱 庭 祺 を 副 局長 に夫 々任 命
例 に反 し 自 派 の人物 を帯 同 し来 ら ざ るに拘 はら ず 、就 任 後 僅 か両 三
報 告 し た る意 見書 及 借 款 契約 の写 を入 手 致 し まし た か ら茲 許 同 封 御
申 上 げ て置 き ま し た が、 今 回広 東 総 領 事 天 羽英 二氏 よ り外 務 大 臣 に
北 公 調 二四 第甲 号 の 一二 八 を以 て粤漢 鉄 道 借 款 の件 は大 体 御 報 告
同 鉄道 当 局 方 面 よ り右 商 談 は 事 実進 行 中 な る由 を聞 込 み同時 に別 紙
等 閑 に付 す 能 は ざ る が故 に、 各 方面 に就 き内 査 を 遂 げ た る 結 果 、
こと等 の諸 事 項 を綜 合 考 慮 す れば 、 万更 之 を 一片無 稽 の風 説 とし て
は陳 事 務 管 理 が 目下 進 行 中 の借 款 に反 対な り し 為な り 、 と の噂 あ る
二九
北 公情 二 五第 四 号 の六
北 京 公所 長
編 注、 添 の如 く 同借 款 契 約 案 な る も のを 入手 致 候。 ︹付 なし ︺
送附申上げます。 広 東 総 領事 天 羽英 二氏 よ り外 務 大臣 に提 出 し た る粤 漢 鉄 道 借款 に関 す る意 見 書 過般 来 当 地 粤漢 鉄 路 公 司 と仏 国 羅 馬 加 特 力教 布 教 団 と の間 に、 粤
込 み 、客 臓 二十 五 日 の香 港 華字 新 聞 (陳烱 明派 の新 聞 にし て当 地 に
漢 鉄 道 の改 良 及 延長 を目 的 と す る借 款 商 談進 行 中 な る旨 の内 報 を聞
は輸 入 を禁 止 せら る) にも 同様 の記 審 を 見 受 け た る が、 現在 の広 東
本 月 二 日北 公 情 二 五第 四号 の 一を以 て膠 済 鉄 路 に於 て南 方潰 兵 約
膠 済 鉄 路 の南 方潰 兵 輸 送車 輛 回収 の件
大 正十 四年 二月 四 日
を信 じ得 ざ る は勿論 な るも (一) 該 布 教 団 は頗 る富 有 な る団体 に し
一万 五千 人 輸 送 引受 の為 、 各 局車 輛 を津浦 線 に接致 さ れ回 収策 講 究
政情 並広 東 政 府 と仏 国 側 と の関係 に鑑 れ ば 、右 借 款 の成 立 は到 底 之
て各 種 の事 業 に投資 し、 現 に ロバ ー ト神 父 ( 後 出 本 件 借 款契 約 布 教
に ては 五 、 六車 を 除 き 全部 回 収 を了 し大 な る影 響 を受 けず 事 す み と
中 の旨 報 導 しま し た が 、其 の後 の情 報 に依 れば 種 々苦 心 の結 果今 日
な り し趣 であ り ま す 。然 し呉 佩孚 出 代 に徴 発 され し貨 車 二百 八十 四
(二 )該 布 教 団 は市 内 に在 る其 の寺 院 の附 近 に広 大 な る地 所 を租 借 せ る が 、該 団 は其 の地面 に貸 屋 を建 築 し 多 大 の収 益 を 挙 げ つ つあ る
あら ざ れ ば回 収 困難 な ら ん、 と のこ と であ り ます 。
輛 及 機 関車 七 輛 は未 だ帰 り来 らず 。 此 れ は奉 軍 の帰 還 輸 送 終 了後 に
団側 代 表 者 ) は香 港広 東 製 氷会 社 其 の他 諸 会 社 の重 役 と な り居 る事
が故 に、客 年 春 頃広 東 政 府 は該 団 が右 土 地 の布 教 以 外 の目的 の為 に
て ら れ し が、 最 近 は其 の問 題 も 立消 へと な り た る観 あ る こと (三) 三〇
北 京 公所 長
使 用 す る は条 約違 反 なり 、 と て之 に抗 議 し 、 一時 新 聞 にも盛 に書 立
先般 来 該 布 教 団 代表 者 屡 粤 漢 鉄道 会 社 当 局 と会 見 し た る事 実 あ る こ
大 正十 四年 二月 四 日
北 公情 二 五第 四 号 の七
と (四) 広 東 政 府 は財 政 救済 の 一策 とし て粤漢 鉄 道 を種 に起 債 せ ん
一〇 二号 参 照 ) (五) 約 三 ケ 月前 以来 粤 漢鉄 路 事 務 管 理 陳 興 漢 は 広
最 近 の隴 海鉄 道 (二月 一日鉄 道 時報 )
と し た る こと ある こと (大 正 十 二年 五月 二 十 二 日外 務 大臣 宛 拙 電 第
東 を 去 つ て香 港 に あ り、 王棠 事 務 管 理 代 理 に任 命 せ ら れ た るが 、 右
隴 海 鉄 道 督 弁 黄賛 煕 は白 耳 義 代表 チ ー シよ り の来 翰 に拠 り て 曰く 、
四、 目 下営 業 停 止 し収 入 の望 みな け れ ば借 款 利 子 の支 払 は固 より 其
も、 本鉄 道 は其 の責 に任 じ得 ざ る所 な り。
応 ず る こと能 はず 。 又若 し斯 く し て軍 機 を逸 す る こと あ る に至 る
の能否 を慮 ふる所 な る が、 内 外 職員 給 料 の支 出 も亦 同様 困 難 な る
本 鉄 道 の輸 送 は 軍隊 の影 響 を蒙 り収 入 の望 み なく 将 来 如何 に し て借 款 利 子 の支 払 を 為 し得 る や、 民 国 の対 外 信 用 は完 全 に地 を払 へり 、
状 態 な れ ば、 全 線従 事 員 は如 何 にし て空 腹職 に従 ふ ことを 得 ん 。
前 述 の危 険 な る想 像 に難 か らず 。 殊 に借 款 利子 問 題 は最 も重 要 な る
若 し如 斯 にし て荏 苒 日 を過 せ ば或 は国 際 上 重大 なる 意 外 の問 題 を 発
も のにし て間 もな く 七 月 一日 に至 れば 復 た利子 支 払 期 と なり 、 若 し
生 す る に至 る や も計 ら れ ず 、宜 しく 政府 は即 時 其 の維 持 方 に付 き弁
一、 西 線 陳渥 段 の新 工事 は元 来 昨 年 九 月 二日起 工 す る こと と な れ る
支 払 不 能 な る が如 き こと あ ら ば、 則 ち 民 国 の対 外 信 用 は完 全 に地 を
当然 従 事 員 スト ラ イ キ等 の事 を惹 起 す るに至 ら む 。
に戦 乱 の発生 に依 り 工事 を進 む る こと能 は ず 。 且 つ当 初 此 の状 態
払 ひ、 破産 せ し めざ ら む とす る も破 産 せざ る を得 ざ る べ し。然 れ ば
惟 ふ に上 記 黄督 弁 の陳述 は 、同 線 の現 状 に見 て孰 れ も偽 り な き所 、
は 幾 何 も無 く 終 熄 す る も のと 見 ら れ た るが 、戦 乱 既 に終 れ る に拘
法 を講 ぜ ら れ む ことを 切 望 す 云 々と 。 更 に同 督 弁 は外 人 総 工程 司 ビ
ら ず輸 送 の停 滞 仍 ほ 止 まず 、 材 料 を輸 送 せ む とす るも 車輛 な く、
同 局 に於 ては特 に交 通 部 に救 助 を申 請 し 、交 通 部 は更 に臨 時執 政府
ラ ノ談 に拠 り て 曰く 、
地 方亦 未 だ平 定 せず 、熟 練 な る鉄道 工夫 は 大半 離 散 し 再 び之 が招
に次 の如 く函 請 す る所 あ り た り 、 と。
取 締 り、適 当 な る整 理 を為 す に非 ら ざ れ ば 以 て外 人 の口実 を防 ぐ に
が、 今 該 督弁 よ り ﹁我国 の信 用 と関 係 す る所 甚 大 な れば 切 実 に之 を
白 、 和 三 国 公使 より 当部 に 対 し責 問 す る 所 あり し は既 報 の如 く な る
﹁隴 海 鉄道 が戦 乱 発 生 以来 蒙 り た る損 失 に付 、昨 年 十 二月中 仏 、
致 は頗 る 困難 な る所 に し て、 斯 く て本 鉄道 の借 款 利 子 、購 入材 料 資 金 及 職員 の給 料 等 は概 し て無 益 に費 消 せら れ つ つあ る状 態 に在 り。
列 車 は幸 にも 炭 水車 を連 結 し 居 らざ り し為 、大 事 を起 す に至 らざ
し、 一律 に鉄道 維 持 を旨 と し紛 糾 の原 因 を断 つべ く務 め て鉄 道 交 通
足 らず ﹂ と の申 出 あ り 、就 て は此 の際再 び該 沿線 駐 屯 軍 事長 官 に対
二 、 数 日前 機 関 車 三輛 を以 て軍 隊 列車 を 一箇列 車 編 成 運 転 せ り。 該
り し が若 し然 ら ざ る と きは 、 洛 陽鉄 橋 通 過 の際 橋 梁 を 破壊 し之 が
三一
因 に臨 時執 政 府 は既 に当 該 各 軍 事 長官 に電 命 を発 し た り 、と 。
の恢 復 を 計 る様 電 命 請 ふ、 云 々。﹂
修 理 に は 一箇 年 (?) を要 す べ し。
炭 は夙 に欠 乏 を 告 げ た り。 百 方 奔走 の結 果漸 く十 車 輛 の返 還 を受
三 、 軍隊 の車 輛 抑 留後 機 関 車 用 の石炭 は輸 送 の途 なく 各 機関 車 の石
け 新安 に輸 送 せむ と せ る が復 た 該軍 に抑 留 せ ら れ、 今 に至 る も返 還 な く 石炭 皆 無 な ら む とす 。 然 れ ば啻 に 一般 客 貨 輸 送 が勢 ひ停 滞 せむ と す る のみな らず 、仮 令 軍 隊輸 送 の必要 あ る場 合 と雖 も之 に
北公 情 二五 第 四号 の八
北京 公 所 長
京 漢 線 特 急第 一、 二列車 運 転 復 活 予定 の件
大 正十 四 年 二月 六 日
京 漢 線 に て は本 月十 六 日よ り毎 週 月 曜 日 に限 り特 急第 一、 二列 車 を 復 活 運転 せ しむ る 予定 (戦 前 は 月 、木 曜 日) の由 であ り ます 。 果 し て実 行 し得 る や否 や は前 日 にあ らざ れば 判然 せざ る趣 で あ りま す
記
漢 口発午 前 九 時 三十 分
漢 口着 翌 々日 午前 九 時
北京 発 午 後 十時
から 愈 実 施 せ ば、 其 の際 更 に需 報 致 し ます 。 附 第 一列 車
第 二列 車
哈爾 賓 事 務所 長
北 京 着 翌 々日午後 十時
三二
北 公 情 二五 第 四号 の九
黄 河 鉄 橋 の件 (二月 六 日 ペ キ ン ・デ リ ・ニユーズ )
大 正十 四 年 二 月 六日
京漢 鉄 道 の黄 河鉄 橋 、 南 北支 那 を連 結 す る交 通 の大 幹 線 であ り 、 且 過 日空 車 が該 鉄橋 通 過 の際脱 線 墜 落 し た と言 ふ事実 に基 づ き 、葉 交 通 総 長 は京 漢 鉄 路 局 に発 し 今後 該 鉄 橋 の安 全 に対 し 特 別 の注 意 を
の為 に特 殊 の人 員 が命 ぜ ら れ た。 又 他線 の車 が京 漢 鉄路 に廻 入 さ れ、
該 鉄 橋 を 通 過 す る場 合 は厳 重 に該 車輛 を検 査 し た後 でな け れば 、鉄
北 京 公 所長
橋 を通 過 せし め ぬ事 にし た 。
三三
北 公情 二 五第 四 号 の 一〇
支 那鉄 道 の警 乗 規則 制 定
大 正 十 四年 二月 六 日
戦 乱 勃 発 以来 列 車 襲 撃 の匪 賊 頻 々と し て起 り旅 客 の危 険 は さ る こ
と な がら 更 に外 人 より の抗 議 を招 く こと を恐 れ 、京 奉 線 は 三 日率 先
列車 警 乗 規 則 を制 定 す ると ころ あ りま し た が継 いで京漢 、京 綏 線等
も 之 と略 大 同 小 異 のも のを 定 め まし た 。 以下 二月 四 日 に鉄 道 時 報 よ
り 京奉 線 の警 乗 規則 を摘 録 し 御参 考 に供 し ます 。
一、 二等 車 は 其 の入 口を 警 乗所 とし 、 一車 に付 き護 衛 巡警 二名 、
一、列 車 に警 乗 所 を 設 く。
三 等 車 は各 車 を 通 じ て護 衛 巡警 六名 、 官 長 は右 両項 の護 衛 巡警 を 統 率 す。
一、 二等 車 は警 乗 所 に、 三等 車 は暗 黒 部 に、猶 ボ ーイ室 にも電
二、 列 車 に警 報 用 電 鈴 を 装置 す
鈴 を装 置 し 、機 関 車 及 車掌 車 に通 ぜ し む。
五 、 各 駅、 警 務 所 に密 偵 を置 き 近傍 の賊 跡 を探 らし む。
四 、各 駅、 警 務 所 間 に専 用 電 話 を架 設 す 。
三 、護 衛 巡 警 には警 旗 及 警灯 を携 行 せし む。
端 に着 いた と き は、 通 過 以前 に注意 深 く機 関車 や其 の他 の車 輛 が完
払 ふ様 に従 事員 に命 ぜ し めた 。 之 に基 づ い て総 て の列車 が鉄 橋 の両
全 の状 態 にあ る か否 か と言 ふ こと を検 査 す る様 にし た。 且 此 の作 業
六 、 分段 間 に於 け る護 衛 巡 警 の乗 務 は従 前 通 り とす 。 但 し各 列 車 一
し機 関 車 は前 回会 議 の時 よ り三 十 輛 も多 く 回 収 し て居 る。曩 に決 定
さ れ た石 家 荘 北京 間 五ケ列 車 に依 る石炭 輸 送 は 目 下完 全 に行 な はれ
つ ゝあ る が、尚 少 なく と も機 関 車 二十輛 及 貨 車 三 百乃 至 四 百輛 が不
人 乗務 のこと 。 七 、 軍 用 と し て其 の専 用 車 を 各 列車 の後 部 に連結 す 。
し 、本 部 よ り 直接 軍 事 長官 に交 渉 す べ き様 上 申 せ ら る ゝ事 と な り、
又特 急 旅 客 列車 の運 転 も昨 年 第 一次 戦乱 以来 久 し く絶 え て居 つた が、
足 し て居 る。毎 日 一回 づ ゝ の直 通 貨 物列 車 運 転 は 近 く本 局 よ り具 案
十 二 日よ り復 活 す る こと と な つた 。
八 、 護衛 巡警 には拳 銃 及 鋭 利 な る 刀 を携 行 せし む。
十 、 護 衛 巡警 には 血気 有 武 の者 を採 用 す。
九 、 護衛 巡警 には 短 毛皮 外 套 、 布底 靴 を用 ひし む。
十 一、車 内 の込 合 を防 ぐ為 客 車 を増 結 す 。
目 下車 輛 は少 し も増 減 な し 。軍 人 の車 輛 抑 留 は 他線 に比
し て少 な く 機 関車 七輛 、客 車 一輛 及 貨車 百 四十 七輛 で ある 。本 線 機
京綏線
関 車 は軍 事輸 送 の影 響 を受 け大 部 分 破損 せ るが 至急 之 を 修 復 せば 、
十 二、列 車 に密 偵 一名 、 保 安 巡警 ( 平 服 ) 二名 を乗 り込 ま し む。 十 三、列 車 着 駅 前 、 駅 シグ ナ ル外 に巡 警 を派 す 。
本 線 は近 来南 支 に於 け る戦 乱 の為輸 送 頗 る停滞 せ るも 、
十 四 、 巡察 員 は 武 装 し て警 乗 車 務 を輔 助 せし む 。
津浦線
貨 物 輸 送 は 一層 活 気 を 呈 す のであ ら う 。
交 通 部 は極 め て力 を 其 の促 進 に用 ひ つ ゝあ る故 一週間 も せ ば其 の効
果 が現 は れ る であ ら う 。蓋 し元 来 本線 の輸 送貨 物 は落 花 生 及食 塩 を
大 宗 とせ る が 、既 に南 支 の戦 乱 も 終熄 せ るを 以 て次 第 に活溌 な る輸
送 を見 ら るべ く、 特 急 旅客 列 車 の運 転亦 近 き にあ らう 。 今 交通 部 は
同 線 沿 線 の被 抑 留 車 輛 に対 し沿 線 の駐屯 軍 隊 が複 雑 な る為 ﹁ 何軍隊
北 京 公所 長
十 五 、規 定 以外 の旅客 の手 荷 物 は 一切車 内 に持 込 む ことを禁 ず 。
三四
北 公 情 二 五第 四 号 の 一三
交 通 部 第 四 回鉄 道 運 輸 促 進会 議 に於 け る四大 線 の現
大 正 十 四年 二月 十 日
致 し同 部 を し て直 接 之 を処 弁 せし め む とし 、陸 軍部 亦 現 に其 の調 査
は何 処 に幾 車輛 を抑 留 す﹂ と の通 牒 を作 成 し 、之 を毎 週 陸 軍部 に送
交 通部 は昨 日 部 内 に第 四回 鉄道 運輸 促 進 会 議 を開 催 し た 。列 席 者
員 を派 遣 す る こと にな つ て居 る から 、之 が実 現 に至 らば 車 輛 は陸 続
状 (二月 六 日順 天 時 報 大要 )
は各 線車 務 処 長 の外 、第 二軍 童 運 輸司 令 及 陸 軍 部蔡 科 長 等 に し て路
最 近 の運 輸 状態 変 化 な し 。但 し車輛 の大 部 分 は 津浦 線 で
と し て返 還 せ ら れ、 輸 送 の恢 復 は左 程難 事 では な か らう 。
機 関車 四 十 四輛 、 客 車 四十 八輛 及 貨 車 四百 三 十輛 であ る。本 線 の延
留 用 せら れ て居 る。 三十 日 現在 の報 告 に依 れば 、軍 隊 の抑 留車 輛 は
京奉線
政 司 長之 が議 長 に任 じ た。 目 下 各 線 の状 態 は 稍 恢復 の曙 光 を見 、 軍
督弁 胡 景翼 及 蕭 耀 南 所管 の各 段 に於 け る車 輛 は漸 次其 の
隊 方 面 の車 輛 抑 留 も従 前 の如 く 甚 だし く はな い。 京漢線
返 還 数 を増 し つ ゝあ る が 、未 返 還 のも の尚 一千 五 百 六十 輛 あ り。 但
関 に於 て屡 次会 議 す る と 同時 に本 部 は外 交 、 内 務、 財 政 、海 軍 、 農
て は 左程 重 大事 なる にあ らず 。 而 し て我 国 は 只国 際 鉄 道運 輸 協 定 及
商 、司 法 及 税務 各 部 処 職 員 を召 集 し 、 国際 交 通 審査 会 を開 き 我国 は
規 定 に の み調印 した の であ る。 蓋 し之 等 は 本 処 及交 通 部直 轄 の各 機
因 に交通 部 当 局 は 各線 の車 輛 に頗 る注 意 を払 ひ 、 先づ 其 の第 一歩
該 会 参 加 の調 印 を為 す に 一致議 決 され 、本 年 一月八 日 の国 筋 会 議 に
長 は長 いが前 記 各線 に比し 被 抑 留 車輛 の少 な き に拘 らず 、車 輛 欠 乏
と し て各 線相 互 の廻 入車 輛 を各 其 の自線 に 回収 せし め、 且 斯 く し て
せ るは 是津 浦 線 に於 て其 の車 輛 が留 用 せら れ つ ゝあ る に依 る 。
得 た る車 輛 を其 の軍 用 た る と商 用 た ると に論 なく 運 用 し停 滞 せ し め
北京公所長
し た が、 其 の後 ﹁山 東 人 の山 東 自 治 ﹂ を主 張 す る 一派 が益 々問 題 を
首 題 の件 に就 ては 北 公情 二 五第 四 号 の二を 以 て報 告 致 し て置 きま
膠 済 鉄路 局 内 争 に関 す る件
大 正 十 四年 二月 十 日
北 公 情 二五第 四号 の 一五
三六
む こと を虞 れ特 に茲 に訂 正 す る。
印 せ り 、 と の某 新聞 記 事 は全 く 無根 の事 に属 す 事 、 重大 誤 解 を招 か
提 出 、原 案 通 り議 決 さ れた も のであ る。即 ち 本 部 が外 交 部 と 共 に伊 ︹ 在復︺ 太 利駐 在 庸 公 使 に電 命 し、 一月 二十 一日所 謂 中 国鉄 道 共 管 契 約 に調
北 京 公 所長
な い様 にし よ う とし て居 る 。
三五
北 公 情 二 五第 四号 の 一四
中国 鉄 道 共管 に関 す る件
大 正 十 四年 二月 十 日
過 般 若干 の新 聞 に国際 交 通 聯 盟 会 議 に於 て支 那 代表 が支 那鉄 道 を 各 国 の共管 下 に置 く こと を承 認 し 、 其 の協 約 に調 印 し た りと て幾 分
だ支 那 政 府当 局は 交 通部 国際 交 通 事 務処 の名 を 以 て之 が事 実無 根 な
紛 糾 せし め 本 日 正午 を 以 て スト ラ イキ を開 始 す る こと にな つた様 な
世 の注 意 を招 い て居 り ま し た が全 く 事 実無 根 の趣 で、之 を 気 に悩 ん
る ことを 声 明致 し ま し た 。 左 は政 府 の公報 た る交 通 公報 通 告欄 よ り
互 交通 業 務 聯 絡 の関 係 よ り 、 ゼ ネ バ に於 て国 際 交 通聯 盟 会 議 を 開 催
約 に調印 せり 、 と あ るが這 は全 く無 根 の事 で あ る。欧 戦 後 各 国 は 相
な り 、本 日出 発 す る こ と にな り まし た 。今 後 の状態 に依 ては 或 は〓
相 を 調 べ 且調 停 を計 る為 に陸 参 事 及 劉 路政 司 両 名 を派 遣 す る こと に
早 晩落 着 す る、 と甚 だ楽 観 し て居 り ま す が、 既 に交 通 部 は 内 争 の真
問題 の真 相 は決 し て新 聞 に伝 へら れ る程 の重 大 な問 題 では な いから
が 、同 局長 の意 見 とし ては馘 首 の時 期 が少 し 早 過ぎ た る憾 は あ る が、
有 様 で あ りま す が、 本 件 に付 き〓 局 長 は交 通 部 に報 告 に参 り まし た
摘 録 し たも ので あり ま す 。 交 通 部国 際 交 通事 務処 通 告
し た 。其 の議 事 は枇 界 各 国 の海 岸 水 電 及 各鉄 道 相 互 の聯 絡 運 輸 に関
其 新 聞 に依 れば 、 中 国 代表 は ゼ ネバ に於 て中 国 鉄道 の各 国 共 管 契
す る各 種 規 定 に し て、 中 国 一国 の事 に非 ざ る のみ ならず 中 国 に対 し
む ると し ても適 当 な る後任 者 を得 ら れ な い ので、 交 通部 次 長 等 も頭
局 長 の進 退 にも影 響 す る か も分 り ま せ ん が、 仮 令 同 局長 を 退 任 せ し
が速 に阻 止 され な いと き は永続 の恐 あ る も ので、 支 那 の経 済 的 発展
れ つ つあ るを 以 て甚 だ憂 慮 に堪 え ぬも の であ る。 若 し 此 の混 乱状 態
を 増進 す る こと にな る も のと 信 じ て居 た が、混 沌 状 態 は依 然 継 続 さ
各 国 公使 は内 乱 の終 熄 と同 時 に平 時 の状態 に回 復 され 、公 策 の幸 福
材料 の供 給 を 外国 か ら受 け 其 の金 額 は 数億 弗 に達 し 、 支 那官 有 鉄 道
る関 係 を も つも の であ る。 支 那 の官 有 鉄 道 は多 く 其 の敷 設 に当 り 、
商 品 、食 料 品 、 石炭 等 を 輸 送 す る に止 ま らず 、 各 国 の利 益 と密 接 な
生 ず る利 益 は何 時 ま で も確 保 さ れ ぬ こと にな る。 鉄道 の私 用 は 単 に
は 之 に依 て著 し く阻 害 され る外 、支 那 と外 国 と の通商 及 其 れ に依 て
を痛 め て居 る様 子 であ る 。両 人 等 の復命 に依 り何 等 か の決 定 を 見 る
北 京 公 所長
こ とと 思 ひま す。
三七
大 正 十 四年 二月 十 四 日
北 公 庶 二五 第 一号 の五
送 達 し 、執 政府 の反 省 を促 し た が、 之 は長 江 筋 を初 め 各地 に於 け る
は 外 交部 に対し 、 支 那国 有 鉄 道 の現状 回復 を 至 急要 望 す る の通 告 を
一昨 十 二 日北 京 外 交 団 の決 議 に基 き首 席 和 蘭 公使 オデ ンダ イ ク氏
軌 道 其 の他 の材料 は多 く 外 国 よ り供 給 を受 け た るも 、其 の支 払 は 未
有 鉄道 は遠 からず し て破 産 す る に至 るべ し 。鉄 道 の附 属品 、 貨 車 、
管 理権 を 合 法 な る機 関 に移 す要 あ り。若 し然 ら ざ ると き は支 那 の官
る 。 此 の際 現 在鉄 道 を利 用 し て利 益 を 占有 せ る軍 閥 の手 よ り直 ち に
の盛 衰 は直 接 数 百 万 の債 券 を有 す 外 国 人 の利 害 に関係 あ るも の であ
外 国 商 人其 の他 の関 係 各 方面 に於 て、支 那鉄 道 の混 乱状 態 に対 し 比
だ 完 了し 居 らず 。現 在 の状 態 に於 ては 運 転 に 必要 な る修繕 及 補 給 を
外交 団 の鉄 道 現 状 に対 す る警 告
較 的 利害 関 係多 き英 国 公使 其 の他 の二 、 三国 公 使 間 に於 て協 議 の結
工事 を も為 し 得 ざ る事 実 は最 も危 険 を 感 じ 、支 那 官 有 鉄道 の財 政 並
為 す こと す ら 困難 な る悲 し む べ き状 態 にあ る外 、 橋梁 其 の他 の修築
設 備 の現 状 は殆 絶 望 の状 態 にあ る を以 て、 各国 外 交 代 表者 は支 那 官
る に至 つた も ので あ る。 此 の警 告 の内容 は昨 日及 本 日 附 の当 地 各 英 、
有 鉄 道 の前 途 を 憂 慮 し 、此 の際 中央 政 府 に於 て速 に支 那官 有 鉄 道 の
果 、 カ ラ ハン大 使 を 除 く外 交 団 員 全部 の同 意 を 求 め 、本 警 告 を 発 す
り であ り ま す 。
漢 及 邦 字 新 聞 に も転 載 さ れ て居 り ま す が 、其 の大 体 の意 味 は 左 の通
入 を 合法 な る機 関 に移 す手 段 を 速 に議 す る様 、誠 意 を以 て警 告 す る
車 輛 を各 所 属 線 に復 旧 せ し む ると 共 に、 管 理権 を取 り 戻 し て鉄 道 収
全 部 を通 常 の状 態 に回復 す べく 、現 在 軍 閥 に依 て占 用 さ れ つつあ る
各 国 公 使 は 支 那官 有 鉄 道 の運 転 が久 し く阻 害 さ れ居 る事 実 に対 し 、
記
支 那 政 府 の深甚 な る注 意 を促 す必 要 を 今 日 迄屡 認 め居 るも ので あ る。
当 然 の義 務 あ る こと を痛 感 す るも ので あ る云 々。
追 て本 警 告 に対 す る執 政 府 の態度 は相 応 重要 視 され て居 る。 夫
鉄 道 の運 転 阻害 は在 留 外 国商 人 及支 那 国 民全 般 にと つて非 常 な る損 害 で あ る。 此 の悲 し む べき 事態 は最 近内 乱 に依 る結 果 な る を 以 て、
れ は支 那側 の態度 如 何 に依 り ては 、各 国 の支 那 鉄道 共 同 管 理計 画 甲
照 会申 上候 間 御 了承 を乞 ふ。
る ことを 聴 許す 。
を発 行 し 、 以 て 一九 一九年 利 付 二千 万 フラ ン債 券 の回 収 に供 す
一、 政 府 は比 公司 が中 国 政府 を代 表 し 二千 三 百 万 フラ ンの新借 款
中 国 政 府 は 左 の如 き 命 令 を発 す
を進 展 せ しむ る こと に な る虞 があ る とし て、 即 ち 共同 管 理 の第 一 声 と看倣 し て居 るか ら で あ る。
三八
づく 。
二、 新 債 券 は 中国 政 府 一九 二 五年 隴 秦豫 海 鉄 路 八厘 借 款 債 票 と名
三 、該 借 款 の年 利 は八 分 と 定 め額 面 の如 く に計算 し半 年 毎 に 一回
利 息 を附 し 、 一九 三 一年 よ り毎 年 其 の五分 の 一を償 還 す 。 此 の
北京公所長
期 限 以後 は 中国 政 府 も亦 借 款 の全 額 を 一回 に償 還 し、 或 は随 時
大 正 十 四年 二月 十 四 日
北公 情 極 秘 二 五第 四 号 の 一
隴海 鉄 道 借款 借 替 条 件 に関 し督 弁 黄 賛 熈 より 交通 総
期 限 に先 立 ち若 干 額 を 償 還 す る を得 べ し。 但 し 六 ケ 月前 に比公 司 に 必ず 通 知 す る を要 す 。
四 、隴 海 鉄 道 一九 一二年 九 月 二十 四日約 定 の借 款 契 約 は仍 ほ完 全
に新 借 款 に適 用 す べく 発 行 手続 、 利率 及 償 還 の方 法 と期 限 と に
稍 同 じ から ざ る所 あ る以 外 は、 此 の新 借 款 は 全 く 一九 一二年 の
し ます 。
借 款 契 約 に記載 す る所 の 一切 の権 利 及担 保 品 を 同 様 に享 有 す 。
文
二 、新 債 券 十 七枚 毎 に旧 債 券 十 六枚 を 回収 し、 即 ち 新債 券 四万 二
を 五百 フ ラ ンとす べし 。
一、今 回 の借 款 は合 計 八 分 利 付債 券 四 万 六千 枚 を 発 行 し、 毎 額面
新 債 券 を 以 て旧債 券 を 回 収 す る手 続 左 の如 し 。
名 せ し所 の花 押 を債 券 上 に模 倣刻 印 し て以 て信 用 を 博 さ し むべ し。
中 国 駐 仏 公 使 は応 に巴 里 に於 て総 債券 に調 印 し 並 其 の官 印 及 署
時 に駐 仏 、 駐 白 の中 国 公 使 に通知 す べし 。
前 項 の部 令 は応 に中 国 政 府 よ り駐 京仏 、白 両 国 公 使 に通 牒 し 同
呈
写
総 長 へ出 し ま し た呈 文 の写 を 入手 致 し ま し た の で飜 訳之 を御送 附 致
ンに対 す る期 限 到 来 に付 、其 の借 替 に対 し同 鉄 路 督弁 黄 賛 熈 が交 通
隴 海 鉄 道 の借 款 即 ち ベ ルギ ー ・シ ンチ ゲ ー ト の立 替金 弐 千 万 フラ
長 へ提 出 せ る呈 文 写 ( 訳 文 ) 送附 の件
乙
丁
丙
比 公 司 (ベ ルギ ー ・シ ンヂ ケ ー ト) の立 替 金 二千 万 フラ ン に対 す
の電 報 に接 せ る が、 今 白耳 義 代 表 テ シ エ の書 面 を接 受す 。 内 に 曰 く、
る期 限 繰 延 の件 は、 既 に十 二 月 二十 七 日附 を以 て貴 部 に申 請 し許 可
比公 司 が以前 隴 海 鉄 道 の為 に発 行 せし 一千 九百 十 九年 七分 利 付 二 千 万 フラ ン借 款 の債 券 四 万枚 は、 其 の年 の五月 二十 一日中 国 政府 之 を 批 准 し 外 交部 より 駐 京白 耳 義 公 使 に通牒 せ るも の にし て、 該債 券 は 応 に 一九 二 五年 一月 一日 よ り額 面 の如 く に 回収 す べ き も のな り 。今 隴 海 鉄 道 の章 会 弁 、中 国政 府 を代 表 し比 公 司 と 協議 し て新 債券 を発 行 し 以 て旧債 券 を 回収 せ ん とす 。 其 の方 法 は左 記 の如く 此 段特 に御
千 五 百枚 を以 て所有 の旧 債 券 を 回収 す べし 。
を 四 百 七十 フ ラ ン にて市 場 に売 捌 く べし 。
三 、 余 す所 の三千 五 百枚 の新 債 券 は 百分 の九 十 四率 、 即 ち 各債 券
四、 該 売 上高 を以 て割増 金 、 新 債 券 発行 、 旧債 券 回収 の手 数料 に 充 つ。 即 ち新 債 券 一枚 に割 増 金 三 十 フラ ンを要 す 。
る に より 、合 計 百 十 七 万 五千 フ ラ ンと な り、 四 万 の旧債 に割 当 つれ
ば各 券 は 二 十九 フ ラ ン三 七五 に当 る べ し (附件 三を 見 よ)。此 れ 説 明 を要 す べ き も の の二 な り。
又原 呈 文 を案 ず る に新 債 券 発 行 の数 は 四万 二千五 百枚 と なす 。今
の手 数 料 に当 つるな り 。手 数 料 の 一項 は各 券 毎 に三十 フラ ンと せば
増 加 し て四 万六 千 枚 と し其 の増 加 せ し 三千 五 百枚 は即 ち 四 万六 千枚
じ て其 の立 替 を許 さざ る が故 に、 新債 券 を増 発 し て手 数 料 を支 給 せ
応 に百 三 十 八万 フラ ンを要 す べく 、現 金 は銀 行 が ﹁沙 多 ﹂ の請 に応
五、 若 し 該剰 余 の債 券 が百 分 の九 十 四 の率 を 以 て売 捌 く 能 は ざ れ ば 即 ち 比 公 司 は応 に極 力 方 法 を 講 じ て以 て最 も隴 海 鉄 道 に有 利
ざ る べ から ざ る に因 る 。該 手 数 料 は 既 に現 金 を要 す に債 券 は即 時 に
な る価 を 以 て売 出 す べ し。
ンと為 す は 百分 の九 十 四 の率 を以 て市 場 に売 出 す に係 り 、而 し て市
六 、 此 の三 千 五百 枚 の剰 余 の債 券 を 以 て得 し 所 の売 上 額 より割 増
場 に は此 の価 格 に て存 す な り)、 先 づ抵 当 と為 し 、現 金 に換 へ て 手
四百 フ ラ ンな り。 テ シ エ代 表 の書 を按 ず る に、 各券 を 四 百 七十 フラ
上 述 の各 節 は宜 し く 原 文 対照 御 詮 議 の上 、逐 条御 同 意 あら ん こと
数 料 に当 て 、将 来 売捌 き の時 を 俟 つて銀 行 に払戻 し 、 其 の外 に若 し
売 捌 き 難 かる べく 、 故 に之 を銀 行 に諮 り暫 次 額 面 の八 掛 と し (即 ち
を請 ふ。 同 時 に貴 処 の該協 議 の実 行 に対 す る所 有 一切 の準 備 、処 置
の会 計 内 に繰 入 る べし 。
を詳 細 に御 通知 あ りた し 云 々 の趣 な り 。 並章 会弁 の電 報 を 見 る に前
を要 す べ き も の の 三な り 。
余 分 あ れ ば再 び隴 海 鉄道 に繰 入 るな り ( 附 件 三 を見 よ)。 此 れ 説 明
金 、 債 券 発行 及 回 収 の雑 費 を差 引 き た る剰 余 金 は応 に隴 海 鉄路
と稍 符 合 せ ざ る所 あり 。直 ち に章 会 弁 に電 報 に て申 送 れ り ( 附件
収 す と な し換 算 せ る に因 る。 此 れ 応 に説 明 す べ き も の の 一な り。 又
白 耳 義 代表 の文 書 原文 一通 を 抄 録 同封 す べき により 、貴 部 の御 詮議
続 を終 ら しむ べき に似 た り。 理 と し て応 に文書 を具 し 及電 文 三通 と
事 理 を 以 て之 を 推 す に祇 に請 ふ所 を容 る ゝ に努 め て解決 を資 け手
増 発 の新 債 券 三千 五 百枚 を之 に当 つる に あり 。
が ﹁沙 多 ﹂ の請 に応 じ て原 案 の如 く 立替 ゆ る こと を許 さ ざ る に より
以 上 の各節 を総 覧 す る に其 の原 案 と稍 符 合 せ ざ る点 は惟 ふ に銀行
記 の事 実 に同 じ (附 件 一)、惟 ふ に該電 文 の陳 ぶ る所 の各 節 は 原 案
原 申 請 を見 る に新 債 券 四 万枚 を 発 行 し 五百 フラ ン毎 に割 増 金 三十
二)、 問 合 せ に応 じ 返電 あ り た り (附件 三)。
フラ ンと せ ば応 に四 万 二千 四百 枚 な る べし 。然 る に原 申請 の数 の四
原 申請 を 案ず る に五 百 フラ ン毎 に割 増 金 三十 フラ ンと す る も余 り の
万 二千 五 百枚 と為 す 所 以 は、 新 債 券 十 七枚 を 以 て 旧債 券 十 六枚 を回
債 券 三 千 五百 枚 を以 て之 を計 算 す れ ば 、其 の額 は変 じ て三 十 一フラ
あ つて国 務 会 議 に提 出 の上 臨 時執 政 に転 達 し願 の如 く聴 許 せら れ 、 ︹ 〓︺ 直 ち に駐 支 仏 、 白 両国 公 使 及駐 仏 の中 国 公使 に通 牒 さ れ並 駐 仏陳 公 ン二 五 と な る (附件 二 を見 よ)。 今 百分 の九 十 四 の率 を 以 て 計 算 す
回答 に接 せず 。 今 又 改 め て十 七枚 毎 に旧券 十 六枚 を回 収 す る こと と
数 に誤 あり と の語 あり 。直 ち に電 報 を 以 て転達 せし が今 に至 るま で
せ る を以 て応 に 二千 四 百枚 と な る べく 、前 に本 省 の指 令 を 奉ぜ る券
る所 なり 。前 電 に ては 原案 各券 五百 フラ ン毎 に割 増 金 三十 フラ ンと
熈
枚 毎 に新 債券 十 七 枚 に換 ゆ 、 と の各 節 は均 し く原 案 の未 だ声 明 せざ
賛
使 に総 債 券 に署名 し 以 て発 行 に備 ふ様 打電 せら れん こと を申 請 す 。
黄
当 れ るや否 や偏 に訓 示 あ ら ん こと を 切望 す 。 右 謹 ん で交 通 総 長 に申 請す。 隴 秦豫 鉄 路 督 弁
の額 は乃 ち 変 じ て三 十 一フラ ン二五 と なり 、 之亦 原 案 と符 合 せず 。
せ る が、 其 の数 は固 よ り四 万 二千 五百枚 とな るべ し。 而 し て割 増 金
北京 隴 海 鉄 路 黄 督弁 宛
二千 万 フ ラ ン延 期 の手 続 は 政府 より申 請 許可 の指 令 あ り、 外 交 部
附件
よ り白 耳 義 公使 館 に移 牒 し て始 め て完備 す 。並 指 令 の日附 、 番 号 を
若 し 閣議 を 経 て決 定 せし 所 の大綱 にし て動 かざ れ ば 手続 に略 欠く 所
く 五 百 フラ ン毎 に割 増 金 三十 フラ ン の計算 を以 て処 理し 能 は ば則 ち
打電 あ り度 し 、 以 て総 債 券 上 に明記 す る の便 を与 へら れ た し。 今 回
原 案 と 相符 合 し 、交 通 部 も亦 処 理 し易 し 。其 の手 数料 の件 は別 に立
り政 府 に申 請 し 渋滞 な から ず 、 鄙見 を以 て す る に若 し仍 ほ原 案 の如
付 す る に当 て百 分 の九十 四 の率 に て計 算 す 。即 ち 旧債 券 十六 枚 毎 に
あ る も 、尚 本 省 と諮 り融 通 し 易 し。 今 原案 と既 に差 違 あり 。本 省 よ
新債 券十 七枚 と換 ゆ 。余 分 の三 千 五百 枚 は 人 に強 い て押 付 け し能 は
替 金 借 入方 法 を 商議 し 以 て新 債 券 の枚 数 増 加 を免 れ 併 せ て紛 糾 を も
の発行 は合 計 四 万 六千 枚 にし て八分 利 附 と し 、第 六 年 目 よ り始 め十
ざ るが故 に市 価 に従 ひ 、 四百 フ ラ ンに計 算 し 暫 く 百 四十 万 フラ ンを
早速 御 返電 を賜 は ら ん こと を希 ふ。尚 又 元年 金 傍 借 款 延期 の 一件 は
省 か るべし 。 駐 京 代表 の文 書 は尚 未 だ到着 せず 。 先 は右 御 相 談 ま で、
年 に全部 を償 還 す 。 内 四万 二千 五百 枚 は 無 理 に も旧 債 券 所有 者 に交
抵 当 と し 四 (注 、 此 の処 に ﹁万 ﹂字 あ る が如 き も原 文 はな し) 六千
北 京 隴 海 鉄道 黄 督 弁 宛
前 電 にて新 債 券 を 旧 債券 に換 へ、 五百 フ ラ ン毎 に割 増金 三十 フラ
附件三
解 決 あり し や否 や 、部 内 甚 だ懸念 し居 れ り 。併 せ て御返 電 を乞 ふ 。
枚 の手数 料 に当 て、 六 分 の割 合 に計算 す。 即 ち 百 三十 八万 な り 。市 場 較 好況 を呈 せば 比 公 司 よ り小 口 に売 捌 き 剰余 は隴 海 鉄 道 の会 計 に 繰 入 る。 此 は商 議 済 の条 件 にし て已 に比公 司 に駐 京 代表 に打 電 し 、 書 面 を 具 し て公 所 に向 つ て声 明 し 以 て文 面 に従 つて 、政 府 に申請 す
ンとし 、 新債 券 は百 分 の九 十 四 の率 を 以 て計 算 す 、 と申 送 りし は 即
十 一日附 の電 文 の趣 委 細 了承 す 。 扨 て此 の案 は 已 に昨 年 十 二月 二
九 ・三七 五 に当 る べし 、 と の意 な り。 且決 し て来 電 に 言 ふ 所 の三
千 フラ ンと な る べく 、 之 を 四 万 の旧 債券 に分 て ば毎 券 の割 増金 は 二
五百 枚 は割増 金 と為 し百 分 の九 十 四 の率 に て計算 す れば 百 十 七万 五
ち 四 万 二千 五百 枚 を 発 行 し 、 旧債 券 四 万枚 を 付替 す る外余 り の二千
十 三日来 電 に依 り本 省 に申 請 し 、 願 の通 り許 され た り 。原 案 に ては
巴 里 章会 弁 宛
手 数 料等 は銀 行 よ り立 替 ゆ る筈 な る に、今 回 の電 文中 発 行 券 数 三 千
一 ・二 五 にあ らず 及 十 七 枚 を 以 て十六枚 に換 ゆ 、 と は原 来 手続 を省
附件 二
る に便 せ ん こと を請 ひた れ ば手 続 方 に符 合 す 。
五百 枚 を増 し て手 数 料 に当 て、 又百 分 の九 十 四 の率 にて 旧債 券 十 六
か ん が為 にし て、 手 数 料 一件 は各 券 三 十 フラ ンと せ ば応 に百 二十 七 万 五千 フ ラ ンを要 す べ く 、現 金 は 銀行 は ﹁沙 多 ﹂ の請 に応 じ て立替
大 正十 四年 二月 十 四 日
北 公 情 二 五第 四号 の十 九
三九
四百 フ ラ ン にて 先づ 抵 当 と なし 能 ふ のみ に て、 将来 売 捌 き の時 を倹
ゆ る こと を 許 さず 。 又 現金 を要 す る によ る銀 行 は 祇 だ市 価 に従 つ て
て実 価 の剰余 は再 び隴 海鉄 路 に帰 す 、 と の意 な り 。之 を要 す る に該
北 京 公所 長
す 、 と の 一節 は ﹁沙多 ﹂ を拒 絶 す る こと を先 決 問題 とし 再 び 処 理す
に北 京 に郵送 す )。来 電 に言 ふ所 の手数 料 の立 替 に就 て は 別 に商 議
は 一躍 一千 七 百 十 四万 余 元 に達 し、 八 年 の六倍 強 に当 つて居 る 。普
に 二百六 十 三万余 元 にす ぎ ざ り し が、 爾 後累 年 好 況 に向 ひ十 二年 に
交 通部 聯 運 事 務処 開 設 の翌年 即 ち民 国 八年 の聯 絡 運輸 収 入 は 僅 か
支 那 鉄 道 聯 絡運 輸 収 入 の増 加
る の法 な し。 偏 に御諒 察 を希 ふ 次第 な り。 原 案 と符 合 せざ る 点 は僅
通 な れば 十 三年 分 も既 に調 べ が出 来 上 つ て居 る筈 であ る の に、十 二
発 行 新 債 券 は 四 万六 千枚 、八 分 利 付 、額 面 二千 三 百 万 なり (券 は 已
か に手 数 料 の 一項 に し て銀行 が 代理 す るを 肯 ぜ ざ るな り 。
備 考 、 十 二年 は 八年 に比 し 一千 四 百 五十 万余 元 の増 収 に て、 即 ち 六倍 強 に当 る。
︹本
年来 攻 変 の頻 発 に依 い之 を妨 げ ら れ 十 二年 分 さ へ漸 く此 の頃 に至 つ て出 来 上 つたと 謂 は る 。 八年 より 十 二年 ま で の収 入 額 を掲 げ る と 次 書 では前頁︺
の通 り であ る (以 下 の数字 は交 通 部 公報 所 載 に依 る)。
備 考 、 収 入統 計 及 び国 内聯 絡 計 に於 て逐 年 昇 騰 せる は 、九 年 よ り 国 内貨 物 聯 絡 を開 始 し、 該 貨物 聯 絡 が十 、 十 一年 に於 て著 し く 増 大 せ る為 な り。 国際 聯 絡 に於 ては十 一年 よ り 東支 、支 那聯 絡 を追 加 せ る為 十 二年 に於 て増 加 の形 を 示 す も、 日支 聯 絡 は開 始 以来 却 つ て減 退 し 居 れ り。
四〇
北公情二五第四号 の二〇 膠済鉄道内争 の件
大正十四年 二月十四日 北京公所長
首題 の件 に就 ては再 三報告しましたが陸参事、劉 司長 の調査によ
り兎も角 正副局長罷免条件 により、去 る十二日より全線開通するこ
ととな つたが、昨日附 交通部令を以て左 の任免 を発表した。 李鐘嶽 を膠済鉄路局長 ニ任 ズ
( 同氏は山東督理鄭士琦氏 の推薦 により現在兵 工廠長 にして従前
同鉄道局長 代理をな せし ことあり)
(現在交通部聯運事務所副処長)
胡鴻猷 ヲ同鉄路副局長 ニ任ズ 鐸
以上
膠済鉄路局長ヲ免 ジ粤漢川鉄路籌備処参賛 ニ任 ジ交通部内 ニ於 テ
〓
事務 ヲ執 ル 庭 祺
同鉄路副局長 ヲ免 ジ聯運事務所副処長 ニ任ズ
朱
四 一
北公情 二五第 四号 の二二 北京公所長
最近 の京漢其 の他各線交通状態
大正十四年 二月二十日 線 一、特急第 一、二列車
京 漢
堂 車 二輛 、手 荷 物 車 一輛 よ りな り 、 設備 戦 前 の状 態 に同 じ。 従 来
車 す 。 該特 急 列 車 の編 成 は頭 等 寝 台 車 一輛 、 二等寝 台 車 二輛 、食
間 延 着 せ り。 以 後 毎 週 一回宛 北 京 を 月曜 日 に、漢 口を木 曜 日 に発
を 初 め と し予 定 の通 り運 転 し、 右 最 初 の第 二列車 は北 京 に約 八時
第 二 列車 は本 月 十 二 日漢 口発 を 、第 一列 車 は本 月十 六 日北 京 発
限 り 一般 旅 客 に対 し寝 台 券 を発 売 す る に至 れ り。
ざ りし が (寝 具 を失 ひし 為 な り し如 し ) 漸く 少 数 ( 約 五、 六個 ) に
北 京 奉 天 間 一〇 一列 車 、従 来 寝 台 車 を連 結 す る も寝 台 券 を 発売 せ
通 列 車 も 近 来 遅 延時 分 非 常 に減 縮 、 殆 ど 定時 に近 く到 着 す る事多 し。
間 (或 は北 京 山海 関 ) の列車 は殆 ど 定 時 運転 を保 ち 、北 京 奉 天 間直
時 聞 表 の通 り 各列 車 と も 運転 、列 車 編 成 も戦 前 に恢 復 し 北 京 天津
戦 前 の状 態 に復 す。
車 証 を以 て乗 車 す る事 を 絶 対 に禁 止 し 居 る に付 き 、無 賃 乗 車 証 所持
を利 用 す るを 特 に便 利 と考 ふる が 、両 線 と も該 特急 列 車 には無 賃乗
各 線 交 通 状 況 上記 の通 り に付 き、 京 漢 、津 浦 線 は旅 行 上 特 急 列車
無 賃 乗 車 証 の利 用 に就 き 、
線
特 急 列 車 は 一週 二回 運転 な りし が、 現在 一回 運 転 す る のみ に て且
京
綏
普 通 列 車末 だ設 備 復 旧 せざ る為 乗 客 多 く 、寝 台 は 少 な く とも 三 日 以 前 に申 込 まざ れば 予約 困難 なり 。 二、 普 通 列 車 ( 第 三、 四、 五 、六 列 車 ) 時 間 表 の通 り運 転 す る も 今猶 三等 車 のみ連 結 し 、 列車 暖 房 の設
第五
第三
第二
〃
〃
前
漢 口発後
北 京 発後
漢 口発 後
第 一 北 京発 後
一 一時
一 一時
一 一・五〇
一 一時
一〇 時
一〇 時
〃
北 京着
〃
漢 口着
〃
〃
〃
〃
前 六 ・三〇 時
後 四 ・三八 時
前 五 ・四五 時
後 三 ・四〇 時
北 京 着翌 々日前 九 ・三〇 時
漢 口着 翌 々日前
九 ・ 一〇 時
浦 口着
〃後
翌後
二 ・二〇 時
二 ・三八 時
前 第四
第 一 北京発前
北京
浦口
八 ・五 〇時
第二
〃
線
第六
線
各 線 列 車 時刻
者 と雖 も、 普 通 旅 客 と同 様 相 当賃 金 の支 払 を要 す る事 を予 め 諒 知 し
備 を欠 く を普 通 の状 態 と し 、十 時 間 以 上遅 延 し 居 れ り。 線
特急
浦
普通
特急
漢
参考
置 かれ度 し 。
浦
津
京
津
線
九時
一、 特 急 第 一、 二列 車 本 月 十 七 日 よ り 一週 二回 北京 浦 口間 直通 運 転 を 復 活 し た が、 更 に本 月 二十 一日北 京 発 第 一列車 及 本 月 二十 二 日浦 口発 よ り以 降 、 戦 前 の通 り 毎 日北 京 浦 口間 直通 運 転 を為 す筈 な り 。 該 特急 列 車 の 編 成 は 一等 寝 台車 二輛 、 一等展 望 車 一輛 、 二等 寝 台 車 二輛 、 三等 寝 台 車 二輛 、 郵便 車 一輛 、 手荷 物 車 一輛よ り な り戦 前 の夫 れ と同 様 な り。 一、 普 通 列 車 現 在 第 三 、 四列 車 が天 津 浦 口間 運 転 し 居 る筈 な る が、 該列 車 に 依 り 天津 浦 口間直 通 乗 車 は 非常 に困 難 に て多 数 の時 間 と 苦痛 を要
奉
す る も の の如 く 、天 津 済 南 間乗 車 にも 相 当 不便 多 き模 様 な り。 京
京
八 ・二 五時
前 一〇 ・ 一五時
後
九 ・ 一〇時
北京着
天津着
北京着
山海 関 着
北 京着
奉天 潜
天津
浦口
後
後
後
後
〃後
〃後
七 ・二 五時
七 ・ 一五 時
五 ・四 五 時
翌前 一〇 ・ 一五 時
翌後
〇 ・〇 五時
七 ・ 一五時
三 ・四 二時
四 ・〇 二時
校
校 、北 京 工業 大 学 校 、北 京 美 術学 校 、 北 京医 大 学校 、北 京 農 科 大学
北 京大 学 校 、 北 京 師範 大 学校 、北 京 法 政 大学 校 、北 京 女 子 師範 大 学
専 ら 之 を 八校 の経 費 に充当 方 申請 の儀 願 の通 り認 可 す 。即 ち 其 の弁
国有 鉄 道 各 線附 加税 の徴 収 を六 箇 月間 延 期 し ( 但 し 一回 限 り)、
線
第 一〇 一 北 京発
八 ・ 一〇 時
〃 一〇 ・ 〇 時
九 ・三 五時
前
四 ・二 五時
天 津 発前
奉 天発
前
九 ・ 一〇時
第三
北 京発
後
{
北京公所長
四三 北 公情 二五 第 四 号 の二 四
中華 民 国 臨 時執 政 印
昨 年 八月 中 報 告致 し まし た水 災 救 恤 品並 穀 類 に対す る交 通 部 の中
水 災 救 恤 品並 穀 類 運賃 割 引 期 間 の延 期
大 正 十 四年 二 月 二十 一日
北京 公 所 長
本 指 令 中 八校 と あ る は左 の通 り
中 華 民 国 十 四年 二月 十 三 日
理 方 は交 通 部 よ り通 告 す る所 に遵 ふ べし 。 茲 に令 す 。
第 一〇 二
山海関発
前
浦口
第三
北京発
第四
第四
天津発
奉
第六
第五
普通
) 急 行 ( 四二 北 公情 二五 第 四号 の 二三 大 正十 四 年 二月 二十 一日
昨 年 九 月 一日よ り実 施 の国 有鉄 道 附 加 税 は其 の当 時報 告 しま し た
たが 、更 に三 箇 月 間 延期 の旨 、 次 の通 り交 通 部 令 で発表 され ま し た。
国 各国 有 鉄 道 運 賃割 引 施 行 期 間 は本 年 二 月十 五 日 を 以 て満 了 し まし
国 有 鉄 道附 加税 徴 収 期 問 の延 期
附 加 税規 則 第 一条 に示 す 如 く 、実 施 期 間 を 六箇 月 とし 、其 の所 得 を
京 畿 及湖 南 、 江 西 、福 建 、 浙 江等 の各 省 に於 け る水災 は最 も 甚 だ
交通部通告
専 ら各 省 罹 災 区 域 の救 助 用 に充 て る事 にな つて居 りま し た が、 今 度 は 其 の所得 を八 校 の経 費 に充 てる と の理 由 を 付 し、 今 一回限 り更 に
し く 且 区域 広 大 な り し を以 て、 本部 は前 に災 害 救 助 の見 地 より 国有
馬
恭
叙
綽
倫
は 二割 五 分引 運 賃 を 以 て、同 年 八 月十 五日 よ り向 ふ六 箇月 間 実 施 す
為 、 去 年 八 月十 二日 の閣議 に提 出 せし 結 果 、救 恤 品 は 五割 引 、穀 類
各 線 輸 送 の救 恤 品 並 穀 類 に対 し 、其 の種 類 に従 ひ運 賃 を割 引 せむ が 教 育 次長
葉
六 箇 月 間実 施 期 間 を 延期 す ると 、 次 の如 く 臨 時執 政 令 を 発表 致 しま し た。 臨 時執 政指 令 第 二百 二十 号 部務代理
交 通総 長
る事 に議 決 さ れ た事 は当 時 既 に夫 々通 告 し た所 であ る。 而 し て右 の
ると謂 ふ こと を 甚 だ希 望 す る 次第 で あ る 云 々。
な る力 を有 す る米国 の資 本 と 優秀 な る其 の技 術 に依 つて敷 設 せ ら れ
は 吾 々が最 も 遺 憾 とす る所 であ る が 、此 の鉄道 建 設 に対 し ては偉 大
此 の ステ ート メ ント に対 し ピー ・テイ ー ・タ イ ム スは昨 二十 三 日
に際 し 、各 処 災 民 にし て救 恤 を 待 つも の尚 盛 ん な る も のあり 。 即 ち 各 慈 善 団 体 よ り救 恤 品 並穀 類 輸 送 を 請求 す る者 絡繹 とし て絶 え ざ る
重要 且有 益 な る鉄 道 であ る ことを 論 評 し 、本 鉄 道 の建 設 に対 し て も
附 社 説 で王 博 士 の意 見 に共鳴 し、 本 問 題 を敷 術 し た る後 粤漢 鉄道 の
期 間 は 二月十 五 日限 り満 期 とな る が、春 寒 未 だ 甚 だ しく 春 季 耕 作前
状 態 に在 り 、依 つ て本部 は之 に鑑 み国務 会 の議 決 を経 て、 去年 八 月
亦 一般 的 に支 那 の富 源 を開 発 し、 文 化 の向 上 を図 る為 に極 力 外資 の
議 定 せる 水災 救 恤 品 並穀 類 輸 送 及 無 賃乗 車 券請 求 処 理方 を三 箇 月間
輸 入 さ れる こと を唱 導 し て居 る。
四五
大 正十 四年 二月 二十 七 日
北 公情 二 五第 四 号 の三〇
北 京 公所 長
延 期 し 、本 年 五月 十 五 日 に至 り満 期 せ し め以 て協 助 に資 せむ と す。
北京 公 所 長
特 に此 に通 告 す る。
四四
大 正 十 四年 二月 二十 四 日
北 公 情 二五第 四号 の 二六
昨 年 十 二月 十 三 日北 公 調 二 四第 甲 号 の七 二 を以 て報 告 致 し まし た
北 京 着 国有 四鉄 道 一車 扱 穀 類 運 賃 半減 期 間 の延期
最 近 米国 よ り帰 朝 し た る前 東 支 鉄 道督 弁 王 景春 博 士 が紐 育 滞在 中
王博 士 の粤 漢 鉄 道 に就 て の意 見
(一月 二十 日頃 ) 同 地新 聞 紙 に ステ ート メ ント を発 表 し た さ う で、
せ ら れた 北京 着 京 漢 、 京綏 、京 奉 及 津 浦 の四鉄 道 一車 扱 穀 類 運賃 半
戦 乱 に依 る北京 細 民 の困 窮 を救 はむ が為 、同 年 十 二 月十 日 よ り実 施
減 は本 月 十 日限 り取 扱 期 間 が満 了 す る こと にな つて居 りま し た が、
其 の ステ ー ト メ ント が京 津 両 地 の英 字 新 聞 に転 載 さ れ て居 るが 、其
現 在 昆国 に於 て最 も 必要 と す る鉄 道 は、漢 口 と広 東 と を 結 ぶ粤 漢
の中 同 博 士 は粤 漢鉄 道 に就 て述 べ て居 る、 大意 は 左 の通 り であ る。
る堆 積 穀 類 が夥 多 な る が為 、 割 引 期 間 の延 期 を 申出 づ るも の多 し と
仍 ほ北 京 に於 け る貯 蔵穀 類 の稀 薄 な る と 、上 記 四鉄 道 の沿 線 に於 け
の理 由 で、更 に 二箇 月間 本 扱 を延 期 す る と の旨 去 る 二十 日 の臨 時 執
鉄 道 で あ る が、 之 が其 の中 央 の 一部 分 は 末 完成 で あ る。 本 鉄道 は広 東 から 漢 口を 経 て北 京 に至 り 、更 に哈 爾 賓 に通 ず る、 即 ち 支那 全 国
政 会 で発 表 さ れ まし た 。右 報 告 致 し ま す。
の富 源 を開 発 す る意 味 に於 ても 必要 欠 く べ か らざ る線路 であ る こと
を南 北 に貫 通 す る最 も重 要 な る交 通 幹 線 であ り、 且 其 の沿 線 の無 限
は何 人 も知 る所 で あ る。 斯 か る鉄 道 を今 日迄 敷 設 し な いと謂 ふ こと
四六 北 公情 二五 第 四 号 の三六
北京 公所 長
大 正十 四年 三 月 二 十五 日 隴 海 鉄 道 運転 中 止 (スト ラ イ キと 同 じ状 態 にあ り)
四七 北 公 情 二 五第 四号 の三 七
京綏 線 の将 来
北 京 公 所長
大 正 十 四年 三月 二 十 六 日
右 の件名 に て三 月 二十 六 日 の フ ア ー ・イ ー スタ ン ・タ イ ムスは 左 の記 事 を載 せ て居 る。
隴 海 鉄 道 の白 耳義 人 であ る技 師 長 から 政 府 に 入 つた 電 報 に よ ると 、 昨 朝 以来 隴 海 鉄 道 は 全く 運 転 を中 止し て居 る状 態 で、 唯 鄭州 か ら陝
左
ル キ スタ ンに向 つ て接 続 せ ら れ んと し て居 る処 の京 綏線 は最 近 一日
北 京 よ り南 口、 張 家 口 を経 由 し て支 那 の西 北国 境 より更 に支 那 ト
記
西省 境 の 一地 点 迄僅 か に運 転 し て居 る の み であ る。 此 の件 に就 き フ
隴 海 鉄 道 の現 状 は全 く ス トラ イ キと 同 じ で あ り、 一万 人 から の鉄
ア ー ・イ ー スタ ン ・タ イ ム スは 左 の如 く 述 べ て居 る。
を支 払 は ん と種 々計 画 し て居 る が、右 借 款 は従来 該 鉄 道 の駅収 を以
の収 入 四 万弗 (一年 千 五 百 万弗 ) に達 し たと 言 ひ世 人 の注 目 を ひ い
て借 款 を 支払 ふ べき 抵 当 を有 し て居 る処 の支 那 の各 銀 行 には何 等 の
て居 る。交 通 部 は 三 千 三 百 万弗 の公債 を発 行 し 、該 鉄 道 の各 種 借 款
の軍 隊 が南 京 、浦 口 方面 から徐 州 に向 つ て移動 し つ ゝあ る か ら であ
話 もな く し て ベ ルギ ー、 日本 及 ア メ リカ の各 銀 行 に対 し て交 渉 せら
の理由 に就 ては末 だ公 式 に発 表 さ れ て居 ら な いが、 惟 ふ に張 宗 昌 軍
る 、 と謂 はれ る が 、之 は罷 業 状態 に陥 ら し め た総 て の原 因 で は な い。
道 従 事 員 は全 く 仕事 もな く 、総 て の運 転 車 輛 は破 壌 さ れ て居 る。 其
昨 日北 京 の隴 海 鉄路 公 処 の 一人 が語 ると ころ に依 ると 、 今 回 の運 転
れ て居 る。
が つか な い。 又 洛 陽 から の通信 に依 ると 、 洛陽 方面 の形 勢 は甚 だ不
後 客 車 が何 時 頃 よ り 回復 運 転 す る か と謂 ふ事 は 目下 のと ころ見 込 み
ベ ルギ ー ・オ ラ ンダ ・シ ンジ ケ ー トは エ ム ・デ ーボ スに依 つて成 さ
更 に第 二 の問 題 とし ては該 鉄 道 四 方 に遠 く延 長 せ ら る べき であ る。
は れ る。尚 右 の内 五 百 万弗 は線 路 の改良 費 に使 用 せ られ る筈 で あ る。
の京 綏 線 公債 は総 額 三千 八 百 万弗 で、之 が市 場 に売 り出 さ れ る と思
吾 人 の見 込 み で は其 の大体 の協 約 は来 月成 立 す べく 、 さ う し て此
中 止 は洛 陽 の西 方 五粁 の所 に於 て軍 隊 が鉄 道 を破 壊 し た から で あ り、
穏 であ つて、 今 日 よ り 四 日前 に於 て該 駅 のプ ラツ ト ホ ー ム に於 て戦
れ た の であ る が、 同 鉄 道 に対 し材 料 供給 の契 約 を有 し て居 る が、 更
且 数 日前 隴 海 鉄 道 の車 輛 を抑 留 し た から であ る 、 と語 つ て居 る 。今
争 が 発 生 し たと も 謂 は れ、 附 近 に在 住 す る外 人 は家 族 を 引纏 め 比較
に甘 粛 の寧夏 に線 路 を延 長 せ しむ べく建 築 契 約 に改 正す る事 を希 望
的 無 事 で あ る鄭 州 方 面 に引 揚 げ つ ゝあ る、 と謂 は れ て居 る、 云 々。
那 に於 け る最 長 の鉄 道 と な る の であ る。 此 の計 画 が実 現 せら れ る な
し 此 の延 長 が実 現 せら れ る な らば 線 路 の延長 一千 八百 哩 に達 し 、支
り の処 であ つて、 甘 粛 方 面 の羊 毛 と皮革 取引 の 一大中 心 であ る 。若
京綏
滬杭
滬寧
津浦
京奉
京漢
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
隴海鉄道
一、 〇九 五
七 六九
五 七九
七、四五 一
一、 七 〇 四
三 、 四 七〇
五 、 五九 二
一四、 七 九 〇
六、 二九 三
一、〇 三 四
〓厦
膠済
四〓
株萍
広九
〃
〃
〃
〃
〃
東 支 鉄道
三六
二、 六 一〇
二〇 六
一、〇 五三
三 九三
二、 三 五 二
す る の標 準 と な る と言 ふ。 各鉄 道 の 工人数 は
らば 、 列強 が居 眠 つ て居 る間 に於 てベ ルギ ー及 オ ラ ンダ は 支那 に於
吉長
〃
し て居 る。 寧夏 は現 在 京綏 線 の終 点 であ る包 頭 鎮 より南 西 五 百 哩 計
て大 な る建 設 工事 を 為 し、 各 国 の羨 望 の的 と な る で あら う 。
湘鄂
三五 六
大 正 十 四年 三 月 三十 日
北 公情 二 五第 四 号 の四 一
四八
正大
〃
北 京公 所 長
道溝
交 通 部 鉄道 職 工学 校 設 立計 画 の件 (三月 二十 九 日順
例 し て短 期 間 内 に設 立 す る と 。 又全 国 の郵 便 工人 合 計 一万 六 千九 百
以上 合 計 四万 九 千 八百 八 十 人 に し て将来 職 工学 校 は 此 の人 員 に比
交 通 部 当 局 は全 国 々有各 鉄 道 職 工 の教 育 普 及 の見 地 よ り、 各鉄 道
こと なり 云 々。
〇 八人 な るを 以 て、 交 通 部 当 局 も又 其 の教 育 普 及 法 を老 究 す る と の
天 時 報摘 録 )
の主 要 地 点 に学 校 及 教 育機 関 を設 立 す る計 画 を 以 て既 に交 通部 内 に
各 鉄 道学 校 設 立 予 定 地
豊 台 、唐 山 、 山 海 関
したるが、其 の後 交通部 の任命したる胡副局長 を排斥したる等 の行
津浦鉄道従業員罷工風潮 に関 する件 二月 の膠済鉄路局長排斥運動は山東人 に有 利なる解決を以て終熄
大正十四年 四月八 日 北京公所長
北公情二五第 四号 の五 二
四九
全 国 鉄 道職 工教 育 委 員 会 を設 け、 之 が辮 法 に着 手 し た りと 。
〃
南 口、 張 家 口、 豊鎮
天津 、済 南 、 浦 口
長 辛店 、鄭 州 、 信 陽 州
京奉
〃
〃
京漢 鉄道
京綏
津浦
之 等 の学 校 は各 鉄 道 の経済 状況 と 工人 の多 寡 等 に応 じ て酌 慮 の上
交 通 部 当 局 は特 に国 有鉄 道 の工人 数 を詳 細 に調 査 し 、学 校 を 設 立
之 を設 立 す る と。
懸 り よ り、 同 部 は 局内 山 東 人 に好 感 を有 せず 、依 然 とし て胡 の任 命 う。 )
し其 の計 画 が事 実 な ら ば 、本 発 表 は 其 の前 提 と 見 る べき も のであ ら
五 一
大 正 十 四年 六月 六 日
北 公 情 二五 第 四号 七 二
北京 公 所 長
を 取 消 さず 、 且 李局 長 に対 し ては 前 回罷 工 の首魁 を調 査 処 罰 す べ き
て対抗 策 を講 ぜ ん と計 画 し 居 り た る処 、 之 を 伝聞 し た る津 浦鉄 路 機
旨 を命 じ た る に依 り、 山 東 人 職 員 は 不安 を 感 じ窃 か に団 体 を組 織 し
し 罷 工 運動 を 劃 策 中 の由 新 聞 に報 ぜ ら れ居 るが、 諜 報 に依 れ ば、 交
械 工 の 一部 は彼 等 に援 助 を与 ふる 為 、年 末 賞 与及 月 給 不 渡 を 口実 と
通 部 は 二十 五 日附 、鄭 督 辮 並 に沿 路各 長 官 に対 し部 員 を 派 し て、 各
タイ ム ス摘 録 )
膠済 鉄 道 に関 す る件 (六月 六 日 フア ー ・イ ー スタ ン ・
三、 膠 済 鉄路 総 段 長 馬 廷燮 を免 職 し、銭 宗 淵 を其 の後 任 とす 。 ︹ 貞二︺ (本 件 に付 て我 が 社 派遣 、 京 奉 鉄 路 の山 領 技 師 の談 に依 れ ば 、之
二、 常 蔭 槐 を京 奉 鉄 路 管 理 局長 に任 ず 。
該 路 の車 務 、 会 計 両処 長 は 日本 人 に由 てさ る ゝが、 之 は華 府 会 議 の
て之 に充 つる こと と な る を以 て、路 政 の破壊 は当 然 の こと で あ る。
ら む と す る も の数 百名 に達 す 、 故 に趙 氏 就任 後 は専 門 局員 を更 迭 し
因 つて辞 職 す る こと と な り今 回 膠済 鉄 道 に来 た る が該 路 に於 け る成
趙藍 田 は前 京 綏 局長 に し て京 綏 に於 て屡 問 題 を惹 起 せし め 、之 に
日青島 に到 ら し め て事 務 の引 継 を 為 さ しめ た と謂 ふ。
を 容 れ末 だ交 通 部 の指令 を経 ざ るも 、趙 藍 田を し て既 に五 月 三十 一
如 何 な る条 件 に よる か 之 を知 る こと能 はざ る も 、張 宗 昌 は其 の願 ひ
し 、 趙藍 田 を局 長 と 為 す こと を請願 し た るが 如何 な る方法 に て、 又
一を 破 壊 す る ことを 慮 らず し て山 東 土着 人 の名儀 を以 て張 宗 昌 に対
し て局 長 の任 命 を謀 り 、異 郷 の者 を排 斥 し 其 の行動 は交 通行 政 の統
か な るを 以 て食 指 を 動 し 、就 中 二、 三 の山 東 有 力者 は既 に人 を派 遣
膠 済 鉄 道 局長 問 題 は 久 し く末 解 決 の状 態 で野 心家 が該 路 の収 入 豊
沿 線 を 調査 せし め鎮 撫 に努 め し む る も同 時 に所属 護 路 軍 隊 一体 に命
北京 公 所 長
じ 、該 路 職 員 の集 会 、結 社 、 罷 工 運動 等 を 監 視 せ しむ る様電 報 し た る趣 な り、 御 参 考迄 。
五〇
大 正十 四 年 五 月六 日
北公 庶 二五 第 七 一号 の十 三
京 奉 、膠 済 両 鉄 路 局長 更迭 交 通 部 令 を 以 て昨 日左 の如 く発 表 し た 。
は全 く張 作 震 将 軍 の手 を、 山 東 方 面 に及 ぼす の 一手段 で、 張 氏 と し
一、 膠 済 鉄路 局 長 李 鐘 岳 を免 職 し、 唐 文高 を其 の後 任 と す。
ては 陸 軍少 将 であ る常 蔭 槐 を京 奉 鉄 路 の局 長 にす る と共 に、 津浦 鉄
条 約 に依 るも ので 、該 路 の行 政 を監 督 す る こと とな って居 る。 新 任
績 の可 否 は窺 ひ知 る こと が出 来 る。趙 氏 の親 友 は趙 氏 に由 て事 を謀
路 の局長 を兼 務 せ しむ る の希 望 を有 し て居 る と の こと であ る が、 若
の車 務処 長 児 玉 国雄 及会 計 処 長 佐伯 彪 は趙 氏 が張 宗 昌 の派 遣 す る も の で交 通行 政 を 破壊 す る 一派 と 看做 し て之 を 承認 せず 、 且 将来 該 路 を紊 乱 す る こ とと な り、 収 入 に影響 を及 ぼす を 以 て該 路 の債務 を到 底 償 還 す る能 はざ る に よ り、 趙 氏 の発 す る所 の命 令 に対 し ては交 通 部 が 正 式 に委 任 せざ る以 上 之 を 無 効 と看 做 す こと に決 定 し 、同 時 に
又該 路 の 日人 の著 者 に よ る ﹁ 膠 済 鉄 路 の内 訌 ﹂ には 該 路 の内 訌 の
其 の派 遣 す る職 員 に対 し て も会 計処 は給 料 を 支 給 せず と謂 ふ 云 々。
始 末 に関 し詳 し く述 べ て居 る。 曰 く ﹁中 国 は 膠済 鉄 道 経 営 に対 し て は無 能 で あ つ て将 来 危 険 な る こと は言 を 侯 たざ る次 第 であ る。 依 て 此 の機 に乗 じ 日本 朝 野 に鼓 吹 し て、 日本 管 理 と す る か或 は 各国 共 管
中 国 人 は之 に対 し傍 観 し 注 意 を加 へざ れ ば 、将 来 国 際 交 渉 が起 る
と す る か 云 々﹂
と 思 は れ る。 其 の時 に到 つて後 悔 す るも 何 の益 あ ら ん。 此 の見 地 よ り し て該 路 の 一部分 の者 が団 体 を組 織 し て、其 の維 持 を 力説 し て居
こと を望 む 。
る が 、但 し そ れは貧 弱 な も の であ る 。願 はく ば国 人之 を援 助 さ れ む
し て見 て居 るが 、唯 東 方 通 信及 ロイテ ル電 報 を掲 戦 し て居 る以 外 は
上 海 の紡 績 工場 のス ト ライ キ に対 し ては当 地 各 新 聞 の論 調 を注 意
あ る 。併 し乍 ら其 の根 本的 起 因 は 実 に同 工場 に対 す る 従来 の虐 待 で
代 表 を 以 て之 を要 求 し た る に、 工場 主 は之 を捕 縛 す る に至 つた の で
は故 な く し て職 工百 名 を馘 首 し 且労 銀 の支 払 を停 止 し た為 に職 工は
今 回 の罷 業 は上 海 の内外 紡 績 工場 に開 始 せ ら れ たも ので 、該 工場
る。 吾 人 は 此 の運 動 の性 質 に付 き 少 しく 論 評 を加 へた いと思 ふ。
倒 す べく 、之 を要 求 し た様 な次 第 で、形 勢 は 益重 大 な ら ん と し て居
の凶 事 を 起 し 、又 北 京 の日本 公 使 は 政府 に対 し権 力 を以 て職 工 を圧
的 の政 策 を 以 て之 を抑 圧 せ ん とし た る為 に遂 に多 数 負傷 者 を出 づ る
職 工は 三 万 五千 人 に達 し て居 る の で、 工場 主 は各 自 連 絡 を 取 り圧 迫
二 二 五 ・三 〇 事 件 及 之 に 伴 う 反 響 諸 件
一
北 公情 二 五第 二 号 の三 北京 公所 長
之 に対 し論 評 を加 へたも のが な か つた が 、昨 日 (二十 二 日附 )漢 字
あ る 。該 工場 一万 五 千 人 の職 工は馘 首 され た る同 輩 職 工 の窮 弊 に同
上海 紡 績 工場 罷 業 問 題 の件
大 正 十 四年 二 月 二十 三 日
新 聞京 報 が其 の主 義 とす る 反資 本 家 主 義 に基 き可 な り激 烈 に之 を 論
巳む な き に至 つた ので あ る。 之 と同 様 の状 態 に在 つた各 紡 績 工場 の
情 し 、 且平 素 の自身 の痛 苦 を 想 ひ出 し遂 に スト ライ キ運 動 を起 す の
記
評 し て居 る か ら、 其 の大意 を飜 訳 茲 に報 告 致 し ま す。
つた 。彼 等 の要 求 す る所 の条 件 は 七箇 条 に な つ て居 る が、 其 の最 も
職 工 は相 継 い で之 を援 助し た為 に遂 に今 日 の如 き 大事 を引 出 す に至
大 な る主 張 は待 遇 改善 の問 題 であ る。 然 る に今 日 の形勢 に於 ては 職
上海 に於 け る紡 績 工 場 の職 工 が 日本 の工場 に対 し反 対 運 動 を 起 し
的 注 意 を 払 つて居 ら な い。 二十 日及 二 十 一日 の電 報 に依 れば 、罷 業
工 と 日本 工場 主 と は全 然 対 立 致 し て居 つて 、其 の内 容性 質 は甚 だ複
た のは 二月 九 日 に始 ま つて居 る。 然 し乍 ら当 地 の各言 論 機 関 は 比較
は既 に 日本紡 績 工場 五家 、 二十 二工 場 に及 び、罷 業 に参 加 す る 男 女
雑 で あ る。 職 工側 は最 近 東 洋資 本 家 の虐 待 に反 対 す 、 と謂 ふ を標 語
全国 一般 の人 民 は彼 等 が先 鞭 を附 け てく れ た こと に於 て甚 だ感 謝 し
あ る 、故 に今 回 の紡 績 工 場 の罷 業 は 単 な る職 工 の罷 業 問 題 と看 ず 、
此 の様 な 排 日、排 外 的 論 調 を 以 て長 々と全 国 の愛 国的 団 体 及人 士
な け れ ばな ら な い云 々。
の奮起 を大 に宣 伝 し て居 りま す が、 元 来 此 の京 報 は 反資 本 家主 義 の
と な し て居 る のを見 ても 、 民族 的 の感情 が 日 に増 長 し 必然 的 の趨 勢
は単 な る職 工及資 本 家 の問 題 に止 まらず し て、 民 族 的 職 工 と外 国 資
を為 し て居 る こと を窺 知 す る こ と が出来 る、 故 に今 回 の スト ラ イキ
本 家 に対 す る奮 闘 で あ る。 此 の運 動 は 恐 ら く は中 国 一般 の民 族 をし
も ので排 外 、 排 日 の急 先 鋒 と な る のを 常 と し て居 る か ら稍 割引 し て
京 報 の先 導 に基 き各 団 体 が上 海 の職 工を後 援 す る の運動 が起 つた こ
本稿 を完 成 す る と同 時 に本 日 (二十 四 日) 附 社 会 日報 に依 れば 、
考 と な ると 思 ふ。今 後 各 紙 の論 調 を見 、 更 に御 報 告 致 しま す。
之 を 見 る必 要 があ る が、 一面 本問 題 に対 す る同 紙 の論調 を知 る の参
て 日本 の帝 国 主義 に反 対 す る運 動 を引起 す に至 る であ ら う。 中 国 の ストラ イ キ の沿 革 を見 れば 第 一回 は民 国 十 一年 の香 港 に於
る スト ラ イ キで 、第 三 回 は 即 ち今 回 のも ので あ る。 此 の前 後 三 回を
と を記 載 し て居 る。 其 の大 体 を述 べ て見 る と左 の通 り で あ る。
け る船 員 の スト ラ イ キ であ る。 第 二回 は 同十 二年 の開〓 炭 礦 に於 け
あ る 。目 前 に於 て中 国 が不 平等 条 約 の拘 束 を受 け 一職 工 の運 動 も外
通 じ て の罷 業 には 一個 の共 通点 が ある 。 即 ち反 帝 国 主義 的 の傾 向 で
記
昨 日 (二十 三 日) 午 後 一時 反帝 国 主義 大聯 盟 、 北 京学 生 聯合 会 、
国 の圧迫 を逃 れ る こと が出 来 な い。 斯 る 次第 で職 工 以 外 の民 衆 も決
中 華 婦女 協 会 、北 京 国 民 党 市党 会 、 政 治 生活 等 十 数 個 の団 体 の代 表
二 、宣 言 を発 表 す 。
い ので あ り、 国家 の存 在 に関 す る大 問 題 であ る。 我 国 (民国 ) の貧
三 、罷 業 職 工 に対 し 同情 の意 を表 示す 。
し て スト ラ イキ が単 な る職 工 の利 害 問 題 であ る と観 る こと を許 さな
に就 て見 れば 、 欧洲 戦 争 当 時 西洋 各 国 が東洋 の事 情 を 顧 み る暇 のな
四 、北 京 の各 団 体 に加 入 を勧 め有 力 な る 後援 会 と す 。
一、 上海 日本 紡績 工場 職 工 スト ラ イ キ北 京後 援 会 を組 織 す 。
か つた の に乗 じ 、我 国 は稍 立脚 点 を樹 立 し た。 然 る に戦後 英 国 、 日
五 、 上海 後 援 会 に電 報 し 密 接 な る連 絡 を と る。
者 が参 集 し 、 左 の如 く議 決 し た 。
本 等 の高 圧 的 の勢 力 を以 て再 び圧 倒 し 来 り 、我 税 関 が 独 立 し て居 ら
六 、職 工を 後 援 す る義 捐 金 を 募集 す。
一切 の原 動 力 を 外 人 の手 に操縦 せ られ て居 る か ら であ る。 紡 績 工場
な い ので、 此 の紡 績 工場 を救 ふ こと が出 来 な か つた の で遂 に樹 立 さ
乏 で あ り混 乱 し て居 る原 因 は、 自 国 に大 な る独 立 の産 業 を有 せず 、
れ た ば か り の我国 の実 業 家 は自 立 し て居 る こと が出 来 な か つた。 斯
七 、幹 事 数 名 を挙 げ大 々的 積 極的 の行 動 を 取 る。
工 に向 け左 の如 き電 報 を発 し 之 を激 励 し た 。
右 の様 な こと を議 決 し 、 反 帝国 主 義聯 盟 の名 を 以 て、 上 海紡 績 職
る 次第 な る を以 て 我国 が若 し外 国 の種 々な る束 縛 を遁 れ ん とす るな ら ば 、自 ら独 立 の産 業 を得 る よ り外 方 法 が な いの であ る 。即 ち 眼 前 に横 た は る 一切 の外 人 の圧 迫 に反 抗 す る こと、 是 即 ち 吾 人 の活 路 で
上海 反 帝 国主 義 大 聯 盟 及 内 外紡 績 職 工 会同 志 御 中
今 回 の上海 の紡 績 工 の罷 業 に関 し て は露 国 共産 党 は直 接 の関 係 な
本 人 の監 督 の虐 待 に反 抗 し 一致 協 力 し て スト ライ キ を為 し たと謂
二 、 反 奉天 系 の政 治 家
一、米 国 系 の排 日学 生
を有 す る に至 り た るも のな り 。罷 業 の主 体 は
き が 如し。 罷 業 の原 動 力 は 錯 雑 な る関 係 に あり て間 接 に露 国 も関 係
ふ ことは 、外 国 資 本 家 に対 し 人類 生 存 の大 趣 意 の下 に之 に 対抗 す
三 、罷 業 を以 て利益 を得 んと せ る者
貴 会 が今 回賃 銀 の増 給 を要 求 し、 同輩 職 工 の 馘首 に同情 し、 日
る も の であ り、 被 圧 迫 民 族 が帝 国 主義 に反 抗 す る の大 精神 を発 揚
五 、紡 績 業 に関係 を 有 す る支 那商 人 の 一部 の者
四 、露 国 と 関 係 を有 し 来 り し 国 民党 ( 護 民 団 ) の 一部 の者
し た、 と 謂 ふ こと に本 聯 盟 は深 く同情 を表 す る の であ る。 貴 会 に望 む ことは 敢 て決 心 を固 く し奮 闘 以 て貴 会 の要 求 す る目 的 を達 す るに非 らざ れ ば 、之 を中 止 す る こと な き を希 望 す る。 日
が全 国 同 胞 は大 規 模 な る経済 的 絶 交 を起 し、 其 の他 各種 の有 力 な
し彼 日本 帝 国 主義 者 が尚 反 省 す る所 な く ん ば勢 の趣 く 所 必ず や我
此 の種 の陰謀 は我 が全 国 同胞 が忍 ぶ こと の出 来 な い所 で あ る。若
る や も知 れず 、 と言 ふ。
イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル の関 係 な れば 、 主義 の立場 よ り応 援 す る こと あ
り 、 目下 の 日露 の関 係 な れ ば殊 更 に罷業 の煽 動 は為 さざ る も、 第 三
り 派遣 の外 に浦塩 よ り万 国 共 産党 員 二名 を上 海 に特 派 し た る事 実 あ
回 の罷 業 は将 来 に於 け る南 方 支那 の活動 上 に関係 あ りと し 、北 京 よ
本 の資 本 家 は自 国 の政 府 の力 を借 り て貴会 を圧 迫 せん と し て居 る 。 等 な り、 と 伝 へら る ゝが 、露 国 は政 治 及労 資 問題 よ り見 て大 なる 今
る運動 と共 に貴 会 を後 援 す る こと にな るで あ らう 。 本 聯盟 は正 に
三
北公 情 二五 第 二号 の六
印 刷 職 工罷 工 の件
大 正十 四 年 三月 二十 四 日
北京 公 所長
北 京 の各 団 体 と連 絡 を 取 り 、各 地 の反 帝国 主 義 聯 盟 に通知 し、 上 海紡 績 工 場職 工会 後 援 会 な る も のを組 織 し、 義 掲 金 を募 集 し各 種 の運 動 を 援 助 す る の方 法 を と つて居 る。 終 り に望 ん で貴 会 の大勝 利 を祈 ると 共 に益 決 心 の強 か ら ん こと を祈 る。
二
時 局 の不安 定 と 社 会 の無 秩 序 、 生 活 の困難 に伴 つて労 働 者 の所 得
つて既 に上海 に於 ても稍 意 味 は異 な る が矢 張 り紡 績 工場 の罷 工 を も
は其 の生 活 を維 持 す る に足 ら な い。 斯 る状 況 は民 国 一般 の状 況 で あ
突 発 し た状 況 で あ る が、 今 回 遂 に当 地 に於 ても印 刷 職 工 の スト ライ
哈爾 賓 事 務所 長
上海 の罷 業 と 露国 に関 す る件 (二月 二 十 七 日下 井 内
大 正 十 四年 三月 三日
哈 調情 第 七 六 一号
務事 務 官 代 理 報)
に発行 を 停 止 し た状 態 であ る が、 主 な る新 聞 は何等 影 響 を受 け て居
が出 来 な い状 態 で あ る。 今 日 に於 ては 小新 聞 が幾 分 か右 の罷 工 の為
ら な い が、 今後 如 何 に本 問題 が発 展 す るか と謂 ふ こと の見 込 み が出
最 近 広東 方 面 よ り の印刷 職 工が 当 地 に来 る者 甚 だ多 く 、 之 等 の職
キが 突 発 し た。 今 其 の状 況 を 左 に報 告 す る。
工は 大 約青 年 、 学 生 が多 い の で、 世界 の風 潮 に対 し て も幾 分 の知 識 来 な い。
ラを 配布 し たり し て居 る為 に各 印刷 局等 でも 警戒 を加 へて居 た ので 四
北 公 情 二 五第 二号 の七
一、 同
明
華 〃
〃
(七十 余 名 )
(三 十余 名 )
(五 十余 名 )
新 印刷 局 (四 十余 名 )
下 に論 じ て居 るか ら飜 訳 報 告 す 。
であ る が、 本 日 (三 月 二十 六 日 ) の順 天 時報 に は首 題 の如 き 件 名 の
上 海 に於 け る紡 績 職 工 スト ライ キ の件 に就 て は既 に報告 し た通 り
上 海紡 績 スト ライ キ と労 農
大 正 十 四年 三 月 二 十 六 日
北 京 公所 長
を 有 し て居 る。 入 京後 之等 の職 工 は講 演 会 を開 いた り、 或 は宣 伝 ビ
あ る が 、遂 に 一昨 二 十 二 日印 刷職 工 の大 罷 工が突 発 し た。 同 日午 後 四時 よ り印 刷 職 工約 三百 余 人 が順 治 門 外 の其 茶店 に集 合 し た ので 、 警 官 が直 ち に之 の監 視 に行 つた と ころ益 態 度 強硬 を 示し 遂 に労 銀 値 上げ の問 題 を 以 て罷 工 を始 め る こと に決 定 し た。 今 回 の罷 工 に参 加
二、永
〃
し た者 は今 日迄 に於 て 左 の通 り で あ る。
三、光 昌
と伝 へら れ 、大 阪 毎 日新 聞 は其 の証 拠 物 件 の写 を も掲 げ て居 つた が、
突 発 し た と き に 、外 間 に於 て専 ら ソヴ エート労 農露 国 の煽 動 に因 る
二月 中 旬 上海 に於 て 日本 人経 営 の 二十 二 の紡 績 工 場 に同 盟 罷 工 が
記
四、同
(二 十余 名)
( 〃
)
)
〃
〃
( 〃
益 〃
五 、北 京 大 学 六、 同 僑
之 に対 し ソヴ エー ト大使 館 は敢 て否 認 を し て居 ら な い。 又 上海 東 方
七、 海
其 の性 質 が印刷 で あ る だけ に社会 に受 け る影響 は甚 だ多 い ので、 既
等 で あ る。 人 数 か ら言 へば 大規 模 の罷 工と 謂 ふ こと は出来 な いが、
で ある白 党 の故 意 に宣 伝す る所 であ る、 其 の為 既 に 二、 三 の官 吏 を
通 信 社 の電 報 に依 ると 、 ソヴ エート領 事 館 は 之等 の事 件 は反 過 激 派
居 るが、 之 等 に対 し今 日 に於 ても未 だ其 の明白 な る証拠 を挙 げ る こ
以 て 一部 の政 客 及 学 生 を買 収 し 、支 那 の赤 化 を企 て ゝ居 る と伝 へて
外 字 新 聞 は昨 年 以 来専 ら労 農 露 国 の宣 伝 を過 大 に伝 へ、常 に金 銭 を
免 職 し厳 重 に反 過 激 派 を取 締 つ て居 る と伝 へて居 る。 惟 ふ に英 米 の
に華 報 、 黄 報 、商 業 日報 、鉄 道 時 報 其 の他 小新 聞 十 二種 は 二十 三 日 よ り 一切 新 聞 を発 行 す る こと が出 来 な く な つた。 職 工 の主 張 す る所 を 聴 く に 、 一個 人 一ケ 月 六円 の増 加 を要 求 し て 居 る の に対 し て、 印 刷 局 方面 は到 底 右 金額 の増 加 は 営業 を維 持 す る こと が出 来 な いから 、 三 円 の増 加 を 許 す ことを 発表 し た が未 だ調停
事 実 であ る とす る な ら ば外 字 新 聞 は 先見 の明 あ り と謂 ふべ く 、実 に
と が出来 な い の であ る 。然 らば 上 海電 報 の謂 ふ如 く 、 今 回 の陰 謀 は
見 地 よ り謂 へば 、労 農 露 強 亜 の斯 の如 き行 動 は支 那 の人 民 の生 活 に
ら し め な い ので あ る か、 其 の原 因 の如 何 を問 はず 、吾 人 の公平 な る
し て人 心 を惑 は し 、労 農 の行 動 が 支那 に不利 で あ ると謂 ふ こと を知
昨 年 五 月露 支 協 約 が成 立 し、 又 新 た に 日露 基 本条 約 が成 立 し 共 に
中 国 の為 に慨 歎 に堪 へな い こと であ る。
竊 に支 那 の労働 者 の現 状 を見 る に尚 極 め て幼 稚 時 代 に あり 、 言 を
対 し 極大 な る悪 結 果 を来 す も ので あ る、 と断 言 す る ので あ る。
換 へて言 へば教 育 は未 だ普 及 せず 、団 結 力 に欠 乏 し 又労 働 組 合 の組
等 し く労 農 露 国 が 日本 及支 那 両 国 に於 て共 産 主義 を宣 伝 し 、 両 国 の 社 会 組織 の安 寧 を 紡 害 す る こと を禁 止 し て居 る。 上海 の紡 績 工 場 は
は現 在 に於 てな い、 且労 働 資 金 も なく 資 本 家 と持 久 戦 を 継続 す る も、
織 も な く真 面 目 に労 働 者 の利 益 を考 慮 し 、其 の行 動 を指 導 す る人 間
罷 工本来 の性 質 を 知 らず 僅 か に傭 主 に対 し下 等 の要 求 を提 出 す る の
日本 人 の経 當 で又 支 那 の領 土 内 に建 設 さ れ て居 る のを見 れ ば 、露 国
み であ る 。斯 の如 く準 備 も無 く 、斯 の如 く教 育 のな い労 働 者 が同盟
は条 約 の精神 を尊 重 し 、 是等 軽 率 な る挙動 を為 す べ き で はな い。即 ち事 実 と吾 人 の予 期 す る 所 と は相 反 対 し て居 る ので あ る。 露 国 が自
罷 工 を計 る と雖 も 、資 本 家 に敗 れ ざ るを 得 な い。 其 の団結 力 固 ま ら
ず 規 約 に違 背 し 、資 金 に欠 乏 し 遂 に得 る所 なく し て資 本家 に憐 憫 を
ふ こと は 甚 だ考 慮 し な け れ ば なら ぬ こと であ る。労 農 露 国 の当 事者 は 左 の如 く強 弁 し て居 る。 ﹁上海 の紡 績 工場 の スト ラ イ キ は 労 農 露
イ キ に対 し労 農 は 三千 万 円 を 支出 し た のみ であ る。 此 の金 額 が消 費
求 め、或 は調 停 者 に服 従 す る のみ で あ る。今 回 上 海 の紡績 の スト ラ
国 の主 義 の宣伝 に急 な る為 、友 邦 の社 会 組 織 に対 し誠 意 を欠 く と謂
国 と何 等関 係 がな い、 証 拠物 件 があ る と謂 ふも 之 は第 三国 際 共 産党
せら れ る や罷 工団 体 は遂 に無 力 と な つた。 此 の事 実 は 最 も能 く 支 那
露 国 人 の個 人 の所 為 であ る 。 ﹂ と謂 つて居 る。然 る に第 三 国 際 共 産 党 は直 接 労機 政 府 の 一部 で は な い か。其 の労 農 主義 を 宣伝 す る こと
の労 働 界 の弱 点 を 明 ら か に 示す も のであ る 。
で あ つ て、吾 人 は断 じ て労農 政 府 の責 任 を看 過 す る こと が出 来 な い。
居 る が、 実 に英 国 労 働 党 の政府 が瓦 解 し た のは 之 に原 因 し て居 る の
益 を増 進 す る と謂 ふ こと に言 を借 り て罷 工 を利 用 し て、 自身 の利 益
利 な きも のであ る。 只僅 か に 一部 の政 客 或 は不 良 学 生 が労 働 者 の利
害 し、 無 智 の労 働 者 を失 業 せし め 、人 心を動 揺 せ しめ 百 害 あ り て 一
由 是観 之 中 国 の現 状 に於 て之 等 の軽 挙 を 計 る ことは 徒 ら に産業 を
に於 ては 実 に政 府 の別 働 隊 と看 做 す べ き であ る。即 ち昨 年 英 国 の労
今 労 農 露 国 が支 那 に対 し 斯 の如 き大 な る陰 謀 を為 す こと に対 し、 支
の国 民 も 大 いに之 に対 し 注意 し な け れ ばな ら ぬ こと であ る。
を計 り社 会 の秩 序 を 撹 乱 す る が如 き は識 者 の深 く憂 ふ る点 で、 支 那
働 週刊 の記 事 に依 れば チ ンノ ー エフ書 面事 件 は 世界 の空 論 と 為 し て
の人 心 は 外国 の資 本 主 義 に対 し反 感 の傾 向 を 抱 い て居 る 。資 本 家 の
那 の輿 論 が起 ら な いと 謂 ふ こと は如 何 な る所 以 であ る か。 最 近 支 那
経 営 す る所 の工場 が スト ライ キ に因 り損 害 を 受 く る と謂 ふ こと は恰 も対 岸 の火 事 と 見 て居 る故 で あ るが 、或 は労 農 露国 の宣 伝 が巧 妙 に
五
大 正 十 四年 三月 二 十 六 日
北 公 情 二五第 二号 の八 北 京公 所 長
印刷 職 工 スト ライ キ の件 北 公 情 二 五第 二 号 の六を 以 て当 地 に於 け る印 刷 職 工罷 業 の件 は大
言 はれ て居 る。
六
北 公 情 二 五第 二号 の 一〇
北 京 公所 長 印刷 職 工 ストラ イ キ の件
大 正 十 四年 三月 二十 七 日
側 と の交渉 は漸 次 良 好 で あ り印刷 局側 より
こと か ら起 つた も ので あ るら し い。 二等 職 工 は 元来 十 元内 外 の薄給
二、 三等 職 工 が給 料 が少 なく て其 の日 の生 活 に非 常 に恐威 を感 じ た
を報 告 し て置 いた が 、其 の後 更 に調 査 する処 に依 ると 本罷 工は 全 く
北 公情 二 五第 二号 の六及 八 を 以 て当 地 の印刷 職 工 スト ラ イ キ の件
一、 先 づ 以 て復 業 す る こと 、 然 る後 増 給 問 題 は考 議 す べ し
であ る が、 之 を 増 給 し て毎 日 六角 と し月 十 五 、六 元 に迄 あげ て貰 ひ
体 報 告 し た が、 本 日 附 の漢 字 新 聞 の報 導 によ る と、 職 工 側 と印 刷 局
二、 毎 月増 給 は最 高 限度 を 三元 と す る こと
た いと要 求 し 、 三 等職 工 が之 に附 和 し た のが罷 工 の 一因 で あ る。今
度 停刊 の止 む な き に至 つた小 新 聞 は印 刷 局 に対 し て、其 の印 刷 費 を
の三 ケ条 を提 出 し 、職 工側 でも 之 に賛 意 を 表 し て居 るも のが あ るさ う であ る。 然 し 一方 に於 て最 初 の主 張 を 貫 徹 せざ れば 止 まず とな す
慣 例 と し て停 滞 し 、数 ケ月 間 は未 払 ひ とし て過 し てあ る も の が多 く、
三 、 作 業時 間 は 一時 間短 縮 す る こと
も のあ り、 今 や職 工側 に於 ても 二派 に分 れ て居 る が何 れ 近 い中 に解
が罷 工原 因 の第 二 で あ る。 警察 方面 で は罷 工 の慢 延 を 恐 れ、 一昨 日
茲 に仕 事 の忙 し い のと給 料 の支 払延 期 に職 工 の大 不満 を来 し た こと
随 つて印 刷 局 側 では職 工 の給 料 支払 期 を延期 す る の止 む なき に至 り、
又他 の支 那 紙 の報 ず る処 に依 れ ば、 本罷 業 は決 し て前 記 の如 き 三
決 す る で あら う 云 々。
条 に依 つて軟 化 す る性 質 のも のに あら ず 、 上海 の各 工 人界 は再 三 電 報 を 以 て結 束 を 固 く し て所 期 を貫 徹 す べ き旨 を激 励 し 、 一方 援 助 の
月 十五 日分 か ら毎 月給 料 は 四 元値 上 げ し 、本 日 から復 業 す る こと に
こと を勧 めた。 当 日午 後 五時 頃 双方 会 見 し て各 譲歩 す る所 あ り 、 三
市 中 に於 ても 某 有力 な る社 会 主義 系 の人 が之 を指 揮 し つ ゝあれ ば 、
と にな る。
略 決 定 を 見 た。 之 で北 京 印刷 職 工 の大 罷 工も 一先 づ段 落 が着 いた こ
印刷 局 支 配 人 を集 め て職 工 の優 遇 を請 ひ穏便 の手段 を以 て解 決 せ ん
到底 此 の儘 解 決 す べき 見 込 み はな いと 言 つて居 る が 、 一方 警 察庁 で
為 に は何 物 を も 惜 し まず と申 来 りし 位 密接 な る関 係 が あ る。 又 北 京
も事 言 論 界 に重 大 な る関係 を齎 ら す も ので ある か ら非 常 に力 を 入 れ て解 決 を急 ぎ つ ゝあ る様 だ か ら或 は 案 外早 く 決 す る か も知 れな いと
七 北 公情 二五 第二 号 の二〇 大 正 十 四 年 四 月 二十 三 日
北 京 公 所長
青 島 日 本紡 績 工場 の罷 工 に関 す る件 月半 ば の頃 よ り 不穏 を 伝 へら れ て居 た青 島 の大 日本 紡 績 会 社 工場
の上 海紡 績 罷 業 と多 少 の連 絡 を 持 ち 且近 く来 ら んと す る排 日 記念 日
を目 前 に控 へて 一部 支 那学 生 の煽 動 があ る も のと見 ら れ て居 る が、
青 島 及其 の附 近 には 内 外棉 、富 士紡 、 鐘淵 紡 、 長 崎紡 等 日 本資 本 の
紡 績 会社 多 く 、 排 日 風潮 を帯 び て居 るだ け に そ れら 会社 に飛 火 す る
に赴 く気 勢 を見 れば適 当 な る処 置 を執 る の止 む なき に至 る であ らう 。
恐 れが あ る。 当 地 公 使 館 にも 前 日該 罷 工 の情 報 があ り今 後益 々猖 獗
名 は 十 九 日夜 一斉 に罷 工 し、 首領 二名 は 直 ち に逮 捕 さ れた が 、本 事
尚青 島 二十 日発 路透 電 に依 れ ば、 邦 資 会社 大 康 紡 の支 那 職 工 三千
行 し た。 職 工側 の会 社 に対 す る要 求 条件 は 左 の十 三箇 条 であ る。
件 の裏 に は上 海 学 生 の手 が延 び、 一万 七 、 八千 の職 工 も同 盟罷 工 の
の支 那 人職 工は 、約 四千 名 十 九 日午 後 十時 半 頃 から 一斉 に罷 工 を決
一、 工会 を 正 式 に承 認 し 交渉 団体 と し て認 む る事 。
挙 に出 で んと す る様 子 が窺 れ る と観 測 せ ら れ て ゐる 。
八
北 公情 二 五第 二号 の二 四
当 地 の公 使 館 では 外交 部 に対 し 、此 の種 の風 潮 は甚 だ両 国 に 不利 を
本 件 に就 ては 北 公情 二五第 二号 の二 〇 を以 て報告 し て置 いた が、
青 島 紡 績 工 場 の スト ライ キ に関 す る件
大 正十 四年 四 月 三十 日
北 京公 所 長
一、 日給 賃 銀 を 一日 一人 に対 し均 し く 二角 を増 加 す る事 。 一、請 負 工 は 請負 賃 銀 を 基礎 とし 一律 に 二割 五 分 を増 加 す る事 。 一、 夜 業 の飯 代 は本 日よ り 一律 に増 加 す る事 。 一、 給 料 の仕 払遅 延 な き事 。 一、 二割 引 制度 を取 消 す事 。 一、 負 傷 を受 け る場 合 、 工賃 を支 給 し 且傷 者 を慰 藉 す る事 。 一、 宿 舎料 を免 除 す る事。
与 へるも ので あ る から 民 国政 府 は充 分 と注 意 を し て之 に防 止 の手 段
一、 食 事時 間 を 一時 間 に延長 す る事 。 一、 今 後 日本 人 は華 人 を罵 言 、打 擲 す る事 を 得ず 。
一、 私 刑 及個 人 の検 査 を 取消 す 事。
各 新 聞 に掲 げ ら れ た今 回 の スト ライ キ側 の要 求 は左 の十 二条 であ る 。
注 意 を 願 ひ た い、 と警 告 を発 し た ので あ る。 上 海電 報 と し て今 日 の
起 す様 な 事 が あ つて は甚 だ遺 憾 であ る か ら、 此 の点 に就 いて特 に御
を 取 つても ら ひ た い、 尚 且 上海 の方 の如 く日 本 人 に対 し 暴行 を惹 き
一、 若 し 日本 人 が廠 則 に反 し た る場 合 は 工会 の同 意 を 得 て処 分 す る 事。
資 に充 当 す る事。
一、 会 社 が 工人 よ り 罰金 を 徴 収 し た る場 合 は 之 を工 会 の補 習 教 育 の
右 の要 求 条 項 よ り及 罷 工前 後 の事 情 よ り察 す る に、本 罷 工は 先般
一、今 後 代 表 を 解雇 せざ る事 。
二、 常 用 労 働者 は毎 日壱 銭 を加 給 し 、臨 時 雇 ひ労 働 者 は 二割 五 分 を
署長 、 徐 戒 厳 司令 部 副 官長 、総 商 会 副 会長 の五 氏 が 立会 で協 議 の結
果会 社 側 は 自 発的 に職 工側 要 求 の或 部 分 を容 れ る こと にな つて円 満
に解 決 を 見 た が、 其 の容認 要 点 は
増 し、 夜 勤 は倍 加 し 日曜 を休 息 とす 。 三、 賃 金 を 保留 し て罰 金 と す る が如 き事 廃 止 す る事 。
一、 昼 食 共食 費 一銭 増 加
者 には 午前 三時 に夫 々十 五分 の休 憩 を与 ふ
一、 食 事 時 間 は従 来 通 り 三十 分 、 但 し 昼勤 者 には午 後 三 時 に、 夜勤
一、 作 業 中負 傷 せ る場 合 は従 来 通 り 工賃 を支 給 す る外 医 薬費 を 支 給
四、 医 薬 費 は雇 主 に於 て負 担 、 病 気中 も賃 金 を 支払 ふ事 、労 働 者 死 亡 し た る時 は 一年 間 の賃 金 を与 へ遺 族 を救 助 す る事 。 五 、 工場 内 に居 住 す る は労 働 者 の自由 な る事 。 六 、 昼 食 の時 間 は 一時間 とす る事 。
一、 復 業者 に は 工賃 二 日分 を 支 給 、但 し五 日 以内 の復 業者 に限 る
八 、 十 六歳 以下 の少 年労 働 者 の労働 時 間 は 八時 間 と為 す事 。
一、職 員 は職 工を 殴打 又 は罵 言 せず
一、賞 罰 は公 平 にす
一、 今 後 工賃 は速 に支給
九 、 女 子労 働 者 に対 し て は毎 月 二 日 の公 休 を与 へる事 。
一、職 工 の重 大 な る罰 は相当 に戒 飭 す
事。
七 、 罰金 を 以 て小 学 校 の費 用 に充 つる場 合 は労 働 者 組 合 を経 由 す る
一〇 、 スト ライ キ期 間中 の賃 金 は常 の如 く 支給 す る事 。
等 に し て此 の外 会社 側 は次 の如 き声 明 を な し た。
録)
一〇
な つて ゐた 青島 罷 業 も 愈 々解 決 し た 訳 で あ る (五 月 十 三 日 京 報 摘
げ ら れ て十 日頃 から ボ ツボ ツ復 業 し て居 る が、 これ で長 ら く問 題 と
之 に対 し て罷 工側 は 無条 件 復 業 を 承 認 し、 九 日 は種 々 の事 件 に妨
4. 職 工 の風紀 は厳 重 に取締 る
3. 工賃 は 成 算後 速 に支 給 す
2. 成 績 佳 良 の者 に は賞 与 を給 す
1. 工場 は従 来 通 り職 工を優 待 す
︹マ マ︺
以上
一 一、 スト ライ キ に参 加 し た る労 働 者 を 解雇 せざ る事 。
北京 公所 長
一 二 、那 蓋 工場 の要 求 は其 の他 の総 て の各 工場 も 均霑 す る事 。
九
北 公情 二 五第 二号 の二五 大 正十 四年 五 月 十 三 日
青 島 紡 績 スト ラ イ キ の件 久 し く紛 糾 を極 め た青 島 紡績 工場 罷 業 は罷 工団 の漸 次熱 をな く す る に伴 つて解 決 の曙 光 が見 え て ゐ た が、 八 日 の夜 遂 に両 者 の会 見 と な り 、 日本 側 か ら は総 領 事 、商 業 会 義 所 会頭 及 支 那側 か ら は陳 警 察
北 公情 二五 第 二号 の二八 北 京 公所 長
上海 日本 紡 績 工場 閉 鎖 の件 (五月 二十 一日京 報 摘 録)
大 正 十 四年 五月 二十 一日
上 海 に於 け る日 本紡 績 工場 (第 十 二 工場 ) は十 四 日第 三 回 の スト ラ イキ が発 生 した 。 其 の形 勢 は 前 二 回 よ りも 重 大視 され 、 之 を終 熄
今 回 の風 潮 の最 初 の発生 は第 十 二 工場 にし て、第 七
す る こと困 難 なり と 。 各 工場 閉 鎖 工場 が相 次 いで罷 工 に加 入 せ んと し た る を以 て、第 十 二工 場 が形 勢 重 大 と な り た る によ り 、深 く他 の工 場 に影 響 す る こと を 恐 れ た る故 に第 五 、第 七 、第 八 、第 九、 第 十 二 等 の五 工場 が率 先 し て封鎖 を行
工人 方 面最 初 の要 求 は前 回 の スト ラ イ キ に於 け る首
ひ、 其 の他 各 工場 も 亦 漸 次封 鎖 す る こと と なり た り。 工場 の態 度
謀 若 二名 に対 す る解 雇 と被 拘 の 工人 二名 を保 釈 す る 二条 件 で、 工場 方 面 は第 一項 に対 し ては 完 全 に拒 絶 し 、第 二項 に対 し て は相 当 の方 法 を講 ず る こと と な つた 。然 る に第 七 工場 等 が加 入煽 動 に よ つ て風
体 で、其 の意 見 は未 だ発 表 し て居 らざ るは 今 回 の風 潮 が前 回 の解 決
一方 殺 害 さ れ た る工 人 及失 業 者 の生計 問 題 に対 し、 聯 合会 議 に於 て
条 件 の解決 され ざ る 為 であ る、 故 に漸 次 其 の調停 を与 へず と 謂 ひ、
其 の弁 法 を討 論 す る と 謂 ふ 云 々。
一 一
北 公 情 二 五第 一号 の四 一 北 京 公所 長
上 海 に於 け る学 生射 殺 の件
大 正 十 四年 六 月 三 日
上海 に突発 し た英 国 巡捕 、 日本 巡捕 が民 国 人 を 死傷 せ し こと に就
左
記
て本 日 (六 月 三 日) の晨報 の社 論 と し て左 記 の如 き こと を書 い てゐ る。
上海 の英 国 巡捕 が 一再 な らず 市 民 を 射殺 し た こと は甚 だ悲 しむ べ
挙国 一致 、英 及 日本 に対 抗 す べし 。
き こと にし て、神 人 共 に人 々も怒 るべ き こと であ る。 上 海 の各 方 面
潮拡 大 され 遂 に宗 旨 を変 換 し て 、漸 次 罷 工 の態 度 に出 で 、前 回 の首 謀者 を完 全 に解除 す る にあ らざ れば 業 に就 かざ る こと を宣 伝 し たる
した が 、其 の文 句 は 強 硬 な態 度 でも なく 、 且 取扱 ひも亦 適 当 の様 に
醸 成 せ しむ る の勢 ひ と な つ て来 た。 外 交 部 は英 国 に対 し抗 議 を提 出
に於 て大 ス ト ライ キ が始 ま り 遂 に民 国 全 部 に 亘り て の ストラ イ キ を 日本 紡 績 工 場 同業 者 は緊 急 会議 を開 き 、
な り。 工場 側 日本 領事 館 に求 援
前 回 の風 潮 が各 工 場 の工人 同 盟罷 工 とな り 、其 の損 害 頗 る巨 額 とな
外人 の為 に屈 服 を 受 け る と言 ふ こと は、 中 華 民族 が将来 永 く 外 人 の
思 は れ な い。 此 の事件 は全 国 に関 係 し て居 る こと であ つて、 苟 く も
で あ る。昨 夜 の飛 電 に日 本 の巡 捕 が 又市 民 を死 傷 せ しめ た と言 ふ こ
餌 食 と な る ので、 天 地 の間 に自 立 す る こと が出来 な い こと にな る の
り た る を以 て今 回 其 の防 衛 とし て各 工場 に通知 す る の外 警察 側 に巡
前 回風 潮 の調 停 は総 商 会 及商 会総 聯 合 会 の両団
査 の派遣 を請 ひ、 一面 同業 者 より 代表 二名 を出 し て 日本 領事 に声 援
団 体 方面 の態 度
を求 む。
記
上海 学 生 死傷 事 件 に憤 概 せ る当 地 の学 生 及労 働 者 は 、本 日午 後 一
左
国 民 を 圧倒 せん と企 て て居 る と見 做 され る が、 其 の無謀 な る こと怨
民巷 方 面 に対 し示 威 運動 を行 ふを 以 て 、邦 人 は可 成 外 出 せざ る様 、
時 段 執 政 に押 し寄 せ狂 暴 な る行 動 に出 ん とす 。執 政 府 より の帰 路交
た。
む べ く 又笑 ふ べ き限 り で英 国 、 日本 両 国 の今 回 の事 件 に対 す る 宣伝
て居 る に対 し 日本 人 は屡 々発砲 し た。 彼等 は発 砲 を 以 て中 国 全 体 の
と で あ る。鳴 呼 実 に傷 ま し き 限 り であ る。 赤 手 空 拳 の群 衆 が講演 し
は 、即 ち裏 面 に は某 国 の教 唆 が あり 、 共産 党 の意 味 を含 ん で居 る と 言 つて居 る。 之 は蓋 し民 国 人 が共 産 党 を憎 ん で居 ると ころ の心 理状
々。
万 一右 団 体 と相 遇 した る時 は極 力 避 け る べく 、各 自 注 意 あ り たし 云
一二
北 京 公 所長
態 を利 用 し て以 て挙 国 一致 の行 動 を破 壊 せ ん とし て居 る の であ る が、 其 の手 段 の陰険 な る こ とは驚 く べく 、 而 も天 下 の人 々 の耳 目 を掩 は ん と す る こと は 不可 能 であ る 。
北 公情 二五 第 一号 の四 二
吾 人 は認 定 す、 今 回 の事 変 は外 国 人 が 民国 人 を 蔑 視 す る から で あ る。 民 国 青年 の覚 醒 運 動 に対 し、 外 人 は其 の地位 が危険 で ある のを
大 正 十 四 年 六月 四日
上 海 事件 と北 京 学 生 に関 す る件
知 り、 利 益 を壟 断 し 利 権 を蚕 食 す る の政略 を把 持 す る の困 難 を来 た
北 公 情 二五第 一号 の四 一を 以 て上海 事 件 に伴 ふ当 地 の新 聞 の論調
す か ら、 今 回学 生 が労 働者 を援 助 し た る機 に乗 じ 、 其 の重 大 な る武 威 を輝 かし 、我 が民 国 人 を し て其 の鉄 砲 の下 に来 ら し め んと し て居
一時 当 地 の専門 学 校 以 上 の学 生 約 三千 人 は天安 門 に於 て集 合 し 、 左
の宣 言 及 決議 を決 定 す る と共 に直 ち に大 縦 列 を造 り 、 段執 政 府 及外
を報 告 し 、更 に当 地 学 生団 の運 動 を も追 記 し て置 いた が 、昨 日 午後
ひ、 人 格 の為 に争 ひ 、 国家 、 民族 存 亡 の為 に争 ふ ので あ る。 苟く も
交 部 等 を訪 問 し、 更 に交 民 巷 に於 て小 衝 突 を出 した が 終 に目 的 を達
つて居 る。吾 々は今 回 の争 ひ を以 て人道 の為 に争 ひ 、正 義 の為 に争
吾 々は玉砕 主 義 の決 心 を以 て事 に当 る の であ る。 民国 人 は 挙国 一致
る。 鳴 呼 民 国人 は如 斯 薄弱 な 民族 では決 し てな い。彼 等 の方 法 は誤
奮 起 し て以 て非 人道 な る英 国 及 日本 に対 抗 す べ き で あ る云 々。
れ ると 思 は れ る。 今 回 の大 示威 運動 の学 生団 の行 動 は 従来 のも のに
す るを 得ず 、六 時 解散 し た。然 し本 日も 引続 き此 の行動 は継 続 せ ら
比 し 大 体 に於 て非 常 に規 律 正 し く 、唯 一部 過激 派 の少 数 が交 民巷 に
右 の如 き論 調 は此 の晨 報 の外 京報 其 の他 にも 大 いに主 張 し て居 る。 新 聞 の此 の種 の論 調 が 民国 人 を如 何 に導 く かは相 当 重要 視 す る必 要
態 度 に出 る か懸念 飭 べき であ る が、 各在 留 邦 人 は其 の筋 の注意 に依
練 の積 ん だ所 を 見 せ て居 る様 で あ るが 勢 ひ の趣 く処 、今 後 如 何 な る
於 て携 帯 す る旗 な ど を投 捨 てた位 の程 度 で、此 の種 の運 動 に甚 だ修 記
が あ ると 思 ふ。 追
只 今右 情 報 完 成 と共 に当 地 の日本 警 備 隊 長 よ り左 の警告 を接 手 し
宣
言
り内 心警 戒 を し て居 る。
英 日両 国 は 阿片 戦 争 以 来 二 十 一箇 条 に至 る迄 徹底 的 に我 が中 華 民 国 を踏 み にじ つて来 た。 吾 々中華 民国 々人 は こ れ迄 耐 え忍 ん で来 た が、 今 回 の上 海 に於 け る屈 辱 及横 暴 を見 ては最 早 忍 ぶ こと は出 来 ぬ。 我 々は潔 く 茲 に起 ち徹 底 的 に英 日 両国 の従来 の非 行 を な ら し、 且 之 を取 り ひ し が ねば な ら ぬ 云 々。
一三
北 公情 二 五第 一号 の四四
北 京 公 所長
北 京 商 界 と 日英 経済 絶 交 (六 月 五 日益 世 報其 の他 新
大正十四年六月五日
聞 に載 せ て居 る)
一、 英 日両 国 の国貨 は非 売 同 盟 す る 。
議 し 、 且当 局 に請 ひ各 遊 覧 場 等 に対 し附 加 税 を徴 収 す る こと にし、
対 し経 済 絶 交 を実 行 し、 学 生界 の運 動 に対 し て極 力援 助 す る こと を
高 金釗 と各 董 事 等 は 上海 事件 に伴 ひ即 日 大会 を召集 し、 日 英 両国 に
京師 商 務 総 会 の会 長 孫 学仕 が済 南 に赴 き 不在 中 で あ る為 、副 会 長
一、 英 日両 国 の全 国租 界 は 回収 す る 。
其 の金 を集 め て 上海 に於 け る死傷 し た る同胞 の慰 労費 用 に充 てんと
決 議 要 求
一、 英 日両国 の上 海領 事 の罷 免 を 要 求 す る。
一、英 日両 国 人 の中 国 人傭 人 は全 部 罷 業 せ しむ る。
商 品 を買 はな い こと にし 、関 係 国 銀行 の発 行 す る紙 幣 を使 用 し な い
る交 渉 を 督促 し 、且 今 日 より 関 係 両国 と経 済絶 交 を 為 し、 関 係 国 の
を討 論 し た結 果 暫 ら く罷 市 を し な い、但 し 政府 に向 ひ外 国 に厳 重 な
本 紙 の探 る処 に依 る と 、商 務 総会 の大 会 に於 て商 業休 止 (罷 市)
を提 議 し た 。
し て居 る 。 又或 一会員 は北 京 の商 売 人 が或時 間 商 売 を休 業 す る こと
一、 英 日両国 銀 行 兌換 券 は市 場 に流 通 せ しめ ず 、 且若 し 此 の両 国 銀 行 に預 金 せ る者 あ ら ば直 ち に引 出 さしむ る。 一、英 日両 国経 営 の学 校 に教 育 を受 け 居 る中 国 人 は之 を退 学 せ し む
一、英 日両 国 に対 し ては爾 今原 料 品 を供給 せし めず 。
こと を申 合 せ た 云 々。 商務 総 会 に於 て右 の如 く決 議 せ ら れ て居 る が 、
る。
一、領 事 裁 判 権撤 廃 を 要 求 す る。
に不売 同 盟 であ る が、 北 京方 面 に於 て は不 買 同盟 であ る こ と を注意
今 日迄 実 際 に於 て は実 行 さ れ て居 ら な い。 而 し て上 海 方面 は消 極的
し な け れば な ら な い。
一、 上海 工務 局総 巡 は殺 人 罪 と し て其 の罪 を問 ふ 。 一、 今 回 の件 に就 て は英 日両 国 に陳 謝 せ し む る。
一、今 回 の上 海 の兇 手 は 死 刑 に処 せら る ゝ事 を要 求 す る。
以上
一、 殺 傷 せ る中国 人 の賠 償 を要 求 す る。 一、爾 今斯 る事 な き様 、 英 日 両国 に対 し保 証 を 要 求 す る。
一四
北 公 情 二五 第 一号 の四 五 大 正 十 四 年 六月 五 日
北 京 公 所長
一、 宣 伝委 員 四十 名 を 推 挙 す る こと 。
如し。
二、 宣 言を 発表 す る こと 。 三、 講 演 隊 を組 織 す る こと。
四、 毎 日午前 九時 大 会 一回 を開 く こと。
五、 毎 日評議 幹 事 の聯 合 会 を 一回 開 く こと。
六、 四 年 級 の旅 行 費 四百 元 を本 会 の経費 に充 つる こ と。 七、 臨 時 費 を 徴収 す る こと 。
学 生軍 司 令 は 昨 日午 後 三時 第 三院 に北 大全 体 学 生 軍 を
上 海 問題 に対 す る北京 各 大 学 の罷 校 (六 月 五 日京 報 摘 録 )
八、 学 校 に 一部 の費 用 を 請 求 す る こと 。
北京大学 召 集 し、 北 京 工商 界 対 上 海 問題 に関 し討 論 を 開 会 し 、今 後 罷 工 、罷
九、 寄 附 金委 員 会 を組 織 し 、教 職 員 に寄附 を募 る こと。
一昨 三 日 より罷 校 を実 行 し 、昨 朝 男女 学 生 四 百名 分 布
北 、以 西 女 学 生 を以 て担 任 し 、且 其 の 一部 を各商 店 に到 ら し め 一致
し て講 演 を な す。 講 演 地 点 を灯 市 口以南 、以 東 を男 学 生 担 任 し、 以
燕京大学
と を討 論 した り と。 学 生 は特 に講 演団 を組織 し其 の規 定 左 の如 し。
商 の態 度 を取 り如 何 な る方 法 に依 つ て軍 警 と秩 序 を維 持 す る か の こ
法政大学
日 に惨 殺 され た る上 海 同 学 の情 形 を講 演 し以 て市 民 の了 解 を求 め、
行動 す る こと を鼓 吹 し、 尚 今 日 も亦 宣 伝 ビ ラを 配布 す る こと なり 云
一、 本 講 演 隊 は 上海 の同 胞 を援 助 す る為 、 極 力 帝 国主 義 及 今 回 の英
且北 京 の罷市 、罷 工を 促 進 せ しむ 。 二 、本 講 演 隊 は 二十 隊 を 組 織 し、 毎 隊 の人員 最 小 限 三 名 とす 。
此 の外 師範 大学 、 工業 大 学 、清 華 学 校 、〓 文 大学 、中 国 大学 、 朝
々。
陽大 学 、 民 国 大学 、交 通 大 学 、警 高 学 校 、中 央 大学 、中 華 女 子救 国
三 、講 演 の時 は同 時 に宣 伝 ビ ラ を散 布 す 。 四 、本 講 演 隊 は前 門 外 及 西 城 一帯 に分 配 す。
自 治 会 は昨 四日 午前 八時 大 会 を 召集 し 、 其 の議 決 左 の
一五
大 正 十 四年 六 月 六 日
北 公 情 二 五第 一号 四 七
北 京 公所 長
と も 上海 問 題 に関 し 示威 運 動 も本 日尚 継 続す る由 云 々。
団体 等 の各 団 体 が同 様 な 宣 伝 方法 を以 て 一方 罷 校 を す ると 共 に各 校
学 生 自 治 会 は昨 四日午 前 十 時 大 会 を 召 集 し、 四日
五 、本 講 演 隊 は北 京 城 内 外 に宣 伝 ビ ラを配 布 す 。 女 子 師 範 大学
よ り罷 校 し上海 に て殺 害 さ れ た同 学 を援 助 し、 且各 同 学 よ り寄 附 金
に講 演 隊 、 宣 伝隊 を組 織 し 、各 学 生を し て毎 日 登校 せし め て之 が進
を募 集 し 上海 に送 つて傷 害 者 を慰 労 す る為各 級 に 四名 を推 挙 し、 更
医科 大 学
行 を便 な らし む こと に決 議 し た り 云 々。
晨報
上海 事 件 に関 す る北 京 支 那 紙 の論 調 我 が国 の第 一次 抗 議 に対 し て英 日両 国 は居 然 駁 覆 し て来 た。
るま い、 と思 つて ゐ た が今 外 交 団 の回答 は 全 責任 を我 が国 に押 し つ
吾 人 は初 め英 日両国 公 使 も 横 暴 無 理 の租 界 当 局 を庇 護 す る こと は あ
け て ゐ る。 彼 等 は私 利 の前 に は正 義 も公 道 も あ つた も の でな い。 事
十 日間 続 け た な らば 彼 等頑 石 も 幾分 か覚 悟 す る であ ら う。 彼 等 帝国
北 京 公 所長
主 義者 は利 害 問 題 し か考 へて ゐな いから 利害 問 題 で攻撃 す る のが 一 番有効だ。
一六
北 公 情 二五 第 一号 の四八
件 の責 任 が全 然 租 界当 局 に あ る こと は燕 京 大 学 、清 華 学 校 の外 人教 師 の宣 言 、 北京 リ ーダ ー主 筆 グ ロヴ ア ・ク ラ ア ク氏 の議 論 を見 ても
大 正 十 四 年六 月 六日
昨 日 五 日午 後 三時 北 京 教 育会 、学 界 、 工界 、 商会 、新 聞 界等 四百
上 海 騒擾 事件 に関 す る北 京 四 百余 団 体 雪 恥会 を組 織 す
判 る。 外 交 団 の回 答 中 に も発 砲 の 一点 に至 つて辞 窮 し て ゐ る では な い か。 今 日 の急務 は 英 日 巡捕 の継 続 し て支 那 人 を 殺 害 す る こと を 止 め さ せ る にあ る。
殺 同 胞 雪 恥 大 会 に対す る発起 会 を開 く こと と なり 、午 後 四 時頃 各 団
八十 余 団 体 は 六 百余 名 、 中 央 公園 に於 て北京 各 界 の英 日帝 国 主義 惨
に反 対 し 、 此 の如 き 手段 を以 て我 が国 を侵 略 す る英 日 の帝 国 主 義者
体 の代 表 至 る や、北 大 代 表郭 寿 濤 をし て臨 時 の主席 と なし 、 大会 の
我等 は正 義 人道 に違 背 し て我 が国 人を 殺 害 し た英 日 の暴 徒
に反 対 す るも ので、非 帝 国 主 義 の其 の他 国 民及 英 日 国 人 中 の非 帝 国
に到 る を以 て本 会 に加 入 を願 ひ 一致 行 動 せ ら れ ん こと を望 み、李 国
組 織 及発 起 の経 過 を報 告 し 、 一方 京 師 総商 会 々長 孫 学仕 が師 範 大 学
京報
ゐ な いこと を 大多 数 国 民 と 共 に宣 言 す る 。
主 義 に反 対 す る の では な い故 に、 我 等 の反 対 に排 外 的意 味 を含 ん で
は思 つて ゐた 。然 る に外 交 団 の回答 を見 る と、 彼 等 は 公 然 非 人道 の
し 、 其 の結 果 左 の通 り 大体 議 決 を見 る に至 つた 。
し 、英 日帝 国 主 義 の弁 法 に対 し 一時 間 余 の久 し き に亘 つて討 論 を な
宣 を し て師 範 大 学 に至 らし め 、商 会 々長 を 本 会 に至 ら し む る こと と
主張 を為 し 、 世界 人類 監 視 の下 に醜 態 を 暴露 し、 租 界 の野 獣 を庇 護
一、 通 電 及 宣 伝 を発 表 す る こと。
上海 事 件 は牛 の如 き印 度 巡 査 が や つた こと だ 、 と吾 人
し 甘 ん じ て共 犯者 と なら う と し て ゐ る。 彼 等 は暴 徒 だ、 蛮 子 だ。 之
二、 政 府 に請 願 し て江 蘇当 局 の兵 を 以 て 上海 租 界 に赴 かし め秩 序 を
社 会 日報
に理 屈 を言 つた所 で始 ま ら な い。 此 の上 は 期 限 を定 め て経 済絶 交 を
て ゐる も のは辞 職 し 、英 日銀 行 兌換 券 を取 附 け 、全 部 の預 金 を 引出
四、 京 師 総 商 会 及 銀行 公 会 に請 願 し 速 か に 百万 元 を準 備 し て上海 の
三、 政 府 に請 願 し て英 日政府 をし て駐 華公 使 を撤去 せし む る こと。
維 持 し 、英 日 の暴 行 を中 止 せ しむ る こと。
し 、 埠 頭労 働 者 は 相約 し て貨 物 運 搬 を拒 絶 し 、商 店 も英 日貨 物 を売
二人 を救 助 し 、 尚 各界 に寄 附 金団 体 を成 立 せ しむ る こと。
断 行 し 、支 那 人 にし て英 日 の各 官 署 、銀 行 、会 社 、商 店 等 に雇 は れ
る こと を 止 め 、英 日 人 に は 日用 品 を 売 る ことを 止 め る が よ い。 之 を
甲 、英 日 に食 物 を 供給 せざ る こと。
五 、英 日 に対 し て経 済絶 交 を 行 ふ こと 。
し第 二回 の抗 議 を送 つた 。若 し 外 交 団 に し て更 に之 に対 し反 駁 す
遂 に我 が 国 の抗 議 に対 し敢 て反 駁 を 為 し た るが、 外 交部 が之 に対
署名
の貨 幣 を 一切適 用 せし めず 、 且上 海 、青 島 の労働 者 に経済 上 の援
慶
る なら ば 、北 京 全 体 の商 人 は直 ち に罷市 を実 行す ると 共 に、 日英
卜
乙 、英 日銀 行 券 を 行使 せざ る こと。
商 務 総 会董 事
劉 清 揚 其 の他 二、 三 の発 言 によ り団 体 組織 の弁 法 を 論 じ、 其 の
出 し事 実 を 調 査 す る と謂 ふ こと に対 し 、 此 の如 き こと を謂 つて居 る。
行 は れ て居 ら な い様 で あ る。 更 に 又外 交 団 が各 一等書 記 官 を 上海 に
豊 銀 行券 は 一部受 取 ら な い様 な商 店 も出 来 た が、 之 は全 般 には未 だ
昨 日 (七 日) の如 き は既 に正金 銀 行 券 、匯 業 銀 行券 ( 中 日合弁 )、匯
斯 の如 く し て愈 当 地 に於 ても罷 市 が行 は る ゝ傾 向 とな つて来 た。
助 を為 す べ し 。
丙 、英 日 の経 営 事 業 に服 務 す る 民国 人 を し て 一律 罷 工 せし む る こ と。 丁 、英 日貨 物 に抵 制 を行 ふ こと。
結 果 (北 京各 界 対 英 日帝 国 主 義 惨殺 同 胞 雪 恥 大会 と為 し 、本 日を
六 、 其 の他
以 て大 会 を成 立 せし め臨 時 執 行 委員 三十 名 を し て之 が進行 に当 ら
漠 然 と 我 が 国 の抗 議 に対 し外 交 団 は 反駁 し、 第 二 回 の抗 議 に対
之 を 否認 し て無効 と す る云 々。
あ る が、 日英 が之 に加 は る に於 て は如 何 な る報 告 書 が出 ても 一切
三 者 の立 場 に在 る米 、仏 、 独 、伊 等 が調 査 す るな ら ば之 は 至当 で
ば 、被 告 の地 位 に在 る 日本 及 英国 は除 外 す べ きも ので あ つて、 第
者 であ る 日英 が之 を強 要 し た ので あ る。若 し事 実 を調 査 す る なら
であ る。 且 六 国 公使 館 が調 査委 員 を派 遣 す ると 謂 ふ こと は 、当 事
し て始 め て事 実 を調 査 す る、 と謂 ふ様 な こと は滑 稽極 はま る こと
し む る こと) 当 選 し た る臨 時 委 員 三十 名 (略 す)。午 後 八 時 半 に
北 京 公所 長
至 るも 尚散 会 せざ る 状 態 なり き 。
一七
北 公 情 二 五 第 一号 の四 九
上 海事 件 に伴 ふ北 京 の学 生 団 及商 務 総 会 の態 度
大 正 十 四年 六月 八 日
の決 議 を し た。 其 の中 主 な る も のは 左 の通 り で あ る。
六 日 の午 前 八 時 学 生 団及 其 の他 の団 体 の代表 者 が集 ま り 二十数 箇
た る第 二回 反駁 、 即 ち 当 分事 実 の調 査 をす る迄 猶 予 し て呉 れ 、 と外
一、 十 日午 後 一時 天 安 門 に於 て国 民大 会 を開 く。
本 件 に就 て引 続 き情 報 と し て報 告 し て居 るが 、外 交 団 より提 出 し
交 部 に回 答 し た る に対 し 、当 地 学 生団 及 商 務 総 会 に於 て は益 々反 日
二、 国 民大 会 には 五 十 万 の宣 伝 ビ ラ を散 布 し 、 二十 万 の旗 を 作 り て
三、 日英人 に使 用 さ れ て居 る同胞 を し て即 日罷 工退 職 せし む 。
各 人 力車 に之 を 配 布 す る。
英 の傾 向 を著 しく し た様 に思 はれ る。 六 日午 後 四時 学 生 団 の代表 は 商 務 総 会 の代表 と面 会 し 遂 に左 の決議 を為 し 、 之 を発 表 し た 。 上 海 事 件発 生 以 来 挙 国痛 憤 し 、 外交 団 は我 が国 を蔑 視 し て居 る。
検 査 団 を作 り詳 細 に各 商 店 に就 き之 を 取 調 べ販 売 を許 さず 。
四、 全 国 各種 学 生 聯合 会 及北 京 各校 上 海 事件 後 援 会 は即 日 日英 商 品
五、 義 捐 金募 集 隊 を作 り全 市 民 より義 捐 金 を徴 収 す 。 六 、 六 月 六 日 よ り直 ち に喪 章 を 各自 帯 す る こと 。
北 公 情 二 五第 一号 の五〇
北 京 公所 長
天津 に於 け る 上海 事 件 の状態
大 正 十 四年 六 月 八 日
天 津 に於 ては 張 作霖 将 軍 が滞 在 し、 且 李 景林 将 軍 が極 力 学 生 運動
或 は商務 会 に対 し 圧迫 を加 へて居 つた為 に、去 る 四日迄 は何 等排 日
を開 始 し 、商 務 会 も遂 に六 日 に至 り学 生 団 に強 要 され て排 日英 の行
英 の行 動 に出 て居 ら な か つた が、 翌 五 日 にな る と突 然学 生団 が行 動
七 、 吾 々 の モツ ト ーは 日英 人 民 国 に於 て同胞 を惨 殺 す 、 国 民速 か に
六 日 には北 京 に於 け る各 校 の校長 が集 ま り 種 々 の ことを 決議 し た
動 に出 づ る様 に な つた 。然 し な がら 一般 に於 て天津 の学 生、 商 務 会
起 ち 国 家 を救 へ云 々。
が 、其 の主 な る も のは 、
の巨 頭 は姿 を陰 し、 一般 市 民 も余 り熱 を有 し て居 ら な い様 で あ る。
直隷 系 新 聞 紙 は 過般 来 李 景 林氏 に圧 迫 さ れ直 隷 系 臭味 の ある記 者 は
の行 動 は 、李 督 軍 の反 対 と張 作 霖 将 軍 の滞 在 に因 り、 職 業排 日英 団
投獄 せら れ て居 る関 係 から 、前 年 の排 日煽 動 の様 な宣 伝 をし て居 ら
一、学 生 団 の今 回 の行 動 に対 し て極 力後 援 す る こと 。
今 次 上海 租 界 に於 け る事件 は愛 国 の徒 を激 せ し め た 。徒 手 空奉
尚 上海 事 件 に関 し 六 月 六 日附 を以 て臨 時 執 政 令 を 公 表 し た。 即 ち、
な いが、 昨 七 日 に至 り五 十 人 の 一行 に会 ふ に至 り 、支 那 街 に国 旗 を
二 、中 日文 化事 業 委 員 会 民 国側 委 員 の辞 職 を勧 告 す る こと。
の国 民 が銃 砲 によ り死 傷 せし め られ た と謂 ふ こと を 、本 執 政 は深
掲 げ た る も のを 見 る に至 つた が 、主 と し て上海 人 の商 店 であ る。
て学 生団 に強 要 され て居 る様 であ る。 要 す る に天 津 の静 穏 は 奉 天軍
要 す る に商 人 自 身 は自 覚 し て排 日英 の行動 に出 た ので はな い。 総
く 痛惜 す る所 であ る。 故 に直 ち に外 交 部 に命 令 し 厳 重 な る抗 議 を
経 過 を 調査 せし め て以 て交 渉 す る に充 分 な る根 拠 を作 り 、責 任 の
る所 張 作霖 氏 と 日本 と を結 び つけ 、反 奉 天熱 が直 隷 系 政客 に依 て助
警 の武力 的 威 圧 によ る も の であ る が、 李景 林 氏 一派 は風 潮 の波 及 す
提 出 せ し め、 更 に大 官 を上 海 に赴 かし め被 害 人 民 の慰 問 と事 実 の
あ る ので責 を固 く持 し て以 て人 民 を救 は む と欲 す 。 尚 吾 人 が希 望
北 公 情 二 五第 一号 の五 一 北 京 公 所長
一九
勢 され ざ る や、 と いう こと を最 も 憂慮 し つ つあ る様 で あ る。
帰 す る所 を明 ら か にせ む と欲 す 。政 府 は 国 民 を保 護 す る の責 任 が
す る のは国 民 が総 て愛 国 心 を以 て此 の事 難 を正 当 に救 はむ こと を 希 望 す る。 此 の故 を 以 て孫 宝琦 を松 滬 市 区 督弁 に任 じ 、虞 和徳 、 李 鐘 〓 を市 区会 弁 に任命 す 。
一八
大 正 十 四年 六 月 十 日
上海 事 件 と 北京 の状 況 (九 日) 一、支 那 新 聞団 の決 議
三 、外 貨 調 査 団
学 生 が外 貨調 査 団 を組 織 し居 る こと は 既報 の如 く で あ るが、 其 の
連 中 は目 下市 中 到 る処 で各商 店 を調 査 し て居 る。 日英 両 国銀 行 発 行
の紙 幣 を 通用 せし め ぬ様 に各 商 店 に盛 ん に強要 し て居 るが、 其 の結
上海 事 件 の勃 発 に伴 ひ当 地 の支 那新 聞 団 体 は 昨 九 日中央 公 園 に於 て大 会 を 開 いて左 の事 項 を決 議 し 各 方面 に之 を 通電 し た。
二 〇
北 公 情 二 五第 一号 五 二
二 、当 日は 各官 衙 各 機 関 一日事 務 を 停 止 す る こと。
一、当 日は 罷 工、 罷 市 、罷 業 を為 す 。
為 す様 全 国 に通 電 を発 し た 。
月 十 五 日 に全国 対 滬 案 総 示威 運 動 を為 す こと を 計 画し 、 左 の決議 を
民治 主 義董 事 会 及 北 京各 校 滬 案 講演 会 の二団 体 が主 謀 と なり 、六
上 海事 件 と全 国 示威 運 動
大 正十 四年 六 月 十 日
北 京 公 所長
囚 はれず 速 か に公 正 な る解 決 を 図 る に努 力 せ ん こと を望 む。 以 上
度 を以 て努 め て支 那 側 の主 張 を 聴 き、 必ず し も所 謂 列 国協 調 主 義 に
在 北 京 日本 記 者 団 は 、 日本 政 府 が 上海 事 件 に対 し積 極 的同 情 の態
し た。
上 海 事件 に対 し 在 北 京 日本 記 者 団 は 左 の決 議 を為 し、 内外 に公 表
四 、 日本 記 者 団 の決議
い様 であ る 。
も 一部 受 取 ら な い様 にな つた が、 尚前 者 に比 し 其 の程 度 は甚 だ少 な
果 とし て英 国 匯 豊 銀 行 が相 当 痛 手 を受 け た様 子 で、我 が正金 銀 行 券
論する。
一、 先 づ 公使 及 び上 海総 領 事 を更 迭 せ し め然 る 後再 び善 後 方法 を討
二、 上 海 租界 内 に於 け る市 政 警 察 権 を交 出 せし め る。 三、 暴 行 の責 任 者 を 懲弁 す る。 四 、傷 亡 を撫 憶 せし め る 。 五 、 暴 行 に関 す る 一切 の損 失 を賠 償 せ し め る。 六 、 以後 再 び斯 る非道 の暴 行 を 行 はざ る こと を 保証 せし め る。
二 、学 生 団 の義 捐 金 募 集
七 、国 家 の名 義 を 以 て我 が国 に対 し 正式 に陳 謝 せ し め る。
既 報 の如 く北 京 学 生 団 は 一面 示威 運動 をす ると 共 に、 上 海事 件 を 後 援 す る 為 に義 捐 金 の募 集 に力 を 入 れ て居 る。 昨 日 の如 き は 八 十有
は大 体 左 の通 り であ る 。
余 の学 校 の生 徒 全 部 が 総出 で義 損 金 の募 集 に努 力 し た が、 其 の状 況
街 、 中 央 公園 、 西 直 門 大街 等 八箇 所 に義 捐 金 募 集 の旗 を 掲 げ通 行
イ、 東 西 牌楼 、 東 単 牌 楼 、西 四牌 楼 、 西単 牌 楼 、前 門 大 街 、 後門 大
の人 々 に義 捐 を乞 ふた 。
以上 の募 集 を開 始 し たが 、之 等 は市 中 到 る処 の各 戸 を往 訪 し た 。
ロ、尚 戸 別訪 問組 は義 捐 簿 を 千余 作 製 、各 組 各 一冊 を 以 て 一口壱 元
日﹂ と 記 し た紀 章 を 作 り 、之 を各 募 捐隊 に分 配 し た 。
ハ、義 捐 隊 は全 部 紀 章 を 携 帯 し 、厚 紙 を 以 て ﹁募 捐 委 員 ﹂ ﹁打 倒 英
三 、当 日は遊 戯 場 を閉 鎖 す。
何 れ にし ても識 者 の多 く は背 後 に共産 主 義 者 あ り、 と信 じ て居 る。
文 書 及 青 年 共産 党 の宣 伝文 書 等 が多 く発 見 され た と の こと であ る が、
二二
大正十 四年 六月十 一 日
北 公情 二五 第 一号 の五 四
催 され た。 午 前 中 は主 とし て上海 に送 達 す る義 捐 金 の募 集 に男女 学
既 報 の如 く 昨 十 日 は学 生 を中 心 とし て計 画 せら れ た国 民大 会 が開
上海 事 件 と 北京 の状 況 (十 日)
北京公所長
四 、当 日は哀 旗 を掲 ぐ 。 五 、当 日公私 の宴 会 を 停 止 す。
北 京 公所 長
六 、各 都 市 に於 て同 時 に大 示威 運 動 を行 ふ。
二一
北 公 情 二 五第 一号 の五 三
上海 事 件 に関 す る 一考 察
大 正 十 四年 六 月十 日
ば男 女貧 富 の差 別 なく 寄 附 を 要 求 し 、自 動車 、人 力車 、馬 車等 も全
生 が各 人足 繁 き所 に集 ま り滬 案 募 捐 の三 角旗 を以 て、支 那 人 と見 れ
部 寄 附 金 を 強要 され て居 た が、 正 午頃 に なる と愈 々天 安門 に集 ま り
上 海 事 件 が突 発 し て以来 特 に上海 、南 京 、漢 口、 北 京 方 面 で は非
開 く やら し て気 勢 を 挙 げ 、 一面 商 務 総会 を強要 し て 日英 商 品 に対 す
と各 学 校 百 三 で、 数箇 所 に演 壇 を設 け熱 烈 な る演 説 が始 ま り、 特 に
午 後 一時 頃 に は其 の数 四、 五 万 に達 し た。 集 ま りし 団 体 は八 百 四十
常 に学 生 団 が大 々的 運 動 を開 始 し 、 示威 運 動 を なす やら 国 民 大会 を
んと し て居 る こと は再 三報 告 し た る処 で あ る が、 之 に関 し彼 等 学 生
上海 よ り来 京 し た学 生 代表 の 四名 の演説 には 聴 衆 も多 大 の感 動 を し
る ボ ー イ コツ ト、 日英 銀行 券 の流 通 停 止等 を計 画 し 実行 の緒 に着 か
団 及 商務 総 会 の斯 く迄 強 硬 に排 日英 を行 は ん とす る の心意 は今 日迄
た様 で あ つた が 、 左 の五 項 を 直 ち に決 議 し た。
三、 日英 間 経 済 断行 。
二、 日英 帝 国 主義 を打 破 す。
一、 不平 等 条 約撤 廃 。
の状 況 に依 り、 吾人 の推 察 す る処 に依 れ ば 、彼 等 は 口を 上海 事 件 に 仮 り 、排 日英 を企 て ゝ居 る が、 其 の終 極 の目 的 とす る処 は全 く不 平
而 し て 一面 学 生 団 の裏面 に は労 農露 国 の魔 手 が直 接 働 い て居 る許
等 条 約 を取 消 す にあ る様 であ る。
五、 国 民 は堅 忍 不抜 の心 を以 て目的 の完 成 を期 す 。
四 、被 害者 の救 助。
斯 の如 き決 議 が了 へ、 二時 頃 から 大 示威 運動 が始 ま つた の であ る
り でな く 、陳 独 秀 一派 の共産 主 義 者 が盛 大 に活動 し て居 る様 で あ る
上海 工部 局 が 上海 大 学 から 引 き挙 げ た秘 密 書 類 を 取 調 べ た処 、 紡績
が 、 三時 頃 の大 暴 風 雨 の為 に 一部 分 退散 し たが 、其 の風 雨 にも 恐 れ
が 、之 に就 ては確 証 が挙 つて居 な いが、 新 紙 の伝 ふ る所 に依 る と 、
会社 のスト ラ イ キ及 今 回 の学 生 の運 動、 罷 業 等 に関 し、 労 農 露 国 の
い。 夫 れ で我 々 の義憤 は専 ら 上海 英 国 工部 局警 察 署 に対 し て発 揮
英国 以外 の外 国 人 は当 然 我 々 の敵 では な い。
ず 大 部 分 は暴 風雨 の中 を 練 り歩 き、 外交 部 及執 政 府 に到 り、 当 局 に
イ
さ れ た も のであ る。之 を詳 説 す れ ば、
大 体 に於 て当 日 の学 生 団 の行 動 は甚 だ規 律 正 しく 秩 序 が保 た れて
請 願 し た る後 天 安門 に帰 へり茲 に漸 く散 会 し た。
上海 以外 の如 何 な る都 市 をも 我 々は之 を 陣 地 と し ては な ら な
此 の戦 争 の勝 負 は罷 工 の持 久 力如 何 に繋 つて居 るか ら
後 方 の給 養 が最 も大 切 であ る。 上 海 の学生 、 労働 者 は全 国 の前
戦費
の賃 金 を 支払 つても 余 り あ る で はな いか。
一つ の地 方 で罷 業 を やれ ば其 の 一日 の損失 は上 海労 働 者 の 一日
京 で総 罷 業 を や つたと て英 人 に何 の損 失 をも 与 へな いの であ る。
海 以 外 の各土 地 の総 罷業 は絶 対 に反 対 で あ る。例 へば 北 京 や南
に私 は 上海 以 外 の英 人 に対 す る罷 工 を奨 めな い許 り でな く 、 上
外 人 は 例 へ英 国 人 であ る にし ても 之 を敵 と し な い方 が良 い。 故
犯 し た も のは上 海 租界 の行 政 当 局 で あ る から し て、 上 海 以外 の
い。 今 回 の事 件 は純 然 た る上 海 市 民自 由権 の争 ひ であ る 。罪 を
ロ
ハ
居 た。 従 来 の此 の種 の行 動 は粗 放 に落 ち やす いの であ つた が、 今 回 の北京 に於 ける も のは当 初 よ り甚 だ秩 序 的 にせ られ て居 る こと は最
北 京 公所 長
も 注意 し な けれ ば な ら な い こと で あ る。
二三
大 正 十 四 年 六月 十 二 日
北 公 情 二 五第 一号 ノ五 五
上海 事 件 と梁 啓超 の意 見 上 海事 件 に付 て の当 地各 新 聞 の論 調 に付 ては 既 に報 告 し て置 いた
以 て、 此 の先 鋒隊 を後 援 す る 必要 があ る。
線 に出 て居 る 先鋒 で ある に過 ぎ な いか ら、 我 々は経 済 総 動 員 を
が、 今 回 梁 啓超 氏 の宣 言 が発 表 され た 。流 石 に大所 高 所 に立 つて立
で ある から 、其 の宣 言 の大要 を報 告 す る。
論 し的 を 外 さず 、 目 標 を 明白 に指 示 し て居 る のは群 を抜 い て居 る様
一、 戦 略 と し て は攻 撃 を 取 る事 は言 を俟 た な い の であ る が、 此 の攻
戦 争 の勝 負 は予 期 す る こと が出 来 な い が、 媾和 条 件 は 早 く決 定 し て
止 し な い が、 此 の目的 の表 現 せ ら れ たも のが即 ち媾 和 条件 であ る 。
最 終 の目 的 では な い。此 の目的 を達 せな か つた な らば勿 論 戦 ひを 中
右 の如 き作 戦 計 画 を以 て戦 争 を す ると 雖 も、 戦 争 は 手段 であ つて
撃 を 最 も 有効 な らし む る為 に は攻 撃 力 を散 漫 にせず 一所 に集 中 し
置 く 必要 が ある 。 現在 政 府 は責 任 あ る地 位 にあ る から具 体 的 条 件 を
上 海 事 件 に就 て は我 等 は 一定 の作戦 計 画 を持 た な け れば な ら な い。
な け れば な ら な い。 此 の集 中 す る場 所 は 上海 であ つて他 の地 方 に
軽 々し く提 出 す る こと は出 来 な い のは諒 と す る が、 吾 人 は枝 葉 の条
件 を 多少 譲 つて根 本 条件 で は譲 つて は なら な い。 根 本 条件 中 最 も 重
対 し て は意 味 を為 さな い。 且 示威 運 動 も甚 だ力 が 弱 いか ら攻 撃 武
二 、戦 線 とし ては 地域 が広 け れ ば広 い程 連絡 に困 難 であ る。 破 綻 を
大 であ る のは不 平 等 条約 廃 止 と各 租 界 の回 収 で あ るが 、此 の二 つを
器 とし ては飽 迄 強 硬 な る持 久 力 を 有 す る罷 工 を第 一と す る。
生 じ易 い から範 囲 を縮 少 し攻 撃 地 点 を 一所 に集 め な け れ ば なら な
以 て突 張 る時 は商 売 が 成立 し な いか もし れ ぬか ら、 私 は左 の三根 本
北 公情 二五 第 一号 の五 六
二四
人 と 同等 の選 挙 権 あ る べし 。 租界 は 元来 植 民 地 に似 て植 民 地 に非
一、 租 界内 に は完 全 な る 一箇 の立法 機 関 あ る べく、 支 那 納 税者 は外
条 件 を貫 徹 せし め た い、 と求 む る も のであ る。
ざ る畸 形 的 怪 物 で あ る。 将 来 必ず 回収 す べき は言 を俟 た な いが、
北 京 公所 長
告 し た通 り であ る が、 其 の際 にも 記 し て置 いた 如く 、来 る十 五 日 に
上海 事 件 に伴 ひ十 日当 地 に於 て国 民大 会 が開 かれ た こと は既 に報
上 海 事件 と北 京 の状況
大正 十 四 年 六月 十 三 日
民 地 で も印 度 、 埃 及 の如 き、 財 政権 は内 地 人 選出 の議 会 に属 し て
は 愈 々全 国 各 地 を通 じ 国 民 一般 の大会 が開 かれ る こと に決議 さ れ て
回 収出 来 な い前 でも現 在 の悪 劣 な組 織 を黙 視 す る訳 にゆ か ぬ。 植
て居 る 。﹁代 表 な く ん ば納 税 な し ﹂ 我等 の此 の正当 な要 求 を 拒 絶
居 る 。 上海 は我 が 領 土 で あ る。租 税 収 入 は我等 が大 部 分 を負 担 し
居 るが、 当 地 に於 て も そ れを実 行 す る様 に学 生 団 と総 商 会 に於 て決
尚当 日総 商 会 に於 て は主 な る会 員 百 五 十 四名 会合 し、 左 の三事 項
定 し 、半 日 の罷 市 を為 し以 て哀 悼 の意 を表 す る こと に した。
し 得 る何 物 も な い。 領 事 裁 判 権 は恥 辱 だ、 と人 は 言 ふ。 何 ぞ知 ら
一、北 京 の商 業 団体 は上 海 の罷 工者 に同 情 し 充 分 な る義 損金 を送 附
を 決議 し た。
ん、 そ れ 以 上 のも のが あ る。 何 ぞ や 、 上海 の会 審 公堂 であ る 。 上
二、 会審 公堂 の廃 止
海 では外 人 が支 那 の裁判 を受 け な い のみ な らず 、 支那 人 も 同様 に
定 す る こと を請 願 す る こと。
二 、 日 を定 め商 業 団 体 の大 示威 運 動 を為 す と 共 に政 府 に対 し 日 を決
す る こと 。
受 け な い。 会 審 公 堂 の制 度 は条 約 にも規 定 なく 、前 清 から 惰性 的 に存在 し て居 る丈 。 昆国 以 来 何 度廃 止 を提 議 し た か知 れ ぬが 、英 人 は 面皮 を厚 く し て拒 絶 し て居 る。 今 回 は何 が何 でも 廃 止 せ ね ば ならぬ。
英 荷 物 に対 し不 買不 売 を為 し 、 日英 両 国 銀 行 の紙 幣 に対 し市 中 の
三、租 界 内 の工場 は国 籍 の如 何 に論 な く、 す べ て我 が政 府 の労 工法
流 通 を 阻 止 す る こ と。
組 織 し 、 各商 店 の荷 物 を検 査 し 上海 事 件 の交 渉 が解 決 す る迄 、 日
豊 富 な原 料 と低 廉 な 労銀 を 利 用 し て 工場 を 設 け過 当 な 利益 を食 り、
去 る十 日国 民大 会 の当 日各 学 生 団 が 上海 に於 け る罷 工者 に義 損 金
三 、 日英 両 国 に対 し経 済 断行 を実 行 す。 一面 総 商会 に於 て検 査 団 を
而 も之 に対 し て我等 は監 視 す る こと も出 来 な い。 故 に此 の要 求 を
令 を遵 守 し なけ れ ば な ら ぬ。 各国 資 本 家 が租界 を護 符 と し 、我 が
提出 す る の であ る。
の如 く 発 表 し た。
を送 る可 く 、当 地 に於 て募 集 し た る金 額 に就 て各 学 校 連 名 の許 に左
畿
萃
税
燕
北
校
英
文
輔
〓
務
大
大
名
一 一三
二五 五
七 一
四 五 七
三 二六
六 〇 七
五 七 三
二〇 九
三 三 五
五 三 五
一、 八 三 九
四 四 五
三 五 九
三、 三 三 八
一、 二 七 一
銀角 ( 角)
六、四九三
一〇 、 〇 六 〇
一 一、 二 〇 〇
四 八、 一〇 七
八、〇五二
五〇、〇二七
八 、 〇 六〇
六六、三八五
三 三〇
銅 元( 枚)
法
医
麗
山
東
女
中
協
塩
尚
東
方
大
大
華
中
大
一 中
大
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務
志
一九 〇
二三
二
五 七
九
三八 〇
七 〇
六 三
六 一
五 八
六七 四
四四 二
三 〇
三七 九
一三 四
一、 五九 三
一、 一五 六
五七 五
一三 一
五 七 七
二〇 、 六 一 六
五 、 一 二八
五 、 一 一〇
九 、 八三 〇
一、 五七 九
三 六 、 一二五
一四 、〇 〇 〇
一九 、〇 六 五
一、七 七 〇
一、三 七 五
華
一三五
四八
一四 五
二〇 四
︱
三八 七
二三 七
二〇 、 六九 七
九 、八 〇 〇
六三八
九、〇〇〇
三、七八〇
郁
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崇
大
華
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二 六
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九 四
三 三 三
一、 九〇 四
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五、 二 三 九
三 五、 七 五〇
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銀 元 (元)
匯
一〇
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三八 〇
一七 、 五 二九
二、 二二一
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五 三 四
九、六五七
二〇 、 八六 〇
法
貝
職
同 一 一 一
八 八 五
中
〓 師 一二 六
六 〇 〇
総計
六、 三四 〇 二七 、 六 七 二 五 九〇 、 七 六 三
大 正十 四年 六月 十 三 日
北 公情 二五 第一 号 の五 七
中
五 、 一〇 〇
三 一、 四 二 六
大
八 九 九
北 京公 所 長
一 一、 八 八 六元 五 〇
二 五 四
二五
師
二 九
二 二六
総合計
三、 五 〇 八
大
大
八〇
一七〇
四、三五六
二 三、 九 六 三
北
大
一 一〇
二二 、 九 八九
二〇 、 二 八 三
九 六
工
法
三 三
一、 〇 五 八
一、 一二 一
一、 二 四 二
朝
一七 七
一五
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二八 九
二三 一
懐
大
徳
匯 神 慕 貞
崇 女
中
上 海 事件 に関 聯 す る北京 で の状 況 は再 三報 告 し て居 る 通 り で ある
上海 事 件 に伴 ふ 各 地 の運 動 状 況 専
一七 、 三 二 九
附
八 七 〇
語
六 三六
女
大
外 交
が、今 日迄 現 は れ た る 民国 各 地 の此 の種 運 動 と し て見 ら る ゝも のは
記
左 の通 り であ る 。
一、 河南 の鄭 州 は 七 日 市 民大 会 を開 き、 万 余 人 来 会 の上英 日劣 貨 抵
の支 那 人 に同 盟 罷 業 を勧告 す る等 、形 勢 不 穏 だと。
一、 香 港 は 上海 援 助 の チ ラ シを散 布 し、 張 紙 を 為 し、 且 又外 国 航 路
一、南 昌 は 五 日 よ り示 威 運動 。
一、蕪 湖 は十 日哀 悼 の意 を表 す る為 に 一日罷 市 。
一、南 京 は 十 日自 由 運 動 。
に応 戦 し死 傷 者 を出 し 、且 其 の迸 を 受 け 日本 人 一名 即死 、 五 名 の
一、十 一日漢 口 に於 て学 生及 工 人団 が英 租界 を襲 撃 し 、租 界 官憲 之
制 、 定 期 に 示威 運 動 挙 行 、罷 市 及罷 工。 一、 同 洛 陽 は緊 急 に代 表 会議 を開 き 、 其 の決 議 は学 生 軍組 織 と 義 捐
重傷 者 を出 せり 。
金 を募 集 し て 上海 へ電送 す る こと 。 又各 教 会 及 病 院 に於 け る支 那
的 静穏 で あ つ たが 五 日 以来 漸 次其 の行 動乱 暴 とな り 、十 一日よ り
一、 天津 に於 て は張 作霖 の滞 在 及李 景 林 将 軍 の強 圧 手 段 に よ り比較
の雇 人 を罷 工 せし む る こと。
課 及各 城 内 各 学堂 で あ つ て、粮 商 公 会 は 英 日 に対 し て不 売、 又 六
且 日英 経済 断 交 を 行 は ん が為 、各 商 店 に白旗 を掲 げ し め正 金 銀 行
は各 学 校全 部 休 校 し 、 学 生団 は各 商 店 に強 要 し て義 捐金 を募 集 し 、
一、奉 天 は 南 満 医学 堂 学 生 代 表 六百 名 の示 威 運動 と 、同 中 学堂 の罷
団 体同 盟 会 は 上海 へ声 援 の為 に通 電 す る こと 。
の 一部 が 日英 人 に対 し 投 石す る の状 態 と な り 急激 に形 勢 が悪 化 し
券 の如 き も 一部 分 通 用 せざ る に至 り、 昨 十 二日 に は単 生 、 工人 団
た。
た。
一、漢 口は 暴 動 と な り て 日本 人 の商 店 を 破 壊 し 、 同胞 を殺 傷 せ し め
一、 武昌 は猛 烈 な る 示威 運 動 があ つた。
し て、英 日 人 に対 つ て示威 運動 を為 し、 而 し て来 会 す る者 の大 半 二 六
るが、出席者 は露人数名 の外 に支那人 の基 督 教 青年 会 (思 想的 団
本月十 一日哈爾賓労働家屋内 に於て共産党 の委員会開催せられた
支 那罷業 と露国及米国 の態度 に関する件 (六月十三 ︹ 安次郎︺ 日附中村内務事務官報)
大正十四年六月十五日
哈調情第 二〇 四号 秘
哈爾賓事務所長
一、長 沙 は四 日よ り 日 々大 挙 し て上海 と 一致 行 動 を 取 る こと を声 明
は跣 足 で あ ると 。 尚 各商 店 は休 業 し 、 工業 界 は罷 業 し、 印 刷 工 場 の罷 業 の為 に印 刷 物 を出 版 す る こと を得 ず 。
を始 め 、午 後 五時 より 各 職業 団 体 加 入 し激 烈 な る講 演 を為 し 、 又
一、 済 南 は 十 日 に市 民 大 会 を開 き各 学 生 は 十 二時 を 期 し て 示威 運 動
市 民 会 起 草 の上通 電 を発 す る こと 。尚 総 て の準 備 は商埠 商 会 に仮 事 務 所 を 設 け て処 理す る こと。 一、綏 遠 は 九 日 に学 生 及 職 業 団体 の大 会 あ り 、英 日排 貨 、経 済 絶 交 の実 行 を 決 議 し 一同 罷 業 を な し た。
し 、 布哇 よ り来 り た り と言 ふ三 十 二、 三年 の者 等 にし て協議 事 項 と
と な り し韓 迭 声 な る や知 れず )、鮮 人 イ ー ( 李 ) と称 し英 語 を 良 く
体 )幹 部 カ ン ( 或 は先 年 救 国喚 声 団 な る も のを組 織 し て排 日 の先鋒
此 の際 之等 の連 中 の反感 によ り引 いて は問 題 の発 生 す る事 を怖 れ 、
が 、 支 那官 憲 の注意 す る所 と な り募 集 を禁 止 せら れ た る が、 官憲 も
何等 か の計 画 あ り た るも のと見 え急 に会員 の大 募集 を為 し を り た る
右 に関 し 基 督教 青 年 会 の行 動 を他 の文 面 より 調 査 す る に、 此 の際
を れ り と言 ふ。 以 上
二七
北京 公所 長
当 地 に於 け る米国 の牧 師 ラ マ ルチ ンは 今 回 の事件 に就 て裏 面活 動 し
の事 件 に機 を得 て各 国系 の政 策 が錯 雑 し た るも のと見 ら るる点 あり 、
の掲 載 に努 む る哈 爾 賓晨 光 報 の如 き は 元来 米 国系 のも のな り。 今 回
に は非 ざ る かを疑 はし む る も のあ り 。前 記 基 督教 青 年 会 及煽 動 記 事
米 国 も 今 回 の事 件 に就 て は機 を捕 へて排 日等 の運 動 を 助成 しを る
家 溝 九 八平 民週 報 社 国 民党 員 朱 霽 青 の所 為 な る こと判 明 し たり 。
既 報 当 地 に於 て今 回 の事 件 に関 し漢 字 宣 伝文 を配 布 し た る は西 馬
幹 部 に金 二 百円 を 与 へて買 収 し た り と言 ふ。
し て支 那 の時 局 に関 し、 左 の談 話 あ り たり と言 ふ。 支 那 の今 回 の問 題 に関 し て は露 国 は既 に昨年 六月 莫 斯 科 に於 て反 帝 国 主義 の決 議 を齎 し 、支 那 の為 各国 と の不 平等 条 約 の破 棄 、 民族 の解 放 を 援 助す べく 、 以来 支 那 の民衆 を指 導 し 来 り た る が其 の間暴 動 を惹 起 す る機 会 多 か り し を以 て、 今 回 の事 件 は当 然 のこと な り。 此 の際 積 極 に援 助 し 列 国 の抗 議 に対 し て は徹 底 的 に援 助す 。 在 支 那 露 国 の領 事 は カ ラ ハ ン の許 に集 合 しを れ り (哈爾 賓 総 領事
支 那 問 題 に就 て は露 国 は 外交 団 と別 行 動 に出 る理 由 は、 支 那 に於
グ ラ ンド は既報 の通 り 北 京 に赴 けり )。
け る列 国 の関 係 は露 国 と無 関 係 な りと 言 ふ に在 り (即 ち露 国 の対 外 方針 た る ソヴ エー トを 中 心 と し て弱 小 国 を引 入 れ、 列 国 に 対抗 せ ん と す る根 本 方針 よ り出 でた る も のなら ん)。
北 公情 二 五第 一号 の五八
在 満 洲 共 産 党 を代 表 し て哈爾 賓 よ り上 海 罷業 本 部 に激励 文 を発 送 し た り。 援 助 金 も多 少 カ ラ ハンよ り支 出 し を れ り。 (莫 斯 科 プ ロ フ
大 正十 四年 六 月 十 六 日
報 の通 り で あ る が、 準備 の整 は な か つた為 、来 る 六月 二十 五 日即 ち
上 海事 件 に伴 ひ全 国 々民 大 会 を 六月 十 五 日 に開 催 す る の予 定 は既
上海 事 件 と 全 国 々民 大会
イ ンテ ル ンの決 議 に より 五 万 留 を支 出 し た こと は確 実 な り 。其 の後
右 に対 し支 那 人 間 よ り青 島 、 上海 の犠 牲 者 に対す る露 国 側 の救 済
旧 暦 五 月 五 日 の端 午 節 に行 ふ こと に変 更 され た 。
の追 加 を合 す れ ば 七、 八 万 留 には達 す るな ら ん と言 ふ) 云 々。
の謝意 を述 べ、 哈爾 賓 に ても 基 督教 青 年 会 にて惨 殺 せら れ た る者 の
上 海 に於 け る 日本 人 が非 常 な冷 静 なる 態 度 を以 て 一日 も早 く事 件 を
漢 口事件 以来 日本 に対 す る彼 等 の運 動 は余 程緩 和 され た様 で あ る。
追 悼会 を行 ふ筈 な り。 尚 此 の際 全国 的 に連 絡 を統 一し 、 北 京 、天 津 に中 心連 絡 を置 く 予定 に在 り 、 上海 の問 題 には鮮 人 も共 同 動 作 に出 で、排 日方 面 に活動 し を れり 云 々、 と の談 話 の交 換 あ りた り と言 ふ。
労 働者 の各 種 団 体 が 非常 に多 く 参加 し て居 つた こと と、 小 学 校 の生
て排英 を目 的 と し て大 示威 運 動 が行 は れ た。 特 に目 を牽 いた こと は、
運 動 に変 化 し つ ゝあ る様 に思 は れ る。 漢 口事 件 に伴 ひ昨 日 当 地 に於
す る様 な状 態 であ る 。彼 等 の目 的 は今 や 一転 し て英 国 のみ に対す る
解 決 せ し む る こと を希 望 し て居 る、 と言 ふ報 導 が新 聞 に現 は れ た り
新 聞 に発 表 し た。
に大 英 帝 国 主義 を排斥 す 可 く、 左 の如 き意 味 の激烈 な る宣言 書 を各
せし め た ので あ る が、 北 京大 学 一派 は梁 氏 の意 見 に反 対 し、 徹 底 的
守 つて 居 つた梁 啓 超 氏 が 、穏 健 且 具体 的 の議 論 を発 表 し識 者 を首 肯
北 公情 二 五第 一号 の五 〇号 を 以 て御 報 告 せし 如く 、 数年 来 沈 黙 を
二 、統 治 者 の処 罰 にあ らず し て大 英 帝 国 主 義 の排 斥 にあり 。
政治 問 題 たる 一面 を閑 却 し 、簡 単 な法 律 問題 と し て取扱 は ふ と し て
る に躊 躇 し な い。然 る に 一部 の人 例 へば梁 啓 超 氏 の如 きは 、本 案 の
治 問 題 た る可能 性 が法 律 問題 と し て のそ れ よ り も大 で ある 、 と断 ず
(前 略 ) 上海 事 件 は法 律問 題 か、 政 治 問題 かと言 は ば、 我等 は政
徒 が初 め て之 に加 は つた こと であ る 。彼 等 の叫 ぶ と ころ は 、 英国 を 倒 せ、漢 口 の同 胞 を 救 へ、 の 二句 のみ を唱 へ、 一語 とし て 日本 に関
一老 支 那 人 が言 ふ処 に依 る と、 最 近 の運 動 特 に昨 日 の示 威 運 動 の
居 る。 我 等 は 之 を 以 て根 本 的錯 誤 だ、 と 認 め る。 勿論 兇 行責 任 調査
す る言 葉 を 聞 か な か つた。
ら、 各 外 人 は 特 に 此 の際 注意 を払 はな いと義 和 団 事 件 の二 の舞 いを
状 態 は先 年義 和団 事 件 勃 発 の際 に於 け る も のと甚 だ類 似 し て居 る か
見 え る が部 分 的 に見 る と決 し て安 心 は出来 な い様 であ る 。氏 名 は分
前 述 し た 如 く 日本 に対 す る 運動 は比 絞 的冷 静 にな り つ ゝあ る様 に
継 続 し て支 那 領 土 内 の支 那 人 民 を惨 殺 した も のであ つて、 明 ら か に
使 、領 事 の監 督 下 に於 て、英 国 軍艦 掩 護 の下 に、 英 国 管下 の軍警 が
決 を蓋 う とす る こと に反 対 す る のであ る。 見 よ、漢 口事 件 は英 国公
が いけ な いと 言 ふ ので は な い。 そ れ の みを 以 て本案 の政 治 問 題的 解
ら な いが、 昨 日 の如 き は東 安 市場 、外 交 部街 、扶 桑 館 の三箇 所 に於
英 国 々家 の行 為 であ り、 英 国 政府 の責 任 であ る 。而 し て之 に対 し て
演ず る の心 配 があ る、 と言 つて居 た。
て日本 人 が学 生 、労 働 者 に擲 ら れ た と の こと で あ る から 、今 後 と 言
み でな く 、 事 な か れ主 義 の我 が外 交 当 局 も賛 成 す る か も知 れ な い。
は責 任 を 免 れ よ う とし 、 腐 心 し て居 る英 国 の歓 迎 す る と ころ た る の
け る特 権 に 一指 だ も加 へる こと が出 来 な い結 果 に帰 す る。 斯 の如 き
と か で満 足 せん と す るも ので あ つて、 根 本原 因 たる外 人 の支 那 に於
囲 内 に於 て本 案 を 解決 し よう と す るも のは 、 兇行 者 の処 罰 と か賠 償
に帰 し て居 る。 然 ら ば本 案 は決 し て 一法 律 問 題 では な い。 法 律 の範
し て居 る かと 言 ふに、 英 国 の支 那 に於 け る 地 位 を改 変 す ると 言 ふ点
起 つた全 国 各 地 の大規 模 なる罷 市 、 罷 工、 罷 課 、排 貨 は何 を 目 標 と
北京公所長
へ共充 分 な る注 意 を払 はな け れ ば なら な い。
二八
大 正 十 四年 六 月十 七 日
北 公情 二五 第 一号 の五九
梁 啓超 氏 の宣 言 に対 し北 京 大 学 の反 対 一、 上 海事 件 の解 決 は法 律 的 にあ らず し て政 治的 のも の であ る 。
に強 硬 交 渉 す る と共 に、根 本 原 因 た る 国権 回収 の先決 条 件 を提 出 さ
外 国 軍 警 が我 が領 土 内 に於 て暴 力 を 振 ふ行 為 を杜 絶 せ し む可 く 英 国
る支 那 側 から出 た に至 つて は真 に屈 辱 で あ る。 我 等 は 政府 に要 求 し 、
た し か に 一種 の調 停 方 法 た る を失 は な いが、 現 に圧 迫 を受 け つゝあ
策 の如 き は、若 し それ が第 三者 た る仏 、米 各 国 に出 でた も のな ら ば
然 し学 界 は而 し て 一般 国 民 も決 し て承 認 し な い の であ る。 梁 氏 の方
有効 な手 段 は、 上 海 に於 け る支 那 人殺 傷 の責任 者 、 即 ち 日本 の紡 績
を誘 起 せ ん とし て居 る事 を語 つて 居 る。 吾 人 の目 的 を 達 す る に最 も
論 の同情 と援 助 を 最 も 必要 と す る 今 の時 に逆 に支 那 人 に対 す る反 感
報 導 を海 外 及外 国 新 聞 に伝 へ、 之 に依 つて支 那 が海 外 の公平 な る輿
局 が依然 と し て支 那 人 を高 圧 し て居 る こと、 及事 実 を牽 強附 会 し た
側 の報告 に依 れば 、 此 の事 件 は明 瞭 に之等 地 方 に於 け る英 租 界 の当
せな く ては な らな い。 我等 は尚 宣 伝 運動 を継 続 し 、罷 工、 経 済 絶交
ス の責 任 を明 ら か にす る こと で あ る。 吾 人 は 上海 に於 け る騒 動 の責
会 社 の所 有 者 及 支 配 人、 工務 局 の当 局 、 射 撃 を命 じ た 警察 官 及 ポリ
任 者 と無 関 係 に英 国人 、 日本 人 に反 対 す る も の では な い。 尚 も う 一
其 の他 一切 の抵 制 手段 を 以 て、 大 英帝 国 主 義 と 長期 の決 闘 を為 す こ と を宣 す る も の であ る 。 ( 後略)
て居 る が 、 之 を見 る と 一面 全 英 国 人、 全 日本 人 を敵 とす る は理由 な
あ る北 京 デ ー リ ー ・ ニユー ス には 、大 体 左 の如 き意 味 の記 事 を 載 せ
支 那 人 一般 に本 事 件 に就 て興 奮 し て居 る最 中 に外交 部 の機 関 新 聞 で
難 を助 け る こと に な ると いう 一事 であ る。 それ で は吾 人 の目的 を自
の背 後 に避 難 さ せ て やる こと に な る。 即 ち吾 人 自 ら間 接 に罪 人 の避
人 即 ち上 海 殺 傷事 件 の責 任 者 を争 ひ に入 れ られ た 全英 国 人 、 日本 人
本 人 の全 体 を 敵 と し て争 ふ こと とな れ ば 、結 局 罰 せ ら る可 き 当 の本
つ吾 人 と し て心得 て居 な け れ ば なら ぬ のは 、若 し 吾人 が英 国 人 、 日
き のみ な らず 、 そ れ は却 つて籔 蛇 の結 果 に到 る も のと言 つ て居 る が、
ら破 滅 さ せ る こと に他 な ら ぬ。 吾 人 は 別 に学 生聯 合 会 が支 那学 生 を
北 京大 学 が右 様 な意 味 の宣 言 を 発表 し て大 い に排 英 運 動 を鼓 吹 し、
此 の様 な穏 健 な 意 見 を支 那 官 権 側 か ら聞 く に至 つた ことは 、 九 江、
ら英 国 の有 識 階級 へ宛 た 訴 へをも 発 表 し た。 之 は学 生 及 有 識者 が心
代 表 し て英 国 の学 生 に致 し た訴 へを 掲載 し、 又 北京 大 学 の教授 連 か
し て全 英 国 人 、全 日本 人 を敵 とし て居 る も の でな いこと を 語 る も の
た 一面 を 語 るも のと察 せ ら る。 真 の支 那 人 にし て 上海 共 同 祖 界 に於 て武 装 な き支 那 人 に無 謀 な射
で あ る。 要 す る に英 国 人 及 日本 人 に対 す る反 対 運動 は、 上海 に於 け
漢 口等 に於 け る事 件 の続 発 が漸 次 支那 政 府 側 の立場 を困 難 な ら し め
撃 を 加 へた事 件 に対す る全 国 的 な 反対 運 動 に満足 を感 ぜ ぬ者 は な い。
る当 の責 任 者 に留 め る可 き も の だ、 と 吾 人 は思 ふ のであ る 。
二九
北 公 情 二五 第 一号 六〇
北京公所長
支 那 人 は 今 や支 那 に於 け る支 那 人 の権 利 を恢 復 す る為 の闘 い に何物 を も 犠牲 にす る覚悟 を持 つて居 る 。然 し此 の目 的達 成 如 何 は た だ に 何 物 を も敢 て犠 牲 にす る覚 悟 と 勇気 のみ に依 る も ので はな い。更 に 無 思 慮 な 昂奮 に代 る冷 静 な態 度 と 才能 と に依 る も ので ある 。 運動 は 漸 次 過 激 にな つ て来 て、 漢 口や 九 江 で は遂 に騒動 が発 生 し た 。支 那
大 正 十 四年 六 月 十七 日
べ き で は な い か。故 に吾 人 が観 る所 を 以 て す れば 、 上海 事 件 の原 因
帝 国 主 義 打 倒 を主 張 し 、 国 民党 系 の新 聞 であ り共 産 主義 的 の新 聞
であ る。若 し も他 の種 の関 係 に於 て 日英 両 国 を個 々に観 る なら ば 大
と漢 口 に於 け る事 件 を英 国 が単 独 に交 渉 す るも のと は 相似 ざ るも の
認 せざ る限 り 決 し て単 独 妥 協 に応 ず べき で な いの であ る。 此 の事 件
は 決 し て 日本 を無 視 す る こと は出 来 な い。 日 本 が労 働者 の要 求 を承
であ る京 報 は毎 々排 外思 想 の鼓吹 に努 め て居 る が、 今 回 の上海 事 件
多 数 国 民 の同意 を得 る こと が困 難 であ り 、英 国 を屈 服 せし む る に足
日 英 両国 の秘 密 提携
に対 し て も激 烈 な論 鋒 を以 て日 々煽 動 し て居 る が、 本 日 (六 月十 七
上海 事 件 の黒 幕
日) の同紙 に は、 五 月 三十 日事件 の黒 幕 、 日英 両 国 の秘 密 提携 と し
ら な いの であ る 。只 上海 の殺 人事 件 は英 国 が実 際 の犯 人 で あ る。 其
三〇
大 正十 四 年 六 月 十 七 日
北公 情 二五 第 四号 七六
北京 公 所 長
論 じ な け れば な ら ぬ云 々。
の罪 の軽 重 は 少 し も差 別 が な いの であ る 。吾 人 は厳 正 に公 平 に之 を
て斯 様 な記 事 を載 せ て ゐ る から摘 訳報 告 す る。 記 本 紙 の調 査 す る所 に依 る と、 今 回 上 海 の惨 殺 事 件 の原 因 は、 其 の 黒 幕 に 日英 両 国人 の秘密 提 携 があ る。 而 し て其 の目 的 は 印刷 法 、 附
﹁ 非 法 ﹂ な る工 務 局 は遂 に六月 一日特 別 会 を開 き 、予 め 日本 の有 資
属 法 及 埠 頭 税 等 の問 題 であ る。 五月 人 員 不 足 の為 流 会 にな つた所 の
格 者 と打 合 せ、 六 月 二 日会 議 の時 に右 両 法 案 を 通 過 せし む る 様 に打 合 せを し て居 つた ので、 茲 に於 て ﹁非 法 ﹂ な る工 務局 は 日本 人 の好
は其 の管 轄 す る各 鉄 道 に対 し 外 人旅 行 者 の安全 を期 す る為 に左 の様
上海 事 件 突 発 し漢 口、 九 江 に於 ても 事 件 が続 発 し た ので、交 通 部
上海 事 件 と各 鉄 道
く 、 遂 に五 月 三十 日 の大 惨 劇 を 発 生 せ し む る に至 つた。 そ れ で 日本
意 に感 じ之 に報 恩 せ ん が為 に今 回 の紡 績 罷 工 に対 し圧 迫 至 ら ざ るな
人 は非 常 に恐慌 を来 し 、右 両 法 案 の通 過 に反 対 す る の態 度 に出 て、
な 命 令 を出 し た。
の秘密 事 件 は英 国 政府 が事 前 に同意 し た るや 否 や、 更 に日 本 公使 に
吾 人 は強 硬 な る英 国 公 使 の態 度 に注 意 し な け れば な ら ぬ 。此 の類
あ る から 、 各 従事 員 は 一層注 意 し 旅 行者 の安 全 を期 せな く て は なら
々に誤 解 さ れ 、外 人旅 行者 に対 し 危 害 を 与 ふ る様 な こと のあ る虞 が
の こと で あ る が、 更 に注意 を此処 に促 し度 い のは 、事 件 の真 相 が種
交 通 部 は 上海 事 件 に依 り既 に各 従 事員 に命 令 を出 し た こと は既 知
六月 二日 の特別 会 に出 席 し な か つ た為 に遂 に議 員 不 足 と なり 、 又 々
注意 を願 ひ た い のは、 日本 人 及英 国 人 に ﹁非法 ﹂ な る 工務 局 が利 益
流 会 す る に至 つた。
交 換 の意 味 か らし て秘密 提 携 を 為 し 、遂 に五 月 三十 日 の大 惨 事 を発
本 日七 月 十 七 日 の鉄 道 時 報 の記 事 に依 る と、 各 鉄道 の従 事員 特 に
な い云 々。
生 せし む る に至 つた ので あ るか ら し て、 日本 は 重大 な る責 任 を 負 ふ
職 工等 は 上海 事 件 の後 援 の為 、種 々会 合 を催 し決 議 等 を し て居 る様
奉
線
で あ る が、 夫 れ に依 ると 、
唐 山 に於 け る京 奉 線 総 職 工会 は 昨 日会 議 を開 いた が 、出 席 者 五
一、 京
十 余 名 に達 し主 席 者 から 上海 事 件 の詳 し い状 況 を 説 明 し 、全 会 一
大 正 十 四年 六 月 十九 日 上海 事 件 と京 津 の状 況
上 海事 件 に伴 ふ京 津 地方 の状 況 に就 て は従来 落 ち な く報 告 し て居
一、天 津 に於 け る学 生運 動 は 六 月 四 日初 め て行 は れ た の であ る が、
る が 、昨 今 の状 況 と其 の状 況 から観 た大 体 の予 想 を 報告 す。
張 作霖 御 大 の滞 在 中 で あ る のと 李 景林 将 軍 の厳 重 な る 取締 り の為 に
甚 だ微 温 的 であ つた こ と は事 実 であ る が、其 の後 形 勢悪 化 し 遂 に各
旗 を掲 げ し め日英 両国 民 に対 し 不売 同 盟 を強 要 し つ ゝあ る の であ る
学 校 は全 部 休 業 し 、学 生 団 は 大 示威 運 動 を為 す と共 に、各 商 店 に白
上 海 罷 工職 工 に慰 問電 を発 す る こと。
が 、商 人 は学 生 団 の乱 暴 を恐 れ 之 に応 ず るも のもあ る が、 内 面 之 の
実 で あ る。 北 京 よ り の学 生 代表 及 上海 より の学 生 代表 が天 津 に乗 込
為 に非常 に迷 惑 を感 じ つ ゝあ る ので、 一体 に気 勢 が揚 ら な い のは事
み来 り、 随 分 過激 な宣 伝 を 以 て学 生団 を 煽動 し、 更 に商 務 会 を強 要
線
京 漢 鉄 道 の従 事 員 総 て は 上海 事 件 援 助 と し て 二千 八 百 円 の寄附
し て渦 中 に引 込 ま ん とし て ゐる ので あ る が、今 の所 よ り 一層 形勢 の
漢
各 自応 分 の義 捐 金 を出 し 上海 の同胞 を救 へ。
様 注 意 を促 す こと 。
政 府 に電 報 し 日英 両国 に厳 重 な る抗 議 を出 さし め譲 歩 せざ る
致 を以 て左 の ことを 決 議 し た。 イ
ロ ハ
金 を 集 め 、之 を学 生 義 捐金 募 集 団 に交 附 し た。 聞 く処 に依 れば 、
二 、京
昨 日京 漢 鉄道 局全 線 に電報 命 令 を 発 し各 自 一日分 の収 入 を義 捐 金
悪 化 す る と は想像 さ れな い。
要 す る に従来 天津 が排 日、排 外 と謂 へば支 那 全 国 に率 先 す る ので
とし て支出 し 、之 を上 海 に送 り、 右 は 六月 分 の俸 給 よ り控 除 す 。 而 し て上 海 に於 け る 工人 が復 業 す るま で之 を継 続 す 。
あ る が、 今 回 は張 作 霖 氏 の滞在 と李 景 林 将 軍 の厳 重 な る取 締 り と、
再 三 の排 日、排 外 で経 済 的 に受 く る苦 痛 の大 な る こと を知 つ てゐ る
線
商 人 は余 り気 乗 り がし て居 ら な い。 此 の三 つ の原 因 によ つ て天津 は
綏
京 綏 鉄道 の従事 員 及 職 工 は各 自 毎 月収 入 の三分 の 一を支 出 し 、
三 、京
上海 事 件 の解 決 ま で之 を毎 月継 続 す る こと。 而 し て既 に収 金 し た
突 発 し た る漢 口 の事 件 に対 し 大 示威 運 動 が企 てら れ た のであ る 。漢
二 十 五 日旧 暦端 午 節 に延 期 す る こと にし 、当 日即 ち 十 五 日は前 々日
謀 者 が謂 ふ所 に依 れば 、 準 備 が整 はな か つた と謂 ふ 理由 の下 に来 る
二 、北 京 に於 て は十 五 日 に全 国 国 民 大 会 を開 く べ き予 定 の所 、首
比較 的 他 地 方 に比 し静 穏 であ る 。
北 京 公 所長
る五 千 一百 円 は直 ち に上海 総 商 会 宛 に送 附 す る こと 。
三 一
北 公 情 秘 二五第 一号 の四
口事 件 の突発 し な か つた 以前 は、 彼 等 の目 的 は 排 日英 で あ つた ので
て当 地 の外 交 は非 常 にデ リケ ート な立 場 に あ る ので 、公 使 団 と し て
る勢 力 を 駆逐 せ ん と大 い に努 め つ ゝあ る。 此 の六 ケ国 の態 度 に依 り
要 す る に此 の機会 に於 て 一歩 誤 れ ば取 返 し得 な い損 害 を 蒙 む る様
の外 交 部 に警 告 を発 し、 或 は抗 議 を発 す る に当 つ ても種 々な る折 衷
あ る が、 其 の事 件 以 来 識 者 間 に 日本 を除 外 しな け れ ば な ら ぬと謂 ふ
な 状 態 であ る から 、各 国 公 使 共 非常 に慎 重 な態 度 を と つて居 る ので 、
を受 く るも のと 見 え、 従 来 の如 く深 刻 な る も の でな く、 却 つて外 交
多 く有 し て居 る晨 報 は相 変 らず 排 日英 を 説 いて ゐ る が、 他新 聞 は英
自 然 徹 底 し た る協 調 外交 と謂 ふも のが成 り 立 ち得 な い のは無 理 から
声 が あ る のと 共 に、 日本 人 が各 地 に於 て比較 的 冷 静 な る態 度 を 取 つ
国 のみ を敵 とす る様 に論 調 の変 化 を見 せ つ ゝあ る。 事 実 学 生団 の示
ぬ こと と思 ふ。 支 那 側 か ら謂 へば 、 此 の協 調外 交 が破 れ、 此 のデ リ
部 か ら の反 駁 及 抗議 の方 が力 あ る様 に感 ぜ し め る。
威 運 動 も引 続 き 毎 日行 は れ つ ゝあ る が、 日 本 に対 す る言 葉 は殆 聞 く
ケ ー トな関 係 を利 用 し つ ゝあ る の であ る が、漢 口、 九 江 、南 京 等 に
て ゐ る のと 、 上海 に於 け る事件 の真 相 が 明確 にな つ て来 た の で、 共
こと が出 来 なく な つた。 支 那 側 の識 者 は 日本 の公 正 な る態 度 を嘱 望
産 思 想 を 有 つて ゐ る馮 玉 祥 系 及国 民 系 であ る京 報 と読 者 を学 生 界 に
し 、 今 回 の事 件 に対 し て は、 日本 は原 被 両 造 を 離 れ厳 正 なる裁 判 官
続 発 す る事 件 には可 なり 政府 を し て困難 な る状態 に陥 ら し め る から
も の であ る か、 と謂 ふ こと に付 ては種 々 の説 を 為 し て ゐ る が、茲 に
五 、 上海 事 件 に伴 ふ全 国 的 に な つた今 回 の思 想 は何 処 に胚胎 し た
れ て暴 動 化 す る行 動 を厳 禁 す る様 にし てゐ る様 だ 。
し て、 政 府 当 局 も各 督 軍 に厳 重 な る命令 を発 し 、愛 国 的 思 想 に駆 ら
の地 位 に立 つて貰 ひた い、等 と言 つて居 る者 も あ る程 で あ る。 三、 北 京 に於 け る状 況 は前 述 の通 り で あ る が、 政 府 側 の大 官 連中
努 め 、全 権 を 政府 に 一任 し て貰 ひ た い、 と協 議 し つ ゝあ る様 な 状態
量 も注 意 し なけ れ ば なら ぬ のは 、支 那 国 民 間 に自 然 に培 は れ つ ゝ来
も当 地 の各 団体 の代 表 者 を 集 め種 々懇 談 を遂 げ 、 其 の運動 の緩 和 に
で、 一方 更 に二 十 五 日 に行 は る べ き全 国 々民大 会 は 民 国 に と つて行
た排 外 的思 想 で、今 回 の行 動 も 其 の 一シ ンボ ルと 見 る を正 当 と 思 は
今 後 機 会 あ る毎 に反覆 せ ら る べく 、遂 に支 那全 体 に亙 り て の覚 醒 を
は ざ る を利 益 と す る と説 伏 し つ ゝあ る の で、識 者 の 一部 に は 二十 五
来 す も のと思 ふ。 而 し て此 の漸 進 的 の排 外 思想 は何 に因 て招 来 せ ら
日 に於 て も国 民 大 会 の決 議 に依 る北 京 全 市 の罷 業 は行 は れ な い、 と
四 、 今 回 の事 件 に伴 ひ北 京 の外 交団 の所 謂協 調外 交 と謂 ふ も の が
れ た も の であ る かと 言 へば 、過 去 八 十年 に亙 り英 国 を筆 頭 とし て諸
る 一時 代 を劃 す るも のに成 長 す る の日 あ る ことを 思 は し め ると 共 に
破 れた と謂 は れ て居 る 。 之 は或 程度 ま で事 実 で英国 は飽 迄 強硬 に積
外 国 より 差 別的 待 遇 を 受 く る の みな らず 、 国 家 及国 民 の存 在 を 認 め
れ る。彼 等 国 民 間 に芽 生 つ ゝあ る漸 進 的 排 外思 想 は 将来 支 那 に於 け
極 的 に出 でん と し、 日 本 は穏 健 に且消 極 的 の態 度 を持 し、 仏 、伊 は
ざ る程 度 にま で蔑 視 せら れ つ ゝあ つた ので、自 覚 し つ ゝあ る学 生 、
観 測 さ れ て ゐ る。 事実 二十 五 日 の端 午 節 に延 期 し た と謂 ふ のは、 罷
傍 観 し 、 米 国 は 此 の機 会 を利 用 し て飽 く迄 親 米 的 思想 を植 付 け ん と
業 し な く と も当 日は 一般 に休 養 す る 日 であ る 。
企 て、 労 農 は 此 の機 会 を 以 て帝 国 主義 的 の英 国 及 日 本 の支 那 に於 け
已 む を得 ざ る こと で、 吾 人 と 雖 も其 の正 理 た るを 認 む る に吝 か で な
青年 及 識 者 が不平 等 条 約 、領 事 裁 判 権 、租 界 の回 収 を主 張 す る のは
し て呉 れ る な らば 、 日 本全 国 と支 那 全国 と の親善 は当 然招 致 せら
得 已 ざ るも のであ る故 に 、此 の種 の了解 を 以 て 日本 が支那 側 に対
に終 る ので あ る。 要 す る に支 那 の今 回 の運 動 は自 衛 的 であ つて不
らば 、 支那 側 の態 度 は自 ら改 めら れ る。 言 葉 のみ の親善 は無 結 果
る べき であ る から 、 此 の点 を充 分 御 了解 願 ひた い、 と 回 答 し た る
いが 、唯 飽 迄 正 理 の主 張 と 暴動 とを 混 同 し て はな ら な いの であ る 。
に対 し、
此 の点 に関 し 当 地 の主 な る外 字新 聞 も論 述 し、 且支 那 人 の識 者 間 に も 、主 張 と暴 動 と区 別 す る に非ざ れば 、終 局 の目 的 を達 す る能 はず 、
三三
大 正 十 四年 六 月 十 九 日
北 公 情 二五情 第 一号 六 二
を得 んと す る故 に、 国 民 は唯 英 国 に対抗 し他 国 の者 に攻 撃 の矛 を 向
段 執 政 府 は 上海 、漢 口事 件 に対 し て 諸事 民 意 に従 つて最 後 の勝 利
せ て居 る。
六 月 十 九 日附 の執 政府 の機 関 新 聞 であ る北 京 日報 に左 の認 事 を載
上 海事 件 と段執 政 の態 度
北 京 公所 長
て 、 日支 記 者 大会 を開 く こと にす る、 と答 へた 。
四 、支 那 側 は来 る 二十 六 日 支那 側 の記 者 大会 を開 き其 の決 議 を待 つ
部 の大 会 を開 き た い、 と 言 ふ に対 し 、
し て大 い に之 を鞭 捷 し た いか ら、 今 後或 機 会 に於 て 日支 記者 団 全
れ ば なら な い。 吾 々 の意見 及貴 君 等 の意 見 も 充 分 日本 政 府 に通 達
と言 ふ こと を知 つ て居 る が 明白 でな いから 、 之 の調 査 を 待 た なけ
回 の事 件 を起 し た の であ る か らし て、 日本 も 間接 に は責 任 のあ る
三 、 日本 記 者 団 から 、 上 海事 件 は 日本 人 の紡 績 工場 に関 係 し 終 に今
と叫 ん で居 る を見 る。
三二
大 正十 四年 六 月 十九 日
北公 情 二五 第 一号 六 一 北 京 公所 長
上海 事 件 と 日支 両 国 記 者団 の会 合 昨 十 八 日、在 北 京 日本 記 者 団 の代 表 五 名 と民 国 側 の在 北 京 記 者 団 滬案 後 援 会 執 行委 員 の代 表 と 会 見 し懇 談 を 重 ね た。 其 の要 点 を 摘 録
一、 日本 記 者 団 か ら 日支 両 国 は 従来 甚 だ 親善 で あ つた が 、今 回不 幸
すると、
にし て上 海 、漢 口事 件 の問 題 が突 発 し た 。之 に対 し 日 本 の輿 論 は
た る意 見 の交 換 を 為 し誤 解 を 払 ひ度 し 、 と言 ふ に対 し 、
甚 だ同 情 を 表 し て居 る故 に、 此 の機 会 に於 て 日支 記 者 団 が徹 底 し
な く て実 に世 界 人 類 の恥 辱 であ る 。故 に支 那 は 日本 に対 し 攻撃 を
二 、 支 那側 は今 回 の事 件 は吾 々を 以 て見 れば 、 支那 一国 の不幸 で は
為 す のも不 得 已 な い。 三 、若 し 日本 の記 者 団諸 君 が正義 人道 を 根 本 と し て、 支 那 の今 回 の 不幸 な る事 件 に対 し同 情 を 表 示 し、 事 実 上 の援 助を し て呉 れ るな
け て はな ら な いと の理由 で、本 日即 ち 十 九 日中 央 公 園 の上海 事 件 総
片 宣 言書 を発 し 諸 君 を激 励 す る。 ( 後略)
ある が 今 回 の事 件 は 、吾 人 を し て憤 慨 せし む る も の であ る。 茲 に 一
三五
非 常 な苦 し い立場 に ある こと が想 像 され る。 今 天津 方面 より得 た る
交 渉 を円 満 にせ ん と欲 す れ ば 如何 にし て も国 民 の満 足 を得 な い ので、
望 を容 れ ん か、外 交 団 と の交 渉 は到 底 成 立 の望 みな く、 外 交 団 と の
戦 を叫 ぶも のも あ る状 態 で 、段 政 府 の苦 心 は之 等熱 狂 せ る国 民 の希
善 導 宜 し き を得 て形 勢 は 今 や排 英 運 動 に 一変 し 、熱 狂 の余 り対 英 宣
英 排 斥 にあ つた が遂 に排 外運 動 にな つた のであ る が 、幸 に要 路 者 の
す るも のが あ る。 元 来 上海 事 件 の勃 発 せ る当 初 支 那学 生 の目的 は 日
こと にな る ので あ るが 、本 件 に対 し 在 野政 客 の態度 は甚 だ注 目 を要
国 代 表 者 と 支 那代 表 と の交 渉 が破 裂 し 、北 京 に於 て今 後交 渉 さ れ る
上 海 事件 に就 て の状 況 は引 続 き報 告 し て居 る が、 上海 に於 け る六
上海 事 件 と 在 野政 客
大 正 十 四年 六月 二 十 三 日
北 公 情 秘 二 五第 一号 五
北京公所長
本部 に各 団 体 の代表 を集 め、其 の主 張 、 主義 を徹 底 せし む る計 画 で
一、外 交 は如 何 に困 難 たり とも 政府 は決 し て譲 歩 し な い。
あ る 。其 の要 点 は 、
二 、 国 民 は国 際 の大 勢 を知 り唯 英 国 に対 抗 し他 国 に問 題 を惹 起 し て は な ら な い。 而 し て交 渉 の範 囲 を出 来 る丈少 なく せよ 。 三 、 英国 人 が我 が国 人 を死 傷 せし め た る こと は 別 に公 理 公 論 が あ る。 我 が国 人 は決 し て野蛮 の動 作 を 以 て外 に対 し て はな ら な い。斯 く
北 京 公 所長
し て吾 が交 渉 を 有 利 に導 かな くて はな ら な い云 々。
三四
北 公 情 二 五第 一号 六 三 大 正十 四年 六 月 二 十 日 上海 事 件 に対 す る唐 紹 儀 の意 見
上 海事 件 に対 し 唐 紹儀 は意 見 を 発表 し たが 、其 の主 張 点 は 左 の如
(前略 ) 上海 項 件 は 義 和 団事 件 に比較 す べき も ので は な い。 義和
で あ る。
情 報 を綜 合 す る に、 反 政 府 派 政客 の態 度 は 大別 す ると大 体 左 の通 り
く であ る。
の は学 生 の演 説 を 暴 徒 と 看做 し 之 を 殺 し た の で、英 国 人 の行 動 は実
団 は先 づ外 国 人 を殺 し 、 外国 人 は正 当防 衛 を 為 し た ので あ る。 今 回
( 既 に報 告 の梁 啓超 氏 の意 見 と 同 じ) を 発 表 し た が、 此 の 一派 は 即
一、梁 啓 超 、朱 啓 鈞 、 顧 維 鈞 、張 国 淦 は 事件 発 生 と 共 に共 同 宣言
記
罷 業 を実行 す る に あ る のみ で あ つ て、全 国 各 地 一致 し て持 久 的 に経
ち事 件 を法 律 的 に解 決 せ ん とす るも の で、 北京 大 学 系 の如 き政 治 的
に義 和 団 に比較 し 更 に野蛮 極 ま るも ので あ る。 我 が 民国 とし ては唯
め なけ れ ば なら ぬ。 (中 略) 吾 は既 に老 朽 であ る 。 元気 は な い の で
済 断 交 を為 し、 二箇 月 後 、初 め て交渉 を開 く 。 而 し て彼 を屈 伏 せし
且 之等 の多 く の人 々は外 交 の経験 を有 す る 人 で、 主 張 も甚 だ穏 健 で
問 題 (既 報 の通 り) を看 板 と し て国 権 回 復 を企 つ るも ので はな い。
と言 つた そ う で あ る から し て、 政治 野 心 のな いと は謂 へな い が、今
に は策 士 李根 源 が控 へて居 る の で何 う な る か分 らな い。賄 選 議 員 が
三 、黎 元洪 氏 は 表 面政 治 と 縁 を絶 つる旨 を語 り つ ゝあ る が、 裏面
回 の事 件 に対 し て は意 見 を発 表 し て居 らな い。然 し其 の長 男 黎 紹 基
訪 問 し た る際 に、 国 民若 し我 の出廬 を望 めば 最後 の奉 公 を致 さん 、
は天 津 に於 け る今 回 の事件 の急 先 鋒 で あ る南 開 大学 の首領 で あ る こ
あ る が相 手 国 を 英 国 のみ に限 り徹 底 的 に英 国 を叩 き つけ る旨 を豪 語
元 来 此 の 一派 は徐 世昌 系 統 に属 す る親 米 派 であ る が、 或 程度 迄 は段
し 、 日本 に対 し ては努 め て英 国 と協 同 す る こと な きを 力説 し て居 る。
政 府 と協 同 す る方 針 の様 に見 受 け ら れ る が、 機 に乗 じ自 己 の勢 力 の
と に注 意 し な け れば な ら な い。
四、 旧 直 隷 派 の呉毓 麟 、曹鍈 、 王 廷楨 諸 氏 以 外 の者 は多 く他 の地
恢 復 を 図 ら ん とす る も の であ る こと は言 を 俟 た な い。 若 し 日本 と英
て前 述 反 政 府 側 の連 中 と提携 し 、報 復 手段 と し て段政 府 打 破 の運 動
方 に没 落 し て居 る の であ る が 、呉毓 麟 等 は盛 ん に呉佩 孚 の再 起 を企
国 と 協 調 す る なら ば 、 此 の 一派 は 必ず 近 き将 来 に於 て 日英 両国 の態 度 を 批 難 し 遂 に親 米 、 排 日英 に転 ず る こと は明 ら か で あ る から 、彼
三六
大 正 十 四年 六月 二 十 四 日
北 公情 二 五第 一号 六 六
北 京 公 所長
政 と の聯 盟 を打 破 す る に力 を 用 ゐ て居 る様 で あ る。 以 上
に参加 し て居 るが 、彼 等 の最 も狙 ふ所 は張 作 霖 、 馮 玉祥 両 氏 及段 執
等 の態 度 は 大 いに注 目 を要 す る。 二、 前 者 に反 し対 外 よ り 対内 に重 き を為 し、 政 府 の失 敗 を好 機 と し て政 権 奪 取 を夢 見 つ ゝあ る 一派 は呉景 濂 、孫 洪 伊 、黎 元洪 及 旧 直 隷 派 の人 々 であ る。 呉 景濂 は今 回 の事件 に対 し ては 対外 的 に意 見 を
国奴 と極 端 に攻撃 し つゝあ る関 係 から 、 上海 事 件 を 以 て段 氏 一派 の
発 表 し て居 ら な いが、 金 フラ ン案 解 決後 に於 て現 政 府 及張 作 霖 を 売
政権 没 落 の好 機会 と認 め つ ゝあ る李 根 源 、 孫洪 伊 両 氏 と再 三会 合 を 続 け て居 る。 若 し現 政 府 の交 渉 が失 敗 し た な らば 其 の罪 を数 へ上 げ 、
張 を 聞 かず 、 外 国 に媚 て政 治 生命 の延 長 を 図 り つ ゝあ る のみ で あ る
底 的 に排 斥 す るを 急務 な り、 と説 き最 後 に現 政府 は徒 ら に国民 の主
主張 す る所 は、 上海 事 件 を 以 て 日英 両 国 の責任 とし 、 此 の両国 を徹
れ る 。現 に李 根 源 氏 の如 き は 上海 と頻 々往 来 し て居 る。 孫洪 伊 氏 の
意 等 を 可 決 、次 い で少 年義 勇 隊 の提 議 で、 本 二 十 四 日加 入 、未 加 入
交 渉 し て空中 から も 運動 に気 勢 を添 ふ る こと を請 願 し 、大 小旗 の用
自 動 車 隊 を組 織 し、 伝 単 は自 転 車 隊 を 以 て撒 布 す る外 、尚 航 空 署 に
明 二 十 五 日 の大 示 威 運動 に就 て協議 し た が、 其 の結 果 当 日 は救 護 班
上海 事 件後 援 北 京聯 合 会 は 一昨 二 十 二 日も 亦交 大 に大会 を開 いて
北 京 に於 け る端 午 節 総 示 威 運動 の件
から 、 之等 軟 弱 政 府 を倒 さな け れ ば なら な いと謂 つて居 る ので あ る
団 体 の代 表会 を北 大 等 の三院 に開 く ことも 議 決。
同志 を糾 合 し て売国 奴 と し て政府 打 破 の運 動 を開 始 す る様 に想 像 さ
が、 之 は 政府 を倒 さ ん とす る野 心 を有 す る証拠 で あ る。
当 日 の示威 行列 に当 つ て各 団 の叫 ぶ 口号 は、 一、国 民 救 国 二 、収 回 租 界
本 団 は主 任 一名、 副 主 任 四名 を設 け 、検 査 員 内 よ り之 を推
特 別 の事 故 あ ると き は臨 時 人 員 を増 加 す る ことを 得 。 第 五条
検 査順 序
検 査 を受 け た る商 家 は本 団 よ り各 門 前 に検 査 証 を貼 付 せ し
検 査 貨 物 は英 日両 国 を以 て 限 らる 。
第 三章
薦す。
第六条
三 、取 消 不平 等 条 約 四 、打 倒帝 国 主 義 第七条
処
罰
商家 に し て本 団 の検 査 を拒 絶 、或 は 検 査後 裏 面的 に本 団 に
第 四章
第 十 二条
第 十 五条
処罰 の手 続 と 程度 は本 団 全 体 の大 会 の決 議 に総商 会 をし て
本規 定 に違 反 し 当然 処 罰 を 受 く る商 家 にし て処 罰 前 本団 に
本 団 検 査 員 及 正副 主 任 にし て 不正 の行為 あ る者 は 、本 団
議
本 団 の規 則 に不備 の点 あ る と き は検 査員 二名 以 上 の提 議
本 規 定 は議 決 の日 よ り実 行 す。
に依 り開 会 、之 を修 正 す る ことを 得 。
第 十 四条
会
会 議 事 項 は 出席 検 査 員 過 半数 の同 意 を 以 て之 を評 決 す 。
本 団 の会 議 は主任 之 を召 集 す。
第 五章
決 議 に依 り之 を処 罰 す 。
第 十 一条
し て は軽 減或 は之 を免 除 す 。
対 し て改 悛 を声 明 し 、 或 は 調査 を 経 て特 殊 の状 態 にあ るも のに対
第十 条
之 を執 行 せ し む。
第九条
背 く 者 に対 し ては 之 を処 罰 す。
第八条
め 、 本 団 の検 査 済 な る こと を表 示 す。
五、 取 消領 事 裁 判 権
右 の六種 に決定 せ られ た 。大 体 従 前 の口 丹 と同 様 な も の であ る 。
六 、抵 制 仇 貨
三七
北 京公 所 長
大 正十 四年 六 月 二十 四 日
北 公情 二五 第 一号 六 七
京 師 総 商会 の日英 貨 物検 査 団 規 定 当 地総 商 会 に於 て 日英 貨 物検 査 団 が設 け ら れ ま した から、 之 を 飜 訳 報告 致 し ま す 。
綱
京 師 総 商 会 日英 貨 物 検 査 団規 定 総
本 団 は英 日劣 貨 を 抵制 し国 貨 を 提 唱 す る こと を宗 旨 と 為 す 。 第 十 三条
本 団 は京 師 総 商 会 英 日貨 物 検 査 団 と名 付 く 。
第 一章
京 師 の商 家 にし て英 日貨 に関 係 を 有 す る も のは均 し く 本 団
第 一条 第 二条
織
第 六章
第 三条
組
本 団 は検 査 員 二 十 四名 を設 け総 商 会 よ り之 を推 薦 す 。 但 し
第 二章
の検 査 を 受 け、 之 を拒 絶 す る ことを 得ず 。
第 四条
三八 北 京 公所 長
大 正 十 四 年 六月 二十 六 日
北公 情 二 五第 一号 六九
不 平 等 条 約 取消 の請 求
迄 有 効 に継続 す る こと を計 ら な か つた も のであ る が 、今 は 環 境業 に
大 変 化 を 来 し て居 る に、外 人 の享 く る 所 の政 治 経済 の非 常 権 利 は依
然 と し て永 久 に遠 く 存 在 し て居 る 。既 に現 状 に於 て関 係 双 方 の各 種
事 情 に合 せざ る の みな らず 、陳 旧 の条 約 に束 縛 さ る ゝ為 彼 此 互 に不
利 極 ま る処 が あ る上 、 此 の種 不 平 等 の情 状 及 非常 権 利 の存在 は常 に
人 民 怨 望 の原 因 とな り、甚 だ しき は 衝 突 を発 生 以 て中 外 和 好 の友 誼
を 擾 さ ん と し、 最 近 上 海 の事 変 の如 き 不幸 を致 す に至 つた ので あ る。
欧 洲戦 争 の際 協 約 各 国 は曾 て国 際 公法 及 公道 を擁 護 す る主義 を維 持
上 海 事 件 に伴 ひ関 係 六 箇 国委 員 が上 海 に交 渉 不 成 立 に終 り 一同 帰 京 す る と共 に、関 係 国 公 使 は 其 の声 明 書 中 に ﹁若 し 支 那側 に於 て共
る所 あ り と号 召 し 、 且 関係 各 国 も 亦曾 て中 国 を賛 助 し、 国 際 と大 国
し 、当 時中 国 政 府 が参 戦 に加 入 す れ ば 、其 の国際 地位 に対 し 改良 す
同 様 地位 と其 の優 待 を 享受 す る に努 力 せ ん こと を表 示 し た 。然 る に
る に吝 か でな い﹂ と の意 志 表 示 の 一説 が あ つた に対 し 、 民国 側 は更
孰 れ か料 ら ん、 以 後 の中 国 人 民 は竟 に大 いに失望 を為 す 。欧 戦 既 に
同 租 界 の組 織 は 司法 、 行 政 に関 し討 議 す る権 限 を 本 国 政府 に稟 請 す
に範 囲 を拡 張 し て 、 不平等 条約 の改 正 と 大 き く 一昨 二 十 四 日附 を以
国 際 友 誼 の基 礎 は此 の諒 解 及誠 意 に端 頼 す。 茲 に中 外邦 交 の鞏 固
提出 し た の であ るが 、 同会 議 では 此等 の問 題 の重要 な る は認 め るが 、
を 改 正 す る関 係 の問 題 各国 に提 商 し た 。其 の初 め は巴 里媾 和 会 議 に
を 受 け て税 率 を 協 定 し た る を見 ず 、 と。 中 国 政府 も亦 曾 て屡 々条 約
彼 等 の国 に も初 めよ り 未 だ領 事 裁 判 、外 国 租 界 、租 借 地 及外 の強 迫
な く 且某 方面 の論 に就 いて言 へば 、或 は反 つ て戦 敗 の国家 に如 かず 。
勝 し 公 共 の目 的 已 に達 す る も、 而 も中 国本 身 の国際 地位 は毫 も進 歩
て請 求 し て来 た ので ある が 、其 の本 文 を 飜訳 茲 に報 告 す る。 但 し 之 は 北京 外 交 団 の協 調 に隙 間 が あ る を狙 つて の図 に乗 つた 請 求 であ る 、 と見 ら れ て居 る。
を増 進 す るが 為 に、 此 の諒 解誠 意 を促 進 せ む が為 に必要 の問 題 を貴
記
公 使 に提 出 す 。 近来 中 国 の輿 論 及 び外 国 の識 者 は僉 謂 ふ 、中 国 に対
の請 求 を し た が比 較 的 善意 の考 量 を 与 へた の みで未 だ根本 の解 決 に
同 会議 の権 限 外 に在 り と し て之 を議 せず 。 華 府会 議 に中国 も亦 同 様
左
の現 状 及 国 際 公 理平 均 に適 合 す る やう にせ ね ば な ら ぬ、 と 。誠 に此
す る公 道 関 係 各国 の利 益 であ る、 早 く 中 外条 約 の修 正 を 行 ふ て中 国
あ つた 。 最 近執 政 就 任 し中 国 政 府 は再 び華 府 会議 各 国 駐 京代 表 に対
同 意 せず 。結 果 とし て中国 の獲 る所 の実益 は僅 か に寥 々た る も の で
し 、各 友邦 は近 年 来 中 華民 国 政 府 が各 種 国 際 会議 に於 て全 国 人 民 の
等 の条 約 は 惟 ふ に時 を歴 る (こと) 已 に久 し き の みな らず 、 且之 を
希 望 に基 づ き提 出 せ る事件 に対 し 、 友 好 な る考量 を与 へら れ 以 て邦
商 訂 す る の際 往 々特 殊 の情 状 の下 に在 つた 。之 が規 定 を 討論 し中 外
で あ る。 当 時 の意 は 一時 特 殊 時勢 の要 求 に駆 ら れ て以 て今 日 に至 る
間 (に) 永 久 の原 則 とな す に充 分 にし て自 由 な る機 会 が無 か つた の
らず 、 且中 外 の友誼 は必 ず能 く 日を逐 ふ て進 歩 し、彼 此 の利 益 た る
度 消除 す れば 特 に各 国 の権 利 々益 を 更 に良 好 な る保 障 を得 る のみ な
五、 謝 罪 す る こと。
四 、死 傷 者 及労 働 者 、 商 人 、学 生 の損害 賠 償 を なす こと 。
三 、下 手 人 は 停職 の上厳 罰 に処 す る こと。
た る学 校 は速 か に原 状 に恢復 す る こと。
二 、逮 捕 され た る支 那 人 は 全部 釈 放 し 、租 界 内 では封 鎖 及 占領 さ れ
を深 く信 ず る 。貴 国 政 府 が中 国 人民 の正 当 な る願 望 を深 く 思 ひ、中
六、 会 審 衙 門 の回収 。
交 を増 進 せん こと を深 く 希望 し た の であ る 。中 国 政 府 は非 常 権 利 一
国 政府 の公 平 な る主 義 に依 つて条 約 修 正 を提 議 せ る に対 し満 足 な る
﹁此 の原 文 を 之 に 添 へ綴 る。 洋 右 ﹂ と あ り。
工 務 局参 事 会 及 納 税委 員 会 議 に は支 那 人 を も参 加 せ しめ 、
財 産 の名 義 人 が 何 人 た るを 問 はず 、投 票 権 は真 の所 有 者 に
投 票 権 は各 関 係 各 国 と同 一な ら しむ る こと 。
帰 す べ く、 名 義 貸 し 人 の権 利 を認 めず 。
十 二、 支 那 人 は租 界 内 に於 け る言 論 、集 会 及出 版 の自 由 を有 す 。
と。
十 一、 印刷 物 、埠 頭 税 の引揚 げ 及 取 引所 登 録 の三条 例 は 撤廃 す る こ
府 は無 条件 に て 回収 す 。
十 、 工部 局 は租 界 外 道 路 の築 造 を禁 止 す。 但 し既 成 のも のは支 那 政
ロ
九、イ
八、 職 工を 優 待 し、 働 く と 否 と は職 工 の自 由 と し処 罰 す るを得 ず 。
払 ふ こと 。
し た るも のに対 し ては 速 か に復 職 せ し め、 罷業 期 間 中 の賃 銀 を 支
七、 外 人使 用 支那 人 及 船 員 、各 種 工場 の職 工等 にし て同 盟 罷業 を な
答 復 を与 へ、 中 外 の友 誼 を更 に鞏 固 な る基 礎 の上 に立 てん こと を熱 望 し て止 ま ず 。︹編注 、 欄 外 に 原文 は六月二十五日附順天時報 が添 付しあ るも之を省略す︺
三九 北 京公 所 長
大 正十 四年 六 月 二十 七 日
北 公情 二 五第 一号 七〇
上海 事件 に伴 ふ支 那 側 の提 出案 上海 事 件 に伴 ひ在 京 外 交 団 が其 の交 渉 を北 京 で開 き度 いと 申 込 ん だ のに対 し 、 民 国側 は 一昨 二 十 四 日附 を 以 て大 要 左 の如 き照 会 を外
記
た民 国側 の提 出 に幾 分 か の修 正 を加 へた 程度 で あ る。
交 団 に発 し て来 た 。之 は上海 に於 け る 関 係 六箇 国 交 渉委 員 に提出 し
左
上海 事 件 に関 し 中国 委 員 は 上海 に在 つて 十 三条 の条件 を提 出 し 、 公 使 団 の派 遣 せる委 員 と商議 を開 いた が 解決 せず 。 該案 は既 に北京
出 せる条 件 及 本 国 政府 が認 め て条 約 修 正 を 必須 問 題 と なす も のを貴
国 政 府 は 根 本 よ り中 外 の友 誼及 永 久 の平 和 を維 持 せ んと せ ば、 従 前
以 上 の十 三 項 は僅 か に上海 問 題 を解 決 す る局部 の問 題 であ る。 中
十 三、 工 部 局秘 書 長 ローを免 職 す る こと。
公使 ( 伊 ) に提 出 す る。
し て照 会 を 発 せ り。 貴 公 使 は之 を関 係各 国 公使 に伝 達 し速 か に会 議
締 結 せ る所 の不平 等 条 約 に修 正 を 加 ふ べし と為 し、 別 紙 理由 を 詳 述
に於 て弁 理 す る こと に な つた 。依 つ て茲 に中国 委 員 が上海 に於 て提
一、租 界 の非 常 警 戒 を撤 廃 す る こと 。
北 京 公所 長
編注 、欄 外 に ﹁原 文 を 添 を開 き て、 之 を解 決 せ ん こと を 切望 に堪 へず 。 ︹ふ る こ と、 洋 右 ﹂ と 添 書 、 し あ るが 省 略
順天時報添附︺
四〇
大 正十 四年 七 月 一日
北 公情 二 五第 一号 七 三
赤 化 に対 す る外 交 部 の言 明
四 一
大 正 十 四 年 七月 一日
北 公 情 二 五第 一号 の七 四
北京公所長
六月 三十 日 の国 民大 会
昨 六 月 三 十 日 は広 東事 件 に対 し て当 地 に於 て国 民 大 会 が開 かれ た
が、 再 三 の大 会 と 炎熱 の為 に気 勢 甚 だ 上 らず 、集 ま る者 二 、 三千 人
に過 ぎ な か つた が、 今 回始 め て韓 国 代表 柳 〓 石、 国 際 工人 救 済 会 代
表 独 逸 人 リ ン ハト 、 印度 反 帝 国 主義 代表 某 、 日本 労 働者 代表 堀 一郎 、
上海 、 漢 口 の事件 発 生 後 各 国 間 に 民国 が赤 化 し つ ゝあ る と謂 はれ て居 る に対 し、 外交 部 は 左 の様 な電 報 を 駐 外 公使 に発 し 、各 国 政 府
し な いから 赤 化 も民 国 に於 て は決 し て行 は れざ るも ので あ る。 謙 譲
で あ つて如 何 に宣伝 、 誘 引 せ ら れ ても 、 多数 の民 国 人 は 決 し て赤 化
国 の社 会 の組 織 、国 民 の風 俗 、習 慣 は決 し て赤 化 と 両 立 せざ る も の
と は な い の であ る 。 又民 国 数 千年 来 の歴 史 が 明 ら かな る如 く 、我 が
つて仕 事 を経 営 せ ん とす る ので あ る から し て決 し て排 外 す る様 な こ
材 が 不足 し て居 る のであ るか ら 、民 国 政 府 は外 国 人 を 歓 迎 し手 を握
携 し 、其 の援 助 を俟 つて進 ま な け れば な ら ん 。 且現 状 に於 て は尚 人
交 通等 も尚 改 善 す る を要 す る の であ る から し て 、欧 米 各 友邦 と相 提
級 の世 界 た らし め ん こと を 希 望 す る 云 々。
労 働 者 と中 国 の労働 者 とは 永 久 に手 を握 り 、共 に世 界 を し て無 産 階
者 は 内 部 に あ つ て之 を破 壊 せ ん と し て居 るも の であ る。 今 後 日本 の
であ る 。中 国 の国 民 は外 から 日 本帝 国 主 義 を討 ち 毀 し、 日本 の労 働
洋 の民 権 を 圧迫 し つ ゝあ る の で実 に日本 の帝国 主 義 は東 洋 民 族 の敵
露 西 亜 と戦 ひ、 東 亜 の覇 権 と 民 国 の東 三省 に於 て利 権 を得 、 常 に東
主 義 と 謂 ふ も のを ど う し ても 倒 さ な け れば な ら な い。 十年 前 日本 は
土 地 を占 領 し種 々 の不平 等 条 約 を結 ん で居 るから し て、 日本 の帝 国
を 表 す る。 日本 は 帝 国主 義 であ つ て朝 鮮 、 台湾 を侵 略 し 、 又民 国 の
日本 労働 者 二十 万 の代 表 者 と し て 今 回民 国 の国 民 に対 し哀 悼 の意
日本 労 働者 代 表 堀 一郎 の演 説 の大 意 は 左 の通 り で あ る。
台 湾 人 及 土耳 古 人 等 の外 国 人 が 盛 ん に大 会 に於 て演 説 を し た。 前 日
の美 徳 は民 国 人 の総 て が有 す る も の であ る か ら、 外 国 人 に対 し ても
民 国 は面 積 大 にし て物 産 多 く富 源 の開 発 を俟 つて ゐる 工業 、 農 業 、
に言 明す る様 に命 じ た。
甚 だ穏 健 的 態 度 を 以 て居 るか ら し て所 謂 民国 人 の赤 化 、或 は排 外 と
の噂 を信 用 せず 、誤 解 な から ん ことを希 望 す る云 々。
言 ふ様 な こと は決 し て無 い ので あ る から し て、 各 友胞 は軽 薄 に之等
四二 北 公情 二 五第 一号 七 七 大 正 十 四年 七 月 五 日
北 京 公所 長
上海 事 件 と外交 部 に関 す る件 上海 問 題 に関 し 一咋 日外 交委 員 会 委 員 が閣 議 に於 て討 論 し た る結 果 大 体 に於 て 左 の通 り議 定 され た か ら茲 に御 通 知致 しま す 。 記 一、滬 案 の先決 条 件 (大体 十 三箇 条 の条 件 ) は 外交 部 より 直 接 六国 公 使 団 に交 渉 す る こと。
た り 。
四三 北 公 情 二 五第 一号 八 〇
北京 公 所 長
対支 条 約 改 正 と 各 国 の態 度
大 正 十 四年 七月 十 日
不 平 等条 約 改 正 の件 に関 し本 日 (七月 十 日) の執 政 府 の機 関 新 聞
で あ る北 京 日報 及 フア ー ・イ ー スタ ー ン ・タイ ム ス等 に左 の記 事 を
載 せ て居 る か ら、 其 の要 領 を摘 訳 報 告 す る。 記
公使 よ り引 続 き外 交 部 に 回答 が来 た。 其 の報 告 に依 る各 国 の態 度 は
中 を探 る べく命 令 し た こ と は既 報 の通 り で あ る が、之 に対 し駐 外 各
民国 政 府 は 不平 等 条 約 改 正 に関 し駐 外各 公 使 に電報 し 、 各国 の意
三 、 外交 団 が 上海 事 件 の先決 条 件 を 承認 し た る後 上海 会 審 裁 判 所 及
大 体 左 の通 り で あ る 。
二、 外交 委 員 は前 項 交渉 の善 後 及 不平 等 の改 約 事務 を弁 理 す る こと。
に依 り 十 三条 を 二問 題 に分 離 せし む 。
米 国 政 府 は不 平等 条 約 改 正 に就 き、 米国 人 が元来 安 楽
決 条件 を 外交 部 より 直接 公 使 団 に交 渉 す る こと に改 め、執 政 よ り
其 の願 出 を保 留 し て将 来 外 交 部 よ り執 政 に上 申 し て 上海 事 件 の先
た が其 の時 に諒 解 を 遂ぐ るを得 ず 。 漸 く 一週間 後 に於 て初 め て米 国
矢張 り此 の赤 化 云 々に質問 し た。 それ で施 公使 は極力 答 弁 し て置 い
卿 と面 会 し 、 不平 等 条 約 改 正 に就 き其 の賛 助 を乞 ふた際 に国務 卿 は
件 が 発生 し た と き に於 て外 間 に於 て、 支 那 が赤 化 し た 、 と謂 は れ て ︹ 肇基︺ ゐ る ので米 国 政府 は之 を 非 常 に苦 に悩 ん で居 る。施 公 使 が米国 国 務
の生 活 をし て居 る ので平 素 最 も 過激 主 義 を嫌 つて居 る。 今 回 上海 事
一、米 国
上 海 工務 局 の組 織 改 正 の問 題 を 解決 す る こと 。 即 ち外 交 団 の提議
条 約 の責 任 は顔 恵 慶 、 王正 延 、蔡 廷幹 の委 員 に之 を負 はし む 。
四、 第 三 項 の解 決 の後 は法 を設 け て 不平 等 条 約 の改修 を促 進 せし む。
の指 令 を待 つ ことと す 。
政府 から 正 式 の回答 を し た。 夫 れ に依 ると 、米 国 政府 は中 国 の此 の
五、 顔恵 慶 、 王正 廷 、蔡 廷幹 に関 す る委 員 の命 令 を曩 に辞 し たる が 、
が、 上海 問題 の大 体 を 外交 部 にて直 接 交 渉 し 不平 等 条 約 改 修 の交
種 の要 求 に対 し 正当 と認 め るか ら甚 だ賛 成 はす る。然 し条 約 改 正 の
註 訳 、顔 、王 、 蔡委 員 は曩 に重任 す る 理由 に て辞 表 を提 出 し た る
渉 のみ に当 ら しむ る ことと し て、右 三委 員 は就任 す る こと と な り
こと は華 府 会議 と関 係 が あ る の で、 米 国 政府 が他 の関 係国 と諒 解 を
成 は し て居 る様 であ る が、 華盛 頓 会 議 関 係 各国 と充 分 に打 合 せ し た
と るべ き で あ ると謂 つて ゐ る。大 勢 に於 て日本 政 府 は条 約 改 正 に賛
英 国 政府 は本 件 に関 し 口 ではし よう と謂 つて ゐ るが 、
う 云 々。
大 正十 四年 七 月 十 一日
北 公情 二 五第 一号 八 一 北 京公 所 長
四四
る 後 相当 の時 機 に於 て、 条 約 改 正 に積 極 的 に賛 助 す る様 にな る だ ら
逐げ な い以 前 に意 志 の表 示 をす る こと は 甚 だ 不便 だ 云 々。 同 時 に米 国議 会 の外 交委 員 会 は我 国 の条約 改 正 の提案 に対 し、第 二華 府 会 議 を招 集 す る ことを 主 張 し た為 に、 国 務 卿 は 去 る 五 日英 、 仏 、 白 、 日 の自 国 公 使 に対 し各 国 政 府 と折 衝 す る様 に命 令 を発 し た 。 之 を以 て観 れば 米 国 は条 約 改 正 に対 し 非常 に賛 成 し て 居 る様 に観 察
二ヽ英 国
され る 云 々。
実 際 は 反 対 し て居 る様 で あ る。 現 在 英国 政 府 は極 力米 国 に運 動 し て
律 が 設定 せ られ 、各 国 の外 債 が 償 還 さ れ、 借 款 の抵 当 其 の他 の監督
む と し て ゐ る。 即 ち英 国 の意 思 は 合法 政 府 が設 立 せ ら れ完 全 な る法
新 聞 に依 ると 、仏 国 公使 は 左 の如 き 声 明書 を出 し 、其 の代 表委 員 を
た ことは 昨 日報告 し た通 り で あ る が、 本 日 (七 月 十 一日) の当 地各
上 海 事 件 交 渉 の外 交 団 代表 とし て米 、 仏 、伊 三 国公 使 が任 ぜ ら れ
上 海 事 件 と仏 国 公 使 の代 表 委 員 辞 任
が完 全 に な つた 場合 に於 て大 体条 約改 正 に賛 成 し て も よ い、 と謂 ふ
辞任した。
関 税 会議 を 以 て国 際会 議 を開 かむ と企 て 以 て条 約改 正 の対 策 を 計 ら
か ら で あ る。
記
上 海 工 部 局委 員 会 の権 限 問 題 に関 し 工務 局 と 外交 団 と の地位 の関
左
を発 表 し て居 ら な い。 仏蘭 西 の国 務 総 理 は陳 公使 に対 し 、事 件 が甚
係 に於 て 、其 の解 釈 上衝 突 を発 生 す る虞 が ある 。公 使 団 側 に於 ては
仏 、白 両国 の本 件 に対 す る意 見 は現 在 ま で態 度
だ重 大 であ る か ら個 人 と し て は主 意 に賛 成 す る が慎 重 に考 慮 を要 す
委 員 会 の権 力 は単 に行政 的 の性 質 のも ので、 公 共事 業 を 司 る権 力 あ
三、 仏 ・白 両国
る。 白 耳義 政府 は各 国 と協 商 の上何 分 の回答 をす ると 謂 ふ態 度 で両
が、 日支 間 の感 情 は三 十 一ケ条 々約 の訂 立 以来 既 に親善 の余 地 がな
上 は 僅 か に納 税 選 挙 人 に責 任 を負 ふ て居 る のみ で あ る。仏 蘭 西 公 使
会 側 は 該会 の名 義 上 、各 国 政 府 の直 轄 と解 釈 し て居 る。而 し て実 際
あ るが 、内 面北 京 に於 け る各 国 公 使 の直 轄 であ る。 但 し 工 部局 委 員
故 に共 同租 界 の実 力 の所 在 地 は 各 国 の上海 駐在 領 事 が有 す る の で
る の みで 、之 は全 く 上海 駐 在 各 国 領 事 の関 係 す る も の であ る。
い。 然 る に巴 里及 華 盛頓 会 義 の結 果 有 名無 実 に近 く な つて終 つた の
は 右 の解釈 と異 な り 、共 同 租 界 を 離 れ自 国 の租界 に対 し最 高 の権 力
日本 政 府 は本 件 に関 し多 数 の人 は均 し く 賛 成 し て居 る
であ るか ら 、此 の時 機 に乗 じ、 此 の有 名無 実 の 二十 一箇 条 を 取 消 し
四、 日 本
国 共 曖 昧 であ る。
以 て日 支 の交 際 を 回 復 し 、而 し て 日本 政府 の対 支 外交 は協 調 政 策 を
を有 し て居 る故 に、 此 の種 の解 釈 が決 定 せら れ な い以前 に於 て 、支 那 側 と交 渉 を進 め る と 言 ふ こと は無 用 のこ と であ る 云 々。 更 に各 新 聞 は仏 国 公使 の右 声 明書 と其 の事 件 に対 し 一様 に左 の如
記
報 及北 京 日報 の掲 載 し て居 る処 に依 ると 左 の四点 であ る。 左
で あ る から 、英 国 政 府 自身 全 責 任 を 負 は な けれ ば な らな い。
一、各 市 に発 生 す る処 の事件 は殆 ど 英 国 人 のみ が支 那 人を 殺 し た の
仏 蘭 西 公 使 辞 職 の原 因 は、 仏国 公 使 館 より 派遣 し た る シ ピイ エ書
く 解釈 し て居 る。
一日 の事件 も総 べ て英 国 人 で ある か ら、 我 が民国 は先 づ英 国 と 単
英商福公司経営 の河南省 に於ける焦作炭坑罷業 に関 し、当地に於
英商福公 司経 営炭坑罷業 の件
大正十四年七月十六 日 北京公所長
北公情 二五第二号 の三七
四六
ら事 件 が我 々 に有 利 で あ る云 々。
四、英 国 と単 独 交 渉 す る と せば 敵 手 を減 じ 、 唯 一つを 目的 とす る か
単 独交 渉 す べき で あ る 、と 言 ふ こと を言 つ て居 る。
三、 仏国 公使 の交 渉委 員 事件 の声 明書 の中 に明 ら か に民国 は英 国 と
独 交 渉 し、 然 る後 他 の各国 と交 渉 す べ き で ある 。
二 、上 海 工部 局 は事 実 上 英国 人 の権 力 内 にあ り且 五 月 三十 日 及六 月
であ ると 解 釈 し た る に対 し 、英 国 公 使 は 甚 だ 不満 で ある 、故 に仏 国
記官 の上海 に於 け る調 査 の結 果 上海 に於 け る英国 巡 捕 の行為 が 不法
公使 は断 然 辞 職 し て内 輪 揉 め の衝 突 を 避 く る ので あ る云 々。 本 事 件 に関 し本 日 (七 月 十 一日) 京 報 は新 任米 公 使 は英 公 使 の意 見 に賛 成 し極 力其 の主 張 を支 持 し て居 る ので 、上 海 事件 の交 渉 委 員 た る米 、 仏 、伊 三国 公 使 の内 仏 、 米 と が反 対 し僅 か に伊 太 利 公 使 の み孤 立 と な つて居 る。斯 の如 き状 態 では到 底 交 渉 等 と言 ふ こと は 六 ケ敷 い ので北 京 の公 使 団 と言 ふも のは遂 に英 、 米 二国 の強 硬 派 と仏 、 伊 、 日 、白 四国 の穏健 派 と 二派 と に分 か れ、 其 の前 途 は暗 澹 であ る 。
四五
大正十四年 七月十 三日
北公情 二五第 一号八二 北京公所長
ことは既報 の通 りなるが、最 近支那側 の在野外交家は政府 に対し、
上海事件 の北京公使団交渉委員 であ る仏国 公使 が代表を辞任し た
各商店 々主及附 近各村落 の青年参集す るも の二千名に及 び、尚開封、
場 に対外大会 を開 いた。公司使用支那人を始 め焦作各小学校生徒、
であるが極めて良く秩序保たれ、翌七日午後 二時福 公司西側 の大広
焦作炭坑支那 人職工、工夫 は本月六日罷 工の皮切りを断行したの
て発行 せらる ゝ新聞 に左 の通り の記事を載せて居 る。
英国と単独交渉 をした方が良 いと建議し、政府 は目下之に対 し研究
鄭州等 の学生 が参加し て大会 の牛耳を執 つた。対日英排斥 の大演説
上海事件 と英国単独交渉説
中 である、と のことである。其 の単独交渉提議 の理由 とし て順天時
イ、 阿媽 、厨 子 等 は此 の日 から 陸続 と 罷 工を始 め 、構 内 の排 水 事 業
後 市 街 の示威 行 列 が試 みら れた ことも 型 の如 く で 、英 人 使 用 のボ ー
人 は全 くな く 、構 内 の水 は溝 外 に溢 れ出 て居 る状 態 で甚 だ危 険 であ
又 他方 面 から 聞 く所 に依 ると 、福 公 司 の罷 工以 来 炭礦 は監 理 す る
哈爾 賓 事 務 所 長
る 、 と の こと であ る。
つた 英 人 の婦 人 及 子 供 は 八 日焦 作 を引 き 払 つて北 京 に避 難 し 、僅 か
四八 秘
曩 に露 国職 業 同盟 は 上海 事 件 の勃 発 す る や、直 ち に数 万金 留 を 罷
にす ぎ ぬ ので あ る。
働 者 の自 由結 社 た る他 国 のも のと 異 な り、 全 く 共産 党 政 府 の 一機 関
は何 時 も 全露 職 業 同 盟 を 表 面 に立 て ゝ居 る が、 露 国 の職 業 同 盟 は労
のは当 然 であ る 。而 て露 国 政 府 は此 の種 外国 に於 け る宣 伝 、 援 助 に
(即第 三 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル)職 業 同 盟 の勢 力 下 に包括 せ んと す る
労働 運動 を自 国 流 に指 導 、 組 織 し 、 モ ス コウ に中 心を 置 く 万国 赤 色
露 国 政府 が今 回 の支 那排 外 運 動 に伴 れ て 一段 の覚 醒 を来 し た支 那
露 国 職 業 同盟 の支 那罷 業 援 助
大 正 十 四年 七月 三十 五 日
哈 調 情 第 三 〇 三号
も 遂 に中 絶 した 為 、 構内 は満 水 の状 態 と な り形 勢 漸 く危 険 と 見 て取
に公 司 に関 係 深 い英 人男 子 が踏 み留 ま つて善 後 策 を講 じ た。 支 那 人 技 師 十数 名 は操 業 を 希望 し盛 ん に罷 工 々夫 を説 得 し て廻 つた が遂 に 効果 なく 、 尚 一方各 商 店 も 英 人 に対 し て食 物 品 の供 給 を断 ち、 其 の 退去 を促 し た ので英 人も 万 策 尽 き、 茲 に 一時 北 京 に逃 れ て善 後 策 を
は十 分 守 護 し て居 た、 と 。
北 京 公所 長
講 ず る こと と な つた次 第 であ る が、 支那 警 察 は 英 人 の危 険 に関 し て
四七 北 公 情 二 五第 二号 の三 八
焦 作 炭 礦 罷 工 の件
大 正 十 四年 七月 二十 日
北 公情 二五 第 二号 の三 七 を 以 て英 商福 公 司 が、 河 南 省 の焦 作 に経 営 し て居 る炭 礦 従事 員 の罷 業 の件 を報告 し て置 い たが 、本 日 の当 地
に乏 し い今 日更 に七 月 五 日附 で ﹁広東 に於 け る帝 国 主 義 の犠 牲 者 に
業 本部 に送 つた (哈 調情 第 一七 〇 号)。 上 海 、広 東 地 方 の罷 業 資 金
罷 業本 部 なり 広東 革 命 政 府 の手 に入 る であ らう 。 更 に露 国 職 業 同盟
ラウ ダ紙 報 )。送 金 先 は明 記 し てな いが、 駐支 露 国 代 表 の手 を 経 て
対 す る物 質 的 援 助 の必要 を認 め五 万金 留 を 電送 した ﹂ (七 月 五 日 プ
左 の如 き電報 を発 し た。 河南 省 の焦 作炭 礦 の罷 工 以 来状 況 は極 め て
外 交 界 の消息 に依 ると 、外 交 総 長 は昨 日英 国 駐 在 代 理公 使 に対 し、
に て発 行 され る漢 字 新 聞 には 、其 の件 に関 し左 の記 事 を載 せ て居 る。
し め て居 る が、 早 晩 解 決 の見 込 み が附 いた 。 其 の事 を英 国 政府 に伝
無 事 で、 現在 自 分 の方 か ら河 南 省 交渉 員 林 実 に対 し 労働 者 と折 衝 せ
であ り、 団 長 の レプ セ の如 き は 全露 中 央執 行 委 員 会議 員 であ ると言
は レプ セ、 プ リ スピ ン及 ス ム ーグ リ ン (三名 は夫 々同同 盟 の有力 者
へてく れ 云 々。
北 京 に向 つた。 一行 の目 的 は中村 事 務 官 の報 に依 る と ﹁全 支 那職 業
ふ) を 使 節 と し て支 那 に派 遣 し た 。 一行 は既 に去 る 二十 日当 地 通 過
者 を職 業 同 盟 に加盟 せ しむ る た め其 の宣伝 を忘 れ て はな ら ぬ。
職業 同 盟 と密 接 な る関 係 を 保 持 し て行 く こと であ る 。支 那 の全 労働
く の政策 中 此 の際 最 も 重大 な 根本 問 題 は、第 三 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル
支 那 今 次 の騒 擾 は全 然 ソヴ エー ト政 府 の操縦 す る所 な る が 、其 の成
が 小職 に語 る処 に依 れば 、 スタ ー リ ンは 最 も開 放 的 に同 氏 に対 し て、
﹁ 支 那無 産 階 級 に檄 す﹂ と 題 し た る宣 伝 文 を各 方 面 に配 布 し たと 言 ︹ 勝治︺ ふ 。尚 二十 四 日 モ ス コーよ り 当 地通 過 北 京 に向 へる大 毎 記 者布 施 氏
又中 村 事 務 官 の報 に よ ると最 近 モス コー の赤 色 万 国 職 業 同 盟 は
国 の資 本 階 級 、 或 は 支 那資 本 家 に依 て圧 迫 虐使 され な け れ ば なら ぬ
こと は 希 望 せ ら れ ぬ こと で あ る。 而 し て支 那 労働 者 諸 君 は永 遠 に外
は、 支 那 に実 現 さ る ゝ こと は困 難 であ る。 亦 人間 らし き労 銀 を得 る
君 よ、 若 し 支 那職 業 同 盟 の基 礎 が固 ま らざ る に於 て は八時 間 労働 制
故 に、 諸 君 等 は 此 の運 動 を等 閑 に附 し て は なら ぬ。 金 支 那 労働 者 諸
未 だ尠 なき も 、 本年 の大 な る経 験 に基 づ き支 那 の車 命 的 国 民 運動 を
千 九 百 五 年 及 千九 百 十 七年 露 国 革 命 の経 験 に比 し諸 君 等 の経験 は
同盟 聯 合 よ り の招 き に応 じ 、 同職 業 同 盟 の事業 を実 施 す る﹂ に あ る
績 は予 想 外 に良好 な りし は最 も愉 快 に堪 へざ る処 な り 。英 国 の資 本
ので あ る。 支 那 労働 者 諸 君 よ、 起 て 、数 千 の集 団 をな し て職 業 同 盟
と。
的 帝 国 主 義 を 打破 す る には 先 づ以 て英領 殖 民地 其 の他在 外 勢 力 を 駆
に加 入 せ よ 。
四九
大 正 十 四年 八 月 七 日
北 公情 二五 第 二 号 の三九
北京公所長
赤 色 万 国 職 業組 合 同 盟 中 央執 行 部
向 上 進 歩 せ し め 、且 未 だ若 き支 那 職 業 同盟 の発達 を為 す も のな る が
ソヴ エート 当 局 は今 後 支 那 に於 て大 規模 に此 の種 運 動 に従事 す るも
逐 す るを 捷 径 と なす 云 々、 と語 れ る由 にて 、布 施 氏 の感 想 に依 れ ば、
のと 推 測 せ ら る と の事 な り。 支 那労 働 者 よ (中村 事 務 官 訳文 ) 世 界 の帝国 主 義 者 に対す る貴 下等 の困 難 なる 戦 ひ は継 続 され て居
放 せ ん が為 に、 亦 世界 の資 本 階級 を倒 さ んが 為 に共 同 し て居 る。 若
る。多 く の労 働 者 は 此 の虐 使 者 と の戦 ひ に起 ち 、 四億 の労 農 民 を解
き支 那 の労 働 階 級 は よ り以 上 新 た な る職 業 同 盟 に依 て団 結 せ ら れ、
極 東 の革 命 運 動 は忍 耐 とか努 力 と によ り て後 其 の目 的 は達 せ られ 、 帝
同盟 に加 盟 し 、極 東 に於 け る革 命 運 動 の闘 士 と化 し た の であ る。 唯
日 よ り 民国 人 八 十 余 名 は罷 工 す る ことと な り 、昨 日 午前 北 京 大 学 に
部 は上 海 問題 に関 連 し て英 人 の横 暴 に憤 慨 し 、 二咋 夜 決議 の上咋 六
本 日 の当 地各 漢 字 新 聞 に依 ると 、英 国 公 使 館 に勤 務 す る 民国 人全
北 京英 国 公使 館 の民国 人罷 工 に関 す る件
国 主 義 者 に圧迫 せら れ た数 百 万 の支 那労 働 者 は指 導者 の下 に団 結 し
於 て緊 急 会 議 を 開 き 今後 の弁 法 に就 て協 議 し た りと 言 ふ。
本 年 三 月 一日職 業 同盟 第 二会議 の決 議 に基 づ き、 赤 色 万 国職 業 組 合
て初 め て解 放 の目 的 は達 せら る ゝも ので、 此 の運 動 の基 礎 と な る多
五〇
北公 情 二五 第 二号 の四 〇 大 正 十 四年 八 月十 三 日
北 京 公 所長
に関 し 目下 所 員 伊 藤 武 雄 を 派 遣 調 査 せ しめ て居 る が、 新聞 紙 の伝 ふ
る所 に依 ると 、 其 の被 害 は 頗 る大 で暴 徒 の勢 ひ当 るべ か らざ るも の
あり 、取 締 の為 出 動 せ る警 察 隊 も手 が着 け ら れず 、 一時 は大 混 乱 を
呈 し た と のこと であ る 。 此 の原 因 に就 ては種 々説 も あ る が、 本 日 の
は天 津 から増 兵 せら れ た る 一中 隊 の兵 力 に依 り て 、公 使 館 周 囲 を警
の三 九 を 以 て報 告 し て置 いた が、其 の後 益 危 険性 を帯 び昨 日 の如 き
当 地 の英 国 公使 館 の支 那 人 が罷 工 し た に就 ては 北 公情 二五 第 二号
労 働者 の待 遇 に於 て他 工場 に比 し て遙 か に優 つて居 り 、最 近宝 成 紡
指 嗾 し て惹 起 し た 暴動 で あ る。 其 の証拠 に は裕 大紡 績 は設 備 に於 て、
然 た る労 働 争 議 では なく 、 労 働 運 動 の喰 ひ詰 め連 中 が 不平 労 働 者 を
者 の大検 挙 に依 り 一段 落 を告 げ た様 子 であ る。 元 来 今 次 の騒 擾 は 純
昨夜 天津 電 話 に依 る と、 裕 大 紡績 の騒 擾 事件 は首 魁 者 及騒 擾 労 働
記
北 京新 聞 の左 の記 事 は 一番真 相 を穿 つてゐ る様 であ る。
戒 し て居 る。 元 来 本 罷 工 は最 初 不良 分 子 と し て 四十 名 許 り を首 切 り、
績 の騒 ぎ に連 れ て多 少 動 揺 の色 を見 せ て居 た が 、罷 業 等 の挙 に出 る
英 国 公使 館 の支 那 人罷 工 の件
其 の代 り を傭 ひ入 れ た際 に学 生 に変 装 し て ボ ーイ に住 込 み 、内 部 に
迄 には尚 相 当 の距 離 が あ つ た の であ る が、 突 然 十 一日 の夜 の暴動 と
な り 、暴 徒 は巡 警 隊 の警 戒 線 を突 破 し 工廠 内 に押 入 つて、機 械 其 の
日前 には無 線 電 信 を も破 壊 し 様 とし た が、 公使 館 側 で予 知 し警 戒 し
他 を破 壊 し た が、 形勢 が斯 く 急 遽 悪 化 し た原 因 は 、十 日夜 に於 け る
於 て掻 廻 し煽 て上 げ て終 に罷 工 と謂 ふ こと に な つた の であ る が、 数
た ので終 に事 な き を得 た。 本 件 に就 て英 国 の代 理 公 使 は 厳 重 な る抗
一昨夜 (十 一日)天津裕大紡績 工場 に職 工及学生 の暴動起 り、同
の被 害 であ る 。其 の後 警 察庁 及 保安 隊 の手 に逮 捕 さ れ た者 は 、 知識
者 が不 平 労 働者 等 を糾 合 し て決 行 し た のが即 ち 十 一日夜 の裕 大 紡績
行 掛 け の駄 賃 に 工廠 を 襲 撃 し よ う と企 てる も のあり 、後 者 に属 す る
か ら大 検 挙 に着 手 した が中 には 風 を喰 つて逃 げ たも のあり 、 中 には
ゐ た。 之 を 耳 に し た李 景 林 氏 は 直 ち に警 察庁 に密 命 を 下 し、 十 日 夜
来 津 、 広 東 会 館其 の他 河 北 の旅 館 に陣 取 つて頻 り に画 策 を廻 らし て
安 会 の尻 押 し で天津 に於 け る 各 紡績 工廠 を襲 ふ陰 謀 を 秘 め、 過 般 来
方 面 か ら来 た連 中 で、 其 の首 魁 は辛 朴 田其 の他 で、 各 界聯 合 会 及 済
煽 動者 一味 の大検 挙 に萌 し て ゐ る。煽 動 者 と 謂 ふ のは主 と し て上 海
議 を外 交 部 にし てゐ る が、 今 後 の成 行 き は想 像 し得 られ な い。
五 一
北公情 二五第 二号四 一 北京公所長 大正十 四年八月十 三日
工場 の窓硝子及機械類等滅茶 々々に破壊 され、勤務中 の邦 人社員及
天津裕大紡績 工場暴動 の件
工場員 は暴動 に襲 はれ身を以て日本租界 に逃 れた事実がある。本件
調 中 であ る と謂 ふが 、李 景 林 督弁 は少 な く と も 二十 名 の首魁 者 は金
階 級 に属 す る所 謂 首魁 者 が約 二 十名 、 労 働 者約 四百 名 、 目 下厳 重取
売 捌 く のみ で あ る から 、各 道 路 上 のポ スト内 には郵 便 物 が充 満 し て
北 停 車 場 、 八仙 橋 等 の三分 局 が未 だ参 加 せな い。郵 政 局 は皆 郵 票 を
停 止 し 、 其 の他 の分 局 も之 に呼 応 し て 一律 に停業 し た。 唯 南京 路 、
より 昨 十 七 日朝 迄 四川 路総 局各 部 弁 理 員 は宣 言 の主 旨 に従 ひ業 務 を
付 け る のみ で 一つも 発出 せな い。各 局 の支 那南 京 路 天 主街 、 公 館 馬
長 監 視 の下 に在 り て未 だ集 会 に参 せず 平 常 通 り受 付 け て ゐ る が、 受
業 し 、各 郵 差 は陸 続総 局 に集 会 し た 。唯 郵 務 生、 郵 差 、揀 信 生 は局
ゐる 。各 分局 の情 況 は ( 合 計 三 二)昨 十 七 日午前 六 時 よ り完 金 に罷
部銃 殺 し て後 患 を絶 ち た い、 と豪 語 し て ゐる そう で、或 は青 島 に於
上 海 事務 所 長
五二
け る と同 様 の銃 殺沙 汰 を 惹 起 す る かも 知 れ な い と観 測 さ れ ると 。
上事 情 第 三 八 号
郵 政 局 此 次 罷業 の参 加者 は郵 務 生 、郵 差 、 聴 差 、 苦力 、 揀 信 生 五
生 二十 五両 、 聴差 二十 両 ) 西洋 人郵 務 長 と支 那 人 郵務 長 と 磋 商 の結
式 要求 し た が、 其 の内 第 二条 の俸 給 問 題 は (郵 務 生 三 十五 両 、揀 信
であ る。 条 件 の磋商 す る 工会 提 出 の七条 件 を昨 十 七 日郵 政 局 長 に正
路 、閘 北 等 の如 き 、扉 を堅 く 閉 鎖 し て寂 然 と し て声 な し と言 ふ有 様
部 の全 員 にし て其 の数 は約 一千余 人 で あ る。 聞 く所 に依 れば 、数 月
上 海 郵 政局 罷 業 に関 す る件
大 正十 四年 八 月十 八 日
前 より 已 に罷 業 の〓 醸 あ り、 各 部 の密 商 数 次 を経 て 今 日 に至 り始 め
両 、聴 差 二十 元 に増 加 す る こと を発 表 し た が当 時 工会 は未 だ 要求 し
た 目的 に達 せ ざ る を以 て承認 せず 、 代表 を派 し て 一切 の苦 衷 を声 明 。
果 、午 后 一時 に至 り て該 局 の三階 に於 て郵 務 生 三 十両 、揀 信 生 二十
を 代 表 す る権 、 二 、俸 給 増 加 、三 、作 業 時 間 の短 縮 、 四 、 其 の他 不
之 に対 し て局長 は北 京 当 局 に電 請 す るか ら条 件 の修 正 をな す べ し と
て実 現 し た も のであ る 。罷 業 の主 目的 は一 、 郵務 工会 の組 織 及全 体
平 等 の待 遇 取 消 等 で あ る。 郵 政 局 の内 情 に就 き 一局 員 の語 る所 に依
開 き 、罷 業 委 員 長 よ り 一切 の状 況 を報 告 し 、 継 い で各 人意 を発 表 し
た。 午 后 二時 に至 つ て本 局及 分 局 の罷 業 者 は該 局楼 上 に於 て大 会 を
握 に係 る。 又 郵 務員 、 郵 務 生 と の受 く る所 の待 遇 は 著 し く高 下 の分
目 的 を達 す る迄 は徹底 的 堅 持 し て復業 せざ る こと に決 し た。 之 より
答 へた る 為群 衆 憤 懣 し 局 長 も亦 之 が為 態度 一変 し て解 決 困難 と な つ
あ り 、其 の任 務 と其 の責 任 と程 度 と は 殆 ど相 違 が な い。 且其 の資 絡
先 昨 十 七 日午 前 十 時頃 私 服 の探 偵該 局弁 事 室 に闖 入 、 罷業 原 因 を 探
れ ば 、該 局 は郵 務 生 以 上 の各位 置 は均 し く 外 人 を使 用 し 其 の俸 給 は、
も皆 中 学 卒 業 程度 、 而 し て其 の得 る 所 の月 給 は郵 務 員 四十 五両 、 郵
査 せ ん と し た る所 、 一局員 は 此 次 の罷 業 は外 部 と関 係 な き に より 退
支 那 人 に比 較 し て数 十 倍 の差 額 であ る 。 且 重要 な る権 は皆 外 人 の掌
務 生 は只 の二 十 八元 であ る。 以 上 の如 き不 平 等 の制度 あ る に因 つて
出 さ れ た し と要 求 し た る も肯 ぜ ず遂 に群 衆 と 衝突 し 発 砲 す る に至 り 、
門衛 及 他 一人 を 傷 く る に至 つた 。従 て本 問 題 は今 尚 係争 中 であ る 。
改 革 要 求 の罷業 に出 でた のであ る と。 罷 業 の情 況 は該 員等 が 一昨 十 六 日 工会 を組 織 し、 宣 言 を 発 表 し て
上事 情 第 四〇号
憲 、 領 事 に呈報 す る も のとす 。
日 華 両商 業 会 議所 代表 調 印 、履 行 を保 証 し 、 双方 より本 契 約 書 を官 五三
調 印 を 終了 し 、午 后 八時 漸 く 交渉 を終 つた が 、 そ れと 同時 に中 華海
員 工 会 は、 鎮 江 、南 京 、 蕪 湖 、安 慶 、九 江 、漢 口、 長 沙 、沙 市 、常
以 上 に て米 里 氏 は 上海 日本 商業 会 議 所 代 表 の名 を以 て茲 に正 式 の 上海 事 務 所長
学 生 会 、海 員 工会等 に対 し て、次 の如 き 電報 を発 し て 日本 人関 係 罷
フ ー、 天津 、 牛荘 、大 連 、 安 東 、台 湾 等 各 地 の各 新 聞 社 、総 商会 、
徳 、 宜昌 、 万 慶 、 重慶 、 寧 波 、福 州 、 厘 門 、汕 頭 、 広東 、青 島 、 チ
総 罷 業 日 数実 に 七十 余 日 の久 し き に亘 つた当 地 海 員罷 業 事 件 も 、
日本 側海 員 罷 業 解 決 の件
大 正 十 四 年 八 月 二十 二 日
そ の交 渉 漸 く宜 し きを 得 て 日本 船 乗 組 船 員 の罷 業 のみ 円満 解 決 を得
業 事件 の円満 解決 を報 告 し 更 に相 互 の親 善提 携 に語 を 及 ぼし た 。
工 、翼 得 相 当 之解 決 、 今 該 案 已得 双方 諒 解、 和 平 解決 、紗廠 工 人
日紗 廠 案 発 生已 久 、 迄 未 解決 、 海 員 為 表同 情 起 見 、故 亦 堅持 罷
た顛 末 は 前 報 の如 く であ る が、 昨 日更 に海 員 側 に於 て正式 の調 印 を
林 氏 は日 清 汽船 会 社 を 訪 問 し、 保 証 人 と し て李 徴 五 が立 会 し 、 又調
兄弟 之邦 、 従 此嫌 疑 尽 消 、 和好 如 初 、 特電 奉 聞 、請 希 亮 泰 。
行 将 復 工、 海員 亦 定 即 日 下船 、各 服 各 務 、開 駛 各 地 、中 国 日本 為
求 む ると ころ あ り、 午 前 四時 中 華 海 員 工業 聯 合 総 会 上海 支 部 長 陳杳
停 者 上 海 総商 会 側 より 会 長虞 洽 卿 、 総 務 主任 徐 可 陞 氏等 も同 席 し て
尚 上海 総 商 会 よ り も本 日 全 国各 地 の総 商 会 に対 し 、対 日罷業 及抵
︹マ マ ︺
米 里 紋 吉 支 店長 と協 議 の結 果 、 曩 に口頭 を以 て契 約 し た復 業 条 件 を
制 の円満 解 決 を通 電 し た 。 而 し て此 の結 果 日清 汽 船 会社 乗 組員 は 二
文 書 に表 す る こ と に決 定 し た。 即 ち
十 一日 より 一斉 復 業 し 、長 江航 路 も 罷業 解 決 後 の第 一船 瑞 陽丸 が無
罷 工船 員 (小 蒸汽 、艀 、 水 先等 を含 む ) は 総 て原 職 に復 す る
復 業 後 濫 り に解職 せざ る こと。 上 海 事務 所 長
一、 日 本側 罷 業 現 況
上海 罷 業 の近況
大 正十 四 年 八 月 二十 四 日
上事 情 第 四 一号
事出 帆 し た。
1
各 船 会 社 は長 期 に亘 る船 会 社罷 業 失 職 によ る困 苦 に対 し 同情
各 船 員 (小 蒸 汽、 艀 、 水 先等 を含 む ) に対 し て は、復 職 の日
五四
こと 。 2
を 表 は し相 当 補 助 を 与 ふ る こと 。 補助 不足 の場 合 は 上海 総 商会 に於
3
て補 足す る こと 。
4
よ り原 給 料 に従 ひ 支給 す る こと 。給 料 値 上 げ 問 題 に関 し ては復 職 一
右 条 件 は 日本 各 船 会 社 及 日本 船 乗 組 中国 人海 員 双 方承 認 し、
ケ 月後 、 海 員 よ り請 願 書 を提出 し た る場 合 は 相当 老 慮 す る こと。 5
紡 績 、海 員 、 埠頭 に於 け る 日本 人関 係 事 業 に対 す る罷 業 は 既報 の 如 く 既 に解 決 し た る が 、今 尚 罷 業 継続 中 のも のに 左 の十 工 場 が あ る。 明 華糖 廠 、 中 華電 気 製 作 所 、 東華 造 船 所 、 公 興鉄 廠 、 精版 印 刷 所 、 宝 山破 璃 廠 、 其 他 四 工場 右 に付 き 日本 側 の連 合 機 関 たる 日本 人 工業 同志 会 では 毎 週 二回 会 合 を催 ふ し罷 業 解決 策 を講 じ つ ゝあ る が、 何 分紡 績 連 合 会 の如 きと
5
見 舞 ひ薬費 を給 す る こと 。
丙 、病 気 の際 は 工会 或 は 医師 証明 あ れ ば給 料 を減 額 せず 、病 状 を
毎 年 の利益 は正 当 に分配 し給 料 の大 小 に依 り て計 算 す 。即 ち 会
社 が毎 年 給料 総 額 二 十 万 な ら ば賞 与金 拾 万 を出 し 、 月 給十 元 の者
女 工 の産 前 後 各 一箇 月 工賃 を与 へ、学 徒 、 工徒 に優待 授 業 料 を
に五元 の賞 与金 を与 ふ 。
7
若 し 辞職 を命ず る 理由 あ る時 は職 工会 に相 談 す る か 、或 は五箇
此 の罷 工 人員 は絶 対 に退 職 せし む る を得ず 、 給 料 を支 払 ふ事。
倶 楽 部 は同 人 の名儀 と し て同 人 の弁 理 に委 す。
補助する。
6
8
異 な り事 業 の性質 が 一社 毎 に相 異 が あ る為 、解 決 は容 易 で な い が工 業 会方 面 の意 向 が、 職 工側 の要 求 を或 程度 迄 認 容 す る傾 向 と な つ て
9
二、 商 務 印書 館 罷 業
華 紡 の三 工場 のみ 八月 二十 六 日 よ り操 業 開始 さ るべ き予 定 であ る。
務 局 送電 問 題 未 解決 な る より 自 家 動力 所 有 の上 海 紡績 、内 外 棉 、 日
業 開 始 を 急 ぎ つ ゝあ り 、之 が為 万 端 の準 備 を着 々進 行中 な る が、 工
既 報 の如 く 日本 側紡 績 罷 業 の解 決 を見 たる今 日各 工場 共 一斉 に事
三 、 日本 側 紡績 操 業 開 始
る事 。
年 分 を 与 ふ る事 。相 談 の上 退 職 さ せ る理 由 あ る時 は 二箇 年 分 与 ふ
居 る か ら 近く 解 決 の見 込 み であ る。
商務 印 書 館 印刷 職 工及 図 書 発 行所 員 三 千 六百 名 は 廿 三 日賃 金 値 上 げ条 件 を 提出 し直 ち に罷 業 に移 つた。 而 し て同 社 内 総 務所 職 工会 、 発 行所 職 工会 、印 刷 所 工会 の三団 体 は各委 員 を推 挙 し て執 行 委員 会 を組 織 し 、 三団 体 の要 求 条件 を合 併 し た る 左 の合 併 条件 を会 社側 に
会 社 は無 条 件 で工 会 を承 認 す べ し 。
提 出 し た。 1
之 に対 し自 家 動 力 を有 せざ る 工 場 は、 工務 局 の送 電恢 復 を待 つて操
があ つた から出 勤 した 、 と て何 か問 題 を起 さ んと す る の形勢 が窺 は
業 開 始 す る旨 を掲 示し あ る に拘 らず 、 職 工等 は総 工会 から出 勤 命 令
甲、 工 会 は 工 人全 権 代 表 な る を承 認 し、
給 料 値 上げ は約 二割 。
乙、 本 工会 の経 済 を 少 く と も 五百 元補 助 し 、 2
休 日増 加 即 ち 清 明 、端 午 、 中 秋 、冬 至 、 五 卅 の各 日 一日 。
五五
れ る 等 不安 状 態 に あ る。
3
4甲 、 凡 て公 傷 に由 る死 亡 者 は十 五箇 年 分 の給料 を与 へ、病 傷 に因 る 死亡 は 二箇 年 分 を 与 ふ。 乙 、自 ら辞 す ると退 職 を命 ず るに拘 ら ず 、満 五年 の勤続 者 は 一年 分仕給。
上海 事 務所 長
大正 十 四年 九 月 二十 九 日
上事 情 第 四七 号
支 那電 報 局 罷 業開 始 の件 上 海 支 那 電報 局 は過 般物 価 騰 貴 の為 、 生活 困 難 を 理由 とし て交 通
る が、 右 に関 し当 地支 那 人 方 面 の調 査 会 に対す る反 対気 勢 は漸 く 熾
烈 と な り 、支 那紙 の如 き は 一斉 に本 会開 催 の不 必要 を論 じ、 会審 衙
の事 実 を何 故 に再 議 す る や と論 じ 、 或者 の如 き は ﹁支那 人 は為 す 可
門 の判 決 及支 那政 府 委 員 、 外交 団 特 派委 員 間 の審 議 を引 例 し て既 定
から ざ る事 をす る事 は出来 な い﹂ 等 と頗 る激 烈 な 筆 致 を揮 つ てゐ る。
や疑 問 で、 又 五 卅 事変 の当 時 老 関警 察 署 警 護 の任 に当 り 終 に発 砲 し
部 に向 つ て給 料 の値 上 げ を要 求 し た が 、単 に当 時 は上海 だけ の問題
た支 那 巡捕 も 証 人 と し て法 廷 に立 つ事 と な つて ゐ た が、昨 今 の形 勢
べく 、 月曜 日 に証 人喚 問 の乎 筈 と な らう が、 支 那 人証 人 が出 る や否
のを組 織 す る に至 り ま し た。 集 り た る も の は十 四 省 区 三十 五 代表 で
本 日 は 単 に形 式 的 の会 合 のみ で、 次 回 は 月曜 日 に開 か れ る事 と な る
工 会加 入者 五百 余 局 に達 し 、 只遠 隔 の地 た る四 川 、雲 南 、 貴州 の数
では之 も覚 束 な いと言 はれ て ゐる。 尚 北 京 政 府 に ても 本 調 査会 に対
であ つて各 地 の同 情 は な か つた が、 上海 以外 の電 報 局 でも 同 様 の要
省 のみ が未 だ加 入 し て居 り ま せ ん。 二十 六 日要 求 条 件 を 討議 し午 後
因 に五 卅事 件 司法 調 査 会 に対 し上 海 総商 会 は左 の ステ ー ト メ ント
す る正 式 抗 議 を 夫 々北 京 各 国 外交 使 臣 へ声 明 し た、 と の事 であ る 。
求 起 り 、 上海 に各 地 よ り代 表 を 派 し 茲 に全 国 電 報 公会 聯 合 会 な る も
九時 交 通部 に向 ひ 、 三十 六 時 間内 に返 答 す る様 、若 し な き時 は総 辞
を発 表 し た 。其 の要 領 左 の如 し。
職 す る旨 急 電 を発 し まし た 。其 の要 求 条 件 を見 る に主 と し て給 料 の 値 上げ で あり ま す。 然 る に其 の期 限 を経 過 す る も返 答 な き を以 て、
一九 二五年 五月 卅 日 の事 変 に就 き 、其 の正 邪 曲 直 は逮 捕 学 生 の会
上 海 総 商 会 は当 司 法 調 査会 に関 し 左 の ステ ート メ ントを 発 表 す。
五七
ざ る事 を厳 粛 に陳述 し 、且 飽 く 迄本 言 の確 守 に努 む るも のな り。
は こ の単 独的 に行 は る ゝ当 調 査 会 と は如 何 な る事 情 の下 に も提 携 せ
政 府抗 議 の整 然 たる条 理及 其 の確乎 た る宣 言 に鑑 み、 支 那 人全 市 民
本総 商 会 は全 国 民 に依 り後 援 せ ら る ゝ当 司 法調 査 会 に対 す る我 が
対 外交 団 特 命 委 員 の審 議 を以 て既 に明白 な るも のとす 。
審 衙 門 に於 け る訊 問 と 其 の釈 放 並 に上海 に て行 は れ し支 那 政 府委 員
昨夜 八時 に第 二回宣 言 を 交 通部 に向 ひ発 し総 辞 職 を通 告 し 、茲 に罷
上 海 事務 所 長
五六
業 を開 始 し ま し た。
上情 第 五 〇号
上海 事 件 司 法 調 査開 始 に就 て
大 正 十 四年 十 月 七 日
五 卅事 件 司 法 調 査会 は日 本 委員 須 賀 喜 三 郎 、英 国委 員 エチ ・ゴ□ ︹ 二字不明︺ □ ン、米 国 委 員 エフ ・ジ ヨン ス ン三氏 の来滬 と共 に、 本 七 日午 前 十 時 三十 分 より 南 京路 タ ウ ン ・ホー ルに於 て開催 せ ら る ゝ こと ゝな れ
哈 調 情 第 五八 一号
哈 爾 賓 事 務 所長 一八 ・九 七
モス コー農 事 試 験 所員
無 線 電 信 一〇 六号 局長
プ ラ ウダ 社 家屋 内 住 人
エム ・エス ・ペ ・オ
農 事 試 験 所員
一四 ・〇 〇
〃
二 五 ・〇 〇
二〇 七 ・四 〇
〃
露 国 の支 那労 働 者 救 済 義 捐 金 に関 す る件 ( 十月十二
大 正 十 四年 十 月 十 四 日
五 ・二 五
ゲ ・デ ・ウ ・ベ ・ウ エ共産 党 ヤチ エーカ
日中 村 内 務 事務 官 報 )
二五 ・〇〇
リ ープ ク ネ フト鉛 筆製 造 所 従 業員
首 題 に関 し て は屡 次 通報 し たる が 、今 回 プ ラウ ダ社 が上海 事 件 犠
二 二 ・九 五
ソビ エト外 交 国 民 委員 会 議 勤 務員
モ ス コー ・キ エフ鉄 道 ヤ チ エーカ
十 三 ケ所 郵 便 支 局
モ ス コー農 事 試 験 所員
金 属 工業 中 央 同 盟 勤務 員
七 ・三〇
牲 蛍 働 者救 済 義 捐金 取次 を な し た る も のと し て発 表 せ る処 、 左 の如 し。 (単位 ・留 ) 五 ・五〇 二六 ・七 三
五 六 ・ 一二
ブ ハーリ ン食 料 品 販売 所 員
社 会 保 護委 員 会 議
モ ス コー鋳 物 工場 従業 員
砲兵 軍 医部 員
砲兵 射 撃 隊 動 務 員
レ ー ニ ン学 院 勤 務員
三七 六 ・ 一六
国 民 外交 委 員 会 議 勤務 員
中 央 保 険 第 三 部員
一六 八 ・三 一 国 民内 務 委 員 会 議勤 務 員
一 ・六 五
四 六 ・二 四
七 九 ・六〇
オ エラ フス キ ー露 共 山 麗党 会 議 ︹ 不明︺ □ ニ エフ ス カオ 〃
八 九 ・八 六
建 築 同盟 、材 料 品 陳 列所 員
農 民中 央 会 議 家屋
イ ・ヅ イ コ フ
八 ・九 五
八 〇 ・九 三 食料品従業同盟
一・〇〇
六 ・五〇
三 〇 ・四 一
五 一 ・三五 農業学校生徒
紡 績 シ ンヂケ ート ・ヤ チ エーカ
三 七 ・ 一〇
八 六 二 ・三〇
三 五 ・二 一 ウ イ ヤ ゼ ム ス カ ヤ鉄 道 第 六 メ スト コム 一二 ・五 〇
三 一 ・五 〇
一〇 〇 ・〇 〇
ペ ー ルム商 業 同盟 勤 務 員
五 七 ・五 一 騎 兵師 団 六 六 ・九 五
チ エ ル ニツキ ー 工場 労 働 者
モ ーホ ル ・ヤ チ エー カ ( 在 モ ス コー運輸 同 盟 内 )
八 ・五 三
モ ス コー市 銀 行 庶務 課 員
二
三 〇 ・〇〇
十 二 ケ所 ソビ エト 小学 校
ド ン流域炭礦従業者
二 一 ・〇 一
五 ・二九
六朱利附 公債 十枚
ウ オ スク レ セ ン スキ ー郵 便 電信 局 勤 務員
ウ イ ヤ ゼ ム スキ ー鉄 道 第 七 メ スト コム
北 部 鉄 道 第 五 従業 員
白 露 労 働 保 護 部員
三 一 ・〇 〇 三 ・七 五 一三 ・〇 〇 五 ・七 四 一八 ・六 三
二 五 ・○ ○
ソビ エト聯 邦 運 輸 同 盟内 勤 務 員
計 二 、 八三 〇 ・二〇 (以 上 プ ラ ウダ 紙参 照) 尚露 国 は広 東 政府 に対 し て尠 な から ず援 助 し て い るも のと 認 め ら る ゝは 、既 報 の如 く武 器 の供給 其 の他 の事 実 に徴 し ても 明 ら かな る
る赤 軍 将官 ボ ロヂ ンは 一九 二三年 広 東 に至 り 孫文 と 会 商 し条 約 を 結
も のと思 は る ゝが 、広 東 政 府 の実 権 を握 り 居 ると も 言 ふ べ き顧 問 た
びた る が 、其 の内容 は労 農 政 府 は広 東 政 府 の財政 を援 助 す る と同 時 に、広 東 政 府 は 労農 の宣 伝員 に 重要 地 位 を 与 ふ る にあ り しと 言 ふ 。 其 の結 果 労 農 政 府 は最 初 二 十 五 万元 を国 民党 に与 へ、 其 の後 は年 六 十 万 元 を以 て広東 の学 生 軍 を支 持 す る事 と し た る為 漸 次赤 化 し た る も のな る が、 現在 に於 け る広 東 の領 袖 及 機 関 にし て毎 月受 く る処 の
二〇 〇 元
三 〇〇 元
新 学 生 会
水 夫 工 会
計 五 八 、〇 〇 〇 元
本 件 は支 那紙 の伝 ふ る処 にし て真 偽 不 明 な るも 御参 考 迄 。了
五八
上 海事 務 所 長 大 正 十 四年 十 一月 十 八 日
上 情 第 六 一号
在 支 外国 宣 教 師 の態 度 に就 き
十 一月十 七 日当 地発 行 ノ ー ス ・チ ヤ イ ナ ・デ ー リ ー ・ニ ユー ス紙
上 に、在 支 宣 教 師 の態 度 に就 き 一宣 教 師 の仮 名 を以 て 、左 の投 書 が
二、 〇 〇 〇 元
同
五、 〇 〇 〇 元
同
同
同
一〇 、〇 〇 〇元
( 香港)最報
新 中 国 報
( 香 港 ) 中 国 新 聞報
国 民 日 報
郭
譚
汪
廖
胡
蒋
平
精
仲愷
漢
介
魯
山
衛
民
石
は 近 代派 の機 関 と も見 る べき 雑誌 チ ヤ イ ニーズ ・レ コーダ ーは 、此
の政 治的 活 動 を 立 証 す るも ので あ る。 尚 全国 ク リ スチ ヤ ン会 議 乃至
宛 た 有名 な る 一書 や、其 の後 此 の機 関 が発表 し た多 数 の書 類 は 彼等
彼 の五 卅事 件 の翌 日全 国 ク リ スチ ヤ ン会 議 が 上海 共 同 租界 工務 局 に
青 年 会 の二 つ であ る。 両 者 は会 長 も同 一人 で其 の政 策 も同 一であ る。
至 つた が、 右 の牛 耳 を執 るも のは 全国 ク リ スチ ヤ ン会議 及中 国 基督
近 数箇 の宣 教 師 団 体或 は支 那 人信 徒 が政 治 的方 面 に活 躍 し始 む る に
イ プ だ、 と 心得 ふる が如 き徒輩 を 生ず る に至 つた。 即 ち支 那 では最
にも 其 の聖 職 を 没却 し て政 治 に染 手 し 、 之 を 以 て近 代的 宣 教 師 のタ
援 助金 左 の如 し と言 ふ。
同
会
会
方 面 に は全 然 交 渉 を有 し なか つた 。然 る に近来 に至 り 宣教 師 は 不幸
従 前在 支 外 国 宣 教師 は只 基 督 の教 へを 説 く こと に没頭 し、 政 治的
一、 〇 〇 〇 元
工
工
あ つた 。右 を概 訳 す れ ば、
同
総
罷 五〇〇元
同
の頃 著 し く政 治 的 及 赤 化的 色 彩 を 帯 び来 り 、 ハリ ー ・エフ ・ワ ード
を掲 げ て、 近代 的 教 義 を信 ぜ ぬ多 数 宣教 師 の反 対 す る処 と な つ て居
博士 の ﹁ 労 農 露 国 礼 賛論 ﹂ や主 筆 ローリ ンソ ン氏 の ﹁治 外 法 権 ﹂ 等
る。 驚 く べ き は主 筆 ローリ ンソ ン の用 ゆ る論 法 で、 氏 は先 日北京 大 学 に於 て治 外 法 権 に関 す る演 説 を試 み ﹁ 現 在 支 那 には在 留 外 人 の全 部 を投 獄 し て も差 支 へな い程 の模 範 的監 獄 が設 備 さ れ て居 る﹂ と放 言 し て、之 を治 外 法 権撤 廃 の 一論拠 と な し た こと であ る。 吾 人 は在 留 外 人 の全 部 より も 差 当 り ロー リ ン ソ ン氏 に此 の模 範 的 監 獄 生 活 の 体 験 を 与 へん こと を提 唱 し た い云 々。
二三
一
な る意 志 を表 示 し て居 る。 即 ち華 府 会 議 の条 約 は既往 に遡 ら な い
は尚 日本 に対 つ て交渉 し て居 な いの に、 日本 側 は 民国 に対 し 厳 重
と衝 突 す る こと を 避 け る様 にし なけ れ ば な ら ぬ ので あ る が、 民 国
に契 約 中 の独 占 権 を放 棄 す る こと を交 渉 し 、華 府 会議 協 定 の精 神
ん で居 る。 若 し 之 を 破棄 せな け れ ば民 国 と米 国 と 無線 問 題 も 関 聯 ︹ 三字不明︺ し て、 解 決 の時 機 も亦 方 法 も な い のであ る 、故 に日本 自 □ □ □ 的
日米無 線 電 信問 題 並対 外関 係 諸件
北京 公 所 長
北 利情 秘 二四 第 三 二号 の 一二
無 線 電 信 の件
大 正 十 四年 一月 八 日
のを原 則 と し て居 る ので、 三非 と の無 線 電信 の契約 は其 の成 立 期
を 破棄 す る意 志 が な け れば 、 日本 は之 に同意 す る能 はざ る こと は
日 が華 府 会 議 以 前 にあ る の で、 日本 の独 占権 は当 然華 府 会 議 の条
必 然 で あ る 云 々、 と称 せら れ て居 る。 斯 る状 勢 の下 に執 政 府 に於
日本 と 民 国 と契 約 し て居 りま し た 無 線問 題 に就 て葉 恭 綽 氏 が 交通
た所 に於 ては 、葉 氏 は日 本 と の契 約 を 破棄 し、 飽 く迄 も米 国 と 提携
ては外 交 、 交 通 、海 軍 の三部 が其 の善 後 方法 に就 て討 論 し た結 果 、
約 に依 り消 滅 す る も のでは な い、故 に民 国 が苟 も 華府 会 議 の条 約
す ると 謂 ふ こと を聞 き ま し た が、 本 日 (一月 八 日) の社会 日報 に左
交 通部 は 一意 見 を 提出 し た。 即 ち斯 る状 勢 の下 にあ つた契 約 を 破
む ので あり ま す が 、小 職 が天 津 に出 張 中 に於 て陸 軍側 よ り聞 き ま し
の記 事 が出 て居 り ます 。 此 の内 容 は 小 職 が天 津 で聞 いたと ころ と形
棄 す ると 謂 ふ こと は甚 だ不 可 であ る。 之 を破 棄 せな け れば 民 国 、
総 長 に就 任 以来 種 々の噂 が立 ちま し て、其 の内 容 を知 る に甚 だ苦 し
の異 な るも ので し て、 内 容 が同 様 の様 であ りま す か ら 、之 を 意 訳 し
依 て 三井 と の契 約 中 一解 決 方法 を求 め な け れば な ら ぬ。 右 解 決 方
日 本、 米 国 三 ケ 国 間 の紛 雲 は将 来 永 久 に解決 の希望 を有 し な い。
御 報 告 申 上 げ ま す。 記 政 府 筋 で は 日本 の三井 と 民 国 と の無 線 電 信 の契 約 は独 占 権 を含
ら経 営 す る の外 に方 法 が な い、 と 申 し 出 た ので外 交 部 及海 軍 部 も
め に、 司法 権 を中 国 に返還 す る のを望 まず 。 近年 来 中国 人 は対 外
殊 に租 界内 に居 住 す る 外 人 の多 く は中 国 の国情 に明 かな らざ るた
的 に目覚 め て外 国 が支 那 に於 け る 治外 法 権 に関 し、 中 国 の主 権 を
法 を求 めむ と 欲す るな ら ば即 ち 民 国 は 双 橋 無線 電 信 を買 収 し 、 自
意 見 が 一致 し 、其 の買 収 方法 及 金 策 の方 法 を種 々研 究 し た上 執 政
を唱 へて居 る の であ る が 、租 界 内 に永 住 す る 外 人 は中 国 の国 情 を
侵 害 す る の挙 であ る が為 、之 を撤 回 す べき も ので あ ると 謂 ふ こと
知 らず 、 且中 国 の心 理 を知 らざ るが故 に条 約 の修 正 に当 り て旧 状
府 に 対し て之 を提 出 した 云 々。
態 を保 持 し て 、治 外 法 権 に対 し変 動 な きを 望 む ので ある 。
尚 小職 が天 津出 張 より 帰来 以来 此 の問 題 に就 て種 々探 聞 し た所 を 綜 合 致 し ま す と 、少 なく も 日本 側 の当 事 者 及 交 通部 の連 中 も決 し て
す ると 謂 ふ こと は、 即 ち 中 国 人 が自 ら本 国 の事 務 を弁 理 す る と謂
生 じ、 従 つて中 国 人 が他 の国 の中 国 に要 求 せ る事項 の撤 回 を要 求
近 来 中国 人 は欧 米 各 国 と常 に往 来 す る に因 り 一種 の国 家観 念 を
二 、中 国 人 の国 家 主 義
斯 る こと は 実 施 し得 な い こと で、 何 者 かが 為 に せ む為 の宣 伝 で、 葉
か分 り ま せ ん が、前 に申 上 げ ま し た通 り 、 日 本 の公 使 館 及 三井 方 面
す 。然 しな がら 表裏 常 なき 民 国 の こと であ るか ら何 れ が真 実 で あ る
ふ のも あえ て怪 し む べき も ので はな い。
氏自 身 も非 常 に迷 惑 し て居 る と謂 ふ こと は 明 に彼 自 身 言 つて居 り ま
では絶 対 に 日本 と の契 約 を 破棄 す る が如 き こと は な い、 と確 信 し て
治 外法 権 問 題 の処 置 に関 し 二 つ の方 法 が あ る。 其 の 一は現 在 の
四、発 展 の政 策 と合 作
を受 く る こと 必ず 大 で あ る。
行動 を発 生 せ ば勢 ひ 必ず 世 界 の革 命 を起 し 、其 の結 果中 国 に影響
享 け 、不 平 等 の条 約 の取 消 を要 求 せ るが 、東 方 が果 し て此 の種 の
す べく 主 張 し て居 る が、 彼 等 は曾 て駐 京 の露 国 代 表 カ某 の主使 を
一部 の中 国 人 が現 に革 命 手 段 を採 用 し て 以 て中 国 の主 権 を恢 復
三 、革 命 の政 策
居 る 様 で あり ま す。 右 御 参 考 迄 。
二
北 利 調 二 四第 甲 号 の 一 一七 北京 利 所 長
支那 に於 け る治 外 法 権 取 消問 題 に関 す る件
大 正 十 四年 一月 二 十 二 日
二十 日英 米 聯 合 会 に於 け る常年 大会 に於 て駐 京 米 国利 使 シヤ ー マ
制度 を継 続 す る こと であ る。 若 し斯 の如 く な らば 列 強 が中 国 人 に
ン氏 は治外 法 権 取 消 に関 す る演説 を致 し ま した 。 其 の要 項 を 左 に御
ず 中 国 と列 強 と の間 に疎 隔 を発 生 す る こと であ る。 此 の二項 の政
報 告 致 し ま す。
策 は 中国 及 列 強 の均 し く損 失 に属 す る こと であ る故 に、 茲 に善 法
対 し 失望 に至 ら し め る ので ある 。其 の 二は狡 猾 的 行 動 で 、之 は 必
中 国 人 は治 外 法 権 に 対 し極 端 な る反 対 を唱 ふ るも、 一方 旧式 の
一、 反 抗的 政 策
外 人 と通 商 貿 易 に当 る外 国 商 人 は 不賛 成 を唱 へて居 る の であ る。
独 行動 と独 断 行動 に あら ざ る こと 、但 し 双方 の合 作 的 政策 であ ら
即 ち外 国 の信仰 、 善 意 及 友誼 を以 て之 に当 り 、 中国 或 は列 強 の単
と し ては 進歩 的 で非 反抗 的 な る こと、 発 展 的 で非 革 命 的 な る こと、
と き は無 罪 な るも のあ り。
国 の裁 判 権 に依 る と き は有 罪 な る も の あり 、乙 国 の裁 判 権 に依 る
も ので あ る。 而 し て各 国 治 外 法権 の情 形 は相 同 じ からず 。 若 し 甲
外法 権 を 享 く る外 国 居 留 民 は中 国 の領 土管 轄 権 の制 限 を享 けざ る
助 を用 ひず し て司 法 の事務 を能 く弁 理 す る や否 や 、 又欧 米 人 に満
大 学 教授 ウ エル ヒ氏曾 て言 ふ。 中 国 の官 吏 も し果 し て外人 の援
七、 外 国 の法 官 、 中 国 官吏 に任 命
ね ば な ら ぬ。 此 の種 の合 作 と善 意 の進 歩 的基 礎 は既 に 一九 〇 二年 の中 英 条 約及 一九 〇 三年 の中米 条 約 中 にあ り 、 且此 の種条 約 の規
足 す る や否 や は疑 問 であ る 、 云 々。余 ( 米 公 使 ) は ウ エル ビ氏 の
定 は列 強 が中 国 の司 法事 務 を 援 助 し、 治 外 法権 を放 棄 す る準 備 た る も の で 一に中 国 の法 律 、行 政 等 の進 歩 す るを俟 て、 即 ち 治 外法
若 し果 し て治外 法 権 を取 消 し す るな ら ば、 中 国 の各 所 同 時 に取
八 、 地 理 上 の階 級
必 要 を認 む る ので あ る。
代 に当 り 須 く 外人 専 門 家 の援 助 を要 し 、 中国 官 吏 と 共同 弁 理 す る
に欧米 の法 律 及手 続 の採 用 を 開始 し て ゐる の であ る 。此 の開 始 時
意 見 と同 様 で、中 国 は 列 強 と は合 作 の必要 があ る 。中 国 は現在 既
権 の取 消 を 実行 し得 るも の であ る。 五 、治 外 法 権 の国 際 委 員 会 此 の委 員 会 の重要 目 的 は 、中 国 の司法 調 査 と 司法 的 行政 等 の事 項 を調 査 す る こと で あ る 一面 在 中 国 治 外法 権 の現在 実 行状 況 の調 査 で あ る。 此 の委 員 会 は各本 国 政 府 に対 し て提 議 の権 を報 告 し 、 調 査す る所 の事 項 は過 去 と現 在 に限 らず 且将 来 を 考 慮 し て以 て法
ひ、漸 次 広 め 一方 に先 づ 外 人 の多 き 土 地 より実 行 す 。例 へば 上 海 、
消 す べき も ので あ る。 此 の種 計 画 は法 律 に関 係 ある を 以 て漸 次 行
権 の取 消 の準備 を期 し、 立法 、 司 法 等 の事 務 の改 良 に関 し均 し く 提 議 を齎 ら し 以 て改 善 を 期 し、 一方 円満 の時 に到 達 す る を俟 て、
天 津 、漢 口、 広 州 、瀋 陽 、 哈 爾 賓 等。
即 ち治 外 法 権 の取 消 を実 行 す べ き であ る 。但 し此 の外 に尚 二項 の
々変 事 の発 生 に対 し 、列 強 の対 中 国政 策 に屡 々変 動 あ る のであ る
九 、余 ( 米 公 使 ) が 中国 を見 る こと 既 に 二十 五年 であ る 。中 国 は屡
要 件 あ り其 の 一は在 中 国 の外 人 は須 く 欧米 の制 度 に依 り利 正 の待 遇 を享 く る こと 。其 の 一は 治 外法 権 取 消後 相 当 の代 弁 法 を実 行 す
中 国 人 民 は宜 し く平 和 治 安 の政 府 を維 持 し 並内 乱 を 制 止 し て対
十 、 中 国 の為 す べき 事
中 国 の国 家 的 観 念 を期 す るも の であ る。
害 を 不可 と し、 列 強中 国 の自 主 を 保持 し、 中国 と合 作 を願 ひ以 て
為 に、従 来 列 強 が多 く中 国 の分 裂 を主 張 し た る も、 今 は中 国 の侵
る に当 り、 換 言 せ ば即 ち中 国 が外 人 に対 し利 正 の司 法 制度 を取 る べ き こと。
所謂 治 外 法 権 な る も のは 即 ち外 人 が本国 の法 律 裁 判 を享 け るも
六 、 治 外 法権 取 消 と 政策
ので あ る 。某 外 人 が某 罪 を 犯 し た ると き 、該 犯人 は必ず 該 本 国 の 領 事或 は法 官 の審問 を経 て該 罪 を享 く るも ので あ る。 斯 の如 く治
外 条 約 を履 行 す るな ら ば、 列 強 は 期 を定 め治 外法 権 を 取 消 し 、税
且現 在 交 通 総長 葉 恭 綽 は 当時 フ エデ ラ ル利 司 と契 約 を 締結 の当 事 者
あ る にあ ら ざ れ ば不 可 に付 き故 に其 の方 針 は決 し て変 更 せ ら れず 、
を 以 て原 約 を取 消 す事 も亦 不 可能 で はな い云 々。 且 此 の種 の弁 法 は
右 は純 然 た る商 事 会 社 の契 約 な る が故 に、普 通 の弁法 に依 つて賠償
米 国 は 既 に中 国 政 府 と フ エデ ラ ル公司 と 締結 契 約 を 認 め た る に付 き 、
関 し 米 国 方 面 に譲 歩 を 欲 し て居 る ので あ る。其 の筋 の要 人 の提 議 に
中 国執 政府 の態 度 は当 然 対 日 に相当 の好 感 あ る が故 に、此 の案 に
人方 面 に於 け る 二種 の観 察 で あ る。
な るが 故 に、米 国 政 府 に対 し て更 に該 案 の処置 至 難 を覚 ゆ。 右 日本
務 の独 立 を恢 復す る こと が でき る 、 と思 ふ云 々。
三
北 利 情 二五第 四号 の 一 北 京 利 所長 大 正 十 四年 二月 十 三 日
日 、米 、中 三 国 の無 線 電 案 は中 国 執 政 府 成 立後 以 来 日 米 両 方面 に
た る米債 に依 つ て双橋 無 線 電 台 を 回収 す る此 の案 は現 当 局 に於 て勿
米 国 に於 て当 然 承 認 せざ る事 であ る が、 曹〓 時 代 に顧 維 鈞 が主 張 し
日米 無 線 問題 の前 途 (二 月十 三 日晨 報摘 録 )
て屡其 の解 決 を 促進 し居 る が 、 日本 の新提 議 は、 一方 中国 政府 に要
論 採 用 せ ら れざ る こと明 ら か であ る。 之 は両 政 府 の外交 方 針 が同 じ
求 し て無 線 電 契 約内 に記 載 す る 独占 権 を認 め し め、 米 国 フ エデ ラ ル 公 司 の契 約 を 取 消 す事 、 一方米 国 提 議 に対 し 双橋 無 線 電台 を 日、 中 、
から ざ る処 に依 るも ので あ る。
担 す る維 持 費 を 免除 す る見 地 よ り (未 だ竣 工 せざ るを 以 て中 国 に交
ロツパ間 の通 信 を 経営 す る意 向 な り。
ざ る見 地 よ り米 国 は中 国 米 国 間 の通信 を経営 し、 英 国 は アジ ァ ヨ ー
合 併 経営 の意 あり 、 而 し て米 国 に対 し て区域 を画 定 し て各 々衝 突 せ
英 国方 面 は マル コ ニー公 司 、大 北 公 司 に対 す る契約 満 期 後 日本 と
英 、米 、仏 五 ケ 国 の共 同 経営 に帰 し て交換 条 件 と な す 、 並米 国 の同
還 す る能 はざ る により ) 先 づ 三井 洋 行 に委 託 し て経 営 す る事 を希 望
意 と否 と を論 ぜず 双橋 無 線電 台 を完 全 に竣 工 せし め 、 三非 洋 行 の負
し 、其 の営 業 を 開始 す る こと を許 可 す べ く要 求 せ り 、 と。 之 最 近 日
日本 方 面 が米 国 の態度 に対 す る観 察 は 二種 あ る 。其 の 一は 中国 政
護 す る為 に問題 は益 複 雑 し 、関 係 は益 重 大 し、 而 し て中 国 政府 は 一
三箇 国 は既 に宣 伝 政策 を 用 ひ相 手 方 の陰 謀 を破 り 、自 国 の利 益 を擁
以 上 は中 、 日 、 英、 米 四箇 国 の無 線 電 案 に関 す る案 で 日、英 、米 、
府 が曾 て米国 に向 つて無 線 電 信 公債 の発 行 を 暫 く 延期 す るを 要求 し
す る事 は至 難 で あ る。
貫 の方 針 な く 、加 之 前 後 の契約 自 ら矛 盾 し、 故 に 一時 に該 案 を解 決
本 が該 案 に対 す る態 度 であ る。
た ると き 、米 国 の前国 務 総 理 は 承諾 し たと 雖 も 、然 し該 案 の本身 に
定 し て居 ると聞 く が、 中 国 政府 は之 に対 し て如 何 な る方 針 を 取 る や
日本 方 面 は芳 沢利 使 病 気 全快 後 積 極 的 に該 案 を進 行 せし む べ く策
関 し て は譲 歩 せず 、同 氏 は現在 既 に其 の職 を 去 り居 る次 第 であ る が
其 の二 は米 国 が軍事 計 画 の見 地 よ り太 平 洋 方面 に 二重 の通信 機 関
将 来米 国 は多 少 譲歩 の可 能性 あ り、 と 。
は未定云 々。 四 北公情二五第 四号 の二 一 北京公所長 日米無線電信問題 の争執点 (二月十七日京報摘録)
大正十四年 二月十七日 米 国費徳 理無線電信会社代表 と中国代表とが既 に数回 に亘り、中
の優 先権 に過 ぎざ る を以 て、 之 に因 り 一八 五 八年 の米国 の条 約権 を
取 消 す こと 能 はず 、 且 又現 在 各 国が 承認 す る門 戸 開 放 の原 則 を 破壊
一方 日本 方 面 は 三井 洋 行が 締 結 し た る契 約 は、 米 国 が無 線 電 信契
す る こと能 はず と謂 ふ。
約 を締 結し た る 三年 前 にし て当然 該 問 題 を拘 束 す る の効 力 あり 、 且
北 京 公所 長
実際 上 の権 利 も 亦 必要 と す る所 であ る云 々。
北 公情 二五 第 一号 の 一六
五
本 方 面 の反 対 に依 り起 り た るも のにし て、 一九 二 一年 (民国 十 年 )
米無線電信契約問題修正 を討論 したるが、其 の契約条文 の修正 は日 大正十四年四月二日
は中 止 さ れ た のであ る。 日 本政 府 の抗議 の理由 は 、 一九 一八 年 二月
公 使 を通 じ て中国 政 府 に抗 議 を提 出し た る を以 て、 之 に因 り 該 工事
一の無 線 電 信 台 を建 築 す べ く準 備 した るが 当時 日本 政 府 は駐 京 日本
ラ ル会 社が 施 威林 氏 を派 遣し て多 く の技 師 を伴 な い上 海 に至 り 、 第
して も書 面 を 発 し たが 、 其 の朝岡 事 務 官 に対 す る宣 言 の内 意 は 左 の
を発 表 し 、更 に執 政 府 に 対し 呈 文 を 出し 、 又教育 総 長 王 九齢 氏 に対
して居 たが 、 今 回 教 育 聯合 委 員 会 の名 を以 て朝岡 事 務 官 に対し 宣 言
本 事 件 に対し ては 民 国 の教 育 会 に於 ては兼 ね 々 々反 対 の意 志 を発 表
派 遣し 、 民国 側 各 方 面 と 対 支 文化 事 業 に就 て、 過 日折 衝 中 であ るが
日本 外務 省 内 の対 支 文 化事 務 局 より 朝岡 健 氏 ( 外 務 省 事 務官 ) を
対 支 文 化事 業 に対 す る 民国 教 育 会 の反 対
費 徳 理公 司 と中 国交 通 部 に由 り無 線 電 信 の契約 を締 結 せら れ、 千 三
三井 洋 行 と 中 国海 軍 部 と の間 に締 結 さ れ た る三 十 年 間 の中 国 に於 け
百 万 元を 以 て無線 電 信 台 を建 築 す る こと と な り、 其 の訂 立後 フ エデ
る無 線 電 信 設立 の独 占権 に拠 る。 英 、仏 両 国 も 亦 対米 に反 対し 、之
記
近年 貴 国が 英 国、 露 国 と の友邦 に習 ひ、団 匪 償 還 金 を我が 国 に返
左
そう と せら れ 、其 の為 に貴 国駐 在 の民 国 公使 と協 定 し団 匪 償 還金 を
通 り であ る。
を建 設し た る為 、 日本 は中 国 無 線電 信設 立 独 占権 の理 由 を以 て抗 議
がた め米 国 と 日本 及 各 国 と の間 に無 線電 信 問 題 の交渉が 発 生し た の
を 申 込 み た るが 、 中 国 に於 け る無 線 電信 独 占権 の契 約 は益 薄弱 と な
つ ゝ居 られ る様 で あ る。 即 ち 此 の事 件 は貴 国 の議 会 に於 て総 て の手
以 て 、 上海 及 北 京 に文 化 研 究 所 及 図書 館 等 の機 関 を 設立 せ んと企 て
で あ る。 偶 々其 の間 仏 国 が中 国 政 府 の許 可 を得 て雲南 に無 線電 信台
は始 終 フ エデ ラ ル会 社 の為 に弁 護 し 、 三井 洋 行 の得 た る権 利 は 一種
り た る次 第 な り。 即 ち 日米 無 線 電 信 問題 の争 執 点 は、 一方 米 国 政府
十 月 民国 全 部 の教 育聯 合 会 を 開 いた時 に鄭 重 な る宣 言 を発 表し 、 貴
が 国 の教 育 会 は本 件 に関し 兼 ね兼 ね疑 懼 を 抱 いて居 つた故 に、昨 年
る が、 之 は文 化 発 展 の名 を 以 て実 は文 化 侵 略 を行 ふも ので あ る。 我
続 や規 定が 発 表 され て、 外 務 省内 に 対支 文 化事 務 局 を 設 け ら れ て居
一致 反 対 す る ので あるが 特 に本 宣 言 を貴 君 に提 上 す る。
匪 賠 償 金が 返 却 され る と返 却 され ざ る と に拘 らず 、 我 が 国人 は共 同
行 政 方法 を 以 て、 文 化侵 略 の計 画 を為 す と言 ふ こと に対 し て は、 団
故 に本委 員 会 は其 の主張 に基 づ き 再 び宣 言 す る のであ る が、 貴 国 の
ふ 口実 を 以 て、 其 の前途 に対し 大 な る疑 懼 を引 き起 す の憂 ひが あ る、
新 事業 を進 行 せし む る為 、 最 近貴 国 は貴 君 ( 朝 岡 事 務 官 を指 す) を
対し 、 現在 了 解 を求 め つゝあ る からし て早 晩 円満 に解 決 す ると 確
に基 因 す る処 で ある からし て、 段執 政府 其 の他各 有 力 な る方 面 に
本 件 に就 て朝 岡 事 務 官 は意 見 を訊し た る処 同事 務 宮 は之 は誤 解
全 国 教 育聯 合 会 団 匪償 還金弁 理 委員 会 掲 上
国 政 府 に再 考 慮 を 促し 、我 々反 対 の意 志 を 発 表し て置 いた が 、貴 国
派 遣し 、教 育 会 の 一致 反 対 の論 調 に鑑 み、 即 ち 団匪 賠 償 金 は 決し て
信 し て居 る と の こと で あ る。
政 府 は反 省 す ると ころ なく 、 北 京 及 上海 に相 当 の地 域 を 求 め積 極 的
て る為 何 分 の費 用 を議 決 す る の であ る からし て、 日本 の政 府 は当 然
六
北公 情 二五 第 五号 の 一 大 正 十 四年 四 月 十 四 日
北京 公 所 長
返 却 す る に非 ずし て、 日本 の議 会 は毎 年 民 国 の文化 事 業 の発展 に充
之 に対し 全権 限 を有 す る の であ る 、 と言 ふ こと を声 明 せら れ た 。 此 の こと に対し て は全 く 民国 人 の意 見 を参 酌し て ゐな い故 に、 本委 員
る の で、 三月 十 九 日委 員 会 を開 会し 議 決 に依 つて代 表 を貴 君 に面会
会 は全 国 教育 聯 合 会 の委 託 を承 け 、 大会 の決 議 を主 張 す る必 要が あ
せ し め、 団匪 償 還 金 に対し 返 却 す べ き も の であ る や否 やと 言 ふ こと
タ ン ・タ イ ムス摘 録 )
米 国 の亜 細亜 研 究 隊 の第 三隊 の第 一分隊 は既 に昨 日張 家 口 よ り蒙
亜 細 亜 調 査隊 出 発 の件 (四月 十 四 日 フア ー .イ ー ス
古 奥 地 に向 ひ出 発 し た。 該 研究 隊 の隊 員 には地 質 学者 ロバ ート ・パ
に 対し 確 実 な る説 明 を 求 め た。 若し 返却 す るな ら ば本 委 員 会 は即 ち
ことを 新 た に協 定 す べ き で あ る。 若 し 返却 せざ る も の なら ば 即 ち 我
年 議 決し た る各 事 項 を採 用 し、 両 国 よ り事 門 委 員 を推 薦し て 一切 の
ト ロー ル、 ロビ ンソ ン等 を含 ん で居 る。彼 等 は張 家 口 よ り以 北 の線
我が 政 府 に対 し既 に協 定 せ られ た る協 約 を取 り消し 、 本 聯 合 会 の昨
が 国 の文 化 事 業 は敢 て僣越 な る貴 国 の御世 話 にな る 必要 がな いか ら 、
究 隊 の主 任 ア ン チ ユー氏 は令 週 水曜 日 に北京 を出 発し 、 翌 日張 家 口
路 を測 量し 、彼 等 の経 由 各 地点 を充 分 に調査 せむ とし て居 る 。該 研
て調 査 を完 了し 、 張家 口 に帰 還 す る こと にな つて居 る 。今 回 の米国
よ り奥 地 に 入ら む とし て居 る 。彼 等 の計 画 は今 年 九 月 二十 一日 を以
が 支那 に於 け る 文化 事 業 とし て経 営し て居 る処 を 見 る と、 漸 次 之 を 民国 に移 管し つ つあ る際 に今 貴 国が 如 斯要 例 を開 く と言 ふ こと は 友
我 が民 国 政府 の所 用 の地域 を提 供 す る義 務 がな い ので あ る。 且 各 国
邦 に対 し て義 務 を欠 く も ので あ る。 更 に将 来 我 が国 の文 化 教 育 と 言
亜 細 亜 研 究隊 は米 国 亜 細 亜協 会 と 亜 細 亜雑 誌 社 等 の共 同 の計 画 で 、 隊 員 中 には有 名 な る動 物 学者 、 古 生 物 学者 、 地 質 学 者 、古 植 物 学 者 、 外 科 医 師 及活 動 写真 技 師 を含 み、 一行 には自 動 車 、 大 馬車 等 甚 だ 多 く 、駱 駝 隊 も 百余 頭 を 有し て居 る。 目 下春 暖 の候 で雪 解 け の為 に道 路 の泥 濘 甚 だ深 く非 常 に困難 をし て居 るが 、彼 等 は勇 気 を鼓し て戈 壁 の砂 漠 各 地 を も調 査 に従事 す る の目 的 を 有し て居 る。
七
北 公調 二 五第 五 号 の五 北 京 公所 長
支 那 全 国 大学 一覧 表 送附 の件
大 正十 四年 四 月 三十 日
研究 部が 国 民 代表 会 議 に提出 す る の必 要 から全 国 大 学 を調 査し た
記
が 、其 の大 要 は 左 の通 り であ る 。 左
一、 国 立 北 京 大学 、校 長 蔡 元 培 、光 緒 二十 四年 の創 立 で、景 山 東
二 、国 立 北 京 法 政大 学 、 校 長 江庸 、 民国 十 二年 五月 の開弁 で、 李
街 漢花 園 北 河 沿 に在 る。 分 科 は 宣統 元年 十 一月開弁 した 。
三 、国 立 北 京 農業 大 学 、 校 長 欠員 、光 緒 三 十 四年 の開弁 で 、阜 城
閣 老胡 同 に在 る国 立 北京 法 政 専 門学 校 を改 めた ので あ る。
しめ た も の であ る。
門 外羅 道 荘 に在 る国 立北 京 農 業 専門 学 校 を民 国 十 一年 十 一月昇 格 せ
四、 国 立 北 京 医科 大 学 、 校長 張戯 卿 、 前 門 外後 孫 公 園 に在 る国 立 北 京 医科 専 門 学 校 を 改 め たも の。
五、 国 立 北京 工業 大 学 、校 長 馬 君 武 、西 城 祖 家街 に在 る。 民 国十
六、 国 立 北洋 大 学 、 校 長劉 華 、 光 緒 二 十 一年 の創 立 で天 津 に在 る。
三年 二 月 国 立北 京 工業 専 門学 校 を昇 格 せし め たも ので あ る。
七、 国 立 山西 大 学 、 校 長 王禄 勲 、 光 緒 二十 八 年 の開弁 で、 山 西太
義 和 団 事 件 の際 中 止し 、 光緒 二 十九 年 復 活。
原 府 に在 る 。英 人 チ モ シイ ・リ チ ヤ アド氏 が賠 款 十 万両 を 以 て開弁
︹マ マ︺
八、 国 立 東南 大 学 、 校 長 欠員 、 民 国 十年 七 月 開弁 で 、所 在 地 は南
し た中 西 大 学 を山 西 人が 回収し て自弁し たも の であ る。
京 で あ る。 ︹マ マ︺
九 、 国 立 上海 科 大 学 、 国 立東 南 大 学 の分科 大 学 で 上海 に在 る 。
一〇 、 国 立曁 南 科 大 学 、校 長 趙 正 平 、所 在 地 南京 。
一 一、 国 立 西北 大 学 、 校長 傅 銅 、 民 国 十年 陜 西 、甘 粛 両 省 の設立
一二、 国 立武 昌 大 学 、 校長 石 英 、 国 立武 昌 高 等 師範 学 校 を 改 め た
したも の で、西 安 に在 る。
も ので、 所 在 地 は武 昌 。
一三、 国 立武 昌 商 科 大 学 、校 長 屈 佩 蘭 、民 国 十年 武 昌 に創 立 、前
一四、 江 蘇法 政 大 学 、 校 長 王汝 折 、 民 国十 三 年 十 二 月江 蘇 法 政専
身 は武 昌 商 業 事 門学 校 。
一五、 私 立中 国 大 学 、 校長 王 正廷 、 民 国 三年 五 月開弁 、 前 門 内西
門学 校 から 改建し たも の、所 在 地 は南 京 。
城根 に在 るも前 国 民大 学 と い つた も の であ る。 ︹ 殷︺ 一六、 私 立 民国 大 学 、 校 長雷 氏、 西 城 太平 湖 に在 り 、民 国 十 一年
一七 、 私 立 朝陽 大 学 、 校 長 汪有 齢 、 民 国 三年 五 月 開弁 、 東 城 慧照
六 月 の創 立 。
一八 、 私立 平 民大 学 、校 長 汪 大燮 、 民国 十 二年 五月 開弁 、徳 勝 間
寺 に在 る。前 民 国 大学 と い つ た。
大 街 石 虎 胡同 に在 る 。 一九 、 私立 華 北大 学 、校 長 思 華 、 民国 十 三 年 七 月創 立 、 西安 門 大
大正十四年五月八日
北 公 情 二五 第 一号 の 二七
北京 公 所 長
民族 が 一時 の義 憤 に依 て客 気 に駆 ら れ、 国 恥 を 記念 す る
五 七 記念 と北 京 各 新聞 の論 調 益世報
二〇 、 私立 協 和 医科 大 学 、 校 長胡 情 徳 、 民 国 十 三年 一月 許可 、 東
偉 と す る に足 る 。吾 人 は 本年 の五七 記念 に際 し て謂 はむ と 欲 す る と
の も のと し て了 る を常 と す る。 五七記 念 が十年 に及 ん で衰 へざ る は
の挙 は之 を 久 し う し て消滅 す る に至 り 、 又若 し 消滅 せざ るも 形式 的
単 師 府 園 に在 る。原 名 協 和 医 学 校 、民 国 六 年 三 月大 学 に改 め、 十 二
街。
年 現 今 の名 に改 め た。
二 十 一ケ条 は我 が 国 々会 の否 決 を経 て居 り、 我 が国 から 見 れ
ば 無 効 のも ので あ る。 日 本 は其 の有 効 を主 張 す る で あ らう が、華 府
一
ころ 二義 あ り 。
二 一、 私立 武 昌中 華 大 学 、 校 長陳 特 、 民 国 元年 九 月 、 武 昌 。 二 二、 公立 河 北大 学 、校 長 張 継 、十 二年 七 月創 立 、 保 定 西関 霊 雨
な い。 而 も 我 が国 人 の五 七 を記 念 し て忘 れざ る は、 日本 が当 時 我 が
会 議 後 は 其 の内 容 変 化 し 、今 日実 質 と し て残 つ て居 る も のは 幾 許 も
国 と の交 渉 に ﹁ 脅 威 ﹂ を 用 ゐ た から であ る。 今 や我 が国 民 は 二十 一
寺 に在 る 。 二三 、 私立 金陵 大 学 、 校 長 包 文 、十 年 八 月 、南 京 。
い。 而 も ﹁脅威 ﹂ を 日本 が 用 ゐ たと 聞 いて記 念 の烈 情 を新 た に燃 へ
ケ条 の内 容 の如 何 な るも のな る かを 知 つて居 るも のは幾 人 も あ る ま
二 四、 私立 同 済大 学 、校 長 阮 尚 必、 呉淞 に在 る。 前 同 済 医 工専 門
二 五 、 私立 大 同大 学 、校 長 胡 敦復 、 民 国 十 一年 十月 、 上 海 、創 立
学校。
原 名 大 同 学校 。
と 迫 つた 。 日本 は此 の事 に対 し て用 心怠 らず 、其 の点 実 に感ず べ き
吾 人 は 当 時 外交 当 局 を 攻 撃 し何 故 に旅大 回収 の要 求 を提 出 せ ざ る か
旅 順 、大 連 の租借 期限 は昨 年 三 月 二十 六 日 で満 了 と な つた。
二 七 、交 通 部 南洋 大 学 、 校 長 陳士 鑑 、 上 海徐 家 匯 に在 る 。
も のが あ る 。 我 が当 局 が内 乱 に 心を 取 ら れ て条 約 上 の権 利 を抛 棄 せ
二
上 ら せ る ので あ る。
二 八 、交 通 部 唐山 大 学 、 兪 文鼎 、唐 山 。
む と す る は 取 ら な い。
二 六 、 私立 香 港大 学 。
二 九 、交 通 部唐 山 大 学 分 校 、季 閣 老 胡 同 に在 る。
我 々支 那 人 の脳 筋 は麻痺 し て居 る 。時 々 モ ル ヒネ注 射
を やる と ピク ッと 動 く 、注 射 を 止 め ると 又麻 痺 し てし ま う 。 五月 七
社 会 日報
三 〇 、私 立 群治 大 学 、 校長 羅 傑 、 上 海仏 租 界 。
八
日は 例 の二 十 一ケ 条 に調 印 し た 日で あ る。列 強 が欧 洲 戦 争 で他 を顧
の国恥 記 念 日を 記念 し たと ころ で国 恥 は決し て雪が れ な い であ らう 。
も 段 氏 の感 想 如 何 は 其 の実 大 した こと で は な い。 我 々国 民 は 一面何
今 や段 氏 は執 政 と な つて ゐ る。 今 日 の氏 の感 想 は何 う で あら う 。尤
瑞 であ つたが 、 国 力 の実際 不 足 せ る こと を思 ひ涙 を 呑 ん で忍 従し た 。
一ケ 条 に調印 さ せた ので あ る。 当 時 最 も憤 慨し た のは陸 軍 総 長 段祺
り み る 暇 のな いと き に日本 は ア ル チ マタ ムを以 て我 を脅 迫し て二 十
力 を発 生 す る こと を得 、 日本 外 務 省 の文 化事 業 部 は 依 然最 後 の決定
但し 将 来 もし 計 画 す ると き は 、 日本 帝 国 議会 の協 助 を経 て始 め て効
ざ る範 囲 に於 て事 業 の計 画 、決 定、 管 理 の三項 に対 す る権 限 を有 す。
三名 は将 来 派遣 さ ると 。 総 委員 会 の職 権 規定 は 日本 の法例 に違 反 せ
会 に関 す る組織 は 中国 委 員 長 一名 、委 員 十 名 、 日本 委 員 七名 、 別 に
と 交渉 の上 既 に本 月 四 日協 約 文 を締 結 した り 。此 の項 事業 の総 委員
日 本 の対支 文 化 事業 問 題 は政 府 既 に日本 よ り派 遣 す る浅岡 事 務官
実 権 を 有し 、委 員 会 の議 決 に至 り て は多 数決 の制 度 を採 用 せず 、 双
時 ま で も軍 閥 、 官 僚 の跋 扈 を黙 許し て置 きなが ら 、 一面 毎 年 々 々此
方 委 員 の同意 を以 て之 を 行 ふ と謂 ふ にあ り。
本 会 は 之 等 の弁法 の是 非 が国 権 に関 係 す る こと 重 大 な るが 為 、本
﹁国恥 ﹂ を雪 がう と思 つたな ら まず 軍 閥 、 官 僚 の国 に禍し 、 民 を苦
月 七 日討 論会 を開 き た り 。委 員 の意 見 は 日本 の前 年 定 め た る対 支文
しむ る ことを 止 め さ せ なけ れ ば な ら ぬ。 国 恥 記念 が何 の役 にも立 た ぬ こと は私 も 知 つて 居 る。 然し 此 の機 会 を利 用 し て モル ヒネ 注射 を
化 事 業 の弁 法 は、 日本 外 務省 に 対支 文 化 事務 局 を 設 け 、特 定 の官 制 、
宣 言 を 発表し た のが 、 現 に伝 は る政府 と浅 岡 と の協 定弁 法 は 表面 本
こと 能 はざ るも の であ る。 曾 て聯 合国 内 教 育 学術 団 体 より 反 対 な る
で、 日 本朝 野 の経 営 に依 り我 が国 境 内 にあ り て文 化事 業 を弁 理 す る
治 上 、 日 本内 政 の 一部 分 に属し 日本 領 土内 に在 り て実 行し 得 る も の
特 別 の会 計 を有し 、 経費 の予 算 は毎 年 国 会 の通 過 を 経 て法 律 上 、政
や り、 国 民 の眼 を醒 さう と す る のは、 我 々言 論 に従事 す る も のの逃
北 京 公所 長
が る べ か らざ る責 任 で あ ると 私 は思 惟 す る。
九
大 正 十 四年 五 月 十 三 日
北 公情 二 五第 一号 の三 一
日本 の対 支 文化 事 業 問 題 は 、中 国 政 府 と 日本 政 府 派 遣 浅 岡事 務
日本 法 例 を違 反 せざ る範 囲 に於 て、 文 化事 業 に対し 計 画 、 決 定 、管
毎 年 国 会 を 通過 す る こと で之 亦 元 の如 く 、且 設 く る所 の総委 員 会 は
其 の実 際 を考 察 す る に特 定 官 制 、 特 別 会計 は元 の如 く、 経 費 予算 は
会 等 昨 年 宣言 を 発 表 し た る最 低 限 度 の弁法 た る中 日両 国 より専 門学
官 と の協 定 の消息 外 部 に伝 は る や各 教 育 学 術団 体 は之 に対し 非 常
理 の権 を有し て、 而 て所 謂 計 画 、 決 定 、管 理 の三項 権 限 は 日 本帝 国
者 を推薦し 、文 化 事 業 理事 会 を組 織 す る こと を 主張 す る意 見 な る が、
な る憤 慨 を 示し 、本 月七 日 全 国教 育 会 聯 合 会庚 款 事 宜 委 員 会 と特
議 会 の協 助 を経 て、 外 務省 文 化 事 業 部 最後 の決 定 を経 て始 め て有 効
対 支 文 化 事業 の其 の後 に関す る件 (五 月 十 三 日東 方
に討 論 会 を 開 き、 其 の結 果 を 左記 の通 り 各省 区教 育 会 並 聯 絡各 教
時報摘録)
育 学 術 団 体 に対し 特 電 を 発し た り。 其 の電 文 左 の如し 。
委 員 苟 く も賛 同 せざ ると き は 、 即 ち我 が中 国委 員 の意 見 は 日本 帝 国
と し 、総 委 員 会 提議 の際 双 方 の委 員 の同 意 を経 る こと な るが、 日本
本 は同 文 同種 の誼 に より 庚 子 賠 款 を以 て対華 文 化事 業 の ため に提 供
継 で完 全 に賠 款 を以 て中 車教 育 文 化 事業 のため に放 棄し た るが 、 日
米 国 が庚 子賠 款 を以 て清華 学 校 を 経営し て以 来労 農 政 府 も 亦之 に
電 を発 し 、本 会 等 は昨 年 宣 言 宗 旨 の最 低 限 度 を総 委 員 会 をし て 、計
本 対 支 文化 事 業弁 法 に反 対し 、 全 国各 省 区 の教 育会 に共 同 反 対 の通
に対し て管 理 、 支配 の権 を 与 ふ。此 の点 に於 て米 、露 二国 と 同 じ か
に対し て何 等 問 ふ処 なし 。 然 る に 日本 は外 務 省 よ り 対支 文 化 事 務 局
員 会 に依 つ て之 を管 理 支 配 せし め て、 米 、露 二国 の政 府 は其 の処 置
其 の 一は 、米 、露 二国が 賠 款 放 棄 を 声明し て後 は中 米 、 中 露各 委
露 二国 と 完 全 に相 異 し て居 る 。
し 、中 日親善 を提 唱し て居 る が 、吾 人 は之 を窺 ふ に 日本 の弁 法 は米 、
議 会 及 外務 省 文 化事 業 部 に 一考 を希 ふも 亦 不 可能 な る次 第 な り。 此 の種 の弁法 は本 会等 昨 年 発 表し た る宣 言 の精神 に大 い に相 反 し、 群
画 、 決 定 の全 権 並 日 本 の管 理 す る庚 子賠 款 を 以 て文 化事 業 の 一切事
ら ざ る な り。
集 の激 昂す る こと と な り茲 に議決し 、 一方 聯 合各 教 育 学 術 団体 は 日
務 を弁 理 せし む る こと を伝 達し 、 現 に協 定 す る 日 本国 会 、 政府 等 の
原 協 定 にあ る評 議 会 に総委 員 会 を設 け 中国 委 員 十 名 を容 れ たるが 、
其 の三 は 、最 近 日本 政府が 中 国 人 の反 対 を避 け る見 地 よ りし て 、
な る処 は な い。 之 米 、露 二国 と相 異 す る点 であ る。
を し て中 国人 を懐 柔 す る こと恰 も 嘗 て提 唱し た る 日韓 親 善 と 何等 異
の国 家 の行 政 権 を中 国 領 土 に伸 張 す る も の であ る。 且其 の文 化侵 略
審 査 さ れ る こと で、之 明ら か に日 本 政府 が対 支文 化 事 業 を し て 、其
国 会 の決議 に依 るも の であ る。 毎 年 の予算 、 決算 も亦 国 会 に依 つて
弁 法 は 日本 政 府 の詳 細 な る計 画 に依 る も の で毎 年 支 出 す る経 費 は、
其 の 一切 の弁 法 は各 中米 、 中 露 の委員 会 に於 て行 ふ。 然 る に日本 の
其 の二 は、 米 、露 二国 の賠 款 償 還金 は教育 文 化 事 業 に用 ひ られ 、
種 々な る束 縛 を承 認 せず 。 其 の文 化 侵略 の野 心 に反 対 し国 権 を保 護 せ む とす ( 後略)
北 京公 所 長
全 国 教 育 会聯 合 会 庚 款 事宜 委 員 会
一〇
大 正 十 四年 六 月 四 日
北 公 情 二 五第 一号 の四三
対支 文 化事 業 に対 す る中国 教 育 界 の宣言 (六月 四 日
昨 日中国教育学術団体聯席会及北京師範大学、全国教聯会庚款事
総 委 員 会 の職 権 は僅 か に日 本 の法 令 に違反 せざ る範 囲 に限 ら れ 、事
注 、 ﹁本 文 の原 文 を 入手 した し 、松 岡 花 押 ﹂ ︺ 晨報摘録)︹編の添 書 あ り 、 原 文 切抜 添 附 しあ る も省 略
宜委員会、中華教育改進社、京兆勧学聯合会、中国大学、朝陽大学
て始 め て夫 れが 効 力 を 発 生 す る も の で、而し て最 後 の決 定 権 は 依 然
日本 外 務 省 の文 化 事 務 局 にあ る ので ある 。是 所 謂総 委 員 会 な るも の
業 に対し ては 計 画、 決 定 、 管 理 の権 一切 は 日本 帝 国議 会 の協 賛 を経
記
等十九団体聯合して日本 の対支文化事業 に対す る左 の宣言を発出し 左
た。
部 にて認 可 し た る も のあ り 、保 留 のも のあ り、 調 査 を俟 て許 可 す る
人界 、 或 は 教育 界 の要 人 の手 を経 て申 請 す るも のあ るも 、教 育 部専
も のあり 、 其 の他 種 々な る関 係 に て許 可 し難 き も のあ る所 、或 は軍
門 司長 劉 百 昭氏 正論 を 持し 之 を許 可 せ ざ る次 第 であ るが 、茲 に教 育
が日本 政府 の下 に隷 属し て、 日本 政府 の為 に計 画準 備 を奔 走 す る に
之 要 す る に 日本 の対 支文 化 事 業 は 、 日本 政 府 の支 那 に対 す る事 業
部審 査 の大 体 を列 記 す れ ば 左 の如 し 。
雇 傭 さ る ゝに過 ぎず 、 之米 、 露 と 異 な る処 なり 。
で、其 の費 用 は庚 子 賠款 中 よ り支出 す る は、 米 、露 二国 の庚 子賠 償
記
金が 中 国 人 の同 情 を 得 た る を見 た る によ る も のな り。 故 に庚 子賠 款 を 標榜 し て中 日文化 を弁 理 し 、 中 日親 善 を 提 唱し 、 中 国 人 を 懐 柔 し
五 、 民国 大 学 (北 京 )
三、 武昌 中華 大 学 (武昌 )
一、 明 徳 大学 (漢 口)
八、 華 北 大 学 (北 京 )
六 、大 同 大 学 (上 海 )
四 、中 国 大 学 ( 北京)
二 、朝 陽 大 学 ( 北京)
甲 、既 に許 可 し た るも の
言 を為 す 。 政 府 当局 に希 望 す 、速 に対 支 文 化協 定 を取 消 し 、 土地 を
七 、平 民大 学 (北京 )
人愚 に あ らざ れ ば敢 て之 を 忍 ぶ こと能 はず 、吾 人 茲 に慎 重 な る宣
而し て逐 次 政 治 的侵 略 の目 的 を 果 す に過 ぎ な い ので あ る。
与 へず 、 行 政 権 を中 国 に伸 張 せし めず 、 日 本 政府 に欺 か れ 以 て自 ら
一、上 海 法 政大 学 (上 海 )
六 、畿 輔 大 学 (北京 )
四、 群 治大 学 (上海 )
二、 南 方大 学 本 校 (上海)
二、 南 開 大学 (天 津)
三 、大 夏 大学 (上海 )
一、 東 呉大 学 (上 海 )
四 、国 際 大 学 (北京 )
二 、南 方大 学 京校 (北 京)
一、孔 教 大 学 (北 京)
戊 、 規 定改 正 を行 つて決 定 を俟 つも の
三、東 方大 学 (北 京 )
丁 、 再 調 査 を経 て後 決 定 を俟 つも の
七、 中 央 大学 (北 京 )
五、 文 化 大学 (北 京 )
丙 、将 来 許 可 さ る も の
三 、復 旦大学 (上海 )
一、 心遠 大 学 (江西 )
乙 、 現 に認 可 を 経 た る も の
自 滅 せざ る こと を望 む。 知 識 階 級 及 教育 会 同 人 に希 望 す。 日本 の文 化 侵 略 を 甘 んじ て受 け ず 、之 に反 対 を 称 へら れん こと 、全 国 同胞 は速 に起 ち 一致 反 対を 称 へられ ん こと を請 ふ。 吾 人国 を愛 す る こと は 何 れ も 同 じ と 思 ふ 。 編 注 、 原 文 は 傍 線 を 三号 、 其 の他 は 五号 活 字 、 末 尾 に十 九 団体 名 あ り 、前 文 で 省 略 し た ︹も の、 華 北 大 学 、文 化 大 学 、 雲 南 青 年 社 、北 京 公 民 大 学 、 北京 平民 大 学 、 〓学 会 、北 京 民 治 大 学 、 民 国 大 学 、畿 輔 大 学 、 北 京 ︺
改達学院、北京体育学校、南方大学
一 一
北公情 二五第 五号三 北京公所長 大正十 四年七月十六日 中国教育部 の各大学審 査 に関す る件 (七月十六日北 京 日報摘録 ) 中国内 の各校大学に改設するもの日に増し、多く其 の中既 に教育
巳、 令 令 を 以 て 取消 す べき も の 一、 公 民大 学 (北 京 ) 三 、 新 民大 学 (北 京 )
二、東 亜 大 学 (北 京)
は 、或 る意 味 に於 て中 国 四億 人 民 の覚 醒 であ る と共 に、換 言 す れ ば
にも 密接 な位 置 にあ り 、 人種 的 見 地 よ りす る も牆 に せめ ぐ べ きも の
東 洋 平和 確 立 の要 素 と な るも の であ る。 抑 々日本 と 中 国 と は地 理的
三、 東 華 大学 (上 海 )
一、 郁 文大 学 (北 京 )
六 、厦 門大 学 (厦 門 )
四、 南 通農 科大 学 (上海 )
二、 務本 女 子大 学 (北京 )
る に努 力 し な か つた 事 は 不 可思 議 と せ ざ るを 得 な い。 要 す る に時 代
歳 の童 児 も首 肯 し 得 る こと で あ る。 此 の両 国 が従来 提 携 の実 を挙 ぐ
あ らね ば な ら ぬ。 両国 の 一方 が滅 亡 す れば 他 も自 滅 に陥 る ことは 三
で はな い。宜 し く 同文 同種 で あ る東 洋 の二大 国 は唇 歯 輔 車 の立 場 に
つた のは甚 だ遺 憾 で あ る が、 現 在 は 些 々た る事 情 に相 反 目 す る時 代
に非 ざ る に、 従 来 は偏 見 に失 し て両国 交 情 に面白 から ざ る も のが あ
五、 山 右大 学 ( 山西) 八 、 福建 大 学 (福 建 )
庚 、 教 育 部令 に依 り未 だ調 査 せざ るも の
七、 船 山大 学 ( 湖南) 十 、 平 民大 学 ( 長沙)
一二
し て将 来 益 々共 存 共 栄 の実 を挙 げ なけ れば な ら な い。
此 秋 、 時 代 の趨 勢 は 最 早 両国 の関 係 を 自然 の成 行 に任 し得 ざ る に至
鴻生
上海事 務所長 大正十四年十 一月九日
上情第五四号
一三
支 那 側︱ 沈 叔 生 、陳 光 甫 、唐 紹 儀 、季 馥 孫 、葉 少 英 、李 元信 、 劉
岡本 乙 一
日本 側︱ 野 平 道 男 、 橋 爪源 吾 、秋 山昱 禧 、 池 田安 蔵 、 宮崎 儀 平 、
副 会長 二名 を選 ぶ。 現 在 の理 事 、左 の如 し。
尚 同 会 は 理事 十 五 名 (支 那側 八名 、 日本 側 七 名) を推 薦 し会 長 一、
つた。 両 国 は宜 しく 提 携 扶 助 し腹 蔵 な き意 見 の交換 を なし 一致 協 力 上海 事 務 所 長
に 対す る覚 醒 なく 誠 意 の足 らざ りし こと に起 因 す る も の であ つた が、
九 、羣 治 大 学 ( 湖南)
上事 情 第 四 五 号
中 日聯 誼 会 の成 立
大 正 十四 年 九 月 十 七 日
今 回 の時 局紛 糾 中 に あり て在 滬 日支 有 志 は自 発 的 に提携 斡 旋 に努 力 し た結 果 、 日 本及 欧 米 各 国 等 の諸 大 学出 身者 及支 那 一流 の知 識 階
る中 日聯 誼会 を組 織 し 、 東 洋 平和 確 立 の為 七 月十 八 日開会 式 を 挙 げ
級 を網 羅 す る約 六十 名 の支 那会 員 と 在滬 邦 人代 表 六 十 一名 と より 成
た が当 時 時 局 混沌 た りし 為 発表 を見 合 せ て居 た が、 九 月 十 五 日左 の
明し た。 旨
趣 旨 及 役 員 を発 表 し 並 に本 月 二十 日第 一回総 会 を開 催 す る こと を 声
趣
今 回上 海 の南 京 路 事 件 を 導 火線 と し 中国 全 体 に勃 発 し た排 外 事 件
朝鮮仮政府前大統領葬儀 の件 上海朝鮮仮政府 の前大統領朴殷植 は栄養不良 の為、十 一月 一日当 地共済病院 にて死去した。享年七十七歳 。而し て右 の葬儀 は本月六
言
略 左 の如 き宣 言 を可 決し 散 会し た 。出 席 者 約 三 百 名。 宣
現在 支 那 の社 会 制度 上婦 女 子 は被 圧 迫 階 級 に在 り、 経 済 上 、政 治
日当地租界共同墓地 に於て、仮政府 の手にて韓国 々葬 の名 で行はれ、 上 、法 律 上 並 に思 想 、社 会 慣 習 上 の凡 て に於 て直 接 、 間接 に男 子 の
さ れ ねば な ら ぬ。 自 己を 認 め て現 社 会 の悪 制 度 を打 破す るた め奮 闘
ら ぬ。 吾 人 は 家庭 と社 会 と の 一切 の礼 俗 習慣 の支 配 的 地位 に迄 向 上
努 力 せね ば な ら ぬ。 根 本的 に之 を 改 廃 せざ る限 り は 我 々は 此 の圧 迫
隷 属 的 地 位 に置 か れ て居 る。吾 人 は財 産 権 と参 政 権 を 享有 せ ねば な
列者 一同 ﹁韓国 々歌﹂ を合唱し、安恭根故人 の経歴 を述べ、李裕 弼
在滬鮮人主義者、家族其 の他中国側から大同学会代表蔡北崙、周霽
仮政府 を代表し て祭文 を朗読し、黄介民大同学会 を代表し祭文 を読
より 解 放 さ る ゝこと は 不可 能 であ る (と て此 の目的 達 成 のた め澱 固
光等が列席し極 めて簡素 に行はれた。式 は崔昌植が喪主となり、参
み終 り直ち に柩 は墓穴 に安葬された。
一、帝 国 主 義 及 軍閥 打 破 のた め革 命 運 動 に参 加 す る こと 。
全 国 の被 圧 迫 男 子 と協 力 し て、
な る組 織 的 団 結 を 促し 、 五卦 事件 の民族 解 放 運動 に結 び 付 け た鞏 )
るや憤激し て政治運動 に従ひ、独立新聞社を創立して自 ら社長兼主
二、 吾 人 の革 命 運 動 は経済 、政 治 、 法 律 及社 会 上 の 一切 の権 利 を享
因 に朴殷植 の履歴 は幼 にして文学 に志し、韓国が日本に合併 さる 筆となり、三十年来朝鮮 の独立運動 に活躍し て入獄数 回に及 ぶ。上
一五
上海 事 務 所 長
去 年 ゼ ネ バ国 際 労働 会 議 に於 て 日本 代 表 は 、極 東 には別 に極東 労
極 東労 働 会 議 の上海 開 催 に就 て
大 正 十 四年 十 一月 二十 二 日
上情 第 六四 号
の四箇 条 を実 行 す る 云 々。
四、 反 奉系 軍 閥 排 斥 運 動 に参 加 す る こと 。
三、 一切 の束 縛 と 圧 迫 を打 破 す る こと。
有 す る にあ る こと 。
海 に亡命して 一昨年当地韓国臨時政府 の大統領 に推 されたが健 康勝 れず 、昨年 七月辞職し専 ら薬餌 に親し んで居た。若書とし ては、韓 国痛 史、韓国独立運動血史、安重根伝、李舜臣伝等があ る。 一四 上情第六二号 上海事務所長 大正十四年十 一月十八日 上海 に於ける女子解放運動 上海婦女聯合会は十六 日省教育会 場に於 て第 二回臨時大会を開催 した。該会 は主席陳碧蘭女史 の本会成立理由 ( 婦女解放 の為 一致団 結 すべし云 々)に始まり、李釗秋、鐘復光女史 の同会報告 あり、大
働 会 議 を 開 く こと を提 議 し 、会 議 を通 過 し て愈 明 年 六 、 七月 頃 其 の 第 一回を 上海 で開 会 す る こと と な り、 之 が下 準 備 を 兼 ね当 地 労 働 界
右 に関 し て上海 工人 代 表 者 は昨 二十 一日午 後 仏 租 界 某処 に各 工会
の近情 調 査 の為 、国 際 労 働 協会 員 加 藤 昇 氏 が 目下 滞滬 中 で あ る。
代 表 会 議 を 開 き 六十 余 名 参 加 の上、 大 要 左 の決 議 を 為 し 一致 反 対 す
上海 に開催 さ れ んと す る国 際 労 働 会議 は帝 国 主 義 者 が巧 み に工
る こと に略 決定 し た。
人会 を欺 瞞 せ ん とす るも ので何 等 工人 に対 す る待 遇 改善 の点 を見
ので 、吾 人 の如 き真 正 な る工 人 団体 と は根 本 よ り相 容 れざ る も の
出 し得 ず 。加 藤 昇 氏 も帝 国 主義 者 の命 を受 け て右 の為 来滬 せ るも
であ る云 々。 因 に工人 会 が 此 の反 対 をな せ し は同 会 が中 国 共産 党 の色彩 濃 厚 な る に依 る も の で、 加藤 氏 自 身 も 此 の事 あ る べき を 予想 し て居 た も の であ る 。
二四
一
ポ ー ツ マス条 約 後 の帝 政露 国 政 府 も 日本 と の同盟 を、 此 の意 味 に
定 を締 結 せし は、 此 の間 の事 情 を商 量 せ し に依 る も のな り 。
にあ り、 英 国 は嘗 て米 国 及 一部 露 国 に対 し て、 日本 と の間 に秘 密 協
る 国際 問 題 も 、 日本 外 交 の干 与 を受 けず し ては 解決 せら れ ざ る状 態
役 目 を演 じ つ つあ る事 も亦 明白 な る事 実 な り。 極東 に於 け る 如何 な
日露協 定成 立 並 之 が影響
哈 爾賓 事 務 所 長
於 て評 価 せ し な り。 又 近 く 四年 前 に於 てソビ エト露 国 が日本 と の協
大 正 十 四年 一月 十 七 日
哈 調情 第 六 五 二号
日露 協 定 成 立 の影 響 (一月十 五日 ノ ー スチ ・ヂ ーズ
議 を開 始 せ し も、 日 本 と の同 盟 が極 東 の政 情 に与 ふ べき影 響 を考慮
せし に依 る。 加 之 日 本 が支 那 に対 し 利害 関 係 深 き を以 て、露 国 に取
ニ紙 社 説 ) 日露 協 定 成 立 近 し 、 と の報 伝 は る や ノ ー スチ ・ヂ ーズ ニ紙 は ﹁日
ソビ エト露 国 の対支 提 携 は 既 に事 実 とな り て現 は れ つ つあり 。但
し 今 日東 支 鉄 道 を 中 心 に露 支 両 国 の協 定 を阻 害 す る紛 争 問 題 起 り つ
り ては 其 の対 支 政 策 上 日本 と の協 調 の途 に立 つ事 は 頗 る有 利 な り 。
つあ る も 、斯 か る露 支関 係 の障 害 の 一原 因 は、 外 国 側 よ り の無 責任
本 と の協 定 は何 を与 ふ る や﹂ と題 し 、 大要 左 の如 き 社説 を掲 げ 一面
鞏固 な る は 日本 の尻 押 あ る が為 にし て、若 し 日露 交 渉成 立 せば其 の
な る 対支 干 渉 に在 り 。此 の意 昧 に於 て 日露協 定 の成 立 は露 支 関 係 に
従来 と稍 異 な る 態度 を示 せ る も、 尚 他 面 に於 ては 支 那 の対露 態 度 の
効 果 は尚 当 然 此 の辺 にも影 響 し支 那 の態度 も改 ま る べ し。 即 ち 日露
も 大 な る影 響 を 与 ふ べ き は勿 論 な り。 現 在 に於 て日本 が対 露 関 係 に
於 て何 等 の制 限束 縛 を受 けず 自 由 行 動 を為 し つつあ る も、 日露 協 定
協 定 後 日本 は露 国 の対 支関 係 を有 利 な ら し めざ る べ か らず 、 と暗 に
国 際 政 策 の中 心地 が 最 近 に至 り 太 平洋 岸 に移 り し は何 人 も 知 る処
後 満 洲 に於 け る 日露 両 国 の利 益 競 争 の範 囲画 定 せ ら る る に至 ら ば、
慫 慂 せ るも のと も観 るを得 べし 。参 考迄 其 の要旨 を報 告 す 。
な り 。 而 し て極 東 に於 け る国 際 的交 錯 関 係 に於 て、 日本 が重要 な る
大 正 十 四年 一月 二 十 三 日
北 公 調 二 四第 甲 号 の 一一八
北 京公 所 長
底 的 の諒 解 を得 て三国 提 携 の基 礎 をな し 、欧 米 に対 し反 抗 的 行動 を
な い。私 は此 の機 会 に 一種 の希望 を有 す 。即 ち 日支露 三国 の間 に徹
る のみ な らず 、 東 亜 外交 界 に至 大 の好 影響 を 生ず べ き こと 疑 を容 れ
日露 国 交 は昨 朝 恢 復 す。 これ 独 り 日露 両国 の喜 びと す ると ころ な
口露 協 約 成 立 と支 那 紙 論 調 (京 報 一月 二十 二 日社 論 )
露 国 の満洲 に於 け る国 際 的 地位 は確 定 し 、 従 つて露 支 は今 日 の如 き
哈爾賓事務所長
曖 味 な る関 係 を持続 す る事 な く確 実 明 瞭 な る関 係 を維持 す るを 得 る に至 ら ん。
二
大 正 十 四年 一月 二十 二日
哈 調情 第 六六 八 号
な 革命 の惹 起 す るを挽 救 せん と 欲す る ので あ る。 此 の種 の希望 を夢
に共 の外 交 を 改 新 せ し め帝 国 主義 の猖 獗 を防 止し 、 以 て世 界 が劇 烈
取 らず し て、 此 の三国 提 携 の影響 に よ つて欧 米 を 感 化 せし め 、自 然
日露 協 定 成 立 に関 す る各言 論 機 関 の論 調 等 は 一両 日中 取 纒 め て報
日露 協 定成 立 の満烏 両 鉄 道 関 係 に及 ぼす 影 響
告 致 し ます が、首 題 の件 に関 し不 取 敢 露 国 国立 ア ム ー ル汽 船 代 表 テ
は極 め て重 大 であ る 。蓋 し所 謂 日支 露 三国 の徹 底 諒 解 と言 ふも のは
想 な らし む る か否 か は 一に懸 つて 日本 に在 り。 日 本 の負 ふ所 の任 務
レ ンチ エフ氏 の意 見 を報告 し ます 。
必 ず 日本 が対 支 方 針 を根 本 より 改新 し 、自 動 的 に其 の帝國 主 義 の伝
統 的政 策 を抛 棄 す る ことを 以 て第 一歩 と せ ねば な ら ぬ。 近 来 日本 学
日露 協 定 成 立 に依 つて両国 の国 交 が円満 にな る事 は明 白 であ るが、 満鉄 と烏 鉄 と の関 係 は満 鉄 の譲 歩 に依 つ て緩 和 さ るべ き で ある 。 そ
の命運 が全 く 日 支提 携 の上 に懸 る こと を悟 つたな ら ば 、 日本 朝野 が
従 来 の所 為 を 改 む る こと は決 し て不 可能 の こと では な い。 且 既往 の
者 の支 那 に対 す る観 察 は従 前 よ り は大 いに進 歩 し て 居 る。 若 し国 家
失 敗 の歴 史 を よく 省 み たな ら ば 、根 本 革新 と言 ふ取残 され た 一途 を
れ は協 定 成 立 は鳥 鉄 の将来 を非 常 に有 利 な ら しめ た か ら で、 従 来 単
の日本 汽 船 及 び商 人 の信用 を買 ひ得 、北 満 貨 物 吸収 上好 都 合 な結 果
除 いて は絶 対 に光 明 の途 のも と め難 き を知 る であ らう 。
に栗 林 汽 船 と のみ提 携 し て居 た烏 鉄 は 、協 定 の成 立 に依 つて其 の他
を来 す べく 、 又露 支 間 懸案 の黒 、 松 花 江航 行 問 題 も協 定 の間接 的影
迄 発 表 を 差控 へた の であ る。 今 日は既 に上 述 の危 惧 が除 か れ たか ら 、
専 ら支 那 の為 を言 ふ勝 手 な意 見 と 誤 ま られ る恐 れ が あ つた故 、 今 日
を阻 碍 す る の恐 れ あり し と 、 日本 人士 が未 だ 徹底 的 に覚 醒 し居 ら ず 、
私 の此 の意 見 を持 す るや久 しく 唯 日露 問 題 解 決 以前 は交 渉 の進 行
響 を受 け て解 決 が容 易 と なり 、大 洋汽 船 の入 港 し得 ざ る尼 港経 由 の 川 筋 物 は日本 近海 航 路汽 船 の好餌 た る べく 、 斯 く し て満 鉄 は 対 日本 内 地 関 係 上譲 歩 を余 儀 なく せ ら る る で あら う 。
三
茲 に希 望 を披 瀝 す る の機 会 を得 た ので ある 。若 し 日露 両国 の人 士 が
之 に注意 し、 日 本政 府 及国 民 が心 か ら の賛 同 を与 へたな ら ば 、今 回
は辞 を左 右 に托 し て約 束 を実 行 せず 、 細 目協 定 も遷 延勝 ち な り。 但
支 露 協 定 乃至 奉 露 協 定 成立 以来 相 当 の時 日 を経過 せ るも 、労 農 側
に依 り て同 問 題 を解 決 し、細 目 協定 に 入り て更 に混雑 を惹 起 す る こ
し打 ち明 け て言 へば 、 支 那側 は 土地 問 題 に関 し ては基 本 協 定 の条 件
日露 国交 の恢 復 は実 に世 界 外 交史 上 に大 な る好 影 響 を及 ぼ し 、 日本
と を避 け んと す る方 針 なり 。 労農 側 に し て今後 土 地 問題 に対 し て飽
は亦 将 来 重要 な 地 位 に立 ち完 全 に欧米 の覊 絆 を脱 し、 被 動 的外 交 よ り自 動 的外 交 に移 る を 得 る で あら う 。 日支 露 の三国 人士 之 に意 の存
日 支露 の経 済 関 係 は益 密 接 と な ら ん。
露 国 の対支 態 度 が強 硬 と な るだ ら う と の説 は根 拠 が な い。
東 支 と し て は歓 迎 す る。
日露 支関 係 が密 接 にな つた事 は 嬉 ぶ の外 は な い。
△
△
命 され て以来 国 策 或 は 政治 関 係 より 遠 ざ か つて居 る の で、外 交 的 日
日露 交 渉成 立 の条 文 を未 だ読 ん で ゐな いし 、 又東 支 鉄道 理事 に任
△
△
二 、范 其 光 氏 談
ず 云 々。
く 迄強 硬 に自 説 を固 執 せば 、 露 支 の国 交 は再 び決 裂 せず と も 限 ら れ
す るあ ら ば事 実 と な つて現 は れん こと を切 に願 つて已 ま ぬ。
四
哈 爾賓 事 務 所 長
大 正 十 四 年 一月 二十 七 日
哈調 情 第 六 七 三号
日露協 約 成 立 に対 す る在 哈 支 那要 人 の感 想 (其 の 一) 一月 二十 四 日第 五 十 一号 拝 承 、 支 那 正 月中 で新 聞 は何 等 の意 見 も
だ何 等 立 入 つた意 見 、 感 想 等 は な い様 であ りま す が 不 取敢 左記 御 返
発 表 せず 、 又交 渉 成 立 後 旬 日 を出 でざ る為 、支 那 側 には 一般 的 に未
露 交 渉 の齎 らす 対支 影 響 に就 て充 分 な 意見 を述 ぶ る こと は出 来 な い
日本 対 支 態度 は変 ら ざ るも露 国 の態度 は強 硬 と な ら ん。
迎 し な け れ ば なら な い。 夫 は鉄 道 運 行 上 に将 亦貨 物 運 搬 上 に於 て
日露 支 の経 済 的 見 地 よ り謂 へば 、 満洲 に於 け る経 済 上 の見地 よ
平 時 関 係 に帰 り得 る に至 る から であ る 。
り同 協 約 の効 果 を見 る に、 日露 支 の経 済関 係 は 最 も密 接 に漸進 す
二
一 鉄 道 交通 上 から 謂 へば 、 東 支 鉄 道 と し ては 、 日露 協 商 成 立 を歓
が、
事 致 し ます 。
△
日露 細 目 協定 に は種 々 の難関 あ らん 。
一、 張 煥 相 氏談
△
露 支 関 係 に於 て は露 国 側 の態 度 に依 り て露 支 協 約 は 破棄 さ れ ん。
る こと を 得 可 く、 日露 の通 商 が発 展 す れ ばす る程 支那 の利 益 は拡
日露 協 約 成 立 す る も 日本 の対 支態 度 に変 化 あ る べし と は思 はず 、
△
唯 労農 側 の対支 態度 が よ り強 硬 と な る べき こと は予 想 せざ る を得 ず 。
大 さ れ て行 く と思 ふ。
日露 関 係 の復興 に伴 な ふ在 浦 支 那 人 の受 く る利害 、 浦 塩 方面 に
元来 労 農政 治 家 は 不 信極 ま り無 し 。基 本 協 定 が成 立 す ると も細 目協
三
定 には 尚余 程 の距離 あ り、 日本 が今 後 右 協 定 に 入 る に当 り 必ず や意 外 の故 障 に遭 遇 す べ し。
於 け る支 那商 人 も 日露 関 係 が 密 接 と な り、 日露 貨 物 の交換 が発 達
す るも 、支 那 は現 在 条 約国 であ る から 無 条 約国 間 の如 く 同 問 題 の
露 国 が日 本 の背 景 を借 り 支 那 の利益 に障 害 を起 す 如 き行 動 な り と
何 等 の秘 密 条約 な きを声 明 せ るを信 ず る が為 で あ つて 、若 し 労農
解 決 は 困難 でな い。
す るに伴 な ひ、 同 方面 の支 那 人 は 一方 日本 の貨 物 を 転 売 し て居 た
露 支 協 定 成 立 後 に於 け る在 浦 支那 商 の体験 せ し事 柄 は 日本 人 の
関 係 上支 那 人 の商業 は間 接 に発達 す る に至 る。
結 論 。故 に支 那 も露 と は既 に条約 国 であ る か ら之 を前 提 と し て 総 て の三国 関 係 は円 満 密接 なら ん事 を希 望 す 。要 す る に此 の際 支
(七)
ざ り し が為 、 旧 露 国 の国 家規 則 の観 念 を打破 し て、 新 規定 の理解
れ で日露 支 の関 係 が密接 に な つた事 を嬉 ぶ以外 に何 物 もな い。
那 が労農 の条 約 国 であ る こと を前 提 と し て出 発 し た いと 思 ふ 。 そ
日露 協 定 成 立 通 商 の恢 復 を 見 れば 在 浦 支 那商 の受 く る利 害 並極 東 三国 の商 業 経 済 的連 絡 は密 接 にな る べし 。
るは 明 白 で あ る。
今 後浦 塩 に集 中 さる れ ば之 に伴 な ひ、 支 那 人 も浦 塩 に行 く様 に な
塩 在 住 の日本 人 も 此 の経 験 よ り免 か る ゝに至 る と思 ふ。 日本 人 が
い に歓 迎 す る所 であ る。 又 目下 競 争 し つゝあ る東 鉄 と満 鉄 の関 係 も
て行 く 上 に頗 る好 都 合 であ る。 此 の意 味 に於 て 日露 協 定 の成 立 は 大
成 立 を 見 た る は、 東 亜 の事 を 日、露 、支 三国 で和 衷 協 同 し て処 理 し
△
△
△
日、露 、支 三国 の利益 で ある 。
東 支 、満 鉄 の関 係 も良 好 と な らう 。
が、露 支 条約 後 は此 の誤 解 も 相 当融 和 せら れ た。 其 の如 く現 在 浦
商業 的 見 地 より 言 へば 、 日露 関係 回復 は東 洋 の経 済 市場 を平 和
之 がた め除 去 せら れ 円 満 な る協 調 が取 れ る様 に な る であ らう 。由 来
△
浦 塩自 由 港 問 題 を 中 心 に山 東幇 は喜 ば ず 、直 隷 幇 は歓 迎 、東 三
国 際協 報 の張 復 生 も反 対 の 一人 。
省 幇 は論 ず る に足 ら ぬ。
△
四 、魏 堯 氏 談
であ つて大 い に喜 ば し き こと であ る 、と 。
商 成 り 、今 又 日露 協 定 の成 立 を見 た る こと は 三国 が共 に利 す る 所 以
隣 国 間 の疎 隔 は共 に不 利益 の結 果 を招 く も ので あ る が、曩 に露 支協
日露 協 定 成 立 後 露 の北 満 に及 ぼす 勢 力 の顧 念 に就 ては 、露 が 日 を背 景 と し支 を 圧迫 す る が如 き事 は万 無 か る べ し。 仮 にあ つたと
る ると思 ふ。
支 那 も既 に露 国 を 承 認 し居 る所 な れば 、 日本 が今 回露 国 と 協 定 の
東 亜平 和 確 立 の基 石 であ る。
に依 つて現 在 の消沈 せ る市場 よ り躍 進 し 得 る基 本 的 関 係 を齎 ら さ
状 態 に 回復 せし む る も の であ る と共 に、 支 那商 人は 此 の日露 関 係
三、 何守 仁 談
に入 る迄 に は相 当 な る苦 心と 様 々な誤 解 が露 支間 に醸 さ れ て居 た
面 条約 上 の圧 迫 を 受 け、 他 面 労農 露 国 の新商 業 規 定 及 法律 を知 ら
た め前 車 の轍 であ る。 露 支 通 商 関係 設 定 前 に於 け る支 那商 人 は半
( 四)
(五)
(六)
し て も解 決 は 困 難 でな い。亦 協 定成 立 後 露国 人 の北 満 洲 及南 満 に 経 済 勢 力 進 長 し 且 同勢 力 が日 本 の背 景 を帯 び、 支 那 に対 し少 なく と も圧 迫 的 態 度 に出 づ る が如 き 事 は無 きも のと認 めら る。 な ぜ か な れば 日露 協 定 が 支那 国 内 に於 け る利 権 及 第 三国 の利 益 に 対 し、
△
官 辺 の意 嚮 は問 題 と す る に足 ら ぬ。
充分 の意 思表 示 を見 な
要 す る に未 だ協 定 に対 し大 な る衝 動 を感 じ て居 ら ぬ。 支 那側 とし ては 日露 協 定 の成 立 に 対 し夫
△
いが 、哈 爾 賓 に於 け る支 那 商 界 中山 東 幇 (哈 爾賓 の支 那 商 界 に山 東 幇 、 直 隷 幇 、東 三省 即 ち本 地幇 等 の派 が あ る) は 之 を喜 ん で居 な い。
之 を要 す るに目 下 の処 支 那側 は 一般 的 には 日露 協定 の成 立 に対 し
未 だ余 り大 な る衝 動 を 感 じ て 居 な い様 であ る。 夫 は 其 の及 ぼす 処 の
利 害 関 係 が 明ら か でな く、 又 今 俄 か に痛 切な る何 物 も 齎 ら さ な いと
五、 王 順 存氏 談 (東 支特 別 区 警 察 管 理署 長 )
思 つて居 る が為 であ る と思 はれ る。
日本 の手際 は立 派 であ る。
協 約 の要 点 を 確 実 に し て あ るか ら細 目 協 定 は困 難 でな い。
日露 交 渉 は 日本 側 は 素養 あ る人 が之 に当 つた ので皆 要 点 に触 れ て
△
居 る。 日本 は樺 太 に於 け る確 実 な る利 権 を収 め た。 大綱 と言 つて も
△
あ る が、 今 日露 の協 定 が成 立 せば 日本 人 が当 然 其 の間 に割 込 み、 自
要 所 を皆 定 め て あ る から細 目協 定 で定 め る事 は幾 何 も な い。 油 田問
其 の理 由 は山 東 幇 は 露 国 の赤 派 と 既 に接 近 し、 浦 塩 の自 由 港 開 設 に
分達 の利 益 を専 ら にす る こと が出 来 な いか ら で あ る。 之 に反 し 直 隷
題 其 の他 の利権 問 題 でも 総 て骨 組 みは 出来 て居 つて 、余 るは 枝葉 問
共鳴 し、 日 本 人 を抜 き にし て其 の利 益 を壟 断 せ んと し て居 つた の で
幇 は 日露 交渉 の成 立 を 大 い に歓 迎 し て居 る。 其 の故 は 直隷 幇 は今 日
題 のみ で あ る。
露 支 協 定 及 奉露 協 定 は大 綱 は定 め てあ る も、 支 那側 は中 学 校 も出
は 不利 の立 場 に在 る。 之 がた め 日本 が露 国 と 通商 す る に至 らば 経 済
て居 ら な い様 な者 が や つ た の で要 所 に触 れ て をら な い。例 へば 東支
迄 赤 派 と 密接 な る関 係 が結 ば れ て居 な いか ら 、赤 派 の勢 力 下 に於 て
界 が活 溌 と な り 、従 つ て其 の間 に割 込 ん で活 動 す べき機 会 を与 へら
極 め が あ るけ れ 共 、 ど れ だけ 返 す か解 ら な いから 細 目 の協 定 に骨 が
鉄 道 の附 属 地 の内 鉄 道 営 業 に必要 なら ざ る 土地 を支 那 に返 す と の取
折 れ る訳 であ る。 要 す る に此 の度 の 日露 交渉 の 日本 の手 際 は立 派 な
れ る希 望 を 生ず る から であ る 。東 三省 幇 は無 勢 力 で ある か ら論 ず る
言 論 界 は 旧 正 月 の休 み で何 等之 に 対す る 発表 を見 な いが 、張 復 生
に足 らな い。
(国 際 協 報 社長 兼 主 筆 ) は未 だ新 聞 に其 の意 見 を発 表 し た のでは な
も ので あ る。
日露 交 渉 成 立 は支 那 側 に不利 であ る。 日本 と露 西 亜 と握 手 し たと
六 、李 済 東 氏 談 ( 東 省 特 別 区 警察 管 理処督 察長 )
いけ れ ども 、談 話 の間 に於 て 其 の意 を察 す れ ば、 彼 は日露 交 渉 の成
言 ふ ので 、支 那 側 は遠 慮 し て今迄 通 り の思 ひ 切 つた 態度 に出 る事 が
立 を喜 ば ぬ 一人であ る。 蓋 し彼 は浦 塩 の自 由 港 開 設 に非 常 な る希 望 を有 し、 山東 幇 中 の者 に て近 く国 際 信 託会 社 を興 し て、北 満 と 欧 洲
出 来 な い。
トリブ ー ナ紙 ( 純 ソヴ エート露 国 機 関 紙)
各 紙論 評 概 評 (一月 二十 七 日 報)
と を直 接 結 び つけ んと の計 画 に参 与 せる 関係 あ り、 此 の際 日露 の通
計 画 に悪 影 響 を 及 ぼす 恐 れ が あ る から であ る 。其 の他官 辺 の意 嚮 は
商 が開 く れ ば 日本 人 が共 の間 に活 動 を開始 す る こと と な り、 彼 等 の
別 に問 題 と す る に足 る ま い、 と。
従来 日本 の事 に就 て は何 事 によ らず 毒 舌 を振 ひ、 一月 二 十 一日協
手 し 、 日本 は毒 あ る餌 を食 つた と評 し 、露 国 は日 本 の承 認 を 得 ん が
神 聖 な る 日木 皇 帝 は露 国 皇帝 の血 に染 ん だボ リ シ エヴ イキ ーと握
す る 一大 打 撃 であ る。
之 を報 導 し た が 、本 紙 は 二 十 二 日 に単 に第 一頁 に普 通 活字 を 以 て三 、
かる べ しと なし 、再 度 の破 綻 を 予期 し 、 其 の将 来 に 一縷 の望 みを繋
為 多 大 の犠 牲 を 払 つた が共 の齋 す結 果 は英露 、 仏 露協 定 と 変 る事 な
約 調印 の報 あ り て、 他 新 聞 は 号 外 を発 行 し 、 又は 特 に大活 字 を以 て
四 行 の電 報 を載 せた に過 ぎ な か つた。 而 し て 二十 四 日 に至 り別 項 の
コペ イ カ紙 (桃 色紙 )
ぐ か の如 く で あ る。
如 き論 説 を掲 げ た が、 其 の内 容 は 従来 の荒 立 つた 毒 筆 を捨 て た の み
従 来 オ スト ロウ モ フ機関 紙 であ つた が、其 の後 右顧 左眄 、 色 彩 の
で 、 日本 を弱 小国 視 し 、 大露 国 が協 約 調 印 の為 に凡 て の犠 牲 を払 ひ、 日 本 の利 益 のみ を計 つた のは 一つは極 東 の平 和 を 確保 せ ん が為 であ
那 の統 一に大 な る効 果 を齎 す べく 、若 し将 来右 三国 の同盟 が成 立 す
ふ処 亦 通 り 一遍 で、東 洋 の平 和 は 日 、支 、 露 の提 携 で確保 さ れ、 支
を帯 ぶ る に至 つた。 事 情 如 斯 であ る か ら協 定 成 立 に関 し て も其 の言
変 化 に迷 つて ゐ た が、 旧臘 東 支 よ り 三千 五 百 円 の広 告費 を得 て桃色
り 、 又弱 小 国 日本 をし て何 時 も 独立 国 たら し め んと す る意 志 で あ る が 為 で あ る、 と述 べ て ゐる 。
哈爾 賓 に於 け る有 力 な新 聞 の 一つで従 来 終始 反 日態 度 を指 し 、殊
ノ ー ウ オ ス チ ・ジ ーズ ニ紙 (準 ソヴ エート露 国 機 関 紙 )
に東 支 鉄 道 赤 化 以後 は共 の筆 鋒 を鋭 く し、 最 近 に至 り ては 前 記 ト リ
る に至 ら ば 、列 強 の政策 の 一大 変 化 を来 す べ し 、と 述 べ て ゐ る。
本 協約 に より て確保 せ ら るべ き を 以 て 従来 の感 情 上 の行違 ひ は 此 の
に面 目 を 改 め、 今 では ノ ー ウ オ ス チ ・ジ ーズ ニ紙 と 共 に哈爾 賓 に於
本 紙 は 六年 前 の創 立 に係 り当 時 黄色 を以 て聞 へた が、 其 の後 次 第
ザ リ ヤ紙 ( 中立)
ブ ーナ紙 と何 等撰 ぶ処 がな か つた が 、協 定 成 立 の直 前 よ り 稍其 の鋭
際 断然 打 ち捨 てて、 此 の平 和 の為 に協 力 し な けれ ば な ら ぬと述 べ、
み に泳 い で居 た。 協 定 に関 し ては 政 治 上 の問 題 に触 る ゝを避 け、 単
け る二大 新 聞 の 一と な つた。 色 彩 は中 立 を標 榜 し赤 白 の浪 の中 を 巧
鋒 を収 め、 成 立後 に至 つ ては 著 し く穏 健 と な り、 先 づ 東 洋 の平和 は
更 に項 を改 め て、本 協 定 は 如 何 にも 日本 のみ を利 す るが 如 く見 ゆ る
気 勢 を有 す る唯 一の新 聞 と な つた。 従 つて 日露 協約 は勿 論 、 露 支 協
露 国 帝 政 復 興 の謳 歌 紙 であ つて、 東 支 赤 化 以来 反 ソヴ エ ート露 国
し た 協定 は露 国 が亜細 亜 人 種 に対 し何 等 侵 略的 意 志 を 有 し な いと 言
の交 渉 に当 り極 東 に於 け る平 和 を 確立 せ んが為 全 力 を 尽 し た。 成 立
日 露協 定 は成 立 し 両国 間 の根 本 問題 は解 決 さ れ た。 露 国 は 日本 と
ト リブ ーナ紙 (本文 )
に 日本 の利 益 のみ に就 いて述 べた に過 ぎ ぬ。
も 決 し て然 らず 、露 国 の蒙 る 利 益 も亦 尠 少 でな い、 と 協 約文 の要 点 を摘 記 し て其 の説 明 をし て 居 る 。
約 を喜 ばず 、最 近は 露 支 の離 間 策 に腐 心 し 、支 那 を煽 動 し露 支 協 約
ふ事 を雄 弁 に物 語 る証 書 であ り 、 又彼 等 と 平 和裡 に生 存 せ んと す る
ル スキ ー ・ゴ ロス紙 (極右 派 )
の破 棄 を 希 ふ如 き態 度 であ つた。 従 つ て日露 協 約 の成 立 は本 紙 に対
が極 東 の経 済 的 発 達 を希 望 し て居 る事 を示 し て居 る 。
た事 を立 証 す る 。 のみな ら ず 本協 定 は露 支 協 定 よ り遙 か に多 く露 国
露 国 の真 意 を 裏 切 る べき 、 総 て の原 因 を 除 く べ く最 善 の努 力 を な し
業 界 と の事 業 関 係 及 現 政府 と の条 文 問題 であ る。 而 も第 一問題 は商
事 は 日本 内 部 の事 であ つて目 下 吾 人 が興 味 を有 す る は、 日 本 の商 工
り 、 又反 対 党 の攻撃 を頓 挫 せし め る巧 妙 な遣 方 であ る。然 し之 等 の
工業 問 題 でな く ては な ら ぬ。 樺 太 の富 源 に限 らず 、 無 尽 蔵 な東 部 西
を 以 て し ても 其 の方法 宜 敷 を 得 ば 両国 の利 益 の為 に利 用 し得 る。 日
比 利 の宝庫 は極 東 沿 岸 に 工業 地 帯 を 実現 せん が為 有 力 な 資 力 と な つ
露資 本 の共 同 会 社 の発展 も可 能 性 があ る。 現 に露 国 には 斯 の如 き外
日 本 に樺 太 の富 源 の開 拓 権 を 与 へた事 は露 国 が 日本 を 永 久 に独立
極 東 平和 確 保 のた め今 度 露 国 の払 つた犠 牲 は 実 に莫 大 なも ので 以
国資 本 と の合 同 会 社 が存 在 し 、而 も立 派 な 成績 を挙 げ て居 る。 日本
国 た ら し め んと す る意 志 に基 づ いた の でな く て何 であ らう 。露 国 の
て 極 東 の形 勢 を 一変 せ し め た。 日 本 は本 協 定 に依 り有 事 の日 に於 け
に は天 然 の富 源 な く原 料 も乏 し い。即 ち 極 東露 領 は其 の原 料 と穀 物
て居 る。 勿 論 日本 には 目下 遊 ん で居 る大 資 金 は な いが、然 し小 資 本
る 背後 方 の安 全 を期 し得 る の であ る 。斯 く の如 き 大 な る犠 牲 と譲 歩
を以 て 日本 の工業 界 、経 済 界 を 助 け る事 が出 来 る。
石油 を有 せざ る日本 は血 無 き 人 間 と同 一で はな いか。
を 単 に国 民間 の平 和 の為 に大 強 国 が な し た、 と 言 ふ事 は未 だ嘗 て歴
日 本 国 民 は既 に久 し き以 前 より露 国 と の国 交 恢 復 を熱 望 し 、 赴 日
は制 限 され て居 り殆 ど 皆 無 と 言 つて よ い故 に、 事 業 関係 が設 定 さ る
工 す れば 充 分 極東 に市 場 を 開 拓 す る事 が出来 る。 目 下 日露 間 の商 業
日本 の工 業 は 比較 的 発 達 し て居 る か ら露 国 の原 料 を 得 て 、之 を 加
史 の知 らざ る処 で あ つて、 侵 略主 義 のな い平 和 を 愛好 す る労農 ソヴ
し た ヨツ フ エに対 し て は非 常 に歓 迎 を し た。 彼 等 の露 国 承 認 要求 は
の商 関 係 が発達 す れ ば、 露 国 に船 腹 の不 足 し て居 る時 で あ る から 、
れ ば 、 日本 は 紙類 、塗 料 其 の他 の貨 物 を 極東 に送 り 得 る 。而 し て此
エート露 国 なれ ば こそ始 め てな し 得 る の で ある 。
露 国 に対 し敵 意 を持 つた清 浦 内 閣 を桂 冠 せし め 、親 露 政 策 を 標榜 し
歩 を な さ し め ぬ様 、芳 沢 公 使 を 監視 せし め た。然 し国 民 、 労働 者 、
所 で あ つては な ら ぬ。 満 洲 に於 て は今 日迄白 党 の連 中 は 日本 の有 力
西 比利 の都 市 、 村落 を掠 奪 し て、露 国 から逃 亡 し た 政 治 犯 人 の隠 遁
助 し て居 た が、 今後 は全 く 中 止 さ れ なけ れ ば なら ぬし 、 日本 は 最 早
日 本政 府 、 公 共団 体及 個 人 は陰 に陽 に 日本 及満 洲 に於 て白 党 に援
目下 無 為 に繋 船 し て あ る 日本 の船 腹 は荷 物 を得 る事 にな る。
た た め 加藤 内 閣 は 政権 を 握 る に至 つた。 三 菱 の利 益 保 護 に任 じ た現 政 府 の某 閣 員 団 は 久 しく 交 渉 の障 碍 を なし 、 三菱 は特 に北 京 に人 を
知 識 階 級 及商 工業 界 の意 志 は三菱 の敵 で なく 、 加 藤内 閣 をし て其 の
者 と親 善 関 係 に在 る し 、 日本 の某 経 済 的 機 関 は白 党 及某 新 聞 に物 質
派 し て単 に 日本 国 民 の利 益 の為 に、 三菱 の利 益 を無 視 し て無 闇 に譲
態度 を 改 めし め協 約 の成 立 を 余儀 な く さ せ た故 に、若 し加 藤 内 閣 に
的援 助 を与 へて居 る 。之 等 は無諭 断 然 やめ ら れ な け れば な ら ぬ。
日本 の官 権 のみ な らず 商 人 と 雖 も露 国 の白 党 の敵 であ り 、又 其 の
し て交 渉 を成 立 せ し め な か つたな ら 清浦 内 閣 の轍 を踏 ん だ に違 いな
議 会 開会 二 日前 に協 定 に成 立 せ る事 は加 藤 首 相 の対議 会 政 策 であ
い。
であ る 。
立 は 太平 洋 岸 に於 け る久 遠 の平 和 を確 保 す る決定 的 条 件 と成 る も の
更 に 日本 は 近時 の国 際 的難 局 より離 脱 し 得 、 又労 農 は極 東 に於 け
大 部 分 は 政治 的 、刑 事 的 の犯 人 であ る事 を知 得 し な け れば な ら ぬ。
け れば な ら ぬ。 目 下満 鉄 の執 り つ ゝあ る政 策 の如 き は決 し て満 洲 に
満 洲 に於 け る 日本 の商 工業 者 と 露 国 の経 済 機 関 と の間 には 了 解 が な
﹁健 全 な る利 己 主 義 ﹂ に基 づ い て始 め て解 決 し得 た の であ る 。
扨 て両 国 民 は此 の期 を劃 し て西 比利 亜 出 兵 以 来 の偏 見 を永 遠 に胸
る正 当 な る利 害 関 係 を 保持 し得 る であ らう 。 国 際政 策 の要 諦 は常 に
裡 より 一掃 せ ねば な ら ぬ 。尚 此 の期 に際 し 言論 機 関 は過 去 の誤 解 を
於 け る 日露関 係 に適 応 し たも の でな い。満 鉄 は今 日 迄烏 鉄 と戦 闘 状
成 立 し た今 日 、互 恵 互譲 の精 神 に立 脚 し 、露 国 の経 済機 関 と協 同 し
解 き両 国 の友 誼 を鞏 固 にす る こと に努 む べき であ る。
態 に在 ると 考 へて居 る 大蔵 男 を始 め共 の他 の満 鉄 の有 力 者 は協 定 の
決 し て経 済 戦 の為 に幾 百 万 の巨 資 を放 棄 す る が如 き 事 が あ つて はな
異 にし 、 平等 を根 本 精 神 と し て居 る 。樺 太 撤 兵 、尼 港 事 件 に対 し 日
今 度 の 日露 協 定 は大 連 、長 春 、 東 京 会議 の協 定 と全 然 其 の本質 を
ノ ーウ オ スチ ・ジ ーズ ニ (一月 二 十 五 日)
ら ぬ 。之 を 要 す る に吾 人 の考 へを 以 てせ ば 、本 月 廿 日調 印 せら れた 日露 協約 の精 神 を確 実 に実 現 せ し め ん為 には 、
本 は先 に政 治 経済 上 の代 償 を要 求 し た る に、 本 協 定 に依 れば 日本 は
第 一、 日本 の商 工業 界 と 事 業 上 の提 携
第 三 、 日露 商 工業 関 係 の発 達 を 計 り極 東 諸 民族 の親 交 を 保護 す る
更 に前 会 議 の際 は 日本 は 露 国領 土 内 に於 け る 日本 人 の治 外 法 権 を
る こと に な つた 。
に止 め、 又 樺 太 撤 兵 は気 候 の関係 上 五 月 十 五 日迄 に全 部 の撤 兵 を見
態 度 を 一変 し 、 尼港 事 件 に就 て は労 農 代表 が衷 心遺 憾 の意 を 表 す る
第〃 二 、 日本 の労働 者 と の同 胞関 係
事 第 四 、亜 細 亜 民族 を他 国 の帝 国 主 義 よ り脱 脚 せ し め んと す る 我 が 露 国 の総 て の事業 に対 し亜 細 亜 民族 の精 神 的援 助 を要 す る 事
要 求 せ る に反 し 、 本協 定 には 一言 も之 に言 及 せず 、飽 く迄 両 国 の対
に帰 着 す る。 而 し て吾 人 は 日本 の多 数 民衆 は極東 諸 民族 間 に真 の平 和 を 齎 さん が為 、 吾 が露 国 と 親 善 関 係 を 実 現 せし め る事 に努 力 す る
等 的精 神 を厳 守 す る こと にな つた。
た 。然 れど も 茲 に協 定 の成 立 を見 、労 農 の国際 的 地 位 は多 大 の前 進
し て協 定 不 成 立 の為 に未 解決 と な つて居 た も のは 枚 挙 に遑 がな か つ
日露 協 定 の成 立 は 極 東 に取 り て重 大問 題 であ る 。各 種 緊 急 問 題 に
の半 分 を 提 供 す る事 は露国 に何 等 の損 失を 齎 す も のでな く 、 寧 ろ 日
富 源 開 発 に必要 な る資 金 を有 せざ る に想 到 す れば 、 日本 に樺 太油 田
富 源 経 営 権 を享 有 し 得 る に至 つた 。 又露 国 が樺 太其 の他接 壌 地方 の
宣 明 せ し所 のも のを 実 現 した の であ る。 即 ち 日本 人 は 極東 に於 け る
に最 大 の特 典 を附 与 せ しも の であ つて、 既 に数 年 前 よ り労 農 政 府 が
労農 露 国 は 日本 人 に対し 利 権 の提 供 を 許 可 し た。 勿 論之 は 日本 人
事 を信 じ て居 る。
を 為 し得 たと 共 に今 後 は 日 本 の大陸 政 策 は 常 に労 農 の利 害 と 一致 し、
ノ ー ウオ スチ ・ジ ーズ ニ (一月 二十 二 日)
日 露 は総 て の問 題 に就 て提 携 し 解決 し得 る であ らう 。 特 に協定 の成
上 に出 でな いと言 ふ事 は明 瞭 な る事 実 であ ら ねば な ら ぬ。 而 し て真
く も急 速 に日露 が歩 み寄 つた か に就 て は今尚 不明 であ る が、米 国 の
を 樺 太 に確 保 す る に至 つた で はな いか。 如 何 な る困 難 で か
夫 は事 実 上 の占 領
本 が採 掘 せ し石 油 、 石 炭 の五乃 至 十 五% を無 償 で露 国側 に分 与 す る
の勝利 者 は日 本 であ る。 日本 コンセ ツ シ ヨ ン︱
態度 が変 化 し た 專 が協 定 成 立 を促 進 せし め た動 力 であ る、 と は考 へ
た る︱
儘 残 さ れ る こと に決 した る が 、然 し 之 に関 し露 国 は 既 に防 禦 線 を 張
得 る所 であ る 。
最 も重 大 な る は旧 債 問題 で あ る。 本問 題 は将 来 の会議 迄 未 解 決 の
条 件 な るが 故 に露 国 に取 り て は有 利 た る を失 は ぬ。
り、 協 定 本 文中 に ﹁旧債 問題 解 決 に当 り 日本 は 聯 合 国政 府 が同 様 の
昨 年 の震 災 で日本 が蒙 つた創 傷 を 医 し 、側 露 国 に何 等 の損 失 を 与 へ
労 農 露 国 は 日本 に 対し 利権 の長 期 譲渡 を為 し た るが 、当 利 権 は 一
み取 つた餌 であ る。 夫 で日 本 政府 は輿 論 に 対 し、 此 の承 認 に就 て法
承 認促 進 の因 を成 し て居 る。 此等 社 会 を動 か した も のは他 人 よ り盗
風説 が与 つて 居 らう 。 又 日本 に於 け る或 る種 社 会 の態 度 も 或程 度 迄
し て かく も 断然 た る行 動 に出 さ し めた のは米 国 の露 国 承認 に関す る
他 の情 況 に於 て は違 つた 経 過 を取 る べき筈 の会 商 に於 て、 日本 を
問 題 に就 き 、 他 の何 れ の国 よ りも 有 利 な る 地位 に立 つを得 ず ﹂ の事
ず 経 済 上 充 分 許容 し得 るも ので あ る。更 に本 協 定 成 立 は太 平 洋 岸 に
項 を挿 入 し た ので あ る。
於 け る政 治 上特 に重 大 な る 影響 を 及 ぼす を骨 子 と す る も の で、 労 農
在 の日本 国内 の事 情 に鑑 み、 司法 当 局 の非 常 な警 戒 を要 す る事 であ
只欧 洲 に於 け る経 験 に依 る と 、ボ リ シ エヴ イキ ー禍 に対 し て は現
理 的 に充 分 な る申 し 開 き を 成 し得 よう 。
ソヴ エート露 国 の新 聞 は ﹁又 々外 部戦 線 に於 け る 新勝 利 ﹂ と し て
ン セツ シ ヨ ンを露 国 から 切去 る事 は 実 に垂 涎 す べ き事 で、 此 の為 に
る 。 日本 は肉 魂 を 切取 ら ん が た め幾 度 か考 へた樺 太 に於 け る油 田 コ
ルス キ ー ・ゴ ー ロ ス (一月 二十 二日)
の使 命 と す る極 東 平 和 の為 に多 大 の前進 を為 し 得 た も ので ある 。
の事 実 の 一般 的 価 値 を 論 じ て見 よう 。
コペ イ カ (一月 二十 二日 )
神経 的 嫌 悪 の情 も麻 痺 す る のは当 然 であ る。
日露 協 約 の成 立を 評 価 す る で あら う 。詳 細 な る研 究 は暫 ら く 措 き 此
日露 協 定 の成 立 、即 ち露 国 皇 帝 の血 に手 を染 め た ボ リ シ エヴ イ キ ー を 日本 帝 国 が承 認 した 、 と い ふ事 は ソヴ エー ト政 府 の満 足 であ る
し た で はな いか、 と。 然 し 此 の承 認 の為 に幾 何 の犠 牲 を払 つた に就
に違 ひな い。露 国 聯 邦 の威 力 は増 大 し つ ゝあ る、 日 本す ら 之 を 承 認
而 し て此 の日本 の承 認 は C C CP の対内 宣 伝 に充 分 に利 用 さ れ る
列強 の政 策 は早 晩 多 大 の変 化 を脱 れ 難 く 、特 に極東 と樒接 不離 の関
にす る、 又或 は極 東 三 国 の同 盟 成 立 の様 子 は之 によ り て成 り 、為 に
つた。 就 中 日露 の協 調 は 支 那 の平 和 統 一を助 長 し 、其 の基 礎 を安 固
東問 題 に就 て は 三国 共 同 し て国 際 場 裡 に立 つこと が出 来 る こと にな
日露 協 定 が愈 調 印 され た 。 茲 に 日、 露 、支 の完全 な提 携 成 り、 極
て は露 国 公 報 も 、協 約 そ の物 も明 示 す る を避 け る だ らう が、 此 の協
係 にあ る米 国 は遂 に其 の外交 政 策 を急 変 し て露 国 を承 認 す る に至 る
の みな らず 、彼 を し て櫟 つ度 き感 を起 さ せ る のは 勿 論 であ る。
定 よ りボ リ シ エヴ イ キ ーが贏 ち得 る実際 上 の結 果 が 、英 仏 の承 認 以
であ らう 。 ザ リ ヤ (一月 二十 五 日朝 刊 ) 両 国 の貴 任 範 囲 は今 の所 完 全 に知 る ことは 出 来 な いが 、両 国 相互 関係 の基 本 的性 質 は明瞭 で あ る。 ソヴ エート露 国 が承 翻 諸 国 と締 結
レ ンに於 け る シ ンク レ ア会 社 の利 権 に就 て抗 議 し (既 に抗 議 し来 れ
交 渉 成 立 を 為 し た る こと に不満 の意 を 通告 し 来 る べ く、 米 国 は サガ
り と言 ふ)、将 来 西 伯 利 方 面 に活 動 す べく 力 を 注 ぐ 為 、多 数 の人 を
派 す る計 画 あ る の みな らず 、英 米 は 両国 に て世界 の海 上 の独 占 権 を
得 ねば 将来 英 米 は屈 辱 を見 る べし 、 と て海 上 に於 け る動 作 を共 同援
助 し 、殊 に 太平 洋 に於 け る海 上 権 に就 ては 日 、露 の進出 を許 さ ざ る
し た協 定 と同 様 に 日露協 定 に依 れば 、労 農 領 土 内 に於 け る日 本 人 は 自 国 人 た る露 人 に比 べ て多 大 の特 典的 地位 を把 持 す る ことが出 来 る。
計 画 を徹 底 す る に至 る べ し、 と 言 ふ。
既 報 の如 く露 国 は 日 本 の承 認 によ り地 歩 は定 ま り た る も のと し 、
例 へば ソヴ エー ト人 民 に は制 限 を 加 へあ る私 有 財産 権 と雖 も 、 日本 人 は完 全 に之 を享 有 し得 る の であ る。 更 に日 本 は蕾 に樺 太 の石油 、
哈 調情 第 七 〇 五 号
六
秘
事 務官 代 理報 )
日露 交 渉 と ジ ノヴ イ エフ の努 力 (二月 五 日下 非 内務
大 正 十 四年 二 月九 日
哈爾 賓 事 務 所長
に対 す る抗 議 は何等 の問 題 にも せざ るべ し。
に て承 認 せざ れば 交渉 に応 ぜざ る腹 なれ ば 、 シ ンク レア会 社 の利 権
命 によ り没 収 した る 私有 財 産 の損 害 を為 さざ る の みな らず 、 無条 件
対米 問題 に関 し ては強 固 な る主 張 を なす 目的 に て、 旧債 の支 払 及革
五
秘
石炭 の みな らず 広 く 極東 一帯 に亘 り て富 源 の開 発権 を有 す る ことと な つた。
哈 調 情第 七〇 四号 哈 爾 賓 事務 所 長
日露 交 渉 調 印 と英 米 の態 度 (二月 五 日下 非 内 務 事 務
大 正 十 四年 二月 九 日
官代理報) 日露 交 渉 調 印後 在 米 国 ロスタ ー通 信 よ り秘 密 に露国 に入 り た る通 信 によれ ば ﹁ア ング ロサ ク ソ ンが世 界 の民族 支 配 を夢 見 て の外 交 上
国 内 に ては却 つて保 守党 の信 望 衰 へた る処 へ、 今 回 の日露 交 渉 調 印
の失脚 し て保守 党 の内 閣 と な り て より 、英 国 の対露 政 策 は激 変 し て、
ら ん。 元来 チ チ エリ ンは帝 政 時 代 よ り の外 交官 とし て、外 相 とし て
反 し 、極 東 の外 交 に見 るべ き も のあ る昨 今 チチ エリ ンと し て さも あ
の意 な り き。 チ チ エリ ン の担 任 せ る西 欧 外交 は却 つ て行詰 り たる に
りた るは 実 に ジ ノヴ イ エフ の努 力 にし て、 チチ エリ ンは無 条 件 承認
今 回 の日露 交 渉 調 印 は 日本 も譲 歩 し た るが 、露 国 の譲歩 す る に至
に よ り益 其 の不利 と な り た る が為 、英 国 は米国 に款 を通 じ 、米 国 の
に於 け る提 携 は益 鞏 固 と な り、 英 国 は前 の労 働 党 マク ド ナ ルド 内 閣
排 日等 を援 助 し、 一方露 国 に対 し ては英 米 の立場 を無 視 し て日 本 と
聯 す る 日露 関 係
目 下 当 地 に滞 在 中 の極 東 革 命 委 員会 の委 員 、在 極 東 財 政 及内 国商
の実権 は全 から ざ る が如 く 、 共産 党 首 領 た る ジ ノヴ イ エフ の掌 中 に
一、中 央 幹 部 間 に内 訌 を生 じ 、党 員 は巨 頭 を 中 心 とし て勢 力 を争 ひ
あ り 、 ジ ノヴ イ エフ が譲 歩 し て調印 に焦 慮 し た る理 由 、 次 の如 し 。
し左 記 の題 下 に 日露 関係 の将 来 に関 し述 べた る意 見 概 要 、何 れ新 聞
業 金 権員 エ ス ・エム ・イズ マイ ロフ氏 は 、最 近 当地 大 毎 特派 員 に対
に掲 載 さ る ゝ事 と は存 じ ます が御参 考 ま で に訳 報致 し ま す。
あ り 、群 雄 割拠 の状 を呈 せ ん と し た る こと 、 ト ロツキ ー問 題 も非 常 に影 響 し た り。
と に し て、 今 日 に於 ては 西 方 の外 交 は 其 の儘 に ては 容易 に露 国 の
三 、行 詰 りた る 西方 の外 交 を極 東 外 交 を 以 て解決 の手 段 と し た る こ
れ 、新 制 の確 実 な貨 幣 に よ つて 、其 の天 然 富 源 を開 拓 し 、又 極東 市
布 かる ゝ ことと な つた。 斯 く て極 東 は従 来 の紊 乱 せ る幣制 から脱 が
な チ エルウ オネ ツ ツ貨 幣 、 ソヴ エー ト新 鋳 の銀 及銅 貨 に拠 る貨 幣 が
今 や極 東 で は幣 制 改革 が行 な は れ ソヴ エート 共和 国 と 同 じく 堅 実
有 利 に解 決 す る の見 込 な か り し を以 て、極 東 の地歩 を定 む れば 自
場 と隣 接 せ る地 の利 を利 用 し て 、其 の経 済 を振 興 し 得 る機 運 に達 し
二、国 内 に対 す る人 民 の政 府信 用 を増 さん が 為 の方 法 と し た る こと 。
然 に解 決 す る と見 たり 。
立極 東 銀 行 其 の他 銀 行 の営 業 は其 のバ ラ ン ス の増 加 に依 つ て判 断 す
わ れ た のを 見 る。 極 東 露 国 の貿 易 額 は 本年 に な つて著 し く増 え 、国
幣 制 改 革 の結 果 今 日既 に ソヴ エート極 東経 済 に幾多 の好結 果 が現
得 た の であ る。
五 、隣 国 の支 那 と の外 交 に於 ても 茲 暫 く は支 那 よ り 日本 の勢 力 を駆
れ ば著 し く増 加 し、 天 然 富 源 ( 木 材 、 魚 類、 柔 毛 及採 金 ) の開 拓 も
面 白 からざ る 日本 と 提 携す る必 要 あ り。
四 、対 米 外 交 に就 ても 無 条件 承 認 を 為 さ し む る には 、米 国 と の感情
こと 。 支那 に於 け る 反帝 国 主 義 運動 も主 とし て英 米 の勢 力 駆逐 の
逐 す る は 不可 能 な る を 以 て、 日本 と提 携 す るを 以 て得 策 と 見 た る
算 に好 影響 を及 ぼし 、 か のソヴ エート共 和 国 の本年 度 予 算 が 不換 紙
亦盛 ん にな り つ ゝあ る 。 そ し て是 等 の事 情 は自 ら 我 が極 東露 国 の予
︹マ マ︺
方 法 と な る べし と言 ふ に信 ぜ ら れず 。
ソヴ エー ト政 府 が 浦 塩港 に通 過 地 帯 を設 定 し 、 満 洲 の輸 出 入貨 物 の
高 ま り つ ゝあ る。 極 東 の鉄 道 業 は又追 々盛 ん にな つて ゆく が 、最 近
場 を保 ち殆 ど動 揺 な く 、 又其 の国 内 で の購 買 力 は 本年 にな つて漸 次
知 留 の為 替 相 場 は 強固 で 対金 留 、米 弗 若 し く は英 磅 上 恒 に法 定 相
て我 が天 然 富 源 の開 拓 に流 用 し 得 る程 で ある 。
に良 好 で あ る。 即 ち 茲 で は収 支 予算 上若 干 の余 剰 を得 、 之 を利 用 し
幣 の発 行 に頼 らず 収 支 を平 衡 せし め得 た に比 べ て、極 東 の予算 は更
之 を要 す る に諸 般 の状 況 よ り国 際 上 の提 携 と国 内 の基礎 を鞏 固 に す る為 、 日露 の交 渉 成立 を焦 慮 し た る も の の如 し。
七
哈 爾 賓事 務 所 長
大 正十 四年 二 月十 九 日
哈 調情 第 七二 四 号
ソヴ エート極 東 の財政 経 済 状 態 及 日露 協 約 締 結 に関
る であ らう 。
の問 題 解 決 上時 に円 滑 を欠 く事 が以 前 にあ り将 来 も あ るだ ら う が、
る 発達 は 相 互的 に利 益 を 齎 ら す と い ふ点 であ る。勿 論 両 国間 の箇 々
る。
八
大 正 十 四年 二月 二 十 六 日
哈 調 情 第 七 五 四号
哈爾 賓 事 務 所長
我 々 のみ でな く 、極 東 の諸 国 民 に幸 福 を齎 らす こと を確 信 す る に在
要 は此 の種 の局部 でな く 大 局 で あ る。 又両 国 民 が今 次 の協 約 が只 に
為 に凡 ゆ る特 典 を附 与 し た の で、 極東 の鉄 道 経済 は将 来 更 に発 展 す
極 東 外国 貿 易 のバ ラ ン スは現 在 輸出 超 過 であ る 。尤 も是 迄 は ソヴ エー ト極東 は欧 露 産 の商 品 の供 給 を う け て居 り 、 又 他方 接 壌 せ る諸 国 の 工場市 場 と の密 接 な る経 済 関 係 を欠 い て居 た ので、 之 等 市場 か ら ソヴ エート極 東 に必要 な種 々の商 品 及 工芸 品 を輸 入 し 、其 の代 り に 我 が地 方 の生産 品 輸 出 を 発達 せし む る ことが出 来 な か つた の であ る 。此 の点 か ら見 て 日露 経済 関 係 の発達 上特 に重要 な意 義 を有 す る のは 、現 在 の両国 経 済 関 係 に貢 献 す べき使 命 を有 す る 金融 機 関 であ
に関 す る件
日 本 に極 東 銀 行 支店 開 設 の件 並 に 日露 貿易 金 融 問題
つた か の極 東 銀行 及 ソヴ エート極 東 内 で働 いて居 る朝鮮 銀 行 の事 業 は 、 日露 の経 済的 従 つて政 治 的関 係 を密 接 な ら しむ る特 種 の役 割 を
支 を極 東 の三主 人 公 と看 倣 し て所 謂 ﹁太平 洋 問 題 ﹂、 日 米 露 関 係 、
を提 出 中 で あ る。 内 務 省 の認 可 あ り 次第 神 戸 、函 館 の二 ケ所 に支店
て ゐた処 、 近 く 同庁 の許 可 あ りた る ため 目 下 日本 内 務省 に正 式願 書
こと に定 め、 神 戸滞 在 中 の同 行 員 を し て兵庫 県庁 と内 々交 渉 せ し め
極 東 銀 行 は日 露交 渉 成 立 と共 に日本 主 要貿 易 地 に支店 を開 設 す る
一、 日本 に極 東銀 行 支 店 開 設 の件
キ ン氏 の当 所 特 報員 に語 れ る所 、左 の通 り。
首 題 の件 に関 し在 哈 ハバ ロ フ スク極 東銀 行 代表 ア ・ウ エ ・ポ シ リ
演ず べ き であ る。 そ し て是 等 の銀行 が将 来 活躍 す る範 囲 は 日露 貿 易 勘 定 の計 算 上 、 円貨 及露 貨 の取 扱商 業 に対 す る投 資 及 金 融 、通 過 輸 送 及 隣接 市 場 に対 す る援 助 、 金融 等種 々方 面 が広 く多 い。 日露 条約 の意 義 は カラ ハ ンが述 べ た様 に、締 結 さ れ た条 文 の事 実
全 極 東 を極 東 経 済 問 題 と 称 せ ら る ゝ複雑 な政 治 及 経済 関 係 を観 察 し
を設 置 す る計 画 であ る 。
的 内 容 よ り遙 か に広 汎 な も のであ る。此 の観察 の正 し い事 は 日 、露 、
て見 れば 想 ひ半 ば にす ぐ る も の があ ら う 。凡 て之等 の大 問 題 は 外 見
右 支 店 開 設 の目的 は主 とし て 沿海 州 方 面 と貿 易 す る機 関 に金 融 を
二 、営業 に関す る件
東 銀 行 の支 店 で あ る。
尚 右 両支 店 は哈 爾 賓 支店 に従 属 す る も の でな く 、 ハバ ロ フス ク極
上 日露 関 係 と 関係 がな いよ う で、 其 の実何 等 か の点 で極東 全 局 の平 和 及経 済 的 発 展 に接 触 し て居 る。 英国 のデ リー ・テ レグ ラ フが 日露 協 約 を指 し て、 極 東 の経 済 に新
日露 協 約 の基礎 を保 障 す る楔 子 は両 国 の生産 力 及 国 民 経済 に於 け
局 面 を打 開 し た も のと称 し た のは尤 も であ る。
央 執 行 委 員会 は財 務 人 民委 員 会 と協 議 の上 、 日露 貿 易 は 輸 入 額 を
図 り 、 且 為替 事 務 を も 取扱 は んと す る も の であ る。 最 近 モ ス コウ中
ーは大 統 領 ク ー リ ツ ヂが 対露 問 題 に関 し強 硬 な る意 見 を有 す る を以
於 ては 日 支露 の三国 同盟 は太 平 洋 に 対す る 一大 恐怖 な り と て、 ポ ア
一例 を 挙 ぐ れば 、在 米 共 産 党情 報 部 よ り の情 報 に依 れ ば、 米 国 に
手 段 な り。
一〇
日露 貿 易 に関 す る件
調査 課 情 報 係
庶 ・調 査 課 宮 崎 正義 情 報 (大 正十 四、 三 、 十九 )
庶 調情 第 二八 八 八 号
秘
承 認 を得 ん為 、 日 支露 同 盟説 を流 布 す るが如 き は ソヴ エー ト の常 套
と 言 ふ。 暫 く 世 界 の外 交 の動 き に注 意 す る の価 値 あ り。 蓋 し 米国 の
さ て露 国 外 交 の成 功 と な し、 共 産 党 幹 部間 には其 の喜 び の色 あり
て 、之 を 軟 化 し承 認 の気 運 を促 進 せ し む べく 会 見頻 繁 とな り た り。
(五百 万 知留 ) と定 め 、輸 出 額 も 大 体 之 に準 ず る事 と決 議 し た る旨
尚 同 行 の貿 易 に 対す る金融 資金 は目 下 日本 政 府 に保管 中 の漁 業 税
極 東 銀 行 に伝遠 があ つた 。
哈 爾 賓 事務 所 長
を 以 て之 に振 当 て る計 画 であ る 。
九
大 正 十 四年 三月 三 日
哈 調 情 第 七 六 三号
露 国 と西 欧 外 交 に関 す る件 (二月 二十 六 日附 下井 内 務 事 務 官 代 理報 ) 過般 伯 林 新 聞 に伝 へら れ た 日支露 密 約 説 に対 し、 独逸 も 加盟 す る
該 情 報 は日露 協 会 大 連 支部 幹 事 佐 藤 有 二氏 が三 月 十 日哈 爾 賓駐
在貿 易 官 ピ ス クー ノ フ と会 見 の際 に交 へた問 答 であ つて、 佐藤 氏
であ る。 目 下 哈爾 賓 商 業 会議 所 に て は之 が 対策 と し て、 該 貿 易官
が特 に宮 崎 氏 に内報 さ れた も ので あ るが 、 日露 貿 易 上重 大 な問 題
る露 国 の対西 欧 外 交 の手 段 な り 。
必 要 あ り と言 ふ問題 は 、日 露 の交渉 調 印 の機 会 を最 も 巧妙 に捕 へた
独露 の関 係 は昨年 秋 伯 林 派 遣 の露 国 商 務 官 の宣 伝 問 題 の為 、 一時
に対 し 、同 地 にて 対 日貿 易 も為 す 様 、 佐藤 氏 の名 義 を以 て陳 情的
悪 化 し 居 り た るも最 近 は亦 親 密 に進 み つ つあ り。 之 が為 仏 国 は独 逸 を 怖 れ 居 り、 英 米 は依 然 と し て対露 外 交 は 強 硬 な り。 西 欧 諸国 の対
記
交渉 を試 む る筈 で あ る。 左
露 外 交 の軟 化 を招 致 す べく 、 日支露 の三国 密 約説 に対 し 独逸 も加 盟
ピ、当 貿 易 館 は 専 ら支 那 に対 す る商 取 引 機 関 にし て在 北京 総 貿 易官
佐 、貴 貿 易 館 の権 限 及其 の事 務 を知 り たし 。
の必 要 あ り、 と 露 国 が独 逸 と暗黙 の内 に宣 伝 し た るも のな る も 、 日
日露 交 渉 に 対す る露 国 の目 的 は半 ば西 欧 外 交 の対策 手 段 な り し も、
ク ルイ シ コ氏 の指揮 を受 け て 、露 国 と北 支 那 と の貿 易 を 一手 に行
支 露 の同盟 は黄 禍 と し て、 白 人 に恐怖 の念 を 与 へた るは 成 功 な り。
右 密 約説 に依 り 一層 其 の効 果 を 見 る に至 り た り、 と 言 ふ 。
ふ て居 る。
ピ、大 連 は 日本 に属 す る故 に大 連 商 人 にし て露 国 と取 引 せ ん とせ ば 、
佐 、 然 ら ば従 来 日露 貿 易 に対 し て優 勝 の位 地 に在 り たる大 連 は 今 や
函 館 駐 在露 国 貿 易 官 と接 衝 しな け れば な ら ぬ。
ピ、 函館 に貿 易 官 駐 在 す る今 日 に於 て は、 日本 品 を当 地 に於 て購 入
非 常 に不利 の位 地 に立 てり 。 地 理的 に大 連 を支 那 とし て扱 ふ訳 に
佐 、貴 館 は当 地 に於 て日本 品 を 購 入 す る や。
す る権 能 な し 。 日 本製 脱 脂 綿 を 当 館 に於 て購 入 した る は 日露 協 約
行 かざ る や。
件其 の他 に就 て 一々貿 易 人 民委 員 会 又 は在 外 貿 易 官 の許 可 を要 す
事 なら ん。 之 等 の特 許 団 休 と雖 も 、 取引 物 品 数 量 、価 格 、 支払 条
事特 許 団 体 と 商売 を す る の であ る が、孰 れ 日露 通 商 条約 締 結後 の
油 シ ンジケ ート 、極 東 材 木 シ ンジケ ート其 の他 の外 国貿 易 直接 従
ピ、貿 易 人民 委 員会 及全 露 購 買 組合 中 央同盟 織 布 シ ンジ ケ ート 、石
来 る や。
佐 、 日本 の貿 易 業者 が莫 斯 科 に出張 し て日露 貿 易 に従 事す る事 が出
商 人 に取 り便 利 な る べし 。
に貿 易官 の事 務 を 任 せ る事 にな つて居 るか ら 、同 館 開設 後 は大 連
ピ、 最 近 大連 に露 国 領 事館 を設 置 す る こと にな つて居 る。 其 の領 事
調 印前 の事 な り 。 総 て原 産 地 に於 て生 産 者 よ り直 接 購 入 す る のが 我等 の原 則 であ つて、 第 三者 又 は第 三国 の仲 介 は 一切拒 絶 し て居 る。
を も相 手 と せざ る や。
佐 、 三非 、 鈴 木 は コムミ ツ シ ヨ ン ・マー チ ヤ ントな り 。之 等 の も の
ピ、 三井 、 鈴 木等 は 日本 に於 け る幾 多 生 産 企業 の代 理 店 で居 る。 即 ち 生産 者 の委任 に基 づく 商 品 に就 て は彼 等 を 対手 と し て取 引 す る。 佐 、印 度 産 麻袋 及 ジ ヤワ産 砂 糖 及酒 精 等 を 当 地 に於 て購 入 し て居 ら る ゝと同 様 に、 日本 製 品 を 大連 又 は当 地 の商 人 より購 入 す る こと は出 来 ぬや 。 ピ、 日本 には 既 に函 館 に貿 易 官駐 在 し事 務 を開 始 し て ゐ る から 、露
る。
佐 、 日露 貿 易 上 よ り見 たる浦 塩 の位 地 如何 。
国 へ輸 入 を 目的 とし て日 本 品 を当 地 即 ち第 三国 に於 て購 入 す るは 不 可 と さ れ て ゐ る。 印度 及 ジ ヤ ワ には露 国 の代表 者 が居 ら ぬ の で
要 とす る外国 品 は 一切 貿易 人民 委 員会 よ り供 給 を仰 ぐ のが原 則 で
ピ、浦 塩 は商 業 上 に於 ては純 然 た る内 地商 市 であ る 。 地方 に於 て必
あ る が、 地 理 上 の関 係 よ り し て貿 易 人民 委 員 会 の許 可 を得 て、 直
つ て居 る のであ る。
便 宜 上当 地 で購 入 し て居 る 。之 等 の事 は例 外 的特 許 に基 づ い てや
佐 、函 館 に駐 在 す る貴 国貿 易 官 は 日露 貿 易 全 体 を管 掌 す るや 。
接 外 国 よ り購 入す る こと あ り。然 れ共 日本 の如 く貿 易 官駐 在 せる
ピ、 支 那 への売 込 品 は ゴ ム靴 、 織物 、石 油 、薬 品、 材 木 、石 炭 、鉄
佐 、 現 に貴 館 に於 て取扱 ひ つ ゝあ る物 品 を 知 り た し。
国 よ り の物 品 は其 の駐在 官 を経 て購 入す る。
ピ、然 り。 対 日貿 易 全 体 を取 扱 ふ て居 る が孰 れ其 の内 東 京 に総 貿 易 官 を置 き 、 其 の下 に大阪 、 神 戸 、横 浜 等 にも貿 易 官 を 配 置 す る事 と な るべ し 。 佐 、 日露 貿 易 よ り観 た る大 連 及大 連 商 人 の位 置 如 何 。
鉱 、 穀 物 、購 入品 は 砂糖 、 酒 精 、麻 袋 、穀 物 、薬 品 、茶 。 佐 、取 引 条 件如 何 。 ピ 、取 引 条 件 は 対手 に依 り 、物 に より 異 な る。 兎 も角 相互 に相 当 の
哈 爾 賓事 務 所長
一 一
信 用 を 必要 と す る。
哈 調情 第 八 一七 号
は更 に現 実 的 日本 に利 益 を齎 す 極東 富 源 開 拓 に関 す る交 渉 で あ る。
開 き或 程 度 の商 的 関係 が行 な は れ始 め た。 而 し て次 に来 る べ き も の
然 る に 日本 軍 閥 は 未 だ其 の武 力 的侵 略 主 義 を 捨 てず 、 北 満 洲 は勿 論 、
る計 画 の下 に四 平 街︱ 〓 南 ︱ 斉 々哈爾 ︱ 黒 河 鉄道 の建 設 に着 手 した 。
極 東 露 領 に対 し て毒 牙 を振 は ん と企 画 し て居 る 。彼 等 は其 の周到 な
之 に依 つて彼 等 は 或程 度 迄 東 支 鉄 道 を経 済 的 に弱 め 、露 国後 方連 絡
線 を遠 くブ ラ ゴ エチ エン スク附 近 に突 か んと す る戦 略 的 鉄 道 を開 か ん と す る も の であ る 。
◎ 日 本軍 閥 の沿 海 州 孤 立 計 画。
日 本国 民 衆 の日露 協 約 歓 迎 と帝 国 主 義者 の野 心 。
日露 親 善 関係 と〓 斉 、 吉 敦 、清 津 ︱ 三姓 の三鉄 道
道 は、満 鉄 と吉 長 鉄道 を 以 て連 絡 す べく 、 哈爾 賓 ︱ 浦 塩 間 の東 支 鉄
沿海 州 を全 く孤 立 な ら し めん と す る も の であ る。
し て居 る。 即 ち 此 の鉄 道 に依 つ て ハバ ロフ スク の背 後 地 を脅 威 し て、
又彼 等 が企 画 す る清 津 ︱ 三 姓 鉄 道 も同 じく 経済 的 戦 略 的使 命 を有
◎
日 本 の武 力 と帝 国 主 義 的 勢 力 は没 落 し つ ゝあ る。
道 に比 し短 距 離 な る は言 を俟 た ぬ。
大 正 十 四年 三 月 二十 六 日
◎ 露 国 に対 し て積 極 的 戈 を 収 め よ。
ふ事 であ る 。其 の力 と其 の好 意 は 一つ に日本 国 民 大衆 に係 るも ので
日本 帝 国 主義 者 の忘 却 せ る 一事 は 、 其 の栄 華 は永 久 なら ず 、 と言
大 なる も 実 行力 乏 し﹂ であ る。
﹁露 国 は 強 大 と な り て日 本軍 閥 の歯 の立 たざ る に至 る べ し ﹂ ﹁ 企画
優 し﹂ と言 ふ宗 教 的 諺 があ る。 之 を ソヴ エー ト露 国式 に言 ふ な らば
﹁神 の助 く る者 は何 人 も 之 を傷 く る能 はず ﹂ ﹁悪魔 は怖 し き も 神 は
に対 す る平 和 的 政 策 に依 り充 分 な る説 明 を加 へる事 が出 来 る 。然 し
日 本帝 国 主 義 者 の抱 蔵 す る大 野 心 は単 に右 軍 閥 のソヴ エート露 国
更 に豊 饒 な る東 部 北 、南 満 の清津 ︱ 敦 化 を 経 て吉 林 に至 る予 定 鉄
◎
三 月 二 十 六 日 トリブ ー ナ紙 は ﹁ 実 現 の運 命 を有 せざ る 帝 国 主義 鉄
日 本 が ソヴ エート露 国 と条 約 を締 結 し た事 に依 つて将 来 両 国 の間
道 ﹂ と題 し 、左 の社説 を掲 げ て居 る。
には ノ ル マ ルな政 治的 及経 済 的 関 係 が設 定 せら れ な け れば な ら ぬ。 而 し て ノ ル マ ルな政 治的 関 係 は ノ ル マ ルな 経 済関 係 を度 外 視 し て成
日露 両 国 は既 に大使 を交 換 し 日本 金 国 に は公 人 を 交 へた大 祝賀 会
立 つも ので な い。
の波 が漲 り 、商 工業 者 は非 常 な好 意 を 示 し て居 る 。殊 に 日本 国 民大
の日本 は其 の労 働 階 級 に属 す る と言 ふ事 を確 言 し得 ら れ る。 此 の労
あ つて、 日 本 の武 力 と帝 国 主義 的 勢 力 は 既 に過 去 の事 に属 し 、 将来
斯 く し て条 約 締 結 後 日本 は先 づ 樺 太 の撤 兵 に着 手 し 、郵 便 連 絡 を
衆 は国 交 の回復 を喜 ん だ。
国 内 に て、 職 業 組合 同 盟 の機 関 た るプ ロ フ ・プ レ ツ ス社 に働 け り。
の中央 会 議 員 とし て同 会 に出 席 せ り。 一九 〇 五年 の終 り に窃 か に露
次 で再 び外 国 に赴 き欧 洲 戦 の初 期 に帰 還 せ り。 動 員 令 に て召 集 さ れ
働階 級 は自 ら真 の平 和 政 策 を 立 て ゝ実 行 す る であ ら う。 見 よ、 最 近
農 民 不満 の大 浪 、 革命 気 運 の高 潮 、両 院 に於 け る民 主 主 義 の濔 漫 、
に於 け る衆 議 院 及 貴 族 院 に於 け る騒 動 を 、擲 り 合 ひ をけ !!
一八年 解 放 せ ら れ露 国 に帰 還 す ると 同時 に聯 合 国 露 国 々民 外 交委 員
会 々議 に勤務 す る こ と とな れ り。 初 め在 伯 林 ソヴ エト政 府 公使 の参
戦 闘部 隊 に編 入 せ ら れ て、戦 線 に赴 き 間 も な く捕 虜 と な れり 。 一九
事 官 に任 ぜ ら れ 、 一九 一九年 六 月 よ り 一九 二一 年 五 月迄 独逸 の聯 合
之 は 皆 帝国 主 義 没 落 の徴 であ つて 、 近
あら ね ばな ら ぬ。産 業 的 危 機 は経済 上 に影 響 を 及 ぼ し て居 る で は な
国 露 国 代表 た り。 一九 二一 年 末 莫 斯 科 に帰 り数 回 重要 な る政治 使 命
き将 来 に於 け る日 本 の政治 的 、 経 済 的 地位 は ﹁ 命 さ へあ れ ば﹂ 式 で
い か。而 し て此 の危機 を打 破 す る も のは戦 争 に非 ず し て平 和 で あ る。
下 層 民 の生 活 改 善 の叫 び !!
目 下 各種 の形 を 以 て ソヴ エー ト露 国 に対 し 積 極的 に戦 ひ を計 画 す る
哈 調情 第 三七 二号
一三
秘
哈 爾 賓 事務 所 長
て今 回 在 日本 ソヴ エト 聯 邦大 使 に任 ぜ られ た るも のなり 。
年 六 月 十 八 日 以後 は 、 ソヴ エト聯邦 国 民外 交 委 員会 委 員 た り。 而 し
と の通 商 条約 締 結 に は代 表使 節 とし て其 の任 務 を 果 せ り。 一九 二三
を受 け た り 。 一九 二 二年 莫斯 科 軍 備縮 少 会 議 の副議 長 たり 。 又芬 蘭
哈 爾 賓 事 務 所長
一二
も のは無 諜 の徒 であ る。 彼 等 の企 画 は砂 上 に立 つて居 る。
哈 調情 第 三 四 号 大 正十 四 年 四 月十 四 日
日付 中 村 内務 事 務 官 報 )
駐 日本 ソヴ エー ト聯 邦 大使 コツプ の経 歴 (四月 十 一
ヴ イ クト ル ・レオ ンチ エウ イ チ ・コツプ は 政治 的 一般 に卓 越 せ る
デ モクラ ツ ト機 関 に働 き つ ゝあり し 際捕 縛 せら れ 、裁 判 決 定 前 に逃
努 力 し 遂 に学 校 放 逐 され 、後 エカ チ エリ ノ スラウ に於 て ソ シ ア ル ・
張 せり 。 一八九 九 年 ハリ コフ学 生 政 治 運動 の群 に在 り て政 治 運 動 に
岸) に生 る 。 一八九 六 年 には既 に労 働 運動 の宣 伝 に従事 し各 所 に出
本 に赴 き 共 産 主義 を宣 伝 せし む る由 な り 。 ア ンムは表 面 牧 師 に し て
国 の中 央 党 執 行 部 は、 更 に仏蘭 西人 ア ン ムに命 じ ラ スキ ンと 共 に 日
蝎 の如 し 。 新 少年 輩 は皆 喜 ん で 我党 に加 入す る に至 れ り。 尚労 農 露
共産 主 義 に対 す る 了解 は長 足 の進 歩 を な し、 帝 国 主義 を憎 む こと蛇
日 本 に於 ける 吾 人 の計 画 は頗 る好 都 合 に進 捗 し つ ゝあ り、 日 本 人 の
去 る 七月 二 十 五 日 日本 より浦 塩 に帰 つた ラ スキ ンの報 告 に曰 く、
日本 に於 け る 共産 主 義 宣 伝 に就 て
大 正 十 四年 八 月 二 十 日
走 し て外国 に赴 き、 イ スク ラ社 に入 れ り。 一九 〇 二年 第 二回 露 国 共
経歴 を有 す 。 一八 八〇 年 十 月 二十 九 日 ヤ ルタ (ク リ ミヤ半 島 の南 海
産 党 大 会 開会 準 備 の為 に窃 か に露 国 に帰 り 、共 産党 運輸 関 係 労働 者
哈 爾 賓事 務 所 長
一四
数 名 の他 の牧 師 を引 率 し 居 れ り 。(八月 十 七 日戴 〓 卿 氏 報)
哈 調情 第 五二 〇 号 大 正十 四年 九 月 二十 八 日
(十 月 三 日 ルーポ ル紙 )
註 、 一、 本談 話 は日 本 を し て速 か に労 農 商事 代衷 機 関 を設 置 す る
二 、満 洲 里 に於 け る労 農 商 事 代表 は同 地 ゲ ・ペ ・ウ の長 なる
こと を 許可 せ しめ ん と す る の宣 伝 と観 察 せ ら る。
こと は 注 目 を要 す 。
労 農 外 国 貿易 人 民委 員 会 全権 代 表 ア ンド リ ア ーノ フ は浦塩 商 業 会
最 近 モ ス コーよ り帰 来 せる者 の談 に よれ ば 、 モス コーに て開 催 中
係 を 樹 立 せ ん とす る日 本 人 は、 通 商 問題 に多 大 の興味 を 抱 き 日露 協
日露 協 定 は 日露 貿 易 の振 興 を齋 す べ き も の にし て堅 実 な る 通商 関
議 に於 て、 日露 貿 易 の前 途 に関 し次 の如 く語 れ り。
の日露 細 目 会 議 は 、露 国 側 の新 提 案 に対 し 日本 側 屈 せず 金 く危 機 に
日本 は林 業 、漁 業 、 水 田 、昆 布 並 に日本 製 品 の販 売 に対 し多 大 の興
定 の調 印 終 る や、 彼 等 は 極東 に於 け る諸 機 関 と の交 渉 を 開始 せ り。
日露 細 目 会議 前 途 に関 す る件
瀕 せ り。 露 国 側 の提 案 は
に於 け る 我 が国 の購 買高 減 少 し、 且 利権 問 題 は 遅滞 し つ ゝあ り。
然 る に未 だ我 が対 日 通商 は事 実 に於 て貧 弱 にし て、 而 も最 近 日本
味 を 抱 き つ ゝあ り。
一、北 樺 太 に於 け る石 油 、 石炭 の坑 区 礦 山 の所 有 財 産 は悉 く労 農 政 府 の所 属 に帰 す る こと 。 ﹁該事 項 は北京 仮 条 約 に提案 さ れ ざ り し も の に て北振 会 の所 有 財産 百 万円 等 主 な る も のを含 む﹂ 一、 労 農 露 国 よ り譲 渡 さ れ た る礦 山 坑 区 よ り の五 〇 % は 、労 農 政 府
国 の外 国 貿 易専 業 権 を 承 認 し あ る に拘 らず 、 吾 人 は未 だ日本 に商 事
日露 協 定 は通 商 問 題 に触 れ、 且又 通商 関係 に於 て は 日本 は労 農 露
代 表 機 関 を 設置 せず 、 これ 即ち 日露 貿易 沈 滞 の根 本 原 因 な り 。 日本
之 を買 上 ぐ る の権 利 を 有 す と言 ふ に あり て 、労 農 露 国 は主 義 主 張 の点 よ り、 日 本側 は本 来 の目
政 府 は何 故 か我 が国 の商 事代 表 機 関 を 設置 せざ る 以上 、 日露 通商 を
又現 今 我 が 国 の紡 績 ト ラ スト が農 民 の紡 績 の需要 激 増 せ るを 以 て到
チ ヤ ツ カ に対 し 日本 は 約 二 百 万留 に相 当 す るも のを輸 出 し 得 べ し。
を輸 入 せば 、其 の金 額 は 三 、 四百 万 留 に増 大 す べ し。 漁 区 並 にカ ム
のな り。 我 が国 は紙 の輸 入国 た るを 以 て 、若 し烏 拉 爾 ま で日 本 の紙
に紙 類 な り 。現 在 極 東 地 方 のみ の紙 の需要 高 は 百 万留 に相 当 す るも
開 始 す る こと能 はず 。 我 が 国 が 日本 よ り輸 入 す べ きも のは 先 づ第 一
的 に より 互 に相屈 せず 。 依 つて代 表 等 は 或 は 近く 引 揚 げ来 る やも 知
一五
速報
哈爾 賓 事 務 所 長
れず 、 と 。
哈 調情 第 五六 五 号
ソビ エト露 国外 国 貿 易 全 権 の日露 貿 易 に関 す る談
大 正 十 四年 十 月 九 日
ては外 国 品 を輸 入 せざ るべ か らず 。 之 に依 り ても 日本 は露 国 に対 す
底露 国 の織 物 のみ に ては其 の需 要 に応 じ 難 く 、従 って極 東 地方 に於
る輸 出 に於 て二 百万 乃 至 二 百 五十 万 留 の増 加 を実 現 す べ し。 我 が 国 の経 済 振 興 の結 果従 来 不要 と せ る物 資 を も輸 入す べ く 、 又其 の他 の 必要 品 等 を 合 計 せば 、 我 が国 の日本 より の輸 入は 少 な く も 八百 万 乃 至 千万 留 に達 す べし 。 要 す る に通 商 関係 の実 現 と貿 易 の発 展 に関 し ては 日露 両 国 共 に多 大 の イ ンテ レ スト を有 す る も のな る を以 て 、 先づ相 互 の誤 解 を 捨 て 互 に信 用 を 持 た ざ る べ からず 。
写
哈 爾 賓 事 務所 長
既 報 首 題 の件 に関 し其 の後 の情 報 を見 る に、共 産 党 は最 近 国 内 に
官 代 理報 )
ト ロツ キ ー問題 に関 す る件 (一月 四日下 井 内 務 事務
大 正 十 四年 一月 七 日
哈 調情 第 六 二 三号
露 中 関係 並 露国 内 政諸 件
哈爾 賓 事 務 所長
二五
一
秘
大 正 十 四年 一月七 日
哈 調 情 第 六 二 二号
又 外交 方 面 に於 ても英 露 交 渉 の行 詰 り其 の他 も思 は し か らざ る も の
於 け る メ ンシ エヴ イ ー キ の擡頭 と共 に斯 の如 き中央 幹 部 の内 訌 あ り、
あ る を以 て、党 の統 一に苦 心 の跡 あ り、 今 ト ロツキ ーに関 す る情 報
露 支細 目 会 議 の件
﹁ 露 支会 議 本 部 に於 て は東 支 鉄道 に関 係 す る 交渉 事 項 甚 だ 多 き を
一、中 央 政 府 に て は ト ロツキ ー敬 遠 のた め南 露 方 面 に赴 かし む目 的
を 左 に記 載 す べ し。
本 月 五 日北 京 交 通部 よ り東 支 督弁 公 所 に達 し た る電 報 左 の如 し。
以 て至急 当事 者 に命 じ 、毎 年 の損益 計 算 書 を作 成 し送 附 せ ら れ たし 、
肋 膜 は 昨年 と同 様 の箇 所 に異 状 あ り肋 膜 炎 を起 す の虞 あ り、 因 て
熱 せず 、 十 二月 五日 再 び診 断 せし に熱 は同 様 にて少 し も下 熱 せず 、
状 は イ ン フ ル エ ンザ に起 因 す る熱病 にて、 今 回 の発 病 後 十 日間 下
一九 二 四年 十 一月 二 十 四 日下 名 等 の診 断 にて は ト ロツキ ー の病
を以 て、 ト ロツ キ ーが病 気 な り、 と し て次 の発表 をな せ り。
右 は会 議 開催 の際 評価 買 収 に資 す る も のな る を 以 て慎 重 取扱 あ れ﹂
昨今 交 通部 に ては此 種 交 渉 資 料 を蒐 集 中 な る を以 て、露 支 会 議 も
と。
遠 か らず 北 京 に於 て開 会 せら る べく 観 察 せ ら る。
二
湿 気 あ り て寒 冷 な る モ ス コー市 を去 り て南 方 の温 暖 な る温 泉 に浴
す る を可 な り と診 断 す 。
発 頭 人 を厳 刑 に処 し 、共 の他 の 一味 は党 よ り除 名 す る こ と とせ り。
り、と。
ルイ コフ、 スタ ー リ ン、 カ ー メネ フは秘 密 命令 を下 し 、赤 軍 々隊
シ
ド ク ト ル ・ゲ チ エ、 同 ペ ウ ズ ネ ル マ
内 に掲 げ あ る ト ロツキ ーの肖 像 写真 等 を取 除 く べき こと を以 てせ
セ
コ
国 民保 健 委 員 会 議委 員
ー ツ ク市 に於 て軍 隊 と 政府 側 と の衝 突 あり 、 三十 名 内 外 の死 傷 者
四、 十 二 月 十九 日満 洲 里着 列 車 乗 客 の談 によ れ ば、 十 七 日頃 イ ルク
二 、十 二月 十 三 日 ト ロツキ ーが カ フカズ に向 け出 発 に際 し モ ス コー に於 て市 街 戦 あ り、 流 血 の惨 を呈 せし 大 騒動 あり た り 。其 の原 因
を出 せ り 、 と。
は ト ロツキ ー の為 に労 働者 が大 示 威 運動 を市 中 に為 せ る によ る。
国 は政 府 関係 者 及特 殊 の理由 あ る者 の外、 出 国 を禁 じ た り 、 と。
五 、ザ バ イ カ ル革 命 委 員 会 は極 東 局 の指 示な り と て、 満 洲里 経 由 出
初 め多 数 の労働 者 等 は ト ロツ キ ー放 逐 反 対 の演 説 を な し 、 ジ ノヴ イ エ フ側 を 罵倒 し反 ソヴ エト 政府 の気 〓 を 挙げ たり 。 モ ス コー住
六 、満 洲 里 飛需 人 の談 によ れ ば、 政 府 は ト ロツキ ー問 題 を秘 し居 れ
民 は ト ロツ キ ーが実 際 病 気 に罹 り し も の にあ らず 、 政 府 が 敬遠 的 手 段 と し て同 人 を病 気 療 養 の名 に託 し て流 配す るも のな る こと を
は猶 太 系 の幹 部 にし て、 他 は 政府 に加 担 し居 れり 。只 問 題 と な る
るも 事 実 な り 、然 れ共 赤軍 の全 部 が ト ロツ キ ー の失 脚 を喜 ばざ る
は革 命以 来 擡 頭 し か け たる猶 太人 の為 には 不利 にし て、 中央 の幹
が如 く 伝 ふ るは 誤 り にし て、 ト ロツ キー と歩 調 を共 にせ ん と す る
し た る も五 時 間 を経 過 し 初 め て稍 鎮 静 し た り 。夜 間 も 亦 モス コー
部 に純 露 西 亜 人 の増 加 し 行 く に反 し 、 猶 太系 の圧迫 視 せ ら る る は
ペ ・ウ と は群 集 せ る 労働 者 等 を 街路 に て射 撃 し 、解 散 せし め ん と
各 方 面 に て騒 擾 を起 せり 。 同 夜 通信 機 関 の検 閲 を始 め、 外 国各 通
覚 知 せ ると 同 時 に斯 く 騒 乱 を 起 し た る も の に し て、 軍 隊 と ゲ ・
信員 の通信 を厳 にし たり 。 ト ロツキ ー側 と ジ ノヴ イ エフ側 と の抗
三
注 目 す べき 問 題 な り、 と 言 へり。 以 上
ー方 に加 担 し 、共 産 党 側 は ジ ノ ヴ イ エ フの監視 の下 にあ り 。
哈 調情 第 六 二四 号
某党 員 の洩 す と ころ に よれ ば 、段 祺 瑞 の組 閣執 政 々府 た る以 上 、
事務官代理報)
露 国 の極 東 外交 方策 に関 す る件 (一月 四 日下 井内 務
大正 十 四年 一月 七 日
哈 爾 賓事 務 所 長
争 は 公然 開 始 せ ら れ たり 。 一般 の予測 に よれ ば 、赤 軍 は ト ロツ キ
ト ロツ キ ーは 医師 の勧 告 によ る にあらず 、 ゲ ・ペ ・ウ監 視 の下 に、病 気 療 養 の為 至 急 出 発 す べ し 、 と の理 由 によ り出 発 せる も の な り、 と 。 之 に関 し共 産党 機 関 通 信 ロスタ は態 々電 報 を発 し て モ ス コー及 各都 市 は平 穏 にし て異 状 な し 、 と 伝 へ居 れ り 。 三 、 モ ス コー中 央 政府 は ト ロツ キ ー側 の者 等 の増 大 防 止 を始 め 、 ト ロツキ ー を モス コー より 放 逐 す る こと に付 き 、反 対運 動 をな せ る
支 那 に 対し ては群 雄 多 角 関 係 を 生 じ た ると 共 に財 政 問 題 に於 て行 詰
三 、暴 動 の予 想
二 、 ト ロツキ ー失 脚
一、 ラ キ ーチ ン の拘 禁
ヅ談)
り 拾 収至 難 にあ り 、錯 雑 し た政 局 を孫 、 馮 等 を し て 一層 紛乱 せし め
支 那 に於 け る 日本 帝 国 主 義 の排 斥 運 動 の遂行 が殆 ど 困 難 な る を以 て、
国 民 党青 年 急 進 派 並 に学 生団 を 煽動 し て熱 烈 に機 を熟 せし め 、 一気
四、官 吏 の官 僚 気 分
ボ フ ワリ ンス キ ーは 目下 知 多 に て拘 禁 せら れ 、 ゲ ・ペ ・ウ (国 家
一、 曩 に莫 斯 科 に召 還 せ ら れ た元 哈爾 賓 総 領事 ラキ ー チ ン及 副 領事
に突 い て赤 化 の達 成 を 期 し、 日本 政府 の対 支 政 策 に不 要 意 な る齟 齬
対露 外 交 方 針 を軟 弱 化 せし め 、露 国 の承認 を促 進 す べ く企 図 し 居 れ
は在 職 中
保 安 部 ) の手 に て取 調 中 で あ る。尚 九 日ザ リ ヤ夕 刊 は ラキ ー チ ン
を 生 ぜ し め 、 一面 日本 内 地 の国 民 に対 し て は第 五 十議 会 を 機 と し て
る こと を信 じ得 べ きも のあ り 、 カ ラ ハンが北 京 に於 てバ ラ撒 いた機
と 共 に、 西 欧資 本 国 家 に就 中仏 、米 対 外交 政策 にも 複雑 な る関係 あ
4. 支 那官 憲 と の折 衝悪 か つた事
3. 自 己 管下 の ソヴ エト諸 機 関 に対 し越 権 の行為 多 か つた事
2. 従 つて奉 露 協 定 に反 対 せし 事
し た事
1. 中 央 政府 の意 図 に反 し奉 天 を度 外 視 し 北 京 政府 の みを重 大 視
密 運動 費 は既 に三十 万 元 余 に達 し居 れ り 、 と当 地 党 員 に確 伝 せら れ 居 れ り。
り と し て非常 に重大 視 来 り 、当 方 面 には出 来 得 る限 り力 を注 ぐ べ く 、
5.
哈 爾 賓 は東 支鉄 道 を以 て対 日支 両 国 に密 接 な る政 治 上 の関 係 あ る
党 員 の増 加 と共 に外 交 機 関 も充 実 のた め 近 く ハイ ラ ル、 チ チ カ ル、
官金 を私 費 し た事
寛 城 子 の三箇 所 に副 領 事 館 を開 設 す る筈 な り。 ハイ ラ ル副 領 事館 は
等 に依 り 共産 党 を 除 名 せ ら れた 、 と報 じ て居 る。
二 、 ト ロツキ ー は今 回 の選 挙 に於 て陸 海 軍 人 民 委員 長 を 罷免 せら れ 、
尚 共産 党 を も除 名 さ る る筈 であ る。 元来 ト ロツキ ー は軍 人中 に約
イ ラ ル副 領事 は在 満 洲 領 事館 勤 務 の ウ エ ・イ ・チ モ フ エー フ任命 せ
満 洲 里 領 事館 の管 下 と し 、他 の二箇 所 は哈 爾 賓 領事 館 の筈 に て、 ハ
ら る べく 他 の二名 は 未 定 な り。 以 上
三 、共産 党 側 の信 ず る処 に依 る と本年 五 、 六月 頃 に は露 国 に 一暴 動
前 記 の如 き官 吏 は怠 業 を行 ひ、 之 に対 し厳 重 な手 段 に出 る と大 事
政 時 代 の夫 れ より 甚 だ し い者 さ へあ る を改 革 せ ん と努 め て居 るが 、
四 、目 下 ソヴ エト政 府 は官 吏 が 一般 に官 僚 的 気 風 を帯 び、中 世 の帝
起 るべ し 、 と。 (理 由 不明 )
六割 の味 方 を有 し て居 た が、 今 では 二割 を 出 ま い。
四 哈 調 情 第 六 三 二号 哈爾 賓 事 務所 長 ソヴ エト露 国情 況 一束 (一月 四 日哈 市 職 業同 盟 秘 書 クリ ウ エ
大 正 十 四年 一月 九 日
北京公所長
件 が起 る恐 れあ り 、看 過す れば 人 民 の反 感 が益 高 ま つ て来 る ので 困 つて居 る 。
五 北公 調 二四第 甲 号 の 一 一六 大 正 十 四年 一月 二十 二 日
ソヴ エー ト露 国 々営 企 業 の北満 進 出
C C CP の各 種 国営 企 業 は最 近 に至 り北 満 方面 への発展 を 企 図 し
あ るも の の如 く 既 に当 地 に支 店 を開 設 せし も のは ネ フテ シ ンジ カ ー
ド (原 油 シ ンヂケ ー ト)、 国 営 保険 会 社 及 ト ラ ンスポ ルト の 三 国 営
チ ・ジ ズ ニ紙 の報 導 せ る要 旨 左 の如 し 。 (一月十 五 日)
合 同 企業 な るが 、 此等 企 業 の現 況 に就 き 、 当 地 労 農 系 ノ ー ウ オ ス
一、 ネ フテ シ ンヂ カ ード
て、現 在 に於 て は労 農 聯 盟 全 国 の原 油 工業 を統 一す 。同 シ ンヂ カ ー
ネ フテ シ ンヂ カ ード は 一九 二 二年 創 立 せ し労 農聯 邦 国 営 企業 にし
一説 に奉露 交 渉 問 題 は 、張 作 霖 が カラ ハ ンの老獪 手段 に激 し 最 早
フリ ド マ ンな り。 現 在 の労農 聯 邦 の原 油業 は技 術 的改 善 を 実施 せし
ド の総 管 理 局 は莫 斯 科 にあ り て管 理 局 長 は ロー モフ、其 の代 理者 は
露 支会 議 と東 支 鉄 道 の運 命
日 の邦 字 紙 ﹁新 支 那 ﹂ は首 題 に就 き 次 の如 く 掲 げ て 居 り ます 。
交 渉 を 一切拒 絶 せよ 、 と 呂 氏 に厳 達 し た とも 伝 へら れ て居 るが 、本
尚 右 に就 き仄 聞 す る所 に依 れば 、会 議 開 催 に際 し東 支 鉄 道 を評 価 の
年 の収 支 計 算 書 を至 急 作 成 の上 送 附す べし 、 と の電 命 を 発 し た と。
る為 、同 会 議 開 催 せ ば東 支 鉄 道 関 係 の協 定 事 項 が多 々あ る の で、毎
在 に於 ては 土耳 古 及 独逸 の市 場 を恢復 せ る の みな らず 、 新 に伊 太 利
於 け る露 国 原油 製 品 の輸 出 市 場 は主 と し て土 耳 古 及独 逸 な り き。 現
関油 、 植 物 性油 、 ベ ンジ ン、 其 他 の生産 に従 事 し つ つあり。 戦 前 に
は 、戦 前 に於 て 生産 せし 凡 ゆ る原 油 製 品 、即 ち 石 油 、 マズ ート 、機
結 果原 油 製 品 の生産 量 は 戦前 よ りも 増 加 せ り。 ネ フテ シン ヂカ ード
上 、買 収 に附 す る やも 知 れ ざ る や に て、今 回 の電 命 を発 し た るも の
北 京 交 通部 は東 支鉄 道 督 弁 公 所 に対 し、 露 支細 目協 定 会 議 切迫 せ
に て、 交 通部 に て は目 下 露 支会 議 協 定 事項 の蒐 集 中 と の事 な れば 、
欧 洲 戦 以 来漸 次 外 国殊 に米 国 の原 油輸 出 市 場 と 化 せ し支 那 に 、再 び
キ ー任 命 せら れ たり 。新 設 哈 市 ネ フテ シ ンヂ カ ード支 店 の目 的 は 、
ネ フテ シ ン ヂカ ー ド支店 開 設 せら れ 、支 店 長 と し て シ チ エルビ ンス
ベ ロヤ ルツ エフ之 を管 理 し つ つあ り、 而 し て昨 年 十 二月 末 哈市 にも
ド は極 東 管 理 局 を設 置 し 、 同 局長 とし て ピー ネ ス其 の代 理者 と し て
来 喪 失 せ し支 那市 場 の回 復 を 企 図 し、 既 に浦 塩 にネ フテ シ ン ヂカ ー
一九 二 二年 以 来 ネ フテ シ ンヂ カー ド は極東 方面 に注 目 し、 革 命 以
市 場 に多量 の輸 出 販路 を開 け り 。
同 会 議 は いず れ遠 から ず 北 京 に於 て開 催 す る運 びと な る で あら う 、 と。
六 哈調情第 六六七号 大正十 四年 一月二十 二日 哈爾賓事務所長
難 な る は勿 論 な る も 、露 国 原油 製 品 は 其 の品質 及価 格 に於 て毫 も戦
露 国 原 油 の勢 力 を 回復 せ んと す る にあ り 。 此 の目 的 の遂 行 は頗 る困
は各種 外国 貨 を以 て支 払 ふ ことを 得 べ く、 且 保険 料 金 の低 廉 の為 、
し て、市 内 の みな らず 市 外 家 屋 保険 をも 取 扱 ひ つ つあり 。保 険 料 金
り 。同 代理 部 は当 市 を埠 頭 区、 新 市街 、 郊 外 地 区 の三保 険 区 に区 分
ト ラ ン スポ ルト は 労農 聯 盟 の最 大国 営 運 送 会 社 に し て、 一九 二 二
三 、 ト ラ ンスポ ルト ( 労 農 聯盟 国 営運 送 会 社 )
当 地 他 の保 険 会 社 にと り て は大 な る競 争 者 た る に至 るべ し と。
前 の夫 れ に劣 ら ざ る を以 て、該 目 的 を実 現 す る の可 能 は 充 分 にあり 、 ネ フテ シ ンヂカ ード は本 年 開催 せ ら る べき 露支 博 覧 会 に大 々的 に参
二 、国 営 保 険会 社
与 す る計 画 なり 、 と。
て、当 時 の基 本 資 金 は 八百 万 金 留 を有 せし が 、其 の後 ト ラ ン スポ ル
養 人 民委 員 庁 附 属 運 輸機 関 ト ラ ン ス ・ウ オ ルカ を統 一せ し も の にし
年 二 月 中労 農 聯 盟 二 運送 会 社 、即 ち ト ラ ンスポ ルト ・ト ラ スト及 給
Bл eH иe Locyдapc тB eHHOT O CTpaXOB aHия) な る機 関 に統 一せ られ
トが新 た に ゴ ス スク ラ ド (国 営倉 庫 会 社 ) を併 合 す る に至 り て、資
労 農 聯 邦 の凡 ゆ る保 険 業 は悉 く国 営 保 険 管理 局 (LлaBHO e ynpa
は僅 か に 二百 五 十 万留 な り し も今 日 に於 ては総 資 本 金 二千 万金 留 に
財 務 人民 委 員 会 の管 理 の下 に経営 せら れ つ つあ り 、創 業 当時 の資 本
本 金 九百 万 留 に増 加 せ り。 創 業 以来 二年 間 に於 て ト ラ ン スポ ルト は
保 険 の凡 て の損害 に対 し ては労 農 聯 邦 が 其 の全 国 家 財産 を 以 て責 任
間 に、 外 国 差 立 の貨 物 保 険 の附 換 に関 す る 契約 を締 結 し あ り、 国 営
尚 労 農 露 国 々営 保 険 管 理 局 は英 国 の最 も確 実 な る大 保 険会 社 と の
地 の工業 中 心 地 に 三 百 一箇 所 の取 引 先 を 有 す る点 な り。 労 農 聯盟 内
事業 を発 展 せ し む る 上 に於 て重要 視 すべ き は 、同 会 社 が既 に欧 洲各
大合 同 企 業 あ り 、 ト ラ ンスポ ルト が極 東 並 一部 満 洲 に於 て将 来其 の
業 シ ンヂ ケ ート 、劣 農 聯 盟 国営 銀 行 、 ウオ スガ、 国営 汽 船 会 社 等 の
が基 本 契 約 を せ る経 済 企 業 の中主 要 な るも のを あぐ れ ば織 物 業 、塩
と の間 に締 結 せ し基 本 契 約 は 数 百件 を超 ゆ 。而 し て トラ ン スポ ルト
著 し く其 の事 業 を拡 張 し、 現 在 に於 ては 労農 聯 盟 内 の各 種 経 済 企業
達 せ り。 国 営 保 険 の範 囲 は建 築 製 造 場 、 工場 、 商 品 、 河海 及 陸 上 の運 送 、
を負 ふ規 定 な り。 目 下 国 営 保険 機 関 は 労農 聯 盟 の如 何 な る僻 陬 の地
に有 す る支店 の数 は 二百 以 上 な り。 又 労機 交 通 人 民委 員 庁 が トラ ン
作 付 地、 家 畜 及 人 命等 に対 す る保 険 を 包 括 す。
にも其 の支 店 を開 設 し保 険 の普 及 に努 力 し つ つあ り、 現在 に於 ては
スポ ルト会 社 の主 な る株 主 の 一た る点 は 、露 国 経 由 通過 貨 物 輸送 に
従事 す る貿 易業 者 を し て同 会 社 を信 頼 せ し む る に充 分 な り。 加之 ト
は営 利 を 目 的 と せざ るを 以 て、 其 の保 険料 金 の如 き は極 め て低 廉 な
ラ ンスポ ルト は労 農 聯 盟 内 の凡 ゆ る鉄 道 に於 て特 点 を享 有 し あ り。
全 国 の農 民 の殆 どす べて が農 家 及 家 畜 に保険 を附 しあ り 、国 営 保 険
り。 而 し て保険 業 利 益 の大 部分 は 防 火設 備 の完 備 の為 に充 当 せ ら れ
権 を有 す る が如 き は、 其 の重要 な る長 所 な り。
例 へば トラ ン スポ ル トは 全露 至 る所 の鉄 道 に於 て、貨 車 配 給 の優 先
つ つあり 。 哈 市 に於 て は既 に極東 国立 銀 行 内 に満 洲 及支 那 方面 の総 代 理 部 を 設 置 しあ る が 、今 年 に至 り同 部 は著 し く其 の事 業 を拡張 す る計 画 な
就 中 一九 二 二年莫 斯 科 産 業 博覧 会当 時 ト ラ ン スポ ルト会 社 は 、博 覧
物 主 は随 時 自 己 の輸 送 貨 物 の所 在数 量 状 態 を照 知 す る可能 を有 す 。
の輸送 貨 物 の輸送 の進 捗 を監 視 せ しむ 。 此 の監 督 機 関 ある が為 に貨
トは全 露 交 叉 点 に百 三十 箇 所 の監督 出 張 所 を設 け、 ト ラ ン スポ ルト
側 と均 等 負 担 の下 に設 営 又 は 租 借す る権 利 を有 す。 又 トラ ン スポ ル
駅 の七十 五 % を直 接 支 配 す る権 を有 す 。 即 ち会 社 は之 等 の駅 を鉄 道
ると 、 現資 本 金 が 小額 な るた め 、其 の実 現 は卒 急 に行 は れ得 る と は
を 吸 収 せ ん とす る こと は、 国 際 運送 の如 く 地方 的 運 送 会社 に非 らざ
と は 労農 露 国 内 の小貨 物 を取扱 ひ す る こと に し て、 浦 塩 に北 満貨 物
為 にし て目 下 政 府 に其 の許 可 を申 請 中 な り 。故 に目 下 実現 し 得 る こ
英 、 独国 製 品 を 戦 前 の如 く 労農 露 国経 由 にて買 付 け、 且輸 送 せ ん が
開 設 す る か の如 く記 載 され てあ る も、 只将 来 当 地 方商 人 の希望 す る
と す る も の にし て 、露 国 新 聞 に英 国 、 独逸 等 よ り通 過貨 物 取扱 等 を
現在 支 店 開 設 の目 的 は 労農 露 国 内 と 当 地方 と の小荷 物 運 送 を目 的
語 る 所 、左 の如 し。
悉 く ト ラ ン スポ ルト会 社 の
尚 ト ラ ンスポ ルト は特 別 契 約 に依 り て労農 露 国 内 の全鉄 道 の都 市
会 出 品 物 の全 部 (五千 貨 車 ) を︱︱
ンスポ ルト が出 品 物 の全 部 を確 実 に送 達 せし 功 を多 と す る旨 を新 聞
ケ年 を経 過 せし のみ な る を以 て、 現 に完 全 な る連 絡 関 係 が設 定 さ れ
し も のを其 の儘 継 承 せ る為 、各 所 に散 在 す る も同 会 社開 設 後 未 だ 二
信 じ 難 し 。尚 ト ラ ン スポ ル ト の海外 通 信 関 係 は 旧露 国 運送 店 の有 せ
︹マ マ︺
手 に て輸 送 を引請 く る規 約 を 締 結 せ し が、後 日博 覧 会 委 員 会 は ト ラ
に公 表 せ り。 其 の後 ト ラ ンス ポ ルト は キ エフ、 ニ シ エゴ ロド等 の定
七 哈 調 情 第 六 七 八号
一、 ト ロツ キ ーに対 し 共産 党 に所 属 せ る者 は単 に党 の紀 律 に表 面 上
ロツ キ ー問 題 に関 し、 左 の決議 を為 せ り。
一月 十 七 日共 産 党 中央 委 員 会 及 中央 監 督 委 員会 常 例 会 議 に於 てト
十 三 日高 橋 中 佐 報 )
ト ロツ キ ー に関 す る共 産 党 中央 委 員 会決 議 (一月 二
大 正 十 四年 一月 二十 八 日
哈爾 賓 事 務 所 長
居 る とは言 ひ難 く 、 目下 其 の回 復 を図 り つ つあ る。 以 上
期 市 の輸 送作 業 に参 与 し て広 く信 用 を得 たり 。 又欧 洲 輸出 穀 物 の輸 送 に従 事 せる企 業 中 に於 て も ト ラ ンスポ ルト は其 の主位 を占 む 。本 年 に至 り ト ラ ン スポ ルト は特 に極 東 に注意 を 払 ひ、 既 に浦 塩 に極 東 総 代 理店 を設 け 、外 蒙 には 庫倫 を初 め 各 地 に
最 近 二 ケ年 に於 てト ラ ン スポ ル トは 興凱 湖 沿 岸 地 産 大 豆 の輸出 運
支 店 を開 設 せ り。
輸 に従 事 せり。 昨 年 中 のト ラ ンスポ ルト の極 東 に於 け る顧 客 と し て
ルド会 社 其 の他 輸 出 商 会 と の間 に契 約 を締 結 せり 。 又 最 近 に至 り ト
は シビ ル スカ ヤ ・カ ン パ ニイ あ りし が 、本 年 出 廻 期 に於 て は ワツ サ
ラ ン スポ ルト は浦 塩 に会 社経 営 の倉 庫 を増 設 せり 。
ト の事 業 を拡張 せ ん とす る 目 的 を以 て近 日来 哈 し 、 当 市 に代 理 所 を
服 従 す る の みな らず 、 レ ー ニン主義 に対す る 一切 の反 対行 動 を無
ト ラ ンスポ ルト代 表 委 員 ス レパ ク氏 は 、当 地方 面 にト ラ ンスポ ル
開 設 せ り。 尚 本件 に関 し露 国 々営 アム ー ル汽 船 代 表 テ レ ンチ エフ の
東 支鉄 道 問 題 は中露 大 綱 協 定 に拠 る に、 一定 の期 間 中 該鉄 道 を中
東支鉄道問題
露 両 国 に依 り商 業 上 の交 通 機 関 と し て両 国 の共 同経 営 と 為 す 、 と。
一
招 致 す るを 以 て、 斯 かる指 導 者 の在 職 は 許容 す べか らず 。 従 つ て
二 、赤 軍 の指 導 当 局 者 にし て全 共産 党 の支援 なき 時 は 軍紀 の弛 廃 を
故 に東 支 鉄 道 の回 収 は種 々の協 約 に因 り之 を 即 行す る こと は至 難 な
条 件 的 に全 然 捨 つる義 務 あ る旨 を断 然警 告 す る こと 。
ト ロツ キ ー の革 命 軍 事 会議 参 与 は今 後 許容 し得 べか らざ る も のと
り 。 共同 経 営 に対 し て は 已 に賛 同 の意 向 あり 、 と。 但 し 東支 鉄 道 に
対 し て関 係 あ る各 問題 に 左 の事 項 あ り 。
認 む。
の問題 解 決 后 当 然債 権 上 の問 題 を解 決 し、而 し て国 際 の紛 糾 を絶
甲 、華 俄 道 勝 銀 行 の東 支 鉄 道 に対 す る経 済 関 係 に就 ては 、東 支 鉄 道
三 、 ト ロツ キ ー の共 産 党 中央 委 員 会 参 与 の可否 に関 す る問 題 は次 回 の党 大 会 に於 て決 定 せら る べ き も のと す 。但 し ト ロツ キ ー にし て
ち 、仏 国 の抗 議 に対 し ても 亦 其 の既 得 権 を 損害 せざ る こと。 然 し
更 に党 の中 央委 員 会 の決議 に服 従 せざ る場 合 には 、 共産 党 大 会 決 議 を俟 たず し て ト ロツキ ー の共産 党 中央 委 員 会 政 務 局参 与 を禁 ず
東 支 鉄 道 の行 政 、経 済 の各権 限 に は干 渉 な さ ざ る こと な り。
松 黒 航 行 権 問題
め、 此 の委 員 を し て東 北 界 を観 測 す る 界 務 ( 東 北 界 即 ち黒 竜 江 、吉
東 三省 及 中央 よ り派 遣 す る委 員 に中露 実 地調 査 委員 会 を組 織 せし
国 界 劃 定問 題
政 府 は会 議 に対す る提案 に予 め研 究 の必要 を認 め 、現 に中 露 の大 綱
林 両 省 と 露 国 に接 近す る辺 境) 及 黒 竜 江 の六十 四村 の土 地回 収 を担
三
自 由 航 行 に対 し て は露 国 側 に於 て阻 止 せざ る ことを諸 ふ こと 。
て は其 の数 を限 定 し並 に露 国 に交 渉 し て、中 国 船 の黒竜 江 に於 け る
露 両 国 に より商 議 し て確 定 し 、彼 我 両 国 界内 に寄 港 す る汽 船 に対 し
す る商 船 の航 行 を許 し、 旅 客 、貨 物 の運 賃 及 課税 に対 す る標 準 は中
中 露 両 国 の国界 及歴 来 の恒例 に基 づ き 、中 露 両 国 は商 業 を 目 的 と
二
丙 、 以後 東 支 鉄道 の収 支 貨 幣 は永 久 大 洋 銀 を 以 て本 位 と為 す こと 。
変 更 せざ る こと を声 明 す る こと。
護 路 事 務 は絶 対露 人 の干 渉 を許 さず 、 且露 国 に対 し て現 行 制 度 を
乙 、特 別 区公 署 の鉄道 に対 す る守 備 の行 政 権 は仍 ち 従 来 通 り弁 理 し 、
る と共 に、今 後彼 を 全 然 中央 委 員 会 より除 名 す る問 題 を中 央 委 員 会 及 中 央 監 督委 員 会 合 同 会議 の審 議 に附 す べき も のとす 。 四 、本 問 題 に関 す る討 議 は 之 にて終 了 せる も のと 認 む 。 因 に莫 斯 科 より 当 地 に到 達 せ る最 近 の電 報 に依 れ ば、 ト ロツキ
北 京公 所 長
ー は共 産 党 中央 委 員 会 よ り除 名 され た り 、 と。
八
大 正 十 四年 二 月十 日
北 公 情 二 五第 一号 の三
中 露会 議 に関 す る件 (二月 十 日附 社 会 日報摘 録 )
協 定 を 主 と為 し、 而 し て奉 露 協 定 を 以 て之 を補 ふ 方針 なり 。 其 の協
中 露 会 議 の提 案 は 連 日来 着 々進 行 中 に付 き近 々実 現す るな ら ん。
定 の要 項 左 の如 し。
一にて可 決 せら れ たも の)
日 の会 合 に於 て、 中 央 委 員 会 は全 委 員中 反 対 二、 監 督委 員 会 は 反対
鋼 鉄 の如 き 団結 、鉄 の如 き党 紀 及 レ ー ニ ンズ ムに立脚 す る全員 一
三年 よ り施 行 す る こと 。 ( 中 国 外 蒙 国境 を測 量 す る こと約 三 年 を 要 す 。而 し て中 露 に於 け る西北 界 の決 定 に際 し、 外 蒙測 量 未 了 な れ ば
のボ リ シ エヴ イ ズ ムに対 す る間 断 なき反 対運 動 は遂 に我 が党 を し て、
致 こそ真 にボ リ シ エヴ イ キ ー今 日 の根基 たり き。 然 る に ト ロツ キ ー
任 せし む。 西 北 界 (外 蒙 及新 疆 と露 国境 辺 各 地 ) は中 露 委 員 会議 後
恐 らく 露 人 は蒙 境 の界 碑 を隠 蔽 す るな ら ん。 近 々多 く毀 さ る ゝを以
此 の根基 た る党 の真 髄 を抛 棄 す る か、 或 は ト ロツ キ ーを し て斯 か る
て 先行 詳測 を要 す 。 右 事 情 の為 に東 北 の辺界 の決 定 と同 時 に施行 は 不能 )
の価 格 暴 落 に因 り受 く る打 撃 は非 常 に大 な る を以 て、 現政 府 は各省
ツ ト独裁 政 治 滅 亡 の第 一歩 な り と言 はし む。 従 つて帝 国 主義 的 諸国
し て露国 共 産 党 決 裂 の前 兆 た り 、 と思 惟 せ し め惹 い てプ ロ レタ リア
国 際的 に此 のト ロツ キ ー の反 対運 動 はブ ルジ ヨア及 社会 民 主 派 を
れり 。
商 民 の受 け る損 失 に対 し ては 巳 に調 査 を完 了 し以 て露 政府 に於 て 、
は C CCP 最 近 の国際 的 地位 の従来 の如 何 な る時 より も 鞏固 に且 向
反 対 運動 を停 止 せ しむ る か の二途 の 一を撰 ば し む る の已 むな き に至
ル ーブ ル損 失 問 題
中国 商 民 の ルーブ ル損 失 を 賠償 す べく交 渉 す る、 と 。 即 ち仏 国 の中
上 しあ る に拘 ら ず 、 C C CP に対 す る最 近 の観 察 に自 己 独特 の結論
此 の問 題 に関 し中 央 は非常 に重 大 視 し、 目 下 全 国 商 民 の ル ーブ ル
国 に金 法 案 の履 行 を 強 要 す る と同 一問題 な る が故 に、 此 の案 は将 来
四
中露 争 執 の焦 点 に し て、 賠償 多額 な る に因 り露 政 府 は 万 々承 認 す る
レー ニン の築 き た る根 本 的政 策 こそ真 に国 営 工業 の基 礎 を 鞏固 に
す に至 れり 。
シ エヴ イズ ム、反 共 産 、 反 プ ロ レタリ ァ ー ト運 動 及 団体 の大 害 を為
与 へた る も のな り 。要 す る に此 のト ロツキ ー の態 度 は 凡 て の反 ボ リ
農 的 に改 造 す べ き事 に対 し ても 、 ト ロツキ ー の態 度 は大 な る障 碍 を
裁 の上 に、 又部 分的 に は レー ニンの重要 な る希 望 即 ち 国 家官 庁 を労
家 な り と解 せし め た り。 自 由 を 与 へら れ た る反 プ ロレ タリ ア ート独
し 、 共産 的 の政 策 をブ ルジ ヨア的 民主 々義 に降 伏 せし む る の第 一信
︹マ マ︺
キ ー の反 ソヴ エート傾 向 を 以 て、 プ ロレタ リ ァ ー ト独 裁 政治 を 排除
亦 国内 的 に之 を 見 る に 、反 ソヴ エー ト分 子 及因 循 派 は 此 の ト ロツ
を下 す に至 れ り。
此 の外 尚至 難 な る小 問 題甚 だ多 く 、 外蒙 回収 問 題 に至 り ては中 央
こと至 難 な り。
政府 は 別 に具 体 弁 法 を 講ず る 、と 云 々。
九 哈爾賓事務所長
大正十四年 二月十二日
哈調情第 七〇八号
ト ロツキーの反ボリシ エヴイズ ム傾向 に対す る中央委 ︹ 欣五郎︺ 員会及中央監督委員会 の決議 (満洲里橋本大尉報) ( 共産党中央委 員会 及中央監督委員会 の合同幹部会議 の 一月十七
ート の社 会 的 実 力 を増 大 し 、新 経 済 政 策 の条件 下 に於 け る プ ロ レタ
し 、 且其 の迅 速 な る発 達 を促 す も のにし て惹 いて 工業 プ ロレタ リ ア
に対 す る争 闘 に連 衡 し つ ゝあ り。
グ ル ンバ ヒ及 コチ ヂ エン等 は、 ト ロツ キ ー の露 国共 産 党 中央 委 員 会
ア ワ ムナ 、 独逸 ブ ルジ ヨアの犬 たる フ ォ ルゥ エルト ス、 レノデ リ、
ゝ こと な く党 紀 を紊 乱 し来 れ るも のな り と、 ト ロツ キ ーを観 察 しあ
ト ロツ キ ー を見 る べき に、却 つ て実際 に於 ては 数年 間 何 等 罰 せ ら る
無 所 属 労 働 者 は重 要 な る共 産 党 委員 と し て亦 党員 の模 範者 と し て
リ ア ー ト独 裁 を 完成 す るも のな り。
導 権 を共 産 党 が 把持 す る こと 竝党 員 悉 く レー ニ ンズ ム の基 調 の下 に
り 。斯 の如 き は原 則 的 階級 規 律 を 紊 す事 甚 だし き も の にし て 、 プ ロ
而 し て之 等 の政策 を遂 行 す る第 一条 件 は経 済 機 関 に於 け る絶 対 指
と の間 に於 け る 重大 な る関係 を ト ロツ キー は解 せざ るな り。 斯 か る
レタ リ ア ー ト独 裁 の勝 利 は此 の規 律 を有 せず し て完 成 し 得 る も の に
結 束 す る にあ り。 現 在 の状況 下 に於 け る 此 の党 と 労 働 者階 級 及農 民
状 況 は必 然 的 に露 国 内 外 に於 け る非 ボ リ シ エヴ イ キ ー及 反 ボ リ シ エ
非 ざ る な り。
労 働 階 級 と農 民 が共産 党 と結 合 す る問 題 に就 て は何 等 の狐 疑 を挾
ヴ イ キ ー派 を し て ト ロツキ ー の位 置 に与 せ し め、 彼 等 は共 産 党 及 コ ミ ンテ ル ンが ト ロツ キ ーを裁 罪 す る の故 を以 て之 を 支持 し つゝあ り 。
ロツキ ー の態 度 に依 つて 、却 つ て反 対 な る傾 向 に走 り 各種 の浮 説 に
まず 。此 の問 題 に於 て 共産 党 は 唯 一のも のな り と思 惟 せる農 民 は ト
惑 は さ る に至 れ り 。 此 の現 象 こそ労 働 者 、農 民 の結 合 に至大 な る支
プ ロレ タリ ア ー ト の独 裁 を指 導 す る 共産 党 は凡 て の反 プ ロ レタ リ
障 を与 ふ る も の にし て 、共 産 党 は農 民 のプ ロレタ リ ア ート独 裁 を指
ア ー ト団 体 の自 由 を 許 与 せざ る を以 て、従 つて敵 を 有 す る は已 む を
リ ア ート の独 裁 を破 砕 し 、党 を決 裂 せ し め ソヴ エート 政権 の政 策 を
得 ざ る処 な り。 而 し て凡 て の之 等 の敵 特 に 小ブ ルジ ヨア は プ ロレ タ
導 す べき も のな る に、農 民 にし て斯 く の如 く ト ロツ キ ー の態 度 を観
て且 プ ロレ タリ ア ート と農 民 と の関 係 の最 も 正 し き諒 解 者 な り と見
赤 軍 は自 己 の指 導者 た る ト ロツ キ ー は党 紀 の模 範 者 、 実践 者 にし
ず る に於 て は此 の指 導 は全 く 不 可 解 た らざ る を得 ず 。
転 向 せ し む る の指 導 者 と し、 現 在 のト 向ツ キ ーを 見 つ ゝあ り。 最 も 危 険 な るブ ルジ ヨア の奉 仕 者 た る第 二 イ ン タ ーナ シ ョナ ル の
る べ き に、 現 在 に於 て は全 く 反 対 な る現 象 を 呈 し あり 、 斯 か る傾 向
指 導 者 等 は 、此 の レ ー ニンズ ム に対 す る ト ロツキ ー の叛 旗 を利 用 し 、
ンの価 値 を毀 損 し 丁層 緊密 に社 会 民 主的 労 働 者 を ブ ルジ ヨア に近 接
欧 洲 の労 働者 の目 に映 じ た る レー ニンズ ム露 国 の革命 及 コミ ンテ ル
を赤 軍 内 に生 ず るは最 も危 険 な り と言 はざ るべ から ず 。
は、露 国 共産 党 に於 け る反 革 命 的 傾 向 に関 す る虚 構 の説 を伝 播 し て
イ ズ ムに非 ず し てボ リ シ エヴ イ ズ ム の更 改 な り 。即 ち ボ リ シ エヴ イ
ズ ムに改 め んと す る に あ るも の の如 し。 然 れ 共 之 は既 にボ リ シ エヴ
共産 党 の 理想 を 転 化 し て、 レ ー ニン主 義 を脱却 せ る新 ボ リ シ エヴ イ
要 す る に ト ロツキ ー の共 産 党 反 対傾 向 の真 意 は現 在 に於 て は露 国
せし め ん と企 て つゝあ り 、独 逸 社 会 民 主党 は反 共 産 主義 の パ ンフ レ
仏 国 共 産 党 を攪 乱 せん と試 み あ り、 バ ラ バ ー ノ フ、 ヘグ ル ンド 等 の
ツ トを 撒 布 せ ん とし 、 コミ ンテ ル ンよ り除 名 せら れ た る ス ワ ー リ ン
反 共 産 分 子 亦殆 ど同 様 な る手 段 を企 て ゝ伊 太 利 の社 会 フア シ スト 、
ズ ムの流 れ を汲 め る似 て非 な る共 産 主義 、 即 ち結 局 西 欧 に於 け る 社
な り。 実 際 に於 て現 在 の ト ロツ キ イズ ムは 西欧 に於 け る偽 マル キ シ
シヴ イ ズ ム に、旧 ト ロツ キ イズ ムを 加味 せ ば︱ に更 め ん とす るも の
レタ リ アー ト革 命 は レ ー ニンの理 論 及戦 術 を ト ロツキ イ ズ ムー メ ン
ズ ムを改 め て ト ロツ キイ ズ ムに為 さん と す る も のにし て、世 界 プ ロ
し て ト ロツ キ ーは 最 も 明 ら か に小ブ ルジ ヨア的傾 向 を現 は し、 党 の
に於 け る レー ニン線 に依 ら ん とす る も のな り 。然 る に此 の論 争 に際
と等 にし て 、 一言 にし て之 等 を言 へば、 党 の政策 を新 経 済 政策 時 代
ズ ム の如 き を除 け る 純 ボ リ シ エヴ イ キ ーを 言 ふ も の) が把 持す る こ
子 (訳 者註 、此 処 に言 ふ ボ リ シ エヴ イ キ ー分 子 と は所 謂 ト ロツ キイ
派 の自 由 を 局限 す る こと 、党 内 に於 け る指 導 権 を ボ リ シ エヴ イ キ分
髄 に致 命的 打 撃 を 与 へん と せ り。
政 策 を 掣肘 し漸 く 緒 に就 け る党 の経 済 政 策 を 破棄 し 、殆 ど革 命 の真
会 民主 々義 に外 な ら ざ る も のな り 。 ト ロツ キ ー が露 国 共産 党 に於 け る 数年 間 吾 人 は彼 と 四 回 に亘 り 全 露 的 論 争 を行 な へり 。 (勿論 小間 題 に関 す る も の は之 を措 き 極 め て
第 一はブ レス ト媾 和 問 題 にし てト ロツ キ ー は農 民 が此 の上 の戦 争
な る意 義 に 於 け るボ リ シ エヴ イズ ム の立 場 より最 も緊 張 な る論 争 開
の失 敗 に転嫁 せ り。 従 って此 の小 ブ ルジ ヨア的 攻撃 に対 し ては真 正
過 誤 を 承認 す るを 欲 せざ る の結 果 、総 て の共 産党 及 ソヴ エート政 権
ト ロツキ ー に依 り て統率 せ ら る ゝ小ブ ルジ ヨア派 は飽 く 迄自 己 の
を欲 せず 且戦 ふ の能 力 を 有 せざ り し こと を 解 せず 、 故 に彼 は殆 ど 革
始 せら れ た り 。 一九 二三年 秋 ト ロツキ ー 一味 の 言 へる ﹁国 家 の損
重 要 なる も のの み)
は 此 の過 誤 を 正し 且仮 令 最 も悪 条 件 の下 に於 て も 所 謂 ブ レ ス ト の
害 ﹂ なる も のは、 要 す る に彼 等 小 ブ ルジ ヨァが吾 が革 命 の威 力 を信
命 の指 導者 と し て の価 値 を没 却 す るが如 き 政策 を取 ら ん と せり 。 党
「小憩 ﹂ を得 ん が為 、 第 七 回党 大 会 に大 論 争 を惹 起 し為 に レー ニ ン
こと は既 に今 日 と な り ては 周知 の事 実 な り。 ト ロツキ ー の反 対 せ る
ず る を得ず 、 且我 が経 済 能 力 を知 ら ざ りし に外 な ら ざ りし も のな る
べ き も のあ り 、 工業 は 一九 二 四年 の不作 にも 拘 らず 逐 次発 達 し あ り
通 貨 制 度 の改 造 は我 が経済 界 に着 々好 結 果 を 齎 し其 の効 果 真 に見 る
第 二 の論 争 は職 業 同 盟 に関 す るも の にし て 、 当時 戦 闘 共産 主 義 に
は政 府 員 の職 を去 ら んと 迄 せ り。
不平 なり し農 民 に対 す る関 係 及無 所 属 労 働 者 に対 す る関 係等 一般 民
て、 労 働 者 の生活 状 態 も 亦 漸 次改 善 せ ら れ来 り 、 共産 党 は今 や其 の
衆 に対 す る党 の態 度 に関 す る も のにし て、 当時 既 に国 内 戦 は終 了 し あ り き° 本 件 に関 し ては 最 も激 烈 な る 全 露 的論 争 起 り、 党 は レー ニ
所謂 苦 境 よ り 脱 し た り。
レー ニ ン召 集 は全 く新 鮮 な る 分 子を 以 て党 を充 実 せ り。 然 れ ど も
ンを始 め と し 、此 のト ロツキ ー説 を鎮 静 す る に努 め以 て革命 の効 果
一派 の如 き半 メ ン シ エヴ イ キ ーを破 砕 し置 かざ れば 、将 来 共 産党 及
若 し 我 がボ リ シ エヴ イ キ ー にし て、 今 に於 て結 束 し 以 て ト ロツ キ ー
を 消滅 す べ き 過誤 よ り党 を 救 ひ た り。 第 三 の論 争 は党 の機 関 、 計 画 、農 民 の傾 向 、 プ ロ レタ リ アー トと
我 が プ ロ レタ リ アー ト階 級 に対 す る其 の害 毒 並 危 険 計 り知 るべ か ら
農 民 と の経 済 同盟 、物 価 政 策 、 通貨 制 度 の改 正 、 党 の対労 働 者 政策 の統 一、経 済機 関 及 国 家 官 庁 の指 導 権 を 党 が 把 持 す る こと 、反 対政
第 一、 ト ロツキ ー に対 し 次 の意 味 に於 け る最 も厳 重 な る警 告 を 発 す
に絶 対服 従す るを 要 す る こと 、 及 あ ら ゆ る反 レー ニンズ ム運 動 を
る こと。 即 ち ボ リ シ エヴ イ キ党 に所 属 す る為 には実 質 的 に党 規律
ざ るも のあ り。 斯 る 状 態 の下 に於 け る 共産 党 とし て其 の実 権 を ボ リ シ エヴ イキ ー
るも のた らざ る べか ら ざ るも の にし て 、斯 る 支持 を有 せ ざ る こと
第 二、 軍隊 の指 導 は其 の指 導 者 が全党 の支 持 を受 く る の権威 を有 す
断 然停 止 す る こと 。
の手 中 に掌 握 し置 く べき の必要 あ るは 言 を俟 たざ る 処 に し て、 若 し ト ロツ キ ー の如 きボ リ シ エヴ イ キ ー反 対運 動 を許 容 す る時 は将 来 大
は軍 隊 内 の規 律 破 壊 を来 す べ き こと 、 政治 指 導者 大 会 及革 命 軍事
な る危 険 を党 に招来 す べき や素 よ り必 せ り。 ト ロツ キ ーは 露国 共 産 党 の重 要党 員 の 一人 と し て コミ ンテ ル ンの
ロツキ ー自身 其 の中央 委 員 会 に宛 た る声 明 書 に於 て革 命 軍 事会 議
会 議 は ト ロツ キ ーを 軍 務 よ り除 外 す べ き を要 求 し あ る こと 、 及 ト
党 が或 る事 件 に関 し 、之 を従 来 の儘 に存 置 す る を決 議 せ る 時 ト ロ
に ト ロツキ ー を就 かし む る を得 ず 。
長 の職 務 を辞 し来 れ る を以 て、 今 後 C C C P革 命 軍 事 会議 の職務
ボ リ シ エヴ イ キ ー化 を妨 害 し 、 第 二 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル の見 地 より
ツキ ーは 党反 対 の立場 よ り之 を攪乱 す。 斯 の如 き は単 に党 を 分裂 せ
ボ リ シ エヴ イ キ ー の敵 に対 し 精 神的 、 実質 的援 助 を与 ふ。
しむ る のみ な らず 、 党 を潰 滅 せし む る も のな り。
べき 定 期 大会 迄 其 の決 定 を延 期 す 。 但 し若 し彼 にし て党 の決 議 に
第 三、 将 来 ト ロツ キ ー の中央 委 員 会 内 に於 け る業務 に関 し ては来 る
反 す る言 動 を為 す か、或 は之 が遂 行 を怠 る時 は中 央 委 員 会 は 定期
斯 の如 き ト ロツ キイ ズ ム の反 対 を有 す る共 産党 は唯 一の レ ー ニ ン
の存 在 を 果 し て許 し 得 べ き か。 中央 委 員 会 及 中央 監督 委 員 会 は 一月
ズ ム に立 脚 す る も のと し て 、 ト ロツキ ー の如 き半 メ ンシヴ イ キ思 想
大 会 を 待 つ こと なく ト ロツ キ ーを 政 治 部内 に於 け る業 務 よ り 除外
第 四、 論 争 は之 を 以 て終 了 せ る も のと 見 做 す。
移 す べき 旨 の警 告 を予 め彼 に与 ふ。
し、 同 時 に此 の問 題 を 中央 委 員 会 及 中 央監 督 委員 会 の合 同 会 議 に
十 五 日 のト ロツ キ ー の声 明 (後 報 す) を見 て、将 来 彼 は彼 に委任 せ られ た る党務 を党 の監督 の下 に遂 行 す るも のな る ことを 彼 に通告 し、 尚 彼 は 自 己 の過 誤 に関 し て は 一言 も承 認 す る処 な き のみな らず 、尚
ム の反 ボ リ シ エヴ イ キ ー傾 向 に関 す る詳 細 な る調 査 を継 続 す 。本
第 五、 一九 〇 三年 より 「十月 革 命 の教 訓 」 に至 る迄 のト ロツ キイズ
未 だ 反 ボ リ シ エヴ イ キ的 見 地 に固執 し あ るを 認 む 。 前 述 の見 地及 ト ロツキ ー は第 十 三 回大 会 に於 て決 定 せら れ 既 に明
件 に関 す る説 明 を各 宣 伝機 関 に移 す べ き を政 治部 に委 任 す 。 政治
ら かな る に も拘 らず 、尚 党 の指 導権 変 更 に関 し 云為 し、 且 該 大会 に 於 て最 も 厳粛 に審議 せ ら れ た る問題 に対 し 、自 己 の見 解 を 宣 伝 し つ
こと 。
第 六 、 共 産党 及 び共 産 青年 党 内 に説 明 宣 伝 を行 ふ のみな らず 、広 く
教 材 中 にト ロツ キ ー の小ブ ルジ ヨ ア思想 に関 す る説 明 を挿 入 す る
議
ゝあ り 。依 つて中央 委 員 会 及 中 央監 督 委員 会 の合 同 会 議 は 次 の如 く
決
決議す。
無 所 属 労 働 者 及 び農 民 に対 し、 ト ロツキ イズ ム の傾 向及 び労 働 階
が凡 て局 部 的 のも ので 、普 通 教員 の みを全 共和 国 に亘 つて集 め た の
ヴ エート 政府 か ら継 子 扱 ひ に せら れ て 、物 質 的 欠 乏 と精神 的苦 痛 の
し たか ら で あ る。 其 の後 内乱 之 に伴 な ふ経 済 紊 乱 の数 年間 彼 等 は ソ
ゐ た彼 等 は 共産 党 のプ ロレタ リ ヤ独 裁 政治 を慕 ひ 、専 制 政 治 と看 做
︹マ マ ︺
り、 抗 議 文 を発 表 し て怠業 を行 ふた 。 こは欧 米 の民 主制 度 を慕 つて
た教 育 家 は総 じ て革 命 を歓 迎 し た が、 十月 革 命 には背 反 的 態度 を と
人 の知 る 如 く第 一次 の二 月革 命 の際 には既 に自由 思想 に傾 いて ゐ
は革命 第 七年 の今 回 を以 て最 初 とす る 。
に証 明 を 為 す こと。
級 と農 民 と の結 合 を妨 げ た る、 彼 の不 正 当 な る行為 に関 し 通 俗 的
一〇
哈 爾賓 事 務 所 長
大 正 十 四年 二月 二十 一日
哈調 情 第 七 二 九号
一回 全 共 和 国普 通 教 員 大会 (教 員 代 表 の参 列 せ るも の約 二千 人 ) を
ソヴ エー ト 政府 は本年 一月 十 二 日 か ら 二十 日 の間 に モ ス コウ に第
内 乱 及 封 鎖 の間 は政 権 擁護 に忙 し く 、文 化 教 育 に意 を注 ぐ遑 が な か
ヴ エート 政権 に奨 順 す る傾 向 を生 じ て来 た。 他 方 共産 党 政 権側 でも
又其 の下 層 部 を なす 普 通 教員 の間 に自 ら精 進 的 転換 を生 じ 、漸 次 ソ
権 が依 然 存続 し て を る こと ゝな ると大 勢 の赴 く 所 已 むな く智 識 階 級
限 り を 嘗 め た が 、 一九 二二年 末 頃 か ら稍 国 内 が収 ま り、 共産 党 の政
開 き 、 十 月革 命 以 来 と か く背 離 勝 ち で あ つた共 産 党 、政 府 対教 員 の
第 一回 ソヴ エート 共和 国普 通 教員 大 会 に就 て報 告 要 旨
関 係 を緩 和 す る に努 め、教 員 側 は 従来 の態 度 を悔 い改 め、 将来 共産
つた が 、革 命 后 に於 け る国 民 教 育 の余 り に甚 だ し い衰 微 、 対農 民 宣
シ エホ ツ ク の精 神 を 鼓 吹す る の必要 等 に鑑 み、殊 に最 近 一年 位 の間
︹マ マ︺
党 指 揮 の下 にソヴ エート露 国 の建 設 に いそ しま ん こと を中 外 に声 明
伝 上 教 員 を味 方 とす る必要 、 さ ては教 員 を介 し て 次代 の国 民 にボ リ
頻 り に普 通教 員 、殊 に農 村 教 員 の生活 改 善 を 図 つて ゐた が今 次 愈 こ
大 会 で政 府 当 局 者 は国 民 教 育振 興策 と し て、 本 一月 に教 育費 追 加
した。
予 算 と し て千 八百 万 留 を支 出 し 、普 通 教 員 の平 均 月俸 額 を 二十 八留
の大 会 を 催 し た訳 で あ る。
右 の理由 で開 かれ た大 会 であ る か ら会 議 は 全然 教 育 上 の問 題 に触
迄 に増 俸 す る こと 。 ( 戦 前 は 約 三 十留 ) 普 通 教 員 恩 給 制 度 (二十 五 年勤 続 者 に 一ケ月 二 十 五留 を給 す ) を設 く る こと 、其 の他教 員 の生
第 一回全 共 和 国普 通教 員 大 会 を開 き、 各 地 から参 列 せ る普 通 教 員 代
ソヴ エー ト政府 は去 る 一月 十 二 日 から 廿 日 の間 に首 都 モ スク ワ に
時 代 の有 産 階 級 思想 の感 化 によ る 已む な い現象 であ る、 と し て其 の
独裁 政 治 を承 認 す る こと が出 来 な か つた のは彼 等 の罪 でな く 、帝 政
等 に就 き 一般 的 訓 示 を なし 、 教 員 が久 し く 十 月革 命 、 プ ロ レタ リ ヤ
命 ロシ ヤ に於 け る教 育 の使 命 、 教員 と共 産党 及青 少 年 運動 と の関 係
れず 、只 政 府 及 共産 党 の巨 頭 連 が夫 々内 外 の大勢 、 革 命 と教 育 、革
表 約 二千 人 を 一堂 に集 め て五 回 の会 議 を催 し た。 ソヴ エー ト政 府 は
活状 態 の改 善 を約 し た。
十 月 革 命 後 時 々所 謂 全 露 教育 労 働 者 同盟 の主催 で教 育大 会 を開 いた
から は 各 地 方 、各 民族 の代表 者 が交 々立 つて ソヴ エート政 権 に対 す
働 民 衆 の 一員 と し て社 会 主義 建 設 に貢 献 せ ん こと を要 望 し 、教 員 側
命 の意 義を 解 し 、 ソヴ エート 政権 に帰順 し来 れ るを嘉 賞 し 、将 来 労
罪 を問 はざ る旨 を述 べ、 近来 教員 が数 年 に亘 る試 練 の後漸 く 十月 革
り 、 地方 予 算 に於 て は約 四 倍 と な つた。 尚 本年 一月国 民教 育 費 と し
即 ち最 近 二年 の間 に国 民 教 育 費 は 、国 家 予算 に於 ては約 二倍 と な
地 方 予算 によ る教 育費
中 央政 府 予 算 に よる教 育 費
二億 三 千 三百
一億 四 千
て千 八百 万 留 を追 加 支 出 し 教 育 の振 興 を 策 す。
三月
せし 結 果 )
二十 乃 至 二十 五留 (政府 五百 万留 を特 別 支出
十 五留
七留 五十
六留
一九 二三 年 の 一月 から 本年 (二 五) の 一月迄 に、 六留 から 二十 八
普 通 教 員 の月俸 (平 均 額 )
る奨 順 の意 を表 明 し最後 に、過 去 の誤 れ る態 度 を悔 ひ 、 ソヴ エート 政 府 の内 外 政治 の正 当 な る を承 認 し 、将 来 ソヴ エート政 府 及 共 産党 指 導 の下 に革 命 の達 成 に努 力 す べき旨 の声 明 書 を中 外 に発 表 し て居
一九 二 四年 三月
一九 二三 年 一月
留 に増 俸 し た 。即 ち
半 は 、形 式 上 ソヴ エー ト政 府 に帰順 した こと と な る の であ る が 、彼
か く て現 在 約 五 十 万人 を算 せら る ゝソヴ エート露 国 普 通 教員 の大
る。
な も の で あり 、 地 方官 憲 や青年 共産 党 から の圧 迫 が甚 だ し い ので、
等 (殊 に農 村 に於 け る) の物 質 上 及法 律 上 の生 活 状 態 は 未 だ み じめ
六月
本 年 一月 政 府 は教 育 追 加 予 算 千 八 百 万留 の内 、 五 百 万留 を 普 通教
是 等 の弊 害 が矯 正 せら れ ぬ限 り衷 心 から の帰 順 は将 来 ソヴ エー ト政 府 の施 設 如 何 に依 るも のと 看 ね ばな るま い。 但 し既 に此種 の大 会 を
員増 俸 費 に充 て、 一ケ月 平 均 二 十 八留 に達 せ しむ る こと を決議 す。
制
開 く 機 運 を 作 り得 た其 の事 だ け で も共 産党 政 権 の 一捷 利 と称 し て可
給
左 に高 橋 中 佐報 に より 同制 度 に関 す る規 定 を掲 ぐ 。
二十 五 年勤 続 の普 通 教 員 に 一ケ月 二十︱ 二十 五留 の恩 給 制 を設 く 。
恩
か く て此 の二 年間 に約 五 倍 (六留 か ら 二十 八留 ) にな った 。
今 次 の大 会 で当 局 者 は教 員 の生 活 改善 を約 し 、 其 の第 一着 と し て
から う 。
教 育 費 の予算 追 加 や増俸 、恩 給 制 の実 施 を吹 聴 し 農村 教 員 会 への御 土 産 と し て を る。 其 の大 要 を掲 ぐ る に、
労農 政 府 の国 民 教育 振 興策 の 一端
一九 二 二年︱ 二 三年 度 予 算 総 額
七 千 五百 万
十三億
り。
の扶 助料 に関 し、 本年 一月 十 五 日 附 を 以 て左 記 の如 き規 定 を発 布 せ
て、 ソヴ エー ト共 和国 中央 執 行 委 員 会 及人 民 委員 会 議 は教 育 当 事 者
国 民 教育 の開 発 並 に教 育 当 事 者 の物質 状 態 を 改善 す る 一条 件 と し
中央 政 府 予 算 によ る教 育 費
二 十 二億 七千 四 百 万
六 千 二百 万
教 育 予 算
一九 二 四︱ 二 五年度 予 算 総額
地 方予 算 によ る教 育 費
の者 に対 し て は其 の四 分 の 一を 給 す 。但 し 後者 に給 せ る扶 助 料 の総
而 し て労 働 不能 の妻 に対 し て は規 定扶 助 料 の半 額 を 給 し 、其 の他
童 を有 す る者 。
る こと 。扶 助規 定 は ソヴ エー ト共 和 国 の財 政 状 態 改善 の程 度 に応 じ
額 が、規 定 扶 助 料 の金額 を超 へざ る も のと す 。
一、教 育 当事 者 に対 し 其 の勤 続 年 齢 に基 づ き て扶 助規 定 を実 施 す
一日 よ り 左記 の諸 条 件 に基 づ き て実施 す るも のとす 。
十 一、本 規 定 発 布 後 四 ケ 月 以内 に扶助 料 請 求書 を提 出 せ る者 に対
課 さざ る事 。
十 、 本規 定 を 以 て制 定 せ る扶 助 料 に対 し ては 、国 税 又 は 地方 税 を
財務 部 より 支 払 ふ も のとす 。
九 、扶 助 料 は何 等削 減 せら る ゝ ことな く 、当 人 の居住 地 方委 員 会
八 、 一ケ年 の扶 助 料 を 三百 四 十留 とす 。
て、将 来 之 を拡 大 す べき も最 初 の実施 法 とし ては 、 一九 二五年 一月
二 、扶 助 規 定 に該当 す るも のは 、村 落 及都 会 の第 一階 級学 校 教 員 、
に幼 稚 院 職員 等 とす 。
村 落 に於 け る文 化 ︱ 教 育 機 関員 図 書 館 勤 務員 、初 等 農 業 学校 教 員 並
三、有 権 者 は第 二項 に示 さ れ た る諸教 育 機 関 の就職 に於 て勤 続 二
四、扶 助料 受 納 資 格 査定 の際 第 二項 に 示 され た る勤 務 に該 当 す る
十 五年 に達 せ る も のた るを要 す 。
革 命 前 の勤 続 年 数 をも加 算 す 。 但 し第 二項 に示 さ れ た る勤 務 (ソヴ
十 二 、社 会 保 険 県 機 関 又 は之 に相 当 す る機 関 が扶 助料 受 納 資格 を
し ては 、 一九 二五 年 一月 一日分 よ り支 払 ふも のとす 。
査 定 す。 而 し て社 会 保険 機 関 は有 権 者 の名 簿 を作 製 し 、之 を県執 行
エート制 に於 け るも の) に五年 以 上勤 続 せる 者 た る を要 す 。職 務 並 に扶 助料 を支 払 ふべ き勤 続 年数 の初 期 等 は、第 十 四項 の訓令 に墓 づ
十 四 、 全露 職業 同 盟 中央 委 員 会 及 全 共和 国 人 民委 員 会議 は 、 ソヴ
規 定 実 施 上 其 の保険 料 金 が不 足 の場 合 は国 家 予算 よ り柿 助 す 。
当 人等 の勤 務 す る機 関 が彼 等 の為 に納 附 す る保 険料 金 とす 。若 し本
十 三、 本 規 定 を 以 て制 定 せる教 育 当 事 者 に 対す る扶 助 金 の資源 は、
定 に対す る官 衙 又 は 個 人 の抗 議 を審 議 す 。
委員 会 に提 出 し て認 可 を受 く 。尚 県 執 行 委貴 会 は社 会保 険 機 関 の制
五 、赤 軍 に服務 し 又 は ソヴ エー ト及 職 業 同盟 の選 挙 に参 加 せ る場
き て制 定 せ ら る ゝも のとす 。
合 を除 く 外 、 休 職 期 間 は勤 続年 限 二十 五年 中 に加 算 せず 。 六、 本 規 定 に基 づ く有 権者 にし て実 に在 勤 す る者 は 、共 の俸 給 額
七 、 有権 者 死亡 の場 合 に は本 人 に次 ぐ其 の家 族 の 一員 が、 其 の扶
エー ト労 働 人 民委 員 会 及 ソヴ エー ト共 和国 財 務 人 民委 員会 に 対し 、
の如 何 に拘 らず 、其 の所 定扶 助 料 の半額 を受 く るも のとす 。
にし て充分 生活 費 を有 せざ る者 た る を要 す 。 即 ち 、
本 規 定 実 施 に関 す る訓 令 を 二 週間 以 内 に発 布 す る事 。
を採 用す る事 。
扶 助料 支 払 請 求 書 の調 査 並 に之 が支 払 を適 宜 に行 ふ べ き手 段
助 料 を 受 く る資 格 を有 す るも のと す 。但 し当 人 が 死亡 者 の被 保護 者
ロ
イ
次 の 二項 を委 任 す。
労 働 不能 の両 親 及妻
満 十 六歳 未 満 の者 、 労 働 不能 の児 童 、 兄弟 及 姉 妹 。
ロ
ロ に該 当 す る者 にし て労働 可 能 な る者 と雖 も、 八 歳未 満 の児
イ
ハ
一 一
大 正 十 四年 二月 二十 三 日
哈 調情 第 七 三 五号 哈 爾 賓事 務 所 長
新 任 奉 天駐 在 露 国 領 事経 歴 去 る 二十 一日新 任 奉 天 労農 領 事 カ ル コウ エツキ ー着 哈 す 。 二 、 三
彼 は 元近 衛 騎 兵 大尉 にし て 一九 〇 五 年 ペテ ログ ラ ード の暴
日滞 在 の上 南行 す る筈 。 経歴
す る に労 農 は自 ら機 会 を構 成 し て 正式 軍 隊 の入満 を 企図 しあ る が如
企 図 し あり た る こと は既 報 の如 し。 然 る に最 近 の諸 情報 を綜 合判 断
し。 即 ち 曩 には 北満 撹 乱 の目 的 を 以 て馬 賊 を糾 合 し 、之 に武 器 及資
は馬 賊 をし て東 支列 車 を襲 撃 せ し め た る こと あり 。然 る に最 近密 偵
金 を供 給 す る件 に就 て、浦 塩 方面 に於 て馬賊 頭 目 と 数 回会 見 し 、或
一
東 支 理 事会 が東 支 路警 処 の予 算 を 削減 し て路 警 の縮 少 を余 儀 な
護 路 軍 の叛 乱 逃 走 事 件 あ り
及各 方 面 の情 報 に依 れば 、労 農 側 は更 に護 路 軍 の切崩 運 動 に着手 し
二
財 産 を保 護 し能 は ざ る に於 ては 、自 己 の力 を 以 て之 を援 助す べ き
路 警 処 を罵 倒 、 宣 伝 し つ つ若 し 支 那 官憲 にし て北 満 露 人 の生 命 、
支 那 路警 機 関 無 能 論 を ノ ー ウ オ スチ ・ジ ーズ ニ紙 に掲 載 し て、
く せし め 、治 安 維 持 の困難 な る時 期 に乗 ぜん と す る等 、或 は
せら れ後大 佐 に昇 進 す 。 西 比利 亜赤 化 の際 デ ルウ エル、 ウオ ロゴ ツ
三
キ ー其 の他 と反 ボ リ シ エビ キ ー運動 を起 し 、 社会 革 命 党 を標 榜 せ る
動 事 件 に連 座 し、 西 比 利亜 に追 放 さ る。 臨 時 政府 の出 現 と 共 に大 赦
西 比 利 亜自 治 政 府 樹 立 を 画策 し 浦 塩 に来 る。同 地 に於 てゲ ルウ エル
や と疑 は る る法政 学 校 教 員 外 数 名自 ら発 起 とな り 省議 会 及 其 の他
昨 今 斉 々哈 爾 に於 て呉 督 軍 の留 守 中 、労 農 の使嗾 に依 る に非 ず
こと を仄 か し、或 は 四
の同 志 を糾 合 し呉 督 軍 の排 斥 を企 て ある が如 き 、労 農 の鋒 鋩 は 日
フ崩壊 後 ガ イ タ事 件 の当 時 より労 農 側 と 提携 し 、労 農 政府 の援 助 の
政 府 の樹 立 と共 に政府 主 脳 者 の 一人 とな り 盛 に活 動 せ し が 、 ロザ ノ
露協 約 成 立 後 の今 日 に於 ても 着 々予 定 の計 画 を 遂行 しあ る が如 く
せ しむ るを 必要 と認 む 。
に張 作 霖 を指 導 し機 を 失 せず 、北 満 に於 け る労 農勢 力 駆逐 策 を実 現
治経 済 上 に悪 影 響 を 及 ぼす べ き こと は屡報 告 せる所 な るが 此 の際 更
以上 の如 く労 農 側 の画 策 及労 農 勢 力 の北 満 侵 入 が帝 国 の国 防 及 政
観 測 せ ら る。
下 にガ イ タ事 件 を惹 起 せし が成功 せず 。其 の後 欧 露 に入 り て国 民 経
一二
秘 哈爾賓事務所長
済 最高 会 議 に勤務 し今 日 に至 る。
哈調情第七三七号
労農側 の支那護路軍切崩運動 (二月 二十 一日高橋中佐報)
大正十四年 二月 二十三日
労農側 の正式軍隊 の入満計画は機会 ある毎 に屡 々之を実現せんと
哈 調情 第 七四 八 号
一三
秘
哈 爾 賓 事務 所 長
労 農 極 東 商業 代 表 活 動 を 開始 す (二月 三十 五 日高橋 中 佐 報 )
大 正十 四年 二月 二十 六 日
在 哈労 農 極 東 代 表 は張 立 先 、 王希 建 等 六名 の支 那 人 を使 用 し て、
に於 て将 来 新 た に利 権 を 得 る こと は別 と し て、 旧利 権 の復 活 を許 さ
一五
秘
哈 爾賓 事 務 所 長
ざ る は自 明 の理 な れ ども 、 此 の際 特 に記 せ り。 以 上
哈 調情 第 七 六七号
消 息 通 が極 秘 と し て漏 ら す処 に拠 ると 、満 洲 に於 け る ソヴ エート
カ ラ ハン の満 洲 に於 け る 対 日経 済 戦
大 正十 四年 三 月 三 日
の輸 入仲 介 を 開 始 せ る が、 就 中 毛織 物 の輸 入 が盛 ん にし て極 め て好
欧 米 向 け豆 油 、 豆粕 、 穀 類輸 出 の代 弁 及 露国 産 果 物 、鑵 詰 、毛 織 物
東 支 鉄道 最 近 の対 満鉄 政 策 も イ ワノ フの意 志 に非 ず し て、 カ ラ ハン
露 国 の対 日経 済戦 は カ ラ ハン の意 嚮 に基 づ き徹 底 的 に行 な は る べく 、
(堀 江 )
極秘
大正十四年五月 一日 哈爾賓事務所長
哈調情第 八六号
一六
に妥協 的 協 調 を 求 め んと す るが如 き は絶 対 不可 能 の事 に属 す 、 と。
の訓 令 に基 づく も のであ る。 而 し て此 の問題 に関 し 日本 が カ ラ ハン
換 算 し て大 洋 紙 幣 を 以 て決 済 し あ り、 と 。
哈 爾 賓 事 務 所長
一四
成 績 な り と。 因 に支那 商 と の売買 は総 て知 留 延 にし て、之 を大 洋 に
哈 調情 第 七山 六二号
露 国 に於 て外 人 の有 し た る 旧利 権 と将 来 に関 す る件
大 正十 四年 三 月 三 日
(二月 三 十 七 日下 井 内務 事 務 官 代 理報 ) 革 命 前 に露 国 に於 て有 した る鉱 山 其 の他 の利 権 は、 露国 人 は勿 論
の如 く思 ふ者 あ る は甚 だし き 誤 り にし て、殊 に之 を 以 て出 資 を勧 誘
な き に拘 ら ず 、 日本 人 の中 には 日露 通 商成 立 後 に於 て復活 す る も の
演速記録写及訳文参考 の為御送附致します。
大分問題を起し て居りますが、確実なる筋より入乎しました、右講
講演 の内容 (四月二十四日附哈調情第五九号)が日本内地に伝 つて
四月十七日 コツプ大使 が哈爾 賓県共産党委員会政務局 にて為 した
哈爾賓 に於ける コツプ大使講演速記録写
す る が如 きは 許 す べ から ざ る ことな り 。米 国 に於 ても 旧 利権 復 活 に
外 人 の所 有 に対 し て も 一切之 を没 収 し て国有 と なし 、 復 活 の見込 み
就 て運 動 した るも其 の効 果 を得 ず に了 せ り。 国 有 制 度 の露 国 の今 日
本 稿 は未 校 正 の速 記 録 写 な り。
共産 党 哈 爾賓 県 委 員 会 政 治 局会 議 々定書 (三 四 四号)
向 はプ ロレタ リ ヤ階級 が政 府 の経済 振 興 政 策 を諒 解 し 、 工業 発 達策
西 亜 政府 の脅 威 と な る如 き こと は 毛頭 無 い。特 に最 近 注 目す べき傾
り と 謂 ふ こと が出 来 る 。然 れど も斯 か る地 方 は極 め て少数 な れ ば露
に自 覚 し 来 つた こと で 、政 府 は之 に対 し異 状 の注意 を払 つて ゐる 。
一九 二五 年 五 月 十七 日 到 達記 録 一五 五 号 本 会 議 には コツプ 氏 其 の他 の報 告 が あ る が、 各質 問 者 は 各
り、 村 落 地方 に赴 き た る優 秀 な る技 術 を有 せ るプ ロ レタリ ヤ が続 々
最 近 に於 け る新 現 象 と し て更 に注 目 す べき 一事 は 、曾 て工業 地を去
議長 自 席 よ り無 制 限 に質 問 す る事 が出 来 る。 之 を 以 て開 会 の辞 に代 へ、
工業 地 に復帰 し た こと に よ り、 為 に主要 工業 は股 盛 と な り優 秀 労働
最 初 に コツ プ氏 の報 告 が あ る。 諸 君 、余 は報 告 を 為 す に当 り で 一言 す べき は余 の報 告 は
ね ばな ら ぬ 。
者 の数 は 増加 し たる が 、今 後 の重要 問題 は冶 金 工業 の発展 策 を講 ぜ
コツプ 過 去 に遡 らず 、 主 と し て時 局 問題 に就 て述 べ る こと であ る 。先 づ 経
ば、 同 氏 と会 見 せ ざ る前 に於 て具 体 的 の意 見 を述 ぶ る こと が出 来 ぬ。
政 府 は 既往 露 西 亜 に於 け る何 れ の政府 に比 較 す る も未 だ曾 て見 ざ る
併 し乍 ら 吾 人共 産 党員 の自 覚 は益強 固 な るも のと な り、 ソヴ エート
く 増 加 し 、 小ブ ルジ ヨア階 級 の権威 勢 力 は 地 に墜 ち た か の感 があ る。
更 に 一般 労 働 者 の文 化 、政 治 的観 念 の程 度 に就 て見 るに最 近 著 し
済 問 題 に就 て 一言 せ ん に、 経 済 問題 は ヤ ン ソ ン氏 (註 、商 務官 ) が
資 本 及 工業 の国 家 集中 策 は着 々其 の効 を 奏 し 、総 て の自 由 競 争 を
程 確 固 た る も のと な つた。
中 央 委 員会 に於 て調 査 、研 究 せる詳 細 な る報 告 を携 帯 し 来 る筈 なれ
ラ ス ト の組 織 を 益 鞏 固 にし 、 今 や露 西 亜 は 外 国製 品 の供 給 に俟 つ欠
根絶 せし め内 、 外 国経 済 に異 常 な る勢 力 を有 す る シ ンジ ケ ート 、 ト
や露 西 亜 は到 る処 外 交的 勝 利 を占 め 交渉 国 の首府 に は何 れ も自 国代
の紛 糾 に際 し て、 列強 諸 国 より 或 は干 渉 の虞 は な い では な い が、今
国 際 関 係 を 一瞥 す る に 、露 西 亜 と 小 ア ンタ ント間 に於 け る何 等 か
極 東 に於 け る経 済 力振 興 策 と し て は先 づ 亜 細亜 諸 国 と密接 な る経 済
乏 難 を 脱 し 、却 つ て自国 工業 製 品 を外 国 に輸 出 せ ん とす る に至 つ た。
関 係 を結 び 、 一方極 東 露 西 亜 に於 け る鉱 業 其 の他 の利権 を提 供 し て、
極 東 に於 け る国 際関 係 に於 ては 先 づ 日本 に対 し 、余 は中 央 委 員会
表 者 を 駐剳 せし め て居 る。
最 近 ブ ルジ ヨア系新 聞 の伝 ふる労 農 露 国 内 に於 け る饑 饉 の如 きは
欧 米 資 本国 の投 資 を促 す方 針 であ る。
密 接 的 関 係 は米 国 に取 り て異 常 な る脅 威 であ り 、 且 日本資 本 家 に極
の露 国 承 認 の前 提 的誘 致 とな さ んと す る の であ る。 即 ち 日露 両 国 の
東 露 西 亜 の富 源 開 拓 権 を 与 ふ る こと は米 国 人 を刺 激 し、米 国 通 商 復
の方 針 即 ち 日本 を 米国 の敵 手 国 と看 倣 し、 日本 と の交 渉 を以 て米国
エー ト政府 一部 の悪 宣伝 に誤 ら れ、 小 麦 其 の他 の穀 物播 種 を為 さず
活 の要 求 を米 国 政 府 に迫 る故 であ る。 故 に露 西亜 に取 り ては 帝 国主
実 際 毫 も憂 ふ る に足 らず 、 僅 か二 、 三県 に凶 作 あ り し の み にて何 等
し て野 菜類 を播 種 し た る が、 野 菜類 に取 り ては土 地 、肥 料 等 の不 適
の脅 威 的影 響 が無 い。殊 に是 等 二 、 三地 方 な る も のも農 民 が反 ソヴ
な る が為 不作 の結 果 と な り た るも のにし て、 謂 はば 農 民 自身 の罪 な
義 の日本 と の同 盟 関 係 は 何 等確 固 た る意義 を与 ふる も のでな く 、米
質 的 援 助 を与 ふる こと であ る。斯 くす れ ば 吾人 の勝 利 は確 定 的 で あ
更 に主義 的 に鼓 吹指 専 し 、 一般脅 年 労 働 者 階級 を誘 致 し、 之 等 に物
最 後 に最 も注 目 す る所 は 、 社会 主義 を 諒 解す る多 く の日本 青年 を
る こと と謂 ひ得 る。
イ ル シ ヨ フ
︹マ マ︺
速記者
哈 爾 賓事 務 所 長
秘
ア ノ ー ヒ ン
国 と の国 交 恢復 後 に於 け る 日露 両 国 協 商 は我 々を 毫 も拘 束 せざ る 一
﹁協 約 の効 能 と し ては 唯 世界 革 命 遂 行 上、 其 の前衛 の指 導 機 関 を
右 確 写 な る を証 す
秘
一七
一九 二 四年 四月十 七日
哈 調情 第 九 六号
た。
二 、 自 分 は莫 斯 科 に於 て同 氏 の配 下 に在 つ て終 始 行 動 を共 にし て居
於 ては恐 ら く自分 一人 であ らう 。
一、 コツ プ大 使 が 如何 な る人 物 であ る かを 知悉 し て居 る者 は当 地 に
た 所 左 の通 り、
当 地露 国 副 領事 ビ チ エー エフ氏 が首 題 の件 に就 き 、某 邦 人 に語 つ
ソヴ エー ト露 国側 の コツプ 大使 講 演 問題 に関 す る弁 明
大 正 十 四年 五 月 八 日
種
片 の反 古 紙 同然 で ある 。
日本 領 土 内 に公 然 適 法 的 に存 在 せ しむ る可 能 を 与 ふ る位 のも の に過 ぎ な い﹂ 日本 に於 け る私 の政治 的 活 動 に就 て御 質 間 があ り ま し たが 、 私 は 此 の問 題 に関 し て は前 記 の国際 政 策 の方針 に拠 つで行 動 す る考 へで あ り まし て ( 或 る 一派 の人 と は) 全 く 異 つた見 解 を持 つて をり ま す。 即 ち繰 返 し て言 ふ が、 対 日 政策 の根 本 は極 東 に於 て米 国 に対 す る脅 威 の材 料 と し て 日本 を 利 用 す る こと に措 き、 御 質 問 の日本 に於 ける 政 治 的 活 動 (訳者 曰く 、 所謂 宣 伝 事 業 ) は全 然 之 を 日 本 社会 主 義 者 の手 に放 任 し、 私 共 は 此 の方面 で は唯 共産 党 組 織 上 日 本 の労 働 者 が
に止 めた い。
認 容 し て ゐ る苦 痛 、 欠 陥 を 除 く 点 に於 て単 に精 神 的 援 助 を与 ふ る位
共 産 党 組織 問 題 に就 ては外 務 委 員 会 及中 央 委 員 会 の意 見 に従 ひ敢 て党 派 を 組織 せず 、 専 ら 将 来 に於 け る活動 家 を養 成 す る こと に重 き を置 き、 先 づ社 会 主 義 団 体 を組 織 し、 之 を中 心 と し て 同志 を集 合 し
特 に同 社 会主 義 に期 待 す る事 は 近く 共 産党 第 三イ ン ター ナ シ ヨナ
て其 の活 動 範囲 を拡 張 せ し め ん とす る のであ る。
伝 参 謀員 を や つ て居 た が、 赤 化 運動 曝 露 し 独逸 政 府 か ら 一時 退央
を 命 ぜ ら れ た が、 後 に至 つて同 氏 の人 格 が認 め られ 右命 令 は 取 消
三 、嘗 て ヨツ フ エ氏 が使 者 と し て 独逸 に滞 在中 コツプ は彼 の赤 化 宣
さ れ た。
ル が発 刊 す る当 該 書 籍類 を 、 一般 労 働者 及農 民 に普 及 せ しむ る こと
暁 せ るも のを特 選 し 将 来 社 会主 義 の為戦 闘 起 りし 場 合 には社 会 主義
で あ る。 而 し て社 会 主義 国 の使 命 を完 金 に果 さす 為 、 農 村事 情 に通
派 に参 加 せ しむ る様 備 ふ べ き であ る。
四 、 コツ プ大 使 は ヨツ フ エに比 し 人格 者 であ る 、 と自 分 は観 察 し て 居る。 五 、 彼 は 未 知 の哈 爾 賓 に於 て共 産 党員 の素 質 等 を知 らず 、 か の通信 に現 は れ た様 な大 胆 な 言辞 を弄 す る程 無 思 慮 の人 で な い。
至 り六 時 頃 帰 宅 し少 憩 後道 尹公 署 の招 宴 に臨 み、 九時 半 頃 帰 宅 、
六 、演 説 せり と 伝 へら れ る四月 十 七 日 は 、午 後 二時 よ り馬 公 使 館 に
更 に馬 氏 の案 内 で夜 の 二時 頃 迄 傅 家 甸 の料 理 店 で 東 鉄 露 支 理 事 等 と歓 を尽 し て居 た事 実 は 、講 演 の時 間 が無 か つた 事 を証 し て居 る。 七 、唯 当 日は 丁 度来 哈 中 であ つた哈 府 革 命委 員 会 委 員 ガ ル マ ニツク 氏 と約 一時 間 位 の談 話 をな し た事 あ るも 、自 分 さ へも共 の席 に居 な か つた の だ から 、其 の談 話 が速 記 され る と言 ふ様 な事 は絶 対 に
秘
一八
在 り得 べ から ざ る事 で あ る云 々。
哈 調 情第 九九 号
哈 爾 賓 事務 所 長
露 支細 目会 議 準 備 に関 す る駐 露 支 那 代 表 李家 〓 来 電
大 正 十 四年 五月 九 日
要 旨 (五 月七 日高 橋中 佐 報 ) 行 政 長 官 公 署 に於 て探 聞す る処 に依 れば 、 駐露 支那 代表 李家 繁
記
よ り左 記 要 旨 の報 告 を 打電 し来 れ り と。 左
一、労 磯 政 府 は露 支 会 議 に於 け る国 境 画定 の準 備 と し て、 国 境調 査
委 員 会 を組 織 し 、 陸 軍 々人 を 委 員長 に任 命 し て国 境 地 方 に軍 隊 を
配 置 し 、国 境 画 定 に対 し有 利 な る足場 を築 か ん と準 備 中 な り。 支
那 政 府 は 之 が 対策 を講ず る の要 あ り。
一、〓 斉 線 敷 設 に 対 し労 農 政府 は絶 対 反 対 の意 向 を有 す 。
一九
秘
哈爾 賓 事 務 所長
す べく 労 農 政府 と或 種 の密約 を締 結 せ り、 と の報 あり 。
一、外 蒙 古 青 年会 は露 支 会 議決 裂 せる 場合 には 、 外蒙 の独 立 を実 現
哈 調情 第 一〇 一号
ソヴ エト露 国 の対 北 満政 策
大 正十 四 年 五 月十 二 日
余 (ビ チ エー エフ) が北 京 や奉 天 に行 つた際 北 京 カ ラ ハンか ら東
支 鉄 道政 策 に就 て受 け て来 た訓 令 は、 今 日迄 の如 く東 支 鉄 道 の急 進
的 労 農 化方 策 を 捨 て、茲 暫 く 支 那側 と歩 調 を共 にし漸 進 的 政 策 を行
へ、 と いふ事 であ つた。 そ れは露 国 の第 一計画 が成功 し、 北 京 政 界
に於 け る労 農 側 の潜 勢 力 が、 日本 の奉 天 側 に於 け る勢 力 と対抗 し て
も 少 し も劣 る事 な き 確信 を得 る に至 つた から で あ る、故 に南 満 及 北
北 京 公所 長
満 政 策 に就 て露 国 は 日本 と協 調 を なす 必 要 は毫 も な い云 々。
二〇
大 正 十 四年 五月 二十 一日
北公 情 二 五第 一号 の三 六
露 支 会議 委 員 の件 (五 月 二十 一日晨 報 摘 録 )
務
交
茲 に於 てか支 那 官憲 は予 め戒 厳 令 を布 き 、附 属 地内 に於 け る擾 乱
同 盟 罷 業 及 軍隊 の移 入 を 以 て之 に報 いんと応 へた、 と か。
で あ る。 之 に よ ると 一切 の政 権 を 軍憲 に移 し、 市 街 通行 時 間 を 制限
の万 一に備 へん と決意 し 、既 に戒 厳令 の草案 が出 来 て居 る、 と の事
し、 国 境 を閉 鎖 し、 野戦 裁 判 を 設 け秩 序 紊乱 者 は容赦 な く銃 殺 し 、
記
経 、 王 廷〓 、銭 泰 、黄 宗 法 、 稽 鏡 、朱 紹 陽 、襲 昌
部) 唐 在 章 、張煜 金 、 陳 恩厚 、 朱 鶴 翔 、施 紹 常 、周 伝
(財
(司
( 参
通
商
政
法
謀
部) 曾維藩
部 ) 韓 進 、顧 準曾
部 ) 廖 炎 、呉 甌
部 ) 衛 渤 、朱 祖鉱
部) 岡竜光
部) 黄 慕 松 、黄 任
他 の命 令 を出 す つもり だ ﹂ と言 ふ ﹁然 し支 那 人 が譲 歩 せね ば如 何 ﹂
我 々は飽 く迄 九 四命 令 を 実施 す る筈 で近 く罷免 者 の姓 名 を列 記 した
は露 の立 場 は更 に困 難 な る べ き旨 を述 べ たる に、同 氏 は ﹁か く ても
国 と提 携 す る場 合 には 日 本 は苦 し から ん が、支 那 が 日本 に倚 る場 合
係 は極 め て緊張 し居 る旨 を語 つた。 そ こで某 露 人 は、 若 し支 那 が露
し氏 も亦 非 公式 に戒 厳令 の風 説 を 聞 き 及 びた る こと 及 現 在露 支 の関
二、 同 二十 六 日東鉄 管 理局 庶 務 課長 ヤ ツ ン スキ ーは 、某 露 人 に対
又 共 産 党 流 の職 業 組合 に は閉 鎖 を 命ず る筈 であ る。
処) 宋 寿 徴
運
左
露 支 会 議専 門 委 員 及 各 機 関 既 に決 定 、委 員 左 の如 し。
( 外
( 税
(農
務
( 法 権 討 論 会) 柴 春 霖
(交
云 々。
九 四 号命 令 は飽 く迄 遂 行 す る 手筈 であ つて、 之 は単 に イ ワ ノ フの意
三 、右 ヤ ツ ム スキ ー氏 の部 下 た る某 共産 党 員 の洩 し た所 に拠 ると 、
るま い︱ と は言 ふも のの、 な ら ぬと 言 ふ 理由 も な い ?!
告 し た のは真 であ る︱ が、 今度 の事 件 は そ んな 事 ま で には 恐 ら くな
ト ロツ キ ーが曾 て ﹁常 に火薬 が乾 いて居 るや う に準 備 せ よ﹂ と警
(内
哈爾 賓 事 務所 長
と 反問 し た る に氏 は直 接 の回答 を避 け 、次 の様 な感 想 を洩 し た。
二 一
極秘
大 正 十四 年 五 月 二十 七 日
哈 調情 第 一四 〇 号
と す る露 支 の軋 轢 は将 に重 大 事件 化 せん と す る やう であ る。 聞 く如
一、昨 二十 六 日 に於 け る各種 の風 聞 を綜 合 す る と、 九 四問 題 を因
て居 る のであ る 云 々。
共 産 主義 を宣 伝 し 、軍 権 を 没落 せし め ん とす る吾等 を駆 逐 せ ん とし
ハン、 グ ラ ンド 、 イ ワ ノ フ の三名 を 除 か ん が為 であ る。 即 ち支 那 に
は 無国 籍 露 人 の罷 免 を希 望 し な いから ではな く 、之 を利 用 し て カ ラ
図 でな く 、 カ ラ ハンの命 令 であ る。 而 し て支 那 側 が之 に反 対 す る の
く ん ば 、支 那 官 憲 が イ ワ ノ フ局長 に第 九 四命 令 の撤 去 を勧 告 す る や 、
東 鉄 を 中 心 と す る露 支 関係 の危 機
彼 は断 乎 と し て拒 絶 し た。 そ こで逮 捕 の厄 あ ら ん こと を言 ふや彼 は
哈 調 情 第 一五 二号
二二
極秘
哈 爾賓 事 務 所 長
満 洲 里国 境 附 近 に於 け る露 国 側 の示 威 的 運動 と支 那
大 正 十 四年 六月 一日
側 の対 策 第 九 十 四号 命 令 事 件 は 遂 に露 国 側 の譲 歩 に依 り 一時 緩 和 し た こと は既 報 の通 り であ る が、露 国 側 が満 洲里 国 境 附 近 に於 て行 った 示威 運 動 と も 見 ら る べ き件 及 支 那側 の対 策 に就 て、 三 十 日及 三十 一日 発 秦 大尉 電報 の要 旨 左 の通 り。 一、 知多 側 は 二十 六 日 以来 逐 次 満 洲里 に空 貨 車 を輸 送 し 来 り 、 二 十 八 日迄 に其 の数 三百 二 十 九 に達 す 。支 那 側 は有 事 の際 軍 隊 を 東 方
五、職 業同 盟 会 一般 従 業員 に対 し て は 一々警 戒 を厳 にし あ るも 、
同 盟 罷 業 を決 行 す る に於 て は雇 傭露 人 を露 領 に還 送 し、之 に代 るべ
六、 在 満洲 里護 路 軍 の兵力 は歩 兵 大隊 、 砲 兵 一中 隊 (山砲 十 門 )
き技 術 者 を 以 て運 転 に支 障 な き準 備 を考 究 中 な り 。
騎 兵 一大 隊 な る も、 有 事 の際 を顧 慮 し 、歩 兵 一旅 、野 砲 一大 隊 、 飛
二三
秘
哈爾 賓 事 務 所 長
行機 等 を 増 加 せ ら る ゝ如 く申 請 せり と。
哈 調情 第 一八 九号
露 国側 の馬 賊 操 縦 計画 (六月 八 日 、高 橋 中佐 報 )
大 正 十 四年 六月 十 日
護 路 軍 総 司令 部 に於 て探 聞 す る に、 同 司令 部 は 労農 側 の馬賊 操 縦
た る赤 化 宣 伝員 シ マ コフ以下 九 名 は 目 下知 多 及 武市 に在 り 、彼 等 は
五月 二十 六 日高 等 探 偵 の報 告 に依 れば 、労 農 政 府 よ り派 遣 せ ら れ
計 画 に関 し 、 五月 二十 八 日黒 竜 督 軍 よ り 左 の要 旨 の電 報 受領 せり と 。
該 地方 に於 て支 、鮮 人宣 伝員 三 百名 を 募集 し て十 団体 を組 織 し、 露
二 、 二 十 八 日満 洲 里 に来 れ る露 人 の言 に依 れ ば 、後 貝 加 爾 に於 て
に輸 送 せ ん が為 な るべ し 、 と観 察 し あ り。
は十 八 歳 以 上 四十 八 歳 迄 の壮 丁 の強 制 の徴 兵 を 始 め 、 一般 住 民 は 開
し 云 々。
に在 る が如 し と 。護 路 軍 に於 て も国 防 に細 心 の注 意 を 払 ふを 要 す べ
口実 を得 ん が為 及国 境 地方 駐 屯 支那 軍 隊 の戦 闘力 を 試 験 せ んと す る
乱 せ ん とす る 計 画を 有 す 。其 の目的 と す る所 は、 東 支沿 線 に出 兵 の
支 、露 鮮 国 境 及 東支 沿 線 に潜 入 せ し め、 馬賊 を操 縦 し て該 地 方 を撹
戦 す べし 、 と称 し あり 。 三 、 護 路軍 哈満 司 令 参 謀長 の言 に依 れば 、ダ ウ リ ヤ駅 の露 耶 は 従
四 、 二十 六 日 イ ワ ノ フ来 満 の際 労 農領 事 館 に於 て労農 側 主 要 人 物
来 約 二聯 隊 な り し も 三聯 隊 に増 せり と。
イ、 職 業 同 盟 を指 導 し 罷 業 を起 さし む 。
集 合 密 議 せ り 。其 の内 容 探 聞 す る に左 の如 く なり し が如 し。
ロ、 労 農国 民 を し て鉄 道 沿 線 の秩 序 を 破壊 す 。 ハ、 労働 者 を使 用 し 支 那 軍 隊 を擾 乱 せ し む。
哈調 情 第 一九 八号
二四
極秘
哈爾 賓 事 務所 長
東 支 沿線 に赤 兵 侵 入 の件 (六 月十 一日高 橋 中 佐報 )
大 正 十 四年 六丹 十 二 日
奉 露 協 定 成立 以来 本 年 三 月頃 迄 に労農 側 の東 支 沿 線 に潜 入せ し め た る変 装 赤軍 の数 は、 少 な く も約 七 百 に達 せ る こと は既 に報 告 せ る ︹ 穣︺ 所 な る が、今 月九 日発 飯 村 少佐 通 報 に依 れ ば、 労 農 側 は約 十 日前 よ
し 、 と附 言 し た。 而 し て王 正 廷 の意 見 は チ チ エリ ン及 カラ ハ ンの声
件 に同 意 を す るな ら ば 、露 支 細 目会 議 を即刻 開 催 す る こと に応ず べ
明 を利 用 し て速 に細 目会 議 を開 く 事 が 、露 支国 交 を 常態 に復 す る有 利 な方 法 だ、 と考 へて居 る と。
二六
哈爾 賓 事 務 所 長 大 正 十 四年 八月 三 日
哈調 情 第 三 一七号
当 地露 国赤 色 職 業 同 盟 会員 ク リ レ ツツ の談 に依 ると ﹁近頃 労 農 側
労農側 の白 党 首 領 買 収
配置 中 にし て、之 等 赤 兵 は 逃 亡兵 とし て 入境 し つゝあ り 。今 日迄 ポ
は 極 東殊 に北 満 白系 の首 領株 た る ニー コノ フ、 ア ンド ー ノ フ将 軍 、
り 日 日 メ ス ト コ ム の手 を 経 て赤 兵 を 線路 工 夫 と し て、 東 支東 部 線 に
グ ラ小 綏 芬 間 に配 置 せ ら れ たる数 は約 二 十 五名 に し て、彼 等 は 沿 線
た ﹂ と。
哈 爾 賓 事 務所 長
るは 周 知 の事 実 な る が、 時 に当 満洲 里 は国 境 なる の故 を以 て其 の手
東 支 沿 線 に於 け る労 農 側 が白 党残 員 を 各種 の手 段 を 以 て圧 迫 し あ
労 農 側 の白 党 殺 害 事 件 (八月 三 日満 洲 里 秦大 尉 報 )
大 正 十 四年 八 月 八 日
哈 調情 第 三三 三 号
二七
に於 け る白 党 は ソヴ エト政 権 にと つて何等 の脅 威 と なら ぬ様 にな つ
し め 、既 に白 党 の結 社 機 関 から種 々の情報 を得 つ ゝあ る。 今 や極 東
旧 将校 職 業 同 盟 会長 プ ロゼ ロフ スキ ー等 を悉 く 買収 し て忠 勤 を誓 は
哈爾 賓 事 務所 長
二五
五露 里毎 に設 け ら れ あ る線 路 監視 小 舎 に収 容 せら ると 。
哈 調情 第 二三 四 号
露 支細 目会 議 開 催 に関 す る件 (六 目 二十 三 日ザ リ ヤ夕 刊 )
大 正 十 四 年 六月 二十 三 日
外 交 部 発 当 地道 尹公 署 著 電 に依 れば 、 チ チ エリ ンは李 家〓 を 経 て、 若 し〓 斉 線 が東 支鉄 道 の存 立 を脅 威 せざ る 様線 路 の方 向 を 変換 され
な いと声 明 し 、 又 カ テ ハ ンは王 正廷 に対 し 、東 支 鉄 道 の租 借期 限 を
る な らば 、 ソヴ エー ト露 国 は 必ず しも 其 の建 設 に反 対 す る も の では
更 に二十 年 短 縮 し て も差 支 な い、 と の意 を洩 し 、支 那 が以 上 の諸 条
偵 知 す る に勉 む る と共 に、 最 近彼 等 の所 謂 不良 分 子を 各種 の手 段 を
ウイ チな る者 をゲ ペ ウ隊 長 に任命 し表 面 商 業 代表 とし て当 地 に駐 在 ︹ 三字不明︺ せ し め 部下 □ □ □ 余 名 を附 し 、在 満 露 人 を 初 め 一般 外 国 人 の行 動 を
段 悪辣 を極 め つ ゝあ り。 即 ち 元赤 色 バ ル チザ ン隊 長 ア レキ サ ンド ロ
イ ツ マ ンの為 に買収 せら れ た る が為 なり と専 ら伝 へつゝあ り 。
官 憲 の 一部、 殊 に当 地護 路 軍 司令 部 高 級 部員 の 一部 が 、労 農 領事 ゲ
捕 を 忌避 し、 且犯行 の真 相 を 隠 蔽 せ ん と試 み つゝあ る は正 し く支 那
斯 か る無 法 な る引渡 処 置 に出 でん と せ し行為 並支 那官 憲 が該 兇行 が
こと 一再 なら ず 、 左記 の如 き は其 の著 明 な る 一事 実 な り 。 即 ち 七月
人 等 は該 兇 行 事 件 に関 連 し 、白 党 露 人 の無 保 護 状態 に関 す る陳 情 書
一再 に し て止 ま らず 、 今 回 の事 件 も其 の 一例 なり 。因 に当 地白 党 露
由来 当 地労 農 領事 の支 那 官憲 殊 に当 地 支 那軍 司令 部員 買 収 行為 は
労 農 ゲ ペ ウ部 員 の兇行 な る形 跡 明 ら か な るに も拘 らず 殊 更 に犯人 逮
講 じ特 に支 那 官吏 を買 収 し て国境 駅 た る86 待避 線 に秘 密 に送放 せ る
三 十 日 早朝 当 地白 党 哥 薩克 有 力者 の 一人 た る ウ イ ツイ ンな る者 自 宅
二八
哈爾 賓事 務 所 長
ウイ ツイ ン の自 宅 に来 り同 人 を 労農 官 憲 に引 渡 さ ん が為 に逮 捕 せ ん
満 司 令 部官 長 劉 斌 は 部 下 一名 及 八 十 六待 避 駅 ゲ ペ ウ部 隊 長 を伴 ひ、
依 り逮 捕 せら れ た る が、 同 人 は支 那 文 の宣伝 文 の外 に 日本 文 を も所
るが 、右 事 件 に相 次 で間 も な く支 那 人 陳 某 も宣 伝 に従 事 せ る 理由 に
へて出 る処 を支 那 官憲 の為 に捕 へら れ たる こと に関 し ては 既 報 し た
去 る 七 月十 七 日鮮人 ニ コライ ・姜 が職 業組 合 同 盟 よ り宣 伝 文 を携
月 二 日中 村 事 務官 報 )
露 国 に て印 刷 し た る 日本 文 宣伝 ビ ラ に関す る件 (九
大 正 十 四年 九 月 三 日
哈 調 情 第 四 一八号
を 哈市 外 交 団 に呈出 せ んと し て目 下 協 議中 な るが如 し。
に て睡 眠 中 四 名 の凶 漢 に襲 は れ拳 銃 に て銃 殺 せ られ た る事 件 な り 。 当 地白 党 側 の伝 ふ る所 に依 れば 、 被 害者 は咋 年 中 白党 バ ル チザ ン を組 織 し て後 貝加 爾 地 方 に侵 入 し、 一時 労 農 官 憲 を悩 ま せし が其 の 後 帰 満 し 今 日迄 当 地 に居住 せ し者 な り。 労 農 官 憲 は 同人 の満 洲 里 に 居 住 せ るを知 る や、 凡 ゆ る手 段 を 講 じ て同 人 を 国 境 内 に誘 致 せ ん と 試 みし も 、同 人 の警 戒 を怠 らざ り し 為 に成 功 せず 、 遂 に最 後 の手 段 とし てゲ ペ ウ部 員 を し て暗 殺 せし め た るな り と。 之 よ り曩 当 地労 農 領 事 ゲ イ ツ マンは当 地 支 那官 憲 に非 公 式 に同 人
と 試 み し も、 同 人 の強 硬 な る抗議 の為 に遂 に果 さざ りき 。其 の後 ウ
持 し居 た り。 印刷 は従 来 浦塩 に て印 刷 し た るも のと文 章 、体 裁 等 類
引 渡 方 を交 渉 せし も の の如 く 、 其 の結 果 とし て 犯行 の数 日前当 地恰
イ ツ イ ンは労 農 官憲 側 より の復讐 を予 期 し 常 に警 戒 を怠 らざ りし が
記
は る。 其 の内容 次 の如 し 。
似 せ る点 あ り 。右 宣 伝 文 も或 は浦 塩 に て印刷 し た る にあ らず やと 思
果 し て数 日後 殺 害 せ ら れた り と。 兇 行 当 日 の状 況 に関 す る警 察 及裁 判 所 官憲 の審 査 は 秘密 に附 せ ら れ 、支 那 側 は 極 力該 兇 行 の真 相 を陰 蔽 せ ん と試 み つ ゝあ る徴 候 あ り 。 尚 当 地 白 党露 人等 は支 那官 憲 が労 農 露 国 々籍 に在 ら ざ る露 人 に対 し 、
国 際 共産 党 執 行 委 員 会宣 言 書
欧 洲 に於 け る最 も恥 ず べ き と ころ の反 動 的 政 府 です ら も 、遂 に ソ
スト労 働 者 の同 盟 は コミ ンタ ン ( 国 民 党 ) と し て組 織 せ ら れ て居 つ
コミ ニスト ・イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルの執 行 委 員会 は宣 言 す 。 コミ ニ
を 通過 し つ ゝあ る のだ。 日 本 の資 本 階 級 の大 部 分 です ら も 現在 の日
あ る諸 君 の上 に加 へん こと を欲 し て居 る 。 日本 は 今 や革 命 期 の前 夜
る特 権 を 要 求 し て居 る のだ 。彼 等 は従 前 の通 り掠 奪 攻 勢 を無 産 者 で
ひ ら れ た。 只 諸 君 の残 忍 兇 暴 な る と ころ の代 表 者 のみ が彼 等 に対 す
ヴ エー ト露 西 亜 を攻 撃 し な い、 と言 ふ こと に 一致 せざ る を得 な く 強
た。 何等 特 権 に依 つ て縛 られ た り眼 を覆 は る ゝこと な き を宣 言 す る
一、資 本 国 家 を破 壊 す る
我 々は 、ブ ルジ ヨア政府 の最 も 恐 る べき 敵 であ る。 各 自 正直 な る最
本 の状 態 に厭 き て居 る。
衛 の役 を勤 め よ。 而 し て 日本 帝 国 の咽 喉 を 絞 め よ。
日本 の労 働 者 諸 君 は正 に熟 し つ ゝあ ると ころ の此 の革 命 に於 て前
善 の行為 を 以 て奮 闘 す る であ ら う。 さう し て必 要 と なら ばブ ルジ ヨ
ンダ は 帝 国 主義 の汝 等 に取 つては破 壊 的 であ ら う。 然 しな が らブ ル
ア政 党 に向 つて武 力 を 以 て立 つ。然 り、 共 産 党 国際 同 盟 のプ ロバ カ
国 際的 無 産 階 級 の前哨 と し て立 つて居 る、今 や各国 の無 産 階 級 の
四、 万国 の労働 者 諸君
帝 国 主 義 の紳 士達 よ、 汝 等 の存 在 を 以 て凡 て の階級 意 識 せ る 無産 階
ゝあり 、最 も近 き 将 来 に於 て異 口同音 を以 て全 世 界 の労 働 者 の叫 び
軍 隊 等 も諸 君 の援 助 の為 参 加 す る であ ろう 。 我等 の勝利 は近 づ き つ
ジ ヨア社会 の墓 掘 り にな る こと が コミ ンタ ン歴 史使 命 であ る 。汝 等
級 の感 情 を束 縛 し て居 る 間 は、 汝等 は全 世 界 の空気 を汝 等 の 口か ら
一、 社会 主 義 裏 切 者 を倒 せ !
一、 ブ ルジ ヨア ジ ーを 破壊 せ よ !
声 がや つ て来 る。
吐 く毒 瓦 斯 を 以 て 犯し て居 る限 り は 、富 豪 の小 さ な団 体 が労 働者 の
の資 本 主 義 が存 在 し て居 る其 の間 は 、 共産 主 義 者 の所謂 破 壊 的 プ ロ
骸 の上 に、汝 等 の利 益 を 求 め つゝあ る 間 は 、 一言 にし て言 へば汝 等
バ カ ンダ は連 続 す る であ らう 。
一、 ソヴ エー ト ロシ ヤ万才 !
二九 秘
国 際 共産 党 執 行 委員 会 (原 文 の儘 )
哈爾賓事務所長 大 正十四年 九月十 一日
哈調情第四六四号
千 九 百 二 十 五年 八 月 十 五 日
二 、英 国 の労 働 者 諸君 よ 諸 君 の国 に於 て政 権 の奪 取 を 急 げ 、 諸 君 が夫 れ を実 行 す る こと に 依 り て国 際的 無産 階 級 の道 は開 く の であ る。 そう し て 夫 れ が非 常 な
無 産 階 級革 命 の運 命 は正 に諸 君 の掌 中 に あ る のだ 。諸 君 の標 語 、
る力 を 以 て歴史 的 過 程 を促 進 す る のだ 。
次 の如 く であ る べき だ。裏 切者 であ る処 の社 会 民 主 党 を倒 せ。 資 本
三 、 日本 の労 働 者 諸 君 よ
の力を 破 壊 せ よ 。労 働 政 府 を建 設 せ よ 。
グ ラ ンド ホ テ ル に於 け る赤 派 幹 部 の秘 密 会 合 (九 月
赤 派 執 行 部 に於 て は昨 九 日午 前 一時 当 地新 市 街 グ ラ ンド ホ テ ル地
避 けざ るべ か らず 。 故 に前 に派 遣 せ る聯 絡員 以外 には未 だ人 数 を増
心 にし て多 疑 な れば 、彼 等 と 聯絡 を と る には 火急 を 不 可と し 激 烈 を
を恨 む の念 深 く 、我 が 主義 に共鳴 す る こと容 易 なり 。 只其 の元 性 小
聯 絡 員 の報告 に拠 れ ば 、 日本 軍 隊 は愛 国 心 に富 め ど も政 府 の専 政
は軍 警 共 に約 二百 人 あ り。
下室 に於 てイ ワノ フ、 コサ コフ、 ラ シ ーチ ン等 重 要 会 議 を開 けり 。
十 日調 査員 報 )
劈 頭 イ ワ ノ フ氏 は演 説 し て 曰 く ﹁カ ラ ハン大 使 来 支 以来 我 が赤 化
コー、 浦 塩 よ り派 した る も のに し て、 増 派 す る者 は多 く 日本 の赤派
党 員 な り 。 日本 政 府 は 狡 猾 な れ ば他 国 籍 者多 く派 遣 せ しむ るは 策 の
加 せず 。 只 日本 に 入国 す る者 は陸 続 増 加 し つ ゝあり 。之 等 は皆 モ ス
得 た るも の に非 らず 。 日 本人 は 入党 後 は党事 の運 行 に熱 心 にし て 、
を 実行 し つ ゝあ り。 而 し て 又 上海 、 漢 口、 天津 、 北 京 等 も亦 我 党 の 勢 力範 囲 に帰 し前 述 の希 望 は 必ず 達 成 せら る べし 。 但 し最 も 重要 な
支 那 人 の怠 惰 に比 す べく も あ らず 。 確 乎 た る決 心 あ り て志 を 変 へざ
事 業 は着 々進 捗 し、 現 在 我党 は既 に広 東 政府 の政 権 を 握 り赤 化 主 義
に勢力 を得 難 かる べ し。 故 に我 が党 は最 も 此 の方 面 に努 力 す るを 要
る は我 が出 入 の咽喉 に当 る東 三 省 に し て、 此 の地 に成 功 せ ざ れば 終
れ ば将 来 革 命起 る の時 は必ず や 日本 が最 良 の結 果 を 得 べし 云 々。
り。
フ氏 は之 に答 へて曰 く ﹁此 の事 は 巳 に夙 に実 行 し 居 れ る事 にし て其
日本 軍 隊 を赤 化 し 以 て将 来 の障 害 を 除 く べし ﹂ と提 議 す るや イ ワノ
宣伝 に従事す る傍支那労働者 の心理を研究した のであ つた。
として支那労働者と多 く接触し得 る地点 に配置せられ、共産主義 の
極東大学東洋語科生三十名は傅 家甸埠頭、東鉄埠頭、沿線倉庫等主
本年 の暑中休暇を利用し実習 の為、東鉄沿線に派遣された在浦塩
極東大学生 の結論)
北満支那労働者 には排外主義宣伝 の効果 なし ( 露国
大正十 四年九月十二日
哈調情第 四六八号 哈爾賓事務所長
三〇
後 議 論 紛 々た り し も別 に重 大事 項 も な く午 前 二時 二 十五 分 散 会 せ
す 。而 し て其 の第 一歩 とし て学 生 を赤 化 せし め つ ゝある が 已 に頗 る 効 果 を収 めた り 。第 二 は軍 隊 の赤 化 な る が之 には既 に着 手 し た る も 尚 未 だ大 な る効 果 を納 めざ れ ば更 に努 力 す る を要 す 。 第 三 は警 察 界 及 職業 界 にし て之亦 着 手 す る を 要 す。 さ れば 各自 適 当 の手 段 方法 を 考 察 せ ら れ たし 云 々﹂ 次 で左 の宣 伝 方法 を議 定 せり 。 東 三省 の軍 隊 は募 集 兵 な れ ば 職 工聯 合 会 中 の意 志 堅 固 な る 者 を選 び て、 各 軍隊 及 警察 界 に入 ら し め赤 化 宣伝 を為 さ し む。 次 にラ シー チ ン氏 は立 ち て ﹁日本 ( 原 文 には東 方 魔 鬼 と あ り) と
の効 果 も 亦 挙 り居 れ り 。目 下 奉 天 に駐 在 せ る 日本 軍 隊 並 に警 官 にし
東 三 省 と は関 係 密接 にし て頗 る我 が障 害 とな るを 以 て、 先 づ 駐華 の
て我 が党 に入 れ るも の五 十人 、大 連 の軍隊 に は百 二 十余 人 、 旅 順 に
爾賓 午 報 を 買 収 し最 光 と 共 に北 満 に於 て排 外 運 動 思 想 を高 潮 せし め
而 し て露 国 労農 幹 部は 初 期 に於 け る彼 等 学 生 の報告 に基 づ き 、 哈
に出動 す べく 華 備 中 な り。
自 ら 世界 各 国 に散 在 す る白 党 分 子 を統 率 し 近 き将 来 に於 て労 農露 国
近 来 英仏 を 初 め 諸国 が労 農 露 国 に対 し不 信 を抱 く に至 れ るを 看 て 、
大 公 が今 日積 極 的 に活動 し つ ゝあ る は蓋 し 英仏 の対露 関係 の悪 化
ん と し た が、 支 那労 働 者 の多 く は排 英 、 排 日的 感 情 よ り も寧 ろ反 労
に基 づ く も のな るべ し 、何 と なれ ば モ ロツ コ、 シリ ア、 ア フガ ニス
農 露 国思 想 を抱 い て居 る ため 、前 記 運 動 の効 果 な き こと が明 瞭 とな
タ ン、 エジ プ ト等 の植 民 地 が 、労 農 露 国 の植 民 地攪 乱 政 策 に依 り て
哈爾賓事務所長
在哈支那実業家 の浦塩視察 に就て
大正十四年 十月五日
哈調情第五四五号
三二
にし て、極 東 に於 け る代 表 者 も 近 く到 来 す べ し。
白党 結 社 を 統 治 し 、各 国 に代 蓑 を設 け秘 か に反 過 激 派運 動 の準備 中
の種 の了解 あ るや も測 ら れ ず 、兎 に角 大 公 は現 在 欧 羅 巴 に在 り て諸
す る こと は極 め て可 能 な るべ し。 又或 は 大 公 と英 仏 政府 間 に已 に此
依 る植 民 地 攪 乱 を避 けん が為 、大 公 を 後援 し労 幾露 国 の転覆 を企 図
も政 治 及 経 済 的 に大 打 撃 を来 す べき 将 来 に於 け る 労農 露 国 の煽 動 に
た る労 農露 国 に対 し大 い に反 感 を抱 き つ ゝあり 。之 が為 英 仏 とし て
遂 に内 乱 を惹 起 し 、 英 仏 は之 が ため莫 大 の損 害 を蒙 り、 其 の煽 動 国
つ た為 、宣 伝 の重 点 は将 来 上 海 に移 す を至 当 と す ると の結論 に達 し
哈 爾賓 事 務 所長
三 一
た、 と言 ふ。 斯 く て来年度 の実 習 生 は上 海 に送 ら る ゝ筈 であ る。
哈調 情 第 五 〇九 号
ゴ ンダ ツ チ の時 局談 ( 九 月 二十 二 日高 橋 中 佐報 )
大 正 十 四 年 九月 二十 五 日
ゴ ンダ ツ チは 九 月十 九 日 来訪 し、 首 題 の件 に関 し 左 記 の如 き 談話
に対 す る不 平 熾 烈 な る も のあ る に鑑 れば 多 少注 目 の要 あ る べし 。
を為 せ り。 本 運動 の成 功 の能否 は別 問 題 な る も目 下露 国内 労 農 政 権
一、欧 露 に於 け る反 乱 準 備 確 実 な る方 面 より の情 報 に依 れ ば、 南 露 の穀物 の収 穫 を完 了 、中 部 露 西亜 に於 ても 九 月下 旬 に之 を結 了 す べき を 以 て是 を 機会 に反 過 激 派 分 子 は反 政 権 運 動準 備 中 にし て、 上 旬 には 或 は欧 露 方 面 に内 乱 惹 起 す る や も測 ら れず 。
曩 に欧 米 諸国 が労 農 露 国 に対 し 多少 信 用 を為 せる 当時 は 、 ニ コラ
四十七名 で去月二十三日出哈二日帰来した。
実業家約二百名に対 し浦塩観光 の招待状を発したが、応募者は左の
引所設立 に関し支那側 の援 助を求 めた事 があつた。今回当地支那側
曩 に烏鉄はソビ エト聯邦商務官 ペリ マン氏を来哈 せしめ、浦塩取
イ大 公 は 反 労農 政 権 運 動 の不利 な る を認 め、 白 党露 人 の部 分 的 反 過
二、 ニ コラ イ大 公 の蹶起 と英 仏 の態 度
激 派 運 動 に対 し積 極 的 に関係 せず 、好 機 の到 来 を待 ち つ つあり し が
徐叙章 広信通
夏蘭姓 裕豊号
張祖林 通記油坊
于祖黄 阜済林業公司
田逸民 中国銀行
李錦声 油坊公会
劉景洲
王慶平
郎聚川
蘇車軒
余巨川
遇長卿
徐沛林
胡玉華
王曄如
公記油房
公記油房
天成茶荘
天成茶荘
増興隆
広信油坊
広信火磨
裕豊号
東興火磨
和順太
東三省官銀号
畢 竟 露 西 亜 側 の謂 へる が如 き哈 爾 賓 、大 連 の取引 所 に近 似 す る も の
取 引 の品 目 を著 し く 巨多 にし 、 取 引所 本 来 の意 義 に反 す る事 と なり 、
る を得 な い のが、 輸 入雑 貨 を迄 も 取引 所 に於 て上 場 す る てふ事 は、
協 定 も 行 き悩 ん では 居 る し、 資 本 投 下 の確 実性 に 対し 不 安 を感 ぜざ
し、 向後 の露 西 亜 政 情 の変 化 は全 く測 断 の外 に属 し、殊 に奉 露 細 目
い。 即 ち 従 来同 港 に投資 さ れ た支 那資 本 は目下 全 部 没 収 さ れ て居 る
み あ る模 様 であ る。 勿論 同 所 成 立 に就 て は幾多 の困 難 が無 いで はな
る。 支 那 側 では其 の草案 に就 き 慎 重審 議 中 であ つて大 体多 少 の見 込
を支 那 側 に受 持 たし む る筈 で、 既 に浦 塩 には設 立 事 務 所 を設 け てを
しむ る事 と し 、資 本 金 二 百 万元 、 一株 二十 五 元 、 八万 株 の中 四万 株
特 産 物 の売 買 は勿 論 、輸 入雑 貨 類 は 一切強 制 的 に同 所 に於 て売 買 せ
福太皮荘
徐欽安 美源号
周暢岩 五康銭号
趙錫齢
逢日明 増興隆
王総聖
で はな く て露 西 亜 原 有 の商 業 会 議 所様 のも のが出 来 ると いう 懸 念 あ
董事会董事
営 口肇興輪船公司
︱︱ 李序園
是 等 に対 し て は露 西亜 政 権 の安 固 な る所 以 、取 引 所 の様式 は支 那
事 は遂 に哈爾 賓 の同 業 を圧 迫 す る事 と な るべ き は其 の三 、等 で ある。
右 取 引 所 は露 西 亜 側 の提 案 に依 れ ば エゲ リ シ エリド 区 内 に設 立 し 、
傅義年 劉善卿
る は第 二 、 更 に取 引 所設 立 に先 だち油 坊 、製粉 工場 を 発 達 せ しむ る
杜瀾丸 綏芬採木公司
張仲三 広信火磨 源利東
記
蒋華封 大興糧業 韓 云階
左
徐鎮寛
趙習坡 義 豊祥
于楽斎 阿城永源火磨
王勛卿 志誠林業公司 万福広
側 の提案 に依 り如 何 様 にも改 変 す べ き意 嚮 、 地方 産 業 の凋落 を来 す
胡璧卿
事 なき 様 哈爾 賓 には 同所 の支 店 を 設 け 、哈 工業 界 製 品 に就 て は浦 塩
豊順恒
製 品 と同 様 の待 遇 を なす べき 計 画 等 を縷 述 し 、要 は大連 の繁 栄 と 満
阿城豊業会平議員 阜済林業 公司
鉄 の利 益 と を奪 取 す る に あ る旨 を 示 し た る由 で あ る。
張硯豊
天合盛
傅 子成
胡慶麟
穆升雲
裕大油坊
阿城農業会 々長
張松山 大連源成泰
祖功甫
楊飛卿
側 に於 て誠 意 無 く 有 耶無 耶 に葬 ら れ て来 たも の の、 今 回 は支 那 側 に
陶子明 庚通油坊
韓景洲 天合盛
一面坡農商会代表
阜済林業 公司
浦 塩 自 由 港問 題 と 関聯 し て此 の問題 は屡 伝 へら れ て来 た が 、支 那
姜栄春 東済油坊
劉敏海
張佑軒 裕通源油房
鄒 興武
楊墨宣 松江 日報
於 て先 方 の提 案 を 彼 是 と改 正 し つ ゝあ る は多少 乗 気 にな つて居 る事
郭 子久
東省鉄路董事 呉 庭香 交通銀行
を裏 書 き す る も のと いふ べく 、 最 近 哈市 特 産 界 は 数量 協 定 後 兎角 の
り 。右 は主 に当 方面 に使 用 す る九 月 よ り十 二月 迄 の宣 伝 費 な り。 尚
脳 ラ ンパ オ宛 に哈爾 賓 遠 東銀 行 の手 を 経 て米 金 三 万弗 を送 附 し来 れ
ふ にあ り 云 々。
哈 爾 賓事 務 所 長
工、 職 工中 の異 分 子 は 黒表 に記 入 し て真 に労農 に忠 誠 な る人 民 と
二 、各 鉄 道 は相 当 の列車 を規 定 、 軍隊 輸 送 の為 に準 備 す。 其 の機械
境 に於 け る弁 法 に準拠 し、 供 給 地 は 四十 簡 処 と為 す 。
り要 求 せる都 度 支 那 、朝 鮮 各 地 に発送 す 。 其 の方 法 は ペ ルシ ヤ辺
凡 ゆ る機 関 及事 件 を 支蒙 境 界 の規 定 地点 に集中 し 、 万国 共 産 党 よ
一、支 那 に搬 入 す る予 定 な りし 宣 伝 用書 籍 は暫時 其 の運送 を停 止 し 、
大 要 次 の如 き 計 画 を樹 立 せ り と。
最 近 入手 せ る労農 側 より の情 報 に依 れ ば、 莫 斯 科及 浦 塩 の国 防 処 は
支 那国 内 に於 け る労 農 の赤 化 宣 伝 情 況 は世 人 周知 の事 実 な るが 、
労 農 の対 支赤 化 宣 伝 新計 画 (新 聞報 )
大 正十 四年 十 月十 四 日
哈 調情 第 五八 〇 号
三五
抗 的態 度 に出 つ る とき は 却 つて瞥 戒 の度 を高 め宣伝 上 不便 多 しと 謂
知 らず 識 らず の間 に同 化 の歩 を進 め む と の方 針 な り。 若 し強 ひ て反
取 締 り に対 し 寧 ろ甘 んじ て之 に服 従 し出 来 る丈 官憲 に安 心 を与 へ、
登 録 せし も の に対し ては 月手 当 百 円 を 支給 し 居 れ り。 彼等 は支 那 の
設 け 、宣 伝 費 は 一切印 刷 物 を用 ひず 、 夜間 竊 かに同 志 を募 り名 簿 に
于 氏 の談 に依 れ ば、 目 下 労農 は当 地 附 属地 内 に四箇 所 の宣 伝機 関 を
風 評 多 く 些 か動 揺 の気 味 あ る等 、 或 は烏 鉄 側 に誠意 無 き哉 と も察 せ
哈 爾賓 事 務 所 長
三三
ら る ゝ節 あ る を以 て注意 を要 す るも のと信 ず 。 (村 辺)
哈調 情 第 五 六 一号
胡漢 民 の浦 塩 に於 け る歓 迎
大 正 十 四 年 十月 八 日
広 東 政 府 代表 胡 漢 民 は 赴莫 の途 路 十 月 四 日浦 塩 に到着 せ るが 、同 地 に於 ける 同 氏 の歓 迎 は 非常 に盛 大 に行 は れた 。埠 頭 に は極東 外交 代 表 フオ ン シテ イ ン以 下 要路 者 出 迎 へた る のみな らず 、儀 仗 兵 及 支 那 人赤 色 少 年 団 が堵 列 し た 。同 夜 胡 漢 民 は官 民 合 同 の招 宴 に臨 み、
三 ・ 一五 発 六 ・四 〇 著
(ア ムー ル線 経由 ) に際 し ては各 代 表者 に記 念 と し て 、孫 文 の写真
レー ニズ ムは 広東 政 府 及 人 民 の理 想 であ る と述 べ 、 翌 五 日浦 塩 出 発
を贈 つた。
三四 大正十四年 十月十三日午後 奉天公所長 労農宣伝 に関する件
松岡理事宛 ( 暗号) 于長官 の許 に達せし報告 に依れば、本月四日当地労農宣伝機関主
の割 合 を 示 し 並 に外 出 時 の行 先 及 其 の目 的 を 厳 重 に監 視 す 。 (一)
奉 天 政 府 は白 党 の処 置 に関 す る奉 露協 定 の規 定 を蹂 躙 し 、 ホ ル
張宗 昌 は三 千 名以 上 の白党 を 以 て正 式陸 軍 を組織 す る等 、労 農 を
ワツ ト、 オ スト ロウ モフ等 白 党 の巨 頭 を利 用 し あ る の みな らず 、
誠 意 を有 す る こと を努 め て表 示 、説 明 し 、支 那 対 各列 強 間 の感情
三 、鉄 道 の支 那籍 高 級 職 員 に対 し て は労 農 が支 那 の民族 運動 に真 に
三七 速報
哈 爾 賓事 務 所 長
干 犯 す、 と の見 解 の下 に之 を 回収 せ んと し て ゐ る。
附 属 地帯 に於 け る国 民 教 育 が東 支鉄 道 の管轄 に在 るは 支那 の主 権 を
支 那官 憲 は嘗 て東 支 鉄 道 附 属 地 回収 と同 一筆 法 を 以 て、東 支 鉄道
東 支鉄 道 教 育権 回収 (十 月 三十 日ザ リ ヤ紙 )
大 正 十 四年 十 月 三十 日
哈 調 情第 六 五 五号
農 の商 業 及 国防 を 脅 威 せ ん と し つ ゝあ り 、と 言 ふ に あり 。
奉 天 政 府 は満 鉄 より 巨額 の借 款 を 為 し て〓 斉線 の敷 設 を開 始 し 、 一九 二 六年 秋季 より 列 車 の運 転 を開 始 し 、北 満 及極 東 に於 け る労
欺瞞 し 、 (二)
を挑 発 す 。 四 、外 国 に赴 く者 は露 西 亜 人 と自 称 す べ か らず 。 之 は偏 僻 地 方 に於 て殊 に必 要 にし て他 の軽 視 を免 かる べし 。 並 に労 農 露 西 亜 人 と共 産 党 と は全 然異 な るも のな り、 と 称 す べし 。
三六 秘 哈爾賓事務所長
大正十四年十月 二十六日
哈調情第六二九号
二十 四日高橋中佐報)
労農 の東鉄占領計画並 に対奉宣伝 に関 する件 (十月 労農 の情況調査及支那人共産党員馮玉祥 の派遣員等 の行動偵察 の 為 に、欧露 に派遺されある護路軍総司令部高等密偵高連清外 二名よ 一、労農 の東 支占領計画
て之 が対 策 を講 ぜざ れ ば 必ず や 不祥 事 を 惹起 す る であ らう 、 と案 ず
は 当 地 に於 け る国 民 教 育 は全 く危 機 に直 面 し、 此 の際 支 那 官 憲 に於
之 に関 し 支 那紙 晨 光 報 の報 ず る所 に依 れ ば、 最 近 一部 露 国 人 間 に
労農 は馮玉祥と連絡 し馮をして内外蒙古地方より東 三省 の背後 を
る者 あ る に際 し 、支 那 側 は之 等 軋 轢 を 打 破 し同 時 に共 産 主 義 宣 伝 を
り の報告とし て、該司令部 にて探聞せる所、左 の如し。
衝 がしめ、奉天軍 の出動後機 を見 て東支労働者を以て東支鉄道を占
き改 変 な く 、従 前 東 支 鉄 道 に於 て経 営 す る であ らう と言 つて居 る。
や疑 問 であ る 。尚 東 支 鉄 道教 育 課 長 ウ スト リ ヤ ロ フ博 士 は斯 く の如
し て支 那 官 憲 に於 て毎 年 の維 持 費 に要 す る財 政 的根 拠 を有 す る や否
禁 止 せ ん が為 に此度 教 育 権 を 回収 す るも のであ る と言 ひ居 るも 、果
二、機関紙 の対奉悪宣伝
領 し、次 いで労農軍隊を北満 に進入せしめん、と計 画しありと。 九月中旬以後労農政府 の対奉感情著 しく悪化し、新聞紙は盛 んに 奉天 の悪宣伝 を開始 せるが、其 の攻撃 の口実は、
速報
三八 哈 調 情 第 六 七 四号 大 正 十 四 年 十 一月 四 日
哈 爾 賓 事 務所 長
労 農 露 国 水運 業 の状態 本 篇 は水 夫組 合 中 央委 員 会 に於 け る交 通 人 民 委員 長 代 理 バ ラト フ の報 告 とし て 、十 月 二十 日 エ コノ ミチ エ スカ ヤ ・ジ ーズ ニ紙 に 掲 載 せ るも のな り。 一読露 国 水 運 界 の悲 況を 知 り得 る を以 て参 考 の為 摘 訳 せり 。 (十 一月 四 日 、神 田) 労 農 露 国 の農 業 及 工業 が今 日殆 戦 前 の記 録 に近 付 き た るに 、 我 が 河 川 の輸 送 成 績 は 辛 う じ て戦 前 の五〇 % に達 せ る に過 ぎず 。 本 年 の航 運期 間 は尚終 末 に至 ら ざ る を以 て完 全 な る資 料 に依 る を 得 ざ るも 、輸 送 総 量 概算 十 四億 布度 に し て、戦 前 の 二十 七億 布度 に 対 し 大 な る差 異 あ るを知 る べし 。 此 の輸 送 量 五 十億 布 度 に比 較 す る 時 は其 の約 二 七% に相当 し 、水 陸 輸送 量 の比 率 に於 て は戦 前 と 略相
亦経 費 頗 る僅 少 な り。 即 ち戦 前 に於 ては本 目 的 の為 毎 年 五 千 乃至 六
ば 一九 二 八年 に此 の計 画 を完 了 す る を要 す 。 水路 の整 備 に関 し ても
千 万留 を支 出 し た る に、 本年 度 の経 費 は僅 か に二 千万 留 に過 ぎず 。
従 つて戦 前 百 三 十乃 至 四十隻 使 用 せら れ た る凌 渫船 は現 在 五 十 三隻
に五 〇% を増 加 し 三 千 万留 を 要 求 せざ る可 か らず 。船 舶 の状 態 は 次
用役 し あ る の み。来 年 度 に於 て相 当 の成果 を挙 ぐ る為 、 本 年 度経 費
汽 船 の全 数 中 運 輸 業 に実 役 中 のも のは五 五 % に過 ぎず 、 一七 % は
の如 し 。
帆 船 類 に あ り ては 現業 中 のも の七 八% 、 予 備 のも の 一 一% 、 他 は
予 備 にし て他 は凡 て航 行 不可 能 の情 態 に あり 。
航 行 不 可能 な り。
予 備 船舶 は来 年 度 に於 て は消 失 す べき が故 に吾 人 は緊急 の問 題 と
し て、 穀 類 運 搬 の為 バ ル ヂ の増 加 を 図 らざ る可 か らず 。蓋 し来 年 度
予 定 建 造 数 六 十隻 に ては全 然 不足 な り。
水 運 業 の復 興 は我 が経済 界 首 脳 部 の為 に 次 い で来 る べき 大問 題 た らざ る可 からず 。
国 家 産 業 の不断 なる 発達 は既 に本年 度 に於 て鉄道 輸 送 力 を 超 過 し
運 業 の利益 に依 り 、 此 の船 舶 及 水 路施 設 の改良 費 を 捻出 せ しめ ん と
要 す 。 而 し て何 処 よ り 此 の莫 大 な る 経費 を 支出 し得 べ き や。 若 し 航
至 一億 留 、水 路 の整備 に七 千 六 百 万留 、 合 計約 一億 七 千 五百 万 留 を
現在 よ り五 年 間 の継 続 事 業 と し て 水運 の復興 のた め九 千 六 百 万 乃
た る を以 て、来 年 度 に於 ては水 上 輸 送 に対し 著 大 な る要 求 を為 さん
等 しき を知 る べし 。
と し あり 、 故 に吾 人 の眼 前 に は水 運 力 を最 大 限 度 に発 揮 す べき 重 大
す る案 あ ら ば絶 対 に排 斥 せざ る可 からず 。 蓋 し現 在 の国 営 汽 船 会 社
比 し 、 流動 資 本 は 二千 七 百 万留 にし て、固 定 資 本 の二 二% な り。 而
汽 船 会 社 の資 本 を 分類 す る時 は、 圃 定資 本 の 一億 二千 二 百 万留 に
は凡 て流 動 資 本 の欠 乏 の為 、 其 の活 動 を阻 害 せ ら れあ れ ば なり 。
問 題 が横 た は れ り。
に依 れば 、 一九 三〇 年 に於 て水運 輸 送 能 率 を 二十 五億 布度 、即 ち 略
国 家 計 画 部 立案 の五 年 継 続計 画 (未 だ 上級 機 関 の認 可 を受 けず )
戦 前 の程 度 に達 せ し め んと す る に あり 、然 れ共 余 の見 解 を 以 てす れ
し て其 の内 一五% は未 償 還 な る こと を知 る を要 す 。 我 が 二大 水 運会 ○
○
輪 転 材 料 、 軌 条 、橋 梁 等 に要 す る金 属材 料 が不 足 な り。
鉄 道 に対 す る輸 送 の請 求 は増 大 し つ ゝあ り。
鉄 道 運 行状 態 は戦 前 の程度 に 近づ き つ ゝあり 。
鉄 道 の改 善 及 新 線 の建 設 。
鉄 道 用 燃 料 管 理 の変 更 の為 輸送 効 率 下 れ り。
○ ○
三 百 万留 の流動 資 本 の充 実 を要 求 しあ るは誠 に 必然 の事 な り、 と 言
○
社 た る オ ルガ 及西 北 会 社 の中前 者 は五 百 万 、後 者 は 二 百 五十 万 乃至
は ざ る可 か らず 。 而 し て全 水 運業 の流 動 資 本増 加 の為 には約 二千 万
本 年 (一九 二 四︱ 二五年 ) の貨 物 運 輸高 は 四十 九億 布 度 にし て、
流動 資 本 の不 足 及 財 政状 態 。
前 年 に比 し 一九% を、 又 予 定 よ り九 % を 増加 せり 。旅 客 数 は 二億 二
○
留 を 要 す 。唯 一つ残 れ る途 は運 賃 の値 上 げ にあ り、 蓋 し 該運 賃 は戦
訳 者 註 、本 報 告 には 現有 河 用 船舶 を 示し あら ざ る が、 一九 二 四
前 より低 率 な れば な り。
年 莫 斯 科 国営 出 版 所 発 行 ﹁ 露 国 の運輸 及其 の計 画 ﹂ に記 載 せる処
千 万人 にし て前年 よ り四 三 % 、予 定 より 三 〇% の増加 な り。
汽船( 隻)
二一 、 五 一三
相 伴 ひ て 一九 二七 ︱ 二 八年 度 に は戦 前 状態 に到 達 す べし 。
斯 う し て急 進 的 に戦 前 の記 録 に近 づ き つゝあ り て、 一般経 済 界 と
% 、 薪 は 一 一四% 、 木材 は 八〇 % 、其 の他 の貨物 は約 七 〇% なり 。
と の比較 を言 へば 、 穀類 は戦 前 と 同額 、石 炭 は 七 八% 、 石油 は九 〇
一九 二 五︱ 二六年 度 予想 輸 送 貨 物 の主 なる も のの数 量 に就 て戦 前
に相 当 す。
旅 客露 里 を予 期 す 。 此 の数 字 は 戦 前 に比 し 貨物 七 八% 、旅 客 八 五%
度 、 三 百 四十 万 布度 露 里 及 旅 客 二億 七千 五 百 万人 、 二千 三百 四 十 万
来 る 一九 二五︱ 二 六年 度 に於 ては、 貨 物 輸送 高 六十 四億 一千 万布
三 布度 露 里 及 昨年 度 成績 一一、 五 五 一布 度露 里 を超 過 せ り。
汽 関車 走 行 露 里 は 一四、 〇 〇 〇布 度 露 里 にし て、 予定 一二、 一八
を抜 萃 せり 。 左 の如 し 。 而 し て 一九 二 二年 と現 在 と は大 な る差 な し、 と 判 断 せ ら る。 年号 四、 七 五 七
三 、六 五 〇
帆船類( 隻)
一九 一 二 一、 〇 五 七
哈 爾 賓 事務 所 長
一九 二二
三九
哈 調情 第 六八 九 号 速報 大 正 十 四年 十 一月 十 日 労 農 露 国 鉄 道 の近 況
来 年 度 に於 け る輸 送 の計 画 を実 行 す る為 には 汽 関車 約 一〇 、 五〇
本 篇 は労 農 政 府 交 通 人 民委 員 長代 理ボ リ ソ フが、 エ コノミ チ エ ス カ ヤ ・ジ ーズ ニ記者 に語 りた る も のにし て、九 月 二十 四 日同 紙
は現 在 所 有 し あ る も の、 鉄 道 工場 及 最 高 国民 経 済 会議 所 属 工 場 よ り
〇 、客 車 一六 、 三 七五 、 貨 車 三 七〇 、 五 〇〇 を 要 す。 而 し て汽 関 車
製 造 す べき 予定 数 を以 て充 当 せ ら る。 客 車 は約 五 〇 〇車 の不 足 を感
に掲 げ た る も の の摘 訳 な り。 同 国鉄 道 の概 況 を知 る に足 る べし 。
労 農露 国 鉄 道 の近 況
(十 一月十 日、 神 田 )
輸 送 の準備 の初 期 に於 て貨 車 の不足 は 二万 にし て是 れ が為 破損 貨 車
く 、 多 数貨 車 の改 修 に依 り て辛 う じ て其 の要求 に応 じ得 べ し。 秋 季
超 過 す べ し。 貨 車 に就 て は現 在 数 は来 年 度 の所 要 に達 せざ る こと 遠
ず 。 従 つて客 車 の使 用 は戦 前 の 一日走 行 里 程 二 四〇 ︱ 二四 五露 里 を
不 足 を 感 じ あ り。
五 十 万 チ エ ル留 な り 。鉄 道 に於 ては今 や多額 の固 定 、流 動 両 資 本 の
万 チ エル留 にし て、最 高 国 民 経 済 会議 の算 定 に依 れ ば 一億 九 千 二 百
一七 % の減 少 なり 。流 動 資 本 は 一九 二 四年 十月 一日 調 一億 七 千 一百
定 資 本 は 戦後 留 換 算 五 十 一億 にし て、戦 前 六十 一億 五 千万 留 に比 し
九 二五︱ 二 六年 度 よ り は鉄 道 固 定 資 本 の減 耗 を防 止 し 得 る の みな ら
ず 。 若 し 鉄道 の益 金 を単 に鉄 道 自 身 の支 途 に のみ充 つる と せば 、 一
而 し て何処 よ り此 の資 金 を充 足 す べ きや 一大 問 題 な らざ る可 か ら
修 繕 の予定 なり 。其 の以後 の来年 度 に於 け る輸 送 を円 滑 な ら しむ る
にし て鉄 道 に要 す る 金属 部 品 の需要 に応 じ 能 はざ るを 以 て、改 修 の
ず 、 其 の復 興 を為 し 得 べし 。 来 年度 の鉄 道 収 入予 定 は 十 三億 九 千 万
為 、 本年 度 初 頭 に於 て三万 貨 車 の改 修 を 要 す。 然 る に金 属 工業 不良
完 成 期 は著 し く 遅 延 す る なら ん 。鉄 道 工場 の作 業 力 は汽 関車 の大 改
八 千 六 百 万留 は固 定資 本 の復 興 に使 用 さ るべ きも のと す。 若 し 此 の
造 並貨 車 の修 繕 能 力 に於 て戦 前 の状 態 に復 帰 し、 客 車 の修繕 に於 て
輪 転材 料 の製 造 に就 て は 五十 噸積 大 型 貨 車 の建 造 を進 む る こと に
収 入 を 以 て港 湾 、 水道 、道 路 等 にも 及 ぼす 時 は復 興 の如 き は思 ひ も
留 にし て、鉄 道 営 業 上 の支 出 は十 一億 四百 万留 なり 。故 に剰 余 一億
決 定 し 、最 高 国 民経 済 会 議 に於 ては来 年 度 一、 五 二五 輛 の大型 貨 車
は三 〇% を 超 過 す 。
を建 造 す る予 定 を有 す 。
達す。
を要 す 。 之 が為 に要 す る金 額 は国 家計 画 部 の計 算 に依 れば 十 億留 に
寄 ら ざ る 所 な り。 現在 我国 は各 種 の製 造 工 場 に於 て固 定資 本 の増 額
来 年 度 に於 け る燃 料 供 給 計 画 に就 ては 鉄道 自 身 の利 益 の為 、最 高 国 民経 済 会 議 決 定 の供 給 額 、 石油 燃 料 一億 二 千 八百 万 布 度 を 一億 五
石油 燃 料 の減少 に 対し ては 石油 燃 焼 汽 関 車 を石 炭 燃 焼 に変 更 す 。
百 万布 度 に減 じ 、 又普 通 石 炭 の代 り に無煙 炭 の使 用 量 を 増加 せり 。
一般 に燃 料 の不良 な る た め輸 送 を計 画 通 り 実行 す る こと を頗 る困 難 な ら しむ 。 殊 に鉄 道 に対 す る燃 料 の管 理 を屡 変 更 す る こと は輸 送 業 務 に多 大 の不 利 を 与 ふ る こと を知 らざ る べ から ず 。 鉄 道 線 の新 設 に就 て は五 年 間 に於 て新 線 二十 三線 、合 計 八千 露 里
其 の費 用 七 千 八 百 万留 の内 、 五千 万 留 は復 興公 債 に依 ら ん とす 。
建 設 の計 画 な り。 来 年 度 に於 て は 一、 三 〇 〇露 里 の建 設 を為 す べ く、
鉄 道 の固 定 及流 動 資 本 に就 て は、 一九 二 三年 十 月 一日調 鉄 道 の固
二六
一
極 東 露領 事 情 並烏 蘇 里鉄 道 関係 諸件
あ る。 革 命 後 ソヴ エト政 権 対 農 民関 係 は主 と し て農 税 問題 を中 心 と
し て お る が、 両者 の関 係 は ソヴ エト経 済 復 興 の遅 々た る が ため 近年
益疎 隔 し てゆ く者 が ある 。 盤 民 は最 早 武 力 的反 抗 を す る力 がな い の
で 、収 税 官 吏 と 対峙 し て可 成納 税 額 を少 く せ ん と努 め てを る。 実際
農税 の負 担 は 重く 徴 税 法 に欠陥 が多 いら し い。 農 村 ソヴ エト機 関 に
ぎ ぬ。 同 様 な状 態 は極 東 三 州 に於 ても 見 ら れ る。 今 左 に反 革命 派 機
数 を占 め てを る農 村 で ソヴ エト政 権 を 謳 歌護 持 す る は 一部 青年 にす
於 け る農 民 の代 表 者 は近年 漸減 し 、他 郷 か ら来 た共 産党 や官吏 が多
極 東 三州 の住 民 は依 然 ソヴ エト政 権 に不満 を懐 いて を る。 課 税
哈爾 賓 事 務 所長
は 苛酷 で 必需 品 は高 い。 農 民 は納 税 上 収 税官 吏 と 消 極的 の悪 戦 苦
と し て コザ ツ ク) は何 等 の組 織 も武 器 も持 たず 、 又 献身 的 指 導者 が
う ち にす ぎ た 。官 憲 は徴 税 上強 圧 手 段 に訴 へる事 あ る が、 農 民 (主
冬 の初 期 は農 民 に対 す る納 税 勧 告 の宣伝 が喧 ま し い
住 民 は恐 怖 政 治 の結 果 叛 起 す る能 力 がな く な り、 所在 の反 政 府
後貝加爾州
関 の情 報 によ つて近 況 を述 べ よう 。
バ ルチ ザ ン軍多 く潰 乱 し て、 現在 四境 は 表面 上静 穏 の観 を呈 し て
た青 年 の 一部 にす ぎ ぬ。
闘 を続 け てを る 。 ソヴ エト政権 の唯 一の味 方 は宣 伝 の感 化 を 受 け
極 東 三州 の近 況
大 正十 四年 一月 二十 日
哈 調情 第 六六 一号
一
二
な い ので積 極 的反 抗 に出 で ぬ。
政府 の仮 借 な い圧 迫 三 地 方 殊 に満 洲 国境 な るオ ロウ ヰ ヤ ンナ ヤ、 ボ
反 政 府 バ ル チザ ン隊 の数 は著 し く減 つた 。 これ は一資 力 の欠 乏二
お る。 已 む な く露 国中 心 から の政 権 倒 壊 を翹 望 し て いる次 第 であ
ル ヂ及 ダ ウ リ ヤ地方 に多 数 の軍 隊 が集 中 さ れた結 果 であ る。 此 の際
る が 、 た だ他 の地 方 で反 乱 が起 れば 極 東 は 従 つて蹶 起 す べし 、 と
ソヴ エ ート政 権 に対す る農 民 の反 感 は 共 産党 領 袖 連 の頭 痛 の種 で
は潜 在 的 輿 論 であ る。
反乱 を 企 つる も の があ れ ば根 本 的 に掃 蕩 さ るる虞 が あ る。 イ ルク ツ ク の北 方 に行 動 し て いる ド ウ ガ ー ノ フ大 佐 のバ ルチ ザ ン隊 は 、前 記
哈 爾 賓事 務 所長
大正 十 四年 二 月九 日
哈 調情 第 七 〇 三号
浦 塩 自 由 港 設 定 に伴 ひ CC C P人民 委員 会 は今般 浦 塩 経由 外 国 品
浦 塩 経 由 外国 品 通 過輸 送 に関 す る規 定
の輸 送 に関 し 一九 二 四年 十 二月 二十 四 日附 を以 て左 記 の規定 を決 議
の理 由 で其 の活 動 地 域 た る べき 後 貝加 爾 へ還 つて来 る こと が で き な い。 最 近 共産 党 は熾 に コザ ツ ク間 に宣伝 し 党 員募 集 を や つ てを る。
一、 海 路 浦 港 に輸 送 し 更 に満 洲 に輸送 す べき 外国 品 並 に満 洲 より
記
浦 港 を経 由 し 、外 国 へ輸 送 す べ き外 国 品 の輸 送 に対し ては 左 の諸 条
発表す。
農 税 の徴 収 は思 ふ やう な結 果 を齎 ら さず 、 予 算額 の半
沿黒竜州 分 に も達 し な か つ た。是 は州 の農 民 が後 貝 加 爾 州 に比し 更 に貧 弱 に
積 極的 な反 政 府 運動 は全 く認 め ら れ ぬ。昨 冬 の暴 叛 に伴 ふ惨 敗 の
件 を適 用 す 。
陥 つ て いる た め であ る と言 ふ。
恐怖 が農 民 の記憶 に未 だ余 り に新 鮮 な の で、 時 々反 抗 し ても 個 人的
物 を其 の指 定 先 に輸 送 す る前 に当 地 製 工場 に於 て精 製 す る事 を得 。
而 し て税 関 の監 督 を受 く る倉 庫 に於 て保 管 す る ことを 得 。之 等 の貨
三、 第 一項 に記 され た る浦 港 経 由 貨 物 は之 等貨 物 の為 特 に設 置 し 、
第 一項 に記 さ れ た る輸 送 を許 可 す。
送 証 明 書 を 以 て浦 港 経由 輸送 品 た る事 の証明 あるも の に対 し て は、
二、 税 関 ︱ 運賃 委 員 会 が浦 港 経 由 を 許 可 せ る貨 物 にし て、 貨 物 輸
で極 く 消 極的 な も の にすぎ ぬ。 沿海 州 バ ル チザ ン隊 は或 は 掃蕩 せら れ、 或 は ソヴ エト政 府 に帰 順 し、 他 方新 支 隊 組織 を見 ぬ の で州内 は
哈 爾 賓 事 務 所長
二
表 面 上 至 極静 穏 であ る 。併 し住 民胸 中 の不 平 に変 り はな い。
哈 調 情 第 六九 一号
但 し貨 物 を 倉庫 よ り製 工 場 に運 搬 し 、 又製 工場 よ り倉 庫 に逆 送 す る
四、 税 関 の管 理 区域 に存在 す る第 三 項 に記 せる倉 庫 以 外 に 、通 過
場 合 税 関 は 之 を監 視 し 、 且原 料 と製 品 の調 査 を 行 ふ。
先 頃 烏鉄 長 官 の来 哈 に際 し 、 東 支 と の間 に主 義 上 の諒 解 が 成立 し
む。 荷 揚 又 は 経由 輸 出 貨 物 の採 用 の為 に該 区 域 に到 着 す る 船舶 は税
貨 物 用 倉 庫 用 地 とし て浦 港 の他 の区 域 よ り隔 離 せ る特 別 の区域 を定
北満 入 貨 東 、烏 減 賃 協 定 の件
大 正 十 四年 二月 四 日
た浦 塩 経由 輸 入 貨物 運賃 値 下 げ 問題 の細 部 協 定 は目 下 烏 鉄 哈 爾賓 営
とす 。 倉 庫 よ り貨 物 精製 のた め指 定 区域 外 に貨物 を運 搬 す る際 は、
て は税 関 は通 過輸 送 の目 的 を 以 てす る之等 倉 庫 の貸 借 を取締 る も の
関 の検 閲 を 受 けず 。而 し て該 区域 に於 け る倉 庫 の 一切 の業務 に関 し
業 所 が交渉 し て居 る 、 と同 所 の ミ ハイ ロフは 語 つた。
三
第 三 項 に基 づ き税 関 の検 閲 を受 く るも のとす 。
出 す る こと を条 件 と す 。而 し て其 の売 揚 高 は関 税 及 消 費税 以 外 の料
合 は、 其 の貨 物 を競 売 に附 し 購 買者 に 対し て之 等 の貨 物 を外 国 に輸
に於 て輸 出 せず 。 又 保 管 継続 に関 し倉 庫 当 事 者 と の契 約 不成 立 の場
外 に料 金 を支 払 ひ外 国 へ輸 出 す べ き も のと す 。若 し 此 の猶 予 期 間内
五 、経 由 貨 物 の倉 庫 ( 第 三 、第 四項 の) に於 け る保管 期 限 を 一ケ
委 員 会 の協 定 に依 り て定 め ら る。
に荷 主 に引渡 す も のと す 。
金 並 に売 却 上要 せ る支 出 を補 ひ、其 の残 高 は 貨物 売 却 後 一ケ年 以内
備 考 、 第 四項 に記 せ る倉 庫 の管 理 法 は 外国 貿 易 及交 通 の両 人 民
年 とす (貨 物 を倉 庫 に入 れ た る当 日 より )。而 し て荷 主 に 対 し 該 期
一二 、税 関 又 は国 家機 関 の所 属倉 庫 取 締 に関 す る訓 令並 に之 等 の
て該 保 管 証 に依 り て所 定 の銀 行 取引 を行 な う ことを 得 。
一 一、倉 庫 に保 管 す る貨 物 に対 し て は倉庫 保 管 証 を 下附 す 。 而 し
其 の他 料 金 の徴 収 に関 す る規 定 に基 づ き て税関 は之 が発送 を許 可 す。
C C P内 に輸 送 す る時 は 、外 国 貿易 人 民委 員会 の許 可 に依 り関 税 及
一〇 、 若 し最 初 の輸 送 先を 変 更 し経 由 輸 送 貨物 の幾 分 な りと も C
間 内 に於 て貨物 の荷 造 替 、 分類 、 置 換 見 本 の選 択 並 に腐 敗 予防 の採 用等 の権 利 を 与 ふ。 備 考 、爆 発 物 及 燃焼 性 を有 す るも の に対し ては第 五 項 の期 限 を 一ケ月 に縮 少す 。 六 、 税 関 は経 由 輸 送 貨物 を検 閲 せず 、只 外 国 又 は第 四項 に記 さ れ た る倉 庫 よ り直 接 貨 物 を採 用 す る場 合 、第 二項 に基 づき 貨 物 の経 由 輸 送 権 を 調 べ 、 且貨 物 証 明書 と共 に貨物 の数 、 場 所 、印 、 番 号 及荷
て裁 可 せら る ゝも のと す。
倉 庫 に保 管 す る貨 物 に対す る税 関 業 務 は、税 関 ︱ 運 賃委 員 会 に依 り
於 莫斯 科
ルイ コ フ
しき 点 あ る時 は其 の数量 及 貨 物 の種 類 を調 査 す 。
道 の管 区を左 の如く改正するに決した。
一月三十 一日鉄道運輸中央管理局 (ЦyЖEЛ)委員会は極東諸鉄
露国極東鉄道管区 の改 正
大正十 四年 二月十六日 哈爾賓事務所長
哈調情第 七 一五号
四
一九 二四年 十 二月 二十 四 日
CC C P人 民 委 員会 議 長
造 の種 類等 を調 査 す 。然 れ共 若 し 貨物 証 明書 に数量 及品 目 に関 し疑
七 、 発送 税 関 は 経由 輸 送 貨 物 の到着 の際 、 輸 入税 関 の車 輛 、無 尽 貨車 又 は貨 物 積 載 所 に記 せ る保 証 記 号 を調 査 す る のみな るも 、若 し 証 明 書 が 不正 な る場 合 に於 ては輸 入税 関 が貨 物 を引 渡 せる 鉄道 、 又 は 交 通機 関 に対 し罰 金 を課 す べ く 公文 書 を 作 成 し、 之 を輸 入税 関 に 送附す。 八 、税 関 所 属 倉庫 に於 ては 経由 輸 送 貨 物 の保管 料 (三倍 値 下 げ せ る も の) を 徴 収 す 。他 の倉 庫 取締 上税 関 の官 金支 出 を補 は ん が為 倉 庫 取締 規 定 に基 づ き料 金 を 徴 収す 。 九 、 一ケ年 の保管 期 限 満 期後 倉 庫 に残 留 せ ら る ゝ貨物 に 対し ては 三ケ 月 の猶 予 期 間 を与 ふ るも 、 此 の三 ケ月 間 に於 て関税 、消 費 税 以
一、 烏 蘇 里 鉄 道
浦 塩 ︱ ポ グ ラ ニ チ ナ ヤ 及 ニ コ リ ス ク ・ウ ス リ ー ス
ク エ ン ガ ー ︱ ツ ー ル ン (イ ル ク ー ツ ク 西 方 三 六 六 露
キ ー︱ ク エ ン ガ ー 間 二 、知多 鉄 道 里 ) 及 カ ルイ ム ス カ ー ヤ ︱ 満 洲 里 間
五 哈 爾 賓事 務 所 長
尚 鉄道 庁 及 地 方 運 輸 局所 在 地 は依 然 チ タ であ る。
哈 調情 第 七 二二号 大 正十 四 年 二月 十 九 日 浦 塩 商港 通 過 貨 物 取扱 地 使 用 規定
首 題 の件 に関 し 極 東 革命 委 員 会 は 去 る 一月 十 三 日左 の事 項 を決 議 公 布 せり 、
4. 通過 貨 物 取扱 地 の水 上 取 締 及海 路 よ り 取扱 地 への貨 物 発著 取
船 舶 の入 港 、碇 泊 及 運 航 に関 す る浦 塩商 港 一般 規 定 は、左 記
二 、船 舶 の入港 、碇 泊 及 運航 に関 す る件
締 の為 監視 船 を置 く 。右 監 視 船 は護 境 軍 に隷 属 す 。
5.
に貨 物 申 告書 ( 本 申 告 書 には船 舶 到着 地 が通 過貨 物 取 扱 地 た る旨
イ 項 に規 定 し あ る船 舶 は 検疫 、 護 境軍 の検 査 及船 長 が税 関代 表
の来着 を待 つべ し。
外 国 航 路 の船 舶 は総 て監 視船 取締 区域 内 に仮 泊 し監 視 小 蒸汽 船
の補 足 を附 し て通過 貨 物 取 扱 地 に在 る船舶 に適 用 す 。 イ
ロ
を掲 載 し あ る を要 す ) を提 示し た る後 通 関 手続 を行 はず し て通 過 貨 物 取 扱 地 に 入港 す る事 を得 。
6. 通 過貨 物 取 扱 地 よ り海 外 に出 港 せん と す る船 舶 は税 関 検 査 を
受 く る こと なき も 、他 の事 項 に関 し て は浦港 現行 規 定 に従 ふも のと
7. 通 過貨 物 取扱 地 よ り浦 港 他 地 区 に又 は其 の反 対 に転 航 す る船
す。
舶 は 、海 外 より 入港 又 は海 外 に出港 す るも のとし て、 一般 規 定 に基
一、通 過 貨 物 取扱 地 の位 置 及之 が取 締 に関 す る件 1. 浦 港 通 過 外 国 貨物 取 扱 地 に関 す る人 民委 員 会 の決議 (一九 二
づ き税 関 の検 査 を受 く べし 。
8. 小 帆 船 、鮮 式 小 帆 船 及外 国 航 路 の小 船 舶 は通 過 貨 物 取扱 地 に
四年 九 月 二十 九 日附 ) に基 づ き 、浦 港 経 由 満洲 発 著 外 国 通過 貨 物 取
2. 通 過 貨 物取 扱 地は 第 二号 岸 壁 より第 十八 号 岸 壁迄 とし 、 柵 を
一九 二 二年 九 月 一日 附 の税関 警 備 に関す る人 民委 員 会 の決 議 を適 用
入 港す るを得 ず 。 外 国 貨 物 を積 載 せる前 記 船 舶 を発 見 せる場 合 は 、
扱 の為 、特 別 通過 取 扱 地 を 設置 す 。
以 て囲 ひ護境 軍之 を 警 備 す。 同 区 域 内 に在 る沿 岸倉 庫 、 野 積揚 鉄 道
3. 陸 路 より 通 過 貨物 取 扱 地 に発 着 す る貨 物 は 、第 十 二号岸 壁 に
三、 貨物 の積 卸 、 転 送 及保 管 に関 す る件
視 船 の許 可 を 得 て通過 貨 物 取 扱 地 に出 入 す る事 を得 。
9. 小蒸 汽 船 、 平底 船 、来 多 船 は税 関 検 査規 定 の適 用 を受 け 、監
す。
線 路 及 沿岸 一帯 に在 る造営 物 は其 の内 に含 む 。
対 立 せ る通 過 貨 物 取扱 地 の大 門 に在 る取 扱 所 、 又 は第 七 号岸 壁 に対 立 せ る取 扱 所 を経 由 す べし 。但 し 鉄 道 扱 のも のは第 十 七号 岸 壁 又 は 陸橋 下 に在 る 特 別門 を経 由 す べし 。
10. 各種 貨 物 は総 て通 過 貨 物 取扱 地 を経 由 す る事 を得 。 但 し軍 用 武 器 、 軍用 火 具 及 (阿片 、 モル ヒネ 、同 原 料 品 た る) 麻 酔 品 並税 関
六 哈調情第八〇五号
大正十四年 三月十八日 哈爾賓事務所長
可燃 性 、爆 発 性 及 引火 性 のも の の輸 送 は同種 品輸 送 に関 す る浦 塩
運 賃 委 員 会 の禁 止 す る貨 物 を 除 く。
商港 の 一般 規 定 を適 用す 。
大正十年 四月爆破された ハバ ロフスク黒竜 江大鉄橋は愈 々完全 に
七 極秘
哈 爾賓 事 務 所長
其 の修繕を終 り、来 る二十 二日其 の開通式を行 ふ筈。
黒竜江大鉄橋開通
11. 荷 主 及 同 代 理 人 は第 二項 に指 定 し あ る通 過貨 物 取 扱 地内 に税 関 手続 を経 ず し て人 民委 員 会 の決議 (一九 二四 、 九、 二四 ) に掲 載 し あ る 貨物 の積 卸 、荷 造 替 、 分類 、置 替 、 見 本 の撰 択 、 腐 敗予 防 法 の採 用 及貨 物 の精 製 に関 す る 一切 の業 務 を 行 ふ事 を得 。 12. 通過 貨 物 取 扱 地 よ り貨 物 到着 地 に向 く る輸 入貨 物 の発送 及 通 過貨 物 取扱 地 に輸 出貨 物 の到 着 は 、同 港 通 過貨 物 取 扱 地 経 由 の外 国
哈 調 情 第 八 二 五号
大 正 十 四年 三月 三 十 一日
通 過 貨 物 に関 す る 浦 塩、 ポグ ラ ニチ ナ ヤ税 関経 由 通 過 規 定 に従 ひ何 等 特 別 の許 可 なく し て之 を 行 ふ事 を得 。
烏 鉄 は 栗林 汽 船 が無 力 に て成 績 挙 らず 、 寧 ろ来 る五 月 二十 八 日 の
と。
八
栗林 社 長 は 本件 の用 向 を兼 ね、 後 藤 子爵 と同 行 し哈 爾 賓 に来 るべ し、
し、 浦 塩 欧 洲航 路 を開 く計 画 に て既 に川 崎 汽船 と議 纒 れ り。 而 し て
の純 益 意 外 に多 か りし に鑑 み、 契約 更 新 方 法 とし て川崎 汽 船 と合 同
締 結 せん と 目論 見 居 る こと は既 報 の通 りな る が、 栗 林汽 船 は 今年 度
契 約 期 限 満 了 の上 は栗 林 と の関 係 を断 ち 、新 た に山 下汽 船 と 契約 を
栗 林 川崎 合 同 し 浦塩 欧 洲 航路 を開 く件
13 . 通過 貨 物 取 扱 地 に於 け る貨 物 の積 卸 、 転送 は浦 塩 商 港 に よ り て制 定 さ れ た る 一般規 定 に従 ふ も のとす 。 但 し 貨物 保 管 に関 す る規 定 を 除 外 す。 14. 通 過貨 物 取 扱 地事 務 所 は 同 地 域内 に在 る倉 庫 及 貨 物 の保 管 に 関 し ては 一切 の責 任 を負 ふ。 四 、浦 塩 の服 務規 定 に関 す る件 15. 沿 岸 其 の他 浦 塩 造営 物 の使 用 、防 火 、船 舶 の碇 泊 、 橋 板 の使 用 、 衛 生 、 構 内 一般 作 業 の安 全 、 其 の他 同港 内 の業務 に関 す る 服務 規 定 は、 其 の現行 た ると 将来 発 布 のも のと を問 はず 、之 を通 過 貨物 取 扱 地 に適 用 す。
哈爾 賓 事 務 所長
大 正十 四年 四 月 二 日
哈 調 情第 三号
浦 塩 の現 状 東 三省 特 派 浦 塩 駐在 代 表 李毓 華 氏 は嘗 つて露 西亜 に遊 学 せ る事 も あ り、露 西 亜 通 と し て は稀 に見 る 人 で あ る が、 同 氏 は浦 塩着 任 以 来 鋭 意 修交 の こと に努 め諸 般 の事 務 亦大 いに挙 つ て来 た。 近 く露 支 会 議 開 催 せ ら る ゝに当 り 、同 氏 の意 見 を参 酌 す る の必要 から招 電 を受
将 来 は何 と か便 法 を設 け て不便 を除 く様 にし た い。政 府 対 奉天 の折
衝 は目 下 の処 好 都 合 に進 捗 し て居 る。
九
大正十四年 四月九日 哈爾賓事務所長
哈調情第 一四号 秘
を三年間続行す ることに議纒 り、目下契約書 の字句訂正中である。
栗林 は烏鉄と連絡運輸契約 に就 て協議中 の処、此の程更 に現契約
栗林烏鉄 の運輸契約 は続行 に決定す
浦 塩在 住 の支 那 人 は約 一万 九 千 人 に し て、 其 の中九 割 位 は労 働 者
け目 下 当 地北 京 ホテ ルに滞 在 中 な る が、 同 氏 の談 如 左。
で あ る。 ソヴ エー ト政府 は之 等 に対 し て は特 に好 意 を もち保 護 を与
一〇
然し極東革命委員会 の認可は未 だ受けてゐな い。
哈調 情 第 二七 号
山 下 汽 船 は 先般 来 当 地 に於 て連 絡 運 輸契 約 を 締 結 せ ん と奔走 中 な
山 下 汽 船 と烏 鉄 と の連 絡運 輸 契約
大 正十 四 年 四月 十 一日
哈 爾賓 事 務 所長
へて居 る か ら皆 安 心 し て居 るば か り で な く、 却 つて増 長 し て不 正 な 行 為 に出 る者 も往 々有 る様 であ る。資 本 家 に対 し ては之 に反 し甚 だ し き圧迫 を加 へて居 る が 、之 は同 政府 の主 義 とし て然 あ るべ き であ らう 。其 の他 外 人 の在住 せ る者 は 甚 だ少 なく 、 英 国 の代 表 一人 、 日 本 の個 人資 格 代 表 等 が駐 在 し て居 る丈 で 、其 の他 の諸 国 は代表 が無 い。 日露 協 定成 立 後 は 日本 は正 式 に代表 を派 遣 す る事 にな る であ ら
鮮 人 代表 者 は尠 な か らざ る数 に上 る が 、政 府 は東方 被 圧 迫 民 族 の
り し が、 此 の程烏 鉄 側 の承 諾 を得 て、 目 下極 東 革 命 委員 会 に正式 許
う。
優 待 と 言 ふ意 味 で、 之等 に 対し て相当 の便 宜 を計 つて居 るか ら 不逞
可 を要 請 中 であ る。
せ ん とす る魂 胆 は 、栗 林 の船 運賃 意 外 に高 く東 行 貨 物 の吸収 困難 な
烏 鉄 が 一方 栗林 に現 契 約 の続行 を許 し 、他 方 山 下 と新 契 約 を締 結
の徒 も横 行 し て居 る状態 で あ る。 浦 塩自 由 港 区 設 置 以来 貿 易 は未 だ
る に依 り、 山 下 を割 込 まし て二 会 社 の競 争 を演 ぜし め ん とす る に在
旺 で無 く 、 ウ スリ線 は 週 二 回運 行 す る丈 であ る の に客 ・貨 共 一向 に
で あ るか ら で、 エ埠 頭 一帯 は集 積 貨物 が甚 だ多 い。
り と。
振 は ぬ のは 、 ソヴ エート 政府 の制 度 は個 人貿 易 に付 いて非 常 に不便
国 境 の検 査 は余 り に厳 重 であ る為 、 通 過貨 客 の不便 一切 でな い。
一一
大 正 十 四年 四月 三 十 日
哈 調 情第 八五 号 哈 爾賓 事 務 所 長
栗林 汽 船 は烏 鉄 に於 け る利 権 を川 崎 に譲 渡 す る か
哈 爾賓 事 務 所長
後 貝 加 爾 に於 け る白 色 パ ルチ ザ ン の活 動 及赤 軍 一部
大 正十 四年 五 月 二十 二 日
逃 走 (五 月 二十 一日高 橋 中 佐報 )
四 月中 旬 以 来 後 貝加 爾 に於 て白 色 パ ル チザ ン活 動 し 、 又赤 軍 一部
の逃 走 す る も のあ り 、其 の主 な る も の左 の如 し。 一、 パ ルチザ ン の襲 撃
其 の条 件 と し て伝 へら る ゝ所 に依 れば
み が立 つた ので更 に其 の権 利 を 川崎 汽 船 に譲 渡 せ んと 交 渉中 であ る。
等 を掠 奪 せり 。 又十 九 日 の未 明 ボ ル スチ エフカを襲 ひ 、当 地 の共 産
遭 遇 し 、突 如 之 を襲 撃 し護 衛 隊 を撃 退 し 、之 等 の糧食 及 ア ル コー ル
るパ ルチ ザ ンは 内国 貿 易 機 関 の所有 な る糧食 及 ア ル コー ル輸 送隊 に
四 月 十 八 日 ウ ンダ川 下 流 より ネ ルチ ンスク方 面 に偵察 の為 出動 せ
一、 粟 林 は烏 鉄 と の契 約 上 の権 利 一切を 川 崎 に譲 渡 す る事 。
烏 鉄 と の契 約 更新 交 渉 中 であ つた栗 林 汽 船 は愈 々其 の成 立 の見 込
二、 川 崎 は栗 林 に対 し相 当 の譲受 料 を支 払 ふ こと 。
チ ン スク より 到 来 せ る同 地 ゲ ・ペ ・ウ長 デ イ ト コ ー ウ イ チ 及 ゲ ・
党 員 を殺 害 し 、歩 兵 銃 及 弾薬 等 を奪 取 せり 。加 之 現状 視 察 の為 ネ ル
二 、 オ ロウ ヤ ンナ ヤ附 近 に於 け る赤 白 軍 の衝 突
ペ ・ウ員 スト ロブ ヌイ も途 中 パ ルチ ザ ン の為 銃 殺 せ ら れ たり 、 と。
三 、鮮 銀 に 対す る 栗林 の債 務 は 川崎 に て引 受く る事 。 四 、 栗 林汽 船 露 西亜 部 は其 の儘 川崎 汽 船 に譲 る事 (栗 林 の東 京 本 店 は 近 く北 海 道 に引 揚 ぐ る筈 )
間 に於 け る第 六十 九 待 避 線附 近 に於 て、白 色 パ ルチ ザ ンは赤 軍 の 一
五 月 二 日後 貝加 爾 鉄 道 の アド リ ア ノ フ スカ ヤ及 オ ロウ ヤ ンナ ヤ駅
等 で あ る が、 浦 塩及 哈 爾賓 支 店 は現 在 の儘 とし 、 一部川 崎 より 使 用
ヒ ン支 隊 に合 せ ん が為 東 方 よ り彼 地 に向 て出 動 せ る も の にし て、 其
部 と衝 突 せり 。白 色 パ ル チザ ンは ア ク シヤ附 近 に活 動 中 な る ト ル ウ
五 、栗 林 徳 一は右 露 西 亜 部長 た る こと。
人 を 入 る る事 と な る べく 、 又 近海 航 路 のた め には 栗 林 の汽 船 を使 用
三 、後 貝 加 爾 赤 軍 の逃 走
相 互 の連 絡 不 完 全 な る為 、 其 の勢 力 は極 め て微 々た る が如 し 。
尚 オノ ン河 の上 流 一帯 に は数 箇 のパ ルチザ ン潜 伏 し 居 る も、 彼等
者 を出 し 、白 色 パ ルチ ザ ンは傷 死 者 を森 林 地帯 に運 搬 せ り。
る赤 軍 と出 合 し 、 茲 に両者 の衝 突 を惹 起 せり 。而 し て彼 我共 に傷 死
の出 動 中 端 な く も第 六 十 九待 避 線 に於 てオ ロウヤ ンナ ヤよ り出 動 せ
し 、川 崎 の汽 船 は之 を 外国 航 路 に充 つる計 画 であ る と。
一二
尚 川 崎 の戸塚 太 郎 氏 は哈 府 に於 け る栗 林 と烏鉄 と更 新 契 約 調印 に 参 加 し たと言 ふ。
哈調情第 一二八号
五 月 中旬 ペ ス チ ヤ ンカ に於 け る赤 軍 の例会 に於 て、警 察 部 コミ ツ サ ルは中 部露 西 亜 の平 穏 な る こと並 に赤 軍将 卒 の家族 に関 し 配慮 の 要 な き こと を言 明 せ る に対 し、 十 二名 の兵 士 は郷 里 よ り の書 面 を 示 し 、其 の実 情 不穏 な るを力 説 せ る為 、 之等 十 二名 の兵 士 を 捕縛 し、 チタ のゲ ・ペ ・ウ に護 送 せ り。 之 が為 之等 兵 士 の所属 聯 隊 に於 ては 端 な く も動 揺 を惹 起 せり。 而 し て該 聯 隊 よ り 一ケ 中隊 を チ タ の砲 兵倉 庫 守 備 の為 チ タ に派遣
一四
極秘
哈 爾 賓事 務 所長
右 は 真 偽尚 確 かな ら ざ る点 ある を以 て、 同少 佐 は引続 き調 査 中 な り。
哈 調 情 第 一九 六号
沿海 県 方 面 に於 け る軍 隊 の移 動 (六 月 十 一日 高橋 中 佐 報)
大 正 十 四年 六月 十 二 日
飯 村 少 佐通 報 の要 旨
せ る に、 該 中 隊 は砲 兵倉 庫 より 歩 兵 銃 及 弾薬 を掠 奪 し、 チ タ附 近 を 根拠 とす る白 色 パ ルチザ ンに合 す べく 、森 林 地 帯 に逃 走 せり 。依 つ
ペ ・ウ部 隊 在 る のみ にし て変 化 な し 。
に到 着 し 、同 地 に は多 数 の軍 用 列 車 あ りと 。グ ロデ コーウ オ には ゲ ・
近 に在 るも の の如く 重 砲 兵 一大 隊 、 山砲 、 野 砲各 一中 隊 は量 近尼 市
は尚 不 明 な る も 、 一般 の状 況 より判 断 し て其 の大 部 は上記 野 営 地 附
ルラ グ、 バ ラ ノ フカ野 営 地 に到 着 せ り。 在浦 塩部 隊 の来否 に就 き て
ズ ト リ ノ エ、 ノ ウ オ キ エスク駐 屯 部隊 は 二十 四 日頃 尼 市附 近 ア ル チ
れ た る部 隊 あ る は確 実 にし て、 三 十 日 以後 数 日間 継 続 せ ら れ、 又 ラ
一、 哈府 よ り (オ ム スク より と も言 ふ)尼 市 方 面 に鉄道 輸 送 せ ら
一三
秘
哈爾 賓 事 務 所 長
てゲ ・ペ ・ウ軍隊 は彼 等 を追 跡 せ るも 遂 に効 果 な か りし と 。
哈 調情 第 一八 〇 号 大 正十 四年 六 月 九 日
沿 海 州 赤 軍 の異 動 (六月 七 日附 高橋 中佐 報 ) 五 日発 在 ポグ ラ ニチ ナ ヤ飯村 少 佐 の通 報 要旨 。
二、 沿海 県 に於 ては 近 く露 鮮 人 の動 員 行 は る べし 、 と の噂 あり て
人心 漸 次 緊 張 し来 れ るも の の如 し 。密 偵 報 に依 れば 最 近将 校 、 医 師 、
三十 日哈 府 発 三 日 ポグ ラ着 の貨 物 列 車車 掌 が密 偵 に語 れ る所 に依
看 護 人 の召集 を行 へり と 。
一五
秘
哈爾賓事務所長
れ ば 、烏 蘇 里鉄 道 は 二十 日 頃 よ り哈 府 より尼 市 に向 け歩 兵 部 隊 の輸
哈調情第二三三号
送 を開 始 し 、 其 の兵 力 歩兵 二 ケ聯 隊 を 下 らず 。 尚 哈府 に は西 方 よ り 砲兵 部隊 其 の他 新 た に到 着 し、 スパ ス ク にも新 たな る軍 隊 到 着 し 、 又在 浦 塩 赤 軍 師 団長 は最 近尼 市 に来 れ り と 。而 て労農 側 高 級 者 は在 沿海 州 軍 隊 交 代 の為 なり と 称す る も、 兵 卒 は戦 争 の為 な り、 と 称 し 居 れ り。
大 正 十 四年 六月 二十 二 日 露 軍 ニコリ ス ク に集 中 支 那 側 の情報 に依 れ ば 本月 十 五 日労 農 側 は突然 ニ コリ ス クウ スリ
哈 爾 賓事 務 所 長
一六
スク に装 甲 車参 輛 、 大砲 四門 、 機 関銃 拾 弐 挺 を増 加 せ りと 。
哈 調 情 第 三六 八号 大 正 十 四年 八 月十 九 日 頻 々た る西 伯 利 及 極東 鉄 道 列 車 転覆 事 件 に就 て ( 八 ︹ 彦三郎︺ 月 十 五 日附 満 洲 里 秦大 尉 報 )
四
五
六
は武 装匪 団 のた め に襲 撃 せら れ 、 死者 一、傷 者 一を出 す (七 月 一 日同 紙)
七 月 九 日浦 塩 より莫 斯 科 行 の列 車 は イ ンー ビ ラ駅 間 に於 て転 覆
せ り。 乗 客 二名 負 傷 す。 (七月 十 七 日 同紙 )
新 潟 県 主催 西 伯 利 観 光 団 一行 の乗 車 せ る列 車 は哈 府 より知 多 に
七月 二十 七 日知 多︱ 莫 斯 科 急 行 列 車 は タ イガー ア ル ゼ ルカ駅 間
向 ふ途 中 に於 て転 覆 し 、乗 車 せ る乗 客 中若 干 の死傷 者 を 生 ぜ り。
(本 列 車 には在 哈 爾 賓総 領 事 グ ラ ンド 及訪 露 飛行 地 上 勤 務者 乗 車
に於 て転 覆 し、 機 関 車 、郵 便 車 、小 荷 物 車及 客 車 二 破 壊 せ ら る
し あり た り)
以上 は 単 に新 聞 紙 上 に発表 せ られ た る も の、 又 は邦 人 の乗 車 せ
る列 車 の事 故 を示 し た る も のに し て、 尚 此 の他 に幾 多 の事故 発 生
し あ るは 左 記 の対策 よ り す る も想 像 に難 からず 。
七
原因
近時 西 伯 利 及 極東 鉄 道 に於 て列 車 転 覆 事件 頻 々と し て発 生 し 、西 伯 利経 由 旅 客 を し て 一種 の不安 を感 ぜ し め つ ゝあ り 。而 し て労 農当
に至 り最 近 に於 て屡 々極 東 各 新 聞紙 上 に発表 せら る ゝ に至 れ り。労
行 列車 に は毎 列 車多 数 の外 人 客 を有 す る関係 上 自 然 外 界 に暴 露 す る
な る と 、 一方 鉄道 は周 知 の如 く革 命 以来 大 修 理を 加 ふ る こと な く僅
他 凡 ゆ る駅 業 務 を担 当 し あ る状 況 な るを 以 て、 之 等勤 務 員 の不 注意
る 結果 、 待 避 駅 の如 き は 一名 に て駅 長 、 転轍 手 、番 人 、 通 信員 其 の
も の の如 く 、其 の他 近時 所謂 経 費 節 減 を 極端 に励行 し人 員 を縮 少 せ
主 と し て白 色 パ ルチザ ン或 は 線 路附 近 農 民 の悪 戯 に基 づく
局 は最 初 事 件 の顛 末 を発 表 す る を欲 せざ り し が、莫 斯 科︱ 知 多 間急
農 当 局 に於 て も目 下別 記 の如 く 之 が 対策 に苦 心し つ ゝあ る が如 し 。
連 絡 の為故 意 に急 行 列車 を 運 行 せ し め あ るを 以 て、鉄 道 自 体 已 に幾
最 近鉄 道 事 故頻 々と発 生 し 益増 加 の傾 向 あ る に鑑 み、 CC
委 員 会 の権 限 よ り鉄 道 管 理 局 の手 に移 し 、同 管 理 局 に鉄 道事 故 責 任
C P交 通省 は七 月 一日 よ り鉄 道 事 故責 任者 審 査業 務 を 職業 同 盟 調 停
対策
多 の危 険 を蔵 し あ るに原 因 す るも の の如 し。
か に列車 を運 行 し得 る の程 度 な る に、当 局 は宣 伝 の意 味 を以 て欧亜
列 車 転 覆事 件 新 聞其 他 に依 り得 た る処 を綜 合 す る に左 の如 し 。 ︹ 兵二︺ 六 月 七 日夜 二瓶 哈府 総 領 事 の乗 車 せ る莫 斯 科 ︱ 知 多間 急 行 列 車
七 月 七 日夜 ヴ ス リ ー鉄 道 オブ ルチ エー ア ル ハラ間 の燧 道守 備 隊
月 七 日 チ ホオ ケ ァ ン スカ ヤ ・スウ エ スタ ー)
車 転 覆 せり。 原 因 は悪 意 者 の為 線路 を破 壊 せ ら れ た る にあ り (六
五 月 廿 日知 多 鉄 道 マツ ケ ー エウ オー カ ル ムイ間 に於 て浦 塩行 列
が途 中 転覆 し、 多 数 の死傷 者 を出 し た るは 周知 の如 し 。
一
二
三
者 処 罰 権 を 附 与す る に決 せり 。 又 知 多 鉄道 管 理局 に於 ても 鉄道 事 故 減 少 のた め断 然 た る処 置 を 講 ず る に決 し 、 従業 員 の業 務 統 計 を厳 重 に取 締 り厳 格 な る罰 則 を設 け て、 従 業 員 の怠 慢 行 為 を監 督 し 以 て事 を未 然 に防 がん と苦 心し あ る が如し。 一七
哈爾 賓 事 務所 長
露 亜 銀 行 の労 農 化
大 正 十 四年 十 月 二十 六 日
本 月 二十 四 日 当 地露 亜 銀 行 支 店 は在 上海 同 支 店 よ り労 農 政府 、露
其 の内 容 は 伯 林 に於 てプ チ ロ フ、 チ チ エリ ンの第 一回会 見 行 は れ
亜 銀行 幹 部 間 に協商 開 始 せら れ た旨 の電報 に接 し た。
其 の際 両 者 間 に露 亜 銀 行 株 主 に労 農 露 国政 府 を入 る ゝ問 題 に触 れ、
プ チ ロフ の案 に依 れば 露 亜 銀行 は新 た に銀 行 株 五 万株 を 発行 し、 之
を 労農 露 国 政 府 の名 義 にす る と言 ふ にあ る。
之 に より て労 農 露 国 政 府 は同 銀 行 に対し て現在 有 す るも のより 、
哈 調 情 第 六 二 六号 大 正 十 四年 十 月 二 十六 日
よ り以 上 の努 力 を得 る であ らう 。 何 故 な れば 、労 農 商 業代 表 ネ ン ス
キ ー の有 す る株 数 に更 に上記 株 数 を加 ふ るか ら で あ る。 此 の結 果露
烏 鉄 の組 織変 更 烏 鉄 の位 置 及将 来 の活 動 に鑑 み、 今 回 其 の組 織 を 左 の如 く 改 正 し た。 在 ハバ ロフ スク
七 五% は 曾 て露 亜 銀 行 の所有 に属 せ る建 築 物 、倉 庫 等 不動 産 を 以 て
し 、在 満 各支 店 長 に対 し て は直 ち に 一九 一七年 ︱ 一九 二 五年 度 に於
う。 而 し て右 株 に対 す る労 農 露 国 政府 の支 払 二 五% は 現金 を以 て、
本社
技 師 ニ コリ スキ ー (従来 極 東革 命 委 員 会 交 通委 員 長 た り し
亜 銀 行 は露 本 国 或 は西 伯 利 に支 店 を開 店 す べ き権 利 を 有す る であ ら
長官
す る。 此 の報 に接 す るや フオ ン ・ゴ イ エルは 銀行 各 支 店 に訓 令 を 発
( 交 通 委員 会 代表 )技 師 ク ーゾ ウ レフ (従来 の長 官)
人) 委員
け る銀 行 の事 業 に関 す る 一切 の報告 を本 年 十 月 一日迄 に作 成 す べ く
技 師 ウ エイ ゼ ル (従来 の副 長 官 )
鉄 道 監 理局 長
訓令した。
あ らう 。 ( 片岡)
行 く筈 であ つた が、 報 告 作成 に参 加 す る必 要 上 明年 迄 延期 さ る ゝ で
理権 を 得 る こと にな つ てゐ る。 従 つて最 近 ブ ヤノ フ スキ ー は巴 里 に
附 し た。 該案 に よれ ば露 亜 銀 行 は満 洲 及 び支 那 に於 て国立 銀 行 の代
数 日前 作 成 し た る西 伯 利 に於 け る旧銀 行 事業 案 に関 す る意 見 書 を 送
依 つ て当 地支 店 支 配 人 ブ ヤ ノ フ スキ ーは 上海 支 店 に使 者 を 特 派 し、
即 ち 従来 重 大 問題 に関 し て は事 毎 に莫 斯 科 交 通委 員 会 の許 可 を得 な け れ ばな ら な か つた繁雑 を除 き 、 な る べく 現 地 に於 て解 決 せ し め る方 針 を採 つた ので ある 。
一八
哈調情第六三〇号 秘 哈爾賓事務所長
哈 調情 第六 五 六号
一九
速報
哈爾 賓 事 務 所長
極 東 露領 の軍 事 (十 月 二十 九 日 ウ オ スト ー ク号 外 )
大 正 十 四 年 十月 三十 日
の影 響 を蒙 り た る た め各覚 る処 あ り、 茲 に誠 意 を 以 て会 議 を 重 ね た
る結 果 、先 々月数 量 協 定 成 立 し 、南 行 は 五分 五厘 、東 行 は 四分 五厘
と定 め競 争 の弊 を免 か る ゝ ことと せり 。然 る所 最 近 の現 状 を 視 る に、
本協 約 は全 然 満鉄 の失 敗 に帰 し た るも の の如 し 。蓋 し本 協 定 成立 の
日 に於 て は最 も繁 盛 の時 期 に到 達 せ る にも拘 らず 、南 行 は 甚 だ寂 寥
当時 は北 満 の農 産 物 将 に取引 開 始 され ん とし 、爾 来 輸 出 益増 加 し 今
行 五分 五厘 の限 定 数 量 は未 だ実 現 せず 。満 鉄 内 部 に於 ても 亦 一大 失
にし て、 烏鉄 に由 る東 行 の貨 物 は極 め て繁 忙 の現 状 に在 り 。所 謂 南
敗 を自 認 し居 れり 。
一、 広 東 政 府 は代 表 を 沿海 県 に派 遣 し共 産 党 員 よ り来 る義 勇 兵 を募 集 中 であ る。 然 し 広 東 政府 の好 条 件 及 共産 党 の援 助 あ る に拘 らず 、
即 ち 浦 塩 に於 け る油 房 漸 次 復 興 、南 満 の油 房 は次 第 に衰微 し て日 に
現 在 北 満 の農 産 物 は 東行 し て浦 塩 に集 中 す る の傾 向 甚 だ顕 著 な り。
今 日迄浦 塩 より 募 集出 発 し た る者 は 一団 僅 か に百名 に過 ぎ ぬ。 尚 募 集 継続 中 。
疲 弊 し つ ゝあり 。大 連 今 後 の貿 易 も 亦従 つ て凋落 の道 程 に在 り、 と
哈爾 賓 事務 所 長
十 八 歳 以 上 三十 五 歳迄 の男 子 を動 員 、昼 夜 兼 行 にて徴 集 中 で あ る。
二、 国 際協 報 の報 ず る処 に拠 れば 、沿 海 、 黒 竜 江両 県 に於 て は急 援
二一
秘
烏 鉄 の吉林 進 出
大 正 十 四年 十 一月 六 日
哈 調情 第 六七 九 号
伝 へら る 。
哈 爾 賓事 務 所 長
目 的 不 明。
二〇 哈 調情 第 六 六 九号 速 報 大 正 十 四年 十 一月 三 日
本 金 は 三十 万 円 を増 加 し 、烏 鉄 之 を 出資 す る筈 な り 、 と。
者 間 に交 渉 行 は れ つ ゝあ り。 其 の通 訳 の衝 に当 れ る は蕭 某 な り。 資
烏 鉄 は吉 林 の裕 順 糧 桟 と合 弁 を以 て特産 物 業 を 行 は んと て目下 両
実 状 は全 く反 対 な るも 東 三省 商 報 は 本 日 左記 の如 き宣 伝 的 記 事 ︹ 遼東新報︺ ︹ 満洲日日新聞︺ を掲 げ て居 り ます 。 遼 東 及 満 日 の記 事 を真 似 たも のと も思 は れ ま
烏 満 協 定 の結 果 (十 一月 三 日東 三省 商 報 )
す が為 念 報 告す 。 満 、烏 両 鉄道 連 絡 運 賃会 議 決 裂 後 双 方 共 に多 大 の犠 牲 を 払 つて貨 物 の争 奪 を試 み た る所 、 両鉄 道 の損 失 は本 より 地 方 商 工業 者 も多 大
二二 速報
大 正 十 四年 十 一月 六 日
哈 調 情 第 六 八 一号
哈 爾 賓 事 務所 長
烏 鉄 の運輸 は此 の 五大 特 点 あ り
烏鉄 の吸 貨 宣 伝 ◎ 本 日 の哈 爾 賓 晨 光 は ﹁ 烏 蘇 里 路 之 運輸 ﹂ と 題 し 、其 の五 大特 点 と 銘 打 つ て左 の宣 伝 記 事 を掲 載 す 。 現 在 各 商埠 地 に於 け る商 人 が貨 物 を運 輸 せん とす る には 先 づ輸 出 入 口 たる 港湾 の利 害 を考 察 せざ る べか らず 。烏 鉄 は之 に対 し充 分研
四
す 。而 し て之 に要 す る費 用 は 代弁 所 之 を立 替 へ貨 物 の目 的 地 に到
烏 鉄 は東 四 各港 岸 の船 舶 と述 帯 関 係 あ り、 出 入 の定 期 誤 る事 無
着 の後 精 算 す 。
き は勿 論 、横 浜 、大 阪 、 神 戸 、 上海 皆 直接 浦 塩 に達 し、 又 同港 よ
二三 速報
哈爾 賓 事 務 所長
り 直 ち に目 的 地 に到 達 す 。 (山 根)
哈 調 情 第 七〇 五 号
浦 塩 ︱ リ ガ間 直 通 列 車 運 行決 定 (十 一月 十 三 日 ザ リ
大 正 十 四年 十 一月十 三 日
十 一月 二 日終 了 し代 表 一行 は リガ に於 てラ ト ヴイ ア鉄 道 代 表 と会 議
日露 支鉄 道 連 絡会 議 に参 加 せ る者 より の書 翰 に依 れ ば、 同 会議 は
ヤ)
満 一帯 、哈 爾 賓 、東 鉄沿 線 各 駅 に輸 送 せ ん には浦 塩 より す る を最 も
究 せり 。 凡 そ貨 物 を 日本 、独 逸 、 英 国 及支 那 の各 埠 頭 商 埠 地 よ り北
便 利 と 為 す 。啻 に 一切 の手 続 上 他 処 に比 し て敏捷 便 利 な る のみ な ら
の議 論 続出 し未 だ解 決 す る に至 らず 。 該 問題 は 一時 打 ち切 つた 、 と
中 で既 に同 国 と の協 約 成 り、 浦 塩︱ リ ガ間 の直 通 運輸 は各 方 面 よ り
最近ポグ ラに於 て開催せられたる烏鉄、東支両鉄道連絡会議 に於
東鉄烏鉄 の貨車修繕を引受く
大正十四年十 一月 二十五日
哈調情第 七四四号 哈爾賓事務所長
の こと であ る。
ず 、 他 港湾 の及 び得 ざ る特 別 の利 益 あ り。
輸 送貨 物 は 一切 の損 失 を免 る。 即ち 浦 塩 よ り直 接 目 的 地 に送 る には 途中 積 換 な く 、検 査 なく 、 只 目的 地 に到達 を 俟 てた だ 一度 の 海 関検 査 あ る のみ。 即 ち 二度 の検 査 を受 く る事 無 く 誠 に簡 便 な り。 浦 塩 より す る烏 鉄 、 東 鉄 の運賃 合 計 は、南 満 より 輸 入 す る に比
烏 鉄 は各 地 に分 局を 設 く 。 即 ち浦 塩 、 上海 、 哈 爾賓 、満 洲 里 、
し 遥 か に僅 少 な り。
二四
茲 に其 の利 点 を 大 別す れば 次 の如 し。 一
二
三
一と し て応 ぜざ る は無 し 。 関税 手 続 、 積 卸 し、 保 険 等 完全 に代 弁
莫 斯 科 等 皆 然 り。 何 れ も 倶 に代 弁 処 を 有 し商 人 の委 記 す る運 輸 は
て、 東 支鉄 道 は自 己 工場 に於 て烏鉄 貨 車 一千輛 の修 理 を 、 一九 二 六 年 十 月 一日迄 にな す ことを 仮 契約 し、 目 下 東支 本 社 及 交通 委 員 会 に
鉄 道 側 の言 ふと ころ は ニ コリ スク に在 る烏 鉄 の工場 は 設備 不 完 全
此 れ が 批准 を求 め てゐ る。
で、 斯 く の如 き多 数 の貨 車 を修 理 す る こと は不 可能 であ り 、又 東 支 鉄 道 工場 に於 て は既 にオ スト ロウ モ フ時 代 に自鉄 道 貨 車 の修 理 を 終 了 し 日 々 の修 理は僅 少 にて 、此 の儘 に行 け ば 人員 を淘 汰 す る の外 な き状 態 にあ る の で、 両 々相 俟 つ て極 め て好 都 合 であ ると 。而 し て此
然 る に当所 に於 て探 査 す る処 に依 れ ば、 烏 鉄 は東 支 が露 国 の内 乱
の修 理 に対 し烏 鉄 は 東 支 に 五十 万留 を支 払 ふ の であ る。
当 時 抑 留 せ る貨 車 に対 し債 権 を 有 す と称 し 、之 を 以 て此 の修 理 費 に 代 償 せん と の魂 胆 あ り 、東 鉄 側 は烏 鉄 の主 張 す る が如 き債 務 な き に 係 はら ず 之 に応 ぜ ん と し て居 る。
蒙古 関係 諸件
北京 公所 長
二七
一
北 公情 二 五第 一号 の 二 大 正十 四年 二月 五 日 露 蒙 密 約 の件 (二月 五 日東 方 時 報 )
労 農 政 府 と外 蒙 古 政府 と の関 係 に就 ては従 来種 々説 を 出 す も のあ り 、其 の真疑 に就 ては知 る に方 法 な き も、 昨 今 当地 に於 ては外 蒙 政 府 代 表 を 莫斯 科 に派遣 し 、左 記 要 項 に依 り 密 約 を締 結 し た 、 と専 ら 伝 へて居 る。 但 し カ ラ ハ ン氏 は 正 式 に否 認 し て居 るが 御参 考 迄 に御
第 一条
外 蒙 古 政府 と 中 華 民国 と事 件 突 発 し た ると き は、 労 農 政府
労 農 政 府 は外 蒙 古 政府 の必要 と す る軍 器 、弾 薬 を供 給 す。
報 告 致 し ます 。
第 二条
露 蒙 国境 は両 国 に於 て聯 合 之 を 防禦 す 。但 し外 蒙 古 地 域内
は決 し て中 華 民国 を 援 助 せず 。 第 三条
の治 安 は外蒙 古 が招 聘 し た る露 国 兵 に依 り維 持 せし む 。
第四条 外蒙古政府 は露国将校 三百七十名を継続招聘 し、蒙古兵 の
外蒙古地域内 に中華民国軍隊 の駐屯及中華民国人 の移 民を
訓練 に当らしむ。 許 さず。
第五条
外蒙古政府が中華民国 に対する交渉 一切に就 ては決 して労
北 京 公 所長
農政府 の利益 を侵害せざることを約す。
第 六条
二
北 公 情 二 五第 一号 の六
外 蒙 古 政 府 の件
大 正 十 四年 二月 十 四 日
昨年 十 二月 外蒙 古全 体 が共 同 一致 を以 て現在 の蒙 古 政府 を 設 立 せ
し め た ので ある が 、該 新 政 府 が 果 し て真 実 の独 立 政府 であ る か、将
又 労農 ロシ ヤ の延長 政 府 であ る か 、否 か に就 て は種 々憶 測 が 行 な は
れ て居 る が、 新 政府 は其 の名 に於 て独 立政 府 と 称 し て居 るが 、実 際
府 の当路 者 の如 き は労 農 ロシ ヤに倣 ら へる委 員 会 制度 を 用 ひ、 蒙 古
様 であ る。 此 の件 に就 て は既 に報 告 し て置 いた が、 実 際 に於 て新 政
は労 農 ロ シヤ政府 の純 然 たる傀 儡 と見 做 す べ き可 能性 が富 ん で居 る
否 に就 て質 問 し た る処 、 蒙蔵 院 に対 し て は何 等 正式 の通 知 もな い の
で、 此 の件 に就 て当 地 蒙 蔵院 総 裁 (カラ チ ン王) を訪 問 し 、其 の実
であ ら う。 為 念 。
三 北 公情 二五 第 一号 の二 三
大谷 光 暢 等 は其 の通 商 に於 て 日本 今 後 の移 民 地 は 蒙古 を 以 て最 も適
し て居 る。最 近米 国 の移 民法 が施 行 さ れ た る後 に於 ては 、 日本 人 の
既 に年 を 経 、 四〓 鉄 路 開通 後 は入 蒙 の途開 け 、蒙 地 の移 民 日 に増 加
蒙 古人 方 面 よ り得 た る消 息 によ れば 、 日本 は満 蒙 に侵 略 す る こと
タイ ム ス)
日本 の蒙 古侵 略 (四 月 二十 七日 フ ァー ・イ ー スタ ン・
大 正十 四 年 四 月 二十 七日
北京 公 所 長
就 い ては露 支 協 約 の際 に於 て重大 な る議 論 が行 な はれ る こと は勿 論
が労 農 聯邦 の 一と な る べ き時 日 の到 来 を予 想 せ ら る。勿 論 本 問 題 に
て益 々労農 ロシ ヤ の勢 力 は外 蒙 に入 り つゝあ る の で、 遂 に其 の全 体
来 る 三月末 よ り着 工す る に決 した 、 と の こと であ る が、斯 の如 く し
記載 さ れた処 を見 ると 、 キ ヤク タ ーよ り ク ー ロ ン迄 の自動 車 道 路 を
が出 来 な いと思 ふ。 既 に本 日 も モ ス コー電 報 と し て当 地 の各 新 聞 に
て も 、外 蒙 古 一般 が漸 次 労農 ロシ ヤ の 一部 とな る の事 実 は否 む こと
乍 然 小 職 の見 る処 と し て は如 何 に蒙蔵 院 が之 を否 定 し て居 ると し
で、其 の真 相 を確 かむ る こと が出 来 な い、 と 否定 を し て居 る。
省 議 会 が委 員 会 内 閣員 を任 命 す る こと にな つて居 る。其 の政 府 の当 路 者 の顔 触 れを 見 る と 、左 の通 り で あ る。 省議 会 議 長 ゲ ンデ ンは遊 牧 民 で あ つ て、 共産 党 に理 解 と同 情 と を
首 相 た る ツ セ レ ンデ ル ヂは執 政 官 議 長 で、其 の名声 、 手腕 並 び備
有 す る無 所 属 党員 であ る。
は れ る人 物 であ る。 副 首 相 兼 農商 務 大 臣 であ る ア モー ルは 一九 二三 年第 五 回第 三 共産 党 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル大会 に派 遣 せら れ た る代 表者 で あ る。 軍 務 大 臣 マルヤ ルヂ ヤブ は、 労 農赤 衛 士 官 学 校 を卒 業 し た る労 農 仕 込 み の軍人 であ る。 総 軍 司令 官 兼 軍 事 革命 ソヴ エート委 員 長 た る チ ヤイ バ ルザ ンは蒙
参 謀長 た る リ チキ ノ は セ ミ ヨノ フ ・ユ ンゲ ル士官 養 成所 を出 身 し
古 パ ル チザ ンの隊 長 であ る。
内 務 大臣 た る ロツ エ ン ハンは貴 族 出 身 に て名望 あ る人格 者 で あ る。
た る人物 で ある 。
文 部大 臣 たる バ ツ ハ ンは 従来 よ り の教 育 家 で あ る。 経 済会 議 々長兼 ブ リ ヤ ード蒙 古 共 産 党 中 央委 員 たる ア マガ エフは
其 の他 法 相 、蔵 相 等 重 要 な る政 務 は 凡 て蒙 古 共 産 党員 の出 身 であ
共産 党 員 とし て最 も 重要 な 人 で あ る。
つて 、純 然 た る 共産 政 府 と 言 つて も差 支 な い程 度 であ る。 斯 る状 態
当 であ る と論 じ て居 る。而 し て日 本 人 仏教 聯合 会 は多 数 の蒙 古 語 を
︹マ マ ︺
で あ る の で殆 ど蒙 古 新 政府 は労 農 ロシ ヤ の 一論 法 た る の感 があ る の
話 す 浪 人 を招 聘 し 、 蒙 古内 地 に行 き其 の現 状 を 調 査 し或 は測 量 し 、
動 車 数 台抑 留 せら れ帰 満 せ り 。之 がた め目 下 蒙古 と の自 動車 交 通 は
途 中濱 県 庁 官吏 の為 に抑 留 せ ら れ たり 。其 の後 今 日迄 蒙 古 行貨 物 自
三、 当 地実 業 家 等 は 支 那官 憲 の此 の命 令 に恐慌 し 、市 会 代 表 者 を
全 然 停 止 せ り。
し て支 那宮 憲 に該命 令 実施 の理由 を諮 問 せし め し が、 支 那官 憲 の言
表 面 は蒙 古 人 に仏 教 を拡 め ると 言 ふ て居 るが 内 心 は侵 略 策 を有 し て
其 の第 一先 発 隊 は本 月初 め門 司 を出 発 し た が 、人 数 は十 五名 で其 の
明 によ れば 、 該 命令 は 特別 区 最 高官 憲 より 発 せら れ たる も のにし て 、
居 る。最 近 大 規模 の侵 略 案 等 が組 織 され た。 即 ち蒙 古 視 察 団 と称 し 、
人 は蒙 古 語 に通 じ 且蒙 古 各 王 と甚 だ懇 意 にし て居 る。第 二隊 は本 月
外 蒙 の中 部 地 方 、擁 倫 、桑 貝 子 等 と頻 繁 な る自 動 車 交 通 を有 す る海
内 蒙 古 通 と 称 せ ら れ るも のは 、仏 教 聯合 会 の佐 藤 富 江 であ る。 此 の
二十 日東 京 を出 発 し た 。 之 は人 数 六 十 名 であ る が相 当資 本 家 、 仏 教
拉 爾 に於 ても 同 様 な る命 令 を 実施 せ り、 と。
そ れ がた め 当 地商 業 界 は椴 近蒙 古 貿 易漸 く復 旧 せ ん とす る状況 に
僧 侶 及 浪 人等 で、 其 の資 本 の雄 大 なる こと は従 前 の視 察 団 と 趣 き を
望 み を抱 き あ り しも 、 今 回 の支 那側 の命 令 に依 り忽 ち 一頓 挫 を来 し
異 にす る。 其 の第 一の目的 は視 察 と 名付 け、 先 づ 蒙古 に 入り て仏教 を 宣 伝 す る と共 に蒙 古自 治 を拡 め る ので あ る。第 二 は蒙 古 の中 で適
市場 の資 金 運転 高 は忽 ち低 落 せ り。
と の自 動 車 交 通 を許 容 す る時 は目 下支 那官 憲 のタ ル バカ ン猟 取 締 に
里 、 海拉 爾 方 面 に及 ぼ せ し も のな り と観 察 し 、他 の 一部 は外 蒙 国境
し て既 に張 家 口方 面 の対蒙 自 動 車 運行 を禁 止 せ し が、 今 回之 を満 洲
の商 業 禁 止 に関 す る排 支的 決 議 を実施 せし に対 し 、其 の報 復手 段 と
一部 商 人 は支 那 官 憲 は外 蒙 大 フラ ルダ ンが外 蒙 内 に於 け る 文那 商 人
四、 商 人側 は支 那 官 憲 の命令 を 二様 の見 地 より観 察 し あ り 、即 ち
当 の地 域 を撰 択 し 、各 種 の事 業 を 経営 せん と す る のであ る。之 等 の
四 哈 爾賓 事 務 所 長
状 況 は総 て 日本 の蒙 古 侵 略 の 一端 であ る こと を知 る に足 る ので あ る 云 々。
哈調 情 第 三 三 四号
な り 、観 察 し つ つあ る も恐 ら く最 近 タ ルバ カ ン猟 が盛 ん にし て各 方
多 大 の障 害 を 来 た す を 以 て、 一時此 の方 面 の自 動 車 運 行 を禁 止 せ る
面 に影 響 を 与 へ つゝあ るは 既報 の如 く な るを 以 て 、此 の際 桑 貝子 方
大 正 十 四年 八月 八 日 外蒙 への自動 車 運行 禁 止 令 (八月 三 日満 洲 里秦 大 尉
五
面 に流 入 す る該 皮 を 抑 留 没 収 せ ん が為 な り、 と 観察 せ らる 。
報) 一、七 月 三 十 日当 地 特 別 区 警察 署 長 は市 内 自 動 車 所 有者 を全 部 召 集 し て斉 々哈 爾 よ り の命令 に依 り、 今 後東 省 特 別 区 行 政境 界 外 への 自 動 車 運 行 を禁 止す べく 、違 反 者 は自動 車 を没 収 す べき旨 言 渡 せ り 。 二、 同 日当 地 商 人 モイ セー エフ所 有自 動 車 はダ ライ ノ ー ル湖行 の
北 公情 秘 二 五第 四 号 の四
秘
知 多 、 庫倫 鉄道 に就 て
大 正 十 四年 九 月 三 日
北京 公 所 長
編 注 、 欄 外 に ﹁North ChinaStandard 記 事 を切 抜 添附 のこ と。 ︹松 ︺ 岡 荘 押 、 土 肥 原 少 佐 に依頼 済 、大 岩 ﹂、 と し切 抜 添 附 し あ る も省 略
民 治 社 の信 ず 可き 輛 告 と し て通 信 し て居 る所 に依 る と、労 農 政府
の委 員 は交 通 の便 宜 を 計 る為 に 、外 蒙 政 府 に対 し 五十 万 金留 を前渡
し 、知 多 及 庫倫 間 の鉄 道 を 建 設 す る の契 約 を結 んだ 。 而 し て其 の契
一、 外蒙 政府 の為 に労 農露 西亜 は外 蒙 の交通 を便 利 にす る目 的 の為
約 は次 の十 二箇 条 より な つて居 る。
本 件 に関 し昨 日附 のノ ウ ス ・チヤ イ ナ ー ・スタ ンダ ード に外 蒙 政 府 と労 農 政 府 と の間 に契 約 が出 来 上 つたと し て、別 紙 の様 な記 事 が
九 、 本 鉄 道完 成後 に於 ては 総 て の職 員 の任 命 は労 農 政 府 に依 つて せ
可 きも のと す。
八、 本 鉄道 完 成後 に於 ては 、本 鉄 道 の守 備 は労 農 政府 に委 任 せら る
及 管 理 せ ら る可 し。
七 、本 鉄 道 沿 線 の電 信 、 電 話 、郵 便 事 務 は 、労 農 政府 に依 つ て設置
を経 営 す る の自 由 な る権 利 を有 す 。
六 、本 鉄 道 線 路 の百露 里 以 内 に於 ては露 西亜 人 は総 て の森 林 及 礦 山
に自 由 な る権 利 を有 す 。
五 、本 鉄 道 線 路 の百露 里以 内 に於 て は露 西 亜人 は土 地 及家 屋 の買収
せず 。
は 之等 の雇 傭 事 項 、 又 は外 の事 件 に対 し 一切干 渉 す る の権 利 を 有
四 、 蒙 古 人 は職 工又 は 労働 者 とし て雇 用 せら る 可 し。但 し外 蒙 政 府
道 の経 営 権 を 有 す る も のとす 。
三、 本鉄 道 の総 て の技 師 は露 国 人 たる 可 し。 而 し て労 農 政 府 は本 鉄
如 何 な る第 三国 の資 本 と 雖 も加 入す る こと を得 ず 。
四分 の 一は外 蒙 政 府 の出 資 と し、 四 分 の三 は労 農 政府 の出 資 とす 。
二 、知 多 、庫 倫 鉄 道 の経 営 は 実業 的 関 係 た る可 し 。 而 し て建 設 費 の
に庫 倫 、知 多 間 の鉄 道 を 建設 す 。
載 せ て居 るが 、 従来 の周 囲 の事 情 よ り察 す れ ば或 程 度 迄事 実 に近 い も のと想 像 され る が 、目 下 各 方 面 に就 て調 査 中 で あ る から詳 細 は後 報 す。 而 し て当 地 公使 館 の陸 軍 武 官 室 に於 て は 、本 件 に関 し 左 の如 く述 べ て居 る。 庫 倫 、知 多 間 の鉄 道 が労農 政府 に依 つて敷 設 せ られ ると謂 ふ こと は真 実 に近 いも のと思 ふ。外 蒙 に対 す る馮 玉祥 将 軍 の態度 か ら見 て も斯 く 思 はれ る ので、 本 年 三月 片 山 潜 が広東 のボ ロジ ンと同 道 し 、 張家 口 に於 て次 の主 要 項 目を 協 定 し た 。 一、共 産 主 義 を 認 め る こと。 二 、外 蒙 軍 隊 の小隊 長 以 上 に主 義 者 を 任 命す る こと。 三、 外 蒙 は 政治 、 経 済 共労 農 政 府 が自 由 にす る事 を得 。 四 、右 の報 酬 の意 味 に於 て労 農 政 府 は無 償 に て馮 玉祥 氏 に武 器 を供 給 す る こと。 之 等 の事 項 から 見 て も外 蒙 に対 し労 農 政 府 が 如何 な る こと を し て も、 西 北 督弁 で あ る馮 玉祥 将 軍 が 異議 の申 立 を し な い の であ る から し て、 今 回 の鉄 道 建 設 の如 き も 事 実 と想 像 し て差支 な いが 、自 分 の
知 多 、 庫倫 鉄 道問 題 (九 月 二 日 ノ ウ ス ・チ ヤイ ナ ー ・スタ ンダ
方 でも 出来 る だけ 其 の真 疑 を 確 か め て見 よう 云 々。
ード摘 訳 )
ら る可 し 。 十 、本 鉄 道 の収 入 、支 出 の貨幣 は総 て労 農 政府 に依 つて発行 せら れ た る貨 幣 に依 る も のと す 。 十一 、 本鉄 道 完 成後 五十 年 に於 て外蒙 政 府 は其 の建 設 実 費 を支 払 ふ こ と を以 て、本 鉄 道 を 買 収 す る の権 利 を 有 す。
那 側 には 右 に要 す る資 金 の捻 出 方 法 な き を以 て材料 借 款 の形式 に依
り 、露 国 側 に於 て之 に応 ぜ ら れ たき 旨 を申 込 みた る に カ ラ ハン大 使
は 、之 に対 し何 分 借 款 額 も多 額 に上 る べ き こと にても あ り 、何 れ今
回 帰国 後 要 路 と も充 分 打 合 せ の上 何 分 の儀 回答 す べ し、 と 応酬 せ り
た る も の にし て、 同 社 が発 行 せ る該 記事 を順 天時 報 が登 載 し 、更 に
尚 因 に前 記 新聞 記 事 は劉 子任 経 営 の民治 社 が 奉 天方 面 より 入手 し
と謂 ふ。
労農 政 府 は無条 件 に て本 鉄道 を外 蒙 政 府 に返 還 す 可 き も のと す 。
十二、 外蒙 政 府 が 五 十年 後 に於 て本 鉄 道 を 買収 す る こと 能 はざ る時 は 、
ノ ー ス ・チ ヤイ ナ ・デ ー リ ー ・ニユ ー スが之 を 記載 せ る も のな り、
あ り た り。
北公情第 一号 の九六 北京公所長
七
二 、本 件情 報 の出 所 は 特 に極 秘 に願 ひ度 き旨 松 岡 理 事 よ り御 注 意
一、 本 件 に就 て は九 月 三 日北 公 情 秘 二 五第 四 号参 照 。
備考
と の事 な り 。
北 京 公所 長
(訳者 注 、 本契 約 の第 十 二 項 は稍 此 の種 条 文 とし ては 不完 全 の様
極秘
に思 はれ るが 、原 英 文 の儘 に訳 し て置 く。)
六
大 正十 四 年 九 月 十五 日
北 公情 秘 二五第 四号 の五
知 多 庫倫 間 鉄 道 布 設 計 画 に関 す る件 知 多 庫 倫 間鉄 道 布 設 借 款 成 立 の旨 を 報 ぜ る 九月 二 日 ノー ス ・チ ヤ イ ナ ・デ ーリ ー ・ニユ ー ス の記 事 に関 し 、翌 三 日露 国大 使 館 側 は直
外蒙青年党 が赤露 と提携 し独立を宣言して以来漢人種 に対し種 々
ち に之 を否認 し た る の みな らず 、 外 交 部 に対 し正 式 に本 件 の虚 構 な
の圧迫を加 へつゝある ことは事実 で、庫倫政府 とし て民国政府 に対
庫倫 の最近 の情 況
を有 す る 北 京大 学 教 授顧 孟餘 、 李 石曾 等 の談 話 を綜 合 す る に、 最 近
し対等 の会議 を開く様、本年三月二十八日附 を以 て蒙蔵院総裁を経
大正十四年九月 二十六日
馮 玉祥 は 王 正廷 を経 てカ ラ ハン大 使 に対 し、 包 寧 鉄道 の布 設竣 工 を
る こと の通 牒 を発 し居 る と ころ、 カ ラ ハン大 使 と 最 も密 接 な る関係
す べ く、 露 国側 に於 ては東 支線 ︱ ウ エル フネ よ り恰克 図 に至 る鉄道
了 し た る後 、支 那 側 に於 て は張 家 口︱ 庫 倫︱ 買 売 城 間 の鉄 道 を 敷設
つて居 つた ので、更 に 一昨 二十四日附庫倫政府 より蒙蔵院総裁宛交
由し て民国政府 に対し、交渉 の開始方 を通告して居 るが其の儘 にな
を 布設 し、 支那 中 部と の連 絡 を完 成し 以 て満 鉄 に対 抗 す べし 。 惟 支
渉 開 始 方 を慫 慂 し来 り 、 又外 蒙 政 府 の委 員 長 であ る 車林 多 爾 済 から
易 の首 位 を占 め て居 つた 民国 商 人 が漸 次赤 露 の商 人 に其 の地 盤 を 奪
に体 刑 を課 す る こと にな つて居 る。 露 蒙 銀行 の為 替 料 は 一千 円 に
さ れ る場 合 には 、右 金 額 を 没 収す る と共 に十倍 の罰 金 を課 し、 更
く強 制 され て ゐる。 若 し 商 人 が自 分 で為 替業 務 を為 す こと が発 見
庫 倫 貿 易 の金 融機 関 とし ては露 蒙 合 弁 の露 蒙 銀 行 に 一切依 るべ
三 、金 融 上 の不 便
は れ つ つあ る こと は甚 だ注 目 す べき 点 で あ る。 九 月 二十 四 日 の大 西
其 の督 促 を し て来 た様 な状 態 であ るが 、斯 る情 況 の下 に従 来 庫 倫 貿
北 通 信 に依 る と 、其 の圧迫 の程 度 は 大 体 左 の通 り であ る。
に付 五十 円丈 の現金 を携 帯 す る を許 され 、若 し 一円 でも超 過 し た
対 し て七 拾 円 であ る。 又庫 倫 よ り民 国 各 地方 に帰 る 民国 人 は 一人
民 国 商人 で庫倫 に行 く 者 は庫倫 政府 に於 て発給 す る写 真 附 の護
ると き は二割 の税 金 を 徴収 す る の外 更 に罰 金 に処 せ られ 、 更 に多
一、 商 人 往来 の困 難
照 を 携 帯す るを 要 し 、而 し て其 の護 照 下 附 は舗 保 及商 務 会 の証 明
額 を携 帯 す る者 は発 見 次第 拘 留 せら れ る。
と にな つて居 る の で時 日 を要 す る のみ なら ず屡 々紛 失 す る 。而 し
民 国 人 の書 信 は必 ず 内防 処 の検 査 を受 け商 務総 会 を経 由 す る こ
四 、書 信 の検 査
尚情 実 に依 り 中 々発 給 し な い。沿 道 に於 て の検 査 も 甚 だ厳 重 で、
て該書 信内 に軍 事 に関 す る文 字 で も あ つた 時 に は、 其 の書 信 の関
(一説 に は護 照 下附 料 拾 四 、 五 円 を要 す と )。右 の手 続 を 経 て も
と 共 に 一年 間 五 円 、半 年 間 二円 八拾 銭 の手 数 料 を 徴 収 し て居 る
其 のた め時 日を空 費 す る こと 多 く 、更 に庫倫 到 着 の上内 防 処 に於
で内防 処 の検 印 を経 な か つた も のが発 見 さ れ た時 は 、 手紙 の所持
係 者 は直 ち に収 監 せ ら れ、 家 屋 は封 鎖 され る 。庫 倫 より出 す 書 面
て男 女 の区 別 な く厳 重 な る身 体検 査 を 為 す 、と の こと で あ る。 二 、貨 物 出 入 の困難 中 国 商 人 の貨 物 は庫 倫 入城 の際 に総 て開 装 の上検 査 さ る る。 携 帯 の荷 物 は 十種 以 内 は 正当 の税 金 を 徴収 し たる 上 入城 を許 可 す る
に内 防 処 の検 査 な き 一切 の信 書 及 如 何 な る紙 片 でも逓 送 又 は所持
人 は拘 留 処 罰 さ れ 、発 信 人 は 二 百両 の罰 金 に処 せら れ る。 要 す る
し た る者 は罰 金 乃至 拘 留 、収 監 の刑 罰 を受 け なけ れ ば なら な い云
が、 十 種 以 上 のと き は其 の超 過 貨 物 に対し 蒙 古 文 の申 告 書 を提 出 し 、 税 官吏 の認 可 を受 け税 金 を納 入 す る を要 し 、若 し申 告 書 以外
々。
因 に庫 倫 に は大 正 九 年 日本 人 引 揚 後 一人 の 日本 人 も居 住 せ ざ り
の貨 物 が発 見 され た る時 は評 価 の十倍 の罰 金 を課 す る。 又 民国 商
し が、 其 の後 小島 某 が旅 行中 留 置 さ れ 釈放 の上 居住 を許 さ れ 、医
人 が蒙 古 の物 産 を庫 倫 よ り搬 出 す る とき も 同 様 の状 態 であ る が 、 尚 此 の外 に落 地 税 及赤 露 人 に依 つて設 立 せ ら れ た る皮 毛検 疫 処 の
業 を開 始 せ る が外 部 と の通信 往 復 は絶 対 に許 さ れず 、 本 人 も出 蒙
を 通 じ庫 倫 政 庁 の諒解 を経 て入蒙 往 来 し居 る者 あ る模 様 な り。 此
帰 国等 を 許 さ れざ る状 態 にあ り 。尚 外 国 人殊 に本 邦 人 は露 西 亜 側
︹マ マ︺
検 査 料 を納 めな け れ ば なら ぬ。 之 等 の課 税 法 は総 て税 官 吏 が随 意 に評 価 す る の で常 に市 価 に数 倍 す る と言 ふ有様 で、 税 率 は 評価 の百 分 の六 であ る 。
北 京 公 所長
の例 に習 ひ て 日本 人 も 入蒙 を 試 み た る も未 だ成功 せし者 なし 。
八 北公 情 二五第 一号 の九 七
司法総長 財政総長
( 行 政 司 法 を兼 務 す)
軍 政 は労 農 露 国 に倣 ひ陸 軍 大 臣 の下 に軍 事将 軍 チ エニバ ツ サ ン
あ り、 外蒙 全 域 の軍 隊 を統 率 す 。
二 、軍 隊 は約 三万 にし て庫 倫 及 其 の附 近 にあ る も の五 、 六千 な り 。
り) を用 ひ 、野 砲 数 門 を 有 し 二個 混 成旅 に編 成 し あ り。被 服 装 具
全 部騎 兵 にし て歩 兵 銃 (三 八式 歩兵 銃 及 三 十 年 式 歩 兵 銃 多 数 あ
る露 軍 は公使 館 護 衛 兵 二百 五十 名 な り。 士 官 学校 に は生徒 七百 名
は全 然 露 国式 に し て 一見露 軍 と見 分 け つかざ る程 な り。庫 倫 にあ
庫 倫 の情 況
大 正 十 四年 九月 二十 八 日
北公 情 二五 第 一号 の九 六 を 以 て外 蒙 及庫 倫 に於 け る赤 露 の勢 力 に
図書 館 一あ り 、外 蒙 に散 在 せ る書籍 類 を集 め、 支 那 より 蒙 古 に
小学 校 六 あ り 、各 五十 名 宛 の学 生 を 有 す。
人 あ り。
校 は主 婦 を教 養 す る機 関 にし て有 識 者 の婦 人 を主 と し 、学 生 五十
三 、 中学 校 一あ り 、男 学 生 百 七十 名 、 女学 生 五十 名 を有 す 。職 業 学
あ り 、露 人指 導 の下 に熱 心 に兵 学 、時 に射 撃 を練習 し あり 。
就 て報 告 し て置 いた が、 確 か な る筋 より 得 た る庫 倫 の情 況 左 の通 り 報 告 す。 赤露 の勢 力 に支援 せ られ てイ ルク ー ツ クよ り 入蒙 し 、大 正 九 年 末 より庫 倫 附 近 バ ロ ン ・ウ ルゲ ル軍 を駆 逐 し て純 白 な る 愚民 を 赤 化 し 、 信 仰 の中 心活 仏 を殺害 せ る ソ クバ ・ ト ル が庫 倫 を改 名 し て ウ ラ ンバ ー ト ルと名 づ け、労 農 委 員 制 を 採 用 せ し以 来 南東 の交 通 を閉 鎖 し て
関 係 あ る漢 書 を購 入 し 、新 聞 、雑 誌 、 歴史 、宣 伝 文 を刊 行 し あ り。
厳 重 に出 入者 を検 査 し 、漸 次 共 の色 彩 を濃 厚 にせし 外 蒙政 庁 及 庫 倫 の現 況 左 の如 し 。
事 を 秘 す る為 に、其 の内 情 を知 悉 せ る日本 人 児 島 医師 を収 監 せ る
ば 直 ち に銃 殺 に処 し あ り。 元 陸 軍大 臣 ダ ンツ オ ンが 支那 と 通 ぜ る
特 に支 那 に通 ず る も の及 白 色 に傾 け る分 子 を取 締 り 之 を発 見 す れ
四、 国 民会 は民 党 を 主体 とし 、青 年 党 を 後継 者 とし て国 事 を 監視 し 、
国 務総 理 ( 委 員 長 ) チ エリ ンド ルヂ (庫 倫 の人 にし て前 清 時 代 の
一、 政庁 の組 織
役 人 な り 。支 那 語 、露 語 に巧 みな り)
に徴 す る も明 ら かな り 。児 島 医師 は目 下庫 倫 にあ り 医師 を 営 み あ
事 を青 年 党 の 一員 が 聞知 し て、国 民 会 に提 議 し遂 に之 を銃 殺 せ る
外 務 総長 ア マル ( 外蒙人)
るも薬 品 を有 せず 、 只診 断 の みにし て処方 箋 を与 へ、薬 舗 に て薬
農 商 総長
ナ ムサ ラ イ (日本 人 に好 意 を有 し知 己 多 し)
品 を購 入 さ せあ り 。 其 の他 の日本 人 三名 は収 監 さ れ あ るも の の如
ブ リ ヤ ード人 にし て目 下 独 逸 に留学 中
次官
マルサ ルチヨ フ
文 部 総長 同
陸 軍総 長
曩 に労農 露 国 が 蒙 古 よ り知 多庫 倫 間 鉄 道 建設 の利 権 を得 た、 と 言
エル フネ ウ ージ ン スク庫 倫 間 鉄道 建 設 利 権 の獲 得 に就 て報 導 し て居
ふ報 導 は著 し く 世 人 の注意 を 喚起 し た が、本 日 のザ リ ヤ紙 は更 にウ
し。 五 、 庫倫 は 従前 人 口三万 な り し も目 下 増 加 し て 四万 以 上 に達 し、 財
る。 其 の真 疑 に就 ては 今遽 か に判 断 を許 さず 。 其 の本質 に於 て或 は
政 部 の年 収 一千 万 円 あり 、 関税 及 財 主 の没収 金 を主 と す。 資 本 金 四 百 万 円 の合 作 公 司 を設 け 、購 買 組 合 の要領 に より露 支両 国 より
労 農 親 善 関 係 は ウ エルフ ネ ウー ジ ンス ク庫 倫 間 の鉄道 建 設 に依 り
曩 の知 多 庫 倫 間 鉄 道 と 同 一のも のな るや も知 れざ るも取 敢 ず 左 に訳
一層其 の度 を 加 へん と し て居 る。 労 農 露 国 は嘗 て帝 政政 府 が支 那 に
出 報告 す。
六 、庫 倫 には露 人 所有 三十 台 、支 那 人 所 有 二 十台 の貨 物自 動 車 あり
於 て東 清 鉄 道 建 設 の利 権 を 得 た る と同 様 の利 権 を 今 回蒙 古 に於 て得
生 活 必需 品 を購 入 し住 民 の需 要 を充 し あ り。 車 臣 汗 、恰 克 図 及 張
て、張 家 口間 の輸 送 に使 用 し あ り。 (積 載量 概 ね 一噸 な り) 之 に
家 口 に支 店 を 有 す 。
便 乗 す れ ば四 日 にて張 家 口 に達 す る事 を 得。 一人 乗 車賃 七十 五弗
た が 、其 の条 件 は前 者 に比 し著 し く有 利 であ る。
該 鉄 道 の距 離 はブ リ ヤト 共和 国 領 内 二百 四十露 里、 蒙 古 領 内 三
な り。 官 衙 に て使 用 せ る乗 用車 に て熟 練 な る露 人 操 縦 す れば 二日
百 二十 露 里 、 合計 五百 六 十露 里 で、 ウ エルフネ ウ ージ ンスク を起
半 にて到 着 す る ことを 得 。 庫倫 張 家 口間 には電 線 二線 を架 設 し あ り。
点 と し、 入 蒙 隊商 路 に沿 ふ てキ ヤ クタ 経由 庫 倫 に至 るも の で、其
租 借 期 間 は百 年 であ る が更 に鉄 道 線 路 両側 百露 里 の附 属 地 帯 を得
の間 鉱 産 物 に富 む 山嶺 を越 へ、或 は砂 金 に富 む イ レ河 畔 を 走 る。
烏 得 に は約 百 名 の赤 蒙 兵駐 屯 し、 旅 券 を検 査 し 怪 し き者 と見 れ
て居 る ことを 附 冒 す る なら ば 、労 農 露 国 外交 が如 何 に成 功 せる か に
ば 、出 入者 共 に之 を検 束 し あ り。 七 、庫 倫 附 近 は極 め て平 安 にし て強 盗 、 殺 人等 の行 為 な く 、 一部 旧
驚 かさ れ る であ ら う 。 即ち 莫 斯科 政 府 は 十 一万平 方露 里 の土 地 を 百
哈 調 情 第 六 六 五号
一〇
速報
哈 爾 賓 事 務所 長
二六年 春 よ り建 設 に着 手す る、 と の こと であ る。
に署 名 し、 而 も 聞 く 処 に依 れ ば労 農 技 師 は既 に調 査 に従 事 し 、 一九
年 間租 借 す る の であ る 。該 鉄 道建 設 は両 者 間 の 口約 のみ なら ず 条約
套 を思 ふ の老 人 ( 多 く は ラ マ) あ るも 言 論自 由 を 有 せ ざ る為 、 全
九
哈爾 賓 事 務所 長
然 赤蒙 政庁 の政 策 下 に屈 従 し あ り。
哈 調 情第 六 四七 号
大 正 十 四年 十 月 二 十九 日 ソビ エト露 国 は ウ エル フネ ウ ージ ンスク庫 倫 間 の鉄 道 建 設 権 利 を獲 得 す 。 (十 月 二十 九 日 ザ リ ヤ)
大 正十 四年 十 一月 二 日
大 正十 四年 十 一月 十 日
本 年 日本 が 蒙古 に派 遣 し た 地理 探険 隊 は 、 甘 珠爾 定 期 市 場 に莫 大
ー ・ウ オ スト ツ ク)
な 損 害 を与 へた。 そ れ は右 探 険隊 が 百人 の護 衛 兵 を引 具 し て何 等 の
蒙 古 調 査班 に関 す る悪 宣 伝 (十 一月 九 日 ダ ー リ ニ
今 回新 た に労農 露 国 蒙 古 代表 に任 命 さ れ た る前 極東 共 和 国 主 班 ニ
予告 な く、 バ ルガ や甘 珠 爾 に現 はれ た ので蒙 古 人 の 一部 は之 を匪 賊
ー ポ ル紙)
キ ー フ ロ フは露 蒙 関係 に就 き 曰く 、 蒙 古 は 吾 が隣 接 せ る 独立 国 た る
露 蒙 関 係 に関す る ニキ ー フ ロフ の談 ( 十月三十日ル
こと を認 む るが 、如 何 な る策士 も両 国 の親善 関 係 、衷 心完 全 な る 理
と 誤 解 し、 家 畜 を市 場 に出 さな か つた か ら で あ る。
た桃 色 週刊 経 済 新 聞 であ る。
(註 ) ダ ー リ ニー ・ウ オ スト ツ ク紙 は本 年 九 月 十 七 日創 刊 せ ら れ
へ、 害 毒 を流 し居 る等 は苦 々し き次 第 であ る。
斯 く の如 く ﹁日 本 の蒙 古 学 術的 研 究﹂ が蒙 古 人 に多 く の不安 を与
解 と 相互 関 係 は破 壊 し得 な い こと を確 信 す る 。労 農露 国 の対 支 蒙経 済 関 係 は単 に貨 物 の交 易 に止 ま る。 即 ち 織物 、麦 粉 、 砂糖 、 石 油 を 送 り獣 毛 、毛 皮 を 輸 入す る ので あ る。 現 在蒙 古 に於 け る吾 が経 済機 関 は 三百 万 留 の資 本 を有 す る西 伯 利 国 家 貿 易 部 及百 二十 万留 の資本 を有 す る獣 毛 会 社 の有 力 な る 二大 機
工銀 行 の大株 主 であ る 。而 し て近 く庫 倫| 張家 口間 の空 中輸 送 を実
関 を 有 し非 常 な る活動 を為 し つ ゝあ る。 国 立 銀 行 は蒙 古 に於 け る商
現 す る筈 で あ る。 斯 く の如 く 両 国 の経 済 的 関 係 は強 固 にし て永 久 に 支 持 さ れ る で あら う 。政 治 関 係 に於 て は条 約 締 結 に より て極 め て親 善 関 係 に在 り、 将 来 破壊 され よ う と も思 はれ な い。 支 那 に対 し ては 相 互 親善 関係 を結 ぶ に全 力 を 注 ぐ で あら う 。 余 の新 た に任 命 さ れ た る理由 は 、余 が極 東 或 は支 蒙状 態 に精 通 し 、 地 方 民 も亦 余 を知 り任 務 を容 易 に果 さ し め強 固 な る親 善 関係 を設 定
哈爾賓事務所長
す る に好 部 合 であ る から であ る。
一 一
哈調情第 六八八号 速報
第 三部
報告書類
一
二八
業務別賃銀
銀 ホ 昇給方法
十、労働者 の生計費
ロ 附属給
イ
八、労働者 の能率
七、福 利 施 設
六、実 物 給 与
法
五、賃
満鉄 と同業 従事 労働 者待 遇 調査
四〓 、吉 長 、 京 奉 、膠 済 、東 支 、
庶務 部調 査 課 長
満鉄従事労働者比較調査 大 正十 四年 七 月 二十 日
庶 調産 第 七九 号
十 一、生活必需品 に関 する物価
九、労 働 団 体
上 海 、青 島 邦 人 紡績 罷 工以 来 の風潮 に鑑 み予 て首 題 の件 に関 し、
満 鉄 と同業 従事 労 働 者 待遇 調査 予 報 に関 す る件
資 料蒐 集中 の処 、漸 く別 紙 の如 く机 上調 査 を完 成 せし に 付貴 覧 に
料
十 二、賃銀と生活費と の関係 資
供 し ま す 。添 附 書 類 六 部 ( 内 一部 は後 送 す)
ハ 賃銀形態 ニ
一、 労 働 者 数
四、京奉鉄路
三、吉長鉄路
二、膠済鉄路
哈爾賓事務所調査課長報告
奉天 公所長報告
次
二、 一日所定 労 働 時 間
五、東支鉄道
目
四〓 、 吉 長、 京 奉 、 膠済 、東 支 、満 鉄 従 事 労働 者 比 較 調 査 (秘)
三、 一日所定 休 憩 時 間
一、四〓鉄路 中村 工程局技師長報告 ︹ 文三郎︺ 松本嘱託報告 ︹ 増蔵︺ 中川満鉄代表報告
四、 一ケ月休 業 日数
賃銀支払方
六、国有鉄道 職工通則草案 北京公所長報告
満 鉄は ﹁統 計年 報 大 正 十 二年 ﹂ の中 国 人 傭員 の統 計 と す
一、 労 働 者 数
七、中国 々有鉄道表彰規定及審査委員会規定 北京 公所長報告
備考 二、 一日所 定 労 働 時 間
三 、 一日所 定 休憩 時 間
業 務
銀
別
四 、 一ケ 月 休 業 日 数
イ
五、 賃
四
山
ロ
〓
東
附属給 ( 増務手当)
夜 ⋮⋮ 〃
十銭
二分
昼 ⋮ ⋮ 一時 間 に 付 一分
駅員 ⋮ ⋮ 〃
乗務料 十二銭 冬期繁忙期長 夫卅銭
徹 夜 料 〇 ・〇 六 ⋮ ⋮ 〇 ・一 二元︱ 二 日 分
一時 間 に付 本 給 の四 分 ノ 一 休 日勤 務 も 二 日分
吉 長
奉
支
京 鉄
東
満
十 時 間 以 上 一時 間 毎 に 日給 の十分 ノ 一 待 避 駅 勤 務 者 は俸 給 の 二十 一分 ノ 五給 与
日分 機 関 手 二 週間 に 一〇 四 時間 以 上乗 務 の際 は 一日 分
職 工 一ケ 月 無 欠勤 の場 合 四 日 分支 給 、 一般労 働 者 は 二 増給 時 間 外 一時 間 に付 日給 の十 分 ノ 一増 給
ハ 賃 銀形 態 各鉄道共に時間給 ニ 賃銀支払方法
吉
山
四
東
奉
長
東
〓
支 奉 天 小洋 票 を 以 て毎 月 廿 五 日払
月給 者 は 廿 日払 、日給 者 は 一日、十 五 日 二回 払 、大 洋建
長 夫 には 無 し
一ケ年 以 上 経 過 し た るも の成績 順 に依 り 二分 乃 至 一角 、
昇給 方法
月給 者 は 月 末、 日給 者 は 翌 月始 に支 払 ふ
の為 大 洋 票 及 日金 を半 額 宛 換算 支 給 す
月給 は廿 日 、 日給 は月 末 、 現大 洋 を以 て支払 ふも 不足
を 以 て支 払 ふ。 但 し各 節 句 は繰 上 の こと
毎 月 一回 廿 四 日迄 に沿 線 勤 務者 は翌 月 十 日迄 に現 大 洋
京
ホ
鉄
〓
満
四
満 一年 以 上 にし て十 日 に欠勤 二 日以 下 のも の
領 班 は 一角 乃至 一角 五分 、職 工 は四 分 乃至 一角
臨 傭 は 二 分 乃 至 五分 、 四 月 よ り 二元 宛 、 工 人全 体 に臨
長
東
吉
奉
小洋六十銭以下半年
山
京
鉄
昇 給 制 無 き 為 高給 職 務 に転 せ しむ る の方法 をと る
時 昇 給 (家 賃、 電 燈 、 水 道料 と し て工 人 の要 求 によ る)
満
支
六 十銭 以 上 一年
小洋 弐銭 に現 行)
(大 正 十 四年 四 月傭 員
夫 五 銭 、 火 夫 見習 十 銭 、機 関手 月 五 円 宛
年 一回 一般 労 働 者 職 工四銭 、見 習 工十銭 、 機 関 車 掃除
東
被
炭 及 石油 を支 給
独身 宿 舎 には 石
燃
料
住
を貸 与 す。 機 務 外
外 段 従 事員 は雨 衣
服
独 身宿 舎 の設 備
宅
あり し家 族 には 半 額
給 与 す。 但 一間 半 に付洋 二 ・五 元徴 収す
職 長 に限 り夏 服 二、 一噸 に付 大 洋 四
石炭 を給与す
上 給者 の み に給 冬 服 一、赤 靴 一、
然 らず ば 社 宅 料
のも の給 与
階級 及職 務 相 当
套 長 靴 帽子 、 平 服 、
手 には 皮手 袋 皮 外
保 線 夫 、門 番 及 警
汽 車 乗 務員 に制 服 、 薪炭 及燈用石油
支給
支 給 、俸 給 の四
ズ ボ ン及帯 給 与
衣 を給 す
庫 手 、 守衛 に は雨
黒 靴 一、 を支 給 す 。 配 給
元 にて 社用 炭 を
す
工 に制 服 を 給 す
車 乗 務 員、 工場 司
駅 員 、 列車 及機 関
段 は 被 服 を支 給 す
六 、実 物 給 与 種類別
〓
東
支
鉄
奉
長
地方別
四
山
吉
京
満
東
分 の 一限 度
七 福 利施設
山
東
四
〓
東 無賃乗
支
無 賃 乗車
公傷治 療
公傷 治療 、
京
奉
吉
上級 労 働 者
長
消 費 組合 、
の職 工長 に
三 ケ年 動 続
パ ス﹂ 年三回 、
慰 籍 金 、公
は二ケ月の
倶 楽 部 、学
傷 治 療 、無
休暇
校 、 病院 、
に避 暑 設
賃 乗 車 証発
行
証 、病 院 、 車証発
備、倶楽
行
沿線閑地
部設備
吉
山
四
東
奉
長
東
〓
支
日本 人 に比 し劣 る
呉 氏 の勢 力 失墜 以後 低 下 す、 怠 業 気 分著 し
概 し て良 好 な り但 し機 務 外 段 は 不良
良 好 、 支 人 は露 人 に比 し考 察力 劣 る
八 、労 働 者 の能 率
京
鉄
〓
吉 長
なし
京
東
山
なし
会 組 織 され 公
本年二月工人
関 手 、 火 夫 、木 工 は優 秀 な り
四
九、 労 働 団 体
支
なし
認要求中
奉
満 鉄
満
鉄
指 導 者 の如 何 は能 率 に関係 す 、 請 負作 業 の方 良 し。 機
満
東
ド ルコム
( 露 人)
無 所 属系
支 〓
小 洋五︱ 九元
四
東
吉
長
京
奉
貴 の傾 向 あ り)
(奉 直 戦後 は騰
︱ 五元 大洋 七︱ 八元 大 洋四︱六元 大 洋 三
山
一〇、 労働 者 の生 計 費 (一人当 一ケ 月)
(支 人)
工業維持会
東 露国 人
額 の二 、 三割
は独 身 者 の金
家 族持 一人宛
華 ︱二 〇元 長 夫 は五︱六元 支那人 一 〇︱ 一 五元 安 一 一、 生活 必要 品 に関 す る物 価
一二、 賃 銀 と 生 活 費 と の関 係
各 鉄 道 に於 け る賃 銀 と 生活 費 と の関係 を見 る に次 の如 く にな る。
生活 費 は 最 低 の如 く 察 せら れ る に依 り家族 持 の場 合 は単 身 者 一 割安 と し て計 算 せ り
員
一〇五四人
人
(四〓鉄路工程局技師長中村謙介報告)
︹ 資料 の 一)
工務 に属する部
満鉄と同業従事員 待遇調査
一四九二人
一、労働者現在数 職 名
数 ロ 職名別
イ 総
線路工
ハ 国籍別 ニ 性別
端 午節 、中 秋 節 、 双 十節 及 新 年 に各 交 代 に て 一日 の休 日 を与 ふ。
七四
一三
五八
測地夫 木工
五 、賃
一般 に 一ケ月 一日 の休 日を 与 ふ ( 毎 月 一日及 十 五 日 に交 代 )其 他
四、 一ケ 月 の所 定 休 日 日数
小 工 (木 工手 伝 ) 三三
・ 三〇
一・ 〇五元
イ 、平 均 一日 一人
銀
庫手
一、基 本 賃 銀
七
最高者
・ 五〇
二二
大 洋建 値
電工 二〇
最低者
四
一三
一〇五
四九
三三
者
平 均 賃 銀
一〇 〇
低 四四
最
名
五七
者 工
高
夫
職
地
三〇
五〇
路
四九
一 一〇
測
五八
線
三三
最
電 話 交換 夫 鉄匠 ( 鍛 冶 工) 道路夫
五
晒図 夫 ( 青 写 真) 花匠 二八 二
瓦工 油 工 (ペ ンキ職 )
工
工
五〇
木
運搬 夫
小
一〇 九
三〇
四〇
夫 役 (人夫 ) 支 那人
七三
九〇
四二
三〇
五一
︹ 不明︺
四〇
五五 三八
九〇
三八
工 電 話 交 換 夫
五七
八〇
守
匠
四六
七七
電
夫
五〇 瓦
花
夫
工
工
匠
三六
三七
六七
五五
四七
四〇
五〇
七三
八四
五 一
三〇
三五
六〇
五〇
四〇
鉄 路
夫
庫
自 午 前 七 時 半至 午 後 四時 半
道
図
汕
役
運 夫
搬
晒
男子
二、 一日 の所 定 労 働時 開 十 一月、 十 二月 、 一月、 二月
午 前 六時 半 至 午後 五時
午 前 六時 至午 後 七 時
午前 六時 至 午後 六時
三 月 、 四月 、 九 月 、十 月 五 月 、六 月 七月 、 八 月
三 、 一日所 定休 憩 時 間 七 月 、 八 月 に限 り 正 午 よ り午 後 二時 迄 正味 二時 間 と す。 七 、 八 月 を除 き 、 他 は 正午 より 午後 一時 迄 正 味 一時 間 とす 。
二 、附 属 給
一般 に時 間 外 増 務 給 を支 給 す 。
無
一般 に概 し て良 好
無
す 。 但 し 家 族 は 凡 て半 額 と す (通院 の場 合 は無 賃 ? ) 八 、労 働 者 の能 率
九 、労 働 者 に関 す る規 則
但 し昼 中 は 一時 間 に付 き 一分 、夜 中 は 一時 間 に付 き 二 分 と す。 線 工 の如 き は隣接 丁場 に助 勤 を 命 じ た る中 は 、 一日小 洋 三角 の旅
無
丁場 (九人 乃 至 十 二 人位 ) 一団 と な り て、 共 同 生活 を な し炊 事
二 、 家族 持 は独 身 者 よ り 二乃 至 三 割 安 と す。 独 身者 線 工 の如 き 一
一、 独身 者 一ケ 月 分食 費 小洋 五 元 乃 至 九 元と す 。
十 二 、労 働 者 の生 計 費
十 、労 働 団 体
奉 天 小洋 ( 時 価 換算 )
十 一、最 近 に於 け る罷業 要 求 条 件 と 解決 条 件
毎 月 二 十五 日
費 を給 す。 其 他 水害 及事 故 発 生 の場 合 、特 別 の増 務 給 を 支 給 す る
三、 賃 銀 支 払 形態 工賃 支 払 日 一回
こと あ り。
四、 賃 銀 支 払方 法 月回数
人 の如 き別 に使 役 せず 、 各 自 毎 日交 代 に て従事 し居 る関係 上 、
傭 人 昇 給規 定 と し ては 、 交通 部 規 定 に六 ケ月 以 上 勤
費 用 は 比較 的 安 価 に上 る由 な り 。
五、 進 級 方 法
続 にし て、成 績 良 好 の者 は 、昇 給 し 得 る規 定 ある も 、本 路 とし て
一、 京 米 (陸米 ) 毎 斤 小 洋 七元 二角
一、高 粱 毎 斤 小洋 三元
一、 蔬 菜 毎 斤 小洋 一角
一、 豆油 毎 斤 小 洋 三角
一、 猪油 毎 斤 小 洋 八角
十 三 、 労働 者 の生 活 必 需 品 に関 す る物 価
は 一ケ 年 以 上経 過 し た る も のは、 成 績 順 に依 り二角 乃至 十 角 の昇 給 をな さし む。 六 、実 物 給 与 の種 類 及 価 格 実物 給 与 と し て は石 炭 、燈 油 ( 石 油 ) を支 給 し 、被 服 其 他 一切 支給 せず 。 但 し外 段 従 事 員 に限 り、 雨 衣 (カ ツパ ) を貸 与 す 。 石
一、 塩 魚 一斤 三角
炭 は防 寒 用 と し て十 月 十 六 日 よ り翌 年 四月 十 五 日 に至 る間 に於 て 左 記 の通 り支 給 す。
一般 現 今 の思想 状 態 と し ては、 五、 六 年 以前 の支 那 人 と は全 く 趣
十 四 、監 督 (作業 監 督 方 法 )思 想 ( 職 工 の思想 其 他 の原因 )
一、牛 肉 毎 斤 小洋 三角 乃 至 四角
一、肉 類 (ブ タ) 一斤 小 洋 四角 乃至 五 角
一、独 身 者 一組 ( 保 線 丁 場 の如 き九 人 乃 至 十 二名 ) に対 し 一ケ月 一噸 と す。 二 、家 族 持 一戸 に対 し 一ケ 月 四 分 の 一噸 と す。 燈 油 (石油 ) は独
き を異 にし 居 る と相 認 めま す。 以前 は支 那 国風 と し て 一も上 長 、 二
身者 ( 前 同 様 ) 一組 一ケ月 に対 し十 升 、 家族 持 一戸 に付 き 一ケ 年 十 升 とす 。 雨衣 は カ ツ パ又 は ミ ノを 一年半 位 に交 換貸 与 す。
も 上 司 に て如 何 な る 不合 理 の点 を 命ず と雖 も 、何 等 不 平 なし に、 是
前 記 石炭 及 燈 油 外 支給 せず 。乗 車 証 は (私 用 の場
合 )勤 務 一年 未満 のも のは 半 価 、満 一年 以 上 の者 は 一年 二 回 支給
七 、福 利 施 設
れ 命 、是 れ 従 ふ と 云 ふ有 様 に て不穏 の状態 な く、 従 つ て小職 等 に於 ても聊 か聞知 せ ざ り し が、 近来 は其 事 柄 に依 り必 ず し も 以前 の比 に あ らず 。 時 と し て全 く 以 前 の態 度 と 異 り た る点 を 発 見 す。 昨 年 七 、 八 月水 害 当時 に於 ても 悪 思想 化 した る者 数 人 を相 認 め た り。 而 し な が ら大 体 に於 て未 だ特 筆 す 可 き状 態 にあ らざ るも 、 今 後 は労 働 者 を
瓦 匠
鉄
鉄 匠
頭
匠
頭
匠
頭
・四
・六〇一・〇 〇
・四〇 ・八〇
・五〇一・〇〇
・四〇 ・八〇
・六〇一・二〇
記
(十 一年 八 月 十 日改 定 )
事
電 線 工頭
線 工 頭 工
・七〇 ・二〇
︹マ マ︺
四角 迄 を給 し採 用 し 得 べ し。
と し た し。 但 し特 別 の理由 を有 す るも のは
のも の たる べ き こと 、 原則 と し て日 給 三角
を認 定 した る、 年 齢 二 十歳 以 上四 十歳 以 下
採 用 の際 は特 に力 量 を 試験 し、 其 強壮 な る
銓考 し採 用 の こと 。
一・ 〇〇 一 ・二 〇 本路 線 にと し て従 事 し 成績 良 好 のも のよ り ・ 三〇 ・ 四〇
・ 三〇 ・ 五〇
線
道 路 夫
一・ 〇〇 一 ・ 二〇
魚夫 、 其 他 特 に名 目 を 付 せざ るも のを包 含
・ 二〇 ・ 五〇 長公 宅 夫 役 、馬 夫 、 煙 突掃 除 夫 、 搬 運夫 、
・ 二〇 ・ 六〇
・ 二〇 ・ 六〇 線 工 に同 じ。
飛 班 頭 飛 班 工 晒 図 夫 役
の下 に括 弧 を付 し 其 従事 本 業 を附 記す べし 。
す る も のな る を明 白 な ら しむ るた め 、夫 役
夫
昇 進 の道 を開 く こと 又 、守 庫 夫 見 習 を設 け
し成 績 良好 のも のを 昇 進 せ し め外 来者 等 を 採 用 は避 け在 来 者 の進路 を開 く こと。
来 者 の採 用 を避 け 、従 来 の従 事 工人 中 よ り公 平 に銓考 採 用 し 、 充分
已 む を得 ざ る察 由 の下 に解 除其 他 によ り生 じ た る場合 は 、務 め て外
三、 各 種 工頭 は成 る べく 愛護 し、 専 心其 技 倆 を 練磨 せし む べ く、
べし。
成 績顕 著 な るも のは 、項 期 昇 給 申請 の際 特別 の進 給 を な す こと あ る
︹マ マ)
雖 も 、特 別 の事 由 あ る も の に対 し ては 、 試傭 六 ケ月 以 上 に亘 り 、其
二 、新 規 採用 者 は如 何 な る事 由 あ るも のと雖 も、前 規 程 によ ると
も のは此 限 り にあ らず 。
一、以 上 は今 後 採 用 す べき 者 に対す る規程 な り、 故 に従来 勤 続 の
得。
し此 方面 の知 識 を 有 す る も のよ り 採用 し、
・ 四〇一・ 〇〇 守 庫 夫 は成 る べく 従 来鉄 道 倉 庫 材 料 に従 事
初 任 最高 日給 日給
以上
直接 指 揮 監 督 す る者 は、 其 態度 及取 扱 上 に於 て、 最 も 注意 を要 す る
目
四〓 鉄 路 局 工務 処 各 種傭 人採 用 給額 及 給与 限 度 額表
こと を相 認 め ま す。
名 守 庫 夫
瓦
匠
一・ 〇〇一・ 二〇 測 地 夫 は成 るべ く 鉄 道測 地夫 の助 手等 を な
木 匠
・四〇 ・八〇
測 地 夫
木 匠
・ 二〇 ・ 五〇 見 習 中 は 此 の給 額 以 下 に て試 傭 従 来 に同 じ。
・八〇
油
電 話交 換 夫
奨 励 、昇 進 の途 を得 さ し め鉄 路 の進歩 に資 し 、 一は以 て専 心奉 公 の 精 神 を 発 揮 せし む る こと に致 し 度 。 四 、 工頭 等 の欠 員 を自 己管 内 に於 て補 充 の途 なき 場 合 は 、其 旨 工 務 処 長 に申請 指 揮 を仰 ぐ こと 。 五 、 新 線等 に於 て 一時 に 工頭 、 其 の他 の工 人 を要 す る場 合 は 、単 に自 己 管 内 の小 範 囲 に 止 めず 、 広 く適 任 者 の考 査 に便 す る た め 工務 処 長 に人 選 を申 請 す る こと。
総 数 八八 〇 人
四 〓鉄 路 局 各 駅従 事 員 一、 労 働 者 現在 数
なし
但 し列 車 着 発時 刻 の関 係 上 一定 せざ る 個所 あり 。 三 、 一日 の所 定休 業 時 間
但 し長 夫 に対 し て は食 事後 約 一時 間 休 憩時 間 を 与 ふ。 四 、 一ケ月 所 定業 日 数 長 夫 には 公 休 日 を与 えず 。
銀 大洋銀
一日平 均 四 十銭 位
其 の他 の 日勤 者 には十 日目毎 に 一日 の公休 を 与 ふ。 五 、賃
一、 基 本 賃 銀
四〇
五〇
平均
一、列 車 乗 務 手 当 は乗 務 一哩 に付 一厘 五 毛 の割 合
説
ハ
ロ
イ
其
長
他
夫
列 車 乗 務者
約 十銭
約 三 十銭
約 十 二銭
一日平 均 額
職 名 別 平 均賃 銀 は ﹁第 一﹂ に併 記 す。
元六 〇 四〇
四〇
た ると き 、 奨励 金 とし て六車 目 より 一組 一車 に付 き 一元 支給 。
一、長 夫 附 属 給 は長 夫 一組 ( 十 人 ) に て六車 以 上 の積 卸 作 業 を なし
二 、附 属 給
五 〇 三〇
四五
銀
二四
四 五 三 五
四 一
賃
一六 二
五 五 三 五
四五 三〇
三二 三〇
三七
三一
最低
調車夫( 操 車 方)
七 七
六 〇 三 二
最高
閘夫( 転轍方)
一六
員数
連結夫( 連 結 方)
七七
内 訳 、 職名 別
車号 夫 ( 車 号 方)
七
現金
方法
毎月二十五日
各 駅 長 よ り直 接 各人 に交 付
基本賃銀
期日
四 、賃 銀 支 払 方法
三 、賃 銀 形 態
務 手当 あ り。
一、其 他 一般 日勤 者 にし て、十 時 間 以 上勤 務 し た る場 合 の時 間外 勤
但 し 右 は冬期 繁 忙 期 に限 り、 夏 季 は 殆 なし 。
明
站務夫( 荷 貨物助 、手 手 小)
二〇五
車童 ( 列車給仕) 雑差( 雑役)
四五 人
八八〇人
五五 三五 中
工
二六八
男
長夫( 貨備 常 物人 積夫 卸) 国籍別
合計 別
性
二、 一日の所定労働時 間 約十時間
同
三十日
附属給
豆腐
一斤 に付き小洋
一塊 に付き小洋
・六〇銭位
・〇 二銭位
督
豆油 一四、監
一回
長夫は駅長 の管理に属 し、十人を 一班とし長夫目 (小頭) 一名を
回数 五、 進 級 方 法
特記 すべきも のなし。
班 を監督 せしむ。 一班駅員 は駅長直接監督す。 思想
凡願充当本路長夫者須具左列三項方為合格
各站長夫章程 甲、甘願遵守章程者
第 一条
以上
置き監督せしむ、数班を有す る個所 には更 に総目 ( 組頭) を置き各
長 夫 は作 業 能 力 に依 り、奨 励金 を支 給 す る を以 て進級 なし 、 其 他 は 一年 毎 に 三銭 乃至 十銭 増 給 す る を普 通 と す。 六 、実 物 給 与 の種 類 及価 格 実 物 給 与 な し。 七、 福 利 施 設 独 身 者 に限 り 、宿 舎 を 配給 し点 燈 費 は 公費 分 担 、 冬期 に は石炭 無 料 支給 。
乙、年 二十 二歳以上四十五歳以下者
有 家族 者 に は冬 期 のみ石 炭 一ケ 月 一噸 の四分 の 一支給 、無 賃 乗 車
丙、品行端正粗通文字力能担重三百公斤或能肩荷重 一百公斤往 返
なし
五 ・六元
一斗 に付 き小 洋
・〇四 銭位
三 ・五〇 銭位
須有商号具結或相当人立保竝呈徼本人最 近四寸半身相片 一
長夫毎日各給 工資大洋三角五分夫目 日給四角五分総目日給
同受懲弁或斥換之処分
作不力者該班夫目須立即報告站長〓隠匿不報 一経察出即該夫目亦
夫目帰站員直接指揮或帰他班夫目兼領如有 不聴指揮品行不正或 工
第四条 各站長夫毎十人為 一班各置夫目 一名指導之未足十名者不設
公里長夫毎名毎日加給津貼大洋 一分以示体恤
五角 五分再由鄭家屯站西至通遼北至〓南之長夫自鄭家屯起毎四十
第三条
等出有事故該班総目夫目担負全責
張惟総目夫目等無論如何必須有妥実商号出具保結方准充当如長夫
第 二条
距離五十公尺之地行動自若者
証 は 一般 に発 給 す。 被 服 、 靴 は 一定 の職 業 に従事 す るも のに限 り 貸
概 し て良 好
与す。 八 、 労働 者 の能 率
一〇 、 労 働 団体
小洋
七 ・八 元
一斤 に付 き小 洋
創 業 以来 罷 業 せ し こと
九 、 労 働者 に関 す る規 則 ( 長 夫 章 程 別紙 添 付)
一 一、 最 近 に於 け る罷業 要 求 と解 決条 件 なし。
長夫 同
一二、 労 働 者 の生 計 費
其他
高粱
一三 、労 働 者 の生 活 必需 品 に関 す る物 価
野菜
第十六条
不准有勒索舞弊及偸竊貨物等事如有偸食瓜子鮮果等物者
如遇追獲竊 犯或其他災変時能特別出力者亦得酌量請奨
工畢後須前任該站員処聴候差遣
凡站上事務無論大小須悉聴站長及上級站員之命令弁 理之不
得違命竝不得苟且偸聞或擅離職守亦不得〓酒賭博及其他 不正之行 第十七条
第 五条
第十八条
凡車站範囲之内務求清潔無論公家物件或客商貨物均宜愛対 第十九条
凡在車内或貨物倉庫内外厳禁吸食煙草以防患違者従重懲
毎日到站時務須穿着号衣違者以曠 工論
不得擅自離差如不願充当長夫者須先行呈明站長得其許
因事請假須 先行呈明站長得其許可始准離差自准假 日起
按 日停止発給 工資其不得站長許可而 先離差者則扣除毎日照 二日或
第 二十二条
可始准他往否則作為私逃送警務課懲弁
第 二十 一条
弁
第二十条
与竊貨物者同罪
為違即分別懲弁 第 六条 遇有客商詢問須即婉言答覆 如有不知之処当向站長或其他站
於同事務須和衷共済遇有 水火等災亦須奮勇施救 員処詢明転告不得以不知或含混了事
第 七条 装卸貨時務須 小心謹慎不得任意抛擲 致損貨物或車輌尤不得
吸食烟草以防火患
第八条
凡未装車之 先須査視車内是否清潔如曾装煤油糞土石灰煤炭
数日之 工資如屡犯不悛者除不給工資外即行斥革或交警務課懲弁若
等車或車内有釘鈎等物亟宜掃除潔浄以免損傷貨物至装載油酒簍等
第九条
或研器缸瓦及生鉄所鋳各物宜将車底車旁及該物相触之処用草〓隔
凡擅 有離差或犯事開除者不得再投入本路如有易名混入
毎 一昼夜間毎班能装卸五車以上者由第六車起算毎 一車
如無特別理由毎班毎日装卸 不及五車者即按毎車大洋壱
凡装卸附表所列之貨得〓 予成数中間車及合装零担車不 在此例以示体恤
第 二十六条
元在該班所得奨金内扣除例祗砥装卸四車者扣壱 元
第 二十五条
之但奉有車処長命令時不在例中間站之装卸中間車不給予奨金
班長夫之車站無論其毎 班請假人数多寡則仍按毎班装卸之規定計算
時毎三公噸 ( 或毎 一整車貨物重量千分之 一)奨給大洋壱角但有成
奨給大洋 一元凡長夫不足或超過 六人之車站其装卸超過度半車以上
第二十四条
本路者 一経発覚仍行斥革
第二十三条
因公傷 不能 工作者得由站長呈免扣
装車時 不得堆置 一辺亦不得堆積過高致偏倚 傾墜之虞如以無
以免車輛行動時有所損傷 第 十条
卸貨時須由上而下尤須預防其昆連者之傾 墜及易於損傷或
蓋車装貨不得高過限度 装妥後即用縄布覆蓋梱束以免傾墜雨湿 第十 一条
堆置貨場或倉庫之貨務須斉整正直以免傾覆其露天堆置之
洩漏之貨更宜小心 第十 二条
貨須以枕木油布塾覆 以防雨水濡湿或盗竊 装卸貨物事如見有等級 不符或其他可疑之事須立即報告主
管站員〓有受賄隠匿 不報等情 一経査出当従重処罰
第十三条
貨場所用器具鉄跣橇〓貨牌〓筐貨簽扁担枕木跳板縄布磅 装卸貨物或弁 理其他站務応由該管站員分配之毋得任意塾
坪手車等件用畢須仍置原処
第 十四条 第十 五条
総数
五 六 二名
一 一八 名
職名別
司 炉 匠
イ
一九 名
ロ
五〇 名
如有第 二十 六条 所 開 附 表 内
︹ア キ マ マ︺
注 油 夫
第二十 七条 凡由長夫装卸之貨無論零担 (通知者或報告毎車須用扣 針扣成 一組)或整車発站須於貨票報告上到站則於貨票通知書上之 右端空白処押蓋某班 日之印
二 二名
一一名
五 八名
機 掃 夫
匠
装 車 夫
︹ 二字不明︺ 長夫有奨之 日該站即将該 日〓某班共装卸若干□□得奨
工
貨物亦須於該印之附近以紅墨写明加給若干成等 写 於整 車 貨 票 之 上 第 二十八条
一六名
四六名
一 一九 名
差
信 号 夫
炭 水 夫
雑
検 車 夫
三名
(附列長 夫奨金報告格暫用十行洋信紙按格填報寄課)
金若干填 写長夫奨金報告附随当日〓各 項 報 告同 時寄課以便 査 核
電 気 匠
一三名
三 一名
長夫暫時調往他站替班者毎 日給予出差費大洋壱角仍得
享受第二十四条之奨金 ( 由他站站長代寄交本人収入)但出差費則
客貨 掃 夫
第 二十九条 由原駐站請領
製 鑵 匠
一七名
二八 名
調往他站替班之長夫即帰他站站員管轄並受 他站長夫之
長夫既有奨金不得再領過時加給津貼
役
喞 筒 夫
第三十 一条
第 三十条
夫
支那人 男子
一 一名
同等待遇如有不聴命者即由他站站長執行処分 (或送交警務課罰弁
国籍別
巡 査 夫
或報告庶務課扣除其 工資若干 日)
性
他站站長如按有長 夫若干人来站替班之通知時応即飭令 ハ
第三十二条
ニ
正午 よ り午 後 一時 迄
三 、 一日 の所 定休 憩 時 間
正 味 一時 間
昼 夜 交 代 (二十 四時 間 ) (信 号 夫、 巡 査夫 、 炭 水 夫 一部 )
車匠 、 製 鑵 匠 、 工匠 、機 掃 夫 、夫 役 、炭 水 夫 大 部)
九 時 間 (ゼ七時 ︱ ゴ五 時 ) 日勤 (検車 夫 、 注油 夫、 客 貨掃 夫 、 装
二、 一日 の所 定労 働 時 間
別
該站長夫代為預備飯至月終結算毎人応攤膳費若干然後函請該長夫 如有長夫請假該站站長毎 日須於上九時将長︹ 夫 不請 明︺ 假 人数
所属站之站長扣付 第 三十三条
由電報報告営業課配車員其請假時由該班夫目貢責並須□有替 代方 可 機務外段 に属するも の 一、労働者現在数
傭 員 其 他 一般 に 一年 一回を 慣 例 と せり 。 一回 に付
き各 自 工 資高 に応 じ 、 二銭 よ り十 銭位 迄 と し 、 成績 の著 しく 不 良
五、 進 級 方法
乗 務員 た る司 炉 匠 に対 し、 交 番 に依 り 一週 一日 の休 日 の外其 他 各
な らざ る 限 り、 大 抵 之 に均霑 す る如 し 、併 し 本 年冬 期 昇 級 は局 全
四、 一ケ月 の所 定 休 日 日数
般 を通 じ て行 ふ こと な か り き。 聞 く 処 に よれ ば 奉直 戦 争 の影 響 に
︹マ マ︺
職を 通 じ て、 其 一定 せ る制 定 な し。 但 し 一年 を 通 じ て 国 家 的 祝 祭
大洋建値 一元 一五角
三八角 六 二九角 装車匠 八五角 製鑵匠七五角 雑差 三
若干
燈
現品
本 物 品 は独 身者 に限 る 燈油
四 分 一噸 、 又 独身 者 の炊 事 に対 し冬 季 (自十 月 半 至 四 月半 ) 二 噸、
石炭 の給 与 法 は煖 房 用 とし て十 月半 よ り四 月半 迄 傭 員 一人 に つき各
防 寒 外 套 及 帽 子 (太〓 間 従 業 の野 外現 業 に限 り支 給 す 。 )
帽子 ( 此 は上 記 の被 服 中 に含 む )靴 一足 約 八 元
冬 一五 元 ︱一六元 被服 ( 上下共外套 を含む)夏 一二元︱ 一三元
石炭 ( 噸)十元 ( 大洋)
其 の単 価 下 の如 し。
石炭 、燈 油 燈 器 ( 洋 )、被 服 、帽 子、 靴
被 服 は 一年 に 一回給 与 、 靴 は 一年 に 二回給 与 、 辞 職時 に返納 の事 。
六 、実 物 給 与 の種 類 及 価 格
時 ) せし む る時 と又 同 時 に昇 級 もな し得 る場 合 あ り。
依 ると 云 ふ ( 昨 年 冬 期 も 同 上)。猶 補 欠 を行 ふ 如 き 場 合 昇 格 (臨
日なる端陽節、中秋節 、節及新年には各交代して、 一日の休 暇を与 ふ。 銀
一、基本賃銀
五、賃 イ 一日平均 最高者 最低者 検車夫五三角
ロ職名別平均賃銀 司炉匠三八角
夫役 三角
注油 夫四二角 電
工匠 四九角 巡査夫三七角
客掃夫三 一角 喞筒夫五二角
機掃夫三二角 気匠七 一角 一角 信号夫 三九角 炭 水夫三三角 給
乗務員たる司炉匠 のみには宿泊費 、哩旅費あり、前者は 一泊 一
二、附 属
車 夫 、職 工等 各職 別 に依 る 一団 を造 り て炊事 をな し 、 此 の団 体 に支
給 し を る も の。 仮令 は 四平 街 に於 て炭 水 夫 、検 車 夫 、職 工等 夫 々十
夏季 ( 自 四月 半至 十月 半 ) には 一噸 と す 。但 し之 は 大抵 炭 水 夫 、検
約□□此外時間外給 (勤務 に対する) とし約 一人平均 一ケ月 一元
二 人 、 二十 四人 を 一団 とな し て共 同炊 事 をな し を る如 き 、之 れ な り。
角五、後者 は 一哩〇 二五厘、前者 一日平均約 一元 後者 一人平均 六角
七 、福 利 施 設 (無賃 乗 車券 を 含 む )
前 記冬 季 の二噸 は 、煖 房 用 を も 含 有 す るも のとす 。
奉天小洋 ( 時価換算)
三、賃 銀形態
の内 に て 、被 服 給 与 を受 け得 べき も のは、検 車 夫、 注 油 夫、 司 炉匠 、
前 記 の石 炭 、 燈 油 、燈 器 、 被 服 、帽 子 、靴 之 れ に属 す るも の、其
四、賃 銀支払方法 一回
工資支払 日 毎月 二十五日 月回数
にし て、 雨 天 の場合 に於 け る 外部 作 業 には主 任 者 保 管 た る雨 衣 を 其
信 号 夫 、電 気 匠 、 巡査 夫 に限 定 せ る。 其 他炭 水夫 、 検 車 夫 、巡 査 夫
都度 与 へ居 れ り。 独 身 者 に対 し て其 の給額 六角 以 上 者 に限 り、宿 舎 支給 し 、其 以 下
乗 車券
( 私 用 無 賃 のも の) 未 満 一年 、半 価 ( 本 人 、家 族 共 ) 一年
のも の に対 し て は局 に て借 上 げ共 同 寄宿 せし む 。
以 上 一年 二 回給 与 す 。
り。
八角 小 洋
一三 、労 働 者 の生 活 必需 品 に関 す る物 価 一、猪 油 毎 斤
一、 塩 魚 一匹 三角 小 洋
一、 高 粱 毎 斗
三元 小 洋
斤約 一角 小 洋
一、豆 油 毎 斤
七 元 二角 小 洋
一、 蔬 菜毎
一、 京米 ( 陸 稲 ) 毎斗
三角 小洋
前 者 の監 督 は各 職 に対 し 、 夫 々直 接 の監督 指 揮 あ り て直 接其 の指
一四、 監 督 ( 作 業 監 督 方 法) 思 想 ( 職 工 の思 想 、其 の原 因 )
導 と指 揮 、 一切 の世 話 に任 じ居 れり 、 此 を本 路 にて は 、首 と 称 す。
即 ち 乗 務 員 方面 は司機 首 、検 車 夫 方 面 は検 庫 首 と称 す る が如 く 、而
一般 に不 良 無
し て此 が 総 監督 者 たる站 長 、機 務 分 段長 に至 り ては 、大 概 机 辺 に あ
八 、 労 働 者 の能 率 九 、労 働 者 に関 す る規 則 無
り て、 直 接 其 の指 揮 監督 に任 ず る如 き ことな し 悉 く各 首 の言 に聞 く
一〇、労 働 団 休 無
夫 役 、雑 差 、炭 水夫 、 巡 査 夫等 、 五元 小
を 受 く る も のと 雖 も之 を免 れ ず。 又 些少 なる 点 に於 ても 其 の対 者 の
非 常 に尊 敬 す る の思想 (上下 ) 堅 く浸 潤 し居 り て、 偶 々最新 の教 育
き は三 千年 来 の国 風 と称 す べき か、故 に机 上 文筆 に従 事 す る も の は
を 慣 習 と せ る の有 様 な り 、況 ん や自 身 先頭 に立 ち て之 を 指揮 す る如
司炉 匠 、 検 車 夫 、装 車 匠 、 製鑵 匠 等 、
洋
一一、最 近 に於 け る罷 業 要 求 条 件 と解 決条 件 一二 、労 働 者 生 計費
〃
一、 独身 者 一ケ月 食 費
〃
係 等 に関 す る中 傷 を も全 然 (殆 んど) 調 査 な し に之 を 取継 ぎ 申 達 す
面 子 と称 し て、 部 下 の申 請 す る過 大 の物 品 、 過 当 の要 請 、或 は他 関
る の風 な り。 思 想 に至 り ては 一般 に公 私 の観 念 少 き が 如 し。 殆 ん ど
自 八 元至 九 元 小洋 二 、家 族 者
此 は 一般 に独身 者 に比 し 、生 計 費 安 価 な り 、先 づ 一
乃至 二割 安 と見 る べき か 、然 れ共 極 下級 者 にあ り ては 、僅 に高 粱
今 後 発 生 又 は発 生 し つ つあ る 思 想 は、 此 の純 自 己中 心 を核 心 と せ
自 己 を中 心 とせ る 如し。 如 斯 く 上 下比 周 軒輊 な きも のと思 惟 す 。依
に て 一の小 集 団 を 作 り ( 職 工、検 車等 ) て、 此 の集 団 に で 一人 の
る思 想 な る べし と認 む 。 其 の源 因 及時 々 の発 作 に至 り て は詳 説 す る
粥 に塩 魚 に て経 費 四元 (小 洋) に充 たざ る も のも あ り と 云 ふ。 独
炊 事 夫即 ち 大 師 夫 と称 す る厨 房作 業 専 任 者 を 傭 ひ 、 此 のも のに炊
て献 身 的 の行 為 、 作業 等 は見 るべ き も のな し。
事 一切 を な さし む 。其 の 一人 雇 用 の経 費 十 元 (一ケ月 小 洋 ) は 、
一五、 其 の他 参考 とな る べき事 項
の時 間 な し。
身 者 には 、局 に て設 備 し た る共 同炊 事 と 称 す る も の無 き為 、 各 職
此 の集 団 に て負 担 す る も のと し 、食 事 も 此 の集 団 に て共 同 負担 な
前 記 二項 中 にあ る附 属 給 の内 の時間 外 給 与 即 ち本 路 に て称 す る 過
(殆 ん ど 不変 と 称 す べ し) 割 当 金 あ り。 此 を時 間 外 の勤 務 者 に対 し
時 加 給 な る も のは 、頗 る 不合 理 の制度 に し て、 各 分段 に 一定 不 変 の
給喪葬費員司二十元至四十元工匠役十元至 二十元
第 四条 員 役在職亡故者按照撫恤金額表三級之規定分別給予恤金并
第 五条 員 司因公受傷致成残廃治療後尚能服務者按照撫恤金額表四
級之規定分別給予恤金如不能服原職務時酌予調派他項職務
第 六条 員 役因公受傷治療復原仍能継続服務者 不給恤金
其 の階 級資 格 に応 じ た る 一定 の率 に依 り算 出 す るも の にし て、 或 る 月 に於 て時 間 外 勤 務 者多 数 な る か、 又 は運 転 状 況 或 は 車輛 の配 属 の
第 七条
其預計治療後仍能服務者并准於傷養期内免扣薪資前項養傷期間免
第二第 三第五第六各条所定之公傷情形医薬費 准由路局支給
変 更 等 に依 り て、 従 事 員 多数 と なり て 、 従 つて時 間 外勤 務 者 の増 加
扣薪資至多不得過三個 月如十個月内療養全愈仍能服務時仍准其復
す る時 は 、其 の月 に於 け る各 人 に割 当 つべき 比 率減 少 す る を以 て、 同 一の時 間外 勤 務 に対 し前 月 と異 な り た る こと と な る 理由 にし て 、
凡依前条規定請由路局支給医薬費須呈験医院証明書 ( 詳細
︹マ マ ︺
員役確実因公時宜由本管領袖人員証明転請該管処長許可送
第十条 合於第 一条 之規定応予撫恤者第 一款及第 三款須由死亡者之
至本路設立医院或就近相当医院診治
第九条
若 干日有歴次治療 証足資査験茲特出証 資証憑)歴次診療証及収拠
註明某人某 日因某傷由某処送人本医院治至某日治愈出院共計住院
第八条
職
昇級 の如きも戦争 の影響 に依 るから、口実として最高部 に於て荏
︹マ マ︺
此 の点 に就 き下 段 者 に於 て異 論 ある こと は明 白 な り 。
苒認可せず 、漫然として其 の時期を経 過せしむ。 悪化すべき点は若しありとすれば、此 の辺 に起因 するならんか。 四〓鉄路員役暫行章程 第 一条 本路員司工匠役等有左列各款情形之 一者応 照本章程撫恤之
二号請願書并運同各項憑証呈請本管処長詳叙事実転請局長核奪
遺 族或其親戚具第 一号請願書第二款及第四款第五款須由本人具第
員役死亡 如無家属応由本路酌給喪費殯〓不〓給恤如無家
員役死者家属或親戚領恤時須先得在 現充本路員司二人出 具保証書方可給領以杜虚冒
第十三条
如数扣還
属居住遠 方即由本局先行酌〓棺〓費俟其家属到局領恤時由恤金内
第十二条
按撫恤金額表応得撫恤金額加倍給与
員役服務明知危険奮不顧身因而殞命或受傷致成残廃者得
一、因公受傷致死者
工督匠役三十元至 四十元
第十 一条
二、因公受傷致成残廃終身不能服務者 三、在職亡故者 四、因公受傷致成残廃治療後尚能服務者 五、因公受傷治療復原仍能継続服務者 金并給喪葬費員司四十元至 八十元
第 二条 員役因公受傷 致死者按照撫恤金額表 一級之規定分別給予恤
之規定分別給予恤金
第 三条 員役因公受傷 致成残廃終身不能服務者按照撫恤金額表二級
第十 四条 本章程自公布之 日実行
内訳
︹資料 の二︺ 膠済鉄路調査項目 一、 総 数 五、 二 二八 名
工務処 の分
二、職名別労働者数
三、 六六 八 名 一、 五 六〇 名
機務処 (四方機廠及各機段)
鉄路 本 局 四方 工場
本 年 二 月 分 日数 二十 八 日 を 以 て計 算 せし を以 て月 給 者 を有 す る
総 員 一、 五 六〇 名
此 の計 算 を な す に当 り 計 算 夫 を用 ひ しか ば銭 位 以 下 は 不 正確 な
司 機 (機 関 手) 升 火 (火 夫) 等 の 日給 平均 は多 少 誤差 あ る べし。 り。 四方 機 廠 工人 明 細 事務所分
第 一工場
第 二工場
組
立
第 三 工場
第四工場
第 四 工場
第 四 工場
第五工場
三、 年齢 別
年 齢 別詳 細 を知 り 難 きも 、 若 き は 二十 歳 未満 よ り老
以 下 鉄道 工場 と も 共 通 な れば 別 に区別 せず 。
ひ た るは 五 十歳 以 上 の者 あ れど も 、全 数 の八割 迄 は 二十 四歳 より 四
但 右 の内 に は、 四 方機 廠 に於 け る徒 弟 及 機務 段 に於 け る機 関 車 、
十 歳 前 後 の壮 年 者 也 。
客 貨 車 の掃 除 夫 の如 き見 習 の類 を含 まず 。
四 、 出身 地別 (省 別) ︹ 七字不明︺ 此 項 は履 歴 書 によ り いち いち統 計 を取 らず 。 容 易 に□ □□ □ □ □
概 算 す れば 職 工 の九割 以 上 は 山東 人 にし て、 即 ち 墨 、膠 州 、高 密
□ 現 在 此鉄 道 には 存在 せず 。 従 つて詳 細 を 知 り難 し。
県 人 最 も多 く 、他 省 人 に は領 班 等多 き が如 し。
五 、学 校 程 度 別 是 又詳 細 を知 り 難 し。 然 れど も 全数 の九 割 迄 は 無学 也 。 公 学堂 出 身 者 の如 き も現 在 の徒弟 類 に はあ れ ど 、青 年 者 に其数 全 数 の五 分 も非 ざ るべ し。 中 学 卒 業者 は極 め て少 な く指 を 屈 す る程 な
ロ、 移動 及勤 続 状 態
り。
詳 細 を知 り難 き も、移 動 極 め て少く 勤 続 者多 し 。但 し 苦 力 (例 へ
ハ、就 業 状 態
ば機 段 に於 け る石 炭 夫) の如 き は 此限 り に非ず 。
一、交 代 制 度 各 機 段 に属 す る沿線 の発 電 所 に於 け る機 工 、 火夫 等 は 一日 三交 代 な れ ど も、 其 他 は夜 間 就 業 せず 。
職 工、 工役 は 平 均十 時 間 、 即 ち年 中 午 前 七時 よ り午 後 五時 迄 、
二 、 一日平 均 就 業 時間
機 車 乗 務 員 は平 均 八時 間 半 位 。 三 、 一日所 定 休 息 時間 日勤 者 は昼 食 時 一時 間 の み。
春 節 五 日間 、夏 節 一日、 秋節 一日、 双 十節 一日、 冬節 一日、
四 、 一年 間 の公 休 日数 A
植 樹 節 一日、 計 十 日間 は公休 にて月 給 を 支給 す。
日曜 は全 部 休 業 し 、其 中 二日分 は給 料 を 支給 す れど も他 の二
若 し 此 日 に出 勤 す る事 あ る時 は給 料 二日 分 支給 す B
日 は是 を給 せず 。但 前 二項 は 四方 機 廠 の工 人 に適 用 し 居 る内 規 にて 、機 段 には 機段 員 工休 暇暫 行 章 程 を適 用 す る事 と な り居 る
参
考
も 、実 際 は四 方 機廠 と殆 ど 同様 也 。
機 段 員 工休 暇暫 行 章 程 ︹ 三字不明︺ 一、員 司 毎 二 星規 期 輪 流 休 暇 一天 、但 同 時 休 暇人 数 、 不得 □ □ □ 体 員 司 二分 之 一
二 、職 工毎 月 輪流 休 暇 一天 、 但同 時 休 暇 人 数 、不 得 逾 全段 工役 五 分 ︹ 二字不明︺ 之 一如 上 月 内業 経 請 暇 在 三 天 以 上、 本 月 即無 □ □ 之 権
項 規 定 、輪 流 休 息 、 但 職 工 同月 内 休 暇 不 得過 二日
三 、特 別 休 暇 如令 節 (端 午 、 中秋 ) 国 慶 等 日、於 奉 到処 電 役 依 照 前
任 較 軽 職 務 、作 為 預 備 班 、但 毎 次 充 預 備班 之 時 期 、 不得 過 一星 期
四 、乗 務 員 役 如継 続 服 務 二月 並未 請 暇 者 、 得請 求 段 長調 派 車 房 、充
五、 旧 暦 年假 時 到 車 停 駛 甚 多機 段 員 工准輪 流 休 暇 三 天 、但 以無 妨 行
銀
車 本 務 為 準 、其 輪 値 弁 法 、臨 時 酌 定 、 不適 用 第 一第 二項 之規 定 ニ、 賃
貴 社 人事 課 参 事 吉 田清 二郎 氏 過 日来 局詳 細 に調 査帰 連 せ ら れ た
一、 基 本 賃 銀
り。 参 照 せ ら れ たし 。
此 項 も 同氏 調 査 せら れ た る筈 な る も 、機 務処 の分 を
ム ・シ ステ ムを 採 用 し た れど も 、各 製 作 品 に対す る工作 事 定 日
四方 機 廠 に於 ては 、昨 年 七 月 頃 よ り 日管時 代 と同 様 ブ レミ ア
示 せば 次 の如 し 。
二、 附属 給
A
数 の査 定 厳 格 に過 ぎ 、 工人 に利 益少 か りし為 、彼 等 の反 対 す る
夜食 料 及 時 間 外 勤務 に 対す る 規定 左 の如 し。
処 と な り 、今 日 に ては之 を施 行 し居 ら ず 。 B
廠 段 工人 加 工替 班 給 費 弁法 一、 工人 加 工 、按 照加 工鐘 点 、加 四分 之 一計 算 給 辛 。
前 項 之 外職 工 の出 張 旅費 及 乗 務 員 の乗 務 旅 費 は 局報 に あり 。
加六 分
一、 工人 以 夜 班替 代 日班 者 、 月辛 者 毎 夜 加 一角 二分 、 日辛 者 毎 夜
C 吉 田氏 調 査 し 居 る筈 。 三 、賃 銀 形 態 俸 給 及 給 料 は総 て銀 単 位 にし て、 大 洋 を 以 て支 払 ひ つ つあり 。
賃 銀 支 払 ひ は総 て 一ケ月 一回 にし て 、本 局 及 四方 機 廠 の職 員 は
四 、賃 銀 支 給 方法
三、 各 工人 手 藝 之 優劣 、 以分 数 計算 分 為 九 十 点 、 八十 点 、七 十 点 、
六 十 点 、 四等 、 填 列在 表 上成 績 項下
年 後 、確 有 成 績 毫 無過 失 者 、 方可 酌 加 辛 資
四、 各 工人 在 廠 作 工 、自 到 廠 日起 或自 上 次 加辛 之 日起 、至 少 満 一
革。
五 、 各 工 人在 一旬 期 内曠 工満 二日者 、 不 列 等第 、満 五 日 以上 者 開
六 、 各 工匠 、領 班 加辛 、視 其 工作 之 能 力 、自 一角 起 可 加至 一角 五 分止
七 、 各 工匠 加 辛 視 其 工作 之 能 力 自 四分 起 可 加至 一角 止
八 、 各学 徒 加 辛 毎満 一年 (四年畢 業 ) 加 辛 五分 、 学 徒満 期 後 升 為
九 、 各 小 工加 辛 視 其 工作 之 勤 奮 、自 二分 起 可 加至 五分 止
工匠 、定 工資
前 月 の俸 給 、 亦 は給 料 を毎 月十 日以 前 に 支給 せら る る規 則 な り 。
其 月 の分 を 毎 月 二 十 四 日迄 に支 給 さ れ 、沿 線 在 勤 の職 員及 工人 は
然 れど も 春 節 ( 新年)夏節 ( 端 午 ) 秋節 ( 中 秋 ) 等 に於 て は、 彼
記
辛
職 工之 奨励 分 為 左列 五種
金
各 機 段 職 工除 臨 時 傭 外 無論 日辛 、 月辛 、悉 依 本弁 法 奨 励 之
一、 奨
第 一条
二、奨
第 二条
機務 処 各 段 職 工奨 励 暫 行弁 法
賞 与 に関 し ては 左 記 の規 則 あり
ヘ、 賞 与 の種 類 と 賞 与額
本 鉄 路 に於 ては 、 一切之 を施 行 し居 らず 。
ホ、 実 物給 与 の種 類 及 価格
考 せら れ たし 。
注 、前 三 、四 、 五 の三項 も又 吉 田氏 調 査 し居 ら るる 処 な れば 参
十 、 本規 則 自 十 二 年 六 月 一日起 寔 行 、如 有 未 尽 之処 得 随 時改 条 之
五 、進 級 制 度
等 の便 利 の為給 料 日 を著 し く繰 り上 げ 支払 す る を例 と せ り。
左記 の如 き規 則 あ るも 、本 春 二月 工会 組 織 以 来 工 人 の鼻 息 荒 く 、 去 る四 月頃 と記 憶 す 、 工 人会 側 より家 賃 、電 燈 料 、 水道 料 (局 よ り徴 収 し居 る) に相 当 す る金 額 と 称 し 、 工人 全 体 一律 に 一ケ 月 二
左
元 の臨 時昇 給 を要 求 し 、 本 局当 局 は之 を応 諾 し 直 に実施 し た り 。
四 方機 廠 工人 作 考 勤 及加 辛 規 則 一、 各 工場 須 用 工作 考 勤表 、 毎 一旬将 各 工匠 領 班 学徒 、小 工按 照 表 別各 項 分 別 填 明 二 、 各 工人 之 勤 務 分為 甲 、乙 、 丙 、丁 、 四等 填 列 在 表 上 等 第項 下
三、記 辛
升 励之
第十条
具 有 左列 各 款 之 一者 酌 量 情 形 、依 第 二条第 三款 至 第 五款 奨
一、 従 事 業 務 屡著 者 特 異之 成 績 者
四、加 功
第 十 二条
本 弁 法 未 尽 事宜 、得 随 時 呈 准 管 理局 修 正之
本弁 法 自 呈 奉 管 理 局核 准 之 日 実行
各 項奨 励 応 由 主管 段 長 報 処 呈請 管 理 局核 准
過有 応行 奨 励事 項 為 以上 各 条 所未 列 挙 者 比照 相 当 条款 奨
第 十 三条
励之
第 十 一条
一、 〓 弁 或 防 護 重要 工作出 力者
一、 一年 内 行 事未 出 事 故 者
一、 具 有 特 別 技能 成 績 卓著 者
一、 服 務 満 一年 以 上技 藝之 優 良 格 守 規 則者
五、記 第三条 奨辛銀於 、戦事 区域内、戦時期内毎月所奨辛額、不得超過 毎月工資之原額、其原給 日辛者、毎月 以三十日計算 二、年 終 奨 金
第四条 奨金分為左列二種 一、特 別 奨 金 記升応由 主管長管登冊存記、過有相当欠額循序升用、同時 加辛之金額 按辛級規則定之
第 十 四条
有 二人以上応予提升時、依受奨励 日期之先後定之
第五条 第六条
記功在 一年内満 三次以上者 、准予加辛 、或給特別奨金 又功
過准其抵銷記大功 一次者、得抵銷記過 三次、記功 三次者、得 抵銷
額 は 月 収 の 一 ・二五 倍 な り。 六 ケ 月 以 上 一年未 満 勤 務 者 は 其 の半
而 し て年 終奨 金 は従来 旧正 月 前 に支給 せら る る を普 通 と し、 其
第七条
具有左列各款之 一者、得依第 二条第 一款奨励之、其著有異
記 大過 一次 第 八条
分 三 ケ 月 以 上 六 ケ月 未満 は其 又 半 分 。 ト、 労 働 能 率
常労績者並得酌量情形、更依同条第 四款或五款奨励之、 一、於戦争区域 照常服務者
チ、 社 宅 給 与状 況
一、発明或改良機件及器具能適 用者
家 族 の人員 多 きも のは、 一人 に て二 間乃 至 三間 を借 り 居 る も のあ
本 の八 畳敷 に相 当 す 、然 れ共 従 来 の宿 舎 は此式 に なり 居 らざ る為 、
外 泊 し 居 れ り。 而 て其不 足 宿 舎 は 目 下建 築 準備 中 に て、構 造 は 長
現 在 工人 給 大 部 分 に之 を貸 与 し 居 る も、 其 数 不足 の分 は自 由 に
貴 問 ﹁タ﹂ 項 に対 す る説 明 を 参 照 せ ら れ たし。
一、出入於戦線内照常 工作者 ︹ 五字不明︺ 具有左列各款之 一者、酌量情形依第 二条第□□□□□款奨
第九条
一、事机危迫、応付得宜、因而防 止重大危害之発生者 ︹ 二字不明︺ 一、報告有危害交□□事、因而得預防消弭者
励之
一、挙発弊端不避嫌怒、因而発覚私弊者
り 、 又 独身 者 は 二人 にて 一間 を 借 用 し居 れ るも のなり 。 鉄路 が徴
屋 式 にな り居 り、 工 人 一家 族 に対 し 一室 宛 にて 、其 の広 さ は約 日
一、救護重大危害奮干顧身、異常得力者
病傷較重須住院療養者 必経医生之証明呈請局長核准後其住
る金額丈各工人 の給料 を臨時 に増加 したれば、事実 に於 ては宿舎
課長課員与課長課員居同等位置者
処長与処長居同位置者
者費由自給
二等
一等
院費由局支給住院等次位置高 下定其未経核准或所在等次高出定例
第 五条
を支給し居 ると同様也。
三等
の項に概述 せし通り、本年四月頃此屋賃及電燈、水道料 に相当す
収し居 る屋賃 は、 一間半に つき二元五十銭 の割合 なり。但し進級
其他電燈料、水道料徴収 に関 する規則は、局令 により規 定しあ り。
其他未尽事宜悉依各医院特定之章程規則行之
ル、現業員服務規定及賞罰
局報にあり、吉田氏調査し居 る筈 、参照せられたし。
但し無賃乗車証及五割引きは当鉄路 に限る。無賃乗車証規定は
し)
給し、夫以上は乗車賃銀五割引 き とす (本 人、妻 子、両 親 に対
無賃乗 車券 は 一年間 に巨高 の如何を論 ぜず二回 (一往復)を支
福利施 設は何等 なし。
ヌ、福利施 設 ( 無賃乗車券を給与するや)
第 六条
工役
傷害事故統計不明 扶助、救恤 に対し ては左記
リ、傷害琳故統計及之 に対する扶助、救恤状況 一、膠済鉄路員 工病傷診療暫行弁法 一、膠済鉄路員 工匠警役撫恤暫行規則 を参照せられたし。 本路員司 工役如有病傷較重経上級員 司証明許可延各院 医生
膠済鉄路員 工病傷診療暫行弁法 第 一条 就病傷者之所在 地診療之其規定之医院如左列
A 賞 に関し ては ﹁ヘ﹂項 に概説 せし かば此処 に復せず。
一、膠済鉄路機段職 工懲罰規則
B 罰則 に関し ては左 の規則あり。
青島病院、高密分院、四方分院、坊子医院 、張店医院、鉄山分院、 ︹一字脱︺ □川医院、済南病院 必須特有本局特定之医療 証但遇行事成工次受傷較重不便稽延時刻
章
車
機段職工之 懲罰依本規則施行之 一、開
過
職 工之懲罰分為左列四項 二、罰
第 一条
三、記
第二条
第 二条 本路員司 工役如因病傷至前項指定医院就診或延医生出診者 者得先就 医補領医療証 第 三条 前項医療証由各該等処課廠站等之責任簽発只限本人使用 概由本局支給但梅毒 及反応検査六〇 六注射〓牙等特種手術 与其他
特前項医療証至指定各医院診療病傷者其普通手術薬剤等費
貴 重品滋補品等須由病者自傭准因公受傷或下級員司俸薪菲薄而診
四、停給年終奨金
第四条
療 上必須滋補者経医生之証明局長之核准亦得本局支給
第三条
職 工如有下列之行為、応受 開革之処分
第 八条 第 一条
一、違 犯刑律殴打傷人者
本規則自公布日施行如有未妥之処得随時修改之
本廠 工人之懲罰依本規則施行之
一、膠済鉄路四方機廠 工人懲罰規則草案
章
一、触 犯刑律之所為 、受判処徒刑 拘役等刑罰宣告者 一、開
革
二、罰
過
工人之懲罰分為左列 四項
一、聚衆要挾有煽動罷 工之行為者
三、記
第二条
一、擾乱公共秩序者
四、停給年終奨金
一、怠忍職務因而発 生重大危害或貽誤重要工事者
一、偸竊公家物料者
工人如有下列之行為応受開革之処分
一、違犯命令者
一、擾乱公共之秩序者
一、聚衆要挾有煽動罷工之行為者
一、怠忍職務因勿発 生重大危害或貽誤重要工事者
一、在外為触犯刑 律之所為受判処徒刑拘役等刑罰之宣告者
一、在廠内為触犯刑律之所為者
第 三条
一、違 犯命令屡戒 不悛者 一、無故曠 工継続満十日以上者 一、因事告假継続満 三十日以上者
一、工作不力者
一、偸竊公家物料者
職 工如有下列之行為、応受 罰章或記過之処分
一、 工作時有吸姻及賭博等之行為者
一、違 犯命令屡戒不悛者
第四条
一、濫用物料致令耗費者
一、無故曠 工継続満十日以上者
工人如有下列之行為応受罰辛或記過之処分
一、在 工作時間吸烟者
一、在廠内有賭博行為者
一、 工作不力者
一、違犯命令者
第 四条
一、因事告假継続満 三十日以上者
一、 工作時間遅刻早退者
職 工如有別項過失、在規則内所未列挙者、得比照第 三、第
職 工毎年中記大過 一次以上、或記小過三次以上、停給年終
一、無故曠 工未満十 日者 第 五条 奨金 第 六条 四条款懲罰之
一、濫用物料致令耗費者
職 工如有犯重情事者除開革外、並須送交法庭依法弁 理
一、関於触犯刑律者逮送法庭依法弁 理
第七条
一、関於損害賠償或贓物者依法追訴
一、 工作 器 具 使 用 不慎 致受 毀 損 者
サ ボ タ ージ ユを継 続 し 、 別 に数 ケ条 の要 求 を局 に対し て提 出 す る
を益 す る こと な か りし 為 、彼 等 は之 を 不 満 とな し 、尚 三日間 許 り
る に去 月 四 方 の日人 経 営 三紡 績 工場 の罷 工団 が高 圧 手 段 により 、
許 可 せら るれ ば局 に於 ても異 議 な し とし 、其 儘 今 日 に及 べ り。 然
要 求 を受 く ると共 に、彼 等 に答 ふ るに之 を交 通 部 に進 達 し 、若 し
に認 めた るも のに非 ず 。 即 ち局 は 、 工人 等 に より 工会 組 織 公認 の
一、 自 由出 入廠 門 者
工人 毎 年 中 記 大 過 一次 、 或 記 小 過 三次 以 上者 停 給 年 終奨 金
と 共 に、 公 然 工会 を組 織 せ り。 然 れど も 此 の工会 は局 に於 て正 式
第 五条 工人 如 有 別 項 過 失在 本 規 則 内所 未 列 挙 者 得比 照 第 三 、第 四
一、 無 故曠 工未 満 十 日者
第六条
工 人於 受 開 革 之 懲 罰時 得 依 其 必要 為 在 左列 之 処 分
条 款 懲 罰之
一、 関於 触 犯刑 律 者逮 送 法 庭 依 法 弁 理
第 七条
の為 に没 収 せ ら れ其 儘 と な り居 れ るも 、秘 密 には 明 に今 だ 工会 存 在 せ り。
解 散 せら れ た る際 、 当 路機 廠 の 工会 事務 所 の表 看板 も 又中 国 官 権
本 規 則自 公 布 施 行如 有 未 妥 之 処得 随 時 修 改之
一、 関於 損 害 賠 償 或贓 物者 依 法 追 訴
ヲ、 労 働 団 体
第 八条
れ を此 処 に略 す。 而 し て吉 田氏 前 記 二 部 の コピ ーを持 ち 帰 り た る
ト当 地総 領 事 館 に て調 査 せ る書 類 あ り 。 此 二部 に詳 述 し あ れば 之
前 項 及 這 項 に関 し ては ﹁膠済 鉄 路 の内 訌 ﹂ と 称 す るパ ン フレ ツ
ワ、最 近 に於 け る罷 業 要 求 条件 と解 決 条件
体 に公 認 せず 。 南 方 に存 在 秘 密 労 働 団休 に加 入 し居 りし 当 路 工人
筈 に つき 右 を 参 照 せ られ た し。
呉 佩孚 氏 が中 国 の天 下 に号 令 し 居 り し頃 は 労 働 団体 の存 在 を 絶
に て、密 偵 の為 査 出 さ れ、 呉 将 軍 に報 告 せら れ し結 果 、 同 将 軍 よ
も調 査 し 帰 り た れ ば、 其 方 よ り良 き 材 料 た る べし 。
此項 は 商 業 会議 所 等 に て調査 し たる 好 材料 あ るべく 、 又 吉 田氏
カ、労 働 者 生 計 費
り の命令 にて解 職 せら れ し者 、 一昨年 中 張 店 機 段 に 一名 あ り 、 又 昨 年 中 四方 機 廠 に於 て団 体 組 織 を 主張 し他 を煽 動 し た る廉 に て解 傭 せら れ た る者 七 名 あ り。 然 る に当鉄 路 を中 国 に移 交 以 来 、 山東 人 と 南方 人 ( 他 省 人 ) と の間 に、 蘊蓄 し居 り し高 級 局 員 の地 位 争
但 し 徒 弟 等 の最 低 給 料 日 給 三十 仙 な れ ば 、是 よ り推 し 最低 生 活
費 は 一ケ 月 七 、 八円 に て足 る べし 。
は、 本年 二 月〓 局 長 の就 任 後 、 山東 人 た る二 処長 及 数 課 長等 の馘 首 によ り、 遂 に爆 発 し、 車 務 処 下級 者 の 一斉 に罷 工す る処 と な れ
ヨ、 労 働 者 の生 活 必要 品 に関 す る物 価
監 督 方 法 は 職 工 の上 に領 班 (日 本 の機 関 手 取 締 、 工長 、組 長 に
タ、 監 督 の方 法 、労 働 者 の思 想 傾 向
前 項 に同 じ 。
り 。 然 れ ど も此 時機 務 処 の労 働 者 は、 之 に加 担 せざ りし 為該 罷 工 団 は 極力 好 餌 を 以 て、彼 等 を勧 誘 し 四方 工廠 職 工 は遂 にサ ボ タ ー ジ ユを行 へり。而 し て此 の罷 工 は満 一日半 余 を経 過 し 解 決 し た れ ど も 、其 条 件 は 政 事的 のも の のみ にし て、何 等 四方 機 廠 の職 工等
相 当 す べ き者 ) あ り 、其 上 に工務 員 あ り 、其 上 に工程 司 、若 しく は 段 長 あ り 、機 廠 に於 て は 工程 司 の上 に廠 長 あ り。 其 陣 立 は 日本 時 代 と 変 る 事 なし 。
工人 の思 想 は彼 等 の概 し て無 学 な るが 故 に、 他 人 の煽 動 に乗 り
す る例 を 取 り し も其 他 も又 之 に同 じ。
易 く 、 工会 等 の委 員 は概 し て青年 者 多 き が如 く 、 之等 青 年 者 は老
上級 職 員 の俸 給 は比 較 的高 く、 反 対 に 工人 の給 料 は極 め て低 き の
り て 工会 を マネ ージ し居 る も の の如し 。 従 来中 国 鉄 道 にあ り ては
る宣 伝者 の宣 伝 を 理 解 す る事 比 較的 速 の為 に彼 等 が リ ーダ ーと な
ず 馘 首 され 、 又 其機 関 の関 係職 員 も 厳 罰 せ ら る ると か にて 、彼 等
みな らず 、常 に上 級 者 の為 に圧 迫 せ ら れ居 りし も のが 、 近来 共 産
年 者 に比 し、 多 少 学 力 を有 し 居 る為 、 現 在 国民 党 等 よ り派 遣 し 居
が罷 工 を怖 る る事 言外 にし て、 職 工等 が罷 工 の風潮 を示 せ ば 周章
労 働 者 の思想 に関 し ては、 凡 中 国 の規 定 に よ る時 は 工人 三 日以
狼 狽 す る態 、 外 の見 る 目 も気 の毒 の至 り な り 。然 る に 一方 工 人等
々無 く ては 利益 を挙 げ 得 ざ る処 な る に、其 利 益 の分 配 た るや 、資
主 義 等 の片 鱗 を理 解 す る と 共 に、 著 し く目 醒 め来 り、 資 本家 は我
上継 続 し て罷 工 を挙 行 す る時 は、 其 所属 処 長 は理 由 の如何 に拘 ら
は 呉 将 軍 の時 代 、 工会 を組 織 し 、或 は他 を 煽 動 す れ ば直 に馘 首 せ
甚 だ し と言 ふが 、如 此 は 明 に彼 等 が時 代 に目 醒 つ つあ る確 証 な ら
本 家 上級 職 員 に厚 く、 我 等 工人 等 には 極 め て薄 し 、如 此 は 矛盾 も
ら れし を 以 て如 何 にも 柔順 な るが如 き態 度 を 示 し 居 り しも 、 例 の 本 年 二月 工会組 織 後 は 罷 工 を第 一の武 器 とし て種 々な る要 求 を提
き 処 は爾 激 烈 な らず 。
ず や 。前 述 は 主 に機 廠 に於 け る状 態 に て、機 段 等 の如 工人 数 少 な
出 す る は勿論 、平 時 に有 り て も サボ タ ージ ユの時 以 来 怠慢 の悪 習 慣 つき、 従 つて 工廠 の能 率 は著 し く低 下し 、 監 督 者 は 前述 の理 由
レ、 参 考 と な るべ き事 項
によ り 、只 管 職 工等 の反 感 を買 はざ ら む と欲 し 、 例 へ職 工等 が遊 び 居 る も、 是 を 叱責 す るが 如 き権 力 な く 、若 し是 等 の状 況 を目 げ
職 工之 給 暇 計 分 病暇 、 婚 喪 暇 二種
本弁 法 凡 機 務 処領 月辛 之 職 工均 適 用之
膠済 鉄 路 機 務 職 工請 暇 弁 法 第 一条
参 考 と し て左 の規 則 を挙 ぐ 。
第 二条
き す る 時 は、 却 つて自 ら其 処 を 通過 せざ ら む が如 き 態 度 を 示し 居
態 也 。 従而 此 状 態 は 仕事 の上 に著 しく 影 響 し 、 日管 時 代 は 四方 工
るが 為 め 、 工人 等 は益 々之 れ を 良 き事 と な し 増長 し居 るが 如 き状
場 に於 て新造 工事 、 鉄道 各 方 面 の改 良 工事 、 其 他市 中 より 依 託 工
第 三条
職 工 請暇 応 自 向主 管 廠 段 長 陳 明事 由允 許 後 方 為 有効 其 因 急
事 等 あ り た る に拘 らず 、機 関 車 修 理 の如 き は 一ケ 月 八台 平 均 進捗
第 五条
第 四条
病 暇 須有 本 路 医 院 或指 定 医院 之 医員 証 明毎 年 積 計 不得 過 一
職 工暇満 回職 応 自 向給 暇 人 声 明鎖 暇 以便
職 工暇 期巳 満 不 能 回職 者 応 由主 管 領 班 代為 続 暇
事 、重 病 者 得由 主 管 領 班 代為 請 求 允 准
あ り ては 、之 一ケ月 平 均出 廠 輛 数 八台 を示 せり (中 国移 管 後 は 日
第 六条
し 、 中 国 管 理後 と雖 も 昨年 下 半 年 の如 き、 最 も成 績 良好 な る時 に
よ り、 一ケ 月 平均 五輛 以 下 に低 下 せ り 、是 は単 に機 関車 修 理 に関
管 時 代 の如 き雑 工事 少 なし )。 然 るに本 年 二月 以 後 は 既 述 理 由 に
個月 第七条
父母及承重祖父母喪暇 不得逾十日祖父母及妻喪暇不得逾 一
星期婚娶暇不得過 一星期
イ
工
工
九
九一
三 一一
訳
路
工
内
保線 の部 (四百七十五名) 養 班
三二
飛 測
工
請暇逾過所定期限者応照左列各款分別扣薪
一、未満 五日者按 日扣薪
雑
四
一四
第八条 二、五日以上者毎 一日扣薪 二日
夫
匠
匠
三
一五
二九
一四
匠 匠
木
婚喪暇除所定期限外得由給暇人査照路途遠近酌予最短程期
冶
木
鉄 匠
建築 の部 (八十七名) 内 訳
鍛
庫
ロ
三、満二星期者除名 第九条 因公受傷請暇療養者概不扣薪
( 至多不得過四日)左程期内免予扣薪 第 十条
瓦
凡未請暇或請暇未経核准擅自離職者及逾期未行続暇者以
曠 職論除控辛外応照左列各款分別処罰
白
第十 一条 一、未満 三日者按 日罰辛
工
路
夫
工
一〇
二五
四〇
雑
話
訳 電
貨
手
報
三
二一
二
訳 報
内
司
司
駅 の部 (三百十 七名)
電
内
電気 の部
二、三日以上者毎 一日罰辛 二日 ハ
ニ
三、満十 日者除名 第十 二条 本弁法自 呈局核准之日実行 第十 三条 本弁法有未尽事宜得随時呈請修正之 ﹁注﹂日辛者は責 任者 の許可を得れば休暇し得 。其 の日数制限 は罰則 に拠る勿論此間給料支給せず。
数
一千五百七十五名
︹ 資料 の三︺ 吉長鉄路管 理局満鉄代表報告 1 総
名 別
一、労働者現在数 2 職
ホ
手 七五
一〇
三五
一九 更
雑 夫
夫
七
一四
手 手
貨
站 夫
管 調 車
ヘ 機関庫 の部 (三百十二名)
閘
一〇
二七
訳 機
四一
内 手
計
手
四
二一
二二
夫
二
夫
炉
工
手
四
三九
鈎 二〇
火
夫
四九 六一
司
庫 車
夫
夫 夫
擦
号
長 夫
工
信
機
庫
六
工場 の部 (三百四十 七名)
站
一二六
二
検
〃
〃
夫
車 夫
水 夫
炉 手
水 塔機手
五
四
一二
一六
一一
九
二
工
訳
一一九
内 匠
五
油
夫
除 夫
二七
司 工 匠
三
掃
夫
司
繕
七
手
一
庫
匠
二
工
一
二二
機
一
更
手
幣 徒
庫
五
工
四二
手
手
三
夫
学
司 手
一五
七
炭
庫
庫 手
工 匠
手
炉
夫
幣
図
巡
七
絵
庫
夫
校
火
3 国
雑 籍 別
夫 全部支那人
二二 全部 男
別
自午前六時
十二時間
4 性
自 四月 十 六 日
保線、建築及電気 の部
二、 一日の所定労 働時間 イ
及
一日
十時間
自 九 月十六日自午前七時
至九月十五日 至午後六時 自 三月
自 午 前 八時
八時間
至 四月 十 五 日 至十 一月十五日至午後五時 自 十 一月 十 六 日
の 部
但巡手及更夫、二十 四時間交代
工 場 の部
も のあり、日勤は八時間勤務
二十四時間交代を普通 とす るも、事務 の繁閑 に依 り日勤をなす
駅
至 翌年 二月末日 至午後四時 ロ
ハ 十時間 ニ 機関庫 の部 工匠 雑夫
一時間
十時間
司機、機 手 炉手及火夫 七時間 擦車夫、掃除夫
二時間
三、 一日 の所定休憩時間 保線、建築、電気 及工場 の部 駅
一時間乃至 二時間
なし
但巡手及更夫 機関庫 の部
イ ロ
の 部
ハ
但 司機 、 機 手 、炉 手 及 火 夫
毎月 駅
一回 部
毎月二回
なし
二 十 四時 間 交 代 者 は 一定 の休 日 な し
の
保 線 、建 築 及 電気 の部
四 、 一ケ 月所 定 休業 日数 イ
ロ
工 場 の部
但 し 日勤 者
毎月
二回
機 関庫 の部
毎 月 一日、 十 五 日 の二 回及 祝祭 日
ハ
ニ
銀
高
月給者大洋
日給 者 大 洋
月給者大洋
日給 者 大 洋
・三 〇
一二 ・〇 〇
一・七 〇
七 二 ・〇 〇
・五 〇
月 給者 大洋 四五 元 ・〇〇
但 し 司機 、機 手 、 炉手 及 火夫 は 予 備数 に依 り 一定 せず 。
最
一日 平均
1. 基 本 賃 銀
四、 賃
イ
ロ
日給 者 大 洋
最
低
ハ
職 名 別 平均 賃 銀
班
路
工
工
〃
日給
・四 一
・四 四
保 線 、建 築 及 電 気 の部
ニ
飛
養
庫
雑
測
匠
匠
匠
匠
夫
工
工
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
・五 七
・七 五
・五 五
・六 一
・四 四
・四 〇
・五八
司
司
繕
絵
庫
学
幣
工
校
図
手
庫
機
手
手
手
徒
匠
匠
日給
〃
月給
〃
〃
月給
〃
〃
日給
二六 ・〇 〇
四 一 ・〇 〇
二八 ・〇 〇
二〇 ・〇 〇
二六 ・〇 〇
月給 二 一 ・〇 〇
一八 ・〇 〇
巡
炉
手
手
〃
〃
・五 〇
・六 八
・五 〇
・四 三
・三〇
・四 三
木
冶
・五 六
庫
一 ・ 一三
瓦
鉄 〃 ・三八
工
鍛
工 〃
〃
日給
白 路
の
夫
報
〃
電
駅
話
手
部
電
司
・四 三
報
・四 三
三 〇 ・〇 〇
〃
・四〇
〃
〃
貨
夫
〃
・四〇
夫
〃
三八 ・〇 〇
夫
月給
二四 ・〇〇
火
夫
〃
雑
機
日給
二 一 ・〇 〇
更
手
二 三 ・五 〇
・四 八
司
手
〃
・六 〇
機
〃
〃
日給
・四 七
炉
手
手
〃
・四 八
火
手
司 貨
庫
管
手
〃
・四 三
站
手
〃
・三八
站
夫
〃
・六 三
二 六 ・五 〇
閘
司
工
月給
機 関 庫 の部
夫
〃
日給
月給
車
鈎
夫
夫
手
調
站
庫
六 三 ・五 〇
七 二 ・〇 〇
・四 三
・五 八
長
・四三
月給
〃
工
工場 の 部
夫
庫
司
信
擦 号
車
手
夫
夫
〃
〃
日給
・六五
・五 三
・三五
2 .
独身 宿 舎 には 冬季 石 炭 を 支 給 す。
1. 消費 組 合 、 小 学校 、職 業 学 校 、徒 弟 学校 、病 院 及 倶楽 部 の設
七、福 利 施 設
・三 八
工 〃
けあり。
夫
4. 無 賃 乗 車証
炭
限 り発 給 す 。
3. 公 傷 は 局費 支 弁 と す 。
・四 三
八 、労 働 者 の能率
2. 別 添員 司 工匠 警役 撫 〓 暫 行 章 程 に より慰 藉 金 を支 給 す。
・八 八
・七 八
〃
・五 三
一〇 、労 働 団 体
九 、労 働 者 に対 す る規 則
・五 八
〃
・三八
〃
〃
・四〇
〃
炉 夫
〃
手
〃 水
夫
夫
〃
水 塔 機 手
〃 車
夫
〃
・四 三
一三 、労 働 者 の生 活 必需 品 に関 す る物 価
独 身者 一ケ月 生計 費 約 大 洋 四 元 乃至 六 元
一二 、労 働 者 の生計 費
一 一、最 近 に於 け る罷 業 条 件 と解 決 条 件
なし
日本 人 に比 し劣 れ り 。
局 線 内 は本 人 及 家族 に発 給 す 。満 鉄 線 は 本 人 に
検
夫
油 除
掃
夫
・四五
一 ・ 一五
庫 更
〃
〃
・三八
匠
〃
匠
工 夫
工 幣 雑
大 洋 一元 七〇
四元三五
〃
・〇 五
一斗
〃
・二〇
・二 六
一袋
〃
二 元 〇〇
粱
一斤
〃
四 元 五〇
粉
一斤
〃
高
粉
一斤
〃
麦
肉
一斗
2. 附 属給 、 別 紙 傭 員 工役 旅 費 及 増 務 手当 支 給 規 則 参照 。
肉
一斗
3. 賃 銀 形態 、 賃 銀 は 現大 洋 なる も 、 不足 の為 目 下 大洋 票 及 日金
猪
米
米
牛
米
4. 賃 銀 支払 方 法
月 給者 日 給者
一四、 監
督
其 他 別表 当局 消 費組 合 物 価 表 参 照 。
玉 毎 月 二 十 日払
小
半 数 宛 換算 支 給 す 。
末 日払
大
〃
十 六 日 の両 回昇 給 基 金総 額 の七 割 以 内 に て銓 考 昇 給 を実 施 す 。
5. 進 級 方法 、別 表 工 役昇 給 内 規 に依 り 、毎 年 二月 十 六 日及 八 月
1. 駅 員 、列 車 及 機 関 車乗 務 員 竝 工 場 司 工等 に制 服 を支 給 す 。
六 、実 物 給 与 の種 類
・
輸
輸
工役増給取極 所 運 一 〃
運 〃 〃 〃 〃 〃 〃
運 一 〃
運 〃 〃 〃
処
属
職
車 図
輸
般
工
処
般
機 繕 庫 運 管 站 調 報 炉 検 絵
号
車
貨
庫 更 閘 鈎 火 信
校
夫 夫 夫 夫 夫 夫
手 手 手 手 手 手 手 手 手 手 手
名 最
給
額 級
なし
思 想 比 較 的温 健 なり 。
方 法 亦大 同 小 異 な り 。 1. 思 想
高
一五 、 其 他参 考 と な る べ き事 項
最
て採 用 す る こと
級
特 種技 術 を有 す る か相 当 学 歴 あ り近 く 雇
日 給 一・二 〇
二年 以 上
二六 元〃 一年 半 以 上
三 五 元〃
三 五 元 以 上 三年 以 上
〇 ・八 五 〃
二年 以 上
〇 ・六 〇未 満 一年 以 上
三元
〇 ・〇 二
〇 ・〇 五
〇 ・八 六 以 上 二年 半 以 上
二年 以 上
〇 ・五 〇未 満 一年 以 上
〇 ・七 五〃
〇 ・七 五 以 上 二年 半 以上
二元
員 に登用 の見 込 あ る も の の外 最低 日給 に 日給 〇 ・四 〇
月俸 者
一八 元 未満 一年 以 上 又 は 月俸
日給 者
四 一・〇 〇
日 給 一・〇 〇
一二 ・〇 〇
日給 〇 ・三五
又は月俸
低
各駅、機関庫及工場共大体 に於 て満鉄 の組織 に同じく監督 の
夫 々監 工を置き作業其他を監督す。
工 ( 保線区助役)各受持を分担し建築及電工は工務処 に直轄 し、
イ 保線従事員として工務段長 ( 保線区長 に当る)指揮 の下 に監
ロ
分 類
甲
乙
丙
丁
〃
〃
工
〃
一
〃
〃
運
〃
運
〃
工
運
務
般
大
注 晒 測
長 雑 雑 站 待 擦 掃 炭 電
輸
輸
務
各
油 図 工
夫 夫 工
工
夫 夫 差 夫 役 夫 夫 夫 夫 日給 〇 ・ 三〇
日給 〇 ・七 〇
〇 ・四 〇未 満 一年 以 上
〇 ・五五 〃 一年 半 以 上
〇 ・五 五以 上 二年 半 以 上
〇 ・七〇 未 満 一年 以 上
車 除 水 話
種
小 工
一・〇 〇 〃 一年 半 以 上
二年 以 上
工
一・三〇 以 上 二年 半 以 上
一・三 〇 〃
手
及
工
徒
二角
竝 学
イ 、日 帰 の場 合
匠
傭員工役旅費及増務手当支給規則 一、工役傭員出張旅費
〇・ 〇五
〇 ・〇 五
養路工夫及飛班 工竝工務段所属雑夫に対しては、助勤手当支給
ロ、宿 泊 の場 合 宿泊数 (五 日以 内 四角 に応 じ 六日以上参角) 但し本旅費 は電路工及測量 工夫竝工務処諸工に対し之を支給 し、
参角五分
甲 本線 旅行 イ、日帰 の場合
定額壱元五角
規則を適 用す るも のとす。 外線旅行
五角 丙
ロ、宿泊 の場合
乙 特種工役在勤地外旅行
二 、助 勤 手 当 代 務 又 は 助勤 の為 旅 行 し た ると き は 、宿 泊 日数 に応 じ甲
長 春 站員 が頭 道 溝 站 に助勤 勤 務 し た る時 は、宿 泊 日数 に
号 日額 手 当 を支 給 す 。
第 一条
第 二条 応 じ 乙 号 日額 手 当 を支給 す 。
三 、増 務 手 当
務
輸
処
処
電 話 夫及 庫 夫
各 段 站 站 員 及 電信 掛
徹 夜 料 を 支給 す る者 、 左記 の如 し 。
ロ、 工
但 し従 来 支 給 せ ら れ し公 休 日、 増 務 手当 は 一切
イ、 運
ハ、 各 処 更 夫
飛 班 工及 工務 段 所 属 雑 工 に し て、官 舎 以 外 に宿 泊 し た
之 を 廃 止す 。 五、借家料
一名 に つき 月 額
壱角五分
る場合 は 、左 記 の借 家料 を 支 給 す 。
六、乗 務 手 当
司 機 、 司炉 及 車 掌 又 は 代務 者 等 乗 務 に服 す る とき は 、実
毎 一時 間
弐分
乗 務 一時 間 に付 ( 待 合 時間 を含 まず ) 左 の割 合 を 以 て乗 務 手当
第 一条
を支 給 す 。 甲、司機
注 油夫
乙 、 司炉 、車 掌 、 車 隊長 及 管 貨
参分
一日 の勤 務 時 間 を 十 時間 と定 め、 増 務 一時 間 毎 に日給 十 分 の 一の
前 条 の乗 務 に於 て、 左 の場 合 には左 記 各号 によ り実 務 時
毎 一時 間
増務 手 当 を加 給 す 。増 務 手 当 を加 給 す る者 左 記 の如 し。
但 し 入 換作 業 に従 事 す る者 に は支 給 せず 。 第 二条
一、機 務 段 及 工場 各 工匠
間を加減す。
二 、機 務 段 及 工場各 工匠 に附 随 す る雑 夫 三、 工 場 学 徒
一、 午 后九 時 より 午前 七時 迄 の乗 務 時間 は 一時間 を 一時 間 半 に
乗 務 時 間 の計 算 は総 てダ イ ヤグ ラ ム の指 定 す る所 に よる 。
事 を得 。 機 関 車乗 務 員 に限 り 発車 前 の準 備 一時 間 、帰 著 後 の納
時 間 以 上 に亘 り た る とき は ダ イ ヤ グ ラ ム に拘 らず 之 を計 算 す る
但 し当 該 乗 務 員 の責 に帰 す べ か らざ る事 由 により 、列 車 遅 延 一
第 三条
二 、更 乗 及 練 習 の乗 務 時 間 は 、 一時 間 を 三十 分 に計算 す 。
計 算 す。
四、 事 故 の発 生 其他 の事 由 に因 り 時間 外 勤 務 に服 し た る工 役 但 し 所 属 処 長 に於 て特 に本 手 当 の支 給 を 必 要 と認 めた る時 に限 る。
料
五、 線 路 巡 回 を為 し た る工 務処 工役 夜
壱角
徹 夜 勤 務 を常 務 とす る者 に は 、左 記 の賄 料 を支 給 す 。
四 、徹
職 雇 員 及 工役
乗 務 時 間 を 通算 し て、 一時 間 に満 ざ る時間 は 三十 分 以下
庫 時間 三十 分 を加算 す 。 一
第 四条
不 可抗 力 に因 り 負傷 し た る者 は 、第 一号表 に依 る金 額 を等 級
撫 〓 金 額 は 別 表 の規 定 竝 左 記 の事 情 に依 り夫 々支 給 す 。
に応 じ支 給 す 。 但 し過 失 に因 り負 傷 し た る者 は公 平 を維 持 す る
第四条 を 切捨 とす 。
1 五 日以 内 壱 元五 角
参元
二
挺 身危 険 を冒 し た る為 、 負傷 し 死亡 し た る者 は 葬祭 費 を除 き 、
在職 中 病 死 し た る者 は、 第 二号 表 に依 り金 額 を 支給 す 。
其 の事 情 の軽 重 に依 り第 一号表 に照 ら し倍 額 を 支 給し 、 或 は半
本 路 自 ら 雇 傭 の人 に非 ら ず し て前 三 項 の事 情 に適合 し たる者
額 を 加給 す る こと を得 。
在 職 満 十 ケ 年 以 上 の者 は 、 公務 に基 因し 負 傷 す る と在 職 中
は 、各 該 項 の規 定 に照 らし 半額 を支 給 す 。
負 傷 第 五等 に相 当 す る者 に て、 療養 期 間 三 ケ 月 を経 過 す る
葬 祭費 は 重傷 の為 死 亡 し た る場 合 を除 き 、在 職 中 病 死し た
本 路 員 司 工匠 警 役 にし て撫 〓 金 を受 領 せん と す る時 は、 負
費 用 に充 て、 若 し 剰余 あ る時 は本 局 に返 納 し 其他 の慈善 事 業 の費
に て遺 族無 き時 は撫 〓 金 及葬 祭 費 は 当該 所 属 所 に於 て受 領 し葬 祭
し、 署 名捺 印 の上 当 該 所 属長 経 由 局 長 に申 請 す べ し。 若 し 死亡 者
傷 者 或 は死亡 者遺 族 に於 て請 願 書 を 作成 し、 医 師 の診 断書 を添 附
第 八条
る者 に は 一切 之 を支 給 せず 。
第 七条
級 に照 らし て撫〓 金 を支 給 す 。
も 、仍 ほ引 継 き服 務 す る能 は ざ る時 は、 矢張 り免 職 に附 し 第 四等
第 六条
ケ月 分宛 加 給 す 。
に病 死 す ると を問 はず 其 の撫 〓 金額 は葬 祭 費 を除 き 満 二年 毎 に 一
第五条
四
三
を 逓 減す べし 。
為 、撫 〓 金 は本 表 に照 らし 、 一ケ 月分 を 逓減 し 、 葬祭 費 は十 元
工 務処 員 司 にし て工事 監 督 或 は測 量 の為 、 本路 線 内 を 旅行 し た る
七 、 員 司特 定 旅 費
2 六 日以 上
と き は、 左 記 特 定 旅費 を支 給 す 。 宿 泊 数 に応 じ
但 し帰 路 には 現 行員 司 普 通 日帰 旅 費 を 加 給 す 。 八 、 本規 則 は民 国 十 三年 十 一月 一日 よ り実 施 す 。
吉 長 鉄 路 管 理 局員 司 工匠警 役 撫 〓 暫 行章 程 本 路 員 司 工 匠警 役 にし て 、公 務 の為 負傷 し、 或 は 在職 中 病
公 務 負傷 の軽 重 に依 り、 左 の五 等 に区別 す 。
本 路 は員 司 を慰 藉 す る為 、在 職 年 数 に応 じ撫 〓 一時 金 を支
死 し た る者 は 本 章 程 に依 り之 を慰 藉 す 。
第 一条
第二条 給 す。 第 三条
重 傷 の為 死亡 し た る者 。
廃 残者 に は非 ら ざ る も、 終 身服 務 す る能 はざ る者 。
死 亡 せ ざ る も終 身 廃残 者 と な り た る者 。
服務 す る ことを 得 る も、 身 体 の毀 傷 原 状 に恢復 す る能 は ざ
一等
三等
二等
四等
身 体 の毀 傷 治 療 の結 果 原状 に恢 復 し 、 引 継 き服 務 す る こと
る者 。 五等
を 得 る者 。
用に充当す べし。 本暫行章程 は交通部 の承認を経て後施行す。
喪費
七年 以上 五年以上 三年以 上 一年 以 上 十年 以 上 十年未満 七年未満 五年未満 三 年 未満 一年 未 満
五十 元 四十 五 元
九 ケ旦
八ケ月 六 ケ月
七 ケ月 六ケ月
四十 元 三 十 五 元
七 ケ月
五ケ月
六ケ月
四ケ 月
五ケ 月
三十 元
五 ケ月
八ケ月
六十元 九 ケ月 七ケ月
三ケ 月
薪給十ケ 金 月
金別
服務 年月
吉長鉄路員司工匠警役撫〓金額区別第 一表
第 九条
等次
一等 十ケ月 八 ケ月
四ケ月
二等 金 九ケ月 五 ケ月
三等 金 六ケ月
八ケ月 七 ケ月
四等 金
二 ケ 月 一ケ 半 月
四 ケ 月 三 ケ半 月
三 ケ 月 二 ケ半 月
五等 金
薪給以最近 一月所得之本俸津 公合併計算 工匠警役撫〓金在六十元以下者仍照向例弁 理
五ケ月
四 ケ月
三ケ月
二 ケ月
七年以 上五年以上 三年 以 上 一年 以 上 一年 未 満 十年以上 十 年未満 七年未満 五年 未 満 三年 未満
服務年限
吉長鉄路員司工匠警役撫〓金額区別第 二表
附説
事故
六 ケ月
工匠警役撫〓金在 六十元以下者仍 照向例弁理
薪給以最近 一月所得之本俸津公合併計算
月
在 職病故 薪 給 七 ケ 附説
吉長鉄路消費組 合事務所物品售価表
品
大 海 古 冬 京 山 猪 五 包 玉 山 〓 元 山 花 好 魚 冬 麒 大 白 花 春 鮑
海 〓 月 松 東 粉 香 面 米 粉 蘭 東 粉 子 東 寛 魚
麟 海 生
名 単位
参 頭 面 菜 花 糸 筋 子 子 片 面 蝦 磨 粉 菜 肚 肚 茹 菜 米 米 面 筍 魚
価
値 元 角 分 厘毫
品
名
蓮 子 大 料 干 貝 玉 梨 茘 枝 一福寿寿餅干 一肥 児 餅 一八 宝 餅 一早 茶 餅 二 下 午 餅 三 上 梳打 餅 五 上 梳打 餅 一竜 馬 餅 干 二竜 馬 餅干 二 方 合 糖 二長合什錦糖 陳 皮 梅 二 元 樽 糖 二 扁 寸 糖 洋 粉 楓 梨 葡 萄 小 葫 糖 八 角 寸 糖
単位
価
値
元 角 分 厘毫
一 菓 子 露 一白 蘭 的 酒
二 菓 子 露 二白 蘭 的 酒 紅 〓 瑰 酒 大 〓 香 果 子 糖 半 片 小合 糖 六 安 茶 大 花 茶 白 毫 茶 雨 前 茶 竜 井 茶 大 長 城 大 長 城 大 長 城 伯 爵 大 愛 国 大 愛 国 大 喜 大 喜 大 喜 大 兄 弟 大 兄 弟 宝 塔 宝 塔 金 馬
丹 丹 大 二 三 四 藍
鳳 鳳 香 大 香 大 香 大 香 磅 香
煙 煙 水 水 水 水 水
七 一〇 超 等香 水
一〓 瑰 密 水
七三四超 等香 水 銀 頭 香 水 上 香 水 〓 瑰 香 水 砂 只 香 水 鉄 筒 香 水 三 安〓 香 水 茉 莉 香 水 素 興 香 水 紫 蘭 香 水 雲 香 香 水 〓 瑰 密 水 二〓 瑰 密 水 半 〓瑰 密 水 絨 盒員 帽 粉 妹 方 牙 水 妹 扁 牙 水 艶 顔 水
一安 香 蕉 油
中 菓 汁 小 菓 汁 三 安 保髪 水 中 臭 水 小 臭 水 大 頭 油 二 頭 油 三 頭 油 四 頭 油 六 安 頭 油 三 安 頭 油 大 如 意 油 中 如 意 油 妹 黒 白鞋 油 大 元 牙 粉 小 元 牙 粉 固 歯 牙 粉 盆 樽 牙 粉 〓 瑰 牙 粉 超 等 宮 粉 大 宮 粉 小 宮 粉 妹 球 合 粉 大 雪 花 膏 中 雪 花 膏 三 雪 花 膏
一
牙
刷
四 雪 花 膏 小 雪 花 膏 潤 蓉 膏 大 牙 膏 二 牙 膏 小 黒 黄 鞋膏 大 艶 容 霜 小 艶 容 霜 紅 〓 瑰皂 白 〓 瑰皂 洋 〓 塊皂 檀 香皂 鉄 葯皂 荷 花皂 活 雲皂
一 〇 牙 刷
粉
一 五 牙 刷
一 二 牙
琵 琶 明皂
火 酒 中 〓 汁 自 来 撲 粉 飽 魚 明皂
家 庭 純皂 雪 梨 条皂 蘭 花 香皂
一 等 白 麪
森 字 毛 巾 鴨 子 毛 巾 全 球 霊機 襪 花 紋 男 襪 細 紋 雙底 襪 水 仙花 男 襪 海 塩 梗 米 頂 高 白 糖 頂 高 白 糖 頂 高 紅 糖 白 乾 酒 二 等 白 麪
︹ 資 料 の四︺
皇姑屯工場
三 等 白 麪 特 等 醤 油 油 油 鼓 醤 醤 酪 甜 乳 乳 干 油
一 等 醤 油
二 等 醤 三 等 醤 豆 双 缸 翻 南 高 大 福 小 福 黄 瓜 香
奉 天 公 所 長報 告
一、職 工 及労 働 者 現在 数 約 八 百 名、 大 半 は直 隷 省 人 にし て、 就 中 唐 山 、天 津 、 豊 台 地方 の 者多 し 。 二、 一日 の所 定 労 働時 間 労 働 実務 時 間 十時 間 但 職 工 は午 前 六時 四十 五 分 迄 に出 勤 、 同 七時 よ り就 業 、 同十 一 時 四 十 五分 より 昼休 み、 午 后 一時 よ り再 び作 業 開 始 、 同 六時 退 場 。
一般労 働 者
職
一時 間
一時 間 と十 五 分
三、 一日 の所 定 休 憩 時間 A
工
B
四、 一ケ 月 中 の所 定 休 業 日 数
一月 元 日
昼食 時 間
一月 一日 (南 京政 府 設 立 ) 四 月 八 日 ( 国 会 開催 記 念
五 月 五 日 (端 午 節) 八 月 十 五 日 (中秋 節 )
休 日は 無 し 、但 し 二 日位 の欠 勤 は 出 勤 と見 做 す 。 一年間 の公 休
陰暦
日 左 の如 し 。 A
陽暦
十 二月 冬 至 節 の四 日間 B
計 九 日とす 。
日) 七 月 三日 (共和 国 恢 復 記念 日) 十 月 十 日‖ 双 十節 (武昌 起 義
銀
記 念 日) 十 二 月 ﹁ク リ ス マ ス﹂ の 四日
現大 洋 を 以 て支給 す。
一般 労働 者 〇 十 八歳 以 下 (現 使 用 せし 親 の死亡 せし場 合 、家
基本賃銀
五 、賃 1
族 扶 養 の意 味 を以 て、其 の子 に限 り 特 に 傭 ふ こと を 得) 日 給
A
$26 〇 十 九歳 より 二 十歳 迄 の者 日給 $30 〇 二十 一歳 以 上 初
職 工 、製 工、 木 工 、機 関 手 、組 立 工、 仕 上 工、 塗 工、銅 工、
$58$6 2 $6 6 $70 $7 4 $8O 迄 。
給 $40 $44 $48迄順 次昇 給 ○ 各 工 頭 日 給 $50 よ り $54
B
油 差 工 、検 車 方 、庫 守 、守 衛 等 日 給 $50 よ り $5 8 $62 $。
見
習
工
66 $70$ 74 $8 0 の準順 。 C
鍛 冶、模型等
甲 普 通見 習 (五 ケ年 間 ) 制 、 木 工 、客 車 、銅 工、 仕 上、 組 立 、
日給
$26 よ り
$ 100 よ り
$ 50 $40 $50 $60 迄 。
$ 110 $120$ 130︱
$200 迄 、そ れ よ り
$30
$6O $ 7O $80 の 四 年 間 勤 め
$9O
$50 よ り
機 関 車掃 除 夫 十 八歳 以下 日給 $25 十 八歳 以 上 日 給
火 夫 見 習 、最 初
を 支 給 さ る。
$35 $40 $50 見 習卒 業 後 機 関 車掃 除 夫頭 と な り 日給
月 給 にな る。
日給
つ て傭 員 ( 雇 員 ) に昇 格 す 。
$80 と 四 ケ年 見 習 を なし 、 熟 練 工 と な り、 $90 $96 に 上
学 校 を 卒業 せ る者 を採 用 す ) 初 給 日 給$ 50 よ り $6 0 $7 0
乙 特別見習 ( 唐山工業 学校卒業後 三年経 過 の者或は普通 工業
丙
丁
て後 、 機関 手 の試験 を受 け合 絡 の場 合 は欠 員 を 俟 つて機 関 手
$3 00O
にな る。給 料 は次 項 月 給 の部 参 照 (以 上 日給 ) 機 関 手 見 習 月給
$500 づ つ昇 給相 船$8 OOO 迄 。
D $3500 よ り年
機関手
$8OO
$ 17OO 迄 。
$5500 な り。
月給
$3OOO にし て二等 機 関 手
月給
E
渡 船 機 関 手 (例 営 口 に於 け る遼 河 の如 き渡 船 連 絡 の場 合 ) 見 習
F
事務所ボーイ {
$140O
庫手長
G 〃
電 話 交 換 手月 給 $2 00O
月給 $5 0OO
列車ボーイ
H
唐 山 工場 火夫 長 及 各職 工長 (製 、 仕 上 、鍛 冶 を含 まず ) 月 給
月 給 $7500 迄 。
I
$5000 迄 。 製 、 仕 上 、鍛 冶
職 工長
J
K
2
M
甲 乙
丙
L機 関庫 長
給
月 給
$4500 よ り
$60O0 迄
$45OO $ 50OO $
夕方六時 より引継 き翌 日午前 六時四十五分迄
一ケ 月無 欠 勤 の場 合 は 二 日分 の増 務 給 を加 算 支
一ケ月無欠勤 の場合は四十時間即ち四日分 の増務給
$ 1300O 迄 。
$ 6000 の順 。
工
属
工手長 の月給 は
55 00
職
附
を支給す。 一般労 働 者
A 徹夜勤務
給す。
B
正 月 又 は公 休 日 に勤務 し た者 に は 二日分 の給 料
二週 間 内 に 1 40時 間 以 上乗 務 せし時 は 一日 分 の増 務
休 日勤 務
徹 夜 勤務 せ しも の には 二 日分 の増務 給 を支給 す。
機関手
を支給す。
給 を 加算 支 給す 。 賃 銀 の形 態
賃銀支払方法
前 記 の如 く 現大 洋 を以 て支 給 し 日 給 、月 給 の二種 と す 。
月 給 者 は 月 の初 めよ り 月末 に至 る 一ケ月 分 を月 末 に於 て支 払
日給者 は 月始 め より末 日迄 の計算 を なし 、翌 月 の初 旬 に支 払
ふ。
労 働者︱ 苦 力︱ 苦 力頭 よ り適 宜 分配 せし む 。
ふ。 此 の場 合会 計 係 は 各職 侵 に渡 し 、職 長 よ り各 職 工 に渡 す 。
進 給 方 法
上 記 の率 を 以 て年 一回 の昇 給 。
C
B
A
丁 3
4
5
六
実 物 給 与 各 職 長 に限 り 、 一年 に夏 服 二着 、 冬 服 一着 及 赤 靴 一足 を給 与 す 。 庫 手 及守 衛 には 雨合 羽 を給 与 す。
七 、福 利 施 設 各 職 長 及 上級 労 働 者 には 石炭 一噸 大洋 四元 の
G
職務 負 傷
公 傷者 に対し て は、 社営 病 院 に入院 無 料診 療 せし
一般 に体 力強 壮 に て、 一個 人 と し て見 れ ば 勤勉
め給 料 を支 給 す 。 八、 労 働 者 の能 率
請 負 的 作 用 は大 い に能 率 を 上 げ得 べし 。
力 行 な れ ど 、指 導 者 宜 し き を得 ざ る為 能 率 上 らず 。
機 関 手 、火 夫 、 木 工等 に於 て は優 秀 なる技 量 を 有 す る者 あ り 。
社 用石 炭 配 給
各 職 長 は 職 工 、或 は労 働 者 の活殺 権 を有 す る程 な れ ば、 裏 面 に
A 割 にて、 五 月 よ り 十月 迄 は 月半 噸 迄 を 限 り売 渡 し 、 十 一月 より
一 一、労 働 者 の生 活費
一〇 、最 近 に於 け る罷 業
実費
なし
大 洋 三 元位 な り (一ケ 月)
於 て種 々 の問 題 を惹 起 す る こと あ り。
一日 $1 0O
な し。
一日 $2 00
九 、労 働 団 体
各 職 工長
$6 0
社 用 によ り出 張 す る場 合 は、 旅費 を給 す 。 其 率 左 の如
翌年 四月 迄 は 一ケ 月 一噸 半 迄 を限 度 に売 渡 す。 旅費
火 夫長 、 機 関 手 〃 $40
し。
B
火 夫 、機 関 手 、職 工 〃 $2 5
一三 、思 想
考
一般 温 厚 な り 。
奉 直 戦 争後 各 種 食 糧 品 高騰 せ る為 、 生活 難 に追 わ れ職 を 他 に求
用 、採 用 等 割 合 に容 易 に行 わ る 。
薄 、農 民 多 し) 相 当 の貯 蓄 を作 れば 、 原籍 に引 挙 げ る考 にて 、解
労 働 者 は 大半 は他 地 方 よ り の出 稼 ぎ の者 に て ( 東 三省 は 人 口稀
一四 、参
怠 慢 と な る゜
監 督 者 の居 る場 合 は良 く働 き、監 督 者 無 き場 合 は多 少
労働者 〃
年 三 回 を限 り無 賃 乗車 証 を発 行 す 。但 し正 月 の休 業 を
職 工長 及 上級 労 働 者 には社 宅 を 給 す 。
一二 、監 督
貨車番人
( 附 記 ) 京 奉 線 にて は、 貨 物 運送 中 に蒙 る 諸被 害 は会 社 其 の責 を負 はず 、為 に荷 主 は之 が警 護 の為 一車 に 一人 の番 人 (会 社指 定
社宅
の者 ) を附 し 、 此 の場 合 番 人 の旅 費 と し て $25 は荷 主 負担 す 。
パス
む る傾 向 あ り 。多 く は 百 姓 を 好 む。 ︹ 竜音︺ 附 ( 以 下 二項 は南 郷 調 査 課員 の実地 尋 問 せ る処 な り)
C
正 月 中 に は特 に 一週間 以 内 の欠勤 は出 勤 に看做 す 。
D
正 月休 業
利 用 し て給 す 。 此 の場 合 家 族 同伴 を許 す 。 E
此 の中 三名 の小 頭 あ り。
三 十名
秦 皇 島 駅 工人 工 人 総 数
一年 間 皆 勤 の者 に は、 十 四 日間 の特 別 休 暇 を与 ふ。
右 三十 名 を 二組 に分 ち、 一週間 交 代 と し、 一組 は午 前
特 別休 暇
労 働 時 間
F
暇を与ふ。
熟 練 職 工及 各 職 工長 が 三 ケ年 以 上勤 務 し た る場 合 は 二ケ 月 の休
六時 より午後六時迄業務 に服し、他 の 一組は午後 六時 より翌朝六 銀
普通 一ケ月八、九元 にして小頭 は十二元乃至十三元と
時迄執務す るも のとす。
制
﹁平 均包 工制 ﹂ を採 用 す 。 即 ち大 多 数 の工人 は 各自 請
負 ひ得 た る利 益 を均 分 す るも のと す 。 但 し本 請 負制 は各 小廠 一律
工
工人 の大 部 分 は 唐 山附 近 に居住 し智 識程 度 他 種 工 人 に
四 十 五分 、 自 午後 一時 至 午 後 六時
自 午 前 六時 四十 五 分至 午 前 十 一時
な らず 。 其 の他 ﹁ 寡 頭 請 負 制 ﹂ を採 用 せ る所 もあ り。 作 業 時 間
賃 す。給料支払日は月末 一回にし て進 給方法は年功 又はヒキタテに 工 人 待 遇
よる。 十二月 二十九日より正月までの免票を苦力全部 に支給
附
一日
一ケ 月
一元 八角
百 元 乃 至 百 二十 元
三 角 五分
工匠
一日
大頭子
工徒
〇 ・三六
〇 ・ 二 六
者 十 八歳 未 満
働
二 十 一歳 未 満
( 親 父 の死 亡 に際 し て は、 其 の家 族 を 扶養 す る意 味 に於 て就 職 す る を普 通 と す )
二 十 一歳 以 上 の人 には 次 の如 き職 に契 約 さ る 。付 添 人、 小 屋 掃除
労
京 奉鉄 道 給 与 規 定
給 料 支払 日 は毎 月 五 日 又 は六 日 にし て住 宅 及食 費 は 全部 自 身 持 とす 。
銀
年 末 に 一ケ月 分 の賞 与 を支 給 す 。
比 し て高 し。 一年 に 一回京 奉 路往 復 三等 旅行 券 を 支給 す 。其 の他
無賃乗車券 す。 駅長 の給料は八十元とし賞与 は年末 に全
十八∼九元
風力房
風力房
賃
駅員 の給料 部 に対し 一ケ月分 を支給 す。 此 の外 に秦皇島より北戴 河に至 る保線工夫 五十名あり。此 の中 に 一ケ月三元五角乃至三元六角
十名 の小頭あり、該 工夫 の賃銀は 一ケ月平均 八元内外 とす。 唐山製造廠
労働者 の食費
生鉄廠
打鉄廠
機器房 汽鍋房
油漆房 鍋炉房
水力房
唐山 の製造廠 は京奉路機務処 の管轄下に属 し機関車廠 と客貨車廠 の
奉 車 廠
打鉄房
建立廠
機器房 木
廠 鋸木廠
輸軸廠 修車廠 補炉廠
鍋炉房 模型廠 電気廠
路︱機務処︱製造廠機車廠 客貨車廠
両分廠 より成り、両廠は更 に二十 の小廠 に分 れて居る。 京 機 客貨 車廠
夫 、 火夫 、 炉 格 番 人 、点 火 夫 、 石 工、 小 使 、室 内 掃除 夫 、 ポ イ ント
夫 、 切断 工、 工 場 、物 置 及倉 庫 或 は構 内 労働 者 、転 車台 夫 、焔 管掃
理 製造廠 の廠長は機務処長之 を兼任し、廠内 に正副経理 各 一人を設 け、両分廠内 には夫 々監 工を置き、更 に各小廠内 には
除 夫 、見 張 番 人 。
管
工頭を置く。
〇 ・四 〇
賃 銀 等 級 左 の如 し 。 〇 ・ 三六
〇 ・四 四
〇 ・四 八
助手 ( Hel pe rs)、汽 罐 製 造 工、 大 工、客 車 掃 除 夫 ( 第 一)、 機 関 士 、
一)
組 立 工 、点 火 夫 (火 夫同 様 の仕事 )、機 械 工、鋳 物 工、倉 庫 番 (第
〇 ・五 四
〇 ・五八
賃 銀 等 級 左 の如 し 。 〇 ・五〇 〇 ・八〇
工 (Appre nti ces )
〇 ・七 四
弟
〇 ・七 〇
〇 ・六 三
〇 ・ 六六
第 一労 働 組 長 、注 油 夫 (第 一)、 ペ ンキ塗 工 、錫 工、 列 車 機 械 工、 ︹二字不明︺ □□ 番 (第 一)、洗 滌 夫 (第 二 )
徒
技 術 職修 業 の為 五 ケ年 職 に従 事 し つ つあ る者 (普 通 徒 弟 工)、汽
〇 ・二 六 五年 級
二年 級
〇 ・六 〇
〇 ・三〇
三年 級
〇 ・四〇
⋮ ⋮ 〇 ・二 六∼ 〇 ・六〇
罐 製 工 、客 車 製 造 工、錫 工 、組 立 工 、鋳 物 工、鍛 冶 工等
一年 級 〇 ・五〇
賃 銀等 級 左 の如 し 。
四年 級 ( 特 別徒 弟 )
工 ( Hmpr over)
道 を採 る為 。
工程 学 生 ( St ude nt s Eng. )出 来得 べ き範 囲 に於 て特 別徒 弟 工 の
習
〇 ・九 六
徒 弟 工 の年 期 を終 え て、雇 傭職 工 とし て這 入 る前 に経 験 を必要 と
見
〇 ・九 〇
す る者 ⋮⋮ 〇 ・七〇 ∼○ ・九 六
〇 ・八 〇
賃 銀 等 級 左 の如 し 〇 ・七 〇
徒 弟 工 の年 期 を終 え て見 習 工と し て の経 験 を得 た る者 は 、 各 々夫
雇 傭 職 工 ( Joum ey Men)
等 の通 常 職 を引 受 く る資 格 を得 。 汽罐 製 工、 大 工 、銅 工 、組 立 工、
一 ・ 二〇
一 ・三〇
⋮ ⋮ 一 ・〇 〇 ∼ 一 ・ 三〇
機 械 工 、鋳 型 工、 ペ ンキ塗 夫 、 切断 機 工、 鍛 冶 工、 錫 工 、針 金 工
一 ・ 一〇
賃 銀等 級 左 の如 し 。 一 ・〇 〇
客 車組 立 工、鍛 冶 工 (第 一機 関 車 庫 )、倉庫 監 督 監 視 人 ⋮ ⋮ 一・四〇 検 車 夫 ⋮⋮ 一・五〇
ペ ンキ塗 工、鍛 冶 工⋮ ⋮一 ・六〇
汽 罐 製 工、銅 工 (蒸 汽 管事 業 )、 電 気 工 ( 第 一)、組 立 工、 列車 製 工、
汽罐製 工 ( 第 二機 関 車庫 )、組 立 工 ( 第 二機 関 車 庫)、第 一空気 制 動
作 職 工 ⋮ ⋮ 二 ・〇 〇
車 の組 立 を担任 す る者 、 機関 車 作 業 (T.W. ) 職 工 、機 械 及汽 罐 製
汽 罐製 工、 組 立 工 及機 械 工、請 負製 図 の能 力 あ る者 、 或 は新 造 機 関
工業 学 校卒 業 後 就 職 せる者 、或 は 唐 山 の試 験 に完 全 に合 格 し て、
〇 ・七 〇
機 、 機 関検 査 夫 、 機械 鋳 物 工、 鍛 冶 工 ( Charge Men T.W . )⋮ ⋮
三年級
四 ケ年 職 務 に従 事 せ る者 、唐 山 技 術専 門学 校 を卒 業 し 、或 は之 と 同
〇 ・六〇
一 ・八 〇
〇 ・五 〇
三年 級
等 の学 校 を卒 え て 三ケ 年 服務 せ る者 。
一年 級
〇 ・八 〇
賃 銀 等 級 左 の如 し 。
四年級
掃
除 〇 ・ 二 五
夫 (Cl eaner s )( 機関)
十 八 歳未 満
三年 級 〇 ・四 〇
四年 級
三 五$
二年 級
四〇 $
四 五$
三〇 ・〇 〇
三年 級
三五 ・〇 〇 ∼ 八〇 ・〇〇
機 関 車 順 序 方 (Shed Host l e rs) 機 関 士 (Dri ver )
五〇$
一年 級 二年 級 〇 ・ 三五
賃 銀 等 級 左 の如 し 。
〇 ・ 三〇
十 八歳 以 上 に対 す る最 低 〇 ・ 三〇 ∼〇 ・四五
一年 級
四年 級
此 の賃 銀 は何 等 か の理由 に拠 つ て本 線 の機 関 士 と し て、 此 の職 を
試 験 に依 らざ れば 以 上 よ り増 俸 されず 。
六 二$
八年 級
〇 ・五 〇
〇 ・四 五
七年 級
火 夫 に し て掃 除 作業 人
六〇 $
八〇 $
担 当 し て居 る機 関 士 に非ざ る限 り、 入 換機 関 士 及枝 線 に働 く機 関 士
六 年級
十年 級
〇 ・八 〇
五五$
七五$
第 一客車 掃 除 人
五年 級
九年 級
) 働 かね ば なら
︹アキ マ マ︺
注意 、 機 関 士 が総 時 間 執業 の故 を以 て 一日 の特 別賃 銀 を 附 与 さ れ る
七〇 $
に対 す る最 高 の賃 銀 であ る 。
三年 級
〇 ・九 〇
夫 ( Fi reM e n)
〇 ・六〇
第 一機 関 車 掃 除 人 、第 一洗 滌 夫
〇 ・七 〇
四年
賃 銀等 級 左 の如 し 。
火 賃 銀等 級 左 の如 し 。 二年 級
権 利 を受 く る為 に は、 二週 間 に 一日 四時 間 (
〇 ・五 〇
ぬ 。職 務 の為 に機 関 庫 及機 関庫 任 務 を欠勤 し機 関 士 の厚 意 に依 つて
一年 級 級 〇 ・八 〇
勤務 に算 入 す る 者 は、 運 転 用 紙 ( Tr i p sheet ) にて説 明 せね ば なら
最高 額 に し て 一ケ年 服 務 後 は 、 若 し欠 員 があ つた場 合 には機 関 士 心 得 と し て受 験 す る資 絡 を得 。
渡 船 職 員 (Fer ry BoatSt af f )
イ と し て の服 務 は換 算 せず 。
ぬ。機 関 士 の年 限 は掃 除 夫 と し て登 録 の期 日 より換 算 す 。 掃除 ボ ー
士 (機 関 車 )
月 俸 職 員 (Monthl y Pai d staf f ) 関
最高 額 にし て 一ケ年 勤 務 後 の火 夫 及 T ・N に於 け る支 那 語 及英 語
二等 機 関 士 (〃) 五 年 級 の最 高 賃 銀 ⋮ ⋮ 五 五 ・〇〇
機 関長 (機 関 士階 級 の)
機
の読 み書 き の試験 に合 格 せ る者 にし て、 フ ー ト ブ レ ー ト ( 機関車
三〇 ・〇 〇
〇 ・五〇 ∼〇 ・八〇
見 習 書 記 、石 炭 検 斤 方 、 工場 及 機 関庫 事 務 所 に於 け る書 記生 と し
監 督 或 は 書 記 以外 の 工場 及機 関 庫 職 員
火夫 (機 関 車 火 夫 の階 級 )
油 差 人 (機 関 士 心得 の階 級 )
の) に 三 ケ年 以 上 の経 験 を 有 す る者 を以 てす 。機 関 庫 に於 け る機 関 士 心得 の数 は、機 関 士員 数 の二 〇% を越 え ては な ら ぬ。 機 関士 心 得 は機 関 を担 当 さ れ る迄 、炊 火 を続 け るも のと す 。 機 関 を担 当 せ る機 関 士 心 得 と し て フ ー トブ レー ト に 一ケ年 服 務 の 後 は機 関 士 に陞 進 す。
一四 ・〇 〇
一八 ・〇 〇
使 用 車 を担 当 せ るボ ーイ 二 〇 ・〇 〇
て の試 験 に合 格 せざ る者
火夫 ( 第 二 T ・W汽 罐室 )
五 五 ・〇 〇
六〇 ・〇〇
一 一〇 $
⋮ ⋮ 八 五 ・〇 〇 ∼ 一〇 〇 ・〇 〇
機 関 庫 監督 助 手 、 機 関士 監 督 、 第 一倉 庫 T ・W
夜 勤 職 工監 督 (機 関 庫)
装 具 及機械 工場 、 鋳 造 工
一年 級
五〇$
五年 級
二年 級
九〇$
六〇$
六年 級
三年 級
一〇 〇 $
七〇 $
賃 銀 等級 左 の如 し 。
一二 〇 $
八〇 $
一八〇 $
四年 級
職 工 長 補 (Ass i s t antFor eman)
十年級
七年 級
一三〇 ・〇 〇
第 一機 関 工場 機 関 車 作業 工 、組 立 工場 工 、電 気 部 、 ク レ ー ム製 工、
機 関 庫 監督
八 ・〇 〇 ∼ 一七 ・〇 〇 五〇 ・〇 〇
給 仕 、 写真 及 青 写 真 工 機 関車 管 理人 二〇 ・〇 〇
五〇 ・〇 〇
五〇 ・〇 〇
特 別 徒 弟 工階 級 から抜 擢 せ られ た助 手
電 話 交換 手 監 督 職 員 (Su per vi s i on St af f )
理人
第 一火夫 T ・W 、錫 工、 客 車 工場 構 内 主 任 、第 二大 工、 機 関庫 監
四 五 ・〇 〇
汽 罐 室 T ・W助 手 、第 一 (夜勤 )、第 一穿 錐 工 、鋳 型 工、合 図 方 監督
第 一汽 罐 製 工 ( 機 関 庫 及 支 所)、銅 工 T ・W、組 立 工 (機 関 底 支
欠 員 に応 じ て職 工補 に陞 進 せ る者 及 び 必要 な 資 格 証 明書 を提 出
し て、 職 工補 とな れ る も の に し て、其 の最 低 賃 銀 と し て 一二〇 $
所 )、 ペ ンキ塗 夫 T ・W、 テ ンダ ー 工場 整 理 人 、切 断 機 工 場 、 第
を受 く ゜
写図 工
徒弟 工
六〇 ・〇 〇
三 五 ・〇 〇
一五 ・〇 〇 ∼ 二 五 ・〇 〇
室 (D rawi ng Of f i ce )
製 図 者 下級
八〇 ・〇 〇
図
二汽 罐 工場 、作 業 工、組 立 工場 、 フ レ ー ム製 工
製
機 関 車 組 立 及 客車 作 業 工 、機 関 鋳 造 工、 機 関車 及 客 車 作業 工、 鍛
⋮⋮ 七 〇 ・〇 〇
冶 工 、機 関 車 及客 車 作 業 場 工 、構 内 T ・W、合 図 方 T ・N
七 五 ・〇 〇
第 一汽 罐製 工 及組 立 工 (大機 関 車 庫 )F.T.T.S.T.N.S.H.K. C. H .N . K. T.
上級
〃
一五〇 ・〇 〇
一三〇 ・〇 〇
第 一車 軸 組 立 工 T ・W、汽 罐 検 査 夫 ( 機 関 車 庫 )、 機罐 室 T ・W 、
製 図 指 導者
一五 ・〇〇 ∼ 二五 ・〇 〇
職 ( Cl er i ca l s t af f) 見 習書 記
記
製 図指 導 長 補 書
客 車 組 立 工 、 コ ンプ レー ト チ ャー ヂ に於 け る電 気 庫監 督 、 切 断 工
九
止 螺 旋 、螺 釘 及 鋲 工場 工 、鍛 冶 工 場 工 、機 関 車 及 客車 工場 、 ウ エ ステ ング ハウ ス空 気 制動 機 工場 、第 二電 気 部 (上 級第 二) 〇 ・〇 〇
三等
一五 ・〇 〇
賃 銀 等 級 左 の如 し。 二等
二〇 ・〇 〇
二等
一等
二 五 ・〇 〇
八 〇 ・〇 〇
三等
下 級 書 記 、賃 銀等 級 に四 あ り ⋮ ⋮ 三〇 ・〇 〇 ∼四 五 ・〇〇 書 記 (機 関 庫 書 記長 に対 す る 最 高 〇 ・〇 〇 )
五〇 ∼ 六 〇 $ 一等
三等 九 五 ∼ 一 一〇 $
六 五 ∼ 七五 $
⋮ ⋮ 五〇 ・〇 〇 ∼ 一一〇 ・〇 〇
四等 八〇 ∼ 九 〇 $
賃 銀等 級 左 の如 し 。
二等
六
監 督 、製 図 職 及書 記 職 T ・Wは若 し執 務 の為 出 勤 せ ら れ た場 合
でも 、 日曜 祭 日を 除 いて は時 間 外 賃銀 を支給 せず 。
工場 職 工 (日給 者 )午 后 六時 ︱ 午 前 六時 四 五分 の間
支 那 正 月 を除 いた 日曜 祭 日 の執 務 は⋮ ⋮ 通算 時 間
時 間 と住 宅
支 那 正 月中 に執 務 を命 ぜら れ た る雇 傭 人 には ⋮ ⋮二 倍賃 銀
止 置 職 工 ? (Brea kd own Gang ) 午 后 六時 │ 午 前 六 時 四 五 分︱︱
一ケ 月 の執 務 日 の前 半 時 間 を 完 全 に働 いた雇 傭 人 には 一日分 の
〃︱
に も 一日分 を給 す 、故 に雇 傭 人 にし て 一ケ月間 完 全 に執 務 せ る も
特 別 賃 銀 を給 し、 亦其 の月 の執 務 日 の後 半 を完 全 に執 務 せ る も の
外 (O ver ti me)
午 后 一時 ︱ 六時
午 后 一時 ︱ 五時 三 〇分
午 后 一時 ︱ 五時
監 督 補 及 機 関車 監 察 員 、 監督 補 及 機 関車 監 察 員 補、 助 手 長 、製 図
交 通部 の任 命 に依 る主 要事 務 所 T ・W の助 手 ⋮ ⋮ 三 ・〇 〇
旅 行 及外 勤 (Tr ave lli ngorAway fro m Home)
午 前 七 時 ︱ 一 一時 四 五 分
十 二月 、 十 一月 、 一月 の執務 時 間 は
午 前 七 時︱ 一 一時 四 五 分
十 月及 二月 迄 の執 務 時 間 は
午 前 七 時︱ 一 一時 四 五 分
三 月 より 九 月迄 の執 務 時 間 は
のは 二 日分 の特 別 賃 銀 を受 く 。
機 関車 管 理 人 を 補佐 す る書 記 長 ⋮ ⋮ 一三〇 ・〇〇
⋮⋮⋮一五〇 ・〇 〇
当 (Al l owan c e)
銀 支払 名 簿 及賞 与金 配 当 を 担 当 す 。
定及 物 品 の消費 、賃 銀 の給 与 、製 作 用 機 械 の登 録 、 車輛 統 計 賃
一般 事 務 の中央 機 械 製 作 所 にあ つて、 労 働者 の日勘 定 、 月勘
上 級書 記
書 記長 T ・W⋮ ⋮ 一六〇 ・〇 〇
手
工場或 は機 関 庫 に於 て は特 別 の事情 あ る場 合 の外 一日 二十 時 間 以
間
上 の仕 事 を せ ぬ こと に協 定 を要 す 。 時
一日 二十 時 間 勤 務 の機 関 庫 職 工は 、 一ケ年 に四 〇時 間 の所 定時 間
者 、書 記 長 及 上級 書 記 T ・W ⋮ ⋮ 二 ・〇〇
外 を 持 つ ことと な り 、其 の賃 銀 は左 であ る。 機 関庫 監 督 及 書 記 、汽 罐 製 作 工、掃 除 夫 、 石炭 労 働 者 、機 関 士、
工場 (第 一)、機 関 庫 監督 、制 図 室 工 及書 記 職機 関 庫 書 記 長
⋮ ⋮ 一・〇〇
電 気職 工 、組 立 工 、 火 夫、 見 張 番 、 時 間外 勤 務 は 執 務 日数 の割 合 に拠 つて計 算 す 。
熟 練 工及 助 手 ⋮ ⋮ 〇 ・六〇
旅 行 無 賃 乗 車 証 一枚及 半 額 券 を 一枚 下 附 す 。
暇 ( Leave)
全 雇 傭 人 には 一ケ年 間 に十 四 日 の特 別 休 暇 を給 し 、賃 銀 の支 給 を な す。
(定期 ) 熟 練 雇 傭 人 に は三 ケ年 執務 後 には 、特 別 請 暇 の外 に 二
ケ 月 の賃 銀 有 給請 暇 を許 し、 若 し亦 要 求 に依 り職 務 の許 容 を得 し
支 那 正 月 の六 日間 、 春 節 (一月 一日)議 会 開 院 式 (四月 八 日)
竜 舟 旗 祭 日 、 双十 日 (十 月 十 日) 中 秋節 、 共 和 復興 日 (七 月 三
雇 傭 人 が 職務 に依 り て傷 害 を受 け し 際 は、 入 院 中治 療 を免 除 さ
傷 (S i c k)
日) 冬 至 、聖 降誕 祭 (十 二 月 二十 五 日)
れ る迄 賃 銀 の全 額 及食 事 を 支給 す 。職 務 以外 の理 由 に依 り て其 の
病
機 関 士 には 賃 銀 の六十 分 の 一を支 給 す 。
四 日)
( 恩 典 ) 雇 傭 人 は 全国 祭 日 に対 し て半 額 賃銀 を受 く (一ケ年 に十
ケ 月 を期 間 と し て採 る を得 るも 、然 し其 の期 間 内 な るを要 す 。
請 暇 の満 期 迄 に復 職 す る こと に違 背 せ る者 は解 傭 す 。請 暇 は 一
職 す る迄 支 給 せ ず 。
場 合 は無 給 にし て二 ケ月 延 期 す る こと を得 。而 し て賃 銀 は再 び就
請
京 奉線 の無 賃 乗 車証 は執 務 請 暇 或 は請 暇 中 な る場 合 に下附 す 。 ・ 二五
一般 労 働 者 ⋮ ⋮ ⋮ 〇 ・四〇 倉 庫 見 張 番 、 貨 車 にて旅 行 の場 合〇 機 関 車 員 が十 二時 間 外 勤 の後 には 、手 当 を 支給 す 。 三 十 六時
間 の後 に は再 び権 利 を附 与 せ ら る 。夫 は最 初 の十 二時 間 には 手当
注意
を 附 せず 。第 二 の十 二時 間 には 手 当 を給 し 、 其 の後 は亦 之 に倣 ふ。
炭 (Coa l )
其 の他 の職 に は 工場閉 鎖 時 後 八 時 間 よ り手 当 を 給 す。 石
月俸 職員 、 熟 練 工 及機 関 車 火 夫 は鉄 道 定 額 に於 て 石炭 の支 給 を
然 し て 一噸 半 は他 の月 に支 給 さ る。
受 く (現在 一噸 当 り 四弗 ) 粉 炭 或 は塊 炭 半 噸 を 五 月 よ り十 月 迄 に、
服 ( Unio fr m) 毎 年 機 関 車 員 には 黒靴 及色 靴 一足 と 共 に 一ケ年 に三着 の服 を支
所 ( Quarts e )r
勤 を強 要 され る雇 傭 人 に は山 羊皮 の外 套 及 油 皮 雨衣 を支 給 す 。
給す ( 冬 服 一着 夏服 二着 )。 見張 番 の如 く 天 候 の如 何 に拘 ら ず 外
制
宿
宿 所 は 工場 雇 傭 人 に 対 し て のみ其 の設 備 あ り 、之 は直接 の隣 人
機 関 車 監 察 員 助 手或 は助 手 (一般 ) の如 く宿 所 を支 給 せざ る方
関 係 を持 つ工 場 にて は避 く べ か らざ るも のと思 ふ。
便 利 とす る者 は 二〇弗 の手 当 を 支給 す 。 機関 庫 監 督 及機 関 庫 書 記
年 中 病 気 に罹 つた場 合 は 病 院払 に て食事 を給 し 、 又最 初 の 一ケ月
監 督 職 及 機 関士 の場 合 は 本 鉄道 の負 担 に依 る毎 一日 一弗 の唐 山 病
支 給 、其 の期 間 以外 は 病 中 手当 の支 給 に含 ま ず 。
は賃 銀 の全 額 を受 け、 二 ケ 月目 、 三ケ 月目 に対 し ては 半 額賃 銀 の
長 には 五弗 の手 当 を支 給 す 。 無賃乗車証 ( Pass es ) 月俸 者 及 熟練 雇 傭人 には 毎年 一回他 線 に対 す る優 待乗 車 券 一枚 を 下附 す。 又 当 人 及家 族 (両 父 母 、妻 、 子 供) に対 し 京 奉鉄 道 の
服
院 特 別 看 守料 を受 く 。 月末 払 伝 票 は 医 師 の証 明 書 に依 つて与 へら れ、 病気 請暇 は同 総 日 数 よ り特 別休 暇 及定 期 休 暇 を控 除 す 。 務 ( Se rv i ce) 永年 服 務 せ る雇 傭 人 は 、彼 が支 給 を受 け て居 た賃 金 よ り尠 い地
技 術 部書記
新 任 職員 は其 の教 育 及経 験 に準 拠 し て、 第 四級 の 一、 二或 は 三年
より 始 め ら る も のと す 。認 可 大 学 及高 等 商 業 を卒 業 せ る資 格 を有 し 、
多 少 の経験 あ る者 は 第 三級 よ り始 む 。第 四級 及第 三級 は 試験 期 間 に
し て、 勤勉 な らざ る者 、怜 利 なら ざ る者 は、 凡 て第 二級 に推 薦 す る
第 四 級或 は第 三 級 に属 す る者 にし て、 勤 勉 な る者 に対 し て は、 年
を 得 ず 。故 に第 二級 者 は後 年 に は確 か に第 一級 に相 当 す る者 とす 。
第 三 級 を通 つ て第 二 級 に昇 進 す るに は推 薦 あ る者 に依 り 、然 し て
に五 弗 の賞 与金 を 以 て推 奨 し て ゐ る。
と し ては 単 に Chi efPay Sheet sCl er k ( 機 関 庫書 記 長 ?) 及倉 庫
十 五弗
書 記 長 に限 ら れ、 職 務 の義 務年 限後 に各事 務 所 内 に於 て第 一級 に進
二 十弗
四十弗
日額
四十 五 弗
〃
〃
五十弗
第 二年
〃
五十 五 弗
第 一年
第 二級 に進 級 せ る後 の年 五弗 の賞 与 金 は、 其 の才 能 及 欠 員 の如 何 に
第 三年
〃
六十弗
二十 五 弗
第 一年
〃
六十 五 弗
〃
第 二年
〃
七 十弗
第 三年
第 三年
〃
七 十 五弗
第 二級 よ り第 一級 に進 級 す る に は才能 及 欠 員 に依 るも ので 、規 定
依 るも の。
第 四年
〃
八 十弗
三十弗
第 五年
〃
八 十 五弗
三十 五弗
第 六年
〃
〃
第 一年
〃
百弗
九 十弗
〃
第 二年
〃
第 二年
第 三年
〃
第 二年 月 給 五十弗
下 級 学 生 、 即 ち 鉄道 の経 験 に於 け る技 術的 訓 練 及 教育 を経
工 程 学 生 の等 級 及 進 級
工程 学 生
第 二年 九 〇弗
第 三年 一〇 〇弗
第 四 年 一二〇 弗
上 級 学 生 、 認 可 工科 大 学 の技 術 課 程 を卒 へた る者 、或 は第
第 一年 八〇 弗
一級 よ り進 級 し た る者
第 二級
N ・B
進 し 、然 らざ るも のは 解職 す 。
若 し 下級 学 生 にし て、真 に有 用 な る も のとな つた後 は第 二級 に昇
第 一年 月給 四十 弗
ざ る者
第 一級
級 す る こと を得 。
第 四年
第 一年
給 料 の標準
位 に任 命 され て も俸 給 を減 額 され る 心配 を要 しな い。
第四級
第 三級
第 二級
第 一級
第 五年
〃
百十 弗
第 六年
一四〇弗
二
一日 の所 定休 養 時 間
汽 車 乗 務員 は 八時 間 乃至 十 二時 間 休 養 し、 其 の他 は十 六 時 間乃
第 五年
至 十 八 時 間休 養 、但 し 正午 よ り十 五 分 間 を喫 茶 時 間 に当 つ。 尚規
日曜 日 五二 日
を初給とし、二ケ年 の経験 を有す る者 には百弗 を初給として技師
約 十二日
ロ
実務 に 一ケ年 の経験を経たる者 に (京奉線以外)対しては九十弗
大祭日
一ケ年 の所 定休 養 日数
定 時 間 外 勤務 に対し ては割 増 賃 銀 を支 給 す 。
イ
労 働 露国 革 命 に関 す る休 業 日 二 日 (十 一月 七 日革 命 記 念 日及
六月 一日 よ り 八月 三 十 日迄 毎 週 月 曜 を休 業 と す。
陰 暦 元 旦 、端 午 節 、 中 秋祭
五月 一日 メーデ ー) 民 国 大祭 日
ハ
夏期休日
三
長之 を決定す。 就職満期後或 は上級学生として三ケ年 の後 には、職務 の要 求に応 じて試用工程司に進級する に完全 なる者となる。 試 用工程司
ニ
第 二級 より進 級せる者を以てす。進級 の資格に相当する第 二級者 ホ
従 来 土 曜 日 を休 業 し 居 た る も、 避 暑 地行 社 員 の利 用す る列車 の
ならざ る新任者は、試用工程 司に任命さるる ことなし。 三ケ年二五〇弗
試用 工程司 の俸給 は技師長之を決定す 二ケ年二二五弗
基 本 賃 銀
銀
定 員 (月給 者 ) 大 洋 二〇 元 より 一〇 〇 元 迄
都 合 に依 り便 宜 の為 月曜 と せ り。
一ケ年 二〇〇弗
賃
但 し 月 曜 日 の休 業 は 本社 及 管 理 局 勤 務者 に限 る。
補
イ
技 師
四
一 試用 工程司より技術補 に昇進 するを得。而 して其 の俸 給は技師 長之 を決定す。 (注意)支那人技師補 は現在甚だ少数 にして、而 して其 の俸 給は約
雇 員 (日給 者 ) 大 洋 六〇 仙 より 二元 迄
給 し 、時 に会 社 よ り 一定 の薪炭 及燈 用 と し て石
社 員 の階 級 及 職 務 によ り、 相 当 し た る社 宅 を配
請 負 の場 合 は、 其 の仕事 の種 類 に依 り之 を 定む 。 給
三〇〇弗 とす。 属
技師補 、技術事務官 、地方技師、技師長補、技師長 は英国民である。 附
額 一、 五 〇 〇元 を 越 えず 。 而 し て薪 炭 、 電 気 の
ロ
油 (点灯 用) を給 す 。社 宅 を配 給 さ るも のに対
し ては 、其 れ に相 当 す る社 宅 料 を給 す 。 右 の割
給 与 を な さず 。
合 は 俸給 の四分 の 一を限 度 とす 。但 し 一ケ年 総
八時間
哈爾賓事 務所調査課長報告 筋肉労働者
六時間
一日 の所定労働時間
東支鉄道従事員待遇調査
︹ 資料 の五︺
一
頭 脳労働者
五
当 せざ る場 合 は之 を 拒 絶 し 、社 宅 を 配 給 せざ る
右に就 き 配給 せら れ た る社宅 に し て、 自己 に相
套 、長靴、帽子、平服、ズボ ン及帯を給与す。
務員 へは正服をも給す。保線夫、門番及警 手には皮 手袋、毛皮外
社宅及共 の社宅 に相当す る燃料、電燈を給与す るの他、汽車乗
無賃乗車券 の発給、病院施療、社宅給 与、沿線閑地に避暑設備
六 福利施設
社 員 と 同額 の社 宅 料 を 受 く る の権 利 を 有 す 。尚 甘 ん じ て該 社宅 の配 給 を 受 け た る場 合 は 、自 己
をなし、社員 の為無賃特別列車を運転す。主要駅 には社員倶楽部
に 相当 す る設 備 を為 す に要 す る費 用 を 要求 す る の権利 を有 す 。同 時 に薪 炭 、 点燈 料 の給 与 を受
労働者 の能率
を建設 し各種娯楽器具完備す。 七
く 。社 員 にし て其 の職 務 に依 り 、待 避 駅 に勤 務 す る場 合 は 、特 別手 当 とし て の俸 給 の 二十 分 の
一般 に労働能力良好 であ るが、支那人は露国人 に比較 し露語に
通ぜざ る点 に於 て、又欧洲人と生活状態を異 にし、或は考察力劣
五 を給 与 す 。 社員 退 社 の場 合 は、 其 の勤 務年 限 の長 短 に依 り、
るを以て、自然労働能率 に於 ても多少劣るが、自ら能率単位を有 し、支那人として の秀 でたる勤務観念と経験及考慮を有す。
( 其 の他 別 冊 の社 員 給 与 規 程 を見 ら れ た し) 凡 て大 洋 を 以 て す。
那 人
国
一〇元乃至 一五元
一五元乃至 二〇元
人 支
人 ン
糖
﹁フ ン ト ﹂
十 二銭 (ザ ラ メ)
五十 銭 以 上 ﹁〃 ﹂
八銭
黒 六銭 白十銭
﹁〃 ﹂
﹁〃 ﹂
十一 労働者生活必要品 に関す る物価
露
十 労働者 の生計費
所調査時報第二巻第 四号 二三頁)
九 労働団休及最近 に於け る罷業要求条件と解決条件 ( 哈爾賓事務
八 労働 に関する規則 ( 別冊庶務部調査課 へ送附)
或 は労 働 能 力減 殺 の程 度 に依 り 、社 員 積 立金 の
(過般 の九 四 号命 令 に依 り 退 職 し た る社 員 には、
三 〇% 乃 至 一〇〇 % 加 給 す 。
右 金額 を 給 せ ざ り し を以 て目 下起 訴 せむ と協 議 中 で あ る、)而 し て社 員 及 其 家族 の死 亡 葬 祭 の
賃 銀 形 態
場 合 は扶 助 金 を贈 与 す 。
ハ
定員 は二 十 日払 、 定 員 外 は 一日及 十 五 日払 と
茶
パ
露 国
砂
毎年 営 業 予算 を基 礎 と し 、 職務 に依 り て給 額 を
す。
賃銀支払方法
進 級 方 法
ニ
ホ
決 定 し 、年 期 昇 給 制 に非 ざ る を以 て進 級 は高 給
塩
職 務 に転 ぜ し む る の方 法 を 以 てす 。 実物 給 与 の種 類 及価 絡
支
牛
牛 乳
肉
﹁〃 ﹂
﹁〃 ﹂
﹁フ ント﹂
一円
十 銭 (四合 瓶 )
二十 銭 羊
豚 肉
肉
﹁〃 ﹂
﹁〃﹂
〃
大洋
二角 六 分
二角 四 分
大
豆
米
米
米
米
﹁一斤 ﹂
﹁〃 ﹂
﹁〃 ﹂
﹁〃 ﹂
﹁〃 ﹂
﹁〃 ﹂
﹁一斗 ﹂
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
大洋
五分
一角
一角 六 分
一角 六 分
一角 一分
二元 二 〇角
一元 八 〇角
一元 二 〇角
一元 七 〇角
四元 四 〇角
五元 二 〇角
十三 監 督 方 法 、 調 査中
動 揺 し得 る の用意 あ る と の事 であ る。
は政 治 的 に (例 え ば支 那 の露 側 圧迫 等 の場合 に於 て) 何 時 たり と も
較 し遙 に優 り 居 る を以 て、 目下 平 穏 であ る。而 し 労農 露 国 側 労働 者
益 濃 厚 の度 を 増 せ る様 であ る 。然 し待 遇 が労 農 露 国内 の同 業 員 に比
国 宣 伝 員 の宣 伝 に依 るも の であ る が、 最 近同 国 勢 力 の侵 入 と 共 に、
露 支 人 職 工 を通 じ 社 会主 義 的 思 想 を 有 す るは 、露 国 革 命 後労 農 露
十二 労 働 者 の思想 及 其 の原 因
タ
粳
豆
﹁ "﹂
〃
一角 七 分
人
小
麺
﹁〃﹂
〃
八分
那
バ
小
酒
﹁〃﹂
〃
六分
梁
白
条
﹁〃﹂
〃
七分
大
高
焼
麺
﹁ 〃﹂
〃
轍 車 結
名
最
各 駅 従 事員 の給 与
粉
醋
﹁〃﹂
〃
時 間
切
油
﹁〃﹂
務
老
醤
﹁〃﹂
務 斤 金
手 係 係 手 員 方 係 役 長
勤
豆
醤
一角 四分
転 操 連 警 事 検 現 助 駅
休養 時間
麺
塩
〃
一角 四分
勤時間
大
﹁〃 ﹂
〃
二角 五分
東支鉄道 運転課職員職工及労働者
低
食 糖
﹁〃 ﹂
〃
四分
包
最
白 糖
﹁〃 ﹂
〃
二角
高
紅
糖
﹁〃 ﹂
〃
職
氷
麺
﹁〃 ﹂
米
肉
牛
露国 国籍 支 那国籍
東支鉄道運転課職員職工労働者数
名
(一九 二五年 五月現在)
職名国籍別人数 (一九 二五年 五月現在)
職
付
訳
係
員
受
務 書 通
事 文 語
夫
番
係
国 庫
場
外 帳 倉 夜 関
関 庫
料
械
次
技
技
火 洗
締
夫 夫
術
水
方
員
夫
注
車
火夫 技
汽
〃 〃
車
掃
注
除
油
夫
夫
助 手
発 電 機 機 関 士
検
〃
井 戸ポ ンプ機 関 工
事
一 等 助 手
取
転 轍 手
警 機
一 等 機 関 手
火
機
二 〃
庫
長
第
三 〃
関
課 席
第
四 〃
機
次 長
第
区
燃 同 機
任
方
士
係 任
第
〃
主 師
同 第
督
長
同 第 二 等
監
席
〃
︹ アキママ︺
師
同 第 三 等
庫
主
関
習
見
方
計 書 員 訳
〃
機
関
計 務
手
長
機 技 会 統 秘 事 通
任 方
方
主
書
方 記
記
製 図 方 、筆 記 方 文
簿 簿
汽 車 拭 夫 客 車 ボ ー イ 職 工 長 電 気 工 工 具 保 管 係 据 付 機 関技 師 〃 火 夫 自 動 車置 場主任 運 転 手 工 場 長 〃 次 長 〃 技 師 工 場 各 係 長 〃 次 長 発 送 係 通 訳 社 宅 係 主 任 操 車 係 連 結 手 製 材 所 主 任 操 材 係 試 験 主 任 試 験 員 消 防 長 消 防 夫 発 電 所 長 〃 次 席
〃 職 工 長 監 視 人 小 使 起 重 機 操 〓 係 女 会 計 方 機 関 火 夫 発 電 所 機 関 士 〃 助 手 〃 火 夫 注 油 夫 炭 酸 水製 造主任 合 計 機 械 鍛 冶 挽 物 師 螺 旋 職 工 鉄 技 工 汽 罐 夫 銅 技 工 鍛 冶 工 鎚 打 夫 鋳 造 工 木 工 塗 工 室 内 装 飾 匠 屋 根 職 洗 濯 女 鍋 力 匠
他 工 習
縫 職 職 生
女 工 人 徒 役 徒 計
生
裁 其 手 見 雑 実 合 計
習
総
房 官 冶 打 根 鍛
様
労 働
者 工 工 工 職 職 師 職 夫 職 冶 工 職
名 一等 及 二 等
運 転 課 直接 雇 傭 労 働者 (大 洋 )
級
模
械 鑵 子
三
(追 報 、哈 調 経 第 六 四号 ) (14 ・7 ・22)
職
下 大 木 石 〓 左 壁 鍛 鎚 屋 機 汽 硝
等
請負人経由労 働者及荷馬車
井 土 線 井 轆
戸 路
機
戸 塗
械 工 鍛
夫 工 夫 掘 冶 職 職
夫
轤
塗
除
床 壁
掃
自 動 車 運 転 手
蒸 気 ロー ラ ー機 関 夫
働
者
監
督
ア ス フ ア ル ト 職 労
(〃
不 給)
掃 除 女 (宿 舎 支 給 ) 〃
一 等 立 荷 馬 車 二 等 立 〃
(以上 )
右 記 労 働 賃 銀 は 一九 二 四年 五 月十 六 日 運転 課 が監 査役 立 会
の下 に決 定 せ るも のに て、 東 支 鉄道 一般 にも適 用 せら れ現 在 に
備考
及 べる 。
東 支鉄 道 運 転 課 各 区 別職 工労働 者 数 及 一日平 均 労働 賃 銀 表
(追 報 、哈 調 経 第 七 五 号 (大正 14 ・8 ・12 ))
所 所 属機関庫所在地
里
務
爾
事
名
洲 図
区
満 拉 河
賓 海 哈
爾 渡
上
稜
子
賓
爾
布
哈
免
爾
図 々
斉 哈
爾
爾
哈
哈 拉 哈 々 爾 横
河
賓
中 央 工場
布
海
第 二 区 斉
一区
第 三 区 哈
第
第 四 区
則
道
安 達 、 一面 坡 、寛 城 子 窰門
子 穆
河
横 同
道
第 五 区 ポ グ ラ ニチ ナ ヤ
計
第 六 区 合
︹資 料 の六 ︺
総
助 同
手 数
及 上
雑 役 数 及 同 上
見 習 数 同
及 上
合
計
本 通 則 の称 す る職 工と は 、 鉄道 の車務 、 工務 及 機 械 工場 に
凡 て職 工 は試 験 に合 格 せ る者 に非 らざ れ ば 傭 用 す るを 得ず 。
第 二章
男 女 年歳 十 二歳 未 満 な る者 は、 傭 用す るを 得ず 。亦 見 習 に 用 ふ る を得 ず 。
第 四条
第 三条
は 此 限 に在 らず 。
長 期 傭用 さ る る男 女 工人 を以 て限 り と し、短 期 傭 工及 差役 、 侍 役
第 二条
職 工数 及 一日 平均賃銀
国 有 鉄 道 の職 工 に関 す る事 項 は別 に法 令 に規 定 ある も のの
第 一章
国 有 鉄 道 職 工通 則 草案
第 一条
外 、悉 く本 通 則 に依 る も のと す 。 民有 鉄 道 の職 工 に関 す る事 項 は、 本 通 則 の規 定 を準 用 す る を得 。
第 五条
男 女職 工 にし て十 二歳 よ り十 六 歳迄 の者 は 幼 年 工 と為 し 、
十 七歳 以 上 の者 は成 年 工 と為 す 。 第 六条
職 工 の賞 罰 は 、共 の考 績 及技 術 の優 劣 に依 り て之 を定 む 。 ︹ 二字不明︺ 職 工 の解 傭 は其 の原 因 に し て□ □自 ら貴 任 を 負 ふ者 に非 ら
ざ る限 り、 一週間 以 前 に予 め 之 を通 知 す べ し 。
第 七条
幼 年 工 は軽 便 な る労 作 に の み従 事 し 、体 育 の発 達 に妨 害 あ
幼 年 工 及女 工 に対 し て機 械 作 業 及共 の他危 険 を 発 生 し易 き
ら し む る可 らず 。
第 八条
第 九条
業 務 上 必要 免 る可 ら ざ る も の の外 、 衛 生 に害 あり若 く は危
作 業 を課 す る を得 ず 。 第十条
負 傷 或 は疾 病 ある 職 工 に 対 し ては 其 の事 情 を酌量 し 、其
険 な る個 処 は 職 工 に共 の労 作 を 課 す る を得ず 。 第 十 一条 の労作 を停 止 し 、若 く は制 限 を 加 ふ べ し。 女 工 に対 し て は、出 産 の前 後 一ケ月 内 は、 其 の労作 を停
午 後 八時 より 次 日 午 前 四時 迄 の間 は 、幼 年 工及 女 工 に労
止すべし。
第 十 二条
第 十 三条
昼 間 労務 に服 せ る 者 は 、夜 業 を課 す る を得 ず 。 夜 間労 務
作 を課 す るを 得ず 。 第 十 四条
昼 夜 交替 の作 業 は 少 く も 、毎 週 相 互 に之 を入 換 ふ べ し。
に服 せ る者 も 亦 同じ 。 第 十 五条
作 業時 間 は 幼 年 工 に在 つて は、 一日 八時 間 を 逾 ゆ る を得
幼 年 工 に対 し て は、 毎 月 少く も 三日 の休 息 を 与 へ、 成 年
工 は毎 月 少 く も 二日 の休 息 を与 ふべし 。 中断 す る能 は ざ る作 業 に
第十七条
対 し ては 、交 替 休 息 の期 日 を規 定 す べし 。
国 慶 日、 特 別 記念 日、 春 秋節 は均 し く職 工 に 一日 の休 息
を与 ふべ し 。
第十八条
特殊 事 情 若 し く は業 務 の関係 に因 り て は、 前 二条 の休 息
期 日を 停 止 或 は減 少 す る を得 。
第十九条
就 業時 間 を除 き 、毎 日 一回 或 は数 回 の休 息 を 与 ふべ し 。
其 の休 息 時 間 は、 綜 計 し て 一日 一時間 以 上た る べし 。 但 し 一日 の
第 二十 条
賃
就 業 時 間 にし て 八時 間 に満 たざ るも のは之 に比 例 し て、 減 少 す る
労
労賃 は毎 月 特 定期 日 に之 を 支給 し 、 毎 月少 く も 一回支
職 工 の労 賃 は 通 用貨 幣 を 以 て支 給 す べ し。
第三章
を得 。
第 二十 一条
休 息 日 に労 務 に服 せ る者 に対 し ては 一日 の労 賃 を 加 給
休 息 日 も労 賃 を軽 減 す る こと なく 支 給 す 。
給 す べし 。
第 二十 二条
第 二 十 三条
し 、就 業 時 間 延長 者 に対 し ては 延長 時 間 の労 賃 を加 給 す 。 但 し 交
第 二 十四 条
欠勤 若 く は作 業 の停 止或 は 制 限 を受 け た る職 工 に対 し
替 作 業 は此 の限 に在 らず 。 第 二十 五 条
に関 し て は、 労賃 よ り最 少 金額 を控 除 し て、 其 の基 木金 とし 代 理
儲蓄 若 く は保 険等 、其 の他 一切職 工 の利 益 を謀 る事 項
て は労 賃 を減 給 す る を得 。
保 存 を為 す を 得 。
第 二十 六 条
作 業 は作 業時 間 を延 長 す る を得 。但 し延 長 時間 は多 く も 二時 間 を
ず 。成 年 工は 一日十 時 間 を逾 ゆ る を得 ず 。 中途 中 断 す る能 はざ る
第 十 六条
逾 ゆ るを 得ず 。
第 二十 七 条
第 四章
違 約 金 、 賠 償 金 、罰 金 を 課 す る場 合 に於 ては 、労 賃 よ
権利及義務
り 一回 或 は 数 回 に分 ち て之 を控 除 す るを 得 。
職 工 は 一定 条 件具 備 す る時 、養 老 金 を受 領 す る を得 。
但 し 養 老 金 の施 行 は各 鉄道 の経 済 状 況 に因 り随 時 部 令 を 以 て之 を
第 二十 八 条
定む。 職 工 は所 属 鉄道 が純 益 金 を獲 た る時 は、 年 末奨 励 金 を
特 長 を具 有 し 或 は特 別 勤 労 の職 工 は奨 章 、 褒 状或 は共 の
受 領 す るを 得 。
第 二十 九 条
第三十条
技 術 優 秀 に し て、 業 務 精勤 、 罰則 を犯 し た る こと なき
他 の奨 励 を 受領 す るを 得 。 第 三 十 一条
職 工 に対 し て は作 業 時 間 外 、務 め て相 当 の教 育 を補 習
職 工 に対 し て は、 解 傭 の時 証 明 書 を給 与 す るを 得 。 第三十二条
職 工 の公 共個 処 に対 し て は 、務 め て衛 生 及危 険 予 防 の
せ し むべ し 。 第 三 十 三条
労 作 に因 つて疾 病 を来 し、 或 は不 具 と な り 、或 は 死 亡
相 当 設備 を為 す べし 。 第 三 十 四条
し た る職 工 に対 し ては相 当 の治 療 金 、撫 恤 金 を 給 与 す べし 。 職 工は 鉄道 に対 し 、自 己 の利 益 に妨 害 あ り と認 む る 時
は 、 之 を鉄 道 局 に訴願 す るを 得 。 鉄道 局 の処 分 に対 し て不 服 あ る
第 三 十 五条
職 工は 心力 を 尽し て忠 実 に鉄 道 の為 に服 務 し、 鉄 道 に
時 は 交 通部 に訴 願 す る を得 。 第 三 十 六条
職 工は 鉄道 所 属 一切 の財 産 に対 し 謹慎 を 以 て保 管 す べ
関 す る 一切 の法 令 を遵 守 す る の義 務 を有 す 。 第 三 十 七条
し 。若 故 意 或 は 過 失 に因 り て毀 損遺 失 あり た る時 は、 賠 償 の責 を
故 意或 は過 失 に因 り 、 人 民 の生 命財 産 或 は鉄 道財 産 に
負 ふ も のとす 。 第 三 十 八条
損 害 を致 せ る職 工 に対 し て は、 刑 事 、 民事 の法 罰 を受 く べ き 外 、
則
職 工 の傭 用服 務 、 考 績 、賞 罰、 給 与儲 蓄 、 養 老 、治 療 、
附
鉄 道 は其 の事 情 に因 り て懲 罰 を 加 ふ る を得 。 第 五章
本 通 則 は 公布 の日よ り施 行す 。
撫 恤等 の規 則 に関 し て は別 に之 を 定 む 。
第 三 十 九条
( 注意)
第 四 十条
る多 し。
十 二年 四 月 十九 日 の討 論 会 を 開 き た る結 果 、修 正 し た る部 分 頗
中国 国 有 鉄 道 衷 彰規 定 及蕃 査 委 員 会規 定 の件
︹ 資 料 の七 ︺
交 通 部 は 近来 各 鉄 道 員 の異 動 多 き 為 、 従業 員 に不 安 を抱 かし め 、
之 が為 現業 事 務 に影 響 す る こと尠 から ざ る を以 て昨 日鉄 道 員 、職 雇
員 竝 工 人 に対 す る表彰 規 定 及 各 鉄 道 職雇 員 竝 工 人 の資 格 、 経 歴 を審
凡 そ国 有 鉄道 に服 務 す る職 雇員 竝 工人 に し て、 満 十 ケ年 以
交通 部 鉄 道 員衷 彰 規 定
に翻 訳 御 通 知致 し ま す 。
査 す る委員 会 規 定 の二 種 を発 表 され ま し た から 、茲 に原 文 御参 考 迄
第 一条
表 彰 証 を 左 の三種 に分 つ。
上在 職 し成 績 優良 な る者 に対 し 本 部 よ り表彰 証 を給 与 す 。 第 二条
二等
一等
浅 青 色 の証 を 工人 に給 与 す 。
淡 紅 色 の証 を 雇員 に給 与 す 。
黄 紅色 の証 を 職員 に給 与 す 。
第 一条 に定 む る所 の積 算 年 限 は 、本 部 或 は他 の鉄 道 に服 務
三等 第 三条 す る と を問 わず 之 を在 職 年 限 に積 算 す。 過 失退 職 に非ざ る者 にし て、本 部 或 は 現 任 地 よ り他 に派遣 服 務
各 鉄 道 局 は 、満 十 年 以 上在 職 の鉄 道 員 竝 工 人 に対 す る職 務 、
の者 は 、職 を中断 す る と雖 亦 前 項 の通 積 算 す 。 第四条 姓 名 を列 記 し、 服 務年 数 及 歴 年 の服務 状 態 を 注 記 し考 評 を 加 へ、 本 部 に表彰 証 を分 別 し て審 査 を申 講 す。
を適 用 せず 。
本 規 定 は公 布 の 日よ り施 行 す 。
本 会 は交 通部 よ り鉄 道 員 竝 工人 に表 彰 規 定 第 八条 、第 九 条
交 通部 各 鉄 道員 竝 工人 の経 歴資 絡 調 査委 員 会 規 定
第 十 一条
第 一条
の規 定 に依 つて、之 を組 織 し、 之 を交 通 部審 査路 員 職 工資 歴 委 員
第 三条
第 二条
委員 長 は路 政 司 司 長 を 以 て兼 任す 。
本 会 は委 員 長 一名 、副 委 員 長 一名 、委 員九 名 を設 く 。
本会 は交 通 部 内 に設 く 。
会と名附く。
第 四条
副 委 員 は 参 事 一名 を以 て兼 任 す。
委 員 長 、副 委 員 長 は 交 通総 長 より任 命 す 。
委 員 は鉄 道 の状 況 に熟練 す る部 員 を以 て兼 任 す 。
本 会 は事務 員 長 一名 、 事務 員 二名 を設 け 、 委 員長 よ り交 通
鉄 道 員竝 工人 にし て、 表 彰 証 を受 け た る後 五年 毎 に成 績優
第 五条
第 五条
良 な る者 に対 し、 其 の月俸 と 日給 と に応 じ 一ケ月 分 の賞 金 を 給 与
前 項 委員 規 則 は 別 に之 を定 む 。
本会 に依 る審 査事 件 は路 政 司 を経 て本会 に移 し 、委 員 長 各
一審 査專 件 毎 に全 体 委員 の審 査 を得 たる後 、 若 し 異議 を提
会 議 は委 員 畏 を以 て 主席 とし 、委 員 長 事故 に因 り 欠 席 す る
会 議 の議 決 は多 数 決 を 以 て定 め 、 同数 な ると き は主 席 に依 り 之 を決 定 す 。
第 十条
委 員 三分 の二 以 上出 席 し、 初 め て開議 す る こと を得 。
と き は、 副 委 員長 を 以 て之 を 代 理す 。
第九条
出 す る者 あ れ ば委 員 長 よ り 期 を定 め 会議 を召集 す 。
第八条
委 員 に交 付 し て審 査 せし む 。
第七条
委 員 長 よ り路 政 司 を し て 、助 手 書 記 四名 を 派遣 す。
部宛 に申 請 任 命 し 、 本会 の文 書 記録 、其 の他 雑 務 等 を兼 務 し別 に
第 六条 表 彰 証 を受 く る鉄道 員 及 工人 にし て若 し各 鉄 道 局解 職 を 認
す。 第 六条
め た る と き は、 先 づ充 分 に理 由 を具 し 、 本部 に 上申 し 確 実 に審 査
若 し荊 条 に依 ら ず し て 解 職 し た ると き は 、被 解 職 者 は本 部
を 経 、後 之 を弁 理 す。 第七条
凡 そ表 彰 証 の給 与 及 解 職 の申 請 、 或 は 陳 訴事 件 に関 し て は、
に対 し 陳 訴 す る こと を得 。 第 八条
本 部 よ り鉄 道 員 及 工 人 の資 格 、 経 歴 を審 査 す る委 員 会 に於 て之 を
第 九条
国 有 鉄道 の督 弁 、 会弁 、局 長 、副 局長 、 副 処 長 、総 工程 司 、
弁理す。
第 十条
或 は其 の他 特 別 の各 職 員 竝契 約 を有 す る 外 人 に対 し ては 、本 規 定
第十 一条 審 査及会議議決 の事件は、本会 より路政司に交付 して弁 理す。 第十 二条 本規定 は公布 の日より施 行す。
号外
沙 河 口 、遼 陽 、撫 順 修 理各 工場
対社 外 機 械 工場 労 働 者 比較 調 査
例
人当りを算出 した。
三、中国人 の生活費 に関しては手許 に適 当の資料なかりしを以て大 ︹ 典元︺ 正十三年 十月黄嘱託 の沙河口工場職工 に就 て調査せるも のより 一
した。
二、社外同業会社 は使用労働者百名以上使用す るも のを撰んで比較
労働統計調査票 に拠 つて行 つた。
三年三月十日現在 を以 て当課編纂 の調査報告書第二十二巻B満洲
一、機械器具工場 の満鉄並 に社外同業 の劣働状態比較表 は、大正十
凡
者比較調査
沙河 口、遼陽、撫順修理各工場対社外機械工場労働
大正十 四年七月九 日
ます。
﹁沙河口、遼陽、撫順各 工場対社外機械工場労働比較﹂御送付致
の ﹁満鉄 と同業従事労働者待遇調査﹂予報 に関す る件、其 の六
曩 に庶調産第七九号 ( 大正十四年 七月 二十日)附 にて、御送付
庶務部調査課畏
大正十 四年七月廿五日
(二)
凡
目 例
次
五、 支 那 人労 働 者 募 集 に関 す る比較
他
六、 労 働 者 の能 率 の
七、 其
料
一、 労 働 者 現在 数 と 労 働 移動 率
資
八、 中 国 人労 働 者 の賃 銀 と 生計 費 と の関 係
一、 遼 陽 工場 職 工事 情 (大 正 十 四年 六月 十 三 日報 告 )
銀
二、 一日所 定労 働 時 間 、休 憩 時 間 並 に休 業 日数
二 、鞍 山 製 鉄 所労 働 者 待 遇 状 況 (大 正 十 四年 七 月 三 日報 告 )
三 、賃 基 本 賃 銀 並 に職 名 別 平 均賃 銀
満鉄会社外
九四・五人
附 属 給 、 賃銀 形 態 並 に賃銀 支 払 方 法
六〇一 人
一九 二人
ロ
全満洲
各種 工場総平均
イ
四、 実 物給 与 の種類 及価 格
一五九 ・二人
業態別労働者 一工場 に於ける平均数
満 鉄 社内外機械器具工場労働状態比較表 一、労働者現在数 と労働移動率
備考
機械及器具工場
二、 一日所定労働時間 、休憩時間竝休業日数 一日 の所 定 労 働 時間
一日 の所 定 休 憩 時 間
一ケ 月 の所 定 休 業 日数
五日
名 一時 間
五 日 (日曜 及 祭 日)
場
一時 間
工
九時間
三十分
現場 は請 負 制度 に付 き 各 ( 負 者 に於 て作 業 の繁 閑 無し 請 に依 り各 係 に休 業 せり 。
作業 す る こと あ り
十時間
無し
三十分
四 日 (甲 種 傭 員) 一日 (乙種 傭 員) な し (材 料 方)
二日
五 日 (月 に よ り 増 減 す る こ と あ る べし )
場
九時間 八時間
三十 分
二 日 (第 一、 三 日 曜 日 )
工
十時間 ( 実働九 ・ 五 時 間)
三十分
口
場 渠
八時間 ( 実 働 約 十 時 間)
河
店
沙
支
期 、 事 業緩 急 によ 十時間 冬 り 八 ・五 及 九 ・五
工 船
天 所
大 連 機 械 製 作 所
遼 満
奉 工
陽 洲
同 鉄
)
村 (
中 撫 順 炭 鉱 工 業 課 修 理 工 場
銀
備考 類似工場 三十四処調査による平均労働時間 九時三十三分 休憩時間 四十六分 休業 日数 二日 即ち満鉄所属各工場 は労働時間 に於て短 く休憩時間竝休 業日数 に於 て多 し。 三、賃
イ 基本賃銀竝職名 別平均賃銀
)
ロ 場
一日平 均給 額
附
附属給 の説明
属
附属給、賃 金形態竝賃金支払 方法 名
給 賃
金
形
態
平 均基 本 賃 銀 は 日 木 人 は満 鉄 社 外 に 比 し 一様 に高 率 な る も 、中 国 人 に於 ては 必ず しも 然 らず 。
工
賃
金 支
払 方
法
渠
工場
洲 船
陽
沙 河 口 工 場
遼
満
大連機械製作所
同 奉 天 支店
中 村 鉄 工所
〇 ・五 五
賞与金家族手当 時間 給 但 し 工手 、 調度 方
現金制度
日本 人
期 日 、 毎 月 一回
廿八日
日本 人 中国人
火 夫 給 水夫 は 日給 と す
現金制度
同上
賞与金
中国 人 一・六 六
〇 ・〇 七
日本 人
基 本 賃 銀 は時 間 給 、 在 勤 手 当 は月 額 の四 分家 族 手当 は家 族 数 によ り 区 分 され出 勤 日数 によ り 支 給す
〇 ・四 五
同 上 在 勤 手当 皆 勤 手 当 奨 励 手当 同 上 皆 勤 奨 励 手当
中国 人 日本人
毎 月 一回
日中 人共 日本 貨 現金 払
八 時 間 労働 を基 礎 と し時 聞 給 とし て計 算 請 負 給 (大 部 分 出 来 高給 )
毎 月 一回
中国人 日本人
常 傭 給 (一部 分 時 間 給)
現金制度
中︱ 廿 八 日
日︱ 廿 六 日
中国人
金 票
約 〇 ・八 四
日本人
日本人
末
廿五日
廿八日
現金切符制度
日
毎 月 一回 中
月
毎 月 一回末 日
現金支払
毎 月 二回
時間外勤務手当
基 本 賃 金 は 甲種 傭 員 を除 く 外、 時 間給 夜 勤 は 日給
時間給
支那人 奉 天票
〇 ・四 七 三 〇 ・〇 四 三
夜勤、家族、在勤 手当、賄料奨励金
〇二 七 同 上(同 五 円)
〇 ・三 三 組 長 手 当 (月 額 十 円)
中 国 人 小 洋 〃 〇 ・一四 日本人 中国人
中国人
撫 順 炭 礦 日本 人 工業課修理工場
備考 満洲機械器具工場賃銀制度 調査工場数三九 時間給三〇 出来高給三 両替併用六
四、実物給与 の種類 及価格
二十五日 月 末
工
場
名 募 集 の 態 様
工
場 補 欠 の際 に申 出 によ り 遼陽 採用
沙河口
募 集 地
五、支那人労働者募集 に関す る比較
陽
渠 召集 せし め 、 試験 の上 採用
現 地勤 務 の職 工 を し て
船
沙 河 口 工 場 直接 遼
満 洲
直 接 の外 、 現 在就 業 中 南 北 沙 河 口、
択採用
島 等 附 近 農村
奉天
募集 費用 なし なし
なし
一回 分 約 五 円
大連機械製作所 の職 工 の紹 介 によ り撰 周 水 子 、 小平 なし 同 奉 天 支 店 街 路 広 告 を 以 てす
中 村 鉄 工 所 直接 申出 に よ る
場
名
雇傭 労働 者 の能 率
六 、労 働 者 の能 率
撫 順 炭 礦 工業課修理 工場
工
陽
一長 短 あ る を免 れず
なし
労 働 者 に関す る規 則
自 工場
工 場 意 識 等 の差 違 に因 り自 ら
国 民性 智 識 の程度 、 責 任 職 工 賞 罰 内 規 、 ル ー チ ン グ ・ シ ス テ ム、 人 工 請 負 作 業規 定
日支 人能 率 の比 較 に就 て 沙 河 口 工 場 は具 体 的 の説 明 難 し、 欠 一括 し た規 則 と 目 す べ き 勤 率 比較 は 日本 人 五 ・八 も のな し % 支 那 人 九 ・九%
遼
満
洲
船 渠
一定 の製 品 を製 産 す る に 大連機械製作所 非 ざ るを 以 て具 体 的 に日 支 人 の能率 比較 を衷 わ す を得ず 賃 銀 低 廉 な る も、 能 率 悪 内 地 工労 法 に準 じ た る服 同 奉 天 支 店 しく 精 巧 な る作 業 不 能 、 務規 定 及 扶 助 規 定 を実 施 但 し 永 続的 作 業 は 日人 に せり 比し良好 大 体 に於 て支 那 人 工は 熱 心 に働 く、 綿 密 な る 工作 中 村 鉄 工 所 は 不 適 、 日人 工 二 ・五 円 は 中 人 工 一 ・五 円 に技 量 相等
撫 順 炭 礦 工業課修 理工場
は特 種 技 量 を要 す る者 以 外 は 、全 然 日本 人 労働 者 は彼 等 の為 め圧 迫
さ れ終 に支 那 人 のみ の舞 台 と な り 、彼等 の固 き団 結 力 の為 め雇 傭 主
之 に反 し遼 陽 工場 は 日支 人 は其 の國 民 性 のし から し む る と ころ か 、
は諸 種 の問 題 に悩 ま さ る る こと あ ら んと 。
支 那 人 労働 状 態 は 日人 に比 し持 久 的 であ る故 、 日人 の性 急 にし て断
続 的 な る に比 し て急 々 の場 合 に適 せざ るも 、長 時 間労 働 す る場 合 に
は 、 決 し て其 の量 に於 て劣 る様 な こと な し 。支 人 は 日 人 に比 し 労 銀
低 廉 にし て 、同 じ技 量 を有 す る も の に在 り て も其 の賃 金 は 日人 の三
乃 至 四 分 の 一のも のな る故 、支 人 を多 く使 用す る こと は 工場 経 済 上
非常 に良 き ことな れ ど も 、支 人 は 一般 に臨 機 の処 置 を取 る こと な く
融 通 のき かざ る嫌 あ り 。支 人 は殆 んど毎 日 一割 位 の欠 勤 者 あ り 、仕
事 の運 用 上面 白 から ず 。尚 貴 任 観 念 に乏 しく 、多 忙 な る仕 事 を 眼前
に見 な がら 欠 勤 す るが如 き こと あ り 、全 く閉 口す る次 第 な り 。亦 会
社 に 対す る執 着 心薄 く眼 前 の少 々 の利益 の為 め 、直 に他 に転職 す る
者多 く 、真 に信 頼 し て作 業 を為 さ し め ら れず 、要 す る に支 人 は 日人
他
に 比 し労 銀 低 廉 の点 に於 て優 り 、責 任 観 念 に乏 し き点 劣 れ り と多 く
七 、其 労 働 者 団 体 は 各 工場 共 にな し 。
遼 陽 工場 満 洲船 渠 大 連機 械
沙 河 口 工場
本 及附 属 給 ) 一人 当 生計 費 差
平均賃銀(基
引
家族扶養力
八 、中 国人 労 働 者 一日 平均 賃 銀 と生 計費 と の関 係
支 人 の欠 点 を 挙 げ た り。
大 連 機 械 製 作 所 奉 天支 店 の説 に、弊 社 設 立 当 時 は支 那 人 職 工 は至 極 柔順 な り しも 、 二 、 三年 来 漸 次 悪傾 向 を来 し 梢 も す れば 同 盟 罷 工 を な さ ん とす る勢 にて、 此 の傾 向 は将 来 年 を 逐 ふ て益 々悪 化 す 可 き が如 しと 。 又中 村 鉄 工所 は満 洲 に於 け る労 働 問 題 に関 し 別 に纒 りた る意 見 は
に反 し、 支 那 人 工 は第 一生 活費 の低 廉 な る為 、給 料 安 く 働 き得 る こ
無 け れど も、 在満 の日本 人 工 は逐 年 総 て の点 に於 て低 落 し つ つあ る
と 、 体 質 の頑 健 な る こと 、熱 心 な る こと 、 耐 忍力 の強 き こと 、団 結 力 の固 き こと 等 恐 る べき 人 種 に し て近 き 将 来 には 必ず や満 洲 に於 て
木
工
一六名
三二名
四六名
七三名
冶 }
工
鍛
天
中 村鉄 工場
工
同 奉 物
一四名
鋳
二〇名
撫順修 理
二 一名
工
三名
型
小 洋 及 円 を便 宜 同 価 と見 た。 家 族 の生計 費 は 一割安 と 見
模
備考
九時間
係
二、 一日所定労働時間
銀
同
日本人
日本人
四円四十銭
三円二十 一銭
中国人
中国人
一円三十八銭
七十銭
一日平均 高
日本人
二円九十 六銭
同
中国人
七十 二銭
六十九銭
六十五銭
三十 二銭
低 工
三円二十 一銭
同
最
盤
同
一円四十 三銭
最
一、基 本 賃 銀
五、賃
出業す。
毎 日曜 日は所定休業 日なるも、作業 の都合 により繰替 又は臨時
四、 一ケ月休業 日 (一ケ年平均)五日間
午后 四時五十分作業 を終 り同五時退場
午前 七時入場、同 七時十分就業、正午 より四十五分間中食休憩 、
一時間
品
遼陽工場長
三、 一日所定休憩時間
物
徹す。
︹資料 の 一︺ 遼工第 四五号 の三 の五 大正十 四年六月十三日 職工事情調査 の件
庶務部調査課長殿 五月二十九 日附庶調産第 四五号 にて御照会 の首題の件 に関する調 書別紙提出致 します。 調査要 項 数 五 二六名
一、労働者現在表 総
旋
工
職名別平均賃銀 立
三六七名
組
中国人
五〇名
一五九名 二四名
日本人 工
国籍別 盤
七十四銭
職名別 旋
同
六十八銭
同
七十七銭
三円〇六銭
同
三円二十九銭
同
工 同
三円三十七銭
工 同
三円三十三銭
上
工 同
仕
工 同
鋼 罐
二〇名
製
五九名
木
一三名
二四名
二六名
六〇名
工
八名
工
二七名
立 工
上
工
組
罐
仕 鋼 製
模 型
鋳 物 係
工
工
工
品 給
鍛 冶
物 属
一日 平均
同 六十九銭
七十八銭
六十五銭
二円九十六銭 同 三 十 二銭
中国人
同 三円〇四銭 中国人
三円 三十六銭
同 一円 七 十銭
日本人
日本人
皆 勤手 当 、人 工請 負 の利 益 、 賞 与金 、残 業 。
与 金 、残 業 。
家 族手 当 、在 勤 手 当 、皆 勤 手 当 、 人 工請 負 の利 益 、賞
二、 附
日本 人
中国 人
基 本 賃 金 は 時間 給 にし て、 一日 十時 間 を 一人 工と し 、 日 給全 額
三 、賃 銀 形 態
を給 し、時 間 の延 長 に対 し て は其 の時 間 に日給 全 額 の十 分 の 一 を乗 した る金 額 を給 す 。 附 属給 の在 勤 手 当 は其 の月 の支 給 額 に
中国 人
八十五銭 以上
一円以上
二円五十銭 以下
六ケ月
十二ケ月
十八ケ月
二十四ケ月
六ケ月
自二銭 至三銭
自三銭 至四銭
自四銭至五銭
自五銭至六銭
自四銭至六銭
日本人 同
同
同
同
二三円 同
五角
四九名但 し家 族持にして郷 里に生計 の都 合 上家族を有 する者 三十四 名を含む
三元 五角 (奉 天票)
三名
同
一二 円
十 四銭 、中 国 人 に五〇 銭 にて払 下 す 。
燃 料 と し て貨 車 の古材 二〇 〇㎏ を 日本 人 に五
なし
なし
二十名
六十銭 以上
宅
服
一三八名 中国人
六十銭以下 一、社
族 持
六、実物給与 の種類及価格 家
一戸 平 均
評価 家賃
身
一室 平 均
独
と区 分 し其 の出 勤 日数 によ り支 給 す 。 皆勤 手 当 は 一ケ 月間 皆 勤
評 価 家賃
対 し 四分 、 家族 手 当 は家 族 数 によ り て十 五銭 、 二十銭 、 三十銭
せ るも の、亦 一ケ月 間 欠勤 二 日を 超 え ざ る者 に支 給 す。 人 工 請
三 、衣
材
二、賄
四、基 本賃 銀 及 附 属 給 は 日本 人 には 毎 月 二十 五 日 、中 国 人 には 月
四 、古
負 利 益 は其 の利 益 人 工 に日給 額 を 乗 し た る金 額 を 支給 す 。
末 に、雑 給 は 七 日 に支給 す 。 其 の方法 は所 定 の番 号 順 によ り直 接 本 人 に現 金 を 支 給 す。
一、運 動 、娯 楽
七、福 利 施 設
社 宅 には グ ラ ンド を設 け 日本 人 に対 し ては 目下 スポ ンジ ボ ー ル
進級額 自 五 銭 至 七銭
を奨 励 し、 倶 楽 部 に は碁 、 将 棋盤 を備 へ付 く 。中 国 人 に対 し て
経 過月 数 十 八 ケ月
自 四 銭 至 五銭
給 三 円 五十 銭 以 上
十 二 ケ月
現
五 、進 級方 法 は 左 の通 り 日本 人
二 円 五十 銭 以 上
は特 記 す べき も のな し。
場 に会 長 を 有 す る 工学 会 に就 て は、 各 職場 組 長 に探 索 方 を命 じ 、
本 項 目 に対 す る労 働 団 体 は 目下 あ り ま せ ぬ。尤 も最 近 沙 河 口 工
一〇 、 労 働 団 体 竝思 想 的 傾 向
平素 のブ ラ ツ クリ スト及 状 勢 によ り推 究 せ し めま し た が何等 の手
証
乗車 証 は 一ケ月 二 回 、若 く は 三 回 を限 度 と し、 日、 中 人 平 等 に
懸 り なく 、 猶 亦 他 方面 よ り調 査 し つつあ り ます が 、当 場 員 には 土
車
交 付 す 。但 し 病気 の為 奉 天 、 鞍 山病 院 に通 院 、 入湯 の場 合 は 此
着 ( 家 族 持 ) の者 多 き た め、 沙 河 口方 面 と趣 を異 にし加 入 者 はな
二、乗
の限 り に非 ず 。
き、 加 之 上 下 の意 志 能 く 疎 通 せ る為 、猶 先 年 来 他 工場 より転 入 せ
当 場 は 沙 河 口 工場 に比 し規 模 小 且 つ従業 員 少 く 、従 て監督 行 き届
次 に思 想的 傾 向 は 概 し て穏 健 の様 に観 取 さ れ ます 。 そ の理由 は 、
き 様 子 です 。
三、傷 害 防 止委 員 会 傷 害 よ り受 く る損 失 に鑑 み、 傷 害 防 止委 員 会 を組 織 し委 員 を 任
ると き は詳 細 に取 調 べ審 査 会 に て採 点 し各 委 員受 持 別 に公 示 し 、
る如 何 は し き者 も、 現 在 にて は穏 健 に向 へる等 、然 し絶 へず 風 潮
命 し 、 傷害 に対 す る防 止 及保 護 に努 め し め、傷 害 を被 る も のあ
再 び同 一傷 害 を繰 返 さざ る様 注 意 し つ ゝあ り、 猶 応急 手 当 とし
日本 人
食料
燃料燈費
金 七 十 一円
五角
六円
五元 六角
一三 円
被 服費
三角
十 一円
其他
米
百匁
一斤
一升
七銭
五銭
三九銭
牛肉
砂糖
醤油
百匁
一斤
一升
一五銭
七 九銭
十 九 元 四角 ( 奉天票) 家賃
一〇 元
二〇 円
中国人
三元
塩
日本 人 の部
一二、 労働 者 生活 必 需 品 に関 す る物 価
二 一円
は 一人分 を掲 ぐ 。
本 項 は労 働 者 一戸 に対 す る生計 費 の平 均額 にし て食 料 欄 の金額
一 一、労 働者 の生 計費
の変 化 に対 し 警 戒 を加 へ善 導 し た い考 へです 。
て各 職 場 内 に薬 品 、 繃 帯 の備 あ り 。 八 、労 働 者 の能 率 日 本 人 の労 働 状態 は往 々断 続 不整 調 な る に反 し 、中 国 人 は持 久 力 強 く長 時 間 の作 業 に堪 え 得 るが 、緊 急 を要 す る作 業 に対 し ては 日本 人 に比 し て劣 り 、目 下 の状 態 に ては労 働 の量 及技 術 の点 に付
只 日 本人 は作 業 に対 し て責 任 観 念 強 く 、転 職等 の異動 殆 どな く 、
ては 両 共大 差 なく 精 進 し つ つあり 。
中 国 人 は緊 急 な る作 業 を目 前 に控 へ乍 ら 、欠 勤 し 或 は転 職 す るも のあ り て、賃 銀 低 廉 な る も時 に作 業 に影響 す る こと あ り 。 九 、労 働 者 に関 す る規 則
二、 人 工請 負 作 業 規 定
味噌
一、 職 工賞 罰内 規
三、 傷 害 防 止委 員 会 規 程
二 五銭
上記 の内 第 二迄 は昨 年 提出 の通第 三 の規 定 は添 付 す 。
豆油
粟 一斤
一斤
石炭 ( 塊炭)
馬鈴薯
一斤
一角 四分
四分
一角 五分
一噸
百匁 一二円
五銭
五銭
二角八分 味噌
百匁
八元六角
葱
一升 七分
一円四十銭
一袋
一叺
高粱米 一斤
木炭
麦粉 石油 一着
一斤 二元五角
七元
三角 冬服
肉 一着 十元
一斤
中国人 の部
塩 夏服 一足
五角
靴
前記 の内中国人 の物価は三年前 より、約倍額 に騰貴 したと称して し
居 ります。 一三、な
第 一条
本会 は遼陽 工場勤務工長心得 、工長其他主 とし て技術関係
本会 は遼陽工場傷害防止委員会と称す。
傷 害防 止委員会会則 第二条
本会は工場内発生傷害事故を根絶し、関係従事員及会社相
者中より組織す。 第三条
一、会
長
壱名
但 し当 日 の審 査 に対 し ては 、当 該 傷 害 発 生所 属 審 査 員 を 以 て之
委員 は自 己 受持 従事 員 より 、 傷 害 者 を出 さざ るは 勿論 、 常に
れ に当 ら しむ 。 第六条
委 員 は自 己受 持 従 事 員 にし て傷 害 者 を出 し た る時 は 、即 時
適 当 の注 意 方 法 によ り 、之 れを未 然 に防 止 す る こと に努 力 す べし 。 第七条
会 長 前 記 報告 書 を受 理 し た る時 は 、是 を審 査 員 に回附 し 、
傷 害 報 告書 を会 長 に提 出 す べし 。
審 議 せ し む べ し。
第 八条
審 査 員 は前項 傷 害 報 告 書 によ り、 其 の原 因 を 自 己 の過 失 な
るか 、設 備 欠 陥 に因 る も のな るか等 実 地 に就 き、 詳 細 調 査審 議 の
第 九条
上 、其 の顛 末 意 見 を様 式 に記 入会 長 に報 告 す べし 。
審 査 員 は前 項 傷 害 者 に対す る医 師 の休 業 証 明 、休 業 及 入 院
日 数等 の適 否 の調査 を なす べ し 。
第 十条
会 長 は前 項 審 査員 の報 告 に より 、之 れ に対 す る相 当 処置
則
拾点
会 長 は 必要 に応 じ 、時 々委 員 の 一部 又 は 全部 を召 集 し委
を講 ず べし 。
第 十 一条
第 十 二条
附
員 会 を開 く こと あ る べし 。
一、会 則 第 七 条 及 第九 条 の報告 書 は左 記 様式 に拠 る べ し。
記
二 、受 持 委 員 の防 止成 績 を表 示 す る為 、 左記 採 点法 を施 行 す 左
ロ、 設 備 の欠陥 に基 因 す る時
イ、 受 持 従事 員 の傷 害 が全 然 自 己 の過 失 に基 因 す る時 は
ハ、 前 記 両者 の中 間 に在 る時 は、 審 査 の上、 六 、 七、 八 、 九 点 の
五点
一、審
員 若干 名
会長は工場長之れに任 じ、審査員 は各係主任、各職場助役
査
本会 に左の役員を置く。
互 の福利増進を計 るを目的とす。 第四条
第 五条
竝 に特 に命 ぜられた る職員 を以て之れ に任ず。
何 れ か を附 す 。 ニ、 点数 の多 き も のを成 績 不 良 と す 三 、前 項 に よ る傷 害 人 員 及 採 点数 は 、毎 月 発 表 す るも のと す。 四 、各 委 員 受 持 従事 員 数 、 設 備関 係 等 に不 同 あ るを 以 て 成績 を上 下 す る 比較 成績 表 は、 前 記 事情 を加 味 し 、 且 つ審 査 員協 議 審 査 の上 、 年 二期 に発表 す るも のと す 。 五、 委 員 は 日常 左 記 事項 に注 意 し 、 防 止 上何 等 か欠陥 を発 見 し た る 時 は 、 直 に会 長 に報告 す べ し。 イ、 機 械 工具 類 使 用 上 に就 て ロ、 物 品運 搬 上 に就 て ハ、 機械 其 他 諸 設備 上 に就 て ニ、 火気 、 瓦 斯其 他 有 毒 物 使 用 上 に就 て ホ、危 険 品 取 扱 上 に就 て ヘ、電 気 関 係 上 に就 て ト、 墜 落 物 等 に就 て チ、 其 他 一般
傷 害 及審 査 報 告書 様 式 傷 害 報 告書
傷害 の原因 委員 の意見
︹ 資 料 の二︺
審査報告書
労働者 に関する調査書 甲種傭 員
四六
二 六
審査委員
氏名
( 鞍 山製鉄所長報告)
衛
使
二
︱三一
三八
六
四火
五三運
人
夫
人
方
名 日本 中 国 職
六守
一 三小 傭
析
工
伝
工
一
七
四信 一 八〓
︱ 一七転
号 岩
轍
手 夫
方
四八炭
六
一 三
人
︱
人
名 日本 中 国
︱
一 七 一 五
夫
六 ︱
二〇
夫
︱
一 六
一 二
工
六
四四
四木
一 八土 木 工 夫
五
八
方
長
夫
二
一
一
一 四
︱
︱
一 五
︱
三 八
夫
︱
方
鉱
計
械
具
二九四 七五三
一
種
一電 話 交 換 手 女 一一
︱ 二水 道 工 二 ︱ 線 路 工 夫
一
五
輸
一、︱ 二、現業員現在数 ( 大正十四年 四月十五日現在) イ
手
事 務 助 手
転 手
夫
現 場 助 手 水 手
定 四
分
真
手
︱
運
日本 中 国人 名人 職
工
生
職
筆
工
女 一二 七
図 〃
水
機 関 助 手 一 六 写
信
女 三 八
給
︱ 電
︱ 建 築 工 夫
九〇組
二 ︱ 採
︱
二 ︱ 機
手
三厨
方 工
一
︱ 道
冶
方
三
転 本
方
三運
気
方
︱ 鍛 一 七製
車
一
一 ︱ 電
録
一 三 工
一 二操
手
工
二一 ︱ 記
︱
庫 道
夫
小 使 取 締 版
生
印
軌
柱
氏名
石
習
受持 委 員 傷害者所属氏名
支
︱
傷害場所
教
二一 ︱ 甲
傷 害 個 所 竝所 状 態 傷 害 年 月 日時
一
工 四
一 〇 一 九運
二 六工
五八塗 転
具 工
工
工
工
二二 一 七四工 場 火 夫
三三
七五
二
二
五四
一 一 三
二
三
き 日 々 の外 来 者 を 使 用 す る も の たる を 以 て調 査 す る こ と不 可能 な り 。
試 傭 、 臨 時 夫 、 仕 切 夫 の年 齢 は調 査 し た るも のな し。 臨 時 夫 の如
乙種 傭員 名 日本 中国 職 炭 工 四 気
ロ
︱ 骸 炭 工 一 八電 傭 工
工 五〇
一 四
︱
二四
人
三八 一 四洗 盤
三鉱滓煉 瓦 工 三 炉
九一 二
︱
計 三六六
二
種
工
人
八 一二 旋 七
名 日本 中 国
頭 五 工
人
工 一 四 工 一 二 一 六三高
人
工 冶
八 五鉛
名 日本 中 国 職
職
立 工 四鳶
三一鍛 工 一 五乙
人
組 罐
二
一 九 四五 鉸 鋲 工 七
人
組 作 工
物 工
六
製
工 ︱ 一 五鋳 型
︱
修 上 工 一 三 一 九模
一、五 一七 鉱 夫
︱
二 、四 七 三
名 人員 県
名人 員 県 名人 員 県 名人
日本 人 傭 員 ( 大 正 十 四年 三 月 三十 一日 現在 ) 名 人員 県
県
賀
都
潟
四 奈
五 岐
五 山
良
阜
梨
二
三
一五
七 京
一七 新
縄
四
一五
七 滋
島
四
野
九 神奈川
七 沖
山
三
媛
木
六 福
取
一六 長
井
六 富
手
田 一五 愛
九 栃
阪
六 鳥
城
島 三八 大
森
九 福
川
六 岩
分 二八 茨 賀 三四 熊
川
九 大
知
本 二八 秋
福 岡 七八 広 鹿児島 五五 佐
山
八 香
葉
埼
計
六 五八
二
三
京
八 高
一 二
山 形一 二 青 兵 庫 一二 石 和歌山 一 二 岡
重
八 千
五 北海 道
一二 東
島
馬 城
一 一三
崎
一五 群 口 三 一宮
根
徳
島
玉
宮
愛 静 ロ
中国人出身地別
知 岡
長
崎 四 一山
イ
四 、出 身 地 別
仕 床 工 一 八
銅 鋳 料 工
二九
四 七 四、五 二三
員
一 九定
原 密
傭 員 以外 の現 業員 (四月 十 五 日 現在 員 、但 し 臨 時 夫 、鉱 夫 は
甲 乙種 合 計 六六〇一 、六六五
舎
ハ 四 月中 の平 均 一日使 役 数 な り。)
︱ 二八 二 臨 時 夫
種 別 日 本 人 中 国 人 種 別 日 本人 中 国 人 種 別 日本 人 中 国 人 徒弟
二二 一 計
一八 別
︱
試傭 齢
三〇 仕 切夫
三 、年
傭 員 、徒 弟 は三 月 三 十 一日現 在 、 臨時 夫 、仕 切 夫 は 六 月 一日 、 鉱 夫 は五 月 一日現 在員 な り 。
イ
移動状態 (最近三ケ年間 の統計を示す)定傭 々員及徒弟
二、移動及勤続状態
傭 員 に し て中等 程度 の学 校卒 業 者 四名 。 公学 堂 程 度 の学
其 の他平 均 修 学 年 数 調査 し たも のな し。
程 度 の卒 業 者 三 十 二 名 な り。
日 本人 傭 員 にし て専 門 学 校 以 上 の卒 業 者 な し 。中 等 学 校
五 、学 校 程 度 別 日本 人
中国人
校 卒 業者 二 四名 。無 学者 三〇 六 名 に し て平 均修 学 年 数 は 一 年 半 に当 つて居 る。
其 他 の現 業 員 に就 ては 調 査 し た る も のな し 。
移動率 とは解傭、所外転属、死亡者 の合計を前年度末現在員を以 る 人員 は控 除 す 。
るも のな し 。徒 弟 、常 役 夫 より 傭員 に、 傭 員 よ り職 員 に移動 し た
十 四時 間 (隔 日交 代 ) の四種 とし て ゐる。
如 何 に拠 り八 時 間 、 十時 間 (以上 昼 勤) 十 二時 間 (昼夜 交 代) 二
て除 したる百分率 なり。臨時夫、仕 切夫 の移動 に就ては調査した ロ 勤続状態 (大正十四年三月末 日調)
徒 弟 、 臨時 夫 、仕 切 夫 、鉱 夫 の勤 続 年 数 は調 査 し た るも のな し。
夫、 鉱 夫 は 請 負 作業 に従事 す る臨 時 夫 にし て、傭 員 に準 じ て勤 務
徒 弟 、 臨 時 夫 、 試 傭 は 一般 傭 員 に準 じ 夫 々勤務 し て ゐる 。仕 切
し て ゐ る。 一週間 毎 に交 代 す るも の で、 昼勤 も夜 勤
日本 人傭 員
〃
平 均 一日 の実 働 時 間
十 一時 間 9 / 10
十 一時 間 2/ 10
十 一時 間 4/ 10
大 正 十 三 年度 中 の平 均 一日 の就 業 時 間 は 、 左 の通 であ る。
昼 夜 操 業 を要 す る作 業 に従事 す るも のを 二交 代 制 に
工場 警 備 即 ち守 衛 、 運輸 従事 員 の 一部 を隔 日交 代 制
人 三 五 % で あ る。
も勤 務 に相違 な い。 現 在 人員 の日本 人 四 二% 、 中 国
し て ゐ る。
交 代 制 度
三 、就 業 状 態 一 昼 夜 交代
隔 日 交代
〃
徒
十 一時 間 5 / 10
弟
にし てゐ る。 現 在 人員 の日本 人 七 % 、中 国 人 三% に
十 二時 間
中 国 人傭 員
し て僅 少 の人 員 であ る 。
〃
〃
与 へてあ る。
午前 0時 よ り三 十 分 、午 后 0 時 よ り 三十 分 間 の二 回休憩 時 間 を
一日 の所 定 休 憩 時 間
日 本人 臨 時 夫
三
中 国人 臨 時 夫
一日 の平 均 従 業 時 間
其 他 は 全部 昼 勤 務 であ る。 二
当 所 の基 本 勤 務時 間 ( 職 員 並 に之 れ に 準 ず る 傭 員 ) 及 十 時 間 (一般 傭 員 ) の二種 とす るも 、指 定 勤 務 時 間 は 、担 任 す る作業 の
一ケ 月 の公 休 日 数 及其 他公 休 日 銀
相 違 は な い。 四、 賃
基 本賃 銀 (職 名 別 、最 高 、 最 低 、平 均 額 )
四
附
甲 種傭 員 毎 月 二日 間 の公 休 日 を与 へて ゐ る。 公 休 日 には、 日給 一
に し て、 日 給 額 は第 一項 の現在 員 と対 照 上、 便 な ら しむ るた め 四
但 し給 料実 収 入、 附属 給 実収 入 は 大正 十 三年度 一ケ年 間 の事 実
給
全 額 を 支給 す る。 原 則 は第 一日曜 、第 三 日曜 を 公 休 と 定 め て ゐ る 二
属
が、 作 業 の都 合 上 変 更 す る こと があ る 。亦 三大 節 及 当 社創 業 日も
月 十 五日 現 在 と す 。
公休 日と し て休 養 せし め て ゐ る。 乙種 傭 員 に は毎 月 二 日間 の公 休
には 、 日給 二日分 の皆 勤 奨 励 手当 を支 給 す る 。其 他 は甲 種傭 員 と
日本人甲種傭員
日 を与 へて ゐる が、 給 料 は 与 へな い。但 し 一ケ月 間 皆 勤 せ る も の
イ
ロ
日本人 乙種傭員
ハ
中国人甲種傭員
ニ
中国人乙種傭員
日本 人傭 員 日給 額 は金 建 にし て、 実 収 入 は出 働 一人 一日 の平 均 収 入金 円な り 。
中 国 人 傭 員 日給 額 は小 洋 銀 建 にし て、 実 収 入 は出 働 一人 一日 の平 均 収 入金 円 なり 。
附 属 給 の内容 は 日本 人 は 、時 間 外 勤務 手 当 、 構 内 作 業 手当 、 消毒 手 当 、 火 災 出場 手 当 、 家 族 手当 、 中 国 人 は時 間 外 勤 務 手 当、 構 内 作
当 所 は会 社 の給 与 規程 に拠 らず 、 当所 特 殊 の
業 手 当 、 乗 務 手当 、 火災 出 場手 当 、 消 毒 手当 に し て等 級 別 は左 の通
一、時 間 外 勤 務 手当
り で あ る。
規 程 を設 け十 三年 四月 以 来 実施 し て来 た 。 即 ち甲 種 傭 員 にし て時 間
一ケ 月 を通 算 し て超 過 時 間 一時 間 に対 し 、 日本 人 金 五 銭 、中 国 人 金
増 務 給 を受 け ざ る も の、 指 定勤 務 時 間 以 上 の勤 務 を 為 し た る時 は、
三銭 の超 過 勤 務 手当 を支 給 す る 。但 し 一ケ 月 の超 過 勤 務 時間 が十 時
一、構 内 作 業 手当
乗 務 手 当 、家 族 手 当 、消 毒 手 当 、 火災 出 場 手 当
間 に満 たざ るも のに は支 給 せ ぬ 。
徒 弟 (中 国 人 )
の支給 方 は、 会 社 の給 与 規 程 に拠 るを 以 て茲 に記 述 を 省 略 す。 ホ
日給 額 は 小洋 銀 建 にし て、 給 料 実 収 入 は大 正 十 三年 度 中 平 均 出働
仕切工 ( 中国人)
一人 一日 の収 入 金 円 な り 。徒 弟 には附 属 給 の制 度 な し 。 ヘ
仕 切 工 と は請 負 作 業 に従 事 す る臨時 人 夫 にし て中 国 人 の み であ る。
日本 人臨 時 夫
十 三 年度 の出 働 一人 一日 の平 均 実 収 入 は金 円 六 八 ・三 に当 つて いる。 ト
実 収 入 は大 正 十 三 年 度中 の出 働 一人 一日 の平 均実 収 入 な り 。
日 本 人臨 時 夫 の使 役 数 は僅 少 にし て 、標 準 工賃 を設 け る の要 なく 、
中 国 人臨 時 夫
傭 入 の都 度 、当 所 傭 員 の賃 金 並 に市 価労 銀 を斟酌 し て決 定 す る 。 チ
標 準 賃 銀 は 小洋 銀 建 にし て実 収 入 は出 働 一人 一日 の平均 実 収 入 金 円 な り。 標 準 賃 銀 を定 めざ る 職 名 に対 す る傭 入 は 、当 所 傭 員 の賃 銀 及 市 価
鉱 夫 と は採 鉱 請 負作 業 に従 事 す る 臨 時 夫 で、 中 国 人 のみ であ る 。
鉱 夫 (中国 人 )
労 銀 を斟 酌 し て傭 入 の都 度定 め る。 リ
大 正 十 三年 度 中 の実 働 一人 一日 の平 均実 収 入 は奉 天 小洋 銀 票 元 六
以 て茲 に記 述 を省 略 す 。
日本 人 傭 員 、中 国 人 傭員 は会 社 の給 与規 程 に拠 るも のな るを
賃 銀支 払 方 法 ( 期 日及 回 数 貨 幣 )
六 二 に当 つて ゐ る。 三 イ
四
ニ
ホ
ヘ
イ
あ る が、 日払 は毎 日作 業 終 了後 直 ち に本 人 に支 払 ひ、 半 月 払 は
中国人臨時夫
日給 は 小洋 銀 建 にし て、 所 定換 算 率 に拠 り金
毎 月十 五 日と 月末 と の 二回 に締 切 り 十 日後 れ て支払 ふ。
日給 は金 建 であ つて支 払 も 金 で あ る。 月初 め
に換 算 し直 接 本人 に支 払 ふ 。支 払 回 数 二、 期 日 は仕 切 夫 と 同 一
日本 人臨 時 夫
で あ る。
鉱夫 ( 中 国 人 )請 負単 価 は 奉天 票 にし て、 支払 も奉天 票 であ
より 月 末 の分 を翌 月 七 日 に直 接 本 人 に支 払 ふ。
る。 月 初 め よ り月 末 迄 の分 を 翌 月末 日迄 に直接 本 人 に支 払 ふ。
一般 傭 員
当 所 は 別 に特 殊 な制 度 を設 けず 、会 社 一般 共 通 の
進 級制 度 ( 賃 銀 進 級 制度 )
徒弟
採 用 後 一ケ年 以 上 経 過者 にし て成績 優 秀 な る者 は、 毎
制 度 に拠 る も のな るを 以 て記 述 を略 す。
期初 に昇 給 せし む る 。 一回 の昇 給 額 は 最高 小洋 銀 四銭 、 最 低 一
臨時夫 ( 中 国 人) 臨 時夫 の賃 銀 は労 銀 市 価 、物 価 を斟酌 し、
変 更 し て居 る。
賃 銀 進 級 制 度 は無 い が、労 銀 市 価 、 物 価 を斟 酌 し 、請 負 単 位 を
仕 切夫 及 鉱 夫 ( 中 国 人 )請 負 作 業 に従事 す るも のな るを 以 て、
銭 位 で あ る。
㈲
ハ
ニ
標準賃銀 ( 第 四項 賃 銀 収入 の欄 に詳 記 す 、 併 せ て見 ら れ た し)
を 定 め常 に収 入 の均 衡 に留 意 し て居 る。 亦 労苦 多 き 作 業 に従 事
徒 弟 (中国 人) 日給 は 小洋 銀 建 にし て 、前 月 十 六 日 よ り当 月 迄 一ケ 月 分 を社 定 換 算率 に依 り、 金 に換 算 し月 末 に直接 本 人 に
一、被 服
傭 員 及 徒 弟 に対 し ては 、規 程 に依 り被 服 を 貸 与す る。
五 、 実 物 給 与 の種 類 及 価 格
し た る と き奨 励 票 (一枚 金 三銭 ) を交 附 す る 。
仕切夫 ( 中 国 人 )請 負 単 価 は小 洋 銀建 にし て、所 定換 算 率 に
支 払 ふ。
ロ
ハ
拠 り 、金 に換 算 し て直 接 本 人 に支 払 ふ。 日払 と 半 月払 の 二種 が
夫、賞与なし。
徒 弟 に対 し て は賞 与 の制 度 な し。仕 切 夫、 賞 与 な し 。臨 時 夫 及鉱
通 り にし て、種 類 は規 程 に詳 か であ る から 、茲 に記 述 す る こと を
七 、 社 宅 給 与状 況 (中 国 人労 働 者 に就 て)
新 品 を現 在 払出 単 価 に拠 り貸 与 す るも のと し た る推 定 額 は 左記 の
省 略す る。
傭
種
員
別
一、 〇 八 二
社 宅 居住 者
二二二
五七 六
社 宅 外居 住 者
一、 六 五 五
二四三
二、 三 七〇
二七 一 現 在
一、 六 五 〇
乙種 傭 員
七二〇
一、 社宅 居 住 人 員 と 通勤 者 数
八 ・四七
六七
一五 ・四九 円
日本 人 甲種 傭 員
一八 ・四 二円
四九
一、 二六 三
一人 一ケ年 に要 す る費 用
イ
一人 一ケ年 に要 す る費 用
”
弟
一七 六
六月 十 日
“
徒
三九 二
記事
中 国 人 甲種 傭 員 九 ・二九
仕 切 夫
一、 六 五 八
ロ
“
臨 時 夫
計
ハ
徒 弟 (中 国 人 )制 帽 竝 に作 業 上 必要 と認 む る個 所 に勤 務 す る
乙種 傭 員
ニ
も のに対 し ては 、作 業 衣 を 貸 与 す る ことが あ る 。徒 弟 は 二 ケ年
夫
者
五七七
有 家族 者
二 、四 二九
計
二、 社 宅貸 与 者 の単 身 と有 家 族 別
鉱
仕 切 夫 、臨 時 夫 、鉱 夫 に は雨 天 の場 合、 作 業 者 に簑 を貸 与 し 、
被 服 の貸 与 も 一回限 り であ る 。
身
一、 八 四 二
単
する。
入
院
温
十
泉
療
休 業
日
就
業
数
電 燈 、暖 房 、 水 道 は会 社 の補 給 であ る。 一人 一日平 均約 八銭 を要
と し て月額 三円 乃 至 四 円支 給 し て居 る 。単 身者 を収 容 す る社 宅 の
傭 員 の内採 鉱 総 局 に勤務 す る八 九 名 には、 社 宅 不足 の為 散宿 料
六月 十 日 現在
以 上勤 続 し た る も のは 、 傭員 に昇 格 せし む る方 針 な るを 以 て、
”
ホ
ヘ
亦 冬 期 屋 外作 業 者 に綿 入胴 着 を貸 与 す る も、 這 は作 業 上 の必 要 品 と 見倣 す べき も のに し て、 一般傭 員 に貸 与 す る被 服 と同 視 す べ き も のでな い。 六 、賞写 の種 類 と賞 与額
未治解傭 死
亡 月末現在
一般 傭 員 に対 す る賞 与 は 、 各所 と も同 一率 に拠 る も のな る を 以 て 茲 に記 述 す る こと を省 く 。
全
治
八、傷害、疾病、死亡 に関す る統計及之 に要する扶助救恤状況
前 月 より 越 患 者
十 一年度中 の事実
次
本 月分 新 患 者
日本人傭員職務傷病者 に関する統計
月
計
十二年度中 の事実
十三年度中 の事 実
十 一年度中 の事実
中国人傭員職務傷病者 に関する統計
十二年度中 の事実
十三年度中 の事実
十二年度中 の事実
中国人徒弟臨時夫仕切夫職務傷病者 に関する統計
十三年度中 の事実
十 二年 度中 の事実
中国人鉱夫職務傷病者 に関する統計
十三年度中 の事実
扶 助救 済 に要 し た る費 用 は左 の通 り に し て十 一、十 二年 度 は 調査
又 は疾病 に罹 り た ると き は、 其 の身 分 に応 じ社 費 を 以 て治 療 せ しめ 、
一四 三
実人員
五 、〇 一二 ・一三
六 、七 二 二 ・二五
一〇 、六 五〇 ・ 三六
二五 ・九 六
二八 ・八 〇
二 二 ・五 五
七四 ・四 七
平 均 一人当
二、 社員 第 一項 の事 由 に依 り、 死 亡 し た る と きは 左 の弔 慰 手 当 及葬
勤 と看 做 す 。
又 は治療 の実 費 を支 給 す 。前 項 の規 程 に依 る治 療 中 の欠 勤 は 之 を出
十 三年 度
二九 八
四 、九 八 五 ・ 六三
なし。
日本 人傭 員
一七 四
費
中 国 人傭 員
一九 二
経
仕 切 夫臨 時 夫 徒 弟
現 日給額 の六百 日 分 以 内
き は、 本 人 に 左 の傷 病 手 当 を支 給 す 。
現 日給 七百 二 十 日分 以 内
額
終 身 自由 を弁 す る こと能 はざ る者 及 之 に準 ず べ き 不具 廃 者
〃
給 等
終 身 業 務 に就 く こと 能 はざ る 者 及 之 に準ず べき 者
等 級 一
等
四 百六 十 日分 以 内
二
支
三、 社 員 第 一項 の事 由 に因 り身 体 又 は健 康 を損 し 、 旧 に復 せざ ると
弔慰 手当
祭 の費 用 を遺 族 に給 与 す 。
鉱夫
傭 員傷 害 救 済 制度 概要
参考 に傷 害 救 済 制度 概要 別 紙 添 附
徒 弟 及臨 時 夫 傷 害 救済 制 度 概 要 鉱 夫傷 害 救 済 制度 概要
傭 員 傷 害 救済 制 度 概 要 一、自 己 の重 大 な る過 失 に依 らず し て、 職 務 に原 因 し 傷痍 を受 け 、
四
三
等
等 身 体 又 は 健 康 を 損 し 旧 に復 せ ざ るも 引 続 き 在 社す る者
身 体 又 は 健 康 を 損 し 旧 に復 す る こと 能 はず 因 て退 社す る者 〃
〃
徒 弟 及 臨 時 夫 傷害 救 済 制 度 概要
二百 四 十 日分 以 内
百 日 分 以内
鉱 夫傷 害 救 済 制度 概 要
一、 就 業 中故 意 又 は 重大 な る過 失 に因 る に非ず し て、 傷 病 に罹 り若
二、 公 傷者 の治 療 に要 す る費 用 (治療 料 、 入院 料 、手 術 料 ) は之 を
く は死 亡 し た る場 合 は 公傷 とす 。
て傷 痍 を受 け、 又 は 死 亡 せ る場 合 は公傷 とす 。
た る食 費 並 に日当 銀 二十銭 を給 す 。
看 護 人 に対 し て は医 師 の指 定 し た る期間 に、 医 院 又 は 医院 の規 定 し
三、 入院者 に対 し ては 、 医師 の要 求 に依 り看 護 人 を附 す る こと を得 、
又 は医 師 の証 明 の あ るも のに限 る。
局 費 支 弁 と す 。前 項 は 止 む を得 ざ る場 合 を除 く 外 、総 局 指 定 の医 院
二、 公傷 者 に し て満 鉄 医 院 の治 療 を受 く る者 に は治 療 の実費 (手 術
四、 公 傷 には 入院 又 は治療 の為 、 休 業中 臨 時 夫 工 賃 と同 額 の手当 を
一、 就業 中 故 意 又 は 重大 な る過 失 者 、若 く は不 行 跡 に因 る に非ず し
料 、 入 院 料 、治 療 料 ) を 支 給 す 。
り弔 慰 金 又 は救済 金 を支 給 す 。
額
〃
別
即 死 又 は傷 痍 死 に至 り し も の
七〇
〃
種 一
五〇
〃
等 級
二
終 身 労務 に服 し 得 ざ る も の
廃 疾 不 自由 とな り 金 く 自営 の 途 を失 ひ た る も の
四〇
〃
奉 天 小洋 銀 一〇 〇 元以 内
三
旧 体 に復 せず 退 職 す る 者
一〇
給
三、 公 傷 入院 者 に は必要 に応 じ附 添 人 を 付す る こと を 得 。附 添 人 に
百 二十 日分 以内
四
旧 体 に復 せざ るも 引 続 き就 業 す るも の
一、工場内 の保健施設其他 一般福利施 設
九 、福利施設 の概要
五
支
五 、傷 痍 の結 果 左記 各 号 の 一に該 当 す る も の に対 し て は、 左 表 に依
額
支 給 す。
給
日給 百五 十 日分 以内
支
は附 添 期 間中 、 食 費 並 に 一日 に 付金 三 十銭 以 内 の手 当 金 を支 給 す 。
別
四、 公 傷 の結 果 左 記 各 号 の 一に 該当 す る場 合 は、 左 表 に依 り扶 助 金
種 即死 又 は傷 痍 致 死 のも の
を支 給 す 。
等 級 一
終身 労 務 に服 し 得 ざ る も の
九 十 日分 以 内
同
三
当所 の労 務 に服 し 得 ざ る も の
十 五 日分 以内
終身 自 由 を弁 し得 ざ るも の
四
旧 体 に復 し 得 ざ るも 引 続 き当 所 の労 務 に服 し 得 る も の
二
五
特 別 の勤 労 あ り た る者 、 又 は特 別 の必要 を認 めた る場 合 は扶 助 金 を増 額 す る こと あ る べし 。
イ
濾 過 器 設 置 、構 内 各 作業 場 に パ ー ムチ ツ ト濾 過 器 を設 け 飲 用
夏 季 間 火気 の多 い作 業 場 に、 冷 却 箱 を設 け、 麦
作 業 上 必要 と認 め た る個 所 には 、浴 場 を設 け 、退 場 の
応急箱
毎 年 一回従 事 員健 康 診 断 を行 ひ 、疾 患 者 に対 し て
衛 生係 を設 け 、従 事 員 数 名 を常 置 し 、事 務 所 、作 業
各作 業 場 に薬 品 及 治 療 材料 を 入れ た 応急 箱 を設 け 、
場 の消 毒 其 他構 内 一般 工場 衛 生 の保 持 に当 つ て ゐる。
衛生係
意 を用 ひ てゐ る。
は 夫 々適 当 の措 置 を 取 り、 各 自健 康 の保 全 並 に工場 衛 生 保持 に
健 康 診断
際 入 浴 を 許 し て ゐる 。
浴場
湯 を 氷 に冷 し飲 用 せ しめ てゐ る 。
夏 季氷 配 給
水 は総 て渡 過 し た るも のを 用 ひ し め て ゐる。 ロ
ハ
ニ
ホ
ヘ
工 場 内 に食 堂 を 設 け従 事 員 給料 、水 、 炭 は会 社 が補 給
本
娯 楽 及 集 会 を目 的 とす る倶 楽 部 及 集会 所 を
し て ゐ る。 現 今 では昼 食 のみ の定 食 制 と し、 日本 人 に限 つて ゐ
食堂
軽 微 な傷 病 及 医師 の診 断 を受 け るま で の応 急 所 置 に備 へて ゐる 。 ト
る。
日 倶 楽 部 及集 会 所
人
二、 居 宅 内 の施 設
イ
設 け てゐ る。 囲 碁 、将 棋 等 の娯楽 設 備 、 亦 小 さ な集 会 も出 来 る やう な 設 備 も あ る。倶 楽 部 は 会員 制 度 であ る が 、集 会 所 は何 等 の制 限 を設 けず 、 社 員 及其 の家 族 は自 由 に使 用 が出 来 る。冬 季
現在倶楽部 一 集会所二
暖 房 費 及 常置 使 用人 給料 は会 社 が補 給 し て ゐ る。
炊事経営
国
人
中
独身 者 のた め に、 炊 事 を経 営 し て ゐる 。設 備 一式
食 料 品 を 実費 で 一般 現 業員 に販 売 し て ゐ る。大
社 宅 内 に売店 を 設 け 、専 ら 日用 品 を販 売 し て ゐ る。常
図書室
社 宅 の 一角 に図 書 室 を設 け、 小説 類 、 初 等技 術 書 を
に市価 よ り安 価 であ る。
売店
量仕 入等 の関 係 上 、常 に市 価 よ り 一割 乃 至 二割 安 い。
食料晶販売
は会 社 の補 給 にし て、 食 費 は 実費 を 徴 収 す る。
イ
ロ
ハ
ニ
備 付 け 、 一般 社 員 に無料 で閲 覧 せ し め て ゐる 。
日 本 人傭 員 並 に家 族観 劇 会 、毎 年 一回社 員慰 安 観 劇会 を催 し 、
三 、慰 安 施 設 イ
中 国 人 現業 員 観 劇 会
正 月、 端 午 、中 秋 の三 回 、観 劇会 を催
一般 社 員 及 そ の家 族 に無 料 で観 劇 せ しむ る。
他
ロ
し、 中 国 人 現 業員 一般 に無料 で観 劇 せ し む る。 各採 鉱 所 でも同
相互救済会
独身 者 を 収 容 す る社 宅 聚楽 荘 内 の居住 者 によ つ
様 な催 し を な し、 中 国 人 現業 員 一般 に無 料 で観 劇 せし め てゐ る。 四、其
て組 織 し て ゐる 。毎 月 各 自 三銭 づ ゝ醵出 し、 職 務傷 病 者 以 外 の
イ
から補 給 す る。
死傷 者 救 済 を 目 的 と し て ゐる 。基 金 に不足 を来 す と き は、 会 社
当 所 は 当 地 方 と福 利 を 共 に せ んが た め、 つと め て 地方 民 を採 用 し
一〇 、 中 国 人労 働 者 の能 率
て来 た。 現在 員 の約 八 割 は 地方 民 であ る ( 第 四項中 国 人 出 生 調査 )。
地 方民 は山東 、直 隷 の工 業労 働 者 に比 し 、機 敏 な 点 に於 ては劣 つて
ゐ るが、 温 和 で 山東 、直 隷 工 業 労働 者 に見 る やう な 、 反 抗的 集 団 行 第 三条
第 二条
職 札場 は庶 務 課 に於 て管 理 し、 左 の個所 に設 置 す 。
職 札 は庶 務 課 に て作 製 す 。
第 四条
傭員 は予 め 自 己 の出 入せ ん とす る通 用門 を定 め 、少 く と も
四 、 選鉱 工場 守 衛 詰 所
三、 A ヤ ード運 輸 係 詰所
二、 北 門守 衛 詰 所 内
一、 正 門 守衛 詰 所 内
動 の危 険 な 可能 性 が少 な く 、賃 銀 も比較 的 低 廉 であ る 。当 所 傭 員 中 機 械 職 工を 除 け ば、 殆 ん ど 全部 が比 較 的単 純 な労 働 であ る から 、 短 期 間 の訓 練 で大抵 間 に合 ふ。 次 に之 を 日 本 人 に比 較 す る に、 計 画 又 は 監督 に伴 ふ労働 、 精 巧 を 要 す る 工作 、 智識 を要 す る機械 の運転 乃 至 は技 術 を必 要 とす る作 業 等 は 、概 し て日本 人 を要 す るが ( 言 語 が 十 分通 ぜざ る こと も大 な る
職札 場 は出 勤 者 に 対 し ては 、所 定 の出 勤 時 刻 一時 間 前 に開
前 日迄 に庶 務課 に届 出 づ べ し。 之 を変 更 せ む とす ると き亦 同 じ 。
き 、 所定 の出 勤 時 刻 に閉 鎖 し、 退勤 者 に対 し て は、 所 定 の退 勤 時
第 五条
刻 に開 き 、爾 後 一時 間 に し て閉鎖 す。
に合 ふ 。賃 金 (諸給 与 共 ) は 日本 人 一人 と 中国 人 五人 と 匹敵 し て い
関 係 が あ る) 其 他 の単 な る筋肉 労 働 は訓練 す れば 、 大 抵 中国 人 で間
る から、 日本 人 一人 に対 し 、中 国 人五 人 以 内 で働 かせ る なら 中 國 人
傭 員 出 勤 し た る時 は、 職札 掛 場 にて自 己 の職札 に時 刻 を 登
の方 が経 済 的 に有 利 で あ る。 以 上 は当 所中 国 人 傭 員 の能率 に 対す る所 見 の 一端 にし て、 各 作 業
録 し た る 上、 勤 務 場所 に於 け る指 定 の位 置 に挿 入 し 置 き 、終 業 退
第六条
勤 の時 、 之 を携 帯 し 職札 場 に於 て時 刻 を 登録 し、 所 定 の掛 場 に復
に亘 つて数 理 的 な調 査 が出 来 て ゐ な い から現 状 で は これ 以 上 の回 答 は 不 可能 であ る 。
早 出 、 遅刻 、臨 時 呼 出等 に依 り 、定 刻 外 に入 門 せむ と す る
す べ し。
傭 員 に早 出 、 臨時 呼 出 を 命ず る場 合 は 、勤 務 個 所 に於 け る当 該責
と き は、 職 札 場 係員 に申 出 、前 条 前 段 の手 続 を経 べし。
第七条
一 一、現 業 員 服務 規 則 、 罰 則 一、傭 員 職札 規 程
一、鉱 夫 取扱 規 程
し突 発応 急 事 故 の場 合 に在 り て は、 先ず 電 話 を 以 て通報 し、前 項
任 者 は、 予 め其 の証 明書 を 作製 し て職札 場 係 員 に通 報 す べし 。但
一、中 国 人徒 弟 規 程
一、 守 衛 服務 内 規
早 退 、 残業 等 に より 定刻 外 に退勤 出 門 せむ と す る者 又 は臨
け る当 該 責 任 者 の証 明 を 受 け 、之 を 職札 場 係 員 に差出 し て、 第 六
時 構 外 勤 務 等 を為 し て、 当 日再 び入 場 せざ る者 は 、勤 務 場 所 に於
第 八条
の手続 を と る こと を得 。
一、 当 所 現業 員 に対 す る懲 罰方 法 の概 要
傭 員 職札 規 定 傭 員 の勤 怠 は職 札 場 の印 時 機 に よ る職 札 の登録 時 刻 に よ り
て整 理 す 。
第 一条
条 後 段 の手続 を経 べ し 。但 し臨 時 構 外勤 務 及 其 の他 の事 由 に依 り 、
傭 員勤 務 場 所 に於 け る当 該 責 任 者 は、 左 記 各 号 の場 合 、 前
一時 出 門 す る者 は第 六 条後 段 の手 続 を 要 せず 。
日迄 に之 を庶 務 課 に通 報 す べ し。
第九条
施者
一、 甲 種 員 の社 定 休 日 に出 勤 を命 じ た る者 及 之 に代 るべ き代 休 実
二、 臨 時 構 外勤 務 を 命 じ た る も の (当 日全 然 構 外 に勤務 す る者 )
傭 員勤 務 場 所 に於 け る当 該 責 任 者 は傭 員 の出 退勤 時 刻 と 職
三、 臨 時 連勤 を命 じ た るも の 第十条
札 の登 録 時刻 と を対 照 点検 し て、 其 の間 不当 の差 あ り と認 め た る
傭員 勤 務 場 所 の当 該 責 任 者 は 、所 定 退 勤 時 刻 に職 札 置 箱
時 は、 遅 滞 な く之 を 職 札係 員 に通 報 す べ し。 第 十 一条
扱 ひ た る も の。
の。
三 、職 札 係 員 の指 示 を受 けず 、 職札 の登録 時 を妄 り に改 め た るも
前 条 第 三 号 又 は第 四 号 に依 り、 勤 務 時間 を 不 明 に し、 之
四 、職 札 を破 棄 、 亡 失其 の他 取 扱 を粗 略 にし た る も の。
が 立証 を為 す べき 方法 な きも の には推 定 に依 り 、給 料 を支 給 す 。
第 十 五条
処 分 標 準 な き本 規 程 の犯則 行 為 は 類推 に依 り 処分 す 。
推 定 に対 し て は異 議 を申 出 づ る こと を得 。 第 十 六条
則 ︹ アキママ︺ 本 規 定 は 工場 構 内 ( 内) 及 本 事 務所 、 庶 務 課 工場 分 室 、
附
同 聚楽 荘 、 工 務 課 環 水装 置 、 製 造課 選 鉱 工場 、総 局 本事 務 所 、 庶
第 十 七条
務 課運 輸 係 、 機 関 庫 に勤 務 す るも のに適 用 す 。但 し 構 外勤 務 者 と
構 外 勤 務 者 の職 札 取扱 に関 し ては 別 に定 む る所 に依 る。
に依 る ことを 得 。
事 務 助 手 、 工手 、筆 生 、図 工 、交 換 手 、教 習 生其 の他 特
雖 特別 の事 情 あ るも のは、 承 認 を経 て構 外 勤務 者 の職 札取 扱 の例
第 十 八条
を開 く も のとす 。但 し 昼夜 連 続 作 業 個 所 に在 り ては 、交 代 者 の到
第 十 九条
着 を 待 つて開 く べし 。 傭員 の出 勤 は 定刻 後 一時 間 迄 は 、総 て遅 刻 一時 間 と看 做
す 。 一時 間 以 上 の者 は特 別 の事 由 な き 限 り 入門 を 許 さず 。
第 十 二条
別 の事 情 あ るも のは 、庶 務 課 長 の承 認 を経 て職 員 使 用 の本 事 務 所
内 設置 の印 時 機 を 使 用す る こと を得 。 此 の場合 に於 ては、 第 十 四
職札 は 必ず 本 人自 ら取 扱 ふべ し。 自 己 の職 札 が所 定 の場
条 以下 、 第 十 六 条 に至 る各 条 の適 用 を受 く る の外 、 職札 取 扱 手 続
第十三条
は、 職 札 場係 員 に申 出 て、其 の指 揮 を 仰 ぐ べし 。
に徒 弟 と称 す )。
一、中 国 人 傭 員 養 成 の目的 を以 て各課 に中 国 人徒 弟 を 置 く (以 下 単
中国人徒弟規程
は 職員 の例 に依 る。
所 に在 ら ざ る か 又は 他 人 の職 札 が自 己 の所 定 場 所 に在 り た る場 合
左記 各号 の 一に該 当 す る所 為 あ る も のは 、 日給 五 日分 以
内 の減 給 に処 し、 其 の過失 に依 るも のは 日給 半 日 分 を減 給 す 。但
第十四条
し 情 状 に依 り之 を減免 す る ことあ るべ し 。 一、出 勤 又 は退 勤 のと き、 職 札 に時刻 の登 録 を 為 さ ざ るも の。 一、自 己 の職 札 の取扱 を他 人 に依 頼 し た るも の及 他 人 の職 札 を 取
ロ
イ
勤 務 不 良 にし て成 業 の見 込無 き と き、
事 業 上 の都 合 に依 ると き 、
一五 、徒 弟 は 左 の場 合 に於 て解 傭 す 。
三、徒 弟 は分 ち て甲 (日給 ) 乙 ( 時 間 給 ) の 二種 と す 。
病気 の た め到 底 従 事 し難 し と認 め たる と き、
素 行 不 良 にし て改 悛 の情 な し と認 め た る とき 、
二、徒 弟 は 一般 傭 員 と 共 に所 内 定員 とす 。
四、 徒弟 は毎 年 三月 之 を 募集 す 。但 し 欠員 は業 務 の拡 張 に依 り 必要 ハ
奉 天 省 出身 者
数 え年 廿歳 以 下 の男 子
時 夫 公 傷 者扶 助内 規 を孰 れ も準 用 す 。
を、 勤怠 整 理 に就 ては傭 員 職 札 規程 を、 公 傷 に関 し ては支 那 人臨
一六、徒 弟 の褒 賞 、 懲 戒 に関 し ては、 社 員 褒賞 規 定 及 社員 懲 戒 規 定
ニ
ある と き は 、随 時 募 集 す る ことあ るべ し 。 五、 徒 弟 は 左 の資 格 あ る志願 者 中 より 選抜 採 用 す 。 但 し業 務 上必要
イ
労 働 に耐 ゆ る強 壮 な る体格 を有 す る者
とす る場合 は 同廿 二歳 迄 の者 を採 用 す る こと を得 。
ロ
成 業 の見 込 み あ る者
鉱 夫 取扱 規 程
ハ
総 局 所 管 の作 業 に労 役 す る者 にし て 、本 規 程 に拠 り採 用 し
第 二条
鉱 夫 の採 解 傭 は 鉱夫 頭 に於 て、 其 都 度 鉱夫 採 傭簿 (第 一号
鉱 夫 の採 解 傭 は 、採 鉱 所主 任 之 を 行 ふ も のと す。
採 鉱 所 は鉱 夫 採 傭 の都 度 之 れ に職 番 (通番 号 ) を 付し 鉱 夫
鉱 夫 にし て 左 記各 号 の 一に該 当 す る と きは直 に之 を 解傭 し、
尚 未払 工賃 は之 を 没 収す る こと あ る べし 。
第 五条
入) 再 発 給 す るも のとす 。
紛失 し た る場 合 は 一回 に付 奉 天小 洋 銀 五拾 銭 を徴 収 し (総 局雑 収
翌半 月 以後 に於 け る新 規 採傭 者 を 以 て補 填 す るも のとす 。職 札 を
添 へ返 納 せ し む る も のと す 。解 傭 に拠 り て 生じ た る職 番 の欠号 は、
原 標 (第 三号 様 式 ) 及 職札 ( 第 四 号様 式 、 裏 面 に勤 怠 表貼 付 ) を
第 四条
様 式 ) 及鉱 夫 解 傭 簿 (第 二号 様 式) に拠 り 手 続 を為 す も のとす 。
第 三条
のと す 。
た る者 を総 て鉱 夫 と 称 し、 之 を請 負 作 業及 日役 作業 に使 役 す る も
第 一条
ニ 六 、 体格 は所 定 の検 査員 を以 て検 査 す (費 用 総 係費 )。
と す 。 但 し保 証 人 は 社員 又 は当 所 の承認 せ る者 た る こと を要 す 。
七、採 用決 定 者 は、 保 証 人 二名 を 定 め所 定 の誓 約 書 を提 出 す る も の
時 間 に倣 ふ。
八、 徒 弟 の労働 時 間 は十時 間 を以 て基 本 と し 、配 属 個所 傭 員 の勤 務
一〇 、採 用 後 (又 は昇 給 後 ) 六 ケ月 以 上 経 過 者 にし て成績 優 秀 な る
九 、初 任 給 及 勤 務時 間 と給 与 と の関 係 に就 ては別 に之 を 定 む。
者 は、 毎 期 初 め に於 て定 む る所 に依 り 、 昇 給 せ しむ る こと を得 。 一 一、採 用 後 二ケ年 以 上 を経 過 し成 績 優 良 にし て 、技 倆 熟 達 せ る者 は 、毎 期 初 め に於 て傭 員 に登 用 す 。 一二、徒 弟 を配 置 せ る 各個 所 に於 て は、 所 属 主 任者 は之 が実務 の修 練 指 導 を為 すも のと す 。 一三、 徒弟 は全 部 一定 の宿 舎 に収 容 し、 係 員 を以 て監督 教 養 す 。 一四、 徒弟 には 一定 の制帽 を貸 与 す 。
一、正 当 の理 由 な くし て引 続 き休 業 五日 を超 へた ると き 、 二 、採 鉱 所 主 任 に於 て不 都 合 の行 為 あり と 認 め た ると き 、 三 、正 当 の手続 を為 さず し て 他 の採 鉱場 に転 属 し たる と き、 四 、逃 亡 し た る と き 鉱 夫 の補助 者 とし て 、 日役 作 業 に臨 時 夫 を 使 役 す る ことを
守 衛 は有 務 中 は容 儀 を正 し 、 人 に接 す るに親 切、 丁 寧 を旨
とし 、 其 の種 務 を執 行 す る に当 り ては 厳正 を守 り 、苟 く も偏 頗 の
第 四条
守 衛 日常 の業 務 概 ね左 の如 し 。
行 為 あ るべ か らず 。 第 五条
一、 所 内 一般 の災 害 に対す る警 戒 竝 防 止 二、 門 扉 の開 閉
第 六条 得 。臨 時 夫 を使 役 せ んと す る と き は、 現場 主 務 者 に於 て 予 め採 鉱
第 十 一条
第 十条
勤 務 中 災 害其 の他 異 状 の事項 を認 めた る とき は 、直 ち に守
守 衛 は 非 番中 と雖 所 内 に非 常 事 変 の発 生 し たる場 合 は 呼出
病 気 其 の他 止む を得 ざ る事 故 の為 、 欠勤 せむ と せ ると き は
二、 守 衛監 督
守 衛 監督 は守 衛 を 指揮 監 督 し、 構 内 の警 備 、 衛 生其 他 一般
守 衛監 督 日常 の業務 左 の如 し 。但 し 業 務 分担 は別 に之 を
守 衛 監督 の勤 務 時 間 は守 衛 の勤 務 時間 に準 ず 。
の取締 を為 す も のとす 。
第 九条
出 で、 代 務 者 の交 代 を待 ち て 退 所す べし 。
し 。服 務 中 前 項 の事 故 に依 り 早退 せむ と す る とき は 守衛 詰 所 に届
少 く と も交 代 三 十分 前 、 書面 又 は電 話 を以 て守 衛 詰 所 へ届 出 づ べ
第 八条
を 待 たず 、 直 ち に出 動 す るを 要 す 。
第 七条
を 為 し た る後 報 告 す べ し。
衛 監督 に急 報 す べ し 。但 し 急 を 要 す る場 合 にあ り ては 、其 の処置
第六条
六 、警 備 所 日報 の作 製
五、 タイ ム整 理
四、構 内 の秩 序 維 持 、 清潔 竝 衛 生
三、構 内 出 入者 の取 締
採 鉱 所 は鉱 夫 異 動簿 ( 第 五号 様式 ) を備 へ、 毎 月末 日締 切
所主 任 の承 認 を受 け、 之 が 手 配 を鉱 夫 頭 に命 ず るも のと す。 第 七条
鉱 夫 の解 傭 は、 工賃 締 切期 末 に於 て整 理 し 之 が 工賃 は別 に
に て鉱 夫 月 報 ( 第 六号 様 式 ) を総 局 に提 出 す べし 。 第 八条
札
当所 に守 衛 及 守衛 監 督 を置 き 、構 内 外 の取 締 に任 ぜし む 。
一、 職
守 衛 服務 内 規
工賃 表 を 作 成 し、 支 払 の手続 を なす も のとす (様 式 略)
第 一条
守衛 及 守 衛 監 督 は、 本 規 程 の定 む る所 に依 り服 務 す るも の
務 衛
守 衛 の勤 務時 間 は 二十 四 時間 と し隔 日 に交 代 せし む 。但 し
一、 守
二 、服
とす 。
第 二 条
第 三条
事 務 の都 合 に依 り 日勤 ( 十 時 間 勤 務) を命ず る こと あ るべ し 。警
番 者 に不足 を 生 じ 、勤 務 を配 当 し能 はざ る と き は、 非 番 者 の 一部
戒 上 特 に多 数 の人員 を要 す る か又 は疾 病 其 の他 の事 故 に因 り 、当
を 以 て充 当 す る こと を得 。
一、 守衛 詰 所 内 一般 事務
指 定 す。
二 、 構内 の巡視
四、 タイ ム整 理
三 、 守衛 の勤 務 割 及 警 備計 画
五、 守 衛 の交代
守 衛 詰所 には必ず 一名 以 上 の守 衛監 督 当 務 し 、守 衛 の勤
六、 勤 務 日誌 其 他 諸報 告 書 の作 製 第 十 二条
守 衛 監 督 は時 々、 構 内 を 巡視 し警 備 所守 衛 の勤 務 を 監督
務 を統 轄 し災 害 其 他 の事 故 に対 す る臨 機 の処 置 に支 障 な か ら し む べし。 第十三条
守 衛監 督 は守 術 の勤 筋 割 を作 製 し努 め て之 を公 平 な ら し
し 警 戒 上 必要 な る注 意 を為 す ぺし 。 第 十 四条 む ぺし 。
下番 守 衛監 督 は下 番 守衛 を 所 定 の場 所 に整 列 せ し め、 勤
務 中 発 生し た る事 項 を 聴取 し 、 上番 守 衛 監 督 に必 要事 項 の申 送 り
第 十 九条
守 衛 詰 所 に勤 務 日誌 を備 え 、必 要 事 項 を記 載 し、 日 々工
を為 し た る後 退 所 す る も のとす 。
揚 係 主 任 に提 幽 す べし 。但 し重 要事 項 は時 機 を 失 せず庶 務 課 長 及
第 二十 条
三 、 取 締事 項
工揚 係 主 任 に 口頭 、 電 話 又 は書 面 を 以 て報 告 す ぺ し。
諸 門 其 の他 必要 揚 所 に警 備 所 を 置 き、 守 衛 は受 持区 域
の警 戒 に服 せし め 、 諸門 閉 鎖 後 は守 衛 詰 所 に集 合 し 、半 数 づ ㌧交
第 二十 一条
代 に構 内警 戒 巡 視 を 為 す も のと す 。
開
閉
午前五時 午後八時 )
門 扉 の開 閉 時 間 左 の如 し 。
其 の警 備 方法 、 受 持 区 域 及交 代 時 間 は別 に之 を定 む。
門
第 二十 二条
門
午後 七時
午後六時
北
正門 第六警備所 午払 削六 時
盗 難 其他 不正 行 為者 を防 止 す る 為 、時 宜 によ り守 衛 の配
置 其 他 二時 的 に警 備 方 法 を変 更 す る こと を得 。 但 し 前項 の揚 合 は
〃
第 十 五条
第 二〃
午 後 五時
午後七時
第 三〃
守 衛 監 督 は常 時 守 衛 を指 導 訓 練 し 、緊 急 に際 し 周章失態
午 前五時 )
午 前 七時
構 内禺 入者 の取 締 は構 内 出 入者 の取 締 の門 鑑 に関 す る
る件 ( 大 正 二四 、 二 、 二〇 鞍 庶第 二七 二 二 号) に定 む る所 に依 る。
件 ( 大 正 一○ 、 三 、 三〇 鞍 庶 第 二 八五 五 号) 蚊 出 門証 使 用 に関 す
第 二 十 三条
第 二四〃
第九〃
第 五警備所
直 ち に工 揚 係 主 任 に報 告 す る を要 す 。 第 十 六条
タ イ ム の整 理 は職 札 規 定 に従 ひ、 之 を 為 し 入退 揚 前 、印
な から しむ べし 。 第 十 七条
上番 守 衛 監 督 は 上番 守 衛 を所 定 の揚 所 に整 列 せし め 、 人
時 機 の時 間 を整 理 す ぺ し 。 第 十 八条
員 其 他 服 装 の検 査 を 為 し 、服 務 上 必要 事 項 を指 示 し た る後 、 各 勤 務 個 所 に配 置 す。
二 、懲 戒 処 分 は 第 一六条 乃至 第 四 二条 によ る。
命 ず る こと あ る べ し。
三 、過 怠 金 は 一ケ 月間 本 俸 百 分 の五 以 上、 百分 の九 十 以下 とす 。
構 内 に於 て諸 規 則違 反 者 又 は 不 正行 為 者 を 認 め た ると
き は 、左 の区 分 に従 ひ処 置 し た る後 守 衛 監 督 に報 告 す べ し 。
四 、所 員 の懲 戒 に対 し ては 執 行 猶 予 を認 めず 。
第 二十 四条
一、 諸規 則 違 背者 に対し ては所 属 (外 来 者 は住 所 ) 氏 名 等 を問 ひ
五 、第 一六条 乃 至 四 二条 の各 条 に準 ず べき行 為 は 、 夫 々第 一六条 乃
分 に附 す べき 行為 と認 め た る も のは別 に裁 断 処 分 す 。
六 、第 一六条 乃 至第 四 二条 の各条 に該 当 せ ざ る行 為 にし て、 懲 戒 処
至第 四 二条 の各条 に準 じ 処 分 す 。
二、 不 正行 為 者 を 発 見 し た ると き は、 守 衛 詰 所 に連 行 調 査 す べ し。 警 邏 中 諸 建物 の破 損 及溝 梁 等 の填 塞 其 の他 相 当 処 置 を
後 日 の取 調 べ、 其 の他 に支 障 な か ら しむ べし 。
第 二十 五条
守 衛 は 定傭 夫 又 は臨 時 夫 を使 役 し 、構 内及 本 事務 所 附
要 す る事 項 を認 め た る と き は、 其 の旨 守 衛 監 督 に報告 す べし 。
七 、特 別 の定 め あ る も のは 、 其 の定 む ると ころ に拠 る。
第 二十 六条
八 、第 一六条 乃 至第 四 二条 に該 当 又 は準ず べき 者 と 雖 も情 状 酌量 の
則
本 規 程 に明文 な き も のは、 随 時 の命 令 に依 るべ し。
一二、 懲 戒処 分 に附 せら れ た る も の に対 し ては 、当 期 間 昇 給 、昇 格
落 し 、 又 は被 懲 戒 者 と 同 一程 度 迄 の処 分 を課 す こと あ るべ し。
一 一、 被 懲 戒者 の責 任 監督 者 に対 し ては 、情 状 によ り監 督 の地位 を
き に よ り処 断 す 。
一〇 、 一個 の行 為 にし て数個 の被 懲 戒 行為 に触 る る も のは 、 其 の重
と あ る べし 。
性 質 に あら ざ る懲 戒 行 為 と雖 も 三度 重 ね た るも のは 、解 傭 す る こ
九 、 一ケ年 内 に同 一性 質 の懲 戒 行為 を再 び 重 ね又 は 一ケ年 内 に同 一
加重 す 。改 悛 の見 込 な し と 認 め た る も のは解 傭 す 。
余 地 あ るも のは、 其 の処 分 を軽 減 し 又 は情 状 重 き も のは、 処 分 を
近 の掃 除 を為 さし め 、尚 伝 染 病 等 の発 生 した る 時 は 、直 ち に消毒
警 備 所 日 報 に は、 勤 務 の状 態 其 の他 服 務中 に生 じ た る
を 為 し 、之 が蔓 延 を 防 止 す べし 。 第 二十 七条
守 衛 には 手簿 を交 附 し 、勤 務 中 之 を携 帯 せし め 必要 事
事 項 を記 載 し、 退 勤 のと き守 衛 監督 に提 出 す べ し 。 第 二十 八条
附
項 を 手 記 し 、報 告 及 意見 申 告 の用 に供 せし む 。
第 二十 九条
所 員 懲 罰 方 針 概要
解傭
譴
過
責
務 担 当 者 は速 に其 の事 実 証 憑 を調 査 し、 竝 懲 戒 に対 す る意 見 を 具
一三 、 所 員 にし て被 懲戒 行 為 あり と 認 め た ると き は、 庶 務 課懲 戒 事
一 免職
一、 所員 に対 す る 懲 戒処 分 の種 類 は 左 の通 り と す 。
二
告
の詮 議 を な さざ る こと あ る べ し。
三 諭
金
四
し 、庶 務 課 長 及 懲 戒行 為 者 の所 属課 長 の審 査 を経 て、所 長 の決 裁
怠
会 社 に損 害 を 生 ぜ し めた る と き は、 前 項 の処分 と共 に之 の弁 償 を
を受 く べ し。
二 三、 社 有 の物 件 を隠 匿 、竊 出 又 は横 領 騙 取 せ るも のは解 傭 す 。
た るも のは 譴責 又 は過 怠 金 に処 す 。
二 二、 販 売 の目的 を以 て、物 品 を 持 込 み、 売 買 交換 又 は仲 介 を な し
二 四 、社 用 の物 件 を私 用 し た る も の又 は 恣 に私 用 に貸 与 し た るも の
一四、 懲戒 処 分 を決 議 し た る とき は、所 長 は懲 戒 辞令 を所 属 課長 を 経 て本 人 に交 付 す 。
るも のは 、過 怠 金 又 は解 傭 に処 す 。
三 三 、故 意 又 は重 大 な る過 失 の為 に、業 務 上 の事 故 を惹 起 せ し め た
金 又 は解 傭 に処 す 。
三 二 、濫 り に放 火 し 、 又 は火 気 の取扱 不 注 意 な る も のは 譴責 、 過 怠
の信 用 を失 墜 せ し む る が如 き 言 行 あり たる も のは譴責 又 は解 傭 す 。
三 一、 所 内 の機 密 、製 造 其 の他事 実 上 の秘 密 を漏 洩内 示 し、 又 は 所
は譴 責 又 は解傭 す 。
行 為 に対 す る 取締 を緩 にし て、 会 社 に不利 益 を与 へし めた る も の
三〇 、 請負 人若 は用 達 商 人 の為 に、 不 当 の便 益 を 与 へ、 又 は彼 等 の
るも のは 過怠 金 又 は 解傭 に処 す 。
二九 、 勤務 時 間 中 の所員 を私 用 に使 役 し た るも の又 は使 役 せ ら れ た
のは 解傭 す。
二 八 、私 品 を製 作修 理 し、 又 は之 を依 頼 し 若 は依 頼 を 照 会 し た るも
上 の利 便 の為 に流 用 した る も の及流 用 を 受 け た るも のは解 傭 す 。
二 七、 社 金 若 く は社 員 に対 す る会 社 関 係 の給与 金 を 横領 騙 取 又 は 私
告 、 譴 責 又 は過 怠 金 に処 す 。
二六 、 保 管 の機 械 器 具 其 の他 の社 有 物件 の不 整 理 放慢 な るも のは諭
のは 、過 怠 金又 は 解 傭 に処 す 。
二五 、社 有 の物 件 を 恣 に毀 損 滅 却 し 又 は紛 失 し 、或 は 濫 用 し た るも
は 、過 怠 金 又は 解傭 に処 す 。
但 し諭 告 は 所属 課 長 に依 頼 し て、 直接 本 人 に 口頭 を 以 てな さ し む 。 一五、 庶 務 課 は懲 戒 名 簿 を 設 け、 被 懲 戒者 に関 す る左 記事 項 を 記 入 し置 く べし 。 一、所 属 職 名 二 、懲 戒 年 月 日
四、 懲 戒 処 分
三 、被 懲 戒 行 為 の概 況 ︹ママ︺
五 、 相 当 の手 続 に よる 届出 を為 さず し て欠 勤 し 、 又 は故 無 く 出勤 を怠 るも のは諭 告 、 譴 責 す 。 一六 、欠 勤 し て 恣 に所 外 の業 務 に従事 し たる も のは 解 傭 す。
解 傭 に処 す 。
一七 、勤 務 の出 退 に関 し、 不 正 の所 為 あり た る も のは 、 過怠 金 又は
一八 、正 規 の手 続 あ る に も拘 らず 、恣 に之 に違反 し て、 業 務 を 処 理 し 、 不都 合 を来 た さ し めた るも のは論 告 、 譴責 又 は過 怠 金 に処 す。 一九 、故 なく し て監督 者 の指 揮 命 令 に反 抗 し 、若 く は之 を 閑 に附 し 又 は監 督 職 務 執 行 を妨 害 し た るも のは 、譴 責 、過 怠 金 又 は 解 傭 に 処す。 二〇 、濫 り に業 務 を 休 止 し、 又 は勤 務個 所 を離 れ て 職務 を怠 り た る も のは 、諭 告 、 譴責 又 は過 怠 金 に処 す 。
は、 譴 責 、過 怠 金 又 は 解傭 に処 す 。
二 一、勤務 時間中飲酒、遊戯 又は賭博等 其他類似行為ありたるも の
又 は 過 怠 金 に処 す る こと あ る べし 。
三 四 、 過 失 に より 業務 上 の事 故 を 惹起 せし め た る も の は諭 告 、譴 責
三 五 、危 険思 想 其 の他 の流 言 蜚 言 を な し、 他 人 を惑 は しむ る も のは 譴 責 又 は解 傭 す 。 三 六 、連 合 し て不 隠 の行 動 を取 り 、 又 は其 の謀 議 に 与 れ るも のは諭 告 、 譴 責 又 は解 傭 す 。 三 七 、暴 行 、脅 迫 其 の他粗 暴 の行 為 あ り た るも のは諭 告 、 譴 責 又 は 解傭す。 三八 、 許 可 なく し て禁 示 区域 に立 ち 入 り、 又 は参 観 人 を誘 致 せ る も のは 譴 責 又 は過 怠 金 に処 す。
( 三 )
秘
青 島 、 天津 、上海 、営 口、大 連 埠頭 労 働 事情 比較
大正 十 四 年 七 月 三 日
次
庶 務 部 調査 課
青 島 、 天津 、 上海 、営 口、 大 連 埠 頭労 働 事情 比 較
目
一、各 埠 頭 に於 け る労 働者 の雇 傭 組 織
三 、 一日所 定 労働 時 間 並 に休 憩 時 間
二 、労 働 者 現 在数
四 、休 業 日 数
三九 、 猥 り に 不倫 の行 為 を な し、 又 は禁 錮 以 上 の刑 に処 せら れ る べ き罪 を 犯 し た るも のは 解傭 す 。 前項 の外 、 風紀 を素 乱 し 其 の他信
苦力頭
用 を 失 墜 し体 面 を汚 損 す る が如 き行 為 あ りた るも のは諭 告 、 譴責
銀 (ロ)
五 、賃
荷 役苦 力
八 、労 働 能 率
七 、福 利 施 設
六 、実 物 給 与 の種 類 及 価格
(イ)
又 は解 傭 に処 す。 四〇 、 犯 人 を教 唆 し、 若 く は幇 助 し 、或 は便 宜 を 与 え て被 懲 戒 行為 を な さ しめ た る も のは 、被 懲 戒 者 と同 等 以 上 の処 分 を課 す 。
と同 程 度 迄 の処 分 を課 す る ことあ る べ し。
四 一、他 人 の被 懲 戒 行 為 を隠 蔽 し又 は偽 証 し た るも のは、 被 懲 戒者
九 、労 働 者 の生 計費 十 、労 働 団 体 十 一、労 働 者 に関 す る規 則 十 二、賃 銀 と生 計 費 と の関 係
料
十 三 、労 働 者 の思 想 資
一、 青 島埠 頭 調 査 ( 共 同 作 業所 ) 託
川 村 竜 雄 氏報 告
松 本 文 三郎 氏 報告
本 篇 記 す る処 は、 共 同 作業 所 の実 況 にし て作 業 所 は苦 力 頭 を し て、
共 同 作 業 所 (日本 支 那 船雑 貨 運 搬 )
港政局 ( 各 国 船 撤 荷 運 搬) ︱ 共 同 作業 所 請 嘱
託
苦 力 の供 給 を為 さ し め、 一苦 力 頭 は 約 五十 名 の苦 力 を統 率 す。
アダ ム ス商 会 (日本 以 外 の外 国 船 雑 貨運 搬 ) 嘱 上海 事 務所 長 報 告
ニ
営 口︱ 荷 役 作業 は営 口駅 が 労働 組 及 福 昌 公司 に請 負 は し め、苦
に伴 す。
苦 力 頭 をし て苦力 の供 給 を 為 さ しむ 。苦 力 は多 く 同 郷者 によ る処
上 海 ︱ 各 会 社 は碼 頭 組 頭 ( 把 頭 ) に荷 役 を請 負 は し め、 組頭 は
三、 上海 埠頭 荷 役 人 夫 調査 営 口駅 長 報告
三、 天 津埠 頭 関 係 労働 者 待 遇 状 況調 査
ハ
四、 埠 頭 労働 事 情
一、各 埠 頭 に於 け る労 働者 の雇 傭 組 織 天津 ︱ 埠 頭関 係 会 社 は 、荷 役 作 業 を各 賑 房 に請 負 は し め、賑 房
大連
力 の供給 を為 さし め居 れり 。賃 銀 其 他 は 苦 力 の実 収 な り。 ホ
は 其 の所 属 の苦 力 頭 をし て、苦 力 の供 給 を為 さし む る も の にし て、 本篇 に掲 ぐ る処 の賃 銀 其 他 は苦 力 の実 収 にし て、 会 社 が荷 役 作 業
各 埠 頭 労働 者 数 の確 実 な る も の知 り 難 き も凡 そ 次表 の如 し 。
二、 労 働 者現 在 数
在 数
青 島︱ 荷 役 作 業 を為 す に、次 の如 き 組 織 を有 す 。
に支出 す る金 額 と は異 れり 。
者現
イ
ロ
労働
労 働 時 間 は 、 上海 最 も短 く 、青 島 之 に亜 ぎ 天 津 最 も多 し。 休 憩時
三 、 一日 所 定労 働 時 間 竝 に休憩 時 間
間 は 上海 最 も多 く 、各 埠 頭 共 に特 に休憩 時 間 と称 す べ き も のな き も
一日所定休憩時間
一日所 定 労働 時 間
便 宜 昼食 時 を 休憩 時 と見 做 せ る も の の如 く で あ る。 イ
ロ
休 業 日 数 も所 定 のも のなく 各 苦 力 が適 当 に休 業 す る の み。
四 、 一ケ 月休 業 日数
銀
備 考 ︱但 し 旧正 月 、端 午 、中 秋 及 暴 風雨 等 には 何 れ も休 業 す 。 五 、賃
荷 役 苦 力 の賃 銀 は出 来 高 給 な る も其 の平 均 一日所 得 は 次 の如 く に
基本賃銀
△福 昌 公 司
×労 働 組
苦 力 出来 高 給
苦 力 時間 給 1
荷役苦力賃銀
であ る 。
し て天 津 最 も高 き も 労働 時 間 長 け れ ば其 差 甚 し き も の に非 る が如 く
イ
2 附
属 給
夜業 の場合 には次 の如 き割増又は酒代 を支給せらる。
3 賃銀 形態
基 本 賃 銀
苦 力 頭賃 銀
こと あ り。
上 海 、天 灘 、 青 島 は農 繁 期 其 他 に依 り て 五割 高 以 上 とな る
5 増 給 方法
4 賃銀支払方法
備考
ロ 1
2 附
属
給
3 賃 銀 形態
4 賃 銀支払方法
5 進 級方法
営
上
天
青
連
口
海
津
島
なし
なし
賑 房 使 用 人 には宿 舎 竝 食 事 支 給 (一人 月 五 、 六弗 以上 十弗 見 当 ) 苦 力頭 に は宿 舎 を支給 す
麦 粉 、 米 、 漬 物 其他 日用 品 価 格卸 売 値 段 同 様 (小麦 粉 現在 売 価 銀 三 ・七 〇) 宿 舎 の設備 あ り
六、実物給与 の種 類及価格
大 七、福 利 施 設
福 利施 設 と し て は大 連 、 営 口、 青 島 等 見 る べき も のあ る に反 し天 津 、 上海 は全 然 之 を欠 く 。
大
営
上
天
青
連
口
海
津
島
労働 組 、福 昌 公 司 共 に相 互扶 助会 あ り 。購 買 、 作 業 器 具 の安価 捉 供 をな す
なし
なし
医薬 は 普済 医院 に委 託 す 。 時 々芝 居 を開 催
石炭 雑 貨 一日四 噸 内 外荷 役
八、労 働 能 率 島
袋 部 (百 六 、 七 十斤 ) 百乃 至 二百袋
高 梁 一俵 を担 ぎ 一、 二 町歩 行 可能 な る も の を採 用 す 青
津
労働 組 は 時 間 給 な る 上統 一悪 し く能 率 低 し
天
口
上 海 営
大 連
九 、 労働 者 の生 計 費 、 苦 力 一人 当 り の生 計費 は 上海 最 も 高く 青 島 之 に亜ぎ 、 大 連 、 天津 は相 伯 仲 す 。
営
口
大 連 備考
島
七 ・三 八 円 二 ・五 〇 円
六 ・七 九 円
×印 は月収十 一円乃至十五円妻帯者 △印は月収十 二円乃至十 三円独身者
青 津
島
なし
なし
一、係 員 の命 令 は絶 体 服 従 二、 埠 頭 構内 禁 煙 窃 盗 右 違反 者 は解 傭 又 は出 勤 停 止
天 津 ︱ 特記 す べき も のな し 。
意 志 疏 通 し円 滑 な り 。
最 高 二二 ・五〇
奉票 平 均 一八 ・ 〇〇元
最 低 一六 ・ 五〇
× 一三 ・〇 三 円 乃 至
△ 一〇 ・六 八 円
青島 ︱ 悪 化 せ る者 殆 どな く 、雇 傭 関 係 支 那 人同 志 な る を 以 て労 資
一 三、労 働 者 の思想
家 族 扶 養 力 の費 用 は単 身 者 の場 合 の三 割 安 とし て計算 し た。
以 て、 家 族 持 は 此 の賃 銀 に て辛 ふ じ て生 活 し得 ると 見 る べき であ る 。
営 口、 天津 最 も余 猶 あ り と 云 ふ べし 。猶 右 は苦 力 一人 の生 活費 を
( 奉 票 は 二円 十 八銭 を 一元 に、金 票 は 一円 三十 銭 を 一元 に換 算 )
基 本 賃 銀 と 生 計費 と の関 係 を 見 る に次 の如 く で あ る。
一二 、賃 銀 と生 計費 と の関 係
三 ・ 一五 円 乃 至 三 ・八 九 円
天 海 なし
三、
各 出 身 地 の幇 に属 す主 な るも の鎮 江幇 、 揚 州 幇 、安 徽
一〇 、 労 働 団 体
青 天 津
口
上 海 営
大 連
上 口
一 一、労 働 者 に関 す る規 則
営
大 連
上海 ︱
定 な し 。但 し不 可抗 力 (暴 風 雨 雪等 ) の場 合 は臨 時 休業 す る こ
銀
と あ る べし 。
一日平 均
〃 一 ・〇 〇
銀 〇 ・五〇
臨時雇
営 口︱ 昨 年頃 よ り、 苦 力 一般 に常 識 増 加 し 、社 会 的 出来 事 に注 意
最高給者
〃 〇 ・四〇
基 本 賃 銀
ホ、 賃
最低給者
噸 数 に より 支払 なし う る 為 め 、其 の多 少 に依 り 増 減 あ れ共 、大
属
〃
〃 〇 ・ 一五
銀 〇 ・ 一六 雑貨 給 後 半 夜 十割 増
石炭 一噸
体 に於 て上 記 の 如し。 運搬費
附
前 半 夜 五割 増
賃銀形態
尚 農 繁 期 其 他 に於 て、 適宜 二、 三 割 の増 額 を行 ふ 。
賃 銀 支払 方法
全然貨幣 ( 大 洋 ) に依 る。
3
進 級 方 法
十 日 間 に 一回 なれ 共 、 其間 不絶 前 貸 金 を なす 。
半 期 に 一回 、多 少 の進 級 を な さし む 。
銀 三 ・七〇
一、 一定 の宿 舎 を 設 く 。
ト 、福 利 施 設
小麦 粉 、 現 在売 価
麦 粉 、 米 、漬 物 其 の他 日用 品 、価 格 卸売 値 段 と 同様 。
ヘ、 実 物 給 与 の種 類 及 価 格
5
4
2
1
九 五名
三〇名
一〇 名
し 、 社 会主 義 、 同 盟 罷業 に関 し ても 、大 体 の概 念 を有 す る に至
小苦 力 頭
一、 三 〇 〇名
(共同 作 業 所 )
訳 二〇名 デ ツキ マ ン
船 側 苦 力 九 五〇 名
四 五名
二頭
れ り 。 之等 は浴 場 、 理髪 屋 、寄 席 等 に於 て 、宣 伝 者 よ り注 入 せ ら れ ると 云 ふ。 大連︱
一、埠 頭 調 査
︹ 資 料 の 一 ・青 島埠 頭 調 査 ︺
内
イ 、労 働 者 現 在 数
苦力頭 ウ イ ンチ マン 船 内 苦 力 一五 〇名 男 子 のみ に て女 子 なし 。 ロ、 一日 の所 定 労働 時 間
午 前 六時 よ り午 后 五時 ま で
午 前 六時 より 午 后 六時 ま で
自 十 月八 日至 十 一月 六 日
午 前 七時 よ り午 后 五時 ま で
自 三月 五 日至 十 月 七 日
自 十 一月 七 日至 三 月 四 日
国 慶 紀念 日 ( 十 月 十 日) 冬 期 は 殆 ど無
昼食 一時 間 (十 二時 よ り午 后 一時 ま で)
ハ、 一日所 定 休 憩時 間
新 旧 正月 元 旦 、 中 秋節
ニ、 一ケ月 所 定 休業 日数
休 な れ共 、 夏 期 に於 て は五 日乃 至 一週 間 位 休 む事 あり 。 別 に規
二、 医薬
普 済 医 院 に委 託 。
三 、 時 々芝 居 を催 す 。 チ、 労 働 能 率 四噸 内 外 (石炭 、雑 貨 )
雑貨船把頭 分配之規章
支等作業方法又因便利 起見分予備牌 与臨時牌両種尚若予備牌不足
第 一 凡 一般之作業各把頭須依次序分配於各艙無論噸数多少均施以
用時即按臨時牌之次序提掛 以補充之
イ、入港之船無論幾隻必須 以通過大港旗台之先後施行決定之配置
第 二 配置之方法規定如左
一、係 員 の命令 は絶 対 服 従
行決定之配置也
惟於 三社之定期船須於該船入港之前日午後 六点依期牌之次序而施
転錨傍在同区装雑貨 之時須待向船行商妥如何装法再行配配置定之
之時傍行配置前卸雑貨之把頭以作業之若是船於装完散物之後勿庸
ロ、凡雑貨卸完接装散貨完畢之後再装雑貨之船須於該船転錨掛旗
二 、埠 頭 構 内禁 煙
全然なし
違 反者 は解 傭 又 は出 勤 停 止 す る も のと す 。
三 、 窃盗
リ、 労 働 者 に関 す る規 則 主 な るも の
ヌ、 労働 団 体
ハ、如有全那或各艙 発生暫時不可作業之須倹向船行商妥如何之辮
ル、労 働 者 の生 計費
法再規定配置是 矣
内 食費 七 ・五〇 円 乃至 八 ・〇 〇 円 を要 す 。 宿 舎給 与 す 。
郷 里 に近 き故 、 時 々父兄 に托 し送 金 す 。
頭
票
第六 配置人須依把頭交到現場員発給之証 明票有不装不卸者将己掛
意遅延時間 一経本所査出 必施以相当之処罰
第五
把頭於受現場員 発給之証明票須於十分鐘以前交到本所如苦故
頭可致本所将確実 原尾坂告配置人而配置人可代理現場員発給証明
第四
於作業完畢或 発生特別事故不能作業時支所現場員未在支船把
之船或 一艙本所現場員亦須発給不装不卸之牌証明票交 与当事之把
頭親送支所以照落牌惟於発生特別事故之時 不在此限岩有不装不卸
作業完畢之証明票 並須記入該艙完塁確実之時間交与該艙所属之把
第三 本船現場員不論装卸貨物多少須按各艙作業完畢之時急速発給
銀十円
苦 力頭 一名 に対 し て苦 力 五 〇 名
ヲ、 労働 の組 織
目 下 悪化 せ るも の殆 無 しと 云 ふ も差 日 な し 。
臨 時 に他 よ り補 充 す る こと あ るべ し。 ワ、 労働 者 の思 想 カ、 其 他 参 考 共 同 作 業所 は雇 傭 関 係 が全 然 日 那 人 同志 な るを 以 て、 労 資 相
の恐 れも 殆 な き は甚 だ心強 く感 ず るも のな り。
互 の意 志 の疎 通 も円 滑 にし て、 昨 今 の時 局 に当 り スト ラ イ キ等
年 齢 二十 歳 前後 よ り三十 五、六歳 迄 多 し 。小 車 を用 ふ る故 、戴 に慣 れず 。高 梁 一俵 を か つぎ て 一、 二町歩 行 可 能 者 を採 用 す 。 十分 の 一噸 入 り籠 は 二人 で前 後 し て担 ふ 。
之牌落於原牌之右有作業完畢者按照証明票記 入時間之先後落牌於 原牌之左 第 七 左記各項把頭有分遵守者随時停止其作業権或実行 取消之 イ、於作業上有 不服従本所配置人及現場員之支配者即按第七条処 ロ、於作業中 吸煙者或於界内禁 止吸煙地点而 吸煙者経本所入査出
置之 即按第七条処 置之 ハ、凡於窃取界内之物件者不問多少即按第 七条処置之 ニ、凡不留心以致貨物器具傷損時即按第七条処置之外並以市価若 ホ、凡把頭有 不派給相当苦力以致遅〓作業之時按第七条処置
干令其賠償之 ヘ、如有船急欲開駛作業尚未完畢之時本所如得船行充分理由之請 求配給人或現場員可臨時調遣幇艙苦力如不服従即按第七条処置之 ト、本規則如有未尽事宜可於随事酌定之 右榜通知 民国十 三年五月 一日実行 青島碼頭 共同作業所長啓 二、埠頭調査項 目 (アダ ムス商会)
力 頭
常 傭苦 力
九名
約 三百名
イ、労働者現在数 苦
外農産物出 廻期 には、五、 六百名 の臨時雇入をなす。 ロ、 ハ、 ニ、ホ等各項は共同作業所同様なり。其他殆んど大同小 異 に付き之 を省略す。
参
考
規 則 の制定なし (アダ ムス商会分)
港政局は大正十三年 五月埠頭作業 に関 し船会社 の自傭苦力運搬
作業を特許 したり。同時 に左記 の区分 の下 に、別項 の如く、港政
局は (膠澳商埠港政局許可船舶会社組織運輸取締規則)を制定 し 港政局
各国船 撒荷
運搬
て許可権 を附与 したり。尚撤荷 (石炭、塩等)は港政局直営 なり。
雑貨、運搬
日本支那を除く外国船
日 本船支那船
作業所 アダ ムス商会
蕎
港政局直営 の撒荷作業 は実際は共同作業所下請をなしつつあり。 ︹資料 の二︺
支店長
川村竜雄報告
大連汽船株式会社天津支店
天津埠頭関係労働者待遇状況調査 に関し回答 の件
本月十二日附庶調産第五八号を以 て、御 照会相成首題 の件拝誦仕
候。当地各 汽船会社 は其 の賑房 を有すると否 とに拘らず、貨物 の積
の積卸人足 の所得及待遇は大同小異なるを以て、茲 に大連汽船株式
卸は、何れも之を 一定料金 の下 に請負はしめ居 るも のにし て、実際
会社天津支店 に於 ける制度 の大要 を御報告申上候。
当支店は賑房をして輸出入貨物 の陸揚、船積、保管及荷渡 に関 す
る 一切 の業務を掌 らしめ、之に対 し月給銀弐百五拾弗 を支給する外、
輸出貨物中会社 の蒐集せ る貨物、通関業者 の申告 に係 る貨物 に対し
ては、各其 の運賃 の三分を、賑房自ら蒐集せる貨物 に対しては運賃
の 一割 を支 払 ふ 。但 し満 船 契約 の場 合 には 二 分 五厘 乃 至 三分 を 支 払 ひ 、乗 客 に対 し て は 一等 、 三等 客 は運 賃 の五 分 、 四等 客 に対し ては 其 の 一割 を 支 払 (一、 三等 は 眼房 に て切 符 を 発売 せ るも のに限 る)
(旧 正 月 、端 午 、 中 秋 節 ) 五、 六弗 ず つ賞 与 を 受 く。
常 傭苦 力 、 ボ ーイ等 傭 人 は月 末 に月 給 三弗 以 上 八弗 を 受 け、 年 三 回
同 事 以 下諸 傭 人 の食 餌 は各 自 の身 分 に応 じ 、 脹房 に之 を 支給 す 。
右 の外 、貨 物 の陸 揚 、 積 込等 の為 め に苦 力 頭 以 下 十 九 名 を 置 く
一人 に付 月 五、 六弗 以 上 十弗 見当 と す 。
( 苦 力 頭 一、中 苦 力 頭 六 、 小 苦 力頭 十 二名 ) に対 し て は、 眼 房 に て
輸 入貨 物 に対 し ては全 然 無 口銭 と す。 輸 出 入 貨 物 の積 込 、陸 揚 に対 し ては 、別 表 によ り苦 力賃 を支 払 ふ 。尚 賑 房 使 用 人 十七 名 、常 傭 苦
宿 舎 を給 す 。 此 の家 賃 六軒 に て月銀 十 五弗 、苦 力 頭 及 中苦 力 頭 は何
力 及 ボ ーイ 二十 一名 に対 し ては宿 舎 を給 し居 れり 。 当 賑 房 の制 度 は財 東 ( 資 本 主 ) と 同事 (使 用 人 ) と に分 つ。財 東
記
理
同 事 二 十 三名
三 (一名 掌 櫃 )
一
財 東 外 二 名 (二名 は 同事 )
掌櫃
先 生 (社 員格 )
掌 櫃 (重 役格 )
銀 二百 五 十弗 、中 苦 力 頭 には年 三回 各 三十 弗 乃至 五 十弗 、 小苦 力 頭
頭 には 一日 八十 仙 乃 至 一弗 の仕 役 賃 を 支給 し、苦 力頭 には 年 末 一回
苦 力 頭 以 下 小苦 力 頭 に至 る迄 一日各 百文 の飯 代 を給 す。 此外 小苦 力
月 給 は苦 力 頭 銀 二 十 五弗 、 中 苦 力頭 十 五 、 六弗 に し て、荷 役 中 は
れも 自宅 を有 す 。
総
は同 時 に同事 にし て、 財東 以下 二十 六 名 あ り 。其 の分掌 左 の如 し 。
書
三
貨 物 取 扱 苦 力 の多 く は、 瓜 成者 に し て親 戚 知 己等 の家 に寄 寓 し 、
中 苦 力 頭 は 主 と し て ウ イ ンチ の使 用 、 ダ ンブ ル指 揮等 の職 務 を 掌
には同 じく年 三 回各 五 、 六 弗 の賞 与 を 支給 す。
一
又 は 下級 旅 宿 に滞在 し 、荷 役 船 に蝟 集 し労 力 を供 給 す るも のにし て、
一 一 (一名掌 櫃 )
計
五
受渡現場使 会 関
二
る。
海
生
習
タ ー リ ー
る べく 、労 働 時 間 は 午 前 六時 よ り午 後 六時 迄 の間 にあ れど も 、冬 季
其 の的 確 な る員 数 を 知 る こと困 難 な る も、 総 数 五 、 六千 人 の間 にあ
補
右 の外 、常 傭 苦 力 十 八 名 、ボ ー イ若 干 名 、厨 司及 雑 役若 干 名 あ り 。
は 七時 過 ぎ にあ らざ れば 参 集 せず 。 且 労働 に何 等 の拘束 なき を 以 て
財 東 は 年 末 に於 て純 益 の半額 を受 け 、 同 事中 主 な る者 十名 は其 残 額 に対 し 一割 五 分 、 一割 八 分 、 四 分 五厘 、 二分 五厘 (以 上各 一名 )
苦 力 頭 、 ウ イ ン チ マン、 ダ ンブ ル マン、
と な り能 率 も 三 分 の 一、 又 は五 分 の 一に減ず る を例 と す 。
職名別
勤 怠 は各 人 の随 意 とす 。 夜 荷 役 の場 合 には 人数 も半 減 又 は夫 れ 以 下
総 数 五 、 六千 人
イ、 埠 頭調 査 事 項
二分 二名 、 一分 三 名 ( 目 下 欠員 あ る為 、 三分 は積 立金 に加 ふ) 退 職
同 事中 掌 櫃 を除 き他 は 八弗 以 上 二十弗 の月 給 を受 け 、 且前 記 利 益
資 金 等 の為 め 五割 を積 立 つ。
の分 配 に与 らざ る者 は 、年 末 一回 百 弗 内 外 の賞 与 を受 く る も のと す 。
ロ、 一日所 定 労 働時 間 なし
前文参照
︹ママ︺
タ ー リ ー マン、綱 取 、 艀 板 人足 、見 張 人 、検 斤 (オ) 人 等性 外 男
ハ、 一日所 定 休憩 時 間 旧 正 月 、端 午 、中 秋節 の三 日は休 業 を例
と す る も、 旧 正 月 元 旦 を除 く 外 、荷 役 支障 な し。
ニ、 一ケ月 所 定 休業 日数
〓 房 使 用 人 は 一年 に 一ケ月 の休 暇 あ り、 事 務 の繁 閑 によ り実 施 す。 銀 普 通 苦 力 平均 銀 七十仙 見当 、 最 高 一弗 二、 三十仙 、
ヌ、労 働 団 体
リ、 労 働 者 に関 す る規 則
なし
碼 頭 苦 力 の就 去 勤 怠 は全 然 各 自 の随 意 にし て 、何 等 の拘束 を受
る自 由 平等 の観 念 に 一致 す る が故 に、 当 地方 に於 て未 だ同盟 罷 業
け ず 。働 け ば之 に対 す る報 酬 を受 く る 点 に於 て 、彼 等 の理想 とす
等 を 見ず 。 従 つて労 働組 合 の成 立 を 必要 とせ ざ る の みな らず 、 彼
等 の大多 数 は殆 ど 風成 者 にし て多 く使 途 を有 せず 。 之 に対 し て労
助 を 与 え 生計 の資 を得 せ しめ つ つあ る埠 頭 は寧 ろ 一種 の恩 恵 的 施
設 た る の観 あ るも 、 目 下水 鉄 路 工場 、炭 坑等 の労 働 組 合 に刺 激 せ
ら れ 、将 来 組 合 の成立 を見 る の気 運 に向 ふべ き も現 在 何等 団 体 的
基 本 賃銀 最 低 三十 五 、 六仙
ホ、 賃 1
附属給
には潰 物 、 生 葱 に味 噌 等 を 用 い、 ま ま肉 類 を使 用 す る も食 費 と し
苦 力 の生 活 は 玉 蜀黍 、 粟饅 頭 を 主 と し、 副 食 物
職 名 別 等 別 文参 照
賃 銀 形態
ル、 労働 者 の生 計
組織なし。
2
て は 一ケ月 四弗 乃至 五弗 、 小店 宿 泊 料 一報 四、 五 文 、衣 類 其 他 雑
ヲ、労 働 者 の組織
前文参照
費 二弗 を要 す。 即 ち月 平 均 六 、 七弗 とす 。
支払 ふ 。此 竹 札 は 碼頭 に於 て現金 と同 様 に取扱 は れ之 を 以 て食
er
fu
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( smal l )
〃 bal e( l a rg e) 〃
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Loa ding an d Di s c harg i ngCook i ng hi r e.Wo
Fr om2 0t h Mar ch 1924
特 記すべき も のなし 。
P
ワ、労 働 者 の思想
進 級 方 法
〃 Ce ment
〃
Raw c ot t on
t r aw mat
od beam
料等 を購 入す る こと を得 。
一般 苦 力 は運 搬 貨物 一個 又 は 数個 毎 に、 竹 板製 の引 換 札 を 以 て
前 文参 照
前文参照
3 賃 銀 支払 方 法
前文参照
4
5
〓 房 使 用 人 及 苦力 頭 ボ ーイ等 は其 の成 績 と年 限 と によ り 月給 、
前 文参 照
賞 与 を増 加 し 、 又 ボ ー イ等 は 先生 に進 級 す る こと も ある も 一定 の方 法 なし 。
なし 袋 物 (一袋 百 六十 斤 ) 百 乃至 二百 袋
ヘ、実 物 給 与 の種類 及価 格 ト 、福 利 施 設
チ 、労 働 者 の能率
Ce m en t Coke
P
P
Ti n,empt y Bricks Coal
Wate rme1 on ener al Cargo
〃
er on t(10bags ) 〃
4ti me
〃
er ton 〃
〃
.20
.01
.105
.20
は 作業 高 に よ り支 給 せ ら るる請 負 制 度 であ る 。今 其組 織 を 示 せば
じ苦 力 頭 が駆 集 め 、荷 役 作 業 に従 事 せし む る も ので あ つ て、賃 金
五 、 上海 に於 け る埠 頭 作 業 人 夫 ( 苦 力 ) は常 傭 の者 なく 、 必要 に応
四、なし
三 、自 午 前 十 一時 半 至 午 後 一時
苦 力 の所 得 は取 扱 貨 物 の個 数 によ り計 算 す る も の であ る から 、
碼頭 組 頭 (幇 頭 )︱ 苦 力 頭︱ 苦 力
下 の如 し 。
.25
.23 .22
其 体 力 如 何 によ り作 業 高 に相 異 を来 たす を以 て、 一定 せ る所 得 金
.25
〃according to the
Per ton
1 00pi ces Per ton
Over 3tons &u nder 3tons ︹マ マ ︺
O ver 3tons & under 5 tons
〃
額 を示 す こと が出 来 な い。特 に荷 役苦 力 の所 得 は桟 橋 と倉 庫 間 の
〃
異 る も の であ つて 、尚 各 桟橋 会 社 では何 れ も秘 密 と し、 精 査困 難
六、 なし
し 、 夜 荷役 の賃 銀 は 前記 賃 銀 の二割 乃至 五 割増 で ある 。
夜 荷役 を なす 際 は 、苦 力 一人 に 対 し小 洋 十仙 を酒 代 と し て支 給
賃金 の支 払 は作 業 終了 と同 時 に銅 銭 を 以 て支 払 ふ。
二 、優 良 なら ざ る者 の 一日 の所 得 大 洋 五 十仙 乃 至 六十 仙 。
一、優 良 な る者 の 一日 の所 得大 洋 八十仙 乃至 一弗 。
る 時 は 五割 乃 至 十割 高 と な る)
普 通 の場 合 (農繁 期 又 は 其 他 の事 情 によ り埠 頭荷 役 苦 力 減 少 せ
で あ る が大 体 の見 当 は下 の如 し 。
.80
距 離 、 倉 庫 の設備 如 何 、繋 留 船 の多 少 、取 扱 貨物 の種 類 等 によ り
〃 〃
. 60
〃 〃
F/L .50 Over 3tons & under 10 to nS 〃
( 庶 調 産 第 一六 号 に依 る)
(上 海事 務 所 長 報 告 )
O ver 10tons & under 15 tons
︹ 資 料 の三 ︺
上 海 埠 頭荷 役 人 夫 調査
詳
以下 一、 二、 三 、 四等 の数 字 は貴 問 の項 目 であ る。 一、 不
め 、時 期 に より 増減 少 からず 。例 えば 農 事繁 忙 期 な る 六 、 七 、 八、
七、なし
碼 頭 苦 力 は他 の労 働 者 と同 様 に他 郷 よ り来 集 せる者 大多 数 を占
九 月 頃 は彼 等 は多 く帰 郷 し 、秋 末 よ り冬 期 に亘 り再 来 す る か ら確
八、 埠 頭 荷 役 苦 力 は筋 肉 労働 者 で体 力 の強 弱 によ り作 業 の能 率 に差
異 を生 ず る が 、他 方 又 仕事 に対 す る練 れ、 不練 れ、 即 ち古 参 者 の
実 な る数 字 を示 す こと が出 来 な い。 二、 九 時 閥 乃至 十 時 間
G
区 別 によ り て其 能率 を異 にす る 。其 程 度 は前 記 一日 の取 得 賃 金高 と 同 一で あ る。
一〇 、埠 頭 荷 役 苦 力 の労働 団 体 と し て は、 組 織 的 のも の なく 彼等 は
九、なし
︹ 資 料 の四︺
埠 頭 労 働 事情 に関 す る 件
( 営 口駅長
迫 喜平 次 報 告)
当所 関 係 中 国 人労 働 者 中傭 員 、常 役 夫 及常 傭 は殊 更述 ぶ る程 のこ
労 働 組 は 遠 く露 西 亜時 代 の初 期 に始 ま り幾 多 の変 遷 を経 て今 日 に
と 存 じ ます 。
労働 組 は特 殊 の状 態 にあ り ます から 一言 労働 組 の形 体 を申述べたい
負 ふ所 で、 後者 は大 体 に於 て大 連 の それ と等 しく な つて居 り ま す が、
当所 使 役 苦 力 は貨 物 構 内 は労 働 組 、 牛 家屯 貯 炭 場 は福 昌 公 司 の請
あ り ま す。
と な き も、 荷 役苦 力 中 そ の組 織 其他 に就 て他 と趣 を異 にす るも のが
二 揚 州幇 、
其 出 身 地別 に よる帯 に属 し、 其瀞 頭 又 は苦 力頭 の指 揮 号 令 の下 に
る こと 甚大 で ある 。 而 し て主 な る幇 を示 せば一 鎮 江幇
働 く も ので、 此 幇頭 又 は苦 力 頭 の良否 は直 接苦 力 の良 否 に影響 す
三 安 徽瀞 等 で、彼 等 は郷 土観 念 非 常 に強 く 、昔 の日本 の親 分 子 分 関 係 の如 し。 一一、最 近上 海 対 岸浦 東 に於 け る埠 頭 苦 力 の罷業 は事 大 に報 導 せ ら れ た 傾 き あり て、外 人側 は同 盟 罷業 と は認 め居 らざ る次 第 であ る 。
二名 の苦 力頭 の連 合 によ つて構 成 せ ら れ たも ので あり ま す が、 現在
及 ん だ の であ りま す が 、 これ が組 織 の当初 は 同等 の権 利 を有 す る十
其 れ は苦 力 側 よ り多 少 の賃 金 値 上 を申 出 でた に対 し、 苦 力 頭 と苦 力間 に難 な く 解決 が出 来 た 様 子 で あ る。 而 し て浦 東 側 の苦 力 は浦
一石 に付
一〇 ・〇 〇
一〇 ・二〇 弗
る から であ り ます 。
の規 約 によ り死 亡 又 は脱 会 せ る場 合 は補 欠 を せ な い こと に定 め てあ
に於 ては 十 二名 中 四名 死亡 し て八 名 と な つて居 りま す 。 これは 組合
東 附 近 村 落 の者 多 数 を占 め 、 前記 幇 関 係 の束 縛 は薄 き 模様 で あ る。
米 〃
一二、 苦 力 一日 一人 の生 計 費 は 大約 大 洋 五 十仙 一三、 白 米 一袋 に付 き
りと す る所 は家 族 的 で あ ると 云 ふ こと で あり ま す。 而 し て各 苦 力頭
係 は 隷 属関 係 では あ り ま せん が 、 主 従 の関 係 にあ つ て常 に彼 等 の誇
各 苦 力頭 は常 に約 四十 名 内 外 の苦力 を有 し て居 りま す が、 そ の関
粳 粉
一石 は約 百 八 十 支 那斤
三 ・二〇
麦 註
一四、 一 作 業 の監 督 は苦 力 頭配 下 の小 頭 が す る が、 外 部 に 対す る作
一般苦 力等 の性 癖 と し て懐 中 幾 分 の余 裕 を 生 じ 来 た れば 直 ち
率 に於 て 二分 乃 至 五分 位 高 率 であ る と 云 ふ に過ぎ な く 、平 苦 力 と 同
業 に対 す る音 頭 取 り の如 き も ので 、 そ の立場 は労 銀 が平 苦 力 より も
の下 に四乃 至 六 人 の小苦 力 頭 な る も のが あり ま す が、 これ は単 に作
に賄 賂 を な し、 又 は 怠 眠 を食 る状 態 で、 殊 に彼 等 は 郷 土観 念 非
様 の労働 者 であ り ます 。 こ の他 に 一苦 力 頭 の下 に 一名 の書 記 があ り
業 上 の直接 責 任 者 は船 会 社 で あ る。 二
常 に強 く 、従 つ て外 来思 想 に感 染 す る こと 少 し 。
合 の対 内外 の事 務 は 八 名 の苦 力 頭 の合 議 に よ つ てな さ れ て居 り ま す。
苦 力頭 の寄 合 世 帯 であ り まし て、 これ を統 轄 す る大 苦 力 頭 な く 、組
ま し て 、労 働 に関 す る 事務 に当 つて居 りま す 。要 す る に労 働組 は各
事 実 であ り ます 。
外 的 争議 の際 には 、 必ず 荷 主 側 が組 合 の側 に立 つ事 は見 逃 し 得 ざ る
主 従関 係 にあ つた為 め、 又 彼 等 の排 外 的 思 想等 の為 め、 労 働 組 の対
あ り ます が、 そ の他 の原 因 と し て有 力 な る支 那 人荷 主 と苦 力 が 元来
八二七名 (全部男)
四 、 一ケ月 の所定 休 業 日数
定 つ ては居 り ま せん が 、食 前 後 三 十 分 であ り ま す。
三、 一日 の所 定 休 憩 時 間
定 つて は居 りま せん が 、普 通 十 時間 乃 至 十 二時 間 。
二、 一日 の所 定 労 働 時 間
於 ては 山東 の方 勝 れ り と し て居 り ま す。
如 斯 状態 に て 二十 数年 間 も対 内 外的 にと に角 平 穏 に来 り ま した のは 、
記 合
苦 力頭 に傑 出 せ る人 物 な き こと と 、 繩張 り の防 備 宜 し き を得 た為 で
一、労働者 現在数
荷 役 苦 力 は 労 働組 及 び福 昌 公 司 の合 計 人 数 な る も元 来 福 昌 公 司 の制 度 は 小苦 力 頭 組織 に て、苦 力頭 は恰 も福 昌 公司 の如 き 感 があ り ま す。 尚 労働 組 は主 とし て 、天 津 苦 力 を使 役 す る に反 し 、福 昌 公 司 は 主 とし て 山東 苦 力 を使 役 し て居 り ま す 。天 津 、 山東 の入心 はす べ て判 明 し て居 りま す ので 、業 務 の緩漫 は 認む るも 、 柔順 な る点 に
定 つては 居 り ま せ ん が、 三 日乃 至 五 日 に 一日位 勝 手 に休 ん で居 りま す 。 銀
現 在 小 洋建 にな つて居 り ま す から 、 次表 に示 す 如 く直 接 会 社 の
五 、賃
使 傭 人 は これ に て表 わ し 、其 他 の荷 役 苦 力 は 奉天 票 に示 し ま した 。
労 働 組 の労 銀 分 配 方法 は作 業 高 に応 ず る出 来 高払 の制 によ り、 一
旬 後 の毎旬 五 の 日 に受 け て居 りま す が、 其 分 配 の方 法 は 相互 扶 助
費 (公傷 、災 疫 等 の補 助費 及 年 末 、年 始 、中 元等 の慰 労費 等 ) と
し て毎 一旬 の総 収 入 の二分 を控 除 し て積 立 て、残 額 を平 苦 力 一日
作 業 量 に相 当 す る労 銀 の獲得 は、 最 も公 平 な る べ き も の にて優
金 の交 附 な ど も 相当 の効 果 あ る も のと 思 ひま す 。
勝 劣 敗 よ り陶 冶 さ る る優 秀 労 労働 者 を集 め得 ると 共 に、 賃 銀 価 上 げ
一人 分 を 一と す れば 、 小苦 力 頭 及 書 記 一 ・二乃 至 一 ・五、 苦力 頭 二及 顧 問 四 の割 合 に分 配 す る の であ り ます 。 炊事 夫 も平 苦 力 と同
等 の問 題 も相 当 有利 に解 決 し 得 る も のと存 じま し て、 目 下 当 駅 に
成 文 のも のあり ま せ ん。
一率 であ り ま す。
於 て研 究 中 であ り ます 。 九 、労 働 者 に関 す る規 則
附 属 給 と し て労 働 組 は酒 手 を徴 収 し、 苦 力 頭書 記 及相 当 勢力 あ
一〇 、労 働 団 体
あ り ま せん 。
る 小苦 力 頭 の収 入 とな つて居 りま す 。故 に仙 地 に於 け る如 く 労 銀
居 り ま す が、 そ の数 は全 数 の八 割 を占 め、他 は奉幇 者 で間 借 住 を
独身 者 は各 苦 力頭 の宿 舎 に、 福 昌公 司 は自 家 の建 物 に収 容 し て
一 一、労 働 者 の生 計費
近 当 地 に於 て苦 力 を募 集 し 、為 め にそ の収 得 額 に於 て労 働 組 を凌
し て居 り ます 。
福 昌 公 司 は 一日 の作 業 景 に応 じ て支給 し て居 り ま す関 係 と、最
の頭 を撥 ね る こと、 即 ち企 業 利 潤 の控除 は な い の であ り ます 。
駕 し て居 りま す が、 やが て両者 相 接 す る率 に到 達 す る も のと存 じ
労働 組
相互 扶 助 、 作業 器 具 の安 価 提供
相 互扶 助 、購 買会
肉 、 白菜 等 の材 料 を 用 ひ て居 る こと 一旬 一再 に止 ま り ま せ ん 。平
と り 、 一回 は粱 米 を食 す る の であ り ま すが 、当 労 働 者 は白 米 、猪
普 通 これ ら労 働者 は 一日 に 二回 麦粉 若 し く は其 他 の粉製 食 料 を
頭 及 書 記 は これら の生 計費 を免 除 され て居 り ます 。
共 に 一旬 毎 に苦 力 の頭 割 に され て居 り ます 。只 福 昌 公 司 の小 苦 力
食費 、借 家 料 、電 灯 料 、 水 料 等 は各 宿 舎 に依 て生ず る諸 計 費 と
ます。
あ り ま せ ん。
六 、実 物 給 与 の種類 及 価 格
イ 福昌公司
七 、福 利 施 設
ロ 八 、 労働 者 の能 率
五元 五 角 の割 合 にな つ て居 り ます 。 この外 、 衣類 並 に嗜 好品 、若
均 し て これ等 の生 計 費 は 一旬 奉 票 の六 元 で、 最高 七 元 五角 、最 低
し く は 娯 楽費 を要 す る も 左程 有 力 な も のであ り ま せん か ら略 しま
前 記 の如 く 労働 組 は労 銀 分 配方 法 は作 業 量 に比 例 し てか ら得 る
す。
も のに非 ず し て、 怠 惰 勤 勉 の何 れ に依 る も同 額 の賃 銀 を 得 る為 に、 他 に比 し て甚 だ し い能 率 の低 下 し居 るを 見 る こと が出 来 ま す。 尚
が、 これ に属 す る小苦 力頭 と は単 に名 の み にし て、 何等 の実 力 な
労 働 組 の組 織 は前 申述 べ た様 に、苦 力 頭 の寄 合 世 帯 であ り ます
一二、 労 働 の組 織
又 労働 組 の統 率意 の如 く な ら ざ る為 に、 と に角 作 業 の迅速 円滑 を
そ の組 織 の変 更 を行 ひ、 常 に作 業 の単位 と な る苦 力 班 に於 け る小
欠 く嫌 があ り ま す が、 これ は使 役 す る者 の立 場 から す れ ば 、是 非
苦力 頭 の地 位 を今 少 し く 認 め る と共 に現福 昌 公 司 のな し居 る奨 励
る苦 力 班 な るも のも 確実 的 な も の でな く 、 習慣 的 に十 人 内外 集 合
く平 苦 力 と同 様 の立場 にあ る ので あり ま す 。 一作 業 をな す単 位 た
し て作 業 を な す に過 ぎ な い ので あり ま す 。苦 力 頭 と苦 力 の関 係 は 主 従 の関 係 頗 る濃 厚 な るも のが あり ま す 。福 昌 公 司 は 一班 を約 四 十人 乃 至 五 十 人 と し、 各班 に小苦 力 頭 あ つて相 当 の実力 を有 し 、 福 昌 公 司 と の間 は請 負 関 係 にあ り、 小 苦 力頭 と苦 力 と の関 係 は雇 傭 関 係 にあ り ま す。 一三、 労 働 者 の思 想 由 来 直 隷苦 力 は山 東 苦 力 に 比し 智 力 に於 て優 越 し て居 り ま す の で機 械 労働 に適 し 、 そ れ丈 使 役 困 難 と さ れ て居 り ま す。 一昨 年頃 迄 は 苦 力 と謂 えば 無 智 の代 名 詞 の様 に思 わ れ て居 り まし た が 、昨
は社 会 的出 来 事 に非 常 に興 味 を 覚 え社 会 主 義 、 同盟 罷 業 工 等 に関
年 頃 よ り 一般 に頓 に常識 を増 し た様 に思 わ れ ま す 。彼 等 は 此 頃 で
し ても 大 体 で はあ り ま す が、 概念 丈 は持 つ て居 る様 であ り ま す。 聞 く所 に依 れ ば 、之 等 の知 識 は 浴場 、 理 髪 屋 又 は寄 席 に出 入 す る 宣 伝屋 か ら得 る さう で あり ま す 。 要 す る に最 近著 し く社 会 主義 的思 想 に傾 いた事 は否 定 し得 な い と 存 じ ます 。
大 連 埠頭 労 働 者 の現 状
︹ 資 料 の 五︺
( 大 連 埠 頭 事 務所 長 報 告 ) 本 回答 は本 編 締 切後 到 着 せる に 付 き本 文 中 には記 入 せざ り し も本 文 大 連 の比較 対 象 には本 篇 を参 看 せ ら れ たし 。
総
数
一、労 働 者 現在 数 イ
別
一二、 七 八 三 人
傭員常役夫
職 名 A
ロ
ハ
国
B 常 傭華 工
籍 別
2
福 昌 公 司所 属 支 那 人 a、 荷 役 華 工
ロ、陸 上 華 工
イ、海 上 華 工
ハ、 石 炭 華 工
船舶 関 係 揚積 作 業 に従 事 す る者 を 海 上華 工と し 、陸 上 関 係
の作 業 貨 車 積卸 の如 き 作 業 に従事 す る も のを陸 上華 工 と称 し 、
石炭 専 門 の作業 即 ち陸 上 関係 に係 らず 船 舶 関係 の作 業 にも 従
事 す る者 を 石炭 華 工と 称 し て居 る。
会 社 常 傭 の華 工 にし て、会 社 の常 役 夫 と福昌 の荷 役 華 工 の
b 、常 傭 華 工︱ 臨時 華 工
中 間 に位 す べ き性 質 を 有 す る者 、 半肉 体 的 、半 智 的 労 働 に従
の必要 に応 じ当 日限 り 傭 入 る も ので臨時 華 工 と称 す 。
事 す る独 特 の華 工 にし て、 此 の種 の華 工 が不足 す ると き 、其
構 内 の野積 貨 物 の監 視 を為 す も のに て、 特 に防 火 の目 的 に
c、警 戒 団 華 工
て此 の種 の新制 を 昨 年 よ り開 始 した る も の。
傭 員 、常 役 夫 、常 傭 華 工は 原 則 と し て十時 間 勤務 にし て、 一日
二 、 一日 の所 定 労働 時 間
所 に依 り相 当 の報酬 を与 へて居 る。 海 上華 工、陸 上華 工、 石炭 華
中 に於 て十 時 間 を超 過 す る 時 は、 時 間 外勤 務 とし て会 社 の定 む る
工 も当 所 の営 業 時間 内 労 働 に従事 せざ る べ から ざ る も のな れ ど埠
性別 男 子 のみにて女子なし。
一、労働者現在数
す る作 業 と異 り 、季 節 に依 り 、或 は 一日 の中 に於 て も繁 閑 常 な く
頭横 内 に於 け る作業 は、 機 械 工場 内 に於 け る如 く所 定 時 間 内 継続
ニ
我埠頭事務所構内 の作業 に従事する華人 を大別すれば、 1 会社直属 の支那人即ち傭員、常役夫
時 に作 業 継 続 す る こと あり 、 又 時 に中 絶 す る こと あ り、 一年 を通
の出 来 高 払 制 を採 つて居 る 。
傭 員 、常 役 夫及 福 昌 供給 の常 傭 華 工 、臨 時 作 業華 工 には 月 給
給
制 を採 り 、其 他 の華 工 に於 て は作 業 高 に 比例 し て仕 払 ふと ころ
属
〃
三時 間 以 上 時 間 外勤 務 し た る と き
二十 五銭
十 八銭
一、傭 員 、 常 役 夫
と し て会 社 より 支給 す。 手 当 率 左 の如 し 。
〃
)
時
傭
員
か ら 、此 の時 間 外 に作 業 に従事 し た る時 は 、時 間 外 手当 を報 酬
傭 員 、 常 役 夫 、常 傭 華 工 は 原則 と して 一日 十時 間 勤務 で ある
附
じ て見 る時 、 実 際 に労働 に従 事 す る時 間 は割 合僅 少 であ る。 作 業
2
華 工 の実 際労 働 時 間 は平 均 一日六時 間 内外 と見 れ ば大 差 な から う 。 警 戒 団 華 工 は 一年 を 通 じ て午 前 六時 よ り午 後 六時 迄 、十 二時 間 と 定めて居る。 三、 一日 の所定 休 憩 時 間 埠頭 に於 け る現 業 方 面 の作 業 は 工場 或 は鉱 山 労 働 者 の如 く連 続
五時 間 以 上
十銭
此 の場 合 は 否応 なし に次 の作 業 の起 る迄 、休 憩 せざ る を得 な い。
七時 間 以 上
二十 五銭
的 のも の に非 ず し て、 一日 の中 に於 て作業 の中 絶 す る こと あり て、
斯 く の如 き 状態 に あ るを 以 て 、埠 頭 に於 ては労 働 者 に対 し て、 特
当 直 又は 徹 夜 勤務 を為 し た ると き
臨
至 五月 十 五 日
員
(
自 四月 十 六 日
に休 憩 時 間 な る も のを 制 定 し てな い。 但 し船 舶 関 係 の作 業 華 工は 、
二、常 傭 華 工
埠頭事務所支那人
す るを 得 る こと に な つ て居 る 。 け れど 是 と て確 定 的 のも のでは な
傭員 、常役夫状態 傭
い。 其 の時刻 の前 後 に作業 の中 絶 す るが 如 き場 合 には 、其 の中 止
員
数
五月分
昼 食 を 吃 す る時 間 を十 一時 半 よ り十 二時 迄 の三十 分 を休 息 時 間 と
人
時 間 中 に食 事 を採 る。 四 、 一ケ月 の所 定休 業 日数 傭 員 、 常 役 夫 、警 戒 団 華 工 に就 て は 一ケ 月 公休 二回 と し てあ る。 繁 忙 期 にあ り ては、 公 休 日 に出 勤 を命 ず る こと があ る。公 休 日 の
額
日 数 者
延
総
勤
出 勤 す べき 延 日数
勤
出
料
常 傭 華 工、 臨 時華 工及荷 役 華 工 に は公 休 な る も のは な い。但 し
出 勤 に は勿 論 会 社 とし ては報 酬 を与 え て居 る 。
欠
給
収
日 数 給
日
月
延
正月 元 旦、 旧 暦 元 旦、 中 秋節 、天 長 節 の四 回 は埠 頭 全部 の作 業 は
均
欠 勤
中 止 す る の で、 此 の 四 日間 は自 由 休 息 を 為 し得 る 日 であ る。
高
銀
平 基 本 賃 銀
最 1
五 、賃
常傭華工五月分
(
自 四 月十 六 日 至 五月 十 五 日
(
至大正十四年 三月
自 大正十三年四月
埠頭作業華工所得賃銀調査 大正十 三年度
)
)
給
料
時間外手当
調
( 金 額 は小 洋建 )
最高 日給
一〇二銭
一二六〇銭
最低 日給
四八銭
四〇銭
警戒団華 工の賃銀 七五銭
時 間 外 手当 一四 二銭
(
給料 一人 平 均収 入
臨時華工 の賃銀
小洋建、単位元
一箇月 の平 均収入
高 払 制 を 採 つて居 る。
石炭 関 係 華 工 には作 業 の出 来高 に よ り賃 銀 を支 払 ふと ころ の出 来
にな つて居 る 。
更 に小 洋 銀 に換 算 し て更 に苦力 頭 の手 を経 て各 華 工に支 払 ふ こと
の分 は本 人直 接 に、 他 は 総 括 し て福 昌 公 司 に支 払 ふ 。福 昌 公 司 は
き は毎 月 会 社 の定 む る換 算 率 に よ り て金 に換 算 し 、傭 員 、 常 役 夫
日給 制 の賃 銀 は何 れも 小 洋建 に て辞 令 面 は記 載 さ れ、 支 払 のと
一箇年 の平 均収 入 在 住 と あ る は在 住 労働 者 全 部 に割 当 て て平 均 した る も の、出 働
一箇年 の食住費 と あ るは 出働 者 のみ に対 し て割 当 に て計算 し た も の であ る 。 時 間 外 勤 務 一時 間 毎 に当該 人 日給 額 の十分 の 一を 手 当 と し て支 給 す るも の にし て、 例 え ば 日給 五 十銭 のも のな れば 一時 間 に付 五
賃 率 な る も のを金 建 によ り て定 め て居 る 。
出 来 高払 制 の方 は作 業 の性 質 、 貨 物 の種 類 に随 ふて細 目 に渉 り
三 、作 業華 工 (海 上 、陸 上、 石 炭 )
銭 の手 当 を 支給 す るも のな り。
4
ケ月 間 の月 給 を合 算 し、 本 月十 六 日 に社報 に記 載 す る と ころ の換
傭 員 、常 役 夫 の給 料 は 前 月 の十 六日 よ り本 月 の十 五 日 に至 る 一
賃 銀 支 払 方法
前 記 の会 社規 定 の営業 時 間 外 に、作 業 を為 す とき は 、所 定 賃 率 の五 割 を 支 払 ふ ことと し て あ る。 傭 員 級 に対 し て此 の外 に 、年 二期 の賞 与 を貰 ふ。 大体 日給 額 の
る全 部 を 計算 し、 本 月 の月 末 に於 て其 の支 払 当 時 の市 場 に於 け る
常 傭 華 工 、警 戒 団 華 工 の給料 も前 月 十 六 日 より 本月 十 五日 に至
算 相 場 によ り て金 に換 算 し 、月 末 に金 貨幣 を以 て支給 す る。
換 算 相 場 によ り て金 に換 算 し 、総 括 し て金貨 幣 を 以 て福 昌 に向 け
賃 銀 形 態
一ケ月 分 を 支給 す 。
傭 員 、 常 役 夫 、常 傭 華 工 、臨 時 華 工 、警 戒 団 華 工 に対 し て は、
3
日給 制 を 採 り 、他 の荷役 華 工即 ち 海 上 関 係華 工、 陸 上関 係 華 工、
る 。其 の他作 業 華 工 の華 工賃 は前 項 に於 て述 べ た る如 き換 算 法 に
実 に於 ては毎 日 の終 業 時 華 工頭 が 一時 立 替 へ支 払 ひ置 く も の であ
算 相 場 に より て換 算 し、 会 社 よ り支 払 ふ こと にな つて居 る が、 事
支払 ふ も ので あ る 。臨 時 華 工 も各 十 日毎 に会 社 よ り支 払 の日 の換
の物 品 の貸 与 を受 く るも のは 三 分 の 一に も満 たざ る べ し。
全 部 に対 し て支 給 す る こと を 得ず 。常 に常 役 夫 二百 四 十余 人 中 此
せ ら れ た るも のあ る と き適 宜 貸 与 す る こと とし てあ る け れど も 、
防 寒 帽 を 支 給 す 。価 格 二円 三 十銭 なり 。常 役 夫 には貸 与品 の返 納
な り 。亦 操 車関 係 方 面 の厳 寒 に屋外 に て作 業 に従 事 す べ き者 には
を 支給 す 。 価格 は夏 服 に て 一着 二 円八 十銭 、冬 服 に て五 円 四十銭
日用 品 供給
て物 価 騰貴 の理由 を以 て、古 参 者 に 対 し 二銭 乃 至 五銭 の昇 給 を 為
の昇 給 の方法 は会 社 に ては規 定 し な いが 、大 正 八 年 以来 昨 年 初 め
乃至 は 一ケ年 半 に 一回位 の割 合 にて昇 給 せ し め居 れ り 。常 傭 華 工
む 。常 役 夫 も従 来 は傭 員 に準 じ て定 期昇 給 あ り た るも 、近 年 一年
を創 業 当時 の 一袋 二円 八 十 五銭 の価格 を以 て、 今 日 も引 続 き 購 入
の最 特 色 と す る と ころ は 、彼 等 華 工 の主 食 物 た る ﹁メ リ ケ ン粉 ﹂
あ れば 三 合盛 に て 日用 品 を低 廉 に購 入 す る こと が出 来 る。 三 合 盛
質 を有 す る も の あり て、福 昌 公司 所 属 の華 工は 華 工頭 の証 明 さ え
を設 け てな い。 福 昌 公 司 には 、 三合盛 と称 す る消 費組 合 の如 き性
会 社 直 属 の支 那 従 業 員 の為 に何 等 物 品 を低 廉 に供給 す べき 機関
1
七 、福 利 施 設
よ り各 十 日毎 に、 即 ち 月 に三 回 会 社 よ り福 昌 公 司 よ り華 工頭 へ、
進 級 方 法
華 工頭 よ り 一般 華 工 に分 配 せ ら れ る の であ る 。 5 傭 員 級 には 一年 一回 乃 至 二 回 の定期 昇 給 あ り 。最 近 は 一年 に成
せり 。作 業 華 工 の賃 銀 は出 来 高 払 制 な る に より 昇 給 の途 を 開 ひ て
て、 常 に誇 ると ころ で あ つて、 蓋 し華 工 に於 ても 市場 の相 場 の変
す る こと を得 せし め つ つあ り 。此 の 一事 は福 昌 公 司 が外 部 に対 し
績 優 良 な る者 に て 日給 五銭 、 其 の他 は 三銭 乃至 二銭 位 を昇 給 せし
な いが 、物 価 騰 貴 或 は 他 の理 由 を 以 て 、時 に賃 率 改 正 を為 す こと
毎 年 一回
毎 年 一回
〃
価格
五 円 四十 銭 十 一円 五 円 五十 銭 十 二円 一円 十 七銭
2
満 鉄 は傭 員 に対 し て のみ 入社 以 来 三年 を経 過 し 、家 族 を 有 す る
住宅 及 寄 宿 舎
も の であ らう 。
高 は実 に十 八万 袋 な り と言 え ば、 福昌 の負 担 す る 処 も、 亦 相 当 な
で事 実 市価 より 一袋 に付 一円内 外 低 廉 な る由 な り 。 一年 間 の消費
動 に生 活 上 の脅 威 を 受 く るが如 き こと なく 、 絶 体 に保 証 を得 る 訳
あ れど 、 大 正 八年 に改 正 し て以 来 改 正 を 為 し た る こと なし 。 六、 実 物 給 与 の種 類
服
傭 員 級 に対 し て は会 社 よ り社 服 を 貸 与 し つ つあり 。 左 の如 し 。
服
〃
夏
三年 一着
〃
冬 雨
三年 一着
衣
毛 外 套
〃
者 に限 り宿 舎 或 は 散 宿料 を 以 て支 給 す る も の であ る が、 他 の独身
毎 年 一個
正
者 には福 昌 の 一部 を 借 用 し て、 五、 六十 人 を 収容 し得 る宿舎 を与
帽
此 の外 機械 工場 に働 く者 、或 は火 夫 に対 し て は作 業 服 な るも の
え て あ る が入 宿 す る を好 ま ざ る が如 し 。昨 年 末埠 頭 所 属 の傭 員 全
分 享 楽 せ しむ るら し い。苦 力 頭 は配 下 華 工 の不時 の入 費 に は、 或
苦 力頭 は 日頃 精 勤 な る華 工 には賞 与 を与 へ、年 二回 の節 季 を充
ち 仲 秋節 、 旧正 月 の両 日 の前 日金 部 之 を払 ひ戻 す 。
窮 状 を訴 え て請願 書 を提 出 せ る こと あり 。彼 等 の生 活 状態 を考 ふ
る制 限 を超 え ざ る程 度 に於 て、 若干 の金 額 を融 通 す るらし い が、
部 が結 束 し て ﹁ 吾 等 に宿 舎 或 は散 宿 料 を 支 給 せ よ﹂ と種 々彼 等 の
れ ば 、同 情 す べ き点 も あ る 。会 社 とし ても 研究 す べき問 題 で あら
(常傭 華 工) 四 百 人 は拾 円 を 限 度 と し て融 通 を受 け て居 ると 言 ふ 。
利 息 は採 らな い。常 傭 苦 力 頭 よ り 聞 く と ころ に よれ ば 、 五百 人 中
福 昌 公 司 は 所属 の 一万 人内 外 の者 に所 謂 ﹁碧 山 荘 ﹂ な る集 合 宿
う。
5
償 還 は月 賦 に依 る 。
活 動 写真 を 映 し て所 属 華 工 の慰 撫 に勉 め て居 る。 其 の他 万 霊 塔 な
な い。 寧 ろ福 昌 公司 は碧 山荘 内 に劇 場 を建 て、 時 々芝 居 を や り、
満 鉄 は所 属 の傭 員 、 常 役 夫 に対 し、 何等 娯 楽 的 の設備 を し て居
娯 楽 慰 安
二十 銭 ︱ 三 円 、独 身 者 四十 二銭 )。
舎 を作 り、 極 め て低 廉 な る家 賃 を 以 て貸 与 し て居 る ( 家 族 持 二円
満 洲 に於 け る華 工 の宿 舎 と し ては 最優 な るも の であら う 。
る も のを 立 てて創 業 以 来 所 属華 工 の職 に斃 れ たる者 の霊 を 集 め て
衛 生 、 医療 費 会 社 所属 の華 人 には 共済 的 の制 度 は な い。 単 に公傷 者 に限 医療
慰 め て居 る。
3
に対 し ては全 部 施療 と し、 入 院 加療 の必要 あ る も のに は、 碧 山荘
課 長
大 正 十 三年 三月 五 日
埠 頭 構 内作 業 華 工 取 締 方
埠 頭 事 務所 長
作 り、 三 月 十 日 より 之 を 実施 し て居 る 。左 の如 し。
大 正 十 三年 三月 会 社 は埠 頭 構 内 作 業 華 工取 締 り規 則 な る も のを
八、 労 働 者 に関 す る規 則
費 を 会 社側 に て負 担 す 。福 昌 公 司 にも共 済 制 度 は な い が、 病傷 者
内 の病 院 に 入院 せ し め て居 る。勿 論 無 料 であ る 。但 し花 柳 病患 者 よ り は 実費 を徴 収 し て居 る。 死 亡者 あ れば 葬 祭料 を負 担 し 、 公傷 死者 に遺 族 あ ると き に限 五 十 円内 外 の 一時 金 を贈 与 す る 。 金 融 其 の他
係主任
会 社 は傭 員 、常 役 夫 よ り 身 元保 証 金 の名義 を以 て、 日 本貨 幣 に
4
て金 一円を 積 立 て しめ て居 る が、 半 面 には 一種 の強 制 貯 金 で あ つ
殿
て、 日歩 二銭 二厘 の割 合 を 以 て利 金 を 附 与 し て い る。
埠頭構内作業華 工取締方別紙 の通定め、大正十三年三月十日より之
埠頭構内作業華工取締方 の件
立 てし め て居 る 。但 し 利息 を附 せず 。 其 の他 の 一般 作業 華 工 には
福 昌 公 司 は 常傭 華 工 に毎 月洋 銭 七十 銭 宛 を身 元 保 証 金 と し て積
強 制 貯 金 法 な る も のな し。 但 し苦 力 頭 よ り労 銀 支 払 の日、 金 額 の
埠頭構内作業華工取締
を施 行す。
百 分 の五 を控 除 し、 強制 貯 金 とし て積立 てし む 。年 二 回 の節 季 即
埠頭構内に華 工出入 の場合 は、各華工頭 (又は其 の代 理者)
一、埠頭構内華 工の串入取締方法 一 引率 の許に各組 一団となり て出入するも のとす。 臨時雇人華 工は臨時華 工証 を所持せしめ、華工頭 (又は其 の 代理者)引率 するも のとす。
燐 寸 は 一般 華 工 の携帯 を厳 禁 し 、華 工 中 一定 の責 任 者 を設 け之
に限 り燐 寸携 帯 許 可 証 と 共 に定 数 以内 の携 帯 を 許 す も の と す 。
( 燐 寸 容 器 を 一定 し 取 締 に便 せし む)
四 、違 反 者 処 分 方法
黄 燐 燐 寸 の所 持 使 用 は 之 を禁 ず 。
指 定 喫 煙所 以 外 の場 所 に於 て喫 煙 し た る者 一人 一回 小 洋参 円 の
罰 金 に処 し 、燐 寸 携 帯 許 可 証 を所 持 せざ る者 にし て燐 寸 の携 帯 を
華工頭及代 理者は真鍮製、 一般華工はア ルミ製規定 の埠頭入 門証を常 に佩用 せしむる こと。作業 に従事 する華工は、 一定 の
二
為 し、 又 は黄 燐 燐 寸 を 所持 し た る者 は 一人 一回 に付 小 洋 二円 の罰
中央休憩所 ( 同建物 の周囲 一時間以内を含 む)
出 火 の報 に接 す ると 同時 に、 人 夫配 給 所 員 引率 の上 、 百 名内
外 の華 工を迅 速 に現 場 へ出勤 せし め命 を待 つも のとす 。 其 の他
華 工 の出 勤 を要 す る場 合 は受 令 後 直 ち に出 勤 せし む る も のと す。
作 業 上 会社 側 発 令 者 は 常 に当 該 係主 任 とし 、 不在 の場 合 は 主
人 夫 配 給所 員 の所 在 を 明 か にし 、命 令 の徹 底 連絡 等 の遺 漏 な
任 次長 、 或 は当 該 詰 所 主管 者 とす 。
き を期 す る為 、 現場 適 当 の地 点 に昼間 は人 夫 配 給所 旗 を、 夜間
は提 燈 を 立 て係 員 を配 置 す る も のと す 。
碧 山 荘華 工宿 舎 には 、 夜間 発 生 の事 故 に対 す る応 急 方法 と し
て、 非 常番 三組 同 予 備 当 番 三組 を常 置 し、 命令 一下 出 動 せ し め、
且 つ何 時 にて も所 要 人員 の出 動 に応 じ得 る様 準 備 す る も のと す。
四 五 一〇 九、 労 働 能 率
公衆
社 内 一八 二
同 一八 三 (昼 間 のみ)
六、 非 常 通知 を受 く る人 夫 配給 所 の電 話 番 号 は 左 の如 し 。
四
三
二
一
五、 火 災 時 の華 工出 勤 に付 て
金 に処 す 。
場所 に集合せしめ、務めて散乱 せしめざる こと。 埠頭構内 に於 て喫煙せむとす る華工は、休憩所及指定せる地域
二、喫煙取締方法 内 に限り之を許可 する。所内 には火繩及灰皿 の設備を為すも のと 一 船舶荷役所属華 工
す。指定休憩所次 の如し。 二 繋留船荷役 の場合 は本船内 一定 の場所 第 二埠頭、第三埠頭華工休憩所 陸上荷役所属華工 中央華 工休憩所
三
東部各詰所管内及西部華工休憩所 石炭荷役所属華 工
第 二埠頭、第 三埠頭華工休憩所 四
岸壁 に於ける喫煙は船舶荷役所属華工 に準ず。 貯炭場石炭華 工休憩所及第 二埠頭第三埠頭華 工休憩所 三、燐寸携帯取締方法
埠 頭 労 働 者 の能 率 は 、別 冊 の通 り 。昨 年 調 査 し た も の があ る か ら 夫 を 参 照 せ ら れた し 。
埠 頭 荷役 労 働 者 は 支 那古 来 の苦 力頭 制 度 によ り て 、 三、 四十 人
一〇 、 労 働 団 体
が 一団 と な り、 一人 の苦力 頭 を頭 目 と し現 在 苦 力頭 は百 六十 七 名
共同 炊 事 に て 一人負 担 六 円 乃 至 九円
如 く 、 一人前 負 担 は自 一円 至 一円 五 十銭 。 食費
合 計 七 円乃 至 十 円 に て最 低 の給 料 を 受 く るも のに ても 、 先ず 食 費 、住 費 に於 ては足 る 。
会 社直 属 華 人 は社員 服務 規 定 に依 り 、 日本 人社 員 の命 を受 け て
一二、労 働 者 の組 織
工な る も 、会 社 直 属 の常 役 夫 に準 じ 、会 社 の庶務 課 に於 て取 扱 ひ 、
業 務 に従事 す る。常 傭 華 工、 臨 時 華 工 は福 昌 公司 より 供給 す る華
あり て福昌 公司 が之 を統 御 し、 福 昌 公司 の命 に依 り て 一団 とな り を る に過 ぎず 。 日 本 或 は其 の他 諸 外 国 に あ る労働 組 合 の如 き労 働
より 最 高 一円 五十 銭 に及 び、 其 の階 級 甚多 く 生 活 費 の調 査 も各 階
会 社 直 属 の華 人 、 即 ち傭 員 、 常 役 夫階 級 の給 料 は最 底 三十 三銭
員 を備 へて速 刻 現場 に出 動 せし む る ことと し てあ る。作 業 華 工は
貨 物 の種 類 等 を 通告 し て、 人 夫 の配 給 方を 請 求す れ ば 、適 当 の人
工 は現 場 にあ る詰所 よ り作 業 のあ る毎 に、 福昌 公 司 に作 業 の性質 、
警戒 団 華 工は 満 鉄 の監 視 係 員 の指揮 監 督 を受 く 。其 の他 作 業 華
必 要 個 所 に配 給 或 は移 動 せし め つ つあ り 。
者 相 互 間 理 解 あり 連 絡 あ る も の でな い。
級 に付 いち いち取 調 べ る こと は到 底 其 の煩 に堪 へな い。茲 には 彼
一 一、 労 働 者 の生 計 費
の衣 裳 費 、娯 楽 費 其 の他 に付 ては 、 其 の身 分 によ つて異 る べく 、
等 の生 活費 の最 骨 子 と 為 す べ き食 住 費 の大 体 を 述 べ る こと とし 他
帯
費
賃
者
妻子
主人
一人に付 三円 乃 至 五 円
七 円 乃至 八 円
四円 乃 至 六 円
者 四、 五 人 が 一団 と な り 一軒 家 を 借 り、 共 同 生 活 を営 む が
南 方 労働 者 に は古 よ り海 外 に雄 飛 せ る幾 年 の歴 史 を 有 し、 従 つ
より 煽 動 せ ら れ て争 議 を起 し て居 る傾 向 が あ る。
労 働 者 自 身 の自 覚 は 多 少 は あ らう が、其 の大 部分 の原 因 は寧 ろ他
近 来 の上海 或 は其 の他 の地 方 に於 け る労 働 争議 の状 態 を見 る に、
一三 、労 働 者 の思 想
宜 を計 る こと に努 力 す る 。
(支 那 人) を派 し て満 鉄 社 員 と 華 工 頭 と の中 間 に立 ち て 双方 の便
の華 工幇 が同 時 に従 事 す ると きは 、 福昌 は更 に公 司 た る ﹁番 頭 ﹂
鉄 社員 の命 を 受 け て作 業 に従 事 す る も の であ る 。同 一作 業 に数 個
の華 工 は常 に動 作 を共 にし 、 苦 力 頭 は配 下 華 工 の鞭 撻 に努 め、満
三 、 四十 人 を 以 て 一団 とな し 一幇 と言 ひ、 必ず 華 工頭 あ り 。 一幇
家
其 の収 入 に応 じ て異 る べく 、 又 推 測 す る外 に方法 は あ る ま い。 妻
食
妻 帯 者 は 食 住 の み に て少 く と も十 四 円内 外 を要 し 、 月 収 十三 、 四 円内 外 のも のは、 主 人 の給 料 のみ に ては 生計 を営 む こと が出 来
身
な い。 不足 額 に付 て は大 凡 妻 子 の内 職 に依 て補 ふ て居 るら し い。 独
家賃
て海 外 の空 気 を 吸 ひ た る者 も相 当 に あり 、 所 謂新 智 識 者 な る者 あ り 、労 働 者 夫 自 身 多 少自 覚 め た る も の あ るも 、 北 方労 働 者 即 ち山 東 省 、直 隷 省 出 身 の労 働 者 は大 部 未 教 育 にし て、性 質 温 順 、身 体 強 大 、賃 銀 低 廉 、 熟練 労 働 者 と は言 ひ得 な いが 、智 力 を特 に要 せ ざ る肉 的 労 働 に従 事 せ しむ るも のと し て は、 実 に理想 的 と も 言 ふ べ く 、満 洲 事 業 界 の宝 と為 す べ き も ので あ る。 先 般埠 頭 傭 員 、 常 役夫 中 の有 志 が 、共 助 会 を 組 織 せ む とす る 企 あ り し も 、 四囲 の趨 勢 に鑑 み成 立 を阻 止 せり 。然 れ ど も時 運 は 早
四
関 東 州 及 満鉄 沿 線 各 地 に於 け る
衛生人夫労働状況比較調査
注、前述 の報告︺ 次 ︹編 と同 一に付 き省 略
庶務部調査課
関東州及満鉄沿線 各地に於ける衛 生人夫労働状況比較調査
大正十四年七月八日
目
日 〃 )
日報 告)
晩 彼 等 の団 結 を見 る に至 る べき を 信ず 。 此 の時 に至 ら ば、 其 の中
料
資
七月
二
日 〃 )
順 ( 〃
六月 二十 六 日 〃 )
一
一、 大
山 ( 〃
七月
二 二、旅
陽 ( 〃
七月
心勢 力 と な る べ き も の であ らう 。 彼等 は何 れ も小 学 校程 度 を 卒 業
三 、鞍
天 ( 〃
連 (大 正 十 四年 七月
し た る彼 等 仲 間 の所 謂 智 識階 級 な る者 に て我 満 鉄 は常 に彼 等 の赴
四、遼
日 〃 )
日 〃 )
く 処 を察 し 、事 を未 然 に防 ぐと 共 に、 彼等 の思 想 善 導 に努 む る が
五、奉
二
一
得 策 であ る。
七月
日 〃 )
〃 )
二
六月 二十 七 日 〃 )
七月
嶺 ( 〃
〃
原 ( 〃
春 ( 〃
日 〃 )
六、鉄
東 ( 〃
九
七、開
九、長
七月
六 月三 十 日 〃 )
十、安
順 ( 〃
八 、 公 主嶺 ( 〃
十 一、 撫
十 二、 哈 爾賓
関 東 州 及 沿線 各 地 (戸 数 一千戸 以 上 ) の衛 生 人夫 労 働 状 況 を比 較
す れば 次 の如 く であ る。 六 月 二十 四 日附 各 地 に照 会 せ るを 以 て概 ね
大 正十 四年 六 月 現在 の状 況 と 見 る事 が出来 る 。
日支人地方別労働者数 ( 各地戸数)
一、労働者数並労働移動率 イ
自 十三 年 六 月 採用日本人七
支 那 人 一七
状況
移動 率 最 も 低 し
一〇 %
労働 移動率
山
連 順
ロ 大 旅 鞍
支那人
長
順
春 一定 員
二〇%
一年
九
解 傭 日本 人 七
二%
殆 ど移 動 な し
至 十四 年 五 月 約 一ケ月 移動 殆 ど な し 一ケ年 約 五 十 人 見当 なり
撫
本 年 四 月 以降 移動 な し
四平 街
遼 陽 奉 天 鉄 嶺 開 原 公主嶺
ハル ピ ン
一 ・五 %
安 東
一日所 定 労働 時 間 九 時 間 乃至 十 一時 間 にし て次 表 の如 く であ る 。
二 、 一日所 定 労働 時 間
自 午 前 七時 至 午 後 五時
均
安東 平
ン
一〇時 一一時 一〇時 一〇時 一一時
三 、 四 、 九 、 一〇 月
自 午 前 六時 至 午 後 六時
一、 二 、 一 一、 一二月 自 午 前 八 時 至午後四時
六時 間 九時 一一時 一〇時 以上
大連 旅順 鞍 山 遼陽 奉天 鉄嶺 開原 四 平公主 撫順 長春ハルピ 街 嶺 九時 一一時 九時
備 考︱ 鞍 山 の労 働 は{
五 、 六 、 七 、八 月
以 上労 働 時 間中 各 期 共 一時 間 を休 憩 と な す 。依 つて 一年 平 均 時 間 を表 示 せり 。 三 、 一日所 定 休 憩時 間 竝 休 業 日数
休 憩 時 間 は 一時 間 乃 至 二時 聞 を普 通 と し 、休 業 日数 は旅 順 、 大
一日所定休憩時間
一時 四 時
二時
一時 二 時
二時
一時
ン
夏 期 中 一時 二時 間 半
一時
平 安東 均
連 の月 二日 の正規 休 業 す る に比し 、 沿 線 は多 く 節 句 、 旧 正月 のみ 。
イ
一時
公主 撫順 大連 旅順 鞍 山 遼陽 奉天 鉄嶺 開 原 四平 嶺 長春 ハルピ 街 一時
大 順
連
定 傭 夫 二 日、 人 夫 節 句竝 正月 年 に各 一日 を与 ふ。
二日
二日
一ケ 月 又 は 一年 所 定休 業 日数
旅 山
ロ
鞍 別 に規 定 し居 ら ざ るも、 降 雨 期 に て作 業 不 可 能 の日、
二 日 ( 一日 及 十 五 日 )
月 元 旦 の日 、 年 三 日間 な り。
休 業 日 な し 。 但 し 五 月 節 句 一日 、 中 秋 節 一日 、 中 国 正
一日
中 国 の祭 日 及 正月 元 旦は 午後 よ り休 業 。
陽
天
遼
奉 嶺
原
鉄
開 四平 街
日計 五 日休 業 せし む 。 共 他 は休 みな し。
陰 暦 正 月 に 三 日 間 、 五 月 五 日 に 一日 、 八 月 十 五 日 に 一
最高最低賃 銀 ( 支那人)
公主嶺
イ
ロ 平 均賃 銀
ハルビ ン
長
撫 春
順
なし
復 活 祭 、 ク リ ス マス、 新年
休 日 な し。 但 し 越年 及 支 那 節 句 には 各 二 日宛 休 業 せ し
基 本 賃 銀
銀
む。
一日
安 東
イ
四 、賃
日本 人賃 銀 は 一、 二 の監 督 者 な る を以 て最 高 最低 も 示し 難 く 、
平 均賃 銀欄 に記 入 せ り 。支 那 人 平均 基 本 賃 銀 は開 原 、鉄 嶺 及 旅順
最 もよ く 、何 れも 七 十銭 以上 を 示 し、 遼 陽 、大 連 、奉 天 、 長 春 は
何 れも 四 十銭 以下 にし て最 も劣 る。
ハ
職名別賃銀 大連︱屎尿汲取、消毒作業、排雪、軌道輸送乃臨時夫は金 四十
銭、公設便所掃除、汚水汲取、游泥汲取人夫 は金参拾 九銭、鹿芥
日 人 二 ・〇 〇 ・四〇 (小洋 )
日 人 二 ・〇 〇
臨時人夫
掃除人夫は三十八銭、屎 尿貨車積込人夫は四十 四銭 。
山︱定傭夫
陽︱平均月額人夫 一人に付十 一円四十銭
鞍
天︱汚物作業人夫︱金 四十銭
支人
遼
支 人 ・六三 五 (小洋 )
奉
嶺︱定傭人夫三十二銭、定傭馬匹夫九十 二銭 原︱ 日本人月額金五十円
支那人苦力頭 (小洋) 一円 苦力
(但し馬車は貨与)臨時人夫四十銭、臨時馬車 一円四十銭
鉄 開
五十銭 (小洋)
四平街︱ 銭
臨時 人夫五十銭
公主嶺︱ 日本人二円五十五銭
東・常傭夫
常傭人夫 四十
編注、安東報告︺ ︹あ るも印刷 不明
支那人月極十円
し 、会 社 所 定 乎 当 を給 す。 定 傭 夫時 間 外 勤 務 に対 して
日本 人 及 中 国 人 定傭 夫 に対 し ては伝 染 病 患 者消 毒 に際
臨時 傭 夫 〇 ・四三 (金) 支 人 〇 ・四五 (小 洋)
日 人 一 ・五 〇 (金 )
春︱ 一率金四十銭
撫 順︱
安
附 属
ハ ル ピン︱
長
ニ
山
給 鞍
なし
は 会社 所 定 手 当 を 給 す 。
撫
なし
四平 街
ハ ルピ ン
常 傭夫 に は日 給 額 の二分 を手 当 と し て月 末 に給 与す る
順
安 東
外、 賞 与、 被 服 等 所 定 の給 与 をな す 。臨 時 夫 には 別 に なし 。
金本位
日
及
回
算 し て 廿 七 日支 払 ふ
数
其 の月 の二十 五 日 を 以 て打 切 計
人 夫 賃 を請 求 し て直 に支 払 ふ
請 負 者 は翌 月 五 日迄 に前 月 供 給
期
右 の外大 連 、旅 順 、 遼 陽 、 奉 天、 鉄 嶺 、 開原 、公 主 嶺 、長 春 は 何 れ も な し。
名 賃銀形態 支 払 方 法
五、賃銀形態及支払方法 地
時間給
金本位
連 順
請負制
大 旅
定 傭 夫 は自 前 月 十 六 日至 翌 月 十
現 金 (中 国
五 日 勤務 日数 に応 じ 日人 廿 五 日 、
時間給
支 人 は 三 十 日、 人 夫 は翌 月 七 日
山 人は銀建を
鞍 金 に換 算 支
遼 陽 時間給
月給制
金票
金票
毎 月 七 日各 人 別 の炊事 費 を差 引
月額 を月 二回 に使 役 後 支 払 ふ
給 す)
天
支那人は洋
日 本 人 は金
を支払ふ
請 負 人 は月 末 に於 て所 定 の賃 銀
を 月末 に支 払 ふ
毎 月 廿五 日よ り 翌 月廿 六 日 迄 分
苦 力頭 をし て各 人 夫 に手 渡 す
奉
請負制
時間給
原
鉄 嶺 開
現金
金本位
常 傭 日本 人 は廿 五 日、 常 傭 支 那
月 二 回 一、 十 五 日 払
毎 月 廿 六 日よ り翌 月 廿五 日 迄 を
其 の月供 給 し た る賃 銀 は 翌 月 七
四平街 請負制 月給制
大洋
人は三十日
安
春
東
支 払 ふ。
月 末 に支 払 ふ
日請 負者 に支 払
時間給
日本 人 は金
臨 時 傭 夫 は翌 月 七 日 に於 て現金
公主嶺
長
支 人 は 小洋
撫 順
ハ ル ピ ン 日給
但金 に換 算
請 負制 及時聞 給
六、昇給制度
遼
鞍
旅
天
陽
山
順
なし
平 常 勤 怠 状 態 を審 査 の上 一ケ年 一銭 以 上 四銭 迄 の範 囲
なし
定傭 夫 に対 す る昇 給 の外 、 人 夫 に対 す る進 級 制 度 な し
不定
請負 供 給 人 夫 な る を 以 て進 級 制度 な し
奉
嶺
なし
大 連
鉄
原
に於 て進 級 せ し む
開
四平 街
なし
一ケ 年勤 続 毎 に成績 良 好 な る も の に限 り、 二銭 乃 至 四
定めなし
順
公主 嶺 撫 銭 の昇 給 を行 ふ。
安
東
定 傭 夫 は 一般傭 員 と同様 支 給 す 。臨 時傭 夫 には な し。
右 の外遼 陽 、 奉 天 、鉄 嶺 、 開原 、 公主 嶺 、 長春 は賞与 なし 。
連
なし
各 地 に於 け る実物 給 与 の内 容 左 の如 し 。
八、 実 物 給 与
大
く る要 あ り 。
巡 視 に限 り被 服 を給 す (日本 人 に は宿 舎 をも 給 す。)
経費 の関係 上未 だ 実施 せず 、 然 れ 共後 適 当 の制 度 を設
春
順
定 傭 夫 に対 す る会 社 所定 の被 服給 与 の外 なし 。
長
旅
山
作 業 に要 す る器 具 及 車輌 は貸 与 し、消 耗品 等 は給与 す 。
には昇 給 せ ざ るも 、平 均額 が四 十 七銭 を超 え ざ る程 度 に於 て技 量 に依 り漸 次 昇給 せ しむ 。
三 帽 子 ・靴 八円 鞍
陽
なし
二夏服六円
遼
天
給 与 物 件 な し。 掃 除 用具 、 其 他消 費 品 一切公 費 支弁 。
償 貸 与 す る の外 、 年 二 回 に於 て麦 粉 十 六袋 及 牛肉 六十
一冬服二八円
奉
嶺
常傭 夫 は 一般傭 員 と 同 様進 級 せし む 。臨 時 傭 夫 は定 期
鉄
請 負 人 は 支 人 に対 し 、価 格 洋 八 百 円 の合 宿 所 二棟 を無
なし
東
与
原
ハ ルピ ン 安
七 、賞
開
斤 を贈 与 す 。
順
簑 、 笠 を貸 典 す 。
なし。 撫
な し。 但 し 独身 者 は社宅 に合宿 せし め冬 季 には 石炭 を
な し。
給す。
春
ハルピ ン
長
公 主嶺
四平 街
毎 月作 業 奨 励 の意 味 に於 て、 勤 勉 にし て成 績 優良 な る
一ケ 月 乃至 一ケ 月半
連
順
定 傭 夫 に対 す る賞 与 金 支 給 の外 、 人 夫 に対 す る賞 与 な
大
人 夫 に対し 、市 よ り直 接 一等 一円 、 二等 五 十銭 、 三等
旅 山
三 十銭 を与 ふ。其 の人 員毎 月約 百 二 十 人内 外 な り。
鞍 し。
定 期 賞 典 なし
四平 街 撫
なし
順
ハルピ ン
安
東
常 傭 夫 に は規 定 に依 る被 服 を貸 与 す る外 、 実 物給 与 な し。 臨時 傭 夫 には なし 。
大 順
連 良好なり。
普通なり。
九、 労 働 者 の能 率
旅 普 通 に し て特 に見 る可 き も のな し 。 良 好 と 認 む。
山 陽
鞍 遼
衛 生 人夫 は常 時、 間 断 な き業 務 に従事 せ しむ る為、 各
中 国 人夫 に対 し て は監 督 の厳 重 な ると 否 と に依 り 大 い
は劣 る や の感 あ り 。
人 夫 一日 の成 績 と し ては、 他 の労 働 者 に比較 す れ ば或
天
嶺
奉
鉄
佳良。
に能 率差 違 ある を 以 て、 之 が看 視 に努 め つ つあ り 。 開
︱
原
四平街
稍可。
労 働 者 の能 率 は 劣 等 なり 。
順
運 搬 回数 及 其 の数量 殆 一定 し居 るを 以 て格 別 能 率 に相
公主嶺 撫 春
違なし。
長
ハ ルピ ン
安
東
夫
順 炭
十 四年 五 月分
︱
一ケ 月 或 は 一 日 の生計 費
人員
六〇 人
{
内
一 四、〇三六貫
三九、〇一五斗
採 取量
一、四三八
採 取 回数
一 、二 七〇
駅
名称 屎尿 塵芥
旅 順 、鞍 山 、 遼陽 、 鉄嶺 、 開原 、 公 主嶺 、安 東 に
力 し て事 に当 る の習 慣 あ り。
団体 外 の者 と 事 を惹 起 す る事 あ る場 合 は、 団 体 員 が協
にし て吉 凶 禍 福 を共 にし、 大 にし ては 団体 員 の 一人 が
別 に規 則 等 な き も、 彼等 間 には各 郷 党 関係 を結 び、 小
鉱 服 務 規 定 によ る。 労働 団 休 なし 。
︱
に永 続 的 に使 用 し得 る点あ り 。
間本 労 働 に従事 した る も のは、 他 に転業 を好 まず 。 故
他 の人 夫 に比 し、 多 く の力 量 を要 せず 。故 に二 、 三年
午 後 一時 三十 分 に振 鈴作 業 に就 事 せ しむ 。 作業 人夫 は
振 鈴 を 以 て起 床 、 同 六時 半再 振 鈴 を 以 て出 動 、 昼食 後
全 員 を 一定 の宿 舎 に収容 し 居 り、 毎 朝午 前 四 時 三十 分
一〇 、 労働 者 に関 す る規 則 団 体其 他 奉
撫
春
四平 街
長
ハル ピ ン
右 の外大 連
は本 項 該 当事 項 な し 。
名
一 一、 労 働 者 の生 計 費 地
大 連
順
一日平 均 十 八 銭 独 身 者月 九 円
山
撫
鞍
陽 月 奉 票六元
約 収 入 の九割
遼 天
月九円
乃至八元
独身者 費 一・〇〇
飲 食 物 五 ・〇〇 {雑
光 熱 費 一・〇〇
家 族持 五人 二 六 ・〇〇円 〇〇円
住 宅 費 一・〇〇
家 族 八 人 三 五・
計 九 ・〇〇
被 服 一・〇〇
の余 を 生活 費 に充当 す 。
大 体 に於 て収 入 の 一割 見 当 を貯 蓄 し、 其
一 人 一ケ 月 の食 費 。
七・五 〇煙 草 代 二・〇〇を差 引 き 六円 内 外
現 在 最 低 給、 人 夫 約 十 六円 にし て内 食 費 を余 す 。
大部 分 衣 食 住 に費 し 剰 余少 な し 。
衣類 費 一円 五十 銭 、食 費 五 円 、居 住 費 一 円、 嗜 好 費 一円、 雑 費 五十 銭
り。
四 円 、苦 力 一ケ 月洋 三円 位貯 蓄 し つ つあ
殆飲 食 に消 費 す る も、 苦 力頭 一ケ 月洋 約
労働 者 とし ては普 通 の生活 をな し、 賃 銀
元、 薪 炭 一元 五角
月 小洋 票 七 元 高 梁 一ケ月 一斗 五升 四 元 二角 、副 食 物 二
月九 円五 十銭
奉
原
鉄 嶺
開
四 平 街 順
公主 嶺
撫
長
春
東
ハルピ ン 安
露 国 人 二〇 元内 外 、 支那 人 其 三分 の二 。
他 衣類 、靴 、 煙 草 其他 四 円 位 を要 す 。
り、 食 費 一ケ月 四 円乃 至 五 円位 に て、其
独身 者 月 九 円 昨 年 の現時 に比 し殆 んど 倍額 に騰 貴 し居 五 十銭
一日約 廿 五銭 よ り三 十銭 位 一 二 、賃 銀 と生 計費 と の関 係
支 那人 一日 平均 基 本 賃 銀 と 一日 一人生 計費 と を、 対 比す れ ば次
・三 九 〇 ・一八 〇 ・二 一
?
二・ 七
二・三
家 族扶 養 力 員 数 連〇
・ 六 三 〇 ・五 四 〇 ・ 〇九
・七 二 〇 ・三 〇 〇 ・四 二
差引 残 大
山〇
順〇
生計 費
旅
平 均賃 銀
の如 く で あ る (小洋 と金 と 仮 に同 価 と 見 る)
鞍
一・四
・三八 〇
二 ・一
陽〇
・二〇 〇 ・一八
遼
一・七
︱
三 ・四
・七六 〇 ・二四 〇 ・ 五 二
・ 四 〇 〇 ・ 三 一 〇
・ 〇 九 嶺〇
〇 ・一五
︱
?
〇 ・三 〇
︱ 主 嶺〇
一・四
一・三
・四 五
・七 五 〇 ・六五 〇 ・一〇
天〇
原〇
鉄 開
奉
︱ 公
〇 ・〇 九
四平 街
〇 ・三一
〇 ・三 一 〇 ・〇八
一・六
・四 〇
二 ・四
・三 九
・三 四
〇 ・ 二〇
春〇
〇 ・二 八 〇
〇 ・四 五
順〇
・六 五
撫
・六 二
長
東〇
ハ ル ピ ン〇 安
備考 一人 に付 一割 安 と な る と思 は る 。
大連 市 長
佐 田 弘 治 郎殿
杉 野 耕 三 郎
鞍 山 、開 原 は家 族 持 の生 計費 と思 は る 。家 族持 の場 合 は、
︹資料 の 一︺ 大 市衛 収 第 一三五 号 の 一 大 正十 四年 七月 二 日
南満 州鉄 道株 式 会 社 庶 務 部調 査 課長 衛 生 人夫 労 働 状 況 調査 の件 回答 本 月廿 四 日付 庶 務 調 産第 六八 号 を以 て、御 照 会 の件 了 承 、右 調
記
査 候処 左記 の通 に有 之 候条 此段 及 回答 候 也 。
り。 四 、賃
銀
屎 尿 汲 取 、 消毒 作 業 、軌 道 輸送 及 臨時 人 夫 は金 四
平 均金 三十 九銭 、最 高 金 四 十 四銭 、最 低 金 三十 八銭
塵
屎 尿 貨車 積 込 人夫 は金 四十 四銭 とす 。
公 設 便所 掃 除 、 汚 水汲 取 、游 泥汲 取人 夫 金 三十 九銭
イ、 基 本賃 銀 十銭
賃 銀 支 払 は人 夫 供給 請 負者 に対 し 一ケ月計 算
金 本位 とす 。
なし。
芥 掃 除 人夫 は 金 三十 八 銭 ロ、 附属 給 ハ、 賃 銀 形態
を 以 て支 払 ふ。
ニ、 賃 銀 支払 方 法
ホ、 賃 銀支 払 方法 及期 日
人 夫 供 給請 負 者 は 翌 月五 日迄 に前 月 供給 人 夫賃 銀 を 計上 し て
請 求 し 、 市 は直 ち に之 を支 払 ふ 。
給 与 な し。
請 負 供 給 人 夫 な るを 以 て進 級制 度 な し 。
五 、実 物 給 与 の種類 及 価 格 六、 進 級 制度
一、 衛 生 人夫 現 在数
七、賞
二等 金 五十 銭
規 則其 他 参考 と な るべ き も のな し。
三等 金 三十 銭 を与 ふ。
以上
其 人員 毎 月約 百 十 人内 外 に し て、 一ケ年 換算 一千 二 百円 な り 。
し 、市 よ り直 接 一等金 一円
毎 月作 業 奨励 の意 味 に於 て、 勤 勉 にし て成 績 優 良 な る人 夫 に対
与
総 人 夫数
参 百 六十 人 ( 全 部 支那 人 )
人 夫 は汚 物排 出 量 の多 少 に比 例 し て、其 数 を増 減 す るを 以 て 一 定 せず 。前 記 の数 は、 五 月中 に於 け る平 均 数 を記 載 せ り。
人 夫 は全 部 請員 供 給 に依 る を以 て、調 査 者 に於 て常備 し、 宿舎
二、 労 働移 動 率
八 、 労働 者 能 率
一ケ月 休業 日数 平均 二日 な
一日 平 均金 十 八銭
を給 し て使 用 し居 れ り。 而 し て市 の衛 生 作 業 は、 一年 を通 じ て作
一〇 、労 働 者 に関 す る規 則 団体 等 参考 と な るべ き事 項
九 、 労働 者 生 計費
休 憩 時 間 一時 間
普通
移動 率 は概 ね総 員 数 の 一割 な り 。
業 を行 う関 係 上 、帰 国 其 他 不得 已 事故 者 の外 は移 動 す る も の少 く、
労 働 時間 九 時 間
三 、 一日 の所 定 労働 時 間及 休 憩 時間 、 一ケ月 休 業 日数
︹ 資料 の二︺ 大正十四年 六月 二十七日
旅市第三九 一号 旅順市長 満鉄庶務部調査課長 衛 生人夫労働状況調査の件回答
平
石
氏 人
佐 田 弘 治 郎殿
本月 二十四日附庶調産第六八号を以 て、御申越相成候首題 に関 する件、左記 の通回答候也。 一、市衛生人夫 現在数
二、 労働 移 動 率 一般 的 移動 中 恒 常的 にし て移動 率 最 も低 し 。
銀
休憩時間 慰労休暇二日
十 一時 間
一時 間
三 、 一日所 定労 働 時 間 及休 憩 時 間 、 一ケ月 休業 日 数 一日所 定 労働 時 間
基 本 賃 銀
一ケ月 休業 日数
イ
四 、賃
附属給
なし
ロ
賃 銀 支払 方 法
賃銀形態
を 支給 す 。 金 を 以 てな す 。
勤 務 日 数 に応 じ其 の月 の二十 五 日を 以 て打 切計 算 を なし 、之
ハ
ニ
五 、実 物 給 与 の種 類 及 価 絡
1
冬 服 二十 八 円
2
夏 服 六円
3
帽 子 、靴 八 円
巡 視 に限 り被 服 を 支給 す (日本 人 巡 視 に は宿舎 を給 せ り)。
不定
別 紙参 照
一ケ月 乃 至 一ケ月 半
六 、進 級 制 度 七 、賞 与
八 、労 働 の能率
九、労働者生計費 の大要
一〇 、 労働 者 に関 す る規 則 団休 等 参 考 と な るべ き事 項 無 し 。 旅 順 市 公 衆 衛生 に関 す る事 務 の概 況 汚 物 掃 除 の 一 (大 正 十 四年 五 月末 日現 在)
汚物掃除 の二 (大正十三年)
汚物掃 除 の三 (大正十 三年)
屎尿 は請負作業 の人員 及車輛を掲 ぐ。 汚 物掃除 の四 ( 大 正十三年)
汚物掃除 の五 ( 大正十三年)
旅順市戸口 ( 大正十四年三月末 日現在)
予算及決算と衛生費 (大正十四年 六月現在)
大正十四年度歳出予算中衛生費各項金額
以上 労 働 時 間中 各 期 共 一時 間 を休 憩 時 間 に充 当 す 。定傭 夫 には
五、 六、 七 、 八月
三、 四 、 九 、 一〇 月
自 午 前 六時 至 午後 六時
自 午 前 七時 至 午後 五 時
一名
四 、賃
基 本 賃 銀
銀
小 洋 銀 六 四 ・六 三銭
日 給金 二円 〃
金 二円
平 均 六三銭 五
支那人
〃
〃
日本 人臨 時 人夫
給
小洋 銀 四 〇銭 属
定 傭夫 に対 し ては前 月 十 六 日 よ り、当 月 十 五 日迄 の勤 務 日数
賃 銀 支払 方 法
手 当 を給 す。
会 社 所定 手 当 を 給 す。 定傭 夫 時 間 外勤 務 に対し ては、 会 社 所定
日本 人 及 中 国 人定 傭 夫 に対し ては、 伝 染病 患 家 消毒 に際 し、
附
〃
ハ
ロ
支 那 人人 夫
日本 人 定傭 夫
イ
人 夫 には節 句 竝 正 月各 一日 の休 業 を 与 ふ。
一ケ 月 二 日間 の休業 日 を与 ふ。
︹資料 の三︺
鞍 山 地 方事 務 所長
鞍 地 第 八七 号 大 正十 四年 七 月 一日
庶 務 部 調査 課 長 殿 衛 生 夫労 働 状 況調 査 の件 回 答
名 衛
一名
夫
火葬 場 番 人
生
六月 二 十 四 日附 庶務 調 第 六 八号 御 照会 首 題 の件 左 記 の通回 答 申 上ぐ。 記
一
二 十七 名
日 本 人 名
一、衛 生 夫 現在 数 定傭夫 二
二 十 四名
支 那 人
中 国 人 人夫
内 五 名 は夏 期 撒 水期 間 のみ使 用 す 。 右 の外伝 染 病流 行 等 によ り特 に人夫 を要 す る際 は臨 時増 員 す 。 自大 正 十 三年 六月 至 大 正十 四 年 五月 一ケ年 間 に於
に応 じ 、日本 人 は毎 月 二十 五 日 に、中 国 人 は三十 日 に支給 す 。 人
二、 労 働 移 動率
ホ
賃 銀支 払 方 法 及期 日
支 給 す)。
所 定 給 額 の現 金 給 与 を なす ( 中 国 人 は 小洋 銀建 とし金 に換 算
賃 銀 形 態
け る移 動 状況 如 左 。
自 午 前 八時 至 午後 四時
ニ
夫 に対 し て は、 毎 月 七 日前 月分 勤 務 日数 に相当 す る額 を支 給 す。
日本 人傭 員 一、 日本 人 臨時 夫 六
(伝 染 病 流行 多 かり し為 採 用 せ しも のな り) 中 国 人人 夫 十 七 解傭
( 前 項 伝 染 病流 行 の際 採 用 のも のに対 す る解 傭 )中 国 人 人 夫 九名
一、 二、 一一、 一二 月
三 、 一日所 定 労働 時 間 及休 憩 時 間 、 一ケ月 休業 日数
ハ に同 じ
定 傭 夫 に対す る 会 社所 定 被 服給 与 の外 、実 物 給 与な し 。
五 、実 物給 与 の種 類 及価 格
六 、進 級 制 度
普 通 にし て特 に見 る 可 き も のな し。
定傭 夫 に対 す る賞 与金 支 給 の外 、人 夫 に対す る賞 与 な し 。
定 傭 夫 に対す る賞 与金 支 払 の外 、 人夫 に対 す る進 級制 度 なし 。 七 、賞 与 八 、労 働 者 の能 率
中 国 人 人 夫 の生 活費 は調 査 困難 な るも 、大 体 に於 て収 入 の 一割
九 、労 働 者 の生計 費 の大要
団体 等 参 考 と な る可 き事 項 な し。
見 当 を貯 蓄 し、 其 の余 を以 て生活 費 に充 当 し居 る も の の如 し。 一〇 、労 働 者 に対 す る規 則
現在 の労働 時 間 は 十 時間 以 上 に て休 憩 時 間 は 四時 間 と す。而 し
三 、 一日所 定労 働 時 間 及 休憩 時 間 、 一ケ 月休 業 日 数
て休 業 日 数 に就 ては 、 別 に規 定 し居 らざ るも 、降 雨 等 にし て作業
最高
最低
日 支人 別)
不 可能 の日 、中 国 の祭 日及 日 本 の正 月 元 旦 は午後 よ り休業 せむ 。
賃 銀 は 平 均 月額 人 夫 一人 に付金 十 一円 四十 銭 と す 。 (一日 金 三
四 、賃 銀 (平 均
十 八銭 なり )
イロ ニ は記 す べ き こと な し。
賃 銀 支 払 方法 は月 額 を 月 二回 に使 役後 支 払 ひ を なし 居 れり 。
五 、実 物 給 与 の種 類 及 価 格
なし 。
作 業 に要 す る器 具 及 車輛 は之 を貸 与 し消 耗 品 等 は給 与 し居 れ り。 六 、進 級 制 度
︹資 料 の四 ︺
なし 。
良 好 と認 む 。
与
七、賞
別 に規 則 の設 けな く 其他 特 記事 項 な し 。
︹ 資 料 の五︺
大 正十 四年 七 月 二 日
奉 地 第 二 三二四号 の二
衛 生 人 夫 労働 状 況 調 査 の件 報告
庶務 部 調 査 課 長殿
奉 天地 方 事務 所 長
一〇 、労 働 者 に関 す る規 則 、団 体等 参 考 と な る べき事 項
一人 一ケ月 の食 費 奉 票 六元 と す。
九 、労 働 者 の生 計費 の大 要
八 、労 働 者 の能 率
遼 陽 地方 事務 所 長
遼 地第 六〇 号 大 正十 四 年 六月 二十 六 日
衛 生 人 夫労 働 状 況 調査 の件 回答
庶 務 部 調 査課 長 殿
本 月 二十 四 日附 庶 調産 第 六 八号 を以 て御照 会 あ りし 首 題 の件 、 当所 に於 て、現 在 実施 し居 る状 況 左 記 の通 り に付 御承 知 相 成 たし 。
使 役 す る 人夫 は、 凡 て華 人 苦力 にし て請 負 契 約 により 、 一ケ年 間
一、衛 生 人 夫 現在 数 ( 総 数 職 名 別、日支 人 別) 当 地常 時 衛 生作 業 に
殆 んど移 動 なし 。
供給 せし め 、之 れ が監督 は消防 隊 に於 てす 。其 の人員 三 十 名 な り。 二 、労 働 移 動 率
本 月二十四日附庶調産第六八号 を以 て、御照会相成たる題起 の
大正十四年 七月 二十五日現在
件左記 の通 に付報告す。 記 一、衛 生人夫現在数 中 国人総数八〇名 約 一ケ月百人 に付 二人
衛 生汚物掃除人夫 二、労働 移動率
なし。
範囲 に於 て進級 せしむ。 七、賞与
衛 生人夫 は晴雨寒暑 を常時間断なき業務に従事せしむる為、各
八、労働者 の能率
人夫 一日 の成績としては他 の労働者 と比較すれば或は劣 るやの感 あり。 九、労働者 の生計費 の大要
当 地 の中国人 の使用貨幣は奉天票 にして、現在最低給人夫 一ケ
月十円 五十銭を奉天票 に換算約十六円 にして、内食費 七円五十銭
三、 一日所定労働時間及休憩時間
煙草代 二円を差引き六円内外を余す。
衛 生作業人夫は常時永続的 に使用し得 る点と又他 の多 くの人夫に
動 、昼食後午後 一時 三十分 に於 ても振鈴して作業 に就事 せしむ。
十分振鈴 を以 て全員同時 に起 床せし め、同六時半再振鈴を以 て出
衛生人夫は全員 を 一定 の宿舎 に収容し居りて、毎朝午前四時三
一〇、労働者 に関する規則、団体等参考となるべき事項
午前 六時三十分より午後五時 三十分 に至る。
最低金三十五銭
午前十 一時三十分 より午後 一時 三十分 に至 る迄休憩せしむ。 銀
一ケ月休業日数 一日。 四、賃 支人
基本賃銀 汚物作業中国 人夫 一日金四十銭見当
日支人別
平均 四十銭 最高金七十四銭 イ
比較し て、多く の力量を要せざ るが故 に二、三年間本労働 に従事
鉄嶺地方事務所長
以上
したるものは、他に転業を好 まざ る如し。
なし。
ロ 附属給
賃銀形態 金票 の日給制度。 ︹資料 の六︺
ハ はホ と重複 に付ホ に記載 す。 ニ
各人別 の炊事費を差引 たる明細書に依 りて苦力頭 をし て各人
ホ 賃銀支払方法及期日
鉄地第 六四九号 庶務部調査課長殿
大 正十四年七月二日
六月 二十四日庶務産第六八号 にて御照会相成たる首題 の件左記
衛生人夫労働状況調査 の件 回答
夫 に手渡す。 なし。
期 日毎月七日 五、実物給与 の種類及価格
六、進級制度 平常勤怠状態 を審査 の上、 一ケ年 一銭 以上四銭 迄の
記
の通 に付 回 答 す 。 左 一、 衛 生人 夫 現 在数
中 国 人 夫 十 一名
馬 夫 馬匹 七 名
人 夫 、馬 夫 馬 匹 は人 夫 供 給者 と 日給 額 を協定 し 一年 を 通 じ 、同
二、 労 働移 動 率
一人 夫 を使 用 し 移動 率 殆 ど な し 。
十 二 時間
金 三 十 二銭 也
金 四 十銭 也
中 国 人 に対 し て は監 督 の厳 重 な ると 否 と に より 大 いに能 率 上 る
差違 あ るを 以 て、之 が看 視 に努 め つ つあ り 。 九 、労 働 者 の生 計 費 の大要
区 々 にし て 一定 せず 。各 人 の収 入 に より 幾 分生 活 の程 度 異 ると
雖 約 一ケ 月 小洋 票 七 元 乃至 八元 を食 費 の み に費 し居 れ り。 即 ち 高
なし 。
梁 一ケ 月 一斗 五升 四元 二角 、副 食 物 一ケ月 二元 、薪 炭 一元五角 。
衛 生 人 夫 労働 状 況 の件 回答
庶 務 部 調 査課 長 殿
記 一、 衛 生 人 夫 現 在数 二 、労 働 移 動 率
自 午 前 九時 至 十 時
自午 後 一時 至 二時
支 那 人苦 力 頭 一日洋 一円
一日 、十 五 日
日本 人 一名月 額 金 五 〇円
二日
二 時間
自午 前 六時 至 午後 六時
三 、 一日所 定 労 働 時 間 十 二時 間
一日休 憩 時 間
銀
一ケ月 休 業 日数 四 、賃
日本 人 現場 監 督 一名 、 苦 力 頭 三名 、苦 力 三 五名
衛 生 作 業 は 請 負制 度 にし て左紀 に拠 り作 業 し居 れ り。
六 月 二 十 四 日附 庶 務 産第 六八 号 御 照会 に係 る首 題 の件 、当 区 の
開 原 地 方事 務 所 長
一〇 、 労働 者 に対す る規 則、 団 体 等参 考 とな るべ き事 項
︹ 資 料 の七 ︺
午 前 六 時 よ り午 後 六時 迄
三、 一日所 定労 働 時 間及 休 憩 時 間 、 一ケ月 休 業 日数
但 し冬 季午 前 七時 半 よ り午 後 四時 半 迄 。
定 傭 人 夫 一名 一日
一日
金 一円 四十 銭 也
なし
大 正 十 四年 六月 二十 七 日
開 地 第 八 四 三号
一ケ月 休 業 日 なし 。 一年 を 通 じ て 五月 節句 一日、 中 秋節 一日、
休 憩 時 間 は 昼食 一時 間 。
銀
金九十二銭 也 ( 但 し馬車 は貸 与
中 国 正 月 元 旦 の三 日な り 。 四、賃 定 傭 馬 匹馬 夫 一日
臨時人夫 一日
す)
臨 時 馬車
給 与 物 件 な し。
右 の通 り 供給 者 と協 定 し、 毎 月 二 十 五 日 より 翌月 二十 六 日 迄 分 を月 末 に支 払 ひ居 れ り。 五 、実 物 給 与 の種 類 及 価格
六 、進 級 制 度
なし
掃 除 用 具 其 の他 の消 耗 品 一切 公 費 支弁 。
与
七 、賞
八 、労 働 者 の能率
金 、 支 那人
洋
ハ、 請 負人 は月 末 に於 て所 定 の賃 銀 を支 払 ふ。
支 那 人 苦 力 一日洋 五 〇銭
ニ、 日本人 五、 実 物 給 与 の種 類 及 価 格 請 負 人 は支 人 に対 し 価格 洋 八 百 円 の合 宿 舎 二棟 を無 償 貸 与 す る
佳良。
の外 年 二回 六月 及 十 二 月 に米 利 堅粉 十 六袋 及 牛肉 六十 斤 を 贈 与 す。 八 、 労 働 者 の能 率
1 、作 業 時 間 は 毎 日自 午 前 六 時 至午 後 六時
2 、休 憩 時 間 は 昼 食 の前 後 約 二時間
三 日間 、 五 月 五 日 に 一日、 八 月十 五 日に 一日、 計 五 日間 を 休 業
3 、特 に月 極 め と し て、 休 日を 定 めず 、 年中 を通 し て陰暦 一月 に
銀
常傭人夫 は大概金四十銭
日 本 人 日額 二円 五 十 五銭 、 支 那人 月 極 一名金 十 円 と す。
せ し む こと と し 、其 の他 は 一般休 業 なし 。 四 、賃
臨時人夫 は同 金 五十銭 附属給
イ 基本賃銀 ロ
賃 銀 支 払 方法
与
特 に定 め な し。 な し。 八、 労 働 者 の能 率 は劣 等 な り 。
七 、賞
六、 進 級 制 度
五、 此 種 に属 す る も のな し 。
を支 払 ふ も のとす 。
金 にし て月極 な り。
な し。
労働 者 と し て は普 通 の生 活 を為 し 、賃 銀 殆 飲食 に消 費 す る も、
賃銀形態
九 、 労働 者 の生 計 費 の大 要
ハ
賃銀支払方法及期日 其 の月供給したる賃銀は翌月七日に之
直 接 人 夫 に供 給 、 請 負者 に支払 ふ。
苦 力 頭 一ケ月 洋 約 四 円 、苦 力 一ケ 月洋 約 三 円程 貯 蓄 し つ つあ り。
ニ
公主 嶺 地 方 事務 所 長
ホ
︹資 料 の八︺
大 正 十 四年 六 月 三 十 日
公 地 発 第 六 九九 号
衛 生人 夫 労 働状 況調 査 の件 回答
庶務 部 調査 課 長 殿
食
月 一円
月 五円
九、労働者 ( 衛 生 人 夫 ) 一ケ月 の生 計費 の大 要
嗜好費
大 正 十 四年 六 月 二十 四日 附 庶 調産 第 六八 号 を 以 て御 照 会 に依 る
月 一円 五十銭
費 月 一円
計 九 円也
衣類費
月 五十 銭
居住費 費
︹ 資 料 の九 ︺
一〇 、 労働 者 に関 す る規 則 団体 等 参 考 と な るべ き事 項 な し 。
雑
通 に 付 此段 回 答 す 。
日本 人 一、傭 人 支 那 人 一六 と す 。
首 題 の件 、敬 承 当所 に於 け る 支 那人 夫 の供 給 は請 負 にし て左記 の
記 一、 衛 生 人夫 現 在 員総 数
三 、 労働 移 動 率 は 一ケ年 約 五 十 人見 当 な り。 三 、 一日所 定 労 働 時間 及 休 憩 時 間 竝 一ケ月 休業 日数
長 地 地第 二〇 九 号 の二 大 正 十 四年 七 月 二 日
衛 生 人夫 労 働 状 況 の件
庶 務部 調査 課 長 殿
長 春 地方 事 務所 長
六 月 二 十 四 日附 庶 調産 第 六 八 号 を 以 て、 御 照会 に係 る首 題 の件 左 の通 であ りま す 。 記
六、 経 費 関係 上 、本 項 の制度 を実 施 せず 。 然 れ ど も此 後適 当 の制 度 を設 く る の要 あ り。
所 為 なり し も のは 、其 都 度 係員 をし て戒 告 或 は 解傭 せし め 居 れ り。
七 、賞 罰 別 に是 迄定 め なき も 、能 率 の上 らざ るも の、 又 は 不都 合 の
を 以 て格 別 能 率 に相違 を認 めず 。
八 、本 項 は他 の労働 者 と違 ひ 運搬 回 数 及 其数 量 等殆 ん ど 一定 し居 る
せざ る も、 昨 年 の現 時 に比 し 著 し く騰 貴 し 、殆 んど倍 額 にな り 居
九 、本 項 の食 費 等 は当 地 の如 き物 価 の変動 竝 通貨 の騰 落 に より 一定
る為 生計 上 多 少 困 難 を感 じ つ つあ り。 而 し て独 身 者 の分 は食 費 一
糞 尿 、 汚 水 、塵 芥 共 同便 所 掃 除 搬 出
一分 五厘
一、現 在 使 用 人 夫数 一 一六 人 二 、労 働 者 一年 の移 動 率
ケ 月 四 円乃 至 五円 位 、衣 類 、 靴 、煙 草 代 其 他 四円 位 を要 し計 九 円
結 び、 小 にし て は吉 凶禍 福 を共 にし 、大 に し ては 団体 員 の 一人 が
一〇 、 本 項 に関 し て は別 に規 則等 なき も 、彼 等 間 には各 郷 党 関係 を
鑑 み目 下 考 慮 中 な り 。
銀 増 額 方 嘆 願 し出 で た るも 、未 だ具 体的 に決 定 せず 。 支 那 時局 に
生 計 に困難 を感 ず るも の多 し。 故 に六月 初 め彼 等 の代表 者 よ り賃
五 十銭 内 外 を要 し つ つあ り。 以 上 の通 な れば妻 子 あ る人夫 中 に は、
三 、夏 季 中 十 二時間 、 内 昼 間 二時 間 休 憩 せし む る外 、 現在 休 日 な し (一年 を 通 じ て十時 間 服 務 )但 し 支那 古 来 の慣 習 を 重 じ 、越 年 及 支 那 節 句 には各 二 日宛 休 業 せし め 居 れ り。
一率 金 四十 銭 (日本 人 なし )
銀
イ 附 属 給 な し。
四、賃
ロ
第 九 に記 述 せ る賃 銀 増額 嘆 願 は 頗 る穏健 にし て、 別 に上 海
︹ 資 料 の十 ︺
さ る るも注 意 内偵 中 なり 。
す る こと能 はざ る、 又 は妻 子 を養 ふ に不 足 を 感ず る為 の申 出 と思 料
地 方 に起 り た る事 件 と は関 係 なく 、全 く 物 価 騰貴 の為 、郷 里 に送 金
参考
団 体 外 のも のと事 を惹 起 す る こと ある 場 合 は、 団 体員 が協 力 し て
人 夫 中 総代 を選 び 、請 求 ︱ 受 領 の際 は、 過 を防 ぐ為 総 代 の印
現 金 支 給
を預 り 、 当係 員 を し て受 領 し、 支 払 名簿 を作 製 し 置 き、 各 自 氏
ハ
毎 月 二十 六 日 より 翌 月 二 十 五 日迄 を 月末 に受 領 し 支給 し居 れ
事 た 当 る の慣 習 あ り 。
ニ
名 に捺 印 と 同時 に支 払 ひ つ つあり 。
ホ り。
ば 石炭 を給 し つ つあ り。 尚 妻 帯 者 に は未 だ社 宅 を給 せざ る 為 、彼
五 、 本項 の給 与 な し 。但 し 独 身 者 は社 宅 に合宿 せ しめ 、 冬季 に到 れ
等 は 一ケ年 二十 円 乃至 三十 円 位 にて各 自 賃 貸 し居 れり 。
安 地 地第 三 五〇 号 の 一
庶 務 部 調査 課 長 殿
大 正 十 四年 七 月 二日
衛 生 人夫 労 働状 況調 査 の件 回答
安 東 地方 事務 所 長
此 の両 者 は特 に区 別
六 月 二十 四 日附庶 調 第 六 八号 を以 て、御 照 会 に係 る首題 の件 、 別 紙 の通 回報 す 。 安 東 に於 け る衛 生 人 夫 労働 状 況 一、 衛 生 人 夫現 在 数
汚 物掃 除 人 、石 油 乳 剤散 布 人
一、 総 数 六〇 人 一、 職 名 別
支 那 人 五九 名
し て傭 ふ に非 らず 。 時 期 によ り必要 に応 じ 随 時使 役 す。 一、 日 支 人別 、 日本 人 一名
一日労 働 時 間
自 午 前 六時 至午 後 六時 一時 間 臨 時傭 夫 、常 傭 夫 共 に休 日な し 。
日本 人 一・五〇 (金)
基本賃銀 ( 当 地 には基 本 賃 銀 と見 な す べき も のなき も 、新 採 用 の場 合 は 左記 に依 る)
〇 ・四五 (小洋 )
〇 ・四 三 (金)
常 傭 夫 には 日給 額 の二分 を 、手 当 と し て月 末 に給 与
中国人
常 傭 日本 人及 中 国 人 に は直接 本 人 に支払 ふ 。
常 傭 日本 人 及 臨時 傭 夫 は金 票 、常 傭 中 国 人 は規定
〃
七 日 に於 て、 前 月分 支 払 現金
三十 日
〃 〃
毎 月 二十 五 日
賃 銀支 払 方法 及期 日
なし。
七、賞
与
常 傭 夫 は 一般 傭 員 と 同 様進 級 せ しむ 。 臨時 傭 夫 は定
傭 夫 は 一般 傭員 と同 様賞 与を 給 す。 臨 時傭 夫 には賞 与
技 量 により 漸 時昇 給 せし む 。
期 には昇 給 せ ざ る も、 平均 額 が四 十 七銭 を越 えざ る程度 に於 て、
六、 進 級制 度
夫 には実 物 を 給与 せず 。
常傭 夫 には規 定 に依 る被 服 を貸 与 す る外 実物 給 与 なし 。 臨時 傭
五、 実 物給 与 の種 類 及 価 格
臨 時傭 夫
現 金 支払
によ り 小洋 銭 を金 に換 算 し て支 払 ふ 。
賃 銀形 態
之 より各 人 夫 に支払 はし む 。
中 国人 臨 時傭 夫 は煩 雑 を避 く る為 、供 給 者 に 一括 し て支 払 ひ、
賃 銀 支払 方 法
臨 時 傭 夫 に は別 に附属 給 な し。
す る外 、賞 与 、被 服等 所 定 の給 与 をな す。
附属給
常傭夫
臨時傭夫
イ
ロ
ハ
ニ
ホ
常 傭 日本 人
二、 労働 移動 率 (此意 義 不 詳 な るも 、前 記 衛 生 人夫 の異動 と せば )
〃
休憩 時 間
︱︱
〇 ・五九
中国 人
常傭夫 ( 現 在 日 本人 一名
支 那 人 二名 あり ) は勿 論 、臨 時 傭 夫 も
常 傭 夫 と同 じ く 、同 一人 を継 続 し て使 用 し 、本 年 四 月 以降 未 だ 一 人 の異動 を見ず 。
イ
毎 月 の休業 日数
三 、 一日所 定 労働 時 間 及 休憩 時 間 、 一ケ月 休業 日数
ロ
中食時間
ハ 四、 賃
︱︱
〇 ・六 二(小 洋)〇 ・六 五
一 ・五 四 (金 )
銀 (平 均 、最 高 、 最低 、 日華 人 別 ) 平 均 最 高 最 低 〇 ・四 五(金 ) 〇 ・六 一 〇 ・四 五
(中国 人 ) 二人
(日 本 人 ) 一人
臨 時傭 夫 (中国 人 )
常 傭夫
一回 の割 ( 毎 月 と す。 一日と の謂 ひに あら ず。 一年 を通 じ 約十 二
採取回数
一四、〇 三 六貫
三 九、〇 一五 斗 イ
四 、賃
新 採用 は小 洋 銀 三 五銭
小洋 銀 平均 三九 銭 、最 高 五 四銭 、最 低 三 五銭
基本賃銀
銀
日間 、 但 し 給与 支 給 せず )
人員 糞 尿 一、四 三 八
採取量
八、労 働 者 の能 率 (大 正十 四年 五 月分 )
塵 芥 一、二 七〇
賃 銀 支 払方 法
工賃 表 に各 自 捺 印 せ しめ て支 払 ふ。 賃 銀 形態
なし 。
ハ
賃 銀 支 払法 及 期 日
一ケ年 勤続 毎 に成績 良 好 な るも のに限 り 、 二銭 乃 至
蓑 笠 を貸 与 す 。
毎 月自 十 六日至 十 五 日 の 工数 を締 切 り、
五 、実 物 給 与
稍可。
哈 爾 賓事 務 所 調査 課 長報 告
本 表 には 定傭 夫 (定傭 々員 ) を含 まず 。
哈 市 衛生 人 夫待 遇 調 査
道 路 掃除 夫
散水夫
四 人 の衛 生夫 を 常 置す る の外 、平 均冬 期 四 〇人 、 夏期 八五
汚 物 運 搬夫
人 の衛 生 夫 を雇 傭 す。
数
炭 礦 服 務規 程 に依 る。労 働 団 休 な し。
大 部 分 は衣 食 住 に費 し 、剰 余 少 なし 。
定期 賞 与 な し。
四銭 の昇 給 を行 ふ。
六 、進 級 制 度
月末 に支 払 ふ。
会 社指 定 の換算 率 によ り、 金 を以 つ て支 払 ふ 。 ホ
ニ
ロ 附属給
六〇
但 し糞 尿 、塵 芥 の運搬 は別 に請 負 は し む。 九 、労 働 者 の生計 費 の大要 労 働 者 の生計 費 は 食費 、 其 の大 要 を占 め、 其他 は僅 少 な り。 一 日 の生計 費 は約 金 二十 五銭 より 三十 銭 の間 にあ り 。 一〇 、労 働 者 に関す る規則 、 団 休 等参 考 と な る可 き 事項 当 地衛 生 人 夫間 に は、労 働 者 の団体 と 称 す可 き も のなく 、 又是 等 に対す る規 則等 特 に参 考 とな る べき事 項 もな し 。
七 、賞
総
︹ 資 料 の十 二︺
備考
一〇 、労 働 者 に関 す る規 則
九 、 労働 者 の生計 費
与
︹ 資 料 の十 一︺
撫 順 炭 礦庶 務 課 長
八 、 労働 能 率
大 正 十 四年 七月 九 日
撫 地第 三 五 七号
衛 生 人夫 労働 状 況調 査 の件 回 答
庶 務 部 調査 課長 殿
六月 三 十 四 日附 御照 会 首 題 の件 左 記 の通 回答 致 し ま す。 記
一時 間 、休 業 一ケ月
日本 人 人夫 は使 役 せず 。 此 の監 督 とし て日本 人 外 勤 助 手 三名 、
一、衛 生 人 夫 現在 数 一 二 二 名
十 一時間 、 休憩 時 間
百 分 の 二十 内外
定傭 夫 一名 を以 て当 つ。 二 、労 働 移 動率
三 、 一日所 定労 働 時 間
( 冬 期 三 〇、 夏 期 四〇 ) ( 冬 期 七 、夏 期 一〇 ) ( 夏 期 三 五)
十時 間
衛 生人 夫 は 一定 せず 。苦 力 頭 の指 図 に より常 に移動 す。
食 事 時間 とし て 一時 間 半
国 籍別 一日所 定 労働 時 間
復活 祭 、 ク リ ス マス、新 年 に休 業 す る の み。
一日所 定 休憩 時 間 一ケ月 休業 日数 平 均 五 〇仙 、 最高 一元 、最 低 四七 仙
右 の労 働 賃 銀 は市 役 所所 定 の賃銀 で あ るが露 国 人 請負 人 或 は苦
基本賃銀
力 頭 を通 じ て支払 は るる為 、 約 半額 は之 等 講負 人 にせ しめ ら れ、 労働 者 等 の受 く る賃 銀 は僅 少 であ る 。尤 も食 、住 は苦 力 頭 に於 て 支給 す るも 、要 す る に給 与 は 労働 者 に満足 を与 へ得 ず 。 点 火 すれ
なし 一日 、十 五 日払
ば爆 発 す る の可 能 性 を有 す る 。 附属 給
日給 与
一ケ月 二 回
大洋
賃 銀支 払 方 法 賃銀形態
なし
支払貨幣
なし 個 人 とし ては、 其 の年 齢 、 或 は体 力 に依 り優 劣 あ る
なし
実 物 給 与 種類
与
進級制度 賞 労 働 者 の能 率
も 、概 し て良 好 。露 国 人 は支 那 人 に対 し遙 か に優 越 し て居 る。
他
なし
を 得 べく 、得 る処 の労働 賃 銀 に ては生 計 極 め て困 窮 の状 態 であ る。
露 国 人 は最低 二十 元内 外 にし て、支 那 人 は其 の三 分 の二と 見 る
労 働 者 の生計 費 の大 要
其
満鉄窯業 工場 対同業者 労働状態比較調査
工
場
名
一、労働者数竝労働移動率 所在 地
大 連 窯 業 工場 〃 大華窯業公司 〃 大陸窯業株式会社 天 奉天窯業株式会社 東 安東 〃 順 撫順 〃 奉 安 撫
計
者 数
(マ マ︺
︹マ マ﹂
支 那人 二九 ・
日本 中国人 全俸 人
労働移動率
庶務部調査課
大正十三年三月十日現在 に拠る)
労 働
支 那人 九 五 ・三
化 学 工場 労 働者 日支 人 の比較 日本 人 四 ・七
日 本人 二四 ・八
二三 ・一
同 上 一工場 に於 け る平 均 労働 者 数 窯 業 工場 平 均 移動 率
六
化 学 工場 日支 人労 働 者 移勤 率
一、 二三 二人
日本 人 中 国 人
(満洲労働統計調査票
満鉄窯業工場対同業者労働状態比較調査
大正十四年七月九日
(五)
一日 の 所 定 休 憩 時 間
毎 日曜 日
三日
一ケ 月 の所 定 休業 日数
二、 一日所定労働時間休憩時間 竝休業日数
一時 間 な し冬 期 間休 業
二時 間 雨 天休 業
雨 天休 業
名
一日 の所 定 労働時間 三十 分
場 九時 間 二時 間
工
窯素試験 工場 八 ・五 時 間
三十 分 乃 至 一時 間 な し
大 華 窯業 公 司 日出 前 就 業
不定
〃
十 二時 間
八時間
冬期間休業
〃
〃
奉天
大陸窯業株式会社 十時 間 日没 頃 終 業 約 安東
十 三、 四時 間 撫順
休憩時間
八十六分
十時間 二十七分
同 二、三日
満洲化学工場平均労働時間 休業 日数 銀
同 三、賃
備 考附 属 給 は何 れ もな し 。
賃
銀
形
態
四、賃銀形態竝に賃銀支払方法 工場 名 窯 業 工場
賃
銀 支
払
方 法
現 金 支払
日 人 は金 、 支 人 は銀 建 を金 換 算 毎 月 一回 廿五 日 時 間 給 (苦力 )出 来 高 給 (瓦 工 土管 工)
現 金 払、 毎 月 一回 五 日頃 、前 月 の出 来高 に 対し 概算 払 を 為 し事 業 終 止 期 に精 算 す。
大華窯業 時間給 大陸 〃
雑 役 夫 日給 を除 く 外 出来高給
毎 月 五 口 に 一回
奉天 〃
安東 〃 撫順 〃
請 負 工程 払 ひ
備考 化学 工場賃銀制度
毎 月 末 日 に 一回 出 来高 払 、 月 一回 月 末
地 募 集 費 用
時間給 四〇、出来高給 一 二 、両者併用 一二、調査 工場六四
集 なし
募 現地 なし
様
現地
募 集費 用 を要 し た る こと な し
態
満 鉄 窯業 試 験 工 場 よ り 引 継 た る者 は就 業 中 の 者 の周旋
山 東 直隷 及満 鉄 沿線 に散 在 せ る も のを募 集
なし
の
作 業 の部 属 の苦力 を し て募 集 せし む 、其 他 委 任請 負
山東 及直隷省 方面
苦力頭請負工 賃 の中 に包含 す
集
毎 年 終 航 期 、 帰郷 に際 し、 翌 年 分 所 用 人員 を 約 束 し て帰 る慣 例 な り
現 地及山東
募
五、労働者募集状態 工場 名
苦 力 頭 を 以 て募 集 せし む
窯 業 工場 直接
大華窯業
大陸 〃 奉天 〃
安東 〃
撫順 〃
雇傭労働者 の能率
六 、労 働 者 の能 率 工場 名
窯業工場
大陸 〃
大 華窯 業 奉天 〃 安東 〃
撫順 〃
支 人 工 の能 率 は内 地 同業 職 工 に比 し差 し た る遜 色 な し
支 人 労働 者 は体 力 強壮 にし て日 人 に比 し 耐働 力 数 等 優 れり
︹マ マ︺
支 人職 工 日本 人 に 比 し
右 の外 、労 働 者 に対 す る規 則 、労 働 団 体 な し 。
二九
札頼諾爾炭礦罷業顛末
質
二 枚 層 、 三︱ 四 ア ル シ ン (二 一︱ 二八 呎 )
侏羅紀層
す と称 せら れ 所 謂軟 炭 田 の部 に属 す る褐 炭 礦 であ る。 同 炭 礦 は、
量 一、 四 四〇 百 万布 度 (二 四 百 万英 噸) (アネ ルト 技 師 調 査 ) に達
点 附 近 を 中 心 と す る鉱 脈 の延長 二五露 里以 上 に亘 つて連 続 し 、埋 蔵
三露 里 、 哈爾 賓 の西 方 八 五 三露 里 、 又札 頼 諾 爾 駅 の西 南 方 四露 里 地
札 頼諾 爾 炭礦 罷業 顛 末
大正十四年 七月三十日 哈爾賓事務所長 札頼諾爾炭礦労働争議に関す る課員堀内竹次郎氏の出張報告 を貴
層
覧 に供す。
地
質
次
目
炭
炭
イ、罷業発生前 の労働状態
拠 つ て東 支 鉄 道 之 を 所有 し 、 特 に 日露 戦争 後 に至 つ て長春 以南 の鉄
フ技師 によ つ て発 掘 さ れ た るも のにし て、採 掘 権 は 黒 竜煤 礦 契 約 に
同炭 鉱 は 一九 〇 一年 東 清 (東 支) 鉄 道建 設 と同 時 に、ブ ロン ニ コ
(二七 ・三斤 ) に対 し 一 ・七布 度 の割 )
有 煙 炭 、 水分 多 く 風 化し 易 く火 力 弱 し ( 撫 順 炭 一布 度
イ、札頼諾爾炭礦
一、札頼諾爾炭礦事情 ロ、炭礦従事員及 工人待遇
ロ、罷業 の原因
や、東 支 鉄道 に ては 北満 唯 一の鉄道 燃 料炭 と し て当 時 大 いに嘱 目 し
道 が 日本 に割 譲 せら れ 、該 沿 線 に於 け る炭 礦 から 露 西 亜 が手 を 引 く
二、札頼諾爾炭礦労働争議
ハ、罷業 の要求条件
方 六露 里 ) の三鉱 区 に分 た れ、 現時 採 掘中 のも のと し ては、
ロン ニ コフ ( 鉄 道 幹 線 の南 方 ) 及 旧 ムート ヌイ支 流 (鉄道 幹 線 の南
て居 た所 のも の であ る 。同 炭 礦 は ナ ホ ード カ (鉄 道 幹 線 の北 方 )ブ
ニ、罷業 の影響 ︱結論 一、札頼諾爾炭礦事情 イ、札頼諾爾炭礦概況 札頼諾爾炭礦 は東支鉄道幹線西部管区満洲里駅を東方 に距る二十
一
旧 ムー ト ヌイ 支流 鉱 区
ナ ホ ード カ鉱 区
ブ ロ ンニ コフ鉱 区 第十号
第 九号 竪 坑 及 露 天掘 (新 掘 )
〃
〃
二
〃
三 の五坑 にし て 一日採 炭 量 一五 、〇 〇 〇 布 度 ( 夏 期 ) を 出 な い。炭 坑 と し て の設 備 は 、第 九 号 竪 坑 を 除 いて は極 め て幼 稚 な る支 那 土 法式 類 似 の採 掘 法 によ り濫 掘 し た 形跡 のあ る のは炭 質 が悪 い点 よ り 見 て 無 理 も な い の であ る。 同 炭 礦 の採 掘 者 た る東 支 鉄道 の経 営 方針 を見 る時 に は直 営 し 、時 に は請 負 制度 に よ つて採 掘 を継 続 し て来 た 。即 ち開 掘後 一九 〇 九 年迄 は直 営 方 針 にて進 み、 同 年 ナ ホ ード カ坑 を ス キデ ル スキ ー及 ボ チヤ ロー フ の二 人 を し て請 負 採掘 せ しめ 、 一九 一 五年 に至 つて ク ルイ ロフ全 礦 の請 負 を継 承 し 、 其 の後 一九 二三 年 六 月 に至 る迄 ス キデ ル スキ ー の請 負 に移 り、 次 い でブ ロ ン ニ コフ坑 を ジ ベ ル ソー コル (伊 人 ) 旧 ムー ト ヌイ 坑 の採 掘 を コワリ ス キ ー の請 負事 業 と し た が、 一九 二 四年 正 月 ブ ロ ン ニ コフ坑 を 、同 年 七 月 旧 ム
一九 一三年 以来 同 礦 の採 掘量 は左 の通 り で あ る。 (単位 、布 度 )
ー ト ヌイ 坑 を共 に東 支 鉄道 の直 営 に引直 し今 日 に及 ん で ゐ る。 因 に
註 、 本年 度 の予 定 採炭 量 は 一九 二四年 と大 差 な く、 東 支 鉄道 用 炭
は約 七 百 五十 万 布度 な り と、 炭 坑 次 長 ア ・イ ・ト ンベ ルグ は説 明せり。
尚 一九 二 三年 以 来 東 支 鉄道 に よ つ て輸 送 さ れ た る同礦 石 炭 数量 は 左 の通 り で あ る。 (単 位 、布 度 )
尚 一九 二 三年 度 の同 礦 石炭 輸 送 数 量 は 同年 度 東 支 総輸 送 貨 物 の約
二 二分 の 一 ( 内 訳 、 社 用 品 輸送 貨 物 は約 七分 の 一、普 通輸 送 貨物 は
約 百分 の 二 ・三 二 に当 る) に相 当 す る。
ロ、 炭 礦 従事 員 及 工人 待 遇
場
事務所
二〇 名 ( 露 人 一九、 華 人 一︱ 通 訳)
鉱
山
技
師
イ ・ア ・スカ ピ ン
従 事 員 約 六 〇名 (露 人 3/ 4、 華 人 1 / 4)
社員
目 下 同 炭礦 の使 用 人 と し て は
工
炭 礦 事務 所 長
因 に高 級 社員 と し て は
(旧 チ エルノ ホ フ ス キー炭 礦 長 ) 席 ロ ・イ ・ヤク ーバ
ン
次 長 ア ・イ ・ト ンベ ルグ
ト
同 坑 長
ン
炭 次
ア
同
俄 工組 頭 と し ては 一組 十八 ∼三〇 名 を有 す る も の四 名 (以上 先山 、
後 山作 業 ) と 其 の外 江日傭 に従 事 す る俄 工 が若 干 あ る、合 計 一五 〇 名。
以 上同 炭 礦 の工 人 数 の総 計 (露支 ) 約 六 〇 〇名 (夏 枯晴 ) 以 上 で
あ つて 、冬 季 採 掘 の繁 忙期 に於 ては 六〇 〇 ∼ 一、〇 〇 〇名 の工人 を 使 用 す る と言 ふ。
炭礦 主 、 即 ち 東 支鉄 道 が彼 等 工人 を 如 何 な る方 法 によ つて待 遇 せ
華 工 は主 と し て把 頭 別 に収容 し 、 俄 工 の多 く は 家族 持 ち な る
一、 工 人 に は俄 工、華 工 の別 な く バ ラ ツク を支 給 す 。 ( 納屋棟数四
る かを述 べ ん に、
〇) イ
を 以 て 一バ ラツ ク (バ ラ ツ ク の大 き さ は同 一) を 四 区分 し 、 四
註 、炭 礦 長 及 同 次長 は 二〃 前 ザ バ イ カ ル州 チ エル ホ フ スキ ー炭 礦 よ り避難 し来 れ る白 系 の人物 にし て、炭 坑 長 は有 名 な る共 産 党
春
才
四七 名
三〇 名
二五 名
二二 名
劉
張
劉
李
万
顕
堂
才
福
恵
五〇 名
四 五名
三 五名
四〇 名
玉
公 私 の別 な く傷 病 者 (家族 を含 む ) に対 し ては無 代 に て治療
公 私 傷 病者 に対 し ては慰 籍 料 を 給 し、 死 亡者 に 対し ては葬 祭
を施 す 。
一時 帰国 者 に対 し ては自 線 内 三 等乗 車 券 を発 行 す (家 族 を含
料 及 救 恤 金 を 給 す。
む ) (華 工 曰 く 、未 だ これ が適 用 を受 け たる も のな し 、 と 。 )
工人 は 一律 に組 合 員 と し て取 扱 ふ 。各 組 頭 は其 の配 下 の工人 数
三 、購 買 組 合
ハ
ロ
イ
二、 三 ケ月 以 上 勤 続 (以前 は六 ケ月 ) せる 工人 に対 し て は、
札 頼 諾 爾 炭 を 無 代 に て支 給 す。
工人 の生 活 に 必要 な る電灯 料 は無 代 に て点 灯 し 、薪 炭 と し て
家族 を収 容 す 。
志
ロ
員 であ る 。 尚 今 回 罷業 を起 せ る 工人 、 即ち 苦 力 の把 頭 (組 頭 ) と し て は、 華
有
国
名
工組 頭 は十 一名 にし て其 の所属 工人 数 は 左 の通 り であ る 。 王 趙 張 陳
以上 は採煤 ( 先 山 ) 坑 夫 及推 車 (後 山) 坑 夫 にし て、今 回 の罷 業
張 欽 (工 人数 七〇 名 ) は 装砂 子 工 (土 砂 充 填 工 ) に し て、 張 才
の中 心 を な し た も の で三 〇 二 名。
( 同 八 〇 名) は装 煤 車 (石炭 貨 車 積 込 人夫 ) の作 業 を な し、 玉 徳 山 ( 同 不 明 ) は坑 内 支 柱 作 業 等 の木 工 を な し合 計 一五 〇名 以上 。
﹂
に応 じ 、通 票 によ つて食 料 品 及 生活 必需 品 の配 給 を請 求 す る こと 価 値 が あ る。
小規 模 の幼 稚 な 労働 争 議 であ つた に せ よ、時 節 柄 留意 す る に充 分 の
賃 銀 制度 に 対す る復 旧運 動 であ つて、 工人自 ら攻 勢 的 に発 議 せ る罷
今 回 の罷 業 は 工人側 か ら見 れ ば 、礦 主 によ り て企 画 せ られ た る新
を 得 (但 し各 組 頭 配 下 の総 工人 数 一ケ月 間 の労 銀高 よ り超 過 す る こと を得 ず )。 四 、補 習 学 校
減 額 を企 図 せ る に対 し 、 工人 側 は 最後 の自 衛 手段 を 講 じ た にす ぎ ぬ
的 に余儀 な く せら れ 、労 銀 計算 の基 準 変 更 の名 目 の下 に実 際 上 労銀
工人 は希 望 に よ り補 習 学校 に入 学 し 、学 科 を 教 習 す る こと を 得 。 業 では な く謂 はば 受身 の労 働 運動 で あ る。換 言 す れ ば 、礦 主 が経済
二 、 三教 習 せ る者 を見受 く る。
補 習 学 校 は 普 通 四級 制 度 、高 等 二級 制度 に し て華 工側 に は組 頭 中
(礦 主側 の言 分 に よれ ば 、七 月 一日 以後 適 用実 施 さ るる新 労 賃 率 の
ては 一種 の工人 の能 率増 進 法 であ る と弁 明 す る も、 吾 人 の見 解 によ
請 負 制度 は 、 工人 の生活 を脅 す が 如 き労 銀 減額 に非ず 、見 方 によ つ
五 、労 銀 支 払 方法 工 人 の労 銀 は各 組 把 頭 の請 負 にな る ﹁ 出 来 高 払 制度 ﹂ に よ り前
罷 業 発生 前 の状態
一 に述 べ た様 に同 鉱 は 一九 二四年 正月 ブ ロ ン ニ コフ坑 を、 又 七月
イ
及 罷 業 の影 響 等 に就 いて説 述 し て見 よう 。
以 下罷 業 発生 前 の状 態 、罷 業 の原因 、 罷 業 の要 求 条件 、解 決 条件
等 か の示唆 を与 へると信 ず る。
労 農 露西 亜 の所 謂 赤 化宣 伝 が喧 伝 せ ら る ゝだ け皮 肉 でも あ り、 又何
実 上 労農 露 西 亜 に より て経 営 せら る ゝ東 支 鉄道 であ る だ け、 而 し て
争 議 で あ つて、 此 の点 に於 て何 等 の特 異 性 を有 し な いが 、礦 主 は事
要 す る に今 回 の罷 工 は普 通 一般 の資 本 家 対労 働 者 の経 済 的 方 面 の
れば 之 に賛 同す る こと は出 来 ぬ)。
月 一ケ月 分 の稼働 料 金 を 翌 月 十 五 日 に総 勘 定 を な し 支給 し て ゐる 。
る も のであ る。 八時 間 制 の三班 交 替
斯 の ﹁出 来 高 払制 度 ﹂ の標 準問 題 は即 ち今 回罷 工 の大 原 因 をな せ
他
六 、労 働 時 間 の
工人 の衛 生 状態 は比 較 的 良好 にし て室 内 等 も 清潔 な り。 娯 楽 機
七 、其
関 と し て は華 工側 に は皆 無 にし て、 俄 工側 とし ては東 支 倶 楽 部 に 出 入自 由 な る を 以 て、之 を求 め んと 欲 す れば 可能 であ る。 二、 札 頼諾 爾 炭 礦 労働 争 議
ムート ヌイ坑 を ジ ベ ル ・ソ ー コル及 コワ リ スキ ー の請 負 から東 支鉄
罷 業 要 綱 方 今 支 那 十 八省 至 る所 の各 工場 、 鉄 道 、汽 船 及 鉱 山 等 に於 て、 苟
道 直 営 に引 直 し 採 掘 を継 続 し 来 つた が、 直営 継 承 当 時 工 人 の労 銀請
〇
の最 北 端 、 而 も西 隣 ソヴ エート ロシ ヤ の辺境 に於 て、搗 て加 へて礦
で ゐた。
負 制 度 に関 し ては 前経 営 者 の契 約 を其 の儘採 用 し 、本 年 六月 に及 ん
く も外 人 に関 係 あ る企 業 に対 し て排 外 的 罷業 続 発 せ る折 柄 支那 領 土
て、 本 年 七 月 一日 を期 し て勃 発 せ る同 礦 六〇 〇 余 名 の工人 罷 業 は、
主 側 に共 産 党 の要 人 を戴 いて ゐ る東 支 鉄道 直 営 の札頼 諾 爾 炭 礦 に於
を給 せざ る限 り 、労 働 者 に と り て大 な る打 撃 と な るを免 れ な い。因
最 低 〇 ・六〇 元
に旧 労 銀率 に よ る 工人 一日 の労 銀 及生 計費 を 見 る に大 略左 の様 で あ
最高百元
ジ ベ ル ・ソー コル及 コワ リ スキ ー両 請 負 業 者 と 工人 側 と の契 約 に
平 均 一日 の労 銀
る。 入
拠 れば 、労 銀 は ク ーボ (一露 坪 ) を標 準 と せる出 来 高 払 と し 、先 山
出
及 後 山 を合 し て 一ク ーボ八 ・五 元 の割 で支 払 つて ゐ た。 収
把 頭 への納 金 一〇%
支
食費 ( 剛 食 物 を含 む) 〇 ・ 一三- 〇 ・三 〇元
〇 イ
坑 内作 業 時 問 (八 時間 交 替 ) 中 の灯 油 及 心代 〇 ・ 一四元
〇
ロ
同
によ り 一等 大 洋 一〇 ・二五 元 、 二等 七 ・九 二 元、 三等 七 ・五〇
ハ
註 、 労 銀率 は三 級 に分 ち、 採 掘 の難 易 、坑 道 の遠 近 、 勾 配 の大 小
該 制 度 に拠 ると 工人 一日 の労 銀 は 最高 一元 内 外 に達 し、 工 人蛍 力
ニ
元 と す。
の質 及 生計 費 の上 より見 て平 準 点 にあ つた と言 ふ こと が出 来 よ う 。
烟其 他 小 遣 計
〇 ・二六- 〇 ・〇 七元
〇 ・七 四- 〇 ・五 三元
〇 ・〇 八元
〇 ・ 一二元
然 る に東 文鉄 道 では直 営 後 同礦 石炭 の産 出 高 、需 要 高 及 労 力問 題
ホ
差 引純 収 入
靴鞍 代
に就 て精細 に 亘 り研 究 調査 を遂 げ た 。就 中 生 産 原 価 に関 し工 人 の労 銀 は梢 々高 率 に失 す るも のと信 ず る に至 つた。 (一ク ーボ の 石 炭 は 二 二炭 函 の量 に等 し と 称 せ られ て ゐる が ( 約 八 三 六布 度 ) 坑 夫 が誠
嫌 いあ るも 、組 頭 た るも のは若 し 配下 の中 に不幸 生 ぜ る場 合 に
註 、組 頭 へ稼 高 の 一〇% を納 入す ると言 ふ こと は稍 暴 利 に失す る
は自 弁 に て之 を扶 助救 済 す る の義 務 が あ る (無論 礦 主 の工人 待
実 に作 業 し 出来 る だけ 一ト ロの量 を 多 く す る とき は 、十 七 / 八 ト ロ
の販 路 拡張 し得 る状 態 にあ るも 、 元 来 同礦 の石 炭 は炭 質 不 良 であ つ
に て採 炭 運 搬 す る こと を得 ) 蓋 し 同 礦 の石炭 は近 年漸 く 一般 市 場 へ
は、 一ケ月 分 だ け自 費 を 以 て配 下 の工 人 を養 ひ 、後 月 の給 金 に
遇 もあ る)。 尚 従前 請 負事 業 に よ つ て炭 礦 が経営 さ れ て ゐ た 際
て之 を 決 済 せ し め て ゐた 習慣 が今 尚残 つて ゐた も の であ る ( 直
て風 化 し 易 き為 (普 通 札頼 諾 爾 炭 の貯蔵 法 は、 本 渓湖 炭 を以 て外 囲
営 後 は購 買 組 合 にて物 品 を支 給 す る故 に其 の必要 がな い)。
を包 被 し 其 の風 化 を 防 いで ゐ る) 夏 時 閑散 期 に於 ては そ の生 産 を 差 控 へな け れ ば なら な い。即 ち夏 枯 時 に於 て は同 炭 の需 要 は機 関 車 及
ロ
少 数 の特種 工場 に限 ら れ て ゐ る の で、若 し冬 期 と 同様 な る労 力 を使
礦 主 とし て右 様 の複 雑 せる事 情 や弊害 を 一掃 せ ん とす る主 旨 に て、
罷 業 の原 因
る の み で、礦 主 の採 算 不引 合 に終 る は 明 ら か であ る。 さ れば 礦 主 と
工 人 の最 も 恐 る ゝ 一種 の労 銀減 額 を 実施 せ ん と欲 し た が今 回罷 業 の
用 し て採 掘 を継 続 せば徒 ら に風 化 の虞 あ る褐 炭 の スト ツ クを 増 加 す
し て は 一時 労 働 者 を 減 じ て生 産 を 制 限す る か或 は 労銀 低 下 によ り て
六月 二十 八 日 礦主 は突 然 工 人組 頭 を招 致 し て、請 負 時 代 か ら実 施
最大 原 因 と な つた ので あ る。
る にし て も夏 枯 期 に於 け る労 力 需要 の減 少 を見越 し て余 裕 あ る労 銀
出 費 を 防 ぐ か の方 法 に出 でざ る を 得 な い。 而 も 何 れ の方 法 を 採 用 す
し て現今 に及 べる労 銀 制 度 の契 約 に つき 改変 し たき 旨 を伝 へ、 左 の
後 山 〇 ・二九 〇 仙 )
旧労 銀 は平 均 一布度 当 り 一 ・〇 一二仙 の割 合 にな るが、 そ れは普
差引 ( 労 銀 減 額 〇 ・〇 六 五 仙)
通 の作 業 方 法 に よる場 合 であ る 。即 ち普 通 の作 業 方 法 によ る と 一ク
如 き新 制 度 を 提 出 し、 七月 一日 よ り実 施 す べ しと 通 告 し た 。
準 と せ る出 来 高払 とす ° 即 ち 一ト ロに付 き採 煤 〇 ・二 五 元、 推 車
一、従 来 の ク ーボ を基 準 と せ る出 来 高 払 労 銀制 度 を 廃 止 し炭 函 を 標
ーボ 二 二炭 函 の量 に等 し いと せ ら る ゝが、 昨今 の工 人 作業 方 法 は炭
り 。即 ち 一炭 函 に付 八 ・四布度 内 外 の作 業能 力 を増 進 し て ゐ る ので
函 に過積 す る こと によ り、 一ク ーボ を十 七/ 十 八炭 函 と な し つ ゝあ
〇 ・ 一 一元 。
あ る が 、新 労 銀 率 に よ る とき は炭 函 過 積 を 許 さ な い から、 工人 の作
二、組 頭 の撥 ね前 十 % は爾 今 徴収 す るを得 ざ る こと 。 此 の新 制 度 を吟 味 す る に
つた組 工 に よ つ て稼働 す る こと は不 平 であ る に違 ひ な い。 況 し て組
内 に於 て急 速 の仕操 を なす 外 は な い。 加 之 先山 、後 山 の作 業 を 各異
業 能力 の増 進 に より労 銀 の増 収 を計 ら んと せ ば稼 働 時間 (八 時 間)
一、 によ ると き は 工人 一日 当 り の労 銀 は 旧労 銀 に比 し て約 十 五 ∼
二、 は少 し く 支那 労 働事 情 を知 る者 の決 し て採 ら ざ る所 であ る。
頭 に於 て は 一〇% の撥 前 を削 除 さ れ た る こと は意 外 の打 撃 に相違 な
二十% の低 下 と な り (一布 度 の採 炭 費 〇 ・〇九 四 七 元 と な る)、
均等 に分 配 せ ら る ゝ習 慣 で あ り、 而 し て 一組 内 に於 け る労 働 者 は偶
蓋 し 一組 頭 の下 に於 け る労働 者 の稼 高 は 、該 組 に属 す る各 労 働 者 に
と し俄 工 は同 情 的 に之 に加盟 し た にす ぎず ) が罷業 開 始 前 日 即 ち六
前 述 の理 由 によ つて罷 業 を開 始 し た工 人側 (主 と し て華 工 を中 堅
罷 業 の条 件
存 に在 り濫 り に他 の容 喙 を許 さ な い。 さ れば 札頼 諾爾 炭 礦 の例 に見
月 三十 日礦 主 に対 し てな し た第 一回 要 求 条件 とし ては、
ハ
る も先 山 、後 山 の作 業 は普 通 同 一バ ラ ツク に起 居 す る組 内 の労働 者
一、労 銀 率 請 負制 度 は炭 函基 準 出 来 高 払 にて差 支 な き事
い。
を組 頭 が適 宜 分配 し て居 る のであ つ て、若 し今 回 の新 制 度 の如 く 先
二 、採 煤 及 推 車 の仕 操 は同 一組 の工人 に て作 業 せし む る こと
然 之 に合 せ る も の でな く多 く は同 郷 、親 族 、 知 己 其 の他 の関 係 によ
山 、 後 山 の作 業 を全 く 分割 し て異 な る組 を し て当 ら し む と せば 、仕
り合 理 的 に結合 せら れ たも ので、 組 の組織 及 仕事 に就 て は組 頭 の 一
事 と労 力 と の不調 和 を 来 す べ く、 又 労 銀 の分 配 上 にも均 衡 を 失 す る
三 、労 銀 率 を採 煤 三〇 仙 、推 車 十五 仙 と す る こと
業 を開 始 し、 弱 腰 の俄 工勧誘 を試 み其 の間組 頭 代 表 は幾 回 と な く鉱
然 拒絶 し て了 つた 。斯 く て工 人 側 は予 定 通 り 七月 一日全 山 一斉 に罷
之 に対 す る礦 主 側 の回答 は 一も 工人 側 を満 足 せし む る も のな く断
の三 ケ条 に過 ぎ な か つた。
こと とな る ので あ る。
旧 労 銀 に よ れば 一布度 に付 き 一・〇 一 二仙 (先 山 、 後 山 合 し
新 旧 労 銀請 負 制 度 に対 す る 工人 側 の採算 の差 違 は 左 の通 り であ る 。
新 労 銀 に よ れば 一布度 に つき 〇 ・九 四七 (先山 〇 ・六 五 七仙 、
て)
主 側 と交 渉 を続 け た が両 者 の態 度 強 硬 に て容 易 に纏 ら な か つた。 七 月五 日 札頼 諾 爾 警 察 署 長 ( 姓 于) は表 面調 停 者 (実 は東 支 の依
( 僅 か 工人 一 二 〇 名位 で は支 柱 の取 替 へ、排 水 作 業 に従 事 し得 る だ
る に至 つた 。即 ち処 長 は 新 労銀 制 度 によ つて 一ケ月 間 試験 的 に作 業
し た が目 的 を達 せず 、 遂 に警 察 権 を以 て工人 を強 制 的 に就 業 せし む
影響 なき も のと観 て ゐ るが 、事 実 交 渉 は決 裂 状 態 を 呈し 、罷 業 は依
も のとし て楽 観 し 、 且其 の間 採炭 不 能 に陥 るも 鉄道 及 一般市 場 には
猟 に出 づ る と も 、猟 期 (向 後 約 二 ケ月半 ) を経 過 せ ば再 び帰 坑 す る
之 に対 し 鉱 主側 の意 見 と し て は、 よし 工 人 が退 坑 し て タ ルバ カ ン
け で採 炭能 力 は殆 ど な い)。
す る こと を勧 め、 若 し 之 を拒 む 者 は省 外 に放 逐 す べ し と なし た。 斯
頼 により 工 人側 を威 圧 し た も ので あ る) と し て両 者 間 に和 議 を提 唱
く て七 月 六 日 か ら 一部 工 人 の就 業 を 見 る に至 つた。
能 は ぬ。 何 れ其 の後 は又 一段 の紛 擾 を見 る も のと思 は る。
工人 側 が易 々と し て礦 主 側 の固 守 す る条 件 に服 す る や否 や疑 ひな き
然 と し て継 続 し て ゐ るも のと見 倣 し 得 る が故 に、 タ ルバ カ ン猟 期 後
六 日組 頭 王有 才 配 下 の工 人下 坑 す る や他 組 頭 之 を阻 止 し、 弥 工人
一言 にし て 之 を覆 へば 、今 回 の罷 業 は、
ニ
側 の結束 を固 め、 若 し 礦主 にし て 工人 側 の要 求 を 容 れ な けれ ば 、 全 工来 る十 五 日 の給 料 決済 後 退 坑 す (大部 は タ ルバ カ ン山 猟 に出 づ と
一、 礦 主即 ち東 支 鉄 道 側 には差 当 り影 響 な し 。
罷業 の影 響 - 結 論
謂 ひ、既 に 一五 〇 名 以 上 は退 坑 せり ) と の虚 勢 的 態度 に出 でた 。礦 主 亦 之 に応 じ て、 工人若 し新 労 銀 率 に服 従 せざ る に於 て は向 ふ 三 ケ
二、 工人側 に は影 響 あり 。
と 見 る こ と を得 る。 礦主 側 及 一般市 場 に経 済 上影 響 が な いと君 ふ
三、 市場 に は影 響 な し 。
こと は 、東 支 鉄 道 と し て は予 見 し て居 たも のと見 る べく 、影 響 な け
月 間 炭礦 を閉 鎖 す べき旨 を非 公 式 に宣 言 し、 罷 業 は比 較 的 静 穏裡 に
之 よ り先 (七 月 二 十 日) 札頼 諾 爾 炭 礦 長 及 次席 の両 名 は相 前 後 し
れば こそ今 回 の新 労 賃 率 の請 負 制度 を発 表 し た のであ る 。礦 主 が夏
継 続 し て七 月 十 五 日 の給 料 支 払 日 に至 つた。
て、東 支 管 理 局 に出 頭 し、 管 理 局長 及 鉱 山 課長 と共 に罷 業 に関 し 工
布度 ) 以上 の必 要 が な い ( 目 下 同礦 にあ る貯 炭 は 約 二 九 ・五 山 )。
人 の要 求 条 件 に つき凝 議 す る所 あ つた が何 等具 体 案 を 得ず 空 し く帰
さ れ ば向 ふ三 ケ月 間炭 礦 を閉 鎖 す る に何 等 の恐慌 も 感 じな い。 又 一
期 に於 て毎 日社 用 品 と し て発 送 す る同 礦 石炭 は 四貨 車 (四、 〇 〇 〇
斯 くし て七 月十 五 日 に至 る も礦 主 及 工人 側共 に協 調 的 若 し く は譲
般 市場 の販 路 を 見 る も 特種 工場 を除 いて は需 要殆 ど皆 無 であ る から
礦 し た。
歩 的態 度 に出 でず 、 工人 側 は当 日 の労 銀 支 払勘 定 を決 済 す る と共 に、
之 も 些 か の痛 痒 も 感 じ な い こと にな る。
七 月 一日罷 業 開 始 当 時 の市 場 小売 炭価 は 一布 度 、満 洲 里 十 四仙 、
華 工 二十 名 、俄 工約 一〇 〇 名 ( 家 族 持 ち な れば 俄 か に退 坑 し難 き事
さ れば 曩 に鉱 主 側 が威 嚇 的 に炭 礦 閉 鎖 を 宣言 し た の であ る が、 今
哈爾 賓 二十 二仙 、山 元 九仙 で あ つた が 、 七月 十 五 日 に於 ても同 値 を
情 あ り) の居 残 り を除 き 、 他 は全 部 退 坑 し タ ルバ カ ン猟 に出 か けた 。
や 工人 側 の退坑 に よ り て自 然 的 に閉 鎖 せ ね ば な ら ぬ状 態 に 陥 つ た
呼 ん で ゐた こと に徴 し ても 、 一般 市場 に影 響 のな か つた こと が判 る。 要 之 今 回 の罷 業 は 工人 側 には後 援 者 も なく 、 又 煽動 者 もな か つた。
でな い。 (一支那 人 が実 地 を 調 査 し て居 た こと は事 実 で あ り 、 こ の
礦 主 側 の調 査 によ れば 上 海学 生 二名 来 札 せ り、 と言 ふ も真 偽 明 ら か
外 鉄道 職 業 同 盟 会員 二名 が実 地 調査 に来 た ことも 事 実 で あ る)。 斯 く 工夫 側 が孤立 無 援 の地 位 に立 ち 、総 て の状 態 が受 動 的 立 場 に あ つた こと は寧 ろ 同情 に値 ひす る 。 さ れば 過般 の支 那 各 地 に於 け る 暴 動 と 何 等関 係 な き は勿 論 であ つて華 工 (主 と し て独 身 者 ) が俄 工 (避 難 民 にし て家 族 持 ち多 し) を 味 方 に抱 き 込 ん で対 峙 し た る に対 し、 礦 主 が徹 底 的 に自 己 の主 張 を 飜 さず し て飽 く迄 高 圧 的 手段 に出 た こ と は上述 せ る如 き 炭礦 の状 態 に於 て は当 然 の ことと す べ く未 だ 最 後 の解 決 に接 せざ る も 、 そ の結 果 も想 像 に難 く な い。
三〇
大 正 十 四 年九 月 一日
で、 其 の生活 は左 程 困 難 で はな いが 、職 名 に依 り其 の金 額 は 一定 し
北 満 に 於 け る 一般 労 働 運 動
哈 爾 賓事 務所 調 査 課
哈 調 情 第 三 五 一号 ( 速報)
従 つて下級 従事 員 と 高 級従 事 員 間 の階 級 的 反感 は著 し く 不平 の徒 に
居 り、 欠員 が あ つ て上 職 に転 ぜ な け れば 有 能 の者 でも昇 給 の途 な く、
下 士 は主 と し て農 民 及 労働 者 の子 弟 にて奴 隷 的待 遇 を受 け た る為 、
傾 向 は更 に甚 だ しく 将 校 は多 く 貴 族 、富 豪 出 の所 謂 特 権階 級 に属 し 、
は革 命 を さ へ希 望 す る者 も尠 なく な か つた。 軍 人界 にあ り ても 此 の
第 一、 労働 運動 と労 働組 合 運 動
彼 等 の反官 僚 、反 階 級 熱 は普 通 労働 者 以上 に高 ま つて居 た のみな ら
次
第 二、同 盟 罷 業 と 労働 争 議
目
北 満 に於 け る 一般 労 働 運 動
第 三 、労 働 組 合 の種 類 、組 織 及 び 現状
ず 、 彼 等 は 十九 世 紀 の頃 よ り ナ ロード ニキ の感 化 を受 け て 地方 分 権
ら れ、 一八 九 七年 には 波蘭 、 リサ ニア其 の他 の工業 都 市 にブ ンド が
を主 張 し居 た る所 、 十 九世 紀 の末葉 独逸 より 社会 艮主 々義 が輸 入 せ
自 治 、 民権 擁 護 の思 想 を抱 き専 制 と 中央 集 権 に反 対 し、 且官 僚 打 破
第 四 、労 働 組 合 の主 義政 策
第 一、 労 働 運動 と労 働組 合 運動 北満 に於 け る露 国 の労 働 者 は多 く鉄 道 従 業員 に て軍 政 時代 は勿 論 、
ロード ニキ も国 民 自 由 党 と聯 合 し て社 会 革 命 党 を組 織 し 、全 国 に亘
り思 想 宣伝 を開 始 し た ので社 会 主義 的 思 潮 は西伯 利 、北 満 の労働 界
組 織 せ ら れ 、 一八 九 八年 社 会 民 主 労働 党 の秘 密結 社 が生 れ同 時 にナ
及 軍 人 界 を風 靡 す る様 に な つた 。然 れ共 一九 〇 五年 の第 一革命 迄 は
欧 洲戦 前 に於 け る東 支 鉄 道 従業 員 は曾 て兵役 に在 つた者 、 又 は鉄 道
に な つて居 た ので あ る) 最 初 よ り鉄 道 で育 つた従 業員 の数 は実 に寥
年 百数 十 人 宛 鉄道 に勤 務 し 、有 事 の際 彼 等 は自 ら 列車 を運 転 す る事
政 府 の社会 党 に対 す る 圧迫 甚 だし く 、表 面 的 に は何 等 の団体 的 活動
隊 の現役 下 士 に て ( 欧 洲 大 戦 前 ま で は鉄 道 隊 に て養 成 し た下 士 は毎
々た るも の であ つた。 彼 等 の俸 給 は概 し て本 国 に於 け る よ りも 多 額
も 為 し 得 な か つた 。労 働 組 合 の如 き も産 業 の発達 、教 育 の普 及 乃至
道 沿 線 の労 働 者 及 下士 階 級 の間 に思 想 を宣伝 し 、是 迄 社会 民主 党 の
其 の他 イ ンテ リ ゲ ンツ イ ア等 に依 り同 党 の支部 が設 け ら れ 、漸 次 鉄
民警 制 度 に改 む る事 等 で、其 の達 成 手 段 と し て帝 政 を 廃 し 、土 地 と
指 揮 を 受 け た 者 も軟 化 し て 一斉 に社 会 革 命 党 の傘 下 に集 り 、之 と 同
自 由 の為 に戦 ふ団 休 に 一時 政権 を委 ね、 又 臨時 政 府 を 組織 し 一般 投
は社 会 党 の活 動 に伴 ひ各 地 に簇 生 し た が、 一九〇 五年 迄 のも のは多
も の であ つた。 要 す る に当 時 の労 働 者 は社 会 党 の感 化 を受 け て 、政
票 に拠 る創 国議 会 を召 集 せ ん とす る にあ つた。 け れ ど も社 会 革 命党
一の綱 領 を 採 る様 にな つた。 即 ち当 時 彼 等 の抱 懐 し て居 た主 義 は、
治 的 に相 当覚 醒 の域 に達 し て は居 た が 、其 の実際 の環 境 は 全 然恵 ま
に対 す る 圧迫 も亦 次 第 に加 重 し、 彼 等 に行動 の余 地 を与 へぬ為 党員
く 雇 主 を 加 へた縦 断 的組 合 で纔 に労働 者 の物 質 的条 件 の改 善 を求 む
れざ る特種 の階 級 を 形成 し て居 た と謂 へる。 然 る に二十 世 紀 に入 り
は多 く 処 刑 せ ら れ、 又 は国 外 に亡 命 し た 。而 し て北満 の労 働 組 合 も
土 地 の民 有 、 労働 法 の制 定 、国 民 の政 治 的自 由 、常 備 兵制 定 を廃 し
無 産 労働 階級 は社会 民主 労 働 党 の指 導 に依 り 、 一九 〇 五年 の革 命 に
の利 益 を 十 分 に保 護 し 、労 働 の過 度 な る搾 取 を抑 制 す る に は不備 な
際 し 東 支鉄 道 の従事 員 を中 心 とし 同盟 罷 業 を 起 し 、労 働 階 級 の解 放 、
のみを 改 善 す る事 を目 的 と し た組 合 た る に止 ま り、 一九 一〇 年 に至
政 治 的 運 動 を厳 禁 せら れ た る為 、 旧 の如 く単 に労働 者 の物 質 的 条件
る範 囲 に過ぎ ず 。 工場 法 も 一八 八 六年 頃 より 制 定 さ れ あ るも 労働 者
集 会 、結 社、 言 論 の自 由 を要 求 し て 一斉 に蹶 起 し 、当 時 鉄 道 管 理局
る迄 は極 め て平 静 に推 移 し た 。
の庶 務 課 長 レペジ ン スキ ー、 同 次 長 コズ ロフ スキ ー を初 め と し、 技 師 オ セ ント フ ス キ ー、 ノ ワ コフ スキ ー其 の他 知名 の士 も 約 六 万枚 の
一時 沈 黙 に帰 し て居 た 北満 の労 働 運 動 は 一九 一 一年 頃 よ り再 び擡
頭 し来 り 、組 合 運 動 も 欧 洲大 戦 前 迄 は至極 順 調 に進 展 し た様 であ る
が政 府 は当 時労 働 組 合 総 同盟 を危 険 視 し て 公認 し な か つた から 、勿
を煽 動 し た程 であ つた 。
宣 伝 文 を 鉄道 附 属 の印刷 所 に て印刷 し 、之 を 頒布 し盛 ん に革 命運 動
全 国 に亘 る革 命 運動 は痛 く ニ コラ イ 二世 の宸 襟 を悩 ま し 遂 に皇 帝
の状 態 は 一九 二一 年 三月 一日 ま で続 い た。
論 非 公 式 の団結 で あ つた 事 は 我 が国 の現 状 と大 差 は な い。 斯 く て此
一九 一四年 欧 洲戦 争 は労働 組 合 運 動 に大打 撃 を与 へた が、 一九 一
は民意 を 容 れ て、 十 月 十七 日附 宣言 書 を以 て集会 、結 社 、 思 想 、言
られ 政 治 的階 級 闘争 的性 質 を著 し く 具有 し 来 り 、 且之 に社 会 党員 の
論 の自由 を約 束 せら る 。茲 に於 て各 種 の労 働 組合 は生 産 的 に組 織 せ
多 数 を 抱 擁 せ る関 係 上 組合 員 の抱 懐 す る主 義 も亦 激越 に て却 つて 一
は聯合 し て哈 爾 賓 労働 組 合 を 組 織 し 、 又哈 爾 賓 猶太 人 社会 民主 党 、
七年 十 月 の第 二革 命 が勃 発 す る と組 合 の組織 が自 由 と な り、 東 支 鉄 ︹一 字不明︺ 道 の沿 線 に は三 十 □種 の労 働組 合 が 一時 に組織 せら れ 、内 二十 五種
波 蘭 社会 党 を除 いた各 労 働 組 合 は大 同 団 結 し て、哈 爾 賓 社会 党 聯 合
般 の同 情 を 失 は んと し た 。然 れ共 革 命 終熄 後 社 会党 員 に対 す る官 憲
期 に入 ら ん と し た。 然 るに 一九 〇 七 年第 二回 の国 会 以後 社 会 革命 党
会 を組 織 し て十 余 種 の非社 会 党 の政 治 団体 と 相 対立 す る様 にな つた 。
の取 締 が厳 重 と な つた 計 り で なく 、 労働 者 自 身 の思想 も亦 漸 く 反動
の分 子 次 第 に勢 力 を 得 、哈 爾 賓 に於 ても青 年 士 官 、高 級 鉄 道 従業 員
然 れど此等 の労働組合は欧露西伯利方面 より の避難民 や当地 の無産
突 を来 す様 にな つた。
体 と相 対 立 し た が、 総 て穏 和 派 と過 激派 の二派 に別 れ正 に意 見 の衝
共産党員もある。 又国民自由党員も居れば社会革命党員も居 る、と
行委 員 会 、 革 命委 員 会 、社 会 革 命 党 と 一致 の行 動 を採 り、 七 月政 権
而 し て鉄 道 従 事員 委 員 会 は多 く穏 和 派 の者 で組 織 せ ら れ、 哈爾 賓 執
長 、助 役 級 及 夫 れ 以上 の者 ) は帝 政 保 守 派 に属 し て居 たと 謂 へる。
鉄 道 従 事 員 中大 体 に於 て幹 部 及 高 級 従事 員 (沿 線 な れば 例 へば 駅
階級 の者 により、而も職業組合組織 の経験 に乏し い者 に依 つて政治
言 ふ風 で種 々雑多 な主義者 の集 りであ つた。今大正八年 (一九 一九
的 に組織せられたのであるから組合員中 には無政府党員もあれば、
年) 八月現在 の哈爾賓労働 団休 の名称を挙ぐれば左 の通 り。
ケ レ ン スキ ー内 閣 の手 に移 つた頃 は 一大 勢 力 であ つた。 然 る に爾 後
に共鳴 し て労 兵 会 を組 織 し 、 軍事 革 命 委員 会等 と提 携 し て、 附属 地
彼 等 の内 に は兵卒 委 員 会 を 中 心 とす る過 激 派 の宣 伝 を受 け漸 次同 派
第 一、東支鉄道労働組合本部に属す るも の 七同
様 にな り、 十 月 の革 変 に て政 権 は レー ニン政府 の手 に帰 し た頃 は 、
労 兵 会 を中 堅 とす る臨時 革 命委 員 会 の勢 力 は鉄 道 従 事員 委 員 会 を 圧
迫 せん と し た が、 支 那官 憲 のた め軍 隊 は武 装 解除 せら れ 、臨 時 革 命
十同青
六同活版所職 工組合 九郵便従事員組合
の政 権 を コミ ツ サ ル の手 に掌 握 せ し めん と し次 第 に強硬 手 段 を 取 る
一東支鉄道運転課員組合 四 二同職 工及労働者組合 三同機関手組 八同教員組合
合 四同車掌組合 五同事務員組合 電信電話従事員組合 年同盟
委 員 会 は解 散 せら れ 、過 激 派 の行 動 は全 く 鎮 圧 せ られ た 。之 と同 時
第 二、哈爾賓市労働組合本部 に属 するも の 四同事務員組合 五 アムール汽船船員組
一哈爾賓市内印刷工組合 二 同職工組合 三同商店官公署労働者
に鉄 道 従事 員 委員 会 も亦 政 治 的 行動 を採 る危険 団体 と し て解 散 せら
れ 、 組 合 と し て の団 結 を許 され な く な つた の であ る。 之 が た め哈 爾
七同馬車曳組合 八同製粉労働者組合
組合 ( 使用人共済会)
九
合 六市内給仕組合
賓 機 関 庫員 及職 工等 は大 正 七年 四 月 及九 月 の 二回 に亘 り 、組 合 組 織
十 コズ ロフ商会店員組合 十一 市役所
チ ユリ ン商会職工商店組合
二ブ ンド支部
員 及 一般 労働 者 の生 活難 を招 来 し 、 賃銀 増 額 を要 求 し て罷 業 を起 し
大 正 七年 よ り八 年 に掛 け露 貨 相 場 の奔 落 と物 価 の騰 貴 は 鉄道 従 事
来 労 働 者 の政治 運 動 は経 済 運 動 に転 化 し た観 を 呈 し た の であ る。
多 く 組 合 団結 は将 来 の禍 根 と見 倣 さ れ、 罷 業 は 遂 に失 敗 に終 り、 爾
の公 認 を要 求 し て同 盟罷 業 を起 し た 。 さ れど 従事 員 中 には 過激 分 子
吏員組合 十二金融機関職員組合 十三理髪職組合 十四婦人蛍働組合 十五義歯工組合 第 三、学 生団体としては、 一哈爾賓大学生組合 二学生同盟 三 アロムラート文学会 一露 国社会民主労働党 (メ ンシ エヴイキー)支部
た事 実 二十 数 回 に及 んだ 。 此 の種 の運動 は多 く の場 合 労 働 者側 の勝
第 四、哈爾賓社会党聯盟 に属す るも の 五波蘭社会党
利 に帰 し 、 且 大 正九 年 以降 は物 価 も 下落 し 、彼 等 の生活 難 は 次第 に
四共産党哈爾賓 支部
三哈爾賓猶太人社会民主党
右 に示す社会党労働団休 は革命 の当時過激派 の名の下 に白党 の諸団
緩 和 せ られ 、 生活 条 件 の改 善 を目 的 と す る 運動 は今 日 に至 る迄 終 熄
ず る者 も 其 の職 を免 ぜら れ 、 又 は自 ら海 外 に 四散 し 、或 は 主義 を改
党 は 無 援 孤立 の姿 と な り 、曩 に西 伯利 よ り避 難 し来 り鉄 道 に職 を奉
め て労 農 の国 籍 を取 得 し 、然 らざ る者 は支 那 の国籍 を取 得 し て其 の
の姿 と な つて居 る 。
職 を失 はざ ら ん とす る者 多 く 、 又市 内 にあ り ても 失 業 二 ケ年 に 亘 る
労 働 者 の政 権 運 動 は既 に述 べ た 通 り、 一方 過 激 派軍 隊 の武 装解 除 と 支 那 官憲 の取 締 り が厳 重 であ つた のと 、他 方 チ エツ コ軍 西進 、聯
て食 客 とな り 、或 は義 損 金 を 集 め て糊 口を塗 す ると かし て居 る 。将
校 は労 働 者 と な り 、其 の妻 は 給仕 女 と化 し て節 操 を 売 り 、音 楽 を善
者 は珍 しく な い。財 物 のあ つた も の は多 く は売 り 飛 ば し知 己 を 求 め
く す る も の は流 し と な り、 馬 を 駅 す る者 は 辻車 と なり 、僧 侶 も 、廃
合 軍 の出兵 等 に て西 伯利 一帯 の過 激 派掃 蕩 せら れ 、 オ ム スク政府 出
を起 し、次 いで コルチ ヤツ ク政 府 没 落 し 、大 正 九 年 一月社 会 革 命 党
鉄 道 従 事員 は白 軍 の後 方 を牽 制 せ んと す る 過激 派 の使 喉 に より罷 業
兵 も 戸 別 に訪 れ て食 を求 む ると いふ有 様 に て、人 世 流 転 の状 寔 に同
現 す ると いう風 に て、 一時 鎮 つ て居 た が、 大 正 八 年 七 月 に至 り東 支
の西 伯 利 政 府 成 り 、極 東 は再 び赤 化 し 、 浦 塩 メド ウ エジ エフ政 府 現
情 に値 す る も のが あ る 。
を開 始 し た が、僅 か 五 日 にし て支 那 官 憲 のた め鎮 圧 さ れ て仕 舞 つた 。
盟 は鉄 道管 理局 の人 事 に も参 与 し て、其 の補 欠 を推 薦 す る等勢 力 は
産 党 乃 至 は赤 色 職 業 同 盟等 と密 接 な連 絡 を 保 ち 、殊 に鉄 道 従事 員 同
は欧 露 よ り派 遣 せら れ た共 産 党 員 と 入 れ替 り 、露 国 共 産 党 、 万国 共
労働 者 中 共 産 党 に加 入す る者 の数 著 し く 増 加 し、 職 業組 合 の幹 部
は る ゝや、 同 三 月鉄 道 従 事 員 は之 と気 脈 を 通 じ ホ ル ワ ツト将 軍 に対
大 正十 年 (一九 二一 年 ) 三月 一日支 那 官 憲 は鉄 道 従 事 員 同盟 の規
し 、附 属 地 の政権 を浦 塩 政 府 に譲 渡 す べ き事 を要 求 し て同 じく 罷 業
約 を 公認 し て から 、沿 線 の労働 組 合 は経 済 的利 益 の擁 護 改善 を専 一
も赤 化 し て、革 命 に導 か ん と す る運 動 に転 移 す る傾 向を 示 し て居 り 、
漸 増 し 来 り 、露 領 よ り潜 入 の宣 伝 員 と策 応 し て次第 に支 那 労働 者 を
為 に支 那 官憲 は法 を厳 にし て労 働 者 の団 結 権 を 奪 ひ 、彼 等 の集 会 を
処 が翌 十 一年 十 月 二 十 五 日日 本 軍浦 塩 撤 退後 白党 は続 々北満 に遁
と し て行 動 す る の自 由 を得 る様 にな つた。
竄 し 来 り 、夫 々職 を求 め て労 働 に従事 し た の で、 北満 の労働 界 は 一
禁 ず る等 赤 化 の防 止 に腐 心 し居 るも の の様 であ る。
に傾 き、 沿 線 の下級 労 働 者 は再 び蠢 動 し 始 め、 白 党 の圧迫 、 沿 線 の
て、 露 支 恢 復 に努 め た の であ る。 之 が為 北満 支 那 官憲 の態 度 は親露
境 を脅 かし 、密 偵 を入 れ て白党 の行 動 を探 査 す ると 共 に代 表 を 派 し
制打 破 、労 働 階級 の解放 、 憲 法議 会 等 を 主張 し、 ブ ルジ ヨア階級 の
砲 火 を浴 び て流 血 の惨 を見 た 事 が直 接 の原因 と なり 、労 働 階 級 は専
の労働 者 が、 労働 組 合 長 ガポ ン僧 正 を先 頭 と し て冬 宮 に集 り、突 然
一九 〇 五 年 一月 劣 働 階 級 の自 由 解 放嘆 願 の為 露 都 ペ テ ルブ ー ルグ
第 二、 同盟 罷 業 と 労働 争 議
時 赤 、 白 両 党睨 合 いの姿 と な つた。
赤 化 に協 力 す る様 にな つた 。斯 く て大 正 十 三年 九 月 の奉露 協 定 の調
倒 壊 、帝 政 の廃 止 を絶 叫 し 、 ゼ ー ム ストウ オ を背 景 と す る立 憲 民主
露 国 は 極東 を赤 化 し た る後 北 満 にも其 の驥 足 を 伸 べ 、軍 を 以 て国
印 せ ら れ ると 共 に、労 農 露 西亜 の勢 力 忽 ち北 満 に襲 来 し 、沿 線 の白
党 及 社 会 民主 党 は農 民 一揆 を煽 動 し 、斯 く て莫 斯 科農 民聯 合 会 、彼
鉄 道 の沿 線 に在 り ても 軍 隊 の輸 送 に付 き、 下級 従事 員 と 高級 従事員
努 め た の で、 一九 〇 六 年 の 一月 初 め よ り鉄 道 の運 転 は復 旧 す。 東 支
の自 由 を 許 す と共 に、 政府 は罷 業 団 の内 訌 を 巧 み に利 用 し て鎮 圧 に
に 一致 を欠 き 、罷 業 は本 国 の形 勢 と 相俟 つて 二月 に は全 く 終熄 を告
間 に意 見 の衝突 あ り、 罷 業 は 二派 に分 か れ、 尚 鉄道 側 と軍隊 とも 常
い全 露 鉄 道従 事 員 は 二 万 六千 哩 に亘 り罷 業 を起 し 、爾 余 の交 通 通信 従事 員 同 盟 は勿 論 、 商 工業 者 の団 体 も 之 に加 はり 、 ブ ルジ ヨア階級
得 堡 労 働 代表 会 議 等 が中 心 と なり 、 遂 に同 年 十 月 七 日 八十 万 人 に 近
の打 破 、 政権 の掌 握 を 企 て 、莫 斯 科 労働 団 体 の如 き は軍 隊 に対 し 武
道 監 理 局 の中 央 電 信局 員 が経済 的目 的 にて同 盟 罷 業 を起 し た。 之 が
之 よ り先 第 一革 命 の起 る直 ぐ前 即 ち 一九〇 五 年 十 月初 め、 東支 鉄
げた。
宣言 書 は 二十 二 、 三 日頃 哈爾 賓 に於 て発表 せ ら れ、 忽 ち多 数 の労 働
の罷 業 に止 ま り他 課 の同情 を得 るに至 ら ず し て終 熄 し た 。尚 革 命騒
東 支 鉄道 初 ま つ てか ら の最 初 の罷業 と 言 は れ て居 る。 さ れ ど 一局内
此 の十 月革 命 の動 乱 は直 ち に北 満 に波及 し 、同 月 十 七 日附 の皇 帝
装抵 抗 を試 み 、全 国 は革 命 の動 乱 と化 し た 。
団 体 は組 織 せら れ 、市 内 には赤 旗 を印 し た 宣 言書 が頒 布 せ ら れ、 各
擾 の静 ま る頃 (一九 〇 六年 一月 十 六 日) 東 支鉄 道 大 工場 の職 工は 、
広 場 、集 会 所 、 鉄道 倶 楽 部 、 曲馬 場 等 に て連 日会 議 を催 ふし、 本 国 より 入 込 ん で来 た社 会 党 の煽 動演 説 もあ り 、 マル セー ユの歌 も高 唱
の罷 免 者 を出 し て失 敗 に終 つた。 第 一革 命 の影響 と し て 一九〇 七年
二 月哈 爾 賓 に社会 革 命 党 の支 部 が軍 人 及 イ ンテ リ ゲ ンチ ヤ により 設
八 時 間 制 労働 及 同 賃 銀 の値 上げ を要 求 し て罷 業 を起 し たが 、 二百 人
け られ 、 同 時 に労 働 団 体 の戦 闘 的 使命 を援 助 す る軍 事 機 関 が沿線 の
せら れ た。 又 軍 隊 に ては将 校 に対 す る下 士 の態度 は 不遜 と な り、 上
か れ、 綏芬 河 駅 の売 店 は破 壊 せら れ 、哈 爾 賓 に ては 帰国 を待 つ満 洲
官 の威 令毫 も行 は れ ず 、 三十 日 には浦 塩 に暴 動起 り市 街 の大半 は焼
軍 後 方 守備 兵 の暴 行 起 り 、十 一月 十 四 日 に は鉄 道 監 理 局 に第 一回 の
主 要 駅 所 在 地 にも設 け ら れ る ことと な つた。 従 来社 会 民主 党 の指 導
し た。
を受 け た労 働 者 及軍 人 中 に は 、社 会革 命 党 の傘 下 に集 ま る者 が増 加
放 火 あ り て 、 重要 書 類 は多 く烏 有 に帰 し た の であ る。 東 支 鉄道 の従 事 員 は 十 二月 二十 四 日 サ マラ鉄 道 罷 業委 員 会 よ り従 事 員 死 刑事 件 に関 す る電 報 に接 し 会 議 を開 き、 各 課 よ り 五名 の委 員
絡 は断 たれ 、 十月 初 めよ り開 始 し た送 還 軍隊 輸 送 は頓 坐 し 、市 中 喧
べ き決 議 文 を配 布 し 一斉 に罷 業 し た。之 が た め後 貝 加爾 鉄 道 と の聯
行 ふ旨 を発表 し 、全 線 に向 け帰 国 軍 隊 以 外 一切 の列 車 運転 を中 止 す
は 永 く起 らな か つた。 一九 一七年 (大 正 六年 ) 三 月 彼 得堡 に起 つた
た ので 、政 治 的 色彩 を帯 び た 労働 運 動 も 一九 一七年 の第 二革 命 ま で
二月数 十名 の犠 牲者 を出 し 引続 き社 会党 の検 挙 取締 り は厳 重 にな つ
又 は国 外 に亡 命 し た。 北 満 に於 ても 亦 前記 秘 密 結 社 は 一九 一〇年 十
さ れ ど革 命 運動 は軍 隊 の鎮 定 に遭 ひ 、其 の首 魁 は 夫 々処 罰 せら れ 、
囂 物情 騒 然 と し て十 一月 二十 八 日 より 十 二 月 六 日 に至 る間 は形 勢 最
食 料欠 乏問 題 は遂 に労 働 者 の罷 業 とな り 、革 命 と な つて表 はれ た 。
を出 し て哈爾 賓 同 盟 罷 業 委員 会 を組 織 し 、本 国 に対 す る同 情 罷 業 を
も 険悪 を極 め た 。然 れど も 本 国 で は議 会 の協 賛 を認 め 、 人 民 に各 種
同 月 三 日 に は露 帝 退位 の諭 告 文 発表 せら ると の報 が北 満 に入 る と、 哈爾 賓 は忽 ち 混 乱状 態 に陥 り 、 翌 四 日市 民大 会 を開 い て哈爾 賓 臨 時 革命 委 員 会 は ホ ル ワツ ト将 軍 に対 し、 鉄 道附 属 地 の政 権 引渡 し を要 求 し た。 ホ ル ワ ツト将 軍 は支 那軍 の力 を 藉 り て臨 時 革 命委 員 会 を解
二
罷 業 は其 の目 的 の何 た るを 問 はず 、露 西亜 国 を含 む聯 合 国 の軍
認 む る こと
罷 業尚 継 続 せば 領事 団 は自 国 政 府 に 対し 永 引 かし め ざ る手 段 を
事 計 画 上許 す べ からざ る も のと 認 む る こと
を決 議 す 。支 那 軍 及 チ エツ コ軍 に ては自 ら 軍 用列 車 を 運 転 し始 め た。
請 訓 す べ き こと
鉄 道 幹 部 は 九 日午 前 七時 迄 に復 業 せざ る も のは自 ら辞 職 せ るも のと
三
治安 に害 あ りと し て哈 爾 賓 執 行委 員 会 と 鉄道 従事 委 員 会 を解 散 せし
散 し 、十 二月 二十 六 日過 激 派 軍 の武 装 を 解除 し 、翌 七 年 支那 官 憲 は
め た 。之 が原 因 と な つて同 年 四 月 四 日哈 爾賓 機 関 庫 員 が報復 的 罷 業
は遂 に 一般 市 民 の同 情 を失 ふ に至 り 、鉄 道 幹 部 は機 関 庫員 及職 工等
し て其 の宿 舎 を逐 払 ふべ し 、と 脅 嚇 し た が頑 と し て聴 かず 、罷 業 団
大 正 七年 四月 二十 七 日東 支 鉄道 本 社 は 北 京 に移 され 、 東支 鉄 道 長
を断 行 し た が、 之 も僅 か に 一日 にし て鎮 圧 さ れ て仕 舞 つた。
官 ホ ルワ ツ ト将 軍 は其 の職 を 次席 ラ ヂ ー ノ フに譲 り、 自 ら は副 総 裁
に対 し 罷業 停 止 を 命 じ ﹁ 聴 かざ る者 は軍 法 会議 に附 し 銃 殺 すべ し ﹂
エツ コ軍総 司令 官 ガイ ド将 軍 は十 二日浦 塩 ・オ ロウ ヤ ンナ ヤ の区 間
と令 達 し 、 同時 に哈 爾賓 と浦 塩 に軍 法会 議 を設 け 、十 三 日午 前 八 時
約 七 百 名 を罷 免 し 、 官憲 は従 事 員 組合 長 を拘禁 し 、露 国 政 府軍 及 チ
同年 六月 チ エツ コ軍 の西 進 後 西伯 利 各 地 に小政 府 出 現 し 、 同 月 二十
よ り之 を実 施 せし め た ので從 事 員 は 之 に辟 易 し て当 日 より 一斉 に業
ウ エ ンツ エリ の代 理 と な り、 同時 に東 支 鉄道 民政 部 の事 務 を兼 掌 し 、
九 日浦 塩 にも デ ルベ ル政 府 起 る に及 び、 彼 は 七 月 四 日グ ロテ コウ オ
此 の罷業 は表 面 は 経済 罷 業 と 称 す る も其 の実 裏 面 で は過 激派 が反
に復 した ので あ る。
革 命 軍 の後 方輸 送 を 妨 げ ん とし 、 従 事員 の生 活 難 に乗 じ て従事 員 を
に極 東 政 府 を樹 立 し た。 知 多 の セミ ヨー ノ フ将 軍 と 呼 応 し て過 激 派
従事 員 等 が発起 と な り、 賃 銀 の増 額 と 従 事員 組 合 の公 認 を要 求 し て
場 の暴 落 は従事 員 を 生活 難 に導 いた際 と て、 過激 派 と 気 脈 を 通ず る
に 対抗 し 東 支鉄 道 の赤 化 防 止 に当 つ た。 当時 北 満 に流 通 せ る露 貨 相
許 さ れず 、 遂 に九 月 二 日支 那 人 従事 員 を も誘 つて全 線 に亘 る総 罷 業
に企 てた も のであ る こと は否 む こと は出 来 ぬ。 罷 業 の結 果 従事 員 は
臨 時 手 当 と し て本 俸 十 五留 を支 給 さる ゝ者 は其 の三十 六割 六分 、百
煽 動 し 、知 多 及鳥 蘇 里 両鉄 道 と も相 謀 り 、支 那 従事 員 を誘 ひ政 治 的
手段 に出 で従 事員 側 の要 求 認 諾 を声 明 し たが 、罷 業 団 は更 に組 合 の
以 上 の者 は 其 の七割 五分 の割 に て、 下 に厚 く上 に薄 く夫 々増給 せら
留 の者 は其 の十 七割 五分 、 二百 留 の者 は 其 の十 割 、 又 三百 留及 そ れ
を開 始 し 、 四月 には運 転 は全 く 中 止 の姿 と な つた。 鉄 道 幹 部 は寛 容
公認 を要 求 し て其 の態 度 頗 る強 硬 で あ つ た。 当時 出 兵 中 の聯 合 軍 は
露 貨 相 場 の暴 落 は大 正 八年 に 入 り ても更 に甚 だし く 、労 働者 の生
れ る こと と な つた。
内 政 不干 渉 主 義 を 採 り哈 爾 賓 領 事 団 も亦 罷 工 団 よ り の申 入 れ も あ つ
従 事 員 の賃 銀増 加 要 求 は既 に労 働 者 側 に有 利 に解 決 せ る も の と
て暫 らく 傍 観 し て居 た が 、遂 に九 月九 日 の会議 にて 、 一
爾 機 関庫 支 那 人 火 夫 は 旧紙 幣 によ る賃 銀 の支 給 を要 求 し 先 づ罷 業 し、
支 那 従事 員 は 各 所 に蹶 起 し て罷業 し た。 即 ち 同年 四月 三十 日斉 々哈
活 難 は大 洋 本 位 の支 那 労 働 者 に最 も大 な る 恐慌 を来 し、 東 支鉄 道 の
て も 一般 商 人 の露 貨 暴 落 に伴 ふ損 失 夥 し く邦 商 も 之 が救 済 方 を政 府
道 従事 員 は罷 業 を繰 返 し て賃 金 の増 額 を求 め て止 まず 。 北 満 に在 り
紊 乱 は極 東露 貨 流 通 圏 内 住 民 の生活 難 を惹 起 し 、為 に極 東 三州 の鉄
れ た。 而 し て欧 洲 大 戦 の影響 に因 る 一般 経 済 界 の不況 、 露 国幣 制 の
当 局 に嘆 願 し た程 で あ つた 。 又東 支 鉄 道 に於 ても オ ム スク政 府 が ケ
五月 二 日綏 芬 河 機 関庫 支那 人 職 工 、同 四 日横 道 河 子 駅露 人 下級 従事 員 等 も 之 に参 加 し 、 五 月 十 日ま で罷 業 を続 け た 。 さ れ ど此 等 の罷 業
に受 入 れ 、之 を 以 て従 事 員 の俸 給 を支 払 つて居 た。
レ ン スキ ー小札 の流 通 禁 令 を 発 し た る為 、 シビ ル スキ ー札 を 無制 限
右 と 同様 の理 由 に て哈爾 賓 機 関 庫員 (支 人 二千 人 、露 人 八 百 人)
は多 く 圧追 的 に且 無 条 件 に鳴 き寝 入 り と な つた 。
貨 の二銭 六、 七 厘 の価 値 を保 つに過ぎ なか つた。 此 の状態 は著 し く
百 留内 外 (小 札 は 三千 五百 留 以 上) の相場 を称 へ、 一留 僅 か に金 円
然 る に該 シビ ル スキ ー札 は暴 落 し、 其 の大 札 の如 き 金百 円 | 千 四
支 払 を 要求 し て、 二十 七 日 ま で約 六 日間 怠 業 又 は罷 業 を継 続 し た が 、
は 五月 二十 二 日賃 銀 の五 十割 増 と ロマノ フ札 又 は米 弗 に依 る給 料 の
鉄 道 当 局 と の妥 協 成 り、 結 局 五月 二十 日 よ り露 支 人 共 日 給 四留 乃 至
た が容 れ ら れず 、 依 つ て同 月 十 九 日満 洲 里 機 関庫 支 那 職 工 四 十人 、
フ札 (当 時金 百 円| 九 百留 内 外 の相場 ) に依 る給 料 の支 払 を要 求 し
斉 々哈 爾 機関 庫 支 那 職 工 及 駅員 五 百 人 は先 づ 罷業 し 、続 い て運転 、
下 級 従事 員 の生 活 を脅 し、 遂 に彼 等 は大 正 八年 七 月 中 頃 よ り ロ マノ
札 と交 換 し 、 且今 後 の支 払 は 総 て ホ ル ワ ツト札 に依 る こと を条 件 と
運 輸 及 他 課 の従事 員 も 之 に参 加 し、 二 十三 日 には僅 か に旅 客列 車 の
八留 の者 は 八留 乃 至 十 二留 に 、 一日二 十留 内 外 の者 は 三 十 五留 内 外
し て職 工側 の勝 ち に帰 し た。 次 いで起 つた 罷業 は大 正 八 年 七 月 二十
に増 給 す る こと 、 シビ ル スキ ー札 は期 日 を定 め て旧 紙 幣 ホ ルワ ツ ト
五 日 よ り翌 八 月 十 五 日迄 約 二十 二 日間 続 いた東 支 鉄 道 従 事員 の全 線
運 行 を 見 た のみ で、 二十 五 日 に は全 線 に亘 る総 同盟 罷 業 と 化 し た の
激 派 の掃 蕩 を 援 け 、 同年 十 一月 オ ム スク に コルチ ヤク提 督 の臨 時 露
は 八 月極 東 露 領 に進 出 し て、 チ エツ コ軍 及 セミ ヨノ フ軍 の西進 、過
の形勢 と な つた ので 、沿 線 守 備 司令 官 プ レ シ コフ大 将 は ﹁二十 八 日
求 し て屈 せず 、 此 の間 過 激 派 の暗 中 飛 躍 あ り、 罷 工 は悪 化 し て不穏
団 は露 貨 暴 落 の差 額 補 給 と 今 後 の増 給 及 ロ マノ フ札 に依 る支 払 を要
鉄 道 当 局 は シビ ル スキ ー札 にて給 料 の倍 額 支 給 を約 し た が、罷 業
で あ る。
に亘 る大 同 盟 罷業 で あ る。 今 此 の大 罷 業 の勃 発 し た当 時 に於 け る 四囲 の情 勢 を見 る に、大 正
国 政 府 の成 立 す るや ホ ルワ ツ ト将 軍 は、 之 に隷 属 し て極 東 最 高 執 政
に ﹁三 十 一日正 午迄 に就 業 せざ る者 は社 宅 を逐 ひ、 丁年 者 は兵 役 に
午前 八時 迄 に復 業 せ ざ れば 銃 殺 す べし ﹂ と布 告 し た が尚 聴 かず 。更
八年 六月 聯 合 国 は チ エツ コ軍 の援 助 の必 要 を認 め て出 兵 し 、 日本 軍
官 に、 又ブ レシ コフ大将 は東 支 鉄 道 沿線 守 備 軍 司 令官 に任 ぜ ら れ 、
復 せ し め 、然 ら ざ る者 は 三 ケ月 の禁 錮 に処 し後 之 を放 逐 す べし ﹂ と
同 年 三 月 十 五 日附 ﹁聯合 国 軍 隊 策動 地帯 に於 け る西 伯 利 及東 支 鉄 道 監 督 に関 す る取 極 ﹂ に拠 り 、哈 爾賓 に聯 合 国 技 術 部委 員 会 が設 け ら
て仕舞 つた。
職 工側 の敗 け に帰 し、 八 人 の職 工 は復 業 し 他 は旧 職 工 と取 換 へら れ
東 支 鉄 道 従 事 員 を中 心と し て起 つた北 満 の大 罷 業 は 前後 を通 じ て
ヨノ フ将軍 の措 置 が徹 底 し罷 業 は 早 く終 熄 を 告 げ た。 鉄 道 当 局 も罷 業 団 と 折衝 を重 ね ロ マノ フ札 蒐 集 難 の折 柄 ケ レ ン スキ ー札 二百 五 十
の第 一革 命 罷 業 、 次 は 一九 一七年 三 月 の第 二革 命 の時 の罷 業 、 其 の
五 回 あ る 。即 ち 最初 に起 つた のは既 に述 べた 通 り、 一九〇 五年 十 月
布 告 し 多数 の首 謀 者 を逮 捕 し始 め た 。満 洲 里 、海 拉 爾 方 面 でも セミ
で譲 歩 し た が、 哈爾 賓 を中 心 とす る 支那 人 職 工 の態 度 強 硬 に て露 人
の五 は 一九 二〇 年 三月 の大 罷業 であ る。 而 し て何 れ の罷業 も政 治的
次 は 一九 一八 年 九 月 の罷 業 、 共 の四 は 一九 一九年 七 月 の罷 業 で、其
留 ︱ 八 十留 の割 に て差額 を附 し 、 シビ ル ス キ ー札 は倍 額 支 給 の所 ま
と共 に益悪 化 し 、偶 々奉 吉 戦 の際 と て支 那 軍 は自 ら巡 警 の輸 送 を為
色 彩 を帯 び ぬも のは尠 な いが就 中 最 後 の大罷 業 は過 激 派 と支 那官 憲
す 途 中 罷業 団 は之 を 狙 撃す ると いう有 様 な れば 、鉄 道 当 局 は当時 哈 爾 賓 を占 領 し て居 た黒 竜 江省 の軍 隊 に支 工 の鎮 圧 方 を依 頼 す る と 共
の煽 動 に因 る意 味 に於 て特 記 す べ き も の であ らう 。
鮑 貴卿 を総 司 令 に任 じ て軍 備 を 充実 し、 沿線 の露 国 守 備隊 に取 つて
捗 し 、大 正 八 年 八 月十 一日 哈爾 賓 に東 省鉄 路 護 路 軍 総 司令 部 を 置 き、
露 国 革 命 中 に於 け る支 那官 憲 の北 満 に於 け る利 権 の回収 は 着 々進
に、 ブ レ シ コフ大 将 は 八月 七 日沿 線 に戒 厳 令 を布 告 し、 東 部線 綏 芬
て流 石 に頑 強 であ つた罷 業 も露 支 軍隊 の力 によ り鎮 定 す る こと を得 、
河駅 罷 業団 中 の過激 派 分子 十 数 名 を銃 殺 す る等 の手 段 に出 で、斯 く
七 日よ り列 車 の運 行 を始 め、 十 五 日 に は全 く 旧態 に復 し た 。
代 ら ん とし 、 遂 に大 正 九 年 三 月 の大 罷 業 を利 用 す る の策 に出 でた。
オ ム スク の コルチ ヤ ツク政 府 軍 は 、 赤 軍 の圧 迫 を受 け、 大 正 八年
今 其 の前 後 の情 況 を 略 述 す れ ば左 の通 り 。
此 の争 議 に於 て労 働 者 側 は七 月 分給 料 を ロマノ フ札 と ケ レ ン スキ ー大 札 にて支 払 は る べ き こと 、罷 業 に参 加 し な か つた従 事員 の既 に
年 一月 五 日社会 革 命 党 の西伯 利 政府 成 立 す る や コル チヤ ツ ク政府 は
十 月遂 に オ ム スク を退 却 し 、 イ ルク ー ツク に政 府 を 移 した が 、翌 九
受 領 し た シビ リ スキ ー札 は、 ロ マノ フ札 に引換 へる こと を条 件 とし
以 上 は鉄 道 従 事員 の罷 業 であ る が 、市 内 に於 て も各 所 に罷 業 あ り、
て罷 業 の目 的 の大 部 分 を達 成 し た 。
店員 ( 露 人 四十 人 、支 那人 百 二十 人 、鮮 人 四 人) が東 支 鉄道 に於 け
ルワ ツ ト将 軍 の布 告 は 支 那 の主 権 の侵 害 に て、 附属 地 の統 治権 は中
の全 政 権 を 掌握 の声 明 を 布告 し た。 是 に於 て鮑 護 路 軍総 司 令 は 、 ホ
属 地 の政 権 を掌 握 す る旨 を布 告 し、 知 多 セミ ヨノ フ将 軍 も 同 様極 東
く て極 東 は次第 に赤 化 し 始 め た の で、 ホ ル ワツト将 軍 は東 支 鉄道 附
ると 同様 、 ロ マノ フ札 に依 る賃 銀 の支 払 を 要求 し て七 月 三 十 日 よ り
国 が行 使 す べ き も のと し 、大 正九 年 二月 ホ ルワ ツト将 軍 に対 し て、
滅 亡 し、 浦 塩 にも政 変 あり て メ ド ウ エージ エ フ政 府 の出 現 を 見 、斯
四週 間罷 業 し 、 結 局 シビ ル ス キ ー札 に て 二倍増 額 の条 件 にて終 熄 し 、
東 支 鉄 道 の改組 と軍 警 権 の譲 渡 を迫 り 、激 論 の末 ホ ルワ ツト将 軍 は
露 字 新 聞 ノ ウ オ スチ ・ジ ーズ ニ社 に て は職 工二 十名 大 正 八年 五月 十
又満 洲 里電 燈 会 社 も亦 之 と 同 様 の理由 で職 工 、労 働 者 (支 那人 約 三
四日賃 銀 の五 倍 増額 を要 求 し て罷 業 し、 チ ユウ リ ン商 会 にて は職 工、
十 人 ) は九 月 五 日 よ り 三 日間 罷業 し た が、 会 社側 の態 度 強 硬 な た め
沿海 州 の赤 軍 は北 満 の境 民 を騙惑 し 、 又東 支 鉄 道 の財 政 権 と従 事 員
る こと にな つた。 而 し て東 支 鉄 道 の財 政 は漸 く 困難 と なり 、殊 に夏
東 支 鉄道 に於 け る支 那側 理事 の割 込 み と沿 線 支 那警 察 の活動 を認 め
ん とす 。 又罷 工団 は 支 領 に於 て赤 旗 を掲 げ 罷 工 を旭 し、 政争 其 の
し。 ホ将 軍 の執 政 は沿 線 の秩 序 を 乱 し、 之 が鎮 圧 に軍 警 を 以 てせ
露 国 の新 旧党 人 は支 那 領内 に於 て政争 を事 と し治 安 を紊 る こと 甚
東 支 鉄道 地帯 は 支 那 の主 権 下 に在 り他 国 権 利 の行 使 を許 さず 。
極 に達 す 。仍 て沿 線 の政権 は 民国 に て之 を行 使 し 、軍 機 は支 那 官
季 閑 散 の時 は 二 ケ月 も 俸 給 の支 払 を遅 延 せし め る こと あ る に加 へて、
の生 活 難 に乗 じ て人 を 派 し て罷 業 を起 さ し め政 権 を奪 取 せ んと し 、
以 て鉄 道 の経 営 に干 渉 せず 、 政権 を以 て之 を制 止 し 、法 に照 し て 処 置 す べし 云 々。
憲 之 を引 受 け て保 存 す べ く 、 以後 何 れ の党 人と 雖 も 政治 的 目的 を
斯 く て哈 綏 司 令張 煥 相 は鮑 の命 な りと し て ホ将 軍 に対 し、 附属 地
米 国 の鉄道 監 理員 等 、 自 国 軍隊 の撤 退後 に於 て日 本軍 に活 動 の余 地
し め んと す る態 度 に出 でた模 様 で、 支那 官 憲 亦 巧 み に立 ち 廻 り罷 業
政 権 を 支 那 に譲 るべ き旨 を通 じ 、 ホ将 軍 は 之 に対 し ﹁東支 鉄 道 は露
を与 へま いと考 へ、 暗 に支 那 をし て鉄道 守 備 権 回 収 の希 望 を達 成 せ
の勃 発 を促 し た も のと見 へ、遂 に大 正 九年 三月 十 二日職 業 同 盟 本 部
支 共 同 のも の 、余 は 支 那 と の協 調 を期 せり 。 然 る に図 らず も支 那官
す処 、 され ど支 那 官 憲 の態 度 終 に斯 の如 し 。 余 は 日本 軍 に伏 す る外
外 三十 余 団 体 聯合 し 、 ホ ル ワツ ト将 軍 に対 し ﹁十 三 日午 前 十 一時 迄
なし 。 日本軍 は公 平 無 私 な り﹂ と 人 に漏 し たと 聴 く 。而 し て 一般 労
憲 は余 を擯 け ん とし て遂 に今 次 の事 件 を惹 起 す 。 これ余 の不徳 の致
﹁ホ ル ワ ツ ト将 軍 の権 力 は正 当 のも の に非 らず 。 擅 に権 力 を呼 称
働 者 に は ﹁今 回 の罷 業 は民意 を代 表 す る も の に非 らず し て、 一部 野
に政権 を浦 塩 臨時 政府 に引 渡 さざ れば 罷業 す べし ﹂ と の最 後 通 牒 を
せ る者 に過 ぎ ぬ。 吾 人 は 二十 四時 間 内 に彼 が其 の地位 を 去 ら ん こ と
発 し 、同 時 に、 左記 要 領 の檄 文 を配 布 し た 。
を 求 め、 若 し 三 月 十 三 日午 前 十 一時 迄 に之 に応 ぜざ れ ば 、 政治 的 罷
吾 人 の目 的 を 果 す迄 は 断 じ て
心家 の煽 動 に よ るも のな れ ば迷 は さ る ゝ こと 勿 れ ﹂ と諭 し 、罷 業 団
も亦 檄 文 を 以 て 、﹁北 満 の 工人 よ !!
自 称 権 力者 を斥
業 を断 行 す る旨 を 宣 明 す。 ホ ル ワツ トを 擯 け よ !! け よ !!﹂
罷 業 を継 続 す べ し。 今 や ホ将 軍 と の妥 協 は破 れた り 。吾 等 は結 束 を
附属 地 に於 て行 政命 令 を発 し 政争 の ため鉄 道 の本 務 を妨 ぐ るを許 さ
ホ ルワ ツ ト将 軍 は 右 の要 求 に対 し ﹁聯 合 国 にし て若 し 浦 塩 過激 派
ず 云 々﹂ と 〓 告 し 、十 六 日露 軍武 装 を解 き 、露 国 の警 察 署 を占 領 し
の権 謀 と支 那官 権 の術 策 は 交 々に行 はれ た 。仍 て支 那官 憲 は ﹁⋮⋮
鎮 圧 せ ん と し た が果 さず 。却 つ て部 下 の軍 隊 中 過激 派 と通 ず る者 を
て之 に代 ると 共 に 、附 属 地 に於 け る赤 、白 両党 に対 し 政争 を 厳禁 し
固 め て突 進 す る のみ﹂ と の警 告 を発 し て之 に応 酬 し 、 此 の間 過激 派
増 し 、赤 旗 随 所 に飜 り喧 擾 其 の極 に達 し沿 線 亦 之 を習 つた。於 是 鮑
た ので ホ将 軍 は 已 む な く其 の職 を去 る様 にな つた。
政 府 を承 認 す る に至 ら ば 、余 は直 ち に 一切 の権 能 を譲 るべ し﹂ と応
総 司 令 は機 熟 す と 見 、 三 月 十五 日 ホ将 軍 に対 し 政治 的 騒 擾 、軍 備 行
へた ので全 市 一斉 に罷業 す。 ホ ル ワツ ト将 軍 は 支那 軍 に倚 つて之 を
政 権 の濫 用 に対 す る引責 を迫 り 同時 に左 記 要 領 の布 告 を発 し た 。
罷 業 を起 し た も ので あ る。 之 も鉄 道 当 局 は減俸 を行 ふ も淘 汰 は せ ざ
る旨 を 声 明 し て感 情 融 和 に努 め た から 自 然 的解 決 を 見 る こと を 得 た。
此 の罷 業 に依 り罷 業 団 は兎 も角 も ホ将 軍 をし て其 の職 を去 ら し め る こと が出 来 た。 而 し て浦 塩政 府 代 表 プ ンビ ヤ ンスキ ーは支 那 官権
上海 、青 島 に勃発 し た罷 業 は支 那 全 土 にも蔓 延 し 、南 満 にも 其 の同
爾 来 今 日 に至 る迄 久 しく 罷業 及 労 働 争 議 の声 を聞 かな か つた 。 本年
情 罷 業 が行 は れ た が、 北満 に於 て は奉 天官 憲 の厳 達 、 地方 官 憲 の措
と折 衝 の結 果遂 に罷 業 団 は 十七 日午 前 十 一時 汽 笛 を 合 図 に復 業 し 、
置 宜 しき を 得 た ので幸 い にし て此 の事 も な く済 んだ 。唯 本 年 七 月 一
且罷 業 委 員 会 も解 散 す 。這 回 の罷 業 た る や 、罷 業 団 及 浦 塩官 憲 側 は
の利 権 を 回 収 せ ん とす る 点 に於 て目 的 の相反 す るも のが あ る。 即 ち
附 属 地 の政 権 を浦 塩 に移 さ ん とし 、 支 那官 憲 は此 の機 に於 て附 属 地
日東 支 鉄 道 の直営 に係 る札 頼諾 爾 炭 礦 の支 那坑 夫 約 三 百名 が中 心 と
こと あり 、 され ど鉄 道 当 局 は夏 季 閑 散 期 に際 し減 員 を希 望 せ る折 柄
な り露 人 坑 夫 若干 も之 に参 加 し て、 賃 銀 減額 反 対 の罷 業 を断 行 し た
前 者 は自 ら獲 ん とす る所 のも のを支 那 に与 へた る の感 が あ る。 右 に述 べ た労 働 者 の政治 運動 以 後 にあ り て は、 北 満 に著 し い労 働
る。 罷 業 は今 尚続 いて ゐ るが労 働 者 側 には完 全 な組 合 も なく 、 罷 業
大 な る打 撃 も な し と観 て、 此 の罷 業 を 軽 視 し強 硬 なる態 度 に出 て居
運 動 も起 ら な か つた。唯 大 正十 年 一月 十 四 日哈 爾 賓 大 工場 の職 工を
日頃 東 支 鉄道 支 那 職 工約 一千人 が約 一ケ 月間 に亘 り罷 業 し た事 があ
中 心 とし て大罷 業 を劃 し た こと も失 敗 に終 り 、大 正 十 一年 五月 二十
決
成功 又 ハ 不成功
資 金 もな い から其 の結 果 は永 く 持 続 し 難 いで あら う か ら 、 一定 の時
解
期 を経 れば 自 ら復 坑 就 職 す る で あ らう 、 と 観測 さ れ て居 る。
指導系統
る。 こ れは 鉄道 幹 部 が減員 淘 汰 の際 勤 続 日数 の短 き 者 の罷免 、長 き
因
者 の減 俸 を 行 ふ旨 を命 じ た が、 沿 線 の支 那 工長 と 其 の監 督 が結 託 し 、
原
失敗
国人別及所属別
社会民主党
成功
争議 及罷業 の種類
参加人員
右 命 令 に反 し て為 した 不 正 な罷 免 処 置 に対 し 、支 那 職 工 は憤 慨 し て
罷業継続期間
賃銀増額
同右 社会民主労働 党
東鉄管 理局中央 電信 局員 ( 露 人) 局員全部
労働階級 の解散、反政 府運動、政治的覚醒
自 、十 月 初
軍隊及 一般 労働 者も参 加
通信労働、経済的
北 満 労働 争 議 年 表 (大 正 十四 年 九 月 一日作 成 ) 発 生年度 一九〇五 同
自 、 十 一月 二十 四 日 交通労働同情罷業、 鉄道従事員全部 至 、 一九〇 六年 二 月 政治的 ( 露人) 約 六十 八 日
失敗
八時間労働、銀 による 社会 民主党 賃銀増額要求 日
罷免者 二百人
職工労働者 全部 月
工業労働、経済的
哈爾賓 大工場職 工及労働者 ( 露 人) 至、
一九〇六 自 、 一月十 六日
自 、五 月 四日 至 、五 月 十 日
自、五月二日 至、五月十日
一九 一九 自 、 四 月 三十 日 至 、 五 月十 日
自 、九 月 二日 至 、九 月 十 三 日
自、四月四日 至、四月五日
同右
同右
同右
交通労働 、経済的
交 通及工業労働、 政治 及経済的
交通労働及工業労 働
交 通 労働 、 一般 労 働、政治的
ノウ オ スチ ・ヂ ーズ ニ社職 工 (露 人 )
東鉄綏芬河機関 庫員 ( 支人)
東鉄チチ ハル機 関庫火夫 ( 支人)
東 鉄従事員 ( 露 人) 及印刷工
東鉄哈爾賓機関 庫職 工及労働者
鉄道従事員全部 及 一般市内労働 者
一部
一部
一部
従事員全部
一部
二〇 同右
哈爾賓機関庫員 露人 八〇〇 支人 同右 及職工( 露支人) 二、〇〇〇
東鉄横道河子駅 下級従事員 ( 露 人)
軍隊及 一般 労働者参加
同右
同右
同右
賃銀増額要求
賃銀増額及従事員同盟 公認要求
従事員同盟解散 に対す る報復
行政権獲得要求
セ ミ ヨノ フ軍 に よ 成功 り武 力 鎮 圧
同右
同右
圧迫的無条件
失敗
成功
失敗
失敗
失敗
同
同
同
同
同
同
同
過激派
過激派
支那軍 による武力 成功 鎮圧
賃銀問題 武力鎮圧、罷免者 は成功 同盟公認 復職 は失敗
失敗
支那軍 によ る武力 失敗 弾 圧等 により同盟 解散
自 、 五 月 二十 二 日 至 、 五 月 二十 七 日
印刷労働、経済的
鉄道従事員 ( 露 支人)
同右
文那軍 により鎮 圧 成功
同右及社会革 命党
自、五月十四日
交通労働、政治経 済的
満洲里及海拉爾 機関庫職 工 ( 支 約 一〇〇 人)
同右
一九 一七 自 、 三 月 四 日 至、三月二十日
自 、 七 月 二十 五 日 至 、八 月 十 五 日
交通労働、経済的
チチ ハル機関庫 職工及駅員 ( 露 約五〇〇 支人)
一九 一八
自 、 七月 十 九 日 至、 月 日
同右
全部
自 、 七 月十 九 日 至 、 八 月十 五 日
同
支那軍 の武力鎮 圧 成功
成功
秋林商会被服部 露人 四〇 職 工及店員 ( 露 支人 二〇 支人) 鮮人 四 三〇 同右
政 権 要 求 、 ホ ルワ ツ ト 社会党 、支那 官 憲、米国鉄 将軍排斥
和解
商 工業労働、経済 的
一九 二 〇
同右
自 、 七 月 三十 日 至 、八 月 二十 六 日
満洲里電燈会社 職 工労働者 ( 支 人)
同
工業労働、経済的
鉄道従事員同盟 全市総罷業 及市内労働団体
淘汰 反対 は成功他 は不成功
失敗
自 、九 月 五 日 至 、九 月 八 日
交通労働及 一般 市 内労働、経済的
哈爾賓大 工場職 支人 淘汰減俸反対、支 那人 工 ( 支人)及露 一、〇〇〇 工長及監督者に対す る 人 工長等 露人不詳 人事
不明
多数罷免
自 、三 月 十 三 日 至 、三 月 十 七 日
交通労働、反感的
東鉄札頼諾爾炭 支人 三〇〇 賃銀減額反対 礦露支 工人 露人 若干
同
一九 二 二 自 、五 月 二 十 日 至 、 六月 二 十 日
礦山労働、経済的
道監 理官
一九 二 五 自 、七 月 一日 現 に続 行 中
八二四
八六四
九〇二
九九六 三
七四八
木工組合 (組合数八六)
四 被 服工組合 ( 組合数 二二四)
一八〇
二〇〇
二 芸 術師組合
六 靴 工組合 (組合数 一 二 六)
五
理髪 士組合
第三、労働組合 の種類 、組織及現状 業 同盟 の二とす。右 の外尚白系 の鉄道従事員 により組織せらる ゝ無
印刷製本 工組合 ( 組合数 二八)
北満 に於ける露国 の労働組合を大別して哈爾賓職業同盟 と鉄道職 所属従事員同盟 ( 会員約 一千人)あるも、其 の勢力 は微弱である。
七
十
九
医師及衛 生員組合
文撰工組合
一七五
一八〇
商工使用人組合( 商三 工、 業九 機九 関七 数)
今右二大労働団体 の組織、沿革及現状 につき判明 せる範囲 に於 て略
八
哈爾賓職業同盟は東支鉄道附属 地内 に於ける各種産業別労働組合
一、哈爾賓県職業同盟
説 すれば、
数十種 の大同団結で、約 一万数千人 の筋肉及智識労働者を抱擁す。
一 一〇
一〇九
一一 二
一〇 二
十二 教 員 組 合
組 合員 数
十三 運搬業 者組合
十一 仲介人組 合 合 名
十四 水運労働 者組合
今本同盟 を構成する組合名 と組合員数 を示せば左 の通 り。( 大正十 組
金属 工組合 (組合数約 一七 一)
一、〇 二八
三年十二月調) 一
十七 馭 者 組 合
十六 弁 護 士組 合
十五 事 務 員 組 合
四五
五五
八五
一〇 二
貝 加 爾 、 黒 竜 及 沿海 の三 県職 業 同 盟 会長 を初 め、莫 斯 科 全 露 中央 職
前 と何 等 異 な る こと な く 、極 東 全 県 職業 同 盟 聯 合会 議 の如 き も 、後
那 人組 合員 と 支 那人 幹 部 と を抱 擁 す 。 さ れど 実 際 上 の指揮 監 督 は従
を も本 同 盟 に加 入せ し め 居 り、 現 に之 に隷 属 す る機 関 にも多 数 の支
る によ り 県職 業 同 盟 を 赤 色職 業 同盟 に属 せし め 、同 時 に支 那 労 働 者
業 同盟 代 表 、 極東 革 命 委 員会 長 、同 陸軍 代 表 、 哈爾 賓 総領 事 等 の監
(不 詳 )
十九 切手 工及 見 習 工組 合 (〃 )
督 機 関 の代 表 者 に依 り開 催 せ ら れ、 各 職業 同 盟 の組 織 、事 業 の縮 張 、
十八 僕 婢 組 合
二 十 失業 者 組 合 (〃 )
に於 て其 の幹 部 を 選挙 し来 つた が 、大 正 十 二年 七 月 以 降殆 ど 毎 月 の
議 に拠 り決 定 し 居 る状 態 であ る 。県 職 業 同盟 幹 部 会 は 従前 同 盟会 議
分担 、共 助 、 財 政 、政 策 其 の他 の重 要 事項 は総 て極 東 四県 の協 同討
二 十 一 市 役 所 使 用 人 組合
哈 爾 賓 県 職業 同 盟 は決議 機 関 た る会議 と其 の執 行 機関 た る幹 部 会
九 、○ ○ ○
と よ り成 り 、 前者 は県 及 郡内 各 職 業 組 合 代表 者 、鉄 道 職業 同盟 の幹
は幹 部 の多 く は莫 斯 科 共産 党 本 部 及全 露 中 央 職業 同 盟 よ り任 命 せら
様 に幹 部 の改 選 を行 ひ 、其 の都 度共 産 党 員 を増 加 し 、 本年 に入 り て
二 十 二 東 支鉄 道 職 業 同盟
部 及 同 区 職 業 同盟 会 長 、 其 の他 監 督 官 庁 た る在 哈 爾 賓 露 国総 領 事 等
長
長
ニー ロフ
る ゝ有 様 に て 、従 前 の選挙 制 度 は 実際 に行 は れな い姿 であ る。 現 在
に よ り開 催 せら れ 、同 盟 及 所属 機 関 の存 廃 、組 織 の変 更 及幹 部 又 は
会
イ リー ン スキ ー ︹ 不明︺ ユル□ シ ン
幹 部 会 の顔 振 れ は左 表 の通 り。 (大 正 十 四年 七 月 二 十五 日現在 )
副
イ ワノ フ、 カ シリ ン、 フ イリ ホ ウイ チ、 ア レ ク
役 員 の選 挙 、 予算 の査定 共 の他 の重要 な る同盟 の事 業 方 針 に関 す る
職業 組 合 及 一般組 合員 の物 質 的利 益 の擁 護 及増 進 を図 り 、 且同 盟 の
書
事 項 を討 議 決 定 し 、後 者 は会 議 の決 議 に基 づ き本 同 盟 を 構 成す る各
庶務 、予 算 、 会 計 、 用度 、 共 済事 務 、衛 生 医務 、教 育 、 社会 保 険 、
秘
会
不動 産 の監 理 に関 す る事 務 並 に全露 中 央 職 業 同盟 及 同 極 東 支部 と の
員
サ ンド ロフ、 グ リ ツ ア イ
委
哈 爾 賓 県 職 業 同 盟 (以 て単 に県 職業 同 盟 と 称 す) は、 在 外監 督 官
連絡 、其 の他 所 属機 関 の監 督 等 に関 す る事 務 を掌 るも のと す 。
員 会 (ライ コム ・プ ロフイ ンテ ル ナ) を設 く 。 同 地方 委員 会 現在 の
県 職 業 同盟 幹 部 会 は 哈爾 賓 市 を 三 地 方 に 区分 し 、之 に各 々地方 委
管 区 と 組 織 と を 示 せば 左 の通 り。 (大 正 十 四年 七 月 二 十五 日 現在 )
庁 た る哈 爾 賓 総 領事 及駐 支 大 使 の監 督 、 指 導 を受 け、 全 露 中央 職 業 同 盟極 東 支 部 であ る極 東 職 業 同 盟 に直 属 し 、極 東 革 命 委 員 会 の指 揮 、
区)
(管
( 組 織) 会長 、副 会 長 一、 秘書 二
命令 に服従 す (第 一号表 参 照 )。 然 る に大 正 十 三年 七月 露 支 国 交 恢 復 後 露 国 は支 那 に於 け る露 国 職 業 同 盟機 関 の直 接 行 動 は国 交 上 諸種
第 一地 方 委員 会 :
哈 爾 賓 停車 場 を基 点 と し て 埠 頭 区 及 ナ ハー ロフカ 一帯
の複 雑 な る問 題 を 惹 起 し易 く 、 英 国 に於 け る が如 き失 敗 を招 く虞 あ
新 市 街 、 馬 家溝 、旧 哈爾 賓 第 二 地方 委員 会 : 及 ゴ ンダ ツチ村 を含 む 一帯
第三地方委員会 :松花江対岸 一帯
会 長 、 副 会 長 一、 秘 書 一、委 員 三 会 長 、副 会 長 一、 秘書 二
哈爾 賓 市 以 外 の沿 線 の重 要 都 市 に は郡 職業 同盟 を組 織 せ し め 、郡
な つた)。
大 正 十 二 年 七月 十 日 改組 当 時 に於 け る ﹁ 東 支 鉄道 附 属 地 職業 同 盟
幹 部 会 ﹂ の組織 左 記 の通 り 、其 の以 前 ﹁哈爾 賓 職 業 同盟 ﹂ と 称 し た 時 のも のと 大差 は無 い。
会 長 (フイ リ ツ ホウ イ ツ チ重 任 )副 会 長 二、 秘書 二、 衛 生係 長 、
経 理 係 長 、 同次 席 、 会 計係 長 、同 次 席 、 (理事 三 )宣 伝 係 長 、同 次
同盟 の組 織 な き都 市 に は別 に県 同盟 より委 員 を派 遣 駐 在 せ し め あり 。
も の で、 最初 は斉 々哈 爾 と 海拉 爾 の 二ケ所 で あ つた が、同 年 九 月 十
郡 職 業 同 盟 は大 正十 二年 九 月 一日県 職 業 同盟 設 置 の時 に設 け ら れた
之 に共産 党 員 拾 名 を配 属 せし む る外 、哈 爾 賓 、海 拉 爾 、 布哈 図 の各
に斉 々哈爾 、海 拉 爾 の二 ケ所 に ﹁郡職 業 同 盟﹂ を新 設 し 、九 月 以 降
右 ﹁ 東 支 鉄 道 附 属 地職 業 同 盟 ﹂ は爾 後 カ ラ ハン駐 支 代表 来 哈 の際
席 、 司 法係 長 、教 育 会長 、同 次 席 。
の 一部 を 増 し て計 六 郡 と し た が 、爾 後 支 那官 憲 の圧 迫 と経 費 節 減 の
赤 十字 社 支 部 ( 組 織 は支 部 長 、 副 部長 二 、秘書 一より 成 る) を も県
三 日布 哈 図 、横 道 河 子 、 寛 城 子 の三郡 を増 し 、翌 十 月 一日 に は安 達
た め、斉 々哈 爾 、海 拉 爾 の二郡 を廃 し 四郡 とし た が 之 も数 ケ月 前 支
哈爾 賓 県 職 業 同 盟幹 部 会 は爾 後 其 の組 織 を拡 大 し 、 大 正十 二年 九
月 一日経 費 の都 合 によ り撤 廃 せ ら る)。
同 盟 に隷 属 せし む る こと にな つた ( 但 し右 赤 十字 各 支 部 は同 年 十 二
那 官 憲 よ り閉 鎖 を命 ぜ ら る 。 因 に郡 同盟 は県 同 盟 に於 け る と同様 に会 議 と 幹 部 会 と よ り成 り 、 幹 部 会 の組 織 は会 長 、 副 会長 二 、秘 書 二 、経 理 主 任 一、宣 伝 主 任 一、 衛 生 主 任 一、監 査 委 員 (理事 ) 二、 と定 む。 郡 幹 部 も大 正 十 二年設
委 員 を選 任 し て、之 を哈 爾 賓 、海 拉 爾 、 斉 々哈 爾 、 安達 の四ケ 所 に
月 二 十 日募 集 係 を設 け、 同 二 十 三 日 に は副会 長 一名 を増 し、 四 名 の
哈 爾賓 県職 業 同 盟 は 元 単 に ﹁哈 爾賓 職 業 同 盟 ﹂ と 称 へた が、大 正
置 の当 時 よ り全 部 共 産 党 員 によ り占 め ら る。
十 二年 七 月 一日知 多 及 哈爾 賓 両 職 業 同盟 代 表 会 議 に於 て ﹁東 支 鉄道
三 、書 記 二) を 設 け た るも 、 同年 十 二月 一日 に は経費 軽 減 のた め委
( 組 織 は局 長 、 秘書 一、 庶 務 二 、簿 記 方 二、事 務 員 六 、 タ イ ピ スト
派 遣 し 、同 二十 五 日 には 県 同盟 幹 部 会 の監 査係 を 拡 張 し て 監 査 局
附 属 地 職業 同 盟 ﹂ と 改 名 し同 時 に ﹁東 支鉄 道 水 陸 運輸 労 働 同 盟委 員
の こと な り) に従 属 す る 沿線 の各 区委 員 会 (ウチ コムと略 称 し 以下
会 (ド ル コムと 略 称 す 。 以 下斯 く 称 す。 現 在 の ﹁ 東 支鉄 道 職 業 同盟 ﹂
に横 道 河子 と寛 城 子 と に委 員 各 一名 を派 遣 し 、職 業 組合 機 関 の名 に
員 を 一名 に減 じ て哈 爾 賓 のみ に駐 在 せし め 、 又翌 十 三年 一月 には更
の で沿線 の札 頼 諾 爾 、海 拉 爾 、布 哈 図 、札 蘭 屯 、斉 々哈 爾 、 安達 、
斯 く 称 す) と 改 名 し 、之 を東 支 鉄道 附 属 地 職 業 同盟 に隷 属 せし め た
の職業 同 盟 に対 す る監 視 、 取締 は厳 重 とな り 、彼 等 の会 合 を 禁 じ活
隠 れ て暗 に鉄 道 沿 線赤 化 の行動 を執 ら んと し た。 之 が た め支 那官 憲
動 の余 地 を与 へぬ やう にな り 、遂 に県 同 盟幹 事 会 は 支 那官 憲 の為 其
横 道 河 子及 寛 城 子 の八都 市 に は ウ チプ ロフ ソジ の配 置 を見 た (此等 のウ チ プ ロフ ソジ は 翌 八月 再 元 の如 く 、ド ル コムに隷 属 す る こと と
し 取締 の緩 和 方 を 交 渉 し た。 之 が た め支 那 官憲 の取 締 は大 正 十 三年
宣伝 を行 はざ る こと を条 件 と し て再 三労 農 代表 を経 て支 那 官憲 に 対
の看 板 を取 り外 さ れ た程 で、 同 会 は 大正 十 二年 十 二月 五 日 以来 対支
と 同時 に、右 の ﹁東 支 鉄 道 職 工 及労 働 者 同盟 ﹂ を ﹁ 東 支 鉄 道 水陸 運
処 が大 正 十年 三 月 一日支 那官 憲 は鉄 道 従事 員 の同盟 規 約 を 公認 す る
団結 権 を 認 め ら れ な か つた か ら 、総 て秘 密 結 社 の形 式 を取 つて居 た。
同 盟 ﹂ であ る 。然 し 大 正 十年 (一九 二 一年 ) 迄 の労 働 者 同盟 は未 だ
К.В.Ж.Д/ ) に改 名 し た。
輸 労働 組 合 ﹂ ( /СоюзЖ ел ез нодороЖноГо иВодноГ оТранс порТа
三 月 二 十 六 日 以降 幾 分緩 和 せら れ 、彼 等 の活動 は大 い に自 由 と な り、
は沿 線 の各 職 業 同 盟 機 関 に圧 迫 を 加 へ、 其 の取締 を 一層 厳 重 にし た。
右 同 盟 は其 の決 議 機 関 た る同 盟会 議 と 、 之 が執 行 機関 た る同盟 委
露 支 国交 恢 復 す るや 、 彼等 の赤 化 行動 著 増 し 来 つた の で、 支 那官 憲
従 つ て県 同盟 幹 部 会 は漸次 其 の組 織 の規 模 を 縮 少 し 、大 正 十 二年 末
区 及 地 方委 員 会 には会 長 と秘 書 各 一名 を置 く 。今 大 正 十 二年 一月 現
習 ひ 十 五 区 に分 ち 、之 に区 委 員 会 (ウ チ コムと略 称 す) を設 け 、各
在 ド ル コム、 ウ チ コム及 メ ス ト コム の組 織 並 に哈 爾 賓 市職 業 同 盟 幹
員 会 (ド ル コムと略 称 す ) と よ り成 り、 沿線 を保 線 課 の管 轄 区域 に
ワ ル ガ ー ノ フ)、教 育 係 長 (ゴ ル チ ヤ コフ スキ ー)、宣 伝 係 長 一 (フ
部 会 の組 織 と、 其 の監 督 機 関 と の従属 関 係 と を図 表 す れ ば左 の通 り 。
リ ユー イ ク)、委 員 四 (ジ ブ ロフ、 ヌテ パ ンチ ユー ク 、 カ ル ペ ン コ、
ヨード ロフ) と な り爾 後 更 に其 の規 模 を縮 少 し 、 大 正 十 四年 九 月 一
会 長 ニー ロ フ、副 会 長 二 ( 姓 名 不 詳 )、秘 書 二 (カ ラ チ シ エ フ、 ク
日現 在 の主 な る幹 部 は会 長 、副 会 長 一、秘 書 一の外 に委 員 十 一名 と
東 支 鉄 道 職 業 同盟 は同 鉄道 の車 輛 、 運転 、保 線 各 課 及 河船 部 の職
と 毫 も変 り は な か つた ので あ るが 、 同年 九 月 よ り共 産 党員 二名 を 幹
同 盟 ﹂ と改 称 せら る 。但 し 其 の組織 は ド ル コムと謂 つた当 時 のも の
東 支鉄 道 水 陸 運輸 労 働 同 盟 は 大 正 十 二年 八 月 一日 ﹁東支 鉄 道 職業
註、第 一号表、第二号表 ・県同盟組織表 (第 三 号表 )︹編 お よ び第 三 号表 は、 印 刷 不 明 に つき 省 略 ︺
工及 現 業 従 事 員 、計 約 九 千 人 ( 内 約 百 二十 人 は水 運 労働 者 に属 す る
部 に編 入 し 、翌 十 月 には幹 部 の多 く は官 選 共 産党 員 と 交替 し同 時 に
二、 東 支鉄 道 職 業 同 盟
な つた 。
も目 下 松 花 江 航 行問 題 未 解 決 のた め航 行 し居 ら ず ) によ り せら れ相
会 長 ワ ルガ ー ノ フ、副 会 長 シ エロ セ ン コ、 秘書 カ ルペ ン、外 事 係
の組 織 と な つた。
多 少 の改変 を見 、 斯 く て大 正 十 二年 十 二月 二十 五 日改 選 の結 果 、 左
し た当 時 、 鉄 道 従事 員 ク リウ エツ ツ及 モ ロゾ フ外 四名 の者 は東 支 鉄
ス ハー ノ フ、調 査 委 員 三 (グ ー ルイ 、 コトブ イチ 、 チ ユ ニヒ ン) 其
長 ウ ラ セ ン コ、教 育 係 長 グ ル スデ フ、財 政 係 長 テ イ レフ、社 会 係 長
今 沿 革 を 序 説 せ ん に、 大 正 六年 (一九 一七年 ) 露 国 に大革 命 勃 発
当古 い歴 史 を 有 つて居 る。
道 の沿 線 に職 業 同盟 を組 織 し 、之 を全 露 職業 同 盟 に結 び 付 け ん と の
其 の後 幹 部 の顔 振 れ は常 に本 国 共産 党 本 部 より派 遣 の者 と 取替 へ
の他 事 務 員 二 、 タ イ ピ スト 二、 計 十 四 名。
抱負 を 以 て沿 線 の従事 員 を 説 き 、先 づ最 初 に組 織 し た のが ﹁ 東支鉄 道保 線 課 保 線 手 及線 路 工夫 組 頭同 盟 ﹂ であ る。 続 い て組 織 せ ら れ た も のは ﹁機 関 庫 乗 務員 同盟 ﹂ を 、 翌 七年 には ﹁東 支 鉄 道 職 工労 働 者
じ 居 り、 又 幹部 会 の組 織 も 沿線 メ スト コムの閉 鎖 と経 費 節 減 のた め
ら れ 、従 前 の如 き幹 部 選 挙制 は多 く 実 行 せら れず為 に不平 の徒 を生
コムに誘 引 し て新 設 のウ チプ ロフ ソジ への入会 を 妨 ぐ る態 度 を示 し
る に当 時 のド ル コムは之 を快 しと せず 、 旧 ウ チ コム会 員 を 総 てド ル
フソ ジ の事 業 を拡 張 し 、 旧 ウ チ コム の役 員 を之 に転 任 せし め た。 然
日 カ ラ ハ ン駐 支代 表 は、 ド ル コ ムを 視 察 し て其 の職務 を聴 取 し た後 、
ジ を 元 の如 く ド ル コム に隷 属 せし む る こと とし た 。然 る に同 月十 八
た ので、 極 東 革命 委 員 会 は 同年 八 月 一日命 令 を 以 て、 ウ チプ ロフ ソ
縮 少 せら れ、斯 く て現 在 判 明 せ る幹 部 は 左 の通 り であ る。 会 長 事 務 代 理 (ジ エブ ロ フ) 副 会 長 、秘 書 イ リキ ン、会 計 方 、委 員七 ( ブ イ コフ、 リ ン コ、 グ ーペ ル マン外略 ) 東支 鉄 道 の職業 同盟 は北 満労 働 界 に最 も強 大 な勢 力 を有 し 、 過去
ぬ こと の意 見 を述 べ た の で、同 月 二十 日再度 新 た に七 ケ所 のウ チプ
のウ チ コ ムを 全廃 し て ウ チプ ロフ ソジ の事 業 を 拡 大 せ し めね ば なら
ロフ ソジ (組 織 は会 長 、 副 会長 、 秘 書 の三名 と す ) を設 け 、同 二十
東 支鉄 道 従 事 員 同盟 の組 織 も亦 露 本 国 の夫 れ に従 ふ要 あ れば 、沿 線
盟 に従 属 し て、 其 の中 堅 と な る も其 の直 属関 係 より 謂 へば 、極 東運
七 日更 に八 ケ所 を増 設 し て計 十 五 ケ所 のウ チプ ロフソ ジと な し、 各
に於 け る 十数 回 の同盟 罷 業 は多 く此 の同 盟 に よ り実 行 せら れた ので
輸 労働 組 合 を経 て全 露 運 輸 労働 同盟 に隷 属す (而 し て全館 運 輸 労働
あ る 。本 同 盟 は 北満 の地 方 労働 問 題 に関 し て は常 に哈爾 賓 県 職 業 同
同 盟 は全 露 中央 職業 同 盟 に統 一せら れ 、 又全 露 中 央 職業 同 盟 は事実
共産 党 員 を 以 て会 長 とな す に決 し た。
大 正十 二年 九 月 よ り各 ウ チブ ロフ ソジ の幹 部 に二名 以 上 の共 産 党
上 露国 赤 色 職 業 国 際同 盟 及 第 三 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル の指 揮 、 監 督 を 受 く る順 序 と な る)。
プ ロ フソジ の数 を減 じ 、其 の代 り に多数 共 産 党委 員 及 支 、 鮮人 の補
員 を置 く こと と し、 其 の後 同年 十 二月 一日 より は経 費 の都 合 上 ウ チ
助員 を之 に配 属 せし め て、専 ら 主 義 の宣伝 、東 鉄赤 化 の策 に出 でた 。
東 支 鉄 道 職業 同盟 は現 に沿線 に七 ケ 所 の区職 業 同 盟 (ウ チプ ロフ
を 配置 す る外 、尚 哈 爾 賓 組 立 工場 には 一ケ所 の 工場委 員 会 (ザ ウ コ
には宣 伝 委 員 一名 と支 、 鮮 人補 助 員 二 、 三名 と を 置く 様 にな つた 。
其 の結 果 海 拉 爾 、斉 々哈 爾 、横 道 河 子 及寛 城 子 の各 ウ チプ ロ フソジ
ソジ と略 称 す) と 、其 の下 に地 方委 員 会 (メ スト コムと略 称 す ) と
ムと略 称 す 。組 織 は会 長 、委 員 四) を 置 き 、之 をウ チプ ロフ ソジ に
三年 度 以 降 全 線 を通 じ て七 ケ所 と定 め ら れ 、本 年 七月 二十 五 日現 在
爾 来 ウ チプ ロフソ ジ の所在 地 は時 々変更 を見 た が 、其 の数 は大 正 十
隷 属 せし む 。 而 し て右 の内 沿 線 のメ ス ト コムは支 那 官憲 の命 に依 り 目 下閉 鎖 中 であ る 。今 左 にウ チプ ロフ ソジ と メ スト コムの変 遷 と 現
ウ チプ ロフ ソジ の所 在 地 、組 織 及 幹 部 の顔 振 れ を 示 せば 左 の通 り。
状 に付 き述 べ よ う 。 区職 業 同 盟 (ウ チプ ロフ ソジ) は 元 単 に 区委 員 会 (ウ チ コム) と 謂 つた が、 大 正 十 二年 七 月 十 日知 多 及 哈爾 賓 二県 の職業 同 盟 代 表者 会 議 の決 議 に依 り現 在 の名 称 に改 め 、海 拉 爾 、 布 哈 図 、斉 々哈 爾 、 横 道 河子 、 寛城 子 、札 頼 諾爾 、 一面 披 、 免渡 河 の八 ケ 所 のウ チプ ロ
職業同盟所在 地
会
長
副
会
員
ワ リ ユ ー チ ン、 タ ン ス ズ ダ レ フ
委
ク ロバ ー ト カ 、 オ レ ン コ フ
書
ヂ エ ー ワ
秘 フ ルギ ン
長
フ オ ンダ レ ン コ
門 子 芬 ボ チ ヤ ロフ
モ ラ フ ス キ ー
ブ リ フ ソ ン
フ イ リ ツ ポ フ
ロ ー シ ン
ズウイフ
ス ミ ル ノ フ
イ ジ エ フ ス キ ー
ニキ ケ ン
カ ロ リ 、 ゼ リ チ ン
リ ヴ オ ー フ、 ビ サ レ ー ワ
コ ル ブ ー ト 、 ド ラ ガ ー ノ フ
エ フ
ゴ ルブ イ ツ キ ー
シ ロ ー ト キ ン
哈 レ オ ノ フ
々
爾
斉
ニ コ ラ イ
シ ヤ ゴ フ
ク レ ト ノ ソ イ チ
ゴ リ デ ン ベ ル グ 、 カ リ ス ト ラ ト フ
爾 里 イ ワ ノ フ
ミ ヘリ ソ ン
拉 洲 カ シ ヤ フ ツ エ フ
ゴ ー コ リ
海 満 図
河
哈
道
布
窰 横 綏
哈 爾 賓 二 の九 ケ所 と な り 、其 の後 哈爾 賓 に三 ケ所 を 増 し て計 十 一ケ
爾 後 沿 線 のメ スト ロ ムはウ チプ ロフ ソジ の規 模拡 張 と経 費 の節約
所 と為 し 同時 に寛 城 子 、安 達 、 一面披 及 哈 爾 賓 の各 メ スト コ ム (八
並 に支 那 官憲 の集 会厳 禁 のた め 漸減 し、 大 正 十 三年 三 月頃 に は全線
地 方 委 員会 (メ スト コム) は会 長 、 副会 長 及 秘 書 三 名 よ り成 り 、
ケ所 ) を 哈爾 賓 ウ チプ ロフ ソジ の所 属 とし た 。然 れ ど 支那 官 憲 は 沿
右 表 は最 近 に多 少 変 更 せ ら れ 、本 年 九 月 一日現 在 ウチ プ ロフ ソジ
普 通 ウ チプ ロ フソジ の設 け な き中 間 駅 に置 か れ、 其 の数 は大 正 十 二
線 メ スト コム の閉 鎖 を命 じ、 集 会 活動 の自 由 を与 へな いた め現 在 で
を 通 じ て札頼 諾 爾 、免 渡 河、 安 達 、 一面 披 、穆 稜 、窰 門、 寛 城 子 、
年 六月 一日 現在 全 線 を 通 じ て二十 六 ケ所 も あ つた が、 同 日 ウ チ コム
編注、印刷不︺に示 す 通り と な った 。( の所 在 地 は 、第 四号 表︹明 但 し委 員 に付き省略
会 長 は会 議 にて経 費 節 減 の為 に之 を全 廃 し 、其 の代 り にウ チ コム の
ムの赤 化 宣伝 行 動 は 多 く特 別 の委員 の手 に委 せ られ さ し た る活 動 を
は哈 爾 賓 ウチ プ ロフ ソジ管 内 のも のを除 け ば 、他 の沿 線 のメ スト コ
は従 来 通 り各 ウ チプ ロフ ソジ に配 置 さ れ あ り)
数 を増 加 し て十 八 ケ所 と し 且 各所 共 秘 書 一名 の増 員 を 見 た 。爾 後 再
布哈図
〃
〃
〃
⋮ 一面 披 、穆 稜 の両
⋮安 達 、 蒙 古 、哈 爾 賓 二 の四
⋮ ジ ヤ ロムテ 、免 渡 河 の
〃
〃
〃
〃
は如 何 な る関 係 を 保 ち つ ゝあ る乎 に述 及 す る 必要 を 生 じ て来 た。
職 業 組 合 な る も のが 如何 な る主 義 政策 を体 得 し 、又 共産 党 各 機 関 と
北 満 に於 け る露 国 の労 働 運 動 に関 す る沿革 を終 る に当 り、 現 在 の
第 四 、労 働 組 合 の主 義 政 策
為 し居 ら ず 。
び メ ス ト コムを復 活 し た こと あ る も ウチ プ ロフ ソジ の拡張 に伴 ひ之 を縮 少 し 、遂 に十 二月 一日 には各 メ スト コ ムを左 表 の通 り ウ チプ ロ フソジ に配属 せし め 、 同時 に副 会 長 を 廃 し他 は皆 閉 鎖 し て仕 舞 つた。
哈 爾賓
⋮ 双城 堡 、窰 門 の両
海 拉爾 ウ チ プ ロフ ソジ ⋮満 洲 里 、 札頼 諾 爾 の両 メ スト コム
横道河子
〃
共 産 党 員 が占 め て居 る こと (曾 てプ ロ フイ ンテ ル ンの看板 を掲 げ 、
現 在 哈 爾賓 県 職 業 同盟 は赤 色 職業 同 盟 の支部 で、 其 の幹 部 は総 て
寛 城子
タ ー ナ シヨ ナ ルの極 東 局 及 赤色 職 業 国 際同 盟 極 東 支 部 が 、夫 々哈爾
支 那 官 憲 に取 り外 され た 事実 に よ つ ても明 ら か であ る)及 第 三イ ン
る大使 及 領事 は総 て共 産 党 の海 外 宣 伝 部長 を兼 ぬる と 同時 に職 業 同
賓 県 共 産 党支 部 と哈 爾 賓 県職 業 同 盟 と を指 揮 し、 且 在 支外 交 機 関 た
盟 の監 督 機関 と な つ て居 る こと に、 先 づ吾 人 の注意 を払 ふ の が職業
二
三
工 業 労働 団 体 (製 紙 、木 工、 製 皮 、金 属 印 刷 、食 料 、製 糖 、建
築 、 織 物 、化 学 工業 、 裁縫 工組 合 )
運 輸 及 通信 労 働 団 体 ( 水 運 、 鉄道 、 地方 運 送 及国 営 通 信労 働 組 合)
国営 及 公私 企 業 労働 団 体 (芸 術 、 医事 衛 生 、教 育 及 国営 企 業 労
抑 々露 国 の職 業 組 合 の 一特 徴 は 無産 階 級 の独裁 政 治 下 に共 産 主義
働 組合 等 )
的 国 家制 度 を主 張 し 、国 境 を 認 め な い こと であ つて、 露 国職 業 同 盟
四
而 し て北満 の露 国 職業 組 合 の性質 を究 む る こと は結 局露 本 国 の職
規約に ﹁ 職 業 同 盟 は無 産 階 級 の独 裁政 治 下 に共産 主 義 的 制度 を敷 く
同 盟 の本 質 を闡 明 す る前提 を為 す 。
とな り 、 到底 僅 かな 紙 数 に て之 を 尽 す こと は困 難 であ る から 、 左 に
業 同 盟 と 共産 党 の主 義 綱 領及 此 の両者 の相 互 関 係 と を検 〓 す る こと
にし て共 産 主 義 に依 る組 合 の統 一を全 う し 得 た 許 り で なく 、戦 時 共
力 を強 めブ ルジ ヨア の倒 壊 に当 つた。 而 し て革 命 後 僅 か に 一年 有 半
た。之 が ため 職 業 組合 は直 ち に共産 党 に共 鳴 し 益 々無 産 階 級 の団 結
級 の保 護 と労 働 組 合委 員 の生 活 の安 定 を図 る こと を標 榜 し て蹶起 し
露 国 の共 産 党 は革命 の際 全 国 の無 産 階 級 を 結 合 せ し む る為 、同 階
戦 時 共 産 主 義 の時 代 に於 け る様 な活 動 を 捨 て、 専 ら 本来 の職 業 的使
適 応 せし め んが為 、新 経 済 政策 実 施 後 職 業組 合 の方 針 を変 じ 、 彼 の
級 の独裁 下 に個 人資 本 の活 躍 と資 本 主 義 国家 の包 囲 中 に在 る実 勢 に
の支払 を監 理 す﹂ と あ る に徴 し て も明 ら かで あ る が、 露 国 は無 産階
の利益 を保 護 し 、 其 の生 活 の向 上 を図 るた め労 銀 の標 準 を定 め て其
益 を増 進 す るた め 国力 の恢 復 を 図 り、 労 働 の配 分 に与 り 、 又労 働者
こと を 以 て終 局 の目的 と し、 一般 無産 労 働 者 を団 結 せし め 、其 の利
︹マ マ︺
産 主義 の時 代 には 赤 軍 の編 成 、 軍需 品 の供 給 、 労働 人民 委員 会 の組
命 を果 す 以 外 に尚 生産 手 段 に対 す る組 合 員 の自 覚 を促 し 、且 生 産手
其 の のみ を記 述 す る に止 め よう 。
織 等 目ざ まし い活 動 を し た。 斯 く て職 業 同 盟 が 如何 に革 命 に貢 献 し
段 を占 有 し 、労 農 政権 の基 礎 を確 実 にし 、世 界 革命 戦 に よ つ て資本
よ う 、と 企 てた 。是 れ がた め露 国 の職 業組 合 は大 正 十年 七月 全 露中
主 義 を倒 し 、 以 て無 産 階 級 の独裁 下 に世 界的 社 会 主義 国家 を 建 設 し
央 職業 同 盟 を経 て赤 色 職 業 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル に加盟 し 、専 ら 同 イ
た かは 、第 八 回 のソ ビ エト大 会 に於 て為 し た レー ニ ンの演説 により
職業 組 合 の組 織 体系 は独 逸 の生産 的 職 業 組 合 の夫 れ に酷 似 し、 職
ンタ ー ナ シ ヨナ ルと第 三 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルと の指導 を受 く る こと
明 ら か で あ る。
業 の種 別 は金 国 を 通 じ て現 在 二十 三種 に分 か た れ ( 極 東 及 北満 の如
と な つた。
抑 々此 の赤色 職 業 イ ンタ ーナ シ ヨナ ルな るも のは 、第 三イ ンタ ー
き 植 民 地 は之 と 多 少其 の種 別 を 異 にす るは勿 論 で あ る) 更 に之 を左
農業労働団体 ( 農 業 及 林 業 労働 組 合 )
記 の通 り 四大 別 し 、総 数 一千 万 人 に近 い組 合員 を擁 し て居 る。 一
労働 者 を統 一結 合 し て、 共 産 主義 的 世 界 共和 国 を建 設 す る 目的 で生
ナ シ ヨナ ルと 同 一主 義 の下 に共産 主 義 を 広 く世 界 に宣 伝 し 、世 界 の
し て革 命を 惹 起 せし め ん とす る使命 を帯 ぶ機関 ﹂ で ある こと は贅 説
様 で単 に職 業組 合 な る名称 の下 に ﹁北 満支 那 乃 至 は東 洋 諸 国 に於 て
つ て哈 爾 賓 県 職業 同 盟 と哈 爾 賓 共 産 党 支部 と の関 係 も亦 全 く 之 と同
を要 せ ぬ。 更 に 一歩 を進 め て赤 色 職業 国 際 同 盟第 一回 会議 の制 定 し
自 ら 輩 命 運動 を起 し 、 又 は労 働 者 に共産 主 義 を 宣伝 し 、 且 之 を煽 動
た同 盟 規 約 第 二条 に明 記 し あ る該 同盟 の目 的 に関 す る事 項 を 左 に掲
れ た も の で、 全露 中 央 職 業 岡盟 は ア ムステ ルダ ムの労 働 組 合 イ ンタ
議 は微 温 的 社 会主 義 に依 るも ので 、結 局 国 家主 義 擁 護 の政 策 に外 な
げ る。
ー ナ シ ヨナ ル大会 (大 正 八 年 一月 ア ム ステ ルダ ムに於 て開催 ) の決
ら ぬ と見 做 し 、自 ら発 起 し てア ム ステ ルダ ム の決 議 に飽 き 足ら ぬ各
赤 色 職業 国 際 同盟 の目 的
ルジ ヨア帝 国 の破 壊 を目的 とす る民 衆 の革 命 行 動 に関 す る思 想 を
二 、革 命 的 階 級戦 、社 会革 命 、無 産 階 級 の独 裁 及資 本 主 義 制 度 とブ
度 の設 定 のた め世 界 労働 者 の大 集 団 を組 織 す る こと。
一、資 本 主 義 の破壊 、支配 的 搾 取 よ り の労 働 者 の解 放 、 社 会 主義 制
◎
国 の職 業 組 合 代表 者 を莫 斯 科 に糾 合 し て、 大 正 十年 (一九 二 一年 )
ルを成 立 せし め た 。而 し て同 会議 に於 ては 赤 色 職業 イ ンタ ーナ シ ヨ
七 月 十 三 日︱ 十 九 日第 一回 会 議 を開 き、 赤 色職 業 イ ンタ ーナ シ ヨナ
ナ ルと第 三 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルと の相 互 関 係 を規 定 し て居 る が 、此 の決議 が即 ﹁哈爾 賓 県 共 産 党 支 部 ﹂ と の関 係 を最 も良 く説 明 す る も の であ る から 、 左 に之 を掲 ぐ る。
広 く宣 伝 し 、 且彼 等 を煽 動 し て蹶 起 せ し む る こと 。
三 、ブ ルジ ヨア階 級 と妥協 し て世 界 的 職業 組 合 運 動 を蚕 食 し つ ゝあ
赤 色 職業 同盟 と共 廃 党 国 際同 盟 と の相 互関 係 に関 す る件
一、総 て の革 命 的 職業 組 合 をし て之 を統 一指導 す る国 際 的 中 心 た る
る害 毒 と の闘争 、及 各 階級 の協 働 と 社 会的 平和 に恋 々た る思 想 乃
◎
戦 闘 団体 、即 ﹁ 赤 色 職 業 国 際 同 盟 ﹂ に密 接 に結 合 せ しむ べ き有 ら
至 は資 本 主 義 よ り社 会 主義 へ漸 転 を夢 想 す る思 想 と闘 ふ こと 。
四 、世 界 的 職 業 組合 運動 の箪 命的 要 素 を 結 合 し、 以 て国 際 聯 盟 附 属
ゆ る方法 を採 る こと。
党 国 際同 盟 と の両執 行 機 関 は亙 に代衷 者 を交換 し 、 又 双方 の聯 合
二、 赤 色職 業 国 際 同盟 と世 界 の革 命 的労 働 運 動 の前衛 た る第 三共 産
階 級 の擁 謹 物 と 化 し つ ゝあ るア ム ステ ルダ ムの黄 色職 業 組 合 国 際
国 際労 働 事 務 局 及 び自 己 の綱領 と政 策 の為 に、 国 際的 ブ ルジ ヨア
会 的 大戦 争 に従 ふ 暴動 団 体 援 助 のため 義絹 金 を 募 る こと。
六 、 階 級戦 勃 発 の事 実 を誘 因 と し て国 際 戦 の挑 発 運動 を発 揮 し 、 社
の状 勢 に よ り機 運 を促 せば 常 に国 際 的 蹶起 を策 す る こと 。
五 、各 国 に於 け る労 働 階 級 の闘争 と歩 調 を 一にし 、 之 と協 合 し 四 囲
同盟 と は断 乎 と し て闘 ふ こと。
会 を 開催 す る等 の方法 に より 一層 密接 な る連 絡 を保 つこと 。
関 は協 同 し て 一国 若 し く は数 国 に亘 る革 命 、 又 は其 の準 備 行動 を
三 、 右 連絡 関 係 を 更 に組 織 的 に且 活 動的 なら し む る た め 、両 同盟 機
執 る こと。 右 の決議 に依 り 赤 色職 業 国 際 同 盟 は第 三共 産 党 国 際 同盟 と は 全 く 異 体 同 心 の機 関 であ つて 、唯 職 業 な る 名称 を冠 す るに過 ぎ な い。従
右 の外 尚 第 二 回会 議 (一九 二 二年 十 一月十 九 日︱ 十 二月 二 日、莫
地 に於 け る職業 組 合 運 動 に関 す る方 針 を議 定 し て ゐる 。
斯 科 ) を 一 帝国 主 義 及 軍 国主 義 と の闘争 と 、二 東 方殖 民 地及 半 殖 民
次 に赤 色 職 業 国 際同 盟 は 、同 盟 規 約 第 三条 に於 て加 盟労 働 組 合 の
一
社 会 革 命 に依 る資 本 主義 の破 壊 と 無 産 階級 の過 度 期的 独裁 政 治
資 本 及 ブ ルジ ヨア国 家 と の闘 争 に 日常右 の主 義 を 実行 す る こと 。
革 命 的 階 級 戦 の主 義 を認 む る こと 。
資 格 を 左 の通 り規 定す る。
二
国 際 的 無 産 階 級 の規 律 を 認 め て之 に服 従 す る こと 。
の実 施 を必 要 と 認 む る こと 。
三
四
ア ム ステ ルダ ム系 黄 色 国際 同 盟 と 絶 交 す る こと 。
赤 色 職 業 国 際 同盟 創 設 会議 の決 議 を 認 め て之 に服 従 す る こと 。
プ ルジ ヨア階 級 に対 し ては国 内 の有 ら ゆ る革 命 的 機 関 及共 産 党
五
七
六
と総 て 一致 の攻 防的 行 動 を 執 る。 ( 註 ) 而 し て右 と主 義 、 目 的 及資 格 を同 じ う す る労 働 団 体 は勿 論 此 の同盟 に加 盟 し得 るも 、 必ず し も之 と 主 義 、目 的 を 同 じう し
の組 合 で共 産 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルと の協 同 的活 動 を欲 せ ぬ も の
な い各 国 の職 業 組 合 、例 へば サ ンジ カ リ スト及 ア ナ ル ヒ スト系
でも 事実 之 に加 盟 し て居 る。 以 上 列 記 せ る所 を 約言 すれ ば ﹁ 赤 色 職 業 国 際 同盟 は世 界 の労働 組 合 にボ リ シ エヴ イズ ムを宣 伝 し 、彼 等 を此 の同 盟 に結 合 せし め 、共 産 党 と 協 力 し 、各 国 に於 て階 級 戦 、 同 盟罷 業 及 社 会革 命 を 起 さ し め、 資 本 主 義 制 度 とブ ルジ ヨア階 級 を 破 壊 せ し め、 又 国際 的 暴 動 を 画策 し国 際 戦 を誘 発 せし め 、斯 く て世 界 の資 本 主 義 国 家 とブ ルジ ヨア帝
国 を滅 し て無 産階 級 の独 裁 政 治 を布 き 、 世界 的 社 会主 義 の理 想国 家
而 し て全 露 中央 職業 同 盟 を経 て赤 色 職 業 国際 同 盟 に加 入 す る 哈爾
を建 設 す る こと を終 局 の目 的 と す る﹂ も のと確 認 せら れ る。
賓 県 職業 同 盟 も 亦 右 の主 義 、 目 的 及理 想 を北満 に於 て実 行 し 、 又 は ︹ 鹿蔵︺ せ んと す る機 関 であ る 。 ( 北川)
手 際 よ く整 理 せ ら れ 、割 合 に少 人数 の人 が静 かに執 務 し て居 た。 応
各室 は充 分 の広 さ を有 し (稽 採光 悪 し )沢 山 の書 架 に帳簿 、書 類 が
三 一 京 漢 鉄道 長 辛店 工場視 察 記
京 漢 鉄 道 長辛 店 工場 視察 記
大 正十 四年 八月 一日
接 間 にて鈕 処 長 、熊 処 長 より 大 体 の労 働者 状 態 を聴 取 し た 。自 分 は
如 く であ る が、 其 の話 の中 に 二 つ意 外 の感 を抱 いた事 実 が あ る。 其
主 と し て文 那 語 で 、吉 阪 氏 は 仏語 で質 問 し た。 其 の詳 細 は後 述す る
の 一は 京漢 線 の収 入 は今 日尚 依 然 月約 百 万 元 を軍 閥 に持 ち 去 ら れ て
伊 藤 武 雄
内務 省 社 会 局監 督 課 長 兼 工場 監 督 官吉 阪 俊 蔵 氏 今 回 ﹁ 支 那 暴動 ﹂
ゐ る こと ( 南 段 は蕭 耀 南 に、 鄭 州 を中 心 と す る中 段 は第 二国 民 軍 に 、
北京 満 鉄 公 所
及 支 那労 働 状 態 調 査 の為 来 燕 、氏 と同行 、 京漢 線 長 辛 店 鉄道 工場 を
一、 長 辛 店 行
視 察 し た。 (鉄 道部 及 庶 務 部 調 査課 より の支 那 の鉄 道 従業 員 状 態 の
北 段 は 京漢 局 の手 を経 て馮 玉 祥 に)、其 の結 局本 線 の収 入 は 僅 か に
て の質問 に 対し 、鈕 処 長 も熊 処 長 も余 り 知 つて ゐ な い こと であ る。
従 業 員 の給 料 以 外幾 何 も な い と言 ふ こと 、 其 の二 は従業 員 組 合 に就
調 査依 頼 も あ り し際 なり し を 以 て共 の参 考 に も と思 つ て であ る)。 視察 時 間 は汽 車便 の都 合 にて 二時 聞 足 らず にす ぎ な か つた の で充
京 漢 線 従業 員 組 合 は 支 那 の労 働 組合 中 でも有 力 な団 体 に し て、 而 も
分 な こと は でき な か つた が大体 の見 当 の つ いた こと は、 工場 当 事 者 の隔 意 なき 便 宜供 与 の お蔭 であ つた 。京 漢 鉄 道 局 長 の厚意 に より 同
鄭 州 を 総 工会 (所 謂 共産 系 の) 系 の中 心 と し 、此 処 は工団 聯 合 会 系
(非 共 産系 の) 中 心 地 で あ る こと は 、其 の道 の者 は当然 知 つて居 な
管 理 局調 査 課 長 王潤 貞 氏 同 道 せ ら れ、該 工場 に て は鈕 機 務処 長 、熊
け れば な ら ぬ こと と 思 つて居 た の に、鈕 氏 も熊 氏 も共 に深 く注 意 せ
警 務 処長 其 の他係 員 諸 氏 種 々質 問 に応 じ腹 蔵 な き返 答 を 与 へら れ た。
ず ﹁当 工場 の蛍 働 者 は 善良 すぎ るほ ど善 良 であ る﹂ と 楽観 せら れ て
居 た。 此 の こと は 二 の点 に関 し て考 へさ せら れ た。 支 那 の当局 者 は
殊 に鈕 処 長 は 仏蘭 西 仕 込 み の流 暢 な る仏 語 に て詳 細 な 説 明 を与 へら
最 初 導 かれ た事 務 室 は最 上 な建 物 の中 に気 持 よ き装 置 の室 に て、
れた 。
辛店 に居住)
一、職 工 人 員
冬 期
夏 期
休息十五分 (十二時迄)
約 一、三〇〇名 (其 の家族 を合すれば三千人が長
銀 (単位 、元 )
最
低
最
三〇
四〇
八 五 (平 均)
四 五
六〇
一 ・二〇
高
午後 始業 一時半 ︱六時半終業
午前始業 七時︱十二時
午後始業 二時︱六時 終業
午前始業 六時︱八時
二、労 働 時 間
労 働 者 の勢力 、自 覚 に就 いて は極 め て無 頓 着 な る か、 支 那労 働 者 其
二、 工場 見 物
のも のは 未 だ依 然 と し て石 の如 き 従順 さを 続 け て居 るか であ る。
鈕 処 長 及熊 処 長 に案 内 さ れ て工場 参 観
職 工 四百 人 の機 関 車 修繕 附 属 器 機 製 造 工場 、 機械 に就 て は門 外漢
一、 機 器 廠 ( 電 気 房 、鍛 工房 附 属 ) 東 西 一六〇 米 、南 北 四〇 五米 、
三 、賃
な るを 以 て何 等 得 る処 な か りし も 、吉 阪 氏 の言 に依 れば 、 非常 に
一般 熟練 工
新 式 の機械 が多 き由 であ る。 本 工場 は創 立 後 二十年 で あ るが 尚 一
補助工
数 1
額
2
イ
に つき ( Comuee) 独逸 、 米 国 製 のも のも 交 つ て居 た。 係 員 の説
部 分 は機械 据 付 の余 地 が残 し てあ つた 。仏 国 会 社 の製 品 が多 く 眼
明 に依 れ ば 、 必ず し も仏 国 品 を 使 ふ訳 で なく 時 価 に依 つ て任意 購
苦力
一箇 年 に付 き其 の勤 惰 に従 ひ 一箇 月 乃至 一箇 月半 を
毎 二 週間
3
ロ ,支 払 期
入 す る、 と 。本 工廠 は支 那人 技 師 二名 に よ り監督 せら れ 、 全 工場
ハ
与
中 に外 国 人 一人 もな し 、 と。 職 工 は 多 く唐 山 、 天津 の者 多 く本 工
日
日 (新年 一日、 旧年 関 元 旦 二 日、 五 月九 月 節句 各 一日 、
曜 (月 二 回) (半 分 交代 )
暇 (附 録 一参 照 )
備考 、機 関 手 は 月俸 四十 元 、 機械 工中 には 月俸 八 十 元 に至 る者 あ
年末支給。
賞
場 内 に て養 成 せら れた も のも少 な く な い、 と 。
鋳 出 し つ ゝあ つた。 職 工 六十 名 、技 師 一名 。
二、 軌 鉄 廠 は機 器廠 ほど 大 な らず 。 屑 鉄 を熔 し て十 五米 位 の条竿 を
イ
四 、休
り。
属 し 多 数 の職 工 が木 造 カ ー組 立 に働 いて居 た。最 近白 耳 義 よ り買
三、 修 車 廠 、最 近新 設 工場 に て客 、貨 車 の組 立 工場 であ る本 工場 附
入 れ た 装 甲客 車 を 白 耳義 人 監 督 の下 で組 立 中 であ つた。 吉 阪 氏 の
祭
双十 節 一日 )
ロ
質 問 に対 し 一輌 約 五 万 元 を要 す と の こと に、 氏 は 日本 の大 阪汽 車 会 社 な ら ば 五 万円 に て悠 に出 来 る 、 と言 つて ゐた 。其 の他 小附 属
以 上賃 銀 差 引 な し 。但 し特 休 分 は年 末 に合 併 給与 、 若 し特 休 出勤
ハ
休 (年 十 四 日)
工場 若 干 あ り し も見 な か つた。 全 工場 建 物 図 面 を貰 ふ約 束 を し乍
に対 し て は 一日を 二 回 に計算 、 即 ち倍 額 支 給 。
特
ら 帰 途 を急 ぎ忘 れ て来 た ことは 残念 で あ つた 。 三 、 従業 員 調 査
ニ
病気欠勤
十 四 日間 は 特休 日 によ り 全 給 、其 の後 の十 四 日間
は半 額 支 給 (医 師 の診 断 書 を要 す 。 花柳 病 に 対 し て は 支 給 せ
殉
病
死
職
与 ふ。 其 の後昇 進 は掃 除 夫 二年 、補 充 工 一年 の割 を以 て火夫 、 機
場 内 に て実 習 、年 期 終 了 後 は 成績 によ り 五割 乃 至 二十 割 の増 給 を
の
他
関 手 に採 用 さ る ( 附 録 三参 照 )
〃満三
在勤三
年以上
年以上
〃
〃
〃
六 〃
五 〃
四 〃
三 〃
年 未 満 は 月給 額 二箇 月 分
ニ
ハ
京漢 鉄 道 管 理 局所 属 全 線 労働 従 業 員 の給 料 、休 暇 、
一
にし て金 部 北 方 人 で南 方 人 は ほと んど 皆無 。
職 工 の出身 及仕 上 地 は唐 山 ( 京 奉 線 機関 車 工場 所 在 地 )天 津
公共 食 堂 を特 設 し あ り。
も のに入 れ る あ り。
生活 費 は 一人約 月 四元 、 家族 持 七 、 八元
〃満五 年以上 〃 七 〃
イ
九、其
〃満十 年以上 〃
職 工住 宅 は特 設 せず 。 地 方 民家 に借 家、 借 間 し公 寓 に類 す る
〃満十五 年以上
ロ
〃 満 二十 〃
録
月給 額 五 箇 月 分
〃
在 勤 三年 未 満
一、給
病 気 欠 勤 、 罰 則 、無 賃 乗 車 証 に関 す る臨 時 規 程
十
(
八
〃
附
〃満 二十 五年 以 上
恤 ( 附 録 二参 照 )
ず)。 五 、救 イ
ロ 〃
金 線労 働 従 業 員 は 機関 手 、火 夫 、信 号 夫 、連 結 夫 、 転轍 夫 、 棚 工
料
〃満 三年 以 上
( 支 那 式 家屋 の天 井 張 り ) 、貨 物 運搬 夫 (脚 夫 )、夜 番 夫 ( 更 夫 )、踏
六 〃
〃満 十 年 以 上 は当 該 主 任 者 の申 告 に より特 別 救 恤 金 を 支給 す るを得 。但 し 月 給額 十 二箇 月 を超 ゆ る こと
貯 金制 度
二 、病 気 欠 勤
外 のも のは総 て 一律 日 給支 払 とす る。
航 海 夫 、 舵 手、 水 夫 其 の他 各 事 務 所 の給 仕 、 小使 等 にし て月 給 員 以
切 夫 、 見 廻夫 、 電 気 職 工 、苦 力 小 頭 、夫 役 監督 、 点 灯 夫 、出 計 夫 、
を得 ず 。 殉 職 者 の該 月給 料 は十 元未 満 の数 は総 て 十元 と 看做 し て支 給
目 下計 画 立 案 中 ( 附 録 一参 照)
ハ
六、恩 給 制 度
し 、其 の他 棺 材費 とし て十 元を 支 給 す る事 を得 。
七 、 無賃 乗 車
全 線 労働 従業 員 (機 関 手 、火 夫 を 除 く) にし て疾 病 に罹 り た る場
ケ年 十 四 日 以内 の場 合 は休 暇 中 の 日給 全 額 を 支給 し、 若 し十 四 日 を
合 は 医師 の記明 書 に基 づ いて休 暇 を 与 ふ る。 而 し て其 の休暇 日数 一
習
三箇 年 にし て現在 員 八十 名 、 日給 十 仙 を 支 給す る。多 く は職 工
八 、見
の子弟 にし て午 前 八出 ︱ 十 二時 迄 は 学 科 、午 後 二時 ︱ 六時 迄 は 工
に罰 則 と し て第 一日 は 日給 額 の二 分 の 一、 第 二 日 は四 分 の三 、第 三
犯
労 働 従業 員 にし て違 犯過 失 あ り た る と きは 、事 情 軽微 な る場 合 に
乙、過
をす ぎ た る場 合 に於 て解 職 す 。
日 より第 十 五 日 に至 る期 間 は金 額 に相 当 す る金 額 を控 除 し、 十 五 日
日
二 十九 日以後 は支 給 を 停 止す る。 休
超 ゆ る場 合 には第 十 五 日 よ り第 二十 八 日ま で日給 半 額 を支 給 し 、第
三 、定 全 線 労 働 従業 員 には 毎 年 左 の定 休 日 を与 ふ。 甲 、毎 年陽 暦 元 旦 一日
丙 、夏 節 一日 ( 〃 中 秋節 )
端午 節 )
而 し て其 の如 何 な る原因 た るを 論 ぜず 均 しく処 罰 文 は中 国 文 を 以 て
場 合 に於 て は総 段 長 よ り理 由 を 具 申 し て処 長 に処 罰 を請 ふも のと す。
於 て は廠 長 (工場 長 ) よ り総 段 長 に請 ひ て之 を罰 し 、事 情 重 大 な る
丁 、秋 節 一日 ( 〃
の給 料 支給 の時 に至 つて各 当 該 管轄 長 よ り各当 該 廠 所 の全 下 級 従業
事 実 を宣 〓 し、 又 罰俸 よ り生ず る 金額 は毎 月 之 を保 存 し 、十 二月分
乙 、春 節 二 日 ( 陰 暦 大 晦 日及 元 旦 )
己 、毎 月 日 曜 日 二 日 (各廠 所 の慣 習 によ り四 日曜 日中 二日 曜 日 を
則
第 三十 五 条
本 鉄 道労 働 従 業 員 は正 当 の理 由 に依 り て本人 家 族 を
本 鉄道 無 賃 乗 車 証施 行 細 則 参 照
通部 令 各 一件 を後 に附記 す。
本 鉄 道 無 賃乗 車 証 施 行細 則 第 三 十 五条 、聯 絡 運送 割 引 証規 則 及 交
三 、本 規 則 は 民国 十 二年 四月 十 日公 怖 の日 より 之 を施 行 す。
す る事 を 得 。
二 、本 規 定 にし て支 障 あ る とき は随 時 局長 に於 て之 を 改 正又 は中 止
無 賃 証 及 聯絡 鉄 道 剖引 証 に関 し ては 旧規 定 に依 つて之 を弁 理 す 。
一、全 鉄道 各項 の労 働 従業 員 に対 す る 本鉄 道 無賃 乗 車 証 、貨 物 運送
六 、無 賃 乗 車 証
工務 処 、 駅等 の場 合 に於 て は該 処 駅 に於 ても 同様 であ る)
本 条 の規 定 は廃 所 以 外 の労 働 従 事員 に対し て も 適 用 す。 (例 へば
は何 時 と 雖 も之 を受 く る ことを 得 ず 。
員 に均 分 給 与す るも のとす 。 但 し 十 二 月以 前 に於 て解職 した るも の
戊 、国 慶 記念 日 一日 (双 十節 )
定 め 且其 の日 は給 料 を控 除 せず 。 以 上 の定 休 日 に は総 て給料 を控 除 せず 。 各 本 条 は臨 時 雇 を 除 く外 、 総 て各 廠 所 の下級 従 業 員 に之 を適 用 す 。 四 、臨 時 休 日 本 鉄 道 旧 規定 に依 れば 、本 鉄 道 労 働 従業 員 は毎年 定 休 日 の外 に十 四 日 の休 暇 を受 け る こと を得 、 且其 の日 の給 料 は 之 を控 除 せら れず 。 今 回之 を 改 正 し て更 に十 四 日分 の給 料 を加 給 す る こと とし 、 十 二 月 分 給 料 支 給 の時 に合 算 之 を与 へ、 且 此 の以 外 に休暇 を請 ふ者 に対 し て は随 時 其 の日 の給 料 を 控除 す る こと と せ り。 又年 宋 に至 ら ず し て 解 職 す るも のに 対し ては 在勤 日数 に応 じ て之 を給 す 。 ( 例之六ケ月
工
在 勤 にし て解 職 し た るも のは 七 日分 の給料 を受 く) 五、罰 甲、曠
各 廠 所 の職 工 (工匠 ) に し て其 の当 該長 の許 可 を給 せざ る外 、別
同伴 し で往 来 す る者 に限 り 、 年 一回 の往 復 無賃 乗 車 証 を受 く る こ と を得 。 北 京 管 理 局 及沿 線 各 駅事 務 所 の給 仕 、小 使 は二年 に 一回本 人 に 限 り無 賃 乗 車 証 を受 く る こと を得 。 家 族無 賃 乗 車 証 は之 を受 く る
聯 運 各鉄 道 員 にし て在 勤 二ケ年 以 上 に亘 る者 は 、本 人 及 其
本 国 聯 運各 国 有 鉄 道聯 運送 優 待 券 発行 規 則
こと を得 ず 。
第 一条
ひ且空席 なる場合は急行列車 に乗車す る事を得。
第五条 行李 の無賃運送 は普通規則に依 つて 一律 に処理し、重量超
優待券 の 一部又 は全部を使用 せざる場合 に於て、料金 の返
過 に対する運賃も普通途量行李運賃 に従 つて計算す。
還を要 するも のは当該鉄道員所属 の科長を経 て、優待券発売駅所
第六条
の発行す る証明書 を添付し て購 ふべきも のとす (該証明書 は三日
本優待券は当該鉄道員 の所属科長又は優待券窮務取扱係員
属 の総管 に請求すべきも のとす。
間有効 とす。但 し予 め帰途優待券購買 に対して発行したる証明書
第七条
員 にし て 一等 優 待 券 を購 ふ場 合 は、其 の従 者 二人 に対 し て三 等 優
は発行 の日より起算 して二ケ月を以 て有効期間とす)。
の父 母妻 子 に対 し て本 項規 定 の優 待 券 を購 ふ こと を得 。若 し 鉄 道
待 券 を購 ふ事 を得 。 又若 し鉄 道 員 二等 優 待 券 を 購 ふ場 合 は其 の従
本条 に規定する証明書は発行科 の正式 の捺印あ るものなること
者 一人 に対 し て 三等 優待 券 を購 ふ こと を得 。 本 条 規 定 の聯 運優 待 券 は前 条規 定 の本 人 及 其 の家 族 に対 し
の捺 印並発行年月日 の記載ある事 を要す)。(民国七年 一月 二十八
を要 す (前項 に規定する証明書 は発行科 の科長 の署名及科 の正式
第 二条
て同 行 す る と、 分 行 す る と の場 合 を論 ぜず 之 を 発売 す 。 但 し 毎 年
本優待券 は他人 に流 用することを得ず。若し鉄道員 にして
本規則範囲外 の他人 の為 に購用し たる事 を発見したるときは直 ち
第八条
日部核准)
往 復 券 一回 、或 は片 道券 二 回を 限 度 と す。 (若 し既 に該 優 待 券 の 発 行 を受 け た る後 、 親若 しく は妻 の喪 に遇 ひ必ず 本 人 が行 き て処
(民国 七 年 一月 二十 八 日部 核准 )
理 す る 必要 あ ると き は再 び往 復 券 一回 の発 行 を受 く る こと を得 )
第 九条
本優待券発売駅及到達駅は聯絡運輸 駅に限る。
に訊問して無効 とす べし。
人 の過 失 に因 らず し て職 を 辞 し た るも のは 、曾 て所 定 の優 待 券 の
各鉄道従業員所持 の証明書が他線 に於 て発行 せられたるも
鉄 道 員 にし て在 勤 二年 を 逾 ゆ る者 にし て裁 黜 を被 らず 、 又 は本
発 売 を受 け た る や否 やを 論 ぜず 、 更 に 一回片 道 優 待 券 の発 行 を受
本 人 は 普 通運 賃 の四 分 の 一、第 一条
り聯絡駅に於 て乗車券 を購求する事 を得 (但し鉄道従業員 は往復
のにし て、該線発行 のものに非ざるときと雖も、聯絡運賃率 によ
第十条
本 聯 運優 待 券 の価格
く る こと を 得 。 (民国 七 年 一月 二十 八 日部 核 准 ) 第 三条
遊覧券発行駅 (普通聯絡駅 に非ざる)乗降 の優待券購求 の証明書
聯運各鉄道員 が在勤中死亡 した屍 を郷里 に送 る場合は、
に規 定 す る家 族 は半 価 と す。 十 二歳 以下 の小 児 の運賃 は普 通 大 人
第十 一条
を講求 する事を得 ( 民国五年十二月 二十八日部核准)。 本 優 待 券 は普 通列 車 に限 り有 効 とす 。但 し 別 に列 車 券 を 購
の運 賃 の四分 の 一、 四歳 以 下 の小 児 の運 賃 は無 賃 とす 。 第四条
聯運各鉄道 の運賃 は四分 の 一とす。 又鉄道員 の親 又は妻 の屍を送
三 、 文字 を識 り簡単 な る報 告 書 を作 り且 平 易 な る算 術 を為 し得 る
二、 本 処機 器廠 に在 勤 二年 以 上 の者
第 四条
第 三条
補 充 火 夫
本 鉄 道 補 充火 夫 (見 習 升火 ) は本処 廠 内 の日給 五十 銭 以 上
第 二節
本 鉄 道 見 習火 夫 の月 給 は初 給 十 二元 とす 。
を買 ふ等 の嗜 好) なき者
一見 解 し 得 ざ る病 疾 )、 持病 及 嗜 好 (鴉 片 を喫 ひ賭 事 を 為 し 女
四 、 医員 の体 格 、視 力 及 聴 力検 査 に合 格 し 且隠 病 ( 花 柳 病 其 の他
者
る場合 は半額とす。 但 し当該主任者 の要求書 により各鉄道 は証明書を発行し、所定 賃 銀を以 て運送す。第七条第 二項及第八条 の規定 は前項 の場合 に 本規則は本年七月 一日より施行す。其 の前年 (民国十 一
之を適用す (民国七年 一月二十八 日部核准) 第十二条 年) 六月七 日頒行 の規則は総て之 を取消す。(民国七年 一月部 頒 発) (備考) 交通部訓令 二九 二号 (民国 七年 二月十 四日)は交通総長
本 鉄 道 の補 充 火 夫 は 左記 の資 格 を備 ふ るも のな る こと を要
の機 関 夫 中 よ り試 験 し て之 を採 用 す 。
す。
第 五条
曹汝霖 の名に於 て、京漢鉄道管理局長王景春 に令 して ﹁国有各鉄道 第五次聯 運会議決議案所載、運柩弁法及第 二十二条決議案所載、優
一、年 齢 二十歳 以上 二十 八歳 以下 の者
待券規 定増補﹂ に従ひ、右従業員優待規則 の濫用 を防ぐ為 ﹁ 保証人
二、 本 処 機 器廠 に在 勤 二年 以 上 の者
第 六条
本 鉄 道 補 充 火夫 の月 給 は初 給 十 五 元 と す。 日 給 五十 銭 以 上
な き者
四、 医 員 の体格 、視 力 及聴 力 検 査 に合 格 し、 且隠病 、痼 疾 の嗜好
者
三、 文 字 を識 り簡 単 な る報 告 書 を 作 り 且平 易 な る算 術 を 為 し得 る
二名連 署の請求書﹂ と ﹁冒濫情弊者 に対し ては普通賃銀 の十倍﹂ を
二 京漢鉄道機関手及火夫採用規定
録
以 て処 罰する旨を通令 して居る。 附 学習 火夫
本鉄道見習火夫 (学習升火) は本処廠内 に於 ける日給五十
第 一節
の機 関 夫 にし て補充 火 夫 に採 用 せ ら れた る時 は総 て 一律 に初 給 を
第 一条
銭以下 の機関夫補助工 (幇機匠) 及機関車掃除夫 ( 擦機車夫)中
給 し、 成 績 優 良 な るも のに 対 し て は 一年毎 に 一級 (三元 ) を 昇給
せ し む る事 を 得 。但 し原 給 (補充 火 夫 採 用 以前 の給 料) 日給 七 十
より試験して之を採 用す。 本鉄道見習火夫 は左記各項 の資格を備ふるものな ることを
も の は原 給 月額 の昇 給 限度 と し 、原 給 日給 七十 銭 以 上 の者 は月 給
銭 以 下 のも のは 原給 月 額 の昇 給 限度 とし 、 原給 日給 七 十銭 以 下 の
第 二条
一、年齢十八歳以上二十五歳以下 の者
要す。
二十 一元を其 の限度 とす 。 以 後 は補 充 の名 称 を除 き 他 の火 夫 と 一
見 習機 関 手
本 鉄 道 見習 機 関 手 (学習 司 機 ) は 一等 火 夫 中 よ り試 験 し て
第 三節
律 に之 を待 遇 す 。
第七条
本 鉄 道 見習 機 関 手 は左 記各 項 の資 格 を備 ふ る者 な る事 を 要
之 を採 用 す 。
す。
第 八条
一 、年 齢 二十 三歳 以 上 三十 歳 以下 の者
良 な る者
二 、本 鉄 道 に於 て 三年 以 上 火 夫 とし て服 務 し た る者 にし て成 績 優
附
第 一条
録
三
本 鉄 道 事 務員 及労 働 従 業員 ( 員 司 、 工役 人) に対 す る病 死
事務 員 及 労働 従業 員 救 恤 修 正臨 時 規 定
及 殉 職 に関 し ては部 ( 交 通 部) の発 令 あ る に至 るま で、本 規 定 に
本 鉄 道 事務 員 及 労 働 従業 員 にし て病 死 し た る者 に対 し ては
依 り て之 を弁 理 す る も のと す 。 第 二条
以 上 は 四箇 月 分 、満 十 年 以 上 は 五箇 月 分 、満 十 五 年 以 上 は六 箇 月
在 勤 三年 未 満 は 月給 額 二箇 月分 、 満 三 年 以 上 は 三箇 月分 、満 五 年
分 、満 二十 年 以 上 は七箇 月 分 、満 二十 五 年 以 上 は八箇 月 分 乃 至 十
本 鉄 道 事務 員 及 労働 従業 員 にし て殉 職し た る者 に対 し ては 、
箇 月 分 の救 恤 金 を給 す 。
し た る場 合 に於 て は 、当 該 主任 者 より の申告 に基 づ き特 別 の救 恤
以 上 は 八箇 月 分 の救 恤 金 を 給 し 、在 勤 満 十年 以 上 の者 にし て殉 職
在 勤 三年 未 満 は 月給 額 五箇 月分 、満 三 年 以 上 は六箇 月分 、 満 五年
第三条
四 、本 鉄 道 の操 車 規則 (行 車規 章 ) に通 暁 す る者
る者
三 、機 関 車 の構 造 、作 用 及 運 転 方法 並 び線路 の大 略 の事 情 に通 ず
五 、機 関 車 の通 常 故障 を 中 途 に於 て修 理 し得 る者
第五条
本 規 定 は 公布 の日 よ り之 を 施 行 す。
し て計算 し、 又 別 に棺 材費 と し て十 元 を給 す る事 を得 。
は 、 当該 従 業 員 の月給 額 十 元 に満 たざ る時 は総 て之 を十 元 と看 做
労 働 従 業員 (工匠 夫役 ) の病 死 又 は殉 職 し た る場 合 に於 て
六 、 医員 の体 格 、視 力 及 聴 力試 験 に合 格 し 且隠 病 、痼 病 及 嗜 好 な
則
第四条
金 を 給す る事 を得 。
き者
附
本 鉄 道 見 習機 関 手 の月 給 は初 給 二十 四元 と す 。
火 夫 採 用 の方法 は見 習 火夫 三人 、 補 助火 夫 一人 の割 合 を以
第 四節
第九条
第十条
凡 そ 掃除 夫 役 等 の見 習 火 夫 の資 格 を有 し 、 且未 だ見 習 火
て各之 を採 用 す る も のと す 。 第 十 一条
夫 に採 用 せら れ ざ る者 は、当 該 廠 主 任 者 に於 て該 廠 内補 助 工 (幇
本 規 則 は随 時 之 を修 正 す る事 を得 。
匠 ) と し て修 理技 術 を学 習 せ し む べし 。 第 十 二条
三二
大正十四年 四月 一日 極秘
編
東 支 鉄 道 幹 部 更 迭 に伴 ふ
星 田信隆 後
編
第 六項 東支鉄道 の今回 の運賃 に対する支那商工団 の反対
第 五項 満鉄 の北満貨物吸収策
第 四項 烏鉄及浦塩港は殆北満貨物 によりて生命 を有する。
運 賃 政 策 の変 更 と 満 鉄 の対 策
調査課交通係
東支鉄道幹部更迭 に伴 ふ運賃政策 の変更と満鉄 の対策
第 二章
第 一章
積極的対抗策
緒
東支鉄道幹部更迭に伴 ふ運賃政策 の変更と満鉄 の対策
前
露奉協定より見 たる東支鉄道 と東支鉄道新幹部
論
東支鉄道輸送貨物 の種類別 と満鉄、鳥鉄 の北満貨物吸収
東 支鉄道 の運賃政策 に対する満鉄 の対策
第 一章
東支鉄道支那側幹部 との友誼的関係
競争線 の布設
消極的対抗策 第 一節
北満特産市場と南満 又は日本市場と の緊結
第三章
第 二節
編 東支鉄道幹部更迭 に伴 ふ運賃政策 の変更と満鉄 の対策
第 三節
其 の他必要 なる満鉄 の執 るべき対策
前
第四章
第 二章 の対象 東支鉄道 の運賃 政策 の今後
第 一節 東支鉄道運賃政策 の変更
第 三章
南部線による同貨物 の抑圧政策を執 り得 ない理由
第 二節 東支鉄道が極端 なる東部線 による輸出入貨物 の保護と 第 一項 同政策は東支鉄道 の利益 又は 一般商民 の利益 に相反
露奉協定 より見た東支鉄道と東支鉄道新幹部
第 一章
東支鉄道幹部更迭 に伴ふ運賃政策 の変更
第 二項 東支鉄道運輸営業実費 の高率
一九二四年九月末 にソヴ エート社会主義共和国聯邦と奉天省と の
する場合 が多 い事 第三項 東支、鳥鉄 の財政状態 の貧弱
ソヴ エート聯 邦 社 会主 義 共 和 国 政府 は 一九 一七 年 三 月 九 日 の
註 、 同 大 綱 第 九条 第 四 項 と は 左 の如 し 。
つて、 細 目 は追 つ て後 日 の商 議 に待 つ事 とな つ て ゐる。 こ の中東 支
間 に約 定 し た所 謂 奉露 協 定 な るも のは極 く 大 綱 だ け の取 り決 め で あ
に対 し 一切 の責 任 を完全 に負 担 す。
両 締 結 政 府 は 将来 とも 東 支鉄 道 問 題 は 支那 及 ソヴ エー ト露 国両
革 命 以 前 に於 け る東 支鉄 道 の株 主 、債 権 を 所有 す る者 及 債権 人
四
鉄 道 に関 す る事 項 は 同協 約 第 一条 全部 十五 項 から成 つて ゐ る。今 同
東 支 鉄 道
協 約 第 一条 全 文 を摘 録 す る と左 の通 り で あ る。 第 一条
務 、 警務 、市 政 、税 務 及 土 地 (鉄道 本 来 の必要 地 を除 く )等 の如
民国 の国 家 及 政府 の権 利 に関係 す る各 項 事 務 即 ち司 法 、 民政 、軍
は、 両 国 政 府 は原 契 約 に拠 り有 す る権 利 にし て本 契 約 と牴 触 せず 。
項 に従 ひ修 正 を完 了 す べし。 其 の未 だ修 正 を 了 せざ る以 前 に於 て
任 せ し め、 ソヴ エー ト政 府 より任 命 せ る露 国 人 理事 中 一名 を副 理
及 ソヴ エー ト政 府側 より 各 五 名 を任 命 す 。
本 鉄 道 に理事 会 を設 け議 決 機 関 と な す。 理 事 十名 を置 き 、支 那
且支 那 の主 権 を侵 害 せざ る も のは 引続 き有 効 と す。
明す。 九月 八 日 一八九六年 締結 せる東 支鉄道建築経営契約 八月 二十 七 日 第 十 二条 内 に記 載 せ る期 間 八 十 箇 年 を 六十 箇 年 に短縮 す。 而 し
事 長 と為 し、 会 弁 を兼 任 せし む 。 理事 会 の法 定 人 員 は七 名 を以 て
督 弁 と会 弁 は共 同 し て理 事 会 の事 務 を管 理 し並 各 項 の文 書 に検
の効 力 あ る も のと す 。
支 那 よ り任 命 せ る支 那 人 理事 中 一名 を 理事 長 と為 し、 督 弁 を兼
て該 期 間 満 了後 に於 け る東 支鉄 道 及 同 鉄道 一切 の附 属 財産 は全 部
六
き は 一切 支 那官 憲 に於 て 、之 を 取 扱 ひ処 理 す るも のな る こと を声
両締 約 政 府 は 該鉄 道 の直 轄 す る営 業 事 務 を除 く 外 、 あ ら ゆ る中 華
両 締 約 政 府 は東 支 鉄道 が純 然 た る商業 機 関 な る こと を声 明 す 。
国間 に於 て解 決 し 、第 三者 の干渉 を許 さ ざ る こと に同 意 す 。 両 締 約 政 府 は 双方 合 意 の上東 支 鉄 道 問題 を解 決 す る こと左 の如 し 。 五 一八九六年 九 月 八 日締結せる東支鉄道建築経営契約 は双方よ 八月廿七日 り組 織 せ る委 員 会 に於 て、 本 協定 調 印 後 四 ケ 月以 内 に本 協 定 の条
一
二
無 償 に て支 那 政府 の所 有 に帰 す る も のと す 。 上記 の期 間 ( 即六十
最 少 限 度 と為 し、 一切 の議 決 は 六 人以 上 の同意 を 得 て初 め て執 行
ソヴ エー ト政府 は支 那 が本協 定 調 印 の 日よ り該 鉄 道 の買収 権 を
印 す 。 督弁 及会 弁 事 故 あ る時 は各 該 政府 より 別 に理 事 を任 命 し 職
有 す る こと に同意 す。 但 し 買 収 の際 は双 方 よ り該 鉄 道 に対 し已 に 投 ぜる実 際 の価 格 を商 議 決 定 し 、 且支 那 の資 本 を用 ひ公 平 な る価
内 、監 事 二名 は支 那 人 より 任命 し 、他 の三名 は ソヴ エー ト政府 よ
本 鉄 道 に監 事会 を設 け監 事 五名 を 以 て之 を組 織 す 。 監 事 五名 の
て代 理 す )
務 を代 理 せ し む。 (督 弁 は支 那 理 事 に於 て、 会弁 は露 国 理 事 に 於
ソヴ エー ト政 府 は 双方 より 組 織 せ る委 員 会 に於 て、 東 支鉄 道 会
格 を以 て之 を買 収 す べし 。
七
年 ) は 双方 合 意 上更 に短 縮 す べ き ことを 商議 す るを 得 。
三
社 の債 務問 題 を 一九 二 四年 五 月 卅 一日北 京 に於 て調 印 せ る露 支協 定 大 綱 第 九条 第 四 項 に依 り決 定 す る こと を承 諾 す 。
八
九
十
の日 よ り四 ケ 月 を越 ゆ るを 得ず 。其 の未 修 正 を了 せ ざ る以 前 に於
会 社 定 款 を 本協 定 に拠 り 速 か に修 正 を 遂 げ、 遅 く と も 理事 会 成 立
ては該 定 款 中 本協 定 に牴 触 せざ る も の及 支 那 の主 権 を 妨害 せざ る
り任 命 す 。監 事 長 は 支 那監 事 中 より之 を選 挙 す 。 本 鉄 道 に管 理局 を 設 け局 長 一名 は露 国 人 を任 命 し 、副 局 長 二 名
が支 那 の所有 に帰 し た ると き は本 協 定 中東 支 鉄道 に関 す る有 ら ゆ
た る時 、若 しく は本 協 定 第 一条 第 二項 所載 の期 限満 了 し、該 鉄 道
十五 将来 支那 の東 支 鉄道 買 収 条 件 に関 し 、両 締 約政 府 間 に商 店 を経
も のは引 続 き 有 効 と す。
は支 那 、露 国 人各 一名 を 任命 す。 右 任 命 は理 事 会 に於 て之 を為 し 、 各該 政 府 の承 認 を経 べ きも のとす 。
本 鉄 道 の各 処 々長 は 理事 会 之 を任 命 す 。若 し処 長 支 那 人 な る と
る条 項 は 直 ち に其 の効 力 を失 ふ も のと す。 以 上 。
局 長 、副 局 長 の職 権 は理事 会 に於 て之 を規 定 す 。
き は副 処 長 は露 国 人 た る こと を要 し 、処 長 露 国 人 な ると き は副 処
卿
飽
貴
理事 長 兼 督 弁
ポズ デ エー エフ
であ る。 今 左 に現在 の両 国 の理事 を列 記 し よう 。
副 理事 長 兼 会 弁
哲
伝 へられ てゐ る
(
)
る が 、 ソヴ エート側 で は更 迭頻 繁 で殆 そ の席 の暖 ま る間 もな い状 態
而 し て新 た に任 命 さ れ た理 事 は 支那 側 では余 り変 更 な い やう であ
長 は 支 那人 た るを要 す 。 本 鉄 道各 処 人 員 は 露 支両 国 人 民 、平 均 分 配 の原 則 に依 り て任 用 す。 註 、 此 の項 の平 均 原 則 を実 行 す る に当 り、 其 の如 何 な る場 合 に於 ても 該鉄 道 日常 の生 活及 事 務 の進 行 を妨 害 す るを得 ず 。 即 ち両 国 の職員 を聘 用 す る時 は各 該 員 の経験 、品 行 、 学 歴及 資 格 を標 準 と為 す べ し。
光
寰
最近辞職 したと
袁 金
栄
鎧
理事 (理事長代理) 〃
劉
其
十一 予 算 及 決 算 問題 に し て本 協 定第 一条 第 十 二項 に依 り て処 理す る
〃
呂
イズ マイ ロフ
以外 の諸 問 題 は 理事 会 に於 て決 議 す 。 同 理事 会 に於 て解決 す る能
〃
范
ダ ニレ フ スキ ー
はざ る と きは 締結 双方 の政 府 に報 告 し て平 和公 平 の方 法 を 以 て解
〃
( 副 理 事 長 代 理)
決 す べ し。
〃
十 二 本 鉄道 の予 算 、決 算 は理 事 会 よ り 理事 会 及 監事 会 の聯 合 会議 に
グ ラ ンド
提 出 し て審 定 す べ き も のとす 。
の経 歴 及 人 とな り の甚 だ分 明 せな い のが多 い。之 は現 在 のソヴ エー
以 上 の理事 の中 ソヴ エー ト政 府 の任 命 にか か るも の の中 に は、其
其 の他 は 欠員 中
〃
組 織 す る委 員 会 が両 締結 政 府 間 の純 利分 配 問 題 を 解決 す る以 前 は
十三 本 鉄 道 に於 け る 一切 の純 利 金 は 理事 会 に於 て保 管 し 、双 方 よ り
之 を流 用 す る を得 ず 。 十四 理 事 会 は 一八九 四年 十 二 月 四 日旧 露国 政 府 の批 准 せ る東 支 鉄道
ト政 府 部 内 の有 力者 達 一般 の経 歴 を見 れ ば 思 ひ半 ば に過 ぎ る こと で、
理 事 ダ ニレ フ スキ ーは 旧東 支 鉄 道 会弁 で、 露 国側 旧 重 役 中 で居 残
る。
つた唯 一人 者 であ る。 氏 は 東 支鉄 道 には 甚 だ良 く勤 め て居 た関 係 上
又帝 政 の下 に之 と全 然 氷 炭 相容 れ な い主 義 、主 張 を以 て健 闘 し て来 た 共産 主 義 者 であ る から 官 途 に就 く こと 等 は勿 論 、正 式 な学 問 、 研
は余 り よ い仲 では なく 、 又 近時 ソヴ エート側 に頻 り に秋 波 を送 つて
ホ ルワ ツ ト将 軍 と は深 い関 係 があ り 、 従 つて前 長官 オ ス ト ロウ モ フ
ゐ た ことを 思 ひ及 ぼ せば 、 氏 の留 任 は蓋 し当 然 で、 又 ソヴ エート側
東 支 鉄 道 に関 す る有 ら ゆ る智 識 を備 へた 人 であ り 、 且又 旧 東支 長 官
支 那側 の理 事 では先 づ 理 事長 の飽 貴 卿 は 世 人 の夙 に熟 知 せ る処 で
で も 一人 位 は 東支 鉄 道 の事情 に通 じ た理事 を要 し た であ ら う 。氏 は
る 人達 も居 やう か ら彼 等 の経 歴 の分 明 せな い のは寧 ろ当 然 であ らう 。
一介 の武 弁 であ る け れど も 、 そ の吉 林 督 軍 時代 には東 支 沿 線 の守 備 、
究 す らも 困 難 であ つたら う し 、中 に は鉄 窓 の内 に呻 吟 し た こと のあ
あ る 人 で、 東 支鉄 道 の事 情 にも 明 る い。
行 政 、司 法 等 の各 種 の利 権 を露 国 から 支 那 に 回収 した の に与 つて力
範 学 校 に 入 つた が後 交 通 大 学 に転 じ卒 業 し て エンヂ ニヤ ー の称号 を
一八 九 二年 ペテ ログ ラ ード県 の片 田舎 に生 れ初 等教 育 を 受 け た のみ
就 て略 評 す ると 、先 づ鉄 道 長官 イ ワ ノ フ氏 は学 問 のあ る人 では な い。
つて居 る鉄 道 長官 イ ワ ノ フ氏 以下 鉄 道 庁 の枢 要 な 地位 に居 る数 氏 に
東 支 鉄 道 会 社 の重 役 では な い が、 鉄 道営 業 上 最 も 重要 な 地 位 を 保
既 に六 十 歳 に近 い禿 頭 白 髯 の好紳 士 であ る 。
受 け 、帰 郷 し て津 浦 鉄 道 調 査員 其 の他 各 種 の官 職 を経 て、 民国 五年
理事 范 其 光 は 江蘇 の産 であ る が若 く し て ロシア に留 学 し 、初 め師
黒 竜 江省 交 渉 員 と な り、 又 最 近 迄浦 塩 の領 事 を し て居 た露 国 通 であ
な り な どし で各種 の辛 酸 な 労 苦 に従 事 し て居 る中 に激 烈 な共 産 主 義
で 、 一九 〇 五 年 に は早 く も 辻 馬車 屋 とな り 、続 いて鍛 冶 量 の職 人 と
理 事劉 哲 氏 は 日本 へ来 た こと も あ り 、又 華 府 会議 に も列 し た こと
者 と な り、 帝 政 を 呪 ふ こと 甚 だ し く 一九 一三年 に共産 党 に加 入 し た 。
る。
が あ る 。現 に吉 林 省 選出 の衆 議 院議 員 であ る 。 北 京文 科 大 学 卒業 で、
一八年 ) 帰 国 し て ハリ コフ県 に於 て 、彼 の 猛 悪 な チ エ カ ( 高等警
後 に国 を逐 はれ て独逸 に亡 命 の旅 を辿 つて居 た が革 命後 (確 か 一九
察 ) の首 領 と なり極 端 な労 農 振 り を発 揮 し た ら し い。鍛 冶 屋 の職 人
理 事呂 栄 寰 は撫 順 の人 で奉 天省 議 会 副 議 長 であ つた。 一昨 年 春国
産 れ は吉 林。
民 代 表 と し て モ ス コウ に使 し 、 帰国 し て露 支 会議 、奉 露 会 議 に参 加
等 を し た こと があ る関 係 上機 械類 に興 味 を持 つて居 つた ので、 其 の
ロシア側 の理 事 の中 イズ マイ ロフは現 に極 東 革命 委 員 会 財 政委 員
し た 。 これ 又露 国 通 で あ る。
関 に勤 務 し て居 たも の であ る。 け れ ど も労 農 大学 と言 つて も前 述 で
国 の鉄 道 長 官 、 ト ルキ スタ ン鉄 道 コンミ サ ー ル其 の他各 処 の交 通 機
頃 新 設 され た労 農 大学 工科 (二年 制 ) に入 り 、卒 業 し て後 白露 共 和
理 事 グ ラ ンド は リ トヴ イ ヤ人 で最 近迄 ザ カ フ カ ーズ鉄 道 の工業 部
も 分 か る やう に、 彼 の如 き何 等 の学 問 も技 術 的素 養 も 無 い者 で も 入
長 を 兼 ね て居 る。
長 を し て ゐ たと 言 ふ 。現 在 は ソヴ エー ト政 府 駐 哈 総領 事 を兼 ね てゐ
ート官 憲 に重 く 用 ひ ら れ て居 る所 以 のも のは 、彼 は熱 烈 な る共産 主
る鉄 道 行 政 乃至 交 通技 術 上 の手腕 、知 識 は甚 だ怪 し い。 彼 が ソヴ エ
ひ半 ば に過 ぎ る 。 以 上 に よ つ て彼 此相 考 へる に 、 イ ワ ノ フ氏 の有 す
つて 、短 い期間 で卒 業 出 来 る ので あ る から如 何 な るも ので あ る か思
あ り 、 又 お人 好 し であ る 処 から 、 現経 済 調 査 局長 ヂ ー キ ー氏 の手 は
勢 力 に圧 倒 され て居 た商 業 部 長 メ ン シ コフ氏 は既 に相 当 な年 配 でも
行 機 関 で あ る。 前 経済 調 査 局 長 ミ ハイ ロフ氏時 代 に於 てさ へ、 其 の
而 し て経 済 調 査 局 の計 画 機 関 であ る の に対 し て 、商 業 部 は其 の実
長 ト カチ エ ン コ氏 は 其 の職 を去 つ て、共 産 党 員 た る フ エド シ エー エ
て楽 し まず 極 め て不 興 の状 態 にあ る 、 と言 ふ のみ ならず 、商 業 部 次
フ氏 が之 を襲 ふた 。 斯 く し て ヂ ー キ ー氏 は事 実 上東 支 鉄 道 の事 業 計
遺 憾 な く商 業 部 の上 にも 延 び て来 た ので 、 メ ン シ コフ氏 は怏 々と し
文 さ へ禄 に書 け な い、只 熱 心 な る 共産 主 義 者 た る外 何 等 の取 柄 も な
画 を 一方 に於 て立案 す る と共 に、其 の事 業 の実 行 をも 他 方 に於 て或
義 者 で あ る の に加 へて幾 分 交 通 行 政 を心 得 て居 る 、 と言 ふ程 度 に過
い人物 だ 、 とも 言 ふ 。 イ ワ ノ フ長 官 の手 腕 、 力量 は兎 も 角 と し て、
ぎ な い の では な から う か と考 へら れ る。 又 一説 によ る と、 彼 は 電報
彼 の人物 を知 れば 彼 が提 案 す る東 支鉄 道 庁 の運 輸政 策 が如 何 な る方
程 度 迄 な し得 る地 位 に居 る 。
東 支 鉄道 が現 在 既 に実施 し つ ゝあ る も の及 実 施 せむ と 努 力 し つゝ
面 に向 ふ べ き か は蓋 し想 像 に難 く は な い。
あ るも の の中 に、 南 満鉄 道 と の協 調 を嫌 ひ、 鳥 鉄 を徹 底 的 に保 護 せ
副 長官 エイ ス モンド は鉄 道 技 師 で 、帝 政 時 代 に後 カ スピ ヤ ン鉄道 長 官 と し て手 腕 を 現 わ し た こと が あ る。 共 産 党 の天 下 にな つ てか ら
キ ー氏 の頭 の働 き が 如何 な る方 面 に向 ひ つゝあ る かは 一目瞭 然 であ
む とす る傾 向 の漸 次 そ の顕 著 さを 加 へて行 く のを見 れば 、即 ち ヂ ー
る。 之等 の詳 細 は後 説 に譲 る が、 兎 も角 ヂ ー キ ー氏 は世 人 の言 ふ如
同 党 に入 つた者 で生粋 の共 産 主 義 者 で は な い が、其 の代 り 学 問 及鉄
く 大 人物 でな いと す る も 些 細 な点 に迄 好 く気 の着 く人 であ る から 、
道 技 術 並 に同行 政 に関 す る知 識 に至 つて は、 俄 か造 り の主 義 者 達 の そ れ の比 では な いら し い。 従 つ て前述 の如 き 元 気横 溢 な共 産 主 義者
偶 々今 回 の東支 鉄 道 の赤 化 に伴 な つ て 一躍其 の経 済 調 査局 長 にな つ
置 及 両 鉄 道 の直 通連 絡 輸 送等 、各 種 の計 画 を立 案 し つ ゝあ つたが 、
であ る が 、 氏 は所 長 時 代 に東 支 、 烏 鉄連 帯 の穀 物 混 合保 管 制 度 の設
言 はな け れ ば なら な い。 又今 迄 の経 過 を見 ても 、 重役 会 議 は露 支 両
て、 双 方 相倚 り相 援 け て協 同し てゆ け る か何 う か は頗 る怪 し い、 と
た。 然 ら ば今 後 国 情 及主 義 、主 張 を異 に し て居 る両 者 が 互 に融 和 し
奉 天 派 の天 下 と な り 、露 国 側 では 共産 主 義 を 奉ず るも の のみ と な つ
袁 理 事 の去 つた後 は 、交 通省 の任 命 に か ゝるも のは悉 く 一掃 さ れ て
斯 く の如 く露 支 両 国 の東 支 鉄 道 幹部 を見 廻 し た処 が、 支 那側 では
あら う 、 と考 へら れる 。
今 後 共 何彼 と我 が満 鉄 に対 し て不 利 な ら しめ るや う極 力 努力 す る で
た るイ ワ ノ フ長 官 に配 す る の補 佐 役 と し て は格 好 であ らう 。 経 済 調 査 局長 ヂ ー キ ーは、 曾 て哈爾 賓 に於 てブ ローカ ーを 営 ん で 居 た 猶 太 人 で あ る が、 当時 は頗 る狡猾 な商 人 であ つた と言 ふ。 そ れ
た も の であ る 。 元来 経 済 調 査局 は東 支 鉄道 の総 て の事 業計 画 部 であ
が 烏 鉄 が 哈 爾賓 に営 業 出 張所 を置 く に際 し て其 の所 長 にな つた も の
つて非 常 な る権 威 を持 つて居 る 。
方 共意 見 の相 違 で激 論 の末流 会 に流 会 が 次 いだ やう な場 合 も甚 だ多
け れど も悲 し い哉 支 那側 に は技 術 方面 に深 い智識 を有 す るも のは
か つた やう であ る。
極 く 少 な い。 重 役 中 にも范 其 光 のやう に鉄 道 技 術 家 が居 るけ れ ど も 、 之 す ら露 西亜 側 に買 収 さ れた 、 と新 聞 紙 は 報 じ て居 る の みな らず 、 管 理 局長 以下 各 部課 に あ つ て実 際 の仕 事 を す る人 々は悉 く露 人 で、
に於 て奉 露 協約 第 一条 の第 九項 及 第 十項 の ﹁本 鉄 道 の各 処 々長 は理
支 那側 は よし 顔 を並 べ て見 ても実 際 に仕事 の分 か る人 は 少 な い。 茲
事 会 之 を任 命 す 。若 し 処 長支 那 人 な る時 は副 処 長 は露 西亜 人 な るべ
﹁本 鉄 道 各処 人員 は露 支 両国 人 民 平均 分 配 の原 則 によ り て任 用 す ﹂
き事 を 要 し 、処 長 露 国 人 な る時 は副 処 長 は 文 那 人 た る を 要 す ﹂ 及
は実 際 上 の仕 事 に於 ては 余 り役 立 た な い こと と な る。 由 来 支 那 人 も 一般 に外交 的 世 故 に長 けた 国 民 であ る が、 露 西 亜 人 の方 が 一段 上手 であ る 。露 西 亜 国 民 も 一般 に贈 収賄 は平 気 で行 ふ国 民 であ る が 、支 那 人 は よ り以 上 に甚 だし い の みな らず 、支 那 人 は多 く 自 己 の繁 栄 に重 き を置 く が 、 現在 の東 支 の露 国側 の要 人 中 には熱 烈 な る主 義 者 も 多 い の で ある か ら露 西 亜側 か ら す れば 、 支 那側 幹 部 の買収 位 は朝 飯 前 の事 に過 ぎ な いかも 知 れ な い。現 に或 る新 聞 紙 上 では、 東 支 鉄道 監 査 役 楊 哲 氏 は毎 年 一千 元 以 上 の秘 密 手当 を露 西 亜
今 は 笑 話 と な つて居 る が数 年 前 東支 鉄 道 の列 車 の夜 間 の点 灯 の蝋
側 から 受 け る こと とな つ て居 る 、と 書 いて居 る。
燭 を電 灯 に代 へる のが 、蝋 燭 業 者 の反 対 と共 に彼等 か ら 入 る賄 賂 の
の他 東 支鉄 道 幹 部 か ら始 ま つ て箇 所長 に至 る 迄 収賄 し た事 実 は数 知
絶 滅 を 恐 れ た東 支 幹部 は 、其 の実 施 を数 年 間 延 期 し た 、と 言 ふ。其
量:千 布度 単 位) 支鉄 道 普通 便 扱 輸 送 一 般 貨物 累年 数 量 表(数 (第一 号表)東
れず あ る 。昨 年 十 月 の東 支 幹 部更 迭 に伴 ひ収 賄罪 で起 訴 され た者 が 数 人 あ る やう であ る が 、私 は東 支鉄 道 の相 当 な 地位 に在 る人 で未 だ
第 二章
物 吸 収競 争 の対 象
東 支 鉄道 輸 送 貨 物 の種 類 別 と満 鉄 、烏 鉄 の北 満 貨
き も ので 、直 通 連絡 客 貨 の輸 送 にあ つた。 而 し て第 二 の理由 は 、露
道 と後 貝 加 爾 鉄 道 と の連 絡 即 ち 黒 竜 鉄道 の迂 遠 と難 工事 と に代 る べ
元来 露 西 亜 が現在 の東 支 鉄 道 を敷 設 し た最 大 の理由 は、烏 蘇 里 鉄
め 、社 員 の
斯 の如 く露 西 亜 の外交 上手 と 支那 人 の国 民 性 及 支那 側 の重役 を始
国 製品 の満 洲 及 支那 への輸 出 と 支那 産 品 の露 国輸 入 であ つた 。満 洲
少 し も 収賄 せざ り し 人幾 何 あ り や、 と反 問 し た い。
鉄 道技 術 に
に日露 戦 後 の東 支鉄 道輸 送 貨 物 を輸 送 種 別 に依 て表 示 し よ う。
本表 に よ つ て明白 で あ る如 く 、東 支 鉄 道 は貨 物 輸 送 では最 初 の建
産 物 の外 国 移 出 等 は実 に第 三 、 第 四 の理由 であ つた の であ る。 今 左
西亜 側 は或
みで 、他 の各 年 に於 て は全 く 最初 の予 想 が裏 切ら れ てし ま つた。斯
設 の使 命 の前 半 が、 一九 一五年 ︱ 一七 年 の欧洲 戦 争 中 に果 さ れた の
暗 い のと相
鉄 道 を自 由
く て東 支 鉄道 の取 扱 ふ 一般貨 物 の中 最 も主 要 なも のは 、北 満 の輸出
然 ら ば 此 の輸 出 貨 物 は 如何 な る方 面 に向 ふ かは 最 も深 く 研 究 を要
貨物 と な る に至 つた。
す る。 今 此 の中 輸 出 貨 物 に就 て最 近 の分 を表 示 す ると 左 の如 く にな
に し得 る こ
さ らば 東 支
難 く な い。
傾 く こと は
保護主義 に
外 に寛 城 子打 切 り、 又 は 地方 的 輸 送 貨 物 とし で寛城 子 に卸 さ れ 、其
て満 鉄 線 に出 た こと が 分 か る のみな らず 、前 掲 の寛 城 子通 過貨 物 の
ラ ニチ ナ ヤ経 由 で烏 鉄 に入 つた も の であ る が、 同戦 乱 以後 は主 とし
之 によ る と 、欧 洲 大 戦 以前 の東 支 鉄 道輸 出 貨 物 は殆 ど大 部 分 ポグ
る。
明 ら かな 事
処 から 馬 車 で長 春 ま で送 ら れ、 更 に南 満鉄 道 に積 み 込 ま れた も のも
総 じ て満 洲里 経 由 で シベ リ ヤ に入 つた も の は殆 ど言 ふ に足 ら な い少
た総 貨 物 であ る から 、南 行貨 物 は前 掲 表 以外 に猶有 る こと と な る。
あ るが 、東 行 即 ち ポ グ ラ ニチ ナ ヤ駅 通 過貨 物 は東支 か ら烏 鉄 に行 つ
実 であ る。
が今 後東 行
鉄 道 の政 策
と は想 像 に
程度迄東支
俟 つて、 露
位 千 布 度) 通便 扱 輸 出一 般 貨 物 数量 表(単 (第 二 表)普
今左に寛城子着地方的輸送主要貨物数量を表示しよう。
に詳 説 す る) 貨 物輸 送 の中 最 も 重要 なも のは輸 出 貨 物 で あ り、而 し
東 支鉄 道 の収 入 の大 部 分 は 貨 物輸 送 収 入 で あり 、 (こ の こ と は 後
量 であ る。
但 し 此 の中 で幾 何 か南 満 鉄 道 に入 つた かは 不 明 で あ る が、総 量 の
て其 の総 量 が 二百 万噸 に及 ぶと す れ ば、 之 が 吸収 の能 否 は鳥 鉄 及満
寛 城 子駅 着 普 通 便 扱 一般 貨 物 累 年 数 量表
過 半 、 多 い年 は九 割 も占 め て居 る も のは穀 類 及木 材 であ る こと か ら
(第 三 表 )
推 し て矢 張 り大 部 分 は南 満鉄 道 に移 つた ことが 推 察 せ ら る。
鉄 にと つて は其 の営 業 成 績 に甚 大 な る影響 が あ るば か り でな く 、之
(第 四 表)東
支 鉄 道輸 幽普 通 便 扱一 般 貨 物 数 量 表
今 左 に東 、 南 行 の東 支 鉄 道 輸萬 貨 物 数 量 を 貨 物種 別 によ つて表 示
独 力 及 沿海 州 の政 状 混 乱 によ る も の で、其 の後 沿 海州 の政状 の平 穏
る も の、 一九 二〇 年 の東 行 の少 なく寛 城 子 駅 通 過 の多 い のは烏 鉄 の
豆粕 の みが 独 り毎 年 東 行 (ポ グ ラ ニチナ ヤ経 由 )輸 出 の多 い のは、
に帰 した のと共 に、 東 行 貨 物 は漸 次 頽 勢 を挽 回し て居 る。
が 運賃 政 策 の適 否 は東 支 鉄 道 の成 績 に関 す る ことも 亦 重大 で あ る。
し よう 。 前衷 に依 て見れば 輸 出 貨 物 の大部 分 は穀 類 で其 の他 のも のは殆 ど
く 亘 つて消 費 さ れ て居 る為 、襲 日本 方 面 の需 要 に対 し て は浦 塩 経由
で敦賀 、 伏 木 又 は 小樽 等 の日 本 海港 に荷 揚 げ す る方 が 利益 であ る の
由 来 豆 粕 の需要 は殆 ど 悉 く 日本 内 地 であ つて而 も日 本全 国 一般 に広
と 、東 支 鉄 道 の所謂 秘 密 割 引 及 奥 地豆 粕 は大連 産 粕 に比 し て不 利 益
挙 げ る に足 ら な い のみ な らず 、 穀類 以外 の貨 物 は多 く 地 方 的 消費 を
運 賃 政 策 を施 し た処 、 ポ グ ラ ニチ ナ ヤ及寛 城 子 駅 を通 過 し て の輸 出
な る差別 的 取 扱 ひ ( 例 へば寛 城 子 に於 け る積換 へ目 減 り等 の理 由 に
充 たす か 、又 は特 殊 の目 的 を以 て輸幽 さ れ るも ので あ る から 色 々 の
が殆 ど 固 定 し て居 る から 、満 鉄 と鳥 鉄 と の貨 物 吸 引競 争 の目 的 物 た
て、 千 一枚 を送 つ て千 枚 と数 ら れて 居 た等 ) を受 け る こと及 大 連 に
り難 い。
於 て混保 不 合 格 品 と な る や も計 ら れ な い危 険 が あ つた等 の理由 に て、
穀 類 の中 でも最 も 重 要 な も の は大 豆 で大 体 全 穀 物類 の五割 以上 、 多 い年 は 八 、 九割 を占 め て居 る こと は前衷 が 明示 し て居 る が 、穀 類
哈 爾 賓 、安 達 、 満 溝 等 に て産 す る大 豆粕 は多 く 浦塩 に向 つた か ら で
物 の多 い のは 、 此 の時 は欧 洲 に於 て は小 麦 が 非常 に兇 作 で価格 が頗
豆 油 の寛 城 子通 過 の輸 出 の振 は な い のは 、主 とし て長 春 で の積換 が
次 の第 五 表 に 示す 如 く 南 部線 沿線 に於 て主 とし て作 ら れ る によ る。
高 梁 の輸 出額 は総 じ て寛城 子 駅通 過 の輸幽 が甚 だ多 いのは 、 之 は
る。
あ る。 け れ ど も十 三年 度 は豆 粕 の南 行 が非 常 に増加 し て居 る筈 で あ
の中各 品 別 に点 検 す る と、 小麦 は 一九 二 二年 、 二三 年 両年 の輸 出 の少 な い の は、 北満 洲 に於
る 高騰 し た為 に、 北満 より の輸出 小麦 が非 常 に多 く なり 、 或 地 方 で
他 の貨 物 に比 し て面 倒 な の によ る。 殊 に 一九 二 二年 以後 東 行 豆 油 の
け る 小麦 の不 作 によ る 。而 し て 一九 二〇 、二一 年 の寛 城 子 駅 通過 貨
( 後 に は 日本 軍 ば か り) が 駐屯 し て居 り、 浦 塩 は物 情 騒 然 た る に加
は 種 子迄 売 り 払 ふと言 ふ状 態 であ つた が、 当 時 は沿 海 州 には 聯合 軍
へて 一方 烏 鉄 は 東支 の隷 属 よ り脱 し て独 立 す ると言 ふ やう な 具合 で 、 激 増 し た のは 、浦 港 に 四千 噸 を 容 れ る大 油槽 が設 備 さ れ た の が大 な
共 処 で満 、烏 両鉄 道 の北 満貨 物 を自 鉄 に吸 引 し よう とす る には 、
る 原因 を な し て居 る。
穀 類 を競 争 の対象 とす る こと にな る。 然 ら ば 此 の穀 物 の発 送 地 は 如
は振 は な い の に反 し て 、大 連 経由 が非 常 に増 加 し た結 果 であ る 。
東 、烏 両 鉄 道 間 の関 係 が円 満 でな か つた から 、浦 塩 向 け の輸 出穀 類
麦 粉 及 麩 は大 体 に於 て小 麦 と平 行 し て居 る のは当 然 であ る。
何 な る地 方 であ る か を研 究 せ ね ば な ら な い。 即 ち
右 の表 を 検 す る に最 近 に於 け る趨 勢 は原穀 た る小 麦 、大 豆 の発 送
大豆 の輸 出 の漸年 増 加 し て居 る のは収 穫 の増加 に伴 な つた も の で、 欧 洲戦 前 の ポグ ラ ニチ ナ ヤ経 由 東行 の多 い のは東 支 の運 賃 政 策 によ
線別東支鉄道穀物発送数量表(単 位千布度) は西 部 線 及 哈 爾賓 管 区 より 最 も多 く合 し て約 八割 を占 め 、 加 工 品 た
く 、東 部 線 は其 の増 加 の遅 々た る を見 る。 之 は 西部 線 の沿 線 た る黒
つ ㌧あ る け れど も 、之 を線 別 に見 る時 は西 部 線 は特 に其 の増加 率 多
東 支 鉄 道 各 駅 か ら の穀 物 の発送 は大 体 に於 て逐 年 増 加 の跡 を辿 り
れ荒 地 が漸 次耕 地 に変 つて行 く のと 、東 支 鉄 道 の運賃 政 策 のよ ろ し
竜 江 省 で は特 に克 山 、海 倫 、 通 化 、綏 楞 、緩 化等 の諸 県 が 殖 民 せ ら
る麦 粉 、麩 、豆 粕 、 豆油 は哈 爾賓 管 区 が殆 ど 独 占 の形 で全 線 に対 し
的 優 勢 (約 八、 九 割 ) を占 め て居 る。
独 り高 梁 のみ は南 部線 が優 勢 で、特 に 一九 二二年 及 二 三年 は絶 対
て八 、 九割 を占 め て居 る。
(第五表)各
支 鉄 道 発送 穀 類 中,輸 出の 占め る割 合表 (第 七 表)東
支鉄道発送貨物線別割合表 (第六表)東
き を得 て、馬 車 其 の他 の機 関 の輸 送 を 鉄 道 に 吸収 し た のに反 し 、東
斯 く し て近年 に於 て は東 支各 駅 から の発送 穀 類 の数 量 は大 体 に於
部 線 沿 線 が 山昏 重 畳 し て平 地 に乏 し く 農 耕 の甚 だ興 ら な い のによ る 。
て西部 線 、 哈爾 賓 管 区 に殆 ど同 じく 、 合 し て総 額 の約 六割 乃 至 八割
を占 め、 南 部線 之 に続 き 東部 は最 も少 な い。今 之 を 比 率 し て見 る と 、
即 ち東 支 鉄道 によ る輸 出 穀 類 は発 送 穀 類 の約 八 一 ・五% 迄 の大 部
分 を占 め て居 る ので あ る。 蝕 に於 て東 支 鉄 道 の最 も主 要 な る輸 送 貨
物 は穀 類 であ り 、而 し て発 送 穀 類 の中 の大 部 分 は輪 出 穀 類 であ る か
ら 結 局南 満 鉄 道 及 烏蘇 里鉄 道 の北満 貨 物 吸 収 競 争 の対象 と し ては、
北 満 の輸 出 穀 類 を 目指 さ ねば な ら ぬ こと とな る。然 らば 北 満 の輪 出
之 によ つて見 る に沿 海 州 に於 け る政 状 の猶 安 定 し な か つた 一九 二
穀 類 の発 送 地 は如 何 な る 地方 で あ る かを見 ねば な ら な い。
〇 年 、 一九 二 一年 は 問 はず とす るも 、 一九 二 二、 二 三年 に至 つて も
尚 且総 休 に於 て南 行 の東 行 よ り は多 い のを知 る。 殊 に南 部 線 の各 駅
発 の輸 出穀 類 の大 部 分 は 南満 鉄 道 に移 出 さ れ 、 一九 二 三年 の如 き は
東支鉄道輸 出穀類鳥鉄 向及満鉄 向発送地別数量表 (単位布度)
〃
昭発
小麦
大豆
豆粕
三 九 、五〇 二 〃
六 、〇 八 二 〃
七、 〇五六布度
通 商 細 目 協定 が成 立 し ても鼓 数 年 間 は 北満 貨 物 の西 行 、 即 ち満 洲 里
露 支 両 国 の経 済 及 政治 組 織 の相 違其 の他 の理由 に より 、 仮令 露 支
東行 、南 行 、 西 行 何 れ に対 し ても不 偏 不 党 の態 度 を
溝〃
四
頼
量〃
南 部 線 の輸 出 穀 類 で浦 塩 向 は僅 か に左 の各 駅 か ら のに限 つ て居 る。
家
執 る。
陶
城
はず と し て 、東 行 、南 行 の み に就 て研究 す ると し て も、 現 今 の如 く
経 由 シベ リ ア への輸 出 が頗 る増 大 す る とも 考 へら れ な いか ら 今 は問
蔡
一、〇〇〇 〃
二 七 、三七 六 〃
双
小麦 粉
大豆
東 支 鉄 道 の露 西 亜側 幹 部 が ソヴ エート共 和 国 か ら出 て来 る 限 りは 、
〃
八 一、〇 一六 〃
〃 計
四 の東 、南 両 行 何 れ に対 し ても 不偏 不党 の態 度 を執 るや う な望 みは
全 く な い、と 言 つて よ い。 何 と な れ ば東 支 鉄 道 の露 国 側 の重役 は白
東 支 鉄 道 の輪 出 貨物 に対 す る運 賃 政策 が二 の南 行 保 護 は 勿論 の こと
系 を 以 て満 たさ れ 、管 理局 長 には オ スト ロウ モフ が居 つた当 時 の 一
之 に反 し東 部 線 発 の輸 出 穀 類 は 大 部分 ポ グ ラ ニチナ ヤ経 由 で東 行
線 及 哈 爾賓 管 区 発 の輸 出穀 類 は時 に消長 あ るも 、 或 は東 行 し 、或 は
九 二 二年 七月 一日締 結 され た 現 行 の南 満 、東 支 聯 絡 輸 送協 定 によ る
し て居 る 。之 等 は 地 理 の関 係 上当 然 と見 ねば な ら な い。 而 し て西部
南 行 し 、有 利 なる 方 向 に向 ふ性 質 を 有 し て居 るか ら自 然 満 鉄 と烏 鉄
運 賃率 でさ へ東 行 に便 益 が 多 い ので あ る から 、況 し て赤派 が総 て露
極 的東 行 保 護 、南 行 抑 圧 の徴 候 が益 濃 厚 と な り つ㌧あ る こと は、 左
而 し て現 在 の処 で は東 行貨 物 に対 す る保護 は微 温 的 は お ろ か、積
火 を賭 る より も 明 ら か であ る。
であ らう が、東 支鉄 道 の輸 出 政策 は当 然 東 行保 護 政 策 を執 る こと は
国 側幹 部 が占 め て居 る今 日 では微 温 的 か又 は極 端 か の差異 こそあ る
と が 北満 貨 物 吸 収競 争 の対 象 とし て西部 線 及 哈爾 賓 管 区 の輸 出穀 類
東支 鉄 道 運 賃 政 策 の変 更
東 支 鉄 道 の運貸 政 策 の今後
を 目 標 とす る こと と な る。 第 三章 第二 節
鉄 と鳥 鉄 と が単 純 に自 由 競 争 を遣 つて行 け る の であ れば 簡 単 で あ る
満 鉄 と烏 鉄 と が北 満 の輸 出 穀類 を 吸収 競 争 す る と言 つた 処 が 、満
が 、其 の間 に更 に最 も重 要 な 影響 を 及 ぼす 東 支鉄 道 の運 賃 政策 があ
一 〃
西 行 保 護 政 策 を執 る。
南 行 保 護 政 策 を執 る。
東 支 鉄 道 が 東行 保 護 政 策 を執 る。
二 、大 正 十 三年 十 月 二 十 二 日 よ り南 部 線 五家 陶 頼 昭 間各 駅 発 南行 輸
調 節 費 実施 ( 満鉄承認)
一、大 正 十 三年 七月 一日 よ り哈 爾 賓 及 西部 線 発 大 豆 、 豆粕 に対 し て
類 に対 す る東 支運 賃 を 示 す と 、左 の通 り で あ る。
明 ら か であ る 。今 昨 年 十 月東 支 鉄 道 幹 部更 迭 前 後 よ り 北満 の輸出 穀
記 の最 近 制 定 さ れ た新 運 賃 及 調節 費 及 び其 他 順 次 述 べ る処 に よ つて
現 在 の延 長 で東 支 鉄 道 が 今 後輸 出 貨 物 に対 し て用 ふる 運賃 政 策 は
る ので甚 だ面 倒 であ る。
二
〃
之 を総 括 し て考 へる と、 左 の数点 に限 ら れ る 。
三
出大豆 に調節費附加 ( 満鉄未承認) 三、大正十三年十月二十二日より前区間各駅発東行輸出大豆 に調節 割引として運賃減少 ( 満鉄未承認) 南行輸出 に対し て調節費賦課 (満鉄未承認)
四、大正十三年十 二月 一日より小麦及豆油 の哈爾賓 を含む西部線発
運賃 を 一布度当 り二 ・五哥値上げ (満鉄未承認)
五、大正十三年十 二月五日より哈爾賓を含む西部線発南行輸出豆粕 満鉄 の未承認 の分 は荷主が積 込 の際支払はねばならぬも のである。 今左 に実施当時より今 日に至る調節費及調節割引額を表 示しよう。 哈爾賓及西部線発南行輸出穀類調節費 (百瓩当金哥)
更 に南 部 線 より南 行 及 東 行 によ る輸 出 大 豆 に対 す る調 節 費 及 調節
賃
浦
塩
経
由 東支収得 (哥 ) 一六 ・五 八
烏鉄収得 (哥 ) 七 ・〇 二
運
割 引 を表 示 す る と 、左 の如 く であ る 。 ( 調 節割 引 は布 度 当 り 、調 節
費 は 百瓩 (六 ・一布度 )当 り にし て、 単位 は何 れ も金 貨 哥 )
連
経
由
(銭 ) 二 二 ・七 九
満 鉄収得
然 ら ば現 在 東 行 の方 が幾 何 の保護 を蒙 つて居 る かと言 ふ に、 先 づ
大
東支収得
七 ・六 八
(哥 )
東 、 南 両 行 の運賃 諸 掛 を 比較 し て見 る と 、
賃
一、 哈爾 賓 発 ( 浦連 大 塩)経 由 輸 出 大 豆 、実 際 運賃 諸 掛 比較 表 (単 位 、貨 車 扱 布度 ) 大 正 十 四 年 三 月現 行
運
駅 積
費 込 料
五 分 一五 の税
発駅着貫料 料
ポ グ ラ通 関 料
貫
四 十 五 日間 保管 料
着
計
商業 部出張所手数料 税関手数料 交通事務費 荷 役 料 布 度 税 船内人夫賃 商業会議所税 計
合
〇・ 四
三
九
〇 ・
〇 ・
一八 ・一八
〇・
三
〇 ・二 五
・〇〇
〇 ・一〇
〇 ・二 五 〇 ・二 五 〇 ・二 五 三 ・三 〇 〇 ・二 五 〇 ・五 〇
一
〇 ・〇 四 一 三 ・五
三 一・六 九 哥 四 一・五 七 七 銭
駅 費 調 節 費 積 込 料 交通事務費 支 線 費 積 替 料 取 卸 料 荷 繰 料 代弁手数料 四十 五 日 間 保管 料
船 積 賃 船内 人夫賃 計
計
一三 一・二〇 円 と し て換 算
合
一・一 五
〇 ・四 九
二 ・七 六
〇 ・三 三
〇 ・三 三
一二 ・七 五
一六 ・七 二 八 銭
〇 ・八 六
〇 ・三 〇
〇・ 一
一
〇 ・七 七
〇 ・八 三
〇 ・五 四
〇 ・三 六
二 六 ・五 六
四 三 ・二 八 八
( 註 ) 右 の内 、 調節 費 と 換算 率 と は毎 月 異 な る。
勾 配 及 カ ーヴ が多 く 列車 の運 行 が南 部線 に比 し て非 常 に困 難 な
註 、 東 支 鉄道 東 部 線 は南部 線 に比 し て山岳 地 を 通過 し て居 る丈 、
一三 一・二 〇 円 と し て 換 算
以 上 を 比較 し て見 る と、 合 計 に於 て 一 ・七 一 一銭 大 連 行 が多 い こ
行
行
〃〇
布 度 露 里〇
・ 〇 三四 一六 〃
・ 〇 三 二三 八哥
B、駅
C 、積
込
費
料
差
南
東
行
引〇
行
行
一・一五 〃
〇・ 三 〇哥
〇 ・四〇 〃
・八 五〃 (南行 不 利 ) 東
事 を更 に考慮 に 入 れね ば な ら な い。
と と な る が、 更 に各 項 目 に就 て研究 し て見 れば 、 左 の如 く南 行 が非 常 に不利 で あ る。 (以下 は総 て布 度 当 り で あ る)
東
引
A、 東支 収 得 の運 賃
南
〇・ 〇 〇 一七 八〃 (南 行 不利 )
差
D 、交 通 事 務費
東
差
南
東
差
南
行
引
行
行
引
行
︱︱
〇・ 〇八〃 ( 南行不利)
〇 ・三三 〃
〇 ・二五 哥
〇・ 〇八〃 ( 南行不利)
〇・ 四 九〃
の運 賃 諸 掛 を 見 る に、 鉄 道 輸 送運 賃 は輸送 区間 距 離 の増 減 に伴 な つ
際 に於 て頗 る高率 に な る。 更 に南 部 線 各 駅発 の東 、南 両 行 輸 出 穀 類
ば に満 たず 、 且平 坦 地 を 通 過す る南部 線 の運 賃 が東 部 線 に比 し て実
つた の であ る。然 る に其 の上 に調 節 費 が徴 収 され た ので は延 長 が半
西 の前 記 五 品 は東 行 す る も南 行 す る も東 支 の収褐 に は殆 相 違 が な か
支 の収 得 が其 の換 算 率 の相違 丈 減 ず る が 、最 近 迄 は 哈爾 賓 及 其 れ 以
現 在 は 金留 が 日金 に比 し て高 価 な る為 に払 戻 が 日金 に され る か ら東
み課 せ ら れ る許 り でなく 、 東 行 には調 節 割 引 と称 し て運賃 の割 引 を
費 二 ・七 六〃
行 つて居 る結 果東 行 が非 常 な 有利 と な つて居 る 。而 し て運 賃 が調 節
節 行 二・七 六〃 (南 行 不利 )
尚 哈 爾 賓 以遠 (哈爾 賓 を含 む ) の地 か ら南 満 、東 支 聯 絡 に依 つて
費 を 除 く外 諸 掛 は 哈爾 賓 発 の分 と同 様 であ る。今 左 に南部 線 各 主 要
E、 調 南 引
南 満 海 港 へ輸送 す る五品 (大 豆 、 豆 粕 、豆 油 、 小麦 、 小麦 粉) に対
て東 行 は増 加 し 、南 行 は減 少 し て居 るけ れ ど も、 調 節費 は南 行 に の
差
し て は、 満 鉄 が東 支 へ噸 当 り三 円 五十 五 銭払 戻 す こと と な つ て居 る。
{烏 鉄 収得
差引
賃 {満 鉄 〃
〇 ・〇〇 八五二九銭
〇・ 〇 三 四 六三 五 銭
)
( 〃
四・ 三三銭
( 烏 鉄有利)
(満 鉄 収 得 は 単位 銭 にし て其 の他 は金 哥単 位 )
駅 発 の大豆 運 賃 と 三月 分 の調 節 費 を 表記 し よう 。
A、運
之 を布 度 当 り に換 算 す る と 、 日金 六 ・四 〇 六五 銭 の東 支収 得 と な る。
南 部線発大連浦塩 FOB運賃調節費 比絞表 (布度当)
更 に東 支鉄 道 を 離 れ て から の満 鉄 及 烏鉄 の収 得 を比 較 し て見 る と、
〇 ・〇 四 三 一六 四 銭
如 何 に烏 鉄 が満 鉄 より有 利 な 地 位 に居 るか を知 る こと が出 来 る。 ﹁烏 鉄 収得 ( 布度露里)
B、荷
役
料
費
税
料
満鉄〃
( 取 卸 料 、荷 繰料 、船 積 料 ) 一・ 六 一銭
{
二銭
J 、積
替
料{ 満鉄収得
〇・八六銭
〇・八六銭
八・五五八四四四銭
差引 烏鉄側全収得
三・八〇 四六三五銭
{
四・七五三八〇九銭
満鉄側全収得 差 引
以上合計 総
け れ 共 之等 の全 収 得 が悉 く は烏 鉄 又 は満 鉄 の収 入 と はな ら な い。
〇・ 三 九 三六 銭
〇 ・四 八 二銭
〇 ・八 三銭
一・三 一
二 ・七 二銭
( 烏鉄有利) 烏 鉄 収得
(烏 鉄 有 利)
差引
満 鉄 収得
{
差引 烏鉄収得
な いも のが あり 、 又満 鉄 側 の収 得 にあ る代 弁 手 数 料 の 如 き も 国 際
何 とな れ ば商 業 会 議 所税 又 は関 税 手 数料 の如 く 全然 烏 鉄 の手 に触 れ
運 送 の収 入 とな るべ き も の であ る し 、 又荷 役費 、船 内 人 夫賃 等 も烏
無し ( 烏鉄有利)
〇 ・六 五六 銭
議 論 が 運賃 及 駅 費 乃至 其 の他 の全費 目 に対 し て も拡 充 し て言 へるか
ると き は烏 鉄 の純 収 入 は却 つて鮮 な いかも知 れ な いし 、 而 し て此 の 〇 ・六 五 六銭
か満鉄 が 少な い かは断 言 出 来 な い。 け れど も純 収 入 の多寡 は兎 も角
ら 結 局烏 鉄 側 が多 少収 得 し て居 るが 、純 収 入 は 果 し て烏 鉄 が 多 い
鉄 側 が多 く収 得 し て居 る け れど も 、労 働 賃 銀 が 烏 鉄 の 方 が 高 率 な
〇 ・三六銭
〇 ・一 一銭
〇・ 三 九 三六 銭
差引
{
商業出張所手数 烏鉄収得 料 ( 税関手数料 ) ( 烏鉄有利)
満 鉄 収 得 (代弁 手 数 料 )
{
差引 烏鉄収得 満鉄収得
{
〇 ・二九 六銭
る。
と し て烏 鉄 側 が高 率 の収 得 を し て居 る と言 ふ こ と だ け は 事 実 で あ
( 烏鉄有利)
〇・ 七〇八四八銭
差引
烏鉄収得
斯 く の如 く 南 行 輸出 穀 類 は東 行 に比 し て、其 の運 賃 諸 掛 に於 て不
無し
利 不 公平 な立 場 にあ る が 、更 に調節 費 を課 せ ら れ ては 南 行 は非 常 な
満鉄収得
〇 ・一三 一 二 銭
〇・七〇八四八銭
打 撃 を受 け る こと と な る。 此 の調節 費 を設 け た東 支 鉄 道側 の言 ふ主
な る こと
大 連 日本 各 港 間 の船 運 賃 が浦 塩 日本 各 港 間 のそれ に比 し て割 安
円 価 の下 落 に伴 な つて南 行 、東 行 両 運 賃 の差 額 が多 く な つた こ
無し
二
一
な る理由 は 、
〇・三二八銭 無し 〇・三二八銭 無し
と
〇 ・一三 一 二 銭
{
烏鉄収得
差引 満鉄収得
{
(烏鉄有利)
( 烏鉄有利)
(烏鉄有利)
〇 ・五 四六 銭
満鉄収得
C、 四 十五 日間 保管 料
D、 駅
E、諸 手 当 料
貫
F、船 内 人 夫 賃
G 、諸
H 、着
差引
烏鉄収得 差引
I、交 通事 務 費 {満鉄収得
{烏鉄収得
第 七 回東 支南 満 連絡 輸 送 会 議 の議 定 当 時 は金 貨 百留 が金 百 三 円五
等 で あ る。
連
貨留 で徴 収 す る から 第 七 回会 議 当 時 と 何 等変 動 のな い東 支、 烏 鉄 連
間 に運 賃 協 定 の存 す る 以 上更 に協 議 し て決 定 す る のが至 当 で、同 協 定 を無 視 し て単 独 に之 を設 定 し て実施 す る が如 き は明 ら か に我 が満 鉄 に対 す る挑 戦 であ る、 加 之 新 運賃 又 は調 節費 を見 る に、 特種 な貨
差 }
三九六浬
敦
神
上 }
}
}
海
戸
賀
{
{
{
〃十七
銭
(
粕
銭 銭
大豆 〃 十 五 ( 粕 〃十三
銭 銭
銭 銭
大豆 〃 二 十 二銭 ( 粕 〃二十 銭
大豆 〃 十 六 ( 粕 〃十四
(
大豆 〃 十 三 銭 粕 〃十 一 銭
大 豆 〃十 六 粕 〃十四
大豆約 十九 銭
)
)
)
)
差 約 三銭
}
差 約 二銭
}
差 約 六銭
}
)
)
更 に両 港 よ り上 記 諸 港 に至 る最 近 の運 賃 率 の大 体 を記 す と ( 単位
大
塩
は担 当 り)
浦
連
十 銭 位 であ つた のが 、最 近 に於 ては円 価 が非常 に下 落 し 、金 溜 が百
大
塩
三 十 円 以上 とな つて来 た の であ る から 、 東 支南 満 連 絡 貨 物 の満 鉄 収
絡 運 送 賃 銀 が幾 分 高 率 に当 つて来 る の で、東 支 鉄 道 で南 行 貨 物 に調
浦
連
得 の分 が円 価 下落 の率 だ け割 安 と な つた こと とな り 、 従 つて全 部 金
節 費 を課 す る と言 ふ こと に は 一応 尤 も な理 由 も あ る。 け れ共 両 鉄道
大
塩
{
四八〇浬
一二 二浬
差 }
然 ら ば 北満 の穀 類 の日本 へ輸 出 す る場 合 の浦 塩 経 由 と大 連 経 由 と
存 す る こと で あ る から 双 方協 議 の上決 定 す べ き も の で ある 。
し浦 塩 より の方 が不 利 であ る と し ても 、之 亦 両 鉄道 間 に運 賃協 定 の
内 地間 の船 運賃 の差 違 な る問 題 は種 々議 論 の生 じ る処 であ り 、 又 よ
こと も或 る程 度 迄 は認 めら る べ き こと であ つた。 而 し 両港 より 日本
居 た 。故 に東 支 鉄道 とし ては 南 行輸 出 穀類 に調 節 費 を 課す る と言 ふ
て浦 塩内 地間 の船運 賃 は、 大 連 内 地間 の に比 し て幾 分 高率 に当 つて
以 上 は最 近 の分 であ る が之 を 昨年 と比 較 し て見 る に、昨 年 は総 じ
方 が遙 かに安 価 にな つ て居 る。
浦 塩 より の方 が安 価 にな つて居 る。而 し て支 那各 港 行 は大連 か ら の
至 る には 大連 の方 が少 し く安 くな り 、 日本 海 沿 岸 の諸 港 に至 る に は
以 上 は共 の 一例 に過 ぎ な いが、 要 す る に表 日本 即 ち太 平 洋 沿津 に
浦
物 (後 に説 明 す る) に対 し て のみ 賦 課 し て居 る のは解 す る に苦 しむ 所 で、畢 竟 これ 円価 下 落 と 言 ふ表 面 の理 由 以外 に 、満 鉄 と の協 調 を 破 棄 し て も貨 物 の東 行 を 奨 励 せ ん と の苦 衷 か ら幽 た事 は 明 ら か であ
第 二 の大 連 及浦 塩 と 日 本各 港 間 の船 運賃 は大 体 に於 て距 離 の遠 近
る。
連
賀
八六九 差
一、〇 二 四浬
五四四浬
九九 一 {
}
四九五浬
}
{
八 九 一浬
と貨 物 の多 少 に因 つて共 の運 賃 も自 然 相違 があ る。 今 左 に両 港 と 主
大 塩
戸 }
上 }
海
神
敦
要 諸 港 間 の距 離 を摘 記 し よう 。
連 塩
浦
連
大 浦
塩
大 浦
両 港 に至 る大 豆 の運賃 は前 述 し た 通 り であ るが 、其 の他 のも のを も
の運賃 諸掛 の差 如 何 と言 ふ に、 之 を最 近 の分 に見 ると 、 恰爾 賓 よ り
絡輸 送 特 定賃 率 第 七号 を改 正 し よう とし た も の であ る が、 今 回 の東
額 は布 度 当 り 一哥 乃 至 それ 以 下 で且南 満 鉄 道 と協 議 し て東 支 南 満連
げ し よう と し て居 る。
支鉄 道 新 運賃 委 員 会 の案 では 種別 に よ って異 な るけ れ ど も数 哥値 上
哈爾 賓 発 大 連浦 塩 向輸 出 穀 類 F O B運 賃 諸掛 実 際 差 額表 ( 金百留
摘記 す る と左 の通 り で あ る。
豆
名
五 ・〇 〇〃 (六 ・五 六
一・二 九〃 (一・五九
一・二七哥 (一・六 六 六銭 )
浦 塩 向有 利
〃)
〃)
も のは麻 袋 、 果 実 、石 炭 等 で あ る。
烏 蘇 里鉄 道 を保 護 せ ん と努 力 し て居 る 。之 の俎 上 に あ る中主 要 な る
以上 は 北満 よ り の輸 出 貨 物 に就 き て述 べ た の であ る が、 東 支鉄 道
品
麦
を 百 三十 一円 二十 銭 とし て換算 、単 位 、貨 車扱 布 度 )
大
粕
担 に換 算 す ると 大 豆 は 六 ・ 一五銭 、小 麦 は 五 ・八 七銭 、粕 は 二 四 ・
以 上 は新 運 賃 及 調 節費 の総 てを 計算 に入 れた も のであ るが 、之 を
れ ば、 南 満鉄 道 と の連 絡 輸送 も寛 城 子 より の地方 的輸 送 も 共 に 一律
賃 が 四四 ・二哥 で あ る の に最 近 の東 支 鉄道 運 賃 委員 会 で の査 定 に よ
得 は布 度 当 り 三 八 ・五 哥 で寛 城 子哈 爾 賓 間 の東 支 鉄 道 地方 的 輸 送 運
麻袋 は南 満 東 支連 絡 輸 送 運 賃 によ る と、 哈爾 賓 迄 の輸送 の東 支 収
賃 の値 上 げ、 東 部 線 の運賃 の値 下 げ を なし て南満 鉄 道 を 圧迫 し以 て
の露 西 亜側 で は南 満 鉄 道 よ り輸 入す る貨物 に就 き て も、 南 部 線 の運
小
〇 ・八 七〃 (一・一四
二一 銭 、豆 油 は 四 ・二一 銭 浦 塩 向 け の方 が安 く な る訳 であ る、 故 に
に 五四 ・ 一哥 に値 上 げ す る こと とし て居 る。 之 明 ら か に南 満 鉄道 と
大連 向有 利
豆 油
若 し も神 戸 迄 の船運 賃 の差 が浦 塩 より の方 が担 当 り 二銭 宛 高 く つく
の運 輸 協 定 を無 視 し て地 方 的輸 送 と同 一な らし め よ う と の意 志 で あ
銭)
豆
と し ても 、 尚 且粕 の二十 幾銭 を初 め と し て豆 油 は約 二銭 、大 豆 、 小
る。
議 に附 議 し た。 此 の理由 と す る処 は穆 稜炭 の保 護 に あ った 。 而 し穆
入 る処 の石 炭 の運 賃 を 現在 の倍 額 にす る こと に査定 し 、之 を 重役 会
石炭 に就 て は三 月初 旬 に東 支 鉄 道 運 賃委 員 会 に於 て、南 満 線 よ り
麦 は約 三銭 宛 大連 経 由 の方 が高 く な つて不 利 であ る 。若 し それ 日 本
に比 し て非常 に安 く な るに加 へて、浦 塩 よ り の船 運賃 が大 連 よ り の
海 方 面 へ荷揚 げ す るも のに至 つては 、浦 塩 迄 の運 賃 諸掛 が大 連 迄 の
船 運 賃 に比 し て安 く な る から 浦 塩経 由 の方 が遙 か に有 利 と な る。
加 へら れ て居 る が、穀 類 以 外 に輸出 貨 物 と し て第 二 の地 位 を占 め て
入 れ な け れば な ら ぬ こと で あ る。 幸 ひ穆 稜 炭 坑 は露 支 合弁 事 業 であ
支 は露 支 合 弁 会 社 な る故 、支 那 側 の産業 の保 護 は何 よ り先 に考 慮 に
畢 竟之 は表 面 の理 由 で内 心 は蘇 城 炭 の輸 入 にあ った。 何 と な れば 東
稜 炭 は漸 く採 掘 に着 手 し た のみ であ る 。 又多 量 の出 炭 は予 期 し難 く 、
居る ( 数 量 は前 記) 木 材 にも 、 南行 輸 出 に対 し て は運 賃 の値 上げ を
る のに つけ 込 ん で 、撫 順 炭 の駆 逐 法 と し て之 を案 出 し た ので あ る。
斯 の如 く に し て南 行 輸出 穀 類 は種 々な る理 由 、 口実 の下 に抑 圧 を
の議 は前 長 官 オ スト ロウ モ フ氏時 代 から あ ったも の であ る が 、其 の
行 な ふ と東 支 鉄 道 では考 慮 し て居 る。 此 の木 材 に対 す る 運賃 値 上 げ
る薪 及石 炭 の価絡 を甚 だ し く釣 りあ げ る こと は明 ら か であ る から 、
け れ ど も撫 順 炭 の哈 爾 賓 市場 か ら消 滅 す る こと は 即 ち 哈爾 賓 に於 け
一、東 行 穀 類 に対 し て金 融 の開 始
と、 南 満貨 物 に対 し て種 々な る不 利 不便 を 蒙 ら し め て居 る 。此 の例
二 、南 満 よ り の輸 入品 の品 名 を書 き替 へて等 級 を 引 上げ 運 賃 を高 率
を 挙 げ れば 、
高 価 なら し め る結 果 と な り 、大 な る社会 問 題 であ るか ら 重役 会議 に
にす る。 例 へば穀 類 標 本 入 瓶 を硝 子 製壷 と し て十 二級 品 とし て東
油 房 業 者 は第 一に不 平 を 称 へ出 し 、 又何 よ り重 大 な こと は電灯 料 を
於 て支 那 側 の反対 に逢 ひ遂 に否 決 さ れ た。 け れ ど も管 理 局 では仲 々
て取 扱 は ん と し て問 題 を起 す等 であ る
支 鉄 道 に積 ま ん とす る に、東 支 では 硝子 製 作 品 と し て 二級 品 と し
では 三 六米 噸 一 一と な り 、満 鉄 の三 三米 噸 貨 車 に 積 み 替 へる 際
三、 安 達 站 に於 て は東 支鉄 道 千布 度 積 貨車 は 二車 分 、即 ち 二千布 度
る。 果 実 は 現行 の南 満東 支 特 定 賃率 第 六号 賃 率 に依 れば 、 南 満鉄 道 、
諦 め られず に今 回 は 又布 度 当 り 二 ・五哥 値 上案 を提 出 し た様 子 で あ
哈 爾 賓 間 は 二〇 ・八哥 であ る のに 、之 を 倍 額 以上 の四 六 ・〇哥 に値
又葱 は南 満 鉄道 、哈 爾 賓 間 の現 行 運 賃 二 〇 ・八哥 を 一九 ・二哥 に
金 を 支払 ふ と も千 布 度 以下 の積 込 みは絶 対 にす べ から ず 、 と駅 で
や う 千布 度 以下 を 積 込 ん で居 た る に最 近 に至 り、 よし 千 布度 の料
三 ・一 一噸 の余 剰 を 生 じ る故 、 従来 は 二車 で丁度 三三 米 噸 と な る
値 下 げ し た の に対 し 、 烏 蘇 里鉄 道 ︱ 哈爾 賓 間 の現 行 四 五 ・三哥 を 一
や か ま しく 言 ひ立 て以 て長 春 に於 て積 替 への際 に迷 惑 を感 ぜし め
上 げ す る こと に運賃 委 員 会 に於 て査 定 し た 。
躍 二 四 ・三 哥 に値 上 げ し よ う と試 み て居 る のであ る。 斯 の如 く 数 へ
よ う と し て居 る
に対 し て値 上 げし よ う と計 画 し て居 る こと は事 実 であ る。
来 れ ば枚 挙 に暇 がな いが 、要 す る に南満 鉄 道 よ り 入 る殆 総 て の貨 物
穀 物 を奪 ふ、 と言 ふ ので若 し 事実 とす れ ば、 つま り馬 車 で長 春 へ
賊 は 人家 を 決 し て襲 はず に穀 物 を輸 送 す る馬 車 を 襲 ひ 以 て馬 匹 及
四 、単 に風 説 に過 ぎ ざ る やも 知 れ な いが、東 支 南 部 線 地方 に ては 馬
上 の同 意 を経 なけ れ ば執 行 の効 力 を 生 じな いか ら ( 露支両国から五
輸送 す る のを 妨 げ る も の であ る か ら、東 支 が馬賊 を操 縦 し てや つ
然 しな が ら前 記 の露 奉協 約 第 一条 第 六項 に示 す 如 く 、 理事 六 人 以
人 宛 任 命 し て居 る関 係 上) 如 何 に露 西 亜 側 が之 等 の原 案 の通 過 を計
て居 る に違 ひな い 等 で あ る。
と南 部 線 によ る同 貨 物 抑 圧政 策 を執 り得 な い理由
物 保 護 と 、南 部 線 に よ る同貨 物 抑 圧 政 策 を執 つて居 る やう であ る け
斯 く 観 じ来 る時 は、 東 支鉄 道 が傍 若 無 人 に東 部線 に よ る輸 出 入貨
第 二節
東 支 鉄 道 が極 端 な る東 部線 に よる輸 出 入貨 物 の保 護
ると も 、支 那 側 の理事 が応 諾 せな い限 り 無 効 と な る も の で、 之 の関 係 で悉 く未 だ確 定実 施 に至 ら な いも のであ る 。 斯 く し て東 支 鉄道 の管 理 局 では 局内 の主 要 な る 人物 が赤 露 派 で あ る為 に相 呼 応 し て南 満 鉄 道 への輸 出 及 満 鉄 よ り の輸 入を 抑 圧 し 、而 し て之 を鳥 蘇 里 鉄道 に逆 用 し て以 て同 鉄 道 を保 護 し よう と 努 め て居 る こと は前 述 に依 つて明 ら か で あ る が、更 に細 部 に亘 つ て点検 す る
れ ど も、 而 し之 と て も多 く は 小 規 模 で あ つ て ソヴ エー ト側 の彼 等 が 考 へつ ゝあ る様 な 大袈 娑 な こと は出 来 難 い実 状 にあ る。 東 支鉄 道 が徹 底 的 に東 部 線 によ る輸 出 入貨 物 保護 と、 南部 線 に よ る同 貨物 抑 圧的 運 輸 政策 を執 り 得 な い理 由 と し て挙 ぐ べき も のは大
那側 の商 民 は黙 つては 居 な い。
す る場 合 多 き事
同 政 策 は 東 支鉄 道 の利 益 又 は 一般 商 民 の利 益 に相 反
以下 之 を 各項 に分 かち て順 次説 明 しよ う 。 第 一項
言 へば北 満 の輸出 貨 物 の輸 送 に は東 行 であ らう と 、南 行 であ ら う と
東 支 鉄 道 会 社 は 一個 の商事 営 利 会 社 であ る 以上 、会 社 の立場 か ら
東支 鉄 道 幹 部 の半 数 が支 那 側 であ る 以上 、 東支 鉄 道 の利 益 、支
る 。 けれ ど も 斯 の如 き大 鉄 道 で は行 政 上 又 は軍事 、 外 交 上 の意 義 を
会 社 に少 し でも多 く 利 益 を 与 へる やう に計 れば 最 善 であ ると 言 ひ得
を選 ぶ必要 か ら出 て居 る こと は前 記 の通 り であ る。 故 に露 西 亜 側 で
亜 の欧 亜 聯 絡 、 即 ち西 比 利 亜鉄 道 幹 線 の浦 塩斯 徳 港 に出 る最 短距 離
含 ま な い鉄 道 は な い。 東 支 鉄道 は既 に其 の設立 の目 的 か らし て露 西
那側 の生産 者 又 は商 人 の利 益 を 無視 し て迄 も 東部 線 によ る 輸 出 入
東支 鉄 道 、 烏 蘇 里鉄 道 の財 政 状 態 は満 鉄 のそ れ程 富 裕 でな い こ
る こと 。
東支 鉄 道 の運 輸実 費 が満 鉄 のそ れ よ り は遙 かに多 額 に掛 つて 居
貨 物保 護 政策 を 執 り か ね る こと 。
体 左 の如 き も の であ る 。 一
二
三
若 し も東 支 鉄 道 が東 部 線 に よる輸 出 入貨 物 を徹 底 的 に保 護 す る
乃至 烏 鉄 の死 活 に関 す る重 大 な る問 題 であ る。 故 に此 の為 に敢 て東
当然 であ る。 而 も 此 の鉄 道 を 巧 み に利 用 し 得 る や否 や は実 に浦 塩港
は 東支 鉄 道 を 最 も自 国 の利 益 と な る やう に利用 し よう と努 め る のは
が 如 き 政策 を と れ ば 、満 鉄 と し て も徹 底 的 対抗 策 を講 ず る に至 る
支鉄 道 の損 失 を も厭 ふも の では な い。 此 の目的 は露 西亜 側 の勢 力 が
と。
べ き か 、若 し も 斯 う し て満 鉄 に東支 鉄 道 の移出 入す る貨 物 を 悉 く
に移 つた 今 日 と雖 も夢 寐 にも忘 れ得 な い処 であ る。
満 鉄 の北 満進 出 は 日本 の満蒙 発 展 に関 す る国 策 であ る と同 時 に、
東 支鉄 道 から著 しく 減 退 し 、 又露 西 亜 の主 権 が帝 政 から ソヴ エート
烏 鉄 の東 支 と の結 托 は沿 海 州 の死 活 に関 す る露 国 の重 大 な る国 策 で
に反 し 、満 鉄 及 大連 港 とし ては 北満 か ら の輸 入貨 物 が絶 無 と な る も 、死 命 を制 せ ら れ る が如 き こと は な い。 而 も双 方 徹 底 的 に競 争
奪 は れ る に於 ては 、烏 蘇 里 鉄 道 及浦 塩 港 は殆 ど瀕 死 の状 態 と な る
を な さ ば上 記 及 下記 に より ても 、満 鉄 に多 く 吸収 され る 可能 性 あ
あ る。 此 の間 に処 し て支 那 側 は自 国 領 土 内 に布 設 され た る同 鉄 道 を
北 満 貨 物 が南 満 地方 に於 て相 当確 固 たる 地 位 を既 に築 いて居 る
に東 行 又 は 南 行 に特 殊 な 利 害関 係 を有 す る者 の外 は 一般 に北 満 の産
あ る。 貨 物 が東 行 し よう と 、南 行 し よう と 支那 側 に取 つては 個 人 的
物 の争 奪 てふ 見 地 よ りす れ ば何 れ か と言 へば 、支 那 側 は寧 ろ 気 楽 で
自 国 の利 便 に供 し よう と 努 め る のも当 然 であ る。 而 し な がら 北満 貨
り と想 像 し得 る 。 満 鉄 側 では 北満 の貨 物 吸 収 の為 に は馬 車 輸送 、 競 争 線 布 設 等 、
か ら 、之 を強 制的 に東 行 せ し め る が如 き 運賃 政 策 を採 ら ば当 然 支
各 種 の東 支 、烏 鉄 側 にと り て最 も恐 れ る方 法 を選 び得 る こと 。
四
五
六
業 を萎 微 せし め 、 又 は商 民 を困 窮 せ し め る やう な こと さ へな け れ ば、
き原 因 は、東 、南 両 行 運 賃 の差額 乃 至 は そ れ以 上 も荷 主 の負担 とは
合 に接 近 し よう とし て居 た 。 斯 の如 く に な つた殆 ど唯 一と も見 る べ
四
三
二
一
満 鉄 は吸 収 貨 物 が 多 く な るけ れ ど も、 其 の吸収 の為 に特殊 な費
の激 減 に よ り其 の生 命 の大半 を 失 ふ こと と な る 。
最 も 困 る の は烏 蘇 里鉄 道 及浦 塩港 で、 東 支鉄 道 の東 行輸 出 貨 物
中 には張 作 霖 の懐 中 に入 る も のも 少 なく な い。
多 少 な る け れ共 、 其 の約 四割 は各種 の税 金 と な つて取 ら れ 、 こ の
那 農 民 、 又 は仲 買 人 が多 く の収 得 を す る こと と な る が、処 に より
運 賃 割 引 の結 果 地 元 に於 け る価 格 を釣 上 げ る か ら生 産 者 た る支
こ と によ つて鉄 道 の運 輸 純 益 が甚 だ多 く な る。
束 支 鉄道 は延 長 の倍 も 長 く運 行 の困難 な東 行 よ りも 、南 行 さす
し て、
なら ず し て鉄 道 側 に転 嫁 さ れ て居 るか ら で あ る。 此 の場 合 の現 象 と
東 支鉄 道 が少 し でも利 益 を多 く 挙 げ得 る様 な 方法 を講 じ れ ば よ い こ と と な る。 然 ら ば之 等 各 主張 を異 にし た 両者 を半 数 宛幹 部 に有 し た東 支 鉄 道 の運 賃 政 策 が結 局如 何 に な るや と言 ふ に、 之 を理 屈 上 よ り考 へれば 東支 鉄 道 の露 西亜 側 で は ﹁仮 令会 社 に欠 損 を 与 へても 貨 物 を東 行 せ し め る やう にし た い﹂ と 考 へる 。 支 那 側 では ﹁ 東 行 、南 行 何 方 で も よ い。 只会 社 に利 益 を多 く 与 へ 支那 の商 民 を 擁護 す るや う な 方法 で あれ ば よ い﹂ と 言 ふ 。 そ こ で両 方 共 に東 支 の収 入 を減 ぜし めず 、支 那 の商 民 を困 惑 せし めず に輸 出貨 物 を悉 く 東 行 せ し め る様 な 方法 があ れ ば最 善 であ る が、 以下 順 次述 べ る様 に、 東 支鉄 道 が極 端 な東 行 保 護 政 策 を執 り得 な い 理由 とし て列 挙 す る様 な 事 情 が あ つて決 し て行 な はれ な いから 、 結 局 双方 互譲 し て幾 分 か の東 行保 護 の意 味 を含 ん だ運 賃制 度 を決 め て
る。 も つと より 以 上 に競 争 す れ ば遂 には 運 輸実 費 以下 の収 得 で運
用 を要 す る から 運 輸 実費 を差 引 いた実 際 の純益 は僅 少 な も のと な
あ る。 而 し て 一定 の限 界 と は 即 ち 一定 の増 率 運 賃 施 行期 間 及 一定 の
顕 は る べき も のでも な い。 此 の現象 を 呈す る には 自 ら 一定 の限界 が
而 し な がら 上述 の現 象 は決 し て永 続 す べ き も の でも 、 又無 制 限 に
の行動 だ﹂ と も ﹁ 最 善 の方 法 だ﹂ とも 言 つて居 る かも 知 れ な い。
操 縦 さ れ た結 果 だ と言 つた が、 支那 側 では 上述 の現 象 を以 て ﹁予定
な る 。前 に新 運 賃及 調 節 費 の制 定 は東 支 の支 那側 理 事 が露 西 亜側 に
な り 、同 鉄 道 の露西 亜 側 の折 角 の期 待 、 計 画 が見 事 に外 れ た こと と
之 を通 覧 す ると期 せず し て東 支 の支 那 側 の思 ふ壺 に嵌 つた こと と
転 せ ね ばな ら ぬ こと と な る。
結 着 を 付 け る と言 ふ こと に な る の であ る が 、此 の場 合 の幾 分 の解 釈 が頗 る興味 あ るデ リケ ート な問 題 と な る。 又 一方 支 那側 の理 事 を 始 め重 要 な る人 々には 第 一章 に述 ぺた 如 く、 露 西 亜側 に或 程 度迄 自 由 にさ れ る隙 が あ ると す れ ば、 此 の際 の幾 分 は半 分 と も な り、 又 は 大
吾 人 の最 も 恐 れ る のは実 に東 支鉄 道 の支 那 側 の理事 の露 西亜 側 に
部 分 と も なり 得 る 可能 性 が出 来 て来 る。
都 合 よく 操 縦 さ れ る こと であ る。論 よ り証 拠 此 の結 果 が前 記 の如 き
け れ共 茲 に面 白 い こ と は南 行貨 物 は現 在 迄東 行 に比 し て優 勢 を保 つ
南 行 に頗 る 不利 な新 運 賃 又 は 調節 費 乃 至 其 の他 と な つ て顕 れ て居 る。
て居 る。殊 に本 年 に入 つ てか ら 二月 迄 は南 行 八 に対 し東 行 二位 の割
運 賃 増加 率 で あ る。 満 鉄 と し て も幾 分 でも純 益 があ る間 は 現在 の競争 状 態 を 持 続 し て 行 く こと は出 来 る が、若 しも 之 が実費 を差 引 い て欠損 にな るや う な
長 距 離馬 車 輸 送 は殆 ど 不可 能 と 言 つて も よ い。 故 に長 距 離 馬 車輸 送
は 現在 の如 き平 時 に於 て は全 的 の望 み は かけ 難 い。 ま し て川輸 送 は
更 に困難 で あ る。 (之 ら の事 項 は第 五項 に詳 説 す る)
更 に重大 な こと は 、 こ の運 賃 増加 によ つて支 那 側 の商 民 の困惑 に陥
故 に馬 車 輸 送 等 も東 支 鉄 道 南 行 運賃 増 額 抑 制 の 一原 因 では あ る が、
るか 、 又 は東 支 鉄 道 が財 政 難 と な る こと であ る 。何 と なれ ば現 在 の
れば 、 こは 一時 的 のも ので永 続 す べ き性 質 のも の では な い。 幸 ひ 現 在 の程度 では欠 損 と迄 は なら ず に居 る し 、之 は運賃 増 加 率 と 密 接 な
東 行 運賃 は そ のま ゝに し て、 南 行運 賃 を非 常 に高 率 にす るか 、 又は
外 には運 賃 によ つ て南 行 を 阻 止 す る方 法 はな い。然 る に次項 に説 明
関 係 が あ る も の であ る か ら、 今 の処 では 此 の間 の問 題 は考 慮 す る 必
す る やう に、 東 支 の運 輸 実 費 が非 常 に多 額 にか ゝ つて ゐ る為 に 、東
東 行 運賃 を ウ ンと 引 き下 げ るか 、乃 至 は それ ら を 混合 す るか よ りは
而 し て此 の限 界 を越 へて東 支 が徹底 的 に貨 物 の東 行 保 護 政 策 を採
行 の運 賃 を引 き 下 げ る と言 ふ こと は至 難 で、 斯 く の如 き運賃 政 策 は
る間 は 上 記 の如 き現 象 が続 く も の であ る 。
れ ば 、満 鉄側 も徹 底 的 に競 争 に出 る だ ら う と は、東 支 幹 部 の明 白 な
要 はな いが 、運 賃 率増 加 に は明 白 に限界 が あ つて、 此 の限 界 内 に居
意 向 であ る 。此 の際 の競 争 の手 段 は差 し当 つては 、冬 期 の馬 車 輸送
露西 亜 側 は兎 も角 と し て、 支 那側 は到 底 承 認 せ な い で あら う。
又南 行 の運 賃 を 非常 に高 率 にす ると 言 ふ こと は 、東 行 貨物 を増 加
と 夏 期 の河船 輸 送 の唯 二 つであ る が 、最 も重 要 な も のは馬 車 輸 送 で
せし め る と言 ふ見 地 よ り す れば 大 部分 の目 的 は達 す る かも知 れ な い
あ る。馬 車輸 送 運 賃 は各 種 の事 情 によ り ( 第 五 項 に説 明 ) 年 に依 つ
が 、 これ に は馬 車輸 送 及 其 の他 の機 関 に よ る輸送 を奨 励 せ し め る結
岳 地 区 を通 過 し て ゐて 、勾 配 及 曲 線多 く運 輸 実費 が南 行 に比 し て甚
て異 な る け れ ども 、東 支鉄 道 の調 査 に よ る と 一九 二一 年︱ 二 二年 の
だ多 額 に か ゝる か ら 、 これ亦 東 支 の財 政 難 を誘 発 す るし 、 一方 又第
果 と な り、 而 し てよ し貨 物 が増 加 す る に せよ 、東 行 は前 説 の如 く山
此 の馬車 輸 送 運 賃額 迄 は東 支 鉄 道南 部 線 の運 賃 率 を増 加 し ても貨
六 項 に説 明 す るや う に南 行 を便 利 とす る支 那 商 民 は黙 視 し て ゐ な い
冬 期 運賃 は 、哈 爾 賓 長春 間 布 度 当 り 十 乃至 十 二大洋 分 、 双 城 堡 長春
物 は鉄道 によ る こと と な る。 故 に此 の馬 車 輸 送 運 賃額 迄 が即 ち 東 支
か ら 、之 も 東 支 の支那 側 には 承認 し な い であ ら う と考 へら れ る。 加
間 も 略 同 率 で あ る。
鉄 道 南 部 線 の運 賃 を 増加 し得 る限 界 であ る と見 做 す ことも 有 力 な 一
之 現 行 の運 賃 、 諸掛 に於 て さ へ南 行 に非 常 に不利 にし て、前 記 の如
理 由 であ る。 け れ ど も こ の馬 車 輸送 運賃 額 は処 によ り 、時 によ り 、距 離 によ り
これ 即 ち東 支 鉄 道 の純 収 入を増 大 す る結 果 と な つて ゐ る のに之 を 東
き 列 車運 行 の困 難 な東 行 に有 利 な る に南 行 貨 物 の多 いと 言 ふ こと は 、
行 に向 はし めん と す る は、 取 り も直 さず 東 支 の収 入を 減 ぜし めな い
種 々雑 多 であ つて多 く 帰 一す る処 な く 、 又長 哈 間 の如 き長 距 離 馬車
る。 加 之 馬 車輸 送 は冬 期約 五 ヶ月 間 に限 ら れ、 而 も 豆粕 、 豆 油 等 の
輸 送 に対 し て は悲 観 、 楽観 の両 説 あ り て見 る人 によ つて異 な つて ゐ
程度 に南 行 の運 賃 を値 上 げす る こと が最 も有 利 で、 又 必要 な こと で
斯 く の如 く同 じ 東 支 鉄道 の幹 部 でも 、支 那 側 と露 西 亜 側 と の利 害
あ る。
関 係 は 一致 しな いか ら 、露 西 亜 側 の思 ふ通 り に極 端 な る東 行貨 物 保
前述 の如 く 支 那側 重役 は 鉄 道事 業 に関 す る智識 に暗 いと は言 へ、
護 運 賃 政策 に は支 那 側 は同 意 し な い であら う 。
こ の明白 な事 実 を看 過 す る こと も出 来 な い であ らう し 、 又 予知 し な い筈 も な い。 又 世 上伝 へる如 く 、支 那 の国 民性 が如 何 に賄 賂 の増 収 を平 気 でや る傾 向 が あ ると し ても、 之 には 強 ち露 西 亜側 か ら の み が 利 く と言 ふ訳 でも な いし 、 又 現東 支 鉄 道 支 那側 幹 部 は立 派 な智 識 、 名誉 、地 位 を備 へた人 々 であ る から 、 そ れ ほ ど露 骨 な愚 は演 じ ま い。 加之 彼 等 を監 視 す る に 一般 商 民及 監 督 官憲 のあ る以 上 、結 局 さ ま で
第 二項
東 支 鉄 道運 輸 営 業 実 費 の高 率
乱暴 な南 行運 賃 増 額 は出来 な いであ ら う 、 と考 へら れ る。
東 支 鉄 道 の貨 物 運 輸 実費 を計 算 す る こと は甚 だ困難 な 問 題 であ る 。 今之 が大 体 を知 る為 に、同 鉄 道 統 計 年 報 か ら左 の如 く算 出 し て見 る 。 一、 更 に東 支 鉄 道 の最 近 の客 貨 収 入 を 見 る に (社内 貨 物 を 除 く)
之 に対する満鉄 の客貨収 入を見 ると ( 社内貨物を除く)
(単 位 、留 )
一、 東 支 鉄道 の鉄 道営 業 収 支 の最 近 の分 は 左 の如 く であ る 。
之 に対 す る満 鉄 の鉄 道 営業 収支 (単 位 、 円)
即 ち 本表 に依 つて 一般 鉄道 営 業 収 入 に対 す る支出 の割 合 が 、東 支
鉄 道 の方 が如 何 に高 率 に当 つて ゐ るか を知 る こと が出 来 る。
即 ち前 記 の表 に依 つて東 支鉄 道 の鉄 道 営 業 支出 が収 入 に比 し て甚
し て将 来 貨 物 が東 行 の みす る も のでも な いし、 そ れ に依 つて東 支 が
満 貨 物 の東 行 を策 し たと て、満 鉄 が倒 壊 す るも ので も な い から 永続
け れど も 前 にも述 べ た如 く 、東 支 が運 輸実 費 以 下 の運賃 を 以 て北
将 来 大 な る利益 を挙 げ 得 ら れ る と は尚 更 考 へら れ な い。 更 にま た東
だ多 い こ とと 、客 貨 車 収 入 が殆 ど鉄 道 営 業 収 入 の全 部 であ る こと及
人 は茲 に東 支 鉄 道 運輸 の噸 哩 実 費 の精 細 を 知 る こと を得 な いが、 前
貨 車収 入 が客 車 収 入 の三 倍余 であ る ことを 知 る こと が出来 る 。今 吾
支 鉄 道 の財 政 状態 は第 三 項 に述 べ る如 く決 し て豊 富 で は な い。
かく 観 じ 来 れ ば 、東 支 鉄 道 の運 輸 実費 が収 入 に対 し て甚 だ高 率 に
記 に依 つても 非 常 に高 率 であ る こと を概 識 す る こと が出 来 る 。
当 つて ゐ る こと は 、会 社 と し て は非 常 に苦痛 とす る処 で徹 底 的 に南
尚如 何 な る根拠 、仮 定 の下 に計算 し たも のか知 ら な いが 、東 支 鉄
五 ・一九
収入( 哥)
四 ・〇 七
四 ・二 四
支出 ( 哥)
〇 ・六 四
〇 ・九 五
摘要 予算 に よ る 〃
る。
鉄 道 建 設費
産
二億 二千 万留
東 支 鉄 道 の財 政状 態 は左 の如 く であ る。
第 一、東 支鉄 道 の財 政状 態
困 難 であ る。 左 に 比較 的 信 憑 す る に足 る と思 ふ処 を掲 げ る こと とす
東 支 鉄 道 、鳥 蘇 里鉄 道 の財 政 状 態 は之 を詳 ら か に知 る こと は 甚 だ
東 支 、 烏 鉄 の財 政 状 態 の貧 弱
道 統 計 年 報 によ る と、 一般 貨 物 運送 に依 る運 賃 及実 費 は左 の如 く で
年度 四 ・七 一
一・〇 九
第三項
行 貨 物 抑 制 を な し 難 い 一原 因 を な し て ゐる。
一九 二一
二 ・八 六
東 支鉄 道 一般 貨 物 噸 哩 輸 送収 入 の鉄 道営 業 割 当 額
ある。
一九 二 二 三 ・九 五
差引益( 哥)
一九 二 三
甲 、資
兎 も角 以上 に依 つて東 支 鉄 道 の運 輸 の実 費 が非 常 に高 率 に当 つて ゐ る こと が分 か る 。而 し なが ら 運輸 実 費 が非 常 に高 率 に当 り 、純 益
イ
あ らう 。
之 は 現 在 の東 支 本 線 のみ 、而 し時 価 に換 算 す れ ば莫 大 な も ので
が甚 だ少 なく と も将 来 の莫 大 な る利 益 を見 越 し て 一時 の損 失 を忍 ぶ と か 、 又 は会 社 の財 政 が非 常 に豊 富 な時 は 実費 以下 に運 賃 を引 き 下 げ る こと は容 易 であ る。
ロ
債 権 、 約 二 千 二百 五 十 一万留 此 の中 最 も多 額 のも のは 聯合 国 軍事 輸 送 料金 中 未 払 の分約 一千
六 十 五万 留 、 支那 軍 隊 輸 送 料約 六百 三十 七 万留 、 支 那 軍隊 に供 給 し た諸 材 料 及 燃 料代 約 百 九 十 六 万留 等 であ る が 、此 等 は 何 れ も 回
一九 二 〇年
一 一、 九 七 八 、一六 二 〃
一六 、五 三四 、八 七 六〃
二 二 、三 四五 、五 〇 四 布度
一、六 六、一 二一平 方 サ ーゼ ン
附 帯 事 業 。 こ の評 価 は甚 だ 困難 で あ る が所有 財 産 の主要 な も の
建 設 費 以 外 の附 属 土 地 及鉄 道 の動 産 、 不動 産 及 特 別 企業 並 に
収 不能 の見 込 み で差 引 約 千 八 百 九 十 七万 留 であ る。 ハ
は 左 の通 り であ る。 A、 鉄道 営 業 以 外 の諸 建 物 B、 札頼 諾 爾 炭 坑
一九 二 一年
最 近 の発 掘 量 左 の如 し。
一九 二 二年
一二 、一八 七 、〇 九 二 〃 七 ケ所
一九 二 三年
一九 二 一年 E、 自 動 車 庫
三 五 三 、五 二七
一九 二三 年
自 動 車 数 及建 物 坪 数 不 明
最 近 に於 け る設 備 左 の如 し。
F、 電 信 、電 話
G 、哈 爾 賓 電 話 局
二 五九 、七 六八
一、九 〇 二 、一七 二
鉄道線路及土 工物用地以外 の空地
H、 付属 地 及林 区 (単 位 、デ シ ヤチ ン)
約八万三千
十 二月 二十 一日 現在 の最 近 数年 間 の設 備 左 の如 し 。
一九 二 〇年 (五 ケ 所)
二、三二 一、四九 六
約二万八千
最 近 の総 供 給 電 力 (キ ロワ ツ ト時 ) 左 の如 し 。
C 、発 電 所
一九 二 一年 (四 ケ所 )
二、八 五 〇 、三九 五
一九 二 二年 (六 ケ 所)
約五万五千
一九 二 二年
三 一〇 、二六 四
区 I、 所 有船 舶
林
其 の中
農耕適地 二、七 六 二 、七 三 三
四五 五 、三 二 四
約十九万
農耕不適 地
一九 二 三年 D 、給 水事 業
一九 二〇年
最 近 の給 水量 左 の如 し ( 単 位 、 立 方 サ ーゼ ン)。
約二千万留
定 期 支 払 金 の未 払
二億 留
約 二百 十 万留
で あ る が、 多 く は匆 急 に支 払 を要 し な いも のであ る。 社債
之 は鉄 道 建 設後 間 も なく のも ので あ るか ら 元利 合 計 す れ ば、 現
ニ
聯 合 国 の東 支援 助 資 金
約 二 千 万円
在 は 五億 留 以 上 と言 ふ。 而 し て多 く は仏 国資 金 であ る 。 ホ
日、 英 、 米 各 四百 万円 、 支 那 は 五十 万弗 で其 の他仏 、伊 等 の諸 国 ので あ る。
東 支 鉄 道 の資 産 、負 債 は 大体 に於 て前 記 の通 り であ る が、 これ を
回収 不 能 見 込 み のも のあ り 、 又負 債 の中 にも急 いで償 還 を要 し な い
時 価 に評 価 し て比 較 す る こと は甚 だ困 難 であ る。 加之 債 権 の中 には
貯蔵 品 等 である。
二 債
も の、 又 は値 切 り得 る可能 性 を認 め得 る も のも 多 い。 然 し 東 支 鉄道
乙、負 五百 万留
の不 動 産 を 除 けば 東 支 鉄 道 の資 産 とし ては見 る べき も のは余 り なく 、
金
株
之 に反 し負 債 の莫 大 な 額 に上 つて居 る こと は前 記 に よ つても 明 ら か
イ
で あ る。 而 し て よし 前 記 の東 支 の鉄 道 営 業 に関 係 な き附 帯 諸 企 業 を
支那政府 に対する債務 (社債)千 二百万上海両 之 は 一九〇五年 五月 一日東支鉄道敷設条令 により出資 したる庫
手 放 し て売却 す る とし ても到 底 諸 負 債 を悉 済 す る こと は思 ひ も 寄 ら
ロ
九二 一年以後は年利 五分 の割合で毎年 一回宛 の利子支払を要す る
平銀 五百両を、 一九 二〇年十二月卅 一日迄複利計算したも の。 一
な い。依 つ て現 在 では 前 記負 債 の部 のロ の支 那 政 府 に対 す る債 務 を
除 く 外 の諸 債務 は そ の儘 と し て全 く 手 を着 け ず に漸 く 会 計 の辻褄 を
約百七十万留
約二百八十五万留
貨 次 第 に下落 し て各 種 貨 幣 の受 入 れが 行 は れた 時 で換 算 困 難 であ る
あ る。 こ の中 、 一九 一六年 か ら 一九 一九年 迄 は本 国 の政 変 の為 、露
然 ら ば東 支鉄 道 の収 入 は如 何 と見 る に 一九 二 一年 迄 は大抵 欠損 で
第 二、東 支 鉄 道 の収 入
明 ら か であ る。
合 せ てゐ る状 態 で あ る こと は、 次 に述 ぺ る東 支 鉄道 の収 入 を 見 ても
購買委員会
約三百四十 二万留
約 二百五万留
其 の他 の債務額
約 二千万留
も のである。 ハ
約 二百八十万留
此 の中主な るも のは 同
聯 合国技術部長 スチーブ ンス氏 露 国交通省 の軌道材料代 支那銀行借款 請負人 に対する振出手形
東
支 鉄
道
収 支
額
し 、 且 又会 社 の秩 序 も 四囲 の経 済 的状 態 も乱 れ てゐ た際 であ るか ら
な つた 。斯 く て同 鉄 道 の営 業 収 支 及 財 政 は東 支 鉄 道 のそ れら の 一部
れ て来 た ので、 同 鉄 道 庁 は東 支 鉄 道 の事 務所 た る に過 ぎ ざ る状 態 と
をな す こと と な つた。 然 る に 一九 二〇 年 二月 末 浦 塩 に於 け る赤 派 の
省く。
沿 海 州臨 時 政府 は単 独 に烏 蘇 里鉄 道 の独 立 と、 東 支 鉄 道 が敷 設 し た
以 上 の如 く東 支 鉄道 は毎 年 鉄 道 営業 で は純 益 を挙 げ て居 る が、附 帯 事 業 では毎 年 欠 損 を招 いて居 る。而 し て総 収 支 に於 ては (一九 一
エゲ リ シ エリ ド埠 頭 の回収 と を声 明 し てよ り烏 鉄 は 独 立 し て経 営 さ
ヤ が ソヴ エート政 府 に統 一さ れ た と共 に ソヴ エー ト政府 の管 轄 に帰
れ た が、 一九 二 一年 十 月 日 本軍 が沿 海 県 から撤 退 に伴 な い全 シベ リ
し た 。故 に同鉄 道 の財 政 と し て独 立 し て考 へる こと は 不可 能 であ る
五 年 は 別 と し て) 一九 二 二年 及 一九 二 三年 の約 二百 万留 単 位 の純 益
斯 の如 く多 く の利 益 を挙 げ 得 な い理由 は第 二項 に述 べ た如 く 、 冗
し 、 又 茲 には無 役 の こと であ る 。
を 挙 げ た が外 の各 年 は皆 欠 損 で ある 。
に高 い のが第 一原 因 を な し て居 る。第 二原 因 と し て は特 別 企 業 支出
費 が 多 く し て噸 哩 又 は 人 哩当 り の運賃 収 入 に対 す る 支出 の率 が非 常
沿 海 州 の政 状 を 始 め 一般 経 済 状 態 が乱 脈 を極 めた 時 であ り、 烏 鉄 も
料 があ る ば か り で正 確 詳細 な こと は分 から な い。 日 本軍 駐 屯 時 代 の
烏 鉄 の収支 も最 近 六 、 七年 間 の分 は 日 本軍 駐 屯 時 代 に断 行 的 の資
現 鉄道 長 官 イ ワ ノ フ氏 は就 任 以 来 同鉄 道 の廓 清 を期 し極 力 冗 費節
輪 転 材料 の欠 乏 、 修 理 工事 の放 擲 等 で運 転能 力 を 発揮 す る能 はず 、
の多 い こと等 であ る。
に着 手 し 、先 づ寺 院 、教 会 への補 助打 切 り、 会 社経 営 の学 校 の移管 、
又 出 廻貨 物 も甚 だ少 な く全 く変 態 であ つた から 、 之 を 以 て常 時 を推
約 し て鉄 道 営 業 純 益 の増 加 を 図 り 、更 に附 帯 事 業 及特 別企 業 の整 理
利 益 を挙 げ 得 な い事 業 の整 理 等 に努 力 し以 て会 社 の財 政 を 豊 富 にせ
烏 鉄 は 一九 二三 年 三 月 に ウ シ ユー ムイ ン︱ 哈 府 間 及其 の間 の諸支
す こと は 困難 であ る。
線 を含 む 旧黒 竜 鉄 道 の半 ば 以 上を 自 己 の管 轄 内 に入 れ た為 、 旧 時 の
け れ ど も国 際 会 社 た る関 係 上 露 支両 国 の利 害 相反 し主 義 、 主 張相
む と し て 居 る。
背 馳 す る場 合多 く 、事 志 と異 な り 予期 の整 理縮 少 を為 し得 な い場合
総 延 長 九 一 一露 里 が 一、 八 七 二露 里 に増加 し て居 る 。
け る鉄道 ﹂ な る記 事 及極 東 革 命 委 員 会 発 行 の ﹁極 東 に於 け る ソヴ エ
誌 ﹁極東 経 済 彙 報 ﹂ 所載 の烏 鉄 副 長 官 ニ コリ スキ ー氏 の ﹁極 東 に於
鳥 鉄 の収 入、 支 出 に関 す る資 料 は前 記 の如 く 少 な いが、 今 之 を雑
も甚 だ多 いやう であ る が、 労 農式 に相 当 思 ひ切 つた ことを やる か ら、
益 も増 加 す るで あ らう が、 第 一の財 政 状 態 で述 べ た如 く 、 同 会 社 の
此 の方 面 に於 け る成 績 は幾 分 は 挙 が る こと と 思 ふ。 然 らば 会 社 の純
負 債 は甚 だ多 いか ら之 が弁 済 に任 ず る なら ば 、 其 の利 子 だ け の収益
ー ト政 治﹂ な る小 冊 子 よ り訳 出 す ると 、 左 の通 り であ る。
第 三 、鳥 蘇 里 鉄 道 の財政 及 鉄 道 営 業収 支
を挙 げ る こと さ へ現 在 の状 態 では 不可 能 であ ら う。
烏 蘇 里 鉄道 は其 の完 成 に先立 ち 一九 〇 六年 東 支 鉄 道 に委 託 経 営 さ
烏鉄輸送貨物及旅客表
烏 鉄 収 入 ・支出 表 (単 位 、 留)
本 収 支表 は余 り に簡単 に過 ぎ るけ れ ど も、 最 近 に至 つても 尚 欠 損 の状態 であ る ことを 推 知 す る こと が出来 る 。
烏 鉄 の収 支 の相 償 は な い のは、 主 と し て永 年 の戦 禍 の為 鉄道 が荒
廃 に委 さ れ て来 た の に対 す る修 理 費 の多 いのと 、其 の延 長 の過半 は
貨 物 の至 つて少 な い、 而 し て 運 行 の甚 だ困 難 な旧 黒 竜 鉄 道 を合 併 し
然 し乍 ら如 何 に烏 鉄 の収 支 が 相償 はず 、 而 し て ソヴ エート政 府 の
た こと に基 因 し て居 る。
財 政 が豊 か でな いと は言 ひ な が ら 、露 西 亜 には延 長 数 万 哩 の鉄 道 が あ る 。而 し て此 の中 の千 哩 余 に過ぎ な い烏 鉄 の経 営 位 は 如 何様 にも な る も のと考 へら れ る。 露 西 亜 が北 満 に於 け る既 往 の勢 力 の挽 回及
半 期総 車 数 一ケ月 平 均 車数 一日平 均 車 数
自 鉄 積 荷
隣 接 鉄道 よ り受 入
計
而 し て同 半 期間 の平 均 一車 積荷 量 は八 八九 ・六六 布 度 で あ る。 今
計
沿 海県 の繁 栄 を 図 る ことは 、 露 西亜 に と つて は最 も重 大 な国 策 た る
自鉄 積 荷 隣 接 鉄道 よ り受 入
ば 、左 の通 り 。
)
仮 に前 記 の積荷 数 量 を平 均 一車 積 荷 量 を 取 つて布 度 当 り に換 算 す れ
(
には違 ひ な いけ れ ど も如 上 の理由 よ りし て、満 鉄 が烏 鉄 と徹 底 的 に
烏 鉄 及 浦 塩港 は殆 ど北 満貨 物 に より て
東 支 か ら烏 鉄 に輸 入 し た貨 物 総 量 の約 四 千 三百 六 十 三 万布 度 と 対照
之 を 第 二章 第 二表 の 一九 二 三年 一ケ年 間 のポ グ ラ ニチ ナ ヤ経 由 で、
半期運送貨物総量 布 度
競 争 し て北 満 の輸出 貨 物 を 悉 く奪 つたと て、烏 鉄 が倒 壊 す る と か、 浦 塩港 が滅 亡 す る やう にも考 へる者 あ りと す れば 、 そは 過 の甚 だし いも の と言 は ね ば なら な い。故 に莫 大 なる損 失 を見 越 し て迄 吾人 は
第 四項
烏 鉄 と争 ふ愚 は避 け ねば な ら な い。
生命 を 有 す る 烏 鉄 の輸送 客 貨 数 量 の詳細 な統 計 が な い為 、本 項 の精細 な説 明 に は 困難 であ る が 、次 によ つて も之 が 大 体 を知 る には 充 分 で あ る。
第 二章 の第 四表 に記 載 の通 り で あ るが 、烏 鉄 副 長 官 ニ コリ スキ ー氏
確 には言 は れざ るも 、前 記 の如 く 東支 か ら受 入貨 物 が烏 鉄 全 輸送 貨
る 。 今之 等 の各 貨 物 よ り の運 賃 収 入 が各 幾 何 な る か不 明 な る故 に適
二露 里 ( 約 一、 二三 五 哩) の鉄 道 の輸 送 貨 物 が 斯 く の如 く 貧 弱 で あ
て東 支鉄 道 よ り輸 入 し た も の であ る 。現 在 の烏 鉄 の総 延長 一、 八 七
し て見 る と自 ら 明 ら か で、即 ち 隣 接鉄 道 よ り の受 入貨 物 と は主 と し
が ﹁極 東 経済 彙 報 一九 二四年 八 月 号 ﹂ 所載 に よ ると 、 一九 二三年 十
東 支 鉄 道 よ り ポグ ラ ニチ ナ ヤ経 由 で烏 鉄 に輸 出 さ れ た貨 物 数 量 は
月 一日 より 一九 二四 年 三 月 三十 一日 に至 る半 年 間 の烏 鉄 積 荷 状 態 は
て ふ背 後 市 場 によ り生 存 し て居 る か を知 る こと が出 来 よう。
貨 物 と同 港 通 過 の北満 輸 出 入 品 と を対 比 せば如 何 に浦 塩 港 は 、北 満
烏 鉄 に取 り ては 死 活 に関 す る重 大問 題 で ある 。更 に浦 塩 港 の輸 出 入
物 の約 三分 の 一を占 め て居 ると す れ ば、 之 を悉 く奪 は れる に於 ては
)
左 の通 り であ る。
自 一九 二三年 烏 鉄積荷数量表 至 ( 一九 二四年前半期
浦 塩港 輸 出 入 貨 物数 量 表 (単 位 、 千布 度)
南満 鉄道 輸 送 貨 物 と 東 支連 絡 貨 物 と の比較 表
即 ち 旧 の事 は問 は ず と す る も最 近 の 一九 二〇 年 以 後 四箇 年 間 の東
即 ち最 近 の数 年間 に見 るも 東 支 、南 満 連 絡 は満 鉄 全 貨 物 に対 し噸 数 に於 て約 十 分 の 一内 外 、 収 入 に於 て六 分 の 一内 外 で、 更 に以前 に
(約 五 十 一万 四千 噸 ) で、 同 期 間 の浦 塩 港 輸 出 入貿 易 顧 は年 平均 約
支 鉄 道 よ り烏 鉄 に移 入 し た貨 物 は 、年 平 均 二千 八 百 三 十 四 万 布 度
三千 九 百 九十 万 布 度 ( 約 七 十 二万噸 ) で、 其 の中輸 出 が大 部 分 で年
平 均 約 三 千 五十 七万 布度 ( 約 五 十 五 万噸 ) であ る 。
浦 塩 港 経由 北 満 への輸 入貨 物 数 量 の詳 細 は不 明 で あ る が、 浦塩 港
の輸 入 額 そ れ自 身 が 前表 の如 く 極 く僅 少 なも の であ る から 大 体想 像
が つく 。 北満 から 浦 塩 港経 由 輸 出貨 物 数 量 は 同 期間 の年 平 均 額 は約
二千 四 百 六十 二万 布 度 ( 約 四十 四 万噸 ) で、 浦 塩港 輸 出 貨 物 総額 の
而 る に満鉄 に於 ては よ し束 支 鉄 道 か ら移 入 し 、 又 は満 鉄 より東 支
約 八 割 に当 つて居 る。
へ移 出 す る貨 物 が皆 無 と な つたと 仮 定 し て も ﹁会 社 の死 活 に関 す
る﹂ と言 ふ が 如 き大 問 題 でな いこと は 、 左記 によ つて明 白 であ る 。
遡 れ ば噸 数 に於 て三 、 四十 分 の 一、収 入 に於 て十分 の 一に過 ぎ な い。
最 近 数年 間 の趨 勢 によ つて判 断 し て満 鉄 が 東 支 と の連 絡 が絶 へた る
が為 に年 約 一千 万円 の減収 は可 な り の打 撃 に は違 ひ な いが、 之 が純
し 得 る も のであ る。今 左 に之 等 の対抗 策 とし て の輸 送 機 関 に就 き て
の方 法 によ つて 、其 の中 の幾 分 は必 ず 満鉄 に取 れ る から東 支沿 線 の
常 に惧 れ て居 る こと は事 実 で あ つて、 之 は東 支 に取 つては 大 な る恐
東 支鉄 道 は東 支 沿 線 の貨 物 が馬 車 輸 送 に依 つて長 春 に出 る事 を 非
第 一、馬 車 輸 送
順 次 略説 し よう 。
貨 物 を 全 然東 行 に奪 は れる やう な こと は な いが、 烏 鉄 の方 は此 の便
威 であ る が、 我 が満 鉄 に取 り て東 支 鉄 道 の運 賃 政 策 を牽 制 し得 る効
り の つ かぬ 程度 のも の では な いし 、 又 馬車 輸 送 、 河 川輸 送 及 其 の他
益 は三 、 四 百 万 円 に過 ぎ な いで あら う か ら決 し て満 鉄 と し て遣 り繰
益 に恵 ま れ て ゐ る こと が甚 だ勘 な い。 故 に烏 鉄 が徹 底 的 に北 満 貨 物
果 は多 大 で あ る。
五 車 に付 き
二車 に付 き
〃
〃
二七 ・四 五元
二 三元
大 洋 二〇 元
〃
〃
斯 の如 く東 支 鉄 道 では か な り莫 大 な る犠 牲 を 忍 ん で迄 貨物 を自 鉄
三 〇元
に引 か う と努 め て居 る ので あ る。 北満 の農 産 物 の年 々歳 々増 加 し て
十 車 以 上 に付 き
のは 至 極 尤 も な事 であ る。然 し乍 ら 之 には実 力 を 要 し策 略 を要 す る
行 く事 は事 実 で ある 。 け れ ど も東 支 鉄道 の吸 収輸 送 す る穀 類 の増 加
〃
千 布 度積 一車 に付 き
示そう。
左 に本年 一月 頃 楡 樹 、 伯都 納 方 面 で東 支鉄 道 が 発表 した奨 励 金 を
当 然 であ る 。
て異 な り 、馬 車 輸 送 と の競 争 の最 も 激 烈 な時 と処 ほ ど率 が 良 いの は
節 割引 を見 れば 一目 瞭 然 で あ る。 此 の奨 励 金 は時 に依 り、処 に依 つ
の盛 ん で あ つた 三 岔 河 駅発 送 の東 、南 両行 大 豆 に対す る調 節費 及 調
て居 る こと、 及 第 三章 の調節 費 の条 に表 示 し た、本 年 最 も 馬車 輸 送
鉄 道 に依 り て輸 送 す る も のに は東 、 南 行 に拘 ら ず 、奨 励 金 を交 付 し
無 数 にあ るが最 も顕 著 な る例 は 、東 支 南部 線 沿 線 の貨 物 にし て東 支
東 支 が馬 車 輸 送 に依 り て貨 物 の長 春 に出 る のを惧 れ て居 る所 以 は
の東 行 を 策 し た と て、 我 が満 鉄 の受 け る純 益 の減 少 は百 万 円位 に過 ぎ ぬ であ ら う と 思 は れ る。 大 連 港輸 出 入貨 物 数 量 表 (単 位 、 万噸 )
之 に前 記 の東 支 、 南 満連 絡 貨 物 噸 数 を 対 比 せば 、 同連 絡 貨 物 が悉 く 大 連 経 由 で輸 出 さ れ ると仮 定 し ても 、大 連 港 の輸 出総 額 に比 す れ ば 微 々た る も ので あ る。 況 ん や同 連 絡 貨 物 で原 形 の儘 大連 経 由 輸 出
満 鉄 の北 満貨 物 吸 収 策
され るも のは 、全 連 絡 貨 物 の約 半 分 位 であ らう と 思 はれ る に於 て お や であ る。 第 五項
事 は 勿 論 であ る が、 之 を 無 理 に も東 行 せ し め様 と す れ ば 、満 鉄 側 で
東 支 鉄 道 の露 西亜 側 と し て は輸 出 貨 物 は之 を悉 く 東行 に奪 ひた い
も 之 が対 抗策 に依 て東 支 鉄道 の輸 出 貨 物 の東 行 偏 護 政 策 を予 め牽 制
認 め得 る所 で あ る。 之 は 主 と し て他 の輸 送 機 関 殊 に馬 車 輸送 に依 る
は 、北 満 の剰 余 穀 類 の増 加 よ り も高 率 を 示 し て居 る こと も 明ら か に し よう 。
鉄 道 経 済 局 の調 査 に か か る北 満 の輸 出 穀類 を輸 送 種 別 に依 つて表 示
移 出 穀 類 を鉄 道 に誘 引 し た結 果 と 見 な け れば な ら な い。今 左 に東 支
ど そ の半 ば に達 せ ん と す る勢 ひを 以 て盛 ん に馬 車 輸 送 を さ れ た の で
の原 因 に依 り大 い に馬 車輸 送 を助 長 し、 北 満 よ り の全 移 出穀 類 の殆
輸送種別 に依る北満輸出穀類数量表 ( 単位、百万布度)
註 、 水路 輸 送 と は松 花 江 を 下航 し て シ ベ リ ヤ に出 る も のと 、同 江
あ る が、 一九 二 一年東 支 、 南 満 両鉄 道 間 に連 絡 運 賃 協 定 が成 立 し た
こと 、及 東 支 鉄 道 の秩 序 が立 つて来 た こと 、及 浦 塩 港 の復 活 し て来
を 上航 し て南満 に出 るも のと で あ る。 馬 車 輸送 は全 部 南満 への
本 表 に依 つて 馬車 輸 送 は鉄 道貨 物 に対 し て如何 な る地 位 に在 る か
た のに従 つ て馬 車輸 送 が漸 次 減 少し て行 つた のであ る。更 に左 に示
輸 出 であ る 。
の移 出 穀 類 が 鉄道 に依 り移 出 さ れ た るも の の約 五十 % 、 北 満 よ り の
を概 識 す る こと が出 来 る。 即 ち欧 洲 戦 乱 前 迄 は馬 車 に依 る北満 よ り
の三数 量 の増 減 を比 較 し て見 れ ば、 北 満 よ り の輸 出 貨 物 に対 す る 馬
す 累年 の東 支 鉄 道発 輸 出 貨 物 、 同輸 出 南行 貨 物 及 長 春 自 駅発 送 貨 物
車 輸送 の勢 力 の 一班 を窺 ふ に足 る と思 ふ。 ( 単 位 、 百 万 布度 )
全輸 出 穀 類 の約 三、 四十 % を占 め て居 た が 、 其 の後 は同 戦 乱 の余 波 を受 け て東 支 鉄 道 の輪 転 材料 の不 足 と 運賃 の暴 騰 、 浦 塩 港 の閉 鎖 等
註 一、全 輸 出 貨 物 の中 、 寛 城 子 経由 を除 けば 残額 は全 部 ポ グ ラ ニ
一日迄 ) にし て、東 支 鉄 道 の分 は 其 の年 の 一月 一日 より 十 二月
註 二 、長 春 駅 発 送 貨物 は年 度 (其 の年 の四月 一日 よ り翌 年 三 月 卅
を要 し 、 運 搬 に長 い期 間 を要 し 、運 送 可 能 期間 は冬 期 に限 られ 、然
鉄 道 輸 送 と 同額 に な る。 素 よ り馬 車 輸 送 には 上述 の如 く各 般 の準備
度 一仙 と 返 り荷 の運 賃 を 馬 車 夫 の収 得 と 見 積 れば 差 引 、馬 車 輸送 と
記 の馬 車 輸送 運賃 は返 り荷 を 空車 とし て の計算 であ るか ら、 此 の布
じ であ るか ら 、鉄 道 に依 る 方 が布 度 当 り約 一仙 高 値 に当 る。 更 に前
戻 金 を 加 ふ れ ば 一七 ・六 三哥 と な る。 金 留 と大 洋 と の相 場 は殆 ど同
卅 一日迄 のも の であ る。 長 春 自 駅発 送 貨 物 の増減 に反 比 例 し て
も馬 賊 の被 害 を 始 め各 種 の不 安 を伴 な つて居 る け れ ども 、現 在 為 し
チナ ヤ経 由 の東 行 と認 め て大 差 は な い。
は 取 り も直 さず 馬 車輸 送 の消 長 を 物語 つて居 る ので あ る。
つ ゝあ る様 な多 額 の運賃 払 戻 を し な く と も、 豆粕 、豆 油 の如 き馬 束
寛 城 子 通 過 南 行 輸出 貨 物 が増 減 し て居 る のを 見 て も、 此 の増 減
馬 車輸 送 の特 長 及 由来 は茲 に は余 り問 ふ 必要 はな いが 、馬 車輸 送
為 し て鉄 道 と 競 争 出来 な い事 も な い。
斯 く観 じ 来 たる と き は馬 車輸 送 は東 文 鉄 道 の南 行 抑 圧 運賃 政 策 を
輸 送 に適 し な いも のは 止む を得 な いが 、粒 穀 にあ り て は馬 車輸 送 を
牽制 す る大 な る効果 を持 つて居 る こと は論 より 証拠 、上 記 の東 支 鉄
は 原 始 的輸 送 機 関 であ つて文 明 の利 器 では な い。 馬 車輸 送 に対 す る
那 な ら ば こそ 、未 開 な ら ば こそ であ る 。 け れ ども それ は兎 も角 とし
道 が馬 車 輸 送 の最 も盛 ん であ つた南 部 線 三 岔 河 駅 の調 節 費 (三 月
障 碍 、 不便 も 可 なり 多 い。而 も之 が鉄 道 と競 争 し 得 るな ど は全 く支
て上 記 の如 く威 力 を 発揮 す る とす れば 、之 は東 支 鉄道 に取 り て は頭
る。
分) を 、他 の駅 に比 し て甚 だし く安 くし た の に徴 し ても 明 ら か であ
痛 の種 と な ら ざ る を得 な い。 本 期 は奉 直 戦 に車 輌 、 人馬 を徴 発 さ れ た後 を受 け た為 、車 輔 、 馬 匹 の僅 少 であ つた のと、 馬 賊 の跳 梁 し た こと 及匇 急 の間 に計 画 した
船輸 送 に依 り て東 支 鉄道 の勢 力 圏 内 に あ る貨 物 を満 鉄 線 に吸誘 す
送
る可 能 性 は 甚 だ少 な い。 これ は前 記 の馬 車輸 送 の条 に表 記 し た東 支
輸
た様 子 であ る が 、現 在 の儘 の東 支 鉄 道 南 部 線 の運 賃 諸 掛 が続 いて実
鉄 道 経 済 調 査局 の調 べ にな る北 満 の輸 出 穀類 の中 、 水路 に拠 り て輸
第 二、 船
施 さ れ ると す れ ば 、哈 爾 賓 ︱ 長 春 間 の如 きは 或 は馬 車 輸 送 に依 つて
出 さ れ たも の の極 く少 な い のを見 て も良 く 解 か る こと で 、然 も 水路
のと で準備 も足 り な か つた等 のた め盛 大 に馬車輸 送 を 行 ひ得 な か つ
試 み に哈 爾 賓 事 務所 調 査 課 の鈴 木隆 司 氏 の計 算 に依 ると 、 帰荷 は
に依 り て輸 出 さ れ た も の の大部 は松 花 江 を 下航 し て露領 に 入 つた 右
鉄 道 に対 抗 し て競 争 が出 来 得 る ので は な から う か とも 考 へら れ る。
空 車 とし て哈 長 間馬 車 輸 送 一布度 当 り の運 輸 実費 は十 六 仙 六 厘 と な
ので、 同 江 を 上航 し て吉 林 に出 た も の は僅 か で あ る。
松 花 江 を 上航 し て九 姑 に陸 揚 げ し た こと が あ る。 之 は 前 記 の当 時 馬
一九 二〇 年 に哈 爾 賓 の小 寺 洋行 支 店 及 其 の他 が其 の貨物 を船 に て
つて居 る。 而 る に現在 東 支 鉄 道 の哈長 間 輸 送 の運 輸収 得 を、 例 へば 大 豆 に就 て東 支 、南 満連 絡 輸 送 に見 る に 、調 節 費 及換 算 率 を 三 月 分 で計 算 す れば 、 一布度 当 り 一二 ・七 五哥 とな り 、之 に満 鉄 よ り の払
車 輸送 が非 常 に盛 大 であ つた のと同 一の理由 に依 つで で あ るが 、運
東 支 鉄道 の貨 物 を 奪 ふ為 に競 争 線 を布 設 す ると す れ ば、最 も適 当
な も のは長 春 より 安達 に至 る線 を 敷 く に あり 、共 の他 にも多 数 あ る。
松 花 江 を上 航 し 嫩 江 、 〓児 河 を経 て〓南 に貨 物 を 運 ぶ と言 ふ途 も
賃 と 日数 の点 に於 て到 底 採算 は取 れ な か つた と言 ふ。
は満 鉄 の示威 位 に考 へて居 た ら し いが漸 く 其 の実 現 の端 緒 を見 る や
現 に建 設 に 入ら んと し つ ゝあ る〓 斉線 の如 き も 、束 支 鉄 道 では最 初
急 に周章 狼 狽 し て色 々対 策 を講 じ つ ゝあ る模 様 であ る。 東 支機 関 紙
あ るが 、 これは 松 花 江 を 上航 し て九 軸 に荷 揚 げ す る以 上 に費 用 が嵩 む であ らう と 考 へら れ る。故 に船 輸 送 は現 在 の処 では 東支 の南 行 抑
迄 既 に度 々行 な わ れ た こと で あ る。之 が公 然 団 体 と し て行 な つた主
今 回東 支 鉄 道 南 部線 の運 賃 値 上げ に対 し て華 商 の値 下 げ 運動 は今
の反 対
第 六項 、 束 支鉄 道 の今 回 の運賃 に 対す る支 那商 工団
的 対 抗 策 を講 じ な か つた 不見 識 を責 め 、之 が鞭 撻 に努 め で居 る。
ザ リ ヤさ へ最 近 し き り に東 支 鉄 道 が今 日迄 此 の線 に対 し て何等 積 極
第 三、 自 動 車輸 送
圧 運賃 政 策 を 牽 制 す る 助 け と は余 り な ら な い やう に考 へら れ る。
自動 車 輸 送 と は貨 物 自 動車 輸 送 及 牽 引自 動 車 輸 送 であ る が、 哈爾
いが、何 と言 ふ ても 未 だ 経駿 さ れた こと が な い の で確 定的 に は分 か
賓 ︱長 春 間 の如 き 長 距 離 で且粗 悪 な 道 路 上 の運 行 は 困 難 で あ るら し
ら な いが大 抵 採 算 は む づ か し いであ ら う。
より は高 価 にな る こと と 思 は れ る。依 つて現 在 の状 態 で は未 だ北 満
あ る場 合 は同 じ く 二 十 一銭 に当 ると 言 ふ が、 実 際 に行 ふ とす れ ば 之
費 は片 荷 の場 合 は、 哈 長 間 一布 度 三 十 一銭 六厘 の割 合 に 、返 り荷 の
す る事 は各 種 事 情 が之 を許 さ な い。茲 に於 て哈 爾賓 実 業 の最 も主 要
な ら な い。 而 る に北満 の豆粕 は之 を大 連 に搬 出 せず し て浦 塩 に輸 出
賃 値 上 げ に依 り 、 南満 連 絡 一車 に付 き 四十 余 元 の料 金 を前 払 せ ねば
哈 爾賓 商 務 総 会 の請 願 の大 要 を 摘記 す れば ﹁今 回 の東 支 鉄道 の運
な るも のは、 哈 爾賓 商 務会 及 大 連 油房 業 団 体 の 二 つが あ る。
では自 動 車輸 送 の域 迄 は 逮 し な い。 従 つて之 も 亦 東 支 鉄道 の運 賃 政
な る油房 業 が自 滅 し徒 ら に南 満 日商 を し て跳 梁 せ し め る こと と な る。
哈爾 賓 事 務 所 調 査 課 鈴 木隆 司 氏 の計算 に依 れば 、 自 動車輸 送 の実
策 を牽 制 す る効 果 は 至 つ て少 な い。
東支 鉄 道 の輸 送 貨 物 を 奪 ふ目 的 を 以 て鉄 道 を 布 設 す る とし ても何
か ら 、 一方 鉄 道 の利 益 を顧 念 す ると共 に、 他 方 人 民 の利 益 を考 慮 し
豆 粕 に のみ課 税 す る 理由 は な い。東 支 鉄 道 は 支露 両 国 の共有 で あ る
東 支 鉄道 は之 に依 つ て鉄道 の収 入を増 す 為 と 言 ふが 、 それ では南 行
れも借 款 鉄 道 であ る 故 、 支那 政 府 と の間 に交 渉 し て支 那側 に於 て布
て適 当 に制 定 せ し め ら れ た い﹂ 云 々と 言 ふ の で、張 総 司 令 、鮑 督弁 、
第 四、 競 争 線 の布 設
設 す る も の故 急 速 には 出来 な い が、東 支 鉄 道 の東 行偏 護 、 南 行抑 圧
朱 行 政長 官 宛 に提 出 し た 。
東 支 鉄道 理 事 長 代 理袁 金 鎧 氏 に陳 情 し た後 、油 房業 者 七十 四名 の連
大 連油 房 業 者 の運動 は本 年 初 頭 か ら福 順 厚 、曲 子 明 外 四 名 を し て
主 義 が熾 烈 にな れ ば な る 程 、満 鉄 側 を し て競 争 線 布 設 を促 進 さ す結 果 と な る こと は 明 ら か であ る。 こは東 支 鉄 道 に取 つ て最 も大 な る脅 威 の 一で ある 。
し た も の であ る。 そ の摘 要 は ﹁東 支 鉄道 の東 行 貨 物運 賃 は南 行 のそ
名 を以 て東 支 理事 会 宛請 願 し、 別 に私信 を袁 理 事長 代 理 に宛 て陳 情
を鞭 撻 し て、 露 西亜 側 の専 横 を牽 制 す る効 果 も亦 多 大 であ る。
題 には直 ち に奔 走 す る も の であ る から 、 之 等 の運 動 は支 那 側 の理事
東 支 鉄 道 の運 賃 政 策 に対 す る満 鉄 の対策
後
編
れ に 比し て甚 だ尠 少 であ る 。之 、 外 国領 土 であ る浦 塩港 を繁 栄 な ら し め 、外 人 たる欧 人 を 保護 す る のみ で、 支那 領 にし て支 那 の国 民 の
論
第 一章
緒
東 支 鉄道 の露 西 亜側 幹 部 が白系 よ り赤 系 に移 つた結 果東 支運 賃 政
う が 、 そ は 一に東 支 鉄道 の出 様 如何 に よ つて決す べ きも ので あ る。
生 産 す る北 満特 産 物 を虐 待 し、 同 じ く支 那商 界 の 一分 子 た る吾 人特
併 し あ ら ゆ る揚 合 を 想像 し て見 る時 は、 こは 自然 積 極 的 対抗 策 と 消
策 は緩 急 の差 こそ あ れ 、東 部 線 によ る輪 出 入 貨物 の保 護 に傾 く事 は
之 等 の運 動 の効 果 は或 る程 度 迄 之 を認 め る こと が出 来 る。 東 支 鉄
極的 対抗 策 が生 じ て来 る。 而 し て こ の両 対抗 策共 に種 々 の手 段 方 法
産 商 に大 打 撃 を与 へるも の であ る。 冀 く は下 情 を 察 し て商 難 を 俯恤
道 の露 西 亜 側 と し て は例 へ鉄 道 に欠 損 を 与 へても 、 支 那 の商 民 に迷
はあ る け れ ど も、 今 般 のこ の東 支 の運 賃 政 策 の変 更 の みを 対象 と し
明白 で あ る。 之 に対 す る我 が満 鉄 と し て の対抗 策 は種 々あ る であ ら
惑 を かけ ても 北満 の輸出 貨 物 を浦 塩 港 に誘 い度 い のは当 然 で、 之 に
て考 へる時 は大 体 に於 て 、次 の如 き 手段 が出 て来 る。
さ れ度 し 云 々﹂ と言 ふ の で、王 永 江 奉 天省 長 も 之 に賛 成 し て居 ると
支 那側 が共 鳴 す る なら ば 同貨 物 を殆 ど 全 部東 行 せし め る こと も 容 易
甲
言 は れ て居 る 。
であ る。 然 し 乍 ら支 那 の利 益即 ち東 支 鉄道 の利 益 、 支 那商 民 の利 益
二、徹 底 的 に馬 車 、 船 、自 動 車 等 によ り東 鉄勢 力 圏内 の貨物 を南
一、徹 底 的 運 賃 割 引
積 極的 対 抗 策
を代 表 し て居 る同 鉄 道 の支 那側 の意 見 と 、前 記 の如 き見 解 を有 す る 露 西 亜 側 と が 一致 す る こと の至 難 な 事 は 上述 の通 り で あ る。 而 も 奉
消 極的 対抗 策
三 、東 支 鉄 道 と の運 賃協 定 を 破 棄 す る。
満 への吸 収 を図 る 。
露 協 定 に依 りて 理事 会 は 六 人 以 上 の同 意 な くし て は執 行 の効 力 を 生 じ な い ことも 上述 の通 り であ る か ら、 如 何 に露 西 亜側 が自 己 の抱 懐 す る意 見 を行 な は んと 欲 し て も 、支 那 側 の理事 は 東 支鉄 道 の事 情 及 乙
収 入 を鉄 道 営 業 実 費迄 を最 大 限 度 と し て運賃 割 引 を為 す事 。
一、 出来 る だ け隠 忍 し て東 支 鉄 道 と協 調 を保 ち つ ゝ、 満 鉄線 運 送
鉄道 運輸 の実 際 を余 り良 く 知 ら な いら し い処 へ例 の宣伝 に巧 みな 露 西 亜 側 は相 手 の弱 点 に乗 じ 、機 を見 てう ま く説 明 し て 一気 に理 事 会
三 、 東 支鉄 道 の為 す が儘 に放 任 す る事 。
の吸 収 策 を講 じ る事 。
二、 出来 る だ け馬 車 又 は船 輸 送 に て東 支勢 力 圏内 の貨 物 を南 満 へ
を 通 過 せ し めよ う と努 め る 様 な傾 き があ る 。 それ には賄 賂 も 可 な り
斯 く の如 き次第 に な って来 る と如 何 にし て も輿 論 の力 を 以 て支 那
効 果 が あ る らし い。
側 の理事 を鞭 撻 す る より 外 は な い。 利 に敏 い商 民 は 利 害 に関 す る問
更に ) 丙 ( 消極又は積極的対抗策に論 なく常 に必要 なる北満貨物吸収策と しては、 一、東 支鉄道 に対する競争線 の敷設 なる関係 を保持する事 。
二、東 支鉄道 の露西亜側 と提携出来 なければ、支那側幹部と密接
)
粕 (担 当 り)
大 豆 (〃
安達発
哈爾賓 発
安達発
十八 銭
二十四銭
三十 銭
三十 一銭
{
哈爾賓発
{
では 粕 で は殆 ど 利 益 は な いが大 豆 で は尚 割 引 の余 地 を存 す る事 と
な る 。 而 し て此 の割 引 によ つて本 冬 期 を通 じ て北満 の全 輸 出穀 類 の
六 割 強 の数 量 を南 満 へ吸 収 し た の であ る。 此 の過 半数 を南 満 へ奪 は
が 日本 人 の義 務 と し て南 満 へ出 し た事 も原 因 し て居 る が) ので 、今
半 数 を南 満 へ奪 つた の には割 引 額 以 外 に 日本 側 の特産 商 の殆 ど全 部
れ た のを見 て も、烏 鉄 が徹 底 的 に競争 し得 な い事 が分 かる ( 此 の過
第 二章 積極的対抗策
少 し く割 引 額 を増 加 す れ ば、 更 に南 行数 量 の増 大 し た事 に疑 ひ はな
三、北満 の原産 地と南満市場 を緊紬する事。 左に之 に就 て順次説述する事とす る。 積極的 対抗策を考 へる以前 に此 の対策を取 る必要 の有無 から考究
な れ ば 相手 が積 極 的 に挑 戦 態 度 に出 で、 南 行 貨 物 を絶 無 にす る が如
してかゝらねば ならな い。而し て此 の必要 ある場合は東支鉄道 が積
き 場合 は我 に於 ても 止 む を得 ず 利 益 の無 き が如 き は勿 論 、場 合 に よ
いが 、 そ れ ほど ま で にし て多 量 を 南満 に引 く 必 要 は殆 ど な い。 何 と
現在 に於 ても可なり傍 岩無人的態度を以て満鉄 に対して挑戦して
極的 に満鉄 に対し て挑戦的態度 に出 て来 た場合 に於 てである岩 出 たと認 めら れな い事もないが、自分は東支と烏鉄とを 一体と見做
つ ては 欠損 を 見 越 し ても競 争 し な け れば なら な い様 な境 遇 に立 ち 至
元来 満 鉄 の今 般 の割 引 な るも のは其 の主 たる 目的 は、 第 一に やが
る や も知 れな いが 、 今 の処 で は金 く其 の必 要 が な いから であ る。
て来 る べき 東 支 、南 満 両鉄 道 間 の運 賃 協 定 を 有利 に導 かん為 と 、第
して、我が満鉄 の運賃収入から鉄道営業実費 を差し引 いて、此 の残 算 入して)場合 に於て始 めて積極的対抗策 を建 つべきで、此 の点が
二 には北 満 貨 物 と南 満 市 場 と の相互 関 係 が 一時 中 絶 す る慕 を恐 れ た
額 を運賃割引 に当 てゝも尚 且烏鉄経由 と釣合はな い ( 烏鉄 の割引も
いと思ふ。
が、満鉄 の鉄道営業 実費を噸 哩 噂銭と見、東支鉄道 に払戻す噸当り
で は ﹁豆 腐 に鎹﹂ で極 め てた よ り無 い、 興 味少 な いも ので あ る。 尚
る のみ ならず 、相 手 が平 然 と し て居 る の に此方 のみ力 瘤 を 入 れた の
積 極 的 競争 は只 に利 益 な く し て所 謂 ﹁骨折 り損 の草臥 儲 け﹂ に終
収 し得 た のは 幸 ひ であ つた。
のに あ ると 思 ふ が 、 此 の割 引 に於 て損 失 を 見 な い で多 量 の貨 物 を 吸
即ち満鉄 の積極的対抗 と消極的対抗 の分 かれ目 であると見 て大 過な 現在 の満鉄 の北満穀類輸送運賃収支を東支、南満連絡翰送 、哈爾
三円五十五銭 を控除する時は差引残額担当り約 三十 一銭 四厘 二毛 の
賓 発︱大連着穀類 に就 て見 るに、収 入は担当り八四 ・一五銭 である
純益となる。けれ共本冬 期末の日本人側特産商 への割引額 は、
又 東 支 、 烏 鉄 に対 し て埋 め る事 の出 来 な い溝 を造 る こと と な り、 彼 ば かり であ る 。
額 に係 り 到底 汽 車 輸 送 と 競 争 し得 な いし 、馬 車 輸 送 も亦 同 第 三章第
は河 輸 送 は 前編 第 三章 第 五 節 に述 べ た如 く 、其 の経費 が甚 だし く多
第 二 に徹 底 的 に馬車 、自 動 車 又 は船 輸 送 によ り て東 支 鉄道 の勢 力
試 み に前 記 の徹 底 的 の対抗 策 を例 と し て其 の結 果 を 想像 し て見 る
五 節 に述 べ た如 き危 険 と 困難 を伴 な つ て居 る。 加 之之 が為 には 東支
等 に対 し て将来 と も甚 だ面白 か ら ぬ感 情 を抱 かし め る こと ゝなり 、
に 、先 づ 第 一に徹 底 的 に運賃 の割 引 を為 す とす れば 、其 の結 果 と し
鉄 道 は大 な る財 政 難 に陥 り 、同 鉄 道 の大 反感 を買 ふ こと を予 期 せ ね
圏 内 の貨 物 を南 満 に奪 ふ手 段 を講 じ よう と す る には 大 な る犠 牲 、 困
て、
ば な ら な い。 又 東 支 鉄 道 は露 支 両 国 共有 のも の であ る から 、 同 鉄道
難 を覚 悟 せ ね ば な ら な い。 何 と な れば 之 等 の輸 送 機 関 の中 自 動 車 又
一、 満 鉄 は多 大 の犠牲 を覚 悟 せ ねば な ら な い。
又特 産 市 場 を 混乱 せし め 、而 も それ 等 に対す る責 任 を 悉 く 我 が満 鉄
二、 直 ち に価 格 の昇騰 を来 し 、
の困窮 は支 那 之 を 坐 視 す る こと は 出来 な い。 而 し て支 那 官 憲 に於 て
が背 負 はね ば な ら ぬ こと ゝな る。
三 、 其 の結 果 農 民 乃至 粮 桟 等 を し て儲 け しめ 、
之 等 の輸 送 機 関 を 妨 碍 す ると す れ ば極 め て容 易 であ る。
七 、満 鉄 とし ても何 時 迄 も 欠損 を招 く 割 引 を持 続 す る事 は出 来 な い
手 段 であ る 。 而 し之 は満 鉄 線経 由 の東 支 鉄道 に取 り て非常 に利 益 多
第 三 に東 支 鉄道 と の間 の速絡 運輸 協 定 を 破棄 す る こと も 一の競 争
蟷 螂 の斧 と 言 は ね ば な ら な い。
争 し 、 鉄 道 の大 部 分 の貨 物 を 己 が掌 中 に収 め ん とす る が如 き は正 に
畢竟 す る に馬 車 其 の他 の輸送 機 関 に依 つて東 支 鉄 道 と徹 底 的 に競
効 な る方 法 であ る 。
使 嗾 し て跳 梁 せ し め る等 数 へ来 れ ば際 限 なく 、而 も何 れ も簡 単 且有
く し て取 調 べを 厳 重 にし 以 て運 行 の日数 を重 ね し め ると か 、馬 賊 を
先 づ沿 線 の税 局 の税率 を非 常 に高 く し 、或 は税 局 の数 を非 常 に多
四 、穀 類 に対 す る 課税 は前 説 の如 く従 価 税 であ る か ら税 額 が多 く な り 、従 つて東 三 省官 憲 の財 政 を豊 にし 、 の みな らず 官 憲 を し て増 税 の機 会 を多 か ら し め、
さ す こと とな り 、之 は 一面 に於 て は却 つ て南 行 貨 物 抑 圧 政 策 を執
五 、 南行 貨 物 の増 加 は即 ち 第 三章 所 説 の如 く 、東 支 の純 収 得 を 増加
る能 力 を更 に附 与す る こと と も な り、 六 、烏 鉄 は困 窮 し 、浦 塩 港 は さ び れ ると 言 つて も決 し て倒 壊 す るも ︹ 脱 落 カ︺
か ら 一定 の期 間 が経 過 す れ ば 、斯 の如 き割 引 は廃 止 す る か 、減 額
く 、若 し も 満 鉄線 経 由 の輸 出 入貨 物 が皆 無 と な れば東 支鉄 道 が財 政
の
す る か し なけ れ ば なら な いが 、 そ の場 合 は直 ち に貨 物 が 又東 行 を
難 と な ると 言 ふ こと を明 白 にし て後 に始 め て成 立 す る議 論 で あ る。
第 三章 第 二節 ) の東 支 鉄 道 統計 年 報 から 算 出 し た。
今 試 み に東 支全 線 の 一般 貨物 輸 送 鉄 道 営業 噸 哩 実費 を前 記 (前 編
始 め る ことと な る。 斯 の如 く にし て満 鉄 の損 失 と見 る は当 然 の事 、特 産 商 も 亦 利 益を 得 る ので は なく結 局、 支 那 人 を し て漁 夫 の利 を占 め ら る こと と な る
四・ 〇 七 哥 (予算 額 )
四 ・三四 哥
)
一九 二一 年 の
二 ・八六 哥 ( 〃
一九 二 二年 の 一九 二 三年 の を正 し き も のと 見 做 し 、且 東 部線 及南 部 線 の輸 出 入 貨物 が各 線 を 全 線 通 過 す るも のと 見做 し、 而 し て空 車 の運 転 費 は盈 車 の運 転 費 の四 割 と仮 定 す れば 、 前 編第 二章 記 載 の貨物 数 量 及 下 記 の東 部 線 及 南 部 線 の実 延長 及 換 算 延 長 を使 用 す れ ば 、各 年 度 の換 算 延長 上 一噸 哩 の 運 転 実費 に大 体 近 い数 字 を挙 げ 得 ると思 ふ 。依 つて先 づ東 支 鉄 道 東
方
向
行 行
長 南 北 行 行
延 一四 八 ・九 哩
東 西
八 ・七 哩
六 一四 ・八 哩
七 〇 七 ・一哩
一九 四 ・三 哩
二二
換 算 延 長
に て表 せ ば
}
三 三 九 ・七 哩
実
部 線 及南 部 線 の実 延 長 及換 算 延 長 を 左 に表 示 す る こと と す る。
賓 春間
間
爾
賓間
区
哈 長 爾
ポ グ ラ ニチナ ヤ
哈
b
x
故 に換 算 延長 率 は、 左 の通 り と な る。
而 し て、
換算延長 の噸哩 の運輸実費 を
〃
南行貨物数量 をa 東行
〃
一・三 六哥
一・九 六哥
二・〇 九哥
と な る。 次 に之 に前 記 鉄 道統 計 年 報 によ る輸 送貨 物 に よる 噸 哩 の費 用 を xにて表 は せ ば、
之 に各 前記 の数 字 を嵌 入 し て計 算 す れ ば
一九 二 二年
〃
一九 二一 年度 の換 算 延 長 一噸 哩 の営 業 実費 は約
一九 二三 年 と な る。
東 支 の状態 は漸 次 良 好 にな り つゝあ る から 、 現在 の営 業 実費 は前
記 の 一九 二 三年 の 一 ・三 六哥 よ りも 少 なく な つ て居 る に違 ひな い。
依 つ て現在 の同 実 費 を 一噸 哩 一 ・三 哥 と仮 定 す れ ば 、
〃
南 部線 の南 行 輸 出 貨 物 噸当 り輸 送 実費 は 東 部 線 の東 行
九 ・一九 留
二・ 九七留
と な る。 然 ら ば現 行 賃 率 に依 る東 支 鉄 道 の輸 出 穀 類 に対 す る運 賃 の 東 行 及 南 行 を見 る に
東 支鉄道哈爾賓発輸出穀類 に対する収得額表 (噸当 り) 要
南
摘
東
行
別
行
種
( 貨 車 扱 、而 し て地 方 的 輸送 は 哈爾 賓 寛城 子間 な り)
( 註 ) 連 絡 運輸 で は以 上 の外 現在 で は前記 の調 節 費 を 課 せら れ て 居 る。
斯 の如 く 地 方 的 に依 て南 満 へ移 出す ると す れ ば甚 だ 高 率 の運 賃 と
な り 、而 も満 鉄 が連 絡 輸 送 協 定 を 破棄 す れば 、両 鉄 道 間 の連 絡 其 の
九留 一八哥 十〃 二〇 〃
八 留 五 〇哥 南 行 には 運賃 と 共 に調 節費 、 十 〃 三 二 〃 新 運 賃 及満 鉄 よ り東 支 への 払 戻 金 を含 め て居 る。 而 し て調 節費 及換 算 率 は三 月 分 の によ る 。
六〃 二 三〃
に 全 く財 政 難 に陥 る こと と な る 。故 に斯 の如 き場 合 は東 支 は必 然南
如 く東 行 運 賃 は殆 ど営 業 実 費 額 よ り収 入 がな いとす れ ば 、東 支 は茲
他 に支障 を来 す か ら自 然 貨 物 は 全然 東 行 す る ことと な る故 、前 述 の
一〇 〃 〇 八 〃
六 〃 〇 一〃
豆 油 粕 麦 九 〃 七 六〃
大 豆 豆 小 即 ち 之 に依 つて大 体 東 支 鉄道 の運 賃 収 得 は東 行 に於 ては殆 ど営 業 実 費 額 に等 し く 、南 行 に ては 実費 の倍 額 乃至 三倍 額 に当 つ て居 る の
を 引下 げ れ ば収 入減 じ 且 南 行 を奨 励 す る結 果 と な る が 、東 行 の運賃
て は恐 ら く 後者 を選 ぶ であ らう と考 へら れ る。 何 と な れ ば南 行 運賃
行 運 賃 の引 下 げ 又 は東 行 運 賃 の引 上げ を 為す 事 と 思 ふ が 、東 支 と し
以 上 の数 字 にし て大 過 なし と す れば 、 東 支鉄 道 は今 迄 の利 益 は主
を引 上げ て南行 地方 的 輸 送 運賃 と匹 敵 す る に至 つても 、連 絡 輸 送協
を知 る こと が出 来 る。
と し て南 行 輸 出貨 物 よ り得 て居 た と も言 ひ得 る の で あ る。 故 に今 満
得 る し、 又 同鉄 道 の欲 す る 東行 の激 増 を 来す 結 果 と な る から であ る。
定 が破 棄 され た 以 上は 運 賃 以 外 に南 行 を 妨害 す る手 段 は種 々案 出 し
貨 物 は 地方 的 輸 送 と し て長 春 に運 ば れ、 そ れ よ り更 に満 鉄 線 に積 替
に多 量 の貨 物 を東 行 せし め る機 会 を与 へる こと と な り 、尚 又 数 種 の
故 に連 絡 協 定 の破 棄 と 言 ふ こと は東 支 に或 る程 度 迄 収 入減 を 来 さず
鉄 が東 支 鉄 道 と の連 絡 運 輸 協 定 を破 棄 す れ ば 、東 支 よ り南 満 向 け の
へる事 と なる 。然 ら ば連 絡 輸 送 と 地方 的 輸 送 と の運 賃 の差 は 如何 と
ね ば なら な い。
問 題 さ へ惹 起 す る こと と も な る 。而 も 其 の責 任 は悉 く 我 に於 て負 は
種 の貨 物 の輸送 に大 な る不 便 、障 害 を 来 し 、引 いて は 重大 な る 社会
穀 類 争 奪 競 争 の為 に今 迄 折角 円滑 に輸 送 さ れ て来 て居 た他 の幾 百 十
見るに、
哈爾賓長春 間連絡及地方的輸送穀類運賃 比較表 (布度当 り、単位、金哥)
も愚 策 であ ら ねば な ら な い。由 来 鉄 道間 等 に於 て競 争 の生ず る場 合
斯 く 観 じ 来 た れば 、 東 支 と の連 絡 運送 協 定 を 破 棄 す る が如 き は最
は東 支 の なす が儘 に放 任 す る ことと 、 馬車 そ の他 の輸 送 機 関 によ る
そ の他 の輸 送 機 関 によ る東 支 沿 線 の貨 物 吸 収策 があ り 、二 に対 し て
而 し て一 を 選 ぶ べ き か、二 を 選 ぶ べき か は時 によ つて 一様 では な
東 支沿 線 の貨 物 吸収 策 があ る 。
せん とす る こと は 不可 能 の こと で あ る以 上 、 双方 共 妥協 し て無 益 の
れる 。何 と な れば烏 鉄 に せよ 、 満鉄 に せよ 、 北満 の輸出 貨 物 を 独出
そ の競 争 によ つて利 益 を 予想 し得 る場 合
は大 体 に於 て、左 の 二点 に限 ら れ て居 る と思 ふ。 即 ち 、
然 る に昨 今 の満 鉄 の立 場 は 正 し く第 二 に該 当 し てゐ る 。如 何 に見
競 争 は避 け相 互 の利 益 を図 ると 共 に、 一般 商 民 の利 便多 き 様 に取 計
一
る も満 鉄 が競 争 に よ り て利 益 を得 る とは 現在 は勿 論 、 将来 と て も予
ら ふ こと は最 も賢 明 な 且必 要 な こと で あ る から早 晩 東 支乃 至 鳥 鉄 、
いが 、現 在 の状 態 で は寧 ろ一 を 選 ぶ べき で は ある ま いか、 と 考 へら
想 し得 ら れな い こと は今 迄 の所説 に徴 し ても 明ら か であ る 。利 益 を
相 手 に よ つで競 争 す べく 余儀 なく さ れ た場 合
予想 し得 ら れな い こと に積 極 的 に行 動 を 開 始す る必 要 のな い こと は
二
云 ふ迄 もな い、故 に相 手 が仕 向 け て来 た競 争 に は それ に対 応 す る だ
の際 の協 定 を有 利 に単 く為 にも な り 、 又北 満 貨物 に て南満 に於 て事
満 鉄 間 に運賃 協 定 が 成 立す るも のと想 像 す る こと が出来 る か ら、 そ
業 を営 み つ ゝあ る 一般 商 民 の為 にも な り、 引 いて は南 満 の繁 栄 にも
け の ことを し て置 け ば よ い ので 、畢 竟 す る に積 極 的 競 争 は 現在 の処 で は害 あ ると も何 等 益 のな い こと で あ る。
資 す る こと と な る の に反 し、 二 は そ の根 拠 は多 く 余 りに利 己的 で又
消 極 的 対抗 策
第 三章
余 り に目 前 の利 益 に没頭 し て ゐ る観 が あ る から で あ る。
に臨 む 外 は な い。 而 し て消 極 的 と積 極 的 と の限 界 は、 斯 の如 き場 合
る運 賃 の残額 を払 戻 し 、割 引 す る方法 が あ る。東 支 がそ の輸 出 穀 類
だけ 協 調 を保 ち つ ゝ、満 鉄 の営 業 実費 迄 を最 大 限度 と し て 収得 と な
然 ら ば そ の手 段 、 方法 は如 何 と言 ふ に、 先 づ第 一に東 支 と出 来 る
第 二章 に述 べた 如 く、 満 鉄 よ り積 極 的 に対抗 策 を以 て挑 戦的 、競
には大 体 に於 てそ の競争 に よ つ て損 失を 招 く か 、 そ れ迄 には至 ら な
の南 行 に酷 に し て東 行 に比 し て甚 だ高 率 な る運賃 政 策 を採 つて ゐ る
争 的態 度 に出 づ る こと の不 可 な る 以 上、 自 ら消 極 的 対 抗 策 を 以 て之
いか に依 つて定 め て大過 な いと 思 ふ こと は前 にも述 べ た通 り であ る。
物 を抑 圧 す る が如 き こと は 万 な か るべ き こと も亦前 述 の通 り で あ り 、
収 し 得 た こと は前 記 の通 り で あ り、 又 東 支 と し ても徹 底 的 に南行 貨
る残 額 の全額 を割 引 す る迄 に は到 ら な いで も、多 量 の北 満 貨 物 を吸
而 し て現在 の処 で は満鉄 の運 賃 収 得 の中 で、営 業 実 費 を 差 し引 け
運 賃 割 引 は是 非 必要 な る第 一条 件 であ ら ねば な ら な い。
以上 、 出 来 る だ け多 く の貨 物 を南 行 に吸収 す る為 に は、 我 が満 鉄 の
な 方法 利 益 のな い こと に苦 し ん で多 く の場 合 を 吸収 し やう よ り は 、貨
︹マ マ︺
損 失 を来 さな い範 囲 内 に於 て出来 る だけ多 く の貨 物 を 奪 ふやう
消 極 的 の考 察 の下 に大 体 左 の 二 ヶの場 合 が生 じ ると 思 ふ。 即 ち 、 一
二
物 の量 は少 な く と も収 益 を 多 く挙 げ得 る よ う な方 法 で あ る 。而 し て現在 の処 で は主 と し て一 に対 し て は運 賃 割 引 及 馬車
引 を せず と も南 部 線 の幾 分 か は満 鉄 に来 るで あら う し 、 一方 馬 車 輸
又南 行 輸 出 の可能 性 も出 て来 る こと とな る。加 之 現 在 の運賃 でも 割
こと は出 来 な い。然 らば そ の際 は或 は馬 車 輸送 が容 易 にな り 、或 は
も南 行 貨 物 の吸収 に努 む べ き こと は当 然 にし て 又必 要 なる こと で あ
げ る か乃 至 は双 方 と も引 き 上 げ る か し な けれ ば 、 こ の財 政難 を救 ふ
る が 、さ りと て損 失 を し て迄 も そ れ に従 ふ必要 は な い。 故 に営 業 実
送 を 励 め ば或 は割 引 を な し て多 量 の貨 物 を 引く より は却 つて純 益 が
且東 支 と 全 然絶 縁 し て喧 嘩 別 れ を す る こと の不得 策 で あ る こと も前
費 を差 し 引 いた残 額 の満 鉄 収得 を割 引 に当 て ゝ東 行 に匹 敵 す る か、
多 く な る か も 亦分 から な い。 け れ ども 前 述 の如 く 多 く の貨 物 が南 満
記 を待 つ迄 も な いで あ る以 上 、出 来 る だけ隠 忍 し て運 賃 割 引 を し て
又 は それ 以 上 に な れば よ いが 、 この残 額 を 以 て割 引 を な し ても な ほ
に来 なけ れ ば吾 人 に取 つて 困 る状 態 であ る から 、 現在 の処 では こ の
に、 他 方馬 車 輸 送 を 出来 る だけ 盛 ん にす る こと が現在 に於 て最 も適
手 段 も適 用 に躊 躇 され る 。要 す る に 一方 に於 て運 賃 割 引 をす ると共
東 行 に匹 敵 し得 な い時 は 即 ち積 極 的 対 抗 策 を講 ず べ き秋 であ る 。 第 二 に馬 車及 其 の他 の輸 送機 関 に よ る東支 鉄 道 沿 線 貨 物 の南 満 吸
も の であ れ ば甚 だ結 構 な こと で あ るが 、 これ と ても 盛 大 にな す には
収 策 があ る 。之 等 の輸 送機 関 に よ り て北 満貨 物 を南 満 に吸収 し得 る
前 記 の如 き積極 的 及消 極 的 対 抗 策 と し て種 々 の方法 は あ るが 、之
其 の他 必要 な る満 鉄 の執 る べ き 対策
は何 れ も東 支 の特殊 な る運 賃 政 策 に対す る言 は ば応 変 的 の対策 で あ
第 四章
当 な 手 段 で あ らう 。
準 備 を し な け れば な ら な い。故 に之 等 に要 す る費 用 も 亦 そ の限 度 を
る が 、更 に此 の東 支 の運 賃 政 策 に関連 は あ る にし て も、 之 に対す る
矢 張 り 之等 の輸 送 に対 し て補 助 を なす こと も必 要 な れ ば 、 又不 断 に
てす れ ば よ いと 思 ふ 。
策 と し て必 要 な る各 種 の手 段 方 法 が あ る。
対応 策 と言 ふ より は寧 ろ之 を 超 越 し て常 時 我 が満 鉄 の北 満 貨物 吸収
満 鉄 の運賃 収 得 から 営業 実 費 を差 し 引 いた残 額 を 全 部 当 て る時 を以
第 三 に東 支 のな す が ま ゝに放 任 す る ことも 一策 であ る 。之 は 一見 甚 だ 策 な き が如 く で あ る け れど も 甚 だ妙 味 のな い こと で もな い。前
競 争 線 の敷 設
競 争 線 を 敷 設 す る とし ても 只今 の処 で は借款 鉄 道 敷 設 を 支那 側 を
第 一節
し て な さし め 、我 に於 て有 利 な り と思 惟 し ても思 ひ通 り にな り難 い
編 第 三章 に述 べ た如 く東 支 は南 行 貨物 の各 種 の新 運賃 、調 節 費 の賦
て置 け ば南 行 穀類 は杜 絶 し て悉 く 東行 に より 輸 出 さ れ る に至 る であ
課 、 其 の他 南 行貨 物 抑 圧 政 策 を 取 つて ゐ る から 、 こ のま ま に放 任 し
果 し て利 益 を 挙げ 得 るや否 や も考 慮 しな け れ ば なら な い こと は勿 論
場 合 が多 い し、 我 が財 政 状 態 にも 重 大 な る関 係 が あ り且 そ の鉄 道 が
而 し て第 二章 に述 べ た如 く 、 東 支 の東 行 の輸 出貨 物 輸 送 は 殆 ど営
で はあ るが 、北 満 貨 物 の南 下 吸収 用 とし て の見 地 の下 に最 も有 望 な
ら う こと は自 明 の理 で あ る。
業 実費 に近 く 同鉄 道 貨 物 輸 送 純 益 は殆 ど南 行貨 物 よ り得 て ゐる とす
鉄 道 は左 の如 き も の であ ら う 。 一、 長春 ︱ 扶 余 線
れ ば 、南 行 貨 物 が絶 無 と な れば 同 鉄道 は非 常 な る財 政 難 に陥 る こと と な る故 に、 そ の時 は東 行 運 賃 を 引 き 上げ る か 、南 行 運 賃 を 引 き下
二 、〓 南︱ 斉 々哈 爾 線
ゝあ る全 輸 出 穀 類 の過 半 を 奪 ふ こと は甚 だ容 易 であ ると思 ふ。
竟 す る に之 等 三線 を敷 設 す る に於 て は、 現在 の東 支 鉄道 が吸 収 し つ
記 の如 く運 賃 割 引 と言 ひ、 馬 車 輸送 と言 ひ、 其 の他 種 々 の手 段 、 方
と 競 争 す る こと は不可 避 であ る。東 支 と貨 物 吸収 競 争 を す る には 前
て、而 し て北 満 に進 出 せ んと す れ ば当 然 同 地 に根 を 張 つて ゐ る東 支
要 す る に満 鉄 が 日本 の国 策 上 北満 に進 出 す る こと が是 非 必 要 にし
三 、吉 林 ︱ 五常 線 (又 は吉 林︱ 楡 樹 線 ) 長 扶 線 が現 在 東支 に出 で つ つあ る貨 物 を 奪 ひ得 る可 能 性 のあ る穀 類 数 量 は約 十 五万噸 見当 で あ る。 (調査 課 竹 内 虎 次氏 報 告 書 ) 〓 斉 線 が同 じ く 現在 東 支 が吸 収 し つ ゝあ る穀類 を奪 ひ得 る数 量 は 約 二十 万噸 見 当 であ る 。 (哈爾 賓 事 務 所調 査 課 三 田了 一氏 報 告 書 )
であ るか ら 、最 も徹 底 し た、 最 も 有 利 な方 法 は、東 支 南 部 線買 収 不
法 あ ら ん も 、此 等 は要 す る に 一時 的 又 は ﹁二階 か ら眼 薬 的﹂ のも の
可 能 な る以 上 、北 満 の穀倉 の心 臓 と も 見 る べ き安達 と長 春 と を連 ね
け れ ど も〓 斉 線 を 〓 児 河 の右 (南 )岸 に沿 ふて 〓南 よ り大 賚 に出
ことと な れ ば沿 線 の穀 物 吸 収 は勿 論 、 安達 よ り本 線 の 一駅迄 馬 車 輸
で、 其 処 で嫩 江 に渡 り 同 江 の右 ( 東 ) 岸 に沿 ふ て斉 々哈爾 駅 に出 る
得 る線 路 を敷 設 す る にあ る。 之 が実 現 し な い間 は 到 底東 支 に対 し て
東 支 鉄 道 支那 側 理 嘉 と 良好 な る関 係 を保 持 す る こと
送 を なす や う に計 れば 、東 支 沿線 の穀 類 を本 鉄 道 に吸収 す る効 果 は
第二節
対等 の競 争 は出 来 な い。長 扶 線 は実 に之 が実 現 の 一端 であ る。
鉄道 の輸 送 貨 物数 量 は更 に益 々莫 大 な数 字 を 示す に至 る であ らう 。
更 に大 な るも のが あ る であ ら う と考 へら る 。故 に此 の際 に於 け る本
東 支 露 西 亜 側 理事 幹 部 は ソ ヴ エー ト政 府 か ら任 命 さ れ て ゐる 以 上、
同幹 部 は自 国 の利益 の為 に東 支鉄 道 を 利 用 し よう と す る は当 然 で、
更 に又此 の〓斉 線 を斉 々哈 爾 省 城 を経 て拝泉 地方 と か、 又 は黒 河
輸 出 入貨 物 を 烏 鉄経 由 に依 ら し め ん とす る のは当 然 で、之 は同 貨 物
地 方 へ延長 す る に於 て は更 に多 量 の貨物 を 吸 収 し得 る であ ら う と考
を満 鉄 線 に よ つて輸 送 し よう と す る 我 が満 鉄 の政 策 、 即 ち 日本 の国
之 即 ち露 国 の国 策 で あ る。 こ の国 策 を遂 行 せ んと す れ ば自 然 北 満 の
吉 五線 が東 支 勢 力 圏内 の穀 物 を 奪 ひ得 る能 力 は約 十 二万 噸 であ る。
へら れ る 。
( 調 査 課竹 内 虎 次 氏 報告 書 )
策 と は確 か に氷 炭相 容 れな い関係 に あ る。 然 も 近 く開催 さ れ る運 賃
余 程厳 格 に定 め て置 く にあ ら ざ れ ば 、 そ の結 果如 何 にな る や大 い に
協 定 会議 で協 定 が よ し成 立 し ても 、 そ れ に違 反 し た る場合 の罰 則 を
吉 楡 線 は未 踏 査 の地域 な れ ど も東 支勢 力 圏 内 の貨 物 を奪 ふ能 力 は
以上 三 線 の予想 吸 収 穀 物 の合 計 は約 五 十 三万 噸 で、東 支 鉄 道 の全
吉 五線 より も多 か る べく 、 約 十 五万 噸 位 で あら う 。
る人 達 であ る 。故 によ く 日露 関 係 が 修交 状 態 に戻 つた今 日 、 又 は今
気 遣 は れ る程 彼 等 は 横車 を推 し 、 又徹 底 し た矛 盾 を も平 気 で遣 り得
の露 西 亜 側幹 部 と 提 携 し て進 む こと は余 程 困 難 な こと であ る 。
後 と 雖 も全 然 立 場 を 異 にし、 そ の主義 主 張 が全 然 相反 し て ゐる東 支
予 想数 量 は多 く沿 線 の経 済 的状 況 から 算 出 し たも の であ る から 更 に 長 距 離馬 車 輸 送 及船 輸 送 に より 、之 等 の鉄 道 の駅 に穀 物 を集 め得 る
輸 出 穀 類 の約 三分 の 一に当 つて ゐ る。 け れ ど も之 ら各 線 の輸 送 穀 物
可能 性 も現 在 の長 春 駅 に馬 車 輸 送 す る より は遙 か に多 く な る か ら畢
彼 等 と は感 情 上 の疎 隔 を 来 す こと の不 利 な る こと は言 ふ迄 も な い
上 又 は商 業 上 の機 関 であ る か ら夫 々 の専 門家 の調 査 、研 究 に俟 たね
種 の便 宜 を 計 る 必要 のあ る こと論 を俟 た な い。 而 し て之 は既 に産 業
北 満 特産 市 場 と 南満 又 は 日本 市場 と の緊結
ば なら な い。
こと な が ら、 友 誼 的 関 係 を保 持 し 難 いとす れば止 む を得 な い こと で あ る故 に、 この際 吾 人 は大 いに同 鉄道 支那 側 と の関 係 を 良 好 に し 以 て露 西 亜 側 の横 暴 を 矯 め る やう に努 力 せ ねば な ら な い。 前述 ( 前編 第 三章 ) し た如 く、 同 じ東 支 内 にあ つて も露 西 亜 側 と支 那 側 と は主 義 、 利 害 が 異 な る場 合 が少 な くな く 、 寧 ろ支 那 側 の利害 と満 鉄 の利 害 と は 一致 す る場 合 が多 い。 前 編 にも 二 、 三 そ の例 を述 べ た が、 露西 亜 側 が東 支 の利 益 、 一般 商 民 の利 益 を無 視 し て迄 満鉄 線 経 由 の同鉄 道 輸 送 貨 物 を抑 制 し て烏 鉄 線 経 由 を 有 利 にす る が如 き 運賃 政 策 を制 定 せ んと し て、 理 事 会 に 於 て支 那 側 の反 対 に会 つ て否 決 又 は流 会 に流 会 を 続 け た よう な 場 合 も甚 だ多 か つた ので あ る。 故 に彼 等 を し て東 支 の東 行 保護 政 策 は 決
に、 一般 商 民 にも 正当 な る吾 人 の議 論 、 立 場 を諒 解 せし む る方 法 を
し て東 支 の利 益 を齎 らす も の でな い所 以 を 宣 明、 徹 底 せ し め ると 共
講 じ る こと も 必 要 で あ る。 東 支 が自 己 の機 関 紙 を有 す る に、 満 鉄 が
て機関 新 聞 を 発 刊 す る とす れば 、主 とし て露 支 人 をし て読 まし め る
哈爾 賓 に於 て之 を有 し な い こと も亦 不利 な 点 では な から う か。 而 し
第 三節
やう にせ ねば なら な い。
北 満 の特 産 市 場 と 南満 又 は 日本 の消 費 市 場 と の間 に 一つ の連 鎖 を
やう に組 織 す る こと も 確 か に 一つ の北満 貨 物 南 下 策 で あら ね ば な ら
形 成 し て、北 満 の特 産 物 を満 鉄 線 を 経 て 、南 満 又 は 日本 市 場 へ捌 く
な い。 而 し て之 が実 現 には各 種 の場 合 が 生 じ る であ らう が 、新 た に 斯く の如 き組 織 を設 け る か ら に は、 満鉄 に於 て資 金 の援 助 そ の他 各
極秘
三三
哈 調 交第 二四 七号
一
丙 、 以 前 の食 糧 備 済 部 ( 訳 者 曰、 中央 救 済 会 と も言 ふ由 、消 費 組
乙 、直 営 を 始 め んと す る こと。
甲 、浦 塩 を 自由 港 とす る こと。
東 鉄 が已 に着 手 した 事
第 二、東 支 の採 れ る 又 は採 る べき 方策
述 べ ま せう 。
之 を各 方 面 よ り観 察 す れ ば互 に優 劣 があ りま す か ら 以下 順 を逐 ふ て
ん と し て ゐま す。 此 の競争 に於 て最 後 の勝 利 者 は果 し て誰 でせう か。
大 競 争 を 惹 起 す る であ り ま せう 。 否 、現 に已 に事 実 とな つ て顕 は れ
と し て は当 然 のこと であ り ます 。 将 来東 鉄 と満鉄 と の間 には必 ず や
りま す 。 之 が為 に東 鉄 が満 鉄 の利 益 を奪 は んと す る こと は 、労 農 側
満 鉄 が 対 東 支 と の競 争 方 法 に関 す る 意 見 書
哈爾 賓 事 務 所長
満 鉄 が 対東 支 と の競 争 方法 に関 す る意 見 書
大 正十 三 年 十 二月 十 七 日
別 紙 は哈 爾賓 に於 け る聡 明 な る 学者 及 実業 家 と し て各 界 に重 きを な す 当 地貨 幣 交易 所 理事 魏 堯 氏 の意 見 書 であ り ます 。 満 鉄 対東 支 競 争 の機 に乗 じ て華 商 の利 を計 ら ん とす る意 志 あ る やと も 考 へら れま す 。 相当 参 考 にな る事 柄 も あり ま す から 訳 し て御 覧 に入 れま す。 紙)
満 鉄 が対 東 支 と の競 争 方 法 に関 す る意 見 書
(別
堯
合 の事 な ら ん か、 以 下消 費 組 合 と 訳す ) の名義 で、 各 駅 に代 弁
魏
所 を 設 け 、支 那 人 の特 産 業 に経 験 あ る者 を主 任 とな し て商 人 と
言
東 支鉄 道 が 労農 の手 に移 つ てか らは 北満 の形 勢 が 一変 しま した 。
聯 絡 を 図 ら しむ る事 。
第 一、緒
労 農 政府 は東 鉄 に対 し非 常 な る 注意 を 払 つて暗 中 飛 躍 を し て居 ま す 。
者 た らし め ん とす る計 画 であ り ま す。 そ れ です から 今後 は東 鉄 の利
理 せし む る こと 。 現 に 已 に決 定 せ る も のは大 賚 、五 常 、楡 樹 の
丁 、 事 情 に精 通 せ る露 支両 国 人 を 各県 に駐 在 せ し め運 送 事務 を代
其 の主 な るも のは東 鉄 を 借 り て烏 蘇 里 鉄 道 及 び後 貝 加 爾 鉄道 の先 導
益 が前 記 二鉄 道 の犠 牲 と な るべ き は具 服者 の均 しく 首 肯 す る所 であ
二
一 馬車輸送。
三 国際運送会社 の代理者を拡張 する事。
二 支那商人 に対する資金補助。
四 各班 の支那商人及各公会と聯絡 を取る事。
各 県等 に し て手 続進 行 中 です 。
甲 、 支 那商 の資 金 を補 助 す る事 。
東 鉄 が将 に着 手 せ ん とす る も の
乙 、極 東 銀 行 で陸 軍及 海 軍 を援 助 す る事 。
五 東鉄 理事 に運動して挽回策を講ず る事。 一 満鉄運賃 の軽減又は免除。
乙 未 だ着手 せざる事項
丙 、大 小各 駅 に倉庫 を設 け 、資 金 貸 付 及 保険 業 を開 始 せ んと す る 事。 丁 、浦 塩 に大 規模 の特 産 取 引所 を設 け 直 接欧 洲 各 港 と 取引 せし む
二 培養線敷設。
点 では東 鉄 が優 勢 であ る。 準 備 の上 で は東 鉄 は已 に進 行 し て居 るが 、
両者 を比 較 し て見 る とき は 、 財力 は満 鉄 側 が優 勢 であ る 。猛 進 の
第 四、 現 在 両 鉄道 の吸 貨 上 の優 劣 比 較
混 合 保 管 の方 法 に倣 つて保 管 中 の特産 物 の品 質 及等 級 を 定 め 、 以上甲 乙は満鉄が当然 実行 せんとして居 る事柄である。
る事 。
欧 洲需 要 者 の満 足 を得 る事 を計 画 し て居 ます 。 夫 です から 浦 塩 の労 農 代 表者 は当 地 に滞 在 し て、 消費 組 合 其 の他 の関 係 者 と 積 極 的 に計 画進 行 中 だ、 と 聞 いて居 ま す 。 戌 、消 費 組 合 を し て輸 出 営業 に従 事 せ し む る事 。
言 へば東 鉄 に は多 数 の支 那 人 の援 助 が あ るけ れ ど も、 満鉄 に は こ の
るか ら支 那 商 と の聯 絡 、操 縦 共 に比 較 的 容 易 であ る。 聯絡 の上 から
満 鉄 は之 から であ る 。 地 の利 の上 で は東 鉄 は産 出 の要 地 を扼 し て居
甲 、哈 綏 間 の運賃 を免 除 し 並綏 浦 間 の運 賃 を軽 減 す る事 。
の計画 及 準 備 は要 点 を抑 へて居 る け れ ども 、満 鉄 の方 は 北満 の商 況
種 の人才 が欠 乏 し て 居 る。 又 現 在 の事 実 から観 察 し て見 る と、 東 鉄
東 鉄 将 来 の計 画
乙 、欧 洲 聯 絡汽 船 の運 賃 軽 減 の事 。
三
丙 、海 上 保 険 を完 備 し 危 険 を保 護 す る事 。
公 司使 用 の支 那 人 は多 く は ぼん く ら で あ つて 、代 理 商 も亦 市 場 に信
に暗 い ので あ る。 即 ち国 際 運 送 会 社 に つい て言 つて見 るな ら ば、 同
以 上一 二 三 は現在 に於 ては 誤 り なき 事 実 であ り まし て、第 一類 は已
用 が な い。他 の商 店 に代弁 さ せて 見 た処 でそ ん な に満 鉄 の為 に尽 力
丁 、労 農 の紙幣 を流 通 せし む る事 。
に着 手 済 、 第 二類 も秘 密 裡 に進 行 中 であ り ます 。 三鉄道 の会 議 の終
る主義 、 方針 で進 む な ら ば恐 ら く 成功 しな い であら う 。是 は多 年 の
積 極的 に尽力 す るも の では な い。 今 後満 鉄 が 資力 あ る商 人 と聯 絡 す
閥 が あ つて自 分 の利 益 と な る事 は 絶 対 に秘 密 を厳 守 し、 他 人 の為 に
す る も ので は な い。 蓋 し支 那 人 と言 ふ ても 、 其 の国 民 性 と し て夫 々
第 三 、 満鉄 の採 れ る又 は採 る べき 方 策
了 を俟 つて宣 伝 す る筈 です 。
已 に着 手 し た事
満 鉄 の態 度 に つ いて外 間 に漏 れ て居 る 事 柄 は左 の通 り で あ りま す 。 甲
因 習 であ る から 改 め る 訳 には行 か ぬ。 東 鉄 は 従来 商 店 を 持 つて居 な い。 支 那商 人 を 使 用 し て奔 走 の労 を
二
す る 訳 だ が、 汽 車 だ と僅 か に百数 十円 にすぎ な い。
沿 道 に馬 車宿 が 少 なく 不 便 多 き事 。
馬 車 を使 ふ事 は事 実 上 不可 能 の事 で あ る。 昔 欧洲 大 戦 のと き は東
今 で は哈 長 間 に馬車 の往 来 な き た め馬 車宿 が なく な つた から 、
日 間 で東 鉄 沿線 及 松 花 江 沿 岸 の各 駅 で、 特産 輸 送 の請 負 を初 め てか
鉄 に車 が な か つた から馬 車 の往 来 が頻 繁 で、 沿 道 に馬 車 宿 が あ つ
と ら し て ゐる が、 此 等 の商 人 は各 方 面 に聯 絡 をと つて 居 る。 此 の数
ら 成立 し た も のが十 数 県 の多 数 に達 し た のは彼 等 の奔 走 の結 果 であ
さ れ る。 此 の危 険 は中 々防 止 し難 い。 馬 車屋 と し て は 馴 れた 道 で
近来 土 匪 の跳 梁 甚 だし いか ら穀 物 は 無事 でも 、馬 と車 と は掠 奪
沿 道 の危 険 が多 き事 。
た けれ ど も 今 で は昔 と違 つて来 た 。 三
る 。北 満 の支 那商 ︱東 鉄 と の感 情 は比 較 的良 好 であ つ て、満 鉄 は此
之 を 一般 支 那 商 の眼 から 見 れ ば 、満 鉄 は正 に弱 敵 で あ る。若 し既 失
な いと金 を沢 山出 し ても 行 く事 を好 ま ぬ のが普 通 であ る。
の点 に於 て遜色 が あ る。 夫 だ か ら他 日両 鉄道 が競 争 す ると仮 定 し て、
の利 益 を挽 回せ ん と欲 す るな ら ば 、猛 進 す る の 一途 あ る の み。会 議
国際 運 送 が成 発東 、 協 和 桟 等 を使 つて居 る け れど も 効力 が少 な
代 理商 制 度 の範 囲 が狭 く て効 力 が少 な い事 。
の解 決 を待 つて居 た な ら ば、 東 鉄 の計 画 は完 全 に進 捗 し て了 つて如 四
いば か り で なく 、却 つて多 く の損失 を招 いて居 る のは 一部 分 の支
の猛 進 は 尚暗 々裡 に施 す べき で あ つ て、協 定 上 及 事 実 上 の関 係 で直
何 とも 施 す べき 手 段 な き に至 る こと は明 ら か であ る 。尤 も今 言 ふ所
接 実行 す る こと の出 来 な いも のは、 声 望 あ り特 産 に経 験 あ る支 那 人
代 理 商 は何 閥 に属 す る か に依 つて他 の閥 と 反 対 の地 位 に立 つ事 、
那 商 ば かり を利 用 せ ん とす る から起 る事 であ る 。 五
を し て幇 助 さ せ る外 な い ので あ る。 江 北 一帯 の産 地 に は日本 商 人 と し ては直 接 に取 引 機 関 を 設 け る事 が出 来 な いし 、又 設 け て見 た処 が
は反 対 の地位 に立 つ て居 る。 其 の余 の山 東 閥 、 臨撫 閥 (訳 者 曰 く、
例 令 成 発 東 は楽 亭 閥 の 一小分 派 であ つて、 大多 数 の他 の楽亭 閥 と
権 利 と な し、 他商 の此 の利 益 に均需 す る ことを 忌 む 事 。是 は支 那
代 理 商 は自身 の利 益 を 擁護 せ んが 為 に代 理 商 た る こと は特 別 の
山 海 関 及 撫 寧県 を言 ふ)等 は言 はず も が な であ る 。
支 那商 の信 用 を得 る こと 困 難 であ る から 、秘 密 裡 に支 那 人 を使 つ て
六
何 等 か の機 関 (即 ち仮 り に何 々会社 と称 す る が如 き を言 ふ) を組 織 す る こと が 一番 捷 径 で あ る。 第 二 に は国 際 運送 会 社 の勢 力 を拡 張 し、 支 那 人 に実 際 の仕 事 を や
満 鉄 の補 助を 得 て居 る こと を 自 己 の特 別 の利 益 と 思 ひ絶 対 に他 人
商 人 の通 弊 であ つて有 ら ゆ る商 店 は皆 其 の通 り であ る。彼 自 身 が
ら せ、 日本 人 に監 督 さ せ る こと であ る 。今 馬 車 輸 送 及 代 理商 の欠 点
馬 車 に依 る運 賃 は 汽 車 の数 倍 であ る事 。
な者 でな い限 り決 し て利益 を与 へ様 と しな い。
と 聯 絡 を 取 る事 を肯 ぜ な い。 偶 々其 の事 あ り とす る も、 従来 懇意
を指 摘 し て見 るな ら ば大 略 左 の通 り で あ る。 一
哈 長 間 は千 布 度 、 即 ち 七十 五石 余 であ つて、 一石 の運 賃 は諸掛 を加 算 し て大 洋 六元 掛 か る と す れば 、 千 布度 で は 四百 元内 外 を 要
七
資 力 あ る商家 は 人 の為 に尽力 す る事 を し な いから 、 之 を補 助 し て も補 助 金 を 利用 し て自 分 の商 売 の利 益 を計 る ば か り であ る 。 資 力 あ る支 那商 は人 の為 に働 く こと を し な い。 従 つ て其 の事 に
北満 の支 那 商 と 日本 人 と の感 情 は非 常 に融 和 し て居 ると は言 へ
ち に満 鉄 の要 求 を退 け る ので あ る 。
の発 達 を図 る計 り で あ る。 若 し東 鉄 の方 が比較 的 有 利 であ れ ば直
忠 実 で な い。仮 り に之 有 り と す る も補 助 金 を利 用 し て自 分 の事 業
八
支 那商 が露 人 に対す る感 情 は極 め て良 好 であ る が、 日本 人 に対
ぬ 。 従 つて 日本 人 と事 を共 にす る こと を 忌 む も のが多 い。
し て は常 に警 戒 し て居 る。 資 力 あ る者 は 一層然 り で あ る。 北 満 で は 日本 人 が直 接 農 業 及商 業 を 営 む こと が出 来 な い事 情 が ある。
第 六 、余 の薦 む る満 鉄 の採 る べき 方策
上 述 の点 こそ 実 に満 鉄 が乗ず べき 絶 好 の機 会 であ る から 此 の機 に
甲
人 才 採 用 の こと
乗 じ て、 以 下述 ぶ る所 を実 行 し た なら ば 必ず 勝 算 あ る事 と思 ふ 。
等 顧 問 と な し 、 必要 に応 じ種 々計 画 を な さし め 並 に調 査 及聯 絡 、
イ、 才 智 卓 絶 し、 商 情 に通 暁 す る土 地 の名望 家 数 人 を聘 用 し て高
交 際 に従 事 せ し む る こと 。
用 し て 一切 の計 画 を実 行 せ し む る事 。
ロ、 北 満 の特産 商 中 嘗 て多量 の特 産 輸 出 に経 験 あ るも の数 人 を 聘
是 は 現 在 は商 店 を持 つ て居 な い人 に限 る事 。 蓋 し商 店 を持 つ
て居 る も のは両 天 秤 に掛 け て、 利 のあ る方 に走 る こと にな る か
ら 専 心 満 鉄 の為 に骨 を折 る事 を せ ぬだ らう 。
人 を 多 人数 雇 用 し て地 方 に分 駐 せし め 目的 達 成 に努 力 せし む る
ハ、 特 産 事業 に も 、運 輸 事業 に も、 地 方 の事 情 にも精 通 し て居 る
九
是 は条 約 上 の関 係 に基 因 す る ので あ つ て、支 那商 は之 が為 に災
地 方商 人 は外 国資 本 を使 用 す る事 を 懼 る ゝ習 慣 があ る。
ホ、 商 務会 、公 会 等 の職員 に対 し ては 必要 な る報 酬 をな す 事 。
ニ、 支 那商 人 に対 し ては広 く連 絡 を 取 り感 情 の融 和 を計 る事 。
事。
前 年 の東 華 倉庫 の 一件 の如 き は安 達 の 一般 の小商 人 が 官憲 に運
り で あ る。
難 が起 る事 を懼 れ て 日人 と 共 同 す る事 を 欲 し な い。 北 満 一帯 皆 然
十
但 し 此 の輩 に対 し ては極 め て普 通 の聯 絡 を 計 る丈 にす る のが
東 鉄 の仕 事 の仕 振 は極 め て便 利 で且敏 活 であ る から であ る 。然 し東
ら ば 、特 産 は屹 度東 鉄 に吸 収 さ れ て仕 舞 ふ だら う 。何 故 か と言 へば
を補 助 し て代 理 店 を 増加 す る こと を運 輸 発 達 の唯 一の恃 みと す る な
事 実 は 調 査 す れば 直 ぐ分 か る こと であ る。
だ ら う し 、中 流 階 級 の商 家 も 同 時 に反 対 す る こと にな る 。 此 の
の補 助 を与 へた場 合 には 、此 の恩 典 に浴 せな いも の が反 対 す る
公 会 等 の役 員 は閥 を異 にす るも の の集 合 体 であ る から 、 金銭 上
買 ふ事 にな る から 決 し て 一方 に偏 し て は なら ぬ 。当 地 の商務 会 、
上 策 で あ る 。若 し或 者 に厚 く 、 或 者 に薄 きと き は他 人 の反対 を
鉄 と し て も労 農 紙幣 の流 通 さ せ た後 でな け れ ば中 々成 功 は容 易 で あ
上記 の十 項 は総 て 的確 な る事 実 であ る。 満 鉄 が馬 車 輸 送 及支 那商
動 し て干 渉 させ た か ら で ある 。
る ま い。
乙
各種 機 関 の設 置 イ 、支 那 人 事 務 所 ( 原 文 、 華 人辮 事 処 ) を 設 立 し て支 那 人 と の聯 絡 を 図 る事 。
丙
前 項 の自動 車 会 社 は 本 店 を哈 爾賓 に置 き 指 揮命 令 に便 な ら し
め 、地 方 各 県 に事 務 所 を 設 く る事 。尚 日本 人 は 本店 に在 つて監
督 す る に止 め 、 地方 の事 務所 員 は総 て支 那 人 を 用 ひ 地方 人 の疑
実 際 上 の施 設
惑 を予 防 す る事 。
ロ、 小 特産 商 と聯 絡 を 取 り集 合 輸 送 を なす 事 。
イ 、 直接 、間 接 大 小 の特 産 商 及 大農 家 を補 助 す る事 。
二項 の人物 を用 ひ て之 を主 宰 せ し め 、其 の下 に各係 を置 き 輸送
ロ、 総 本部 を設 け北 満 貨物 吸 収 事 務 を 司ら し め、甲 類 中 の第 一第
理 せし む る事 。
ら 、之 を補 助 し て 旧業 を恢 復 さ せ たな ら ば 必ず や 其 の恩 義 に感
のが多 い。 是 等 の輩 は特 産 輸 出 に充 分 の経 験 あ る人 々で あ るか
北 満 一帯 は 近来 金 融 逼迫 のため 有 名 な る特 産商 中 失 敗 す る も
し、 特 産 物取 引 をな さ し め、 又 は 旧業 を依 復 せ し む る事 。
ハ、 嘗 て特 産 取 引 をな し 輸出 其 の他 に充 分 の経 験 あ る商 人 を補 助
聯 絡 (訳者 曰 く、 支 那商 と の聯 絡 を言 ふ) 貸 付 、 輸出 事 務 を 処
ハ、支 那 人 に委 託 し て秘 密 に出 資 し運 送 会 社 を設 立 し、満 鉄 に代 つて貨 物 を 吸 収 せ し む る事 及各 県 各 駅 に共 の支 店 及 出 張所 を 設
表 面 は支 那 人 に事務 を 採 ら せ て 日本 人 は 裏 面 に在 つて監督 す
く る事 。
る事 にし た い。 是 は 国際 運 送 会 社 は 日本 人 の経 営 で あ つて動 も
ても是 等 の輩 を使 つ て乙類 第 二項 の事 を やら せ て も亦 必ず 相 当
の効 果 が あ る と思 ふ。例 令 福 厚長 の田象 乾 氏 の如 き は大 正 九年
じ て味 方 と な つて 尽力 す る事 は疑 ひ な い。 一歩 退 い て考 へて見
大 連 向 き特 産 物 三 千 余 車 を取 扱 つた事 が あ つて 、松 花 江 沿岸 一
す れば 、意 志 の疎 通 を 欠 く事 が 多 いか ら敢 へて此 の言 を なす所
れば 失 敗 す る虞 が あ るか ら秘 密 に支 那 人 に委 託 し てや れ ば共 処
以 であ る 。 又奥 地 各 県 及特 産 々地 にて 、 日本 人 の商 標 を使 用 す
に便 利 があ る。 此 の事 は 充 分 に御 取 調 べ を 願 ひ た い と 思 ふ。
帯 で は頗 る信 用 あ る人 物 で あ る。 同升 泰 の母 錫 三氏 は大 正 七年
よ り同 十 年 迄専 ら 特 産 取 引 に従 事 し て居 た から 、 北満 の支 那商
( 訳 者 曰く 、 此 の計 画 は従来 の行 掛 り 上 か ら考 へて最 も 上策 で
も外 商 も 大変 信用 し て居 る 。合 記 の謝 紫 超 氏 は 三非 洋 行 が 哈爾
は な い か、 と 思 ふ) ニ、各 地 に自 動 車 会 社 を組 織 し て貨 物 を 運 送 せ し む る事 。但 し矢
広 の如 き は以 前 は大 きく 取 引 し て居 た ので あ るけ れ ど も、 近 頃
又益 発 合 振 升 長 の張 岳 五 氏 、東 合 洪 の董 士信 氏 、 山 東班 の万 福
市 況 不振 の為 、経 営 困 難 に陥 つた。 又東 亜 の王 魏 卿 氏及 同 発 隆 、
賓 に来 な い前 か ら特 産 物 を直 接 大 阪 其 の他 に輸 出 し て居 つた 。
あ る 。速 く て運 賃 が安 い から屹 度 商 人 に歓 迎 さ れ る。 殊 に産 地
永 和長 等 は特 産 界 の敏 腕 家 であ る 。撫 寧 班 の三信 銀 行 、 万億 信
張 り 支那 人 の名 義 を用 ひ支 那 人 を し て執 務 せ し め、 日本 人 は只
から 直ぐ に輸 出 運 賃 を定 める 事 が出 来 る。 此 の便 利 が あれ ば屹
裏 面 に在 つて監 督 す る に止 む る事 。 目 下 の急 務 は自 動 車 輸送 で
度 東 鉄 は競 争 に失 敗 す る。
の李 書 閣 氏 及 徳源 号 の周 暢 言 氏 、永 興 隆 等 は皆 特 産 界 の経 験者 にし て、 松 花 江沿 岸 一帯 では 、其 の名 声 嘖 々た る も のが あ る か ら相 当 補 助 を 与 へれば 、 其 の潜 勢 力 を 発 揮 す る事 が出 来 る 。其 の他 の双合 盛 、天 合 盛 、益 発 銭 等 の資 力 充分 な る手 輩 は 従来 人 の仕 事 の手助 けを す る事 を好 ま ぬ から 、 こち ら で聯 絡 を付 け様 と 思 つ て努 力 し ても 恐 ら く効 果 がな からう 。 ニ、自 動 車 道 路 を 修築 す る事 。 結 氷 中 は 自動 車 の運 転 に好 都合 だ け れど も 、結 氷 後 は 道 路 を 修 理 せね ば運 転 が出 来 ぬか ら 農産 地 の道 路 を修 築 す る必要 が あ る。
松花 江 に於 け る日 本 人 の航 行 権 は 認 め ら れ て居 な いから 、 支
ホ、 松 花 江 の汽 船 を チ ヤ ータ ー し て運 賃 を軽 減 す る 事 。
那 の汽 船 を チ ヤ ータ ーし て開 河 後 は直 接 輸 出 者 に 対 し安 い運 賃 を 運 ん で や つた チ ヤー タ ー料 と の差 額 は、 満 鉄 か ら補 填 す る こ と に し た ら宜 し いと思 ふ。 へ、大 連 向 荷 為 替 に対 し て利 息 を 取 ら ぬ事 。
べ て、 其 の土 地 に流 通 し て居 る貨 幣 を使 ふ様 に せね ば使 用 を 嫌 ふ事 にな る 。
ヌ、 満 鉄 運 賃 及船 賃 を 減 免 す る事 。
是 は競 争 の程 度 如何 に依 り て酌 量 す る事 。
当 地 の油 坊 は 資 力欠 乏 の為 、 事業 を中 止 し て居 るも のが多 い。
ル、 事 務 を中 止 し て居 る油 坊 を 補 助 し て輸 出 す る事 。
此 の機 に乗 じ て資 金 を補 助 し て貨 物 を大 連 に出 す 様 に契 約 し た ら宜 し いだ らう 。
吉林 省 内 満 鉄 沿 線 と東 蒙 古 と の間 は条約 に依 つ て許可 さ れ て
ヲ、 南 満 と東 蒙 と の間 に軽 便 鉄 道 を敷 設 す る事 。
居 る の だ から 、 軽 便鉄 道 を敷 設 し て 、満 鉄 と 直 通聯 絡 を 計 つた
言
な らば 宜 し いと 思 ふ。 第七、結
上 述 の甲 乙 丙 の三種 は東 鉄 と競 争 す る には 是非 必 要 な事 であ る。
ら、 満 鉄 が若 し資 力 あ る商 家 のみ に聯 絡 を 取 つて居 たな ら ば到 底 東
要 す る に東 鉄 は 支那 商 人 中 の閑 人 を使 つて色 々な 準備 をし て居 る か
ト、 各 駅 に倉庫 を設 け て長 期低 利資 金 を 貸 付 け る事 。
るか ら で あ る。 然 る に資 力 あ る商 家 は 日 夕自 分 自 身 の商 売 を 発達 さ
に出 来 て居 る。 之 を 以 て唯 一の事 業 と 思惟 し て 一生 懸命 に働 い て ゐ
近 年 は災 禍 の為 農 民 失業 者 が多 い。 本年 度 に於 て資 金 が な い
せる事 ば かり 考 へて居 て、 利 を 見 て手段 を択 ば ぬ風 が あ る。 そ れ だ
鉄 の敵 では あ る ま い。 何 と な れば 此 等 の閑 人 は各 地 と の聯 絡 が充 分
為 に荒 廃 せ し め た土 地 は 北満 で全 体 の十分 の三 あ る か ら、 農 業
チ、 農 民 に対 し農 業 資 金 を 補 助 す る事 。
資 金 を補 助し てや つて農 民 に好 感 を与 へたな ら ば屹 度 効 果 があ
尚 速 か に斉 〓 鉄 道 を 敷 設 す る こと も重 大 な問 題 で ある が 、 一年 や
な らば 屹 度 失 敗 す る。 御 用 心 、御 用 心。
から先 づ支 那 人 を聘 用 し て援 助 さ せ る な ら ば屹度 非 常 な 効 果 が あ る ︹ 六字不明︺ だ らう 。 少 □ □ □□ □ □ を 解 し て も 心根 の良 く な い支 那 人 を使 つた
る だ らう 。 リ 、貸 付 補 助 共 に金 票 ば かり使 つ てい て は いけ な い。 各 地 使 用 の貨 幣 は同 一でな いから 産 地 にて使 用 す る貨幣 を 調
半年 で は出 来 な いか ら 目下 の急 務 は前 記 三種 の外 に出 でな い。予 自
の では な いが 、 只東 鉄 の政 策 が単 に労 農 政 府 の利益 のみを 打 算 し て、
身 は 元来 支 那 人 であ る から 決 し て満 鉄 に贔 屓 し て東 鉄 を 敵 と す る も
我 が 国境 内 にあ る鉄 道 を之 が為 に犠 牲 とし 、 其 の結 果 南 行 貨 物 を抵 制 し 様 と 目論 見 、 其 の計画 実 行 に腐 心 し て居 るか ら自 分 と し ては支 那 商 人 の利益 の為 に此 の瑣 々たる建 議 を なす 所 以 であ る。
輸送 状態
輸 送 状 態
見 るに ( 単 位 、 露 貨車 千布 度 積 )
一三 、五 一
一三、二一
一 三、一〇 〇
一 一、 九六六
一 一 七七 五
一九 二二∼ 二 三年
一 一、三〇 八
一四 、一九 六
九 、三 五 〇 九 、二三 五
一三 、五八 〇
一九 二 一∼ 二二年
九 、二五〇
一 一、 九〇七
第一 第二
一 一、 七 二二
期間
一九 二三年 ∼ 二 四年
最 近年 間 に於 け る労 農 ロシ ヤ の鉄道 網 の平 均 一日 の貨 車積 込 数 を
イ
る 新 法令 と相 俟 つ て成 績 の見 るべ き も のがあ つた。
す べ く本 位 貨 幣 が 安定 し、 商 取 引 が発 達 し 、 政府 の特 別 企業 に対 す
言 は ず 一時 に復 興 気分 が漲 り 、 そ し て商 品 の潤 沢及 金 融 の円 滑 を 期
労農 ロ シヤ に新 経済 政 策 が施 行 さ る ると 、商 業 と 言 はず 、 工業 と
の 二、 三 の内 容 に就 て東 支 鉄 道 の営業 状 態 と 対照 し てあ る。
年 九 月 三 十 日 に至 る蛍 農 ロシ ヤ の国有 鉄 道 の営 業 成 績 を概 説 し 、 其
一九 二 四年 度 労 農 露 西 亜 の国 有 鉄 道 と 東 支 鉄 道 の営 業 成 績
哈爾賓事務所長
三四
哈調交第 二六七号
一九二四年度 労農露西亜 の国有鉄道と東支鉄道 の営業成績
大正十四年 二月 二十三日 当地発行新聞紙商業電報 二〇九、 二一 〇及 二 一一号所載 の件御参 次
考迄 に飜訳御報告申上げます。 目 イ 運転 状態
一、蛍農 ロシヤの国有鉄道営業成績 ロ イ 貨 物 輸送
二、東 支鉄道 の営業状態
第三
均八 、八 七 二
八 、六 四 八
右 数字 を見 る に労農 鉄 道 網 が如 何 に不 断 の努 力と 、 そし て著 しく
三 第四
旅客 輸送
一、労農 ロシヤの国有鉄道営業成績
一ケ年平
ロ
本文は昨年十 二月莫斯科 の交通機関紙 グド ークに掲載 され、之 を 当地商業電報 が転載したもので、 一九二三年十月 一日から 一九二四
増 加 し つ ゝあ る かを知 る事 が出 来 る 。各 期 別 に昨 年 度 と 比 較 す る に 一 一% か ら 二 二% の増 加 率 を 示 し 、 一箇 年 平 均増 加 率 は 一六 % で あ る 。 さ れ ば若 し 一九 二 一、 二 二年 の積 込 率 を 一〇 〇 % と す れ ば 、 一 九 二 二、二 三年 度 は 一三 二% 、 一九 二三 、二四年 度 は 一五 四 % と な る。
〃
四、三 四 六 百 万布 度露 里
〃
年度
五 一九
一九 一三
一、三 四四
三 一%
最 近労 農 ロシ ヤ国 有 鉄 道 の貨 物 輸 送 数 量 は 左 の如 く であ る。
一九 二 一/ 二 二〃
二 一%
即 ち 一九 一 二年 を 一〇 〇 とし て比 率 を 求 む れば 、
一、八 七 一 〃
四 四%
一九 二二/ 二 三〃
一九 二一 / 二 二年 度
一九 二三/ 二 四〃
並 に国 内 貿 易 市 場 に重 大 な 出 廻 り 関係 を有 し 、対 外 貿 易 市 場 に鞏 固
二九 二三/ 二 四年 度
近来 積 込 貨 車 数 の異 常 の増 加 は 労農 ロシ ヤ の諸 企 業 の復 活 及発 達
な る位 置 を占 め る農 作 物 、 即 ち農 村 経 済 の復 興 に起 因 す るも ので あ
運 転 状 態
一九 、六 二 三輛
第 四期
二〇 、一五九 〃
第 一期
一九 、五 七 一輛
車
二 〇 、一四九 〃
関
一九 二 二 / 二三年 度
四四 一 〃
三九 五 千 輛
四三五
四 一五 千輛
車 一九 二 二/ 二三年 度
一九 二 三年 度 九 月 一日 調 の交 通 省 報 告 の極 東 諸 鉄 道 を も包 含 す る
る。
て前 記 数 字 の外 に尚予 備 機 関車 ( 但 し 修 理 を要 す) 二 、 八 四 四輛 あ
現 今 貨 物 輸 送 機 関車 数 は充 分 あ る が、 一九 二 四年 九 月 一日調 に於
〃
一九 二三/ 二四年 度
B 、貨
一九 二三/ 二四年 度
A、機
如 く であ る。
各 種 機 関 車 の運 転 状 態 を予 算 年 度 初期 と末 期 と に就 いて見 れ ば 左 の
最 近 の労農 ロ シヤ の鉄道 網 の発 達 の状 況 を察 知 す る に つき 、 左 に
ロ
輸 送 数 量 は 今 や戦 前 の約 五〇 % に迄 復 活 し て来 た。
此 の数 字 に拠 つて労農 ロシ ヤ の鉄 道 の奮 闘 努 力 が推 知 さ れ る が、
一九 二 二/ 二三年 度
る。 現 今 に於 て貨 車 の積 込 率 は 既 に戦 前 (一九 一四年 ) の約 四 一% に
重 要 貨 物 別 に積 込 貨 車 数 を列 挙 し て見 る と 左 の通 り で あ る。 (単
回復 し た。
位 二十 布 度露 積 貨 車 )
右表 を 見 る に 一九 二 三年 、 二 四年度 に於 ては 穀物 は 三八 % 、 石炭 は 四 五% の積 込 増 加率 を示 し 、 薪 は 一八% 積 込 率 の減 少 と な つて居 る が 、之 は鉱 油 燃 料 が之 に代 つ て居 る為 で、 即 ち石 油 及 重 油 が約 二 五 % の増 加 と な つて居 る。 只 重 油 は年 度 末 に ( 第 四期 ) に至 つて 一 大 増 加 を なし 、 一日平 均 積 込 数 八 四 七車 を突 破 し た こと が あ る。 之 は最 近 世 界 の重油 市 場 が競争 激 甚 と な つた こと を 物 語 る も の で あ る。
右 貨 車 車輛 数 を見 る と確 実 に増 加 し て居 る。 そ し て次 年 度 迄 此 のま
(因 に 一九 二 二/ 二 三年度 は 一九 一 三年度 に比 し て其 の七 七 % に当
日平 均走 行 露 里 は約 六 、 七露 里 だけ 前 年度 よ り も 増 加 し て 居 る 。
次 に貨 車 の走 行 露 里 の成 績 は機 関 車 以 上 で、 一九 二二 / 二 三年 度
/ 二 四年 度 は 丁度 九 七% に当 る 回復 力 を示 し て居 る。
一九 一 三年 度 の 一日平 均走 行露 里 は 一 一一 ・六 露 里 で、 一九 二三
つて居 る。)
ま 継続 し て居 る。 只年 度 末 に於 ては 或種 の貨 車 は 現在 数 が減 少 し て 居 る が 、之 は実 際 に営業 に適 し な い車輛 を廃 車 と し て 目録 面 から 削 除 し た か ら で あ る。 さ れ ば現 今 発 表 さ れ て居 る車 輛 は 皆完 全 な鉄 道 営 業 に堪 へ得 るも のば か り で、 今 労 農 ロシヤ の鉄 道 と東 支 と の機 関
は 一九 一 三年 度 の 一日平 均 七 〇露 里 に対 し僅 か其 の 一六% に し か当
一九 二〇 〃
一九 一 三年 度
三九 〃
三 四〃
六 六露 里
車 及貨 車 の営 業 車 に対 す る廃 車 の比 率 を列 記 せむ に左 の通 り で あ る。
ら ぬ が、 一九 二 三/ 二 四年 度 は 七 四% に迄 上 つた。 今 左 に労農 鉄 道
と東 支 鉄 道 と の貨 車 の 一日平 均走 行露 里 に就 いて比 較 す れ ば、 左 の 通 り で ある 。
一九 二一 〃
四 五〃
B 、東 支 鉄 道
三〇 ・五〃
六 二〃
七 〇露 里
四四 ・五〃
一九 二 二 〃
年度 一九 二一 / 二 二〃
一九 二 三〃
一九 一 三
一九 二二 / 二 三〃
五 四 ・〇〃
A、 労 農 ロシヤ鉄 道
昨 年 末 労農 ロシ ヤ の鉄 道 では機 関 車 の廃 車率 が非 常 に大 き いが、
一九 二三/ 二 四〃
一九 二一 / 二二 年 度
七 九 ・〇
七 四 ・一
第 一期
七八・ 八
七 二 ・二
第 二期
七九 ・ 七
七八・ 六
第 三期
八四・ 五
七 八 ・六
第 四期
九〇・ 九四
一 九 一・一
一九 二 二/ 二三 〃
一九 二 一 年度
九 一・
八 二・ 六
八五 ・ 〇
八 四 ・五
一九 一 三年 度
B 、東 支 鉄 道
一九 二三 / 二 四 〃
A、 労 農 ロシ ヤ鉄 道 (単 位 、軸)
尚 貨 物 列 車 の編成 を各 期 別 に比較 し て見 れば 、
然 し 減 少 の傾 向著 し く 、就 中 第 二期 に於 ては寒 気 降 雪 の被害 を受 け 廃 車 と な るも のが多 い。 尚 第 三 、 四期 に於 て機 関 事 の廃 車 率 が増 加 し て居 るが 、 其 の原 因 は 鉄 道 の財 政 が困 窮 し て居 た為 、 廃 車 の修 理 費 に大 緊 縮 が加 へら れた 為 な る事 を知 ら ね ば な ら ぬ。 そし て又降 つ て 八月 の末 にな る や貨 車 の廃 車率 が三 六 ・ 一% に迄 下 つた が 、九 月 に 入 り て 三 二・ 四% に迄 回 復 し て来 た。 次 に運 転 に就 いて述 べ ん に機 関 車及 貨 車 の使 用率 を測 定 し た中 に、 機 関 車 及 貨 車 の 一日平 均 走 行 露 里 並貨 物 列 車 の 一日平 均 編 成数 等 に 就 いて営 業 貨 物 を基 準 と し て観 察 した 処 に依 る と、 貨 車 の平 均 積 込 数 は前 記 の如 く め き めき 増 進 し 、 一九 二三 、 二 四年 度 の機 関車 の 一
一二 五 ・一八 ︹ア キ ママ︺
し労 農 ロシ ヤ特 に鉄 道 が永年 の苦 し い財 政 難 から 切抜 け、 既 に其 の
一九 二 三年度
峠 を越 し たも のと断 定 し て差 支 なく 、 此 の後 鉄 道 は 凡有 る困 難 を排
︹アキ マ マ︺
一 一五 ・ 〇六
一九 二二〃
一六 ・七露 里
一九 二一 / 二二 年 度 一二・ 八 〃
一 一・五露 里
貨 物 輸 送
に抜 き ん でた 。 先づ 穀 物 の積 込 数 量 を見 る に 左 の 通 り で あ つ た。
貨 物 輪 送 も最 初 は積 込 皆無 で あ つた が最 後 に至 つて予算 面 を遙 か
イ
末 に至 り 急 に収 入 が増 加 し て予 算 面 を超 過 す る に至 つた。
成 績 は到 底 予算 面通 り の収 入 は挙 が ら な いも のと 見 ら れた が 、年 度
東 支 鉄 道 では 営業 予 算 年度 の第 一月 日 に於 て、 既 に本 年 度 の営 業
三、 東 支 鉄 道 の営 業 成 績
し て営 業 を 継 続 し て行 く こと が出 来 る。
尚 右 の数 字 は特 に□ 型機 関 車 の使 用率 を多 く し 、□ 型 機 関 車 ( 牽 引 力 小 ) の使 用 率 を 少 な くし た こと が原 因 し て居 る が、 此 の外 に尚 列 車 編 成 の上 に交 通 省 の監 督 の行 届 いた事 も 忘 れ て は なら ぬ。 次 に 営 業 貨 物列 車 の走 行 露 里 は、
一九 一三年 度 一九 二 三 / 二 四 〃
A、 労農 ロ シヤ鉄 道 一九 二二 一一 ・ 八 〃
一 三・九露 里
減
一九 二一 年度
増
一二 ・ 八露里
一九 二 四年 度
四
一九 二〇 年 度
/ 二 三〃 B、 東支 鉄 道 (経 済 調査 局 発 表 )
一九 二 三年 度
(- ) 三
(単 位 、 百 万 布度 )
一 三・ 九
五
一七 ・〇 〃
一七 ・二
)
- ) 七
一九 二三 〃
月
一九 ・八(
一五 ・四〃
正
三一・ (-
一九 二二 年度
東 支 では右 の数 字 を 以 て戦 前 の露 国 鉄 道 の記録 を破 つた 、 と言 つ て自 慢 にし て居 る。尚 一貨 車 の平 均 積 込 み数 量 を見 る に、
四 一・四
二七 ・ 三
月
月
七 三 ・〇
六 七 ・九
五 九 ・四
五 〇 ・六
五九・( -
五 五 ・四(
五一 ・ 四(
四 三 ・八(
三 七 ・六(
)一六
-
)一七
- )一 六
- )一五
- )一 三
〇
六
五
六
〇
七
月
月
四
月
七五 ・二
九
三
二
五
月
五 三一布 度
六
月
一九 二一 / 二二 年 度
七
六 四 八布 度
A、 労農 ロシ ヤ鉄道
七 四 五 ・六布 度
八
一九 二 二
一九 一 三年 度
一九 二〇 年 度
八 一九 ・二〃
七 二 三〃
六 四三 ・三布 度
一九 二二 年度
一九 二三 / 二 四〃
八 三五 ・八〃
六 四 六〃
一九 一 三年 度
九三二・二 〃
も のと言 ふ べく 、同 年 度 に於 て は明 ら か に労 農 ロシ ヤ の 一大 経 済 機
道 の営 業 成 績 を 見 る に、 其 の機 関 車 及 貨車 等 の整 理 は 一先 づ ついた
以 上述 べた 処 に依 つて 一九 二 三/ 二四年 度 の労 農 ロシ ヤ の国 有 鉄
十二月
十 一月
十
九
月
月
一〇 八・ 〇
九 一・
八 〇 ・〇
七七 ・
一 一五 ・〇(
一 九二・ 五 (
七 三 ・〇(
一 六二・四 (
+
+
-
) 七
)一
)七
- )一四
〇
四
〇
七
B 、東 支 鉄 道
〃
一九 二 一〃
/ 二三
一九 二三 〃
関 とし て の鉄 道 運輸 の使命 を全 ふし た こと を知 る事 が出 来 る。 今 若
年 度 末 に於 け る積 込 の増 加 は時 恰 も穀 物 の︱ 而 も農 作 ︱ 出 廻 期 に 際 し好 運 にも相 場 が下 つ て居 た為 、 注 文殺 到 し 商 取 引 さ れた こと が
如 是 積 込 状態 は次 年 度 にも持 続 され年 頭 と 雖 も 異 状 の出 廻 を 呈 し
原 因 し て居 る。
殺 到 し て 、耕 作 以 外 に阿 片 の植 付 け に従 事 す る を常 例 と し て いた の
之 よ り 先管 理 局 では旅 客 収 入 増 加策 と し て前 の経 済 調 査 局 長 イ
に本 年 は 此 の事 が な か つた。
ア ・ミ ハイ ロフを首 班 とし 、 運 転 及列 車 編 成替 に関 す る調 査 が進 め
のを 三 等車 を以 て之 に替 へた。 雖然 昨 年 度 の旅 客 収 入 に前 年 度 の六、
ら れ 、 そ し て東 部 線 及南 部 線 の従来 の旅 客 列車 に 四等 車 を連 結 し た
七 二五 千留 に比 し 六 、〇 九 二千 留 し か上 らず 、 結 局 三 四 千留 の減収
最 初 管 理 局 と し て は、 夏 の出 廻 貨 物 の中 に松 花 江 川筋 物 を 予 算 に
た。
入 れ た が、 航 運 の不振 の ため 川筋 に滞 貨 を見 る に至 つた 。 そし て貨
従 来 の如 き著 しき 増 加 を せ な か つた 。即 ち ( 単 位 、 百 万布 度 )
支 那 本国 の内 乱 は東 支 の貨 物 輸送 に其 の影響 を及 ぼし、 其 の為 に
で あ つた 。
運 転 成 績 が挙 が ら な か つた 原因 は、 南 支 那 の兵 乱 及 北 京 の政 変 延
物 出 廻 の減 退 に つれ 、旅 客 収 入 も之 に平 行 し て減 少 し た 。
従来 は毎 年初 夏 の候 と な る と幾 千 と 言 ふ苦 力 が東 部 沿 線 の山 間 に
いて は地 方 官憲 の阿片 栽 培 禁 止等 であ る。
右 表 に依 ると き は 鉄道 に よ る貨 物 の運 輸 は 毎年 増 加 す る 一方 で あ る。 即 ち ( 単 位 、 百 万 布度 )
一九 二〇 年 度 を見 る に僅 か の増 加 をし て ゐる。 同 年 以後 は所謂 東
支 の新 運賃 政 策 によ つて馬 車 輸送 を牽 制 し て を つた 為 、沿 線 の出 廻
貨 物 は激 増 し た 。貨 物 の出 廻 状 況 か ら推 し て鉄 道 運 賃 を値 下 す る と
言 ふ こと は確 か に時 勢 と平 行 し て行 くも の であ る こと が判 つた 。 で
であ る 。 さ れど 最 近 三 ケ年 間 は 支 那内 地 向 け の輸 移 入貨 物 も 変 化 が
送 数量 の増 加 は 油 房 工業 の安 定 し て来 た こと を物 語 る も の であ る。
な い。勿 諭 前 記 貨 物 の出 廻 増 加 は東 支 の運 賃 政策 が 宜 し きを 得 て ゐ
尚 注意 す べき こと は 以前 地方 住 民 が需 め て いた欧米 雑貨 の輸 入 杜絶
川 筋 の発達 、蒙 古 貿 易 の旺盛 、 林 業 、哈 爾 賓 管 区 の油房 業 等 に対
の発 達 に依 り新 らし い生産 品 の出 廻 に基 因 す る。
し此 の際 管 理 局 は旧 運 賃 を何 時 ま でも 固辞 せず に自 発 的 に、能 動 的
逐 年 鉄 道 の出 廻貨 物 の増 加 は運 賃 政 策 以外 に隣 接 地 帯 に於 け る企 業
に値 下 げ を 断 行 し ても 差 支 へな い筈 で、之 だ け の値 下 げ を し ても 或
布度)
鉄 道貨 物 を輸 送 方 向 別 に見 ると 、 左 の如 く で あ る。 ( 単 位、百 万
た事 を物 語 つて居 る 。
る時 代 に於 て九︱ 十 一% の値 下げ し て、満 鉄 に脅 威 を 与 へた時 と 同
こ の際 東 支 は営 業 成 績 を 一重 に順 調 に捗 ら せ ん た め には是 非 とも
一の結 果 を 挙 ぐ る こと が出 来 る。
農 村 の救 済 、 一般 企 業 及 林 産 業等 の助 長 のた め 、資 本 を 投ず る事 を
東 支 の重 要 輸送 貨 物 は何 と 言 ふ て も穀 物 及其 の生 産 品 であ る。 今
心掛 け ねば な ら ぬ。
地 方 輸送 数 量 の全 出 廻貨 物 に対 す る% は 一九 二〇年 度 一 六% 、
移 送 数 量 は僅 か に二、 五 〇 〇 千布 度 に過 ぎ な か つた。 然 る に 一九 二
築 界 の不 振 、財 外 の危 機 に面 す る時 と て同年 哈 爾賓 に出 廻 つた 地方
左 に各 年 度 別 に之 を見 ん に、 (単 位 、百 万 布度 )
地方 移 送 貨 物 の状 勢 を 見 る に 一九 二一 年 前 、 即 ち運 賃 政 策 が制 定
右 表 に よれ ば東 支 の貨 物 輸送 は順 調 な る発 達 を な し て ゐる 。
さ れず 、 以 前 は其 の出 廻 の如 き 不自 然 な も のであ つた が、 近来 は確
一
実 な数 字 を求 む る こと が出 来 て来 た。
右 総 計 数 字 を 見 る に 、最 近 三 ケ年 間 は其 の数量 は稍 固 定 的 な る も
一九 二 二年度 二一 % と な り 、 一九 二三年 度 は哈 爾賓 地 方 に於 け る建
の であ り、 内 約 二% は 地方 消 費 の分 とな るが 、 此 の数 字 は毎年 小 さ
二
輸 出 に就 いて見 る に最 近年 間 に於 て は そ の発 送 仕 向 別 には大
中 枯 草 、 石炭 及穀 物 は夥 し き数 量 に達 し 地方 移送 は蘇 る に至 つた。
四年 度 に至 る や 、哈 爾 賓 向 け の地方 移 送貨 物 が甚 だ しく増 加 し、 就
尚 前記 総 計 の中 で 一驚 を 喫 す る は 、豆 油 の輸送 が約 五倍 、 石炭 二
く な つ て来 た。
倍 及 木材 輸 送 が五倍 以 上 の増 加 を し て ゐ る事 で あ る 。就 中 豆油 の輸
変 化 が な いた め 、鉄 道 管 理 局 は少 な か らず 心配 を 為 し た が、 之 と同 時 に将 来 の予 算 及 営 業 上 に致 命 的 打 撃 を与 へら れ た ( 南 行 が優勢 で 東 行 が挽 回 せ ぬ意 )。 左 に仕 向 別 輸出 貨 物 の数 量 を 記 さ ん に ( %)
右 表 に よ つて見 る に西 行 が 何故 に減 少 し て いる か、 又南 行 が⋮ ⋮ そ れ は満 洲 貨物 の二大 輸 出 仕 向 ⋮⋮ 何 故 増加 し て い るか に就 い ては
な らず 、 亦木 材 輸 送 に よる も のであ つ て、之 は取 り も 直 さず 北 満 林
醇 々と 述 べる 必要 は な い。 只南 行 貨 物 の増 加 の原 因 は穀 物 輸 送 の み
産 業 の生 産物 が府 県 市 場 へ流 出 す るを物 語 る も の であ る。 西 行 貨 物 の減 少 は 最 近 二 ケ年 に於 て極 東 ロシ ヤ に於 け る労 農 政府 の経 済 政 策 の失 敗 に帰 し た こと に起 因 す る。 即 ち 対 外取 引 上 に於 て は労農 政 府 の許 可 証 な し に は商 品 の売買 が出 来 ぬた め自 然 購 買力 が
つた位 に留 ま つた の であ る 。
減 退 し 、 従 つて西 部 線行 の貨 物 がな く な り僅 か に蒙 古 の物 産 が出 廻
一九 二 〇︱ 一九 二 二年 後 に亘 つて は南 行 貨 物 は殆 ど増 減 は な い。
は南 満 、朝 鮮 の木 材 のみ で足 ら ず 、北 満 の木 材 を も需 めた ので急 に
増 加 し た のは東 行 貨 物 のみ で あ る。然 る に 日本 未曾 有 の東 京 大震 災
南 行 が優 勢 にな つた 。之 が為 に は北満 の木 材 を 利用 す る上 に就 い て 凡 有 る便 宜 が与 へら れ急 速 に 日本 に向 け輸 出 さ れ た。 最 近年 間 の木 材 の輸 出 高 を 見 る に 左 の通 り であ る。 ( 単 位 、 百 万布 度 )
最 も増 加 し た年 は 一九 二 四年度 で、 一九 二三年 度 の八○% 以 上 の
三
次 に穀 物 一種 のみ に就 い て東 行 、南 行 の比率 を求 め る と、 左
増 加 で あ る。
の通 り であ る。
如斯 一九 二四年 度 の南 行貨 物 の数 量 は 最 近年 間 に於 て は減 少 し て
次 に輸 入貨 物 に就 い て見 る に之 は殆 ど専 ら 南 か ら 入 つて来 る。
ゐる 。 そし て明 ら か に 一九 二 三年 度 より も少 な い。 四
(単位 、百 万 布度 )
右 数 字 を 見 る に、 東 から 輸 入 さ れ て来 る貨 物 は徐 々に増 加 し て い る 。 一九 二四 年度 に浦 塩 から 入 つ て来 た輸 入 貨 物 は戦 前 と同 じ く 麻 袋 、 石油 、 魚 類 、果 実 及 戦 前 は姿 を 見 せ な か つた 石炭 で あ つ て、 其 の増 加 は著 し いも のが あ る 。 最 近 年間 のポグ ラ 経由 輸 入貨 物 中 石炭 並 に其 の他 数量 は、 (単 位 、 百 万 布 度)
尚 寛 城 子 経 由南 か ら 入 つて来 る輸 入貨 物 の数 量 は 左 の通 り であ る。 ( 単 位 、百 万 布度 )
前 記 輸 入 貨物 の中 石炭 は 一九 二 四年 に於 ては 、前 年 度 よ り は九 十
万布 度 減 少 し 、其 他 貨 物 には大 差 な いが 、只 に穀 物 即 ち 小麦 の輸 入
が増 加 し て ゐる 。前 年 度 の北満 小 麦 の不作 は 一九 二 四年 度 に至 り て
ロ
旅 客 輸 送
加 奈 太、 北 米 合 衆国 の小麦 及麦 粉 の輸 入 を 見 る に至 つた。
旅 客 輸 送 を 見 る に鉄 道 と し て は若 干 の減 少 で あ る。 この原 因 は 二
一、東 部 沿 線 農 作 物 に対 す る重 課税 の為 に耕 作 を阻 害 し 、苦 力 の移
つあ る 。
動 のな か つた事 。
少 せ る事 。
二、 地 方官 憲 の厳 達 によ り阿 片 の栽 培 が禁 止 さ れ 、労 働者 の移 動 減
阿 片 の栽 培 収 穫 期 には毎 年 幾 千 入 の労 働 者 及買 手 が入 込 む の で、
東 部 線 では 此 の時 期 が 一番 旅 客 収 入 の当 込 み期 であ る。 斯 か る 一
時 的 の原 因 に禍 さ れ て 一九 二 四年 度 の旅 客収 入 は 減少 し た。 即 ち、
以上説述した東支鉄道 の営業成績を見るに年度予算 と大差なく鉄
道 収入も年度末 に至 つて予算額 に達した。予算面 による貨物輸送高
は 一七百 万布度とされたが実際は 一八 四百万布度 に上り、旅客輸送
︹マ マ︺
は 二 ・ 一五百 万 人 と さ れ て いた が、実 際 は 二 ・ 一五百 万 人 に 上 つた 。 純 収 入 は 七百 万 留 であ つた が中 六 百 万留 は支 那側 関 係 の諸 施 設 費 及 護 路 軍費 に充 当 さ れ て了 ひ、 一部分 旧条 約 によ る露 西 亜 の国 庫 へ償 還 され て了 つた。 (堀内 竹 次 郎 )
三五
極東 鉄 道 の概況
哈爾 賓 事 務 所侵
大 正 十 四年 一月 二 十 八 日
哈 調 情第 六七 六号
極 東 鉄 道 の概 況 写送 付 の件
冊)
別 冊 、在 哈 高 橋 中 佐 一月 二十 一日附 報 写 参 考 の為 御 送附 致 しま す 。 (別 哈 市常 報 第 五 四 七号
極 東 鉄道 の概 況
大 正十 四年 一月 二十 四 日
高 橋 捨 次 郎
第 四、財
第 三、 熱
政
料
一九 二 三︱ 二四 年 前半 期
事情 第 一、輪 転 材 料
自 二十三
年 十月
一
日
至 二十 四年 五 月 一日
(
に於ける極東鉄道
)
一、 一九 二三︱ 二 四年 の前 半 期 に於 て営 業課 は主 と し て輪 転材 料
の整 理 、線 路 の修 理並 延 長 及 従業 員 の縮 少 を行 な へり 。而 し て其 の
一九 二三 ︱ 二 四年 の前 半 期 に於 ける営 業 課 の事業 中 特 記 す べ きも
結 果 支出 を減 少 す る と同 時 に著 し き改 善 を見 たり 。
のは 、冬 期 而 も厳 寒 期 に於 け る鉄 道 業 務 が 一九 二 二年 ︱ 二三年 の前
陸 軍砲 兵中 佐
註 、 本件 は烏 鉄 副 長 宮 エ ル ・ニ コリ スキ ー が極東 経 済 雑 誌 (一九
在哈爾賓
二 三年 八 月号 ) に発表 せ る報 告 の要 旨 なり 。 此 の種 情 報 尠 な き を以
ば次 の如 し 。
半 期 に比 し 稍 改善 せ る こと な り。 チタ 及鳥 鉄 の機 関車 の状 況 を示 せ
次
︹ 穣︺ (本 雷送 付 先 、 軍 、朝 鮮 、 満 洲 里 、飯 村)
て左 に其 の要 旨 を 報告 す 。
目
線
第 一、 輪 転 材 料 第 二、 保
現 在 数 と 其 の配 給 (月 平 均)
※
註、 通常 運 転 せず し て鉄 道 従 業 員 の居住 又 は物資 蓄 蔵 用 のも
の の意 三、 一九 二 三︱ 二 四年 前半 期 に於 け る極 東 鉄 道 の積 荷状 況 (数 字 の単位 一車 数 輛 )
両方向 に於ける貨物積載車輛 の平均積荷
四、 工事用機関車及車輛運転 里数 (一九 二四年 の 一昼夜 に於ける 平 均露里)
五、技術及営業速度
六、 一九 二 三︱ 二 四年 予算 年 度 前 半期 に於 け る極東 鉄 道 の機 関車
訳
の通 過 及列 車 露 里
内
訳 二
一
内
半 期 予 算 に対 し 烏 蘇 里鉄 道 の機 関車 露 里縮 少高 は 五 、 三九 六 にし て、知 多 鉄道 は 一〇 六 、 〇 一七 な り 。
チ タ鉄 道 に於 て は従 来 セ レ ンガ河 の右 岸 に於 け る 給水 が屡停 止 せ
る を 以 て之 が給 水 を完 全 な ら し め 、 且又 ア マザ ー ル堤 防 の修 理 を も
料
終 了 せ り。 尚 引 続 き 小橋 梁 及 鉄橋 等 の修 理 及枕 木 の取替 を行 な う筈 なり。 第 三 、燃
ヤ ルチ ン スキ ー炭 坑 を閉 鎖 せ り。 又 カ ルイ ムス カヤ、 ク エンガ間 に
ウ エル フネ ジ ンス ク、 モグゾ ン間 に於 て は已 に石炭 を 全 廃 し、 ハリ
チ タ鉄道 に於 て は逐 次 石炭 を 廃 し 薪 を燃 料 と し つゝあ り 、而 し て
十 月 より 三 月迄 は冬 期 にし て線 路 課 の郊外 に於 け る業 務 は主 とし
於 て も ア ルバ ガ ー ルス キ ー炭 坑 を 六月 閉鎖 の予 定 にし て、 之亦 薪 を
線
て排 雪 及 防 雪 工事 等 に し て、 最 も業 務 の僅 少 な る時 期 なり 。但 し最
燃 料 とす るも のにし て、 現在 薪 を採 用 す る に当 り毎 月 の石炭 節 約 高
第 二 、保
工事 に し て、 該 工 事 は極 東 露 領 に於 け る稀 有 の工事 にし て、 而 も現
近 の冬 期 に於 け る線路 課 の工 事 中 重要 な るも のは黒 竜 江 鉄橋 の復 旧
は 十 万布 度 な り 。各 炭 坑 の石炭 供給 高 を 示 せば 次 の如 し 。
一九 二 三年 十 月 一日 より 二 四年 四月 一日 迄 の チ タ鉄 道 に於 け る石
在 の状 況 と技 術 的 能力 と に於 ては 最 も至 難 な る も の な り。 鉄 道 庁 に 於 ては目 下夏 期 工事 の準 備 中 にし て 予箕 の編 成 が遅 延 せ る に拘 らず
チ エ ルノ フ スキ ー
〃
炭坑
二 一 二、八五 五
六 二七 、五七 〇
四〇 六、五 二 一
四 、二〇 二、一五 八 ハリ ヤ ルチ ン スキ ー
〃
〃
炭 の供 給 高 (単位 、布 度 )
ア ルバ ガ ル スキ ー
已 に工事 計 画 を作 製 せ り 。夏 期 に於 て は枕 木 七 十 五 万本 の取 替 を行
材 を 納 め ざ る を 以 て之 が実施 は困 難 な る べし 。 現 に五 月 一日迄 に十
タ ルバ ガ タ イ スキ ー
な は ん と し つ ゝあ るも 、極 東 林 区 管 理 局 が契 約 期 限 に従 ひ適 確 に林
一万 五 千 本 納 む べ き所 、 僅 か に九 千 七 百 六十 二本 を納 め た る に過 ぎ
炭
炭
一五 、 七 八 六 立方 サ ージ エン
二 、一七 六、○ ○ 四布 度
五 、八 五 四、六 七 五
四〇 五 、五 七 一
ず 。 線 路 課 の主要 な る予 定 工 事 を挙 げ れ ば次 の如 し 。
〃
ハライ ル スキ ー
石
一九 二三 年 十 月 一日 チタ鉄 道 の所 有 燃 料
計
一、 ト ミ川 に於 け る長 さ百 十 サ ージ エン ( 約 我 が七 百 八 十尺 ) の橋 梁 架 設 、目 下 工 事中 に し て六 月完 成 の予 定 。
薪
二 、長 さ 百 三十 サ ージ エ ンの ア ル ハリ ンスキ ー橋 梁 の架 設 。 三 、烏 蘇 里鉄 橋 に四 十 サ ー ジ エン の鉄 筋 橋 脚 を設 置 す る こと 。
石
一、四 八 九 、八九 八 布度
一九 二 四年 四 月 一日 チ タ鉄道 の所 有 燃 料
四 、 黒 竜 鉄橋 の復 旧 工 事 。 右 の外 に小鉄 橋 二十 八 及枕 木 の取 換 を終 了 せる橋 梁 三十 二 の復 旧 工事 を 行 ふ予定 なり 。
石 炭 炭 ( ) 一、五五 〇 、二七 〇 布度 坑 のも の チ タ鉄 道 は枕 木 五 五 一、 五 〇 〇本 を 作製 の予 定 な り しも 、 四 月 一
スー ジ ヤ ン
日 迄 に作 製 せる も のは 四 三八 、 三 二 一本 にし て予 定 高 の七 十 七% に
二 六、八七 四立 方 サ ージ エン
以 上 を 比較 せば 三 十 二% の減 少 にし て、 薪 は 七 十% の増 加 な り。
薪
而 し て実 際 の需 要 高 は石炭 六、 五 〇 〇 千布 度 、 薪 二 〇千 立 方 サ ージ
相 当 す。 然 れ共 作業 期 末 迄 には 予定 通 り其 の作 製 を 完 了す べし 。
鳥蘇 里鉄 道 に於 ては 枕木 の需 要高 は チ タ鉄 道 よ り大 にし て 七五 〇
エ ンな り 。
千 本 な り し も、 四月 一日迄 に受 入 の予定 は四 〇 五千 本 な り き。 然 れ
本 年度 に於 け る薪 の需要 高 は 二七 、 〇 五〇 立 方 サー ジ エンな る も 、 已 に三 一、 一〇〇 立 方 サ ージ エンを 受 入 れ た るを 以 て 、薪 の需 要 は
共 実 際 の受 入高 は需 要 高 の僅 か に十 一% に過 ぎ ぬ。 其 の他 各種 林 材
)
)
二〇 、三 四 六立 方 サ ージ エ ン 四 六〇 、九 三 一布 度 一、一八 一、八 七 五 〃 二 、五 六 七 、二 六 七 〃 四 、二一 ○ 、〇 七 三 〃
八 、五三 八 立 方 サ ージ エン 二 二 七 、一六九 布度 三 五 二 、一九 四 〃
〃
一、二 〇 四 、 一九 六 〃 一、七 八 三 、五 五 九
〃
外 国 貿 易 の みを 重要 視 し た る結 果 なり 。
烏 鉄 の製 作高 の減 少 は 、 該鉄 道 と の契 約者 た る極東 林 区管 理 局 が
の需 要 高 は 左記 林 材 の註 文 高 に依 つ て明 ら か な るべ し。
充分 之 を充 たす を得 べし 。
薪 (
(同 右 禍 炭 ) スー ヂ ヤ ン
炭 坑 のも の
(
キウデ ンスキ 炭 ー ) 炭坑 のも の
一九 二三 年 十 月 一日鳥 鉄 の所 有 燃 料
同
石 同 石炭合計
キ ウデ ン スキ
(
スー ヂ ヤ ン
炭 坑 のも の
(
)
炭 ー炭 坑 のも の (同右 褐 炭 )
一九 二 四年 四月 一日烏 鉄 の所 有 燃 料
石
薪 〃 〃
〃計
五 、 一九 一、一四 八
一、八 〇 三、七 七 七 布度
三 、一二 五 立 方 サ ー ジ エ ン
以上を比較 せば薪 及石炭共 に約 四十% の減少なり。 薪
(同 右 褐 炭 )
キ ウデ ン スキ 炭 (ー 炭 坑 のも の
)
昨年度 に於け る実際 の受入高
〃
石
第 四 、財
政
一、 極 東 鉄道 は 一九 二三︱ 二 四年 の新 予算 年 度 に入 り 大 いに財 政 の逼迫 を 感 ぜ り。 即 ち 一九 二 二︱ 二三 年 の予 算 年 度 の決 算 の結 果 、 一九 二三 年 十 月 一日極 東鉄 道 は 二百 万 留余 の負 債 を 有 し 、当 日 チ タ
七十 四 留 を有 す る の みな り。 一九 二三︱ 二 四年 の新 予算 年 度 に入 り
鉄 道 は現 金 は全 く有 せず 、 又烏 鉄 の如 き も僅 か に現 金 五 万 八千 八 百
たる も 年 度 予算 も編 成 せら れず 、 中 央 部 と の連 絡 を も有 せざ りき 。 該 年 度 に対 す る収 支 予算 は極 東 鉄 道 庁 に於 て編 成 せる も之 が再 審 を 要 せ り 。 而 し て元 極 東 交通 管 理 局 の財 務委 員 会 の編 成 せ る予 算 案 は
収 入予算
次 の如 き も のな り 。
支出予算
二、交通人民委員財務監督委員会は右予算案を審 査し、之を左 の
収 入予算
如 く改 正 せり 。
支出予算
三 、 C C C P財 務 人 民委 員 会 予算 委 員 会 は右 予算 案 を更 に次 の如 く 変更 せ り。
尚 該 予 算 は烏 鉄 に欠損 なき も のと認 め た るも のな り。 四 、労 働 国 防 委 員 会 の規 定 に基 づ き該 委 員 会議 長 は、 本 年 三 月 五 日附 を 以 て 一九 二 二︱ 二 三年 度 予算 の欠 損 填 補 費 と し て九 八 〇 、 三 九 四留 を支 給 せり 。其 の内 訳 は 左 の如 し 。
六 、烏 鉄 の営 業 費 は鉄 道 の収 益 を 以 て填 補 し 得 べき も 、 知多 鉄 道 に於 て は僅 か に 一部 を填 補 し 得 る に過ぎ ざ るを 以 て大 部 分 の営 業 費 は 其 の他 の支 出 と 同 様 に、 特 別 会 計 の補 助 金 を 以 て填 補 せざ る べ か
一、 五二 二 、〇 〇〇 留
らず 。今 両 鉄 道 に対 し て支 給 す べ き補 助 金 額 は 、 知 多 鉄 道
六 七 六 、七 九八 留 四二、 〇〇〇留
鉄
烏 交通管理局
費
三〇 、〇〇 〇
一、二 五五 、〇〇 〇
にし て其 の内 財 務 人 民委 員 会 代表 庁 会計 よ り鉄 道 に支 給 せる金 高 は
業
知 多 鉄 道
左 の如 し。 一 営
新 事業 費 及 復 興費
烏
知 鉄
多
七 三 六、九 九 五留
二 四 三、三 九 九留
五 、極 策 鉄 道 が右 予算 に基 づ き 一九 二三︱ 二 四年 の予算 年 度 の最
払
一五 七 、〇〇 〇
一、三六五 、〇〇 〇
八 〇 、〇〇 〇
初 の二 期 ( 自 十 月 至 十 二月 、 自 一月 至 三 月 ) に対 し 受領 せ る金 額 は
計
烏 蘇 里 鉄道
二 四六 、七九 八
三 六七 、〇〇 〇
六 二、六〇 〇
六 一四、一九 八
新 事業 費 及 復 興 費
計 払
二一 、〇 〇 〇
交通管理局
二一 、 〇〇〇
未
二 二︱ 二 三年 の欠 損 填 補 費
未
二 二︱ 二三年 の欠 損 填 補 費
次 の如 し。
二
三
交通代表庁
二四 〇 、六〇 〇
払
未
未 払 合 計
一
烏蘇里鉄道
知多鉄 道
七、極東鉄道 の収入
二
以 上 に依 れば 一九 二 三年 十 月︱ 十二 月 の知 多 鉄 道 に於 け る現 金 収 入 は、 予算 の 一、 四 五 七、 〇 〇 〇留 に対 し 九 五 、〇 〇 〇 留 に し て、
知 多及 烏 鉄 の 一九 二 三︱ 二 四年 の前 半 期 に於 け る収 入 は次 の如 し 。
其 の他 に於 ても両 鉄 道 の収 入 は予 算 よ り 不足 な り 。今 収 入 予算 と実 際 の収 入 を 示 せ ば左 の如 し 。
知 烏 計
多 鉄
収
入
予 算
実
収
入 差 引
極 東 露 領 の交 通
哈 爾 賓 事務 所 長
三六
大 正 十 四年 八 月 二 十 日
哈 調 情第 三 七六 号 速報
ム ン駅迄 ) 及 ウ スリ ー鉄 道 (ウ シ ユム ン駅 よ り浦 塩 に至 る も の) の 二 鉄 道 に分 かた る 。
物 資 は此 の両 鉄 道 を 経 て国 外 に輸 出 せ ら れ、国 外 よ り此 等 の地方 に
両 鉄道 は極 東 地 方 の物 資 運 輸 に任ず る も の にし て、 満 洲及 蒙 古 の
輸 入 せら れ る物 資 は亦 此 の鉄 道 に依 る 。 此 の鉄道 の任 ず る輸 送 範 囲
極 東 露 領 の交 通 支調 書 は ポグ ラ ニチ ナ ヤ駐 在 飯村 少 佐 の寄贈 せ ら れた る も のな
す 。 然 る に此 の両 鉄 道 に於 け る貨 物 及 旅客 の実際 の輸 送 量 は ソヴ エ
る が、 露 国 極 東 交 通 に関 す る資 料 少 な き 現在 多 大 の参 考 と な る べ
調 査 課長
は面 積約 四 、七 二六 ・五 九平 方 露 里 、其 の人 口は 一千 六百 万 人 に達
哈事
き を思 ひ謄 写配 布 す る こと と せ り。
ー ト同盟 の他 の諸 鉄 道 に比 し爾 く大 な ら ざ るも のあ り。 次 に掲 ぐ る
表 に依 り其 の状 況 を 見 る を 得 べ し。
極東露領 に於ける交通
︹表 次 頁 へ︺
道
鉄
一、 二五 二露 里)、 黒 竜 鉄 道 (延長 一、 八 七 三露 里) 及烏 蘇 里 鉄 道
日迄 に於 て 当初 極 東 の鉄 道 は、 スレ ーテ ン スク迄 の知 多 鉄 道 (延長
最 近 の二会 計 年 度 即 ち 一九 二 二年 十 月 一日 より 一九 二 四年 十 月 一
二 三年 度 及 二 四年 度 に於 け る極 東 鉄道 の輸 転材 料
業 の微 々た る に基 づ く 。
斯 く の如 く比 較 的 輸送 額 の小 な るは 此 の地 方 住 民 の稀 少 な る と産
ウ エ ル フネ ウ ージ ン スク より 浦 塩 に至 る鉄 道 線 延長 三、 四 二 一露
前 記 の外幹 線 よ り分 か る ゝ多 く の枝 線 あ り、 即 ち ス レー テ ン スク
里 にし て 、 此 の外 カ ルイ ムス カ ヤよ り満 洲 里 に至 る も のあ り 。
線 、 ヂ ヤリ ンダ 埠 頭 線 、ブ ラ ゴ エチ エ ンス ク線 、蘇 城 炭 坑 線 、 ポ グ ラ ニチナ ヤ線 及 其 の他等 にし て、 此等 凡 て の枝 線 を も含 む 極 東 の鉄 道 総 延長 四 、 一八 五露 里 なり 。 極 東 の鉄 道 は 知 多 鉄道 (ウ エル フネ ージ ン スク よ り黒 竜 県 ウ シ ユ
編 注 、単 位 (訳 者 注 、数 字 中 細 目 と 合計 と合 致 せざ る も のあ るも 其 の儘 と な せり。 貨 物 の数 量 に は単 位 を 記 入 し あ るも ︹記 、 旅 客 には 単 位 入なし ︺
は 一、 八 七 二露 里 と な る に至 れ り。 此 の期 間 に於 け る輪 転 材 料 の状
編 入 せ るを 以 て 、知 多 鉄 道 は其 の延 長 一、 二五 九露 里、鳥 蘇 里鉄 道
記 入し あらず ) ( 北 部 の み に て延長 約 四 五 〇露 里 ) の三 鉄道 に分 たれ た り し が、 一
車
況 は次 の如 し 。
九 二 二年 十 二 月烏 蘇 里 鉄道 は其 の南 部 を も加 ふ る に至 り 、従 つて其 の延 長 は九 一 一露 里 とな る に至 れ り。 其 の後 一九 二二 年 四 月 一日 よ
関
り黒 竜 鉄 道 な る称 呼 を廃 し 、 此 の鉄 道 を 知多 、鳥 蘇 里 両 鉄 道 に 区分
機
極東 の諸 鉄 道 の機 関 車 の状 態 を本 表 に掲 げ た る資 料 に依 り見 る時 は漸 次 著 し く改 善 せら れ来 り た るを見 るを 得 べし。 知 多 鉄 道 に於 て は 一九 二 三年 四月 一日 よ り 一九 二 四年 十 月 一日迄
容 易 な る も のも 、 国家 及 人民 委 員 会 の支 出 す る経 費 限 り あ るを 以 て 、
む る の已 む な き の状 況 な り。
鉄 道 の生産 プ ログ ラ ムを縮 少 し 以 て修 理数 は走 行露 里 に基 づ き て定
走 行 露 里 数 な ら ん) にし て鳥 蘇 里 鉄 道 に於 ては 八露 里 なり 。然 れど
目 下 知 多 鉄道 に ては 一台 の機 関 車 は 十露 里 (訳者 註 、 一昼夜 平 均
機 関 車 の状 況
加 し、 同 時 に現在 数 に対 す る破 損 車 の割 合 は五 八% 七 より 四 九% に
も 此 の関 係 は黒 竜 鉄 道 を 分離 せ ば全 く 変 化す 。 之黒 竜 鉄 道 に於 け る
の間 に於 て機 関 車 の修 理済 予 備 車 の数 は 二十 二台 よ り 七十 一台 に増
減 少 せ り 。烏 蘇 里 鉄 道 に於 て は同 期 間中 修 理 済 予備 機 関 車 の数 は 二
は 一台 十 八 露 里 に当 る故 に知 多 、烏 蘇 里 両鉄 道 は、若 し之 を 黒竜 鉄
輪 転 材 料 の状態 は極 め て不良 な るを 以 て なり 。 即 ち黒 竜 鉄道 に於 て
道 と合 併 せざ る も のと す る時 は知 多 鉄 道 に於 け る 一台 は七露 里、 烏
り 三 八% 二 に低 下 せ り。 前 掲 の 二年 間 に於 て は輸 送量 に於 ては 大 な る変 化 を 見ざ り き。 従
蘇 里鉄 道 に於 ては 五露 里と な る べし 。
台 より 六 十 八台 に増 加 し 、現 在 数 に対す る破 損 車 の割 合 は五 二% よ
つて機 関 車 の状 況改 善 は 一般 交 通従 業 員 の組 織 的 業 務 の効 果 に依 る
而 し て特 記 を要 す る機 関車 の能 力 に於 て は現 在 は著 しく増 大 せ る
も のと見 るを 至 当 とす 。 現 在有 す る修 理機 関 の状 態 に依 れ ば破 損 車 の割 合 を低 下 す る こと
こと なり 。 即 ち烏 蘇 里鉄 道 に於 て運 転 し つゝあ る機 関 車 二百 三 十 二
に し て、 其 の他 は標 準 式 な る に、 一九 一三年 に於 て は総 数 の二 四%
台 中 三〇% は E種 (デ カポ ツ ト) に属 し、 〓 種 入替 用 三 回式 三% 四
が 入替 用 三 回 式 にし て、 其他 は凡 て標準 式 なり き 。 E種 (デ カ ポ ツ ト) は標 準式 に比 し二倍 の牽 引 力 を有 す るも のな れば 、 当 時 と現 在 と の機 関 車 の能 力 の差 異 を解 し 得 べし 。 知 多 鉄 道 に於 て は現 在 運転 し 得 る機 関車 二百 二 十 二台 中 三 回式 は 全 く なく 六 八 % は標 準 式 にし て其 他 は K種 及 E種 ( デ カ ポ ー ト) に 属 す る強能 力 のも のな り 。然 る に 一九 一 三年後 貝加 爾 鉄 道 に於 て は 六% 六は 入 替 用 三 回式 にし て其 の他 は標 準 式 な り き。 前 述 の能 力 の
客
車
車
輛)
関 係 を表 にし て 示 せば 次 の如 し 。 ( 車
貨
而 し て 一九 二四年 度 に於 け る 車輛 の平 均 走 行露 里 を見 る に ( 但し 機 関車 の場 合 と 同 じ く黒 竜 鉄 道 を除 く )、 知多 鉄 道 に於 ては客 車 三 ・ 六 露 里 にし て貨 車 〇 ・二三 露 里 、烏 蘇 里 鉄 道 に於 て は客 車 一 ・六露
而 し て 一九 二 四年 度 に於 け る輪 転 材 料 の状 況 を 一九 一三年 度 に比
里 、貨 車 〇 ・ 一露 里 な り。
増加す。
二 、客 車 は知多 鉄 道 に於 ては 三分 の二 に減 じ、 烏 鉄 に於 ては 三倍 に
三 、貨 車 は 知多 鉄 道 に於 て二分 の 一を 減 じ、 鳥 鉄 に於 ては 三倍 に増 加 せ り。
尚 之 に加 ふ る に現 在 に於 け る列 車 の運行 を 一九 一三年 の夫 れ に比
す る に約 三 分 の 一以 下 に減 じ た る こと によ り考 ふれ ば 、極 東 の鉄 道
七・ 〇
二・ 七
三・ 六
二・二
〇・ 三 一
〇 ・二三
〇 ・一二
に於 け る極 東 の諸 鉄 道 に於 け る破 損 車 の率 を再 び低 下 せし め ざ りし
而 し て斯 く の如 く健 全 車 を中 央 の鉄道 に送 りた る事 は、 最 近 二年 間
が 、既 に引 渡 せ る も の、 客車 二百 輌 以 上 、貨 車 三 千 五百 輌 以 上 なり 。
較 す る に次 の如 し 。
多 鉄道
一九 一三年 度 に於 け る後 貝 加 爾 鉄道
五 ・一
剰 余 の車 輛 は最 近 二 ケ年 間 に順 次 中 央 露西 亜 の鉄 道 へ移 し来 れ る
の輪 転 材 料 が充 分 に豊 富 な る ことを 察 知 し得 べし 。
一九 二 四年 度 に於 け る 知
四・ 九
〇 ・一〇
一機関車 一客車 一貨車 走行露里 走行露里 走行露里
一九 一三年 度 に於 け る烏 蘇 里 鉄道
一・ 六
〃
り 。斯 く の如 く輪 転 材 料 の状 況 は其 の修 理状 態 に於 て尚 一九 一 三年
供 す るを要 す。 極 東 には内 国 戦 当 時 欧 露 よ り来 れ る無 数 の破損 車 あ
破 損 車 の率 を急 激 に低 下 せ ん とす る には中 央 よ り修 理費 を 充分 に
な り。
五・ 〇
一九 二 四年 度
本 表 には次 の諸 項 の註 を要 す 。即 ち 一九 一三年 と現 在 と を 比較 す れば 、
何 等 の変 化 なし 。
一、 知多 鉄 道 に於 て は機 関 車 の数約 二分 の 一に減 じ、 鳥 鉄 に於 て は
在 の運行 状 態 に比 す れば 、其 の修 理 状 況 亦好 成 績 な り と言 ふ べく 、
度 に及 ばざ るも のあ りと 雖 も 、最 近 二年 間 に著 し く 改善 せら れ 、 現
て は 一九 一三年 中宿 舎 を も含 む 一人当 り の平 均月 給 は五 二留 にし て、
較 的 近 似 の資 料 を 以 て 比校 し 得 ざ る に非 ず 。即 ち 後 貝 加爾 鉄 道 に於
計 算 条件 を異 にす る為 、詳 細 な る 夫 れ に関 す る資 料 な し。 然 れ 共 比
又 烏 鉄 は前 者 四七留 に し て後 者 は 六 一留 な り 。
尚 比 較 の便 宜 上 此 処 に運 輸 部 勤 務 各 の平 均 一人当 り 一ケ 月労 働 賃
七五
職工
三〇
四〇
斯 く の如 く現 在 に於 て は生 活 必 要 品甚 だし く騰 貴 し あ る にも 拘 ら
労 働 者 (単 位 、留 )
列 車機 関 士
四五
度
年
六〇
一 一五
金 を掲 げ ん 。
一九 一三
四 ・七〇
ず 、 極 東 の鉄 道 の従 業 員 は 一九 一 三 年 度 に比 し 、其 の受 く る労 働 賃
一九 二 三 、 二四
五 ・六 三
時 的 修 理 を行 な いた る も の次 の如 し 。
十 五件 ) を計 算 せず し て 、 一九 二 四年現 在 の破 壊 せ る橋 梁 及単 に 一
長 期 修 理 を加 へた るも の ( 知 多 鉄 道 に於 て は十 五件 、烏 鉄 に於 て 二
一九 二二年 乃 至 一九 二 三年 中 及 其 の以前 に行 な は れ た る大 修 理及
梁
外 国干 渉 及 び 内 国戦 に基 づく 破壊 状 況 及其 の復 興 状 況
金 は 六〇 乃 至 七五 % にす ぎざ る状 況 な り。 六・ 〇〇 五・ 五〇 一一・二〇
二 八留 八 四哥 三 二留 八 〇 哥
一、 橋
六 ・五七
六 ・八七 人
凡 て の物質 的 援 助 並其 の他 を 加 へた る 一人 当 り月 給 は六 三留 なり き 。
尚 将 来 極 東 の 一般 経 済 状 態 に適 応 し て大 な る輸 送 を 必要 とす る に際
一九 一 三年 、 一九 二三 年 、 一九 二四 年度 に於 け る労 働 賃 金
し ても之 に堪 ふる の能 力 を 有 す。
一九 一三年 に於 け る烏 鉄 の従業 員 数 は 四 、 二七 八 人 にし て 一露 里
五 月 一日
一九 二三 年 五 月
〃
一九 二四 年 十 二月 一日
〃
一九 二三 年 十 月 一日
〃
一九 一三 年
一露 里 当 り 六 ・七 人 な り。 一露 里当 り従 業 各数 を 一九 一三年 と 現 在
当 り平 均 四 ・七 人 な りき 。 亦後 貝 加 爾 鉄 道 は 一 一、 六 五 七人 にし て
と を 比較 す る に次 の如 し 。 後貝加爾鉄道
多 〃
烏 蘇 里 〃 知
多 〃
ウ スリイ 〃 同 知
交通人民委員会管 下中央各鉄道平均 公 定賃 金 表 に由 る鉄 平 労 働 賃金 は、
〃
一九 二三 年 十 月 一日 に於 て 一九 二四 年
四〇 留 五 〇哥
三 三留 八 四哥
凡 て の形 式 に於 け る物 質 的援 助 を含 む 一般 労 働 者 の実 際 に取 る せ る
〃
一九 二三年 十 月 一日 に於 て
平 均 労 働 賃 金 は、
一九 二 四年
一九 一三 年 のも のと 比 す る には 、 当 時 と現 在 と の賃 金 の支 払 方法 及
而 し て 一九 二 三︱ 二四年 度中 に復 興 せ ら れ た るも の次 の如 し 。
此 の外烏 鉄 に於 ては黒 竜 江 鉄 橋 中 一橋 節 の修 理 を終 り、 キ ー ヤ河 を通 ず るア ル ハリ ン スキ ー鉄 橋 及 烏蘇 里 河鉄 橋 も 目 下完 成 に近 づ き つ つあ り 、 又 延長 一一七 ・二〇 を 有 す る ト ムスキ イ 鉄橋 は自然 的 に
け る橋 梁 中 修 理未 了 のも のは次 の如 し。
損 壊 せ るも のな るも 、其 の修 理 完 成 せ り。 従 つ て極 東 の諸 鉄道 に於
二、 家
屋
内乱 戦 当 時 破 壊 せ ら れ た る住 家 、兵 営 、 旅客 用 建 物 、機 関 庫 及 工
場 等 の総 建 坪 数 は 約 三 千平 方 サ ージ エ ンに達 す。 其 の修理 の比 較的
速 かに な さ れた るは経 費 不足 の関係 上主 と し て機 関 庫 或 は 工場 等 の
一九 二 三︱ 二 四年度 中 知 多 鉄 道 に於 て修 理 せ ら れた るは機 関 庫 三 、
みな り き 。
烏 鉄 に於 て は機 関 庫 四 な り。 其 の外各 工場 に於 ても 窓 硝 子 の入替 等
(
知多鉄道
)
)
烏 蘇 里鉄 道
貯 水 タ ンク
トラ イ ア ング ル ( 松 葉線 )
四 転車台
一
一 揚 水処
一
一 貯水処
一
一
四
一
一
尚 一九 二 三︱ 二四 年度 中 新 築 或 は 破壊 せ るも のを 復 興 せ る も の次
の小 修 理 行 な は る。
の如 し 。
機関車置場
(
)
住家 建坪五二平方 サ ー ジ エ ン 坪 五八平方 旅客用建物 建 サ ー ジ エン (
給水処 坪 四 二 ・五平 浴場 建 方サ ージ エ ン
揚水処
二
出
三 入、 支
水道鉄管 収
烏蘇里鉄道
小 工場
一
ポ ア レ式 陸 橋
一
一 (
長 四 一六 水害防禦 工事 延 ) サ ージ エ ン
知 多鉄 道
大 な る差 を 示 し つ ゝあ るが 、此 れ等 は各 鉄 道 の組 織 が 異 り あ り た る
一九 一三 年︱ 二 二︱ 二三︱ 二 四年 各年 度 の収 支 決 算 の数 字 は各 々
従 つて荷 物 の輸 送 賃 金 は昂騰 す る に至 り 、 一布 度 の百露 里 の輸送 賃
然 れ共 出 荷 量頗 る多 か りし を 以 て当 時 現存 の船 舶 に ては輸 送 し得 ず 、
(バ ルジ ヤ) 三 四 三 にし て、其 の積 載 力約 一千 万 布度 に達 し た り き。
金 一留 乃 至 一留 五十 哥 に達 せ し こと あ り。 一九 一三年 の其 の輸送 量
に依 る。 即 ち 一九 二 三年 度 に於 け る資 料 は 全後 貝 加 爾 鉄道 に関 す る な る を 、 一九 二二 年 以降 の知多 鉄 道 はウ エル フネ ウ ヂ ン スク以 東 の
は 七 千 八百 万 布度 に達 し た り 。
も のな り。 又 ウ ス リイ鉄 道 も 一九 一三年 度 中 は 現在 の ウ スリ イ鉄 道
し 来 り 、船 主 の利 益多 か らざ るに至 るや修 理 せら る ゝ こと少 な く、
業 は衰 退 し 、 鉄 道 の建 設 工事 中 止 せ ら る ゝに及 び漸 次出 荷 量 も 減 少
五 十 名 以上 に達 せ り。 然 る に 一九 一四年対 独 戦 開 始 せ ら る ゝや 、商
荷 物 輸 送 よ り 得 た利 益 は当 時 は凡 て船舶 所 有 者 に帰 し、 営 業 者 百
み にし全 く 収 入 な く 、且 一九 二 二年 十 一月 迄 は内 乱 戦 の戦 場 た り き。
の 一部 よ り成 りあ り し も の にし て 、而 も 東 支 鉄 道 に賃 貸 せ ら れ 、吾
而 も 其 の後 黒 竜 鉄 道 中 ウ シ ユム ン駅迄 を 更 に本 鉄道 に加 へら れ た る
人 の手 中 に還 り た るは漸 く沿 海 州 よ り外 国 干 渉 軍 及白 軍 を 除去 せ る
従 つ て船舶 は漸 次使 用 に堪 えざ る に至 れ り 。
斯 く の如 く 現在 に於 け る知 多 、 烏 蘇 里両 鉄 道 は 種 々其 の境 界 を変
其 の積 載量 約 百 五 十 万布 度 な り 。其 れら の殆 す べ ては 現在 に於 ては
手 中 に残 り た る船 の数 は漸 く 汽船 八十 六隻 、被 曳 船 一 一二隻 にし て、
闘 中沈 没し 、 一部 は撤 退 に際 し故 意 に損傷 せ ら る。 斯 くし て吾 人 の
内乱 戦 の始 ま る や其 れ ら の汽船 の 一部 は松 花 江 に送 り 、 一部 は戦
後 な り 。其 の後 一九 二三年 三月 よ り 黒竜 鉄 道 中 ウ シ ユ ムン駅︱ 哈府
へた るを 以 て 、其 の業績 を 比絞 し 得 る は 、唯 此 等 の鉄 道 が ソヴ エー
共 和 国 に所 属 し ﹁黒 竜国 営 汽 船 ﹂ の所 属 に係 る。
間 の線 を本 鉄道 に加 へら れ たり 。
ト政 権 の統 治 に帰 し た る後 の諸 年 即 ち 一九 二 二︱ 二三年 及 一九 二 三
一九 二 三年
一九 二 二年
六、〇 〇〇 、〇 〇 〇 〃
五 、〇 五九 、〇 〇 〇 〃
三、六 六 七、〇 〇 〇 布度
此 の輸 送 に依 る収 入 額 左 の如 し。
一九 二 四年
最 近 に於 け る黒 竜 国営 汽 船 の輸送 額 を 示 せ ば次 の如 し。
︱ 二 四年 間 に於 て のみ為 し得 べし 。 然 れ共 一九 二三︱ 二 四年 に於 て は尚 未 だ 決 算 を終 了 せざ る を以 て、 其 の完 全 な る営業 成 績 を 云 々す る を得 ざ るも 、目 下 有 す る資 料 より 見 る に漸 次 状 況改 善 せら れ あ る は確 実 な り 。 極 東 の水 運 一九 一三 年 中極 東 に於 け る 河用 船 舶 の数 は 汽 船 二 八 五 、被 曳 船
一九 二 二年 一、四 三三 、〇 一五〃
一、三 二八 、二 五 四留
て支 那貨 物 に備 ふ。浦 塩港 は終 年作 業 し得 べ く、 其 の気候 比較 的 暖
岐 し て、 一は哈 府 に向 ひ て露 西 亜 の貨 物 に備 へ、 一は 哈爾 賓 に向 ひ
て、一九 二 二年 度 四五 、五八 二千 布度 、 一九 二三年 五 六 、五 九 五 千 布
一九 一三年 度 中 本 港 を経 由 し た る貨 物 は五 七 、二七 九 千 布 度 に し
を以 て航 路 を開 き得 べ し。
か にし て冬 期 間 短 か く 、港 内 の結 氷 も薄 く し て極 め て容 易 に砕 氷 船
一九 二三 年 此 の収 入 を 以 て勤 務 員 を 養 ひ 、船 舶 を 修 理 し、 船 舶 の塗 料 及 燃 料
於 て黒 竜 江 上 に於 け る貨 物 輸 送 数量 は戦 前 に比 す る に、 尚 著 し く少
を購 求 す るを 要 す る も の にし て 目下 の処 何 等 の純 益 な し 。之 現 在 に
な く 且船 舶 そ のも のも老 朽 し あ り て 、其 の修 理 に は莫 大 な る経 費 を
一九 二 二年
約 五〇 〇 、〇〇 〇留
四八 五 、〇 〇〇 留
海 洋 への出 口 を為 す 。 斯 く の如 き 状 況 は本 港 に対す る貨 物 の出 入を
次 位 にあ る は尼 港 にし て黒 竜 江 口 にあ り て、極 東 露 領 河 川航 路 の
な り。 斯 く の如 く浦 塩 港 は共 和 国 財 政 の財 源 の 一を為 す も のな り。
にし て、 支出 は 一九 二二年 三 六 一千留 、 一九 二 三年 は約 四 〇〇 千 留
一九 二 三年
本 港 の収 益 を見 る に
他 は共 和 国 の収 入 に繰 入 れ ら る。
し、 其 の維 持 費 即 ち 旧 設備 の修 理 費 、新 設 備 費 に充 当 せ ら れ 、其 の
度 、 本 年 は約 六千 万 布度 な り。 港 の設 備使 用 に対 し ては使 用料 を 徴
革 命 後 に於 け る河 川 交 通 に対 す る施 設
要 す れ ば な り。
一、 凡 て の船 舶 を国 営 企 業 の 一手 に占 有 し 、其 れ を正 当 にし て適 当 な る営 業 方 法 の下 に運 転 し輸 送 賃金 を低 下 せ り 。即 ち 現 在 に於 て は 最 も高 率 な るも の にし て、 短 距 離輸 送 のも の百露 里 一、 二哥 にし て、 長 距離 のも のは 僅 か に 二哥 にす ぎず 。 二 、 大 な る船 舶 は 其 の修 理 に大 な る経 費 を要 す る を 以 て船舶 の質
三 、 労働 賃 銀及 労 働保 護 の関 係 に於 て 一層 正 当 な る状 況 と な り た
の改 善 上 そ の可 能 性 を有 す る に至 り し も のと言 ひ得 べし 。
ると 共 に、強 制 保 険 部 の援 助 に因 り 不具 者 及 老 人 に対 す る保 証確 実
尼 港 を 経由 す る主 要 な る貨 物 は魚 類 、穀 物 、塩 、材 木 等 にし て、
布 度 、 一九 二 四年 七 、〇 二九 千 布 度 に達 し あり 。
大 な ら し む 。現 在 に於 け る其 の輸 出 額 は 、 一九 二 三年 四 、四 五 三 千 湾
と な れり 。 港
太 平 洋 岸 に於 て吾 人 の有 す る港 は次 の如 し。 即 ち浦 塩 、 尼 港 、 オ
本 港 の収 入 は 一九 二三年 に は 二万 七 千留 にし て 、 一九 二 四年 に は
人 に対 し重 んぜ ら る ゝ所 以 な り。
六万 一千 留 を算 す。 之 等 は 凡 て港 湾 の行 政 費 及設 備 費 及 浚 渫費 に充
其 れら は凡 て吾 が極 東 の所 産 か、 然 らず んば 必要 品 にし て本港 の吾
之 等 の中 最 も完 全 な る設 備 を有 す る は浦 塩 にし て、航 洋 汽 船 を 横
ホ ツ ク及 ペト ロパ ウ ロ フ スクな り 。 之等 の諸 港 は 各 々貨 物 輸 出 入 に
着 けし 得 る岸壁 を有 し 、貨 物 積 卸 の設備 及倉 庫 完 備 し あ り、 又 烏 鉄
てら る。 本港 の設 備 は日本 干 渉 軍 に依 り て徹 底的 に破 壊 せ ら れ、 港
そ れ ぞ れ の特 色 を有 す 。
は引 込 線 を岸 壁 に有 す 。鳥 鉄 は ニ コリ スク︱ ウ ス リイ スク駅 より 分
オ ホ ー ツ ク港 は 魚類 の海 外輸 出 に の み使 用 せ ら れ あり 、 本港 は カ
口は無 数 の船 舶 沈 没 し あ り。
ム チ ヤツ カ に於 け る ペ ト ロパウ ロフ スク と同 様 何等 の港 湾 設 備 を有 せず 、 且 其 の出 貨 範 囲 も極 め て狭 く 魚 類 を主 とす る 地方 的 意 義 を有 す る にす ぎず 。 前 記 の外 国内 産 物 資 を輸 出 す るも の数多 あ るも 共 の量 多 から ず 。
り 、之 等 の諸 港 より の総 収 入 は 一九 二三年 度 に 於 て 四 四 、 〇〇〇留
僅 か に ソヴ エート湾 は八 百万 布 度 乃 至 九 百 万布 度 の木 材 を輸 出 し あ
あ り た り。
秘
蓋 し是 特 色 無く れば共 産 党 国 家 は已 に消 滅 せ る に等 し かる べ し。露
外 政 策 に於 ても 亦 世界 赤 化 を 以 て大方 針 と為 す は当 然 の こと にし て 、
諸 施 設 は 時 に 一進 一退 の差 あ るも 根本 は共 産 主義 の実 行 に在 り。 対
労 農聯 盟 は共 産 党 の国 家 な り 。 已 に共 産 党 の国 家 た る以 上 、其 の
一、 労 農 聯盟 の支 那 に対 す る態 度
支 那 に対 す る労 農 聯 盟 の勢 力進 展 の状 況
第 四 、労 農 聯 盟 の支 那赤 化 の為 供給 せ る資 金
第 三 、 労 農聯 盟 の支 那各 地 に対 す る 武 器 の供 給
第 二 、 支 那及 亜 細亜 諸 国 に於 け る 共産 イ ンテ ルの活 動
支 那 に 於 け る 労 農 聯 盟 の勢 力 進 展 の状 況
哈 爾 賓 事務 所 長
三七
哈 調 情第 七〇 四号 大 正 十 四年 十 一月 十 三 日
序
支 那 に於 け る労 農 聯 盟 の勢 力進 展 の状 況
本 稿 は軍 部 より得 た る情 報 を 基礎 とし 是 に聊 か卑 見 を加 へた る も ので あ りま す 。時 局 柄 何 等 か の御 参 考 に成 りま す れ ば此 の上 も な い光 栄 と存 じ ます 。 (十 一月 十 二 日、 神 田正 種 )
一、労 農 聯 盟 の支 那 に対 す る態度
国 革 命 成 立 以来 共 産 党 国 家 の対 外 政 策 は 勿論 此 の大 原 則 に基 づ き て
次
二 、 外蒙 の赤 化 並 に内 蒙 への進 出 、馮 玉 祥 の懐 柔
ズ ムの 一特 徴 とし て周知 の事 実 にし て 、夫 の 一九 二〇 年 波蘭 に 対す
行 はれ た る も、 其 の時 々 の情 況 に応 じ 可 なり の変 遷 あ りし は 、 レ ニ
目
三 、北 満 方 面 に対す る勢 力 の進 展
る大 攻 勢 を指 導 し た る当 時 に在 り では 、欧 洲 戦 乱 の創 痍 に悩 め る全
四 、支 那国 民 の赤化 運 動
欧 洲 は 一波蘭 の席 巻 に依 り能 く 赤 化 魔 の乱 舞 場 た ら し め得 る と信 じ
た りし が、 該攻 勢 の失 敗後 積 極 策 を 廃 し 、裏 面 的策 略 を以 て各国 を
五 、広 東 政 府 の労農 化
逐 次 に革 命 に導 か んと せ し も遂 に奏 功 す る に至 らず 、此 の間宇 内 の
六 、国 民 軍 と赤 系露 人隊 附
録
第 一、労 農 側 よ り得 た る支 那 赤 化 に関 す る情 報
彼 等 の圧迫 を被 れ る劣 等 民 族 に対 し反 帝 国 主 義 を煽 動 し 、 一に は 以
於 て安 定 せ ん とす る に 及 び、 強国 に対 す る直 接的 企 画 に代 ふ る に、
大 勢 は漸 次右 方 に転 回 し概 ね現状 態 に幾 何 か の変 改 を加 ふる こと に
が如 き 、凡 て労 農 聯盟 の支 那 に対 す る態 度 を窺 ふ に難 か らず 。 以 下
効 果 な き の故 を 以 て露 支会 議 を 目前 に控 へで帰 莫 せり 、 と豪 語 せ る
帝 国主 義 の支 援 を 受 け あ る張 及 段 の政 権 と露 支交 渉 を行 ふ は、 其 の
二、外 蒙 の赤 化 並 に内 蒙 への進 出 、馮 玉 祥 の懐 柔
項 を 分 ち労 農 聯 盟 の対支 施 設 の情 況 を記 述 せ ん とす 。
労 農聯 盟 は露 国 白党 の勇 将 バ ロン ・ウ ンゲ ル ン討 伐 を 名 とし で大
て強 国 の組 織 に欠 陥 を 生 ぜし め て其 の勢 力 の減耗 を図 り 、 他 日 の目
済 上 の優越 を占 め 、 世界 赤 化 政策 の 一端 とし て国 内 愚 民 を 瞞 着 せ ん
人 の政 権 な る が如 く 装 いて其 の実 権 を握 り、 大 正十 三 年 五 月露 支 協
正 九 年 外蒙 に兵 を 入 る ゝや直 ち に庫倫 赤 色 政 権 を樹 立 し 、表 面 蒙 古
的 の達 成 を容 易 な ら し め、 他 には 以 て自 国 勢 力 圏 を拡 大 し て政治 経
る劣 等 国 及殖 民地 の騒 乱 を見 る時 は能 く此 の間 の消 息 を知 るを得 べ
と す る に至 れ り。 近 時 近東 方 面 並 に亜 弗 利 加 、 小亜 細 亜 方 面 に於 け
く 、 就 中支 那 に対 す る最 近 に於 け る彼 等 の努 力 は 、 明瞭 に此 の事 象
し 、政 治 、軍 事 、 経 済 上 に於 て抜 く 可 らざ る勢 力 を扶 植 し 、露 支 協
定 に依 り外蒙 に於 け る支 那 の主 権 を 認 定 す る や、 六 月已 に外蒙 国 民
定 成 立 に至 る ま で支 那 側 数 次 の要 求 を 無視 し て兵 を庫 倫 地方 に残 留
労 農 聯盟 の支 那 に対 す る勢 力扶 殖 の跡 を見 る に、曩 に外 蒙 古 を 完
針 を全 然 労農 式 と為 し 、 最 近 チタ庫 倫 間鉄 道 敷 設条 約 を締 結 す る等 、
議 会 を組 織 し て外 蒙 の独 立 を宣 言 せし め、 政 治 方式 及 国 象 の主 義 方
を 吾 人 の眼 前 に展 開 せ る も のと言 ふ べし 。
に勢 力 を扶 植 し、 又 本夏 の上 海 附 近 の騒 擾 に対 し ては国 民 党 、 共産
全 に赤 化 し 、 次 い で第 二次 奉 直 戦 を機 と し東 支 鉄 道 及其 の沿 線 一帯
党 、 支 那学 生 及労 働 者 等 を煽 動 し 、 反 帝国 主 義 的 思 想 を鼓 吹 し 国 民
練 軍 の事 に当 ら し め、 或 は 武 器 、弾 薬 を造 り て馮 軍 の威 力 を充 実 せ
て聯盟 と馮 玉 祥 と の連 絡 を 密 な ら し め、或 は武 官 を 彼 の下 に派 し て
外蒙 を完 全 に自 家 薬 籠 中 のも のと為 し た る労 農 聯盟 は、 之 を 通 じ
今 や殆 ど 労農 聯 盟 の 一聯 邦 た る の観 を呈 す る に至 れ り 。
に於 ては 支 那 の西 北 地 方 に占 拠 せ る馮 玉祥 を利 用 し 、 又 呉佩 孚 系 を
し む 。伝 ふ る所 の馮 と労 農 間 秘 密条 約 締結 の如 き 一片 の宣 伝 と し て
一般 に階級 意 識 を浸 潤 せ し め、 続 い て広 東 政 権 を 益 左傾 に導 き 最 近
煽 動 し 、自 己 の政 策 に最 も妨 碍 と な るべ き張 作 霖 の撲滅 を企 画 し あ
中 央執 行 委 員 長 蒙 人丹 巴 は張 家 口 に於 て、 内 蒙 国 民 党 首 領 白 雲 梯
看 過 す るを 得 ざ る も のあり 。 而 し て労 農 聯盟 の野 望 は 尚之 を以 て足
(馮 軍参 謀 ) 並 に委 員 二百 余 名 と 相 会 し、 内 、外 蒙 古 を打 つて 一丸
り、 若 し 夫 れ労 農 聯 盟 にし て完 全 に馮 、 呉 と握 り討 張 に成 功 す る に
カ ラ ハン の言 とし て伝 へら る ゝ処 に依 れ ば、 張 及 段 は 日本 の帝 国
とし 、之 を自 己 の背 景 た ら し めん と す る馮 の画策 に参 与 し あ り、 と
於 て は、其 の勢 力 は忽 ち支 那全 土 に及 ぶ べ く、 我 が帝国 に対 す る影
主 義 の支 援 を受 く あ るを 以 て 、支 那 の解 放 運動 に対 し 日本 は手 強 き
言 ふが 如 き、 其 の将来 の発 展 恐 るべ き も のあ り。
れ り と せず 、 近 時馮 玉祥 の支 援 の許 に内 蒙 の赤 化 計 画 を進 め、 外 蒙
敵 な り と。 又 徐樹 錚 莫 斯 科 に至 りし 時 露 国 当局 者 は彼 に対 し て張 、
響 に至 つ ては 思 い半 ば に過 ぐ るも のあ る べ し。
馮 の戦 いは 、 換言 す れば 日露 の戦 い なり と 言 ひ 、 又 カ ラ ハンは 日本
産 主 義 に共 鳴 す る と雖 も 其 の急 務 と せ るは国 権 の回収 に し て、支 那
の希 望 は 外 国 の覊 絆 よ り の解 放 に あり て、学 生 及 国 民党 の左翼 は共
社 会 革 命 は 第 二位 に属 す 。露 国 共 産 党 は 此 の間 の消息 を利 用 し 一度
階 級 に革 命 思想 を浸 潤 せ し め んと せり 。元 来 支 那 に於 け る国 民 一般
大 正 十 三年 五 月露 支 会 議 成 立 せ しも 、 両国 間 に最 も 重 大 な る関 係 を
三 、北 満 方 面 に対 す る勢 力 の進 展
有 す る東 支 鉄道 の処 分 に就 て は 、東 三 省 の実 権 者 た る張 作 霖 が敢 て
国 民党 が反 帝国 主 義 を唱 ふる や是 に和 し 、学 生 及 国 民 の排 外 思 想 を
労 農 聯 盟 が北満 に於 け る利 権 の回 収 を企 図 しあ るは絮 説 を 要 せず 。
中 央政 府 の制 令 に服 せざ る た め 手 を下 す の余 地な かり き。 然 る に偶
煽 動 し、 支 那 に於 け る列 強 の経営 に障 碍 を加 へたり 。
みる に遑 なき に乗 じ 、自 国 に有 利 な る奉 露協 定 を結 び、 次 いで疾 風
援 助 を為 し 、露 国 内 に は支 那 国 民 に対す る同情 を披 瀝 し て 、支 那 労
形 勢 稍 重大 とな る や第 三 イ ン タ ーは其 の機 に乗 じ秘 密裡 に物 質 上 の
偶 々本 年 五 月末 上海 に労 働 罷業 起 り之 に学 生 の参 加 す る に至 り 、
々大 正 十 三年 秋盧 、 斉 の闘争 を端 緒 と し 、 呉佩 孚 及 張 作霖 と の間 に
迅 雷 的 に旧白 系 の東 支 鉄 道 幹 部 を逐 ひ て自 派 人物 を 入れ 、該 戦 争 中
働 者 を し て プ ロレタ リ ー の世 界 的 団結 の要 を感 知 せし む る に努 め遂
第 二 次奉 直 戦 惹 起 す る や、 労 農 聯盟 は機 至 れ り と為 し 、張 が他 を 顧
に鉄 道 及 沿線 一帯 に於 け る赤 色 勢力 の進 展 に努力 せ り。 爾後 赤 系 幹
に彼 等 の間 に共 産 党細 胞 を構 成 す る の機 を作 れ り。
加 入 せ し め し が、 爾後 党 内 に左 右 両 派 を 生じ 、 孫文 生存 中 は尚 能 く
国 民党 は大 正 十 三年 一月 孫 文 の清 濁併 呑 主 義 に基 づ き 共産 党 員 を
五 、広 東 政府 の労農 化
部 の横 暴 な る施 設 は 時 に支 那 側 の感情 を害 し 、本 年 五月 所 謂 九 四号
る こと な く 、最 近 満 洲 里及 ポグ ラ ニチ ナ ヤ駅 に於 て 、武 器 、 爆薬 の
命 令 事 件 等勃 発 せ る こと あ るも 、 此 の間 暗 々裡 に於 け る謀 略 は絶 ゆ
密 輸 を 発 見 せ ら れた るが如 き奇 怪 な る 現象 続 出 し あ り、 加 之 元北 京
十 一名 に達 せ り。 又 軍 官学 校 に八 十 九 名 の露 人 教官 を置 き 、 此 の外
駐 剳 労 農 大使 館 武 官 ゲ ツケ ルを東 支 理事 に新 任 せ る が如 き 果 し て何
四、 支 那 国 民 の赤 化 運動
武 器 、 弾 薬 を供 給 す る 等 の事 あ り、 次 いで本 夏 上海 の罷 業 運動 後 益
の間 労 農 聯盟 は広 東 政 府 に党 員 を派 し て政治 に参 与 せ しめ 、其 の数
支 那 に於 け る赤 色 思 想 運動 の開 始 は 最 近 に属 す るも のにし て、極
々其 の鋒 鋩 を現 は し、 広 東政 府 は国 民 党 員 に依 り組 織 せら れ た る中
之 を統 制 せ る も本 春 彼 の死去 後 漸 次 左 派 の擡 頭 を見 る に至 れ り 。此
東共 和 国 代 表 ユー リ ンの来 支 に始 ま り 、 次 いで ヨツ フ エ、 カ ラ ハン
ね労 農 制 度 に則 ら しむ 。 而 し て共 産 党 員 廖仲 〓 刺客 の手 に斃 る ゝや
央 執 行 委 員 会 に隷 属 す る国 民 政府 に改 編 せ ら れ、 其 の他 の組 織 も概
を意 味 す る や。
の来 住 す る に及 び漸 く 活 動 を増 せ り。 特 にカ ラ ハンは支 那 革 命 運 動
兵 力 を以 て反 共産 党 員 を 駆逐 し 、共 産 主 義者 蒋 介 石 、汪 兆 銘 及 露 人
の主 宰 者 と し て横 縦 の腕 を振 ひ た るは 諸 情報 に徴 し 明 ら か なり 。 而 し で カ ラ ハン の背 後 より操 縦 せ る第 三 イ ンタ ーは 、 支 那 の労 働 階 級
六 、国 民 軍 と赤 系 露 人 隊
ボ ロー ジ ンの三頭 政 治 を 形 成 す る に至 れり。
一の思 想 団 体 た る国 民 党 に着 目し 、 之 に共産 主 義 を 宣伝 し漸 次 下 層
の低 級 な る に鑑 み 、先 づ 世 界 思潮 に醒 め た る学 生 及 支 那 に於 け る唯
国 民 党 の巨 頭 馮 玉 祥 の幕 下 に赤 系露 国 武 官 の応聘 し あ るは前 項 記 述 の如 く な る が、 彼 等 は単 に武 官 と し て訓 練 に従 ふを 以 て満足 せず 、 奉 軍 内 に白系 露 人 隊 あ る に対 抗 す るを名 とし て 、国 民 軍 内 に赤 系 露 軍 の編 成 に着 手 し 、 イ ワノ フリ ノ フ、 グ ー シチ ン、 ト ンキ フ等 首 脳
( 附録)
一、第 三イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル東 方 部決 議 の 一節
第 一、 労 農 側 よ り得 た る支 那赤 化 に関 す る情 報内 訳
ら る。 別 に馮 軍 旗 下 に於 て も露 人 を 長 とす る別働 隊 を編 成 し 、熱 河
の如 く 、 近 く聯 合 軍 の北 上 に策 応 し徐 州 方 面 に出 動 す べし 、 と伝 へ
五、 ジ ノビ エフ の支 那 労働 組 合 に送 り た る書翰 の 一部
四、 ソビ エト に好意 を有 す る督 軍 に軍 人 の派遣
三、 国 民 党 代表 と 労 農 中央 施 行 委 員 会代 表 と の協 議 事 項
務 の要旨
二、 第 三 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル東 方 部 よ り支 那共 産 党 に課 し た る任
方 面 に使 用 せ んと す る の情 報 あ る等 労農 陸 軍 の庫倫 進 入説 等 と相 俟
六、 支 那 労働 組 合 の赤色 国 際労 働 組 合 に加 入 の決 議
と な り 、已 に数 千 人 の露 人隊 を 編 成 し、 主 力 は 開封 附 近 に在 る も の
つて、 国 民 軍 と労 農 軍 と の間 に已 に密接 な る連 繋 の生 ぜ るを 示 す も
七 、支 那 農 民 の農 民 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル への加 入数
1. 支 那 革命 運 動 の為 には勢 力 あ る将軍 を味 方 に 引き 入 れ 、帝 国
一、第 三 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル東 方 部 決議 の 一節 ( 本年七月頃)
支 那 に対 す る労 農 聯盟 の過 去 数 年 間 の努 力 の結 果今 や外 蒙 は完 全
日英 米 国 に支 那問 題 に関 し 意 志 の阻 隔 を来 さ しむ る を 必要 と す。 而
主 義 者 段 祺 瑞 並張 作 霖 に対 す る労 農 運 動 を支 援 し 、 又諸 外 国 間殊 に
言
に赤 化 せ ら れ余 勢 を 内 蒙 に振 は んと し 、軍 界 一方 の雄 馮 玉 祥 を操 縦
七、結
のと 言 ふ べ し。
し て中 原 に覇 を唱 へん と し 、広 東 に労農 式 政 権 を 樹立 し て遙 か に之
意 義 を有 す るを 以 て、 一度 熱 せ ら れ たる 火 は再 び消 さざ るを要 す 。
2. 支 那 の革 命 運 動 は吾 人 の為 、 殊 に世 界 無 産 者 のため 重 大 な る
の政 治状 況 を 最 も利 用 す る を 可 とす 。
用 ひ んと す 。其 の計 画 の雄大 な る、 其 の行 動 の徹 底 せ る到 底 国 際 的
而 し て吾 人 自 ら も支 那 に於 け る従 来 の行為 を変 更 し 、要 す れ ば軍 隊
し て之 等 の任 務 は大 使 の任 と す 。而 し て革 命 運 動 の為 にも 其 の時 々
礼 譲 に束 縛 せ ら れ あ る諸 列強 の企 及 し得 ざ ると ころ な り 。而 も 徐 州
に策 応 せし め んと す る等支 那 に対 す る労 農 勢 力扶 植 の地盤 は完 成 の
方 面 の敗戦 以来 奉 張 の勢 ひ 日 に非 な る に反 し 、 馮 軍 の余 勢 は 已 に京
域 に達 せ り 。今 や其 の威 力 を将 に惹 起 せ ん とす る馮 、張 の決 勝 戦 に
師 を 奪 ひ て東 内 蒙古 に及 ば んと す 。 此 の時 に当 り暫 ら く 莫 斯 科 に晦
な る戦 闘 力 を有 せし む る如 く 之 を訓 練 す る にあ り 、之 が武 装 器具 を
3. 労 働 軍 の武 装 及 訓練 に就 て は労 働者 の集 団 を し て成 るべく 大
的 団 体 の編 成 を なす を 要 す 。
何 を か策 す る 、吾 人 は深 甚 の注 意 を 払 ひ て労農 の対支 施 設 を洞 察 し、
の教 官 を撰 択 中 な り。
調達 し 且之 を 分 配す るは 大使 の任 とし 、尚 将 来 の教 官 の外 百 五十 名
冥 せ る カラ ハンは 近 く 北京 に帰 任 す べし 、 と言 ふ 。彼 の腹 中果 し て
る可 ら ざ る を痛 感 す 。
帝 国 百 年 の大 計 と隣 邦 に対 す る友 誼 のため 毅然 彼 の侵 襲 に対抗 せ ざ
二、 第 三 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル東 方 部 より 支 那 共産 党 に課 し た る任 務 の要 旨 ( 本 年 七 月頃 ) 1. 支 那 に於 け る外国 の支 配 を 一掃 す る為 、 現在 の運 動 を永 続 す る こと 。 2. 支 那 の各 階 級 を 国 民的 革 命 に参 与 せし め 成 る べく 多 数 の人民 を争 闘 に関 係 せし め 、 以 て各 階級 の団結 を 固 く す る こと 。 3. 支 那 の交 通 労 働 者 を支 援 し 、武 器 、弾 薬 を 支 那 に輸 送 す る こ とを 妨 害 せ し む。
る は陸 軍 大 学 校技 術 科 講 座 担 任 コプ ト フ大 佐 に し て、 其 の表 面 の目
依 り、 赤 軍陸 軍大 学 生 より 三 十名 を撰 み支 那 に送 れり 。之 を引 率 せ
的 は支 那 に於 け る軍 事 状 態 研 究 と称 す るも 、事 実 は大 使 カラ ハ ンの
意 見 具申 に基 づ き た る も の にし て、其 の真 の目 的 は、 ソビ エト に好
意 を有 す る督 軍 に軍 事顧 問 とし て配 属 せら れ 、尚 特 別 教 育 の任 に当 るも のと す。
五 、 ジ ノ ヴ イ エフ の支 那労 働 組 合 に送 り た る書翰 の 一節
諸 子 の列 伍 を密 か に収 縮 し強 固 な る組 合 を 作 り 、国 の内 外 に於 け
団 結 せよ 。而 し て諸 子 の組 合 中 に数 百 万 の会 員 を作 れ。 然 る時 は諸
る有 産 階級 に 対し 激 烈 な る戦 闘 を 行 へ。然 る時 勝 利 は諸 子 に帰 せ ん、
す。 蓋 し 段 政府 は締 約 国 の傀 儡 に過 ぎざ る を以 てな り。 此 の政
4. 共 産 党 は国 民 に対 し 外交 に信 を 置 く こと な から ん こと を 警告
子 は敗 る 可 らざ る力 と な る べし 。 諸 子 は 凡 て の国 に於 け る革命 的 労
合 一の為 に、 又国 際 労 働 組 合統 一の為 に、及 び西 方労 働 者 ソビ エト
同 時 に吾 人 は 支那 の労 働 組 合 が吾 人 と 共 同 し て凡 て の国 の労 働 者 の
働 者 が全 力 を 尽 し て諸 子 を 支援 す る こと を確 実 に期待 し得 べ し 。 又
府 と妥 協 す る が如 き は 絶 対 に行 ふべ か らず 。 5. 国 民党 の援 助 に依 り農 民 を共 産 党 の手中 に入 る ゝ こと 。 三 、 国 民党 代 表 と 労農 中 央 施 行委 員 会 代 表 と の協 議 事 項 の 一節 (一 四 、 八)
す。
聯 盟 及 東 方 労 働者 間 に於 け る緊 密 な る同 盟 の為 に戦 は ん こと を 期待
排 英 、排 日 の煽 動 を高 む る こと。
1 .
働 者 を代 表 す べ き 二 百 八十 五 名 の代 表 者 は、支 那 労 働 組 合 が赤 色 国
る第 二 回支 那 労働 者 会 議 に於 て、労 働 組 合 所属 の約 四 十 五 万人 の労
第 三 イ ンタ ーナ シ ヨナ ル宣伝 の結 果 、 大 正十 四年 五 月広 東 に於 け
六 、支 那 労 働 組合 の赤 色 労 働組 合 に加 入 の決 議
2. 張 作霖 の帝 国 主義 は 日本 の後 押 し に依 るも のな る こと を高 唱
外 国 企業 に対 す る スト ラ イキ運 動 及 び日 英貨 に対 す る ボ イ コ
す る こと。 3.
ツ トを 為 し得 る限 り 大規 模 に行 ふ こと。
際 労 働組 合 に加 入 す べ き ことを 決議 す。
4. 支 那 の無産 者 を 組 織的 に武 装 し 、 以 て武 装 し た る暴 動 団 を組 織 す る こと には特 別 の注意 を払 ふを要 す 。 莫 斯 科 政府 は此 の目
七 、 支 那農 民 の農 民 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル への加 入数
す 。 又 農 民 に対 す る五 百 名 の露 人 宣 伝員 は南 支 に進 入 せり 。
支 那 農 民 の農 民 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルに加 入 せ る も の 二十 万 人 に達
的 のため 十 万留 を引 当 た り。
陸 軍 人 民委 員 代 表 ウ ンシ ユリ ヒト は七 月 八 日附 命 令 第 五〇 四号 に
四 、 ソビ エト に好意 を有 す る督 軍 に軍 人 の派遣
を 創 設 す る た め熱 心 に運 動 を 継 続 せざ るべ か らず 。 即 ち爾 後 此 の団
民 地部 に於 てジ ノ ーヴ イ エフ自 身 議 長 と な り、 二箇 の重要 なる 会 議
千 九百 二十 五年 五 月 三 十 日及 六月 三 日共 産 イ ンテ ル執 行 委 員会 殖
此 の重要 な る ことを充 分 に自 覚 し 且 支那 労 働組 合 の組 織的 業 務 に対
関 す る事 項 は赤 色 職業 組 合 イ ンテ ル の所 管 に属 し、 該 イ ンテ ルも 亦
織 に対 す る支 持 も 亦吾 人 の此 の任 務 に附 帯 す 。元 来 労 働組 合 運 動 に
宣 伝 を 行 は し め んが為 な り。 支 那 に於 ける 労働 組 合 運 動 の発 達 及組
体 を し て独立 し て其 の活 動 を 展 開 せ し め、 且独 力 を 以 て共 産 主 義 の
が開 か れ し が、 其 の議 題 は全 部 支 那 より馬 来 半 島 及 印度 支 那 に対 し 、
第 二 、支 那 及 亜細 亜 諸 国 に於 け る共 産 イ ンテ ル の活 動
共産 イ ンテ ル の活動 を延伸 す る件 に関 す る事 項 な り き 。 ジ ノ ーヴ イ
し 極 力 援 助 し つ ゝあ り 。
以 上 予 の述 べ た る事 項 は総 て支 那自 体 に於 け る吾 人 の活動 に関 す
エフは 一場 の演説 を為 せし が 、其 の中 に亜 細 亜 の情 況 を綜 合 し て、
のに あら ず 。既 に同 国 と隣 接 す る亜細 亜 諸 国 、 即 ち仏 領 印度 支 那 、
る も のな るが 、支 那 に於 け る運 動 は 単 に同 国 内 に のみ局 限 さ る ゝも
左 の如 く述 べ た り。 支 那 に於 け る運動 は早 晩 下 火 と な るべ し。 之 は外 国 人 の手 に依 る
馬 来 半 島 の諸 島 及 印度 に於 け る数 千 万 の殖 民 地 奴隷 の間 にも 運動 の
より も 寧 ろ支 那 主義 者 等 の内 訌 、確 執 に因 る も の多 かる べ し。 但 し 此 の場 合 に於 ても 、外 国 の金 が有 力 な る役務 を演 ず べ き は勿 論 な り 。
蜂 火 は勃 発 せ り 。
の道 程 は依 然 と し て西 欧 を経 由 す る に比 し東 洋 を 経 由 す る方 が捷 径
然 れ ども 縦 し 此 の時 期 の来 る こと爾 く 近 か らず と 雖 も 、世 界 革 命
得 ず 。 然 れ 共将 来 の活動 の為 に 口実 を設 け て自 己 の地 位 を 甚 だ しく
是 なり 。 直接 且公 然 の反 乱 は目 下 吾 人 は此 れ等 の諸 国 に於 て摘発 し
は 、前 記 の諸 国 に於 け る 宣伝 運 動 を 最 も広 範 囲 に発 展 せし む る こと
第 二 の利 益 即 ち吾 人 が支 那 の運 動 よ り〓 ち 得 ざ る べ から ざ る利 益
故 に我 が同 志 中啻 に支 那 のみ なら ず 、 全亜 細 亜 が外 国 の後 見 よ り解
な り 。去 乍 吾 人 は現 在 吾 人 の遭 遇 し つゝあ る幾 多 の事件 の中 より 、
放 さ る ゝ日は 近 し、 と 思 惟 す る者 あら ば 此 れ は大 な る誤 り なり 。
共産 イ ンテ ル の為 及 世 界 無産 階級 運 動 のた め最 大 限 度 の利 益を 誘 致
し 、且 結 言 と し て亜 細 亜 を諸 殖 民地 に於 け る我 が宣 伝 の開 展 の如 何
に 重要 な るか に関 し 、 諸 君 の注 意 を 喚起 せ んと 欲す 。 予 は 多 数 の我
鞏 固 なら し む る こと を得 べ し。 予 は 殖 民地 部 の今後 の綱 領 案 を提 議
第 一、吾 人 は 支那 勤 労 大 衆 革命 主 義 者 た る智 識 階 級 ( 殊 に学 生 等
が同 志 た る外国 人殊 に ロイ 、 エ ムベ ル ・ド ラ ー ス等 の如 き 人 士 よ り
せざ る べ から ず 。此 等 の利 益 を列 記 す れ ば左 の如 し 。
は極 度 に急 進 思 想 を有 す ) 及 国 民党 の間 に自 己 の地 歩 を占 めざ る べ
を費 す は無益 な り、 と の言 を聞 きた る こと 一再 に し て止 ま ず 。然 れ
す ら、 例 へば 馬来 半 島 、 ス マト ラ、 爪哇 等 に於 け る運 動 の為 に勢 力
が 名義 上 は和 蘭 の属 領 な る に拘 らず 、 事実 企 業 の大部 は数 百 万 の土
共 予 は此 の運動 を特 に重要 な り と認 む 。如 何 とな れ ば 此 れ等 の島 嶼
からず 。国 民 党 員中 に は相 当 のブ ルジ ヨア分 子 を 包 含 し あ るも 、 現
の積極 的分 子 を 団結 せ しめ 得 る唯 一の革命 的 思 想 を 有 し 、組 織 あ る
在 に於 て は支 那 に於 け る解 放 運動 指 導 の任 に当 り 自 己 の周囲 に多 数
集 団 な り。 之 と 併行 し て吾 人 は支 那 に於 け る共 産 党 の鞏固 な る団 体
た る印度 支那 、 安南 、東京 及 交 趾 支那 に於 け る宣 伝運 動 は特 に重 要
な り。 北亜 弗 利 加 に於 て仏 蘭 西 が其 の国 威 を失 墜 せ る関 係 上、 仏 領
人 労 働 者 を容 赦 な く搾 取 し つゝあ る英 国 の資 本 家 の所 有 に属 す れば
協 議 す る為 聯 合 委員 会 を組 織 す べく 提 案 す べし 。該 委 員会 は国 民
対し て は国 民 党 中央 委 員会 と交 渉 を開 始 し、 一切 の積 極的 行 動 を
ルの駐 支 中 心機 関 を広 東 に設 置 す る こと を委 任 せり 。 ドブ ネ ルに
名 を派 遣 さ る べし。 ド ブ ネ ルは北京 駐 剳 労農 露 国 大使 館 内 の共 産
べく 命 令 せ り。 ドブ ネ ルを幇 助 す る為 共 産 イ ンテ ルの職 員 三、 四
テ ル及赤 色 職 業 組合 イ ンテ ル代 表者 一名 を委 員 に加 ふ べく交 渉 す
党 の指導 的 地 位 にあ る人 々 の外 支 那共 産 党代 表 者 二名 、 共産 イ ン
以 上 は 即 ち亜 細亜 に於 け る概 況 にし て、 又吾 人 の為 及 世 界革 命 の
な る意 義 を有 す 。
事 業 の為 に最 も近 き前 途 の大要 な り 。
イ ンテ ル中 心機 関 と交 渉 し 必要 な る訓 令 を受 領 せざ る べか らず 。
殖 民 地 部 の将 来 の活 動 の指 針 と し て ジ ノ ーヴ イ エフの提案 し た る 綱 領 は左 記 の六項 を包 括 し 居 れ り。
く は密輸 入 せん と し つ ゝあ る は諸情 報 を綜 合 す る に事 実 な るが如 し。
労 農聯 盟 が 自国 の武 器 を各 種 の手 段 を講 じ、 民国 各 地 に供 給 若 し
労 農 聯 盟 の支 那 各 地 に対 す る武 器供 給 に就 て
コの状 況 、 仏軍 の敗北 及 支 那 に於 け る運 動 (註 、社 会 又 は労 働 運
第三
より之 を 求 む る筈 な り。
印度 支 那諸 港 、 西貢 、河 内等 に於 け る水 夫 、労 働 者 及苦 力等 の間
土人 中 よ り職 員 及 手先 撰 定 に着 手 せ り。 但 し第 一着 手 とし て広 東 、
広 東 及 印度 支 那諸 港 に於 て は共産 イ ンテ ルの中 心機 関 組織 の為 、
留 は数 日内 に北 京経 由 広 東 に送 らる べ し。
留 の特 別 費 を送 致 す る こと と な れる が 、其 の内 の第 一回分十 二万
計画 実 施 す る為 、広 東 に於 け る代表 者 (ドブ ネ ル) に は三十 万 金
印度 支 那 及馬 来 諸島 に於 け る共 産 イ ンテ ル広 東 中 心機 関 の活 動 を
二
一、共 産 イ ンテ ル執 行 委員 会 殖 民 地部 は国 民党 の中央 及 地 方機 関 と 間 断 なく協 調 を 保 たざ るべ から ず 。 二 、支 那 共産 党 中央 委 員 会 は支 那 に於 け る外国 の統 治権 の倒壊 、及 支 那 領 土内 よ り外国 人 の放逐 を 目 的 とす る国 民 党 の総 て の行動 に 対 し之 を 支持 せざ る べ からず 。 三 、殖 民 地 部 は馬 来 半島 の諸島 嶼 及 仏 領印 度 に於 て自 己 の活動 を開 展 せし む る こと。 四 、殖 民 地 部 は支 那 に於 け る運 動 と上記 諸 国 に於 ける 活動 を調 和 し、 且之 を指 導 す る ため広 東 に直 ち に常設 中 心機 関 を設 置 す べし 。
動 )等 に関 す る情 報 を広 く 人 民 の間 に弘 布 す る こと 。 此 の運 動 は
1. 哈 爾賓 に向 け 輸送 中 の小銃 四万挺 、 弾丸 二百 万発 、 斉 々哈 爾 附
一、北 満 方 面
左 に之 に関 す る情報 を蒐 録 し参 考 に資 せん とす 。
国 民党 中 央委 員 会 と の間 断 な き協 調 を保 つ為 、殖 民 地部 は其 の
近 に於 て馬 賊 に変装 せ る支那 軍 隊 のため掠 奪 せら れ たり。 此 等 の
右 訓令 を遂 行 す る為殖 民 地部 は 左記 の処置 を 講 ぜ り。
土 人 た る水 夫 、港 内 及苦 力 等 を通 じ て行 はざ る べ からず 。
五 、殊 に印 度 支 那 に於 て は赤色 職 業 組合 イ ンテ ルと協 同 し て モ ロツ
一
北 京駐 在 員 ド ブ ネ ル に国 民 党 中央 委 員 会 と交 渉 の為 、 共産 イ ン テ
り平 服を 着 し た る兵 員 を東 支 沿線 に入込 まし め居 る形跡 あ るを 以
武 器 は労 農 政府 が支 那 と の万 一に備 ふ る為 、 先般 来密 か に本国 よ
拒 絶 せり 、 と。 (十 月 二十 六 日)
布 多 に飛行 機 二 を送 附 す べ き ことを 命令 せり。 但 し 重砲 の請 求 は
じ 野 砲 二十 四門 、 高 射 砲 二門 、各 門弾 薬 二 五〇 宛 を庫 倫 に、 又克
あ る を以 て、其 の大部 を馮 玉祥 方 面 に輸 送 せし な ら ん。
( 註 ) 本 情 報 は単 に蒙 古 の為 のみと し て は武 器稍 多 量 な る の感
て、 此 れ等 軍隊 の使 用 の為 輸 入 し た るも のな るべ し。 (八 月 二 十
九 月 十八 日浦塩 よ りポ グ ラ に到 着 せ る列 車内 に於 て爆 発物 四 布
七 日)
古 人 を以 て約 四万 の騎 兵 隊 を庫 倫 に於 て編 成中 にし て多 数 の赤 露
5. 山 西 に使 せ る奉 天側 某 参 謀 の談 によれ ば馮 玉 祥統 制 の下 に外 蒙
2.
エー ル逮 捕 せら れ た り。 右 に関 す る労 農 側 の企 図 は不明 な るも 、
6 . 在 莫 斯 科李 家〓 よ り の来電 に依 れば 、露 国 は 近 く飛 行 機 八、 歩
省 を衝 き 、奉 天軍 の背 後 を攪 乱 す る にあ る、 と 。 ( 十 月 十 八 日)
将 校之 を指 導 し つ ゝあ り 、該 隊 の目的 は事 を挙 ぐ る に際 し黒 竜 江
度 半 、時 計 仕 掛 発 火器 二個 及 米 貨 五 万弗 を携 行 せ る労農 外交 ク リ
其 の押 収 品 目 に照 し何 等 か の陰 謀 的 企図 を有 す る は明 ら かな り。
ポ グ ラ に於 て発 見 せ る右 爆 薬 は グ ラ ンド及 イ ワノ フ合 議 の上 、
兵銃 一万挺 を汽 車 に て ウ エル フネ に送 り 、庫倫 を経 て包 頭 に輸 送 ︹ 以下四行ママ︺ し 、是 に同行 す るも のは馮 玉祥 は 蒙 古着後 は馮 軍 に節 制 せら る べ
(九 月 二十 三 日)
〓 斉 線 の鉄 橋 破壊 のた め輸 送 せ ら れた るも のな り。 ( 十 月十 四 日)
し 、 と。 又馮 軍 が上海 に て購 入 せる軍 参 謀長 熊 斌 以 下 六名 の外 露
( 七 月 二 十五 日 )
1. 最 近労 農 露 国 よ り広 東 に輸 送 せ る武器 は三 八式 小 銃 四 千挺 な り。
三 、広 東 方 面
ル フネ を経 て包 頭 に送 る ことと な りあ り、 と 。 ( 十 月 三 十 日)
国 将 校 二十 名 、歩 兵 一大隊 にし て、右 護 衛隊 用 品 も浦 塩 より ウ エ
3. 張 作霖 が哈 市 于冲 漢 よ り の来電 な り と て語 る と ころ によ れば 、
于冲 漢 の談 に よれ ば、 馮 玉祥 が労農 露 国 より蒙 古 を経 て輸 入 せ
二、 張 家 口方 面
及機 関 銃 二挺 並 米 価 五万 弗 を押 収 せ り。 (九 月 二十 四 日)
満 洲 里 に於 て支 那官 憲 は赤 系 露 人 が密 か に輸送 中 な りし 爆 薬信 管
1.
る武器 は自動 貨 車 八十 台 分 な り 、 と。 (五月 十 八 日) 2. 馮 玉 祥 が 労農 政 府 よ り受 領 せ る兵 器 は山 砲 四 〇門 、 小銃 二 万 、
は火 砲 五 十四 門 、砲 弾 六四 〇箱 、機 関 銃 一〇 五 挺 、 小銃 二 万、 小
2. 在 露都 李 代 表 の密 電 によ れば 、労 農露 国 が広 東 に供 給 す る兵 器
て、之 を 四 回 に分 ち第 三回 は尚 浦港 に在 り 、第 四 回 は既 に莫 斯 科
銃弾 一〇 万、 歩 兵砲 三十 六 、擲 弾機 三〇 〇、 金 額 四〇 万 金留 にし
(七 月十 一日)
機 関銃 一〇 〇 、迫 撃 砲 十 二門 、自 動 車 六〇 、 弾 丸 一八 〇車 な り 。
3. 八 月下 旬 馮 玉祥 の使 者 が張 作霖 に語 り し所 に拠 れ ば、 労農 露 国
より輸 送 準備 を終 れ り 、と 。 ( 十 月 十八 日 )
よ り輸 入 せ る武器 は小銃 一万 、 飛行 機 四 、爆 薬 若 干 にし て元 胡 景 翼 の注 文 せ るも のを引 受 け た るも のなり 、 と。 (八 月 二十 六 日) 4. 七 月莫 斯 科 参謀 本 部 は 西伯 利 軍管 区 に対 し蒙 古 政府 の請求 に応
資 金 の供給 は外 面 に表 は る ことな き を以 て情 報 区 々に し て、其 の
第 四、 労 農聯 盟 の支 那赤 化 の為 供 給 せ し資 金
大夏 大 学 に四万 弗 の資 金 を 与 へたり 。
3. 大 正 十 四年 五 月 上海 附 近 の同 盟 罷業 に対 し、 労 農聯 盟 は約 四、
五 十万 留 の資 金 を 援 助 せり 。
公会 、 工商 学 聯 合 会 を封 鎖 し代 表 二名 を拘 禁す るや、 カ ラ ハン
4. 大 正 十 四年 七 月 二十 三 日 上海 戒 厳 司令 官 が 上海 商 工会 、海 員
真 疑 を 判 定す る こと を得 ず。 然 れど も支 那赤 化 の為 相当 の資 金 を注 入 し あ る こと は殆 ど争 はれざ る事 実 と言 はざ る べか らず 。 而 し て資
は直 ち に会 議 を 開 き (北 京 学生 聯 合会 代 表 も加 入 )宣 伝 員 十五
金 の供 給 は主 とし て カ ラ ハンを経 由 し あ る こと も亦 明 ら かな り 。左 に資 金 供 給 に関 す る情 報 を列 記 す 。
6.
(時 期 不明 なる も最 近 )
労 農聯 盟 は広東 政 府 に対 し兵 器 と共 に 四 十 万 留 与 へ た り。
領 せり と。
5. 本 次 の兵乱 に於 て孫 伝芳 は起 兵 の為 労農 聯 盟 よ り百 万留 を受
を宣 伝 せ し む る ことと し 各 人 に 一千金 留 を給 せ り と。
組 を上海 に派 し 奉軍 の民 衆 圧迫 、 工会 封 鎖等 外 人 に媚 あ る所 為
1. 本年 四、 五 、 六月 の間 に於 て カラ ハン の使 用 せ し宣 伝 費 は約
一、 欧 洲 方面 情 報
百 万弗 にし て、本 年 初 め よ り七 月頃 迄 に使 用 せし総 額 は約 六百 万 留 な り。 2. 露 国共 産 党 は其 の予備 金 より 支 那 の労働 組 合 に対 し、 本 年 七 月 頃 二十 五 万弗 の援 助金 を与 へた り。 3. 労 農 聯 盟 の各 大 工場 は支 那 の同 盟 罷業 同 情 の為 、本 年 七 月頃 総 計 約 二十 四 万留 の資 金 を 醵 金 し、 又其 の他 小 工場 も多 額 の金 員 を集 め支部 に送 れ り。
万留 を支 出 せ り。
4. 露 国 労 働組 合 中 央会 議 は本 年 七月 頃 支 那同 盟 罷業 支 援 の為 十
5. 労 農 聯 盟 学 生界 も金 員 及 書 籍類 を送 れ り。
は れ た るも の) の所持 せし 労農 聯 盟 予算 書 に依 れば 、 其 の極 東
二 、支 那 方面 情 報 ︹ 以下四行ママ︺ ︹ 都吉︺ 1. 莫 斯 科 にて最 近 支 那学 生 (田中 大 使暗 殺 問 題 にて知 多 にて捕
に二百 五 十 万留 に増額 し た り と。
宣 伝 費 は 一九 二 四年度 二千 五 百万 留 にし て、 一九 二五 年度 は更
2. 第 三イ ンタ ー ナ シ ヨナ ルは 大正 十 四年 二月紡 績 罷 業 の際 上海
哈調 情第 六号
三八
極東 に於け る露 西亜
哈 爾 賓事 務 所 長
法 学 博士
エヌ ・ウ スト リ ヤ ー ロフ
大 正 十 四年 四 月 四 日 ︹ 広太︺ 極 東 に於 け る露 西亜 (栗 原庶 務 部 庶 務課 員 訳 )
一、
は極 東 に於 け る露 西 亜 の敵 と し て最 も危 険 な るも のなり 。蓋 し同国
政 府 は露 西 亜 の擾 乱 に乗 じ て其 の利益 を 図 ら んとす れば な り。
米 国 は亜細 亜 大陸 に於 て領 土 上 の利 害関 係 を有 せず 、 又 大西 比利
チ ヤツ ク政 府 の崩 壊後 直 ち に其 の軍隊 を露 領 極 東 よ り撤 退 せ り。 殆
亜 鉄道 の通 過 す る地域 に於 て経済 上 の関 係厚 から ざ るを 以 て 、 コル
ど 之 と時 を 同 じう し て、 露 国 官民 の間 に非常 に不 評判 を醸 し た る チ
日本 の み後 に残 り頑 強 にも 其 の軍隊 を 東部 西 比 利 亜 重要 地 点 に止
エツク ス ロバ ク軍 の最後 の 一部 隊 も西 比 利亜 を去 り て 母国 に向 へり 。
露 支 協定 は疑 いも なく極 東 最 近史 上新 紀 元 を開 く も のであ る。露 西亜 革 命 は 一時 露西 亜 をし て太 平洋 の沿 岸 に於 け る其 の歴史 的 の地
め て、其 の干渉 に着 す る に凡 ゆ る 口実 を 以 て せり 。 日本 軍 隊 保護 の
か ら退 かし め たり 。国 内 に於 て政権 を得 ん が為 に執拗 な る争 闘 が行 な は る ゝに際 し 、防 備 なき 辺境 地 方 は不 安状 態 の儘 打 ち棄 て置 かれ
下 に国 内 に露 国 ﹁白系 ﹂ 諸 政 府樹 立 せら る 。是 等 諸 政府 は干 渉 に服
利益 を 追求 せ り。斯 く の如 き利 益 は露 国 を犠 牲 とし て促 進 せ ら る べ
聯 合 国 は露 国 反 過激 派 軍 を ﹁援 助﹂ す る の旗 幟 の下 に、各自 々国 の
農 に帰 す る に当 り労 農 政 府 は全露 を支配 す る儼然 た る国 家 権 力 と な
ぼし 来 る こと 明ら か に人 の知 る処と な る。 莫 斯科 を 奪 ひ て勝 利 の労
千 九百 二 十年 に至 り て は国 土統 一の勢 いは中 央 即 ち莫 斯 科 よ り及
民 義 務 の観念 を全 然 欠除 せ り。
従 し内 に精 力 なく 、 全 く無 為 無能 にし て、 無 頼 の徒 の組 織 す る処 国
た り。 内乱 の為 に国防 の方 面 は策 の出 づ る処 を知 らず 。 既 に千九 百 十 九年 コルチ ヤ ツク は浦 塩 に於 け る外 国軍 隊 の圧迫 を
き も の にし て、露 西 亜 其 のも のは顧 み る処 に非 ず 。 故 に白 軍 は 四囲
る。 其 の政 策 の色 彩 如 何 を論 ぜず 、労農 政 府 は外 部 に対 し て事 実上
蒙 れり 。同 外 国 軍隊 は自 ら露 西 亜領 土 上 、国 中 国 を 立 つるも のと す 。
の形 勢 に圧 さ れ て国 土 の解 体 を図 る も の の手 先 とな れ り。勿 論 日本
露 西 亜 を代 表 す る唯 一の政 府 た り。 白 系 の残 党 は外国 の援 助 に依 り
関 係 を結 ば ん と試 み たり し が遂 に成 功 を見 る に至 ら ず 。
科政府は ( 所 謂 ﹁カ ラ ハン通 牒 ﹂ に依 り て) 北京 政 府 と の間 に相互
振 へり 。 沿 黒竜 州 及 沿 海州 方 面 の露 領地 方 政 府 は遙 か に莫 斯 科 よ り
統 領 (ア ータ マン) セミ ヨノ フは知 多 及 後 貝加 爾 州 に在 り て威 を
て尚 国境 地方 に残 存 し、 露 西 亜 領 土 上敵 軍 の前 哨 を 為 し た り。 然 れ
一九 二 〇︱ 一九 二 五年 ︱ に於 て露 国 は其 の極 東 に於 け る 地位 をば 足
り。 千 九 百 二 十年 四 月 及 五 月 日本 軍 に依 つて手 を下 され た る武 装 解
指 揮 を 仰 が ん と せし が、其 の行 動 は外国 干 渉 に依 り て束 縛 せら れ た
ど も 一切 の障 害 に打 勝 ち 絶 大 の難 局 を切 り抜 け て、 過去 五箇 年 間 ︱
取 り遅 かり しと は 言 へど も、 不 屈 不撓 、 秩序 的 、計 画 的 に回復 し来
と を立 証 せ るも のな り。 ニ コ ラ イ エフ スク事 件 は東 京 政 府 に都 合 の
除 事 件 は 一の兇 兆 に し て国 土 を支 配 せ る実 際 の主 人 は日 本軍 な る こ
れ り。 赤 軍 と 労農 外 交 と は力 を合 せ て 一歩 一歩 困難 に打 勝 ち 来 れ る が故
良 き 口実 を 与 へて樺 太 を占 領 せ し め、更 に干 渉 政策 を 一層強 から し
に、 現 今 に於 ては艱 難 の時 期 は 既 に去 れり と言 ふも 可 な り 。最 後 に 残 れる 外 国軍 隊 も 遠 か らず 露 国 の土 地 よ り退去 す べし (樺太 撤 兵 最
め た り。
から ざ る重要 分 子 た ら ん とす 。 尚 幾多 の障 碍 と困 難 と は 其 の前 途 に
如 斯 にし て露 西 亜 は 又再 び極 東 に於 け る国 際 的 勢 力 均 衡 上侮 る べ
州 のみ に残 留 せ り。 同 地 方 に於 け る臨時 事 実 上 の支 配 者 が撤 退 す る
却 を開 始 せり 。 日本 軍 隊 は 後 貝加 爾 州 及 沿黒 竜 州 を撤 退 し 、只 沿 海
如斯 不利 な る状勢 に圧 さ れ て 日本 国 は千 九百 二 十年 の秋 期 に於 て退
り て は冬 期 に於 て殊 に心 配 の種 と な るべ き形 勢 を 示 せ り。主 とし て
パ ルチザ ン の戦闘 は実 際 に起 り組 織 的 に準 備 せ ら れ て、 日本 軍 に取
其 の干 渉 に対抗 す る道 は パ ル チザ ン の部 隊 を 以 てす る にあ る の み。
後 の期 限 は 千九 百 二十 五年 五 月 十 五 日 な り)。 露 支 協 定 及奉 露 協定 に依 つて ソヴ エー ト聯 合 共 和 国 は露 支 合 辮 事
横 た はり 幾 多 の方 策 を施 し て従 前 の国内 紛 乱 の悪 果 を拭 ひ さ る べき
や 、当 然 の成 行 と し て蜉 蝣 の如 き統 領 セミ ヨノ ブ の勢 力 は 即刻 失 墜
業 た る東 支 鉄道 に就 て其 の権 利 を 確立 せ り。
も のと は 雖 も将 来 に関 し て は全 く 安堵 し て可 な り。 過 去 五箇 年 間 の
沿 線 に 日本 軍隊 の駐 屯 せ る に存 せり 。東 支 鉄道 附 属 地 帯 を顧 み れば
進 行 せ り。
自 力 のみ に依 り之 を 行 ひ たれ ば な り。 時 世 は露 国 にと り て好都 合 に
せ り 。事 実 上 と言 ふ は列 国 よ り 公式 の承認 を受 く る事 な く し て、 只
露 西 亜 は将 に太平 洋 岸 に復 帰 せ んと す 。露 西亜 は事 実 上 茲 に復 帰
由 沿海 州 に輸 送 せ ら る。
後赤 軍 の為 に捕 へら る。 カ ツペ ル軍 は日本 軍 援 助 の下 に東 支 鉄 道 経
せ り 。其 の戦 友 た る ウ ンゲ ル ン男 爵 は部 下 を率 ゐて蒙古 に赴 け る が
経 験 は之 を 立証 せ るも のな り。 二、 コル チ ヤツ ク政 府 が 千 九百 二十 一年 一月 五 日 イ ル ク ーツ ク に於 て 倒 れ た る当 時 に当 り ては 、 バ イ カ ル湖 以東 に於 け る事 件 の成行 は頗
千 九百 二十 年 三月 ホ ル ワツ ト の没 落 を見 、 其 の倒 壊 は露 西 亜 旧 政 の
る錯 雑 せ る状況 を 呈 せ り 。然 れど も其 の根 本 の事 実 は西 比利 亜 鉄 道
支 那 に及 ぼし居 りし勢 力 に大 打 撃 を 与 へたり 。其 の時 に当 り て莫 斯
り 。 ソヴ エート 政府 の計 画 に依 れば 同 共和 国 は、 当 時尚 軍 事 共産 主
の手 に依 つて組 織 せら れ、 バ イ カ ル湖 以東 の露 領 を 統治 す るも のな
海 州 は ﹁極 東 共 和国 ﹂ の 一部 分 を為 し 、同 極 東 共 和 国 は莫 斯 科 政府
は同 地 方 に於 け る事 実 上 の支 配者 な りき 。 ﹁ 法 律 上 ﹂ よ り 言 へば 沿
沿 海 州 に於 け る状 況 も亦 決 し て楽 観 を 許 さ ざ りき 。 日本 の占 領 軍
の如 き 所 謂 露国 ﹁愛 国 者 ﹂ を後 援 し た る は、負 け る馬 に金 を賭 け た
危 殆 に陥 入 れ て 回復 の途 な か らし め た る のみ 。 日本 側 と し て は斯 く
も のに過 ぎ ず 。彼 等 が三 色 旗 を掲 げ た る も只 之 を汚 辱 し 、毀 損 し 、
る野 心と 第 四流 の政 治 屋 と を仕 組 みた る下 手 な 田舎 狂 言 の低 級 な る
に速 か にし て殆 ど 予想 外 なり き。 是 一種 の貧 弱 な る村 芝居 、滑 稽 な
メ ル ク ー ロフ政府 が性 質 上 無為 無能 な る こと の暴 露 し来 れ る は誠
る の感 無 き能 はず 。 日 本 国 内 に於 てす ら 日本 軍隊 の沿 海 州撤 退 を要
義 の時 期 を経 過 し つ ゝあ り し ソ ヴ エート社 会 主 義 聯 合 共利 国 と 、東 亜 諸国 と の間 に介 在 す る ﹁ 緩 衝 国 ﹂ た る べ きも のな り き。 極 東 共和
働 者 の大 多 数 ) の侵 入 軍 に対 す る敵意 は 日 一日 と激 し さ を加 へてゆ
求 す る の声 は漸 く高 ま り 来 れ り。 占 領 地域 に於 け る住 民 ( 農民及労
浦 塩 に於 て政権 をと れる は共 産 主 義 者 た る ア ント ーノ フを 首領 と
く。 山 丘 の間 に出 没 す る パ ルチザ ン の襲 繋 は絶 え て止 む ことな く 永
国 に就 て は民 主的 憲 法 並 ブ ルジ ヨア経済 制 度 を許容 せ り。
せ る 地方 政 府 な り。 日本 側 の之 を喜 ば ざ る は勿 論 の こと にし て、千
続 的 性 質 を 帯 び来 れ り。
彼 の記 念 す べ き ワシ ント ン会 議 は千 九百 二 十 一年 々末 に開 催 せら
九 百 二十 一年 一月 に始 ま り、 是 所 謂 ﹁反 乱 ﹂ が準 備 せ ら れた る が、 其 の目 的 と す る 処 は ア ント ー ノ フを追 つて セミ ヨ ノ フを迎 ふ るに あ
れ た り。 同 会議 にし て極 東 問題 に関 す る多 数 の決議 案 を 通過 せ り。
支鉄 道 に関 係 のも の) 其 の効 力 を失 へる も の の如 し。 然 れど も之 等
り 。 此 の時 セ ミ ヨノ フは 旅順 に滞 在 し て再 度 の出 陣 を 切望 し 、哈 爾
諸決 議 案 が露 西亜 内 政 干 渉 を禁 止 せる 点 に於 ては 正し く 有効 と なり
其 の決 議 案 にし て ソヴ エート露 西 亜 を目 的 と せ る も のは ( 例 へば 東
乍 然 ア ント ーノ フ打 破 の計 画 が機 熟 し て其 の完 成 を見 た る暁 に於
て 、其 の実 行 せ ら る ゝを見 た り。 ワ シ ント ン会 議後 は 日本国 内 に於
賓 白党 と の間 に頻 繁 な る交渉 を続 け 居 れ り。
ロフ兄 弟 な り 。 メ ル ク ー ロ フは最 後 の瞬 間 に於 て手 際 よく カ ツペ ル
て は、 之 に取 つて変 りし も のは セ ミ ヨ ノ フ党 に非ず し て、 メ ルク ー
軍 を味 方 に引 入 れた り 。 千九 百 二十 一年 五 月 二十 六 日沿 海 州 の政 権
然 共 極 東 共和 国 と 日本 と の間 に行 な は れた る大連 会 議 は満 足 なる
け る非 干 渉 傾 向 は 益強 き を加 へた り。
を 回復 せ ん とす る の妨 げ を為 せり 。 日本 と 諒 解 を得 る の機 会 は乍 遺
如 斯 にし て相 引 続 き て障 害 は立 現 は れ、 露 国 が 太平 洋 の沿 岸 地方
無 論 東 京 官 辺 の意 嚮 は尚 太 平洋 岸 より露 西 亜 を 駆逐 し 、 日本 海 を 変
露 西 亜 代 表 は沿 海 州 撤 兵 に関 す る要求 すら 強 く主 張 す る能 はざ りき。
然 決 裂 を 来 せ り。 日本 国 は露西 亜 の意 に叶 ふ が如 き妥 協 を肯 ぜず 、
結 果 を齎 す に至 らず し て、 其 の交 渉 は 千九 百 二 十 二年 四 月 を以 て断
憾 益 遠 ざ か り行 く のみ な り。 支 那 も亦 新 露 西 亜 を承 認 す る を躊 躇 し
じ て 日本 内 海 と為 さ んと す る に在 りし な り。
フ政 府 は帝 政党 とし て公然 と 親 日 の態 度 を執 れり 。
は ア ント ーノ フ の手 を 離 れ て メ ル ク ー ロ フ政 府 に移 る。 メ ルク ー ロ
て決 せず 。
の軍隊 を沿 海 州 よ り召 還 す る に決 し たり 。当 然 の事 と し てデ イ ト リ
るデ イ ト リ ツ ク ス将 軍 の所謂 ﹁国 民 ﹂ 政府 の哀 願 も 、其 の ﹁非 社会
然 共 千 九百 二 十 二年 秋 期 に至 り て は メ ルク ー ロ フ及 其 の後 継者 た
意 を与 ふべ し 、 と言 へり。
を 承認 し 、如 斯 き承 認 を前 提 と し て、之 より出 づ る 一切 の結 論 に同
る ことを 特 に力説 せり 。 ソヴ エート 政府 は満 洲 に於 け る支 那 の主 権
の関 係 に於 ては友 誼 と平 等 と の原 則 に従 つて事 を行 な ふ べき 用意 あ
乍 然 ソヴ エー ト露 西亜 の実 勢 力 が 、極 東 に於 て見 る に足 るも のな
主 義会 議 ﹂ も 、 亦其 の ﹁無 力 改革 ﹂ も 何 等 の効 な く 、東 京 政 府 は其
ツ ク ス将 軍 の権 力 は 日本 の撤 退 と共 に自 ら倒 壊 せり 。 ( デ イト リ ツ
ーリ ン及 パイ ケ スは相続 いて北 京 に派遣 せら れ し が、 其 の時 四 囲 の
き 以 上 は、 支 那 は格 別莫 斯 科 政 府 と 折合 ふ の模 様 も見 せざ りき 。 ユ
欧洲 諸 強 国 が莫斯 科 政府 と交 渉 を 開 始 せ る と の情 報 に接 し 、他 面 に
状 況 は至 難 、 寧 ろ全 く絶 望 と も言 ふべ き も のな り き。 一面 に於 ては
ク スが メ ルク ー ロフ に取 り て変 り た る後忽 ち にし て 此 の倒 壊 は 来 れ
下 に復 帰 せり 。 時恰 も露 国 の革 命 記 念 日、国 民 記 念 日 に当 れ り 。外
り )而 し て何 等 の争闘 を演ず る にも及 ばず し て同 地 方 は露 国 政 権 の
国 干 渉 は終 熄 し ﹁軍事 共 産 主 義 ﹂ は終 結 せ る を以 て、 ソヴ エート 社 会 主 義 聯 合共 和 国 中 、既 に極 東 共和 国 の独立 し て存 在 す るを 必 要 と
て満 洲 を 三 方 よ り囲 み来 る に及 び て始 め て、北 京 政 客 は露 国 の代表
に対 し て稍 真 面目 か つ精 細 に商 議 を 開始 せ るな り。 此 の時 に当 り て
於 て は ソヴ エート の勢 力 が伸 長 し てポ シ エツト湾 に及 び 、依 つて 以
る。 千 九 百 二十 二年 十 一月 十 四 日極 東 共 和国 々民 会 議 は イ ンタ ーナ
は露 国代 表 は既 に革 命 当初 の特 徴 たり し革 命 的声 明 と 、 無責 任 な る
せざ る に至 れり 。 茲 を以 て極 東 共和 国 は ソヴ エート露 国 に併 合 せ ら
シ ヨナ ル の吹 奏 裡 に採 決 し て、 公然 と極 東 共和 国 の莫 斯科 併 合 を 完
の ﹁帝国 主 義 的 ﹂ 傾 向を 有 せざ る点 に重 き を置 き 、復 興 し来 れ る支
る ヨツ フ エが出 でた る後 も 変更 せ ら る ゝ ことな し 。莫 斯 科 外交 は其
ソヴ エー ト対支 政 策 の大綱 は パ イケ スに変 り て経 験 あ り 、権 能 あ
ず 、外 交 に就 ても亦 既 に過 去 の も のと な れ り。
的 且 つ慎 重 に提議 せ り。革 命 の狂 熱 時 代 は ソヴ エー ト内 政 のみな ら
博 愛的 態 度 を継続 す る こと能 はざ る に至 り、 其 の交 渉 諸問 題 を 具 体
沿 海 州 を新 露 国 に合 体 せ る は極東 問 題 の全般 より 見 て頗 る重 大 な
結 せり 。
る事 件 な り。 先 づ是 に依 り て革 命的 内 乱 の余 燼 を消滅 し、 次 に露 西
エート露 国 、他 方 に於 ては 日本 及 支 那 と の間 に鞏 固 な る親 善 関 係 を
那 の国 民意 識 を 以 て其 の政 策 の目 標 と な せ り。 然 れ ども 莫 斯科 政 府
亜 は極 東 に於 け る従 前 の国境 を回 復 せ り。 同時 に 一方 に於 て は ソヴ
導 者 た る ワ シ ント ン政 客 よ り出 でた る蜉蝣 の如 き指 導 に依 る も の に
樹 立す る こと が当 面 の問 題 と な り来 れ り。 然 し て之 は世界 政 策 の指
は治 外 法権 及 前 露 帝 国政 府 が支 那 より 取 得 せ る各 種 の コン セツ シ ヨ
れ、 大 西伯 利 亜 鉄 道 幹線 上 重要 な る 一連 鎖 を為 す 東支 鉄 道 に就 て は
ンに関 す る特 権 及 特 点 を抛 棄 す る と共 に露 国 の資 金 を以 て建設 せら
非ず し て、 国 民生 活 上 具 体的 の必要 よ り出 でた る も のな り。
太 な り 。千 九 百 二十 年 の カラ ハン通 牒 に於 て ソヴ エー ト政府 は断 然
重 大 な る利 害 関 係 あ る こと は厳 重 に主 張 せ り。
露 支交 渉 の中 心問 題 は東 支鉄 道 にし て、 日露 交渉 の中 心問 題 は樺
と し て帝 政 外交 に依 つ て行 な は れた る 方策 を 放棄 し、 支 那共 和 国 と
露 西亜 が沿 海 州 に於 て其 の主 権 を回 復 し て より 一年 半 を経 た る後
を見 る に、其 の論 調 は 二 通 り に分 か れ たり 。
一 ﹁ソヴ エー ト政 府 は国 家 の利 益 を擁 護 す る に拙 な く、同 利 益 を
な る譲 歩 も 敢 え て辞 せず 、 一切 のも のを抛 棄 せ んと す る も のな り。
犠 牲 と し て満 洲 に於 て支那 が優 越権 を打 ち立 つるを 許 し、露 西亜 の
東 支鉄 道 上 支 那 の勢 力 は 増進 し、 露 西亜 の権 利 は無 理 圧 し に制 限 せ
漸 く 一九 二 四年 五 月 三 十 一日 に至 り、 ヨツ フ エに代 り全 権 とし て北
き は、 一九 二 四年 五 月 三十 一日 の協 定 は 退譲 の足 取 り を示 せ るも の
らる。 ﹂ 極 東 に於 け る露 国 移 民 は此 の論 法 に該当 す るが如 き意 味 を
伝 統 的 地 位 を支 那 に手 渡 せ り。 過 激派 は ﹁承認 ﹂ を 得 ん が為 に如 何
な り。 其 の協 定 に依 り て露 西 亜 が国 家 と し て過去 数 年間 に受 け た る
り。 実 際 の処 露 西亜 革 命 以 前 支那 に於 て占 め た る地 位 を 比較 す ると
損 傷 を 伺 ひ知 るべ し 。露 西 亜 が国 際団 体 中 に復 帰 す る に当 り て既 往
含 める事 実 を 把 へ、其 の偶 然 の出 来 事 を特 に悪 意 を以 つて解 釈 し、
京 に赴 け る カ ラ ハンは北 京 政 府 と の間 に協 約 を締 結 す る ことを 得 た
の危 機 に依 り て外 目 にも力 弱 ま り疲 弊 し た るは、 之 を 隠蔽 す る こと
看 取 し得 べ き は当 然 なり 。然 共 外 交 上 の論 議 並 政府 の発 表 に於 て は
﹁支那 は危 険 に陥 るべ し﹂。 ソヴ エー ト露 西亜 は其 の執 拗 な る 爪 牙
政府 は秩 序的 に宣 伝 を組 織 し、 煽動 者 を送 り出 す も のなり 。 従 つて
二 ﹁ソヴ エー ト政府 は支 那 に於 て其 の勢力 を伸 長 し つゝあ り。 同
別 種 の論 難 は次 の如 し 。
之 を喜 ぶ の状 あ り 。
其 の協 定 上 に表 は れ た る不利 益 は、 露 国 一般 方 策 に相適 合 し 、 根本
の協 定 に依 り て、 同 国 が従 前 の国 力 、国 権 より幾 分 退 嬰 せ る模 様 を
能 はず 。 さ れ ば露 西 亜 が国 法 の主 体 と し て復 活 す る を定 め た る今 次
的 重要 の意 義 を 有 す るも のな る こと前 述 の如 し。 即 ち ソヴ エート聯
を 以 て蒙 古 を 圧 へ、 烏 梁 海 方面 より 支那 の辺 境 を脅 威 せ んと す 。 ソ
労 農組 織 を打 ち 立 て之 を拡 張 し沿 線 各 地 に於 て狂熱 的 活 躍 を行 ふ。
ヴ エー ト露 西亜 は支 那 の群衆 の同 情 を〓 ち 得 て、之 に依 り て己 が利
労 農露 西亜 は満 洲 を労 農 化 せん と欲 す 。支 那 官 憲 にし て頑強 な る抵
合 国 は 自 ら前 露 帝 国 の帝 国 主 義的 政 策 を 放棄 し、 其 の外 交 の基 礎 を
支 那 の政 界 に起 れ る紛 争 の為 に北 京協 定 の実行 は幾 分 遅 延 を見 た
高 潔 な る国 際 正 義 の原則 上 に置 か ん とす るも のな り 。新 露 西 亜 は剣
り 。同 協 定 を 実施 す る には 、 ソヴ エー ト の代表 者 が奉 天 に於 て張 作
抗 を 為 す 能 はざ れば ソヴ エー ト政府 は必ず 其 の目 的 を達 成 す べし ﹂。
益 を図 ら んと す 。東 支 鉄 道 は急 速 に労 農化 せら れ つ ゝあ り、 各 種 の
霖 と交 渉 す るが 必要 とせ り 。露 国 は更 に改 め て譲歩 を 為 し 、 ( 東支
其 の標 語 と し て ﹁御 用 心 ﹂ と言 へり 。
援 助 救 済 の嘆 願 は大急 ぎ に て 日本側 、 支 那側 及各 国領 事 に送 ら れ、
を齎 さん と す る に非 ず し て、 平 和 を齎 さ んと す る なり 。
鉄 道租 借 期 限 を 二 十年 間 短 縮 し) 遂 に 一九 二四 年 十 月 三 日同 鉄 道 は
し が、其 の筆 者 は是 等 の攻 撃 は根 本 的 に矛 盾 す る が故 に、相 中 和 し
二種 の ﹁論 法 ﹂ を認 め得 べ し 。両 種 の論 難 は相 並 び て行 な は れた り
支那 に於 け る 反労 農 露 国 新 聞数 号 を手 に取 ら ば 必ず 其 の内 に上掲
労 農 、支 那 共 同管 理 の下 に置 か れ たり 。 露 亜 銀 行 は薄 弱 な る抗 議 を為 せ し が力 及 ばず 、 ソヴ エー ト社 会 主 義 聯 合 共 和 国 の国 旗 は在 支 大 使 館 及領 事 館 の上 に飜 れり 。 ソヴ エート露 西 亜 の敵 た る 一派 の露 人 が労農 対支 政 策 を論 難 す る
て効 力 な き に至 る ことを感 知 せざ るも のの如 し。
る の み。露 西 亜 の勢 力 は衰 退 し つ ゝあ る か、 然 らず んば 伸長 し つゝ
時 々大 通 り より離 れ て横 町 に入 り 、 又 は廻 り道 をす る 必要 あ る べし 。
要 素 を も等 閑 視 す べき に非ず 。 只 所要 の各 要素 を手 に入 る ゝ為 には
を齎 す も のなり 。 目指 し た る目 的 を達 成 せん が為 には決 し て単 一の
し得 る も のに非ず 。 政 治 に於 て は ﹁ 屈 曲 ﹂ せ る道 は時 々所 要 の結 果
線 は最短 距 離 な り、 と 言 ふ幾 何 学 の公 理 は必ず しも 政治 生 活 に適 用
あ るも のな り。莫 斯 科 政 府 は 只管 自 ら 其 の利 益 を傷 つけ ん と し つゝ
事 実 問題 とし て は其 の指 摘 す る両 者 の内 真 実 な る は何 れ か 一方 あ
あ る か、然 らざ れ ば敏 捷 にも 其 の貪 牙 を国 境 外 に逞 し ゆう せ んと し
如 き 場 合 に は支 那 の代 表 に迎合 す る こと を止 む る か 、或 は 支那 人 よ
領 事 及 ワシ ント ンに叩 頭 し て治 外 法 権 の喪 失 を嘆 く べき か︱ 斯 く の
何 れを採 る か明 確 に考 へを 定 む るを 必要 とす 。 即 ち或 は日 本 、列 国
然 らず んば 同 地 方 は労 農 化 せ ら れ つゝあ る なり 。而 し て最後 に次 の
忠 実 に極 東 に於 け る新露 西亜 の実 際 の代 表 と協 力 し 、露 支 両国 民 の
の反逆 的 勧 誘 を打 斥 け て、 一切 の手段 を尽 く し て露 国 々籍 を 回復 し 、
然 し て東 支 鉄道 上 露 人 従業 員 の絶 対多 数 は露 国 移 民中 ﹁非 妥協 ﹂ 派
が成 功 す る と否 と は全 国 的影 響 を 及 ぼす も のな るを忘 る べか らず 。
尽 し て莫 斯 科 外交 の至 難 な る事 業 を援 助 す べ き も のな り。 此 の政 策
外 交 政策 を妨害 せ んと す べ きも の に非 ず 。 之 に反 し て 一切 の手段 を
現 今露 国 人 の行 動 とし ては、 機 会 あ る毎 に出 遮 張 り て ソヴ エート
りも 一層支 那 的 な る を装 ふ べ き なり 。 或 は 支 那 市 民 権 取 得 を ﹁確
間 に所 要 の連鎖 を固 から し め んと し つゝあ る は頗 る満 足 に思 ふ処 な
つ ゝあ る も のな り。 満 洲 は 完 全 に支 那 の支 配 の下 に移 り つ ゝあ る か、
るべ き な り。 ( 然 る に支 那 市 民権 取 得希 望 者 が、 ワ シ ント ン会 議 関
念 と す るな ら ば、 何 ぞ 蒙 古 に就 て誹謗 し、 労 農派 の活 動 を暴 露 し激
傷 を嘆 き て偽善 の涙 を 流す や。 又 若 し彼 等 に於 て真 実 露国 の利 益 を
望 し 、外 国 に対す る愛 着 の念 を表 明 せ る時 に当 り て、 何 ぞ露 国 の損
事者 の更 に別途 の試 み を企 つる の意 志 を 挫折 せ し めず 、 ヨツ フ エは
らず 。 両 国 共 に此 の事 実 を 熟知 せ り。 大連 会 議 は 失敗 せ る も関 係 当
る 以上 は、 極東 に於 け る勢 力 の均衡 は 樹立 せら れ た り、 と言 ふべ か
と も 日本 と の関 係 を 整 理す るを要 す。 日 露 の間 に正式 国 交 の存 せざ
然 共太 平 洋岸 に於 け る露 国 の利 益 を有 効 に確 立 せ ん が為 に は是 非
五、
信 ﹂ す べ き か、︱ 斯 か る場合 には ワ シ ント ン会議 関 係 方 面 と手 を 切
り。
し く怒 罵 す る や。 文 明 諸国 の ﹁帝 国主 義 ﹂ と 対立 す るも のな るが 十
長 春 及 東 京 に於 て交渉 を継 続 せ り。 さ れ ど何 等 諒 解を 得 る に至 らず 。
問 題 は単 に之 の み に止 ま らず 。 彼 等 が支 那 市 民権 を得 ん ことを熱
係 列 国 と提 携 し て報 復 を 図 ら んと す る は頗 る滑稽 な り。)
月革 命 に依 つて宣 布 せ る原 則 と相適 合 す る のみ なら ず 、 又自 今 の事
北 樺 太 は 相変 ら ず躓 き の石 と な る。 露 西亜 は撤 兵 を主 張 せ り。 日本
は樺 太 の石炭 及 石油 に就 き 重要 な る利害 関 係 を有 す るを 以 て其 の要
之 を以 て不変 の教義 と す べ から ず 。又 護 符 と なす べ からず と 雖 も、
求 を固 執 せ り。 労 農 外交 は譲歩 せず し て時 の至 る を待 てり。 爾 後 の
情 の下 に於 て は露 国 の実際 の利 益 と合 致 す る唯 一の政 策 た るな り。
は其 の正 当 且重 要 な る意 義 を 理 解 す る の力 を有 す るを 必要 と す 。直
差 当 つては宜 しき に適 ふ政 策 な る こと人 の許 す処 な り 。言 語 に就 て
成 行 は 此 の態 度 の正 鵠 を得 た る こと を立 証 せ り。 日本 は 一九 二三 年 の大 地震 、 別 し て は農 工業 に於 け る経 済 危 機 の
関 紙東 方 通 信 は、 会議 を 一月 二 十 一日 に終 了 し た る は日 本全 権 の露
国 を尊 重 せ る も のな る こと、 に特 に重 き を置 き た り。 東 方通 信 の特
難問 題 を生 ぜ り。 斯 く の如 き事 情 の下 に於 ては亜 細 亜大 陸 上 断 然 た
ぎ調 印 を 了 し た り。之 ソヴ エート社 会 主義 共 和 国 に対 す る友 誼 的感
﹁一月 二 十 一日は レー ニン逝 去 の紀念 日 なり 。故 に代表 は特 に急
徴 あ る通 報 は次 の如 し 。
る侵 略 政 策 を執 る こと は ﹁軍 閥 ﹂ よ り強 大 な る後 援 を受 く ると す る
情 を特 に強調 せ ん が為 な り。 さ れ ば極 東 の強 大 国︱ 日本 帝国 ︱ の協
継 続 せ る に依 り国 力 を弱 め た る に加 へて、 過去 数 年 来内 政 上 多 数 の
も 、同 国 々力 のよ く 為 し得 る所 にあ らず 。米 国 と の競 争 に促 さ れ 、
約 は レ ー ニン の記 念 と し て此 の日 に完 成 せら るべ く、 又 此 の日 は将
日露 協 定 は其 の内容 よ り見 て疑 ひも な く 日本 が 、 ソヴ エー ト露 西
来 に記 念 せ ら る べし﹂。
他 面 に於 ては露 西 亜 に於 け る草 命 は 日本 が露 西 亜 に関 し て抱 け る
現協 定 の条項 を見 るべ し、 と は楽 観 家 と雖 も期 待 せざ り し なら ん 。
亜 に対 し て軍 事 侵 略 政策 を廃棄 せ る の徴 候 なり 。 三年 以前 に於 ては
国内 の政 情 に駆 ら れ て東 京 政 府 は、極 東 に於 け る国 際関 係 の根 本 的
疑念 、恐 怖 を 一掃 し 尽 く せ り。 実 際 の処 一九〇 四 、 五年 の戦 争 を 生
要 素 上勢 力 均衡 を 樹 立 せ ん ことを 欲求 せり 。
み た る 旧露 帝 政 々策 に復帰 す るは 今 日 の処 不 可能 な り 。 且実 際 問 題
沿海 州 を も 失 へるも のな りと な せ り。
一月 二 十 日 の協 定 は先 づ 第 一に歴 史 の開展 す る 一過 程 とし て考 察
実 際 の処 政 治移 民 新 聞 は当 時 に於 て露 西 亜 は北 部樺 太 のみ ならず 、
に非 ず 。各 方面 よ り 見 て 日露 の道 は平 行 す 。然 し て事物 の成 行 に促
せ ら るべ き も の なり 。然 ると き は其 の含 め る意 義 の満 足 す べき も の
と し て爾 後 日露 の関 係 が断 然 方 向 を 転じ て両国 間 の互譲 に向 ひた れ
さ れ て両 国支 配 者 の個 人的 気 質 如何 に係 らず 遂 に多 数具 体 的 問 題 に
な る こと 、拒 否 す べ から ざ る事 実 とし て認 む る を得 べ し 。今 日 と雖
ば 、 一九 〇 五年 以 後 は 旧露 政 策 を 見 る が如 き は到 底 有 り得 べき こと
付 き相 互 の歩 み寄 り を見 る に至 る べ し。
機 なり 。北 京 に於 け る過 去 数 箇 月間 の カラ ハン、芳 沢交 渉 は 之等 の
ー ト政 府 の許 容 せ る利 権 を取 得 す る のみ に満 足 せ し め た る最 近 の動
斯 く の如 き は 日本 を し て北 樺 太 よ り撤 兵 せ し め、 同島 に於 て ソヴ エ
反 駁 す る の必要 無 き が如 し 。現 今 の事 情 の下 に於 ては ソヴ エート政
約 ﹂ と な す も のな り。 斯 く の如 く 煽動 的 且悪意 を以 て な せ る攻撃 は
罵 倒 し 、 ソ ヴ エート 日本 協 定 を以 て ﹁ 極 東 に於 け るブ レ スト媾 和 条
は 一切 承認 す る こと を拒 み、 カ ラ ハンが過 度 の譲 歩 を為 せ る こと を
も尚 一派 の人 々に於 て は原 則 と し て厭 ふ べき 莫 斯科 と関 係 あ る も の
利 益 に関す る条 件 の協 定 に費 や さ れた り。 会 議 は屡 中 断 せら れ全 く
露 支 協 定 、欧 洲 諸国 の ソヴ エート政 府 承認 、打 ち続 く 国 内 の難 局、
決 裂 に瀕 せ る こと あ り。 然 共 相互 の譲 歩 に依 つて交 渉 は満 足 に終 了
日本 は北 部 樺 太 の石 炭 、 石油 に就 いて利 害 関係 を有 し露 国 と し て は
府 に非ず と も 一層有 利 な る条 件 を 〓 ち得 る こと能 はざ る べき な り。
現 今 日本 政 府 に対 し て如 斯 利権 を 譲渡 す るを拒 む べき 理由 な し。 全
を見 た り。 レ ー ニ ン逝 去 第 一回記 念 日 に当 り、 一九 二五 年 一月 二十 日 より 二十 一日 に至 る夜半 に協 定 は調 印 せら れ た り。 日 本 の政府 機
問 題 は如 斯 利 権譲 渡 の条 件 を定 む る こと のみ と な る。 此 の点 に就 いて は現協 定 は充 分 にソヴ エート社 会 主義 聯 合 共和 国 の利 益 を保 障 す。 今 後 の進 展 は 一つに懸 り て事 情 の成 行及 両 国 々内 の経 済 上、 政 治 上 の発 達 如何 に あり。 若 し 過 去 五箇 年 間 の歴 史 を顧 る と き は強 いて悲 観 す る の必要 も なく 、 又 他面 に於 て凱 歌 を奏 す る
国際 政 治 に於 て感 情 は禁 物 な り。 壮 大 な る言 辞 も実 際 利 益 の表 面
にも あ たら ざ る なり 。
を蔽 ふ貝 殻 た る に過 ぎず 。 最 後 の決 定 を 下 す動 因 と な る も のは実 際
此 の見 地 より す れ ば、 樺 太 に関 し て根 本 問 題 を 解決 し た る こと は
利 益 なり 。
日露 両国 に取 り て 一般 極 東 政策 上 、 其 の他 多 数 の諸 重要 問題 に関 し 共 同 動 作 を と る の端 緒 を開 く も のなり 。 只 両国 民 間 に蟠 る相互 の反 感 、偏 見 は干 渉 当 時 よ り萠 した る も のな る が、 力 の限 り速 か に之 を
干 渉 当 時 の如 き 事 は未 来 永劫 反覆 せざ る こと を期 せざ るべ から ず。
一掃 す る ことを要 す 。
の困 難 あ る ことを 見 逃 す べ からず 。 極東 問 題 の錯 雑 せ るは 一般 に知
極 東 に於 て将来 有 効 且全 般 に亘 り て平 和 を維 持 せ ん とす る には種 々
ら れ たる所 な り。然 共露 西 亜 が極 東 最 近史 上 に再 び参 加 し た るは 此
ふ の余 地 な か る べし 。
処 (極 東 最 近史 ) に新 た に重 要 な る意義 を加 へた るも のな る こと 疑
三九
ら れ た る も のと認 む。
り 締 結 を余 儀 な く せし め ら れた る も のと し て、 今 後は 一切破 棄 せ
結 せる 凡 ゆ る国 際協 約 及義 務 規 約 並 に外 債等 は、 強制 的 に外 国 よ
四、 蒙 古政 権 が第 十 一年 の革 命 (一九 二 一年 ) 以 前 に於 て外国 と 締
く 公 共 の所 有 と し、 此等 に対 す る私 有 権 を禁 止 す。
三 、 蒙古 共 和 国 内 の土 地 、地 下富 源 、 山林 、湖 川 及此 等 の資 財 は悉
蒙 古共 和国 憲法 及軍事 基礎 法 規
哈 爾 賓 事 務所 長
大 正 十 四年 一月 十 九 日
哈 調情 第 六 五 四号
蒙 古 共和 国 憲 法 及軍 事 基 礎法 規 (一月 十 四 日付 高橋 中佐 報 ) 現 時 外蒙 が全然 労 農 露国 の支 配 下 に ある は勿 論 、将 来 C C CP内
を編 成 し 、 以 て共和 国 勤 労 民 の武 装 を実 施 す ると 共 に、 尚 勤労 青
五、 統 治 の全 権 を 勤 労国 民 の手 に確 保 せ ん が為 に、 蒙古 国 民 革命 軍
の 一共 和国 と化 す る に至 る べき こと に関 し て は、 満 特第 七〇 号 を以 て報 告 せ る所 なる が、 一月 七 日 の トリブ ーナ紙 は、 同国 の憲 法 及軍
二、 蒙 古 共和 国 の根 本 的 目的 は封 建的 神 権 制 度 (Фе ода льнот ео к-
供 す。
集 会 を開 催 し 、共 和 国 は之 が為 に集 会 場 に適 当 の家 屋 を 国民 に提
八 、蒙 古 勤 労 民 の真 個 の自 由 を確 保 せん が為 に各種 民 衆 会議 、 又 は
事 業 を組 織 し 、之 を勤 労 国 民 に提 供 す 。
七 、勤 労 民 の言 論 の自由 を確 保 せ ん が為 に、 蒙 古 人民 共 和国 は 出 版
を全 共 和 国 民 に宣 言す 。
六 、宗 教 寺 院 は国 家 より断 離 し 、 且宗教 は公 民各 自 の私事 なる こと
年 の 一般 軍事 教 育 ( 露 語 ﹁フ セオブ ー チ﹂) を実 施 す 。
事 基 礎 法規 の概要 を発 表 せ り。 一読 す る にC C C P憲 法 と全 然 其 の 精 神 を 一に せ る点 に於 て将来 大 い に注 目を要 す るも のと認 む るを 以
一 、勤 労 国民 の権 利 に関 す る宣言 ( 憲法)
て、 左 に其 の要 旨 を報 告 す 。
一、 蒙 古 は独 立 せ る人 民 共和 国 と宣 言 し、 蒙 古 の全 政 権 は蒙 古 勤労
ра т иче ский с трой) の余 弊 を 根 底 よ り芟 除 し、 共 和 国 政 体 の基
人 民 に属す るも のとす 。
礎 を鞏 固 な らし む る にあ り 。
︹ママ︺
九、勤労国民 の結社 の自由を確保せんが為 に共和国 は貧窮勤 労民衆 ︱︱ 反 手 職業 者 等 に凡 ゆ る助 力 を 提供 す べし 。 十 、貧 民 の為 並 に 一般 国 民 を し て智識 を得 るを 容易 な らし め ん が為 に、 蒙 古 共 和国 は勤 労 民 子弟 の無 料教 育 制 を 実施 す。 十 一 蒙 古共和 国 は民 族 、宗 教 及性 の区 別 に係 らず 、如 何 な る共和 国民 も悉 く平 等 な る権 利 を有 す る こと を認 む 。 旧領 主 ま た勲 功 者 た る 大 公及 貴 族 (訳者 ﹁タ イ ジ ー﹂) 等 の
世 界 各 国 の勤 労 民 が 何 れ も資 本 主義 の転 覆 及 社会 主 義 (共産
位階 及称 号 を 撤廃 し、 且 活 仏 及 ヒビ ルガ ンの所有 権 を撤 廃 す 。
十二
十三
の外 交 政 策 を虐 げ ら れ つ ゝあ る小 民 族 及全 世 界 の革 命 的 勤 労 民 の
主 義 ) の実 現 に向 つて奮 進 し つゝあ る に鑑 み、 勤 労 民共 和 国 は其
( 附 則 ) 然 れ共 国 際 的情 勢 の要 求 に応 じ て資 本主 義 外 国 と の間
利益 及 其 の共 同的 根 本 目 的 に協 調 せ し む る に努 む ペ し。
に親 交 を結 ぶ の可 能 を保留 す るも のと す。 但 し 如 何 な る場 合 に於 て も 、蒙 古 人 民共 和 国 の独 立 を侵 害 せ む とす るも のに対 し ては 断
軍 事 に関 す る基 礎 法規
乎 た る抵 抗 を 為 す べ きも のと す。 二
国 民大 会 議 は軍事 会 議 の報 告 に就 き 審議 せ し結 果 、憲 法 に基 づ き
左
記
左 記 の如 き決 議 せ り。
一、現 在 の陸 軍 編 成 を適 当 と認 め、 且 現行 陸 軍 の組 織 方法 を 協賛 す。
意 を払 ふ べし 。
二、政 府 並特 に軍事 会 議 は 軍 隊 の文 化 、 政治 的 教 育 に対し 特 別 の注
三 、軍 隊 の税 関 警護 の任 務 を撤 廃 し 財 務省 及 政 府 に対 し、 国 家 の資
力 に応 じ て特 別 税 関 警 護 隊 を組 織 す る ことを 命ず 。 該 部隊 の政 治
的 並 戦 術 上 の教 育 は軍 事 官憲 に於 て之 を管 理 す る も のと す。
四 、国 民 革 命軍 兵 士 の家 族 に対 す る扶 助 方法 を 改善 す る こと。
せ し め、 斯 く し て漸 次 軍 隊内 に指 揮 権 の単 一化 を実 現 せ ん こと を
五 、軍 事 会 議 に対 し て コンミ ツ サ ー ル制 を漸 次 政治 指 導 者制 に変 更
命ず 。 但 し 政治 コ ンミ ツサ ー ルを 撤 去 す る に当 り ては 、 小部 隊 よ
り漸 次 大 部隊 に及 ぼす 順 序 を 以 てす べ し。
前 記憲 法 並 軍事 基 礎 法 規 は中 央 及 地 方 政権 機 関 に依 り て全 国 民 に
布 告 す べし 。尚 国 民大 会 議 は憲 法 の基 礎 的 条 規 の研 究 を 全国 の学校
及 軍隊 に課 す べ き こと を政 府 に依 嘱 す 。
編 者 略 歴 伊藤 武雄 〈 い とう ・たけお〉1895年 愛知県 に生れ る.元 満 鉄 調査部.中 国研究 所理事.1984年 歿.著 書 『黄竜 と束 風』(国 際日本協会,1964)『 満鉄 に生 きて』(勁 草書房, 1964)『 われ らの生涯 のなかの中国』(共著,み すず書房, 1983)ほ か. 荻 原 極 〈おぎわ ら・きわむ〉1910年 群馬県 に生れ る,元 満鉄哈爾 賓鉄道局.松 岡洋右伝 記編纂 事務所.1990年 歿 .著書 『松岡洋右―― その人 と生涯』(講談社,1979). 藤 井 満 洲 男 〈ふ じい ・ますお〉1909長 春 に生 れ る.元 満鉄調査部.1958年 まで 中国 に在 留.弁 護士.1995年 歿. 著 書 『中国共産 党五十年 略史』(東方書店,1972).
現代史資料33
満
鉄
3
伊 藤 武 雄 荻 原
極
藤井 満洲男 解説
1967年
9月25日
第 1刷 発 行
1996年
8月31日
第 6刷 発 行
発行者 小熊 勇次 発 行 所 株 式 会 社 みす ず 書 房 〒113東 電 話3814-0131(営
京 都 文 京 区 本 郷 5丁 目32-21
業)3815-9181(編
本文 印刷所 精興社 扉 ・口絵 ・函 印 刷 所 栗 田 印刷 製本所 鈴木製本所
C 1967Misuzu Shobo Printedin Japan 落丁 ・乱丁本はお取替えいたします
集)