中
戦
現代史資料
日
⑨
争
二
み す ず 書 房
臨 命 第四 一 八 号(19頁 参照)
臨 参 命 第 九 十 九号(211頁 参照)
臨 命 第 四 〇 〇 号(3 頁参照)
臨 参 命 第 六 十 五...
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中
戦
現代史資料
日
⑨
争
二
み す ず 書 房
臨 命 第四 一 八 号(19頁 参照)
臨 参 命 第 九 十 九号(211頁 参照)
臨 命 第 四 〇 〇 号(3 頁参照)
臨 参 命 第 六 十 五 号(20頁 参照)
大 陸 命 第 八号(216頁 参照)
臨 参 命 第 七 十 三 号(206頁参照)
臨 参 命 第 百 十 九号(213頁 参照)
大 陸 命 第 百 八 十 八 号(271頁 参照)
大 陸 命 第 八 十 四号(245頁 参照)
大 陸 命 第二 百 一 号(282頁 参照)
右 本 文(307頁 参照)
右 本 文(348頁 参照)
石 原 莞 爾 中将回 想 応 答録 表 紙( 302頁参照)
橋 本 群 中将 回 想 応 答 録 表 紙( 318頁参照)
右 本 文(396頁 参照)
第 十 一軍 司 令 官 軍 状 報 告 表 紙 (411頁参照)
下 村 定 大 将 回 想 応 答 録 表 紙(368頁 参照)
第 九師 団 作 戦 経 過 の概 要 表 紙( 223頁参照)
戦 争 終 結 に 関 す る最 高 指 導 案 表 紙(2 73頁参照)
昭和十五 、十六年 を目標 とす る対支処 理 方 策 表 紙(594頁)
事変対処要綱案 第一 頁(56頁)
今秋季 を中心 とす る事 変 処 理 に関 す る最 高指 導 表 紙 (570頁)
汪 兆 銘 ニ関 ス ル電 報(624頁 参照)
五 相 応 酬 要 領(659頁 参照)
銭 永 銘 、杜 月笙 帰 滬 に 関 す る件 書 簡(281頁 参照)
大陸命 第四百五十九号(461頁参照)
東 亜 聯 盟 第 一 頁(776頁 参照)石 原莞爾自筆
凡
例
一 本 巻 には 日中 戦 争 自 体 に関 す る ほ ぼ未 刊 の基 礎 資料 を撰 択 収 録 し 、 これ を軍 事 を主 と す る そ の作 戦 段 階 と 、 戦争 収 拾 の
政 略 謀 略 を も伴 う持 久 対 峙 段 階 と いう 区分 のう え 、 ほ ぼ年 月順 に配 列 し た。 な お 日中 戦 争 の勃 発 と いう 新 事 態 を迎 え て満
本 巻 に収 録 し た資 料 は防 衛 庁 戦史 室 、 近衛 家 陽 明 文 庫 、石 原 六郎 氏 、 片倉 衷 氏 の所 蔵 に かか る も の であ り 、 そ れ ら の本
洲 に 於 いて 展 開 さ れ た 石 原 構想 を も併 せ て収 録 し た。 二
巻 への収 録 を許 可 さ れ た防 衛 庁 戦史 室長 西 浦 進 氏 、陽 明文 庫 常 務 理 事 近 衛 通隆 氏 、石 原 六 郎 氏 、片 倉 衷 氏 の方 々 の御 好 意
に深 い感謝 の念 を申 し述 べた い。 な お この間 にあ って終 始 斡 旋 の労 を 払 わ れ た防 衛 庁 戦 史 編 纂官 稲 葉 正 夫 氏 にも厚 く御 礼
原 文 は殆 ん ど 片 仮 名 を使 用 し て いる が 、所 収 に あた って は ﹁命 令 ﹂ ﹁指 示 ﹂ ﹁電 報 ﹂ ﹁情 況判 断 ﹂ ﹁意 見 具 申﹂ は原 文 のま
を 申 し 上げ た い。 三
五
四
﹁命 令 ﹂ ﹁指 示 ﹂ だ け は改 頁 扱 いと せず 印刷 さ れ て い るが 、 これ ら と そ の他 の資 料 と のあ いだ には資 料 的 価 値 にお いて勿
原 文 中 の不 整 合 、 誤字 、誤 植 は明 白 な 誤 り の場 合 に限 って訂 正 し た が、 他 は横 に ︹ママ︺ を 付 し て原 文 を尊 重 し た。
人 名 、 地 名 は当 時 の漢 文 を 用 い、 そ の他 は現 行 漢字 に よ った。
ま とし 、 そ の他 は平 仮 名 に改 め た 。 そ のさ い 一部 を 除 いて適 宜 に句 読 点 、濁 点 を加 え た 。
六
収 録 し た 資 料 は殆 ん ど ﹁極 祕 ﹂ ﹁機 密 祕 ﹂ ﹁祕 ﹂ と記 され て いる が、 本 巻 に収 め る に あ た って、 これ ら はす べ て 一部 のも
論 甲 乙 の区 別 な く こ の扱 いは 全 く編 纂 上 の便 宜 によ る も ので あ る。 七
のを 除 い て、削 除 し た。
九
八
本 巻 は角 田順 が監 修 の責 任 に当 り 、編 集 と 資 料 解 説 は 臼井 勝 美 、 稲 葉 正 夫 が担 当 し た 。
本 文 中 の ︹︺︹︺は編 者 の補 記 し たも の であ る。
凡例 資 料 解説
一
目
一
次
作 戦 段 階
イ
一九 三 七年 七月 ︱ 一九 三 八 年 十 一月
一般及び華北
1 初 期作 戦
命 令 ・指 示
一 参謀総長↓支那駐屯軍司令官 ( 臨命第四〇〇号) ︹ 事件拡大防止 のため の兵力行使 回避命令︺ 二 参謀総長↓関 駐屯軍司令官、第 二十師団長 ( 臨参命第 五十七号)︹ 第 二十師団 の北支派遣︺
東 軍司令官、支那駐屯軍司令官 ( 臨参命 第五十六号) ︹ 関東軍 一部 の北支派遣︺ 三 参謀総長↓朝鮮軍司令官、支那
北 支 作戦 に関 す る海 陸 軍 協 定 (軍 令 部 、参 謀 本 部 )
三
五
八
二
部 腹案 と し て内 示 せら る べ き も の)(軍 令 部 )
一 五
対 支 作戦 用兵 に関 す る内 示事 項 (差 当 り統 帥
支 那 駐屯 軍 ノ作 戦 計 画策 定
三
四
六
五 命 令 ・指 示
北 支 ニ兵 力 ヲ行 使 ス ル場 合 対 支 戦 争 指 導 要 綱 (案 ) (参 謀 本 部 第 二 課 )
一 九
一 七
一 参謀総長↓支那駐屯軍司令官 ( 臨命第四 一八号)︹ 武力行使 の権限附与 に関する指示︺ 二 参 謀総長↓ 支那駐屯
軍司令官 ( 臨命第 四百十九号)︹ 飛行隊使用 に関す る指 示︺ 三 参謀総長↓支那駐屯軍司令官 ( 臨参命第 六十四号) 五
軍令部総長↓聯合艦隊司令長官 (大海令第 一
︹平津地方支那軍膺懲︺ 四 参謀総長↓関東軍司令官、朝鮮軍司令官、支那駐屯軍司令官 、︹以下近衛師団長ほか十
軍令部総長↓聯合艦隊司令長官 (大海令四号) ︹ 陸軍 の北支那派兵にとも
六 の師団長︺ ( 臨参命第六十五号) ︹ 第 五、六、十師団北支増派︺ 号)︹陸軍 の北支那派兵 にともなう指示︺
中央 統 帥 部 ノ対支 作 戦 計 画 (参 謀 本 部策 定 )
二 六
二 五
六 参謀総長↓支那駐屯軍司令官 (臨命第 四二 一号)︹北支作戦 に関する指 示︺
七 北支 政 務 指導 要綱 (陸軍 省 )
なう指示︺
八
対 時 局 処 理 要 綱 (関 東 軍 司 令 部 )
三 四
三 三
二 九
二七
一〇
総 理大臣 植 田 駐 満 全 権 大 使 ヨリ 陸 他 ﹂宛 意 見 具 申 案 骨 子 軍大 臣 ︹
参謀総長 宛 ︹ 植 田 ︺関 東 軍 司 令 官 ヨ リ 陸 軍大臣
一一
不 拡 大 方 針 破 棄 の閣 議 決 定
九
一二
三 五
一 参謀総長↓第 一軍司令官、第 二軍司令 官 ( 臨命第四百八十号)︹北支那 方面軍派遣︺ 二 参謀総長↓北支那方面
軍司令官、関東 軍司令官、朝鮮軍司令 官、︹以下軍司令官、師団長 、兵団長、隊長、三十名宛︺ ( 臨参命第八十二号)
︹北支那方面軍編成︺ 三 参謀総長↓北支那方面軍司令官 ( 臨参命第 八十 八号)︹中部河北省 の敵撃滅 に関す る命令︺
対 欧 米 外 交 方 針 ニ関 ス ル件
三 七
一三 命令
一四
時 局 ニ関 ス ル意 見 具 申 (関 東 軍 司 令 部 )
廣田外相↓植 田大使
一五
三 九
四一
喜 多 少 将 ニ与 フ ル訓 令 (北 支 那 方 面 軍 司 令 官 寺 内 壽 一、 北 支 那 方 面 軍 参 謀 長 岡 部 直 三 郎 )
四 三
一六
指示
支 那 事 変 対 処 具 体 的 方 策 要 綱 (関 東 軍 司 令 部 )
四 九
四 四
一七
一八
対 支 中 央 政 権 方 策 (参 謀 本 部 第 二 課 )
参謀総長↓北支那方面軍司令官 ( 臨参命第五四二号)︹ 北支那方面軍の作戦地域指示︺
一九
五一
五 四
支 那 事 変 解 決 処 理 方 針 案 (大 本 営 陸 軍 部 )
事 変 対 処 要 綱 案 (対中央政府解決の場合)(大 本 営 陸 軍 部 )
五 六
二〇
二二
事 変 対 処 要 綱 案 (従来の中央政府否認後)(大 本 営 陸 軍 部 )
五 九
五 三
二三
北 支 経 済 開 発 方 針 に関 す る第 三 委 員 会 決 定 案 送 付 の件 通 牒
六 二
二 一 対 満 施 策 ニ関 ス ル件 (関 東 軍 参 謀 長 )
二四
命 令 ・指 示
一 参謀総長↓北支那方面軍司令官 ( 大陸命第三十四号)︹山東方面作戦命令︺ 二 参謀総長↓北支 那方面軍司令官 (大陸指第 二十六号)︹山東 方面作戦 にともなう指 示︺
北 支 政 務 指 導 ニ関 ス ル件 (関 東 軍 参 謀 長 )
六三
二五
二六
二八
二七
命 令 ・指 示
政 務 指 導 に関 し陸 軍 次 官 の北 支 那 方 面 軍 と の連 絡 事 項 (陸 軍 省 軍 務 課 )
第 一軍 作 戦 経 過 概 要 (第 一軍 参 謀 部 第 一課 )
一 〇 二
九 九
六 四
(大 川 周 明 )
一 〇六
一 〇四
二九
一 参謀総長↓北支那方面軍司令官 (大陸指第 三十 五号)︹青島方面及南山西省 に対す る作戦に関す る指示︺ 二 参
支 那 事 変 対策
講 和 問 題 に関 す る所 信
謀総長↓第 一船舶輸送司令官 ( 大陸指第三六号 )︹ 海 軍の青島港域占拠 にともなう命令︺
一
三 〇 三
一 〇 七
疆
察 哈 爾 方 面 政 治 工 作 緊 急 処 理 要 綱 (関 東 軍 司 令 部 )
一 一 一
ロ 蒙
三二 命令
三四 命 令 ・指 示
時 局 処 理 等 ニ関 ス ル東 條 関 東 軍 参 謀 長 ト中 央 間 往 復 電
一 一 四
一 三
参謀総長↓関東 軍司令官、第 十 一師 団長 ( 臨参命第七十四号) ︹ 第十 一師団より天谷支隊 の大連派遣命令︺
三三
二
三五
一 参謀総長↓関東 軍司令官 ︹以下十 の師団長及留守師団長︺(臨参命 八十号) ︹ 第十 四師団等 の大連派遣命令︺
参謀総長↓関東軍司令官、支那駐屯軍司令官 ( 臨命第 四百 八十 一号) ︹ 支 那駐屯軍 と関東軍と の作戦地境等 に関 す る
三六
命令
察 蒙 処 理 要 綱 (陸 軍 省 )
一 一 八
一 一 六
指示︺
三七
一 参謀総長↓関東軍司令官、第十八師団長 ( 臨参命第百二号) ︹ 第十八師団 の満洲派遣命令︺ 二
参謀総長↓関東
四 一
四〇
三九
三八
蒙 疆 地 区 綿 羊 、 羊 毛 及 羊 毛 皮 配 給 統 制 要 綱 に関 す る 件 申 請 他 ( 松 井 太 久 郎他 ) 一 五 八
蒙 古 自 治 聯 盟 施 策 に関 す る 件 ( 関東 軍 参 謀 長)
篠 原 支 隊 編 成 及 張 北 に向 ふ 行 動 詳 報
張 家 口特 務 機 関 長 松 井 大 佐 他 ニ与 フ ル訓 令 (植 田 謙 吉 関 東 軍 司 令 官 )
蒙 疆 方 面 政 治 工 作 指 導 要 綱 (関 東 軍 司 令 部 )
一 五 六
一 二 九
一 二 七
一 二 〇
軍司令官、第 一師団長 、第 四師団長、第十 二師団長 ( 臨参命第百三号) ︹ 関東軍第 二野戦自動車廠他 の満洲派遣命令︺
四二
一 六 七
一 六二
関 東 軍 司 令 官 ト ノ秘 密 交 換 公 文 送 付 ノ件
一 七 〇
満 洲 国 ・蒙 疆 聯 合 委 員 会 間 議 定 書 ( 案)
駐 蒙 兵 団 政 略 指 導 機 関 ニ関 ス ル件 ( 関 東軍 参 謀 長)
一 七 二
四三
四六
蒙 疆 方 面 政 治 指 導 ニ関 ス ル件 ( 関 東 軍参 謀 長)
一 七 三
一 六 五
四七
中 華 民 国 臨 時 政 府 ニ関 ス ル件 他
一 七 六
時 局 処 理 ニ関 ス ル関 東 軍 参 謀 長 上 申
四八
蒙 疆 方 面 の施 策 に関 し 関 東 軍 司 令 官 よ り 駐 蒙 兵 団 司 令 官 へ の対 談 要 綱
一 七 八
四四
四九
駐 蒙 兵 団 石 本 参 謀 長 に 対 す る 東 條 関 東 軍 参 謀 長 の懇 談 要 旨
一 七 九
蒙 疆 聯 合 委 員 会 設 定 ニ際 シ蒙 疆 委 員 会 ト
五〇
命 令 ・指 示
四五
五 一
北 支 蒙 疆 方 面 交 通 経 営 機 関 調 整 要 領 案 (関 東 軍 司 令 部 )
一 八 四
一 八一
二 参謀総長↓駐蒙兵団司令官 ( 大陸指第三十 一号) ︹ 駐蒙兵団作戦 に関す る指示︺
一 参謀総長↓駐蒙兵団司令官、関東 軍司令官、北支那方面軍司令官 ( 大陸命第三十九号) ︹ 駐蒙兵団 の作 戦 地域 に
五二 命令
関す る命令︺
五三
参謀総長↓関東軍司令官、第百四師団長 ( 大陸命第百 二十号)︹ 第 百四師団 の満洲派遣命令︺
五七
五六
五五
五四
命 令 ・指 示
艦隊編制改定 ( 海 軍 大 臣)
漢 口 上 流 居 留 民 引 揚 ノ指 示 ( 海 軍 次 官 ・軍 令 部 次 長 )
対 支 作 戦 用 兵 ニ関 ス ル 第 三 艦 隊 司 令 長 官 ノ意 見 具 申
中 支 作 戦 ニ関 ス ル 陸 海 軍 航 空 協 定 ノ 抜 萃 (参 謀 本 部 )
一 八 九
一 八 八
一 八 七
一 八六
一 八 五
ハ 華中、華南
五八
六 一
六〇
五九
参 謀 本 部 ト 軍 令 部 ト ノ協 定 抜 萃 (参 謀 本 部 、 軍 令 部 )
事 態 悪 化 ニ関 ス ル第 三 艦 隊 命 令
大 山 大尉 事 件 に対 す る軍 令 部 対 処方 針
第 三 艦 隊 司 令 長 官 ノ兵 力 部 署 下 令
一 九 六
一 九 四
一 九 二
一 九一
一 軍令部総長↓第三艦隊司令長官 ( 大海令第二号)︹ 中南支権益擁護 に関する第三艦隊 への指示︺ 二 軍令部次長 ↓聯合第二第三各艦隊司令長官 ( 機密第 一号)︹ 当面 の作戦指示︺
六二
六三 命 令 ・指 示
上 海 ・青 島 へ の陸 軍 出 兵 に 関 す る 臨 時 閣 議 要 請
一 九 九
一 九 八
軍令部総長↓第三艦隊司令長官 (大 海令 第 一二号)︹上海
二 第三艦隊司令長官 ノ南京、南昌等空襲命令
一 軍 令部総長↓第三艦隊司令長官 ( 大海令第 一〇号) 確保 に関す る第三艦隊 への指 示︺
軍令部総
軍令部総長↓聯合
軍令部総長↓聯合艦隊司令長官 (大海令第 一四号)
上 海 ・青 島 海 陸 軍 協 同 作 戦 ニ関 ス ル大 海 令 附 北 支作 戦 ニ関 ス ル海 陸軍 協 定 追 加 軍令部総長↓第三艦隊司令長官 ( 大海令第 一三号)
長↓第 三艦隊司令長官 ( 大海令第 一五号) 軍令部総長↓聯合艦隊司令 長官 (大海令第 一六号)
附 上海派遣軍作戦要領案 、第 五軍作戦要領 、平海作戦陸海軍中央協定抜萃
艦隊司令長官、第三艦 隊司令長官 (大海令第 一七号)
命 令 ・指 示
三
上海派遣軍作戦要領案
四
参謀総長↓上海派
二 参謀総長↓上海 派遣軍司令官、支那駐屯軍司令官
参謀総長↓第 一船舶輸送司令官 ( 臨命第 五〇九号)︹重藤 支隊輸送 に関す る指示︺ 一〇
参謀総長↓
二 〇 六
二 〇一
六四
六五
六六
︹以下十三 の師 団長宛︺(臨参命第七十三号) ︹ 上海派遣命令︺
一 第三艦隊司令長官南京等空襲命令 ( 機密第 六〇七番電)
遣軍司令官 ( 臨命第 四百五十 二号) ︹上海派遣軍 への指示︺ 五 参謀総長↓臺湾軍司令官 、留守航空兵団長 ( 臨参命
七 参謀総長↓上海派遣軍司令官、臺湾軍司令官 ( 臨参命第九十七号) ︹ 臺湾 より
第八十 一号) ︹ 南支方面支那空軍及根拠 地攻撃 に関す る命令︺ 六 参謀総長↓参謀総長、上海派遣軍司令官 ( 臨参命 九十号) ︹ 天谷支隊 の上海派遣 ︺ 九
重藤支隊 の上海派遣︺ 八 参 謀総長↓ 上海派遣軍司令官、臺湾軍司令官 (臨命第 五〇 八号)︹重藤 支隊 の上海派遣目 的指 示︺
一三
の他 の上海派遣命令︺ 一一 参謀総長↓上海派遣 軍司令官 (臨参命第百十七号) ︹ 上海派遣 軍司令官 の陸戦隊指 揮命
上海派遣軍司令官、臺湾軍司令官 ︹以下十五 の師 団長、留守師団長︺( 臨参命第九十九号)︹第九、百 一、十三師団其
令︺ 一二 参謀総長↓上海派遣軍司令官、第 十軍司令官 ( 臨参命第 百十九号) ︹ 上海方面 に第 十軍増派命令︺
参謀総長↓北支那方面軍司令官、第十軍司令 官 ( 臨参命第百 二 十二号) ︹ 國崎支隊 の第十軍編 入命令︺ 一四 第 十軍
六七
作戦要領案
一五 参謀総長↓中支那派遣軍司令官、上海派遣軍司令官、第十軍司令官 ( 臨参命第百三十八号) ︹ 中
参謀総長↓中支那方面軍司令官 ( 臨命第六百号) ︹ 中支那方面軍 の作戦地域指示︺
一八 参謀総長↓中支那方面軍司令官 ( 大陸命第八号) ︹ 南京攻略命令︺ 一九
( 大陸指第九号) ︹ 南京攻略
参謀総長↓中支那方面軍司令官、上海派遣軍司令官、第十軍司令官 (大陸命第七号)︹中支那方面軍 戦 闘序 列
支那方面軍 への編合命令︺ 一六 一七 命令︺
二〇 参謀総長↓第五軍司令官 、臺湾軍司令官 ( 大陸命第 二十三号)︹ 南支沿岸占領 に関 す る命 二四
参謀総長↓中支那派遣軍司 令官 (大陸命第 二十四号) ︹ 南京攻略後
二 一 参謀総長↓第五軍司令官 (大陸指第十 一号) ︹ 第 五軍平海 半島占領 に関す る指 示︺ 二二 第 五軍作戦要
命令 に基 く指示︺ 令︺ 二三 平海作戦陸 海軍中央協定抜粋
二六 参謀総長↓第五軍司令官 (大陸命第三十六号)︹第五軍 の臺湾 上陸待機命令︺
の処 置に関す る命令︺ 二五 参謀総長↓中支那方面軍司令官 (大陸指第 二十四号) ︹ 揚子江左岸 地区に作戦実施 に関
領 す る指示︺
第 九 師 団 作 戦 経 過 の概 要 (第 九 師 団 参 謀 部 ) 徐 州 、 漢 口、 廣 東等 作 戦
新 興 支那 建 設 方 策 大綱
2
六八
新 興 支 那 建 設 ニ関 ス ル意 見 具 申
(関 東 軍 参 謀 長 )
(関 東 軍 司 令 部 )
六九 指示
附青島市及其附近 ノ要地占拠 ニ関 スル大本営陸海軍部 間 ノ協定
七〇
参謀総長↓北支那方面軍司令官 ( 大陸指第五十 一号)︹ 青島作戦に関する海軍との関係指示︺
命 令 ・指 示
附徐州附近作戦指導要領案
七 一 戦 争 指 導 計 画 大 綱 案 (参 謀 本 部 第 一部 第 二 課 ) 七二
一 参謀総長↓北支那方面軍司令官 ( 大陸命第七十五号) ︹ 現占拠地域確保 安定に関す る命令︺ 二 参謀総長↓北支
那方面軍司令官 、中支那派遣軍司令官 ( 大陸命第八十四号)︹ 徐州附近 の敵 撃破 に関する命令︺ 三 参謀 総長↓北支
那方面軍司令官 、中支那派遣軍司令官 ( 大陸指第百〇六号)︹ 徐州附近作戦 に関す る指 示︺ 四 徐 州附近作 戦指導要
二 二 三
二 三 四
二 三 七
二 三 九
二 四 〇
二 四 五
七三 命 令 ・指 示
対 支 行 政 事 務 処 理 の た め 対 支 中 央 機 関 設 置 の 件 (参 議 会 記 録 )
二 五一
二 四 七
領案
七四
二 五 二
二 参謀総長↓中支那派遣軍司令官 (大陸命 第百十 一号) ︹ 安慶附近占拠命令︺
一 参謀総長↓北支那方面軍司令官、中支那派遣軍司令官 (大陸指 第百四十 二号)︹北支那 方面軍中支那派 遣 軍 作戦
第 一軍 作 戦 経 過 概 要 (第 一軍 参 謀 部 第 一課 )
二 五 九
地域 に関する指示︺
七五 命 令 ・指 示
七七
時 局 外 交 に関 す る 陸 軍 の希 望 (陸 軍 省 )
五 相 会 議 議 題 に関 す る 件
二 六 六
二 六 三
二 六一
二
七六
一 参謀総長↓北支那方面軍司令官 、中支那派遣軍司令官 (大陸命第百十九号)︹ 初秋 を期 し漢 口攻略 の命令︺
七八 指示
参謀総長︱北支那方面軍司令官、中支那派遣軍司令官 (大陸指第 百六十 一号)︹ 漢 口作戦 に関す る関連指 示︺
七九
参謀総長↓北支那方面軍司令官、中支那派遣 軍司令官 (大陸指第 百八十 五号)︹北支那方面軍、中支那派遣軍 作 戦 地
八 一
八〇
命 令 ・指 示
秋 季 作 戦 を 中 心 と す る戦 争 指 導 要 領 (参 謀 本 部 第 一部 第 二 課 )
総 動 員 指 導 権 の確 立 に関 す る 件 (参 謀 本 部 第 一部 第 二 課 )
二 七一
二 六 九
二 六 七
域境界 に関す る指示︺
八二
一 参謀 総長↓中支那派遣軍司令官、北支那方面軍司令官 ( 大陸命第百八十八号) ︹ 漢 口附近攻略命令︺ 二 参謀総
長↓中支那派遣軍司令官、北支那方面軍司令官 (大陸指第 二百 五十号)︹ 漢 口攻略 に関す る作戦指 示︺
八六
八五
八四
八三
命 令 ・指 示
錢 永 銘 、 杜 月 笙 帰 滬 に関 す る 件 (宇 垣 一成 )
廣 東 出 兵 に関 す る 外 務 当 局 の意 見
戦 争 終 結 に関 す る 最 高 指 導 案 (参 謀 本 部 第 一部 第 二 課 )
二 八二
二 八一
二 七 八
二 七 三
一 参謀総長↓第 二十 一軍司令官、臺湾 軍司令官 (大陸命 第二百 一号)︹廣東附近要地占領命令︺ 二 参謀総長↓第
土 肥 原 中 将 ニ与 フ ル指 示 (五 相 会 議 決 定 )
二 八 五
二 八 四
二十 一軍司令官 (大陸指第 二百 七十三号)︹ 第 二十 一軍 の輸送 及上陸 の指示︺
八七 指示
参謀総長↓中支那派遣軍司令官 ( 大陸指三百十五号) ︹ 武漢攻略作戦終末等 に関す る指示︺
第 二軍 作 戦 経 過 概 要 (補 遺 ) (第 二 軍 司 令 部 )
二 八 六
八八 八九 回想応答 録
三 〇 二
3
九〇
三一 八
石 原 莞 爾 中 将 回 想 応 答 録 (参 謀 本 部 作 成 )
九 一 橋 本 群 中 将 回 想 応 答 録 (参 謀 本 部 作 成 )
三 六 八 一九三八年十 一月︱ 一九四 一年十二月
下 村 定 大 将 回 想 応 答 録 (参 謀 本 部 作 成 )
九二
二 持久対峙段 階
1 軍事行動の展開竝中国軍状況判断
命 令
・指 示
附 航 空 ニ関 ス ル陸 海 軍中 央 協 定 、占 拠 地 域 内 支那 側 武 装 団 体指 導 要 綱 、
四一 一
四〇一
軍 状 報 告 (第 十 一軍 司 令 官 岡 村 寧 次 中 将 )
四一 三
一
北 部 海 南 島 作戦 陸 海 軍 中央 協 定 、 陸 海 軍航 空 中 央 協定 、汕 頭 作 戦陸 海 軍 中 央協 定
二 参謀総長↓北支那方面軍司令官、中支 那派遣軍司令官、第二十 一
一 参謀 総長↓中支那派遣軍司令官、第 十 一軍司令官 、第 二十 一軍司令官、飯田支隊長 (大陸命 第 二百 三 十 五号) ︹飯田支隊 の第 二十 一軍戦闘序列編入命 令︺
四 航空 ニ関 スル陸海軍 中央 協 定
参謀総長↓北支那方面軍司令官 、中
北部海南
六 参謀総長↓第 二十 一軍司令官 (大陸命第 二百六十五号)︹海南島 要部
軍司令官 (大陸命第 二百四十 一号)︹占拠 地域 の確保、安定 に関する命令︺ 三 占拠地域内支那側武装団体指導要綱
支那派遣軍司令官 (大陸指第 三百四十五号) ︹ 占拠地域 の確保 にともなう指示︺ 五
九 参謀総長↓中支那派遣軍司令官 (大陸命第 二百八十九号) ︹ 漢 口西北正面 に於ける作戦
攻略命令 ︺ 七 参謀総長↓第 二十 一軍司令官 (大陸指第 三百 七十二号)︹ 海南島攻略 に関す る指 示︺ 八
一二 参謀総長↓第 二十 一軍司令官 (大陸指第四百六十 八号)︹ 汕頭作戦
参謀総長↓北支那方面軍司令官、中支那派遣軍司令官 ( 大陸指第 四百四十号) ︹ 航空作戦実施 に
島作戦陸海軍中央協定 に関す る件︺ 一〇
関す る指 示︺ 一一 陸海軍航空中央協定
二 命 令 ・指 示
に関す る指 示︺ 一三 汕頭作戦陸海軍中央協定
三
二 参謀総長↓支那派遣軍総司令官 (大陸命第 三百 六十 三号)
一 参謀総長↓支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、中支那派遣軍司令官 ︹以下七軍司令官、飛行集団長︺(大 陸命第三百六十 二号)︹ 支那派遣軍戦闘序列命令︺ 四
航空 ニ関 スル陸海軍中央協定
六 参謀
参謀総長↓
五 占領地域内支那側武装団体指導要綱
︹支那事変 の迅速なる処 理に関し命令 ︺ 三 参謀総長↓支那派遣軍総 司令官 (大陸指第五百五十四号)︹支那事変 の 迅速なる処 理に関し指 示︺
総 長↓支那派遣軍総司令官 (大陸命第 三百七十五号) ︹ 敵西南補給連 絡 路遮断強化 に関す る命令︺ 七 九
参謀総長↓支那派遣軍総司令官、第 二十 一軍司令官、第五師団長 (大陸命第 三百 七十
支那派遣軍総司令官 ( 大陸指第五百八十 二号)︹ 敵 西南補給連 絡 路遮断強化にともなう指示︺ 八 大陸命第三百七十五 号作戦ノ為陸海軍中央協定
六号) ︹ 第 五師団等 の第 二十 一軍戦闘序列編入命令︺
四 命 令 ・指 示
武 漢 攻 略 戦 後 に於 け る呂 集 団 当 面 敵 軍 一般 の情 勢 (呂 集 団 参 謀 部 ) 附南支那方面軍戦闘序列、二十二軍戦闘序列
五
一 参謀総長↓支那派遣軍総 司令官 (大陸命第 四百十 二号) ︹ 南寧北方地区作戦 に関する命令) 二 参謀総長↓支那
派遣軍司令官 ( 大陸命第 四百十 三号)︹ 安北 以西進出 に関する命令︺ 三 参謀総長↓支那派遣軍総司令官 、南支方面
四 二 〇
四 三 六
四 三一
昭 和 十 四 年 冬 季 作 戦 作 戦 経 過 の概 要 (呂 集 団 参 謀 部 )
四 五 二
五 第二十 二軍戦闘序列
軍司令官、第 二十 一軍司令官、第 二十二軍司令官 (大陸命第 四百十五号) ︹ 南支那派遣 軍戦闘序列命 令︺ 四 南支那
六 命令
方面軍戦闘序列
七
一 参謀総長↓支那派遣軍総司令官 (大陸命第 四百 二十五号)︹五原附 近進出 に関す る命令︺ 二 参謀総長↓支那派
八 命令
支 那 派 遣 軍 戦 時 月 報 (支 那 派 遣 軍 総 司 令 部 )
四 五 八
四 五 三
遣軍総司令官 ( 大陸命第四百 二十六号)︹五 ・六月中南 支方面軍作戦に関す る命令︺
九
一 参謀総長↓支那派遣軍総司令官 ( 大陸命第四百三十六号)︹武漢方面作戦地域 に関す る命令︺ 二 参謀総長↓支
那派遣軍総司令官、南支方面軍司令官 (大陸命第四百 三十八号)︹ 南支那方面軍 の大本営直属 に関する命令︺ 三 参
参謀総長↓南支那方面軍司令官 ( 大陸命第四百五十 二号)︹北部仏領印度支那進駐命令︺ 五 参謀総長
謀総長↓参謀総長、支那派遣軍総 司令官、南支那方面軍司令官 ( 大陸命四百三十九号) ︹ 敵継戦企図 の破摧 に関 す る 命令︺ 四
︹ 印度支那派遣軍 の南支那方面軍戦闘序列編 入命令︺ 六 参謀総長↓南支那方面軍司令官 ( 大陸命第四百五十八号)
↓南支那方面軍司令官、第 二十 二軍司令官 、近衛師団長、留守近衛師団長、留守第三師団長 ( 大陸命第四百五十 三号)
︹ 北部仏 印進駐 日時に関す る命令︺ 七 参謀総長↓南支那方面軍司令官 ( 大陸命第四百五十九号)︹北部仏印進駐日
時 に関す る命令︺ 八 参謀総長↓南支那方面軍司令 官 ( 大陸命第 四百 六十 一号)︹北部仏印進駐 にともなう爆撃 に関
す る命令︺ 九
参謀総長↓南支那方面軍司令官 、第 二十二軍司令官 (大陸命第 四百六十三号) ︹ 南寧︱龍州占拠地域
一一 参謀総長↓南支那方面軍司令官、第 二十 二軍司令官 、関東軍司令官 ︹以下五
撤去命令︺ 一〇 参謀総長↓南支那方面軍司令官、第 二十 二軍司令官、第 五師団長 ( 大陸命第四百六十 七号)︹ 第五 師団大本営直轄 に関する命令︺
四 六 四
師団長 、五留守師団長︺(大陸命第 四百 七十 一号) ︹ 第 二十 二軍戦闘序列解除命令︺
一〇
四 六 六
昭 和 十 四 、 十 五 年 度 臨 時 軍 事 費 予 算 使 用 額 比 較 表 (北 支 方 面 軍 )
一 一 戦 死 、 戦 病 死 、 戦 傷 、 内 地 還 送 患 者 調 査 表 (北 支 那 方 面 軍 軍 医 部 )
一五
一四
一三
帰 順 部 隊 帰 順 状 況 (北 支 方 面 軍 参 謀 部 )
軍 当 面 の敵 状 全 般 に関 す る 観 察 (多 田 部 隊 本 部 参 謀 部 )
国 共 相 剋 ニ対 ス ル情 勢 判 断 (北 支 那 方 面 軍 参 謀 部 )
昭 和 十 五 年 北 支 方 面 軍 綜 合 戦 果 表 (北 支 那 方 面 軍 司 令 部 )
軍 綜 合 戦 果 表 (北 支 方 面 軍 司 令 部 )
四 九〇
四 八 五
四 七 八
四 七二
四 七〇
四 六 九
昭 和 十 四 年 (自 一月 至 十 二 月 ) 北 支 方 面
一六 命令
一二
一七
一九
一八
敵 の抗 戦 力 及 作 戦 指 導 の新 傾 向 (呂 集 団 参 謀 部 )
西 北 山 西 作 戦 第 一軍作戦経過の概要 (第 一軍 参 謀 部 )
総 軍 情 報 会 議 呈 出 書 類 (北 支 那 方 面 軍 司 令 部 )
五一 〇
五 〇 二
四 九一
参謀総長↓支那派遣軍総司令官、南支那方面軍司令官 ( 大陸命第四百八十八号)︹沿岸封鎖作戦実施命令︺
二〇
第 二 次 長 沙 作 戦 経 過 概 要 (呂 集 団 参 謀 部 )
二 一 第 一次 長 沙 作 戦 経 過 概 要 (呂 集 団 参 謀 部 )
五 二 九
五一 六
二七
二六
二五
二四
二三
戦 争 指 導 上 の見 地 よ り 現 下 諸 案 件 処 理 に 関 す る 準 拠 (省 部 決 定 )
政 略 攻 勢 ・戦 略 持 久 期 に於 け る作 戦 指 導 要 綱 (陸 軍 省 部 決 定 )
昭 和 十 三 年 秋 季 以 降 対 支 処 理 方 策 (省 部 決 定 )
十三年秋季以降戦 争 指 導 方 針 (大 本 営 陸 軍 部 及 省 部 決 定 )
近 衛 総 理 、 ﹁ク レ ー ギ ー﹂ 英 国 大 使 会 談 要 旨
支 那 事 変 対 策 草 案 (昭 和 研 究 会 支 那 事 変 対 策 委 員 会 )
五 五九
五 五 七
五 五 五
五 五 三
五四 九
五四 七
五 四 三
二二
二八
軍 参 謀 長 懇 談 席 上 ニ於 ケ ル次 長 口演 要 旨 (参 謀 本 部 第 二 課 )
2 戦争収拾方策
二九
五 六 五
五 六一
事 変 解 決 秘 策 (案 ) 参 謀 本 部 第 二 課
五 六 八
事 変 解 決 方 策 案 (参 謀 本 部 第 二 課 )
三二
年 内 事 変 処 理 に 関 す る 最 高 指 導 (参 謀 本 部 第 二 課 )
五 七 〇
三〇
三三
今秋季を中心とする事 変 処 理 に 関 す る 最 高 指 導 (省 部 主 任 者 )
五 七 二
五 六 三
三四
現 下 国 内 対 策 (参 謀 本 部 )
三 一 汪 工 作 ニ関 ス ル件 (香 港 田 尻 総 領 事 )
三五
三九
三八
三七
三六
現 下 事 変 処 理 関 係 事 項 ノ指 導 準 拠 ニ関 ス
事 変 解 決 ニ関 ス ル極 祕 指 導 (総 軍 参 謀 部 )
日 支 事 変 速 決 に関 す る作 戦 上 の意 見 (岡 村 寧 次 中 将 )
新中央政府樹立を中心とする事 変 処 理 最 高 指 導 方 針 (省 部 関 係 課 )
戦 争 指 導 上 対 外 方 策 に関 す る根 本 的 再 検 討 案 (参 謀 本 部 第 二 課 )
五 八 三
五八 〇
五 七 八
五 七 四
五 八 六
四〇
ル件 (支 那 派 遣 軍 総 参 謀 長 板 垣 征 四 郎 )
四四
四三
四二
今 後 に於 け る 対 重 慶 工 作 処 理 要 領 (総 軍 参 謀 部 )
昭 和 十 五 、 十 六 年 を 目 標 と す る 対 支 処 理 方 策 (省 部 決 定 )
現 下 事 変 処 理 方 針 (総 軍 参 謀 部 )
新 中 央 政 府 指 導 方 針 (総 軍 参 謀 部 )
五 九 九
五 九 六
五 九 四
五 九三
五 九一
五 八 七
四五
参 謀 総 長 と の懇 談 資 料 (事 変 処 理 関 係 ) (総 軍 参 謀 部 )
四 一 支 那 側 の和 平 条 件 と 之 に対 処 す べ き 日 本 の態 度 (小 川 愛 次 郎 )
四六
六一 一
六〇 三
﹁ 支 那 事 変 処 理 要 綱 ﹂ に 関 す る 所 要 事 項 の説
漢 口陥 落 を 契 機 と す る 北 支 建 設 要 領 (小 山 貞 知 )
3 占據地 の諸問題
明 に就 て (大 本 営 陸 軍 部 、 大 本 営 海 軍 部 )
四七
四八
五〇
四九 日 支 新 関 係 調 整 方 針 (御 前 会 議 決 定 )
華 中 鉄 道 株 式 会 社 設 立 要 綱 案 (支 那 方 面 艦 隊 特 務 部 長 )
六 二 四
六二一
六一 七
六〇
五九
五八
五七
五六
五五
五四
五三
日 支 新 関 係 調 整 方 針 の分 析 (参 謀 本 部 第 二 課 )
華 中 鉄 道 株 式 会 社 監 督 規 定 に関 す る 件 申 進 (第 三 艦 隊 参 謀 長 )
事 変 処 理 上 第 三 国 の活 動 及 権 益 に 対 す る 措 置 要 領 (省 部 決 定 )
板 垣陸 相 、 汪会 談 要 領
中 支 鉄 道 の処 理 及 軍 事 上 に関 す る協 定 の件 申 進 (支 那 方 面 艦 隊 参 謀 長 )
東 亜 海 運 株 式 会 社 設 立 要 綱 (閣 議 決 定 )
鉄 道 に関 す る 軍 事 上 の要 求 及 監 督 権 に関 す る 件 (興 亜 院 連 絡 委 員 会 )
中 支 那 水 路 事 業 に関 す る協 定 調 印 の件 報 告 (臨 時 海 軍 特 務 部 長 )
日 華 海 運 株 式 会 社 (仮 称 ) 設 立 に 伴 ふ 中 支 方 面 航 運 暫 定 措 置 要 領
の帰 属 に関 す る意 見 (大 本 営 陸 軍 部 )
六 六 九
六 六 四
六 六 二
六 六〇
六 五二
六 五〇
六 四 六
六 四三
六 三九
六 三五
六 二 六
臺湾軍参謀長↓参謀次長 (太田電第十 二号)
五 一 汪 兆 銘 ニ関 ス ル電 報 臺湾軍参謀長↓参謀次長 ( 臺電九七七号) ( 香港電第五八二号)
六 一
如 何 に し て和 平 を 実 現 す る か (汪 精 衛 )
六 七三
作 戦 及 国防 資 源開 発 よ り見 た る北 支港 湾
六二
日 支 経 済 提 携 に関 す る 協 定 要 綱 案 (日 満 財 政 経 済 研 究 会 )
五二
六三
七 一
七〇
六九
六八
六七
六六
六五
六四
日 米 交 渉 に関 す る 件 ( 汪 主席 発 近衛 総 理 大臣 宛書 翰 )
北 支 那方 面 軍多 田司 令官 報 告
北 支 那 方 面 軍 状 況 報 告 (北 支 那 方 面 軍 司 令 部 )
北 支 政 務 並 経 済 の現 況 (北 支 那 方 面 軍 司 令 部 )
日 華 基 本 条 約 に関 す る 枢 密 院 第 一回 審 査 委 員 会 記 録
派 遣 軍 将 兵 に告 ぐ (支 那 派 遣 軍 総 司 令 部 )
現 地 交 渉 成 立 案 の成 果 に就 て (陸 軍 省 軍 務 課 )
呂 集 団 作 戦 地 域 内 民 心 一般 の動 向 (呂 集 団 司 令 部 )
七 二 二
七一 六
七一 二
七 〇 五
七 〇一
六 九三
六 九一
六 八 八
対ソ国防 と満洲国
三
二
一
戦 争 計 画 要 綱 (石 原 莞 爾 少 将 )
現 在 に於 け る 我 が 国 防 (石 原 莞 爾 )
戦 争 史 大 観 (石 原 莞 爾 )
無 題 (対 ﹁ソ﹂ 国 防 建 策 ) 為 参 謀 次 長 (石 原 莞 爾 関 東 軍 参 謀 副 長 )
七三 七
七 三 六
七 三 四
七 三 〇
七 二 七
三
四
満 洲 国 の根 本 理 念 と 協 和 会 の本 質 (関 東 軍 司 令 部 )
1 石原構想の展開
五
六 満 洲 国 の内 面 指 導 に付 て (関 東 軍 司 令 部 )
満 洲 帝 国 協 和 会 に就 て (陸 軍 省 軍 務 局 )
七 四 五
七 四一
七 五 三
七
関 東 軍 司 令 官 の満 洲 国 内 面 指 導 撤 回 に就 て (石 原 莞 爾 少 将 )
七 五 八
七 四 八
一〇
満 洲 国 政 策 遂 行 に 関 す る 要 望 (関 東 軍 司 令 部 )
七 六〇
無 題 (満 洲 国 に対 す る 政 治 干 与 撤 廃 要 綱 )(石 原 莞 爾 少 将 )
一一
要 望 事 項 説 明 書 (関 東 軍 司 令 部 )
七 六 五
八
一二
協 和会 東 京事 務 所 に於 け る石 原少 将 座談 要 領
七 七一
七 四 九
一三
陸 軍 士 官 学 校 満 洲 国 生 徒 に対 す る 石 原 少 将 講 演 概 要 筆 記
七 七 六
関 東 軍 司 令 官 の満 洲 国 内 面 指 導 撤 回 に就 て (石 原 莞 爾 少 将 )
一四
東 亜 聯 盟 (石 原 手 記 )
九
一五
康 徳 五年 度 満洲 国 予 算 編 成 ニ関 ス ル要 望 ノ件 通 牒 (関 東 軍参 謀 長 東條 英 機 ) 七 七 八
2 満洲産業計画 の進展
一六
七 八 〇
七 七 九
満 洲 国産 業 開発 五年 計 画第 二年 度 以降 修 正 会議 席 上 満 洲 国産 業 開発 五年 計 画 第 二年 度 以降 修 正 計 画
に於 け る関 東軍 参 謀 長 口演要 旨 (関東 軍 司令 部 )
一七 一八
の遂 行 に対 す る関 東 軍 要望 (関 東軍 司令 部 )
二〇
一九
国境 方 面 に於 け る国防 的 建 設 に関 す る要 望 事 項 (関 東 軍 司 令 部)
日満 技 術 員 (技 術 工 を含 む)需 給 調整 に関 す る件 (陸 軍 省 )
七 九 〇
七 八 六
七 八 四
昭 和 十 四年 ( 康 徳 六年 ) 日満 間資 金 及物 資 等 諸 計 画樹 立 に関 す る関 係 庁 間諒 解 事 項 満 洲 国産 業 開 発 五年 計 画第 二年 度実 績 報 告 並 第 三年 度
七 九 六
七 九 三
二 一 日支 新 関 係 調 整 に伴 ふ満 支 新 関係 調整 方 策 (関東 軍 司令 部 ) 二二
二三
実 施 方策 協 議 会 席 上軍 司令 官 致 詞 (関東 軍 司 令 部 )
日 中
戦
資 料 解 説
一
争
日中 戦 争 に つい て の研 究 は 近 時 よう やく そ の緒 に ついたと い っても 過 言 で は あ るま い。 島 田俊 彦 等 の ﹁日中 戦 争 ﹂ 上
下 二巻 (﹃ 太平洋戦争 への道﹄三 ・四巻)、 秦 郁 彦 の ﹃日中 戦 争 史 ﹄ な ど が代表 的 な著 作 であ り、 そ の他 今 井 清 一、野 澤 豊 等 の
論 稿 があ る程 度 であ る。 戦 史 と し ては、 堀 場 一雄 ﹃支 那 事 変 戦 争指 導史 ﹄、服 部 卓 四 郎 ﹃大 東 亜 戦 争 全 史﹄ が挙 げ ら れ
る が、 こ れも 中 国側 の何 應 欽 ﹁八 年抗 戦 之 経 過 ﹂ あ る いは ﹁中 国 陸 軍 第 三方 面 軍 抗 戦 紀 実 ﹂等 に比 較 す れば 、簡 単 な も
のであ る。 いず れ に せよ 近代 日本 の最 大 の戦争 であ る 日中 戦 争 の全 貌 を と ら え る のには 、今 後 の研 究 の進展 にま つと こ
ろ が実 に大 き いと 云 わ ねば な ら な い。 そ の為 には まず 資 料 の 一般 化 が緊 急 の要 であ り 、本 巻 もま た 日中戦 争 研 究 の発 展
にな ん ら か の役 割 を 果 せば よ いと いう 点 から 、防 衛 庁 、 近衛 家 の理 解 あ る方 針 によ り提 供 さ れ た資 料 を も と にし て編 纂 され た も ので あ る。
日 中 戦争 に関 す る資 料 も従 前 若 干 公 表 さ れ て いる。 た とえ ば 、外 務 省 の ﹃日本 外交 年 表 竝 主 要 文 書﹄ の下 巻 所 収 のも
の、前 掲 ﹃太 平洋 戦 争 への道﹄ ﹁別 巻 ・資料 編﹂、お よ び堀 場 一雄 氏 の著 書 等 に於 ては 、そ れ ぞ れ相 当 量 の関連 資 料 が掲載
さ れ て いる のであ る が、 本 編 編 集 の 一つのね ら いは 、 こ れら 諸書 の資 料 が政 略 方 面 に 重点 を 置 いて いる のに反 し 、 軍事
的 な作 戦 の展開 を比 較 的 重視 した こと であ る。 そ れ は本 編 の資 料 の大部 分 が旧 陸 軍 資 料 であ る こと から く る性 格 であ る
と も 云 え る が、 し かし 日中 戦 争 がな によ り も さき に戦 争 自 体 であ って、 日中 両 国 が総 力 を集 中 し て大 陸 に大戦 争 を展 開
し た と いう 事 実 が、 な ん とな く お ろ そ か に な って いる傾 向 が見 ら れ る ので、 意識 的 に重視 し たと いう 面 も あ る の であ る。
資料 は蘆 溝 橋 事 件 の勃 発 か ら武 漢 ・廣 東作 戦 の終 了 時 期 ま でを 第 一期 、 そ れ以後 所 謂 対峙 段 階 に入 った 一九 三 九︱ 四
一年末 ま で を第 二期 と 区 分し て ほ ぼ日 時 を 追 って配 列 し た。 日 中戦 争 に関 し な る べく戦 争 の実 体 を 追 って、 上部 機 構 の
決 定 か ら、 出 動 、 両 軍 の出 会 ・戦 闘 、 死 傷 、 補給 そ し て占 領 地 の具体 的 状 況 等 を 再 現 し た いと いう のが編 者 の願 いであ
った。 全 中 国 の各 処 に展 開 さ れた 軍 、師 団 等 の大 規 模 な作 戦 展開 の戦 誌 と と も に 、例 え ば 一輜 重 隊 の労苦 に満 ち た行 軍
の模 様 を、 そ の全 員 の氏 名と と も 考掲 載 し得 た のは (﹁熊谷輸送部 隊行動要報﹂ (一四四頁以下) )、 本 書 編 纂 に際 し て の編 者 の 大 き な よ ろ こび の 一つであ った。
旧陸 軍 資 料 の現 存 し て いるも のは極 く 一部 と見 ら れ、 そ のた め資 料 選 択 上 妥当 を欠 く点 が多 いのは編 者 も よ く存 知 し
て いる と こ ろ であ る。 こ の点 は本 書 で触 れ ら れ な か った 日 中 戦争 の後 半 (太 平洋 戦 争 勃 発 以 後 敗 戦引 揚 げ ま で) と と も に他 日 を期 した い。
次節 か ら の日中 戦争 の粗 描 はま った く の未 熟 な私 見 であ り 、 か つ試 論 的 な 面 が多 い ので叱 正 を いた だ け れば 幸 甚 であ る。
一
中 国 国 民 政府 の成 立 以 来 、 あ る いは成 立 の過 程 以来 と 云 っても よ いが、 同 政 府 にと って対外 的 な最 大 の難 関 は つね に
唇 歯 の隣 国 に、 日本 と いう ﹁強 国﹂ が存 在 し て い る こと で あ った 。 し か も こ の日本 は やや も す れば 国 民 政府 に 対 し干 渉
的 であ り 、 そ の干渉 は容 易 に 軍 事的 色 彩 を帯 び るよう な危 険 性 を内 蔵 し て いた。 一九 二八年 国 民革 命 軍 の北 伐 に あ たり 、
日本 が山 東 に出 兵 し たた め 、済 南 城 は 激 烈 な る砲火 に さ ら され、 革 命 軍 は済 南 を 迂 回 し て北 上 せざ るを得 な か った のは
著 名 な事 実 であ る。 中 国 の関税 自 主 権 に最 後 ま で制 約 を 与 え た のも 日本 であ る が、 一九 三 一年 に は つ いに満 洲事 変 を 勃
発 せ し め 、東 北 を 中 国 本 土 か ら 分離 さ せ、 ﹁満 洲 国 ﹂ の出 現 を み た。 東 北 を 中 国 か ら 分離 独 立 させ た こと が国 際 的 な 承
認 を 得 ら れな か った のはも と よ り で あ った が、 そ れは 日中 関 係 を 根本 的 に悪 化 さ せた 。 ﹁満 洲 国 ﹂ が独立 し て い る 限 り
に於 ては 、 日 中戦 争 は時 期 の早 い遅 いは別 とし て、 不 可避 的 に惹 起 さ れ る性 格 のも ので あ った 。東 北 の回復 は中 国 に と って政 権 の如 何 を問 わず 絶 対 に課 せ ら れ た使 命 であ った か ら であ る。
万 里 の長城 を越 え て実 施 さ れた 日本 の華 北 工作 、 塘 沽協 定、 梅 津 ・何 應 欽 協 定、 華 北 自 治 運 動 等 が中国 の最 重 要 中枢
部 の 一つであ る京 津 地帯 を脅 威 に陥 し いれ た こと が、 日 中戦 争 の直 接 の導 火 線 と な った こと は 云う ま でも な いが、 そ の
根 源 はす べ て ﹁満 洲国 ﹂ の独 立 にあ った こと を無 視 でき な い。 ﹁満 洲 国 ﹂ 独立 以後 の日 本 の対中 国政 策 は、 ﹁満 洲 国 ﹂ を
既成 事 実 とし て交 渉 の範囲 か ら除 外 す る こと を前 提 と し てお り、 中 国 側 にも 同 じ 態度 を要 求 し て いた の であ る。 し か し
日本 にと って ﹁満 洲国 ﹂ がす で に過 去 形 の既成 事 実 であ って も、 中 国 にと っては決 し て既 成 事 実 では な く、 そ れは満 洲
事変 勃 発 (九 ・ 一八) 以来 一貫 し て強 化 され てき た 日本 の圧迫 の基 礎 とし て、 云 いか え れば つね に現在 のも のと し て、 意 識 さ れ て いた 点 を銘 記 す る必要 が あ る。
こ のよう な 両国 間 の、 あ る いは 両 国民 間 の中 国 の政治 問題 に対 す る認 識 乃至 感 覚 の重 大 な 相 違 は、 日中 戦 争 直 前 の事
態 に於 ても 指 摘 でき る。 蘆 溝 橋 事 件約 一週 間前 の ﹁大 公 報﹂ 紙 は、 ﹁北支 中央 化 ﹂ 問 題 にふ れ て次 のよう な論 説 を 掲 載
し た。 ﹁日本 側 の云う ﹃北支 ﹄な るも のは 、 日 本 の歴 史 よ り も古 い時 代 か ら中 国 の土 地 で あり 、 わ が民 族 が居 住 生 活 し て
き てから 、 す く な く と も百 数 十 代 経 過 し て いる。 そし て中央 政 府 と は、 一国 の国 家組 織 にあ って当 然 具有 す べき 最 高 機
関 であり 、 そ れ が領 土 内 に於 て政 令 を 施行 す る こと も ま た当 然 の こと であ る。 し か る に今 ﹃北 支 中 央 化﹄ を指 し てた だ
ち に抗 日 であ ると し、 さ ら に侮 日、慢 日行 為 で あ る か の如 く 日本 側 で 云 って いる のは、 あ ま り にも 中国 を蔑 視 し た誤 論
であ り、 中 国 国 民 と し て深 く憤 激 にた え な いも ので あ る﹂と。 し かし 日 本側 に と って は、 ﹁北 支 ﹂の中 央依 存 の強 化 は す
な わち 反 日行為 であ る、 と 意 識 さ れ た。 こ のよ う な 目 本側 の無 意 識 的 な 倒 錯 意識 は限 度 な く 拡 大 され る も のであ り 、 中
国 側 か ら 云 えば い つか戦 火 によ って洗 礼 を与 え なけ れば是 正 で きな い性 格 のも の であ った 。 中 国 は 九 ・ 一八以 来 つね に
日本 に 一撃 を 与 え得 る軍 事 的 経 済 的力 量 の養 成 に努 力 し てき た のであ り 、戦 争 の必要 な のは 実 は 日本 で はな く中 国 であ
った。 日本 と し ては戦 争 に訴 え る こと なく 中 国 を 屈伏 せ し め譲 歩 さ せ得 れば満 足 であり 、 し か も そ の可 能 性 はな く は な
か った 。 し かし 中国 が東 北 を 回復 す る た め には 、 軍 事 力 に た よ る以 外 手 段 は な か った と云 え よ う。
蒋 介 石 が蘆溝 橋事 件 後 七 月 十 七 日廬 山 で発 表 し た 談 話 は、 屡 々引 用 さ れる が、 たし か に重要 な 内容 を ふく ん で いた 。
そ れ は東 四省 失 陥 以来 す で に六年 た ち 、現 在 衝 突 の地 点 は北 平 の門 口 であ る蘆溝 橋 で あり 、 も し 蘆 溝橋 が 日本 軍 に占 領
さ れ るよ う な事 態 にな ると、 北 方 の政 治 文 化 及 軍 事 上 の中 心 で あ る北 平 は 第 二 の瀋 陽 (奉 天 ) と な る運 命 にあ り 、 北 平
がも し 瀋 陽 と な ると首 都 南 京 も北 平 の事 態 を再 演 す るよ う に な る ので、 蘆 溝 橋 事件 の解 決 如 何 こそ ﹁最 後 関 頭 ﹂ であ る、
と 述 べた のち、 次 のよう に云 って いる。 ﹁万 一避 く べ か らざ る最 後 関 頭 に いた った な ら ば、 我 々 は当 然 た だ犠 牲 あ る だ
け であ り、 抗 戦 あ る のみ であ る。 た だ し我 々 の態 度 は戦 に応 ず る の であ って、 戦 を求 め る の では な い。 戦 に応 じ ると は 、
最 後 関 頭 に たち む かう 已 む を得 ざ る やり 方 であ る。⋮⋮⋮⋮ 我 々は も と よ り弱 国 であ る が、 し か し 我 が民 族 の生 命 を 保
持 せ ね ば な らず 、祖 先 か ら遺 され た歴 史 上 の貴 任 を 担 わ ざ る を得 な い。 そ れ故 已 む を得 ざ る場 合 に いた った時 は、 応 戦
せざ るを 得 な いの であ る﹂。 た し か に中国 は已 む を 得ず し て戦 争 をす る のであ り 、 形態 に於 ては中 国 は 被動 的 であ る が、
実 質 的 には 中国 こそ戦 わ ねば な ら ぬ理 由 があ った ので あり 、 日本 に は そ の必 然性 は な か った。 古 い言 葉 を 使 え ば ﹁無 名 の師 ﹂ であ った ので あ る。
二
一九 三 七年 七 月 日 中 戦争 の開 始 にあ た って、 日本 の陸 軍 には 、本 絡的 な対 中 国 作 戦 の構想 は形 成 さ れ て いな か った。
蒋介 石 は、 日本 の当 初 の企 図 は中 国 を 戦 わず し て屈 せし む る にあ った 、 と 云 って いる が、陸 軍 部 内 にあ った 対支 一撃 論
(一撃 を 与 え れば 直 ち に中 国 は屈 伏 す ると いう 論) はま さ に これ であ った。 ﹁対支 一撃 論 ﹂を 一方 の極 とし 、ま た 一方 に
は石 原 参謀 本部 第 一部 長 のよ う な 日中 戦 争 の否 定 論者 も あ った のであ る が ( ﹁石原莞爾中将回想応答録﹂(三〇二頁以下) )、満
洲国 成 立後 の日本 の対華 政 策 の基 調 は ﹁慢 性 的 侵 蝕 ﹂ と表 現 し得 よ う 。 八 月 十 七 日 の近衛 内 閣 の閣 議 で不拡 大 方針 の抛
棄 が決 定 され 、 中 国 と の全 面 戦 争 が展 開 さ れ る こと にな った のに拘 らず 、 八 月 三 十 一日北 支 那 方 面 軍寺 内司 令 官 に与 え
ら れ た命 令 には 、﹁敵 ノ戦 争 意 志 ヲ挫 折 セシ メ戦局 終結 ノ動 機 ヲ獲 得 ス ル目的 ヲ以 テ速 ニ中部 河 北 省 ノ敵 ヲ撃滅 ス ヘシ﹂
(三六頁)と あ り 、 更 に 上海 戦 線 の膠 着 を打 破 し た のち 十 一月 七 日編 成 さ れ た中支 那方 面 軍 に対 す る命令 中 に も ﹁敵 ノ戦
争 意 志 ヲ挫 折 セ シ メ戦 局 終 結 ノ動 機 ヲ獲 得 ス ル目的 ヲ以 テ上海 附 近 ノ敵 ヲ掃 滅 ﹂ (二一五頁)と いう よ う に恒 に戦 局 局 限 と
終 結 への努 力 が強 調 さ れ て いた のは、 陸 軍 中央 部 の作 戦 展開 上 の消 極 的 見 解 が反 映 され て いた も のであ った 。秦 郁 彦 氏
は 、 ﹁南 京 作 戦 は 軍 中 央 部 と し ては確 た る事 前計 画 も成 算 もな く 、 現 地 軍 の強 請 に押 さ れ てず るず る ひ きず り こ ま れ た
も のであ った。﹂ と指 摘 し て いる が、 こ の指 摘 は 南 京作 戦 のみ でな く 、華 北 に於 け る作 戦 の展開 に関 し ても 正 し いと 思
わ れ る。 陸 軍 が こ のよ う に消 極 的 であ った のは、 一九 三 五、 六年 に か け て急 速 に極 東 軍 備 の充 実 を みた ソ連 の北 方 から
の脅 威 に対 し 、抵 抗 力 の弱 化 を恐 れた か ら であ った。 一九 三 六年 八月 天 津 で開 催 さ れた華 北 主要 公 館長 会議 でも 陸 軍 省
の影 佐 中 佐 は 、 現在 のと ころ ソ連 には 勝算 な く、 戦 備 完 成 の予定 であ る 昭和 十 六年 に な っても 必 ず 勝 ち得 る と は限 ら な
いと述 べ て い るよ う な状 況 で あ った 。 そ れ は と に か く、 中央 統 帥 部 に確 固 た る戦 略 ・方 針 がな く、 現 地 軍 の進 撃 のま に
ま に戦 線 を 拡 大 し 、 兵 力 を逐 次 投 入 し てず るず ると 大 規 模 な戦 争 に発 展 し て い った こと は、 当 初 の戦 わず し て屈 せし む
る の策 の失 敗 に続 い て、速 戦 速 決 の上 、 ソ連 の脅 威 に対 抗 し よう とす る意 図 も ま た失 敗 し た ことを 意 味 す る ので あ った 。
八月 三十 一日 北 支 方面 軍 の戦 闘 序列 が発 令 さ れ、 第 一軍 (香 月清 司 中 将 ) の司 令部 は 九 月十 一日豊 臺 に移動 し 、保 定
進 攻 を開 始 し た。 第 十 四 師団 が行 動 を 起 し た のは 九月 十 四日 であ る が、 以 後 快晴 の続 く河 北 平 原 を 京漢 線 に添 って南 下
し た第 十 四師 団 は 、 同 二十 三 日 に は保 定 西 南方 に達 し、 十 月 十 日 石家 荘 に進 入 、 同 十 七 日 に は河 北 省 南端 の都 市 邯 鄂 を
占 領 し 、廿 七 日 には 河南 省 豊 楽 鎮 にま で突 入 し た。 (﹁第 一軍作戦経過概要﹂(六四頁以下) )十 四師 団 は行 動 開 始 よ り 四 十数 日
に て河 北 省 を 縦断 す る進 撃 を行 な った ので あ る が、 日本 側 の企 画 し た 包 囲 殲滅 戦 は中 国 軍 の後 退戦 術 によ り こと ご と く 失 敗 し、 戦 線 の日毎 の拡 大 を招 く結 果 と な った の であ る。
戦 火 は 上 海 に波 及 し、 首 都南 京 の占 領 、 翌 一九 三 八年 夏 には 武 漢 作 戦 の展開 と次 々と 拡 大 され て い った ので あ る が、
華 北 作 戦 と は 違 い決 し て平 坦 な進 撃 で は な か った 。殊 に上海 周 辺 に於 け る戦 闘 は周 知 の如 く 激烈 な も ので あ った 。 九 月
二十 七 日 呉 淞 に 上陸 した 第 九師 団 では、 十 一月 初 旬 の蘇 州 河渡 河 ま で の 一箇 月余 の間 に戦 死 傷者 一万 二千 三百 余 に達 し
た 。 陳 家 行 附 近 の戦 闘 に於 ては 、中 国 軍 の抵 抗 ぶ り は ﹁屍 と化 す るも 陣 地 を放 棄 せざ る の みな らず 一拠 点 奪 取 せら る る
や必 ず数 回 に 亙り 逆 襲 を 実施 し就 中 頓 悟 附 近 に対す る逆 襲 は 一夜 十 回 に及 べり ﹂( ﹁第九師団作戦経過の概要﹂(二二六頁))と
表 現 さ れる如 く、 凄 絶 を極 め た。 八月 廿 二 日 の漢 口攻 略 命 令 に基 いて漢 口に進 撃 し た第 二軍 も、 中 国 軍 の抵抗 のみ な ら
ず コレ ラ ・マ ラリ ヤ等 の悪 疫 に悩 ま さ れ、﹁ 歩 兵 第 三十 九聯 隊 の如 き 廬 州出 発 時 二千 八百 名 な り し も 九 月末 には 八 百 名未
満 に減 じ 中隊 長 以 下十 一名 を算 す る に過 ぎ ざ る中 隊 あり て平 均 三 十 名 に足 らざ る実情 ﹂ (﹁ 第 二軍作戦経過概要﹂(二八九頁) )
であ り 、漢 口攻 略 軍 四十 万中 十 五 万 が罹 病 す るよう な 悲 惨 な 状 況 と な った の で あ った。 (昭和 十 四年 八月 ﹁第十 一軍司令 官軍状報告﹂ (四一一頁) )
武 漢 攻 略 と と も に華 南 の要 衝 廣 東 をも 攻略 す ると いう よう に、 日本 の占 領 地 は中 国 全域 に わ た って拡 大 され 、 重要 都
市 、 交 通 路 、海 岸 線 な ど は 日本 軍 の掌 握 下 に 入 った。 し かも か か る表 面 上 の戦 果 の華 々し さ に比 較 し て、戦 争 の勝 利 感
と いう も のが 、む し ろ 軍自 体 のな か にも っと も 欠 け て いた と いう こと も 日中 戦 争 の 一つの特 徴 で あ った。 中 国 の抗 戦 力
の主 体 を なす 中央 軍 の捕捉 に失 敗 し てそ の勢 力 の温 存 を許 し た こと 、 華北 に於 け る共産 勢 力 の後 方 地域 への滲 透 に よ り、
治 安 が つね に撹乱 さ れ不安 であ った こと な ど は 、軍 事 力 の中 国 への釘 付 け と いう 軍 にと って も っと も好 ま し か らざ る事
態 を 惹起 し た。 そ こ で表面 上 の進 撃 勝 利 の かげ に あ って、 陸 軍 は つね に戦 争 の早 期 終結 を焦 慮 せざ るを 得 な か った。
こ のよう に陸 軍 中 央 部 に は出 先 軍 の進 攻 意 欲 と 必ず し も 一致 し な い逡 巡 と遅 疑 が存在 し た ので あ る が、 そ れ では 日中
戦 争 の積極 的 な推 進 主体 はな にか と いう と 、 そ れは 近 衛 内 閣自 体 に求 め ら れ る。 近衛 内閣 は全 面 戦争 開 始 以 来 、 一貫 し
て戦 果 の獲 得 に積 極 的 で あ った 。 内閣 は十 月 一日 に採 択 し た最 初 の対 中 国 構 想 に 於 て、 ﹁戦 局 の拡 大 に つれ国 民 の戦 果
にた いす る期 待 も増 大 ﹂ し て いると の理由 のも と に、 戦果 と し て重要 な 権 益 を中 国 か ら獲 得 す る こと を決 定 した 。戦 局 ︹ 作戦︺ の拡 大 に つれ戦 争 拾 収 に関 す る参 謀 本 部 と政 府 間 の対 立 は 微妙 な も のがあ った。 十 一月 二十 一日付 の参 謀 本 部 第 一部 第 ︹ 作戦︺ 二課 の ﹁対支那中央政権方策﹂( 四九、五十頁) )は参 謀 本 部 の考 え 方 を 知 る 上 に於 て重要 な文 書 で あ ると 思 わ れ る。 そ の要 点 は
蒋 政 権 が地 方 政権 に顛 落 し長 期 持 久 の決 心 に追 い込 ま れ る前 に、 そ の面 子 を 保持 し て講 和 し 得 る措 置 を とり た いと 云う
に あ った。 日中 問 題 の全 面的 解 決 のた め には 、 中国 に中 央 政 権 の存在 を 必要 と す る。何 故 なら ば ﹁蓋 し蒋 政 権 の否 定 は
彼 等 を 反 日 の 一点 に逐 ひ込 み窮 鼠反 齧 の勢 を馴 致 し 其 崩壊 と否 と に拘 ら ず結 局相 当 年 月 の間 に亘 る全 支 分 裂 の出 現 と な
る べく 此 の間 必然 的 に ﹃ソ﹄ 英米 策 源 の推 進 と相 俟 ち 此 に永 久 抗 争 のた め帝 国 は永 き将 来 に亘 り 之 に莫 大 の国 力 を 吸収
せ ら れ﹂、 東 洋 を 欧 米 の好餌 に供 す る で あ ろ う し 、 ま た 中 国 の共産 化 を 最 小 限度 に局 限す る ため に は蒋 政 権 一派 の統 制
力 が崩 壊 す る前 に事 変 を 終 結 し 、 蒋政 権 を西 面 させ 共 産 分 子 の清 掃 にあ た ら せ る 必要 があ る、 と いう のが、参 謀本 部 作
戦 課 の見 解 であ り、 こ の点 から国 民政 府 と の面 子 あ る講 和 に踏 み 切ろ う と し た のであ った 。 し か し政 府 の見 解 は ま た別
であ った。 政 府 とし ては 、 今 次 の事変 を期 と し て ﹁禍 乱 の根 源 を将 来 に残 さざ る様 徹 底 的 な る解 決 を期 し ﹂、﹁姑 息 な る
妥 協 は 極 力排 す べ き も の﹂ であ った。 十 二年 暮 のト ラ ウ ト マン独大 使 の和 平 仲 介 も 、 ﹁軍 部側 の切 な る希 望﹂ も あ った
の で最 低 限 度 の和 平 条 件 を提 示 し た のであ る が、陸 軍 が こ の条件 を 修 正 し てま で和 平 に応 じ よう とす る こと に対 し 、﹁ 政
府 側 と し ては軍 部 が かく の如 き拙 策 を 採 り てま で講 和 を急 が る る真 意 を 了解 す る に苦 し む﹂ のであ り 、 軍部 が説 得 力 の
な い理 由 で和 平 を 急 ぐ な ら ば ﹁政 府 全 体 と し ては軍 部 側 と別個 に独自 の所 信 に向 て邁 進 す る外 な か る べ し﹂ (﹁講和問題
に関する所信﹂(一〇四、五頁))と いう 決 意 を ま で抱 く に至 った 。 (こ の近衛 文書 は 一九 三 八年 一月 初 旬 と思 わ れ、無 署 名 で は あ る が、 政 府 の強 硬 な考 え方 を 示 す も のと し て注 目 され る。)
政府 は か くし て 一九 三 八年 一月 には ﹁蒋 介 石政 権 相 手 にせず ﹂の声 明 を発 表 し 、以後 五相 会 議 等 で中 国 占 領 地 の管 理方
針 を 次 々と 決 定 し た のち 、十 一月 三十 日 御 前 会 議 で ﹁日支新 関係 調 整 方針 ﹂を採 択 し た の であ る。こ の方針 の基 調 は 旧態
依 然 た る分 治合 作 主 義 で、華北 及 び蒙 疆 、揚 子 江下 流 地帯 、華 南 諸 島 等 に 日中強 度 結 合 地 帯 を 設 定 し 、駐 兵 地域 の鉄 道 航
空 等 を管 理す ると とも に、 中 央政 府 に も少 数 の顧 問 を派 遣 す ると いう構 想 であ った 。 す な わ ち実 質 的 には中 国 の日本 に
よ る独占 化 の色 彩 の強 いも の で、日本 が育 成 し た 汪 兆銘 政 権 関係 者 か ら さ え ﹁日本 が列 国 を し め出 す のみな らず 、中 国 人
を も し め出 す にあ らず や と の誤 解 を 生 ず る﹂と批 判 さ れた傾 向 を持 つも のであ った 。一九 三 八年 秋 の興亜 院 の設 置 、北 支
開 発 ・中 支 那 振 興 両国 策 会 社 の設 立 、東 亜 新 秩 序 声 明 等 は 、いず れ も 近 衛 内閣 の確 立 し た対 中 国 構 想 のあ ら わ れ で あ った。
三
ク レーギ ー英 大 使 は、 一九 三 八年 十 一月 一日 首 相官 邸 に近衛 首 相 を訪 れ、 非公 式 では あ る が、 中 日間 の調停 条 件 に関
す る英 国 政府 の提 案 とし て、 一 日 本 は 中国 に於 け る其 の軍 隊 を 徐 々 に 併 し な が ら 完 全 に撤 退 す る こと 、 二 列 国 は 中国
に於 て完 全 な る 平等 権 を 有 す る こと 、 三 日中 間 事 変 解 決 の協 定 を結 び英 国 政府 これ に署 名 し 、 中国 に於 け るあ ら ゆ る排
ーギ ーは有 田外 相 に
日特 に通商 上 の排 日 に中 国政 府 筋 の活 動 す る こと を停 止 せし め 、 こ れ が実行 に関 し ては英 国 政 府 其 の責 に任ず る こと 、
の 三 条 件 を 提 示 し た (﹁近 衛 総 理 ク レー ギ ー 英 国 大 使 会 談 要旨 ﹂( 五四七頁) )。 ま た つ い で 二 十 日 に は 、ク レ
対 し、英 国 は 中国 の貿 易 に於 て日本 が特 恵 関 税 、為 替管 理、あ る いは バ ー ター シ ステ ム等 を 設定 す る こと には 反 対 であ る
が、 日 本 が原 料 に不 足 し て い る のは認 め る ので、 中国 で英 国 が既有 のも のは別 と し て、 将 来 の問 題 と し て日本 が原 料 に
関 し 優 先権 を持 つ こと に異議 は な い、 と言 明 し た 。 こ の 一連 のイギ リ ス の提案 は戦 争 中 行 な わ れ た唯 一と も 云 う べき和
平 条 件 提 示 であ った 。 日本 軍 の徐 々で はあ る が完 全 な る撤 兵 、中 国 に於 け る列 国 の完 全 な 平等 と いう こと では 、日本 に関
す る限 り な ん ら実 質 的 な 斡旋 条 件 と は な ら な い ので、 今 後 の問 題 と し て の原 料 の優 先 権 と いう 提 案 を なし た のであ ろ う 。
し か しす で に前 述 の如 く中 国 占 領 地 の全 面 的 管 理 方 針 を樹 立 か つ実 行 し て いた 日本 と し ては 、 こ の程 度 の提 案 は ほと
ん ど 考慮 に値 い しな か った 。有 田外 相 は 十 一月 十 八 日 の対 米 回 答 で、 ﹁今 や東亜 の天 地 に新 な る情 勢 の展 開 し つ つ あ る
の秋 に当 り事 変 前 の事 態 に適用 あ り た る観 念 乃 至 原則 を 以 て現 在 及 今 後 の事 態 を 律 せん と す る こと は何 等 当 面 の問 題 の
解 決 を齎 す も のでな い﹂ と 九箇 国条 約 を 否 認 す る態度 を明 ら か にし た の であ った。 日 本 の占 領 地経 営 はあ る意 味 で徹 底
し て いた。 一九 三七 年 十 二月、 つま り独 大 使 を 通 じ る和 平 交 渉 の継 続 し て いる時 決 定 さ れ た ﹁支 那事 変 対 処 要 綱﹂ です
で に明 ら か に さ れた 如 く 、 華 北 の港 湾 道 路 を 含 む 主要 交 通運 輸 事 業 、 通 信事 業 、 発 送 電 事業 、 塩業 及 塩 利 用 工業 等 の重
要 産 業 の経 営 は す べ て 日本 が設 立 す る 国策 会 社 (のち の北 支開 発 ) を し て当 ら せ る こと と な った 。 ち な み に 一九 三 九年
電 気
13.1.24
4,700KW
第 3工場
陽 泉 銑 鉄
13.1.24
14.6火 入式 挙 行
第 4工場
陽
炭 鉱
13.1.24
第 5工 場
白家荘
炭
鉱
13.4.24
第 6工 場
古城村
電
気
13.1.24
第 8工 場
太
原
銑 鉄
13.1.24
火入準備 中 第10工 場
太
原
鋳
業
13.1.24
耐火煉瓦陶磁器 第11工 場
祁
縣
電
気
13.2.20
第12工 場
楡
次
電
気
13.1.24
1,150KW
第15工 場
太
原
電
気
13.1.24
7,000KW
気
13.1.24
880KW
治安 の関係上運営 し居 らず
原 太 軍管理山西 第 2工場
泉
第25工 場
蘭
第26工 場
牛〓村
炭 鉱
13.1.24
第27工 場
寿
陽
炭 鉱
13.1.24
第28工 場
考
義
炭
鉱
13.2.23
第29工 場
介 休 炭 鉱
13.2.22
第30工 場
平
遙
電
気
13.2.21
第31工 場
臨
汾
電
気
13.2.26
84KW
第34工 場
新
絳
電
気
13.3.30
1,000KW
第36工 場
大
谷
電
気
13.1.24
75KW
第42工 場
霊石縣
炭 鉱
第44工 場
軒 崗鎮
炭 鉱
第45工 場
定
〓
鉄鉱石
方面軍 に運営 委嘱下命申請中
第46工 場
寧 武
鉄鉱石
〝
電 村
10,000KW
290KW
115KW
13.11.23
(國 松 文 雄,「わ が 満 支25 年 の 回顧 」226―232頁)
よ り作 成
四 月 現在 の山 西 省 の軍 管 理 工場 数 十 のう ち 、 興 中 公 司 に経 営 を 委 任 さ れ て いる分 の表 を 掲 げ て み よう 。
山西省軍管理工場 中興 中公司委任表 昭和14年 4月
漢 口陥落 前後 、 あ る 日本 人中 国 通 (満 洲 青 年 聯盟 や新 民 会 で活躍 し た 小山 貞 知) は、 占 領 地 に於 け る 日本 人活 動 の状
況 に関 し 、 日本 側 が、 鉄道 、交 通あ る いは 国 防 上 不可 欠 な鉄 、 コーク ス原 料 、 羊 毛棉 花 など に強 い統 制 を加 え る のは よ
いが、 ﹁運 送 界 に於 け る粮 桟 の如 き、 庶 民金 融 に於 け る質 屋 の如 き種 類 のも の迄 も 日本 人 の企 業 下 に置 かん と し 徒 に 民
業 を 奪 ふ が如 き感 を 抱 か し む る は其 の当 を 得 ず﹂とし 、ま た、﹁日本 人 が勝 手 に軍 の威 を藉 り石 鹸 、ぺ ンキ、麦 粉 工場 等 々、
現在 動 きあ る も のを 手 当 り 次第 合 〓 若 は 買 収 を 強要 す る如 き現 状 ﹂ ( ﹁漢 口陥落を契機 とす る北支建設要領﹂(六 一四頁)) に 対
し ても 強 い批 判 を 与 え て いた 。 し か し こ のよ う な 状 態 に もか か わ らず 、 日本 の占 領 地経 営 は、 治 安 の不 安定 、 資 本 の不 足 、 生産 機 械 の欠 乏 等 の原 因 に よ り捗 々し い進 展 を み な か った 。
一九 三 九 年 十 月 の野 村 外 相 の見解 も、 ﹁中 支 は もと よ り 北支 に お け る経 済 開 発 の核 心 を なす 国 策会 社 の事 業 す な は ち
鉄 道 そ の他 の交 通 、 通信 、 鉱 山 、 電 力 拡 充 な ど の いは ゆ る基 礎 的 産 業 の現 状 は、 いづ れ も機 材 の不足 のた め 、 これ が計
画 の実行 は遅 々と し て進 ま ず 当 分 お預 け の形 にあ り 、 これ が打 開 のた め には勢 ひ外 国 側 の実 物出 資 を みと め 、極 力 これ
を誘 致す るほ か道 な し﹂ と 、 占 領 地経 営 に於 け る英 、米 と の協 力 必 要 の緊 迫 性 を 認 め ざ るを得 な か った の であ る 。実 際
上 日本 の中 国 占領 地 のア メ リ カか ら の輪 入 は、 一九 三 八 月 の約 二千 六 百 万 ド ルから 、 一九 四 〇年 の九 千 六 百 万 ド ル ヘと、
四倍 近 く の急 激 な増 大 を 示 し て いた。 欧 洲 大 戦 勃 発 以後 、 日本 占 領 地 に鉄 鋼製 品 や機械 類、 綿 花 、 煙 草 、 石 油等 を供 給
し得 た のは ア メリ カだ け であ り 、 こ の点 に於 て ア メリ カに依 存 す る面 が非 常 に大 きか った にも か か わ らず 、 ま た そ れ だ
け に中 国 に於 け る 地位 を 確 保 す る た め に は、 米 、 英 の資 本 進 出 に対 し 、大 幅 の制 限 を 課 せ ざ る を得 な いと いう自 己 矛盾 に 日本 は陥 って いた。
この よう な 日本 の基 本 的 矛 盾 は、 もと より ア メリ カ のよ く知 ると ころ であ った。 日米 通商 条約 失効 後 の 一九 四 〇年 七
月 グ ル ー米 大 使 によ って伝 えら れ た米 国 務 省 の覚 書 は、 日本 の独 占 的 中国 政 策 に対 す る重 大 な警 告 であ った 。 日本 が 一
時 的利 益 を 追 って中 国 に於 け る商業 及 び資 源 を 確 保 利 用 す る にと ど ま る道 、そ れは 占 領 地 域 を貧 困 に しか つ技 術 資本 の
利 用 を 不可 能 と す る道 であ る が、 か か る道 を辿 る か、 あ る いは永 久的 利 益 を 目 的 と し て自 国 およ び中国 の経 済 建 設 のた
め他 国 と 協 力 し、 そ の技 術 資 本 な ど を利 用 す るか 、 そ の いず れ かを 選 ばね ば な ら ぬと 警 告 し た も の であ った 。 つまり 日
本 の中 国 占領 地 の経 済 建 設 に不可 欠 な 資本 及技 術 的 援 助 を 供 与 す る用 意 はあ る が、 そ の為 に は 日本 は中 国政 策を 根 本 か
ら改 正 し 、英 、 米 と の基本 的協 力関 係 を 樹 立 し な け れ ば なら ぬと いう の であ つた。 一九 四 〇年 七月 の時 点 に於 け る ア メ
リ カ のこ のよ う な見 解 の表 示 は 重視 す る 必要 があ る 。同 年 九 月 の 日独 伊 三 国同 盟 の締 結 が日米 関 係 を極 度 に悪 化 せし め
た のは 明 ら か であ る が、 し か し 翌 一九 四 一年 四 月 か ら開 かれ た 日米 交渉 も、 前 年 七 月 の ア メリ カ の警 告 と 全 く別 の基 点 か ら出 発 し て いると は考 え ら れ な いか ら であ る。
日米 交 渉 問 題 に関 し 開 か れ た 一九 四 一年 七 月十 日 の連 絡 懇 談 会 に於 て示 され た 斎 藤 (良 衛 ) 外 務 省 顧 問 の アメ リ カ案
に対す る受 け 取 り 方 は極 め て興 味 あ る内容 であ った 。 斎 藤顧 問 の論 点 を 列 挙 す ると次 の如 く である 。
﹁中 国 に於 け る 日本 の治 安 駐 兵 が認 め ら れず 無 条 件 に撤 兵 す る と、 事 実 問 題 と し て中 国 は共 産 党 、 国 民党 、 国 民政 府 、 重慶 側 が争 闘 し て非 常 に紊 乱 し てく る、 そ し て英 米 の中 国 への介 入と な ってく る。
米 国 は中 国 に於 け る列 国 の無 差 別 待 遇 を主 張 し て いる が、 これ で は東 亜 新 秩序 の建 設 は不 可 能 であ る。 英 米 は今 日ま
で援 蒋 行 為 を 続 行 し 将来 中 国 に於 て有 利 な る 地位 を 確 保 せん と し て居 り 、 全 面和 平 の際 には 今 日 の特 権 を 基 礎 と し て全 中 国 にわ た り 米 国 の ﹁弗 ﹂ の力 が蔓 る。
米 国 は 日中 和 平 交 渉 の根 本 を 日米 両 国間 で決 め そ の範 囲内 で日中 直 接 交 渉 を さ せよ う と 考 え て いる が、 これ は東 亜 の
指 導 権 を 米 国 に譲 る こと を意 味 し、 中 国 問 題 に介 入 せ さ る権 利 を 米 国 に 付与 す る こと に な る。﹂
斎 藤 顧問 のか か る分 析 が、 日米 交 渉 から 世 界 政策 的 な面 を 一応 除 去 し てそ れを 中 国問 題 に限 定 さ せた 場合 、そ の本 質
を 衝 いて いる こと は 間 違 いな い。 日米 交渉 の 一つ の争 点 は 、 日本 が 日中 戦 争 後 確 立 し て き た独 占 的 中 国 管 理 方針 を 如 何
な る程 度 ま で解 消 し 、米 、 英 から の経 済協 力 を獲 得 す るか と いう こと であ った 。 し か し米 、 英 勢 力 と の経 済 的 協 力 下 に
於 け る中 国 開 発 では、 どう し ても 経済 力 の強 大 な ア メリ カが優 位 を占 め る こと は 明 ら か であ った 。 そ れ に も か かわ らず 、
此 の際 ﹁支 那 事 変 を持 て余 し て自 分 の理 想 を打 ち 忘 れ ﹁花 よ り団 子 ﹂ と いふ 考 へを抱 く も のが相 当 あ る のが不 愉快 ﹂ だ
と、 同 日 松 岡 外相 は発 言 し て いる。 当 時 に於 て、 日本 が とり きた った 独 占管 理方 式 を 解 消 し 、 英、 米 と の協 同 下 に中 国
の経 済 的 開 発 を す る方 が実 質 的 な利 益 を獲 得 す る道 だ とす る論 者 が ﹁相当 ﹂ あ る、 と いう こと を松 岡 は 指 摘 し た の であ
る。 こ の点 に関 し更 に論 及 す る前 に、 中 国 に於 け る軍事 的 な情 勢 に つ いて 一瞥 し て置 き た い。
四
一九 三 九年 九 月 ﹁支 那 派遣 軍 ﹂ が創 設 され 従来 の北 支 那 方 面軍 、中 支 那 派 遣 軍 が 統 合 され、 西 尾 大 将 が総 司令 官 に任
命 さ れた のであ る が、 大陸 命 第 三 百 六 十 三 号 ( 四 一四頁)に よ って西 尾 大 将 に発 せ ら れた 命 令 は、冒 頭 に ﹁大本 営 は支 那 事
変 の迅速 な る処 理 を企 図 す﹂ とあ り 、 日中 戦 争 の早期 終 結 を 任 務 の根本 と し て いた 。 そ し て、 まず 蒙 疆 地方 、 北 部 山 西
省 、 河北 省 及 び山 東 省 の各 要 域並 び上 海 、 南 京 、杭 州間 の地 域 の治 安 恢復 を命 じ、 一方 敵 の ﹁抗戦 企図 を破 摧 す ﹂ る た
め の作戦 地域 は、 ﹁安慶 、 信 陽 、岳 州 、南 昌 の間 ﹂ に 限定 し た。 こ のよ う な 大本 営 の戦 局 限 定 に対 し 現 地軍 のなか には 反
対意 見 も強 か った 。た と え ば第 十 一軍 司令 官 岡 村 中 将 は、十 一月 ﹁日支事変速決 に関す る作戦上 の意見﹂(五八〇頁)を提 出 し、
中 国 の抗 戦 企 図 の破 摧 の為 には進 攻作 戦 以外 な いと し、 新 進 攻 作 戦 を湖 南 中 原及 び宣 昌 方 面 に実 施 す る こと を主 張 し た。
岡 村 の意 見 は、 日中 両 軍 対 峙 の状 態 が継 続 す る限 り 、如 何 に焦 慮 し如 何 に兵 力 を増 加 す ると も治 安 の粛 正 は難 し い、 治
安 撹 乱 の原 動 力 は ﹁占拠 地域 外 周 を 囲 繞 し游 撃 匪 軍 の支 援 後 拠 を 為 す 敵 正規 軍 ﹂ であ る から 、これを 撃 滅 し な い限 り、占
﹁蒋 介 石 を中 心 と し黄 埔 軍 官学 校 系 の青 年 層 将 校 を 主体 と す る中 央 直 系 軍 の抗 日意 志 に し て﹂﹁此 の軍隊 の存 在 す る限 り
領 地 の治安 は保 た れな い、 と いう の であ った 。 こ こ に注 目 す べき は岡 村 が、 中 国 の抗 日勢 力 の中 枢 は 共 産党 を除 け ば、
急 速 な和 平 解 決 は 木 に縁 り て魚 を 求 む る如 し﹂ と断 定 し て いる こ と であ る。 こ の岡 村 の中 央 直 系 軍 の存 続 す る限 り和 平
は不 可能 であ ると いう 考 え は 、 丁度 こ の頃 か ら開 始 さ れ、 翌 一九 四〇 年 春 か ら夏 に かけ て支 那 派 遣 軍 を根 本 的 に動 揺 さ
せ た 桐 工作 (自 称 宋 子 良 を 通ず る対 重 慶 和 平 工作) の惨 めな 失 敗 を 見 ると き、 極 め て妥 当 な 見 解 であ った と 云 え よう 。
岡 村 中 将意 見書 の丁 度 一年 後 、す な わち 一九 四 〇年 十 一月 十 三 日 の御前 会 議 に提 出 され た ﹁陸軍側 の資料﹂( 六〇三頁以下)
は中 国 軍 の戦 力 を 、 ﹁敵 軍 は 今 尚蒋 の強 靱 な る統 制 力 に依 り掌 握 せ られ あ り て近 く之 が崩 壊 を 期 す るは 過 望 な り と 謂 ふ
べ く蒋 にし て 一度 反攻 を指 令 せん か 其 の督 戦 と相 俟 ち 相 当 見 る べき威 力 を 発揮 し得 べし ﹂ と 判断 し て いた 。 一方中 国 側
は 日本 軍 の戦 力 に 対 し如 何 な る評 価 を し て いた かと 云う と、 蒋 介 石 は 一九 四 〇 年 二 月 の柳 州軍 事 会 議 に於 け る訓 詞 のな
か で 日本 軍 のも つ四箇 の弱 点 を 次 のよう に指 摘 し て いた 。一 ﹁小﹂、 日本 は今 後 大 量 の部 隊 を中 国 に投 入 で き ず 、 小 兵
力 によ って、 我 々を擾 乱 す るに 過ぎ な い、 二 ﹁短 ﹂ 日本 は今 後 極 め て短 い期 間 中 国 の 一地方 を 攻 撃 し占 領 し得 た と し て
も、 そ れ を 固 守 す る能 力 はな く す ぐ撤 退 し な け れ ば な ら な い、 三 ﹁浅 ﹂、 日本 の兵 力 は既 に尽 き て い る の で、 内 地 に侵
攻 し てき ても 一、二百 粁 の範 囲内 に限 ら れ、三 、四百 粁 の線 ま では侵 入 し得 な い、 四 ﹁虚 ﹂、 日本 の戦 力 は単 薄 な の で、
もし 我 々 の 一地方 を攻 め ると き は 必 らず 全 兵 力 を抽 出 し てく る。 故 に 日本 が攻 撃 し てく る時 す で に予 備 隊 は な く 、 か つ
後 方 は ま った く空 虚 であ る。 こ のよう な 蒋 介 石 の指 摘 は勿 論 完 全 と は 云 えず 若 干 の過 少 評価 の傾 向 も あ る の であ る が、
日本 軍 の戦 力 の限 界 と 弱 点 を ほ ぼ正 しく 把 握 し て いる と 云え る。 一九 四 一年 十 一月 、 太 平洋 戦 争 勃 発 の直 前 の時 期 であ
るが 、第 十 一軍 参 謀 部 は 、 ﹁重 慶 統帥 部 最 近 の作 戦 方 略 は攻 防 共 に自 主 的 方 面 に戦 力 の絶 対 優勢 を保 持 し局 面 を 好 転 せ
し め ん とす る気 運 濃 厚 な る も のあ ると 看 取 せ ら る﹂ (﹁ 敵 の抗戦力及作戦指導の新傾向﹂(五 一〇頁) )と 、 中 国 軍 戦 力 の侮 れ な い点 を 強 調 し て いた 。
華 北 に於 て は、 共 産系 勢 力 の 日本 占 領 地 内 に於 け る活 動 は 、 いよ いよ激 し さを 加 え、 治 安 は非 常 な 脅 威 に さら され た
ので、 北 支 那 方 面 軍 は、 一九 四 〇 年度 は、 ﹁一切 の施 策 を 共 産 軍 の剿 滅 に集 中 し 積 極 果敢 な る粛 正 討 伐 を実 施 ﹂ (﹁ 北支方
面軍状況報告﹂( 七 一二頁) ) せざ るを 得 な く な った。 〓 州 (済 南 、徐 州間 にあ る交 通 の要 衝 で、 七 百 人 余 の邦 人 が在 留 し て
いた)に在 る領 事 館 警 察 分 署 は、 一九 四 〇年 三 月 の管 内 治 安 状 況 を ﹁本 期 は共 産 軍 匪 急激 に増 強 な り 、各 地 に お い て国府
系 匪 団 を 侵 蝕 駆 逐 し、 さ ら に匪 勢 の旺 な る に乗 じ 対 日軍 事 行 動 積 極 化 し、 辺境 地 区 より 漸 次 〓 州 地 区 にあ る ひは津 浦 沿
線 に近 迫 し つ つあ り て管 内 治 安 著 しく 悪 化 を来 た し情 況 険 悪 下 に越 月 せ り﹂ と 報 告 し て居 り 、 同年 九 月 の有 野総 領 事 の
報 告 に よ れ ば、 ﹁当方 面 に おけ る我 が軍 当 面 の敵 手 は主 とし て共 産 軍 な いし共 産 党 勢 力 と し て出 現 し つ つあ る が ご と き
状 勢 ﹂ と な った 。 し か も 九月 二十 日 には 共産 軍 は正 太 線 を中 心 に広 範 囲 な 一斉 反 撃 を 実 施 し、 分 散 せ る 日本 警 備 隊 は 相
当 大 き な損 害 を 蒙 った 。鉄 道 、 橋 梁 、 通 信 施設 等 は各 処 で爆 破 さ れ、 華 北 の重要 資 源 の 一つであ る 井〓 炭 坑 の設 備 は 徹
底 的 に破壊 さ れ た の であ った 。 か か る全 く 予期 しな か った 共産 軍 の攻 撃 を 受 け た北 支 那 方 面 軍 は 、 軍 の威 信 保 持 のた め
九 月 か ら 十 月 に かけ て二 次 に わた る晉 中 作 戦 を実 施 し 共 産 軍 を捕 捉 し よう と し た 。北 支 那 方 面 軍 司 令部 の状 況 判 断 では 、
こ の晉 中 作 戦 によ り 共産 軍 は戦 闘資 材 の大 部 分 を 失 な った ので当 分 の間 百 団大 戦 の如 き 広 地域 に わ た る組 織 的 活動 は困
難 であ ろう が、 こ のよ う な ﹁軍 事 的 勢 力 の衰頽 に拘 ら ず党 の地 下活 動 は益 々強 化進 展 せ ら れ其 の地 域 は拡 大 の傾 向 を 辿
り つつあ るを 以 て之 が対策 は至 急 且徹 底強 行 す るを 必 要 と認 ﹂ (﹁北支那方面軍状況報告﹂(七 一 二 頁) )め ら れた の であ った 。
か く の如 く華 北 、 華 中 とそ の具 体 的 状 況 に相 違 は あ る が、 中 国 に於 け る軍事 情 勢 は 一九 四 〇 年 か ら 四 一年 にか け て決
し て緩 和 され て居 らず 、 殊 に量 的 に劣 位 の兵 力 を広範 囲 に 分散 せざ るを 得 な い日本 軍 にと っては極 め て警 戒 す べ き状 況 にあ った と 云 えよ う 。
五
重 要 沿岸 都 市 と 水 陸 交 通線 の要 衝 は 日本 軍 の手 中 にあ る とは い え、 広 大 な農 村 地帯 は依 然 と し て国民 政 府 の、 あ る い
は共 産 勢 力 の控 制 下 にあ り、 抗 戦 意 識 の若 干 の低 下 動 揺 は時 に 見 ら れた と し ても、 中 国 が基本 的 に は抗 日救 国 の線 を 一
歩 も譲 ら な か った のは、 こ の戦 争 が中 国 に と っては祖 国防 衛 のため の已 む を得 ざ る戦 争 であ った か ら に ほか な ら な い。
った し、 ま たそ う な る可能 性 も少 な か った 。軍 事 的 にも経 済的 に も行 き詰 ま った 日中 戦 争 解 決 の道 は、 国 民 政 府 を 軍事
もち ろ ん既 に国 、 共 間 の衝 突 は顕 在 化 し つ つあ った と は いえ、 大 局的 に抗 日戦 争 を動 揺 さ せ るま でに は いた って いな か
的 経 済 的 に強 力 に支 援 し て いる英 、米 勢 力 の東 亜 に於 け る リ ーダ ー シ ップ を 承認 し て、 国 民 政 府 と の和 平 を 獲 得 す る か 、
あ る いは 欧 洲大 戦 に於 け る ド イ ツの圧倒 的勝 利 に依 存 し て戦 争 の解 決 を計 る か の二途 し か な か った。 一九 四〇 年 九 月 の
北 部 仏 印 進 駐 、 日 独伊 三国 同 盟 の締 結 は 日本 が後 者 の道 を 選 ば ん とす る意 図 を 示 し た も ので あ った 。
一九 三 七年 か ら の日中 戦 争 の過 程 に於 て、 英 、 米 の国 民 政 府 への影 響 力 は数 次 の財 政 借 款 等 の提 供 によ り圧 倒 的 に強
化 され て いた 。 そ し て 日本 も 戦 争 の遂 行、 占 領 地 の経 営 に関 し 、 ア メリ カか ら の物 資 の供給 に依 存 す る点 が多 か った 。
一九 四 一年 四 月 か ら の日米 交 渉 に於 て、 ア メ リ カ が中 国 問題 に 一貫 し て 日本 の予 想 以 上 に厳 格 な 態 度 に終 始 した のは 、 日中 両国 に於 け る かか る現 実 に立脚 し て いた から でも あ った。
日米 交 渉 の途 次 、松 岡 外 相 が 日本 内 部 に 日中 戦 争 を も てあ ま し、 対 米 屈 服 し て ﹁花 よ り団 子﹂ を と ろ う とす る 一派 が
あ る こと に言 及 し た こと は 、 さき にも触 れ た が、 近衛 首 相 も これ に 近 い傾 向 にあ った。 日米 交 渉 の基本 争 点 であ る 中 国
か ら の日本 軍 撤 兵 問 題 に つき、 十月 十六 日 の上 奏 文 中 で近衛 が、 ﹁撤 兵 問 題 も名 を 捨 て実 を取 る の主 旨 に依 り 形 式 は 彼
に譲 る の態度 を採 ら ば今 尚 妥結 の望 あ り ﹂ と 述 べた のは 、 ア メリ カ の イ ニシ ア テ ィブ によ る中 国 と の妥 協 を 実 現 す る こ
と に執 心 し、 将 来 の再 発 展 を期 す る ため には 現 在 屈 す る も 止 むを 得 な いと いう観 点 から であ った 。 こ の近衛 の屈 服論 に
対 し 、東 條 陸 相 が強 く 反駁 し、 ﹁米 国 の主張 に其 儘 服 した ら支 那事 変 の成 果 を 壊滅 す る も のだ、満 洲 国 を も危 く す る 、更
に朝 鮮統 治も 危 くな る﹂ ﹁駐 兵 は 心 臓 であ る ⋮⋮ ⋮ 此 基本 を な す 心臓 迄 譲 る必 要 があ り ま す か 。 これ迄 譲 り そ れ が外 交
と は何 か、 降 伏 です﹂ と ま で極 論 し、 遂 に近 衛 内 閣 の総 辞 職 を み るに いた った こと は 周 知 の事 実 であ る。
一見 す る と撤 兵 問題 を め ぐ る 近衛 首 相 と 東條 陸相 の意 見衝 突 が日米 交渉 進 行 上 の対 立 と な った如 く であ り 、 近衛 首 相
自 体、 そ のよ う に意 識 し た こと が上 奏 文 か ら も窺 え る のであ る が、実 は 日中 戦 争 の基本 的 性 格 を 形 成 し た のは、 近衛 第
一次 内 閣 自 体 であ り、 中 国 の独 占 的 管 理 方 針 は 近衛 内 閣 の所 産 であ った。 従 って近衛 が自 己 の政 策 の失 敗 を認 知 し、 中
国問 題 に於 け る対 英米 方針 を根 本 的 に改 正 す る の已 む な き事 態 に陥 って、 中 国 から の撤 兵 ・対米 屈 服 によ って実 を 採 る
の方針 を打 ち 出 し た のは、 自 己 の過 去 の政 策 の行 き詰 ま り に対 立 す る も の であ って、東 條 陸 相 の見 解 は と り も な お さず
近衛 の過 去 の政策 の表 現 であ った に過 ぎ な い。 つま り撤 兵 問題 に 関 す る 対 立を 近衛 、東 條 の対 立 と す る のは 不正 確 であ
って、 た だ 近衛 が従 来 の政 策 の失敗 と行 き詰 ま り か ら政 策 を 転 換 し よ う と す る のに対 し 、 支 配 層 の 一部 がそ の転 換 を首 肯 しな いと いう に過 ぎな い の であ った 。
し か も近 衛 首 相 の主 張 す るよ う に 、中 国 か ら の撤 兵 が ﹁名 を捨 てて実 を と る﹂ 結 果 にな る可 能 性 が あ った であ ろ う か 。
米 、 英 に対 し ては、 そ の可 能性 は若 干あ った かも 知 れ な い。 し か し、 戦 争 中 と にか く持 続 され てき た 中 国 の民族 的 抗 戦
意 識 は、 日本 の撤 兵 によ って愈 々昂 揚 す る ことは 明 ら か であ り、 ま た 日本 にと って も っと も重 要 な 華 北 に於 て は、 共産
系 勢 力 が農 村 地帯 に深 く滲 透 し てお り、 これ が撤 兵 後 の情 勢 の展開 に大 き な影 響 を も た ら す こと は容 易 に予 想 さ れ た。
さら に四年 に わ た る 日本 軍 の占 領 は決 し て単 な る軍事 的 な も のにと ど ま らず 、 占 領 地 の実 況 は 、﹁事変 前 に お い て は、
いわば 紡 績 一筋 の家 柄 であ った が 、卵 、 豚 毛 、 茶 、 獣腸 、 桐 油 など の土 産品 の加 工業 であ れ、 清 涼 飲 料 、 自 動 車 、木 材 、
セ メ ン トお よ び同 加 工業 、 そ の他 マ ッチ、 皮 革 、 電 球 、 ゴ ム、 琺 瑯 鉄 器 な ど の いわ ゆ る雑 工業 であ れ、 はた ま た 製 糸 、
製 粉 、 煙草 と いう がご と き 巨大 産 業 であ れ 、 造 船 、硫 安 、 塗 料 など の軍 需 工業 であ れ 、 す べ て が日本 の息 のか か った も
のと し て存在 す る よう に﹂ な って いた事 実 を 銘 記 し な け れ ば なら な い。 つま り 日本 の大 産 業 であ れ、 中 小企 業 であ れ 、
種 々な 形 に於 て中 国占 領 地 に進 出 し て いた のであ って、撤 兵 は単 な る軍 隊 の撤 兵 と いう 問 題 でな く、 日本 経 済 の全 体 制
に わた って直 接 深刻 な か つ根本 的 な影 響 を及 ぼす 性 格 のも の であ った。 さら に東 條 陸 相 が、 撤 兵 は満 洲 国 にま で累 を 及
ぼ すと 云 って いる のも、 東 北 の回 復 が中国 の民 族 的 課 題 と な って いる以 上 、 決 し て杞 憂 で はな か った 。 一九 四 一年 満 洲
国 の建 国 十 週 年 の行 事 に参 加 す る た め 長春 を 訪 れ た 汪 政 権 関 係 者 は、 自 動 車 に青 天白 日旗 を 掲 げ て街 を走 る と、 街 中 の
民衆 が青 天 白 日旗 を見 て興 奮 し て いる 状況 がよ くわ か った と書 いて い る が、東 北 の民 衆 にと って故 国 への復 帰 統 一は 強
い願 望 であ り 、 中 国 から 撤 兵 後 、満 洲 に於 け る民 族 統 一運 動 が日本 にと って深 刻 な問 題 と な る こと は疑 い得 な いと ころ
で あ った。 こ のよ う な状 況 下 に於 け る中 国 か ら の撤 兵 問題 は、 日本 にと ってま さに全 体 制 的 な 危 機 と意 識 され た のは 当 然 であ る。
日米 交渉 の逼 迫 し た段 階 及 び太 平 洋 戦 争 の勃 発 と呼 応 した 時 期 には、 華 中 に於 ては 二次 にわ た る長 沙 進 攻 作戦 が呂 集
団 に よ って実 施 され、 日本 側 第 三 、 六 、 四 十師 団 等 の精 鋭 と蒋 介石 の中 央 直 系 軍 と の間 に 死闘 が繰 返 され て いた 。 即 ち
第 一次 長 沙 作 戦 は 一九 四 一年 九 月 十八 日よ り 十 月中 旬 ま で展 開 され 、 ﹁蒋 介 石 は自 ら第 一線 に出 動 し集 中 可 能 の 最 大 限
の兵 力 と 厳 重 苛酷 な る督 戦 とを 以 て臨 み就 中長 沙 の確保 と 宜 昌 方 面 反 攻 に は 近来 曾 て見 ざ る戦 力を 集 中 せ り﹂ ( ﹁第 一次
長沙作戦経過概 要﹂(五 一六頁))と 云わ れ た。 日本 軍 は九 月 二十 八 日長 沙 占 領 後 撤退 し た のであ る が、戦 死 傷 者 は 六 八五 四名
(内 戦 死 一六七 〇) に のぼ った。 呂 集 団 は 太平 洋戦 争 勃 発 直 後 に も ふ た た び長 沙 進 攻作 戦 を展 開 し た の であ る が、 中 国
軍 の抵 抗 も激 烈 で、 や はり 六 〇 〇 三名 の死 傷 者 を 出 し (﹁第二次 長沙作戦経過概要﹂(五二九頁以下))、 中 国 軍 の遺 棄 死 体 も 二 万 八千 を数 えた 。
華 北 に於 ても 、 一九 四〇 年 一月 から 十 二 月 ま で の間 に、 日 本 軍 の死傷 は戦 死 五 千 四 百、 戦 傷 一万 二千 三 百余 に のぼ っ
た の であ る ( ﹁北支那方面軍綜合 戦果表﹂(四六九頁))。 そ し て こ のよ う な 中 国 に於 け る状 況 に於 て太 平 洋 戦争 は勃 発 し た の で あ った。
一〇 九 一頁、民国廿八年 一月廿 一日講
九六二頁
二六九頁、中国現代史料叢書、第 二輯
(1) 今井清 一・野沢豊 ﹁軍部 の制覇 と日中戦争﹂﹃日本歴史 ・現代 3﹄ ( 岩波書店) ( 2 ) 〓 吉堂著 ﹃中国現代史料叢書 、第 二輯﹄ (4) ﹃蒋総統集﹄第 一冊
(3) 一九三七年六月廿九日 ﹁中 日国交之前途﹂﹁ 季鸞 文存﹂ 上 (5) ﹃蒋総統集﹄第 一冊
(6) ﹁日中戦争下﹂(﹃太平洋戦争 への道﹄第四巻) 三三頁 四〇五︱ 六頁
(7) 臼井勝美 ﹁支那事変前 の日中交渉﹂国際政治 学会 ﹁日中関係 の展開﹂所収 (8) ﹃日本外交年表竝主要 文書﹄下
三九九頁
(9) 一九三九年十 一月、日華国交調整原 則 に関 する協議会 に於ける梅 思平 の発言 (10) 前掲 ﹃日本外交年表竝主要文書﹄下
(11) ﹁日中戦争下﹂ (﹃太平 洋戦争 への道﹄第四巻) 一八八頁
(12 ) YukweiCheng ,For ei gn
T rade and I ndust r i alDevelopmen t f oCh i na p.123︱ 138
(13 ) 外 務 省 記 録 ﹁支 那 事変 ﹂ 第 七 巻
一二〇 八 頁
(14 ) (15 ) ﹃太 平 洋 戦争 への道 ﹄ ﹁資 料 篇 ﹂ 四 七 〇︱ 一頁 (16) ﹃蒋 総 統 集 ﹄ 第 一冊 (17 ) ﹁日 中 戦 争 下﹂ ( ﹃太 平 洋 戦 争 への道 ﹄第 四巻 ) 二 五三 頁
三 四三 ︱ 四 四頁
(18) ( 19 ) ﹃太平 洋 戦 争 への道 ﹄ ﹁資 料篇 ﹂ 五 三六 頁 、 五 三 四頁
四五頁
(20) 満 鉄 調 査 部 ﹁支 那 事 変 年 報 ﹂ 昭 和十 五年 (21) 金 雄 白 ﹁汪 政権 実 録 ﹂ 上
(臼 井 勝 美)
二
対 ソ国 防 と 満 洲 国
前 解 説 に お い て、 臼 井 氏 が指 摘 さ れ て い るよ う に 、蘆 溝 橋 事 件 を 発端 と し て、 陸 軍 中 央 部 が、 つね に戦 局 戦 面 を 限 定
し 、 且 つ早期 終 結 に努 力 し た にか か わ らず 、 中 国 大 陸 に お け る戦 局 は、 未 曾 有 の大戦 争 に進 展 し て、中 国 全 土 にわ た り、
全 面 的 に大 消 耗 戦 が展 開 さ れ た の であ った 。 こ のこと は 、 日本 に と って は予 期 し な い戦 争 であ り、 し た が って無 計 画、
場 当 り的 な作 戦 に陥 ら ざ るを得 な か った結 果 と も な る の であ る が、 臼 井 氏 所 説 の通 り、 中 国 には抗 戦 の名 分 が明 確 であ
し かし 、 日本 特 に陸 軍 側 の立 場 から 、 そ の頃 の情勢 を分 析 す るな ら ば 、蘆 溝橋 前 夜 にお い ては、 対 ソ国 防 充 実整 備 と
り、 日本 に はそ の理由 が な か った、 いわ ば無 名 の師 と いわ れ る こと に も通ず るも ので あろ う 。
世 界 情 勢 の変 転 に 対処 す る ため 、 国 力 戦 力 の造 成 が喫 緊 の要 務 であ り、 そ れ が た め に は対 ソ不戦 、 日中 友 好 、 経済 提携
お よ び国 内革 新 が、 国 策 の主 軸 と し て推 進 さ れ つつあ った ので あ る。 これ ら に 関 し て は、 ﹁日 中戦 争 一 ﹂ の第 三章 に、
主 と し て ﹁石原 構 想 の展 開 ﹂ と いう 観 点 か ら 、戦 争計 画、 産 業 計 画 およ び満 洲国 育 成 方 策 等 に つ いて収 録 し た そ れ ぞ れ の資料 と、 そ の解 説 でほ ぼ 明 ら か に し た つも り であ る。
し か る に、 前 述 の如 く 、蘆 溝 橋 一発 の銃 声 に端 を発 し 、 事 態 は ズ ルズ ルと 、 戦 火 を全 中 国 に拡 大 せし め て い った。 し
か し て、 そ の間 にお い ても 、 対 ソ戦 力 の温存 お よ び国 内 機 構 改 革 を伴 う 生産 力 拡 充 に よ る国 力 戦 力 の劃期 的 な造 成 措 置
が 、 ほ と んど 絶 対 的 要 請 であ った 。し た が って、 こ の こと が 日中 戦 争指 導遂 行 上 の基 調 を 形 成 し 、 そ のため 、 あ る場 合 に は、 それ がか え って作 戦 制 扼 の条 件 と な った ことも 見 逃 し得 な い事 実 と 思 料 さ れ る。
本 章 は、 以 上 のよう な見 地 にた って、 石 原 、 片 倉 およ び戦 史 室 所 蔵 資 料 から 編集 収 録 し た。 日中戦 局 の進 展 に伴 い、
と もす れば 忘 れ ら れ、 見 お と され 易 い満 洲国 に お い て、前 記 のよう な要 請 に基 く諸 施 策 が い か に展 開 さ れ た か に焦 点 を
合 せ て、 そ の 一班 を 載 録 し た の であ る が、 少 し でも 当 局者 苦 心 鏤 骨 のあ と を 窺 知 し て い た だけ た ら 幸 いで あ る。
な お 資料 選 択 は、 お お む ね 昭和 十 三年 末 頃 ま で にと ど め た 。 そ れ は、 そ れ 以降 の満 洲 国 な ら び に対 ソ戦 備 には 、 内 外
情 勢 の変 化 に よ って自 ら 段階 があ り、 ここ に 一括 載 録 す る こと にも 不 便 があ り、 ま た本 書 の紙 数 にも限 り があ る の で、
日 ソ事 件 に つ い ては 次巻 に譲 った 。 そ し て、 そ の後 の満 洲 国 関係 に つい ては 他 日 を期 し た い所 存 であ る。
一
蘆 溝 橋 事 件 勃 発 す る や、 時 の参 謀 本 部 作 戦 部 長 石 原莞 爾 少 将 は、 かね て の持論 に基 き、 日中 戦争 の不幸 を説 き 、 不 戦
不拡 大 を主 張 し て譲 ら な か った こと は、 本 書 第 一章 所載 ﹁石原莞爾中将回想応 答録﹂(三〇二︱三 一七頁) に明 ら か であ る 。 し
か し孤 軍 空 し く、 大 勢 の赴 く と ころ、 そ の年 九 月、 中 央 にお け る職 を 退 き、 古 巣 満 洲 に関 東 軍 参謀 副 長 とし て転 任 し た 。
当 時 の満 洲 国 は 、 建 国後 五 年 を 閲 し、 生 成 発 展 の途 上 に あり 、 懸 案 であ った 治外 法 権 の撤 廃 や 附属 地行 政 権 の移 譲 な ど
が行 わ れ つ つあ った が、 大勢 は建 国 の理 想 と は お よ そ反 対 の方 向 を た ど り つ つあ った よう であ る。 こと に特 務 部 (主 と
し て民 間 人 ) 廃 止 せ ら れ、 参 謀 部 第 四 課 が 、 三位 一体 た る関東 軍 司令 官 の内 面 指 導 権 を握 り、 実 質 的 に自 ら 表 面 に立 っ て権 力 を ふ るう か の観 を呈 し て いた 。
新 京 に着 任 し た石 原 少 将 は、 深 く満 洲国 の現 状 を省 察 し 、建 国同 志 と相 図 り、 純誠 な る建 国 の理 想 に立 ち還 る べく 、
租 借 地 の譲 与 な ら び に軍 司 令 官 の内面 指 導 撤 回 お よ び これ に伴 う 第 四課 の廃 止 と協 和 会 の育 成 強 化 を真 向 か ら主 張 し た
の であ った 。 この こと は 、 昭和 七年 八 月 満 洲 を 去 る に のぞ ん で、 関 係者 各官 に遺 言 の如 く 書 き 残 し た と ころ でも あ った
の であ る 。本 章 所載 ﹁五乃至 一五﹂(七三七︱七七七頁)ま で の諸資 料 は、 そ の苦 闘 の跡 を物 語 るも の であ り、将 軍 の熱 烈 な 主
張 努 力 にも か か わら ず 、関 東 軍 と し て採 択 さ れ たも の は、﹁満洲国政策遂行に関する要望事 項﹂(七五八、九頁)で あり 、﹁要望事
項説明書﹂(七六〇︱七六四頁)であ った 。 そ し て志 を 果 し 得 な か った将 軍 は、 病 気 静 養 のた め在 任僅 か 一年 足 らず し て八 月
十 八 日 、孤 影 悄 然 満 洲 を 去 った ので あ る (東 大 附 属 病 院 で入院 加 療 後 同 年 十 二 月閑 職 の舞 鶴 要 塞 司 令官 に補 せら れた )。
自 筆 手 記 ﹁東亜聯盟﹂(七七六、七頁)に お いて、 将 軍 は ﹁満 洲事 変 勃 発 後 一年 な らず し て、 関 東 軍 の責 任者 は全 部 転 出 せ
し め ら れ、 満 洲 国 は右 方 針 ( 編者註 ・同手記一に記述されている)と 全 く反 対 の日本 独 占 の方向 に急 変 し 、 以後 建 国 同 志 の努 力
によ り時 に改 善 の希 望 を 与 へた る こと あ り し も、 遂 に大 勢 を 挽 回 す る能 はず し て今 次世 界 大 戦 の導 火 線 と な れり 。 我 等
は全 世界 に向 ひ衷 心 よ り 自 己 の不 明 を陳 謝 し、 謹 で全 責 任 を負 は ん と欲 す るも のな り。﹂ と述 懐 し て い る。 いか にも 印 象 的 であ り、 且 つ感 銘 深 いも のが あ る。
石 原 将 軍 の悲 劇 は 、 以 上 のみ に とど ま ら な か った 。同 時 に在 職 し た東 條 英 機 参 謀 長 と は 、 か つて は 一夕 会 に名 を列 ね
た 同志 的 存 在 であ った 。 し か る に、 この約 一年 に亘 る関 東 軍 時 代 にお いて、 全 く 相 容 れ な い存 在 と な ってし ま った。 昭
和十 三年 十 二月 憲 兵 に よ って、 満 洲 国 大 使 館 内 に あ った協 和 会東 京事 務 所 が臨 検 さ れ 、所 員 の大 部 分 が拘 引半 ヶ年 にわ
た った 。所 謂 浅 原 事 件 であ る。 し かし 何 も な か った 石原 将 軍 は、 昭和 十 四年 九 月 京 都 第 十 六師 団 長 とな り 、満 洲 移 駐 を
内命 さ れ てた 一意 渡 満 の日 を期 し て そ の準 備 訓練 に精 進 し て いた が、 昭和 十 六 年 初頭 突如 満 洲 移 駐 は中 止 と な り、 ま も なく 同 三月 、 同 中将 は待 命 即 日予 備 役 編 入 と な った。
二
本 章 所 載 ﹁一至四﹂(七二七︱七七七頁)お よび ﹁一三至 一五﹂(七六五︱七七七頁)は 、関 東 軍 にあ った 石原 将 軍 の戦 争史 観 の補
備 と、 これ に基 く 対 ソ国 防 国 策 な ら び に日 中戦 争 対 処 の方 策 であ る。﹁戦争計画要綱﹂( 七三六頁)に み ら れ るよ う に 、持 久
建 設 方 略 をと り つ つ東 亜 聯 盟 論 を も って、 日中 戦 争 を 収 拾 し よう とす る時宜 に即 し た構 想 が窺 わ れ る のであ るが 、 これ
ま た ほと ん ど 要路 に かえ り みら れ な か った 。し かし 支 那 派遣 軍 総 司 令 部 に お け る板 垣 総 参 謀長 、堀 場 一雄 参 謀 お よ び辻
政 信 参 謀 等 の同 調活 動 に より 、 遂 に汪 兆銘 の共 鳴 を 得 、新 国 民政 府 の重 要 な ス ロー ガ ンと な った 。
これ に対 す る日 本内 地 に おけ る抑 圧政 策 は、﹁東亜聯盟﹂( 七七六、七頁)中 に詳 細 記 述 さ れ て いる が、現 地 に おけ る東 亜 聯
盟 運 動 は 、東 條 首 相 の南京 に お け る板 垣 総参 謀 長 と の会 談 にま で発 展 し た。 結 局政 治 運 動 と はし な いと いう こと で、 汪
政 権 の こ の種 運 動 は つづ け ら れ た。 し か し 、 これ と て も悲 劇 の 一齣 であ ったと い って差 支 え はな い であ ろう 。
三
﹁一六乃至 二三﹂( 七七六−七九八頁)の諸 資 料 は、満 洲産 業 五 年 計 画 実行 の推 移 を物 語 る も のであ る。 石 原構 想 によ って推
進 さ れ た こ の種 産 業 計 画 は 、 日本 内 地 にお い ては な かな か 簡 単 に は進 捗 し な か った 。 さり な がら 陸軍 の強 い要 望 と推 進
力 に よ って、 企 画 庁 か ら企 画院 への機 構 改 革 を伴 いな が ら、 時 局 の圧 迫 も 加 わ り、 昭和 十 四 年 一月 に は ﹁生産力拡充 計画
要綱﹂ (前巻 ﹁日中 戦 争 一 ﹂第 三章 収 録 )とし て閣 議 決 定 と な った。 か く し て漸 く 日、満 、 北 支 を通 ず る産 業 計 画 と な っ
た わ け であ る。結 果 的 には 、 日中 の戦 局 が、 これ を推 進 せし め た と いえ る が、 反 面 こ の大 消 耗 戦 が、 こ の計 画 を阻 害 し、 歪 曲 せし めた こと も当 然 の成 行 き で あ った。
(稲 葉 正 夫 )
第
第
三次
二次
米
阿
平
第
内
東
内 15.1
部 14.8
沼 14.1
東
近
近
米
阿
平
近
沼
衛
衛
内
部
文
文
光
信
麿 15.7 16.7
政 15.1 15.7
行 14.8 15.1
松
有
野
阿
岡
田
村
部
吉
信
洋
八
豊 田
郷
貞 茂
次
騏一郎 14.1 14.8
行
(兼 郎 三郎 15.1 14.9 )14.8 15.7 15.1 14.9
右 15.7 16.7
小
屋
倉
興
正
宣 16.10 19.2
恒 16.7 16.10
烈 15.7 16.7
雄 15.1 15.7
東
東
畑
條
條
河
桜 内
田
青 木
有 田
八
八
郎( 留任 )
近 衛 文
宇
廣
垣
田
麿 (兼
弘
) 郎1 一成 毅 3.10 13.9 13.5 12.6 14.8 13.10 13.9 13.5
石
池
賀
渡
田
屋
成
興
彬 13.5 14.1
宣 12.6 13.5
板
杉
大
賀
有 田
麿 12.6 14.1
務
徳16 郎 .10 16.7 17.9 16.10
文
外
東
衛
理
機 麿 16.10 16.7 19.10 16.10
総
條 英
荘 幸
太
15.1
郎 14.1 14.8
蔵
一男 14.8
東 繁 太
)
及 川 古 志 郎 15.9 16.10
吉 田
吉 田
善 吾 (
善
留任 )
吾 (留 任 )
15.7
吉 田 善 吾 14.8 15.9
)
四 郎 13.6 14.8
元 12.2 13.6
米
米
内
内
光 政(留任 )
光 政 12.2 14.8
軍
郎 16.10 19.7
及 川 古 志 郎 (留 任
)
六 14.8
山
征
海
田
)
六 (留 任
機 15.7 19.7
俊
垣
軍
英 機( 兼) 嶋
機 (留
英
板 垣 征 四 郎 (留任
陸
條 任
俊
英
畑
三
衛 15.7
一次 近 衛 12.6
近
閣
條 16.10
近 衛 16.7
省 梅津美治郎 ︱ 山脇正隆
町尻量基
木村兵太郎
︱
町尻量基 ︱ 武藤章
︱ 吉本貞 一
佐藤賢了
( 兼)︱
︱ 木村兵太郎
田中 新 一
塚田攻
河村参郎
︱ 山脇正隆
︱ 阿南惟幾
︱
真田穣 一郎
影佐禎 昭 ︱ 有末精 三 ︱
岩畔豪雄 ︱
︱ 中村明人
︱ 東條英機
町尻量基
田中 新 一 ︱
︱
澤田茂 ︱
︱
︱
18.3
陸 軍 官 ︱
︱
︱ 柴山兼 四郎
︱
︱富永恭次
飯村穣
︱ 若松只 一 ︱ 岡本清福
︱
14.1
次 後宮淳
町尻量基
長
課 長 石本寅三
︱ 橋本群
︱ 中島鐵蔵
︱ 杉山元
下村定
︱ 土橋勇逸
磯谷廉介
岡村寧 次 廃
13.12
16.4
17.8
局
軍 事 課 長
︱
︱ 樋 口季 一郎
︱
17.4
軍 務
軍 務
閑院宮載仁親王
参謀 本部 長 今井清
謀 総 長 石原莞爾
参
長 本間雅晴
多田駿
一 部 長
︱
第 二 部
東條英機
︱ 梅津美治郎 ︱
畑俊六 ︱ 後 宮淳
︱畑俊 六 ︱ 山 田乙三
14.12
14.10
14.3
15.12
次
第
植 田謙吉 板垣征四郎
関 東 軍 司 令 官 〝 参
西尾壽造
謀 長
支 那 派 遣軍 総 司 令官
板垣征 四郎
寺内壽 一 ︱ 杉山 元 ︱ 多 田駿
〝総 参謀 長 北 支那 方 面 軍司 令 官
松井 石根
16.4
14.10
16.2 17.4
17.8
15.10 17.12
13.11
14.9
16.4
15.10
14.9
16.7 19.8
14.12
13.6
19.2
中 支那 方 面 軍司 令 官
―
―
13.1 13.12
14.9
15.11 16.11
16.2
13.12 (代)
14.2
13.5 12.3
13.7
13.6
14.9
13.10
13.2
13.4 13.12
―
14.9
12.3 12.3
12.3
11.3 11.3
14.9
15.10 19.7
12.8
6.12
14.10
12.10 12.9
16.4
12.3
17.8
12.1
12.7
11.3
14.9
12.10 12.8
19.11 16.7
11.3 11.8
17.4
南 支 那 方 面軍 司 令 官
安藤利吉 廃
︱
︱ 澤本頼雄 ︱ 岡敬純
豊田貞 次郎
︱ 阿部勝雄
︱ 住山徳太郎
︱ 後宮淳
山本五十六 ︱ 井上成美
永野修身
︱ 伊藤整 一
16.4
天羽英 二 ︱
19.7
省 官 豊 田副武
︱
近藤信竹 山本 五十六
古賀峯 一 ︱ ︱
︱ 嶋 田繁太郎 ︱
大橋忠 一
19.11
軍 次 局
長
軍 務
伏見宮博恭王
令 部 長 嶋田繁太郎
吉田善吾
及川古志郎
谷正之 ︱
︱ 山本熊 一 ︱ 太 田 一郎
︱ 堀内干城 田尻愛義
19.7
15.9
16.7
︱ 本多熊太郎
16.9
海
軍 総 長 永野修身 ︱
︱ 栗原正
︱ 澤 田廉三 ︱ 石射猪太郎
堀内謙介
長谷川清
︱
次 聯 合 艦 隊 司 令長 官
官 長
19.2
12.10
14.8
― 12.12
16.3
15.10
︱ 阿部信行
上村伸 一 ︱ 土田豊 川越茂
西春彦
16.10
支那方面艦隊司令長官
亜 局
使
17.9
省 次 東
大
同 第 一課 長 中国
16.8
外 務
中
15.9
17.11
14.10
14.10
7.1
15.8 15.8
14.10
14.8 15.12
15.9
15.5 18.4
17.1
17.11
14.9
14.12
12.10
12.12
13.11 13.10
15.4
13.11
13.4
11.12
15.2 10.12 10.12 12.2―
12.5
11.4
11.4
11.5 13.12
参
考 文
四
献
学術文献普及会
朝日新聞社
資料編﹂
数字は発行年 (昭和)を示す
﹁太平洋戦争 への道 ・3 日中戦争 上 ・下 、別巻 30
37︱ 38 28
外務省編
国際政治学会太平洋戦争原因調査部編 ﹁日本外交年表 並主要文書﹂下 ﹁太平洋戦争前史﹂ 青木得 三 第二巻
石川 欣 一訳
Sta t es. J apan 1931 ︱ 41 Ⅰ .
毎 日新 聞社
H.Abend and A.Bi l l i ngham;Ca n Chi nasurvi ve?1 936
グ ルー
H.Ti l t m an,TheFarEas tcomesnea rer ,1 936 ﹁滞 日 十年 ﹂ 上 ・下
Ⅱ.19 37︱ 194 1
Forei gnRel at i onsoft he Uni t ed
Do cument son GermanFor ei gn Pol i cy 1918︱ 1945D︱ 1 .
VI II,I X
17
Docu ment s on Bri t i s h For ei gn Pol i cy Thi r d Seri es Vol .
﹁日本 の対 支 投資 ﹂ 東 亜 研究 所
32
35
みす ず 書 房
春秋雑誌社
歴 史学 研 究 会
河出書房
東邦研究会
日本 国 際 協 会
時事通信社
朝 日新 聞 社
建民社
三 一書 房
人 民出 版 社
﹁ 抗 日戦 争 時 期解 放 区 概 況﹂ ( 中 国 現 代 史資 料 叢 書 ) 28
﹁蒋 総統 集 ﹂ 二
鱒書 房 時事通信社
﹁毛 沢東 選 集 ﹂ 二 ・三 ・四巻
88
中央公論社
第 一巻 37
毎日新 聞社
﹁大東亜戦争全史﹂ 服部卓四郎 ﹁ 支那事変戦争指導史﹂ 堀場 一雄 27
国防研究院
上 ・下巻
28
28
31
﹁周仏 海 日記 ﹂ 吉 田東 裕 訳 ﹁宇 垣 日記 ﹂ 宇 垣 一成 ﹁中 国 共産 党 史 ﹂ 六 ・七
36
33
﹁昭 和 十 ( ︱ 十 四 ) 年 の国 際 情 勢 ﹂ 赤 松 裕 之
波 野 野 乾 一 36
﹁昭和之動乱﹂ 重光葵 30 31
﹁ 外交 回想録﹂ 重光葵 ﹁ 幣原喜重郎﹂ 幣原平和財団 ﹁ 岡 田啓介﹂ 岡 田大将記録編纂会
12
31
64
﹁船 津 辰 一郎 ﹂ 在 華 日本 紡 績 同 業 会 編 ﹁日 中 戦争 史 ﹂ 秦 郁 彦
金雄白
﹁太 平 洋戦 争 史 ・中 日戦 争﹂ 28 ﹁汪 政 権 実録 ﹂ 上 ・下
﹁洪 波 曲
高 杉 一郎 訳
32
み す ず書 房
郭 沫 若 ﹂ 34 ( 邦 訳 ﹁抗 日戦 回想 録 ﹂) 百 花 文芸 出版 社
岩波書店
﹁中 国 の歌 ご え﹂ ス メド レ ー
﹁支 那事 変 の回想 ﹂ 今井 武 夫
岩波書店
読売新聞社 25
東京銀行集会所訳 13
﹁支那幣制改革 の批判﹂ 林維免 ﹁ 北支経済調査﹂ 名古屋市産業部
11 11
﹁北支経済事情﹂ 日支問題研究会 ﹁ 銀問題﹂ 金融 研究会
10
原 田熊雄述
9
﹁ 北支事情綜覧 ﹂ 満鉄調査資料第 一六七編 25
﹁ライヒ マン報告書﹂ 日本国際協会 ﹁ 外交官 の 一生﹂ 石射猪太郎
25
﹁西園寺公と政局﹂ 第 三 ・四 ・五巻 ﹁ 陰謀 ・暗殺 ・軍刀﹂ 森島守人
﹁アジ ア の戦 争﹂ 37
スノ ー
﹁悲 劇 の証 人 ﹂ 西 義 顕
森 谷巌 訳
﹁ 揚 子江 は今 も 流 れ て いる﹂ 犬 養 健 ﹁ 中 国 のな か の 日本 人﹂ 梨 本 裕 平
33
31
文芸春秋社
み すず 書 房
平凡社
文献 社 35
五
活字 印刷 。 十 一頁 。 (一頁 一五
活 字 印 刷 。九 頁 。 (一頁 一五 行 、
左に本書に使 用した資料 の原型を掲げておく。 一
北支 作 戦 に 関 す る海 陸 軍 協 定 三四字) 対 支 作 戦 用 兵 に関 す る内 示 事 項 行 、 三 四字 、表 七頁 )
不 拡 大 方針 抛棄 の閣 議 決 定
タイ プ 印刷 。 陸 軍 用 箋 、 五 頁 。 (一
活字 印 刷 。 一頁 。
タ イプ 印 刷 。陸 軍 用箋 、表 紙 と も
タ イ プ印 刷 。陸 軍 用 箋 、 四 頁 。 (一頁 一
タイ プ 印刷 。陸 軍 用 箋 、 表 紙 と も 四頁 。
対 欧 米 外 交方 針 ニ関 ス ル件 頁 一五 行 、 三 〇 字)
(一頁 一五 行 、 三 〇字 )
時 局 ニ関 スル意 見 具申
五行 、 三〇 字 )
喜 多 少 将 ニ与 フル 訓 令
支 那事 変 対 処 具 体 的 方 策 見 綱
カ ーボ ン紙 複 写 。 大 日本 帝 国 政府 用 箋 、
力 ーボ ン紙 複 写。 大 日本 帝 国政 府 用 箋 、 一
一六頁 。(一頁 一五 行 、 三 〇字 ) 対支 那中 央 政 権 方 策 六枚 。 支 那 事 変解 決 処 理 方 針 案
活 字 印刷 。 五頁 。 (一頁 一五 行 、 四
七字)
一五 枚 。
支 那 駐 屯 軍 の 作戦 計 画策 定
北 支 ニ兵 力 ヲ行使 ス ル場 合 対 支 戦 争指 導 要綱 ( 案 ) カ ーボ ン紙 複
箋 、 九 頁 。 (一頁 一五行 、 三 〇 字 )
プ印 刷 。陸 軍 用 箋 、 八枚 。
北 支 経 済 開 発方 針 に関 す る第 三 委 員 会決 定 案 送 付 の件 通 牒
タイ
事 変 対 処 要綱 案 ( 従 来 の中 央 政 府 否 認後 ) タ イ プ 印 刷 。陸 軍 用
大 日 本 帝国 政 府 用 箋 、 一五 枚 。
事 変 対 処 要 綱 案 (対 現中 央 政 府 解 決 の場 合 ) カ ー ボ ン紙 複 写。
活 字 印 刷 。 二頁 。 (一頁 一五 行 、 四
写 。 大 日 本 帝 国 政府 用 箋 、 一四 枚 。
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用 箋 、
タ イプ 印 刷 。 陸 軍 用 箋 、表 紙 と も 三 頁 。 (一
中 央 統 帥 部 ノ 対支 作 戦 計 画 七字) 北支政務指導要綱 頁 一五 行 、 三 〇字 )
関 東 軍 司 令 官 ヨリ 参 謀 総 長 、陸 軍 大 臣 宛
タイ プ 印 刷 。陸 軍 用 箋 、 二 頁 。 (一頁
タイ プ 印
タ イ プ印 刷 。 表紙 と も 九 七 頁 。 (一頁 一四
北 支 政 務 指 導 ニ関 す る件 一五 行 、 三 〇字 )
四頁 。 (一頁 一五 行 、 三〇 字 )
第 一軍 作 戦 経 過概 要
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用 箋 、表 紙 と も 一〇 頁 。 (一
政 務 指 導 に 関 し陸 軍 次官 の北 支 那 方 面 軍 と の連 絡 事 項
行 、 三〇 字 、 地 図 八頁 、表 一〇 頁 )
対時局処理要綱
タ イ プ印 刷 。 陸
頁 一五行 、 三〇 字 ) 全 権 大 使 ヨリ 総 理 大 臣 、外 務 大 臣 宛 具 申 案 骨 子 軍 用 箋 、 二頁 。 (一頁 一四行 、 三〇 字 )
タ イ プ印 刷 。陸 軍 用箋 、 一 一
ペ ン書 。 四枚 。
刷 。表 紙 と も 一二頁 。 (一頁 一〇 行 、 三 一字 ) 講 和 問題 に関 す る 所信 タイ プ 印刷 。 三枚 。
三頁 。
活 字 印 刷 。 二頁 。
対 支 作 戦 用 兵 ニ関 スル第 三艦 隊 司 令 長 官 ノ意 見 具申
謄写
事 態 悪 化 ニ関 ス ル第 三艦 隊 命 令
謄 写版 刷 。 表 紙 と も 一四頁 。
活字 印刷 。 三頁 。
活字 印 刷 。 三 頁 。
活 字 印刷 。
謄 写版 刷 。 表 紙 と も 八
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用箋 、
駐 蒙 兵 団 石 本 参謀 長 に対 す る東 条 関東 軍 参謀 長 の懇 談 要 旨
版 刷 。十 五頁 。 (一頁 約 一 一〇字 )
北 支 蒙 疆 方 面 交 通 経 営機 関調 整 要 領 案
五頁 。 (一頁 一五 行 、 三 〇字 、図 一頁 )
支 那事 変 対 策 察 哈 爾方 面政 治 工 作 緊 急 処 理 要 綱
中 支 作 戦 ニ関 スル 陸 海 軍航 空 協 定 ノ抜 萃
タ イプ 印 刷 。表 紙 と も 五頁 。(一頁 一〇 行 、三〇 字 ) タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 二 四 頁 。 (一
頁。
頁 。 (一頁 一五行 、 三 〇字 、表 一頁 ) 察 蒙処理要綱 蒙 疆 方面 政 治 工作 指 導 要 綱 頁 一五行 、 三〇 字 、 図 一) タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用
張家 口特 務 機 関 長 松井 大 佐 他 ニ与 フ ル訓 令
漢 口上 流 居 留 民 引揚 ノ指 示
活 字 印刷 。 三頁 。
艦隊編制改定 タイ プ 印 刷 。表 紙 とも 六 二
箋 、 五枚 。 篠 原支 隊 編 成 及 張 北 に 向 ふ行 動 詳報
第 三艦 隊 司 令 長官 ノ兵 力 部 署 下 令
活字 印 刷 。 二頁 。
大 山 大 尉事 件 に対 す る軍 令 部 対 処 方針
タイ プ 印 刷 。陸 軍 用 箋 、 五 枚 。
頁 。 (一頁 一四行 、 二 九字 、 図 二頁 、 表 五 枚 ) 蒙 古 自 治 聯 盟 施 策 に関 す る件
参 謀 本 部 ト 軍令 部 ト ノ協 定 抜 萃
活 字 印刷 。 二頁 。
タイ
上 海 ・青島 への陸 軍 出 兵 に 関 す る 臨時 閣 議 要 請
蒙 疆 地 区 綿 羊 、 羊 毛及 羊 毛 皮 配 給 統 制 要 綱 に関 する 件 申 請 プ 印 刷 。 陸 軍 用箋 、 一四枚 。
活字 印刷 。 一三 頁。( 表 一)
八 月 十 四 日海 陸 軍 協 同 作 戦 ニ関 スル大 海 令 発 令 タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用箋 、 三
タイ プ 印 刷 。 三頁 。
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 九 頁 。 (一頁 一四
謄 写版 印 刷 。 五 〇頁 。
満 洲 国 ・蒙 疆 聯合 委 員 会 間 議 定 書 ( 案 ) タ イプ 印 刷 。 七頁 。 時 局 処 理 ニ関 ス ル関 東 軍 参 謀 長 上 申 頁。
第 九 師 団作 戦 経 過 の概 要
行 、 三〇 字 )
新 興支 那建 設 方 策 大 綱 タ イ プ印 刷 。陸 軍 用 箋 、 七頁 。
蒙 疆 聯合 委 員会 設 定 ニ際 シ 蒙 疆 聯合 委 員 会 ト 関 東 軍 司令 官 ト ノ秘
新 興支 那建 設 ニ関 スル意 見 具申
密 交 換 公文 送 付 ノ件
駐 蒙 兵団 政 略 指 導 機 関 ニ関 ス ル件 他
戦 争 指 導 計 画 大綱 案
タ イプ 印 刷 。陸 軍 用 箋 、 四
頁。
対 支 行 政事 務 処 理 の ため 対 支 中 央機 関設 置 の件
タイ プ印 刷 。 一
タ イ プ印 刷 。 表紙 と も 一二頁 (一頁 一五行 、
蒙 疆方 面 の施 策 に 関 し関 東 軍司 令 官 よ リ 駐 蒙 兵団 司令 官 へ の対 談 謄 写版 刷 。 一〇頁 。 (一頁 約 九 〇 字 )
三〇 字 、表 一頁 、図 一頁 )
要綱
六頁。 第 一軍 作 戦 経 過概 要 二五字)
タ イ プ印 刷 。四 頁 。
タ イ プ 印刷 。 一三 頁 。
タ イ プ 印刷 。 四頁 。
謄 写版 刷 。表 紙 と も 三 五 頁 。 (一頁 九 行 、
五相 会 議 議 題 に 関 す る件 時 局外 交 に 関 す る陸 軍 の希 望 総動 員 指 導 権 の確 立 に関 する 件 タイ プ 印 刷 。 五 頁 。 (一頁
タ イ プ印 刷 。外 務 省 用 箋 、 一
謄 写版 印 刷 。表 紙 と も 五 〇 頁 。
秋 季作 戦 を 中 心 と す る戦 争指 導 要 領 一四行 、 三〇 字 ) 戦 争 終結 に関 す る最 高 指 導案 (一頁 六行 、 一四字 ) 広 東 出 兵 に 関 す る外 務 当 局 の意 見 二頁 。 (一頁 一 一行 、 三 〇 字 入 ) 毛筆 書 。 二枚 。
軍状報告
毛 筆書 。表 紙 と も 一八 頁 。
武 漢 攻 略 後 に 於 け る 呂 集 団 当面 敵 軍 一般 の情 勢
昭 和 十 四年 冬 季 作 戦 作 戦 経 過 の概 要
タ イ プ印 刷 。 表
タ イプ 印 制 。表 紙 と も 四九
紙 と も 三八 頁 。 (一頁 一四 行 、 三〇 字 、 表 一枚 )
謄 写 版 刷 。表
タ イプ 印 刷 。表 紙 と も 一九 頁 。 (一頁 一 一
頁 。 一頁 一四行 、 三〇 字 、表 二枚 ) 支 那 派 遣 軍 戦時 月報 行 、 三 二字 )
一枚 。
昭 和 十 四 、 十 五 年 度臨 時 軍事 費 予 算 使 用 額 比較 表
謄 写版 刷 。 表 一枚 。
謄 写版 刷 。 表 二 枚 。
謄 写 版 刷 。表 一枚 。
戦 死 、戦 病 死 、 戦 傷 、内 地 還 送 患 者 調 査 表
昭 和 十 四年 北 支 那 方 面 軍 綜合 戦 果 表
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 二 一頁 。
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 二〇 頁 。 (一
昭 和 十 五年 北 支 方 面 軍 綜 合 戦 果 表 国 共 相剋 ニ対 ス ル情 勢 判 断 頁 一四行 、 三 一字 )
銭 永 銘 、 杜 月 笙帰 滬 に関 す る 件
軍 当 面 の敵 状全 般 に関 す る観 察
タ イ プ 印刷 。 二頁 。
土 肥原 中 将 ニ与 フル指 示
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 三 七 頁 。 (一頁
謄 写版 刷 。 二五 頁 。
謄 写 版 刷 。表 紙 とも 二四 頁 。
タ イプ 印刷 。 表 紙 と も 四 四 頁 。 (一頁 一
タ イプ 印 刷 。表 紙 と も 一 三頁 。 (一頁 一四行 、
第 一次 長 沙 作 戦 経 過 概 要
敵 の抗 戦 力 及 作 戦 指 導 の新 傾向
( 表 八頁 、 地 図 一頁 )
西北 山 西作 戦 第 一軍 作 戦 経過 の概 要
四行 、 三 一字 )
総 軍情 報 会 議 呈 出 書 類
三 二字 、表 一頁 )
帰 順 部 隊 帰 順状 況
(一頁 一四 行 、 三 一字 、 表 一枚 、 図 一枚 )
第 二軍 作 戦 経 過 概 要 ( 補 遺 ) 謄 写 版 刷 。表 紙 と も 四 〇 頁 。 ( 表 六 頁 。 地図 二頁 ) 謄 写版 刷 。 表 紙 と も 七 五 頁 。 (一頁 一
謄 写版 刷 。表 紙 と も 一三 二頁 。(一頁 一 一
謄 写版 刷 。表 紙 と も 一六 三頁 。(一頁 一 一
石 原莞 爾 中 将 回 想 応 答 録 二 行 、 二 四字 ) 橋 本 群中 将 回想 応 答 録 行 、 二 一字 ) 下 村 定 大 将 回 想応 答 録 行 、 二 一字 ) 二
一四 行 、 三 〇字 、表 二頁 ) 第 二次 長 沙 作 戦 経過 概 要
タイ プ 印刷 。表 紙 と も 三 六 頁 。 (一頁
タ イ プ 印 刷 。外 務
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 一四頁 。 (一頁 一三行 、
一四行 、 三 二字 、表 四頁 ) 支那事変対策草案 三〇 字 ) 近 衛 総 理、 ﹁ク レ ー ギ ー ﹂ 英国 大 使 会 談 要 旨
タ イプ 印 刷 。
活 字 印刷 。 二枚 。
タ イ プ印 刷 。表 紙 と も七 頁 。
タイプ印 刷。表 紙 と も十 五 頁。
省 用箋 、 六頁 。(一頁 一四 行、 二 九字 ) 十 三 年 秋季 以降 戦 争 指 導 方 針 (一頁 一〇 行 、 三 一字 ) 昭 和 十 三年 秋 季 以 降 対 支 処 理 方策 (一頁 一〇行 、 三 一字 ) 政 略 攻 勢 ・戦 略持 久 期 に 於 け る作 戦指 導 要綱
戦 争 指 導 上 の 見地 よ り 現 下 諸 案件 処 理 に関 する 準 拠 表 紙 と も 九 頁 。 (一頁 一〇 行 、 三 一字 )
謄 写 版 刷 。 一七頁 。
タ イプ 印 刷 。 七 頁 。 (一頁 一 一行 、 三〇 字 )
軍 参 謀 長 懇 談 席上 ニ於 ケ ル 次 長 口演 要旨 事変解決方策案
タイ プ 印 刷 。 外務 省 用 箋 、 八 頁 。 (一頁 一〇
謄 写版 刷 。表 紙
カ ーボ ン紙 複 写 。陸 軍 用箋 、 一
カ ーボ ン紙 複 写 。陸 軍用 箋 、 二五 頁 。
汪工 作 ニ関 スル件 行 、三 〇 字 ) 事変解決秘策
年 内 事 変 処 理 に 関 す る最 高 指 導 七頁 。
謄 写版 刷 。 一二 頁 。
今 秋 季 を 中 心 と す る事 変 処 理 に 関 す る 最高 指 導 と も 一〇 頁 。 現 下国 内 対 策
戦 争 指 導 上 対 外 方 策 に関 す る根 本 的 再 検討 案 ( 図 一)
表 紙 と も 一〇 頁 。
謄写版刷。
謄 写 版 刷 。 二〇 頁 。
新 中 央 政 府 樹 立 を 中 心 と す る事 変 処 理 最 高指 導 方 針
謄 写 版 刷 。表 紙 と も 一八頁 。
カ ーボ ン紙複 写 。 二頁 。
カ ーボ ン紙複 写 。 六枚 。
タイ プ 印刷 。 表
タイ プ印 刷 。 二頁 。
タ イ プ印 刷 。 九 頁 。 一頁 一四行 、 三
日 支事 変 速 決 に 関 す る 作 戦上 の意 見 事 変 解 決 ニ関 ス ル極 秘 指 導 〇字)
(一頁 一四行 、 三〇 字 )
現 下 事 変 処理 関係 事 項 ノ指 導 準 拠 ニ関 ス ル件
支 那 側 の和 平条 件 と之 に対 処 す べ き 日 本 の態 度
新 中 央 政 府指 導 方 針
紙 とも 一〇頁 。 (一頁 一五行 、 三 二字 )
現 下 の事 変 処 理 方針
カ ーボ ン紙 複 写。 一
謄 写版 刷 。
タ イプ 印 刷 。 一 一頁 。
タ イプ 印 刷 。 九 頁 。 (一頁 一
昭 和 十 五 、 六年 を目 標 とす る 対 支 処 理方 策 二頁 。 (一頁 七行 )
今 後 に 於 け る対 重慶 工 作 処 理 要 領 五行 、 三 〇 字 )
参 謀 総 長 と の 懇 談資 料 ( 事変処理関係) (一頁 一五 行 、 三 一字 )
タ イプ 印 刷 。表 紙 とも
﹁支 那 事 変 処 理 要綱 ﹂ に関 す る所 要 事 項 の説 明 に 就 て 二 三頁 。
三 〇頁 。 (一頁 一〇行 、 二九 字 )
タ イプ 印 刷 。表 紙 と も 二三
支 那事 変 処 理 要 綱 に関 す る質 疑 応 答 資 料
漢 口陥 落 を 契 機 と す る北 支 建 設 要 領
頁 。 (一頁 一 一行 、 三 一字 ) タイ プ 印刷 。表 紙 と も 一六頁 。
タ イ プ印 刷 。 九 頁 。 (一頁 一二行 、 三 一字 )
派遣 軍 将 兵 に 告 ぐ
タ イ プ印 刷 。 五 頁 。 (一 一行 )
タ イプ 印刷 。
タ イ プ印 刷 。 二五頁 。 (一頁 一五行 、 三 一字)
現 地 交 渉 成 立案 の成 果 に就 て
日華基 本 条 約 に関 す る 枢密 院 第 一回 審 査 委 員 会 記 録 一〇 頁 。 (一頁 一五行 、 三 〇字 )
日支 新関 係 調 整 方 針
華 中 鉄 道 株 式 会 社 設 立要 綱 案
北 支 政 務並 経 済 の現 況
タイ プ印 刷 。 五 頁 。 (一頁 一 一行 、
謄 写 版 刷 。表 紙 と も九 七 頁 。
タイ プ印 刷 。表 紙 とも 二 七 頁 。 (一頁 一
作 戦 及国 防 資 源 開 発 よ り見 た る北 支 港 湾 の帰 属
タイ プ 印刷 。表
紙 、 別 冊 と も 三九 頁 。 一部 海 軍 用 箋 。 (一頁 一〇行 、 三〇 字 )
三〇 字 )
九 字)
タイ プ 印刷 。 表 紙 と も 一六頁。 (一頁 一 一行 、 三 〇
タ イプ 印 刷 。 六頁 。
タイ プ印 刷 。 八 頁 。 (一頁 一四 行 、 二
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 一八 頁 。 (一頁 一
活 字 印刷 。表 紙 とも 一七 頁 。
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 四 頁 。 (一頁 一五 行 、 三 二
満 洲国 の内 面 指 導 に付 て
〇行 、 三 一字 )
満 洲帝 国 協 和 会 に 就 て
(一頁 一 一行 、 二七 字)
満洲 国 の根 本 理 念 と 協和 会 の本 質
字)
戦争計画要綱
現在 に於 け る 我 が 国防
字)
戦争史大観
自筆 )
無 題 (対 ﹁ソ ﹂ 国防 建 策 ) ペ ン書 。陸 軍用 箋 、 九 枚 。 (石原 莞 爾
三
汪主 席 発 近 衛 総 理 大 臣宛 書 翰
北 支 那 方 面 軍 状 況報 告
一行 、 二九 字 )
タイ プ 印刷 。表 紙 、 別 表 と も 一三頁 。 (一頁 一 一行 、 三 一字 )
日華 海 運 株 式会 社 (仮 称 )設 立 に伴 ふ 中 支 那 方 面航 運 暫 定 措 置 要 領
タイ プ 印刷 。 一二頁 。
タイ プ印 刷 。 三
タ イプ 印 刷 。 一〇 頁 。
タイ プ 印 刷 。 表紙 と も八 頁 。
中 支 那 水 路 事 業 に 関 する 協 定 調 印 の件 報 告 交 通 会 社 設 立基 本 要綱 東 亜 海運 株 式 会 社 設 立 要綱 中 支 鉄 道 の処 理 及 軍事 上 に関 す る 協 定 の 件申 進
カ ーボ ン紙 複 写 。 陸 軍用 箋 、四 枚 。 (七行 )
タイ プ 印 刷 。 二 二頁 。 (一 一行 、 二 九字 )。
頁 。 (一頁 一四行 、 三 二字 )
﹁五相 応 酬 要領 ﹂
板 垣陸 相 、 汪会 談 要領
タ イプ 印 刷 。
謄 写版 刷 。 八 頁 。
事 変 処 理 上 第 三国 の活 動 及権 益 に対 す る措 置 要領 五頁 。 (一頁 一 一行 、 三〇 字 )
謄 写版 刷 。表 紙 と も
謄 写 版刷 。表 紙 と も 一九 頁 。
﹁附 録 ﹂
タ イ プ印 刷 。 本 文 、表 紙 と も
タイ プ 印 刷 。 一二 頁 。 (一頁 一四
タ イプ 印 刷 。表 紙 、 附 表 と も 七頁 。
華中 鉄道 株 式 会 社 監督 規 程 に 関 する 件 申 進 日支 新関 係 調 整 方 針 の分 析 如何 に し て和 平 を 実 現 す るか 行 、 三 一字 ) 日支 経済 提 携 に 関 す る協 定 要 綱 案 一八 頁 。 (一頁 一五行 、 三 一字 ) 二 五頁 。 呂 集 団作 戦 地 域 内 民 心 一般 の動 向
無題 ( 満 洲国 に 対 す る 政 治 関与 撤 廃 要 綱 ) 箋 、 二枚 。 (一枚 一四 行 、 三〇 字 ) 関 東 軍 司令 官 の満 洲 国 内 面指 導 撤 回 に 就 て
タ イ プ印 刷 。陸 軍用
タ イ プ印 刷 。陸 軍 用
タ イ プ印 刷 。 表紙 と
箋 、表 紙 と も 一 一枚 。 (一枚 一四行 、 二七 字 ) 関 東 軍 司令 官 の満 洲 国 内 面指 導 撤 回 に 就 て
タ イプ 印 刷 。 五頁 。 (一頁 一四行 、
も 一七頁 。 (一頁 一三 行 、 二 七字 )
三 〇字 )
タイプ
タ イプ 印 刷 。 一六
タイ プ印 刷 。 表 紙 と も 一九頁 。 (一頁 一四 行 、
満 洲 国政 策 遂 行 に 関 す る 要望
要望 事 項 説 明 書 三 〇字 ) 協 和 会 東 京 事 務 所 に 於 け る石 原 少 将座 談 要領 頁 。 (一頁 一五 行 、 三 二字 ) 陸 軍 士 官 学 校 満 洲 国 生徒 に対 す る 石 原 少 将講 演 概 要 筆 記
謄 写版 刷 。 四
ペ ン書 。 二三 行 罫紙 四枚 。 ( 石原莞爾自筆)
印 刷 。 表紙 と も 一三頁 。 (一頁 一五行 、 三 二字 ) 東亜聯盟
康 徳 五 年度 満 洲 国 予 算 編 成 ニ関 ス ル要 望 ノ件 通 牒 枚。
タイ プ 印刷 。 三頁 。 (一頁 一四 行 、 三 一字 )
満 洲 国 産業 開 発 五 年 計 画 第 二年 度 以 降 修 正 会 議 席 上 に於 ける 関 東 軍 参 謀 長 口演 要 旨
タ イ プ印 刷 。 一
タ イプ 印 刷 。
タ イプ 印 刷 。 表紙 と も 一七 頁 。 (一頁 一四行 、 三〇 字 )
満 洲国 産 業 開 発 五 年 計 画第 二年 度 以 降 修 正 計 画 の 遂行 に対 す る 関 東 軍 要望
日満 技 術 員 (技 術 工 を含 む) 需 給 調 整 に 関 す る件 陸 軍 用 箋 、 四枚 。 (一枚 一四行 、 二九 字 ) 国 境 方 面 に 於 け る国 防 的 建 設 に 関 す る要 望 事 項
〇頁 。 (一頁 一四 行 、 三 〇字 )
日支 新 関係 調 整 に 伴 ふ 満支 新 関係 調 整 方 策 (一頁 一四行 、 三 一字 )
タ イ プ印 刷 。 七頁 。
タイ プ印 刷 、及 び陸 軍 用箋 に ペ ン書 。 八 枚 。
昭 和 十 四年 (康 徳 六 年 ) 日満 間資 金 及 物 資 等計 画樹 立 に 関 す る 関 係 庁 間 諒解 事 項
タ イ プ印 刷 。表 紙 と も 一〇 頁 。 (一頁 一
満 洲国 産 業 開 発 五 年 計 画第 二年 度 実 績 報告 並第 三年 度 実 施 方 策協
は 口絵 写真 に みら れ る よう に 一定 の形 式 が あ
議 会席 上 軍 司 令 官 致 詞 二行 、 三〇 字 ) 命令 、指 示 、 電 報
り 、 そ れ を参 照 さ れ た い。
一
作
戦
段
階
一九三七年 七月︱ 一九三八年十 一月
臨命第 四〇〇号 指
一
一
示
命 令 ・指 示
香
月
清
司
参謀総長 殿
載
仁
親
王
事件 ノ拡大 ヲ防止 スル為更 ニ進 ンテ兵 力 ヲ行使 スルコト避 ク ヘシ
令
昭和十 二年七月八日 支那駐屯軍司令官 二 臨参命第五十六号 命
一 関東軍司令官隷下部隊 ノ 一部 ヲ北支那 ニ派遣 ス
独立混成第 一旅団 ノ主力
二 関東軍司令官 ハ其隷下部隊中左記部隊 ヲ速 ニ北支那 ニ派遣 スヘ シ 独立混成第十 一旅団 ノ主力
関東軍飛行集団 ノ 一部 (偵察、戦闘 、重爆各 〓二中隊) 高射砲二中隊
鉄道第三聯隊 ノ主力 ( 装甲列車共) 電信第三聯隊 ノ 一部 関東軍自動車隊 ノ二中隊 関東軍防疫部 ノ 一部
三 前項 ノ部隊 ハ満支国境 通過 ノ時 ヲ以テ支那駐屯軍司令官 ノ指揮 下 ニ入 ルモノトス
関東軍司令官 ハ作戦 初期 ニ於 ケル支那駐屯軍 ノ兵站及交通業務
但 シ飛行集団 ノ 一部 ハ即時 入 ルモノト ス 四
ヲ援 助 スヘシ
五 細項 ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十 二年七月十 一日
植 月
清
田 謙 司
吉 殿
殿
参謀総長 香
奉勅伝宣 関東 軍 司 令 官
令
支那駐屯軍司令官 三 臨参命第 五十七号 命 一、第 二十師団 ヲ北支那 ニ派遣 ス
載
仁
親
王
二、第 二十師団長 ハ成 ルヘク速 ニ北支那 ニ到リ支那駐屯軍司令官 ノ
香
月
小 磯
清
國
司
昭
殿
殿
載
仁
親
王
満 支国境通過 ノ時 ヲ以テ支那駐屯軍司令官ノ隷下 ニ入 ル モノト ス
隷下 ニ入 ル ヘシ
昭和十 二年七月十 一日
三、細 項 ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
朝鮮 軍 司 令 官
殿
参謀総長 支那駐屯軍 司令官
川岸 文 三郎
奉勅伝宣
第 二 十師 団 長
二
北 支作 戦 に関 す る海 陸 軍 協定 (昭和 十 二年 七 月 十 一日
軍 令部
参謀本部)
一 陸 軍は左 の如 く兵力 を派遣す。
一 兵力 区分
三、兵力区分輸送 及護衛
イ
一 努め て作戦 地域 を平津地方 に限定 し中南支 には主義 として実
一、作戦指導方針 力を行使 せず但 し已む を得ざる場合に於 ては青島上海附 近 に於 て
青島及上海方面
部隊。
朝鮮 より応急動員 一師団及内地より動員 三師団其 の他所要 の
関東 軍より混成約 二旅団其 の他所要 の部隊。
北支 方 面
居留民を保護す。 本作戦 実行中第 三国 と事を構 ふる ことは極力之を避く。
二 海陸 軍協同作戦 とす。 三 二、作戦任務 の分担 一 時局局限 の方針 に則 り平津地方確保 の為関東軍及内地より所
北支 方 面
海軍は左 の兵力を増派す。
区分は北支方面等 の情 況に依 り決 定す。
内地より動員 二師団其 の他所要 の部隊 を配当す るも其 の兵力
ロ
て陸軍之 に当り海 軍は陸軍輸送護衛竝 に天津 方面に於 て陸軍作 戦
二
要 の兵力を平津地方に派遣 し支那駐屯軍を強化す右作戦は主とし に協力す。
空
ロ
中支及南 支方面
二大隊。
駆逐隊、第二十三駆逐隊 、知床、第 二聯合航空隊、特別陸戦隊
第五戦隊、第 四水雷戦隊、木曾、多摩 、厳島、長鯨、第 十 一
イ
前項方面 の情 況悪化 し帝国居留民 の保護 を要す る場合 に於て
二 中南支方面 に対しては海軍主とし て警戒 に任ず。 三 航
は青島及上海附 近に限定し海陸軍所要兵力協同 して之 に当る。 四
別 に定む。
第 八戦 隊 、 第 一水 雷 戦 隊 、第 一聯 合 航 空 隊 、特 別陸 戦 隊 二大
輸送及護衛
隊。
二
右 以外 の場合 と雖も陸軍方面緊要 にし て至近海軍航空兵力 に
中支南支方面 に於け る敵航空勢力 の覆滅 は主 とし て海軍之に任
協 力 の余裕 ある時。 二
じ陸軍は自衛 の為 にす る航空作戦 に任ず。
二
三 陸 軍輸送船隊 の海上護衛竝 に上陸 地到着前後海軍機は所要 に応
北 支 方 面 に対 す る 輸 送 は主 力 は鉄 道 に依 り ( 釜山経由) 一
一
四 陸 軍部隊 の上陸時及陸軍飛行準備完了 に至 る迄 の間 に於ける陸
じ空陸 の敵 に対し之 を掩護す。
軍 の為 の空中勤務 は之を要する場合海軍航空兵力 を以 てす。
青 島 、上 海 方 面 への輸送 は海 路 に依 る。
部 は海 路 に依 る (秦 皇 島 上陸 )。 二
輸送 区分 は情 況 に依 り 定 む 。
但 し情 況 に依 り 一部 の急 派 を考 慮 す 。
五
同 一方面 に在 る海陸軍機 の任務 の分担協同 の要領等 の細 項は出 征部隊相互 に於 て直接協定す。
海 上護 衛 は第 四 戦 隊 、第 二 水雷 戦 隊 、 第 二航 空 戦 隊 、 第 二
三
六
時
軍 平津 方面
陸
青島及上海 方面
六)、重爆五中隊 (二四)
偵 察八中 隊 (六六)、戦闘 七中隊 (七四)、軽 爆四中隊 (三
第 一飛行団司令部
ロ
軍
偵察 二中隊 (一八)、戦闘二中隊 (二四) 海
イ 北 支 方面
二
航空兵団司令部
イ
一
使用 兵力
れば 直 接護 衛 と す。
聯 合 航 空 隊及 第 三艦 隊 の 一部 を 以 て之 に充 て間 接 護 衛 と し要 す
用
外 征 陸 軍 の中央 部 と の通 信 連 絡 は 必要 に応 じ海 軍 に於 て援 助 す 。
四、 通 信 連 絡
五、 使 中 央 標 準時 とす 。
号
省 六、協同作戦要図 略 七、 暗
書省 略
北支作戦 に関する海陸軍航空協定 一 北支方面 に於ける敵航空勢力 の覆滅 は主 として陸軍之 に任 じ左
第二聯合航空隊 ( 戦 二四、爆三〇 、攻 一二)、第 二十 一航空 隊 ( 水偵 六)
の如き場合海軍之 に協力す。
作戦 の推移 に依 つ第 二聯合航空隊は中支 (上海)方面 に転戦
海軍 が北支以外 の方面 に於け る航空作戦 の考慮なき時にして
陸軍方面緊要 とす る時。
一
し又情 況に依 り第 二艦隊搭 載機 ( 水偵) の 一部を以て 一部隊 を 中南支方面
編組増勢す。 ロ 二、爆 一二、攻 一八)、第 一聯合航空隊 ( 陸攻 三八、戦 一二)、
第 一航空戦隊 (戦二 一、爆 一二、攻九)、第 二航空戦隊 (戦 一 第二十二航 空隊 ( 水偵六)、 第十二戦隊 ( 水偵九) 第 一聯合航空隊 の 一部 (濟州島 配備 のもの) は上海方面基 地 に進出 す又情 況に依 り第 一、第二航空戦隊 の飛行機も上海 方面 基地 に揚陸す。
軍
北支 ( 関東州)方面
七、飛行場 の使用区分竝 に其 の整備 一
作戦初頭第 二聯合航空隊は周水子飛行場を使用す爾後情況 に依
海 り 一部 は青島滄 口飛行場 を陸軍 と共用す。 軍
滄 口飛行場 の整備は海軍之 を担任す。 陸
北支方面 に於 ては陸軍 は山海關綏中及天津方面 の飛行場を使用 す但し重爆隊は周水子 を使用す ることあり。 山東 方面に於 ては陸軍は当初 は滄 口飛行場 を海軍と共用し爾後 周水子飛行場 の整備は陸 軍之 を担任す。
西 方地区に飛行場 を整備し之 に進出す。
作 戦初 頭
中 支 方面 イ
二
公大は海陸軍之を共用 し新公園は海軍之を専用す東溝灘飛行
場完成 せぱ公大 の海軍飛行機 は東溝灘 に移る。 爾
後
公大新公園及東 溝灘飛行場 の整備は海 軍之 を担任す。
陸軍飛行 隊専用 飛行場 (江灣方面と予定す)完成せば陸軍飛
ロ
江灣灘方面 に於 ける飛行場 の整備 は海陸軍協同して行 ふ。
行機 の主力は之 に移 る。
情 況許す限 り海陸軍は速 に龍華飛行場 を占領 共用す。
海軍は尚大康 飛行場 を整備使用 す。 八、燃料爆弾等 の補給 海陸軍独自 に補給す。
海 軍航空部隊 の空輸 に際 し新義州平壊京城及大邸 に於 て中継補給
を要す る場合 の補 給は陸 軍之 を援助す但し平壊 以外 に於 て多 数機 の
陸軍航空部隊空輸 の際濟州島 に於 て中継補給 を要す る場合 の補給
補給 を要す る場合 の燃料 は海軍 にて準備す。 は海軍之 を援助す。 信
此 の場合 の燃料 は為 し得 れば陸軍にて準備す。 九、通
味方識 別信号省略
三
一 作戦指導方針
対 支 作 戦 用 兵 に関 す る 内 示 事 項 ( 差 当 り統 帥 部
海軍航空兵力 を以 て中支方面 の敵航空勢力 を掃蕩す。
ロ 中支作戦 は上海確保 に必要 なる海陸軍 を派兵し且主として
腹 案 と し て 内 示 せ ら る べ き も の)( 七月十二日軍令部策定)
一 自衛権 の発動 を名分とし宣戦布告 は行 はず但し彼より宣戦す る場合 又は戦勢 の推移 に依り ては宣戦 を布告 し正規戦となす。 二 支 那第 二十九軍 の膺懲を目的とし為 し得 る限り戦局を平津地
二 陸 軍出兵 は平津 方面 に対す る関東 軍、朝鮮軍 より応援する
ハ 北支作戦 は青島 は海陸軍協同 して之 を確保 し爾他 の地域 は 陸 軍之 を制圧す。
も の竝に内 地より出兵す る三箇師団 の外 上海 及青島方面 に二箇
域 に局限し情況 に依り局地戦航空戦封鎖戦 を以 て居留民保護及支 那膺懲 の目的 を至短期間 に達成するを本旨 とす。
師団 の予定 にして其 の配分 は情況 に依 る。
ホ 封鎖戦 は揚子江下流及浙江沿岸其 の他我兵力所在地附近 に
但 し海軍 としては之 を三箇師団必要 と認め陸 軍側 に申入れ中。
三 海陸軍協同作戦とす。 一 時局局限 の方針 に則り差 当り平津 地域 に陸軍兵力を進 出迅速
二 用兵方 針
但し戦勢 の推移 如何 に依 りては地域的 にも内容的 にも之 を拡
を醸さざ るを旨 とす。
於 て局地的平時封鎖 を行 ひ支那船舶を対象とし第 三国 との紛争
海軍 は陸軍輸送護衛竝 に天津方面 に於 て陸軍と協力する外対支
に第 二十九軍膺懲 の目的を達す。 全 力作戦 に備 ふ (第 一段 作戦)。
大す。
当初第三艦隊は全支作戦 に第 二艦隊 は専ら陸軍 の輸送護衛
支那海 軍 に対しては 一応厳正中立 の態度及現在 地不動 を警
ヘ
上海及青島 は之 を確保し作戦基 地たらしむ ると共 に居留 民
イ
二 戦局拡大 の場合概 ね左記方針に依 り作戦す (第 二段 作戦) を現地保護す。
ト
告し違背せば猶予なく之を攻撃す。 爾他 の居留民 は之 を引揚げしむ。
に任ず 。 青島方面 に出兵す るに至らば北支作戦 は第 二艦隊之 に当り中 作戦境界 を海州灣隴海線 の線 (北支作戦 に含む)とす。
南支作戦は第 三艦隊之 に任ず。 南支作戦 は充 分有力 なる指揮官竝 に部隊 を以 て之 に充 て第
三艦隊司令 部は中支作戦 に専念し得る如 く編制 を予定す。
チ
第 一 (第二)航空戦隊 を以 て杭州を第 一聯合航空隊 を以 て南
昌南京 を空襲す爾余 の部隊 は右空襲と共 に機 を失 せず作戦配備
第 二聯合航空隊は当初北支方面 に使用す。
を完了す。
右空襲 に先だち揚子江上流竝 に廣東警備艦船は所要 の地点
空中攻撃 は敵航 空勢力 の覆滅 を目途 とす。 ワ
に引揚げ あるを要 す。
イ
上海及青島方面派兵 を必要 とす る場合とならば上海方面 は
上海及青島方面 に派遣 せらるる陸軍 との作戦協定 は未済 なる
三
馬鞍群島 には水上機基地艦船燃料補給等 の為前進根拠地を
必要 とし之が所要兵力 を第 三艦隊 に編入せらるる如く編制を予
リ 定す。
も当部協定案 の大要左 の如 し。
輸送護衛は第 二艦隊之 に任じ青島方面出兵後 上海方面 に出
混成 一箇旅団青島 方面は 一箇聯隊程度 の先遣部隊を急派す。
ヌ
兵 の場合其 の輸送護衛 は第 三艦隊主とし て之 に当 り第 二艦隊之
集 合 地
所属長官
一
第
司
官
鎌 三戦 隊 司 令 官
(第 一艦隊 司令長 官直率)
令
天龍、龍 田は第二艦 隊司令長官北支作戦指揮 の場 合は其 の指揮下
三、作戦部隊編制 ( 内案 )別表第 一の通
海軍艦船を以 て為し得 る限 り陸兵輸送を援助す。
ロ
上海陸戦隊 は現在派遣 のも のの外更 に二箇大隊 を増派し青
に協力す。 ル
島 には特別陸戦隊 二箇大隊 探派遣す何 れも其 れ以上 に陸戦隊を
特設艦船部隊
に入らしめら るる予定 。
隊
四、作戦部隊軍隊区分 ( 参考案)別表第 二の通
部
必要とする場合 は 一時艦船 より揚 陸せし む。
船
ヲ 作 戦行動開始 は空襲部隊 の概 ね 一斉 なる急襲 を以 てす。
艦 陸 奥 ・長 門 ・日向
分 第
霧島 ・榛 名
一 戦
第 三 戦 隊
隊
作戦部隊編制 (内案 )
別表第 一
区
第
聯
合
艦
隊
一
艦
隊
第
二
艦
隊
第
八 戦
隊 鬼 怒 ・名 取 ・由 良 第 九 駆 逐隊 ( 有明 ・夕暮 ・白露 ・時雨)
第 二十 一駆 逐 隊 (初春 ・子日 ・初霜 ・若葉)
第 一水 雷 戦 隊 川 内 {第 二 駆逐 隊 ( 村雨 ・夕立 ・五月雨) 第 七潜 水 隊 ( 伊 一・伊二 ・伊三)
五十鈴 {第 八潜 水隊 ( 伊四 ・伊五 ・伊六)
高 雄 ・摩 耶 ・鳥 海
第 一潜 水 戦 隊
隊 足 柄 ・那 智 ・羽黒
第 一航 空 戦 隊 四 戦 隊
鳳 翔 ・龍 驤 第 三十 駆 逐 隊 (睦月 ・如月 ・彌生 ・卯月)
第 五 戦
第 七 駆 逐 隊 (曙 ・朧 ・潮) 通{第 八 駆 逐 隊 (天霧 ・朝霧 ・夕霧 ) 第 十 九 駆 逐 隊 (磯波 ・浦波 ・敷 波 ・綾波)
第
木
第 二水 雷 戦 隊 神
第四水雷 戦隊
第 三 十 潜 水 隊 (伊六五 ・伊六六 ・伊六七)
第 十 二 潜 水 隊 (伊六 八 ・伊 六九 ・伊七〇)
第 十 駆 逐 隊 (狹霧 ・漣 ・暁) 曾{第 十 一駆 逐 隊 (吹雪 ・白雪 ・初 雪) 第 六 駆 逐 隊 (雷 ・電 ・響)
賀
(呉 第 一 ・横 須賀 第 一)
( 水上機母艦任務) 特別陸戦隊 二大隊
長 鯨 ・襟 裳 ・鳴 戸
第 二 十 二 駆 逐 隊 (皐月 ・水無月 ・文月 ・長月)
加
第 二潜 水 戦 隊 迅 鯨 {第 二 十 九潜 水 隊 (伊六 一・伊六二 ・伊六四) 第 二航 空 戦 隊
属
第 二聯合航空隊
附
第 十 二航 空 隊 艦戦十二 艦攻十二
(艦爆十 二 )
第十 三航空 隊 艦戦 十二 ( 艦爆十 八 )
第 二十 一航空隊 ( 水 偵六)
佐 世 保
呉
又
は
佐
世
保
聯
合
艦
隊
司
令
長
官
艦 隊
司 令 長 官(
聯令 合長 艦官 隊直
)司率
第
二
艦
隊
司
令
長
官
第 八戦 隊司 令官
第 一水 雷 戦 隊 司 令 官
第 一潜 水 戦 隊 司 令 官
第 一航 空 戦 隊 司 令 官
( 第 二艦隊司令長官直率)
第 五戦隊 司令 官
第 二水 雷 戦 隊 司 令 官
第四水 雷 戦 隊 司 令 官
第二潜 水 戦 隊 司 令官
第二航 空 戦 隊 司令 官
第 二聯 合航空 隊司令官
第
三
艦
隊
記 事
附
第 十 戦 隊 妙高 ・多摩
出 雲 ・天 龍 ・龍 田
大 井 ・厳 島 第 二十 四駆 逐 隊 (江風 ・山風 ・海風 ・涼風)
第 九 戦 隊 八 重 山 ・安 宅 ・栗 ・蓮 ・栂 ・鳥 羽 ・勢 多 ・堅 田 ・比 良 ・保 津 ・熱 海 ・二 見 ・(小 鷹 )
属
第 十 一戦 隊
一 水
雷
隊
(鴻 ・隼 ・鵯 ・鵲 )
第 二 十 三 駆 逐 隊 (菊月 ・三日月 ・望月 ・夕月)
上 ︷第
北
第 二 十 一水 雷 隊 (千烏 ・眞鶴 ・初雁 ・友鶴) 第 十三駆 逐隊 ( 若竹 ・呉竹 ・早苗) 第 二十 九駆 逐 隊 ( 追風 ・疾風)
張 {第 十 六 駆 逐 隊 (朝顔 ・芙蓉 ・刈萱)
)
上海特別陸戦隊 特別陸戦隊二大隊 (呉第二 ・佐 世保第 一) 嵯峨 第 一掃 海 ・掃 三 ・ ) ・掃 六 一四 ・掃 一五 一七 ・掃 一八
第 二 十 八駆 逐 隊 ( 朝凪 ・夕凪)
沖島・神威
夕
第 三水 雷 戦 隊
第五水 雷戦 隊
第 十 二 戦 隊
属
第 一聯 合航空隊
附
隊(掃 一 ・掃 二 掃 四 ・掃 五 一三 ・掃 掃 一六 ・掃
佐 多 ・隠 戸 ・鶴 見 (水 上機 母 艦 任 務 )
第十 一掃海隊(掃
特
運
二
鹿 屋 航 空 隊 木 更 津航 空 隊
第 二十 二航空隊 ( 水偵 六) 特運二
第 三 艦 隊 司 令 長 官 の 定 む る
る
所 に 依
第
三
艦
隊
司
令
長
官
第 八戦 隊 ・第 一水雷戦隊 ・第 一潜水戦隊及第 一航空戦隊は情 況に依 り第 三艦隊 に編入 せら るるも のとす。
作戦部隊軍隊区分 (参考案 )( 附任務)
別表第二
第 十 戦 隊 司 令 官
第 九 戦 隊 司 令 官
第 十 一戦 隊 司 令 官
第 三水 雷戦 隊 司 令 官
第 五水 雷 戦 隊 司令 官
第 十 二 戦 隊 司令 官
第 一聯合航空隊 司令官
区 分 主 力 部 隊
北
支
部
隊
中
支
部
部
隊
一
般
任
務
任
務
の
細
項
佐 世保附近 に在り て警戒竝 に訓練
船
一般作戦支援
一 ( 木曾)・( 多摩 )・長鯨 ・厳島は横鎮第 一特陸 ・呉鎮 第 一特陸 を輸送し第十戦隊第 二小隊及之等と共に イ 居留 民を保護す
艦 第 一戦隊 ・第 三戦隊 ・第 二 十四駆逐隊 ・大井
一 青島 の確保 イ 居留民保護
附近敵航 空兵力 の覆滅
敵艦船 の監視処分 敵船舶 の抑留
特運 情況逼迫 するに至 らば適時青島 に回航前号 の作戦に
上海附 近及呉淞 の要地 ・要点を確保す 公大 ・新公園飛行場を整備す
指
揮
官
聯 合 艦 隊 司 令 長官
第 三艦 隊 司 令 長 官
ニ 青島 ・連 雲港 ・芝罘 ・威海衛等を封鎖し敵船舶を 抑留す 二 第五戦隊 ・第 四水雷戦隊 ・第 二十 一航空隊 ・鳴戸 ・ 第二艦隊司令長官
ロ 滄 口飛行場 を占領確保 し之 を整備す ハ 要 地 ・要 点を占領す
第 四戦隊 ・第五戦隊 ・第 十 戦 隊第 二小隊 ・第 二水雷戦
三 四
前諸号 の作戦 に任ず
任ず 三 第四戦隊 ・第二水雷戦 隊 ・第 二航空戦隊 ( 第 二聯合 航空隊) イ 北支方面に派遣 さるる陸軍 の輸 送護衛 に任ず ロ
ロ ハ
一 第 八戦隊 ・第 一水雷戦隊は呉鎮第 二特陸 ・佐鎮第 一 特陸を輸 送し之等及第十戦隊第 一小隊 ・第十 一戦 隊 ・ 第 三水雷戦隊 ・上海特陸 と共 に イ 居留 民の保護 二 要 地の確保占領 三 敵船舶 の抑留 四 敵艦船 の監視処分
東溝 灘 ・大康飛行場 を整備す 揚 子江下流 ( 南京下流)に於け る水上管制 、敵艦
一 上海 の確保 イ 居留民 の保護 ロ 前進航空基地 の整備
五
隊 ・第 四水雷戦隊 ・第二潜 ロ 滄 口飛行場 の占領整 水戦隊 ・第 二航空戦隊 ・長 備 ハ 要 地 の占領 鯨・厳島 ・ 第 二十 一航 空隊・ 鳴戸 ・特運 二 ・襟裳 ・横鎮 二 外征陸軍 の輸送及輸送 第 二特陸 ・呉鎮第 一特陸 護衛
第 十 戦 隊 第 一小 隊 ・第 十 一 戦 隊 ・第 八 戦 隊 ・第 一水雷 戦 隊 ・第 三 水 雷戦 隊 ・佐 多 ・ 特 運 二 ・上 海 特 陸 ・呉鎮 第 二 特陸 ・佐 鎮 第 一特 陸
ニ ホ
船を監視処分 す
五 外征陸軍 の輸送及輸送 護衛
隊
南 支 部 隊
航
空
部
隊
第 一
空 襲 部 隊 第 二 空 襲 部 隊
第 三 空 襲 部 隊
第 九 戦 隊 ・第 十 二戦 隊 ・第 五水 雷 戦 隊 ・ 第 一潜 水戦 隊 ・ 第 二十 二航 空 隊 ・第 一掃 海 隊 ・第 十 一掃 海 隊 ・第 一防 備 隊 ・鶴 見 ・嵯 峨 ・隠 戸
一 聯 合 航 空 隊
( 第 二航空戦隊)
第 一航空戦隊
第
第 二 聯 合 航 空 隊
一 南 支方面 の敵艦船 の監 視 処分 二 南支方面 の敵船舶抑留 三 前 進根拠 地の設営
一 中支方面 に在 る敵航空 兵力 の覆滅 二 中支方面 の敵要地 ・重 要施設等 の攻撃
一 支那内地に在 る敵航空 兵力 の覆滅 二 支那内地の敵要 地 ・重 要施設等 の攻撃
空兵力 の覆滅
一 中支及山東方面 の敵航 青島 ・上海附 近陸 上戦 闘 に協力
二
ヘ
揚子江 口を封鎖し敵船舶を抑留 す
ト 派遣陸軍 の上陸掩護 二 第 三水雷戦隊 イ 中支方面派遣陸軍 の輸送護衛 ロ 右 の外前号作戦 に任ず
一 馬尾 ・厦門 ・汕頭及廣東等に在る敵艦船 を監視す
二 之を要す る時機 に至らば前 号艦船 を処分 す 三 前号港湾 の外寧波 ・温 州 ・三都 墺 ・泉 州 湾 ・銅 山 湾 ・神泉港等を封鎖し敵船舶 を抑留す 馬鞍群島 に前進根拠 地を設営す
一 第 一航 空戦 隊は作戦行動開始 日未明、其 の航空兵力
四
の全力を以て杭 州方面 に在 る敵航空兵力 を急襲し爾後 引続き中支方 面に在 る敵航空兵力及要地 ・重要施設等 を攻撃す 二 第 二航空戦隊 は北支方面 に派遣さるる陸軍 の海上輸 送 を護衛し後中支方面に転用す
三 第 一航空戦隊 ・第二航 空戦 隊飛行機 は上海 方面基地 整備 せば之 に進出す
第九戦隊司令 官
第 一航 空 戦 隊 司 令 官
第 一聯 合 航 空 隊 司 令 官
一 一部は濟州島 に 一部は臺湾 方面に進出 し作戦行動開 始第 一日成 るべく速に南京 ・南 昌方面 に在 る敵航空兵
力を急襲す ( 濟州島部隊 )(臺灣部隊) 二 爾後濟州島 部隊は上海方面 に進出し共 に支那内地に 在 る敵航 空兵力及要地 ・重要施設等 を攻撃す
情況之を許すに至らば上海方面 に転戦す
航空兵力を覆滅し要地 ・重要施 設を攻撃す
二 作戦行動開始日或は要すれば其 の以前山東方面 の敵
上 は、之 に進出し陸軍海上輸 送 の護衛に任ず
一 先づ旅順方面 に進出待機 し青島 方面飛行基 地整備 の
第 二 艦 第 二聯 合 航 空 隊 隊 司 令 官 司 令 長 官 三
備 考
一 括弧 を以 て示せる艦船部隊は他所属 より 一時編入 のも の 二 第 三艦隊 司令長官 は当初全支 の作戦 を指揮す
三 本表 の外 に第三 ( 第 二)艦隊司令長官 の指揮下に白河方面 に於 て陸軍 に協力する旅順要港部部隊 あり
四
( 十三年七月十五日)
一、 第 一期 作戦 ハ主 ト シ テ北 平 西 部 ニ在 ル第 三十 七 師 ヲ 一挙 ニ攻 撃
支 那 駐 屯 軍 ノ作 戦 計 画 策 定
針
シ テ之 ヲ永 定 河 以南 ニ掃 蕩 ス状 況 ニ依 リ テ ハ南 苑 ニ在 ル第 三十 八 師
其ノ 一 方
一、 軍 ハ作 戦 行 動 ヲ開 始 ス ル ニ至 ラ バ所 在 ノ支 那 第 二十 九 軍 ヲ速 カ
ヲ モ併 セテ 攻撃 ス
此 ノ間 第 百 三十 二師 ニ対 シ テ ハ第 二 十師 団 ヲ以 テ随 時 之 ヲ撃 破 ス
ニ武 力 ヲ以 テ膺 懲 ス而 シ テ先 ズ 北 平郊 外 ノ敵 ヲ永 定 河 以 西 ニ掃 蕩 ス
ルノ用 意 ニ在 ラ シメ ツ ツ作 戦 ヲ指 導 ス
ルヲ第 一期 ト ス 二 、北 平 居 留 民 ノ保 護 ニ関 シテ ハ右 作 戦 ト同 時 ニ平 時 計 画 ト関 聯 シ
二、 航 空 部 隊 ノ主 力 ヲ以 テ地 上 会 戦 ニ先 タ チ第 二十 九 軍中 最 モ挑 戦
主力高 麗營 、 一部順義
五 、 支 那 駐 屯 歩 兵 旅 団 ノ主 力 ヲ 以 テ豊 台 附 近 ニ在 リ テ軍 ノ企 図 ニ従
在 リ テ ハ所 要 ノ兵 力 ヲ以 テ監 視 ス
此 ノ際 北 平 城 内 ニ対 シテ ハ攻 撃 ヲ行 フ コト ナ ク之 ヲ要 ス ル場合 ニ
定 河 ノ線 ニ向 ヒ作 戦 シ第 二十 九 軍 ヲ求 メテ 之 ヲ撃破 ス
四、 独 立 混 成第 十 一旅 団 及 同 第 一旅 団 ハ北平 ノ西 北 及 西 方 地 区 ヲ永
三、 北 平 市 街 及萬 壽 山 ニ対 シ テ ハ絶 対 ニ爆撃 ヲ行 フ コト ナ シ
ス此 ノ間 常 ニ中央 軍空 軍 ノ挑 戦 ニ応 シ之 ヲ撃 破 ス
第 一期 掃 蕩作 戦 間 航 空 部 隊 ハ集 結 セ ル威 力 ヲ以 テ地 上 作 戦 ニ協 力
山 、 北 苑 、長 辛 店 ニ指 向 シ状 況 ニ依 リ南 苑 ニ指 向 ス ル コト アリ
的 ナ ル第 三 十 七師 ニ対 シ攻 撃 威 力 ヲ集 中 ス之 カ為 爆 撃 ハ西 苑 、八 寶
テ極 力 万全 ヲ策 ス
指導 要項
三 、第 二期 作 戦 ハ状 況 ニ依 ル而 シテ現 有 兵 力 ヲ以 テ保 定 ︱ 任 邱 保定 東方 約五 ノ線 、 増 加 兵 力 ヲ以 テ 石家 荘 ︱ 徳 縣 ノ線 ニ進 出 シ中 央 軍 ト ノ決 十粁
戦 ヲ予期 ス 其 ノ二
七月二十 日迄 ニ各兵団 ヲ集中 スルト同時 ニ第 一期作戦 ヲ準備 スル 独立混成第十 一旅団
天津、唐山、山海關 ノ地区
懐柔
為之 ヲ展開 スル コト左 ノ如 シ 独立 混成第 一旅団
会戦指 導ノ大綱
第 二十師団 其 ノ三
ヲ除 去 シ且為 シ得 レ ハ該 方 面 ニ対 ス ル将 来 ノ作 戦 ニ対 シ地歩 ヲ獲
シテ ハ第 二十 師 団 ヨリ各 一部 ノ兵力 ヲ以 テ軍 ノ側 背 ニ対 ス ル脅 威
第 十 一旅 団 、同 第 一旅 団 ノ攻 撃 ト策 応 シ徹 底 的 打 撃 ヲ与 フ ル如 ク攻
北平西方 ヒ随時八寳山 約 八粁 ノ敵 ヲ攻 撃 シ得 ルノ態 勢 ニ在 ラ シ メ独立 混成
撃 開 始 ヲ軍 ニ於 テ指 導 ス此 ノ場合 南 苑 ノ敵 ニ対 シ所要 ノ監視 ヲ行 ヒ
補 給 及 通信
ヲ確 保 ス ルノ手 段 ヲ講 ス
3 、天 津 ノ警 備 ヲ厳 ニシ且天 津 ︱ 通 州 道 上 ノ要 点 特 ニ楊 村 及 通 州
得 セシム
在 通 州 部隊 ヲ招 致 ス 状 況 ニ依 リ所 要 ノ兵 力 ヲ以 テ 八寳 山 ノ敵 ニ対 セ シメ 且成 ル ヘク豊
其 ノ四
一、 兵 站 ハ差 当 リ第 一期掃 蕩 戦 ニ応 ス ル諸 準 備 ヲ完 了 セ シ ム ルヲ主
臺 ノ補 給 基 点 ヲ掩 護 セ シ メツ ツ在 通 州 部 隊 ヲ併 セテ南 苑 ノ敵 ヲ攻 撃 ス ル コト ア リ
豊 臺 ニ戦 闘 司 令 所 ヲ進 ム ル コト ア リ
三、 軍 司 令 部 ハ第 一期 、第 二期 作 戦 間 天 津 ニ位 置 ス会 戦 間 通 州 又 ハ
軍 及 兵 団 ノ有 ス ル無 線 ニ依 ル通 信 ヲ副 ト ス
眼 ト ス之 カ為 兵 站 主 地 ヲ天津 ニ設 ケ通 州 及 豊 臺 ニ補 給 基 点 ヲ設 ケ半
在通州支那駐屯歩兵旅団 ノ 一部 ハ適時之 ヲ小梅 子 北平東方 ニ進 出 約六粁 シテ速 カ ニ旅 団 長 ノ指 揮下 ニ属 シ八 寳 山 又 ハ状 況 ニ依 リ南 苑 ヲ攻 撃
二、 通 信 ハ天 津 ヲ基 点 ト シ平 時 ノ諸 施 設 ヲ増 強 シテ有 線 通 信 ヲ行 ヒ
会 戦 分 ノ軍 需 品 及 一箇 月 分 ノ糧 秣 ヲ集 積 ス
在 通 州 支 那 駐 屯歩 兵 ノ 一部 ハ北 平 居 留 民 保護 ノ為 更 ニ兵 力 ヲ要 ス
セシ ム
ル場 合 ハ城 内 部 隊 ト協 力 シ北 平 城 内 へ強 行 進 入 セ シム ル コト ア リ
ノ掃 蕩 戦 ニ逐 次 加 入 セシ ム
六、 第 二十 師 団 ハ主 力 ヲ鉄 道 ヲ以 テ北 平 南 方 地 区 ニ輸 送 シ北 平 郊 外
此 ノ際 成 ル ヘク永 定 河 右 岸 ニ於 テ敵 ノ退 路 ヲ遮 断 ス ル如 ク作 戦 セ シ ム 一部 ノ兵 力 ヲ以 テ第 百 三 十 二 師 ヲ撃 破 ス ルノ準備 ヲ整 ヘシ ム ル モノト ス
シテ直 轄 シ主 ト シ テ天 津 警備 ニ当 ラ シメ別 ニ第 二十 師団 ノ来 著 ニ伴
七 、 軍 ハ当 初 ヨリ支 那 駐 屯 歩 兵旅 団 ノ約 一大 隊 ヲ天 津 ニ於 テ予 備 ト
ヒ其 ノ歩 兵 一聯 隊 ヲ天 津 ニ於 テ軍 予 備 タ ラ シ ム 八 、本 会 戦 間 特 ニ軍 ニ於 テ処 置 ス ヘキ事 項 左 ノ如 シ 1、 第 一期 作 戦 間 中 央 軍 ノ北 上 ニ対 シ随 時 平 漢線 ヲ遮 断 シ 又第 二
2、 八 達嶺 方 面 ニ対 シテ ハ独 立 混 成 第 十 一旅団 ヨリ、 津 浦 線 ニ対
十 九 軍 ノ鉄 道 ニ依 ル脱 出 ヲ困 難 ナ ラ シ メ輪 転材 料 ヲ押 収 ス
方
五
針
︹ 参謀本部第 一部第 二課︺ (昭 和 一二 、 七 、 一七 第 二課 )
北 支 ニ兵 力 ヲ行 使 ス ル場 合 対 支 戦 争 指導要綱 ( 案)
第二
第 二十 九 軍 ノ掃 討
二、 現 地 実行 不誠 意 ノ確 認 ニ依 リ天津 軍 ヲ シ テ作 戦 ヲ発 動 セシ ム
一、初 動 ヨリ第 二十 九 軍 ニ対 シ優 勢 ナ ル兵 力 ヲ使 用 シ作 戦 ノ地 域 ハ
一、初 期 ノ武 力 行 使 ハ第 二十 九 軍 ノ敵 対並 不 信 行 為 ニ対 ス ル報 復 膺
北 部 河北 省 ト シ急 速 ニ大 打 撃 ヲ与 ヘ其 影 響 ニ依 リ中 央 軍戦 闘 加 入 ノ
二、 天津 軍 ハ現 地 ニ於 テ最 後 通牒 ヲ交 付 シ作 戦 行 動 ヲ開始 ス
山東 ニ於 ケ ル作 戦 行 動 ハ初 期 之 ヲ保 留 ス
意 志 ヲ放 棄 セ シ ム
懲 ヲ目的 ト シ同 軍 ノ撃 破 ニ ヨリテ北 支 問 題 ノ解 決 (別 ニ定 ム) ヲ図
此間 事 態 次 項 ニ進 展 スル コト ア ル ヲ考 慮 シ所 要 ノ準備 ヲナ ス
ル
ニ於 ケ ル モノ ト ス此 場 合 ニ於 テ ハ排 、抗 日 ノ根 源 タ ル中 央 政権 ノ覆
二 、中 央 軍 ト ノ交 戦 ハ彼 側 ノ敵 対行 動 明瞭 ト ナ リ已 ム ヲ得 サ ル場 合
ルト共 ニ政 治 的 、 経 済 的等 ノ謀 略 手 段 ヲ併 用 シ努 メテ短 期 間 ニ敵 側
三 、何 レノ場 合 ニ於 テ モ目 的達 成 ニ必要 ナ ル兵 力 ヲ初 動 ヨリ使 用 ス
ス
五 、北 支 政 略 指 導機 関 ヲ派 遣 ス
四 、軍 需 動 員 及 総 動員 ヲ発 動 ス
洲 及冀 東 ニ前 進 セ シ メ以 テ同 軍 ノ戦 闘 加 入 ニ備 ヘシ ム
三 、内 地 ニ ハ別 ニ中 央 軍 ノ戦 闘加 入 ニ応 ス ルノ兵 力 ヲ動 員 シ逐 次 満
於 テ之 ヲ定 ム
其 発動 ハ当 面 ノ敵 集 中 状 態 ト内 地部 隊 到 着 ノ状 態 ト ニ依 リ中 央 ニ
ノ抗 戦 意 志 ヲ挫 折 セ ン コト ヲ図 ル
滅 ヲ目 的 ト シ全 面 的 戦 争 ニ ヨリ日 支間 ノ問 題 ノ抜 本 的 ナ ル解決 ヲ期
四 、第 三諸 国 ノ動 静 ニ関 ス ル注 意 ヲ深 甚 ナ ラ シ メ対支 当 面 ノ目 的 達
対蘭 印 石 油 政 策 ヲ実 施 ス
七 、対 第 三諸 国 ( 特 に英 米 ) 経 済 謀 略 ヲ実 行 ス
六 、対 支 就 中 対 支 那軍 及 対支 経 済 謀 略 ヲ実 行 ス
第 一 武 力 行 使 ノ意 志 決 定 及 作 戦行 動 ノ発 起
成 ノ為 努 メテ第 三 国 ヲ刺 激 セ サ ル コト ニ努 ム
一、 中 央 交 渉 ニ於 ケ ル先 方 ノ態 度 ニ ヨリ我 武 力行 使 ノ意 志 ヲ決 ス
二、 一般 作 戦 遂行 中 ト雖 形 勢 交綏 ニ陥 ラ ント ス ル (三 、四 ケ月 以 上)
本 作 戦 ノ継 続 ハ少 ク モ 一年 以 上 ニ亙 ル モノ ト ス
九 、中 央 交 渉 ハ局 面 拡大 防 止 ノ目 的 ヲ以 テ依 然 之 ヲ継 続 シ且 日支 全
慊 ア ル場 合 ハ適 時 本持 久 戦 ノ指 導 ニ転 移 ス
八 、第 三 国 干 渉排 撃 ノ意 志 ヲ 明示 ス
面 戦 否 ノ意 志 ヲ決 定 ス 本 作 戦 ノ成 果 ニ依 リ休 戦 ノ形 勢 誘 導 ニ努 ム
第三
対中 央 軍作 戦
一〇、 本 作 戦 ハ概 ネ 二 ケ月 ヲ以 テ終 止 セ ン コト ヲ期 ス
一、 北支 ニ進 出 セ ル中 央 軍 ヲ撃 破 ス ルヲ第 一段 階 ト シ中央 軍 敵 対 ヲ 持 続 セ ハ続 イ テ作 戦 行 動 ヲ継続 ス ルト共 ニ経 済 並 謀 略 方策 ヲ併 用 シ 蒋 政 権 ヲ倒 壊 シ日 満 支提 携 可能 ナ ル政 権 ノ発 生 ヲ誘 導 シ以 テ 一挙 日
二 、中 央 軍 討 伐 ノ目 的 ヲ声 明 ス
支 問 題 ヲ解 決 ス
三 、作 戦 行 動 ハ十 分 ナ ル兵 力 ヲ以 テ急 速 ニ南 京 方 面 ニ重圧 ヲ与 ヘ且 蒋 政 権 ノ西 方 逃 避 ヲ防 止 ス 四、 上 海 方 面 ニ対 ス ル出 兵 ハ時 ノ形 勢 ニ依 リ テ之 ヲ定 ム 五 、 対 支経 済戦 方 策 ヲ全 面 的 ニ実 施 ス 経 済 的破 綻 特 ニ軍 需 枯 渇 ヲ実 現 セシ ム ルタ メ海 面 監 視 ヲ行 フ 六 、作 戦 ノ進 捗 ト共 ニ後 方 守備 ノ為 所 要 ノ兵 力 ヲ北 支 ニ派遣 ス 七 、適 時 満 洲 ニ所 要 ノ兵 力 ヲ派 遣 シ ﹁ソ﹂ 聯 邦 ニ備 ヘシ ム
第四
爾 後 持 久 戦 ニ陥 ル場 合
八 、本 作 戦 ハ三 、 四 ケ 月 ヲ以 テ終 結 セ ン コト ヲ期 ス
一、 北 部 河 北 省 及要 ス レ ハ上海 、 蘇 州 ノ間 ニ所 要 ノ兵 力 ヲ配 置 シテ 之 ヲ軍 事占 領 シ且海 軍 ヲ 以 テ海 面 ヲ監視 シ経 済的 謀 略 ト相俟 チ、支 那 ノ屈 服 ヲ待 ツ 爾 後 ノ兵 力 ハ機 ヲ失 セ ス之 ヲ撤 収 ス
一
六
臨命第四 一八号
命 令 ・指 示
清
司 殿
参謀総長
載
仁
親
王
指 示 ︹ 三頁参照︺ 刻下 ノ情 勢 ニ鑑 ミ支那駐屯軍司令官 ハ臨命第 四〇〇号 ヲ廃 シ所要 ニ応 シ武力行使 ヲ為 スコトヲ得 昭和十二年 七月 二十 六日 月
指
示
臨参命第六十二号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス
支那駐屯軍司令官 ハ武力行使 ノ已 ム無 キ場合 ニ於 テ飛行隊 ヲ使用
スルニ方 リテ ハ左 ノ趣旨 ニ拠 ルヘシ
一、地上作戦 ニ密 ニ協力 スルヲ本旨ト ス
月
清
司 殿
参謀総長
載
仁
親
王
二、対地攻撃及爆撃 ノ実施 ニ方 リテ ハ目標 ノ選定其他 ニ関 シ国際関 係 ヲ顧慮 スルヲ要 ス
香
昭和十 二年七月二十 六日 支那駐屯軍司令官 三
香 二
臨参命第六十四号
支那駐屯軍司令官
臨命第四百十九号
野 戦 重 砲 兵 第 一旅 団
独立 山 砲 兵 第 三 聯 隊
一 ( 第 八 師 団 ヨリ)
一 ( 第十 二師団 ヨリ)
一 ( 第 三 師 団 ヨリ)
一 ( 第十 二師団 ヨリ)
一 ( 第 一師 団 ヨリ)
隊
隊
一 ( 第十 四師団 ヨリ)
大
大
一 (近 衛 師 団 ヨリ)
二
三
隊
第
第
大
野戦 重 砲 兵 第 二旅 団
戦
撃
五
司
車
一、支那駐屯軍司令 官 ハ現任務 ノ外平津地方 ノ支那軍 ヲ膺懲 シテ同 迫
第
令
地方主要各地 ノ安定 ニ任 ス ヘシ 撃
一 ( 第 一師 団 ヨリ)
命
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 迫
班
昭和十 二年七月 二十七日
兵
月 清
報
砲
奉 勅 伝宣 香
情
独 立攻 城 重 砲 兵 第 一大隊丙
( 近 衛 師 団 ヨリ)
一 ( 第 四 師 団 ヨリ)
支 那駐屯軍司令官
王
( 第十 二師団 ヨリ)
親
六
( 第 二十師団 ヨリ)
四
一 (第 五 師 団 ヨリ)
仁
独 立攻 城 重 砲 兵 第 二大隊丙
四
( 近 衛 師 団 ヨリ)
独 立 工兵 第 六 聯 隊 丁
一 ( 近 衛 師 団 ヨリ)
二 (第十六師団 ヨリ)
載
近衛 師団第 一乃至第六野戦高射砲隊甲
二
参謀総長
第十 二師団第 一乃至第四野戦高射 砲隊 乙
二
野戦電信第 四十二第四十三中隊
殿
近衛師団第 五第六野戦照空隊
第 二十師団第 一第 二野戦高射砲隊乙 臨参命第六十五号
無 線電 信第 二十 五小 隊
( 第 三 師 団 ヨリ)
団
一 ( 第 三 師 団 ヨリ)
団
四
師
第 三師団第 一乃至第四野戦照空 隊
師
令
五
命
六
独 立 工兵 第 四 聯 隊 甲
第
一 左記部隊 ヲ北支 那 ニ増派 ス 第
一 ( 第十六師団 ヨリ)
第 四 野 戦 気 象 隊 乙
一 ( 第 二 師 団 ヨリ)
団
二
師
隊
十
第
二 (第 二 師 団 ヨリ)
第
野 戦 鳩 第 十 五 第 十 六小隊車
二
一 (近 衛 師 団 ヨリ)
(第十六師団 ヨリ)
( 第 七 師 団 ヨリ)
一 ( 第 六 師 団 ヨリ)
第 二師団第 一第 二架 橋材料中隊
量 一 (第 五 師 団 ヨリ)
第十六師団第 一第 二渡河材料中隊 監
測
独 立機 関 銃 第 四大 隊
一 ( 第 六 師 団 ヨリ)
戦
独立 軽装 甲車 第 五中 隊
一 ( 第十 一師団 ヨリ)
一 野
独立軽 装 甲車 第 六中 隊
站
部
独立軽 装 甲車 第 十中 隊 一 大
兵
第
一 (第十 二師団 ヨリ)
車
隊
戦
第 九師団第 一第 二兵站司令部
第 二師団第 一第 二兵站司令部
一 ( 第 八 師 団 ヨリ)
二 (第十六師団 ヨリ)
二 (第 九 師 団 ヨリ)
二 (第 二 師 団 ヨリ)
兵
兵
站
病
病
院
院
患 者輸 送 部 第 二十 七 第 二十 八 班
患 者 輸 送 部 第 二 十 一班
患 者 輸 送 部 第 十 六 班
患
站
野 戦 予 備 病 院 第 二十 八 班
一 (第 九 師 団 ヨリ)
一 (第 七 師 団 ヨリ)
一
一
一
(第 七 師 団 ヨリ)
一 (近 衛 師 団 ヨリ)
二
(近 衛 師 団 ヨリ)
(第 十 二師 団 ヨリ)
( 第 九 師 団 ヨリ)
( 第 七 師 団 ヨリ)
(近 衛 師 団 ヨリ)
一 (第 十 二師 団 ヨリ)
第 十六師団第 一第 二兵站司令部
一 ( 第 七 師 団 ヨリ)
二 ( 第 二 師 団 ヨリ)
四
部
兵 站 電 信 隊 本 部 車
( 第 三 師 団 ヨリ)
近 衛 師 団 後 備 歩 兵 第 五 大隊
二
( 第 二 師 団 ヨリ)
( 第 八 師 団 ヨリ)
本
兵 站 電 信 第 三第 四 中 隊 車 二
第 七師 団 後 備歩 兵第 一乃至 第 四大 隊
二
二
部
兵站 電 信 第 九 中 隊 車 二
近 衛 師 団 後 備騎 兵第 三第 四中 隊
(第十四師 団 ヨリ)
第 八 師 団 後 備野 砲 兵第 一第 二中 隊
送
第 五第 六兵 站 輜 重 兵隊本部 二 ( 第 七 師 団 ヨリ) 二 (第 八 師 団 ヨリ)
第 二師 団 後 備山 砲 兵第 一第 二中 隊
輸
第三師団第 一第 二兵站輜重兵中隊
二
( 第 一師 団 ヨリ)
者
第 七師団第 二第 四兵站輜重兵中隊 第 八師団第 一第 二兵站輜重兵中隊 五
( 第 三 師 団 ヨリ)
( 第 二 師 団 ヨリ)
第 五第 六兵 站 自 動 車隊本部 兵站自動車第十五乃至第 十九中隊 二
一 (近 衛 師 団 ヨリ)
兵站自動車第三十三第 三十四中隊
鉄
材
(近 衛 師 団 ヨリ)
一 (第 七 師 団 ヨリ) 一
第
近 衛 師 団 後 備 工 兵 第 一中 隊
第
道
二
道
一 (近 衛 師 団 ヨリ) 鉄
一 鉄
部
( 第 四 師 団 ヨリ)
第
監
二 (第十二師団 ヨリ)
五
( 第 十六師団 ヨリ)
第 一第 二 手 押 軽 便 鉄 道 隊
道
兵站自動車第四十四乃至第 四十 八中隊
( 第 九 師 団 ヨリ)
第 七 師 団 後 備 工 兵 第 一中 隊
兵站 自動車第 六十 四第六十五中隊
五
( 第 十 師 団 ヨリ)
(第 七 師 団 ヨリ)
一 (第 一 師 団 ヨリ)
一 (応 一中 欠 ) (近 衛 師 団 ヨリ)
五
( 第十 二師団 ヨリ)
五
隊
兵站自動車第八十七乃至第 九十 一中隊
三
第 三 牽 引 自 動 車 隊 乙
兵
聯
第九師団第七乃至第十 一輸送監視隊
二
第 七師 団 第 一乃 至 第 五 陸 上 輸 卒 隊
戦
二
第十師団第 一乃至第三輸送 監視隊
一 ( 第 一師 団 ヨリ)
野
一 (近 衛 師 団 ヨリ)
第十 二師団第七第 八輸送監視隊
一 (第十 二師団 ヨリ)
( 第 九 師 団 ヨリ)
( 第 八 師 団 ヨリ)
廠
廠
五
五
( 第 十 一師 団 ヨリ)
料
廠
第 八師 団 第 一乃 至 第 五陸 上輸 卒 隊
(第 八 師 団 ヨリ)
馬
第 九 師 団 第 一乃至 第 五陸 上 輸 卒 隊
二
五
砲
一 (第十 六師団 ヨリ)
第 十 一師 団第 一乃 至 第 五陸 上 輸 卒 隊
備
第 四 野 戦 航 空 廠 甲
一 (第 七 師 団 ヨリ)
第 八 師 団第 一第 二水 上 輸 卒 隊
予
野戦 予備 病院 第十 七班
一 ( 第 九 師 団 ヨリ)
野 戦 予 備 病 院 第 二 十 二班
第 二 師 団 長
第
近 衛 師 団 長
支那駐屯軍 司令官
岡
西
香
村
河 村
尾
寧
恭
輔
壽 造
月 清
次
殿
殿
殿
集
築 部
部
一第 二 中 隊
一
一
二
( 第 五 師 団 ヨリ)
( 第 四 師 団 ヨリ)
(近 衛 師 団 ヨリ)
第 五 師 団 長
第 四 師 団 長
第 三 師 団 長
板 垣征 四郎
松
伊
井
東
政
命
喜
殿
殿
殿
殿
一 ( 第 九 師 団 ヨリ)
二
( 第 七 師 団 ヨリ)
建
司
第 八師 団 第 一第 二 建 築輸 卒 隊
(近 衛 師 団 ヨリ)
蒐
( 第 八 師 団 ヨリ)
第 九 師 団第 二建築 輸卒隊
一
二
戦
一師 団 長
一野 戦 鑿 井 隊 本 部
第 一第 二 野 戦 道 路 構 築 隊
資
第
一 物
二
野 戦 鑿 井 第 第
三 毛
谷
夫
殿
野
第
第 六 師 団 長
殿
第 七 師 団 長
一 夫
一師 団 ヨリ)
壽
一師 団 ヨリ)
殿
( 第
殿
( 第
彌
殿
一
元 熊
蕃
一
廉 介
部 甲
沼
防 疫
下
谷
一 野 戦
蓮
一野 戦 化 学 実 験 部
第 八 師 団 長
磯
第
第 九 師 団 長
第 二
第 十 師 団 長
屯 軍司 令 官 ノ隷 下 ニ入 ラ シ ム ヘシ
三
第 十 四師 団長
第 十 二師 団長
第 十 一師 団 長
川 岸文 三郎
兒
土 肥 原賢 二
山
多
田 乙
田
雄
三
駿
殿
殿
殿
殿
殿
各 師 団長 ハ第 一項 所掲 ノ動 員 管 理 部 隊 ヲ北 支 那 ニ派 遣 シ支 那 駐
第 五 、第 六 、第 十 師団 長 ハ北 支 那 ニ到 リ支 那駐 屯 軍 司 令 官 ノ隷
下 ニ入 ル ヘシ
四
第 十 六師団 長
支 那駐 屯 軍 司 令 官 ハ関 東 軍 司令 官 ト協 議 ノ上 其 隷 下 部 隊 ノ 一部
ヲ満 洲 ニ位 置 セ シ ム ル コト ヲ得
第 二 十師 団長
吉
殿
殿
載
仁
親
王
第 一項 ノ部 隊 ハ満 支 国境 通 過 又 ハ北 支 那 上 陸 ノ時 ヲ以 テ支 那 駐
謙
昭
昭和十二年 七月 二十八 日
大海令第 一号
軍 令部機密第 三六 一番電
七月二十八日午後十時発電
玉 友
五
但 満 洲 ニ位 置 ス ル部 隊 ハ奉 天 到着 ノ時 ト ス
昭 和 十 二年 七月 二十 七 日
田
國
参謀総長
細 項 ニ関 シ テ ハ参 謀 総 長 ヲ シテ指 示 セ シ ム
植
磯
五
屯 軍 司令 官 ノ隷 下 ニ入 ル モノ ト ス
六
関 東 軍 司 令 官
小
奉 勅 伝宣
朝 鮮 軍 司 令 官
奉
勅 軍 令部 総 長
博
恭
王
ノ警 戒 ヲ厳 ニセ シ ムベ シ
三 、軍 令 部 機 密 第 二九 九 番電 ニ依 ル輸 送 警 戒 ノ任務 ハ第 二艦 隊 司令
爾 余 ノ聯 合 艦 隊 ヲ率 ヰ 概 ネ九 州 沿 岸 方 面 ニ在 リテ第 二艦 隊 ノ作戦 ヲ
四 、聯 合 艦 隊 司 令 長 官 ハ第 二艦 隊 、 第 八 戦 隊 及第 一水 雷戦 隊 ヲ除 ク
長 官 ヲ シテ之 ヲ継 承 セ シ ムベ シ
一 帝国 ハ北支那 ニ派兵 シ平津 地方 ニ於 ケ ル支那軍 ヲ膺懲 シ同地方
五 、使 用 時 ヲ中 央 標準 時 ト ス
支 援 シ第 三艦 隊 ニ協 力 スベ シ
︹ 修身︺ 永野聯合艦隊司令長官 ニ命令
二 聯合艦隊司令長官 ハ第二艦 隊ヲシテ派遣陸軍ト協 力 シ北支那方
示
臨 参 命 第 六 十 四 号及 第 六十 五 号 ニ基 キ左 ノ如 ク指 示 ス
指
臨 命 第 四百 二十 一号
六
主要各 地ノ安定 ヲ確保 スルニ決 ス 面 ニ於 ケ ル帝国臣民ノ保護 竝 ニ権益 ノ擁護 ニ任ゼ シムルト共 ニ第三 三 聯合艦隊司令長官 ハ第二艦隊 ヲシテ派遣陸軍 ノ輸 送ヲ護衛 セシ
艦隊 ニ協力 スベ シ ムベシ 四 細項 ニ関 シテ ハ軍令部総長 ヲシテ之 ヲ指 示 セシ ム
王
3 、 上陸 作 業 ニ関 ス ル所要 ノ援 助
2 、 上陸 時 ニ於 ケ ル対 空 掩護
1 、 上陸 点附 近 ニ於 ケ ル支 那 軍 等 ノ妨 害 ノ排 除
以 テ 特 ニ左記 諸 件 ニ関 シ顧 慮 ス ルヲ要 ス
ハ概 ネ八 月 十 五 日 乃至 十 八 日 頃 北 塘 及塘 沽 附 近 ニ上 陸 ノ予定 ナ ルヲ
三 、 第 十 師 団 ヲ基 幹 ト ス ル部 隊 (独 立 山砲 兵 第 三聯 隊 主力 ヲ含 ム)
2 、適 時催 涙 筒 ヲ使 用 スル コト ヲ得
1 、 軍 ノ作戦 地域 ( 航 空 ヲ除 ク) ハ概 ネ保 定 獨 流 鎮 ノ線 以北 ト ス
一、 北 支 作 戦 ニ関 ス ル陸 海 軍 協 定 ノ抜 萃 別 冊 ノ如 シ
七月二十八日午後 十時 三十分発電
恭
軍令部機密第三六四番電
博
二 、 武 力 ヲ行使 ス ル場 合 ニ ハ左 記 事項 ニ準 拠 ス ヘシ
軍令部総長
大 海令第 四号 昭和十二年 七月 二十八 日 永野聯合艦隊 司令長官 ニ指示 一 帝国陸軍 ハ平津 地域 ニ概 ネ左 ノ兵力 ヲ派遣 ス 関東 軍 ヨリ混成約 二旅団其 ノ他所要 ノ部隊、朝鮮 ヨリ動員 一師団 二 聯合艦隊司令長官 ハ第 二艦隊 司令長官 ヲシテ平津 方面 ニ於 ケ ル
及内地 ヨリ動員 三師団其 ノ他所要 ノ部隊 帝国陸軍 ノ作戦 ニ協 力 セシムルト共 ニ海州灣 ( 含 ム) 以北支那沿海
司
参謀 総長 清
殿
載
仁
親
王
ハ厳 正 ナ ル軍 紀 ト正 当 ナ ル行 動 ヲ中 外 ニ理 解 セ シ ム ル ニ努 ム ルト共
四 、平 津 地方 ハ列 国 ノ利 害 錯綜 シ且 列 国 軍 環 視 ノ中 ニ在 ル ニ鑑 ミ軍
ニ努 メテ 列国 軍 ト協 調 ヲ保 持 ス ル ヲ要 ス
月
五、 交 通 兵站 ニ関 シ テ ハ別 ニ指 示 ス
香
昭 和 十 二年 七 月 二十 八 日
支 那 駐 屯 軍 司令 官
七
中 央 統 帥 部 ノ対 支 作 戦 計 画 ( 昭和十二年七月廿九日策定)
四 、 第 三 国 ニ対 シ厳 ニ警 戒 シ情 勢 ニ応 ジ逐 次所 要 ノ兵 力 ヲ動 員 シテ 満 洲 ニ派 遣 ス
一、作 戦 方 針 平 津 地 方 ノ支 那 軍 ヲ撃 破 シ テ同 地 方 ノ安 定 ヲ図 ル
中央統帥部 ト ハ参謀本部 ヲ指 ス︺
五 、 別 ニ五師 団 ヲ中 央 直 轄 ト シ情 勢 ノ変 化 ニ応 ジ 得 ル如 ク準 備 ス
支 那 駐 屯 軍 ヲ シテ約 四師 団 ヲ基 幹 ト シ平 津 地方 ノ
︹註
作 戦 地域 ハ概 ネ保 定 獨 流 鎮 ノ線 以 北 ニ限 定 ス 状 況 ニ依 リ 一部 ノ兵 力 ヲ以 テ 青島 及 上海 附 近 ニ作 戦 ス ル コト ア リ
1 、平 津 地方
二 、 兵団 ノ兵 力 編 組 及 任 務
概 ネ 一師団 ヲ基 幹 ト シ青 島 附 近 ヲ占 領 シ テ主 ト シ
支 那軍 ヲ撃 破 ス 2 、青 島 附 近 テ居 留 民 ヲ保 護 ス 三 、作 戦 指 導 ノ要 領 1 、支 那 駐屯 軍 ヲ以 テ平 津 地方 特 ニ前 記作 戦 地域 ニ於 テ支 那 軍 ニ 対 シ可 及 的大 打 撃 ヲ与 フ ル如 ク作 戦 セ シ ム 2 、青 島 及 上海 附 近 ニ対 ス ル作 戦 ハ状 況止 ムヲ得 ザ ル場 合 ニ之 ヲ 行フ 3 、戦 況 ノ推 移 特 ニ第 三 国 ト ノ関係 ニ依 リ最 小 限 ノ兵力 ヲ以 テ平 津 地方 ヲ領 有 シ持 久 ヲ策 ス ル コト ア リ
八
北 支 政 務 指 導 要 綱
針
(昭和 一二、八、 一二 陸軍省)
四、現地 の明朗化 を妨碍す る不良分子 (浮浪 人排 日及共産分子等)
は何 れの国籍人たるを問わず之 が徹底 的整 理 の手段を講じ速 に之 を
第一 方
一、北支政務指導 の要 は作戦地後方地域 (冀 東 を含む以下同じ)に
実施するも のとす。
置を講ず るも のとす。
五、住民 の為文化的諸施設就中保健 医療施設 の普及 に関し所要 の措
之 の実施 は軍内諸機関、外務官憲 及支那側機関相互 の協 力 に依 る。
於 ける各般 の政務事項 を統合指導し該 地域 をし て日満支提携共栄実 領
現 の基礎たらしむるにあり。 第二 要
一、政務指 導各般 の処理 は厳 に敵国占領 の精神 より脱却し将来 の長 計を考慮し地方固有 の社会組織竝習俗 は成 るべく之を存置善 導する ことに努 め且軍隊対住民 の関係 は特 に之 を円滑 に調整するも のとす。 二、作戦 地後方地域 の政治機関は住民 の自主的発生に基くも のとし 其機構 運営亦住民 の積極的参賛 に拠 る。 冀東 政権 は特 に其内部を刷新合 理化す るも のとす。 三、前項地域 の経済開発は差当 り冀東地区を主 とし冀東政権 を内面 而 して経済開発実施 の為 には成 るべく興中公 司をし て直接実行若
的 に指導し て之を行 ふ。 は調整 に当らしむるものとす。 経済開発 に関す る具体的事項は別に連絡 す。
九
︹ 植 田 ︺関 東 軍 司 令 官 ヨ リ
宛
︹閑院宮載仁親王︺
︹杉山元大将︺
参謀 総長 陸軍大臣
(昭 和 一二 、 八 、 一三 )
急 派 セ シメ有 利 ノ態 勢 ヲ確 保 ス ルト共 ニ敵 空中 勢 力 ノ破摧 、 政 治 経
戦 遂 行 ニ策 応 シ速 ニ上海 成 シ得 レ ハ山 東 方 面 ニ各 有力 ナ ル 一兵 団 ヲ
現 下 内 外 ノ事 態 ニ鑑 ミ 近 ク予期 セラ ル ヘキ北 支 方 面 ノ果敢 ナ ル作
ア ルノ ミ ナ ラ ス蘇 聯 ノ挙措 逆 賭 シ難 キ モノ ア リ財 政経 済 上 ヨリ醸 生
測 ル可 カ ラ サ ル モノ ア リ曠 日弥 久 列強 ノ嚮 背 漸 次 我 ニ不利 ニ趨 ク恐
抗 日準 備 ノ余 裕 ヲ与 ヘ之 ヲ増長 狂奔 セ シ ムル ノ ミナ ラ ス勢 ノ趨 ク所
陥 リ若 ク ハ不拡 大 主 義 ヲ標榜 シ ツ ツ荏苒 時 日 ヲ経 過 セ ンカ彼 ニ益 々
問 題 ニ転 化 ス ル ニ至 レ リ、 今 日 尚 彼 ノ得 意 ト ス ル緩 戦 ノ常套 手 段 ニ
覆 滅 セ ント シ単 ニ北 支 ノ局 地 的 問 題 ニア ラ スシ テ実 ニ日 支 ノ全 面 的
済 謀 略 等 ノ放 胆 ナ ル遂 行 ト 相俟 チ 当 面 ノ目 標 ヲ北 支 中央 軍 ノ撃 滅 、
意 見 具 申 (案 )
南 京 政 権 ノ徹 底 的膺 懲 ニ集 中 シ 以 テ其 抵 抗 ヲ断念 セ シ メ時 局 ノ拾 収
然 レ共 現 下 支 那 ノ動 向 ハ其 実 力 ヲ過 信 シ巧 ナ ル使嗾 煽動 ニ相俟 チ益
増 兵 ヲ決 シ所 要 ノ措 置 ヲ講 セ ラ レ ツ ツア ル ハ欣 快 ニ堪 ヘサ ル所 ナ リ
副 長 ヲ上京 セシ メ軍 ノ情 勢 判 断 ニ付 説 明 セ シメ タ ルカ幸 ニ廟 議 北 支
時 局処 置 ニ関 ス ル方 策 ニ関 シテ ハ屡 次意 見 ヲ具 申 シ過 般 特 ニ参謀
於 ケ ル作戦 ノ遂行 ヲ果 敢 ナ ラ シ メ其 戦 果 ヲ拡 大 ス ルト共 ニ速 ニ上海
ニ邁進 ス ヘキ ハ勿 論 ナ ル モ現 下 当 面 ノ緊 急 対策 ト シ テ ハ北支 方 面 ニ
ニ根 本 国 策 ヲ確立 シテ挙 国 一致 挙 軍 一体時艱 克 服 、皇 威 国 権 ノ伸 張
加 ス ルヲ予 期 セラ レ事 態 ノ推 移 実 ニ容 易 ナ ラ サ ル モノ ア リ宜 シ ク速
資 材 ノ整 備 乃 至 日満 産 業 五 ケ年 計 画 ノ遂 行 等 日 ヲ経 ル ニ従 ヒ支 障累
テ人 心 ノ安 定 治 安 ノ確 保 上重 大 ナ ル作 用 ア ル ノ ミナ ラ ス兵 備 ノ充 実
ス ル コト ア ル ヘキ我 国内 輿 論 亦 必 シ モ楽 観 ヲ許 サ ス殊 ニ満 洲 国 民 心
々抗 日 意 識 ヲ倍 加 シ殊 ニ我 所 謂 不 拡 大 主 義 ハ寧 ロ却 ツ テ 彼 ニ好 餌 ヲ
ニ概 ネ 二ケ 師 団成 シ得 レ ハ山 東 方 面 ニ 一、 二 ヶ師 団 ノ兵 力 ヲ基 幹 ト
ヲ急速 且 至短 期 間 ニ終 結 セシ ム ル コト絶 対 必要 ナ リ爰 ニ謹 テ意 見 ヲ
与 へ事 態 ヲ シテ好 ムト好 マサ ルト ニ係 ラ ス愈 々拡 大 紛 糾 セ シ メ北 支
ス ル兵 団 ヲ進 出 セ シメ敵 ノ心 臓 部 ヲ脅威 シ此間 敵 ノ空 中 勢力 ヲ破摧
ニ及 ホ ス影 響 ハ逐 日憂 慮 ス ヘキ モノ ヲ生 ス ヘク、 対蘇 作 戦 準 備 ト シ
ニ於 ケ ル各 種 協 約 協 定 違 犯 ノ ミナ ラ ス上海 停 戦 協 定 ヲ モ蹂躪 シ更 ニ
具 申 ス右 ニ関 ス ル趣 旨 左 ノ如 シ
全 支 ニ於 テ粒 々辛 苦 、 拮 据 経 営 セ ル邦 人 ノ経 済的 権 益 ヲ モ根 底 ヨリ
ニ北 上 中央 軍 ノ撃 滅 、 南 京 政 権 ノ徹 底 的膺 懲 ニ目 標 ヲ集 中 シ其 抵 抗
シ更 ニ中 支 南 支 方 面 ニ徹底 的政 治 経 済 上 ノ謀略 ヲ併 セ行 ヒ以 テ 一挙
ヲ断 念 セシ メ時 局 ノ拾 収 ヲ シテ 一日 モ速 ナ ラ シ メサ ル ヘカ ラ ス若 シ 夫 レ北 支方 面 ノ ミ ノ作 戦 ニ終始 セ ンカ彼 ニシテ隴 海線 以南 ニ盤踞 シ
モノ ア リ殊 ニ時 局 収 拾 後 ニ於 ケ ル政 略 上 ノ目標 カ 民族 抗 争 ヲ避 ケ又
若 ク ハ巧 ニ退 却 戦 法 ヲ執 ルト キ ハ作 戦 持 久 ニ陥 リ禍 害 真 ニ憂 フ ヘキ
北支 武 力 占 領 乃 至 独 立国 家 ノ樹 立 ヲ適 当 ト セサ ル今 日 ニ於 テ ハ速 ニ
シメ新 ナ ル新 政 権 ニ我 公 明 ナ ル要 求 ヲ確 約 セ シメ サ ル限 リ再 ヒ熱 河
容共 主 義 ニ誤 ラ レ タ ル南京 政 権 ヲ屈 服 セ シ ム ル カ若 ク ハ之 ヲ崩 壊 セ
作戦 以来 ノ轍 ヲ踏 ム モノ ニ シテ前 記 方 策 ノ果敢 且徹 底 的 ナ ル遂 行 ハ
シ夫 レ南 京 政 権 瓦 壊 シ、若 ク ハ逃 避 ス ル ニ於 テ ハ現 下 ノ政 情 ハ自 ラ
寧 ロ却 ツ テ事 態 ヲ至 短 期間 ニ解 決 シ得 ル モ ノト謂 ハサ ル ヘカ ラ ス若
ノ出 現 ヲ虞 ル ルモ ノ ア ル モ財 政 金 融 、幣 制 等 ニ於 テ英 米 ノ牽 制 ヲ予
各 地政 権 ノ結 束紊 ル ル ヤ必 セリ南 京 政権 ノ瓦壊 ニ伴 ヒ中 央 共 産 政 府
期 セラ レ将 又 一般 大衆 ノ経 済 的 心 理 ヨリ見 ル モ中 央 共 産 政 府 ノ樹 立 ハ殆 ト〓 憂 ニ過 キサ ル ヘシ仮 令 万 一此 種 政府 樹 立 セラ ル ル コト ア ル モ又自 ラ対 処 ス ヘキ策 案 ア ル ヘシ特 ニ明断 善 処 ヲ望 ンテ已 マサ ルナ リ
対 時 局 処 理 要 綱
十 五部 の内 第 一三 号
一 〇
( 昭和十二年八月十四日 関東軍司令部)
右兵力使 用に関聯 し大規模な る経済其 他 の謀略 を併 せ行ひ支那側 戦意 の喪 失及政権 の分解作用を促進す。
情 況真 に已む を得ざ る場合 に於 ては要 地を確保し て持久を策す。
四、以上施策に関聯 し愈 々国民精神を作 興し総動員準備を完成し将
針
之に資 すべき中央政権と の調整 を主眼 とし、武力 の行使を徹底 化し
方
て南京政府 の膺懲、北上中央軍 の撃滅 に凡百 の目標を集中し以て其
五、満洲国をして帝国 の国策遂行 に協 力せしめ特 に人心 の安定、日
来戦準備 の国内諸機構 を強化す。
一、対時局処 理の根本方策 は先づ主として北支問題 の抜本的解決及
抵抗を断念 せしめ時局 の帰結をし て 一日も速 ならしむ るに在り。
満結束 に遺算なからしむると共 に 一方我在満 兵備 の充実、 日満産 業
二、北 支問題 の解決 は作戦 の進捗 に伴 ひ着 々実効を収め多分 に自主 独立性を有 する地方政権 を樹立し接満 地域 の明朗化 を図り対蘇作戦
領
五 ケ年計画等 の促進 を図 り対北方迫力竝対支威 重を鞏化す。
一
主軍を以 て北支方面特 に河北、察哈爾 の敵軍 を撃攘掃蕩し其
一、兵力行使は左 の如 く指導す。
要
準備 の為 に 一正面 の安全 を確保するを以て第 一義とし、併せ て日満 北支等 の経 済ブ ロック の基礎 の確立を期するに在り。 尠 くも察 哈爾 、河北、山東各省 の地域 を粛正自立 せしむ。 三、事変処 理の為 の武力行使は兵力 の使用 を徹底化し て単 に北支 の 敵中枢部 の脅威及機 を逸 せざる山東 方面 に於 ける優越な る地歩 の獲
三 所 要地域 に航空戦 を行 ひ敵 の空中勢力を破摧す 。
現 地保護 に任ぜしむ。
二
支那軍等 を掃蕩す るのみならず 速 に上海 を占拠 して該方面よりする 得 、航空戦 の遂行等と相俟ち至短 期間 に所望 の効果 を収め速 に敵 の
四
戦果 に依 り中央軍政権 、国民大衆等 の戦意を喪失 せしむ。 ︹ 三字不明︺ 有力兵団を即時 上海 に派遣し敵 の中枢 部を 且居留民 の
抵抗 を断念 せしむ るに在 り特 に強 力なる海軍 の協力を期待す之が為
機 を失せず有力兵団を山東 に進 め其経略を容易ならしむ。
中央政府 の崩壊 を辞せず 。
但努め て該 地政権者 の自主的出兵要求 の方途 を講ず。
大特務機関 を設置す。
ハ、治安維 持の為支那軍は保安隊 に改編し其装備 に関 しては現
所要兵力 は至短期間 に於 て敏速 且放胆 なる作戦遂行 に応ぜし
むる為対北方準備 に支障なき限りに於 て所要額 を徹底的 に使用す
五
支 那軍 の駐兵は原則とし て之 を認 めず。
地 の状況 に即応 せしむ。
ニ、幣制 を確立し関税塩税 を接収す。(但外債 担保分 は之 を支
るも のとす。 二、北支各軍閥南京政府 と大衆と の分離竝上海財界 の混乱誘 致等 に
払 ふ)
将来綏遠 を統合す。
察哈爾方面粛正 に伴 ひ察北 、察南を統合する政権 を樹立し張
二
関 し政治経済其他 の謀略 を行 ふ之が為 日満両政府 に於 て別途経費 を 三、対北支政権施策
捻出す。
家 口に其統轄機関を設く。
右政権 の指導 に関し特 に準拠す べき件左 の如し。
北支政権は概 ね五省聯省自治を究極 の目標とし其 政権 の樹立 は努 めて現地住民 の自主的発生、各地政権 の自発的措置 に俟 つべきも必
イ、新政権 は日、漢 、蒙融和を図り特 に対内外蒙施策 を容易な
ホ、機 を見 て幣制を独 立し特 に察北、察南 の財政 調整 に遺憾 な
持 に任 じ 一切 の支那軍を武装解除す。
ニ、察北 に保有する内蒙軍 の外原則 とし て保安隊 を以て治安維
大特務機関 の統制を受 けし む。
内蒙自治政府 に対する徳 化機関 の指導 は現状を維持 す るも右
下 の大特務機 関を設置す。
ハ、右統轄機関等 の内面指導 に任ぜしむる為張家 口に関東軍隷
ロ、新政権統轄機関及省政府 に有能 なる日本入顧問を配置す。
らしむ るを以 て第 一義 とす。
要 なる内面指導乃至援助 を与 へ気運 を醸成す。 新政権確立 の為該地域 の要 地に当分日本軍 の所要部隊 を駐屯せし め共撤兵 は政権 の基礎確立するに従 ひ自主的 に之 を行 ふ。 新 政権 は親日満 、防 共、道義立国を以 て根本政策 とす差当り拠 る 河北及山東 を以て二省聯省自治 の 一政権 とし北京 に其統轄機
べき要領 左の如し。 一 将来山西を統合 す。
関 を設く。 但冀東は当分現状通 とし将来 現地区 を右政権下 に於ける 一省と 右政権 の指導 に関し特 に準拠 すべき件左 の如 し。
し て自立せしむ 。
ふるの外 一般経済活動 は各地 の実情 に鑑 み大衆経済 の確立と民心
三
の安定を第 一義 とし所要資金を進 んで支出し併せ て生産力拡 充要
各方面 に於 て交通 、通信、郵政、配電等 の為技術的援助を与
イ、新政権統轄機関及必要 なる省政府に有能 なる日本人顧問を
からしむ。
配置す。 ロ、右統轄機 関 の内面指導 に任ぜし むる為北京 に天津軍隷下の
素 を獲得す。 特 に日鮮 人等 の利権漁りを防止し真 の日満蒙支 の共栄を庶幾 す。
ホ、長 江其他在支邦人権益侵害 の補償 ヘ、事変 に対す る陳謝
ト、上海 に於 ける無兵地帯 の確 立
中央政府 にし て前項諸件を承認する場合北支款政権 に関し我
二
四 帝国軍は主 とし て各地 に於け る治安 の確保 に専念 し政治経済 等 の指 導は各 夫 々設置 せる大特務機関長 により重要軍事 、渉外、
方 の許容すべき事項概 ね左 の如し。
ロ、北支地方関税 ( 塩税)中外債担保分 の支払是認
イ、各新政権と中央政府 との宗主権関係容認
経済事項及内政上 の根本方針 に関し顧問を通じ内面指導す るを本 せず、在住民 の自 治政治 を助成し軍閥政治、国 民党独裁容共政策
旨 とし特 に顧問 の経綸 を尊重す又各省以下 の内政 には努 めて干渉
隣 の誼 を発揮し進ん で所要 の経済的援助 を与 へ更 に治政向上する
亜 の安定、民族協 和、経済 の合理的融合 を庶幾し、帝国は先づ善
右調整 に伴ひ日満支 三国提携 を策し真 に帝 国を盟主とし て東
ニ、外交上 の統 制 ( 新政権独自 の渉外事項 を除く)
主 とし て間接税中必要 なるもの。
ハ、国税 一部 の負担
三
等 に警醒せしむ。 四、武力行使以外 の地域 に於ける居留民 は上海及青島は現地保護 と し其他 は引揚保護等 の手段 を講ず。 五、列国 の権益 は努め て之を侵さず進 んで我 に好意を持 たしむる如
方面 より地域的事項別的 に治外法権撤廃 を断行する の用意 を整 ふ。
く施策す るも要す れば現地保護等 の為至当 なる共同提案 に応ず るも のとす不必要な る干渉は断 乎排撃 し支那側 に対す る武器其他 の支援
心を安定 し進 で接満地方に対す る威重を倍加し其施策 の推進力 を大
に対す る迫力を増強し未然 に之 を威圧すると共 に他 は以 て満 洲 の人
又在満兵備 の充実産業 五ケ年計画 の繰上促進 を行 ひ 一は以て北方
るを牽制せしむ。
関係を緊密ならしめ更 に民族協和を顕 現高 調して日支民族抗争 に陥
八、満洲国をして益 々結束 を鞏固 にし日本 の国策 に順応して不可分
国民精神を剛健 にし輿論 の耐久化を図る。
動し得しむる のみならず国家機構就中財政金融機構を刷新強化す又
七、帝国 の内政 は対支作戦中対蘇戦勃発 に対処し得る に遺憾 なから しむるを基礎 とし軍需動員及総動員 準備 を完成し所要量 を適時 に発
に対し ては要す れば報復す。 南京政府屈 服前 に於 ける日支問題解決 上 の斡旋 は之 を採撰せず 。 六、中央政府 との調整 中央 政府 と の交渉 は尠くも南京政府が我武力 の圧迫 に依り抵抗 を 断念し屈服したる後 にあらざ れば外交交渉 を行 はず。 一 南京政府屈服 したる後条約 (必要 に応じ密約) を以 て確約せ しむべき事項概 ね左 の如し。 イ、北支各新政権 の容認 ハ、容 共政策 の抛棄、防共地帯 の設定
ロ、 一切 の排外分子及其行動 の禁絶取締 ニ、満洲国 の承認
な ら し む。
一一
︹謙吉大将︺
︹近衛文麿︺
︹廣田弘毅︺
総理大臣 外務大臣
︹ 他 ︺宛 具 申 案 骨 子
戦 ノ進 捗 ヲ 一層 敏速 果敢 ナ ラ シ ム ル ノ外 、愈 々北 方 ニ対 ス ル迫 力 ヲ
日 モ速 ナ ラ シ ム ル ノ要 益 々多 シ、 之 カ為 北支 、 上海 方 面 ニ於 ケ ル作
レ シ ハ御 同 慶 ニ堪 ヘス、然 レ ト モ現 下 ノ情 勢 ハ時 局 ノ終 結 ヲ シテ 一
︹ 植 田 駐 満 ︺全 権 大 使 ヨ リ
時 局愈 々重 大 化 ス ル ニ際 シ廟 議 決 シ政 府 ノ重大 決 意 ヲ表 明 セ ラ レ タ ル ハ御 同 慶 ニ堪 ヘス 然 レ ト モ時 局 ノ終 始 ヲ シテ 一日 モ速 ニ帰 結 セ シム ル為 ニ ハ満洲 ノ
強 化 シ、 一ハ以 テ満 洲国 ノ安 定 ヲ更 ニ確 乎 タ ラ シ メ事 端 ヲ未 然 ニ防
止 スル ノ ミナ ラ ス、他 ハ以 テ機 ヲ失 セ ス北 支 方 面 ノ作 戦 ニ関 シ応 変
安 定 対 北 方 将 来 戦 準備 、当 面 ノ局 面 転 換 等 ノ為 更 ニ政 府 ノ御 決 意 ヲ
ヲ膺 懲 屈 服 セ シ ム ル コト絶 対 必 要 ニシテ 明 断 ヲ望 ンテ已 マス、 此際
牢 固 タ ラ シ メ、今 一層 武 力 行 使 等 ヲ徹 底 化 シ、至 短 期 間 ニ南 京 政府
ニ集 結 セ シ メラ レ ン コト ヲ要望 ス
ノ急 ニ備 ヘシ ム ルノ要 ア リ、 此際 速 ニ概 ネ 一師 団 ノ兵 力 ヲ満 洲 南 部
註
本文書 ハ日付 不明ナルモ八月十五︱十 八日頃 ニ推察サ ル。
右 重 ネ テ意 見 ヲ具 申 ス
発 展 セ シ メ至 短期 間 ニ効 果 ヲ収 ム ル コト緊 要 ナ リ ト確 信 ス
尚 此 機 会 ニ更 ニ 一、 二師 団 ノ兵 力 ヲ動 員 シテ徹 底 且 敏速 ニ戦 局 ヲ
申 迄 モナ キ コト ナ カ ラ彼 ノ屈 服 セ サ ル以 前 ニ時 局 ノ収 拾 ヲ外 交 交渉 ニ求 メ若 ク ハ徒 ニ列 国 ノ居 中 調 停 ヲ容 ル ル カ如 キ ハ却 ツ テ禍 害 ヲ将 来 ニ残 ス ニ過 キ ス先 ツ万 般 ヲ彼 ノ抵 抗 断 念 ニ集 中 シ、 爾 後 最 モ正義 且 公 明 ナ ル措 置 ヲ講 スル コト必 要 ナ ル ヘシ 右 敢 ヘテ卑 見 ヲ開 陳 ス ︹ 植田謙吉︺ ︹ 関 東 ︺ 軍 司令 官 日リ大 臣 、総 長 宛 具申 案 各 方 面 ノ形 勢 重 大 化 シ廟 議 遂 ニ更 ニ増 兵 ヲ決 シ政府 ノ重大 決 意 ヲ
ニ対 シ帝 国 海 軍 ニ於 テ 先 ツ航 空 戦 等 ニ於 テ赫 々タ ル威 武 ヲ宣 揚 セ ラ
声 明 セラ ル ル ニ至 リ シ ノミ ナ ラ ス、上 海 方 面 ニ於 テ ハ支 那 軍 ノ暴 戻
一二
不 拡 大 方 針 抛 棄 ノ閣 議 決 定 ( 十二年八月十七日午前十時)
一、従来執り来 れる不拡大方針を抛棄 し、戦時態勢上必要なる諸般 の準備 対策を講ず。 二、拡大せ る事態 に対す る経費支出 の為来 九月三日頃臨時議会を召 開院式 は御都合 を伺 ひ決定す。尚会期は開院式 の日を加 へ約 五日
集す。 とす。
一三
令
一
臨命第四百八十号 命
命
一、北支那方面軍 ハ北 支那 ニ派遣 セラル
西
香
尾
月
壽
清
造 殿
司 殿
参 謀 総長
令
載
仁
親
二、第 一第 二軍 司令部 ハ別 ニ示 ス処 ニヨリ北支那 ニ到 ル ヘシ
第 一軍 司令官
昭和十二年 八月 三十 一日
第 二軍 司令官
二 臨参命第八十二号
王
命
令
︹ 省略︺ 一、別 冊 ノ如 ク北 支 那 方 面 軍、 第 一軍 及 第 二軍 ノ戦 闘序 列竝 臨 時 航
及第 二軍 通 信 隊 ノ編 成 ヲ令 ス
空 兵 団 、北 支 那 方 面 軍 鉄道 隊 、北 支 那 方 面 軍 通 信 隊 、第 一軍 通 信 隊
二 、前 記 諸 部 隊 ハ自 今 ( 未 タ北 支 那 ニ到 著 セ サ ル部 隊 ハ満 支 国 境 通
ス
参謀総長
載
仁
親
王
過 若 ハ北 支 那 上 陸 ノ時 ヲ以 テ) 各 〓当 該 指 揮 官 ノ隷 下 ニ入 ル モ ノト
昭和十 二年 八月三十 一日 奉勅伝宣
臨時 航 空 兵 団長
長
北支 那方面 軍鉄道隊長
総
北支 那方面軍通信隊長
宛
第 一軍 通 信 隊 長
謀
北 支 那 方 面 軍 司令 官
参
一軍 司 令 官
記
第
左
第 二 軍 司 令 官
団
長
朝 鮮 軍 司 令 官
関 東 軍 司 令 官
第 二軍 通信 隊 長
第 十
留守 第 十 師 団 長
第
第
第
第
十
九
八
七
師
師
師
師
団
団
団
団
長
長
長
長
第 五
四 師
師 団
団 長 第 十 六 師 団 長
留 守第 十 四 師 団 長
一 師 団 長
第 第 二 十 師 団 長
師 長
衛 長
近 団
団
二
師
第
一 師
第 第 十 二 師 団 長
留 守 第 十 一師 団 長
師
長
三 第 十 四 師 団 長
団
第 長
留 守 第 三 師 団長
留守 第 五師 団 長
留 守 第 二十 師 団 長
令
団
長
師
第
六
留 守第 六師 団 長 三 臨参命第八十八号 命
一、北支那方面軍 司令官 ハ平津地方及其附近主要地 ヲ占 拠 シ是等地 敵 ノ戦争意 志ヲ挫折 セシメ戦局終結 ノ動機 ヲ獲得 スル目的 ヲ以 テ
方ノ安定確保 ニ任 スヘシ 速 ニ中部河北省ノ敵 ヲ撃滅 スヘシ 二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
昭和十 二年八月 三十 一日 奉勅伝宣 北支那方面軍司令官伯爵
内 壽
参謀 総 長
寺
載
一 殿
仁
親
王
植
電
報
一四
写
宛
昭 和 十 二年 九月 一日
︹ 駐 満︺ 田 大 使
廣
︹ 弘毅・外務︺ 田 大 臣
②
我方 ノ行 動 ハ領 土 的意 図 ニ基 ク モノ ニ非 ス又列 国 ノ権 益 ヲ
支 那 側 背 後 ニ ﹁コミ ンテ ル ン﹂ ノ策 動 ア ル コト
⑤
我 方 ハ速 ニ時 局 解決 セラ レ東 亜 ノ平 和 確 立 セラ レ ン コト ヲ
時 局 解 決 ノ鍵 ハ 一ニ支 那 側 ノ態 度 如 何 ニア ル コト (従 テ列
念 ト シ居 ル コト
④
尊 重 ス ル コト
③
先 方 ノ反 省 ヲ促 シ タ ル実 例 ヲ 示 ス コト)
対 欧 米 外 交 方 針 ニ関 ス ル件
( 支 3)
発信者
総 務 庁 、 外交 部 、 弘 報 処 警 務 司 、協 和会 ニ ハロ頭 伝達 憲 兵
対欧 米 外 交 方 針 ニ関 ス ル件 合 第 一三〇 一号
国 ノ 対支 援 助 的 態 度 ハ時 局解 決 ヲ困 難 ナ ラ シ ム ル コト)
帝 国 軍 隊 ハ善 良 ナ ル支 那 一般 民 衆 ヲ敵 ト ス ル モノ ニ非 サ ル
日支 事 変 ニ関 スル帝 国 ノ対 欧米 外 交 方 針 ニ関 ス ル件
尚 列 国 ト ノ関 係 ヲ悪 化 セサ ル為 他 国 ヲ刺 戟 ス ルカ如 キ言 動 ヲ
コト
⑥
度 ニ出 テ シ ム ル為 今 後 モ引続 キ 左 ノ通 リ措 置 ス
今 回 ノ事 変 処 理 ニ当 リ欧米 諸 国 ヲ シテ能 フ限 リ 我 方 ニ有 利 ナ ル態
ロ
慎 ミ極 力 事 端 ノ発 生 ヲ避 ケ事 端 発 生 ノ場 合 ニ ハ速 ニ穏 便 解 決 方 ニ
我 方 ノ公 正 ナ ル態 度 ヲ明 カ ニ シ疑 惑 ヲ去 ルト 共 ニ列 国 ノ干 渉
一、 一般 的 方 策
ヲ避 ク ル為 列 国 側 ニ対 シ左 記 諸 点 ヲ徹 底 セ シ ム
イ
二、 ソ聯 ノ積 極 的行 動 予防 方 ノ措 置
万 一列 国 カ干 渉 ヲ強 要 シ来 ル カ如 キ 場 合 ニ ハ之 ヲ拒 否 ス ルト
ハ
努 力 ス ル コト
共 ニ前 顕 イ ノ諸 点 ヲ明 カ ニシ列 国 側 ノ反 省 ヲ促 ス コト
今 次 事 変 ノ根 本原 因 ハ永 年 ニ亘 ル支 那側 ノ抗 日政 策 ノ結 果
ニシ テ事 変 ノ発 端 竝拡 大 ハ常 ニ支 那 側 ノ挑 戦 的 行 動 ニ基 ク モ ノ
①
ナ ル コト (北 支 及 上海 ニ於 テ我 方 カ作 戦 上 ノ 不利 ヲ忍 ヒ テ迄 モ
日満 ソ国 境 方 面 ニ於 テ ソ側 ト ノ間 ニ事 端 ノ 発 生 ヲ 極 力 避 ク
次 ニ対 米 一般 関 係 ニ於 テ ハ輿 論 ノ国 ト モ云 フ ヘキ国 柄 ハ之 カ刺 戟
コト﹂ ヲ十 分説 明啓 発 ス ル コト
ト ナ ルカ如 キ コト ハ些 細 ナ ル コト ト雖出 来 得 ル限 リ注 意 シテ之 ヲ避
ル ヘキ ハ勿 論 一般 ニソ側 ヲ刺 戟 ス ルカ如 キ言 動 ヲ 慎 ミ 且 日 満 対
イ
﹁ソ﹂ ノ諸 問 題 ハ此 際 努 メテ 円滑 ニ取 扱 フ コト ト シ以 テ ﹁ソ﹂ 側 ク ル コト
﹁ソ﹂ 側 カ積 極 的 行 動 ニ出 テ ント ス ル場 合 ニ ハ独 ヲ シテ 日独
ヲ シテ積 極 的 行 動 ニ出 ツ ル ノ機 会 ナ カ ラ シ ム ロ 協 定 ノ趣 旨 ニ従 ヒ ﹁ソ﹂ 側 ヲ反 省 セシ ム ル必 要 ヲ生 ス ルヲ以 テ此
仏 ニ対 シテ ﹁ソ﹂ 聯 カ極 東 ニ於 テ事 ヲ構 フ ル ニ於 テ ハ延 テ欧
ノ含 ヲ以 テ獨 逸 側 ニ折 衝 ス ル コト ハ
洲 ニ於 ケ ル仏 ノ ( 脱 ) ニ モ影 響 ア ル ヘク仏 ノ為 策 ノ得 タ ル モノ ニ 非 ル所 以 ヲ巧 ニ知 ラ シ ム ル様仕 向 ケ ル コト
英 支 ノ緊 要 関 係 ニ鑑 ミ此 際 英 ノ積 極 的 対 支 援 助 乃 至 事変 干渉
三 、 英 、 伊 ニ対 ス ル工作
ヲ封 ス ル為 英 側 ニ対 シ テ ハ特 ニ前 項 一イ ノ諸 点 ヲ徹 底 セ シ メ英 ノ
イ
々敷 事 態 ヲ招 来 シ在 支 英 国 権益 ニ モ多 大 ノ影 響 ヲ来 ス ヘキ ノ ミ ナ
対 支 援 助 ヲ頼 リ ト シ支 那 側 カ益 々抗 日的 態 度 ニ出 ル カ如 ク ン ハ由
ラ ス日 英国 交 ノ根 幹 ヲ モ害 ス ル結 果 ト ナ ル ヘキ点 ニ付適 宜 注 意 ヲ
事 変 勃 発 以来 伊 側 ノ親 善的 態 度 ニ モ鑑 ミ日 伊 防 共協 定締 結 ノ
喚 起 ス ル コト ロ 気 運 ヲ促 進 ス ル コト 四 、米 国 ニ対 ス ル工作 米 国 政府 筋 ハ事 変 勃 発 以来 一般 輿 論 ノ漸 次 悪化 シツ ツ ア ル ニ拘 ラ ス比較 的 公 正 ナ ル態 度 ヲ持 シ居 ル モ動 モ ス レ ハ親 支 的 傾 向 ヲ示 シ又 米 ソ接 近 ノ兆 ナ シト セ ス依 テ先 ツ対 米 政 府 関 係 ニ於 テ ハ前 記 一、 イ ノ各 項 殊 ニ③ ﹁我 方 ハ領 土的 意 図 ヲ有 セ ス又 列国 ノ権 益 ヲ尊 重 ス ル
一五
時 局 ニ関 ス ル意 見 具 申
時 局
(昭和十二年九月四日 関東軍司令部)
北 支 ニ於 テ ハ直 ニ我 実 力 ノ及 フ範 囲 ニ於 テ北 支 人 ノ北 支 建 設 ヲ目標
為 新 タ ナ ル中央 政 権 ノ成 立 ヲ促 進 ス ヘキ モ二 其 ノ成 否 如 何 ニ拘 ラ ス
改 シ、一 支 那 ニ於 ケ ル赤 化 ノ禍 害 ヲ防 キ真 ニ日満 支 提 携 ヲ庶幾 ス ル
政 府 ヲ否 認 ス ルノ態 度 ヲ明 ニス ル ニ於 テ ハ翕 然 ト シテ新 タ ナ ル中 央
ヲ救 済 ス ルノ主 義 ニ鑑 ミ南京 政 府 ノ膺 懲 中 央 軍 ノ撃滅 ノ外 更 ニ容 共
セ ス我 方 ニ シテ真 ニ日満 支 ノ提 携 ヲ策 シ赤 化 ノ禍 害 ヨリ 四億 ノ大 衆
モ ノ多 シト雖 一面 其 民 族 性 ヨリ容 共 政 策 ニ悦 服 セサ ル モノ亦 尠 シト
然 ル ニ支 那 一般 大 衆 ハ多年 ノ煽 動 使 嗾 ニ ヨリ抗 日意 識 ニ燃 エタ ル
極 メテ至 難 ト ス ル所 ナ ル ヘシ
南 京 政府 ヲ シテ之 ヲ是 認 セ シ ム ル コト ハ之 カ自滅 ヲ求 ム ル ニ等 シ ク
大 ナ ル 一目 的 タ ル モ現 下 ノ事 態 ヨリ判 断 スレ ハ容 共 政策 ニ深 入 セ ル
ニ関 ス ル 意 見 具 申
時 局 拡大 シ特 ニ ﹁ソ﹂ 支 不 可 侵 条約 ヲ公 表 セ ラ レ容 共 政策 益 々露
ト ス ル強 力 ナ ル北 支 自 治 政 権 ヲ樹 立 シ確 乎 タ ル防 共 地 帯 ヲ設 定 シテ
骨 トナ リ タ ル今 日 、帝 国 ハ須 ク南 京 政 府 ニ対 ス ル認 識 ヲ根 本的 ニ更
将 来 戦 ニ於 ケ ル 一方面 ノ脅 威 ヲ緩 和 ス ル コト絶 対 必 要 ナ ル モノ ト認
然 レト モ諸 般 ノ関 係 上 此種 施策 ノ成 果 ヲ期 待 シテ 対北 支 政 策 ヲ決
運 ノ醸 成 ニ努 ム ル コト必 要 ナ リ
政 権 ノ成 立 ヲ企 図 ス ル モノ亦 絶 無 ト セ サ ル ヘク寧 ロ我 ヨリ進 テ其 気
明
ム
説
右 意 見 ヲ具 申 ス
ラ レ其 ノ帰趨 ニ迷 ヒ不 安 ニ駆 ラ レ此 ノ間 南 方 及 共産 分子 ノ策 動 モ加
ハリテ 治 安維 持 ハ益 々複 雑 困 難 化 シ ア ルヲ 以 テ北 支 ニ於 テ ハ速 ニ我
定 ス ル ヲ許 サ サ ル状 態 ニ在 リ今 ヤ北 支 ノ民 衆 ハ無 政 府状 態 ニ放 任 セ
実 力 ノ及 フ範 囲 ニ強 力 ナ ル自 治 政権 ヲ確 立 シ容 共 政 策 ヲ否 認 ス ル北
時 局処 理 ニ関 ス ル当 軍 ノ意 見 ハ過 般 具申 セ ル所 ニシテ 時 局 ノ進 展
ニ依 存 シテ長 期抵 抗 ヲ決 シ剰 ヘ ﹁ソ﹂ 支 不可 侵 条 約 締 結 ノ公 表 ヲ見
支 人 ノ北 支 ヲ目標 ト シ テ建 設 セ シ メ諸 般 ノ施 策 ヲ合 理適 正 ナ ラ シ ム
ニ伴 ヒ特 ニ更 改 ノ要 ヲ認 メ サ ルモ近 時 容共 政 策 益 々露 骨 ト ナリ其 力
ス ルノ要 アリ蓋 シ本 時 局 ノ終 結 ニ方 リ 日支 防 共 ノ確 立 ハ政 略 上 ノ重
タ ル今 日 ニ於 テ ハ南 京 政 府 ニ対 ス ル施 策 ニ於 テ根 本 的 ニ認 識 ヲ更 改
ルノ外 特 ニ防 共 地 帯 ノ設 定 ニ依 リ予 期 スル将 来 戦 ニ 一方 面 ノ脅 威 ヲ 緩 和 ス ル コト絶 対 必要 ニ シテ特 ニ満 洲 国 ノ安定 ヨリ見 ル モ必 須 ノ要
現 下容 共 ニ狂 舞 セ ル南 京 政府 ノ膺 懲 及 中 央 軍 ノ撃 滅 ハ寧 ロ今 日 ニ
求 ナリ
シテ南 京 政 府 ノ反 省 ヲ期 待 ス ルカ如 キ ハ現 実 ノ事態 ヲ無 視 ス ル モノ
於 テ ハ之 ニ依 リ新 政 権 樹 立促 進 ノ気 運 醸 成 ニ資 セ シ ム ル コト 必要 ニ
ト謂 ハサ ル ヘカ ラ ス、 支 那 一般 大 衆 ニ却 ツ テ益 々帝 国 ノ真 意 ノ捕 捉 ヲ難 カラ シメ満 洲 ニ於 テ モ人 心安 定 上重 大 ナ ル影 響 アリ特 ニ政 府 ヲ
コト絶 対 必要 ナ ル モノ ト 認 メ アリ
鞭 撻 セ ラ レ国策 ノ基 調 ヲ明 確 ニシ国 論 ノ帰 趨 ヲ単 一簡 明 ナ ラ シ ム ル
一六
︹ 誠 一︺
支参訓 第十号
弐拾部 之内第 三号
喜 多 少 将 ニ与 フ ル訓 令
一、貴 官 ハ軍 特 務 部長 トナ リ所 属 部 員 以 下 ヲ指揮 シ軍 作 戦 地 後 方 地 域 (冀東 ヲ含 ム) ニ於 ケ ル各 般 ノ政 務 事 項 ニ関 シ支 那側 機 関 ヲ統 制
ノ諸 工作 ヲ実 施 ス ヘシ
キ漸 次 一般 建 設 工作 ニ及 ホ スモ ノト ス
一、 政務 指 導 ニ当 リ テ ハ先 ツ速 ニ治 安 ヲ確 立 シ人 心 ヲ安 定 セ シ メ以
喜 多 少 将 ニ与 フ ル 指 示
右 ノ実 行 ニ関 シ テ ハ差 当 リ昭和 十 二年 八 月 十 二 日陸 軍省 立案 ノ北 ︹ 二六頁参照︺ 支 政 務指 導 要 綱 ニ準 拠 ス ヘシ
ニ調 整 シ之 カ紛糾 ヲ避 ク ルヲ要 ス
二、 政 務指 導 ニ当 リ常 ニ現 地 ニ於 ケ ル第 三国 ト ノ関 係 ヲ顧慮 シ適 法
指 導 シ該 地域 ヲ シテ 日 、満 、支 提 携 共 栄 実 現 ノ基 礎 タ ラ シム ルタ メ
二 、将 来 北支 ニ樹 立 セ ラ ル可 キ政 権 ニ関 シテ ハ北 支 人 心 ノ趨 向 ヲ察
三 、 支 那 側 ノ戦 意 ヲ挫 折 セ シ メ速 ニ戦 局 ヲ終 結 セ シム ル目 的 ヲ以 テ
四 、北 支 政 権 樹 立 ノ準 備 ニ関 シテ ハ現 在 及 将 来 ノ軍 ノ占 拠 地 域 ニ於
得 ニ留 意 シ 日満 資 本 ノ流 入 ニ努 ム ル モノ ト ス
三、 交 通 、 経 済 等 ノ開 発 ニ関 シテ作 戦 用 兵 上 ノ関 係 ト国 防 資 源 ノ獲
テ軍 ノ後 方 ヲ安 全 ナ ラ シ ム ル為制 度 施 設 ノ拡 充 ト諸 工 作 ニ重 点 ヲ置
シ日 支 全 局 ノ関 係 ヲ考 察 シ徐 ロ ニ之 カ準 備 ニ着 手 ス ヘシ
敵 軍 後 方 ニ対 ス ル謀 略 ヲ実 施 ス ヘシ
ノ醸 成 ニ努 メ且之 ヲ他 方 面 ニ拡 大 ス ルト 共 ニ所 要 ニ応 シ南 京 政 権 ヲ
五 、 謀 略 ニ関 シテ ハ北 支 現 存 諸 軍 閥 ノ会 戦 参 与 ヲ抑 制 シ反 南 京 気 運
導 ス ルモ ノト ス
ケ ル支 那側 各 機 関 ヲ統 制 ス ヘキ政 務 執 行 機 関 ヲ暫 定 的 ニ樹 立 セ シ メ
一
四、 以 上 業 務 ノ実 施 ニ当 リ テ ハ方 面 軍 参 謀 部 、各 軍 、独 立 兵 団 及 方
壽
且 成 ヘク之等 ノ機 関 ヲ以 テ将来 ノ北支 政 権 ノ母 体 タ ラ シ ム ル如 ク誘
内
面軍 兵站 監 部 ト密 ニ連繋 ス ヘシ
寺
五 、細 項 ニ関 シテ ハ軍 参謀 長 ヲ シテ指 示 セシ ム 昭 和十 二年 九 月 四 日 北 支 那 方 面 軍 司令 官 伯 爵
軍 参 謀 部 ノ行 フ作 戦 謀 略 ト密 接 ニ連繋 シ相 互 協 力 ス ルヲ要 ス
対象 ト ス ル政 治 及 経 済謀 略 ヲ実 施 スル モ ノト ス
一
中 央部 ニ対 ス ル請 訓 、 意 見 具申 其 他 重 要 ナ ル業 務 ノ報告 ハ軍
六 、 特 務 部 ト軍 関係 方 面 ト ノ連繋 ハ左記 ニ依 ル モノ ト ス
直 接作 戦 ノ用 ニ供 ス ル支 那側 交 通 、 通 信 機 関 ハ軍 ニ於 テ之 ヲ
参 謀 長 ノ承 認 ヲ受 ク ル モ ノ ト ス 二
作 戦 地後 方 ノ警 備 ハ軍 ニ於 テ 配置 ス ル兵 力 ニ ヨル ヘキ モ支 那
運 用 シ支 那側 機 関 ヲ指 導 シテ之ニ 協 力 セ シ ム ルヲ本 則 ト ス 三
岡 部 直 三 郎
宣 伝 及宣 撫 ニ関 シテ ハ軍宣 伝 部 ト密 ニ連繋 シ其 円 滑 ヲ図 ルヲ
モ ノト ス
側 地 方機 関 ヲ シ テ成 ヘク軍 隊 ノ負 担 ヲ軽 減 セ シ ム ル如 ク指 導 ス ル
四
昭 和 十 二年 九 月 六 日
要 ス
北支那方面軍参謀長
一七
臨命第五百四十二号
指
指 示 ︹ 三六頁参照︺ 臨参命第 八十 八号 ニ基 キ左 ノ如 ク指 示 ス
寺
内 壽
参 謀 総長
示
一 殿
載
仁
親
王
北支 那方面軍 ノ作戦地域 (航空 ヲ除 ク) ハ概ネ石家庄 、徳州 ヲ連 ヌル線 以イ ト ス 昭和十 二年 九月 二十五 日 北支 那方面軍 司令官伯爵
一八
支 那 事変 対 処 具 体的 方 策 要綱 (昭和 十 二年 十月 十 一日
関 東 軍司 令 部 )
絶容 共政策 の艾除等大義 名分を中外 に宣明し、軍事行動 の成果 と外
一、今次支 那事変収拾 の根 本方策 は我出師 の目的たる抗 日運動 の禁
具現し て容共政策 の矛盾 と軍閥 の秕政と に対照覚醒 せしめ、我協力
機運 を促進 し、其樹立するや所在 に之と提携 し、真 に民衆 の慶福を
黄 河以北 、北支那、内蒙等 一帯 の安定確保を図り、自治政権発生 の
三、我軍事行動 の進展及之 に伴 ふ諸施策 の遂行 に依 り、差当り概ね
ることに関 しては厳 に注意 を要す。
交措置 の機宜 と相俟ち、支 那を警醒 せしめ明澄なる日支 間 の国交を
援助 の下 に赤化 の患より救国す るの趣旨を普遍化す、又反蒋政権 の
針
樹立する のみならず、列強 を啓蒙 し東亜 の現勢 を再認識 せしめ事変
擡頭 に対し ては将来 の施策 を妨げざ る限度 の支援 を与 ふ。
方
の帰結をして究極日満支 三国の融和共栄 の顕現に帰納 せしむ るに在
事変 の終結 に於ける国交 の調整 は、東亜 の現勢 に即応し在来 の行
其基礎鞏固 なるも のを承認す。
情勢 の推移 に伴 ひ南京 政権 に国交断絶 を宣し新 に発生 せる政権中
り。之 が為長期 に亘る戦争行為 を辞せず 。 二、事変解決 の端緒 とし て、先づ以 て我軍事行動 に依り、支那をし て速 に戦意を批棄 せしむ るを目途とし北支 方面 は黄河以北 の抗日諸
懸り に拘泥 せざ る抜本的条件 とし、真 に日支 の提携 を庶幾す るも の
軍 を繋攘した る後 に於 ては、主力を以て該 方面 の要地を占拠し て特 に接満地帯 の安定 と対蘇作戦準備 の為背後 の安全 を策し、 一部 前進
とす。
不当な る干渉は断乎之 を排除す。
謀略 に乗ぜざらしむ。
欲竝支那事 態 の正当 なる認識 の理解 に努めしめ特 に蘇聯 の巧妙なる
四、列 強 に対しては特 に防共 に対す る我主張 と支那救済 の道義的意
拠点 を占め て航空根拠地 を推進し、又上海 方面 は之を略取したる後 に於 ては北支方面 と相俟ち専ら航空作戦 を徹底化す。 此間海上封鎖及航空作戦 に関し海軍 の強大 なる協力を行ふも のと す。 戦局 に眩 惑せられて深入し遂 に過早に対蘇戦誘発 の動機を作 らざ
五 、右 施 策 に伴 ひ持 久 対 支 戦争 ︹ 遂 ︺ 行竝 対 蘇戦 ︹ 勃 ︺ 発 に対処 す
情 況 に依 り随 時 瓦 斯 攻撃 敢 行 の準 備 を整 ふ 。
し我 占 拠 地 方 の制 空 権 を確 保 す ると 共 に敵 の戦 意 の喪 失 を促 進 す 。
六
速 に在 満 鮮 兵 備 を 充実 し、 万 一対蘇 戦 併 発 す る も遺 憾 な から
陸海 両 軍 と も所 要 地 点 に対 し 、果 敢 執 拗 な る航 空作 戦 を反 覆
べ き軍 備 の充 実 国防 国 家 の完 成 、 日満 北 支 開 発 の促 進 等 最悪 の事 態 七
改 編 を 行 ふも のと す。 二 、対 支 政 略 の指 導
対 支 政 略指導 の根 本 基 調 は 、今 次 帝 国 軍 の出 動 は
︹ 六字不明︺
多
しむ 之 が為 北支 方 面 より の抽 出 兵 力 の大 部 は満 洲 に移 駐 し所要 の
八
領
に即応 す べ き準 備 を完 成す 。 要 一、 兵力 の行 使
北 支 方 面 に於 て は山 西 、 河北 省 等 概 ね黄 河以 北 地 区 の敵 を掃
兵 力 の行 使 は 概 ね 左 の要 領 に準拠 す 。 一
に あ らざ る旨 を 明徹 し、 日 支 民族 相 協 力 し て赤 化 の患 よ り救 国 す べ
年 の抗 日政 策 に 一大 転 換 を要求 し 、中 国 主 権 及領 土 を 侵害 す るも の
蕩 し た る後 、 一部 を 以 て太原 附 近 、主 力 を 以 て石 家 莊 、徳 州 附 近 に要 地 を占 拠 し 、各 一部 を適 宜 其 南 方 地 区 に派遣 し て航空 根 拠 地
き も のな る を認 識 せし め 、 以 て其 建 設 に大 義 名 分 を与 へ明朗 な る 自
蒙 疆 方 面 に於 て は軽 易 且 特殊 の 一軍 を配 置 し て該 方面 の安 定
を推 進 掩 護 し 、 努 め て多 く の兵 力 を抽 出 す 。 二
の対 抗 意識 を克 服 し て之 を協 和 に利 導す る に在 り 其拠 る べき 施 策 概
治 政 権 の確 立 に希 望 と光 明 と を認 め し む る を以 て第 一義 とし 、 民 族
漢 蒙 各 民族 の融 和 を基 調 とす る明 朗化 を図 り赤 化防 壁 を完 成 且推
満 地 帯 の安 定 を鞏 化 し 対内 外 蒙 古 工作 等 を有 利 に進 展 せし め 、 日
蒙疆 方面 は該 地 域 を粛 正 し て各 地自 治 政 権 を統 制 し、特 に接
に設 定 を認 め た る 一部 原 住 軍隊 及保 安 隊 に拠 る の外 、非 武 装 的 警
進 し 、蘇 支 の連 結 を遮 断 す。
一
ね左 の如 し 。
確 保特 に接 満 地 域 の明朗 化 を 図 る の外 、 赤 化防 壁 完 成 の後 拠 たら
前 二項 各範 域 内 に於 け る 主要 交 通 線 及 軍事 施 設 は 差当 り帝 国
し む。 三
察 及在 住 民 の自 衛組 織 を鞏 化 し て之 に任 ぜ し む る を原 則 と し努 め
二
軍 を以 て警 備 し 、爾 他 の地 域 の治安 確 保 は 、 帝国 軍 を中核 と し特
て 民間 に散 逸 せ る武 器 の回 収 を 図 る、 之 が為 一時 一般 住 民 が敗 残
北 、 天津 、北 京 、冀 東 等 の関 係 を 調整 す 、濟 南 攻略 に伴 ひ山 東 の
る自 治政 権 を樹 立 し該 地域 の粛 正 、 明朗 化 を図 ると共 に山 西 、 河
北支 方面 は差 当 り概 ね山 西 、 河北 等 、黄 河 北岸 地域 を統 轄 す
兵 土匪 等 より被 害 を蒙 る こと あ る も已 む を得 ざ るも のとす 。 四
施 策 を進 め之 を統 合 す 。
上 海 方 面 に於 て は之 を略 取 し た る後 に於 ては主 と し て航 空 根
拠 地形 成 の着 意 の下 に兵 力使 用 を律 す るも 敵 の攻 勢 に対 し て は随
前記 二方 面 の政権 は努 め て在 住 民 の自 発 的自 治 政 権 発 生 の機
三
時 反撃 す。
運 を促 進 し、 原 則 と し て現 地 住 民 の自 主 的 組 成 の政 治 機 関 を確 立
海 上 封 鎖 に必要 な る要 地 の占 拠 は、海 軍 を以 て任ず る を原 則
と し必 要 な る海 上作 戦 を行 ふ の外 一部 陸 兵 を使 用 す る こと あ り。
五
し 、 人 民自 治 の完 成 を期 す るも 日満 両 国 より 必要 なる 支 援 援助 を
十
央政府 との国交調整 を有利ならしむ。
の徹底化を期 する等着 々成果を収め根底を固 くし以 て将来支那中
ず 不当 な る圧 迫干 渉 を厳 に戒 む るも のと す 。
せしめ 、実質上真 に日満支三国 の融 和共栄 を基調として欧米 の不
は困憊遂 に第三国を介 し申出 来る に於 ては其容共政策及排 日攻策 ︹ 脱文カ︺ 支那中央 政府 との国交 調整 は東亜 の現勢 に即 し各地 の実情 に即応
南京現政権 との和平協定 は彼 の戦意喪失 し自ら進 で提案 し若
に方 り て は敵 国 領 土占 領 の観 念 よ り脱 却 し 占領 地行 政 は之 を行 は
与 へ交 通施 設 及 資 源 を開 発 し て軍 事 の要 請 を充 足 す 、 特 に其施 策
四
上海 方 面 は 上海 自 治 特 別 市 の建 設 を 促進 し将 来 概 ね海 門 、 崑
両 方 面共 海 関 塩務 等 は之 を 実質 上接 収 し 適宜 対 外 関 係 を 調整 す 。
及蒙疆方面等接満地帯 の明朗なる安定確保、中南支 に於け る通商
征服的観念 を棄 て進 んで啓発善導する の主義 を堅持し、特 に北支
当なる侵害 より解放 し、我 が襟度を大 ならし めて徒 に優越的若は
北 支 方 面 及蒙 疆 方 面 は 当 分分 離 せ る指 導 を行 ひ特 に密 接 に関
聯 す る部 分 に付要 す れば 適宜 調整 を加 へし む。
五
貿易 の増進、全支 に於 ける排 日禁絶防共完成等を主 眼とし、蒙疆
又今次事変 に対する帝国国民 の動向に鑑 み、支那 に於 ける経済開
要 に応 じ満洲、北支方面等 に移入せしめ生活安定 の途 を講 ぜしむ
爾 他 の支 那各 地 に対 し て は、 中 南 支 に於 て は特 に日支 通 商 貿
六
方面は駐兵権を獲得 し、其他地域 の撤兵 は我方 の自主的措置 に出
山 、松 江、 金 山 の線 以東 地 区 に局 外 中 立 地 帯 の設 定 を庶 幾 す。
易 の増進 及 発 展 の永 続 に適 す る情 勢 の出 現 を期 す る の外 、蒙 疆 及
七
発 に対す る挙 国的寄与 の方途を講じ軍部官憲 の表面的進出は之 を
づ るも のとす。
北支 方 面 の自 治政 治 の具 現 によ り其 善 政 の影 響 を如 実 に反 映 せ し ︹ 三字不明︺ め て反 省 を 促 し 一方 我 航 空作 戦 及 海 上 其 他 施 策 よ りす る困
来、支 那側 の補償を求 むるも、尚避難居留民中善良なるものは必
十一 在支居留民 には差当り救恤等を行 ひ個人的損害 に関 しては将
権 を し て其覊 絆 を脱 し自治 宣 言 を な さ しむ 、又 機 を 見 て速 に我国
抑 止す ること必要 なり。
南 京 政 権 に対 し ては容 共 の実 体 と現 下 の指 導 力 と に鑑 み各 政
憊疲 弊 に より 反蒋 政 権 擡 頭 の機 運 を醸 成 す 。
体 と 相 容 れざ る の理由 によ り 国交 を断 絶 し 全 権大 使 を引揚 ぐ 、但
北 支 に於 け る清 朝 復辟 運動 又 は満 洲 国 の延長 主 義 は之 を禁 絶
三、対 外 方 策 ︹ 三字不明︺ 今 次事変 に対す る対外方策 の根本 は我出師 の本義 は支那 と
中 華 民 国 を否 認 す る も の にあ らざ る こと を明 にす 。
の認識 を明確 にし、特 に人類平和 の維持 と文化 の建設と の為 、容共
八
す 、中 国 中 央 政 府 の帰 属 に付 ては各 地 自 治 政権 の進 展 に応 じ自 ら
政策 の糾弾と民族対立 の是 正、資源配分 の衡平 の原則を宣 明し 一民
族、 一国家 の独占的自恣心を去 らしむ ると共 に、 一方実勢に即応 せ
帰結 せら るべ き も のと 予 想す るも 情 況 によ り北 京 方 面 た る こと に
ざ る観念的国際法規論を排 し、真 に八紘 一宇 の皇謨 より発す る道義
付 準 備 を完 成 す 。 九
各 自 治 政 権 の基 礎 強 化 す る に従 ひ、 先 づ以 て夫 々之 と地 方 的
和 平 協 定 を締 結 し、 特 に排 日教 育 の禁 止 、抗 日運 動 の禁 絶 、防 共
其 拠 るべ き 要 項概 ね左 の如 し。
的 世界 建 設 の主 張 を堂 々闡 明 し、 自 主 的 方 策 を講 ず るに在 り。
調 を執 ら し む 。
之 が為 北 支 方 面等 に於 て 一部 経 済 上 の利 益 に関 し 他列 強 に比 し
四
優 先 的 に与 ふ る こと あ るを 考慮 す 。
努 め て経 済 上 及 文化 上 の提携 を促 進 し 、 要 す れば 日米 二国 の み の
米 国 に対 し ては東 洋 殊 に比島 、廣 東 方 面 の利 益 を尊 重 し、 又
一
太平 洋 防 備 問 題 を提 案 し て情 勢 の緩 和 に資 し 、又 我 主張 は率 直 大
支 那 に対 する 我道 義 的建 設 協 力 支 援 の立場 と、 民族 協 和 の主
眼防 共 戦 線 の強 化 に関 し宣 明 し 、列 強 の対 殖 民地 支 配 乃至 領 土 侵 略観 念 と の差 異 に関 し較 量 せ し め、 特 に過去 に於 け る列 強 の対 支
胆 な ら しむ ると 共 に特 に支 那赤 化 の事 変 を認 識 せし め輿 論 を我 に
ざ る も差 当 り之 を尊 重 し我軍 事 行 動 支 援 の下 に南 京 政権 系 金 融幣
五
し む る こと あ り 。
有利 に転 換 す 、要 す れば 一部 謀 略 施 策 によ り其 対 支 輿論 を悪 化 せ
侵害 の事 実 を 指摘 し反 省 を 求 め しむ 、 要 す れば 中 国 共産 党 の反 帝
列 強 対 支 既得 権 益 就 中経 済 上 の利 益 に関 し て は努 め て之 を尊
運動 を逆 用 し 列 強 を牽 制 す 。 二
しむ ると 共 に無 用 の刺 激 を 与 へ紛 争 を 醸 す ことな から しむ るも 軍
制機 構 を圧迫 す る と共 に、 一方 上 海 方 面建 設 の為 協 力 を求 め 無 用
英 国 に対 し て は、 究極 在 支 権 益 に関 し利 害 の衝 突 あ る は免 れ
事 の要 請 其 他事 変 帰 結 を 速 な ら しむ る為 の機 宜 の方策 は仮 令 、 租
重 し戦 禍 に依 り受 け た る損 害 は至 当 に補 償 し進 で我 に好 意 を持 た
界 其 他 に関 聯 す る問 題 と 雖 大局 的 考 慮 の下 に断 乎 主張 を貫 徹 す 。
蘇 国 に対 し て は、 満 洲特 に北 満 に於 け る我 兵備 の充 実 と 相俟
六
の刺 激 に依 る硬 化 を防 止 す特 に経 済 上濠 洲 を利 導 し て牽 制 す 。
ち威 重 を以 て厳 に其 挙 措 を監 視 し 、徒 に無 用 の刺 激 を与 ふ るは之
通 商 竝 財 政 経 済事 項 に関 し て は支 那 を し て戦 意 を拠 棄 せし む る を主 眼 と し て之 を律 し対 支 援助 乃 至 対 日 経 済圧 迫 の挙 措 あ るも の
臨 む も のと す 。
を避 く るも 、彼 の不 法 行為 に関 し ては積 極 的 態 度 を 堅持 し て之 に
に関 し ては 報 復 す 。 但 特 に我 実 権 下 に把 制 せ る方 面 に在 り ては上 海 自治 特 別 市 の設 定 北 支 経 済 開 発 等 に関 し友 好 国 に 対し て は 進 ん で之 と提 携 の機 運
七
仏 国 に対 し て は蘇 聯 と の連 衡 を努 め て妨 害 し 、波 国 其 他 の反
蘇 小国 に対 し ては努 め て独伊 と の提 携 に拠 り其 反蘇 気 分 の強 化 を
但 我 より進 ん で開 戦 の口実 を与 へざ る如 く特 に留意 す 。
三
を促 進 し 其 嚮背 を有 利 に転換 せ しむ 。
る のみな ら ず 、経 済的 提 携 、航 空 連 絡 の促進 に依 り、欧 洲 特 に蘇
策 し牽 制 す 。
独 国 と の提 携 を益 々緊密 な ら しめ 、 防 共戦 線 を鞏固 なら し む
英 を牽 制 す 。
八
万 一列 強 の対 日経 済 封 鎖等 の圧 迫 あ る場 合 に於 ては必 要 な る報
には之 に応 ぜず 。
国 際 聯 盟 の決 議 干 渉 は断 乎 之 を排 除 し九 国 条約 国 会 議 の招 請
伊 国 と も 右 に準 拠 し速 に満伊 及 日伊 防 共協 定 の締結 ︹ を促 進 し英 四字不明︺ 仏 を牽 制 す る の外 、聯 盟 及 九 国条 約 廃 棄 の端緒 を作為 前 ︹ 三字不明︺ 記 両国 をし て南 京 政府 及 各 地自 治 政 権 に対 し 帝 国 ト同 一歩
さず 上海局外中立 地帯設定問題 は先づ以 て日支 の間 に懸案 の解決
下 に把制 せる支那 の地域 に選定 し会議 の内容に第 三国 の介 入を許
に応 ぜず、泣訴 に拠 りた る場合 と雖、会議地は帝国内又は我実権
九 第 三国 の居中調停 は先づ以て中国側 の泣訴 に拠りたる以外之
復手段 を講ず。
五 軍備 充実 を促進し特 に航空威力 の強化、在満鮮兵備 の増強及
国防産業 の開発、代 用品 の産業転換 に付急速準備 を整ふ。
四
満方面 の重点主義を徹底化す。
三
付留意す。
憾な からしむ。
遂行 による安定等真 に挙国 一致、日満 一体 の国民国防 の完成 に遺
定員増加 、防空及警備上 の民兵的制度 の確立 、対満移民 の徹底的
日満北支 の経済ブ ロツクを確立 し最悪 の事態 に対処 し得 べき
軍需 工業動員を完成す るの外軍需産業開発及関係施設等 の鮮
を見 たる後第三国 諸国 との協議 を開始す るも のとす。 今次事変 は対蘇戦準備乃至東亜 に於け る帝国 の地位 の飛躍的発展
四、対 内 方 策 確保 の為重大意義あるに鑑 み其趣旨 の徹底を期して朝野 の決意 を牢 固 たらしめ、国際情勢 の最悪化 に処 する為、将又躍進国家 の使命達 成 の為、国家機構を其実行 に支障なからしむる如 く改革し、国民 の 持久心を養 ひ、軍備 の充実、国家総動員体制 の名実共 の完成、耐久 的挙国 一致 の具現等国力戦 に対処す べき方策を促進 し、国家諸般 の 運営 を之 に適合せしむるも のとす。
問
︹三字
又日本民族 の大陸発展上 の資性向上 に関 しては格段 の着意 を倍加 し先づ満洲国 に於て之 を顕現修錬 せしむるものとす、拠 るべき主た る事項概 ね左 の如し。
︹ 五字不明︺
︹ 九字 不明︺
国民精神動員 を行ひ、事変 に対処すべき国民資質 の向上
不明︺
一
図 り、 徒 に小乗 的 観 念 に捉 は る る こと な く、
顕現すべき濶達且堅実 、剛健なる氣宇 の養成 に努
国家機構就中金融、経済、産業 の諸機構を敏速 且徹底的に国
題 の理解を増進す。 二
共に、徒 に形式的統制、官憲 の圧迫 に陥 るを避け勤労心 の向上に
家 目的 の到達 の為運営し得 るが如き抜本的改革 の方策 を講ずると
一九
対支 那 中 央政権 方 策 (昭和 十 二年 十 一月 二十 一日
参 謀 本 部第 一部 第 二課)
場 合 には第 一項 の主旨 に準 拠 し統 制 力 局 限 せ ら れあ る場 合 に は第 二
三、 南 京 中央 政 権 の簒 奪者 発 生 し た る時 其 全 般 的統 制 力 を保 有 す る
項 の主旨 に 準拠 す 後 者 の場 合 和 を求 む ると き之 が処 理 は各 方 面 毎 に
針
一、現 下 時 局解 決 の ため 現状 に於 ては 尚 現中 央 政 権 (蒋政 権 若 く は
方
其 継 承 政 権 ) を し て飜 意 我 に提 携 せし め 全支 の問 題 を統 一処 理す る
部 分 的 に解決 す 。
理
由
本 項 の事 態 発 生 し た る と き は其 転 機 を 誤 らざ るを 切要 す 。
の方針 を堅 持 す 。 此 の際 北 支 内蒙 及 上 海 等 の問 題 は全 支問 題 の部 分 とし て之 を処 理 し 此等 各 方 面 の既 成 自 治 政権 は支 那 本 然 の事 態 に即 し 中央 宗 主 権 下 に於 け る範 囲 の存 在 とし て之 を継 承 容 認 せ し む。
ざ る は なし 支 那 人 な らず とも排 外 の思 想 勃 発 せざ る を得 ん や我 亦 友
静 に支 那 本然 の姿 を観 る に近 世 の歴 史 東 西南 北 悉 く 侵略 受 難 なら
一、東 亜 経 論 の大 局 的 見 地 よ り
邦 の為 に之 を 憂 ふる所 以 なり而 し て排 欧 米 就 中防 共 の問題 は支 那 の
本 項 の目 的達 成 の為 には 現中 央 政 権 が 一地方 政 権 た る の実 に堕 せざ る以 前 に於 て長 期 持 久 の決 心 に陥 る こと な く其 面 子 を保 持 し
近最 大 の苦 悩 は 日本 の威 力 と ﹁ソ﹂ 邦 の赤 化 な る を思 ふと き 日本 が
東 亜 の経 綸 は支 那 の解 放 と 日支 の提 携 と よ り始 ま る而 し て支 那 最
為 には国 内 の問 題 にし て東亜 のた め には 日 支 共同 の関 心事 な り。
て媾 和 に移 行 す る如 く 我 諸般 の措 置 を講 ず る を要 す るも のとす 。 右 努 力 は主 と し て本 年 内 に 尽 さ る べき も のな り とす 。
く迄 長 期 持 久 の策 を執 り事 実 に於 て 一地 方 政 権 た る に移 行 せ る場 合
日支 提 携 の大道 此 に通 じ 支 那 は欧 米 勢 力 就 中赤 化 よ つ自 己 を解 放 す
支 那 を善 導 す る に道 を以 てし所 要 の統 一を 助 け其 脅 迫 感 を除 く とき
二 、前 項 目 的達 成 のた め の努 力奏 効 の望 無 き に到 り南 京 中央 政 権 飽
に は 一時 全 支 分裂 主 義 を容 認 し各 方 面 共 反 蒋 反共 政 権 を樹 立 し政 略
る に専 念 す る を得 べく 近 き将 来 に予 想 す べ き諸 般 の事 態 に処 し て支
上 の攻 勢 に転移 す。 本 決 心 の時 機 は来 年 初 頭 と予 想 す 。
二、 日支 問 題解 決 上 の見 地 よ り
那 を以 て東 亜 経綸 の伴 侶 た ら しむ るを得 ん。
事 変 後 の将来 に於 て現 中 央 政権 一派 をし て西 面 せし め 之 を赤 系 分 子
擡 頭 を 予想 す べく 又 何 れ の型 式 な る に拘 らず 媾 和 発 生 の場 合 に は赤
蓋 持 久長 き に従 ひ蒋 勢 力 の衰 微 と 共 に分 裂 の形 勢 を 馴致 し 赤 禍 の
の清 掃 に推 進 す る を以 て東 亜 経 綸 大 局 上 の上策 とす べ し 。
せん がた め に は支 那 に中 央 政 権 の存 在 を必 要 と し之 がた め には反 省
日支 全般 の問 題 を根 本的 に綜 合 し て解 決 し次 期 の東 亜 経 綸 に前 進
せ る蒋 政権 若 く は其 継 承政 権 の存 続 を必 要 なり とす 。
之 が容 共 な らざ る限 り其 我 に対す る 不 利 は分 裂 に乗ず る赤 化 が日満
而 し て最 悪 の場 合 依然 とし て排 日統 一政 権 の存 続 す る こ と あ るも
系 分 子 は 分離 し て奥 地 に残存 す べ け れ ば な り。
鼠反 囓 の勢 を 馴 致し 其 崩 壊 と否 と に拘 は ら ず結 局 相 当 年 月 の間 に亘
両 国 に及 ぼ す禍 害 に比 ぶれ ば尚 軽 易 な る も の と謂 ふべし 。
蓋 し蒋 政 権 (継 承政 権 ) の否 定 は彼 等 を反 日 の 一点 に逐 ひ込 み窮
る全 支 分 裂 の出 現 と な るべ く 此 の間 必 然 的 に ﹁ソ﹂ 英米 策 源 の推 進 と相 俟 ち此 に永 久抗 争 のた め 帝国 は永 き 将 来 に亘 り之 に莫 大 の国 力 を吸 収 せら る べ く且 東 洋 を駆 て欧 米 輩 の好 餌 に供 し東 亜 経 綸 の前 途 を誤 る所 以 な れ ば な り。 以 上 の見地 に基 き 若 現政 権 倒 壊 し た る場 合 に於 ても可 及 的 速 に統
而 し て現政 権 一派 の真 の飜 意 に関 す る可 能 性 は寧 ろ将 来 に於 け る
一政 権 の樹 立 に努 力 す べき も のな り と す。
我 が 国力 の充 備 と我 が 対支 政 策 と に懸 る問 題 にし て既 に 日本 の威 力 と 欧米 の不 信 と を体 験 し た る今 日抗 日 の不 利 を認 め過 酷 な らざ る条
現政 権 が媾 和条 件 を現 実 に履 行 せざ る場 合 若 は戦 後 支 那内 部 の事
件 下 に媾 和 に入 ら ん とし あ る こと は想 像 に難 からざ る所 な り とす 。
情 我 所 期 と異 る場 合 には 一時 分 裂 (反 蒋 )主 義 を認 容 す べ く此 の際 之 が実 行 を可 能 なら し む る為 に は媾 和 の際 に於 て其 条 件 を保 障 と し て確 立 し 置 く べ きも のな り とす 。
支 那赤 化 を最 少 限度 に極 限 す る が為 には 中 央 現政 権 一派 の統 制 力
三 、防 共 上 の見 地 よ り
崩 壊す る の以 前 に於 て本 事変 を終 結 す るを 可 とし 又 赤 禍 の駆 逐 には
二〇
意
支 那事 変解 決 処 理方 針案 (昭 和 一二 、 一二 、 一
大 本 営 陸 軍部 )
三、解 決 の気 運〓 醸 せ ば事 変 の終 結 を促 進 し 其 成 果 を有 利 にし 且 爾
後 の国交 調整 を便 な ら し む る如 く 戦 争指 導 上百 般 の処 置 を講 ず 特 に
注
一、本 処 理方 針 は我 国 とし て忍 ぶ べ き最 下 限 を示 し た る も のと す 。
四、休 戦 に関 す る議定 事 項 は別 に之 を定 む 。
作 戦 行動 をし て之 に即 応 せし む 。
六 、解 決 に方 り ては努 め て事 変 前 に於 け る欧 米 列強 の在 支 権 益 に触
勢 を緩 む る こと なし 。
五 、休 戦 後 解 決 条約 批 准 迄 の期 間 に於 て は適 時 再 び開 戦 し 得 る の態
二、本 処 理方 針 を 軍部 外 又 は国 外 に出 す 場 合 折 衝 上 の戦 術 と し て開
て本案 の取 扱 には特 に周到 な る注意 を要 す 。
示 す べ き輪 廓 は別 に慎 重 な る考 慮 に基 き之 を定 む べ き も のと す 従 つ
支 那 事 変 解決 大 綱
る を以 て本 旨 と なす 。
る る こと を避 く る も已 を得 ざ る第 三国 関 係 事 項 は解 決 成 立 後処 理す
一、解 決 は日 支 間全 般 の問 題 を 一括 し て根 本 的 に之 を行 ふも のとし
に包 含 せし め媾 和 成 立 後 の平時 外交 に持 越 す ことな し 。
七 、解 決 条 約 の為 の附 帯 事 項 は 別 に之 を研 究 す同 事 項 も 亦批 准 事 項
其 一、解 決 大 綱
本 次 事 変 の解決 は左 記 諸 項 に準拠 し て之 を 処 理す 。
其 交 渉 は 日支 直接 に之 を行 ひ第 三国 の干 渉 を 許 さず 其 過程 に於 て第
日支 両 国 は協 力 し て東 洋 の道 義 文 化 を 再建 設 し 亜 細亜 民族 の復 興
其 二 、締 結 方 針
三 国 善 意 の内 面的 斡 旋 は之 を認 む るも 正 式交 渉 に は関 与 せし む る こ となし 解 決 条項 中 満 洲 国 に関 係 あ るも のは 同国 に対 し 別途 承認 せし
を期 す べ き こと を誓 約 し 過去 一切 の相剋 を清 算 し東 洋平 和 と互 助 共
む る の処 置 を執 る。
栄 とを 図 る為 左 記 諸 項 を約 す 。 記
二、解 決 の斡 旋 又 は交 渉 中 と雖 支 那 が其 一の第 一、 第 二項 及 其 二乃
左
至 其 四 の全要 目 承 認 の時 期迄 は休 戦 す る こと なく 所 要 の作 戦 行 動 を 継続す。
手 段等 を全 廃 す ると共 に右 種 の悪 果 を招 来 す る虞 あ る行動 を禁 絶 す
を挙 ぐ る こ と之 が為 相 互 の好 誼 を破 壊 す る が如 き政 策 、教 育 、交 易
一、 日満 支 三国 は渾 然 相 提 携 し て東 洋 の平 和 を確 保 し 善 隣友 好 の実
上海停戦協定 (昭和七年)
土肥原秦徳純 協定
河北停戦協定
梅津何應欽協定
其 四、保 障 事 項
る こと 。 二 、東 洋 の道 義 文化 に対 す る侵 略 破 壊 は其 の武 力 的 思 想的 政 治 的 の
日支両国 は本条約を誠意 を以 て履行す るの保障として左記事項 を
一、日本軍 の進出 せる地域 は非 武装地域 となし現在す る日本軍 は地
約定す。
何 れ な る を問 はず 目満 支 協同 し て之 が防 衛芟 除 に当 る こと。 三 、 日満 支 三 国 は互 助 共 栄 の実 を挙 ぐ る為 産 業 経 済 等 に関 し長 短 相
其 三 、締 結 条 項
補 有 無 相 通 の主 旨 に基 き協 同 互 恵 を約 定 す る こと 。
易 なら し む べ き政 権 を 樹 立す る こと 。
二 、支 那 は北 支 及内 蒙 に夫 々日満 支 互 助 共 栄及 防 共強 化 の具 現 を容
交通通信管理等 に関 し特種権益を与 へ所要機 関 の存置 を認むること。
二、支那は日本 に対し北支五省 に於け る金融 、関税処理、資源開発、
の軍事施設竝主要交通 の管理拡充 を容認する こと。
持竝防共 の為支那警察隊 に依る の外最少限度 の日本軍 の駐屯竝 必要
北支 に於ける重要 地域及上海附 近に於 ては日支協同して治安 の維
方治安の恢復と共 に自主的 に撤兵す ること。
三、 支 那 は排 日及 反 満 政策 を放 棄 す る こと。
一、 支 那 は満 洲国 を正 式 承認 す る こと 。
四、 支 那 は防 共 政 策 を 確立 し 日満 両 国 の同 政 策 遂行 に協 同 し 尚満 洲
侵 攻 及 共 産赤 化 工作 に対 し て は三 国商 議 の上直 接若 は間 接 に協 同防
日満 支 三国 又 は其 何 れ か が三 国 以 外 の国 よ り受 く る侵 略 特 に武 力
の目的を以 て従来 より有する其在支利権は当時 の情勢 に応 じ之 を支
を支 那に返還す之 と同時 に日本 は支那 の国権 回復及其復興等 に協力
の為 の約定を解除 し之 に伴ふ権益中保障 の目的 を以 て保有せし部分
日本 は本条約 及之 に伴 ふ諸約定 の実現を確認す るに於 ては右保障
衛 の措 置 を執 る こと 。
那に返還すべき用意 あることを約す。
国 と共 に日独 伊 防 共 協 定 に参 加 を約 す る こ と。
五 、 日 本 は支 那 の新 上海 建 設 に関 し協 力 す る こと。 六 、 日満 支 三国 は資 源開 発 物 資 交易 航 空 連 絡 交 通等 に関 し 所要 の互 恵 的協 定 を設 定 す る こと。
に任ず る こと。
七 、支 那 は本 事 変 のた め 日本 居留 民 の受 け た る損害 に対 し補 償 の責
八 、 日 本 は本 条 約 の成 立 と同時 に左 の諸 協 定 を廃 棄 す る こと。
︹町尻量基少将︺
︹中島鐡蔵少将︺
二= 一 一
︹喜 多 誠 二 一少 将 ︺
宛電
対 満 施 策
︹岡部直三郎中将︺
陸 軍 省 軍 務 局 長、北支方面軍参謀長
ニ関 ス ル件 二
︹ 東條英機少将︺ ︹︹ 関東軍︺ 参 謀 長
参謀本部総務部長 、北 京 特 務 部 長
近時 新 聞 其 他 ニ於 テ北 支 開 発案 若 ク ハ今 次 重 工業 会 社 設 立 ニ関 ス ル論 評 中 相 当責 任 ア ル当 局 ヨリ ﹁満 洲 ニ於 ヶ ル在 来 ノ統 制 主義 ハ失 敗 セル ニ ヨリ北 支 ハ資 本 家 ノ自 由 進 出 ニ任 ス﹂ ト カ ﹁満 洲 ハ統 制 主
﹁ 満 洲 ノ失 敗 ヲ北支 ニ於 テ繰 返 サ ス﹂ 等 喧 伝 シ惹 テ軍 ノ指導 上若 ク
義 ニ失 敗 シ テ重 工業 会 社 ノ設 立 ニテ資 本 家 ニ屈 セ リ﹂ ト カ 若 ク ハ
ハ満 洲 国 政 府 ノ施 策 ニ機 微 ナ ル影 響 ヲ与 フ ル モノ ア ル所 、右 ニ関 シ
ル方 途 ヲ必要 ト シ情 勢 ノ推 移 ニ伴 ヒ亦自 ラ幾 多 ノ進 境 ヲ示 ス ヘキ モ
テ ハ申 ス迄 モナ ク経 済 政策 ノ遂 行 ハ現実 的 事 態 ニ即応 シ最 モ適 切 ナ
︹八字 不明︺
ノ ニシテ特 ニ此 種 無 稽 ノ論 評 ヲ防 止 ス ルノ ミ ナ ラ ス進 テ識 者 ヲ啓 蒙 シテ 大 局的 ニテ建 国 五年 間 ニ於 ケ ル進 歩 特 ニ軍竝 満 洲
基 調 ト シテ鋭 意邁 進 シア ル実 績 ノ跡 ヲ説 明 セ ラ レ北 支 開 発 ニ於 テ モ
ル コト ニ関 シ御 高 配 相煩 度
能 ク現下 ノ政 治 的 経 済 的事 態 ニ適応 ス ル如 キ確 乎 タ ル方 策 ヲ執 ラ ル
(昭和+ 十二年+ 十二月+ 十目 日 発)
又 今次 事 件 対処 ノ大 局 的 見 地 二 ニ於 テ徒 二 ニ資本 家 、企 業 家 ノ進 出 二 ニ
ル コト ナ キ様 特 二 ニ関 係 向 キ ノ御 指 導 ヲ望 ム
齷 齪 シテ国 民 全 体 ノ福 祉 増 進 乃至 道 義 的 対支 援 助 ノ根 本 義 二 醒 ニ背 馳 ス
方
二 二
針
大 本 営陸 軍 部 )
三 列国対支貿易特 に列国よりの武器、米国及南洋よりの石油、 ﹁シヤム﹂ より の米 の輸入阻止 に関し所要 の方策を講ず。
経営に着手す。
(昭 和 一二 、 一二 、 一五
事変 対 処要 綱案 ( 対現中央政府解決の場合)
一、現戦果を拡張強化し つつ速 に現中央政権 と日支全般問題を 一括 二、此間爾後持久戦争 に移行 の為 に必要 なる考慮と準備措置 の実行
解決す ること に諸般 の措置を統合す。
一
中外 に対し我出師目的、日支提携 の本義防共 の真義等 に関す
三、思 想 対 策
る認識向上支那敗戦感 の付与等 を策す。
とを併 せ行ふ担 し之 が為 方針第 一項 の達成 を阻碍す ることなし 。
二
尚現中央政権 ( 蒋政権又は其継承政権) の存在 を認む但し敵
二 北支政権 は其自然発生 の気運を助長し爾後情勢 の推移 に即応 し得 るの発展を期し適時支那 の有力政権 となり又は他政権と合流
努む。
対 せば之を崩壊 せしめ又 一地方政権たらしめ得べき要機 の把握に
一
四、対各政権方策
特 に対支宣伝 の強化を図 る。
こと能 はざる実情 を確認 したるとき又は現中央政権 が実力上 一地方
三、持久戦争移行 の為 の決意 の時機は方針第 一項 の目的を達成す る
領
政権 たるに至 りたる時 とし其時機は南京攻略前後とす。 要 一、軍 事 行 動 対支圧力強化 の為積極的行動 を継続す其実施 は全般 に於 ける戦争 軍事 上必要なる所要 の防 衛交通通信其他 の軍事施設 を促進す。
指導上 の機微 に吻合せしむ。
従来実行 又は研究せられある事項 を促進強化す。
三
し 又は全支 の分裂 を招来するが如き積極的指導 を行ふ ことなし。
し得 べき資質 の付与を考慮す但し目下 の処直 に之を中央 政権 と為
占拠 地域内民需を充足し北支 の経済開発を促進し且新 上海 の
二、経 済 対 策 一
蒙疆自治政権 の内容 を整頓す。
二
処 す但し英よりす る対 日親善的転向あらば之 が利用を考慮し我外
上海方面自治政権 の発生 を促し治安整頓 に任ぜし め南京方面
四
交国策を対蘇反共 一正面 の態勢 に誘導す。
総動員及軍需動員は予定計画 の実行を促進強化す之が為総軍 の約
九、国家総力 の整備
す。
所要兵団 の作戦遂行 の為 の軍需 を整備し革新的軍備 の充実 を準備
八、戦 力 準 備
陥落後同方面自治政権と の合流を準備 す。 五、解決促進策 一 解決 は現中央政権 ( 蒋政権又は其継承政権)を対手とし全支 解決 は支那側 の講和提議、第 三国善意 の斡旋 に起 るを本旨 と
の問題 を統一し て解決処 理す るの方針 を採 る。 二
半部 に対し 一年間 に応ず る軍需を基礎 とし特 に産 業五ケ年計画を統
す。
合し諸産業就中其基礎 に於 ける堅実なる発達を期 する如く所要 の事
此期間 に於け る支那 の内情 及列強態度 の推移 を審 にし現中央
三
項を促進す又別 に総軍 の作戦遂行に即応し得 る如 く総動員 の全面的
一
事変終局 の目的 に関し我国是 に立脚す る観念を確立し事変処
十、対 内 指 導
準備す。
国内諸機構 の強度 なる戦時態 勢移行、所要 の戦時法令 の制定等を
発動を準備す。
るを顧慮す。 此際北支蒙疆及上海 等 の問題 は全支問題 の部分とし て之を処
政権 をし て解決気運 の醸成を容易 ならしむる機会を与 ふる場合 あ 四
理し此等各方面 の既成自治政権 は支那本然 の事態に即し中央主権 下 に於 ける範囲 の存在 とし て之を継承容認 せしむ 。 ︹ママ︺
解決 の為 の処 理方針 は別冊 ﹁支那事変解決処 理方 針﹂ (昭和
一二 ・一二大本営陸軍部案) の如し。
五
二 戦歿遺家族及傷痍軍人 の物心両方面 に於ける優遇対策を確立
理 に関する国論を統 一し国策遂行上 の目的 に帰 一せしむ。 す。
六、北 支 開 発 北支 に於ける治安 、交通、経済 、文化開発等 は予定 に従ひ之 を実
日支国交 の調整 と近き将来 に予想せらるべき国際的難局克服 国論指導を行 ふ。
の為国家総力を以です る耐久的国防準備、国勢整備等 の為所要 の
三
施す。 七、外 交 工 作 一 外交 工作 の重点を対米親善 に指 向し特 に我 が産業国策遂行 に 欧洲 に対し ては独伊枢軸 に拠 る欧洲諸邦特 に蘇英 の牽制に努
資すべき経済上 の提携及米国輿論 の好転 に努む。
英国に対し ては拝英思想 を打破し大局的冷静を以て正当 に対
む。
二 三
方
二三
針
一
領
大 本 営陸 軍 部 )
我 が上陸兵力 を以て所要 の地域 を軍事的に占拠す其範域 は概
一、軍 事 行 動
要
に対す る我国力 の消耗 を制限し且対 ﹁ソ﹂ 作戦 の準備を強化整頓す。
(昭 和 一二 、 一二 、 一五
事 変 対処 要綱 案 ( 従来の中央政府否認後)
一、従来 の支那中央政権 を否認し北支に親 日満防共の政権を樹立し 之を更 生新支那 の中心勢力 たらしむる如 く指導し之 と連繋し て各方
政権 の自立性強化其他全般政戦両略上 の大局を考慮し適時占拠線
面共親日 (又は非抗日)反共政権を樹立し支那全局面 に於 て抗 日共 産政権 に対す る圧縮壊滅 を策す。 二、所要地域 に於 て我兵力を以 てする軍事的占拠其地域内 に於 ける
二
海上兵力を以て海上交通線 の遮断 を 一層厳 にす る外適時要点
の整 理、要点要域 の攻略、敵軍撃滅等 を行 ふ。
ね持久転移 の際 に於 ける戦果を基準 とすべきも持久 の便易、樹立
劃期的善政指導及新樹立政権 の勢力拡大等 に依り之 に伴 ふ領土喪失 感と抗 日共産領域内住民 の困窮と に依 り対抗政権及其所属民衆 をし て抗 日容共 の非を悟 らしめ時と共 に依 日救国 の大勢 に順応するに至
関し所要 の処置を講ず るも努め て支那側政権自治 の精神 を尊重助
四
る破壊を反覆す此 の行動間常 に対兵対民衆思想宣伝 を併用す。
く支那 の赤化又は欧米勢力侵襲 の罅隙 なからしむ。
成す。
要域 の攻撃又は攻略 を行 ふ之が為適時戦時封鎖 の発動 を準備す。 三 航空兵力を以て敵 の軍事施設 、交通線、政権等 に対し執拗な
四、全期間を通じ我国防国策 の主眼 を依然対蘇反共 に置 き其以外数
らしむ。
正面 に亘る戦争準備 の余儀 なき情勢 に立ち至 らざ る如く政戦両略 に
五
三、成 るべく速に全支 の自然 的統 一状態 を誘致し無期分裂抗争 に基
亘り運用施策す。
しむ。
我 が軍事行動 の為占拠 区域内政権 をし て所要 の便宜を供 与せ
占拠地域内 に於 て所要 に応じ治安 の維持、交通線 の確保等 に
五、我国家総力就中国防力 の培養強化及統整 を促進すると共 に支那
六
軍事行動 の細部 は別 に定む。
金融 は日満 に依存せし め関税塩税其他 の政府収 入は主として
支 民間 よりす るの外、外国資本 の導入を図る。 四
之を北支処 理の経費 に充当す。
二、親 日政権 の助成指 導 五
文化開発 は現地住民在来 の風俗習慣 を尊重し安 住 に資 せしむ
一
自然科学 の向上 を図 り漸 を以 て行ふ科学的開発 に資 せしむ、 又精
北支政権は親 日満反共 の思想的根 基を政策 の主根 たらしめ隣
域合流及在支同種政権提携 の為諸般 の実力を具有す るに至らしむ。 二
せしむ。
神科学は日満支各 民族精神 の基底たる東洋 の道義文化を普及徹底
北支新政権 に包含せらるべき地域 は軍事行動進展 の程度 に依
るべきも差当り河北、山東 及山西 の三省 とし冀東自治政府 は之を
一
我占拠地域内 に抗 日政権倒滅 の鞏固 なる組織結成 を策し之 を
政権 に対し諸 外国 よりす る補給を妨碍遮断す。
四、抗 日政権壊滅策
解 消し特別 区たらしむ。 蒙疆方面 に関し ては現蒙疆連合会 をし て指導せしめ親 日満防
共と蒙漢協和 とを政策 の根基たらしめ時機 を見 て察南晋北両自治
三
二
支援推進し地域 外全支 の軍隊民衆 の反政府行動 を助成す。
政府又は全蒙疆 を北支政権傘下 に合流 せし め其特別区たらし む。
三
政権内部抗争激化 の為赤白短勢力反日親 日両勢力等 の存在 を
︹マ マ ︺
四
金融 の指導を策し抗 日政権 を金融崩壊 に導 く。
利用す る崩壊謀 略を行 ふ。
日満蒙疆 及北支間 の軍事、防共、文 化、経済開発、交易等 に
関し ては機 に応 じ所要 の協定を締結す。
四
補給遮断、思想工作 、謀略等 の為我航空 兵力回教徒 ﹁カトリ
中南 支 に於 て情勢 の推移 に伴ひ江蘇 、浙江 、福建、廣東方面
に樹立せらるる ことあるべき親 日反共政権 は之 を助成し逐 次北支
五
五 六
謀略諸機関を拡充強化す 。
ツク﹂教徒、﹁ユダ ヤ﹂人等 を利用す。
政権 との合流 を指導す。 此等政権とは速 かに経済交易居留運輸 航空等 の特恵的協定 を締 結 す。
を同方面 に牽制し特 に日満支 に対す る独伊 の経済関係を利導す。
一
欧洲 に於け る対蘇謀略及独伊枢軸 の強化 に依り欧米 、就中蘇
戦禍 水災 に因 る窮 民救済を策す。
五、外 交 方 策
交通通信線 の統整拡充 は軍事上 の要 求に応ず るを急とし日満
三、北 支 開 発 一
対米親善 の為経済上 の提携 及輿論 の好転 に努め特に我産業拡
二
二 三
充上 の需要充足 と日満支対米間 の経済関係を調整利導す。
を策し過早 の日英紛争惹起を避 くるも拝英追随 の政策を排す。
経済開発は日満産業拡充 の計画 に吻合せし め特 に国防上 の需要
北支総力 の増強を終局 の目標 とし て之を律す。 と 日満北支民衆 の慶福 とを主眼 とし鉱 工業塩 田開発棉花培養等を
英 に対し ては威力 と功利と の併用 に依り其 の対日態度 の転向
行 ひ之 に必要 なる電力交通等を併せ開 発す之 に要す る資本は日満
二
新国防国策 に順応し我建軍 の本義我国 の新国情、世界列強 の
四
趨 向、支 那事変 の体験等 を加味し陸海空 の三兵力 に亘り急速なる
爾他諸国 に対す る多面的親善 に依 り貿易 の振興集団干渉 の不
成立等 を策す。
革新的軍備 の充実 を計画実行す。
九、其他 の対内指導
此間常 に対 ﹁ソ﹂戦備 の強化充実 を遺憾 なからしむるを以て
三
経済国力 の増強を堅実耐久的 ならしむ之が為先 づ生産力拡充
一
百般 の基調となす。
六、経 済 対 策 を促進し所要 の機構調整経済各部門 の統整等 に関す る対策を策定 実施す。
二
総国力 の充実 が時局及国際情勢 の 一般 を打開克服する の要諦
引上げ居留民 の救恤補償及現地復帰 に努む。
出征者家族 及戦歿者遺家族竝傷痍 軍人の物 心両方面 に於ける
一
三
非軍需経済 の運営を合 理的 ならし め特 に時局 の打撃甚大なる
二
恒久的優遇対策 を確立す。
三
な るを徹底 せし め発動中 の軍需 動員総動員 の実行を強力堅実 なら
長期 に亘 る内外需給 の均衡 を図 る、之 が為 金融配給消費労務
農 民及中 小商 工業者等 の為所要 の措置 を講ず。 貿易等 に関し所要 の堅実 なる統整を行 ひ特に対東亜諸邦貿易を振
しむ ると共 に 一般 の国力充備就 中産業拡充 に関し努 力を倍〓し て
防的挙国 一致 の具現等 と相俟ち逐 次耐久的国家総動員 の形態 に誘
国是国風 に立脚し堅実なる国論 の統 一勤倹力行 の習性化 、国 導す。
四
之 が具現を強行す。
に努む。 北支経済開発、新上海 の経営 其他既定経済対策を促進す。
興し独、伊、米と の交易関係を密接ならしめ且米 より の資金流 入 四 思想戦諸機関 の拡充強化を行 ふ。
五
七、思 想 対 策 一
対支就中抗 日政権及其勢力圏内に於 ける軍隊及民衆 に対す る
十 一、以上諸項 の具体策は夫 々別 に之 を定む。
き新 政権 と逐次 に解決し後 之を綜合 す。
解決処理方針は別 に定むる所 に拠 り解決は各 方面 に樹 立せらるべ
十、持 久終結 の為解決要領
家 態勢を整 ふ。
国内諸機構 の強力化 に依 り時勢 に即応し得べき綜 合恒 久的国
二
対満蒙鮮湾諸 民族 に対する啓蒙教化宣伝 の為指導精 神を確立
宣伝 に万全を期す。 三
対内教化 の為指導精神を確立し 且諸般 の機関を総動員す特 に
し所要 の統整 を行 ふ。 四
指導者階級 の教化 に重点を指 向す。 一 東 亜 に於 ける新態勢と近き将来 に予想 せら るべき国 際的難局
八、国防国策 の樹立及軍備 の充実 を考慮し新国防国策 を樹立す。
二四
陸 支 密第 二 四五 一号
北支 経 済 開 発方 針 に関 す る第
梅 津 美治 郎
二 、北 支 経 済 開発 及統 制 の為 一国 策 会 社 を設 立 す る も のと し 挙 国 一
全 国 民 の期 待 に反 せ ざ る適 切 な る国 策 的 運営 に重 点 を置 く も のとす 。
三 委 員 会 決 定 案 送 付 の件 通 牒
殿
陸軍 次官 英 機
昭和十 二年十 二月十七日 條
致 の精 神 と全 国 産 業 動 員 の趣 旨 を 具 現す る が如 く 之 を 組 織 す る も の
東
関東 軍参謀長
とす。
主 要 交 通 運 輸事 業 ( 港 湾 及 道 路 を含 む)、主 要 通 信 事 業 、主 要 発
十二月十 七日附陸支密電七三〇 に関す る第 三委員会 の決定 せる北 支開 発方針別冊 の通 り空送す。
送 電 事 業 、主 要鉱 産 事 業 、 塩 業 及 塩利 用 工業 等 に関 す る重要 産 業 は
常 に我 国 の実 情 に鑑 み緩 急 宜 し き を制 す る事 に意 を用 ふべ き も のと
右 重要 産 業 以 外 の事 業 は特 別 の事 由 あ る場 合 の外 特 別 な る統 制 を
右 会 社 の運 営 に就 て は 日満 両 国 の重 要産 業 計 画 に即 応 す る と 共 に
右 会 社 を し て之 が開 発 経 営 又 は調 整 に当 らし む る も の とす 。
北支経済開発方針 昭和 一二、 一二、 一六 第 三 委 員 会 一、北支経 済開発 の目標 は日満経済 の綜合的関係を補強し以 て日満
す。
三 、北 支 経 済 開 発 に当 り ては支 那 側 資 本 の利 用 に努 む る と共 に支 那
加 へざ るも のと す 。
之 が為支 那現地資本竝我方 の資本及技術を緊密 に結合 せしめ て経
支提携共栄実 現の基礎 を確立する に在 り。 済各部門を開発整 備し以 て秩序 の維持民衆生活 の安定 を図 り併 せで
す。
四 、北 支 経 済 開 発 に対 す る 第 三国 の協 調 的 投資 は之 を認 む るも のと
側 企 業 と の協 調 を図 るも のとす 。
給 の調節を尊重し緩 急を誤 らざ る様措置す ると共 に努 めて支那側を
面し て開発実施 に際し ては日満及北支 の国際収支 の適合及物資需
日満両国 に亘 る我広義 国防 生産力 の拡充 に資するも のとす。
衷面 に立 て経 済的圧迫 を与 ふるが如き感を抱かしめざ る如くし且我
北 支 に於 け る 列国 の既 存 経 済 権 益 は事 情 の許 す 限 り之 を尊 重 す る
委員会諒解事項
五、 日満 北 支 貿 易 関 係 の緊 密 化 を 図 ると 共 に北 支 対第 三国 貿 易 の適
保持 せしむる様措置し尚満鉄竝電 々社員 の大陸 に於け る活動 の適性
信事業 を経営 する機関 は満鉄竝満洲電 々会 社と常 に緊密 なる関係を
日満支交通、通信 の円滑 なる連絡 に資 する為北支 に於け る交通通
切 な る調 整 を 行 ふも のとす 。
は之等 を充分活用す るの方針 を執 ること。
竝今次事変 に於 ける活動 の実状 に鑑み交 通通信事業 の経営 に際して
も の とす 。
六 、現 地 政 権 をし て農 業 の改 善 、 治 水 及 利 水 、植 林 、 合 作 社 等 に関
昭和十 二年十二月二十 日 発
関参満電第五二六号
宛電
北支 経 済 開 発 方 針 に関 す る件 陸 軍次官
モ貴方附箋 ニモア ル如 ク北支 ニ於ケ ル該事業経営 ノ実体 ハ技 術資本
一、主要交通運輪事業 ハ満支 ヲ通 スル満鉄 ノ 一元的経営 ハ認 メサ ル
長
の 一元 経 営 は之 を 認 めざ る こと 。
及人員 ヲ満鉄 カ主体 トナルノ事実 ニ鑑 ミ満鉄及該会社 ヲ通 シ満 支 ニ
謀
二 、北 支 政 権 の財 政 強化 に努 め以 て北 支 に於 け る 公共 事 業 其 他 の開
右案 ニ関 シ左記 ノ通 リ諒解致度 ク念 ノ為貴意伺 ヒ度 シ
第 三委員会決定案受領 ス
軍 参
し逐 次所 要 の施 設 を 為 さ し む る も の とす 。 七 、北 支 に於 け る既 存 事業 にし て重 要 産 業 に関 す るも のは本 方 針 に 従 ひ 之 を整 理 又 は調 整 す る も のとす 。 八 、 差 当 り直 に着 手 し 得 る事 業 に付 て は将 来 本 方 針 に基 く整 理 又は 調 整 を 条件 と し て速 に之 を開 始 す る 様措 置 す る も のと す 。 九 、 北 支 経 済 開発 に関 す る交 渉 の相 手方 は差 当 り中 華 民 国臨 時 政 府 、 治 安 維 持 会 若 は其 聯 合 会 又 は局 地 政 権 と す 。
閣 議 諒 解 事項
発諸 事 業 に寄 与 せし む る こと。
一、主 要 交 通 運 輸 事 業 、主 要 通 信 事 業 に付 ては満 支 を通 ず る 一会 社
三 、北 支 対 第 三国 国 際収 支 の維 持 改 善 を 図 る為 有 効 適 切 な る方 策 を
関 シ仮 ニ貴方対策 力満鉄 ヲ通 スルモノトセ ハ国家 ノ補償制度 ヲ確立
該交通会社ト満鉄 ト ハ密接 ニ連繋 セシム ヘキ モ将来 ノ資金供給 ニ
ニ関 シテ ノミ調整 ニ当 ラシメ密 ニ連繋 セシムルコト
該交通会 社 ハ独立経営 トシ已 ムナク ハ統制国策会社 ヨリ資金調達
於 ケル鉄道 運輸 ノ 一元的運営 ヲ庶幾 シ得 ヘキ コト
四 、北 支 に於 け る産 金事 業 は我 国 国 際 収 支 の観 点 よ り特 に速 に着 手
講 ず る こ と。
せし む る こ と とし 今後 に於 け る調 整 に際 し ても 此事 情 を考 慮 す る こ と。
シ現下応急焦眉 ノ問題タ ル満鉄 ノ満洲 ニ於ケ ル鉄道新設 、改良等 ニ
二、 北 支経 済開 発 ノ交 渉 ノ相 手 方 ト シテ蒙疆 方 面 ハ蒙疆 聯 合委 員 会
毫 末 モ支 障 ヲ与 ヘシ メ サ ル コト
ヲ強 ク活用 シ殊 ニ当 分行 政 的 措 置 ハ該 方 面 ニ関 ス ル限 リ該 地政 権 ノ 作 用 ヲ重視 スル コト
依
命
三 、蒙疆 方 面 金 融機 構 ニ ハ変 革 ヲ加 ヘサ ル コト 右
二五
一
大陸 命 第 三 十 四 号
命 令 ・指 示
大 陸指 第 二十 六 号 指
示
大 陸命 第 三十 四 号 ニ基 キ 左 ノ如 ク指 示 ス
ト ヲ得
一、臨 命 第 五 百 八十 四号 指 示 ニ依 リ集 結 シ ア ル 一師 団 ヲ使 用 ス ル コ 一、大 本 営 ハ情 勢 ノ推 移 ニ伴 ヒ膠 濟 沿 線 及濟 南 ヨリ上流 黄 河 左 岸 ニ
ヲ配 当 スル ヲ得 ス
二 、北 支 那 方 面 軍 ノ兵 力 ハ差 当 リ増 加 セ ラ レ ス又船 舶 及 揚 陸材 料 等
令
亙 ル地域 ヲ〓 定 ス ルノ企 図 ヲ有 ス
命
二 、北 支 那 方 面 軍 司令 官 ハ前 項 ノ線 ニ向 ヒ逐 次其 作戦 ヲ推 進 ス ルト
一 殿
親
王
ス
北 支 那 方 面 軍司 令 官 伯 爵
昭和 十 二 年十 二月 十 八 日
寺
内
壽
参謀総長
一 殿
載
仁
親
王
五 、青 島 ノ処 理 ハ陸 海 軍 協 同 シテ之 ニ当 ル本 件 ニ関 シテ ハ別 ニ指 示
待 ツ ヘシ
三 、弾 薬 ハ概 ネ 一会 戦 分 ヲ保有 シ得 ル如 ク所 要 量 ヲ交 付 ス
壽
仁
共 ニ占 拠 地 域 ノ確 保 安 定 ニ任 ス ヘシ
内
載
四 、青 島 方 面 及南 部 山 西 省 ニ対 ス ル爾 後 ノ作 戦 発 起 ハ更 メテ指 示 ヲ
寺
参謀総長
三 、細 項 ニ関 シテ ハ参 謀 総長 ヲ シテ指 示 セ シ ム 昭 和 十 二年 十 二月 十 八 日 奉 勅 伝宣
北 支那 方 面 軍 司 令官 伯 爵
二
二 六
( 昭和十二年十二月二十三日 発)
リ寧 ロ無 名 ノ新興 人物 ヲ モ充 分 活 用 シ確 固 タ ル我方 策 ノ下 ニ真 ニ庶
此際 所 謂 旧 式 一流 政 治 家 ノ ミノ利 用 ニ ヨリ形 式 国 家 ヲ作 為 スル ヨ
直 面 セ ル今 日 ニ於 テ益 々然 リ以 上 ノ見 地 ヨリ再 言 セ ハ
ル コト必 要 ニシテ特 ニ北 支 蒙疆 ヲ根 軸 ト シテ持 久 ヲ策 ス ルノ事 態 ニ
国 民族 協 和 ノ結成 ニ寄 与 セ シ ム ルト共 ニ内蒙 古 民族 ヲ充 分掌 握 シ得
上 ヨリ セ ハ支 那大 衆 ノ安 定 ノミ ナ ラ ス支 那 ニ於 ケ ル施策 ヲシ テ満 洲
民 族 対抗 ニ対 シ我方 ハ各 民 族 ノ協 和 ヲ基 調 ト ス ヘク殊 ニ対蘇 戦 準 備
ニ関 ス ル 件
︹ 東條英機少将︺ ︹関東 ︺ 軍 参 謀 長
北 支 政 務 指 導
関参満電第五五三号
︹多田駿中将︺︹ 梅津美治郎中将︺
次 長 、次 官 ︹ 岡部直三郎中将︺ 天 津 軍 参 謀 長 宛電 ︹ 喜多誠 一少将︺ 北京総務部長
北 支方 面 ニ中 央 政府 ヲ確 立 シ時 局 ノ収 拾 ヲ図 ル機 運 ニ直 面 セル ハ
民 ノ慶 福 ヲ増 進 シ日支 ノ提 携 ヲ庶 幾 スル コト得 策 ナ リト 信 ス
御 同慶 ニ堪 ヘサ ル モ右 政 府 ノ機 構竝 運 営 ハ徒 ニ所謂 中 央 集 権 的統 一 政 府 ノ様 式 ヲ避 ケ現 実 ノ事 態 ニ即 応 セ シム ル コト 必要 ナ リ即 チ先 ツ
ニ付 御含 ミ相 成 度
鉄 道 、通 信 ノ如 キ モ其 管 理 権 ヲ蒙疆 委 員 会 ニ於 テ所 有 セ シメ ア ル
ケ我 方指 導 機 構 モ亦之 ニ即 応 セ シ メア ルノ ミナ ラ ス
尚 蒙疆 方 面 ハ努 メテ在 住 民 ノ自 治 ヲ尊 重 シ占 領 地行 政 的措 置 ヲ避
以 テ蒙 彊 、北 支 及 中支 ノ各 政 権 ヲ シテ夫 々所 在 日本 軍 ト密 ニ連繋 ノ 上 現 地 ノ実 情 ニ適 応 セ ル人 民 自 治 ノ完 成 、防 共 ノ徹 底 、民 生 ノ向上 、 治 安 ノ確 保 等 ニ邁進 セ シ ムル ヲ第 一義 ト ス ヘク其 中央 政 権 ハ差 当 リ 夫 々政権 ヨリ例 ヘ ハ委 員 等 ヲ特 派 ス ル委 員 会 等 ノ運 用 ニ ヨリ対 外 関 係 ノ統 一若 ク ハ対 内 的 利害 ノ統 制 ヲ図 リ所 謂 ﹁分 治 ニ依 ル統 一﹂ ヲ 目 標 ト シテ指 導 スル コト得 策 ナ ル ヘシ今 日徒 ニ統 一国家 ノ形 態 作為 ニ堕 シテ急 速 ナ ル形 式 上 ノ統 一ヲ試 ミ ル ハ却 ツ テ各 地 政権 ニ無 用 ノ
又 今 次事 変 帰 結 ノ最 終 目的 タ ル日 満 支 共栄 ヲ庶 幾 ス ル為 ニ ハ彼 ノ
刺 激 ヲ与 ヘ其 安 定 ヲ害 シ惹 テ真 ノ統 一ヲ困難 ナ ラ シ ム ヘシ
目
次
二七
録
一、第 一軍 作 戦経 過概 要 二 、附
二 日現 在)
第 一軍 作 戦 経 過 概 要
語
写
第一 軍 参 謀 部第一 課 )
本 作戦 経 過 概 要 は 軍 の作 戦 を基 調 と せ る第 一軍 作戦 経 過 の概 要 を
20 、 第 一軍黄 河以 北 戡 定 の為 の作 戦 計 画
19 、河 北 平 地 方面 の安 定 確 保 に関 す る第 一軍命 令
18 、山 西 方 面 の安 定 確 保 に関 す る第 一軍 命 令
計画
17 、占 領 地 の安 定確 保 に関 す る方 面 軍 命 令 に基 く第 一軍 作戦
16 、勅
15 、石 家 莊 攻 撃 準備 に関 す る第 一軍 命 令
14 、石 家 莊 攻 撃 の為 の作 戦 計 画
13 、 石家 莊 に向 う 追 撃前 進 命 令
(昭和 十 二年 十 二月 二十 五 日
1、 上 奏 案 (現在 支 那 駐屯 軍 の状 況 ) (昭和 十 二年 八 月 二 十
2 、 軍 現 下 の情 勢 判 断 3 、 対 南 方 作戦 構 想 4 、 北 支 に於 け る軍状 況 の概 要 5 、 第 一軍 司令 部 職員 戦 時 命 課 ︹以下 略 ︺ 6 、 方面 軍 司令 官 訓示 7 、 攻撃 準 備 に関 す る第 一軍 命令 8 、攻 撃 に関 す る第 一軍 命 令
第 一章
〓 洲 保定 会 戦
作 戦 準 備
次
第 二章
目
記 述 せ る も の にし て参 謀 部 第 一課 に於 て作 業 せ るも のな り
10、 追 撃 続 行 ( 追 撃 目 標 延伸 ) に関 す る第 一軍 命 令
第 三章
9 、追 撃 に関 す る第 一軍 命 令
11 、保 定 会 戦 に対す る兵 站能 力 判 断
石 家莊 及〓 陽 河 附 近 の会 戦 12 、石 家 莊 に向う 追 撃 準備 に関 す る第 一軍命 令
宋 哲 元 軍掃 蕩 戦
太 原 攻略 戦
く 保 定及滄 州 の各 北 方 地 区 には 各 々正面 六 、 七 十粁 に亘 り 外壕 を有
四 、 当時 中 部 河北 省 に進 出 せ る敵 兵力 は約 四 十 万 に達 せ るも の の如
以 て塘 沽 に上陸 す る予 定 な り 。
第 四章
十 二 月下 旬 に於 け る軍 の態 勢
五 、前 記 の状 況 に基 き九 月 四 日 方 面軍 司 令 官寺 内 大 将 の天 津 到着 と
き。
行 ふも の にし て永 定 河 々畔 に在 る も の は前進 兵 団 な りと 判 断 し あ り
即 ち当 時 方 面 軍 に於 て は敵 は 保 定滄 州 の線 に於 て頑 強 な る抵 抗 を
撃 を 蒙 り西 方 に退走 中 な り。
察哈 爾 省 内 に於 け る敵 軍 主 力 は懐 来 平 地 に進 出 せ る第 五 師 団 の痛
には 夫 々有 力 な る敵 兵 団 あり て近 く第 一、 第 二 軍 の部 隊 と 触 接 す。
す る稍堅 固 な る敵陣 地 あ り、〓 州 ︱︱ 固 安 及 雄 縣 ︱︱ 馬 廠 の線 附 近
第 五章
作 戦 準 備
第 六章
第 一章 一、 八 月 三十 一日北支 方面 軍 第 一軍 第 二軍 の戦 闘 序 列 を令 せら れ第 ︹ 清司︺ 一軍 は軍 司 令 官 香 月 中将 統 率 の下 に第 六、 第 十 四 、第 二十 師 団 を隷 下に入 れ ら る。 当時 軍 司令 部 は漸 く 内 地 を出 発 す る 頃 な りし も 参謀 の大 部 は既 に
二 、 九 月 一日北 支 那 方 面 軍 の任 務 は 速 に中 部 河 北省 に於 け る支 那 軍
州、 定 興 、 白溝 河鎮 、 覇 縣 及馬 廠 附 近 の線 に進 出 し爾 後 の攻 撃 を準
共 に方 面 軍 は保定 、滄 州 の線附 近 の敵 を撃 滅 す る目 的 を以 て速 に易
天津 に到 着 し作 戦 準 備 に着 手 し あり 。
を撃滅 し て平 津 地 方 の安 定確 保 を策 す る に在 るを 示 され〓 に軍 は平
備 す る に決 し第 一軍 に命ず る に第 十 四師 団 の到 着 に伴 ひ当 面 の敵 先
漢鉄道 方 面 に在 り て方 面 軍 の中 部 河 北省 に於 け る会 戦 を準 備 す 。 三、 九 月 一日頃 に於 け る第 一軍 各 兵 団 の態 勢 概 ね 左 の如 し 。
に進 出 し 保 定附 近 の敵 に 対す る攻 撃 を準 備 す べ き を以 て せり。
進 兵 団 を 撃滅 し て、 易 州、 定 興 、 白 溝 河鎮 及 覇 縣附 近 (含 む ) の線
六 、〓 に於 て同 日軍 は 先 づ〓 州 、固 安 附 近 に在 る敵 を 撃 滅し て定 興
1 、第 六師 団 主 力 は黄 村 南 方 地 区 に在 り但 歩 兵第 三十 六 旅 団 (二
隊 (一大 隊 欠 ) は天 津 に分 置 せら れ あ り。
り之 が為 第 二十 師 団 は 当 面 の敵 を撃 滅 し て易 州 南 方 地 区 に進 出 す る
東 西 の線 への進 出 を準 備 す る に決 し 攻 撃 開始 を九 月 十 一日 と予 定 せ
大 隊 欠) を基 幹 と す る部 隊 は門頭 溝 西方 山 地 内 に、歩 兵 第 十 三聯
(一大 隊 欠 ) は 豊臺 、南 苑 に、歩 兵 第 七 十 七 聯隊 の 一大 隊 は郎 坊
の準 備 を な さし め 第 六 師 団 は固 安 (含 む )以 東 の地 区 よ り永 定 河 を
2 、第 二十 師 団 主 力 は長 辛 店 南 方 地 区 に在 り但歩 兵 第 七 十 九聯 隊
渡 河 攻 撃 し 定興 附 近 に進 出 す る の準 備 を な さし め 又第 六師 団 中 門頭
し て第 六 師 団 の渡 河 直後 固 安 ( 含 まず ) 以西 に於 て渡 河 し〓 州 南 方
( 敵 の前進 を拒 止 し 軍 の側 背 を掩 護 す ) を続 行 せし め第 十 四師 団 を
溝 西 方 山 地 に在 る部 隊 は之 を牛 島 支 隊 と名 付 け 軍 直 轄 と し 前 任 務
に其 他 天 津 飛 行場 に歩 兵 二中 隊 、門 頭 溝 に歩 兵 一中 隊 を 分置 せら
師 団 は応 急 動員 を以 て出 動 し其 充 足 人 馬 は 目下 朝 鮮 よ り輸 送 中
れ あ り。
な り。 3 、第 十 四 師 団 は目 下 内 地 よ り船 舶 輸 送 中 にし て九 月 二 日先 頭 を
地 区 に進 出 す る の準 備 を な さ しむ 。
三大隊 を残置し爾余を原所属 に復 帰せしむ。
高 地を奪取し て敵 の死命 を制し敵 の企図 を挫折 せるを以 て軍は歩兵
晴雨定まらざりし天候 も八日頃より漸く快 晴続 きと なり十二日夜
七 、然 る に敵 は永 定 河 々畔 に逐 次兵 力 を増 強 し陣 地 も亦 日 々強 化 し
豪雨ありたるも十三日より全く天候恢復 せり。
あ るを 以 て九 月 七 日軍 は単 に之 を撃 攘 す る に止 ま らず 北 上 し あ る敵 を捕 捉 撃 滅す る を適 当 と 考 へ攻 撃 開 始 を若 干 日延 期 し第 二十 師 団 充
三、九月十 四日 快晴
〓 州保 定 会 戦 曇天
る に決し第 二十師 団は易縣附近 に、第十 四師団は易縣西南方地区に、
軍は第十 四師団 の状況 に鑑み 一挙に保定西北方地区に向ひ追撃す
能 はず。
第六師団 の情況明かならず通信全く絶え飛行機も亦真相 を捉 ふる
備す。
第十四師団 は追撃を続行しタ刻頃拒馬河左岸 の線 に達し渡河 を準
陣 地を占領 し執拗 に抵抗 する敵 に対し力攻す。
第 二十師団 は此 日午前十時頃 より攻撃 を開始し房山北方に数線 に
観察す。
軍司令官は良郷戦闘司令所に到 り親しく第 二十師団方面 の戦況を
四、九月十五日 快晴
せしむ。
軍 は右情 況に鑑 み第二十師団 をし て準備完了次第当面 の敵 を攻撃
第 二十師団は本 日敵陣地前 の要 地た る天子山 を奪取せり。
牛駝鎮方向 に追撃中 なり。
梁各庄附近 に於 て渡河攻撃を開始 し午後四時頃前岸 に進出し続 いて
第 六師団は第 十四師団 の攻撃開始を知り午後 二時四十分北各義、
ず やと判断し独断渡河攻撃を開始 し夕刻頃既 に北公由 の線 に達 せり。
正午第十 四師団は楡垈鎮西方 の敵 の配備薄 く敵兵退却する にあら
足 人 馬 の到着 、第 六 師 団 分置 部 隊 の集 結 、第 十 四師 団 大部 の到 着 完 了 を待 つて大 挙 攻撃 す る に決 し 従 来 北 京 西方 地区 に集 中中 なり し第 十 四師 団 を〓 各 鎮 附 近 に集 め攻 撃 準 備 を な さし む 。 八 、 九 月 十 一日軍 司令 部 は豊 臺 に移 動 し〓 に〓 州保 定 会 戦 の幕 は 切
第 二章
つて落 さ れ ん とす る に方 り将 兵 の意 気天 を衝 く も のあ り。 ︹ 六七頁︺ 九 、 十 月 十 一日頃 に於 け る第 一軍 方 面 の状 況 要 図第 一の如 し 。
一、 九 月 十 一日
此 日午 後 一時 各 師 団作 戦 主 任 参謀 等 を豊 臺 軍 司令 部 に集 め 攻撃 に 関 す る 軍命 令 を下 達 す即 ち軍 は 重 点 を第 六 、 第 十 四師 団 正 面 に保 持 し 当 面 の敵 を攻 撃 し 保定 以北 の地 区 に於 て捕 捉 撃滅 す る に決 し牛 島 支 隊 は前 任 務 を続 行 せし め第 二十師 団 は十 五 日日没 以 後 行動 を起 し 当 面 の敵 を攻 撃 し〓縣 北 方 地 区 に於 て之 を撃 滅 し た る後 速 に易縣 南 方 地 区 に進 出 せし め第 十 四師 団 は十 四 日 日没 以後 行 動 を起 し当 面 の 敵 を攻 撃 し 機 を逸 せず 拒 馬 河 を越 え て〓 縣 南 方 地 区 に進 出 し第 二十 師 団正 面 の敵 の退 路 を遮 断 せ し め第 六師 団 は 十 四 日 日没 以後 行 動 を 起 し 当 面 の敵 を攻 撃 し 固 安南 方 地区 に於 て之 を撃 滅 し た る後 機 を 逸
夜 明 前 豪雨 払 暁 後 快 晴
せず 定 興 附 近 に進 出 せし む 。 二 、九 月 十 三 日
牛 島 支隊 は本 日遂 に千 軍臺 附 近 の敵 陣 地 の鎖 鑰 た る標 高 一一〇〇
第六師団 は満城北方地区に向ひ追撃せしむ。 第 二十師団は朝来攻撃 を続行し房山西南方高地の線 に進出 せるも
五、九月十六日 快晴 敵亦頑強 に抵抗 し師団 は夜 に入るも攻撃 を続行しあり。 第十 四師団は昨夜来西曹莊附 近に於 て拒馬河を強行渡河し多大 の 死傷 を生ぜ るも之 に屈す ることなく午後 二時頃主力 の渡河完了と共 に松林店 に向 ひ追撃前進 せり。 第 六師団 の状況夜に入 り漸く判 明す之 に依 れば同師団は牛駝鎮東 方地区に於 て未知 の大湿 地帯 に遭遇し多大 の努力を以て之を突破し 此間敵 の抵抗 を打破し つつ前進し本十六日夕刻牛駝鎮東方地区に進 六、九月十七日 快晴
出 せり。 軍は千軍臺方面 の敵兵退却 に伴ひ歩兵 一大隊 を三家店 に残置し爾 第 二十師団は夜間攻撃 に引続き追撃 に移 り本 日夕刻頃〓縣西方地
余を高碑店 に集結軍予備隊 たらしむ。 区に達せり。 第十四師団 は本朝松林店東側 に達し て京漢線方面 の敵退路を遮断 し敵 に多大 の損害 を与 へ午後更 に〓水方面 に追撃 に移 れり。 第 六師団は本朝牛駝鎮 を発し西進し夕刻頃辛橋附 近の拒馬河左岸 軍は追撃有利 に進展中なるを以 て第十四師団 をし て石板山附近 に
の線 に達 せり。
軍は三家店 に残置すべく命じたる歩兵 一大隊をも引上げ千軍臺支
第 二十師団は諸所 に敵 を撃破し つつ追撃し午後 四時頃拒馬河右岸
隊 主力と行動を共 にせしむ。
第 十四師団は南 北義安及高碑店 北側 に於 て有力なる敵 を撃破し主
鎮 江營 、孫家莊 の線 に進出す。
力は〓水南方地区に 一部 は高碑店附近 に達す。
〓州城 は本日午前第 二十、第 十四師団 の部隊南 北より攻撃し て之
第 六師団は渡河材料未着 の為拒馬河渡河 に時間を要し夕刻迄 に歩
を占領 せり。
軍 は当面 の敵は潰乱し て退却中 にし て保定附近 の敵陣 地は追撃 の
兵 一聯隊強を渡河せしめ主力は続 いて渡河中なり。
ころあり即ち午後 六時軍 は更 に保定西方地区 に次で石家莊 に向 ひ追
余勢 を以 て 一挙 に攻撃す るを適 当と認 め作戦計画を 一部変更す ると
撃 を続行す るに決 し第 二十師団をして易州より石板山附 近に向 ひ突
進 し方順橋附近 に進出 して敵 の退路 を遮断せしめ第十 四師団 は満城
附 近 の敵陣地を突 破し保定西方地区に進出し て敵 を撃滅 せしめ第六
師団 は平漢鉄道方面 より当面 の敵 を攻撃 し保定附近に進出し て敵を
撃滅 せしめ機を逸 せず歩兵旅団長 の指揮する歩兵 一聯隊 、野砲 一大
隊 を基幹とする追撃隊 を平漢鉄道 に沿う道路を石家莊 に向 ひ追撃せ
し め尚各師団所命目標 に進出せば速 に隊伍を整頓 し爾後石家莊 に向
を以 て滄州より正定方面 に急進 し敵 の退路を遮断すべく命ぜられた
破し正定附 近に向 ひ追撃すべきを命ぜらる之 と同時 に第 二軍は主力
午後九時 発令 の方面軍命令に依 り第 一軍は保定附近 の敵陣地を突
う追撃を準備 せしむ。
め て軍 の保定会戦 を有利 ならしむ。
第六師団 をし て満城北方大冊河北岸高地 に各 々 一部兵 力を先遣 せし 七、九月十八日 快晴
るを知 る。
第十 四師団 の昨夜 に於 ける夜襲 は多大 の損害 を生ぜ るも各部隊 の
第 二十師団は石板山附 近 の敵陣地を突 破し南進 し つつあり。
勇戦 に依り満城東北方 の敵陣地 を突破し夕刻頃満城東方 地区 を保定
八、九月十九日 快晴 第 二十師団は夕刻易州 を占領す。
西方 地区に向 ひ追撃中なり。
第 二十師団 は方順橋附近 に達 し敵 の退路 を完全 に遮断せり。
十二、九月 二十 三日 晴
時頃より急拠攻撃 を開始 し干坊附近を突破 して南進せり。
撃開始を延期 せるも午後 に到り第 十四師団方面 の状況を知 り午後三
第 六師団 は二十 二日払暁 の攻 撃は準備完 からず 二十三日払暁 に攻
第十 四師団は北汝 河 ( 〓水西南方十粁 )宮室村 (定興西方 十粁) の線 に達し続 いて追撃中 なり。 第 六師団は夕刻頃 先遣隊 を以 て牛莊 (定興東南方約十粁) に達 し 主力 の先頭 は梁家營 ( 新城西北方約四粁)に達 せり。
第十四師団 は保定城西方及西南方地区に進出し て敵 の退路 を遮断
琉璃河 の鉄橋修理ならず鉄道 の推進意 の如くならざ るを以 て軍は 第 一線兵団 の補給は目下 の急務 なりと認 め後方より追及す る軍直轄
六師団 に命 じありたる追撃隊 に第十四、第 二十師団より合計歩兵三
に於 て隊伍 の整頓 を為した る後 速 に石家莊 に向 ひ追撃するに決 し第
軍は以上 の状況 に鑑 み 一部を以 て敵 を追撃 せしめ主力は保定附 近
薄暮 に至り砲撃 を開始 せるも未 だ攻陥する に至 らず。
第六師団は朝来保定城壁 の陣地前 に肉薄 せるも砲兵 の招致稍遅れ
し且第六師団 の保定城攻撃 に協力す。
砲兵等 の前進 を 一時 停止せし め兵站自動車隊を以てす る補給 の推進 に努 め兵站亦絶大なる努 力を払 ひたる結果本日高碑店 に末地を進む ことを得 たり。 九、九月二十 日 快 晴 軍 は依然追撃を続行し第 二十師団 は唐湖鎮、第十四師団 は姥村、 第六師団 の 一部は徐水 に進 入せり。
大隊、野砲 二中隊等 を増加 して軍追撃隊 となし石家莊 に向ひ追撃 せ しめ爾余 の主力 は方順橋、保定附近に於 て隊伍を整頓 せしむ、而 し
曇後 晴
て前進開始 の時機 は九月 二十九日朝と予定 せり。
十、九月 二十 一日
第 二十師団 は白堡北方 の谷地を追撃中なり。
十三、九月 二十四日 晴後曇
軍 は概 ね大冊河 々畔敵陣 地の前面 に到達せり。 第 十四師団 は夕刻 大冊營 ( 満城東北方約八粁 )南側 地区及大曲城
第 二十師 団は完縣附近 に第十四師団は保定西側地区 に、第 六師団
入城 せり。
五分西北角を占領す るを契機 とし〓 に保定城 は陥落し同師団は午後
第六師団は払暁 以来砲兵 の協力 の下に攻撃 を再興し午前九時 四十
( 大 冊營東南約六粁)附 近 に達 し続 いて大冊河畔 の敵既設陣地 に対 し歩兵 のみを以 て夜間攻撃を強行 せり。 第 六師団 は主力を以 て徐 水に達 し二十 二日払暁 より干坊 (徐水西 方約 十五粁)方面より敵陣 地を突破す る為転進せり。 十 一、九月 二十 二日 晴
別 表 〓州保定会戦戦死傷概数表
第 一軍軍医部調
は保定東側地区 に集結 し隊 伍 の整頓 を行 ふ。
軍司令官 は此 日午後汽車 により保定駅 に到着し保定城 に入城 し軍
十四、九月 二十五 日 雨後 晴 司令 部を河北省政庁 に定む。
十五、〓州保定会戦 に於け る各 兵団 の死傷竝敵 に与 へたる損害 は別
傷 三九九
戦
一七九
死
隊
戦
支 八七二
分 島 二四三
区 牛 団
しめ たり。
接種 を行はしめ患者発生 の為作戦 の拘束 せらるるが如き ことなから
一回予防接種を又爾後 に於 ける行軍間 の休 日を利用し第二回 の予防
同病発生せる諜報 ありたるを以 て軍は命令 を発 し保定附近集結 間第
二、塘沽 に コレラ発生し又石家莊附近 の支那軍中 にも九月二十日頃
備 せり。
二十七日新樂 に達 し軍命令 に依り同地附 近に停止し爾後 の行動 を準
隊伍 の整頓 を図 る此間軍追撃隊は平漢鉄道 に沿 ふ道路を追撃し九月
一、軍は〓州保定会戦後九月二十四日以来保定附近 に主力を集結 し
石家莊及〓 陽河附 近 の会戦
師
器
第 三章
六 一二三 九
第 四 六 一
表 の如し。 ︹ 七一 頁︺ 十六、〓州保定会戦 の経過別紙要 図 の如 し。
団
十
四 師
第 五三九
三四
一四 一
二三
三〇八三
団
二 十
計
な る を以 て必 ず し も 正 確 を期 し難 し
兵
本 表 は各 部 隊 より の報告 に よ り調 製 し た るも の
一〇 四 七
師
第
考
軍 直 属 部 隊
備
〓州保定会戦敵 に与 へた る損害概数表 収
一三〇〇 後 に纏 めて記載す
押
隊
七九〇〇
員
支 団
四、九月二十八日保定 に於 て石家莊附 近 に向 ふ追撃 に関し命令す、
人
島 師
八八〇〇
即ち軍は十月 一日行動 を起 し石家莊 に向ひ追撃す るに決し軍追撃隊
分
牛 六
八〇〇〇
区
第 十 四 師 団
二六〇〇〇
区 に第十四師団は概 ね平漢鉄道以西 の地区を前進 して正定西方地区
十月九日迄 に第 二十師団 は山脚 に沿 ふ地区を前進 して霊壽西北方地
は新樂 に位置し軍 の前進 を掩護 せしめ各 師団 は十月 一日行動を起し
九月三十日頃徐水附 近に到着す る予定なり。
三、九月二十四日第百八師団は軍 の指揮下 に入 らしめらる、該隊は
第 二 十 師 団
第
計
備 考 各 兵団 よりの報告 に基き記載す
に第 六 師 団 は 概 ね平 漢 鉄 道 以 東 の地 区 を前 進 し て正 定 東 北 方 地 区 に
方地区 に進出す。
5、第 十四師団 は十月十 日より〓沱河河畔 の敵 を攻撃し石家莊西
す。
次 で機 を逸 せず平漢鉄道及之 に沿ふ道路 を順徳東西 の線 に追撃
集 結 し爾 後 の攻撃 を準 備 せし む 但 十 月 四 、 五両 日 は曲 陽 、 定縣 、安 國 を連 ぬる 線附 近 に於 て休 止 せし む 。
6、第六師団 は準備完了次第先づ正定を略取 したる後〓沱河河畔
第 百 八 師 団 は 軍 の第 二線 兵 団 と し て保 定 街 道 を前 進 し 正 定 北 方 地 区 に集 結 せ し む 。
の敵を攻撃して石家莊東南方地区 に進出 す。
〓沱河渡河 に続 き第六師団攻撃 の戦果を拡張す る如く束鹿附近 に
7、第百八師団 は当初正定北方地区 に位置 し第 六師団戦列部隊 の
〓柁河渡河攻撃開始 は軍命令 に依る。
附近 に追 撃し〓沱河、〓陽河中間地区 に在 る敵 の退路 を遮断す。
次 で機 を逸 せず主力を以 て趙州附近 に各 一部 を以 て寧晉及柏郷
五、 第 二十 、第 十 四 、第 六 師 団 は 十 月 一日 よ り所 命 の如 く 行動 を起 し三 日 曲 陽定 縣 の線 附 近 に達 し休 止 す 、第 百 八師 団 は三 日徐 水附 近 を出 発 し 概 ね第 六師 団 の進 路 を前 進 す 。
鉄 道 の開 通 を待 つて軍 追 撃 隊 一部 の掩 護 の下 に各 師 団 の進 出 に先 だ
進 出し て敵 を撃滅す。
六、 軍 は二 十 四榴 、十 五加 等 の攻 城 砲 を 正 定攻 撃 に参 加 せし む る為
七、 十 月 四 日 定縣 に命 令 受 領 者 を 集 め 石家 莊附 近 の敵 に対 す る攻 撃
ち 東 長 壽 駅 に下車 開 進 せし む 。
第 二十、第十 四、第六師団は曲 陽、定縣 の線附近 より、 一斉 に前
八、十月六日 快晴
進を開始す唐河、沙河、木道溝河は何 れも上流 に至 る程却 て車輛部
隊 の渡渉困難 なる状況なりし為師団は絶大 の努力 を以 て応用架橋を
針
行ひ つつ前進 せり。
方
命 令 を 下 達 す 、攻 撃 計 画 の概 要 左 の如 し 又当 時 軍 に於 て知 り得 た る ︹ 七三頁︺ 敵 兵 団 の配置 別紙 要 図 の如 し 。
1 、 軍 は 十 月 九 日 よ り攻 撃 を 開 始 し敵 を石 家 莊 附 近 に於 て撃 滅 す 。
午 前九時発令 の方面軍 の攻撃命令 を受領 す之 に依 れば方面軍は河
2 、 敵 兵退 却 せば 速 に南 方 に追 撃 し〓沱 河 、〓 陽 河 中 間 地 区 に在 る敵 と 共 に之 を順 徳 以 北 に於 て捕 捉す 。
と及機 を失 せず 一部を以 て井〓以西 の要地 に進出し敵 の山西 方面 に
家荘附 近に指向し敵線を突破せば順徳附 近に向 ひ敵を急迫すべき こ
の退避 を捕捉す るに遺憾なきを期すべく命 ぜら れ且攻撃 の重点を石
4 、第 二十 師 団 は 十 月 九 日 よ り〓沱 河 々畔 の敵 を 攻 撃 し之 を東 南
対する交通 を遮断 せしむ ると共 に爾後第 五師団 に策 応せしむべき こ
北平地 の敵戦力を 一挙覆滅 する為第 一軍 は適時攻撃を開始し特 に敵
方 に圧 迫 す る如 く石 家莊 南 方 高 遷 附 近 に進 出 し て敵 の退 路 を遮 断
各 兵 団 行動 の概 要
す此 間 有 力 な る 一部 を 正 太鉄 道 に沿 ふ道 路 を 太 原 方向 に追 撃 し 可
とを要 求せらる。
3 、順 徳 以南 への追 撃 は 当 時 の状 況 に依 る。
成 遠 く該 鉄 道 を確 保 せ しむ 。
当時第五師団 は太原攻略 の任務 を有 し目下原平鎮 を攻撃中 なり又 第 二軍主力は〓陽河 に沿 ひ西南進中 にし て第十六師団 の先頭 は范家 莊附近第百九師団 は深縣附近 に達 せるものの如し。
第十四師団は依然渡河準備 を続行す。
第六師団ほ正定 の掃 蕩 を終り河岸 の線 に進出 し て渡河準備を行ふ。 十 二、十月十 日 晴
れり師団主力は昨夜本流 を渡 河して中洲 に進出し第 二水流を午前 八
第 二十師団 の 一部は田興附 近の渡河 に成功し井〓 に向ひ追撃 に移
時 より渡河攻撃し引続 き追撃 に移 れり。
九 、十月七日 曇 軍司令官 は戦闘司令所 を新樂 に進 む。 、
第十 四師団は正面の敵 兵退却 の兆 あるに鑑 み予定計画を繰上げ発 見 せる左翼隊正面 の渡渉 点より渡 河攻撃 を開始し右翼隊亦転進 し て
第 二十師団 は霊壽、 田〓鎮附 近に於 て偶 々北上せる約 二ケ師 の敵 第十四師団は正定西北方 の西房頭附 近に集結し攻撃準備中 なり。
と遭遇し之に殲滅 的打撃 を与 へたり。 第六師団は先遣部隊 を以 て北二十 里舗 の敵前進陣地を攻略 し正定
第六師団は第十四師団 の状 況 に鑑 み午後 一時 より砲撃 を開始し午
之 に続行 し無人 の境を行 くが如く追撃 に移 り先頭部隊 の 一部は午 後 、 二時早 くも石家莊 に進 入せり。
軍 の攻撃準備順 調に進捗した るを以て軍 は攻撃命令を下達 し予定
後 三時頃よ り敵 の抵抗を排除し つつ昼間敵前強行漕渡 に成功し日没
に対する攻撃 を準備中 なり。 計画 に基き当面 の敵 を攻撃 せしむ但第 六師団〓沱河渡河攻撃 の時機
第百八師団 は正定北方地区 に集結を終れり。
頃南十里舗 の線 に進出 せり。
る必要上軍参謀 を派遣す。
決定竝第百八師団 の〓沱河渡河 の細部 に関 し現地 に於 て区処 せしむ
第 二十師団正面 に於 て退却を開始せるも のと判断 し会戦 の成果を拡
軍は以上 の状況 に鑑 み〓 沱河河畔 の敵 は多大 の損害を被り第 十四、
第二十、第十 四師団は〓沱河 々畔 に進出し攻撃準備中 なり。
十、十月八日 晴 第六師団 は攻城砲各種野戦重砲等 を展開し約 百門 の砲兵協力 の下
に進出 せしむ又第 十四師団 の追撃 を迅速ならしむ る為兵站自動車 四
張 し 一挙 に敵 を殲滅せんとし各師団 をして敵 を追撃 し速 に所命 地点
小雨風強く後曇
なりしを以て軍 の派遣参謀は軍橋 を架設 し第 六師団 の車輛部隊第百
正定南側〓沱河 は泥深く仮橋 は輜重車輛を通ず るのみなるの状況
十三、十月十 一日
戦地帯 の線 に停 めしむ。
趙州 の線 に延伸 せられたるを以 て第 六、第 百八師団 の追撃 は前記作
中隊を配属せり是 より先第 二軍 との作戦地境 を粛寧 、深澤 、晉縣、
に正定城攻撃を開始し午 前十 一時頃城壁東北角 を占領続 いて九日払 暁 迄に城内 の掃 蕩を概 ね終れり。 軍 は第六師団 に派遣 せる軍参謀 の意 見具申 に基 き同師団をして十 月十日夜〓沱河を越 え て攻撃 せしむ。 十 一、十月九日 晴 第 二十師団は 一部 を以 て田興附近主 力を以て王母村附近 に於 て夕 刻 より渡河攻撃 を開始 せり。
八師団 の主力兵站自動車隊 等を橋梁 に依 り渡河せしむる如く 区処 せ ぜらる。
連 ぬる線 に延伸せられ且第 六師団等を石家莊附 近に集結すべきを命
此 日方面軍 より第 一、第 二軍間 の作戦地境を趙 州、柏郷、南和を
と共 に随時主力を以 て太原方向 に作戦し得 るの準備 をなさしめ第十
前任務 を続行 せしめ主力は所命 地点 に進出せば速 に隊伍 を整頓す る
経 て隆平 ( 唐山東方)方向 に向ひ追撃 を企図し あり軍 は第 二軍 との
なり第二軍第 十六師団 は寧晉附近 に集結 し第百九師団は寧晉附 近を
第六師団追撃隊 は柏郷西南方地区 に達 し続 いて内邱 に向ひ追撃中
滅 し続 いて南方に追撃前進 せり。
り前後十三回 の突撃 を反覆 し刃 に血ぬらざる者 なき状態 にて敵 を撃
第十 四師団追撃隊 の元氏附近 の戦闘は激烈を極 め縦深約八粁 に亘
て西進中なり。
第 二十師団右側支隊 は井〓 を占領し其鯉登部隊 は舊關 に達 し続 い
十 五、十月十三日 晴
り軍 は第 二軍 の部隊高邑方面 への突進 に依 り友軍相撃 の危険 を避く 第 二十師団右側支隊は午後 四時井〓 を占領せり同師団主力 は竇嫗
る為 方面軍 に指導 を要求せり。
む第 十四師団 の追撃隊は元氏北方 地区に達す。
村附 近に進出 せるを以 て軍 は之 を石家莊 に近く集結 し隊伍 を整 へし 第 六師団 は夕刻趙州に達 せり。 以上 の情況 に鑑 み軍 は順徳 、趙州附近進出後速 に隊伍 を整頓 し続
四師団 は 一部を以 て邯鄲に追撃 せしめ主力は順徳附近 に於 て隊伍を
て柏 郷附 近に 一部を以 て任縣附 近に向 ひ追撃 せしむ。
作戦 地境 を延伸 せら れた るを以て第 百八師団は趙州を経 て主力 を以
いて南方 に向 ふ追撃を準備 するに決 し第 二十師 団は右側支隊 をし て
整頓し彰徳 に向ふ追撃 を準備 せしめ (彰徳 に向 ふ前進開始 の時機は
晴風あり
別命す)第 六師団 は趙州、欒城 の間 に於 て速 に隊伍を整頓し (註第 六師団は上海方面 に転用せら るべき旨方面軍 より内示せられたり)
第 二十師団右側支 隊は地都 旧關附近 にて苦戦中 なりとの報あり又
十六、十月十四日
一方 に於 て娘子關を突 破し西方 に進出しあ る部隊 を見 たりと の飛行
随時他 に機動す るの準備 に在 らしめ第百八師団は美化鎮附 近に於 て 速 に隊伍 を整頓 し趙州、柏 郷を経 て南方 に向ふ追 撃を準備 せしめ攻
二十師団 に派遣し真 相を調査 せしむ。
第十四師団追 撃隊 は高 邑南側 の大湿地帯 に遭遇前進意 の如くなら
機 の報告もあり該 方面 の状況混沌とし て不明なるを以 て軍参謀 を第
ざりしも別 に機械化追撃隊 は趙州より柏 郷を通過 し順徳 に向ひ追撃
城砲兵 、野戦重砲兵 の 一部等 は正定 に集結待機 せしむ。 第十 四師団追撃隊は元氏北方地区 に於 て有力なる敵陣地 に対し攻
中なり。
十 四、十月十 二日 快晴 撃中 にして第 六師団追撃隊 は趙州南方地区 に於 て敗退 の敵 に追 及し
第百八師団 の追撃隊 は趙州を通過柏郷 に向ひ追撃中なり。
第六師団の追撃隊 は内邱 に達し隊伍を整頓 しあり。
殲滅的打撃を与 へつつあり。 軍は〓 に於 て第六師団をし て柏郷 に出 せし其追撃隊 を更 に内邱 に 向ひ追撃 せしめ主力 は趙州 に停止し爾後 の行動 を準備せしむ。
第 五師団は昨十 三日以来忻 口鎮附 近 の敵陣地 を攻撃中なるを以 て 軍 は 一部を以 て第 五師団 の太原攻略に策応 するに決し第二十師団長 をして右側支隊に歩兵 三大隊、独立山砲兵聯隊 の主力其他所要 の部 隊を増加し第 五師団 の太原攻略 に策応せしむる目的を以 て先 づ遠 に 十七、十月十五日 曇後雨後晴
陽泉平地 に進出 せしむ。 軍司令部 は石家莊 に前進す。 第 二十師団は娘 子關方面 の状況 に鑑 み取敢 へず歩兵 一大隊山砲 一 中隊 を急派せり師 団主力 は石家莊西側地区に集結 を終 る。 第十 四師団主力は午後 四時頃順徳 に進 入し其機械化追撃隊は沙河 第百八師団主力は趙州南方地区 に其追撃 隊は任縣附近 に達 せり。
南方地区 に達 せり。 以後 の状況
新樂 の鉄道橋上 に於 て機関車脱線半ば墜 落し復 旧に約 一週間を要
十八、十月十六日
すと云ふ、追撃部隊 の補給 、転進部隊 の輸送 に 一大蹉跌 を生ぜり、 同鉄道橋 は木村部隊不休 の努力 に依り十月二十二日開通 せり。 第 十四師団 は機械化追撃隊及鉄道追撃隊を以て更 に追撃を続行し 十七日邯鄲を占領 し十八日〓河 の線 に達 せり爾後〓河南岸 に立脚 点 を占領 する為行動中なりしが二十七日頃 には豊樂鎮 、豊樂鎮駅東保 障附 近を各 一部を以 て占領 し豊樂鎮及鉄 道橋附 近に架橋 を完成せり 師団主力は追撃隊 に続行 し二十七 日頃 には順徳邯鄲間 に集結し臨機 対応 の準備を整 へあり。 第百八師団 の追撃隊 は任縣、阿郭鎮 、廣平 を経 て追撃を続 行し十 九日肥郷附 近 に捜索拠点 を占領せしが二十 三日肥郷附近 に於 て二十
別 表
石家莊及〓陽 河附 近 の会戦戦死傷概数表
死
傷
第 一軍軍医部調
戦
三〇六
戦
三八
三四〇
分
第
九四
一二八
区
第 十 四 師 団
二〇
一九八
団
第 二 十 師 団
一六八
三〇
師
第 百 八 師 団
九
六
軍 直 轄 部 隊
一〇〇二
な る を以 て必 ず し も 正 確 を 期 し難 し
人
員
押
収
器
九八〇〇 後 に纏め て記載す
兵
本 表 は各 部 隊 より の報 告 によ り 調 製 し た る も の
計
三二九
備 考
分
石家莊及〓陽 河附 近会戦敵 に与 へたる損害概数表 区
団
二二四〇〇
師
第 十 四 師 団
七八〇〇
六
第 二 十 師 団
三七〇〇
第
第 百 八 師 団
各兵団 より の報告 に基 き記載す
四三七〇〇 考
計 備
二十、石家荘及〓陽河附 近 の会戦経過別紙要図 の如し。
た る損害は別表 の如 し。
十九、石家莊及〓陽河附近 の会戦 に於 ける各兵団 の死傷竝敵 に与 へ
任じあり。
に歩兵第百五聯隊 は軍直轄 とし て石家莊 に位置 し各 々附近 の安定に
方馬固附近 に、歩兵第百 四旅団主力は軍直轄 として趙州附近 に、別
へ爾後肥郷成 安附 近に集結しあり同師団主力 は二十七日頃臨〓關東
四日成安附近に於 て該方面 に進出 せる敵 を攻撃 して多大 の損害 を与
地区を娘 子關 に向ひ前進 せしめしが主 力方面 に於 ては大な る抵抗を
より鯉登部隊主力 を以 て新關方面 に約半 大隊 を以て鉄道線路 に沿 ふ
団参謀 の報告 により漸く該方面 の状況明瞭 となれり即該支隊 は井〓
況未だ判 明せず憂慮し ありしが右側支隊に派遣 せら れたる第 二十師
は舊關方面 に於 ては同地 を確保しある こと判 明せるも地都方面 の状
側支隊 に増加 し同部隊 は十七日石家莊附近を出発西進す、鯉登部隊
三、第二十師団は右命令 に基き更 に歩 兵二大隊 、十榴 一大隊等を右
出 せしむ。
が十月六 日方面軍は第 一軍 に機 を失 せず 一部を以 て井〓以西 の要地
路 を太原方向 に追撃し可成遠く該鉄道 を確保せしむる如く部署せし
十師 団は〓沱河 々畔 の敵 を攻撃後有力 なる 一部 を正太鉄道 に沿ふ道
一、軍 は十月 四日石家莊附 近 の敵陣地 に対す る攻撃命令 に於 て第 二
せるも舊關 、井〓道両側高地 の洞窟式陣 地には尚敵兵残存しあり。
新關 の敵 を攻撃 し舊關西方高地より甘桃白馬 及其東南方高地 に進 出
多数 の損害を生ぜる為敵線 を突破し舊關 に帰来 せり此間聯隊主力は
しめたり同隊は十四日地都附近 にて優勢なる敵 に四周 を包囲 せられ
退路遮断 の為舊關 より第 三大隊主力 に山砲 一門 を附し地都 に前進 せ
側高地 の敵 の抵抗 を受 け爾後前進 し得ず 鯉登部隊長 は該方面 の敵 の
受く ることなく十 三日舊關 に達 せるも鉄道線路方面 に於 ては井〓西
に進出し敵 の山西 方面に対す る交通を遮断すると共 に爾後第五師団
四、十月十七 日方面軍命令 により第 一軍 は有力なる 一部を以 て速 に
太原攻略戦
に策応せしむべき事 を命令 せり、第 五師 団は太原攻略 の任務を有し
正 太線方面 の敵陣地を突破し楡次附近 に進出し て第 五師団 の太原攻
第 四章
あり。
右側支隊 は歩兵 六大隊、山砲兵 一聯隊 、十榴 一大隊、迫撃砲 一大
二、第 二十師団 の右側支隊 は〓沱河渡河攻撃後十月十 三日井〓 を占
隊を石家莊附近 に集結せ る師団主力 より井〓 に急派し同支隊 に増加
隊、軽 装甲 一中隊 、工兵 一中隊等 を井〓舊關間 に集結せるを以て十
略 を容易ならしむべきを命 ぜら る。
せり軍 は十月十四日命令を下し十 三日来忻 口鎮附近 の敵陣地 を攻撃
九日より鯉登部隊 をし て依然新關 の敵 を攻撃 せしめ歩 兵二大隊 、山
領し其鯉登部隊は舊關に達 せるも爾後優勢なる敵 に対し戦況発展せ
中 なる第五師団 の太原攻略 に策応す る為第 二十師 団長 をし て其右側
砲 一中隊十榴 一大隊、迫 撃砲 一中隊等 を以 て井〓西方高 地 の敵 を攻
五、十月十八日
支隊 に歩兵三大隊独立山砲兵聯隊 の主力其他所要 の部隊 を増加し第
撃し娘子關方向 に進出し て同地附近 の敵 を攻撃せしむ。
ざ るも のの如 く第 二十師団 は十四日夜取敢 へず歩兵 一大隊山砲 一中
五師団 の太原攻略に策応 せしむ る目的を以 て先 づ速 に陽泉平地 に進
六、十月十九日 快晴 第 二十師団右側支隊 は井〓西方 の敵 を攻撃し概 ね莊頭南北 の線 に 進出 せり。 第 五師団 は依然忻 口鎮附 近 の敵 を攻撃中 にして忻縣東西 の線及太
昔陽 に向 ひ攻撃せし む然 るに第百九師団は当時唐山附近 に集結 し在
りし が〓陽河附 近 の作戦間馬匹 の損耗甚しく為 に昔陽支隊 の山地作
の馬匹 を交付し編成 を速 かならしめんとしたるも即急 の出発は期待
戦 の為師団内 の健康馬 の大部 を融通 せる外第 一軍司令部 よりも相当
軍 は二十 二日山西作戦 の為特設山砲兵大隊 及特設野戦重砲兵中隊
し得ざ る状況なり。 ( 十五加) の編成を命ず。
に転用 せられつつある の状況 に鑑 み軍 は第二十師団 に命ず るに陽泉
原 周辺 の地区 には敵 の工事 あり又五臺附近 に在 りし敵 は娘子關方面 平 地を攻略すべきを以 てせり。
十月 二十 一日第二十師団 は石家莊附近出発勇躍前進す。
出 せり又 二十五日東 回鎮南北 の線 に在 る敵 に対し快勝を博 せり。
左縦隊先遣隊 は二十 四日七亘村附 近に於 て敵 を奇襲し馬山村 に進
四日には激戦 の後校桃園東南方 一〇六六高 地を奪取 せり。
︹マ マ ︺
右縦隊 は莊頭西南 方高地及校桃園西北方高 地を逐次攻略し又二十
︹マ マ︺
七、十月 二十 日 晴 第 二十師団 は娘子關附近長 城線 の敵 を撃破したる後陽泉平地 を攻 略 するに決し右縦隊 ( 歩 兵六大隊 、野砲 二大隊、十五榴 二中隊、山 以北 の敵 を攻撃せしめ左縦隊 (歩兵 四大隊 、山砲 一大隊、迫撃 一中
砲 一大隊 、迫撃 二中隊 基幹) は井〓︱︱ 新關︱︱石門 口道方面及其
九、十月 二十六日 霧 、曇後小雨あり
右縦隊 の右第 一線 は此日攻撃を開始し午前 九時三十分頃葦澤關北
隊基幹) は微水鎮 ︱︱測魚鎮 ︱︱ 石門 口道 に沿ふ地 区を当面 の敵を
側 より西北方稜 線 の敵陣地を奪取し て追撃し午後三時頃娘 子關 を占
撃破し つつ右縦隊正面 の敵 の背後 に進出し右縦隊 の攻撃 を容易なら し め爾余 の部隊は先づ井〓附 近に集結す る如く部署す。
左縦隊 は更 に松溝村附近 に於 て約二師 の敵 を撃滅し て北面し 一三
領 せり。
十月 二十 一日方面軍命令 に依 り第 一軍は第二十師 団 の外第百九師
八、十月 二十 一日乃至 十月二十五日
の背後 に進出せり。
八七高地 (東回鎮北 方約 二里)及柏木井 を占領し て娘子關方面 の敵
第 二十師団長は此夜命令 を下し て右縦隊中鉄道線路方面 に在 る部
る部隊 を以て速 に第五師団と協 力し て太原平地を略取す べきを命 ぜ らる当時第五師団は依然忻 口鎮 の敵陣 地を力攻中なりし が同命令 に
し反転し て柏井駅を経 て平定 に向 ひ急追せしめ師団本隊 は新關より
隊 を右追撃隊 とし陽泉 平地に向 ひ追撃せしめ左縦隊 を左追撃隊とな
団 の歩兵 一旅団 (一聯 隊欠)山 砲兵 一大隊、 工兵 一中隊 を基幹 とす
依 り当面 の敵陣地を奪取せば戦 力 の恢復充実 に勉 め十分なる準備 を
軍は娘 子關陥落を機とし其戦果 を拡張し 一挙太原平地 を攻略する
平定 に向ひ前進 せしむ る如く部署す。
整 へたる後太原 の攻略を開始 すべきを命ぜらる。 十月 二十 二日軍は右 方面軍命令 に基 き新 に配属せられたる第 百九 師団 の部隊 を昔陽支隊 と名付け賛皇︱ ︱九龍關︱︱昔陽道 方面 より
辛 興鎮 に、左追撃隊 の 一部 を馬道嶺 に向 ひ追撃せし め爾余 の主力を
揮 に入らしむ、別 に十五榴 一聯隊十加 一大隊、迫撃砲 二中隊 、架橋
撃中 にし て師団 は砲兵主力を之 に協力 せしむ又右追 撃隊 は乱柳村附
同師団左追撃隊は西郊村附 近に陣地 を占領せる約 一師半 の敵 を攻
陽 泉及平定附近 に集結する如 く部署す。
材料 一中隊 を平漢沿線方面より抽出し て山西作戦 に使 用す る如く部
近 の敵 を攻撃中なり。
為第二十師団 をし て続 いて敵 を攻撃し先 づ楡次南方地区に向 ひ進出 して太原平地 を攻撃せしめ昔陽支隊 は昔陽 に於 て第 二十師団長 の指
署す。
西進す 。
昔陽支隊 は元氏附近 にて前進 準備を完了し本 日同地附近を出発し
遮断せし む。
て師団 は左追撃隊 の 一部を陽泉 方向 に派遣し右追撃隊正面 の退路 を
追撃隊 は楊家庄南側高地より白羊墅 に亘 る間 の敵 を攻撃中 なるを以
第 二十師団左追撃隊は敵 を潰乱 に陥 らし め午後平定城 を占領す右
十二、十月 二十九 日 快 晴
舊 關方面 に在 りし鯉登部隊 は朝来攻撃前進 を開始し直 に新關附近
十、十月 二十七 日 曇後晴 を突破し柏井駅 に向 ひ追撃す。 右追撃隊 は 一部 を以 て巨城鎮西北 方高 地 の敵 を主力を以 て上磐石 村西方高 地 の敵 を撃破 せり。 左追撃隊 は夕刻 小橋堡附近 に進出し石門 口南方地区 の敵 に対し夜 間攻撃を続行し之 を撃滅せり。
十三、十 月三十 日 晴後曇
師団が陽泉平 地に 一時停止し爾後 の追撃 を準備 せんとせ るは 一に
第 二十師団 は陽泉 を占領す。
此日方面軍命令 により第百九師団 ( 歩兵第百十八旅団及騎 兵大隊 欠)を軍 の指揮 に属 せられ速 に平漢線西方山地方面よりする太原平
此日方面軍命令 に依 り第百八師団 の 一部 を所要 に応じ太原攻略 の
昔陽 支隊は九龍關附 近に達す。
る等師 団 の推進 力を附与す ることに努 めたり。
を以 て軍は極力弾薬糧食を前送し又後 方警備 を他部隊 に担任せしむ
補給 の関係之 を許す に至 り 一挙楡次附 近に進出 せんとす るに在 りし
地攻略 に使 用す べきことを命ぜらる。 軍は新 に配属 せられた る第 百九師団 をし て速 に出発準備 を完 了し
十 一、十月 二十八 日 曇 賛皇︱︱ 九龍關 ︱︱ 昔陽道を先づ昔陽 に向 ひ前進 せしむ る如く命令 の駄馬不足 せる為編成 に時 日を要し十 一月 一日にあらざ れば唐山附
為使用すべきを命 ぜられたるを以て趙州 に在 りし歩兵第百四旅団主
す同師団は先に昔陽支隊 に健康馬を交付し たる為山地作戦 の為多 数
力 の宿 営地を獲鹿 、微水鎮 の間に移 し太原方面 に作戦する の準備 を な さしむ。
より補充を受 けたる支那馬を充当す る等苦辛少な からず第 二十師団 は楡次南 方地区に進出すべき軍命令 に基き陽泉平地 を攻略せば所要
十四、十月三十 一日 快晴
近 を出発し得 ず、編成 の為或 は師団輜 重の駄馬を融通し或 は第 一軍
の補給を行 ひ爾後 太原平地に向 ひ追撃す るに決し右追撃隊 の 一部 を
第百九師団 は本日元氏出 発昔陽 に向 ひ前進を開始せり。 第 二十師団 の騎 兵隊は夕刻楡 次を占領し右追 撃隊 は夜先頭 を以 て
せしむ)第百九師団は昔 陽支隊 の進路 を先づ楡次 に向 ひ前進 せしむ
出後続 いて介休附近 に向ひ追撃せしめ ( 昔陽支隊は先づ楡 次に進出
方 地区を占領し太原東南方陣地 に対し監視 せしめ主力は楡 次附近進
て〓陽附 近 に向 ひ追撃 せしめ第 二十師 団をし て 一部を以 て楡 次西北
同平地を領有 せんとし第五師団をし て太原 を攻略し続 いて 一部を以
軍 は第五師団を新 に配属 せら れた るを以 て太原平地 の敵 を撃滅し
十八、十 一月四日 快晴
第 二十師団右追撃隊 は辛 興鎮附 近の敵 を撃破して測 石駅北方高地 夜方面軍命今 を受領す 、之 に依り第 一軍は自今第五師団 (配属部 に進出 せり、師団は該隊 をし て引続き壽陽 に向ひ追撃 を強行 せしむ。 隊旧 の如し)を併 せ指揮 し太原及太原平地を攻略す べきを命ぜらる。 十 五、十 一月 一日 快晴 第 二十師団右追撃隊竝騎兵聯隊 は辛興鎮、陽泉間 に於 て追撃準備 中 なり。 第百九師団主力 は唐山附近より行動 を開始し先づ元氏附近 に移動 せり。 十六、十 一月 二日 晴後曇 第 二十師団 は忻 口鎮 方面 の状況依然 とし て変 化なく師 団 の補給も る為右追撃隊をし て壽陽 に止ることなく引続き鳴謙鎮附 近に向 ひ急
鳴謙鎮附近、左追撃 隊は松塔鎮附近 に進出せり。
概 ね成算 を得たるを以て速 に全力 の追撃を続行し太原平 地に進出す 追 せし め左追撃隊主力 は明三日平定附近出発馬道鎮︱︱ 松塔鎮︱︱
十九、十 一月五日 曇
第 五師団 は太原城前面 に達し攻撃 を準備す ると共 に開城を勧告 せ
二十、十 一月六日 晴
へ小店 鎮方向 に続 いて前進 せり又左追撃隊 は西洛鎮附近 に達す 。
原東南 方既設陣地 に向 ひ北上する約 二師 の敵 に対し殲滅的打撃 を与
第 二十師 団右追撃隊 は鳴謙鎮及鳴李村附 近に於 て楡次方向より太
近 に進出せり。
第 五師団 の果敢 なる追撃 は大 いに進展 し其追撃隊 は午後陽曲都附
不湖︱︱楡 次道 に沿 ふ地区 を楡次附近 に向ひ急追 せし め師団本隊は 此日夕刻騎兵隊及右追撃隊 の 一部は壽陽 に進 入す。
四日平定出 発右追撃隊 の後方を張浄鎮 に向 ひ追撃す る如く部署せり。 昔 陽支隊 は昔陽東側 に於 て敵を撃破し本 日昔陽 に進入せり。 第 百九師団 は元氏 に到着す。 忻口鎮方面第五師団正面 の敵兵昨夜来総退却 に移り第 五師団 は之
十七、十 一月 三日 快晴 を追撃中 なり。 兵聯隊主力を追及配属 し同追撃隊 は壽陽 に止る ことなく万難 を排し
却中 の約 一万を下らざる敵縦隊 に砲撃を加 へ多大 の損害 を与 へたり
第 二十師団右追撃隊は小店鎮附 近に於 て汾河西岸 の敵 を攻撃し退
り。
て追撃 を続行すべきを更 に要求 せり同師 団左追撃隊 は午前沾尚鎮午
又左縦隊は楡 次 の残敵 を駆逐し て其南方地区に進出す、師団司令部
第 二十師団 は第五師 団方面 の状況好転 せるに鑑 み右追撃隊 に野砲
後廣陽鎮附近 の敵 を撃破し西進 せり。
は本夜楡次に入城 せり。 軍は京漢線方面 に於 て宋哲元軍 の数 ケ師大名附近 以北 に進出し攻 勢的態度 に出 てある状況 に鑑 み太原平地戡定を機とし該方面 の敵 を 撃滅する に決し第 二十師団をし て 一部 を以 て平遙 に追撃 せしめ主力 は太谷以北 の地 区に集結して石家莊 に転進する の準備 をなさしむ又 太原城は占領 の目途立ち 一方 に於て平漢線方面 の状況に鑑 み井〓附
別 表
団
分
死
傷
第 一軍 々医部調
戦
し あ ら ざ る に付 〓 に は記 載 せず
第 一軍 に配 属 後 の も の を区 分 し 調 査
戦
太原攻略戦戦死傷概数表 区 師
一二四二
五
四 一三
七一
第
第 二 十 師 団
二二
近 に集結しありたる第百四旅 団、十 五榴部隊、特設 山砲兵大隊、迫 第 百 九 師 団
撃大隊等 は西方 に向 ふ前進を中止せし め各 々平漢線方面 の新任務 に 就 かしむ る為転進 せしむ。
七
一三二〇
四
四三九
員
押 収
を 以 て必ず し も 正確 を期 し 難 し
人
兵 器
本 表 は各 部 隊 の報 告 に よ り調 製 し た る も のな る
計
軍 直 属 部 隊
考
団
分
太原攻略戦敵 に与 へたる損害概数表 区 師
二七五〇〇 後 に纏め て記載す
五
第
四四九〇〇
各兵団より の報告 に基 き記載す
七 四 一〇〇
第 二 十 師 団
考
計
一七〇〇
備
第 百 九 師 団
備
二十 一、十 一月七日 快晴 第五師団は明八日総攻撃 を開始す る為諸準備 を整 へあり。 第 二十師団右追 撃隊 は小店鎮附近 に在 りて何時 にても第五師団 の 太原攻撃 に応じ得る の準備 を整 へあり左追撃隊 は太谷を攻撃し之 を 占領 せり又師団主力 は楡 次附近 に集結 中なり。 昔陽支 隊は正午頃 より廣陽村附近 に在 りし約 二千 の残敵を撃破 せ り方面軍命令到着 し第五師団を平漢線方面 に転用すべく命ぜらる。 二十 二、十 一月八日 快晴 第五師団は午前 八時 より総攻撃を開始し午前九時過ぎ城壁 を完全 に占領し続 いて城内 の残敵 を掃 蕩中なりとの報 あり〓 に太原攻略 の 目的 は完全 に達 せられたり。 第五師団は太原城内 の掃蕩 を概 ね終 り其 の 一部は十 一月九 日清源
二十三、十 一月九日 以後
第 二十師 団左追撃隊 は追撃 を続行し十 一月十日平遙 を占領 せり。
に進出 せり。
せり。
す る守備隊を残置 し十 一月十 二日出発西進し十 六日楡次附近 に進出
第百九師団は十 一月九 日昔陽 に到着 し同地 に歩兵 一大隊を基幹 と
昔陽支隊は十 一月十 二日昔陽附近 に進出 せり。
十 四師団 をし て先づ彰徳 を占領し敵 の攻撃企図を撃砕した る後 一部
集結 を終 れるも のと判断し此敵 の近接を待 て之 を撃滅す るに決し第
進撃 の企図 を有し 一部は彰徳 、湯陰間 の地区 に、主力 は大名附近 に
一部 を以 て彰徳方向より主力 を以 て大名方向より磁縣及邯鄲 に向ひ
をし て 一部 を以 て成安附 近、主力 を以 て肥郷附 近に位置し敵主力 の
見 て第百八師団正面 の敵 の背後 を攻撃し之を撃滅 せし め第百八師団
を以 て同地 を確保せしめ残余主力 を邯鄲磁縣 臨〓 の間 に集結し機を
せしむ る命令を下達 せり。
十 一月十 二日軍 は方面軍命令 に基き第 五師団 を石家莊附近 に転進 二十四、太原攻略戦 に於け る各兵団 の死傷竝敵 に与 へたる損害 は別
近接 を待 て之を攻撃し廣平附近 に撃滅 せしむ而して両師団 の東方 に
を攻略 せず戦闘目的達成後 は第十四師団は邯鄲、磁縣、彰徳 の間 に、
表 の如し。 宋哲元軍掃蕩戦
向 ふ追撃 の限度は旧魏縣東側地区及廣平東側 地区の線 とし大名は之
第 五章
二十五、太原攻略戦経過別紙要図 の如し。
第百 八師団 は肥郷成安 の間 に兵力 を集結せしむ。
第十四師団酒井支隊 は彰徳を攻撃し之 を占領 せり。
四、十 一月四日 快晴
軍 は順徳附近 に敵兵近接 しある の状況 に鑑 み石家莊附近 に在 りし
一、本会戦は石家荘及〓陽河附 近 の会戦後濮陽附近 に後 退せる宋哲 り汽車輸送せられ又第 二十師団、第 百九師団、第百八師 団 の 一部 が
歩兵第百五聯隊 ( 約半部欠)等 を順徳 に派遣 し第十四師団長 の指揮
元軍 が我が第 六、第十六師団等 が上海方面 に転進 の為 石家莊附 近よ
は兵力手薄となりあるも のと判断し此機 を利用し て我後 方を擾乱し
逐次太原攻略戦 の為山西省内 に西進 せる為日本軍は順 徳以北 に於 て 状況 の許す限り石家莊附近 を恢復せんとし て濮陽より大名附 近を経
同隊は鉄道輸送 に依り急 進し四日夕刻順徳附近 に集結 を終 れり。
に入 れ順徳を守備 せしむ。
て北上し順徳東方地区 に達 せるも我軍 の反攻 に遭 ひ長駆黄 河南岸 に 後退せるも のなり。
第 十四師団 は酒井支隊 ( 歩兵 三大隊野砲 一大隊基幹) を以 て彰徳
五、十 一月五日 曇
に位 置し館支隊 (歩兵四大 隊野砲 二大隊重砲 二大隊基幹) を臨〓附
二、十月二十五 日迄 の諸情報 を綜合す るに宋哲 元は濮陽 に在 るが如 く十 月二十 五日各軍師長 に対し ﹁軍は爾後北進し敵 の側面を攻撃す
近に集結し大名方向 に対し攻撃 を準備 せしむ。
第 百八師団 は肥郷、成安 、李凌堡間 に位置し廣平南北 の線及成安
るに決 す河北 に玉砕するも河南 に瓦全せず﹂ と通達 せり爾後宋哲元 て順徳 に向 ひ攻撃 の企図 を有す。
六、十 一月 六日 晴
東方 に於 て活気を呈し来 れる敵 に対し反撃を準備しあり。
軍は大名附近 を経 て北上し十 一月三日頃概ね左図 の如き態勢 に在 り 三、〓に於 て軍は十 一月 三日宋哲元軍を主体とす る約 八ケ師 の敵 は
︹ 八七頁︺ 此頃 に於け る宋哲 元軍 の配置並企図概ね左図 の如し。
第十 四師団館支 隊は舊魏縣 に師団長 は臨〓 に到着せり歩兵第 百五
聯隊 は順徳より南和方向 に前進 し河郭鎮附近 にて優勢なる敵 に対し 攻撃 を開始 せり。
軍 は太原平地 の戦勝 を機 とし進 んで第 十四師団 、第百八師団を以 て当面 の敵を攻撃するに決し第十四、第 百八師団 をし て舊魏縣、廣
九、十 ︱月九日 快晴
歩兵第百五聯隊 は依然 河郭鎮 の敵陣地を攻撃中なり。
第百八師 団は依然東孟固附近 の敵を力攻中なり。
第 十四師団館支隊 は舊魏縣より大名方向に前進 中なり。
平 の線 に進出後大名攻撃 の準備 をな さしむると共 に当時井〓附 近に 属し て内邱 に鉄 道輸送後南和附近 に現出 せし敵 を攻撃し鶏沢以南 に
在 りたる歩兵第百四旅団 ( 歩兵第百五聯隊等欠) に山砲、重砲を配 撃攘 せしめ別 に井〓附 近に在 りし重砲は邯鄲に鉄道輸送し第百八師
歩 兵第百四旅団 は任縣方向 の敵を攻撃する為内 邱より前進 を開始
に向ひ敵主力 を攻撃 せしむ又順徳より東 方に攻撃中 の歩兵第百五聯
め主 力は磁縣附近 に復帰 せしめ第 百八師団 は廣平占領後 は邱縣方向
を攻略せし め成功後 は 一部 を以 て同地を確 保し敵 の退路 を遮断 せし
軍は第十四、第百 八師団方面 の状況 に鑑 み第十 四師団 をし て大名
せり。
団方面 に使用す又太原平地 より 一兵団を速 かに此方面 に転用する の 必要 を認め第 二十師団 をし て楡次附近 に集結し石家莊 に転進する の 準備 をなさしむ。 第百八師団成安守備隊 は優勢な る敵 の攻撃 を受け つつあり。 昨夜来官莊 ( 順徳北方) に来襲 せる敵 は歩兵第百五聯隊より の増
の指揮 に入らしむ。
隊長 の指揮す る部隊 は第十四師団長 の指揮 を脱 し歩兵第 百四旅団長
七、十 一月七日 快晴 援 により之を撃退 せり鉄道、通信 に若干 の損害を受 けたるも既 に復
第百八師団は南 小流 ( 廣平南方)附近 の敵 を攻撃中 なり。
第十四師団 館支隊 は本 日大名を攻撃し夕刻之 を占領 せり。
十 一、十 一月十 一日 快晴
百五聯隊は河郭 鎮附 近 の敵 に対し攻撃尚進展せず 。
歩兵第百四旅団は任縣 を占領し南和 に向 ひ追撃中なるも其歩兵第
に転進す。
第百八師団は東孟固附 近 の敵を撃破し廣平攻撃 の為廣 平南方 地区
第十 四師団館支隊は大名附近 に達し攻撃 を準備す。
十、十 一月十 日 快晴
旧 せり。 第十四師団館支隊は臨〓 に到着す 。 第百八師団主力は成安を攻撃中 の敵 に反撃を加 へ之 を撃退 せり。 歩兵第 百四旅団主力は逐 次内邱附 近に集結中なり。 平漢線方面 の状況 に鑑 み急 に応ず る為 の予備隊皆無 なりしに因り
八、十 一月八日 快 晴
第百八師団は廣平西方 の東孟固附近にて敵 の抵抗 に会し之を力攻
軍 は第 二十師団 の歩兵 二大隊 を自動車輸送 により石家莊附近 に集結 し軍直轄 たらしむべく命令す。 中 なり。
歩兵第百四旅団 の第百 五聯隊 は河郭鎮を奪取し任縣方面 に於 ては 百泉河 の線 に進出し攻撃準備中なり。 十 二、十 一月十二日 快晴 第 百八師団 は南小流 附近 に於て北面し北小留賈 庄、廣平 の線 に在 る敵 に対し攻撃準備中なり邯鄲 に下車し追及中 の重砲 の先頭本 日到 着す。 歩兵第百四旅団 は百泉 河 の線 に於 て激戦中 にし て或は左翼 任縣 を
り。 十四、十 一月十四 日 晴
第 十四師団 は館支隊 (歩兵三大隊 、野砲 二大隊基幹) を残置 し爾
軍 は宋哲元軍主力 の退路 に逼らしむる為第百八師団をし て威縣 に
余を磁縣 に帰還 せしめ本日到着 せり。
の指揮 に復帰せしむ。
向 ひ追撃せしめ歩兵第百 四旅団は常河鎮附 近に進出後第百八師 団長
十 一月十五 日第百八師団 は邱縣 を占領 し十六日威縣 に到着 せり。
十五 、十 一月十五日以後 の状況
歩兵第百 四旅団は〓陽 河河畔 の悪路を冒し て東進 し十 八日威縣 に
奪 回せられ之 に対し回復攻撃し或 は南和 に対し力攻せ るも未だ抜 く 鄲に向 ひ鉄道輸送中 の重砲 の 一部 を順徳 に下車 せしめ歩兵第百四旅
の到 着後威縣 より前進する如く部 署せり。
大隊 、野砲 一大隊基幹)を館陶 に派遣 し師団主力は補 給並防 寒被服
支隊 ( 歩兵 二大隊、野砲 二大隊基幹) を臨清 に、工藤支隊 ( 歩兵 二
清附 近衛河 の線 に向 ひ追 撃すべき軍命令 を受け之 に基 き十九日中野
到着 して第百 八師団長 の隷 下に復帰 せり同師団長は十六日館陶 、臨
能 はず波瀾 に富 みたる戦闘 を実施中なり軍は〓 に於 て石家莊より邯
昨十 一日沙河鎮 に敵兵進 入せるも順徳守備隊 は重砲 の協力 を得 て
団 に配属す。 本 日之 を撃退 せり。 第 二十師団より転進 せる歩兵 二大隊石家莊 に到着す。 十三、十 一月十三日 快晴
西方山地内 に在 りし關麟徴軍 の北上し鉄道沿線 に進出 して後方擾乱
り昨夜邯鄲飛行場 に 一部 の敵襲 撃し来 り我 に若干 の損害 あり是彰徳
歩 兵第百 四旅団は任縣南 和 一帯 の敵 を潰滅し鶏 澤方向 に追撃中な
師団をし て大名 に在 る 一部 を以 て第百八師団 の作戦 に協力す るの準
撃退せられたる宋哲 元軍 を清豊、觀城 の線 以南 に撃攘 せしめ第十四
月二十四日軍 は命令 を下し第百八師団 をして準備完了後衛河南岸 に
下し道路泥濘 となり行軍 には極 め て障碍 を呈す る状態 となれり十 一
十六日夜来風 又は雨 の日続き二十 一日漸く天候恢復 せるも気 温降
を企図せるものにし て邯鄲西方に約 一師磁縣西方に約 一師蟠踞 しあ
備 をなすと共 に第 百八師団 の南樂、朝 城附 近進出後大名 を経由する
第 百八師団 は本日廣平 を占領 し邱縣方向 に追 撃に移 れり。
り又飛行機 の報告 に依り本朝武安南方地区を西進 する有 力なる敵兵
て十 二月 四日命令 を下し第 百八師団 をし て十二月八日以後作戦行動
十 一月下旬より天候恢復 し通路 の景況も行動 を許 すに至 れるを以
補給 の為大名附近 に架橋 せしむ。
に下車せる重砲を 一時守備 隊 に配属す此夜邯鄲附 近は敵兵来らざり
あ るを知り万 一を慮り石 家莊より歩兵 一大隊を急 派し 又宛 も邯鄲駅 しも邯鄲、磁縣間 の小駅は敵 の襲撃 を受け鉄道 通信 に若干 の損害あ
を開始せしむ。 第 百八師団主力 は十 二月五日威縣 を出発し六日臨清附 近に集結 し 十二月八日館陶 、臨清 の線を出 発し 一部 ( 歩兵二大隊 野砲 一大隊重 砲 一中隊基幹) を以 て館陶︱︱冠縣︱︱朝城道を爾余 の主力 は臨清 ︱︱ 堂 邑︱︱朝城道 に沿 ふ地区を二縦隊 となり前進 し八日王集鎮附 近に於 て九 日堂邑附近 に於 て各 々若干 の敵 を攻撃して十 一日朝城 に 達 し十三日同地 より南樂 、清豊 に各 々支隊 を派遣して主力 は觀城 に 向 ひ前進 し十 四日約 一団 の敵 を攻撃 して觀城を占領 せり此間南樂支 隊 は十四日南樂 に、清豊 支隊 は十五日約 二団 の敵 を攻撃 して清豊 を 第 十四師団館支隊は十二月十 二日大名南方衛河 を強行渡河し て南
占領 せり。 岸 を占領 し苑家堤附近 に架橋 せり。 第百八師団 の衛河南岸 地区進出 により濮陽附 近に在りし宋 哲元軍 は開封北方柳園 口蘭封西 北方陳留 口及東明北方高村集 の各渡場より に就 く為十 二月十日軍 は命令 を下し第百八師団 をし て観城清 豊 の線
黄河 を渡河し退却せるを以 て〓に軍 の宋哲元軍掃蕩戦を終 り新配置 以北 に兵力を集結 し大名 を経 て順徳附 近に帰還す るの準備 をなさし む。 十六、宋哲元軍掃蕩戦 に於け る各兵団 の死傷並敵 に与 へたる損害別 表 の如し。 十七、宋哲 元軍掃蕩戦経過概要別紙要図 の如し。
別
表
宋哲元軍掃蕩戦戦死傷概数表
傷
第 一軍軍医部調
戦
四三三
死
七五
五五 一
戦 第 十 四 師 団
一八 九
一二
分
第 百 八 師 団
〇
区
軍 直 属 部 隊 計
を以 て必ず し も 正確 を期 し難 し
押
収
兵
器
本 表 は各 部隊 の報 告 に よ り調 製 し た る も のな る
九九六 考
二六四 備
員
後 に纏 めて記載す
宋哲元軍掃蕩戦敵 に与 へたる損害概数表 人
七五〇〇
分 第 十 四 師 団
一三 五〇〇
区
第 百 八 師 団
各 兵団 の報告 に基き記載 す
二 一〇〇〇 考
計 備
調
弾
砲
銃
品
防空砲弾 を含む
迫 撃 砲
歩兵砲
機 関 銃
1 03
薬 大部分は木柄手榴 弾
17
手 榴 弾
0
査 月
小
十一月 二十日
十一月 二十五日
十一月 二日
二十九日
野山砲弾
迫撃砲弾
小 銃 弾 8
0
2 5 3 , 0 87
14 D
2 80
17
20 D
4 18
12
3 , 0 19
1 08 D
4 , 2 84
1
1 13
2 18
考
備 野 山 砲
日
銃
小銃 マキシム機関銃 等
9 33
7 18
1 6 , 2 37
5D
1 09 D
〔師 団 〕
6D
兵 団
平曲対戦車速射等
1 60
11
32
目
十月 5 60
3
10
2 0 , 3 47
3
2
0
1 , 1 14
其他
計
第 一 軍 主 要 押 収 兵 器 一覧 表
兵站 部隊
5 72
1 69
10
0
18
17
0
0
0
1 9 2 , 3 70
0
0
2 , 3 76
0
0
1 , 3 65
1 08 , 7 00
0
2 , 5 02
4 96
3 8 , 1 95
2 54
23
1 10
8 54 , 5 26
11
0
2 , 28 1 , 6 98
20
2 4 , 2 14
3 31 , 5 05
1
3 , 4 49
30
3 , 1 81
7 , 9 29
7 4 , 8 08
3 14
2 , 9 99
4 2 , 6 60
2 , 1 95
5 80
4 , 13 4 , 8 89
2 4 , 5 36
4 , 8 02
1 , 5 03
3 9 , 4 34
1 , 1 00
3 , 7 63
1 1 , 6 81
0
8 3 , 6 77
二、 本表 外 に未 報告 の儘 自 隊 に て使 用 中 の も の多 数 あ る 見 込 一、 本表 の数 量 は各 隊 の報 告 のみ に依 る も の にし て使 用 に堪 へず 棄却 し た るも のを含 む 十月 十一 月 十一月 十月 二十八日 十八日 十日 二十九日
小銃拳銃機関銃弾等
等
野 砲 、 山 砲 、十 二加
新旧八二、五七、 一 二糎 迫 撃 砲 等
軽機高射機関銃自動
各種 小銃 を含む
摘
要
十 二 月十 日 第 一軍兵器部
上 奏
案
ませ ぬが軍 の作戦準備 の進捗と平行 して掃蕩宣撫相俟 て逐次良好 に
向 ひつつあるも のと確信致します之 には河邊兵団及第 二十師団 の 一
部 が主とし て之に当 つて居ります。
支那駐屯軍 は七月末北平附近支 那第 二十九軍を膺懲致しました後
為部隊 の行動 遅滞す る等作戦上種 々の障碍 を受けましたが各兵団 の
近年稀有 の降雨 に禍 され飛行隊 の活動 を阻害 せら れ或は道路泥濘 の
以上 の経過中各兵団は屡 々敵 の頑強な る抵抗 に遇ひ又天津地方は
平津地方 の安定及交通線 の確保を計り 一方軍に増派 されました第 五
士気は頗 る旺盛 で御座りまし て夫 々作戦 の目的 に向ひ邁進中 で御座
謹み て支那駐屯軍 の現状 に就 て申上げます。
第六及第 十 の各師団竝其他 の軍直轄部隊 を北平 を中心とする地区及
ります。
したが目下 の処 ではさほど のこともなく 一に将兵以下士気緊張 の結
酷 暑 に続 く霖雨 に依り或は疾病 の多発 を見 るかと相当憂慮致しま
天津附 近 の地区に集中 して爾後 の作戦を準備す ることを努めました、
果と存 じます。
然る に北平附 近天津附 近其他 に敗残兵 の出 没があり之等 の掃蕩 に腐 口附 近に拠 りましたので八月中旬先づ独歩第十 一旅団 に之を攻撃 せ
之 を要 します るに各兵団 の中第五師団及独歩第 十 一旅団竝航空兵
心し て居 りました処支那中央軍 の 一部は迅速 に察哈爾省 に侵入し南 しめ次 で逐次戦場に到着致 しまし た第五師団を加 へ鋭意之 が力攻 に
で御座 りまし て且出来 る丈南方 に地歩を確保し第 二期作戦 の準備 に
団 は察哈爾省 に向ひ作戦中 で御座りますが其他 の各兵団 は尚集 中中
で御座 ります から九月中旬 には概ね作戦準備 が整 ふものと信じます
努力し つつあ る状況 で御座 ります後 方施設 も之 と同時 に鋭意準備 中
一方第二十師団 は主力を以 て永定 河右岸長辛店附近を確保 し第 六
努 めたので御座ります。 師団は北平南方永定河 の北岸地区 に集中致 しました、之等 の部隊 は
軍現下 の情勢判断 昭和十二年八月二十二日 支那駐 屯 軍 司 令 部 軍は現下 の情勢 に鑑 み先づ関東軍 と協力 して察哈爾及内蒙方面 に
恩 に酬 ゐ奉らん ことを期 します。
臣等益 々死力を竭し て作戦 を練り皇軍 の威武 を十分 に発揮し以 て皇
応急動員部隊 でありまし て充足 人馬 が目下輸送 の途 中 で御座 ります。 第 十師団 は海路太沽 に上陸し直 に天津附近 に集結し目下馬廠方向 南 口方面 の戦況は地形嶮峻 の為仲 々思 ふやうに進 みま せんでした
に攻撃 の目的を以 て南進中 で御座 ります。 が第 五師団 の戦力が逐 次充実す るに従 ひ此方面より戦況 が発展し遂
侵 入せる敵 を撃滅し て満洲国西南境 の安定 を図 ると共 に此間平津地
に懐来平地に進出 しま した同師団 の左側を脅威 せんとし て保定 方面 る攻撃と第六師団 一部 の門頭溝西方山地 の確保 とに依り之 に反撃 を
より北上しました敵 に対しまし ては第 二十師団 の陀里村高地 に対す 加 へる企図で御座ります平津 地方安定 の状態 は未だ十分 では御座 り
置)
此間将来実施すべき対南方作戦 を準備するを要す。
方に於 ては其安定を鞏固 ならしむ るを要 す。 (処 ︹第 五 師 団 ︺
は概ね現在 地に於 て人馬 を充足 したる後夫 々当面 の敵 に
一
山 地帯 を 突 破 せ ば張 家 口 に向 ひ作 戦 を 行 ふ 、 此際 要 す れば 兵 力 を
一、 5D 方 面 は攻撃 を継 続 せ しむ
二、
増 加 す る こと あ り 。
は 津 浦 線方 面 の敵 を撃 滅 し て馬 廠 附 近 に進 出 し 之 を 堅 固 に占
対南 方作 戦 構 想
三、軍 は約 三師団 (第六、第 二十師団竝第十師団 の 一部若 は大部)
を以 て概 ね平漢線方面 に沿ひ攻勢 の目的を以 て保定 に向 ひ前進す。
四、津浦線方面 に在り ては10D の 一部 を以 て馬廠附 近に於 て軍 の左側
を掩護 せし め主力を平漢線方面 に転用す。
北支 に於け る軍 状況 の概要 第 一 敵軍 の状況
一、目下河北省 内 に在 る敵 は戦闘員約四十万内外 にして平漢線方面
は〓州、固安 の線 保定附 近石家莊附近 の三線 に津浦線方面は馬廠附
近、滄州附 近、徳州附 近に各 々拠点た る陣 地を構成 し其中間 に之 を
連接する陣 地を処 々に構築し あり。
敵 の決戦 を予期 する陣地は保定滄州 の線 ならん。
二、察哈爾省 に進 入せし敵は 一部を以 て平綏線方面を山西省境 に主
力約 五ケ師団 は懐來 よつ蔚縣 に通ず る道路方面 に後退し其主 力は退
路 を保定方面 に採 らん とするも のの如 く目下第 二十師団 の西方山地
内 に在 る敵 と共 に注意 を要する存在 なり。
三、敵 の抗 日意識旺盛な ると戦場 に於 て退却 を許さざるためか最後
昭和十二年 八月二十二日 支那駐屯 軍 司 令 部
迄陣 地に拠 つて頑強 に抵抗するも の多 く屡 々小部隊 の逆襲 を実施し
第 一 方
一、 軍 は 河北 省 に侵 入 せ る敵 野 戦軍 を求 め て之 を随 時随 処 に殲 滅 的
第二
指 導 要 領
二 、 爾 後 の作 戦 指 導 は情 況 に依 り之 を定 む 。
と予定す。
決 戦 の時 期 は諸 準 備 の許 す 限 り成 る べく 速 に之 を選 ぶ も九 月 中 旬
欠陥 に乗ず るの要 あるべし。
る のみならず指揮統帥上 に於 ては幾多 の欠陥を有するを以 て此等 の
然 れ共部隊 の系統特 に中央軍 と傍系軍 とにより装備戦力 に相違 あ
装備 は砲兵火力 に劣 るも歩兵 の装備 は我 に匹敵す。
ば 大 部 ) を平 漢 線 方 面 に転 用 し決 戦 の目 的 を 以 て保 定 に向 ひ前 進 す 。 或 は夜襲 を行 ふ等個人及小部隊 の戦闘力 は軽視し得 ざるも のあつ て
に撃 滅 す之 が為 津 浦 線 方 面 作戦 の進 展 に伴 ひ其 兵 力 (一部 為 し得 れ
針
情 況 に依 り主 力 を他 に転 用 し 若 は 一部 を軍 直 轄 と す る こと あ り。
領 す ると 共 に将来 の作 戦 を準 備 す 。
三、
来 の作 戦 を 準 備 す。
撃 を与 へて〓 洲 、固 安 の線 に進 出 し 要 点 を堅 固 に占 領 す ると 共 に将
20 D 6 D 1O D
区処部 隊 ︹ 注︺
︹注 ︺
独 立 攻 城 重 砲 兵第 一大 隊 ( 中隊属) 、独立攻城 重砲 兵 第 二
務
一部 を以 て揚 子崗北側高地、公主墳、良郷附 近を確保 し集中
務
独立軽装甲車第十中隊、野戦重砲兵第 一旅団 (第三聯隊及輜
配 属部 隊
第十 師団
方面 に前進す る敵 に対し大安山、東齋堂、紅煤廠附近 を確保す。
歩兵 二大隊 を基幹 とす る部隊を以 て北平西方山地永定河上流
又は任邱 に向 ふ前進 を準備す。
主力 を北寧鉄路 南方北平︱︱ 固安道 に沿 ふ地区に集結 し保定
任
( 未着)、砲兵情報班
戦車第 二大隊、野戦重砲兵第 二旅団 、迫撃砲第三、第 五大隊
区処 部隊
( 未着)、第十六師団第 二渡河材料中隊
第十 四師団架橋材料 中隊 、第 二師団 架 橋 材 料 第 一、第 二中 隊
独立軽装甲車第六中隊 、近衛師団第 三、第四、野戦高射砲隊、
配属 部隊
歩兵第十三聯隊 ( 第 一大隊欠)
欠除部 隊
第六師 団
を続行す ると共 に〓 州方向 に向 ふ前進を準備す。
任
大隊 (独立重砲中隊 ( ) 属 ) (未 到 着 )
24H
戦場 に於 て大打撃を蒙りたる軍 は殆 んど無統制に遠 く退却す るを て機動部隊或は特 に準備 せる兵力を必要 とする ことあるべし。
以 て其退却は極 めて迅速なり従 つて之 を捕捉す ること相当 困難 にし 陣地 の設備は相当巧妙 にし て砲撃或 は爆撃 のみを以 てしては退却 せず然 れ共大規模 の攻勢移転を実施するの能力 に乏し。 第二 我軍 の状況 (八月三十 一日 に於ける) 我軍 一般 の状況左 の如 し。 一、各兵団 の任務 配 属部隊
第 五師 団 独立軽装甲第 五中隊、独立山砲兵第三聯隊、近衛師団第 一、 務
第 二野戦高射砲隊 任
懐来附近 に於 て態勢 を整 へ蔚縣 方向に向 ひ敵 を急追 す又南 口 ( 含 まず)以遠平綏線 を警備す。 第 二十師団 歩兵第七十七聯隊第三大隊 ( 鉄道警備)、歩 兵第 七十 八 聯 隊
欠 除部 隊 の二中隊 (天津飛行場警備)、歩兵第 七十九 聯隊 (一大 隊 欠) (軍予備) 配 属部 隊 戦車第 一大隊、独立機関銃 第四大隊、野戦 重 砲兵 第 三聯 隊 (輜重 の 一部属)、第三師団第 一、第 二、第 三野戦 高 射 砲 隊、 独立 工兵第四聯隊
15K
支駐歩兵第 二聯隊 (一大欠)
}
鉄道警 備
歩兵第七十七聯隊 第 三大 隊
支駐混旅団
用中九月五日馬廠 攻撃を開始す編成完結しあり。
小王莊 に進出 せる部隊 は浸水 の為行動不能 にし て主力方面に転
し あり全部到着しあり。
馬廠附 近 の敵 に対し王 口鎮、呂官屯 ( 馬廠北方約 一里) に近迫
第 十師 団
り。
撃破せば師 団主 力に復帰す る筈なり充足人馬到着 し編成完 了しあ
結 し渡 河攻撃 を準備中。 永定河上流方面 に派遣 せる歩兵四大隊中 二大隊は該方面 の敵 を
主 力 (四大) を以 て固安対岸永定 河畔 に 一部を以 て〓洛鎮 に集
第 六師団 (〓〓 洛鎮)
充足 人馬未到着 の為兵力不足を感 じあり。
整 理中。
数 日間 の激戦 の結果揚子崗北側高地 を奪取し所命 の線 を確保し
第 二十師団 (〓 長辛店)
東軍 に復帰 せしめらる。
に到着 し編制 は完備し追撃開始 独混第十 一旅団は延慶 に位置す関
一部 を以 て砂城堡、主力を以て懐來 に兵力を集結 、充足人馬已
第 五師団 (〓 懐來)
︹師 団 長 ︺
二、 各 兵 団 現 在 の状 況
重 一部欠)、近衛師団第五、第六野戦高射砲隊、第八 師 団 架橋 務
材料中隊 、第十六師団第 一渡河材料中隊 任 二十三日以降行動 を起 し馬廠附近 の敵 を撃破 し同地附近 を確 保 す。 同地を占領せば堅固 に之 を確保し主力を其 以北 に集結し て爾 津浦線 及南運河 の水路を確 保す。
後 の機動 を準備す。 支 駐混成旅団 欠除 部 隊 務
歩兵第 二聯隊 (約 一大隊欠)歩兵第 一聯隊 の約 一小隊 任
北平 に位置 し同地附近 (通州を含 む) の安定 に任ず 。 南口 ( 含 む)以南 の平綏線を確保警備す。 軍 予備 隊 歩兵第 七十九聯隊 (一大隊と二中隊 欠)蘆溝橋 に位置 す。 (歩兵四中隊 、高射砲七隊、其他属)
航 空兵 団 務 適時主力を以 て軍 の地上作戦 に協 力
任
随時敵空軍撃滅 の準備 配 属部 隊
軍 兵站 部
北平及通州 に位置し治安維持及掃蕩 に従事中。
山 地方面 に派遣せる 一大隊 は目下復帰中。 第 五師団方面 に配属中 の戦車隊及山砲兵大隊 は目下復帰中。 三、各兵団 の戦力 冀 察省境山 地の戦闘 に於 ける死傷 は約 一千名 に近き見込なり即
第 五師団 ち師団 の戦 力に比 し約六% の損害 の見込とす。 第二十師団 第 一期作戦 以来 の損害約九百名にして総人員約 一万名中約 一〇 % の減少を来 しあり 動員 師団 の約 二分 の 一の戦 力ならん。 第 六師 団 山地方面 に四大隊、天津防衛 に二大隊 を割き師団長 は約 六大隊 (山地方面より二大隊帰還 せば八大隊) を指揮しあり山地に派遣 せる歩兵第二十三聯隊は約百名 の損害 あり歩兵第四十五聯隊 にも 若干 の死傷 ある見込。 其他 の部 隊は殆 ど損害なく戦 力充実 しあり。 第 十師 団
師団 別戦死傷表 ( 九月 一日午前現在)
支那駐屯軍軍 医部
三九
三三
一、 ○ 一 一
八四
計
七〇六
二 一五
傷 四二
二 一
八七八
死 戦
三〇五
一五 六
傷
団
轄
一二
六六 一
戦
師
団
一
死
五
師
一八
三〇〇
戦
第
六
五八
一 二 〇
分
第
一九九
二二五
六四三
区
第 一〇 師 団
五
八○
一 一
他
一
四四
一
二、 三八 五
一四
三 、 三 一 一
一六
三
第 二 〇 師 団
七〇
一
二
四八 一
直
支 駐 混 旅
三九
一五
軍
独 混 第 一旅
一四 七
兵
団
航 空
独 混第 二旅
九
其
八八 二
師団 に対 し ては平漢線第 六師団 に対し ては豊臺 の 一部黄村を基点と して自動車兵站線 により又第五師団 に対しては平綏線第十師団 に対
計
しては津浦線及之 に沿 ふ水路を利 用して実施 し つつあり。
歩兵第十聯隊 は静海 に於 て約 百五十名 の損害 を生じたるも其他 は殆 ど損害なく戦力充実し あり。
除に約 一ケ月 を要す る見込 にして同 方面兵站線 は目 下 鉄 道 及道 路
平綏線方面 に於け る八達 岑頂上 の隧道 は敵 の実施 せる大障 碍 の排
支 駐旅 団 第 一期作戦以来 の損害約 三〇〇名にして旅団戦力 の約 一割 に当
軍 従来 の兵力は九月十 日頃集中輸送を完了する予定 にして其 の会
( 自動 車を通 す) を併用す。
る。 四、各兵団 の本日迄 の死傷概況左 の如し。
戦補給用軍需 品は之 に引続 き主とし て豊臺附近 に輸送集積し概 ね九
五、後方 に関する事項 軍 の補給 は其 の原 点を天津及豊臺 ( 長 辛店 を含む) に置き第 二十
月 二十 日頃 には完了する予定 なり。 既 に集中輸送 の間隙を利 用して豊臺附近 に集積しある軍需品中弾
鉄道 の使用 は鉄道 聯隊 及満鉄従業員 の利用 によれるも極力従来 の
薬 は第 二十師団及第六師団 の為 め其 の携行弾薬を合し概 ね1/2会戦実 行 の所要量を糧秣は同方面部隊 に対し約十日分 の予備 を集積 しあり。
軍通信 の中枢 は従来天津 にありしも爾後作戦 の進展を考慮 し逐 次
従業員 の復帰利用 に努め つつあり。 之 を豊臺 に移動 し つつあり。 防疫 に就 ては特 に防疫給水班 の運用 により良水 の供給に注意 し未 第 三 平津地方治安 の状況
だ悪疫流行 の状況 を認めず 。 一、 一般 の状況 平津地方治安 一般 の状況は北平及天津両市は概ね事変前 の状態 に 復しあり。 然 れども其郊外 に於け る縣 は土匪及敗残兵横行しあり て治安 の回 復 は未 だ十分 ならず。 二、天津及北平市 の治安 天津市は治安維持 会 により目下表面 の治安状態は事変前 と大差な きも市内 に介在する英 、仏 、伊 の三国租界は日支 双方警備力 の及は さるを利用し共産党 、保安隊残党排 日支那新聞等策動 の根拠地 とな り流言蜚語を流布し人心を惑乱するもの尠からず 。 之 に反し北平は兵火 の洗礼 を受 けざりしと同地は外国租界 を有せ ざ るため不逞分子及排 日新聞社等 は身を措く に処 なく続 々とし て天 津上海方面 に逃避し目下極 めて平穏なり。
平 津 両 市 共 一般 に物 資 欠 乏 し商 況 甚 だ不 振 な り 、然 れ ども 食 糧 の
不足 は関 係 者 の努 力 に依 り 目下 緩 和 せら れあ り 。
北 平 及 天 津 に隣接 せ る 諸縣 中 既 に交 戦 地 帯 と な れ る も の は 土 匪
三 、郊 外 の状 況
( 敗 残 兵 ) 横 行 し あ り て治 安 未 だ 回復 す る に至 らず 、 又目 下 端 境期
の為 食 糧 の不 足 を 感 じ あ る が如 し。 四 、 我居 留 民 の状 況
北 平 、 天 津 両 市 内 居留 氏 は目 下 沈 静 し あ り 。
不 良 日鮮 人 に対 し て は断 乎 た る処 置 を採 る と 共 に内 地 、 朝 鮮 及満
洲 方 面 よ り 流 入 せ ざ る如 く処 置 を講 じ あ り。
支 那 民 衆 は速 に戦 禍 の終熄 せ ん こと を熱 望 し あ る が未 だ 支 那 軍戦
五 、支 那 民 心 の動 向
勝 の迷 夢 よ り 醒 めざ る も の多 く 人 心 の不安 、流 言 の流 行 、金 円流 通
対 外関 係事 項
近 時 北支 自 治 運 動 漸 く 盛 な ら ん とし つ つあり 。
の不 円 滑等 は皆 其 原 因 を此 処 に存 す。
第四
一、対 外 関 係 に就 ては大 な る問 題 発 生 せ ざ る も天 津 に は英 、仏 、伊
の租 界 あり 日 本軍 の租 界 内 通 過 に種〓 苦 情 を申 出 で煩瑣 な る問 題 を
を以 て処 理 中 な り 。
惹 起 す るを 以 て外 国 租 界 の大 部 を 軍 隊 の通 行 に利 用 せし め ざ る 方針
二、 外 国租 界内 に南 京 系 機 関 或 は抗 日分 子共 産 党 等 潜 伏 し之 が制 圧
意 の如 く な ら ざ り し も漸 次 駆 逐 せ ら れ つ つあ り。
軍 の安全 を害 す る行 為 に対 し ては外 国 人 と雖 之 を弾 圧 す る目 的 を 以 て〓 告 を発 せ り。
三、 北 平 大 使 館 区域 は平 時 協 定 によ り軍 の作 戦 に利 用 す るを得 ず 。 四、 第 三 国中 独 、米 は問 題 な く伊 の態 度 は好 意 的 にし て仏 国 の態 度
註 = 24 糎榴 弾 砲
は最 近 著 し く緩 和 し英 国 の態 度 は最 も 不良 なり 。
= 15糎 加 農 砲
15K 24H
二八
︹ 梅津美治郎中将︺
︹ 陸軍省︺ 軍務課)
又其 時 機 決 定 に方 り ては 国際 関 係 等 を も 十 分 考慮 す る を要 す る の
支 に樹立 さ る べ き政 権 と の調整 を失 す る等 の結 果 に陥 る べし 。
に中 外 に其 信 を失 ひ第 二 に中南 支 よ り人 材 の参 集 を妨 げ第 三 に中 南
(昭 和 十 三 年 一月 六 日
政 務 指 導 に 関 し 陸 軍 次 官 の北 支 那 方 面 軍 と の連 絡 事 項
本連絡事項 は帝国政府 の南京政府否認後 の対北支実行方策 を決定
み な らず 帝 国 と し ても 右 に伴 ふ諸 般 の準 備等 も 之 あ る べき を 以 て予
する準備 とし て北支那方面軍と意 見を交換す る資料 にして必らずし 一、北支新政権 の指導 に就 て
め余 裕 を以 て中 央 と連 絡 せ ら れ度 し 。
も中央 の決定意見 にあらず 。 将来本政権 が有力化するや否 や即ち全支 に信望を有するが如 き人
ず 蓋 し 帝 国 と し ては中 央 政 府 の実 質 如何 を検 討 し 名 実 倶 全 を俟 つの
す る も右 は 必 ず し も 同時 た らざ る こと あ る べ き を予 期 せざ る べ か ら
中 央 政 府 の成 立 と 帝国 の之 が正 式 承 認 と は 同時 た る べき を 理 想 と
三 、中 央 政 府 に対 す る帝 国 正式 承 認 の時 期 に就 て
にあらざるべく而 して彼 の最も関心を有す るは北支政権 に対す る日
要 も生 ず る こと あ る べ く 又内 外 諸 般 の情 勢 に も即 応 し最 適 の機 に承
て之 に合流 し来 るや否 やは 一に懸 て其指 導如何 にありと言 ふも過言
材 が将来更 に之 に参加す るや又は他 に樹立 せら るべき政権 が安 んじ
を尊重 し且満洲国指導 の教訓に鑑 み指導 の大綱は帝国 に於 て之 を把
本 の干渉 の程度如何 にあり依て此際帝国 とし ては飽 く迄支那 の主権
認 を与 ふ る必 要 あ れ ば な り。
帝 国 は 本事 変 に於 て獲 得 す べ き成 果 を主 とし て北 支政 権 (中
握す るも細 部 の干 渉 に堕 せず常 に支那側政権 の国家的矜持を尊重し
一
四 、北 支 政 権 と の協 定締 結 に就 て
二、北支政権を中央 政府 と改称す る時機 に就 て
其自主的経綸を実現せしむる如くす るを要す。
右締 約 は内 外 諸 般 の事情 に鑑 み情 況 上 支 那 中 央 政 府 と帝 国 政
二
央 政 府 ) と の協 定 締 結 に依 り て求 む る の要 あ り。
諸般 の事情 を篤 と考量 の上慎重決定せしむる如 く指導 せられ度 し即
府 と の条 約 とす る より も寧 ろ 臨 時政 府 と北 支 那 方 面 軍 司令 官 と の
帝国 の南京 政府否認後北支政権 の支那中央政府改称改組 の時機 は 中央政府 たるの内容未だ整はざる に過早 に之 を決定するときは第 一
協定とし支 那側 は中央政府成立後 之を追認 し帝国側は右出先責任 者 の締約を更 めて承認す るの形式 を採 るを適当とせん研究あり度 右締約は軍事 、思想、外交、内 政、経済、文化等諸般 に至 る
し。 三 提携協助 に関する不動 の大綱 を基本的に約定 し細部 に関す るも の 本締約 に関し軍は中央 の方針 を体し て 一案 を作 り十分 の余裕
は附属的 に逐次締約 するを可と せん。
蒙疆政務処 理要綱竝之 に関 する駐蒙兵団 との連 絡事項 (別冊)参
七、蒙疆政務指導 に就 て 照。
中支那方面軍参謀長 との連絡事項 ( 別冊)参照。
八、北 支政権 と中南支政権と の相互関係 に就 て
鉄道処理 に関し目下中央 の抱懐す る意 見概ね左 の如 し。
九、北支鉄道 の処 理に就 て 一
四
託経営せしむ。
概ね作戦実施 期間軍 は北支 の鉄道 を管 理し満鉄 をして之を委
を以て中央と連絡し予め其承認 を取付く る様処置 あり度 し但本件
北支鉄道 の恒 久的処理 は北支那方面軍及駐蒙兵団両担任 区域
軍司令部幕僚と軍特 務部との関係
三
託す。
基 き其経営 を支那法人日支合弁 の鉄道会社 (国策会 社統制) に委
の鉄道を通じ夫〓支 那側政権 の所有竝管理とし官有 民営 の原則 に
二
に関す る中央 の方針 は追 て指示 せら るる筈。 五、軍特務部 の機構改変 に就 て 一 軍特務部 の改組
す る の方針 を採 る。
左記 の点 に関す る軍 の意見 承知 し度し。 二
軍司令官 の北支政権 (中央政府) に対す る政務指 導上 の相関
政務関係文官 の帰属及其能力起用
四
国策会社成立以前 に鉄道会社を設立 するや否 やは状況特 に国
鉄道会社 と他 の産業開発会 社とを併立 せしめず 。
右鉄道会社は努め て満鉄 の人員、技術及経験等 を十分 に活用
四
三
五
策 会社設立 工作進捗状況 に依り て決定 す。
関係 の設定 軍特務部 と出先外務、大蔵 、海軍 、其他 の官憲と の関係調整
五 中央政府成立後 の軍司令官 と大使 と の関係調整 六
鉄道 従業員 は努め て支那側 従業員 を使用す るを本旨 とし邦人
従業員は必要最少限 の数 を以 て枢要 の地位を占 めしむ るに止む。
六
七 速 に邦 人従業員 の給与を合理的 に改正低 下す。
帝国 の対北支 (対支)政務指導機 関は作戦実施期間は北支那方面
六、帝国 の恒 久的対北支 (対支)政務指導機関 に就 て
八
他 の施設は之を新鉄道会社設立後 に譲り度。
復上真 に緊急已むを得ざ る最少限即所謂応急処理 の範 囲に止め其
軍事費 を以てす る鉄道施設 の復旧及改善 は軍事 輸送及民力回
軍之 に当るべきも事実的 の作戦 一段落後適当 の内面的政務指導機 関 右政務指導機関 は帝国政府直轄 の文官制 の機関 とし〓 に政務と軍
を設置する の要 あり。 事とを劃 然分離 するを至当 とせず やとも考 へあり。
九
北支港湾 の経 営を鉄道会社をし て兼営 せしむ るや否やは更 に
研究 の上決定し度 。 北支通信 の応急的処理としては現在 の通り軍管 理の下 に北支電政
十、北支通信 の処 理 に就 て 総局 をして経営せしめられて可 なるも恒久的処 理は鉄道 と同様支那 ( 北支国策会社統制)に委託す るも のとす。
政権 の所有竝管理 に帰し其経営 を支那法人、日支 合 弁 の通 信 会社
一
航空事業 は先 づ北支 の航空 に着手し時局 の進展 に伴 ひ之を中
十 一、航空 の処理 に就 て
二 右航空会社は支那法人 日支合弁とす。
右事業 の為恵 通公司 を整理強化せ る独立 の航空会社を設立す。
南支 に拡張 する ことを策す。 三 一
北支 に於ける主要鉱産事業 (鉄、石炭)、主要発 送 電 事 業、
十 二、北支 主要産業開発 に就 て 塩業及塩利用工業 等に関す る主要産業は国策会社 をし て之 が開発 右個 々の産業会社 は支那法人、日支 合弁 を原則とす。
経営又は調整 に当 らしむ。 二
北支 に活動 し つつある通信及鉄道 関係邦 人職員 の現在 の給 与は内
十三、在北支邦人職員 の給与改正 に就 て 地 の当該職員 に比 し概 ね三乃至四倍 の高給 を示し あるが如し此 の如 きは啻 に軍事費 の増加 を招く のみならず該事業 の経営、支那人職員 及他 の部門 に従事す る邦人 の給与 との関係等禍根を将来 に貽す虞甚 だ大 なり満洲国 に於ける此種問題 の解決容易ならざりし前轍 に鑑 み 軍は北支経綸 の初期 に於 て右 の如 き不当 の高率給 与を低下し以 て右
邦 人職員給与 に関す る根本問題 を解決し置 かれ度 し。
示
二九
一
大陸指第三十五号 指
命 令 ・指 示
大陸 指 第 三 六 号 命
二
令
二 、貴 官 ハ左 記 標 準 ノ部 隊 ヲ 一月 十 二 日頃 青 島 附 近 ニ上 陸 セ シメ海
開 始 ハ 一月 十 日 未 明 ト予 定 セラ ル
一、海 軍 ハ第 四艦 隊 ヲ シテ青 島 港 域 ヲ占拠 ス、青 島 占 拠 部 隊 ノ上陸
一、大陸指第二十六号第四項 ノ青島 方面及南部山西省 ニ対 スル作戦
大陸命第三十四号 ニ基 キ左 ノ如 ク指 示 ス ハ今後軍 ノ実情 ニ即応 シ随時発起 スルコトヲ得 三、北支那方面軍司令官 ハ北支那沿岸 ノ海路輸送 ニ関 シ所要 ニ応 シ
集 成 砲 兵 隊
独 立 工兵 聯 隊 丁 (所要 ノ資 材 ヲ含 ム)
碇泊場司令部甲 ( 所 要 ノ資 材 ヲ含 ム)
海 運 根 拠 地 設 定 部隊 指 揮 機 関
二
二
一
一
一
一
運 根 拠 地 ヲ設 定 シテ該 方面 ニ於 ケ ル揚 搭 ヲ実 施 ス ヘシ
在 北支那第 一船舶輸送 司令官隷下部隊 ヲ区処 スル コト ヲ得
陸 上輸 卒 隊
二、陸海軍協同 シテ行 フ青島 ノ処理 ニ関 シテ ハ別 ニ近 ク指 示 ス
載
水 上輸 卒 隊
昭和十三年 一月八日 寺 内
壽
参謀総長
仁
親
王
尚青島海運地設定後 ニ於 ケル追送軍需品 ノ補給点 ニ青島 ヲ加 フ
一 殿
北支那方面軍司令官伯爵
三、第 四艦隊 ハ陸軍 ノ青島附 近海運根拠地設定 ニ協力 スル筈 ニシテ 青島附近海運根拠地設定 ニ関 スル陸海軍中央協 定別紙 ノ如 シ
田 巻
平 殿
参謀総長
載
仁
親
王
四、北村参謀 ヲ青島附 近 ニ派遣 シ根拠地設定 ヲ援助 セシメ派遣間根 昭和十三年 一月九日 松
拠 地設定隊長 ノ指揮 ヲ受 ケシム
第 一船舶輸送司今官
るな り 従 て も し支 那 が 此 要求 を全 面 的 に承 諾 せ ざ る場 合 に は此 交 渉
今 回提 示 せ る要 求 は我 最 小限 度 の要 求 な り と の了解 の下 に賛 成 し た
講 和 問題 に関す る所信
一、政 府 とし ては 従来 屡 〓声 明 せ る通 り今 次 事 変 を契 機 と し て東 洋
三〇
永 遠 の平 和 の基 礎 を確 立 す べ き も のと し 出来 る だ け禍 乱 の根 源 を将
一、 然 る に最 近 に至 り軍 部 側 にあ り て は支 那 が此 要 求 の 一部 修 正 を
は当 然打 ち 切 る べき も のと 了解 し居 れ り。
申 込 み来 る場合 には更 に多 少 の譲歩 を な し て も何 と か此際 講 和 を成
も敢 て辞 せ ざ る覚 悟 と用 意 と を な し居 れり 、 速 に局 を結 ぶ こ とは 元 よ り望 ま し き事 な れ ど も中 途 半端 の解 決 をな し て局 を結 び 一両 年 を
示す る こ とさ へ如 何 か と思 は る ゝ に彼 の 一部 拒 絶 に遭 う て再 び譲 歩
立 せし め んと希 望 せ ら る由 を聞 く 、 元来 我 よ り進 ん で講 和 条件 を提
来 に残 さざ る様 徹 底 的 な る解 決 を期 し 其 為 には 相当 長 期 に亘 る対戦
出 でず し て再 今 回 の事 変 を繰 り 返す が如 き こ と あり ては昨 年 来 の大
の色 を見 す る が如 き こと あ り て は益 〓彼 の乗ず る所 と な る べき や 明
犠 牲 を全 く 無 意 義 に終 ら しむ るも の にて姑 息 な る妥 協 は極 力 排 す べ
な り政 府 側 とし ては 軍 部 が か く の如 き 拙 策 を 採 り てま で講 和 を 急 が
は何 等 かそ こに深 き事 情 が存 す る に非 ず や と推 測 せざ る を得 ず 、 然
一、今 や南 京 陥 落 し 蒋 介 石政 権 も昨 今 は頗 る 窮境 に立 つ に至 り し如
る に今 日 迄 の陸 軍大 臣 の説 明 だけ に ては今 日講 和 の急 が ざ る可 らざ
き も の と考 へ居 れ り 。
か ゝ る状 勢 に あ る際 我 より 進 ん で条 件 を提 示 し 講和 を促 す こと は 我
る 理由 明 白 な らず 、 も し真 に此 際 講 和 を急 がざ る可 らざ る事情 存 す
一、 こ ゝ に於 て政 府 側 とし ては 軍部 が かく の如 く 講 和 を急 が る ゝ に
に重 大 な る弱 点 な き限 り軽 〓 になす べ き こ と でな く却 て そ れが 為 に
る ゝ真 意 を了 解 す る に苦 し む 次第 なり 。
彼 の侮 を受 け て彼 の戦 意 を 復 活 せ し め大 害 を将 来 に招 く恐 あり と 考
る な らば 陸 軍 大 臣 は率 直 明白 に之 を 他 の閣 僚 に説 明す べ き も のと信
く な る も未 だ彼 の権 威 全 く 地 に墜 ち た り と 断ず 可 らず 少 し く 手 を緩
へら る故 に政 府 側 と し て は独 逸 大使 を通 じ て の今 回 の交 渉 に対 し て
ず 、閣 僚 も其 説 明 によ り真 に能 く 事 情 を 了 解 す る に至 らば い かな る
め れば 再頽 勢 を挽 回 し来 る や 明 な り謂 は ゞも う 一押 し と 云 ふ所 な り
も 必ず し も 中 心 よ り賛 成 せ る に非 ず 只 軍 部 側 の切 な る希 望 も あり 且
譲歩 も之 を忍 び局 を結 ぶ こ と に全 力 を注 ぐ こと ゝ成 る べし 、 恐 らく 之 に対 し事 情 を解 せ ざ る 一般 国 民 の間 に は猛然 と し て 、反 対運 動 起 る べ き こ と予 想 せ ら る其 際 各 閣 僚 が陸 軍 大 臣 の説 明 に よ り真 に能 く 事 情 を 了解 し居 れば 一致 団 結 断 乎 と し て政 府 の責 任 に於 て之 等 反 対 運 動 を 抑圧 す べし 、然 れ ど も不 幸 にし て陸 軍 大 臣 の説 明 が十 分 他 の 閣 僚 ヲ納得 せ しむ る能 はざ る場 合 には政 府 全 体 と し て は軍 部 側 と 別 個 之 独 自 の所 信 に向 て邁進 す る外 な か る べ し、 これ国 務 大 臣 とし て
近衛文書。筆者 ・日時不明、昭和十三年 一月初旬と推察 さる。
輔 弼 の責任 を全 う す る所 以 なり と 信ず 。
註
三
針
一
支 那 事 変 対 策
︹昭和十三年︺
(一月十 一日稿)
( 大 川 周 明)
一、臨 時 政府 を充 実 、強 化 し中 央 政 府 に迄 発展 せし む ︱︱ 南 京 政 府
二 、従 て特 に北 支 五省 に特 殊 政 権 を樹 立 せ し む る の要 な し。
系 のも の の参 加 を認 む 。
方 一、可 及 的速 に武 力 戦 を終 結 せし む る こと。
心 とす る地 域 を 日支 共 同統 治 地 区 と す る 。
南 島 を含 む) の 一部 、 上海 ( 崇 明 島 を含 む) 漢 口 、北 京 、天 津 を中
三 、辺 疆 地 域 ( 察 哈 爾 、綏 遠 、寧 夏 、 新 疆 )、 山東 、福 建 、廣 東 (海
二 、武 力 戦 後 の解 決 をし て順 調 な ら し む る凡 有 手段 を講 ず る こと。
一、国 民 政 府否 認 ︱ ︱ 宣戦 布 告 は 時期 遅 き に過 ぐ。
四 、政 治 財 政顧 問 とし て日本 人 を 入 れ る ︱ ︱政 治 、経 済 提携 の完 成 。
策
二 、封 鎖 の完成 と駐 兵 の合 理 化 ︱ ︱廣 東 、漢 口 の占 領 。
五 、全 国 に亙 り、 適 当 に裁 兵 を実 行 せ し む 。
体
三 、蒋 政 権 を打 倒 し新 政権 を援 助 す ︱ ︱臨 時 政 府 の強 化 。
六 、軍 事費 と し て消 費 せ る多 額 の国費 を 民 力充 実 に充 てし む。 ︱ ︱
具
四 、第 三 国 の容 喙 を 一切排 除 ︱ ︱ 独逸 媾 和 斡 旋打 切 り 。
我 方 に対 す る損 害 賠 償 を 包括 す 。
八 、 法 幣 の改 廃 (日本 円 にリ ンク せし む ︱︱ 中 央 準 備 銀 行 の設 立 )。
七 、列 国 の租界 、治 外法 権 、及 び駐 兵 権 を撤 廃 せ しむ 。
五 、日 独 伊防 共 の強 化 、他 国 に迄 拡大 。
新 政府 と締 結 す べ き協 定 要 項
六 、米 国 に対す る 工作 ︱︱ 中 立 、 ク レ ヂ ット 設定 。
針
九 、 交 通 権 を 欧米 の支 配 よ り独 立 せし む 。 (北支 に於 ては 統 制 会 社
方
一、 支 那 よ り当 面 の英 勢 力 を出 来 得 る限 り退 却 せ しむ る こと。
策
近衛文書
を し て当 ら し む)
体
註
二、 将来 英 国 を し て支 那 より 全 く退 却 の余 儀 な か らし む 。
具
三 、 支 那 を し て支 那 民族 の楽 土 と し真 に 日本 に協 力 せし む。
三二
機 関 と密 に連 繋 せ しむ 。
関東 軍 司 令 部)
内 蒙 自 治 政府 に対す る徳 化 機 関 の指 導 は現状 を維 持 す る も張 家 口
とす 。
右 特 務 機 関 は関 東 軍 司令 官 の隷 下 とし 天 津 軍 と密 に連 絡す る も の
渉 外 、 経 済 の各 事 項 及内 政 上 の根 本方 針 に関 し内 面 指 導 に任 せし む 。
(昭 和 一二 、 八 、 一三
察 哈 爾 方 面 政 治 工作 緊 急 処 理 要 綱
方 針 帝国軍の平綏沿線経 略に伴 ひ先づ察哈爾省地域 を粛正安定し以 て 接満地域 を明朗化し併せて平津方面に対す る脅威 を除去し将来対内 蒙竝綏遠 、山西工作等 を有利 に進展 せしむるを以て根本方針 とし之
て配 し尚 察 南 自 治 政府 には 政治 、経 済 、 交 通等 に経 験 あ る若 干 の人
六 、 察哈 爾 政 権 には独 創 的 且統 制 力 あ る有能 な る日 本 人 を顧 問 とし
物 を 一団 とす る顧 問 団 を配 置 し其 経綸 に 一任 す 、 縣 以 下 に は 日本人
領
一、軍 の推進 に伴 ひ速 に察哈爾省張家 口に察 北、察南を統轄す る 一
を 置 かず 。
要
が施策 の為関東軍竝満洲国側より所要 の支援 を与 ふ。
二、現察哈爾省 を以 て察南自治政府を組織せしめ其長官は成可く従
政権を樹立す ( 察哈爾政権と仮称す)。 来察哈爾省 に在 りし文人を以て之 に充 つ。
に資 し差 当 り満 洲国 国 幣 に依存 せし む るも成 可 く 幣制 を 独立 せ し め
両自 治 政 府 を通ず る財 政 を 調整 し 得 し む 。
七 、満 洲 中 央 銀行 援 助 の下 に速 に察 哈 爾 銀行 を管 理 し 、財 政 の確立
会制とし委員長 を徳王とし副委員長 に新察南自治政府 の長官を充当
八 、察 哈 爾 政 権 は差 当 り 察 南自 治 政 府 地 域 よ り其 収 入中 所 要 経 費 の
三、察哈爾政権 の組織 は内蒙自治政府及察南自治政府より成 る委員 す。
一部 を内 蒙 自治 政 府 に交附 し 得 し む 。
九 、機 を失 せず 満 洲国 交 通 部関 係 官 吏 、満 鉄 職 員 、電 々、電 業 会社
之 が為 速 に塩 務 其 他 徴 税機 関 の接 収 、税 制 調 整 等 の措 置 を 講ず 。
四、察 哈爾政権 は速 に民衆擁護、軍閥排撃、打倒国民党、 日、漢 、 蒙融和 、防共 を以 て施 政 の根本方針とすることを中外 に宣明せしむ。 五、張家 口特務機関を拡充し察哈爾 政府及察南自治政府 の重要軍事 、
職員 等 の技 術 員 を派遣 し交 通 、 通信 の確 保 、 郵 政 の接 収 、 配電 等 に
三
二
要人 の逃避せる空位は原則とし て満洲在住旧察哈爾系人物 を
省公署 の組織は差当り現制を維持す るも逐次之 を簡易化す。
三、中央統轄機関 の組織
充足す。
遺 憾 な き を期 す 。 平 綏 線 は興 中 公 司 をし て管 理 せし む るも其 経 営 は差 当 り満 鉄 に委 託 す 、 又 張 家 口︱ 多 倫 間 に軽 便 鉄 道 を 敷 設 す 。 十 、 治 安 は 張 家 口 及平 綏 沿線 、張 北 方 面 を中 心 とし て駐 屯 せ ら るべ
に設置す。
一
同副委員長
イ、統轄委員長
一
一
察 北 察南 各 要 人
察南長官兼任予定
察 北長官兼任予定 与
ト、治安維持委員会 は察哈爾 政権内 の軍隊 を除く治安維持及民
部門を統制区処す。
ヘ、交 通委員会 は察哈爾政権内 の交通、通信、郵便等 に関する
る部門 を統制区処す。
ホ、財政経済委員会は察哈爾政権内 の主として財政金融 に関す
科長 及若干 の専任事務官 を置く。
書、人事 、経 理、事務を管掌す。
ニ、総務科は委員長及副委員長 の秘書業務、委員会 の庶務、文
南両自治政府 に対す る統制竝 必要 なる執行力を保有 せしむ。
委員会 に区分 し所管事務 に関 し察哈爾政権直轄機関及内蒙、察
ハ、委員会は総務科及財政経 済委員会 、交通委員会 、治安維持
委員長 の諮問 に応じ機務に参 与す。
ロ、参
若干
二 統轄委員会 の組織差 当り左 の如し。
人を以て之 を組織す。
右委員会 は内蒙自治政府及察南自治政府 より選任せる有能 の要
新政権 の中央統轄機関とし て察哈爾政権統轄委員会を張家 口
き 日本 軍 を 中核 とし て察 北 に於 ては 内蒙 軍及 保 安 隊 、察 南 に於 ては 必 要 な る保 安隊 を編 成 し て之 に任 せ し め 従来 の支 那 側 軍隊 は全 部 武 装 を 解除 す 。
( 附)
察哈爾方面政治 工作緊急処 理要綱 に基く具体的措置案 昭和 一二、 八 、 一六 関 東 軍 司 令 部
察哈爾方面政治工作緊急処理要綱具体的措置案 一、察 北 方 面 差し当り現内蒙自治 (軍)政府 の現状を維持す るも逐 次冗員 を淘 汰し、顧問 を刷新し、以 て冗費 を節約 すると共 に特 に特務機関長 の 顧問を通ず る指導力を強化す。 一 察南自治政府は察哈爾省 の現地域 を行政区劃 とし、其公署を
二、察 南 方 面 張家口に置く。
察南自治政府 の顧 問は差 当り中央統轄機関 に配置せる次級顧
問以下若干名 を以 て兼任せしめ重要 政務 の諮問 に応ぜしめ、人事
三
るも のとす。
予算、治安等 に関す る重要事項 に関しては予め其承認 を求めし む
又察哈爾政権内駐屯 の日本軍と密 に連絡す るの措置 を講じ之
生振興 に関する部門 を統制区処す。 が為 日本軍指揮官 を名誉顧問等 に推戴 するものとす。
顧問部要員 は満洲国 日系官吏を主とし 一部 を満鉄 、電 々、中
宣撫機 関の編成は別 に之を定 む。
但新 政権樹立迄は張家口特務機関長 に於 て直轄す 。
な る区処を行 ふ ことを得 るも のとす。
宣撫機関業務 に関し ては所在日本軍隊指揮官、特務機関長 は必要
遣し宣撫 工作 に任 ぜしむ。
八、宣撫 工作 の為差当 り新政権治安維持委員会直属 の宣撫機関 を派
保安隊 の人員 は努 めて之 を縮少す。
す。
保安隊改編 の為満洲国軍警 より所要 の基幹 人員 を派遣するものと
新設すべき保安隊を以て担任 せしむ。
七、治安は日蒙軍 に依 るの外内蒙自治政府保安隊及察南自治政府 に
六、諸工作 の為派遣すべき顧 問其他 の要員は全部軍 の無 給嘱託 とす。
統制下 に顧問部要員 に準じ若干 の人員 を派遣す。
五、銀行管理、徴税機関接収等 に関す る要員 とし て不取敢最高顧問
銀等 より派遣するも のとす。
四
チ、各委員会 は専 任常務委員若干及両自 治政府 より派遣する兼 任 の臨時委員 を以 て構成 す。 一 中央統轄委員会 に日本人 の最高顧問 を置く。
四、顧問部 の編成及任務 最高顧問 は張家 口帝国陸軍特務機関長 の内面指導 に基 き顧問部 特務機関長 の行 ふ内面指導 は軍 の命ず る所 に従 ひ重要軍事、渉
を指揮し中央統轄委員長以下 の業務 を統制指導す。
政治、行政、経済、交通 、治安等 に関 し委員長 の決裁すべき事
外経済等 の各事項 及内 政上 の根本方針 に限るも のとす。
最高顧問指揮監督 の下 に顧問 六、参議 一及秘書若干竝顧問室
項 は全部最高顧問 の承認を求めしむ るも のとす。 二 要員等若干を置く。 イ、顧問 は財政、金融、通信 、郵政、鉄道、自 動車 、治安警備 等 の行政専門家を以 て之に充 て概 ね各委員会 に二名宛配置し上 級顧問をし て各 々下級顧問 を区処せしむるも のとす。 顧問 の内 一は総務科顧問 を兼摂せし む。
九、新政権 は民衆 擁護 、軍閥排撃 、打倒国民党、日蒙軍 の融和、防
各委員会 の決定事項 は当該顧問 の承認 を求む るにあらざれば 執行力を有せしめざるものとす。
共を以て施政 の根本とし真 の共栄 を庶幾す。
整頓 、交通特 に鉄道通信 の確保 を第 一義とし 必要 なる技術的援助 を
新政権 の政治工作は差 当り治安 の確立、民心 の安定、財政金融 の
ロ、参議は最高顧問 の諮問 に応じ随時 必要 なる意見を具申す る も のとす。 ハ、顧問室 は顧問部 に直接必要 なる事務 を掌理するも のとす。
与 ふるも特別 なる政治又は経済 工作 は之を行はず努 めて在住民 の自 治政治 を助成し其福利を増進し て大衆をし て軍閥政治容共政策等 よ 又日鮮人満人 の不良者無職者 の流 入を厳 に取締 るものとす。
り警醒 せしむ。
察哈爾政権組織大綱及指導系統 一覧表
費
政治 工作 の資 金 の 一部は差し当り日満側 に於 て負担し又政権 の内
十、経
政整頓迄必要 に応じ立替払す。
三三
臨参命第七十 四号
令
一
命
一
支隊ノ編組 旅 団 司令 部
一
紙
歩 兵 聯 隊
別
山 砲 兵 大隊
令
一、第 十 一師団 ヨリ天谷支隊 ヲ大連 ニ派遣 ス天谷支隊 ノ編組別紙 ノ
命
如シ
一部
二 一部
工 兵 小 隊 隊
二、第 十 一師団長 ハ天谷支隊 ヲ大連 ニ派遣待命 セシム ヘシ
生
師団通信隊
王
衛
親
シ参謀総長 ノ指揮下 ニ入 ルモノト ス
仁
三、天谷支隊 ハ内地港湾出発 ノ時 ヲ以テ第十 一師団長 ノ指揮下 ヲ脱
昭和十二年 八月十 五日
武 殿
載
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示セシム
田 謙 吉
載 仁 親 王 殿 下
奉勅伝宣
植
参謀総長 参 謀 総 長
室
殿
関東軍司令官
山
宗
第十 一師団長
発
写
三四
電
昭 和十 二年 八 月 十 八 日 ︹ 多田駿中将︺︹ 梅津美治郎中将︺ 次 長、 次 官 宛
時 局 処 理 等 ニ関 ス ル東 條 関
東
條
英
機
宛
発信者
陸
軍
次
官
任 務 ニ基 キ考 察 セラ レタ ル意 見 ト シテ 中 央 ノ施 策 ノ参 考 ト シ アリ
ラ ルル筈 数 次 ニ亘 リ貴 軍 ヨリ提 出 セ ラ レ タ ル時 局処 理要 綱 ハ貴 軍 ノ
一、時 局処 理 ノ方 針 ニ就 テ ハ中 央 ニ於 テ モ既 ニ成 案 ヲ得 追 テ指 示 セ
関電 一二 二 返
時 局 処 理 及 対 察 工 作 ニ関 ス ル件
関 東軍参 謀 長
東 軍 参 謀 長 ト中 央 間 往 復 電
関東 軍参 謀 長
察 哈 爾 政 治 工作 ニ関 ス ル件
キ所 近 ク実 行 ス ヘキ張 家 口攻 略 ニ伴 ヒ将 来 ノ内 蒙 施 策 ヲ容 易 ナ ラ シ
ル内 蒙 ノ強 化 ヲ期 ス ヘキ従 来 ノ方 針 ニ ヨリ施 策 セラ レタ シ
二、 対 内 蒙 政 策 ニ関 シテ ハ差 シ当 リ錫 林 郭勒 察 哈爾 両盟 ヲ版 域 ト ス
曩 ニ当軍 ヨリ提 出 セ ル対 時 局処 理要 綱 ニ関 シ未 タ何 分 ノ御 指 示 ナ
ム ル ノ外天 津 軍 其 他 ヲ シテ 充 分平 津 及山 東 山 西 方 面 ニ重 点 ヲ指 向 シ
写 ( 支 11)
( 終)
( 支 那 駐 軍 ニ ハ参 考 迄 )
右 命 ニ依 リ
(終 )
爾 後 ノ施 策 ニ就 テ ハ情 勢 ノ進 展 ニ伴 ヒ別 ニ指 示 セ ラ ル ル予 定 ナ リ
統 合 指 導 セ ント ス ル案 ハ差 当 リ承 認 セ ラ レ ス
従 テ張 家 口 ニ関 東 軍隷 下 ノ大 特 務 機 関 ヲ直 ニ設 置 シテ察 北 察 南 ヲ
得 シ ム ル為 同 地 ニ当 軍 隷 下 ノ特 務 機 関 ヲ設 置 シ概 ネ該 要 綱要 領 ニ基
報
特 ニ御指 示 ア ラ ハ至 急 承 リ度 ク尚 天津 軍 ニ ハ中 央 ヨリ モ御 指 示 ヲ
キ善 後 措 置 ヲ講 セ シ ム ル ニ付 諒 承 相 成 度
乞フ
電
昭和 十 二年 八 月 二十 日
発
電
写
昭和十 二年八月廿 一日 ︹多田駿中将︺︹ 梅津美治郎中将︺ 次 長 、 次 官 宛
時 局 処 理 ニ関 ス ル件 陸 満 密電 一 一七敬 承
関東軍参謀長
東 條 英 機
一、対 内 蒙 政 策 ニ関 ス ル中 央 ノ意嚮 ハ 一応 諒 承 セ リ 二 、張 家 口方 面 攻 略 後 ノ情 勢 ヲ予 察 ス ル ニ天津 軍 本属 兵 団 ハ自 ラ平 津 方 面 其 他 ニ転 用 セ ラ レ察哈 爾 省 方 面 ハ当 然 当 軍 隷 下部 隊 ヲ以 テ占
従 テ張 家 口方 面 攻 略 ニ伴 ヒ軍 ノ背 後 ヲ粛 正 ス ル為 ニ ハ差 当 リ該 方
拠 シ天 津 軍 ノ背 後 ヲ安 全 ナ ラ シ ム ル ニ至 ル ヘキ モノト認 メラ ル
面 ニ使 用 セ ラ ル ヘキ我 部 隊 ヲ中 核 ト シ テ治 安 ヲ維 持 シ之 ト密 接 ニ連
此 ノ場 合 軍 隊 力直 接 行 政指 導 ニ干 与 ス ル ハ極 力 之 ヲ避 ク ルノ要 ア
繋 シテ諸 般 ノ施 策 ヲ指 導 ス ルノ要 ア ル ヘシ
ルト共 ニ該 方 面 ノ情 況 ハ内 蒙 方 面 ト密 接 ナ ル関 係 アリ テ其 情 勢 亦 平 津 方 面 ト著 シ ク趣 ヲ異 ニシ察 北 察 南 ヲ統 轄 指 導 シ得 ルカ如 キ特 務 機 関 ノ設 置 ヲ ナ ス ニ非 ン ハ明朗 ナ ル接 満 地 帯 ノ建 設 ハ困難 ナ ル ニツ キ
三 、尚 張 家 口攻 略 目睫 ニ迫 レ ル今 日軍 ハ特 務 機 関 ノ設 置 等 ハ第 二義
特 務 機 関 ノ設 置 ニ関 シ テ ハ更 ニ研究 煩 シ度 シ
ト ス ル モ先 ツ背 後 ノ粛 正 ヲ緊 急 必要 ト ス ル ニ付 不 取 敢 直接 必要 ナ ル
右
依
命
人員 ヲ派遣 シ措 置 セシ ム ル ニ付諒 承 相成 度
(第 一師 団 長 管 理)
(第 一師 団 長 管 理)
(第 十 四師 団長 管 理) (第 十 四 師 団長 管 理)
野 戦予 備病 院第 二十九班
野 戦 予 備 病院 第十九班
一号 ノ 二 野 戦 衛 生 材 料 廠
一号 ノ 二 野 戦 衣 糧 廠
七 号 ノ 二野 戦 自 動車 廠
八 号 ノ 二野 戦 工 兵 廠
五号 ノ 二野戦 砲 兵 廠
兵站自動車第七十八乃至第八十中隊
第 一兵 站 自 動 車 隊 本 部
兵 站 電 信第 十 五中 隊
第 七師 団 第 一兵 站 司 令 部
野 戦 鳩 第 十 七 小 隊
野 戦 瓦 斯 第 六 小 隊
第 三固 定無 線 電 信 隊
( 第 九 師 団 長 管 理)
(第 八 師 団 長 管 理)
( 第 十 四師 団 長 管 理)
( 第 八 師 団 長 管 理)
( 第 一師 団 長 管 理)
( 第 一師 団 長 管 理)
( 第 十 六師 団 長 管 理)
( 第 十 六師 団 長 管 理)
( 第 八 師 団 長 管 理)
( 第 十 四師 団 長 管 理)
(近 衛 師 団 長 管 理)
( 第 十 四師 団 長 管 理)
(第 七 師 団 長 管 理)
( 第 八 師 団 長 管 理)
( 第 七 師 団 長 管 理)
(近 衛 師 団 長 管 理)
命 令 ・指 示
独 立 機 関銃 第 九大 隊 独 立軽装 甲車 第十 二中 隊
( 留守第 五師団長管理)
患 者 輸 送 部第 十 八班
三五
野戦重砲兵第 十聯隊 ノ 一大隊
(留守第三師団長管理)
六 号 ノ二兵 站 病 馬 廠
第
十
四
師
団
一、左記部隊 ヲ大連 ニ派遣 ス
一
野戦重砲兵第十聯隊聯隊段列ノ半部
( 留守第 三師団長管理)
臨参命第八十号
第三師団第 五第 六野戦照空隊
第 五師団第 一乃至第 四野戦高射 砲隊乙
(近 衛 師 団 長 管 理)
令
野 戦 電 信 第 十 中 隊
命
無 線 電 信 第 一、 第 二 小 隊
第 四 野 戦 防 疫 部 乙
第 七 師 団 第 一建 築 輸 卒 隊
第十 六 師 団 第 二水 上輸 卒 隊
第 五師団第 三、第 四陸 上輸卒隊
(第 四 師 団 長 管 理)
(第 七 師 団 長 管 理)
(第 十 六師 団 長 管 理)
(留守第 五師団長管理)
二、第十四師 団長 ハ大連 ニ到 リ待機 ス ヘシ 三、動員管理官 ハ第 一項所掲 ノ動員部隊 ヲ大連 ニ派遣待機 セシム ヘ シ
第 十六 師団長 二
中 島 今 朝 吾 殿
示
臨命第四百八十 一号 指
内 ノ察哈爾省特 ニ平綏鉄道沿線 ノ安定確保 ニ任 ス ヘシ
一、支那駐屯軍司令官及関東軍 司今官 ハ各 〓第 二項 ニ示 ス作戦地境
臨参命第 七十 二号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス
時 ヲ以 テ動 員 管 理官 ノ指 揮 ヲ脱 シ第 十 四 師 団長 ノ指 揮 下 ニ入 ル モノ
二、支 那駐屯軍 ト関東軍 トノ作戦 地境 ヲ左 ノ如 ク定 ム
四、 第 一項 ノ諸隊 ( 第 十 四師 団 長 管 理 ノ モ ノ ヲ除 ク) ハ大 連 上陸 ノ
トス
乾 河 ノ線 、線 上 ハ支那駐屯軍 ニ属 ス
靖安堡 ( 満察国境上)︱︱下花園︱︱保安︱︱保安 ヨリ上流 ノ桑
五 、細 項 ニ関 シテ ハ参 謀 総 長 ヲ シテ指 示 セシ ム 昭 和十 二年 八 月 二十 五 日
造
吉
殿
殿
殿
殿
為補給 ヲ援助 ス ヘシ
植
月 清
司
田 謙 吉
殿
殿
四、支那駐屯軍司令官 ハ張 家口方面 ニ在 ル関東軍 司令官隷下部隊ノ
王
田 謙
輔
殿 香
親
尾 壽
稔
関 東 軍 司 令官
仁
植 恭
命
支那駐屯軍司令官
載
西 中
河 村 井
殿
参謀総長 近衛 師 団 長
関 東軍 司令 官
田
殿
奉勅伝宣
第 一師 団 長 松
殿
昭和十 二年八月三十 日
ニ復帰 セシム ヘシ
留守第 三師団長
輔
殿
三、支 那駐屯軍司令官 ハ独立混成第十 一旅団 ヲ関東軍司令官 ノ隷下
第 四師 団 長
田 郷
爲
園 部 和 一郎
安
田 利
蕃
王
留守第五師団長
前
沼
親
第 七 師 団 長
蓮
仁
第八師団長侯爵
土肥 原 賢 二 殿
載
第 九 師 団 長
参謀総長
第 十四 師団 長
三六
針
察 蒙 処 理 要綱
本要綱 に於 ける北支軍 とは北支那方面軍及将来 北支 に駐屯 せしめ 察蒙処理要 綱
らる へき軍を総称 す。 第一 方
( 昭和十二年九月四日)
線地方 に対する施策 は北支軍之 に当り関東軍 は錫 盟 及 察 盟 の大 部
但綏東 四旗に対す る積極的 工作 は内蒙 政権実力 の強化と綏遠及山
(工作 の進展後は烏盟 に及 ぶ範域) に対する工作 を実施す。
是 とす る蒙古 の建設 を指導 し対蘇特 に対外蒙態勢 を調整す るを以 て
二、内蒙 工作は蒙古 人心 の把握 を以 て主 眼とし親 日満防共自治を国
西 に対す る大局的考慮 の下 に行 ふも のとす。
権を充実強化 し親 日満防共自治 の実力充備を図 ると共に同政権領域
窮極 の目的とす之 が為先づ 以て前掲 二盟を範域 とす る内蒙 の内部強
一、察蒙処 理の主眼 は内蒙政権領域 の躁急な る拡大を避 け速 に同政 内 に於 て蒙民族 の安住繁 栄を計 り北支就中察南 及山西処 理と の関係
化 を主とす。
三、上記内蒙 の防衛竝治安確保 の為日満側より所要 の経費、兵器、
に於 ては特 に外蒙 を刺戟 せざ る様考慮を払ふも のとす。
右 の進展 に伴ひ逐 次烏盟 に対し 工作 の拡張 を計 る但之 が為 の施策
を適正 に調整するに在 り。 る境界 は外長城線とし綏東 四旗中平綏線 (之を含 む) 以南 の地域は
二、将来 に於 ける関東軍と北支軍 との察哈爾省 方面政務指導 に関す
三、関東軍及北支 軍は各 〓担任す る政務指 導竝施策 に関 し緊密に連
北支軍 に属するも のと予定す。
内蒙軍 の整備竝に之 が所要 の経費 に関しては昭和十 二年 二月二十
器材等を支給し之 を援助す。
四、察南は察 北 の内蒙政権 に合併す ることなく其政務指導 は北支政
七 日附陸満密第七十 五号 の要領 に準拠す。
務指導要綱 に準拠 し特 に同 地方漢族民衆 に基礎 を置 く機関 をし て治
領
一、差当り関東軍 の政務指導地域は察北、察南 の範囲 とし必要 の場
第二 要
繋 し特 に漢蒙 両民族 の指導 に関し調和を図るも のとす。
合張家 口以西平綏沿線 の施策を担 任し将来察南 の政務指導及平綏沿
安 の維持 民 心 の安 定 経 済 の開 発等 に当 ら し む 。
(終 )
五 、綏 遠 ( 烏 盟 を除 く ) に対 す る施 策 は北 支 軍 に於 て内 蒙 工作 竝 北
本要綱 は陸軍省決定 のも のと推察 さる。
支 就 中 山 西 の処 理 を考 慮 し 適宜 之 を行 ふ。
註
令
一
三七
臨参命第 百二号 命
命
一、第十八師団 ヲ満 洲 ニ派遣 ス 二、第十八師団長 ハ満洲 ニ到リ待機 スヘシ
令
二 臨参命第百三号 命
令
一、左記部隊 ヲ満洲 ニ派遣 ス 五号野戦 関東軍第二野戦 自動車廠(自動車廠) 城 砲 兵 司 令 部 攻
部
(第 四師 団 長 管 理)
(第 一師 団 長 管 理)
( 第 一師 団 長 管 理)
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長ヲ シテ指示 セシム
令
( 第 十 二師 団長 管 理)
司
攻
( 第 十 二師 団長 管 理)
工 兵
攻城重砲兵第 一聯隊 (一大隊欠)乙
城
独立攻 城 重砲 兵 第 四大 隊戊
( 第 四 師 団 長 管 理)
王
(第 四 師 団 長 管 理)
親
攻 城 砲 兵 廠 (一 部 欠)
仁
攻 城 工 兵 廠 (一 部 欠)
載 殿
参謀総長 殿
昭和十二年 九月十 一日 奉勅伝宣 吉
植
( 第 四 師 団 長 管 理)
雄
牛 島
( 第 一師 団 長 管 理)
貞
関東 軍司令官
第 四牽 引 自 動 車 隊 甲
田 謙
第十八師 団長
第 四野 戦 化 学 実 験 部
二、動員管理官 ハ前項 ノ動員部隊 ヲ満洲 ニ派遣 シ関東軍司令官 ノ隷 下 ニ入ラ シム ヘシ
吉
殿
載
親
王
三、第 一項所掲 ノ部隊 ハ鴨緑 江通過若 ハ大連上陸 ノ時 ヲ以 テ動員管
田 謙
三 殿
仁
理官 ノ指揮 ヲ脱 シ関東 軍司令官 ノ隷下 ニ入 ルモノト ス
村
参謀総長
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀 総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十二年九月十 一日
植 井
奉勅伝宣
河 田 乙
殿
関東軍司令官 松
恭 輔
第 一師 団 長 山
殿
第 四師 団長
命
第十二師団長
注
三八
意
弐拾部 の内第参 号
関東 軍 司 令 部 )
し当分総務委員長事務取扱 とす。
会 、交通委 員会 の三個) より成り金井章 次を聯合委員会最高顧問 と
五、聯合委員会は総務委員会及専門委員会 ( 金融委員会、産業委員
書 を作成す るも のとす。
右 に関し ては各政権 の有す る権能を委譲す る為 三自治政権 の協定
を設 け三政権関係事項中影響大な るも のに付協議統制 せしむ。
四、前記三政権より委員各若干名を派遣 し張家 口に蒙疆聯合委員会
性 に鑑 み相当威重を加 ふ。
せしめ其強化を策 す、其指導 は察南自治政府 に準ず るも該地 の特殊
しむるも速 に概ね内長城線 以北地区を統轄 する晋北自治政府を組織
三、山西省大同地方は大同治安維持会をし て該 方面 の内政を代行せ
に蒙 古会議 を開催せしめ蒙古自治聯盟を組織 せしむ。
(昭和 拾 弐 年 拾 月 壱 日
蒙疆 方 面政 治 工作 指 導 要 綱
昭和十二年十月 一日 関 東 軍 司令 部
本要綱は直接職務上 の関係者以外閲覧 を禁ず。
針
蒙疆方面政治工作指導要綱 方
軍 の察哈爾平綏沿線経略 に伴 ふ蒙疆方面政治 工作 の 一般方針 は該 地域 を粛正し特 に接満地帯 の安定 を鞏化 し対内外蒙古竝山西 工作を 有利 に進展せしめ、国、共打倒竝 日、漢 、蒙融和を基 調とす る明朗
領
化 を図ると共 に、赤化防壁を完成 し、以 て該方面を我実権下 に把握 して軍事 の要請を充足 し対蘇支施策 を容易ならしむるに在り。 要
一、察南自 治政府 一般 の指導は既定方針 に拠らしむ。 二、内蒙軍 政府 をして平地泉攻略 に伴 ひ西四旗 の地区を統轄せしめ、
聯合委員会 の構成要領概 ね左 の如し。
二
最高顧問 一、参議 一、各専 門委員会各 二の日系顧問は関東軍
成す。
各政権は内蒙 三、察南二、晋北 二の委員 を出し て委員会 を編
一
右 に伴ひ軍 政府 を自治政府に改組 し政務と軍事とを分離し機 構を
進 で綏遠を接 収し て大青山盟を結成 せしむ。 簡易化す、又烏盟 、伊盟、寧夏方面 を蒙古自治政府に統合する為速
司令官之 を推薦す。
十 、郵政 は聯合委員会管理 の下 に満洲国 と同 一プ ロツク結成 を目標
半民会社を設立 し綜合経営せしむ。
十 二、財政 を調整 し努 めて自給自足を図る之 が為塩務、阿片 、煙草
て察南銀行法幣を以て三政権 の 一元的幣制統 一を行 ふ。
十 一、察南銀行を基礎 とし聯合委員会管 理の下 に改組拡大 し先づ以
に郵政制度及印紙類 を統制せしむ。
三 総 務委員長 は委員会を総理し委員会 を代表す。 総務委員長 は最高顧問及委員 の合議 を以 て之を決するも当分欠 員 とす。 委員会 の事務 を掌理 せしむ る為理事官 、事務官及書記 を又専門
等 に関 し各政権 に関聯 すること多きも のは聯合委員会 に於 て統制す。
委員会 の指 導統制 に関す る命令 及執行 は総 て委員会 の名 に於
事項 を処理せし むる為監察官、書記 を置く 四
十 三、炭礦 、鉄鉱 其他 重要鉱物 の採鉱 及主たる電業及重要産業 に関
十 四、三政権間 の紛争事項 は要すれば聯合委員会 に於 て調整 を図 ら
し ては聯合委員会 に於 て統制す。
そ 之 を行 ふ。 委員会 の決議 は総 て最高顧問及関係各顧問 の合議を要 す。
し む。
五
十 五、各政権は其機構 を簡易化 し其地方 の実情 に即応 せしめ夫 々当
聯合委員会 の経費 は各政権 の分担 とす。
に従 ひ各地特務機関長 を統制区処し、又各地特務機関長は各 地最高
六、張家 口特務機関長 は蒙疆政治工作 一般指導 に関し軍 の命ず る所
該 地方人士 の積極的活動 に俟ち、旧軍閥 の暴虐 と旧官僚 の陋弊とよ
六
顧問 を通じ内面指導 に任ず。
り離脱 し人民自治 の悦楽 を充足 せしむ るを原則 とす。
内蒙政権 に在り ては王侯制度調整、喇嘛教改革、社会政策 の向上
七、各委員会 の計画立案 に当り ては各 政権 の利害 を統制する の外、 今次事変と将来戦準備 とを考慮 し何れも戦時体制を主眼とし、特 に
人登用、漢 人的行政 の尊重に留意す るも のとす。
等 と相俟 ち蒙旗行政を刷新 し又特 に漢人種と の混住地帯 に於 ては漢
十 六、各 地治安維持は帝国軍 を中核 とし内蒙 に在 りて内蒙軍及保安
る 一部圧迫 に就 き ては、其蒙 る利益 の侵害 を最 小限度 ならしむる如 く留意す るも のとす。
に拠 る の外各政権とも原則 として非武装的警察及人民 の自衛組織 の
隊 、察南 、晋北 に在 り ては極少 の保安隊 (一時的 には 一部満軍)等
軍事 の要請 を充足 し之 に依 つて生ず る ことあるべき 一般民衆 に対す
八、平綏線は聯 合委員会 の管理 とし張家 口に 一鉄道局 を設け差当 り
十七、各政権は差当り治安 の確保、民心 の安定 、財政 の整 頓、積弊
特に帝国軍 と緊密なる連絡 を保持 せしむるものとす。
鞏化を主体 とし、民間武 器の散逸 を戒むるも のとす。
軍 の命ず る所 に従ひ満鉄北支事務局 の指導下 に其委任経営をなさし む。 九 、聯合委員会管 理 の下 に電政 を統 一し差当 り電 々会社をし て主 と
の刷新及 日、漢、蒙 民族 の融和等を第 一義 とし排 日教育 の是 正、防
将来 の鉄道 一般 の経営 に関し ては別 に之 を定 む。 し て軍用竝治安維持 を主 とす る通信事業 を担当 せしむ るも速 に半官
別
蒙 疆 政 治 工 作 指 導 系 統 図
表
共 の徹 底 化 を図 り 冗 費 を 節 約 し 特 別 な る政 治 又 は経 済 工作 は 行 はざ
別紙第 一 ( 甲)
( 本案 は修正決定 の分 なり)
蒙疆聯合委員会設定 に関す る協定 (案)
る も の とす 。 十 八 、各 政 権 には 一名 の日系 最 高 顧 問 の外 原則 と し て警 務 顧 問 、財
本聯合委員会は蒙疆聯合委員会 と称し各 政権 に相関聯 して
聯合委員会 に要す る経費は各政権 の分担とす。
を分担するものとす。
各政権は其執行 に付之を援 助し若 は之 を容易ならしむべき義務
名 に於 て之を行 ふ。
第六條 聯 合委員会 の指導統制 に関する命令及執行は聯合委員会 の
合議を要 するものとす。
第五條 聯合委員会 の決議は総 て関係委員竝最高顧問及関係顧問 の
を置く。
第 四條 聯 合委員会 に日本人最高顧問 一名 、同参議及同顧問若干名
第三條 総務委員長 は聯合委員会 を総 理し聯合委員会を代表す。
す。
員会より成り各政権 より特派する委員及必要なる職員 を以て構成
第 二條 聯合委員会 は総務委員会 及産業 、金融、交通等 の各専門委
関し各政権 の有す る權能 の 一部 を委譲 せら るるも のとす。
影響 甚大 なる産業、金融、交通 、其他必要なる重大事項 の処理 に
第 一條
制を加 ふる の必要 を認め たるに依 り〓に聯合委員会を構成す るに決 し左 の通り協定 を締結せり。
て利害休戚 を同う し若 は相関聯 する重要事項 に関し緊 密なる協議統
蒙古聯盟自治政府 、察南自治政府 、晋北自治政府は蒙疆方面 に於
政顧 問 各 一名 を置 き関 係 政 務 の指 導 に任 ぜ し め 重要 事 項 に関 し ては
最 高 顧問 は 二名 の顧 問 を統 制 す る の外 、 人事 予算 其 他 民政 一般 の
予 め其 承 認 を求 め し む 。
顧 問 た る も の とす 。 但 内 蒙 政 権 に於 て は在 来 の配 置 を 顧慮 し適 宜 増 置 す る こと を 得 、 又 盟 に於 ては右 に準 じ配 置 す るも のと す。 十 九 、 各 政 権 に於 て採 用 す る人 事 任 用 に際 し ては第 一現 地 系 、 第 二 満 (蒙 )系 、 第 三 日系 の順 位 とす 、日系 にあ り ては警 務 、教 育 の 一
二十 、 各 政 権 の縣 ( 旗 ) 以下 の復 興 及 機 構 は各 地政 権 内 の実 情 に即
部 及 特 殊技 術 者 の範 囲 に止 む 。
応 せし め努 め て之 を 簡易 化 し 又 は人 事 任 用 に際 し て は 日系 、満 (蒙 ) 系 は顧 問 と す る こと な く機 構 内 に編 入 す る こと を原 則 とす 。
昭和十 二年十月 一日 関 東 軍 司 令部
又 日満 系 顧 問 等 の不当 な る威 圧的 干 渉 は 厳 に抑 止 す る も のと す 。
意
蒙疆方面政治工作指導要綱附録
注
本附 録 は特 に配 布 せ るも の以 外 の閲 覧 を禁 じ 厳 に漏 洩 を戒 む べし 。 第 七條
第八條 聯 合委員会 は各政権 の委譲 により各政権 の共有財産 を管理 し得 るも のとす。
金融委員会は金融に関 する重要事項を掌 る。
産業委員会は産 業に関 する重要事項を掌 る。
交通委員会は交通に関 する重要事項を掌 る。
総務委員会は最高政策竝各政府関聯事項 を掌 る。
各政権は合議 を経 るに非 ざれば本委員会を脱 会することを
第九條 得ず。
四、参議 は最高顧 問 の諮問 に応じ 又随時各委員会 に出席し得るも の 但合議協定 に加らず 。 総務委員会
理
務
事
官
官
とす。
本協定は日文、漢文、蒙 文を以て各 三通 を作成 し条文 の解
卿 恭
事
釈 に疑義を生じたる時 は日文 に拠るも のとす。
第十條
品
記
記 官 書
察
五、委員会 には左 の職員 を置く其定員は委員会 に於 て之 を定む。
于
各専門委員会
年
月
(本交換 公文 は将来共発表せず)
日蒙疆方面各政権は相互協議 の上蒙疆聯合委員会
甲来翰 ( 正文漢文)
(本件修正 のも のなり)
会 と関東軍司令官 と の秘密交換公文 ( 案)
蒙疆聯合委員会設定 に際 し蒙疆聯合委員
別紙第 二
書 監
下名 は各 々其政権 の正当なる委任を承 け爰に記名調印す。 ︹ 註︺ 昭和十 二年十 一月二十 二日於張家 口
夏
︹ 註︺ 卓 図 巴札 布
察南自治政府 代表
蒙古聯盟 、 自治政府代表 晋北自治政府 代表
蒙疆聯合委員会設定 に関す る協定
別紙第 一 (乙) 締結 に際する了解事項 (案) 蒙疆聯合委員会設定 に関す る協定締結 せらるるに際し各委員 は各 其政権 の正当な る委任 を承 け本協定 の運営に関 し左 の通り了解 せり。 一、総務委員長欠員 に際 しては最高顧問又は特 に委員会 の合議決定 したる委員 を以 て事務取扱 たらしむるも のとす。 二、聯合委員会 の委員 とし て各政権より二名宛委員を選任す。 内蒙軍政府は将来 必要 に応じ 一名を増加 することを得 。
設定 に関す る協定を締結 せるに拠 り本聯合委員会 は爰に各政権 の同
三、委員会 の組織 及管掌事項概ね左 の如し、但必要 に応じ委員会 の
一、今 次事変 に於ける貴帝国出師 の根本義に鑑 み、蒙疆地方 に於け
意 を得 て左 の諸件 の確約 に付得貴意度照会候也 。
委員 の任期は二年 とし再任を妨 げず。 合議 を以 て増減する ことを得。
る本委員会 の処 理すべき 一切 の命令 及執行 に関し ては貴軍 占拠 に伴
蒙疆聯合委員会印
右諸条 に関 し下名は夫 々其 政権 の正当 の委任を承けて連署す
察南代 表委 員
ふ軍事 の要 請に応 ぜしむ べく就 ては貴軍竝 日満両国 より充分なる協
内 蒙代 表 委 員
日附貴聯合委員会 が夫 々各 政権 の正当な る委 任を
閣下
力を仰ぎ度く特 に貴軍司令官 の内面的指導 に関 しては深甚なる配慮
月
吉
大同代 表委 員 田 謙
を仰ぎ度き こと。
也
︹ 註︺ 昭和十二年十 一月 二十五 日 関東軍司令官 植
殿
殿
方
針
蒙疆聯合委員会設立 に伴 ふ幣制金融機構確立案
即応する如き方策 を講ず るものとす。
吉
南 銀行法幣 に依 る 一元的統制 を根本主義 として現下進行中 の事態 に
蒙疆聯合委員会設立 に伴 ふ幣制及金融機構は蒙 疆地域 に於 ける察
田 謙
当方 の支障 なき限 りに於 て協力す ることと致度右及 回答得貴意候
承 けたる代表委員 の連 署せる書翰 を以 て照会に係 る諸件了承候。
年
乙往翰 (正文日文)
関東軍司令 官 植
二、本委員会 の最高顧問 、参議、顧問及委 員会職員中主 たるも のは 貴軍司令官 の推薦する日満両国 の者 を充当致度 こと、三政権内日満 系顧問職員 に就 ても右 に準ず べきこと。 三、本委員会 の管理若は統制 すべき重要交通及重要産業 に関 しては 必要 に応 じ貴軍司令官 の指定する日満各機関 に経営を委 任し若 は合 弁事業 を営 ましむ ることあるべく此場合特 に便宜を与 へられたきこ と。 右経営若は合弁事業 に於 て合議 に拠 らず して本委員会を脱退 した る政権 には 一切 の弁償 の措置を講ぜざるべし。
察南代表委員
殿
蒙疆聯合委員会 御 中 内蒙代表委員
四、本委員会管下 の金融事項 に関しては蒙疆銀行をし て中央銀行 た
大同代表委員
らしむるを根本方針 とする に付之に関聯 して将来生ずべき諸事項 に 関し御援 助を願 ひたき こと。
日
別紙第 三
五、本委 員会 は当分貴帝国軍 の駐兵を希望 し之 が為其管理又は経営 す る事業 に関 し財政上 の余力を生ず るに至 れば貴帝国軍駐兵に伴 ふ 経費 に関し現金 又は物納 の形式を以 て之 を分担す ることあるべき こ と。 六、将来正式条約協定等締結 せらるるに際 しても蒙疆地方 に関す る 前記各条項は本聯合委員会構成 の政権に関 する限 り実質 上何等 の変 月
更 なき如く調整する こと。 昭和十二年
要
領
一、察 南 銀 行 を 改組 拡 大 し 三自 治 政 権 の委 託 に基 く蒙 疆 聯 合委 員 会 の管 理 す る 一元 的金 融 統 制 機 構 と し 、資 本 金 壱 千 万 円 に増 加 す る と
二 、察 南 銀 行 は 三自 治 政 権 に対 し察 南 法 幣 各 百 万 円 の借 款 に応 じ三
共 に三 自 治 政 権 の共 有 たら し む 。
自 治 政 権 は之 を改 組 せら る べ き新 察 南 銀 行 に出 資 す る も のとす 。 三 、右 借 款 条件 は満 洲 中 央 銀 行 と察 南 自 治 政 府 間 と の契 約 と略 同 様 た ら しむ るも 特 に察 南 法 幣 を以 て三自 治 政 権 の幣 制 統 一を 為 さ しむ べ き こ と を要 件 と す 。 四 、察 南 銀 行 改 組後 の役 員 に は三 自 治 政権 よ り代 表 各 壱 名 を以 て 理
古 自 治政 府 より 之 を 選 任 す 。
事 た ら しむ る の外別 に名 誉 副 総 裁 壱 名 ( 無 給 賞 与 に留 む ) を設 け蒙
しむ 。
植
田 謙 吉
五 、察 南 銀 行 将 来 の新 紙 幣 に は日漢 蒙 の文 字 を記 載 し流 通 に便 な ら
(参 考附 記 )
宛
関東軍 司令官
蒙疆方面政治工作指導 ニ関 スル件
関参満発第 一六号
臣
長
昭和十二年十月四日
大
総
首題 ニ関 シテ ハ概 ネ貴 方 方 針 ニ準 拠 シ現実 ノ情 勢 ニ適 応 セ シ メ別 冊 指 導要 綱 ニ従 ヒ施 策 ヲ進 メ着 々進 捗 シ ツツ ア ル ニ付 諒 承 相成 度
尚該 方面 施 策 ノ為 統 一指 導 ヲ要 ス ヘキ件 ニ関 シ当 方 ノ意 見 別紙 ノ 通リト ス (一六七頁 以下)参照。
︹ 註︺ 日付及署名等 ハ後 日書 キ入レタ ルモノト 思 ハル ﹁本書四 五 文 書﹂
三九
関 参満 発第 一三 号
張 家 口特 務 機 関 長 松 井 大 佐 他 ニ与 フ ル訓 令
︹2 ︺
又聯 合 委 員 会 ト軍 司令 官 ト ノ秘 密 交換 公 文 ハ附 録 別 紙 第 二 ヲ基 準
ト シ努 メ テ聯 合 委 員 会 ノ自発 的発 意 ニ基 ク如 ク指導 醇 ス ヘシ
一、 貴 官 ハ蒙 疆 方面 政 治 工作 ニ関 シ別 冊指 導 要 綱 ニ基 キ関 係 機 関 ヲ 統 制 シ其 指 導 ニ任 ス ヘ シ
蒙 疆 地方 一般 鉄 道 ノ運 営 ト 共 ニ指 示 ス ヘシ、 之 カ為 鉄 道 局 等 ト連 絡
将来 聯 合 委 員 会 管 理 業 務 ト ノ関 係 竝 其 経 営 、北 支 方 面 ト ノ調整 ハ
一鉄道 局 ヲ張 家 口 ニ設 ケ 管 理業 務 ヲ行 ハシ ム
吉
四 、平 綏 線 ハ聯 合 委 員 会 ノ管 理 ト ス ルモ差 当 リ満 鉄 北 支 事 務 局 ヨリ
謙
二 、蒙 疆 方 面 一般 指 導 ニ関 シ テ ハ関 係 特務 機 関 長 ヲ統 制 区処 ス ヘシ
田
︹ 3︺
六 、阿 片 、塩 務 政 策 ノ確 立 ニ方 リ テ ハ特 ニ蒙 疆 方面 ノ財 源 ノ捻 出 ニ
植
シ現 地 ニ即 セ ル成 案 ヲ策 定 ス ヘシ
五 、幣 制 及金 融 機 構 ノ 一元 的 統 一 ハ附 録 別 紙 第 三 ニ拠 リ先 ツ以 テ 察
留 意 ス ルト共 ニ我実 権 下 ニア ラサ ル支 那他 地方 ニ対 ス ル財 源 阻 止 及
関東 軍 司令 官
三 、細 部 ニ関 シテ ハ参 謀 長 ヲ シ テ指 示 セ シ ム
参謀 部各 課
昭 和 十 二年 十 月 四 日
通報先
一、晋 北 自 治 政 府 ハ在 住 民 ノ自 主 発 生 的 機 運 ヲ醸 成 シ速 ニ成 立 セ シ
コト ニ関 シ研 究 ヲ進 ム ヘシ
南 銀 行 ノ改組 拡 大 ニ ヨリ行 フ モ将来 機 ヲ見 テ普遍 的名 称 ニ改 正 ス ル
ム ヘシ
七 、其 地 方 鉱 山 資源 ノ開 発 ニ方 リテ ハ差当 リ龍 煙 鉄 鉱 ハ興 中 公 司 ヲ
食 糧 封 鎖 ノ着 意 ヲ以 テ指 導 ス ヘシ
関参 満 発 第 一四号 ︹ 太久郎︺ 松 井 大 佐 ニ与 フ ル指 示
二 、蒙 古 自 治 政 府 ハ成 ヘク速 ニ其成 立 ヲ促 進 ス ルト 共 ニ漢 人 種 ト ノ
中 心 ト シ、 下 花 園 、大 同炭 山 ハ速 ニ調 査 ヲ開 始 シ開 発 準 備 ヲ促 進 ス
摩 擦 防 止 ニ関 シ深 甚 ノ考 慮 ヲ払 ハシ ム ヘシ
ヘシ其 経 営 ノ主 体 ニ関 シテ ハ更 ニ指 示 ス
︹1 ︺
シ ム ヘク、 其 設 定 ニ関 ス ル協 定 ハ附 録 別 紙第 一ヲ基 準 ト ス ヘシ
三 、 三政 権 聯 合 委 員 会 ハ関係 特 務 機 関 長 ト連 絡 シ努 メテ速 ニ設 定 セ
又伊 盟 方 面 石 油資 源 ノ獲 得 ニ留 意 ス ルヲ要 ス 八 、各 地治 安 維持 ニ関 シ テ ハ関 係 機 関 ヲ指 導 シ所 在 軍 隊 特 ニ帝 国 軍
︹ 4︺
ト緊 密 ニ連 絡 セ シ ム ルト共 ニ特 ニ作 戦 警 備 ノ要 求 充 足 ヲ遺 憾 ナ カ ラ シム ヘシ
九 、別紙指導要綱 ノ具現 ニ際 シテ ハ重要事項 ニ関 シ予 メ軍司令官 ノ 認可 ヲ承 ク ヘシ
東 條
英
機
十 、別冊指導要綱及要綱附録別紙第 一乃至第 三 ハ聯合委員会最高顧 昭和十二年十月 四日 関東軍参謀長
問 以外 ニハ閲覧 ヲ禁 シ関係機関 ニハ必要 ニ応 シ指示 スヘシ
通報先 参謀部各課 関参満発第 一五号 大同 羽山中佐 張北特務機関長桑原中佐 ニ与 フ ル訓 令 貴官等 ハ蒙疆方面政治 工作 ニ関 シ別冊指導要綱 ニ基 キ各其地政権 蒙疆方面 一般 ノ指導 ニ関 シテ ハ張家口特務機関長 ノ統制区処 ヲ承
ノ内面指導 ニ任 ス ヘシ
関東軍司令官
植
田 謙
吉
別冊指導要綱 ハ貴官以外 ノ閲覧 ヲ禁 ス関係機構 ニハ必要事項 ノミ
ク ヘシ ヲ指示 スヘシ
参謀部各課
昭和十二年十 月四日 通報先
︹1 ︺ ︹2 ︺ ︹3︺ ︹4 ︺附 録 別 紙 第 一・第 二 ・第 三 及指 導 要 綱 に関 し て
は前 掲 ﹁三八 文 書 ﹂別 紙 を夫 々参 照 。
註
目 言
次
四〇
第一 緒
篠 原 兵 団戦 闘 (行動 )詳 報 第 一号
( 篠 原 支 隊)
中防 衛 地 区東 部 地 区 兵 力 配置 要 図
(八 月 二 十 三 日 に於 ける )
(九 月 二 十 九 日以 降 )
(八 月 二 十 日 以降 に於 け る )
(略︶
(〃)
(〃)
(〃)
(〃)
( 略)
(八 月 十 六 日︱ 十 八 日頃 に於 け る)
中防 衛 地 区 ( 第 二師 団 ) 兵 力配 置要 図
第三
篠 原 支隊 承 徳 配 宿 要 図
第二
第四
同
(八 月 十 八 日 に於 け る)
第五
熱 河 兵站 施 設要 図
(八 月 二十 二 日 に於 け る)
第六
自八月二十六日長尾輸送部隊行動要報 至九月 五日
録 第 一
言
自八月二十八日 熊谷輸送部隊行動要報 至九月 十 九日
第一 緒
第二
附
篠原 支 隊 編成 及張 北 に向 ふ
自 昭和 十 二年 八 月 十 八 日 至 昭和 十 二年 九 月 一 日
行 動詳 報
第 二 編成当時 に於 ける彼我形勢 の概要 第 三 編成下令 及編成 第 四 承徳 に至 る鉄道輸送 第 五 承徳 に於ける宿営 第 六 張北 に向 ふ前進 第 七 其他 に就 て 表 第 一 篠原支隊人馬 一覧表
附
第 二 篠原支隊将 校(准 上尉級 を含む 職)職員表 自哈爾賓篠原支隊鉄道輸送概見表 略 第三 至 承 徳 自承 徳 篠原支隊行動概見表 第四 至 略 永嘉堡 図 第 一 篠原支隊編成直前 に於 ける内蒙方面彼 我形勢要図
附
本書 に於 ては篠原支隊編成当時より輸送、承徳集結及張北附近 に 向 ふ前進 に関 し記述す。 支隊は八月十八日軍命令に依 り編成 せられ翌十九日より鉄道 に依 り輸送 を開始 し同 二十三日乃至 二十七日 の間 に承徳 に集結を完了す。 支隊長 は八月 二十三日承徳 に到着す るや軍命今 に依 り 一部 ( 猪鹿
又山西軍は大同方面 より逐 次東方 に輸送 せられあり。
の作戦を準備中 なり。
三、友軍 の状況 ︹ 政材︺ 1、混成第 二旅団 (長本多少将)及堤支隊 は張北附近 に於 て爾後
2、大泉支隊 は承徳 より自動車及飛行機 に依り前進し主 力を以 て
を経 て張北方面 に転進中なり。
3、酒井兵団 は通州附 近より自動車及 (一部は鉄道) に依 り承徳
沽源附 近に在 り。
(馬匹等は陸行) に依 り先ず張北 に前進せしめたりしが二十七日更
4、鈴木兵団及第五師団は南 口及其附近 の敵を攻撃中 なり。
倉 大佐 の指揮す る歩兵二大隊 、野砲兵 一大 隊を基幹 とす)を自動車 に軍命令 に依り全力を以て同地 に向ひ前進 せしめらる、依 て残部 は
編成下令及編成
左
記
後 八時 三十分仙作命甲第 三十 六号 (別紙第 一の 一) を受領す。
八月十八日午後六時頃 到着 せる左記軍命令 ( 電報 )に基 き同日午
一、編 成 下 令
第三
朝哈市を出発 し 一面坡 に帰還 の準備中 なり。
に駐屯する為既 に同地 に在り、又歩兵第十 六聯隊第 三大隊は十九日
爾賓 に集め諸兵連 合の訓練 を実施し歩 兵第 三十聯隊第 二大隊は哈市
尚師団 は歩兵第十六聯隊第 三大隊、歩兵第 三十聯隊第 二大隊を哈
八月十八日 に於ける師団 の警備状況附図第 二 の如 し。
四、師団 の警備状況
二十八日より自動車 ( 騎兵隊及馬匹等 は陸行) に依り九月 一日に亘 り承徳 を出発す。 (附図第 一、第 二参照)
第 二 編成当時 に於ける彼我形勢 の概要
内蒙方面 の敵 は徳化、南壕塹 、臺路溝 ( 張北五 十 西南粁 方)の線 に進出し
一、内蒙方面 の状況 内蒙軍は康保公会、張 北、崇禮 (太平站)沽源 の線 に在 りて敵 の攻 撃を阻止しあり、尚義 ( 大清溝) に対し て商都 より約 四千 の敵前進 中 にして尚義は状況急迫 しあるものと観察 せらる。 又劉汝 明は十五日夜攻勢 に転ずるに決 し三縦隊 を以 て張 北及太平 站 に前進すべき命令 を下達す る等ありて張北附 近は状況相当 切迫 せ るものと認めらる。
歩兵第十五旅団 (一 大 隊 欠)
騎 兵 第 二 聯 隊 (一 中 隊 欠)
一、
関参 一電 一三五号 (其 ノ 一︱其 ノ三)
中心 とし て察哈爾省東境附近八達嶺 の天嶮を利 用 し て我 板 垣 兵団
野砲兵第 二聯隊 ( 野砲 二大隊欠)
湯恩伯 の指揮す る第十三軍及第十七軍は (共 に中央軍)平綏線を
二、察哈爾方面 の状況
(第五師団)及鈴木兵団 の攻撃 を阻止しあり。
師 団 通 信 隊
工 兵 第 二 聯 隊 (一 中 隊 欠)
出 動 後 に於 け る歩 兵 第 十 五 旅 団 警備 地域 に於 け る配 置附 図第 三 の
三 十 聯 隊 第 三大 隊 を之 に充 当 せり 。
し 原 田 軍参 謀 の主 張 に依 り建 制 を 以 て残置 す る如 く 決 定 し歩 兵 第
銃 一小隊 を附 す ) を派 遣 しあ り し を 以 て人馬 数 僅 少 にし て聯 隊 と
2 、騎 兵 聯 隊 は關 支 隊 (後 に本多 支 隊 )編 成 の際 第 二 中隊 ( 機関
(混 成 ) を 哈 市 に招 致 せり 。
こと と な り し を以 て師 団 は 田村 旅 団 よ り 大 隊 長 の 指 揮 す る 一大 隊
歩 兵 第 三 十 聯隊 第 二大 隊 は哈 市 駐屯 の予定 な りし が該 隊出 動 す る
如し。
輜 重 兵 中 隊 ノ応急派兵 ヲ令 ス 二、前項応急派兵 ノ部隊 ヲ以テ篠原支隊 ヲ編成 ス 各部隊 ハ現 ニ配属 シアル自動貨車 ヲ以 テ適時大行李 ヲ編成
三、編成 ニ関 シ特 ニ指示 スルモノ左ノ如 シ 一 ス
し て の活 動 に影 響 せり 。
旅団司令部 ニハ参謀 一、部附 一、及各部将校各 一及所要 ノ
(註) 各部隊 には自動貨車 配属しあらず 二
三二個
一小隊 は二分隊 計 電話機 {
一二〇巻
一個
四個
被覆線 九 四式三号乙 対空用無線
{
地方より徴傭 せる運転手は 四十九名なり。
買 し同地通過 の際配属 を受 けたり。
程度 不良 の為購買するを得ず已むを得ず軍 に依托 して新京 にて購
尚各隊大行李用とし て二十輛 を哈市 にて購買する予定なりしが
内購買 せる数は二十八輛 とす。
自動車五十輛より成 る。
5 、輜重兵中隊
無線 一小隊
有線 二小隊
4 、通 信 隊 の器 材 左 の如 し。
3 、野 砲 兵 聯 隊 は野 砲 一大隊 、軽 榴 一大隊 な り。
輜重兵中隊 ハ軍年 令附表第 五属表 ノ規定 ニ拘 ラ ス自動貨車
部附 一ハ軍司令部 ヨリ配属 ス
下 士官 ヲ増加 ス 三 五〇輛 ヲ以テ 一中隊 ヲ編成 ス 自動貨車 ノ不足約二〇輛 ハ師団長哈爾賓附近 ニ於 テ適時購売 スヘシ
成
四、編成完結 セ ハ成 ル可 ク速 ニ承徳 ニ向 ヒ前進 スヘシ 二、編
各部隊 は仙作命甲第三六号 に基 き応急派兵 の編成を以て出動す る の準備 を為 し在哈部隊は十九日朝迄 に之 を完結せり。 1、歩兵 の編成 軍命令 に依れば歩 兵第 十五旅団 (一大隊欠)とありしを以 て警 備 地域 の関係 より歩兵第 十六聯隊 より 一中隊、歩兵第 三十聯隊 よ り約 二中隊 の混成を以て残留 せしむ る如く処置 せるも当時来哈せ
6、衛
生 班
八月十八日午後 七時発 の関作命第 一、 一二三号 に依り奉天陸軍 病院 にて編成せる関東軍第 二衛生班 を配属 せらる。 其編成左 の如 し。
各隊大行李用 とし て徴発配属せられたる自動車は作戦間主 とし
馬、牛及支那車輛を以 て之を編成 せること。
て輜重兵中隊 にて指揮運用せり。
3、作戦 地方 は内蒙方面と予想せるを以 て之 に応ずる如 く沸水車
軍 中
医 大 尉
尉
尉
一
一
一
一
一
従 て本作戦間大 に利便を得 たり ( 大泉支隊は夏服を着用 し冬服 を携行せしが其冬服 の追送せられしは十月中旬南庄頭︵忻 口 鎮︶ 東方 二里
と に師団長 より定めら る。
鑿井機等 を準備 し又該地方 の気象 を顧慮し全部冬 服を着用す るこ
同 少 尉 一
昌 男
同 剤 中 尉
小 川
薬 生 大
長 軍 医 中佐
衛 七
二〇 ︸計 二三 三 開設中は主 とし て 一五 患 者 の後送 に使用す
示
命 を奉じ て我部隊 の 一部 を遠
然 れども現下 に於ける情勢 の変転 は逆賭すべからざるも のあるを
の本懐何物 か之 に加 へん。
〓 に篠原支隊長以下親 愛なる全将士 が勇躍其任 に就 かんとす武人
ころなり。
く蒙支 の疆 に出動 せしめられんとす るは本職 の欣快措 く能 はざ ると
北支 の戦況愈 々緊迫 を加 ふる の秋
出動 に方 り篠原支隊将校以下 に与 ふる訓示
1、十九日午後 二時師団長 より左 の訓示あり。
四、訓
附 近 に於 ける戦闘中なりし)
主 計 下士 官 五二
人 車
六六
兵
生
転
手
衛 生 下士 官 衛 計 其他 に 運 傭 貨
以 て支隊長 を核心とする鉄石 の団結、光輝ある我師 団 の戦史 と精到
自 動
7 、 八 月 二十 六 日 に於 け る篠 原 支 隊 の人 馬 一覧表 附 表 第 一の如 し 。
なる訓練 とより発する必勝 の信念 を堅持し随 処 に偉 大なる戦力 を発
揮 し以て遺憾なく師団及郷党 の名誉 を発揚せ んことを望 む。
第 二師団長
岡
村
寧
高原性 に富む戦場は既 に秋冷 の気到 るべし自 重自愛 せよ。 昭和十 二年八月十九日
次
8 、 八 月 三十 日 に於 け る篠 原支 隊 将 校 職 員 表 附表 第 二 の如 し。 三 、編 成 装備 の特 長 1 、 支隊 は全 部 現 役 人 馬 に て編 成 せ る を以 て他 の動 員部 隊 に比 し 素 質 極 め て優 秀 な る こと 。 2 、 各隊 大 小 行 李 は駐 屯 地 及 現 地 に於 て各 隊 毎 に駱 駝 、騾 馬 、 驢
2 、午 後 一時 支隊 長 は哈 市 歩 兵 第 十 五旅 団 司令 部 に在 哈 、出 動 部
訓
示
隊 長 を集 め 左 の訓 示 を為 す と共 に別 紙 第 二篠 作 命 甲 第 一号 を 下達 す。
〓 に篠 原 支 隊 を編 成 せ ら れ本 職 之 が統 率 の任 に当 り将 に壮 途 に就
惟 ふ に今 次 事 変 の戦 局 は漸 次拡 大 し其 前途 逆 睹 し難 き も のあ り 然
か ん と す武 人 の本懐 何 も のか之 に過 ぎ ん。
れ ど も外 、皇 軍 の健 闘 に依 り到 る処 赫 々た る武勲 を奏 し内 国 民 の赤
現 し あ る は誠 に痛 快 に堪 へざ る も のあり 。
誠 よ り迸 り た る後 援 に依 り所 謂 挙 国 一致 の実 を挙 げ皇 国 の真 姿 を 顕
騎 兵 第 二 聯 隊(第 二 中 隊 欠)
歩 兵第三十聯隊(第二、第三大隊欠)
支 隊長
篠 原 誠
一郎
二十日午前 八時三十分軍司令官 に申告 の後 新京 を出発し奉天 に向
新京 に到着後同地 に宿 営す。
及辻軍曹 を随 へ十九日午後 七時十分普通列車にて哈爾賓駅を出発 し
支隊長 は軍司令官 に申告 の為原 田参謀、中村副官 、柳沼主計少佐
三、支隊長 の行動
支隊鉄道輸送 の概要及承徳集結 の状況附表第三 の如し。
を完了せり。
以 て支隊 は二十 三日承徳集結 の予定なりし が実際 は二十七日 に集結
当時北支南満 一帯 に亘る水害 の為鉄道線路諸所破壊 せら れたるを
第 一列車 は十九 日午後八時出発承徳 に向ひ前進す。
各部隊 は野戦鉄道司令部哈爾賓支部 の作 製せる輸送計画表 に基き
送
当時野 戦鉄道司令部 の作製 せる承徳方面輸送概見表別紙第三 の如 し。
歩 兵 第三 十 聯 隊第 二大 隊
素 上司 の訓 諭 に遵 ひ 一意 奉 公 の誠 を効 し 以 て完全 に任 務 を達 成 し 師
野砲兵第二聯隊(第一、第三大隊欠) 二、輸
工 兵 第 二 聯 隊(第 一 中 隊 欠)
団 の名 誉 を発 揚 せ ん こ とを 期 す べ し 。
承 徳 に至 る鉄 道 輸 送
爾 賓 支 部 に要 求 せり 其 順序 左 の如 し。
る を 以 て先 づ在 哈 部 隊 よ り輸 送 す る こと と し 其旨 野 戦 鉄 道 司 令 部 哈
歩 兵 部 隊 は哈 市 以 外 に駐 屯 し あ る を以 て哈 市集 結 迄 に時 間 を 要 す
一、輸 送 順 序 に関 す る 要求
第四
本 件 に関 し別 紙 第 一の三 乃至 四 の第 二師 団命 令 を受 領 す 。
五 、兵 器 、弾 薬 、衛 生 材料 に就 て
右 訓 示す 。
諸 子 必 ず や期 す る所 あ る べ し と雖 自 重 自愛 克 く其 本 分 を自覚 し 平
力
主
の
隊
重
輜
隊
聯
六
十
第
兵
歩
五 輛) 輜 重 隊 の 一 部(十
隊 信 通 団 師
部 本 隊 支
二十 一日午前零時十分普通列車 にて奉天 を出発し承徳 に先行す る
ふ。
も二十 日午後九時 二十分奉天発 の支隊 の第 一列車 に搭乗し て前進す。
予定なりしも北支方面諸隊輸送 の為 該普通列車運行せざりし為恰 か 二十 一日午前 二時大虎山駅 に到着 するや水害 の為左 の如 き鉄道破 壊 の状況 を知り已むなく待機す。
尚新立屯南方鉄道線路修理 の為工兵聯隊 を使用する為篠作命甲第 二号 (別紙第四) を下達す。 右命令 に基 き工兵聯隊は正午大虎 山駅を出発 し現場 に赴 き修 理完
なかりしを以 て第 一列車 の機関車 に依り支隊長搭乗 の客車を運転し
先づ錦縣 に到 る為二十二日午前 一時篠作命甲第 四号 ( 別紙第五)を
是 に於 て支隊長は原田参謀 、椛大尉、磯貝、中村両副官、岩橋軍
下達 せり。
医少佐 、柳沼主計少佐、通信掛酒井中尉及下士官 以下十名 と共 に午
然 るに同地 より僅 に ﹁モーターカー﹂ 一台 の運行を為す に過ぎざ
前 五時大虎山発午前九時三十分錦縣 に到着す。
りしを以て支隊長 は原田参謀 、椛大尉 、中村副官、柳沼主計少佐、
書記樺澤曹長、暗号掛辻軍曹及兵 二計八名と共 に先行 し他 は磯貝副
官 の区処 を以 て大虎山 に引返し支隊第 一列車と共に前進 せしむる為
支隊長 は原 田参謀以下 八名を随 へ二十 二日午前十時 三十分錦縣発
篠作命甲第五号 (別紙第 六 の 一) を下達 せり。
﹁モーターカー﹂ にて義縣 に向 ひ午後 一時同地 に到着す。
然 るに間 もなく高橋砲兵大佐 の搭乗す る支隊第二列車到着 せしを
承徳に於 ける宿営
以 て之 に搭乗 し午後六時義縣発承徳 に向 ひ二十三日午前 八時 三十分 第五
同 地 に到着す。
支隊 は承徳到着後同地兵站支部 と交渉 の結果附図第 四次で附図第 五の態勢を以 て宿営 す。
徳西方 但 し兵站支部 に於 ては宿営力 の関係上〓 平 ︵承 十 五 粁︶に宿営 せら
二十 一日大虎山駅 にて列車内 に宿 営す。
第 二四号 (別紙第六 の二) を下達 し宿営地 の 一部 を変更す又支隊司
決定 せり、其後衛生上 の顧慮 に基 き八月二十九日午後 一時篠作命甲
れ度旨要求ありたるも指揮 、連絡 の関係上承徳 を適当 と認 め同地 に
二十 二日支隊長 は荏苒時を移す に於 ては将来作戦 の為 支障 あるべ
令部 は離宮内鈴木 部隊本部 の 一室 を借用しありしが同本部 の都合 に
成 の上承徳 に向 へり。
きを顧慮し成 るべく速 に先行 する の必要 を認めたるも他 に輪転材料
張 北 に向 ふ前 進
依 り移 転 の必 要 に迫 ら れ 八月 二十 五 日 以 降税 務 監 督 局 内 に移 転 す。 第六 一、 一部 の先 遣 準備 支 隊 長 は 承 徳 駅着 後 直 に兵 站 司 令 部 に米山 大 佐 を訪 ひ連 絡 す る所 あ り し が同 所 に て二 十 一日発 の軍 命 令 を 受領 す 。 篠 原 支 隊 長 ハ歩 兵 二大 隊 、砲 兵 一大 隊 ヲ基 幹 ト ス ル部 隊 ヲ速 ニ 多 倫 ニ派 遣 し 軍直 轄 タ ラ シ ム ヘシ
と あ り。
依 て軍 戦 闘 司令 所 高 級 参 謀綾 部 大 佐 に対 し ﹁先遣 隊 ハ速 ニ張 北 ニ
派 遣 ス ルト共 ニ将 来 ノ前 進 ヲ顧 慮 シ主 力 ノ車 馬 ヲ モ成 ル ヘク速 ニ陸
行 セ シ ム ル ヲ可 ト ス﹂ と の要 旨 の書信 を患 者 用 飛 行 機 に托 し て連 絡
し 又 午前 九時 軍 参 謀 長 に対 し電 報 を 以 て ﹁支 隊 主 力 ハ関 作 命 蒙 第 三
六 号 ニ拘 ラ ス主 力 ヲ以 テ張 北 ニ向 ヒ前 進 シ度 返 ﹂ と照 会 せ る に対 し
同 日午後 十時 頃 左記 電 報 (関参 作蒙 電 一四八 ) を 受領 す。
1 、 通 信 隊 の 一部 と は 三号 無 線 機 二 を 意味 す る も の にし て当 該 先
兵 力 決 定 上 顧 慮 し た る事 項 左 の如 し 。
作 命 甲 第 六 号 (別 紙 第 七) を下 達 せり 。
馬 匹及 砲 兵 ハ明 二十 五 日承 徳 ︱ 豊 密 ︱ 大 灘︱ 沽 源 道 ヲ張 北 ニ向 ヒ
別 命 セラ ル ル モ輸 送 機 関 ノ関 係 上概 ネ 三十 日 頃 ノ予定 ナ リ但 シ其
徳 復 帰 ヲ待 チ テ行 動 ヲ開 始 セ シメ ラ ル ル筈 ニ付 兵団 ノ前 進 時 機 ハ
榴 一大隊 ヲ逐 次張 北 ニ進 メ爾 余 ノ主 力 ハ右 部 隊 輸送 用自 動 車 ノ承
関 作 命 蒙第 三 六号 ニ依 リ 二 十 六 日 ヨリ先 遣 部 隊歩 兵 二大 隊 、 軽
記
遣 隊 の将 来 の作 戦 を顧 慮 し 一機 とせず 二機 と せり 。
前 進 セ シ ム ルヲ要 ス
左
2 、 輜 重 兵 中隊 及 各 隊 大 行 李 用 自動 車 を兵 力 移 動 に使 用 し た る は
是 に於 て先 遣 隊 の張 北 に 向 つてす る前 進 及主 力 の出 発 時 期 に関し
依 て兵 力 未 だ集 結 せざ る を以 て出 動 を 準備 せ しむ る為 午 後 二時篠
に在 り し を 以 てな り。
記
旨
記
歩 兵 第 三十 聯 隊 (第 三大 隊 欠 )
左
午 後 三時 三十 分 篠 作 命 甲 第 九号 ( 別 紙 第 九 ) を下 達 せり 。
支 隊 は 関作 命 蒙 第 三六 号 に基 き 左記 部 隊 を 先遣 す る為 二十 四 日
1 、要
三 、 先 遣 隊 の派 遣
四日 午 後 三 時 三十 分 篠 作 命 甲第 八号 ( 別 紙 第 八 ) を下 達 せり 。
尚 軍戦 闘 司令 所 と の連絡 の必 要 を認 め 原 田参 謀 を派 遣 す る為 二十
明 瞭 と な れ り。
当 時 兵 站 の有 す る自 動 車 少 く 之 に依 り輸 送 す る こ と困 難 な る 状 況
当 時 に於 け る兵 站 施 設 の概 要 附 図 第 六 の如 し。
左
八 月 二十 四 日午 前 三時 頃 関 作 命 蒙 第 三 六 号 に依 る 左記 電 報 を 受 領
二 、 先 遣 部 隊 の前 進 目標 及 砲 兵 大 隊 の変 更
す。
篠 原 支 隊 長 ハ要 ス レ ハ歩 兵 一聯 隊 (一大 隊 欠) 軽 榴 一大 隊 ヲ基
ノ準 備 ニ在 ル ヘシ
幹 ト ス ル 一部隊 ヲ張 北 ニ進 メ主 力 ヲ承 徳 ニ集 結 、随 時 出 動 シ得 ル
(註 ) 右電 文中 ﹁要 ス レ ハ﹂ は 誤 り にし て印 刷 命 令 には ﹁ 速 ニ﹂
工兵 第 二聯 隊 の 一小隊
機関銃 、歩兵砲隊、戦砲隊馬等
歩兵指揮官用乗馬
生 二
班 名
の
一 部
而 し て篠作命甲第九号 に於 ては陸路行軍部隊は 一団となりて前
一号 (別紙 第十) を下達 せり。
先遣隊陸路行軍第 一次部隊 の為二十 五日午後五時篠 作命甲第十
2、陸路 行軍 の第 一次部隊 の出 発
経 路は承徳︱豊〓︱大灘︱沽源︱張北道
主 として大小行李用馬匹
第二次 (二十 八日出発)
野砲兵第二聯隊第四大隊
衛 兵
師団通信隊 の無線 二分隊 憲 ( 支隊配属憲兵は高津准尉 以下六名とす) 右部隊 の前進要領左 の如 し。 一、自動車輸送部隊
る行軍に適 せざ るを以 て戦闘上必須 のものにし て速 度を延ばし得
進す る如 く命 ぜしも斯く ては速 度 の異 なるものあり て迅速 を要す
第 一梯団 (二十五日出発) 歩兵第 三十聯隊第二大隊 ( 第 六中隊、大隊砲欠)
を下達し歩兵第三十聯隊第 二中隊小隊長重原少尉 の指揮す る 一小
給 の的を以 て二十六日午前十時篠作命甲第 一二号 ( 別紙第十 一)
附近 の敵情 に鑑 み護衛隊 の兵力 を増加する の必要 を認 め且糧秣補
前項部隊 の騎 兵小隊 は銃数僅 に十七 に過ぎざ りしを以 て獨石口
3、前項陸 行部隊掩護兵力増加
は其第 一次行軍部隊 の為 なり。
るも のと否 らざ るものとの二団 に区分して前進 せしめたり本命令
歩兵第 三十聯隊第 一中隊 (一小隊欠)及第二中隊 の 一小隊 野砲兵第 二聯隊第四大隊 ( 第 十 一中隊欠) 第 二梯 団 (二十八日出発) 歩兵第三十聯隊本部、通信班第六中隊、聯隊砲 野砲兵第二聯隊第十 一中隊 歩兵第 三十聯隊第 一大隊 ( 第 一中隊第 二中隊 の 一小隊欠)
隊 をし て衛 生班 の自動車 に依り沽源 に至 る間 の掩護を為すと共に
第 三梯図 (二十九日出発) 第二大隊砲 、速射砲
糧秣 の補 給 に任 ぜしむ而 して沽源迄 に任務を制限 したるは該地以
野砲兵第 二聯隊第 四大隊観測班
ればなり。
南は常続補 給 の兵站線 ありて掩護及補 給 の必要 なきも のと認めた
自動車 は千葉部隊及兵站 の自動車 を使用、経路は承徳︱囲場︱ 多倫︱張北道
自八月二十六日 至九月 五 日長尾輸送部隊 の行動要報附録第 一の如し。 4、陸行部隊第二次部隊 の前進
二、陸路 行軍部隊 野砲兵第 四大隊 の乗馬、輓 馬
第 一次 (二十 六日出発)
先遣隊に属す る速度 の遅き大行李馬匹等を二十七日出発 せしむ る為二十六日午後三時篠作命甲第 一四号 (別紙第 十二) を下達 せ り。
前述関 作命蒙第 六二号電報を受領す るや二十七日午前 八時三十
2、前 進 準 備
併 せ指揮せしむる こととせり従 て篠作命甲第 一四号は実施す るに
せしむ、而し て二十 七日出発すべき先遣隊馬匹は熊 谷中尉 をし て
分篠作命 甲第 一六号 (別紙第十六) を下達し て諸隊に出発 を準備
に至りた るを以て支隊主力 の大行李馬匹等 と同行せしむる ことと
至 らず。
然 れども二十七日の軍命令 に依 り支隊主力全部張 北に前進す る せり従 て篠作命 甲第 一四号は実施するに至 らざりき。
依 り輸送 せら れ度旨要求せるも兵站は今直 に之 に応じ得ずとて拒
兵站 に対し要す れば軍需品 の輸送を 一時中止して支隊を自動車 に
支隊 は成 るべく速 に張北附 近に前進し て軍 の要求 に応ぜんが為
3 、兵站 に対する自動車 の交渉
作命甲第 一七号 ( 別紙第十三)を下達 せしも兵站 の自動車数五十
先遣部隊 の残部 は全部第 二次 に輸送 する如 く計画し二十七日篠
5 、自動車輸送第 二梯団 の前進
る こととし、篠作命甲第 一九号 (別紙第十四) を下達 せり。
輛 に過ぎざりしを以 て更 に区分し二十八日は左の部隊 のみ輸送す
に依 り勉 めて速 に張北 に前進 せしめらる然 れども当時は未だ先遣
り午前 八時東條軍参謀長 に申告し天鎮附近要地攻略 に関す る命令
行場発張家 口戦闘司令所 (八月三十 日張北より移転 しあり)に到
雨 の為使用困難 なりしを以 て漸 く九月 二日午前六時 三十分承徳飛
達 し て八月 三十 一日飛行機 に依 り出発 の予定なりしが飛行場は豪
北に前進 し軍 と連絡す る為篠 作命甲第二六号 ( 別紙第 二十三)下
支隊長 は承徳 に於け る諸隊前進 を区処したる後 成るべく速 に張
5 、支隊長 の前進
自八月二十八日 熊谷輸送部隊 の至 行動詳報附 録第 二の如し。 九月一十六日
主力 の前進状況附表第四 の如し。
主力 の前進 の為命令別紙第 十七乃至第二十二 の如 し。
4、主力 の前進
又其他 の主力は三十 一日、九月 一日及二日承徳 を出発せり。
絶 せり、斯く て種 々交渉 の結果先遣隊残部は二十 八、九 日に亘り
先遣隊残部 の自動車輸送 の為 二十九日午前 七時篠作命甲第 二二
6 、自動車輸送第三梯団 の前進 号 ( 別紙第十五)を下達す。 要す るに先遣隊 に属す る者は二十九日を以て全部承徳を出発す るを得 たり。 附表第 四の如し。
7 、先遣隊 の輸送状況 四、支隊主力 の前進 ( 附表第 四参照) 旨
隊 に属す る部隊尚承徳 に在 りしを以 て先づ之 より輸送し次 で其 他
を受領す 。
支隊主力は関作命蒙第 六二号電報 (八月二十七日午前三時受)
1、要
に及ぶ こととせり。
之より先篠作命甲第 二三号 ( 別紙第 二十四)を下達 し椛参謀を 軍戦闘司令所 に派遣し連絡せしむる所 あり。 支隊主力 の承徳出発 の状況概ね左 の如し。 自動車輸送部隊 隊 本
部
第 一梯団 (八月三十 一日出発) 支 歩兵第十六聯隊第 一大隊 工 兵 第 二聯 隊 (一部欠)
野砲兵第二聯隊本部及第 二大隊 師 団 通 信 隊 (一部欠)
生
班
歩兵第十六聯隊本部通信班 、第 二大隊 ( 第 六中隊欠)
第 二梯団 (九月 一日出発) 衛 第三梯団 (九月二日及三日出発) 歩兵第十六聯隊第 六中隊 、第三大隊 ( 第 十 一中隊欠) 聯 隊砲、速射砲 陸路行軍部隊 騎 兵第 二聯隊 (一部欠)
第 一梯団 (八月二十八日出発) 野 砲兵第 二聯隊戦砲隊馬 、乗馬等 歩兵第十六聯隊第 一中隊 の 一小隊
第二梯団 (八月二十 八日出発) 大 、小行李 関作命蒙第六二号 の要旨 (八月 二十六日午後八時 三十分発)
一、軍は明二十七日依然張家 口西南方高地を確保 すると共 に勉め
て西方 に地歩を進め て爾後 の作戦 を準備せんとす。
二、篠原支隊は承徳 に集結 しある主力を勉め て遠 に先づ張北 に前 進 せしむ べし。
三、臨時兵站監は緊急 を要す る兵站輸送 に妨げなき限 り勉 めて速 第七
其他 に就 て
に篠原支隊 の各輸送 を処 理す べし。
暗 号 の使用 に関 し八月二十六日午前十 一時三十分篠作命丙第 四号
一、暗号 の使用 (別紙第 二十二) を下達す。
一、張家 口附 近敵砲兵配備要図 ( 押収書類)別紙第二十六 の如 し。
区
篠
号
原
分
支 少
佐
大
佐
中
馬
佐
少
尉
大
一 覧
尉
中
尉
少
尉
准
長
曹
曹
軍
長
伍
1
1
1
3 1
(1)
19
1
(2)
50
(2)
37
(1)
86
(1) 2
(1) 9
(2) 11
(1) 1
2
(1) 5
(1)
(4) 8
(4) 15
1
1
(2) 7
1
11
14
3
(1) 8
4
(1) 2
(3)
(1) 3
(3) 4
(1) 7
(2) 13
109
(3)
(1) 2
2
(1) 4
(3) 16
548
6
13
7
(1) 18
2 2 1
(1) 3
(3) 30
(1) 40
1
(8) 184
(1 1) 1 99
8
(9) 941
(12) 1175
5
3
3
2
の
24
22
其
1
5
(2) 41
通
32
(1) 101
31
一
1
19
11
(5) 2
他
(3) 414
(1) 2
(3) 31
訳
(1) 125
7
(4) 24
二、 等 兵
68
(1) 4
1
上
(1) 15
(1) 32
等
(1) 4
(3) 27
兵
2
9 7 3 (
(1) 1
43
(1) 2
(1) 2
(2)
46
(2) 11
(1) 5
(1) 1
2 9 34
(1) 3
(2) 2
(2) 2
102
4
表
41
4
1
(1)
7
74
92
23
15
62
86
354
154
20
436
268
35
520
17
449
6
685
25
66
39
22
1 5 43
46
76
514
168
計
20
支
140
那
26
晩
63
駄
1 6 03
乗
1 2 79
馬
141
馬
613
馬
4
175 0 1
238
66
昭和十 二年八月 二十六日 篠 原 支 隊 本 部
計
4 1 06
人
4 1
隊
将
1 1
附表第 一
隊
篠 原 支 隊 本 部
二 聯 隊
歩兵 第十 六聯 隊
一 中 隊 欠)
歩 兵 第 三 十 聯 隊 ( 第 三 大 隊 欠)
隊
騎 兵 第 二 聯 隊 ( 第 二 中 隊 欠)
(第
通 信
野 砲 兵 第 二 聯 隊 ( 第 -第 三大隊欠)
団
隊
工 兵 第
師
重 兵 中
計
) 内は各部 のも のを示す (
一、 本 表 中
輜
考
関東. 軍 第 二衛 生 班
合
備
1
附表第二
︹註 )
=機 関 銃 中 隊 、
MG
=大 隊 砲中 隊 、
Bi A
=聯 隊 砲 中 隊 、
Ri A
=速射砲中隊
TiA
附録第 二 熊 谷輸 送 部 隊 行 動 要 報
歩兵第十六聯隊輸送隊長 熊谷輸送部隊行動要報
谷
中
尉
自 八月 二十八日 至九月 十 九 日 熊
一、歩兵第十六聯隊陸軍歩兵中尉熊 谷武 は昭和十二年八月二十七 日
武
記
な る天 候を冒 し且意 の如くならざる糧秣 の補充 に餓 を克服し漸 く九
月九日午 前十 一時 三十分所要日数十二日半 にして漸く目的地た る張
北 に到着す然 るに篠原兵団 は既 に作戦 のため数 日前に張北 を出発 し
西南 に向 ひ前進 せるを知る此処 に於 て直 に張北兵站 支部 に連絡 せる
に支部長より陸行部隊 は直ち に柴溝堡に向 ひ主力 に追及す べし との
伝言 あつしと聞く本輸送部隊 は翌九月十日早朝再 び行軍 を続行す る
に決 し柴溝堡を目標 に前進 を開始す途中萬全附近 に於 て敗残兵 の狙
て兵団 の連絡者たる浅 井大尉 に会 し始 めて兵団は大同附 近に在 るを
撃 を受く るなど行進 に困難 を来し九月十 一日張家 口に到着 し此処 に
二、本輸送部隊編成表 別紙第 一の如し
務 の遂行を成 す
間全行程百八十八里内陸路行軍百三十九里遂に熱 と意気 とを以 て任
近 に在 る各 々所属部隊 に復帰 せしむ此 の間行動 日数 二十 二日十八時
八日正午 全部聚楽堡 に輸送 を終り翌十九 日午後 五時大同及尚希庄附
熊谷中尉は大同 に到 り連絡 をなすと漸く十五日より輸送 を再興し十
らざる の情況 に立到 り当分当部隊 輸送 不能 となれつ此 の間輸送隊長
つし に計らず も軍命令 に依 る酒井兵団 の輸送 を先 に実施 せざるべか
十二日濱 地部隊及高橋部隊 の輸送 をなす爾後引継輸送する予定な
るに決 す
午前九時承徳 に於 て左記兵団命令を受領す 谷
に依 り追及す るを可とする の指 示に依 つ翌十 二日 よつ輸送を実施 す 熊
聞 く即 ち爾後陸路行 軍は徒 に追及時 日を要す るのみ速 かに鉄道輸送
歩兵第十六聯隊配 歩 兵中尉
令
命
右 ハ別紙行軍計画 ニ基 キ左記部隊 ヲ指揮 シ八月 二十八日承徳 ヲ 左
出発張北 ニ向 ヒ前進 シ該部隊 ヲ夫 々所属部隊 ニ復帰 セシム ヘシ 篠原兵団各隊 ノ大行李 及各種車輛、駄馬、其他自動車 ニ積 載 シ 歩兵第十六聯隊第 一中隊 ノ 一小隊
得サ ルモノ全部 掩 護部隊
右命令 に依 り八月二十七日正午熊谷中尉 は各隊 の命令受領者を兵 団司令部 に集合 せしめ所要 の指示及明日 の出 発に関す る命令を下達 し夫 々準備 せしむ
四、行動概要左 の如 し
承徳発︱揚樹底着露営 す。行程 八里
三、行動要図別紙第 二 の如 し
進を発起 す ( 全車輛数三四三台馬匹数九五三頭軍隊 二七四名満人馬
第 一日八月 二十八日晴
八月 二十八日午前六時三十分出発準備を完了し二梯団 に区分し前 夫其他三四五名行軍長経約 三千六百)途中言語 に絶 する難路 と不良
午前 六時 三十分前日下達 せる命令 に基 き輸送部隊は承徳警察庁 を 先頭 に左の前進部署 の如く集合 を完 了し同時前進 を開始す 出発時与 へたる注意左 の如し
くならず車馬 の積 載量を半減 し往復 せしめ或は兵をし て運搬 せしむ
るなど早くも困難 に遭遇 す然 れども全員協力克く苦力等を指 導し午
過 せる部隊 に依つ副食物となすべき物資殆 んど徴発 せられ僅 かに携
四十分到着直ち に露営準備 をなす 此地附 近は概 して満軍或は先 に通
後 七時第 一梯団 の先頭を以 て朝梁溝門 に到着す 、第 二梯団午 後七時
行 せるもののみを以 て之 に当 つ尚燃料 に事欠く情態 にし て炊 事意 の
1、責務重大而 も長期 の行動なり我等 の名誉 又思 ふべし任務 の完 の完 成は 一に我等 の熱 と意気 に依 るのみ充分志気 を旺盛 にし ︱致
成までには予期 せざ る難局 に遭 遇する こと 一再 ならざ るべし任務
如 くならず午後九時漸く警戒及明日 の準備 を完了し露営す寒冷甚し
朝梁溝門発︱豊寧着村落露営す、行程 十 一里
指定 し置 き伝達 を確実迅速 ならしむべし
て今後土城子 にて補充を受 くるまで (三日間)は保ち得ず加之味噌
に集積 しある補充糧秣を受領 す然 れど も糧秣 の集積甚 だ不充分 にし
対す る搭載量少くなりし為行進順調なり午後六時豊寧 に到着憲 兵隊
承徳出発時携行 せる三日分 の糧秣 は使用し尽したるを以 て馬車 に
進す
朝降霜 あつ午前六時三十分前進順序 を交代 し第 二梯団を先頭 に前
第 三日八月 三十日晴
人員馬匹其他異状 なし
団結 相助け以て任務 の達成 に邁進するを要す 2、警 戒心 の旺盛即 ち敵 に対す る警戒不注意 に依 る病魔 に対する 警戒馬夫及積 載品 の亡失 に対 し特 に警戒を厳 ならしむ べし 3、行軍長経 を拡大 せるため馬夫 の鞭撻 及馬 の状態 を顧慮し 一日 毎 に積 載量 を加減 すべし
5、規定 せる手旗 に依 る記号を尚 一層兵 に徹底 せしむべし
4、各隊 は概 ね三十米毎 に命令報告、通報 のため逓伝兵を確実 に
右 の前進部署 に依 り前進す、行 進中手旗 記号及逓伝 の要領を練習
午後 七時主力は満軍兵舎内 に 一部 は露営す
醤油等調味品 一切なく僅 に岩塩 を徴発し得 るに過ぎず 、
十里
第 四日八月 三十 一日豪雨寒 豊寧発︱宣将營子着村落露営す 、行程
午後 六時 三十分目的地 たる揚樹底 に到着 せるも附近 は人家僅 かに
す 四軒 あるのみ又小流 もなく炊事 に必要なる水を得 る事能 はず仍 て尚
於 て約 千米 の湿地 に遭遇す兵は膝 を没 し馬車 の車輛は車軸 を没 し卸
午前 六時豊寧出発朝来 の降雨 は次第 に豪雨 となる朱沙營子附 近に
前 進を続行す午後八時漸く三道子附近 に於 て十数軒 の人家 あるを発 見し露 営するに決す午後十時炊事及警戒配備を完 了し露営す
ア ンペラを通 し爾後暖気 に遇 へば腐敗 の虞 あり且 つ愈 々重量 を増す
下 せざ れば通過し得ず雨は次第 に強く折角僅 か乍ら補 充せる糧秣 は
遂に車輛 は山脚 に側 ひ大迂廻する の止む なき に至り積 載品は駄馬及
三道子発︱朝梁溝 門着露営す、行程七里半
人馬 其他異状 なき も水不足 のため馬 に対し充分水 を与 へ得ず 午前 六時 三十分露営地三道子を出発朝梁溝門 に向 ひ前進す、午後
第 二日八月二十九 日晴
一時頃張百萬附 近に到 るや約 六粁 の急嶮な る坂道 に会 し前進意 の如
寒 上黄旗発︱ 土城 子着露営 す、行程 四里
し苦力 を励まし努力 す、約 二時間 にし て漸く湿地を脱す午後六時目
充を受けたるも米僅 かに六俵味噌三樽、粟 は比較的多く補充せらる
し得 たつ、午後 一時 土城 子に到着し警察 分所に集積 しある糧秣 の補
午前七時上黄旗 を出発 す出発以来始め ての良道路 なつ順調 に前進
第 六日九月 二日曇
的地頭道河子 に到着 せるも全員濡鼠 の如く加ふるに寒冷 の為露営し
午後三時村 外 に露営設備 をなし警 戒配備 を完了し露営す
寒気愈 々加はる将兵 の苦心 と奮闘只涙ある のみ川西曹長声を涸ら
兵を以て運搬す
得ず尚頭道河子は人家十数戸 あるのみにて全員屋内 に収容し得ず、
第七日九月三日晴
午前六時 三十分 土城子 を出発し槽碾溝 に向ひ前進す途中喇麻山附
土城子発︱槽碾溝着宿営 す、行程八里
伊藤部隊及猪鹿倉部隊 の 一部 を宿 営 せしむ爾余 は尚約 四粁前進し宣
るの已むなきに至 る又此附近 の道路 は中経 二十糎位 の石道 のため馬
近 に於 て高橋 部隊支 那馬 一遂 に連 日 の疲労 に立 つ能 はず之を放置す
将營子 に到つ漸く三十戸 の人家を求め村 落露営 す時 に午後八時なり 当村 も燃料不足 の為被服 の乾燥を充分実施し得ず寒気 に苦しむ満人
車 の破損甚 しく後藤部隊 の馬車二輛遂 に使用 に堪 へざ るに至 る此 の
苦力 は身 に襦絆 一枚 を纏 ふのみ寒気 を訴 へ帰国 を願 ふもの続出す依 て通訳 を以 て此 の次 の宿営地 に至 らば衣類を与ふべし とし て之 をな
附近は殆んど人家 なく全く の無住 地にして修 理の手段なし午 後五時
加藤重太急 に腹痛 を訴 へ苦む直ち に渡邊衛生軍曹 の診断 に依 り盲腸
屋を破壊し燃料 とし炊事 をなし露営 す、午後八時頃後藤部隊 一等兵
目的地たる槽碾溝 に到着す廃屋僅 かに六軒 あり物資 は何物もなし廃
昨 日来 の降雨 に道路愈 々悪 く前進殊 の外遅滞す午前七時宿営地を
寒 宣将営子︱上黄 旗着露營 す、行程七里
だめ 一夜 を明 さしむ
出発す猪鹿倉部隊支那馬 一、伊藤部隊支那馬 一、斃る之 を補充 せん
炎と判断せらる然 れども如何とも手段 なし終夜幹部之を看護 し応急
第五日九月 一日曇
とす るも馬なく已むなく牛 二頭 を徴発し代用す、河川 は増水し加 ふ
第八日九月 四日曇
坂 のため殆んど前進出来ず再 び積 載物を卸 下し兵力及苦力 に依り臂
坂道 より遙 かに困難なるを知 る遂 に馬車は全部荷 物を卸 下し駄馬及
に到着 す道路 の傾斜 三十度 にして坂道 の長 さ約千五百米 なり前面 の
午前 六時 三十分露営地槽碾溝 を出発す午前十 一時義 旨底 の大坂路
槽碾溝発︱義旨底着露営す、行程五里
手当をなし 一夜 を明かす
るに 一切橋梁なく将 兵皆馬 の疲労を顧慮し川を渡渉す、寒冷極りな し午前十時頃花吉營 子西方約 二粁 の大坂路 に到 るや泥濘と急峻なる
め停止し あつ て通過不能 のため日満 兵協 力し該自動車を前進せしめ
力 を以 て搬送を開始 せるに坂 の中腹 に於 て満軍自動車 一台泥濘 のた
に疲労 しあり作業意 の如くならず第 一梯団漸く午後 五時 に至 り通過
兵、苦力 に依 つ運搬し坂を越 えるに決し作業を開始す、人馬 は極度
し終 る第 二梯団は午後八時 二十分頃通過し終る本日は遂 に目的地た
漸く進路を開く該坂道 は千米内外 なりしに全部 の通過 に約 四時間 を 味品 を得んとせるも既 に満軍等 に徴 発せられし後 にて得 るを能 はず
る大灘 に到着す る能 はず義旨底 にて 一夜を明 かす の止 むなき に至 る
要 せつ人馬 の疲労甚 し午後七時三十分上黄旗 に到着す同地に於 て調 僅 かに残れる岩 塩を用 ひ汁となす全員村内 に露営す
午後十時 露営設備を完了し露営す 人馬異状なし 第 九日九月五 日晴 義旨底︱大灘着露営す、行程 六里
等 の掠奪 に遭 ひ物資何 物もなし燃料 たる牛 馬糞 も皆無 の状態 にて炊
事甚困難なり兵站支部より糧秣 の補充を受 けんとせるも充分ならず
粟 のみ多数あり主食 を粟 とし調味品は若干 あるのみ到底充分なる能
沽源発︱大 庫倫着露 営す、行程十三里
はず豚 を焼き て僅 かに残 れる岩塩 にて喫 食す午後九時警戒準備 を完 了 し露営 に就く
午前 七時露営地を出発す昨 日の難路通過後道路 一変 し良好 となれ り午後 三時大灘 に到着 す土城 子に於 て補充 せる糧秣 は行軍 日程 一日
第十 一日九月七日晴
午前六時沽源発途中大湿地あるを聞き進 路を変更迂回 し大庫倫 に
遅 延せるを以 て既 に使 用し尽 せり已 むを得ず携帯 口糧 を使用 せしむ
向 ひ迂 回前進す途中水殆んど無く馬匹 に水を給 する能 はず馬 の疲労
但 し満人 の食物は皆無 なるを以て大灘満軍兵站支部 より麦粉 の払下 を受け漸く之を得たり午後 五時露営設備を完了後馬 の手 入及兵器 の
午後七時漸く大庫倫 に到着す第 二梯団馬車 の破損甚しく午後八時到
甚 し仍 て各兵 の水筒 の水を合 せ馬 に給す、地図 と現地 との差甚 しく
後藤部隊支那馬 一頭病 に冒 され使用 に耐 へす且 つ馬車 一、破損使
着す此処も用水不充分 にし て炊事出来ず所在 の乾草を燃料とし豚 を
手 入並 に検査を実施 す
焼き て夕食とし僅か に明朝食 の粟 食を炊事 し得 るのみ午 後九時 三十
大庫倫発︱ 二臺着露営す、行程七里
に監視兵 を指定 し警戒 に遺 漏なきを期すべし
横行 せりと各隊護衛 の小隊 にのみ に頼 る事 なく各部隊 に於 て確 実
2、大灘警察署 の言 に依れば昨日も自動貨車搭載 の敗残兵数 十名
には約 五千 の満軍存在す敵 と誤認 せざる様注意 を厳 にせよ
んとするや日章旗 を樹立し あるにも拘 らず我 に向 ひ治安隊発砲す、
塵 のため異様 の面相 となり午後四時 二臺 に到着す、縦隊城門 に入ら
五百米 となり連絡困難 なり指揮班 の河西曹長大 いに努力す将兵皆風
ず逓伝 に依るも風 のため伝達意 の如 くならず第 二梯団と の距離約千
ども風 強く土砂 を飛ば し前方 二十米 を通視得ず手旗 の記 号用 をなさ
午前六時 三十分大庫倫 を出発二臺 に向 ひ前進す道路良好なり然 れ
第十 二日九月八日晴
分警戒配備を完了し露営す
用不可能なるを以て残置す、午後七時明日 の出発準備 を完了し露営 大灘発︱沽源着村落露営 す、行程七里
に就く 第十日九月六日晴 午前七時左 の注意 を与 へ沽源 に向 ひ前進 す
3、万 一敵 と遭遇 せる場合は予め課したる任務 に基き行動 し決 し
輸送隊長 熊谷中尉 は通訳 を伴 ひ城内 に入り其非 を責む、午後 五時縦
1、愈 々本 日正午頃 より満支国境を通過する予定なり行進路附 近
て動揺 することなく指揮官 の命ず るま ゝに動作 をなすべし
隊全部城外 に止り宿営準備 をなす 第十三日九月九日曇
二臺発︱張北着村落露営す、行軍 七里
午後六時捜 索警戒 の処置 を完成し露営 に就く
兵 、馬共疲労次第 に加はり軍靴は破れ被服 又破 るゝも修 理 の暇 な し将兵 一同悲壮 なる決心を面 に現し任 務 の達成三 日後 に迫 る喜悦 に 志 気旺盛 なり、午後 四時二十分沽源 に到着 す部落 は既 に敗残兵満軍
午前 五時 二臺発張北に向 ふ愈 々最後 の行軍なり連 日 の疲労 に生色 を失 ひたる将兵も疲労極度 に達 せる馬 を鞭ち任務 の達成 を目前 にし 志気大 いに挙 る途中冷雨 に遭 ひ寒気甚し正午張 北北門 に達す輸送隊 長熊谷中尉は河西曹長 及通訳 を伴 ひ馬を飛ばし兵站 に先行す愈 々部 隊 に復帰なり十二時 二十分兵站支部長 に会し篠原兵団本部 の位置を
人馬異状 なし
良部隊 に連絡 し附近 の情 況を聴取 し警戒 の処置 を講じ村落露営す
午前 七時張家 口に於 て糧秣を補充し行軍を続行する目的を以 て出
第十五 日九月十 一日晴 萬全発︱張家 口着村落露営す、行程 四里 発す
確 めし に兵団本部 は既 に数 日前 に出発せるを知 る、兵団副官 の書置 午前十 一時三十分張家 口に到着す早速 指揮機関を伴 ひ兵站支部 に きたる命令 に依 れば陸行部隊 は速 かに柴 溝堡 に向 ひ追及 せよと あり、 連絡す途中旅団 の連絡者として駐留せ る歩十六浅井大尉 と会 し始め
を遅延する のみ速 かに鉄道 に依り追及するを可 とすと の指示 を受く
て篠原兵団 の大同附 近 に在 るを知 る即ち爾後陸 路行軍 は徒 らに時日
輸送隊長 は直 ちに各隊 の命令受領 者を兵站前 に集合 せしめ本日糧
仍 て本縦隊は明十 二日より鉄道輸送をなす に決 し 一先 づ全部旧支那
縦隊は続 々張北城内 に到着す 秣 の補 充を受 け明早朝 より再び行軍 を続行主力 に追及すべき命 令を
ざるも の全部 装蹄 す
軍兵舎 に収容 し輸送準備 を開始す、人馬異状なし、張北 にて装蹄せ
午後 四時兵站及県公署 の協 力を得 配宿 の準備終 る出発以来始 めて
一部鉄道輸 送す
下達す 馬匹 に装蹄 するを得 たり、糧 秣 の補充 は僅 かに支那饅頭を含 み 一日
の手 入被服 の修理、馬匹 の装蹄をなす
午前十時張家 口発車 にて濱地部隊 及高橋部隊 を輸送す爾余は兵器
第十六日九月十 二日晴
く
半を補充 せるに過ぎず 午後 五時半 明日の出発準備を完了し宿営 に就 第十四日九月十日晴 張北発︱萬全着村落露営す、行程 七里
の輸送 を先 に実施せざるべからざ る情況 に立至 り本明日輸送不能 の
本 日も引続き輸送をなす予定な りしも突如軍命令 に依 り酒井兵団
第十 七日九月十三日晴 張家 口
二時頃萬全北方三粁水塊附近 に第 一梯団 の先頭到着 するや左側高地
を得ず十五日より輸 送をなす に決し此 の間馬車 の修 理、欠馬 の補充
情態 となり陸 行するとせば約 百九十粁あり て 一週間を要 すべく已む
午前六時 三十分張北を出発萬全 に向 ひ前進す道路良好 なり、午後 ( 距離約 六百米)より数発 の射撃 を受く縦隊は直 ちに道路 に点在す
整理をなす
る樹木下 に停 止を命 じ掩護 のため先頭 にありし歩兵 二分隊 を散開射 撃準備 をなさしめ輸送隊長は掩護小隊長 を伴 ひ情 況 を偵 察 す、敵
輸送部隊長熊 谷中尉 は不在間 の指揮 及輸送 を第 二梯団長横山工兵
第十八日九月十四日晴
の如く其 の姿 を認めず、輸送部 隊は直 ちに隊伍 を整理し前方斥候 の
中尉 に命じ指揮 班員 河西曹長 を伴ひ午前 九時酒井兵団輸送貨車 に浅
(敗残兵ならん) は其 の後射撃する ことなく東南方 に撤退 せるも の 兵力を増 し前進 を続行す、午後 三時半萬全 に到着し守備 部隊 たる奈
一部鉄道輸送す
井大尉 と共 に便乗 し大同兵団本部連絡 の為出発す 第十九 日九月十五日晴 午前十時三十分猪鹿倉部隊 の 一部及伊藤 部隊全部 を張家 口発聚樂 連絡 のため出発 せる浅井大尉熊谷中尉河西曹長 は大同 に到着し兵
堡駅 に向 ひ輸 送す
を終 る 行程八里
午前五時最後尾となれる猪鹿倉部隊 の 一部聚樂 堡を出発行軍 を開
後藤部隊 の大行李尚希 庄 の所属部隊 に追
始し午後 二時大同 に到着無事所属部隊 に復帰せしむ 第 二十三日九月十九日晴
熊谷中尉、河西曹長 は昨 日午後大同を出 発尚希 莊 の所属部隊 に追
及 を終 る行程 十三里
及中な る後藤部隊 の大行李 に追及 のため午前十時大同 を出発し尚希
団本部 に到り報告 し速 かに追及す るの処置 につき指 示を受く浅井大 尉所属隊 たる後藤部隊 に復帰す熊谷中尉 河西曹長 は明日張家 口に引
千葉 部隊 の自動貨車 に便乗 し大同を出 発す午後 一時 三里庄附近 に
莊 に向 ふ 残り全部聚樂 堡駅 に向 ひ輸送す
返すべく兵站 に 一泊 す
て該部隊 に追及す るを得午後十時尚希莊着 此処 に始 めて承徳出発以
第 二十日九月十 六日晴 午前 八時残存 せるも の全部聚樂堡 駅に向 ひ鉄道輸送す
来二十三日にして輸送部隊全部追及を了し復帰 を完了 し任務 の達 成 を終れり、人馬其他異状 なし
大同 に於 ては椛参謀連絡 のため飛行機 に搭乗張家 口に向 ふ熊 谷中 て機関車故障 のため聚樂堡駅 にて 一泊 す
尉 、河西曹長 は汽車 にて周子莊駅より張家 口に向 ふ途中聚樂堡 駅に
1、支 那馬 の選定 には可成騾馬を可とす而 して尚雄 を使用せば 一
五、参 考 事 項
第 二十 一日九月十七 日晴
高 を発車 せしめ午後十 一時聚樂 堡に着す直ち に卸下せしむるも夜間
貨車 を先 に聚樂堡 に送 る必要 上該貨車遅 れたる由)午後 十時漸 く陽
着鉄道聯隊附谷村中尉 に会し発車を交渉す (遅滞理由は高射砲積載
急 発車 せしむ る交渉 のため機関車 に便乗 し陽高 に向 ふ午 後二時陽高
谷 中尉 は陽高 に昨日来 より停車 しありと聞く猪鹿倉部隊 の残部 を至
置 をなし河西曹長を再 び大同 の兵団本部 に差遣し右 を報告せしめ熊
聚樂堡 駅 に到着す、直ち に大 同に向 ひ陸路行軍 にて出発せしむる処
飲料水又然り出来得 る限 り携帯燃料及軽易なる濾 水器 を携行す る
4、内蒙地方 の行 動 に於 ては大部隊 の燃料を得 ること容易 ならず
軍 を共 にせしむ るは不可能 なり
或 は ヒロイ ン中毒者 に非 ざるやを判定 の上使用 せざれば長期 の行
3、満人苦力及馬夫は可成壮年 の者 を雇 ふは勿論なるも阿片中毒
し交換的 に用 ふを可 とす
し使用 せざ るべからず又使用 に際 し駄馬 とし或 は支那馬車輓馬 と
理を生じ廃馬 を出す こと多し故 に克 く支那馬 の特性を充分 に知得
2、支 那馬 は日本馬 と異り疲労 の相を単的 に現 さず従 て労役 に無
層長 期 の行動 に於 て耐久力 を有するを以て有利 なり
のため作業進渉 せず に時間を要 す
午前十 一時後藤部隊及伊藤 部隊 、猪鹿倉部隊 の 一部兵団本部車輛
第 二十 二日九月十八日晴 後藤部隊 のも のを除く外全部部隊 に追及
雄
的地 に到達 せしむ るを得 たり其 の努力特 に顕著 にし て其功績殊勲 に
亀
を可とす
富 樫
右 は本輸送部隊 の唯 一の掩護小隊長とし て活動し不毛 の地 を敵敗
陸軍歩兵准尉
価す べきも のと思料す
残兵中を克く部 下を督励 し終始本部隊 の警戒を担 任せり殊 に連日に
歩 兵第十六聯隊
5、車 輛に積載すべき糧秣暖季 は成 し得 る限り防水 の処置 をなし 6、馬糧 として燕麦 の皮 の脱 せるものを給する場合 は定量 の半分
亘 る露営 に終夜 部下と共 に仮眠さ へもなす ことなく露営地を巡察し
途 中雨露 に遭 ひ腐敗せしめざ る準備 を必要とす を与 へ多量 に水を給す るを可 とす然らず して定量 を与 ふるときは
陸軍砲 兵上等兵
伊
右は兵 の身 を以て克く自隊 の多数 の駄馬 、車輛 の輸送を担任し多
野砲兵第 二聯隊
其功績顕著 にして殊勲 に価すべきも のと思料す
腹痛 を起す こと多 し
春
武 雄
7 、長期大縦隊 の行動 に際 し行進 に渋滞を生ぜし めざ る為 には車
芳
藤
事故な からしめ得 たり而 して満人苦 力等 も安んじて最後ま で行動を 共 にせしめ得 たり
河 西
馬 の積載量を加減 し且克く馬夫 の指 導監督 に特 に努力せざれば整 整 なる行動をなす こと極め て困難なり 陸軍歩 兵曹長
六、行動間特 に功績顕著なりし者左 の如し 歩 兵第十 六聯隊
護
隊
英 介
亀 雄 ( 歩 一六)
樫
第 一分 隊 長、 伍、高 橋
小 隊 長 准尉 、富
掩
数 の苦 力を督励 し長期 に亙る行動 に毫 も渋滞 せしむ ることなく且事
徳 正 重 正
(長、横山工兵中尉)
右は本輸送部隊 の行動間指 揮官熊 谷中尉 の指揮機関とし て活動 し
団
故なく本隊 に追及 せしめ得 たる努力 は実 に嘆賞す べきも のあり其功
表 二 梯
績顕著 にして殊勲 に価すべきも のと思料す
編 成
( 長、熊谷歩兵中尉)
第
長経三千六百米 に亘 る大部隊 の指揮 を補佐 し終始熱 心而 も積極的 に
部
隊
送
団
植 田 隊 曹、戸 田 上、木 村 二、枝 並 二、太 原
治 治 夫 治
し て時 には時宜 に適す る独断 をなし全期間殊 に疲労極度 に達 し愈 々
谷 輸
一 梯
困難 に遭遇するも益 々責 任感 を発揮 し満人を督励 し克く大過なく目
別紙 第 一 熊
第
輸 送部隊長 後 藤部隊 猪鹿倉部 隊 村 田部隊 歩兵中尉 責任者 准 尉 栗林作治 伍、坂 上 久 太 郎 責任者 曹、松浦 勝 熊 谷 武 給養掛 軍曹 加藤 一、 小 林 助 一 給 養掛 曹、粟崎芳雄 ( 歩 一六) 大行李 大行李 一、 齋 藤 友 三 伍、辻 川 鳥 彌 二、 梅 田 耕 一 上、原 清 治
指揮班 軍 曹 河 西 芳 春 (歩 一六)
見
久
雄
一等兵 渡 邊 彌 平 治 二等兵 山 川 三代 治
訳
ラ ッパ手 一等兵 北 通
二七四
邊 武 (歩 一六)
林 善 昌 孫 越 智 與 市 衛生班 軍 曹 渡
合 計 兵 力 満 人 三四五 馬 匹 八 二四 (内保管馬九九) 輛 三四五 車
頼
雄
二〇 三五 一一 二三
一
郎 博 吾 治 郎 夫 蔵 男 代 夫
山
一、 平 澤 茂 三 上、五 井 義 一、 小 根 正 一、 遠 藤 松 一、 細 越 健 太 一、 清 水 敏 一、渡 邊 豊 一、 小 林 勝 一、 小 林 敏 一、 吉 原 武 郎 吉 平 蔵 三 一
匹 輛 人
一、 横
一、鈴 木 一 一、齋 藤 留 一、西 方 由 一、 五 十 嵐 由 一、川 上 平 二、田 中 龍
計 馬 車 満 波 田江部隊 軍、屋 崎
佐
市
一 一 夫 三 幹 吉 男 次 代 留 正
三五 二
善 正 真
平 吉 三 森 次 太 一 一七 一 一六
一、 小 林 武 上、山 田 清 一、 高 橋 茂 一、 五 十 嵐 徳 一、 杉 山 長 一、 齋 藤 齊 一、 櫻 井 昌 一、 渡 邊 三
一、高 津 一、 笠 原 一、 齋 藤 一、 會 津 一、 若 林 一、 關 川 一、 鈴 木 一、細 川 計 満 人 馬匹 (日)
(支) 車 輛
二、櫻 井 秋 二 郎 二、高 内 三 雄 太
(支 )
四
一二
二 、神 田 敏 夫 二 、筧 音 吉 二 、渡 邊 市 男 二 、土 田 正 一 二 、田 中 助 之 亟 二 、相 馬 孫 惣 二、 小 川 伊 平 治 二、 小 林 義 雄 二、 田 中 勝 三 二、 加 藤 勝 彌 二、 深 澤 作 次 二、 渡 邊 堅 二 郎 二、川 島 市 太 郎 計 一九 満 人 六 馬 匹 (日) 一七
車 輛
春 太 治 平 男 作 男 勇 留 二
諸角部隊 上、佐 野 千 代 二 一、鈴 木 雅 一、加 藤 重 二 、高 野 久 二、小 林 三 二 、宮 島 義 二 、關 川 豊 二 、西 田 壽 二 、石 綿 二 、細 川 留 止 二 、荒 木 一
治 三 郎 安
二 、川 村 辰 雄 二、遠 藤 正 司
幸 正 四 秀
藤
作
本 山 上 邊
片
一、西
作 郎 清 男 郎
一、川 一、 丸 一、 北 一、 渡
一、 藤 塚 榮 一、 横 山 佐 太 一、 本 間 一、 生 田 良 一、 平 間 榮 太
増
上、平 一、池 一、 小 一、萬
二、大 二、谷 二、小 二、吉 二、米 二、村
林 田 林 羽
藤 邊 木 山
恵 整 辰 正
琳 平 雄 治
郎 吾 治 文 治 雄 治 治 一 治
治 吉 郎 平 正 一 一
一七 三五 一三四 三五
直 照 泰 正
竹 武 三 内 甚 池 嘉 田 好 村 喜 久 山 辰
人 馬 輛
二 、佐 二 、渡 二 、齋 二 、横
計 満 支 車
成 隊
憲 春 源太 三 重 太 榮
清
吾
二 、澤 田 二 、野 澤 二 、中 澤 二、 仁 平 二、 下 村 二、 杉 田 二、 渡 邊 二、 野 股 二、池 田 二、塩 島 二、重 野 二、小 海 計 満 人 日 馬
支 馬 車 輛
馬 馬 輛
屋 藤
文 準
蔵 郎 六 郎 治 治 一 太 吉 治 平 松 雄
一 一 麿 治 治 省 智 郎 一 吉 治
策 蔵
一、安 藤 日 出 雄 二、菅 原 五 郎 作
一 第 四分隊 六六 長 、上 、 松 三九 一、 遠
長 、伍 、鈴 木 孝 一、渡 邊 徳 一、 長 谷 川 武 一、 坂 結 熊 一、 岡 田 賢 二 、佐 藤 定 二、 八 木 二、 渡 邊 定 五 二、 山 岸 傳 二、 土 田 虎 二、 佐 藤 辰
第 三分隊
長 、上 、 木 村 修 一、渡 邊 辰 太 二、川 瀬 甚 二 、岡 田 太 上 、遠 藤 民 一、 西 澤 福 一、高 橋 作 一 、 窪 田 鐵 二、目 黒 政 二 、鈴 木 源 二 、高 野 作 二 、北 野 一 ヱ、上 、川 島 茂
常 吉 一、吉 川 信 治 定 治 一、鈴 木 新 一 郎 與 作 二 、藤 井 勘 二 郎 澤 一 二、 小 林 浩 典 達 男 二、 渡 邊 辰 治 春 雄 二、 山 川 三 代 治 龍 行 一、 小 林 三 三 政 治 一、 佐 藤 藤 衛 隆 一 一、 渡 邊 彌 平 治 修 治 一、 北 見 久 雄 政 義 三 吉 第 二分隊 一六 四六 一五
六五 二〇
中尉 、横 山 健 太 郎
伊 藤部隊
日 支 車
曹、佐 藤 市 郎 同 伍 、影 山 高 次 上、高 島 仁 作 曹 、幸 村 重 一 郎 上、皆 川 作 一 伍、長 峯 正 夫 上、加 藤 福 二 一 、 上 野 今 朝 二 上 、順 田 謙 吾 一、 小 野 寺 正 治 一、 小 林 一 郎 一、 大 關 武 一、齋 藤 徳 松 二、小 野 寺 正 治 一、消 水 憲 治 二、吉 俟 春 吉 二、小 林 清 吉 二、 荒 木 一 助 計 九 二、 貝 瀬 準 一 満 人 五九 二、 佐 藤 忠 一 日 馬 一 二、 長 谷 川 作 馬 支 馬 八二 二、本 田 卯 蔵 車 輛 二一 二、和 田 政 男 二、小 椋 新 太 二、新 保 信 雄 板 倉 隊 二 、 西 村 芳 夫 二、島 田 國 雄 計 一九 満 人 四 一
吉
曹 、立 石 軍 、花 里 一、長 ケ 部 一、野 村 一、 田 中 一、稲 村 二 、荻 原
二、住
藤 加 左 ヱ門 藤 順 平 藤 作 蔵 部 政 人 間 勇 丸 敏 夫 又 文 七 頭 倫 太 郎 野 重 次 子 徳 二 藤 由 蔵 津 辰 三 津 間 金 吾 和 田 節 夫
計 満 人 日 馬 支 馬 車 輛
二三 一四 一七 二五 二六
計 満 日 支 車
人 馬 馬 輛
長 、上、 伊 一、 栗 一、 諸
藤 木 我
夫 喜 吾
三 二五 二 三五 二〇
武 春 小
内匠 部隊 一、菊 田 辰 治 二、加 藤 龍 重 一、 齋 藤 民 穂 計 二四 二、小 林 辰 雄 一、塩 原 孝 作 兵 団 本 部 曹、河 西 芳 春 満 人 五 二 、 後 藤 正 雄 一 、 中 村 諦 一 郎 上、箕 輪 榮 一 傭 人 一 日 馬 二三 二、 藤 木 俊 吉 一、 山 本 繁 上、石 原 春 正 満 人 一 二 支 馬 一七 二、 渡 邊 正 二 一 、 大 久 保 鐵 上、伊 藤 昌 作 車 輛 二 三 支 馬 四二 二、 加 藤 弘 二、 丸 山 正 榮 上、山 田 佐 一 郎 車 輛 一〇 二、 角 谷 十 吉 郎 二、 田 中 正 一 一、 渡 邊 清 九 郎 二、 小 林 松 三 郎 一、阿 部 民 雄 牧 部 隊 二 、 小 林 菊 三 郎 第 五 分 隊 二 、齋 藤 辰 四 郎 上 、 三 富 富 衛 二、 廣 田 康 二、 鈴 木 貫 平 長 、上 、 二 川 徳 一 二、松 本 忠 彦 計 一八 二 、竹 石 源 次 郎 一、 五 百 川 進 満 人 三九 二 、松 田 清 一 二 、土 屋 竹 二 一 、 青 山 民 安 二、大 竹 徳 太 郎 日 馬 一三 二 、服 部 眞 吉 一、 坂 内 榮 松 計 四 支 馬 七三 二 、南 政 之 亟 一、 小 見 正 満 人 一二 単 輛 一 二 二 、河 上 富 治 二、 青 木 鉄 夫 支 馬 二五 二 、中 島 勇 太 郎 二、 板 倉 未 一 郎 二 、村 上 善 次 二、鈴 木 清 之 助 浜 地部隊 二 、水 上 慶 作 通 信 班 二、 土 田 二 郎 二 、伊 藤 一 郎 二、 小 幡 長 平 責 任 者 一 、 遠 藤 源 十 郎 上 、 田 中 重 一 二 、西 川 直 蔵 二、五 十 嵐 由 雄 曹 、椿 頼 吉 一、渡 邊 新 二 郎 一、 佐 久 間 清 孝 二 、渡 邊 政 美 軍 、石 川 次 穂 一、 田 崎 伊 之 松 一、 高 波 光 男 計 五八 二、切 梅 常 信 山 基 ヱ上 、 阿 部 吉 三 郎 二 、 鈴 木 藤 市 給軍 、横 計 二 一 一、 増 田 停 二、鈴 木 富 治 満 人 二二 一、 阿 部 政 男 計 五 高 橋部隊 日 馬 一七 満 人 七 支 馬 四二 責 任者 支 馬 一〇 車 輛 八 一、齋 一、伊 一、佐 一、 阿 一 、赤 一、石 一、鹿 一、鷲 一、海 一、増 一、遠 一、根 一、 三 一、大
︹註 ︺ 曹 =曹 長 、軍 =軍 曹 、 伍 = 伍 長 、 上 = 上 等兵 、 一= 一等 兵 、 二 = 二 等 兵
附表第 二 戦
闘
詳
報
第 篠
四 原
号 附 兵
表 団
19
匹
171
昭和十二年十月三日 戦 闘 参 加 人 馬 馬
17
准士官 下士官 兵
6
校
456
分 将
53
区 隊 部 1318
部
隊
隊
死
将
校
傷 死
馬
表
准士官 下士官 兵
匹
将
校
1
本 十
第 二 聯 隊 ( 第 一第 三大隊欠)
中
5
団 第 三 十 聯 隊 ( 第 一第 三大隊欠)
兵
兵
3
兵 兵 第
聯
歩 兵
砲
重
班
輜
生
隊 衛
信 二
通 第
団 軍
師 東
工 兵 第 二 聯 隊 第 一中 隊 (二 小 隊 欠)
野
騎 兵 第 二 聯 隊 第 二中 隊 の 一分 隊
六
歩
10
関
傷 准士官 下士官 兵
馬
匹
1
3
26 23
2 1
108 70 1
2 2
48
独 立 山 砲 兵 第 十 二 聯 隊 ( 第 一第三中隊欠)
508
72
1
4
6
1
537 65 88 89 59 118
20 26 1
4 4 6 9
将
生
校
死
不
准士官 下士官 兵
明
馬 匹
班
計
7
野戦重砲兵第 九聯隊 ノ第 一大隊及衛生班給水班は鐵角嶺 以降 の戦闘 に参加 せず 歩兵第三十聯 隊 ( 第 一第 三大隊欠)は九月二十八日以降参加す
水
野 戦 重 砲 兵 第 九 聯 隊 の第 一大 隊
一 二
3
三 野砲兵第 二聯隊 ( 第 一第 三大隊欠)は鐵角嶺茹越 口の戦闘 のみに参加す 四 輜 重兵 中隊 は繁崎代州附近 の戦闘 に参加 せず 五 工兵第 二聯隊主力 は本戦闘 に参加せず
4
6 190
6 55
給
総
備
考
329 1071
358 7
3206
11 1
140
6
︹ 東條英機中将︺ ︹関東 軍 ︺ 参 謀 長
(昭和 十 二年 十 月 二十 五 日
発)
成し得 る限り装備 の向上 を策し特 に機械 化兵 団類似 の部隊及若
軍費 は別 に調整す る所 に拠り蒙疆地方自体より之を捻出す る如
て処理す る様明文化 するも のとす
四、自治政府は政務 と軍事 とを分離し各 々其最高顧問 と協議決定し
根基 とす
三、蒙古自治聯盟政府 の施政 は其範域内 に於ける防共及 民族協和を
綏遠及包頭 を特別市 となし行政上盟と同 一に看做す
盟、伊盟、青盟 の地域 とす
二、蒙古自治聯盟 の範域 は蒙古全域とするも差当 り錫盟、察盟 、烏
一、蒙 古自治聯盟政府 の主権者は主席とす
蒙 古自治聯盟政府大綱
く努 む
五
日本軍 の古品等 を譲渡す
為之努 めて鹵獲兵器を充 用しま た機械化部隊及航空部隊用兵器 は
干 の航空部隊 を設く
四
四 一 蒙古 自 治聯 盟 施 策 に 関す る件
[ 松井太久郎大佐︺
関参満発第 一 三 九号 張家 口特務機関長 宛電 首題 ニ関 シテ ハ別紙 ノ通 リ桑原中佐 ニ指示 セルニ付通牒 ス 針
内蒙軍強化方案要綱 一、方
内蒙 の新事態 に伴 ひ其勢力範囲内 の防共及安定確保に十分 なる戦 力を備 ふると共 に有事 の日 を顧慮し略 々外蒙軍 の威力に匹敵 せしむ るを根本方針 とす 領
約 二万 の兵数を目途 として増強を図る
二、要 一 質 の向上を企図す
為之素質不良 なる漢人部隊 は裁兵し素朴勇敢 なる蒙古人を徴集 す
二
特 に指揮官 の能力向上 を策す
又最高軍事顧問 の外軍隊内部 に適宜日人を介 入せしむ 三
為之軍官学校竝幼年学校 を拡充整備 す
五、蒙古自治聯盟政府 、盟公署、特別市 公署及県公署 の組織 は努 め て簡素 とし盟旗 に在 りては急激 なる変革を行 はざ るものとす 六、蒙古自治聯盟政府 の年号 は成吉斯汗紀元を併用 し陽暦 に依る 七、蒙古自治聯盟政府 の旗章 は蒙古軍政府 のも のを踏襲す 八、蒙古自治聯盟政府は綏遠城 に位置 せしむ 九、中央国民大会 の設置 を認む るも其組織は盟旗 を基礎 とし其権限 は自治政府 の諮問 の範囲に止め厳 に蘇聯及外蒙 と類似 の形態及権能 を与 ふることなき を要す
四二
張家 口機情報第八号
(昭 和十 二年 十 一月 二 日 )(張 家 口特 務 機関 長
松 井 太 久 郎)他
蒙 疆 地 区綿 羊 、羊 毛 及羊 毛皮 配給 統 制 要 綱 に関 す る件 申請
以外 の者 に対し ては行政 的措置 に依り之を認 めざ る こととす
二、聯合委員会 に依 り指 定せられたる者は組合 を形成 し各 々の集荷
吉 殿
関東軍司令官
分野、集荷数量 、集荷価格、販売価格 、販路等 は原則 とし て該組合
田 謙
首題 に関し別冊二部 の如く指 導し度申請す
の自治的統制 に依 りて適当 に協調し不当 なる業界 の混乱 を生ぜしめ
植
追而当方面は目下需要期 にし て之が配給 を迅速 ならしむる ことは
ざ る様留意 せしむることとす
為し其 の他公益上 又は統制上必要なる命令 、指 示を為す ことを得 る
三、聯合委員会 は組合 の事業 に関し各 政府 を通じ報告 を徴し検査を
を要するも のとす
第 一項 の集荷価格及販路 に付 ては予 め聯合委員会 の承認を受く る
組合 の自治的統制 に依 り前項 の目的 を達成 し難き場合は聯 合委員
市況 を活溌 ならしむる所以なる に付き取急ぎ認可あり度申添 ふ
会 の決する所 に依 るも のとす
針
蒙疆 地区綿羊 、羊毛及羊毛皮配給統制要綱 ( 案) 第一 方
区内 に於ける綿羊 、羊毛及羊毛皮 の配給 ( 集荷及販売)を 一元的に
羊毛工業原料資源確保 の国防上乃至産業上 の緊要性 に鑑み蒙疆 地 統制し以 て日、満 、北支を通ず るブ ロック経済 の強化、羊毛 工業原
置
一、聯合委員会は速 かに要領 一、記載 の者をして組合 を形成 せしむ
第三 処
準ず る団体 と緊密 なる連絡を保 つべきものとす
四、組合 は其 の集荷 に当 りては地区内 に於ける同業 公会其 の他之 に
も のとす 領
料政策 の確 立に資 せんとす 第二 要
一、差 当り鐘紡 、満蒙毛織 、大蒙公司、満洲畜産会社 (三井物産) 其 の他蒙疆聯合委員会 (以下単 に聯合委員会 と称す) の指定す る者 をし て原則 とし て共同し て綿羊、羊毛及羊毛皮 の配給 に当 らしめ右
二、聯合委員会 は各政府 を通じ地区内 に於 ける綿羊、羊毛及羊毛皮 交易同業公会其 の他之 に準ず る団体を整備 せしめ且此等と前記組 合 と の連絡方 に付適当斡旋措置す るも のとす
組合形成 に至 る迄 の間 に於 て必要 あるときは聯合委員会 は暫
考
三、聯合委員会は必要 に応じ胎児持ち綿羊 の取引 を禁示す るも のと す 備 イ
宛
羊毛買付ノ件回答
張家 口特務機関長 張機電六二五返
参
謀
長
綏遠、包頭 方面羊 毛買付 ニ関 シテ ハ曩ニ関参満発 二七〇号承認 ノ
購買 セシメアルニ付該 数量 ハ調弁班 ヲシテ直接購買 セシメ他 ハ組 合
行的 に其 の指定す る者をし て本要綱第 二、要領 一、に依 らず綿羊、 通 リナルモ目下軍ノ調弁班 ヲシテ本年度軍需動員用約 四十五万瓩 ヲ 羊毛及羊毛皮 の集荷、販売 を為 さしむ ることあるも のとす
ニ於 テ統制的 ニ実施 セシメテ差支 ヘナシ
ルニ付御含 ミヲ乞 フ
昭和十 二年十二月十三日 発
関参満電第 四六九号
宛電
軍
参
謀
長
追而調弁班 ニハ右 ノ趣旨竝価格 ノ点 ニ付所要 ノ指 示ヲ与 へ置 キタ
尚来年度 ノ所要 ハ差 向約 六十万瓩 ノ見込ナ ルモ其購買 ハ組合 ヲ通
ロ
シテ行 ハシム
本要綱 は必要 に応じ ラクダ毛 の配給 に之を準用す るものとす
関参満発第 二七〇号 蒙 疆 地 区綿 羊 、 羊 毛 及 羊 毛 皮 配給 統 制 要綱 ニ関 スル 件 昭和十二年 十 一月十五 日
長 張家 口特務機関長
︹ 東條英機︺ ︹ 関東軍︺ 参 謀
張機電 七七二返
宛
張家 口特務機関長
ノ意味 ニ於テ従来多倫 方面 ニ於ケ ル蒙古貿易 ニ就 テ独占 的取引 ヲ認
業 ノ察哈爾方面進出 ニ関 シテ ハ之 ヲ認可 セサル方針ト ス﹂ トアリ此
設立 ノ際要綱 ニ ﹁同公司 ト同 一目的 ヲ以 テ業務 ノ主体ト スル此種企
大蒙 公司 ニ対シテ ハ蒙古特産品 ト日用品 トノ物 々交換 ヲ目的 トシ
十 一月二日張家 口機情報第八号 ヲ以テ申請 ニ係 ル首題 ノ要綱認可 セラレシ ニ付承知 セラ レ度
昭和十二年 十 一月十八日発
関参満電第 二九 一号
メ来 リタ ル所 ナ ルカ今 回蒙 疆 地 区 全般 ニ亘 リ羊 毛 其 他 獣 毛類 ノ配 給
関 参 満 電 第 三 一四 号 ヲ以 テ貴 見 ヲ徴 シタ ル綏 遠 毛織 工場 ノ件 ハ現
張家 口特務機関長 綏 遠
長
リ度張 家 口 ハ参 考 (写軍 経 理部 ニ送 付 済)
昭 和 十 二年 十 二月 二十 四 日
関参 満 電 第 五 六〇 号
謀
長
ニ経 営 セ シ ム ルヲ適 当 ト スル意 見 ナ ルカ特 ニ御 意 見 ア ラ ハ至急 承 ハ
下 軍 用 毛 布 不足 セ ル ニ鑑 ミ多 年 経 験 ヲ有 ス ル満 蒙 毛 織 会 社 ヲ シテ速
宛電
統 制 ノ為 業 者 ノ組 合 ヲ組 織 スル如 キ場 合 ニ於 テ ハ大 蒙 公 司 ト雖 当 然 之 ニ参 加 ス ヘキ モノ ニ付 承 知 ア リ度
参
謀
尚 大蒙 公 司 ノ将 来 ノ処 理 方 策 ニ関 シテ ハ在 来 ノ立 場 ヲ モ尊 重 シ 、
発
適 宜 吸 収 又 ハ合 併 等 ノ方 策 ニ関 シ研 究 セラ レ度 シ
関 参 満電 第 四 三 四号 昭和 十 二 年 十 二 月 九 日
参
後宮 兵団 参謀 長 (張家口特務機関長) 宛電 張家口電九〇〇 ニヨリ〓鹿縣附近 ノタ ング ステ ン鉱 ハ軍事上極 メ
タ ング ステ ン鉱 確 保 ニ関 ス ル件
テ重要資源 ナ ルニ鑑 ミ貴兵団 ニ於テ張家 口特務機関長ト連絡 ノ上保
張家口 綏 遠 特務機関長 宛電 今回蒙疆 地区羊毛等配給統制 ノ為業者 ノ組合結成 ニ伴 ヒ軍 用品等 ノ調達 ニ就 テ モ該組合 ヲ利用 ス ヘキ ハ関参満電 二九 一ノ如 クナ ルカ
宛電
長
軍需 ノ特殊性 ニ鑑 ミ左記 ノ点 ニ付蒙疆聯合委員会及組合 ヲ指導相成
( 張家 口機関長 ハ参 考迄)
右依命
関参満電第五六 一号
次 官
〓鹿縣下 タ ング ステ ン鉱資源 発見ノ件
昭和十二年 十二月二十 四日 発
陸 軍
有望 ナ ル ﹁タング ステ ン﹂鉱脈 ヲ発見 セリ右 ハ軍事上重要資源 ナル
張 家口特務機関長 ノ報 告 ニ依 レ ハ察南地区〓鹿縣下 ニ於 テ極 メテ
謀
護確保 ニ関 シ十分ナ ル措置 ヲ講 セラ レ度 記
長
参
度 左
一、組合 ハ軍用羊毛等 ニ就テ ハ優 先的 ニ軍側 ニ供給 スル コト 二、軍 ノ購買 スル羊毛等 ノ価格 ニ就 テ ハ軍 ト蒙疆聯合委員会 卜協議 決定 スルコト
四 課
三、組合 ニ於テ集荷分野 、集荷数量、集荷価格 、販売価格等 ノ決 定 又 ハ変更 アリタ ル都度軍側関係機関 ニ通報 スルコト 関参満電第 四八二号 昭和十二年十 二月十四日 発 第
モ稍 々 モス レ ハ利 権 屋 ノ手 中 ニ帰 スル惧 ア ル ニ鑑 ミ鉱 区 ヲ速 カ ニ軍 ニ於 テ保 護 シ権利 ノ散 逸 ヲ防 キ之 カ保護 ノ措 置 ヲ ナ スト共 ニ成 ヘク
発
長
速 ニ満 洲 国 ヨリ調 査隊 ヲ派 遣 シ埋 蔵 量等 ノ精 査 ヲ遂 ク ル コト ト セリ 右不取敢報告 ス
関 参 満 電 五 八 五号
タ ング ステ ン鉱 開 発 ノ件
昭和 十 二年十 二 月 二十 八 日
謀
大 同 炭 ノ採 掘 及供 給 ニ関 シ テ ハ差 当 リ左 ニ準 拠 シ措 置 スル如 ク蒙
疆 委 員 会 ヲ指 導 相 成度 尚 貴 方具 体 的 措 置 案至 急 認 可 方 申 請 相 成 度 左
一、 大 同炭 ノ採掘 ハ応 急 処 置 ト シ テ満 鉄 ニ委 託 ス ル モノ ト ス
二 、 右 採 掘炭 ハ蒙 疆 委 員 会 所 有 ト シ第 三 項 ニ従 ヒ供 給 ヲ律 ス但 シ満
ス ル モノト ス
鉄 ニ対 シ テ ハ採 掘 委 託 ノ代 償 ト シ テ供 給 炭 一部 ノ無 償 交 附 等 ヲ考慮
三 、 大 同炭 ノ処 分 ハ差 当 リ左 ノ要 領 ニ依 ル
イ 、鉄 道 用 炭 及 蒙 疆 地 区 駐 屯 軍 隊 用燃 料 炭 ノ供 給 ハ満 鉄側 ニ於 テ
取扱 ハシメ必 要 限 度 ニ於 テ採 掘費 ノ代 償 ト シ テ無償 交 附 ス ル モノ
参
トス
宛電
ロ、 一般 向 燃 料 炭 ハ差 当 リ興 中 公 司等 ヲ中 核 ト シ現 地 当業 者 間 ニ
張 家 口特 務機 関 長
ヲ期 ス ルト共 ニ発 見 者 ニ対 シテ ハ十 分 優 遇 方 法 ヲ講 スル コト ト シ鉱
適 宜 供 給 ニ付 調 整 策 ヲ講 セ シ ム ル モノ ト ス尚 将 来 販売 ニ関 シ内 地
タ ング ステ ン鉱 ノ保 護 ニ就 テ ハ前 電 ノ如 ク兵 力 等 ヲ以 テ遺 漏 ナ キ
業 権 ハ蒙疆 聯 合 委 員 会 ニ於 テ管 理 ス ル如 ク処 置 セ ラ レ タ シ
ナ ク蒙 疆 委 員 会 ニ於 テ管 理 シ前 各 項 ニ関 シ採 掘 供給 其 他 一般 ノ統 制
四 、大 同 炭 田 ノ鉱 業 権 ハ別 ニ指 示 ス ル迄 民 間 者 ニ設定 セシ ム ル コト
炭 業 聯 盟 ノ進出 ハ興 中 公 司 ノ統 制 下 ニ於 テ認 ム ル コト ア リ
聯 合委 員会 直 営 ニテ採 掘 ヲ開 始 ス ル様 措 置 セ ラ レ度 所 要 ノ技 術 者 及
又速 カ ニ日本 及 満 洲 ニ積出 ヲ開 始 シ得 ル如 ク不 取 敢優 良鉱 ヲ蒙 疆
労働 者等 ハ差 向 キ在 龍 煙 興 中 公 司従 業 員 ノ 一部 ヲ利 用 シ尚満 炭 会 社
参
謀
長
尚本電文空送 ス
ノ間 ニ適 宜 短 期 間 ノ契 約 セ シム ル モノト ス
特 権 附 与 ヲ与 フ ル等 ノ コト ナ キ限 度 ニ於 テ第 三項 (ロ) ノ供 給 者 ト
五 、張 家 口電 七 三 五 鐘紡 ニ関 ス ル件 ハ単 ニ商 取引 関 係 ト シ テ取 扱 ヒ、
ヲ行 フ モノ ト ス
発
尤 モ此場 合 何 レ モ利 権 ヲ与 フ ル モノ ニ非 ス シテ 単 ニ稼 行 ノ ミ ニ利
等 ヨリ派 遣 スル コト ニ取 計 フ ヘシ
用 ス ル儀 ト承 知 ア リ度
関 参 満 電 第 四〇 九 号 昭和 十 二年 十 二 月 五 日
張 家 口特 務 機 関長 宛
四三
満 洲 国 ・蒙 疆 聯 合 委 員 会 間 議 定 書 ( 案)
治安 の撹乱 に対し之を維持す るの必要 あるときは乙 に対し能 ふ限 り 第
の援助 を為すも のとす
満洲帝国政府 竝 に蒙疆聯合委員会 及之 を構成する各政権 は防共、 民族協和 に関し理想 を同じくせる のみならず其 の範 域が相接壌 し政
一 條
するも のとす 第
康徳 五年
五 條 六 條
月
日即中華民国二十七年
月
日
右証拠 とし て下名は各正当 の委任を受け本議定書 に署名調印せり
文 の間 に解釈 を異 にするときは日本文本 文 に拠 るものとす
本議定書 は日本文、漢文及蒙古文を以 て各二通を作成すべし各本
第
本議定書 は調印 の日より効力を発生するも のとす
第
政其 の他 に付緊密な る協力を行 ふも のとす
甲及 乙は政治上 の共通 の理想を達成するを冀求 し之 が為司法 、行
四 條
の進歩発達 を促さんが為提携 を密 にし相互 に能 ふ限 りの便益を供与
甲及 乙は其 の経済が相互 に依存す るの事 実 に鑑 み通商及交通関係
三 條
治、経済其 の他各般 に亘 り密接なる牽連 を有す るの事実 を確認す る に因 り相互 の間 に現 に存す る密接 不可離 の善隣関係を愈鞏固 にし共 第
栄提携 の実を挙げ以 て東洋 の平和を確保 せんが為左 の通協定 せり 満洲帝国政府 (以下甲 と称す)と蒙疆聯合委員会及之を構成 する きも のとす 二 條
各政権 (以下乙と称す) とは其 の国境を劃定 し永遠 に之 を確認す べ 第
甲及 乙は共産 ﹁イ ンターナシ ョナ ル﹂ の活動 が著しく国家 の安寧 及社会 の秩序 を危殆ならしむ るのみならず東洋固有 の文化及全般 の
又甲 は乙 の所轄する地区の治安が其 の安寧 に対し重大なる関係 を
平和 を脅威し つつあるの実情 に鑑 み協力 して之 が防衛 の為 凡ゆる措 置を講ず るも のとす
有するの事実 に鑑み共産﹁ インターナ シ ョナル﹂の策謀 に基 く其 の
洲
月
日於新京 〇印
五 條
りたる場合 は協調 して友好的 に之 を処理すべし 第
甲及乙は相互 に其 の 一方 の範 域内 に於 て刑事上 の犯罪 を為 したる
者 が他 の 一方 の範域内 に在 るときは原則として相手方 の要求 に依 り
〇 〇印
〇 〇 〇 〇
国 〇
之を処分し又は引渡す ことに努むべし
帝
即成吉斯汗紀 元七百 三十三年 満 蒙古聯盟自治政府代表委員 〇印
蒙彊聯合委員会 〇 〇
さしむべし
七 條
八 條
九 條
十
條
甲及乙は前各條 の実施 に関し其 の当該官憲 をし て具体的協定 を為
第 十 二條
甲及乙は相互 に其 の代表員を交換常駐せしむべし
第 十 一條
甲及乙は通郵 、通電及通車 に付単 一の境域 を形成すべし
第
の定むる所 に従 ひ無害航行を為 す の自由 を承認すべし
甲及乙は相互 に他 の 一方 の航空機 が自己 の範域 内を其 の国内法規
第
対する課税 に関し現在 の状態 を維持す べし
甲及 乙は別 に取極を為 すに至 る迄 の間其 の国境 を通過す る貨物 に
第
が利用 に付便益を供与すべし
甲及乙は相互 に其 の資源 の開発 を援助し乙は甲 に対し優先的 に之
第
を行 ふべく乙は甲の協力 を容易 ならしむべき措置 を講ずべし
甲は乙 に対し其 の貨幣価値 の安定及等価 の維持 に付必要 なる協力
六 條
〇 〇
三 條
四 條
第
察 南 自 治 政 府 代表委員 〇
〇 〇印
晋北 自 治 政 府 代表委員
一 條
附 属 協定 第
甲及乙は達爾湖以南 の国境線 を附図第 一の如く劃定確認するの外
二 條
其 の以北地区に付 ても速 に国境 線 の実査劃定 を行 ふの措置を講 ずべ し 第
甲及乙は共産 ﹁イ ンターナ シ ョナ ル﹂ の活動 に付相互 に通報 し必
第
要な る防衛措置 に付協議 し且緊密なる協力 に依 り之 が措置を達成す べし 甲は乙 の所轄 する地区 の治安 が共産 ﹁イ ンターナシ ヨナル﹂ の策 謀 に基き撹乱せられんとす るときは乙 の要求 に依 り其 の軍隊若は武 に於 て甲 の領域 に対し甚 大なる影響を及ぼすべき緊急事態発生した
装団体 を派し之が治安 の維持 に協力援助を為 すべく又特 に接壌地方
第
るときは乙は甲 に於 て機宜 の方策 を執 ることあるべきを承認すべし 甲及 乙は相互 の接境地方 に於 て双方 に関係ある紛争事件 の発生 あ
第 十 三条 本協定 は議定書と同時 に実施せら るべし 月
日即中華民国二十 七年
右証拠 とし て下名は本協定 に署名調印せり 康徳 五年
月 ○ ○印
日
○ ○ ○印
日於新京
○
○ ○印
月
○ ○ ○印
国
○
帝 ○ ○
洲
○
満 蒙古聯盟自治政府代表委員 ○
即成吉斯汗紀元七百三十 三年
察 南 自 治 政 府 代 表 委員
蒙疆聯合委員会
晋 北 自 治 政 府 代 表委 員 ︹註︺ 本文書ノ調印日時等不明ナリ。
絶 対 ニ提 携 セサ ル コト即 チ速 ニ蒋 政権 ト交 渉 ヲ絶 チ各 地 樹立 ノ政 権
コト
時 局 処 理 ニ関 ス ル関 東 軍 参 謀 長 上 申
ヲ培 養 シ所 在 ニ先 ツ之 ト提 携 シ新 中央 政 権 ノ成 立 ノ機 運 ヲ促 進 シ其
四四
関参満電 第三四九号
成 熟 スル ヤ機 ヲ見 テ 日、 満 ヲ以 テ 先 ツ之 ヲ承 認 シ独 伊 等 ヲ誘 導 シ承
抗 日、 排満 ヲ国是 方 策 ト セ ル蒋 政 権其 他 之 ニ類 似 ノ軍 閥 政権 者 ト ハ
二、 前 述 大義 名分 ニ鑑 ミ将 又長 期 抵抗 ニ陥 ル コト ヲ顧 慮 ス ル モ容 共 、
︹ 東條英機︺ ︹ 梅津美治郎︺ ︹ 関東︺軍 参 謀 長 陸 軍 次 官 宛 参 謀 次 長 ︹多田駿︺ 時 局 ノ帰 結 概 ネ 予 見 シ得 ル ニ至 リタ ル今 日其 対 処 方 策 ニ関 シテ ハ
三 、 蒙 疆 方面 ト北 支 方 面 ト ノ関 係 ハ北 支 方 面 政 権 ノ素 質 能力 ニ応 シ
ヲ挙 ク ル ニア リ之 カ為 我行 動 ハ常 ニ大乗 的 見 地 ニ立 チ テ防 共 、 民族
一、 今 次 事 変 帰 結 ノ終 局 ノ目標 ハ東 亜 ノ現 勢 ニ即 シ 日満 支 共 栄 ノ実
ノ信 頼 ヲ失 ハサ ル コト
支 方 面 ト ノ利 害 ノ調 整 ニ付適 宜 考 慮 ス特 ニ在 来 ノ施 策 ニ於 ケ ル皇 軍
実 ノ事 態 ニ即 応 セ シ ム ル コト 又当 分 北 支 ト ハ分 離 セ ル指 導 ヲ行 ヒ北
現 実 ノ事態 ト情 勢 ノ推 移 ニ応 シ強 弱 、 緩 厳 宜 シ キ ヲ得 シメ 、特 ニ現
発
既 ニ意 見 ヲ具 申 シ ア ル所 ナ ル モ特 ニ当軍 ノ立 場 ヨリ見 テ左 記 諸件 ニ
認 セシム
昭和十二年十 一月 二十九日
関 シ深 甚 ナ ル御 考 慮 ヲ煩 シ度
協 和 日支親 和 等真 ニ大義 名分 ヲ中 外 ニ明 ニ シテ 一点 ノ疑 惑 ヲ存 セシ
四 、経 済諸 建 設 ハ現 下軍 事 ノ急 需 ト将 来 戦 準 備 ノ為 ノ生産 力 拡 大 ト
微妙 ノ作用 ア ルヲ以 テ将来 建設 サ ル ヘキ中 央 政 府 ト ノ関 係 卜相俟 チ、
メ サ ル コト 必要 ニ シテ特 ニ時 局 帰 結 ノ収 穫 ハ勿 論 、 今 次 事変 ニ伴 フ
ヲ較 量 シ当 面 焦 眉 ノ問題 ニ留 ラ ス国 家 百 年 ノ大 計 ヲ樹 立 シ テ 日満綜
記
犠 牲 ニ対 ス ル国 民 的満 足 ヲ充 足 ス ヘキ モ、 一面 ニ於 テ其 代償 ヲ単 ニ
合 力 ノ拡 大 培養 ヲ第 一義 ト シテ 日満 北 支 ノ配 分 ヲ明 確 ニシ、 殊 ニ国
左
物 質 上 ノ所 謂 権 益 獲 得 ニノ ミ求 メ ント ス ルノ風 潮 ハ今 日 ヨリ厳 ニ抑
右依命
止 スル如 ク指 導 セラ レ不祥 事 突 発 ヲ未然 ニ防 止 スル ノ用 意 ヲ整 フ ル
︹マ マ︺
特 ニ現下応急焦 眉ノ軍需的対策乃至浮動 セ ル北支建設病ヲ指導 シ
際収支資本投下 ノ関 係 ヲ調整 ス 将来戦準備 ニ遺憾 ナカラ シムル為 ノ生産力拡充 ニ関 シ格 別ナ ル注意 ヲ倍加 ス
四五
蒙 疆 聯 合 委 員 会 設 定 ニ際 シ蒙 疆 聯 合 委 員 会
二、本委員會最 高顧問参議顧問及委員會職員中主要者請由貴軍司令
貴軍司令宮之内面的指導請加深甚之考慮
令及執行應付随伴貴軍 〓據之要請貴軍及日満両國之充分協力特關於
ト関 東 軍 司 令 官 ト ノ秘 密 交 換 公 文 送 付 ノ件
発 令 官
三、關於本委 員會應管理或統制之重要交通 及重要産業應其必要 委任
官推薦 日満両國人充当之 三政權内日満系顧問亦準右
司
宛
軍
蒙疆聯 合委員会設定 ニ際 シ蒙疆聯合委員会 卜本
昭和十 二年十 二月 四日
関参満発第 四 一二号
総 長 大 臣 十 一月 二十 二目
四、關於本委員会管下之金融事項以蒙疆銀行作為中央銀行之根本方
貴軍所措定之日満各機関経営或為合弁事業如此情形時請予以方便
針因關聯此項将来所発生之事項希望援助之
職トノ間 ニ別 冊ノ通秘密交換公文 ヲ取換 ハセル ニ付送付 ス
五、本委員會暫時希望貴帝國軍駐兵故至管 理或経営之事業生財政上
之餘力時即應封於随伴貴帝國軍駐兵之経費 以現金或物納之形式盡力
当設定蒙疆聯合委員會時蒙疆聯合委 満 文正 文
員會與關東軍司令官間之秘密交換文
分担之
中 華 民 國 二十 六
成吉斯汗紀元七百三十二年十 一月 二十日蒙 疆方面各政権因経互協 議 締結關於設定蒙疆聯合委 員會之協定本聯合委員會 〓経各政府同意
關於右開各條記名各員承各該政權之正當委任連帯署名
蒙疆聯合委員會
六、将来締結正式條約協定等時關於蒙疆地方之前記各條項限於本聯
關於在開各項請
合委員會構成之政權実質上不加何等変更実 行調整 中 華 民 國 二 十 六 成吉斯汗紀元七百三十 二年 十 一月 二十 二 日
貴軍司令官予以諒解相応 照會 貴軍司令官請煩査照可也 一、鑑於此次事變貴 帝國出師 之根本義為關於本委員會應處理 一切命
卿
らしむるを根本方針 とす るに付之 に関聯 して将来生ずべき諸事項 に
四、本委員会管下 の金融事項 に関し ては蒙疆銀行 をし て中央銀行た
品
于
五、本委員会は当分貴帝国軍 の駐兵を希望 し之 が為其管理又は経営
関 し御援助 を願ひ度 きこと
卓 圖 巴 札 布
吉 閣下
恭
蒙古聯盟自治政府代表委員
田 謙
夏
察 南 自 治 政 府 代表委員 植
普 北 自 治 政 府 代表委員 関東軍司令官
六、将来正式条約協 定等締結 せらるるに際しても蒙疆地方 に関する
経費 に関 し現金又は物納 の形式 を以 て努め て之 を分担す ること
す る事業 に関し財 政上 の余力 を生ず るに至れば貴帝国軍駐兵 に伴ふ 蒙疆聯合委 員会設定 に際 し蒙疆聯合委
更 なき如 く調整する こと 中 華 民 国 二 十 六 年 十 一月 二十 二 日 成吉斯汗紀元七百三十 二年十 一月二十二日
蒙 疆 聯 合委 員 会
前記各条項 は本聯合委員会構成 の政権 に関する限 り実質上何等 の変
員会 と関東軍司令官 と の秘密交換公文 中 華 民 国 二 十 六 成吉斯汗紀元七百三十 二年十 一月二十二日蒙疆方面各政権は相互 協義 の上蒙疆聯合委員会 設定 に関す る協定を締結 せるに拠り本聯合
卓 圖 巴札 布
右 諸条 に関し下名は夫 々其政権 の正当 の委任 を承 けて連署す
于
候也
委 員会 は爰に各政権 の同意 を得 て左 の諸件 の確約 に付得貴意度照会 蒙古聯盟自治政府代表委員
夏
恭
卿
一、今次事変 に於け る貴帝国出師 の根本義 に鑑 み蒙疆 地方 に於ける
察 南 自 治 政 府 代表委員
吉 閣下
品 普 北 自 治 政 府代 表委員 田 謙
本委員会 の処 理す べき 一切 の命令 及執行 に関し ては貴軍占拠 に伴 ふ
植
中華民国 二十六年 十 一月 二十 二日即成吉斯汗紀元 七百三十 二年十
関東軍 司令官
軍事 の要請 に応ぜしむべく就 ては貴軍竝日満 両国 より充分な る協力 を仰ぎ度 く特 に貴軍司令官 の内 面的指導 に関し ては深甚な る配慮を 二、本委員会 の最高顧問参議顧問及委員会職員 中主 たるも のは貴軍
一月二十 二日附貴聯合委員会 が夫 々各政権 の正当 なる委任 を承けた
仰 ぎ度き こと
る代表委員 の連署せる書翰 を以 て照会 に係る諸件了承候
吉
司令官 の推薦す る日満両国 の者 を充当致度 こと三政権内日満系顧問
当方 の支障なき限りに於 て協力する ことと致度
田 謙
職員 に就 ても右 に準ず べきこと
右及 回答 得貴意候 也
植
三、本委員会 の管 理若 は統制す べき重要交通及重要産業 に関 しては
関東軍 司令官
昭和十 二年十 一月二十 五日
必要 に応じ貴軍司令官 の指定す る日満各機関 に経営を委 任し若 は合 弁事業を営ましむることあるべく此場合特 に便宜を与 へられたき こ と
蒙疆聯合委員会 御中 品
卿
殿
于 殿
卓 圖 巴 札 布 殿 恭
蒙古聯盟自治政府代表委員 夏
察 南 自 治 政 府代 表委員 普北 自 治 政 府 代表委員
四六
関参満電第 四 一八号 ︹町 尻量 基 少 将 ︺
長
宛
昭和十 二年十 二月七日発 務 部
︹ 東條英機︺ 謀 長
貴 方 カ兵 団 司令 部 ノ政 治 干 与 ヲ避 ケ ント ス ル ハ 一応 了 解 セラ ル ル
ナ ラ ス、 現 ニ北支 其 他 ニ於 テ モ其 傾 向 ヲ看 取 セ ラ ル ル モノア リ
国 防 上 ノ要請 ヲ無 視 ス ル等 ノ弊 害 ハ既 ニ満 洲 ニ於 テ試 験 済 ナ ルノ ミ
結 果 軍 政 的処 理 ニ陥 リ或 ハ単 ナ ル政 治経 済 ノ外 形 整 頓 ニ汲 々ト シテ
駐 蒙 兵 団 政 略 指 導 機 関 ニ関 ス ル件
︹関 東 軍︺ 参
般 ニ於 テ得 策 ナ リ ト信 ス ル ニ付 御 考 慮 相煩 度 シ勿 論 當 方 ノ主 張 ス ル
モ現 下 ノ措 置 ト シテ ハ寧 ロ極 少 ノ適 任者 ヲ幕 僚 部 ニ配 置 ス ル コト万
所 ハ軍 ノ政 治 干 与 ヲ極 力 避 ケ ント スル ニ在 ル モ其 方 式 ニ於 テ 現 地 ノ
総
軍 務 局 長 ︹中島鐵蔵少将︺
駐 蒙 兵団 司令 部 設 置 ニ際 シ政治 指 導 ノ為 特 務 部 ヲ設 ク ルヤ ニ聞 キ
駐蒙 兵 団 政 略 指 導 機 関 ニ関 スル件
及 フ モ現下 蒙疆 方 面 ノ政 治 指 導 ハ満 洲 建 国 ノ当 初 ト異 ナ リ 、各 自 治
実 情 ニ即 応 スル如 ク合 理 化 セ ン ト スル モノ ニ付 念 ノ為
昭和 十 二年 十 二 月十 五 日
発信 者
次
官
蒙 疆 聯 合 委 員 会 ト ノ交 換 公 文 取 扱 当 事 者 ニ関 ス ル 件
昭和 十 二年十 二 月十 六 日発
関 参 満 電 第 四九 三 号
政 府 及 蒙疆 委 員 会 ニ配 置 セ ル各 顧問 ヲ通 シ軍 側 ノ意 図 ヲ徹 底 シ適 切 ニ指 導 セラ レ アリ テ今 更 特 務 部設 置 ノ如 キ ハ却 ツ テ情 況 ニ適 合 セ ス 殊 ニ該 方面 ハ政 略 ト戦 略 ト ノ調 和竝 謀 報 諜 略 等 ト ノ調整 上 ヨリ見 ル モ寧 ロ兵団 司 令 部 ノ幕 僚 部 ニ於 テ極 メテ 大 綱 ヲ捕 捉指 導 シ政 治 指 導 ハ最 高 顧問 以 下 ニ経綸 ヲ 一任 シ充 分 其 手 腕 ヲ発 揮 セ シメ要 スレ ハ其 一部 ヲ兵 団 司 令 部 嘱 託 タ ラ シ ム ルヲ可 ト ス又各 局 地 ハ各 地 ノ特 性 ニ
モ ノト思 惟 セ ラ ル
鑑 ミ幕 僚 部 統 轄 下 ノ特 務機 関 ヲ利 用 ス ル コト現 地 ノ実 情 ニ適 応 ス ル
所 謂 特 務 部 カ幕僚 部 ト ノ摩 擦 ヲ惹 起 シ、若 ク ハ不必 要 ナ ル干渉 ノ
関東軍参 謀 長 宛 陸満密電 一八 一 駐蒙兵団司令部 編成 ニ関 ス ル件 ニ付研究中 ノ処曩 ニ関東 軍ト蒙疆
宛電
謀
長
聯合委員会トノ間 ニ交換 セ ル秘密公文 ニ関聯 シ関東軍司令官 ハ駐蒙
官
参
兵団司令官トナ スモノト存 セラルル処貴 見 一応承 リ度
次
陸満密電 一八 一返 陸 軍
貴電 ノ件 ハ 天皇 直隸中央直轄 ノ駐蒙兵団司令官補任 セラ ルル場
( 終)
合当然関東軍司令官 ノ立場 ヲ移行 スヘキ モノナ ルモ右移行 ニ関ス ル ︹二字不明︺ 取扱 ハ一応当軍ト蒙 疆聯合委員会 トノ間 ニ於テ措置 シ ヨリ駐蒙 兵団司令部 ニ申送 ル形式 ト致度 キ所存ナ リ 右依命
四七
関参満電第四四六号 昭和十二年十二月十日 発 ︹関東︺軍
参 謀
長
蒙 疆 方 面 政 治 指 導 ニ関 ス ル件
北支方面軍参謀長 ( 天津) 北支方面軍特務部長 ( 北京) 宛電 軍務局長総務部長 蒙疆方面政治指導 ニ関 スル当軍ノ意嚮 ハ過般根本大佐 ニ開陳 シ置 キタ ルモ当方ト シテ ハ将来北支其他 ニ樹立 ヲ予想 セラ ルヘキ中華民 国中央政府ト ノ関係 ハ中央政権 ノ基礎確立 スルニ際 シ現実ノ事態 ト 情勢 ノ推移ト ニ応 シ強弱緩厳宜 シキ ヲ得 ル如 ク ニ律 スヘキモ当分北 支方面 ト ハ分離 セル指導 ヲ行 ヒ利害 ノ調整 ニ付適宜考慮 スルコト得 策ナリト思惟 シ又蒙疆聯合委員会及各自治政府 トノ関係 ハ蒙古方面 各般 ノ工作上現状 ヲ持続 シ基礎 ヲ鞏固 ナラ シム ル如 ク指導 スルコト 又冀東 ニ対 スル施策 ニ関 シテ ハ北支方面情勢 ノ進展 ニ伴 ヒ之 ヲ解
必要 ナリト認 メア ルニ付貴方将来 ノ政治指導上右御含ミ相成度 消 ニ導 ク コト敢テ異存 ナキ モ在来 ノ各般 ノ施策上対策準備ノ必要 ア ルニツキ予 メ連 絡 ヲ乞 フ
( 東 京 ハ参考迄)
四八
関参満電第四八九号 天 津 軍 参 謀 長 殿
中 華 民 国 臨 時 政 府 ニ関 ス ル件 他
昭和十 二年十二月十 五日 発
長
長 殿
長
周
謀
部
︹関東 軍︺参
務
北支方面軍特務部長 殿 務
第四課高級参謀
軍
北 支 方 面 ト ハ分離 セ ル指 導 ヲ行 ヒ、北 支 方 面 ト ノ利害 ノ調整 ニ付 適
ノ関 係 ハ更 ニ情 勢 ノ推 移 ニ依 リ指 示 セラ ル ヘキ モ当 分 現状 ヲ維 持 シ
共 ニ表 裏 常 ナ キ巧 緻 ナ ル 一部支 那 人 ノ言 動 ヨリ折角 皇 軍 ニ信 頼 シ最
堪 ヘ ス現 時 局 ニ於 テ更 生 セ ル支 那 ハ新 ナ ル観 点 ヨリ之 ヲ観 察 ス ルト
屡 当 方 ノ意 ノ ア ル所 ヲ開 陳 セ ル所 、 今 日 晋北 解 消 論 ヲ聞 ク ハ意 外 ニ
殿
蒙 疆 方 面 ノ施 策 ニ対 シテ ハ支 那 全 局 ト 該方 面 ノ特殊 性 ト ヲ考 慮 シ
総
宛電
十 四日 北 京 ニ樹 立 セ ラ レ タ ル中 華 民国 臨 時 政 府 卜蒙 疆 方面 政 権 ト
綏 遠 特 務 機関 長 大 同 特 務 機関 長 張家 口特務機関長
宜 考 慮 ス ル如 ク中 央 及 北 支 方面 軍 ニ当 軍 ノ意 思 ヲ表 明 シア ル ニ付 右
モ現 地 ノ実 情 ニ即 応 シ テ結 実 シア ル既 成 事 実 ヲ無 視 ス ルカ如 キ ハ当
ハ史 実 ニ ヨリ御 承 知 ノ通 リ ニ付 為 念
因 ニ晋北 、察 南 ノ帰 属 ハ古 代 ヨリ情 勢 ニ応 シ幾 多 ノ変 遷 アリ タ ル
方 ノ断 シテ 同意 シ能 ハサ ル処 ニツ キ諒 承 相 成 度
御含 ミ ノ上 善 処 相 成 度
関 参 満 電 第 五五 二 号 昭和 十 二年 十 二 月 二十 三 日発
晋 北 政 府 ニ関 ス ル 件
昭和 十 二年 十 二 月 二十 六 日
関 参 満 電 第 五 七 二号
長
宛電
察南晋北処理 ニ関 スル件
総
︹ 杉山元︺ ︹ 載仁親王︺
大 臣
司
令
︹ 植 田謙吉︺
︹関東 ︺ 軍
官
電 報
写
昭和十 二年十 二月二十八日
ニ抑 止 シア ル所 以 モ既 ニ諒 察 セラ レア ル モノト 確 信 ス、殊 ニ蒙 疆 方
主 義 ヲ堅 持 シ又将 来 中 央 政 権 ト ノ関 係 ヲ考 慮 シ テ蒙 古 独 立運 動 ヲ特
タ ル次 第 ニシテ当 軍 カ今 次 事 変 ノ大 義 名 分 ノ 一タ ル民族 協 和 防 共 ノ
統 一指 導 ノ要 ア ル ヲ力説 シ特 ニ幕 僚 ヲ派 遣 シテ説 明 セ シ ム ル所 ア リ
シ ム ルヤ ノ噂 ア ル モ、右 ニ関 シテ ハ屡 次意 見 ヲ具 申 シテ蒙 疆 地方 ノ
ニ於 テ将 来 時 期 ヲ見 テ察 南 及 晋 北 両 自治 政府 ヲ北 支 新 政 権 ニ合 流 セ
地 方 政 権 ノ存 廃 帰 属 ヲ律 ス ル モノ ニア ラ ス、然 レト モ蒙 疆 ノ現 ︹マ 情 マ︺ ハ
政 府 ノ期 ス ル所 ハ、 蒙 疆 ノ処 理 ハ、当 分 ノ間 現 状 ヲ維 持 シ今 遽 ニ右
政 権 ト内蒙 自 治 政 権 ト ハ密 接 ナ ル連 繋 ヲ保 持 セ シ ム ル旨 決 定 セ ラ ル、
テ察 南 及 晋 北 両政 権 ハ時 期 ヲ見 テ北 支 新 政 権 ニ合 流 セ シ メ、 又北 支
蒙 疆 各 政 権 ノ処 理 ニ関 シ既 報 閣議 決 定 ノ事 変 対 処 要 綱 ( 甲 ) ニ於
関参満電五七二号敬承
陸満密電 一八九
次 官
面 ノ各 政権 ハ相 協 定 シテ聯 合 委員 会 ヲ構 成 シ以 テ其利 害 ヲ調 整 シ今
内 蒙 ト察 南 晋 北 ト ノ関 係 ニ於 テ ハ 一応 認 定 セ ル モ之 等 ト北 支 各 政 権
軍
︹ 梅津美治郎︺
日其 結束 極 メ テ堅 ク政 治 経 済 諸般 ノ経 営 逐 日其 基 礎 ヲ緊 固 ナ ラ シ メ
延 テ ハ全 支 那 ト ノ関 係 ハ対 支 指 導 上禍 根 ヲ包 蔵 ス ルヲ以 テ 将来 適 当
陸
ア ルノ ミ ナ ラ ス民 心 融 和安 定 シ ア ル実情 ニアリ今 日察 南 晋 北 ヲ北 支
ナ ル時 期 、換 言 ス レ ハ北 支 政 権 発達 シ之 ト蒙 疆 各 政 権 ト ノ関 係 ヲ確
関東軍 参謀 長 宛
ニ統 合 ス ルカ如 キ ハ既 成事 実 ヲ無 視 シ皇 軍 ノ信 ヲ失 フ ノ ミナ ラ ス今
仄 聞 ス ル所 ニ依 ル ニ近 ク中 央 ニ於 テ決 定 セラ レン ト ス ル対支 国 策
日迄 拮 据 経 営 セ ル万般 ノ諸 工作 ヲ根 柢 ヨリ破 壊 ス ルモ ノ ニシテ晋 北
ナリ
右 ハ十 一月 二十 九 日関 参 満 三 四九 号 貴 軍 対 支意 見第 三項 ノ趣 旨 ニ
立 シ得 ル時 期 ニ於 テ察 南 晋 北 両 政権 ト ノ関 係 ヲ調 整 セ ント ス ル モノ
概 ネ合 致 ス ル モノ ニシテ既 ニ政 府 ノ方 針決 定 ス ル上 ハ之 ニ依 リ蒙 疆
察 南 地 区 カ蒙 古 聯盟 地 区 ト ハ唇歯 輔 車 ノ関 係 ヲ有 シ蒙 古 統 治 上 緊 切 ナ ル要 素 タ ル モノ右 地帯 ヲ蒙 疆 ニ聯 合 セ シ ム ル ノ影響 ハ山 西 北 支 等
今後 ノ処 理 ニ当 ラ レ度
(終 )
ニア ラ サ ルナ リ右 ニ ヨリ本 措置 ハ当 軍 ノ断 シテ同 意 シ能 ハサ ル所 ニ
右 命 ニ依 リ
ノ人 士 ニ多少 ノ面子 上 ノ問 題 ヲ与 フ ル ニ過 キ ス シテ実 害 ヲ伴 フ モ ノ
シテ 爰 ニ重 ネ テ意 見 ヲ具申 ス右 ニ関 シテ ハ皇 軍 ト シ テ今 後 ノ指 導 上 重 大 ナ ル影響 ア ル ニ付 至 急何 分 ノ回 示 ヲ乞 フ
軍
大
臣 宛電
蒙疆 方 面 政 治 指 導 二関 ス ル件
昭和十二年十 二月 二十九日発
関参満電 第五九五号
陸
関東 軍司令 官
蒙 疆 方 面政 治 指 導 ニ関 シ晋 北察 南 ノ処 理 ニ関 シ政 府決 定 案 ニ関 シ
陸満密電 一八九敬承
本 職 ト其 所 信 ヲ異 ニス ル モ ノア ル ハ甚 タ遺 憾 ニ堪 ヘス該 方 面 ノ統 一 指 導 ノ要 ア ル コト ニ付 テ ハ屡 次意 見 ヲ具申 シ特 ニ十 月 四 日関 参 満 発 第 十 六 号 、 十 月 十 二 日関 参 満 発 第 六 六 号 ニ於 テ之 レヲ明 ニシ別 ニ大 局 的 見 地 ヨリ蒙 疆兵 団 設 置 ニ関 シ建 言 セ ル通 ニシ テ貴 大 臣 ハ能 ク当 方 ノ事情 ヲ諒 察 セラ レ ア ル モノト確 信 シア リ タ リ、 殊 ニ過 般 当 地 ニ
ニ光 明 ヲ抱 キ ア ル次 第 ニシテ関 参 満 電 三四 九 号第 三 項意 見 ニ於 テ特
来 京 ノ該 方面 代 表 乃 至 在 住 民 一般 ノ動 向 モ前 電 通 リ渾然 融 和 、前 途
ニ現実 ノ事 態 ニ即 応 セ シメ 、 又中 央 北 支 ト ノ微 妙 ノ作 用 ヲ考 慮 シ其
ク開 陳 セ ル モ蒙 疆 各 政 権 分 離 問 題 ニ言 及 セ ル コト ナ ク毫 末 モ貴 方 ノ
関 係 ハ現 実 ノ事 態 ト情 勢 ノ推 移 ニ応 シ強弱 緩 厳 宜 シキ ヲ得 シ ム ル如
諒 解 ト合 致 ス ル モノ ニア ラ ス、惟 フ ニ時 局 収 拾 上 将 又 対 蘇 戦 準備 上 先 ツ以 テ接 満 地帯 ノ安 定 確 保 ヲ図 ル ヘキ ヤ或 ハ徒 ニ浮 動 常 ナ キ支 那 要 人 ノ嚮 背 ニ齷 齪 シ テ国 是 ヲ定 ム ヘキ ヤ ハ既 ニ其利 害 理非 ニ於 テ贅
シ自 然 ノ推 移 ヲ辿 ル モノ ト認 メ ア ル ニ付 予 メ御 了承 相 成 度 、 尤 モ察
言 ノ要 ナ キ所 ニシテ 現実 及将 来 ノ推 移 ハ必然 現 下 ノ客 観 的 事 態 ニ応
南 、 晋 北 地 区 ヲ強 テ分 離 セ シ メラ ル ル ニ於 テ ハ現 下機 微 ナ ル感情 ヲ
有 ス ル蒙古 民族 ハ漢 民 族 ト ノ折 角 ノ融 和 ヲ破壊 ス ルノ結 果 ニ陥 ル ハ
必 然 ニシテ 且我 日本 及 日本 軍 ヘノ信 頼 ヲ失 ヒ目下 高 調 シ ア ル独立 ノ
ヲ虞 ル ル コト甚 大 ナ リ
欲求 上却 テ我 ヲ怨 嗟 シテ延 テ外 蒙 へ趨 リ若 ク ハ赤 化 ス ル コト ナ キ ヤ
中 央 ニ於 テ モ特 ニ適 任 者 ヲ簡 派 シ冷 静 ニ検 討 セ シメ ラ ル ル コト必 要 ナ ル ヘシ
四九 ︹ 蓮沼蕃中将︺
︹ 植 田謙吉大将︺
蒙 疆 方 面 の施 策 に 関 し 関 東 軍 司 令 官
満洲国指導 上将 又当方各般 の施策 への影響 にも鑑み事前 に充分隔意
よ り 駐 蒙 兵 団 司 令 官 への対 談 要 綱
今 回新 に駐蒙兵団 の設立 を見蒙疆方面 の政務指導を貴兵団 に申送 るに際し特 に左記 本職 の意 のある所 を陳 べて閣下 の今後 に於 ける御
二、蒙疆地方各政権 に対す る軍 の政治指導体系 は在来 本職 の行 ふ指
なく連絡協議 せられんことを切望す
記
在り貴兵団 に於 ても特 に当分此事態此指導方式を継承 せられ軍幕僚
と の関 係は極 めて円満 に協 調せられ其能率を増進し つつある現況 に
れる次第 にして特務機関長 と最高顧問等 との関係顧問 と原住地要人
に最高顧問 の統制 に基き各顧問 に経綸 を 一任す るの主義 を堅持 し来
長をして最高顧問及各地政権最高顧問 を通じ内面指導 に任 ぜし め特
謀略と の関係 を律 せしめ綏遠特務機関長 の統 一指導下 に各特務機関
導 に関し幕僚部 に於 ては極め て其大綱 を捕捉し政戦両略 の調和諜報
配慮 を切望 する次第 なり 尚内蒙軍 の指揮権 に関 しては別 に内蒙軍 より直接貴兵団に申 し出 る筈 に付御含 みあり度 左
細部 に関 しては参謀長をして貴兵団参謀長 に懇談せしむ 一、蒙疆地方政治指導 の根本は民族協和 、防共親日 の主義 を堅持し 各地政権 の特質 に鑑 み各 〓其 の特性 を発揮 し特 に蒙古聯盟自治政府 の発展 を根軸 とし各政権 の統 一強化竝利害 の調整 には格段 の努力と
自治政府 の実力 なき現在 の情勢 に於 て蒙古独立運動を起す ことは其
般 の関係特 に将 来 に於 ける中央政権と の関係等 を考慮し て蒙古聯盟
衝 せしめ度意嚮 に付可然配慮相成度
ものある所満 洲国側 よりも近く国境防共経済等諸問題 に付協定 方折
三、蒙疆地方と満洲国北支等と の関 係 に付 ては各般 の調整を要 する
腕 を発揮せしむる如 く指導 せられん ことを特 に切望す
部 は特務機関長を掌握し其内面指導 により顧問をして遺憾なく其手
実利なきに鑑 み特 に之 を抑止し来 りたる次第 にし て貴兵団 に於 ても
注意 とを払 ひ蒙疆聯合委員会 を構成 せしめ て其 の発達 を促進し又諸
特 に此指導精神 と今 日迄 の経緯 とを尊重 の上善処 せられ度 又将来重 要 なる事項 に関し其内容に調整を加 へんとするか如 き場合 には特 に
五〇
尚蒙疆方面政治指導上在来特 に留意せる重要案件左 の如し
諒 承せられたし
指導 を行 はしむ る如く具申 せるものにし て特 に当軍 の意 のある所 を
( 昭和十三年一 月一日)
駐蒙 兵 団 石 本参 謀 長 に 対 す る東 條 関東 軍 参 謀 長 の懇 談 要 旨
一、政 策 関 係 事 項 蒙 疆方面 は対蘇支関係 に於 て国防上 、政治上特異 の関係 あるのみ ならず 地理的、民族的関係 に於 て亦特殊 の考慮を要 し殊 に最近数年
の目的 に鑑 み防共 の完成 民族協和 の具現を以て大義名分とし 一面対
一視す るを許さざるも のあり、殊 に今次事変 に処 し関東軍 は其出師
認 めあらず
面指導権を附与しあり、軍特務部 の設置 は弊害多き に鑑み其設置 を
但し各特務機関長 には綏遠特務機関長 の指揮下 に於 て必要 なる内
一、軍 の行 ふ指導 は之 を内面的 とし蒙疆委員会及各政権 に配せる最
蘇支施策 の関係を考慮 し該方面 の協和自立 を策す る為其統轄 範囲、
員会等 の管理又は統制下 に置き軍 の管 理を避け占領 地行政的色彩を
高顧問等 の手腕 を発揮 せしめ あること
政治機構、指導原理等 万般 に於 て特殊 の創意 工夫 を重 ね今日概ね其 基礎 を鞏固ならしめ該方面 一帯 の在住民は日満両国就中皇軍 への信
帯ばしめあらず、尤も蒙疆聯合委員会 と関東軍とは別 に秘密交換公
該 方面 に勃興せる民族運動は新 なる事態とし て観察 するを要し徒 に
頼 を倍加し政情頓 に安定融和す るに至 りし現状 にし て彼 の北支情勢
文を交換 し実質上実権を我方に掌 握す る如く措置しあり
数十年来抗 日政策を基調とし遂 に今次事端を醸 せる支那他方面と同
の進展 に伴 ひ冀東 を解消 せんとす るも のとは特 に其根本 に於 て異 な
三、各 地政権 は夫 々其内 政上 の特質 を発揮 せしめ其利害休戚 を同う
見地 に於 て特 に 大元帥直隷、中央直轄 の蒙疆方面 一兵団 の設定 を
右次第 に依 り関東軍 は対蘇作戦準備 に専念す るの必要より大局的
慮 しあり
族 の摩擦 を防止す ると共に政治 を現実 の実際 に適応 せしむ る如く考
するも のに関 し蒙疆聯合委 員会 に於 て協議統制せしむる如く し各民
二、国防上若くは経済上重要なる交通、通信、産業、鉱業 は蒙疆委
るも のとす
建言し之 に蒙古聯盟 、察南、晋北各自治政府 を 一括する独自 の政治
四、満洲国と特 に密接な る関係を保持 せしめ満洲国側よりも其発展 を支援し得 る如 く考慮しあ るも特 に連繋 せしむべき事項概 ね左の如
三
二
一
交通、通信、郵政等 の必要限度 に於ける統制
関税 の按配、配分
中央政府 の中央的対外関係容認
宗主権 の容認
きも のと思惟 しあり
四 税制其他必要なる間接税 の配分統制 二、諜報謀略関係事項
五 作戦謀略関係事項 目下蒙疆地方 の直接治安擾乱根拠地は五原及東勝、河曲附近 に在
一
り、該 二方面 の粛 正は蒙疆 地方治安維持 上喫緊事 なるも兵力 の関係 をし て準備 を進 め つつあり、 一月中旬迄 に概 ね諸準備 を完了する筈
上同時粛正は困難 なるを以 て先づ五原を粛 正す べく日本軍及蒙古軍 なり、此 の際特 に臨河附近 に在る回教軍 と衝突を惹起 せしめざ る如 回教徒工作 は目下蒙疆領域内 の同教徒 の結合 に重点を置 き寧夏、
く予め充分なる工作 を行 ふを要す 甘粛 、青海 、新疆省方面 には連絡者 を派遣し五馬聯盟 の結成 を慫慂 蘇 、支 の主要連絡線擾乱 の為 の謀略部隊は目下在蒙謀略部隊中 よ
し つつあり
諜報関係事項
り物色 しつつあり 対外蒙、対蘇諜報網は未だ完備 しあらず、速 に完 成を希望す
二
額済納 特務機関員は目下蘭 州又は粛州附 近に監禁 せられあるが如
尚細部 に関し ては別添蒙疆方面政治指導重要案件綴其他 に つき夫
し之 が救出 に関し尽力あり度
夫関係主任課高級参謀 より説明 せしむ。
令
五 一
一
大陸命第 三十九号 命
命 令 ・指 示
一、駐蒙兵団司令官 ハ内蒙及察南晉北地方 ニ於 ケ ル主要地域 ノ安定 ニ任 スヘシ 二、駐蒙兵団ト関東 軍ト ノ作戦 地域 ノ境界 ハ満 洲国 ト内蒙及察哈爾 省 トノ境界線 トシ又北支 那方面軍 トノ境 界 ハ内長城及綏遠、陜西省
蓮
沼
吉
蕃
参謀総長 駐 蒙 兵 団 司 令 官
田 謙
殿
載
殿
一 殿
植
壽
寺 内
示
司 令
官
軍
関
東
北支那方面軍司令官伯爵 二 大陸指第三十 一号 指
仁
親
王
一、兵団 司令官 ハ隷下諸隊 ヲ鉄道 沿線其他 ノ要 地 ニ於 テ為 シ得 ル限
大陸命第三十九号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス
三、北支那方面軍 司令官 ハ駐蒙兵団 ノ為 又駐蒙兵団司令官 ハ山 西方
リ集 結配置 スヘシ
境長城 ノ線 トス伹〓源縣 ハ北支那方面軍 ニ含 ム 面北支那方面軍ノ為夫 々其兵站業務ノ 一部 ヲ管掌 ス ヘシ
二、満蒙国境方面及内長城線附近 ノ剿匪作戦 ヲ行 フニ方 リテ ハ密 ニ
三、達里諾爾湖 ( 多倫北方約百三十粁)東蘇尼特王府、西蘇尼特王
関東軍及北支那方面軍ト連絡 スヘシ
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十三年 一月 四日 奉勅伝宣
府 、 百靈 廟 、固 陽 、 包 頭 ヲ連 ヌ ル線 及 黄 河 ヲ越 エテ行 フ作 戦 ( 航空
四 、外 蒙 方 面 ニ対 ス ル将 来 ノ作 戦 ヲ顧 慮 シ之 カ調査 其 他 ノ準 備 ヲ行
戦 ヲ除 ク) ニ関 シ テ ハ認 可 ヲ受 ク ルヲ要 ス
フ ヘシ
蕃
殿
参謀総長
載
仁
親
王
五 、外 蒙 政 権 ノ管轄 地域 内 ニ対 シ空 地 ヨリ ノ進 入 ヲ禁 止 シ厳 ニ紛 争 ノ惹 起 ヲ防 止 ス ヘシ
昭和 十 三年 一月 四 日
蓮
沼
六 、 兵 站 、 交 通 、通 信 等 ニ関 シ テ ハ別 ニ指 示 ス
駐 蒙 兵 団 司令 官
五二
之 に当らしむ。
(昭 一三 、 一、 一四
関 東 軍 司 令 部)
北 支 蒙疆 方 面交 通 経 営機 関調 整 要 領案
︹二字不明︺
4、北支交 通株式会社 の当初 の資 本構成 は満鉄 をし て会社全株 の約
針
北支 及蒙疆方面 の交通経営 は国防用兵上 の要求 を充足 せしむる
半額を標準 として引受け 一期に払込 せしむ るの外日支民間及北支国
一、方
に各 地方 に於け る既成 の政治経済情勢と の合 理的調整 を図り特 に
前項 満鉄出資 に当 りては現北支 に於 ける満鉄 の施設及既に支出せ
策投資会社等 より出資 せしむ。
る軍事費等 を以て充当し之を適宜 の方策 により満鉄出資 に肩替す る
之 が為満鉄 の大陸 に於 ける適性竝現下北支 に於 ける活動 の実情 に
北支 に於け る鉄道運輸 の 一元的運営を容易ならしむるに在り 鑑 み之 が活用 を図るも其程度 は満洲 に於 ける対蘇作戦準備 に毫末 も
本 交通会社 は資金統制及調達 に関 し北支国策投資会社と関係 を有
等 の措 置を講ず るも之 が為此際特 に満鉄 の増資 を行はざるものとす。
領
せしめ将来満鉄 よりの投資は特 に国家 的補償 を受けざる限り原則と
二、要
遺憾 なからしむるを以て第 一義 とす。 1、北支方面鉄道 は之 を北支政権 の国有 とし、蒙疆方面鉄道 ( 京包
して之 を認 めざ るも のとす。
非役職員 の充当、其他満支鉄道運輸 の 一元的運 営に遺憾 なからしむ
5、北支交通株式会社 には満鉄理事若干名 を兼務せしむるの外満鉄 る の措置 を講ず るも のとす。
2、北支方面鉄道 及蒙疆方面鉄道は北支及蒙疆各政権 に於 て夫 々其 地 の実情 に応ず る管 理の下 に之を北支交通株式会社 (仮称)に委託
線 ( 北京迄を含 む)及大同支線等)は之を蒙疆政権 の国有とす。
経営 せしめ其経営 は国防治安 の確立を第 一義 とし且努め て簡素 実用
る ことを得 るものとす。
て其連繋 を円滑ならしめ又当分用度 に付 ては満鉄 に委託調弁を認む
尚之 が為関係軍及満鉄 、北支交通会社間等 に適宜協議会を設置し
3、鉄道運営 の為 には北京 に鉄道 総局を設 け蒙疆方面 に在 りては張
的ならしむるものとす。 家 口に、北支方面 に在り ては適宜各 地に夫 々鉄道管理局 を設置し て
6、鉄道委託経営 に際 しては各方面 の特性 に応 じ駐蒙兵団司令 官及 北支方面軍司令官 は夫 々軍事上 の指示竝監査権等 の行使 を行ひ得 る 如く措置す るも のとす。 鉄 道 一切
7、北支交通株式会社 の委託経営業務 の範 囲概 ね左の如 し。 水運及港湾 の主要なるもの 尚 必要 に応じ炭鉱 其他 の附帯事業をも経営す ることを得しむるも のとす。 大同附 近 の炭鉱処 理要綱案 蒙疆政権、北支交通会社合弁 の特種会社 を新設し蒙 疆政権監督下
第 一條案 に経営す。 北支交通会社 日本内地炭業聯盟等 の合弁 の下 に 一会社 を新設し蒙
第 二條案 疆政権管理 の下 に経営せしむ。
令
五三
大陸命第百 二十号 命
命
一、第百四師団 ハ満洲 ニ到 リ待機 スヘシ 昭和十三年 六月 二十五日
令
載
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長ヲ シテ指示 セシム 奉勅伝宣 殿
参謀総長 殿
三 宅
植
俊 雄
関東軍司令官
田 謙 吉
第 百四師団長
仁
親
王
五四
参謀本部)
中 支 作 戦 ニ関 ス ル陸 海 軍 航 空 協 定 ノ抜 萃
(昭和 十 二年 七月 十 一日
第 二十 二航空隊 ( 水偵 六)
第 一聯合航空隊 ( 中攻 三八、艦戦 一二)
第 二航空戦隊 (艦戦 一二、艦爆 一二、艦攻 一八)
一、中支方面 ニ於 ケ ル敵航空勢力 ノ覆滅 ハ主 トシテ海軍 之 ニ任 シ陸
第十二戦隊 ( 水偵 九)
中支作戦 ニ関 スル陸海軍航空協定 ノ抜萃
二、陸軍輸送船隊上陸地到著前後海軍機 ハ所要 ニ応 シ空陸 ノ敵 ニ対
軍 ハ該方面陸軍部隊 ノ自衛 ノ為飛行 隊ノ 一部 ヲ派遣 ス
第 一聯合航空隊 ノ 一部 ( 濟州島配備 ノモノ) ハ上海方面基 地 ニ
信 味方識別信 号 別 ニ協定 ス
八、通
之 ヲ援助 ス此場合 ノ燃料 ハ成 シ得 レ ハ陸 軍 ニテ準備 ス
陸軍航空部隊空輸 ノ際濟州島 ニ於テ中継補給 ヲ要 スル場合 ハ海軍
陸海軍独自 ニ補 給 ス
七、燃料爆薬等 ノ補 給
飛行場 ノ整備 ハ海軍之 ヲ担任 シ陸海軍共用 ト ス
六、飛行場 ノ使用区分竝其整備
又状況 ニヨリ第 一、第 二戦隊 ノ飛行隊 モ上海方面基地 ニ揚陸 ス
進出 ス
シ之 ヲ掩護 ス 三、陸軍部隊 ノ上陸時及陸 軍飛行準備完了 ニ至 ル迄 ノ間 ニ於 ケ ル陸 軍 ノ為 ノ空中勤務 ハ海軍航空兵力 ヲ以テ ス 四、同 一方面 ニ在 ル陸海軍航空部隊 ノ任務 ノ分担協同 ノ要領等 ノ細
軍
項 ハ更 ニ出 征部隊間 ニ直接協 定 ス 五、使用兵力 1、陸
軍
偵察 一中隊 ( 九機)
上海 方面 2、海
第 一航空戦隊 (艦戦二 一、艦爆 一二、艦攻九)
中 支方 面
五五
四
︹長谷川清中将︺
中 支 作 戦 ノ為 派遣 セラ ル ル陸 軍 ヲ五箇 師 団 ト ス ル ヲ要 ス。
要トス
一、作 戦 ノ発 端 ニ於 テ敵 航 空 勢 力 覆 滅 ノ為 ニ行 フ空 襲 ノ
航 空 戦 隊 ヲ モ当 然 之 ニ含 マシ ム ルヲ要 ス
開 戦 劈 頭 ノ空 襲 ハ我 ノ使 用 シ得 ル全 航 空 兵 力 ヲ以 テ シ、 第 二
(理由 ) 前 号 ノ理由 ニ同 シ
三
( 理 由 ) 支 那 ノ死命 ヲ制 ス ル為 ニ ハ上海 及 南 京 ヲ制 スル ヲ以 テ最
( 昭和十二年七月十六日)
対 支 作 戦 用 兵 ニ関 ス ル第 三 艦 隊 司 令 長 官 ノ 意 見 具申
対 支 作 戦 用兵 ニ関 スル意 見
支 那 第 二十 九 軍 ノ膺 懲 ナ ル第 一目的 ヲ削 除 シ、 支 那膺 懲 ナ ル第 二
一、作 戦指 導 方針 ニ関 シ
目 的 ヲ作 戦 ノ単 一目的 ト シ テ指 導 セラ ル ルヲ要 ス 一、武 力 ヲ以 テ 日支 関 係 ノ現 状 打 開 ヲ策 ス ル ニ ハ支 那 膺
( 理由)
二、第 二航 空 戦 隊 ノ飛 行機 ハ特 ニ遠 距 離 空 襲 ニ適 ス
成 否 如何 ハ爾 後 ノ作 戦 ノ難 易 遅速 ヲ左 右 スル鍵鑰 ナ リ
当 初 ヨリ戦 局 拡大 ノ場 合 ノ作 戦 (所 謂第 二段 作 戦 ) ヲ開 始 セ
(理 由 ) 第 二項 四 ノ理由 ニ同 シ
ト セラ ル ルヲ要 ス
第 二航 空 戦 隊 ヲ北 支 部隊 ヨリ除 キ、 之 ヲ航 空 部隊 中 ノ空 襲 部隊
三 、作 戦 部 隊 軍 隊 区 分 ( 参 考 案 ) ニ関 シ
シ
ヲ助 ケ 我 カ作 戦 ヲ困 難 ナ ラ シ ム ル虞 大 ナ リ
三 、戦 域 局 限 ノ方 針 ニ依 ル作 戦 ハ期 間 ヲ遷 延 シ且 敵 兵 力 ノ集 中
二、支 那 第 二十 九 軍 ヲ膺懲 ス ル モ前 項 支 那膺 懲 ノ実 質 的 効 果 ナ
懲 即 チ現 支 那中 央 勢 力 ノ屈 服 以外 ニ途 ナ シ
( 理由)
一
二 、 用 兵方 針 ニ関 シ
ラ ル ルヲ要 ス 一項 ノ部 ニ同 シ
中 支 作 戦 ハ上海 確 保 及 南 京 攻 略 ニ必要 ナ ル兵 力 ヲ以 テ ス ルヲ
(理由 ) 二
要 ス
五六
︹ 長谷川清中将︺
電
海軍 次官 ・軍令部次長
︹ 山 本五十六中将︺︹ 嶋田繁太郎中将︺
漢 口上 流 居 留 民 引 揚 ノ指 示
発
在 支大 使 館 附 武 官 ・南 京 漢 口各 駐在 武 官 )
第 三艦隊司令長官
七月二十八日午後 三時十分 発電 宛 ( 通報 官 房 機 密 第 五五 一番
天 津 軍 ハ本 二十 八 日朝 ヨリ北 平 方 面 ノ第 二 十九 軍 ニ対 シ総 攻 撃 ヲ
ベ キ ヲ予 期 シ ア ル次第 ニシ テ、 此 ノ際差 当 リ漢 口 ヨリ上 流 各 地 居留
開 始 セ リ。 当 方 ト シテ ハ今 後 日 支 全 面作 戦 ニ マデ 進 展 スル コト ア ル
民 ハ之 ヲ引揚 グ ルノ要 ア リ ト認 メラ ル ル ニ付 、 関 係 外 務 官憲 ト モ連
尚 外 務 省 ヨリ上 流 各 地 領 事 宛各 地 ノ情 況 悪 化 セ ル場 合 ハ、領 事 ノ
絡 ノ上 現 地 ノ情 況 ニ応 ジ機 宜 引揚 ヲ開始 セシ ム ル様 取 計 ハレ度 。
判断 ニテ居留 民 ト共 ニ早 目 ニ引揚 実 施差 支 ナ キ旨 回訓 セリ。
五七
艦 隊 編制 改 定
軍
二十 八 日附 (内令 発 布 )
大
臣
︹米内光政中将︺
発 海 各 艦 隊 ・各 鎮 守 府各 司令 長 官 、 各 要 港 部 ・
七月二十八日午後六時 発電 宛
電
駐 満海 軍 部 司令 官 )
練 習 艦 隊 各 司令 官 、兵 学 校 長 、 機 関 学 校長 (通 報 官 房 機 密 第 五 五 五番
第 一戦 隊 ・第 三戦 隊 ・第 八戦 隊 ・第 一水
練習艦隊 ( 従 前 ノ通 )
隊 ・第 二 十 九 駆逐 隊 ) 四
二、 艦 隊 附属 艦船 部 隊
大 井 ・厳 島 ・第 二十 四駆 逐 隊 ヲ聯 合 艦 隊 ニ、 長 鯨 ・第 二聯 合 航 空
隊 ・第 二十 一航 空隊 ・横須 賀 鎮 守府 第 一特 別 陸 戦 隊 ・呉鎮 守 府 第 一
特 別 陸 戦 隊 ヲ第 二艦 隊 ニ、 白鷹 ・嵯 峨 ・第 一掃 海 隊 ・ 第 十 一掃 海 隊 ・
上 海 海 軍 特 別陸 戦 隊 ・第 一防 備隊 ・第 一聯 合 航 空 隊 ・第 二十 二航 空
隊 ・呉 鎮 守府 第 二特 別 陸 戦 隊 ・佐 世保 鎮 守 府 第 一特 別陸 戦 隊 ヲ第 三
聯 合 艦 隊 第 一艦 隊
早 鞆 ・鳴戸 ・間 宮 ヲ聯 合 艦 隊 ニ、鶴 見 ・隠 戸 ヲ第 三艦 隊 ニ、 知床
三、 艦 隊 鎮守 府 附 属 特 務 艦
一
一、艦 隊 編 制 左 ノ通 改定 セラ ル
第 四戦 隊 ・第 五戦 隊 ・第 二水 雷 戦隊 ・第
雷 戦 隊 ・第 一潜 水 戦 隊 ・第 一航 空 戦 隊 ( 以 上 従 前 ノ通 ) 聯 合艦 隊 第 二艦 隊
艦 隊 ニ附 属 セ シメ ラ ル。
二
二潜 水 戦 隊 ・第 二航 空戦 隊 ( 以 上 従 前 ノ通 )・第 四 水 雷 戦 隊 ( 木 曾 ・第 六駆 逐 隊 ・第 十 駆 逐隊 ・第 十 一駆 逐 隊 )
考
ヲ佐 世 保 鎮守 府 ニ附 属 セ シ メラ ル。
一、 右 ニ依 リ役 務 変 更 ノ艦 船 ニ シテ警 備戦 隊 又 ハ防 備 戦 隊 ニ編 入
備
セ ラ レ ア ル モノ ハ夫 々警 備 戦隊 又 ハ防 備 戦 隊 ヨリ除 カ ル。
第 九 戦 隊 (妙 高 ・多摩 )・第 十 戦 隊 (従 前 ノ通)・
第 十 一戦 隊 (従前 ノ通)・第 十 二戦 隊 (沖島 ・神威 ・第 二 十 八 駆
二 、 鳥 海 ハ八 月以 降 第 四戦 隊 ニ編 入 セラ ル ル予 定 。
第 三艦 隊
逐隊 )・第 三水 雷 戦 隊 ( 北 上 ・第 二十 三 駆 逐隊 ・第 一水 雷 隊 ・ 第二
三
十 一水 雷 隊 )・第 五 水 雷戦 隊 ( 夕 張 ・第 十 三 駆 逐 隊 ・第 十 六駆 逐
五八
命 令 ・指 示
発電
軍令部総長
博
中南支権益擁護 ニ関 スル第 三艦隊 ヘノ指示 七月二十 八日午後十時 十分 軍令部機密第三六二番電
勅
昭和十 二年七月二十八 日
大海令第二号
奉
長 谷 川 第 三 艦 隊 司令 長 官 ニ命 令
恭
王
一、帝 国 ハ北 支 那 ニ派 兵 シ平津 地方 ニ於 ケ ル支 那 軍 ヲ膺 懲 シ同 地 方
二 当面 ノ作戦指示
( 通報
各鎮守府 司令長官、各要
聯合第 二第三各艦隊 司令長官
七月二十 八日午後十 一時 発電 宛
港部 ・駐満海軍部各司令官) 軍令部機密第三六七番電 大海機密第 一号 作戦 ニ関 スル件申進
発
︹ 嶋田繁太郎中将︺
軍 令 部 次長
二 、第 三艦 隊 司 令 長 官 ハ中 支 那及 南 支 那 方 面 ニ於 ケ ル帝 国 臣 民 ノ保
リ北支事態 ノ波及 ニ対 シ警戒 ヲ厳 ニセシメラルル方針 ニシテ特 ニ揚
面 ニ於 ケル陸 軍ノ作戦 ニ協力 スルノ外爾他 ノ支那各地 ニ於 テ ハ差当
帝国海軍当面ノ作戦 ハ北支那陸 軍派兵 ニ対 スル護衛 ヲ行 ヒ塘沽方
護 竝 ニ権 益 ノ擁 護 ニ任 ス ヘシ
子江流域居留 民ノ引揚竝 ニ漢口陸戦隊及揚子江配備艦船ノ上海方面
主 要 各 地 ノ安 定 ヲ確 保 ス ル ニ決 ス
三、 細 項 ニ関 シテ ハ軍 令 部 総 長 ヲ シ テ之 ヲ指 示 セ シ ム
ヘ引 揚 概 ネ完 了 ノ時 期迄 ハ為 シ得 ル限 リ支 那側 ヲ刺 戟 ス ル コト ヲ避
ル兵 力 ヲ除 ク ノ外 特 ニ情 況 変 化 ナ キ限 リ成 ル ヘク兵 力 移 動 増勢 等 ヲ
ケ シメ ラ ル ル意 嚮 ナ ルヲ以 テ右 当 面 ノ任 務 遂行 上 必 要 欠 ク ヘカ ラ サ
行 フ コト ナ ク爾 余 ノ増 加 部 隊 ハ概 ネ 現状 ニ準 シ適 宜 九 州 方 面 ニ待 機
一、第 一第 二聯 合 航 空隊 ノ臺 湾 濟 州 島 及 周 水子 方 面 前 進 基 地移 動 竝
訓練 ニ従 事 セ シ メラ ル ル コト ニ取 計 ハレ度 但 シ
ニ第 二 十 一及 第 二十 二 航空 隊 ノ敵 地 進 出 ニ関 シテ ハ特 令 セ ラ ル
依命
二、 青島 及 上海 派 遣 特 別陸 戦 隊 ノ待 機 地 点 ヨリ ノ進 発 ハ特 令 セ ラ ル
五九
︹ 長谷川清中将︺
ニ
第 三警戒 部 隊
第 三 艦 隊 司 令 長 官 ノ兵 力 部 署 下 令
発 第 三艦隊司令長官 第 三艦隊 ・第 一航空戦隊 ・第 八戦隊 ・第 一水雷戦隊
八月八日午後十 一時 発電 宛
隊
陸
戦 部
ホ
第 三水 雷戦 隊
( 上海特陸司令官)
( 第 三水雷戦隊司令官) 上海特陸・佐鎮第 一特陸 ・ 呉鎮第二特陸 二
峨 ・白鷹 ・第 一掃海隊 ・第十 一掃 海隊 ・第 一防備隊 ・第 二十 二航
第九戦隊 ・第十二戦隊 ・第五水雷戦隊 ( 第十六 駆 逐隊 欠)・嵯
南支部隊 ( 第 九戦隊司令官、但 シ同官内地出発前又 ハ特令時
一、時局 不拡大 ノ帝国 ノ方針 ニモ拘 ラス日支関係 ハ益悪化 ノ傾向 ヲ
機迄 ハ第五水雷戦隊 司令官現地部隊 ヲ指揮 ス)
第 三艦隊機密第四七 一番電 示シ揚子江流域各地居留 民 ハ全部上海及内地 ニ引揚 ケツツアリ。 ニ任 シツツ事態拡大 ニ応 スル 一切 ノ準備 ヲ迅速 ニ整 ヘントス。
二、本艦隊 ハ中支及南支方面 ニ於 ケ ル帝国臣民ノ保護及権益 ノ擁護
イ
第 三空 襲部 隊
第 一空 襲 部 隊
第 一聯合航空隊
第 一航 空 戦 隊
別 ニ命令 スル外現任務及行動 ヲ続行 ス ヘシ。
四、各 部隊 ノ任務行動
ロ
航空 部 隊
空隊 ・鶴見 ・隠戸
率)
出雲 ・第十六駆逐隊 (臨時編入) ( 直 第 十 一戦 隊 ( 第十 一戦隊 司令官) (第八戦隊 司令官)
第 八戦隊 ・第 一水雷戦隊
三
三、兵 力 部 署 隊
第 二警 戒 部 隊
第 一警 戒 部 隊
主
中支部隊 ( 本職直接指揮) イ
一
ロ ハ
要
六〇
旨
(昭和 十 二年 八 月十 日)
第 三 艦 隊 司令 長官 官 房 機 密 第 六 八 一番 電
宛
大 山 大 尉事 件 に 対す る軍令 部 対 処 方針
大山大尉事件 の解決は将来此 の種事件 の根絶 を期す るを方針とし、
事 態 ノ解決 ハ究 極 ハ武 力 ニ依 ル ノ外 ナキ ニ至 ルト ス ル モ、陸 軍 ノ派
目 下 外 交 交 渉進 行 中 ニシ テ最 モ慎 重 ヲ要 ス ル時 機 ニテ モア リ 、旁
兵 ニ ハ相 当 ノ時 日 ヲ要 スル ノミ ナ ラ ス、 我 カ方 ヨリ攻 撃 ヲ開 始 セ サ
左記要求事項 の充足 を目途 として交渉す るを要 す。 而し て支 那側当事者 に於 て之 が解決実行 に対し誠意 を示さざ るに
ル限 リ支 那側 ヨリ攻 撃 セ サ ル中 央 政府 ノ意 向 ナ ル旨 ノ特 情 報 モア ル
於 ては、実力 を以 て之を強制す るも敢 て辞せざる決意 あるを要す。 要求 事項
次第 ナ ルヲ考 慮 シ 、大 山 中 尉射 殺 事 件 ニ対 ス ル当 面 ノ処 置 ハ先 ツ真
急速 破 局 ニ導 カ シ メ サ ル様 致 シ度 。
一、事件責任者 の陳謝及処刑 停戦協定地区内 に於け る保安隊員数 ・装備 ・駐屯 地の制限
発電
海 軍 次 官 ・軍 令部 次長
相 ヲ糾 明 ス ル等 必 要 ナ ル外 交 的 措 置 ヲ執 ル コト ト シ、 可 及 的 事 態 ヲ
右地区内 に於 ける陣地 の防禦施設 の撤去
第 三艦 隊 司 令 長 官
八 月 十 日 午 後 五時 十分
宛
官 房 機 密 第 六八 五番 電
大 山 事件 ノ根 本 的 処 理 ニ関 シ テ ハ請 訓 ヲ待 チ テ 回訓 ヲ発 セ ラ ル ル
発
二、将来 に対する保障 一
右 の実行を監視すべき日支 兵団委員会 の設置
海軍次官 ・軍令部次長
二
発
三
四 排抗 日 の取締励行
八月十日正午 発電
テ必 要 ナ ルモ ノ ト存 セ ラ ル ル ニ付 、貴 地 総 領 事 ト 連絡 ノ上 、 上 海 市
筈 ノ処 取敢 ス現下 ノ尖 鋭 ナ ル空 気 ヲ緩 和 スル ノ手 段 ヲ執 ル コト極 メ
ノ後 退 及 其 ノ防備 施 設 ノ撤 廃 ヲ速 ニ実 行 ス ル様 厳 重 申 入 レラ レ度 。
政 府 及 南 京 政府 関 係 当 局 ニ対 シ我 カ陸 戦 隊 ノ所 在 ニ近接 ス ル保 安 隊
本 件 趣 旨 外 務 省 ヨリ モ出 先 ニ訓 電 ア ル筈 。
長
谷 川 清
八月十二日 一三〇〇以後 其ノ大部 ハ便宜上海 発呉淞 ニ回航 シ
第 三艦隊司令長官
長
谷
川 清
上海北方 ニ於ケ ル支那軍 ハ概 ネ左記配備 ニ在 ルモノノ如 シ
一、今夕上海 四周 ノ情勢 ハ 一触即発 ノ危機 ニ瀕 セリ
第 三艦隊命令
上海旗艦 出 雲
昭和十 二年八月十 二日
機密第 三艦隊命令第 七五号
派遣 シ教育訓練 ヲ実施 セ シム
六 一 事 態 悪 化 ニ関 ス ル第 三 艦 隊 命 令
昭和十二年 八月十 一日
機密第三艦隊命令第七三号
第 三艦隊司令長官
上海 旗艦出 雲 第三艦隊命令 一、第 一警 戒部隊 ハ八月十二日以後黄浦江内及呉淞 上流通州水道 ニ 二、第 二警戒部隊 ハ佐世保鎮守府第 一特別陸戦隊及呉鎮守府第 二特
至 ル水域 ニ於 ケ ル支那国艦船 及航空機 ニ対 シ監視警戒 スヘシ
一
別陸戦隊揚 陸後差当 リ左記 ニ依 リ行動 スヘシ
保安隊 主力及第八十八師 ノ 一部 ニシテ其 ノ 一部隊
一
呉淞鎮寳山鎮方面
江灣及市政府方面
所属不明 ナルモ其ノ兵力約 一千名ト推 測
警察 大隊 ノ主力保安隊 ノ 一部及第八十七
二
閘北方面
同方面及其ノ下流江 口 ニ至 ル水域 ニ於 ケ ル支那国艦船及航空機 ニ
﹁ハスケ ル﹂路 (北四川路老〓子路交叉点北西 地区) ニ在 リ
二
師 ノ 一部 ( 兵力不明) ニシテ其 ノ 一部隊 ハ陸軍武官室 (狄思威路
一部艦船 (軍艦三隻 又 ハ駆逐隊 二隊 ヲ標準ト ス) ハ上海 ニ在
対 シ監視警戒 スヘシ リテ同地ノ警戒 ニ関 シ第 一警戒部隊及陸戦部隊 ニ協 力 スル外別 ニ
三
其美路交叉点旧月廼家花園) 附近 ニ在 リ
特令 ニ依 リ又 ハ本職ノ承認 ヲ得 テ 一部艦船 ヲ馬鞍群島方面 ニ
定 ム ル所 ニ依 リ上海市内地形偵察陸戦諸訓練竝 ニ補 給 ヲ行 フヘシ 三
セラル
ス
二、 当 艦 隊 在 上 海各 部 隊 ハ警 戒 ヲ厳 ニシ テ事 態 ノ推 移 ヲ監 視 セ ント
三、 出 雲 艦 長 ハ第 三編 制 陸 戦 隊 ヲ虹 口地 区 ニ揚 陸 シ上 海特 別 陸 戦 隊 司令 官 ノ指 揮 下 ニ入 ラ シ ム ヘシ 四、 第 十 一戦 隊 司令 官 ハ麾下 在 泊艦 船 ノ第 一編 制 陸 戦隊 ヲ大 阪 商 船
五、 上 海 特 別陸 戦 隊 司 令 官 ハ前 二項 ノ兵 力 ヲ併 セ指 揮 シ概 ネ非 常 警
匯 山碼 頭 ニ揚 陸 シ上海 特 別 陸 戦 隊 司令 官 ノ指 揮 下 ニ入 ラ シム ヘシ
戒 第 三配 備 ノ要領 ヲ以 テ常 時 警備 地 区内 ノ居 留 民 保 護 ニ任 シ又 一部
但 シ現 ニ警 備 地域 内 ニ侵 入 シ ア ル支 那 兵 ハ現 在 地 ニ於 テ之 ヲ監 視
兵 力 ヲ以 テ 公 大 飛行 基 地設 営 作 業 ヲ掩 護 ス ヘシ
シ彼 ヨリ攻 撃 ヲ加 ヘント ス ルカ或 ハ現在 地 ヨリ 一層 内 方 ニ侵 入 セ ン ト ス ル場 合 ノ外 之 ニ対 ス ル攻 撃 ノ開 始 ハ特 令 ニ依 ルモ ノト ス
シ得 ル如 ク準備 ス ヘシ
六、 第 一水 雷 戦 隊 司令 官 ハ上 海在 泊艦 ( 隊 ) ヨリ急 速陸 戦 隊 ヲ揚 陸
右 陸 戦 隊 ノ上陸 点 ヲ出 雲 繋 留 桟橋 ト予 定 ス
六二
一、 陸 海 軍指 揮 ノ体 系
参謀本部
三艦隊司令長官 トノ間 ニ直接協定 ス
軍 令 部)
イ、輸送 ノ為ノ梯隊区分及護衛 ニ関 シテ ハ上海派遣軍 司令官 、第
三、軍主力 ノ輸送 上陸及護衛
ス該揚陸機関 ハ先遣隊到著 前揚陸準備 ヲ完了 ス
3、揚陸機関大部 ノ搭乗 セル海軍艦艇 ハ揚 子江河 口附近 ニ先行
(昭和 十 二年 八 月 十 二 日
参 謀 本 部 ト軍 令 部 ト ノ協 定 抜 萃
イ、 上 海 派遣 軍 司 令 官 ト 第 三艦 隊 司 令 長 官 ト ハ協 同 作 戦 ス ロ、 上 陸 セ ル陸 軍 部 隊 ト 海 軍特 別陸 戦 隊 (艦 船陸 戦 隊 上陸 中 ハ之 ヲ含 ム) ト ハ戦 闘 間 先 任 指揮 官 之 ヲ統 一指 揮 ス 二、 先 遣 隊 ノ輸送 及 上 陸
空
ロ、上陸地 ハ劉家鎮方面及呉淞方面ト シ敵前上陸 ヲ予期 ス 航空戦 ハ専 ラ海軍之 ヲ担任 ス
四、航
第 四、 第 五 日 、輸 送 隊 ノ乗 艦 地 入泊 ヲ動 員 第 三 日 ト ス
飛行場 ノ整備 ハ海軍之 ヲ担任 シ陸海軍共用 ト ス
陸軍 ハ該方面陸軍部隊 ノ自衛 ノ為飛行隊ノ 一部 ヲ派遣 ス
ロ、 第 十 一師団 ノ先 遣 隊 ハ乗 艦 地 ヲ多 度 津 及 丸 亀 、乗 艦 日 ヲ動 員
イ、 先 遣 隊 ハ海 軍 艦 艇 ヲ以 テ輸 送 ス ル モノト ス
ハ、第 三 師 団 ノ先 遣 隊 ハ乗 艦 地 ヲ熱 田 、乗 艦 日 ヲ動 員 第 四 、第 五
地点 ノ標示 ハ陸海軍協同作戦用 地点標示法 ニ依 ル
六、地点 ノ標示
海軍 ハ陸軍 ノ医療 ヲ援助 ス
ス
海軍 ハ陸軍先遣隊 ニ対 シ乗艦中 ノ給養 ノ外十 四日分 ノ糧食 ヲ補給
五、補給及衛生
日 、輸 送 隊 ノ乗 艦 地入 泊 ヲ動 員 第 三 日 ト ス ニ、乗 艦 及 上陸 ハ陸 軍 自 ラ之 ヲ行 ヒ海 軍 之 ヲ援 助 ス ホ 、上 陸 ハ概 ネ 左 ノ要 領 ニ ヨリ之 ヲ行 フ 1、 乗 陸 地 ハ劉 河鎮 方 面 及 呉淞 方 面 ト シ敵 前 上陸 ヲ予期 ス 2 、揚 陸 材料 ノ大 部 ハ陸 軍 運 送船 ヲ 以 テ予 メ揚 子 江 河 口附 近 ニ 回航 ス 第 三艦 隊 ハ之 ヲ護 衛 ス
基点 五 〇 〇 、 一〇 〇
蘇 洲 河 河 口 ﹁ガ ーデ ンブ リ ツヂ﹂ 北 端
基 点 ノ符 号 七 、陸 海 軍 幕 僚 ノ交 換 ニ関 ス ル協 定
ロ、右 幕 僚 派 遣 ノ為 ノ行 動 左 ノ如 シ
イ 、陸 海 軍 ハ別紙 ノ如 ク幕 僚 ヲ相 互 ニ兼 勤 セ シム
1 、第 三艦 隊 司 令 部 ニ兼 勤 ス ヘキ上 海 派 遣 軍参 謀 ハ陸 軍 先 遣 隊 上 海 方面 到 著 迄 ニ第 三艦 隊 旗 艦 ニ到 リ任 務 ニ着 ク 2 、上 海 海 軍 特 別陸 戦 隊 司令 部 ニ兼 勤 ス ヘキ 上海 派 遣 軍 参 謀 ハ 上 海 ニ於 テ発 令 ト共 ニ特 別 陸 戦 隊 司 令 部 ニ到 リ任 務 ニ着 ク 3 、 上海 派 遣 軍 司 令部 ニ兼 勤 ス ヘキ第 三 艦隊 参 謀 ハ発令 ト 共 ニ 上 海 派遣 軍 司令 部 ニ到 リ任 務 ニ着 ク 4 、関 係 師 団 司 令 部 ニ兼 勤 ス ヘキ第 三 艦 隊参 謀 ハ発 令 卜共 ニ上 海 派 遣 軍 司令 部 ニ到 リ任 務 ニ着 ク ハ、前 記各 幕 僚 ノ兼 勤 解 除 ノ時 期 ハ別 ニ定 ム
外征 陸 軍 ノ中 央 部 ト ノ通信 連 絡 ハ必 要 ニ応 シ海 軍 ニ於 テ中 継 援 助
八、通 信 連 絡
ス
九、使 用時間 ハ中央標準時ト ス 陸 図
図
第五〇〇
上海附近十万分 一及二万五千分 一図
十、協 同作戦 用図 海 別 紙
陸海軍相互兼勤幕僚
一
陸 軍 幕 僚 一、第 三艦隊司令部 ニ兼勤 ス ヘ キ上海派遣軍参謀 一 二、上海 海軍特別陸戦隊司令 部 ニ兼勤 ス ヘキ上海派遣軍参謀
海
軍
幕
ヘキ第 三艦 隊 参 謀
僚
一
一、 上 海 派遣 軍司 令 部 ニ兼 勤 ス
一
二、 関 係 師 団 司令 部 ニ兼勤 ス ヘ
キ上 海 海 軍特 別 陸 戦 隊参 謀
六三
︹近藤信竹中将︺
軍令部第 一部長
(十 二年 八 月十 二 日)
上 海 ・青 島 へ の陸 軍 出 兵 に 関 す る 臨 時 閣 議
要請
一、陸 軍出 兵 (上海 二箇 師 団 ・青 島 一箇 師 団 ) に関 す る政 府 の方針
発
二 、外 交 機 関 を 通 じ上 海 停 戦 区 域内 の保 安 隊 及 正規 兵 竝 に防 禦 工事
決 定 の為 即 夜 臨 時 閣議 を要 請 す 。
の撤 退撤 去 を要 求 す。 但 し期 限 を附 けず 。 三 、所 要 の兵 力 配 備 を為 す 。 四 、作 戦 準 備 を促 進 す 。
附
第 三艦 隊 参 謀 長
八月十 二日午後 七時十分 発電 宛
軍 令部 機 密 第 四五 八 番電 陸 軍 出兵 ハ未 決 定 ナ ル モ出 兵 ノ場 合 ハ二箇 師 団 同 時 派 兵 ノ コト ニ
ニ付 、其 ノ間 海 軍 陸 戦隊 ノ戦 闘 正 面 ハ成 ルベ ク之 ヲ拡 大 ス ル コト ナ
協 定 シ アリ。 但 シ陸 軍 ノ前 進 攻 撃 行 動 開 始 ハ概 ネ動 員 二 十 日後 ナ ル
ク 、陸 軍 派 兵 ヲ待 ツ如 ク考 慮 ア リ度 。
六四
一
命 令 ・指 示
︹上海確保 ニ関 スル第三 艦隊 ヘノ指示︺ 八月十二日午後 十 一時 四十分 発電
王
軍 令部機密第 四六三 番電 大海令第 一二号 昭和十 二年八月十二日
軍令部総長
長 谷 川第 三艦 隊 司 令 長 官 ニ指 示
二
二、 兵力 ノ進 出 ニ関 ス ル制 限 ヲ解 除 ス
博
恭
王
一、第 三 艦 隊 司令 長 官 ハ敵 攻 撃 シ来 ラ ハ上 海 居 留 民保 護 ニ必 要 ナ ル
恭
地 域 ヲ確 保 ス ルト共 ニ機 ヲ失 セ ス航 空 兵 力 ヲ撃 破 ス ヘシ
博
軍令部機 密第 四六 一番電
軍令 部総長
大海令第 一〇号
勅
昭和十 二年八月十二日 奉
︹ 第 三艦隊司令長官 ノ南京等空襲 命令発令︺
長谷川第 三艦隊司令長官 ニ命令 一、第三艦隊司令長官 ハ現任務 ノ外上海 ヲ確保 シ同 方面 ニ於 ケル帝
︹ 悪天候 ノタメ中 止︺ 情
第三艦隊機密第 五五八及第五六 一番電 ノ通
一、敵
明十 四日空襲 ヲ実施 スル場合空襲部隊 ノ任務行動 ヲ左ノ通予定 ス。
国臣民 ヲ保護 ス ヘシ 二、細項 ニ関 シテ ハ軍令部総長 ヲシテ之 ヲ指示 セシム 八月十 二日午後十 一時 五十 五分発電
二 、空 襲 部 隊 ハ全 力 ヲ挙 ケ テ敵 航 空 基 地 ヲ急 襲 シ、 敵 航 空兵 力 ヲ覆
ノ利 用 ニ努 ム ル モ ノト ス。
滅 ス ヘ シ。 此 ノ場 合 飛行 機 ノ行 動 ハ特 ニ隠 密 ヲ旨 ト シ、高 高 度 天 象
三 、空 襲 日 標
第二航 第 二空襲部隊空 南 京 ・廣 徳 ・杭 州 戦隊 第 一聯合航 南昌 第 三空襲部隊 (臺北部隊)空隊鹿屋隊 第 八 ・第十戦隊及第 一水雷戦隊飛行機 虹橋 第 一聯合航 空 ヲ 第 一航 第 一空襲部隊空 戦隊及第三空襲部隊 (大村 部隊)隊木更津隊 使 用 シ得 ル場 合 ハ追 ツテ 令 ス。 四、 飛行 機 隊 ノ進 発 及 攻 撃 時期 ハ特 令 ス。
発電
六五
八 月 十 四 日午 後 六 時
北 支 作 戦 ニ関 ス ル海 陸 軍 協 定 追 加
上 海 ・青 島 海 陸 軍 協 同 作 戦 ニ関 ス ル大 海 令 附
王
大海令第 一四号
勅
昭和十二年 八月十 四日 奉
博
恭
王
大井 、厳島及第二十四駆逐隊 ヲシテ上海方面 ニ派遣 セラルル帝国陸
二、聯合艦隊司令長官 ハ第 五戦隊、第 二水雷戦隊、摩耶 、五十鈴、
青島 ニ対 シテ ハ陸軍派兵準備 ヲ整 ヘ待機 セシム
面 ノ支那軍 ヲ撃破 スルニ決 ス
一、帝国 ハ上海 ニ派兵 シ同地 ニ於ケ ル帝国臣民 ヲ保護 スルト共 ニ当
永野聯 合艦隊司令長官 ニ命令
軍令部総長
八月十四日午後 六時十五分 発電
恭
軍令部機密第四七八番電 博
軍令 部 機 密 第 四七 七 番電
軍令部総長
大 海 令 第 一三号
勅
昭和 十 二年 八月 十 四 日
奉 長 谷川 第 三艦 隊 司 令長 官 ニ命 令
一、帝 国 ハ上海 ニ派 兵 シ同 地 ニ於 ケ ル帝 国 臣 民 ヲ保 護 ス ルト共 ニ当 面 ノ支 那 軍 ヲ撃 破 スル ニ決 ス 青島 ニ対 シテ ハ陸 軍 派 兵 準 備 ヲ整 ヘ待 機 セ シ ム
確 保 シ同 方面 ニ於 ケ ル敵 陸 軍 及中 支 那 ニ於 ケ ル敵航 空 兵 力 ヲ撃 破 ス
軍 ノ輸送及掩護 ニ関 シ第 三艦隊司令長官 ノ指揮 ヲ受ケ シムヘシ
二 、第 三艦 隊 司令 長 官 ハ現 任 務 ノ外 派遣 陸 軍 ト協 力 シ所 要 ノ地 域 ヲ
ルト共 ニ所 要 海 面 ヲ制 圧 シ必 要 ニ応 シ敵 艦 隊 ヲ撃 滅 ス ヘシ
八月十四日午後七時十五分 発電
三 、第 三艦 隊 司 令 長 官 ハ上海 方面 ニ派 遣 セ ラ ル ル帝 国 陸 軍 ノ海 上 護
四 、細 項 ニ関 シ テ ハ軍令 部 総 長 ヲ シテ之 ヲ指 示 セシ ム
衛 及其 ノ 一部 ノ輸 送 ニ任 ス ヘシ
軍令部機 密第四七九番電 大海令第 一五号 昭和十二年 八月十四日 軍令部総長 長 谷川第 三艦隊司令長官 ニ指示
博
恭
王
永野聯合艦 隊司令長官 ニ指 示
一、帝国陸 軍 ハ青島 方面作戦 ノ為第十 四師団其 ノ他所要 ノ部隊 ヲ準
軍令部総長
博
恭
王
二、聯合艦隊 司令長官 ハ第 二艦隊司令長官 ヲシテ前項 支隊 ヲ護衛 セ
備 シ其 ノ 一支隊 ハ大連方面 ニ進出待機 セシメラル
八月十四日午後 九時
シム ヘシ
上海派遣軍司令部
軍令部機密 第四八五番電
一、帝国陸軍 上海派遣軍 ノ編制左 ノ如 シ 第 三師団
大海令第 一七号
(大海令第 一七号別冊)
定ス
上海 及青島方面 ノ作戦 ニ関 シ軍令部参謀本部間 ニ於 テ別冊 ノ通協
長谷川第 三艦隊司令長官
︸ニ指 示
永野 聯 合 艦 隊 司 令 長官
昭和十 二年 八月十四日
発電
第 十 一師団 (天谷支隊欠) 其 ノ他所要 ノ部隊
第 三師団先遣隊 ( 約 三千五百名) ハ八月十九日乃至二十 日熱
二、第 三師団及第十 一師団 ノ各先遣隊 ノ輸送 ハ概 ネ左 ノ要領 ニ依 ル ヘシ 一
田 ニ於 テ海軍艦 船 ニ乗艦進発 ノ予定、右艦船 ノ乗艦地入泊期 日ヲ 第十 一師団先遣隊 ( 約 四千名) ハ八月十九日乃至 二十日多度
八月十八 日トス 二
右艦船 ノ乗艦 地入泊期日ヲ八月十 八日ト ス
津及丸亀 ニ於テ海軍艦船 ニ乗艦進 発ノ予定
部
昭和十二年八月十四日
北支作 戦 ニ関 スル海陸軍協定追加
令 発電
軍 八月十四日午後七時二十分
部
部
ニ関 シ左ノ如 ク追加 ス。
北支作戦 ニ関 スル海陸軍協定中青島及上海方面 ニ対 スル兵力派遣
本
軍令 部機密第 四八〇番電 昭和十二年 八月十四日
令
王
軍
恭
参 謀 博
大海令第 一六号 軍令部総長
第 一 青島 方面
A支 隊 (旅 団 司 令 部 、歩 兵 三大 隊 、 山 砲 兵 一大 隊 、 工兵 半 中隊 ヲ
一、派遣陸軍兵力 別表 独立第十 四師団 (編制別表第 一)省 略
上海 方 面 ニ転 用 ス)
基 幹 ト シ、 第 十 一師 団 ノ部 隊 ヲ以 テ編 成 シ、情 況 之 ヲ許 ス限 リ速 ニ
一
A 支 隊 長 ハ大 連 出 港 ノ時 ヨリ独立 第 十 四師 団長 青島 方 面 上陸
第 二艦 隊 司令 長 官 ト独 立 第 十 四 師 団長 ト ハ協 同 作戦 ス
二 、指 揮 ノ体 系
二
ノ時 迄 作 戦 ニ関 シ第 二艦 隊 司 令 長官 ノ指 揮 ヲ受 ク但 シ情 況 ニ依 リ 独 立 第 十 四 師団 長 A支 隊 ト同 時 ニ青 島 ニ到 着 シ得 ル場 合 ニ於 テ ハ A 支 隊 ハ当初 ヨリ独 立 第 十 四師 団長 ノ指 揮 下 ニ入 レ前 記 一 ニ依 ル
海 軍 特 別 陸 戦 隊 (艦 船陸 戦 隊 上陸 中 ハ之 ヲ含 ム) ト上 陸 セ ル
モノ ト ス 三
陸 軍 部 隊 ト ハ戦 闘 間 先任 指 揮 官 之 ヲ統 一指揮 ス
二
護 衛 ハ第 二艦 隊 兵力 ヲ 以 テ直 接 護 衛 ト シ情 況 ニ依 リ間 接 護衛
上 陸 ハ敵 前 上 陸 ヲ予 期 ス
一日出 発 ス) 乗 船 地 ヲ多 度津 ト シ大 連 ニ回航 ス
三 トス
一
乗 船 日 ハ概 ネ 動員 第 十 三 日以 降 若 干 日間 乗 船 地 ハ大 阪 ト ス
五 、独 立 第 十 四師 団 ノ輸送 、上 陸 及 護 衛
輸 送 ノ為 ノ梯 隊 区分 ハ同 一時 乗 船 セ ル輸 送 船 ハ概 ネ 一団 ト為
リ テ目 的 地 ニ向 ヒ大港 ニ上 陸 スル ヲ本則 ト ス ル モ当 時 ノ情 況 ニ依
二
リ要 スレ バ改 メ テ協定 ス 空
滄 口飛 行 場 整備 迄 ノ航 空 戦 ハ専 ラ海 軍 之 ニ任 シ爾 後 陸 軍飛 行 隊 ヲ
六 、航
進 メ其 ノ 一部 ヲ担 任 ス
生
滄 口飛 行 場 ノ整 備 ハ陸 軍 之 ヲ担 任 シ海 陸 軍 共 用 ト ス 七 、衛
海 軍 ハA 支 隊 ノ 医療 ヲ援 助 ス
八、地点標 示以下 省略 第二 上 海 方 面
A支 隊 ノ任 務 ハ青 島 方面 ニ上陸 シ帝 国 臣 民 ヲ保 護 ス ルト 共 ニ
一
一、派遣陸軍兵力
三 、 A 支隊 及 海 軍 特 別 陸 戦 隊 ノ任 務
独 立 第 十 四師 団 ノ上陸竝 ニ爾 後 ノ作 戦 ヲ容 易 ナ ラ シ ム ル ニ在 リ又
上海派遣軍司令部 第 三師団
其 ノ作戦要領 ハ別紙第 二 ニ準拠 ス別紙第 二省略 海軍特別陸戦隊 ( 艦船陸戦隊上陸中 ハ之 ヲ含 ム) ハ青島 ニ於 二
第十 一師団 ( 歩 三大、砲 一大 、工半中欠)
一
省略 ス
第 三艦隊司令長官卜上海派遣軍司令官ト ハ協同作戦 ス
二、指揮 ノ体系
( 右 ノ外独立機関銃第 七大隊 以下 四十部隊 アリ隊名 ハ )
ケ ル帝国臣民 ヲ保護 スルト共 ニA支隊 ノ上陸竝 ニ爾後 ノ作戦 ヲ容 易 ナラシムルモノト ス 乗船日 ハ動員第七、八日 (但 シA支隊 ノ充足部隊 ハ動員第十
四、 A支隊 ノ輸送護衛及上陸 一
二
海軍特別陸戦隊 (艦船陸戦隊上陸中 ハ之 ヲ含 ム) ト上陸 セル
陸軍部隊ト ハ戦闘間先任指揮官之 ヲ統 一指揮 ス 一
海軍艦艇 ヲ以テ輸送 スルモノトシ、第十 一師団先遣隊 ノ乗艦
三、先遣隊 ノ輸送 及上陸 地 ヲ多度津及丸亀 、乗艦日ヲ動員第 四、五日輸送隊 ノ乗艦地入泊 第三師団ノ先遣隊 ハ乗艦 地ヲ熱 田、乗艦日 ヲ動員第 四、五日輸
ヲ動員第三日ト ス
海軍 ハ陸軍 先遣隊 ニ対 シ乗艦中 ノ給養 ノ外十四日分 ノ糧食 ヲ給 ス
海軍 ハ陸軍 ノ医療 ヲ援助 ス 以下 七 、 地 点標 示 省略 第三 覚 書 北支作戦 ニ関 シ昭和十 二年七月十 一日 ノ海陸軍協定 五頁以竝 ニ本 下参照 追加中 ニ掲 グル兵力 ハ情勢 ノ変化 ニ応 ジ要 スレバ之ヲ増加 スルモノ
乗艦及上陸 ハ陸軍自 ラ之 ヲ行 ヒ海軍之 ヲ援助 ス
一、海陸軍 ハ別紙 ノ如 ク幕僚 ヲ相互 ニ兼勤 セシム
トス
上陸 ハ概ネ左ノ要領 ニ依 リ之 ヲ行 フ
第 四 海陸軍幕僚交換 ニ関 スル協定
二
送隊 ノ乗艦地入泊 ヲ動員第三日ト ス 三
一 第 三艦隊 ニ兼勤 スベキ上海派遣軍参謀 ハ陸軍先遣隊上海方面
二、右幕僚派遣 ノ為 ノ行動左 ノ如 シ
上陸地 ハ劉河鎮方面及呉淞方面 トシ敵前上陸 ヲ予期 ス
到著迄 ニ第 三艦隊旗艦 ニ到 リ任務 ニ就 ク
イ
ロ 揚 陸資材 ノ大部 ハ陸軍輸送船 ヲ以テ予 メ揚子江 口附近 ニ回
二
上海海軍特別陸戦隊 ニ兼勤 スベキ陸軍参謀 ハ上海 ニ於 テ発令
航 ス第三艦隊 ハ之 ヲ護衛 ス
ト共 ニ上海海軍特別陸戦隊司令部 ニ到 リ任務 ニ就ク
上海派遣軍司令部 ニ兼勤 スベキ海軍幕僚 ハ発令 ト共 ニ派遣軍
三
揚陸機関 ノ大部 ノ搭乗 セル海軍艦船 ハ揚子江 口附近 ニ先行
ス該揚陸機関 ハ先遣隊到著前揚陸準備 ヲ完了 ス
ハ
到 リ任務 ニ就 ク
四 関係師団 ニ兼勤 スベ キ海軍幕僚 ハ発令ト共 ニ派遣軍司令部 ニ
司令 部 ニ到 リ任務 ニ就 ク
一
四、軍主力 ノ輸送 、上陸及護衛 軍主力ノ輪送予定 ハ別紙輸送概見表 ノ如 シ別紙 省略 輸送 ノ為 ノ梯隊区分及護衛 ニ関 シテ ハ第三艦隊司令長官ト上 二
六
第十戦隊 ニ兼勤 スベ キ陸軍参謀 ハA支隊上陸迄 ニ第十戦隊 ニ
ニ海 軍機 (艦艇) ニ依 リ第二艦隊旗艦 ニ到 リ任務 ニ就 ク
第 二艦隊 ニ兼勤 スベ キ第十 四師団参謀 ハA支隊待機地出発迄
五
上陸地 ハ劉 河鎮方面及呉淞方面 トシ敵前上陸 ヲ予期 ス
海派遣軍司令官 ト協定 ス 三 空
航空作戦 ハ専 ラ海軍之 ヲ担任 シ陸軍 ハ該方面陸軍部隊自衛 ノ為飛
五、航
七
独立第 十四師団 ニ兼勤 スベキ海軍幕僚 ハ廣島 ニ於 テ第十四師
行隊 ノ 一部 ヲ派遣 ス飛行場 ノ整備 ハ海軍之 ニ任ジ海陸軍共用 ス
団司令部 ニ到 リ任務 ニ就 ク
到 リ任務 ニ就 ク
六、補給、衛生
八
陸
軍
幕
僚
第十戦 隊 ヨリ独立第十四師 団 ニ兼勤 スベキ海軍幕僚 ハA支隊
上陸迄 ニ同司令部 ニ到 リ任務 ニ就 ク
紙)
幕
僚
三、前記各幕僚 ノ兼勤解除 ノ時 期 ハ別 ニ定 ム (別
軍
海陸軍相互兼勤幕僚 海
一
一、上 海 派 遣 軍 司 令部 ニ兼 一、第三艦隊司令部 ニ兼勤 勤 スベ キ第 三 艦隊参 謀 一 スベ キ上海派遣軍参謀 一 二、 関 係 師 団 司令 部 ニ兼 勤 二、上海海軍特 別陸戦隊司 スベ キ上 海海 軍 特別 陸 戦 令部 ニ兼勤 スベキ上海派 隊参謀 一 遣 軍参謀 一 三、 独 立 第 十 四師 団司 令 部 三、第二艦隊司令部 ニ兼勤 ニ兼 勤 スベ キ第 二艦 隊 参 スベキ独立第十 四師団参 謀 一 謀 一 四、 独 立 第 十 四師 団 司 令 部 四、第十戦隊司令部 ニ兼勤 スベキ独立第十 四師団参 謀 一 ニ兼 勤 スベ キ第 十 戦 隊 参
謀
協定 中 一部 変 更 一、第 三 、第 十 一師 団 ノ第 二梯 団 ト シ テ上 海 ニ向 フ応 急 動 員 部 隊 ノ
其 ノ乗 艦 地 ハ熱 田 、 三津 ケ浜 、 小 松島 ノ三港 ト シ各 地 概 ネ 二 千 人、
残 部 人員 ハ軍 艦 ニ依 リ テ輸送 ス
乗艦 日 ハ動 員 第 五 、 六 日 ト ス 二 、青 島 居 留 民 保護 作 戦 ノ発 動
上海方面先遣隊 ノ上陸作戦見透 ツキ所要兵力青島 方面集結後第二
艦隊司令長官 ノ定 ムル所 ニ依 リ発動 ス
情況之 ヲ許 サズ シテ発動 シA支隊上陸後独立第十 四師団 ノ到著迄 如 ク努力 ス
長時 日ノ間隔 アル場合 ニハ独立第 十四師団 ノ到著 ヲ極力繰 リ上グ ル
三、A支隊長 ハ派兵命令 ヲ受領後 ( 内地又 ハ待機 地点)出発 ヨリ独
立第 十四師団長青島方面上陸ノ時迄作戦 ニ関 シ第 二艦隊司令長官 ノ
指揮 ヲ受 ク又A支隊長未 ダ第 二艦隊司令長官 ノ指揮 ヲ受ケザ ル場合
情況之 ヲ要 スレバ第 二艦隊 司令長官 ハA支隊長 ト協議 ノ上其 ノ行動
特 ニ待機地点 ノ変 更青島方面進出等 ヲ定 ム
六六
一
附
二
臨参命第 七十三号 命
令
上海派遣軍作戦要領案、第五軍作戦要領、平海作戦陸海軍 中央協定抜萃
命 令 ・指 示
昭和十二年 八月十四日午後 七時 ︹ 第 三艦隊司令長官南京等空襲命令︺
一、 上海 派 遣 軍 (編 組 別 紙 ノ如 シ) ヲ上 海 ニ派 遣 ス
第 三艦隊機密第 六〇七番電 一、明朝黎 明以後成 ル ヘク速 ニ当方面 ニ於 テ使用 シ得 ル全航空 兵力
二、 上海 派 遣 軍 司 令 官 ハ海 軍 ト協 力 シ テ上 海 附 近 ノ敵 ヲ掃 滅 シ上 海
三 、動 員 管 理 官 ハ夫 々其 動 員 部 隊 ヲ内 地 乗 船 港 ニ到 ラ シム ヘシ
竝其 北 方 地 区 ノ要 線 ヲ占領 シ帝 国 臣 民 ヲ保 護 ス ヘシ 南 京 ・廣 徳 ・蘇 州
ヲ挙 ケテ敵空軍 ヲ急襲 ス。 第 二空 襲 部 隊
四 、支 那 駐 屯 軍 司令 官 ハ臨 時 航 空 兵 団 ヨリ独 立 飛行 第 六 中 隊 ヲ上 海
南京 (大村部隊) 杭州 虹橋
但 独 立 飛行 第 六中 隊 ハ上 海 附 近到 着 ノ時 ヲ以 テ上 海 派遣 軍司 令 官
ノ指 揮 ヲ脱 シ上海 派 遣 軍 司 令 官 ノ隷 下 ニ入 ル モノ ト ス
五、 上 海 派遣 軍 ノ編 組 ニ入 ル部 隊 ハ内 地港 湾 出 発 ノ時 其 動 員管 理官
附 近 ニ派 遣 シテ 上海 派 遣 軍 司 令 官 ノ隷 下 ニ入 ラ シ ム ヘシ
南 昌 (臺 北 部 隊)・
二、攻 撃 目 標
第 三空襲部隊 十 二戦 隊 ・第 第 四空襲部隊第 二十 二航空隊 第 八戦 隊 ・第 十戦 隊 ・
第 一水雷戦隊飛行機
ノ隷 下 ニ入 ル モノ ト ス
昭和十 二年八月十日
六、細項 ニ関 シテ ハ参謀 総長 ヲシテ指示 セシム 奉勅伝宣 載
仁
親
王
第
三
師
団
第十 一師団 (天 谷 支 隊 欠) 大
独 立 工兵 第 八 聯 隊 甲
第三師団第七乃至第九野戦照空隊
( 第 九 師 団 長管理)
( 第 三 師 団 長管理)
( 第十六師団長管 理)
( 第 十 師 団 長管 理)
( 第 一師 団 長 管 理)
( 第 八 師 団 長管 理)
( 第 八 師 団 長管 理) 五
( 第 十二師団長管 理)
第
独 立 機 関銃 第 七大 隊 車
隊
戦
迫
王 殿下 司 殿
石 根
独 立 飛行 第 六 中 隊 甲
親
仁 清
参謀総長 載 井
長 月
総 松 造 殿
謀
参 香 壽
)
上海派遣軍司令官 尾 次 殿
上 海 派遣 軍 通 信 隊 本 部 、
独 立軽 装甲 車第 八中隊 一大隊及聯隊 野戦重砲兵第十聯隊 (段 列半部欠 撃 第 四 大 隊
支那駐屯軍司令官 西 河 村 殿
殿
近 衛 師 団 長
第十六師団第五乃至第十野戦高射砲隊 乙
岡 殿
無線電信第五十乃至第五十二小隊
無線 電 信 第 四十 小隊
(第 五 師 団 長管理)
(近 衛 師 団 長管理)
(第 三 師 団 長管理)
(近 衛 師 団 長管理)
寧
殿
進
殿
田
蕃
前田利爲
殿
第 藤
恭 輔
第 二 師 団 長 板 垣 征 四郎
村
第 三 師 団 長 殿
沼
(近 衛 師 団 長管理)
侯爵
( 第 七 師 団 長管理)
蓮
( 第 八 師 団 長管 理)
第 八 師 団 長
野 戦 瓦 斯 第 七 小 隊
第 九 師 団 長
野 戦 鳩 第 十 八 小 隊
殿 殿
介
三 殿
武
谷 廉 乙
宗
磯 田
山 室
第 十 師 団 長 山
(近 衛 師 団 長管理)
第 十 一師 団 長
( 第 一師 団 長管理)
第 十 二師 団 長
近衛師団 渡河 材料 中 隊
( 第 八 師 団 長管理)
( 第 九 師 団 長管理) 第 一師 団 渡 河 材 料 中 隊
( 第 八 師 団 長管理)
第九師団第 一、第 二架橋材料中隊
第 八師団第 一、第 二兵站 司令部
( 第十六師団長管理)
土肥 原 賢 二 殿
兵 站 電 信 第 十 中 隊
第 十 四師 団 長
殿
(参
第 七兵 站自 動車 隊 本部
中 島 今 朝吾
第 四固 定 無 線 電 信 隊
一師 団 長
第 五 師 団 長 園 部 和 一郎
長)
第 七 師 団 長
総
野 戦 電 信 第 十 一中 隊
謀
第 十 六師 団 長 別 紙 上海派遣軍 ノ編組
上 海 派 遣 軍 司 令 部
軍 ハ有 力 ナ ル 一兵 団 ヲ以 テ劉 河 鎮 方 面 ニ主 力 ヲ以 テ呉 淞 方 面 ニ上
一号野戦衛 生材料廠 (一部欠)
一号野 戦 衣 糧 廠 (一部 欠)
七号野戦自動車廠 (一部 欠)
八 号 野 戦 工 兵廠 (一部 欠)
( 第 二 師 団 長管理)
( 第 一師 団 長管理)
( 第 一師 団 長管理)
( 第 一師 団 長管理)
( 第 十六師団長管理)
( 第 十六師団長管理)
三 、 当 面 ノ敵 ヲ撃 破 シ タ ル後 上海 及其 北 方 ノ要 線 ヲ占領 シテ租 界 ヲ
シテ 滬 杭鉄 道 ヲ遮 断 セ シ ム ル コト ア リ
二、 掃 滅作 戦 ノ進 捗 ニ伴 ヒ状 況之 ヲ要 ス レ ハ黄 埔 江 上 流 方面 ニ機 動
ニ上 陸 ス ル ニ方 リ テ ハ海 軍 陸 戦 隊 ノ掩 護 ヲ予 期 ス
直 部 隊 主 力 ヲ以 テ 呉淞 方 面 ニ上 陸 シ上海 周 辺 ノ敵 ヲ掃 滅 ス呉淞 方面
一、軍 ハ概 ネ 第 十 一師 団 ノ主 力 ヲ以 テ劉 河鎮 方 面 ヨリ第 三 師 団 及軍
(第十四師 団長管 理)
上海派遣 軍野戦予備病院本部 ( 第十 一師団長管理)
(第 八 師 団 長管 理)
野 戦 予備 病 院第 六 班
掩護 ス
兵站自動車第八十 二乃至第八十四中隊
野 戦 予備病 院 第 二十五班
( 第 二 師 団 長管理)
四 、情 況 ニ依 リ当 初 一部 ヲ以 テ上 海 租 界 内 ニ上 陸 シ海 軍 陸 戦 隊 ヲ増
五 号 野 戦 砲 兵廠 (一部 欠)
患 者 輸 送 部 第 六 班
( 第十 一師団長管 理)
援 ス ル コト ア リ
四
指 導 要 領
患 者 輸 送 部 第 二十 四 班
(第 八 師 団 長管 理)
五 、上 陸 後 成 ル ヘク速 ニ上 海 附 近 ノ飛 行 場 ヲ占 領 整 備 ス
(第十二師団長管理) ( 第十 一師団長管理)
示
約四千五百 ハ大川内少将指揮 ノ下 ニ上海閘北附近 ニ位置 シ在上海帝
五水雷戦隊第 一聯合航空隊等 ヨリ成 ル) ハ長江流域 ニ在 リ其陸戦隊
二、第三艦隊 ( 旗 艦出雲第八、第 九、第十 一、第十二戦 隊第 三及第
一、上海附近 ノ情況別 冊ノ如 シ
臨参命第七十三号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス
指
臨命第四百五十 二号
第二
上 海 派 遣 軍兵 站 病 院
(第 九 師 団 長管 理)
陸 シテ当 面 ノ敵 ヲ撃 破 シ爾 後 上 海 及 同 地 北 方 ノ要 線 ヲ占 領 ス
六 号 兵 站 病 馬廠 (一部 欠)
( 第十 一師団長管理)
独立攻城 重砲 兵 第 第 十 一師団第六乃至第八陸上輸卒隊
( 第 七 師 団 長管理)
( 五大 隊 甲 )
第 十 一師団第 二、第三水上輸卒隊
︹ 編 者 に より 附 す︺
( 第十六師団長管理)
第 七師 団第 二建築輸 卒 隊 第 六 野 戦 防 疫 部 三
針
上海派遣 軍作戦要領案 第一 方
(甲 )
ルヲ 以 テ軍 ノ行 動 ニ関 シテ ハ特 ニ左 ノ件 ニ留意 ス ルヲ要 ス
関 ス ル陸 海 軍 航 空 協 定 ノ抜 萃 ﹂ ニ準 拠 ス ヘシ
抜 萃 ﹂ ニ準 拠 ス ヘシ又其 航 空 ニ関 シテ ハ上 記 ノ外 別 冊 ﹁中 支 作戦 ニ
三 、作 戦 上 海 軍 ト ノ協 同 ニ関 シ テ ハ別 冊 ﹁ 参 謀 本 部 ト軍 部 ト ノ協 定
国 臣 民 ノ保 護 ニ任 シ アリ
中支気象統計
気象兵要 地誌
中支那航空兵要地誌
中支那飛行場調査図
日本ノ中南支 ニ於ケ ル権益地方別 一覧 表
上海市資源調書
根
殿
四 、上 海 ハ国 際 都 市 ト シテ列 国 ノ利 害 錯 綜 シ且 列国 軍 環 視 ノ中 ニア
支那軍事要覧
石
参謀総長
第五篇 航空
イ 、我 カ正 当 ナ ル行動 ヲ中 外 ニ理 解 セ シ ム ル ヲ要 ス
松 井
昭和十二年八月十六日 上海派遣 軍司令官 五 臨参命第八十 一号 命
令
ロ、努 メ テ列 国 軍 ト協 調 ヲ保 持 ス ハ、上 海 租 界 ニ ハ兵 禍 ヲ及 ホ サ サ ル如 ク努 ム ニ、飛 行 機 ヲ以 テ ス ル対 地攻 撃 就 中 爆 撃 実施 ニ方 リ テ ハ目 標 選 定 其 他 ニ関 シ国 際 関 係 ヲ顧 慮 ス ルヲ要 ス ホ 、渉 外 事 項 ニ関 シテ ハ任 務 達 成 上 直 接 関 係 ア ル モノ ノ外 ハ努 メ テ外 務 官 憲 等 ノ処 理 ニ委 ス之 カ為 所 在 帝 国 外 務 官憲 ト密 接 ニ連 繋 ヲ保 持 ス 五 、催 涙 筒 ノ使 用 ニ関 シテ ハ別 ニ 示ス 六 、補 給 交 通 衛 生 及 輸 送 ニ関 シテ ハ別 ニ指 示 ス
昭和十二年 八月 二十九 日
殿
載
載
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
仁
親
王
一、臺湾軍司令官 ハ臺湾防衛上緊急 ヲ要 スル場合 ニ於 テ ハ在臺湾陸
正規軍
七 、参 考 ノ為 左記 書 類 ヲ附 与 ス
要 塞 及 国 防 工事
カ根拠地 ヲ攻撃 スルコトヲ得 第三篇
郎
参謀 総長
莊 幹
王
軍飛行部隊 ヲ指揮 シ海軍 ト協力 シ南支方面 ニ現出 スル支那空軍及之
第 七篇
古
親
上 海 派 遣 軍 作 戦 要領 案
支 那軍 事 要 覧
奉勅伝宣 臺湾 軍司令 官
仁
共同租界聯合防備計画
同
上 海 及 南 京 附 近 兵 要 地誌 概 説 上 海 附 近 ニ於 ケ ル作戦 ノ参 考 上 海 附 近 ニ於 ケ ル列 国関 係 諸 施 設
留 守航空兵団長 六 臨参命第九十号 命
堀
令
一、天谷支隊 ヲ上海 ニ派遣 ス
丈
夫 殿
二、参謀総長 ハ天谷支隊 ヲ上海 ニ派遣 シ上海派遣 軍司令官 ノ隷下 ニ 入ラシム ヘシ
命
令
︹ 千秋︺ 一、臺湾 ヨリ重藤支隊 (臺湾守備 隊ヲ充 ツ) ヲ上海 ニ派遣 ス
二、臺湾軍司令官 ハ重藤支隊 ヲ上海附近 に派遣 シ上海派遣 軍司令官 ノ指 揮下 ニ入ラシム ヘシ
シ上海派遣軍 司令官 ノ指揮下 ニ入 ルモノトス
石 根
殿
載
仁
親
王
三、重藤支隊 ハ揚子江 口到著 ノ時 ヲ以テ臺湾軍司令官 ノ指揮下 ヲ脱
昭和十二年九月 七日
井
殿
参謀 総長
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
松
奉勅伝宣 上海派遣軍司令官
三、天谷支隊 ハ揚子江 口到着 ノ時 ヲ以テ参謀総長 ノ指揮下 ヲ脱 シ上
幹 郎
右輸送 ハ第三艦隊 ノ 一部之 ニ任 シ九月十 二日中基隆 ニ於テ乗艦 ス
二、支隊 ハ先 ツ応急動員 ニヨル大部 ヲ海軍 ニヨリ輸送 セラル
ニ在 リ
一、重藤支隊上海附 近派遣 ノ目的 ハ主ト シテ飛行場 ヲ設定 セシムル
臨参命第九十七号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
指
臨命第五〇八号
八
海派遣軍司令官 ノ隷下 ニ入 リ且其編組ヲ解 キ本来 ノ所属 ニ復帰 スル
王
莊
親
古
載
仁
臺湾軍司令官
示
モノトス 、昭和十二年 九月 一日
親
参謀総長
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示 セシム
奉勅伝宣 仁
殿
王 殿下
載
石 根
長
井
総
参 松
謀
上海派遣軍司令官 七 臨参命第九十七号
ル モ ノト ス
莊
井 幹
石 郎
根 殿
殿
仁
親
王
三 、支 隊 ノ出 動 ニ伴 フ参 防 命第 一号 其 一及 第 二号 其 九 ニ依 ル防 衛 部 隊 ノ不 足 ハ適 宜 留 守 部 隊 ヲ充用 ス ル モノ ト ス
松
載
四 、重 藤 支 隊 派 遣 ニ関 ス ル陸 海 軍 ノ協 定 別 冊 ノ如 シ
昭和 十 二年 九 月 七日
五 、補 給 及 交 通 ニ関 シ テ ハ別 ニ示 ス
古
参謀総長 上海派遣軍司令官
令
第 一船舶輸送 司令官 十 臨参命第 九十九号 命
松
団
一、左記部隊を上海 ニ派遣 ス 師
団
九
団
第
師
平
参謀総長
田 巻
殿
載
仁
親
王
(近 衛 師 団 長管理)
師
(留 守 第 三 師 団 長管 理)
一
独 立 機 関銃 第 一、第 二大 隊
(近 衛 師 団 長管 理)
三
野 戦 重砲 兵 第 五 旅団
(近 衛 師 団 長管理)
百
独立野戦 重砲 兵 第 十 五 聯隊
(近 衛 師 団 長管理)
十
隊
第
迫
(留守第十六師団長管理)
第
近衛師団第 一乃至第四野戦照空隊
(臺 湾 軍 司 令 官管理)
九
独立 工兵第 十 二聯 隊戊
(第 九 師 団 長管理)
臨命第五〇九号
臺 湾 軍 司 令 官
令
第 三 飛 行 団 司 令 部
(留守第 十六師団長管理)
重藤 支隊 人員 四 、 三〇 〇 名 ハ軍 艦 ニ ヨリ九 月 十 二日 基 隆 ヨリ乗 艦
一、 臺湾 ヨリ 重藤 支 隊 ヲ上 海 ニ派遣 セ シ メラ ル
命
野 戦電 信第 二十九 中隊
(近 衛 師 団 長管理)
大
上海 方 面 ニ輸 送 ス
野 戦電 信第 四 十 四中隊
(近 衛 師 団 長管理)
一
二 、貴 官 ハ右 部 隊 ノ乗 艦 ヲ援 助 ス ルト共 ニ支 隊 残 余 ノ人員 一、 二〇
無線電信第三十 一乃至第 三十七小隊
馬 鞍 群 島 到 着 後 ノ行 動 ハ重 藤支 隊 長 ノ要 求 ニ ヨル モノ ト ス 三 、細 部 ニ関 シテ ハ第 三 部 長 ヲ シテ指 示 セ シ ム
第
〇 名馬 匹 一九 六頭 ヲ九 月 十 三 日基 隆 ニ就 テ乗 船 シ支隊 主 力 ニ追 及 セ
野 戦 瓦 斯 第 一、第 二中 隊甲
( 留 守 第 三 師 団 長管理)
撃
シ ム ヘシ
第 三師 団架 橋材 料中 隊 昭和 十 二年 九 月 八 日
兵站自動車第四十、第 四十 一中隊
兵 站 電 信 第 八 中 隊
第十 師団 架橋 材料 中隊 (留 守 第 三 師 団 長管理)
( 留 守 第 六 師 団 長管理)
(留 守 第 十 師 団 長管理)
四、第 一項所掲 ノ部隊 ハ内 地港湾出発 ノ時 ヲ以テ上海派遣軍司令官
派遣軍司令官 ノ隷下 ニ入 ラシム ヘシ
三、第 一項所掲 ノ動員管理官 ハ夫 々其動員部隊 ヲ上海 ニ派遣 シ上海
隷 下 ニ入 ルヘシ
二、第九 、第百 一、第十三師団長 ハ上海 ニ到 リ上海 派遣軍 司令官 ノ
殿
松
藤
田
井
一 彦
郷 輔
命
殿
殿
殿
王
(留守第十六師団長管理)
殿
安
殿
親
(第 七 師 団 長管理)
石 根
殿
廠
井
固
幹 郎
馬
松
田 貞
荘
殿
備
ノ隷下 ニ入 ルモノト ス
古
殿
予 ( 留 守 第 五 師 団 長管理)
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示 セシム
(第 七 師 団 長管理)
上海派遣 軍司令官
飯
稔
恭 輔
号
五 ( 留 守 第 六 師 団 長管理)
( 留 守 第 五師 団 長管 理)
臺湾軍司令官
中
村
武
殿
仁
兵站自動車第八十五、第 八十 六中隊 野 戦 予 備 病 院 第 十 三班 (留守第 十六師団長管理)
(留 守 第 六師 団 長管理)
近 衛 師 団 長
田
河
昭和十 二年九月十 一日
野戦 予 備 病 院 第三 十 一班 五号 患 者 輸送 部 本 部
( 留 守第十 六師団長管理)
一師 団 長
留 守第 五師団長
殿
載
野戦 予備病 院第 十 五班
患 者 輸 送部 第 十 二班
( 第 七 師 団 長管 理)
第
留 守第 六師団長
輔
園 部 和 一郎
殿
参謀総長
患 者 輸 送部 第 十 四班
( 第 十 二 師 団 長管 理)
留守第 三師団長 ( 留守第十 一師団長管 理)
吉 住
宣
殿
奉勅伝宣
廠
患 者 輸 送 部 第 三 十 一班
( 第 四 師 団 長管 理)
( 第 四 師 団 長管理)
第 七 師 団 長
乙 三
豊 輔
馬
攻城重砲兵第 一聯隊 ノ 一大隊乙
四 号 一部
( 第 四 師 団 長管 理)
第十 一師団後備 工兵第 一、第 二中隊
第 九 師 団 長
森
田
吉 岡
病
攻 城 砲 兵 廠 ノ 一部
第 五 牽引 自 動 車 隊 甲
( 留守第十 四師団長管 理)
留 守 第 十師 団 長
山
兵 站
攻 城 工 兵 廠 ノ
第 四 師 団 長
第十 四師団第 一乃至第五陸上輸卒隊
( 留守第十六師団長管理)
留 守第十 一師団長 部
良
第十六師団第 三乃至第五陸上輸卒隊
(留 守 第 五 師 団 長管理) ( 留 守 第 六 師 団 長管理)
第 十 二師 団 長
殿
建 築
田
第 五師 団 第 一水 上 輸 卒 隊 第 六 師 団 第 一水 上 輸 卒 隊
( 留守第十四師団長管理)
小 畑 敏 四郎
戦
第十四師団第 一乃至第三建築輸卒隊
留 守第 十四師団長
一 野
(第
一 師 団 長管理)
第
留守第十六師団長
中 岡 政 喜
彌 高 殿
殿 助 ス ヘシ
三、上海派遣軍司令官 ハ現任務 ヲ続行 スルト共 ニ第十軍 ノ上陸 ヲ援
王
昭和十 二年十月二十 日
松
川 平
井 石
助
根
殿
殿
奉勅伝宣 上海派遣軍司令官
柳
命
令
臨参命第百 二十二号
一三
第十 軍司 令 官
参謀 総 長
載
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
伊 東 兵 殿
親
王
第 百 一師 団 長 洲 立
仁
親
荻
載
國崎支隊 ノ編組別紙 ノ如 シ
一、國崎支隊 ヲ第十軍司令官 ノ指揮下 ニ入ラ シム
ノト ス 昭和十 二年十月二十 日
寺
内 壽
参謀総長
一 殿
載
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 奉 勅 伝宣 北支那方面軍司令官伯爵
仁
親
王
三、國崎支隊 ハ塘沽出発 ノ時 ヲ以テ第十軍司令官 ノ指揮下 ニ入 ルモ
二、北支那方面軍司令官 ハ國崎支隊 ヲ塘沽 ニ到 ラシム ヘシ
仁
第十三師団長
令
一一
臨参命第百十七号 命
参謀総長 石 根
殿
上海派遣軍司令官 ハ陸 上戦闘 ニ関 シ第 三艦隊司令長官麾下ノ陸戦 隊 ヲ指揮 ス ヘシ
松 井
昭和十二年十月九日 奉勅 伝 宣 上海派遣軍司令官
令
一二 臨参命第百十九号 命
一、上海方面 ニ第十軍竝所要 ノ兵力 ヲ増派 ス 二、第十軍司令官 ハ海軍ト協力 シテ杭州湾北岸 ニ上陸 シ上海派遣軍 司令官 ノ任務達成 ヲ容易ナラ シム ヘシ
第 別
十 軍 紙
司 令
國崎支隊ノ編組
官
柳
崎
病
中 院
隊
川
登
平 助
殿
部
(第十 二師団長管理)
謀 本
作 戦 指 導 一 期
上 陸 及黄 浦 江 岸 ニ向 フ前 進
第
西 方地 区 ニ前 進 シ上 海 派 遣軍 ト共 ニ上海 周 辺 ノ敵 ヲ掃 滅 ス
イ
第 六 師 団 ノ後 方 ヨリ上 陸 シ其 一団 ハ乍 浦 鎮 方 面 ニ対 セシ メ他 ノ
第 一、第 二後 備 歩 兵 団
上 海 派遣 軍 ノ浦 東 部隊 ノ作 戦 ニ策 応 ス
状 況 ニ依 リ有 力 ナ ル 一部 又 ハ主 力 ヲ以 テ浦 東 地区 ニ向 ヒ前 進 シ
向 ヒ前進 ス
第 十 八師 団 ノ後 方 ヨリ上陸 シ其右 側 ノ地 区 ヨリ閔 江 渡 場附 近 ニ
第 百十 四師 団
前 進 シ滬 杭鉄 道 ヲ遮 断 ス
対 セシ メ第 六師 団 主 力 ヲ以 テ金 山 (朱涇 ) ヲ経 テ松 江 西方 地 区 ニ
金 山 衛 城 西 方 ノ海 岸 ニ上陸 シ國 崎 支 隊 ヲ以 テ金 山 衛城 西 北 側 ニ
第 六 師団 (國 崎 支 隊 ヲ属 ス)
セ シメ主 力 ヲ以 テナ ル ヘク速 カ ニ松 江 西南 方黄 浦 江 ノ線 ニ前 進 ス
金 山衛 城 東 方 ノ海 岸 ニ上 陸 シ 一部 ヲ以 テ 金 山衛 城 ノ東 北側 ニ対
第 十八 師 団
ニ黄 浦 江 ノ線 ニ前 進 ス
一、第 二後 備歩 兵 団 及 所 要 ノ軍 直 部 隊等 ヲ上 陸 セ シメ迅 速 且 急襲 的
ト シテ金 山 衛東 西 ノ海 岸 ニ敵 前 上陸 ヲ行 ヒ引 続 キ第 百 十 四師 団 、第
上陸 予定 日十 月 末 又 ハ十 一月初
國
隊
陸軍少将
隊
支隊長
小
上陸 予定 地 金 山 衛附 近
小
軍 ハ第 十 八師 団 、第 六師 団 ( 第 五 師 団 國崎 支 隊 ヲ属 ス) ヲ第 一線
一
歩兵第九旅 団 ( 歩兵第十 一聯隊欠)
兵
独立山砲兵第 三聯隊 ( 第 二大隊及聯隊段列半部欠) 騎 一 分 隊
二 線
兵 無
工 師 団 一
一
戦
ノ
兵
三 分
野
隊
四
重
衛 生 輜 考
第 備
参
特 ニ註記 セルモノ以外 ハ第五師団 ノ部隊ト ス 一四
針
30部 ノ内第5号 第十軍作戦要領案 方
軍 ハ海軍ト協力 シテ杭州湾北岸 ニ上陸 シナルヘク速 カニ上海市南、
一団 ハ金 山衛 附 近上 陸 地 一帯 ノ警備 ニ任 ス
山 砲 部 隊 、 工兵 部隊 ( 渡 河 ) 架橋 材 料 ノ主 力等 ハ之 ヲ夫 々師 団
軍直 諸 部 隊
二
期
ニ増 加 配 属 ス 第 黄 浦 江渡 河及 上 海 南 ・西 方 ニ向 フ前 進
ロ
若 干 ノ準 備 ヲ整 ヘタ ル後 一部 ヲ以 テ閔 行 方面 ヨリ主 力 ヲ以 テ松 江
命
令
一、左 ノ部隊 ヲ中支那方面軍 ニ編合 シ中支那方面軍司令官松井大将 ヲシテ指揮 セシム 上 海
十
派 遣
軍
軍
中支那方面軍司令部 第
二、中支那方面軍司令官 ノ任務 ハ海軍ト協力 シテ敵 ノ戦争意志 ヲ挫
石 根
殿
殿
殿
王
折 セシメ戦局終結 ノ動機 ヲ獲得 スル目的 ヲ以テ上海附近 ノ敵 ヲ掃滅 スルニ在り 昭和十二年十 一月七日
井
助
石 根
載
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
井
親
西 南 方面 ヨリ黄 浦 江 ヲ渡 河 シ上海 南 ・西 方 地 区 ニ向 ヒ前 進 シ上 海 派
状 況 ニ依 リ 一部 ヲ以 テ浦東 地 区 ニ作 戦 セシ ム 状 況 ニ依 リ有 力 ナ ル 一部隊 ヲ以 テ 乍浦 鎮 ヲ攻略 シテ揚 陸 点 ヲ確
後 方 関 係
松
川 平
仁
遣 軍 ト戮 力 シテ 上海 周辺 ノ敵 ヲ掃 滅 ス
ハ 保 ス
松
奉勅伝宣 中支那方面軍司令官
柳
参謀総長 上海 派 遣 軍 司令 官
軍 及 師 団 ノ後 方 機 関 ヲナ ル ヘク統 一シ テ運 用 ス
一、 軍 ハ所要 ニ応 シ軍参 謀 長 ヲ首 班 ト シテ軍 兵站 部 ヲ組 成 ス
二、 上 陸当 初 ニ於 テ ハ各 師 団 上 陸 点 ヨリ次 テナ ル ヘク速 カ ニ金 山 衛
第十 軍 司 令 官
状 況 ニ依 リ乍 浦鎮 ノ攻 略 後 該 地 ニ根 拠 地 ヲ形 成 ス
一六
示
臨参命第百三十八号 ニ基 キ左ノ如 ク指 示 ス
指
臨命第六百号
ヲ以 テ 軍兵 站 ノ基 点 ト シ各 師 団 ノ前 進 ニ追 随 ス
三 、軍 ト内 地 ト ノ交 信 ハ当 初 ニ於 テ ハ上 海陸 軍 通 信 機関 又 ハ海 軍 ヲ 経由 ス
一五
臨 参 命第 百 三十 八 号
昭和十 二年十 一月 七日 松
井
石 根
参謀総長
載
石
助
根
石 根
殿
殿
殿
殿
仁
仁
親
親
王
王
中支那方面軍ノ作戦地域 ハ概ネ蘇州嘉興 ヲ連 ヌル線以東 ト ス
令
一七
中支那方面軍司令官
大陸命第七号 命 別紙 ノ如 ク中支那方面軍戦闘序列 ヲ令 ス 昭和十 二年十二月 一日
松 井 平
載
松 井
参謀総長 中支那方面軍司令官 柳 川
奉 勅伝 宣
上 海派 遣 軍 司 令 官
紙 中支那方面軍戦闘序列
大陸命第八号 命
一八
令
仁
親
王
一、中支那方面軍司令官 ハ海軍 ト協同 シテ敵国首都南京 ヲ攻略 スヘ シ
根 殿
載
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示セシム
石
参謀総長
松 井
昭和十二年 十二月 一日 奉勅 伝 宣
示
一九
中支那方面軍司令官
大陸指第九号 指
大陸命第八号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
一、中支那方面軍司令官 ハ其任務遂行 ノ為揚 子江左岸 ノ要 地 ニ 一部
二、中支那方面軍 ハ支那方面艦隊ト協同作戦 スルモノト ス其作戦 ニ
石 根 軍
関 シテ ハ方面軍司令官支那方面艦隊司令長官 ト直接協定 ス ヘシ
松 井
第十 軍 司 令 官 別
中支那方面軍司令官陸軍大将 派 遣
軍
ノ作戦 ヲ実施 スル コトヲ得
上 海
十
中支那方面軍司令部 第
三 、宣 伝謀 略 及 一般 諜 報 ハ方面 軍 司 令 部 附 少 将 ヲ シテ実 施 セシ ム ヘ シ
但報道 ハ ﹁ 報道部発表﹂ ノ形式 ニ依 ル 謀略 ニ関 シテ ハ別 ニ指示 スル所 ニ拠 ル 昭和十 二年十二月 一日
四、瓦斯竝催涙筒 ノ使用 ニ関 シテ ハ更メテ指示 ヲ待 ツ ヘシ
令
二〇 大陸命第 二十三号 命
大 陸 指 第 十 一号 指
二 一
示
大 陸 命第 二 十 三号 ニ基 キ左 ノ如 ク指 示 ス
一、 第 五軍 ハ第 四艦 隊 ト協 同 作 戦 ス ル モノ ト ス協 同 作戦 ニ関 シテ ハ
別 冊 ﹁平海 作 戦 陸 海 軍 中 央 協 定 抜 萃 ﹂ ニ準拠 ス ヘシ
二 、 海 軍 ト協 同 シテ占 領 ス ヘキ地 点 ハ平 海 半 島 ト ス別 ニ三竈 島 ヲ海 軍 ノ占 領 後之 ヲ守 備 ス ヘシ
三 、 作 戦 ノ実 施 ニ方 リ テ ハ第 三 国 特 ニ英 国 ノ領 域 等 ニ対 ス ル考 慮 ヲ
四、 航 空 基 地 確保 ニ必要 ナ ル範 囲 ニ於 テ 平海 半 島 ヲ占領 セ ハ爾 後 ナ
ル ヘク少 数 兵 力 ヲ 以 テ相 当 長 期 ニ亙 リ守 備 ス ル如 ク施 設 ス ヘシ
周 密 ナ ラ シ ム ヘシ
五、 航 空 部 隊 ノ対 地攻 撃 ノ目 標 ハ本 作 戦 ノ趣旨 ニ鑑 ミ政 略 的意 義 ヲ
一、第 五軍司令官 ノ任務 ハ海軍 ト協同 シテ南支 沿岸及其附近 ノ島嶼 リ
有 ス ル目 標 ハ努 メテ之 ヲ避 ク ヘ シ
ヲ占領 シ航空作戦 ニヨリ廣東 方面 ニ於ケ ル敵 ノ補給 ヲ阻 止 スル ニ在 二、臺湾軍司令官 ハ第五軍 ノ兵站交通業務 ヲ援 助 ス ヘシ
七 、軍 司 令 官 ハ所要 ノ部 隊 ヲ臺 湾 ニ位 置 セ シ ム ル コト ヲ得
六 、軍 司 令 官 ハ臺湾 ニ在 リ テ指 揮 スル ヲ本 則 ト ス ヘシ
三、細 項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十 二年十 二月七日
郎
殿
殿
十 、参 考 ノ為 左 記 書 類 ヲ附 与 ス
九 、補 給 交 通 衛 生 及 輸送 ニ関 シテ ハ別 ニ指 示 ス
八 、瓦 斯 ノ使 用 ニ関 シテ ハ更 メ テ指 示 ヲ待 ツ ヘシ
郎
王 莊 幹
親 莊 幹
仁 古
載 古
参謀総長 第五軍司令官
奉勅伝宣
臺湾軍司令官
第 五 軍 作 戦 要 領案 昭和 十 二年 十 二月 七 日
第 五軍 司令 官
古
二二
作 戦 目 的
第 五軍 作 戦 要領
莊
幹
殿
参 謀 総長 郎
載
仁
親
王
第 五軍 司 令 官 ハ海 軍 ト協 同 シテ 南支 沿岸 及 其 附 近 ノ島 嶼 ヲ占 領 シ 航 空 作 戦 ニ ヨリ廣 東 方面 ニ於 ケ ル敵 ノ補 給 ヲ阻 止 ス 之 カ タ メ海 軍 ト 協 同 シテ占 領 ス ヘキ 地 点 ハ平 海 半島 ト シ別 ニ三竈 島 ハ海 軍 ノ占 領 後 之 カ守 備 ヲ担 当 ス
第 三梯 団 (約 四 万屯 )後 方 部 隊 及 軍 需 品 ト ス
第 三 、第 一梯 団 ヲ以 テ平 海 半 島 西 南 部 ニ敵 前 上陸 ヲ行 ヒ第 二、 第 三
梯 団 之 ニ追 及 ス但 第 二梯 団 ノ第 一班 ハ戦 況 ニ依 リ独 立 シテ他 方 面 ニ
陸
上 陸 ヲ行 ヒ得 ル如 ク準 備 ス 上
第 四、 第 一梯 団 ノ平海 半 島 西 南 部 ニ対 ス ル敵 前 上陸 実 行 ハ十 二 月 二 十 五 日頃 ト予 定 ス
案
上 陸 作 戦 ハ左 ノ二案 ノ 一ニ依 ル 甲
主 力 ヲ 以 テ破 璃 廠 北 方 ノ海 岸 ニ上陸 シテ直 チ ニ平 海 、 蝉 眼山 ノ
方 地 区 ニ進 出 シテ敵 ノ退 路 ヲ遮 断 シ且稔 山 坪 方 面 ヨリ ス ル増 援 ヲ
有 力 ナ ル 一部 ヲ以 テ赤 少 山 西 北 方海 岸 ニ上陸 シ直 チ ニ大 人嶺 東
線 ヲ奪 取 ス
集中及前進
阻止ス
作 戦 指 導 要領
第 一、南 支 作 戦 部 隊 ハ十 二月 二十 日頃 ヨリ逐 次 ニ枋寮 附 近 ニ集 中 ス
有 力 ナ ル 一部 ヲ以 テ赤 少山 西 北 方 海 岸 ニ上 陸 セ シ ム ル コト甲案
岸 ニ) 上陸 シテ直 チ ニ平 海 、蝉 眼山 ノ線 ヲ奪 取 ス
主 力 ヲ以 テ玻 璃 廠 東 方 海岸 ニ ( 状 況 ニ依 リ其 一部 ハ榜 山 南 方 海
案
集 中 ノ タ メ ノ輸送 ハ総 テ大 本 営 ニ於 テ処 理 ス
乙
諸 隊 ノ第 五 軍 司令 官 ノ隷 下 ニ入 ル ハ上 海 、 北支 、南 満 、 内 地 等 ノ 港 湾 出 発 ノ時 ヲ以 テ ス 第 二、 南 支 作 戦部 隊 ハ左 ノ如 ク三梯 団 ト ナリ テ前 進 ス
隊 、 砲兵 一大 隊 ヲ基幹 ト ス ル敵 前 上 陸 部 隊 ト ス
第 二梯 団 ( 約 十 万 屯 )ノ第 一班 、重 藤 旅 団長 ノ指 揮 ヲ以 テ歩 兵 三大
砲 兵 約 三 大 隊 ヲ基 幹 ト ス ル敵 前 上陸 部 隊 ト ス
第 六 、平 海 半 島 方 面 ノ戦 況 之 ヲ許 ス ニ於 テ ハ第 二梯 団 ノ第 一班 ハ平
小漠 港 東 方 海 岸 ヨリ上陸 シテ敵 ノ背 後 ヲ攻 撃 セ シ ム
ヨリ 上陸 ス状 況 ニ依 リ第 二梯 団 ノ第 一班 ヲ以 テ白 耶 土 湾 ノ北 岸 又 ハ
第 五 、第 二、 第 三 梯 団 ハ逐 次到 著 スル ニ従 ヒ塩 田 港 又 ハ玻 璃 廠 海 岸
ニ同 シ
第 二梯団 ( 約 六万 屯 )ノ第 二班 、 上 陸直 後 ニ必 要 ナ ル軍 直 部 隊 及 後
海 半 島 ニ上 陸 ス ル コト ナ ク直 チ ニ三 竈島 ニ回航 シ海 軍 ト交 代 シテ其
第 一梯 団 ( 約 二 十万 屯 )、第 十 一師 団 長 ノ指 揮 ヲ以 テ歩 兵 約 九大 隊 、
方 部隊 ト ス
守 備 ニ任 ス状 況 ニ依 リ珠 江 水 路 ヲ遮 断 ス ル目 的 ヲ以 テ 一部 ヲ以 テ伶 〓 島 、孖 洲 大産 島 ヲ占 領 セシ ム ル コト アリ 占 領 地 ノ守 備 及 飛行 場 ノ設 定
ヲ施 シテ守 備 ニ任 ス
第 七 、平 海 半 島 ヲ占領 セ ハ考 洲 洋 、 範 和港 ノ線 ヲ占 領 シ所要 ノ築城
第 八 、 上陸 後 ナ ル ヘク速 カ ニ玻 璃 廠 東 方 地 区 ニ飛行 場 ヲ設 備 ス尚為 シ得 ル限 リ大 星 山 北 方海 岸 ニ モ飛 行 場 ヲ設 定 ス 第 九 、島 嶼 ノ守 備 ハナ ル ヘク 小数 兵 力 ヲ以 テ ス但 守 備 隊 本 部 ニ ハ民
空
政 指 導 ノ機 関 ヲ備 フ 航
第 十 、飛 行 団 ハ飛行 場 設 備 完 了 ヲ待 テ爆 撃 機 及 偵 察 機 ハ空 中 輸 送 ニ 依 リ其 他 ハ船 舶 輸 送 ニ依 リ平 海 半 島 ニ前 進 ス其 時 機 ハ 一月 中 旬 ト 予 定 ス 第 十 一、飛 行 団 ハ主 ト シテ廣 東 以南 ノ攻 撃 ニ任 シ細 部 ハ海 軍 ト 協定 ス
補 給 及交 通 ノ タ メ第 五 軍 ニ常 時 一部 ノ船 舶 ヲ供 用 ス
第 十 三 、 ナ ル ヘク速 カ ニ玻 璃 廠 又 ハ塩 田港 ニ補 給 基 点 ヲ設定 ス
爾 後 固定 無 線 ヲ以 テ臺 北 、平 海 、 三竈 島 間 ニ交 信系 ヲ構 成 ス
第 十 四 、上 陸 作 戦 初 期 ノ通 信 ハ海 軍 側 ノ中 継 ニ依 ル
第 十 五 、第 五軍 司 令 官 ハ臺 湾 ニ在 リ テ指 揮 ス
状 況 ニ依 リ軍 司 令 官 ハ所 要 ノ機 関 ヲ伴 ヒ現 地 ニ出 動 ス ル コト アリ
二三
平海 作 戦 陸 海 軍 中 央 協定 抜 粋
作 戦 兵力 ハ別 表 第 一、 第 二 ノ如 シ
一、作 戦 兵 力
本 作 戦 ノ目 的 達 成 ノ タ メ機 ヲ看 テ更 ニ陸 海航 空戦 力 ノ強 化 ヲ図 ル 二 、指 揮 関 係
上 陸 船団 臺 湾 沿 岸 出 発 後 ニアリ テ ハ所 要 ニ応 シ第 十 一師 団 長 第 四
第 五軍 司 令 官 ト第 四艦 隊 司令 長 官 ト ハ協 同 作 戦 ス
艦 隊 司令 長 官 ト直 接 協 定 ス
飛行 団 ノ攻 撃 目 標 ト ス ヘキ モノ左 ノ如 シ 1 、廣 東 特 ニ其 停 車 場 、港 湾 設 備 其 他軍 事 施 設
三、上
イ
四 、輸 送及 護 衛
上 陸 第 一日 ヲ十 二月 二十 五 日 ト 予定 ス
上 陸 地 ハ平 海 半 島 西 南 部 海 岸 ト シ敵 前 上 陸 ヲ予 期 ス
陸
2 、石 龍 特 ニ其 停 車 場 、橋 梁 3、廣 九 鉄 道 4 、 恵 陽 、東 莞 、虎 門 塞
ト予定 ス
5 、 珠 江 上 ノ支 那 船 舶 後 方 関 係 及 連 絡其 他
ロ
集合 地 ハ枋 寮 ト シ第 一梯 団 ノ同 地集 合 ヲ概 ネ 十 二 月 二十 日頃
第 十 二、第 十 一師 団 長 ノ指 揮 下 ニ適宜 ノ方 法 ニ依 リ臨 時 兵站 部 ヲ編
陸 軍 部 隊 ノ輸 送 ハ前 項 ノ外 別表 第 三 ニ依 ル
組 シ後 方 ノ運 用 ニ便 セシ ム
海軍
陸海軍 ハ燃料、弾薬等夫 々自 ラ補給 ス
第 六基地 ヘ
第 一、 第 二 梯 団 ( 内 地 ヨリ発 進 シ単 独枋 寮 ニ直航 ス ル モノ ヲ
味方識別 ニ関 スル事項別冊第 二ノ如 シ
ハ 除 ク) ハ乗 船 後 馬鞍 群島 (状 況 ニ依 リ護 衛 艦 隊 ト中 支 碇 泊場 監 ト
ト
信
第五軍兵力
別表第 一
田 中 将
通信 ニ関 スル協定別冊第 一ノ如 シ
八、通
陸海軍部隊間 ニ於 テ連絡 ノタメ適宜幕僚 一、二名 ヲ交換派遣 ス
七、幕僚 ノ交換
ノ協 議 ヲ以 テ変更 ス) ニ集 合 ノ上護 衛 艦 隊 ノ護 衛 下 ニ入 リ枋 寮 集
第 三梯 団 ニ対 シ テ ハ特 ニ要 ス ル場 合 ノ外直 接 護 衛 ヲ行 ハス
合 地 ニ回航 ス ニ ︹ 騙カ︺ 平 海 上 陸 ノ企 図 ヲ秘 匿偽 偏 ス ルタ メ海 軍 ハ福州 、厦 門 、 汕 頭 、 虎
五、 陽 動 及企 図秘 匿
空
門 、 赤 湲 、海 南島 方 面 ニ対 ス ル攻撃 ( 爆 撃 、砲 撃 ) ヲ 一層 積 極 的 ニ 行フ 六 、航
第 五軍戦闘序列 ノ如 シ
南 支 方 面 ニ於 ケ ル航 空 作 戦 ハ海 軍主 ト シテ之 ニ任 シ、陸 軍 ハ
イ
豊
海軍兵力 (予定 )
別表第 二
陸 軍 部 隊 ノ敵 前 上 陸 及 爾 後 陸軍 航 空 部 隊 到 著 マテ ノ作 戦 間 海
其 一部 ヲ担 任 ス ロ
足柄
第 四艦隊司令長官 旗艦
同 一方面 ニア ル陸 海 軍航 空 部 隊 ノ任 務 ノ分 担 、協 同 ノ要 領 等
ハ
第九戦隊 (小林中将 〓 妙高、多摩)
軍 航 空 隊 ハ陸 軍 ノ作 戦 ニ協 力 ス
ノ細 項 ハ出 征 部 隊 間 ニ於 テ直接 協 定 ス 陸 海軍 ニ於 ケ ル飛 行 場 ノ整 備 及 使 用 区 分 ハ左 ノ如 ク予 定 スル
第 一航 空戦隊 ( 草鹿少将 〓 加賀
モ要 スレ ハ之 ヲ共 用 ス
ニ
陸軍
第三航 空戦隊 ( 寺 田少将 〓 神威 香久丸)
第十戦隊ノ第 二小隊 ( 藤森少将 〓 天龍、龍 田) 第五水雷戦隊 ( 後藤少将 〓 長良 第 十 六 駆 逐 隊 (駆三) 第 二十 五駆逐隊 (駆四) 第 二十九駆逐隊 (駆二)
第 七( 平 海 )、 第 八 基 地 ( 金門島)
海軍
約七十機 約六十四機
第 六 基 地 (三寵 島 )
第十三航空隊 ( 基 地完成後進出)
飛 行 場 ノ警 備 ハ左記 区分 ノ如 ク予 定 ス ル モ要 ス レ ハ現 地指 揮
第 三駆逐隊
(駆四) 上陸作戦中 基 地完成後
ホ
地上 警 備 ハ陸 軍 、対 空 警 備 ハ海 軍 、
( 註) 航空兵力合計
第四水雷戦隊 ノ 一部 (駆四)
第 八基地
陸軍
官 間 ニ於 テ適 宜 協 定 ス ル モノ ト ス
第 七基 地
戊 集 団 船 舶 輸 送 計 画 表 摘 要
令
二四 大陸命第 二十四号 命
(宜城)蕪湖 ヲ含 ム以北揚 子江右岸地域内諸要 地ノ確保安定 ニ任 ス
一、中支那方面軍司令官 ハ南京攻略後海 軍ト協同 シテ概ネ杭 州〓国 ルト共 ニ航空部隊 ヲ以テ右 地域外敵国内要 地ノ攻撃 ヲ続行 ス ヘシ
石
根 殿
載
仁
親
王
二、状況ノ推移 ニ伴 ヒ逐 次兵力 ヲ集結控置 シ大本営 ノ使用 ニ便ナラ シム ヘシ 昭和十二年十 二月七日
松 井
参謀総長
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 奉勅伝宣 中支那方面軍司令官
示
二五 大陸指第 二十 四号 指
大陸命第 二十 四号 ニ基 キ左ノ如ク指示 ス 一、中支那方面軍司令官 ハ揚 子江右岸地区内諸要 地ノ安定確保ノ任
二、中支 那方面軍 ハ支那方面艦隊 ト協同作戦 スルモノト ス其作戦 ニ
務達成 ノ為揚子江左岸地区 ニ 一部 ノ作戦 ヲ実施 スル コトヲ得
井
石
根
殿
載
仁
親
王
関 シテ ハ方面軍司令官支那方面艦隊司令長官ト直接協 定 ス ヘシ 昭和 十二年十 二月十二日 松
参謀総長
三、瓦斯竝催涙筒 ノ使用 ニ関 シテ ハ更 メテ指示 ヲ待 ツ ヘシ
中支那方面軍司令官
令
二六 大陸命第三十 六号 命
郎
殿
載
仁
親
王
一、第五軍司令官 ハ隷下諸隊 ヲ臺湾 ニ上陸 セシメテ待機 ス ヘシ
莊 幹
参謀総長
二、細 項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
古
昭和十二年十 二月 二十二日 奉勅伝宣 第五軍司令官
六 七
説
総
︹吉住良輔中将︺
目
録
第四章
南京城攻撃戦闘
〓化鎮附近 の戦闘及追撃 言
結
則
第五章
総
師団は満洲駐屯 より昭和十二年 五月末内地 に帰還 し 一意教育訓練
第 一章
第六章
其五 追撃間 に於ける補給情況
(上 海 附 近 の戦 闘 よ り南 京 攻 略 に至 る)
第 九 師 団 作 戦 経 過 の概 要 ( 昭和十三年 一月 第九師団参謀部)
第九師団作戦経過 の概要 第 一章 作戦 経 過
其 一 上陸 より廣福鎮附 近の戦闘
第 二章 其 二 陳家行附近 の戦闘
其 三 陳家行附近攻略後走 馬塘 ﹁クリーク﹂ に至 る戦闘 其 四 走馬塘 ﹁クリーク﹂附近 の戦闘
戦闘参加より蘇州河附近敵陣突破迄に於 ける
師団 の側敵 行動間側背掩護情況
海戦 場に出動し曩 に参戦 中なりし第三、第十 一、第百 一師団 に伍し
事変 の勃発 を見次 で戦禍上海附 近に波及す るに及ぶや九月末再 び上
の革新を期 し先づ基礎教育 の徹底 を図 りつゝありしに偶 々七月北支
其六
其 五 蘇州河附近 の渡河作戦 其七
〓 に壮烈 なる縦深陣地 の大突破戦 は展開せられたり。
其 二 崑山︱︱蘇 州間
破 を 続行 す る こと方 に 一カ月 此間 師 団 内 に於 け る戦 死傷 者 実 に 一万
あ り き 此間 師 団 は終 始 右 側面 間 近 に敵 の堅 陣 を 控 へつゝ 一意 南 進 突
︹ キロ?︺ (大 場鎮 附 近) 線 に至 る約 五吉 に亘 る 一面 の縦 深陣 地 の突 破 戦 闘 に
師 団 の最 も勇戦奮闘せるは廣福鎮附近より走 馬塘 ﹁クリーク﹂ の
彼我損害 の概数 追撃 作戦
其 三 蘇州︱︱ 常州間
斃 馬 一千頭 に及 び敵 の遺 棄 死 体 一万余 に達 せり 走 馬塘 ﹁ク リ ー ク﹂
其 一 中新涇鎮︱︱崑山間
第三章
其 四 常州︱︱〓 化鎮間
敵陣突破後始 めて追撃戦 に移 りたるも蘇州河畔 に於 て再び敵最後 の
3、(九月三十日)右翼隊戦闘開始
出 し爾後 の攻撃を準備せしむ
)正面と交代 すべ
正面 に保持し攻撃中な
i 8 6
此日左翼隊方面は第 三師団 の戦闘進展せざ りし為其後方徐家宅
撃嬢 し概 ね ﹁ 荻 浬 クリーク﹂東岸 に進出 し攻撃 を準備す
宅 の前面 を占領中なりし敵 の 一部と初めて戦闘 を開始 し直 に之を
部 と交代 ﹁荻〓クリーク﹂ の線 に進出中 (三十 日)午後 二時朱家
りしを以 て右翼隊 のみ第三師団右側掩護隊 たりし騎兵及輜重の 一
く前進せ るも当時第三師団は重点を右翼
師団は第 三師団右翼 (騎兵、輜 重の 一部及
鉄壁 と頼む同河南岸 の堅陣 に遭遇 せるも十 一月初旬張家宅附近 に於 ける理想的敵 前強行渡 河に奏功し遂 に敵 をして上海戦場 に於ける戦 以上本作戦 の主戦 闘間常 に我第 一線将兵 の忠勇 により終始軍突破
意 を失踪 せしめたり。 作戦 の先鋒 たり得たるは感激 の至 りなり。 此頃第十軍 一部 の敵側背 進出 に伴 ひ敵 の無錫 、蘇州方面 に総退却 を開始するや師団は十 一月下旬反転 して 一挙急追 に移 り昆山、蘇州、
6 8 i
は午前十時三十五分郭 巷橋東 側に在
に在 りて待機す
無錫、常州、天王寺附近 に於 て残敵 を撃破し十二月初旬 早くも南京
I
)
逢出 せり
劉家行道 に進出
の三 ケ師 な り
第三師団右翼 方面 は此 日戦況有利 に進展 し朱宅 、北王宅 の線 に
す るに至らず
に伴 ひ若干戦況 の進展 を見 たるも未 だ羅店鎮︱
此日 ( 十月 一日)第十 一師団左翼 方面の 一部 又我 が師団 の進出
5、隣接師団 の状 況
前 進を開始 しタ刻迄 に目標線 たる呉家橋附近 に進出せり
動 揺 の色ありしを以 て大隊は独断 ﹁荻浬 クリーク﹂を渡河し攻撃
りし敵掩蓋機関銃座 の我 が歩兵砲射撃 に依り破壊せらる 〓や敵兵
此日右翼隊右第 一線
南方地区 に進出し〓化鎮附 近敵防禦陣地 の中核 を突破 し引続 き夜間 作戦 経 過
4、 ( 十月 一日)攻撃前進開始
陸
其 一 上陸 より廣福鎮附 近の戦闘
第 二章
追撃 により他兵団 に先ち南京城頭高 く日章旗を樹立せり。
一、上
1、 (九月二十 七日)師団主力は呉淞 に、其 一部は上海 に上陸 を ︹ 略︺ 開始 し爾後 ( 十月 七日)迄 の間 に附表第 一の如く上陸を完 了せり。 ︹ 略︺ 2、上陸当時 に於 ける彼我 一般 の態勢附図第 一の如し。 二、戦 闘 参 加 を集結す るや第三師団右翼部隊 と交代し当面 の敵
を 基 幹 と す る 部 隊 を 右 翼
/ 1 9 i
6 、師 団 当 面 の敵 情中 判 明 せ る は 三 、廣 福 鎮 附 近 の戦 闘
(十 月 二 日︱ 四 日)
7 8 D
1、 ( 九月 二十九日)師団 は第十 一師 団と第 三師団間 に両旅団長
1 8 i B
(
1 、 (十月 二 日) 右 翼 隊第 一線 は白 沼 、 胡 家 宅 の線 に進 出 し 左 翼
7 7 D
の指揮する
(− 3 6 i )
を撃攘し先づ呉家橋 、沈家宅 の線 に進出 すべき軍命令 に接す。 師団 は取敢ず 上陸を完 了せる 6 i B
I D
7 i
2、師団 の部署
隊
1 9 i
を基 幹 とす る部 隊 を 左翼 隊 とし て ﹁荻 〓 クリ ーク﹂ の線 に進
(− 3 5 i )
軍命令 に接せ るも当時辛 うじて戦列部隊戦場 に到着 せるに過ぎず
2、攻 撃 企 図 此日師団は逐次当面 の敵 を撃破 し陳家行東西 の線 に進出すべき
湾 、張家宅 の線 に進出 せり
乃至 八時 の間 に之と交代 し少数 の敵を撃破し つゝ本夕刻迄 に鯉魚
隊 は第 三師団 の右翼方面逐次東方 に転移するに伴 ひ概ね午前 七時
攻撃せしむ
翼方面 に移 し攻撃する に決 し左翼隊 に35i主力を増加 し当面 の敵を
況進展 する所 ありしを以て四日師団長 は左記理由 に基き重点を左
反 し助攻方面 たる左翼 隊は戦況有利 に進展 し概 ね薀藻浜 ﹁クリー
して敵陣頗 る堅固 にし て徒 に損害多く戦果 見るべき ものなし之 に
たるも右翼方面 は北梅宅 、南梅宅、新木橋附 近に進出せる のみに
記
イ、廣福附 近敵 の堅陣を突破し南下す るは軍主 力 の南下作戦を
左
当時 に於 ける彼我 の態勢附 図第 二の如 し
︹略 ︺
ク﹂ の線 に進出 せるのみならず軍主攻正面た る第 三師団亦大 に戦
し て補給並衛生機関未 だ上陸 を完了 せざ る現況に鑑 み概 ね現在 の 線 に於 て攻撃を準備 し後方機関主力 の到着 を待ち て攻撃を再興せ 3、(十月 三日)早朝軍及飛行情報 に依 れば敵は全面的 に退 却 の
ロ、廣 福附 近 の敵退却 の徴 なき こと判明 せるを以 て寧 ろ目下戦
遅延せしむる の虞大なり
んと企図 せり 徴 あり就中廣福鎮附近より退却部隊多 しと の情報 に基き師団は重
九
( 廣福附 近攻撃)
( 白沼 以北 の掩護)
( 右翼隊 に連繋攻撃)
に左翼 方面 に在 り ては 櫓 網湾 、陸 家 宅 の線 に進 出 せ り 5 、 (十 月 四 日) 攻 撃 重 点 変 更 師 団 は 二、 三 の両 日 に亙 り依 然 重 点 を 右翼 に保 持 し力 攻 に努 め
1 、敵 陣 地 の情 況附 図 第 三 の如 し
︹ 略 ︺
一、陳家行附近 の戦闘 に於ける敵情
其 二 陳家行附近 の戦闘
し側背掩護を行 ふに至 り師団は新 に36i のみを右 翼 隊 と し新 木 橋 ( 含 まず)以南老陸宅 の敵陣 を攻撃 せしむ
此日軍命令 に基 き新 に第十三師団 の 一部 師団右翼隊正面 に進出
6、(十月五日)部 署変更
出するを刻 下 の急務 とす
損害大なるべきも軍全般 の目的達成 上速 に陳家行東西 の線 に進
ハ、堅陣を近く右 に控 へ狭小なる正面 に於 て側敵 行動 を行 ふは
況有利 に進 展し戦果拡張容易なる方面より戦闘を進展 せしむ る
点を右翼 に保持し 一挙廣福附 近を突破し廣福陳家行間東面 せる敵
兵
陣 地を北方 より席捲し陳 家行 の線 に進出せんとし左 の如く部署す 騎
を有 利とす
イ、右側掩護隊
︹註 ︺
IIIBA
基幹 ( 歩三五欠)
歩 一八旅 団 歩 六旅 団
(
基幹
る所 あり
隊 隊
隊
)
翼 翼
兵
IBA
10SA
ロ、右 ハ、 左
ニ、砲
(-I,III)
4 、 両翼 隊 は朝 来 力 攻 之 努 め 右翼 方面 に於 て は北 梅 宅 、新 宅 の線
9 BA
︹ 略︺ 当 時 に於 け る 彼 我 の戦 線 附 図 第 四 の如 し
2 、 (十 月 十 日︱ 十 月 十 八 日) 陳 家 行 、盛 宅 及塘 北 宅 占 領
19i
2 、 当時 敵 は既 設 陣 地 を逐 次増 強 し全 線 掩 蓋 を 以 て設 備 せ る堅 固
) を基 幹 とす る 部
(−Ⅱ) I/7i
な る陣 地 に占 拠 し 且 守兵 は督 戦 隊 の巧妙 な る 配 置 と強 圧 と に依 り 屍 と化 す るも 陣 地 を 放棄 せざ る の みな らず 一拠 点奪 取 せら る ゝや
(十 月 十 日)
イ 、師 団 攻 撃 部 署
長 の指揮す る歩三大 (
必ず 数 回 に亙 り逆 襲 を実 施 し就 中 頓 悟附 近 に 対 す る逆 襲 は 一夜 十
、 、
、
18iB
) 七個 師 に及 べ り
82D
イ 、 此 間右 翼 隊 ( ) は孟家宅 、清水顧附 近の側面陣地に対し
左翼隊 たる 長 の指揮す る歩五大 (
7i
) を基 幹 と す る部
戦 況大 な る進 展 を見 る に至 らず 剰 へ天 候 不 良 秋 雨 孜 々と し て降
右 の状 況 に基 き (十 四 日) 師 団 は先 づ 敵 陣 地 の鎖 鑰 た る陳 家
ハ、 ( 十 月 十 四 日︱ 十 八 日) 陳 家 行 攻 略
る 斜 交陣 地 を新 築 増 強 す る に至 れ り
力攻之努 めたるも戦闘 の進展意 の如く ならず左翼隊方面は七日
当時に於 ける第 一線兵力は既 に相当多数 の損害を生じ弾薬特 る情況下 に戦況 の進展遅 々として進まず死傷者 のみ続出す るの
下 に鋭意戦況 の進 展 に努 むる こと方 に五日右翼 隊は多大の犠牲
行 を攻略す るに決し右翼 隊に
に砲弾 の補充意 の如くならず 一日〇、 二基数使用 の已むを得ざ 情況 に立ち至 りしを以 て師団は〓 に攻撃要領を 一変 し軽易な る
を払 ひ遂 に (十月十八日)完全 に陳家行を占領 せり、此間左翼
垂んとするも戦果未 だ予期 の如く挙らず更 に国家内外 一般情勢は大
を続行し つゝあるに反 し上海方面 に於ては軍上陸以来既 に二ヶ月 に
北支方面に在 りては、戦況極め て有利に進展 し神速果敢 なる追撃
三、本戦闘間 に於 ける彼我 一般 の情勢
北桃園浜 の敵 に対し攻撃準備 を完了せり
を復帰し歩砲飛密接 なる協力 の
攻撃築城 を応用し つゝ逐 次攻撃陣地を推進し敵 前至 近 の距離 に
隊又力闘 の結果師 団当面 に於け る 一大拠 点たる塘北宅 を攻略し
に過ぎず
ず僅 に須宅、北桃園浜西方無名部落 、北部盛宅 の線 に進出せる
前述 の如く本期間 に於け る戦 闘 の進展 は真 に遅 々として進 ま
剥 ぐ如く攻略す るの已むを得ざ るに至れり ハ、戦闘進展情況
迫 り短時間熾烈な る歩砲 火力を拠点 に集 中し各拠点 を逐次鱗を
Ⅱ/19i
ロ、攻撃要領 の変更
続 き敵 陳 日毎 に其 兵 力 を増 し 且 陳家 行 、蘆 宅 、小 郁 公 届 を連 ぬ
此 四 日間 両 翼 隊 は歩 砲 飛 協 力 の下 に力 攻 に力 攻 を累 ね た る も
ロ、 (十 月 十 日︱ 十 三 日)
隊 を 以 て 一意 当 面 の敵 を撃 破 し 徐家 巷 の線 に進 出 せ しむ
6iB
頓悟、橋亭宅附 近 の敵陣を突破 せるも爾後攻撃亦進 展せず
36i
(−I) 35i
隊 を新 に右翼隊 とし陳家行を攻略すると共 に主力 を以 て蘆 宅附 、
78D
回 に及 べり
、
32D
近 の敵陣 地を突破 し小郁公〓 の線 に進出 せしむ
、
16D
1、 (十 月 七 日︱ 十 月 十 日)頓 悟 、橋 亭 宅 附 近 の戦 闘
15D
3 、(十 月 七 日 乃 至十 月十 七 日) の間 に於 て師 団 と交 戦 せ る敵 師 団数 は ( 8D
二 、攻 撃 経 過 の概 要
3D
其三 に至 る戦 闘
( 十 月 十 九 日 ︱ 二 十 三 日)
陳 家 行 附 近 攻 略後 走 馬塘 ﹁ク リ ー ク﹂
じ真 に重 苦 し き 空気 に包 ま れ た り
場 鎮 附 近 の迅 速 な る攻 略 を必 要 とす る事 情 に立至 り銃 前 、銃 後 を 通
一、 攻 撃 部 署 ( 十 月 十 九 日) 師 団 は ( 十 月 二 十 四 日) 迄 に走 馬 塘 ﹁クリ ー ク﹂
を中 央 隊 と し 第 一線 に注 入 し
北 岸 に進 出 し同 ﹁ク リ ー ク﹂ 南 岸 敵 陣 地 に 対す る攻 撃 を 準備 す べ き
軍命令 に接 し直 に師団予備 たりし 戦 況 の進 展 を図 る 二、戦 闘経 過 ( 十 九 日︱ 二十 三 日)
其四
( 十 月 二十 四 日︱ 二十 八日 )
走 馬 塘 ﹁ク リー ク﹂ 附 近 の戦闘
一、走 馬塘 ﹁ク リ ー ク﹂ の渡 河攻 撃
情 ︹ 略︺ ( 十 月 二十 三 日) に於 け る敵 情 附 図 第 六 の如 し
1 、敵
当 時 敵 は江 湾 鎮 方 面 よ り逐 次兵 力 を西 方 及 南 方 に後 退 せし め つ
つあ る 一面 南 翔 、 大 場鎮 正 面 の陣 地 を益 々強 化 中 な り 2 、戦 闘 経 過
イ 、(十 月 二十 四 日 ) 師団 は十 月 二十 三 日夜来 当面 の 敵 に 対 し
攻 撃 準 備 中 前 述 の敵情 に鑑 み午 前 八 時 蘇 州 河 に向 ひ追 撃 す べ き
軍 命 令 に接 し 師 団 は直 に攻 撃 前 進 を 命 じ渡 河 を開 始 せし む ロ、此 日
各翼 隊 は砲 飛協 力 の下 に力 戦 奮 闘 一意 攻 撃 進 展 に努 め逐 次靱 強 な る敵 塁 を抜 き ( 十 月 二十 三 日) 夕 には軍 所 命 の期 日 に先 つ こと 一日
り
は渡河攻撃 を反覆す ること方 に三回遂 に本夕刻張 宅
に引 続 き (二 十 五 日) 未 明
共 に走 馬 塘 ﹁ク リ ーク﹂ を渡
二、 渡 河 後 の追 撃 (十 月 二十 五 日 ︱ 二十 八 日)
附 近 に於 て敵 主 陣 地帯 の 一角 を突 破 し 同堅 陣 瓦 壊 の端 緒 を拓 け
率 先 攻 撃 準備 線 に進 出 す る を 得 た り ︹ 略︺ 三 、当 時 に於 け る彼 我 一般 の態 勢 附 図 第 五 の如 し 四、 攻 撃準 備 線 進 出 当 時 に於 け る師 団第 一線 の戦 力
を 続 行 せ る も の洵 に鬼 神 を 哭 か し む る も のあ り
速 に大 場鎮 一帯 の敵 を撃 破 せ ざ れ ば 已 まざ る の決 意 を 以 て 一意 前 進
の下 に 一致団 結 瞬 時 と 雖 攻 勢 挫折 す る こと なく 益 々勇猛 心 を奮 起 し
斯 かる状 況 に立 ち 至 るも忠 勇無 雙 の我 が団 下 将 兵 は名 誉 あ る軍 旗
隊 長 と す る長 以下 二十 名内 外 と な り た る中 隊 尠 と せ ざ る に至 れり
撃 準備 線 到着 時 に於 ては 既 に其兵 力約 八分 の 一以 下 に減 じ伍 長 を中
我
軍
軍
戦
戦
傷
死 遺 棄死 体
将校 以下
将校 以下
六、六八四名
二、八七二名
九、八〇〇
其五 蘇州河附近 の渡河作戦 ︹ 略︺ 一、蘇州河南岸地区 に於 ける敵情竝友軍 の態勢附図第六 の如 し
敵
三、廣福附近 の戦闘 より蘇州河迄 に於ける彼我 の損耗情 況左 の如 し
八日)早朝迄 に蘇州河北岸 の敵を完全 に掃蕩 し得 たり
、
河し先づ敵主陣地 の第 一線 を抜き爾 後逐 次戦果 を拡張し (十月二十
35i
に至 る約 三吉 の堅 陣 突 破 間或 は 正面 す る敵 歩 砲 火 、或 は右 側 面 より
7i
す る側 射 斜射 の為 或 は 突 入時 に於 け る手 榴 弾 戦 によ り逐 次減 少 し 攻
36i
36i
第 一線 歩 工兵 の兵 力 は薀 藻 浜 ﹁ク リ ー ク﹂より走 馬塘 ﹁ク リ ー ク﹂
Ⅲ/7i
(-Ⅲ)
、
、
9D 、
税警団等十 ヶ兵団余に及 べり 106D
而し て戦闘後判明 せる敵師団数 は 36D
、
、
78D
、
87D
、
99D
、
、
隊 を渡 河 せし む 三 、攻 撃 実 施 1 、(十 一月 一日) 正午 右 翼 隊 第 一線 た る
各兵種極め て緊密適 切なる協同 の下に先 づ 始 し午後三時 迄には右翼隊 の歩 三大隊 (
を基幹 とす る 部隊 は を先 頭 と し渡 河 を開
) の敵 前渡河 に奏
る
(十 一月 二日)師団 は右翼隊 の戦果拡張 の成果 に鑑 み左翼隊 を
2、渡河計画 の変更
め其援護下に左翼隊 を渡河 し東 方及南方 に戦果 を拡張 せしめたり
3、(十 一月二日乃至 七日) に亙る六日間第 一線両翼隊 は極 力 戦
果拡張 に努 めたるも屈家橋、八字橋附 近の敵陣極め て頑強なると
敵急遽多数 の兵力 を本正面 に集 中し其数約七 ケ師 の多きに上 り容 易 に抜く能 はざ りき
(十 一月九 日)未明両翼 隊敵 兵退却 の徴あるを察知するや直 に
4、追 撃 開 始
すると共 に各其 一部を以て同日夕刻迄 に諸〓鎮 、七寶鎮 に進出 せ
之 を急追 し同 日午前中 に軍所命 の追撃目標たる虹 橋路 の線 に進出 しめたり
師 団 は此 日新 に配 属 せ ら れ た る を基幹とす る部隊 を以 て蘇州
河右岸 に沿 ひ西方 に向ひ追撃 せしめたり
師団 の果敢なる強行渡河 の奏功 は 一面恰 も当時金山附近 に上陸 を
四、本渡河作戦 の成果
之 に引続 き翌 ( 十月 二日)朝迄 に歩兵六大隊 を渡河せしめたり
我
軍
戦
戦
傷
死
将校以下
将 校以下
一八四三名
九六 一名
を収め得たり本戦闘間 に於け る彼我 の損害左 の如 し
しめ他面第三師 団の蘇州河渡河攻撃を容易 ならしむ るに多大 の効果
得 たると敵陣 地中比較的弱点に乗 じ得 たるに依るも のと判断 せら
せるは渡河準備 の周到なりしと各兵種特 に歩砲工兵 の協同其宜を
十二名 に過ぎざ りき如斯僅少なる損害を以 て敵 前強行渡 河に奏功
企図しありし丁集団 正面 の敵 を牽制し該兵 団の上陸作戦 を容易なら
功 し姚家宅 、張家宅南端 に進出せり
Ⅲ/36i 36i 19i Ⅲ/36i
兵 主 力 の支 援 射 撃 下 に強行 渡 河 せし め (十 一月 二 日) 午 後 一時 左翼
実 施 し之 に引 続 き ( 十 一月 一日) 正 午 先 づ 右翼 隊 を し て師 団 及軍 砲
とし (十 月 三十 一日 ︱ 十 一月 一日 午 前 ) に亙 る間 敵 陣 地 破 壊射 撃 を
を師 団予備
を基幹 とす る部隊を左翼隊
を基幹 とす る部隊を右翼隊
す るに決し左の如く部署す
し て依然堅固 に設備 せられたる北新涇鎮東西地区 より渡河攻撃 せ
67D
しむ るは不利 なりと判断 し右翼隊をして益 々戦果 の拡張 に努 めし
62D
( 十月二十 八日)蘇州河渡 河攻撃 に関す る軍命令 に接す るや師団
61D
は蘇州河 の障碍 と敵陣地 の強度に鑑 み十分なる渡河準備 の下 に攻撃
二、攻 撃 計 画
103D
本渡河攻撃 に際 し河岸 に於て斃 れたるも の僅 に戦死 九、負傷 二
(−Ⅲ)
101i
Ⅲ/19i 6iB 18iB
敵
軍
遺 棄 死体
三、五〇〇
其 六 師団 の側敵行動間側背掩護情況
第 三章
追撃 作戦
其他鹵獲品多数
其 一 中新涇鎮 ︱︱崑山間 一、師団追撃発起当時に於 ける彼我 一般 の態勢附図第 ︹ 略八 ︺の如し
師団 が廣福附近より蘇州河突破 に至る約十 三粁 の堅固なる敵陣突 破間常 に我 が右側面 に在 りて我 を脅威せる側面陣地 に対し ては第十
当時敵主力 は呉福陣 地に拠 り抵抗す るも のと判断 せり
将校以下
三、八三三名
一五 六挺
四二挺
六 四七挺 二九六挺 九門
(十 一月十二日)師団は崑山東方地区に向 ひ敵を追撃すべき軍
1、追 撃 発 起 命令に接 し左 の如く処置す
イ、右追撃隊 (井出少将 の指揮す る歩 三六を基幹とす) をして
黄渡鎮 を経 て崑山東 方地区に
ロ、左追撃隊 (秋山少将 の指揮す る歩三五を基幹) をし て青浦
︱︱ 白鶴巷鎮︱︱ 安亭鎮道 を崑山東側地区 に
ハ、師団主力は十 一月十三 日出発概ね鉄道線路 に沿 ふ地区を先 づ安亭鎮 に追撃 す
2、両追撃隊及師団主力 は逐次敵を掃 蕩し つつ (十四日)夕天福 巷鎮附近 に達 せり
城第六師 団により攻略せられたる の報 に接 し師団両追撃隊 をして
(十 一月十五日)各追撃隊崑山東方地区に進出中午 前九時崑山
3、崑 山 攻 略 三八五挺
破壊 せら れ 一日数十 の橋梁 を架設 し つつ追撃 し此間斃馬数百頭 を
4、本追撃間両追撃隊は降 雨の為道路不良就中橋梁 は殆ど敵 の為
り
崑 山 に向 ひ前進 せしむると共に師 団主力 は同 日午後崑山 に入城せ
二二 一名
三〇、〇〇〇発
九、〇〇〇発
約 二八〇、〇〇〇発
三、五九二挺
二、追 撃 経 過
三師団第十 一師団 の進出 により終始掩護 せられたり 其 七 戦闘参加より蘇州河附近敵陣突破
死 八、五二七名
迄 に於 ける彼我損害 の概 数 戦 将校 以下
一、師団 の損害 傷
式
砲 銃
虜
一三、三〇〇
戦 二、敵 の 損 害 遺棄 死 体
捕
M G M G
鹵獲兵器 の主要 なるもの 水 冷
撃
チ エ ッ ク式
小
迫
弾 薬
小銃 弾 薬
自動 小銃
L M G M G
拳銃 弾薬
M G
生 ぜり
小銃約五〇
約 六〇〇
三、本追撃間 に於 て収 め得 たる成果左 の如し 品
敵 の遺 棄死体 鹵 獲 其他弾薬類多数
其 三 蘇 州 ︱︱ 常 州 間 ︹ 略︺ 一、蘇 州 ︱ ︱ 常 州間 の追 撃 の状 況 附 図 第 十 の如 し
1、 無 錫 に向 ふ追 撃
二、 追 撃 経 過 の概 要
イ、 (十 一月 二 十 日) 師 団 は 一部 を 以 て無 錫 に向 ひ追 撃 す べ き
を基 幹 とす る剖 隊 を切 て追 撃 隊 と し無 錫 に向 ひ追 撃 せし む
軍 命 令 に基 き
其 二 崑 山 ︱︱ 蘇 州 間 ︹ 略︺ 一、 崑 山 ︱︱ 蘇 州道 上附 近 に於 け る敵 情 竝 彼 我 態 勢附 図 第 九 の如 し
約 一、 二〇 〇
ハ、 本 追 撃 間 に於 け る戦 闘 の成 果 左 の如 し
し (十 一月 二十 七 日) 完 全 に同 城 を 占領 せ り
て 一部 の敵 を撃 破 し (十 一月 二十 六 日 )無 錫 城 南 門 を率 先 占領
崑 山 西 南 端 ﹁ク リ ー ク﹂ よ り以 南 の地 区 に進 出 し 当 面 の敵 に対 し
敵遺棄死体
を基 幹 とす る部 隊 は 十 五 日 夕
攻 撃 準 備 中 夜 半敵 兵退 却 の徴 あり し を 以 て直 に追 撃 に移 り 十 一月
獲
十 八 日迄 に十 五連 真 義 鎮 唯 亭 鎮 附 近 に於 て ﹁ト ーチ カ﹂ を有 す る
鹵
イ、 (十 一月 二十 六 日) 師 団 は 秋 山 支 隊 ( 歩 四大 隊 基 幹 )を し て
2 、 常 州 に向 ふ追 撃
該 部 隊 は宜 興 東 北 方 約 二 十 粁 の湖 岸 に上 陸 し当 面 に在 り し 一
太 湖 を 横 断 し常 州 西 側 地 区 に追 撃 せ し む
部 の敵 を掃 蕩 し つ つ (十 一月 二十九 日) 常 州 西 方 東 戴鎮 に進 出
三五〇
常州を占領 せり
州 に向 ひ追 撃 し (二十 九 日 )敵 の大 な る抵 抗 を 受 く る こと なく
ロ、 (十 一月 二十 八 日) 常 州占 領
せり
機関銃二挺 、軽機関銃 四挺 、小銃 五〇挺、小銃
約 二、〇〇〇
虜
弾薬六三、〇 〇〇発、迫撃砲弾薬 一、 二五〇発
其 四 常 州︱︱〓化鎮間
無 錫 追 撃 隊 は本 早 朝 無錫 出 発無 錫 ︱︱ 曹 橋 鎮 ︱ ︱ 常 州道 を常
捕 品
其他多数
鹵 獲
敵 の遺棄 死体
三、本追撃間に収 め得 たる成果概要左 の如し
滅 せり
3 、 (十 九 日 )追 撃 隊 は蘇 州 城内 を掃 蕩 し 約 一千 名 の敗 残 兵 を 殲
急 追 し (十 九 日 )午 前 六時蘇 州 平門 を占 領 す
(十 八 日 )夜 半 更 に未 庄 附 近 に於 け る敵 陣 地 夜襲 後 一挙 蘇 州 に
2 、 蘇 州 占領 (十 一月 十 九 日 )
敵陣地を突破す
小銃 一 一〇 挺
1 、 ︵十 一月 十 五 日 ︶ 追 撃 隊 た る
ロ、 追 撃 隊 は (十 一月 二十 一日 ) 以 来望 亭鎮 、周涇 巷 附 近 に於
18iB
二、 追 撃戦 闘 経過
(−19i)
品
6iB
黄
壇
塘
鎮 橋
以上 の如く追 撃隊 は逐 次進路上 に在りし 一部 の敵 を撃攘し つつ
一日平均六乃至七里 の速度 を以 て南京城防衛 の主線 たる〓化鎮附
近 の堅固なる敵陣 に対し率先攻撃を開始するに至 れり に進 出 し
4、師団主力又極力追撃隊 に追及を努め (十二月 六日)夕索墅鎮
追 撃 間 に於 け る補 給 状 況
を先づ追撃隊 の右翼 に展 開せしむ 其五
統制 を得 て頑 強 に抵 抗 せ り 二 、攻 撃 戦 闘 経 過
2 、(十 二月 六 日) 追 撃 隊 は〓 化 鎮 の敵 に対 し力 攻 之 努 め た る も
堅 固 な る陣 地 に対 し攻 撃 を準 備 す
墅 鎮 西 方 敵 警 戒 部 隊 を駆 逐 し〓 化 鎮 附 近 の ﹁ト ー チ カ﹂ を 有 す る
1、( 十 二月 五 日)井 出 少 将 の指 揮 す る追 撃 隊 (
基幹)は索
と し て 一連 の ﹁ト ー チ カ﹂陣 地 を 以 て堅 固 に設 備 せ ら れ守 兵 亦 概 ね
第 四章 〓 化 鎮 附 近 の戦 闘 及追 撃 ︹ 略︺ 一、 〓 化鎮 附 近敵 陣 地 の状 態附 図 第 十 二 の如 く 首 都 南 京 防衛 の主 線
り
輛 、 自 動 車 等 凡 ゆ る輸 送 機 関 を 以 て師 団 の追 撃 に追 随 し 補給 に任 ぜ
三、 此 間 輜 重 は 駄 馬 の減 耗 甚 だし かり し に依 り 地方 舟 小 蒸 汽船 、車
りき
附 近竝 〓 化 鎮 附 近 敵陣 地攻 撃 に際 し 一部 の補 給 を受 け た る に過 ぎざ
二 、弾 薬 の補 給 亦 概 ね糧 秣 と同 様 極 め て不 十 分 にし て辛 う じ て蘇 州
く る こと な く殆 ど 現 地物 資 のみ に依 り追 撃 を敢 行 せ り
を得 ず し て上 海 附 近 よ り 南 京 に至 る約 百 里 の間 殆 ど 糧 秣 の補 給 を 受
一、 中新涇 鎮 出 発 以 来 軍 補 給 点 の推 進 は師 団 の追 撃 前 進 に追 随 す る
6iB
1、軍命令 の概要及師団 の部署
を基幹とす る追撃隊 を先遣し師
撃
前 進 準 備 中 (十 二 月 二 日) 更 に南 京 に向 ひ追 撃 す べ き軍 命 令 に接 し 追 撃 隊 を し て引 続 き南 京 に向 ひ追撃 せ し め主 力 は之 に続 行 せ り
十 二月 一日
金
埠
3 、 追 撃 隊 の行 動
十 二月 二 日
薜
聖
鎮
十 二月 三 日
二
城
十 二月 四 日
(−7i)
一、南京 に向ふ追撃発起
ロ、師 団 は 前 記 命令 に基 き
撃
せ し む
1、( 十 一月 三十 日 )師 団 は常 州 西 南 部 に集 結 中 軍 命 令 に 基 き
三 、追 撃 経 過
結 す る も のと判 断 せら れ た り ︹ 略︺ 2 、追 撃 間 に於 け る敵 情 竝 友軍 の状 況 附 図 第 十 一の如 し
敵 は磨 盤 山系 を有 力 な る部 隊 を 以 て扼 守 し主 力 を 南 京附 近 に集
1 、 常 州出 発当 時 に於 け る 一般 判 断
二、 追 撃 間 に於 け る敵 情 竝 友 軍 の状 態
む
団 主 力 は十 二 月 二 日常 州 出 発 追 撃 隊 の進 路 を追 撃 隊 に続 行 せ し
18iB
イ、師団 の常州附近 に進出す るや先づ金壇 城に次で天王寺 に更 に南京 にと三段 の追撃 命令 を受領 せり (−19i)
隊 を し て 金 壇 城 に 向 ひ 追撃
2、( 十 二月 一日 )師 団 は更 に軍 命 令 に基 き 主力 を 以 て 金 壇 城 に
を 基 幹 と す る 追撃 〓 化鎮 東 方 地 区
Ⅲ/ 9BA
18iB
十 二月 五 日
36i
(−19i)
大 な る戦 果 を見 る に至 ら ず
此日師団 主力追撃隊 に追及し
3 、 右 の間
を右翼隊 とし旧追撃隊 の右 に展
を基 幹 と す る部 隊 を右 側 支 隊 と し索 墅鎮 ︱︱ 上七
開 し 山 地 方 面 よ り攻 撃 せし む
儘倉惶 とし て退却し九日払暁後残敵光華門附 近 に殺到す るの状況を 呈 せり
第五章 南京城攻撃戦闘 ︹ 略︺ 一、南京城内外敵陣 地の状況附図第十四 の如く本陣 地に拠り最後 の 教導総隊等
抵抗 を行 ひた るは師団当面 のみにし て判明せしも の左 の如し 、
(十 二月十日)両翼隊 は追撃 に引続 き必死 の勢 を以 て南京城攻
1、光華門占領
二、戦 闘 経 過
88D
甲村 道 方面 よ り中 山 門 に向 ひ追 撃 せし む 4 、〓 化 鎮 攻 略
第 一線 は歩 、砲 、 工、 飛 、 協
(十 二月 七 日、 八 日 ) 両 日 に亙 り当 面 の敵 に対 し力 攻 之 努 め遂 に (十 二月 八 日) 午 後 二時 稍 々過
力 の下に〓化鎮附近 の敵陣を突破 し 一挙敵を急追 し馬鞍山南麓 に
、
6iB
進出 し該高 地附近 に拠 れる敵 に対し夜間力攻 に努 む 1
87D
35i
より追撃 に移 れり
2 、 (十 一日︱ 十 二 日) 両 日 に亙 り 左翼 隊 主 力 は 一意 光 華 門 附 近
り
を占 領 し 門 頭高 く 一番 乗 の光 輝 あ る 日章 旗 を掲 ぐ る の栄 誉 を 担 へ
略 に努めた る結果 左翼隊 の は此日午 後五時他 兵団 に先ち光華門
5 、右翼隊方面亦午後三時当面 の敵を撃破し追撃 に移 り本夕刻馬
は 一挙 光 華門 外 に敵 を急 追 し (十 二月
の左 に進出 し工兵学 校附 近の敵 に対し攻撃を準備 す
は南京附 近敵陣地右翼 の鎖鑰 たる雨
城壁占領 に努め たるも幅 七〇米 に及ぶ水濠 に拒 まれ戦況意 の如く
五〇〇米 の稜線 より工兵学 校西側 ﹁クリーク﹂ の線 に進出 し 一意
より工兵学校 に亙 る数線陣 地を力攻 し (十 一日)概ね中山門東方
3、右翼隊方面 に在りては ( 十 二月十 日)以来陸軍兵営西側稜線
下臺附 近 の堅陣 を力攻し其東半部 を攻略 せり
此 間 左翼 隊 の 一部 た る
隊 を進 出 せ し め得 る に至 れ り
始 せ るを 以 て ( 十 三日 )午 前 六時 光 華 門 両 側 城 壁 上 に有 力 な る部
時 を 期 し決 死 の突 撃 を 再 興 せ ん と 企図 し之 が準 備 中 敵 兵 退却 を開
更 に砲 撃 に依 り光 華 門 東 側 に突 撃路 を開 設 し ( 十 三 日)午 前十
の戦 果 拡張 に努 め た るも 大 な る 成 果 を収 む る に至 らず
を駆逐 し夜間追撃 に移り
右翼隊 の 主力は ( 九 日)払暁迄 に陸軍兵営 (中山門東南方) は
19i
九 日) 午 後 五 時 光 華 門外 ﹁ク リ ー ク﹂ の線 に進 出 せ り
又
附近 に在りし敵を撃 破更 に其後方陣地に対し力攻 に努む
三、本夜 間追撃 は全く敵 の不意 に乗 ぜし為敵は沿道尚燈火を点 ぜる
(−Ⅱ)
36i
6 、両翼隊 は (八日午後 十 一時)相前後 して馬鞍山系 に拠 れる敵
鞍山東南麓 に進出し該高地を占領 せる敵 に対し夜間攻撃 に努む
此 日 9i 主力戦場 に追及せるを以 て直 に左翼 隊 に増加 し左翼方面
I/36i
36i
51D
Ⅱ/ 35i
は〓 化鎮 ︱︱ 南 京 道 以西 の地 区 よ り追 撃 し (十 二月 九 日 )
35i
早朝雨下臺附 近 の敵陣地前 に進出 し之 が攻撃 を準備す ︹ 略︺ 8、当時 に於 ける軍全般 の態勢附 図第十 三の如し
7 、
7i 19i
四門
四二〇挺
一四挺
飛
野
迫 撃
砲
砲
五門
五門
進 展 せず
小
手 榴 弾 約 二五、○○〇
(十 二月 十 二 日) 主 力 砲 兵 に依 る突 破 孔 構 成 に次 ぎ (十 三 日)
歩 兵 砲
一門
四機
払暁 よ り 必死 の突 撃 を準 備 し つ つあ る間 夜 半 敵 火 減 少 し敵 兵 退 却
約四〇 〇、○○〇発
行 機
の徴 あ り し を以 て直 に攻 撃 を再 興 し ( 十 三日 )午 前 六時 中 山 門 を
機 関 砲
約七、○〇〇発
銃
占領 せ り
小銃 ( G) M 弾薬
は独断敵陣地 の左翼拠 点たる紫金山攻撃 に努 め ( 十 二月
其 他多 数
附近 に於 ては将兵 一万二千、馬 一千六百 の犠牲 を出 し死山を築 き血
之 を要す るに師団が戦闘開始以来終始第 一線 兵団 として先づ上海
言
迫撃砲弾
此間 5
十 日) 午 前 十 一時 三 十 分 先 づ 高 地の要点を奪取し軍全般 の攻撃 を容 易 なら し め た り
以 上 の如 く し て (十 二 月 十 三 日) 午 前 八 時迄 に は完 全 に師 団 正
者
将校以下
一、 一五六名
四六〇名 四、五〇〇
将校以下
大元帥陛 下 の御稜威 の然らしむる所 なりと錐も又幾多犠牲者
↓山砲兵 第三大隊 、
↓糎榴弾砲
↓ 山 砲 兵 第 九 聯 隊 (第 一、 第 三 大 隊 欠 )、
↓歩兵第三十 六聯隊 、 ↓歩兵第十八旅
↓ 10 糎 加 農 砲 、
↓野戦重砲兵第十聯隊、 団 、
︹註 ︺
とに依 らざるなし
の霊護 と第 三線将兵 の忠勇義烈滅 私奉公 の至誠竝強固なる団結 の力
上
位 を占 め光輝ある感 状を拝受する に至りたる之 一重 に
るや更 に軍 の先鋒となり遂 に首都南京城攻略 に当 りては先頭 の第 一 等 の重砲部隊 の
河 を作 りつつ尚常 に軍 の中心推進力となり次で長駆南京追撃戦 に移
5 、 本 攻撃 に当 り (十 二月 十 一日) 以来
者
↓機 関 銃 、D ↓ 師 団
1 8 i B
協力 を得丈なす城壁 に三個 の突撃路を開設するを得 たり
死
体
9 B A
三、城 内 掃 蕩
傷
)
3 6 i(-1.Ⅲ
師団 は爾後右翼隊 主力を以て城内 の掃 蕩 に当 り七干余 の敗残兵
死
車 七輔
他 に城内掃蕩数約七、○○○
戦
1 O K
を繊滅 せり 軍 軍 品 一三挺
M G
Ⅲ B A
1 5 H
四、本戦闘 に於ける彼 我 の損害左 の如し ( 溶 化鎮附 近を含む) 友 敵 鹵 獲 G
G M
1 O S A
1 5 H l O K 1 5 K 2 4 H
面 に於 け る城 壁 上 に日章 旗 翩 翩 と し て翻 り 鼓 に敵 の首 都 南 京 城 は
△ 3 8 2.
完 く 二 手 に帰 し 世界 青史 に光 輝 あ る 一頁 を 飾 る に至 れ り
4 、南 京 占 領
第六章 結
六棟
L M G
火 薬 庫
Ⅲ M 3 5 i
六 八
新 興 支 那建 設 方 策大 綱 ( 昭和十三年 一月二十二日 関東軍司令部)
に資 せしむ ると共に事変 に伴 ふ戦後 の整備 に集中 せしめ以 て現実 の
事態 に即応し国防治安 の要求と各地 の政情 に適応 せる理想的聯 省自
針
治体 たらしむ るを主 眼とす特 に欧米 の亜流 を汲 める形式上 の所謂 近
方
一、 今 次 帝 国 の対 国 民 政 府 態 度 の廟 議 確 定 を新 起 点 と し新 興 支 那 の
用 の刺激 を与 ふる ことを避け所謂分治 による統 一の完成 により其目
代国家 とし ての中央集権的政府 の構成 に焦 り為 に各地政権 に対し無
す る の主義 を堅 持 し 此 際 徒 に中央 集 権 的 統 一政府 の形 式 整 備 に捉 は
二、分治指 導 の要領
的 を達成す るに努 む。
の帝 国 基本 国 策 を基 調 と し て進 で新 支 那 と提携 、東 亜 の安 定 に邁 進
る る こと な く 先づ 所 在 の各 地 有 力 政権 の強 化 と 其 連繋 を図 り先 づ 以
建 設 に は大 局 上既 に明 確 な る指 針 を 与 へら れた る に鑑 み 、 日満 一体
て所 謂 分治 に よる 統 一の完 成 に よ り支 那 民 衆 を党 国 の秕 政 と 赤 化 の 患 と よ り救 出 し 日 、満 、支 共 栄 特 に非 常 時 国防 力 鞏 化 の実 を 挙 ぐ る
イ、速 に帝国軍 の軍事行動 に随 伴する積極的施策 により各 地 に自 治政権を樹 立せしむ ると共 に既 に発生せる蒙疆、北支等 の各強力
なる政権 及発生 を見 つつある中支政権 に対し ては徹 底的 に之 が強
如 く施 策 す る を根 本 方 針 とす 。
特 に帝国 の冀求す る防共 と民衆救済と の道義的精神を氷解せしめ
を具現化 せしめ延 いて四億 の民人を翕然其傘下 に集 むる如 く工作
化 を図り以て各政権をし て安んじて帝国 を信頼し つつ民衆 の慶福
︹マ マ︺
内 四億民人 の親和信頼 を獲得 し、外列強 の猜疑謬見を是正すると共 施 策要 領
に各種手段 により国民政府 を徹底的に崩壊 せしむる ことに努 む。
るも其内容 は極め て大綱 に極限 し、専ら各地政権をして其特殊的
ロ、各 地政権 に対しては中央 に於 て確立すべき目標 に統 一せしむ
す。
新興支那 の建設は究極北支 に中央政府を建設せしむるに在 るも其
現 地 の実情 に即応する原住 民本位 の政策 を採らしめ極端 なる劃 一
一、新興支那建設 の指標 指導は専 ら原住民 の習慣と希望 とを尊重し現下緊迫 せる対蘇戦 準備
殊 に日本人本位 の行政は極力之 を戒む るも のとす。
的指導 を避 く。 ハ、左記各項 は新興新支那建設 の為各地政権共通 の目標として緩
支
日支親善を第 一義 とし経済的 に列国 の進出 と調整 せしむ。
4、南
1、国防治安 の確立
的 の制度とし特 に財 政、経済、交通等 に関し各 地政権利害 の調整
交渉 を掌理する の外各 地政権 の代表を以 てす る中国総聯合委員 会
イ、新中央政権は中国宗主権 を保持し中国を代表 して中央的対外
三、新 興政権 の体系
2、民 心の安定
ロ、各政権 は日本陸 軍関係機関 に於て適宜内面的 に指導し得 る様
及統制指導 に任ぜしむ。
急軽 重適宜 の按配 に依り統 一的 に指導す。
3、民生 の向上
日本海軍は専 ら海上 の任務 に局限し以 て新政権 の指導 を 一途 の
措置す。
4、反共親 日満政策 5、東方道徳発揚 の思想運動 1、蒙 疆 地 方
方策 に出でしむ。
ニ、左記各項は各 地政権 の特殊事情とし て特に指導上留意す。
為政務 の運 用、各地政権相互 の利害 の調整 に弾力を保持 せしむ る
主 とし て内長城線 以南山西、山東、河北各省を統
現状 を基礎として鞏化し寧夏及其以西 に拡大す。
長江流 域に於 て 一政権を構成せしむ。
下 に指導す 。
金山を連 ぬる線 に中立的地帯を設定し帝国 の実権
新上海を閘北地 区に建設する の外概 して太湖以東
轄す。
蒙疆 政権
支
又各政権 には徳望ある親 日系人物若は革新的親 日系青年分子を
に適応 せる日本人顧問 の運用 により之 が目的 の達成 に努む。
ニ、政治経済 の指 導 に関 しては専 ら人格 識見高邁 にして事態収拾
中
上海 自由市
北支 政権
と共 に各地 の実情 に即応せる形態 を執 らしむ其 一案 左 の如し。
ハ、各地政権 の政治形態は前述中央統制 を容易且便益 ならしむ る
対外蒙 経略竝対寧夏 及其以西等 に対する日満蒙防共連繋陣と し て国防上 の要求 を特 に充足 せしむると共に国防的資源 の確 保 、 に遺憾な からしめ併 せて満洲国 の発達 と相俟 ち新支那建設を促 進 せしむ。 2、北 支 地 方 地形上、経済上 日満支提携 の楔子たらしむ ると共 に満洲国 の 背後安定 圏として特 に国防治安上 の要求 を充足 せしむ。 差当り我市場 の開拓 に努め日満 生産力拡充 に資 せしむるの外 支
将 来 の為国防資源 の確保 を期す。 3、中
上海竝揚子江 を中心とする不当 なる欧米勢力は之 を駆逐 し帝 国 の政治的経済的勢力 の扶植を図 る如く施策 す。 差当 り戦後 の恢復、人心 の収攬 を第 一義とす。
簡抜充用し旧軍閥 、政客 は 一応 清算 し利用 せず 。 四、新興政権 の金融 対策 新興政権 の金融 対策 は分治 によ る統 一の主義 に基き先づ各地強力 政権 (蒙疆、北支、中支等)毎 に独立制を有す る発券銀行を設置し 之 を中央 に於 て適宜統制す。 イ、思想対策は仮令 ば新王道主義等 の統 一的思想 (内容は親 日満、
五、新 興政権 の思想対策 防 共精神東方道徳 の発揚等 を根髄 とす) に帰 一せし め民心 の把握 ロ、思想 工作 の組織は当 分各 地政権地区毎 の特殊事情 に基く地方
統制 を遺憾 なからしむ。 的組織 とし之を思想 の内容 によりて統 一す。 新 民会等 による過早 の形式的統 一は厳 に之を戒 むるも のとす。 六、新 興政権 の治安対策。 新興政権 は中央統制下 の組織ある軍隊 を編成する ことなく原則と 但内蒙古軍 は外征軍とし て之を強化す。
し て各 地政権毎 に治安確保 に必要 なる最少限 の治安隊 を置く。 対国民政府竝治安確保上必要 なる地点 に日本軍 の駐兵 を行 ひ且所 要 の築城を施設す。 七、国民政府対策 国民政府 に対し ては徹底的長期抗戦を覚 悟し諸般 の施策 を進むる 然 れども武力的戦面 の拡 大に関 しては慎重なる考慮 を加 ふ。
と共 に政治外交経済等 凡有 工作 により之 が徹底的壊滅 を図る。
日満 両国 は新興新支那 の建設 を支援し其態度 を鮮明 ならしめ先づ
八、新興新支那 に對する対策
の誕 生を育成 し漸 を逐う て之 を正式 に承認するも のとす。
以て各 地政権 を培養 し之等 との関係 の調整 を図り つつ新興中央政権
新 興 支 那 建 設 ニ関 ス ル意 見 具 申
ナ リ ト思 惟 セ ラ ル然 レト モ北 支 ニ樹 立 サ ル ヘキ中 央 政 権 ニシ テ此 際
六九
徒 ラ ニ早 急 ナ ル中 央 集 権的 政 権 ノ形 態 ヲ整 ヘント シテ焦 慮 ス ルノ余
リ却 テ各 地 政 権 ニ無 用 ノ刺 激 ト不 安 ト ヲ与 ヘ今 後 勃 興 セ ント ス ル其
関参満電第 一一二号 長
昭和十三年 一月二十 三日 発 謀
︹ 東條英機︺
発 展 ノ気 勢 ヲ殺 ク ニ至 ル コト ハ決 シ テ策 ノ得 タ ル モノ ニアラ サ ル ヘ
︹ 関東︺ 軍 参
ツ 以 テ蒙 疆 、 北 支 及 中 支 ノ各 政 権 ヲ シテ 夫 々所 在 日本 軍 ト密 ニ連 繋
ニ比 較 シ兎 角 ノ議論 ヲ行 ヒ恰 モ満 洲 国 ノ建 設 ハ圧迫 的 若 ク ハ権 力 的
ノ言 動 ニ於 テ満 洲 国 ニ於 ケ ル政 治 経 済 等 ノ指 導 体 系 ヲ直 ニ以 テ 北支
ク此 点 ニ関 シ テ ハ従来 当軍 ヨリ屡 々意 見 ヲ具申 セ ル所 ニシテ要 ハ先
北第 二 二電 ニ依 レ ハ今 次帝 国 ノ声 明 ニ ヨリ北支 ノ情 勢 一層 明 朗 化
参 謀 次 長、 陸 軍 次 官 北支方面軍参謀長、同特務部長 駐 蒙 兵 団 参 謀 長
シ ム ルヲ以 テ第 一義 卜確 信 スル次 第 ナリ 、 又最 近 日本 内 地 政府 識 者
ノ上 其 基 礎 ヲ鞏 固 ニシ現 地 ノ特 殊 実 情 ニ即 応 セ ル政 治 指 導 ニ邁 進 セ
宛
ヘス
セ ル趣 之 レ固 ヨリ当 然 ノ帰 結 ト ハ言 ヘ東 洋 平 和 ノ為 洵 ニ御 同 慶 ニ堪
当 軍 ト シテ モ北 第 二 二電 ノ如 ク蒙 疆 、 北 支 及中 支 ノ政 務 指 導 ニ方
乃至 軍 部 専 断 ノ ミ ノ国家 ナ ルカ ノ如 キ印 象 ヲ与 フ ル虞 ア ル向 キ ヲ看
リ何 レ モカ中 央 政 権 ナ ル カ ノ如 キ印 象 ヲ与 フ ル ハ切角 機 運 ノ醸 成 シ ツ ツ ア ル各 地政 権 ノ結 成 ニ動 揺 ヲ与 フル モノ ニシテ 此 ノ点 ニ付 テ ハ
律 ニ新 支 那 建 設 ニ適 用 ス ヘキ モノ ニア ラ サ ル ハ極 メテ明 白 ナ ルト 同
ル モノ ノ浅 薄 ナ ル言 動 ニ シテ満 洲 ニ ハ満 洲 ノ特 殊 事 情 ア リ之 レ ヲ 一
時 ニ新 支 那 建 設 ノ諸 政策 ヲ満 洲 国 指 導 ニ強 制 ス ヘカラ サ ル コト モ亦
取 セ ラ ル ル モ之 レ全 ク認 識 不足 ニ シテ適 地 適応 主 義 ノ精 神 ヲ弁 ヘサ
テ既 ニ意 見 ヲ開 陳 セ ル コト屡 次 ニ及 ヘ ル次 第 ニシ テ今更 中 支 ニ中 央
テ北 支 ニ中国 中 央 政 権 ヲ樹 立 シ育 成 ス ル コト妥 当 ナリ ト確 信 シ ア リ
政 権 カ樹 立 セラ ル ル モノト ハ夢 想 タ ニセ ス此 際 断乎 ト シテ新 興 支 那
勿 論 ニシ テ右 ハ満 洲国 指 導 上 人 心 ニ与 フ ル影響 尠 カラ サ ル モ ノ アリ
全 ク同 感 ナ リ 、当 方 ト シテ ハ各 般 ノ事 情 特 ニ対 蘇 作戦 準 備 上 ヨリ見
ノ中央 政 権 ハ北 支 ニ建 設 セ ラ ル ル旨 宣 明 ス ル コト機 宜 ヲ得 タ ル モノ
テ当 方 ト シ テ ハ甚 タ迷惑 ヲ感 ス ル次 第 ナ リ 、之 レ等 ノ点 ニ関 シ特 ニ
東 京 以外 ハ参 考 迄
中 央 其 他 ニ於 テ モ深 甚 ナ ル御 省 察 ヲ煩 ハシ度
示
七〇
大陸指第 五十 一号 指
指 示、
壽
載 一 殿
仁
親
記
小 堪 山 ニ至 ル堡 塁 線 ) 以 西 ノ地 域 ヲ指 ス
本協 定 ニ於 テ青 島 市 ト 称 ス ル ハ旧 独 逸 本 防禦 線 外 壕 (海 泊 河 ヨリ
附
関 係機 関 ノ協 定 ス ル所 ニ拠 ル
七 、本 協 定 ハ作 戦 ニ関 ス ル事 項 ニシ テ政 策 上 ノ処 理 ニ関 シテ ハ別 ニ
官協議決定 ス
含 ム) ニ関 ス ル既 設 諸機 関 、諸 施 設 ノ利 用 竝新 設 ニ就 テ ハ両 軍 指 揮
六、 陸 海 軍 ノ作戦 業 務 ( 海 運 、 補 給 、交 通 、航 空 、 通 信 、宿 営 等 ヲ
五、 鉄 道 機 関 ノ処 理 ハ陸 軍 ノ担 任 ト ス
四、 滄 口飛 行 場 ハ陸 海 軍 協 同 警 備 シ両軍 共 用 ス
任 ス ル モノ ト ス
域 内 ニ於 ケ ル海 軍 ノ利 用 若 ク ハ新 設 ノ諸 施 設 機 関 ハ海 軍 之 カ警 備 ニ
青島 市 外 ノ警 備 ハ第 四 項 ヲ除 ク ノ外 陸 軍 ノ担 任 ト ス ル モ其 担 任 区
指揮 官 協 議 決 定 ス
三 、青 島 市 ノ警 備 ハ陸 海 軍 協 同 シテ之 ニ当 ル其 分 担 ニ関 シテ ハ両 軍
ニ関 ス ル大 本 営 陸 海 軍 部 間 ノ協 定 ﹂ ニ拠 ル
附 青島市 及其附近 ノ要 地占拠
ニ関 スル大本 営 陸 海 軍 部間 ノ協 定
大陸命第三十四号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス
内
王
青島附近 ニ於ケ ル作戦 ニ関 シ海軍 トノ関係 ハ別紙青島市及其附 近
寺
参謀総長
ノ要 地占拠 ニ関 スル大本営陸海軍部間 ノ協 定 ニ準拠 スヘシ 昭和十三年 一月二十七日 北支 那方面軍司令官伯爵
青島市 及其附近 ノ要地占拠 ニ関 スル 大本営陸海軍部間 ノ協定 一、第 二軍 司令官 ト第 四艦隊司令長官ト ハ協同 シテ青島市 及其附近 ノ要地 ヲ占拠 ス 二、港湾施設 ノ使用 区分及其警戒 ニ関 シテ ハ ﹁青島海運根拠 地設定
七 一
第一 方
針
昭和 十 三年 以降 のた め
( 参謀本部第 一部第二課第 一班)
一三 、 一、 三〇 (第 三 案 )
逐次其勢 力範囲 を自ら拡大すべく帝国 は之 が連繋調整 の労 を執り て
新興政権 は北支中支及南支共先づ各 〓其領域 に於 て実力 を培養し
むべく其 目途無き に至つ圧縮壊滅 するの策を取 るも のとす。
新 興政権 は先づ蒋政権 を誘致して之 を翻意乃至合流 せしむ るに努
一三、 一、 二六 ( 第 二案 )
戦争 指 導計 画大 綱 案 一三 、 一、 二〇 (第一 案 )
今 次支那事変を転機 として 発展すべき帝国 四囲 の新情勢 に処 する 帝国 の国防方策は東亜長期 に亘 る戦争 に対し計画的 に準備し且之 を 自主的 に指導 し以て我国是 に基く東亜経綸 を遂行す るに在 り。
新 興政権 は其領域 の治安竝辺防 のため所要 の警察隊 及軍隊 (差当
す。
之 が為先づ当面 の対支持久戦争を指導 しつつ遠 に昭和軍制 の建設 相対立する等 の ことなからしめ機 の熟す ると共 に彼等相互 の自覚 に 及国家総力 の増強整頓 を強行し て対 ﹁ソ﹂支 二国戦争準備を完成す、 依 り支那自体 の問題とし て自然 に合流す る如く之を指導す るものと 此 の間 ﹁ソ﹂邦 の動向 に対処し つつ政戦両略 の運用 に依り速 に対支 戦争 を終結 に導く。
り 一省警察隊 二万軍隊二師を標準 とす) を建設す。
二、情勢 の推移 に伴ひ蒋政権 の翻意 、数国 の協同調停竝新興政権及
本計画 の期間 は昭和十三年より同十 六年 に亘 る概ね四年間 と予定 す爾後近き将来 に予想すべき国際情勢 の 一大転機 に備 ふる為 の戦争
の提携等 に依 り彼我関係 の緊密化と彼自 力の向上とを計らしむ独 に
対独伊施策 は満洲及北支 に於ける利益附与竝 日独伊産業 及交易上
の支援竝対米親善 の強化確保 に置く。
三、外交方策 の枢軸は之を防共陣 営 の強化、就中独伊両国国力増強
を政略的 に終局 に導く こと に努む。
蒋 政権間 の妥協等 の事態発生したる場合 には之 を利導 して対支戦争
第二 指 導 要 領
準備 は右 に引続 き之 が完成を期す。 其 一 政 略 指導 一、支那新興政権 は帝国軍 に依 る戡定地域を其領域として善政 を以 て自ら治むべく此処 に先づ善隣共栄 の理想を実現し軍は右政権 の背 後 に在りて其治安恢復と実力培養 とを支援す。
対しては尚殖民地回復問題 を支援す。 対米施策 は満洲及北支利権 の附与竝日米産業及交易上 の提携等 に 依 り親密不離 の関係を構成す。 其他対英関係は無用 の刺戟を避くる のみならず進 んで感情 を離 れ 殊 に対 ﹁ソ﹂関係 は刺戟を避 くると共 に其西方牽制 に関する諸施
て我 に対する好意 と理解 とを増進する の方策 を講ず 。 策 を尽し以 て二正面作戦 の発生を防止す 。 其二 戦 略 指 導 (十三年より十 四年前半期 に至 る)
対支消極持久 針
第 一期 一、方
(十四年後半期 より十五年 に至る)
第 二期 対支攻勢及二正面作戦準備
ハ、兵力節約 のため現地 には堅固 なる築城 を構築 す。
針
﹁ソ﹂支 二正面作戦準備 を完成 し ﹁ソ﹂邦 の参戦 に備 へつつ適時
一、方
手段 を尽 し以て対支戦争 を終末 に導く。
黄 河揚 子江間 の地域を戡 定し新興政権 の勢力を拡大す ると共 に政略
領
此の際対 ﹁ソ﹂関係右 に比 し更 に切迫しある場合 は先づ機先を制 し之 に向 ひ攻勢を取らざるべからざ ることあり。 二、要
イ、対支攻勢 は対支戦争就中 ﹁ソ﹂支 各個撃破 の見地よりは十 四
年後半期を可 とす るも当時 ﹁ソ﹂邦参戦 の危険あるときは二正面
作戦準備 の見 地より之を十五年 に延期 す。
対支持久的戦略態勢を完成す ると共 に作戦 上には純粋消極持久戦 を指導 し国力就中戦力 の消耗 を極減し つつ ﹁ソ﹂支 二正面作戦 の準
用は京漢線及揚子江 に沿ふ地域 とし其作戦規模は十二年攻勢 の程
ロ、対支攻勢 は三方より武漢 に向ふ分進合撃を企図 し日本軍 の使 領
備 を促進す。 二、要
中立 の姿勢 に在らしむる ことに努む。
度 と予定す (所要兵力二十乃至 三十師団三単位とし作戦期間約半
占拠すべき地域 を左 の如く限定し厳 に之 が拡張を戒しむ。
ハ、対支戦争 の終結 は奥地を除き北中支 ( 成 し得 れば南支) の統
イ、成 るべく速 に廣東 を攻略す ると共 に黄河以北 の残部を戡 定し
北支方面、黄河 以北及山東 の大部
一を以 て目途となし政略施策 に努むる外新 興統 一政権 の自力発展
年)南支方面 の支那軍若 し右攻勢 に応ぜざる場合 には少くも之を
中支方面 、蕪湖杭州以東 の江南
に依る之 が為新統 一政権 の領 域 には速 に警察隊及所要 の軍隊 を建
たる後徹底せる緊縮姿勢 に転移す。
南支方面廣東及之 が補給線 ロ、守備 のため所要 の新軍 を建設し (一省二師団 を標準とし合計
ニ、已むを得ず対 ﹁ソ﹂戦争発 生せば爾後数年間 の総軍作戦 を覚
設せしめ逐 次日本守備軍と交代せしむ。
悟 すべく支 那に於け る戡 定地域 は当時 の情勢 に応じ戦面 を整理し
十 一師団)各方面共速 に現地兵団と交代せしむ。 帰還兵団 は復員 に伴 ひ召集訓練竝次期動員 の準備 を完了す。
築城 に依託し て之を確保持久し主とし て新政権 に依り攻勢 を取 ら しむ南支 は情況 に依り兵力 を撤 し戦時封鎖 を行 ふことあり。
(十六年及其以降)
一般持久及待機
対 ﹁ソ﹂戦争指 導 に関 しては別 に定 むる所 に依 る。
針
第 三期 一、方 支 那に於 ける戡定地域 の整頓及新統 一政権 の強化 を継続し ﹁ソ﹂ 邦と の戦争 を準備 し且次期国際転機 に備 ふ。 若 し第 二期 に於 て対 ﹁ソ﹂戦争発生し たる場合には本期間 は之 が
﹁ソ﹂支 二国戦争 に応じ得 るの準備を略 〓完 成す此間殊 に陸軍軍備
に在 り ては正規六十師団臨編三十師団 (以上三単位換算)飛行 二百 領
五十中隊 を基幹 とし道義 国体の本義 に徹す るの昭和軍制 を建設す。 二、要
ロ、十四年 には対支攻勢対 ﹁ソ﹂専守 の準備 を整頓す。
イ、十 三年 には軍 の消耗及欠陥 を補填す。
ハ、十五年 には対支攻勢対 ﹁ソ﹂防勢 の準備 を完成し対支専守対 ﹁ソ﹂攻勢 の準備 を略 〓完成す。
ニ、十六年 には対 ﹁ソ﹂支二国戦争準備 を完成す。
す
イ、新統 一政権 の強化 と共 に支 那より逐次日本守備軍 を整 理撤収
態勢 を整頓す るの要 あり。
之 が実現 の為 には絶大 の決意 を以 て先づ速 に強力国防国家 たる の
へ、而し て右諸準備 の成否は全軍 の勝敗帝国存亡 の岐 るる所なり
別表 の如し。
ホ、右段階 に準拠 し整備すべき兵備 、軍需動員、産業拡充及戦費
ロ、対 ﹁ソ﹂戦争発生 した る場合 は第 二期ニ に依 る十五、十 六年
継続となる。
に於 て已むを得 ざる場合 には対 ﹁ソ﹂戦争 を指導すべきも寧 ろ日
戦争指導 の 一元強化
皇道精神 の確立徹底 統帥力 の強化竝統 一
主 なる事項左 の如 し。
に努力す。
総動員指導権 の確 立
満国力及軍備 の充実 に依 り極東 の大勢 を決 し彼より極東戦争 を回
ハ、次期国際情 勢 の転機 に於 て帝国 の企図す べき事項は ﹁ソ﹂英
避 せしめ国際 転機 に乗 じ 一挙之が解決 を計 るを以 て上策 となし之
等 の有す る不当侵略勢力を極東より駆逐す るを主眼とし対 ﹁ソ﹂
経済戦及思想戦 の基礎確立
針
其 三 国家総力竝軍備 の充実
処理を以 て先決 となす。 一、方
既定兵備 充実軍需動員総動員 及産業拡充 に関する計 画を 一層強化 促進し本戦争指導上 の要求に即 応せしめ つつ昭 和 十 五年 に於 て対
軍 備 及 国 家 総 力 整 備 計 画 表
七 二
一
大陸命第 七十 五号 令
命 令 、 指 示 、 附徐州附近作戦指導要領案
二 大陸命第 八十 四号 命
令
一、大本営 ハ徐州附近 ノ敵 ノ撃破 ヲ企図 ス
命
一、北支 那方面軍司令官 ハ膠濟沿線 及濟南 ヨリ上流黄 河左岸 ニ亙 ル
占拠 ス ヘシ 昭和十 三年 四月七日
載
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲ シテ指示 セシム
参謀総長
仁
親
王
州附 近ノ敵撃破 ニ協力 シ且徐 州 ( 含 マス)以南津浦線 竝廬州附近 ヲ
三、中支那派遣軍司令官 ハ一部 ヲ以テ北支那方面軍司令官 ノ前項徐
シ蘭 封以東 ノ隴海戦以北 ノ地域ヲ占拠 スヘシ
載 一 殿
王
二、北支那方面軍司令官 ハ有 力ナ ル 一部 ヲ以テ徐 州附 近ノ敵 ヲ撃破
壽
親
現占拠 地域 ノ確保安定 ニ任 スル外航空部隊 ヲ以 テ敵 国内要 地ノ攻撃
内
仁
を続行 シ且諸隊 ノ戦力 ノ充実 ニ努 ム ヘシ
寺
参謀総長
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和 十三年 三月十 日 奉勅 伝 宣 北支 那方面軍司令官伯爵
奉勅伝 宣
北支那方面軍司令官伯爵 畑
寿 俊
内 壽
示
中 支 那 派 遣 軍 司令 官 三 大陸指第百〇六号 指
一 殿 殿
第一 方
針
北支那方面軍 ノ有力ナ ル 一部及之 ニ策応 スル中支那派遣軍ノ 一部
領
南方 ヨリ北支那方面軍 ノ作戦 ニ策応 ス之 カ為津浦線 ニ沿 フ地区 ヨリ
六
ヲ以 テ徐州附近 ノ敵 ヲ撃破 シ且津浦線竝廬州附 近ヲ占領 ス 第二 要
作戦開始 ヲ四月下旬ト予定 ス
一、北支那方面軍 ハ約 四師団 ヲ以 テ隴海 沿線 ニ向 ヒ攻勢 ヲトリ敵 ヲ
撃破 ス之 カ為主力 ヲ以テ北方 ヨリ徐 州附 近ノ敵 ヲ撃破 シ約 一師団 ヲ
進撃 シ特 ニ敵 ノ退路遮断 ニ努 ム
二、中支那派遣軍 ハ約 二師団 ( 其 一部 ヲ後方警備 ニ充当 ス) ヲ以 テ
蘭封東北方附近 ヨリ帰徳方向敵退路 ニ向 ヒ進攻 セシム
一、北支那方面軍司令官中支那派遣 軍司令官 ハ徐州附 近ノ作戦 ニ関
三、北支那方面軍 ハ徐州以北津浦線 ヲ占領 シ又敵撃破後 ハ蘭封以東
大陸命第八十四号 ニ基 キ左 ノ如 ク指 示 ス シ緊密 ニ連絡 ス ヘシ
ス
那派遣軍 ハ約 二師団 ヲ徐州 ( 含 マス)以南津浦線竝廬州附近 ニ配置
六、本作戦終 了後北支那方面軍 ハ約 三師団 ヲ黄河以南 ニ配置 シ中支
五、両軍 ハ作戦 ニ関 シ緊密 ニ連絡 ス
近ヲ占拠 ス
二、右作戦 ノ参考 ノ為別冊 ﹁ 徐州附 近作戦指導要領案﹂ ヲ交付 ス
王
ノ隴海線以北 ノ地区ヲ占拠 ス
一 殿
親
三、大陸指第五十 八号 ニヨル北支 那方面軍司令官 ニ対 スル第百十 四
壽
六 殿
仁
四、中支那派遣軍 ハ敵撃破後 ハ徐州 ( 含 マス)以南津浦線竝廬州附
内
俊
載
師団 ノ運用 ニ関 スル制限 ヲ解 ク
寺
昭和十三年四月七日 北支那方面軍 司令官伯爵 畑
参謀総長 中 支 那 派遣 軍 司 令官 四
徐州附近作戦指導要領案 昭和 一三、 四、七 大本営陸軍 部
要
七 三
綱
参
議
会
記
録
︵昭 和 十 三 、 四 、 二十 八︶
対支委員会 は内閣 総理大臣 を以 て委員長とし外務、内務、
委員長必要と認むる時 は他 の各省大臣又は内閣参議 を委員会 に
海 軍、陸軍 、大蔵、無 任所大臣 を以 て組織し之 を内閣 に設く
第 一条
対支委員会官制 ( 案)
( 昭和十三、四、二十八 参議会記録)
対 支 行 政 事 務 処 理 の た め対 支 中 央 機 関 設 置 の件
一、内閣に対支委員会 ( 名称は再考慮 のこと)を設け 一切の対支国 委員 会は内閣総 理大臣 を委員長とし政府大本営連絡 会議 に出席す
策を審議決定 せしむ。 る大臣 を委員 とす。
対支委員会は対支国策 を決定し並 に之 を遂行す
出席 せしむ るを得 第 二条
対支委員会委員長は対支国策 の決定並 に遂行上必要な る事
二、対支委員会 の審議決定 に基き対支国策 を統 一処理せしむるため に対支委員会 の下 に対支事務局を設置す。
第三条
第 七条
対支委員会委員長 は日満支 の綜合開発 に関聯す る事項を主
対支委員会 の下 に対支委員会幹事長を総裁 とす る対支事務 無任所大臣を幹事長 とす
局を置 き対支国策 の審議 立案並 に事務を掌らしむ
第 六条
らしむ
第五条 対支委員会 に幹 事長 一名幹事 二名を置 き委員会 の事務を掌
宰 し関係機関 をし て協 力せしむ るを得
第四条
項 に就 て関係機関をし て協力 せしむ るを得
三、対支国策 並に日満支綜合開発 に関 し必要な る事項 に就 て関係機 関をし て協力 せし め得 る権限を対支委員会委員長 に賦与す。 四、支那現地 には対支事務局 に対応し対支委員会委員長 の指揮監督 する現地事務局 を設置し、軍特務部 及特務機関等 の現存機関 は之 に 吸収 す。 五、対支中央機関 の設置 に関聯し行 はるべき国内機 関 の機能 の拡大 六、技術者及文化団体は夫 々聯盟 を結成し各種委員会 を通じ組織的
縮少 に就 ては別途考慮す。 に対支国策遂行に協力 するものとす。
幹事 には企画院総裁、内閣書記官長を充 つ 属
事務官
若干名
若干名
次長 、部長及参事官 は高等官、陸海軍人並に学識経験技能
対支事務局 に総務部、三部 会並 に参事官会議を置 くその事
対支事 務局 に参与を置き局務 に参 与せしむ
対支事務局 に特別 の事項を調査し且随時意見を具申せしむ
内閣 に於 て之 を命ず
専門委員 は内閣総理大臣 の奏請 に依り学識経験 ある者 の中より
るため専門委員を置く
第六条
に於 て之を命ず
参 与は内閣総理大臣 の奏請 に依 り関係各省高等官 の中 より内閣
第五条
務 の分掌 は内閣総 理大臣之を定 む
第四条
を有 する者 の中 より選衡す
第 三条
第八条 則
対支委員会 の下 に現地事務 局を置く 附
)
第九条 本 令 は公 布 の日 よ り之 を施 行 す 昭和 十 三、 四、 二 十 八 参 議 会 記 録
(
対支事務局は対支委員会委員長 の管 理に属 し無任所大臣を
対支事務局官制 ( 案) 第 一条 総裁 としその指揮監督 を受 け左 の事務を掌る 一、対支委員会委 員長 の命 により対支国策 に関す る諸般 の事項を 調査立案す ること 二、対支国策 に関聯する事項 に就 て案 を起草し理由 を具 へて対支 管掌する こと
委 員会委員長 に上申し並 に対支 国策 の決定遂行 に関 する事務 を
総裁 は特別 の事項 に関 し必要 と認む る時は専門委員 をし て参事
次長 は総裁を佐け局務 を掌 理し総裁事故ある時 は之 を代 理
総裁 は局務 を統理し所部 の職員 を指揮監督す
官 会議 に出席 し発言せしむるを得 第七条
力し審議立案 し之 を対支委員会委員長 に上申しそ の事務 を管守
三、対支国策 の決定並 に遂行 に関 聯する事項 に就 て関 係機関 と協
す
第 八条
す ること め審議立案し之 を対支委員会委 員長 に上申 し並 にそ の事務 を管
部長 は上官 の命を受け部務 を掌 理す 第十 一条
第九条
四、 日満支 の総合開発 に関聯す る事項 に就 て関係機関 の協力 を求 掌する こと 一人
第十二条 事 務官 は上官 の命を承け事務 を掌 る
参事官 は上官 の命を承 け審議立案 を掌 る 四人
秘書官 は総裁 の命を承け機密 に関す る事務を掌 る
長
若干名
第十条
次 長
対支事務局 に総裁 の他左 の職員 を置く
部
第十三条 附
第 二条
参事官
一人
則
属は上官 の命 を承け庶務 に従事す
秘書官
本令 は公布 の日より之 を施行す
現地事務局 は対支委員 会委員長 の指揮監督を受 け左 の事務
現地事務局官制 ( 案) 第 一条 を掌る 一、現地政権 の指導
部長は上官 の命 を承け審議立案 を掌 る
長
長 若干名
支局 の職制は内
次長は局長 を助 け局務を掌理し局長事故ある時 は之 を代理
を専行す 第 八条 す 第九条
第十条 参 事官 は上官 の命 を承け審議立案 を掌 る
第十 一条 事務官 は上官 の命を承け事務 を掌 る
二、厚生 (民生並 に文化)工作 の指導
第十 二条 属 は上官 の命 を受け庶務 に従事す
必要 とす る箇所 に支 局を設置す るを得
第十三条
局 与
現地事務局 に左 の職員を置く
三、経済開発並 に交通通信事業 の指導
次 四名
無 謀 な る支 那 の長 期 抗 日戦 に対処 し東 亜 の安 定 勢 力 た る使 命 を全
第二条
参 若干名
う せ ん がた め に は内 外 に対 す る 態勢 を整 へ国 民 一致 堅 忍持 久 以 て所
現地事務局 に顧問を置き局長 の諮問 に応ぜしむ
し む る には 如 何 な る 途 を 選 ぶ べき かは緊 急 に採 り上 げ解 決 す る を
の採 るべ き 方 針 と を 国 民 に理解 せし め 官 民 の協 力 に 一層 効果 あ ら
三 、現 状 を打 開 し 国 運 の進 展 を図 らん がた め 、事 態 の本 質 と国 家
上 の改 革 を施 す べ き か 。
二 、 日支 事 変 の及 ぼす 影響 を測 定 し更 に進 ん で如 何 な る政 治経 済
中 心 と し て如 何 な る世 界 政 策 を確 立 す べ き か 。
一、 如何 な る根 本 的 方 針 を 以 て 日支 関 係 を規 定 し 且 つ対支 関 係 を
期 の目 的達 成 に努 めざ る可 から ざ る は言 ふ を要 せざ る所 な り。 就 中
昭和 十 三 、 四 、 二十 八 ︵参 議 会 記 録︶
対支委員会並 に対支事務局設置趣旨
本令 は公布 の日より之を施行す
則
部 長 若干名
局長 は局務 を統理し所部 の職員 を指揮監督し判任官 の進退
附
調査官 若干名
閣総理大臣之 を定む
事務官
局長 、次長、部長 、参事官 は高等官、陸 海軍人並 に学識経
属 第 三条
参与 は局長 の奏請 に依り現地関係各省 の代表者 の中より内
験技能 を有す る者 の中より選衡す 第 四条
現地事務局 に総務部及三部会を置 くそ の事務 の分掌は内閣
閣 に於 て之を命ず
第六条
総理大臣之 を定 む
第五条
第七条
要 す る所 な り 。 思 ふ に日本 の支 那 に対 す る関 係 は 世界 に於 て最 も特 異 な る も のの 一つにし て、唯 に国 防 、 政 治 、経 済 上 の諸 関 係 互 に関 聯 錯綜 す る の みな ら ず そ の何 れ の点 より す る も 支 那 の動 向 如 何 は日 本 に重 大 な る
る国 際 関 係 の複雑 は畸 形 的 にし て不等 質 な る発 展 を遂 げ た る 支 那各
影 響 を及 ぼ す 地位 に あ り、 加 之 広 大 な る半 植 民 地 的 支 那 を中 心 とす
日本 の対 支 国策 の確 立 を 困 難 な ら し む。 一省 一部 局 の機 能 を 以 てし
地 各 種 の経 済 に対す る 日本 国 民 各 層 の利 害 関 係 の複 雑 緊 密 と 相俟 て
或 は国 防 、 政 治 、経 済 の三 者 の 一部 のみ を対 象 と し て対 策 を講 ず る も決 し て根 本 的解 決 を求 め 得 ざ る は既 に過 去 の経 験 の示 す所 にし て 画 期 的 な る綜 合 機 関 を設 け 其 の衝 に当 ら しむ る要 あ る は 国 民 の斉 し
事 変 発 生 以来 国 民 一致 協 力 時 局 に 対処 し、 大 本 営 設 置 せ ら れ た る
く痛 感 す る所 な り 。
正敏 活 に行 動 し長 き将 来 に亘 る 対策 に遺 漏 無 き を期 せ ん が た め〓 に
後 政 府 は之 と 連絡 会 議 を開 き 来 れ る が時 局 の益 々重 大 な るに鑑 み適
政 府 大 本 営 の連 絡 会議 に出 席 す る 各 大臣 を以 て組 織 す る対支 委 員 会 を新 に設 置 し 、関 係 各 省 間 の連絡 協 力 を緊 密 と し 、委 員 会 の下 に対 支 事 務 局 を 置 き現 地 にも 之 と 対 応 す る機 関 を設 け 、広 く 官 民 よ り人
そ の事 務 を 掌 ら し め んと す 。
材 を集 め専 ら 対支 国 策 並 に之 に関 聯 す る事 項 に就 て審 議 立案 し 且 つ
七四
一
示
大陸指第 百四十 二号 指
命 令 ・指 示
大陸命第 八十 四号 ニ基 キ更 ニ左 ノ如 ク指示 ス 一、蘭封 、歸徳、永城、蒙 城、正陽關、六安 ノ線 ヲ越 エテ行 フ作戦 ハ認 可ヲ要 ス 二、北支那方面軍 ト中支 那派遣軍 トノ作戦地域 ノ境界 ハ阜寧、泗州 、
内
俊
壽
六 殿
一 殿
載
仁
親
王
南平鎮 、蒙城 、頴州 ヲ連 ヌル線 (線上 ハ中支那派遣軍 ニ属 ス)ト ス
寺
昭和十 三年五月 二十九日 北支 那方面軍司令官伯爵
畑
参謀総長 中 支那 派 遣 軍 司 令 官
二 大陸命第百十 一号 命
令
俊
六 殿
載
仁
親
一、中支那派遣軍 司令官 ハ一部 ヲ以テ安慶附 近ヲ占拠 スヘシ 昭和十三年 五月 二十九 日
畑
参謀 総長
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示 セシム 奉勅伝宣 中支那派遣軍司令官
王
第九章
七 五
徐州 会 戦
第
一軍 作 戦 経 過 概 要 ︵昭和十三年六月十日 第 一軍参謀部第 一課︶
2、第 二軍 ハ韓莊 、〓縣、沂州 ノ線附 近 ニ於 テ敵 ヲ抑留 スルト共
ニ爾後徐州附近 ノ敵 ヲ攻撃、特 ニ微山湖西方 ヨリ有力ナ ル兵団 ヲ
3、第 一軍 ハ 一部 ヲ以テ蘭封附近 ヨリ范縣 ニ亘 ル間 ニ於 テ黄 河ヲ
以テ徐州西方 ニ於 テ退路遮断 ヲ準備 ス ヘシ
四月初方面軍より近く中支那派遣 軍と協力し て新作戦を実施 せし
ラシムルノ準備 ヲナス ヘシ
渡 河 セシメ蘭封附近 ニ於 テ隴海線 ヲ遮断 シ第 二軍 ノ作戦 ヲ容易ナ
第 一、作 戦 準 備 めらる ゝ旨 の通報 に接 し軍 は既定計画 に基 く五臺附近 一帯 の掃滅作 一、四月六日方面軍より第十六師団 の 一部抽出及野戦重砲兵第三聯
四、軍は十五日命令 を下し既占領 地域 を確保す ると共に 一部 を以 て
に任ぜしめ又黄河 の状況を偵察 せしむ
三、四月十三日方面軍命令 に基 き第十 六師団 の第二軍転属其他 に関 し軍命令を下達 し且各兵団 に幕僚 を派遣 し本作戦 に関 し所要 の連絡
戦を中 止し之 れか準備 に努む 隊 の第二軍復帰準備を命 ぜられたるを以 て軍 は第 百九師団、第百八
黄河を渡河し第 二軍 の作戦を容易ならしむるの準備をなさしむ
師団及第二十師団 の各警備 任務 に関し て 一部 の変更 を命 じ且曩 に新 に軍 に配属 せられ北部山 西省 の警備 に任ず べく予定 せる独立混成第
て新郷、湯陰附近を、独立混成第三旅団 に後備歩兵 二大隊等 を増加
し懐慶平地及獲嘉 、修武附近を守備せしめ又独立混成第四旅団 をし
又第百八師団をして〓安平地 の守備 を撤 し新 に第十四師団 と交代
封附近 に進 出するの準備をなさしめ且軍参謀櫻井中佐を配属 せり
即ち第十四師団 をして蘭封、范縣間 の地区 に於 て黄 河を渡河 し蘭
三旅団を先 づ京漢沿線地区に使用 し第十六師団 の鉄道沿線地区 の守 備竝後方施設 の警備 任務 を継承 せしめ以 て第 二軍 方面 の情勢変化に 応ぜしむ 1、方面軍 ハ近 ク中支那派遣軍 ノ 一部ト協 力 シ徐州附近 ノ敵 ヲ撃
二、 四月十二日左記要旨 の方面軍命令を受領す 滅 スル企図ヲ有 ス
し て高邑、彰徳間 の地区及大名臨清附 近を、軍兵站 監 に後備歩兵 二
八、四月末頃 に於ける第 十四師団 の状況左 の如 し
達 し夫 々河川偵察 を実施 中にして
那須支隊 は二十 二日以来長垣附近 に又横山支隊 は二十六日濮陽 に
莊を通過す
大隊 を増加し て石 家莊平地及陽泉平地を守備 せしめたり 即ち本作戦実施 の為軍は現有兵 力 の関係上〓安平 地 の守備 を放棄 し且太原北方地区 の守備 を緩和する の已 むなき に至 れり
九、酒井支隊使用 に関 する第十四師団 の腹案 は鉄道 に依り濟寧に到
らしめ爾後鉅野〓城を経 て臨濮集 に至り同地附 近に於 て師団主力 の
又渡河掩護 に任ず べき酒井支隊は 二十九日其先頭列車を以 て石家
二軍及中支那派遣軍 の各参謀相会して作戦打合 を実施 せらる
五、 四月十七日同 十八日の両日濟南 に於 て大本営、方面軍 、第 一第 六、 四月十九日軍 は第十 四師団長 をして旅団長 の指揮 する歩 四大隊
渡 河を掩護 せしめ んとするに在 り
師 団主力 は五月十日頃 迄に濮縣濮陽附近 に集結 し渡河 を準備 し渡
野砲 、野戦重砲各 一大隊軽装甲車 一中隊 を基幹 とする部隊 を鉄道 に
河開始 の時機は五月十五日前後と予想 せり
依 り濟寧 に到り爾後黄 河右岸 に近く行動 して師団 の渡河を掩 護せし め其掩護下 に先づ歩兵約 二大隊を次で師団主力 を渡河せしむるの準
十、四月末 に於 ける第 二軍方面 の状況左 の如 し
日瀬谷支隊を以 て概 ね泥溝東西 の線、長瀬 支隊を以 て岔河西南方
十八日〓縣南 方高 地、郭里集東方高地 の線 より攻撃開始二十 七
1、第 十 師 団
備 を命じ且新 に独立工兵第 二聯隊を配属 せり 七、徐州北方 に於ける敵 の攻勢は挫折 せりと雖 も尚敵 は蘭封 以東隴 海線及其以北 に兵力 を増加し て我進出 を阻止 せんとし戦期 は刻 々切
高 地区又坂本支隊を以て〓縣北側区地区に於 て各 〓当面 の敵 を攻
迫 せり 四月 二十三日左記要旨 の方面軍命令 に接す
2、第 五 師 団
二十八日國崎支隊 を以て〓溝鎮北側地区に於 て敵 を攻撃中
撃中
3、第十、第五師団 方面 の戦況は二十七日以来大 なる発展 を見ず
1、第 一軍 ハ有力 ナ ル 一部 ヲ以テ黄 河ヲ渡河 シ先ツ速 ニ蘭封、歸 ノ 一部 ト密 ニ協 力 シ第 二軍 ノ作戦 ヲ容易 ナラシム ヘシ渡 河 ノ為其
徳間 ニ於 テ隴海線 ヲ遮断 シ且歸徳方面 ニ進出 ス ヘキ中支那派遣軍 掩護部隊 ヲ鉄道 ニ依 リ濟寧附近 ニ派遣 シ該方面 ヨリ行動 セシムル
4、第十六師団
有力な る 一部は棗莊附近 に於 て第十師団 の指揮下 に入り主力 は
ヲ要 ス
〓州泰安間 に略 〓終結 を終 れり
又蘭封以西黄 河南岸 ニ於 テ陽動 ニ依 リ敵 ヲ牽制 スル ニ努 ムヘシ
四月末頃 より兵力減少 に乗じ軍占領 地域特 に京漢線方面 に於 て敵 の遊撃行動頓 に活溌となれり
2、第 二軍 ハ其兵力ノ集結 ニ伴 ヒ成 ルヘク速 ニ攻勢行動 ヲ開始 シ ヲ占領 ス ヘシ
当面 ノ敵 ニ対 シ徐州西方地区 ニ主決戦 ヲ求 ムル如 ク攻撃 シ且徐州
第十四師団 ノ渡河準備 ハ予期 ノ如 ク進捗 シ其酒井支隊 ハ五月九 日
二、軍 ハ一部 ヲ以テ蘭封附近 ヨリ下流 ニ於 テ黄河 ヲ渡河 シ第 二軍 ノ
濟寧附近 ヨリ行動 ヲ開始 セリ
五月上旬 に於 て第十 四師団 の渡河準備は着 〓進捗 し渡河材料 の大 部亦渡 河点附 近に到着 せり
第十 四師団酒井支隊 ハ方面軍命令 ニ依 リ〓城攻略ト共 ニ第 二軍 ニ
作戦 ヲ容易ナラ シメ ントス
十 一、之 より先第 二軍 は南 部山東省 の戦場 に於て有力 なる敵を牽制 抑留し次期攻勢 を準備中 又中支那派遣軍 は既 に五月二日兵力を逐 次淮河北岸 に進め五日主
三、第十四師団 ハ渡河準備 ノ完整 ニ伴 ヒ随時黄河 ヲ渡河 シ蘭封、歸
転属 セシメラ ル
徳間 ニ於テ隴海鉄道 ヲ遮断 スルト共 ニ機 ヲ見 テ蘭封附近ノ要地 ヲ確
力 の前進 を開始 し其 一部は九日蒙城、板橋集 の線 に進出す ると共 に
保 ス ヘシ
更 に北進 を継続 せり尚其 一支隊 は五日阜寧を占領 せり敵 は我中支那 派遣軍 の北進及徐州方面 の戦況急迫 に伴ひ黄 河 々畔 の兵力を歸徳 方
四、第 百八師団 ハ歩 兵 一大 隊、野砲 一中隊 ヲ道 口鎮 ニ到 ラシメ軍兵
支隊 ヲ〓城攻略 ト共 ニ第二軍司令官 ノ指揮下 ニ入 ラシム ヘシ
渡河後黄 河以北 ノ作戦地域 ヲ独立混成第三旅団 ニ移譲 スヘシ酒井
面に移動 せるものの如きも 一方山西省南部及京漢線方面 に於 て活溌 なる遊撃 を開始 して我兵力転用 を牽制せんとし又蒲縣及離石方面 に 第 二、作 戦 実 施
対しても敵 の反攻頻繁となれり
時軍は第十 四師団 に命ずるに渡河準備 の完整 に伴 ひ随時黄河を渡 河
六、軍兵站監 ハ第十四師団渡 河後渡河作業竝道口鎮 、渡河点 (共 ニ
同師団黄 河以北 ノ作戦地域 ヲ継承 スヘシ
五、独立混成第 三旅団 ハ臨清附 近ノ守備 ヲ撤去 シ第 十四師団渡河後
站監 ノ指 揮下 ニ入ラシム ヘシ
し蘭封 、歸徳 の間 に於 て隴海線 を遮断すると共に機 を見 て蘭封附 近
含 ム)間 ノ警備 ヲ担任 ス ヘシ
軍 の実施 せる作戦準備既 に月余戦機は正 に熟 せり即ち五月九日十
の要地 を確保すべきを以てせり然る に翌十 日方面軍 より突如として
第 十四師団渡河後 其進出 ニ伴 ヒ渡河点 ヲ長 垣附 近 ニ移動 ス ヘシ
酒井支隊 を〓城攻略と共に第 二軍 に転属 し且軍 は同支隊 の掩護 に待 つことなく第 十四師 団主力 を速 に黄 河を渡河 し現任務を実行す べき
独立野戦重砲兵第 八聯隊 (第 一大隊欠)
七、第十 四師団渡 河後 左記部隊 ヲ第十四師団 ヨリ軍兵站監 ニ転属 ス
入 ラシム
第 百八師団 ノ歩兵 一大隊 、野砲 一中隊 ヲ道 口鎮 ニ於 テ其指揮下 ニ
第 一軍命令
命令 に接 せり此日十五時軍 は左記要旨 の軍命令 を下達せり 一、第 二軍 ハ徐 州方面 ノ敵 ヲ撃滅 シテ徐州占領 ヲ企図 ス之 カ為第十 六師団主力 ハ五月九 日濟寧附近 ヨリ行動 ヲ開始 シ先ツ〓山方面 ニ進
一 隊
出 ス中支那派遣 軍 ハ約 二個師団ヲ以 テ蚌埠附近 ヨリ行動 ヲ開始 シ五
砲
独 立 気 球 第 一中 隊 射
野
戦 高
月九日蒙城 ヲ占領 シ爾後永城及其東方地区 ニ向 ヒ前進 ヲ企図 ス
近衛 師 団第 五野戦 照空隊 戦
電 点
気
隊 主
師団 は十六日曹州附近 を出発二縦 隊となり概 ね馬頭鎮東西 の線 に
力
二、之れより先五月十二日軍 は方面軍 に対し酒井支隊 の原所属復帰
夫隴海線を遮断し主力は宋集附近 に集結 せり
向 ひ前進、十 七日更 に南進を続行 し 一部 を以 て圏項及劉崗 に達し夫
班
独 立工兵第 二、同第四聯隊及同第 一聯 隊第 一中隊 野
に関し意見 を具申せ ると ころ十五 日に至り原所属 に復帰 せしむべき
基 第 二師団第 一及第十四師団架橋材料中隊
方面軍命令 を受領せり
渡河掩護部隊 の欠除等多大 なる困難 を克服 し全般 の情勢 と蘭封方面
一、第十 四師団は渡河材料 の 一部、未着或 は酒井支隊 の転属 に基 く
あり
支那派遣軍と の協力 に依 る徐州方 面 の包囲圏 は漸次縮小せられつゝ
隊主力及独立気球第 一中隊 を第十四師団に配属 せり当時 方面軍 と中
且当分師団と行動を共 にせしめたり又十五日独立野戦重砲兵第 八聯
三、軍 は十三日軍参謀森大佐 を第十四師 団 に派遣 し連絡 に任ぜしめ
敵兵団 の北上とに鑑 み準備完成を待 つことなく即時渡 河攻撃す るに
四、徐 州附 近 の敵主力 は全面的崩壊 に瀕す るや十六日左記要旨 の方
(略)
決し五月十二日二時 を期 して主力 (左翼隊)を以て彭家樓 一部 (右
他
第 十六師団第 二渡河材料中隊
翼隊)を以て常家集附近より渡河 を敢行 せり其第 一次渡河部隊 は両
其
翼 隊共機 関銃 、迫撃砲 を有する敵 を撃破し て対岸 を占領 し其第 二次
一、方面軍 ハ徐州附近 ニ向 ヒ敵 ヲ圧倒殲滅 セント ス
面軍命令 に接 せり
二、第 一軍 ハ第十四師団 ヲシテ蘭封東方 ニ於 ケ ル鉄道遮断ノ成果
部 隊 の到着 に伴 ひ右翼隊を以て鄧庄、董 口の線を、左翼隊を以 て軍 庄 、車庄 の線 を確保せり後続部隊 の渡河は順 調に進捗し六時頃 両翼
ヲ確保 セシムルト共 ニ其主力 ヲ以 テ歸徳 方面 ニ行動 シ第二軍 ノ近
隴海線 を遮断 し師団主力 の左側背 を掩護せしめたり
酒井 支隊 は此 日師団 の掌握下 に入 り其 一部を以て王庄附近に於 て
し別 に 一部 は圏項附近 に於 て蘭封方面 よりの敵 の出撃 を破砕せり
一、十八日師 団 の 一部 は考城南方地区に於 て遭遇戦を惹起之を撃 退
蘭封攻 略
向ふ行動 の準備を命 じたり
依 て軍 は十七日第十 四師団 に対し蘭 封附 近要地確保後歸徳方面 に
ク側背 ニ対 スル敵 ノ策動 ヲ破砕 スベ シ
隊 の大部 の渡河を終了せり 十三 日朝師団は董 口東西 の線を出 発二縦隊 となり曹州 に向 ひ前進 翌十四日曹州外周 の陣 地に対し攻撃 開始敵主陣地を占領後城内 を掃 騎兵隊は挺進 して同 日夜隴海線上内黄附近 に進出 し鉄道 を爆破し
蕩 し十八時之を完 了せり て完全 に之を遮断 せり 師 団主力 は十 五日曹州附近に集結し爾後 の前進 を準備せり此日中 支 那派遣軍 の機械化部隊は汪閣附近 に於 て隴海線 を遮断せる の報 に 接す
爾後師 団は 一部 を以 て内黄 、呂舘白 口等を逐次攻略し十九日夕主
︹註︺ なり
翼隊 を以 て陽〓附近より遠く蘭封西方地区に又左翼支隊 ( 聯隊長 の
隊基幹) を以 て蘭封敵陣 地の正面 に於 て敵 を牽制 せしめ主力たる左
二、二十 日師団は右翼 隊 ( 旅団長 の指揮す る歩兵 三大隊、野砲 一大
敵 を南方 に追撃 せしめ第 十六師団及第十師団をして夫 〓歸徳永城攻
州 の 一角 を占領す又第 二軍は津浦線以東 の兵団をして大運河南方 の
七、之 より先徐州方面 に於 ては十九 日中支那派遣 軍 の 一部 に依り徐
力を内黄附近 に集結せり
指揮す る歩 兵二大隊野重 一大隊基幹)及騎兵隊を以 て鉄崗附 近より
開封 攻略
一、軍 は五月二十六日方面軍 に対し第 十四師 団方面 の敵 の態勢整 は
の敵 を撃滅するを適当 と認む る旨 の意 見を具申 せり
ざ るに先ち歸徳 、毫州攻略 の余勢を更 に進 めて速 に開封、鄭州附 近
二、第十四師団 は二十六日午後守備正面 を三義砦、丁砦、曲 興集及
敵は兵力 を増加 し師団正面 に拘束 せるも の約 二十個師 に達 せり優
其西方 の線 に緊縮 し機動兵力を以て敵 を逐次反撃 せり
準備 せり
四、軍は第十四師団 の攻撃進展 に伴ひ陳留 口附近 に補給点 の変更 を
優 秀にして中央軍官学校 教導総隊 を改編せる第四十六師及重砲兵学
其 一部を黄河渡河点北方 に迂 回我背後 を攻撃 せしめたり敵 の素質 は
勢なる敵 は土肥原兵団を殲滅 すべしと号し猛烈な る攻撃を開始 し又
五、 二十三日に至 るや師団は陳留 口渡河点を確保し其主力 は三義砦
は屡 〓敵 の集中射撃 を被 り死傷続出せり師団は毅然 として随所に敵
校教 導隊等参加し且戦車 、長榴弾砲を装備せり在 三義砦師団司令 部
を撃摧 せるも弾薬 欠乏 して苦戦 を続けたり
師 団 に転電 せり師団 の志 気頓に揚 る
封 方面に増加 の企図あ る旨 の通報 に接 したるを以 て直 に之 を第十四
四、二十七日夕方面軍より歸徳 攻略後第 二軍 より有力なる兵力 を蘭
陳留 口以北第十 四師団補給線 に対する敵策動 の破砕 を命ぜり
攻撃 し右翼隊と協同し て遂 に之 を撃退し二十 四日騎兵隊横山支隊相 然 れども尚周辺 一帯 の新来 の敵 に対 しては絶 えず敵 の攻勢 を反撃
三、軍は二十七日独立混成第 四旅団をして在封邱部隊 を併せ指揮 し
曲興集、羅 王間 の地区 に集結し 一部 を以 て東 面して背後 より蘭封を
之 より先左側支隊は十八日前盧村 に達 して鉄道 を遮断するや反転 して所在 の敵を撃 破し つゝ二十二日羅 王砦西方 に進出せり
は後剪塚 より東黒村 に進出之 を占領せり
を占領 翌二十 二日右翼隊は依然蘭封陣地正面より敵 を牽制し左翼 隊
攻撃続行右翼隊 を以 て崗頭南北 の線、左翼隊 を以て馬道村、孟皎集
を以 て此間隙 を突破し て陣内深 く楔入し陣内 に決戦 を求 め二十 一日
三、師団騎 兵隊 は敵陣地 の間隙 を発見した るを以 て師 団は直 に主力
更 に其西方地区に向ひ攻撃せり
略 の為行動 を開始せしめたり
78D 84D 77D 88D 129D 141D 143D 195D 14K B
次 いで入城し〓 に蘭封攻略 を完成せり し多大 の損害 を与 へて撃退 せり 六、第十四師団 が渡河以来交戦 せる敵 の団隊号
は 11D 23D 34D 35D 36D 46D 52D 61D
五 、軍 は 二十 八 日夜 第 十 四師 団 に対 し極 力 蘭 封 附 近 の要 地 を確 保 し て第 二軍 の作 戦 を 容 易 な ら しむ べき 命 令 を下 せ り
とに依 り動揺を来し各方面 に於 て退却を開始 せり
第 十四師団は六月四日朝 より攻撃前進 を起 し 一部を以 て蘭封 城の
第 十 四師 団 当 面 ノ敵 ヲ撃 破 スベ シ
2 、第 十 六師 団 (混成 第 三旅 団 ヲ属 ス) ハ主 ト シ テ〓 縣 方面 ヨリ
1 、第 二軍 ハ速 ニ蘭 封 附 近 ノ敵 ヲ撃 破 セ ント ス
翼隊 を以て北方より左翼隊 を以 て東北方より十 一時各 〓城壁 に近く
十 三、第十 四師団は六月五日朝 より開封城 の攻撃 を開始 せり即ち右
達 したり
せり此日夕混成第三旅団は陳留東南地区 に、又第十六師団は尉 氏に
敵 を攻撃 せしめ主力は西進 して正午大門砦俄彎 の線 を通過し て前進
3 、第 十 師 団 ハ有 力 ナ ル 一部 ヲ〓 縣 方 面 に急 派 シ得 ルノ準 備 ニ在
入するや各方面相次 いで突 入し城内を掃蕩せり六日十時完全 に之を
進出 し全砲兵 の集中射撃 に依 り二十時過右翼隊 の 一部東北角 より突
六 、 此 の 日第 二軍 よ り 左記 要 旨 の通 報 あ り
ル ヘシ
第 三、其他 の兵団 の作戦
砲 を有し頑強 に抵抗 せり
開封城内 に拠れる敵 は第六十二軍に属す る約四千にして野砲迫撃
師団主力 は開封附 近に集結 せり
占領 せり
依 て軍 は直 ち に之 を第 十 四師 団 に電 報 通報 せ り 尚 此 日朝 第 十 六 師 団 は歸 徳 を占 領 せ り 七 、第 十 四師 団 正 面 の敵 は其 後 益 〓執 拗 に攻 撃 し来 れ るも 師 団 は寡 兵 克 く随 所 に之 を 反撃 し つゝ開 封 攻 略 を 準備 し つゝあ り 八 、 五 月 三 十 日 軍命 令 を 以 て第 百 八 師 団 を し て独 立 混 成第 四旅 団 従 前 の任 務 を 継 承 し て新 郷 平 地 を 守 備 せ し め 又独 立 混 成 第 四旅 団 をし
特 に南部山 西省方面 に於 て敵 の積極的出撃 に会したるも良く其攻勢
本作戦間軍内其他 の兵団は軍 の兵力著 しく減少せるに伴 ひ各方面
力 を陳 留 口南 岸 に進 出 を準 備 せ し め た り
を挫折し其後第十 四師団 の軍に復帰 せらるゝに伴 ひ南部山西 に対す
陳 留 口渡 河 点 間 の第 十 四師 団補 給 線 を確 保 し 且所 要 の兵
九 、 此 日 第 十 四師 団 正 面 の敵 は 師 団 の攻 勢 と第 十 六 師 団 の〓 縣 以 西
カ月 に亙る第 二十師団 の隠 忍持久克く困苦欠乏に堪 へたる行動は賞
る兵力増加 に依 り敵 を撃攘する の素地 を作れり五月十 二日頃以来二
て道 口鎮
の進 出 と に よ り大 な る動 揺 を来 し各 方 面 に退 却 を開始 せ り
五月十 二日曲沃は敵歩砲兵 の攻撃を受 け守備隊 は之 が反撃 を企図
に対し積極的 に運行妨害 を開始 せり
五月初旬以来介休、臨汾間 に於ける敵 は逐次兵力を増加し同蒲線
讃 に価ひす るものと言 ふべし 一、第 二十師団
十 、 軍 は第 十 四師 団 を以 てす る開 封 攻 略 の準 備 中 六 月 二 日方 面 軍 命 令 に依 り第 十 四師 団 は 一時 第 二軍 の指 揮 下 に入 ら し め ら れた り 十 一、爾 後 軍 は第 二軍 の為 其補 給 を援 助 せり 十 二 、第 二軍 は第 十 六師 団 を以 て六 月 二日 〓縣 を 、三 日通 許 を夫 〓
之 よ り先 第 十 四師 団 正 面 の敵 は 該 師 団 の攻 勢 と第 十 六 師団 の進 出
占 領 せ しめ たり
したるも其抵抗意外 に強く敵 は〓河 々畔及其南部高 地線 に堅固 に陣 地を占領 し装備優良な る中央直系軍数個師 を加 へて曲沃奪 回の機 を 又臨汾 、候馬鎮 、河津、蒲州、〓城平陸方面共夫 〓優勢な る敵 の攻
窺 へり之 と相前後 して臨汾以北 の敵 は鉄道破壊 の企図益 〓大となり
師団作戦地域内 の敵 は二十数 個師 に及び補給意 の如くならず弾薬
撃を受 けたり 糧秣欠乏 し辛うじて現 地物資 ( 麦刈 を行ひ之 を粉 にして飢 を凌ぐ こ と 一個月 に及ぶ部隊 あり)に依 り自活 する の状況となれるを以 て師 団 は蒲州、〓城 、平陸 の守備 を撤 して運城 、河津、聞喜 を保持し主 ひつゝ攻勢移転 の準備を行 へり為 に敵 は曲沃候馬鎮附近 を奪回し為
力 を以 て曲沃 、候馬鎮、新絳附 近の線 を確保 し後方補給 の改善 を行 し得 れば南部山西平地全部をも回復 せんとせしも遂 に其目的を達す る能はず して撃退 せら るゝに至 れり 二、第 百九師団 南部山西 に対す る敵 の積極的企図 に相関聯し離石、中陽方面に対 して優勢 なる敵 の攻勢 ありた るも我守備隊 は克く之等を撃退 せり其 他 の方面 は概ね平静なりき 三、独立混成第 四旅団 は五月二十日軍 命令 に基き第 百八師団 の在封 邱部隊を併せ指揮 し陳留 口以北第十 四師団 の補給線 に対す る敵 の蠢 動 を破砕すべく行動 を開始し六月 一日頃 より長垣及其南方地区 に於 て敵第九四師騎 兵第 四師竝第 三十五師等 の策動を破砕 し以 て補給線 を確保せり
︹註 ︺
←騎兵旅 団
K B
令
七六
一
大陸命第百十九号 命
命 令 ・指 示
一、 大 本 営 ハ初 秋 ノ候 ヲ期 シ漢 口 ヲ攻略 ス ルノ企 図 ヲ有 ス 二、 中 支 那 派 遣 軍 司令 官 ハ揚 子 江 及 淮 河 ノ 正面 ニ於 テ逐 次前 方 ニ地
中 支 那 派 遣 軍 司令 官
北支那方面軍司令官伯爵
畑
寺
俊
内 壽
二
示
大陸指第百六十 一号 指
殿
一 殿
六
一、中 支那派遣軍 ハ安慶作戦 ノ戦果 ヲ利用 シ海軍 ト協同 シ機 ヲ見 テ
大陸 命第 百十九号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
三、 北 支 那 方 面軍 司 令 官 ハ占 拠 地 域 ノ安 定 確 保 ニ関 ス ル現任 務 ヲ続
歩 ヲ占 メ爾 後 ノ作戦 ヲ準備 ス ヘシ
黄梅 、九江 ノ線 ヲ占領 ス ヘシ
一部 ノ兵力 ヲ鄭州方面 ニ進 メ敵 ヲ牽制 スル作戦 ニ就キ研究準備 スル
三、北支那方面軍司令官 ハ中支那派遣軍 ノ漢 口 ニ向 フ作 戦 ニ策応 シ
リ
行 ス ヘシ特 ニ同 地域 内 残 敵 ノ掃蕩 ニ勉 ム ルヲ要 ス別 ニ中 支 那 派 遣 軍
王
ヘク残存 セル敵部隊 ヲ帰順 セシメ其目途 ナキ敵主力 ヲ掃 蕩 スルニ在
親
二、北支那方面軍占拠 地域内 (開封 ヲ含 ム)安定確保 ノ要領 ハ成 ル
仁
ノ作 戦 ニ策応 シ敵 ヲ北 方 ニ牽 制 ス ルタ メ 一部 ノ作 戦 ヲ準 備 ス ヘシ
載
四 、細 項 ニ関 シテ ハ参 謀 総 長 ヲ シテ指 示 セ シ ム 昭 和 十 三年 六月 十 八 日 奉勅 伝宣 参謀総長
畑
寺
昭和十三年 六月十八日
モノト ス
北支那方面軍司令官伯爵
内
壽 六 殿
一 殿
載
俊
参謀総長 中 支 那派 遣 軍 司令 官
仁
親
王
七 七
総理大臣 大蔵大臣
)
外務大臣)
( 昭和十三年六月二十 一日)
原案 (
交 (原案 1 、 防 共協 定 の強 化 工作
第 三 、外
6 、 承 認 の時 期 、 条 件
五相 会 議 議 題 に関 す る件
五相会議 に於 ては不取敢左記諸問題を議するものとす。 所要に応 じ更 に問題を追加又は変更す ることあり。 記 陸軍大臣)
政
向後 四年 を目標 とする重要産業 の振 興方策
1、生産力 の拡充
第 四 、内
4 、 米 国 に対 す る 工作
2 、 蘇 国 に対す る 工作
左
蒋政権屈服 の条件
3 、 英 国 に対 す る 工作
イ 新興中央政権 との関係
第 一、蒋政権 の始末 ( 原案
ロ 停戦 に関する事項
1、蒋政権屈 服し来 りたる場合 の対策
ハ
2、蒋政権 にして地方政権 に転落するも依然屈服せざる場合 の対策
構
質
ニ
ハ
イ
国家総動員法 の実施に関す る事項
銃後 の安定、事変 に伴 ふ衰頽産業 の保護、失業救済等 の方策
の強化
ロ
宣伝 の方法、機関 に関す る事項
物資 の運用、輸出 入の促進、物価 の抑制、消費配給 の統制等
国民精神 の緊張、戦争 意志 の強化方策
2、戦時態勢 の強化
2、機
1、性 織
ホ
3、蒋政権崩壊分裂 の為軍事以外 の謀略等 の措置
3、組
囲
陸軍大臣)
4、範
第 二、中央政府 の設立要領 ( 原案
5、樹立 の時期、方法
第 五 、対 支 機 関 の設 置 要 領 (原案 1 、中 央 機 関 2 、出 先 機 関
考
総理大臣)
但 出 先 機 関 に関 し て は陸 軍 大 臣 よ り要 望 を提 示 す 。
一、各 議 題 の内 容 は 一例 を示 し た る も のな り。
備
二 、各 議 題 の原案 は通 常 予 め 五 相 に送 付す 。
七 八
外 交 一般 方 針
時 局 外 交 に 関 す る 陸 軍 の希 望 ( 昭和 一三、七、三 陸軍省)
4 、 米 国 を し て少 く も中 立 的 態 度 を維 持 せし め為 し得 れば 之 を親
三 、 列 国 の在 支 権 益 は左 の原 則 に抵 触 せざ る限 り之 を尊 重 す ると共
二、 武 力 行使 の外 、外 交 折 衝 に依 り 対支 武 器 輸 入 を断 絶 せ しむ 。
日的 に誘 致 し特 に経 済 的 友 好 関 係 を強 化 せ しむ る こと 。
一、防 共 枢 軸 の強 化 を 図 る と共 に強 力 明快 な る事 変 処 理 に依 り 列国
針
を し て我 対 支 政 策 を事 実 上 了得 し帝 国 の方針 に基 く新 支 那 建 設 に協
に帝 国 に好 意 的 態 度 を 有 す る 第 三 国 に対 し ては 新支 那経 済 開 発 に参
一、 方
力 せ しめ 彼 等 を し て自 ら帝 国 の態 度 を支 持 す る に至 ら しめ 以 て事 変
加 せ し む る こと を歓 迎 す 。
1 、 防共 枢 軸 を強 化 す る こと 。
に之 を実 施 す 。
3 、中 支 に於 け る産 業 開 発事 業 に就 て は帝 国 は概 ね列 国 と 併 存的
す。
2 、北 支 及 蒙疆 に於 け る国 防 資 源 の開 発 は 帝 国之 を実 質 的 に支配
就 ては帝 国 に於 て之 を 援 助 し第 三国 を し て之 に追 随 せ しむ 。
1 、新 支 那 の幣 制 、 関 税 率 、 税 関等 全 般 的 の財 政 経 済 政 策 確 立 に
の解 決 を 迅 速 且容 易 な ら しむ ると 共 に事 変 解 決 後 に於 け る帝 国 の対 外 政 策 の遂 行 に資 す 。
領
二、 外 交 及 経 済 上 の工作 は総 て国 策第 一主 義 に統 合 指 導 す 。 二 、要
2 、 ﹁ソ﹂ 聯 邦 に対 し ては 積 極 的 に今 次 事 変 に参 加 せ し め ざ る 如
4 、前 二項 以 外 の地 域 に於 け る産 業 開 発事 業 に就 て は概 ね 現状 を
一、 外 交 上 の努 力 を左 の重 点 に集 中す 。
く努 む る こと。
5 、 対支 通 商 に就 ては 原 則 と し て自 由 競争 主 義 に依 る。
承認す。
方針 は依 然 とし て変 化 な し )
6 、事 変 発 生後 蒋 政権 と協 定 し て設 定 せ ら れ た る在 支 権 益 は之 を
(﹁ソ﹂ 聯 邦 の東 亜 に対 す る侵寇 的 企 図 を挫 折 せ し む べ き 根 本
3 、英 国 を し て親 蒋 援 支 政策 を抛 棄 せし む る こと 。
認 めず 。
三、 波蘭 及 羅 馬 尼 等 の諸 国 を 成 る べ く速 に防 共 協定 に加 盟 せ しむ る
4 、 日独 国 交 特 に経 済提 携 強 化 の為 南 洋 植 民 地返 還 問 題 の促 進 。
独 伊 経 済 利 権 の附 与 。
如く 工作 す 。
四 、第 三国 の好 意 的橋 渡 し は事 変 解 決 に関す る既 定 方 針 に反 せ ざ る 限 り之 を受 理す る こと を妨 げず 。
二、 要
般 の工作 を実 施 す 。
針
領
﹁ソ﹂ 聯 邦 に対 し て は今 次事 変 に積 極 的 に参 加 せ し めざ る如 く 諸
一、 方
対 ﹁ソ﹂ 工作 要 領
四、 世 界 的 反共 気 運 の醸 成 昂 揚 。
五 、第 三国 の干 渉 に対 し て は断 乎 とし て之 を排 除 す 。 六 、第 三国 に対 し帝 国 の真意 を諒 解 し 速 に親 蒋援 支 の態 度 を改 め 世 界 的 反 共気 運 を醸 成 す る為 政府 は有 力 な る対 外 宣 伝機 構 を整 備 す 、 為 之 特 に在 野 の適 任 者 を起 用 す る こと に着 意 す 。
針
防 共 枢軸 の強 化 工作 一、方
一、 国 力就 中満 洲 の経 済 建 設 及 在満 兵備 を充 実 し 以 て対 ﹁ソ﹂ 弾 撥
一、 日独 伊 間 に於 け る政 治 的 関 係 を 強 化 す。
力 を保 持 増進 す 。
四 、﹁ソ﹂ 聯 邦 の対 支 策謀 と 対 日満 不法 行 為 と を 宣伝 し国 内 の 与 論
条 約 は之 が完 全 な る 履 行 を迫 る 。
三 、直 接 対 ﹁ソ﹂ 外交 は公 正 且毅 然 た る態 度 を 以 て処 理 し 特 に既存
伝 し其 国 際 的 地 位 を低 下 孤 立 せ しむ 。
二、 ﹁ソ﹂聯 邦 の真 相 及 不 信 行 為 を 海 外就 中 英 、 米 、 仏 に 対 し て 宣
二 、 日満 対 独 伊 間 に於 け る経 済 的 提 携 を鞏 固 な ら しむ 。
領
特 に満 洲 国 の加 盟 は速 に之 が実 現 を期 す 。
三 、 必要 な る諸 国 を防 共協 定 に加 盟 せし む る 如 く 工作 す 。
二 、要
一、 日 独 伊 間 に於 け る政 治 的 関 係 の強 化 方 策 左 の如 し 。 独 逸 に対 し て は防 共 協 定 の精 神 を拡 充 し て之 を対 ﹁ソ﹂ 軍 事同 盟
を 喚起 す 。
に導 き 伊 太 利 に対 し て は主 と し て対英 牽 制 に利 用 し得 る如 く 各 個 に 秘 密 協 定 を 締結 す 。
五 、 日 ﹁ソ﹂ 不可 侵 条 約 は 締 結 せず 。
針
英 国 に対 し ては 帝国 の公 正 且毅 然 た る態 度 を諒 解 せし む ると 共 に
一、 方
対 英 工作 要 領
二 、 日満 対 独 伊 間 に於 け る経 済 提 携 を鞏 固 な ら しむ る為 に は概 ね 左 の如 き着 眼 に依 る。 1、 日満 対 独 伊 貿易 協 定 乃 至 一般 経 済提 携 の促 進 。 2、 産 業 拡 充 就 中 工作 機 械 に関 す る要 求 に即応 す べ き適 応 の処 置 。 3 、満 洲 、 支 那 に於 け る経 済 開 発 に協 力 要 す れ ば 支那 に於 け る対
在 支 日英 経 済状 態 を調 整 し 以 て な る べく 速 に其 親蒋 援 支 政 策 を抛 棄
② 産業拡充就中 工作機械 に関す る要求 に即応すべき対米 ﹁ク
対米経済利 権の附与
③ 満 洲、支那 に於ける経 済開発 に協力要すれば支那 に於ける
レヂ ット﹂ の設定 領
せしむ。 二 、要
四、本方針達成 の為適時外交的折衝 により 日米関係 の調整 に就き工
一、事 変 の遷 延 は英 国 の極東 政 策 上 不 利 な る こと を自 覚 せし む ると 共 に英 国 に し て帝 国 の事 変解 決 方 針 に順 応 す るに於 て は之 に応 じ 逐
作す。
之 が為 特 に在 支 英 諸 勢 力 を利 用 す 。
領
む。
仏国に対 しては親蒋援 支政策 の抛棄特 に対支武器供給 を中止せし
対仏 工作要領
次其 中南 支 に於 け る権 益 に関 し好 意 的 考 慮 を 払 ふ。
二 、英 国 の在 支 権 益 に対 す る措 置 に就 ては特 に慎 重 を期 し無 用 の摩 擦 を避 く 。 三 、大 英 ﹁ブ ロ ック﹂ に於 け る我 外 交 、 経 済 及 宣伝 機 関 を統 制刷 新 す る と共 に帝 国 内 朝 野 の対英 言 動 を規 整 し 以 て英 国 をし て我 対支 政
針
策 貫 徹 に関 す る信 念 と実 力 と を認 識 せ し む 。
一、方
対 米 工作 要 領
米 国 を し て少 く も本 事 変 間 中立 的態 度 を維 持 せ し め為 し得 れば 之
二 、要
を親 目的 に誘 致 し 特 に経 済 的友 好 関 係 を強 化 せ し む 。
一、適 切 な る宣 伝 特 に現 実 の事 態 を事 実 によ り て宣 伝 し対 日 観 の是 正 に努 む 。 二 、在 支 米 権 益 の保 全 に つき為 し得 る限 り の努 力 を 払 う 。 三 、経 済 的 友 好 関 係 を強 化 す る為 前 二項 の外 各 般 の手 段 を 尽 し 通商
総 動 員 上 資源 取得 の為 対 米貿 易 の強 化
振 興 、米 資 導 入 を 計 る 。 例①
七九
示
大陸指第百八十五号 指
指
大陸命第 百十九号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
示
北支那方面軍中支那派遣軍 ノ作戦地域ノ境界 ハ阜 寧、〓胎 、懐遠
俊
壽
六 殿
一 殿
仁
親
王
ヨリ下流 ノ淮河、懐遠、頴州 ヲ連 ヌ ル線ト シ線 上 ハ中支那派遣軍 ニ
寺 内
昭和十三年 七月七 日
属ス
畑
載
北支那方面軍 司令官伯爵
参謀 総 長 中 支 那 派遣 軍 司 令 官
八〇
其一 要
旨
置
総 動 員 指 導 権 の確 立 に 関 す る件
も のとす
参 謀 本部 第 一部 第 二課 )
の無為 は尚恕す べし今後 の怠 慢は戦場 の流血 に対し恕 すべからざる
本事変 に有終 の結 を与 ふるは今後 に於け る東京 の努力 に在 り従来
求 に適合 せしめんがため には正に 一新 の案 を必要とす
に過去 一年 の行跡 は其 の順序概ね反対なり、之 を新時代総力戦 の要
一、﹁総動員 は軍需動員 に先だち軍需動員 は軍動員 に先 だ つ﹂然る
(昭和 一 三年 七 月 二九 日
本事変今後 の指導戦後経営 の処 理及新情勢 に応ず べき国力 の建設 竝次代総力戦 の準備等各般 の必要 より速 に総動員指導権 を確立 し企
其二 処
画院 の機能を強化し以て総動員 の実施 をして合理且敏活ならしむる を要す
二、戦争指導 は独創専行政戦略 一途戦機 に投ずるを以て最 切要とな
概ね戦機 を逸 し凡そ戦争 の本質 とは完全 に背馳 しあり此 の間軍部 の
す然 るに事変 一年を回想するに輿論衆議、相互牽制 、政戦略遊離、
反省 を要す べきも の相当に多 きを自覚す ると共 に更 に 一層奇異を感
大権 の発動若 は戦時内閣官制 の制定 に依 る万已むを得 ざれば閣議
一、総動員 の統 一指揮 に関する権能 を総理大臣 に附 与す 申 合せに依 り其機能 を発揮せしむ
ず るは大局 の指導 に関し政府 の殆 んど無為無策拱手傍観 の態度なり
今 にして之 を是正 せずんば蕭牆 の内 不測 の変を虞 る
二、企 画院 を強化運用 し総理大臣 のため真 に国策幕僚機関 たるの実
三、戦争指導上適時実施せらるべき措置 が遷延若くは放置 ある点 に
を具有 せしむ 企画院 総裁 を閣議 に列 せしむ
業拡充貿易振興及軍備増強なり
イ 東亜長 期に亙 る戦争指導上政府 の任務 は国力 の建 設強化即産
関し重要 なる二、三 の例を挙げれば左の如 し 由
企画院 の統轄力 を強化し総理大臣 との関係 を 一層緊密 にす
理
企画院 内に在 りては総務部 の統合 力を 一層強化し院内 の中 心を確 立す
然 るに此等 に関し吾人 の具案的提案 より夫 々産 業拡充 は 一年、 貿易振 興は半年 を閲し今尚活溌 なる総動員的処理 の具現 を見ず ロ 昨秋以来 日独関係強化と対英関係善処と対米資源確保とは本 方策 の具体的 に促進 せられたるを聞 かず本方策 には内容 ある総動
事変指導 のため三大要件なるを痛感 しあるも未だ之等 に関し 一大 員的経済措置 の附帯すべきものなりとす 事変以来八十万 の新失業者無言 の中小商 工業者乃至農民に対
し総動員的計画措置 の発動 を見ず然 るに現軍需産業竝 一般産業 拡
ハ 充上必要とす る労務 は多量 の不足を告げ つつあり 四、之 を要す るに総国力 の統合運用を戦争 の目的 と戦機と に即応 せ しめんが為 には総動員最高 の決定及指導 に関す る権限 の確立 を以 て 右確立 に依り陸海軍間統帥事項 の整頓 と相俟ち〓 に始めて政戦略
絶 対必須 の条件 となす の敏活緊密なる作用 を実現し以 て最高戦争指導機構を確立 し新時代 戦争 の要求 に応 じ得 べきものとす
針
一三 、 七 、 三 一 (第 一案 )
三、廣東作戦 の目的 は蒋政権 の主要補給路 を遮断すると共 に第三国
南岸は主義 として河岸 に沿 ふ諸要点 を制す るに止む
武勝關、南岳州附近 に持久戦線 の構成 を予期し武漢 以東 の揚子江
即氾濫黄河以西 の河南省 は概ね放棄 し武漢三鎮附 近占拠 の為北
一三、 八 、 一〇 (第 二案 ) (参 謀 本 部 第 一部 第 二 課 )
八 一 秋 季 作 戦 を 中 心 と す る戦 争 指 導 要 領
第一 方
活溌 なる作戦指導 と共 に各般 の施策を之 に統合 し以 て戦争終結 の 此 の間更 に総動員 、軍需動員を統 一強 化し国力建設及軍備 充実 を
機 を捕捉す
イ 急襲 果敢迅速 に廣東を攻略す
従て本作戦 は左 に準拠して之 を指導す
就中英国 の援蒋意志 を挫折せしむるに在り
ロ 爾後 は廣東附近 に位置 し粤漢線珠江西江を遮断 し緊縮持久 の
第二 戦 略 指 導 一、漢 口及廣東作戦 は成 るべく其時間的間隔 を短縮し て之 を指導す
態勢を取る
促進す
二、漢 口作戦 の目的は蒋政権 の最後的統 一中枢 たる武漢三鎮 の破摧
西南謀略 の助成 を顧慮す
一、漢 口攻略直前に在 りては国民政府方面 より又廣東 攻略直後 に在
第三 政 略 指 導
以 て方針となす
四、漢口及廣東作戦以外戦面を拡張す べき作戦は之 を実施 せざ るを
ロ
と徐州以来 の継続事業 たる黄河揚子江間制圧圏の完成 とに在 り 而 して本作戦 は敵兵力 に与 ふる打撃 の愈 〓大 なるに従 ひ其価値 を
武漢 三鎮奪取 のための作戦指導 は該地防禦に配置 せられたる
従て本作戦 は左 に準拠 して之 を指導す
益 〓増大す べし イ
りては国民政府 及第三国 を伴 ふ方面 より和議 の提唱発 生す ること あ
爾後 は極力戦面 の拡張 を制限 し緊縮持久 の態勢 を取 り漢 口附
ロ
るを予期す
敵 兵力 に対し可及的多 く の損害 を与 ふるの策を取 る 近には若干 の機動兵団を控置す
此 の二波を利導し日支関係 を 一新調整し適時本事変を終幕する こ と に努 む 之が為政略指導各般 の措置 は今夏季 に於 て 一斉 に推進 せらるべく
ロ
対独伊貿易 の強化並支那に於 ける利権附与等 に依 り経済的提
携を策 す
ハ 南 洋殖民地問題 の取扱 に依 り国際情勢を刺戟 利導す
く の外は 一般 に旧状復帰 を以 て原則 とす
イ 在 支英国既得権益 の処理に関す る基本観念は北支及上海 を除
六、在 支英国権益 の処理を秘 に考究準備 し事変解決 の鍵 を把握す
二、 一般戦争指導方針就中新 日支関係調整 方針を確立徹底 せしむ
右 二波 の機 に投ず るを要するものとす 三、中央政権樹立工作対蒋対西南等 の謀略を可及的強化促進す
ロ す
携 に就き研究準備す其 の他転向 の鍵 たるべき事項 に関 し研究準備
英国牽制 の策 として中支 に於 ける幣制 に関し日英支 の共同提
四、戦争指導機構を強化統 一し総動員 の実施 をし て 一層強調促進 す が統 一機構 の結成 に迄誘導す 総理大臣 に総動員指導権 の附与並企画院 の統合機能及内部 の
イ 陸軍内、陸海軍間戦争指導関係業務 の緊密敏活 を期 し逐次之 ロ 綜合機能強化 に依 り総動員 の強化並 一元処 理を促進す ハ 戦争指導 上の根本方針 に関 しては御前会議を仰ぐべく又重要 案件 に関 しては簡便敏活に軍 、政連絡会議 を開き以て逐次戦争指 導 に関 する国家 一元機構を誘導す 1、国力建設並新軍備充実 の為今年程度 の総動員、軍需動員 と
ニ 適時左 の事項を決定宣明す 戦費約五十億と の要求 は昭和十六年頃迄継続 すべく之 が決意 と 2、次期 の軍備 対象 は ﹁ソ﹂邦 なる ことを確認 し国力 の軍備 に
実行 の如何 とは皇 国興亡 の懸 る所以なる こと
る こと
対す る按配を当分 (概ね昭和十 六年頃迄)陸主海従 の主義 とす 五、日独伊提携 を強化 し本事変 の終結 に便す ると共 に我対 (ソ)国 イ
日独伊同盟 を促進締結 す
際態勢 を有利ならしむ
八二
一
令
大陸命第百八十八号 命
命 令 ・指 示
一、中支那派遣軍 ハ海軍 ト協同 シテ漢 口附近ノ要 地ヲ攻略占拠 スヘ シ此 ノ間成 ル ヘク多 クノ敵 ヲ撃破 スル ニ努 ム ヘシ
北支那方面軍司令 官伯爵 二
示
大陸指第 二百五十号 指
寺 内
壽
大陸命第 百八十 八号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
一 殿
一、陸海軍協定 ハ直接関係部隊間 ニ於 テ実施 ス ヘシ
昭和十 三年八月二十 二日
畑
俊
参謀 総 長
六
殿
載
仁
三、漢 口附近攻略後 ノ占拠 地域 ニ関 シテ ハ別 ニ指示 ス
中 支 那 派 遣 軍 司令 官
親
王
二、漢 口 ニ向 フ中支那派遣軍 ノ作戦 ハ信陽、岳州 、南昌附近 ヲ越 エ
王
テ行 ハス又北支那方面軍 ノ黄河及黄河氾水地域 ヲ越 エテ行 フ作戦 ハ
親
漢 口附近攻略後 ノ占拠地域 ハ勉 メテ之 ヲ緊縮 スヘシ 二、北支那方面軍 ハ中支那派遣軍 ノ作戦 ニ策応 シテ敵 ヲ牽制 スルニ
六 殿
仁
努 ム ヘシ
俊
載
行 ハサ ルモノトス
畑
参謀総長
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十 三年八月 二十二日 奉勅 伝 宣 中 支 那 派 遣 軍 司令 官
北支那方面軍司令官伯爵
寺
内
壽
一 殿
八三
第一 方
針
拾部 の内第弐号
(第 一案 )
(第 二 案 )
(第 三 案 )
( 参謀本部第一部第二課)
一三 、 九 、 二
右方針 は文武上下 一貫 に亙 り之 が徹底を期し乱雑奔放 なる各般 の
二 、 日支 関 係 調 整 に関 す る根 本 方 針 を確 定 し 御前 会 議 に於 て之 が聖 断 を仰 ぐ (別冊 対支処理 に関し現下 の戦 争指導 上速 に確 ) 立徹底すべき根本方針竝日支関係調整要項
一、漢 口攻 略 のた め の進 撃 を開 始 す
一三 、 八 、 二 四
戦争 終 結 に関 す る最 高指 導案 一三 、 八 、 一八
一、総帥自ら陣頭 に立ち断乎強 力 の自主的指導下 に年内 に於 て本事 変 の終結を期す
施 策を 一括整頓すると共に特 に ﹁支那人 の支那﹂なる観念 を透徹 せ
終結 の機は彼 に在 らずし て我 に在 り之 が為蒋 に対し其 立場転換 の 機 を与へ つつ早期且適時 に解決波を捕捉す るの態勢 に於 て日独伊合
国内特 に要路 に対し秘 に蒋下野 に関する幅 の観念 を培養 す
特 に国論 の紛糾竝対外就中対支悪影響 の併発 を厳戒す
)
イ
蒋 に対し解決条件竝自体 の転位 に関し提 示す
(
別冊戦
長現 しむ 次 ( 地指導
)
縦 の示威下 に漢 口へ進攻之 を略取し対英柔剛 の政略下 に急遽廣東 を
に関 す る
三、戦争指導機構 に関し政戦 両方面 に亙る統 一強化 を促 進す ︵争指導 機構案
)
奪取す 此の間政戦両略 の 一致 に依 り漢 口作戦 を中 心とす る解決第 一波 並
附録対 四、対蒋転機作為 の工作を実施し第 一波 を捕捉利導す 蒋 工作
て之 を捕捉す
ロ
廣東作戦 が誘発すべき解決第 二波 を準備利導 し百般 の措置 を尽くし 二、右解決両波捕捉に依 る戦争終結 の為 の凡有努 力遂 に成算なき に
蒋転位 の確約乃至実証 を得 ば戦線 を停止し勇断 以て国論 の大転換
月
イ
既成新政権 の合流
此 の際解決条件として既定調整要項 に対し左 の事項 を附加す
を指導 し 一挙明快 の事変解決 をなす
至 り〓 に軍 は勿論全国民就中政府要路をし て永久抗争不退転 の窮極 転機 の捕捉 に依 り戦 争 の終結 を企図す
決意 に立 たしめ以 て新持久戦争 の指導 に入り爾後 は情勢 の推移若は
九
第二 指 導 要 領
ロ
北 支 一定 地 域 及上 海 附 近 に於 け る保障 駐 兵
五 、 日独 俘 同 盟 を 中 旬迄 に促 進 締 結 し 之 を宣 明 し て合 縦 の勢 を示 し 国際 関 係 竝 蒋 政 権 を 威 圧 す る と共 に独 伊 に対 し ﹁チ エ コ﹂ 及 ﹁ス ペ イ ン﹂ 問 題 に関 す る積極 性 を使 嗾 誘 導 し 以 て英 ﹁ソ﹂ を欧 洲 に牽 制 す
取 に依り蒋及英 に対す る最後 の遮断を行 ふと共に其蒋及英 に与 ふる
此 の際列国就中英 を通ず る下野勧告乃至斡旋調停等 の発生 を予期
衝撃 を利導し て第 二波 の激成捕捉 に努む
し何 れも此等 は利導受 理すべく 以て極力事変 の解決 を期す
此 の時 に方り独英 は中欧 の問題 との関聯 に於 て徴妙 なる関係
るべく成 し得 れば後者を以て有利 とせん独 の単独斡旋 は支那之
に動く こと多 かるべく従 て当時 の合理的斡旋者は独英若 は米 た
を容認 せば益 〓可な るも之 が実現 は困難性あり英 の単 独斡旋我
別 冊対独伊親善強化対策及支那 対独伊経済提携具体案 を提示推進す 市 ( 場を中心とする日独伊 の経済 関 係
亦 回避 せず
)
六、対英 紛争 案件中軽易なるも のより著 々解決し其大半 を処 理す之
)
特 に英 に対 しては紛争案件 の解決 を益 〓促進す ると共 に廣東奪取
一〇、対独伊英 の諸施策を継続 推進す
共同 、英米共同、英仏 ﹁ソ﹂共同 の序列となす
我若 は英 の使嗾 に依 る米 の進出 、独英共同、英単独、英米独伊
従 て斡旋価値 の順位は自発的若 は支那 の泣訴 に依る米 の進出、
最も容易 ならん
我若 し自主的 に英単独斡旋 の利用を企図せば第二波 の利導、
が為 特に解決処理委員を編成し中央処理及現地指導 の敏活 を期す
)
支那に於 ける日英提携就中金融問題解決 に関する成案 を樹 立す此 冊支那に於け 際 特 に端的排英主義を戒 む 別 ( る日英提携方策
(
七、対内的 に戦意 を強調昂揚 し戦争 の持続と国力及軍備建設 のため 別冊戦 時態 現総動員続行 の旗幟を鮮 明にす 勢 強 化方策 十月及十 一月 八、漢口を攻略 して蒋 の最後的統 一中枢 を破摧すると共に第 一波 の
直後之 が衝動 を利導し提 示するに事変速決 せば在支権益大部を復活
余波を激 成捕捉す るに努む蒋 の転位具現 せば之を受 理す又此 の際列 国 の斡旋 調停等 の発生等を予期 し之 を利導す伹英 の斡旋 は共交渉時
二
月
一一、第 一波第 二波共 に逸 したる場合 には更 に 一層国論を振起 し絶
十
帥 の活眼 と機略 とを要 するや切なるも のあ り
英 を動 かす は廣東作戦 前後を通ず る政戦略柔剛 一途 の運用 に在 り総
速決 の労 を執 るに至らしむ事変解決 の関鍵 を握 る者は英なり而 して
べき旨 を以てし彼 をし て援蒋 の立場 より転 じて間接 若は直接 に事変
し且支那金融問題 を解決すべく若 し事変永続 せば此等 一切を喪失す
何 れも第 四項 に準拠し て之 を処 理し 一挙大乗的解決 を遂 ぐるを以
期 の重点を廣東作戦開始後となす如く指導す るを以て有利 となす
作 戦指導 は爾後 の緊縮持 久を顧慮 し前線を厳 に氾濫黄河漢 口及其
て方針となす 下流揚子江 の線 に統制す特に延焼的作戦 を戒む国力存 亡 の限界 は揚 子江 の 一線 に在 り 九、漢 口作戦 に可及的時 間的近接 を以 て廣東作戦 を指導 し廣東 の奪
ハ、蒋自体 の転位具現せば武士道 の本領 に於 て既往 を咎めず 已む
下野 に関す る 一方的認識
を得ざ るも若干 の改組及新 政権 の合流等 を併せ て新興政権 と見做
大不退転 の決意 を以 て徹底的緊縮持 久 の態勢 に転移し新戦争指導 の 段階 に入 る支那に対しては北支 の開発と中支 の制圧とを継続し つつ
れに舟行 の助 けならざるはなし只不用意 と内兜とを戒 むべき のみ
き者 は総 ての機会を失す応病投薬 、大波小波舟を進む べし皆夫れ夫
︹ 拱︺ 意志 にし て決定せば通達 の法 は各種あり道は自 ら通ず控手決意 な
三、提 示速絡 の方法
防共宣言及政府 の 一部改組
共産軍 に対する討伐若 は中央軍 の兵力集中
反共 ﹁クーデ タ ー﹂
め蒋自体其立場 を自証す るの方策たらしむ左の何れ にても可 なり
ハ、蒋 の転位は防共 の宣明を主とし帝国 の下野 に対する寛容 のた
場合 は基礎 事項 を骨子 とす る少数個条 に要約す
ロ、解決条件 の内容は日支関係調整要項 に準拠す之 を提示す べき
イ、民族窮 乏特 に共産禍害 の現実化に対し澎湃 たる停戦救国運動 ︹ 成︺ 等を醸製 する ことにより蒋転位 の外廓 工作 たらしむ
二、解決条件及蒋轉位
此際反動分子 の検束を準備し所要 に応 じ実行す
は大詔渙発 を奏請す
ニ、之 が決行は発動 に当 り内奏 の後最高要路者 の断行 に依 るか或
し取扱ふ
新政権 の実力強化を計 り内国力及軍備 の建設 に邁進す去 る 一月 の如 此 の際北支 の治安主義 と中支 の作戦主義 とを明確 にし特 に国力消
き不決意慢然 たる放言的移行 は厳 に之を戒 む 費 の多岐分散 を戒む 一二、爾後来 るべき第 二波余波 の受理は当時 に於 ける蒋 の統制力に 依り或は第 四項 に準拠し或は 一地方政権とし て之 を処 理すべきも要 は大乗 的に早期 に解決するを以て 一般 の方針となす 附 録 第 三 対蒋転機 の工作 一、蒋 の下野 に関す る幅 の観念 戦争目的を達成 し之を終局に導 く為蒋 の 一時的利用即ち ﹁下野 に 関す る幅 の観念﹂ の生 るる所とす 隠密裡 に軍、政少数最高要路者 に対し左 の主旨 を徹底す イ、 ﹁蒋政権対手 とせず﹂及 ﹁蒋下野﹂ は方便 にし て本質 に非ず 純粋戦争目的を把握 せば此等方便に関 する拘泥 は必要 なく又不利 ロ、 ﹁対手とせず﹂ の政略的声明は ﹁ 相 手とす る事変解決 に期待
なり 第 四理由参照 を掛 けず﹂ の御前会議本然 に還 るべく ﹁蒋下野 ﹂は公然且事前を
イ、蒋転位 の問題は速 かなるを要 し外務系陸軍系新政府系謀略系
ロ、解決条件及下野問題 は前項 対支系 の外 一般 に斡旋国を利用す
上海系 あり又斡旋発動 せば独国系英国系あり
指 すものにあらず 左 の何 れにても可なり 一時的隠遁若は外遊
将来 に於け る下野に関す る口約或は密約
又日支最高責任者適時直接会見 の法あり特別手段 として漢 口攻囲
準備 金全送 、産業及貿易 の萎縮 、国内 の疲憊等諸弊 の累積を来 たし
更 に之を国力 に鑑 みる に本年程度 の消耗継続 は明年度 に於 て国内
て何 ぞや
四、本工作 は現在行 ひつつある反蒋謀略 とは矛盾 せず即反蒋謀略は
次期国際転機 に乗ず るが為 の国力 及軍備 の充実 は 一大頓挫を来す べ
後 特使 の派遣 あり 対支戦争実行 のための直接的政略行為 にして猶戦略行為 に等 しけれ し
対 ﹁ソ﹂支 二国戦争準備完成 のためには今年程度 の総動員的努力
ばなり 由
の集 積 に依 るも尚且三年 乃至四年 の日子 を必要 とす若し依然継戦消
第四 理
耗する場合 には先づ 二倍 の年月 を要す るものと断ずべし
斯 くの如 き推移を以て次期国際転機 に逢看 せんか正 に悔を千載 に
一、戦 争目的 の明識 本事変 の純粋戦争目的は皇国国防圏 の設定と
遺すや明かなり即吾人当面 の事業 は国力及軍備 の建設満 洲 の育成等
日満支結合 のための 一歩前進 とに在り 之 が為此際確立 を要するは対 ﹁ソ﹂戦準備 の問題 と十年日支偃武
余 りに多 し当分北支建設 にすら余力 に乏 し況んや尨大 の全支 をや当
分支那 に及 ぼし得べき力 は単 に北支埋蔵資源 の 一部開 発 のみ即国力
今 全支に対 し何を求めんとす るや支那を以て第 二満洲国 たらしむ
限度 の見地 よりは速 に 一挙解決 の要 あるものとす
となり即求 むる所 は戦略 上並経済上 に於ける北支及上海 の範域なり るは不要 にして又我国力上 不可能なり
而 して再戦 の虞 れは継戦 の場合 と 一決 の場合と其形態 を異 にす る
此 の点北支 のみに就 て見 るも亦然 り 二、継戦及再戦 の弁 今 や継戦若は再戦 に関す る断案 の岐路 に立 つ
而 して 一決 の場 合 には北支及上海 に於 て ﹁ソ﹂支二国 に対す る戦
のみにして対 ﹁ソ﹂開戦 の場合必ず何 れにも附 帯すべき事項 なり
略態勢 の優位 を確 立し支那 の反溌 を制限するは某程度 可能 の事 に属
の思想 を生ず然れども共本質は国力消耗 を継続 しつつ対 ﹁ソ﹂支二
各個撃破徹底 の観念より継戦 の思想を生じ国力保存 の観念より 一決 国戦争 に入 るや或 は 一時消耗を建 設 に転換 し国 力 及 軍備 充 実後 対
の駆逐後 に期待 さるべきも のなる ことを附言す
全面的 に解決 するに足らず之が完 整は正 に我国力 の充実及 ﹁ソ﹂英
何 れの形式とするも次期 日支再戦 のみを以てしては尚 日支問題を
するものな り
比し毎年十倍 の努力 を要 せん此 の間少 くも日 ﹁ソ﹂ 一戦 の機発生す
継戦 は少くも現戦 面を十年間保持 するの覚悟を要 し且満洲建設 に
﹁ソ﹂支 二国戦争 に入るやの差違 に帰着 す
べく残存 の志士 は奮起すべく中原内部 又全面的 に動揺 せん即斯く の 如き尨大なる国土と人 口とを擁 する国家 に対し ては所謂欧米流各個
の戦争 目的 は情報 に依る に彼 既 に概 ね承服 しあり更 に之以上 の消耗
三、 一決 の機 の所在
は 一兵 一弾 と難徒費徒労なり
戦争終結 の機 は彼 に在 らず して我 に在り純粋
撃破 の可能性 は殆 んど之無 しと見 るべく加 ふるに第 三国 の我消耗を 待 つあり其術中 に陥らんか是東亜就中皇国自体減亡 の兆 にあらず し
何 の故 に継 戦 を要 す る や更 に継戦 し た り とし て第 二満 洲 国 た ら し む る こと の不要 不可 能 な るを 確 認 す る と き十 年 の努 力後 得 る も の は 即 前 掲 純 粋戦 争 目的 への還 元 な らず や然 る に斯 く の如 き自 明 一決 の
な り﹂ 蒋 は 下 野 に関 し て の み寛 容 を乞 ひ我 は蒋 の下 野 を絶 対 と なす
機 を阻 害 す る も のは何 ぞ や声 を大 にし て 曰く ﹁蒋 下 野 に対 す る拘 泥
百 万 の軍 を動 か し つ つあ る戦 争 の目 的 が其 本 質 純 粋 性 よ り離 脱 し て蒋 一個 の首 級 に懸 る に至 れ り今 や総 帥 は断 を以 て此 の迷 妄錯 誤 よ り国 家 を救 出 す る の要 あ り 一決 の機 に蒋 の地位 を利 用 す る の方策 を 況 ん や 明快 な る 一挙 解 決 には 対象 中 心 の存 在 を 必要
とす る に於 て お や
取 り て は如 何
本 秋 季 に於 て蒋 は統 一中 枢 た る の存 在 と し て最 後 の関 頭 に立 つ解 決 の波 は秋 季 作 戦 の前 と後 と 二波 あ り 後 のも の は第 三国 を 交 ふ波 来 る と も控 手 無 為 なる 所 機 は逸 せ ら れ ん の み波 と は追 随 屈 従 的 工 作 の 謂 に非 ず し て自 主 的 戦 機 の捕 捉 を謂 ふ小 波 中 波既 に到 来 し つ つあ り 盲 目無 神 の徒 は感 知 す る所 な し具 眼 の士 は宜 し く之 が機 微 を捉 へて 助成 し激 成 し利 導 す べ し而 し て之 が捕 捉 は秋 季作 戦前 を 以 て上 策 と な し作 戦 中 を以 て中 策 と な し作 戦 後 を以 て下 策 と な し尽 く 逸 す るを 以 て無 策 と な す 一決 の機 は我 に在 り須 ら く 我自 ら下 野 問 題 に関 す る寛 容 を持 し 蒋 に対 し 我意 志 を 明示 し対 日 対 内 の転 機 を作 為 せし め 作戦 、 対内 、 外 交 の施 策 秋 季 一決 の方 寸 に凝 集 帰 一せし む べ し 解 決 の鍵 は 国 力 窮 乏 以前 に在 り長 陣 乱 を 生ず る は古 今 の鉄則 な り 皇 国 興 亡 の懸 る所 総帥 方 に快 刀勇 断 の秋 な り
八四
︹板垣征四郎中将︺
( 十三年九月五日)
に於 け る積 極 的 の軍 事 行 動 は 一段 落 な り と の こと な り。 然 ら ば 所謂
将 又 陸相 累 次 の御 話 に よ れば 、 漢 口、廣 東 の始 末 が付 け ば 、 陸 上
該 出 兵 は漢 口攻 略 後 に実 施 す る を 適 当 な り と認 め ら る。
就 ては別 紙 ﹁廣 東 攻 略 に伴 ひ考 慮 を要 す べ き諸 点 ﹂ に示 せ る如 く 、
面 白 からざ る関 係 を生 ず る の虞 あ り 。
国 際 感 情 の緩 和 し居 ら ざ る所 に 、 更 に大 な る刺 戟 衝 動 を与 へ、頗 る
廣 東 出 兵 に 関 す る 外 務 当 局 の意 見
去 る 二 日陸 相 来訪 、廣 東 方 面 への出 兵 に関 し て 一応 の説 明 を与 へ
へ数 日間 の猶 予 を求 め て考 慮 し且 研 究 す る こと と せり 。 考 究 の結 果
ら れ即 答 を求 め ら れ た る が 、即 答 を為 す に は事 余 り に重 大 な り と考
としては
威 を 示 し又 蒋 軍 補給 の根 拠 を剿 滅 す る こと は 必要 な り と常 々よ り考
漢 口、廣 東 の作 戦 は、 対 蒋 軍 事 行 動 の最 後 を飾 る べき 華 にし て、 又
政 、戦 両 略 上 及両 廣 地方 民 心 の傾 向等 に照 し該 方 面 に出 兵 し て皇
慮 し居 る所 な るも 、其 の出 兵 の時 期 に就 て は今 日 に於 ては 、大 乗 的
に ても あ り 、軍 事 的 成 果 の偉 大 と 完 全 を期 す る と共 に、 爾 後 の政略
此 処 に政略 が 、軍 略 に代 り時 局 の前 線 に進 出 活 動 す べ き 転 換 の要 機
運 用 に有利 な る素 地 を作 るべ き余 裕 を与 ふ る意 味 合 よ り 、 同時 に 二
に戦 局 の収 拾 、 戦後 の経 営 等 に も想 到 し て 、南 支 に深 き 利 害 を有 す
兎 を追 はず 、 又余 り 事 を 急 が ざ る 方得 策 な りと 思 惟 す 。
る列 国 にも 余 り深 刻 な る刺 戟 衝 動 を 与 ふ る こと は、 出 来 る丈 け避 け る様 努 む る こと賢 明 な り、 之 が為 には事 前 及 事 中 を通 し て、相 当 の
然 れ ど も用 兵 上 是 非 と も急 を要 す る と の事 な れ ば 、漢 口攻 略 前 の
工作 を行 ふ こと肝 要 な り。 然 る に事 前 の準 備 工作 と も看 做 し得 べ き対 列 国 関 係 の懸案 の如 き
を払 は る る こと を要 望 す。
一、 用 兵 上 支 障 を生 ぜざ る範 囲 に於 て は、 勉 め て出 兵 を 予想 漢 口陥
出 兵 も 已む を得 ざ る べ き も 、其 の際 に於 ては 左 の件 々 に十分 に注 意
落 の時 期 に近 づ け 、国 際 関 係 調 節 の為 め余 裕 を 与 ふ べ き こと。
は、 其 の解決 遅 々とし て進 捗 せず 、将 又 廣 東 地 方 の軍 事 的 価 値 は 、
より 、 従来 よ りも漸 次 減 少 し来 る や の感 あ る 今 日 、突 如 とし て廣 東
蒋 介 石 軍 の四川 、雲 貴 方 面 退 避 、漢 口死 守 、 粤 漢鉄 道 杜 絶 等 の噂 に
出 兵 を行 ふ に至 り て は 、政 略 出 兵 な り と の疑 惑 を生 ぜ し め 、只 さ へ
二、 今 日迄 列 国 と の協 和 を害 す る重 要 原因 た りし 各 種 懸 案 を急 速 に
即 ち 帝国 政 府 は英 国 竝 に其他 の国 に対 し、 廣 東 方 面 を 攻略 せず と
き あり度 し と述 べ た り。
南 京 条 約 ) 九龍 租 借 地及 其 の附 近 一帯 の租 借 水 面 (一八 九 八年 の
香 港 方 面 に付 て言 へば 、英 国 の領 土 た る香 港島 (一八 四 二年
香 港 地域 拡 張 に関 す る条 約 ) あ り 。
イ
二 、廣 東 附 近 に於 け る英 国側 主 要 権 益
分考 慮 す べ き 旨 を英 国側 に了 解 せし め 居 る のみ な り。
占領 す る こと必 要 と な り た る場 合 には 、 香 港 と の機微 な る関 係 を十
の約 束 を与 へた る こと な し 。唯 上 記 の通 り、 若 し香 港附 近 の島 嶼 を
解 決 す べ く協 力 す る こと。
一
三、 出 兵 に際 し て は別 紙 所 載 の諸 点 に就 き十 分 に注意 す る こと 。
別紙 廣 東 攻 略 に伴 ひ考 慮 を要 す べ き諸 点
イ
ロ
一、外 交 上 の経 緯
使 よ り若 し 日本 側 に於 て香 港 近 く を攻 撃 せ ら る る こと と な ら ば 、
本 年 一月 六 日廣 田大 臣 ﹁ク レイ ギ ー﹂ 英 大 使 会 談 の際 、英 大
英 国 側 を刺 戟 す る こと甚 大 な る べ し と述 べ た る に対 し 、廣 田大 臣
沙 面 の約 五分 の四 を 占 む 。
の権 益 あ り、 又各 種 の通 商 航 海 条 約 に基 く 通商 航 海 上 の権 益 は 、
其 の他 廣 九鉄 道 、粤 漢 鉄 道 、 廣 梅 鉄 道 に関 す る英 国 の借 款 上
廣 東 に付 て言 へば 、 一八 六 一年 の協 定 に基 く英 国租 界 あ り、
は 日 本 側 に於 て今 の所 斯 の如 き 計 画 な き も廣 東 に対 す る 点 は蒋 介
ハ
本 年 二 月 九 日廣 田大 臣 ﹁ク レイギ ー﹂ 大 使 と 海 南島 問題 に関
石 の出 様如 何 に依 る訳 な りと 応酬 せ り。 ロ
し会 談 の際 英 大 使 よ り、 日 本側 に於 て香 港 附 近 の島嶼 を占 領 せば
下 の所 香 港 附 近 の島 嶼 を 占領 す る考 な き も 右 占領 が 必要 とな り た
廣 東 地 方 を 攻略 す る ことは 、 如何 な る場 合 にも 英 国 側 に対 し大 な る
関 す る最 初 に し て 又最 後 の拠 点 な り と 云 ふ べく 、随 て之 に近接 せ る
三、 要 す る に香 港 は政 治 経 済 の両 方 面 よ り見 て 、英 国 の対 支活 動 に
と心 得 、 間 違 な か る べし 。
略 々英 国 が上 海 及揚 子江 に付 有 す るも のと性 質 を同 じく す る も の
る場 合 に於 ても香 港 と の機 微 な る関 係 を 十 分考 慮 す べし と述 べ た
問 題 を惹 起 す る惧 あ り と述 べ た る に対 し 、 廣 田 大 臣 よ り我 方 は目
り。
衝 撃 を 与 ふ る ことと な るべ き に付 、英 国 側 の既 得 権 益 のみ な らず 其
本 年 六 月 二十 八 日宇 垣 大 臣 ﹁ク レイ ギ ー ﹂大 使 と 会 談 の際 、
ハ
我軍 事 行 動 の結 果 に伴 ふ英 国 側 権 益 の侵 害 に付 て は 、極 力 之
の国 民 的感 情 に付 ても 、最 も細 心 な る注 意 を払 ふを 要 す 。 従 て
を 避 く る こと を要 し 、殊 に突発 的 椿 事 を惹 起 す るが如 き こと は絶
イ
大 臣 より 、帝 国 政 府 と し て は海 南 島 占領 の意 思 を有 せざ る こと は
に立到 らば 、或 は海 南 島 を 攻 撃 す る こと あ り得 べ き も 、右 は固 よ
対慎 まざ る べ からず 。
屡 々声 明 の通 な る が 、将 来 軍 事 行 動 の廣 東 方 面 に及 ぶが 如 き事 態
り領 土 的 野 心 に基 く も の に非 ざ る旨 答 へ た る 処 、﹁ク﹂ は海 南 島
ロ
之 が為 に は軍事 行動 は 、成 る可 く 英 国 領 土 、 租借 地域 及 水 面
の占 領 は英 国 に於 ても 種 々偏 見 を 以 て見 るべ き に付 十 分 御 含 み置
が第 三国殊 に英 国 を捲 込 ま ん とす る 謀略 に は絶 対引 掛 け ら れざ る
を敬 遠 す る こと問 題 発 生 を避 く る実 際的 方 法 な る べく 、 又支 那 側
原 の守 を 失 ひ た る後 と て士 気 沮 喪 し居 り 、漢 口陥 落 前 の攻 略 に比
ロ
なり。
ふ 方 英 国側 の人 心 に対 す る衝 撃尠 かる べ きは 当 然 想 像 せ ら る る処
返 す こと と も な らば 、 勢 ひ香 港 附 近 及其 の他 の英 国 権 益 に不 慮 の
廣 東 攻略 の際 敵 軍 の戦 闘 意 識 強 烈 にし て、 各 方 面 に激 戦 を 繰 り
較 し 我 方 の攻 略 容 易 とな るべ し
漢 口陥 落 の後 、廣 東 攻 略 を 行 ふ場 合 に は、 廣 東 軍 側 も 既 に中
様 注 意 す るは勿 論 、英 国 側 自 身 が此 の種 謀 略 を用 ふ る こと にも充
軍 事 行 動 開始 に当 り て は、 適 当 の時 期 を見 計 ら ひ、 英 国側 に
分 警 戒 す る こと肝 要 な る べ し。 ハ
災 害 を 与 へ英 国 と の間 に思 はざ る事端 を醸 す 惧 もあ り、 対 外 関 係
対 し 我方 の目 的 を 明 にし 、香 港 を中 心 と す る英 国 側 権 益 は十 分尊 重 せ ら るべ き こと を 了解 せ し め 、以 て無 用 の猜 疑 心竝 に感 情 の昂
る が如 き 状 勢 の下 に行 ふ方 適 当 な り 。
を 考 慮 せ ば 、廣 東 攻 略 戦 は出 来 る丈 け激 戦 な く し て終 了 せ し め得
奮 を惹 起 せし め ざ る 様 手 を打 ち置 く 必 要 あ る べ し 。 四、廣 東 攻 略 に関連 し 海南 島 攻略 も亦 併 せ て考慮 せ ら る る こと あ る
て最 も適 当 な り と思 惟 せ ら る。
以 上 を考 慮 す る に廣 東 攻 略 は漢 口攻 略後 とす る こと政 略 上 より 見
べ き も 、海 南 島 を我 方 に於 て占 領 の意 図 な き 次第 は 、前 記 英 国 大使
の攻 略 は単 に仏 国 に対 す る に止 ま らず 、 香 港 を 有 す る英 国 に対 し て
と の会 談 の際 宇 垣 大臣 よ り言 明 し た る通 り な る のみ な らず 、海 南島
も同 様 大 な る衝 撃 を 与 ふべ く 、現 に英 国 大 使 は 我 方 に 対 し機 会 あ る 毎 に、 廣東 攻 略 の意 図 と 共 に海南 島 攻 略 の意 向 に付 て も質 問 す るを 怠 ら ざ り し 次第 なり 。 随 て廣 東 攻略 と同 時 に海 南 島 攻 略 を行 ふ が如 き こと あ らば 、 英 国 を 極度 に刺戟 し事 態 を深 刻 化 せ し む る のみな ら ず 、英 仏 の聯 繋 を不 必 要 に堅 く し 、国 際 共 同 戦 線 の結成 に歩 を進 め し む る の虞 あ り。 仍 て廣東 攻 略 を決 行 す る に当 り ては 、厳 に海 南 島 攻 略 問 題 を切 離 す の方 針 を 、 確 立 し置 く こと 肝 要 な り 。
日本 軍 漢 口占領 の後 は 、 次 に来 るも のは 廣東 攻略 な りと の説
五 、廣 東 攻略 の時 機 に付 考 慮 す る に イ
漸 次常 識 化 す べ き を 以 て 、英 国 側 も廣 東 攻 略問 題 に は或 る程 度 諦 め の念 も生 ず べ く 、漢 口攻 略前 ︱ ︱ 英 国 側 に 心 の準備 未 だ出 来 ざ る内 に︱︱ 突 如廣 東 攻 略 の挙 に出 づ る よ り も 、 漢 口 陥落 後 之 を行
拝
啓
八五
錢 永 銘 、 杜 月 笙 帰 滬 に 関 す る件
錢 永銘 杜 月 笙 両 氏 帰滬 は結 構 也 帰 滬 後 の生命 財 産 之 保 障 、 行動 の
匆々
自 由 を許 す 件 は承 知 致候 陸 海 両 相 も承 認 済 、 尚蔵 相 は進 ん で事 業 の 協 同 提携 の経 営 をも 望 み あ り 、右 御 含 み の上 可然 願 上 候
侍史
閣下
成
中
九月十六日
林
将
一 小
︹ 註 ︺ 昭和十 三年九月十六日 ニシテ宇 垣 (一成)外相 ヨリ小林 ( 省三郎) 中将 ニ宛 テタ ルモノナリ。
令
八六
一
大陸命第 二百 一号 命
命 令 ・指 示
一、大本営 は漢 口攻略と相前後 して南支那 に於ける敵 の重要なる策 源 を奪ひ其主要なる対外連絡補給路を遮断す るため廣東附近要地 の 占拠 を企図す 二、第二十 一軍司令官は海軍 と協同し て廣東附近 の要 地を攻略すべ し
第二十 一軍司令官
古
古
莊 幹
莊 幹
郎
郎
殿
殿
参謀総長 臺 湾 軍 司令 官 二
示
大陸指第二百七十 三号 指
大陸命第二百 一号 に基 き左 の如く指 示す
一、第 二十 一軍 の輸送 及上陸 を左 の如く概定す
第 一輸送船団 ( 約 四十万噸) ︹バイヤス︺ 白耶土湾岸 十 月中旬 の頃
廣東 攻略後 の占拠地域に関 しては別命す 三、臺湾軍司令官は第 二十 一軍 の兵站 に関 し援助すべし
第 二輸送船団 ( 約 二十万噸)
第三輸送船団 (約 二十万噸)
右 に追及す
四、細項 に関 しては参謀総長をして指示 せしむ 昭和十三年 九月十九日 奉勅伝宣
載
仁
親
王
珠江岸 (
主力を以て先づ速 に虎門 十 ) 月下旬 の頃 要塞 を奪取す るも のとす
爾後到着する船団 の上陸 地点 は情況 に依り白耶 土湾岸又は珠江 上陸竝爾後 の作戦指 導 のため別冊 ﹁廣東作戦要領﹂参考 とし て交
岸 とす 付す に準拠 すべし
二、海軍 との協同作戦 に関 しては別 冊 ﹁廣東作戦陸海軍中央協定﹂ 細部 に関しては更 に第五艦隊司令長官 と協定す るを要 す 三、第 三国 の領域竝権益を尊重し不用意 なる紛争 の惹起 を防止す る を要す 四、廣東 攻略後 の占拠地域は廣東 、虎門 を中心とし九廣 及粤漢鉄道
幹 郎
参謀 総長 殿
載
仁
親
王
竝珠江水路を遮断す るに必要 なる範 囲に限定 せら るる予定 なり
莊
五、兵站及交通に関 しては別 に指 示す
古
昭和十三年九月十九 日 第 二十 一軍司令官
八 七
土 肥 原 中 将 ニ与 フ ル指 示 ( 昭和十三年十月七日 五相会議決定)
貴 官 ノ任 務 ハ従 前 ノ如 シ ト雖 特 ニ先 ツ ﹁蒋 ﹂ 政 権 ノ切 崩 シ工作 ニ
﹁ 唐 紹 儀 ﹂ ノ逝 去 ニ伴 フ新 中 央 政 権樹 立難 ヲ補 フ意 味 合 ニ於 テ モ
重 点 ヲ指 向 ス ヘシ
貴 機 関 ノ行 フ ヘキ主 ナ ル工作 ニ関 ス ル当 会 議 ノ腹 案 左 ノ如 シ
中堅 タ ル ヘキ壮青 年層 ノ把 握 ハ将 来 益 〓其 意 義 ヲ増 大 ス ヘシ
一、新 政 権 樹 立 準備 工作
﹁ 唐 紹 儀 ﹂ ノ遺 営 ヲ通 ス ル工 作
﹁呉 佩 孚 ﹂ ﹁ 〓 雲 鵬 ﹂ ﹁旧 東 北 軍 ﹂ ニ対 ス ル工作
対廣 東 、 廣 西 工作
﹁瀟 振 瀛 ﹂ ヲ通 ス ル工作
一、 ﹁蒋 ﹂ 政 権 切崩 シノ為 ノ工作
﹁高 宗 武 ﹂ ヲ通 ス ル工作 ﹁李 宗 仁 ﹂ ﹁ 白 崇 禧 ﹂ ニ対 ス ル工作
八八
示
大陸指第 三百十五号 指
指
大陸 命第百 八十八号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス
示
一、武漢 地方攻略作戦 ノ終末 ハ概 ネ信陽 、岳州、徳安附近 ヲ限界 ト ス 二、第 二軍 ノ補給 ハナ ルヘク速 カ ニ揚子江方面 ニ転換 スヘシ 三、明春以降安慶 ( 含 ム)以西 ニ於ケ ル中支那派遣軍 ノ兵力 ハ概 ネ 六箇師団 ト予定 ス 四、中支那派遣軍司令官 ハ概ネ十 二月中旬頃 マテ ニ波 田支隊 及常設 ニアラシム ヘシ
俊
六 殿
参謀総長
載
仁
親
王
師団 二箇 ヲ南京附 近 ニ集結 シテ大本営爾後 ノ使用 ニ供 シ得 ルノ準備
畑
昭和十三年十月二十五 日 中支那派遣軍司令官
目
八九
次
至 昭 和 十 三年 十 一月
第 二軍作 戦 経過 概 要 ( 補遺) 自 昭 和 十 三年 七 月
( 第 二軍司令部)
経由廬州 に南下するも の、青島経由安慶 に上陸 して北上するも の及
南津浦線路盤 の不良 、淮河 の渡河、蚌埠 、︱︱ 廬州道 の不良等 の難
浦 口より西進するも のの三路にし て其蚌埠 を経由す るも のは固鎮以
点 あり加 ふる に淮 河氾濫 の増大、暴風雨 の障礙 、虎疫 の続発等集中
中 光州商城に向ふ作戦
集 信陽 の攻略及大 別山系突破作戦
十第十六師団 の主力等人約九万六千、馬約 一万 七千、車輛類約 一万、
第 一期
貨物約十 一万四千梱 の渡河 を遂に完 了せり又安慶 を経由するも のは
第 二期 局
効程 を阻むも の尠 からざりしも七月中旬 乃至八月下旬 の間に於 て第
表
武漢平地に於 ける追撃作戦
終
第 三期 附
砲兵、自動車及兵站諸部隊 にして安慶 以北 の道路 の素質 は最 も良好
図
( 省略)
附
なるも青島 、安慶間 の船腹 及安慶揚搭能力 に依 り制限あり鋭意之 が
ぶ自動車部隊 を集中 せしむるを得 たり而し て浦 口より和縣、巣縣を
増強を図り七月下旬乃至九月下旬 の間 に砲兵部隊 の外四十中隊 に及
経て陸路西進す るも のは道路 の素質不良な るのみならず諸所敵 の為
中
昭和十三年七月上旬軍 の戦闘序列改定 せられ同月中旬軍 司令部南
大破壊 せら れ且沿道 兵匪 の出没比較的多 かりしも第 三師団等 の集 中
集
の為陸路を選ばんか淮河 の氾濫す るあり、海路を採 らんか船腹 と揚
京 に移 る、当時軍配属 諸部隊 は遠く山西省 より杭州間に散在 し集中 子江岸揚搭能力 とに限度あり加 ふるに集中地附近 の地形 は道路 の利
三師団 の外第十師団主力竝所要 の後方部隊 の集中を終り第 十六師団
斯く て八月下旬軍 の進発時 に於 ては従来廬州附近 に在 りたる第十
に併用し末期 に於ては淮南鉄道 の補 修進捗 に伴 ひ之をも利用せり
用すべきもの少き等幾多 の難点 あり たるも遂 に此等 を克服凌駕し て 作戦 の遂行 に支障なからしめ得たり集 中 の経路 は津浦線 に由 り蚌埠
近 の如き未曾有 の徹底的破壊を施 しありて第 一線 の行動就中車輛部
八月 二十日、軍は八月下旬行動を起し当面 の敵 を撃破 し 一挙光州
しむる の外交通 を統制し降雨等に方 りては通過を禁 止す る等総ゆ る
を野戦輸送司令官 の指揮 に属 し第 一線 の進出 に跟随之 が補修 に任せ
六安︱︱ 葉家集 ︱ ︱商城︱ ︱光州道 及廬州︱ ︱桃鎮 ︱︱六安道を統
隊 の追 及困難 を極む軍は交通補給 の万全 を期せんが為特 に廬州︱︱
商城 の線 に進出し爾後信陽方面竝漢 口北方 地区に向 ふ作戦 を準備 す ︹ 篠塚義男中将︺ ︹ 荻洲立兵中将︺ るに決 し第十師団は光州附近 に進出し て概 ね信陽方面 に又第十三師
手段 を講 じ師団 に於 ても亦道路修築隊 を進め て前進 し第十師団は特
第 一期 光州商城 に向 ふ作戦
第 三師団等 は引続き行動中 なり
団 は商城附近 に進出 して概 ね漢 口北方地区に向ふ作戦 を準備すべき
に接す乃ち軍 は翌 二十三日戦 闘司令所 を廬州 に開設し次 で二十 五日 ︹ 中将東久邇宮稔彦王︺ ︹ 藤田進中将︺ 軍司令 官宮殿下亦同地 に馬を進 めさせらる又 二十五日第 三師団 を軍
戦地境 を天望山 、英山、羅田、道観 河、柳子港 の線 に延伸する の命
進出し爾後信陽方面竝漢 口北側地区に向ふ前進を準備すべき旨竝作
均 四十名 を算 するに過ぎざ る状態 にし て 一面歩兵聯隊長 の罹病 、大
に拠 るに会し師団は各種 の手段を尽し て力攻せるも死傷千数百に達
るもの富金山、八〇〇高 地等険峻 なる地形と之 に設けあ る既設陣 地
於 て阻止 せんが為急派 せる宋希濂 の率 ゐる中央直系数師を基幹 とす
も偶 〓我軍 の不意 且神速 なる西進 に周章せる敵 の我 を葉家集附 近に
河し敵 をして既設陣 地 に拠 る余裕 を与 ふることなく左岸 に進出 せる
九月 二日、史河河畔 に進出 せる第十三師団は前記 の如く逸早く渡
に所要兵力 を駄馬編成 に改 むる等 の処置 を講ぜり
制道路 とし独立 工兵及後備 工兵部隊 、道路構築隊 の全力 を挙げ て之
旨発令す 八月 二十二日、中支那派遣軍 (以下派遣軍 と称す) より八月下旬
の戦闘序列 に編入せら る
隊長、聯隊副官 の死傷多数 にして、特設師団 の戦力上影響すると こ
現集中地 より行動 を起 し所在 の敵を撃破 し つつ先づ光州商城 の線 に
八月二十七 日、明治 天皇御即位 の嘉辰を以 て第 十、第 十三師団 は ︹ 藤江恵輔中将︺ 金橋、椿樹崗 の線 より行動を開始す此 日第十六師 団長廬 州に到着 し
せるの外落伍者 (マラリヤ)等 に因 る減耗著 しく歩兵中隊 の人員平
同師団 の部隊逐次集中中なり
ろ尠 からず為 に 一挙突破困難 なりしも逐次独立機関銃、独立軽装甲
此間軍 は第十三師団 正面 に蝟集 せる敵を捕 捉して軍爾後 の作戦遂
八月二十八 日、第十師団は六安 を又翌 二十九日第 十三師団 は霍山
行 を容易ならしめんが為当時黎家集を経て固始 に向 ひ前進中 なりし、
車 、野砲等到着するに及 び遂 に十 一日夜左翼 の鎖鑰 たる富金山 を又
領 し同夜史河 の敵前渡河を敢 行して其左岸 に進出 す此間 八月二十九
第十師団 の有力なる 一部を敵 の退路を遮断す る如く武廟集若 は方家
翌朝右翼 の要衝八〇〇高 地を屠り爰 に戦闘急速 に進展す
日乃至 九月 一日晴天続 き炎熱甚 しく昼間百十余度 に騰 りたるが当時
を占領 し共に〓河を渡河し て西進 を続 け第十三師 団は獨 山鎮姚李〓
携帯糧食等 の負担量多 く給水亦十分 ならず為 に落伍者多く渇病患者
集方向 に突進 して第十 三師団 に協力せしむるの処置を講 じ歩兵第六
等 に於 て敵 を撃破した る後九月二日史河 の線 に進出 同日葉家集 を占
亦発生す道路は予想 の如 く不良加 ふるに敵 の破壊甚 しく就中六安附
を撃破 して追撃 を続 け十六日商城を攻略 し第十 三師団亦同地附 近に
十 二日攻撃 前進を開始 し恰 かも戦 闘 の進展 せる第十三師 団と共 に敵
路 を遮断すべきを命 じ且之 に瀬谷支隊等 を配属 せり、第 十六師団 は
方家集︱︱商 城道 ( 含む)北側地区を商城方向 に突進 し敵主力 の退
し第十六師 団 に対し九 日其主力 の葉家集到着 に伴 ひ概 ね葉家集 ︱︱
優勢な る敵 を該方面 に抑留 せり又軍は当時葉家集方向 に前進 中なり
十 三聯隊を基幹 とす る瀬谷支隊之 に任じ支隊 は樟柏嶺 附近に進出 し
商城 を確保し て日軍 の西進 を阻止し其間胡宗南 は其軍及 四川軍野砲、
十五日附孫連仲 の下 せる命令 に依 れば張自忠軍 及孫連仲軍は光州及
たる宋希濂 の三師 及胡宗南 の約三師等十数師を加 へあり而し て九月
外新 に増加 せられたる韋雲湘及四川軍に属する三、四師竝中央直系
るが軍主力 の光州商城 の線 に進出する頃 に於 ては于學忠軍 の二師 の
( 孫連仲)た る孫 連仲、張自忠、馮治安軍等十師余 と判断しありた
軍 の作戦行動開始 前に於 ては当面 の敵 兵力を第 五戦 区 左翼 兵団
戦車各 一団を率 ゐ二十日迄 に信陽附近 一帯 に集 中するものの如し
一部 を以 て大別山山系 を突破し第十 一軍 の揚子江北岸部隊 に策応し
之 より先九月六日派遣軍 より適時光州商城 の線より前進 を続行し
第 二期 信陽 の攻略及大別山系突破作戦
達す す る敵 を逐 次撃破 して十四日光州東 方地区に進出し歩 兵 の 一部 及砲
て漢 口北側地区 に向ひ前進 せしめ主力を以て信 陽方向 に進出 し敵を
第十師団 は岡 田支隊を以て九月 七日固始 を占領し爾 後頑強 に抵抗 兵 の主力 を以 て本道 に沿ひ光州東 方に向 ひ攻撃 せしめ主力を挙 げて
を容易 ならしむ即ち九月十 七日第十師団は岡田支隊 (歩兵 四大隊基
光州商城 の線 に到着せる各師団 は直 に 一部を先遣 して爾後 の作戦
準備す べきを命 じ十九日更 に二十 二日以後随時 進発すべきを命ぜり
第十六師団は宋埠方向 に、第十三師 団は白 杲方向に向 ふ前進を夫 〓
破 し武漢平地 に進出 して廣濟方面 に在 る敵 の退路 を遮断す るに決し
の機迫 るや十五日軍 は第十三、第 十六師団を以て速 に大別山系を突
求 めて攻撃すべき旨 の命 に接 したるが第 一線兵団光州商城 の線到着
光州西北方 地区に迂 回し敵 の虚を衝 き十七 日之を攻略 す 九月十七日不良 なる天候 を冒 し軍司令官宮殿下空中 より第 一線 を
幹)を第十六師団 は篠原少将 の指揮す る部隊 ( 歩 兵三大隊基幹) を
十師団 に対し適時進発すべきを又第三師団 には其兵力 を推進 して随
略 して大別山北麓 地区に於 ける敵 の根拠 を覆滅する為 九月二十 日第
御視察 あらせらる
又翌十八日第十 三師団は沼田支隊 ( 歩兵 六大隊基幹) を夫 々進発 せ しめ二十 一日岡 田支隊は逸 早く羅山 を占領し篠原少将 の指揮す る部
隊必死 の努力 に拘らず主力 の進発時期遷延す るの已むなきに至 る、
しく車輔 の交通全く杜絶 す為 に各師団 の補給 の円滑を欠き道路補修
然 るに九月十七日 より霖 雨ありて二十 二日 に及び路 面柔軟泥濘甚
時軍当面 の戦闘 に参与する の準備 にあ るべき を命ぜり
又軍 は第十、第 三師団 を以 て速 に信陽方向 の敵 を撃滅 し同地 を攻
隊は沙窩附近 に又沼 田支隊は新店北方 地区 に進出せり 光州商城 に向 ふ作戦間 に於 ける敵 の遺棄死体約 一万二千、俘虜約 にして我が損害 は戦死約五百五十、負傷約 二千計約二千五百 五十 な
四百五十、鹵獲品迫撃砲 一三、軽機 八五、機関銃 一四、自動車 三等 り
の自動車逐次活動を開始し、第 一線部隊 の前進準備亦自ら進む
死 の抵抗を為 しありたるが師団主力 の迂 回行動進む に伴 ひ、遂 に十
若干 の戦 車をも使用 し更 に爆撃機及戦闘機 に依り攻撃を加 ふる等必
末 には八百名未満に減 じ中隊長以下十 一名を算す るに過ぎざ る中隊
著 しく歩兵第三十九聯隊 の如 き廬州出発時 二千八百名 なりしも九月
当時第十師団 の戦力 は連続 の作戦行動特 に平病患者続発 の為低減
月 二日夜半頃 より退却 を開始 し岡田支隊之 に追躡西進す
二十三日より天候漸次恢復 し二十五日頃より各所 に待機する数百輛 之 より先軍 は陸路兵站線 の長遠 となるに伴ひ補給 の円滑 を欠く に 長 (特 に歩兵第 六聯隊 の 一大隊等を属す) をして之 を担任 せしむ、
至 るべきを予察 し淮河水路を利用す るの処置を講 じ在蛙埠森兵站部 其第 一次遡江部隊 は舟艇百数十隻 に搭乗歩兵大隊長 の指揮 を以 て八
ありて平均 三十名 に足 らざ る実情 に在り
上交通杜絶し補給困難 を極む るや暫く の間光 州商城附近進出部隊 に
戦進捗 に伴ひ逐 次歩 を前方 に進めた るが恰 も前記 の如く霖 雨 の為陸
旬より九月上旬 に亙り安慶 蕪湖間揚 子江右岸要地を扼し て我水路輸
夫 〓部 署するところあり而 して第 三師団歩兵第六十八聯隊 は八月下
区より進 め以 て当面 の敵を捕 捉撃滅 して速 に信陽を攻略 するに決し
十月二日、軍 は逐 次光州 に到着 しつつある第三師団 を羅山北方地
月三十日、蛙埠出発途中沿岸 の敵 の抵抗 を撃破し つつ九月八日既 に
対す る唯 一の補 給源 を為 せり
送を妨害しありたる敵 を海軍 の協力 を得 て逐次攻略したる後軍主力
〓河と淮河と の合流点附近 に到着し爾後第十師団 の光州 に対す る作
斯く て第十師団主力 は九月 二十八日光州を進発す偶 〓羅山方面 に ︹ 岡田資少将︺ 於 て胡宗南軍 の率 ゐる中央直系師 を基幹とする数師岡 田支隊 の両翼
に更 に岡田支隊等 をも第三師団 の指揮 に属 して戦局 の促進を図る
の外恰 も到着 せる十五榴、独 立気球等 の協力 の下 に撃破 して〓河を
岡 田支隊は欄杆舗 、呉家坡 に拠 り頑強なる抵抗 を続 くる敵 を野砲
んが為主力 を挙げ て昼夜兼行京漢線以西 に突進 す
方洋河鎮附近 に進出 し爾後信陽 より西北方 に到 る敵 の退路を遮 断せ
を撃破 して不良なる道路、錯雑 せる地形 を克服 し つつ九 日信陽東 北
第三師団は十月四日羅山北方地区より攻撃 を開始し〓河河畔 の敵
に追及中恰も光州附近 に到着 せるを以て六日之 を師団 に復すると共
を包囲す る態勢 を採りたるを以て師団 は主力を迂 回し羅山南方地区 に於 て敵 の右翼を衝 かんとせるに二十八 日夜敵は該翼 を後退 せしめ たるを以て主力 を羅山 に近く推進 し信陽南方地区 に迂 回す る目的 を 以て三十 日より南下行動を開始 す師団 は道路不良なるに鑑 み予 め駄 馬編成 に改 め専 ら機動 に依り子路 河、〓家店、青山店、朱堂店、渋
渡 河し更 に中山舗附近を突破 西進 を続け十 一日遂 に信陽東郊 に達し
港店附 近 の敵 を撃破 して 一意信陽南 方地区に向 ひ突進し遂 に六日夜 一部を以て柳林附近 に於 て京漢線 を遮断 し主力亦果敢なる前進 を継
翌十 二日之 を攻略す斯 くて第 三、第十師団は夫 〓信陽南 北地区 の残
信陽 攻略戦 に於け る敵 の遺棄死体約 一万三千、俘虜 四百四十、鹵
敵 を勦滅 し つつ逐次信陽附 近に兵力 を集結 せり
続 し て京漢線 以西地区 に進出十日遂に信陽西南方〓 河右岸高地 を占 岡田支隊方面 の敵 は師団主力 の進出 に依 り其右翼 を後 退せしめた
領す るも依然執拗 なる抵抗 を続く るのみならず重砲を含む十数門 の砲兵
獲品十 二榴 二、重機 八、軽機百等 にし て我損害戦死約五百五十負傷 千 五百六十計約二千百なり
十 月二十 二日軍 は敵全面的に退却す るの状況 に鑑 み更 に兵力 を強
西地区を應城方向 に又第 三師団主力を第 十師団 に踵続し て花園方向 ︹ 勘一︺ に突進せしめ信陽附 近には第三師団上野少将 の指揮す る歩兵三大隊
化 して之 を捕捉 するに決し第十師団 をして平靖關︱︱應城道 沿道 以
確 保し爾余 を以て漢 口西北 方地区に進出 せしめ麻城方向 に進出すべ
せしむ る如く部署す乃ち第 三師団長は信 陽附 近に在し歩兵第十八聯
砲兵 二大隊基幹 の部隊 を以て同地附近を確保 し軍主力 の側背を掩護
十月十 二日派遣 軍より信陽附近 の敵撃破後 一部 を以 て同地附近を き部隊 と相俟ち て江北に於 ける当面 の敵 を撃滅し且漢 口及漢陽を攻
然 るに桐柏方面 に退 却せる胡宗南軍は 一部 を以て遊河主力 を以 て
隊 を二十 三日進発上村 支隊 に追及増加す
略すべき旨 の命 に接し軍 は 一部 を以て主 とし て信陽附 近に於 て軍 の
西 双河方面 に出撃 を企 図しあるの情報 に接し軍 は機 を制し て該企図
作戦 を容易ならし め主力を以 て武漢平 地に進出し江北敵軍 を撃滅す て後者 の任務 に当 らしむ る如く部署す乃ち第十師団は速 に平靖關附
を遊 河、駱駝店附近 の線 に進出 し敵 の先鋒 たる 一部 を撃破 せるに逡
る に決 し第 三師団 をし て前 者 の又第十師団 (岡 田支隊 を復す) を以
巡遂 に積極的行動 に出 づるの模様なき に至れるを以て軍 は二十六 日
を撃砕す るに決 し二十四日第 三師団長 の南進を中止し信陽附近 に於
然 るに第十師団主力 の進発 に稍 〓時 日を要す るの実情 に在りたる
近要衝を突破せんが為既 に該方面に進出 しある騎兵第十聯 隊 に歩兵
を以 て軍 は十月十七日第 三師団 の歩兵 三大隊 を基幹 とす る部隊を取
あり乃ち第三師団司令部及歩兵第六聯隊主力は二十 七日信陽附近 を
て敵 を邀撃 せしむ〓 に於 て第 三師団長 は信陽附近に在 る部隊 の主力
敢 へず界河河谷 に進 め第十師団 の平靖關附近突破 に協力 せしむ るの ︹ 幹男︺ 処置 を講 じ該部隊は上村少将之 を指揮し て十 八日進発す而し て歩兵
該警備を中支那鉄道警備隊 の担任たらしめらるるに及 び逐次兵力を
進 発す歩 兵第六聯 隊は従来蛙埠以南津浦 線 の警備 に任 じあ りたるも
第十聯隊 を加 へ其 一大隊 は十 六日主力は十七日共 に信陽を進発す
第十聯隊は十八日より譚家河南方 の又上村支隊 は十九日より大〓歸
抵抗頑強 にして著 しき進展を見ず然 るに二十五日以来新 なる敵沙窩
九月 二十 日第十六師団先遣部隊は沙窩南方地区に進出 せるも敵 の
廬 州 に集 結し更 に軍主力 に追及 せるも のなり
第三師団長 をし て前企図を遂行 せしむ るに決し夫 〓部署す ると ころ
市附 近の敵 を攻撃 せるも進展意 の如くならず 此間上村支隊 の 一部た る歩 兵第 六十八聯 隊 の半大隊 二十 一日始めて豫 鄂省境 を突破し同夜
北方地区 に現出 し て先遣部隊を背後より攻撃する のみならず補給路
新店 に達 せり二十日第十師団 の瀬谷支隊 ( 先発 せる歩兵第十聯隊騎 兵第 三聯隊 に歩兵第 六十 三聯隊 の 一大隊を加 ふ)及岡 田支隊 (歩兵
た る商城︱ ︱沙窩道を脅威す るに至りしを以 て天候恢復 し補給 の目
途 つきた るの機 に於 て二十七 日師団 は主力を以 て商城附 近を進発 し
翌二十 一日岡田支隊主力 、師団司令部、歩兵第 六十 三聯隊主力亦相
先づ此敵 を撃破す
第 三十九聯隊、歩兵第 四十聯隊 の 一大隊を基幹 とす) の 一部進発し
し克 く険隘 を突破して二十 二日省境 を通過南進す
踵 いで進発 し岡田支隊 は敵 の陣 地を遠く迂回し界河西方地区 を前進
に占領 し〓に戦況頓 に進 み二十二日より各方面逐 次豫鄂省境を突破 し残敵 を撃破 し つつ二十六 日麻城東方地区 に進出 し次で主力を以 て
第 十六師団は主力 の到着 と共 に沙窩南方大別山系 に拠 る敵 に対す る攻撃 を準備し十月六日より攻略 を開始 せるが恰も天候曇天若 くは 宋埠 に到る
十 五日より総攻撃を再興し同 日大 円山 を十七 日には西山、大 別富士
向 ひ突進せしめ主力 を以 て宋埠附近を根拠 とし白 杲方面 の敗敵を撃
に向ひ追撃すべく部署 し更 に二十七日 一部 を以て孝感附 近京漢線 に
之より先十月二十 四日軍 は第十三師団 の主力を以て黄坡北方地区
降雨相続 き為 に砲兵 の射撃、歩 兵 の斜面攀登 を妨げ九日岩 山 の要衝
竝 六日以来力攻を継続 しありたる戦場 の最高点磨盤 山南側高 地を奪
せしめ主力を以て黄安附近 を根拠とし禮山 及宣化店附 近の敗敵 を撃
滅 すべく又第 十六師団 をし て 一部を以て花園附 近京漢線 に向ひ突進
を奪 取せるのみにし て中旬に至 る師団 は天候恢復 の緒 に就 くと共 に
取 し〓 に戦況進展 せるを以て師 団は左側方面 より敵 の側背 を衝 かし
千四百なり
遺 棄死体約 一万 五千 に及 び我損害は戦 死約千負傷約 三千四百計約 四
前記第 十六及第十三師団 の大別山突破作戦間敵 に与 へたる損害 は
滅すべく夫 〓所要 の部署 を為す
め、二十 一日犀牛望 月高 地を又二十 三日には打鼓寨 、白雲山 を夫 〓 占領 し 一意追撃 を敢行し 二十四日小界嶺 に於 て省境を越え二十五日 団方面戦況進展 の状況 に鑑 み後方警備 に任じありたる歩兵第 十九旅
麻城 、二十六日宋埠 に又 二十七日黄安 に達す之より先軍は第 十六師 団司令部及歩兵第 二十聯 隊主力 を二十 一日原所属に復 帰せしめ又二
軍等約 二十師 を又南正面 に於 ては孫連仲 の指揮す る宋希濂 軍等十数
十月六日軍司令官宮殿下更 に光州 に馬 を進 めさせらる
師を充 て其他軍後方地区 に対しては廖磊 の指揮す る于學忠 及廣西軍
十 四日第十六師団は主 力を以て河 口鎮方面 に追撃すべく夫 〓部署す 十 月中旬 に於 ける第 十六師 団 の戦力 は第 一線歩兵中隊に於 て低減
約四師 を又大別山系 に近く第 二線として廣西軍等約 六師を配置 し其
十月中旬頃 に於け る敵は軍西正面 に対し羅卓英 の指揮する胡宗南
最 も甚 しく歩兵第三十三聯隊 の如 き中隊長以下十三名に過 ぎざ る中
数合計約 四十師 に及 べり
るところありたり
も爾後頑強なる敵 の抵抗 に会 し戦況進展 せず 師団主 力は二十九 日商
隊 あり九月 二十 一日第 十三師 団沼 田支隊は新店北方地区に進出 せる
取 し更 に進 んで新店を占領す 又左側方面より迂回せる部隊 は八日長
の間杯山、 一文字 高地、天王山 より人形山、松 山高 地を相次 いで奪
日〓 水を占領 せる外江南方面亦大に進展す加 ふるに二十 一日早 くも
方面に於 ても第 六師団 の江北江岸に沿ふ神速 なる進出あり て二十一
上陸するあり引続き軍 の大別山系突破作戦進展す ると共 に第十 一軍
十月十二日軍 の信陽攻略当日恰 も第 二十 一軍 の ﹁バイ ヤス﹂湾 に
武漢 平地に於 ける追撃作戦
福店東方 に進出し爾後逐 次進展 し十 一日右翼方面に於 て雀尖山 を奪
第 三期
取 せるも其後大なる進捗 を見ず して中旬末 に至る十九日左側方面汪
廣東陥 り〓 に武漢周辺 の敵 の戦意全 く喪失す乃ち 二十四日派遣軍 よ
城南方地区 より進発し十月初旬攻撃 を開始し逐次歩 を進 め七日八 日
家薬舗東方高地 に進出 し二十 一日獅子脳及将軍寨 一帯 の高地 を完全
ども軍 は当面 の敵情 に鑑 み先づ之 を捕捉撃滅す るの切要な るを認め
り武漢 三鎮進入竝作戦地境延伸 に関し命令せらるるところあり然 れ
の兵器及軍需品を鹵獲 せり
なる協力と相俟 ち克 く協同 の実を発揮 し敵 に至大 の損害を与 へ多数
異 にせる数個 の我部隊求心的 に突進 せるに拘 らず飛行隊 の適 切緊密
右 の間十月二十八日武勝關、平靖關 共に突破 せられ又第 十、第 三
先づ叙上追撃及掃蕩 に関 する部署 を為し漢 口及漢陽進 入の要領を予
師団 の後 続部隊続 々南下 し西方 に溢出 せんとす る敵を所在 に撃滅 す
め各師団 に通報するに止む次で二十六 日派遣 軍より第 二軍 は江北 に
又第十六師団は禮山、宣化店方面、第 十三師団 は白杲方面を掃蕩 し
す るあり て河口鎮︱︱ 徳安道は其両端 に於 て我軍 の為制扼 せられ二
られ同支隊は三十 一日漢陽 に集結すると共 に各 一部 を以 て察甸、黄
ふ又二十 六日第百十六師 団の石原支隊 ( 歩兵 四大隊基幹)亦配属せ
同旅団 は先づ廬州 に集結 し十月 二十九日其 先頭同地発先づ光州 に向
之 より先隴海沿線方面に在り たる騎 兵第 四旅団 を軍 に配属せられ
園 に達せり
第三師団配属戦車部隊 は羅山︱︱宣化店 ︱︱河 口鎮道を突 破し て花
於 ける敗敵 を概ね徳安應城附 近以東 の地区 に於 て勦滅す べき命 に接 十月二十四日第十師団岡 田支隊應山 に進出更に南進 を続 けて二十
す 六日午後徳安 ( 安陸) に達 す偶 〓河口鎮方面 には黄坡 より北進 せる
十 七日正午頃 の空中偵察 に依 れば花園東西 の路上 には実 に火砲三十
第 六師団岩崎支隊 (歩兵第四十七聯隊 、戦車等を基幹とす) の進出
余門自動車二百数十輛装甲車 三十輛を有す る五、六千 の敵 彷徨し更
陵磯及漢川等を占領す
多大 の損害 を与 へ火砲弾薬自 動車等多数 を鹵獲す爾 後河口鎮 より西
乃ち岡 田支隊は徳安東方地区 に於 て西進す る敵大部隊を激撃 し之 に
其他 の火砲約六十 (以上火砲計約二百)重機約 二十、軽機 約四十、
約 一万 二千五百、俘虜約 千百、鹵獲品 重砲約 六十、野山砲約九十、
叙上武漢平地 に於ける追撃作戦 の間敵 に与 へたる損害は遺棄死体
十月三十 一日軍司令官宮殿下空中 より第 一線 を御視察あらせらる
に徳安︱︱ 雲夢︱︱ 長江埠道上 には火砲数門自動車五十輛 を有す る
進 せる岩崎支隊 の外第三師団 の上村支隊及第十 六 師団 の酒 井 支 隊
自動車約百貨車約五十にして我損害 は戦死約百五十、負傷 約四百、
千以上 の敵 南下す るあり て江北 を退却する敵正 に該方面 に蝟集 せり
(歩兵第 二十聯隊、独立軽装 甲車中隊等 を基幹とす)相踵 いで花園
んとす る敵 の退路を扼 して包囲 を完成し引続 き孝感 、雲夢附近 に進
し爾後 の行動 に関し命令す ると ころあり即ち各兵団は残敵 を掃蕩 す
武漢 平地に於 ける追撃作戦進捗 に伴 ひ軍 は十 一月 一日各 兵団に対
局
計約五百五十なり
出せる上村支隊、岩崎支隊 に属す る戦車中隊及長駆岐亭 より西進せ
ると共 に兵力を其作戦 地域内 の要 地に集結 し特 に主要交通路線 を確
終
附近 に進撃同地区を掃蕩 す此間岡 田支隊は 二十八日朝迄 に徳安 を完
る第十三師団歩兵第五十 八聯隊等 と相呼応して敵 を孝感、雲夢、應
保し て爾後 の作 戦を準備 せしむ之が為第 三師団は特 に有力なる 一部
全 に占領 し更 に三十日應城 に突進 して花園方面より西南方 に脱出せ
城、長 江埠間 の地区に窮追撃滅す即ち該方面に在 りては指揮系統 を
に対し警戒 し機 を失 せず其策動 を撃砕 し得 るの準備に在 らしめ第十
山、桐柏 、棗陽方向 の敵 に対し機 を失 せず其策動を撃砕 し得 るの準
を以て信陽附近 を確保すると共 に主力 を廣水、應山附 近に集結 し確
定せらる) にして内病歿九百 ( ﹁コレラ﹂によるもの三百を含 む)に
計 二万 五千余 (総兵額十七万に対し罹病者 は過半数 に及ぶものと推
へたるは寔 に遺憾 とす ると ころなり即ち野戦軍病院収容戦病患者総
第 一線歩兵兵力 の著しき低減 を来 し作戦遂行 に尠 からざ る影響 を与
叙 上 の如く武漢攻略戦 に於て軍 が克く幾多 の艱難 を克服制御 し頑
及び従来 の戦役及今次事変 の諸会戦 に比 し著 しき高率を示せり
備 に在 らしめ第十師団は特 に安陸 (鐘祥)、沙洋鎮、潜 江方 向 の敵 三師団は特 に 一部 を以 て團風を警備 せしむ ると共 に大別山系内特 に
闘奮戦 に因 る のみならず或は交通通信輸送補給 に任じ或は要 地 の守
敵 を挫 き堅塁 を屠 り以 て作戦目的 を貫徹 せるは啻 に第 一線部隊 の力
羅田、英山方面 に慴伏する残敵を勦滅す る の準備 に在らしめ又第十 六師団は特に主力 を宋埠方面 に集結 し立煌方向 の敵 に対し警戒す る
備 に任ず る等後方部隊 の不撓不屈日夜を分 たざ る献身的努力 に因 る
と共 に兵站諸機関 の大別山系以南 に向ふ移動 を収容掩護せしむ尚騎 兵第四旅団は羅 山附 近に躍進し て第三師 団に配属 せられ石原支隊は
も の寔 に多 く正 に全軍 一体勇戦奮 闘 の賜 なりと謂 わざ るべからず
の指揮する歩 兵第 三大隊基幹)は漢 口の警備 に任 じ、戦車等は漢 口
献を為せるは更 めて贅言 を要 せざ ると ころなりとす
空隊等 の協力 と第 一軍 の適 切な る策応とが軍 の作戦遂行 に多大 の貢
川兵団、藤 田及菅原 飛行団、北支寶蔵寺 飛行団及原田部隊竝海軍航
尚作戦開始 以来終始 一貫極め て緊密 に協力 せる寺倉飛行団 の外徳
漢陽 の警備 に任ず る の外漢川、黄 陵磯等 の要地を確保し在信陽上野
に於 て整備待機する こととなり以上各兵団及部隊 は十 一月初頭 より
支隊 は第三師団長 の指揮下 に復し漢 口警備 隊 ( 第十三師団沼田少将
同中旬 に亙る間に於 て逐次所命 の態勢に移 り軍司令部は十 一月三日 武漢攻略戦 全期に亘 る軍 の総戦果は敵 の遺棄死体約五万二千、俘
漢 口に入る 虜約 二千三百、鹵獲品 重砲約六十、野山砲約九十 、其他 の火砲約九 十 (火砲計約 二百四十)、重機約 五十、軽 機約 四百、自動車約百三十、 貨車約五十にして、我損害 は戦死約 二千三百、負傷約七千三百、死 本次作戦初期は時恰 も炎熱 の候 にし て加 ふるに集中 の為難行軍を
傷計約九千六百なり 実施 せる為行軍発起 に先ち既 に心身 の労苦大なるものあり更 に爾後 ラリア﹂ の多発等 に因り多数 の落伍及平病患者を生じ為 に戦力就中
に於 ても長途急速なる前進 、給養 の不充分、﹁コレラ﹂ の発生、﹁マ
24
23
22
21
晴
晴
雨
雨
晴
晴
晴
晴
晴
武 漢
攻 一 般
略
戦
第
第 三師 団
との警備交代 完了
二 軍
日 録
椿樹崗附近進発
第十三師 団
行 動
第 十師 団
師団司令 部廬 州 出発
金橋附 近進発 六安占領
霍山占領
第十六師団
師団司令部廬州 到着
第 十 一軍
(主と して第 六師 団)
其
他
暑熱甚しく落伍
七月
4
軍 軍戦闘序列改定 中支那派遣軍司 令官 の指揮下に 入る
第 二戦闘司令所 廬州 に前進 15D
天 候
25
八月
14
七月
晴
八月
晴
26
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
軍司令官宮殿下 廬州 に御前進
進発 10D 13D
4
27
晴
14 28
20 29
九月 半晴
4
曇
晴
曇
晴
曇
曇
曇
晴
晴
晴
淮 河第 一次遡江 部 隊蚌埠進発
加藤支隊太子磯 附近上陸掃蕩開 始
加藤支隊揚山磯 附 近上陸
瀬谷支隊転進開 始 固始占領
瀬 谷支隊
配属
朝八〇〇 高地攻略
夜富金山攻略
葉家集占領 史河敵前渡 河
5
曇少雨
6
史河左岸攻撃開 始
7
師団司令部廬州 出発
師団 司令部葉家 集到着
攻撃開始
廣濟占領
者多 し
30
九月
31
1
晴
8
2
晴
9
3
4
5
30 10
曇少雨
淮河第 一次遡江 部隊〓河合流 点 附近到着
師団司令部廬州 到着
加藤支隊池州大 通中間地区に上 陸
16D
6
7
8
9
10
11
12
13
31 1
11
2
12
3
13
6D
14
少雨 少雨 曇 少雨 曇 少雨
師団 司令部光 州 に入る
瀬谷支隊復 帰 岡田支隊羅山占 領
沼田支隊進発
沼 田支隊新店北 方 地区進出
篠原少将 の指揮 す る部隊進発
篠原少将 の指揮 する部隊沙窩進 出
主力商城附近進 発
25
24
晴
晴
晴
晴
晴
26
25
24
半晴
主力光州進発
商城攻略
15
16
17
18
19
20
21
22
26
23
商城附近進出
曇
光州攻略 岡田支隊進発
晴 軍 司令官宮殿下 第 一線空中御視 察
曇 雨
曇少雨
14
︸霖雨 のため交 通 杜絶
15
加藤支隊廬州集 結
16 17 18 19 20 21 22 27
23 28
27
28
十月
雨後 曇
晴
曇後晴
曇
戦闘参加 3D
軍司令官宮殿下 光州 へ御前進
師団司令部光州 到着
羅山 北方地区 よ り進撃開始
瀬谷支 隊羅 山附 近より迂 回開始
主力商城附近進 発
張福店東方 に進 出新店占領
岡田支隊当面 の 師 団総攻撃開始 敵退却開始
岡田支隊 配属 瀬谷支隊 の 一部 京漢線遮断
瀬谷支隊信陽南 方高 地進出
岡 田支隊信陽攻 略同支隊復帰 師団司令部信陽 に入る
師団総攻撃開始
田家鎮占領
︸降雨のため交通 杜絶
第 二十 一軍南支上 陸
29
十月
30
1
2
3
4
5
6
7
晴 曇
曇
曇 少雨
曇
半晴
曇 曇 少雨
曇
8
9
10
11
12
13
3D
雨
2
雨
29 30 3
1
4 5 9
6 10
7 11
8 12 13
6D
21
20
19
18
17
16
15
14
晴
晴
晴
晴
晴
晴
晴
晴
晴
曇
曇 少雨
少雨
22
曇少雨
配属発令
4KB
石原支隊配属発 令
師団司令部信陽 到着
上村支隊信陽 発 南進
上村支隊 の 一部 省境突破
師団司令部南進 中止
師団司令部信陽 発南進 一部武 勝關占領 上村支隊花園占 領
一部信陽発南進 開始
師団司令部信陽 発南進 岡田支隊省境突 破
岡 田支隊應山占 領
岡 田支隊徳安進 出
獅 子脳将軍寨占
領
一部省境突破
追撃隊三河口通 過
主力宋埠附近集 一部平靖關占領 結
全線攻撃再興
磨 盤山南方高地 占領
酒井支隊復帰
〓水占領
第 二十軍廣九線遮
断
第 二十 一軍増城占
領
第 二十 一軍廣東占
領
波田支隊武漢 攻 略
小界岺 (省境 ) 突 破追撃
追撃隊宋埠通過
同 漢 陽攻略
漢 口攻略
師団司令部黄安 到着
派遣 軍司令官光州 視察
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
6D
26
23
晴
6D
27
28
24 25 26 27 28
十一月
少雨
甸黄陵磯占領
石原支隊漢川蔡 軍司令官宮殿下 第 一線空中御視 察 新態勢 を各師団 に発令
上村支隊孝感占 領
上付支隊長江埠 進出
酒井支隊花園進 出
師団司令部徳安 到着
一部孝感 到着 一部長埠進出
師団司令部宋埠 到着
岡田支隊應城占 領
一部浙 江市占領
第十三師団
派遣軍司令官漢 陽 視察
29
第 十 一軍
30
十一月
31
1
晴 晴
晴
晴
晴
晴
晴
5
4
軍
一 般
第 十 師団
一部室市占領
晴
各師団概ね新態 勢 に移 る
晴
他
派遣軍司令官漢口 軍司令部巡視
其
3
6
7
8
9
10
派遣軍司令官第二 軍作戦地域空中視 察
3
(主 と し て第 六 師 団 )
4
策十 六師団
5
第 三師 団
6
天 候
7
2
晴 晴
30 8
半晴 軍 司令官宮殿下 漢 口御前進
主力羅山到着 4KB
29 31 1
9
2
10
( 参謀本部作成)
十 六 、第 五師 団 の運 用
九 〇 石 原 莞 爾 中 将 回 想 応 答 録
次
十 七 、青 島 (山東 ) 問 題
目 一、事 変 前 の軍備 拡 張 計 画
中 央 部 の今 次事 変 の統 帥 部 と云 ふ見 地 で閣 下 の部 長 とし て居
二十 二、 大 本営 に就 て
二十 一、 対 ﹁ソ﹂ 対 英 対米 関 係
二十 、陸 海 軍 間 及省 部 間 の関係
十九 、参 謀 本 部内 の問 題
十 八 、方 面 軍 編 成 に関 す る問 題
七 、 不 拡大 方 針 に基 く指 導
六、 不 拡 大 方針 決 定 の経 緯
五 、事 変 勃 発直 前 に於 け る天 津 軍 の空気
四 、事 変 直 前 に於 け る対支 政 策 腹 案
三 、事 変 惹 起 の国 内 的 原因
二 、東 亜 聯 盟 論 と支 那 事 変
殿下
ら れま し た時 分行 は れた事 柄 に就 て の経 緯 及真 相 を伺 ひ た いと存 じ
八 、 河 邊旅 団 の位 置 の問 題 九 、 上海 出 兵 経 緯
ます。
一、 事変 前 の軍 備 拡 張 計 画
十 、事 変 解 決 の工作 十 一、持 久 戦 の指 導 に就 て 十 二 、国 家 総動 員
殿下
先 づ 事 変 前 に於 け る参謀 本 部 内 の大 体 の空 気 に就 て御 話 し願
十 四 、戦 争指 導考 案 に就 て
ひ度 う御 座 い ます 。
十 三 、対 支 戦争 判 断
十 五 、察 哈爾 作 戦
石原
石 原 が参 謀 本部 課 長 に着 任 し ま しま し た のは 昭 和 十年 八月 永
田 中将 の事 件 が あ つた 日 であ り ま す が、 此 時初 め て陸 軍 中央 部 に 入 り ま し て非 常 に驚 いた のは、 日本 の兵 力 特 に在満 兵 力 の真 に不 充分
日本 の輸 送 力 と ﹁シベ リ ヤ﹂ 鉄 道 の輸 送 力 と の優 劣 が初 め 某 期間
な こと で あ り ま し た。
は ﹁ソビ エット﹂ より 有 利 に兵 力 を 集 中 し得 る だら う と考 へて居 り
其 頃 参 謀 本 部 は外 郭 機 関 と し て宮 崎機 関 を作 り経 済 計 画 を樹 てる
こ の宮 崎 機 関 の献 身 的 努 力 こそ今 次 事 変 に 日本 が辛 う じ て計 画 経
と言 ふ事 にな り ま し た。
済 に進 み得 た基 礎 を 作 つた も の で偉 大 な功 績 と 思 ひ ます 。
所 で其 調 査 が始 つた時 に 二 ・二 六事 件 が起 き ま し た の で、陸 軍 は
た。 陸海 軍 合 し て軍 事 予算 二十 五 億 円 に な つた と 思 ひ ます 。然 し之
内 閣 に対 し て武 藤 中 佐 の研 究 さ れた数 に依 つ て軍事 費 を要 求 し まし
も今 日 の七 十 五億 の軍 事 予算 と思 ひ比 ぶ れば 三 分 の 一に な る ので御
ま した の に、 そ れ が非 常 な考 へ違 ひ で寧 ろ そう では な い情 況 で、 換 言 す れば 満 洲事 変 後 二三 年 にし て驚 く べ き国 防 上 の欠 陥 を作 つてし
座 います 。
そ こ で今申 し た基 礎 に基 く 日満 五 ケ年 計 画 が宮 崎機 関 に依 つ て初
ま つた の であ り ます 。 即 ち 前 の課長 鈴 木 率道 大 佐 が非 常 な努 力 を 以
め て十 一年 に草 案 が出 来 た ので あ りま す が、 夫 れを基 礎 とし て逐 次
て在 満 兵 力 を 二 師 団 か ら 三師 団 に増 加 し た の であ りま し た が 、之 で は猶 甚 だ不 十 分 で何 と か しな け れば な ら ぬと謂 ふ考 へを持 ち ま し て、
発 展 せし め ま し て能 力 の低 い企 画 院 を ﹁リ ード ﹂ し て 今 日 ま で来 た
二、東 亜 聯 盟 論 と 支那 事 変
ので あり ま す 。
直 ち に急 速 な軍 備拡 張 を や る気持 に な りま し た 。 然 し当 時 の石 原 の軍 備 拡 張 考 案 は今 から 観 ま す れば 不 十 分 で あ つ
大体 の着 想 は ﹁ソ﹂ の極 東 兵 力 (バ イ カ ル湖 以東 ) に対 し 少 く も
た と思 ひ ます 。
満 洲 の民 族協 和 の精 神 から謂 へば 日 支関 係 は王 道 主義 に則 り
日本 を先 達 とし て東 亜 聯 盟 を作 る こと であ り ま す。 東 亜 聯 盟 は満 洲
石原
八 割 の在 満 鮮 兵 力 を終 始 持 つと言 ふ ので具 体 的 に申 し ます れ ば 、当 時 鮮満 を 八 ケ師 団 にし よ う と言 ふ の が昭和 十 年 に考 へま し た国防 計
建 国 当初 か ら満 洲 国 の主 張 であ り ま し て思 想 の 一元 、国 防 の共同 、
画 の骨 幹 で御 座 いま す 。 而 し て石 原 の考 へに依 れば 此 兵力 それ だ け で は断 じ て戦 争 は出 来 な い ので あり ま し て 、全 国 軍 の作 戦 に必要 な
経 済 の共 通 、政 治 の独立 の四条 件 が大 体 の基 礎観 念 で あり ま す 。
思 ひま す 。
満 洲 事 変 後 の日本 の行 き方 に石 原 の考 へで は 二 つ の道 が あ つた と
さ なく て済 ん だ と私 は 考 へます 。
意 見 が略 〓 一致 し て 此線 を確 保 し て行 つ たな ら ば今 度 の事変 は起
軍 需 的 工業 が 日満 にな け れ ば な ら な い ので あ りま す 。 そ こ で満鮮 八 ケ師 団 整 備 に大 体 の基 礎 を置 き まし て研究 推 定 し た る所 、当 時 軍 事 課 の高 級 課 員 であ り ま した武 藤 章 中 佐 は 軍備 予 算 を
之 は当 時 と し ては飛 躍 的 のも ので あ りま し た。
( 確 か に は記 憶 し ま せ ん が)最 高十 二、 三億 円 と致 し ま し た。
一つは蒋 介 石 と力強 き外 交 折 衝 を 行 ひ蒋 介 石 を し て満 洲 国 の独 立 を承 認 せし め支 那 に於 け る政 治 的 権 益 を引 上 げ東 亜 聯 盟 の線 に沿 つ
を引かせる様 にすればよかつたらうと責任者として自責 の念 に駆ら
を屈 伏 せし め満 洲 国 を 承認 さ せ て支 那 本部 よ り撤 兵 し其 後 東 亜 聯 盟
第 二案 は停 戦 協 定 の戦 に 止 まら ず に北京 、南 京 を 攻略 し て蒋 介石
し て不可 なりと云ふ強 い反対がありまして、遂に軍事 的意 見が政治
と云ふ案 でありましたが、之 に対し梅津陸軍次官 よりは条約 上に照
通州、北京 、天津 に重点 を置き之 に依 て冀東防衛 の態勢を確 立す る
次に申 上げ たいのは北支 に於 ける兵力 の配置で、最初参謀本部 は
れる のであります。
を作 る と言 ふ ので あり ます 。然 る に事 実 は其 何 れ を も行 ひ得 ず し て
的意見 に押 されて通州 の代り に豊臺 に兵を置く ことになりましたが、
て進 めば 私 は蒋 介 石 と の間 に了 解 出 来 た と思 ひま す。
﹁そ の 日暮 し ﹂ と謂 ふ状態 で御 座 いま し て 、北 支 が満 洲 撹 乱 の根 拠
之 が遂 に本事変 の直接動機 にな つたと思 ひます。
年暮第 二課長 ( 戦争課長)として北支 に出張 を命ぜられまし た時大
石原 形勢 が段 々に逼迫 しまし て綏遠事件 となりました。昭和十 一
四 、 事 変 直 前 に於 け る対支 政 策 腹案
に な る と謂 ふ事 に依 つて関 東 軍 が北 支 に武 力 を行 使 す る の結 果 を 招 来 し ま した 。換 言す れば東 亜 聯 盟 の原 則 で あ る支 那 の独 立 を確 保 す る条 件 を完 全 に停 頓 せし め ざ る を得 な い状 況 に持 つ て行 き其 発 展 す る所 遂 に綏 遠事 件 とな つた ので あ りま す 。 此 の綏 遠 事件 は完 全 な る 日本 の失 敗 で之 が今 次 の事変 の直 接 的 原 因 にな つた ので あり ま す 。
の途が十分あると信ぜられる、夫 の条件 としては国民党 は満洲国 の
体観 て帰りました感想 では、南京 にある国民党と の間 に尚国交調整
殿下
強 い政治 力 の無 か つた事 が根 本 です 。当 時 政 党 が 地歩 を失 ひ
そう 云 ふ様 にな つて事 変 を惹 起 す る に至 つ た国内 的 原 因 は 。
ち に還すと云ふ こと、即 ち満洲独立を両国和平成立 の条件 とし て其
州 にや つて冀東防衛 に任じ冀東は支那が満洲国独立を承認す れば直
三 、 事 変 惹 起 の国 内 的 原 因
石原
間冀東 の政治 だけは思 ふ存分合理的な事 をやり 一面天津軍 の冀察政
独立を承認 し日本は支那 の独立 を極力援助 し差し当り豊臺 の兵を通
夫 に代 るべ き も の がな か つた こと即 ち 陛下 の御 信 任 を受 け て政 治 を
権と の了解 を計 り政治的、経済的要求を避 けたならば時局 が緩和出
権 の政治的指導 を停止せしめ、冀察 政権と外交交渉 による こととし
来逐次東亜聯盟 の方向 に進 み得 るも のと考 へたので御座 います。即
石原 の意 見としては磯谷中将 の様な人を大使館附武官 として冀察政
策 とし て天津 軍 を増強 し ま し た事 が今 次事 変 の原因 と な つた の で此
ち日支間 に本当 に了解 を得まし て日支紛争 を免れ最初 の五ケ年計画
の北 支 に手 を出 す 事 を どう し ても 止 め さ せ得 な か つた為 に遂 に其 対
点 に就 て石 原 は当時 の責 任 を痛 感 し て居 る次 第 であ り ます 。 即 ち 当
指 導 す る政 治 体 がな か つた こと であ り ます 。 それ と 中央 部 が関 東 軍
時 天 津 軍 の増 強 等 と いふ方 法 によ らず 統 帥 の威力 に よ り関 東 軍 に手
と の間 に は合 理 的 の日支 提 携 を作 る と 云 ふ事 が出 来 れば 世界 を挙 げ
を 強行 し其 の間 対米 海 軍 対 ﹁ソ﹂ 陸 軍 の軍備 充実 に努 力 し 且 つ支 那
分 の有 つた こ と は石 原 の非 常 に残 念 に思 つた点 でも つと力 強 い指導
此 点 に就 て は北 支 事 変勃 発 当 時 板 垣 閣 下 の様 な力 強 い人 を大 臣 に
が迅 速 に決 行 出 来 たな ら ば と思 ひま す 。
置 いた な ら ば事 件 は起 ら な か つた の では な いか と思 ひます 。 又 若 し
て来 る も怖 れ ま せ ん と 云 ふ思想 で 、 昭和 十 一年 六月 に起案 し て総 長 殿 下 の御 決 裁 を 仰 いだ国 防 国策 大 綱 は此 線 に依 つて書 かれ て居 り ま
も事 件 が起 き ま し ても 、 も つと速 く 収拾 出 来 た の では な いか と思 ひ
殿下
今 申 上げ ま し た 通 り 日支 間 と 云 ふも の は争 ふ可 き も の では な
事 変 が起 つ てか ら 不拡 大 の方 針 を決 す る に至 つた経 緯 は ⋮ ⋮
六 、 不 拡 大 方 針 の決 定 経 緯
つて居 り ます 。
結 局東 亜 は尊 い鮮 血 を流 さ なけ れ ば な ら ぬ宿 命 だ つた と諦 め を持
い次 第 で御 座 います 。
導 を希望 し た の でし た が 、今 日 より 考 へれば 石 原 は作 戦 部 長 とし て ︹ 今井清中将︺ (次 長 不快 )自 ら現 地 に行 く べ き であ つた と考 へま す 。誠 に申 訳 な
事 件勃 発 の時 梅 津 次 官 ( 現 地 の事情 に明 る き) に現 地 に於 け る指
す。
を整 へて戦 争 な し に行 け そ う だ と云 ふ気 分 の時 に起 つた のであ り ま
蘆 溝 橋事 件 は大 体 そう 云 ふ状 況 で北 支 に於 て は理 論 的 に 日支 提携
ます 。
す。 戦争 計 画 は 昭 和 十 一年 中 に ﹁ソ﹂ 聯 から 戦 争 が始 つた場 合 のみ の 大 綱丈 け立 案 致 し ま し た が支 那 か ら始 つた時 の戦 争 計 画 を 樹 て る こ
只 今 申 上 げ ま し た通 り 昭和 十 一年 乃 至 昭和 十 二年初 冬 大 体 中
五 、 事 変 勃 発 直 前 の天 津 軍 の 空 気
い中 に今 次 事 変 が起 き た の であ り ます 。
と の必要 を第 一部長 ( 当 時 石 原 は第 一部 長 にな り第 二課 長 は 河邊 大 ︹ 虎四郎︺ 佐 に命 ぜ ら れま し た) とし て考 へて居 りま し たが そ れが 到 〓出 来 な
石原
央 部 は時 局 収 拾 の可 能 性 に就 き ま し て研 究 を 進 め て居 り ま し た時 、 或 る旅 行 者 か ら ﹁天 津 軍 の某 砲 兵大 尉 参 謀 の話 に依 ると 五 月宋 哲 元 と衝 突 す るだ ら う﹂ と言 つて居 る と 云 ふ話 を 聞 き まし た 。 そ れ で陸
つた の でし た が今 から 考 へる と参 謀 本 部 と し て も つと 努力 す 可 き で
石原
軍省 に強 硬 に申 し て岡 本 清福 中 佐 ( 軍 事 課 々員 ) に北 支 を 廻 つて貰
石 原 が第 一部 長 とし て自 ら北 支 に や つ て貰 ふ可 き だ つた と思 ひま す 。
﹁ソ﹂ 戦 の見透 し で あ り まし た 。即 ち長 期 戦 争 と な り ﹁ソ﹂ 聯 が や
不 拡 大 を以 て進 み ま し た が、 其 決 心 に重 大 な る関係 を持 つも のは 対
く 、 又若 し争 つたな ら ば直 ぐ に は済 ま ん と の考 へが あ つた為 に、兎
事 件 勃 発 と戦 争 謀 略 と の関 係 は 全 く無 か つ た のです か。
然 し こ の事 は蘆 溝 橋 事 件 と は何 等 関 係 な いと 思 ひ ます が当 時 現 地 に
絶 対 に無 いと 云 ふ の が岡 本中 佐 の報 告 でし た 。然 し 此 様 な気
も 角 此 の難 関 を突 破 せ ね ば なら ぬと 云 ふ必要 か ら石 原個 人 とし て は
殿下
は此 様 な 若干 の気 持 があ つた と言 は ざ るを得 な い の であ り ます 。
石原
那 の国 民 性 を弁 へて居 ら ん議 論 で、殊 に綏 遠 事 件 に より彼 を増 長 せ
変 も片 附 け得 る と云 ふ通念 を持 つも のも あ りま し た 。私 共 は之 は 支
然 る に責 任者 の中 には満 洲 事 変 が あ つさ り推 移 し た のと同 様 支 那 事
つて来 る時 は目 下 の日本 で は之 に 対す る準 備 がな い のであ り ます 。
ましたか。
殿下
そ れ が若 い者 には慊 ら な か つた ので は な い かと 思 ひ ま す。
共 には第 一線 の状 況 は詳 細 に は解 り ま せ ん か ら天 津 軍 に信 を置 い て
石原
︹ 群︺ 不 拡 大 方針 が出 先 の橋 本参 謀 長 の気 持 であ り ま し た。 夫 に私
しめ た上 は全 面 的 戦 争 にな る と謂 ふ事 を確 信 し て居 つた のであ り ま 石原
不拡 大 方 針 は 政 治 的希 望 であ り ま す が 、然 も現 地 に於 て は戦
不拡 大 方 針 を決 定 さ れ た当 時 既 に内 地動 員 を考 慮 さ れ て居 り
す 。 事 変 始 ま る と間 も な く傍 受 電 によ り孔 祥 熈 は 数 千 万 円 の武 器 注
し て居 り ま し た。
闘 行為 が行 は れ て居 る のです か ら常 に動員 の必要 の起 る こと を考 慮
や る のを 見 て私 は益 〓支 那 の抵 抗 、 決 意 の容 易 なら ざ
文 を どし 〓
郎 坊 事 件 が起 き ま し て内 地 部 隊 の動 員 が下 命 さ れま す に至 つ た経 緯 に就 き ま し て何 か⋮ ⋮
殿下
る を察 知 致 し ま し た (日本 の三億 円 予 算 と 比較 )。即 ち 此 際 戦 争 に な れ ば私 は 之 は行 く 所 ま で行 く と考 へた ので極 力 戦 争 を 避 け た いと
石原
思 ひ 又向 ふも避 け た い考 へで あ つた様 で あ り ます の に遂 に今 日 の様
配 的 であ り ま し た為 、 不 拡 大 方 針 を持 せ る部 長 以 上 の決 心為 に動 揺
当時 少 壮 者 の考 へは極 め て積 極 的 で動 員即 時 断 行 の空 気 が支
にな つた のは 真 に残 念 であ り 又非 常 な ゐ責 任 を感 ず る次 第 であ りま
殿下
︹ 淳︺ 動 員 す る と云 ふ事 の準 備 が進 ん でか ら も閣 下 が後 宮 少 将 に連
と 考 へま す。
し 易 く 郎 坊事 件 は其 際 動 員 に決 す る に十 分 な る 衝動 を与 へたる も の
す。
七 、 不 拡 大 方 針 に基 く 指 導
絡 して 止 め さ せ られ て 居 る様 で あ り ます が 。
当 時 不 拡大 方 針 を執 り な が ら動 員 を決 心 さ れ た と 云 ふ の は
殿下
な りし 様 記憶 し ます 。
石 原 二 三度 あ つた と 思 ひ ます 。 当 時 天津 に派遣 せ ら れ あ りた る中 ︹ 鐵藏︺ 島 総 務 部長 か ら動 員 の必要 なく 和 平 成 立 の見 込 な る旨 電 報 あり し為
殿下
が あ り而 も派 兵 す る に は数
に直 接 電 話 し て居 ら れ ま す が 現 地 の要 望 を容 れた の です か。
考 へる様 です が、結 局第 一線 でご た〓
石原 ⋮⋮ 不 拡 大 主義 で や れば動 員 を止 め る べ き で はな い かと 一般 には 週間 か ゝる の で不拡 大 を希 望 し て も形 勢逼 迫 す れば 万 一の準 備 とし
石原
郎 坊 事 件 が起 き て直 後 動 員 を 下 さ れ る前 に閣 下 が橋 本 参謀 長
動員 を 必要 と す る こと にな る訳 であ り ま す 。 も つと輸 送 力 が あ れば
か ら であ り ます 。 動 員 は 不 拡 大 方針 を放 棄 せし む る威 力 大 であ り ま
現 地 の希 望 より も 現 地 の状況 が愈 〓駄 目 だ と言 ふ気 持 だ つた
相当 の兵 力 を 国境 近 く に置 いて対 処 す る こと も出 来 たと 思 ひ ます 。
す から 不拡 大 方 針 を 有 す る 以 上動 員 を 成 る可 く避 け た い のは当 然 で
現 地 軍 の気 分 を上 から 見 て どう 云 ふ風 に考 へて居 ら れ ま し た
か、 又現 地 と 中央 と の間 はど う 云 ふ風 で し た か。
殿下
あり ます が、 政 策 的 見 地 から 作戦 を甚 し く 不利 な ら し む る こと は絶 対 に いけ ま せ ぬか ら形 勢 切 迫 せば適 時動 員 をし な け れば なり ま せ ぬ。 然 し動 員 即 ち 不 拡大 主 義 の放 棄 では あ り ま せん 。動 員 後 も依然 外交
殺 し にす る こと は出 来 な い気 持 から であ り ま した 。
九 、 上海 出 兵 の経 緯
第 一線 では戦 闘 が起 り遂 に動 員 に賛 成 致 し ま した が当 時 の作
石原
交渉 が進 め ら れ ま す が愈 々開 戦 と な れば 不 拡 大 主義 は翻 然 一抛 作 戦
戦 課 長 武 藤大 佐 は最 も力 強 い戦 闘 力 を出 す こと に努 力 し 軍 の編 成 を
言 つて居 つた の であ り ま し た。 抑 〓上海 に飛 火 を す る可 能 性 は海 軍
然 し 私 は 上海 に飛 火 す る事 は必 ず 不 可 避 で あ る と思 ひ平 常 から さ う
一般 の空 気 は北 支 丈 け で解 決 し得 るだ ら う と の判 断 の様 でし た が 、
決 定 し た ので あ りま す 。
至 上 にな つた ので あ り ます 。開 戦 後 も成 るべ く速 か に和 平 成立 を希
陸 軍省 が動 員 に賛 成 し た の は現 地 の希 望 か ら と思 は れ ます か。
望 し ま した がそ れ で作 戦 を制 肘 せ ら れ た等 の こと は勿 論 あ り ま せ ん。 殿下
陸 軍省 は積 極 的 で寧 ろ参 謀 本 部 は 消 極 的 で あ りま し て天 津 軍
が揚 子 江 に艦 隊 を持 つて居 る為 であ り ます 。 何 と な れば 此 の艦隊 は
の首 脳 部 の考 へが影 響 し た結 果 と は思 ひ ま せ ん。
石原
一日 二 日動 員 が遅 れ ま し た が之 は 前 申 し ま し た中 島 少将 の意 見 が
昔 支那 が弱 い時 のも の で現 今 の如 く軍 事 的 に発 展 し た時 には 居留 民
と 云 つ ても差 支 へな いと 思 ふ のであ り ま し て 、 そ こ に機 微 な るも の
な りま す 。即 ち今 次 の上 海出 兵 は海 軍 が陸 軍 を引 摺 つ て行 つたも の
あ り若 し揚 子江 沿 岸 が無 事 に終 つたな ら ば海 軍 の面 子 がな い こと に
る こと と な り ま し た。 大 体漢 口 の居 留 民 引揚 は有 史 以 来 無 い こと で
な か つた為 事変 後 軍 艦 を下航 せ しむ る際 漢 口 の居 留 民 を引揚 げ しむ
あ りま す 。 然 る に軍 令 部 は事変 が あ る前 に之 を 引揚 げ る こと が出 来
の保 護 は到 底出 来 ず 一旦緩 急 あ れ ば揚 子 江 に浮 ん で は居 れな い ので
大 き な 力 を なし て居 り ます し 、 天津 軍首 脳 部 に も増 兵 の必要 な し と
︹ 正三少将︺ 豊 臺 に居 つた河 邊 旅 団 の位 置 に就 て色 々交 渉 があ つた様 です
八、 河邊 旅 団 の位 置 の問題
す る空 気 が あ つ た為 であ つた様 に思 ひ ます 。
殿下
石原
が あ ると 私 は思 ふ の であ り ます 。 そ れ か ら私 は上 海 に絶 対 に出 兵 し
夫 は ﹁デ リ ケ ー ト﹂ な問 題 であ り ま す 。当 時 日支 第 一線 が こ
ん がら か つて 、 ぶ つか つて居 り まし た から 現 地 で は驚 かな か つた と
たく な か つた が実 は前 に海 軍 と出 兵 す る協 定 が あ る の であ りま す 。
が ⋮⋮
が起 き る ので は な い か と思 ひ綏 遠 事 件 の失 敗 も あ り ます ので非 常 に
は修 正出 来 な い の で私 は 止む を得 ず 次長 閣下 の御 賛 同 を願 つて次 の
其 記 録 に は何 と あ つた か は記 憶 し て居 り ま せ ん が、 ど う し ても 夫 れ
申 しま す が 、中 央 で は豊 臺 が完 全 に包 囲 され て居 る の で不 名誉 な事
気 にな つ て河 邊 旅 団 に対 し中 央 の御 注 意 が あ つた の であ り ます 。 現
様 な 約束 を し た の であ り ます 。
地 では 実 際 は裕 り を持 つ て居 て 心配 には 及 ば な か つたと申 し ます が、 そ こは中 央 の判 断 の悪 い点 であ りま す が包 囲 さ れ て居 る のを其 儘 見
ので あり ま す 。更 に参 謀 本部 で は要 す れ ば青 島 に当 て てあ つた 一ケ
に至 れば 速 かに陸 軍 が約 一ケ師 団 を 以 て同 線 を占 領 す る こと とし た
せし む る最 良 の手 段 だ と考 へ風 見 に電 話 し ま し た。 ︹ 駿︺ 参 謀 次長 多 田閣 下 も賛 成 し て居 ら れ ま し た 。
文 の弟 子 た る蒋 介 石 と の直 接 交 渉 は 事 変 解決 の為 に南 京政 府 を是 正
は妥 協 し な い だろ う が 、近 衛 首 相 は 政 治家 と し て国 民党 に魅 力 を持 ︹ 近衛篤麿︺ つ て居 る唯 一の人 であ り 、先 代 と の関係 も御 座 いま す ので夫 れと孫
夫 れは 海 軍 が呉 瀬 鎮 と 江湾 鎮 の線 を確 保 す る約 束 の 下 に 必要 な る
師 団 だけ は持 つて行 く 裕 り を と つて置 く考 へで あ り まし た 。
断 で あ りま し た が、 実 際 は あ の通 り作 戦 が出 来 た の であ り ま す。 石
陸 し た附 近 は 十 月迄 は 一面 泥濘 で作 戦 は出 来 な いと兵 要 地 誌班 の判
出 兵 し た時 は 呉淞 鎮 ま で来 て居 た の であ り ま す。 又第 十 一師 団 の上
取 れ る と言 つて居 た が、 出 兵 す る には 其真 中 に全 部 敵 が居 て実際 に
殿下
八 月半 頃 では な いか と思 ひま す 。本 格 の上 海 の戦 の起 つた後
首 相 が南 京 に乗 込 ん で 云 々と い ふ のは何 時 です か。
ば と 残念 で あ りま す 。
へても大 き な政 治 的 の手 で あ り まし ても う少 し徹 底 し てや つたな ら
にな つた と の返 事 があ つて到 々駄 目 にな り ま し た。 而 し これ は今 考
風 見 は 此時 考 慮 す る こと を約 し た の です が 、翌 日 にな つて取 止 め
上海 の敵情 偵 察 は全 く 不良 であり ま し た 。海 軍 で は江 湾 鎮 の線 は
原 が第 一部 長時 代 に上 海 に五箇 師 団 を 増 兵 し て居 り ます が之 は大 元
石原
持 久戦 争 不可 避 と考 へま し て戦 争 目 的即 ち講 和 条 件 の確 定 は本 事
ば あ の時 機 が 一番 だと 思 ひ ます 。
な に簡単 に と れ る とは 思 は れ ま せ ん でし た 。若 し簡 単 に取 れ るな ら
上 海 の事 件 が起 て から も色 々議 論 があ り ま し た。 而 し南 京 はあ ん
には 南京 を と る直 前 が よ い機 会 だ つた と 思 ひ ます 。
帥 陛 下 の思 召 であ らう と拝察 し て居 り ま す 。 必要 な戦 力 の増加 が出 来 ま し た事 は御 立 派 な御 裁 断 であ つた と拝 察 し ます 。
十 、事 変 解 決 の工作
事 変 解 決 に関 し て直接 手 を打 つた こと が あ り ます か。
変 の当初 か ら最 も 強 調 し ま し た事 で、 ど う 云 ふ条 件 で支 那 と協 調 す ︹ 久雄︺ る かと 云 ふ事 に就 いて の石 原 の主 張 は 、 当時 第 二部 長 ( 渡閣下病気 ︹ 幸雄︺ ︹ 雅晴︺ で笠 原 課長 部長 代 理 ) の反 対及 本 間 閣 下 の反 対 で同 意 され な か つた
殿下
あ る石 原 か、出 来 た なら ば 次官 か が現 地 に出 て行 つ て直接 支 那側 と
石 原 閣 下 と第 二部 長 と の意 見 の相 異 は ⋮ ⋮
の であ り ます 。
今 考 へま す と極 力 不拡 大 を取 つ て居 た のであ り ま す か ら責 任
交 渉 し た ら良 か つた と思 ふ ので あり ま す。 これを し な か つた こと は
殿下
石原
石 原 と し て真 に申 訳 な い こと で あ つた と思 つて居 り ま す 。
戦 争 は簡 単 に終 結 し得 る と云 ふ のが支 那 課 の判 断 で あり ま す 。
そ の後 の こと と思 ひま す が私 等 は首 相自 ら南 京 に出 向 いて国 民 政
た が 、第 二部 長 にな つて から は意 見 を か へら れ た の であ りま す 。
又 本間 閣 下 が部長 に な ら れま す 迄 は大 体私 共 と同意 見 で あり ま し
石原
府 を反 省 せし め たら よ いと考 へ、 参謀 次長 室 から 風 見 書記 官 長 に其 事 を電 話 し た こと があ り ます 。 夫 れ は国 民 党 とし ても 日本 の軍 部 と
共 に 、 日本 は成 るべ く 速 か に支 那 本 部 の政 治 的権 益 を撤 回す る条 件
八 月中 旬 と思 ひま す が支 那 を し て満 洲 国 の独 立 を 承認 せ しむ る と
ます。
殿下
石原
講 和条 件 に関 す る御 考 へは ⋮ ⋮
更 に原 則論 を下 で協 議 しま し た が纒 り ま せ ん でし た 。
為 め に行 ふ の であ り ます 。 東 亜 聯 盟 が確 立 す れ ば此 意 味 の駐 兵 は
に面 白 い事 で駐 兵 を 今迄 の様 に権 益 擁 護 の為 め で なく 思 想防 衛 の
先 づ防 共 協 定 を結 び其 間 防 共 駐 屯 を 認 め し め ます 。 之 は非 常
病 気 中 の今 井 閣 下 は非 常 に心 痛 さ れ た ら し く何 と か纒 め た いと考
必然 的 に不 必 要 と な り ます 。
①
支 那 に要 求 す る の であ り ます 。
を 援 助 し て や る 。夫 れ が東 亜 聯 盟 の条 件 で あり 其 確 立迄 次 の条 件 を
満 洲 国 独立 を承 認 す れば其 の代 り に日 本 の方 でも中 華 民国 の独 立
(十 一月 二十 二 日) が石 原 の申 上 げ ま し た東 亜 聯 盟 の条 件 への完 全
今 日 でも そ う で あ り ます が石原 の意 見 で は昨 年 の 暮 の 近 衛 声 明
夫 れ に 関 し て は は つき り し た 方針 を立 て る こと が 必要 と思 ひ
の下 に和 平 交 渉 に入 る べ き意 見 を参 謀 本 部 と し て出 そう と思 ひま し ︹ 攻︺ ︹ 定︺ て 、私 は総 務 部 長 中島 少将 、第 三 部 長 塚 田 少将 、第 四部 長 下 村 少 将
な る復 帰 と思 ひ ます 。
石原
に計 り全 部 判 を貰 つた のです が第 二部 長 本間 閣 下 は どう し ても 同意 ︹ 清︺ さ れ な い の で 一緒 に病 床 に今 井 閣 下 を訪問 し ま し た。 所 が嘘 かも知 ︹ 佐比重︺ れ ま せ ん が支 那 課長 永 津 大 佐 が事 前 に行 つて今 井 閣 下 に色 々話 し た と の評 判 であ り ま し た 。 これ は永 津 大 佐 のみ な らず 一般 の空 気 が 、下 の方 で意 見 を定 め た 上 でな け れ ば 上 には言 は な いと 云 ふ全 く自 由 主義 的 の やり 方 を し て
へら れ た 様 でし た が自 分 で判 決 は さ れ ま せ ん。 私 は 部長 と し て次 長
②
居 た為 で あり ま す 。
に直 属 致 し て居 り ま せ ん の で総 長 殿 下 に持 つて行 く と言 ひ ます と、
に必 要 な も のです 。 然 し 東亜 聯 盟 に よ る国 防 上 の共同 が成 立 せば
内 蒙 を特 種 防 共 区域 とす る こと は国 防 上 の要 求 と し て絶 対 的
の で到 々閣 下 の心情 に敗 け て直 接 持 つて行 く こと は撤 回 し た の であ
自 分 が 病 気 だ か ら そ んな 事 を言 ふ と思 はれ 不 満 の様 で御 座 いま し た
て居 り ます が 、其 の不 足 を補 ふ為 め の要 求 であ り ます 。 然 も東 亜
ては 日満 の 五年 計 画 を や り ま し て東 亜 防 衛 の生 産 力拡 充 に努 力 し
③ 北 支及 内 蒙 の経 済 開 発 に便 宜 を要 求 し て居 り ま す 。今 日 に於
之 は 権 利 で な く義 務 とな り ま す 。
定 にも つて行 く と云 ふ、 こん な気 風 があ つ て ( 陸 軍 省 の仕 事 にも あ
聯 盟 成立 せ ば経 済 の共 通 に よ り当 然 の こと とな り ます 。
曩 に申 し ま し た様 に、 事 を行 ふ主 任 者 に意 見 を開 陳 せず に方 針 決
り ます 。
り ま し た が) 総 長 殿 下 に御見 せ しな い で幕 僚 の間 で有 耶 無 耶 にな し
一結 果 に な る の であ り ま す。
解 消 す る こと と な り 、 昭 和十 二年 八 月 の私 共 の主 張 しま し た案 と同
即 ち東 亜 聯 盟 さ へ本 当 に結 成 さ れ る なら ば 右 の三 ケ の権 利 は自 然
た こと が多 か つた の であ り ます 。 事 変 の始 つた時 にそ ん な事 を せず 政 治 的 に大 きく 手 を 打 つた な ら
今の問 題 は 之 で 終り にな つた の です か。
ば事 変 は案 外 に早 く 片附 け得 た と思 ふ ので あ りま す 。 殿下
の線 を正 確 にす る事 が事 変 解 決 の鍵 では な いか と思 ふ の であ り ます 。
し て居 りま せ ん 。彼 の汪 兆 銘 工作 条 件 に於 て もも う 一度 東 亜 聯 盟 論
然 る に今 日 の陸 軍部 内 に は未 だ 近 衛声 明 に反 対 があ り国 論 が 一致
し 得 ら れ なけ れば な り ま せ ん のに其 の間 の判 定能 力 のあ る人 は参 謀
戦 に ど れ だけ の兵力 を注 ぎ 込 み得 る かを判 定 し戦 争 指 導 方 策 を決 定
逸 と伊 太利 の威 力等 を綜 合 的 に頭 に画 いて統 轄 し て 、 日本 が対支 作
でき な いの で御 座 いま し て 、詳 細 は統 帥 部 政 治 部 各 当 局 が協 力 し て
本 部 に 一人 も な いと 思 ひ ま す 。又 持 久 戦争 は参 謀 本 部 だけ では決 定
事 変 始 つ てか ら 間 も な く南 京 に期 限 を 切 つて要 求 し て居 り ま
殿下
方 針 を決 定 し若 し意 見 の 一致 を見 る こと出 来 な い場 合 に於 ては 御 聖
す が 、 あ れ は今 閣 下 の言 は れ た経 緯 の前 で す か。 前 と記 憶 し て居 り ま す 。外 交 上 の駈 引 は力 を伴 つ てや る こと
石原
断 を 仰 いで な さ るべ き も ので あ りま す 。
然 る に斯 し た戦 争 指 導 も出 来 ず 統 帥 部 政 治 部 の各 関 係省 部 が自 由
が必要 で 、あ れ は 一種 の威 力 偵 察 であ り ま す 。第 二部 は これ に よ つ
い から で、大 綱 に則 り本 当 の判断 を や る人 が 一人 も な いか ら だ と思
勝 手 な こと を や り之 を 纒 め る 人 が 一人 も 居 な い のは 陸大 の教 育 が悪
て何 と か な る だ ろう と思 つ て居 た様 でし た が私 共 は深 い関 心 が な か つた ので あ りま す 。 つま り単 に蒋 介 石 がど う し て も戦 争 す る か ど う
か と思 ふ ので あ り ます 。 極 端 な る統 帥 部 の不 統 一を来 たし た のは個
又 信 念 のな いの に意 見 を 申 す のが今 日日 本 の幕 僚 の通弊 で はな い
の であ り ま す 。
ひま す 。即 ち綜 合 的 の判 断 を な し得 る知 識 を我 々は 持 つて居 ら な い
かと 云 ふ威 力 偵 察 を や つた の であ り ます 。
十 一、 持 久 戦 の 指 導 に就 い て
石原
に於 け る戦争 に対 し陸 大 の教 育 が実 際 に副 はな い の では な いか と思
人 個 人 の責 任 では あ り ま せ ん。 誰 れ が悪 いと言 ふ の では な い、現 実
参謀 本部 に於 け る石 原 第 一部 長 と し て の統 制 力 は甚 だ不 充 分
で、 私 の第 二 課長 時 代 は考 への筋 も 通 つて居 ると 思 つて居 りま し た
︹一雄︺ 只 今 申 上 げ ま し た事 から 戦 争課 を設 け て堀 場 中 佐 の如 き綜 合 的 能
ふの で あり ま す 。
が其 れが 第 一部 長 に な つ て から の統 制 力 は微 弱 であ り ま し て、 当 時 私 は知 りま せ ん で し た が部 下 の内 にも相 当 に反 対 のも のが居 た様 で
力 を有 す る人 を置 き 、宮 崎 機 関 と 云 ふ材 料 提 供 機 関 を作 り 以 て研 究
此点 全 く 私 の至 ら ぬ為 と真 に責 任 を感 じ て居 り ま す 。而 し て斯 し た
す る ことに な つて居 つた事 は尤 も有 意 義 の事 であ つた と 思 ひ ます 。
不 拡大 方 針 を と りま し ても戦 争 を やら な け れ ば な ら な い状 況
十 二、 国 家 総 動 員
事 は第 一部 だ け の こと で あり ま せ ん で今 日 の日 本 軍 部 の通 弊 の様 で
て戦 術 教 育 の方 は磨 か れ て居 りま す が 、持 久 戦 争 指 導 の基 礎 知 識 に
石原
御 座 いま す が 、 石原 の考 へを 率直 に申 しま す と 陸 大 で は指 揮 官 と し
乏 しく 、 つま り 決戦 戦 争 は出 来 ても持 久 戦 争 は指 導 し得 な い の であ り ます 。 即 ち 今 度 の戦 争 で も日 本 の戦 争 能 力 と 支 那 の抗 戦 能 力 、 ﹁ソ﹂ 英 米 の極 東 に加 ふ る軍 事 的 政 治的 威 力 と そ れ を牽 制 し得 る独
な らば 、最 初 から 国 家 総動 員 を行 ふ が良 か つた と考 へま す 。
な が ら色 々の反 対 を 受 け て石 原 の在 任 中 は総 動 員 の実行 は不 可 能 で
堅 持 し て居 れば 有 利 に行 く ので は な いか と思 ふ の であ り ます 。遺 憾
事 変 勃 発 時 直 ち に総 動員 を や つた ら どう でし た か。
の動 員 は や る こと が出 来 い の で先 づ半 分十 五 ケ師 団 と考 へま し た 。
動 員 と事 変 と の関係 は ⋮ ⋮
あ り ま し た。
速 か に国 家 総 動 員 を行 ひ作 戦 は前 に申 上 げ ま し た方 針 の線 を
其 理 由 は ﹁ソ﹂ 聯 に 対 し ては 井 本大 尉 の研 究 に依 れば 已 む を得 ず 守
殿下
殿下
勢 の態 勢 を取 つ ても十 九 ケ師 団 必要 と 云 ふ のであ り ま し た 。支 那 に
動 員 の兵 力 決 定 は輸 送 力 に よ り決 定 せら れ 全 面戦 とな つた時
石原
対 し ては 先 づ 六 ケ師 団 を使 つ て五 ケ師 団 を中 央 に予 備 に持 つて居 り、
の作 戦 範 囲 は 国 家 総 動 員 の能 力 に左 右 さ れ る の であ り ます 。
石原
軍 需 工業 動 員 は今 の経 済 状 態 から 見 て到 底 当時 一挙 に三 十 ケ師 団
時 に応 じ 機 に臨 ん で支 那 に持 つて行 く態 勢 を と ると 云 ふ ので結 局 合
か に在 満 洲 四 ケ師 団 の戦 備 を 充実 す る と 云 ふ の であ り ま す 。即 ち 先
十 三 、 対支 戦 争 判 断
計 十 一ケ 師 団 を 必要 に応 じ 支 那 に使 ふ こと と し、 対 ﹁ソ﹂ 顧 慮 上速
づ 十 五 ケ師 団 分 の軍 需 工業 動員 を発 令 す べ し と し た ので あ りま す 。 十 五 ケ師 団 の軍 需 工 業 動 員 を行 ふ も のと し て昭和 十 二年 度 には 二十 五 乃至 三十 億 円 の軍 事 予算 を要 す るも のと 参 謀本 部 で は計 算 し ま し
した か、 不拡 大主 義 に徹 底 す る こと は出 来 ま せ ん でし た か 。
殿下
不 拡大 主 義 で や つても 一度 戦争 と な れ ば どう し ても全 面 戦 争
当 時事 変 が どう し ても こう 云 ふ全面 戦 に な る こと は 必然 的 で
た。 当 時 時 局 に対 し ては陸 軍省 は積 極 的 で参 謀 本部 は大 体 反 対 であ り
驚 いた の であ り ま す 。 こん な動 員 で蒋 介 石 は参 る も のと 考 へて強 硬
殿下
支 那 班 は北 支 を と れ ば支 那側 は経 済 的 に参 る と の判 断 を し た
支 那 班 の判 断 は ⋮ ⋮
来 な い ので あ り ます 。
にな る と思 ひ ま し た。 そし て長 引 く こと を想 像 し ま し た 。決 戦 は 出
石原
論 を称 へて居 る ので あ り ます から 本 当 に 地面 に足 の つかな い戦 争 指
石原
ま し た の に其 の陸 軍 省 の積 極 的 な予 算 が実 に 三億 円 と云 ふ の で私 は
導 をや つ て居 る と 云 ふ べ き で、事 変 処 理 の困 難 な 原 因 が そ こに あ る
様 で、数 を挙 げ て言 つ て居 り ま し た。 即 ち 支 那 班 の構 想 は僅 か の兵
︹マ マ︺
と思ひます。
力 を 一度 にぐ つと や れ ば大 勝 利 だと 云 ふ気 持 を も つて作 戦 を 単簡 に
考 へて居 りま し た 。 夫 れ は満 洲 の経 験 もあ る から と 云 ふ の でし た が 、
参 謀 本 部 に於 て は大 体 六ケ 師 団 の範 囲 で作 戦 を 行 ふ方針 を定 め陸
私 は満 洲 の様 な 具 合 に は い か ん と確 信 を持 つ て居 り 、開 戦 当初 敵 に
陛 下 に上奏 さ れ ま し た。 此 の時 の御説 明 に は参
軍 省 の同意 を得 て
し 、 其 の治 安 を確 保 し て行 く と 云 ふ事 を考 へて いま し た 。
大 打 撃 を与 へそ し て屈 伏 しな い時 は使 用兵 力 に相 応 し た 地 区 を領 有
謀 次 長病 気 の為 石 原 が御 説 明申 上 げ ま し た。 大 元帥 陛 下 に は非 常 に御満 足 の様 に拝 し た の であ り ます が 、其 時 の作 戦 範 囲 は保 定 濁 流 鎮 の線 と 云 ふ事 に決 定 し た ので あ り ます 。
る事 です し 、而 も石 原 は決 戦 が出来 る と考 へま せ ん。 そ こ で長 時 日
最初 からどし〓 延 びて行くと謂 ふ事 は支那 の真面目 の抵抗 とな
ので支 那 の最 少 限 度 の要 点 を つかん で、若 し ﹁ソ﹂ 聯 が や つ て来 た
若 し決 戦 を行 ひ得 て 一挙 に朧 海線 ま で行 け ば 敵 が参 る と い ふ こと
な ら ば之 を や つ つけ る と 云 ふ考 へであ り ま し た 。 これ が私 の戦争 指
作 戦 す る こと にな り ま す が、 そう す る と ﹁ソ﹂ 聯 が出 る心 配 が あ る
第 一部内 に も直 ぐ参 る と考 へた も のが居 ま し た か 。
導 の気 持 です 。
が固 よ り絶 無 と は申 さ れ ま せん が 、私 は そ れは 望 み 難 い こと と考 へ
殿下 満 洲 事 変 の様 な つも り の も のが あ つた ので、 作 戦 にも夫 れ が
て居 り ま し た 。
石原
殿下
影 響 し て居 り ま す 。
は な か つた の で あり ま す か 。
不拡 大 方 針 を 執 ら な いで此 際 一挙 問 題 を片 附 け様 と 云 ふ考 へ
殿下
石原
此 の事 変 の始 ま つた当 初 の此 の機会 を利 用 し て、 北 支 と満 洲
と の間 に緩 衝 地 帯 を 思 切 つて作 る と 云 ふ構 想 を も つて其 ため に出 兵
ま し ても 平時 準 備 が不 充 分 であ り輸 送 力 があ り ま せ ん。動 員 に決 心
私 共 は其 可 能 性 を信 じ 得 ま せ ん でし た。 一挙 に片 附 け様 と し
を主 張 し たと 云 ふ様 な 者 は あ り ま せ ん でし た か 。
し た後 の軍 の編 制 動 員 、 集 中等 は最 善 を尽 し た の であ り ます 。
徹 底 的 にや ら う と思 つても 軍 事行 動 は初 め はあ れ以 上 の ことは 出
そう い ふ意 見 は 耳 に し た事 はあ り ま せ ん で し た。 事 変 当初 の
来 な い の であ り ます 。 但 し 船 舶 の徴 用 を更 に徹 底 的 に や つた な らば
石原
か と思 ひ ます 。 然 る に案 外 昭和 七年 の満 洲 の苦 い経 験 を今 度 も繰 返
或 は若 干 輸送 を有 利 な らし め たか も知 れ ま せ ん。
処 置 に つい ては 満 洲 事 変 の経 験 が多 く の影 響 を し て居 る の では な い
い ので あ りま す 。 真 面 目 な 戦史 的 研 究 が非 常 に大 事 なも の では な い
し て居 る の で前 の経 験 を よ く吟 味 し て置 いた な ら ば と思 ふ こと が多
船 舶 徴 用数 決 定 に は私 共 の不 拡 大方 針 の影 響 が相 当 あ つた か も知
れま せ ん、其 辺 の御 検 討 が必 要 かと存 じ ます 。
かと思 ひ ます 。 ﹁ソ﹂聯 は ﹁ノ モ ン ハン﹂事 件 で日本 軍 は張 鼓 峯 の時 の経験 を利 用 し て居 な いと 云 つて居 る らし いが 、非 常 にも つと も だ
殿下
大 体 上海 でぶ つか つ てご た 〓
に な つて か ら は、 も う よ い講
和 の ﹁チ ャ ン ス﹂ が あ る と は思 は れ ま せ ん で し た。
石原
戦 争 は不 可 避 だ と言 ふ見 透 し でし た か 。
変 は片 附 け 得 る と 云 ふ見 通 し を以 て居 ら れ ま し た か 、或 は 既 に全 面
閣 下 の居 ら れ る間 には 不 拡 大 方針 を採 つて進 ん で居 る中 に事
と 思 ふ のであ り ま す 。
不 拡 大 方 針 と作 戦 範 囲 と の関 係 は⋮ ⋮
十 四、 戦 争 指 導 考 案 に就 いて
殿下
と い ふ の は我 戦 争 力 の判 断 に基 く 軍 事 上 の問 題 で あ り ま し て、 政治
不 拡 大 方 針 と いふ のは政 治 的 問 題 であ り 、開 戦 後 作 戦 範 囲 の制 限
上 の制 肘 によ るも ので は あ り ま せん でし た 。
最 初 か ら支 那 と の戦 争 は持 久 戦 であ ると 思 て居 り まし た の で、
作 戦範 囲 を成 る可 く 限 定 し てそ こを何 年 でも 持 つて居 る と 云 ふ事 を
石原
考 へた ので あ り ます 。
病 気 のた め意 見 はな か つた と思 ひま す 。 相 当 に御悪 く て そう
今 井 閣下 の お考 へは 。
た る の資 格 が な い と考 へた ので あ りま す 。
此 の支 那 事 変処 理 方針 の 一項 から 二項 に移 つて内 地 部隊 を動
殿下 殿下
当 時 全 面戦 争 の計 画 は 全 然 な か つた の です か。
云 ふ事 を 云 ふ のは御 無 理 であ り ま し た 。
石原
あ り 得 な い のです 。 ﹁ソ﹂ 聯 だ け で も兵 力 が足 ら な い と 思 ひ
員 し た時 、既 に中 央 部 の考 へで は徹 底 的 に全 面戦 争 を や る覚 悟 で あ
石原
石原
殿下
り ま し た のです か。
京 と の外 交 交 渉 に依 つて根 本 的 転 回 を なす 可 能 性 を 有 す る と思 つ て
夫 れ は全 面 戦 争 にな る と考 へて居 るけ れ ど も 、前 に述 べ た南
居 り、 若 し 夫 れ が駄 目 な時 は 全 面戦 と なり 非 常 に長 引 く も の と考 へ
初 め に言 は れ ま し た支 那 から戦 争 が起 つた場 合 の研 究 は ⋮ ⋮
ま し た か ら。
平 時 研 究 は 極 め て貧 弱 で あ つ た事 が参 謀 本 部 不 統 一の原因 と
て居 り ま し た 。
石原
殿下
第 二課 に あ る書 類 中 に、 九 月 十 五 日閣 下 の御 自 分 で起 案 さ れ
殿下
な りま し た。 私 共 責 任者 と し て真 に申 訳 あ り ま せ ん。 真 面 目 な る 日
た戦 争 指 導 要 綱 と 云 ふ のが あり ま す が 、之 が先 に言 はれ た戦 争 目 的
上 げ ま し た如 く 対 支 戦 争 か ら始 ま る戦 争 計 画 は遂 に立 案 さ れな か つ
は考 へな か つたと 思 ひ ま す)、其 の感 じ が痛 切 で な か つ た 為 め 前申
事 件 以後 位 か ら必 要 を 感 じ始 め た の です が ( 作 戦 部 の こと で支 那 課
に 対支 作 戦 計 画 と い ふも のは頗 る不 徹 底 な も ので あ りま し た。綏 遠
支 戦 争 が起 き る可 能性 は参 謀 本 部 とし ては殆 ど考 へて居 ら ず 、為 め
で何 か書 いた かも 知 れ ま せ ん 。
石原
此 の頃 の戦 争目 的 は ⋮ ⋮
た の であ り ま す。
部 長 閣 下 自 分 で起 案 さ れ た と言 ふ こと に な つて居 り ま す が 。
に関 す るも の であ り ま す か。
殿下
戦 争 目 的 の問題 は 八月 半 以前 に起 り ま し て内 地動 員 を令 せ ら
記 憶 が あ り ま せ ん が只 其 の頃 私 が転 任 す る と思 は れ ま し た の
石原
察 哈 爾 作戦 の問 題 は。
摺 ら れ た の であ り ます (彼 は 非 常 に偉 いと思 ひま す 。後 の台 兒 荘 の
内 蒙 作戦 が起 つた のは 之 は 私 の考 へで は敵 の大将 湯 恩 伯 に引
時 も結 局 湯 恩 伯 にや ら れ た の です )。 此 の作 戦 の時 も 彼 が猛 烈 果 敢
殿下
作 戦 の当 事 者 に第 二部 あ た り の考 が何 か作 用 し ま し た か。
戦 争 目的 を速 か に確 立 す る必要 を感 じ な か つたら し い ので あり ま す 。
に這 入 つて来 て第 五師 団 は予 想 以 上 に苦 戦 し まし た。 特 に降雨 の為
石原
十 五、 察 哈 爾 作 戦
れ て か ら の戦 争 目 的 も変 化 が な い訳 であ り ま す が 、前 申 し ま し た 通
戦 争 目 的 に就 い て第 一第 二部 間 に対 立 があ つて決 裁 を仰 が れ
り参 謀 本 部 とし ても 決 定 に至 り ま せ ん でし た 。 殿下 た と言 ふ事 は⋮ ⋮ 二 三度 次 長 宅 に行 つた と 記憶 し て居 り ま す 。
殿下
そ ん な事 もあ つて九 月 頃 私 に反 対 し た者 があ る ので私 は部 長
永津 大 佐 の意 見 が増 兵 し て北 京 を と れば 、 向 ふは参 る と 云 ふ の で
石原
石原
け れ ば な ら な か つたと 思 ふ ので あり ます 。 あ んな風 に簡 単 に作 戦 が
あ り ま す が 、参 謀 本 部 でも つと忠 実 に確 信 あ る研究 を や つて居 ら な
大 き な作 戦 を成 し遂 げ た 事 は誠 に関 東 軍 の力 で大 い に感 謝 す べき で
す 。 僅 か の間 に熱 河 から 張家 口 を あ れ だけ 敏 速 にと つて予 想 以 上 に
の作 戦 に就 て私 の非 常 に恥 し い のは戦 前 の観 察 の不 十 分 だ つた事 で
二三 日 輸 送 が遅 れ た為 八 達嶺 の峠 を越 す の は非 常 な苦 戦 で し た。 此
石原
殿下
記 憶 し て居 り ま せ ん。
そ れ に関 す る関 東 軍 と の関 係 は ⋮ ⋮
あ りま す 。
此 時 の強 硬 な板 垣 閣 下 の意 見 具 申 が非 常 に影 響 し て居 ると 思 ふ ので
止 にな り ま し た 。然 し遂 に山 西 作戦 を 行 ふ こと にな つた 原因 に は 、
に明 る い多 田閣 下 に申 し ま し た所 、 駄 目 だ と 云 ふ こと に な り 一時 中
板 垣 閣 下 を や れ ば良 いで はな い かと思 ふ やう にな つ て、非 常 に 地 理
第 一部 では 大行 山 脈 の山 地 内 にあ れ丈 の大 兵 力 を持 つて来 ら れ様 と
石原
殿下
平 時 研究 では青 島 に派 兵 す る様 にな つて居 りま す が。
青 島 問 題 は 海 軍 と の間 にご た 〓
青 島 問 題 に就 ては ⋮ ⋮
十 七 、 青 島 (山 東 ) 問 題
出 来 る と 云 ふ事 は予 想 し な か つた の で あり ま す 。 ど れ だけ の兵 力 が あ の地 方 に作 戦 し得 るも のか と 云 ふ の が関 東 軍 の興味 あ る研 究 で結 局 予 想 以 上 の大 兵 力 を作 戦 し得 た の で は な い かと 思 ひ ます 。 平 時 か
は夢 にも 思 は な か つた の であ り ま し た 。上 海 作 戦 でも申 上 げ まし た
石原
殿下
ら尚 も つと 兵要 地 理的 の観 点 か ら研 究 を 必要 とす る と 思 ひ ます 。 又
通 り、 兵要 地 理 の研 究 は更 に熱 心 で な け れば なら ぬ、 又兵 要 地理 は
我 が権 益 を 全 部 破 壊 さ れ る と想 像 す る点 も あ り 、 又列 国 と の関係 も
ら なく て良 いと 云 ふ こと にな り ま し た 。 そ れ に 又彼 処 に派 兵 す れ ば
兵 力 を 予 想 以 上 に北 支 に持 つ て行 つた関 係 も あり 、 急 いで や
が あ り ま し た。
現 地 の作戦 計 画 以 上 の広 範 囲 に及 ん で居 な け れば な ら な い こと を痛 感致します。
あ る の で支 那 も居 留 民 を迫 害 す る こと は な か らう と い ふ見 地 か ら直
し た所 で は山 西 の地 形 は ﹁ゲ リ ラ﹂ 戦 に依 る抗 戦 に適 す る の で、之
石原
殿下
私 は山 西 作 戦 には 極力 反 対 で あ つた の であ り ます 。 私 の研究
第 五師 団 の運 用 に就 き ま し て は⋮ ⋮
面 への出 兵 問 題 を考 へら れた 事 は あ り ま せ ん でし た か 。
殿下
しませんでした。
石原
殿下
海 軍 は 二股 だ つた と思 ひ ま す 。 どう も海 軍 の態 度 が は つき り
あ そ こに海 軍 か ら是 非 揚 げ る と 云 ふ事 の要 求 は ⋮ ⋮
十 六 、 第 五 師 団 の運 用
には 手 を触 れな い方 が宜 し いと思 ひま し た 。所 が板 垣 閣 下 は 詳細 な
石原
ぐ には 派 兵 し な い こと に な りま し た 。
手紙 を私 に寄 せ て 一ケ師 団 あ れば 山 西 は片附 け得 る と の事 でし た 。
策 応 し得 る所 ま で行 け な いと言 ふ事 にな り ま し た。 一箇 師 団
保 定 、濁 流 鎮 の線 に向 ふ作戦 に策 応 す る戦 略 的意 味 で山 東 方
あ の手紙 を書 かな い人 が斯 う し て特 に書 かれ た の です から 、 山西 に
位 の兵 力 では 駄目 だ 、 一軍 位 の兵 力 が 必要 だ と考 へた の です 。 然 し若 し 海 軍 が や る と な れば 、 已 む を得 ず 一部 を用 ひよ う と考 へ ま し た。 そ れ 以外 に あ り ま せ ん でし た様 に思 は れま す 。
参 謀 本 部内 の こと に就 て何 か御 所 見 は ⋮ ⋮
十 九 、 参 謀 本 部 内 の問 題
殿下
人 の問 題 は仲 々う る さ い問 題 で、 今 日 の戦 争 指 導 は 第 一部 長
石原
殿下 二軍 を作 つた た め 方 面 軍 を作 ら ねば な ら な いと 云 ふ だけ です
方 面 軍 を 編 成 し て指 導体 系 を作 ら れた経 緯 は ⋮ ⋮
校 は甚 だ少 な い の で非 常 に ﹁デ リケ ート ﹂ な問 題 だ と思 ふ の であ り
は居 りま す が、 持 久戦 争 の指 導 に就 き ま し て は 理解 を有 す る参謀 将
をう まく 使 つ て行 く こと は誰 に も仲 々出 来 ま せ ん。 作 戦 だ け な ら 人
が作 戦 課 だ け でな し に政 策 的 の課 と 両 方 を握 る の で此 の 二人 の課長
石原
が 、只 寺 内 大 将 の方 面 軍 司令 官 は私 共 には意 外 であ つた の です 。方
十 八 、 方 面軍 編 成 に関 す る問 題
面 軍 には 平 時 の計 画 通 り 当然 阿 部 信 行 大 将 が司令 官 と し て御 出 にな
つ が無 か つた方 が良 い の では な いか と思 ふ の であ り ま す 。 そ し て相
ます。 ︹ 章︺ 例 へば武 藤 少将 は仲 々多 方 面 の人 で あ り ま し た が、 斯 う 云 ふ人 が
政 略 的 見 地 から 動 員計 画 に よ る第 二方 面 軍 の名称 を避 け 天 津 派遣
作 戦 課長 で下村 閣 下 が第 一部 長 であ つた時 は、 作戦 課 ・戦 争 課 の 二
軍 と言 ふ事 に賛 成 し ま し た が 、之 を臨 時 編 成 と 解 し阿 部 大 将 でな く
当 広 範 囲 の協 調 を武 藤 課 長 にや ら せ た いと私 は思 ふ の であ り ます 。 ︹ 正純︺ 今 の稲 田大 佐 は存 じま せん が 参 謀本 部 の編 制 は目 下 の状 況 で は主
る も のと 考 へて居 り ま し た 。 これ は政 策 上 面白 く な い事 があ つた ら
他 を と つ たと 言 ふ ので あ り ます 。 寺 内 閣 下 が方 面軍 司 令 官 にな ら れ
を確 立 し て之 に適 す る人 を 求 む る こと は前 に申 上 げ ま し た通 り仲 々
任 者 の性 格 能 力 に より 相 当 の柔 軟性 を要 す るも のと 思 ひ ます 。 制 度
し い の であ り ま す 。
る に就 き ま し て は 、杉 山 大 臣 か ら参 謀 次 長 に話 が な か つた の であ り
直 接 総 長 殿 下 に御 話 が あ つて定 ま り ま し た ので、 そ こ に何 か政 策
いか と 、罷 め て から 気 附 いた ので あり ま す が誠 に恥 し い次 第 で御 座
第 一部 長 在 任 中 此 の考 が浮 ん で来 な か つ た のが悪 か つた の では な
そ れ で此 の事 情 を明 か にし な け れ ば いけ な か つた と思 ひ ます 。
居 な い為 め 、第 一部 長 と 課 員 と の意 見 も 一致 し な い ので あ りま す 。
も のと編 成 を や つ て居 る 者 と の間 に未 だ精 神 的協 同 が完 全 に出 来 て
困 難 と存 じ ます 。 私 の時 には作 戦 課内 に於 て作戦 を直 接 や つて居 る
ます。
つま り寺 内閣 下 が東 京 に居 ら れ る事 は杉 山 閣 下 に勝 手 が悪 いし 、
的 意 味 が あ つた ので は な いか と思 ふ の であ り ます 。
かう と 云 ふ事 を 云 は れ たと 承 つ て居 り ま し て、 当 時 は 誠 に 不愉 快 な
寺 内 閣 下 も真 崎 大 将 事 件 等 の面 倒 な事 が あ つた為 め 、 何 と か出 て行
印 象 を受 け た の であ り ま す 。
いま す。
尚 又私 は前 に関 東 軍 に居 りま し た 際 に痛 感 し た のは 、 参謀 部 に参 謀 が多 く て は い か んと 云 ふ こと で あり ま す 。 そ し て事 務 を取 扱 ふ者 を も つと多 く す る こと が よ いと 思 ひま す 。
ん第 一部 と の間 を統 制 す べ き だ と思 ひ ます 。
二 十 、 陸 海 軍 間 及 省 部 間 の関 係
事 変 指 導 に関 し て陸 海 軍 間 及省 部 間 の問 題 等 で何 か御 感 想 が
殿下
満 洲事 変 当 初 関 東 軍 では参 謀 長 の下 に板 垣 参 謀 、石 原 、 中 野 (良 次 )、武 田 ( 歩 兵 少 佐 )、 新井 、 と参 謀 五人 だけ でし た から 其 の間 に
陸 海 軍 の問 題 は存 じ ま せ ん 。之 は両 方 の研 究 が足 ら な か つた
あれば⋮⋮
の であ り ま す。
石原
は意 見 の相 違 が あり 得 な いの で旨 く 行 き ま し た 。 参 謀 本 部 で も参 謀 の数 を 少 く し て事 務 方 面 の長年 勤 めら る る人 を 増 加 し た な らば 、 今 度 の様 な思 想 の相 違 は起 り得 な か つた と思 ふ の
省 部 の聞 は 円満 に い つて居 たと 思 ひ ま す が、 何 かあ つた と言 ふ な
ら ば 大事 な時 に参 謀 次 長 の御 病 気 が幾 分 不利 益 な影 響 を 与 へた の で
当時 参 謀 本 部 全 体 を統 一す る力 が 必要 であ つた ので は あり ま
であ り ます 。 殿下
は な か つた か と思 ひ ます 。
何 と申 し ま し て も大 事 な事 、例 へば前 の南 京 に対 す る交 渉 等 の事
せん か。
でも 生意 気 な石 原 の様 な若 がや つた か ら 具合 が悪 い の で、 円満 な十
全 く 必要 で当 時 次 長 閣下 が病 気 で あり 、 総 長 殿 下 を戴 い て居
りま し た が 、御 歳 で あり ま す為 に 一般 に御 遠 慮 し て御 控 へし て居 る
石原
分 折 合 の出 来 る人 な ら良 か つた の で御 座 います 。 大 臣 閣 下 の如 き も
﹂ と 聞 いて居 ら れ まし た が、 不同 意 だ
私 の申 す事 は大 体 ﹁う ん〓
陸 軍 省 は も つと積 極 的 にや る と言 ふ の か、 又 は 全然 不拡 大 の
軍 事 課 の力 の強 い のは 予算 を持 つて居 る から でせう 。
陸 軍 省 で は軍 事 課 の力 が強 い様 です が⋮ ⋮
石 原 軍 事 課 と軍 務 課 で違 つて居 り ます が、 私 の方 では軍 事 課 の 田 ︹ 新 一︺ 中 が強 い事 を言 つて居 る のだ と 思 ひ ま し た。
ど ち ら で あ りま し た か。
殿下
つた の でし た 。
向 があ り ま し た が 、然 し 大 小 に拘 は らず 殿 下 の御 決 裁 を仰 いで下 の
を生
摩 擦 を 少 く し なけ れば な ら な か つた と思 ふ の であ り ま す。 即 ち 殿 下 には何 も申 上 げ な いと 云 ふ こと が原 因 で、 ご た〓
私 は中 央 部 の勤 務 の経 験 が な いの で大 きな 事 は兎 に角 、 細 い事 が
じ感 情 問 題 と な つた こと が多 か つた の で あり ま す 。
二第 三部 と の関 係 に於 て対 立 を生 じ て ﹁こん がら か り﹂ をし た こと
殿下
解 ら な い のに拘 らず 、 第 一部長 と し て作 戦 計 画 をや り ま し た の で第
と 思 ひ ます 。
石原
元来 第 二部 が国 策 的 の事 を や り まし た も のを 事変 前 に改 正 し よ う と し た が其 れ が結 局 行 は れ て居 ま せ ん でし た 。而 し て第 二部 が情 報 以 上 に国 策 的 の事 をも や る な らば 之 を 強 い次 長 が居 ら れ て、 ど ん ど
殿下
二 十 一、 対 ﹁ソ﹂ 対 英 対 米 関 係
対 ﹁ソ﹂ 対英 対米 の関 係 は当 時 ど う 云 ふ風 な影 響 があ り ま し
英 国 は戦 力 を有 し な いの で影 響 は あ り ま せ ん が 、海 軍 は亜 米
であ り ま す 。
寧 ろ 御 前 会議 は大 本 営 と政 府 の意 見 が 一致 しな い時 に開 いて御 聖
断 を仰 ぐ こと が 必要 だ と思 ひ ます 。
つま り 問 題 が こん が ら か る と理窟 では ど う にも なら な い、 そ こ で
御 前 会 議 を 開 いて御 聖 断 を仰 ぐ と斯 う いふ風 に考 へる こと が至 当 と
思 ふ の であ り ます 。 さう でな いも の です か ら大 本 営 が あ つて殆 ど 無
た か。 石原
い と異 ら な いと 云 ふ風 な印 象 があ り ま す。
錯 覚 があ つた か と思 ひ 又手 前 味 噌 も あ つた と思 ひ ま す が 、其 点 御 許
初 め にも 申 上げ ま し た が、 二年 にも な つた後 で考 へた事 で色 々と
利 加 の海 軍 に対 し 、陸 軍 は ﹁ソ﹂ 聯 の陸 軍 に対 し て主 に考 慮 しま し
陸 軍 では 亜米 利 加 は満 洲事 変 にも 来 な か つた か ら大 体 大 丈 夫 だ と
ら人 格 低 く 真 に部 下 の 心 から な る 一致協 力 を得 兼 ね 私 と し て は何 と
し を御願 ひ 致 し ます 。 要 す る に事変 当 初 作 戦 部 長 の重 任 を担 ひな が
た。
だ ら う と 云 ふ こと が ﹁ロシヤ﹂ 課 の意 見 で御 座 いま し た。
大 本 営 に就 て何 か ⋮⋮
な い次 第 で御座 います 。
ま で参謀本部第 一部長 である。
年 八月参謀本部作戦課長 、十 一年 六月同戦争指導課長 、十 二年 一月より九月
︹ 註︺ 本対談 は昭和十四年秋 に行われたもので、殿下とは竹 田宮恒徳王 で、 当時参謀本部支那事変史編纂部勤務 (大尉) であ った。石原中将は、昭和十
了
なく 薄 暗 がり の中 で仕 事 を や つた気持 が致 し ます 。何 と も御 申 訳 の
思 つて居 り ま し た が 、﹁ソ﹂ 聯 は今 は 来 な いが戦 争 が長 引 け ば 来 る
陸 軍 の作 戦 は ﹁ソ﹂ 聯 の影 響 を強 く 受 け ま し た 。 そ れ で臨 時 編 成 部 隊 を お作 り にな つた訳 です が、 そ れ が 為 に斯 く の如 く長 く 彼 の参 戦 を押 へる のに少 な か ら ぬ作 用 をな し て居 る こと と思 ひま す 。
大 本 営 の機 能 を は つき り し 、大 本 営 と 政府 と の間 に十 分連 絡
二 十 二、 大 本 営 に 就 て
石原
殿下
を緊 密 にし て御 前会 議 を度 々開 い て聖 断 に依 て大 事 を決 し て、 さ う し て国 策 の統 制 を と る可 き で あり ま す 。 夫 れ でな け れ ば天 皇 機 関 説
即 ち 今 迄 の御 前 会 議 は大 本 営 と 政府 と の意 見 が 一致 しな け れば開
を排 撃 し て居 な が ら 、 夫 れ を自 ら行 つて 居 る様 な も ので あり ま す 。
か な いと 云 ふ有 様 で、 そう な れ ば 畏 く も陛 下 を控 制 し奉 る様 な も の
九 一
( 参謀本部作成)
一 一、 郎 坊 事件 前 後 の真 相
一〇 、河 邊 旅 団 の位 置 の問 題
九 、事 件 の直 接 原 因
八 、当 初 に於 け る 駐屯 軍 の処 置
七 、当 初 に於 け る軍 司 令 部 内 の空 気
六 、当 初 に於 け る第 一線 の気 分
五 、第 一回兵 力 増加 決 行 頃 の現 地 の気 分
四 、事 変 勃 発 当時 の駐 屯 軍 の空 気 と現 地 交 渉 の実 相
三 、内 蒙 事 件
二 、事 変 勃 発 当時 に於 け る駐屯 軍 と関 東 軍 と の思想 の相違
一、事 変 直 前 に於 け る現 地 の空 気
二九、黄河 の氾濫と漢 口作戦計画
二八、海州作戦問題
二七、安慶作戦実施 の経緯
二六、日本側 の黄 河決潰企図
二五、派遣班 に依る徐州 会戦指導
二四、徐州会戦と戦面 不拡大決 心及漢 口作戦 との関係
二三、徐州会戦実施 の経緯
二二、昭和十三年二月 の戦面不拡大決心 の経緯
二 一、第 一次近衛声 明 の善後策
二〇、保定攻撃と第五師 団の運用
一九、石家荘占領 後 の停 止線問題
一八、方面軍編成直前 の状況
一七、察哈爾作戦初期 に於 ける苦戦 の原因
橋 本 群 中将 回想 応答 録
一二、南 苑 攻撃 決 心 の経 緯
三〇 、漢 口作戦 と廣東作戦 との関係
一六、察哈爾作戦開始 の経緯
一三 、爆 撃 に関 す る問 題
三 一、張鼓峯事件 の支那事変 に及 ぼした影響
次
一四、 内 地 動員 下 令 当 時 の現 地 の考 へ
目
一五 、 北 支 問題 の根 本 的 検 討
三 二、 中 央 か ら 見 た る漢 口作 戦 に対 す る所 感
斯 う な つた かと 云 ふ真 相 が伺 へた ら結 構 だと思 ひ ます 。
其 の時 どう 云 ふ関 係 でそ れ が出 来 た か、 ど う 云 ふ風 な事 が原 因 し て
四 一、 方 面 軍 ( 軍 ) に附 与 す る任 務 ( 命 令 ) に就 て
四〇 、統 帥 上 の意 志 決 定 の時 期 に就 て
三九 、 中 央統 帥 の実 行 方 法 に就 て
三八 、 中 央 統 帥 の範 囲 及 節 度 に就 て
三七 、 陸 海 軍 間 及省 部 間 の関 係 に就 て
殿下
全 く ﹁デ マ﹂ で あ り ま す か。
の他 は何 も あり ま せ ん 。
橋本
相 当 大 き く ﹁デ マ﹂ が飛 ん で中 央 部 は非 常 に心 配 せ ら れ た ら
遣 し て居 り ます が。
か あ つた で せう か、 中 央 と し て は色 々心 配 し て岡 本 申 佐 を 現 地 に派
竹 田宮 殿 下
一、 事 変 直 前 に於 け る 現 地 の 空 気
三 三、 廣 東作 戦 実 行 の経 緯 三 四 、廣 東 作 戦 計画 に関 す る問題 三 五、 武 漢 攻 略 後 の処 置
四二 、戦 闘序 列 に就 て
橋本
に依 る か と思 ひま す 。満 洲 に大 勢 集 つて来 ま し た浪 人 共 は 満 洲 が片
屯 軍 を取 捲 い て居 る 浪 人 共 が 沢山 居 つた ので 、 さ う 云 ふ連 中 の策動
然 し そ の ﹁デ マ﹂ が ど う 云 ふ 理由 で伝 播 し た か と 武 へば 、 当 時駐
岡 本 中 佐 は 私 が種 々話 し ま し た の で安 心 し て帰 りま し た 。其
先 づ 伺 ひ た い のは四 変 の始 ま る前 現地 で戦 争謀 略 か何
四三 、 兵力 転 用 及総 予 備 的 兵 力 の保 有 に就 て
し いが全 く の ﹁デ マ﹂ で す 。
三 六、 海 南 島 攻 略問 題
四四 、制 令 線 ( 作 戦 地 域 ) に就 て
今 次 四 変 に於 け る 中央 部 の統 帥 に就 い て駐 屯軍 参 謀 長
四五 、瓦 斯 使 用 問 題 に就 て
竹田宮殿下
と し て向 ふ か ら見 ら れた 所 見 、及 中 央 部 と現 地 軍 と の関 係 、夫 れ か
で も よく あ りま し た が ) 目 に余 る様 にな つ て来 る。 其 の為 にそ れ等
付 いて奇 麗 にな つた 今 日 で は、 関 東 軍 の行動 を邪 魔 し て (事 変最 中
し て此 の附 近 に非
を駆 逐 す る様 にな つた ので内 地 に帰 つ たも のも あ る が大 部 分 は北 支
ら 又第 一部 長 とし て中 央 に来 ら れ て か ら の事 項 に就 い て忌憚 な い御 所感 並 に戦 争 指 導 の実 相 を 伺 ひ た いと 存 じま す 。
へ流 れ て来 て、支 那 問題 其 の他 を提 げ て ゴ ロ〓
事 変 其 のも の の大 き な輪 廓 に就 い ては 記 憶 に残 つ て居 り ます
橋本
其 の都 度 之 を弾 圧 し て居 つた の です 。然 し之 は今 か ら見 ま す と浪 人
そ れ で事 変 直前 に も色 々策 動 す る者 や各種 のも の があ り ま し た が
常 に沢 山 居 た ので あ り ます 。
あ た り の策 動 と 云 ふ も の が相 当 に働 い て駐屯 軍 内 部 に於 ても支 那側
て居 る と思 ひま す が⋮ ⋮
が 、実 際 の作 戦 行 動 其 のも のと 云 ふ様 にな り ま す と 相 当頭 か ら抜 け
殿下
中 央 統 帥部 と 現 地 と の間 に於 け る其 の時 の経緯 あ た りを 伺 ひ
た い の であ り ます 。其 の大 綱 は大 体 機 密作 戦 日誌 等 に在 る の です が 、
に利 用 し て居 る た め に 、其 れ等 の間 に種 々な関 係 を持 つて居 つた で
に 対す る諜 報 謀 略 を や る主 任 者 の内 の 一部 に は 、 そ れ を諜 報 其 の他
之 は勿 論 平 時 に於 け る政 策 的 の も の で今 度 の事変 の不拡 大 方 針 と い
に新 ら し いも のが 決定 せ ら れ て居 て赴 任 す る前 に話 を聞 き ま し た。
間 に研 究 せら れ 其 の後 数 次 の修 正 を経 て私 が参謀 長 に行 く 頃 には 更
後 日戦 争 謀 略 云 々と いふ実 情 は ま あ そ んな も の です 。
ふも の と直 接 の関 聯 は あ り ま せ ん。
あ り ま せう 。 又実 際 軍 の意 見 を纏 め る迄 に幕 僚 達 の考 へと し て は色 々個 々の意 見 も あ つた の であ りま せ う が、 夫 れは 駐 屯軍 と し て の正式 の も の で
て、駐 屯 軍 は今 に も戦 争 をす る の かと (其 の戦 争 と 云 ふ のは ど の程
さ う し た実 情 は中央 の方面 に は仲 々解 ら ん ので中 央 は 心配 し ま し
僚 の 一部 ) 居 つたと 云 ふ事 も あ り ま し た。
あ る し 、其 の中 には 一部 幕僚 が之 を諜 報 に使 つ て (第 二 課 関係 の幕
ら ん で策 動 し て、 陰 謀 計 画 を樹 て る も の、 実 際 に動 い て居 つた奴 も
結 局取 捲 の連 中 が 北 支 に何 か事 あ れ か しと 裏 面 から 夫 々陰謀 を企
度 のも のを考 へて居 た か判 り ま せ ん が) 所 謂 戦 争謀 略 を や つて居 る
へた ので は な い です か。
殿下
な く事 実 に於 て此 の如 き 計画 も何 等 の準 備 も な か つた の です 。
が如 く中 央 は考 へて居 ら れた 様 です 。 当 時 浪 人 達 の間 の考 と いふ も
然 し其 の頃 支 那 に何 か事 が起 り は せ ん かと 云 ふ気 分 は大 体窺
のも 対支 戦 争 など と云 ふ やう な も の で はな く 、 結 局 北 支 の状 態 を 一
橋本
二 、事 変 勃 発 当 時 に於 け る駐 屯 軍 と関 東 軍
と の思 想 の 相 違
夫 れ か ら もう 一つは 夫 れ に余 程 関聯 し て いる問 題 です が、事
つま り蘆 溝 橋 事 件 が起 り ま す と 、 此 の際 や れ と 云 ふ意 見 であ り ま
件 が勃 発 し た時 関 東 軍 が 中央 に意 見 具 申 を し て居 ます 。
橘本
支 にも 不 安 の空 気 が逐 次 醸 成 せら れ つ つあ つた こと は事 実 です 。
は南 京 政 府 の抗 日 一層 露 骨 とな り 夫 れ が宋哲 元 の態 度 に も影 響 し 北
岡 本 の来 た の は今 でも は つき り 覚 え て居 り ます 。 戦 争 の こと
を 非 常 に心配 し て居 まし た が私 が話 し ま し た らす つかり 安 心 し て帰
岡 本中 佐 の行 つた のは 五 月 頃 だ と 思 ひ ます が。
は 閻錫 山 を どう す ると か又 は冀 東 政 権 を拡 大 強 化 す る と か所 謂 北 支
変 す る 、 例 へば宋 哲 元 の政 権 を 覆 へし韓 復榘 を持 つて来 ると か 、或
工 作 の過 激 な る進 展 を望 ん で居 つた と見 るべ き であ り ま し て、駐 屯
りま し た 。支 那 に於 け る空 気 が段 々険 悪 にな り 、殊 に西 安 事 件 以 後
然 し駐 屯 軍 と し て は廟 議 の決 定 に基 く対 支 処 理 方 針 (名 称 ? ) を
軍 の施 策 に 対 し飽 き足 ら な い考 を持 つて居 た やう に思 ひ ま す 。
基 礎 と し 、之 を遂 行 す る為 には当 時 の冀 察 政 権 を 対 象 と し て施策 す る を 本筋 と し 、徐 々 に其 の実 績 を挙 ぐ る の方 針 であ りま し て必 し も 荒 療 治 を し なけ れば 工 作 停頓 せ り と は考 へて居 ら な か つた のです 。 右処 理方 針 の内 容 は詳 細 に覚 え ま せ ん が要 す る に北 支 に於 ては防 共 、 親 日 、経 済 開 発 、 経 済 提 携 と 云 ふ事 を主 と し てや ら ね ば な ら ん と 云
そ れ は何 時 頃 の事 です か。 ︹ 昭和九年八月︱十年十月︺ 之 は古 い話 です が 、私 が軍 事 課長 で居 り ま し た時 か ら関 係 省
ふ様 な方 針 だ つ た と記 憶 し て居 りま す 。 殿下 橋本
殿下 電 報 も 無論 行 つた でせ う が書 類 も こし ら へて関 東 軍 だけ で意
夫 れ は電 報 で あり ま す か。
親 日 のも の が出 来 る で はな い かと 云 ふ こと を度 々聞 か さ れ た のです 。
が要 求 に対 し 少 し愚 図 々々し て居 る とあ んな も のは ひ つく り返 せば
例 へば前 の事 と関 聯 いた し ます が、 あ の宋哲 元 の政 権 の如 き も我
橋本
然 し 駐 屯軍 と し ては 宋哲 元 を代 へて他 の も のを 持 つて来 て もそ れ は
す。
見 具申 をし た の です 。 そし て支 那駐 屯 軍 よ り も同 様 の意 見具 申 をす
然 し兎 も 角 北支 だけ は 日満 両 国 と は特殊 な関 係 にあ る し 、 日本 に
同 じ だ と思 つて居 りま し た。
ふも のか ら北 支 だ け を別 箇 にし な け れば 満 洲 を いくら 治 療 し て も隣
対す る考 へ方 を全 然 一変 す る の で な か つた ら駄 目 だ、 結 局 支那 と 云
です 。私 の所 の幕 僚 にも同 じ意 見 を言 ふ も のが あ り ま し たが 、軍 と
る や う に勧 告 す る為 に幕 僚 が其 の書 類 を持 つ て天 津 へや つ て来 た の
し ては 対 ﹁ソ﹂ 情 勢 判 断 に就 き関 東軍 と同 様 の自 信 を有 しな いか ら
と ころ が 支 那駐 屯 軍 が 十 一年 の三 月 増強 せ ら れ、 満 洲 の国 境 線 を
ます 。
府 と 云 ふも のを北 支 の 一角 満 洲 の隣 に作 り まし た のも関 東 軍 であ り
あ ると いふ思 想 は 前 から あ つた と 見 え ま し て、 是 よ り先 例 の冀東 政
から ど んど ん這 入 つて来 て駄 目 で あ る、 故 に安 全 地帯 を作 る 必要 が
同 様 の意 見 を駐 屯 軍 より 具申 す る こと は出 来 ぬと 断 り ま し た の で、 遺 憾 の意 を 表 し て新 京 へ帰 つた ことが あ り ます 。 事 変 前 から 北 支問 題 に関 す る関 東 軍 と 駐屯 軍 と の考 には幾 分 の相 違 が あ り ま した 。 関 東 軍 とし ては 満 洲国 を確 り 握 つて行 く 為 に其 の周 囲 の地域 と 云 ふも の に非 常 に関 心 を持 つて居 る のは之 は無 理 から ぬ事 だ と 思 ひ ま
には ゆ か ん事 にな つた の です。
以 て作 戦 地 境 を劃 し まし た ので関 東 軍 は 直 接 此 の方 面 に手 を下 す 訳
然 し其 の後 に於 ても関 東 軍 と し て は満 洲 国 の関 係 上 色 々 の希 望 が
す 。 夫 れ で東 北 正 面 は直 接 に ﹁ソ﹂聯 を相 手 と す る事 だ から問 題 は
支 那 から もぎ 取 つた満 洲 国 で あ る関係 上 、終 始 交 通 も あ れば 陰 謀 も
る訳 には いか ぬ の で、支 那 問 題 を 廻 つて両 者 間 には色 々考 への違 ひ
あ り 、 一方 駐 屯 軍 と し て は単 に満 洲国 の為 の み に北支 問 題 を 処 理す
な い のです が、 西 の方 面 即ち 蒙 古 方面 北 支 方 面 は何 と 云 ひま し ても
行 はれ る と 云 ふ関 係 にあ り 、而 も蒋 介石 は失 地 回復 と いふ ﹁ス ロー
橋本
三 、内 蒙 事 件
も あ り ま し た が之 は 止 む を得 ぬ こと で あ りま す 。
ガ ン﹂ を 以 て満 洲国 の独 立 と 云 ふも のを否 認 し て居 つた時 代 で あ る か ら、 さう 云 ふ陰 謀 を持 つ人 が北 支 から流 れ て来 る のは無 論 であ り ま す。 そ こで天 津 、 北 京附 近 が親 日 、親 満 と云 ふ境 地 にな つ て来 る の で
て は非 常 に妨害 を しま し た 。即 ち関 東 軍 と し て は防 共 地 帯 と 云 ふ や
事 変 前 に起 つた 内蒙 事件 で あり ま す が 、之 は北 支 工作 に対 し
や る為 に は従 来 の伝統 も あり 積 極的 強 硬 態 度 で 一貫 し てや る と い ふ
な け れば 満 洲 国 の治安 維 持 に危 険 を及 ぼす こと を考 へ、而 も 夫 れ を
主 義 で あ り ます 。
う な も のを 設 け 、蒙 古 人 の希 望 を支 持 し て其 処 へ蒙 疆 を 独 立 さ せ従 つ て支 那 の勢 力 を其 処 から 排 除す ると 云 ふ こと が必 要 だ ど 云 ふ考 へ に基 いた の で あ つた ので あ りま す が 、支 那 問 題 を処 理 す る者 から 云 へば支 那 の領 土 と 云 ふも のを 保全 し て置 い て、 そう し て之 と提 携 し て行 く事 が根 本 方針 で あ りま す か ら、 其 の 一部 を取 ると 云 ふ独 立 運 動 と は両 立 し な い のは当 然 で夫 れ で非 常 に其 の時 は困 つた の であ り
に蒙 古 軍 が敗 け て退 が る 、即 ち 日本 軍 が支 援 し て居 る蒙 古 軍 が退 が
る の であ り ます から 、彼 等 は其 の勢 に乗 じ て失 地 恢 復 を や る と 云 ふ
き支 那 側 の態 度 に或 る程 度 拍 車 を加 へた と も 云 ひ得 る ので あ りま す 。
気 合 を かけ て非 常 に傲 慢 に な つて来 た 。之 れ は蘆 溝 橋 事件 に見 る如
四 、 事 変 勃 発 当 時 の 駐 屯 軍 の空 気 と 現 地 交 渉 の実 相
れ から も 現地 では 支那 側 と の交 渉 を色 々や つ て居 ら れ ます が、 其 の
殿下
北 支 に於 ては 先程 申 し上 げ ま し た様 に大 方 針 が決 つ て居 りま す か
ます。
ら内 蒙 に於 け る 関東 軍 の施 策 を公 然 是 認 す る 訳 に行 き ま せ ん。 而 も
蘆 溝 橋 に事 件 が起 つ て直 後 に は現 地 に居 る 両軍 の部 隊 を離隔
させ て置 いたが 、夜 に な ると パ チパ チ撃 ち 合 ふ ので非 常 に神 経 が い
橋本
時 分 の駐 屯 軍 の気 分 と 云 ふも のは ど う 云 ふ風 な も ので し た か。
事 変 が勃 発 し て直 ぐ兵 力 行使 を拘 束 す る指 示 が来 て居 り、 夫
関東 軍 は中 央 部 の諒 解 なく 全 然謀 略 と し て独 断 で や つ て居 ると い ふ 始末 です 。 然 し実 際問 題 と し て内 蒙 に 一つ防 共 地帯 を拵 へると 云 ふ其 の事 に
て居 りま し た か ら関 東 軍 の処 置 を黙 認 の上其 の実 際 の仕 事 には 援 助
就 て は駐 屯 軍 と し て も不 賛 成 でなく 、 又 日 本 と し ても 必要 だと 感 じ
し た が 、其 の行 く迄 に分 散 せ る駐 屯 軍 兵 力 の集 結 や相 手 に対 す る要
七 日 の晩 に事 件 が起 つて、 八 日 一日経 て九 日 に私 は北 京 に行 き ま
ら だ つ て居 ま し た 。
通 つて行 ふ作 戦 は補 給 上 充分 にす る こと は出 来 な い ので、 皆 天津 北
しま し た 。而 も そ の援 助 な し には出 来 な いの です 。熱 河 多 倫 の方 を
京 から の鉄 道 が後 方 の連絡 線 にな つ て居 つた訳 であ り ます 。 而 し て
と ころ が其 の時 中 央 部 から指 示 が来 ま し て 、 不拡 大 方 針 によ り こ
れ これ 云 ふ条件 で これ を 解決 せ よと 云 ふ こと で した が、 そ れ が此 方
求 と 云 ひ ます か之 の事 変 を治 め る為 の条 件 を決 め て行 つ た の です 。
も のを送 つて居 る か知 つて居 ただ らう し 、 其 の都 度 支 那 側 に報 告 も
其 れ等 の鉄 道 は支 那 側 の鉄 道 であ り ます から 鉄道 の従 業 員 も ど ん な
謝
兵 力 の撤 退
責 任 者 の処 罰
陳
り まし た。 そ の内 容 は
の考 へて居 る の と 一致 し て居 つて殆 ど項 目 ま で同 じ 方 針 で書 いてあ
あ の内 蒙 事 件 と 云 ふも のは駐 屯 軍 の北 支施 策 を妨害 し たば か
出 し て居 つたと 思 ひ ま す。 殿下
或 はさ う 云 へる と思 ひま す。
り で なく 、蘆 溝 橋事 件 の遠 因 と も 云 へる の では な い です か。 橋本
あ の為 に支 那 が兵 力 を山 西 か ら綏 遠 に迄 も集 中 し ま し たし 、 そ れ
今後 の保 障
当時 関東 軍 から 一部 の兵 力 を 国 境 迄進 め ると 云 ふやう な意 味 の天
津 から の電 話 を受 け 取 り ま した の で、 そ ん な事 で直 ぐ帰 る決 心 を し
は強 圧 的 に関 東 軍 の 一部 の兵 力 を 借 り て これ を や る心算 であ つた の
ま し た のです が、 私 も 当時 支 那 側 が我 々 の条 件 を容 れ な いと 云 ふ時
と 云 ふあ り ふ れ たも の です。 私 は 夫 れ を持 つて北 京 に行 き まし た 。其 の頃 宋 哲 元 は帰 郷 し て居
です が、 (第 二十 師 団 を応 急 動 員 で出 す と 云 つて来 た のも そ の 時 だ
つ た ので其 の他 の要 人 と 会 つて色 々要 求 を出 しま し た が 、向 ふ にも 色 々主張 が あ る ので容 易 に応 じ な い。
と思 ひま す )支 那 側 が我 が条 件 を聞 き 入 れ ま し た の で之 は解 決 す る ︹ 純久︺ と思 ひ非 常 によ い気 持 で天津 飛 行 場 へ著 き ま し た。 す る と池 田参 謀
其 の頃 も 夜 に な る と郊 外 の蘆 溝 橋 では銃 声 がし ま す 。後 から 考 へ ます と事 件 を起 さ う とす る共産 党 系 の策動 だ と思 ひま す 。無 論 日本
喰 違 ひ があ ると 云 ふ感 じ を持 つた の です 。 な ん と なれ ば 現 地 と し て
が出 兵 の決 心 を し た と云 ふ こと を聞 き ま し た。 そ れ で これ は どう も
は之 を纏 め 得 る と さう 思 つ て居 る の に兵 力 を動 かす と 云 ふ のは事 態
外 に 二人 が 来 て居 りま し て新 軍 司 令 官 が任 命 せ ら れた こと と 、中 央
然 し兎 も 角鉄 砲 を撃 ち 出 す と 両方 共 益 〓緊 張 が強 く な つて刻 々 に
を悪 くす る から です 。 そ れ で飛 行 場 で池 田参謀 に そ の こと の電 報 の
側 の策 動 では な いか と 云 ふ所 の疑 も持 つ て居 つた の であ り ます が、
色 々と報 告 され て来 る 。 一方 交 渉 は依 然 やり ま し た が十 分 な結 果 は
起 案 を命 じ たと記 憶 し て居 り ます 。
其 の辺 はは つき り し ま せ ん。
な い。
得 ら れ ま せ ん。 更 に十 日 の晩 は 夜 遅く 迄 やり ま し た がど う も面 白 く
と ころ で私 が長 く北 京 に居 ては 困 る の で (当時 司 令 官 は病 気 で重
云 ふ風 だ から 兎 に角 不拡 大 方針 で処 置 を採 ら ね ば な ら んと申 渡 しま
な 心算 で色 々と準 備 をし て いる 。 そ こで皆 を集 め ま し て交渉 は斯 う
司令 部 へ帰 つ て見 ると 非 常 に興 奮 し て、 今 にも戦 争 が始 ま り さう
︹田代 皖 一郎 中 将 ︺
態 で し た)、 十 一日 朝 一旦帰 らう と 思 つて松 井 大 佐 に ﹁交渉 は続 け
した。
︹ 太久郎︺
てや れ﹂ と命 じ て飛 行場 迄 行 き ま し た。 所 が支 那側 が後 から追 ひ か
渉 不 成立 と見 て こ の出 兵 を決 行 し た も の と考 へます 。
元来 中 央 は此 方 と同 じく 飽 く迄 不拡 大 の方針 で あ りま し た が 、交
け て来 て ﹁日本 軍 の言 ふ こと を聞 く﹂ と言 つ てき ま し た。
五 、 第 一回 兵 力 増 加 決 行 頃 の現 地 の気 分
橋本
支 援 にす る方 針 を 幕僚 に示 し て夫 れ か ら交 渉 条 件実 行 の具 体 的交 渉
から 、之 を支 那 の国境 外 で止 め て我 が要 求 条 件 を 実行 せし む る為 の
然 し 一度 出 兵 を決 行 せら れた る 以上 、 之 れ を 下 げ る訳 には いか ん
共 に、 電 話 で刻 々詳 細 に天津 の軍 司 令 部 に通 報 しま し た為 、留 守 中
を始 め ま し た。
北京 に於 け る交 渉 の状 況 は直 接其 の要 点 を中央 に電 報 す る と
の幕 僚 より も中 央 部 に状 況 を電 報 し 、 其 の中 に は交 渉 の状 況 を悲 観 的 に報 告 し た部 分 も あ つた こと は想 像 せ ら れ ます 。
六 、 当 初 に 於 け る 第 一線 の 気 分
其 の時 の状 態 も之 れと よく 似 て居 り ます 。 即 ち斯 う 云 ふ場 合 には
現 場 に居 る も の の考 と冷 静 なも の の考 と の間 にど う し て も喰 違 ひが
第 一線 そ のも のも 不拡 大 方 針 で努 め て居 つた と 云 ふ こと は事
あ り ます 。 殿下
其 の頃 に第 一線 は どう 云 ふ風 な 考 へで し た か。 河邊 旅 団 は 司
殿下
実 です か。
や り度 いと は思 つて居 り ま せ ん。 只現 地 の局 部 の考 で は あ り
令 部 に対 し て電 報 や 手紙 で ﹁兎 に角 斯 う 云 ふ風 な所 置 では と て も承
線 で は兎 角 撃 ち 合 ひ を 止 め ん。扨 て交 渉 は 向 ふ が蘆 溝 橋 に居 る こと
橋本
と 考 へて居 たも のは あ り ま せ ん でし た か。
殿下
七 、 当 初 に 於 け る 軍 司 令 部 内 の空 気
ま せ ん でし た が 、宛 平 縣 城 を と る と云 ふ程度 の希 望 は あり ま し た。
︹マ マ︺
橋本
私 が行 き ま し た時 に蘆 溝 橋 に居 た河 邊 ・牟 田 口両 部 隊長 は非
服 が出 来 ん﹂ と云 ふ様 な こと を云 つて居 た様 です が ⋮ ⋮ 橋本
に行 く のだ か ら其 の心 算 で居 れ﹂ と 云 つた の で現 地 は や つと 納得 し
常 に興 奮 し て居 まし た 。 そ こで私 は ﹁これ だけ の要 求 をも つ て交 渉
は 此方 に取 つ ては非 常 に不 利 だ から 永 定 河 の向 ふ へ撤 退 し 、此 方 は
払 つたら 後 は どう な る か と 云 ふ こと を考 へ、事 変 が 勃 発 す る のを待
其 の時 分 に司令 部 内 に事 変 の拡 大 を利 用 し て何 ん と か しよ う
現 駐 地 に帰 ると 云 ふ内 容 であ るが 、向 ふは 帰 ら な い のみ な らず 夜 に
ち 構 へて居 た と 云 ふ様 な者 も あ りま し た 。
ま し た。然 し私 が北 京 に行 き ま し て交 渉 し て居 る最 中 に も未 だ第 一
な ると撃 ち出 し ます 。始 め は便 衣隊 か何 かが 居 つた らし い のです が、
な兵 力 で居 る こと は不 利 だ か ら第 一線 で は哨 兵 位 のも の が居 て撃 つ
ソゴ ソと何 か や つて居 つた 様 な こと も あり ま し た。
間 で結 構 だ。 口 に出 し たら 参 謀長 に叱 られ る﹂ と 云 ふ様 な訳 で、 ゴ
そ し て そう 云 ふ者 達 は ﹁こん な小 さな 事 を や る の は幕 僚 の 一部 の
︹マ マ︺
此 の際 を利 用 し て宋 哲 元 (二 十 九軍 ) を追 払 つ てし ま へ、 追
後 には 兵力 を持 つ て来 ま し た ので 、夫 れ で さう 云 ふ所 に此方 が僅 か
つたら し いの です 。 之 は戦 術 的 に見 ま し て無 理 から ぬ事 だと 思 ひ ま
殿下
て来 る今 の内 に どう し ても之 を敲 かね ば な ら んと 云 ふ風 に思 つて居
図 を持 つて具 体 的 に動 い て居 つた と 云 ふ こと は な か つた です か。
もう 少 し 考 を進 め て満 洲 国 の隣 に安 全 地 帯 を作 らう と 云 ふ企
す 。け れど も 、 さう 云 ふ事 を や つ ては 大局 か ら見 て交 渉 が出 来 ぬ 。
橋本
で皆 の気 が立 つて居 り ます か ら、 其 の辺 の指 導 は仲 〓難 し い こと で
局 そ の関 東 軍 の意 見 の趣 旨 は ﹁そ の直 前 の乾 岔 子 事 件 の経 験 か ら
れ て来 ま した ので 、夫 れ に就 ても色 々な意 見 が あ り ま し た。 然 し 結
た 様 な事 を 云 つ て来 ま し た が、 当時 新 し い軍 司 令官 が増 加 参 謀 を 連
前 に申 し た様 に駐 屯 軍 がや つて居 る最 中 に関 東 軍 か ら さう し
云 つてや つた様 に思 ひま す 。然 し 此 方 に も相 当 損 害 が あ りま し た の
夫 れ で ﹁さう 云 ふ こと は や つては いか ん﹂ と 電 話 で北 京 かち 現 地 へ
ハン﹂ のや う な状 況 に立 至 る のです 。
あ りま し た 。斯 う 云 ふ時 は余 程 冷 静 にや り ま せん と今 度 の ﹁ノ モ ン
め た ので す。
夫 れ か ら天 津 に居 ま し た鈴 木 砲 兵聯 隊 も豊 臺 へも つて行 き ま し た。
﹁ソ﹂ 聯 は 今戦 を や る意 志 は な い。当 分 の間 は大 丈 夫 だ 。其 の間 に
之 は何 等故 障 なく 行 き ま し た (鉄 道 輸送 でな く行 き ま し た)。
で支 那 軍 に射 撃 さ れま し た。 天 津 の第 二聯 隊 は山 海關 へ検 閲 に行 つ
支 那 を 片 付 け た らど う だ 。﹂ と 云 ふ の でし た が駐 屯 軍 と し て は 其 の
て居 つ た ので 、天 津 に集 結 を命 じ ま し て結 局 始 は蘆 溝 橋 に 一ケ 聯 隊 、
次 に騎 兵隊 も やり ま し た が騎 兵 が行 く時 には城 壁 の外 を 通 つた の
任 を と り得 な いと 云 ふ にあ り ま す 。即 ち 現 在 で は ﹁ソ﹂聯 は戦 をす
は ﹁ソ﹂聯 が今 出 て来 る虞 は な いと 云 ふ判 断 は支 那 に居 る我 々は責
る気 持 はな いか も知 れな い が、 日本 が支 那 全 土 へ深 入 りを す る と聞
意 見 具 申 に連 帯す る こと は 御 免蒙 り まし た のです 。 其 の理 由 の骨 子
き ま し たら 手 を拱 いて居 る とは請 合 へぬ為 で、 そ ん な こと は中 央 部
斯 う 云 ふ決 定 をと つた ら、 其 の時 は や る と 云 ふ意 見 だ つた ので あ り
に関 東 軍 の鈴 木 旅団 、 酒井 旅 団 が来 た ので冀 東 政 府 の区域 内 に置 い
ら な い やう に処 置 し て置 か ね ば なら な いと思 つた か ら です 。 そ の内
らず パ チパ チや つて居 るも のです から 不測 の変 が起 き て も不 覚 をと
夫 れ は交渉 が何 時 ま でも グズ グ ズ し て居 る の に、第 一線 では 相 変
天 津 に 一ケ聯 隊 を集 め た事 に なり ま し た。
ま す 。夫 れ から も 一つは関 東 軍 は 支 那問 題 を非 常 に軽 く 見 て居 る点
た訳 です 。 そ の理由 は事変 前 も冀 東 政 府 の区域 は 部 隊 が行 動 し て居
で決 め る可 き で、中 央 が若 し ﹁ソ﹂聯 は大 丈 夫 だ か ら支 那 を や れ と
に就 いて非 常 に不安 があ つて、 我 々は そう 云 ふ性 質 の も ので は な か
そ れ で結 局 軍 司令 官 も 私 の意 見 に同 意 さ れた のであ り ま す。
八 、 当 初 に 於 け る 駐 屯 軍 の処 置
今 述 べら れ た様 な意 見 と 実際 に兵 力 を動 か し た処 置 と の関 係
聯 隊 だ け が蘆 溝 橋 で相 手 の真 中 に閉 ぢ込 め ら れ て居 る のです が、 其
以 上 の如 く結 局 其 の恰 好 は先 づ 相 手 を威 圧 す る 様 な恰 好 で只 一ケ
海 關 ま で の非 常 に長 い鉄道 の沿 線 に配 置 さ せ まし た 。
た の です が 、先 頭 が既 に天 津 にや つて来 て居 る ので ( 極 く 一部 )山
次 で第 二 十師 団 が輸 送 さ れ て来 ま し て最 初 国境 外 に置 く心 算 だ つ
りま し た ので 相手 に刺 戟 を 与 へな い様 に さ う し て居 た の です 。
ら う と考 へて居 り ま し た 。
殿下 は⋮⋮
の当 時 相 手 も戦 をし よう と 云 ふ決 心 を無論 持 つて居 ら ん ので大 事 に
事 件 勃 発 の直 後 よ り逐 次 兵 力 を集 めま し て 、結 局 牟 田 口聯 隊
橋本
相 手 の二 十 九軍 は事 件 を起 し た 三十 七 師 の馮 治 安 の 一ケ聯 隊 だけ
至 ら な か つた のです 。
が直 接 弾 を 射 ち 合 つたも の で非常 に興 奮 し て居 まし たが 、他 は呑 気
事 変 が始 ま りま し た時 は豊 臺 に 一ケ大 隊 居 り 、城 内 の 一ケ大 隊 の
を蘆 溝 橋 に集 め た の です が之 は仲 々難 か し か つた ので あ りま す 。
内 の大 部 は検 閲 の為 に通 州 へ行 つて居 り 、天 津 の 一ケ大 隊 は 天津 に
に構 へて居 り ま し た。
鉄 道 は輸 送 のた め非 常 に大 事 な も のでし た が当 時 の鉄 路 局長 陳 覚
居 りま し た 。 それ で先 づ通 州 に居 つた大 隊 は 一小隊 を残 し て帰 し て、 結 局 城 内 に二 ケ中 隊 位 を 居留 民 保 護 の為 に残 し て其 の他 を豊 臺 に集
生 は 此方 のも ので いざ と いふ時 には 鉄 道 で兵 力 を輸 送 す る計 画 を し て居 り まし た 。 現 地 では 河邊 旅 団 の位 置 を さう 危 険 だ と は感 じ て居 らな か つ
寧 ろ好 い位置 に在 つた と思 ひま す 。
た のです か。
殿下
橋本 か へ つて河 邊 旅 団 を退 げ る と い ふ事 は 交渉 に負 け る こと にな る の
事 変 前 にも第 一第 二回 と同 じ やう な 豊臺 事 件 と云 ふ のがあ り
九 、 事 件 の直 接 原 因
であ そ こに頑 張 つて居 りま し た。
橋本
然 し時 勢 は 非 常 に変 つた の で今迄 の僅 か五 ケ中 隊 許 り では足 ら な
い為 に混 成 一ケ 旅 団 に な つた の です が 、其 の兵 力 を何 処 へ置 く か と
そ こで主 力 を 天 津 に置 く こと は天 津 と 云 ふも のが条 約 にあ り ます
云 ふ こと が問 題 であ り ま す。
か ら よ い の です が 、租 界 外 の土 地 を買 収 し て兵 営 を作 らう と 思 つて
に兵営 を作 ら し ま し て 、天 津 に 一ケ聯 隊 と特 科 部隊 を置 く こと に な
も 土 地 を仲 々買 収 さ せ な い の で、北 寧 鉄 道 当 局 に買 は せま し て其 処
り ま し て、 他 の 一ケ聯 隊 は北 京 と 云 ふ こと にな つた の です が 、然 し
北 京 の城 内 には 公使 館 及居 留 民 の治安 を守 る為 に二 ケ中 隊 の兵舎 が
あ るば か り だ から 其処 へ 一ケ大 隊 の兵隊 を入 れる のも非 常 に窮窟 で ど う に も容 れ やう が な い。
東 政 府 の為 に其 処 に日 本軍 が居 ると 云 ふの が非 常 に有 利 であ るか ら
そ こで現 地 では 通州 に置 き た か つた ので あ りま す ⋮ ⋮。 それ は冀
衝 突 の直 接 動 機 は結 局豊臺 に新 に兵 営 一ケ大隊 分 を設 け た と 云 ふ
まし た 。
こと に起 因 す る の です 。 この兵 営 を 設 け る に就 いて は相 当 向 ふ に刺
ころ が 当時 陸 軍 省 で梅 津 次官 等 は反 対 を さ れま し た 。夫 れ は通 州 に
置 く と 云 ふ こと は条 約 にな いか ら です 。即 ち ﹁通 州 に兵 力 を置 く と
で あり ます 。 勿 論 冀 東 政 府 は敷 地 を提 供す る と云 ふ のです ⋮ ⋮ 。 と
大 隊 の兵舎 が な か つた な らば 或 は 今 度 の事 変 も 防 ぎ得 た かも知 れ ま
云 ふ のは国 際 問 題 と な つた時 に何 等 外 交的 に見 ても根 拠 がな い。 そ
戟 を与 へ北 支 に色 々な ゴ タ ゴ タを 起 す こと にな り ま し た の で、 一ケ
せ んし 、少 く と もあ あ言 ふ ことが導 火線 と な つ て蘆溝 橋 事 件 な る も
の で、之 は尤 な話 でそ れ で其 の次 は 豊臺 を考 へた のです 。 豊臺 も指
う 云 ふ所 に駐 兵 す る と 云 ふ こと は外 交 上 の弱 点 を惹 き起 す ﹂ と 云 ふ
定 地 域 外 で あ りま す が 、 そ こには 十 数年 前 英 国 軍 が駐 屯 し何 年 か 居
の は起 ら な か つた様 に思 ひ ます が 、 これ に は色 々 の経 緯 があ る ので
駐 屯 軍 は十 一年 の三 月増 強 さ れ る こと に決 ま り ま し て、其 の後 逐
あ りま す 。
て、 ど う し た訳 か引 き 上 げ て し ま つた こと があ る のです が、 当時 支
が外 務省 で探 し出 し ま し て夫 れ でそ こ へ決 ま る様 にな つて、 取 り 敢
那 側 は何 等 抗 議 をし て居 ら な い。 さ う 云 ふ先 例 が あ る こと を陸 軍 省
次 増強 さ れ つつあ つて兵 営 に 一番 困 つて居 り ま し た。 駐 兵 は条 約 上 に於 て は交 通 を確 保 す るた め で あ り まし て鉄 道 沿 線
へず 城内 に 一大 隊 、豊臺 に 一大 隊 、天 津 に 一大 隊 と 分置 し て仮 り に
には 兵 力 を置 きま す が 、 そ の場 所 も北 京 、黄 村 、揚 村 、 天津 、 塘 沽 、 秦 皇 島 と 云 ふ様 に指 定 さ れ て居 る も の以 外 には置 け な い訳 です 。
収 容 す る こと にな り ま し た 。 と ころ が今 度 は 其処 で土 地 を得 る事 が仲 々出 来 な い ので御 覧 にな りま し た様 に鉄 道 のす ぐ側 の土 地 を 停車 場 の用 地 と 云 ふ名 目 で北寧
それ は何 時 頃 の こと であ り ます か。 ︹ 俊徳︺ 十 一年 の三月 増 強 の当時 の こと で前 参 謀 長 永 見 大佐 の頃 です 。
鉄 路 を し て買収 さ せ た の であ り ま す 。 殿下 橋本 所 が最初 工事 をす る時 既 に問題 を起 し まし てゴ タ ゴ タ や つて居 り
次 に私 が着 任 し ま し た後 十 月 頃 でし た か第 二 回目 の豊臺 事件 があ
まし た。 そ れ が第 一回 の豊臺 事件 で あ りま す 。
り ま し た。 そ れ は あ そ こ に向 ふ の軍 隊 も矢 張 り駐 屯 し て居 つて そ れ
な ら ば 今 迄仮 に でも 居 つた こと が あ る の で此 処 へ置 く と 云 ふ こと に
の方 へ少 し寄 つた所 ) を買 収 す る こと に著 手 し ま し た。
し て 、 あ の兵 営 の回 り の広 い地 域 ( 豊臺 と蘆溝 橋 と の中間 よ り豊 臺
と ころ で う まく 話 が つき か か ると 妨害 が入 つて仕 方 がな い。 そ こ
で私 が宋 哲 元 に話 し た事 もあ り ま す が 、言 を 左右 に し て其 の時 は拒
否 を し な いで も どう も譲 り たく な いら しく 、 色 々な ﹁デ マ﹂ が 飛 ん
つて来 て駐屯 さ せ ると 云 ふ意 図 を 日本 軍 が持 つて居 ると か、 何 と か
で飛 行 場 を作 る のだ と か 、 あ の附 近 に大 き い兵営 を作 つて大 軍 を持
云 つて宛 平縣 長 以下 が策 動 し土 地 の地主 を使嗾 し て売 ら せな い様 に
接 表 面 に立 て ワイ ワイ と騒 いだ のは 学 生 です ( 北 京 は学 生 の剿窟 だ
そ こ へ問題 が起 つた のです 。 之 は 勿論 この附 近 の人 も 騒 いだ が直
す る。 それ で附 近 のも のを相 当 刺 戟 さ せ た やう であ り ます 。
豊 臺 と 云 ふ所 は さ う 云 ふ嫌 な 所 です が 一方戦 略 上 の交 通 の要 点 で
も の です から 夫 れ が策 動 し て 騒ぎ 立 てた ⋮ ⋮始 終 監督 は し て居 る け
と衝 突 し て将 に撃 ち合 ふと 云 ふ所 迄 いつ て漸 く治 めた の です 。
す ⋮ ⋮ 。何 と なれ ば鉄 道 が京 漢 線 、天 津 方 面 、 北京 方 面 各 方面 へ行
れ ども さう 云 ふ者 が混 つて運 動 し た こと は眼 に見 え て居 る)。
保 安 隊 は居 り ま し たけ れ共 、蘆 溝 橋 事 件 が起 つた時 に は 一ケ大 隊 も
其 の時 の様 子 を申 しま す と 、宛 平 縣 城 あ た り には 不断 か ら若 干 の
す。
其 の問 題 が ご たご た と し て何 と も 決 ら な い内 に事 件 が起 き た ので
く 分岐 点 で これを 押 へる と 云 ふ こと は重 要 な こと で あ りま す ⋮ ⋮。 然 し そ れ だ け に支 那 側 と し まし ては 日本 軍 があ そ こ へ軍 隊 を置 いた と 云 ふ こと の真 意 に対 し 恐 らく は疑 惑 を も つ て居 つた らし く 二 回 も
と ころ が何 時 迄 も ﹁バ ラツ ク﹂ に入 れ て置 く のは いか な いか ら 、
豊 臺 事 件 が起 つた の であ り ます 。
居 る も のは い ささ か も そん な所 に敵 が居 る と 云 ふ事 は知 らず に、 丁
へ配 兵 し て居 つた のです 。然 し そ れ は後 か ら判 つた こと で 、豊臺 に
度検 閲準 備 の為 に夜 間 演 習 を や つて居 つた ら射 撃 され た と 云 ふ の で
居 り永 定 河 の堤 防 の処 (龍 王廟 ) ま でや つて来 て陣 地 を作 つて其処
統 率 上 困 る ので聯 隊 を纏 め て呉 れ と云 ふ当 然 の要 求 も あ りま し た が、
あ り ま す が、 実 際 は最 初 に誰 れ が発 砲 し た のか本 当 は よ く判 り ま せ
永 久 建 築 物 にし なけ れば な ら な い (天 津 は永 久 建 築 で始 め て居 つ
ど う し て も よ い場 所 がな い⋮ ⋮。 前 にも申 し た様 に通州 の方 に建 て
ん 。然 し兎 も 角 も豊 臺 に軍 隊 を駐 屯 させ た と 云 ふ事 が此 の事 件 の発
た)。 又聯 隊 長 と し ては 三 つの大 隊 を 三 ケ所 に分 け て居 つ た の で は
ふ。然 し陸 軍 省 が承知 致 し ま せ ん⋮ ⋮。 夫 れ で仕 方 がな い の で豊 臺
る 事 に つ いて は殷 汝 耕 は自 分 の方 に来 て下 さ れば 都合 が よ いが と 云
今 か ら思 へば 通 州 へ持 つ て行 つて置 け ば宜 か つたと 思 ひ ます 。 そ
端 と 云 ひ得 る の であ り ます 。
たと 思 ひ ます 。
う す れ ば却 つ て敵 の拠 点 を包 囲 す る やう な態 勢 に兵 力 の集 結 が出 来
一〇 、 河 邊 旅 団 の位 置 の 問 題
か け て来 ると 云 ふ虞 が な いと 云 ふ事 も思 つて居 りま し た か ら ⋮⋮ 。
結 局 さう いふ風 に ゴ タゴ タ し て居 つ て中 央 と の関 係 は ど う で
一 一、 郎 坊 事 件 前 後 の真 相
其 の後 の経 過 を 見 ま し て も さう であ り ます が ⋮ ⋮。
殿下
し た か。
殿下
四 つの条 件 を出 し て戦 を 止 め る と 云 ふ こと に な つた の です が、
そ こ で期 限 付 の話 が出 た ので せ う。
事 を決 定 し た の です 。
其 の後 宋 哲 元 が 司令 部 に来 て陳 謝 し更 に細 目 の具 体 的 取極 を行 ふ
其 の頃 中 央 の方 針 と喰 違 ひが あ る と い ふ様 な事 は感 じ ま せ ん
橋本
其 の頃 西 村 少佐 が行 つ て河邊 旅 団 を 引 上げ ても と 云 ふ話 があ
つた ので はあ り ま せ ん か⋮ ⋮ 。
殿下
でし た。
然 し現 地 の空 気 は何 等 の不安 を感 じ ま せ ん で した 。
橋本
相 手 の兵 力 の居 る場 所 は 南 苑 の兵 営 と北 京 の城 内 と西 苑 と で あり
橋本
ま し て 、当 時 吾 々は南 苑 の兵 営 を と る必 要 を 考 へて居 た ので 、矢 張
矢 張 り夜 にな る と射 ち合 ふ程 度 でし た。
十 三 日 に新 軍 司令 官 が着 き ま し て、 十 八 日 頃 で し た か向 ふ の大 隊
りあ そ こに旅 団 が居 つた方 が 良 か つた の です 。即 ち 此 方 に は危 険 が
此 の問 題 は之 を有 耶無 耶 にし て拡 大 に導 く原 因 にし よう と 云
あ り ま せ んし 、 其 の方 が態 勢 が 却 つて宜 し いと思 ひま し た 。 殿下
長 を処 罰 しま し て其 の処 罰 状 を 見 せ ま し た。 そ し て相 手 は蘆 溝 橋 を
撤 退 す る代 り に保 安 隊 (警 察 官 ) を 入 れ ると 云 ふ こと にな り 、 今迄
何 時 迄 も 夜 にな ると蘆 溝 橋 で パ チ パ チや る の は悪 いと 云 ふ見
橋本
ふ様 な考 のも のは無 か つた のです か。
地 か ら 云 へば 撤 退 さ せ た方 が よ か つた かも知 れ ま せ ん。然 し豊 臺 の
の保 障 とは 何 ぞ や と 云 ふ のが問 題 で色 々研究 し ま し た結 果更 に数 項
実際 に弾 を 射 ち合 つて居 た相 手 は交 代 し まし た 。 と ころ で此 の将 来
目 を定 め ま し た。 之 に対 し て宋 哲 元 は張 自忠 を よ こし た ので直 ぐ交
す ぐ前 の 一文字 山 に 一部 を出 し て、 主 力 は 兵営 の附 近 に居 つた の で、
た ら敵 に与 へる感 じ は非 常 に違 ふと思 ひ ます 。
此 の 一部 を撤 退 す ると 云 ふ決 心 は 一寸 出来 な いこと です。 若 し 退 げ
迄 と 云 ふ期 限 を つけ て交 渉 し 、支 那側 の真意 を つき と め て報 告 せ よ
です 。 と ころ が十 八 日 でし た で せう か、 東京 か ら電 報 が来 て十 九 日
渉 を始 め た のです が、 張 自 忠 は ど ん ど ん片 端 か ら承 諾 し て居 つた の
は之 は全 く政 策 的 な考 で あり ま す 。然 しあ れ だけ の兵 力 を集 め た上
と 云 つ て来 た のです 。
それ か と 云 つて増 兵 せず に平 時 の兵 力 で維 持 し て ゆ くと 云 ふ こと
は 一つも危 険 と云 ふ こと は感 じ ま せ ん でし た 。殊 に相 手 から 先 にし
し て居 つては いか ん と 云 ふ気 持 であ つた ので せ う。 然 し こち ら で は
動 かす 準 備 をし て居 る と き でし た から ﹁のん べ ん だ ら り﹂ と 交 渉 を
恐 らく 中 央 と し て は当 時 非 常 に緊張 し て居 つて、 要 す れ ば 兵 力 を
も 行 け﹂ と 云 つて張 自 忠 を つけ て北 京 に帰 し てや つた の です 。 其 の
非 常 に良 い北 京 の空 気 を鎮 め に行 く﹂ と 云 ふ ので ﹁夫 れな ら ば お前
然 し ﹁馮 治 安 は 俺 の ( 宋 哲 元 ) 言 ふ こと だ け は よく 聞 く のだ か ら
北 京 に行 つ ても駄 目 だ つた の です 。
支 那 は ど う 云 ふ風 に考 へて居 つた か判 り ませ ん ⋮ ⋮。
其 の頃 支 那 方 は ど う 云 ふ風 な考 で居 つ た のです か。
時 は 張自 忠 を付 け てや つた ので幾 分安 心 し て居 つた のです が、結 局
殿下
戦 を せ ん で も済 む と 云 ふ考 へで、 今 申 し た様 に非 常 に友 好 的 な 気 分
橋本
を 以 て片 端 から 交 渉 が進 み 今度 の事 件 の ﹁き つ かけ﹂ と な つた馮 治 安 の三十 七師 を永 定 河 か らず つと南 へ移 動 させ ると 云 ふ様 に向 ふ が
後 から考 へる と此 の援 護 兵 は 付 け て や ら な か つた 方 が或 は よ か つ
た と 云 ふ のが郎 坊 事 件 です 。
そ れ が郎 坊 の所 で夜 にな つて其 処 に駐 屯 し て居 た軍 隊 と ぶ つ つか つ
夫 れ で援 護 兵 を付 け た 通 信隊 を派 遣 し て保 線 を や ら せ た の です が 、
ので す が 、蘆 溝 橋 であ あ 云 ふ事 件 が起 つた 為 余 計頻 繁 とな り ま し た。
北 京 と天 津 と の間 に あ る電 線 の妨 害 は平時 か ら で も非 常 にあ つた
あ つた様 で あり ま す 。
た め に抗 日意 識 が強 く 日本 軍 を や つつけ る のは訳 は な いと 云 ふ考 が
軍 隊 に よ つ て少 し異 ひ ます が、 二十 九 軍 は 日本 軍 を軽 視 し て居 る
相 当 譲歩 し て来 て居 る最 中 で し た か ら、 十 九 日 迄 と 云 ふ期 限 を つけ て要 求 す る と 云 ふ事 は甚 だ不自 然 だ つた の です 。 其 の時 ど う 云 ふ電 報 を打 つ た か、 は つき り覚 え て 居 り ま せ ん が ﹁十 九 日 と 時 日 を 切 る と 云 ふ事 は いか ん﹂ と 云 ふ の か、 或 は ﹁交 渉
其 の内 十 九 日 も過 ぎ 後 は万 一の配備 を と つて実 行 を監 督 す る と 云
が纒 り さう であ る﹂ と 云 ふ電 報 かを打 ち ま し た。
ふ状 態 で し た。 そ の内 に中 央 部 では ど う 云 ふ決 心 を し 処置 を と つた か と 云 ふ こと は私 に は判 らな い のです が、 其 の頃 三 ケ師 団 の動 員 が令 せ ら れた の
た かも知 れ ま せ ん が、 当 時 は 段 々空 気 が緊 張 し て来 るも のです から 、
です 。
用 心 の為 に援護 兵 は丁 度 其 の頃 天 津 に居 つた第 二十 師 団 か ら僅 か 一
其 の時 に郎 坊事 件 が あ つた の です ね ⋮ ⋮ 。中 央 で 三 ケ師 団 動
の です 。
場 所 を捜 し て居 る間 に、 其 の兵 営 に居 る敵 とぶ つ つか つてし ま つた
日本 の援 護 兵 が到 着 し 狭 く て宿 る所 が な い の で停 車 場 の附 近 で宿 る
蘆 溝 橋 で毎 日 パ チパ チ や つて居 る其 の空 気 が反 映 し て居 る。 そ こ へ
そ の時 相 手 の軍 隊 と 云 ふ も の は郎 坊 の兵営 に居 つた三 十 八師 で、
中 隊 と機 関 銃 一小隊 を付 け て や つ た の です 。
殿下
現 地 で本 当 に決 心 し た のは廣 安 門 事 件 の時 だ と 思 ひ ます 。 郎
員 を計 画 し た のは 郎坊 事 件 直 後 だ と思 ひま す が 。 橋本
坊 事 件 と 云 ふ も のは 相 当 や り ま し た が丁 度蘆 溝 橋 で衝 突 し た の と同 じ 様 な全 く突 発 的 事 件 な ん です 。
も 天 津 に居 り ま し た が、 当時 北 京 の空 気 が悪 い の で宋 哲 元 は 此方 に
其 の頃 私 は前 に申 し ま し た様 に天 津 に戻 つ て居 ま し た し 、宋 哲 元
居 つ て我 々と協 同 し て此 の事 変 を纒 め る様 に話 を進 め た の です。
と ころ で衝 突 し た のが偶 然 にも張 自 忠 の軍 隊 でし た が 、張 自 忠 と
方 は 一ケ中 隊 ば かり の兵 力 で停 車 場 に拠 つ て防禦 し て居 る が相 当 損
に伝 は ら な か つた為 にさ う 云 ふ連 中 が停 車 場 を包 囲 し て し ま ひ、 此
つ敲 け と 云 ふ命 令 を出 し 、夫 れ が夜 が 明け て から 飛 び出 し て行 き ま
ず 心配 し ま し て丁 度 天津 に待 機 し て居 た関 東 軍 の飛行 隊 に相 手 を 一
団 から出 し ま し たが 、仲 々遠 いし鉄 道 で輸 送 す る のだ か ら間 に合 は
害 も出 て戦 闘 は激 し く な つた ので あ り ます 。 夫 れ で増 援 を第 二十 師
云 ふ の は 日本 にも 来 ま し て色 々見 学 を し政 府 、 軍 部 其 の他要 路 の人 に も会 ひ、 大 い に款待 さ れ て帰 つた直 後 で 、ど つち かと 云 へば親 日
に偶 然 にも 事 故 を起 し て しま つた の です 。
的 な男 で、 其 の軍 隊 と い ふも のは之 迄 に何 等 問 題 を 起 し て居 な いの
郎 坊 で ぶ つ つか つた と 云 ふ こと を私 に 一番 先 に知 ら せ て来 た の は
し た のです 。
然 し前 に申 し た様 に張 自 忠 と の間 に ﹁これ は これ で打 ち 切 る﹂ と
誰 かと 云 ふと 、 そ れ は張 自 忠 でし た ⋮ ⋮。 張 自 忠 は 日 本 語 を話 せ な いも の だ から鉄 路 局長 の陳 覚 生 が代 つて 日本 語 で電 話 を か け て来 た
云 ふ話 が付 い て居 り ま し た し 、 元来 二十 九 軍 の戦 をす る理 由 は 薄 弱
殿下
其 の翌 日飛 行 隊 に爆撃 を 命ず る と共 に支 那 側 に会 見 を申 込 み
其 の翌 日廣 安 門 事 件 が起 つた の です か 。
一二 、 南 苑 攻 撃 決 心 の 経 緯
害 し た事 と 云 ふ こと と が新 し い事 実 で あり ま す 。
う 一つは昔 から の駐 屯 軍 の重 大 任 務 で あ つた 鉄道 通 信 線 の保 護 を 妨
め て張 自 忠 の三 十 八師 の 一部 と 日本 軍 の 一部 と が衝 突 し た事 と 、 も
只今 迄 ぶ つ つ か つて居 た の は馮 治 安 の三 十 七師 で あ る が、 今 度 始
な も ので あ りま し た か ら全 面 的 に戦 をす る気 は な か つた と思 ひま す 。
⋮ ⋮。 夫 れ で ﹁君 は何 処 から 電 話 を か け て居 る の か﹂ と聞 き ま し た ら ﹁北 京 の張自 忠 の家 か ら かけ て居 ます が此 処 に は 皆 集 つ て 居 ま す ﹂ と 言 ひ、﹁兎 に角 今 郎 坊 で両 軍 が ぶ つ つか つ て居 る か ら 止 め さ せ て呉 れ ﹂ と言 う て来 た の です 。 そ れ で ﹁此方 は通 信 線 援護 の為 に兵 隊 を や つた のだ か ら夫 れ以 外 に目 的 は な い﹂ と言 つた のです が、 向 ふは 自 分 に都 合 のよ い様 な報 告 を 現 地 か ら受 け て居 る ら しく ﹁日 本 軍 に攻撃 さ れ た﹂ と言 つ て居 ま し た 。 夫 れ で ﹁此 方 も これ 以上 には せ ぬ様 にはす る が お前 の方 も 止 め さ せ る やう にし ろ ⋮ ⋮。 ど う も お 前 の方 は統 制 が悪 い から し つ
橋本
か り や つて呉 れ ﹂ と言 つて やり ま し た 。暫 く す ると 二 度 目 の電 話 が あ つて ﹁隊 長 に直 ぐ兵 営 をあ け て他 に移 れ と命 令 し ま し た ﹂ と の電
ま し て期 限 付 の要 求 を し ま し た 。 そ し て結 局 之 を纒 め た ので す が其
四十 八時 間 の期 限 付 で撤 退 す べ き要 求 を出 し まし た。
囲 で敵 対 行 為 をし て居 る馮 治 安 の三 十 七 師 の如 き は 一刻 も猶 予 せず
云 ふ様 な こと)。而 し他 の こと は直 ぐ やら せる こ と と し、 北 京 の周
の条 項 の内 に は急 には出 来 な いも の も あ る (例 へば 共産 党 の取 締 と
話 が か か つた の で ﹁俺 の方 は 直 ぐ処 置 す る から 問 題 は な い⋮⋮ 安 心 し て居 れ﹂ と言 う て やり ま し て 、 私 は司 令 部 へ行 き ま し た 。す る と も う 報 告 が来 て居 まし た 。 と ころ で あ そ こ には 支 那側 の旅 団 長 も 居 つた し、 聯 隊 長 も居 て兵 力 は 一ケ大 隊 位 居 つた と思 ひま す が、 張自 忠 の云 つた趣 旨 が下 の方
夫 れ に対 し て郎 坊 事 件 の直 後 に今 の要 求 通 り やり ま す と 云 ふ返 事
⋮ ⋮是 より 先 万 一を慮 り天 津 の第 二聯 隊 主 力 を通 州附 近 に第 二十
那 軍 が充 満 し て居 り 又 居留 民 は市 内 にば らま かれ て居 る の で愈 〓 こ
の撤退 を命 じ ま した が、 其 れ が実 行 さ れ て居 な いし 当時 城 内 に は支
尚 其 の命 令 を出 し た 後 直 ぐ 居留 民保 護 の目 的 で時 間 を 切 つて相 手
師 団主 力 を天 津 に近 く 集 結 し てあ り ま し た ⋮⋮
は蘆 溝 橋 に居 つた の です が、 城 内 には色 々居 留 民 も居 り ま す し 、北
れ は居 留 民 を どう かし な け れ ば いか ん と 云 ふ の で居 留 民 を大 急 ぎ で
と ころ が今 ま で城 内 には 二 ケ中隊 と 云 ふ最 少 限 の兵 力 のみ で大 部
が来 ま し た。
も う 一つには 馮 治安 の城 内 に居 る兵 力 が撤 退 し た後 の治 安 を考 へる
京 の公 使 館 警備 には之 で は兵 力 が手薄 だ と 云 ふ事 を感 じま し た し 、
集 め よ う と し た の です 。
所 が今 動 か し ては 支 那 側 が ど ん な妨 害 をす る かも 判 ら な いと 云 ふ
と どう し ても 軍 隊 を増 し て貰 ひ た いと いふ北 京 か ら の要 求 があ り ま
ので 、兎 に角 一令 の下 に集 め得 る様 に夜 が明 け る前 に準 備 をさ せ て
し た の で、 夫 れ も宜 か らう と 云 ふ事 と な り向 ふ の軍 主 脳 部 と も協 定 し ま し て約 一ケ 大隊 のも のを 中 に 入 れ る約 束 で 二 ケ中 隊 ば かり が其
ま で少 し待 つ如 く命 令 に修 正 を加 へて居 留 民 の収 容 が出 来 た後 南 苑
一方 攻 撃 の方 は準 備 が出 来 て居 る が居 留 民 が安 全 地帯 へ引 上 げ る
翌朝 に な つたら 公使 館 に集 ま れ と 云 ふ こと にし ま し た。
つた の であ り ま す。 ( 当 時 北 京 は 支 那側 が城 門 を閉 ぢ て居 て 日 常 も
の門 を這 入 つ て行 つた所 が、 其 の途 中 で ピ シヤ ツ と門 を 閉 め て仕 舞
非 常 に厳 重 に警 戒 し て居 ま し た 。)
十 九軍 を や つ つけ る 目 的 だ け であ つた か、 或 は其 の時 既 に拡 大 す る
殿下
其 の時 ど んな風 な考 で居 つた の です か。 つま り其 の攻撃 は 二
し た の であ り ま す が 、途 中 で城 門 を遮 断 し た為 袋 の鼠 の様 にな つた
虞 あ り と考 へた のです か 。
の攻 撃 を し た の であ り ます 。
の で苦 境 に陥 つて仕 舞 ひ其 処 に又新 し い 一つの問 題 が増 え た訳 で あ
そ こ で其 の当 時 居 りま し た 桜 井徳 太郎 中 佐 、 松 井 大 佐 が 相当 活 躍
りま す が、結 局此 事 件 は命令 が 行違 ひ にな つ てう ま く伝 は ら な か つ
中 央 軍 に対 し てどう す る か と 云 ふ事 を 現 地 と し ては 考 へざ る を得 ず 、
中 央 軍 が保 定 附 近 に向 つてど んど ん北 上 し て来 て居 ま す ので、 此 の
即 ち 結 局 二十 九軍 を追 払 ふ こと は 容 易 であ るけ れど も其 の頃 既 に
置 をす る かと 云 ふ こと は我 々には 判 ら な か つた の です 。
然 し全 面 的 の戦争 と 云 ふ も の にな つた場 合 中 央 とし てど う 云 ふ処
は もう 全 面 的 の戦争 に な る か も知 れ ぬと考 へた の です 。
夫 れ迄 は 不拡 大 と 云 ふ方 針 で押 し 通 す考 でし たが 、其 の時 に
橋本
当 時 私 共 は 地形 を知 つて居 るも のです から 非 常 に状 況 を悪 く思 つ
た の が こ の廣 安 門 事 件 の真 因 であ り ま し た。
て、 あ の大隊 の半 分 のも のは 全 滅 し た かも 知 れ んと 云 ふ感 想 を持 つ た 。 其 処 で駐 屯 軍 とし ては 遂 に居留 民 保 護 の任 務 が 達成 出 来 ぬ事 に
徹 底 的武 力行 使 を決 意 し 支 那側 に最 後 通 牒 を や つ て其 の晩 夜 中 十 二
愈 〓思 ひ切 つ てや る こと を決 し て処 置 を と る とす るも 、 そ れ を 一つ
な る の で遂 に相 手 の不 信 行 為 にも う我 慢 がな ら ん と 云 ふ結 論 に達 し 、
の であ り ます 。
時 頃 (一部 の配 置 の基 礎 は出 来 て居 りま す から )南 苑 攻 撃 を命 じ た
迄 飛 び火 す ると は誰 も考 へて居 な か つた の で、 全 面 的戦 争 と言 つて
処 置 し な け れ ば な ら ぬ と思 つ て居 り まし た。 然 し そ れ が上 海 の方 に
一つ中央 に聞 いて や る訳 には 行 き ま せ ん の で之 は 十 分 に検 討 の上 で
す。
で偵 察 に行 つ た帰 り に何 か少 々 い たづ ら を や つて居 つた らし い ので
を偵 察 し て居 つた ので あ り ま し た。 所 が爆 撃 を や ら さ な い の が不 満
ん で其 の後 も 京 漢線 、隴 海 線 あ たり から 支 那軍 が北 上 し て来 る 状 況
決 心 が要 る の です 。 そ れ で其 の決 戦 は例 へば 隴 海 線 以 北 の地 に於 て
本 軍 の過 半 数 を 以 つて中 央 軍 と 一大決 戦 をす ると 云 ふ覚 悟 は余 程 の
が ⋮ ⋮。
色 交 渉 が あ つ た結 果 中央 か ら そ れ に対 し て注意 が行 つて居 る様 です
殿下
し た。
と戦 闘 機 と若 干 の軽 爆 を持 つた 三 ケ中 隊 か 四ケ中 隊 の も の であ り ま
の同 期 生 の上 條 大 佐 で し た) が や つて居 りま し た が、 夫 れは 偵 察 機
徳 川 兵 団 の主 力 が天 津 に来 る前 は関 東 軍 の臨時 飛行 隊 (隊 長 は 私
も只 北 支 に日本 軍 が相 当 な 兵 力 を持 つて行 って軍事 的 に 一時 之 を占 領 す る と い ふ位 に考 へて居 つた のです 。 ( 然し夫れ丈けで も相 当 の 兵 力 を要 す る。)
大 会 戦 を や ると 云 ふ様 な平 時 から も よ く研 究 さ れ て居 た作 戦 で も 此
橋本
尚 最 初 にも 申 上 げ た如 く 夫 れに は 対 ﹁ソ﹂ 関 係 も あ り ま す か ら 日
処 に国 軍 の主 力 を使 ふ やう な状 態 にな る か も知 れ んと い ふ位 の事 は
場 に来 まし た。 又満 洲 の も大 分 入 つて来 て居 た のであ の飛 行 場 は 狭
当 時 徳 川 兵 団 の輸 送 が始 ま り まし て其 の主 力 が皆 天 津 の飛 行
現 地 の方 では航 空 積 極 作 戦 を や つた方 が 良 いと 云 ふ意 見 で色
て居 りま せ ん でし た 。
考 へて居 り ま し た が 、上 海 に飛 び 火 し今 の やう に拡 大 す る と は考 へ
い位 で滑 走 だ け は や れ る が格 納 庫 が極 く 少 さ いも ので皆 露 天 に置 い
あ の時 分 中央 が駐 屯 軍 の作 戦 要 領 と 云 ふも のを作 つて居 りま
殿下
こと を やら し て居 た の です が、 飛 行 隊 と し ては敵 の航 空 状 況 の偵 察
夫 れ で軍 と し て は毎 日北 上 し て来 る敵 中 央軍 を主 とし て偵察 す る
た の で あり ま す 。
て から は 作戦 要 領 が来 た様 であ り ます がそ れ 迄 は 此方 で作 つ たも の
を非 常 に熱 心 に や つて居 り ま し て、 隴海 線 沿線 の洛 陽 、 西 安 あ の方
来 て居 り ま せ ん。駐 屯 軍自 身 で や つ た のです 。方 面 軍 が出 来
す が夫 れが 行 つて居 り まし た か。
でや つた 様 で あ りま す 。其 の今 申 しま し た 企 図 は中 央 か ら兵 力 を 呉
面 に毎 日 飛行 し て ﹁未 だ今 日 も 敵 は 来 て居 ら ぬ﹂ と言 つ て居 つた が
橋本
れ る前 のも ので あ りま す 。
然 し ﹁敵 は何 時 来 る か判 ら な いし 向 ふに機 先 を制 せら れ て我 が根 拠
地 を 空 襲 せ ら れ る のは 非 常 に不利 であ る か ら飛 行 距 離 の関 係 上相 手
そ れ か ら爆 撃 に関 す る問 題 はな か つた の です か。
な こと だ と 思 つた が然 し ﹁ま だ 勝 手 にや つて は不 可 ぬ。 若 し 飛行 機
ら ね ば な ら ぬ﹂ と い ふ事 を 切 り に意 見 具申 し て居 りま し た 。私 は尤
一三 、 爆 撃 に関 す る 問 題
殿下
郎 坊 事 件 の時 に爆 撃 を やら し た ので 飛行 隊 の連 中 は 非 常 に喜
があ の線 を越 し て 一歩 でも 此 方 へ入 つて来 た なら ば 之 を積 極 的 に や
橋本
が落 され る様 な こと が あ つて も勝 手 にや つ ては いか ぬ。 や る時機 は
一層 悪 く し却 つて敵 に戦 意 を 与 へて仕 舞 ふと 云 ふ の で私共 と協 議 の
橋本
け れ ば なら な く な つた と考 へら れま す か。
実 際 も 亦 今 の様 に此 方 が兵 を出 した か ら 向 ふ も兵力 を出 さな
上 そ の意 見 を纏 め た の です 。
を通 じ て敵 がど んど ん 北上 し て居 る のを止 め させ殊 に飛 行 機 が其 の
か ら向 ふ も益 〓中央 軍 を北 上 さ せ た と 云 ふ こと は事 実 であ り ます 。
殿下
軍 から 示 す﹂ と言 ひ 又 そ の ことを 中央 にも 言 つて や つた の です 。
線 を越 え て来 た場合 には此 方 から積 極 的 行 動 を取 る かも 知 れ ぬと 云
殿下
と ころ が中 央 は 未 だ 本当 の戦 を し て居 る訳 では な いから 外 交機 関
う てや る か ら其 の つも り で居 て貰 ひた い と い ふ こと であ つた ので あ
宋 哲 元 が自 分 で陳 謝 に来 た頃 、 現 地 の電 報 では 敵 が未 だ本 腰
全 然 さ う ば か り と も言 へま せ ぬ が我 が 方 が関 内 に兵 を出 し た
ります。
にや ら ぬ中 に此 方 か ら早 く や つて貰 ひ た いと いふ意 味 があ つた の で
私 と石 原 閣 下 と話 し た のと参 謀 と参 謀 本 部部 員 あた り と話 す
始 め は相 当 色 々電 話 の往 復 が あ つた様 です が ⋮ ⋮。
は な い のです 。
そ ん な意 味 に東 京 では と ら れ た かも 知 れ な いが本 当 は さう で
は な いです か。
殿下
橋本 あ の時 分 にど う 云 ふ風 にし て不拡 大 が拡大 に変 つた の です か 。
橋本
一四 、 内 地 動 員 下 令 当 時 の 現 地 の考 へ
殿下
現 地 か ら東 京 を眺 め て居 ます と東 京 に 二 つ の流 れ が あ つた 様
る のと は どう も 違 つて居 つた様 であ り ます 。
であ り ま す 。 殿下
話 をし て居 た の では な いかと 見 ら れ る点 も あ り ま し て 、石 原 閣下 か
橋本
橋 本 其 の当 時 中 央 から前 の次長 の中島 中 将 閣 下 が総 務 部 長 と し て ︹ 兼四郎︺ 軍 務 課 長 の柴 山大 佐 と 二人 でや つて来 ま し た 。夫 れ は私 が 不拡 大 の
ら 来 た電 話 も始 め に か か つ た当 時 と愈 〓最 後 的 通牒 を出 す と 云 ふ時
然 し私 とし ては 上 は司 令 官 以下 一兵 に至 る ま で 一貫 した同 じ考 で
例 へば此 方 の駐 屯軍 の参 謀 と 向 ふ の部 員 と の間 で色 々な 電 報 や電
方 針 で之 を纏 め得 ると 云 ふ自 信 を持 つて居 る頃 で、 た し か十 四 、 五
分 のは其 の意 味 が違 つて居 た様 で其 の原 因 が よく判 ら ぬ の です。
現 地 にも 二 つあ つた と は思 はれ ま せ ん でし た か。
日頃 だと 思 ひ ます 。 丁 度 新 軍 司令 官 が官 舎 に這 入 ら ぬ前 で官 舎 では 元 の司 令 官 が 亡 く な る直 前 の頃 だ と思 ひ ま す。
行 つた と いふ だけ の自 信 はあ り ます
ふ が兵 力 を積 極 的 に出 す と い ふ結果 に な つた と 云 ふ の と、 又 一面 に
最 初 大 体 消 極的 で あ つた が此 方 が兵 力 を出 し た為 に却 つて向
殿下
殿下
中 島 中将 閣下 は朝 鮮 に内 地 兵 団 を停 め て置 い た方 が よ いと 言
つて居 られ た様 です が ⋮⋮ 。 兵 隊 が関 内 に ど んど ん這 入 つて来 ると 云 ふ こと は事 件 を益 〓
に させ た と い ふ のと ど ち ら で せう か ⋮ ⋮
は 中央 軍 の北 上 が宋 哲 元 あた り の心境 を変 化 さ せ て 一戦 を や る気 分
橋本
と同 じ気 分 で居 る所 へ動 員 部 隊 が這 入 つ て来 る と い ふ こと は空 気 を
紛 糾 さ せ る因 だ か ら余 り好 む べ き こと では な い。 殊 に現 地軍 が平 時
両 方 な ん です ⋮ ⋮ 。積 極 的 に兵 力 を向 ふ に出 し た から と 云 ふ
尤 も交 渉 の最中 に中 央 部 か ら兵 力 を送 つた ため に其 の威 圧 に依 つ
が あ つた の です 。
て交 渉 条 件 の実行 を促 進 し た こと も亦 事 実 です が、 一方 南京 政 府 を
のと宋 哲 元 も中 央 軍 が這 入 つて来 たか ら に は 日本 軍 と 二十 九 軍 と の
橋本
間 が 円満 に行 く見 込 み が立 た なく な つて仕 舞 つた か ら自 然 態 度 を決
果 に於 て は不 拡大 方 針 に対 す る 矛盾 の やう に な つた の であ り ます 。
刺 戟 し中 央 軍 の北 進 を も促 進 し た ことは 前 に述 べた 通 り で す か ら結
然 し 日支 全 般 の関係 が早 晩 何 等 か の根 本 解決 を要 す る如 き情 勢 下 に
夫 れ で中央 軍 が這 入 つ て来 る ことは 梅津 、何 應 欽 の協 定 に反 す る
め ね ば なら ぬ 立場 に追 ひ詰 め ら れ た の であ らう と 思 ひ ます 。
の です が、 さ て宋 哲 元 には中 央 軍 を退 げ さ せ ると 云 ふ力 が な か つた
不 十 分 な り と の不安 を感 じ た こと は尤 も の ことと 思 ひ ま す 。実 際 駐
於 て北支 に突 発事 件 が発 生 し た のです から中 央 とし て駐 屯 軍 の兵 力
仲 々難 し い問 題 と 思 ひ ま す が結 果 から見 てど う 考 へら れ ます
一五 、 北 支 問 題 の 根 本 的 検 討
屯 軍 の兵 力 は中途 半 端 でし た か ら ⋮⋮
のです ⋮⋮ 。若 し彼 に力 が あ れ ば中 央 軍 が這 入 つ て来 る こと に対 し
拡 大 に は色 々な 事 情 も あ つたと 思 ひ ます が 不 拡大 方 針 であ り
て嫌 だ と言 へた と思 ひま す が ⋮ ⋮ 殿下
な が ら兵 力 を準 備 せ しめ た と 云 ふ事 は 拡大 を裏 書 す る様 な も の で準 備 し た そ の事 だ け でも 既 に考 に矛 盾 があ る と思 ひ ま す が ⋮ ⋮ 不 拡 大 方針 と云 ふも のが全 く の不拡 大 方 針 であ る な らば関 東
か。
殿下
橋本
軍 が国 境 に兵 力 を出 し たと 云 ふ事 も問 題 に な る の です が 、自 衛 上関
簡 単 に結 論 をす る のは早 計 か も知 れ ま せ ぬ が、 先 づ 平 時 に駐
駐 屯 軍 の兵 力 は事 変 前 即 ち 十 一年 の三 月 に増 強 し て混 成 一ケ旅 団
つ て条 約 に基 く列 国並 の兵 力 で沢山 の やう に思 ひま す 。
る あ あ いふ風 な程 度 の こと を や る の なら 兵力 は要 ら な い訳 です 。従
先程 も 一寸 申 上げ ま し た や う な閣 議 で決定 し た北 支 処 理 方針 に あ
が あ る と思 ひま す 。
表 面 に立 つて北支 の問 題 を 解決 し よう とし た所 に研 究 を 要 す る も の
屯 軍 の様 な半 端 な兵 力 を あ あ 云 ふ所 に置 いて実 力 者 た る軍 司 令官 が
橋本
東 軍 が そ こま で や つた と言 へば さう も 云 へる かも 知 れ な いの です 。 ﹁駐屯 軍 の背 後 に は関 東 軍 あ り﹂ と は支 那側 の平 常 から考 へて居 た 所 です 。 然 し関 東 軍 の兵 力 移 動 は そ れ程 に向 ふが感 じ て居 り ま せ ん が、内 地 か ら兵 力 を送 る と 云 ふ事 は 相 手 に相 当影 響 を与 へ居 る と思 ひます 。 朝 鮮師 団 をよ こし た と 云 ふ事 だ け でも 北京 、天 津 には非 常 に衝動 を
結 局 中央 で は不 安 の為 に兵 力 を 出 し た様 に思 ふ のです が駐 屯
与 へて居 りま す 。 殿下
にし ま し た。 そ し て こ れ丈 の兵 力 を北 支 へ置 けば 大 丈 夫 だ と 云 ふ考
駐 屯 軍 だ け で戦 が片 付 く と は思 ひま せ ぬ が交 渉 に依 つて紛 争
橋本
であ つた のです が之 が大 い に検 討 を要 す るも のと思 は れる ので 、今
軍 と し て は増 兵 が なく とも片 付 く と思 つた のです か。
の解決 は出 来 る と思 ひま し た 。其 処 に駐屯 軍 と中央 部 と の考 に矛 盾
から考 へる と夫 れ 位 の兵 力 だ つた ら無 か つた方 が良 か つた と思 ひ ま
処 理 し たと 同様 の思 想 を以 て北支 を処 理 せ ん とす る観念 と 、満 洲 以
之 に対 し 日本 側 に於 ても満 洲事 変 の惰 勢 と申 しま す か満 洲 問 題 を
す。
こと は良 く な い こと で ⋮ ⋮矢 張 り 外交 は外 交 関係 の者 がや り経 済 は
て北 支 問 題 を も処 理 せ んと す る観 念 とが絶 えず 両 立 し て居 た様 に思
外 の支 那 は之 を統 一せ る支 那 の儘 国 交 の調 整 を図 り其 の範 囲 内 に於
す 。 又 軍司 令 官 と 云 ふも の をし て外交 経 済 に関 す る こと迄 や ら せ る
(こ の方 面 は当 時 がら あ き にな つて居 た) ⋮ ⋮附 近 に大 き な力 を集
以 上 の如 く考 えま す と北 支 問 題 と 称 す る も畢 竟 独 立 し た問 題 で は
と思 ふ のです 。
言 の間 に実際 問 題 の処 理 に影 響 を及 ぼし た る こと は争 は れ な い こと
此 等 の不 一致 が縦 ひ表 面 上 は政 府 の 一定 せ る方 針 を示 さ れ ても 不
ひ ます 。
其 の専 門 家 に任 かせ陸 軍 は満 洲 国 の北 支 寄 り の所 ⋮ ⋮ つ ま り 熱 河
め て置 いて、 グ ツト睨 ん で居 つた な らば 寧 ろ そ の方 が効 果 が あ つた
軍 司令 官 其 の他 軍 隊 に居 る者 が専 門 外 の外交 経 済 問 題 を 取扱 ふ も
と 思 ひ ます 。
のです から 凡 てに ぎ ごち なく 何 か向 ふ へ申 込 を し て拒 絶 せ ら れ た ら
なく 、 対支 問 題 に包 括 せ ら るべ き も ので対 支 問 題 は 一面 支 那 を繞 る
軍 の面 目 に か かる と 云 ふ事 にな つて非 常 に拙劣 い。 夫 れ でどう し て も外 交 関 係 の人 に や ら せ経 済 は其 の方 面 の人 に や らせ る と 云 ふ事 が
国 際 問 題 で も あ る のです から 此 の解決 が困 難 であ る のは 当然 と思 ひ
題 であ つた の です 。
ま す が 、 日本 の大陸 発 展 の為 には晩 か れ早 かれ解 決 せね ば な ら ぬ問
必要 であ り ま す 。 次 に北 支 問 題 を単 に北 支 のみ に於 て解決 す る こと は当 時 の情 勢 に
蘆溝 橋 事 件 は避 け得 た かも 知 れ ま せ ぬが 第 二第 三 の同種 事 件 即 ち
於 ては 無 理 であ つて どう し て も支 那 全 般 の問 題 と関 聯 し て中 央 政 府 を相 手 に解決 す べ き も の であ つた の であ つた の です が 、種 々 の事 情
不 拡大 方 針 を 徹底 的 に実 行 し て 一時 成 功 し た と し ても そ れ が根 本 的
根 本的 問 題 解 決 の導 火 線 た るべ き小 事 件 は 不 可避 的 に起 つた で せう 。
西 安 事 件 以来 特 に露 骨 と な れ る蘇 聯 の策 動 等 ) よ り し て中 央 政 府 を
(満 洲事 変 以来 の抗 日 態度 、英 国 の経 済問 題 を主 と す る援 支 排 日 、
相 手 と す る外 交 関 係 は停頓 状 態 とな り寧 ろ悪 化 す る 一方 で あ つた の
でせ う、 要 す る に時 機 の問題 で あり 、 や り方 の問 題 であ り第 三 国 に
解 決 に な つた と は思 は れず 、早 晩 解 決 に乗 り出 さね ば な ら な か つた
殿下
察 哈爾 作 戦 に就 てお伺 ひ致 し た いの で あり ま す が⋮ ⋮
一六 、 察 哈 爾 作 戦 開 始 の 経 緯
対 す る腹 の決 め 方 の問 題 であ つた と思 ひま す 。
です 。 そ れ で少 く と も 北支 問 題 は北 支政 権 (宋 哲 元 ) を対 象 と し て 局 地 問題 と し て解 決 し よう と考 へた のです が、 北 支政 権 とし ても中 央 政府 を全 然 無 視 し て日本 の希 望 す る如 き提 携合 作 を実 行 す る こと
即 ち表 面実 力 者 た る 日本 側 ( 駐 屯 軍 ) の言 に聴 従 す る が如 く に し
は や り得 な か つた の です 。
て内 々では 常 に南京 政 府 の意 嚮 に気 兼 をし 牽 制 せ ら れ て居 つた ので
橋本
て 中央 軍 が続 々と 三 ケ師 、 四 ケ師 と入 つて来 ま し たが 、其 の全 部 集
と 云 ふ やう な 態度 を取 つた ので あ りま す 。 さう 云 ふ状 態 が暫 く続 い
私 の関 係 し た のは極 く 初 期 だ け であ り ます 。第 五 師 団 が察 哈
爾 作 戦 で八達 嶺 を占 領 し て から 懐來 附 近 に進 出す る ま でを 駐 屯軍 で
中 す る に は相 当時 日 が か ゝり ま し た。
其 の当 時 此方 と し ては北 京 周 辺 の掃蕩 を終 つて長 辛 店 に二 十師 団
やり 、 そ れ から 後 は 方 面軍 に な つ て仕 舞 つ た のです 。 此 の作 戦 は結 局敵 が出 て来 た為 に始 ま つた も のの やう で ⋮⋮
が出 て居 り、 一時 前 に出 た洒井 兵団 を後 に引 つ込 め て通 州 に置 き、
殿下 其 の開始 に当 つて関 東 軍 は中 央 に意 見 具 申 し て居 り ます が、 支那 駐
北 方 に 対す る監視 を さ せ て居 つた のです 。当 時 駐 屯 軍 は 新 に三 ケ師
団 ( 第 五 、第 六 、第 十 ) を貰 つた ので (輸送 順 序 は第 五 、 第 六 ︱︱
鈴 木 兵 団 の主 力 を南 口と 北京 の中 間 地 区 に集 結 さ せ て 一部 隊 を し て
応 急動 員 、陸 路 、第 十︱︱ 動 員 、海 路 であ つた が水 害 のた め 陸路 輸
さ れた や う に見 える のです が ⋮⋮ 橋本
送 遅延 し天 津附 近到 着 は 第 十 、第 五、 第 六 と な つ た)、 先 づ 其 の 一
屯 軍 と し て は最 初之 を軽 く 見 て居 つて中 央 から逆 に や る やう に指 示
哈爾 はど う な つて居 つたか と 云 ふ と、 あす こには 劉 汝 明 が百 四 十 三
あ れ に就 ては 斯 う 云 ふ風 に吾 々は考 へま し た 。即 ち 当 時 の察
師 を有 つてず つと前 から省 長 を し て居 り 、我 が特 務 機関 も居 り ま し
ケ師 団 を (第 十師 団 ) 津 浦線 に、他 の 二ケ師 団 を第 二十 師 団 と共 に
増加 し て当 時 皆 が 目標 にし て居 つた保 定 占領 を行 ふ こと にし た ので
て其 の指 導 に従 つ て居 つた位 です から劉 汝 明 とし ては あす こ で日本
す 。 そ れ で其 の間 北 の方 には 依 然鈴 木 兵 団 を 以 て監 視 さ せ、 状 況 に
方 の敵 は ど んど ん 北上 し て来 ま す ので、 取 敢ず 京 漢 線 を三 ケ師 団 に
れ ると 云 ふ こと は彼 等 に敵 対 行 為 を強 ひ る と 云 ふ こと にな ると考 へ
依 つて は南 口附 近 を取 つてあ す こで北 を消 極 的 に抑 へて南 の保 定占
京 漢 沿 線 に使 ふと 云 ふ研 究 を し て居 り まし た のです 。 即 ち 其 の頃 南
た の です 。 そ こ で最初 北京 周 辺 の戦 闘 の為 に兵 力 を集 め た時 に も北
軍 に対 し て 刃向 ふ と 云 ふ戦意 は無 か つた や う であ り ます ⋮ ⋮。 丁度
方 に対 し て は只 南 口附 近 を監 視 させ る任 務 を鈴木 兵 団 に与 へた訳 で
領 迄 の作 戦 を や る と 云 ふ やう な考 案 で した 。之 は兵 力 の点 から 言 ひ
韓 復榘 のやう な態 度 で⋮ ⋮ 。 そ れ で過 早 に此 方 から察哈 爾 に兵 を 入
あり ま す 。 と ころ が其 の内 に敵 の中 央 軍 が山 西 の北 を通 つて察哈 爾
であ り ます 。 只 新 に 入 つて来 たと 云 ふ中 央 軍 の行動 に因 つて は相 当
の持 つて居 つた敵 性 と 云 ふも のを見 て も其 の程 度 で よ い と思 つた の
大 胆 な計 画 の やう で あ り ます が、然 し 一体 重 点 を何 処 へ置 く かと 言
ま し て も其 れ位 の限 度 が本 当 であ ら う と思 ひま す し 、 又従 来 察哈 爾
て見 ま し たと ころ が 、最 初 劉 汝 明 は張 家 口ま で中 央 軍 が入 つて来 る
に入 ら う とす る やう な形 勢 に な つ て来 まし た ので 、特 務 機 関 は中 央
のを 非常 に嫌 つ て其 れ を拒 否 す る態 度 を執 つ て居 り まし た 。然 し無
へば 当然 京 漢 線 方 面 で あ り、 津 浦 線 は 一ケ師 団 も や れ ば 沢山 であ る
軍 が入 つて来 たな ら ば 一体 劉 汝 明 は ど うす る のか と 云 ふ腹 を つ つ い
論 彼 には力 があ り ま せ ん から 中央 軍 はど ん ど ん 入 つて来 ま す ので、
と 云 ふ や う な考 で其 の計 画 を立 てた ので あ りま す 。
と ころ が其 の間 に例 の水 が出 まし て集中 が予 定 の通 り出 来 ず 五日
劉 汝 明 は中 央 軍 と喧 嘩 し ても 始 ま ら な いか ら 一歩 譲 つて自 分 は察哈 爾 の東 北 方 の地 区 に小 さく な つて 日本 軍 の矢 面 に立 たな い所 に居 る
撃 準 備 と云 ふも のが非 常 に遅 れ た訳 であ り ま す ⋮ ⋮。 そ こ で其 の集
始 の時 期 は著 しく 遅 れ る こと と な る為 に結 局 南 の方 は消 極 的 に集 中
加 兵 力 の集 中 が何 時 完 結 す る か判 ら な い、 従 て南方 に 対す る攻 勢 開
任 し て置 いて は察 哈 爾 方 面 の戦 況 が進 み さう も な いの と水 害 の為 増
ので此 の方 面 の作 戦 も 急 ぐ の で あ りま す が、 ど う も鈴 木 兵 団 だ け に
中 を首 を長 く し て待 つて居 りま す 間 に、 ど う も察 哈 爾 に中 央 軍 が 沢
掩 護 を や ら し て置 いて、 其 の間 に早 く北 の方 を や つ て仕 舞 つた方 が
辛 店 の高 地 を取 つ て居 り京 漢 沿 線 から敵 が ど ん ど ん北 上 し て来 ま す
山 入 つて来 て段 々南 口 、 八達 嶺 の線 ま で も来 るやう に な つた の で之
宜 から う と 云 ふ こと に なり 、 そ れ が為 に は少 し でも 早 く到 着 す る第
か六 日 か遅 れ て居 り ます ⋮ ⋮ 。 之 は単 に集 中 速 度 だ け が 水 の為 に遅
は愈 々単 に 一部 の監 視 と 云 ふ程 度 で は不 可 ぬ、鈴 木 兵 団 を本 当 にや
れ て居 る許 り で な く 、其 の外 の計 画 も 全 く 狂 つて仕 舞 つ て実 際 の攻
ら な く て は 不可 ぬと 云 ふ考 を持 つやう に な つて鈴木 兵団 に南 口占 領
五 師 団 を使 用 す る を可 と考 へた ので あ り ま し た が、其 の頃 中 央 か ら
た の でし た 。即 ち ﹁其 れは 止 め た 方 が良 か らう 。 其 処 を取 る のは何
爾 作 戦 が始 ま つ た如 く 思 は れ ます が右 の如 き実 際 の内 情 であ つた の
軍 は北 に対 し て呑 気 に構 へて居 り、 中 央 の注 意 に依 つて始 め て察 哈
意 見 を申 し て参 つた のです 。 形 の上 か ら往 復 書 類 の みを見 れ ば駐 屯
も電 報 で 一兵 団 を 北 方 に使 用 し て察 哈爾 を片 付 け たら ど う か と 云 ふ
を 命 じ ま し た の です 。
時 でも 取 れ る し 、 そ れ が為 に却 て刺戟 を 劉汝 明 に与 へて本 当 に敵 対
然 し 此 の鈴 木 兵 団 の使 用 に就 ては 司令 部 内 でも 色 々と議 論 を さ れ
だけ させ て居 け﹂ と 云 ふ のと ﹁大 体 今 のや う な状 況 にな つ ては兎 に
行 為 をさ せ ると 云 ふ こと は此 の際 好 ん でや る こと では な いか ら監 視
で行 ふ べ き南 下 作 戦 前 に背後 の脅 威 を除 か んと す る も の で あ つ た の
た か判 り ま せ ん が、 駐 屯 軍 と し て は此 の作 戦 の目的 は 、軍 主 力 の次
其 の当 時 に於 て所謂 察 哈爾 作 戦 を中 央 は ど う 云 ふ風 に考 へて居 つ
です 。
団 に攻 撃 を 命ず る やう に なり 又 丁 度 其 の頃 や つと天 津 に着 いた ⋮ ⋮
で す 。従 つて此 の目 的 を達 し た る上 は鈴 木 兵 団 を基 幹 とす る も のを
角 あ そ こを 占領 せ ねば 不 可 ぬ﹂ と 云 ふ意 見 と で した が、結 局鈴 木 兵
集 中 が手 間 取 つた為 ⋮ ⋮第 五 師 団 をも 其 処 へ使 ふ と 云 ふや う な こと
り ま し た のは あ の八達 嶺 を何 日 位 で占 領 し得 る かと 云 ふ こと であ り
斯 う し て南 口 に第 五 師 団 を使 つた の であ りま す が 、当 時 問 題 に な
の為 に迅 速 に此 の支 作 戦 を終 了 し て欲 し か つた ので す 。
に向 け る のは稍 々牛 刀 を用 ふる の感 を持 つ た のです が 、前 述 の目 的
当 時 に於 け る感 想 と駐 屯軍 の全 兵 力 から 見 て 一師 団 半 の兵 力 を 北
度 い考 で あ り ま し た。
残 し 、第 五師 団 の全 力 若 く は主 力 は反 転 し て南 下作 戦 に参 加 せし め
にな つた の です 。 尚 当 時 中 央 か ら来 た電 報 も 亦 察 哈 爾 方 面 は其 の状 況 上 一兵 団 を使 ふ を有 利 と す る意 見 で し た。 其 の こと を も う少 し詳 しく 申 し ま す と 次 の やう な 経緯 に拠 つた の であ り ま す 。 も とも と 鈴木 兵 団 は応 急 派 兵 でや つ て来 た も の で、 非 常 に兵力 が
ます から 、 前 に述 べ ま し た計 画 を立 て る際 にも状 況 に依 つ ては第 六
小 さ い上 に 一戦 闘 を や つても 補 充 も 何 も 出 来 な い と 云 ふ関 係 も あ り
師 団 を使 ふ と云 ふ腹 を有 つて居 まし た。 一方 二十師 団 は孤 立 し て長
ま し た ⋮ ⋮。 それ は爾 後 の作 戦 に影響 を 及 ぼす の で ⋮ ⋮と ころ で現 地 を見 た者 と さう でな い者 と の差 は あ り ます が 、当 時 の判 決 は未 だ 敵 も 到着 し た許 り で大 し た準 備 も な いだ ら う が 地形 は相 当 に嶮 岨 だ から最 少 限 三日 、 四 日 は か ゝ る だら う と考 へ、若 し最 大 限 十 日 か か
橋本
前 に申 し た やう な 経緯 で、 いざ 戦 闘 を や つて 見 る と ど う も捗
捗 し く行 か な か つた のは 、第 一に地形 の険 難 な る に加 へて雨 天 続 き
当 時駐 屯 軍 は天 津 に居 り ま し て京 漢 線 、 津 浦 線東 北 方 ( 南 口八 達
であ つた と思 ひま す が其 の他 に次 のやう な理 由 も あ る と思 ひ ます 。
き の戦闘 は板 垣 師 団 長 に任 せ るや う な任 務 を与 へま し て師 団 長 が鈴
嶺 ) の三方 面 を指 揮 す る と云 ふ状態 に な りま す る の で、従 つて北 向
団 も 著 く だ らう から と考 へた の で、 そ れ な ら ば良 か らう と 云 ふ こと
木 混 成 旅 団 を も併 せ指 揮 す る と 云 ふ こと に な つた の です 。 と ころ が
ると し て も南 の作 戦 の為 に は十 分 に間 に合 ふし 、 又其 の間 には 六師
にな つて あ の作 戦 を や つた の であ り ま す 。
混 成 旅団 は既 に攻 撃 前 進 をし て居 る ので後 か ら来 た第 五 師 団 は鉄 道
察 哈 爾 作 戦 に関 し て関 東 軍 と駐 屯 軍 の間 に何 か経 緯 は あ り ま
闘 開 始 が出 来 な か つた こと は事 実 で あ りま し た。 そ れ に次 は私 の想
殿下
橋本
像 です が、 後 から 来 た 師 団長 が自 分 の欲 す る所 の攻 撃 部署 を 以 て攻
輸 送 よ り逐 次 に戦 闘 に加 入 す る やう な恰 好 に整 然 た る 部 署 を 以 て戦
張 家 口 の方 へ兵 を出 し て居 つた ので張 家 口 をど つち が早 く 取 る だ ら
か ら も相 当 困 難 であ つた らう と思 ひま す 。 南 口は鉄 道 線 路 が通 つて
撃 をす る と 云 ふ こと は 既 に行 つて居 る混 成 旅 団 に対 し て遠 慮 の気 持
せ ん でし た か。
う か と吾 々は 見 て居 つた の です が 、関 東 軍 が そ の兵 を出 す と 云 ふ こ
何 も あ り ま せ ん。 南 口を頻 り に攻 撃 し て居 る最 中 に関東 軍 は
と に就 ては 中央 部 と の連 絡 に依 つて決 つた の で、 直接 駐屯 軍 と関 東 軍 と の協 定打 ち合 せ等 は殆 ど や つて居 り ま せ ん。
少 か つた の で⋮ ⋮其 の 理由 は後 方 部 隊 と 云 ふ も の を持 た ぬ か ら後 に
あ り ます が、既 に攻撃 し て居 る混 成 旅 団 は各 中 隊 の兵 員 数 も非 常 に
居 て最 も 兵 力 を 多 く要 し 又 地形 上 も 多 く の兵 力 を使 用 し得 る正 面 で
酒 井 兵 団 は機 械 化 部 隊 であ つた為 損 傷 が多 いも ので し た か ら当 時 そ
兵 力 を取 ら れ て仕 舞 つた為 ⋮ ⋮其 の進 捗 が 巧 く行 か ぬ 。併 し今 更 攻
只 其 の作 戦 の途 中 で酒 井 兵 団 を返 せ と 云 ふ こと で あ り ま し た が、
れを 修 理 さ せ る と云 ふ為 に通州 に集 結 さ せ休 ま せ て居 つた の で直 ぐ
撃 中 の混成 旅団 を他 に持 つて師 団 主 力 を 此 の正 面 に向 け る と 云 ふ こ
と は出 来 ず 、第 五師 団 の 一部 を 其 処 に注 ぎ込 ん では 部 隊 が混 合 し て
具 合 が悪 いと 云 ふ やう な関 係 も あ つた ので せう 。師 団 は兵 力 を分 け
又 関東 軍 が 一時 駐 屯 軍 に増 援 し て呉 れ て居 つた部 隊 は其 の後 逐 次
に関 東 軍 の方 へ返 し てや り ま し た。
に返 し ま し た が其 の間 に は何 も経 緯 は あ り ま せ ん でし た。
く な らず 非 常 に苦 戦 し て居 る し 、 西南 地 区 に増 加 し て来 た第 五師 団
の嶮 峻 な る 地形 を扼 し て抵 抗 を続 け る敵 の為 居 庸 關 の攻 撃 は意 の如
て居 庸 關 以外 の各 山 系 に分 散 し て攻 撃 し た の です が、 前 申 す 地 形 と 一七 、 察 哈 爾 作 戦 初 期 に 於 け る 苦 戦 の原 因
察 哈 爾 作戦 を指 導 さ れ て の御 所 感 は⋮ ⋮
天 候 と の為 其 の進 捗 は容 易 でな か つた のです 。 それ で鈴 木 兵 団 は あ
殿下
も亦 苦 戦 を しま し て而 も其 の間 の天 候 は毎 日 雨 であ り まし て、 飛 行機
し ま し た が 天候 が非 常 に悪 く て飛 行機 が出 ず 、 二、 三 日 ぐず ぐず し
から 参謀 長 お前 一つ行 つて来 いと 云 ふ こと に な りま し て、直 ぐ仕 度
つた の で、 之 は 大変 だ と 云 ふ の で第 六 師 団 の 一部 を 以 て之 に対 処 さ
し て第 五 師 団 の側 背 に出 る やう な行 動 を し つ つあ る こと を傍 受 で知
構 想 にな つ て居 る か ら意 見 具 申 をす る 必要 が な い の で今 迄 の状 況 を
て居 ると ころ であ り ま し た の で、 そ れ な ら ば私 が考 へて居 る 以上 の
て居 り 、総 務 部長 や庶 務 課 長 が方 面 軍 を拵 へる為 の人 の配 当 を や つ
さう し て参 謀 本 部 に来 て見 ま す と既 に 方面 軍 編 成 の こと が決 定 し
かけ ま し た 。
て 二十 五 日 に な り ま し た為 今 日 八 達嶺 が 取 れ る と 云 ふ事 を聞 いて出
も飛 ぶ ことは 出来 ま せ ん。 其 の内 に敵 は ど ん ど ん保 定 か ら北 上 し て来 ま し た が 、其 の中 で約
せ る やう 処 置 し た ので あ り ます が 、同 時 に軍 は 其 の左側 背 に向 つた
三 ケ師 の敵 は集 中掩 護 の第 二十 師 団 の正 面 を 避 け て山 の中 に入 り ま
敵 を下 馬岺 附 近 で扼 守 す べ く第 五師 団 に命 じ ま し た 。然 し第 五師 団
話 し ま し て人 の配 当 に関 す る意 見 のみ を 上申 す る に止 め ま し た 。
一九 、 石 家 荘 占 領 後 の 停 止 線 問 題
斯 し て八 月 二 十 九 日 に方 面 軍 が出来 た の で あ りま す 。
は応 急 動 員 で参 り ま し た ので兵 力 の余 裕 がな い為 後 続 の動 員 充 足 要 員 及 一部 の騎 兵 を 以 て側 面 掩 護 さ せ る し か余 裕 が な か つた等 の出 来 事 も あ りま し た 。
御 気 付 の点 が あ り ま し たら お 話 し願 ひ ます 。
其 の後第 一軍 に行 かれ て から後 中央 部 に関 係 し た こと で何 か
其 の頃 方 面 軍 が出 来 た の です か。
て実 行 し て行 き ま し た の で第 一軍 と方 面 軍 と の間 に若 干 作 戦 指 導 上
橋本
殿下 殿下
そ れ で其 の頃 に な る と 一番 大 事 な京 漢 沿線 を南 下 す る作 戦 に 、
一八 、 方 面 軍 編 成 直 前 の状 況
橋本
も な くな つた許 り でな く 、計 画 其 の も の も段 々時 期 が経 過 し て来 る
取 つた後 (十 月 に 入 つて から ) 其 の勢 で彰 徳 ま で追 撃 し て行 つて仕
ん。 只 中 央部 の考 と は別 な こと を や つた と思 ひ まし た のは石 家 荘 を
に関 係 し た こと でご たご たが あ り ま し た が大 し たも の では あ り ま せ
其 の後 は純 作 戦 の任 務 を 貰 ひ ま し て、 そ れ に依 つて計 画 を立
第 五師 団 を加 へて三 ケ師 団 を使 ふ と 云 ふ計 画 は どう も巧 く 行 き さ う
の第 二線 師 団 を持 ち 度 いと 云 ふ考 を生 じ 、そ れ だ け の兵 力 がな け れ
に つれ て最 初 三 ケ 師 団 と 思 つて居 つた の にど う し て も もう 一ケ師 団
舞 つた こと です 。
つた の であ り ま す が、其 の間 に太 原 攻 略 が始 ま り中 央 と方 面 軍 と の
之 に関 し ては 当 時何 等 制 限 を され て居 な か つた の で勢 に乗 じ て行
ば徹 底 的 な戦 果 を挙 ぐ る に不十 分 と 云 ふ こと にな つて どう も兵 力 が
然 し電 報 で増 兵 を要 求 す る こと は出 来 な いし 、事 変 開 始 以来 今 日
間 に は そ れ に就 て何 かご たご た があ つた ら し く 、従 つて方 面 軍 と第
不足 だ と気 が付 き ま し た 。
迄 の こと で話 さ ねば な ら ぬ事 も あ り 、 又電 報 では意 も 通 ぜ ぬ だら う
れ を見 物 し て居 た のです 。 併 し愈 々太 原 を取 る と云 ふ時 に な つて か
五師 団 と の間 に も若 干 経 緯 が あ つた やう です が、 吾 々は側 面 から そ
な つて から はも う ど つち で も宜 いと 云 ふ考 に な つて、 第 五 師 団 と 方
哈 爾 方 面 に於 け る 第 五師 団 の作 戦 がず んず ん西 方 に進 展 す るや う に
ふ方 面 軍 の考 に は 不同 意 は な か つた の です け れ ど も、 其 の後 更 に察
面 軍 と の間 のご た ご た を 只側 面 から 見 て居 つた の で後 では 寧 ろ第 五
ら は第 一軍 も之 に策 応 せ いと 云 ふ命 を受 けま し て 二十 師団 を や つた のです が 、其 の間 に種 々経 緯 が あ り ま し て太 原 を取 り ま し て から 急
て行 つた以 上 は 今 更引 返 し て も既 に其 の頃 に は 此方 で保 定 を取 つ て
師 団 に同 情 し て居 つた位 で あ りま し た 。 何 ん と な れば あす こ迄持 つ
仕 舞 つた後 にな る の で無 意 味 だ と思 つた から です。
に太 原 、順 徳 の線 で止 れ と云 ふ風 に方 面 軍 から 言 つ て来 ま し た。 当
に彰 徳 の手 前 の〓 河 の線 迄 行 つ て居 る ので今 更 順 徳 の線 で止 ま れ と
か つたな ら ば 、 相 当 な も のを持 つて行 かね ば な ら なく な つ て第 五 師
殿下
時 太 原 の方 は取 つたば かり です か ら宜 し い の です が、順 徳 の方 は既
云 ふ のは 不 合 理 な為 ﹁前 へ出 る ﹂﹁出 る な﹂ と云 ふ やう な 色 々 の ご
です 。 当 時 は 既 に 一方 では 上 海 の方 も戦 線 が膠 着 し て居 る ので恐 ら
橋本
団 を 必要 とし た の では な いです か ね⋮ ⋮
若 し敵 が保 定 の既 設陣 地 に拠 つ て居 つて〓 州 の方 へ出 て来 な
たご た があ つ て結 局解 つたや う な 解 ら ぬ やう な挨 拶 をし て終 つた の
く中 央 とし ては他 の作 戦 上 の都 合 か ら兵 力 の点 を懸 念 し て さう 命 ず
あ り まし た が、然 し第 一軍 が永 定 河 畔 に集中 し攻 勢 を準 備 し て居 る
る やう にな つた の です 。 方 面 軍 とし ては 保定 附 近 の既 設 陣 地 を 重 視
た の で、 集 中 を終 り次 第 な る べく 早 く 攻 撃 を開 始 す る を有 利 と考 へ
間 敵 の動 き は活溌 でど ん ど ん〓 州 及 其 の以北 に詰 め かけ て居 り ま し
最 初 には そ の見 地 か ら私 も第 五 師 団 を 必要 とす ると 云 ふ考 で
る やう にな つた ので あら う と 思 ひ ます 。
二 〇 、 保 定 攻 撃 と 第 五 師 団 の運 用
し第 一軍 の集中 が 終 り に 近 い頃 ﹁第 二軍 の集 中 は水 害 の為 に遅 れ 其
山 西 に使 つた第 五 師 団 は初 め保 定 攻 略 の為 に抜 く考 が あ つ た
殿下
の攻 撃 準 備 にも ま だ相 当 の日数 を要 す る か ら第 一軍 は攻 勢 発 起 を 暫
と保 定 の既 設陣 地 は が ら空 き で敵 は段 々前 に出 て遂 に永 定 河 の方 迄
やう です が、第 一軍 とし ても あ れ を早 く貰 ひ た いと 云 ふ感 じ は持 た
ず つと出 て来 て頻 り に陣 地 を構 築 し 日 が経 ち ま す に従 つ て陣 地 が段
く延 期 し て は如 何 ﹂ と 云 ふ相 談 があ り ま し た 。併 し其 の当 時 にな る
橋本
段 堅 固 にな つ て攻 撃 が う る さく な るし 、 一方 津 浦 線 と京 漢 線 と の中
駐 屯 軍 が最 初 其 の考 を持 つて居 た こ とは 前 に申 上 げ た通 り で
す が、 方 面 軍 に な つて も さう い ふ風 な考 を持 つて居 つた のは事 実 で
れ な か つた のです か。
れ る から 仕 様 が な いと云 ふ考 も あ り、 既 に戦 闘 序列 も定 め ら れ て居
す 。 併 し第 一軍 と し ては 第 五 師団 を此 処 へ持 つ て来 た処 で どう せ 遅
は不 可 能 の状 態 であ り ま し た の で時 日 の遷 延 は 不利 で あ る と考 へま
間 地域 の氾 濫 は 著 し く拡 大 し 、第 二軍 の第 一軍 に対 す る実 質 的協 力
し た 。私 共 は 予 定 通 り や ら し て貰 ひ度 いと 云 ふ返事 を した の であ り
り ま し た の で第 五師 団 の代 り に第 十 四師 団 を 加 へた る 三 ケ師 団 で攻 撃 を準備 し て居 り まし た 。併 し勿 論 呼 び返 し て保 定 攻撃 に使 ふと 云
固 で し た から 従 つて攻 撃 に当 つては 其 の陣 地 に敵 を拠 ら せな いや う
定 の陣 地 に は大 し た兵 力 は居 りま せ ん で し た が、 併 し其 の陣 地 は 堅
そ し て愈 々攻 撃 に著 手 しま し た 時 には先 程 も申 し ま し た やう に保
い声 明 を出 し ま し た の で ﹁そ んな こと を し て は後 でど う 云 ふ処 理 を
であ り ま す が 、其 の時 に当 つ て蒋 介 石 を相 手 に せず と 云 ふ景 気 の良
を持 つ て居 り 、特 に参 謀 本 部 と し ては 此 の希 望 が非 常 に強 か つた の
では ど う も な ら ぬ。 何 んと か適 当 な所 で事 変 を〓 め度 いと 云 ふ希 望
居 ら な いの で、 今 のや う に し て段 々支 那 に兵 力 を増 加 し て行 つ た の
に や ら ねば 不 可 ぬと 云 ふ の が此 の作 戦 の指 導 方針 で あ つた の です 。
云 ふ所 へ私 が着 任 し た の であ り ま す 。
す る の か﹂ と 云 ふ点 に就 て作 戦 部 と し て は非 常 に不 満 が 多 か つた と
ます 。
即 ち保 定 陣 地 に行 く 迄 に敵 を殲 滅 す る こと を企 図 し 、 そ れ に漏 れ た
さう い ふ状 況 の時 に下 村 閣 下 から 申 し送 り を受 け て居 ら れ た
下 村 は 病 気 で 入院 し て居 つ た の で病院 で申 送 り を 受 け ま し た。
風 に思 はれ 、殊 に強 い声 明 を や つた為 に其 の当 時 で言 へば 相当 大 事
﹁ソ﹂ 兵 備 は 安 心 の行 く程 度 に充 実 維 持 し な け れ ばな ら な いと 云 ふ
的 作 戦 を や る為 には是 非 共 必 要 な の であ り ま し て 、同 時 に北 方 の対
々新 し い師 団 の編成 を や る こと にな り ま し た 。 そ れは 之 れ 以 上積 極
です 。 其 の結 果 第 一部 と し て は対 ﹁ソ﹂ 対 支 の関 係 から 検 討 し て著
そ し て私 の着 任 と共 に第 一部 とし ても そ れ に就 て の研 究 を始 め た訳
橋本
訳 で す ね。
殿下
奴 を今 度 は保 定 陣 地 の正 面 か ら で なく 山 手 の方 か ら 攻撃 す る と 云 ふ
併 し敵 が永 定 河 附 近 迄出 て来 ず に最 初 から ず つと保 定 の陣 地 を固
計 画 を 立 て ま し た⋮ ⋮ 。之 が 即ち S形 の作 戦 と な つた ので あり ま す 。
次 に参 謀 本 部 第 一部長 に来 ら れ て から の こと を伺 ひ度 い と思
二 一、 第 一次 近 衛 声 明 の善 後 策
め て居 つた なら ば そ れ は更 に困 難 だ つた と 思 ひ ま す。
殿下
業 な漢 口、 廣 東 攻 略戦 も や ら なけ れば意 義 を な さ ぬ状 態 にな つた か
ひます。 橋本
参 謀 本 部 に来 た のは 一月十 八 日 でし た 其 の著 任す る直 前 ⋮⋮
でし て 、来 て見 ると 先 づ政 府 に対す る色 々 の不 平 を聞 いた の です 。
十 六 日 ⋮ ⋮ に政 府 が蒋 介石 を 相手 に せず と 云 ふ声 明 を出 し たば か り
部 と意 見 が合 は ぬ と 云 ふ こと は実 に陸 軍 省 と参 謀 本 部 とぴ つた り意
いと 云 ふ事 が さう 云 ふ結 果 に し た と言 へる のです 。而 も 政 府 と統 帥
ら です 。 此 の問 題 は結 局政 府 と統 帥 部 と の意 見 が し つく り 一致 し な
け れ ば な ら ぬ と云 ふ考 か ら独 逸 大 使 の斡 旋 を非 常 に期 待 し て居 つた
即 ち参 謀 本 部 とし ては南 京 を取 つた勢 に乗 じ て早 く事 変 を処 理 し な
見 が 一致 し て居 な いと 云 ふ所 にあ つた や う で あ り ます 。
省 、 参 謀 本 部 の意 見 と 云 ふも のが 一致 し て居 ら な い の です 。
対 の考 を 持 つた と は私 は見 て居 ら な い のです が、 政 府 に対 す る陸 軍
政 府 と統帥 部 と の聯 絡 会 議 の問 題 にし ても政 府 と軍 部 と が全 く反
ので あ り ます が、其 の時 の蒋 介 石 の 一片 の返答 を見 て もう 望 みな し と判 断 し た政 府 のや り方 に非 常 な論 争 が あ つた やう に聞 い て居 り ま
当 時 中 央 とし ては未 だ対 ﹁ソ﹂ 準 備 に付 いて の危 惧 の念 が去 つ て
す。
橋本
参 謀本 部 内 に於 ても 例 へば第 二部 の如 き は其 の後 機 会 あ る毎
に積 極 的 の新 作 戦 を提 唱 し て居 り ま し た か ら、 或 は此 の時 期 に も積
つた の では な いの です か。
な つた のは実 に陸 軍 大臣 な の であ り ま す 。 そ こで斯 様 な 連 絡 会 議 は
其 の実 情 を 申 し ま す と連 絡 会 議 で孤 軍奮 闘 し た参 謀 次 長 の相 手 と
却 て害 が あ る故 やら ぬ方 が よ いと 云 ふ こと にな つて其 の後 連 絡 会 議
此 の海 軍 の意 見 と 云 ふ のは奥 地 を爆 撃 す る為 に今 の航 空 基 地 では
す。
右 の外 に海 軍 は 切 り に安 慶 を取 つて貰 ひ度 いと言 つて居 つ た の で
を主 張 す るも の のあ つた外 は大 し た 積極 的 の意 見 は出 ま せん でし た 。
居 る の を聞 い て居 つた の です が、 一、 二津 浦 線 の連 絡 又 は 廣 東 作戦
ては 種 々研 究 し て居 り まし て、 私 も度 々課 長 以下 部 員 の議 論 を し て
極 的 な 意 見 が あ つた か と思 ひま す が よく 覚 えま せ ぬ。第 一部内 に於
漢 口作 戦 の方 法 と し て は京 漢 線 を南 下す るも のと揚 子 江 を遡
経緯
二 二 、 昭 和 十 三 年 二 月 の戦 面 不 拡 大 決 心 の
を開 かな く な り ま し た。
橋本
それ を 取 る こと は さし て困 難 と も思 ひ ま せ ぬ でし たけ れ ど も 、 そ れ
遠 過 ぎ るか ら安 慶 を取 つ て呉 れ と 云 ふ ので熱 烈 な 希望 が あ り ま し て、
江 す る も の と 二 つ の方法 が あ りま す が、何 れ に し ても 兵 力 が足 ら な いし 又 当時 現 地 か らは 例 の津 浦 線 を南 北 に貫 く と 云 ふ意 見 具 申 が出
だけ の為 に拡 大 す る戦 面 を維 持 す る の に相 当 の兵 団 数 を要 す る のは
て居 り ま し た 。此 の考 は ⋮ ⋮勿 論 参 謀 本 部 の案 では あ り ま せ ん⋮ ⋮ 事 変 解 決 と 云 ふや う な大 局 の目 的 を達 成 す る作 戦 と し て は小 さ い こ
差 当 り 苦痛 と考 へて居 た の です 。
なら ぬ と云 ふ こと に なり ま す ので 、 此 の際 は 一層 の こと余 り戦 面 を
り対 支 作戦 に消極 的 な る は戦 力 を 重 点 に指 向す べ き 一般 原 則 に反 す
で、 大 臣 や 次 官 か ら は参 謀 本 部 が北 方 対 ﹁ソ﹂ 関 係 を顧 慮 す る の余
でも 相 当熱 心 に主 張 さ れ て居 り ま し た が参 謀 本 部 が同 意 しま せ ぬ の
津 浦 線 の連 絡 、即 ち徐 州 作 戦 や 安 慶作 戦 の希 望 は右 の外陸 軍 省側
と であ り ま す し 、津 浦 線 を 貫 く と 云 ふ作 戦 そ のも のは容 易 に出 来 る
拡 げ な いと 云 ふ方 針 でや つ て兎 に角 兵 力 の整 備 を や り 、其 の兵 備 が
るも の だと 云 ふやう な意 味 の抽 象 的 非難 の声 を も聞 い た こと が あ り
とし ても其 の地区 を守 備 す る為 に は相 当 の兵 団 を持 つて来 なく ては
出 来 て から 今述 べ た やう な 目 的 を達 成 す る やう に し た方 が よ い と云
台 兒 荘 の前 です。
そ れは 台 兒 荘 の頃 です か。
ま し た。
ふ考 に なり ま し て 、 そ れ に向 つて 研究 を し た ので あ り ます 。
殿下
其 の結 果 今年 中 は整 備 の為 にか ゝり 昭和 十 四年 にな つて徹 底 的 に 積 極 作 戦 を進 め 一挙 に事 変 を解決 に導 く を得 策 と す る と 云 ふ大 雑 把
橋本
度 は丁 度 作 戦 の移 り変 り目 だ から 今 後 ど う す る か と 云 ふ方 針 を御 前
そ こ で海 軍 の安 慶 を取 つて貰 ひ度 いと 云 ふ希 望 に対 す る此 方 の態
な研 究 がな され た のです 。 即 ち 此 処 に於 て占 拠 区 域 を拡 げ な い と 云
二月 十 六 日 の御 前 会 議 前 には参 謀 本 部 内 に相当 な積 極 案 があ
ふ 一般 方 針 で取 敢ず 計 画 が立 てら れ た ので あり ま す 。 殿下
会 議 で決 め な け れば な ら な い時 期 に な つ て居 る ので、 御 前 会 議 に於 て ﹁一般 方針 と し ては 暫 く戦 面 不拡 大 の方 針 を 取 り情 勢 に依 り ては 所要 の作戦 を 一部 実 施 す る こと あ り﹂ と 云 ふ こと に決 ま り ま し た。
し てな い の で第 二軍 とし ては 自 分 の判断 か ら濟 南 を取 つた後 濟 寧
当 時 第 一軍 は や つと南 部 山 西 省 戡 定戦 を や つて居 つた時 です から
、〓 州 附 近 迄 出 た のです 。
ど ん南 下 し て来 る我 が第 二軍 を 一つ各個 に や つつけ よ う と 云 ふ心 算
其 の突 出 部 の所 に蒋 介 石 は決 戦 を やら う と 云 ふ やう な企 図 即 ち どん
そ れ から 見 る と第 二軍 はず つと 南 へ下 つて居 る こと に な り ます の で、
団 の新 編成 が出 来 ま す から 取 敢ず そ れ が出 来 る 迄 は や ら な い と 云 ふ
当 時 に於 け る当 方 の腹 の中 を具 体 的 に申 し ま す と 、 七 月 に 六 ケ師
の であ り ま し て、 七 月 にな つた ら や る の か やら な い のか と 云 ふ こと
一方 第 二 軍 は段 々兵 力 を推 進 し て遂 に台 兒 荘 附 近迄 突 出 し、 而 も
であ つ たと見 え て、 此 方 の想 像 以 上 兵力 が多 か つ た ので あり ま す 。
一部 に於 て相 当 の苦 戦 を嘗 め て居 る と 云 ふ状 態 にな つた のです が、
つ ても 七 月 で は実 際 は 未 だ 早 い ので どう し ても大 作 戦 を や る のは 来 年 の春 頃 と考 へま し たし 、 又若 し や るな ら ば最 も都 合 のよ い時 にや
一線 が 濟寧 附 近 に在 つた 頃 と 思 ひ ます が、 ﹁目 の前 に多 数 の 敵 が や
之 は 無 論 全然 無 断 で それ 迄 や つて居 つた訳 では な い ので ⋮⋮ 未 だ第
も 明 確 に決 め な い で置 いた のです 。何 ん とな れ ば各 種 の準 備 から 言
か経 済 と か謀 略 と かを し つか り や る べき であ る と思 つた の です 。 而
つ て来 て活 溌 な行 動 をや つ て居 る か ら此 奴 を追 払 は し て呉 れ、 決 し
ら ね ば 不可 ぬ と いう為 で 、 そ れ迄 は航 空 の進攻 作 戦 と併 せ て外 交 と
て南 へ深 く這 入 る作 戦 では な い、就 て は自 分 の部 隊 は 二 ケ師 団 で広
橋本
勢 と な り 、第 二軍 の窮 境 を救 ふ為 に も何 等 か の処 置 を 必要 と す る 状
つて仕 舞 つて敵 が ど んど ん あ す こ へ集 つて来 て相 当重 大 視 す べ き 状
ず んず ん や つた の であ り ま す が 、 そ れ が遂 に台 兒 荘 と 云 ふ こと にな
れず 、何 ん と か之 を追 払 は し て 呉 れ と 云 ふ の が因 で其 の勢 に乗 じ て
即 ち 目 の前 の敵 が積 極 的 の行動 を し て居 る のだ から じ つとし て居
し て部 隊 を増 加 し て や つ た こと を覚 え て居 りま す 。
の部 隊 を 呉 れ﹂ と 云 ふ意 味 の こと を言 つて来 た の で中 央 は之 を信 頼
地 域 を警 備 し推 進 力 がな い から後 方 地域 を警 備 せ し め る為 に何 処 か
し勿 論 其 の中 に安 慶 を 攻略 す る の に丁 度 好 い機 会 が あ れば や つ ても
今 の戦 面 不拡 大 方 針 と徐 州 会 戦 と は どう 云 ふ関 係 にあ る ので
二 三 、 徐 州 会 戦 実 施 の経 緯
良 いと考 へて居 つた こと は当 然 です 。
殿下
ま し た。 前 年 十 二 月第 二軍 が黄 河 を 渡 河 し て山 東 作 戦 を実 施 し た る
態 に立 ち到 つた の です が 、之 は 元 々津 浦 線 を連 絡 す る と 云 ふや う な
三 月 の始 め か 二 月 の終 り頃 には頻 り に第 二軍 は 南 下 し て居 り
当 時 中 央 部 とし て は濟 南 附 近 を取 れ と示 し たら し い の です が 、 元来
意味 では なく 又勿 論 所 謂 拡 大 と 云 ふ意 味 で はあ り ま せ ん でし た 。
す か。
の運 河 の線 迄 行 く と 云 ふ こと は 適 当 でな いし、 又 命 令 の範 囲 を も脱
扨 て そ こ で此 のや う に第 二 軍 が南 下 し た こと は 元 々大 本 営 の意 図
濟 南 の南 から 濟 寧〓 は山 であ つ て常 識 上 か ら言 つ ても あ れ よ り南 方
し て居 る の です が然 し は つき り何 処 の線 から 何処 の線 迄 と 明瞭 に示
に違 ふ のです が、 此 の時 にな つて見 る と折 角敵 が 目 の前 に中 央 軍 の 精鋭 を含 む大 兵 力 を集 め た のだ か ら集 つて来 る 兵 力 を敲 く と 云 ふ こ とは 一つ の戦 機 で も あ ると 云 ふ考 が起 り大 体 の方 針 も ぼ つぼ つそ れ に片 寄 つ て来 た ので あり ま す 。
殿下
二 四、 徐 州 会戦 と戦 面 不 拡 大 決 心 及漢 口作 戦 と の関 係
当時御前会議 では漢 口作戦 の考 で準備 をやつて居られたので
はありませんか。
そ れ が即 ち 徐 州会 戦 と 云 ふも の を考 へた初 め であ り ま し て 、愈 々
徐州会戦 のことは御前会議 の時 は考 へて居 りま せん。前述 の
現地 か らも 人 を呼 び ま し て真 剣 に研 究 を始 め る と 云 ふ こと にな り ま
動機 から御前会議 後にな つて此 の会戦を計画し其 の計画 の際徐州会
戦 が終 つた時 の態勢が或 る程度次 の漢 口作戦 の準備態勢 になる如く
橋本
し た のが 三月 の末 の こと だ と覚 え て居 り ま す。 ︹ 正純︺ 稲 田大 佐 が其 の時 に来 ら れ た の では な いの です か。 殿下
て居 る形 だ から会 戦 を や る以 上 は 之 に依 つて幾 分 でも 事 変 を 解 決 に
実 行 す る に方 つて は相 手 は敵 の主 力 に 近 いも の であ り 、 而 も孤 立 し
橋本
殿下
徐 州 会 戦 を や る に至 つた動 機 は前 に述 べ た通 り で す が 、之 を
そ こで徐 州 会 戦 の計 画 は ど う 云 ふ こと に な つた のです か ⋮⋮ 。
知 れないと云ふ程度であ つたのが、徐州作戦 を決心し之 が具体的計
新設師団 の出来 上る七月以後 には或は準備的 の局部作戦 をやるかも
方針 を決定せられました時は積極的大作戦 は年内 には無理 であ つて
橋本
た のですね。
さう です 。 其 の三月 の異 動 で稲 田課 長 が前 任 の河 邊 課 長 と替
橋本
導 く と 云 ふ方 向 に持 つて行 か なけ れば 不 可 ぬ 、即 ち 成 る べく 大 き な
画 を進 めるに従 ひ徐州作戦 のみを単独 に孤立 せしむる ことなく漢 口
さうす ると徐州会戦 の決 心は徐州会戦 だけ の決 心ではなか つ
計画 した訳 であります。
戦 果 を獲 得 せ ねば な ら ぬ と 云 ふ風 に考 え て行 つた の です 。 然 し 之 を
作戦 をも考 へ其 の時期 を新設師団成立後準備出来次第繰り上げて実
殿下
り ま し た ので其 の課 長 の異 動 も亦 其 の著 意 を変 へま し た 一因 です 。
や る のに は相 当 な兵 力 が要 り 一大 会 戦 を やる と 云 ふ こと に な る の で
施 しようと云ふ前提 の下 に計 画した のです から、正確 に言 へば徐州
さう言 へぬ こともな いのです。既 に申上げ た如く御前会議 で
入 れ て会 戦 の計 画 を立 てた のです 。
其 の会 戦 後 の態 勢 を予想 し将 来 実 施 す べき漢 口作 戦 の こと も考 慮 に
会戦 の決心に引続 き漢 口作戦時期繰上げ の決 心をしたと云 ふべきで
さ う す る と徐 州会 戦 の腹 は之 で敵 に大打 撃 を与 へて戦 争 を終
殿下
せう。
した作戦 ではなく、当初 予定 もせず 、又実 はやり度もなか つた徐州
即ち形 の上は別 とし徐州会戦は決 し て漢 口攻略戦 の準備 の為実施
局 に導 く のに あ つた ので あ り ま す か、 そ れと も津 浦 線 を繋 ぐ と云 ふ
会戦 と云ふものが現地 の実情 から生 れて来 たので之をやる以上には
こと が真 の目的 で あり ま す か 。 橋本
結 局 あ そ こで敵 を捕 ま へて大 打 撃 を与 へよ う と 云 ふ考 で居 り
ま し た の で津 浦 線 の連 絡 は 其 の結 果 に過 ぎ ま せ ん 。
今 迄 の方 針 に拘 泥 せず し て有 効 に やら う と斯 う 云 ふ こと に な つて来
徐 州 会 戦 は戦 面 不 拡 大 か ら拡 大 への決 心転 回期 にあ る ので す
た のであ り ます 。 殿下 か。 戦 面 不拡 大 と云 ふも絶 対的 の も の でな く 兵力 の関 係 上 時 期 的
のも のです 。 此 の意 味 に於 て決 心 の転 回期 と申 し て も差 支 えな い で
橋本
つた も ので は なく 現 地 の状 況 が さう 云 ふ風 にな つて来 た の であ り ま
せ う 。而 し て其 の変 更 は必 ず し も 中央 の自 発 的 方 針 の変 換 よ り来 た
︹マ マ︺
只 徐州 会 議 の計 画 が決 つた時 に上 奏 を致 し ま し た 。其 の時 の考 へ
は 前 にも申 し ま し た やう に現 地 の状 況 が変 つた か ら 一撃 を加 へる を
要 す ると 云 ふ の に始 ま つ て、徐 州 会 戦 と云 ふも の の構 想 を定 む る の
併 し其 の時 に は未 だ漢 口作戦 に 対す る具 体 的 の計 画 が出 来 て居 た
に関 聯 し て漢 口作 戦 の こと を考 慮 し た こと は 前 に述 べ た通 り です 。
訳 では あ り ま せ ん。
いや 、 さ う で は あ り ませ ん。 正 式 の記 録 はど う な つて居 る か
其 の決 心 の後 に御 前 会 議 が開 か れ た の です か 。
制 せ ら れ た時 の お話 を 伺 ひ度 い のです が⋮ ⋮
殿下
二 五 、 派 遣 班 に 依 る徐 州 会 戦 の 指 導
殿下
橋本
徐 州 会 戦 に於 て派 遣 班 が出 来 ま し て指 揮 系 統 の違 ふ両 軍 を 統
橋本
な り 南 が之 に協 同 す ると 云 ふ のが自 然 な の です が 、元 々指 揮 系 統 を
す。
知 り ませ ん が御前 会 議 (二月 十 六 日) の後 に決 心 が出 来 た や う に覚
余 り深 く喧 しく 言 は ぬと 云 ふ や う な心 算 でや つ て居 つた の です 。 併
徐 州 会 戦 はど つち が主 に な つた か と云 ふと 、大 体 は北 が主 に
え て居 り ま す 。
し段 々部 隊 が前 進 し て問 題 が具 体 的 にな り 、徐 州 で敵 を つかま へる
時 の こと を考 へま す と普 通 の原 則 に従 つ て北 支 那方 面 軍 が統 一指揮
正 式 の記 録 を見 る と此 の時 期 に根 本方 針 の考 と 云 ふ も のが変
根 本 方 針 を変 へた と 云 ふ こと は言 へな い の です 。
す る のは当 然 だ と 云 ふ こと に な る訳 です が、 そ の当 時 の中 支 と 北 支
殿下
橋本
併 し そ れ迄 は戦 面 不拡 大 の方 針 でや らう と 云 ふ腹 で あ つた の
つた やう に思 ひ ま す が ⋮ ⋮
殿下
に於 て大 き な意 味 の作 戦 指 導 を し て や つた方 が よ いと 云 ふ こと にな
と の関係 か ら見 る と色 々 の心 配 が あ つたも の で之 は 一層 の こと中央
戦 面 不 拡 大 の方 針 も時 期 的 の も の です 。而 も此 の 一般 方 針 を
で は な い の です か 。 橋本
そ こで派 遣 班 と し て私 が行 き ま し た が実 は 大 し た こと は あり ま せ
つた 訳 で あ り ます 。
であ り ま し た し、 又之 が派 遣班 の 一番 大 き な 任 務 で も あ り まし た 。
ん でし た 。 只作 戦 地境 を切 る 、 切 ら ぬ と 云 ふ問 題 が 一番 大 事 な 問 題
ふ御 前 会 議 の決 定 であ つた と思 ひ ます 。 而 し て徐 州 会 戦 な る も のは
取 る にし ても 状 況 に依 つて は或 る程 度 の こと は や る ことも あ る と 云
た以 上 已 む を 得ず や らう と 云 ふ こと に な つた の で徐 州 会 戦 は御 前 会
当 時 両軍 の状 況 を見 ま す と作 戦 地境 を 切 ると 云 ふ こと は非 常 に不
予 定 はし て居 な か つた ので 、あ れ は全 く 現 地 の状 況 が斯 う な つて来
議 で定 ま つた の では あ り ま せ ん。
のじ や な い かと 云 ふ風 に吾 々は 考 へて居 つた の であ り ま す 。其 の理
自 然 で あ ると 云 ふ気 がし ま し て、 作戦 地境 を切 ら ぬで も戦 は出 来 る
あ つた し、 又 効 果 があ つた と 思 ひ ます 。
云 ふ仕 事 も あ つた訳 であ の作戦 に於 き ま し ては 事 実 派 遣 班 は 必要 で
又 一面 大 本 営 の現 地 班 と し て作戦 指 導 、主 と し て両 軍 行 動 の統 制 と
の派 遣 幕僚 と 云 ふ の と同 じ 意 味 で あ り まし て、 恰 も 軍 幕 僚 が師 団 に
も使 ひ ま し た け れど もあ れ は 所謂 一般 普 通 の作 戦 指 導 又 は連 絡 の為
そ の外 派 遣 班 と云 ふ名 称 のも のを漢 口、 廣 東 、 海 南島 の各 作 戦 に
由 は南 北 両 方 面 か ら前 進 し て包 囲 をす る のです から そ れ を 或 る線 で ぴ し や つと 止 め た ので はあ の作 戦 の効果 が発 揮 出 来 な いと 思 つた か
抑 々あ の作戦 は非 常 に広 い大 包 囲 をや る のです が、 な にせ あ の広
ら です 。
い範 囲 で包 囲 す る ので あ る か ら大 き な網 の目 が出 来 て敵 が逃 げ て仕
殿下
行 く と 云 ふ の と同 じ意 味 であ り ま し た。
参謀 総 長 の細 部 に就 い て の指 示 を出 す 権 限 を委 任 せ ら れ て行
は至 る所 で共 同動 作 を せ ねば なら ぬ のは 事 実 な のです から 、 そ れ が
出来 る 訳 だ つた のです 。 け れど も実 際 に は之 を行 使 致 し ま せ ん で し
そ れ で参 謀 総 長 の指 示 に依 り ま し て両 軍 司 令 官 を 区処 す る こと が
つた の であ り ま す 。
橋本
すか。
徐 州 作 戦 の時 の派 遣 班 は ど う 云 ふ方 法 で指 導 を や ら れ た ので
舞 ふ虞 があ り ま す 。 そ こ で両 軍 を 交 錯 し た 方 が よ いと 云 ふや う な気 持 が し た の であ り ま す。 そ れ を両 軍 に交 渉 し て見 た と ころ ど つち か片 一方 は納 得 しま し た
出 来 ぬ と云 ふ こと で は困 る と思 ひ ま した の で結 局 作 戦 地 境 を 切 り ま
た 。 さ う 一刻 を争 ふ問 題 はあ り ま せ ん の で現 地 を見 て斯 う 云 ふ風 に
が片 方 は そ れ では 不可 ぬ と 云 ふ こ と を言 つ て居 り まし た。 然 し 両 軍
し た。
殿下
示 を出 す と 云 ふ や り方 を し た ので あ りま し た 。
す べ き だ と 云 ふ意 見 を電 報 で中央 部 に言 つてや り 、中 央 か ら其 の指
に ぶ つか つても 依然 行 動 を続 け て 二重 、 三 重 に包 囲 を や るや う にし
か つた と 云 ふ感 想 は あり ま せ ん で し た か。
併 し作 戦 地境 を 切 つても 其 の線 に止 ま つて は不 可 な い の で其 の線
作 戦 地境 を越 え て行 つた部 隊 は向 ふ の司 令 官 の指 揮 を受 け 、 此 方 に
橋本
南 の方 は非 常 な勢 を以 て大敵 に取 り巻 か れ て居 る北 の方 を救 つて や
つて来 ます ので あ れ程 にも 出 来 な か つた と思 ひま す 。何 ん と な れば
北 の軍 司令 官 にあ れ を や ら せ ます と、 南 の方 の気 合 は余 程 違
あ の作 戦 を初 め考 へた や う に同 一指 揮 官 にや ら せ た方 が宜 し
を やり ま し た 。
来 た も のは 此 方 の司 令 官 の指 揮 を 受 け る と言 つた やう な 意 味 の協 定
派 遣 班 と 云 ふ も の は実 際 仕 事 が出 来 る も の であ り ま す か 。
向 ふ へ行 く と 云 ふ と其 処 の気 分 に染 ま り易 く て実 質 的 の指 導 が し
殿下
殿下
難 い と云 ふや う な こと は あ り ま せ ん か。
す か。
今 の作 戦 地 境 の問 題 の外 に派 遣 班 とし ては 何 を や ら れ た ので
る と 云 ふやう な気 持 が非 常 にあ つた か ら です 。
橋本
徐 州会 戦 は指 揮系 統 のな い両 軍 が集 つてや つた ので す か ら派
遣 班 は 所謂 仲 裁 役 又 は行 司 役 と 云 ふ やう な 意 味 の仕 事 も あ りま す し 、
な ら ぬと 考 へて居 つた ので す。 併 し漢 口作戦 は兎 に角 新 し い部 隊 の
橋本
吾 々 は徐 州 会 戦 が済 ん だ な らば 次 の漢 口戦 の準 備 を やら ね ば
橋本
其 の他 の こと とし ては 一方 軍 の行 動 が他 の軍 に影 響 を 及 ぼ す
事項 、 又 は会 戦 全 般 の戦 果 に影 響 を 及 ぼ す事 項 に就 き 若 干 の指 導 を 致 し ま し た 。尚 会 戦 後 の態 勢 を 次 に企 図 す る作 戦 準 備 に合 致 す る如
の で徐 州 会 戦 は 無 理 のな いやう に纏 め て、 そ し て北 支 から は 許 し得
編 成 が出 来 て から 其 の兵 力 を持 つて来 てや ら う と考 へて居 りま し た
る兵 力 を 引 き 抜 き 又 南 の部 隊 を早 く 返 し てや つ て次 の漢 口作 戦 の態
く追 撃 の限 度 、両 軍 の占 拠 地 域 等 に就 き 相当 指 導 を致 し ま し た 。 そ
殿下
し て大 部分 は大 本 営 の意 図 の如 く 実 施出 来 ま し た が、 第 十 四 師 団 の
と 云 ふ意見 が あ つた の では な い の です か。
勢 を整 へる や う に せ ね ば な らず 、 一方 に於 ては北 支 の安 定 と 云 ふ こ
は西 に あ る開 封 と が鄭 州 と か へ行 き度 いと 云 ふ こと は 解 つて居 り ま
橋本
と を考 へて も ど う し て も早 く 徐 州 作戦 を 終 ら な く て は なら ぬと 云 ふ
す け れ ど も 、 そ れ を東 方 に来 る や う に仕 向 けよ う と し た のです 。然
行 前 に漢 口作 戦 を研 究 しま し た時 には 一部 に此 の考 へが あ つた の で
行 動 は意 図 外 に脱 逸 し た結 果 に終 りま し た 。大 本 営 とし ては 会 戦 の
し之 を第 一軍 に直 接 言 ふ訳 には 行 かな い ので方 面 軍 に言 つて方 面 軍
す が 、其 の後 にな つて京 漢 線 を下 が る と 云 ふ こと は 不利 だ と 云 ふ結
を完 成 し敵 を捕 捉 す る こと を希望 し た ので す。 第 一軍 の部隊 と し て
は之 に同 意 し 、方 面 軍 より 第 一軍 を指 導 し た の です け れ ど も結 局 は
論 に到達 し ま し た の で東 北 方 の淮 河 の方 から 主 力 軍 た る第 二軍 (編
効 果 を大 な ら しむ る為 第 十 四師 団 を徐 州 の方 向 に早 く指 向 し て包 囲
西 に向 いて仕 舞 ひ まし た。 此 の こと に就 き まし ては後 から考 へます
成替 へを し て) を 漢 口 に向 け 、第 十 一軍 を し て揚 子江 を遡 江 させ る
と ころ が第 十 六師 団 が蔚 氏 の方 ま で出 て仕 舞 つた の で仲 々第 十師
ず つと前 に さう 云 ふ意 見 も あ り ま し た。 それ は 徐 州会 戦 の実
然 し其 の頃 漢 口作 戦 の準 備 態勢 と し て鄭 州 を取 つた 方 が よ い
と最 初 は思 ひ付 かな か つた こと で あ り ます が、 結 局第 一軍 は徐 州 会
こと であ つた ので あ り ます 。
つ て仕 舞 つて之 が 為 に直接 徐 州会 戦 に寄 与 す る こと は な か つ た の で
戦 の時 機 を利 用 し て 一部 の作 戦 を 向 ふ で も や ると 云 ふ風 な結 果 にな
と 云 ふ計 画 を 立 てた ので あ りま す 。
元 来 第 一軍 の持 つ て居 つた第 十 六師 団 を 第 二軍 へ持 つて来 た ので
す。
の で皆 水侵 か り に な つて仕 舞 つた ので あ り ます 。 そし て此 の氾 濫 が
あり ま し た ので淮 河 の河 谷 を主 力 が進 む こと が出 来 な く な つた の で
団 が引 き抜 け な く な つた と 云 ふ状 況 の時 に敵 が黄 河 を 氾 濫 せ し め た
第 十 四 師 団 を も使 ふ と 云 ふ こと にな り ま し て、 そ れな ら ば黄 河 を渡
す が 、然 し揚 子江 一本 では ど う も戦 は出 来 ぬ の で作戦 路 の関 係 上 第
あ り ま す か ら 、 そ れ だ け で大 体 良 い やう に 思 ふ の であ り ま す が更 に
し て最 大 の効 果 を挙 げ ると 云 ふ計 画 であ つた の が実 際 の戦 場 に於 け
そ れ で黄 河 の氾 濫 の為 に少 し作 戦 準 備 が遅 れ た のは事 実 です が、
へた のです 。
二 軍 の兵力 を減 じ 之 を大 別 山 の北 麓 に沿 う て行 かせ る こと に や り替
そ れ に関 聯 し ま し て西 に向 つた部 隊 の停 止 線 が問 題 だ つた の
る指 導 が巧 く 行 かな か つた の であ り ます 。 殿下
で は な い の です か。
派 遣 班 の帰 つた時 期 は進 出 線 を決 め ら れ る前 です か。
橋本
殿下
は い、 さう です 、 大 本 営 の命 令 中 に ﹁敵 を撃 破 ﹂ す る のが目
そ れ で実 施 し た時 にも 中央 の方 針 は さう だ つた の です か ⋮⋮
敵 に徹 底 的 な打 撃 を与 へる にあ る と 云 ふ こと を 申 し ま し た。
し て は徐 州 を取 る と 云 ふ事 が必ず し も主 では な く 、 あ す こに集 つた
殿下 進 出 線 を決 め て か ら帰 りま し た。
併 し漢 口作 戦 は 概 ね其 の計 画 通 り に行 つた も の と言 へま す 。
橋本 派 遣 班 当 時 の こと は西 村 中 佐 が筆 まめ な 男 です から よく 書 い て居
私 は あ の直 後 行 つ た の です が 、当 時 北 の方 は前 に申 し た やう
殿下
的 と な つて居 り ます 。
な こと で西 南 方 に敵 が逃 げ て仕 舞 つた こと を非 常 に残 念 が つて居 り
りますが⋮⋮ 殿下
徐 州 会 戦 の構 想 上南 北 軍 の思 想 には 相違 が あ つた の では な い
の です か 。
現 地 の幕 僚 が 見 て居 りま す と 自 分 の都 合 の よ いや う に見 え る
橋本
ま し た が⋮ ⋮ 。
も の で、 色 々言 ひ 分 が あ つたと 思 ひま す が 、私 共 が公 平 に見 て居 つ
即 ち 北支 軍 の方 では敵 を撃 破 す る を目 的 と し 、中 支 軍 の方 では 徐 州 と 云 ふ地 点占 領 に非 常 に片 寄 つた 思想 で あ つ たや う に思 は れ る の
た所 感 では あ の結 果 は あ れ で良 いと 思 ひ ま し た。 何 ん と な れ ば当 時
それ は派 遣 班 で行 か れ る前 です か ⋮⋮ 。
つか り 第 二 軍 正 面 に引 き 付 け て置 いて ( 即 ち正 面 より す る第 二 軍 の
も じ つと し て居 り ま せ ん の です か ら ⋮ ⋮。 慾 を言 へば 敵 をも つと し
さう と は限 りま せ ん 。徐 州会 戦 の計 画 が具 体化 し て参 りま す
橋本
多 く の敵 が第 二軍 の正 面 に か か つ て居 た の であ りま す から 、 あ あ や
です が⋮ ⋮
る頃 南 北 両 軍幕 僚 の打 合 せ を 現 地 でや り まし た時 、 丁度 私 は中 支 へ
るよ り 仕 方 が な か つた のじ やな いか と思 ひ ます 。
殿下
さう です。 陸 軍 大 臣 の視 察 と同 時 期 で半 分 は見 物 でし た が、
そ れ に何 し ろ網 の目 は広 い の です し 、す つ かり 包 囲 す る迄 には敵
視 察 に行 つ て居 り まし て⋮ ⋮ 四 月 の中頃 で あり ま す が ⋮ ⋮。
橋本
重 圧 を強 化 し て)其 の背 後 に殺 到 し て行 つて居 つたら 更 に大 き な効
囲 を も や つた ので あ りま す の に、 そ れ で も多 く の者 を 逃 がし ま し て
と 云 ふ事 を 聞 き ま し た の で此 方 の旅 行 を割 い てそ れ に立 合 つた の で
途 中 で徐 州 会戦 の為 に両 軍 の幕 僚 が濟 南 に於 て作戦 の打 合 せ をす る
恰 好 は 非 常 に大 き な作 戦 に なり ま し た け れ ども 其 の割 に獲物 が少 か
果 があ つた や う な気 が致 し ま す が 、事 実 退 路 を遮 断 す る 為 に 二 重包
其 の時 に幕 僚 か ら意 見 が出 ま し て 、 一番 問 題 にな つた のは 徐 州 作
あり ま す 。
戦 の目 的 は何 処 に あ るか 、 即 ち敵 を撃 破 す る のか 、或 は徐 州 を取 る
つた と 云 ふ事 は 已 む を得 な い こと だ と思 ひ ます 。
お考 へにな つ て居 り ます やう です が 、寧 ろ反 対 の現 象 も あ る の で北
そ こ で今 のお尋 ね は南 の方 が徐 州占 領 に片 寄 つて居 ると 云 ふ 風 に
の かと 云 ふ こと で し て実際 其 の衝 に当 る者 と し ては是 非 そ れ をは つ
の第 二軍 と し ては徐 州 に は既 設 陣 地 が あ る か ら ⋮ ⋮あ の既 設陣 地 に
き りし 度 いと 云 ふ考 へか ら 相当 色 々な議 論 が出 ま し た が、 其 の時 の
ると 云 ふや う な風 には 見 え ま せ ん で し た。 そ こで結 局 中 央 の意 図 と
議 論 から 見 ま し て必ず し も 南 が徐 州 に片 寄 り北 が敵 の撃 破 を主 張 す
行 動 を起 し て貰 ひ度 いと 言 つ て居 た 位 です か ら 、先 程 お仰言 つた や
に苦 ん で居 る のだ か ら さう 大 規模 にや つて貰 ふ よ りも 成 るべ く 早 く
こと を も つと 大規 模 に や り度 いと 云 ふ希 望 を持 つて居 り ま し て、 そ ︹ 率道︺ れ に対 し て北 方 の鈴 木 参 謀 長 と し ては 今敵 が囲 り に集 つ て来 て非 常
の で あ りま す が 、其 の意 見 では 鉄 道 の西 方 に 二 ケ師 団 を持 つ て行 く
事 を第 二軍 と し て は考 へて居 つた の であ り ま す 。 ︹ 章︺ 前 申 しま し た作 戦 打 合 せ の時 分 、 中 支 軍 の武 藤 副 長 が来 て居 つた
囲 の陣 地 に敵 が寄 つた時 に はど う し た ら 良 いだ らう かと 云 ふや う な
す 。 併 し実 際 に於 て は大 体 抵 抗 な し に取 れ ま し た が、 若 し徐 州 の周
囲 の陣 地 に対 す る 攻撃 と 云 ふ こと を始 終 考 に置 いて作 戦 をし た の で
こと を相 当 に深 く研 究 し て居 り ま し た 。 です か ら北 の方 は徐 州 の周
らう 。 それ で若 し拠 つた場 合 には ど う 云 ふ風 に攻 撃 す べき かと 云 ふ
拠 ら れ た時 には 困 る に は違 ひな い が⋮ ⋮敵 は ど う し ても 之 に拠 る だ
河 の向 ふ側 に兵 を渡 さな け れ ば な りま せ ん の で相 当 の兵力 が必 要 で
実 行 す る考 へでは な か つた ので す 。殊 に それ を 兵 力 で や ると な れば
申 の上 で其 の指 示 に従 ふ べき で調 査研 究 だけ は し て置 いて も直 ぐ に
な れ ば第 一軍 の独 断 で や ると 云 ふ訳 に は行 き ま せ ん 。中 央 に意 見 具
大障 碍 を 以 て他 と隔 絶 す ると 云 ふ利 益 も あ る から です 。併 し や ると
り ま す か ら 、其 の方 面 の黄 河 を 減 水 さ せ て渡 り よく し た 方 が よ い こ
橋本
殿下
第 二軍 が黄 河 を渡 つて山 東 省 を取 る こと は非 常 な 大事 業 で あ
そ れ は何 か 目 的 が あ つ て準 備 さ せ ら れ た の です か。
の であ り ま す 。
其 の地 図 に拠 つて研 究 し た の で黄 河 の渡 河点 や流 れ の具 合 も判 つた
持 つ て居 る と 云 ふ こと を櫻 井 徳 太 郎 中佐 が聞 いて探 し出 し ま し て、
防 の標 高 と か厚 さ と か 云 ふ も の を書 き 入 れ て あ る河 川 工 事 の原 図 を
保 定 に永 年 住 ん で居 た 日本 人 で それ に関 係 し て居 つ た者 が精 密 に堤
保 定 に水利 河 川 の工事 を掌 る機 関 が平 時 か ら あ りま し て事変 前 か ら
殿下
安 慶 作 戦 は 前 に申 上 げ ま し たや う に現 地 、殊 に海 軍 方 面 から
次 は 安慶 作 戦 に就 てお伺 ひ し た いと 思 ひ ま す。
二 七 、 安 慶 作 戦 実 施 の経 緯
つて反 対 に敵 の方 か ら やら れ た訳 です 。
ま せ う﹂ と 云 ふ訳 で あ つた のです が遂 に実 行 す る に至 らず 、 後 に至
て見 る こと に なり ま し て、 其 の方 面 は櫻 井 のお 得意 です から ﹁やり
す のに当 時 の状 況 は之 を許 し ま せ ん。 そ こで謀 略 でや る計 画 を立 て
と も 起 り ま せ う し 、 又旧 黄 河 が 本 流 と な れば 所 謂 北 支 五省 は天 然 の
な いと 思 ひ ま す。
此方 で黄 河 の氾 濫 を や る こと に就 て何 か第 一軍 に 居 ら れ た時
二 六 、 日本 側 の黄 河 決 潰 企 図
う に 南 北 の幕 僚 の意 見 が分 れ て居 つた と 云 ふ やう には 必ず し も言 へ
殿下
石家 荘 を取 つた時 分 に ( 軍 の第 一線 は〓 河 の線 に 在 り)、研
分 に考 へら れ た こと があ る の では あ り ま せ ん か。 橋本
氾濫 さ せ る と 云 ふ やう な状 況 が あ り は せ ぬ かと 云 ふ ので 一つ資 料 を
橋本
究 し た こと が あ つた の です 。 そ れ は何 か のき つ かけ に黄 河 を決 潰 、
調査 し て見 よう と 云 ふ こと に な つた 。丁 度 其 の頃 既 に占 領 し て居 た
云 ふ希 望 が あ つた のに始 ま つた の です が 、 其 の希 望 は十 三年 の 一、
安 慶 を奥 地 に対 す る航 空進 攻 作 戦 の基 地 と し て是 非 取 つて欲 し い と
為 に な らば 之 を行 ふも 尤 も だ と思 つて居 りま し た ので 、愈 々早 晩 漢
許 さず に置 い た の です 。 そ し て吾 々とし て は漢 口作戦 の準 備 と 云 ふ
橋本
と 云 ふ事 に も意 義 があ り ま す し、 も う 一つ には徐 州会 戦 のた め に中
州 会 戦 に引続 いて安 慶 を取 つて爾 後 の漢 口攻 略 の 一つ の基 地 にす る
為 にも 安慶 作 戦 を やら な く て は な ら な いと 云 ふ の で、 そ れな らば 徐
続 い て漢 口作 戦 を や ると 云 ふ腹 を決 め た も の です か ら 、何 れ は其 の
扨 て其 の内 に徐 州 会 戦 を愈 々や る と云 ふ こと に決 め ます と同 時 に
寧 ろ従 来 の中 支 軍 の企 図 を 其 の時 期 に許 し たと 云 ふ方 が 真実 で あり
と 云 ふ こと は 漢 口攻 略 の為 に非 常 に準 備 に役 立 つ から と 云 ふ よ りも
に之 も や つた ら 宜 から う と 云 ふ事 に な つた の です 。 即 ち 安慶 を取 る
う せ徐 州 作 戦 の為 に兵 力 を 大袈 裟 に用 ひ る事 にな る のな らば 其 の序
も早 く 処 理 出 来 る こと は や つた方 が良 いと 云 ふ事 にな り ま し て、 ど
口 ま で行 く のだ と 云 ふ事 を決 め ま し て から 其 の企 図 に従 つて少 し で
安 慶 作 戦 の企 図 は 従 来 中 支 軍 が持 つて居 た の です が、そ れ を
二月 頃 であ つた の であ り ま す。
支 軍 の 一部 を津 浦 線 に沿 つて北 上 さ せま す こと にな つた為 其 の 左側
に出 来 る と は思 つて居 な か つた の です 。 そ れ は何 故 かと 申 し ま す と
そ し て実 際 に安 慶 を 早 く 取 る が為 に漢 口作 戦 の後 方 の準 備 が余 計
ます。
にな りま す ので中 央 と し ては徐 州 作 戦 の為 に北 方 に中 支 軍 の 一部 の
最 初 は 主力 た る第 二軍 を淮 河 の水 運 利 用 に依 つて東 北 方 から持 つて
(安 慶 東 北方 ) をど う し ても 取 つて置 か なけ れば な ら ぬと 云 ふ こと
面 の掩 護 と 云 ふ問 題 が当然 起 つて来 まし て、 そ れ が為 に最 少限 廬 州
前進 を命 ず ると 同時 に盧 州 を 一部 で取 り 、 さ う し て徐 州 会 戦 が終 つ
行 く考 だ つた か ら です 。 然 し そ れ か と 云 つて安 慶 攻略 と 云 ふ も の は
即 ち 大 別 山 の背 面 へ行 く 第 二軍 の後 方 の連 絡 線 を最 初 は蚌 埠 ︱ ︱
し た為 に之 を 利 用 し て補 給 等 が早 く 出来 た と 云 ふ事 で あ りま す 。
然 し漢 口作 戦 の為 にそ れ 以上 に役 立 ち ま し た のは黄 河 が氾 濫 しま
も の を広 く 領 有 す る と 云 ふ点 に於 て は準 備 に役 立 つ ので あ りま す 。
全 く意 味 を な さ な か つた と 云 ふ訳 では あ り ま せ ん の で揚 子江 と 云 ふ
たな ら ば 成 る可 く速 か に北 上 し た部 隊 は反 転 し て引 続 き 安 慶 を 取 る と 云 ふ案 を決 め た の であ りま す。 さ う し て当 時 さう 云 ふ意 味 の大 本 営 の企 図 を中 支 軍 に伝 へた やう な 気 が致 し ます 。 と ころ が実 際 に於 き ま し ては 中 支 軍 は第 六 師団 の 一部 を以 て廬 州 を 取 り ま し て、 徐 州作 戦 部 隊 の北 上 す る のと併 行 し て波 多 支 隊 と 海
も な い所 に連 絡 を持 つこと は 作戦 始 ま つて 以来 な い大 冒 険 だ つた の
軍 と が協 力 し て直 ち に遡 行 を 始 め て殆 ど同 時 に安 慶 を取 つ て仕 舞 ひ
そ れを や る に就 ては 中 支 軍 の意 見 具 申 でも あ つた の です か 。
であ り ま す 。
が出来 た ので あ りま し て、 最 初 斯 ん な交 通 の不便 な鉄 道 も水利 も何
中 支 軍 と海 軍 と両 方 から あ つた の です 。
正 陽 關 方 面 と考 へた のです が、 思 は ぬ黄 河 の氾濫 によ つて後 方 連 絡
殿下
安 慶作 戦 は漢 口作 戦 を基 礎 に し て始 め ら れ た も のです か ⋮ ⋮。
ま し た ⋮⋮ これ は非 常 に容 易 に取 れ ま し た 。
橋本
そ れ で安 慶 を早 く 取 つた為 に役 立 つた の は此 の辺 か ら廬 州 に 入 る
殿下
水 利 であ り ま し て そ れ を利 用 し た 為 に準 備 に便 利 だ つた と 云 ふ訳 で
央 と し て は斯 んな に離 れ て海 岸寄 り に出 し ては 不 可 ぬ と 云 ふ の で、
進 め て遂 に阜 寧迄 出 ま し た が、 之 は 極 く僅 な兵 力 であ り ます の で中
はど う せ同 じ 方面 の こと だ から 同 時 に海 州 を取 る と云 ふ事 を中 支 軍
そ こで此 の部 隊 を出 す こ とは 具 合 が悪 いが、 徐 州会 戦 を や る 以上
で止 め ま し た 。
も う 少 し徐 州 に近 い所 へ出 さう と し た の です が兵 力 が な いと 云 ふ事
あり ま す 。
二 八、 海 州作 戦 問 題
とし ては計 画 し て居 り ま し た の で海 軍 と協 力 し て上 海 から 一ケ大 隊
徐 州 会 戦 を や る と同 時 に海 州 も や ると 云 ふ問 題 があ つた や う
殿下
ば かり を船 に乗 せ て 此処 へ上 陸 させ る と 云 ふ計 画 をし て居 り 、中 央
も之 を 承認 し て居 つた ので あり ま し て そ れ も徐 州 会 戦 に策応 す る時
あ れ は海 軍 と の間 に色 々 の経 緯 があ つた のです 。
で あ りま す が⋮ ⋮
徐 州 会 戦 の計 画 は大 体隴 海 鉄 道 沿 線 附 近 の敵 を牽 き 付 け て置 い て
ます と 海 軍 は是 ま で の約 束 を無 視 し て海 州 へ先 に上 つ て仕舞 つて海
機 に や る心算 で訓 練 を し て居 つ た のです が 、愈 々徐 州会 戦 が始 まり
橋本
し た が、 其 の東 の方 は ガ ラ空 きな の で其 の方 に何 か 一部 を出 し て牽
で中 支 軍 と し ては海 軍 が約 束 に反 す る こと を し た と云 ふ感 情 問 題 が
州 の先 の連 雲港 の所 に あ る山 の 一角 を取 つて仕 舞 つた の です 。 そ れ
南 北 か ら兵 力 を 廻 し ま し て其 の退 路 を包 囲 す る と 云 ふ方 針 であ り ま
制 し若 く は 東 の退 路 を脅 威 す る処 置 が欲 し か つた の であ り ま す 。 丁
あり ま し て遂 に海 州 に は陸 兵 を 出 し て や ら ぬ と 云 ふ こと を報 告 し て
度 其 の頃 江 蘇 省 の津 浦 線 よ り も海 岸 寄 り の所 に 一部 の部 隊 (第 百 一 師 団 の 一部 ) が出 て居 りま し た⋮ ⋮
勿 論 後 から考 へて見 る と例 の青 島 に於 け る陸 海 軍 の関 係 が 円満 に
来ました。
二万 も 居 る の で連 雲 港 を抑 へて居 ても そ の方 面 から僅 か 一ケ大 隊 許
行 かな か つた と 云 ふ こと に も遠 因 があ り 、 又海 州 の西 方 には敵 が約
悪戯 を さ れ る の で之 に対 す る為 と今 一つは あ の地 方
而 し て此 の部 隊 を出 しま し た目 的 は 、 当 時海 岸 寄 り の江 蘇 省 の方
が相 当 物 資 の豊 富 な所 で あ りま す の に、 当時 上海 、南 京 は取 つた 許
から ち よ い〓
り で相 当 物 資 が欠 乏 し て居 ります の であ の地方 の物 資 を抑 へる 為 で もあ りま し た ⋮ ⋮
束 に反 し た か ら 此方 は中 止す ると 云 ふ こと に なり 中 央 と し て は中 支
出 来 な か つた で あ ら う と思 はれ る ので あ り ます が、 当 時 は海 軍 が約
り を 以 て徐 州会 戦 に東 方 か ら脅 威 を 与 へよ う と し ても 、 と て も巧 く
軍 の処 置 を黙 認 し て 居 た のです 。
そ れ で其 の部 隊 を 序 に も つと北 上 さし て徐 州 の東 南 方淮 陰 方 向 に 出 す と 云 ふ事 を 希 望 し た の で あり ま す 。 そ し て更 に出 来 得 れ ば淮 陰
殿下
兵力 が 十分 で な いの で やら な か つた と 云 ふ意 味 では あ り ま せ
まし た。
ん か。
方 向 か ら徐 州 東 南 方 へ迄 出 せば 非 常 に都 合 が良 いと 云 ふ気 持 も あ り
と ころ が現 地 軍 は其 の前 に之 を東 臺 方 向 へ出 し て逐 次 にず んず ん
り ま し た が 、扨 て作 戦 を どう す る かと 云 ふ事 に就 て は相 当 苦慮 し ま
表 面 の理 由 は さ う 云 ふ事 にな り ま す 。 実際 兵 力 も不 足 し て居
し た。然 し漢 口攻 略 をす る為 にた だ 一方面 か ら軍 を進 め ると 云 ふ だ
橋本
いて海 軍 の海 州 攻 略 に協 力 さ せま し て徐 州会 戦 の 一部 と し て朧 海 線
一つ北 側 の道 路 と巧 く 行 け ば 二本 の併 行路 が使 へる と い ふ こと が判
の 一端 を抑 へる こと は有 利 であ ると 云 ふ ので協 同 作 戦 を希 望 し て居
に捨 てま し た例 の京 漢 線 の鉄 道 に 沿 う て行 く こ と をも 再 び考 へま し
け では難 しく どう し ても 両 方 面 か ら進 撃 す る こ と が必要 な ので最 初
道 銘 を 調 査 し ま す と大 別 山 の北 を 信 陽 に向 つて行 く東 西 の道 と も う
た のです が、今 のやう な経 緯 で やら ぬ結 果 に な りま し た。 そ こ でさ
つた こと は確 実 です が 、当 時 は其 の不足 の中 から で も 一ケ大 隊 を 割
う な つた以 上 は 少 し も惜 し い こと だ と は思 ひ ま せ ん でし た が、 そ ん な事 で嫌 な気 持 が起 つて 止 め た こと は事 実 で あ りま し た 。
始 終 相 手 から反 撃 を喰 つて遂 に悲 鳴 を挙 げ た と 云 ふ結 果 にな つて居
を上 げ ま し た後 は附 近 の残 敵 を 積極 的 に攻 撃 しま せ ん でし た の で、
殿下
と に決 め た の であ り ま す 。
二 本 の道 路 を使 ふや う にし て、其 の代 り兵 力 を減 じ てや る と 云 ふ こ
然 し結 局 は従 来 の計 画 よ り第 二軍 を少 し南 に退 げ て水 に浸 ら な い
た。
り ま す 。 従 つて陸 海 軍 の協 同動 作 で海 州 を取 つたな ら ば徐 州会 戦 が
た のであ り ま す か⋮ ⋮
尚 之 はず つと後 の こと であ り ま す が海 軍 が連 雲 港 に陸戦 隊 の 一部
終 つた 時 に序 に徐 州 の東 方 を粛 正す る こと も 出 来 た だ ら う と 思 ひ ま
橋本
北 支 軍 か ら で あ りま す 。
であ つた ので あ り ま し た 。併 し 一部 でや る 訳 には行 き ま せ ん の で相
最 初 は 一部 で敵 を牽 制 し つ つ南 下 す ると 云 ふ のが意 見 具 申 の趣 旨
左様 !
京 漢 線 に沿 つ て 一軍 を や る と 云 ふ事 は現 地 から意 見 具 申 をし
す し 、 又徐 州 か ら逃 げ る敵 を朧 海 線 の東 で遮 断 す る作 戦 も出 来 た と 思 ひ ま す が以 上 の経緯 で止 め て仕 舞 ひま し て当 時 の考 へで は何 も 急 ぐ こと は な い から 後 廻 し で良 い と云 ふ こと で あ り ま し た。
当 大 袈裟 な計 画 に な つて仕 舞 つてど う し ても 鄭 州 ま で取 ら なけ れ ば
な ら な いと 云 ふ こと にな り ま す が、鄭 州 を取 る と 云 ふ事 は 黄 河 の氾
云 ふ こと を想 像 し て居 ま し た と ころ が、 其 の通 り に段 々淮 河 の上 流
かと 云 ふ予想 が つかな か つた の です が、 恐 ら く 淮 河 に流 れ て来 る と
橋本
殿下
敵 が決 潰 し た黄 河 の氾濫 の結 果 が初 め の中 は ど う な る だ らう
漢 口作 戦 計 画 変 更 の時 の御 話 を伺 ひ た い の です が ⋮ ⋮
も治 安 の乱 れ を恢 復 す る が急 務 で あ る と 云 ふ風 に考 へま し た の で只
る と 云 ふ こと を や り度 ても そ れ は無 理 であ り ま し た し 、 又 そ れよ り
北支 軍 自 ら 感 じ て居 る 状 態 で あ つた の で、 黄 河 を 渡 つて南 を牽 制 す
や り まし た其 の留 守 の間 に非 常 に北 支 の治 安 が乱 れ て兵 力 の不足 を
は非 常 に難 し い こ と であ つた と 思 ひ ま す。 そ れ に何 し ろ徐 州会 戦 を
敵 の区域 で あり ま す から 其 の敵 を排 除 し な が ら南 へ退 が ると 云 ふ事
二 九 、 黄 河 の 氾 濫 と 漢 口作 戦 計 画
に迄 も氾 濫 が や つ て来 だ し た の で道 路 が使 へな く な つた と 云 ふ事 が
濫 の為 に難 しく な つ た の であ り ま す し 、 又京 漢 線 の西 方 地 区 は当 時
判 明 し て来 ま し た 。 そ れ で最 初 の腹案 を放 棄 し ま し て水 に浸 ら な い
云 ふ こ とは黄 河 を渡 ら な い であ の辺 でや れ と 云 ふ やう に示 し た ので
牽 制 す るだ け の任務 を与 へたや う に思 ひ ます 。 而 も 之 が為 の陽 動 と
方 に同 時 に兵 力 を使 ひま す と全 く 予備 が なく な り ま す か ら 、先 づ 大
であ つた の であ り ま す が 、漢 口攻 略 も相 当 の時 日 を要 し ます の で両
です 。 例 へば漢 口作 戦 の為 揚 子 江 にも 相 当 沢山 の船 を置 かな け れ ば
上 の見 地 か ら そ れ を希 望 し ま す が 仲 々困 難 な状 況 にあ つ たと 云 ふ の
て居 り ま し た のです 。 即 ち 両 方面 を同 時 に や る こ とは 一般戦 争 指 導
体漢 口作 戦 が出 来 上 つた時 期 頃迄 には廣 東 作 戦 に か かる 予想 を つけ
其 の頃 参 戦部 隊 の統 帥 系 統 をど う す る か と 云 ふ こ と に就 て色
あり ま す 。 殿下 色 の問 題 があ つた の では な いの です か⋮ ⋮
なら ぬし ⋮ ⋮其 の時 は臨 時 に内 地 から 船 を 随 分持 つて行 きま し た が
即 ち 中 支 方 面 軍 を 作 る と か或 は併 立 でや ら せ る と か。
⋮ ⋮南 支 上陸 作戦 を や る為 にも 亦 海 運 資 材 を豊 富 に要 し ます の に当
それ に就 ては最 初 か ら現 に実 行 し た や う な 方法 で や り度 いと
橋本
時 は そ れだ け の海 運 資 材 が な い と 云 ふ の で漢 口を 攻略 し た直 後 に廣
もう 一つ第 二軍 が 下 つた後 濟 南 方 面 をど う す る か と 云 ふ問 題
殿下
考 へて居 ま し た の です 。
然 し第 十 二軍 が出 来 た のはず つと後 だ つ た やう です が ⋮ ⋮
換 言 す れ ば結 局 何 時 か の時 機 には廣 東 を攻 略 す る と い ふ こと を予
す。
時 には 此 の三 ケ師 団 を船 で持 つ て行 く と 云 ふ準 備 を し た の であ りま
南満 洲 に待 機 さ せ て居 つ た第 百 四 師団 と で あ り まし て、 愈 々と 云 ふ
つた後 は其 の附 近 の警 備 を さ せ て置 いた ⋮ ⋮並 に当 時 動 員 し ま し て
師 団 及 七月 に出 来 た 新 設師 団 と交 代 し た第 五 師 団 ⋮ ⋮徐 州会 戦 を終
其 の兵 力 準 備 と 云 ふ のは当 時 丁 度 上 海 に集 結 させ て居 つた第 十 八
之 が為 の兵 力 を準 備 し て居 た の で あり ます 。
と 云 ふ風 に思 ひま し た ので 、廣 東 を後 にす る と 云 ふ 事 だ け を決 め て
只 其 の事 を大本 営 の会 議 で直 ぐ に決 め ると 云 ふ こと は 未 だ過 早 だ
東 を や ると 云 ふ大 体 の腹 案 を略 々決 め て居 た の であ り ま す。
第 二軍 が南 下 す る と同 時 に別 の軍 を作 ると 云 ふ考 へを最 初 か
があ り ま し た のでは な い の です か ⋮ ⋮ 橋本
殿下
は い、左 様 であ り ま す 。兵 力 の関 係 があ る の で簡 単 に行 か な
ら持 つ て居 り ま し た。
橋本
漢 口作 戦 開 始 に当 つて の中 央 部内 の色 々の経 緯 を お話 し願 ひ
三 〇 、 漢 口 作 戦 と 廣 東 作 戦 と の関 係
か つた のです 。
殿下
漢 口作 戦 は徐 州 会 戦 が済 ん でか ら 本 腰 の準 備 計 画 をし ま し た
期 し て之等 の師 団 を配 置 し て居 たと 云 ふ ので あ りま す 。
ます 。 橋本
つ たと 聞 き ま し た が ⋮ ⋮
殿下
そ れ に就 き ま し ては 先 づ ど ち ら が敵 に与 へる打 撃 が大 き いだ
初 に漢 口作 戦 を や る か又 は 廣東 作 戦 を や る か と 云 ふ問 題 が あ
の で其 の時 には御 前 会 議 を開 い て頂 き ま し て 、 さう し て漢 口攻 略 を
橋本
や る こと を 決 定 し ま し た。 其 の御 前 会議 の際 に廣 東 攻 略 は之 を行 ふ こと を 予期 す る と 云 ふ程 度 に決 め た と思 ひ ます 。 之 は 大 体 や る 積 り
て居 ま し て⋮ ⋮ 一月 の会議 直 後 ( 或 は 二月 頃 かも知 れ ま せ ん が) の
至 当 だ と云 ふ の で漢 口を先 に や る こ と にな り ま し た。 尚 もう 一つは
ます し相 手 の政 府 の居 る場 所 でも あ り ま す から 此奴 を先 にや る方 が
揚 子 江 の奥 深 く制 す る こと であ り 、 又漢 口は支 那 本 土 の中 心 であ り
らう かと 云 ふ事 を研 究 し て結 局 何 と云 つ ても漢 口 を取 ると 云 ふ事 は
と 云 ふ風 に思 ひま し てそ れ を拡 大 さ せな い為 には 色 々な事 を研 究 し
﹁之 は困 つ たも のだ 若 し拡 大 す る と云 ふ こと に でも な れ ば大 変 だ﹂
あ りま す し 、 大 体漢 口作 戦 準 備 をし て居 る最 中 で あ り ま し た の で
れば 当 時 は 殆 ど 今 ま で の半 分 位 の力 で満 洲 の防 備 を や つて居 た の で
十 分 な 手 を 下 す と 云 ふ こと はな し 得 な か つた の であ り ま す。 何 とな
た の であ り ま す が 、然 し扨 此 の事 件 が 起 つ て見 ると 思 ひ 切 つて之 に
ま し た。 例 へば航 空 作戦 も 今度 の ﹁ノ モ ン ハ ン﹂ 事 件 と は反 対 に最
此際 は ま だ北 の方 面 (﹁ソ ビ エツ ト﹂) に対 す る顧 慮 も 始 終 附 き 纏 つ
判断 で は ﹁ロ ス﹂ は 将来 や つて来 る こと は な いと 云 ふ意 味 で は なく 、
そ れ を眺 め て居 た の です し 、 又国 境 を越 え て攻 撃 す る こと を禁 止 さ
初 か ら禁 止 しま し て相 手 の航 空 部 隊 が跳 梁 す る の に任 せ、 みす 〓
せ る等 の処 置 を執 つ た の です ⋮ ⋮ そ れ で現 地 の者 は 非 常 に苦 心 し た
只当 分 は来 ぬ と云 ふ風 に考 へら れ て ⋮⋮ ま さ か の時 に は兵 力 を転 用
も のと思 ひま す ⋮ ⋮ 然 し出 て来 る相 手 が ああ 云 ふ戦 術 的 に 見 て非 常
せ ね ば な ら ぬ と云 ふ の で南 の端 に大 きな も のを持 つて行 く よ り も比
第 百 四師 団 を 一時 満 洲 に置 き ま し た位 です から結 局少 し でも 北 の漢
較 的 北 に近 い所 に置 いた 方 が良 いと 云 ふ考 へも あ り ま し て 、夫 れ で
に兵 の使 ひ難 い所 へど ん〓
兵 を集 め て来 た と 云 ふ こと か ら判 断 し
口を 先 に や る と云 ふ事 に な つた の です 。
て 、之 を拡 大 す る考 へは な いだ らう と 云 ふ事 は想 像 し て居 り ま し た
⋮ ⋮ 。 け れ ど も相 手 の事 です か ら実 際 は どう な る か判 ら ぬと 思 つて
橋本
殿下
さう です 。漢 口作戦 が氾 濫 の関 係 や其 の他色 々 の都 合 上 少 し
其 の頃 に例 の張 鼓峯 事 件 が起 つた の です ね 。
を や る意 志 はな いも のと の判 断 が ⋮⋮ そ れは 前 から も さ う 云 ふ判 断
あ る け れど も 、 然 し 満 ﹁ソ﹂国 境 で事 を起 し て之 が為 に全 面的 戦 争
即 ち彼 等 とし ては 我 に脅 威 を与 へる と共 に絶 えず 支 那 を援 助 し つ つ
三 一、 張 鼓 峯 事 件 の 支 那 事 変 に 及 し た 影 響
遅 れ ま し て八 月 下 旬 頃 から始 め ら れ た の であ り ま し て 、事 実 は殆 ど
そ こで其 の結 果 と し ては 此方 が非 常 に自 信 を得 た訳 であ り ま す。
徐 州 会 戦 か ら引 続 い て逐次 に や つた事 にな つ て居 り ます が、 其 の計
つた の で、 結 果 から申 し ま す と威 力 偵 察 をや つ たや う な 形 に於 て利
を し つつあ つた が ⋮ ⋮ 此 の張 鼓 峯 で 一つ の実 験 を得 た と 云 ふ事 に な
居 つた ⋮⋮ 。 其 の中 にあ あ 云 ふ結 果 にな つて済 みま し た の です 。
画 も決 定 し攻 撃 命 令 も 下 し既 に着 々と新 設 の五 ケ師 団 を夫 々派 遣 す
やう にな つた ので あ り ます 。
そ こ でそ れ から後 は思 切 つて支 那 の方 に力 を 用 ひ る こと が出 来 る
益 が あ つた と 云 へる ので す 。
べく 、内 地 で は動 員 を 致 し ま し て第 百 四 、 第 百 十 、第 百 六 の各 師 団 を派 遣 す る こと に決 定 し そ れ を送 り出 し た時 に例 の張 鼓 峯 事 件 が起
元 々支 那 事 変 が始 ま つて以 来 始 終 ﹁ソ﹂聯 め動 きば 頭 の中 にあ つ
つた ので あり ます 。
の為 に弾 丸 が非 常 に多 く 要 つた と 云 ふ ので あり ま す ⋮ ⋮ 。其 処 で中
れ を 持 た せ て や つた船 が揚 子 江 の中 で敵 弾 に中 つ て沈 没 し て仕 舞 ひ
央 と し て も色 々工面 をし ま し て追 送 し て や つた の です が 、運 悪 く 夫
ま し た と 云 ふ やう な事 があ り ま し て 、中 央 と し ては 全 く 予定 外 の弾
張鼓 峯 事件 のため に漢 口作 戦 を や め な け れば な ら な いと 云 ふ
丸 を 供 給 し た の であ り ま す 。
殿下
橋本
兵 力 を増 加 し てや る と 云 ふ こと であ り ま し た。
騎 兵 旅 団 を や つた のは兵 力 の増 加 と云 ふ意 味 だ け です か。
や う な 考 は起 ら な か つた の です か ⋮ ⋮。
洲 に待 機 さ せ て居 つた の であ り ま す か ら 、之 を琿 春 駅 迄 輸 送 し ま し
殿下
第 百 四 師 団 の如 き は元 々万 一の事 が あ つ て は と 云 ふ の で南 満
た し ⋮ ⋮之 は 一つに は相 手 に対 す る示威 運 動 的 の意 味 も あり ま し た
橋本
漢 口作 戦 を中 央 か ら 見 て の所 感 は⋮ ⋮
漢 口作 戦 の途 中 で廣 東 作 戦 を や る に至 つた訳 はど う 云 ふ ので
る やう です が 、 そ れ に関 す る戦 争 指 導 上 のお話 を伺 ひ度 い のです が
又 漢 口、 廣東 攻 略 の期 に戦 争 の結 末 を つけ る 工作 を や つて居 られ
す か。
三三 、 廣東 作戦 実 行 の経 緯
から 東 方 へ少 し づ つ退 げ ると 云 ふ こと だ け を先 づ しま し た所 が、夫
漢 口作 戦 の実 施 は略〓 最 初 の計 画 通 り に進 展 し て居 り ます が
殿下
⋮ ⋮ 又 万 一の場 合 が な いと も 限 り ま せ ん ので関 東 軍 の部 隊 を西 の方
等 が相 手 に相 当響 いた やう で ﹁う つか り す る と 日本 軍 が立 つか も知 れ ぬ 。 立 た れ る こと は嫌 だ ﹂ と 云 ふ やう に な つた の であ ら う と思 ひ ま す が 、遂 に停 戦 協 定 が結 ば れ た ので あ り ます 。
殿下
三 二 、 中 央 か ら 見 た る 漢 口 作 戦 に 対 す る所 感
橋本
やら う と 云 ふ 心算 で や つた ので あ り ます が 、矢 張 り結 果 と し て はよ
橋本
そ れ に関 す る戦 争 指 導 は作 戦 を主 と し之 に呼応 し て諸 工作 を
只現 地 で は相 当 焦 つ た時 期 が あ り ま す。 それ は 第 百 一及 第 百 六師 団
而 し て廣 東 作 戦 を漢 口攻 略直 後 に 予定 し た理 由 は 前 に述 べま し た
た の であ り ま す。
又 廣 東 作戦 は其 の目 的 も あ つ て漢 口作 戦 の途 中 でや る こと にな つ
く出 来 な か つた ので あり ま す 。
が廬 山 附 近 に引 懸 り 、 北 を行 つた第 二軍 は 大 別 山 が仲 々抜 けず 其 の 真 中 の 田家 鎮 の方 へ行 き ま し た も の ⋮⋮ 相 当 に大 き な も ので あ りま
地 で は あ せり 気 味 があ り ま し た。 そ こ で中 央 と し て も何 と かし てや
す ⋮ ⋮ が富 水 の所 で随 分長 い こと引 懸 つ て居 る と 云 ふ 、 あ の時 に現
り た い の です が当時 兵 力 は増 加 を許 し ま せ ん ので や つと騎 兵 旅 団 だ
ると 云 ふ結 論 を得 まし た から な ので す。 即 ち運 輪 部 が 一生懸 命 に海
が、 此 の時 分 に な る と海 運資 材 が どう か こう か両 作戦 に同 時 に使 へ
も う 一つは 弾 丸特 に砲 弾 数 を予 定 外 に非 常 に多 く使 つた こと です
運 資材 を作 り まし た為 に必ず し も揚 子 江 中 から 之 を 引抜 いて行 かな
け を急 派 し て やり ま し た 。
⋮ ⋮ 。 之 は 一日 中戦 闘 を やり ま し ても 一里 か 二 里 し か行 かな い実 情
と にし た の であ り ます 。
決 め る こと は出 来 な いと 云 ふ事 で其 の時 は 廣東 だ け にす る と云 ふ こ
然 し海 軍 は 御 前会 議 の席 で説 明 の終 り に ﹁ 海 南島 方 面 は将 来 や る
く ても ど う に か使 へる と 云 ふ目 安 ⋮ ⋮ 必ず し も十 分 では な いが や れ
そ こで漢 口作 戦 の途 中 、即 ち 八 月 下 旬 に愈 々廣 東 攻 略 を決 行 し よ
て居 り まし た 。
場 合 を考 へて居 る﹂ と 云 ふ こと を付 け 加 へて置 く と 云 ふ こと を言 つ
な い こと は な いと の見当 ⋮ ⋮ が着 き ま し た から です 。
う と 云 ふ こ と にな り ま し て大 本 営 会 議 を開 いた や う に思 ひ ます 。 其
交 関 係 よ り突 如中 止 し た のは 海 軍 の首 唱 に よ つた の で、 当 時 此 の中
が、 元 々臺 湾 は此 の地 区 と 密 接 な関 係 が あ り ます し又 臺 湾 軍 司令 官
橋本
殿下
愈 々大 本 営 の会 議 にな り ます と大 体 の作 戦 計 画 を やり ま し た
其 の頃 藤 室 大 佐 と 色 々問題 が あ つた の で は な い です か。
三 四、 廣 東 作 戦 計 画 に関 す る問 題
の会議 の時 に問 題 にな り ま し た のは海 南 島 の問 題 であ り ま す。 元來 廣 東 作 戦 を しき り に主 張 し た のは海 軍 であ り ま す が 、陸 軍 に 於 ても 漢 口 攻略 も必 要 だ が廣 東作 戦 も必 要 だ と云 ふ点 に於 て は 一致
止 問 題 を繞 つ て陸海 両 統 帥 部 間 に相 当 面倒 な経 緯 もあ り ま し た ので
以 下 も 前 回 の作 戦 中 止 以 後 此 の作 戦 を や る こと を 切望 し て居 つた の
し て居 り ま す 。 只此 の前 の廣 東作 戦 ( 第 五軍 ) を南 京 攻略 直 後 の外
やう な こと が あ つて は なら ぬ と陸 軍 と し て も愈 々廣 東 作 戦 を や る と
此 度 再 度 廣 東 作 戦 を決 定 し て も又 々対英 関 係等 か ら中 途 に挫 折 す る
で臺 湾 軍 を し て之 を やら せ る こと に し ま し た。
十分 決 めま し て から も 、 只統 帥 部 だけ で決 め た ので は 又前 の やう に
と し て使 ふ予 定者 で あ り ます る藤 室 参謀 外 四 、 五 名 を出 す こと にし
に角 一度 之 を偵 察 す る こと にな り ま し て其 の結 果 其 の作 戦 軍 の参謀
関 係 上 当然 中央 が決 め る べき であ り ま す ので之 を 立 て ま し た が、兎
而 し 其 の作 戦 計 画 の根 本 は海 運資 材 の整 備 、輸 送 能 力 並 海 軍 と の
決 め る の に非 常 に慎 重 な態 度 を とり ま し た 。
他 か ら苦 情 が出 る恐 があ る ので陸 軍 省 を通 じ て海 軍省 の腹 を十 分 に
即 ち 協 議 の結 果 如何 な る こと が あ つ ても 之 を断 行 す る と云 ふ腹 を
確 め た上 更 に外 務 大 臣 にも 此 方 の考 を述 べ て腹 を決 め さ せ て か ら決
ま し て之 に今 の中央 の案 を提 供 し て から 偵 察 を させ ま し た。
あ る か と 云 ふ申 出 があ り ま し た が 、陸 軍 とし ては 当時 海 南 島 に ま で
が出 ま し て 、海 軍 とし ては 、 そ れ だ け の余 力 があ る が陸 軍 は余 力 が
と ころ が海 軍 から 折 角 あ そ こを や る なら ば海 南島 も や れ と 云 ふ案
に偵 察 を若 干 し て居 りま す が、其 の腹 案 は大 体 大 本 営 の腹 案 を 丁度
取 る と 云 ふ斯 う 云 ふ案 であ り ます ⋮ ⋮ ⋮。 然 し 一方 臺 湾 軍 も 此 の前
附 近 ま で小 船 で行 つ て 一挙 に廣 東 を取 つ て仕 舞 ひ其 の後 虎門 砲 台 を
ス﹂ 湾 に上 陸 さ せ て から 主 力 を以 て珠 江 から 三 角 洲 へ這 入 つて廣 東
案 は御 承 知 かも 知 れ ま せ ん が、 廣 東 に 主 力 を 向 け 一部 を ﹁バ イ ヤ
と こ ろ が偵 察 者 は中 央 案 と全 く 異 つた 案 を出 し ま し た ⋮ ⋮。 其 の
行す る と 云 ふ事 にな つた ので あ り ます ⋮ ⋮ 。 そ れ が九 月 頃 であ り ま
兵 力 を 割 く と 云 ふ ことは 面 白 く な いと 云 ふ考 へ及 作戦 上 の見 通 し か
す。
ら 言 つ ても そ れ を や れ る か やれ な いか も判 ら な い の に今 か ら そ れ を
支 持 す る と 云 ふ やう な 略 々似 た やう な案 であ り まし た 。 そ れ で今 の藤 室 案 に対 し て中 央 とし ては第 一海 運 資 材 が そ れ をや る為 には甚 だ不 足 し て居 る か ら、 非 常 に冒険 な やり 方 であ る と 云 ふ こと 、第 二 に陸 軍 の主 力 が陸 上 に地歩 を 占 めず し て船 の中 で長 く ぶ
そ れ が実際 に は軍 が迅 速 に行 動 した 為 に敵 を遭 遇 戦 的 に撃 破 す る
こと が出 来 て、 あ れ程 都 合 よ く行 つた の で元 々大 本 営 が余 り奇 抜 な
現 に第 五 師 団 の主 力 (及 川支 隊 を除 く ) で虎 門 を取 つ てか ら 三角
冒 険 を や る のは適 当 では な いと思 つて居 ま し た。
あ れ に軍 の主 力 が行 つ て居 る と 云 ふ こと に な れば 相 当 面倒 が起 つた
の で はな いか と思 ひま す 。然 し何 は と も あ れあ あ 云 ふ風 に予 定 より
洲 (デ ルタ 地 帯) へ行 き ま し た時 には 相 当 困難 を しま し た が 、若 し
こと になり ま し た 。然 し藤 室 大 佐 等 の案 は臺 湾 軍 司 令 官 の同 意 も得
を齎 しま し た 。即 ち 漢 口作戦 が途 中 か ら巧 く進 展 せず に ぐず ぐ ず し
早 く漢 口よ り先 に廣 東 を 取 つた も の です か ら其 の結 果 は非 常 に効 果
ら ぶら し て居 る こと は之 亦 危 険 であ る と 云 ふ やう な こと 、其 の他 二、
て居 ると 云 ふ の で強 硬 に主張 し ま した 。 そ こで先 づ 吾 々と し ては 中
三 の理由 が あり ま し て中 央 部 の判 断 に基 け ば藤 室 案 は 不可 ぬ と 云 ふ
央 案 に就 て臺 湾 軍 司 令 官 の同意 を得 な け れ ば な ら ぬと 斯 う い ふ事 に
て居 る時 に廣 東 を取 り ま し た の で漢 口作 戦 は終 り 頃 にな つて非 常 に
殿下
な り ま し た の で態 〓私 が臺 湾 ま で出 か け ま し て軍 司令 官 に中 央 の案
ら どう であ り まし た か⋮ ⋮
ます 。
な り ま し た が、 藤 室 大 佐等 は自 分 の信 じ て居 る所 と 違 ふ方 法 を押 し
橋本
進 展 した 結 果 に なり まし た ので之 は全 く廣 東 攻 略 が影響 し た と思 ひ
付 け ら れ た の では非 常 に や り難 いか ら別 の幕 僚 にや ら せ て貰 ひ度 い
の理 由 を説 明 し て之 に同意 し て貰 ひ た いと申 し まし た 。之 に対 し て
⋮ ⋮ 。当 時 幕 僚 の命 課 は未 だ正 式 に発 令 さ れ て居 り ま せ ん でし た ⋮
それ にし て も冒 険 の案 た る を免 れ ま せ ん の で大 本営 と し ては 恐 ら く
軍 司 令官 は快 く吾 々の案 に同意 し て呉 れ ま し た ので之 でや る こと に
⋮ と 云 ふ申 出 があ り ま し た 。併 し 結局 そ んな 事 を言 はず に中央 案 で
同意 し な か つたと 思 ひ ます 。
結 果 から 見 て夫 れ に就 ては どう だ つた と 思 は れま す か ⋮ ⋮
橋本
殿下
は い、 さう です 、 非 常 に巧 く行 き ま し た 。
廣 東 作 戦 の開始 時 期 は希望 通 り行 き まし た か。
海 運 資 材 が十 分 あ れ ば藤 室案 の希 望 を達 す る訳 で あり ま す が、
若 し海 運 資 材 が藤 室 案 の実 行 を許 す と云 ふ状態 で あり ま し た
や れ と 云 ふ結 果 にな つた のであ り ます 。 殿下
結 果 から 見 ても大 本 営 の案 は良 か つた と 思 ひ ます 。 元 々大 本
三 五 、 武 漢 攻 略 後 の処 置
橋本
営 の計 画 は ﹁バ イ ヤ ス﹂ 湾 から 上 つて行 く と敵 が集 つて来 る だ らう 。 そ こで東 江 を渡 り ま し た頃 之 と会 戦 が起 るだ ら う と考 へ、其 の頃 は
殿下
武 漢 攻 略 の頃 第 一部 長 以 下 で編 成 し た派 遣 班 が出 ま し た やう
分 位 を以 て虎 門 を取 り に行 つ て此 の方 面 から会 戦 に参 加 し敵 を撃 破
です が其 の時 は ど う 云 ふ風 だ つた のです か。
第 二 回目 、 第 三 回 目 の輸 送 部 隊 が到 着 し て来 ま す か ら第 五 師 団 の半
し て廣 東 に行 く と 云 ふ予 想 だ つた のです 。
吾 々が考 へて居 る配 置 とは 少 し違 ふ の であ り ます が現 地 に行 き ま す
之 は廣 東 が陥 ち ま し て安 心 し ま し た の と、中 支 の方 が どん ど
橋本
と どう も そ う いか ぬ の であ り ま す 。
其 の理 由 は 支 那相 手 の こと であ り ます から 、 只 武力 で は不 可 ぬ。
ん進 捗 し て行 き ま す ので其 の後 の軍 の配置 及 整 理 を指 導 す る必要 が あ つて行 つた の であ り ます が、 此 の前 の例 も あり ま す ので派 遣 班 と
心 地 であ る から 此処 に 一つ の地 方政 権 を樹 てる 方 が 工合 が よ いと 云
色 々工作 を す る 必要 が あ る 、其 の工作 の基 地 とし て漢 口 は 一つの中
ふ考 にな り 、 さ う す る と武 漢其 のも のを 維 持 し て行 く 為 に周 り に相
云 ふ名前 に した だ け で普 通 の派 遣 幕僚 と 云 ふ意 味 で あり ま す から徐
即 ち第 十 一軍 及 第 二軍 が 一緒 に集 ま り ま し た為 に其 の軍 を整 理 す
は前 申 し た や う な 工合 にな る のです 。 吾 々 の考 は第 十 一軍 は 第 一線
当 に治 安 の徹 底 し た 地帯 が欲 し いと 云 ふ所 から 自 然 に現 地側 とし て
州 作 戦 の時 の そ れと は大 分 任 務 が違 つて居 り ます 。
る必 要 が あ りま す のと、 北 支 の兵 力 が 不 十分 な も ので あり ま し た か
い地 域 を 確保 す ると 云 ふ為 には 兵 力 の分散 と 云 ふ こと は已 む を得 な
持 す る こと は 勿 論 であり ま す 。
備 が望 ま し い ので あ り ます 。 只軍 自 体 生 存 の必要 上附 近 の治 安 を維
域 の拡 大 、 兵 力 の分散 を極 力 避 け常 に戦 力 の余裕 を保 持 す る如 き 配
の総 作 戦 軍 であ り 、本 来 の任務 の外 其 の存 在 に依 つて揚 子 江 下流 地
いが、 併 し成 るべ く広 い地域 に分 散 し な いで要 点 を持 つて居 つ て兵
殿下
そし て爾 後 は 全 軍 の第 一線 の兵 力 を な る べく 集結 し て周 囲 の敵 に
ら 一部 を北 へ帰 し てや る のと の 二 つ の事 を協 議 し た の です 。
力 を集 結 し て敵 が来 た な らば 之 に打 撃 を与 へる為 力 を持 つ と 云 ふ態
つた の では あ り ま せ ん か。
も問 題 でな く 、 北 支 軍 や上 海附 近 の軍 と は大 に趣 を異 にす べ き で地
勢 を維持 し た いと 云 ふ趣 旨 で成 るべ く狭 い地 域 に集 結 す る と 云 ふ こ
橋本
域 の治 安 が良 好 にな れば 良 い ので武 漢 そ のも の の復 興 の如 き は 必 し
と にし て、確 か其 の任 務 は武 漢 三鎮 と 九 江 を根 拠 と し て兵 力 を集結
対 し個 々 の反 撃 戦 闘 を行 ふ を主 とす ると 云 ふ やう な意 味 の案 を持 ち
し敵 軍 の戦意 を破 摧 す る こと に し た の であ り ます 。 そ し て後 で其 の
出 し て協 議 し た結 果 ど う かと 申 し ま す と漢 口 から 上海 に亘 る あ の広
作 戦 地 域 即 ち作 戦 行動 を な し得 る地 域 は 信陽 、安慶 、南 昌 、 岳 州 、
に も応 ず る と云 ふ態 勢 を取 つ て広 く手 を伸 ば す と 云 ふ こ とは せ な い
処 置 は今 も申 し ま し た やう に ﹁こぢ ん ま り﹂ と 兵 力 を集 結 し て何 れ
来 て居 ると 云 ふ有 様 にな り まし た の で、 其 の次 には其 の線 を越 え て
地域 内 一杯 に兵 力 をば ら撒 い て仕 舞 ひま し て其 の周 囲 に は敵 が沢 山
た け れど も 、其 の後 の経 過 を見 ます と 云 ふ と矢 張 り其 の与 へまし た
可 な い。 此 の中 なら ば随 意 に作 戦 し ても よ いと 云 ふ任 務 を与 へま し
て居 る こと は 有利 で あ ると 云 ふ ことを 盛 ん に主 張 しま し た。 其 の理
捨 て ると 云 ふ事 は誰 も同 じ やう に嫌 な 事 であ り ます の で信陽 を持 つ
云 ふ斯 う 云 ふ考 へであ りま し た 。然 し 現 地 と し て は 一旦 取 つた所 を
漢 口附 近 と大 別 山 以南 の武 漢平 地 を領 有 し て居 れ ば目 的 を達 す る と
方 が良 い、 それ に大 別山 は北 に対 す る堅 固 な 地形 で あ る から武 昌 、
私 共 は 信陽 を取 つて居 る ことは 一般 態勢 上出 過 ぎ るし武 漢 の
大 別 山 の北 の地 区特 に信 陽 を持 つ か持 た ぬ かと 云 ふ問 題 が あ
斯 う 云 ふ不 正 四角 形 の地 区 に限 定 し是 れよ り外 に出 て作 戦 し ては 不
行 かな け れ ば戦 が出 来 な いと 云 ふ態勢 に な つ て仕 舞 ひま し た 。之 は
かな け れば な ら な いし、 又 前 へ出 て居 つ ても危 険 で はな いと 云 ふ や
由 は大 別 山 の北 を自 由 自 在 に制 す る為 に どう し ても 信陽 を取 つ て置
う な意 味 から であ つた やう に思 ひま す 。
三 六、 海 南島 攻略 問 題
り ま し た が、 中 央 と し て は旧 第 二軍 の後 方 連 絡線 を全 部 撤 収 し て仕
橋本
殿下 之 れも 現 地 と し ては 大 体 其 の儘 取 つて置 く と 云 ふ考 ら し く あ
廬 州 を捨 てた と 云 ふ の は⋮ ⋮
が矢張 り引 懸 つて居 りま し た が 、之 は依 然 と し て未 だ やら ぬ と云 ふ
を 合同 命 令 の形 式 で規 整 した や う に思 ひま す 。 此 の頃 海南 島 の問 題
橋本
そ れは陸 軍 がし な いと決 め た の です か。
こと に な つて居 た ので会 議 の問 題 に はな ら な か つた の であ り ます 。
ど う 云 ふ事 だ つた のです か。
武 漢 攻 略 後 十 一月 に大 本 営会 議 をや つた やう です が、 あれ は
舞 ふ 以上 価 値 が少 い ので捨 てま し た 。現 地 側 は廬 州 を捨 てた な ら ば
殿下
殿下
津 浦線 の側 面 の援 護 を す る も のが な く な る と云 ふ考 へでし た が 、後
海 南 島 攻 略 を此 の時 ま で決 定 し な か つた の は海 軍 の主 張 に対
そ こで遂 に信 陽 も現 地 の意 見 を容 れ て兵 を 置 いた の であ り ま す。
方連 絡 線 の援 護 と し て は少 し 離 れ て居 て価 値 がな いし兵 力 の関係 も
橋本
殿下
あ の時 に海 南 島 を やる と 云 ふ腹 が決 ま つた の です か ⋮ ⋮
あ れ は海 南 島 の問 題 であ りま す 。
十 二 月 の終 り に又 会議 を し て居 ら れ ます が⋮ ⋮
武 漢 、廣 東 攻略 後 従 来各 方面 軍 に各個 の任 務 を与 へて居 た の
あ つて あ そ こま で出 せ な いと 云 ふ事 に な つ た ので大 し た問 題 で は な
し て陸 軍 側 が参 謀 本 部 も 陸 軍省 も不 同意 で あ つた から です
殿下
橋本
集 め る 兵 力量 に関 し ては 現 地 と此 方 と の間 に十 分 打 ち 合 せ を
か つた の であ り ます 。
や つた の です か ⋮ ⋮
殿下
陸 軍 と し て は中 央 は勿 論 現 地 側 でもち つとも 進 ん で居 ら な か
橋本
つた の です が、 海 軍 は 非 常 に熱 心 で五 相会 議 で海 軍 大 臣 が希 望 す る
此 方 は な る べく 少 いも のを置 き 度 いと 思 ふ し、 向 ふは少 し で
も余 計 に残 し た いと 云 ふ の で其 の間 に若干 の経 緯 は あり ま し た。
橋本
殿下
に動 かさ れ た形 で や つ ても差 支 えな いと 云 ふ位 の こと にな つた ので
等 手 を替 へ品 を換 へて言 つて来 る の で遂 に陸 軍 も海 軍 側 の熱 心 な の
南 昌 に関 し て は途 中 で第 百 一及 第 百 六 師団 が敵 に引 懸 つて仕
と 云 ふ考 だ つた の です か 。
舞 つた と 云 ふ問 題 も あ りま す が中央 と し ては や ら なく ても よ か つた
と の関 係 でし た。
す 。只 問 題 は支 那 事 変 の処 理即 ち事 変 を 終 局 に導 く と 云ふ手 段 と 之
中央 と し て は やら な く て も良 いと指 示 を し て居 りま す。 即 ち
の は之 は 帝 国 の立 場 と し て当 然 であ り ます が、 それ が領 土 的 希 望 と
橋本
云 ふも の にな つて来 ま す と事 変 処 理 の終 局 と 云 ふも のと関 聯 し て考
元 々南 昌 を取 ら なけ れ ば な ら な いと 云 ふ事 は別 に任 務 にな いの であ ります。 ︹ 岡村寧次中将︺ 併 し後 に之 を やり ま し た の は第 十 一軍 司 令 官 が第 百 一及 第 百 六 師
元 来 海 軍 の作 戦 上 及 南 方 発展 の基 地 と し て海 南 島 を 欲 し いと云 ふ
団 に 一度 は面 白 い戦 を さ せ た いと 云 ふ気持 が あ つた から で あり ま す 。
へる必 要 があ る の です 。特 に其 の北 の厦 門 、汕 頭 を も 之 に関 聯 し て
ます。
とし ま す の で、例 へ領 土 権 と 云 ふ問 題 には触 れな いと し ても 日 本 の
何 と な れ ば之 等 の支 那 の沿岸 を海 軍 は是 非 持 つ て居 る こと を必要
為 に 一つ の基 地 を そ こ に提 供す る と云 ふ こと をす ら 〓
将 来 どう す るか と 云 ふ こと に な る と事 変 処 理 の暁 に於 け る相 当 重 大 な問 題 であ りま し て、 悪 く す る と支 那 の主 権 を侵 害 す る、即 ち領 土
ば海軍は満足しな いのではな いかと思 ひます ので⋮⋮
効 にす る為 と海 軍 の封鎖 を 一層 徹 底 さ せる為 ⋮ ⋮あ の方 面 は非 常 に
あす こ に航 空基 地 を有 つ てそ し て奥 地 に対 す る航 空 作 戦 を も つと有
と ころ が海 軍 は ﹁さ う し た考 は 一つも な い、 海南 島 を取 る理 由 は
橋本
れ に就 て は如 何 です か⋮ ⋮
お話 し下 さ い。 先 づ 陸海 軍間 に色 々ご た〓
様 に思ひます が 一般的に共通し た事項 で何 か御所見がありましたら
殿下 是 で昭和十三年末迄 の中央 部の統帥 に就 ては大体 お聞きした
決 め なけ れ
権 の 一部 を分 割 す る要 求 が此 処 に現 れ て来 ると 云 ふ こと にな つて事
海 が荒 れま す ので海 上 封鎖 を や る の に非 常 に苦 労 をし ます 為 に海 軍
関 係 と云 ふ こと は今 に始 ま つた こと では な いの であ り ま し て 、 日露
三七 、陸 海 軍 間 及 省 部間 の関 係 に就 て
変 処 理 が非 常 に困 難 に な りま す 。 つま り吾 々 が議 論 し まし た のは支
に占 領 し度 いと云 ふ考 へがあ る の では ど う も面 白 く な いと 云 ふ のが
那 の領 土 を保 全 し て事 変 を早 く 処 理 し度 いの に、 そ れ を取 つ て永久
は是 非 根 拠 地 が欲 し いと 云 ふ のです ⋮ ︰即 ち航 空 基 地 及封 鎖 基 地 を
理由 で海 南 島 の攻 略 には よ い返 事 をし な か つた の です 。
此処 に置 かう と 云 ふ以 外 に他意 がな い﹂ と 云 ふ こと であ り ま し て御
戦 争 の時 にも色 々あ つたや う です 。
つに し て国 防 省 と 云 ふ やう な も のに纏 め て見 た所 で駄 目 な の で矢 張
と 云 ふ こと が原 則 にな つて居 る 以 上縦 ひ之 を 諸 外国 に あ る やう に 一
せ ん で︱ ︱ 、 結 局機 構 の問 題 ぢ や な い、 陸海 軍 の対立 ⋮⋮ 併 立 ⋮ ⋮
い か と考 へま し て各 方 面 から研 究 しま し たが大 体 良 い結 論 は あ り ま
そ れ で之 は ど う 云 ふ風 にか機 構 を変 へた な ら ば巧 く 行 く ので は な
陸 海 軍 の問 題 では随 分苦 心 を致 し ま し た。 而 し 此 の陸 海 軍 の
があ つた やう です がそ
前 会議 で も それ を 理由 とし て決 ま つた の であ り ます 。 そ れ は大 体 年末 に近 付 いた 頃 であ り ます ⋮ ⋮ そ こで私 は 具 体的 の作 戦 計 画 を樹 て る打 合 せ の為 に廣 東 に行 つた
其 の時 の打 ち合 せは唯 実 施 上 の問 題 だけ で あ りま し た か。
の であ り ます 。 殿下
実 施 上 の問 題だ け で、 艦 隊 の司令 長 官 と会同 し て第 二十 一軍
そ れ で作 戦 は 御 承知 の通 り非 常 に軽 易 に済 ん で仕 舞 ひ まし たが 、
ひ ま す 。即 ち陸 海 軍 の統 帥主 脳 部 を以 て 一つ の場 所 に大 本営 を作 る
な こと のな い やう な機 構 を作 る と云 ふ こと は不 可 能 であ る やう に思
し て其 の大 本 営 内 に於 て陸 軍 と海 軍 と が両 々相 譲 ら な いと 云 ふ やう
り大 本 営 で陸 海 軍 の統 帥 を や る可 き だ と 云 ふ結 論 にな り まし た。 そ
橋本
矢 張其 の後 の状 態 を見 て 居 り ま す と愈 々支 那 事 変 が終 結 し てあ れ を
の幕僚 を加 へて打 ち合 せ をし ま し た のです 。
手 軽 く返 す かど う か と 云 ふ こと にな る と又 一問 題 が起 る のだ と思 ひ
局 同 じ こと だ と 思 ひ ます ⋮⋮ 。 又 縦 ひ其 の人 数 を少 く し ても同 じ で
と 云 ふ案 があ り ま し て熱 心 に之 を主 張 す る連 中 も 居 り ます が私 は結
す と何 時 も巧 く 不 可 ぬ の であ り ます 。 例 の青 島 の問 題 も さう であ り
非 常 に よく 行 つ て居 た と思 ひ ます が、 之 に政策 的 な問 題 を加 味 し ま
の であ り ま し て陸 海 軍 間 の問 題 も 純 作 戦 の問 題 に な りま す と大 体 は
行 つた の です が、 そ こ に色 々政策 的 な問 題 即 ち 地 方 政権 を指 導 す る
では な く陸 軍 は陸 の方 から 行 き海 軍 は艦 で来 ると 云 ふ風 にす ら 〓
ま し て、 あす こ を陸海 軍協 同 し て取 る と云 ふ こと は 別 に大 し た問 題
結 局 対立 し た場 合 は駄 目 だ と思 ひま す 。 そ こで色 々と 考 へた挙 句 極 め て平 凡 な結 論 です が次 の事 以外 に方
そ れ は機 構 も 之 に即 し た も の にし な け れ ば 不可 な い かも 知 れ ま せ
云ふ も のが起 つて来 る と色 々ご た 〓
問 題或 は駐 屯 部 隊 の警 備 、 治 安 の分 担 等 に関 す る意 見 の喰 ひ違 ひ と
法 が な いと思 ふ の であ り ます 。
ん が 、併 せ て人 の配 置 を も考 慮 す る必 要 が あ り ま し て、 特 に両 者 が
省 部 間 は最 初 事 変 の始 ま る頃 から も ぴ つた り と行 つて居 る と
次 に省 部 間 の問 題 も あ つた やう です が⋮ ⋮
三 八 、 中 央 統 帥 の範 囲 及 節 度 に 就 て
も の にな し得 る か否 か と 云 ふ こと に非 常 に難 点 が あ ると 思 ひ ます 。
ら ど う か と 云 ふ考 へが起 る の です が 、 一体 国 防 省 と 云 ふや う な形 の
起 る の です か ら 、先 程 申 し た やう に国防 省 と 云 ふ やう な も のに し た
之 は結 局 陸 軍 省 と海 軍 省 と の立場 が異 りま す の で斯 う し た問 題 が
が始 ま る の です 。
其 の立 場 に依 つて物事 を考 へる と 云 ふよ り も 国家 全 体 の事 を念 頭 に
之 はず つと 将 来 にも続 く問 題 で あ りま す から大 いに研 究 を要 す る
置 いて協 力 し て行 く と 云 ふ こと、 之 以 外 にな いと思 ふ の です 。
殿下
問 題 です 。
橋本
は 思 ひ ま せ ん でし た が、之 は結 局 人 と人 と の仲 が善 いか悪 い かと 云
中 央 部 に於 け る統 帥 の範 囲 及 節度 と 云 ふ やう な こと に就 て事
殿下
ふ のが問 題 で は な い の であ り ま し て、 事 変 其 のも のに 対す る見 方 の 相違 、即 ち意 見 の相違 、斯 う 云 ふ風 な事 に帰 着 す る と思 ひ ます 。 消
中 央統 帥 の範 囲 及節 度 と 云 ふ やう な こと は実 際 に仕 事 を や つ
小 さ い の部隊 の指 揮 或 は現 地軍 の統 帥 と 多少 趣 を異 にす る所 は 戦
︹マ マ︺
て見 ると自 然 にき ま つて来 る やう に思 ひ ま す。
橋本
変 の経 過 を振 り返 つて見 て何 か御 所 感 は あ り ま せ ん か。
然 し省 部 間 は大 体 徐 州 会 戦 を始 め やう と 云 ふ頃 から段 々良 く な つ
極 的 な考 へと積 極 的 な 考 へと が お互 に作 用 す る の であ り ます 。
之 に関 し て も機 構 と 云 ふ問 題 に触 れ る必 要 はな い のです か。
て今 は 近来 に な い位 良 く な つ て居 り ます 。
現 地 だけ で は出 来 な い こと だ から です 。即 ち兵 力 を与 へ之 に任 務 を
殿下
与 へて仕舞 つ て、其 の範 囲 内 で や り得 る こと は中 央 か ら何 等 拘束 す
力 の維 持 補充 に関聯 す る 諸問 題 にあ ると 思 ひます 。何 とな れ ば 之 は
一番 問 題 が起 りま す のは 政 策的 の問 題 が多 い の であ り ます 。 例 へ
機 構 は今 の儘 で よ いと 思 ひ ま す 。
ば 陸 軍省 関係 の事 にし まし ても 興亜 院 を設 けま し たと ころ が現 地 で
る必 要 は な い のです が 、 一つの企 図 を や る為 に兵 力 の増 減 を行 は な
橋本
は そ ん な も のは 要 ら な いと 云 ふ やう な、 さ う 云 ふ種 類 の問 題 が多 い
で処 理出 来 な い問 題 であ り ま す か ら、 そ の点 に関 し て は中 央 が干 渉
ふ こと に な る と大 局 に影響 を 及 ぼす と 云 ふ こと が多 いの で出 先 だ け
く ては な らな いと か 、或 は特 殊 のも のを補 給 す る 必要 が あ ると か 云
いか と思 ひま す 。
あ りま す の で、 あ あ 云 ふ大 き な場 合 には 干 渉 す る のも い いの で はな
之 が成 功 す る か 失敗 す る か と 云 ふ こ とは 中 央 と し ても大 き な問 題 で
と、 そ れか ら あ れ は 一方 面 の独 立 し た軍 の作戦 であ り ます け れど も 、
ので あ りま す が、 正 式 に干 渉 し た こと は あ りま せ ん。斯 う や つたら
其 の他 の作 戦 中 に今 のに類 す る や う な事 が 一、 二な い こと も な い
す る 必要 が あ る こ と にな る の です 。
ど う だ と 云 ふ やう な 注 意 を喚 起 す る程 度 に留 め て之 を必ず し も と る
又 或 る作戦 に海 運 資 材 が必 要 だ と 云 ふ こと にな ると 之 は出 先 で は
やう な 、 さ う 云 ふ種 類 の問 題 が挾 ま つた為 に干 渉 が起 つて来 た こと
中央 統 帥 の実 行 方 法 とし ては 何 か御 考 へが あ り ます か。
三 九 、 中 央 統 帥 の 実 行 方 法 に就 て
ど う し ても 不可 ぬ の で此 の時 には中 央 から 何 かと 指 示 をす る と 云 ふ
原 則 的 に ぴ し や つと行 く 訳 には行 き ま せ ん か。
と か と ら な い と か は強 ひま せん でし た 。
殿下
不 可 ぬや う で あ り ます 。 原 則 的 に は或 る任 務 を与 へて、 そ れ
殿下
も あ りま す が之 は 已 む を得 な いと 思 ひ ます 。
橋本
に必要 な る実 行 手段 即 ち兵 力 なり 資 材 な り を与 へて之 を達 成 さ せ る と 云 ふ のが 一般 原 則 であ り ま し て、 さう 云 ふ風 に綺 麗 に行 く と非 常
徐 州 作 戦 の時 の こと は原 則 から 言 へば 一種 の変 則 か も知 れま
例 の徐 州 作 戦 の場 合 に は派 遣 班 を出 し て居 り ま す が ⋮ ⋮
せ ん。 元 々 一つ の目 的 を達 す る為 には 当 然 一指 揮 官 の下 に統 一し て
橋本
に楽 で あ りま す が、 色 々無 理 し て手 を拡 げ てや つ て居 り ます 現 状 で はあ つち こ つち に遣 繰 が あ つて結 局 は此 方 の意 図 を や ら せ る為 には
そ れ で徐 州 作 戦 の時 で も 若 し北 の司 令 官 が統 一す る こと に な る と
け れば 後 が非 常 に不 便 であ り ます 。
大 軍 の統 帥 にな り ます と作 戦 準 備 から 一指揮 官 が統 轄 的 に や らな
や ら せ ると 云 ふ こと が 一般 原 則 と し て良 いと 思 ひ ま す 。
或 る程 度 の干 渉 と 云 ふ こと が必要 に な つ て来 ま す 。 そ こで さう 云 ふ
之 を 除 かう とす れば 却 つ て余 計 に干 渉 す ると 云 ふよ う な事 が起 つて
干 渉 は どう し ても 除 かね ば な ら ぬ と 云 ふ問 題 が起 つて来 る の です が、
居 るや う な現 状 で あり ま す 。
南 京 、上 海 を根 拠 と し て居 る軍 が ど れ だ け の兵 力 を 出 す か と 云 ふ こ
只 此 の問 題 に就 い ては 次 のやう な こと も あ り ま し た 。 そ れ は先 程 申 し た ﹁バ イ ヤ ス﹂ 湾 の作 戦構 想 の開 き に就 い て であ り ます 。 即 ち
にな る の です 。
と 、特 に所 要 兵 力 を 出 し た 後 の始 末 と 云 ふ こ と が あ りま す の で問題
即 ち片 一方 の指 揮 官 が戦 場 だ け を指 揮 す る と 云 ふ こ とだ け な ら簡
三 ケ 師 団 に海 運 資 材 を与 へた ら後 は軍 ⋮ ⋮ 軍 参 謀 たる べ き派 遣 参 謀
実 際 あ の際 に あ の現 地 案 を採 用 し な か つた理 由 は 、現 地側 に も相 当
単 で あ りま す が、 あ れ位 の軍 にな り ます と 云 ふと 戦 場 の統帥 と 云 ふ
⋮ ⋮ に 勝手 に やら せ ても良 いで はな い かと 云ふ こと に な りま す が、
に注 文 があ り ます の に其 の注 文 に応 ず る訳 には 行 かな いと 云 ふ こと
こと が起 る事 前 に各 種 の準 備 を や ら なけ れば な ら な い ので、 そ れ迄 も 北 の方 の司 令 官 が指 揮 す る ので は非 常 に不 便 であ り ま す 。 そ こで 之 は全 く特 殊 な状 況 であ つた と思 ひ ます 。 勿 論 原 則 的 に言 へば 一戦 線 ⋮ ⋮ 一作 戦 ⋮ ⋮ 一指 揮 官 が統 一し て や る の に越 し た こと は な いの 殿下
四 〇 、 統 帥 上 の意 志 決 定 の時 期 に 就 て
統 帥 上 の意 志 決 定 の時 期 の問 題 は ど う思 は れま す か⋮ ⋮
之 も戦 況 上 自 然 に時 期 が定 つ て来 た と思 ひ ます が、 やら れ た後 を
顧 み て綜 合 的 な御 所 見 は あ りま せん か 。
其 の目 的 は何 で あ つた ので す か、 又 そ れ が止 め にな つた訳 は
あ り ます 。
徐 州 作 戦 は あ れは 出 先 が 独断 で苦 戦 をし ま し た 。事 実 を作 つ
徐 州 作 戦 の時 はど う でし た か 。
と 思 ひ ます 。
期 は余 程 余 裕 を取 つて や りま せん と 実施 に非 常 な齟 齬 が起 つて来 る
漢 口 が陥 ち て から だ つた と思 ひま す が参 謀 総 長 が行 か れ る と
であ り ます 。 殿下
橋本
橋本
殿下
今 迄 ぶ つか つた経 験 に依 つ て見 ます と中 央 部 の意 志決 定 の時
云ふ話 が あ り ま し た が⋮ ⋮
殿下
橋本
あ の目 的 は 事 変 始 ま つて以 来 陸 軍 大 臣 は 行 き ま し た が参 謀 総
橋本
て後 か ら之 に継 い で急 遽 や つた と 云 ふ こと にな り ま す から特 別 であ
ど う だ つた の です か。
長 は未 だ現 地 に お出 にな つた こと が あり ま せん の で、 一度 是 非 行 つ
(命 令 )
り ます が、 其 の外 は 自 然 に出来 た と 思 ひ ます 。
に就 て
四 一、 方 面 軍 (軍 ) に 附 与 す る 任 務
て 現地 の将 兵 を犒 ら ふ 必要 が あ る と 云 ふ お考 へから お 思 ひ立 た れ て 計 画 を樹 て た の であ り ま す 。而 し御 健 康 の関 係 も あ り ま し て飛 行 機 に は御 乗 り にな ら な い ので 日数 は か か る が船 で行 かれ る こと にな つ た の で あ りま す 。 そ れ で上海 、南 京 だけ でも 御 覧 にな つた なら ば よ
殿下
か らう と 云 ふ の で計 画 を し た ので あ りま す が、 私 は南 京 に お出 にな
所 見 は あり ま せん か 。
方 面 軍 に再 々任 務 を 与 へて居 ら れま す が、 之 に就 いて何 か御
る な らば 飛 行 機 に乗 つ て北 京 に行 か れ て南 北 両 方 を 御覧 に な つ て頂
之 は 原 則 であ る か も知 れ ま せ ん が実 際 や つ て見 ま し て随 分 命
事 実 だ つた と 思 ひ ま す 。
可 な い から 意 志 を は つき り伝 へる の に困 ると 云 ふ こと が あ つた のは
中 央 とし て 一般 に考 へま す こと は感 情 が害 は れ る やう に な つ ても 不
令 の意 図 が解 ら ず に苦 心 し て修 正 を加 へた こと も あ り ます 。 其 の際
橋本
け た ら結 構 だ と思 ひま し た の です 。
近 衛 内 閣 が間 も な く変 りま
そ れ を 止 め ら れ た のは 何 か お 上 の御 都 合 の やう に漏 れ 承 つて居 り ま す。 何 か あ の頃 あ りま し た ⋮ ⋮ 。 さう 〓 した。
が、 戦 闘 序 列 は 表 面 上 以 外 に精 神的 其 の他 の関 係 も あ る と思 ひ ます
ので 工作 が過 ぎ ると 却 つ て悪 い ので は な い かと 云 ふ風 にも考 へられ
う で あ りま し て其 の結 果 が非 常 に よ い やう に見 て居 る 人 も あ り ます
る と思 ひま す が⋮ ⋮
実 際 に或 る命 令 を与 へると 云 ふ時 にな りま す と 云 ふ と 、斯 う 云 ふ
官 な り幕 僚 の性 格 か ら さう 云ふ 風 な習 慣 が あ る と 云 ふ の で少 し制 限
橋本
こと は出 来 な いか も知 れな い から と言 つて示 さな いと か 、 又 は司 令
に手 心 を加 へる と か 云 ふ必 要 があ つた こと も あ りま す が 、 一般 に そ
云 ふや う な こと に基 い て の大 本営 の考 へで や つ た迄 であ り ま せう が、
最 初 の時 機 に於 け るそ れ は 恐 ら く兵 力 の分 配 、 将 来 の作戦 構 想 と
色 々 の事 が あ りま し た。
最 近 は余 り 問 題 が起 つて居 り ま せ ん が、 私 共 が受 身 の時 には
れ は自 然 の中 に加味 さ れ て居 つた と 思 ひ ます 。 そ れ に就 い ては各 〓性 格 と 云 ふも のが あ りま し て人 と 人 、部 隊 と 部 隊 の伝 統 に依 り ま し て違 つて参 り ます か ら必 ず しも さ う だ と は言 へな いの です が問 題 にな ら な い こと も な いと思 ひ ます 。
が出 来 て来 た こと⋮ ⋮ 津 浦 線 に大 き な兵 力 を使 ふ心 算 であ つた が、
そ れ が現 地 の状 況 に適 さ な い為 と 、 もう 一つは 統 帥 上 の大 き な違 ひ
今 言 は れた や う に中 央 から 斯 う 云 ふ風 に せ いと命 令 を さ れ た
こと も あ りま す が 、 夫 れ 以外 に例 へば 何 か問 題 が起 つて居 る時 に中
それ が使 へな くな つた事 や、 例 の太 原 の方 へ出 る心 算 でな か つた師
殿下
団 を 遂 に出 し て仕 舞 つた 事 等 ⋮ ⋮ に依 る ので あ り ます 。
に変 へてや つた方 が良 か つ たと 思 ひ ま す 。
の時 期 にも斯 う 云 ふ形 がよ いと 云 ふ こと が判 つた なら ば 機 を 失 せず
そ こ で之 は結 果 から 見 ると 却 つ て良 か つた の であ り ま す が 、最 初
央 が そ れ を決 裁 す る意 味 で斯 う せよ 、 あ あ せ よ と 云 ふ意 味 の命 令 を
そ れは 部 分 的 にあ り ます ⋮ ⋮出 先 か ら起 つた問 題 に対 し て中
下 し た こと は あり ま せん か 。 橋本
例 へば駐 蒙 軍 が 五 原 の方 へ行 き た いと言 つて来 た時 に、 別 命 あ る
央 が 決裁 す る こと は 勿 論 あ り ます 。
ます。
査 、 人事 異 動 と 云 ふ やう な こと ⋮ ⋮ に就 いて非 常 に困 るも の であ り
又 之 に就 いて は精 神 的 の問 題 も あ り ます が事 務 上 ⋮ ⋮ 即 ち功 績 調
大 体 其 の二 つ の行 き方 があ る の です ね ー。
迄待 てと言 つた やう な こと で あ りま す 。 殿下
方面 軍 の戦 闘 序 列 に就 い ては ど う 云 ふ風 に考 へて居 ら れ ます
は い、 さう であ り ます 。
か。
殿下
橋本
四 二 、 戦 闘 序 列 に就 て
方面 軍 の直 轄 部 隊 は 多 く の余 分 を持 た せ る と 云 ふ遣 り 方 をす べき だ と思 ひ ます 。
橋本
殿下
徐 州 作 戦 の時 第 十 四 師 団 を 第 一軍 か ら第 二軍 に や つた あ の時
へば 一番 初 め の保 定 会戦 の時 に は戦 闘 序列 を其 の儘 にし てや つ て其
殿下
のや う な場 合 に戦 闘 序 列 を ど う し た ら良 いか と 云 ふ所 に難 し い点 が
戦 闘 序 列 に関 し て色 々問 題 があ る や う で あ りま す が⋮ ⋮ 。例
の後 徹 底 的 に改 め る こと に な つて、 其 の間 に色 々 の問 題 があ つた や
う頻 繁 に変 へら れ た の では 戦 闘 序列 の意 義 をな さ ん の であ り ま す が、
橋本
橋本
です か ⋮ ⋮
殿下
得 ず や つた の であ り ま す 。
に途 が な か つた の であ り ます 。 拙 いと 云 ふ こと は 承知 の上 で已 む を
一時 的 に作 戦 の便 宜 上 兵 力 を動 かす と 云 ふ こと は当 然 であ り ま す の
然 し そ れ が為 に却 つて過 早 に転 用 さ れ る部 隊 に其 の こと が漏 れ て
大 き な作 戦 の大 綱 を 決 め て成 る べ く現 地 の統 帥主 脳者 に対 し
い か んと 云 ふ こと も部 隊 の指揮 者 の意 見 に あ つた の です が 、 さう か
或 る戦 役 の某 期 間 に於 け る各 種 の事 項 を規 定 し ま し て も 、 さ
で、之 は軍 隊 区分 と戦 闘 序 列 と 両 方 の使 ひ分 け で いく べ き で あ る の
自然 に無 理 な く出 来 る やう に準 備 を拵 へさ せ て、 之 でよ さ さう だと
あ ると 思 ひ ます が ⋮⋮
は当 然 であ り まし て、 只 其 の程 度 を どう す る か と 云 ふ こと に 帰着 す
云 ふ時 に命 ず る やう に や つ て居 り ま し た 。
そ れ を相 当 急 激 に命 ぜ ら れ た と 云 ふ やう な こと は な か つ た の
ると 思 ひま す 。 実 際 戦 闘 序 列 の整 理 は本 当 に繁 雑 な事 務 で 一人 附 き き り のも のが
と言 つ て之 を 誰 に も知 ら せず にや ると 云 ふ こと は無 理 です か ら成 る
例 へば 突 発 事故 ⋮ ⋮張 鼓 峯 の如 き ⋮ ⋮ が起 つた時 でも 、 いき な り
べく 早 い時 期 に示 し て余 裕 を 与 へる や う に し て置 いた ので あ り ます 。
ら中 央 が切 り 換 へよ う と思 つて も命 令 が出 せ ま せ ん。
は い、 あ り ま す 。現 地 の実 際 の状 況 と 云 ふ も の は各 部 隊 と し
却 つ て 工作 し た為 に結 果 が悪 く な つた場 合 も あ りま せう ね。
居 り ま し て、 他 の者 が見 て も解 り ま せ ん し部 隊 の実 情 が違 ひま す か
殿下
此 の位 兵力 の転 用 を や つた こと は 今迄 な い と思 ひま す が 、 そ
不 十 分 な る兵 力 を以 て未 曾 有 の広 い舞 台 に手 を拡 げ て居 り ま
う す る と ﹁是 非 兵 力 が 必要 だ か ら予 備 を持 つて居 る位 なら 呉 れ、 必
そ こで総 予 備 を 持 つて居 る の が良 いと 云 ふ こと に な りま す が、 さ
つあ りま す 。
す る から と 云 ふ意 味 か ら と、 不 用 なも のを整 理す る と 云 ふ場 合 と 二
し た の で已 む を得 な い こと と思 ひま す 。 兵 力転 用 に は兵 力 を 必 要 と
橋本
れ に対 す る 一般 の感 じ は どう です か⋮ ⋮
殿下
り ま した 。
処 が よ いか ﹂ と 云 ふ こと を予 め 聞 いて か ら始 め て や る やう に し て居
命 令 を出 す と 云 ふ こと を せず に ﹁ど れ だ け の部 隊 を 欲 し い か﹂ ﹁何
橋本 て も相 当 大 き な問 題 であ る と思 ひ ます 。
中 央 から 見 れば 余 り大 き な問 題 では な いか も知 れま せ ん が事 務 的
そ れ に関 聯 し ま し て兵 力 の転 用 と 云 ふ こと が屡 〓あり ま し た
四 三 、 兵 力 転 用 及 総 予 備 的 兵 力 の保 有 に 就 い て
に は さう だ と 思 ひ ます 。
殿下
転 用 は随 分 あ り ま し た。 色 々の遣 り 繰 り を し て や つた の であ
が⋮⋮ 橋本
な る べ く は大 本 営 で予 備 を持 つて居 て其 の予 備 を運 用 し た のであ
要 な時 に は返 す から ﹂ と 云 ふ こと にな つて、 つ い使 つて仕 舞 ふと 云
ります。
り ま し た が 、 そ れ で も兵 力 が他 に要 る と 云 ふ時 には転 用 す る外 に他
ふ やう にな る の で結 局 予備 を持 つこと な し に整 理す る と か或 は 転 用
第 百 四師 団 と か又 は 第 五師 団 を満 洲 に置 いた のは 一時 的 で す
す る と か云 ふや う な場 合 が相 当 多 く な る ので あ りま す 。 殿下 か 、総 予 備 と 云 ふ意 味 だ つた の です か。 殿下
四 四 、 制 令 線 (作 戦 地 域 ) に 就 い て
そ れ か ら作 戦 地 域 と云 ふか或 は制 令 線 と 云 ふ問 題 であ り ます
を持 た ぬ か ら何 処 か で制 限 し な け れば なら な い と 云 ふ こと で已む を
之 は作 戦 す べき 支 那 全 土 が非 常 に広 い の に中 央 と し て も余 力
得ず 起 つて来 た こ と であ り ま し て、 対 ﹁ソ﹂ 作 戦 に於 き ま し て も同
が⋮ ⋮
又内 地 は結 局 最 後 に近衛 師 団 だけ が残 つた こと に なり ま し た が 、
様 であ り ます 。
橋本
之 も武 漢 攻 略 の時 一時使 ふ と 云 ふ計 画 を 樹 て た こと があ り ま す 。 夫
殿下
一時 的 に です が さう 云 ふ意 味 で や つた の であ り まし た。 尚 、
れ は更 に兵 力 が要 る の です が北 に対 す る関 係 も あり まし て満 洲 を 其
ありますが⋮⋮
橋本
の儘 に放 つ て置 く と 云 ふ こと ⋮⋮ 当 時 南 満 に置 いた特 設 師 団 を抜 く
橋本
第 十 八師 団 を上 海 に集結 し た の も さう 云 ふ企 図 で あり ま し た 。
こと ⋮⋮ は 不 可 ぬと 云 ふ ので そ んな 計 画 を樹 て た の です が結 局 止 め
橋本
殿下
師 団 長 も 聯 隊 長 も や つて来 て ﹁是 非出 し て呉 れ﹂ と言 つて来
其 の止 め た理 由 は ⋮ ⋮
し や つと 止 め た方 が よ いと 思 ひ ま す が ⋮ ⋮
殿下
あ り ます 。中 央 が鞭 を 加 へる と 云 ふ こと では 駄 目 です 。
さう です 。 色 々 の影 響 が あ り ま し た。
然 し事 実 に於 ては そ れ が為 に非 常 に感 情 問 題 があ つた やう で
さ せ まし た 。
ま し た が、 当 時 は各 師団 の特 設 師 団 も出 払 つた し、後 から拵 へた新
橋本
さう です ね。 其 の方 が よ いの です 。 併 し随 分 ひ ど い制 令 線 を
色 々問 題 が あ つた や う です が、 而 し 制 令 線 を 示 し た 以 上 は ぴ
併 し出 る のを控 へる遣 り 方 で行 け る やう な ことな ら 非 常 に結 構 で
であ らう と 云 ふ こと は想 像 出 来 る の です 。 け れ ども 大 本 営 の使 ひ得
設 も出 て行 つて 近 衛 師団 だ け が残 つて居 る の で将 兵 以 下 非常 に残 念
殿下
私 共 が受 け た 制令 線 は順 徳 、滄 州 だ つ た と思 ひま す 。当 時 保
事 変 の最 初 に中 央 が示 し た制 令 線 は ⋮ ⋮
ます。
橋本
拵 へた こと もあ り ま す 。 例 へば事 変 勃 発 の時 に も さう いふ のが あ り
又別 の観 点 から す れ ば毎 年 の観 兵 式 に威 容 を整 へて居 た も のが居 ら
定 と 云 ふ も のを 攻 撃 目 標 にし ま し た が、 あ の時 は追 撃 でし た ので石
る新 鋭 の予 備 が 一つも な く な ると 云 ふ こと は危 険 でも あ り ます し 、
なく な ると 云 ふ こと は愈 々日本 も最 後 の 一兵 ま で使 ひ 尽 し た と の感
又第 一師 団 の居 な い帝都 の警 備 上 も 不安 がな い ことも な いか ら です 。
を諸 方 面 に与 へる こと も考 へな け れ ば な ら ぬ から です 。
た が 、追 撃 だ つた から 私 共 は意 に介 せず やり ま した 。
家 荘 ま で行 つて仕 舞 ひ ま し て其 の時 に制 令 線 と 云 ふも のを受 け まし
殿下
四 五 、 瓦 斯 使 用 問 題 に就 い て
最 後 に伺 ひ度 いの は瓦 斯 使 用 の問 題 であ り ま す が 、 之 は結 果
瓦 斯 使 用 は好 ん で や ら せた く な いと 思 ふ の で あ り ま す 。 ﹁或
論 から 見 てど う 云 ふ風 に考 へて居 ら れ ま す か ⋮ ⋮ 橋本 る特 殊 な部 隊 は 瓦 斯 を 使 つて も よ い か﹂ と 云 ふ意 見 具 申 をし て来 た
あり ま し て、 最 初 に使 つた と 云 ふ こと は非 常 に相 手 の宣 伝 材 料 にな
部 隊 が あり ま す が 、 矢 張 り あ あ 云 ふ のは 無 防備 の都 市 爆 撃 と同 じ で
りま す から 其 の結 果 得 る所 よ りも 失 ふ害 が多 いと 云 ふ こ とを 考 へま
山 西 の山 の中 で匪 賊 を や つ つけ る時 に山 地帯 で どう にも 作 戦 が思
す と ど う も 悪 いや う に思 ひ ます 。
ふ やう に行 き ま せ ん ので 一部 に許 し てや り ま し た こと も あり ま す 。 而 し そ れは敵 の宣伝 に使 は れ る やう な害 が少 な い と 云 ふ の で之 れを
之 れは 将来 も 色 々な問 題 が あ る と思 ひ ま す。
使 用 す る のを 許 し た と 云 ふ程 度 であ り ま す 。
而 し 相 手 が支 那 です か ら大 体 瓦 斯 ま で使 は な く て は な ら ぬと 云 ふ 必要 も な いや う で あ り ます が、 相 手 に依 つ ては そ れ を考 へな け れば なら ん こと も あ り ま し て 、 必ず し も之 れを 使 ふ の に遠 慮 す る 必要 は な い と思 ひま す 。 ︹ 註 ︺ 本対談も石原中将回想応答録 と同じく昭和十四年秋竹 田宮恒徳王 に よ って行われたも の。橋本中将 は昭和十 一年八月より支那駐屯軍参謀長、十 三年 一月より十四年九月まで参謀本部第 一部長。
九二
次
下村 定 大将 回想 応 答 録
( 参謀本部作成)
十 一、南 京 追 撃 に就 て 十 二 、山 東 作 戦 に就 て
目 一、統帥機構 に就 て
十 三 、南 支 作 戦 に就 て
一
事変処 理に関す る部外 の意嚮 に就 て
中央部 に於 ける事変処理 の手続 に就 て
事変 前に於 ける情勢判断に就 て
十 六 、雑 感 ( 幕 僚 勤 務 に就 て)
十 五 、 独逸 大 使 の斡 旋 によ る和 平 問 題 に就 て
十 四 、 長期 に亙 る作 戦 指 導 方針 に就 て
二、事変当初 に於 ける陸軍中央部内 の空気 と出先軍其 の他 の態
二
度
三 事変 の拡大
七、状況判断其 の他 に関す る補足的説明
六、太原攻略下令
五、十月初旬 に於け る状況判断
居 ら れ ます が其 の御 考 への理 由 に就 て簡 単 に御 話 し 願 ひ ま す 。
分 離 し て統 帥 は大 本 営 で、 政 治 は内 閣 で や る と い ふ こと を 強 調 し て
考 へも あ る やう です が、 先 日 頂戴 し た書 き 物 には 政 略 と統 帥 方面 を
り 、 或 は 其 の両 方 の上 に何 か特 別 な機 関 を持 つて行 く と い ふや う な
殿下
一、 統 帥 機 構 に 就 て
四 三、上海方面出兵 と戦線膠着
八、杭州湾上陸作戦、中支方面軍編成及白茆口上陸戦
四、九月 二十 日上奏 の作戦計画 の大綱
九、大本営設置 に就 て
下村
原 則 的 に考 へま す と ど う し ても 一元 化 し て、 も つと強 力 なも
最 近統 帥 と政 略 と を 一元 化 し て強 力 にす る等 特 殊 な機 関 を作
十、第 一回大本営御前会議 に就 て
現 の難 易 も考 へな け れ ば な り ま せん 。 又〓 に 一つ人 の問 題 があ る と
の を作 り 、そ れ が統 轄 す る こと にな れば 一番結 構 だ と思 ひ ます が実 す。
帥 の範 囲 を 何処 ま で入 れ る か と い ふ限界 は非 常 に難 し いの であ り ま
殿下
後 は お互 の連 繋 で やれ ば良 いと思 は れ る のであ り ます か。
良 いと思 ひ ます 。
然 し矢 張 つ統 帥 の範 囲 は 何処 ま で だと 云 ふ所 は確 つか り し た方 が
と言 ひ難 いか も知 れま せん が 、我 が平時 体 制 から 比 較 的容 易 に成 立
実 効 が挙 が ら な い の であ り ます 。 前 に書 いて差 上 げま し た のは満 点
は い、左 様 であ りま す 。
思 ひま す 。如 何 に理想 的 の機 構 でも 当事 者 ︱ ︱其 の人 を得 な け れば
し 且適 切 な運 用 の出 来 る可能 性 があ り ます 。 其 の代 つ 又 不徹 底 な所
閣 下 の関 係 さ れ た統 帥 の事 実 を経 過 を逐 つて御 話 し願 ひ度 い
本 日 の御 話 は統 帥 全 般 に就 て申 上げ た い ので あ りま す が、実
は当 時 の色 ん な記 録 を持 つて居 りま せ ん。 それ から事 変 発 生 後 私自
下村
と思 ひ ま す 。
下村
昭和 一五、 五 月 提出 ﹁ 支 那 事 変 に於 け る中 央 部統 帥 研 究資
殿下
︿註
も あ りま せう 。
そ れ から 今 のに連 繋 し て大本 営 の機 構 に関 す るお 考 へを書 い
料﹂ ( 以 下 筆 記提 出 資 料 と略 称 )第 一参 照﹀
病 気 をし た り何 や かや し た関 係 で残 念 では あり ま す が は つき りし な
て頂 き ま した が 、此 の中 に閣 僚 等政 略 方 面 の 一部 を大 本 営 に 入 れな
殿下
い点 が御 座 います の で、 止む を得 ず 今 手許 にあ る粗 雑 な私 個 人 の日
田 次長 に差出 し て全 部 は持 合 せ があ り ま せ ん。 又 其 の当 時 の記 憶 も
下村
記 を基 礎 と し て申 上 げ ま す か ら其 の場 面 も非 常 に狭 く あ り ます 。 又
身 が書 い て出 し た意 見 あ た りも な い こと はあ り ま せ ん が、 そ れは多
営 其 のも の の中 に統 帥 関 係 の者 以外 の人 を 入 れ る と いふ こと は弊 害
部 外 の主 管 に属 す る こと や其 の外 に部 と陸 軍 省 と か政 府 と か の間 に
は い、 左 様 で あ りま す 。 之 も実 際 人 の問題 で あり ま す 。大 本
を生ず る こと が 多 いと信 じ ます 。 将来 常 に左 様 か ど う か と いふ こと
い方 が良 い と い ふお考 へ のやう です が ⋮⋮
は 現在 の所 では 判 り ま せ ん が、 兎 に角 統 帥 と いふ も のは首 尾 一貫 し
起 つた事 に就 て承 つた こと も あ りま す け れ ど も之 は 記 憶 の程 度 が不
り度 いと存 じ ま す。
置 きま し た が若 し既 に御 研究 済 み で御 存 じ の所 があ れ ば省 略 し て参
大 体 それ に ( 中 央 部 統 帥 に関 す る 口演 事項 要 目 ) に順 序 を書 い て
思 召 で お聴 き 取 り を願 ひ度 いと存 じ ま す 。
甚 だ失 礼 な申 分 でご ざ います が私 個 人 の日記 を御 覧 にな る やう な
十 分 な る点 少 く あ りま せ ん ので省 略 致 し ます 。
不 可 侵 で行 つた方 が良 いと思 ひま す 。 統 帥 の定 義 と いふ やう なも のに就 い て です が 、現 在 の武 力 戦
だけ を言 ふ の では な く 凡 ゆ る方 面 即 ち政 略 、 経済 、外 交 其 の他 も 一
殿下
緒 にし た も のを 以 て戦 争 指 導 と い ふ風 に定 義 を下 し て其 の中 の 一部 に統帥 を 入 れ て居 る 向 も あ りま す が 、其 の関 係 は ど う い ふ風 に見 ら
統 帥 は武 力戦 と直 接 之 に関 聯 し た事 項 とを謂 ふ も の であ る と
れま す か 。 下村
考 へます 。 又 戦 争指 導 の主 な るも のは先 づ 武 力戦 で あ りま す が 、統
下村
二 、 事 変 当 初 に 於 け る 陸 軍 中 央 部 内 の空 気
事 変 前 に於 け る情 勢判 断 に就 て
と 出 先 軍 其 の 他 の態 度
一 先 づ第 一に事 変 当初 に於 け る中 央 の空 気 と 云 つた や う な こと
代に聞知 せる事頃を述べたり
そ れ はあ り ま し た。
事 実 支那 一国 に対 す る作 戦 計 画 と いふ も のが あ つた ので す か。
そ れ は具 体 的 な所 ま では 行 つ て居 ら な か つた のです か。
下村
作 戦 計 画 と言 つ ても真 物 を手 に取 つて読 ん だ訳 では あ りま せ
殿下
殿下
ん から 、 そ れ が何 処 ま で進 ん で居 つた か判 り ま せ ん。
下村
聴 き ま し た が概 要 であ り ます 。
石 原 中 将 の話 は お聴 き にな り ま し た か。
之 に就 ては石 原 が当 時 第 一部長 と し て色 々や つて居 りま し た が 、
殿下
其 の時 に御 話 のあ つた こと と思 ひま す が石原 第 一部 長 は 当時
を申 上 げ る考 で あ り ます 。其 の前 に稍 〓余 談 的 で あ りま す が 、丁 度 事変 の前 の年 の昭和 十 一年末 に京 都 、 名 古屋 地方 に かけ て参 謀 次 長
下村
召 集 さ れ まし た 。当 時 現 役 の大 将 は勿 論 在 郷 の大 将 も特 に見 学 の為
て、 同時 に 二方 面 に作戦 を や る と い ふ こと は仲 々難 し いと いふ の で、
日 本 の国 力 と い ふ こと に就 て非 常 に心 配 し て居 ら れ た ので あ りま し
其 の時 には 偶 然 に も今 度 の事 変 で兵 団 長 を や つた将 官 が十 人許 り
の統裁 で行 は れ ま し た将 官 演 習 に就 て 一寸 申 上 げ ます 。
召 集 され ま し た。 大 体 図 上 の研 究 で現 地 と申 し まし ても国 内 の こと
る其 の他 の問 題 に関 し ては な る べく 温 和 主義 で や つて行 き た いと い
事 変 前 は ﹁ソ ビ エ ット ﹂ に 対 し て満 洲 を し つか り固 め て支 那 に対 す
ふ考 へであ つた らし い ので あ り ます 。 先 づ さ う い ふ風 な 状 態 で事 変
故 予 想 戦 場 と は無 関 係 であ り まし た が 、演 習 の想 定 は 日本 が支 那 及
づ支 那 を 撃 ち そ れ から 向 を変 へて ﹁ソビ エ ット﹂ に当 る と 云 ふ仕 組
二
が始 ま り ま し た 。
﹁ソビ エット﹂ に対 し て戦 をす ると い ふ の であ り まし て、情 勢 上 先
で あ りま し た が 、其 の 一般 情 勢 と か支 那 の内 政状 態 とか或 は蒋 介 石
上先 づ支 那 を や つて そ れ から反 転 し て ﹁ソビ エ ット﹂ に対 し て や る
試 み で あり ま し た が、 其 の当時 中 央 部 に於 き ま し て実 際 の情勢 判 断
と いふ やう な こと に就 て演 習 を や つた の でご ざ います 。 之 は 一つ の
長 会 議 を開 き ま し た 。 さう し て毎 日 不定 期 に集 り ま し た。 会 議 と 申
屯 軍 司 令 官 が代 り ま し た が、 其 の代 り まし た 日か ら参 謀 本 部 では 部
ら平 時 の系 統 通 り に行 つた の であ り ます 。 そ し て 七月 十 二 日支 那 駐
下村
当 時中 央 部 に於 け る業 務 は大 本 営 が未 だ出 来 て居 りま せ ん か
と いふ計 画 を 具 体的 に策 定 し て居 た か どう かと いふ こと は 私 は疑 問
に犯 さ な いと いふ やり 方 で行 きま し た 。然 し自 然 に第 一部 と第 二部
し ま す け れど も 大 体 会報 の程 度 であ り ま し て決 し て主任 の仕 事 は互
中 央 部 に於 け る事 変 処 理 の手 続 等 に就 て
と軍 閥 の関係 も 大体 現 況 の通 り の仕 組 にし て作戦 謀 略 、占 領 地行 政
に思 つて居 り ま す。
と の間 には考 へ方 の相 違 が出 て来 て色 々議 論 が出 ま し て、 会議 の や
﹁速 記 中 止 ﹂ 此 の部分には参謀本部 に於ける作戦諸計画 (事変前)に就 て第四部長時
れば 自 然 に問 題 の解 決 が出来 る の であ り ま す が、 其 の辺 を判 つき り
す 。 私 共 は脇 から 見 て居 り ま し て之 は 国 に対 す る判 断 が 一致 し てあ
当 に反 対 の声 が あり 、 之 が為 石 原 も非 常 に苦 境 に立 つた ので あり ま
行 かう と いふ腹 であ つた ので す が、 そ れ に 対 し て今 申 し た やう に相
の事 件 は 国内 態 勢 、 国 力 、 又 対 ﹁ソ﹂ 関係 と いふ見 地 よ り 不拡 大 で
う な形 に な つた時 も 沢山 ご ざ いまし た 。其 の時 に第 一部長 は依 然 此
下村
す か。
殿下
下村
色 々判断 に依 つて異 る意 見 が あ つた や う で あ り ます 。
は色 々議 論 があ つた の で せう が 。
殿下
個 人 個 人 に依 つて積極 的 或 は消 極 的 に考 へが異 つ て居 た の で
ま し た。 之 は 既 に御 存 じ の通 り であ り ます 。
此 の動 員 が保 留 にな つた時 にも 積極 論 者 は色 んな こと を申 し て居 り
初 め は情 勢 上 、不 拡 大 主義 の梅 津 次 官 が陸 軍 省 をし つ かり握 られ て
蒋介 石側 の態 度 暴 戻 の為 或 る時 期 か ら方 針 が変 り ま し た が、
当 時 陸 軍 省 の気 分 もさ う な つて居 つた ので す か ⋮⋮ 此 の中 に
る筋 に よく 説 明 し た方 が良 いで はな いか﹂ と 石 原 に申 し た の であ り
他 の者 が考 へな いか ら 不可 な いのだ と 考 え て、 ﹁之 を 当時 責 任 のあ
ま す が、 第 一部 長 と し ても そ れ を具 体 的 に言 ふ訳 に参 り ま せ ん ので 、
した。
居 た も のです から 、陸 軍 省 は外 に対 し て非 常 には つき り し て居 り ま
九 月 中 旬 か ら 一週 に 一回 づ つ三官 衙 の主 な る 者 が陸 軍 省 に集 ま り
色 々意 見 に阻隔 を生 じ た次 第 であ り ます 。
殿下
﹁速 記 中 止 ﹂
関 係 のあ る事 項 は お話 し願 ひま す 。
関 東 軍 と か朝 鮮 軍 と か の こと も申 上 げ ま せ う か。
下村
ま した 。 之 は公 式 の会 合 では あ り ま せ んけ れ ど も食 事 の前後 に集 ま る と い ふ こと であ つ て、 参謀 本 部 の部 長 会議 、陸 軍 省 の局長 会 議 と
四
事 変 の拡 大
此処は朝鮮軍、関東軍等 より中央 に対し行はれたる事変処理に関する意 見具申の ことに就き述べたり。他 の部分に関係 なし。
い ふも のを合 併 し た形 にな つた のであ り ま す 。
事 変 処 理 に関 す る部 外 の意 嚮 に就 て
それ か ら大 本 営 にな つた の であ りま す 。 三
次 は各 方面 の意 嚮 であ り ます が 一口に申 し ます と 、 中央 から 遠 い
拡 大 し て、遂
に八 月 に は 上海 にも 其 の戦 火 が拡 大 し ま し た の で遂 に政 府 も今 迄 の
斯 う いふ こと を致 し て居 る間 に事 変 の方 はど ん〓
不拡 大 主 義 を 一擲 す るや う に な り まし た 。
方 面 の方 が却 て其 の意 見 は積 極 的 な 方 針 を主 張 し、 言 論界 でも 右翼
を書 つ て参 る やう にな り ま し て 、石 原 も 此 の応 酬 には 相当 骨 が折 れ
方 面 は 特 に強 硬 な意 見 を 持出 し 、又 出 先 方面 か らも 非 常 に強 い こと
殿下
其 の時分 に政 府 が出 し た あ の声 明 が却 て敵 を刺 戟 し た やう な
た こと と 思 ひ ます 。
第 二十師 団 を応急 派 兵 で 出 し ま し た。 当 時支 那駐 屯 軍 では
下村
点 は あり ま せ ん か。
中 旬 に飛 行隊 の大 部 が南 満 に集 中 せら れ ま し た が、 内 地兵 団 の動員
﹁不 拡 大 と言 つても 動員 し て内 地 から兵 を北 支 に出 し て は却 て交渉
さう し てあ る時 期 迄 は不 拡 大 方針 を堅 持 し て参 りま し て最 初 七 月
は 一日 延 し に延 期 され て七 月 二 十七 日ま で保 留 さ れ た ので あ りま す 。
上 困 る﹂ と言 つた こと も あ りま し た け れ ど も 、大 体 は私 は寧 ろ 動員 下村
よ く な か つた の で相 当困 難 であ つた の で はな い のです か。
て色 んな非 難 の声 が起 り ま す の で吾 々は どう し ても 増 兵 し て やら な
万 来 て居 る と い ふ こと で あ り、 戦 況 は さ つぱ り進 展 し ま せ ん。 そし
海 に三 十 万 、浦 東 に二 万 、上 海 西 部 地 区 二十 万 、 羅店 鎮 方 面 に十 八
⋮ ⋮敵 情 の方 は 最 初 は色 々情 報 が あ り まし て大 体 九 月中 旬 には 上
出師準備 に関する事項 の 一端を述べたり。憚 る所あるを以て収録 せず。
此処 には事変前 に於け る中央 部としての情報蒐集、軍事 上の偵察其 の他
﹁速 記 中 止 ﹂
派 遣 の方 が情 勢 の進 展 悪化 より 遅 いと 見 て居 り まし た 。此 方 が挑戦
と 思 ひま す 。
的 に準備 し た か ら向 ふが益 〓や つて来 た と いふ こと は先 づ な か つた
三 、 上海 方 面 出 兵 と戦 線 膠 着
下村
で あ りま す 。
け れば な ら ん と思 つて居 り ま し た。 さ う いふ状 態 で十 月 に 入 つた訳
中 央 部 の計 画 で 七 月中 に取敢 ず 内 地 部 隊 の動 員 の要 し ます る
の は五 ケ師 団 と な つ て居 りま し た 。其 の中 の 三ケ師 団 は北 支 に当 つ
四 、 九 月 二 十 日 上 奏 の作 戦 計 画 の 大 綱
て 、後 は 予備 の為 に取 り 、将 来 の推 移 に依 つて青島 か 上海 に持 つ て 行 かう と いふ考 へがあ つた の であ り ま す ⋮ ⋮ 。之 は 私 が当 時 直 接 参 劃 し た訳 では あ りま せん が ⋮ ⋮。 然 る に上海 に戦 火 が 及 ん で遂 に海 軍 だけ では 不可 ぬ と云 ふ ので、 此 の予 備 の師 団 (二ケ 師団 ) を取敢
これ は石 原 中将 か ら申 上 げ ま し た でせ う が 、此 の計 画 策 定 の
基 礎 は 一番 初 め にも申 上 げ まし たや う に 、当 時 ﹁ソ﹂ 聯 を非 常 に 重
下村
大 に考 へて居 ま し て其 の年 の十 一月頃 に な つたら ﹁ソ﹂ 聯 が動 い て
ず 持 つ て行 つた 訳 で あり ま す 。
は い、 さ う で あり ま す 。
来 るだ ら う と考 へられ た ので そ れ迄 は油 断 が出 来 な いと いふ見 地 で
結 局 止 む を得 ず あれ を や つた と い ふ の であ りま す か 。
従 つて軍 司 令 官 に与 へま し た 任務 も ﹁上 海 附 近 の敵 を掃 滅 し居 留
ま した 。
出 来 て居 り ます 。 従 つ て次 の作 戦 方 針 は 斯 う いふ こと に な つて居 り
殿下
民 を保 護 す る⋮ ⋮﹂ と いふ消 極 的 な こと であ り ま し た の で、 之 は松
下村
井 軍 司令 官 も 大 分 不満 足 だ つた ので あ り ます 。送 別会 の挨 拶 で も此
第 二項 の ﹁ 右 作 戦 に於 て目的 を達 せざ る時 は ⋮⋮ ﹂ で切 れ て居 り
作戦 計 画 本 文 の要 旨 は別 に提出 せ り。 (口演要 旨 参 照 )﹀
ま す が、 此 の切 れ て居 る所 を申 しま す と ﹁ 当 時 の情 勢 に於 て変 化 あ
︿註
そ し て九月 半 にな り ます と段 々戦 況 が難 しく な り ま し て、 何 と か
の こと を申 さ れま し て省 部 の列席 者 は大 いに困 つた のであ り ます 。
しな く ては なら ぬと いふ の で第 一次 の増 兵 を やり爾 後 又 兵 力 の逐 次
尽 し て敵 の持 久作 戦 意 志 を挫 折 せ しむ ると共 に直 接 対 支 作戦 に使 用
ら ば地 上 の兵力 を 以 てす る積 極 的 作 戦 を 中 止 し其 の他 の各 種 手 段 を
兵 要 地誌 と か い ふも の の調 査 も 不十 分 だ つた し、 敵 情 判断 も
使 用 にな つ た の であ り まし た 。 殿下
す る兵 力 を節 約 し て主 と し て満 洲 其 の他 に待 機 せし め 対 ﹁ソ﹂ 作 戦 の準 備 を整 へ戦 争 の持 久 に備 へる﹂ と いふ こと であ り ま し て、 其 の ﹁積 極 的作 戦 と持 久 作 戦 と の限 界 を 十 月末 ﹂ と予 定 し て居 つた の で あ り ま す。 其 の次 の兵 力 使 用 区分 及任 務 。
aの北 支 方 面 は 八 ケ師 団 但 情 況 に依 つては 九 ケ師 団 を 以 て中 部 河
此 の対支 決 戦 時 期 に就 て。
北 省 の敵 を撃 破 す ると いふ の であ り ます 。 b の上 海 方 面 は 五 ケ師 団 を以 て上海 周 辺 の敵 を撃 破 す ると い ふや
殿下
は い、 さ う であ り ます 。 当時 未 だ そ の思 想 が抜 け て居 ら な い
結 局 は矢 張 り 不拡 大 と い ふ根 本 思 想 に依 つ て出 た も の です か。
う に其 の任 務 も 極 く 局限 さ れ て居 り ます 。
下村
支 那 の方 面 の作 戦 に就 て聞 き ま し た こと、 及 其 の後 第 一部 に替 り
の であ りま す 。
支 那 に対 し ては さう い ふ風 に或 る時 期 迄 し か決 め て あ りま せ んけ
ま し て直 接 課 長 か ら聞 き まし た こと を御 参 考 に申 し 上 げ ます 。
れ ど も、 其 の判断 の裏 では 対 ﹁ソ﹂ 準 備 を し て支 那 がど う出 て来 て も対 ﹁ソ﹂ 年度 計 画 を徹 底 的 にや ると い ふ こと で 、第 一部 では気 合 を かけ て居 り ま し た。
︿註
五、 十 月 初 旬 に於 け る状 況判 断
本 状 況 判 断 は当 時 の記 録 では其 の題 名 を ﹁ 爾 後 の作 戦 に関
又其 の内 容 中 、原 案 に は察 蒙 方 面 に於 け る関 東 軍 と北 支 方面 と
す る件 ﹂ と せら れ あ る筈 。
決
の地境 を定 め あ り し も出 先 と連 絡 の結 果 削 除 せ ら れ たり ﹀
判
状 況 判 断
一、軍 ハ速 カ ニ上海 方 面 ニ於 テ所 望 ノ戦 果 ヲ獲 得 スル コト ヲ求 ムル
情 勢 ニ依 リ山東 方 面 ニ作 戦 ス ル コト ア ル ヲ予期 ス
ト共 ニ北 支 那 方 面 ニ於 テ ハ占 領 地域 ヲ安 定 確保 ス
二 、北 支 那 及 上海 方 面 ノ作 戦 所期 ノ目 的 ヲ達 成 シタ ル後 ニ於 テ ハ持
置
久作 戦 ニ移 リ主 ト シテ航 空 作 戦 ヲ以 テ要 地 ノ攻 撃 ヲ続 行 シテ敵 ノ戦
処
意 ヲ喪 失 セ シ ム
1 、 上海 派 遣 軍 は 現 任務 ヲ続 行 ス
一、 上 海 方 面
2 、 第 十軍 ヲ以 テ杭 州湾 北 岸 ニ上 陸 セ シメ上 海 派遣 軍 ノ任 務 達 成 ヲ容 易 ナ ラ シム
一ニ当時 ノ情 勢 ニ依 ル
3 、 上海 周 辺 ノ敵 ヲ掃 滅 シ南 京 ト上海 ト ヲ遮 断 シタ ル後 ノ作戦 ハ
併 し乍 ら 当事 者 は蒋 介 石 が確 乎 た る抗 日意 志 を持 つ て居 れ ば第 三 国 も相 当 に肩 を入 れ てや ると いふ こと は判 断 し て居 つた やう です 。
1 、北 支 那 方 面軍 ハ太 原 ︱ 石 家 荘︱ 徳 州 ノ線 ヲ確 保 シ占 領 地域 ノ
二、 北 支那 方 面
同 時 に又 支 那 は或 る時 機 にぽ つき り折 れ る の で は な い かと い ふ感 じ
之 には 別 に何 も根 拠 は あ り ま せ んけ れ ど も⋮ ⋮
も当 時 持 つ て居 りま し た ⋮ ⋮
安 定 ニ任 ス ルト 共 ニ軍 隊 ノ整頓 及戦 力 恢復 ニ勉 ム
積 極 的 にや つて居 りま す 。
致 し まし ては察 哈 爾 、綏 遠 の方 は関 東 軍 の兵力 で以 てど ん〓
之を
但 蒙 古 の方 面 は出 動 兵 力 竝 地 理 的 状態 上捨 て て置 い ても余 り心 配
か判 らな い。
居 り ます 。 此 の方 はと て も向 意 気 が強 く て捨 て て置 け ば 何処 迄 行 く
山 西 、綏 遠 に は関 東 軍 と 北支 方 面 軍 の両 方 か ら兵 力 が出 て や つて
2 、方 面 軍 ハ逐 次 ニナ ル ヘク多 ク ノ兵 力 ヲ集 結 ス其 ノ集 結 地並 ニ 之 カ用 途 ハ情 況 ニ依 リ定 ム ル モ約 三 ケ師団 ト予 定 シ用 途 ハ左 ノ場 合 ヲ包 含 ス
ロ、在 察 哈爾 第 二十 六 師 団 ト交 代 セ シ ム
イ 、中 央 直轄 ト シ テ満 洲 又 ハ方 面 軍 占領 地域 内 ニ位 置 セ シム
況 であ り ま し た。 又 河北 省 方 面 は 御 存 じ の通 り制 令 線 で切 つてあ つ
は な いが 、山 西 の方 面 は余 程 巧 く 統 制 し て やら ん と難 し いと い ふ状
た の です が 、 それ を ど ん〓
ハ、海 州附 近 ノ上 陸 作 戦 ニ使 用 ス 3 、持 久 作戦 ト ナ リ タ ル場合 ニ ハ駐留 態 勢 ニ移 リ航 空 部隊 ヲ以 テ
越 え て九 月下 旬 には 保定 、滄 州 を取 り
南 方要 地 ノ攻撃 ヲ続 行 ス
九 月 に入 り ま し て引 つ懸 り 、 二 つち も 三 つち も行 かな いと い ふ状 況
る ⋮ ⋮戦 は割 合 に楽 に行 く も の です か ら益 〓鼻 息 は荒 い⋮ ⋮上 海 は
ま し て其 の次 には有 名 な制 令 線 、 石 家荘 、徳 州 の線 に引 つ懸 つて来
ム
1 、太 原 占領 後 関 東 軍 司 令官 隷 下 部 隊 ハ逐 次満 洲 国 内 ニ歸 還 セ シ
にな つて斯 う い ふ こと で は どう し ても 此 の際 何 んと か整 理 をし な け
三 、察 蒙 方 面
2 、右 ノ場合 関 東 軍 ト方 面軍 ト ノ作 戦 地境 ハ概 ネ 外 長 城 ノ線 ト予
は 其 の前 に次 長 が替 り まし たし 、 又 此 の頃 陸 軍 省 では軍 務 局 長 が替
れ ば な ら な いと いふ情 勢 に あり ま し た が 、他 面 、 部内 に於 き ま し て
但 第 二十 六師 団 ヲ依 然 察哈 爾 省 ニ位 置 セシ ム ル場合 ニ於 テ ハ同
の際 部内 の意 志 の統 一を す る こと が 必要 であ り ま し た。 それ 等 の関
り 、参 謀 本 部 では私 が第 四 部 長 か ら第 一部 長 に替 り ま し た の で、 此
定 ス
区處 ヲ受 ケ シ ム
師 団 長 ハ察 哈爾 省 ノ治 安 維持 等 ニ関 シテ ハ北 支 那 方 面 軍司 令 官 ノ
四 、山 東 方 面
殿下
係 で 此 の状 況 判断 を や つた 訳 で あ り ます 。 ︹ 敏雄︺ ︹ 匡武︺ 此 の時 に西 村 少 佐 、 公 平中 佐 等 が状 況 判 断 を や つて居 り ます
山 東 ニ対 ス ル腹 案 左 ノ如 シ
起 草 し てや ら う と思 つて居 り まし た所 に 、公 平 が ﹁今 後 の作 戦 に関
十 月 始 め に何 う し ても状 況 判 断 を やら な くち やな ら ぬ と思 つ
下村
が 、 そ れ から 之 が議 決 され た も のです か。
那 及 上海 方 面 ヨリ抽出 セ ル若 干 ノ兵団 ヲ海 州 ニ上陸 セ シ メ徐 州附 近
て居 り まし た ので、 月 始 め に取 敢 ず 西 村 少 佐 に状 況 判 断 をや れ と命
上 海 方面 ノ作 戦 一段落 ヲ告 ケ タ ル後 ニ於 テ当時 ノ情 勢 ニ依 リ北支
ニ進 出 セ シ ムルト 共 ニ北 方 ヨリ濟 南 ヲ攻 略 セ シ ム此 ノ両 者 ノ攻撃 ハ
令 し ま した 。 そ こで十 一日 に西 村 が持 つて来 た の を基 礎 にし て私 が
右 の状 況判 断 を やり ま し た動 機 であ り ます が、 当時 の戦 況 と
南 北 相呼 応 シ テ略 〓同時 ナ ル ヲ予期 ス 下村
す る件 ﹂ を起 案 し て持 つて来 ま し た ので、 そ れ で会 議 を開 き ま し た あ りま す 。
な方 法 で増 兵 す る と い ふ こと も 決 め ま した 。 之 は最 後 に纒 め た の で
之 が其 の後 の統 帥 の凡 て の基 礎 にな つ て居 る のであ り ます か。 下村
六 、 太原 攻 略 下 令
が 公平 が此 の主 任 で あ りま す ので其 の案 を基 礎 に し て決 定 案 を作 つ た訳 であ り ま す 。其 の時 には 之 に状 況 判 断 と銘 を打 つた訳 では あ り
殿下 は い、 大体 之 が基 礎 にな つて居 る の であ り ま す。
ま せ ん が其 の内 容 に は各 方 面 でも異 存 のな いも ので あり ま し た。
下村
東 軍 は切 に太原 を取 り た いと いふ こと を 申 し て来 ま し た 。
ふ状 況 だ か ら は つき り 太原 を奪 る やう に命 令 し た方 が良 いと い ふ こ
つたや う であ り ます ⋮ ⋮ 。非 公 式 には 言 つて来 まし た け れど も⋮ ⋮ 。 ︹ 多田駿中将︺ 十 月 二日朝 作 戦 室 に偶 然 に次 長 が入 つ て来 ら れま し た ので、 当 時第 ︹ 武藤章︺ 三課 長 も 私共 も集 り ま し て 、其 の席 上 で第 三課 長 は斯 う〓 斯 う い
と ころ が 方面 軍 では そ れ に 対 す る議 論 が は つき り決 つて居 らな か
隊 が大 同 へ出 て其 の機 械 化部 隊 は代 州 あ た り ま で出 て居 り ま し て関
少 し 具 体的 に申 し ま す と 、十 月 初 め に山西 の方 は関 東 軍 の部
其 の時 に第 二課 か ら出 たも のは時 期 の遅 れ た も のです から議 題 に ︹ 河邊虎四郎︺ な り ま せ ん でし た 。 そ し て只 第 二課 長 を会 議 に呼 ん で其 の研 究 を し
下村
と を 説 明 し まし た 。私 は当 時 第 一部長 に な つた ば か り で何 にも 判 ら
此 の状 況 判断 と いふも のは其 の結 果 ど う いふ風 にな つた ので
限 定 せず 十 月初 め よ り数 日 に亙 り各 人 のや つて居 る 日 々の発令 其 の
な か つた のであ り ます が 、太 原 は大事 な所 であ るか ら敵 も 相 当抵 抗
た の であ り ま し た。
他 の仕 事 を続 け な が ら逐 次 研究 を や つた の です が 、其 の中 に は最 初
す る で あ らう と 思 つた の で現 在 の戦 力 と補 給 関 係 は どう い ふ こと に
殿下
と大 分 違 つた状 況 に な つて参 り ま し た所 も あ り 、実 際 は急 ぐ 方面 か
そ れ は後 に申 上 げ ま す 。 此 の状 況 判断 は ﹁何 日 に於 け る﹂ と
す か、 之 は参 謀 本 部 の総 意 と し て発 表 され た のです か。
ら逐 次 に纒 め て行 つた ので あ り ます 。順 序 と致 し ま し て先 づ十 月 二
だ と いふ ことを言 つて居 りま し た 。
次 に 上海 の方 の増 兵 を決 定 し た ので あり ま す が 、之 も今 から考 へ
は必要 の部 分 を逐 次 内 示 し て発 令 せ ら れ た り﹀
は ﹁そ れ な らば や つて も宜 から う と思 ふ が﹂ と言 は れ尚 共産 軍 が後
る﹂ と の答 だ つた ので、 其 の旨 を 私 が次 長 に申 し たと ころ が 、次 長
と し て第 五師 団 は 引 き抜 け る か﹂ と聞 く と第 三 課長 は ﹁そ れ は出 来
そ こで私 は ﹁上海 方 面 に対 す る増 兵 を行 ふ場 合 、上 陸 作戦 を や る
な つて居 る かと質 問 し ま し たら 、 第 三課 長 は 其 の辺 の こと は 大丈 夫
日 には 山 西 に対 す る処 置 を研 究 しま し た。 ︹ 七、参照︺ ︿附 記 (42︱ 43 頁 参 照 )本 状 況 判 断 は十 月 初 め よ り逐 次研 究 を重
ると何 ん でも な い当然 の こと を仲 々そ こま で行 か な か つた の であ り
ね十 二 日取纒 め次 長 の決 裁 を経 、 総 長 に報 告 せり 、 外部 に対 し て
ま す。
こと を心 配 せら れ まし て ﹁一寸待 つて呉 れ﹂ と いふ こと であ り まし
方 を撹 乱 す ると 云 ふ こと を 言 は れ て先 き 私 が申 しま し た こと 以外 の
第 三 に河 北 に対 す る方 針 を決 定 し ま し た が更 に 上海 を どう いふ風
第 二部 と し ま し ても ﹁此 の際 太 原 攻 略 を命 令 し た 方 が よ い だ ら
た。 そ こで次 長 は 一旦 帰 ら れ まし てか ら更 に研 究 を し ま し た。
七 、状 況 判断 其 の他 に関 す る補 足 的 説 明
之 は余 談 であ り ま す が 、統 帥 部 の意 志 を出 来 るだ け早 く 確 実
下村
う﹂ と い ふ こと に な つ て居 り まし た。 そ こ へ次 長 から ﹁太原 を や つ ても宜 し い﹂ と 云 ふ返 事 が あ り まし た ので 、 これ だけ は 状 況判 断 か ︹ 板垣征四郎中将︺ ら 切 り離 し て直 ぐ北 支 方 面 に言 つて や つて 、第 五師 団 長 に他 の 一部
は よ い方 法 であ りま す 。 前述 十 月初 旬 に於 け る状 況 判 断 の内 示 に は ︹ 章大佐︺ 武 藤 が北 支 へ参 りま し た が 、之 は全 く 手 際 よ く や つて来 ま し た。 元
下村
殿下
そ れ は其 の決 心 に影 響 し て居 り ま せ ん か。
は い、 御 座 いま し た。
当 時 板 垣 閣 下 から も何 か意 見 具申 があ つた や う です が⋮ ⋮
そ れ に は武 藤 と いふ人 の力 も 関 係 し て居 り ま す が 、 此 の時 は三拍 子
行 き ます ﹂ と 言 つて参 りま し た が 、 た つ た 一日 で片 付 け て来 ま し た 。
対意 見 も あり 相 当 な経 緯 が あ り ま し た の です が そ れ を武 藤 が ﹁私 が
来 この状 況 判 断 と い ふも のは従 来 部 分 的 には 、北 支 其 の他 出 先 の反
に出 先 の各 部隊 に伝 達 す る方 法 とし て連絡 者 を派 遣 す る と いふ こと
を 付 け て内 長 城 線 以南 の地 区 で太原 作 戦 を し て貰 ふ と い ふ こと に な
殿下
某程 度 には 影 響 し て居 りま す 。徹 底 的 に山 西 を や らう と いふ
来 か ら研 究 の深 刻 で あ つた こと 、第 三 に は本 状 況 判断 は十 月 初 め よ
り ま し た。
下村
り の研究 に依 り参謀 本 部 主 任 者 全 員 一致 の意 見 と な つて堅 実 な 力 を
と も揃 つて居 りま し た。 即 ち 個 人的 手 腕 の以 外 に作 戦 課 長 とし て 従
ま し た ので ど う も普 段 北 支 軍 の言 つて居 る ことと 違 ふ ので ﹁可 笑 し
意 見 の やう で あ りま し た 。併 し相 当 状況 は錯 雑 し て居 り ま した 。 又 ︹ 直三郎︺ 内 示 後 岡部 参 謀 長 は太 原 作戦 は や つ ては困 る と云 ふ こと を言 つ て来
備 へて居 た か ら であ り ます 。
情 勢 判断 に就 て申 し ま す と、 之 は 今 申 し た やう な 情 勢 上 の必要 と 部
そ れ か ら幕 僚 勤務 の小 さ い こと を申 上げ 甚 だ恐 入 り ま す が、 此 の
いな﹂ と思 つた の で あり ま す 。結 局 其 の事 実 は後 で分 つた の であ り
山 西 作戦 は さう 云 ふ風 な経 緯 で や つた も のです が、 そ れ は最 高 統
ます が、 参謀 長自 身 が反 対 であ つた為 だ つた の であ り ま す。
と思 ひ ま す。 十 一月 の初 め に も やり たか つた の で あ りま す け れど も
た の です が 、斯 う い ふ こと は最 高 統 帥 と し て時 々 や る こと が必 要 だ
それ が出 来 ず 其 の月 末 にや り まし た。 これ は ゴ タ ゴ タし て居 る時 機
内 の業 務 的 必要 と二 つ の方 面 から 十 月 の初 め に状 況 判 断 を や りま し
毒 瓦 斯 の問 題 も起 りま し た が、 殊 に例 の忻 口鎮 で二 週間 も引 つ懸
であ り ま し た か ら総 て の者 の頭 がそ れ にな じ み難 か つた の であ りま
帥 部 が秩 序 的 に計 画 した も ので なく 、臨 機 決 定 であ り ま し た から 従
つて非 常 に苦 戦 をし た時 にも頭 痛 の種 に な りま し た 。幸 ひ兵 隊 が強
つて後 には 相当 に困 りま し た 。
いも の です か ら太 原 は十 一月 四 日 に取 れ ま し た。
日 々忙 し く作 戦 業 務 に逐 は れ て居 りま す と 、兎 角 大 所 高 所 か ら見
す。
以上 の如 き 見 地 よ り大 本 営或 は大 き な 参謀 部 で は時 々幕僚 勤 務 を 規
式 で連 絡 し て居 り ます が それ も或 る時 機 に統 合 す る必要 が あ りま す 。
要 が あり ま す し尚 外 部 に対 し て は命 令 、 通報 と い ふや う な色 々な 形
と 一つ情 勢 でも見 方 が違 ふやう にな り ま す か ら之 を時 々統 一す る必
戻 ると い ふ こと が 必要 であ り 、 又各 人 が 各個 に仕 事 を し て居 りま す
ふ も の です か ら 、時 々冷 静 に反 省 し 原 則 的 な作 戦 の純 粋 戦 理 に立 ち
ま し て議 論 し 、或 は考 へると いふ こと は動 もす れば没 却 さ れ て仕 舞
ます とさ う いふ風 であ り ま し た。
個 人 の日 記 に其 の当 時 の議 論 が書 い てあ り ます が、其 の結 論 を申 し
戦 闘 資 材 を 十分 与 へた ら戦 は出 来 るだ ら う と考 へて居 り ま し た。 私
下村
程 変 つ てき て居 る の であ り ます か。
云 ふ傾 向 に見 え る のです が、 今 の増 兵問 題 が あ つた頃 に は考 へが余
殿下
に皆 を集 め て増 兵 の研究 を や つた ので あ りま す (十月 三 日)。
は つき り 決 ま つて居 り ま せ ん。 そ こ で私 は そ れ に水 を 向 け ま し て、
後 には 此 の こと が非 常 に熱 心 にな つ て来 ま し た が、 此 の時 に は未 だ
や つても 上陸 さ せ やう が な い と い ふ議 論 で杭 州 湾 上陸 と いふ ことも
次 で十 月 三 日 に研 究 し ま し た時 は兵 力 を や つても 仕 様 が な い。 又
変 つて居 りま せ ん 。作 戦 当 事 者 は 兵力 は五 ケ 師団 でも 十 分 で
其 の当 時 には初 め と違 つ て中支 方 面 の作 戦 全般 を重 視 す る と
整 す る為 に斯 う 云 ふ状 況 判 断 を やら れ ると いふ こと が 必要 だ と思 ひ ま す。
八 、 杭州 湾 上 陸 作戦 、 中 支 方 面軍 編 成 及 白 茆口 上 陸 戦
つて行 き ま し た。 それ に就 き ま し ては 内 地 か ら動 員 す る と 云 ふ こと
どう し ても 上海 へ兵 力 を や ら なけ れば な ら ぬ だ らう と いふ こと に持
も 又手 が か ゝり北 支 から 兵 力 を持 つ て来 れ る か どう かも 問題 で あり 、
山 西 は さ う い ふ風 に 一番 先 に決 り ま し た が今 度 は 上海 の増 兵
又杭 州 湾 の上陸 と い ふ こと は之 は未 だ 未 調査 で出 来 る かどう か も判
下村
で あり ま す が 、之 は第 一部 の中 で も上 海 に兵力 を増 さな け れ ば なら
ら ぬ の であ り ます から 、兎 に角 偵 察 をし た ら よ から う と 云 ふ やう な
海 の増 兵 と い ふも のも早 く 決 ま ら な か つた ので あ りま す 。併 し兎 に
ぬ と い ふ議 論 が其 の当 初 に於 て は比 較 的 弱 か つた の であ り ま す ⋮⋮ 。
角 上海 はど う か し なけ れば な ら な いと 云 ふ こと を主 張 し ま し て北 支
こと で第 十 八師 団 を上 海 に使 ふ ことも 上 陸作 戦 の計 画 を や る と 云 ふ
いで は な い か﹂ と 云 ふ考 への やう に見 えま し た 。 そ こで私 は色 々個
作 戦 と睨 み合 せ て軽 重 を 見 て逐 次 話 を進 め て参 りま し た 。之 は妙 な
之 は言 はば 惰 性 だ と思 ひ ます ⋮ ⋮。 私 が第 一部 に参 りま し て直 ぐ に
別 に聞 い て見 ま し た所 、皆 心 配 は し て居 り ま し た が増 兵 と いふ こと
こと も速 急 には採 用 され ま せ ん で した 。 さ う いふ風 な 関 係 で案 外 上
に就 て は は つき り し た案 は出 来 て居 りま せ ん でし た。 実 は ま だ第 四
つて其 の儘押 切 つて仕 舞 へば よ い訳 であ り ま す け れど も ⋮ ⋮。 私 は
話 です が、 実 は さう い ふ事 は第 一部 長 と し て自 分 の考 へを率 直 に言
か ら之 は増 さな け れ ば な らな いけ れ ど も、 兵 力 は 五 ケ師 団 で大 体 良
部 に居 り ま し た時 私 は当 時 の上海 に対 す る 兵力 増 加 は 少 く と も 一月
作 戦 の研 究 を し ま し た時 にも ﹁上海 は戦 闘資 材 が欠 乏 の状 態 に あ る
遅 れ て居 ると いふ感 が致 し ま し た の で、第 一部 長 にな り ま す と直 ぐ
殿下
云 ふ こと が 一層 は つき り出 て参 り ま し た。 又 其 の頃 西 村 敏雄 少 佐 が
ひ 切 りま し て、皆 も そ れ に同 意 し て呉 れま し た ので、 そ こ で上海 と
若 し兵 力 に余 裕 があ れ ば青 島 でな しに 上 海 にや る﹂ と 云 ふ こと を言
にや ら なけ れ ば な ら な いが、 今 の時 期 は上 海 を 救 ふ の が急 務 であ る。
云 ふ意 見 があ り ま し た が 、 そ れに就 て は私 は き つぱ り ﹁山東 も大 い
は いか な か つた ので あ り ます 。 尚当 時 中 支 方 面 で なく 山東 を や る と
た の です か 、平 時 から準 備 さ れ て居 つた と 云 ふ訳 では な いの です か 。
殿下
下村
終 局 に持 つ て行 かう と 云 ふ考 へで あり ま し た か。
殿下
杭 州湾 の作 戦 に著 手 さ れ た と云 ふ こと は此 の動 機 か ら で あ つ
は い、 さ う であ り ま す。
ま し た。
主 義 上 中 支 を主 作 戦 場 にす る と い ふ こと は此 の時 から は つき り致 し
之 から は 主作 戦 場 を 中 支 に持 つて行 く と 云 ふ考 へであ り ま し て、
は い、 さ う であ り ま す。
さう 云 ふ積 極 的 なも のに な つた のは当 初 の上 海 居 留 民保 護 と
る べく 円く 持 つ て行 き度 い と云 ふ考 へがあ つた も のです から 、其 処
気 が弱 い精 かも 知 れ ま せ ん が焦 つて反 対 に崩 れ て は つ まら ぬ か ら成
云 ふ考 へより も余 程 進 歩 し て来 た の です ね 。
︹せ い︺
で議論 に時 間 が か ゝり ま し た。 之 は私 の意 志 の弱 か つた点 で あら う 下村
言 ふ には ﹁方 向探 知 機 で敵 の無 線 通 信 所 が杭 州 湾 方 面 諸所 に あ る の
つぶ つ て無 理 に や つた ので あり ま す 。
下村
と 思 ひ ます 。 又 事 実 上 いきな り 無 理 に上 海 へ増 兵 を や ると 云 ふ訳 に
が知 れ て居 る が若 干 の敵 の高等 司令 部 が最 近何 処 か距 つた所 に移 つ
下村
殿下
其 の場 合 直接 内 地 から 二 ケ師 団 を動 員 し て持 つて行 く こと は
文字通り ﹁ 断 行 ﹂ と 云 ふ こと にな つた の であ り ます 。
実 施 には 非 常 に困 難 を予 期 し て や つた の であ り ます か。
平時 から では あ り ま せん 。 極端 に申 し ま す と 必要 の前 に目 を
此 の杭 州 湾 上 陸 の企 図 さ れま し た のは敵 の主 力 を敲 き戦 争 の
た らし い、 だ か ら杭州 湾 の敵 は大 し た こと は な い﹂ と云 ふ こと であ り まし て、杭 州 湾 に行 つた ら よ から う と 云 ふ意 見 が強 化 せ ら れ、 そ
殿下
戦 目 的 を考 へて居 ら れた ら 、 もう 少 し 十 分 な こと は出 来 な か つた の
の でや る こと にな り ま し た。
そ れ はあ り ま す が十 分 では あ り ま せん でし た。
事 変 前 に第 三部 で偵 察 さ れた も の はあ り ま せ ん か。
こで地 形偵 察 の結 果 はあ ま り良 くな か つた ので あり ま す け れど も 、 ﹁ 塚田攻︺ 第 三部長 も目 を つぶ つ て断 行 す る方 が よ い と 云 ふ意 見 であ り ま し た
殿下
です か⋮ ⋮ 。 予算 関 係 の こと も伺 ひま し た け れど 何 んと か出 来 な か
の当 時 は部 外 に於 ては未 だ不 拡 大 方 針 と 云 ふ気 持 が抜 け 切 ら な いか
や つて出 来 な いと 云 ふ こと も あ り ま せ ん でし た 。 け れ ど も其
し て居 り ま し たけ れ ど も 、 そ れ だけ 明瞭 な る作
下村
杭 州 湾 上 陸 作戦 を や ると 云 ふ のは上 海 の危 急 を救 ふと 云 ふ意
つ た の です か。
あ つて色 々ご た〓
殿下
下村
出 来 な か つた のです か。 又 当時 は船 の問 題︱︱ 輸 送 準 備 の問 題等 も
之 を敲 いて仕 舞 ふと 云 ふ積 極 的 な意 志 が あ つた のです か。
味 です か、 そ れ と も当 時 敵 が上海 方 面 軍 の前 に集 つて来 て居 る の で
下村
ら 新 に予算 を取 つて大 兵力 を整 備 す る に は ど の位 時間 が か ゝ る か判
上 海 附 近 の敵 の主 な るも のを や つ つけ て仕 舞 ふ と云 ふ意 見 で
あ り まし た 。
実 際 は あ れ が関 の山 であ つたと 思 ひ ます 。 それ か ら全 般 から 言 つて
て師団 の選 定 、 動 員 の方法 と い ふ こと もそ れ に従 つて やり ま し た が
窮 屈 で あ りま し た 。従 つて出 来 る だけ 早 く や ら う と拙 速 を 尊 び ま し
ら な い状 況 であ り 、 そ れ から 動 員 の問 題 も 上陸 資 材 も当 時 は 著 しく
い ふ こと で問 題 が起 つて居 り ま す が 、 あ の経 緯 はど う だ つた の です
す が、 上陸 直 前 にな つて爾 後 の進 出方 向 に対 す る計 画 を変 更 す る と
殿下
こと が あ り ます 。
陸 軍 省 も 一 日 で之 を解 決 し て呉 れ ま し て作戦 が非常 に やり 易 か つた
りま す ⋮ ⋮。 自 分 の頭 に入 つて居 る のな ら楽 です が 、之 を専 門屋 に
旨 のも の で あり ま し た。 第 十 軍 には純 然 た る独 立軍 と し て中央 部 で
下村
か。
第 十 軍 は出 発前 に中 央 と も 協定 が成 立 つ て出 て行 つた や う で
も平時 か ら研 究 さ れ た作戦 で は あり ま せ ん の で相 当 に困 つた の であ
聞 き な が ら直 ち に実 行 に移 し ます ので色 々危 かし い ことも あ り ま し
研 究 し た作 戦 要領 を渡 さ れ て居 る ので、 そ の作戦 要 領 に依 つ て行 き
︹ママ︺ 私 の方 へでは出 発 前 の第 十 軍 の考 へは 大 本営 の其 のま ま の趣
た。
さ へす れば 良 い ので あ りま す 。
そ れ か ら事 実 困難 で あ つた所 の第 十 軍 の上陸 作 戦 が非 常 に よ
殿下
殿下
第 十 軍 は根 本 的 思 想 に於 て違 ふ考 へがあ つた の では な いの で
く 行 つた原 因 に な つ て居 る と思 はれ る 、企 図 の秘匿 に就 て特 別 に何
殿下
下村
中 央 の考 へは もう 少 し狭 い範 囲 で あ つ た の で は な い で す か
常 州 に行 く こと は考 へて居 つた と思 ひま す。
す か 。 そし て遂 に南 京 に行 く と いふ考 へに迄 な つた やう です が ⋮⋮
︱︱ つま り嘉 興 ︱︱ 松 江 附 近 ま で 、太 湖 の南 へ出 る やう に は考 へて
其 の当 時 自 分 で特 に之 と言 つて やら せた も のは あ りま せん が 、
かや ら れ た事 実 はあ る のです か⋮ ⋮
大 き く 特 別 にや つた こと はあ り ま せ ん か。
下村
実 施 上 特 別 の こと は あ りま せ ん 。青 島 へ行 く や う に欺 騙 し て
の主 任 者 が皆 自 発的 に や つて 呉 れま し た 。
殿下
居 ら な か つた の にそ れ を第 十 軍 が 上陸 す る前 に既 に太 湖 南側 に向 は
夫 れ〓
下村
ん と し た と 云 ふと ころ に何 か問 題 が あ つた の では あ りま せ ん でし た か。
自 他 の注 意 を 惹 いた こと は あ りま す け れ ど も、 其 の外 は別 の手許 で
此 処 で 一寸 思 ひ出 し ま し た から 申 し ます が、 斯 う いふ作 戦 をす る
出 発 す る前 には何 も な か つた の であ り ま す。
具 体 的 に お膳 立 てし てや り ま し た こと は覚 え がござ いま せ ん。
下村
り ま し た。 何 と な れ ぱ其 の第 一は第 一部 の部 内 でも最 初 に は杭 州 湾
い こと は申 上 げ ま せ ん が、 杭 州湾 上陸 作 戦 実 行 の決 定 は稍 困難 であ
杭 州湾 上 陸 作 戦 の こと は此 の間 大体 書 い て差 上 げ ま した か ら詳 し
時 に陸 軍省 に対 し参 謀 本 部 は作 戦 上 随 分色 々な要 求 を致 しま し た が 、 嫌 だと言 つた ことは あ り ま せ ん が常 に積 極 的 とは 申 し得 ま せ ん でし
と ころ が此 の頃 白茆 口に上 陸 す る為 の第 十 六 師団 に使 ふ船 を最 初
一寸 骨 が折 れま し た こと 、 第 二 に は部 外 から も 上陸 作 戦 に は適 しな
に上 陸 を や る かや ら な い かと い ふ こと に就 て色 々議 論 があ り ま し て
た。
い の で困 つて 居 つた 時 に第 三部 長 は船 舶 の新 徴 用 を陸 軍 省 に 交渉 し
は 第 十軍 め を流 用 す る つも り であ り ま し たけ れ ど も 、 それ が出来 な
が平 時 から準 備 し た作 戦 では な い の で非 常 に遅 れ た訳 で あ りま す 。
材 を集 め る こと が 一寸 簡 単 に行 か な か つた のです 。 そ れ に之 は元来
見 で あ りま し た こと 、第 三 の障 碍 とし ては作 戦 準 備 資 材特 に船 舶 資
と言 ひ、 上海 派遣 軍 も あ んな道 のな い所 は 止 め た方 がよ いと 云 ふ意
いと言 う て来 るし 、 又出 先 の船 屋 ( 船 舶 輸 送 主任 者 ) も請 合 へな い
殿下
下村
殿下
其 の時 機 は第 十軍 の上 陸 に関聯 し それ を 利用 し て やら う と い
は い、 さう であ り ます 。
白 茆 口 か ら の上陸 は中 央 の意見 で や つ た ので あ りま す か。
干 遅 延 し 師 団長 が大連 か ら詩 的 な電報 を寄 し た話 が残 つて居 り ま す 。
案 の定 其 の第 十 六師 団 も 輪送 船 の方 が思 ふ やう に行 き ま せ ん の で若
其 の時 機 を失 す る と い ふ ので第 十 六 師 団丈 で や つた の であ り ます が 、
は い、 さう であ り まし た 。尚 一言 序 に申 上げ ます が、 上海 派
︹ママ︺
併 し さう いふ関 係 が あり ま し た け れど も事 実 は遅 れな が ら もあ の奇
下村
ふ考 へであ りま し た か 。
次 は上 海派 遣 軍 に第 十 六 師団 を増 加 す る こと であ り ます が、之 は
襲 上 陸 が出 来 た の であ り ま す。
十 月初 め に第 十軍 を や ると いふ こと を決 め て大 体 準備 を進 め て居 り
に参 謀長 は中 央 に対 し て は非 常 に謹 慎 で、 あ の難 局 に処 し て歯 を喰
遣 軍 は非 常 に謹 慎 でし た ⋮⋮ 軍 司令 官 も さう であ り ます が⋮ ⋮ 。殊
斯 う いふ状 況 であ り ま す か ら第 十 軍 が上 陸 す る時 に も派遣 軍 に十 分
三師 団 も第 一線 へ出 ま し た が、 其 の戦 果 は 十 分 で あ り ませ ん でし た。
さ れま し て当 時 唯 一の第 二線 兵 団 と し て軍 が握 つて居 りま し た第 十
し た の で、十 月 十 四 日 に予定 さ れ て居 りま し た大場 鎮 の攻撃 も延 期
斯 う い ふ性 格 の人 が揃 つ て居 る か ら此 方 か ら積 極 的 に増 兵等 を やら
あ り ます 。 それ に は私 も 感 服 し た の であ り ます 。 従 つ て上海 の方 は
て呉 れ﹂ と 云 ふ こと は補 給 以外 に就 ては 言 つて来 た こと は な いの で
ひ し ば つて や つ て居 つた の であ り ます 。 従 つて ﹁斯 う い ふ こと を し
︹塚田 攻︺
ます と き に上 海 派 遣 軍 の方 で は戦 況 の発展 が思 は し く あり ま せ ん で
協 力出 来 る かど う か と いふ こと に就 き まし て心 配 し て居 り ま し た の
す と いふ こと は出 来 な いかと いふ こと に付 て考 へま し て︱︱ 当 時 第
れば 連 繋 と いふ こと にな つて居 り ま せ う 。
で少 し宛 時 日 が遅 れ結果 に於 ては 各個 各 別 に なり ま し た が大 き く 見
策 応 し てう ま く理 想 的 に行 つた らう と思 ひま す 。 実際 は色 々の関 係
第 十 軍 も第 十 六師 団 も最 初 に計 画 し た考 への通 り に行 け ば各 方 面
ね ば 不可 ぬと いふ風 に私 共 は考 へて居 り ま し た。
三 部 の方 も 其 の通 り の考 へであ り まし た ︱︱ 結 局 十 七 日 に至 つて北
殿下
で、十 六 日 に於 け る第 一部 の作戦 研 究 に於 き ま し て何 と か兵 団 を 増
支 か ら第 十 六師 団 を引 き 抜 いて 上海 派 遣 軍 に 入 れ、 之 を白茆 口か ら
お書 き願 つた 中 に も あり ま す が 、第 十 軍 を単 独 で上 陸 さし て
そ れ はあ り ま し たけ れど も制 止 し た の であ り ます 。
第 十軍 の派 遣 は 上海 派 遣 軍 に属 す る増 兵 では あ り ま せ ん ので 、
こと に衆 議 一決 し た の で直 ぐ総 長 殿 下 の御 決 裁 を仰 ぎ まし て実 行 さ
上陸 さ せる こと と し、 其 の時 期 は第 十 軍 の作 戦 に連繋 さ せ ると いふ
上 海 派遣 軍 とし ては多 少 焦 つた 気 分 が あ つた の では あ り ま せん か 。
れ た の であ りま す 。
下村
其 の後 で方 面 軍 を作 り上 海 派遣 軍 司令 官 を方 面 軍 司令 官 に兼 任 さ せ
殿下
此 の時 に 一ケ師 団 丈 では威 力 が不 十 分 だ か ら新 に軍 を上 げ る と 云 ふ考 案 が出 まし た が、 さ う い ふ こと を や つ て居 つて は暇 がか か つて
ると い ふ案 を採 ら れ て居 る の です が 、 あ の時 に はそ れ で巧 く行 く だ
を採 る の が宜 から う と云 ふ気分 が濃 厚 にな つ て来 た と 云 ふ こ と から
下村
下村
海 軍 は どう い ふ訳 です か、 本 省 内 に非 常 に考 への固 い者 が居
海 軍 は其 の時 ど う で し た か。
下村
殿下
此 の問 題 と宣 戦 布 告 問 題 と が絡 ん だ と 云 ふ こと は あ り ま せ ん
上 奏 文 に署 名 す る時 にも 渋 つて居 り ま し た由 であ り ます 。
本 当 に最 後迄 同意 し な か つ た の です か。
下村
其 の宣 戦 布告 の問 題 に関 し て何 か ⋮ ⋮
宣 戦 布 告 の問 題 と あ れと は 別 の問 題 で あり ま す 。
か。
殿下
あ り ます 。
つて此 の時 に は何 故 か知 ら ん が陸 軍 の言 ふ こと を聴 か な か つた ので
殿下
そ れ も あり ま す 。 そ し て内 閣 の方 も 参議 制 を採 り まし た⋮ ⋮
あ れ は余 り良 く はな いと 思 ひ ます が⋮ ⋮ 。 そ れ で軍 部 に於 ても ど う
で は あ り ま せ ん か。
下村
云 ふ風 にす る かと 云 ふ こと に な つて各 方 面 色 々考 へて居 つた と 思 ひ
変 則 で 不可 な いと 思 つて 居 り ま し た が、 あ の当 時 は方 面 軍 の
後 方 は 局 限 さ れ て居 り 、 又 遠 く前 へ出 る と い ふ考 へも あ り ま せ ん で
ます。
らう と いふ考 へが あ つた の です か 。
あり ま し た ︱︱ 。 あ れは 全 然 変 則 であ り ま し た。
し た から正 式 に方 面 軍 司 令 部 を作 つて も居 る所 がな いと 云 ふ関 係 も
良 く解 り ま し た。
︿筆 記提 出 資 料 七 の④ 作 戦 軍 の指 揮 系 統 及 司 令 部 の編 成 に就 て参 照﹀ 殿下
九 、大 本 営 設 置 に就 て
大 本 営 の設 置 に関 し てで ござ いま す が⋮ ⋮
最 初 之 に は陸 軍 省 が反 対 し て居 つた やう です が最 後 に同 意 す るに
殿下
殿下
之 は直 接 に此 の為 だ と は申 し ませ ん け れ ど も、 第 一は 全 般 の
下村
具 体 的 には私 は何 ん にも知 り ま せ ん。
至 つた動 機 は何 う 云 ふ所 にあ つた のです か。
空 気 が非 常 に作 用 し て居 り ます 。
部 長 と し て自 分 の仕 事 を す る範 囲 だけ を 知 つて居 れば 用 が足 り る の
ら 、直 接 聞 く手 段 も な か つた の でご ざ いま す が 、内 部 に於 ても 第 一
余 り 外部 の人 に も斯 う 云 ふ方面 の関 係 者 に知 り合 も あ りま せ んか
と は 全 く判 り ま せ ん。
尚 之 には 政 治的 な関 聯 が色 々あ り ま し た が私 は 此 の政 治 向 き の こ
下村
第 二 には 作 戦 の規 模 が大 き くな つたと 云 ふ こと で あり ま す 。 第 三 には 勢 であ り ま す 。之 は是 迄 困 り抜 いて居 つた上 海 が抜 け て 南 京 へと云 ふ気 分 に いき り立 つ た時 、 即 ち 一口 に申 せば 時 の勢 ひ で
で次 長 にも 余 り聞 い て居 り ま せ ん。
之 は 私 の想 像 です が⋮ ⋮ 当 時 対支 戦 が本 当 の戦 争 形態 に な つ
殿下
殿下
あり ま す が ⋮ ⋮
て来 た と いふ こと、 而 も 之 が長引 く と 云 ふ関 係 から 国内 一般 の考 へ
次 は 大 本 営 の権 限問 題 に関 し て です が ⋮⋮ 。 条令 を 改 正 す る
を も う 少 し固 め なく ち や不 可 ぬと 云 ふ意 味 で、 先 づ 中央 が戦 時 態 勢
下村
を得 な か つた と 云 ふ こと です か。
大本 営 御 前 会 議 に就 き ま し て は詳 しく 申 上 げ る必 要 も な いと
一〇 、 第 一回 大 本 営 御 前 会 議 に 就 て
其 の通 りで あ りま す 。 此 の当 時皆 も私 も減 さう と 云 ふ こと を
な い の です か 。即 ち 大 本 営 の権 限 と政 務 の関 係 を どう 云 ふ風 にす る
時 に其 の趣 旨 を明 瞭 にし なく ち や な らぬ と 云ふ問 題 が あ つ たの では
努 め た の です が出 来 ま せ ん でし た 。
大本 営 の中 へ政 務 を 入 れ る か 入 れ な い かと 云 ふ こと で あり ま
下村
かと 云 ふ問題 が あ つた ので は な い のです か。 下村 す か。 さ う です 。
戦 時大 本 営 令 を 今 度 の大 本 営 令 に改 正 され る時 に其 の意 図 を 明瞭
殿下
思 ひ ま す が、 御 前 会 議 に於 て命 に依 り私 から 申 上 げ ま し た作 戦 計 画 ︹ 項カ︺ の細 綱 は書 物 を御 覧 願 ひ ま す 。
にさ れ た と いふ こと は あ り ま せ ん か。
殿下
い ゝえ 、 あ の時 は第 一部 長 でご ざ います 。
下村
あ の時 の御 説 明 は第 一部 長 で なく 次 長 が さ れ た の では な い の
には さ う い ふ やう な こと が あ つ たと 思 ひ ま す が 、私 の時 には そ れ は
下村
です か 。
の で あ りま す が 作戦 方 針 を総 長 が言 上 せ ら れ 、 そ れ から 後 私 が細 部
私 の取 扱 ふ前 ︱︱ 即 ち 八月 九 月迄 大 本営 設置 の意 見 が出 た時
表 面 に出 ま せ ん でし た 。 殿下
の こと を 申 上 げ ま し た。 海 軍 も 同 様 であ り ます 。 別 に此 の際 は御 下
海 軍 の方 に は さう い ふ風 な点 で何 も考 へがな か つた の です か。
下村
殿下
問 も 亦 相 互 の間 に議 論 もご ざ いま せ ん で し た。
事 は極 く 簡 単 でご ざ い ま し た。 先 だ つ て の状 況 判 断 の要 旨位 のも
下村 ⋮⋮ 理 論 と し て は私 共 は考 へて居 り ま し た が実 際 に於 ては非 常 に 殿下
大 本営 の陸 海 軍 部 を 一緒 に し て其 の 一部 を宮 中 に設 け ると 云
よ く判 り ま せ ん が少 く も交 渉 上 には 現 は れ て居 り ま せ ん。
陸 海 軍 統 帥 部 を 一致 さ せ ると 云 ふ意 見 が あ つ た や う で す が
難 関 が あり ま し て 一つの問 題 だ け でも仲 々出 来 ま せん でし た。
下村
稿 を敷 衍 致 し ま し た が 、此 処 に ( 下 村 中 将 提出 資 料 ) 書 き ま し た の
当 時海 軍 の出 席 者 は ⋮ ⋮ ︹ 光政︺ ︹ 繁太郎︺ ︹ 信竹︺ 大臣 は米 内 、 軍 令 部 次 長 が 嶋 田 で第 一部 長 が 近藤 で あ り ま し
ふ考 へがあ つた やう です が ⋮ ⋮
殿下
た。 ︹ 精三︺ 作 戦 計 画 の細 項 は 有 末中 佐 が原 稿 を作 つて呉 れ ま し た の で其 の原
下村
そ れ は仲 々設 置 が出 来 な いと 云 ふ情 勢 にあ り まし た。 そ れ で
結 局色 々な不 備 はあ つた の です が、 曲 り な り に も や つと 今 の大 本 営
﹁ 陸 軍 部第 一部 長 御 説 明
を朗 読 致 しま す 。
は其 の時 申 し 上 げ た のと 一字 一句 も 違 ひ は な いの であ り ま す 。そ れ
そ れ から 大本 営 の人 数 であ り ま す が 、 あ れ をも う 少 し少 く 出
を で つち 上 げ た と 云 ふ程 度 で あり ま す 。 殿下
来 な か つた ので す か⋮ ⋮ 。之 は兎 に角 早 く や つた 関係 上 人数 は止 む
充 当 す る 予定 で御 座 いま し て之 を何 れ の地 点 に如 何 な る要 領 を以
﹁ 其 使 用 兵 力 は北 支 又 は 上海 方 面 よ り少 数 の兵 団 を抽 出 し て之 に
て指 向致 し ます る やは専 ら其 時 の状 況 に即応 し適 時 に な るべ く 少
陸 軍 は事 変発 生 以来 海 軍 の密 接 な る協 力 の下 に各 方 面 に於 て敵 に大 打 撃 を 与 へま し た が今 後 此 の強 圧 の手 を弛 む る こと な く作 戦
益 に戦線 を拡 大 す る こと な く 止 ま り て敵 を 撃 つ態 勢 を 保 持 し ま
攻 勢 作戦 は先 々 一段 落 と せ ら れ徒 に敵 の為奥 地 に引 入 れら れ て無
以 上北 支 那方 面 に於 き ま し て は山 東 地 方 等 を 除 く の外 大 規 模 の
ます。
数 の犠 牲 を 以 て手 際 よく 目的 を達 す る やう 考案 を 廻 ら し つ つあり
を継 続 致 し ま す る為 参 謀 総 長 殿 下 唯 今御 説 明 の方 針 に基 き之 を計 画 し つつあ り ま す其 の細 部 は概 ね之 を 次 の如 く予 定 致 し て居 り ま す。
北 支 那 方 面 軍 は 現在 の占 領 地 域 に残 存 し て居 り ます る敵 並 其前
一、北 支 那 方 面
線 に 近く 蠢 動 す る敵 を掃 蕩 し て此 の地 域 の安 定 に努 め つ つあ り ま
之 は当 時 次 長 が非 常 に強 く皆 ん な に言 は れ て居 つた こと であ
す﹂
必要 を認 め て居 りま す ので目 下 兵 力 の整 理 及将 来 に於 け る警 備 の
﹁今後 此 の方 面 は治 安 確 立 に伴 ひ右 部 隊 の整 理抽 出 転 用 等 を 行 ふ
ります。
下村
す 之 が為 目 下 山 西 省 に約 二師 団 河 北 省 に約 四師 団察 哈 爾 方 面 に約
之 で大 体 攻 勢 作戦 は 一段 落 にな るや う に申 上げ ま した 。続 い
一師 団 を配 置 せ ら れ て あ り ます ﹂ 下村 て朗 読 致 しま す 。
要 領 等 に就 きま し て夫 々計 画 致 し て居 り ま す
﹁又此 の方 面 の陸 軍航 空 部隊 は海 軍 航 空 兵 力 と協 力 し て山 東 地方 及 隴 海 線 要 地 に於 け る軍 事 施 設 及 敵航 空勢 力 の 破 砕 を 続 行 し ま
こと を主 眼 とし て編 組 せ ら れ て居 り ま す る関 係 上其 推 進 力 には 相
近 の敵 を掃 滅 す る を任 務 と し 且同 地 を 南 京方 面 よ り孤 立 せ し む る
を 失 せず 果 敢 な る追 撃 を 実施 し つ つあ りま す が 元来 此 軍 は 上 海附
中 支 方 面 軍 は上 海 周 辺 に於 け る戦 勝 の成 果 を利 用 致 しま し て機
二 、中 支 方 面 此 の頃 は陸 軍 は海 軍 のやう に非 常 に遠 く に行 く 飛 行 機 が ござ
す﹂ 下村
いま せ ん の で比較 的 近距 離 を や つて居 り ま し た。 朗読 ﹁山 東 地 方 に対 し ま し て は目 下 直 ち に武 力 を用 ふ る こ とは 予期 し
よ り砲 兵 の如 き戦 列 部 隊 す ら も尚 遠 く 後 方 に在 る者 尠 く 御 座 いま
当 の制 限 がご ざ いま す のみ な らず 目 下 其 最 前線 部隊 は其 輜 重 は 固
之 は前 線 から 参 り ま し た報 告 を申 上 げ た ので あ りま す 。
﹁此 の場 合 方 面 軍 は 其 の航 空 部 隊 を以 て海 軍航 空 兵 力 と協 力 し て
下村
せ ん随 て 一挙直 ち に南 京 に到 達 し得 べ しと は考 へて居 りま せ ぬ﹂
て 居 りま せ ぬが今 後 の情 勢 に応 じ作 戦 す る場 合 の為 必 要 の準 備 を
之 は出 先 の者 は非 常 に や り た が つ て居 り ま し た が、参 謀 本部
進 め つ つあ り ま す﹂ 下村
では 上 海 も やら な く ち や な ら ぬと 云 ふ考 へも あ り︱ ︱ 其 の兵 力 の関 係 があ りま し た ので ⋮ ⋮
南 京 其 の他 の要 地 を爆 撃 し 且絶 えず 進 撃 の気 勢 を 示 し て敵 の戦 意
之 は 当 時 此 の通 り で あ りま し た。
強 に違 算 な き を期 し つ つあ りま す が先 般参 謀 本 部 御 臨 幸 の砌言 上
戦 争 長 期 に亙 る場 合 の為 内 外 を 通 じ て戦 力 並 に補 給 力 の整 備 増
﹁四、 戦 争 持 久 に 対 す る準 備 並 対 ﹁ソ﹂警 戒
下村
統 帥 部 と 致 し ま し ては 今 後 の状 況如 何 に よ り該 方 面 軍 を し て新
を消 磨 せ し む る こと と存 じ ま す
な る準 備 態 勢 を整 へ南 京 其 の他 を攻 撃 せ しむ る こと を も考 慮 し て
の隙 を与 へま せ ぬ様 満 洲 方 面 に対 し国 境 守備 兵 力 の 一部 を増 加 し
て居 りま す る状 況 に鑑 み第 三国 就 中 蘇 聯 邦 を し て荷 も 之 に乗 ず る
致 し まし た る如 く 目下 陸 軍 戦 時 兵 力 の大半 が支 那 方 面 に出動 致 し
且追 て内 地 より 一師 団 を派 遣 致 す 予 定 で御座 り ます 但 之 が為 には
之 は 有 末 か ら貰 つた原 稿 には な か つた の であ り ま す 。其 の当
居 りま す ﹂
時 部 外 へは 南 京 に行 く と云 ふ こと は未 だ おく び にも 出 せ な か つた の
下村
であ りま す が 、併 し全 般 の状 況 か ら見 ま し て、 此 の際 ど う し て も申
情 勢 如 何 に依 り ま し て は支 那 方 面 より 適 時所 要 の兵 団 を抽 出 し て
次 長 には 南京 を や ると 云 ふ こと を言 つてあ つた の です か。
下村
彼 に無 用 の刺 戟 を 与 へざ る様 十 分 の手 段 を講 じ ます 尚 ほ又 今 後 の
上げ て置 かな け れ ば な らな いと 云 ふ考 へか ら私 が之 だ け を 入 れ た の ︹ 多田駿︺ であ りま す ⋮ ⋮ 。後 で次 長 から 叱 ら れ た の であ り ま す が ⋮ ⋮ 殿下
いや 次 長 に は は つき り と は 予告 し て あ りま せん でし た。 併 し
此 の時 の御 前 会 議 の後 に所 謂 作 戦 指 導 の大 綱 が決 つた訳 です
し て居 つた訳 であ り ま す 。
之 は事 変 の初 め か ら考 へて居 りま し た こと で、 先 ず 十 一月 末
下村
ふ考 へで あ りま し た 。 此 の時 期 に於 きま し ては 北 の方 は非 常 に顧 慮
位 が 一番 危 な い時 であ る と の大 体 の見 当 を著 け な くち や なら ぬと い
情 況 の急 転 に対処 す る こと も予 期 致 し て居 り ます ﹂
第 一部 長 が僣越 に未 だ決 ら ぬ こと を御 前 で御 説 明 す る と 云 ふ こと は
﹁南 京 攻 撃 を や る場 合 があ ると 云 ふ こと を申 す かも 知 れ ま せ ん﹂
適 当 で な いと 思 ひ ま し た の で、
殿下
は いさう であ り ま す 。
か。
あ れ に依 つ て既 に南 京 追撃 を す る と 云 ふ こと は決 定 し て居 つ
と 云 ふ こと は 、 次長 に申 し てあ り ま し た ︱︱ 結 局 それ を 更 に 一歩 進
下村
め て遂 に南 京 攻 撃 と 云 ふ こと を申 上 げ て仕 舞 つた の であ り ま す。 ﹁三、 南 支 那 方面
殿下
た ので は な い の です か。
此 の方 面 に於 き ま し ては 為 し得 れば 将 来 一部 の航 空 兵 力 を 以 て 海 軍 と 共 に粤 漢 、廣 九 鉄 道 等 の遮 断 に努 む る予 定 で御 座 います 此
下村
い訳 で ⋮ ⋮。 当 時 出 先 から は 切 り に や ら し て呉 れと言 つて は来 て居
此 の時 以前 には ま だ南 京 へ行 く と 云 ふ ことは 表 面 に少 し も言 へな
作 戦 指 導 の大 綱 は 二 十 八 日 に決 つた の であ り ます 。
の行 動 を容 易 な ら しむ る為 約 一師 団 の兵 力 を上 海 方 面 よ り抽 出 派
り ま し た が 、吾 々と し ては 表 向 き 口 に は何 も出 せな いと 云 ふ状 況 で
遣 し て右 の目的 地 に近 く適 当 な る 飛行 根 拠 地 を占 拠 せ し む る を有
ます ﹂
利 と 認 め ま し て目 下 隠 密 に現 地 の偵 察 其 他 の準 備 を 進 め つ つあ り
御 前 会 議 を や る と 云 ふ動 機 は曩 の情 況判 断 が出 来 た こと に依
あ り まし た。 殿下 つて先 づ 方 針 が確 立 し た と 云 ふ こと か ら です か ⋮ ⋮。 当 時 情 況 に変
下村
いや さう では あ り ま せ ん。
化 が あ つたと 云 ふ こと は あ りま せ んか 。
海 軍 の発 議 によ り 取敢 ず 現在 の作 戦 計 画 を言 上 す る為 第 一回 の御
海 軍 と し ては 近 く 次 長 、第 一部 長 が替 は ら れ る ので其 の前 に お耳
前 会 議 を開 いては と 云 ふ ので之 を やり ま し た 。
そ れ は程 度 問 題 だと 思 ふ ので あ り ます 。
ふ こと も甚 だ問 題 です が 、其 の点 どう 云 ふ風 にお考 へです か。 下村
大
何 時 でも陸 海 軍 の意 見 が完 全 に 一致 す る と 云 ふ こと も申 さ れま せ
ん の で、 矢 張 り之 は御 前 会 議 と 云 ふも のが あ り ます 以 上 は多 少
元 帥 陛 下 に何 か と御 心 配 を かけ ま し ても適 当 の御 聖 断 を仰 ぐ べ き だ
起 つた の で あり ま す 。
下 の仰 せ ら れま し た や う な意 味 で御 前 会 議 は 必要 だ と い ふ思 想 から
御 前 会議 を 設 け た思 想 の起 り は 日 露戦 争 の時 及 び其 の前 の こ
そ れ に関 聯 し て大 本 営 の機 構 と し て規 定 し たも のは あ り ま せ
らう と思 ひま す 。 殿下 ん か。
は いさう で あり ま す 。
海 軍 の第 一部 長 は 此 の直 後 に替 つた の です か 。
殿下
と に徴 し ても ど う し て も之 は御 聖 断 を仰 ぐ と いふ意 味 で︱︱ 只 今殿
殿下
た こと は な い です か。
下村
下村
其 の第 一回御 前 会 議 の時 の状況 は ど ん な であ つ た ので す か。
下村
に達 し て置 き度 いと 云 ふ考 へが あ つ た かも 知 れ ま せ ん ⋮ ⋮蔭 では さ
殿下
之 は 全 く作 戦 計 画 上 聞 の為 に開 か れ た も の で御 下 問 も質 疑 応
う 言 つて居 り まし た。
下村
之 は次 長 が やり ま し た 。私 は十 二月 に入 つて か ら休 みま し た
そ れ から 第 一回 の陸 海 軍会 議 の直 後 総 理 大臣 に何 か説 明 さ れ
答 も あ り ま せ ん で した 。
ので どう い ふ こと を説 明 さ れ た か聞 いて居 り ま せ ん 。
下村
殿下
下村
此 の時 議 会 の やう に御前 会 議 と 云 ふも のは 完 全 に意 見 の 一致
は い事 前 に決 定 し た事項 に就 て や つ た の であ り ま す。
全 く決 定 し た事 項 でや つた の です か。
は いさう で あり ま す 。
殿下
下村 其 の動 機 と 云 ふ こと に就 ても 私 は何 も 聞 いて居 りま せ ん。之 ︹ 虎四郎︺ は 河邊 少 将 が よく 知 つ て居 る と 思 ひ ます 。
と 云 ふ やう な こと です か 。
其 の説 明 を さ れ た と 云 ふ趣 旨 は所 謂 政 略 と 作戦 を 一致 させ る
殿下
殿下
殿下
下村
居 る やう です が⋮ ⋮
御 前 会 議 の指 導 方 針 は 事 前 に陸 海 軍 が其 の意 見 をも 十 分打 ち
合 せを せ ら れ て か ら やら れ た の です か。
を 見 な け れ ば開 か ぬと 云 ふ こと に な り ます と 、 動 も す れ ば統 帥 の決
丁度 第 一回 の御 前 会議 が あ り ま し た 一週 間 目 から 退 いて仕 舞 ひま
そ れ は私 は 存 じ ま せん 。
そ れ から 矢 張 り 其 の直 後 軍事 参 議 官 会 議 でも何 か講 演 をし て
断 を 欠 き機 を失 す ると 云 ふ結 果 に至 る の では な い かと 云 ふ こと を心 配 す る のです が、 さう かと 言 つて物 議 に対 し 一々御 聖 断 を仰 ぐ と 云
し た の で、 其 の後 の こと はち つと も 知 り ま せ ん。 殿下
最 高統 帥 部 の重 要 な る 人 を 現 地 に出 し て そ れ に現 地 の軍 を指
導 させ る こと に就 ては 中 支 方 面 では 巧 く行 つて居 つたや う であ り ま
そ れ から 此 の情 況 を判 断 した に就 て所 謂 連 絡 会 議 と い ふや う
殿下
す が⋮ ⋮ 。場 合 に依 つては 現 地 の人 が 余 り に中 央 部 の内情 を よ く知
り 過 ぎ て居 る と 、却 て中 央 を 無 視 し て仕舞 ふ、 そし て つま り 、後 ろ
そ れは やる こと に な つて居 り ま し た が 、私 の居 る間 には ござ
な も の を開 く と 云 ふ や う な こと はあ つた のです か。
悪 い弊 害 を伴 ふ こと も あ る の では な いか と 思 ひ ます が⋮ ⋮
下村
下村
の方 に居 る人 を 現地 が引 き 摺 つ て行 つて仕 舞 ふ と 云 ふ結 果 にな つて
そ れは 和 平 交渉 の問 題 に就 て では な いの です か。
いま せ ん。 十 二月 に な つて か ら あ つた と 云 ふ こと を聞 い て居 り ま す 。
は い、 さう で す 。
非 常 に悪 い場 合 と良 い場 合 が あ る と い ふ風 に考 へら れ る ので
致しましたのは主任者 の間 の見 解の
は い、 さう であ り ます 。
居 り ます 。
相 違 で あ りま し て、 司令 部 の編 成 問 題 と は全 く 関 係 がな いと思 つて
併 し南京攻略迄多少ゴタ〓
下村
すか。
殿下
ひます。
本当 に 此方 の実 状 を 知 つて居 る者 が 現 地 へ行 け ば 問 題 は な いと思
あ り ま し て、 非 常 な 弊 害 を 生ず る ので あ り ます 。
れ て、 そ れ を や りま す と 実 状 を知 ら ぬ為 に其 の引 き摺 り 方 も下 手 で
り の幕僚 を出 す 場 合 、 元 々余 り 統 帥 の実 体 に触 れ て居 ら ぬ 者 が出 さ
其 の弊 害 は割 合 に少 な いと 思 ひ ま す が、例 へば第 二部 、第四部あた
係 をよ く 知 つた人 が行 つた 場 合 は 中 央 の人 を出 先 が引 き 摺 ると 云 ふ
さう な れ ば確 に悪 い弊 害 が あ ると 思 ひ ます ︱ ︱ 。 併 し作 戦 関
下村
殿下
十 一、 南 京 追 撃 に 就 て
中 支 那 方 面軍 の作 戦 は 南 京 へ行 く ま で し か私 は 知 り ま せ ん。
中 支 方 面 軍 を南 京 攻 撃 に指 向 す る前 の中 央 部 に於 け る 幕 僚 勤務 は
下村
遺 憾 乍 ら十 分 でな か つた と思 ひま す 。 之 は申 す 迄 も な く第 一部 長 と し て非 常 に今 以 て責 任 を 感 じ て居 り ます 。 此 の こと に就 て詳 し く 申 上 げ ま す る こと は 只 今 は 憚 り が あ る やう で御 座 いま す が 、今 後 の為 に明 かに し て置 く 必 要 も あ ら う か と思 ひ ま す の で率 直 に私 の知 つて居 り ま す範 囲 だけ の こと を 申 上 げ ます 。 書 い て差 上 げ ま し た中 にも 記 し て置 きま し たが 、 大 体中 支方 面 軍 司 令 部 を 編成 す る とき には実 際 に軍 司 令 部 の中 堅 と な る参 謀 は参 謀
長 以下 の所 に意 見 の相 違 が あ り ま し て 、統 帥 業 務 の上 で も之 が為 に
が あ つた と申 し ま す が 、之 は次
は 確 に効 果 が あ つたと 自 認 致 し て居 りま す 。出 先 の方 も非 常 に巧 く
そ れ か ら最 高 統 帥部 で も ゴ タ 〓
行 つ て居 る やう です 。 之 が為 大本 営 の作 戦 に悪 い影響 が あ つた かど
し く戦 機 を逸 し たと 云 ふ の では あ り ま せ ん。 只 発 令 が遅 延 し た と 云
若 干 の不手 際 の こと も あ り ま し た け れ ど も、 之 が為 に南 京 攻略 が著
本 部 の主 任者 を以 て之 を 充 当 す る と 云 ふ処 置 を 取 つ て居 り ます 。 之
う かと いふ と私 はな いと断 言 致 しま す 。
ふ のは不 手 際 の 一例 であ り ます 。 其 の原 因 は何 ん であ る か と申 し ます れ ば ︱ ︱之 は 私 の見 解 で あり ますが、 第 一に南 京 を取 る と云 ふ こと は方 面 軍 を作 り ま す 時 には誰 も考 へ
又杭 州 湾 の上陸 に成功 し て更 に白 茆 口 に上陸 を や る迄 の間 に作戦
に 示 し て居 ると 思 ひ ま す 。
地域 の前 端 、所 謂 制 令線 を 指 示 さ れ た ので す が 、其 の時 に も相 当 ゴ
タ ゴ タ が あ つた の であ り ま す 。多 少細 かく な り ま す が其 の経 緯 を 申
て居 り ま し た が、 之 は別 の問題 で あ りま す 。責 任 のあ る中央 と致 し
は 上海 に行 く時 から 成 否 の根 拠 は問 題 外 と し て さう い ふ こと を考 へ
そ れ は到 底 問 題 外 だと 思 つ て居 り まし た。 只 松 井 閣 下 並 に出 先 の者
⋮ ⋮ ま あ 一つの線 でも 示 さ なく ち やな ら な いだ らう と 云 ふ意 見 が出
之 は前 か ら の関 聯 と 言 ひ ま す か当 時 の統 帥 の 一つ の や り 方 と し て
た ので あ り ます が⋮ ⋮斯 う な る と前 へ出 る こと にな り ます から ⋮ ⋮
⋮ ⋮ そ れ迄 は方 面 軍 に作 戦 地域 の前 端 と 云 ふも のは示 さ れ てな か つ
以 て す る白 茆 口 の上 陸 が実 行 さ れ よう と 云 ふ状 況 に な りま し た時 に
十 一月 五 日第 十 軍 が杭 州湾 の上陸 に成 功 し 、 又 近 く第 十 六 師 団 を
上 げ ます と、
ま し て は さう 云 ふ やう な こと は誰 も考 へて居 な か つた ので あ り ます 。
考 へて居 な い の みな らず 、夫 れ を疑 ふ者 も な か つた ので あ り ます 。
て居 な か つた の であ り ま す 。
そ れ が遠 い原 因 であ り ま す 。
由 は あ りま す け れ ど も 、 只今 日考 へて私 が 一番 残 念 に思 ふ こと はあ
第 三 は方 面 軍 が上 海 の占 拠 地域 を出 る時 の戦 況 の観 察 に於 て作 戦 ︹ 河邊虎四郎大佐︺ 課長 と私 と の間 に判 断 の相違 が あ りま し た こと 。 そ れ に は色 々の事
で極 端 に出 す ま いと い ふ御意 見 で あり ま し た こと 。
作戦 地域 の拡 張 と 云 ふ こと を非 常 に慎 重 に考 へら れ ま し て︱ ︱それ
第 二 に は甚 だ申 し 難 い こと で あ りま す が、 当 時 参謀 次長 は戦 面 と
た の です が、 七 日 次長 室 へ参 りま し て、 ﹁何度 考 へても 此 処 ま で出
同 意 がな い。 そ れ でも う 一遍 明 日 の朝 ま で考 へる と 云 ふ こと にな つ
れ ま せ ん でし た 。 そ れ で更 に色 々意 見 を 申 し ま し たけ れど も結 局御
局 は敵 に引 き 摺 ら れ る こと にな る から 不 可 な い﹂ と 云 ふ の で同意 さ
を し た の であ り ま す 。所 が次 長 は戦 面 の拡 大 と 云 ふ こと を 非 常 に 心
云 ふ こと に意 見 の 一致 を見 ま し て 、次 長 に十 一月 六 日之 を意 見 具申
ま し て、 そ れ で第 一部 で考 へた の は蘇 州 、嘉 興 の線 を適 当 と す る と
︹ 多 田駿 ︺
の際 私 が捨 身 にな つ て飽 迄 も所 信 を断 行 す れ ば 宜 か つた と思 ひ ます
配 せ ら れま し て 、﹁さ う 云 ふ線 を示 す と いや でも前 へ出 て 行 つ て 結
のに 、 そ れ を やり ま せ ん で し た こと で非 常 に悪 か つた と 思 ひ ます 。
釣 ら れ てド ン〓
我 々の考 へと 一致 し て居 つた の です が⋮ ⋮第 一部 で は方 面 軍 が敵 に
さ な いと 駄 目 だ と 思 ひ ます ⋮ ⋮当 時 塚 田 参謀 長 、武 藤 副 長 も 完 全 に
此 の三 つの原 因 が統 帥業 務 の上 に如 何 に現 は れ た か と 申 し ます ると 、
唱 へる も のも な く 全 部 の考 へが 一致 し て居 る ﹂ と申 し まし た が 、結
は あ つ た の であ り ます が、
第 一の方 面 軍 編 成 当 時 、 方 面軍 が南 京 攻 略 を 考 へて居 た か どう かと
局 そ れ では 井 本 大尉 を呼 ん で来 い と云 ふ お話 で あ つた の で私 は 少 し
其 の他 幕 僚 業 務 に就 ても 色 々ゴ タ〓
云 ふこ と は方 面 軍 に与 へら れ た任 務 即 ち ﹁上海 周 辺 の敵 を勦 滅 し南
前 へ出 る こと は な いと 云 ふ意 見 で誰 も之 に異存 を
京 を 上海 よ り孤 立 せ し め る ⋮ ⋮﹂ に依 つ ても そ の こと を自 然 に明 瞭
し ても 之 は お示 し にな つた方 が よ いと 思 ふ。次 長 が そ れ程 戦 面 の拡
つて居 り ます が、 私 は午 後 三時 に 又次 長室 へ参 り ま し て ﹁私 は ど う
意 外 に感 じ まし た 。併 し井 本 大 尉 も矢張 り同 じ やう に申 上 げ た と思
殿下
し た の であ り ます 。
は な い のです が、 そ れを 如 何 に す る か と 云 ふ こと でゴ タ 〓
下村
或 る所 で止 め な け れ ば な ら な いと 云 ふ根 本 の考 へ方 は誰 も違
大 を 御 心配 に な つ て居 ら れ る の な ら之 に説 明 を附 け て出 さ れ ると 云
か他 に代 るべ き方 法 はな い ので す か。
思 ふ の です が 、結 果 とし て仲 々巧 く行 つ て居 ら な い やう で す が 、何
そ れ か ら制 令 線 の問 題 です が 、之 は事 実 非 常 に重 大 な こと と
致 しま
ふ こと に し て は如 何 です か ﹂ と申 上げ て、漸 く御 同 意 を得 其 の案 を
之 は 矢 張 り最 高 統 帥 部 のも のが 始 終前 線 へ行 き ま し て直 接 其
の実 情 を よく 承知 す る やう にす る の が 一番 良 いと思 ひま す 。 さう す
下村
書 き ま し て之 に説 明 を附 け て出 し た の であ り ま す 。 そ れ が十 一月 七
其 の時 に次 長 はも う 少 し後 ろ の線 を示 す と 云 ふ考 へが あ つた
日 であ り ま す 。 殿下
る と斯 う 云 ふ弊害 は余 程 減 ると 思 ひま す 。 私 のや つて居 りま し た 時
期 に はど う も少 し そ れ が思 ふ やう に行 き ま せ ん で し た。 之 に は私 自
やう であ り ま す が ⋮ ⋮
身 の健 康 上 の関 係 で上官 か ら前 線 に行 く こと を 許 さ れ な か つた次 第
そ れ は 第 一部 の案 が前 過 ぎ る と 云 ふ お考 へであ つた ので あ り
ます から ⋮ ⋮ 。而 し随 分 応 酬 し ま し たけ れど も 、 後 ろ の方 を 示す と
下村
も あ りま し たが 、今 か ら思 ふ と之 を押 し 切 つ て行 く と良 か つたと 思
上 の速 度 を 以 て蘇 州 、嘉 興 の線 に殺 到 す る勢 ひ を示 し て参 り ま し た
て 、 十 一月 十 三 日白 茆 口 の上陸 に も成 功 致 しま し て方 面軍 は 予想 以
そ れ か ら後 に方 面 軍 の作 戦 は文 字 通 り破 竹 の勢 ひ で進 展 致 し ま し
と 思 ひ ます 。
ふ こと を や つて現 地 で よく 連 絡 せ ら れ たら 、制 令線 は な い方 が良 い
後 に至 り大 本 営 から現 地 に指 導 員 を度 々出 され ま し た が、 あ ゝ云
ふ ので あ り ます 。
云 ふ原 案 は持 つて居 ら れ な か つた や う で あり ま す 。 其 の時 に下村 閣 下 の言 は れた御 説 明 の中 には 此 の線迄 出 な い
と南 京 に対 す る脅 威態 勢 が完 成 出 来 な いと 云 ふ こと の理 由 が あ つた
殿下
頭 の中 には さ う いふ こと があ つた か も知 れま せ んが 申 し て は
ので は な い の です か 。 下村
そ こ迄 行 つた ら南 京 追 撃 を しよ う と 云 ふ考 へは な か つた ので
居 り ま せ ん筈 です 。 殿下 すか。
の で、十 一月十 五 日作戦 課長 以下 が集 つて情 勢 判 断 を や つた ので あ
そ こ迄 は 考 へて居 り ま せ ん。続 いて南 京 ま で出 す 丈 の自 信 は
下村
然 る に当 時 此 の作 戦 効 果 が南 京 側 に与 へた精 神 上 の影 響 等 は 相 当
を 持 つ て有末 中 佐 が私 の所 へ報 告 に来 ま し た。
て前 に示 さ れ ま し た蘇 州 、 嘉 興 の線 は変 へる 必要 は な いと 云 ふ意 見
り ま す ⋮ ⋮ 此 の時 私 は そ れ に は出 ま せ ん で し た が⋮ ⋮ 其 の結 果 と し
前 へ行 つて
そ れ から 制 令 線 を 切 る必 要 を認 め ら れ た理 由 は、 戦 況 と 上海
あ り ま せ ん でし た 。 殿下
派遣 軍 に与 へら れ た 任務 の関 係 上 抛 つ て置 く と ド ン〓 仕 舞 ふと 云 ふ懸 念 が あ つた か ら で はな い のです か。
段 強 圧 を加 へた ら何 う か⋮ ⋮ ま だ南 京 と 云 ふ こと は 一寸 も考 へて居
ては 此際 所 謂 戦 機 を捕 へて蘇 州 、嘉 興 の線 を 一斉 に今 一押 し 出 て段
に大 き く其 の情 報 が続 々参 つて居 り ま し た の で、私 個 人 の意 見 と し
為 に兵力 を集 結 させ る と 云 ふ こと で あ り ま し た。
下村
が⋮ ⋮ そ れ は南 の方 に対 す る為 であ り ま す か。
殿下
下村
其 の時 に兵 力抽 出 に関 す る 判断 と 云 ふも のが任 務 にあ り ます
は い、 さ う であ り ます 。
殿下
は い、 さう であ り ます 。
併 し此 の時 には もう 南 支 作 戦 の案 も考 へて居 つた の です か 。
之 は南 支 の作戦 と は別 な ので あ り ます が ⋮⋮ 北 の方 に備 へる
の仕 事 に出 て行 きま し たと ころ 、其 の結果 河邊 作 戦 課 長 は ﹁自 分 で
り ま せ ん でし た が⋮ ⋮ ﹁もう 一度 研究 し ろ﹂ と云 ふ こと を命 じ て他
方 面 軍 司 令部 の実 情 を確 め た後 決 心 し ても遅 くは な いで せう ﹂ と 云
況 の説 明 が あ り ます が、 そ れ は略 し ま し て ﹁小官 ノ意 見 ト シテ ハ中
十 八 日 に 河邊 大 佐 から 次 の やう な電 報 が来 ま した 。 前 に色 々と状
下村
報 が あ り ま し た。 そ こで私 は それ位 か か る と いふ のであ る な ら此 処
ノ要 ナ ク主 旨 ニ於 テ方 面 軍 ノ意 図 ヲ中 央 ニ於 テ認 メ暫 ク状 況 ノ推 移
央 ニ於 テ ハ今 直 チ ニ新 ナ ル命 令 又 ハ指 示 ヲ与 フ ルノ処 置 ヲ執 ラ ル ル
か ら部 長 に宛 て て ﹁蘇 州 の占領 は 二十 日頃 にな る だら う﹂ と 云 ふ電
う て来 ま し た 。 丁度 其 の頃 公式 の電 報 では あ りま せ ん が 、武 藤 副 長
で議 論 す る より も出 先 の実 状 を見 せ た方 が河 邊課 長 の考 へを変 へる
方 面 軍 参謀 長 以下 概 ネ只今 ノ作 戦 地 区 ノ作 戦 一段 落 ヲ見 レ ハ兵 力
ヲ観 ル ヲ可 ナ リ ト認 ム。
のに よ いだら う と思 ひ 、課 長 派 遣 の こと を次長 に申 請 し 次長 も同 意 せ ら れ ま し て、 そ れ で課 長 は 其 の翌 日早 く 出 発致 し まし た 。
ノ整 理休 養 ヲ 必要 ト認 メ アリ、 方 面 軍 ヨリ兵 力 ノ抽 出 ハ右 ノ作 戦 一
所 が其 の出 た後 で 色 々情 報 が 参 り ま し て愈 々 これ は早 く処 置 を し な いと遅 れ る では な いかと 云 ふ気 が致 しま し た し、 有 末中 佐 に質 し
段 落 後 ナ ルヲ可 ト ス。
ス ル コト ハ今暫 ク後 ニ於 テ ハ困 難 ニア ラ ス﹂
但 他 方 面 ニ対 スル作戦 ノ為 ニ 一部 ノ兵力 ( 混 成 旅 団 程度 ) ヲ抽出
ま す と ﹁出 発 の時 も未 だ課 長 の考 へは前 と同 じ で変 つて居 ら な い﹂ と申 し ます の で、課 長 宛 に ﹁貴 官 ノ出 発 後 集 ツ タ資 料 ヲ見 ルト此 際 制 令 線 ヲ撤 去 シ ナイ ト追 撃 カ手 遅 レ ニナ ル ノテ ハナイ カ ト 云 フ気 カ
で あり ま す け れ ども 、 実 際 は疲 れ て居 る のぢ や な い かと 云 ふ感 じ が
此 の電 報 の説 明 にも あ り ます が、 之 には出 先 の気 勢 は大 変 良 い の
致 しま す 。
ス ルカ ラ其 ノ ツ モリ テ視 テ来 イ ﹂ と謂 ふ意 味 の親 展 電 報 を打 つた の であ りま す が、 此 の電 報 は到 々課長 に届 かな か つた やう で あ りま す 。
認 メ⋮ ⋮ ﹂斯 う いふ訳 であ り ます から 、結 局 十 八 日 には何 ん にも 処
ルノ処 置 ヲ執 ラ ルル ノ要 ナク主 旨 ニ於 テ 方面 軍 ノ意 図 ヲ中 央 ニ於 テ
それ で結論 は只 今読 み ま し た やう に ﹁新 ナ ル命令 又 ハ指 示 ヲ与 フ
之 は実 は折 角 課 長 が出 て居 る の に私 か ら之 を 抜 き に し て軍 に電 報 す る のは徳 義 上 面 白 く な いと 考 へた ので課 長 に打 つた の です が 、之 は
置 し な か つた ので あり ま す 。 そ し て課 長 は も う帰 る だら う と其 の帰
寧 ろ 方 面 軍参 謀 長 に打 てば 宜 か つた のであ り ます 。 殿下
其 の時 河 邊 大 佐 の行 つ た目的 は現 地 の情勢 を確 め て爾 後 の方
針 を 決 定 し よ う と 云 ふ考 へか ら であ つた のです か。
要 す る から是 非 止 め さ せ て呉 れ﹂ と再 三 云 は れ る ので私 共 も遂 に之
て処 置 す る で あろ う そ れ を中 央 が指 示 す る と 云 ふや う な こ と は よく
に負 け て電 報 を打 ち ま し た 。之 は機 密 作戦 日誌 にも あ る と思 ひ ます
り を待 つて居 り ま し た が、 飛 行機 の都 合 が悪 く て仲 々帰 つて来 ま せ
が、 そ れ で方面 軍 参謀 長 よ り次 の やう な電 報 が 二十 一日午 後 三時 に
な い﹂ と 云 ふ こと をお答 へし た の であ り ます が、 ﹁ 兎 に角 之 は 急 を
︿下村 中 将 附 記
参 り まし た。
ん。
此 の間 次 長 と小官 と の考 へは依 然 一致 を 見 る に至 らず 数 回研 究 ︹二字不明︺ を重 ね た るも 論 旨 不徹 底 の為 か制 令 線 撤 廃 の議未 決 × ×時 日 を遷
の意 見 が来 、 又第 十 軍 から も其 の内 容 は 略 し ます が非 常 に勢 ひ の よ
所 が其 の中 に中 支 方 面 軍 か ら も南 京 追 撃 を行 ふを 寧 ろ 有利 とす る
へは未 だ持 つて居 な か つた の で あ りま す 。
右 に依 つ ても解 りま す や う に此 の時 には方 面 軍 でも 南 京 と 云 ふ考
置 セ リ﹂
﹁丁 集 団 ニ対 シテ ハ方 面 軍 ト シ テ直 チ ニ実 行 ヲ差 止 メタ リ ︹ 田邊盛武︺ 尚 丁 集 団参 謀 長 ヲ招 致 シ爾 後 ノ コト ニ関 シ打 合 セ ヲ為 ス ヘク処
︹ 塚田攻︺
延 せ り︱ 漸 愧 の至 な り﹀ さう かう し て居 る中 に 二十 日 になり ま す と第 十 軍 から斯 う い ふ電 報 が来 ま し た。 ﹁一、集 団 (第 十軍 ) ハ本 日 正午 頃 嘉 興 ヲ占 領 シタ 刻 略 〓掃 蕩 ヲ 完了 ス 二、集 団 ハ十 九 日 朝 全 力 ヲ以 テ南京 ニ向 ツ テ ス ル追 撃 ヲ命令 シ概 ネ左 ノ如 ク部 署 セ リ 國 崎部 隊 ハ湖 州 、廣 徳 ヲ経 テ蕪 湖 ニ向 ヒ追 撃 シ敵 ノ退 路 ヲ遮 断
行 く やう な勢 ひ で あ
い電 報 が来 て居 り ます 。斯 う 云 ふ風 であ り ます から 兎 に角 止 め る と
言 つて参 り ま し た け れど も 、第 十 軍 はど ん 〓
ス
ど う だ﹂ と いふ お話 でご ざ いま し たが 、 私 は ﹁課 長 も折 角 状 況 を見
り ま す の で次長 は更 に心配 せら れ て ﹁ 之 は どう し ても 止 め な け れば
に行 つた のです し も う直 ぐ帰 るだ ら う と思 ひま す か ら﹂ と言 う て 一
第 十 八師 団 ハ湖州 、廣 徳 、 句容 ヲ経 テ南 京 ニ追 撃
要 す る に南 京 に向 つて手 広 く追 撃 す ると の報 告 であ り ます 。 所 が
晩 延 ば し に延 ば し て居 り ます と 二、 三 日遅 れ て河 邊 大佐 が帰 つて参
大 変 だ﹂ と何 度 も 止 め る やう に督 促 を さ れま し た。 そ し て更 に ﹁止
此 の時 にも南 京 と云 ふ こと は中 央 と し て未 だ考 へて居 な い のであ り
り ま し た ので︱ ︱そ こで慎 重 審 議 し色 々研 究 の結 果 、 従来 の作 戦 地
第 百十 四 師 団 ハ湖 州 、長 興 、漂 陽 ヲ経 テ南 京 ニ追 撃
ま す か ら、 次 長 も非 常 に驚 かれ て ﹁之 は直 ぐ に 止 め さ せな くち や不
域 ︱︱ 蘇 州 、嘉 興 の線 を廃 止す ると いふ こと の御 指 示 が総 長 殿 下 か
め ると 云 ふ こ と が出来 な け れば 之 をも 少 し後 へ退 げ る や う に し たら
可 ん。作 戦 指 導 も 之 で は不 可 ぬ﹂ と言 はれ ま し た。 併 し 私共 の考 へ
ら出 ま し た が、 之 でも次 長 は仲 々安 心 さ れ な か つた の であ りま す 。
第 六師 団 ハ先 ヅ湖 州 ニ前 進
では ﹁第 十 軍 が斯 う いふ こ とを言 つて居 つて も方 面 軍 は中 央 の意 図
以 下省 略 ﹂
に非常 に忠 実 にや つて居 る の であ る から 当然 方 面 軍 が第 十 軍 に対 し
一、 南京 政府 ハ湖 東 会戦 ノ大 敗 ニ ヨリ既 ニ遷 都 ノ挙 ニ出 テ僅 ニ統 帥
其 の廃 止 の本旨 と 云 ふ も のは 閣 下 が前 から考 へて居 ら れ た こ
は い、 さ う であ り ます 。
意 志 ヲ徹 底 的 ニ挫 折 セ シ ム ル コト困 難 ト ナ ル懼 ア リ
敵 ヲ シテ其 ノ志 気 ヲ回復 セ シ メ戦力 ノ再 整 備 ヲ促 ス結 果 ト ナ リ戦 争
此 ノ際蘇 州 、 嘉 興 ノ線 ニ軍 ヲ留 ム ル時 ハ戦 機 ヲ逸 ス ルノ ミナ ラ ス
ス ル意 図 ヲ認 メ難 シ
シ今 ヤ敵 ノ抵 抗 ハ各陣 地 共極 メ テ微 弱 ニ シテ飽 迄南 京 ヲ確 保 セ ント
殿下
未 だ全 員 の意 見 は し つかり 合 つて は居 り ま せ ん でし た 。
機 関 ノミ残 置 シア ル状 況 ニシテ其 ノ第 一線 部 隊 ノ戦 力 ハ著 シ ク喪 失
下村 南 京追 撃 は制 令 線廃 止 の時 分 かも考 へ られ るやう に な つた と
とと 課長 の意 見 が 一致 し た から と いふ ので す か。
殿下
下村 然 し其 の更 に起 り は作 戦 課 長 の派遣 の時 分 から と言 へま す か 。
見 て宜 し い のです か。
殿下
亦 軍 ノ作 戦 意 図 ヲ諒得 セ ス国 論 統 一ヲ害 スル惧 アリ之 カ為 ニ ハ現 下
二、事 変 ヲ速 カ ニ解決 スル為 ニ ハ西 南 方 面 若 ク ハ山 東 方 面 ノ新 作 戦
ヲ可 ト ス
ノ情勢 ヲ利 用 シ南 京 ヲ攻 略 シ中 支方 面 ニ明 瞭 ナ ル作 戦 ノ終 末 ヲ結 フ
従 ツ テ事 変 解決 ハ益 〓延 引 ス ル ニ至 ル ヘク為 ニ内 地 ニ於 テ国 民 モ
下 村 確 信 は未 だあ り ま せ ん でし た が、南 京 ま で行 け る か行 け な い ︹ 河邊虎四郎︺ か と 云 ふ こと が あ の時 に問題 にな つた位 です から 、 第 二課 長 が出 て 、 行 だ全 般 の意 見 の決 ら な い の に課 長 を連 絡 に出 さ なけ れ ば な ら ぬ と 云
く 時 には其 の下 心 は持 つて居 つた訳 であ り ます 。 併 し其 の当 時 未
ふ こと にな つた の で、 あ れ は河 邊 大 佐 に非 常 に気 の毒 だ つたと 思 ひ
又敵 ノ抵 抗 ハ無 錫 及湖 州 ヲ失 ヒタ ル後
コト ナ ク遅 ク モ二 ケ月 以 内 ニ目 的 ヲ達 成 シ得 ル見 込 ナ リ
ニ於 テ ハ地 形 ノ関係 ト平 時施 設 ノ状 態 ヨリ観 察 シ大 ナ ル犠 牲 ヲ払 フ
状 態 モ何 等 懸念 ス ル所 ナ シ
ラ ル 、モ可 ナ リ) ヲ以 テ十 分 ニシテ且 鉄 道 、 水 路 ヲ利 用 セ ハ後 方 ノ
三 、南 京 攻 略 ノ為 ニ ハ現 ニ方 面 軍 ノ有 スル兵 力 ( 若 干 部 隊 ヲ抽出 セ
得 ヘシ
於 テ津 浦 鉄 道 ヲ遮 断 ス ルヲ得 ハ山東 、湖 北 地 方 ハ自 然 的 解 決 ヲ望 ミ
作 戦 ヲ継 続 シ速 カ ニ南 京 ヲ攻 略 ス ルト共 ニ 一部 ヲ以 テ揚 子 江 左岸 ニ
我 カ軍 ハ此 際 中 支 那方 面 ニ於 ケ ル現 在 ノ戦 況 進展 ニ乗 シ 一意 湖 南
ハ遙 カ ニ第 二義 的 ナ リ
レ モ相 当 価 値 ア ル モ首 都 南 京 ヲ攻略 シ其 ノ心 臓 ニ迫 ル モノ ニ比 スレ
固 ヨリ考 案 セラ ル 、所 ニシ テ之等 作 戦 ノ支 那 政 府 ニ与 フ ル影 響 ハ何 其 の頃 方 面軍 から意 見 具申 が来 て居 り ます が、其 の意 見 具 申
ます 。 殿下 ば 其 の決 定 に作 用 し て居 り ま せ ん か。 そ れ等 に就 て は今申 上 げま す が 、結 局 其 の時 は何 も は つき り
し た決 定 は あ り ま せ ん でし た 。
下村
十 一月 二 十 二 日中 支 那方 面 軍 より来 た電 報 を朗 読 し ます 。
決
中 支那 方 面 今 後 ノ作 戦 ニ関 スル意 見 具 申
﹁中 方 参 電第 一六七 号
判
中支 那方 面 軍 ハ事 変 解決 ヲ速 カナ ラシ ム ル為 現在 ノ敵 ノ頽 勢 ニ乗
由
シ南京 ヲ攻 略 スル ヲ要 ス 理
第 十 軍 ハ新鋭 ノ気 溢 レ ア ルヲ以 テ後 方成 立 次 第 ニ躍進 ヲ続 ケ 得 ヘ
思 つて問 ひ合 せた のです 。 併 し今 考 へま す と斯 様 な こと を し て居 る
の根 拠 も薄 い の でご ざ いま す か ら何 と か前 進 の為 の論 拠 を得 た いと
殿下
塚 田参謀 長 から も電 報 が来 て居 り 、松 井 軍 司 令 官 か ら も当 時
し恐 懼 の至 り なり ﹀
第 一部長 と し て処置 適 切 ならず 輔 佐 の不 徹 底 な り し点 上 司 に対
︿下 村 中将 附 記
心 を さ る べ き であ つた と思 ひま す 。
時 では なく 、 当 然 大局 から 見 て最 高 統 帥 部 と し ては少 く も 此 の時決
但 此 際 専任 ノ派 遣 軍 司令 官 ヲ任 命
ク又 上海 派 遣 軍 ハ連 戦 ノ疲 労稍 大 ナ ル モノ ア リ ト雖 モ旬 日 ノ休 養 ヲ
フ追 撃 ハ可 能 ナ リ ト判 断 シ アリ
与 フ ル コト ニヨリ戦 力 ヲ回復 シ軍 隊 ノ整 頓 ヲ完 了 シ得 ヘク南 京 ニ向
セ ラ ル 、コト 必要 ナ リ ト思 惟 ス﹂ そ こでど う 之 を 見 ま し ても 、 此 の ﹁二ケ 月 以内 ﹂ と 云 のが私 の頭 には ピ ンと来 な い。此 の電 報 の前 の方 では非 常 に早 く 出来 る と い ふ こと で あ る の に此 の最 後 の項 には 二 ケ月 も か ゝる と あり ます 。
な い と 云 ふ電 報 を再 三 寄 こし ま し て既 に夫 々其 の準 備 に着 手 し て居
下村
さ う かう し て居 る中 に方 面 軍 から は南 京 に行 かな け れ ば なら
案 文 を読 みま す 。
り ます し 、 第十 軍 も さう であ り ます の に、中 央 では 未 だ蘇 州 、嘉 興
電 報 が来 て居 り ます ね 。
﹁一、理 由 の第 一項 に依 れば 当 面 の敵 情 は方 面 軍 が此 の儘 一押 し押
の線 で議 論 し て居 ると 云 ふ状況 でご ざ いま す ので、 私 は 何 ん と か前
そ こで私 よ り参 謀 長 宛 に今 一度 聞 き合 は す こと にし ま し た が其 の
に見 ゆ此 の点如 何 。
せ ば其 の余 勢 にて南 京 も 一気 に取 れ るな ら ん と判 断 し居 ら れ る やう
二、若 し然 り と せ ば第 三項 に於 て遅 く も 二 ケ 月 云 々と あ るは右 の敵
し た 二十 四日 の御 前 会 議 が あ り ま し た。 そ れ で之 はど う し ても 早晩
や ら なけ れば な ら ぬ こと だ か ら何 ん と か引 つ懸 け を つけ てや ら う と
進 命 令 に印 を捺 し て貰 は ね ば どう も なら んと考 へて居 る際 に前 に申
或 は 又中 央 が 一挙 に南 京 に行 く こと を許 さ ぬか ら 一旦止 め ると 云 ふ
云 ふ の で前 に申 し 上げ た やう に 上奏 原 稿 以 外 の こと を御 前 で申 上 げ
情 判断 に拘 は らず 方面 軍 自 体 の態勢 を整 ふる 必要 に基 く も のなり や
訳 な り や﹂
ま し た次 第 であ り ます 。
部 内 に動 い て参 り ま し た。 次 長 は未 だ承 知 され ま せ ん でし た が、 一
其 の頃 から是 非 共 南 京 に行 く や う に研 究 し よ う と 云 ふ気 持 が大 分
と いふ の であ り ま し て、 之 に就 ては 二、 三度 応 酬 が あり ま し た が、 結 局之 を や る には多 少 の時 間 は か ゝると 云 ふ意 見 だ つた の であり ま す。
り ま せ ん が方 面 軍参 謀 長 に第 一部 長 電 を 以 て、 ﹁ 未 タ 上司 ノ御 決裁
方 出 先 から は又 何度 も督 促 し て参 り ま し た の で私 は 日時 は憶 え て居
さう す る と実 情 が判 ら な いの で直 ぐ決 心 が出 来 な か つた と云
ハナ イ ケ レ ト モ兎 ニ角 部 内 ト シテ モ是 非 南 京 ヲ ヤ ル コト ニシ テ居 ル
ふ こと であ り ます か。
カ ラ其 ノ ツ モリ テ従来 ノ行 キ懸 リ ヲ捨 テ ・ヤ ツ テ呉 レ﹂ と 云 ふ こと
殿下
下村
そ れ を決 心す べき であ り まし たが 、次 長 は前 進 不可 論 を堅 持
せ ら れ、 私 共 と し て単 に従来 の儘 の机 上 の議 論 で は次 長 を動 かす 丈
廿 七 日 に其 の親 展 電 報 を打 つて居 られ ま す が⋮ ⋮
を電 報 し ま した 。 殿下 其 の時 に大 体無 理押 し でも や る と い ふ決 心 を し た の であ りま
現 地 か らは 次 長 か若 くは 第 一部長 に来 て呉 れと いふ こ とを 前
から 言 つて来 て居 りま し た ので、 遣 つ て頂 き度 と申出 ま し た所 、 次
下村
長 、 総 務部 長 から ﹁お前 は身 体 が悪 いか ら 不可 ん﹂ と言 は れ ﹁軍 医
を 連 れ て参 り ます ﹂ と申 上 げ た の で す が 、 ﹁そ れ迄 にし てお前 が行
く 必 要 は な い﹂ と 止 めら れ て仕 舞 ひま し た ので 、私 は夜 逃 を し て で
も行 かう と思 ひ ま し た け れ どそ れ も大 人 気 な いと思 ひ直 し て断 念 し、
第 一部長 よ り の電 報 と し て
下村 す。
そ れ で次 長 が行 か れ る こと に定 ま り ま し た。 も つと早 く 出掛 け よう
殿下 ﹁当 部 ニ於 テ ハ南 京 攻 略 ヲ実 行 スル固 キ決 意 ノ下 ニ着 々審 議 中 ナ
し て も次 長 が出 る為 に はど う し て も南 京 追 撃 の御 決裁 を得 て置 かな
と言 は れた のです が他 の仕 事 の為 仲 々出 ら れま せ ん でし たし 、 私 と
リ未 タ決 裁 ヲ得 ル迄 ニ ハ至 ラ サ ル モ取 敢 スオ含 ミ マテ﹂ と 云 ふ の を打 つ て居 りま す ね 。 は い、 さ う であ り ま す 。
ので出 発 が延 び て居 つた の です が 、 二十 八 日 此 の御決 裁 を得 ま し た
け れ ば なら な いと考 へ、 又次 長 も さう い ふ やう な 御考 へにな ら れ た
下村
﹁今 ノ電 報 ヲ見 テ安 心 シタ カ ラ勇 躍 サウ ス ル﹂
た ⋮ ⋮幸 に出 先 の方 は非 常 に有 力 な人 が居 り ま し た の で其 の結 果 に
と積 極 的 にや つて出 先 の仕 事 が遅 れな い やう に や る べき で あ り まし
そ れ であ の時 自 分 が現 地 に行 き ます か、或 は部 内 に居 つて も も つ
か つた と思 ひ ます 。
に背 き ま し ても 思 ひ切 つて所 信 を 断行 す る為 にも つと暴 れ た方 が宜
斯 う い ふ風 で私 は 正直 に申 し ま す と あ の際 は少 々は 上官 の御 意 図
ので 次長 に行 つ て頂 いた のでご ざ います 。
さう し て之 に対 し て向 ふか ら来 ま し た返事 は
と 云 ふ こと であ り ま し た。其 の後 愈 〓 は つき り敵 国 首 都南 京 攻 略 を や る大 命 が渙 発 せら る ゝ に至 つた ので あり ま す が、 それ が 二十 八 日 か 二十 九 日 であ つた と思 ひま す 。 そ こで 一方 では 其 の少 し前 に有末 中 佐 が作 戦 指導 要 綱 を起 案 し て
長 には 之 に就 いて色 々突 込 ん で申 上 げ ま し て到 々二十 八 日だ と思 ひ
於 て も ひど く 遅 れ た と 云 ふ こと は な か つたと 思 ひます が⋮ ⋮ 。 又軍
来 ま し た ので、 そ れ を大 急 ぎ で方 々に見 せ て判 を取 りま し た が、 次
ます が同 意 さ れ まし た ので 、 そ れ から は 一瀉 千 里 に事 が搬 んだ ので
隊 と し ても 地 形 及補 給 其 の他 の こと で早 く 前 へ出 て行 か れな か つた
し た の であ り ま
あ りま す がそ こま で に行 く ま で には 非 常 に ゴ タ〓
そ れか ら其 の南 京 攻撃 の命 令 は 次長 が直 接 持 つて行 かれ た の
殿下
と い ふ点 も あ り ま し た が、 此 の問 題 は実 際最 高 統 帥 部 の処 置 手遅 れ
す。
て居 る と見 て よ い のです か。
殿下
い や電 報 であ り ま す。
今 の 一番初 め の中 支 軍 の任 務 は制 令 線 を廃 し た時 期 に変 更 し 次 長 が其 の時 行 つて居 る やう です が。
で あ りま す 。 大 に責 任 を感 じ て居 り ます 。
下村
です か。
殿下
間 にも之 に関 し てゴ タ〓
何 も知 ら せず 凡 て を 一身 に責 を 負 う てや り ま し た ので従 つて私 は当
病 中 河 邊 少 将 は私 の身 体 を 気 遣 つて 呉 れま し た 結果 、 一切 私 には
少 将 より お 聴 取 り を願 ひ度 いと 思 ひ ます 。
ら 、其 の応 酬 の結 果 はど う な つた か私 は存 じ ま せ ん が ︱ ︱之 は 河邊
丁度 私 は其 の頃 か ら病 気 の為 に出 る ことが出 来 なく な りま し た か
こと で色 々と 応酬 を やり ま し た 。
の作 戦 を やら し て 呉 れ﹂ ﹁い やま だ や ら ん でも 良 い﹂ と 云 ふ や う な
と話 が あ り ま した が 、 此方 の方 は 元 々出
下村
す と 云 ふ考 へがあ つた も の です から そ れ で やら せな か つた の であ り ︹ 岡部直三郎︺ ま す 。 そ こ で十 二 月初 に北 支 方 面 軍 の参 謀 長 が来 ら れ る前 にも ﹁此
あ の時 は制 限 を 一寸 緩 くし た と いふ程 度 で任 務 の変 更 では あ
り ま せ ん。
十 二 、山 東 作戦 に就 て
次 は 対山 東 作 戦 に移 りま す 。
之 は北 支 方面 軍 の方 でも夙 に其 の必要 を認 めま し て色 々準 備 を し
下村
て居 り ま し た ので あり ま す が、 最 高統 帥 部 と致 し ま し ても 山東 攻略
ま した 如 く に 十 一月 初 め に於 て ﹁ソビ エツ ト﹂ の動 き に依 つ ては や
ま し た経 緯 もず つと後 で結 果 丈 を 聞 き ま し た の であ り ます 。 其 の為
時 は何 も 知 らず 、只 今 の事 も 亦 第 一次 の南 支 作 戦 計画 の中 止 にな り
の価 値 と 必要 と は前 から 十分 認 め て居 り まし て、之 は前 にも申 上げ
れ ると 思 つて居 りま し た が、 当 時 上海 方 面 の戦 局 の打 開 を 急 務 と致
そ れ か ら当 時 韓 復榘 に対 す る謀 略 的 工作 も 種 々行 は れた のです が、
し ま し た ので十 一月末 迄 之 を 控 制 し て参 りま し た。
ま し た の です が、 遂 に十 一月 の末 に や る こと に な りま し た 。経 緯 の
さう い ふや う な こと で山東 作 戦 の件 は中 央 がし つか り抑 へて居 り
に どう も 河邊 少将 に も又 次 長 に も 御迷 惑 を かけ た と思 ひ ます 。
は つき り し た こと は 知 り ま せ ん。
其 の効果 は依 然 と し て現 はれ ま せ ん。 そ れ のみ な らず 敵 対行 為 も露 骨 に出 て参 りま し た の で之 は どう し ても 実力 を用 ひ て敲 か な け れば
殿下
十 三、 南 支 作戦 に就 て
な ら な いと 云 ふ 必要 を 十 一月 の末 に認 め て居 り まし た 。 予 て十 月 初 に や つた 前 の情 況判 断 に依 つても 上海 方面 が 一段 落 つ いたら 此 方 を や る と いふ考 へも あり ま し たし 、 又 一方十 一月 末 即 ち南 京 迫 撃 をす
だ つた の です か。当 時 戦 争 指 導 班 では早 く から 其 の必要 を唱 へて居
る頃 に於 ては黄 河 が結氷 す ると 兵 力 を動 か し難 いか ら今 の中 に や つ た 方 が良 いと北 支 方 面軍 か ら催 促 し て参 りま し た 。今 か ら考 へま す
意 志 が あ り まし た ので、 やら せ な か つた の であ り ます 。 之 に就 いて
殿下
下村
臺湾 軍 か ら の意 見 具 申 は其 の頃 です か⋮ ⋮ そ れ が実 施 し た動
は い、 さ う で あり ま す 。
其 の次 に南 支 作戦 で あり ま す が 、 あ れ の動 機 と い ふも のは何
の考 慮 も あ りま し た か ら之 は忍 び得 る所 ま では抑 へて行 かう と 云 ふ
と 此 の時 や らし た 方 が宜 か つた と 思 ひ ます が、 当 時 は矢 張 り 対蘇 聯
つた やう です が ⋮ ⋮ そ れ が起 り です か。
は 大 分部 内 でも 議論 が あり ま し た し、 又 当 時中 支 方 面 軍 と 次長 と の
そ のこと は は つき り憶 え て居 り ま せ ん。
機 にな つて居 ると も思 ひ ます が ⋮ ⋮ 下村 南 支 の作 戦 計 画 は御 前 会 議 の時 にも申 上げ てあ り ま した の で偵 察
あ り ます 。
十 一月 初 め か十 月 の終 り には や ら に や なら んと 思 つて居 り ま し た
て南 支作 戦 を や ると 云 ふ こと に なり ま し た が、 其 の最 後 の会 議 の時
度 も 臺湾 軍 に偵 察 さ せ ま した 。 十 一月末 陸 海 軍 の作 戦 要 綱 を 策 定 し
ら う位 に誰 も考 へて居 つた の であ り ます 。 そ れ で長 期 に亙 る作 戦指
し て南 京 へ行 く 前 に手 を挙 げ て来 るだ ら う ⋮⋮ 之 が 丁度 其 の時 期 だ
挙 げ て折 れ て出 て来 る位 の考 へで や つて居 りま し て 、上 海 を 陥 し ま
居 り ま し たし 、 又 第 二部 あ たり でも第 一部 と同 じ やう に直 ぐ に手 を
第 一部 の考 へでは 其 の中 に支 那 がポ キ ッと折 れる だ らう と 考 へて
が 、其 の時 は忙 し く て そ れ を や る こと が出 来 ませ ん で し た。
には 更 に他 の問 題 と も関 聯 す ると て海 軍 は同 意 せず 、結 局 十 二月 二
は度 々や り まし た 。特 に当 時 之 は臺湾 軍 に やら せる と い ふ こと で何
日 にな つて之 に同 意 し て居 り ます が、 其 の間 の経 緯 は 河邊 少 将 か ら
導 方針 と 云 ふも の の必要 を考 へて居 ら れ た人 も 一、 二 はあ つた やう
十 五 、 独 逸 大 使 の斡 旋 に よ る 和 平 問 題 に 就 て
そ れ か ら当 時 南 京 追撃 の時 に独 逸 大使 の斡 旋 で和 平問 題 が起
体 的 に入 つて居 な か つた と も 云 ふ のは ど う 去 ふ訳 だ つた のです か。
あ つた やう です の に南 京 へ愈 〓行 く と 云 ふ直 前 に は今 の話 に余 り具
班 の考 へを聞 き ます と、 あ れ は南 京 追 撃 と初 め は連繋 さ せ る考 へが
り、 其 の話 は 相当 具 体 的 に入 つて居 つた や う です が、 実 際戦 争 指 導
殿下
真 実 であ り ま す 。
です が、 大 体 そ ん な も の を必 要 と す る気 が起 ら な か つたと いふ のが
御 聴 取 り を願 ひ た いと思 ひ ます 。 此 の外 ︱︱ 作 戦 以 外 の即 ち 政 務 関 係 も 色 々あ る の で あ り ま す が ︱ ︱ 例 へば事 変 処 理 の問 題 で あ ると か 、其 の他 の問題 に関 し ても色 色 あ る のでご ざ います が 、之 は当 時 の書 いた も のを 一つも 持 つて居 り ま せ ん し 、又 記 憶 も は つき り し て居 り ま せ ん から甚 だ残念 でござ います が、 省 略 さ し て頂 き度 いと 思 ひ ます 。
承 は り度 い こと は略 〓御 説 明 を願 つた の であ りま す が 、尚 若
大 体経 過 を逐 ひま し た話 は之 で終 り ます 。 殿下
干順 序不 同 であ り ます が お伺 ひ致 し度 いと思 ひ ます 。
十 四 、 長 期 に 亙 る 作 戦 指 導 方 針 に就 て
あ の頃 に は其 の方 には手 が足 り な か つた の であ り ます 。 元 来
日 本 は あ ゝ云 ふ こと には 不得 手 であ り ま す 。
下村
殿下
下村
そ れ が巧 く 行 けば 或 は不 拡 大 で終 つて居 る かも知 れま せん 。
と 思 ふ のです が ⋮⋮
南 京 追 撃 の時 が此 の事 変 処 理 の 一つの ﹁チ ヤ ン ス﹂ であ つた
殿下
当 時 中央 部 に不 拡 大 と いふ 方針 はあ つた で せう ︱︱ 併 し所 謂
長 期 に亙 る作戦 指 導 と い ふも のは な か つた のです か。 ご ざ いま せ ん でし た 。
そ れを やら な くち やな ら ぬ と思 ひ な がら も到 々出 来 な か つた の で
下村
ま し ては平 時 から の情 勢判 断 作 戦 計 画 に就 て の準 備 に欠 陥 があ つた
当 事 者 にも至 ら な い所 が段 々あり ま し た け れ ども 、他 の理 由 と 致 し
あ あ い ふ機 会 を利 用 し てや る と い ふや う に頭 が揃 つて居 な か
殿下
から だ と思 ひ ます 。 之 を僅 に第 十 軍 の派 遣 に就 き ま し て見 ま し ても、
つた のです か。
杭 州 湾 と いふ やう な 所 は平 時 から き ち ん と偵 察 を 進 め て置 かな か つ
南 京 攻 撃 の前 に何 んと か話 を や らう と 思 つて居 りま し た が、
下村
た のは申 訳 な いと 思 ひ ます 。
にし ろ 二個 師 団 同 時 上陸 を や る為 位 の資 材 を集 め る のに あ れ程 手 間
戦 用 資材 に就 き ま し て も、苟 も 日 本 の国 が縦 ひ臨時 に計 画 を し た
か つた のです 。 今 の和 平 問 題 に影 響 さ れ て武 力 が拘 束 せら れ た こと は あ りま
当 時 は さ う い ふ風 な 方面 の外 交 工作 と は此 方 の考 へが併 行 し て居 な
殿下
が か ゝる と 云 ふ の では お話 に なら んと 思 ひ ます 。
そ れか ら軍 隊 の訓 練 に就 て も御 承 知 の通 り 、上 陸 作 戦 用 と し て特
殊 の訓 練 を や つて居 つた兵 団 は あ つた の です が、 之 が平 時 計 画 以 外
第 二、統 帥 者 殊 に最 高 統 帥当 事 者 と 云 ふも のは終 始 戦 理 を反 省 す
と思 ひま す 。
の と ん でも な い所 へ行 き ま し て臨 時 に別 の兵団 を 二週 間 も訓 練 をす
之 で私 の伺 ひ度 い こと は大 体終 り まし た。
る と 云 ふ こと を致 しま し た け れ ど も、将 来 は斯 様 な こと で は不 可 ぬ
そ れは な いと思 ひ ます 。 又 そ れ程 和 平 問 題 が響 い て居 り ま せ
せ ん か。 下村 ん。 殿下
十 六 、 雑 感 (幕 僚 勤 務 に就 て)
そ れ では 幕僚 勤 務 に就 き私 の所 感 を申 上 げ ま す。
第 一は平 時 に於 け る作 戦準 備
下村
発意 に よ り下 達 し た命 令 さ へも少 な い ので あ り まし て、其 の多 く は
央 が予 め し つかり 樹立 し た作 戦計 画 と 云 ふも のも又 純 然 た る独 自 の
の数 ケ 月間 私 共 の携 つて居 り ま し た時 期 の作戦 を 回顧 致 し ます と中
に仕 事 を し て居 り ます 関 係 上 、動 もす ると 皆 ん な の考 へが離 隔 し て
致 し まし た 。 殊 に最 高 統 帥 と 云 ふ のは多 く の人間 が分 業 的 な組 織 下
る や う に、統 帥者 は絶 えず 反省 す る こと が非常 に必 要 であ る と痛 感
正確 だ と思 つて居 り まし ても何 日目 か には 標準 時 に合 せる 必要 があ
洵 に つま ら な い例 であ り ます る が、 各 人 お互 に自 分 の時 計 が 一番
る 必要 があ り ます 。
現 地 の企 図 、出 先 の意 見 に引 き摺 ら れ た のみ ならず 、其 の行 動 を後
参 り ます か ら幕 僚 長 主 宰 の下 に状 況 判 断 を 時 々や つ て大 いに反 省 し
之 は先 般 筆 記 し て差上 げ ま し た資 料 の中 にも あ りま す が、事 変 初 め
で承 認 す ると い ふ ことも あ つた の であ り ます 。 僅 に杭 州 湾 上 陸 、白
且各 人 の思想 を統 一す る こと が 必要 であ り ます 。
兵 馬 倥 偬 の際 に は各 人 の平素 潜 れ て居 る性格 が色 々暴 露 し て色 々
第 三、 組織 と 人 と の関 係 であ り ます 。
茆 口上 陸 と云 ふも のは 中央 部 の意 志 か ら出 て居 り ま す が、 然 し 之 は 作 戦 上 の効 果 は あ りま し た け れど も 、戦 術 的 見 地 か ら見 ま す れば何 れ も其 の時 機 を失 つ て居 り ます 。 之 は申 す迄 も な く其 の当 時 の統 帥
な所 に影 響 を 及 ぼ し て参 り ます 。 高 等 司令 部 以 上 に於 き まし て人 を 考 へな い組 織 は各 種 方 面 に支 障 を来 す ので は な い かと思 ひ ます 。 そ れ で戦 争指 導 機 関 を大 本 営 に置 いて し つかり 、 は つきり し た組
今 回 の事 変 にも時 局 大 変 の際 に於 て此 の点 に於 ては何 等 間違 ひ の
点 が本 事 変 勃 発前 或 る時 代 か ら乱 れ て来 て居 ると観 察 し て居 り ます 。
な いやう にあ り度 い と祈 つて居 りま し た が如 何 であ り まし た でせう
し た け れど も ︱ ︱ 又反 対 に大 い に頑 張 つて所 信 を貫 徹 す べ き場 合 、
自 分 の意 志 を 通 す と い ふ やう な こと は 私共 は致 さぬ つもり で あ りま
自 分 の意 見 が容 れら れな いと か、 又裁 決 が下 つた後 に蔭 に廻 つて
か。
り は せ ぬ かと存 じ ます ⋮ ︰無 論 此 の反 対 の立 証 も出 来 る訳 であ り ま
そ れ は結 局 言 葉 を換 へて言 へば狂 人 に刃 物 を持 たし た例 と同 じ にな
織 を作 つても 、之 はそ れ に適 す る人 が居 な け れば 駄 目 で あり ま す 。
あ り ます 。 此 の事 変 の初 め に於 き ま し て も ⋮ ⋮之 は批 評 が まし い こ
す が︰⋮ 要 す る に組 織 と 人 と い ふ こと は戦 時 に於 て は非 常 に重要 で
事 変 の初 め に は よく 部内 の者 にも色 々非 難 が あり 、 又 外部 に於 て
て非 常 に反 省研 究 をし な け れば なら な いこと だ と思 ひま す。
此 の点 は 幕僚 とし ては何 ん と申 し ます か中 正 を得 ると いふ点 に於
力 の足 り な か つた欠 点 も 度 々自 覚 致 し て居 り ま す。
と に な り ます け れ ど も︰⋮ 軍 司令 官 が出 て行 か れ る時 に、軍 司 令 官 と参 謀 長 と は 一面 識 も な いも の を 一緒 にし 、或 は参謀 を選 定 す る際 にも 其 の人事 のやり 方 が兎 に角出 し易 いも のを連 れ て行 く と 云 ふ や
も之 があ り まし た し 、出 先 の者 で軌 道 を脱 し た点 も あ り まし た が、
之 は仲 々難 かし い こと で殊 に事 態 が紛 糾 す れば 紛 糾 す る程 其 の統 制
う な こ とを し て居 る の では非 常 に不 可 な いと思 ひま す。 第 四 には幕 僚 の心構 へに就 て。
も難 し いと思 ひま す。
本回想応答録も昭和十四年秋竹田宮 によ って行われたも ので、下村大
なお本文中 ︿ ﹀は欄外 に記されていた ことを示す。
将は昭和十 一年八月参謀本部第四部長 、十 二年九月より十三年 一月ま で同第 一部長を歴任した。
註
甚 だ つまら ぬ こと を申 上 げ ま し た が之 で私 の話 を終 りま す 。了
全 軍 を 通 じ つ幕 僚 勤務 に於 ては大 体 故 障 なく行 つて居 つた さう で あり ま す が 、之 には 既 に各 方 向 か ら貴 重 な資 料 や意 見 が出 て居 ると 思ひます。 只 今申 し ます る こと は事 変 以前 から 考 へて居 た こと で あ り ます が 諸 葛孔 明 の出 師 の表 に 曰く ﹁ 先 帝 知 二臣謹 慎 一 故 臨レ崩寄 レ臣 以 二大 事 一 也 ﹂ と いふ言 葉 があ りま す が 、此 の謹 慎 と い ふ意 味 は孔 明 の性格 か ら 見 ま し て も決 し て お とな し いと か、言 ふ ことを聞 く と か 云 ふ丈 の 消 極 的 な謹 慎 ぢ やな く幕 僚 と し て長 官 を輔 佐 し積 極的 に己 れを捨 て て色 々の献 策 を す る、 併 し 一度 裁 決 が下 つた ら 己 れ を捨 て ゝそ れ に 服 す る と い ふ こと が所 謂 幕僚 と し て の真 の謹 慎 であ らう と 思 ひ ます 。 之 は私 が大 学校 に居 る時 に も学 生 に言 つた こと も あり ま す が 、此 の
二
持 久 対 峙 段 階
一九三八年十 一月︱ 一九四 一年十 二月
一
一
令
大 陸 命第 二百 三十 五号 命
航空 ニ関 ス ル陸 海 軍 中央 協 定 、 占拠 地域 内 支 那 側 武 装団 体 指 導 要 綱 、 北部
命 令 ・指 示 附
岡
畑
藤 利
村 寧
俊
吉
殿
次 殿
六 殿
海 南 島 作 戦陸 海 軍 中 央協 定 、陸 海 軍 航 空 中央 協 定 、 汕 頭作 戦 陸 海 軍 中央 協 定
中支那派遣軍司令 官
安 長
第 十 一軍 司 令 官 支 隊
第 二十 一軍 司 令 官 田
殿
飯
紙
飯 田祥 二郎 別
支隊長
一、 別紙 ノ飯 田支 隊 ヲ第 十 一軍 戦 闘 序 列 ヨリ除 キ第 二十 一軍戦 闘序
臺 湾守 備隊 司令 部 (無線通信班 ヲ附 ス)
飯 田祥 二郎
列 に編 入 ス
陸軍少将
二 、中 支 那 派 遣 軍 司 令官 ハ前 項 ノ部 隊 ヲ南 支那 ニ到 ラ シ メ第 二十 一
臺 湾歩 兵第 一聯 隊
飯田支隊編組
軍 司令 官 ノ隷 下 ニ入 ラ シ ム ヘシ
臺 湾歩 兵 第 二聯 隊
臺湾第 一輸送監視 隊
臺湾 臨 時 自 動 車 隊
臺 湾 第 二衛 生 隊
臺湾 山砲 兵聯 隊
王
三 、第 一項 ノ部 隊 ハ揚 子江 口通 過 ノ時 ヲ以 テ現 所 属 指揮 官 ノ隷 下 ヨ
親
リ脱 シ第 二十 一軍 司令 官 ノ隷 下 ニ入 ル モノ ト ス
仁
臺 湾 第 一衛 生 隊
載
四、 細 項 ニ関 シテ ハ参 謀 総 長 ヲ シ テ指 示 セシ ム 昭和 十 三 年 十 一月十 九 日 奉勅伝宣 参 謀 総長
臺 湾 第 二輸 送 監 視 隊
二
令
大 陸命 第 二百 四 十 一号 命 一、 大 本営 ノ企 図 ハ占拠 地域 ヲ確 保 シ テ其 安 定 ヲ促 進 シ健 実 ナ ル長
北支 那方面軍司令官及第 二十 一軍司令官 ハ各〓其有 スル航空部隊
戦力ノ撃滅 ニ勉 ム ヘシ密 ニ海軍 ト協同 スルヲ要 ス
ヲ以テ適宜其正面 ノ航空作戦 ヲ実施 スヘシ
シ関係軍司令官 ニ指示 スル コト ヲ得
元 殿
殿
六 殿
吉
親
王
一、全支 ニ亘 ル航空作戦 ノ実施 ニ関 スル陸海軍中央協定 別冊 ノ如 ク
仁
六、参謀総長 ハ所要 ニ応 シ在支航空部隊 ノ運用、指揮 又 ハ区処 ニ関
昭和十三年十 二月 二日
俊
載
七、細項 ニ関 シテ ハ参謀 総長 ヲシテ指示 セシム
杉
藤 利
奉勅伝宣
畑
示
山
北支那方面軍司令官
安
参 謀 総長
二、 北 支 那 方面 軍 司 令 官 ハ現 ニ占 拠 シア ル北 支 那 地方 ノ確 保 安 定 ニ
中支那派遣軍司令官
期 攻 囲 ノ態 勢 ヲ以 テ残 存抗 日勢 力 ノ制 圧 衰 亡 ニ勉 ム ル ニ在 リ
任 ス ヘシ、特 ニ先 ツ北 部 河 北省 、山 東 省 、北 部 山 西省竝 蒙疆 地方 ニ
第 二十 一軍 司 令 官
指
大陸指第三百四十五号
三
於 ケ ル要 域 ノ迅速 ナ ル治 安 ノ恢 復 ヲ図 リ 且主 要 交 通 線 ヲ確保 ス ルヲ 要ス 西 蘇 尼 特 、包 頭 、黄 河 及 黄 河 氾 水 地域 ヲ越 エテ作 戦 ス ル場 合 ハ別 命 ニ依 ル 三 、 中 支 那派 遣 軍 司 令 官 ハ概 ネ廬 州 、 蕪 湖 、 杭 州 ノ線 以東 ノ占 拠 地
ル治 安 ノ恢 復 ヲ図 リ且主 要 交 通 線 ヲ確 保 スル ヲ要 ス
域 ヲ確 保安 定 ス ヘシ、特 ニ先 ツ 上海 、 南 京 、 杭 州 間 ノ 地域 ノ迅 速 ナ
定ム
大陸命第 二百 四十 一号 ニ基キ左 ノ如 ク指示 ス
九 江 ヲ根 拠 ト シ テ敵 ノ抗 戦 企 図 ヲ破摧 ス ヘシ、作 戦 地域 ヲ概 ネ 安慶 、
又 海 軍 ト協 同 シ テ岳 州 ヨリ下 流 揚 子 江 ノ交 通 ヲ確 保 シ武 漢 三 鎮 及
信 陽 、岳 州 、南 昌 間 ノ地域 ト ス
シテ特 ニ敵 ノ最高統帥及最高政治機関 ノ補捉撃滅 ニ勉 ムルヲ要 ス
敵 ノ戦略及政略中枢 ヲ攻撃 スルニ方 リテ ハ好機 ニ投 シ戦力 ヲ集中
五 、 中 支那 派 遣 軍 司令 官 ハ主 ト シ テ中 支 那 及北 支 那 ニ於 ケ ル航 空進
二、中支那派遣軍司令官 ハ北支那 ニ於ケ ル航空作戦 ノ実施 ノタメ之
四 、 第 二十 一軍 司 令 官 ハ現任 務 ヲ続 行 ス ヘシ
攻 作 戦 ニ任 シ特 ニ敵 ノ戦 略 及 政 略 中 枢 ヲ制 圧擾 乱 スルト 共 ニ敵 航 空
ヲ要 ス ルト キ ハ北 支 那 方 面 軍 司令 官 ニ協 議 シ テ北 支 那 ニ在 ル地 上 勤 務 部 隊 ノ 一部 ヲ 一時 区処 スル コト ヲ得 三 、 占 拠 地域 ノ確 保 安 定 ニ任 ス ル軍隊 ハ勉 メ テ其 配 置 ヲ固 定 シ特 ニ 迅 速 ナ ル治 安 ノ恢 復 ヲ企 図 ス ル地域 ニ在 リ テ ハ適 宜其 駐 兵密 度 ヲ濃 密 ナ ラ シ ム ルヲ要 ス
ノ指 導 ノ要 綱 別冊 ノ如 シ
四 、 北 支 那 方 面占 拠 地 域 ニ於 テ治 安 維 持 ニ協 力 ス ル支 那側 武 装 団 体
爾 他 ノ 方 面 ニア リ テ モ之 ヲ参 考 ト シ概 ネ本 要 領 ニ準 シ指 導 ス ヘシ
四
第 二十 一軍 司 令 官
極秘
安
藤
利
航 空 ニ関 ス ル陸 海 軍 中央 協 定
第 一 作 戦 方針
吉 殿
昭和 一三年十二月 大本営陸軍部 大 本 営海 軍 部
一、全支 ノ要 域 ニ亙 リ陸海軍航空部隊協同 シテ戦政略的航空戦 ヲ敢
ハ之 ヲ保 護 シ或 ハ其 占 領 地 域 ヲ保 障 ス ル等 各 種 ノ手段 ニ依 リ之 ヲ招
五 、 我 カ占 拠 地域 ノ外 方 ニ在 ル敵 軍 ニ シテ親 日反 共 ノ傾 向 ア ル モノ
撫 シ少 ク モ之 ヲ新 政 権 ノ外 廓 タ ル中 間 勢 力 タ ラ シ ム ル如 ク施 策 ス ル
行 シ敵 ノ継 戦意志 ヲ挫折 ス
山
ス 第二 作 戦 要 領
1、陸軍航 空部隊 ハ ﹁航空兵団 ヲ以テ﹂主 トシテ中北支ノ要域 ニ
一、戦政略 的航空作戦
対 スル戦政略的航空作戦 ニ任 ス
2、海軍航 空隊 ハ主 トシテ中、南支 ノ要域 ニ対 スル戦 政略的航空 作戦 ニ任 ス
3、状況 ニヨリ前記区分 ニ不拘陸海軍航空兵力 ヲ彼 此増援 スル コ ト アリ
4、戦政略的航空作戦実施ノ為北、中、南支 ノ区分 ヲ概 ネ左 ノ如
王 殿
ク定 ム
親 元
殿
仁
六
載
二、地 (水)上作戦 ニ対 スル直接協同 ハ陸海軍航空部隊各〓之 ニ任
ヲ要 ス 謀 略 的 政 略 的 諸 施 策 ヲ支 援 ス ル等 ノ タ メ所 命 地 域 外 ニ作 戦 ヲ行 フ ヲ要 ス ル場 合 ニ ハ予 メ中 央 ノ認 可 ヲ受 ク ル モノト ス 六 、在 支 各 軍 ハ特 種 煙 (あ か筒 、 あ か弾 、 みど り筒 ) ヲ使 用 ス ル コ ト ヲ得 、但 之 カ使 用 ニ方 リテ ハ市 街 地 特 ニ第 三 国 人居 住 地 域 ヲ避 ケ
ク注 意 ス ヘシ
勉 メ テ煙 ニ混 用 シ、厳 ニ瓦斯 使 用 ノ事 実 ヲ秘 シ其 痕 跡 ヲ残 サ サ ル如
杉
俊
参 謀 総長
特 種 煙 ノ使 用竝 利 用 ニ関 ス ル部 隊 ノ練 成 ハ更 ニ 一層 向 上 徹 底 セ シ
北 支 那 方 面 軍 司令 官
畑
昭和十三年十二月二日
ム ルヲ要 ス
中 支 那 派 遣 軍 司令 官
山 東 、 河 南 、 陜 西 、甘 粛 省 以北
第 一航 空 戦 隊 ( 艦戦機九機 、艦爆機九機 、艦攻機十八機)
軍
北支 福 建 、廣 東 、 廣 西 、 雲南 省
第 十四航空戦隊 ( 艦戦機十 二機、艦爆機六機 、艦攻機十八機)
海
南支 右 ノ中 間 諸 省
軍 第 七飛行団司令 部
陸
三、北 支 方 面
水 上機 母艦 一隻 (水偵機 八機)
高 雄 航 空 隊 ( 中 攻機 九機)
中支 二、 地 (水 ) 上作 戦 直 接 協 同 地 (水 ) 上作 戦 ニ対 ス ル直 接協 同 ハ北 、中 、 南 支 毎 ニ陸 海 軍 航 空
但 状 況 ニヨリ彼 此 増 援 ス ル コト ア リ
部 隊 各〓 之 ニ任 ス
力
飛行第十五戦隊 ( 偵察機十 二機)
兵
飛行第 六十四戦 隊第 三中隊 ( 戦闘機十二機)
第三 兵 力 ノ使 用 区分 ヲ左 ノ如 ク予定 ス
兵
団
軍 第四 其
他
青島 航空 部 隊 ( 艦攻機五機)
海
飛行第九十戦 隊 ( 軽爆機十八機)
飛行第 二十七戦 隊 ( 第 一中隊欠)(軽爆機 九機)
但 状 況 ニヨリ之 ヲ変 更 ス ル コト ア リ
飛 行第 五 十九 戦 隊 (戦 闘 機 二 十機 )
軍
一、 中 支 方 面 陸
空
飛 行第 十 二戦 隊 (重 爆 機 十 五機 ) 航
一、同 一方面 ニ在 ルカ又 ハ同 一空域 ニ行動 スル陸海軍航空部隊 ノ任
別
冊
五
従前 ノ協 定 ニ拠 ル
二、味 方 識 別
ニ於 テ直接協定 ス
第 一飛行 団 (偵 察 機 十 八 機 、戦 闘 機 十 二機 、 重爆 機 三十 機 )
艦戦機 五十 四機、艦攻機 二十四機
務区分協同 ノ要領 、飛行場 ノ整備竝使用区分等 ノ細項 ハ出征部隊間
軍
)
第 三 飛行 団 (偵 察 機 九 機 、戦 闘 機 二十 四機 、 軽爆 機 四十 五 機 ) 軍
第 二聯合航空隊
海
艦爆 機 十 二機 、 中 攻 機 二 十 六機
(
第 一聯合航空隊 (中攻機 二十 四機) 第 三航空 戦隊 ( 水偵機 二十 四機) 陸
二、南 支 方 面 第 四飛行団 ( 偵察機十三機、戦 闘機 二十 四機、軽爆機 十八機)
極秘 弐〇部内第壱弐号 占拠地域内支那側武装団体指導要綱 昭 和 一三、 一二
大本営 陸軍 部
六
令
大陸命第 二百六十五号 命
一、大本営 ハ南支 那 ニ対 スル航空作戦及封鎖作戦 ノ基 地設定 ノ為海
針
一、 武 装 団 体 ハ警 備 軍 隊 及 警 察 ヲ主 ト シ新 政 権 ニ属 シ占 拠 地 域 ノ治
方
安 維 持 ニ任 シ得 ル如 ク シ其 指 導精 神 ハ郷 土 ノ自 衛 安 民 ニ置 キ併 セテ
殿
載
王
二、第 二十 一軍司令官 ハ海軍ト協 同シ軍 ノ 一部 ヲ以テ海 口附近 ノ要
利 吉
参謀総長
親
南島要部 ノ攻略 ヲ企 図 ス 域 ヲ攻略占拠 スヘシ 昭和十 四年 一月十九日
安
藤
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長ヲ シテ指示 セシム 奉勅 伝 宣 第 二十 一軍司令官 七
示
大陸指第三百七十 二号 指
大陸命第 二百 六十五号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
仁
排 共 ノ為 ノ 民衆 組 織 ノ中核 タ ラ シ ムル ニア リ 治 安 維 持 ノ実 施 ハ日 本軍 ノ統 制 下 ニ行 ハシ ム
領
二、将 来 若 干 ノ国 防 軍 隊 ヲ建 設 ス ル コト ヲ考慮 ス 要
一、軍 占拠 地 域 内 ノ武 装 団 体 ハ治 安財 政 等 ニ稽 ヘ所 要 最 少 限 ノ兵 力
警備 軍 隊 、警 察 、護 路 及 水 上 警察 、衛 隊 、 地 上 防 空 隊若 干 ヲ
及装 備 ト シ勉 メテ大 ナ ル編 合 ト ス ル コト ナ シ之 カ為 イ
警 察 ノ装備 ハ小 銃 拳 銃 ト シ警 備 軍 隊 ニ ハ所 要 ノ軽 、重 機 及 迫
警 備 軍 隊 ハ省公 署 若 ハ臨 時政 府 ニ隷 属 ス
設 ク右 ノ外 支 那伝 統 ノ自 衛 制度 ハ各 地 ノ実 況 ニ応 シ之 ヲ整 備 ス
ロ 撃 砲 等 ヲ装 備 セ シム
二、 軍 隊 及警 察 ノ優 良 ナ ル幹 部 ヲ養 成 ス ル コト ニ勉 ム
四 、武 装 団体 ノ内 部 的 指 導 ハ日本 軍 隊 ヲ以 テ セ ス特 務 機 関 又 ハ軍事
海軍 トノ協同作戦 ニ関 シテ ハ別冊北部海 南島作戦陸海軍中央協定
三 、 帰順 軍隊 ハ適 宜 之 ヲ利 用 ス
顧 問 タ ル軍 人 ヲ通 シ テ行 フヲ原 則 ト ス
ニ準拠 スヘシ
昭和十四年 一月十九日 安
吉 殿
参謀総長 藤 利
20部 ノ内第1号
八
第二十 一軍司令官
別 冊 軍事極秘 北 部 海 南 島 作戦 陸 海 軍 中央 協 定
載
仁
親
王
昭和十四年 一月十七日 大 本 営 陸 軍 部 大 本 営 海 軍 部
北部海南島 ニ航空作戦及封鎖作戦 ノ基地設定 ノ為海 口附近 ノ要 域
一、作 戦 目 的 ヲ攻略占拠 スルヲ目的 トス従 テ占拠地域 ニ於 テ ハ軍 ノ駐屯自存 ニ必 二、時
期
要 ナル範 囲外 ノ政策関係諸作業 ハ差 シ当 リ之 ヲ実施 セサルモノト ス 二月上中旬 ノ頃ト予定 ス 陸軍
第五艦隊 ヲ基幹 トスル部隊
飯田支隊 ヲ基幹 ト スル部隊
三、作 戦 兵 力 海軍 四、指 揮 関 係 陸海軍 ハ協同作戦 ト ス 五、輸送、護衛 及上陸
空
第 二十 一軍司令官第 五艦隊司令長官ト直接協定計画 ス
上陸戦闘 ニ於 ケ ル航空作戦 ハ主 トシテ海軍之 ニ任 ス
六、航
占拠地域内陸上ノ警 備 ハ陸軍之 ヲ担任 シ海 上ノ警備 ハ海軍之 ヲ担
七、警備其他 ノ担任 任ス 道
海 口飛行場、埠頭 及港務諸機関 ノ管理運用 ハ陸海軍協同ト ス
戦争指導上 ノ関係 ヲ顧慮 シ上陸第 二日正午 以前 ノ報道 ハ大本営 ニ
八、報
於 テ之 ヲ行 フ
九 、本作戦 ヲ陸 軍 ニ在 リテ ハ ﹁登﹂ 号作戦 、海軍 ニ在 リテ ハ ﹁Y﹂ 作戦 ト略称 ス
本作戦実施後機 ヲ見 テ海軍 ニテ楡林港附近 ヲ占領 ス
( 註)
九
令
大陸命第 二百 八十九号 命
中支那派遣軍司令官 ハ現任務遂行 ノ為四、五月ノ候漢 口西北正面
ニ於 テ 一時現作戦地域 ヲ越 エテ作戦 ヲ実施 スル コトヲ得 昭和十四年四月十八日
一、細項 ニ関 シテ ハ参謀 総長 ヲシテ指示 セシム
奉勅伝宣 中支那派遣 軍司令 官 一〇
示
大陸指第 四百四十号 指
山
乙
三 殿
参謀総長 田
載
大陸命第 二百九十 一号 ニ基 キ左 ノ如ク指 示 ス
仁
親
王
一、第 三飛行 団編成 ニ編入 ス ヘキ第 十五航空通信隊 ノ 一部 ハ概 ネ無 線通信所八箇 ト ス
スルコトヲ得
上中支那派遣軍司令官隷下 又 ハ指揮下 ノ地上勤務 部隊 ノ 一部 ヲ区処
六、北支那方面軍司令官 ハ航空兵団司令官 ヲシテ中支那派遣軍司令
右 ニ関 シ航空兵団司令官 ヲシテ是等部隊 ヲ区処 セシムル コト ヲ得
官隷下 又 ハ指揮下航空部隊 ノ補給 及整備 ヲ担任 セシムルモノトス
七、中支那派遣軍司令官 ハ其作戦 地域 ニ在 ル航 空部隊 ノ補給、整備
及補給機関 ノ配置 ニ関 シ所要 ニ応 シ航空兵団司令官 ヲ区処 シ且同地
域 ニ在 ル北支那方面軍司令官隷下 又 ハ指揮下 ノ航 空部隊 ノ警備及兵 站業務 ヲ担任 スルモノト ス
杉
田
山
乙
載
仁
親
王
昭和 一四、四、 二八 大 本 営 陸 軍 部 大 本 営 海 軍 部
三 殿
元
殿
八、細部 ニ関 シテ ハ北支那方面軍司令官中支那派遣軍 司令官協定 ス ヘシ
山
参謀 総 長 北支那方面軍司令官
昭和十四年 四月 二十八日
中支那派遣 軍司令官
二、全支 ニ亘 ル航空作戦 ノ実施 ニ関 スル陸海軍中央協定別冊 ノ如ク 改ム
一 一
参拾部 ノ内第弐拾八号
第一 作 戦 方針
陸 海 軍 航 空 中 央協 定
軍事極秘
敵 ノ戦略及政略中枢 ヲ攻撃 スル ニ方リテ ハ好機 ニ投 シ戦力 ヲ集中 シテ特 ニ敵 ノ最高統帥及最高政治機関 ノ捕 捉撃滅 ニ勉 ムルヲ要 ス 三、北支那方面軍司令官 ノ任 スル航空進攻作戦 ハ概 ネ本年秋季以降 之 ヲ実施 スヘシ 進攻作戦 ニ任 ス ヘキ部隊 ニ ハ秋季 ニ至 ル迄主ト シテ訓練及整備 ヲ 行 ハシム ヘシ 四、北支那方面軍司令官 及中支那派遣軍司令官 ハ作戦 ノ為所要 ニ応 シ其隷下 又 ハ指揮下航 空部隊 ノ 一部又 ハ大部 ヲ互 ニ他軍 ノ作戦地域 内 ニ位置 セシムル コト ヲ得 五、北支那方面軍司令官 ハ所要 ニ応 シ中支那派遣軍司令官 ト協議 ノ
一、全支ノ要域 ニ亘 リ陸海 軍航空部隊協同 シテ戦 政略的航空戦 ヲ敢 行 シ敵 ノ継戦意志 ヲ挫折 ス
陸
軍
一、中 支 方 面
飛行第五十九戦隊 ( 戦闘機 二十機)
独立飛行第 十七中隊 ( 偵察機九機)
第三飛行 団司令部 作 戦 要 領
二、地 (水)上作戦 ニ対 スル直接協同 ハ陸海軍航 空部隊各 〓之 ニ任 第 二
ス
飛行第四十五戦隊 ( 軽爆機 二十七機)
飛行第七十七戦隊 ( 戦闘機二十四機)
独立飛行第 十八中隊 ( 偵察機九機)
1、 陸 軍 航 空 部隊 ハ ﹁航 空 兵 団 ヲ以 テ﹂ 主 ト シ テ中 、北 支 ノ要 域
飛行第七十五戦隊 ( 軽爆機十八機)
一、 戦 政 略 的航 空作 戦
ニ対 ス ル戦 政 略的 航 空 作 戦 ニ任 ス
北支
福 建 、廣 東 、 廣 西 、 雲 南省
山 東 、 河南 、陜 西 、 甘粛 省 以北
力
軍 軍
軍
飛行第十戦 隊第 二中隊 (偵察機九機)
陸
三、北 支 方 面
水上機母艦 一隻 ( 水偵機 八機)
高 雄航 空 隊 ( 中攻機九機)
)
第十四航空戦隊 ( 艦戦機十 二機、艦爆機六機、艦攻機 十八機)
第 一航 空 戦 隊 ( 艦戦機九機、艦爆機 九機、艦攻機 十八機)
海
第 四飛行 団 ( 偵察機十 三機、戦 闘機 二十 四機、軽爆機 十八機)
陸
二、南 支 方 面
第 三航 空 戦 隊 ( 水偵機 二十四機)
海 軍 艦戦機 五十四機、艦攻機 二十四機 第 二聯合航 空隊 (艦 爆機十二機、中攻機 二十六機 第 一聯合航 空隊 ( 中攻機 二十四機)
2 、海 軍 航 空 隊 ハ主 ト シ テ中 、南 支 ノ要 域 ニ対 スル戦 政 略 的 航 空 作 戦 ニ任 ス 3 、状 況 ニ ヨリ前 記 区分 ニ不拘 陸 海 軍 航 空 兵 力 ヲ彼 此増 援 ス ル コ トアリ 4 、戦 政 略 的 航 空作 戦 実 施 ノ為 北 、中 、南 支 ノ区 分 ヲ概 ネ左 ノ如
南支 右 ノ中 間 諸省
ク定 ム
中支 二、 地 ( 水 ) 上 作戦 直接 協 同
地 (水 ) 上 作 戦 ニ対 ス ル直 接協 同 ハ北 、中 、 南 支 毎 ニ陸 海 軍 航 空
兵
但 状 況 ニ ヨリ彼 此増 援 スル コト アリ
部隊 各 〓之 ニ任 ス
第三
兵 力 ノ使 用 区 分 ヲ左 ノ如 ク予定 ス 但 状 況 ニ ヨリ之 ヲ変 更 スル コト ア リ
航
空
兵
団
飛行第 六十四戦 隊第 三中隊 ( 戦闘機十 二機) 飛行第 二十七戦 隊 ( 第 一中隊欠) ( 軽爆機九機) 飛行第九十戦 隊 ( 軽爆機十八機) 軍
第 一飛行団 ( 偵察機九機、戦闘機十 二機、重爆機 四十五機) 海 他
青島 航空部 隊 ( 艦攻機五機) 第四 其
一、同 一方面 ニ在 ルカ又 ハ同 一空域 ニ行動 スル陸海軍航空部隊 ノ任 務区分協同 ノ要領、飛行場 ノ整備竝使用区分等 ノ細項 ハ出征部隊間 ニ於 テ直接協定 ス 従前ノ協定 ニ拠 ル
二、味 方 識 別
一二
示
大陸指第 四百六十八号 指
大陸命第三百十号 ニ基 キ左 ノ如 ク指示 ス 一、海軍ト ノ協同作戦 ニ関 シテ ハ別冊汕頭作戦陸海軍中央協定 ニ準 二、汕 頭附 近攻略後 ニ於ケ ル占拠兵力 ハ勉 メテ之 ヲ減少 スヘシ
拠 スヘシ 昭和十四年六月六日
冊
一三
第 二十 一軍司令官
別
安 藤
利
吉
参謀総長
汕頭 作戦 陸 海 軍 中 央協 定
殿
載
仁
親
王
昭和十 四年六月 日 大 本 営 陸 軍部 大 本 営 海 軍部
汕頭附近 ヲ攻略占拠 シテ南支那沿岸封 鎖ヲ強化 シ併 セテ所要 ノ謀
一、作 戦 目 的
期
略特 ニ華僑 工作ノ 一拠点 ヲ形成 スルヲ目的 ト ス 概 ネ六月下旬 ト予定 ス
二、時
陸軍
第 五艦隊 ノ 一部
第 二十 一軍 ノ 一部
三、作 戦 兵 力 海軍
陸海軍 ハ協 同作戦 トス
四、指 揮 関 係 空
上陸戦闘 ニ於 ケル航空作戦 ハ主 トシテ海軍之 ニ任 ス
五、航
六、警 備 担 任
陸 上ノ警備 ハ陸軍、海 上ノ警備 ハ海軍之 ヲ担任 ス
七、報
道
上 陸 第 一日午 後 六 時 以前 ニ於 テ ハ現 地報 道 ヲ行 ハス、大 本 営 ニ於 テ之 ヲ担任 ス 八 、本 作 戦 ヲ陸 軍 ニ在 リ テ ハ ﹁華 号 ﹂作 戦 海 軍 ニ在 リ テ ハ ﹁j﹂ 作 戦ト略称 ス
一、埠 頭 及 港 務 諸 機関 ノ管 理 運 用 ハ陸 海 軍協 同 ト ス
(附 )
二 、政 務 関 係 諸 作 業 ハ差 当 リ軍 ノ駐屯 自 存 竝 謀 略 ニ必要 ナ ル範 囲
シテ ハ第 二十 一軍 司令 官 、 第 五艦 隊 司令 長 官 ヲ通 シテ所 要 ノ連 絡
ト シ陸 軍 主 ト シ テ之 ヲ担 任 ス ル モ陸 海 軍 相 互 ニ関聯 ス ル事 項 ニ対
ヲ取 ル モノ ト ス
(昭和十四年八月 三十日
︹岡村寧次中将︺
第十 一軍司令官)
作戦方面 に第百 一及第百 六師団を併立し万策 を尽して必勝 を期した
(口頭 )
ると助攻方面たる武寧方向 に精強第六師団 を指向して主力 の作戦を
二 軍 状 報 告
軍 は客年十 一月武漢攻略戦後暫く戈を〓 めて戦力 の更 張充実 を図
容易 ならしめ幸にして特設両師団 の偉大 なる戦績 をし て自他共 に確
至短時日 に予期以上 の作戦成果を収めたり而して右作戦 に方り軍主
り十 二月旧第 二軍 の諸隊 を隷下 に入らしめられ概 ね信陽岳州修水河
軍 状報告
を連 ぬる作戦 地域 を警備して専ら兵馬 の補 充練成及兵器資材 の充実
るは洵 に慶賀 に堪 えざると ころなり
認 せしめ上下 の信頼 と兵団自体 の志 気を弥 か上 にも昂揚 せしめ得た
南昌攻略戦 の終局未 だ完 からざ るに方 り蒋介石 の呼号 する所謂四
整備 に努 め以 て次期 の進攻作戦を準備し本年 二、三月 に至 り各部隊 此間相当多数 に上る人馬 の補充傷病兵 の収療処理人馬体力 の向上
月攻勢 の徴 を認むるや此機 に乗 じ敵 の主攻方面 たる江北第 五戦区 の 敵を撃滅 し敵抗戦意志挫折 を促進する に決 し三月末より四月末 に亘
共 に概 ね形而上下 に亘る戦力更張 の実を挙 げたり
ヤ﹂患者 の治療並之 に依 る戦力低下 の防 止に就 ては各 隊各機関 を挙
就中当時約 四十万 に垂 〓とす る総兵力中約 十五万 に達す る ﹁マラリ
り之 が戦力 の集中及会戦準備を進め五月初頭 を期 して会戦 の発起を
る対陣状態 より発起し て修 水南岸 の堅固 なる敵陣地に対し戦力 を綜
第百 一、第百六 の両師団 を以 て南潯線に沿 ふ地区 より約 五個 月に亘
し て会戦指導 に当りたるも のにし て従来動 〓もす れば 一旦領有 せる
実 の機略 を尽し城鎮 の攻陥 を顧念 せず 一意敵軍撃滅 の純作戦 に立脚
るも隠 忍して敵を驕 らせ 一度起 つや疾風雷震 の実 を挙げ各兵団 は虚
右作戦 は其準備 間に於 て局部的ながら各方面共敵 の攻撃 を受けた
見たり
げ て徹 底細 心なる努力を傾注 せり 軍は客年末警備態 勢を整 ふるに方り受 けたる任務 に基き機 を見 て
合発揮し て急襲突破 を敢行し引続 き神速 なる機動 に依り作戦 一週日
城鎮 を放棄する の難 きを知 りつつ敢て之 を企図 せるも のなり
南昌 を攻略 せん ことを企図し隠密裡 に周到 なる準備を進 め三月下旬
にして約 二百粁 を踏破し〓 江の大河 を渡り約十箇 師 の敵 を潰滅し て
而し て右会戦 に参加 せる第三、第 十三、第十六師団騎兵旅団等 は 克く叙 上の作戦指導 の主旨 を遺憾なく実績 上に具現し連続作戦約 三 週日にして交戦敵兵約 三十数箇師中約 二十箇師 に対し決定的打撃 を 区 一帯 は殆 んど敵 の放棄す ると ころとなり単 に游撃部隊 の蠢動 を見
与 へ敵軍 の戦 意を衰退 せしむ るに多大 の成果 を収め爾後襄河東方地
以上主要会戦 の成果に鑑 みるに聖戦二週年或は戦争に倦 み戦力低
るに過ぎず 下の虞 なき やの 一部人士 の〓憂を 一掃せる のみならず年 を重ねて志 気益 〓旺盛統帥 に戦闘 に円熟向上 せるの実証 を目撃し部下兵団 に対 軍は曩 に新鋭 の第三十三、第三十 四師団を武漢 に迎 へ歴戦雄強 な
する絶大 の信頼 を更 に牢固 たらしめ たる次第 なり る第 九、第十 六師団を内地に送り今 や益 〓戦力 を更張し て作戦 地域 の確保 安定 を図 り愈 〓訓練 の精到 を期し特殊 の風土疫癘を克服して 人馬 の保健 を最高度 に保持 し 一面支那民衆 に対しては愛民を旨 とし て人心 の把握 に努 め随時 の進攻作戦 に即応 の準備 に在り其実績 は形 而上下 に亘り御倚托 に副ふに些 の遺憾なきを確信 しあり 目下軍 四周 の敵軍は正規軍百余箇師約八十万に達し其戦力及志気 岡村 は現 に其 の統率する約 三十万 の軍 が在支皇軍 の総前衛たる の
共 に 一途低下 沮喪 に瀕し つつあると雖 も日夜依然蠢動 を継続しあり 地位 に稽 へ専念作戦的成果 の獲得 に依り敵抗戦意志 の撃砕 に直往 し る次第 にして目下近く江南方面 に指向すべき次期作戦を準備中 なり
皇謨翼賛 の負托 に応 へ一途聖戦目的 の貫 徹 に邁進 せん ことを期 しあ 細部 に関し ては別 に筆記 せると ころ並参謀 の御説明に就 て御承知 を乞 ふ
三
一大陸命第三百六十 二号
命 令 ・指 示
田
西 尾
寧
田 乙
三 殿
駿
航 空 ニ関 ス ル陸 海 軍 中 央 協 定 、占 領 地域 内支 那 側 武 装 団体 指 導要 綱
多
村 第
飯
篠
藤 利
田 貞
塚 義
吉
岡 部直 三郎
固
殿
殿
殿
次 殿
第十 二軍 司令官
安
殿
附
支那派遣軍総 司令官
山
殿
殿
北支那方面軍司令官
岡
殿
造 殿 中支那派遣 軍司令官
男
壽 造
駐 蒙 軍 司 令 官
敏
壽
第 十 一軍 司 令 官
西 尾
一、中支那派遣軍戦闘序列 ヲ解 ク
第 二十 一軍 司 令 官
下
一軍 司 令 官
第十 三軍 司令 官
二、別 冊ノ如 ク支那派遣 軍、第十三軍戦闘序列 ヲ令 シ北支那方面軍、
木
令
第 十 一軍戦闘序列、第三飛行集団編成 ヲ改定 ス
第 三飛行集 団長
命
三、別紙 ノ部隊 ヲ支那派遣軍総司令官 ノ指揮下 ニ入 ラシム
王
第四十八飛行場大隊 ノ 一部
飛行第十戦隊第 二中隊甲
北支那方面軍司令官 ノ指揮下 ニ在 リシ部隊
紙
別
四、第 一、第 二、第 三項 ノ部隊 ノ指揮隷属転移 ノ時機 ハ十月 一日零
親
時 トス
仁
支那派遣軍総司令官 ノ指揮下 ニ入 ル部隊
載
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示セシム 昭和十四年 九月二十 三日 奉勅伝宣 参謀総長
二
令
大陸 命 第三百六十三号 命
以上関東 軍司令官隷下部隊
之 カ為敵 継戦企図 ノ破 摧 ニ勉 ムルト共 ニ速 ニ情勢 ノ変化 ニ応 スル
一、大本営 ハ支那事変 ノ迅速 ナ ル処 理ヲ企図 ス 対第三国戦備 ヲ補強 ス
五 適時航空進攻作戦 ヲ実施 シ敵 ノ戦略及政略中枢 ヲ制圧擾乱 ス
前各号 ノ作戦中海岸及水域 ニ沿 フ作戦 竝航空進攻作戦 ニ関 シ
ルト共 ニ敵空軍 ノ再建 ヲ妨止 ス
抗 日勢力 ノ衰亡 ヲ促進 スルニ有効 ナル謀略的圧力 ヲ強化 ス
テ ハ密 ニ支那方面艦隊司令長官 ト協 同 ス
六 七
三、支那派遣軍総司令官 ハ作戦 上ノ必要 アル場合 ハ一部 ノ部隊 ヲ 一
時 満支国境 ニ近 ク熱河省内 ノ地域 ニ派遣 スル コトヲ得
王
参謀総長
殿
殿下
載
示
仁
親
王
四、参謀 総長 ハ其隷下船舶部隊 ノ中所要 ノ部隊 ヲ 一時支那派遣軍総
司令官 ノ指揮下 ニ入ラシムル コトヲ得 昭和十四年 九月二十三日
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
造
奉勅伝宣
仁 親
ス ヘシ
二、支那派遣軍総司令官 ハ左記 ニ準拠 シ敵継戦企図 ノ破摧衰亡 ニ任
尾 壽
概 ネ 西蘇 尼 特 王 府 、 百靈 廟 、安 北 、黄 河 、黄 河氾 水 地 域 、廬
載
一
西
長
参
総
支那派遣軍総 司令官
謀
州 、 蕪 湖 、杭 州 ノ線 以 東 ノ地 域 ノ確 保 安 定 ヲ期 シ特 ニ先 ツ蒙 疆 地
ム
一、全支 ニ亘 ル航空作戦実施 ニ関 スル陸海軍中央協定別冊 ノ如 ク定
大陸命第 三百 六十三号 ニ基 キ左ノ如 ク指示 ス
指
大陸指第五百五十四号
三
方 、 北 部 山西 省 、河 北 省 及山 東 省 ノ各 要 域 竝 上海 、南 京 、杭 州 間
岳 州 ヨリ下 流 揚 子 江 ノ交 通 ヲ確 保 シ武 漢 三鎮 及 九 江 ヲ根 拠 ト
ノ地 域 ノ迅速 ナ ル治 安 ノ恢復 ヲ図 ル
シ テ敵 ノ抗 戦 企 図 ヲ破 摧 ス其 作 戦 地域 ハ概 ネ 安慶 、信 陽 、 岳 州 、
二
廣 東 附 近 、 汕 頭附 近 竝北 部 海 南 島 ノ要 域 ヲ占 拠 シ敵 ノ南 方補
南 昌 ノ間 ト ス 三
給 路 ノ遮 断 ニ勉 ム 廣東 附 近 ノ作 戦 地 域 ハ概 ネ恵 州 、 従 化 、清 遠 、北 江 及 三 水 ヨリ
前 各 号 所掲 ノ地域 ヲ越 エテ行 フ地 上作 戦 ハ別命 ニ依 ル
下流 西江 ノ間 ト ス 四
項 中 以 下 同 シ) ニ必要 ナ ル警 察 ニ関 シ支那 方 面艦 隊 司 令 長 官 ノ 区 処 ヲ承 ク ルノ件
敵 ノ戦 略 及 政 略 中 枢 ヲ攻 撃 ス ル ニ方 リ テ ハ好 機 ニ投 シ戦 力ヲ集 中 シ テ特 ニ敵 ノ最 高 統 帥 及 最 高 政治 機関 ノ補 捉 撃 滅 ニ勉 ム ルヲ要 ス又 二
其 地憲 兵 ノ長 ニ指 示 シ得 ルノ件
陸 戦 隊 指 揮 官 カ其 警 備 区域 ニ於 テ警備 ニ必要 ナ ル警 察 ニ関 シ
長 期 ノ作戦 ニ応 ス ル航 空 勢 力 ノ保 全 ニ関 シ顧 慮 スル ヲ要 ス
六 、事 変 処 理 ヲ控 制 ス ルカ如 キ無 益 且 不 用意 ナ ル第 三国 ト ノ紛争 ノ
航 空 進攻 作 戦 実 施 ノ時 期 ニ関 シテ ハ別 ニ指 示 ス 二 、 確 保安 定 ヲ期 ス ヘキ占拠 地域 ニ於 テ治 安 維 持 ニ協 力 ス ル支 那 側
惹 起 ヲ厳 ニ防 止 ス ヘシ
ス ル ヲ要 ス
招 撫 シ少 ク モ之 ヲ親 日政 権 ノ外 廓 タ ル中 間 勢 力 タ ラ シ ム ル如 ク施 策
其 実 施 ハ差 当 リ別 冊 時 局 ニ伴 フ第 三期 対 支謀 略 計 画 ニ依 ル
八 、支 那 派 遣 軍 総 司 令官 ハ全 支 ニ亘 ル謀 略 ノ実 施 ニ任 スル モノ ト ス
七 、 軍隊 ノ練 成 ヲ強 化 シ軍紀 ヲ振 作 シ戦 力 ノ維 持 培 養 ニ勉 ム ヘシ
特 ニ爆 撃 時 ニ於 ケ ル前 号 ノ注 意 ヲ倍 〓 ス ルヲ要 ス
武 装 団 体 ノ指 導要 綱 別 冊 ノ如 ク定 ム
三 、 支 那 派遣 軍総 司 令 官 ハ中 支 那 ニ在 ル船 舶 機 関 ノ業 務 及行 動 ニ関
九 、対 支 軍 事 調 査 ハ差 当 リ別 冊 大 本営 陸 軍 部 対 支 軍 事 調 査 計 画 ヲ基
前 号 以外 ノ 地域 ニ在 ル敵 軍 ニシテ親 日反 共 ノ傾 向 ア ル モノ ハ之 ヲ
シ作 戦 上 必要 ア ル場 合 ハ其 指揮 下 以外 ノ船 舶 部 隊 ヲ臨機 指 揮 ス ル コ
準トス
棚 、達 里 崗 崖 以 北 ノ内 蒙 古 及 外 蒙 古 ヲ、臺 湾 軍 ヲ シ テ福 建 、廣 東 、
支 那派 遣 軍 ノ担 任 区 域 ハ支 那 全 土 ト シ之 ト重 複 シ関 東 軍 ヲ シテ経
ト ヲ得 北支 那 及 南 支 那 沿 岸 及 水路 ノ局 地 輸 送 ニ関 シ作 戦 上必 要 ア ル
廣 西 、貴 州 及 雲 南 ノ各省 ヲ担 任 セシ ム
場 合 ハ作 戦 地域 毎 ニ其 指 揮 下 以 外 ノ船 舶 部 隊 ヲ各 当 該 軍 司令 官 ヲ シ テ区 処 セ シ ム ル コト ヲ得 但 シ以 上 ノ為 第 一船 舶 輸 送 司令 官 ノ計 画 実
昭和 十 四 年 九 月 二 十 三 日
尾
壽
造
参謀 総長
殿
二 月 四 日駐 蒙 兵 団 司令 官 ニ与 ヘタ ル指 示 ニ依 ル
西
参 拾 部 ノ内 第 八 号
四
支 那派 遣 軍 総 司令 官
軍 事機 密
載
仁
親
王
駐 蒙 軍 ヲ シ テ行 ハシ ム ヘキ対 ﹁ソ﹂ 対外 蒙 諜 報 ハ別 冊 昭和 十 三年
施 ス ル船舶 全般 ノ運 用 ヲ妨 ク ル コト ナ シ 前 号 ノ細 部 ニ関 シ テ ハ第 一船 舶 輸 送 司令 官 ト協 議 ス ヘシ 四 、 支 那派 遣 軍総 司 令 官 一部 ノ 部隊 ヲ熱 河 省 内 ニ派 遣 スル ヲ要 ス ル 場 合 ニ在 リ テ ハ関 東 軍司 令 官 ト協 議 ス ヘシ
ニ関 シ憲 兵 又 ハ憲 兵 ノ長 ニ対 ス ル区処 又 ハ指 示 (憲 兵 令 ニ規 定 ス ル
五 、 支 那派 遣 軍 総 司 令 官 ハ支 那 方面 艦 隊 司 令 長 官 ト協 議 シ左 記 事 項
記
憲 兵 カ海 軍 警 備 区 域 内 ニ於 テ警 備 (昭和 十 一年 三 月国 内 防 衛
左
区 処 又 ハ指 示 ヲ謂 フ) 権 ヲ海 軍 ニ委 ス ル コト ヲ得
一
ニ関 ス ル陸 海 軍 任 務 分 担 協 定第 二条 ニ依 ル警 備 ノ定 義 ヲ準 用 ス本
航空 ニ関 ス ル陸海 軍中 央 協 定
第一 作 戦方 針
昭和十四年 九月 大 本営 陸軍部 大 本営海 軍部
一、全支 ノ要域 ニ亘リ陸海軍航空部隊協同 シテ戦政略的航空戦 ヲ敢 行 シ敵 ノ継戦意志 ヲ挫折 ス
第二
作 戦 要 領
二、地 ( 水)上作戦 ニ対 スル直接協同 ハ陸海軍航空部隊各 〓之 ニ任 ス
一、 戦 政 略 的航 空 作 戦 1 、陸 軍 航 空部 隊 ハ主 ト シテ中 、北 支 ノ要 域 ニ対 ス ル戦 政 略 的航 空 作 戦 ニ任 ス 2 、 海 軍航 空隊 ハ主 ト シテ 中 、南 支 ノ要 域 ニ対 ス ル戦 政 略 的航 空 作 戦 ニ任 ス
兵
力
但 シ状況 ニ依リ彼 此増援 スル コトアリ
部隊各 〓之 ニ任 ス 第三
兵力 ノ使用区分 ヲ左ノ如 ク予定 ス
但状況 ニヨリ之 ヲ変更 スルコト アリ 陸
軍
一、北 支 方 面 第 三飛行集 団司令部
独立飛行第十 六中隊 (偵察九機)
飛行第 六十戦隊 (重爆三十六機)
飛行第十戦隊第 二中隊 (偵察 九機) 軍
第 一 飛 行 団 (偵察九機 、戦闘十二機 、軽爆十八機) 海
青 島 航 空 部 隊 (艦攻五機) 陸
軍
二、中 支 方 面 第 三飛行団司令 部
3 、 状 況 ニ依 リ前 記 区 分 ニ不拘 陸 海 軍 航 空 兵力 ヲ彼 此 増 援 ス ル コ ト アリ
独立飛行第十七中隊 ( 偵察九機)
飛行第五十九戦隊 ( 戦闘 二十四機)
4 、戦 政 略 的 航 空 作戦 実 施 ノ為 北 、 中 、 南支 ノ 区分 ヲ概 ネ 左 ノ如
山 東 、 河南 、陝 西 、 甘 粛省 以北
飛行第七十五戦隊 ( 軽爆十八機)
飛行第四十四戦隊 ( 偵察十八機)
北支
福 建 、廣 東 、 廣 西 、 雲 南省
ク定 ム
南支
軍
右 ノ中 間 諸 省
第 三艦隊司令部附属 ( 水偵六 機)
第 二聯合航 空隊 ( 艦戦 三三、艦爆 六、艦攻六、中攻 二七)
海
中支
二、 地 (水 ) 上作 戦 直 接 協 同 地 (水 ) 上作 戦 ニ対 ス ル直 接協 同 ハ北 、中 、 南 支毎 ニ陸 海 軍 航 空
軍
三、南 支 方 面 陸 第 二十 一独立飛行隊本部 独立飛行第八十二中隊 ( 偵察九機 ) 独立飛行第八十四中隊 ( 戦闘十 二機) 軍 他
第 三聯合航空隊 ( 艦戦 一八、艦爆六、中 攻二七、水偵 一一)
海 第四 其
一、同 一方面 ニ在 ルカ又 ハ同 一空域 ニ行動 スル陸海軍航空部隊ノ任 務区分協同 ノ要領 、飛行場ノ整備竝使用区分等 ノ細項 ハ出征部隊間
安 維 持 ニ任 シ得 ル如 ク シ其 指 導 精 神 ハ郷 土 ノ自 衛 安 民 ニ置 キ併 セ テ
治 安 維 持 ノ実 施 ハ日 本 軍 ノ統 制 下 ニ行 ハシ ム
排 共 ノ為 ノ民 衆 組 織 ノ中 核 タ ラ シ ム ル ニア リ
領
二 、将 来 若 干 ノ国 防 軍 隊 ヲ建 設 ス ル コト ヲ考 慮 ス 要
一、 軍占 拠 地 域 内 ノ武 装 団 体 ハ治 安 財 政 等 ニ稽 へ所 要 最 少 限 ノ兵 力
警 備軍 隊 、 警 察 、 護路 及 水上 警 察 、 衛 隊 、 地 上防 空 隊 若干 ヲ
及 装 備 ト シ勉 メ テ大 ナ ル編合 ト ス ル コト ナ シ之 カ為 イ
警 備軍 隊 ハ省 公 署 若 ハ臨時 政府 ニ隷 属 ス
設 ク右 ノ外 支 那 伝 統 ノ自衛 制 度 ハ各 地 ノ実 況 ニ応 シ之 ヲ整 備 ス
ロ
警 察 ノ装 備 ハ小 銃 拳銃 ト シ警 備 軍 隊 ニ ハ所要 ノ軽 、 重 機 及迫 撃 砲 等 ヲ装備 セシ ム
令
二 、支 那 派 遣 軍 総 司令 官 ハ海 軍 ト協 同 シ軍 ノ 一部 ヲ以 テ速 ニ南 寧︱
一、大 本 営 ハ敵 西 南補 給連 絡 路 遮 断 ノ強 化 ヲ企 図 ス
命
大 陸 命 第 三 百 七 十 五号
六
顧 問 タ ル軍 人 ヲ通 シテ行 フ ヲ原 則 ト ス
四、 武 装 団 体 ノ内 部 的 指 導 ハ日 本軍 隊 ヲ以 テ セ ス特 務 機 関 又 ハ軍事
三 、 帰順 軍 隊 ハ適 宜 之 ヲ利 用 ス
二、 軍隊 及警 察 ノ優 良 ナ ル幹 部 ヲ養 成 スル コト ニ勉 ム
ニ於テ直接臨 協定 ス
昭和 一四、九
大本営陸軍部
二、味 方 識 別
五
従前 ノ協 定 ニ拠 ル
冊
軍事極秘 弐拾部 ノ内第弐拾 号 別
針
占 拠 地 域 内 支 那側 武 装 団 体指 導要 綱
方
一、武装団体 ハ警備軍隊及警察 ヲ主ト シ新政権 ニ属 シ占拠 地域 ノ治
載
仁
親
王
ス
ス
本 作 戦 ノ目 的 ハ直 接 南 寧︱ 龍 州 道 ニ沿 フ敵 ノ補 給 連
十 一月 中 旬 ト予 定 ス
上 陸 第 二 日正 午 迄 ハ大本 営 ニ於 テ発 表 ヲ担 任 シ現地 報 道
特 ニ留 意 ス本 作 戦 ヲ陸 軍 ニ在 リ テ ハ ﹁和 号﹂ 作 戦 、
令
四 、 第 一、第 二項 ノ部 隊 ノ指 揮 隷属 転 移 ノ時 機 ハ乗 船港 出 発 ノ時 ト
ヘシ
三、 第 一項 ノ部 隊 ハ南 支 那 ニ到 リ支 那派 遣 軍 総 司 令 官 ノ隷 下 ニ入 ル
二、 別 紙 ノ部隊 ヲ第 五 師 団 長 ノ指 揮下 ヨリ除 ク
一、第 五 師 団 及別 紙 ノ部 隊 ヲ第 二 十 一軍戦 闘 序 列 ニ編 入 ス
命
大 陸 命 第 三 百 七十 六号
九
二 、本 作 戦 ( 航 空作 戦 ヲ除 ク) ニ伴 フ謀 略 及政 務 ハ陸 軍 之 ヲ担 任
一、対 仏 領 印 度 支 那 工作 ハ上陸 作 戦 後 大本 営 之 カ実 施 ニ任 ス
( 附)
海 軍 ニ在 リ テ ハ ﹁N﹂ 作 戦 ト符 称 ス
四 、機 密 保持
ヲ禁 ス
三 、報 道
二、 作 戦 時期
一、作 戦 目 的
王
絡 路 ヲ遮 断 ス ルト共 ニ〓 越 鉄 道 及 〓 緬 公路 ニ沿 フ敵 補 給 連 絡路 遮 断
親
三、前項作戦 部隊 ノ作戦区域 ハ概 ネ南寧、龍州以南 ト ス
仁
龍州道 ニ沿 フ敵補給連絡路 ノ遮断 ニ任 ス ヘシ
載
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
造
参謀 総 長 尾 壽
殿
ノ海 軍航 空作 戦 ヲ強 化 ス ル ニ在 リ
西
昭和十四年十月 十六日 奉勅 伝 宣 支那派遣軍総司令官 七
示
大陸指第五百八十二号 指 大陸命第三百七十五号 ニ基 キ左ノ如ク指示 ス
造
参謀総長 尾 壽
殿
大陸命第三百七十五号作戦 ノ為陸海 軍中央協定別冊 ノ如 ク定 ム
西
昭和十四年十月十六日
八
支那派遣軍総司令官
別 冊 大陸命第三百七十 五号陸海軍中央協定 作 戦 ノ 為
昭和十四年十月十六日
壽 吉
造 殿
殿
載
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
利
奉勅伝宣 西 尾
参謀総長 安 藤 殿
仁
親
王
(第 六 師 団)
均
( 第十六師団)
村
兵站自動車第 二百七十、第 二百 七十 一中隊
( 第十 一師団)
今
兵站自 動車第 三 百六中 隊
( 第 八 師 団)
長
野戦予 備病院 第 四十 五班
( 第十 一師団)
団
支那派遣 軍総司令官 五 師
第 二 十 一軍 司 令 官 第
患者 輸 送 部 第 十 八班
( 第十 二師団)
別 紙
患者 輸送 部第 二十 五班
( 第 一師 団)
下段括弧内 ハ動員 又 ハ編成管理官 ヲ示 シ師団 ハ師団長
患 者 輸 送 部 第 二十 六 班 備考
第 二、 第 八 防 疫 給 水 部 ( 留守師団長) ヲ示 ス
目
四
次
︹第 十 一軍 ︺
( 昭和十四年十二月十日 呂集団参謀部)
武 漢 攻 略 戦 後 に 於 け る 呂 集 団 当 面 敵 軍 一般 の 情 勢
第 四 武漢攻略戦後に於 ける呂集団当面敵軍整訓状況 一覧表
第 五 第九戦区砲兵部署表 ( 於八月 一日)
言
緒
第 六 第九戦区軍師属 及配属戦車防禦 砲配備 一覧表 (於八月 一日)
第 一 敵軍 の兵力竝配置
第 七 支那軍教育 訓練状況 一覧表
第 二 敵軍作戦指導 一般 の要領 第 三 敵軍 の整理、補充、補給 竝教育訓練 の状況
第 八 呂集団作戦地域内鉄道妨害状 況 一覧表 ( 自 昭和十三年
冊 ︹以下略︺
図
十 二月
至昭和 十四年十 一月)
第 二 第九戦区陣 地位置要図 (於八月)
第 一 中支方面敵軍配置要図 (於十 一月下旬)
附
第 九 呂集団作戦地域内通信妨害状況 一覧表 ( 自 昭和十三年
十 二月 至 昭和十 四年十 一月)
第 四 敵軍 の戦力竝特性 に関する観察 第 五 軍作戦地域内兵匪 の状況 第 六 今後 に於 ける敵軍 の動向に対す る観察竝結言 表 別
敵軍 の兵器弾薬 に関する調査
附 図
附録 附
第 三 中支方面敵軍交 通路竝城壁破壊状況要 図( 於十 一月末)
表 第 一 呂集団当面敵軍編制竝系統 一覧表 (於十 一月末)
附
辺区挺進総指揮部情報網構成要領図 (於七月)
第 六 第 五十二軍諜報網要図 (於五月)
第 五 湘鄂
第 四 湘資〓〓四江封鎖位置要図 十 四年十 一月
第 二 呂集団綜合戦果 一覧表 ( 自 昭和十 三年十二月 至 昭和 第三 支那軍整編基準 一覧表
言
第 七 呂集団作戦地域内敵 ( 匪)情要図 ( 於 十 一月) 緒
軍当面 の敵兵力 が全支那軍 の約半数 に近く且特 に第九戦 区方面 の
退す るに至 れり
敵 の防衛 の第 一線 たるの重要性 に鑑み第 九戦 区を以 て所謂抗戦第 二
の会 と称せられたる武漢地方 の重要性 と西南僻陬 の奥地 に遁 入せる
総兵力及中央軍 の比率 が共 に他 の戦区 に比し大 なるは古来所謂九省
て敵軍総兵力 の約半数 に近き百余個師 の正規 軍と接触 し此間南昌、
武漢攻略成 りて既 に 一歳軍は在支皇軍 の総前衛たる の地位 に在 り 襄東 、〓湘各会戦 に於 て敵軍抗戦力 に痛撃を加 へ又作戦地域内外 の
形成しありし李宗仁を江北方面 に配置 し江南第九戦区中央 軍を以 て
敵軍 の配置 を系統 に依り観察 するに事変前蒋政権 に対し 一敵国 を
期 に於け る主要戦 区と為 しある証左なり
以下過去 一年間 に於 て得 たる諸情報特 に前 記諸会戦竝討伐 に於 て
之 が督戦的 地位 を占め又局部的にも南陽 、宜昌、上高等戦線後方 の
兵匪を討伐粛正 し つつ今日に及 べり 軍 の直接感知 せる敵軍 の鼓動 を通 じ其抗戦力 に対す る観察 を遂げ以
中央 軍 の戦力愛惜竝雑軍 に対する監視 に関す る着意 の周到 なるを物
要 点 に夫 々中央直系軍を配置し て督戦的態勢 を採りあるは蒋介石 が
第 一 敵 軍 の兵力竝配置
て今後我軍 の採 るべき作戦 上の方策決定 に資 せんとす
せしむるが如き は何れも敵 軍戦意 の 一端 を実証するに足 る注目すべ
然 れ共我軍 の進攻を最 も疑懼 しある粤漢沿線方面は第 一線 に直接
近く接触 し或 は各会戦 に於 て危急 を告ぐ る方面 に中央 軍を急遽増援
中央 軍を配置 し又連戦大打 撃を蒙 れるに拘らず概ね各 正面共我軍と
語るも のたらず んばあらず
師江南方面第九戦区竝第 三戦区西部 に亘り約 六十個師合計百十個師 ︹ 省略︺ を以 て概ね全正面 に亘り我と近く接触しあり ( 附図第 一参照)
目下軍当面 には江北方 面第 一戦区南部及第 五戦区合 して約五十個
敵軍全般 の兵力竝配置 は概 ね武漢攻略 戦直後 の態勢 を保持しある も各方面 に於ける戦線 の後退竝 一部兵力 の移動等 を行 ひつつ今日に
戦 に於 て第 三十 一集団軍は高城鎮方面 に又〓湘会戦 に於 て第 四、第
き現象なりとす (南昌攻略戦 に於 て第 七十 四軍は高安 方面 に襄東会
即ち江北第五戦 区は大別山系 一帯 の防禦 に任 ぜる李宗仁麾下 の各
及べり 兵団、江南方面は〓 鄂省境萬洋山系 一帯 の防禦 に任ぜ る第九戦 区軍
敵 は武漢放棄後旧臘衡山軍事会議 に於 て南京失陥迄 を第 一期、徐
第 二 敵軍作戦指導 一般 の要領
州会戦迄 を第二期、武漢放棄迄 を第三期とせし従来 の抗戦段階 の区
九十九両軍 は長沙方面 に何れも増援 せり) ︹ 省略︺ 軍当面敵軍 の編制竝系統附表第 一の如 し
り下流 修水 河右岸地区 に於 て弥縫的戦線 を構成せるも爾後 の各会戦
が何 れも武漢 攻略戦 に於 て大打 撃を蒙 りて敗退 し江北 に於 ては信陽
及我軍 の討伐等 に依 り逐 次其地歩 を失 ひ目下其戦線 は概 ね信陽 、随
分 を改め武漢放棄迄 を抗戦第 一期 とし爾後 の抗戦第 二期 を反攻準備
浙河市皂市各 正面 、江南 に於 ては岳州 、通城 、〓溪各正面及〓溪 よ
縣 、安陸、潜江各正面及岳州 、通城、武寧、奉新 、南昌各正面 に後
むると共 に軍 の作戦地域内外に亘 り游撃 を実施 し以て我軍 の戦力消
訓練 に努 め且我進攻阻止 の為陣 地 の施設、交通路 の徹底的破壊 に努
期とし第 三期 を以 て対日総反攻時期 と決定し之 に基 き部隊 の整理、
んど見 るべき成果 なく却 つて随所 に我軍 の反撃 を受 け特 に襄東会戦
たるも固より決戦的意志 を以て実施せしも のにあらず全般的 には殆
五戦区及南昌方面 に重点 を指向し局部的 には稍活溌 なる挙措 に出 で
に焦慮 し殆んど連 月就中 七月中下旬を期 し所謂夏季攻勢 を実施 せし
に於 ては完全 に其企 図を撃砕 せられ又次 で敵 が逼迫 せる内外 の情勢
敵 の游撃 は正規軍 又は其支援を有 する匪軍 を以 て 一師団 の作戦正
耗を企図せり
も其実績 四月攻勢 に此し遙 に小規模不徹底にし て戦力漸減 の実情を
以上の反面 に於 て我軍 の進政 を疑懼恐怖 しある敵 は真面目 の決戦
遺憾 なく暴露するに至 れり
を回避 しつつ陣 地 の増強 、交通路 の徹底的 破壊阻 止に絶大 なる努力
と稀 ならざる程度 に広地域 に分散しある我軍配備 の間隙 に乗 じ交通 通信線を破壊 し或 は小部隊 に対し奇襲 を行 ふを常とし道路 の不良、
を致 し我攻勢 に会 するや大打撃 を蒙り て潰 乱敗走 するも軍 が作戦行
面 四、五十 里に達 し又中、小隊 の間隔 二里乃至五、六里に達す るこ
地形 の険難 は此種行動を実施するに好条件 を呈しあり特 に軍作戦地 ︹省 略 ︺
域外縁 に到 るに従 ひ頻繁且執拗 なり昭和十三年 十二月乃至昭和十四
て 一連 の抵抗線を構成す るを常 とせり以 て其抗戦意志 の 一端 を窺知
動 を中止するや再 び狐疑前進し来り二乃至 三個 月後 には我 に触接し
三二回、敵 の遺 棄
第 三 敵軍 の整理、補 充、補給竝教育訓練 の状況
す るに足 るべし
年十 一月の間 に於け る軍 の警備間 に於け る綜合戦果 の概要附表第 二 是 に由 て観 るに我 一師団毎月平均 の交戦 回数
の如 し 八〇 に達 す
武漢攻略戦 に於 て深刻 なる打撃を蒙りたる敵 は所謂抗戦第 二期 の
六七〇、我死傷計約
敵 の游撃は固より不統 一小規模 にし て之 に依 り我部隊 が甚大なる
方針 に基き軍 の整 理、補充、補給竝教育訓練 に関 し絶大 なる努力を
死体約
損害 を蒙りた るが如 き例 は極 めて稀なり然 れ共敵軍中央部 の游撃 に
決し て軽視 を許 さざ るも のあり以下細部 に関し若干 の考察を加 へん
充 の困難とに由 り到底所期 の目標 には到達 し得ざ りし と雖其成果は
過去 一年間 の実績 に徴す るに数次に亘 る我攻勢作戦 と兵器弾薬補
傾倒し以て軍 の再建 に邁進 せり
めて小 とな るを常とすと雖兎 も角も中央部 の威令 が末梢 の游撃 隊に
関す る命令が実行部隊 に於 ては時期 に若干 の遅延 あり且攻撃兵力極
︹ 二字空白︺ 又其游撃撹 乱工作 が逐次軍作戦 地域 の中 心 に浸潤し つつある
迄徹底 しあり
敵 が列国 の援蒋政策 を繋持し軍民 の結束竝抗 日意識 の昂揚 を図 る
を本年 四月末、第 二期を本年十 一月末 と決定し整理 の重点を第 五、
一年 乃至 一年半 を三期 に分ち整 理を完成す るの方針を確立し第 一期
敵 は客臘最高軍 事会議 に於て軍 の整編要領 を策定し全国各部 隊を
の余儀なき内 外 の情勢 に迫ら れ武漢作戦間打撃 を蒙れる部隊 の応急
第九戦 区就中中央軍 に置きたるも のの如 し
現象は注目監視 を要す る所 なりとす
的整理 の終 了を機 とし て実施 せし彼 の所謂 四月攻勢は軍 正面特 に第
逃 亡 兵 の頻 出 に悩 み あ る も の の如 き も之 を武 漢 攻 略 直 後 の状 況 と 対
齬 を生 じあ るは 明瞭 に観 取 せら れ且 兵員 素 質 の低 下 に依 り各 部 隊 共
る に数 次 に亘 る我攻 勢 と兵 器 弾 薬 の欠乏 と に依 り其 計 画 に多 大 の齟
︹ 省略︺ ︹ 省略︺ 整 編 の基 準 附表 第 三 の如 く 整 編 の成果 附 表 第 四 の如 し 是 に由 て観
高 圧 下 に処 理 し て ﹁ガ ソ リ ン﹂ 代 用 品 を製 作 せ んと す る等之 が 対策
は無 線 通 信 の回数 を減 じ或 は軍 隊 に自 動 車 の私 有 を禁 じ 或 は桐 油 を
敵 は ﹁ガ ソリ ン﹂ の補 給 にも 相 当 の困難 を嘗 めあ るも の の如 く或
へ堅 固 な る既 設 陣 地 にも 永 く拠 る こと能 は ず し て退却 す る に至 り或
用 に努 め て狙 撃 を採 用 し 或 は 開戦 一日 にし て早 く も弾 薬 の不足 を訴
之 を〓 湘 会 戦 の実 例 に徴 す る も我 軍 の攻 勢 に遭 ふや極 力弾 薬 の節
る に由 る は万 人 の斉 し く認 む ると ころ な り とす
来 り し中 央 軍 官 学 校出 身 将 校 を中 核 とす る正規 軍 二百 万 を掌 握 し あ
く抗 戦 体制 を保 持 し あ る所 以 の も のは 主 と し て彼 が年 来 慈 育 養成 し
戦 以来 二年 有 半 連戦 敗 衂 を 重 ね全 支 の要 衝 を 尽 く失 ひ た る今 日 猶能
蒋 介 石 が過 去 十 数 年 に 亘 り其 政 権 を維 持 強 化 し 今次 事 変 に於 て開
のあ り
糧 秣 は大 部 分 現 地 物 資 を 利用 し あ る も 一部 携 帯 口糧 を使 用 す るも
大 な ら ざ る も の の如 し
の裏 地 を除 いて着 す る者 少 から ざ る も兵 器 弾 薬 に比 し其 困窮 の度 に
被 服 の補 給 も亦 十 分 と 謂 ふ能 はず 冬 季 夏 服 を着 し若 く は夏 季 冬 服
を 講 じ あ る状 況 な り
比 す る に前 述 の如 き努 力 空 し からず 着 々実 効 を挙 げ つつあ る 点 は之
軍 需 品特 に兵 器 弾 薬 の補 給 の状 況 に就 て観 る に列 強 援 蒋 態度 の不
を認 め ざ る べ か らず
活溌 、輸 送 路 の長 遠 不 良 、 国 内 製 造能 力 の僅 少 等 各 種 事 情 に依 り大
は敵 軍 が愴 惶 退却 せ し新 市 、 平 江 等 の兵 站 地 に遺 棄 せ る兵器 弾 薬 の
規 模 の作 戦 に際 し て は直 ち に支障 を来 す べ き 状 況 に在 る も の の如 し
数 量 極 め て少 かり し が如 き何 れ も敵 の兵 器 弾薬 の欠乏 を物 語 る も の
る は洵 に故 なき にあ らず 又中 央 及 戦 区 共 夫 々 の実 情 に即 応 せ る手 段
従 て武 漢 放 棄 後 に於 て も依 然 将 校 の教 育 に絶 大 な る努 力 を払 ひ あ
然 れ共 重 軽 機 小 銃 及 此 等 の弾 薬 は小 規 模 の游 撃戦 に は概 ね支 障 な
と謂 ふ べし
き程 度 に充 足 せら れ あ る も の の如 く 又最 近 奥 地 に 兵器 製 造 工場 の増 設 を伝 へら れ つつあ るは 注 目 を要 す ると ころ な り
敵 軍 の戦 力 竝 特 性 に関 す る観 察
る や半 年 乃 至 一年 間 に亘 り 堅 固 に設 備 せ し陣 地 も 一両 日 の間 に突 破
即 ち 前 記 三 会戦 に於 て我 軍 の急 襲 的攻 撃 竝 之 に引続 く追 撃 に会 す
武 漢 攻 略 戦 当 時 と 比較 し て顕 著 な る低 下 を来 せり
南 昌 、襄 東 、 〓 湘 三会 戦 竝 警 備 間 を 通 じ敵 軍 の戦 力 を観 察 す る に
第四
に依 り教 育 訓 練 に努 力 し あ る点 は 真 に敬 服 に値 す るも のと謂 はざ る ︹ 省略︺ べ か らず 其 状 況 の細 部 附 表 第 七 の如 し
以 上 の見 地 より す る に敵 軍戦 力 破 摧 の為 の主 目 標 は啻 に兵 員 の殺 傷 のみ に あ らず し て武 器 弾 薬 の鹵 獲 枯 渇 を図 る こと に存 す即 ち 一面 敵 軍 軍 需 品 輸 入路 を完 全 に遮 断す る と共 に 一面 果 敢 な る攻 勢 に依 り
す 敵 軍 兵 器 弾 薬 の装備 竝消 耗 補 充 状 況 の細 部附 録 及 附 表 第 五 、第 六
せら れ 爾後 高 級 指 揮 官 の指 揮 概 ね機 を失 し部 下 兵 団 の実 行 亦 之 に伴
敵 軍 兵 器 弾 薬 の消 耗 枯 渇 を 図 る こと敵 軍 を 崩壊 に導 く の捷 径 な り と
の如 し
はざ るも のありて殆 んど潰乱四散するを常態 とし軍 の策 定せる会戦
一年 間四乃至 五倍 に垂んとする敵軍 を四周に擁 しある間軍とし て重
なる行動 に出づ ることあるも前述 の如く広大なる地域 に分散し過去
り執拗 なる攻撃を実施 し其 一部 は南昌近郊迄近接 し 一時相当緊張
陣 地施設殆 んどなし) に配置 しある我軍 の間 隙に進 入し二旬 に亘
歩 兵約 八大隊)を以 て広 正面 (自動車道発達 し地形概 して平坦我
約 三十粁 の地区 に歩兵約 六大隊、野砲 一大隊 ( 爾後逐次増加し て
央 傍系軍 を基幹とする約 五個師 を以 て〓江以東東西約 二十粁南北
イ、敵 は今春南昌奪還を企図 し四月下旬乃至 五月上旬 の間十数個 師を以て武寧、南昌間 に全面的 に出撃し特 に南 昌方面 に於 ては中
し
敵 の攻勢 が比較的執拗 に行 はれたる若干 の事 例を挙 ぐれば左 の如
大なる考慮 の下 に敵 の攻勢 に対処 せし ことなし
指導 に関す る方策 は何等 の変更 を要せず して会戦 の終末を告 ぐるを 常 とす るに至 れり之 を彼 の武漢攻略戦に於 ける沙窩、新店 、廣濟、 田家鎮、瑞 昌、〓 溪、盧山西麓及南麓等各戦場 に於け る如く 一嶺 一 山 尽く我軍 の鮮血を以て彩 らざ るものなく二十 日乃至 一個月 の間 日 日前進速度数百米乃至二粁 に過ぎざりし状況と対比す るに今昔 の感 に耐 へざるも のあり 又敵 が所謂 四月攻勢以来殆んど連月呼号実施 せし攻勢が其規模逐 以上 の如き敵軍戦力 の低下 の原因は 一にして足 らず と雖主 として
次小 となれるに依 りて観 るも敵 の戦力漸減 の内情を窺 ふに足 る 将兵素質 の低下と武器弾薬 の欠乏 に起因するも のと判断 せらる
せる状況 に至りしも我反撃 により敵 の企図は完全に破砕 せら れた
然 れ共敵中央 軍就中直系軍 の戦力特 に熾烈 なる抗日意識と戦意 と
執拗 なりしは應山方面にして應山北方及西北 方約 四十 粁 の正 面
は末 だ軽侮を許さざ るも のあり且軍中央部 の威令 が正規軍 のみなら
(比高 二百乃至五百米 の丘阜地帯) に於 て分散 配置 せる我小部隊
ロ、敵 の所謂四月攻勢 に際 し其重点た る第五戦 区方面 に於 て最も
倒 し弾薬 の補 給亦困難ながら小規模 の游撃戦には支障なき程度 に行
に対 し廣西軍を基幹 とす る約七千を以 て三月三十 一日頃より攻撃
り
はれあ るを以て我軍 にし て将来南昌 、襄東 、〓湘各会戦 に於 けるが
ず游撃部隊 に迄及びあり又広大な る地域を利用 して極力我軍と の決
如き程度 の作戦規模 を以 て甘んず るに於 ては敵軍抗戦企図 の破摧 は
し来 り爾来 四月十四日頃 に至 る間我歩 兵約 三大隊 を基幹とす る混
戦 を避け且前述 の如く部隊 の整理、補充、訓練 に絶大な る努 力を傾
遽 かに庶幾 し得ざ る ことを三省せざるべからず
成部隊と各地に於 て相当激烈な る攻防戦 を惹起 し 一部 に於 ては敵
が我歩兵約 二中隊 に対 し四周 より包囲し四日に亘 り攻撃を反覆す
以下各会戦 の経過竝警備間 の戦 況に鑑 み敵軍観察 の若干事項 を掲 記せんとす
2、敵 の防禦力 に就 て
図 は完全 に破摧 せられたり
る等 一時 相当緊張 せる状況を呈 せるも我軍 の反撃効 を奏し敵 の企
敵 の攻撃力 は我孤立せ る小部隊 に対し衆 を恃 みて攻撃 を実施 せる
1、敵 の攻撃力 に就 て 場合 及中央軍 又は其督戦 の下 に攻撃す る部隊等 が時 とし て若干執拗
二︱ 三十米間隔 に配置 せる掩蓋銃座を有し且縦深 三乃至四粁 に及ぶ
に就 て観 るに敵 が半年 乃至 一年 の永き に亘り施設 し数線 の障碍物 と
南昌攻略戦 に於 ける修水河畔〓湘会戦に於 ける新墻河畔 の各戦闘
たる結 果なり﹂ と不平的注意を漏 らし又同会戦 に於 て襄 河右岸 に在
軍 の受 けたる打撃 は第三十 一集団軍 の協力 を欠き戦 場に放置 せしめ
団軍と の間 の協同連繋殆んど行 はれず李宗仁が湯 恩伯に対し ﹁廣西
襄東 会戦 に於 て随縣方面 の廣西軍 と其北方地区 に於 ける湯恩伯集
附近 の戦闘 に於 て第 一集団軍 (雲南 軍) が潰滅的打撃を蒙 れるに際
陣 地に拠 れる場合 に於 ても我軍 が周到なる準備 の下 に諸兵種 の統合
し中央 軍た る第 七十 四軍及第三十二軍が殆 んど拱手傍観しありしが
りし張 自忠軍及京漢線以東大別山中 に在 りし廖磊軍が友軍 の潰滅 に
南昌攻略戦 に於ける武寧附 近襄東会戦 に於 ける高城鎮附近及桃樹
如きは敵軍相互 間就中中央軍と雑 軍との間 の協同連繋不十分なる好
瀕しあ るに際 し何等施す べき策なかりしが如く或は〓湘会戦間高安
港附 近 の戦例 に徴す るに敵 が前述 の如き陣地を利用 し且地形錯雑し
威 力を集中発揮せば 一夜乃至 一昼夜内外 にて之 が突破容易 なるを確
而 も我攻撃兵力僅少 にし て諸 兵種 の戦力発揮困難 なる場合 に於 ては
適例 なりとす
証 せり
戦 況 の進展迅速ならず 且局部 的には敵 の逆襲等 の為 相当困難な る戦
敵中央軍就中既設陣 地に拠 る直系 軍 の戦力は尚決し て軽視を許 さ
5、敵中央軍就中直系 軍 の戦力 に就 て
三師団 の劉家河附 近に於 ける戦闘 に際しては敵直系軍は何れも既設
以 て武漢攻略戦当時 に於け る
況を呈する ことなき にあらざ るも而 も 一日二乃至八粁 の速度 を以 て 敵陣 地を蚕食突破し得 るを 通例とす
南昌攻略戦 に於け る安陸 棗陽泌源間〓湘会戦 に於 ける新墻河畔 よ
り
陣地 に拠り歩 々頑強 なる抵抗 を為し或は逆襲 を反覆す る等 の事例 あ
南昌攻略戦間我第 六師団 の武寧正面に於 ける戦闘襄東会戦間 我第
ざ るものあり
り泪 水南方 に至 る間 の戦闘経 過に徴す るに地形平易なる戦場 に於 て
3、機動戦 に於 ける敵軍 の状態
敵 の防禦力 と対比し得 べし
我軍 の急襲的攻撃 に引続く追撃 に会す るや全正面殆んど潰乱 四散し
同 一地 に於 ける数名 の俘虜、遺棄 死体 に各別 の師号を認 むるが如き
我各 兵団 の戦果 に徴す るに同 一師号 の敵兵が数個所 に現出 し或 は
執拗 なる逆襲 を行ひ激烈なる白兵戦 を反覆 せり又同会戦 に於 て奈良
同師 の団長 三名死傷 し或 は逐次増加 せし敵 が支隊 の四周 に蝟集して
なる抵抗 を為し特 に勇 敢なる師長及参謀 が第 一線 に於 て督戦 に努 め
近防禦 に任 じありし第 九十 五師は急遽既設陣地 を利用し て歩 々頑強
又〓湘会戦間我上村支隊 が營田附近奇襲 上陸 に成功す るや同 地附
或は高級指揮官 が退却 せる部隊に対し停止すべき地点を示せる時 は
高級指揮官 の統 一あ る指揮 は殆んど行はれざ るを通例とす
既 に我軍が該地点 を通過しあ るが如き状態 なり
撃 に際 しては数次 の突撃 を反覆し且敵 の執拗 なる逆襲 を排し て初 め
支隊 の草鞋嶺 より沙港河に至 る間第百九十五師 の占領 せる陣地 の攻
敵 の兵団相互 の協同連繋は依然 不十分なり
4、兵団相互 の協同連繋 に就 て
為 に精強な る両支隊将兵をし て上海戦 以来 の激戦 なりと の所感 を抱
す るや手榴弾を以て自殺を遂ぐる等抗 日意識 の熾 烈なる者尠 からず
て敵陣 を突破するを得 たり而も敵 の将兵 にして我 に捕獲 せられんと
るものと謂 ふべし
は実行方法適切なるに於 ては局部的殲滅戦 の成立可能 な るを物語
る兵力 を以 て深く敵 の側背 を衝き たる為稀 に見 る戦果を収めたる
準備 の下 に我企図を秘匿 し 一度起 つや果敢 なる機動 に依り強大 な
敵 の意表に出づ るに努 むるに於 ては之 に対し甚大 なる打撃 を与 ふる
武漢攻略戦当時 の如き決意 と兵力 とを以 て敵 に臨 み且機略 を尽し て
に及 ぼす影響竝対内外宣伝上相当困難 なるも のあり我軍 にし て彼 の
然 れ共支那軍 と雖も 一挙大距離 の退避作戦 を実行す るは軍隊志気
座 あり且陣地 の偽装巧妙 にし て地上及上空 よりす る認識極 めて困難
掩蓋 の厚 さ二米 に及 ぶもの少 からず 又二│ 三十米毎 に 一連 の機関銃
畔 の陣地 に就 て見 るに要点 は二線乃至三線 の鉄条網又は鹿砦 を有 し
南昌攻略戦 に於 ける修水右岸〓湘会戦 に於 ける新墻河畔 及泪水河
陣地 を設備しあり
我軍 の進攻を予想 せらるる方面は縦深、横広労 を惜まず 到る所 に
敵 の陣地設 備 に関す る努力亦絶大なるも のあり
7、敵 の陣地設備に就 て
かしめたり 現下 の情勢 上戦力保持 に汲 々たる敵 が我軍 の鋭鋒 を極力避け つつ
6、敵軍捕捉 の可能性 に就 て あるは明瞭にして広大なる地域険峻錯雑 せる地形寸断破壊 せる交通
こと必ず しも過望 にあらず
な る等 以て他山 の石 と為すべき点少からず ︹ 省略︺ 第九戦 区敵 軍陣地配置附図第二 の如 し
路等各種 の条件 は右と相俟 て敵 軍捕捉 の可能性を少 からしめあり
左 に之が例証 を挙げんとす
8、敵 の交通路遮断 に就 て
南昌攻略戦 に於 て我戦車隊 の急追 に依り甚大なる打撃 を蒙 りて以
イ、各会戦 に於 て我軍 の攻勢 を受けたる正面 に敵中央軍が急遽増
退避的傾向を物 語る有力な る証左なり然 れ共其反面に於 て 一時的
実情 に在り又敵 は主要都市 を我軍 に攻略せられたる場合其守備を困
撃砲 工兵駄馬輜重等が我攻勢作戦実行上所謂 ﹁虎 ノ子﹂部隊たる の
砲 重砲戦車等 の使用は殆 んど不可能 にし て駄馬編制部隊特 に山砲迫
ロ、〓湘会戦 に於 て九月 二十三日我軍主力 が攻勢 を開始 するや二
援せる例尠 からざるは前 に述 べた ると ころ の如し
にせよ泪水左岸に於 て再度 の抵抗 を企図 し或は潰走 せる部隊 を更
難 ならしむる目的を以 て予め自ら其囲壁 を破壊し或は我軍 の上陸 を
を予想 せら るる地域 の自動車道 は尽く徹底的 に破壊 せら れ為 に我野
に長沙、瀏陽 の線附近 に於 て集結 せんとし又我軍が反転 して旧態
予想 せらるる方面 の水路 は機雷防材等 を以 て厳重な る封鎖 を実施 し
来敵 の交通網遮断 に関する努力 は絶大 なるも のあり凡そ我軍 の進攻
勢 に復帰するや他方面 より増援 せる部隊 を以 て踵接前進 し或は山
あり
十五日早くも薜岳 が長沙 を放棄し て衝陽 に逃避 せるが如きは敵 の
ハ、〓湘会戦初期高安附 近 の戦闘 に於 て我第 百六師団 が周到なる
地内 に残存慴伏 しあ りし敵 が再 び蠢動 を開始せり
〓湘会戦 に於 て鹿角営田間約 二十粁 の湘江水路啓開 の為 我海軍 の 処分せし機雷数六百個 に達 せり ︹ 省略︺ 敵軍 の交通路遮断 竝城壁 破壊状況附図第三、第 四の如 し、
此等 兵匪 は武漢攻略直後 の時機 に於 ては何等 の統制 なく各別 に游
撃妄動しありしも爾後敵軍中央部 の方針 に基き之が整 理収編 に努め
前我偵察機 の旋 回行動 に依 り察知 し或は我某 聯隊長 の九月 二十三日
諜知し又〓湘会戦 に於 ては上村支隊 の営田附 近上陸 の企図 を 一週間
即ち我軍作 戦地域内全正面 に亘 り組織的且濃密 なる密偵網を配置 し之 に依 り我軍兵力移動 の状況兵団番号並其配置 を適時概 ね正確 に
敵軍 の出 入亦至難 ならず為 に民心 の安定向背浮動 の状態 なるを以 て
軍作戦地域 の狭小なるは外側敵軍 の意 向、行動鋭敏 に核 心迄反映 し
戦地域内治安 の恢復 は極め て困難な る業 なりと断 ぜざ るを得ず即 ち
く は游撃 に使用しある兵器弾薬 の補給を完全 に遮断 せざ る限り軍作
粛正 に如何 に努力す るも敵正規軍 の崩壊又は全面的後退 を見る か若
固 より素質 の劣悪装備 の不良 なる為其戦力は正規軍 に比し格段 の
たる結果現在概ね正規 軍 の支援後拠督戦 の下 に游撃体制 を整 へ軍作 戦地域内治安攪乱 に任じある状況 に在り
沙港河畔 に於 ける負傷 の事実 を九月 二十八日平江 に於 て既 に壁書 し
尋常 一様 不徹底 なる住民宣撫 雑軍及匪軍 の招撫帰順 工作等 により治
敵 の情報勤務は相当 正確 且迅速 なり
9、敵 の情報勤務 に就 て
以 て敵 の情報勤務 に関す る努力竝其成果 の見 るべきも の
左に作戦地域内 に蠢動す る兵匪 と正規軍との関係 に就き若干 の具
安 の恢復 を庶幾 せんとするが如 きは百十個 師 の敵 正規軍 を四周 に擁 しある当 軍作戦 地域 に於 ては殆 んど期待し得ざるべし
低下 を示しあ るは明瞭 なるも我軍 にし て広大なる作戦地域内 の討伐
ありし等 ︹ 省略︺ 敵軍情報網 の 一例附 図第五、第 六 の如 し
あるを思 はしむ 我軍 とし ては 一面防諜 に関す る処置 を徹底的 に実施する外 一面積 但 し受動 の地位 に立 てる敵が我宣伝 に迷 ひ各会戦 に於 ける我攻勢
極 的 に部隊号企図配置等を偽騙する の着意 を緊要とす
完 了し十 六縦隊 ( 各縦 隊二個支隊)及十二独立支隊 と為し ( 内 七縦
1、特情 に依 れば李 宗仁は八月十九日頃第 五戦 区游撃部隊 の編成 を
体 的事例 を述 ぶべし
るも下級指揮官 は厳罰 を恐れて虚妄 の報告 を行 ひ為 に上級指揮官を
開始前特別 の対応処置 を構じ得ず 又我軍 の攻撃 に遭 ひ潰乱状態 に陥 し て真相 の把握 に苦 しましめ其指揮 の統 一を不可能 ならしめたるが
編成し以 て游撃行動 の統 一強化を企 図せり
2、特情 に依れば薜岳 は八月三十 一日第九戦区日本軍占拠 地域内游 撃隊を十六 の游撃支隊 に分ち之を各 正規軍 を中核 とする五挺進軍 に
て游撃隊 の統 一を図 らんとしあり
又八月末諜者報に依 れば第五戦区 に於 ては行政区 を游撃単位 とし
隊 のみ編成未完)を以て第 五戦区 の游撃を統 一せんとしあり
軍作戦地域内兵匪 の状況
如きは依然支那軍 の内情 を観察す るの資料たらず んばあらず 第五
目下軍作戦 地域内 に蠢動す る兵匪 は約十 一万を算 し内新編第 四軍 に属す る共産匪約 四千五百は主とし て京漢沿線大別山系内 に蟠踞し ︹ 省略︺ あ り其配置附図第 七 の如 し
3、程汝懐 の指 揮す る鄂東游撃隊 (兵力約 五千)は第 二十 一集団軍 長指揮 の下 に麻城黄披方面 一帯 の游撃に任 じあり
之に反 し我軍 にし て荏苒 為すと ころなく日を曠 うし或 は従来軍独
重慶政府 の指令 に依 り改編 せられたるも のの如し
協 し列国 の援助を得来 れる重慶政権 が自ら進 んで屈伏的条件 の下 に
甘 んず るに於 ては敵 軍抗戦企図 の破摧は到底遽かに庶幾 し得ざ るべ し蓋 し抗 日の 一点 に於 て民心を繋持 し軍 の統制 を保 ち且共産党と妥
力 にて実施 せし南昌、襄東 、〓湘 三会戦 の如き小規模 の作戦 を以 て
5、金牛鎮陽新方面 一帯 に在 る孔荷寵 匪は樊崧甫 の指揮下に在 り之
4、諜者報 に依れば大治鄂城方面 一帯に蟠踞す る方歩舟匪は七月頃
と無線連絡を為 しあること確実なり
に臨み会 々西欧 に動乱 の勃発す るあり近く親 日新政権 の樹立を見 ん
熟 々按ずるに事変勃発後 二年有半敗衂を重 ねたる蒋政権衰退 の機
るの現況なればなり
給 、製造 にあらゆる努力 を傾倒し つつありて其成果亦軽視を許 さざ
も前述 の如く目下着 々軍 の再建 に努め部隊 の整理訓練、軍需品 の補
なるを以 て其 正規 軍 の健在す る限り此 の如 き策 には出 でざ るべく而
和平 を求む るが如きは直ち に自己政権 の没落 を招 くに至 ること明瞭
︹省略 ︺
昭和十三年十 二月乃至昭和十四年十 一月 の間鉄道 通信線破害状況 今 後 に於 け る敵 軍 の動 向 に対 す る観察 竝結 言
附 表 第 八 、第 九 の如 し 第六
三期 の総 反抗 の如 き は 固 よ り 痴 人 の迷 夢 に過 ぎず 目 下 の所 只 管 我 軍
とし且北辺 の戦事 一時小康を保ち つつあり敵 の抗戦力 の核 心に対 し
敵 の戦 力低 下 の実 情 前 述 の如 く な る を以 て其 呼 号 す る所 謂 抗 戦 第
の進 攻 を疑 懼 し つつ戦 力 の温 存 を計 り 一方 援 蒋列 国 に依 存 し所 謂 長
固より積極的進攻作戦 のみに依 り今次事変 の最後 的解決 を言為す
期 抗 戦 に依 り 我 軍 の戦 争 遂 行能 力 の衰 退 を図 り 以 て自 己 の ﹁面 子 ﹂
るは速断 たるを免 れず と雖長 期持久 の戦争は帝国 にとりて百害あ つ
一大鉄鎚を加 へ以て其容共抗日政策 を転 じて防共親日たらしむ べき
而 し て今 後 我 軍 が 相 当 の兵 力 を使 用 し 且 連続 積 極 的 に進 攻 作戦 を
て 一利 なく而も現下 の情 勢に鑑 るに謀略外交或 は小規模作戦 に依 る
を失 は ざ る程 度 の条 件 の下 に於 てす る和 平 の実 現 に淡 き 一縷 の希 望
決 行す る場 合 に於 て敵 は極 力 決 戦 回 避 に努 む べ き は想 察 に難 か らざ
機は方に此秋 に在り と謂 ふべし
る と ころ な るも彼 の武 漢 攻 略 戦 に於 て ﹁保 衛 大 武 漢 ﹂ ﹁抗 戦 到 底 ﹂
を嘱 し あ る が重 慶 政 権 の偽 らざ る内 情 な る べ し
等 の ﹁ス ローガ ン﹂ の下 に其 欲 せざ る戦闘 に陥 り 甚 大 な る打 撃 を蒙
る限り事変速決 の曙光を発見す る こと断じ て不可能 なるを痛感す る
事変 の解決 は到底遽 かに庶幾す べからず大規 模 の進攻作戦 を伴はざ
を攻む れば則ち力屈 す久 しく師を暴 せば則 ち国用足らず
最後 に孫子 の語を引用 して本稿 の結言と為 す ﹁其 の戦を用 ゐるや勝 つも久 しけ れば即ち兵 を鈍らし鋭を挫く城
も のなり
り た る事 実 を 回想 し且 爾 後 に於 け る敵 軍作 戦 指 導 の実 績 に鑑 み る に 我 占 拠 地 域 外 に は武 漢 に匹 敵 す る要 地 の存 す るも の無 し と雖 一挙 大 距 離 の後 退 を敢 てす るは 各種 の事 情 上 之 が断 行 容 易 な らざ る べく〓 に於 て か敵 軍 に尚 大 打 撃 を 与 へ得 べ く其 抗 戦 意 志放 棄 の転 機 を発 見 し 得 べ き も のと 信ず
夫 れ兵を鈍 らし鋭 を挫き力を屈 し貨 を殫 さば即ち諸侯其弊 に乗 じ て起り智者 ありと雖其後を善 くす る能 はず
敵軍 の兵器弾薬 に関する調査
録
故 に兵は拙速 を聞く未 だ巧 の久 しき を睹ざ るなり﹂ 附
重
軽
小
機
機
銃
四 五弱
(三 十 七 ケ 師平 均 ) 二、 二二 五弱 最高 最低 最高 (二 十 七 ケ 師平 均 ) 一五 八強 最底 最高 最低
(二 十 六 ケ師 平 均 )
小
兵
機
機
銃
員
七四
三六二
五、〇〇〇
一〇、八四八
第 五 編制上 の兵 器定数 と現有数 との差異に関す る 一例
第 四 第九戦 区所有砲数
るが如 き傾向認められず
第 一 敵 の再建目標 とす る師団標準編制 (中支情)
軽 二四
十月 二十九日附第 七十軍某師報告 ( 特情 )によれば
二 、 〇〇 〇 、
一、 二 四 六
三 、 二〇 九
二四五 六 一
六〇 二六
二四 迫撃砲 (二十ケ師平均) 一六弱 最 高 最低 八 最高 一四 山 砲 (五 ケ師 ) 九 最低 六 兵器所有数 は直系 、非直系師 を比較するに特 に直系 に多くを有す
重 砲 一二
銃
三〇
一〇 〇
重
軽
小
機
機
銃
五四
二六九
四、二二六
編 成定 数
三、 一七四
現
五四
一四〇
数
二、 五 〇 〇
砲
有
二、 五 〇〇
迫
弾薬補給 の 一般状況
軽 機弾 薬
小銃弾 薬
約九十四万 一千発
約六百五十 四万九千発
(延約 四十八ケ師分)
(延約 六十 二ケ師分)
情 に表はれたる弾薬補給数量左 の如し
昭和十四年初頭 より十 一月 に於 ける主 として呂集団正面敵軍 の特
第六
(敵 の再建 目標 たる編成定数と約三割 の開きを有す)
一五 三七
一五 〇
八月 一日 に於ける第 九戦 区所有砲数附 表第 五、第六 の如し
迫 砲
機
一六
一八 三五
一五〇
六
山 戦車防禦砲
小
機
一五
第二 武漢攻略戦以降敵 一個師所有兵器数 の概況 ( 中支情) 武漢 廣東 攻略当時 昭和十四年 二月 昭和十 四年六月 軽
一〇
重 迫撃砲
(昭和 十 四年 七月 乃 至 十 一月 特情 )
呂 集 団 当 面 の敵 師 所 有 兵 器 数
多 少 割 引 す る を要 す
註 、第 四、 五 、 九戦 区 の約 六十 個 師 の平 均値 に し て全 師 の平 均 は
第三
重機 弾薬
約 三百五十 一万九千発
( 延約 四十五ケ師分)
2 、 〓 湘作 戦 に関 す るも のな り と判 断 せ ら る る第 百 八 十 八 師 の報
約 四五〇発
六五、四九八発
八五、三四〇発
約 一、〇 四、六四〇発
本年 七月以降弾薬補充 の状 況 に付最 も多く且継続的 に特情 に表 は れたる第二十 一集団軍を 一例とし て考察す れば左表 の如 し
第八
計
弾 約
総
一五 九、 四 二七
告
一二〇 、 一二三
( 延約 四十四ケ師分)
二 五 八
普 通 戦 闘 一日 激 戦 一 日 一銃 ( 門 )当 り 一銃 (門 )当 り 七 三 一 二 四
八七 一
一二 一、 〇 〇 〇
約 一万三千 二百発
六 四
二四
五 二八
迫 撃 砲弾
弾
弾
八
三 一六
(延約十 ケ師分) 銃
弾
約 一万二千九百発 機
弾
弾 小
機
砲 軽
砲
弾 約
〓湘会戦 に表はれたる敵弾消耗状況
1、特情 に表はれたる約 五ケ師 に付平均値 を求 むれば 一銃 ( 門)
重
小 銃 弾
一個軍 四 ヶ師 に対す る弾薬 補充 の 一例
軽 機 弾
第七 当り
迫
砲
重 機 迫
五
一
令
大陸命第 四百十二号 命
載
親
王
令
尾
壽
造 殿
参謀総長
載
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示 セシム
西 ノ地域 ニ進出 シテ作戦 ヲ実施 スル コトヲ得
西
昭和十五年 一月二十 四日 奉勅伝宣 支 那派遣軍総司令官 三
令
大陸命第 四百十 五号 命
仁
親
王
一、支那派遣軍総司令官 ハ現任務遂行 ノ為 一、 二月 ノ侯 一時安北以
命
大陸命第 四百十 三号
南支方面軍戦闘序列、二十 二軍戦闘序列
命 令 ・指 示 附
壽 造
参謀総長 尾
仁
一、支那派遣軍総司令官 ハ南寧北方地区 ニ於ケ ル今 次ノ作戦 ノ為 一 時 同方面既定 ノ作戦区域 ヲ越 ユルコトヲ得 昭和十 五年 一月十六日
西
殿
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀 総長 ヲシテ指示 セシム 奉勅伝宣 支那派遣軍総 司令官 二
一、第 二十 一軍戦闘序列 ヲ解 ク
軍
南支那方面軍戦闘序列
師団長)ヲ示 ス 南支那方面軍司令官 二
二、別冊 ノ如 ク南支 那方面軍、第 二十二軍戦闘序列 ヲ令 シ南 支那方
十
陸軍中将
面軍 ヲ支那派遣軍戦 闘序列 ニ編入 ス 二
南 支 那方 面 軍 司 令 部
師
団
団
団 師
師
第
八
三、第 一、第 二項 ノ部隊 ノ隷 属転移 ノ時機 ハ南支 那方面軍司令 部、
六
四
第二十 二軍司令部編成完結 ノ時 トス
十
団
百
百
三
師
第
第
第
八
王
十
親
第
仁
四、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十五年二月九日 奉 勅伝 宣 載
安
藤
利 吉
二
師
団)
( 第
殿
独 立 機 関銃 第 三大 隊
壽 造
( 第 二十 一軍司令 官)
参謀総長
( 第 二十 一軍司令官 )
西 尾
第 一独 立 歩 兵 隊 本 部
( 第 二十 一軍 司令 官)
支那派遣軍総司令官
独立歩兵第六十六、第 六十 七大隊
殿
吉 殿 吉
利 利
安 藤 安 藤
( 第 二十 一軍司令官)
南支那方面軍司令官 第 二十 一軍 司 令 官
独立歩兵第七十、第 七十 一大隊 隊
独立歩兵第六十八、第 六十九大隊 四 聯
一 殿
十
( 第 二十 一軍司令官) 第 二 師 団 ( 第 十 二 師 団) ( 第 二十 一軍司令官) 独 立 山 砲兵 第 十 聯 隊
(第
師
団)
団)
独立山砲兵第 二十、第 二十 二大隊
衛
(近
師
野戦 重 砲 兵第 二聯 隊
(第 二十 一軍司令官)
(第 二十 一軍司令官)
三 枚
迫 撃 砲 第 二 十 大 隊
第
誠
九 軍
部
昭和十五年 二月九日 拾 陸
車
久 納
数
営
戦
第 二十 二軍 司 令 官 四
本
調製年月日 紙 大
迫 撃 第 二 十
一大 隊 高 射 砲 第 二十 三聯 隊
団)
第 二十 一軍司令官)
(第
師
独立 工兵 第十 五聯 隊 甲
四
独 立 工 兵 第 二 十 聯 隊(
編成如附表第 一
第二十二軍戦闘序列
第 二 十 一独 立 飛 行 隊 下段括弧内 ハ動員 又 ハ編成管 理官 ヲ示 シ師団 ハ師団長 ( 留守
南 支 那 方 面軍 戦 闘 序 列
冊
軍事機密 九部 ノ内第六号 別
註
野戦電信第十四、第 十六中隊
第
( 第
団)
( 第 十 六 師 団)
( 第 十 二 師 団)
第八通信隊長
団)
団)
長 師
師
編成如附表第 二 衛
( 第 二十 一軍司令官)
師
隊 (近
衛
信 部
衛
通 隊
(近
八 象
野 戦 電 信 第 四 十 三中 隊
(近
第 聯
野 戦 電 信 第 六 十 一中 隊 自
団)
団)
団)
五
気 団)
無 線 電 信 第 四 十 小隊 駄
師
団)
師
那
団)
師
団)
四
第 師 団)
団)
衛
師
部
支
師
師
五
師
本
道 三 師
五
衛
信 隊
南 ( 第 二
九
( 第
( 第
五
通
鉄 ( 第
( 臺 湾 軍 司 令 官)
(近
八
第 三師団 架橋材 料中 隊 自 ( 第
無 線電 信第 六十小隊 駄
第九師団第 一、第 二架橋材料中隊駄
無 線電 信第 六十 四小隊
第 二師団第 二十 一渡 河材料中隊 団)
( 第
師
( 第 十 二 師 団)
( 第
(近
第 四固 定 無 線 電信 隊
南支那方面軍戦闘序列 別紙
無線電信第 八十四、第八十 五、第 八十 六小隊駄
第十 六、第十七固定無線電信隊
無線電信第八十 一、第八十 二小隊
六
第 六師団第 二十 一渡 河材料中隊 如別紙
南 支 那 派 遣 憲 兵 隊
第 二十 一独立飛行隊長
第 二十 一独立飛行隊編成
南支那方面軍戦闘序列附表第 一
南支那方面軍直属兵站関 係部隊
長 独 立 飛 行 第 八 十 二中 隊 甲
第 二十 一独 立 飛 行 隊 本 部
(第 十
一 師 団)
南支那方面軍直属兵站関係部隊
一 師 団)
第 十 一師 団 第 二兵 站 司令 部
団)
独立飛 行第 八十 四中隊 乙
団)
隊
師
中
(第 十
師
行 場
五
三 飛
五
第
第 二十 三兵 站 輜 重 兵隊 本部
( 第
第 二十 三兵 站輜 重兵 隊
( 第
第 八十 八飛 行 場 中隊
第五師 団第 三、第 四兵站輜重兵中隊
第 五師 団第 一、第 二兵站輜重兵中隊
第 八十 五飛 行 場中 隊 第 十 五 航 空 通 信 隊 ノ 一部
兵站自動 車第 百 七十 三 中隊
第 二十三 兵站 自 動 車 隊 本 部
( 関 東 軍 司 令 官)
( 第
一
師
団)
第 二十 三兵 站自 動車隊
一独 立 航 空 分 廠
第
第 八通信隊編成
南 支那方面軍戦闘序列附表第 二
野戦 予備病 院第 二十 六班
( 第
一 師
十
団)
団)
団)
一 師 団)
( 第
団)
( 第 十
第 七患 者 輸 送部 本 部
師
団)
患 者 輸 送 部 第 四 班
師
団) 団)
七
一 師
団)
八
一 師 師
( 第
(第
師
( 第
(第 三
患 者 輸 送 部 第 十 七班
(第 十 二 師 団)
兵站自動 車 第 百 八 十 二 中隊
四
患 者輸送部第十八、第十九班
兵站自動車第百八十三、第百八十 四中隊 (第 団)
患 者輸 送 部第 二十 六班
送 部
(第 師 団)
輸
兵站自動 車 第 百 八 十 五 中隊 五 師
者
兵站自動 車 第 百 八 十 六 中隊 ( 第 九
七 患
兵站自動 車 第 百 八 十 七 中隊 (第
団)
第
兵站自動 車 第 百 八 十 八 中隊 (第 十 一 師 団) (第 十 二 師 団)
団)
師
兵站自動 車 第 百 八 十 九 中隊 兵站自動 車第 百九 十 中隊
師
団)
二
団)
( 第
師
第 二 十 一兵 站 病 馬 廠
師
団)
二
師
四
師
( 第
四
( 第
衛
第 二師団第七、第 九陸上輸卒隊
(第
第 四師団第六、第 七陸上輸卒隊
(近 団)
団)
第 四師団後備工兵第 一、第 二中隊
団)
団)
第 七 手押 軽 便 鉄 道 隊
一 師
師
団)
(第 十 四 師 団)
一 師
師
(第 十 六 師 団) ( 第
六
師
兵站自動 車 第 百 九 十 一中隊
(第
八
兵站自動 車 第 百 九 十 二中 隊 廠
( 第
七
糧
工 兵
砲 兵
馬
団)
( 第
戦
備
師
第 六師団 第七陸 上輸 卒 隊
( 第
予
十
第八師団第六、第 七、第九陸上輸卒隊
七 野
二
第 一師 団 第 八 輸 送 監 視 隊 ( 第
第七師団第 一、第 二、第 三水上輸卒隊
( 第 十 二 師 団)
第 廠
団)
( 第 十 四 師 団)
第 十 二師団第 一、第 二、第三建築 輸卒隊
戦
三
団)
七 野
( 第
一 師
第
( 第
衣
師
第 二 十 一野 戦 自 動 車 廠
第 廠
三 野 戦
廠
第
師
団)
(第二十 一軍司令官)
六
( 第
( 第
隊
南 支 那 防 疫 給 水 部
第 二野 戦 鑿 井隊 本 部
鑿 井
第
戦
( 第 十 四 師 団) (第 十 四 師 団)
第十 、第十 一、第 十二、第十七防疫給水部
院 団)
( 第 二十 一軍 司令官)
軍 病
団)
南 支 那 軍 馬 防 疫 廠
野 戦
一 師
団)
七
二 野
第 七 野 戦衛 生材 料 廠
一 師
団)
第
師
団)
団)
師
師 (第
二
師
六
第 七野戦 予備 病院 本部
(第
八
( 第
野戦 予備 病 院 第 四班
(第
十
野戦鑿井第六、第七、第 十 一中隊
野戦 予 備 病 院第 五班
(第
団)
野戦 予 備 病 院第 七班
( 第
師
野戦 予備 病院 第 二十班
一
野戦予 備病院 第 二十 四班
五
陸軍中将
第 二 十 二軍 戦 闘 序 列 第二十二軍司令官
一
兵站自動車第百七十四、第 百七十 五中隊
第 二十四 兵 站自 動 車 隊 本 部
(近
衛
師
師
団)
団)
(関 東 軍 司 令 官)
( 関 東 軍 司 令 官)
第 二十 四 兵 站 自 動 車 隊
兵站自動 車 第 百 八十 一中 隊
六
一 師 団)
兵站自動車第二百七十、第 二百 七十 一中隊(第
団)
(第二十 一軍司令官)
(近
師
第四師 団第 五陸 上輸 卒隊
第 二師団第六、第八陸上輸卒隊
患者輸 送 部第 二十 五班
患 者 輪 送 部 第 五 班
野戦 予備病院 第 四十 五班
野 戦 予備 病院 第十 八班
(第
(第
(第
(第
四
二
(第 十
(第
八
六
師
一 師
(第 十
(第
四
師
師
師
師
団)
団)
団)
団)
団)
団)
(第 十 六 師 団)
兵站自動車第二百八十、第 二百 八十 一中隊(第 十
団 四
団)
第 六 師 団 第 六 陸 上輪 卒 隊
(第
兵 站 自 動 車 第 三百 六 中 隊
旅 団 (第
団)
第 八 師 団 第 八 陸 上輸 卒 隊
(第
納 誠
成 旅 隊
師
団)
第 一師 団 第 一水 上 輸 卒 隊
(第 十 四 師 団)
久
混 成 大
師
団)
第四 師団第 二水 上輪 卒隊
団)
衛 混 二
三
師
団)
第十四師団第 一、第三建築輸卒隊
(第
師
近 湾 第
衛
師
団)
第 二、 第 八 防 疫 給 水 部
一 師
団)
団)
一 師 団)
一 師
七
臺 撃 (第
衛
師
団)
団
迫 (近
五
師
団)
師
第三師団第 六野戦高射砲隊甲
(近
五
師
五
無 線 電 信 第 三 十 二 小隊
( 第
衛
師
第 二 十 二 軍 司 令 部
無線電 信第 四十 五小 隊 駄
(第
五
第
無線電 信 第五十 三小 隊 自
( 近
五
一 師 団)
無 線 電 信 第 六十 一小 隊 駄
( 第
団)
団)
無線 電信 第八 十三 小隊 駄
( 第
師
師
第 二 十 一固 定 無 線 電 信 隊
四
衛
兵 站 電 信 第 七 中 隊
( 第 如別紙
第 四師団第 二十 一架橋材斜中隊自 第 二十 二軍直属兵站関係部隊
第 二十 二軍直属兵站関係部隊
第 二十 二軍戦闘序列別紙
目
六
次
︹ 第 十 一軍 ︺
呂 集 団 参謀 部)
之 カ牽 制竝 新 政 権 樹 立 妨 害等 ノ為 十 二月 以 降 一部 ヲ以 テ反 攻 ヲ企
敵 ハ日本 軍 カ近 ク宜 昌 及西 安 方 向 ニ攻 勢 ヲ企 図 シ アリ ト判 断 シ
各 兵 団 に対 し 左 の如 く 通報 す。
軍 は十 二 月 一日附 総 軍 通 報 に依 り敵 軍反 攻 の企 図 あ る を知 り 二 日
(昭和 十 五 年 三 月 五 日
昭和 十 四年 冬 季作 戦 作 戦 経 過 の概 要
第 一、 作 戦 経 過 の概 要 一、軍 全 般 の状 況 二 、各 兵 団 概 況
以 テ終 了 セ ル ニ鑑 ミ注 意 ヲ要 ス
其規 模 等 大 ナ ル モノ ア ラ サ ル ヘキ モ所 謂 第 二期 整 訓 カ十 一月 ヲ
図 シア ル モノ ノ如 シ
次 で八 日 特情 に依 り左 記 の如 き 敵 の所 謂 冬 季 攻 勢 の企 図 を明 か に
第二、 同
同
(於 二月下 旬 )
(於 一月中 旬 )
敵 攻 勢 の発動
ヲ遂 ケ タ リ即 チ敵 制 圧 ノ好 機 ナリ
而 シテ目 下 我 軍 ハ整 編 略完 定 シ装 備 充 実 シ訓 練 モ亦 長 足 ノ進 歩
ヲ以 テ ス ル進 攻 ヲ停 止 ス ル ニ至 レリ
画 ノ 一部 変 更 ノ巳 ム ナ キ ニ至 リ攻 勢 ヲ転 シ テ守 備 ト ナ シ且大 部 隊
力 配 置 ヲ制 限 セ ラ レ機 動 ノ自 由 ヲ失 フ ニ至 レリ之 カ為 敵 ハ作 戦 計
﹁惟 フ ニ昨 冬 以 来敵 ハ益 々其 攻 撃 地 域 ヲ拡 大 シタ ル結 果 却 テ其 兵
蒋 介 石 十 一月 三 十 日附 冬 季 攻 勢 訓 令
し 同 日之 を各 兵 団 に通 報 す 。
綜合戦果表
第三、
(自 十 一月 下 旬 至 十 二月下 旬 )
第 一、呂 集 団 当 面 に於 け る敵 軍 冬 季 攻 勢 概 況 図
果
第 二 、本 作 戦 よ り観 た る敵 軍情 勢 観 察 資 料 第 三 、戦
考
附 表 ︹ 省略︺ 附 図
参
第 一、 作 戦 経 過 の概 要
イ
一、 軍 全 般 の状 況
テ殉 国抗 戦 ノ成 果 ヲ獲 得 ス ヘシ﹂
攻 ト ナ ス ハ正 ニ此 ノ秋 ニ在 リ宜 シク部 隊 ヲ督 励 シテ敵 ヲ制 圧 シ以
各 戦 区 ノ本 冬 季 攻 勢 ニ関 ス ル使 命 ハ頗 ル重大 ニシ テ守 ヲ転 シテ
戦車第 十三聯隊 (一中隊欠)( 軽装 甲車 三十 一輛)を鉄道輸送 に依り
め又第 三師団 が信陽北方地区 の敵軍掃蕩 の計画 ありしを以 て十三日
採 れるを思 はしむ。
の四周 に蝟集 して執拗なる攻撃 を実施しありて敵 の真面目 の攻勢を
及聶家場 ( 同興鎮東南方五粁)、附近 に於 て夫 々孤立 せる我 警 備隊
胡家場 ( 羅漢寺南方六粁)、多寶湾、同興鎮 ( 多寶湾東南方六粁)、
頃 以来襄河左岸地区 に進入せし敵 が羅漢寺 (旧口鎮西南 々十五粁)、
動依然相当活溌 なるも のあり、特 に第十三師団方 面に於 ては十二日
然 るに十 五、六 日頃 に至り情況漸次判明し各 正面に於 ける敵 の行
敵 の撃砕 に努 む。
各 兵団は夫 々積極的 に機 先攻撃 を実施 し或は果敢なる反撃 に依り
信陽 に到り同師団長 の指揮下に入らしむ る如く部署す。
第 二 十 一軍 長 陳 萬仭 十 二 月 八 日附 訓 令 ﹁本戦 区 (第 三 戦 区 ) ハ冬 季 攻 勢 ノ主 攻 ヲ担 任 シ各 部 隊 ハ将 ニ 一 斉 ニ反 攻 ヲ開 始 セ ント シ抗 戦 所 期 ノ目 的 ヲ達 成 セ ント ス﹂ 斯 く て軍 は軍 当 面 に於 け る敵 の攻 勢 に関 す る徴 候 を注 視 し あ り し が 十 一日迄 の間 に 河 口鎮 (漢 口北 方 八〇 粁 ) 方 面 に七 日敵 正規 兵 の来 襲 あ り 。 帰 順 部 隊 の情報 に依 り第 六十 八 、第 三 十軍 の信 陽 攻 撃 の企 図 あ り。 八 日頃 以 来 此 正 面 に於 け る敵 軍 の蠢動 す る も のあ り 。
( 軽装甲車十輛)をして鉄道竝陸路 に依 り速 に應城 に到り第十 三師
軍 は右状況 に鑑み、十六日命令 を以 て戦 車 第十三聯 隊 第二中 隊
区 に第 八 、 第 七十 二両 軍 進 出 し 十 日払 暁 攻撃 を開 始 せん とす 。
団長 の指揮下 に入らしめ、次 で十七日命令 を以 て武漢警備隊 の歩兵
特 情 及 第 一線部 隊 の情 報 に依 れば 通山 、辛 潭 舗 間 九 宮 山北 麓 地
等 の情 報 を 得 次 で十 二 日 に至 り 軍 の全 正 面 に亘 り 敵 軍 攻 勢 の発 動 顕
戦 闘 概 況
二中隊及第三十九師 団の歩兵約 一中隊を基幹 とす る部隊を以て石上 ロ
著となれり。
車第七聯隊より臨時軽装甲車隊 ( 軽 装甲車九輛)を編成して孝感附
に入らしめ、且第三十九師団 の歩 兵約半大隊 を基幹とする部隊竝戦
支隊を編成し、自動車輸送 に依り應城に到 り第十三師団長 の指揮下
以 来 の前 例 に徴 し其 規 模 竝 戦 意 大 な る も の にあ ら ざ る べ き も の と判
軍 は 直轄 の機 動 兵 力 を有 せざ り し と当 初 敵 の攻 勢 は彼 の四月 攻 勢
断 し あ り し が 、第 四十 師 団 が九宮 山 北 麓 に進 出 せ し敵 軍 を討 滅 せ ん
第十三師 団は先づ安陸方面 に 一部 の兵力 を増加して同 地北方地区
に入らしむ。
旅 団 の約 歩 兵 一大 隊 を 基幹 と す る部 隊 を概 ね 十 四 日 タ 迄 に 王 陳 路
の敵 に 一撃 を加 へ、次 で之を多寶湾方面 に転用し且軍命令 に依 り逐
近 に到らしめ、十八日命令を以 て此等両隊 を第十三師団長 の指揮下
(辛潭 舗 東 南 方 二十 四 粁) 附 近 に集 結 し て第 四 十師 団長 の指 揮 下 に
次増加せられたる兵力 を此方面に進 め敵 の撃滅を企図し、多寶湾竝
と し あ る を知 り、 十 一日命 令 を 以 て武 寧 方 面 に在 る 独立 混 成 第 十 八
入 ら し め 、且 歩 兵 約半 大隊 を十 五 日迄 に王 陳 路附 近 に集 結 待 機 せ し
撃退するに至らず 、当時 此正面 に進入せし敵 は確実 なるも の少くも
増援 部隊 を併 せ囲繞するに至 り、其他 の方面亦十九 日に至 るも敵 を
て十 八日夜 一旦多寶湾 との連絡成れるも、敵 は再 び其周辺 に溢出 し
聶 家場両部隊当面 の敵 に対 し攻撃し多寶湾攻撃部隊は衆敵を突破 し
爾余 の兵団正面 に於 ても十 二日頃以来屡 々各方面 に敵 の出撃あり しも各兵団 の果敢 なる反 撃に依 り概 して其都度撃退 せらる。
大沙坪方面 に前進 せしむ。
兵約 二大隊 を増加す)をして二十日朝白霓橋附近より行動 を開始し
第 四十師団は右命令 に基 き石本支隊 (当初約歩兵 三大隊後更 に歩
大隊 を基幹 とする部隊 (高野支隊)及戦車第十 三聯隊 (第 二中隊欠)
十九日命令 を以 て信陽 方面 に在 りし第三師団 の歩兵約 二大隊野砲 一
中 なりし部隊間 の連絡成り、又其他兵 団の正面も二十七、八日頃 に
次で二十 五日崇陽 、大沙坪、通城方面 に於 ても各地 に於 て分離戦闘
斯 くして軍は十 二日以来全正面 に亘 り敵軍 の撃砕 に努 め つつあり しが二十 二日に至 り多寶湾、聶家場方面 の敵全面的 に退却 を開始 し、
中央 軍四個師を算 す。
をして鉄道輸送 に依り孝感 に集結を命じ、次で二十 日此等両部隊 を
北應山安 陸方面 及江南崇陽、通城方面 に於 ては 一月 に入るも敵 の行
至 り概 ね鎮静 に帰 し敵軍攻勢 の終熄 を思 はしむ るも のありしが、江
〓に於 て軍は第十三師団方面 に重点を成形敵攻勢 を破砕 せんとし、
第十三師団長 の指 揮下 に入らしめ更 に二十二日軍砲兵隊 より十加 一
と訓令し依然攻勢継続 の意志 を有し、各部隊は攻勢開始以来既 に 一
獲得 スル ニ努力 ス ヘシ
各戦区 ハ相互協力 シ担任任務 ニ向 ヒ邁進 シ以テ偉大 ナ ル成果 ヲ
果 ノ拡大 ヲ図 ラント ス
〓 ニ其戦績 ニ徴 シ新 ニ第五戦区 ニ対 シ 一部兵力 ヲ増強 シ更 ニ戦
果 ヲ収 メツツ アリト思料 ス
冬季 攻勢開始 以来各戦区 ヨリノ報告 ヲ綜合 スルニ概ネ所期ノ戦
蒋 介石 は十二月三十 一日
動依 然熄 まず我各 兵団 は夫 々再度 の討滅 を実施 せり。
中隊及野 戦瓦斯 一中隊 を又武漢警備隊 より聯隊長 の指揮す る約歩 兵 一大隊を鉄道及陸路 に依 り孝感 に到り第十三師 団長 の指揮下 に入ら しむ。 以上 の外陸海軍航空隊 の協力 に依り偵察、爆 撃戦力 の重点 を此方 第六師 団正面 に於 ては十二日頃以来横溪 ( 羊樓 司 西 南 方八粁)、
面 に指 向し又軍需品 の空中補給 をも実施せり。 崇陽大沙坪 ( 崇陽西南方二十 五粁)、通城各方面に於 て夫 々敵 の来 襲あり、師 団は先づ横溪附 近 の敵 を撃破潰走 せしめたる後 一部を羊
ケ月 に垂 んとし疲労累加し且死傷続出 しあ るに拘らず局部的 には依
樓司︱崇陽︱通城道 に転用し此方面 の敵 の撃滅を企 図す。 此方面 の敵 は中央軍を主体とする計約七個師を算 し其攻撃相当執
今次攻勢 に参加 せし敵兵力 は約 七十 一個師 にし て、軍周 辺の敵軍
然執拗 なる攻撃 を実施せり。
約百十個師中南支方面 に移動 せし約 十七個師 、〓湘会戦 に大打撃 を
る敵軍掃蕩 の概 ね終了せ るを機 とし、十八 日同師団 に対し速 かに有 力 なる 一部を白霓橋方面 に転用し師団 の作戦地境 に拘らず概 ね陸水
拗なるも のありしを以 て、軍は第 四十師団 の九宮山北麓 地区に於け
東方地区 より大沙坪方向 に進出 し所在 に敵軍 を撃滅すべきを命ず。
(戦車四 軽 装甲車 六) を第六師団長 の指揮下 に入らしむ。
兵隊 より山砲 一大隊 を又 一月十日武漢警備隊 の臨時 編成 戦 車 中 隊
一月中旬 に至り廣水東南方第三、第三十九両師団作戦地境附近に
蒙り て後方 に於 て整訓中 の約十個師を除 けば出動可能兵力 の約 八十 信陽西方正面 の孫 連仲集団軍 は十 二月中旬我 一撃 に遭 ひたるも依
せしを以て軍 は此間同師団をして第 三師団作戦地域内 を行動 せしめ
敵 の 一部侵入し逐 次南下 の徴 あり、第三十九師 団は之 が討伐を企図
五% に相当す。 然蠢動 を続け 又湯恩伯集団軍は 一月上旬頃應山西北方 地区に逐次近
配属中 の横山部隊 (歩兵約 二大隊弱) を第三十九師団に転属す。
且十 五日武漢警備隊 の歩 兵約 二中隊 又二十 二日同隊より第 三師団 に
接 す。 第 三師団 は先づ孫連仲集団軍、次で湯恩伯集団軍に対する攻撃 を
京 山︱安陸道両側山地内 の敵 は冬季攻勢開始以来大なる打撃 を蒙
実施す。 軍は嚮 に同 師団 より第十三師団 に配属 しありし高野支隊 ( 歩兵 二
以 て軍は二十五日第 三師団 より独立歩兵第九十五、同第九十 六両大
が如き諜報 あり、第十 三師団は機 先を制 して之 が討滅を企図せしを
隊戦車第七聯隊第 三中隊及独立野戦重砲兵第十 五聯隊第二大隊 を三
らず 一月下旬 に至 り更 に相当大なる兵力 を以 て進攻 の企図を有 する
団 の 一大隊 (一中隊欠)野砲 一中隊 を基幹とする部隊 を横店 に次 で
隊第 二大隊 (一中隊欠) を同師団 に配属し、又 一月四日第三十九師
十日野戦重砲兵第 十四聯隊第二大隊 (一中隊欠) を第十三師団に配
大隊基幹)を十二月二十 八日原所属 に復 帰せしめ、又戦車第 十三聯
一月七日之 を應山 に、 一月四日軍砲兵隊 の十五榴 一大隊 一月七日武
を武昌 に到 り軍直轄たらしむべく部署す。
属す。軍は更 に 一月二十 七日独立混成第 十八旅団 に対し歩兵 一大隊
隊 (一中隊欠)( 軽 装甲車約 二十 五輛)及独立野 戦 重 砲兵第十五聯
とし て應山に集結 せしめ十 日此等諸隊を第 三師団 に配属す。
漢警備隊 の戦車 一中隊及軍砲兵隊 の野戦瓦斯 一中 隊を何 れも軍直轄
斯くし て十 二月十二日以来継続 せら れたる敵 の冬季攻勢は我各兵
其他 の各兵団正面は本 月に入 り敵 の行動概して活溌 ならず 。
団 の積極果敢な る反撃 に依 り多大 の損害を蒙 り、而 も尺寸 の土地を
尚軍は敵軍攻撃継続 の状況 に鑑 み 一月四日武寧方面 に在 る独立混 成第十八旅 団 の歩兵 二大隊 (独立歩兵第 九十 五、第九十六大隊)を
も奪 回す る こと能 はず 一月二十 日前後 の頃有耶無耶 の裡 に概ね終熄
其 一、戦
力
第 二、本作戦 より観たる敵軍情勢観察資料
見ざりしと ころにして我軍も亦少からざ る損害を生じたり。
然 れ共其規模 の大な ると行動 の執拗 なるとは従来 の攻勢 に其比を
する に至 れり。
軍直轄 たらしめ十 四日之を應山 に於 て第 三師団長 の指 揮下に入らし 崇陽︱通 城道沿線両側地区 の敵 は前月我攻撃 に会し相当 の打 撃を
めたり。 蒙 れるも、主 力は依然山地内 に蟠踞し且 一部 を以 て頻 々とし て交通 線 の破壊を実施し つつありしを以 て第 六師団 は 一月上旬此敵 に対し 再度 の討滅 を開始す。 軍 は 一月 二日第 四十師団 より石本支隊 ( 歩 兵約 三大隊基幹)軍砲
一、敵 軍 の統 制 力 と 上級 指 揮 官 の統 帥 力 事変 勃 発 後 二年有 半 連 戦 敗衂 を重 ね た る敵 軍 が現 在 に於 て尚 二百
二
薜 岳 十 二月 十 五 日附 命 令 (特
情)
﹁?師 及 咸 寧 附 近 ノ第 三師 ハ各 有 力 ナ ル 一部 ヲ以 テ汀泗 橋附 近 ノ 攻 撃 ヲ為 ス ヘシ﹂ ト アリ
第 八軍 長 李 玉 堂 発 薜 岳 宛報 告 ( 特
情)
﹁ 命 ヲ奉 シテ所 属 ニ転 達 処 理 セ シ ム尚 第 三師 ノ第 十 六団 ハ十 五 日
万 の統 制 を保 ち あ る事 は軍 周 辺 の敵 軍 の約 八 十 ﹁パ ー セ ント﹂ 余 た る七 十 一個師 が概 ね時 を同 じ ゆう し て攻 勢 に転 じ 、約 四旬 に亘 り執
正午 汀 泗橋 ニ挺 進 ス﹂ ト
第 三 師長 趙 錫 田発 第 二十 七集 団 軍長 楊 森 宛 報 告 ( 特
ヲ破 壊 セ ラ ル﹂
﹁十 九 日 払 暁 官 塘 駅中 伏 舗 (汀 泗 橋 南 方 )中 間 地区 六 ケ 所 ノ鉄 道
之 に関 す る我 町尻 部 隊 の報 告
シ ツ ツ アリ﹂ ト ア リ
﹁第 三 師第 十 六団 ハ十 六 日夜汀 泗橋 附 近 ニ達 シ破 壊 ヲ開始 セ ント
情)
拗 活 溌 なる攻 撃 を反 覆 せし 事 に依 り て実 証 せら れ た る処 に し て、尚 特 種 情報 に現 は れ た る敵 の作 戦命 令 の実 行 が申 訳 的 な る も の少 から ざ る も概 ね命 令 と 一致 しあ る状 況 並敵 統 帥 部 の威 令 が 正規 軍 は固 よ り游 撃 隊 の末 梢 に ま で及 び た る実情 は蒋 介 石 の統 制 力 の今 尚 全 軍 に 保持 せ ら れあ るを如 実 に物 語 るも の にし て敵 未 だ健 在 の感 を深 く す るも のなり 。 而 て各 軍 師 の指揮 統 帥 は自 己 正 面 の有 利 な る戦 況 を 適 時 活用 拡 大
又我 鉄 道 隊 の報 告 に依 れ ば十 二月 中 の汀 泗橋 附 近 の鉄 道 妨 害 は
し左 右 相連 繋 策 応 し て外線 作 戦 、 兵 力 の優 勢 を極 度 に発 揮 す る等 の 技 術 未 だ十 分 ならず 、 日時 の経 過 と共 に消極 に陥 る旧 習 を暴露 し あ
総 計 十 六 回 にし て同 月中 粤 漢 線 妨 害 三十 八 回 の四十 二% 強 に達 す 。
る と 共 に 、之 が対 策 を 準 備 せ し が 果然 游 撃 隊 の行 動逐 次活 溌 と な
依 て我 が山 脇 部 隊 に於 ては右 は冬 季 攻 勢 の徴 候 な り と し注 視 す
二 、攻 撃 開 始 ハ十 二月 十 日 ヨリ十 二 日 ノ間 ト ス﹂
部 隊 ヲ以 テ鉄 道 遮 断 ヲ企 図 ス
又信 陽 周 辺 ノ各 游 撃 隊 ヲ各 方 面 ヨリ之 ニ協 力 セ シメ 且有 力 ナ ル
三 十 軍) ハ沁 陽 方 面 ヨリ進出 ス
﹁一、第 六十 八 軍 ハ主 攻 部隊 ト ナ リ明 港 方 面 ヨリ第 三十 一師 (第
通 報 し来 れ り。
内 容 及諸 隊 は既 に攻 撃 準 備 を終 り其 位 置 に就 き つ つあ る の情 報 を
十 二月 九 日息 縣 游 撃 隊副 官 長 は和 平 救 国 軍 に左 記 攻 撃 命 令 の
三 例
り、 之 を要 す る に上 級 者指 揮 官 の統 帥 其 のも のは未 だ著 しき変 化 な
戦
情)
し。
薜 岳十 二月 十 七 日 発 楊森 宛 命 令 ( 特
﹁大 沙 坪 ノ敵 軍 ハ動 揺 シ アリ第 七十 七 師 ハ第 七十 九 軍 ニ協 力 シ
一
之 に関 し 我 が町 尻 部 隊 の報告 に依 れば
大 沙 坪 ノ日軍 ヲ攻 撃 セ シ ムベ シ﹂
﹁大 沙 坪警 備 隊 ハ二十 日 早 朝山 砲 六門 其 ノ他 重 火器 多 数 ヲ有 ス ル 敵 ノ攻 撃 ヲ受 ケ タ ルモ断 乎 之 ヲ反 撃 ス敵 ハ第 七 十 七 、第 九 十 八 、
リ﹂
第 百 四十 (二者 第 七 十 九 軍 )、第 百 三 十 三 師 ニ属 ス ル約 六 千 ナ
り次 で第六十八軍其他 は第 一線 兵力 を増加す ると共 に我に近接 し り ( 甘粕部隊)。
ちて将校先頭となり攻撃前進 を発起し其戦意 見るべきも のありた
区 に反攻 し来 れる際、我坂本大隊 が予 ての計画 に基 き左側背 に逆
冬季攻勢 の初期 に於 て敵軍第 五十 一師 の約 一営 が奉新西方地
来り其後 の戦闘経過 に徴す るに敵 軍 の行 動 及 其 開 始時 日 ( 十二 五
意
日)は前記命令 に 一致 しあり。 二、戦
せ て蹂躙 し大打撃 を与 へたるが爾後 此 の方面 の敵は全 く萎縮 し全
期間沈黙 を守 りたり (甘粕部隊)。
襲 し逃ぐるを追 ひて更 に之 に踉随 し敵約 一ケ団 の既 設陣地をも併
六
今次攻勢 に於ける敵軍 の戦意は士兵 一般 には賞金 と厳罰と に依る に認む べきなきを 一般 とす。然れども螢連排長級 の少壮将校 の戦意
間接的督戦及実弾に依 る直接的督戦 に負 ふも の少 からず、戦意 の特 には相当見るべきも のあり て敵軍 の鋭意実施 に努 めたる幹部訓練 が
の部隊は其炸裂 に膚接突入し来 り手榴弾戦 を演じ相当 の戦意 を表
湖口方面 の戦闘 に於 て督戦 隊を有す る敵 は突撃 の先頭 に手榴
其実効を顕はしたるものと認 めざ るを得ず 。
弾兵を立て ( 該兵 は銃を所持せず )先 づ之 が手榴弾を投擲 し爾後 は せり ( 藤 堂部隊)。
然 れども戦闘日数 の増加 に伴 ひ闘志自 ら著 しく低下し、又 一般 に
又 一曹長 の如 きは ﹁貴官も軍人余も亦 軍人 なり軍情 を語 るの是
る際如何 に脅 かす も口を喊し て軍情 を語 らず。
攻勢 の当初聶家場方面 に於 ける敵俘虜士兵 二十三名 を訊問 せ
戦意 旺盛な る敵部隊 と雖 一度徹底的打撃 を蒙 るか又は受動 の位置に 例
七
中、下級幹部は襄東会戦時 に比すれば戦意 の向上 しあ るを明
立ち たる時は 一変 して頗 る退嬰萎縮 に陥 るを通例 とせり。 戦
非は自明なり速 かに殺 せ﹂と意気旺なる も のあ り た り (田中 部
一
瞭 に感知 せり、又兵は賞金 に釣ち れ厳 罰を恐れ相当 の戦意を表は
数次 に亘り突撃 を反覆実施 せし敵が我陣前至近 の距離 に遺棄
八
隊)。
せる死体百を超 ゆるも のありき (田中部隊)。
将校 の交戦意 志は相 当強烈 なるも のあるが如 きも 一般士兵は
二
九
す を常とせり ( 山脇 部隊)。 漸次厭戦気運 に向ひ つつあるものの如く、上官 の厳重 なる監視 の
戦闘開始後 三︱ 四日後 に獲 たる俘虜 は捕 はるるや先づ給養 を
下 に已む を得ず参戦 しあるを感 じたり (町尻部隊)。
る対象をな せり俘虜参謀 も給養 は頗る戦意 に影響すと強調す (田
乞 ひ意気消沈し軍情 も容易 に供述し前 々項 の状態 と極めて顕明 な
敵第七十四軍 (中央直系) は戦意 一般 に旺盛 にして特 に将校
三
中部隊)。 撃
敵軍攻撃力 の欠如は今 次攻勢 に於 ても実証せられたると ころにし
三、攻
力
が第 一線 の先頭 に立ちて突撃 するの壮烈なる情景 を各所 に展開せ 汪村附近 の戦 闘に於 て我が歩兵 二大隊、山砲 一大隊 と約 四〇
り ( 甘粕、關部隊)。 四
〇 米を隔 てて相対向せる敵 第五十 一及第五十七師が昼間我 に先立
至らざ りき。
に於 て軍 の警備態勢 に重大なる破綻 を生ず るが如 き危懼 を感ず るに
て軍 の全正面 に亘り約 七十 一個 師 の敵 の同時攻撃 を受け たるも大局
に対 し夜間匍匐攀 登し来 り払暁陣地内 に肉迫 し我白兵 に依る反撃
弾戦 を演じ たり。尚敵第 三十 一師 の 一部は尖山頂上 の我砲兵陣 地
部、游河 に出 撃せる敵第三十 一師等は夫 々反覆突撃 を実施し手榴
四
さざ るも のありたり ( 山脇部隊)。
により遺棄死体八十 を出し大打 撃 を蒙れるも敵 の攻撃力蔑視を許
には相当認む べきも のあり、特 に広地域 に分散配置 しある我小部隊
ふや両手 を上げ て降伏 せり ( 甘粕部隊)。
敵 の軍 、師 の綜合攻撃力 の比較的貧弱なるに反 し小部隊 の攻撃力 に対し敵 が衆 を恃 みて攻撃 せる場合、就中中央軍 に於 て然 り。又雑
五
敵 は直ち に恢復攻撃し来 り、失敗す るも三度之 を復行 し相当な る
十 二月 二十 一日我北村部隊 が聶家場北方 の村落 を奪取す るや
第七十四軍は戦意見 るべきも のありしも 一度我白兵反撃 に遭
み且督戦隊 の督戦 の下 に攻撃する場合は侮り難き戦力 を発揮す るこ
軍と雖 も彼 の積極的地位 に置 かれたる場合又賞金 と厳罰 とを以 て臨 とありて、敵方 より進ん で実施 せし白兵格闘 の例 は極 めて稀 なるも
我が陣 地を死守す る限り に於 ては絶対 に敵 の攻撃 は成功 せず︱崇
一 敵 の白兵突撃力は極め て薄弱 にし て其部署 の不徹底 と相俟 て
退却 せしも のありしも、相当 旺盛 なる戦意 を有す る敵 が山嶮 を利用
が兵力 の指向 を知りたるのみにて未 だ戦はず して急拠陣地 を棄 てて
敵 が 一度側背 に攻撃を受 けるや忽 にして潰走し、甚 しき は側背 に我
敵 の側背 に対する感受性 は鋭敏 にして極めて頑強 に抵抗 しありし
非ざ れば決し て其陣 地を捨 てざりし ものあり。
敵 の正面防禦力は 一般 に相当靱強 にし て我軍が突撃 を実施す るに
四、防禦力 と側背 に対すゐ感受性
の遺棄死体 ありたり (田中部隊)。
戦力 を表 はせり払暁敵 の退却後検す るに我陣 地前 一米 の線 に数百
而して其攻撃 も従来 の夜間喧噪 の接敵 より無言穏 密接敵 に進歩 し
手榴弾戦 は到 る処 に於 て演ぜられたり。 手榴弾戦より極 めて貧弱乍ら白兵突撃 に移り つつあるを見 るは彼 が 逐次戦 力を回復す るのみならず訓練 の効果 を現しあるも のと言 ふを 得べし。
陽其 他の戦闘︱ (町尻部隊)。
す る場合は我軍 が 一挙深 く敵中 に楔人し或は遠 く側背 に進出す るも
戦 例
二 白 兵戦力極め て薄弱 にして我 小数 の兵力にても敢然白兵 を振
る例 あり。
直ち に退走す るに至 らず局部的戦果 の綜合 に依り敵 の戦力 を撃砕 せ
敵軍第百 二十七師は両神〓攻撃 に方り十 二月十 四日、十五両
ひて突撃 せば何等為す所なく潰滅 せるも のさ へあり ( 天谷部隊)。 三
一、芭蕉嶺附近 の正面戦闘 に於 て頑強な る抵抗力 を示 したる敵第
戦
例
日に亘りて将校以下五百 の死傷 を出し つつも尚反覆執拗 に手榴弾
三師 が下金及路 口附 近に於 て其側背を急襲せらるるや脆くも忽ち
を以て突撃 し来り、又把崗 ( 油山 、獨山中間地区)附近 の戦闘 に 於 ける敵第 三十四師 の 一部擂鼓〓警備隊夜襲 の敵第 二十 二師 の 一
二、 泉 港附 近 に在 り し敵 第 百 九 十 七師 が高 家 附 近 を衝 か るる や指
は歩 砲 の協同 等 に於 て巧 妙 適 切 に実 施 し あ る戦 例 あり 。固 よ り全 軍
得 せ ると ころ に し て 、今 次 攻 勢 に於 け る実 績 に徴 する に夜 間攻 撃 或
的 現 象 と謂 ふ は当 らず と雖 教 育 訓練 の成 果 の 一の現 は れ と し て注 意
敗 退 せり (天 谷部 隊 )。
揮 中 枢 全 く混 乱 し 一夜 にし て其大 部 が九 宮 山 以 南 に潰走 し 又天 嶮
を要 す る と ころ な り とす 。
四、 我 将校 斥 候 が 一ケ小 隊 の敵 と 不意 に遭 遇 し た る際 敵 排長 の此
迂 回 行 動 に遭 ふ や直 ち に後 退 す る を常 と せ り (甘 粕 部 隊 )。
三、 第 三十 二軍 は相 当 有 勢 な る 兵力 に て反 撃 し 来 るも 我 小部 隊 の
殺 し て概 し て同 一水 準 線 に在 る も の と観 察 せら る 。
ケ 年 は整 訓 に依 る戦 力 の向 上 と各 会 戦 及 我 討 伐 等 に依 る打 撃 と が相
綜 合観 察 す る に数 字 的 の検 討 は固 よ り不 可 能 な るも 武漢 作 戦 後 の 一
実 な り と雖 、過 去 一ケ年 に於 け る当 軍 攻 勢 作 戦 の成 果 及情 報 等 より
に比 し主 と し て新 募 兵 員 素質 の低 劣 に因 り相 当 の低 下 を来 せ るは 事
又敵 軍 全般 の無 形 的 戦 力 の消 長 に関 し考 察 せ ん に武漢 攻 略 戦 当 時
に拠 り し新 編 各 師 が其 側 背 を衝 か る る や殆 んど 斉 しく 無 抵抗 裡 に
の際 に於 け る指 揮 見 る べき も のあ り し に拘 らず 、 我 斥候 長 が下 士
潰走 せ り ( 天 谷部 隊 )。
官 以 下 数名 を し て側 背 を 衝 かし む べ く行 動 を発 起 せし む る や忽 ち
か らず 。
ざ る に於 ては 其 無 形的 戦力 は逐 次 更 に向 上 す べ き も の と考 へざ る べ
従 つて今 後 我 軍 にし て純 然 た る受 動 的 態 勢 に陥 り敵 の撃 砕 に努 め
五 、我 六十 名 を以 て敵 約 四 百 を側 面 攻 撃 し 之 が混 乱 に乗 じ て殲 滅
敵 は逸 走 せ り (甘 粕 部 隊 )。
的 打 撃 を与 へたり (關 部隊 )。
敵 軍 兵 器 装 備 は雑 軍 ( 特 に武 寧 方 面 ) を 除 き直 系 並 傍 系 軍 は共 に
七 、兵 器 弾 薬 及 其補 給 能 力
一般 に良 好 にし て特 に 江北 田中 部 隊 方 面 に於 て然 り の感 あ り た り。
今 次 敵 攻 勢 の 一特徴 は敵 中 央 軍 が自 ら第 一線 に 立 ち た る点 に存 す 。
五 、中 央 軍 の価 値
即 多 寳 湾 正 面 、 通 城 、崇 陽 、奉 新 正 面 の如 き は 明 に従 来 の第 一線 た
る兵 器 は殆 ん ど之 を見 受 け ざ るも新 品 及最 近自 国 に於 て製 造 せら れ
而 し て戦 闘 の状 況及 鹵 獲 兵 器 に徴 す る に今 次 攻 勢 に於 て新 に現 出 せ
た るを 思 は し む る も の相 当 に存在 す る と共 に ﹁ソ﹂聯 製 兵 器 の尠 か
る雑 軍 と 交 代 し 直系 軍 自 ら矢 面 に立 ち信 陽 、随 縣 、安 陸 方 面 は中 央
ら ざ り し は注 目す べき 現 象 な り き 。
軍 、雑 軍 左 右 に相 竝 び て攻 撃 し来 れ り而 し て其 原 因 は雑 軍 既 に戦 力 な し と 見 て の処 置 な る や或 は中 央 軍 、雑 軍 間 に今 や区 別 を 付 せざ る
り 、但 迫 撃 砲 弾 は 各 方 面 共 に不 発 弾 多 く 製 造技 術 の拙 劣 な る を思 は
若 しく は其 後 の戦 闘 に比 す れ ば 二乃 至 五 倍 な り と の感 想 を述 べ あ
頗 る豊 富 に使 用 せら れ 各 部 隊 に於 て は上 海 戦 当時 と同 様 なり 。
弾薬 は之 を敵 の射 撃 状 況 に徴 す る に小 銃 、 機 関銃 弾 、迫 撃 砲 弾 共
統 帥 部 の方針 な り や等 は不 明 な るも中 央 軍 自 ら難 局 打 開 に乗 り出 せ し は 事実 に し て其 戦 力 雑 軍 に比 し依 然 相 当 優 れあ るは 直接 鋒 刃 を交 へた る第 一線 兵 団 の等 し く 感受 せ る所 な り。 六 、整 訓 の効 果 と無 形 的 戦 力 の消長 敵 が部 隊 の整 理 訓練 に絶 大 な る努 力 を傾 倒 し あ る は吾 人 の夙 に感
しむ るも のあ り た り。 之 を要 す るに敵 軍 の兵 器 特 に弾 薬 は今 次 攻 勢 に於 け る限 り未 だ補
我陣 地前至 近距離 に匍匐 近迫 し急射 と共 に手榴弾兵突 入し来
れり其接敵動作 は静粛巧妙 なり ( 山脇部隊)。
一
叭を吹奏 し喊声 を挙げ て突撃 し来 り手榴弾 を投擲す、然 れ共投擲
に試射を実施 し突入前之 に火力を集中 し自動火器 の射撃 を併 せ喇
二 夜間 火力 を以てす る攻撃 を好 ん で行 ひ夕刻支援火砲 は突 入点
而 し て敵 軍 の兵 器弾 薬 の貯 蔵 量 今尚 豊 富 にし て之 が節 用 に関 す る
距離を超 えて突撃 し来 ることなし。
給 の逼 迫 と 資源 の枯 渇 と を明 示 す る 現象 は見 受 け ら れ ざ り き 。
顧 慮 なく 使 用 し得 る の状 況 に在 り と は 思惟 し得 ざ るも 、 内 外 に対 し
三
日没と共に其攻撃準備 位置より匍匐接 近し来り 一挙 に手榴弾
るも のあり (町尻部隊)。
の多し、然 れども奇襲 に際し ては静粛 に匍匐接近し其動 作巧妙 な
一般 に、夜間 の動作 は喧噪 にして遠距離 より企図を曝露 するも
支 那 軍 の健 在 を 呼 号す る為 無 理 を忍 び ても本 攻 勢 を実 施 し 多 量 の兵
法
に関 し て は今 後 的 確 な る資 料 を収 集 す る の要 あ り。
器 弾 薬 を使 用 せ る に徴 し自 国 製 造 能 力 の向上 、外 国 より 輸 入 の状 況
其 二 、戦
隊と相呼応して我 を急襲す (山脇 部隊)。
四 其 一部は我陣地 の間隙より側背 に潜 入し正面より攻繋する部
戦 に依り勝敗 を決 せんとする ことあり ( 山脇部隊)。
に概 し て執 拗 な るも の多 く火 力 に依 る攻 撃 を主 と し 一部 奇 襲 を実施
今 次攻 勢 に於 て敵 は各 方面 共 夜 間 攻 撃 を賞 用 せり 、 其 実 績 を見 る
一、攻 撃 特 に夜 間 攻撃 及突 撃
せり。
本攻勢間敵 は悉く払暁 又は夜間 ( 特 に月明) にのみ攻撃 し来
り穏密 に接 近し至近距離より最高度 に火力 を発揚し其 一部は突撃
五
し来 る (山脇 部隊)。
即 ち 日没 後 に行 動 を開 始 し穏 密 に近 接 し 我陣 地前 至 近 の距 離 に於 て熾 盛 な る火 力 を発揚 し 、同 時 に 一部 の擲弾 兵 が我 陣 地 手 榴 弾投 擲
夜 間 の接 敵 動 作 は 一般 に概 し て拙 劣 な る も 一部 に は相 当 巧 妙 な る
距 離 に肉 迫 し投 弾 す る を 通例 とす 。
敵 が包 囲攻撃 の訓練 を奨励し又今 次攻勢間 に於 ても屡 々之に関 し
囲
六 今 次敵 の夜間攻撃 は執拗 なるも の多 し (田中部隊、村 上部隊)。
督励する所 あり、其結果攻撃 に際し屡 々包囲 を行ひ又稀 に反 対包囲
二、包
敵 が衆 を恃 め る か或 は督 戦 を受 け た る場合 に は屡 々昼 間 攻 撃 を 敢
すら実施せし ことあり。
も のあ り 。
行 し掩 護 射 撃 の下 に突 撃 し来 れ り、 然 れ 共敵 の突 撃 は昼 夜 間 共 に 手
は白 兵 を以 て突 撃 し来 り た る も のあ り た る も此 の如 き 例 は 極 め て稀
榴 弾 投 擲 距 離 を 超 ゆ る こと殆 ど なく 、 我陣 前 数 米 ま で突 入 し 来 り或
戦 例
軍と交戦 するに方り、約 一団 の敵 は本陣地 より出撃 し我包囲翼 を
十 二月末歩兵第三十四聯 隊 の 一部 が游河西側陣 地外 に於 て敵
一
例
な り き。 戦
は偉大 なり (町尻部隊)。
多寳湾方面 に浸入せる敵 は其附近各村落に拠点陣地を構築 せ
五
擂 鼓〓 警 備 隊 に対 し 主 力 を 以 て 正面 より 攻撃 し 之 と呼 応 し て
反 対 に包 囲 せ ん と せり (山脇 部隊 )。
一部 は陣 地 の間 隙 より 潜 入 し 我側 背 を急 襲 す ( 山 脇 部 隊 )。
二
敵第七十 二軍は今次攻勢 に関す る軍令 を受 け之 が行動 に就 き
西北方地区のみなりき、又砲兵力寡少 にし て歩砲 の協同 は 一般 に拙
敵 の使用砲兵 は主 とし て山砲級以下 にし て重砲 の現出 せし は應 山
ありたり。
歩、迫 の協同 に於 ては巧妙 なるも の多く其用法も亦見るべきも の
四、歩、迫、砲 の協同及使用火器
( 天谷部隊)。
たるも我を攻撃するに先 だち先づ富 水右岸 の線 に陣地を構 築せり
六
し為我増援部隊 の攻撃 に少 からざ る遅滞を来 せり (田中部隊)。
今 次攻 勢 に際 し敵 軍 は 屡 々築 城 を併 用 せ り 。即 我間 隙 よ り突 入 我
三 、築 城 を併 用 す る攻 撃
を包 囲す る や 一夜 にし て内外 に築 城 を実 施 し 之 を解 囲 攻 撃 す る部 隊 は直 に陣 地攻 撃 を行 は ざ る べ か らざ る に至 り た る如 き 、或 は我 陣 地 に 近接 す る に逐 次 築 城 を利 用 慎 重 な る攻 撃 を行 ふ が如 き之 な り。 之 が為 機 動 戦 に於 て敵 の攻撃 動 作 遅 滞 せし こと屡 々な り しも 他 面 我 増 援 部 隊 の此 敵 に対 す る 攻勢 の遅 滞 せし こと も亦 争 ふ べ から ざ る事 実 な り。
例
劣 なり。 戦
例
迫撃砲 の集中射撃 に連繋 し突撃部隊近迫 し来 り手榴弾を投擲
先 づ 一部 を 先遣 し て我 陣 地 前 に陣 地 を構 築 し た る後 其 の掩 護
一
戦
下 に主 力 を推 進 し再 び 一部 を 先 遣 し て陣 地 を構 築 し 主 力 を推 進 す
す 、迫撃砲 の射撃は比較的正確 にし て又其 の威力 も侮り難し ( 各
一
る如 く逐 次之 を反 覆 し絶 えず 我 反撃 を考 慮 し つ つ近接 し来 る (山
二
脇 部隊 )。
接 し来 る (山脇 部隊)。
我 が田中 部隊北村部隊本部は二十分間 に百数十発 の迫繋砲射
我分哨 に対し迫撃砲を集中之を制 圧し其間 に我主力陣 地に近
二
部隊)。
来 り突 撃 破 砕 せら る る や 此 の拠 点 に依 り更 に突 撃 を反 覆 せり ( 甘
三
一挙 に突 撃 前 進 す る こと なく 先 づ 拠 点 を構 築 し た る後 突 撃 し
粕 部 隊 )。
撃 を受け、然 も左より右 に前より後 に射向射程 を変換する等射法
敵 が我 に近迫 の為 構 築 せ る陣 地 は恰 も縦 深 あ る陣 地 帯 の観 を
三
の見 るべきも のあり たり (田中部隊)。
戦 例
敵は攻防共 に縦長区分極め て大 にして之 を交代使用す。
五、縦 長 区 分
呈 し、 我 の攻 勢 反撃 に方 り て は敵 は逐 次之 に拠 り て抵 抗 し 最 前線 に 一部 を 残 置 し主 力 は逐 次 後 方 陣 地 に依 り つ つ游 動 的 に防 禦 す る
攻撃 部 隊 が停 止 せば 直 ち に掩 体 を構 築 す る こと 多 く其 作 業 力
が如 き 状 況 を 呈 し た り ( 山 脇 部 隊 )。 四
兵 の有力部隊を以 て交通破壊隊 を組織 せしめたり ( 特
情)。
に破壊 せられたる道路 に遭遇 し歩兵 の前進すら相当遅滞 せし事例
河 口鎮方面 の戦闘 に於 て我村上部隊は八粁に亘 り概 ね百米毎
二
あり ( 村 上部隊)。
敵第 二十六師 は三個 の攻撃部隊 を以 て逐 次超越交代す る波状
攻撃 を実施 せり (關部隊)。
一 三 三
陣地を占領す る敵師 は二ケ団を第 一線、 一ケ団を予備 とも 一
ケ月毎 に交代す るを通常 とし交 代直後 は不安 の念 に駆 られ盲射 を
を認 められたり (山脇 部隊)。
攻勢直前 我飛行機 の偵察 に依 れば自動車道 に補修せられ之 が運行
殷家店 、棗陽方面 の道路 は予 て敵軍自ら破壊しありしが冬季
なす こと多 し ( 甘粕、關部隊)。 三
敵は全正面同時 に攻撃し来 ることなく殆 んど絶 えず攻撃点 を
変更し、之 に従 ひて攻撃部隊を交代せしむ るが如く 一ケ師 は 一団
四
敵 は多寶湾対岸 の道路 の補修 を実施し自動車 の運行 を認 めた
を第 一線 とし三日間攻撃 せしめたる後他 の 一団交代 し 一営 は 一連
戦
り (田中部隊)。 五 今次攻勢間 の交通破壊 に爆薬 を使用 せ るも の多 し (田中部 七、督
隊 )。
を第 一線 とし 一日間攻撃 せしめたる後他 の 一連と交代 す (町尻部 安陸 北方 の戦闘 に於 て敵第三十八師 を撃砕するや敵 は直 ちに
隊)。 四 他 の師を其正面 に充当 せり (田中部隊)。
るものを散見するも、 一方俘虜参謀以下 の言 に拠 れば火力 に依 る督
実弾 を以 てす る督戦に就 きては後述 の如く其事例 なりと認 めら る
督戦 は主 として賞罰特 に竣厳 なる刑罰 の適用 により行 ひあり。
敵 は従来 は自軍勢力範囲 の交通網を破壊 し我進攻を阻 止す るに汲
六、交通、通信線 の破壊 と補修 汲 たりしが、今次攻勢 に於 ては各 方面共我第 一線部隊 に対す る攻撃
戦 は絶 対に行 はず督 戦隊 は部隊 の戦闘状況を上司に報告 し賞罰 の資 例
と連繋して有力 なる部隊を我占領 地内 に深く進入せしめ交通網 の破
戦
料 とし又其成績 により給養 を手加減するも のなりと称 しあり。
稜線上 の敵 一旦我射撃を蒙り後退せしが後方 より射撃せられ
壊 を実施し或 は我第 一線附近 の交 通を遮断し て我砲兵 、戦車、自動 車 に依る増援部隊行動妨害を企図 せし こと 一再ならず。
一
二
た るも のの如く再 び引返し遂 に我方に近き斜面 を降り て谷地を横
之 に反 し敵方 の交通路は従来自 ら破壊 せし自動車道 を補修し或は
撃 を蒙りたるが、俘虜参謀 の供述 に依 れば営長以下二十数名 の幹
新 に自動車道 を設けたる等 の例少 かちざりき、従 つて此等 の状況を 例
部は敗戦 の責 により銃殺せられたりと (田中部隊)。
洋梓鎮附 近に於 て約 一営 の敵 は我有力部隊 に挾撃せられ大打
戦
敵各戦区 に交通破壊隊 を組織 し地区を定 め交通、通信線 の破
行退走す (田中部隊)。
一
連続監視せば敵軍攻勢 の企図察知 の為有力なる資料 たるべし。
壊 を命ぜし が第九戦 区に就 て之 を見るに薜岳 は各軍毎 に歩兵 、工
而 し て其成 果 に就 て観 る に敵 が約 七 十 一個 師 の参 加 兵 力 を 以 て結
の上 に証 明 せ るも のと 謂 はざ る べ からず 。
戦力保持 に汲 々とし極 力我鋭鋒 を避けんとする敵軍 の捕捉は広大
て攻撃 を終 れ る点 よ りす れ ば決 し て成 功 と謂 ひ得 ざ る も其 自 主 的 攻
局 尺寸 の土地 を も恢 復 す る こと能 はず 、 而 も相 当 大 な る打 撃 を蒙 り
八、敵軍捕捉 の可能性 に就 て なる地域錯雑 なる地形及益 々徹底 せる交通路 の破壊等各種 の条件と
而 嚮 に〓 湘会 戦 に於 て相 当 大 な る打 撃 を蒙 む り し 十個 師 は遂 に今
︹マ マ ︺
の末 だ衰 へざ る を実 証 せり 。
勢 力 を中 外 に闡 明 せ る点 は 之 を認 めざ る を得 ざ る と共 に敵 軍 統 制 力
相俟 て其可能性 を少 からしむ。 然 れ共今次敵軍攻勢 に於 て実証 せられた る如く敵 が自主的 に攻勢 を実行 せる場合 の衝力 は相当大なるものあり、特 に中央軍 に於 て然 るを見 る故 に積極的 に敵 の虚 を衝 く の戦法 に出 で若 くは将来更 に今
器 資材 の損 耗 亦 尠 から ざ るべ く 、従 て今 俄 に再 び か かる大 規 模 の反
次 攻 勢 に参加 す る に至 らざ り し 点 は注 目す べ き点 な り とす 。
例
攻 に出 づ る能 力 はな か るべ き も 、固 よ り今 後 に於 け る敵 軍 の企 図 に
次 の如 き攻勢 の機 を捉 ふるに於 ては敵軍 の捕 捉 の可能性少 からざ る 戦
敵軍 の執拗なる攻勢 を暫く警備隊 の健闘 に委 ね此 の間相当兵
も 徹底 的 打 撃 を受 け あ ら ざ る と局 部 的 には 攻 勢 の有 利 な る を感 得 せ
今 次 攻 勢 に於 て敵 の損 害 は其 遺 棄 死 体 のみ に見 る も五 万 を越 え兵
一
関 し ては速 断 を許 さず 。 特 に敵 は時 日 の経 過 と 共 に失 敗 は認 む べ き
二 、敵 軍将 来 の動 向 に関 す る観 察
力を集結した る後之 を攻撃 し又随所 に敵 を徹底的 に掃蕩 し大なる
べし。
戦果を収めたり。
し 所 な る べく 又
高城附近 の戦闘 に於 て敵 は戦意旺盛 なる湯恩伯集団軍 の衝力
を逆用し て大打撃 を与 へたり特種情報 に於 ても高城附近 の戦闘 に
二
1 、 昭和 十 四年 十 一月 末 を 以 て所 謂 第 二期 整 訓 を終 り引 続 き 昭和
十 五年 五月 末 迄 の間 第 三期 整 訓 を実 施 せん と し あ り。
て四、〇〇〇 を下らざ る損害ありと報 じあり (山脇 部隊)。
2 、従 来 の例 に徴 す るに敵 は整 訓 一段落 せ る時 期 又は 政 治 的価 値
九宮山北方 地区 の作戦 に於 て天谷部隊 の 一部は好機 に投ず る
神速なる機動 を以 て深く敵 の側背 に突進し敵 の師 司令部等 を蹂躪
三
二乃 至 三個 月 後 に終 る を常 とす 。
3 、主 要 な る会 戦 に於 て打 撃 を蒙 む り た る部 隊 の整 理補 充 は概 ね
大 な る時 期 に屡 々攻 勢 を実 施 し
の
せり。 其 三、敵軍冬季 攻勢 の意義及其将来 の動向 に 関する観察
等 よ り観 察 す る に今 次攻 勢 に類 す る攻 勢 は今 後 共 其 発 現 を見 る可 能
4、 近 く 新 政 権 の樹 立 せら れ んと す る気 運
今 次敵 軍の攻勢 は武漢攻略戦以後 の 一年間 に於 て我軍が大規模 の
性 少 から ず 而 し て其時 期 は第 三 期 整 訓 終了 の六月 頃 の公算 最 も大 な
一、敵軍冬季攻勢 の意義 攻勢作戦 を中止 せるに反し敵 が鋭意軍 の再建 に努めたる成果 を事実
附 表
区 分
山 町 關
四四
四四
二、二八三
三
一
一 五
三二六
四
其 他
に於け る綜 合戦果表
)
粕
二二
二四
五
二八
二九四
三
26, 51, 57, 58, 139, 141, R 9,
一
一七、〇 〇〇
甘
二〇、七〇〇
三六
中
一 八〇、 六五〇
三〇
自
衛 団, 保 安 団
至 昭 一五 、
田
二一 五
二三九
八〇
三、三八三
二七三
二三五
一三、七八三
四
一七
一五七
一、八三四
一四
三三
51, 57, 58, 139, 141,N10,
自 昭 一四 、 一二
尻
二二二
三四 三
一 七八
一三、四七七
四
四八
八五九
四
6,9, 13, 14, 16, 19, 21, 28, 29 32,33, 34, 36, 37, 38, 39, 41, 43, 44, 48, 49, 51, 55, 56, 57, 59, 60, 64, 77, 94, 101, 103, 110, 123, 128, 139, 150, 155, 161, 162, 173, 174, 180, 185, 9K,R 8,N 4,N 6,N11
(
九五、九〇 〇
3, 15, 19, 41, 59, 77, 82, 90, 92, 98, 102, 107, 116, 133, 134, 140, 保 安 団, 土 匪
脇
一一九
一四二、九六〇
一二六
一八二
二九二
四 七
九、三三一
一
一
七
七八
一、三〇三
三
二三
4, 21, 23, 27, 30, 31, 34, 56, 89, 110, 119, 122, 123, 124, 125, 127, 142, 143, 162, 171, 172, 27B, N 4A, 游 撃 隊
呂集団敵冬季 攻勢間
部隊 名
数
交 戦 敵 団 体号
回
交戦 敵 延 兵 力
戦
虜
砲
遺 棄 死 体
俘 山
機
速 射 砲
重
銃
機
迫 撃 砲
小
銃
軽
拳
擲 弾筒
我 が出 動 回 数
敵
主
敵 出 撃 回 数
に
交
与
村
只 五八
三四、 七〇〇
一五一
一 五、六〇〇
141, 147, 172, 游 撃 隊, 保安 団, 人 民 自衛 団, 土匪
五、五七 〇
3, 141, 146, 155, 197, N13,
天
二三、八 〇〇
3, 15, 19, 77, 82, 133, 134, 140, 197, N14, N15, N16,
上
二八一
五三
一 五九
一、二七九
九六
一
八七
一五
23, 171, 172, N4A, 游 撃 隊, 共 産 匪, 保 安 団, 自衛 団, 土 匪
谷
三九
五二
五、八九九
二〇四
一七
三四
三三
一、五七七
一 三
游 撃 隊, 土 匪
藤 堂
一 三二
一一六
九三四
九二
八
二三〇
六
萱
井
一 〇
四四
二二
九
計
別 に
新 四軍 、 独 二十 七 旅 、 游撃隊、自 衛団、保安 団、土匪等
五四〇、 〇〇〇
一、三四二
五一 、〇〇〇
一
九八七
一
二二
六 九
三六九
八二
六、 五六 四
三六
八十八 ケ師
約
約
昭和 十 五 年 二月 十 五 日
酒
二、 三〇〇
九六四
一、〇四六
島
八
197, 游撃 隊, 土匪
呂 集 団参 謀 部 調 製
二二
九
二二
三四
六二 三
三〇
一
二
四五
N14, N15, 游 撃 隊, 土 匪
へ
た
要
鹵
品
る 獲
損
害
十 二加弾 六一一
六一一
一、四九五
六 五〇
約 一、 〇八九、 〇〇〇
三 五、 二八〇
一四、 〇〇〇
二、 九〇〇
三
一、七〇三
五〇〇
一、二九六
二、〇五〇
二〇、八九〇
五
三 一三六
七二
一、〇二〇
八八四
八四二
八九九
一四、一一七
三〇 〇
二、二二〇
二
一三一、五六二
六
約
野 砲 弾 迫撃砲弾
六、 二三九
三 三〇
六、五五六
二
二、一五〇
二、三八〇
七五
六四、四〇四
重機 弾 六、 二六〇
八九、 〇八 三
二、 八五 〇
三二二、二七九
二 三、 〇〇〇 二四五、四三三
一 二二
二 〇九
二
一 〇
三
二
二八三
一、五〇四
一 四〇
二〇七
五
二、二〇八
一四
三五
一二
一一
四
七六二
二九
三
七二七
二、三七七
七六
}
九二
一 五
一 八
四二 七〇三四一
二一 七〇
一 六六
一
一五三
三六九
二一三、 〇五五
二八三
九八七
一
一、〇九二
一 二九 二四八
一三四
一、二〇六
十字鍬 四二九
一 五 一
二 八三
一九
九、一六〇
匙
三七
三三一
帽 一
四九六
三、二七九
}
三、 三〇 八
}
軽 機 弾 小銃 弾 拳 銃 弾
手榴弾
馬
剣
円
青 竜 刀
銃
鉄 無 電 器
八
三〇 四
六五三
四六
二三 三
五 六五
二〇
一一一
一
二三六
一 六四
二、一四一 (一〇九)
電 話 器
一
四〇二
六、二一六 (二二五)
防 毒 面
三七 (一)
一
九
一〇〇 (一)
四二二 (一九)
一 一八 (五) 三六七 (二一)
七
一 三
死
五二 (四) 一 〇二 ( 七)
一
二
傷
二〇一 (一 一) 三三七 (二四)
三五
戦
一 六七 (一 六) 五三二 ( 二六)
二四
負
九二五 (四五) 二、 五六 五 ( 九三)
一九
一 七
︹註 ︺ N ︱ 新 編 R ︱ 予 備 騎旅 A︱軍 B︱旅団
三 七三
一八一
二六 二
二〇九 ( 八) 七九三 (一 八)
K︱
七二
一、四〇七 (三六)
戦 死 馬 負 傷 馬
一、本表中 には敵冬季攻勢前後 に於ける戦果 を含 みあり ( 但僅少なり) 二、配属部隊 の分は被配属部隊内 に計上しあり 三、我が損害中 ( )を附 せるは将校内訳 とす 四、交戦部隊 号中 には疑問 のも の尠 からざるも第 一線 の報告 を其儘記入 せり
〕
我 が 損 害 考 備
〔
又今 後 反 攻 の規 模 に付 考 察 せん に敵 は 従来 重 点 に徹 底 的 兵 力集 結
る も早 け れば 三 月末 以降 に於 ては 実施 し 得 る態 勢 を採 り得 べし 。
の原 則 を没 却 し 、各 方 面 分 散 の弊 に陥 り あ り 、従 つて今 次 第 九戦 区 よ り第 四戦 区 方 面 に 一部 の兵 力 を転 用 せ し如 き程 度 の こと は あ り得
特 種 情報 よ り観 た る敵 軍損 害 状 況
考
不明︺ の如 し 。
参
一、 冬 季 攻 勢間 敵 側 情 報 より 看 た る敵 軍 一部 の損 害 (死傷 ) 判 明 せ
我 山 脇 部 隊 と交 戦 せ る も の
べ き も決 定 的 兵 力 集中 は容 易 に為 し 能 はざ る べし 。然 れ ど も我 にし
一
る も の左 の如 し
( 内 第 百 十 師 は最 も痛 撃 を受 く )
第 三 十 一集 団 軍 ( 高 城 附 近 の戦 闘 )
( 内 将 校 四九 )
四、 〇 〇 〇 余
て著 しく 消 極 な ら んか遂 に は 一方 面 に戦 力 の集中 を企 図 す る に到 る こと な き を保 し 難 し 。 本 次攻 勢 に於 て軍 正 面 に於 て平 時 兵 力 の約 八 割 七 十 一個 師 を以 て 同 時 に攻 勢 を採 り た る こと は敵 の常 に長 大 な る縦 深 配 備 を採 る特 性
( 内将校七〇)
我 町尻 部 隊 と 交 戦 せ る も の
一、 五九 一
三、七〇〇
( 内 将 校 一〇 七 )
二
師
師
二 、 四五 六
に鑑 み る時 は之 を以 て 一部 の攻 勢 な り とは 謂 ひ得 ざ る べく 、 其 結 果
十
二、八五三
九
五
ロ 第
イ
十
九三〇
三
を見 るは将 来 の所 謂 総 反 攻 に も 近 か る べく 今 次 攻 勢 の規 模 を 以 て将
ニ 第 七 十 七 師
七八八
第
来 の 一規 尺 と見 る を得 べ し。
第 八 十 二 師
ハ 第
師
十
師
て軍 の統 制 と列 国 の援 助 と に依 存 し て抗 戦 を継 続 しあ る敵 が今 次 の
ホ
第 九 十 八 師
第
然 れ共 国 内 に於 け る各 種 の情 勢 の複 雑 多 難 な る裡 に在 り て主 と し
如 き大規 模 の攻 勢 に於 てす ら要 地 の恢 復 等 に何 ら 見 る べ き成 果 なく
ヘ
( 内 将 校 一 一九 )
( 内 将 校 三五 ) ト
二、 二七 三
而 も相 当 打 撃 を蒙 り た る為 其 攻 撃力 に依 然 大 な る自 信 を抱 く に至 ら
四)
二、 五 一〇
( 内 将 校 二六 )
( 内将校
( 内将校
一四 二
二 四〇
第三十三集団軍
九八八
我 田中 部 隊 と交 戦 せ るも の
挺 進 第 一縦 隊 ( 孔荷寵部)
九
ざ りし 結 果 が如 何 に今 後 の軍 事 的 動 向 に影 響 す べ き か は将 来 の蒋 政
チ
第 百 七十 三 師
果
イ
第 百 七 十 四師
第 三、 戦
ロ
三
権 を囲 繞 す る 政治 的 動 向 と共 に仔 細 に観 察 す る を 要 す 。
本 作 戦 に於 て敵 に与 へた る損 害 は兵 力 、 兵 器 、資 材 に 亘 り相 当 大
ハ
( 内 将 校 六二 九 )
三)
( 内 将 校 二 一六 )
な るも のあ り敵 遺 棄 死 体 のみ にて も約 五万 に及 び敵 軍 が如 何 に宣 伝
二三 、 四 七 一
二 、冬 季 攻 勢 間 敵 軍 の弾 薬 使 用 量 の例
右 総 計 約 十 六 個 師分
す る も其 失 敗 は 時 日 の経 過 と 共 に自 ら 明 ら かな るべ し 。 然 れ ど も我 亦 死傷 合 計 約 八 千 を算 し従 来 の作 戦 に見 ざ る犠 牲 を払 ︹二字 ひ た り戦 果 の概 数附 表 の如 く 確 実 な る情 報 に依 る敵 損 害状 況参 考
一
第九十八師 弾
弾 六九、八五〇発
六 七〇、〇二五発 ( 過大?) 手
迫
砲 榴
撃
弾
弾
一、 二八二発
二九九発
三七、九七七発
銃
二八、六八八発
機
弾
小
弾
軽
銃
五 第百 八十 二師
九 二、九九〇発
機
弾 小
一〇、〇九〇発
機 軽
弾
重 三、〇二九発
機
砲 弾
重
撃 六 一四発
迫 平 射 歩兵砲弾
迫
七七、三六九発
九九、五九〇発
三九、七〇 二発
榴
弾
約 三十分間 に亘り迫 撃砲弾 三百四十発 を発射 し弾薬皆無となる。
第 八十 二師配属砲兵第 三旅第八団
二四〇発
一、九七二発
手
二七二、四〇八発
弾
弾
弾 八、九六五発
弾
七〇、〇〇〇発
一三〇、〇〇〇発
弾
砲
砲 弾
弾
弾
銃
撃
山 榴 銃
第 十 五師 機
弾
機
二二、三 一〇発
六
手 小 一一〇、五〇〇発
二 軽 弾
銃
四、六九七発
七八 一発
機 弾
砲 弾 榴
撃
重 迫 手
機
第八十二師 小
三 軽
一八二発
弾
小
弾
一、 四三八発
四〇、〇〇〇発
機 弾
弾
重 砲 榴
迫 撃 手
軽
機
四 第 百八十四師
重
七
一
令
大陸命第 四百二十五号 命
命
令
載
仁
親
王
一、支那派遣軍総司令官 ハ蒙古軍等救援 ノ為 一時五原附 近 ニ進出 シ テ作戦 ヲ実施 スル コトヲ得
造
参謀 総長 尾 壽
殿
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
西
昭和十五年三月二十二日 奉勅伝宣 支那派遣軍総司令官 二
令
大陸命第四百二十六号 命
一、支那派遣軍総司令官 ハ現任務遂行 ノ為五、六月 ノ候中南 支方
壽
造
参謀総長
尾
殿
載
仁
親
王
面 ニ於 テ 一時既定 ノ作戦地域 ヲ越 エテ作戦 ヲ実施 スルコトヲ得 昭和十五年四月十日
西
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 奉勅 伝 宣 支那派遣軍総司令官
八
支総戦 月報第八号
支 那 派 遣 軍 戦 時 月 報
蒋介石 は三月十五日各級司令部 の位置を規 定せるが、更 に
(昭和十五年五月三十 一日 支那派遣軍総司令部)
(自 五 月 一日至 五月 末 日)
ハ
作戦命令 の徹底 を期し其 の実行 に関 しては各級政治部主任 に命
般
全般的 には努 めて交戦 を回避し抗戦第 二期第 二段階に於 ける抗戦
令 を遵奉 せざ る者 あらば指揮官 を喚問す る権限を与 へ、尚重複
一、全
体制 の再建竝 に次期反攻 の準備を実施中な るも我 が軍 の全面的進攻
ニ
又は粗漏 ある命令を接受 せる場合 と雖 も各級司令部 は之 に籍 口 して責任 を回避す るを許 さず と指令す。
反戦或 は後方 の閑職 に転任せしめ或 は請暇中 の者あるも抗戦 の
作戦特 に呂集 団 の 一号作戦 の為止むを得ず整編中 の部隊をも使用し あり。 ︹ 省略︺ 五月下旬乃至六月上旬 に於ける敵軍全般 の企図動向 の概要附図第
を重んじ職責或 は事情 を云 々す る ことなく若し意見 を異 にす る
前途 に影響す る所甚大なりとて主官及参謀長は其 の地位及意見
蒋介石 は五月 二十四日長官 と参謀長間 の意 志 の疎隔 に依り、
一の如し。 1、指揮統制 の強化
ときは軍 令部 に密電し処理す べしとなし尚人事事項 に関し規定
五月 十五日南北両行営竝に第 六、第十戦区を廃 止し各戦区
を軍事委員会直接指揮 に帰せしめ西安及桂林 に軍事委員会弁公
イ
軍令部 は五月十八日参謀 が上官 の進退 に伴ひ て異動す るは
せり。 ホ
国民参政会第 五次大会に於 て ﹁一切 の軍隊は何番号 たるを
ロ
参謀 任用 の原則 に反すとし之を厳禁 し尚蒋介石は五月二十 二日
庁 を設置 六月 一日より業務を開始 せり。 論ぜず均 しく最高統帥 の命令 に服従 し絶対 に自由行動 を許 さず、
せり。
参謀 の人事 に関し ては 一切軍令部 に於 て直接掌握する如く規定
軍令部は六月 四日情報業務 を重視し今後 の指導を適切なら
命令外 に於 て行動す るときは理由 を詳細 に上級長官 に報告 の上
ヘ
最高統帥 の処置 を俟 つ﹂ ことを決議 し蒋介石は五月十日之 を 一 般 に通牒せり。
蒋介石は五月二日集団軍直轄管 区と兵站管区と の境界 を劃
しむ る為師以上 の情報主任者 の素質調査 を命ぜり。 ト 定明瞭ならしむ べく命ず 。 2、長期戦体制 の強化策 蒋介石は政治部、後方勤務部及地方党政機関 の密接 なる連絡保 二十 一日各部隊 に駐屯地三十支里附 近の郷村 に於 て農 民 の耕作協
持 の為軍民合作と党 、政、軍 の歩 調協同 一致 に就き訓令 し尚 五月 助を命じ、更 に五月十三日駐 兵は民衆 を援助し其 の生活 を全 から しめ労役 に対しては不合理なる要求 を為 さざる様指令 せり。 3、昆明行営 の設立
の調 整 を 折衝 し あり (四 月 三 日 の際 は衛 立 煌 は澤 州 に赴 き朱 徳 と会
﹁速 か に相剋 を中 止 し 一致 抗 日 工作 に従 事 せ ん﹂ と 通電 し或 は新 四
見 せ り )。 又 八路 軍 魯 蘇 豫 総指 揮 徐 向 前 は 五 月 三 日 于 學 忠 に 対 し
軍 江 北指 揮 張 雪 逸 は四 月 三 十 日 ﹁安 徴 省 各 機 関 団 体 及各 界 民衆 に告
ぐ る の書 ﹂ を送 り て国 共協 力 一致 抗 戦 に邁 進 せ んと 声 明 し あ り て 四
月 下旬 以 降 一部 を除 く 外表 面 緩 和 の状 態 を呈 し あ るが如 し。
第 八戦 区
北 支 方 面
三 、各 方 面 の状 況
一
馬 鴻 賓 を伊 盟 、河 西 及伊 盟 蒙 旗 一帯 に於 け る防 務 の責 任 者
1 、蒋 介 石 は五 月 二十 九 日左 の如 く 新 部 署 を 指 定 せ り イ
と し所 属 の第 八 十 一軍 (白 海 峯 も 指 揮 下 に属 す ) を 率 ゐ伊 盟 地
蒋介石 は西南奥地殊 に西南 ﹁ルート﹂ の中枢昆明、貴陽方面 に 於ける統制強化竝 に人心収撫 の方途 とし て龍雲 を主任 とす る昆明
区 に移 動 。
ハ
馬鴻 逵 は綏 西 駐 剳 の各 部 隊 を率 ゐ塩 地以 南 甘 粛 、 寧夏 省 境
ロ 伊 盟 地 区 に駐 剳 せ る傅 作 義 所 属 部 隊 は何 れ も臨 河 附 近 に移 ﹁一字不明︺ 動整 。
行営 を五月十 日正式に設立 し、〓黔綏靖 公署 の職員を夫 々相当 の 同行営は軍需品 の輸送及交通路 の保護統制 の為運輸統制委員会
地位 に就 かしめたり。 を設立 せるも のの如 し。 二、国共相剋 の状況
高雙成 ( ︶所属 の伊盟駐剳部隊 は陝西省北部 に移動 、游
間 の防務 を担 当 。
ニ
撃 隊 は馬 鴻 賓 の指 揮 に帰 属 。
蒋介石 は五月十五日第十八集団軍に対し各地游撃部隊 の蚕食 を中 止 し朧海線以北 の津浦、平漢竝 に同蒲 、正太、白長各線拠 点の日本
2、騎兵第六軍長門炳岳 は傅作義 と確執を生じ四月上旬重慶 に
支〓 を確保 せんと企図しあるものの如し。
止 の対策竝 に後套 地区側面 の強化 に依り日本軍 の西進 に対し て
即ち蒋介石は綏遠省竝 に陝西省北部 に於ける八路軍 の工作防
は綏 西 地 区 に駐剳 。
軍攻撃竝 に後方 の交通、通信 、新政権 の破壊を命ず ると共 に各戦区
22A
ホ
に対し其 の実施 の厳重なる監視 を命 ぜり。 二月以降全面的 に稍 〓活溌化 せる共産党軍 の各 地に於け る行動も 国民党軍 の断乎 たる決意 の前 に逐次妥協的態度 に変 しあり。即ち現 地部隊 に在 りては五月十二日朱徳は洛陽に赴 きて衛立煌と国共関係
7KD
招致 せら れ免職せられんとす る状況 に鑑 み門 の部下幹部は極力
四 月 我 が 晋南 作 戦 に依 り甚 大 な る 損害 を蒙 り、 創 痍 未 だ癒 え
) を平 漢 線 沿 線 に配 し陣 地 を構 築 中 な り。
2 、 蒋介 石 の指 令 に基 き衛 立 煌 は河南 省 の党 、 政 、 軍 一元 化 を
(
滅 を指令 せり閻錫山は五月十 五日警衛軍長傅存懐 をして汾陽、
期 し 且 民衆 武 装 組 織 を強 化 す ると共 に失 陥 地 区 に専 員 、縣 長 等
ヶ師
上 進 攻 す る も のと判 断 し五 月 上 旬豫 皖邊 区游 撃 隊 に属 す る約 三
1 、衛 立煌 は我 が第 五 戦 区 に於 け る 一号作 戦 に対 し 平 漢線 を北
第 一戦 区
に依 り悉 く其 の企 図 を挫 折 せし め ら れ た り。
部 分 的 には 相当 執 拗 な る出 撃 を実 施 し あ る も 乙集 団 の反 撃作 戦
態 勢 を 挽 回 せ ん と企 図 し 五月 二十 日 を 期 し 一斉 に攻 撃 を開 始 し
ざ る に衛 立 煌 は 五 月十 五 日第 五戦 区 の作戦 に策 応 し晋 南 地 区 の
) を 第 百 一師 長 萱 其 武 を し て指揮 せ し め あ り。
三
留任 を運動中なり、傅作義 は従来騎兵第六軍 の隷下 たりし三ケ 師 ( 3 、 馬 占 山 軍 は 従来 屡 〓給 養 の困 難 を 訴 へあ り し が 五 月 下 旬 ﹁騎 兵 の河 防 を 担 任す る は馬 糧 の関 係 上 極 め て困難 な り﹂ と て
第 二戦 区
河 防 交 代 を傅 作 義 に直 接 交 渉 せ んと な し あ り 。
1、蒋介石 は五月上旬閻錫山 に対し ﹁山西新編軍は中央 に服従
考義 一帯 の山西軍を統 一指揮 せしめ同方面 に於 ける叛軍 の粛正
南 省 南部 に於 け る地 方 武 力 団 体 の指 揮 区域 を規 定 し 尚 新黄 河 の
冀 察 戦 区
河 防 守備 区 を劃 定 せり 。
勢 に在 り し 中央 軍 三 ヶ師 ( ) は 四 月下 旬 よ り我 が晋 南作 戦 牽
軍 の共産 軍蚕食 化を防止 せんと逐次大寧、濕縣方面 に北上 の態
を禁 じ 又各 個 撃 破 を怖 れ て曹 縣 一帯 に部 隊 を集 結 せ し め あり 。
十 四旅 よ り攻 撃 を受 く る こと を憂 慮 し弾 薬 到 着 迄 は真 面 目 の戦 闘
下旬 山西 南 部 より 洛 陽 一帯 に移 駐 せ る共 産 軍 第 百 十 五 師第 三百 四
石友 三軍 は 日本 軍 及 共 産 軍間 の板 挾 み の窮 状 にあ り 、特 に五 月
制 の為 同 蒲 線南 段 近 く出 撃 し 、 稍 〓活 溌 な る行 動 に出 でし が 五
五
北 方 地 区 に退避 整 備中 に し て其 の 一部 第 百〇 九 師 は六 月 上旬 黄
9OA
河 を渡 河 大 茘 方 面 に後 退 せ り。 3 、晋 南 地 区
の下 に 八路 軍 の剿 滅 を企 図 し あ り 。魯 東 地 区 に於 て は 五月 下 旬第
る 為 軍 、政 、党 の 一元 強 化 を 図 り曩 に聯 軍 〓 法 を規 定 し統 一指 揮
于學 忠 は各 游 撃 隊 及保 安 隊 が共 産 軍 よ り蚕 食 せら る る を防 止 す
魯 蘇 戦 区
月 中 旬 に於 け る 我 が 郷寧 作 戦 に依 り甚 大 な る損 害 を蒙 り て郷寧
三月中旬黄河を渡河郷寧附近 に進駐 し督戦的立場 に於 て山西
2、郷 寧 附 近
烈 なる戦闘 を惹起し爾来同方面 に於 て対峙 の態 勢に在り。
五月中旬中陽附近 に南下 せる共産軍第百二十師主力 と相当激
を 駐 在 せ し め政 令 の遂 行 、 軍 事 協同 の積 極 化 を企 図 し あ り 又河
二
T1OD
せざ るを以 て八路軍と同様抗戦 に対す る危害部隊なり﹂とし剿
T1KD
N3KD
を企図 しあり。
四
22D 81D
N4KD
十三区専員趙保泉 は各区より優秀 なる保安隊を抽出統 一指揮し 一 挙 に招遠 、黄縣 を収復し更 に文登 、榮城方面 に東進掃共を企図し あり。 中支 方面
第 五戦区
3、第 九戦 区の前線守備兵力 を逐次減少し つつあり。 三
四月末 日より実施せ る呂集団 の 一号作戦 を蒋介石 以下戦区将領
は極めて之 を重大視し ﹁日本軍 は本作戦 の成果を以て有利 なる和
応作戦 の実施 を命じあるも我が機宜適 切なる作戦 に依り甚大 なる
本軍 の殲滅 を図り、且其 の他 の各戦区 に対し ても蒋介石 は極力策
平を企図しあり﹂と判断し作戦当初 より戦区 の全兵力 を挙げ て日
登集団 の青陽方面に対す る五号作戦 の終了直後顧祝同は唐式遵
第 三戦 区
に対し陣 地 の恢復 と長江 の積極的布雷を命 じ又五月十 二日及六月
一
六日蒋介 石 の指令 に基き第 五戦 区の作戦 に策応 し游撃 の強化竝に
殊 に六月 一日我 が漢水渡河進 攻作戦 に方りては襄東 に於 ける戦
損害を蒙 り つつあり。
勝宣伝 の行掛 りもありて万難を排 し局 面の打開 に努め、六月 一日
長江 の遮断 を命じあるも悉 く我 が軍 に機 先を制 せら れ其 の行 動活 溌ならず顧祝同 は 一切 の困難 を排除し攻撃に転ずべき旨督促しあ
団、李宗仁 をして左兵団を指揮 せしめ当陽南北 の線 に於 て極力宜
蒋介 石は第 五戦区を左右両兵団に区分 し政治部長陳誠をして右兵
第 九戦 区
り。 1、第 五戦区 に於 ける呂集団 の 一号作戦 に策応し蒋介石は五月
企図しあり (一号作戦細 部 の状況 は後報す)。
軍 の全部を襄河西岸 に集結し今尚当陽附 近に於 て日本軍 の撃滅を
二
の前線部隊六 ヶ師 を指定 し出撃 せしめたるも其 の行動活溌 なら
南 支 方面
六月十二日宜昌陥落後 に於 ても第 五戦区 に於 て使用 し得 る中央
昌防衛 に任じたり。
ず、五月 二十八日薜岳 は該出 撃部隊 に対し即時攻撃中 止後退 を
一
三日各要点 に対し奇襲電撃戦 を命じ、更 に五月十日修水河以北
命じたるが、我 が漢水渡河進 攻作戦開始せらるるや六月三日第
廣東 方 面
五戦区 の作戦 に協力すべく戦 区全正面 の前線部 隊十 ケ師 に対し
衣混成隊 を編成し其 の重要性 に鑑 み長沙に於 て集合教育中にし
2、薜岳 は蒋介石 の指令 に基 き次期作戦 の準備 とし攻撃隊及便
ては第三十 二集団軍と協力出撃 を企図しあり。
地後方 に所謂 清室空野を実施し進 攻防 止に狂奔中なりしが、我が
なりし全部隊を前線 に進出 せしめ 一方軍民 一体 となり て極力主陣
東北方作戦 を粤北進攻を開始せ るも のと判断し後方 に於 て整編中
あり て対策 に腐心しありしが、偶 〓五月十二日以降実施 の我 が廣
敵 は従来 より日本軍は近く粤北進攻作戦を企図しありと判断し
て従来游撃 に任ぜしめありたる交通破壊隊、土 工掘路隊、爆破
軍 の行動を中止す るや六月九日余漢謀は 一部 を以 て日本軍と接 触
六月七日夜半 を期し 一斉 に攻撃 を開始すべく命 じ南昌方面 に於
隊 、挾撃隊 を 一律 に解消 せり。
せしめ主力 は概 ね原駐地 に移行 を命じあり。 二 南寧 方面 ︹ 七字不明︺ 冬 季攻勢 に方 り南下中 の中央 軍主力 が逐次北上せしと 四月中、下旬に於 ける我 が欽寧公路東西 地区 に於ける掃蕩実施 せ
ト
繆 培 南 を〓 粤 邊 区 総 司 令 に任 じ予 備 第 六師 及 独 立第 九 旅 、
察 挺 楷 を粤 桂 邊 区 総 司令 に任 じ所 属 游 撃 隊 を指 揮 游 撃 に任
を 担任 。
チ
五 、敵 軍 の編 成 別 冊 の如 し 。
四 、敵 軍 全 般 の配 置 の附 図 第 二 の如 し 。
ず。
実施 しあり て極め て消極的なりしが、五月中旬 に至り張發奎 は主
六 、 五 月中 に於 け る敵 軍 の主 な る移 動 状 況 附 図第 三 の如 し 。
保 安 隊 、 游 撃 隊 を指 揮 し潮汕 方 面 の作 戦 を担 任 す 。
力 を後方 に於 て依然整備訓練 せしめ 一部を以て欽寧公路 一帯 に亘
七 、 友 軍 の状 況
ら れたる為敵は極 力新国防路線 の防衛 に任 じ公路 の徹底的破壊 を
る出撃 を命 じ五月下旬 に至 りて逐次欽寧公路 に近く進出しあるも
イ 潮汕 を襲撃占領す。
廣東外周各要点を襲撃攻略 し廣東市を脅威す。
欽寧公路 を控制し南寧 の奪 回を容易ならしむ。
第 五十四軍 (三ケ師) は寧賓路 の作戦 に任ず 。
綜 合戦 果表 は後 送 す 。
②A︱軍
KD︱騎兵師団 N︱新編
︹註︺ ①図表省略 ス
D︱ 師
T︱暫編
1 、 五 月中 に於 け る主 要 戦闘 の概 要 附 図 第 四 の如 し。
ロ 西 江及国防路線を確保す 。
蒋介石 は五月 三十日第 四戦区 に対し作戦方針竝 に新部署を指
其 の行動消極的 にして屡 〓出撃 を督促 されある状態 なり。
ハ 署
三
ニ
第 十六集団軍 (六ケ師) は寧武及欽寧道其 の他 重要地点 の
2 、 五 月中 に於 け る綜 合 戦果 附 表 の如 し 。
部
令 せり。
イ
第 六軍 (一ケ師欠)は遷 江、来賓附近 に於 て整訓。
作戦 に任ず ると共 に国防路 線を掩護す。 ロ
ニ 第 九集団軍総司令呉奇偉は寧賓路 の作戦を指揮。
ハ
ホ 第 六十四軍 (二ケ師)は貴縣附 近に於 て整訓。 ヘ 余 漢謀は第 十二集団軍、第六十五軍、暫編第二軍及海南島 警備司令王毅 を指揮 し西江、廣東 、潮汕、海南島各方面 の作戦
九
一
令
大陸命第四百三十 六号 命
命
令
二
令
大陸命第 四百 三十八号 命
尾 壽
吉
造
殿
殿
仁
親
王
一、 南支那方面軍 ヲ支那派遣軍戦闘序列 ヨリ除 キ大本営直属 トス
昭和十五年 七月二十三日
西
藤 利
奉勅伝宣 支那派遣 軍総司令官
安
載
二、前項 部隊ノ隷属転移 ノ時機 ハ七月二十五日零時ト ス
載
南支那方面軍司令官
参 謀総 長
一、爾今武漢方面 ニ於 ケル作戦地域 ハ概 ネ安慶、信陽、宜昌、岳州、
造 殿
王
南昌 ノ間 トス
壽
親
三、細項 に関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
尾
仁
二、前項所掲 ノ地域ヲ越 エテ行 フ地上作戦 ハ別命 ス 昭和十五年七月十三日
西
参謀総長
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示 セシ ム 奉勅伝宣 支 那派遣軍総司令官
三
令
大陸命 第四百三十九号 命 一、大本営 ハ支那事変 ノ迅速ナ ル処 理ヲ企図 ス之 カ為敵継戦企図 ノ 破 摧 ニ勉 ムルト共 ニ速 ニ情勢 ノ変化 ニ応 スル対第三国戦備 ヲ補強 ス ス ヘシ
二、支那派遣軍総司令官 ハ左記 ニ準拠 シ敵継戦企図 ノ破摧衰亡 ニ任
之カ為南支那方面 ニ於 ケ ル対支謀略 ニ関 シテ ハ南支那方面軍司
作戦上必要 アル場合 ハ一部 ノ部隊 ヲ 一時満支国境 ニ近 ク熱河
令官 ヲ区処 ス 七
省内 ノ地域 ニ派遣 スル コトヲ得
三、南支那方面軍司令官 ハ左記 ニ準拠 シ敵継戦企図ノ破摧衰亡 ニ任
廣東附近、汕頭附 近及北部海南島 ノ各要 地竝南寧︱龍州道 ニ
ス ヘシ
沿 フ地域 ヲ占拠 シ海軍 ト協同 シテ敵 ノ補給連 絡路 ヲ遮断 ス
一
廣東附近 ノ作戦 地域 ハ概 ネ恵州、従化、清遠 、北 江及 三水 ヨリ
前号所掲 ノ地域 ヲ越 エテ行 フ地上作戦 ハ別命 ニ依 ル
下流西江 ノ間ト ス 二
支那派遣軍 又 ハ支那方面艦隊、南支那 方面 ヨリ航空進攻作戦
概 ネ西蘇尼特王府、百霊廟 、安北、黄河、黄 河氾水地域、廬
一
三
前各号所掲 ノ地域 ヲ越 エテ行 フ地上作戦 ハ別命 ニ依 ル
四
事変処 理ノ為第 三国 ニ対 スル所要 ノ作戦準備 ヲ実施 ス
支那派遣軍総司令官 ノ区処 ヲ受 ケ対支謀略 ヲ強化 ス
五、細項 ニ関シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十五年 七月 二十三日
壽
吉
造
参謀総長 載 仁 親 王
殿
殿
奉勅伝宣
利
載 殿下
西 尾
長
参
安 藤
総
支那派遣軍総司令官
謀
南支那方面軍司令官
仁
親
王
司令官又 ハ南支那方面軍司令官 ノ指揮下 ニ入 ラシムル コトヲ得
四、参謀総 長 ハ其隷下船舶部隊 ノ中所要 ノ部隊 ヲ 一時支那派遣軍総
五
ヲ実施 スル場合 ハ密 ニ之 ニ協力 ス
州 、蕪湖 、杭州 ノ線以東ノ地域及寧波附近 ノ要域 ノ確保安定 ヲ期 シ特 ニ先 ツ蒙疆地方、北部山西省、河北省及山東省 ノ各要域竝上 岳州 ヨリ下流揚子江ノ交通 ヲ確保 シ武漢 三鎮及九江 ヲ根拠ト
海 、南京 、杭州間 ノ地域ノ迅速 ナル治安 ノ恢復 ヲ図 ル 二
シテ敵 ノ抗戦企図 ヲ破摧 ス其作戦地域 ハ概 ネ安慶、信陽、宜昌、 三
適時全支 ニ亘 ル航空進攻作戦 ヲ実施 シ敵 ノ戦略及政略 中枢 ヲ
岳州、南昌 ノ間ト ス 四
制圧擾乱 スルト共 ニ敵空軍 ノ再建 ヲ妨 止 ス其作戦地域 ハ支 那全 土 前各号 ノ作戦中海岸及水域 ニ沿 フ作戦竝航空作戦 ニ関 シテ ハ
トス 五
所要 ニ応 シ南支 那方面軍司令 官及支 那方面艦隊司令長官 ト協同 ス 六 抗 日勢 力ノ衰亡 ヲ促進 スル為全支 ニ亘 ル対支謀略 ヲ強化 ス
四
令
大陸命第 四百五十二号 命 一、南支那方面軍司令官 ハ現任務遂行 ノ為軍ノ 一部 ヲ以 テ北部仏領 印度支那 ニ進駐 スヘシ
利 吉
参謀総長 藤
殿
載
仁
親
王
二、前項 ノ進駐 ニ伴 ヒ龍 州附 近ノ占拠地域 ハ随時之 ヲ撤去 スルコト ヲ得 昭和十五年九月五日
安
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示 セシ ム 奉勅 伝 宣 南支那方面軍司令 官 五
令
大陸命第四百五十 三号 命
一、印度支那派遣軍 ヲ南支那方面軍戦闘序列 ニ編入 ス 二、前項 ノ部隊 ハ其編成完結ノ時 ヲ以 テ南支那方面軍司令官 ノ隷下 ニ入 ルモノトス
三、左 ノ部隊 ハ第 一項 ノ部隊 ノ編成完結 ノ時 ヲ以 テ第 二十二軍戦闘 近衛歩 兵第 一旅団司令部
序列中 ノ近衛師団ノ編合 ヨリ脱除 スルモノト ス 近 衛 歩 兵 第 二聯 隊
管 理留守第三師団長
王
四、左 ノ部 隊 ハ第 一項 ノ部隊 ノ編成完結 ノ時 ヲ以 テ第二十二軍戦闘
第三師団第 六野戦高射砲隊甲
序列 ヨリ脱除 スルモノトス
親
管理留守近衛師団長
殿
仁
兵站自動車第百八十 一中隊
一 殿
吉
臣
載
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和 十五年九月五日
利
参謀総長
誠
奉勅伝宣
安 藤
殿
久 納 長
南 支那方面軍司令官 団
飯 田祥 二郎 殿
師
第 二 十 二軍 司 令 官 近 衛
酒
隆 殿
安 岡
正
留 守 近衛 師団 長
井 留 守 第 三師団 長 六
令
大陸命第四百五十八号 命
一、北部仏領印度支 那進駐 日時 ハ九月二十 二日零時 (東京時間)以
降ト ス
載
仁
親
王
二、前項 ノ進駐実施 ニ方リ仏領印度支那軍抵抗 セ ハ南支那方面軍司 令官 ハ武力 ヲ行使 スル コト ヲ得
吉
殿
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
利
参 謀 総長 安 藤
昭和十五年九月十四日 奉勅伝宣 南支那方面軍司令官 七
令
大陸命第四百五十九号 命
一、北部仏領印度支 那進駐 日時 ハ九月二十三日零時 (東京時間)以 降トス
吉
載
仁
親
王
二、前項 ノ進駐実施 ニ方リ仏領印度支那軍抵抗 セ ハ南支那方面軍司
利
参謀総長 藤
殿
三、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
令官 ハ武力 ヲ行使 スル コトヲ得
安
昭和十 五年九月十七日 奉勅伝宣 南支那 方面軍司令官 写 総軍 司令部
八
令
大陸命第四百六十 一号 命
親
王
一、南支那方面軍司令官 ハ北部仏領印度支那進駐実施 ニ方リ自今別
吉 殿
載
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
利
参謀総長 藤
仁
命 ア ル迄航空部隊 ヲ以テ スル爆撃 ヲ行 ハサル モノト ス
安
昭和十五年九月二十七日 奉勅伝宣
写 配布先
南支那方面軍司令官 総軍 九
令
大陸命第四百六十 三号 命
一、南支那方面軍 司令官 ハ南寧︱龍州道 ニ沿 フ占拠 地域 ヲ撤去 ス ヘ シ
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム
昭和十五年十月 一日
利 一 殿
吉
奉 勅 伝宣 参謀総長 安 誠
殿
南 支那方面軍司令官 久 納
藤
第 二十 二軍 司令 官 十
令
大陸命第 四百六十七号 命
載
仁
親
王
一、第五師団及別紙 ノ部隊ヲ第 二十二軍戦闘序列 ヨリ除 キ第五師団
(第 十 六 師 団)
( 関東軍司令官)
紙 兵站自動車第百 七十 四中隊
(第 一 師 団)
別
第 二 防 疫 給 水 部
兵 站自 動 車 第 三百 六中隊
下段括弧内 ハ編成 ( 動員)管理官 ヲ示 シ師 団 ハ師団長 ( 留 守師
備考 団長) ヲ示 ス 十 一 大陸命第 四百 七十 一号 令 一、第 二十二軍戦 闘序列 ヲ解 ク
命
二、第 二十二軍 司令官 ハ其司令部ト共 ニ内 地 ニ帰還 スヘシ
ハ之 ヲ大本営直轄 トス 二、前項 ノ部隊 ハ上海附近 ニ待機 スヘシ
三、第 二十二軍戦 闘序列中 ニ在 リシ諸部隊 ハ之 ヲ南支那方面軍戦闘
出 発 ノ時 トス 昭和 十五年十 一月十九日
淳
参謀総長
宮
殿
杉
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀 総長 ヲシテ指示 セシム 奉勅伝宣 後
山
元
四、第 三項 ノ部隊 ノ隷属 転移 ノ時機 ハ第二十二軍司令官南支那港湾
三、別紙 ノ部隊 ハ第五師団 ノ編合 ニ入 ル ヘシ
元
序列 ニ編入 ス
山
四、第 一項 及第 三項部隊 ノ隷属転移 ノ時機 ハ乗船港出発 ノ時 トス
一 殿
杉
五、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指示 セシム 昭和十五年十月十 二日
人
奉勅 伝 宣 参 謀 総長 誠
殿
後
明
淳 久 納
宮
南支那方面軍司令官
中 村
殿
団 長
五 師
第 二十 二軍 司 令 官 第
南支那方面軍司令官
第
留 守 第 六師団 長
留 守第 五師団 長
留 守 第 四師 団長
第
長
長
留 守 第 一師 団 長
留 守 近衛 師団 長
第 二十 二軍 司 令 官
永
河
篠
李
吉
太
酒
久
見
崎
村
原
本
俊
田 勝
井
知
納 誠
剛
徳
上 野 勘 一郎
國
藤
登
董
郎
垠
海
隆
殿
殿
殿
殿
殿
殿
殿
殿下
殿
殿
一 殿
七 師
団
次
王
一 殿
第 五 十 一師 団 長 伊
軍
臺湾軍 総
貞
第 五 十 五師団 長 梅 津 美 治 郎
団
第 五十 七 師団 長
二 師
関 東 軍 司 令 官 配布先
科
区
一〇
諸 物 需
手 件 品
費 費
あり
要
額 と し て申 請 中 の額 を含 み
馬 匹 費 、 死 亡 賜 金 等 も 不足
三 、 傭 給 、 郵 便 、電 信 費 、
三 二 四 、 二 一銭 を含 む
額 方 申 請 中 の 一五 、五 一八 、
中 に は 目 下 不足 額 とし て増
二 、需 品 費 十 五 年 度使 用 額
〇 〇〇 円要 す る見 込 な り
月 分 と し て約 三 四、〇 〇 〇 、
中 な り尚 右 の外 に 一月︱ 三
六 六八 円〇 三銭 を増 額 申請
に し て其 の内 三九 、五 一五、
は自 四月 至 十 二月 分 迄 の分
一、糧 秣 費 十 五 年 度 使 用 額
摘
(北 支 那 方 面 軍 )
昭 和 十 四、 十 五 年 度 臨 時 軍 事 費 予 算 使 用 額
比較表
十四年度 に対する十五年度
一二 二 、 三 一四 、〇 六 七 六五〇
予算過 ﹁不足﹂額
四 三 三 、 五 二五 、 一 一〇 八九〇
一八 、 八 六 一、 二 三 五 三三〇
額
八 八、 九 四 四 、 三〇 九 三三〇
一八 、 六 七 六 、 九 六 〇 七 一〇
度
三 一 一、 二 一 一、 〇 四 三 二四〇
六 七 、 三 二 三 、 九 九 四 七 一〇
一四 三 、 八 四 二 四八〇
年
七〇 、 〇 八 三 、 〇 七 四 〇〇〇
二 、 六八 二 、 五 五 七 五二〇
一〇 六 、 六 四 二 〇〇〇
用
四 八、 六 四 七 、 〇 三 四 〇〇〇
一六 、 九 三 五 、 五 九 八 〇〇〇
四 三 四 、 七 五 九 一〇 〇
分
四
二、 八 二 六 、 四 〇 〇 〇〇〇
二 、 〇 〇 二 、 一五 九 一〇 〇
一〇 三 、 六 八 一、 五 八 九 五二〇
使
一七、 〇 四 二 、 二 四 〇 〇〇〇
三 四 四 、 三 〇 五 、 七 五 八 七六〇
一、 二八 一、 九 二八 〇三〇
十
一、 五 六 七 、 四 〇 〇 〇〇〇
二 八 、 九 二 〇 、 六 四 六 一八 〇
三 二、 四 三 二八三〇
算
昭 和
二 四 〇、 六 二四 、 一六 九 二四〇
一、 六 四 八 、 一六 七 一七 〇
二 五 、〇 一二、 五 三 二 八 一〇
予
三 〇 、 二〇 二 、 五 七 四 二 一〇
九 六 、 五 二 八 、 一九 〇 八四〇
一〇 、 五 三 八 、 〇 五 一八 一〇
三〇 、〇 六 六 、 七 八 七 七四〇
度 額
給
一、 六 八 〇 、 六 〇 〇 〇〇〇
四〇 、 〇 六 六 、 七 八 七 七四〇
昭 和 十 五 年 予 算 使 用
費
七 一、 五 一五 、六 六 八 〇三〇
二 二 、 一六〇 、〇 五 一八 一 〇
目
給
一〇 、〇 〇 〇 、 〇〇 〇 〇〇〇
臨 時軍 事 費
俸
当
一 一、 六 二 二 、 〇 〇 〇 〇〇〇
費
旅
費
郵 便電 信 費
傭
秣
費
費
件
糧
器
服
人
兵
被
匹
費
一、 五 六 四 、六 九 八 〇〇〇 二、 二 三 〇 、 五 一四 六三〇
六 六 五 、 八 一六 六三〇
一三 、 一七 〇 、 七 四 二〇〇〇
馬
二 一、 二五 五 、 五 九 〇 八二〇
九 六 、 四 八 七 七五〇
五 四 、 九 八 〇 、 七 四 二 〇〇〇
二、 〇 〇 八 、 五 一二 二五〇
八 〇 、 四 四 五 、 八 四〇 八二〇
八 八 、 四 二 二 四二〇
二 、 一〇 五 、〇 〇 〇 〇〇〇
四 六 六 、 四 二 二 四二〇
費
五 九 、 一九 〇 、 二 五 〇 〇〇〇
六 、九 六 七 、 三 五 一〇 一〇
者
三七八、〇〇〇 〇〇〇
患
費
六 、 二八 〇 、 〇 〇 〇 〇〇〇
費
費
輸 造
費
運 築 待
四 一、八 一〇 、 〇 〇 〇 〇〇〇
接
軍 用犬 諸費
軍 用鳩 諸費
三 、 九 〇 〇 、 〇 〇 〇 〇〇〇
一八 六 、 七 五 二 〇〇〇
一八 八 、 六 二 七 〇〇〇
七 、五 三 一、 七 六 四 二八〇
一六 四、 三八 八 三 一〇
一八 六 、 三 七九 三〇〇
三 一、 三 六 三 六九〇
二 、 二 四 七 七〇〇
雑
六 八 七 、 三 五 一〇 一〇
救恤 及宣撫費
三 、 六 三 一、 七 六 四 二八〇
退 営 賜 金
八〇、〇〇〇 〇〇 〇
一九 五 、 〇〇 〇 〇〇 〇
八 三 、 七 〇 〇 〇〇〇
二 七 四 、 一〇 一九九〇
七 、 八 五 九 一九 〇
七 五 、 四 〇 一九九〇
三 、 七 〇 〇 〇〇〇
七 九 、 一〇 一九九〇
一時 賜 金
死 亡 賜 金
九四〇 八 一〇
三〇〇、〇〇 〇 〇〇〇
七 、 八 五 九 一九 〇
一九 〇 、 四 〇 一九九〇
〇
九四〇 八 一〇
八 、八 〇 〇 〇〇〇 八 、 八 〇 〇 〇〇〇
一 一五 、〇 〇 〇 〇〇〇
召 集 諸 費 召 集 旅 費
三〇〇、〇〇〇 〇〇〇
昭和十五年度予算使用額 中には本年度上半期分及下半期分として内 示されたる額 を含 みあり
臨時家族手当 備考
月
一一
還
一、 三 一九
三七 六
一、 九 八 一
一、 五 七 一
一、 九 一三
一、 一七 六
一、 〇 〇 七
二、九二三
二、七九三
五 、 九 一五
三 、 九 七九
三、二三二
一、 五 五 二
一、 四 五四
計
送
北支那方面軍軍医部
(北 支 那 方 面 軍 軍 医部 )
戦 死 、 戦病 死 、 戦 傷、 内 地 還送 患 者 調 査表
戦 死、戦病死、戦傷 、内 地還送患者調査表 地
二八七
二 、 四〇 八
一、 一七 九
内
三 、 七〇 五
三 、九 三 四
一、 七 二 六
傷 一九
五 、 一五 四
一四
二 、 一八 二
戦
一三 七
一八
九、三三 一
一、 六
一、 七 二 九
死
一、〇 〇 〇
六
一 一
八、五七五
一、 一九 七
一、 六 四 六
一、 七 八 〇
病
月
一、 五 三 三
七三
一、 六九 二
一、 五 二 一
一、 九 五 三
戦
月
二、九四四
二、二七〇
五三六
一、 五 〇 七
死
昭 一三 、 一
月
二、七三六
一四
二〇八
一、 五 六 三
戦
二
月
三四
二、二二 一
二七三
分
三
月
四九 二
一〇 二
一、 四 六 九
三九〇
区
四
月
六 一六
六四六
九 一〇
病
五
月
三四
八八六
戦
六
月
五 一一
一四
三六
傷
七
二八 一
四四七
八
月
三 一二
戦
九
月
別
十 一月
十
八
七
六
五
四
三
二
昭 一四 、 一
月
月
月
月
月
月
月
月
月
三九二
五九二
四八九
六五五
七六五
五
七〇七
五九 二
四四〇
三 一五
一 一、 四 三 九
二 一六
二五九
四 一四
四 一〇
四 一五
二 一〇
一 一四
一二八
一〇 三
一四 九
九七
二八
三七六
一五
一、 七 七 二
六 一四
九三八
一、 二 四 九
八八 七
一、 五 四 七
二、二四四
一、 四 七 九
二、二五六
一、 三 五 一
一、 〇 四 六
一、 三 七 五
三七、二三五
七 三五
三九 一
四九七
三五九
五五八
七七五
六五七
七五〇
五二二
三四七
二八八
三四 一
二 一九
一三 、 一〇 〇
三九八
二、四三三
二、 五 五 一
一、九 七 三
二、 〇 九 一
三、二四六
一、 八 九 〇
二、 一六 九
一、五 五 六
一、〇 六 三
一、〇 八 三
一、 六
一三
一、 一五 〇
一八 、 二八 六
一、 四九 六
二、 八 二 四
三、〇四八
二、 三 三 二
二、 六 四 九
四、〇二 一
二、 五 四 七
二、 九 一九
二、 〇 七 八
一、 四 一〇
一、 三 七
一、 九 五 四
一、 三六 九
三 一、 三八 六
一、八 九 四
二三 一
九 月 三二七
十 二月
十
八五二
四
三
二
昭 一五 、一
月
月
月
月
月
六二四
九七五
九二八
二八〇
三六二
四七 二
六、六三七
一八 四
一五 九
一三六
一〇 一
一二八
一二九
一四 一
二、 五 四 三
五五七
一、 三 二 三
二、二五 一
二、四五七
七 一七
八三 一
一、 〇 六 〇
一六 、 七 五八
七八四
五九三
四七二
三四 一
三九四
二七九
三五七
五、七〇四
二 、 一五 一
一、 二 四 一
一、 六 八 〇
一、 八 七 七
一、 四 四 二
九〇七
一、 二 一五
二 二、 八 一八
二、九三五
一、 八 三 四
二、 一五 二
二 、 二 一八
一、 八 三 六
一、 一八 六
一、 五 七 二
二八、五二二
一
十 一月
五
月
三四七
一 一
十二月
六
月
計
七
計
合 備考
一、 七 四五
三四〇
一、 四〇 五
六五六
一、 八 五 一
一、 〇 九 〇
一、 四六 三
九〇 二
八八三
一八 〇
一、 三八 〇
一九 、 三 〇 二
一七 八
七 一七
七 九 、 二 一〇
四〇 八
四七 一
一四、 九 一七
八八 二 六五 三
一六 六
五六、〇二 一
月
二 一〇
五八七
四 、三 八 五
月 三九 一
二二七
二 三、 一八 九
八
三二九 一、 七 七 三
一二 、 五五 五
九
五、九九八
六 六 、 五四 八
二四 、 〇 七 四
四、昭和十五年十月十 一月は医務 局長指示第三項月間患者報告 の書類 に拠 る
三、戦 死戦病死戦傷は軍人に係 るものとす
一、戦死 は戦傷死を含 む 二、昭和十 四年 一月迄 の戦病死は部 隊発生 の事実とす
計 四、六九二
一八 八
月
十 一月
十 計
一二
別
数
北支那方面 軍司令部
員
二二
品
獲
鹵
銃
剣
五 、六 三 七
一〇 、〇 三 八
銃
二七
二、五 七 三
五七五
二、四 四九
円匙及 十字鍬
一五 五
防毒 面
槍
青竜刀 及軍刀
( 北支那方面軍司令部)
一、四 三 〇
六 〇 、四 八 八
鹵
無 線 機
一、 一四 九
電 話 機
四 、五〇 一、〇 二 二
六九
同 弾 薬
一、三〇 〇
六八
一三 〇 、一五 一
自動短銃
自 動 車
同 弾 薬
同 弾 薬
五 、一二六
獲 銃
拳
六 、九 二〇
一、七 七 三
匹
一五
馬
二〇 、二 四 六
一
品
輜 重 車
一四六
自 転 車 二
二五 五 、七 一 一
二七八
一二 〇
駝
軍 服 類
同 弾 薬 擲 弾 筒
雷
手 榴 弾 地
旧 式 銃
駱
七 六 、四 六 五
自動小銃
小
同 弾 薬
昭 和十 四年 ( 自 一月 至 十 二 月 ) 北 支 那 方 面 軍 綜 合戦 果 表
種
自 一月 昭和十四年 至 十 二月北支那方面軍綜合戦 果表
数
七九 八
員 同 弾 薬
一六 三
別 一七 、四 五 七
迫 撃砲
種 交 戦 回 数 三 、四 一八 、四 〇 六
鹵
交戦敵兵力
二九 、八六 四
二 五五 、七 四 五
臼
同 弾 薬
遺棄屍体
五 、二 三 一
二 二、六 八九
敵 虜
三三五
死
砲
捕
六 、 一 一五
戦
砲
一三 、八 一〇
重
七
傷
四
機関 砲
負 砲
二六九
野
八九〇
一〇 五 、九 〇 五
機
旧 式 砲
機
同 弾 薬
同 弾 薬
軽
一七
四 、三 四八
コ機 銃
チ ヱツ
七 四 、一 二〇
三五
同 弾 薬
七
山
平射砲
品
砲
獲
洋
我
鹵 獲
品
種
一三
員
種
同 弾 薬
二 一六
七 八 、〇 三 九
鹵
四 、二 四 五
剣
銃
七 、〇 一 三
一五 八
青 竜 刀
雷
一、八 七 九
地
槍
( 北支那方面軍司令部)
迫撃砲
五 、九 四 五
北支那方面 軍司令部
同 弾 薬 数
二
五 、九 七 六
員
砲
別
砲
鹵
昭 和十 五年北 支 那 方 面 軍綜 合 戦果 表
数
洋
自 一月北支方面軍綜 合戦果表 昭和十五年 至 六月
別
臼
獲
電話 機
一 二七
一、二 七〇
三 二、〇 二〇
銃
九
二八 一
二、 八二八
防 毒 面 二 、〇 七 四、六 五 三
小
九 、三 六 一
同 弾 薬
一二 四
三四 平 射 砲
十字鍬 及 円匙
二、 九七八
二、 〇三 一
同 弾 薬
交 戦 回 数 一、八 六 二 、六 五 三
鹵
交戦せる 敵 兵力
三八 一
四 一、三 九 八
匹
帽
自 転 車
砲 同 弾 薬
馬
鉄
四八 一
嚢
一、八 四 七
一六 、七 九 二
背
軍 服 類
乗
鞍
八
山
一二 八 、八 九 六
自動 小銃
二
一、〇 四 五
二九三
同 弾 薬
同 弾 薬
速射 砲
品
無線 機
三 、八 二 三
遺棄 屍体
九七七
一四 、八 五 四
獲
銃
虜
拳
馬
同 弾 薬
四二
四 、七 六 三
俘
獲
斃
敵
(内将 校 一七 六)
三 、一〇 一
死
一、四 七 七
三 一九
自動短銃
五 一
同 弾 薬
野砲弾薬
一〇 六 、〇 三〇
八 、一五 九 (内将 校 四 一四)
擲 弾 筒
傷
手榴弾
品
一三 六、九 四 六
五三〇 同 弾 薬
七九
機
七二
機
軽
生死 不明
七 一三
重
品
戦 死 馬
二三八
戦
戦
我
戦 傷 馬
自 動 車 自動貨車 ( を含む )
四七
自 七 月北支方面軍綜 合戦果表 昭和十 五年 至 十 二月 別
数
北支那方面 軍司令部 員
五 、三 三 七
種
一〇 、七 六 二
同 弾 薬
六〇
数
一、八 七 八 、五 七 〇
自動短銃
員
交 戦 回 数
七 九 、七 六 七
二四 一
四四四
別
交戦せる 敵兵力
機
鹵 同 弾薬
種
遺棄屍体
四五八
一五 、四 〇 九
六三 一
虜
自動小銃
馬
同 弾薬
三四
六 、〇 二 八
軽
斃
敵 俘
(内将校 一〇四)
二 、三五 五
死
機
迫撃砲
同 弾 薬
七 、三五 七
八 、四 一七
二六
二 、五 八 五
重
砲
同 弾 薬
四 、二 二七
七六
洋
(内将校二 一九) 獲
生死 不明
三五
四四
傷
戦 死馬
平射砲 弾薬
同 弾 薬
山
砲
四
七四
八
四 二三 、八 一五 一、五 一四 、六 三 七
野砲弾薬
銃
三 、六 九 五
小
同弾薬
二〇、六九六
同弾薬
拳
銃
品
戦 傷馬
戦
戦
我
鹵 獲 品
鹵
獲
品
剣
手榴 弾
擲弾筒
二、七 五 八
七 二、四 二〇
七
二 、六 七 四
銃
青 竜 刀
鹵
電 話機
六〇
四三四
一、九 八 二
三八
匹
六三五
鉄
鞍
帽
馬
十字鍬 及円匙
乗
一
五八三
獲
軍 服類 品 背 〓
一〇 、二 一七
八八
自動貨車
三四 七
一、〇 六 六
防毒面
一九
一、四 二四
雷
槍
自 転 車
地
無線機
一四
決
第 一〇〇部 ノ内第 八四号
( 北支方面軍参謀部)
共 ニ重慶 ノ肚 裏 ヲ熟 知 ス ル共 産側 ト シテ容 易 ニ重慶 命 令 ニ聴 従 スル
ント ス ル モノ ニシ テ重 慶勢 力 ニ ヨ ル陜 西 省 方 面 ニ対 ス ル後 方 遮 断 ト
支 方面 ハ完 全 ナ ル自 己 勢力 ノ培 養 地 ト シテ確 保 シ以 テ 一石 三鳥 ヲ得
ヲ北支 ニ投 入 シ日 本 軍 ト相 戦 ハ シメ テ相 互 ノ勢 力 ヲ消 耗 セ シ メ且 中
二 、中 支 方 面 共 産 軍 ヲ北支 ニ移 駐 セ シ メ ント ス ル重 慶 側 ノ意 図 ハ之
モノ ト判 断 セ ラ ル ル ニ於 テ然 リ。
国 共 相 剋 ニ対 ス ル情 勢 判 断
国 共 相 剋 ニ対 ス ル情勢 判 断 判
目 下発 生 シツ ツ ア ル国 共 ノ相剋 ハ結 局共 産 側 ノ譲歩 乃至 妥 協 ト ナ
従 テ新 四軍 一部 ノ申 訳 的移 動 程 度 ノ モノ ハ実 現 ス ヘキ モ新 四軍 全
ル ヘキ モ重慶 側 ノ要 求 全 部 ヲ履 行 ス ル コト ハ先 ツ無 カ ル ヘシ。
部 ノ北 支 移駐 ノ如 キ ハ決 シ テ実 行 セラ レ スト断 定 シ テ差 支 ヘナ カ ル
コト ナ キ ハ想 像 ニ難 カ ラ ス。
三 、然 レ共共 産 側 ハ其 ノ武 力 ニ於 テ未 タ重 慶 側 ニ抗 ス ヘキ モナ ク且
ヘク相剋 ノ禍 根 ハ依 然 残 存 シ ツツ益 々深 刻 化 ス ル ニ至 ル ヘシ。
対 日抗 戦 ノ統 一ヲ破 ル コト ハ共産 側 本来 ノ使 命 ニモ悖 ル モノ ア リ ト
由
一、北 支 方 面共 産 勢 力 ハ従 来 重 慶側 ヨリ大 ナ ル物 質 的援 助 ヲ受 ケ ア
十 万 元 ) ハ共 産 側 ニト リ テ ハ日本 軍 占領 地 域 乃至 第 三 国 ヨリ物 資 ヲ
察 セ ラ レ更 ニ重 慶 側 ヨリ従 来 支給 セ ラ レア リ シ軍費 (七 十 万 乃至 九
理
ラ サ ル ヲ以 テ武 器 弾 薬 物 資 等 ノ不足 ニ呻 吟 シ ア リ而 シテ今 ヤ敵 側 全
メテ 之 ト 正面 衝 突 ヲ為 ス コト ハ勉 メテ之 ヲ 回避 ス ル モ ノト 見 サ ル ヘ
取 得 ス ヘキ唯 一ノ外 貨 的 存 在 ナ ル ヲ以 テ重 慶 ノ戦 局 困難 ナ ル今 日求
般 ニ亘 ル物 質 上 ノ困 窮 竝 ニ日 本 軍占 拠 地域 ヨリ ス ル物資 入 手 ノ困 難 性 増 加 及 軍 ノ作 戦 討 伐 ニ ヨル損 害等 ハ其 ノ窮 勢 ヲ 一層 助長 シツ ツ ア
ケ ル相 互 ノ抗 争 ニ ヨリ啻 ニ抗 戦 ノ統 一ヲ阻 害 スル ノ ミ ナ ラ ス其 ノ蟠
四 、 重 慶 側 ヨリ見 レ ハ共 産 勢 力 ノ中 支方 面 ニ於 ケ ル存在 ハ現 地 ニ於
カ ラ ス。
生 存 ハ更 ニ困難 ヲ加 フ ヘシ殊 ニ河南 、 江蘇 省 方 面 共 産 部 隊 ハ上 海 方
斯 ル状 況 ニ於 テ更 ニ中 支 方 面 新 四 軍 ヲ北 支 ニ移 駐 セ シ メ ンカ其 ノ
リ。
面 ヨリ物 資 ヲ入手 シ テ之 ヲ山 西 根拠 地 ニ供 給 ス ヘキ任 務 ヲ有 シア ル
踞 シア ル河 南 、 江蘇 ノ各 省 竝 ニ揚 子 江 沿 岸 地方 ハ各 種 生 活資 源 地 ト シテ重 キ ヲ占 メ且 上海 ヨリ スル物 資 ノ密 入 手 ノ 重要 路 線 ニシテ ( 該
共 産 軍 に 対す る観 察
相 当 ノ苦 痛 ニシ テ斯 カ ル弊 害 ヲ除 去 セ ント ス ル ヲ第 一目的 ト スル モ
ヲ覆 滅 セ ラ レ三年 間 蓄積 セ ル戦 闘 資 材 ヲ蕩 尽 シ其 ノ基 幹 部 隊 又多 大
戦 以後 四 ケ月 ニ亘 ル我 軍 ノ徹 底 的 掃 蕩 ニヨリ其 ノ根 拠 地 施 設 ハ大部
北 支 共 産 軍 ハ今 春 以来 軍 ノ改 編 拡 充 ヲ実施 シ正 規 軍 准 正規 軍 ヲ合
(昭和 十 五 年 十 二 月 ( 仮 ))
ノ ナ リ。 ︹ 侮カ︺ 五 、然 レト モ重 慶 側 ト シテ モ勢 力 寡 少 ト雖 モ劣 リ難 キ戦 闘力 闘 争 心
ノ損 害 ヲ受 ケ 之 カ再 建 ニ ハ相 当 ノ時 日 ヲ要 ス ル モノト 判 断 セ ラ レ今
旨
竝 ニ工作 力 ヲ有 スル共産 側 ト衝 突 ス ル コト ハ抗 戦 ノ全 般 ニ重 大 ナ ル
一、要
影響 ヲ及 ホ ス ヘク且 蘇 聯邦 ノ援 助 ヲ必 須 ト ス ル事情 モア リ武 力 ニ訴
後 残 サ レ タ ル地盤 ニ蟄伏 シ頽 勢 ノ輓 回 ニ努 ム ルト共 ニ執拗 ナ ル再 建
ス) 物 資 困 窮 ノ折 柄 之 ヲ共産 側 ニ奪 取 セ ラ ル ル コト ハ重慶 側 ニト リ
方面 ニ於 ケ ル相 剋 モ結 局 ハ該 物 資 ノ争 奪 ヨリ生 ス ル モ ノ ニ他 ナ ラ
ヘテ モ徹 底 的 ニ其 ノ要求 ヲ貫 徹 ス ル コト ハ恐 ラ ク困難 ナ ラ ン。
工 作 ト従 来 ノ游 撃 ヲ継 続 スル モ ノト思 料 セ ラ ル。
重 慶 国 民 党 ト ノ関 係 ハ今 秋 以 来 急激 ニ悪 化 セ リト 雖 モ之 ヲ以 テ直
シ二十 五 万 以 上 ニ達 セ ル モノ ト推 定 セ ラ ル ル モ所 謂 本 年 八 月 百 団大
六 、叙 上 相 互 ニ各 々困難 ナ ル事 情 伏 在 シ ア ル モ専 ラ事 変 ノ遷 延 ヲ冀 求 シア ル共 産 側 力先 ツ表 向 譲 歩 服 従 ノ能 度 ニ出 ツ ル 培ノ ト察 セ ラ ル。
然 レ ト モ従来 ノ相 剋 ニ比 シ其 ノ本 質的 対立 感 情 ヲ表 面 化 セ ルト中 共
ナ ル対 立 感情 ヲ内 臓 セ ル儘 一応 ノ妥協 点 ヲ見 出 スモ ノト判 断 セラ ル、
ハ依 然 表 面 合 作 方針 ヲ表 明 シ ア ル ヲ以 テ共 産 軍 側 ノ譲 歩 ニ ヨリ険 悪
ク迄 実 行 ヲ強 要 ス ルト共 ニ各 地 毎 ニ之 ヲ督 促 駆 逐 ス ル ノ方策 ヲ採 ル
地 盤 ノ徹 底 的 圧縮 ヲ中 心問 題 ト ス ル重慶 側 ノ態 度 強 硬 ナ ル モノ ア ル
チ ニ国 共 分 離 ヲ招 来 ス ルト観 ル ハ過 早 ニシテ両 者 共 ニ就 中共 産 党 側
ヘク従 テ相 剋 ハ中 央 現 地 共 ニ将 来 ト雖 モ依 然 継 続 セ ラ レ且抗 戦 乃 至
然 レト モ中 支 ニ於 ケ ル其 ノ勢 力 全 部 ヲ挙 ケ テ北 支 ニ移 駐 セ シ ム ル
生 存 ノ困難 増 加 ニ伴 ヒ益 々激化 ス ル モノ ト見 ル ヲ当然 ト ス ヘシ。
ヲ以 テ之 カ 妥協 ノ為 ニ ハ相 当 ノ困 難 ヲ豫 想 セ ラ ル ルノ ミ ナ ラ ス両 者
コト ハ言 フ ヘク シ テ行 ハレサ ル コト ニ シテ又 重 慶 ト シテ ハ体 面 上 飽
七 、国 共 ノ本 質 的 矛 盾 ヨリ スル調 和 ノ困 難 ニ関 シテ ハ詳 記 ヲ避 ク。
キ弱 点 ヲ暴 露 シア ル モノ ト観 察 セ ラ ル之 ヲ要 ス ル ニ北支 共 産 勢 力 ハ
内 外 ノ情 勢 必 ス シ モ有 利 ナ ラ スト 雖 モ我 治 安 粛 清 ノ対象 ニ シテ之 カ
共 ニ其 ノ内 部 統 制 ニ関 シ危 機 ヲ内 蔵 シア リ テ我 思 想戦 攻勢 ノ乗 ス ヘ
剿 滅 ハ治 安 確保 ノ為 ノ中 心 課 題 タ ル ハ言 ヲ俟 タ サ ル所 ナ リ特 ニ共 産
一、重 慶 ノ新 四 軍 ニ対 ス ル北 支 移 駐 要 求 ヲ蒋 介 石 ノ和 平 準 備 工作 ト ス ル 一支 那 要 人 ノ観 察 アリ。
参考情報
ヲ失 フ ヘ シト称 シ アリ。
二 、 某 支 那要 人 ハ近 キ将 来 ニ於 テ蒋 介 石 ハ必 ス共 産 勢 力 ノ為 一命
ハ注 意 ヲ要 ス。
軍 華 北 移 駐 ノ成行 ハ直 接 北 支 治 安 ニ関 ス ル所 ニシテ其 ノ動 向 ニ就 テ
︹ 註 ︺ 日付不明ナ ルモ昭和十六年 一月ト推定サ ル
二、 拡 軍 工作 ト之 ニ対 ス ル観察
位 ヲ 充 実 シ各 級 指 揮 機 関 ノ重複 撞 着 ヲ防 止 ス ル ト共 ニ地 方軍 隊 游 撃
円 滑 ナラ シ ムル為 、 野 戦 軍 隊 ノ旅 長 ヲ以 テ地 方 軍 又 ハ游 撃 隊 ノ支 隊
隊 卜 正規 軍 (野 戦 軍 隊 ) ト ノ関 係 ヲ調 整 シ協 同 動 作 、兵 員 ノ補 充 ヲ
長 ヲ兼任 セシ メ支 隊 ノ作 戦 ノ指 揮 ハ之 ヲ野 戦 軍統 率機 関 ニ依 托 ス ル
共 産 軍 ノ拡 軍 工作 ハ本年 五月 頃 ヨリ開 始 セ ラ レタ ル モノ ノ如 シ其 ノ内 容 ハ左 ノ諸 点 ニ在 リ。
而 シテ旅 ハ戦 略単 位 ニシテ師 ハ其 ノ隷 下 部 隊 ト 共 ニ其 他 ノ軍 事機
如 ク規 定 シア リ。
1 、 游撃 隊 ノ正 規 軍 化 地 方游 撃 隊 ハ従 来 若干 ノ機 動 性 ヲ有 セ ル モ概 シテ地 盤 ニ固 定 シア
関 ヲ凡 テ統 轄 シ 一方 面 ノ作 戦 、部 隊 補 充 訓 練補 給 衛 生 地方 行 政 ト ノ
リテ 我 軍 ノ分 散 配 置 ノ徹 底 ニ ヨリ其 ノ地盤 ハ逐 次 窘 縮 セ ラ ル ルノ ミ ナ ラ ス我 組 織 的 討 伐 ニ依 リ各 個 ニ撃 滅 セ ラ ル ルノ弱 点 ヲ有 セリ今 次
連 繋 等 ヲ担 任 ス ル モノ ノ如 シ
即 チ第 一二 〇師 長 賀 龍 ハ山 西 西 北 部 ニ於 ケ ル従 来 ノ第 百 二 十師 、
或 ハ支 隊 等 同 一方 面 ニ作 戦 スル部 隊 ヲ統 一指 揮 シア リ。
百 団 大 戦 ニ於 テ モ各 師 ハ従 来 ノ固 有 編 制 ニ基 ク旅 ノ他 ニ多 数 ノ旅
共産 軍 増 編 拡 軍 ニ於 テ ハ之 等 地 方 游 撃部 隊 ヲ逐 次 正規 軍 化 シ以 テ従
シメ ント意 図 セ ル モ ノノ如 ク更 ニ之 ニ ヨリ従 来 地 域 的 ニ ハ給 養 上 甚
来 ノ 地盤 観 念 ヲ 一掃 シ之 ニ機 動性 ヲ附 与 シ其 集 中 的 運 用 ヲ可 能 ナ ラ
シキ差 異 ア リ シ各 地游 撃 隊 ノ給養 ノ問 題 モ解 決 セ ント セ ル モノ ノ如
本 年 四 月 発行 ノ第 一二九 師野 戦 軍 暫 行 編 制 表 ( 鹵獲文献)及其 ノ
聶 榮臻 ハ晋 察 冀 邊 区 軍 ノ外 ニ冀中 区 、冀 東 冀 北 地 区 ノ各 部 隊 ヲ統 一
約 十 二 ケ旅 ノ外 決 死 縦 隊 大 岳 縦 隊等 ヲ統 一指 揮 シ晋察 冀 邊 区軍 司 令
劉 伯 誠 ハ従来 ノ第 百 二十 九 師 ノ外 山 西省 東 南 部 ヨリ冀 南 地 区 ニ亘 ル
︹承 カ ︺
暫 一師 、新 編 旅 、独 立 支 隊 、 決 死 縦 隊等 ヲ統 一指 揮 シ第 一二 九師 長
外 廓 部 隊 タ ル太行 縦 隊 等 ノ暫 行編 成 表 等 ニ拠 ル モ党軍 ノ発 展 ハ游 撃
シ。
隊 ヨリ正規 軍 ニ発 展 セシ ム ヘキ意 図 ヲ明 瞭 ニシ ア リ、尚 第 一二九 師
行 政 区劃 ノ統 合 整 理 ハ軍政 一元的 機 構 ノ確 立 ニヨリ堅 固 ナ ル山 地 方
尚 軍 ノ改 編 ト概 ネ 前 後 シテ実 施 セラ レ タ ル冀 中 地 区 、冀 南 地 区 ノ
指 揮 セ リ、尚 山 東 方 面 ハ徐 向 前 指 揮 シア ル モノ ノ如 シ。
ロ、 地方 軍 隊 (正規 軍化 セ ル地 方 游撃 軍 )
ヲ併 有 シ靱軟 ナ ル游 撃 戦 ヲ行 ハント セ ル意 図 ニ依 ル モノト 判断 ス。
面 ノ游 撃 根 拠 地 ト平 地方 面 ノ資 源 地 帯 ト ヲ軍 事 的 ニ モ行 政 的 ニモ之
イ 、野 戦 軍 隊 (正規 軍)
暫 行 編 制表 ニ ヨレ ハ軍 ハ左 ノ 四種 軍 ニ区 分 セラ ル。
ハ、游 撃 軍 (縣 ノ 一〇 〇 ︱ 三〇 〇 ノ基 幹 游 撃 隊 及 各 区游 撃 隊 )
察
力 誇 示 ノ為 メ ノ示威 的 行動 ト観 ル ヘキ ヤ更 ニ其 ノ根 底 ニ共 産 軍 ノ戦
シ テ百 団大 戦 ノ動 機 ヲ単 ニ日 本軍 ノ進 攻 企 図 ノ牽 制 乃至 ハ共 産 軍 実
拡 軍 工作 ト所 謂 百 団 大 戦 ト ハ不可 分 ノ関 係 ニ在 ル ハ言 ヲ俟 タ ス而
3、 観
ニ、 自 衛 隊 (郷村 自 衛 ニ任 ス ル民衆 団 体 ) 野 戦 軍隊 ハ勿 論 地 方 軍 隊 及游 撃 隊 ハ生 産 ヲ離 脱 セ ル武 装 組 織 ナ リ。 2 、指 揮系 統 ノ整 理 ト軍 政 ノ 一元 的 機 構 確 立 前記 二箇 ノ鹵 獲 文献 ニ ヨレ ハ軍 ノ編 制 ハ統 率 機 関 ヲ緊 縮 シ戦 闘 単
略 転 換 ノ基 本 的 ナ ル動 機 ア リ ト観 ル ヘキ ヤ未 タ的 確 ナ ル資 料 ヲ有 セ
1、 山 西 西 北 部 賀 龍 集 団諸 部 隊
三 、地 域 的 ニ観 タ ル共産 軍 ノ動 向
受 ケ アリ最 近晋 西 北 軍 区 ヲ新 設 シ決 死 縦 隊 山 西新 軍等 ヲ併 セ軍 ノ再
西 西 北 作 戦後 引続 キ百 団 大 戦 天 、 地 、人 号 作 戦 等 ニテ相 当 ノ損 害 ヲ
其 ノ核 心 ヲ ナ ス モノ ハ第 百 二十師 ナ ル モ本 年 六 月 七 月 ニ於 ケ ル山
サ ル モ九 月 延安 ニ於 テ開 カ レ タリ ト称 ス ル北 方 局 拡 大 会 議 ハ従 来 ノ
ト 伝 ヘラ レ 又拡 軍 内 容 、 百 団大 戦 ニ於 ケ ル周 到 ナ ル準 備 等 ヲ併 セ考
建 を企 画 シ ア リ シ モ今 次 西 方作 戦 ニ於 テ再 ヒ臨縣 興 縣 等 ノ根拠 地 ヲ
待 機 的段 階 ヨリ反 攻 的 段階 ヘ躍 進 ス ル為 ノ各 種 工 作 任務 ヲ決 定 セ リ
セル 工作 ト モ観 察 シ得 ル所 ナ リ従来 客観 情 勢 認 識 ニ於 テ独 善 的 誤謬
覆 滅 セラ レ主 力 ハ陜 西省 内 ニ逃 避 セ ル モ ノノ如 シ。
察 ス ル時 百 団 大 戦 、 拡 軍 工作 共 ニ共 産 軍 ノ戦 略転 換 ノ線 ニ沿 フ 一貫
ニ陥 リ シ経験 ヲ有 ス ル中 共 カ北 支 ニ於 ケ ル党 工作 ノ進 展 ヲ過信 シ其
2 、晋 察 冀 邊 区 河北 省 北部 地 区
従 来 ノ晋察 冀 邊 区冀 中 冀 北 軍 区 ハ今 次拡 軍 ニ ヨリ行 政 的 ニ モ軍 事
ノ基 礎 ノ上 ニ飛躍 的 発 展 ヲ行 ハント セ ル コト ナ シト セ ス、而 シテ拡 軍 モ亦其 認 識 ノ 上 ニ立 ツ民衆 武 装 ノ公 式 的 展 開 ト モ想像 シ得 ル所 ナ
過 般 ノ粛 清 作 戦 ニ ヨリ多 大 ノ損 害 ヲ受 ケ四 散 セリ作 戦 終 了 ト共 ニ逐
的 ニ モ之 ヲ統 一シ堅 固 ナ ル游 撃 基 地 タ ラ シ メ ント企 画 セ ルカ如 キ モ
拡軍 ノ結 果 共 産 軍 勢 力 ハ質 ヨリ量 ニ転 換 セ ル ハ明 カナ ル モ 一面 ニ
次 集結 シ報 復 的 ニ失 地 ヲ奪 回 セ ント蠢 動 中 ナ ル モ既 ニ根 拠 地 ノ大 部
リ。
於 テ ハ軍 ノ質 的 低 下 ニ ヨル弱 点 ヲ既 ニ露 呈 シ ツ ツ アリ テ軍 民 離 間 ノ
ヲ失 ヘル敵 ハ極 度 ノ補 給 難 ニ陥 リ戦 意 又 旺盛 ナ ラ ス。
在 ル部 隊 ノ策応 活溌 化 モ予想 セ ラ レ依 然警 戒 ヲ要 ス。
然 レト モ失 地 奪 回 ノ蠢 動 ハ当 分 執 拗 ニ継 続 ス ルト共 ニ冀 中 地 区 ニ
傾 向 、 兵 員 戦意 ノ喪 失 、補 給 難 等 ニ関 ス ル情 報 漸 次 多 カ ラ ント ス ル 傾 向 ニ在 リ。 百 団大 戦 以降 ノ戦 死 傷 者 ハ朱 徳 ノ発 表 セ ル所 ヲ以 テ シテ モ約 一万
晋 中作 戦 ニ ヨリ大 打 撃 ヲ受 ケ タ ル第 一二九 師 主力 ハ逐 次 晋 冀豫 省
3 、 晋 東 南 地 区 及冀 南 地 区
ノ殆 ント全 部 ヲ蕩 尽 シ根 拠 地施 設 ハ破 壊 セ ラ レ剰 ヘ重慶 ト ノ対 立 激
アリ 。
境 附 近 ニ集 結 シ戦 力 ヲ 回復 中 ニシテ其 ノ動 向未 タ警 戒 ヲ要 ス ル モノ
八 千 ニ達 シ三年 間 何 等積 極 的 抗 戦 ヲ行 フ コト ナ ク営 々蓄積 セル資 材
化 ニ基 キ軍 費 ノ支 給 モ困 難 ト ナ リ之 カ再 建 ハ到底 短 時 日 ノ能 ク ス ル
然 レト モ共産 軍自 体 ニ於 テ モ拡 軍 ノ結 果招 来 ス ヘキ幾 多 ノ欠点 ニ
魯 西 地 区 及魯 東 地 区 ノ共 産 軍 ノ行動 目下 活 溌 ナ ラ ス。
間 ニ頻 繁 ニ衝 突 ヲ惹起 シ アリ。
地 ノ設 定 ヲ企 圖 シ主 力 ヲ新 泰 蒙 陰 附 近 ニ集 結 シ沈 鴻 烈 系保 安 隊 ト ノ
山 東 省 方 面 ノ敵 ハ目 下山 東 縦 隊 ノ改 編 卜泰 山 山 脈 内 ニ於 ケ ル根 拠
4 、山 東 省 方 面
所 ニ非 ス。
就 テ ハ十 分 認識 シア リ最 近 山 東 方 面 ニ於 テ 入手 セ ル第 四期整 軍計 画 (本年 末 ヲ以 テ終 了 ス) ニ就 テ観 ル モ軍 ノ訓 練 ト軍 民 一致 ノ為 ノ政 治 工 作 ニ関 シ周 到 ナ ル注 意 ヲ払 ヒア ルヲ以 テ敵 ヲ シテ時 間 ト地 域 ヲ 得 セ シムレ ハ再 ヒ前 車 ノ轍 ヲ踏 ム コト ナ シト セ ス。
第 一 一五師 ノ挺 進 南 下 セ ル第 三 四四 旅 ハ蘇 北 方 面 ニ新 二旅 ハ皖 北
下 東 臺 附 近 ニ在 リ テ依 然 両 者 対 峙 中 ナ リ。
メ兵 変 後 ノ第 一 一二師 主 力 ハ日本 軍 ノ討 伐 ヲ受 ケ ツ ツ強 行南 下 シ目
韓 徳 勤 ハ事 件 ノ顛 末 ヲ中 央 ニ報 告 ス ルト共 ニ第 五 七 軍 ニ救 援 ヲ求
撃 ヲ与 ヘタ リ。
方 面 ニ進 出 シ新 四軍 ト確 実 ニ連 絡 シ山 西 省 ヨリ黄 克 誠 王 英 等 到 着 シ
5 、 江蘇 安 徽 方 面
部 隊 ヲ改編 各 〓 一縦 隊 ヲ編成 党 勢 ノ拡 大 ニ狂奔 中 ニシ テ蘇 北 方 面 ニ
絶 エス。
其 他 山東 方 面 ニ於 テ モ拡 軍 ノ結 果沈 鴻 烈 系 保 安 部 隊 ト ノ間 ニ紛 争
ニ ヨリ 江南 新 四軍 ヲ江北 ニ移 駐 セ シ メツ ツ ア ル モ蘇 北 ノ共産 軍 ハ洪
於 テ ハ韓 徳 勤 部 隊 ト抗争 ヲ続 ケ ツ ツ アリ 。 共産 軍 中 央 ハ何 應 欽 ノ命
澤 湖 周 辺 地 区 ニ堅 固 ナ ル根 拠 地 ヲ構 成 セ ント企 図 シ ア ル モ ノ ノ如 シ。
共産 軍 ノ行 動 ハ終 始 蒋 擁 護 三 民主 議 遵 奉 ノ下 ニ民 族統 一戦 線
判 決 ス ル ハ適 当 ナ ラ ス宜 シ ク共 同調 査 委 員 ヲ派 シ実 情 ヲ調 査 シ責
魯 南 蘇 北 ニ於 ケ ル衝 突 事 件 ハ其 ノ原 因 極 メ テ複 雑 ニシテ 一方 的 ニ
ノ 一翼 ヲ担 当 シ精 誠 努 力 シ ア ル モノ ニシ テ終 始 一貫 セ ル方 針 ナ リ
①
作 態 度 ト ヲ明 カ ナ ラ シ メ得 ル資 料 ト認 メ ラ ル其 ノ大 意 左 ノ如 シ。
長 文 ノ抗議 通電 ヲ発 セ リ該 電 文 内 客 ハ国 共 紛 争 ノ経 緯 ト 共産 党 ノ合
十 一月 十 一日朱 徳 彭 徳懐 葉 挺 項 英 四名 ヲ以 テ何 應 欽 白 崇禧 ニ対 シ
準 備 ヲ部 署 セリ。
駐 ヲ十 一月末 日限 リ期 限 付 ヲ以 テ厳命 シ各 戦 区 ニ対 シ共 産 軍反 撃 ノ
首 脳 部 ニ対 シ四 月調 整 会 議 以来 未 解 決 ノ マ マナ リ シ新 四 軍 ノ華 北 移
〓 ニ於 テ重 慶 中 央 ニ於 テ ハ朱 徳 、葉 挺 等 第 十 八 集 団 軍 竝 ニ新 四軍
2 、 新 四軍 移 駐 問 題
陜 西省 内 共 産 軍 ハ其 ノ数 四万 ト称 セ ラ レ其 ノ主 力 ハ外 周 ヲ囲 繞 ス
6 、陜 西省 内 共 産 軍
ル蒋系 軍 ニ対 抗 シ ア ル モノ ノ如 シ。 陜 西省 内 共 産 軍 ノ山 西省 北部 ヘノ移 駐 ノ情報 ア レト モ未 タ確 報 ヲ 得 ス或 ハ百 二十 師 ニ対 ス ル増 援 又 ハ補 充 ニ非 ス ヤト判 断 シ アリ 。
最 近 国共 関 係 悪 化 ノ直 接 的 原 因 ハ山 東 省 、 江蘇 省 方 面 ニ於 ケ ル現
四 、最 近 ノ国 共 関 係 ト之 ニ対 ス ル観 察
地 部 隊 ノ衝 突 ニ在 リ タ ルカ如 キ モ重 慶 国 民 党 カ 此 ノ機 会 ヲ利 用 シ今 春国 其 調整 会 議 ニ於 テ未 解 決 ノ儘 留 保 セ ラ レタ ル諸 問 題 ヲ 一挙 ニ解 決 セ ント シ タ ル ニ ヨル モノ ノ如 シ。 1 、蘇 北 ニ於 ケ ル両 軍衝 突 事 件
任 ヲ明 カ ナ ラ シ ム ル ヲ要 ス。 ②
新 四軍 第 五 支 隊 ト 韓徳 勤 軍 ト ノ対 立 ハ既 ニ本春 以来 継 続 セ ル所 ナ リ シ モ十月 登 集 団 ニテ実施 セ ル七 号 作 戦 ノ結 果 新 四軍 第 五支 隊 ハ韓
的 ト シテ編 成 セ ラ レ タ ル モ ノ ニシテ之 ヲ他 ノ方 面 ニ移駐 セ シム ル
モ其 ノ期 限 ノ延 長 方 要 請 ス。
揚 子江 南 岸 ノ部 隊 ヲ北 岸 ニ移動 セシ ム ル コト ハ応 シ得 ル所 ナ ル
部隊 駐 地移 動 ノ問 題 ハ元来 新 四軍 ハ中 支 民 衆 カ郷 土防 衛 ヲ目
ヲ阻 止 セ ント セ リ偶 〓七 月頃 ヨリ軍 ノ拡 充 工作 ニ ヨリ挺 進 シ来 レ ル
徳勤 部 隊 ノ地 盤 ニ進 入 ヲ企 圖 シ之 ニ対 シ韓 徳 勤 軍 ハ実 力 ヲ以 テ進 入
コト ハ困 難 ナ リ。
第 一 一五 師 第 三 四 四旅 主 力 ハ蘇魯 豫 支隊 彭 明治 部 隊 ト 合流 洪 澤 湖 北 側 ニ於 テ第 五 支隊 ト確 実 ニ連 絡 シ第 八九 軍 ノ背 後 ヲ政 撃 シ之 ニ大 打
③
未 解 決 ノ儘 残 サ レタ ル陜 甘 寧 邊 区問 題 解 決 ノ為 ノ唯 一ノ鍵 ハ
硬 態 度 ヲ採 ル モ蘇 聯 ノ対 支援 助 ニ大 ナ ル変 更 ナキ モノ ト ノ確 信 ヲ
蘇 聯 ノ対支 援 助 ノ限 度 ニ見 透 シ ヲ得 タ ルト共 ニ中 共 ニ対 シ強
米 、 英 ノ積 極 的 援 蒋 政 策 ヲ期待 シ得 ル ニ至 リタ ル コト。
①
要 因 ト観 ルヲ得 ヘシ。
④
②
得 タ ル コト 。
邊 区 ヲ囲続 ス ル約 二十 万 ノ中 央 系 軍 ノ即 時解 囲 ニ在 リ。
ア リ之 カ認 可 ヲ要 請 ス ルト共 ニ軍 費 其 他 中央 ヨリ ノ補 給 ニ関 シ協
戦 局 ハ当分 大 ナ ル発 展 ヲナ サ サ ル モノ ト判 断 シ此 ノ機 会 ニ抗
編成 増 加 ニ就 テ認 可 ヲ受 ケ タ ル部 隊 以外 ニ尚 多 ク ノ過 剰 人員
定 通 リ速 カナ ル支 給 ヲ要 請 ス。 ③
ハ反戦 投 降 分 子 ノ策 動 ニ乗 セ ラ レ タ ル モノ ナ リ ト宣 伝 シ 一般 ノ同情
シ強 硬 態 度 ヲ示 セ ルヲ 以 テ中 共 中 央 ハ延安 ヨリ各 方 面 ニ対 シ右 命 令
シ蒋 介 石 ハ共 産 軍 カ十 月 ヨリ反 蒋 運動 ヲ開 始 セ リト テ之 カ警 戒 ヲ命
溌 ナ ル宣 伝 、 理論 闘 争 ヲ展 開 シア リ。
テ 反共 ヲ唱 フル重慶 内 部 ノ投 降 分 子 ナ リト シ凡 ユル機 関 ヲ通 シテ活
共 産 党 ハ之 ニ対 シ抗 戦 陣 営 ノ統 一ヲ紊 ル モノ ハ共 産 軍党 ニ非 スシ
戦 陣 営 ノ統 一強 化 ヲ強 行 セ ント セ ル コト。
右 通 電 ヲ受 ク ルヤ何 應 欽 ハ逐 ニ共 産 軍 ニ対 シ軍費 支 給 ノ停 止 ヲ命
的 支 援 ヲ求 メ ント放 送 セ ルカ十 二月 一日 ヨリ江 南 新 四軍 ノ移 動 ヲ開
末 迄 ト シ更 ニ明 年 一月末 迄 ニ江 北 ノ新 四 軍 モ黄 河 以 北 ニ移 駐 ス ヘキ
ヘノ移駐 竝 ニ黄 河 以 南 ノ第 十 八集 団 軍 ノ黄 河 以北 ヘノ移 駐 ヲ十 二 月
十 二月 ニ入 リ重 慶 側 ハ幾 分 ノ譲 歩 ヲ行 ヒ揚 子 江 以南 新 四軍 ノ江 北
深 刻 ナ ル モ ノア リ。
接 死 活 ニ関 係 ア ル軍 費 駐 地 ノ問 題 ニ在 ルヲ以 テ其 ノ 対立 感 情 極 メテ
側 ノ態度 ト異 ナ ル点 ア リ又 共産 軍 ニ於 テ ハ其 ノ繋 争 ノ中 心 問 題 カ直
セ ラ ル ルト共 産 軍 ノ行 動 ヲ反蒋 運 動 ト ナ シ ア ル点 ニ於 テ従 来 ノ重慶
ラ スト雖 モ重慶 側 カ対蘇 依 存 ニ関 シ之 ヲ或 程 度 明確 ニ シア リト 観察
国 共 ノ相 剋 ハ合 作 自 体 ニ内 在 スル本 質 的 ナ ル矛盾 ノ表 面 化 ニ外 ナ
コト 軍費 支 給 停 止 ハ第 十 八集 団 軍 ニ対 シ テ ハ十 二月 末 迄 新 四 軍 ニ対
始 セ ルカ如 シ。
シ テ ハ来 年 一月末 迄 延 期 セリ。
国 共 関 係 悪化 ノ原 因 ハ前 述 ノ如 ク現 地 部 隊 ノ衝突 ニ在 リ タ ル モ国
行 動 ニ出 ツ ル コト ナ カ ル ヘク両 者 ノ関 係 ハ対 立 感 情 ヲ内蔵 シツ ツ政
争 ノ持 久 ヲ策 ス ル限 リ国 民 党 ノ反 動 政策 ヲ更 ニ激 化 セ シ ム ルカ如 キ
ス ルカ如 キ反共 政 策 ヲ強 行 ス ル コト ハ至 難 ト言 フ ヘク共 産 党 モ亦 戦
然 レト モ国 民党 ト シ テ現 在 ノ情 勢下 ニ於 テ抗 戦陣 営 ノ分 裂 ヲ招 来
民 党 カ執 政 政 党 タ ルノ自 負 ト 実 力 ト ヲ以 テ 一挙 ニ未 解 決 ノ諸 問 題 ヲ
治 的 妥 協 ニ ヨリ現 下 ノ危 機 ヲ 一応 打開 ス ル モノ ト思 料 セ ラ ル。
察
解 決 セ ント シタ ル ニ ヨル モノ ニシテ之 カ裏 面 ニ ハ重 慶 国 民 党 内 部 ニ
3、観
在 リ テ抗 戦 陣 営統 一強 化 ノ為 ニ中 共 ノ越 軌 的 非 合法 的行 動 ヲ抑 圧 ス
重 慶 政 府 ノ態度 硬 化 ノ原 因 ハ固 ヨリ現 地 党 、 軍 ノ 切 実 ナ ル死 活 ノ
ヘシト ノ気 運 相 当濃 厚 ニ動 キ ツ ツ ア ル モノ ト観 察 セ ラ ル。
問 題 ヲ反 映 シ ア ル ハ事 実 ナ ル モ左 ノ如 キ客 観 情 勢 ノ推 移 モ重要 ナ ル
旨
一五
蒋系軍 に対する観察 一、要
方軍特報第三号
情勢判断 資料
多 田部 隊 本 部 参 謀 部 )
敵 軍第三期整編は冬季攻勢後即ち本年三月より開始 せるも北支 に
二、第 三期整編成果 に関す る観察
像せらる。
力を以ては其 の規模 は従来 の屡次 の攻勢 の範囲 を出 でざ るも のと想
国第一 期総反攻時期として凖備訓練 を実施 しあるが如きも目下 の戦
最 近上海方面に於 て入手 せる鹵獲文書 によれば明春三、四月を全
(昭和 十 六年 一月 十 目
軍 当 面 の敵 状 全 般 に 関 す る 観 察
北支 に於け る敵軍中核的勢力たる衛立煌麾下中央系諸軍 は本年十 月末 を以て第 三期整 編を終了 し形而下 の戦力 は形式的 に 一応冬期攻 勢前程度 に整備せられたるが如きも敵軍全般を通ず る実質的戦力 の 低下により未 だ全面的に反攻 を実施し得 る段階 に達 せず 更に十 二月
り而し て該整編 に於ける重点は左 の諸点 に在りと観察 せら る。
於 ては晋南作戦後套 作戦等 の為其 の着手は六月乃至七月 の候となれ 1、冬期攻勢以来 の損害 の補充
地方雑軍 は既 に戦意戦力共 に萎縮し只管 地盤 の保守 に汲 々たる状
より第 四期 の整編を開始 せんとす るが如 し。
2、冬季 攻勢 の経験 に基 く軍隊 の再訓練
5、軍 の後方機関 の整備
4、游撃隊特務工作要員 の編成訓練
3、幹部教育
態 にして就中我占領 地内 に孤立 せる于學忠軍 、石友三軍等に在 りて 従 て当分 現態勢 を以 て游繋戦特務戦 を強化し つつ依然消極的持 久
は内面崩壊 の兆 を暴露しあり。 を継続す るものと判断せらる。
以下之等重 点事項 に就て其 の成果 を観察 せんとす
然 れども現下内外 の諸情勢 の推移特 に英米等 の積極的支援 の具体 化等客観的要請 に基き戦力 の充実 を待 つことなく反攻を企図す るこ
1、損害補充状況
人員 の補充 は民国廿七年編制 に基く定員たる建制部隊約 一万戦
となしとせず但し此 の場合 に於 ても局地的反攻乃至は游撃戦 の時期 的統制 の規模 を出 でざるべきものと思惟 せらる。
晋 南 作 戦等 によ り比 較 的 大 な る損 害 を受 け た る兵 団 に於 て も概 ね
時 増 設 部隊 約 一千 七 百 、 野戦 補充 団 約 一千 八 百 名 には及 ばざ る も
亦低下 しありて其 の戦力 は著 しく遜色あり。
戦 区方面 に於 ても兵員 は比較的充足しあれども装備劣等兵員素質
兵員 六千内外暫編師 に至 りては兵員二千乃至 三千 に過ぎず。魯蘇
蒋介石以下各級将領 の実戦 の経験 に基く戦法 の研究創意改善は
2、教育訓練 と其成果 に関する観察
せるが如きも質的評価 に於 ては著 しき遜色あるを免 れず。
之 を要す るに損害 の補 充は形式的 には冬季攻勢前 の程度 に回復
建 制 部 隊 八 千名 内 外 に達 し あ り て兵 員 の充 足 は 未 だ甚 し き困 難 を 感 じ あらず 。 然 れ ど も其 の補 充 新 兵 の大 部 は八 月 以 降 に於 て大 量 に補 充 せら れ た る も の にし て教育 期間 短 く 其 の素 質 の低 下 は免 れ ︹一字不明︺ ざ る所 な り 。今 秋 の 晋 反 撃 作戦 其 他最 近 の晋 南 地 区 に於 け る戦
を検討し彼我 の長所欠点を探求し改善 の資 に供しある状 況は其 の
其 の熱意旺盛なるものあり。作戦 間又は作戦終了後 必ず作戦成果
闘 の経 験 に徴 す る も戦 意 戦 力 共 に晋 南 作戦 当時 に比 し遙 か に劣 れ る を知 る装 備 に就 て之 を観 る に重 軽 機等 は逐 次充 実 し編 制 定 数 に
理す る も直 ち に破 損 す る も の七 八 四挺 合 計 一、 三 一九 挺 、某 師 に
三
二
一
防 毒訓練
軍隊 の機動力向上
破壊 訓練
堅固なる拠点攻撃 の要領
傾倒 せりと思考せらるるは左 の諸点 に在 るものの如し。
本期間各種訓示其他教育施設等を通 じ訓練上重点として努力を
成果 の如何 に関 らず其 の熱意 に於 て相当見 るべきも のあり。
近 く装 備 す る に至 り た る も 小銃 数 は定 数 の半 数 乃 至 2/ 3程 度 に し て大 な る増 加 を 見ず 、而 も其 の規 格 の不統 一は同 一部 隊 に在 り て小 銃 の種 類 約 十 種 に及 ぶ も の あ り、 又 其 性能 に至 り て は開 戦 以
在 り て は破 損 銃 五 〇 〇挺 修 理す る も直 ち に破損 す る も の六七 五挺
幹 部教育
来 損 傷 を重 ね た る も のに し て某 師 の如 き は 破損 小銃 五 三 五挺 、 修
合 計 一、 一七 五 挺 に達 し現 有 数 の概 ね 半 数 な り 。
四
イ、幹 部 教 育
若干 の資料 に基き其 の 一端 を推察 せんとす。
而 して之 が成果 に関 し具体的 に検討する の資料 に乏しきも左に
五
火 砲 装備 は迫 撃 砲 は二 〇門 内 外 にし て定 数 の半 に し て野 山 砲 は
弾 薬 の補 充 は相 当 逼迫 し あ る は看 取 し 得 る も 小銃 弾 は 一挺 一〇
師 に よ り 二、 三門 を 有 す る も のあ れど も 大 部 分 は之 を有 せず 。
〇発 程 度 を所 有 し あ る部隊 あ り。 迫 撃 砲 弾 は 相 当 豊富 に所 有 す 。
① 在西安游撃幹 部訓練班第 三期学生約 一、八〇〇名は五月末
後 方 集 積 弾 薬 は幾 何 量 を有 す る や 不明 な るも 十 月 中 旬 頃 よ り弾 薬 の補 充 情 報極 め て乏 しき 点 より観 て相 当逼 迫 し あ る に非 ず や と想
之 と併行し各戦区 に於 ける游撃幹練班も第 四期 を十 一月 一月
に第 四期学生を訓練中 なるも のの如し。
より約 三箇月 の教育 を終 り八月末夫 々帰隊し十 一月 一日より更
右 は 北支 に於 け る中 核 的 勢 力 た る衛 立 煌 麾 下 精鋭 軍 の状 況 に し
像す。
て、 第 八戦 区傅 作 義 等 に至 り ては 比較 的 充 実 せ る師 団 に在 り て も
より開始し第三期 に於 て受訓 せざりし中 、分隊長を 一律 に教育
ハ、 歩砲協同 に関す る訓練
を要望せり。
参謀 長会議 に於 ては参謀 の地位 を向上し其 の系統 を確 立す べき
洛陽幹訓団 に於 ては十 一月 一日より第三期歩砲協同訓練 を秋
す るが如し。 (一、六六五名)十月末第六期 を夫 々終了し十 一月 一日より更 に
せり。
林鎮幹訓団に於 ては十 一月十五日より歩砲協同訓練 を夫 々開始
② 在洛陽第 一戦 区幹部訓練団 は四月末第 四期 六月 末 第 五期 第七期学 生を召集中 にし て第 七期 の召集人員 は各師佐官 二、尉
第 一戦区 に於 ては築城爆破架橋等重要作業 を訓練す る為 に九
ニ、作 業 訓 練
官 二六、各独立旅佐官 一、尉官 一〇、特種部隊佐官 一、尉官 一、 にして之 を平均第五期程度 の人員 を収容 せるも のとせば第 一戦
一ケ月間将校 (各師より少佐 以下将校 二名) 軍士 ( 歩兵旅 より
月中旬 より十月末に亘 り工兵短期訓練を実施 し又九月 二日より
区 のみにて四月 以降約五千名 の佐、尉官 の再教育を実施 せるも のと謂 ふべし。
便衣混城隊 が破壊作業を重要任務 として派遣 せられある他晋
重要訓練 の 一として技術的教育を実施 せり。
其他游撃幹部訓練便衣混城隊訓練等 に於 ては爆 破破壊作業 は
伍長以下 の軍士各 一名) の爆破訓練 を実施せり。
③ 在秋林鎮第 二戦区 (山西軍)幹部訓練団は第 一期教育 を開 始 せり学生数百名。 ④ 魯蘇戦区幹部訓練班 は十 一月 一日より第 一期教育を開始す。 ⑤ 中央軍官学校山東省分校 は学生を募集中十月末応募者 一、
あり。
南豫北及豫東 方面 には夫 々鉄道破壊大 ( 中)隊なる部隊 現出 し
〇〇〇名 に達 せりと。 ⑥ 甘粛省臨〓西北歩兵学校分校幹部訓練 第 一期 は九月 一日よ
防毒訓練は重慶中央 より防毒訓練組派遣 せられ各部隊 に於 て
ホ、防 毒 訓 練
り三ケ月間機関銃迫撃砲学生 ( 各師各歩兵旅より各 々 一名宛 一 箇師六名) 対戦車砲学生 ( 各 団概 ね中、少尉 一名 ) の教育 を実
巡回教育 を実施し第 一戦区方面 に於 ては十月末 に之 を終了し各
施す。 ⑦ 在 天水騎 兵学校幹部短期訓練班 は九月 一日よつ第 三期将校
司令部 に防毒組、各 師 に防毒排編成 せられたるが如 し。
軍 の消極退嬰化 に反比例し て游撃 竝に特務 工作 に関する敵側 の
3、游撃部隊特務 工作部隊 の編成訓練
ヘ、游撃竝 に特務工作訓練 に関 しては後述す。
十 一月晋南某部隊 には相当多量 の防毒面支給せられたり。
学生 の教育を開始す。 ロ、参 謀 教 育 蒋介石 は幕僚 の能 力向上 に関し今春重慶参謀長会議其他 に於 て再 三訓示 を行 ふと共 に各戦 区毎 に参謀 の短期教育 を実施 せし め洛陽 に於 ても之 に基き参謀補訓班 を設け参謀教育 を実施し又
の幹部 の訓練を組 織的に実施 し軍 の外廓的勢力として力量 の向上
練 と併行し て游撃 部隊保安部隊 の再編成訓練 を実施 すると共 に其
熱意益 々旺盛なるものあり。特 に本整 編期間 に於 ては軍 の整編訓
二、政治 工作員 に対する教育
成 を採 り晋南方面各軍は中隊 なるものの如し。
成細部 に関し ては不明なるも第三集団軍方面 に在 りては大隊編
ものの如く山東省内 に於 ても編成 せられたりと の情報 あり。編
〇名)第 三期 の訓練を実施中 なり。教育を終りたる部隊 は二箇
傅作義軍 の便衣混城隊は既 に二期 の訓練 を完了し (一期 三六
妥当 ならざ るを感得すべし。
充状況戦闘 の経験等より類推す るも此 の逆 説的観察 が必ず しも
蒋介石 が幹部 の技能向上徳操 の涵養 に関し再三訓 示し又敵軍補
の人的素質低下 の反面を暴露 しありとも観察せらるる所 なり。
のあり。其成果 に就 ては判定 の資料 に乏しきも逆説 的には敵軍
之 を要す るに敵側 の教育訓練 に関す る熱意極め て旺盛 なるも
党 の 一元的運用 に着意訓練 しあり。
各戦 区共 に政治工作員行政官吏 に対す る再教育 を実施 し軍政
に努めたり。又便 衣混城隊 、経済游撃隊等 の特 務工作部隊新 に編 成 せられ各 々我占領 地内部 の攪乱 を目的として訓練 を実施中なり。 イ、地方民衆武装組織 の要領図表第 一の如し。 ロ、便衣混城隊
の総隊 に区分せられ包 頭、厚和市城内外 に潜入活動中 にして我
① 第八戦区方面便衣混城隊 の状況
軍内部竝 に軍事諸設 の偵察及年末年始 の候 に於 ける襲擾破壊を
何軍政部長は四月上旬各部隊 に対し各 々所属衛生機関 を 一ケ月
4、軍後 方機関 の整備
以内 に補充整備す べく又兵站総監部 に対し ては 一ケ月以内 に各級
② 第 一戦 区方面 の状 況
企図しあるも のの如 し。 洛陽 に於ける便 衣混城隊 の訓練 は六月下旬より九月中旬 に亘
更 に五月十五 日師 の戦時輜 重隊 も五月上旬迄に改編 を完了すべ
衛 生機関 を整備し て救 護治療 に遺漏 なからしむる如 く指示 せり。
︹マ マ︺
り第 一期訓練を終了し第 二期訓練 は九月中旬より十 一月中旬 に
るは掩 ひ得ざ る事実 にして蒋介石 の屡次 の訓示 に於 ても抗戦士気 の
て国 民的士気 を沮喪 せしめ抗戦前途 に対する不安感 を増大 せしめた
本整編期間 に於け る敵 軍内外諸情勢 の急激なる変化 は上下を通じ
三、抗戦士気 に関す る観察
入手しあらず。
軍当面 に於け る敵軍後 方機関整備 に関し ては具体的情報 を未だ
きを命 じたり。
亘 り実施 せられ更 に第三期教育 を開始 せんとしあり既教育者は 夫 々原隊 に帰還 の上我占領 地内 に潜入 せしめられたるが如 し。 于學忠軍 の便衣混城隊第 一期訓練 は十二月上旬 頃終了 せんと
③ 魯蘇戦区方面 し更 に十 二月廿六日より第 二期訓練 を開始 せんとしあり。 十 一月 に入り てより晋南 方面第 三軍第 一七軍第 八〇軍豫東方
ハ、経済游撃隊 面第 三集団等相次 で経 済游撃隊編成 せられ目下待機教育中 なる
昂揚 、軍紀 の振作、高級将領間 の懈怠的気風 の 一掃等 に関 し訓戒し あるは此の間 の消息 を裏書す るものと謂ひ得べし。特 に我占領地内
軍当面 の敵は其 の最高 統帥部 の対 日企図判断 の不安定 を反映し
北支 に転用し或は洛陽 を或 は鄭州 を攻撃するならんと判断 しあり
日蘇交渉稍好転せる八月頃 に於 ては 日本軍満 洲 より数箇師団を
軍 の動向 に極め て鋭敏 に神経質的判断を行ひ つつあり。
戦前途 に対す る確信 を失 ひ我 に款を通ぜんとす る気運濃厚 に動き つ
た るが如きも、爾後仏印進駐 を契機とし日本 の南進政策 の積極化
に孤立 して重慶側 の補給不十分な る地方雑軍将領 に在 りては既 に抗 つあるは確認し得 べき事象 なれども自己保身 の旧軍閥的思想と重慶
と共 に北支兵力を中南支 に転用す べしと判断 し且南寧 の撤兵と日
然 れども団、営長級少壮幹部 の抗戦到底 の思想 は敵軍士気 の核 心
も のあり。
に至らず 、各 々自軍 の正面 に進攻 せらるるを予想し戦 々兢々たる
然れども全般 を通じ未 だ我軍 の進攻 に対す る恐怖感を拭払す る
なしとし稍安堵 せるが如 し。
本国内 に於ける経済的逼迫 の情報 とを結び付 け日本軍 に進攻能力
側 の監察と の為に積極的 に反蒋を表明し得 る迄 に至らず。 一般士兵 の厭戦的気運 は漸次深刻となり つつあるは帰順者俘虜等
を形成 し其 の内部 に於 ける監察組織 の運 用と相俟 て思想的動揺を防
の言 を綜合し結論 し得 る所 なり。
止しあるも のと認 めら る。加之 一般民衆 士兵間 の厭戦思想も民族的
2、敵 の攻勢企図 に関す る判断
三期整編 の完 了後機 を見 て決行 せんとせるものの如く最近第三戦
敵 軍 の攻勢企図 に関し蒋介石 の訓 示等 に表 れた る所 によれば第
信念 に迄昂揚 せられたる抗 日思想を根底 より覆 し得ず、中堅幹部 の
区方面にて入手 せる鹵獲文書 によれば明春三、四月頃を全国第 一
抗戦思想が 一般 の抗 日心理と密接なる苟合 を保ち あるも のと観 るべ く、従 て目下敵軍抗戦士気 の頽廃を以て思想的崩壊過程と速断 する
南地 区に於 ける配備を変 更し中央系 一色となし後退せる部隊 も之
三国同盟 の締結と共 に硬 化せる英米 の対 日態度竝 に援蒋政策 の強
を得ざ る所 なり。
支三国間 の軍事的同盟に迄進展 せしめんと暗躍中 にして其 の成否は
を洛陽附近 に集結待機 せしめ、或 は前線家族 を後 方に後退 せしむ
の積極的企図を行 ふにあらず やとも判断 せらる。軍 当面 の敵 も晋
姑く措 き英、米 の対日圧迫 、対蒋援助は益 々強 化せらるべき必然的
る等第三期整編終了後 に於 ける中央系諸軍 の活動注意 を有す るも
期総 反攻 の時期 とす る等 の字 句あるを以て或は其頃 に於 て何等 か
運命 に在り英、米 の対日政策 の具体化を契機 として支那 の民衆的士
のありしも積極的 に攻勢 に出づ ることなく更 に第 四期整編 を開始
化、日本軍 の南寧附近撤退は重慶中央部 の抗戦士気を鼓舞 し英、米、
な
︹二 字 不明 ︺
図判断に基 く対応的措置 なりし が如し。
せんとしあり。是中央部 に於 て未だ反攻 の決意 なく前述対日軍企
気 を興 奮 せ し め抗 戦 の前 途 に恣 意 的妄 断 を敢 て し不 準 備 な る る態 勢 を以 て冒険 的 攻 勢 を行 ふ こと な し と せず 。
十 一月中旬 に至 り蒋介石は各戦 区に対し集 団軍毎 に 一部 の兵力
四、 敵 の企 図 に関 す る判 断 1 、 敵 の対 日軍 企 図 判 断
(中 )
84 D
建 7,87 0 増
65 D
BA2
10,38 0
81 1
約 3,00 0 建 8,55 6
BA2
(中 )
2,51 4
20 8
28
1,87 3
13 9
55
12
BA1
2,35 0
19 5
64
19
BA3
2,66 4
14 5
39
20
2,70 7
14 8
39
20
8
増 1,17 7
64 D
建 8,70 0 増 1,20 0
166 D
建 8,20 4
務 工作を益 々強化 し つつ情勢 の推 移を待 たんとするも のと判断 せ
増 1,56 7 178 D
ら る。
建 8,72 2
を以て反撃 を命じたり。然 れども各方面共 に顕著なる発動 を見 る
104 D
に至 らず。十 二月更 に新年前後 を期 して小出撃を命令 せり。
36
然 れども敵軍最高統帥部が内外 の情勢上遽 に反攻を決意す るこ
54
惟 ふに従来整訓後 に於 て恒例的 に実施 せる攻勢作戦も敵軍現況
16 2
となしとせざるは前観察 の如く、此 の場合軍 としては第 一戦 区軍
増 1,68 9
及晋南中央 軍敵軍全般 より観 て比較的戦意戦力を保持しある事実
3,10 5
建 10,13 9
を以てしては此 の程度 の規模を以て糊塗 せんとするに非ず やと判
L M
断 せらる。
M G
の動 向竝に之等北支 に於 ける中核的勢力 に策 応すべき傅作義軍及
L G
を認識しあると共 に最近河南省南部 に移駐し来 れる湯恩伯集団軍
小銃
補 1,80 9
N 2 D
15A
員
敵 の第 四期整訓は明春三月末 を以て完了す る筈なるを以て前述
17 A
兵
と思料 せら るるも当分は依然 として消極的持久方針 の下 に游撃特
(陜 西 )
47 A
二十七
年 編 成
分
A
区
全国第 一期総反攻期 に関 する情報 と相俟 て相当警戒を要す る時期
(るけ於 に日末月一十年五十和昭)
附表第 一
表 覧 一況 状 充 補 力 戦 軍敵 面 方 北豫 南 晋
増 1,68 8 93A 建 8,17 1 増 1,64 8
10 D
建 9,10 6 増 1,61 2
54 D
建 8,11 1 増 1,29 3
9A
(中 )
47 D
建 8,18 1 増 1,21 6
N24 D
建 7,59 1 増 1,34 3
22 D
建 9,18 1 増 1,62 0
12A
(山 東 )
81 D
建 8,91 1 増 1,65 8
20 D
建 9,26 8 増 1,09 9
〔註 〕 A ― 軍,D ― 師,N ― 新 編, LG― 軽 機, MG ― 機 関 銃, LM ― 軽 迫撃 砲, A ― 砲, BA― 山 砲
共産 軍 の動 向に関 し深く注意せざ るべからず。
(中)
N 8 D
目
次
一六
旨
帰 順 部 隊 帰 順 状 況
( 昭和十六年 一月二十日 北支那方面軍参謀部)
帰 順 申 出 武 装 団体 は新 中 央 政 権 の成 立 に刺 激 を受 け爾 来 同政 権
ロ、 帰 順 申出 情 況
ハ、新 中 央 政 権 に合 作 す る の形 式 を 以 て其 面 子 を 立 て且帰 順 に関
の発達 に伴 ひ急 激 な る増 加 を 示 し つ つあ り。
一、 要 二 、帰 順 に関 す る 一般 傾 向
り。
二 、帰 順 に関 す る 一般 傾 向
す る経 費 の準 備 成 ら ば帰 順 工作 は 急 速 に伸 展 す る の近 況 を 呈 し あ
三 、既 に帰 順 し 地 方 治安 維 持 に当 れ る部 隊 の現 況 概 要 四 、帰 順 申 込 部 隊 にし て現 在 接 渉 中 のも の及帰 順 を申 込 め る も 我 軍 の現 況 上未 だ如 何 と も処 置 し得 ざ る武 装 団 体 の概 況
1 、敵 正規 軍 ( 殊 に中 央 系 に属 す る も の) の帰 順 せる も のな し。
るも のに於 て は既 に帰 順 せ るも のあ り 。
2 、 雑牌 軍 にし て編 成 上 (表 面 的 に のみ )正 規 軍 並 に編 入 せ ら れあ
旨
1、 正 規 軍 の帰順 は 一般 情 勢 の推 移 を待 つに非 れば 困 難 な り 。
一、要
2 、 準 正 規 軍 以 下 の帰 順
厚 と な り つ つあ り。
其 他 と雖 も機 会 を得 且 面 子 さ へ立 て ば 帰順 せ んと す る傾 向 逐 日 濃
帰 順 部 隊 は帰 順 後 数 ケ月 にし て 一部反 乱 逃 亡 あ るを 常 と す。
イ、帰 順 部 隊
然 れ ど も 未 だ全 員 逃 亡 の例 な く 且逃 亡 の原 因 は 敵 側 施策 と 云 ふ
而 し て現 在 に於 ては 寧 ろ 之 が処 置 に当 惑 せ る の実 況 に在 り。
央 政 権成 立 以来 急 激 に増 加 せ り 。
汪 政権 誕 生 の風 聞 伝 は りし 頃 よ り漸 次増 加 の傾 向 を 辿 り昨 春 新 中
3 、 帰順 申 込 状 況
此 の経 過 を終 て縮 少 整 理 せ ら れ経 費 も略 々安 定 し た る も のは皇
よ り も寧 ろ維 持 費 の皆 無 乃 至 は 不安 に起 因 す 。
軍 の指導 下 に比 較 的 落 付 て地 方 の治 安 維 持 に任 ず 。
(但し依然雑牌軍乃至地方有力武装団体 の域を出 でず ) 4、閻錫山軍 、于學忠軍等も最 近に至 り秋波を示すに至 り つつある
現在華北治安軍 司令部 ( 齊燮元)より軍費 を支給 せら れあり。
軍指導 の下 に落付 きて地方治安維持 に貢献 しあり。
(正規治安軍 の発達 に件 ひ漸次縮少整理せらるる筈) 3、興 亜 黄 軍
太原を中 心とし南北 に二支隊あり。
崔
三、既 に帰順し地方治安維持 に当れ る部隊 の現況
も之等は未 だ密使 を以 て探 りを入れ来 る程度た るに過ぎず。 代
興 武
駐屯地
表
数
概要 帰順部隊は帰順後数 ケ月 にし て其 の 一部 の叛乱逃亡 あるを常 とす。
或 は城鎮自 衛団等 に改編 し目下興亜黄 軍として存置 しあるも の約 一千名 なり。
当初三千名なりしも之 が維持費 に窮 し逐次縣警察隊
然 れども未だ全員叛乱逃亡した る例 なく而 し之等叛乱逃亡は殆 ん 帰順部隊現況概要
方 の治安維持 に 一面閻錫山工作 の 一翼 として活動しあり。近時閻錫
元山西軍 の 一部 にして昭和十四年春季帰順し来り爾来 一面直接地
山軍中少部隊毎 に本軍 に帰順加入方申込来 るも の多きも軍費 の関係
ど凡て維持費 に対する不安 を原因とす。 1、和平救国軍 開封間
徐州
司
力
令
包頭西方西山 咀附近
約 三千 五百
王
4、綏 西 聯 軍
上受け取れざる の現況 に在り。
坤 ( 軍総司令)
胡
毓
隴 海沿線
表
代 二万
駐屯 地 数
兵
該軍は 一般帰順部隊とは趣を異 にし呉佩孚 工作中 の副産 として生 ぜしもめにして去夏六月末三ケ師長逃亡 せるも九月末新政府 の国軍
駐屯地
京漢線
李
順徳 彰徳
英 (師長)
英
せら れ今 や面目 を 一新し現地我兵団の指揮 の下 に近距離 に於 ける敵
代 表 五千
る迄西山咀附近 に駐屯 せしめあり。
めありし が三月下旬 の第 二次 五原作戦 に方り該地を撤 して今 日に至
義〓 四児は部下を以て之 に帰順 し之 を以 て五原附近 の警備 に任ぜし
其 の出馬を知 り旧伊東 ( 伊克 昭盟東部 の意 )游撃隊 に在 りし陳泰
めたるものなり。
年 一月駐蒙軍 の第 一次 五原作戦 に方 り之を擁して五原 工作 に任ぜし
王英 は帰順者 に非ず。綏東事変後天津 に蟄居しありしが昭和十五
とし て認 められ軍費 (月額聯銀六〇万元)安定 せし以来着 々と整備 軍討伐 に功績 を現 はし つつあり。
駐屯 地
2、和平剿 共軍
数
土肥原兵団彰徳 に在 りし当時 (昭和十 三年冬季) に帰順 し来 りし 雑牌軍 にして昭和十三年夏季 一部 の叛乱逃走ありしが其後 現在迄我
陳 、〓共 に以前王英 の部下たりしものにし て現在克 く王英 の指揮 に服 し軍 の指示 に従 ひ西山咀附 近を完全 に警備軍 の治安維持 に貢献 しあり。 5、白 凰翔部隊 白
凰 翔
包頭西北方
表
代 四千
駐 屯地 数 昭和十五年冬季傅作義 の指揮 下より離脱 し帰順し来 る其後 一部逃 北京 に出張 し来 り包頭特務機関 の指導下 に地方治安 の維持に任 じあ
走 ありしも残存部隊 は大体該地方 に落 付き白凰翔自身も屡 々張家 口、
支給 経費未 だ安定 せられず。
り。 6、劉 桂堂部隊 劉
桂 堂
山東省兌州東方
表
代 三千
駐屯 地 数
昭和 十三年頃 一時編成せられし張宗援部隊 の 一部として青島西方 地区 に在 りしが其後軍費 分配問題 に不平 を抱き逃亡昭和十四年初春 我第 十二軍 に直接帰順し来 り、爾来右記地方 にあり て 一面地方 の治 安維 持に任 じ 一面我 が繆承流于學忠 工作 を援助しあり。 経費安定 せられあらず。 駐屯地
元山 西 省 東 南 部 に在 り て抗 日 軍 団長 な り し が抗 日 雑 軍 に見 切 り を
爾 来 地 方 の治 安 維 持 に任 じ あ り 。
付 て昨 夏 旅 長 を殺 害 し て我 が原 田 部隊 に正式 帰 順 し 来 り 。
経 費 安 定 せら れ あら ず 。
駐在地
五千
清化鎮︱孟縣間
8 、劉 昌 義 部 隊
数
帰順 以来 善 く 地 方 の治 安 維 持 に当 り あ り し が最 近 は黄 河 を渡 河北
上 す る敵 部 隊 に向 ひ攻 勢 を取 る等 注 目 に値 す る も のあ り 。
他
経 費 安 定 せず 。
少 な る武 装 団 体 にし て既 に帰順 し我 軍 の指 導 下 に地 方治 安 維 持 武
9 、其
昭年十四年 八月 昭和十五年十 一月
間 に於 け る
装 団 体 と し て兎 も 角 落 付 き あ る も の の内
自 至 註
本表 は比較的纒りたる武 装部隊中正式 に屈出調査確実 のも の
統 計 表 次 表 の如 く 総 数 六 七 、 九 二 三 な り。
のみ に て実 際 には 地 方 に於 け る 我軍 小部 隊 へ申 込 其 の地 区限 り に
四 、 帰 順 申 込 部 隊 に し て現 在 接 渉 中 のも の及帰 順
於 て適 宜 処 理 し あ るも の多数 な る も調 査 未 定 なり 。
を 申 込 め る も 我軍 の現 況 上 未 だ如何 と も処 置
し 得 ざ る も の の概 況
新 郷東方
み来 るも のは 昭和 十 五年 春 季 以後 に於 て頓 に激 増 せ り。
中 国 特 有 の武 装 を 有 す る秘 密 結 社 等 一般 武 装 団 体 にし て帰 順 を申 込
1 、雑 牌 軍 隊 有 力 土 匪 部隊 敵 性 濃 厚 な りし 地 方 自衛 団 乃至 地 方 匪 賊 、
三千 (五千 なりしを整理す)
7、路朝元部隊 数
帰 順
軍 軍
隊 第
( 匪 一 軍
賊)
表
〇
第 十 二 軍
調 査
〇
蒙
〇
第 百 十師 団
一九九
第 二七師 団
〇
独混十五旅団
合
計
三六三
昭和十五年十二月調 北支那方面軍参謀部
〇
第 三五師 団
一五 三
二、七二八
一六 四
駐
〇
八
月
〇
一四 、
年
七七四
五六二
〇
二、六二三
一、 七 二 二
三、九四 一
〇
一四 八
六、三六 一
二三二
二八 一
九
五九八
一六 、 九 四 九
〝
〇
一六
一、 〇 八 二
一八 、 九 九 四
〇
五〇七
八 一五
二、 九 三 九
〇 五
四九三
三六〇
一、 三 〇 四
〇
六〇〇
六〇 一
一六
二、 二 二〇
二五八
一四 二
〇
一八 〇
一 一五
四二二
三二
二〇 三
一八
七三
一六 八
一、 六 〇 九
八三
一四
八六八
二五七
〇
七三
五、六七三
〇
一二
三〇 一
〇
二六八
六 七 、九 二 三
〇
一、 七 一四
二四七
〇
二二八
〇
三
一五
三九 三
六四 一
〇
一三 、 〇 二 七
〇
八〇 一
二、 八 六 一
二三五
一二
三 、 〇 一〇
二五〇
二六五
一、 七 七 九
二 、 五〇 〇
〇
〇
六八五
六
一
一三 、 七 五〇
〇
二、 九 〇 四
三〇
四六五
〇
三、 八 一五
二三
二
三二
五
三七五
〇
一、 四 八 五
六六三
三 一
一五 、
三
八三
二四五
三六八
七、〇八九
三二
〝
四
一四 二
二二三
四、二五八
一 一
〝
五
一二
八二
二 三、 二 二 四
一〇
〝
六
一四 一
三三七
七八
一八 一
〇
〝
〝
七
四八
五
六 、 八 二五
〝
〝
八
三〇
〝
〝
九
八五
三、八八 一
一、 六 九
一
六二四
二、四三 一
〝
三四
五 二 一
〝 一〇
二 〇 、 二 二八
六
〝 一 一
計
〝
合
即 ち 去 春 以来 申 込 みあ り て多 少 の接 渉 を重 ね た る も のの み に ても
ハ、 繆 承 流 軍
ロ、 孫 殿 英 軍
イ、石 友 三 軍
二万 (山東 省 西 北 部 夏 津附 近)
二万 (山東 省 東 南 )
四万 ( 山 西 省 東 南省 境 )
七 万 (冀中 南 部 )
其 の中主 な る も の を例 記 せば
其 の総 数 三 十 万 に垂 んと す 。
ニ、 馮 壽 膨 部 ホ、 其 の他冀 東 区 津 浦 沿線 (河北 及 山 東 と も ) 河 北 、 河南 省 境 附 近 山東 省 北部 (黄 河 北 側 ) 開 封 南 方 地域 新 黄 河 区 域 等 に於 け る 武装 団 体 ( 土 匪 軍 、 抗 日自 衛 団 游 撃 支隊 等 ) 2 、 帰 順 を 申 込 め る も我 軍 と し て ( 負 担 経 費 部 隊 所在 地域 申 込 条 件 態 度 の判 然 せざ る も の等 の為 ) 直 に之 を受 入 る る能 はず し て放 置 し あ る も の に至 り て は其 の数 実 に枚 挙 に遑 あら ざ る の近 況 な り。 尚 彼 等 武 装 者 と し ては 内 心 帰順 を希 望 せ るも 手 蔓 な き も の或 は附 近 に之 を牽 制 す る敵 部 隊 あ る為 未 だ躊 躇 しあ り と 判断 せ ら る る も の 等 を推 断 せば 我占 拠 地内 の武 装 団 体 は殆 んど 凡 て然 り と判 断 し て大 過 なき も のと 思料 せ ら る の近 況 な り。
一七
令
大陸命第 四百 八十八号 命
命
令
一、支那派遣軍総司令官 ハ漸江省以北、南支那方面軍司令官 ハ福建
壽 造
殿
殿
山
元
省 以南 ノ支那沿岸 ニ対 シ自今夫 々軍 ノ 一部 ヲ以 テ随時封鎖 ヲ目的ト スル作戦 ヲ実施 ス ヘシ 昭和十六年 二月 二十六日
尾
淳
杉
二、細項 ニ関 シテ ハ参謀総長 ヲシテ指 示セシム
西
宮
奉勅 伝 宣 支那派遣軍総司令官
後
参 謀 総長 南支那方面軍司令官
目
一八
次
北 支 那 方 面 軍 司令 部 )
戦 闘 と な りし 結 果 、 かか る弱 体 を 露 呈 せ し も のに し て本 会 戦 の特 異
(昭 和 十 六年 七月 十 六 日
総 軍情 報 会 議 呈出 書 類
第 一、敵 の統帥指揮 の特性 に関す る観察
固 より 之 を認 む る も 、本 質 的 に有 す る敵 の統 帥 指 揮 上 の欠 陥 が単 に
本 会 戦 の急 襲 突 破 が敵 の弱 点 を 加 速度 的 に露 呈 せし め た る こと は
性 を以 て全 般 を推 す は 当 らず と称 し あ り 。
第 三、共産軍 の戦 力観察
時 に応 じ て発 現 せ し も のと も 思料 せ ら る べ きな り 。
第 二、蒋系軍 の戦力観察 第 四、敵 の企図判断
二、 作 戦 指導 上 に現 は れた る統 帥 指 揮 の欠 陥
前 一箇 師 を 北 上 せ し め 且北 岸 固 守 を 命 ぜ り 、而 も其 の後 岸防 禦 は
む る と共 に 一層 河 岸 の防 備 を厳 にす べ き な り 。然 る に作 戦開 始 直
保 と の目 的 を 以 て之 を存 在 せし め 、 事 前 に主 力 を南 岸 に撤 退 せ し
と な さ ん と せば 、 前 岸 は単 に我 が攻 撃 準 備 の妨 害 と捜 索 拠 点 の確
右 翼 第 九軍 を南 岸 に撤退 せ しめ たり 。 若 し 後岸 を 以 て主 決 戦 地 帯
を衝 く如 く 指 導 す るを要 す 。然 る に攻 撃 を受 く る や却 つ て逸 早 く
部隊 を北 岸 に増 派 す ると共 に主 力 を以 て他 方 面 よ り渡 河 し 我 背 後
せ し や 、前 岸 防 禦 に徹 底 せ ん と せば 我 軍 の攻 撃 に方 り 、有 力 な る
欠 け り 。抑 々衛 立 煌 は主 決 戦 地帯 を黄 河 の南 北 岸 何 れ に求 め んと
1 、 河 川防 禦 に於 け る作 戦 指導 は 一貫 せ る方 針 な く統 帥 の透 徹 を
第 五、作戦並治安粛清方式 に関する観察 第 六、情報勤務 に関す る教訓
旨
第 一、敵 の統帥指揮 の特性 に関す る観察
第七、国共相剋 に関す る観察 一、要
今次中原作戦 の結果 に基き敵中央軍 の統帥指揮を観察す るに各種
而 して敵 は本次会戦は皇 軍 の鉄槌的攻撃 による穿貫突破急襲 が其
の錯誤混乱受動退嬰を発見し得 べく従来指摘 せられありし各種欠陥 を遺憾 なく露呈 せり。 の指揮中枢 を破壊し、為 に予め計画的 に組織的に策案 せら れありし 作戦指導 の方策 が其 の実行 を見 るに至らず して崩壊 し各部隊各個 の
容 易 に全陣 地 瓦 解 し側 方 に退 避 し 垣 曲 に向 ふ進 路 を 開 放 し敵 陣 地
す べ き処 置 を 講ず る能 はず 、 当 面 の敵 部隊 も亦 一翼 の突 破 によ り
隊 を控 置 し あ らず 。之 が為 一度 我 が突 破 をう く る や突 破 孔 を閉 塞
2 、山 地 戦 の指 導 は拙 劣 に し て各 陣 地 に独立 性 乏 し く 機 動 的 予備
我 が攻 撃 を 受 け た る 以後 に於 け る弥縫 的 処 置 に過 ぎ ざ り き 。
が如し。
間 には不知 不識 の間 に背後 に対する危険感 を醸成 せら れつつありし
初 より靱軟 なる戦闘 を計画的 に実施 し得ざ りしものの如く、将 兵 の
るも のありしと雖 、大部 は寧ろ第 二項 による精神的不安感を抱 き当
退路 の不安感 は 一部 に於 ては敵 をして頑強 なる抵抗をなさしめた
断念 せしむ。
一、抗 戦 意 識
第 二、蒋系軍 の戦力観察
核 心 に向 ふ我 突破 を容 易 なら し め た り。 3 、 部 隊 相 互 の協 同 連 繋 は不 良 にし て機 に応 じ策 応 せし も のを見
国際情勢 の悪化、国内不安 の深刻化、抗戦成果 の不振等 により従
ず。 戦 術 的並 に戦 略 的 に密 接 な る 関 係 に あ り或 は有 利 な る 地歩 を獲
然 れども 一般 に和平運動 に関す る理解 と認識と に乏 しく、日本 の
来敵 の抗戦 を指揮 せる幹部級 の抗戦信念 に動揺を与 へ 一般士兵 の厭
真意 に就 ては依然歪曲 せられたる宣伝 を信 じあり、且蒋介石 に対す
戦思想 を拡大 せし め上下を通ず る戦意 は逐次消磨し つゝあり。
4 、 兵 団 の指 揮 掌 握 は不 十 分 に し て大 兵 団 の集 中 的運 用 、統 一指
得 し あ る協 力 部 隊 に し て戦 闘 ( 作 戦 ) 間 殆 んど 策 応 企 図 の見 る べ
揮 は 不 可能 に近 し、 且又 上 級 司令 部 は命 令 の迫 力 な く下 級 司 令 部
る大衆的人気 と厳重なる監察 とにより和平運動若くは反蒋運動 に迄
き も の無 か り き。
は命 令 に 対す る実 行 力 に乏 し 。 ( 別 冊 ﹁中 原 会 戦 間 に於 け る 敵 側
抗戦建国 に関する信念
発展 する機運 に達しあらず 。 一
の情 報 収集 の処 置 並 に観 察 ﹂参 照) 5 、全 般 を通 じ作 戦 指 導 は 受動 退 嬰 に堕 し 主 動溌 刺 の企 図 を認 め
死 をも畏 れざ る愛 国 の熱情 を有す るも のありと雖、殆 んど大部分
少壮幹部中 には極めて公式的 にし て素朴なる抗戦 理論 を盲信 し、
6 、戦 闘 単 位 以 下 の小部 隊 に於 て は可 成 り よ く訓 練 せら れ指 揮 宜
得ず。
のものは抗 戦 の前途 に対 し確信を有せず 、所謂抗戦第 三段階 たる
れり 。 然 れど も 日 本 の真意 に関 し て は其 の理 解 一般 に低 く帝 国主
に対 し 光 見 を 失 ひ ﹁和 平 に よ る建 国 ﹂ に関 し 相 当 の関 心 を有 し来
︹マ マ︺
て比較的認 識深き幹部中 には最近 の情 勢 の推移 により抗戦 の前途
勢 の推移等 に対し漠然 たる期待を有する に過ぎず 、国際情勢 に就
総反攻 の時期 に関しては僅 か第三国 の援助、日本 の疲弊 、国際情
し き を得 行 動 敏 活 な る も のあ り。
一大 障 碍 地 帯 たる黄 河 の存 在 は敵 の作 戦指 導 上次 の意 義 を有 す 。
三 、背 後 に対 す る危 険感
1、 背 水 の陣 と し て決 死 的 抵 抗 を な さ し む 。
即ち
2、 退 路 の不安 感 は著 しく 敵 の戦 闘意 志 を弱 化 し 靱軟 な る抵 抗 を
義的侵略と曲解 しありて ﹁和平﹂ に対する関 心に於 ても我真意 に 就 て未 だ相当 の疑惑を有 しあり。
意 は加速度を以 て低落 す。
二、将校 以下 の質的変化 の抗戦力 に及 ぼせる影響
を明 にす るを得 たり、其 の主要 なる要項左 の如し。
今 次中原作戦 により獲 たる俘虜 の調査 に依 り敵軍人的素質 の変化
当瀰蔓 しあるは俘虜 の供述 によりても確認 し得 る現象なり。然れ
① 将校 以下 の素質低下 ( 附表第 一乃至第五)
一般士兵 の大部は抗戦 に就 ての何等 の信念 なく、厭戦思想 は相 ども抗戦 に於けると同 じく和平 に就 ても何等思想的根拠を有せず
③ 年齢 の若返 り ( 附表第七乃至第十)︹ 附表省略︺
ぼ せる影響 として観察す る所左 の如し。
之等 の事項 は従前 より概ね想像 せる所な るが、之 が敵抗戦力 に及
② 補 充地に依 る地方的色彩 の退化 (附表第六)
峻厳 なる監察組織 の運 用と相俟 て和平運動 に迄発展す る機運に達 しあらず。 蒋介石 の統制力
① 幕僚 の質的低下 に基き作戦指導形式化し状況 の変化 に応ずる
蒋 に対す る 一般 の信頼 は未 だ強靱 なり。中央 の宣伝 が克く大衆
二 の民族的感情を昂揚 し彼 は今 や民族的英雄 として多大 の信仰と衆
② 中小隊長 以下 の戦術能力 の低下 により小部隊 の独立戦闘力低
溌刺たる自主的指導 を行 ふを得ず。
③ 抗 戦意識 の核 心をなすも のは概 ね高中卒業以上 の知識層 にし
下す。
ども其 の統制力 たるや抗戦建国 の民族的意 欲 の上に立 てる大衆的 人気 による所大 にして、彼 が抗戦を放棄する に於 ては果し て依然
望 とを集 めあり。従 て蒋 の統制力 は未 だ強靱なるものあり。然れ
た る衆望 を繋持し得 るも のに非ず。抗戦前途 に対す る不安感、国 内経済 不安等 により其 の抗戦方針 に対する懐疑的気運逐次醸成せ
ば急速 に戦 力低下す。
兵員素質 の低下 は指揮官能力 の低下 と相俟 て指揮組織崩壊 せ
て階級的 には大尉以上 の階級層に在 り。
意
④
戦
られ つゝあり。 三
又従来小部隊戦闘 の核心となりたる所謂 ﹁老兵﹂ の減少 により
小部隊戦闘 の靱強性 を失 へり。
従来抗戦 を指導 せる幹部層 に於 ける抗戦信念 の動揺、士兵間 の ⑤
闘員 の数 は予想外 に多く、其 の戦力判定 に於 て八〇% 一箇師平均
① 兵員 数は概 ね特情 に依り知得 せる程度 に保有 しあるも、非戦
三、物質 的戦力評価
質漸次失はれ且隊内 に於 て地方的団結 を生ず。
地方的色彩 の退化 により人的素質 に関す る限り中央地方 の特
通ず る受動的作戦指導等 は著 しく其 の戦意 を低下 せしめ たり。
厭 戦思想 の瀰蔓、我軍 に対する恐怖 と必勝 の信念 の喪失、上下を 堅固 なる陣地峻嶮 なる地形等 を利用し正面戦闘 を行 ふ場合 に於 により戦意低下を暴露 する ことなく相当 の戦闘力 を発揮するも 一
ては、之等地形陣地 に対する信頼と上級部隊 の督戦的戦闘指導と 度彼等 の信頼 せる陣地突破せられ或 は指揮組織破壊 せらるゝや戦
六 、 七千 程 度 に評価 す る を 妥 当 と す 。 ( 附 表 第 十 一、 第 十 二参 照
兵 器 の数 も概 ね特 情 に より 知 れる も のに近 し 。
︹ 附表省略︺ ② 然 れ共 其 の種類 区 々 にし て廃 朽 品程 度 のも の亦 少 な か らず 。鹵
之 を要す るに物質的戦力は大 なる低下 を認めず。部分的 には逐
次改善 を図 り つゝあり て単 なる対外 ルートの遮断 により急速 に低
下す るが如 き安易 なる独断を許 さざ るも のあり。
之 を要す るに蒋系軍 の物 心両面 に於け る戦力は逐次低下しあ るは
二 〇 、九 八 一
して正規軍と雖も未 だ土匪的戦力 の範囲を出 でず、共産軍 の戦 力評
敵性武装勢力を胸算 せざるべからざ るも、其 の戦闘力自体は劣 弱に
共産軍 の軍事的勢力は正規軍游撃部隊と共に民衆層内 に潜在 する
第 三、共産 軍の戦力観察
3、補給難 の表面化
2、人的素質 の低下に基 く指揮統帥 の形式化 と戦意 の喪失
1、上下を通ず る抗戦前途 に対す る懐 疑と敗戦感 の濃化
る。
獲 兵 器 中 に新 た に軽 擲 弾 筒 、軽 機 、高 射 用 脚 架 等 の装備 を見 た り。 之 を確認す る所 にし て特 に其 の脆弱性は左 の諸点 に在 りと判断せら 敵 の装 備 改 善 の着 意 の 一端 と認 め ら る。 又小 銃 は 大部 分支 那 製 に し て重 機軽 機等 は外 国 製 のも のを認 む る も最 近 に輸送 せ る も のと
弾 薬 は各 種 銃 砲 を通 じ 未 だ甚 し き逼 迫 を 示 し あ らず 、今 次 中
は判 断 し 難 し 。 ③
一三 、 一七 三
原 作 戦 に於 て鹵 獲 せ る弾 薬 左 の如 し。 山 砲 弾
一六 五、 三 四八
価 に方り民衆 の有機 的組織活動竝 に党 の領 導による政治工作力とを
重 機 弾 一三 四、 八 九 三
混同し游撃戦 の巧妙 に幻惑 せられ動 もす れば過大 に評価する傾 向な
迫 撃砲 弾
軽 機 弾
二〇 、 三 〇 一
五 、 一六 七、 九 四 二
戦意 は上級 に於ける戦力温存 の方針と 一般 士兵 の恐日的傾向と相
核 心を形成す。
て約 一%程度 と推定 せらるるも、其 の抗日意識は強烈 にし て思想的
党員数 は正規軍 に於 て兵員 の約 三〇%乃至五〇% 地方自衛団 に於
は薄弱 にして党 の宣伝 を信 じ寧 ろ ﹁恐 日﹂ の傾向を有す。
り抗 日意識 は 一般 に昂揚 せられあるも、 一般民衆、兵 の思想的根底
抗 日は共産党 の現段階 に於 ける中 心思想 にし て党 の政治 工作 によ
一、抗 日意識 竝に戦意
しとせず 。
小 銃 弾
一三 六、 四 二五
拳 銃 弾 手 榴 弾
兵 の携 行 弾 薬数 を調 査 せ る結 果 平 均 百発 程 度 は 携 行 し あ り 、作
﹁ソ﹂ 聯 よ り到 着 せ る火 砲 な り と 。 西北 ﹁ル ート﹂ に於 け る軍 需
戦 間 及 作 戦後 黄 河 対 岸 よ り 屡 々砲 撃 を受 け た り 、情 報 に よ れ ば
輸 送 の活溌 化 の情 報 と対 照 し 従来 最 も劣 勢 な り し 火砲 装備 の向 上 に着 意 し あ る に非 ざ るや と想 像 せ ら る。 但 し 戦闘 の結 果 に徴 す る に砲 弾 の爆 破 威 力 は大 なら ず 。 之 金 質 及 炸 薬 の粗 悪 に起 因 す る が如 し。
二、人 的 素 質
俟 て逐次消極化し戦闘 回避 の傾向顕 著なり。
に於 て 正式 訓 練 を受 け 其 殆 ん ど全 部 は政 治 幹 部 指 揮員 に充 当 せら
現在 共 産 軍 は整 訓 と 収 糧 工作 と を重 点 と し あ る を 以 て幹 部 素質
れ あ り。
献 、特 情 等 に より 推察 す る に其 の効 果 は 遅 々と し て進 捗 せざ るが
は 向 上 を見 る に至 るべ し 。
如 し。
部隊内幹部中 には所謂紅軍時代 よりの古き党歴、戦 歴を有す る
1、幹部 の素質 も の未だ残存 せるも、之等は殆 んど所属部隊 に於ける上級幹部 に し て 一般幹部 は事変後積極的 に共産軍 に加入 せる知識 分子大部を
備
拳
小
機
機
銃
銃
二四
一五 〇
七五〇
五、 五 〇 〇
て其 装 備 は
野戦軍 ( 正 規 軍 及 准 正規 軍 を称 す ) 一旅 の編 制 定 員 は約 一万 にし
三 、装
兵 員 に対 す る教 育 は 精 神教 育 を主 とし あ る も 俘虜 の言 、 鹵 獲 文
占む。然 れども之等幹部は事変後 の急速 なる拡軍により大量補充 せられたるものにし て、正式軍事訓練 を経ず且紅軍 以来歴戦 の幹 部 に比し軍事的 には遜色あり、 一般 に政治幹部として活躍 し指揮 幹 部 には歴戦者を多く充当しあるが如し。 兵員 の素質 は幹部 に比し 一般 に低級 なり。
軽
2、兵員 の素質
重
一六
特 に昨年春以来 の拡軍工作 により其 の素質低下は否定 し難き所 なり。
砲
を基 準 とし あ るも兵 員 に於 て約 半 数 装備 亦 最 大 半 数 程 度 にし て准 正
撃
規 軍 に在 り ては更 に減 少 し兵 員 三 、 〇〇 〇 、小 銃 一、 五 〇 〇程 度 に
迫
し て共産軍 の熱烈なる拡軍 の意図 を窺知するに足 るものあ る反面
若干 の統計 に就 て観察するに大部分 は昭和十四年 以降 の補充 に 所謂 ﹁老 八路﹂な るも のの比率減少 せるを知 り得 べし。
過 ぎ ざ るも のあ り。
特 に拡軍 工作着 手以来陜 西省 より教育機関 を前線 に推進し抗 日
は 概 ね 限界 点 に達 し あ る に非ず や と思 料 す 。
専 ら根 拠 地 の民衆 動 員 に より 軍 の培養 を行 ひ つ つあ る共 産 軍 の拡 軍
を最 高 と し逐 次逓 減 しあ るは 注 目 す べ き現 象 にし て、後 方 を有 せず
若 干 の統 計 的観 察 に よ れば 、兵 員 及装 備 共 に昨 年夏 の百団 大 戦 前
3、訓練 の状況
大学分校 は七校を算 し各師 、旅、団等 には夫 々幹部訓練班、教 導
幹部 に対す る教育訓練 に対す る熱意見 るべきものあり。
隊或 は随営学校移動 訓練班等 の教育機 関を伴 ひ其 の蟠踞地 に於 て
共産 軍 の拡 軍 は本 年 一月 二月 の交 に於 て其 の第 一期 の工作 た る游
四、 拡 軍 工作 と民 衆 武 装 勢 力
若干 の統 計的観察 によれば幹部中約半数 は之等 の軍事 教育機関
幹部素質向上に努 めあり。
撃部 隊 の正 規 軍 化 を 一応 終 了 せり 。
之を要す るに共産軍自体 の戦闘 力は未 だ極め て劣弱 にして土匪的
戦力 の域を脱 せず 且今後 に於 ても之が急速 なる向上は困難 と謂 ふべ し。然 れども我治安粛清 の対象としての其 の軍事的勢力 は之等共産
即 ち新 四 軍 の尨大 な る拡 軍 を除 き 北支 に於 け る各 部 隊 は 一様 に旅
軍と共 に広汎 なる民衆層内 に潜在す る敵性武装勢力を考慮 せざ るべ
からず 。民衆 と共産軍と の相関関係 に於 て軍 の威圧によると思想的
編制 (晋 察 冀 辺 区 に在 り ては 未 だ支 隊制 を採 用 す るも の の如 し) に
然 れ ども 其 の内 容 は固 よ り 彼等 の企図 す る域 には 遠 く 及 ば ざ る の
て間接的 には共産軍 の実力を培養 し直接的 には其 の戦闘 を幇助しあ
連繋 によるとを問 はず民衆 の有機的組織活動は党 の地下 工作 と相俟
改 編 せ られ た り 。
み な らず 、 概 ね 拡軍 工作 が限 界 点 に達 し あ る やを 思 は し む る も のあ
一、蒋
系
軍
第 四、敵 の企図判断
りて我治安撹乱 の実体は寧 ろ之等民衆 に在りとも謂 ひ得 べし。
り。 本 年 初 頭 よ り の拡 軍 工作 は 民衆 の武 装 動 員 を 中 心 課題 と し て動 き
其 の原 因 は固 より 民 衆 武 装 に関 す る共 産 党 公 式 的 の理論 の実 践 的
つつあ り や に観 察 せら る。
中原作戦 により敗退せる軍 の収編 に努め つゝあり て、当分大なる積
敵 は我軍 の黄河右 岸 への進攻を危 惧し黄 河河防 を強化すると共 に
1 、 兵 器 、弾 薬 の補 給難 。
展 開 な るべ き も更 に左 の如 き客 観 的 要 請 に基 く も のと観 測 す 。
2 、 生 産 を離 脱 せ る職業 的 軍隊 と之 を 収 容 す る根 拠 地 食 糧 生 産 と
の責を隠蔽し且宣伝的効果 を収めんとす る等 の目的を以て直接黄 河
極的企図 に出 づる能 はざ るべし。但 し我が企図偵知と擾 乱並に敗戦
渡河点 に対する 一部 の反撃並 に爾 他 の方面 に於 て比較的統制 ある游
の関 係 が概 ね飽 和 点 に達 せ る こと。 3 、 我 方政 治 力 の滲 透就 中 郷 村 自 衛 力 の育 成強 化 の運 動 によ り 相
撃程度 の反撃 を行ふ こと無しとせず 。
退 せ し め得 ざ るに至 り た る こと 。
鄭州 より以西宜州附近 に亘る間黄河北岸 より敗退せる部隊 を合 し
段落 を告げ し今 日未 だ其 の懸念 を払拭 せしめざ るも のゝ如く敵 は
せしめたりしが会戦後 に於ける我黄河渡河点 の駐兵確保 は作戦 一
1、中原会戦間 の我 が圧倒的攻撃 は敵 をして深く渡河進攻 を危惧
対 的 に匪 区民 衆 の武 装化 組 織 化 を必 要 と せる こと。
而 し て共 産 軍 の実 施 し つ つあ る民 衆 武 装運 動 は単 な る民 衆 の武 装
4 、匪 区内 労 働 力 の減 退 と産 業 建 設 と の調 和 の為 農 林 労 働 力 を 減
化 に非 ず し て此 の運 動 を中 心 と し 行 は る る民 衆 組 織 運動 な る 点 に於
約 二十箇師程度 の兵力を配置 し河防 に任 じあり。
の進攻 を危惧し つゝ 一方面 に兵力を集結し該方面 より相当規模 の
づる ことは実力上極めて困難 なりと謂 ふべく又我軍 の黄河以南 へ
而 して此等兵力を以 て直接黄河 の障碍を超え て積極的反撃 に出
て特 色 を有 す 、 即 ち約 一% 乃 至 五% の党 員 竝 に尖 鋭 な る抗 日分 子 の 領 導 に よ り軍 の 一翼 とし て極 め て有 機 的 に運 用 せら れ あ り 。 而 し て其 の武 装 は自 衛 隊員 の五︱ 一〇 % 程 度 に過 ぎず 、 其 の戦 闘 力 は極 め て劣 弱 なり 。
五ケ師 に過ぎざ るべし。
反撃 を行 はんとするも黄河右岸 に於 て機動し得る兵 力は最大限 四、 陜西 省南部 の兵力 は未だ余裕 あるが如きも対共産軍関係 を考慮 せば現在 以上に抽出す ること困難 なるべし。
共産軍 は目下拡軍並 に整訓 に専念 しあり て其 の実 力 の温存培養 に
汲 々たり。且其 の実力上 よりし ても当分冒険的な る大規摸 の攻撃 は
行 ふことなかるべきも収糧 工作並 に民心繋持 の目的 を以 てする小規
極 めて冒険的措置 なるを以 て敵は此 の極め て困難 なる条件下 に於
戦、後 方よりの補給難、匪 区地帯 に於け る人的物的資源 の欠乏等
減少 の傾向 に在り、特に昨年度 の我軍 の敵根拠 地 に対す る覆滅 作
鹵獲書類等より之を観 るも兵員装備共 に昨年 八月頃 を最高として
1、共産軍 の拡軍工作 は全般的 には大なる進捗 を示 さざ るが如 く
模 の恒例的蠢動 は漸 次活溌化す るならん。
て之 を克服し て出撃 するが如 き行動 は敢 て採る こと無 かるべし。
之を要する に積極的行動 に出 でんとするも実力之 を許 さず、且
2、然 れども今次会戦が敵 の抗戦力 の低下 を如実 に暴露 し其 の影
加之兵員素質低下 に伴 ひ其 の訓練 又緊喫 の問題 にして既 に山東
により拡軍 工作は渋滞しあるも のの如し。
方面、冀中方面 に於 ては整訓 に着手 しあり。
を掩 はんとし且は又我渡河進 攻企図 の偵知等 の目的を以 て或 は 一
響 する所甚大 なるに鑑 み其 の抗戦力 を誇大 に宣伝し又は敗戦 の責 部隊を黄 河北岸 に潜入 せしむ るか又は直接渡河点 を攻撃 せしめ或
の温存培養 を行 ひありて勝算なき戦闘無益 の損耗 は極力之を回避
せんとしあり。従 て単な る中央軍 に対す る協力 のみを目的とし或
2、共産軍 は目下如何な る情 勢 の推移 にも応じ得 る如 く専ら実力
は宣伝 的効果 のみにより軽 々に冒険的 なる大規模 の出撃を行 ふが
は相当 兵力を以て比較的統制せる部 署 の下 に反撃 し来 ることなし 後者 に関しては現在敵 の兵力配置より観 て傅作義軍 の動向最 も
とせず。 注意を要するも のあるも敵 が会戦間北上せしめたる兵力 の面目上
に於 て小規模 なる游撃行動 を継続 し以て民 心を繋持す るの方策 に 出づるなるべし。
如きは其 の公算少 しと観測す。寧 ろ兵力 の損耗 を招来 せざ る範囲
3、匪区地帯内 の物資就中食糧不足 に伴 ひ食糧獲得 の工作は活溌
これ等 の部隊を以てす る豫東晋西方面 の出撃 も亦公算無しとせざ 3、会戦 の結果晋南 地方 に残存 せる敵第 二十四集団軍並第二十七
化 せんとしあり且時期的 には游撃戦 に便 なる繁茂期 に入りたるを
るべし。
地盤 に蟠居す べく其 の他 の敗残部隊亦所在 に集結し游撃 を企図す
軍九十 八軍残部は我攻撃を受 けざ る限り当分は依然 として現在 の
第 五、作戦 並治安粛正方式に関す る観察
以 て当分恒 例的蠢動 は漸次活溌化 の傾向 に在 り。
1、鉄槌的攻撃と長期に亘る掃蕩戦
一、作 戦 方 式
るならんも此等 の敵は既に戦意喪失 し且戦力激減 しあるを以 て今
軍
や之等 の蠢動 に関し ては大 なる考慮 を要 せざ るに至れるものと観 産
察す。 二、共
今 次 中 原 会戦 に於 け る我 軍 の鉄槌 的 攻 撃 と長 期 に亘 る掃蕩 戦 と
大風 一過式 討 伐 の不 可 な る は前 述 の如 し。
作 戦 兵 力 の大 小等 に よ り決 定 せら るべ き も のな る も逸 散 逃 避 、便
而 し て作戦 期 間 を如 何 にす べき や は作 戦 目 的 作 戦 地 域 の広 狭 、
従来 我 軍 の晋 南 地 区 に於 て作 戦 し た る経 緯 及 最 近 に於 け る我 が
衣 遁 入 の特性 を有 す る敵 軍 に対 し て徹 底 的 に之 を剔抉 撃 滅 し実 効
は敵 の得 意 と す る 退避 游 撃 等 の戦 法 を完 封 せ り。
方 の作 戦 は多 く の場合 敵 戦 力 の破摧 を目 的 と し短 切 な る攻 撃 を以
を収 め ん が為 には作 戦 期 間 は勢 ひ長 期 化 す る の要 あ り。
故 に敵 は我 が進 撃 を巧 に 回避 し 、 以 て損 害 を減 少 し側 方 及後 方
べ し 。然 れど も兵 力 資 材其 他 の関 係 より し て右 第 一案 が採 り得 ざ
的 に行 ふ を要 し、 短 切 活溌 な る作 戦 は決 し て良 策 と は謂 ひ得 ざ る
は作 戦 は須 く 強 大 な る 兵力 を 以 て遠 く 敵 の重 要 拠 点 に 対 し て徹 底
敵 を圧 倒 屈 服 せし め其 心臓 部 に直 に迫 る目 的 を 達 成 せ ん が為 に
3 、短 切 活 溌 な る作 戦 に就 て
共 産 軍 討 伐 に於 て特 に然 り。
て終 始 せ り。 即 ち 当 初 比 較 的 大 な る圧 力 を以 て第 一線 を突 破 す る も其 威 力多 く は縦 深 に及 ばず 、 端末 兵 力 寡 少 にし て到達 目標 附 近 に於 ては 既 に追 撃 能 力 なく 且 進 撃間 に於 て は単 に進 路 に沿 ふ狭 少 な る正 面 を制 圧 しう る に過 ぎず 作戦 終 了 と共 に多 く は原 駐 地 に帰
よ り我 が縦 隊 を 反撃 し て我 が戦 力 の逐 次消 耗 を企 図 し 、 又 我 が撤
る も のな り と せば 即 ち 第 二案 と し て考 慮 す べき は こ の短 切 な る作
還 し徹 底 せ る掃 蕩 を実 施 す る兵 力 と 期 間 と を有 せざ りき 。
退 に追 尾 し て執 拗 な る游 撃 行 動 に出 づ る を 以 て範 式 とな せり 。然
戦 な り と す。
る型式 に堕 す る こと な く 、先 づ強 大 な る封 鎖 線 を構 成 し 更 に こ の
囲 圏 を圧 縮 し て逐 次敵 を〓 中 の鼠 た ら し め ん とす る が如 き 単純 な
従来 の数 縦 隊 の併 進 によ り敵 を掃 蕩 せ ん とす る が如 き 、 或 は包
黄 河 の存 在 は 此 の種 作戦 を容 易 な ら し め た る 一大 原 因 なり 。
て其 の効 果 を 大 な ら しむ る こと に 関 し着 意 す る を要 す 。
鉄 槌 的 威 力 を用 ひ て 且時 期 的 に全 支 に亘 り各 軍 の作 戦 を統 制 し 以
方 の連 絡 を遮 断 しう る状 況 に於 て之 を決 定 し之 が実 施 に方 り て は
故 に目 標 の選 定 に当 り ては 敵 に最 も苦 痛 を与 ふ る地 域 に於 て且後
於 て敵 の追摂 を受 け往 々 にし て困難 な る戦 局 に遭 遇 す る こと あ り
を 退 き 或 は行 動 を中 止 す る に至 る べ き を 以 て時 とし ては 反 転時 に
而 し て短 切 な る作 戦 は稍 々も す れ ば其 効 果 徹 底 的 な ら ざ る に兵
るべ し 。
各 々当 面 す る所 に於 て効 果 を 収 め ん か其 総 和 は蓋 し大 な るも のあ
の種 作戦 を時 機 的 に統 制 し て全 支 に於 て同 時 に各 処 に於 て開始 し
本作 戦 の有 つ意義 は 概 し て 局部 的 効 果 のみ に止 るべ し と 雖 も こ
る に今 次 我 軍 の鉄 槌 的 攻 撃 と長 期 に亘 る掃 蕩 戦 ( 投 網 戦 法 ) と作 戦 終 了後 に於 け る要 地駐 兵 と は敵 の唯 一の恃頼 とす る此 の種戦 法 を完 封 せ り。 本作 戦 は従 来 の如 き大 風 一過 式 討 伐 に非 ず し て強 力 な る封鎖 線 を二 重 に構 成 し 、拠 点 を確 保 し其 の内 部 に於 て強 大 な る兵 力 を 以
内 部 を 周到 に大 な る 兵 力 を 以 て掃 蕩 せん と す る方 式 を採 用 せり 。
て周到 な る掃 蕩 戦 を 比較 的 長 期 に亘 り 実施 せ り。
2 、作 戦 期 間
ん が為 に は之 に直 接 膚 接 し て行 な は る べ き 周到 な る政 治 工 作 と強
4 、 作 戦 に附 随 す る政 治 工 作 其 他 に就 て作 戦 の効 果 を大 な ら し め
け る俘 虜 の活 用其 他 徴 候 の看 取 は 依然 と し て最 も重 要 な る情 報 収
の如 く な る を 以 て各 部 隊 の戦 闘 によ る捜 索 斥 候 の派 遣 、戦 場 に於
2、 作 戦 間随 時敵 地 に派 遺 し て敵情 を得 ん とす る の困 難性 は前 述
集 の方 法 な る を 以 て各 部 隊 に於 ては 一層 之 が訓 練 に邁 進 す る の必
3、 科 学 諜報 機 関 を 以 てす る情報 収 集 は極 め て有 効 にし て之 が速
要 あ るも のと信 ず 。
作 戦 は徒 に破 壊 を事 と せず 大 いな る建設 を基 調 と し てな さざ る
力 な る宣 伝 と を 必要 と し此 の間 に些 の間隙 な き を要 す 。
べ から ざ るは 言 を俟 たざ る所 にし て予 め 政 治 工作 に関 す る周 到 な
果 亦 看 過 し 得 ざ る も のあ り。 現 実 の鉄槌 的 威 力 と相 俟 つ て敵 を し て
攻 を真 剣 に憂 慮 せ しむ る に至 れり 。 一方 日蘇 中 立 条 約 締 結 時期 的 効
察 知 し 得 た り し が 如 き も爾 後 錯 綜 す る情 報 と鉄 槌 的 攻 撃 と は再 び渡
た り。 而 し て我 が攻 撃 開 始 前 に於 ては 一部 に於 て略 々我 が真企 図 を
点 に乗 じ 得 た る も の の如 く、 敵 をし て黄 河 の河防 強 化 に腐 心 せ し め
作 戦 開 始 前 に於 け る 我 が渡 河 進 攻 の揚 言陽 動 は有 効 に敵 心 理 の弱
二 、欺 騙 陽 動 の効 果
な りと 認 め ら る。 ( 細 項 は後 述 す )
報 の手 段 だ に研究 実 践 せば 現 時 戦 場情 報 収 集 の最 も有 効 な る手 段
る準 備 を整 へ作 戦 開始 と共 に直 接 之 に膚 接 し て建 設 工作 を開 始 す る を要 す べし 。 又強 力 な る宣 伝 によ り作 戦 成 果 を敵 並 に敵 側 民衆 に認 知 せし め
第 六 、情 報 勤 務 に関 す る教 訓
せ掛 け 以 て敵 首 脳 部陣 営 を し て敗 戦 感 を 生起 せ し む る こ と必要 な
形 而 上 に於 け る追 撃 の手 を弛 めず 機 を失 せず 反 覆 せ る追 撃 弾 を浴
り。
主 とし て今 次 中原 会 戦 の結 果 に関 す る教訓 を挙 ぐ れば 左 の如 し 。
1 、 諜 者 に依 る情 報 収 集 は極 め て困 難 にし て今 次 会 戦 に於 ても痛
一、情 報 収 集
し め為 め に彼 を し て著 し き危 惧 の感 を抱 か し め た り。 斯 く し て敵 の
我 が大 規 模 な る攻 勢 が 必ず や渡 河 進 撃 に在 る べし と の判 断 を強 要 せ
統 帥 部 をし て我 が 企図 の判 断 を混 迷 に陥 ら し め戦 略 的 部 署 を 採 る を
黄 河 北 岸 に於 け る敵 陣 地 の状 況 兵 団 部 署 の概 要 等 は長 期 間 に亘
感 せら る る所 な り 。
る偵 諜 に より て概 ね確 実 に之 を知 得 し 得 た り し も黄 河南 岸 に於 け
ふ の決 意 を 鈍 ら し め た り 。
と危 惧 感 より す る後 岸 河防 案 と の 二 つ に分 れ徹 底 的 に前 岸 に於 て戦
躊 躇 せし め た る のみ な らず 。 其 の防 禦 は面 目 上 よ りす る前 岸 固守 案
の派 遣 不 可 能 に陥 り し のみ なら ず 帰 来 諜 者 も 亦敵 地 に駐 まら ざ る
を し て黄 河 北 岸 のみ の防 禦 に専 念 せし め得 ざ り き。 又漢 口、宜 昌 地
敵 は作 戦 開 始 と 共 に交 通 を遮 断 し 且 黄 河 を 封鎖 せ し に よ り諜 者
る敵 の動 的 情 報 の収 集 は極 め て困 難 な り き 。
を得 ざ る結 果 と な り 且 一般 民 の往 来 、 郵便 物 の到 来 亦 杜 絶 す る に ︹ 偶〓カ︺ 亘 り仮 令 過 々情報 を 入手 し た りと す るも概 ね 時期 を失 し あ るも の
区 より 本 作 戦 に策 応 し て北 上 せ る呂 集 団 の作 戦 は敵 軍 作 戦 指 導 に及
要 之 我 が欺 騙 陽 動 と実 質 的 の力 と は 巧 に敵 の心 理的 欠 陥 に乗 じ敵
多 く 作 戦 に資 す る効 果 は極 め て尠 な かり き 。
2、積極的宣伝陽動等 により防諜上 の欠陥 を掩覆す るを要 す。
敵 が屡 々我が真企図 に近き情報を獲 得しながら遂 に判断 に混迷 し事前 に何等自主 的部署 の見 るべきも のなかりしは敵 の心理 の弱
ぼ し た る影 響 大 な る も の あ り 。
の作 戦 に よ り て南 方 に警 戒 し 、更 に七 日 開 始 せ ら れ た る我 が中 原 作
点 も乗じ たる積極 的宣伝陽動 の効果なり。
即 ち第 三十 一集 団 軍 ( 湯 恩 伯 ) は五 月 六 日開 始 せ ら れ た る呂 集 団
戦 によ り て危 惧 し 、最 高統 帥 は之 が運 用 に関 し首 鼠 両 端 を持 し我 が
四、特情 の価値
特情 は本作戦 に於 て最 も有効 に其 の価値を発揮 せり。
作戦 開 始 以 前 に於 て之 に対応 す べ き明 確 な る部 署 を採 り得 ざ りき 。 作戦 開始 後 二 日 にし て五 月 九 日漸 く 洛 陽 に向 ひ 北 上す べ く部 署 せし
作戦開始後迅速なる戦況 の推移 と通信連絡 の困難性 とは著 しく情
本作戦 に於 ては約 二ケ月前 より準備 に着手し 一ケ月前 に於 ては
1、準備 の余裕 を与ふる こと
尚本情報 の価値を大ならしむ る為本作戦より得 たる教訓左 の如し。
りと云ふも過言 にあらず。
軍 の状態 をも明確 にし得 たるは即ち挙げ て特種情 報班 の活動 に俟 て
得 るに過ぎず。敵 情 に関 し迅速且的確な る情報 入手並 に時 とし て友
報収集 を困難 ならしめ辛 うじて航空部隊 の活動 により断片的情報を
も時 既 に遅 く 何 等 実質 的影 響 を与 ふ るな く 畢竟 す る に単 な る戦 略 的
諜
運動 と なり た る に過 ぎ ざ り き。 三 、防
本 作 戦間 の防 諜 は 表 面 的結 果 よ り見 れば 概 ね 可 な り し も内 面 的 に 仔細 に之 を観 察 す ると き は所 々に欠 陥 を暴 露 し あ り。 特 に敵 側 諜 報 機 関 が我 が急 厳 な る警 戒 網 を 巧 に潜 り各 所 に活 動 し 作戦 開始 数 日前 には 略 々我 が真 企 図 に近 き 情報 を獲 得 し あ る は注 目 を要 す る点 に し て自 体 防諜 に関 し て は更 に 一層 厳 な ら し む る の要 を
現地試験 を終了し十日前 より現地 に推進 せる為作戦開始前 に於 て
は特情班 の活動 を最高潮 に発揮 し得 たり。
痛感 す。 本 作戦 に於 て防 諜 に関 し 左 の教 訓 を得 た り 。
備 に遺憾 なからしむると共 に単 に情報 の交換 のみならず主任者自
獲得 せる情報を速 に情報主任 と連絡す る為め特情 班と の連絡設
2、情報主任と情報班と の緊密 なる連絡
正 と言 は ん より 寧 ろ 我 が将 兵自 身 が知 ら ざ り し 結果 に由 る も のな
身交互 に連絡し情報 の入手 に努 むること必要なり。
本 作戦 間 真 企 図 の敵 に暴露 す る こと少 な かり し は自 体防 諜 の厳
1 、知 ら しむ べ からず ( 自体防諜上)
り。
特情班 とし てはさまで価値 あるも のと判断 せざる情報或 は通信 3、電波管制 の厳正
状況等 と雖 も情報主任 としては意外 なる収穫ある ことあり。
又 作戦 の企 図 等 特 に秘 匿 を要 す べき 重 要 事項 に関 し て は単 に知 ら し めざ る に止 む る こと無 く所 要 の部 隊 に対 し ては却 つて偽 宣 伝
敵側 の波長変更 による友軍通信 との混信、或は不意 に現出す る
を 撒 布 し 、以 て自 体 防諜 上 の欠 陥 を逆 用 し 直 接 間接 に敵 側 に対 す る 欺騙 の効 果 を 大 な ら し む る の要 あり 。
地 方 側電 気 及 諸妨 害 を排 除 分 離 し て特 情 入手 す る為 無 線統 制班 に
確 立 し 国 内 体制 を統 一せ んと し て対共 弾 圧 は逐 次 強 化 せ ら る ベし 。
牽 制 は逐 次 困難 と な る べく 従 て此機 会 に於 て対 共 政 治 的領 導 権 を
抗 戦 方 針 を鞭 撻 す るな ら ん。
て中 共 と し ては 政 治 的 には表 面 重 慶 側 に譲 歩 し依然 と し て重 慶 の
と せ る中 共 の対 重 慶 牽 制 も今 後 に於 て は大 な る効 果 な か る べく 従
開 戦 に よ り益 々其 の必要 を増 加 せり 。 従 来 ﹁ソ﹂聯 の実 力 を 背景
中 共 の戦 争 持 久 化 に関 す る方 針 は 変 化 な き のみ な らず 独 ﹁ソ﹂
2、 中 共 の対 国 民 党態 度 に関 す る予 測
よ る も の と予 測 す 。
努 力 に変 化 な かる べ く従 て其 の対 共 弾 圧 は主 と し て政 治 的 手段 に
展 を策 し つ つあ り 、 且抗 戦 の必 要 上 国 内 相剋 は之 を避 け ん と す る
然 れど も在満 皇 軍 を抑 留 す る為 依然 ﹁ソ﹂ 聯 と の外 交関 係 の発
よ る電 波 管 制 を 一層 迅 速 厳 正 なら し む るを要 す 。
特 情 班 の存 在 其 の物 を秘 匿 す る 一方 本 情報 の利 用 取 扱 は最 も細
4 、 特 情 に関 す る防 諜 上 の着 意
心周 到 な る注 意 を以 て絶 対秘 匿 に努 めざ る ベか らず 。 本 作 戦 間 戦 況 、 宣 伝 等 を 取扱 ひ た る新 聞 記 事 中 に直 に特 情 な る こと を察 知 し得 ら るる が 如 き発 表 を見 た るは 寔 に遺 憾 の極 にし て、
重 大 な る 影響 を考 察 せば 実 に慄 然 た る も のあ り 。
幸 にし て顕 著 な る実 害 は 認 め ざ り し も本 記 事 が特情 入 手 に及 ぼす
情 況通 報 、戦 況 発 表 、 宣 伝用 語 等 に就 き厳 重 な る 点 検 を 必要 と す。 五 、情 報機 構 の確 立 (口述 )
国 共 関係 は 現下 の国 際 情 勢 の遽 しき 変 転 に処 し両 者 共 に未 だ 其 の
る の決 意 を有 せざ る ベし 。
発 展 を見 る べき も 現在 に於 て重 慶 政 府 が斯 か る強 硬 政策 を断 行 す
の死 命 を制 せら る る が如 き事 態 の発 生 す る に至 ら ば 、事 態 は別 の
然 れ ど も陜 甘 寧 辺 区 の実質 的 解 消 或 は重 慶 側 の武 力掃 蕩 等 中 共
態 度 を決定 す る能 はず 、 中 央 地 方 を 通 じ 両者 の関 係 は 停頓 状 態 に在
以 上 に よ り国 共 関 係 今 後 の推 移 は重 慶 側 の対 共 強 硬策 を予 想 せら
第 七 、国 共 関 係 に関 す る観 測
り 今 後 如 何 な る推 移 を辿 る ベき や は俄 に予測 を許 さざ るも のあ る も
周 の情 勢 上表 面 之 に譲 歩 し つ つ依 然 重 慶 の抗 戦 を 支持 す べく 従 て上
る るも 政 治 的手 段 に よ る領 導権 の確 立 の範 囲 を出 でず 。共 産 党 亦 四
中 共 側 の政 治 的 譲 歩 よ り上 層 部 に於 け る対立 は 一応 小 康 状 態 に入 り
1 、 重 慶 側 の対 共 政策 に関 す る予 測
概 ね現 状 を以 て推 移 す る に非 ず や と観測 す。
題 に基 因 す る も の多 く 従 て抗 争 は依 然 継 続 せら るべ き も上 層 の妥 協
に於 け る相 剋 の原 因 は斯 か る思想 的政 治 的 要 因 以 外 に直接 死 活 の問
的 方針 の反 映 に よ り大 な る発展 を見 る こ とな く 一張 一弛現 状 を持続
層 部 の対立 は 一応 小 康 状 態 に入 る も の と判 断 せら る 。然 れ ど も末 梢
外 交 関 係 は好 転 す べ し と判 断 し抗 戦 前途 に対 し稍 々愁 眉 を 開 き た
す るも のと観 測 す 。
獨 ﹁ソ﹂ 開 戦 によ り枢 軸 国 側 の負 担 の増 加 は延 い て日 本 の国際
る が如 し、 而 し て ﹁ソ﹂ 聯 の参 戦 の結 果其 の対 支 援 助 に於 け る 比
関 係 の悪 化 を 予 想 せ ら れ ﹁ソ﹂ 聯 の反 枢軸 陣 営 復 帰 によ り 重 慶 の
重 は減 少 し た るも 同時 に共 産 党 を通 じ て行 へる ﹁ソ﹂ 聯 の対 重慶
一九
西 北 山 西 作 戦
(昭和十六年十 一月 三 日
第 一軍 作戦 経 過 の概 要
第 一軍参 謀 部 )
作戦 準 備
昭和十五年 五月中旬 より該地区 一帯 に亙 り作戦 を準備せり。
す ると共に同蒲線北段以東 に対する共産系策謀 の軽減 に資 せんが為
〓嵐及嵐縣 地区に蟠踞す る共産軍 を撃滅し て同地区 の共産化 を防遏
作戦計 画 の概要
次
第 一節
目 第 二節
即ち軍は駐蒙軍 と折衝を重ねたる後独立混成第 三旅団独立混成第
作戦経 過の概要
独立混成第 三旅団
て保徳東南方地区 の敵を撃滅 す。
を撃滅 し然 る後該地附近より黄河 の線 に向 ひ作戦し駐蒙軍 と協力し
1、独立混成第九旅団は黄河に向 ふ作戦開始迄 に先づ〓嵐附 近の敵
作戦計画 の概要
1 独立混成第九旅団
第 二節
九旅団及独立混成第十六旅団を以て着 々準備し計画を定 めたり。
2
2、独立混成第九旅団は黄 河に向 ふ作戦開始迄 に先づ嵐縣附近及交
興縣地 区に於け る作戦
作戦 準備
4、作戦終了 に引続 き〓嵐、嵐縣及峪 口鎮附 近に駐兵地点を推進 す。
第九旅団と協 力し所在 の敵 を撃滅 す。
嵐縣及興縣方面 の敵 の西南方 に向 ふ退路 を遮断 すると共 に独立混成
3、独立混成第十六旅団は方山及北部臨縣 地区に向ひ作戦を実施し
立混成第十六旅団と協力して興縣及北部臨縣周辺 に拠 る敵 を撃滅す。
其三 果
城西北方 の敵 を撃滅し然る後該地附近より黄河 の線に向 ひ作戦し独
第四節 戦
第 一節
西北山西作戦作戦経 過概要 自六 月 六 日 至七 月 八 日
其 四 反転及作戦終了
3 独立混成第十六旅団
其 二 山西西北部黄河 に向 ふ作戦
其 一 〓練村附 近に於 ける戦 闘
第 三節
)
方面軍指導 の下 に軍は駐蒙軍 と協力し て西北山西特 に興縣、臨縣、
(
第 三節
作戦経過 の概要
更 し〓練村附近 に於 て激戦中 の村 上部隊 、森下中隊を救援する為
滅す べく附 近 一帯 を徹底的 に掃蕩し六月二十 五日其 の兵力を東村
の敵 を撃破し つつ前進 し森下中隊を収容 し尚宿敵第三五八旅 を撃
六月十九 日零時二十分下坂井 (嵐縣南 々東 十三粁)を出発し所在
独立混成第 三旅団及独立混成第 九旅団 の黄河 に向ふ作戦 に先 だち
其 一 〓練村附 近に於 ける戦闘 て実施 せる〓嵐及嵐縣附近 の作戦 は予定 の如く進 捗し嵐縣 は早く も
鎮 に集結し興縣地区に対す る作戦を準備 せり。 中 大1 i 2
)
は興縣方向 より黄河 に向ふ予定 を変更 し大塚歩兵隊 ( )及南 部
村上討伐隊 の〓練村方向を前進 に依 る予定変更 に伴ひ大村部隊
ロ、 大 村討 伐 隊 (
B A 1 中 1
六月八日〓嵐縣 は六月十八日之 を攻略 せるも独立混成第九旅団 の交 城縣西北部山地帯 の作戦 に於 て大石頭坡 (交城西北 方約 三十七粁) 附 近より静楽方向 に向ひ反転 せる 一中隊 (森下中隊) は途中十七日
南 部興縣 一帯 の敵 を撃滅す る予定 なりし村上討伐 隊は該予定 を変
歩兵隊 ( ) を併 せ指揮して大村討伐隊 を編成し北部臨縣、南 部
i 3 中
六時半頃〓練村 (大石頭坡北 々西 二十粁)附 近に於 て約 二千 の敵と
一千三百 の敵 と遭遇潰走 せしめ六月 二十 四日水峪貫 ( 〓嵐西 々北約 二十八粁)西方高地 に陣地を占領 せる敵約七百を撃破 して六月 二十 五日黄河沿岸 の保徳縣を占領 し東北方 より前進し来 れる駐蒙軍作戦 部隊 と連絡 せり。 2、独立混成第九旅団 )
大2 中 B A 1 中
六月十八日静楽 を出発し黄河 の線 に向 ひ前進し、北部臨縣竝 に
イ 、 村 上 討伐 隊 (
i 1
2、独立混成第十六旅 団
を準備 せり。
〓頭村 ( 臨縣北微東十六粁) に進出集結し興縣地区に対す る作 戦
第十六旅団 と密 に協力し方山縣及北部臨縣 を掃蕩し六月二十二日
(離石東北約 四十五粁)に於 て大村部隊長 の指揮 に入り独立混成
於 て敵独立第 二〇 七旅 二千余を随所 に撃破潰走 せしめたる後市庄
是 より曩 六月十 六日、十七日大塚歩兵隊 は交城縣西北山地帯 に
戦 を準備 せり。
後〓頭村 (臨縣北微東十 六粁) に反転集結 し興縣地区 に対す る作
百を撃破し六月二十五日黄河渡河点たる羅 黒口を占領 せり。然 る
方二十 三粁)及其附 近に於 て退走する共産 軍第 三五八旅約 一千三
十粁) を出発 二縦隊となり峻険 を克服し て西進 し弓家溝 (興縣南
り。即ち大村部隊及南部歩兵隊 は六月 二十日普明鎮 ( 嵐縣西南 二
興縣 及方山 一帯 に向 ひ独立混成第十六旅団と密に協力 して進 攻せ
i 2 中
遭遇し直 に攻撃 せるが十九 日に至 る三日間 の悪戦苦闘 に依り漸 く之
) の両 支 隊 は 六 月 二十 日〓 嵐 を 出 発 し 六
中 中
を撃退 せり。
i 2
其 二 山西西北部黄河に向 ふ作戦
)及 村 田 (
1、独立混成第 三旅団 林 ( B A 1
月二十 一日犁元村、白草溝 ( 〓 嵐北 々西約十粁)附 近 一帯 に於 て約
i 1大 B A 2 中
イ、 清 水 支 隊 (
) は六月 二十日大武鎮 ( 離石北方十 四粁) を
破 壊 せり 。
其三
興縣 地区に於ける作戦
独立混成第九旅団は〓練村附近 の戦 闘 に依り予定変更 せる興縣地
に於 て陣 地に拠 る敵 を撃破して 六月 二十 二日臨縣 に進出 し清水支 隊と連絡 せり。
各討伐隊 は途中所在 の敵 を撃攘 し つつ進攻し大 塚 歩兵隊 は三十 日
其 四 反転及作戦終了
九時 三十分興縣 を占領し両討伐隊 は引続 き黄河左岸地区を掃蕩 せり。
各部隊 は予定目標線 に進出後独立混成第 三旅団は 六月二十 五日保
徳附近より独立混成第九旅団は七月 二日興縣西方黄河沿岸より独 立
混成第 十 六旅 団は 六月 二十五日葭縣 対岸及臨縣附近 より各 々反 転し
戦 綜
合
戦
果 村
一部
二 縦 隊 、 第 三五 八 旅 、 暫 編 一師 、 独
井
部
七 、 三〇 〇
三 、 四 一八
三三、三二〇
隊
三三四
決死第二、四縦隊 立二〇七旅
独立第四営、決 死
隊
本作戦 に於け る綜合戦果附表 の如し。
果
ハ、 照井 支 隊 (
作
越
第 四節 戦
掃蕩を実施し つつ原駐 地に帰還し七月八日を以 て本作戦を終了せり。
黄河渡河点 たる葭縣東岸 に進出して敵船十 六隻 を破壊 せり。照井
西
隊
120 D
山
部
/
生
支隊は反転に当 り二十六日〓蜊峪附 近にて敵船 を更 に二十四隻 を
北
沢
2 3 5
120 D
支隊
二、 二 二九
一七 、 六 四〇
団
吉
八路軍游撃第四団
120 D
附 表
力
/
西
号
1D
八、三八〇
717
分
兵
/ 暫
八五五
/
団
36 37
区
隊
戦
及 団
交
死
体
棄
遺
358 B
計
を出発し処 々に陣地 を占領 して抵抗 する敵 を撃破し 六月二十 四日
)は六月二十日孟門鎮 ( 離石西 々北 三十 五粁)
( 嵐縣南方十 二粁)及〓頭村 、白文鎮より 一斉 に開始せり。
出発 し方山縣 一帯を掃蕩 し六月 二十 二日 土 門溝 ( 臨 縣東 北 方 十
部
区の作戦 は六月 二十九日より村上討伐隊及大村討伐隊を以て東村鎮
)は 六月二十 二日大 武鎮 を出 発 し 楊 家嶺 BA1
(大武鎮北微西十 六粁) に於て敵約 二百 三交鎮 ( 同上西方約八粁)
ロ、佐 々木 支 隊 (
中
粁)附近 より南下中 の敵独立第 二旅及決死第二縦隊約 二千を撃 破 して臨縣 に進出佐 々木支隊 と連絡 せり。
i2 中 BA1 中 i2 中
i3 中 BA1 中
捕
鹵
獲
虜
弾
砲
機
撃
同
迫
重
七四
六二
水
冷 式
一
一
七六( 内 女兵 二)
一
一
二一二 (内 女 兵 二)
三
弾
一〇
同 四
二二( 内自動短 銃五)
一、 〇 〇 一
三六五
一七
三〇
二 三、 八 〇 六
一 六
四四
七 (内 チ エ ッ コ四 )
八
七 二〇
七〇
五
二八 一
二 二六
一 三
一三 二
銃
弾 九五
一 一
一七 、 四八 五
一 一
一六
短
銃
六
六、 三二 二
四六
コ
同
弾
五三
エ ッ
小
銃
八
チ
同
弾
六八
機
拳
剣 竜
自 動小銃
同
刀
軽
銃 青
一
二箱
面
二箱
工 具
二箱
毒
二箱
防
器
三〇粁
鉄 医 療
四万二千円
一 二七 石
三〇粁 七千円
七〇石
七三
三万五千 円 五七石
三八
幣
二七
線
秣 八
六
紙
糧
那 馬
一七
鉄
支
馬
二三
騾
品
我 損 害
円
牛 匙
一五
三三
七〇
三三
八五
嚢
鍬
電 話 機
四七
一
一
五六
四七
一
三、三〇五
四三九
一
二 、 八 六 六
手 榴 弾
五
十 字
五六
同 弾
背 嚢
五
雑
二
一
二
八〇〇
二
生
一
三 一
日 本 馬 支 那 馬
五 三
七九(内将 校 一)
八九(内将校 六)
大型渡船四 一破壊
一
八〇〇
二、 二 〇 〇 斤
三五粁
線
機
無 線 機
二
換 羊
二 、 二 〇 〇斤
交
器
量
馬 馬
大型渡船四 一破壊
毛
測 羊
二 二
四六(内将 校 一)
七五(内将 校五)
一、 〇 〇 〇 斤
死
三三
一、 〇 〇 〇斤
一 三(内 将 校 一)
電
四
一
三五粁
五
本 那
倉
日 支
自動短銃
日 本 馬 支 那 馬
皮
戦
傷
毛
戦
馬
馬 傷
斃 負
区 敵 捕
鹵
獲
品
棄
部 屍
隊 体 虜
砲 弾
弾
(長 野 )
六 六〇 二 一七
二 四 五七 二〇
二九 、 〇 三 五
二七 三八 一 六、 八 八 〇
(片 山 ) 七 一 一
三九二
合
銃
同
剣
弾
一六 四
二 一九
九二 一
三八 三
九二一
一三
一
一 一
三
洋
砲
五〇
七四
二三
三
二九七
一二 七
七三
四
一
二〇
二九 七
六〇九
二
三七 一
一、〇 五〇
一
二
二 一三
機
五〇五
字
機
一五 八
話
一
五四五
十
線
一
匙
電
機
一
鍬
無
換
鏡
機
円
交
動
計
二
眼
発
一、 四 三 一
四
鹵
五七
九
五三
二三二
刀
二三二
二三
三、 七 九 四
竜
迫 撃 砲弾
二 三
槍
榴
三、七九四
手
弾
青
雷
獲
地 一 一
四三三
三
三 一、 二 四 一
五七 二二〇
一 一
一、 四 〇
七
一
一 一
面
毒
七
一、 四 〇 一
防
帽
帽
五、七五〇
鉄
二、〇八三
一 六
三、二三七
軍
三、六六七
一六
八四七
品 衣
二、 三 九 〇
二六
軍
套
袴
二四〇 二七
外
軍
一七
六 一
二〇〇
一七 、 〇 四 一
二〇〇
二三
衣
一六 一
寒 二三
防 二三
二四〇
一〇 八
二、 二〇 六
4B s
自八月 十 日 晉察冀 辺区粛 正作戦綜合戦果 至十月十五 日
分 遺
九二式歩 兵砲
山 砲
山 砲 々 身
野 九 八 五七
銃
二 一三
弾
身
チ エ ッ コ軽 機
重 機 銃 身
銃
小
同
同
一〇 八
同
身
弾
自 動 小 銃 同 銃
銃
同
弾
筒
拳
弾
同
擲
九
身
銃
3B s
鹵 獲 品
覆
濾
支 水
郡 器
靴 一、 六 七 一 一
一四 五 一巻
ン
一 一〇 、 四 粁
二七三
シ
線 二六
ミ
電 匹
六
五
馬 弾薬製造工場 兵 器製 造 所
一、 六 七
一 一
一四 五 一巻 一 一〇 、 四 粁
五
三九九
六 五
滅
一〇
庫
庫 五
薬 三
秣
四
糧 七
弾
二
せ 二
一
庫
一
服 一
被
一
る
部
社
伝
一
作
二
二
宣 舎 一
合
六
兵
二
後
四
施
カ
方
チ
校 ー
学 ト
設
(内 将 校 一)
二〇 (内 将 校 一) 一
四
八三 (内将 校二)
二五 (内 将 校 二 )
死
六三 (内 将 校 一)
六
戦
傷
三 本表 は 主 な る も の の み を記 載 せり
生 死 不 明
一九 (内 将 校 一)
我 戦
損 害 備 考
︹註 ︺ i︱ 歩 兵
A B︱ 山 砲 聯 隊
B s︱ 独 立 旅 団
要
二〇
旨
︹ 第 十 一軍 ︺
呂 集 団参 謀 部 )
十 月 二十 九 日重慶 に於 け る 一部 参 謀 長 を 召集 せ る会 議 席 上
を好 転 せ し め んと す る気運 濃 厚 な るも のあ るも のと看 取 せら る。
(昭和 十 六 年 十 一月 二十 五 日
敵 の抗戦 力 及作 戦指 導 の新 傾向
重慶側は国際関係 の 一大転換近きを予測 し且此 の機に於 ける優位 を獲得 せんが為従来 の長期抗戦継続 思想 に基く戦力温存主義 を放擲 し全力 を展開し尠 くも対 日現状を確保 せんとす るの気運 相当濃厚 な
何 應 欽 の訓 示 中 戦 カ の徹 底 的 集 中 発 揮 を 特 に 強 調 し あ り
第 一、敵 の作戦指導 の新傾向 に就 て
可能 の最大限 の戦力 を集中し全滅 を賭 して決戦を企図し次 で各全戦
即ち今次作戦 に於 て長沙失陥 の重大性 を予期し之が確保 の為当時
旨 に述 ベたる如く自主的 に戦力を集中統 合 せんとする傾向顕著 なり。
異にしある以 て作戦指導必しも軌 を 一にせざ るも全般的 には既 に要
応 に関し指示する所 ありしが、今次長沙作戦 に於 て第 六、第九戦
七月十九 日各戦 区の接合部は弱点を形成すとなし、之 が相互策
蒋介石 は
又北支 軍の 一部鄭州攻略後敵は我 が軍 の南北 よりす る西部河南省
区間〓江方面に第 六戦区 より迅速 に増強 し第 一、第五戦 区間 の協
長沙方面戦局 に応じ第五、第 六、第 三戦区等 を策応牽制 せしめ
同作戦を指導せり。
面 に於 て曾 て見ざる集中作戦 を指導 せんとせしが如き重慶統帥部最
其 の他従来極め て不十分 なりし此 の種敵 の弱点 を打 破し実 現を見
に対する作戦 を予想し洛陽附 近戦略要地確保 の為第 一、第五戦 区 の
近 の作戦 方略 は攻防共 に自主的方面 に戦力 の絶対優勢を保持し局面
協 力並 に第 二戦区及旧京漢線東方 に在る剿共軍 をも策応 せしめ該方
指導したり。
要 塞、戦 備、奥地治安兵力に至 る迄投入し有ゆる督戦 を以 て作戦を
一、協同作戦及牽制策 応を強調指導す。
軍周辺 の敵 は戦区毎に特色 あり又今次作戦が戦 区別 に其 の基調を
}
区 の反攻を指導 するに至れり。而 して長沙作戦完 敗するや之 を蔭蔽 し其 の反響を掩蔽 せんとする宜昌奪還 を企図し該 方面 の戦力 は勿論
るものあるを観取せらる。
{
る に至 れ り。
二、 戦 力 の統 合 及 指 揮 の単 一を容 易 なら し む る為 建 制 を 破 り随 時 部 隊 の編 合 指揮 の転 換 を実施 す 。 第 一項 に関 連 し必 然 的 に生 来 す べ. き事 項 な る も今 次 作戦 に於 ては
指 導 し あり 。
宜昌周辺 に使用 せし砲兵は軍師固有 のもの以外中央砲兵団三
個 団半及江防要塞砲兵 を推進し計八ケ団 一四〇門と推定 せられ、
一拠点 の攻撃 に山砲 六、迫撃砲 四門内外 の火力を集中 し陣地を
徹底的 に破壊したる後信号弾 に依り射撃 を中止し手榴弾を主体
と す る突 撃 を 敢行 せ り。 陳誠 の反攻命令中歩 砲協同 に関する事項 宜 西 地 区陣 地 は十 日頃 迄 に突 角 陣 地 の大 部 を 破壊 せら れ た る
然 れど も統 帥 権 力 弱 き敵 軍 に於 て其 の成 果 実行 は期 待 し難 く 形 式
も幸 ひ敵 が毎 回攻 撃 点 を変 更 せし 為 之 を陣 前 に撃 砕 す るを得 た
特 に活 澄 に実行 せり ( 附 録参 照 )。
三、 我 が後 方遮 断 を 強 力 に実 行 せ ん とす 。
断 し特 に襄西 地区 に於ては我 が警備力不十分なるに乗じ徹底的 に破
江北方面反攻 に方り有力な る部隊 を間隙より楔 入し道 路通信 を遮
り と雖 も 、 其 の作 戦 指 導 に関 す る着意 の向 上 は 大 いに之 を認 む べく 、
は形 式 に堕 し 、軍 隊 の実情 は実 行 力 を欠 き、 〓 に再 び惨 敗 を喫 した
し作 戦 を指 導 し た るも 戦 力 の集 中 は 兵力 の蝟 集 に陥 り、 部 署 の調 整
以 上 の如 く 敵 が現 下 の情 勢 と 従来 の戦 績 に基 き 自主 的 に重 点 を形 成
り。
的 部 署 に陥 れ る感 あり 。
従 来 の如 く游 撃 部 隊 に 一任 す る こと無 く 有 力 な る部 隊 を 以 て徹 底
壊 せり。湘北方面 に於 ても我 が進攻 を確実 に判断す るや第 七二軍を
又作 戦 後 直 ち に戦 績 を 検 討 し次 期 作戦 に備 へんと す る熱 意 と努 力 は
的 に後 方 の遮 断 を 企 図 す。
通城附近より粤漢線遮断 に又河南方面作戦指導要領 を看 るも第 二四、
将 来 の敵 軍 動向 判 断 上 注意 を要 す るも のあ るべ し。
録
第 一五 、 ﹁第 二 一集 団 軍等 をし て隴 海 線 、 旧 京漢 線 に沿 ひ後 方遮 断 を 指 導 せ ん と し あり 。
附
は
四 、 第 六戦 区 の反 攻 に於 け る指導 に就 て
の指 揮 に入 る
4 4 A
の指 担 下 に あ り ,
)
長沙作戦 (江北反攻を含む)間敵 の部署変更状況
(
1 、 拠 点陣 地 の攻 撃 と同 時 突撃 部 隊 を 其 の間隙 より 楔 入 せし め 爾
6 7 A
第 五戦 区
下旬
/
9
後 各 拠点 を包 囲 孤 立 せし む ると共 に逐 次主 力 を楔 入 口 よ り内 部 に 侵 入 せ し め たり 。 ︹ 録︺ 彼 我 の兵 力差 ( 附 表第 一、 第 二 参照 ) 著 るし く大 な り し為 其
1 6 1 D
2 9 C A は 2 2 C A
の実現 を見 た り特 に敵 の計 画 的 に指 導 せ し こと に関 し注 意 を 要 す る も の あり 。 2、砲 兵 火 力 を 強大 にし て之 が集 中 と歩 砲 の協 調 に関 し特 に着 意
〃
11
)は
6 D / 7 5 A
5 5 D / 9 4 A
は
は
8 A
2 A
長 の指揮下
の指 揮 に あ り た る所 改 め て 長 の指揮 に入 る
は 7 3 A
1 5 D / 7 3 A
の指揮下
5 6 D / 3 9 A
13A
は既 に第 一戦 区 の指 揮 下 にあ り)
の指揮下 に入 る
1 5 C A
(
は 一時
2 7 C A
3 1 C A
2 9 A / 3 1 C A
)
頃
4 A
(
2 4 / 9
↓
5 8 A / 1 C A
3 0 A
の指揮下
7 2 A
6 0 D / 3 7 A
第九 戦区 ( 長沙作戦間)
2 7 C A
←
3 7 A
7 5 A
(第六戦区) の指揮 に帰す
N 1 6 D / 7 8 A
栄 1 D / 8 A
←
7 8 A / 3 0 C A
に配属
←
←
9 2 D / 9 9 A
(
7 5 A
)は
の指揮下
は 9 4 A
の指揮
は 2 A
の指揮下 に入る
長 の指揮 に入る
は 7 6 D
( 第 五戦 区 ) は 第 六戦 区 の指 揮 に入 る
は
( 第 五戦 区 )
1 3 D / 7 5 A 2 7 i / 9 D 5 5 D / 9 4 A 5 D / 8 A T A 連 / 1 3 D 5 6 D / 3 9 A 3 3 C A
10
は 第 一戦 区 へ
(
6 8 A
豫南游撃隊
T 3 6 D
1 0
2 A
/上旬
/上旬
〃
∼
第 六戦 区
/下旬/上旬 9
7 3 A
A
は 99 A
92 D
37 A
92
23/9
24/9
18/9
29/9
99D/99
)
A
﹁ソ﹂ 戦 開 始後 在 支 日軍 は抽 出 転 用 し戦 況 好 転 す と の宣 伝 は著 しく 、
其 の志 気 を昂揚 せ しめ た る も のの如 し 。就 中 長 沙 方 面 の敵 は久 しく
き も の あり ( 附 録 一参 照 ) て大 部 を戦 場 に捕 捉 撃滅 し得 た る の 一つ
第 二線 に在 り て整 訓 に専念 し我 が打 撃 を免 れ あり し為 戦 意 の認 む べ
は之 を裏 書 き す るも のと 謂 ひ得 べし 。
然 れ ど も 一度 徹 底 的 の打 撃 を蒙 り惨 敗 を喫 す る と き は現 在 の第 五
戦 区 の敵 の如 く 、 著 る し く戦 意 を喪 失 す るを 彼 の通弊 とす る を以 て
第 九戦 区 も亦 萎 縮 当 分再 起 不 能 と思 惟 せら る。 独 り第 六戦 区 は強 撃
を 加 ふる に先 ち 之 を逸 し尚 相 当 の戦 力 を保 持 し あ り且 自主 的 攻 勢 に
今 次 作 戦 前 に於 け る敵 の補 充 、補 給 は順 調 に実 施 し あ り た るも の
依 り却 つて志 気 を多 少 な りと も昂 揚 せし め た る も のと 判断 せ ら る。
の如 く特 情 並 に戦 果 の統 計的 観 察 に依 るも装 備 並 に兵員 共 に充 足 し
あ り特 に装 備 は寧 ろ従 来 よ り優 秀 な り し を思 は しむ るも の あり ( 戦
力 判 断 統 計 表参 照 )。 宜 昌作 戦 後 各 主要 作 戦 に見 ざ り し野 山 砲 級 以
上 の砲 兵 が戦場 に現 出 し宜 昌 方 面 に於 ては絶 対 優 勢 の砲 兵 力 を 使用
然 れど も 之等 は全 般 的 に敵 の戦 力 の恢 復 充 実 にあ らず 従 来 の戦 力
せ り。
対す る爾後 の補 填 状 況等 を待 つ て観察 せざ る べ からざ るも後 方 は枯
敵 の綜合戦力が逐次低下し つゝあ ることは否めざる事実なるも前 ひて相当 の懸隔 あり今次軍 の交戦 せしは攻撃軍たる第 二、第七四軍
附録 一
る状 況 は之 を裏 書 し あ り。 (附 録 に敵 軍 人 員 及兵 器 の補 充 状態 参 照 )
等 を初め大部 は敵軍中 の精鋭中央系部隊にして其 の戦力見 るべきも
上 の控制 、徹底 せる欺瞞宣伝教育等 に依り抗戦意志 を挑発し殊 に独
敵軍 の厭戦気運は相当横溢しあるも蒋介石 の強靱 なる統制力 と身
のありたり。
渇 の状 態 にあら ざ るや を思 はし む る も の あり 既 に兵 員 補 充 の困 難 な
一の現 象 を 呈 し あり 。 従 つて弾 力性 の有 無 に関 し て は今 次 の損 害 に
第 二、敵 の抗戦力に関す る観察
(
温 存 主 義 よ り全 力 展 開 の現 は れと 看做 す べく 、 一般 装 備 に於 ても同
99
線部隊 の戦力は依然大なる変化 を認めず。勿論戦区亦 は系統別に従
A
D
95D/37 A
下
の 指 揮
D
37
補 1団/37
24/9
よ り 改 め て 10 の 指 揮 下 に 入 る 25/9 37 A
A
D
A
297i/99 92D/99
140D/37 A
要
旨
一、 長沙 作 戦 に撃砕 せ ら れた る敵 軍 は戦 力恢 復 に焦 慮 し あ る も各 軍
戦 意 の具 体 的 現 れ 1、 第 三 七軍 の汨 水 南 岸 の防 禦 に於 け る抵 抗 は頑 強 にし て正 面 よ り
師 管 区及 戦 区 補 訓処 に は早 急 に補 充 す べ き 人員 の余 裕 な し。
区敵 軍 は戦 力 恢 復 に相 当 の時 日 を要 せざ る べ か らざ る状 態 な り。
を 所 属師 管 区 に派遣 し兵 員 の徴 集 に努 力 せ し め あ る状 態 にて第 九戦
之 が為 各 部 隊 は補 充 団 を以 て建 制 部 隊 を補 充 す ると 共 に他 方 幹 部
攻 撃 進 捗 せず 側 背 に迂 回包 囲 す る に至 り退 却 を開 始 せし も大 部 を捕
2、 第 七 四軍 の春 華 山附 近 に於 け る逆 襲 は 極 め て勇 敢 にし て中 、 小
二 、 兵器 、 弾 薬 の補 充 は迅 速 な らざ る点 あ る も長 沙 作 戦 によ り消 粍
捉 撃 滅 し得 たり 。
隊 長 先頭 に立 ち 突 撃 し来 たり 、 混戦 乱 闘 彼 我 折重 り て格闘 し両 者 の
せ る分 は整 備 可 能 の状 態 なり ( 詳 細 左 の如 し)。
損 害 大 な り。 又戦 況 不利 敗 戦 決 定 的 と なり た る も任 意 退 却 せず 、 之 が認 可 を 具
2 、各 部 隊 は不 敢取 、補 充 団 及 所属 の野戦 補 充団 、 営 を 以 て建 制
1 、 現在 各 軍 師 管 区 に は早 急 に補 充 す べき 人員 の余 裕 な き に付 き 、
)
損 害 を蒙 り た る に拘 は らず 栗 橋 次 いで楓 林 港 附 近 に転 移 し第 四師 団
部 隊 を補 充 す ると 共 に 、
人 員 補 充状 態
の攻 撃 に対 し頑 強 に抵 抗 し潰 滅 せ ら れ たり 。
3 、幹 部 を速 か に所 属 師 管 区 に派遣 し徴 集補 充業 務 を掌 握 せ しめ
○長沙作戦 の欠員補充 に関す る軍政部長 の通牒 (
4 、平 野 支隊 の斗 米 嘴 占領 後 敵 は之 が奪 回 の為連 日終 夜 に亘 り攻 撃
三 十年 兵 員 徴 募 弁法 の規 定 を 照 し兵 員 を徴 集 す べ し野 戦 補 充団 、
3、 第 一〇軍 が福 臨 舗 附 近 に於 て我 が第 三師 団 と 不期 遭遇 し甚 大 の
を反 復 し鉄 条 網 を破 壊 し突 入 し来 た れ り之 が為 支隊 の予 定 の夜 間 撤
営 各自 の補 充 状 態 は分 類 の上逐 次詳 細 に報 告 す べし 。
長
は営 長 以 上 を集 め軍 備 会議 を催 す 。
退 不能 と な り昼 間 企 図 を秘 匿 し 離脱 せ り。
(
○薛 岳 は第 九戦 区 に は所 属 各師 管 区 及 補 訓処 共 に補 充 す べ き兵 員 な
と指 示 し あり 。
○ 新 編 第 一一師 の 欠員 補 充 は不 完 全 な る も の ゝ如 く 楊 森
(
長
は
)
一師 長 に指 示 し あ り。
く若 し欠 員 あ ら ば爾 後 各 徴 集 区域 内 自 隊 に於 て補 充 す べ く新 編 第 一
7 、宜 昌 周 辺 の敵 特 に第 九 師 は陣 地 の間隙 を楔 入し て内部 に侵 入 し
特 情 に拠 る敵 軍 人員 及 兵 器 の補 充 状 態
27 C A
附録 二
宜 西 地 区 の敵 も 亦陣 前 に反 覆突 撃 し 来 れ り 。
︹マ マ ︺
に補 充す べき 欠員 二、 〇 〇 〇 名 は南 海 管 区 よ り補 充 す るに 付 き ⋮⋮
○薛岳は新編第 一〇師 に湖南省 兵は徴集超過したる為新編第 一〇師
○王陵基
5 、 江 藤 支隊 關 王 橋 東 方防 禦 に於 て敵 は陣 内 に突 入格 闘 す る も のあ
申 せり ( 電 話 窃 聴 )。
30/10
の衝 力見 る べき も のあ りた り 。
)
6 、 第 四 十師 団 の沙 港 の線 攻 撃準 備 位 置 進出 時当 面 の敵 の攻 勢 は其
り たり 。
30 C A
次 の如 く 孫 渡 ( 長) に指 示 し あ り。 (十 一月十 九 日)
せし 数 に比 し甚 だ少 く 作戦 の要 求 に応 じ難 し欠 員 数 は尚 二、 〇 〇
﹁本 師 の受領 せ る 一ケ団 は虚 弱 病 者 を 除 き 七〇 〇 余 名 に し て申 請
1、 新 編 第 一一師長 の報 告 に拠 れば 、
止 し 四日 よ り連 絡 す と 。 ( 十 一月 一日)
○ 第 五戦 区司 令 長 官 部電 臺 は何 柱 國 に対 し 油 不足 の為 暫 次交 信 を停
も何 應 欽 は い各 六 挺 を補 充 す べし﹂ と。 (十 一月 三十 二日)
○ 第 三 一集 団 軍 の突撃 歩 兵 連 には鉄 条 鋏 各 三挺 を配 布 す る筈 なり し
と判 断 す 。)
〇 余 名 な り再 度 新 兵 二、○ ○ ○ 余 名 を補 充 せら れ度 ﹂ と。
○ 第 三〇 軍 は通信 器材 の補 充 不足 なり 。 (十 一月十 一日)
○ 暫 編第 三六 師 は今 次 戦 闘 に軽 機 、 拳銃 弾 薬 使 用 し 尽 し未 だ補 充 せ
ら れ あら ざ るも のの如 く 之 が補 充 を申 請 し あり 。 (十 月 二十 九 日)
然 れ共 同 師 に は機 関銃 弾 六五 、 ○ ○○ 発 を交 付 さ れ あ り 。 ( 十月 三十 日)
︱ 速射
○ 第 一九 七師 の弾 薬 は携 行 基 数 に剰 余 を 生 じ教 育 用 に充 当 せん と軍
︱集 団軍 i︱歩 兵聯隊 T︱暫編
○ 第 三 三師 は直 属 部 隊兵 力 不 足 のた め輸 送 不 能 な る も の の如 く補 充
砲 。
︹註 ︺ D ︱ 師 A︱ 軍
部 に許 可 を申 請 し あ り。 (十 一月 六 日)
(野補 団 に申 請 の通 り支 給 せら れ あ る は弾 薬 の補 充 円滑 な る も の
○ 、 ○ ○ ○ を支 給 さ る。 ( 十 一月 十 五 日)
○ 第 八 五 軍 野戦 補 充 団 には申 請 の通 り 小銃 弾 一〇 、○ ○ ○軽 機 弾 一
十五日)
五 八軍 は 八 一迫 撃 砲 一二対戦 車 砲 四 の支 給 を要 求 し あ り 。 (十 一月
○ 新 編 第 一 一師 は戦 力 増 強 の為 編 成 定 数 に不足 の迫撃 砲 六 、 並 に第
要 求 し あり 。 (十 -月十 四 日)
○第 六〇 師 は兵 器 、弾 薬 の補充 を申 請 せし も未 だ其 の補 充 な く 督促
補 充 出 来 得 る見 込 な り と報 じ あ り 。(十 一月 十 三日 )
○薛 岳 は長 沙 作 戦後 の各 部 隊 の携 行 弾薬 は輸 送 中 にし て兵 器 も 速 に
兵 器 弾薬 の補 充 状 態
日)
団 の ーケ連 を師 部 に隷 属 せし む る如 く要 求 し あ り。 (十 一月 三十 一
如し。
○ 第 二集 団 軍 は兵 力 不足 のため 監 視 部隊 の編 成 不可 能 なる も の の、
(十 一月 二 十 日)
○ 第 一○ 三 師 は軍 長 に補 充兵 は僅 かに 五 三〇 名 な り と て催 促 し あ り。
2 、要 求 す る兵 員 は 貴 軍自 ら徴 集 区域 内 に於 て統 轄 処 理 す べし 。
5 58A 8 A
C A
T A
目
二 一
次
中
言
針
街附近 より下流汨水 の線 に進出攻勢を準備した る後同河左岸地区の
軍は九月十八日攻勢を開始 し新墻河汨水間 の敵を撃破 しつつ長楽
方
作戦方針並に使用兵力左 の如し。
逐時作戦 を準備 すると ころありしが九月中旬西部第 九戦区 の敵に対 し攻勢 を開始するに決 せり。
軍は夏秋 の戦 力更張期 に於 て当面 の敵戦力を撃砕 する企図 の下 に
第 一線 を防務せしめあり。
我 が長沙方面 に向ふ進攻を厳重 に警戒し其 の他 の正面 は雑軍を以て
河以南瀏陽河南岸に至 る縦深陣 地並 に洞庭湖 の防備施設と相俟 つて
第 一次 長 沙 作 戦 経 過 概 要 ( 昭和十 六 年十二月 呂集団参謀部)
戦 時 月 報 甲第 二 四号 別 冊
第 一、 作 戦 前彼 我 の概 況 第 二、 集 第 三、 作 戦 経 過 の概 要 第 四、 東 部 第 九戦 区 に対 す る攻 勢
結
第 五、 江 北 方面 敵 反 攻 に対す る攻 勢
附 表 第 一、 二、 長 沙 作戦 綜 合 戦 果 一覧 表 ︹ 以下略︺ 第 三 、長 沙 作 戦前 第 九 戦 区 敵軍 兵 力 装 備 状況 一覧 表
敵 を攻撃し之を新市︱栗橋道 に沿ふ地区 に於 て突破 し軍主力を以て
附 図 第 一、︱ 第 三、長 沙 作 戦 経 過 ( 攻 勢 、 反転 、 襄 西 )要 図 第 四 、長 沙 作戦 前 に於 け る第 九 戦 区敵 軍配 置 要 図
之 を同道以西湘江 に亘る地区 に包囲撃滅し 一部 を以 て蒲塘方面山地
使用兵力 の概要 ( 長沙方面進攻作戦)
定し九月末迄 に作戦 の目的を達成す。
汨水左岸 地区 の敵に対す る攻撃開始 の時期 は九月 二十三日頃 と予
内 の敵を撃破す るに勉 む。
第 五 、長 沙 作戦 間 呂 集 団 周 辺敵 軍 移 動状 況 要 図
第 一、 作戦 前彼 我 の概況 第 九 戦 区 の敵 は久 し く皇 軍 の武威 を知 らず 戦 力 概 ね恢復 し あり 、 其 の兵 力約 三十 個師 に し て主 力 を旧 粤 漢線 に沿 ふ地 区 に配 置 し新墻
第
第 六 師
四 師
三 師 団
団
団 ( 山砲 二大隊迫撃砲 一大隊属す)
( 山砲 一大隊迫撃砲 一大隊属す)
( 山砲 四大隊属す)
の如く集中 を完了 せり。
木支隊 を第 四十師団 に配属 し当面 の敵 を撃攘せしめ九月十七日予定
木
早 淵 支
支 隊
隊
隊
( 歩兵 一大隊基幹)
( 歩兵 一大隊山砲 一中隊基幹)
( 歩兵 三大隊山砲 一大隊基幹)
( 歩兵 四大隊山砲二大隊基幹)
は汨水 の線 に向ひ追撃す。
後 一部を以 て新墻河左岸旧粤漢線 両側地区 の掃蕩を実施 せしめ主力
明と共に攻勢 を開始し 一挙 に沙港南岸敵第四軍 の陣 地を突破したる
軍は十七日夜迄 に楊林街附近より下流沙港 の線に展開 し十八 日天
荒 支 隊
一、 沙 港 、新 墻 河 々畔 の戦 闘 及 汨 水 に至 る追 撃
第 三、作戦経過 の概要
第 ( 山砲 一大隊属す)
平 野 支
第 四師団
自 九 月十 八 日 至 九 月 二十 日
第 四十 師 団
江 藤 ( 軽装甲車 二中隊属す)
黄 土港附 近の敵陣地を突破したる後 三縦隊となり背戸沖、古塘
戦 車第十 三聯隊
方面 の掃蕩 に協力したる後十九 日早朝汨水 の線 に向 ひ急進し二十
沖黄 沙街附 近に進出し敵 第九〇師 の退路を遮 断し早淵支隊 の鹿角
野戦重砲兵第十四聯隊 、独立野戦重砲兵第 十五聯隊第 一大隊 ( 独立 工兵三聯隊、架橋材料八中隊基幹)
隊
軍
( 自動車十八中隊、輜 重兵九中隊基幹)
工 兵
岳南兵站地区隊 ( 協
第 六師 団
市附 近左岸 に推進 し爾後 の攻勢 を準備す。
十九日 一五〇〇前後汨水右岸 の線 を占領し翌払暁迄 に 一部 を新
間追撃 を続行す。
し敵逐次 の抵抗 を排除し つつ夕刻大荊街東西 の線 に進出し更 に夜
十八日天明〓 口東南方沙港 左岸 の敵 を撃破 して南岸台上を占領
第 三師団
日朝主力 を汨水右岸石頭 舗附 近 に集結 せり。
第 一飛 行 団 中
力)
第 二、集
八月下旬以降行軍及鉄道 竝に船舶輸送 に依り逐次岳州南方地区に 集中 を実施す。 此 の間第 六師団をし て八月末 より約 一週間配属 せる三好大隊を以 て岳 州対岸聶家河、尺八口附近 の掃蕩を実施し又九月上旬師団主力 (江藤支隊及山砲三大隊属す) を以 て大雲山作戦 を実施し沙港右岸 大雲山周辺 の敵 の拠点を覆滅 し軍 の集中竝に爾後 の攻勢 を容易なら 大雲山作戦後敵は第五九、第六〇師、第五八軍等 を以 て沙港 上流
設 を覆滅 し其 の 一部は十九日汨水 を渡河少数 の敵 を攻撃し て顔家
つ追撃 を続行、關王橋 次 いで長楽街 を急襲し て敵 の兵站及軍事施
十八日天 明 一挙 に沙港南岸敵陣地 を突破し随 所に敵 を撃破し つ
方面 より攻勢 を企図し沙港右岸攻撃準備位置 に進出中 の我が第 四十
舗南側及東方高地 を占領 他 の 一部 は汨水右岸 に沿ひ〓 口附近 に突
しめたり。
師団 は之 と白羊田、甘田附近 に於 て遭遇戦 を惹起す るに至り軍は荒
に進出せり。
進 し甕江方面に対する地歩を獲 得し師団主力も亦逐 次長楽街附近
二十 二日朝空中偵察 の結果長沙︱金井間 に敵 の数縦隊充満し萬載附
に転移 せしめ 二十二日日没後攻勢 を開始 せしむ るの準備 にありしが
四、第 三、第 六師団等 に即時攻勢開始を命ず ると共に第 四十師 団 の
近に在りし第 七四軍 も亦瀏陽方面 に移動中 の情報 を得 たるを以 て第
荒 木支隊 をして胡野溪東 側高 地より執拗 に反復攻撃 し来 る敵を
平江進出 の任務を解 き第 三、第六師団 の中間甕 江︱金井道方面 の敵
第 四十師団 攻撃 せしめ師団主力は十七日夜重信部隊 を以 て團山坡 一帯 の高地
を攻撃すべく甕江 に向 ひ転進 せしめたり。
斯く て軍は第 六師団 の蒲塘東方山岳地帯 突破機動 に依 る敵 の後 方
を奪 取し十 八日天明 一挙 に楊林街西北方高地 の敵陣 地を突破同日 夕刻胡小保及其 の北方地区に進出 せり。
三師団 は第 三七軍 を両翼 より包囲し て之 を陣 地附 近に捕捉撃滅し更
に撈刀河 に至 る追撃間急遽戦場 に到着陣 地占領 中 の敵第 一〇軍を随
結節点金井 の占領 を以て汨水左岸 の敵包 囲 の態勢 を完成 し第四、第
所 に急襲潰滅 せしめ第 四十師団も亦二十四日甕 江に進出 、既 に三角
十九日右追撃隊 (歩兵二大隊砲兵 一大隊基幹)は所在 の敵 を撃 高地 に拠 る敵第 五九師を攻撃 一四〇〇頃之を南方に撃退 したる後
塘附近 を確保 して敵 の東走 を遮断しありし荒木支隊 と共 に敵第 二六
破し つつ關 王橋 を経 て日没後横山橋 に達 し師団主力 は歩仙橋 東西 右追撃隊 の進路 を追撃し同日夜半大平〓、新橋附近に兵力 を集結
中偶 〓二十日早朝敵 は第 三七軍を李家 〓、麻峯嘴 の線 に陣 地を占領
十九 日以後逐次汨水 の線 に進出し其 の左岸陣地 に対する攻勢 を準備
軍 は新墻河左岸 の敵 第四軍第五八軍等 を東方山 地内 に潰走せしめ
進出 に依 る退路遮断 と相俟 つて二十四日之を李 家〓以北 に於 て捕
強 なる抵抗を継続 せしも逐次陣地 を突破し早淵支隊 の馬山神附近
当面 の敵 は第九五師及第 九二師 の 一部 にし て既設陣 地に拠 り頑
より馬山神方面 に進出せしめ主力 は直路李家〓方向 の敵 を攻撃す。
昌︱ 向家 〓の線 より行動を開始 し早淵支隊 をして神鼎山西側 地区
を出発、汨水左岸 に進出し同夕刻全部 の集結 を待 つことなく下武
と交代せしめ主力 は其 の掩護下 に二十 二日早朝石頭舗附近集結 地
二十 一日早朝 一部 を以 て汨水左岸新市附 近第 三師団 の警 戒部隊
第 四 師 団 (早淵支隊 を配属す)
軍 を蒲塘附 近に圧縮撃滅 せり。
す。 第 四師団 に続行 して沙港 を渡河 し十八 日攻勢開始 と共 に新墻南
早淵 支隊 方 を経 て鹿角 に向 ひ突進 し新墻河左岸地区 一帯を掃蕩 したる後二 十 日早朝軍主戦場汨水 の線 に向 ひ急進す。
せしめ第 二六軍 を金井附近 に集結 し長楽街 より南進する我 が軍 を西
二、汨水左岸 の会戦及撈 刀河 に至 る追撃
方 に側撃 する企図 あるの情報 を得 たるを以 て其 の配備 の虚隙 に乗じ
自九 月 二十 日 至 九 月 二十 六 日
断乎之を上沙市 以北 に包囲撃滅す るに決し直ちに第 六師団 を金井方
師 団は夜 に入るも追撃 を敢行し二十五日午後 より栗橋東西 の要
捉撃滅せり。
面に突進 せしめ第三、第 四師団を逐 次第六、第 三師団 の作戦地域 内
衝 を占領 せる敵第 ﹁○軍 の 一部 を攻撃 し翌 二十六日全陣地 を突破
金井 に突入し師団主力 も亦地形を利用し逐 次抵抗.す る敵 を撃擁 し
敵 の意表 に出 て瞼難 なる山中 を長駆石湾に更 に其 の 一部 は同夜半
近掛刀河 々谷 に向ひ急進す。
区 の掃蕩 を実施中軍 の長沙 に向 ふ追撃 企図に基き直ちに北盛倉附
二十五 日 一部を以て上沙市方向 に追撃せしめ主力は金非北方 地
軍包囲 の態勢を完成 せり。
つつ隻江 口附近 に達 し二十 四日萬家蝟附近に於 て南方より第 二六
楓 林港附 近轡刀河 の線 に向ひ敵 を急追す。 第 三師 団 二十 日夜 一部 を先遣して第 六師団 の警備を継承し主力 は二十 一 日早朝 より長楽街南方泪水左岸に転移 し攻撃 を準備中二十 二日頃 即時攻勢開始 の軍企図 に基き 一四〇〇前後 より攻撃 を開始 せり。 右翼 隊、栗由港東西 の既設陣 地に拠 り執拗 に抵抗する敵 を力攻 し て逐 次拠点 を奪取し左翼隊 は東方瞼峻 なる山岳地帯を突破し て
し二十 一日夕之を潰走 せしめ たる後 江藤支隊 を三廃橋附 近に残置
平江方面突進 の為 先づ朱公橋西方山地にある敵第六〇師 を攻撃
第 四十師団
し軍 の側背を掩護 せしめ主力は梓江 に向 ひ転進す。
二十三日早朝 一部は麻峯噴東 北側 地区 に主力 はタ刻 大斗嶺南側地 区 に進出 し右翼隊 の正面攻撃 と相倹 つて敵第 一四〇師 を完全 に包
方山地よりす る敵 の妨害と泪水 の増水 が著 しく渡 河を困難 ならし
井方面 の敵を攻撃す べき軍命令 に接 し直ち に転進を開始 せしも側
せる敵 第九〇師 の 一部を攻撃し主力は梓江 に向ひ急進中甕江-金
先遣隊 ( 歩 兵二大隊基幹)は二十二日午後梓江東 方高 地を占領
囲し繊滅的打撃 を与 へ二十四 日早朝 より上沙市方向 に追撃途上西 郷蝦、幅臨舗附近等 に於 て敵第 幽○軍 と遭遇し果 敢なる攻撃 の後 .其 の主力 を潰滅 せしめ残敵 を掃蕩 し つつ二十五日夕 上沙市附近 に 兵力を集結 し長沙 に向 ふ追撃 を準備す。 第六 師団
天瞼を利 用し其 の抵抗頑強 にして攻撃意 の如く進 捗せず 二十五 日
の敵第二六軍 に対す る攻撃を開始せり、然 れども敵 は蒲塘北方 の
全力を展開し て猛攻 を加 へ又荒 木支隊 の隻江 口より蒲塘 への突進
め 二十四日正午前後 より逐次甕江附 近に進出 し同日夕刻 より当面
二十 一日先遣隊は北上せし敵 第二六軍 と交戦し つつ甕江、小葉
二十日 =ハ○○甕江方面に転進す べ惑軍命令 に接 し同夜即時各
舗 の線 に進出 し主力も亦二十二日逐 次甕江附近 に攻撃前進 の態勢
と相侯 つて二十 六日朝迄 に之を撃滅 せり。
一部を窺 江及 三角塘 に先遣し主力 は二十 一日早朝転進 を開始 せり。
を整 ふると共 に竹原支隊 ( 歩兵 三大隊基幹)を以て三角塘 を占領
以 て長沙 に向ふ追撃 を部署すると共に濁陽方面 より進出中 の敵第七
る 一部を以 て蒲 塘附近包囲圏内 の敵第 二六軍 の残滅 を完成 し主力を
軍 は二十四日夜戦況極め て有利に進展 しあるの状 況に基 き有力な
三、長沙・向ふ追撃及第七四軍の議 戦 碧 朋二什肱㎜
て甕江方向より南方 に攻撃を命 じ師団主力 は敵 の外翼 を速 かに金
﹂せしめたり。 二十 三日新 たに配属 せられ近く戦場 に到着すべき荒木支隊をし 井附 近に突進退路を遮 断すべく即時行動 を発起し竹原支隊 は全く
四軍 の撃滅 を企図するところあり。 即 ち第四師団は黄 花市 を経 て瀏陽河 々口に、第三師団は金 潭を経 て長沙南側地区 に向ひ共 に迫撃せしめ、第 六師団 は速 かに北盛倉附 近撈刀河 々谷 に進出し敵第 七四軍進出 する場合 は之 を撃滅すべき任
に進出 二十九 日長沙及其 の周辺地区 に兵力を集結す。
又新 たに森 田支隊 (歩兵二大隊基幹)を軍直轄として楓林港附 近より金井 に前進せしむ。
軍 の追繋企図 に基き 二十六日花谷部隊 (歩兵 二大隊、砲兵 一大
第 三師団
華山、永安市附近を経 て先づ金潭附 近に急進す るや〇九三〇頃先
隊工兵聯隊基幹) を金潭附近瀏陽河渡河点 に先遣し師団主力 は春
汨水左岸 の敵を撃滅 したる後果敢なる追撃戦 を展開 し撈刀河 々畔
一四〇〇頃 より逐次戦闘 に加入し他 の 一部 は永安市北方高 地次 で
遣隊は既 に春華山附近 に於 て敵第五八師 の 一部 と遭遇し主 力も亦
〓附近 に於 て追撃 を準備 せしむ。
務 を附与し、第四十師団及荒木支隊は敵第 二六軍撃滅後金井、羅家
に進出中 の第 一線各兵団は軍 の長沙 に向 ふ追撃企図 に更 に勇躍追撃
当面 の敵は第 七四軍 の第五七、第 五八師 の主力 にし て師 団は春
永安市 に突入して各 一ケ団 の敵を奇襲殲滅す。
を続行 し第 四師団 は早淵支隊 を以 て二十七日夕長沙 に突入し第三、 第六師団 は永安市方面 に進出 し来 れる敵第七四軍を二十六 日夕より
況有利 に進展其 の大部 を戦場 に捕 捉殲滅 し残敵 を掃蕩し つつ同夜
亦頑強なる抵抗 を試 み終夜壮烈激戦 を展開 せしも翌払暁 に及び戦
華山永安市両翼 より敵 を包囲する如く夜 に入るも攻撃を続 行し敵
又敵第 二六軍撃滅後金井 に急進中 の第 四十 師 団 ( 荒 木 支 隊 を属
せり。
撈 刀河 々畔 に捕捉殲滅し二十八 日各第 一線は概ね瀏陽 河の線 に進出
す)を撈 刀河 々畔 の戦闘 に加入せしめ 二十八 日夕獅形山 ( 瀏陽西北
半迄 に金潭附 近瀏陽河両岸 に進出更 に追撃 を続行 せり。
師団は二十五日以来 昼夜山地内 の追撃 を続行 して二十六日夕概
第 六師 団
十五粁) に進出瀏陽方向敵 の退路 を遮断 せり。 第 四師 団
二十七日早朝撈 刀河 を渡河し鎮頭市に向 ひ追撃中永安市︱洞陽
ね北盛倉附近撈 刀河 の線 に進出し 一部を以 て左岸要点を確保す。
早淵支隊 は二十五日夜栗橋附 近の陣地突破後白 沙河河谷道を突 進し二十六日夜水渡寺附近に於 て敵 の抵抗 を排除し つつ撈刀河 を
に其 の左縦隊方面に於 て敵 の瀏陽方向にする逸走 を遮断し激戦 の
市道両側を占領 中 の敵第 七四軍 の第五 一、第 五八師等 を攻撃し特
渡河し敗敵 に尾 して二十七日払暁瀏陽 河北岸 に進出 更に飛行隊 の 密接な る協力 の下 に瀏陽河両岸 の敵 を撃破 し長沙東北方 に於 て所
第 四十師団
続行 二十八日鎮頭市 及び其 の附近瀏陽河 の線に進出 せり。
後之 を潰滅せしめ偉 大なる戦果 を獲得し更 に鎮頭市 に向 ひ追撃 を
在材料を利用し て独立渡河を敢行し 一八〇〇頃長沙東北角 に突 入 翌 二十八日迄 に全市 を完全 に占領 せり。 師団主力は追撃途上楓林港北方泗州〓、洪興附近を占領 せる敵 第 一〇軍 の残存部隊 を包囲殲滅 し二十八日〓梨市附近瀏陽 河の線
二十七日早朝金井附 近出発 三縦隊となり〓 刀河 々谷 に向ひ急進 同 日夕大橋、蒿山、沙市街附近 に進出荒木支隊 をして沙市街東 方
と各所 に遭遇 し多大 の戦果を収 め特に第 五七師師部、暫編第 二軍
此 の間 軍命令 に基き歩兵 一大隊基幹部 隊を〓梨市 に至り瀏陽河
等 を急襲覆滅し つつ二十九 日〇九三〇株洲を占領 せり。
の渡河点を占領 せしめ主力は株洲附近敵軍事施設を潰滅後反 転三
地区に位置し平江及瀏陽方向 に対し軍 の側背 を掩護 せしめ師 団主 力 は獅形山 に急進し敵 の退路 を遮断すべき軍命令 に基 き即時各 一
十日正午 頃概 ね金潭周辺 に兵力を集結 せり。 自 十 月 一日 至十月七 日
企図 を以 て先づ荒木支隊及森田支隊をし て軍主 力の反転 に先だち沙
に達摩山系 に在る第九九軍主力 (第九二、第 九九師) を撃破する の
軍前面 に遠く敵影 を認 めず、軍は反転作戦間側背 に残存 せる敵特
五、 反 転 作 戦
部 を獅形山、北盛倉 附近に先遣 し主力は二十 八日未明出発 一〇三 〇頃 獅形山 一帯を占領せり。 荒木支隊 は沙市街東北方地区に於 て敵第 七二軍 の 一部と遭遇し 之 より先師団 は軍 の側背掩護 の為 二十四日甕 江附 近より庄司歩
市街及金井附 近出発 、湘陰東方及神鼎山北麓附 近に至 り達摩山方向
之 を攻撃す。 兵 大隊を關王橋 に至り江藤支隊長 の指揮 に入らしめ又佐伯部隊を し て三角塘 次で金井附近 に位置 して警戒竝 に兵站掩護 に任 ぜしめ
む軍主力は概ね現態勢 を以 て十月 一日日没頃より反転 を開始 し第 四
荒木支隊 の転進 に伴 ひ 一部 を二十九日夜沙市街 に急進当面 の敵
第 四十師団
を掃蕩撃破 しつつ概 ね五日頃長楽街、帰義附近汨水 の線 に進出 せり。
長沙︱湘陰道 に沿ふ地区 を第 三師団は其 の中間 地区を各当面 の残敵
十師団 、第六師団は永安︱麻峯嘴︱長楽街 に沿ふ地区 を第四師 団は
に対す る攻撃を準備 せし め又平野支隊をして三日頃湘陰 を占領 せし
あり。 自 九 月 二十 八 日 至九 月 三 十 日
四、瀏陽河 々畔 に於ける次期作戦準備竝 に第三師 団 の株洲 に向 ふ追 撃
軍 は二十七 日夜既 に当面 の敵軍 の骨幹第七四、第 三七、第 二六、 第 一〇軍等 を潰滅し其 の他 の雑軍 に痛撃を加 へ第 九戦 区 の敵戦力を 撃砕 し て作戦目的 を完遂し且長沙 を占領 せるを以 て主力 を長沙 より
の戦闘 に加入し敵第七 二軍主力を撃攘 したる後 一日夜反転開始更
に金井︱ 麻峯嘴道北側を占領し て我が後方遮断を企 図しある敵第
を攻撃 せしめ主力 も亦三十日夜獅形山附 近より反転沙市街東北側
二〇軍を攻撃 し三日午後 より翌払暁 に亘 り之 に徹底 的打撃 を与 へ
鎮頭 市 に亘 る瀏陽河畔 に集結 し反転作戦 を準備 するに決 し部署する 然 れども第三師団は二十 七日夜瀏陽河を渡 河し株洲 に向ひ追撃 実
五日夕三江口附近 に到達 せり。
と ころあり。
以て依然追撃 を続行せしめたり。
十月 一日夕鎮頭市附近第 一線 を撤 し三縦隊となり主力 は永安市
第 六師 団
施中 にして二十八日其 の先頭 は既 に株洲北方地区に進出 しありしを
二十八 日夕以来 株洲北方 地区 に於て長 沙方面 より敗走し来る敵
第 三師 団
附 近を 一部 は金井を経 て反転を実施 、福臨舗及検市廠東側附近 に 於 て 一部 の敵 を掃蕩 し五 日夕長楽 街附近 に進出 せり。 第 三師 団 十月 一日夕金潭附近より反 転行動 を開始 し二日楓林港北方地区 に於 て南下 し来 れる敵第九九師及第九二師 の 一部 と遭遇 し達摩山 系に拠 らしむることなく四日之 を影株山附 近に圧迫撃砕したる後 五日新市及其 の東北方地区 に達せり。 第 四師団 早淵支隊を三十日夜出発橋頭駅附 近に先遣し師 団 の前進 を掩護
二十 九日以後金井附近 に在り て金井︱長 楽街道 の確保 に任じあ
、りしが神鼎山北麓 に転進す べき軍命令 に基 き二日夜麻峯嘴東南方 に於 て三︱ 四〇〇〇 の敵を撃破し三日下武昌 に進出新た に軍命令
に基き長楽 街に転進し長楽街︱新墻間 の兵站線確保 に任じたる後 新墻 に於 て所属 に復帰す。
二十 二日以後三棗橋附近高 地線 を占領し軍 の側背 を掩護す、当
江藤 支 隊
面 の敵 は第 二〇、第 五八軍等 にし て主力方面 の戦線南方 に移動す
るに伴 ひ我 が長楽街︱新墻間兵站線 に対する行動漸次積極的とな
早淵支隊は 一日正午頃より〓刀河 々口北岸に於 て敵第九八師を
占領面を拡大 し軍 の反転間 に及 ぶ其 の側背を安全ならしめ十月六
に)二十九日佐 々木大隊 の戦場到着 に依 り侵入せ る敵 を攻撃 して
を確保し二十七日配属 せられたる庄司大隊 (復帰 せる二中隊と共
り有力 なる兵力を以 て反復攻撃し来 るも支隊 (二中隊欠)は陣 地
攻撃中 にして師団主力亦二日朝以来逐次戦 闘に加 入し該敵 を湘江
せしめ主力は十月 一日夕反転を開始 す。
河岸 に圧迫撃滅 し爾後長沙︱湘陰道 に沿ふ地区を三縦隊となり残
日軍 の最後尾第 六師団 の通過後陣 地を撤し反転を実施 す。
営 の敵 を殱滅し更 に十九 日厳〓山、 二十 一日蘆林潭及斗米嘴を逐
軍攻勢開始と共に舟艇機動 に依り十八日未 明上青山 に上陸約 一
に向ふ陽動 を実施す。
城陵磯 に集中し軍 の集中末期海軍上陸支援部隊 と協同し て常徳
平 野支 隊
制 して軍主力 の作戦 に策応せしむ。
軍 は平野支隊を第 一遣支艦隊協同 の下に湘 江沿岸 に上陸 し敵を牽
六、洞庭湖 水路 より湘江両岸 の上陸作戦
敵を掃蕩 し つつ五日汨水南岸 に達し軍命令 に基 き早淵支隊 の歩兵 二大隊 、山砲 一大隊を営田より船舶輸送に依 り原駐地 に帰還せし めたり。 二十九日湘陰東方地区に転進 し達摩山系方向 に攻勢を準備すべ
荒 木支 隊 き軍命令 に基 き沙市街附 近出発麻峯嘴を経 て新開港附近 に向ひ急 進途上金井︱麻 峯嘴間 に於 て敵第 二〇軍の 一部を攻撃し三日新開
次占領し第 一遣支艦隊 の支援 と相俟 つて敵 を牽制し就 中第 一九七
港 に進出後第四師団長 の指揮 に入り平野支隊 の湘陰 攻撃に協力し 爾後概 ね第四師 団 の後方を反転す。
師を洞庭湖方面 に抑留 せり。
て四日 一五 二〇湘陰に突 入之を占領 せり。 森 田支 隊
十月三日湘陰北方白泥湖岸 に奇襲上陸 し湘陰 を攻撃す敵は特火 点陣地 に拠 り頑強 に抵抗せしも力攻 の後四日荒木 支隊 と共 に之を 占領し爾後營 田より水路反 転せり。 斯く て軍は多大 の戦果を獲得し つつ整斉な る反 転を実施 し十月七 日概 ね新墻河以北占拠地区内 に到着 せり。 第 四、東部第九戦 区に対す る攻勢 東部第九戦 区 の敵 は第七四、第 七二、第七八新編第三軍等計十箇 師及第 一線 に配備す る保安団約 五ケ団なりしも其 の骨幹 たる第七四
(工兵聯隊基幹) を以て厚 田街南方〓江両岸 地区の敵予備第 五師
を攻撃 し多大 の戦 果を収 め十月七日原態勢 に復帰 せり。
第五、江北方面敵反攻 に対す る攻勢
蒋介石 は九月二十三日長 沙作戦牽制 の為各戦区に反抗 を命じ第 五、
一、敵 の反抗経過 の大要
第 六戦 区の敵 は月末 に至 り其 の動向漸次活溌となり信陽、随縣 、安
陸 正面及襄西地区に出 撃し来 れるも其 の衝力大ならず我 が各警備隊
然 るに蒋介石は長沙 方面 の我 が兵力判明するに従 ひ江北地区警備
の為悉く撃退せられたり。
力の寡少 を判断し且長 沙作戦 の惨敗 を糊塗せんとして十月二日陳誠
に対し ﹁如何なる犠牲 をも省 ることなく三日以内 に宜昌を奪 回す べ
軍 の外第七二軍 を長沙方面 に転用 せんとせしを以 て軍は第 三十四師 団及独立混成第 十四旅団をして当面 の敵を攻撃し長 沙作戦 に策応 せ しめたり。
し﹂ と命 じ厳重なる督戦的賞罰を以 て臨めり。
縦深陣 地を突破第七八軍主 力を撃砕 した る後十月三日 一部を以 て
他正面特 に宜 昌周辺の敵約十三個師は執拗 なる攻撃 を反復 すると共
団軍 は我 が機先攻撃 に遭 ひ既 に反抗企図を挫折 せしめられあるも爾
当時襄西地区週辺 の敵 は約 二十五個師にして荊門北方 の第 三三集
独立混成第十 四旅団 (平野支隊、江藤支隊欠)
武寧北方最高地線を確保し主力 を集結し て随時軍 の作戦 に即応 す
に逐次我 が陣 地間隙 を濾過し揚子江を渡河せし敵 と共 に六日夜迄 に
九月二十 五日大屋 田、〓 溪附近 より攻勢を開始 し武寧附近 の敵
るの態勢 にありし が長沙方面の戦況有利 に進展 しあるに基き五日
宜昌東側 に侵 入せし もの約三個師 に達 せり。
成第 三十旅団を信陽 地区に増強す ると共に警備正面各兵団をして機
軍は長沙作戦間江北方面 に対す る敵 の積極的企図を予想 し独立混
二、長 沙作戦間 江北方面警備 の概況
は逐次内部に侵 入し我 が兵站線 の遮 断を企図す るに至れり。
又沙市東南 方竝に沙洋鎮南方地区 に進出 せし敵第八軍等 の三個師
主 力は原警備態勢 に復帰せり。 第 三十 四師団 九月二十七 日先づ長 野部隊 ( 歩兵三大隊砲兵 二中隊)を以 て石 隊 ( 歩兵三大隊砲兵二中隊) の安義方面 より の攻撃 と相俟 つて敵
先 を制し敵企 図を破砕す るの準備 にあらしめ たり。
崗市附近錦江北岸地区 の敵 を撃攘したる後奉新方向 に反転岩永部
せり。
九月下旬独立混成第 二十旅団を軍 の指揮 より抽出 せらるるに及 び
第 一八三師 の 一部及新編第 一二師主力を奉新南方 地区 に夾撃 々砕 更 に十月六日佐藤支隊 (歩兵三大隊砲 兵 三 中 隊)及門 脇 支 隊
長沙作戦 の為配属 せられたる山中歩兵大隊及恰 も到着 せし第四師 団
を固守し陣前に敵 を撃砕する に決 す、之 が為十月六日鴉鵲嶺 、龍
軽挙出撃 の不利 に陥 るべきを予測せらるるに至 れるを以て現陣地
たるも十月二十 日頃 に至り敵軍兵力就中其 の集中状況より判断し
六日夜 以降敵 の攻撃は相当活〓 となり有勢な る砲 兵火力 を集中
な る分置兵力 を集約せり。
泉舗 より約 一大隊 を抽出 し宜昌 に集結す ると共 に若干 地点 の微弱
補充要員 を基幹 とす る錦城 大隊 を編成し共 に第 三師団留守警備宇島 に入らしむ。
部隊 に配属 し更 に村上歩兵大隊 を岳南より転用應山 に至り其 の指揮 九 月二十八 日頃より敵 は 一斉 に出 撃し来 れるも各警備 隊は予て準
し宜西地区及宜昌北方地区各陣 地に執拗 なる突撃を反復 し濾過侵
備せし所 に従 ひ果敢なる反撃 を加 へ之を撃退す特 に第三十九師 団は 主力 を以 て十月四日荊門北方 に攻勢 を執 り当面 の敵第五九軍を撃砕
を以 て攻勢 を準備し第三十九師 団 ( 早淵支隊を併せ指揮す) の当
入 せし約 三個師 の敵は直接宜昌東面 に近迫す るに至れ るも各第 一
陽方面より宜昌東側 に向ふ攻勢 と相俟 つて先づ宜昌東側 の敵 を攻
線は厳 に陣 地を確保すると共に九 日宜昌 に集結し得 たる約 二大隊
軍 は以上 の如く第五戦 区の敵反抗は概 ね之 を破砕せしも宜昌周辺
撃す。
し完全 に其 の反攻企図を挫折 せしめたり。
に近迫 しある第六戦 区の敵 は依然真面目なる反抗 を継続 する の企 図
三、襄西地区攻勢経過 の概要
あるを察知 せしを以て速 かに軍主力を江北 に転用し襄西地区 の敵 を 十月五日長沙作戦反転中早淵支隊及佐 々木歩兵大隊を襄西 地区に
しめたり。
共 に十三日迄 に周辺 に蝟集 しある敵 を悉く撃退し陣前遠く潰走せ
を以 て師団 は全面的に攻勢 に転 じ十 二日内部 の掃蕩 を実施す ると
敵 は我 が攻勢 に先ち十 一日夜 以後逐次退却を開始 するに至 れる
急進 せしめ軍主力 の反転 を促進したる後第三師団を孝感 、第 四師団
第 三十九師団
捕捉撃滅す るに決す。
を沙洋鎮附近 に集中し又此 の間第三十九師団をし て成るべく多く の
集東 西の線 に進出敵第 五九軍 の反攻を破砕したる後 十五日反転南
師団は先 づ荊門北方 の敵 を撃砕 したる後兵力を当陽方面 に転用 し当 面 の敵 を攻撃する企図 を以 て十月四日払暁攻勢 を発起し張家
兵力 を抽 出し速かに宜昌方向 に攻勢 を執り直接第 十三師 団の戦闘 に 策応 せしめたり。 全力を荊門に推進 し当面 の兵団 に密接 に協力し特 に十月六 日以
を以て直ち に歩兵約 一大隊 を転用同地区隊を増強 せり。
橋舗附 近に兵力を集結中当時沙市地区 の状況相当逼迫 しありたる
第 三飛行団 降宜昌周辺 の敵 に対 し猛烈果敢 なる攻撃 を反復 し甚大 なる戦果 を
第十 三師団長 の指揮 に入らしめ更 に師 団 の宜昌方面 に向 ふ攻勢を
十 月六日夕軍企 図に基 き大守大隊 (一中隊 欠) を宜昌 に前進し
収めたり。 九月二十 八日より敵反抗 の機先 を制し随 所に機動的反撃を加 へ
第十三師 団 (早淵支隊欠)
市 地区 より歩 兵 一中隊、当陽地区より聯隊長 の指揮す る歩兵二中
れたる独立混成第十 八旅団 の 一の宮大隊を沙洋鎮方面 に増加 し沙
準備す各地区共に未 だ兵力 の抽出困難 の状況にありしも配属 せら
し十 日鵜澤支隊 (歩兵第六十 一聯隊、山砲 一大隊)を先遣 し主力
区に於ける攻勢参加 の為当陽南方河溶鎮 に急進す べき軍命令 に接
当時沙洋鎮に到達中 の鵜澤支隊をし て直ち に同地西南方 の敵を攻
十三日師団 は新た に沙洋鎮南方 の敵 を攻撃す べき軍命令 に基き
も亦岳州より転進を開始す。
ある早淵支隊及佐 々木大隊等を併 せ指揮し其 の大部 の集結を待 つ
隊 を抽出し新たに配属 せら れ空輸 又は自動車にて逐次到着し つつ
撃 せしめ主力 を沙洋鎮及潜 口附近 に逐 次集結 せり。
り攻勢 を開始し共 に三湖東側地区に包囲圏を圧縮残敵 を掃蕩し本
敵 の退路を遮断 せしめ師団主力は二十三日より沙洋鎮潜 口附近よ
転進し第 三十九師団兩角支隊 と協力して二十 四日〓 穴附近 に突進
爾後沙洋鎮西南方地区の敵 を撃攘したる鵜澤支隊を沙市東側 に
ことなく十 一日當陽附近出発途中内部 に侵入せる敵を撃破し つつ 之 より先宜 昌方面急 を要する の状況 に鑑 み独断九日師 団司令部
宜昌東方地区 に攻撃前進 せり。
爾後第十三師団 の攻勢移転 と相俟 つて十三日迄 に宜昌東方地区
護衛 の歩兵 一小隊機関銃 一分隊を空輸宜 昌に増援 せしめたり。 の敵 を掃蕩し早淵支隊 を其 の所属 に復帰 せしめたる後原駐地に向
当時敵 軍の戦力は逐 次低下しありと雖 も軍主作戦方面 の敵大部 は
言
斯く て襄西地区の敵 は軍主力 の進出 に先ち潰走す るに至 れるを以
中央直系軍 にし て其 の装備優秀戦意亦見 るべきも のありたり、特 に
結
作戦を終 了せり。
て軍 は孝感附 近に集結 し前進を開始 せんとしありし第三師団 を原駐
の方策に及 ぼす影響至大 なるも のあるに鑑み蒋介石 は自ら第 一線 に
本作戦 の成果 が直ちに第 三国 の援蒋強化促進 に狂奔 しありし重慶側
ひ反転す。
地に復帰 せしめ下旬第 四師団及第 三十九師 団 の 一部を以て〓穴方面
出 動し集中可能 の最大限 の兵力 と厳重苛酷 なる督戦 とを以て臨 み就
に作戦し当面に残存蠢動を継続 せんとする敵第八軍主力竝 に新編第 二三師 の徹底的剿滅を実施せり。
本作戦間長沙方面進攻作戦 に於 て第 一飛行団、襄西地区反攻撃砕
たる戦果を獲得 せり。
滅 して当分再起 不能 に陥らしめ更 に江北 の敵反攻を悉 く撃砕し赫 々
軍は茲 に本作戦開始後旬日にして第九戦 区を蹂躪し其 の戦力を撃
力実相 を中外に暴露す るの結果 に終焉せり。
然 れども我が精鋭兵団 の鋭鋒避 け難く脆 くも再 び完敗し其 の抗戦
中長 沙の確保と宜昌方面反抗には近来曾 て見 ざる戦力を集中 せり。
両角支隊 (〓歩兵 四大隊 、砲兵六中隊基幹)をして二十日沙市
第 三十九師団 東側より行動 を発起し第四師団鵜澤支隊 と共 に当面の敵 を撃砕 し つつ〓穴北方 に突進し第四師団主力 の作戦 に協力したる後 二十六 日沙市附 近に復帰せり。 第 四師 団 師団は長沙方面 より反転新墻北方地区に集結中十月九日襄西 地
合 戦 果
R 5 D, N 12 D,
183 D,
第3, 4, 9 団
江西保安
三 六、〇〇〇 一〇八、〇〇〇
一 、一〇〇
一〇、〇〇〇
六〇〇
六、〇〇〇
二、六五〇
二六、〇〇〇
三〇〇
二、〇〇〇
60 D, 40 D, 41 D, 44 D, 59 D, 90 D, 32 D, 133 D, 134 D, 140 D, N 10 D, N 11 D, N 14 D, N 15 D, N 16 D
40
14 Bs
D,
一
八〇
60 D, 140 D, 133 D, 13 4D
18 Bs
荒 木 加 藤
二〇〇
四
四
一 四
41 D, 44 D, 59 D, 60 D, 99 D, 102 D, 116 D, 130 D, 133 D, 134 D, 英雄部隊,挺7 縦隊
表
161
D
150 D,
D 39
物 に
合 計
五四、〇〇〇
属する各師の一部
部
一、二〇〇
一 二、〇〇〇 約 五〇〇、〇〇〇
一
七
二〇
四二
一 八八
四、三〇〇
一
六三三
一二五
133 D, 134 D, 4 A, 26 A, 58 A
接 なる協同 に拠 り軍 の作戦遂行を極 めて有利且容易 ならしめたり。
六、三〇〇
6 D, 13 D, 15 D, 37 D, 38 D, 56 D, 103 D, 180 D, T 51 D, T 5 D, 栄 1D, 威武部隊,游撃隊
昭 和 一六 、 一一、 一五 呂 集 団 参 謀部 調 製
四、三〇〇
124 D, 149 D, 162 D, N 4 A
二〇
一 一 〇
四二〇
三
四
一 七
一 六〇
三
二一
四二
七五
二
八
三〇
60 D, 79 D, 134 D, 197 D, N 10 D, N 11 D, N 13 D, N 16 D
34
( 各兵団部隊別) 一 覧
四、〇〇〇
補充 団,砲兵第55団,便衣隊
戦 に於 て第 三飛行団 の積極果敢なる協力竝 に海 軍第 一遣支艦隊 の密
附 表第 一
戦 綜
六五〇
13
D
一一 、八〇〇
一 〇〇
五
七
五〇〇
D
一 二〇、〇〇〇
D 6
六八、 八〇〇
D 4
四〇、〇〇〇
90 D, 92 D, 98 D, 99 D, 50 D, 140 D, R 4 D, T 5 D, 6 D, 9D, 13 D, N 33 D, 55 D, 56 D, 76 D, 77 D, 121 D, 139 D, 141 D, 185 D, 75 A
D 3
七二、〇〇〇
一 〇、三〇〇
一、一 五〇
一
一〇
六
一四
一 〇三
三、五〇〇
二六〇
二
三
五七
二三五
59 D, 102 D, 90 D, 60 D, 140 D, 95 D, 32 D, 41 D, 44 D, 51 D, 57 D, 58 D, 92 D, 134 D
一一 、二〇〇
一 、二〇〇
四
五
七
二 一
92 D, 98 D, 99 D, 95 D, 15 D, 59 D, 90 D, 133 D, 60 D, 195 D, 190 D, 134 D, 43 D, 3 D, 44 D, 197 D, 栄 1D, 游撃隊
沙 作
体
虜
一
四
二
一六
五七
一 六二
57 D, 58 D, 51 D, 3D, 59 D, 60 D, 32 D, 92 D, 90 D, 95 D, 99 D, 102 D, 140 D, 190 D, R 6 D, R 10 D, T 7 D, T 8 D
長
砲
分 都隊 別
砲
死
砲
棄
野 山
重
射
速
迫 撃 砲
交 戦 敵 団 体 号
遺
機
俘
重
機
交 戦 敵 延 兵 力
敵
主 軽 四
区
に
与
へ
た
る
損
害
要
歯
獲
品
小 銃
銃
一 八
四四
二、〇四二
一 〇
四
三〇〇
二五
一〇
二、〇六七
五二
一 〇
一、二九〇 二
九一 一 六
三九五 六
七〇七
六
二一二
一六、〇〇〇
三〇〇
三
筒
六、八二〇
弾
拳
四三、二〇〇
擲
二八〇
二、一 六〇
一 二
二、 八〇〇
二九
九八〇
三三
五〇、〇〇〇
六七
一 九
四、一四五
一 五
擲 弾 銃
一、〇〇〇
六〇、〇〇〇
三〇
一 五
一 、〇五六
二五四
八〇
二、 五〇〇
四
野 山砲弾
一 、一 〇〇
二六〇
速 射砲弾
一 三三、八〇〇
三、一〇 〇
重軽機弾
迫 撃砲弾
九〇
一、八四〇
一 〇
三〇
二八
一
三〇
七、六〇〇
一 六、〇〇〇
三八
三二三、〇〇〇
五二
一 四
三七四
一〇五
一二〇
四、〇〇〇
一
一七八
三、六三〇
九〇〇
三、五〇〇
一一、四〇〇
六、二〇〇 四、一 二七、〇〇〇
五八、二〇〇
七、五〇〇
二四〇
一四〇
一 二二
三、〇〇〇
二、八四〇
四七〇
六
三〇〇
一、三六五
五一、一〇〇
六
一一
三
二四〇
四二〇
三、八〇〇
一〇
一〇
二一
一 五〇
一二〇
一 八六
七六
一五〇
五、三一〇
一、六八〇
一 三五
三、五五〇
一〇
四
五
一〇三
一三五
一 九
一
一 五
一
六
四
七
三五〇
二
一四
二三
五〇
一
二二
三
一〇〇
二九
二四〇
二四、五〇〇 一一 〇、四〇〇
二〇〇、〇〇〇 一、七四七、〇〇〇
二九〇
五八、〇〇〇
三九三、四〇〇
五、九六五
一 五、八〇〇 一 三四、八〇〇 九九八、〇〇〇
弾 一 〇〇
三八八、五〇〇
小 銃
二〇、二〇〇
三七〇
九四〇
二〇〇
三六〇
二、三〇〇
六三〇
八、九〇〇
三、四〇〇
弾
一四、〇〇〇
弾
五一〇
銃
一五〇
四〇
三〇 七〇
七五
一〇〇
六一〇
四八〇
七三〇
四三
五
九〇
一、九〇〇
榴
一 〇
九二
拳
二四
手
擲 弾筒弾 雷
擲 弾銃弾 地
五六七
二
四二二
五二
四三二
二、〇〇〇
一二
二二三
一八一
二
一 、三四七
一
薬
一五
剣
一 〇三
爆
刀
銃 竜
一〇 一
一七五
青
七〇
三三五
一〇
二四〇
一四〇
四〇
一〇
三
一二五
六五〇
七八〇
三三 四
五
面
二四〇 四八〇
三 二八
四九〇
毒
八八三
八
一六五
防
匙
三八
六八五
円
鍬
字
五
十
二五
鉄 線 鋏 電 話 器
無 線 馬
機
七 三 一
二 一
二二 三六二
一一七 二二五
=
八三
一五七
一
一 八〇 一 五七
七 八 一 宍
二
(2)
一五
三〇
一
二
一 三
一 七
一 〇
六
二二八
一、一六八
一、六七〇
二
一、〇九二
七五
一四七
二
二四一
五九
七二
一 四
六〇
(272) (122)
八 二三九
Bs︱ 独 立 混 成 旅 団
五 、
七七
三七七
三二三
三二
ニニ
三
一、一五六
一五七
四
九六
一 〇 二〇六
五 三五 (37)一九八 (12)
電話交換機
軍
一、〇三四
二八五
(10)
二七
(18)
一
(1)三二三 (1)
一九九
R︱予備
(2)
一 八四
死 傷
馬
(41)二二 (25)一一
一〇〇
(14)
二二二
七 八〇
(27)
T︱ 暫 編
内 は 将 校 の内 訳 とす
N︱新編
(4)
(8)
戦 戦
死 二五二
行方 不明 戦 馬
2 、 我 が損 害 中 D︱師
六〇
七 五 (3)三一
(18)
(2) (8)
(17) (48)
1、本表 中第十 三師団 には早淵支隊 の戦果を、又独立混成第十四旅団には江藤、平野支隊戦果 を含む
傷
(30)
戦
七 三〇
我 が 損 害
備 考 ︹註 ︺ A︱ 集 団
一
(66)
( )
目
二 二
次
呂集戦月第 二号別冊
第 二次 長 沙作 戦 経 過概 要 ( 昭和十七年三月 呂集団司令部)
第 二十三軍 は八日香港攻略作戦を開始す。
に雲南、廣西方面に在 りし数個軍を緬甸国境 に推進し且我が香港攻
二、重慶政権 は米英 に策応 の為九日全面的游撃 の準備を命ず ると共
略作戦 を牽制 せんとして第七戦区 の兵力を廣東東方地区 に集中 し第
第 一、作戦前彼我 の態勢 第 二、集
中
第 三、戦闘経過 の概要
九戦 区より二個軍を抽出該方面 に転用 せり。
附 図第 一、第 二次長沙作戦 一般経過概要図 ︹ 以下略︺
第六、第 四十師団等 に出動準備 を命ず ると共 に第 三十四師団及独立
的を以て即時江南地区 に攻勢 を準備す るに決し十二月十 三日第三、
三、軍 は総軍 の意図 に基き第 二十 三軍及南方軍 の作戦 に策応す る目
西部第九戦区 の敵軍 配置附図第 三の如し。
第 四、支作戦方面
附図第 二、第 二次長沙作戦経 過要図 (其 の 一︱其 の二)
附 表第 一、第 二、第 二次長沙作戦綜合戦果 一覧表
附図第三、第 二次長沙作戦前 に於 ける第九戦区敵 軍配備要図
混成第十四旅団 に軍主力 の作戦 に策応す る目的を以て又江北各兵団
歩兵約六大隊、砲兵三大隊基幹)
歩兵約九大隊、砲兵三中隊基幹)
配属部隊︱ 独立山砲第 二聯隊、独立工兵二中隊 (一小欠)
第六師団 (〓
配属部隊︱ 独立山砲兵第五十 二大隊
第三師団 (〓
︹ 師団長︺
主作戦方面使用兵力 の概要
に対し各 当面 の敵 の反攻を顧 慮し夫 々戦闘 を準備せしむ。
附図第四、第 二次長沙作戦間敵軍移動状況要図 附録、第 二次長 沙作戦 に於 ける敵統帥指揮 の観察 第 一、作戦前彼 我 の態勢 一、十 二月八日米英 に対す る宣戦布告 の詔書渙発 せらる。 帝国陸海軍 は八日未 明太平洋域 の米英軍 に対し攻勢 を開始し赫 々 たる戦果 を獲得し つつあり。
第十四師団架橋材料中隊 第 一師団渡河材料中隊 第四十師団 (〓 歩兵約七大隊 、砲兵 二大隊基幹) ︹ 旅 団長 ︺
配属部隊︱ 独立山砲兵第五十 一大 隊 独立混成第九旅団 (〓 歩兵約二大隊 、砲兵 一中隊基幹) 但 し攻勢開始後戦場到着 澤支隊 ( 独立混成第 十四旅団 の歩兵 一大隊基幹) 外園支隊 ﹁独立混成第十八旅団 の歩兵 一大隊 ( 内武漢警備隊 の 一 中隊 を含む)﹂。反 転作戦 の中期戦場到着
︹軍 工 兵 隊 長 ︺
野 口支隊 (第三十四師団 の歩兵 一大隊)。反転作戦 の末 期 戦 場 到 着 軍 工兵隊 (〓 独 立工兵 二中隊、道 路隊 二、架橋材料中隊二 、渡 ︹野 戦輸 送 隊長 ︺
河材料中隊 二、自動車 二小隊) 第十 一野戦輸送隊 (〓 歩兵六中隊、軽 装甲車 一中隊、自動車 二 聯隊 、輜重九中隊 )
中
野戦 重砲兵第十五聯隊第 一大隊 (第 一中隊、大隊段 列二分 の 一
軍直轄部隊 欠 )独立 工兵 一小隊 力
2 、第 四十 師 団 は 二 十 一日頃 よ り逐 次托 〓 附 近 に進 出 し 二十 三 日
〓 口東 方沙 港 右 岸 に於 て攻 勢 を準 備 す。
3 、 第 三師 団 は概 ね 二十 五 日 頃迄 に第 六 、第 四十 師 団 の中間 龍 湾
(
自 十 二月 二十 四 日 至 十 二月 二十 七 日
4、 軍 戦 闘 司令 所 は 二十 二 日岳 州 に前進 す 。
橋 附 近 に集 結 し主 力 は 二十 五 日 早 朝 よ り の攻 勢 を準 備 し あ り 。
第 三 、戦 闘 経 過 の概 要 一、新 墻 河 ︱ 汨 水間 の戦 闘
軍 は二十四日夕攻勢 を開始 し夜半迄 に新墻附 近より下流及〓 口附
近左岸高地線 の敵陣 地を突破 し爾後 一部を以 て鹿 角半島部 の掃蕩及
旧粤漢線 に沿 ふ地区を追撃 せしめ主力を以 て關王橋方面 に追撃し敵
第 二〇軍主力を關王橋 、大荊街周辺 に於 て撃破したる後 二十七 日夜
迄 に概 ね長楽街附近より下流汨水 の線 に進出 し爾後 の攻撃 を準備す。
二十 四日夕新墻附 近及其 の下流 に於 て新墻河を渡河 し夜襲 に依
1、第 六 師 団
り当面 の敵陣地を突 破し二十五 日主力を以 て大荊街方面 に追撃 し
二十 六日大荊街、龍 鳳橋附 近の敵 を撃破し二十七日新市附近汨水 右岸 に兵力 を集結す。
此 の間右側支隊 ( 歩兵 一大隊) を以 て鹿角方面 の敵 を掃蕩 せり。
二十 四日日没後〓 口及其 の東方李丙〓附 近より沙港 を渡河当面
2、第 四十師団
〇軍主力を第六師団 の西方 よりす る攻撃と相俟 ちて東南方山地 に
つ二十六日關王橋 、陳家橋 の線 に進出し既設陣 地に拠 れる敵第 二
撃退 したる後 二十七日汨水右岸 に転進長楽街附 近に兵力 を集結 せ
の敵陣地を夜襲し二十五 日早朝 より二縦隊 となり敗敵 を撃破し つ
1、第 六師団 は二十日新墻附近より下流新墻河右岸地区 に集結完
一、軍は十二月十六日頃 より行軍及鉄道、船舶輸送 に依 り岳州南方
了し更 に主力 の集結地を河岸近く推進し渡 河攻撃 を準備 す。
地区 に集中 を実施す。
第 二、集
第 一飛行団︱協
)
り。
軍 は右第三師団 の獲得 せる態勢を利用拡大 し速 かに第三七軍 の包
の敵を駆逐して大娘橋東西 の線 に向 ひ進撃 中なり。
二 十 五 日早 朝 全 部 の集結 を待 つ こと な く 第 六 師 団 の直 後 を前 進
3 、第 三 師 団
さず第六師団は新市 、第四十師団は長楽街附 近に於 て架橋し二十 九
囲完成を企図すると ころありしも当時汨水 は著しく増水し渡渉 を許
く攻撃を開始 し達摩山北側を経 て前進せる第 三師団 の界頭市進出 と
日朝 より逐次南岸 に進出す るに至れ るを以て其 の完結を待 つことな
し 二 十 六 日同 師 団 の右 に転 移 旧粤 漢 線 兩 側 地 区 を南 下 し 一部 の敵
相俟ち て三十 日第六師団は磨 石山︱鴨婆山 の線敵第九五師 の陣地を
を撃 破 し つ つ同 日 夕 逐 次 帰 義 附 近汨 水 右 岸 に進 出 せ り。 当 時 汨水 は数 日 来 の降 雨 の為 刻 々増 水 し あ り 、 師団 は軍 の汨 水
当時長沙方面 の敵戦力は微弱 にして長沙直接守備 の第 一〇軍 一部
て第三七軍主力 に甚大なる打撃 を与 へ之 を東方山地内 に撃退 せり。
河 左岸 に進 出 敵 第 九 九 師 の 一部 を撃 破 し 爾後 の攻 勢 拠 点 を確 保 す 。 突破し第四十師団も亦鴨婆山以東敵 第六〇師 の主要 拠点 を奪取し以
南 岸 の敵 に対 す る攻 撃 企図 に鑑 み 二十 七 日 強行 渡 河 を決 行 し て同
支 隊
の外我が進攻 を阻止すべき敵第 二線兵団現存 せず軍 は今次作戦 の効
二十 五 日岳 州 到着 後 直 ち に戦 場 に急進 し 二十 七 日第 六 、 第 四 十
4、 澤
師 団 の 一部 と交 代 し關 王 橋 東 方 よ り 三江 口東 南 方 に亘 る要 点 を確
主力、歩兵 一大隊 、砲兵 一中隊)を以 て更 に其 の東方地区を所在
二十八日早朝 より主力 を以 て旧粤漢線 両側地区 を騎兵隊 ( 騎兵
加 せしめたり。 1、第 三 師 団
砲兵 一中隊基幹)を新墻河︱汨水間地区 に急進 し軍側背 の作戦に参
又予 て出動を準備しありし在武昌独立混成第 九旅団 (歩兵二大隊 、
果を最大 ならしむる為 三十 日主力 を以 て長 沙 に向 ふ追撃を開始せり。
)
保 し て軍 の左 側背 を掩 護 す 。 二、 汨 水 左 岸 の敵 に対 す る攻 撃 及 長 沙 に向 ふ追 撃 自 十 二月 二十 八 日 至 十 二月 三十 一日 (
新墻河南 岸 の敵第 二〇軍は東南方に退避 し大荊街、關王橋附 近に 於 て抵抗を試みたるも二十六日夜東南山 地内 に潰走 せり。 沙港上流黄岸市附 近にありし第五十八軍 は第 二〇軍 に協 力すべく 二十五日關王橋方面 に移動を開始せり。
各陣地を急襲突破 し更 に東方 に旋回して敵第三七軍陣地 の側背 に
の敵 を撃破し つつ南下 し牌樓舗、密岩山 、大娘橋附近第 九九軍 の
第九五、第 一四〇師)第九九軍 ( 第 九二、第九九師)を以て甕江附
殺到し其 の先鋒石川部隊は 二十九日界頭市 に進出し敵第 九五師 の
薛岳は軍 の進攻 を汨水南岸 に於 て阻止せんとし第三七軍 ( 第 六〇、 近 より以西汨水 左岸既設陣地を占領 し又修水地区第三〇集 団軍 ( 第
南方退路を遮断 せり。
系東側を経 て瀏陽河 の線 に敵を急追 す。
三十日未明軍命令 に基き 一斉 に長沙に向 ふ追撃を開始 し達摩山
七八軍、新編第 一三、第 一五、第 一六師) を平江方面 に転用 し以 て 持久を企図せり。 軍は概ね二十 七日夜半迄 に汨水 の線 に進出 し第 三師団は既に当面
右追撃 隊たるべき騎兵隊は追撃発起前連絡を失 し追撃 に参加す るに至らざりしも中、左両追撃隊 を以て昼夜兼行追撃 し三十 一日
開始し引続 き魚 口湾附近より磨 刀尖 に亘 る既設陣地を占傾 せる敵
部を以 て磨 刀尖 を確保 せしめ主 力を以て麻峰嘴を経て金井 に向 ひ
夕栗山港北方高 地より磨刀尖 の線 に進出 したる後軍命令 に基 き 一
爾後頑強なる敵 の抵抗を破砕して逐次其 の拠点を奪取し三十 日
第六〇、第九五師 に対し攻撃 を開始 せり。
を占拠 するに至 り主力も亦逐 次瀏 陽河 の線 に到達 同夜左岸 に進出
敵を追撃 し其 の先頭部隊は三十 一日夜半金井附近 に進出 せり。
午後左追撃隊 の先遣隊 は既 に磨盆州附近 に於 て瀏 陽河を渡河左岸
2、第 六 師 団
二十九日岳 州附近 に到達時 ﹁汨水以北軍 の左側背を安全 ならし
4、独立混成第 九旅団
し長沙攻撃 を準備 せり。 軍命令 に基 き渡河 を促進 せしも当時汨水は水深 一米 四〇乃至三
む べき﹂軍命令 に接 し全部 の集結 を待 つことなく直ちに關 王橋附
米 に増水しあり、架橋 を強行し二十 九日朝両翼隊を以て坡子街蘭 子河附近 に於 て渡河攻撃を開始し童家〓附近 の 一部 の敵 を駆逐し
)
我 が第 二十三軍は二十 五日香港を完全に占領 し廣東 々方 に集中中
て附近 は避難民大混乱 を呈し あり。
三十 日空中偵 察に依 れば盛 んに長 沙周壁 の防禦施設を強 化中にし
らず。
長沙直接防衛 の敵 は第 一〇軍なる こと確実 なるも其 の兵力明確 な
積極的動向を認 めず。
又第三〇集団軍は二十 五日前後逐 次平江附 近に到達しあるも未 だ
山系及其 の西方地区に圧伏 せら れあり。
汨水南岸 の敵 第三七軍 は金井北方山地内 に潰走し第九九軍は達摩
(
自 一月 一日 至 一月 四 日
近 に向 ひ急進 す。
市︱︱〓 梨市道 を〓梨市に向ひ追撃 せ
三、長沙攻略戦 及金井方面 の戦闘
泥濘中 を夜 に入るも前進 を続行す。 三十 日朝磨石山、鴨婆山 の線敵主陣 地前 に進出し飛行隊 の密接 なる協力と相俟ちて頑強 に抵抗す る敵第 九五師を力攻し逐 次北方 より敵拠点 を崩壊し つつ夕刻完全 に之を撃破 して東南方 に潰走 せ ﹁師団 は主力を以て〓梨市、 一部を以て長 沙 に向 ひ追 撃 す べ
しめ長嶺、麻峰嘴附近に兵力 を集結す。
花
き﹂軍命令 に接し三十日夜半追撃隊 ( 歩兵 二大隊基幹)を以て福 臨舗︱麻林市︱︱黄
しめ主力 は三十 一日未 明二縦隊となり追撃 を開始す。
なりし敵 は同方面 に対す る攻勢企図を放棄 したるものの如く第四軍
3、第 四十師団 師 団は關王橋附近より転進 し二十七日夜長楽街附近 に集結既 に
を第九戦区 に反転せしめ 一月 一日迄 に株洲附 近に集結す べく命ぜり。
軍 は戦捷輝く元旦第 三師団を以 て長沙攻撃 を開始 し同夕刻其 の 一
到着 しありし先遣隊を以て汨水渡河を準備 しありしも敵 の妨害 と 二十八日未明 一部を以て強行渡河し大 子河附近 の敵を駆逐して
部 は長沙東南角 に突入し更 に戦果拡張 に努 めたるも長沙守備 の敵 は
増水 の為未 だ前岸 に地歩を獲得す るに至 らず。 主力 の渡河 を掩護 せしめ架橋 を促進し、二十九 日朝主力 の渡河を
る協力 と相俟 つて南北東 三面 より長沙 を包囲し内部 の掃蕩戦 を開始
至れるを以 て二日夕更 に第 六師団を加入し第 一飛行団 の積極果敢 な
第 一〇軍三個師全力 にして市街戦 に依 り頑強 なる抵抗 を継続する に
隊 を撃破 し爾後長沙攻撃部隊 は歩兵団長統 一指揮 の下 に東北角 よ
安全 ならしめ主力を以て即時長沙東側に急進 し三日払暁敵城外部
撃す ベき軍命令に接 し 一部 を以 て〓 梨市附 近を占領し軍 の側背 を
洲方面 に対し警 戒す ると共 に爾後 の行動 を準備中 二日夕長沙を攻
戦 を展開し四日迄に長 沙市北半部 の敵 に殲滅的打撃 を与 へ施設大
り直接長沙攻撃を開始 す、 三日戦闘有利 に進捗壮烈果敢 なる市街
せり。
部 を覆滅 せり。
此 の間第四十師団 をして金井周辺 の残敵を撃攘 し又独立混成第九 旅団 を麻峰嘴附近 に進出 せしめ別 に独立混成第十八旅団 より歩兵 一
宇島部隊 (騎兵隊) は二十九 日以来王思岩、達摩東南側地区 に
進 せし敵第九五師と不期遭遇し又金井方面 の残敵背面より出撃 し
軍命令 に接 し三日夜打 鼓嶺附 近に集結中西北方花門楼方面より東
近 ニ集結 シ軍 ノ側背 ヲ掩護 スルト共 ニ爾後 ノ行動 ヲ準備 ス ヘキ﹂
師団 は新 に ﹁一部 ヲ以テ金井北方隘路 口ヲ占領 シ主力 ヲ金井附
る新編第 一五師を攻撃 し之 を東南方 に潰走 せしめたり。
又二日追及 せし戸 田聯隊 を以 て金井東 側大山坡高地を占領しあ
拗 なる反撃を悉く撃 退せり。
南高地 の敵を攻撃して之 を奪取し蒲塘方面 より南下 し来 る敵 の執
避 しある敵第 三七軍を撃攘す べく 二日早朝 行動 を開始し板茅田東
師団 は主力を以て 一日金井附近 に進出 し先づ蒲塘南側地区 に退
3、第 四十師団
保 しあり。
り敵第 二六軍主力 の攻撃 を受 けたるも之 を反撃 して各渡河点を確
〓梨市附近 に於 て警戒 に任じありし部隊 は三日夜及四日午後 よ
大隊基幹部隊 (外園支隊) を岳南地区 に招致し以て軍爾後 の反転 に 関し準備す ると ころあり。 一日正午稍 〓前より石 川部隊 を以 て長沙城外東南獅子嶺高地 一
1、第 三 師 団 帯 の敵 に対し攻撃を開始 し的野部隊 を其 の左翼 に展開長沙東端及 同南端 に向ひ攻撃前進 し数線 の既設陣地 に拠 れる敵 の頑強 なる抵 抗 を排除肉迫し つつ遂 に市内 の 一角 に突入 せり。 然 れども敵 は兵力 の優勢 を恃 み特火点及市街 の特性 を利用し長 沙死守を決意 しあり、二日夕第六師団 の長沙東北 方よりの攻撃開 始 と相俟ち て更 に戦 果を拡張 し果敢 なる近接戦闘を以て市内を掃 蕩 し四日夕頃迄 に概 ね長沙東南半部 を奪取し敵守備 軍に殲滅的損
於 て第九 二、第 一四〇師等 に属す る部隊を撃破し達摩山東側 に転
来 れるも四日夕刻頃迄 に北方 の敵を朱隣市東北方 に撃退したる後
害 を与 へたり。
移軍企図 に基き新橋 次 いで楓林港地区 に於 て当面 の敵 を抑留し軍
打鼓嶺西方高地 の敵 に対し攻撃 を開始せり。 4、独立混成第九旅 団
主 力 の反転を掩護しありしが師団主力 の該地進出 に伴 ひ復帰す。 一日瀏陽河 の線に到達主力 を〓梨市附近 に集結 し 一部を以 て株
2、第 六 師 団
源洞及三江 口方面 の敵を攻撃 し遠く之を東南 方に撃退 した る後澤
澤支隊 を併 せ指揮し二日払暁 以来關王橋及其 の南側 地区より洪
を企 図しありし敵第 五八、第二〇軍を攻撃 して之を影珠山 に封殺 し
軍を撃破し独立混成第九旅団をし て福臨舗附近要衝を占拠 し且塞撃
此 の間第 四十師団 をし て金井︱ 春華山間 地区 の敵第 三七、第 七八
又新 に招 致せし外園支隊及予め配備せし汨水南岸諸拠点占領部隊等
支隊を再 び軍直轄とし前 任務 を続行 せしめ主 力は長楽街を経 て摩 峰 嘴 に向 ひ転進四日朝より長嶺南方 に於 て敵 第五八軍 の 一部と遭
に依 り兵貼線 を確保し以 て軍主力 の反転 を容易ならしめたり。 1、第 三 師 団
遇之 を攻撃中なり。
軍 等 を南 下 せ し め 以 て我 が長 沙 攻略 兵 力 を包 囲 せ んと す る策 案
沙 方面 に急 拠 集 中 し 又〓 刀 河 以北 の第 二 〇 、第 五 八、 第 七 八 、第 九
六 、第 七 三軍 、 廣東 及廣 西 省 方 面 より第 四 、第 七 四、 第 七 九 軍 を長
〇 、第 一九 〇 師 ) を し て長 沙 を死 守 せし め 此 の間 第 六 戦 区 よ り第 二
夜〓梨市南側地区 に集結 せり。爾後患者約六百名 を護送 し つつ反
北岸 に進出 せしめ主力は敵 の砲 火を冒 して〓梨市方面 に転進 し同
渡 河点は既 に敵 の占領す ると ころとなり 一部を以て該敵 を攻撃 し
せし敵 と暗夜遭遇し之を撃 破し て翌払暁麻盆洲西側 に進出 せしも
四日日没後第 一線を撤 し反転 を開始す。途 中株洲方面 より北上
九
転 を継続 し追躡し来 れる敵第 二六、第七八軍等 を撃砕 し七 日朝牌
自 一月 四日 四 、反 転 作 戦 ( 至 一月 十 六 日 ) 敵 は長 沙 対 岸 岳麓 山 よ り の督 戦 に依 り 第 一〇 軍 ( 第 三、 予備 第 一
に基 き準 備 中 な る も のの如 く 極 力 企 図 を秘 匿 し長 沙 周 辺 に蝟 集 中 に
輜重片岡部隊を救出 し八日〓刀河河畔 に進出宇島部隊 を併 せ周辺
樓舗北方茶塘附近 に於 て四日以来敵 の重囲下 に奮戦中 なりし師団
軍 は以 上 の如 く敵 を長 沙 方 面 に牽 制 し南 方 軍 に策 応 の目 的 を達 成
の敵 を撃破 しつつ北 上十 日朝麻石山東西 の線 に達し同地附近 を占
し て概 ね 一月 五 日瀏 陽 河 畔 に到 達 す る の態 勢 に あ り。
し 且長 沙 市 内 大 部 の掃 蕩 を終 了 せし を 以 て 四 日夕 反 転 を 開 始 せ り。
領 して後方を整理すると共 に軍主力 の反転 を掩護す るの態勢 にあ
の反転順調 に進展す るに至り各 分派兵力 を掌握し十二日未明より
軍 主 力 は敵 の妨 害 を排 除 し て〓 梨 市 附 近 に於 て瀏 陽 河 を渡 河 し 五
も、 敵 第 五 八軍 既 に栗 橋附 近 を占 拠 し且 第 七 三 、第 九九 軍 等 達 摩 山
北進 を開始 す。途中新市南 方高 地 の敵第九九師を撃破 し 一部 を以
日夜 半 迄 に北 岸 地区 に集 結 を 完 了 し爾 後 第 三師 団 を麻 林 市 ︱ 福 臨 舗
東 側 及東 北 側 地 区 に進 出 し あ る の状 況 に鑑 み 青山 市 附 近 の敵 を撃 破
て新市西南側汨水南岸を占領 せしめ十 二日夕主力 を新市西北側 地
に第六師団を増援 し又外園支隊を指揮下 に入れ攻勢準備 中軍主 力
し 八 日夜 栗 橋 に進 入 せ ん と し あり し 第 六師 団 を福 臨 舗 方 面 に転 進 せ
区に集結 せり。
りし が更 に軍命令 に基き有力な る 一部 を以て独立混成第九旅団竝
し め十 日其 の反 転 を容 易 なら し む る為 軍主 力 を以 て福 臨 舗 附 近 に攻
︱ 伍 公 市 道第 六師 団 を麻林 市︱ 栗 橋 ︱ 新 市 道 に沿 ひ 反転 を実 施 せし
勢 を準 備 す ると ころ あ りし も 第 六師 団自 ら敵 の妨 害 を排 除 転 進 す る
四 日日没後第 一線 を撤 し二縦隊 となり〓梨市附近 に架橋せる橋
2、第 六 師 団
に至 り 一部 を 以 て麻 石 山 、 飄 風 山 の線 に於 て之 を 収 容 せ り。
達 し翌朝より青山市附 近天花山、観竹塘、姚家冲、漢家山等を占
の渡 河を容易ならしめたる後 六日朝北進を開始 し所在 の敵を撃破 し つつ楓林港を経 て反転 を継続す、七 日唐田店 及其 の東方地区に
も第 三師団 の渡河渋滞しあり軍命令 に基き四周 の敵 を圧迫し て其
梁 を渡河 五日払暁迄 に瀏 陽河右岸地区 に兵力を集結 せり、然 れど
之 に併行 して反転 を開始し敵 の妨害 を排除し つつ八日夕刻象鼻橋
に達し当面 の敵第 七八軍 を牽制 せり。
に敵を撃破し つつ麻林市東方地区を経 て六日夕刻春華山西方 地区
て大山塘附近を占領 せしめ主力は五日春華山 に向 ひ急進途中各所
大山塘附 近に残置し軍側背掩護 に任 じありし亀川部隊 は五 日以
七日春華山附 近の敵 を掃蕩中第三師団 の撈刀河 々畔進出 に伴 ひ
領 し我 が前進を阻 止せんとせし敵第五八軍、第 七三軍等を攻撃 し
西方高地及彭家坊 に達 せり。
来敵 の包囲攻撃 を受けたるも陣 地を確保し敵 第三七軍 を抑制しあ
て逐次敵陣 地を突破 し其 の先頭部隊を以て栗橋附近 に進出中 ﹁師 団 ハ福臨舗東側 ヲ経 テ界頭市 ニ転進 ス ヘキ﹂軍命令 に接し九 日未
爾後師団は軍 の福臨舗附近 に於ける攻勢企図 に基き九日古華山 に拠 る敵を撃破 し且両側 よりす る敵 の側撃 を排除し て麻峰嘴 に向
に完全 に之を収容 せり。
師団 は象鼻橋到着 と共 に亀川部隊周辺 の敵 を撃破 し九日払暁迄
り。
せり。
明三縦隊 となり先づ麻林市北側地区に集結す るに決し転進 を開始 然れども麻林市附近 には第三師団 に追躡し来りし敵第 四、第 二 且長 沙攻略戦より の患者及輜重 を携行護送しありて行動渋滞 を免
六軍 の主力侵入しあり師 団は九日夜以来之と熾 烈なる戦闘 を交 へ れず転進意 の如く進捗せざるも飛行隊 の積極密接 なる協力を得 て
一応麻峰嘴南側 区に態勢を整理したる後十 一日未明所命 の如 く南
ひ前進中更 に福臨舗北側 に兵力を集結す べき軍命令 に接したるも
反 転を容易 ならしむベき﹂軍命令 に基き南下 中六日未明福臨舗西
第 一一師 の 一部 と遭遇之を撃破 し ﹁麻林市 に向ひ前進 し軍主力 の
旅団は四日朝 より五日朝 に至 る間麻峰嘴附近 に於 て新編第 一〇、
4、独立混成第九旅団
経 て十二日夜長楽街 に達し兵力を集結 せり。
進 を開始中軍 の反転順調 に進捗するに至 り軍命令 に依り検市廠 を
自 ら難局 を突破し且敵に甚大 の損害を与 へて十日夜半福臨舗附近 に到達 せり。 師団は転進 のため著 しく他兵団 に遅れ追躡 する敵常 に周辺 に蝟 集す るの極 めて不利 なる態勢 にありしも爾後飄風山︱汨水間 地区 に於 て師団内各部隊 を交 々に収容し十三日夕蘭市河附近 に集結 を 完了 の上汨水右岸 に転移 し爾後 の反転 を準備 せり。 3、第四十師 団
に入れ影珠山 に拠り軍 の反転 を塞撃 せんと企 図しありし敵第 二〇、
側 地区に於 て敵第五八軍 と遭遇爾後追及 せる澤支隊 を再 び指揮下
ハ即時春華山 ニ向 ヒ前進 シ軍主 力ノ反転 ヲ容易 ナラ シムヘキ﹂軍
第 五八軍 を攻撃し且福臨舗附近 を確保し て軍主 力の反転を容 易な
四日朝 ﹁一部 ヲ金井附近 ニ残 置 シテ軍 ノ側背 ヲ掩護 セシメ主力 命令 に接 し先づ打 鼓嶺西側高 地 の敵 を夜襲撃破したる後 一部を以
此 の間敵 は兵力 の優勢 を恃 み福臨舗方面 に対し反復攻撃し来れ
らしめたり。
行団主力を以て極 めて積極果敢密接 に軍 に協力し特 に長 沙攻撃及爾
後 の反転間 に於 ける戦果甚大なるも のあり。 第 四、支作戦方面
一、軍は第 三十四師団及独立混成第十四旅団をし て軍 の岳州方面 に
るも旅団は悉く之 を反撃 し更に八日夜歩兵二中隊基幹 を以 て影珠 山 の敵本拠 を夜襲 し第五八軍部 を蹂躪 し附近 の敵に甚大 なる損害
於け る作戦 に策応 し有力な る 一部を以て十 二月 二十四日頃より当面
撃滅 する目的 を以 て十二月二十 三日夕迄 に主力を西山萬壽宮東北
師 団は軍主力 の作戦 に策応し南 昌西南方 の敵新編第 三軍 を捕捉
1、第三十四師団 (進攻兵力歩 兵約六大隊基幹)
の敵 に対し攻勢 を実施 せしめ たり。
を与 へ以て当面 の敵主力を抑留 せり。 爾後軍 の後尾第六師団 の福臨舗附近 に到達 するに及 び十 一日反 転を開始 し十 二日夕汨水 右岸蘭智橋附近 に到達 し澤支隊 を陳家橋 に至り軍 の側背を掩 護せしめ其 の蘭智橋通過時 を以 て旅団長 の指 揮を脱す。
抵抗 する敵 を撃砕し風雨を冒して敗敵 を急追二十七日夕高安及其
進 を開始 し高安北方米峰、狗山 、蓮花山 の線主陣 地 に於 て頑強 に
側 地区、 一部 ( 右側支隊)を安義 附近に集結したる後 二十 四日前
六日岳州 を出発昼夜兼行戦場 に急進し九日界頭市北側 に進出敵
5、外 園 支 隊 第 九九軍 に属する有 力なる部隊 を攻撃 し軍 の反転 を掩護したる後 十 一日敵 と離脱 一時第 三師団 に配属せられたるも十 二日蘭智橋 通
爾後主力 は高安及其 の西北地区を根拠 とし周辺 の敗敵 を掃蕩す
の西 北方 一〇粁嶺前張 の線 に進出 せり。
ると共に敵諸施設 を覆滅 し三十 日より更 に龍團橋、村前街附 近を、
過 の時 を以 て再び軍直轄 となり陳家橋附 近に至 り軍 の側背掩護 に 任 ぜり。
の敵 を攻撃 し以 て敵 第 一八三師 、新編第 一 二 師及江西保安団 に潰
滅的損害 を与 へ本作戦 の目的 を達成し たるに依 り軍命令 に基 き 一
有力 なる 一部 を以 て錦江右岸江西保安司令部所在地単家墟街附近
り、弾薬等補 充亦意 の如く ならず 相当困難 なる状況 にありたるも斉
月 三日反転 を開始し概ね七日原態勢 に復帰せり。
以上 の如く軍は四日夕以来戦場 に蝟集 し来 りし敵九個軍二十数個
整 なる反転を実施 し且敵 に甚大なる損害 を与 へ遂 に敵をして影珠山
師 の追撃を撃 砕し特 に各兵団共 に多数 の患者及輜重を携行護送 しあ
北方 に於 て追撃 を断念する の已むなきに至らしめたり。
旅団は軍 の作戦 に策応 し特 に当面 の敵第三〇集団軍 が平江方面
2、独立混成第十四旅団 ( 進攻兵力独立歩兵 四大隊基幹)
軍主力 の戦場 に転用中 なるを抑留撃滅 する目的 を以 て十 二月 二十
軍 は十三日汨水右岸地 に於 て後方 を整理した る後十四日より更 に 北進を開始し微弱 なる敵 の妨害を駆逐 し十五日概ね新墻河 ( 沙港)
三 日夜〓溪附近より攻勢 を開始し途中微 弱なる敵を駆逐し つつ修 水右岸 に沿 ひ進攻す。
以北 に到達 せるを以 て今次作戦 を終結し逐次原態勢 に復帰 せり。 本作戦間第 一飛行団は初期第 四十 四戦隊を以て、 一月五 日以後 飛
其 の先鋒部隊 は二十五日朝武寧南方拗頭坪、下石〓 の高地 を占
旅団 は当面 の敵 の防務交代直 後態勢浮動 に乗じ第四五軍 に徹底
1、独立混成第十八旅団 (進攻兵力 独立歩兵 三大隊基幹)
次黄家集 、安陸附近 に兵力を集結 し二十四 日夕敵 の警戒部隊 を駆
的打撃 を与 へ其 の蠢動企図を破摧 する目的 を以 て二十日頃 より逐
領 せる 一〇〇〇 を下らざる敵 に対し攻撃 を開始する に至 り逐次到 着 する部隊 を加入し て完 全に敵 を包囲 し二十六日朝 迄に之 を潰滅 更 に翌 二十七 日其 の西南方 一 二 粁柳山附近 の第二線陣 地に拠り
せしめたり。
張家集 に向 ひ突進同 日夕張家集 及其 の北方 の敵を潰走 せしめた る
二十五 日黎明攻撃を開始し廣 川両岸 地区 の敵陣地を急襲突破し
逐 し つつ長壽店北方地区 に進出 し翌払暁 の攻撃を準備す。
敵 の本拠 三都 に向 ひ突進二十 九日夕 三都附近修水南岸 に敵 を捕捉
後夜半南方 に反転し残敵を掃蕩 し つつ二十七日夜黄家集附近 に帰
我が進攻 を阻止 せんとせし有力 なる敵 を猛攻し之を追撃 して長駆 撃滅 し且其 の 一部は水深 三米 の修水 を強行渡河し日没前 三都 に突
2、第三十九師団 ( 進 攻兵力歩兵約五大隊砲兵三大隊基幹)
を蒙りた るも のの如く爾後慴伏す るに至れり。
敵 は防務交代直後第 一線主要拠点 を蹂躙 せられ相当大 なる打撃
還 せり。
旅 団主力 も亦翌払暁迄 に渡河 を完了し三都周辺要点 を占領 して
入之 を占領 せり。
敵 は三十 一日朝以来 三都奪還 を企図し東南 北三方面 より反復攻
掃蕩 を開始 せり。
約 二大隊を襄東 地区に派遣す るの準備 にありし為 一時待機し二十
執 るに決したるも隣接 独立混成第十八旅団 の作戦 に策応 の為歩兵
師団は敵 の反攻企図を破摧す る為先づ速 かに当陽 地区 に攻撃を
〓 に攻勢発起以来神速果敢終始敵 を急襲し新編第 一四師等 に甚
撃 し来 れるも悉く之を撃砕 し周 辺に敵影を認 めざるに至 る。 大 なる損害 を与 へると共 に其 の本拠三都を覆滅 し以 て修水河谷 の
陣地を突 破し第 一三二師 の本拠東鞏を包囲せしも敵 は既 に四散潰
北方、左攻撃縦 隊を以て東鞏南側正面 に達 し三十 一日各当面 の敵
三十日各 一部 の敵 を撃破 し つつ前進し右 攻撃縦隊 を以 て東 鞏東
集結し三十日攻勢 を開始 せり。
七 日其 の必要消滅 するにより直ち に羅家集及観音寺附近 に兵力を
﹁旅図 ハ攻撃 ヲ中 止シ適時反転 ス ヘキ﹂軍命令 に接 し 一月 一日
敵 を潰乱 せしめたり。 朝反転 を開始し概ね進行路 を敵 の追躡を受くることなく四日〓溪 二、軍 は敵が十 二月末 を目途 に全面的游撃を準備 しあるも軍 の岳南
べく峻嶮 なる山岳 地帯 を昼夜転進を強行し 一月 二日洋坪北側敵 の
走しあり師 団は直 ちに遠安北方洋坪附近 の敵第 一七九師を急襲 す
附 近に到着 せり。 方面作戦を牽制せんと企図 し第五、第六戦 区方面 より反攻 に転移す 江北兵団は機先を制 して当面 の敵を攻撃 し或 は敵を誘致し て之を
に逃避せるを以 て翌払暁 より其 の西側高 地に拠 れる残敵 を撃破 し
背後 に進出 せしため敵 は全く意表を衝 かれ倉惶 とし て西方山 地内
る ことあるべきを予想 し江北各兵団 に戦 闘準備 を命じ たり。 捕捉殲滅し以 て敵 の出撃企図を完全に破砕 せり。
の如 く有 力 な る部 隊 を捕 捉 す る に至 ら ざ り し も多 大 の衝 撃 を 与 へ
全 く 不意 を衝 か れ真 面 目 の抵 抗 を準 備 す る の遑 なく 退 避 せ し も の
嶮 峨 々た る山 岳 地 帯 を敵 の予 期 せざ る方 面 よ り急 襲 せ した め 敵 は
遠 安 を 経 て警 備 地 区内 に帰還 せ り本 作 戦 は標 高 一〇 〇 〇 米 余 の峻
方面 に来襲せる敵 の小出撃 を悉く反撃 して敵 の反攻企図を破摧 せ
師 を攻撃し多大 の損害 を与 へて潰走 せしめたる外信陽及其 の他 の
隊 、配属軍戦車隊基幹) は下旬随縣正面に進出 し来 れる敵 第二七
師 団 は十 二月 二十 六 日頃 迄 に略 〓敵 の出 撃 企 図 明 瞭 とな れ る を
部 の協力 を得 て二十七日より之 が討伐 を開始し二十九日孝感北方
松尾大隊 及戦車隊 を併 せ且大坪飛行戦隊、独立混成第 十八旅団 一
す るに至 れるを以 て師団は長沙作戦 より復帰直後配属せられたる
下旬敵第 五五、第八四軍等 に属する部隊孝感、黄 陂地区に潜入
り。
以 て敵 の反 攻 企 図 を挫 折 せし め 得 た り。
以 て其 の蠢 動 初 動 に於 て之 を捕 捉 撃滅 す べく 二十 八 日夕迄 に有 力
3 、第 十 三師 団
な る機 動 兵 力 を 鴉鵲 嶺 附 近 に集 結 し 一月 八 日頃 に至 る間 に於 て侵
以上 の如く敵は軍 の岳南 地区に作戦 を開始するや第 五、第六戦区
道 士冲附 近に潜伏中 の敵 第 一八九師約 三〇〇〇を包 囲殲滅 せり。
二 次
長 沙
3
D
作
戦 綜
合 D
戦
果 s
B 9
一 覧 表 澤 支隊
外園支隊
加藤部隊 軍直部隊
計
合
昭和十七年 二月十 日 呂 集 団 参 謀 部
戦 果 計
策応作戦
計
各兵団の為機先を制 せられ積極的行動 に出 るに至 らず慴伏せり。
漢 、其 の他 の主要拠 点奪 回を厳命 し賞罰を以て之 を督励 せしも我が
をし て予て準備しありし全 面的游撃 を即時発動せしめ更 に宜昌、武
入 し来 れ る約 二個 団 の敵 を〓 馬 崗 、玉 泉 山 、 古 老 背 地 区 に於 て捕
爾後陳誠は第 九戦区 に策応 の為頻 りに出撃を督励 せしも敵第 一
捉 殲 滅 せり 。
線部隊 は既 に出撃部隊全滅せられたるに極度 の不安 を生じ遂 に蠢 動す るに至らず慴伏 せり。 師団は更 に中旬 に至 る間第二期掃蕩戦 を継続 し以 て敵企図を挫 折 せしめたり。 4、第 三 師 団
第
部 隊別
D 6
師団主 力出動間留守警備隊 ( 長塘少将歩兵約 六大隊、砲兵 一大
分
附表第 一
区
40
戦 体
敵 号
銃
弾
弾
三六、〇〇〇 一 〇、四七二 一四三
五 二一
七六 一、〇〇〇 一
一一〇 四
六〇 三八、〇〇〇
一六一、〇〇〇 二、 四〇〇 一〇〇 一八〇
77 D, 95 D, N 11 D, N 13 D
二四〇、〇〇〇
三一〇
一 三
二九
七
一、四二五
六九
二三
一
二 二六
七、二四二
七〇、〇〇〇
190 D, 390 D, 33 D, 41 D, 44 D, 98 D, 138 D, N 8D, 133 D, 32 D, 一五〇
三、〇〇〇
二〇五、〇〇〇
三八、五〇〇
二四三、五〇〇
一 、〇六五
三、〇〇〇
三
三、〇〇〇
六二二
二〇
一〇、〇〇〇
二
六三
八〇、〇〇〇
四四三
一四
二 二二
二八、六一二
一
一三
三、四二九
四、七七〇
六
六四
二三、八四二
五〇
七五四
四六
一 五八
一 六三
二
二、六七五
一 五
二三
三八、一〇〇
一 〇
三八、一 〇〇
八五二、〇〇〇
一一、三〇〇
四六八、〇〇〇
一 八八
三 九二
二、五〇五
八
五二
二、五〇五
一 八〇
三四〇
三八四、〇〇〇
一三
一九一
N 10 D,
二、六〇〇
一一、三〇〇
一 五一
一、八六〇
一
一
一
一 〇
一 〇〇
七〇〇
一一
三、 八八九
一 〇
七、三〇〇
一
三 〇〇
二、七〇〇
N 11 D,
二、〇〇〇
D, 一 〇〇
一 四〇
八
134 D, 三四〇
一
八〇
八
五
N 11 D 五
二九
六九
五 一 三五 四 一
三 、七〇〇 五九、〇〇〇
九〇
一一
N 11 D, 133 D
一 八
99 D, 197 N 15 D, N 16 D
一 、六一 八
N 10 D, N 16 D
九〇八
133 D, N 10 D,
七一 〇
133 D, 134 D, 60 D, 95 D, TS 4D, N 13 D, N 15 D, N 16 D
140 D,
交 団
砲
虜 射
機
速
重
機
砲
軽 銃
撃
小 銃
弾
小 銃
擲弾 筒弾
擲弾 銃弾
拳
軽 機 弾
重 機
迫 砲 弾
擲 弾 筒
擲 弾 銃
拳
迫
俘
遺棄 死体
交 戦敵延兵力
敵
に
与
へ
た
る
損
害
95 D, 99 D, 133 D, 92 D, 3 D, 9 D, 170 D, 140 D, 77 D, R 10 D, N 13 D, N 15 D, 59 D
並
に
主
手 榴 弾 三
三、二〇〇
面 二五五
剣
薬 類
刀 毒 四九二
二 貨 側
一
三〇八
︸
匙
四八六
雷
地 火 銃
防 円 字
鍬
線 鋏 機
十
話
鉄 電
貨 車
三、三二五
二
数
一 〇三
五〇〇
一六〇瓩
多
車 車
一
三 三
一、一 〇〇
一八〇 六二
二六〇
九〇
四二
三
六
八
四
一 九
三瓩
六
四
四
四
一 五
二四 二 五一
一一
一
一五
一 一
二〇三 (一〇)
車
無 線 機 側
一 六四 (一三)
二 七七 (一 二)
七〇屯
(二八)
五七一 (五七)
一、〇〇〇屯
五二三 (五八)
一、三八八 (五四)
貨 米
死
一、四一九 (七二)
馬 戦 傷
四七五
四六一
戦
三 六八
一 八九
二〇六
死 馬
二八〇
( )内は将校 の再記とす
一一 〇
戦
馬
戦 傷
考
四
七
一
五〇
一、七九四
九、九一 三
一七二 瓩
八、一一九
火
七〇 五〇
二 〇六
ダ
一 二〇
ダイナ
マイ ト
七〇
八六
一七二瓩
五一七
一四
一 、五六一
黄 色薬五〇 黄
一 二
五四六
一、〇四四
二
一 二九
(九五)
一、四六二
七
(一三)
一二九
一九
一、五九一 (一〇八)
二六
四
四一 七
一、六〇〇 ︸ 外多 数
七五三
一四
二五
︸ 外多八数四七︸
五
一 八
六八 (一)
二
七
一
九
一
車 三
貨 車 五
六 (二)
一、〇七〇屯
側
車 五 車 三
一 五 (一 )
一、 一二〇
四、四一二 (二四一)
一 、〇七〇屯
貨 側
二四 (二)
三一 (二)
四四
三八三 (二一)
四、〇二九
一〇九 (一〇)
(二二〇)
六四六
一、〇七六
六一 五
三一
二一〇 (五)
七
三 一
二四 (二)
六
七 七
要
獲
品
我 が 損 害
備
七 七
鹵
附 表第二
区
第 分
隊
沙 作 D
D D D
戦
D
D D D D
(支作戦) 戦 D
D
i s
N
D
34
三 次 長 部
体
力
敵
兵
砲
死
戦
延
砲
虜
射
機
撃
重
銃
機
速
小
銃
筒
銃
弾
弾
弾
撃
弾
擲 迫
銃
擲
拳
軽
迫
棄
交
敵
号
遺
体
戦
俘
主
要
な
小
擲 弾 筒 弾
果 表 D
D
D
五四〇
五 、 五〇 〇
i s
三 、〇 六 〇
九 八 二三 四 一六 四
八二 八 二 、 四〇 〇
三 四、 ○ ○ ○
三五二
四
一
七四
四
六八
一五 、○ ○ ○
八
二四〇
七七〇
二
六
一 一
四
二 二七
三一
四
二二〇
四、○○○
匪鄭家良匪
九、五〇〇
D N
A
14
D
D D
昭 、 一七 、 二 、 一〇 調
呂 集 団 参 謀 部
七三〇
九、○○○
四、七七〇
三 八 、 五 〇〇
計
六七〇
二
六二二
一四
七五四
六四
一三
一
二二
一
三八四、○○○
九〇八
一 一
八
一 一、 ○ ○ ○
一 一
一〇
四三
一
一三
五 、○ ○ ○
二
八 一
五
五 九四 一
四五〇 二四 七 、 二 〇 〇
D
18 B s
127
125 162
14 B s
,第3挺 進 縦 隊,人 民 自衛 隊,保 安 第3,15 団 N 13 N 4
132
39
,游撃 隊 38 179 D
団
交
敵
に
与
へ
R 4 103 141
R 5 D, 12 7 9 183
13 5 18 139 179 ,游
栄1
た
る
損
害
備
る
鹵
獲
品
地
刀
剣
雷
弾
擲 弾銃 弾
九
二
八〇
一
二三四
一八
一
三四三
六 一
九二四
二
四七
四二
一九 〇
七
三六
一六
三〇〇
一四 六
一 一
一
五四
一〇
一七
︸
︸
七
一 一二
七三
一五
三四
銃 竜
面 二三七
二六
榴
青
毒
二一 〇
四
手
防
九
匙 鍬 四
三
円 字
鋏 二
一 一 一
十
線 器
五二
一、 七 九 四
一二〇
五 一七
一二
一二九
七五 三
一八
七〇
五 七〇
五〇
一
鉄 話
一七
一二 九 (一三)
一九
二一
三 一
四四
二 〇 (四)
三
一 一( 一)
六
三 八 三 (二 一)
四
五三 一 三
三
六九(六)
一 一
五 一(二)
一三
電 ダ イ ナ マイ ト
三三
五 八 (六 )
薬 馬
一九 (二)
色
軍 死
黄
戦
六
我
一 一
二四
六 九 (三)
馬
馬
傷 死
戦 戦
戦
傷
が 損 害
is ︱ 独 立団
( ) 内 は将 校 内 訳 とす B s︱ 独 立旅
N︱新編
一四 一(一〇 )
考
︹註 ︺ D ︱ 師
二三
列 国 関 係 調整 の新 な る 工作 に入 る こと
は か る こと
昭和 研 究 会 支 那事 変 対策 委 員 会 )
支 那 事変 対 策 草案 ( 漢口戦終了前後に於ける)
④
(昭 和 十 三年 九月 三十 日
一、 漢 口攻 略 を機 とし て揚 子 江 を南 縁 とす る広 大 な る支 那 大 陸 に於
一、 か か る地 域 と そ の地域 に も とづ く 新 体制 を 編成 す る の第 一着 手
け る 軍事 占 領 地 区 を持 つ に いた れ り。 この地 域 は外 縁 に於 て な ほ多 少 不 明確 な る部 分 を含 み加 ふ る に そ の内 部 に於 て治 安 の乱 れ た る部
を 発 す べ き こと
支 那民 衆 ( 敵 対 及 び 友 好両 側 の) 日 本 及 び 世界 に呼 び かく る声 明
として
括﹂
こ の地域 を中 心 と し て我 が政策 を集 中 的 に遂 行 す べ き も の とす 。
分 あ り と雖 も、 ほ ゞそ の輪 廓 と範 囲 と を明 か にす る こと を得 たり 。
﹁概
日本 が本 来 こ の戦 争 を遂 行 し つ つあ る 目 的︱︱ 支 那 に対 し領
土 的野 心 なき こと 、 日本 の民 衆 は支 那 の民衆 を憎 む意 思 毛 頭 な き
①
奥 地残 存 政 権 と の抗 争 体 制 を新 編 成 し 、
こと、 他 日 の東 洋 平 和確 立 を期 し 、 蒋 介 石 政 権 に よ る誤 れ る対 日
右 声 明 の内 容 とし て は
① 内 部 の建 設 を 急 ぐ 。
政策 を粉 砕 す る目 的 を 有す る に と ゞま る こと
一、 こ の区域 を中 心 と し て
②
a、治 安 の早 急 な る 確 立
共 産 主 義 と支 那 が
b 、新 政 権 の発 展 統 合 を助 長 す べき こと
支 那 が日 本 の決 意 の深 さ と実 力 の評 価 を 誤 り つ つあ る結 果如
す る も の な る こと 。 日支 相 と も に東 亜 建 設 ( 復 興 ) の理 想 に手 を
の行 為 は東 洋 の自主 的勢 力 を樹 立 せ んと す る 日本 の理想 とも背 馳
何 に多 く の犠 牲 を払 ひ つ つあ る か に つき 反 省 せ し む る こと 。叙 上
②
手 を 切 る こと 、 反共 産 主 義 結 合 の提 唱
日本 国 内 の政 治 、 経済 機 構 を再 編 成 す る こと
c、経 済 建 設 を 遂 行 す る こと ③
兵
これ に基 い て a、 駐
b 、 経 済 建 設 に協 力 す る た め、 資 本 、技 術 、 労 働 力 の輸 出 を
携 へて進 む の日 近 き こと を望 む も の な る こと 。
す る 一政府 ) は 必ず し も均 質 のも のに あ らざ るを 以 てそ れ ぞ れ個 別
個 の自 然 な る発達 の中 か ら自 ら 綜 合 的 政 権 と な る こと を待 た ん と す 、
的 に発 達 せし む べく 助長 し、 こ れを 一気 に統 合 す る の方 策 を避 け各
従 つて無 理 に ﹁新 体 制﹂ 全 般 に わ た る機 関 及 び 中 心 人物 の作 成 の方
然 し な がら 東 亜 の復 興 は決 し て列 国 に対 す る排 除 的 政 策 を意
味 す る も のでは な く 、 む し ろ新 秩 序 の建 設 に対 す る列 国 の協 力 を
( 3)
望 む も のな る こと。 ︱︱ 今 や 世界 を挙 げ て大 戦 の危 機 に駆 ら れ つ
策 を とらず 。
一、日 、 満 、支 三 国 に よ る東 亜 政 策 聯 絡 機 関 を 設 く る こ と 。 (こ の
要 す。 )
式 の小 う るさ き干 渉 を可 及 的 に少 な か ら し む べく 注 意 す る こと を
(注意 、支 那 人 の自 主 的 政府 と し て の発 展 を助 長 す ベ く 、 日本 人
政 府 と見 做 す。
こ の各 政 府 代 表 会 議 の常 任委 員 会 議 を 以 て暫 定 的 には新 支 那代 表
づ く )代 表 に よ る全 国 代 表 会議 を 設 く る も 一方 法 な り 。
これ と と も に各 政 権 よ り 一定 の比 例 ( 住 民 人 口そ の他 の諸 条 件 に基
当 分 の間 これら 各 個 政 権 の聯 絡 代 表 会 議 を 設 く る こと を可 とす 。
つあ る時 、 日本 は東 亜 の平和 を 独力 を以 て回 復 し 、 この 一角 よ り 世 界 平 和 に貢献 せ ん と期 し つ つあ る こと。 等 が触 れ る ベ き で あ る。 記
一、特 に ﹁蒋 介 石 を相 手 に せず ﹂ と の強 調 を 必要 と せざ る ベし 。
附
二 、 三民 主 義 と の理論 闘争 は避 け る方 よか る べし 。 三、 宜 言 そ れ自 体 の効 果 を過 大 に評 価 す る こと は誤 りな り 。 四 、宜 言 発 表 の時 期 は武 漢 攻 囲 の情 勢 ほ ゞ完 成す る時 を選 ぶ べし 。
安 、 北陜 、湖 南 、 江 西 南 部等 に進 撃 す る が如 き こと あ り とす る も こ
一、治 安 、 駐 兵 (駐 兵 地 、兵 力 量 の決 定 ) 新 支 那 の軍 備 、 外 交 、経
場 合 、東 亜 聯 盟 の如 き新 機 構 も 問 題 と な り得 べ し)
一、漢 口攻 略 戦 と前 後 し て廣 東 攻 撃 等 のこと あ り と し或 ひ は将 来 西
れ は 厳密 に叙 上 の ﹁体 制 ﹂ の構 築 も し く は維 持 を 目的 とす る戦 略 的
﹁具 体 的 方 略 ﹂
a、国 内 政 治 中 枢 機 構 と の密 接 な る聯 絡
一、 経 済 建 設 に つ い ては支 那 の民 族 資 本 の参 加 を出 来 得 る限 り要 請
る こと に つ い て考 慮 の必要 あ る べし 。
は揚 子 江 の 一定 の地 域 を経 済 上 の見 地 より 、 特 殊 地帯 と し て設 定 す
一、 蒙 疆 そ の他 を 国防 上 の見 地 より 、 ま た 、京 津 地方 、山 東 、或 ひ
( 東 亜 聯 盟 ) の決 定 に ま つベき こと 。
済 ブ ロツ ク問 題 、経 済 建 設 のプ ログ ラ ム等 は総 べ て こ の 聯 絡 機 関
乃 至 は謀 略 的効 果 を挙 ぐ る場合 に のみ之 を行 ふ べき も のとす 。
一、 対支 政策 の中 心遂 行 機 関 た る対支 中 央 機 関 の活 発 な る運 用 を期
b 、現 地 に於 け る現 存 諸機 関 と の密 接 な る聯絡
し能 ふ限 り支 那 民 族産 業 発 達 の要 望 に添 ふべ き こと 、 日本 内 地 産 業
す。
c、官 僚 的事 務 取 扱 機 関 に堕 せ ざ る を要 す
と の摩 擦 は こ れ を さく るに つとむ べき こと 云 ふま でも な し。
d 、支 那 を知 る人 々 の知識 の動 員 な ら び に これ を組 織 化 す る こと 。 一、 支那 に於 け る新 政 権 (北支 、中 支 、蒙 疆 及 び将 来 武 漢 を中 心 と
資 源 追 求 政 策 の行 き 過 ぎ は警 戒 す る こと を要 す 、特 に中 支 の場 合 に於 てし かり 。 一、 市 場 安 定 政策 に留 意 す ベし 、 占 領 地 域全 般 に わ た る経 済 的復 活 を阻 害 し つ つあ る原 因 は可 及的 速 か に こ れを除 去 す る こと を要 す 。 一、 確 乎 た る幣制 の確 立 を は か る ベき こと 、少 く と も法 幣 崩 落 の場 合 の対 策 を 用 意 す べ き こと。
よ る東 亜 の自 主 的 性 質 の増 大 を意 図 す ると 雖 も 、列 強 に対 す る排 他 的 政 策 の採 用 を意 味 せず 。
原 則 と し て列 国 の支 那 に有 せ し 諸権 益 は こ れを存 続 せ し め るも の
今 後 と雖 も列 国 の投 資 、 貿 易 活 動 の如 き は歓 迎 す ると ころ で あ る。
であ る。
イ ギ リ スに対 す る政 策 は特 に慎 重 な る を要 す 、
問 題 は イギ リ スが過 去 に於 て日 本 に対 し て採 りた る政策 に は非 ず
し て、 現実 に彼 が東 亜 に占 め る実質 的 地歩 で あ る。 終 局 の目標 は彼
こ の場 合 支 那銀 行 家 の協 力 を 獲 得 す る に努 む べ き こ と 。 ( 今 やか
を し て蒋 政 権援 助 を断 念 せし む る こと で あ り更 に積 極 的 に日 本 に協
力 せ し む る こと に あ る。 蒋 を し て屈伏 せ しむ る行 為 に出 づ る こと も
か る可 能 性 は 既 に現 は れ つ つあ り と 云 ふ)
a、 必 要 か つ有 効 な る軍 事 行 動 を常 に用意 す る こ と を要 す 。
一、 奥 地 残 存 政 権 に対 し て は、
一、 日支 経 済提 携 の可 能 な る範 囲 及 方式
に そ の現 実 的 な矛 盾 を如 何 に解 決 す べ き か
一、 東 洋 聯 帯主 義 と 日本 主 義 と の矛眉 、 世界 的 協 調 主 義 と の矛盾 特
一、 東亜 聯 帯主 義 確 立 の可 能 性 如 何
支 那問 題 対策 を考 慮 す る に際 し て 二 三 の疑 問 及 課 題
有り得る。
の場 合 内 部 の半 封 建 的 諸 関 係 に つ い て の利 用 は充 分 留 意 す べし 。
b 、 謀 略 の可能 な る範 囲 は次 第 に増 大 し つ つあ り と認 め ら る、 こ
積 極 的 に反 蒋 運 動 の発 展 を期 待 し 得 ず と す る も、 地 方 的 勢 力 の
一、所 謂 謀 略 は 単 に我 が 方 の利 益 の ため に利 用 す る建 前 をと ら ず 、
一、 新 東 洋 ( 東 亜 )聯 盟 の樹 立 方 式
保 境 安 民 的 消極 的 運動 を起 さ し む る に つと む べ し。
て、
相 手 方 の利 益 を も 考慮 せ る広 き立 場 に立 つを 可 とす 、 こ の意 昧 に於
一、 北 支 を特 殊 地帯 たら し む べき こと の可 否
の可 否 )
一、 反 共 問 題 を如 何 に取 扱 ふ べき か ( 防 共 を 一切 の枢 軸 と す る こ と
可 とす 、 そ の他 失業 イ ンテ リ の救 済 、授 職 の如 き は必 要 か つ有 効 な
支 那 に於 け る 難 民 の救 済 運動 の如 き は 大規 模 、活 発 に起 す こと を
り。
一、 国 内 政 治 組織 の変 革 (略 )
一、 支 那 に 対す る領 土 的 野 心 を 想 は しむ る こ と を可 及 的 に避 く る こ
ら さ れざ る ベ から ざ る こと
一、 平 和克 復 が今 後 永 く 東 洋 の平 和 を維 持 し 得 る如 き 方法 に於 て齎
(蒙 疆 地帯 を防 共 協 定 地 区 と し て 、特 殊 化 せ んと す る こと)
一、 国 内経 済 機 構 の諸 問 題 (略 )
支 那 固 有 文 化 の尊 重 に は特 に努 力 を要 す。
一、 対 外政 策 に つい て は、 一方 に於 て叙 上 の関 係 は 東 亜 聯盟 結 成 に
一、 新支 那 の建 設 に重 点 を置 く こと
と
一、蒋 政権 の残 存 を 予想 し 、同 時 に残 存 を考 慮 に入 れ て対 策 を立 て し かも これ を問 題 とし な い こと 一、 新 政 権 下 の諸 条 件 の育 成 の内 に蒋 政 権 切 崩 の自 然 的条 件 を生 み
一、 支 那 社 会 の特 質 た る半植 民 地性 と半 封 建 性 と は 従来 観 念 的 に し
出 す ベき こと
一、資 源 追 求 のみ に深 入 り せ ざ る こと
か理 解 され て いな い、 これ を更 に具 体 的 に把 握 す べ き であ る
一、謀 略 的 側 面 を減 じ 日支 協 調 への気 構 へに進 む こと
二四
も
(eve
於
総 理官 邸 )
nl e ast prom i sing) 斡 旋 の 努 力 を 為 す こ と を 忽 せ に す べ
(一 三 ・ 一 一 ・ 一
近 衛 総 理 、 ﹁ク レ ー ギ ー ﹂ 英 国 大 使 会 談 要 旨
﹁ク レ ーギ ー﹂ 英 国 大 使 は午 後 二時 官 邸 日 本 間 に 近衛 総 理 を来 訪 、
か ら ざ る も の な り と の 意 向 を 有 す る 所 な り 。 英 国 政 府 調 停 の条 件 を
本 日簡 略 に明 示 し 日 本 政 府 に対 し非 公 式 の英 国 側提 案 を為 す も のな
会 談 の機 を 得 た る を謝 し た る後 、
り 。 条 件 は 即 左 の通 り な り 、
最 早 外 相 にあ らざ る閣 下 に御 会 見 の機 を 御願 す る は稍 々当 を
大使
一、 日 本 は 支 那 に 於 け る 其 の 軍 隊 を 徐 々 に 併 し な が ら 完 全 に
得 ざ るも のと は考 ふ る も 、実 は有 田新 外 相 任 命 前本 国 政 府 よ り総 理 に申 入 る る様 訓 令 を得 居 た る も のの本 日 は本 国 政府 の訓 令 に基 き 非
(com plete eq u al ity a
(gradual but com pl et e withdraw al) 撤 退 す る こ と
m ong all powers in China) を 有 す る こ と
二 、列 国 は支 那 に於 て完 全 な る 平 等 権
公 式 に英 国 政 府 の提 案 を申 入 る る なり 。
を歓 迎 す べし ( Ja panes e G ove rn me nt would wel come) 等 の趣
び英 国 政 府之 に署 名 し
三 、 日 支間 事 変 解 決 の協定 を
最 近 英 国 政 府 は信 頼 す べ き筋 よ り日 本 政 府 と し て英 国 政 府 の調 停
旨 を耳 に し た る (I ha t s r eached t he ea sr of t he Bri ti s h Go v
(Brit ish Gover nmen t w il l subscribe)
(a SinoJapanese agreement)結
ernm ent t hat⋮ ) 趣 を 以 て、英 国 政府 は此 の際 調 停 者 の資 格 に 於
る こと を
支 那 に於 け る 凡 ゆ る 排 日 特 に 通 商 上 の排 日 に 支 那 政 府 筋 の 活 動 す
英 国 政 府 其 の責 に 任 ず る こ と 。
Jap a nism especially in trade)停 止 せ し め 之 が 実 行 に 関 し て は
of of fcial Chi n ese activities i n a nti
て (i n t h e i nt ermedia ry cap ac i t y ity) 其 の ﹁サ ーヴ イ ス﹂ を 為 す
分 と し て は 日本 政 府 側 には 何等 右 の 如 き 徴 候 を 見 出 し 得 ず と ( I
(c essesio s n
べし と の意 に之 を解 し自 分 に対 し て も相 談 あ り た る 次第 な る が、 自
coul d no t det ectno s i gn on t he par t ofthe Japa ne se Gov
右 条件 を 全 く非 公式 に 且極 秘
国 は 斡 旋 の労 を 惜 し む 者 に 非 ず と の英 国 政 府 従 来 の 言 明 を 茲 に 重 ね
﹁プ ラ イ ベ ー ト ﹂ に 御 開 示 申 上 げ 英
er nm ent ) 回 答 し 居 り た る処 、本 国 政 府 とし ては今 次 の悲 惨 な る日 支 事 変 を終 結 せ し む る に は英 国 政 府 と し ては仮 令 望 み稀 薄 な り と 雖
向 を 以 て本 件 ﹁プ ライ ヴ エ ート﹂ の申 入 を為 す も のな る に付 此 の点
(in the channelof co mmu
ては御 礼 を申 上 ぐ る所 な り 。
て 申 述 べ 、 且 日 支 両 国 間 聯 絡 の機 関
u seful or desi rous)
は十 分 御 承 知 置 を戴 き 度 く 閣 下 が閣 議 中 中 座 せら れ た る こと に対 し
(any otherway w hi ch w ould be
nicati on) と し 或 は 其 の 他 有 益 且 希 望 せ ら る る 如 何 な る 他 の 方 法 に 於 ても
本 件 は慎 重考 慮 を要 す べく 閣 下 より 何等 確答 を戴 く こと は 自 分 の
斡 旋 を 申 入 る る も の なり 。
必 ず し も 期 待 せざ る所 なる が出来 得 べ く ん ば閣 下 より 何 等 か本 件 の 如 き 英 国 側 の努 力 が其 の時 期 に非 ず ( i nopportu ne)と 認 め ら る る や或 は左 に非 ざ る や に付 今 日茲 に閣 下 の個 人 的御 意 見 な り と も御 伺
今 や漢 口も 陥 落 し 日支 事 変 を終 結 せ しむ るが 如 き努 力 は何 な りと
す る を得 ば 幸 甚 な り。
英 国 の日 支紛 争 終 結 に対 す る希 望 、 場 合 に依 り て は調 停 の労
も忽 せ にす る時 期 に非 ず 英 国 政 府 が本 申 入 を為 す所 以 な り。
を惜 し まず と の意 向 は 茲 に感 謝 す る も の な り。
総理
只今 大 使 御 申 出 の事項 は重 要 且 ﹁デ リ ケ ート ﹂ な る問 題 な る に付 本 日直 に御 答 を致 し 兼 ぬ る次 第 な り。 漢 口 、廣 東 の攻 略 も 一段 落 を告 げ 日支 事 変 が今 や 一転 換期 に到達 せる こと は自 分 も斉 し く認 む る所 な り。 今 後 日本 とし て如 何 にす べ
し貴 大 使 に会 見 し居 る実 状 なり 、 従 つ て貴 大使 御 申 入 の件 に付 ては
き や の問題 に付 て は実 は 今 日 閣 議 の最 中 にし て自 分 は閣 議 中 中 座 を
し て の意 見 或 は 回答 を申 述 べる こと と も な る べく 本 日 即 座 に御 返 答
篤 と国 内 の情 勢 竝 に支 那 の情 勢 に付 考 慮 を 加 へ近 き内 に自 分 個 人 と
御 懇 篤 な る御 言 葉 を 感 謝 す 。 現 在 の如 き 非 常 時 に (i nt he
は致 し兼 ぬ。 大使
pre sen t emer gency)於 て英 国 と し て何 等 か御役 に立 ち 度 し と の意
二五
戦争 指 導 方針
大 本 営 陸 軍 部 及 省部 決 定 )
鞏化し て断乎戦争継続 の決意下 に更 に占拠 地域 の治安確保竝自主的
十 三 年 秋季 以降
(昭和 十 三年 十 一月 十 八 日
建設を行ふ此 の間 に在 りても情勢 の転機 を捕捉し て適時之が解決 に
右早期解決 の期待薄 きに至らば内 外に亘 り長期持久 の態勢を 一段
一、十三年秋季 以降のため戦争指導 に関 する 一般方針
次
二、抗 日政権 の屈伏 乃至潰滅要領
二、事変解決当面 の目標は少くも日満北支を 一環 とす る国防圏 の自
努む
目
三、停戦許容条件
一三、 一一、 一八
準拠す
右日満支間 の自主的調整及建設 に関しては日支新関係調整方針 に
主 的確立 を以 て主眼となし併 せて日支再戦を防 止し且支那と共 に対 ﹁ソ﹂戦略態勢 の鞏化を計 るに在 り
四、日支新関係調整 に関 する原則 五、蒋及国民政府 の処 理 に関 する準拠
針
十三年秋季以降 のため戦争指導に関 する 一般方針 第一 方
)
四、政府及統帥部は挺身先頭に立 ち匪躬 の節を誓ひ戦争指導竝総動
応ず る如く万難を排 して急速整備す
(
三、軍備 の充実 は事変処 理竝次期対 ﹁ソ﹂支 二国戦争 に備 ふるを以 戦九十師団 を次 期 国 際 転機 に て基調 となし陸軍軍備 は戦時兵力 野 飛行 三百中隊
支二国戦争 を準備し以 て次期国際転機 に備 ふ此 の間 日満支 の関係を
当面 の支那事変を処理し つつ国家総力就中軍備を拡充 して対﹁ソ﹂ 自主 的 に調整建設す ること に努 む
興し総動員 を強化継続 し以 て戦争指導特 に軍備充実を骨幹 とす る国
員指導 に関す る 一元強力 の機能 を発揮す ると共 に国民精神 を愈 々振 力充備 のための諸施策 を強行す
領
一、支那事変 の処 理は差当 り獲得せる総戦 果就中今秋季作戦 の成果
第二 要
を利導し各般 の措置 を尽 して之 が早期解決 に努力す
4 、 反 共産 宣伝 及之 に伴 ふ所 要 の施設
3 、 反蒋 対 日和 平 気 運 の醸 成 及 民衆 獲 得 諸 工作
2 、 新中 央 政 権 樹 立 工 作
五、外交方策は第 三国をし て我国策 に順応せしむるを以て基調 とな
5 、抗 日軍 を 内 崩 に導 く 工作
之 が為総動員 の規模を別紙 の如 く概定す し特 に日独伊防共枢軸 の強化を重 点とし対英柔剛 の施策 竝日米関係
当分少くも十三年程度 を継続す
向上し爾後は情況 に依 り増減す
少くも十三年程度 とし昭和十七年度迄 に約 二倍 に
内 に 対 日和 平 気 運 を誘 発 せ しむ る外 帝 国 の真 意 を 重慶 政 府 に知 ら し
二、 屈 伏 せし む る為 に は前 項 諸 工作 を 励 行 す る こと に依 り 抗 日政権
11 、 対 ﹁ソ﹂謀 略 の強 化
10 、 第 三国 ( 特 に英 、 仏 ) を し て援 蒋 政 策 を放 棄 せし む る 工作
9 、第 三国 ( 特 に独 、 伊 、波 ) を し て蒋 政 権 を否 認 せし む る 工作
8 、 雑軍 及各 種 武 装 団 体 回 収 利 用 工作
7 、西 南 独 立 工 作
6 、高 宗 武 一派 を 利用 す る新 官 僚 及 民衆 獲得 工作
の善導 を兼 ね行ふ (別 紙)
可及的速 かに既定 目標 を完成する如く強行 す
め成 し得 れば 第 三 国 を介 入 せ し む る ことな く 我 が要 求 を受 諾 屈 伏 せ
需
民
三十億 を目標とし少くも二十五億を堅持す
し む る こと に努 む
総動員 の規模 ( 審 議未了追 て決定す)
生産拡充
八十億 乃至九十億を継続す ( 内陸軍約六十億)
軍
輸 入力 百億乃至 百二十億を継続す
需
軍事 費
関 し て は別 に定 む
蒋 及 国 民 政 府 の処 理 に関 す る準 拠
(答 ) 無 し
や
一、 ( 問 ) 蒋 を 相 手 にし て全 面 的 に 日支 新 関 係 を調 整 す る こ とあ り
一三 、 一 一、 一八
三 、 其 の他 第 三国 の利 用 若 く は第 三 国 の仲介 斡 旋 に対 す る措 置等 に
作 等 に関 し ては 別 に研 究 す
重 慶 政府 を除 外 し て新 中 央 政 府 を樹 立 し た る場 合 に於 け る 降伏 工
知 ら し む べ き条 件 別 冊 の如 し
財政支出
一三、 一一、 一八
之 が継続 期間 は事変即決 の場合 に在 りても概 ね昭和十七年迄又戦 争持久 の場合 には少くも昭和二十年迄 と予定す 抗日政権 の屈伏乃至潰滅要領
一般方針第二要領 の 一前段 に基 き抗 日政権 に対しては政略 、謀略 及外交上各般 の手段 を尽し て之を崩壊 に導く如く努 む ると共 に成 し 得 れば之 を屈伏 せしむ る手段をも併用 し事変 の解決をし て成 るべく 速 かならしむ ることに努力す 1、既占領地内 の治安竝建設 の促進
一、崩壊 に導く為作戦行動 の外差当り概 ね左 の如き諸方策を取る
( 答) 国 民政府 を翻意 屈伏 の意志 あるものと認め之 を停戦 に導
二、( 問) 蒋 が共産党と絶縁 し之 を討伐す る場合帝国 の態度如何 く (答) 蒋 に代 るべき者を望 むも已 むを得ざ る場合 に於 ては蒋 又
三、( 問 ) 停戦 は蒋を相手とす るや は其 の代理者を相手とする こととなるべし 四、( 問) 停 戦は何時行 ふや (答) 蒋 政権 が停戦許容条 件を受諾 したる場合之を行ふ 政府 と併立 の地方政権として認 むるや
五、(問) 国民政府 が屈伏 の条件を実行 したる場合之 を維新、臨時 ( 答 ) 認む
停戦許容条件
冊 一三、 一一、 一八
( 答) 抗日容 共系 の人物 は之を拒 否するも其 の他 は内政問題と して支 那側 に委す要す れば適宜内面指導す ることあり
や
六、(問) 新 支那中央政権 に国民政府 要人が参加す ることを認むる
別
左記条件を重慶 政府 が受諾 せば之を屈伏と認め停戦 を許容するも 記
三、重慶政府は右新中央政府成立後該政府 が日本と別紙日支新関係
政府 を樹立する ことを確約 する こと
調整 に関す る原則 に準拠 し日支 の国交 を正式 に調整す るも のなるこ 附 帯条 件
とを新中央政府構成 の 一分子として予め約諾す ること
一、重慶政府 が屈伏した る場合 には停戦 のため已むを得ざ れば蒋と
交渉 するも之 が成立後蒋 は直 に貴任 の地位 より去 るも のとす
二、停戦 の実行は別 に定むる所に拠 る
日支新関係調整 に関す る原則
日満支 三国 は東亜新秩序 の建設を以て共同 の目標となし相互 に善
一、日満支 は善隣友好、共同防共、経済提携 の実 を挙ぐる こと
隣として結合し東洋平和 の枢軸 たるべし 之 が為
二、満支両国 は相互 に承認 し日本は支 那領土及主権を尊重すること
三、防共 に関 しては相互 に協力すべく日支防共協定 を締結 し日本軍
の防共駐屯を認 め且蒙疆 地方 を防共特別地域 となす こと
四、北支及揚子 江下流地域 に在りては密 に経済合作 の実を挙ぐ べく
特 に北支資源就中埋蔵資源 の開発利用に関 し日本 に特別 の便益を供
支那が以上支那側義務 の実行を保証 し得 且治安 の恢復せらるる限
与すること
り日本は短期間内 に協約外 の兵力を撤 収す ( 保障 とし て治安維持 の
ため北支及上海 三角 地帯 竝南支沿岸特定島嶼 に対し 日本軍 の駐屯竝
左
同地域支那側武装制限 を予定す)
のとす 一、重慶政府 は抗 日容共政策 を放棄 し且所要 の人的改替 を行 ふこと
附
を確約す ること 二、重慶政府は臨時政府及維新政府等と適宜 協力して速 かに新中央
一、 支 那 は 日支 の提 携 結合 のた め所 要 の日 本 人顧 問 を招 聘 す る こと 二、 支 那 は 日本 人 の支 那 内 地 に於 け る居 住 営業 の自 由 を容 認 保 証 し 日本 は治 外 法 権租 界 等 既 得 権 益 の返 還 を考 慮 す る こと 三、 支 那 は 在 支 日本 居 留 民 の損害 を補 償 す る こと
昭 和 十 三年 秋 季 以 降 対 支 処 理 方 策
迅速に治安 を確立すべき要域は概ね左の如く にして該要域は次期国
二六
際転機に至 るも之 が確 保を予定し此処 に国防上 の諸建設 を行 ふべき
省部決定)
漢 口、廣東攻略 の余勢 を利用し事変解決 に努力す るも迅速なる成
(昭和 十 三年 十 二月 六 日
果必ず しも期 し難きを予期 し長期戦 に対処す る為従来把持し来れる
範域なりとす
正太線以北 の山西省殊に太原平地
包頭 以東 の蒙疆地方
北部河北省
対支処理方策 を新情勢 に適す る如く更 に鮮明 ならしめ以て秋季会戦 後 の処理を 一途 の方針 に出でしめんとするも のなり
山東省 の要部 (膠済沿線 地方)
針
漢 口、廣東 の攻略 を以 て武力行使 に 一期を劃 し爾後 自主的 に新支
上海、南京 、杭州 三角地帯
方
那の建設 を指導し殊 に躁急を戒む之 が為当分 の内其基礎作業 たる治
三、前項 以外 の占拠地域は作戦地域 にして武漢及廣東地方 に夫 々 一
は之を確保す
右要域 の外連絡 の為主要交通線 ( 津浦線、京漢 線北段、同蒲線等)
な る兵力 を固定配置 し且努め て長期自給 の態勢をとらしむ
右治安地域就 中其要域 には速 かに治安恢復 の目的 を達する為十分
安 の恢復 を第 一義 とし爾他諸施策 をして之 に適応 せしむ 残存抗 日勢力 の潰滅 工作は依然之 を続行するも主 とし て厳 然たる 軍 の存在 を背景 とする謀略及政略 の運営 に俟 つ 一、特 に重大 なる必要 の発生 せざ る限り占拠地域拡 大を企図する こ
領
となく之を安定確保を主とす る治安地域と抗 日勢力潰滅施策を主と
に対し ては適時反撃 を加 へて其戦力を消耗 せしむ るも不用意 なる戦
軍 を配置し政戦略上抗日勢力制圧 の根 拠たらしめ蝟集攻撃 し来 る敵
要
す る作戦地域 とに分 つ
面 の拡大 と求 めて小競合を行ふことを戒しむ之 が為配置する兵力は
二、治安地域 は概 ね包頭より下流黄河、新黄 河、盧 州、蕪湖、杭州 を連 ぬる線以東 にし て漸を追 うて全地域 の安定 を期すべく差 し方 り
彼我 の情勢 に即し必要 の最少限度 に止む 四、在支兵力は之を前 二条 の趣旨 に合す る如く逐 次整理改編し若 く は新設部隊 と交代帰還せしめ逐次長 期持久 の態勢 に転移 せしむるも 次期国際転機 に備 ふる為駐屯兵力 竝現地消耗は各般 に亘り之が節
のとし明十 四年中 には之 が基礎態勢 の概成を計 る 減 に努む に海上封鎖等 に依り残存 せる対外連絡線殊 に武器輸入路 の遮断 に努
五、戦 略殊 に政略上 の要点 に対し執拗 なる航空作戦 を継続すると共 む 六、謀略的諸施策 を強化して逐次新興政権 の助成、緩衝 地帯 の設定 竝抗 日勢力 の圧縮等 を図る 七、親日政権 の育成殊に之 が統 一に関しては逐次 に健実 なる発展を 遂げしむるを主眼 となす之 が為占拠地域 に対す る政策的処理 は治安 第 一を当面 の目標 とす る地方分権政治を基 調とし各地 の実情 に適応 する如く局部的安定 を促進 せしめ逐次所要範囲 の実質 的統 一に到達 せしむるも のとす 八、対支経済 は取敢 へず応急対策 を以 て総動員竝軍 の急需充足、治 安 に関聯 せる局地民生 の恢復竝之 に伴 ふ交通 の改善を図 るを主 とし 永久的産業建設は主 として治安 地域 の要域に於 て概 ね既定方針 に基 き漸 次之 が実行を期 し又作戦地域内 に於 ては特別 なるも のの外 は商 取引竝其附帯事業程度 に止むるを本旨 とす 九、以上 の外は既定 方針 に拠る
二七
二、中 支 方 面
陸 軍 省部 決定 )
所要 に応 じ占拠地域内 に於 て大規模 なる掃蕩作戦 を行ふ。
通線を確保 す
西省並 に蒙 疆地方 に於ける要地 の迅速 なる治安恢復 を図り且主要交
専ら占拠地域 を確保安定す特 に先づ北部河北省、山東省、北部山
一、北 支 方 面
第 三、各方面 の作戦指導
郭 たる中間勢力 たらしむ
之を保護する等各種 の施策 に依 り之を招撫 し少くも之を新政権 の外
我が占拠地域 の外方 に在る敵軍 にし て親 日反共 の傾向あるも のは
を予期す
情況 に依り前記施策 を支援 する為 一部 の作戦 を併用する ことある
四、政略的諸施策 は之 を活用して抗日勢力 の衰頽 に資す
的進攻作戦 の遂行 に便 ならしむる如く逐 次改編 す
在支航空部隊 の編組配置及諸施設等 は前記 の如 く長期 に亘 る積極
擾乱すると共 に敵航空戦力 の撃滅 に努む
(昭 一三 (一九 三 八 )、 一二 、 六
政 略 攻 勢 ・戦 略 持 久 期 に 於 け る 作 戦 指 導 要 綱
第 一、方 針 占拠地域を確保 して其 の安定 を促進し健実 なる長期攻囲 の態勢を 第 二、 一般指導要領
以て残存抗日勢 力 の制圧衰亡 に努む 前述 の方針 に基き左 の要領 に依り今後 の作戦を指導す 一、蒙疆地方 の要部、北支那 、中支那東部地方 に於 ける現占拠地域 を確保し治安 の恢復 を促進 して親 日政権 の健実なる発達 を支援す 此 の地域に於 ては警備に任ず る軍隊 の配置を成るべく固定し且其 の駐兵密度 を努め て濃密 ならしめ以て迅速な る治安 の恢復 に便 せし む 二、武漢 地方 には有力なる 一作戦軍を配置し て湖北 ・湖南 及江西方 面 の敵主力軍 を制せしめ又廣東地方には最少限 の兵力を留 めて敵 の 前記 の作戦軍は蝟集す る敵 に対し適時反撃を加 へて抗戦企 図を挫
補給 を遮断 せしむ 折 せしむ但し努 めて戦面 の拡大を避く るも のとす 三、航 空作戦 は依然積極的に指導し特 に敵 の戦略及政略中枢 を制圧、
イ 、廬 州 、蕪 湖 、 杭 州 の線 以 東 の占 拠 地域 を確保 安 定 す 特 に先 づ 上海 、南 京 、杭 州 間 の地 域 の迅 速 な る治 安 恢 復 を図 り 且 主 要交 通
ロ、 武漢 地 方 に配 置 す る作 戦 軍 は 武漢 三鎮 及 九 江 を根 拠 と し海 軍
線 を 確 保す
と協 同 し て岳 州 より 下流 揚 子 江 の航 通 を確 保 し概 ね安 慶 、 信陽 、 岳 州 、南 昌 間 の地 域 を作 戦 地 域 と し て敵 の抗戦 企図 を 破 摧 す
敵 の補 給 を遮 断 す る目的 を以 て最 少 限 の兵 力 を配 置 し 廣 東 、虎 門
三、 南 支 方 面
を根 拠 と し概 ね恵 州 、 従化 、清 遠 、 北 江 、西 江 間 の地域 を作 戦 地域 と し て敵 の抵 抗 企 図 を 破摧 す
二八
戦 争 指 導 上 の見 地 よ り 現 下 諸 案 件 処 理 に 関
( 昭和十四年三月三十日 省部決定)
口廣東等 の地域 に於け る政権は中央政権樹立と機微 なる関係 に在 る
現下 に於 ては既成政権 に対し特に独立性附与等を図る ことなし又漢
す る準 拠
本案 は日支新関係調整 方針、戦争指導方針 、対支処理方策等既定
本則とし努めて之 に干渉す ることを避 く特 に中央政権成立 の形態 に
日支強度結合地帯 たらしむ るの外内政問題 として支那側 に委 するを
上 (蒙疆 は特 に高度 の防共自治区域)又揚子江下流地域を経 済上 の
其内容 に関し ては日支新関係調整方針 に準拠 し北支 を国防上及経済
支那将来 の政治形態 は其歴史及現実 に即 する分治合作た るべきも
伴 ひ逐次之 が実現 に導 くも のとす
中央政権 の樹立は其負担に堪 ゆる人物 の現出 と其実力 の具備とに
を以 て其樹立 を急 がず
の方針 を具体化する場合 の準拠 とし て現情勢 に応ず る如く省 部 の意 見 を取纏めたるものなり 治安地域就中其要域 に於け る所要 の建設 と作戦地域占拠 に依 る圧
一、持久戦遂行 の方式 力とは相俟 て持久目的達成 のため主要 なる手段なり (対支処理方策 なし之 が為逐次努力 の重点を形成す ると共 に長期に亘 り計画的 に諸
参 照)特 に差当り治安 地域要域 に於 ける治安竝建設 の確立 を重要と 般 の措置 を講ず るも のとす 全般 の資源充足 の為北支 は要域 に於ける開発 を、中支は各般 の措
係 の処理を考慮す
即し且其為政者 の意志 を尊重す ると共 に既成政権 に対する我特殊関 三、謀 略諸工作 の指導
置 に依 る現存物資 の吸収 を又南支は特種資源 の獲得 を以 て本旨 とな す現地兵団をして軍生存 の為長期自給 の態勢 を取らしめ且新作戦遂
而 して之 が奏効 の暁 之 に如何 なる期待を懸くべきやは将来 の成果
に前者 を以て重点 となし之が為各種 の手段を之に統合集中す
謀 略各種 工作当面 の目標は敵側諸勢力 の獲得及減殺 に在 りとす特
行 の場合 の外戦力 の充備 に努む ると共 に極力其人的及物的消耗 を節 減 せしむるものとす 二、諸政権 の指導 諸政権 の育成は中央政権成立 の形態 に即応す べきも のなるが故 に
竝情 勢に基 き其時 期に至 りて決す るも のとす
は共同防衛 の見地 より以上基本建設 とは別個 に軍事上 の特 別協定 に
概 ね駐兵地域 の交通通信 に対する軍事 上の要求権及監督権 の設定
支埋蔵資源竝北支航空、鉄道、港湾及通信 の範囲を以 て基準 となす
蒋介石及重慶政府に関 しては戦 争指導 方針参照
四、国民政府及其主義等 に対す る態度 国 民党竝 三民主義 に関 しては容 共抗日を放棄 し親日満防共を方針
より基本建設 の原則 に準拠し得 ざるものは其範囲限界を明確 にし中
包含 して取扱 はるべく又本事変 のため戦争指導及作戦遂行 上 の必要
央 の統制下 に 一時的措置 たる ことを明 にして之を行はしむるものと
とす る如く改む るに於 ては他 の親日防 共を主義 とす るも のと等 しく 其存在 を妨げず
す
第 三国 の活動及権益問題は之 を事変処 理のため政略的に利用す る
般 の方針 となす
外は右趣旨 に準拠 し究極 に於 て 一応概 ね旧状復活を誌むるを以 て 一
第 三国 の既存権益は我国防上及我国家存立上已むを得ざ るもの以
は第 三国を拘束 せざ るを趣 旨となす
北支 に於 ては帝国 の優位を又中支 に於 ては自他併存を南支 に於 て
六、第 三国 の活動及権益と の関係
五、経済建設 の指導 北支 は国防上及経済上 日満北支を 一環 の範域 とす る我国防 圏 の確 立 を以て基調となし特 に其治安地域要域 を重視 し、中支は揚 子江下 流 地域 に於ける日支経済結合 の設定 に限定し又漢 口及南支方面等作 戦 地域 に在りては差当 り我旧状復 活を目途 とし 一般 には当分新建 設 を行 はざ るを本旨 となす 事業協同 の範囲は調整方針 に掲 記せらるる所 のも のとし平等 互恵 を 一般 の基調とし其主要 なるも のに関し北支 は日本優位とし又中支
は其 工作 の進展 に伴 ひ之 が善導 のため全面的 に特別 の政略的措置 を
の方針 に基 き処理 し獨伊 に対しては優先便宜を許容し米国 に対し て
北支埋蔵資源開発、対北支物資需給 、全支航空、北支鉄道、主要
は日支平等南支は支 那側主体となすを本旨 となす 海運、揚子江水運 、北支及揚子江下流 通信等 調整方針 に於 て特 に重
圧を加 へ若 くは末節 に係争する ことなし
考慮 し英国 に対 しては政略的 に柔剛 の施策を併用す べきも不当 の抑
一般 に各種懸案事項 に就 ては着 々解決処理す るを以 て本旨 となす
点 として指定せられたるものに関しては事 の性質 に応じ帝国 の実質 的指導 の素地を必要 の限度 に夫 〓設定 すべきも其他 に関しては平等 互恵以上 の実権把握 を企図する ことなし此点特 に現地 の指導 を要す 共同事業 に対す る干与は之に直接参与 せる人員及投下 せる資本 を
るも のとす 通じ て行ふを本則 とす右人員 及資本 以外将来 に亘り 一般条約 上我監 督権 (事業監督)を設定するは国防 上特 に之 を要するも の即概 ね北
二九 席 上 ニ於 ケ ル
軍参謀 長懇談次 長
口演 要 旨
過 日 戦争 指 導 方 針 ニ関 シ 口述 シ タ ル所 ニ就 キ懇 談 ト シ テ若 干 ノ敷
(昭 和 一四 、 四 、 一
︹ 参謀本部︺
第 二課)
総 動 員 ノ規 模 ニ関 シ テ ハ昨 年 度 ニ比 シ更 ニ強 化 シ且 当 分之 カ継 続
緩 和 ヲ期待 シ得 サ ル ヘシ是 生産 力拡 充 及 輸 入 力 増 進等 ノ強 行 ヲ要 ス
ヲ要 ス ル モノ ア リ即 物 資 動 員 ニ要 求 セラ ル ヘキ軍 需総 量 ハ逐 次 増 加
ル所 以 ナ リ而 シ テ之 カ成 否 ハ軍備 ノ充 実 ト相 俟 チ正 ニ近 キ将 来 ニ於
ヲ要 ス ヘク 民需 ハ特 別 ノ事情 発 生 セサ ル限 リ茲 数 年内 ニ於 テ大 ナ ル
最 近 欧洲 ノ情 勢 ハ急 転 回 ヲナ シ ツツ ア ル所 ナ ル カ全 般 ニ於 テ独 逸
ケ ル帝 国 ノ運 命 ノ岐 ル ル所 ナリ ト ス
衍 ヲ行 ハント ス
カ真 ニ対外 攻 勢 ノ実 力 ヲ具 備 ス ル ハ昭和 十 六、 七 年 頃 ト判 断 セラ レ
四 、事 変 処 理 ト次 期 戦 争 準 備 ト ニ就 テ
一、 次 期国 際 転 機 ニ就 テ
又英 米 ノ国 力 及 軍 備 ノ建 設 ハ概 昭和 十 六年 頃 ヲ目 標 ト シ他 列 強 亦 之
国 家 ニ ハ今 ヤ曠 古 ノ支 那 事変 処 理 ト次 期 国 際 転機 ニ応 スル戦 争準
ニ追 随 シア リ従 テ昭 和 十 七年 前後 ニ於 テ世 界 的 一大 転機 ヲ予 想 セ シ
期国 際 関係 等 一体 関 聯 ヲ有 ス ル モノ ニシ テ対支 戦 争 カ本 質 的 大 持久
備 ト ノ 二大 任 務 課 セ ラ レ アリ 一ヲ以 テ他 ヲ排 ス ヘカ ラ ス即 対 支 作戦
戦 ナ ル ニ鑑 ミ彼 此 力 ヲ用 フ ル程 度 限 界 ハ時 期 的 且 地域 的 ニ相 当 長 期
ム ル モノ ア リ此 ノ間 ニ在 リ テ 我自 主 的 国 策 遂 行 ノ タ メ ニ ハ我 国 力 及
帝 国 ハ次 代 ニ対 処 ス ル タ メ日満 ノ 一体 的 結 合 ノ上 ニ不動 ノ国 力 ヲ
軍備 ノ建 設 ヲ シ テ絶 対 ニ此 ノ段 階 ニ適 応 セシ ム ル ノ要 ア ル モノ ト ス
建 設 セサ ル ヘカ ラ ス之 カ為 之 ヲ補 強 シ且 不 脅 威 ノ状態 ニ置 ク如 ク之
ニ亘 ル全 般 ノ判断 及 指 導 ニ準 拠 シテ之 ヲ律 セサ ル ヘカ ラ ス此 ノ点中
消耗 ト新 軍 建 設 、 日 満 国 力 ノ充 備 ト新 支 那 建設 、 対支 国 際 情 勢 ト次
ニ隣 接 スル地 域 ヲ国 防 圏 内 ニ考 定 スル ヲ要 ス ル モ ノナ リ是 今 事 変 ノ
五 、抗 日政 権 ノ屈 伏 乃至 潰 滅 要 領
央 ノ 方針 ニ対 シ協 力 ヲ望 ム
二 、帝 国 国 防 圏 ニ就 テ
シ日支 ノ提 携 方 式 ニ於 テ之 ヲ我国 防 圏内 に包 括 セ ント ス ル所 以 ナ リ
抗 日政 権 ニ対 シテ ハ政 略 謀 略 及 外 交 上 各 般 ノ手 段 ヲ尽 シ テ之 ヲ崩
第 一解 決 目 標 ト シ テ北 支 ノ戦 略 的 地位 ト其 資 源 就 中 埋蔵 資 源 ト ニ関
三 、総 動 員 ノ指 導 ニ就 テ
壊 ニ導 ク如 ク努 ム ルト 共 ニ成 シ得 レ ハ之 ヲ屈伏 セ シム ル手 段 ヲ モ併
ス ル ノ趣旨 ナ リ但 停 戦 ノ交 渉 ハ已 ム ヲ得 サ ル場 合 蒋 又 ハ共代 理者 ト
ハ蒋 介 石 並抗 日容 共系 人 物 ノ外 新 中 央 政府 ニ参 加 スル コト ヲ モ許 容
ト ス ル如 ク改 ムル ニ於 テ ハ他 ノ親 日防 共 ヲ主 義 ト ス ル モ ノト等 シ ク
国 民 党並 三 民主 義 ニ関 シ テ ハ容 共 抗 日 ヲ放 棄 シ親 日満 防 共 ヲ方 針
ス ル コト ア ル ヘシ
ノ切崩 並要 人 獲 得 、 支 那軍 ノ切崩 及 帰 順 工作 、第 三国 ノ操 縦 等 ヲ促
其存 在 ヲ妨 ケ ス
崩 壊 ニ導 ク カ為 ニ ハ作 戦 行 動 ノ外 治 安 並 対新 政 権 工作 、 重 慶 政 府
用 シ適 時 事 変 ノ解 決 ヲ指 導 ス
進 シ又屈 伏 セ シ ム ル カ為 ニ ハ上 述 諸 工作 ノ励 行 ニ依 リ抗 日 政 権 内 ニ
︹ 註︺ 参謀 次長 は中島鐵藏中将。
和 平 気 運 ヲ誘 発 セ シ ムル ト共 ニ帝 国 ノ真 意 ヲ重 慶 政 府 ニ知 ラ シ メ我
之 カ為 知 ラ シ ム ヘキ条 件 ハ左記 ノ如 ク ニ シテ之 ヲ重慶 政府 カ受 諾
要 求 ヲ受 諾 屈 伏 セ シ ムル コト ニ努 ム ル モノ ト ス
記
セ ハ屈 伏 ト認 メ停 戦 ヲ許 容 ス ル モノ ト ス 左
一、 重 慶 政府 ハ抗 日容 共 政 策 ヲ放 棄 シ且所 要 ノ人 的 改替 ラ行 フ コト ヲ確 約 ス ル コト 二、 重慶 政府 ハ臨 時 政 府 及維 新 政 府 等 ト適 宜 協 力 シテ速 ニ新 中 央 政 府 ヲ樹 立 ス ル コト ヲ確 約 ス ル コト 三 、 重慶 政府 ハ右 新 中央 政 府 成 立 後 該 政 府 カ日本 ト別 紙 日 支 新 関 係 調 整 ニ関 スル原 則 (日 支新 関 係 調 整 方 針 ニシテ其 大 要 ハ近 衛声 明 ニ 於 テ表 明 セ リ) ニ準 拠 シ日支 ノ国 交 ヲ正式 ニ調整 スル モ ノ ナ ル コト
附 帯 条 件
ヲ新 中 央 政 府 構 成 ノ 一分 子 ト シテ 予 メ約諾 スル コト
重 慶 政 府 カ屈伏 シタ ル場 合 ニ ハ停 戦 ノ タ メ已 ム ヲ得 サ レ ハ蒋 ト交
六、 国 民 政府 及其 主 義 等 ニ対 ス ル態 度
渉 スル モ之 カ成 立後 蒋 ハ直 ニ責 任 ノ 地位 ヨリ去 ル モノ ト ス
重慶 政府 カ上 述 ノ条件 ヲ受 諾 屈 伏 スル場 合 ニ於 テ ハ之 ヲ 一地 方 政 権 並 新 中央 政 府 構 成 ノ 一分子 ト シ テ之 ヲ認 ム ル モノ ナ リ従 テ其要 人
三〇
事変 解 決 方 策案
内 外に亘 り十年戦争 の決意下 に強硬徹底 の施 策を促進す ると共 に
第 一案
直接 会談
最高極少の範囲 に於 て極秘裡 に機 を捉 へて年内事変解決 の努力 を併 せ行ふ 一、汪 の真意 に於 て重慶 との中間 に立ち折衝和解 の方途 を講ず るの 意志あるを看取 せば之を死地 に投 じて行 はしむ左 の何れにても可 な
ロ
(一四 、 五 、 二 五
︹ 参謀本部︺
第 二課 )
蒋下野 に関 し寛容 の態度 を持する こと
蒋下野問題に関 しては国内的 には極端 なる事前下野 の観念 に幅
を与 へ又蒋 に対しては自発的 に停戦後責任 の地位 より去る如 く慫
慂 するに在り而 して停戦 は之 に依 る重慶政府 の内部崩壊即ち共謀 第二案
第三国利用
略 的価値 をも覘 ふも のなり
汪自 ら其衝 に当 る (実行先づ困難 なるべし)
一、利用 の程度
となすべし
鑑 み寧 ろ容易な るも のあり現段階 に於 ては解決方策本案 を以 て主体
其意志 だに確定せば機 を捉 へ又機 を作為する こと内外 の現情勢に
イ
先づ重慶要人 の引出 に当 り次で之 を介し汪若くは日本側 より
り之 が不成立 の場合大持久戦 に移行す る こと概 ね可能なり ロ
むを得ざる場合蒋下野問題 に関しては 一部調停 に立入る ことあるべ
軽度 の斡旋 を主とし内容具体問題 に就 ては直接会談 を主 とす但已
交渉を開 始す
し
汪 の意志 として第 三国 へ連 絡し概 ね第 二案 の策 に出 づ
二、孔、陳 等何れにても可 なり既成 の連絡系統 に依り引出して速 に
の
直接会談 の機 を作為 す此 の間汪を以て対抗政府 を樹立する ことを保
二、利 停戦許容条件 を明示す ること
然 れども之を表 面に立 て且之 に追随するは不可 なり基本方式 は斡旋
独伊を上とし米 を中 とし英を下となす解決 の鍵を握る者 は英なり
用 国
留す イ
三、本案 には左 の事項 を以て必須 の条件 となす
に米 を用 ひ独伊を以て英 を牽制す るに在 り 次着手す
一、対米関係 を特 に善導し て好転を策す申入事項 の処理は速 かに逐
ハ
ロ
イ
斡旋国 には戦後 の優先特恵 を認め且支那 との間 に新権益設定
日支新関係調整方針 の具現 を堅持す
蒋適時自主的下野 の勧告 をなさしむ
斡旋 のため には既定停戦許容条件 を取扱 はしむ
を時期的関聯 に於 て処置 し我対英 折衝 に際 しては独伊兵力 の対英示
三、独伊を以て対英牽制 に資す協 定成立 せば欧洲施策と極東施策 と
等各般 に亘り現地 に於 て逐次強硬方策 を取 る
二、夏秋 の条 より十年戦争 の方略 に着手 し租界、長江、通貨 、貿易
︹マ マ︺
三 、解 決 処 理
ニ
四、租界 、香港 ﹁シンガポー ル﹂奪取 の具体的成案を確定 し英国 の
るときは欧 洲情勢 の機微 に投ず るに努む
屈伏を勧告 せしめ対支共同干渉 の形式 を取らしむ協定未だ成立 せざ
威的措置 を取 らしめ又支那 に対しては我 対支交渉と前後して強硬 に
第 三国在支既存権益 は 一般 に 一応旧状復活 を以 て原則となす
を黙認す ホ 四、機会 の捕捉並 に作為 汪 の自 発 的 乗 出 ︱︱ 汪 の意 志 に於 てな さ しむ
動向 一決強要 の機 に臨み ては之 が準備態勢を取り示す に転向 せば旧
イ
権益を復 活すべく否らざれば 一切を喪失す べきを以 てし要す れば 一
﹁カ﹂ ﹁ク レ ーギ ー﹂ よ り申 出 ︱︱米 を表 面 に立 つ べ き を慫
ロ
部若くは全部 を発動す
慂 す る か已 む を 得 ざ る場 合 は直 接 会 談 の橋 渡 し竝 に蒋 下 野 の勧告 英 国 に対 し ては解 決 条 件 ニ 項 は概 ね 欠 除 と な
動 機 作 為 ︱︱ 主 と し て米 を 対象 と し対 支 問 題 、 日米 問 題 の交
のみ を取 扱 はし む る ハ
渉 を誘 発 し之 を 事 変 一般 問 題 に導 入 す 各 種 の方 法 あり
○屡次申込 の米国在支権益補償問題 の全面的交渉開始 ○対米借款問題 の促進交渉 ○ 日米貿易乃至経済会談 の提 唱 ○日米間 に於 ける東亜乃至太平洋問題会談 の提唱 ○租界長 江等 に対す る圧力強化 に依 る抗議交渉 の誘発
局面転回 の指導
○其他外務大臣 に其意 志と機略 だにあらば之が誘導法 は如何程に も有之
三 一
汪 工 作 ニ関 ス ル件
(昭和 十 四年 ) 五 月 三 十 一日着 電 ︹ 愛義︺
在 香港 田尻総領事
ア ラ ス高 々紅 軍 ノ跋 扈 ヲ恐 レ タ ル消極 的防 衛 ヲ講 シ得 ル ニ過 キ スト
二、 中 央 軍 五 十 万 ヲ基 礎 ト ス ル主 戦派 ハ前 記 共 産 党 ノ外 四川 、 雲南 、
認 メ ラ ル。
両 廣 ニ対 シ抑 ヘノ配 置 ヲ緩 メ ス汪 精衛 ニ通 セ ン ト ス ル者 ア リ ト モ手
有田外務 大臣宛 一、 第 三国 際 及 蘇 聯 ハ国 民 党 カ浙 江財 閥 ノ背 景 ヨリ脱 ケ出 シ支 那 民
シ李 白 等 ノ反 対 ニ備 フル遣 方 ナ リト ハ考 ヘラ レ ス。 元来 和 平 問 題 ニ
足 モ出 サ セ ヌ状況 ナ ル カ、 之 亦陳 誠 、胡 宗 南 等 カ和 平ノ 場合 ヲ予想
張 シ居 ル関 係 上 、 下 ツ端 ノ者 カ行 過 キ タ ル国 民 党 ノ牽 制 及 自 党 ノ勢
ハ共産 党 少 ク ト モ其 ノ幹 部 カ表 面 上 主 義 ノ宣 伝 ヲ止 メ抗 日意 識 ヲ主
点 ニ付 テ ハ相 当 ノ見 透 シ立 ツ ニ拘 ハラ ス、 軍 隊 ノ実 力 ヲ如 何 ニスル
点 ニ関 ス ル見 透 シ如 何 ニ依 リ重慶 ノ態 度 決 定 セ ラ ル ヘキ処 、 他 ノ三
付 テ ハ蒋 ノ進 退 、政 府 要 人 ノ帰趨 、中 央 軍 ノ措 置 及支 那 ノ将 来 ノ四
︹李 宗 仁 、 白 崇禧 ︺
ント ノ口実 ニテ対 支 援 助 ヲ理由 付 ケ居 ル カ如 ク、 一方 蒋 介 石 ト シテ
衆 ヲ根 幹 ト ス ル モノ ニ変 質 シ ツツ ア ル ヲ以 テ之 ニ引続 キ支 持 ヲ与 ヘ
力拡 張 ニ力 ヲ注 キ居 ル事 実 ア ル モ夫 レ ニ対 シ眼 ヲ瞑 リ、 抗 日 戦 線 ノ
ヤ ハ未 タ論 議 サ レ タ ル コト ナク彼 等 ノ将 来 ニ付 何等 保 障 サ レタ リ ト
リ蒋 ニ抗 戦 不継 続 ヲ表 明 ス ル動 キ ア リ ト ノ諜報 ノ如 キ ハ夢 想 ト モ言
統 一 ニ共 産 党 ヲ利 用 ス ル立場 ニ置 カ レ、 従 テ之 ト絶 縁 スル カ如 キ意
フ ヘク、斯 ル意 嚮 ノ表 示 ハ寧 ロ華 僑 ニ之 ヲ求 メ我 工作 ヲ茲 ニ集 中 ス
ニ和 平 ノ方 向 ニ転 換 セ シ ム ル ハ容 易 ノ コト ニアラ ス、 況 ン ヤ彼 等 ヨ
ト ノ関 係 ヲ更 ニ深 メ ルカ如 キ コト モ為 ス意 嚮 ナ ク 、孫 科 ノ活動 モ之
ヘキ筋 ト考 ヘラ ル。
認 メ ラ レサ ル今 日而 モ殆 ト疵 ヲ負 ハヌ中 央 軍 ノ コト ト テ之 ヲ内 部的
カ為 掣 肘 ヲ受 ケ 左 シ タ ル結 果 ト ナ リテ 現 レ ス。 尚 或 ル方 面 ニ於 テ蒋
三 、 重慶 ヲ始 メ奥 地 ニ抗 戦 気 分 強 キ ハ事 実 ニシテ 、右 ハ英 大使 ノ故
モ手 ヲ下 シ得 サ ル処 、然 リ ト テ国 際 情 勢 ノ現段 階 ニ於 テ進 ンテ蘇 聯
ハ和 平 実 現 ニ備 フ ル為 共 産 党 及 軍 ニ対 シ ﹁ク ーデ タ ー﹂ ヲ為 シ得 ル
嚮 ナ ク 、又 仮 ニ縁 ヲ切 リ タ ク モ西 安 事変 以来 ノ因 縁 ニ絡 マレ如何 ト
様 既 ニ必要 ナ ル中 央 軍 ノ布 置 ヲ了 セリ ト ノ諜 報 ア ル モ、 右 ハ事 実 ニ
行 ハレ、 仮 令 我 方 カ近 ク平 漢 粤 漢 及 此 ノ東 方 地 区 ヲ確 保 ス ル モ重慶
ノ独 伊同 盟 不参 加 ハ英蘇 佛 ノ勢 力 ニ押 サ レタ ル結 果 ナ リ ト ノ宣 伝 モ
民衆 ノ抗 日気 勢 ハ案 外 田舎 ニ迄 浸 透 シ居 ル モノ ト認 メ ラ レ、 又 日 本
交 通 路 ノ開 通 、 各 地 融資 等 ノ努 力 ノ他 第 三 国就 中英 国 ノ援 助 ニ基 ク
民衆 ニ動 揺 不平 ノ徴 ナ キ ニ非 サ ル モ重 慶 ノ抗 戦 宣 伝 、 地方 産 業 開 発 、
意 ノ宣 伝 ニ過 キ スト片 附 ケ 得 サ ル モノ ノ如 ク、奥 地刊 行 物 ヲ見 ル ニ
モ出 馬 ヲ肯 ス ル ニ ハ時 日 ヲ要 ス ル見 込 ナ リ。
シ。 尚 許 崇 智 ハ汪 ト モ聯 絡 ア リ廣 東 政府 ノ首 班 ト シ テ適 当 ナ ル ヘキ
訳 ニテ、 汪 ニ先 ツ 地盤 ヲ与 フ ヘシト ノ主 張 ハ遺 憾 乍 ラ空 論 ト言 フ ヘ
撃 ヲ見 ル カ統 一政府 ノ樹 立 ヲ見 ル コト ニ依 リ初 メ テ可 能 性 ヲ生 ス ル
リ遽 ニ期 待 出来 ス又福 建 工作 モ未 タ目鼻 付 カ ス何 レ モ我 軍 ノ大挙 進
五、 対 李 、 白 、 エ作 ハ差 当 リ望 ミ無 ク薜 岳等 ノ挙 兵 モ累 次 電 報 ノ通
転 向 セ シ ム ル コト モ不 可 能 ナ ラサ ル ヘキ モ、 右 ハ我 方 ノ為 ス ヘキ コ
手 ト スト ノ我方 ノ声 明 ア ラ ハ蒋 ノ陳謝 モ得 ラ ル ヘク共 産 軍 ノ討 伐 ニ
六、 斯 ル情 勢 ニ於 テ蒋 介 石 ノ屈 服 ヲ望 ム モ容 易 ノ業 ニ非 ス、彼 ヲ相
尚 今 次 ノ抗 戦 ニ依 リ独 立国 ト シ テ ノ支 那 ノ存 在 ヲ第 三国 ニ認 識 セ
及 民衆 ノ抗 日気 勢 ニ ハ左 シテ打 撃 ヲ与 フ ル コト無 カ ル ヘシ。
シメ タ ル カ東 亜 ノ和 平 ハ右 事 実 ヲ無 視 シテ ハ確 保 シ得 ヘカ ラ スト ノ
ト ニ非 ス又謀 略 的 ニ本 件 ヲ取扱 フ方法 モナ シト セサ ル ヘキ モ、 荏 苒
領 地 統 一政 権 ヲ汪 ヲ中 心 ト シテ速 ニ樹 立 シ、 其 ノ延 長 ト シテ ノ各 地
ト機 ヲ過 ス ヘキ ニ非 スト セ ハ我 対 支方 策 ハ新 中 央 政 府 ノ母体 タ ル占
置 ク ヲ要 ス ヘシ。
ニ於 テ之 ニ承 認 ヲ与 ヘ、斯 ク テ戦 争 ヲ内 乱 化 ス ル コト ニ依 リ重 慶 陣
方 政 権 ヲ強 化 整 備 シ (廣 東 ニ於 テ 此 ノ必 要 最 モ大 ナ リ )防 共 国 家 群
レ対 支 政 策 ノ根幹 ニ触 ル ル問 題 ト シテ 政策 確 立 上 絶 エス考慮 ニ入 レ
四、 孔 祥 煕 ヲ始 メ重慶 要 人 中 ニ和 平気 分 強 キ ハ事 実 ナ ル モ右 ハ事 新
重 慶 側 ノ自 信 ハ牢 固 タ ル モノ ア リ、 右 ハ汪 派 ニ於 テ モ同 様 ト 存 セラ
シ キ次 第 ニ非 ス、 又蒋 ト縁 故深 キ 張季 鸞 ノ如 キ ハ支 那 復 興 ノ為 之 以
ト 現下 唯 一ノ方 途 ナ ル ヘク 、 又 日本 ト シ テ新 支 那 ニ求 ム ル国 防 及 経
上 ノ惨 禍 ヲ避 ケ タ キ希 望 ヲ抱 ク ニ至 リ (重 慶 ヨリ然 ル ヘキ代 表 ノ来
精 衛 ノ主 張 ニ賛 同 シ重 慶 脱 出 ノ機 ヲ窺 ヒ居 ル者 鮮 カ ラサ ル コト モ疑
済 提 携 ノ基 礎 条 件 ニ付 汪 ト ノ間 ニ根 本 的 了解 成 立 シ得 ル モノ ナ ラ ハ、
合流 ニ導 キ、 外 ハ対 外 関 係 ノ処 理 ニ付 彼 ヲ矢 表 ニ立 テ 調整 ヲ図 ル コ
無 キ処 、 此等 ハ謂 ハハ地 下 運動 ニシテ和 平 ヲ公 然 主張 ス ル ニ至 ラ ス。
細 部 ニ ハ敢 テ拘泥 セ ス シテ 一路 新 事 態 ノ発展 ヲ急 ク 必要 ア ル ヘク、
営 ノ分裂 ヨリ (統 一政府 ノ誕生 ハ右 可 能 性 ヲ増 大 ス ヘシ) 延 テ之 ヲ
又 三 、 四 月頃 重 慶 ニ和 平 気 分擡 頭 セル ハ事 実 ナ ル モ、右 ハ日本 カ蒋
然 ラ サ レ ハ累 次電 報 ノ通 リ重 慶 及 英 国 側等 ノ逆 宣 伝 ニ乗 セ ラ レ徒 ニ
香 方斡 旋 シテ見 テ モ可 ナ ル旨 ヲ洩 ヲ セル モ、 目 下 病臥 中 )更 ニ又汪
ヲ相 手 ト ス ヘシ ト ノ誤 解 ニ基 ケ ル モノ ニシテ 、 日本 ノ態 度 ニ斯 ル変
困 難 ヲ増 シ折 角 ノ機 会 ヲ失 フ惧 無 シト セサ ル ヘシ。
議 ニ際 シ何 等 御参 考 ト モナ ラ ハ幸 甚 ナ リ (了)。
七 、 以 上 ハ大 体過 般 帰 朝 ノ節 申 述 ヘタ ル所 ナ ルカ中 央 ニ於 ケ ル御 審
化無 キ コト判 明 ス ル ニ及 ヒ宋 美 齢 ハ再 ヒ重 慶 ニ引 返 シ 、 又或 筋 ニ対 シ蒋 カ代 表 ヲ派 遣 ス ヘシト ノ消 息 モ立 消 エト ナ リ孔 祥 煕 モ熱 意 ヲ失 ヒ彼 等 ハ今 ヤ再 ヒ日 本 ノ和 平 条 件 ヲ探 リ出 サ ント スル態 度 ニ返 リ ツ ツ ア リ。
三二
事 変解 決 秘 策 ( 案)
第二
参謀 本 部 第 二課 昭和 十 四年 七月 五 日 (
解 決 要 領
一、 汪 と 重 慶 と の合 流 を策 し つ つ対 重慶 停 戦 を指 導 し 次 で汪 及 重 慶
欧洲情勢鎮静 せば列国 の極東共同干 与の時期 あるべく又欧洲大戦 に移行せば其推移 に応 じ東亜新秩序 に関し我指導的発言権を確保 す
続 は徒労なり今次事変 を以て 一挙支那問題 の全面解決 を望むは無 理
か らず 。
なし 停 戦 は 日 本 と重 慶 と の問 題 な り 百 万 の軍 を汪 個 人 に依 存す べ
ロ、 汪 は停 戦 を 令 す と称 す るも 実 力 な き新 政 府 の威 令 行 は る る筈
イ、 重慶 を包 括 せざ れば 新 中 央 政府 に武 力 及 財 力 の基 礎 な し。
を包 括 す る新 中央 政 府 を樹 立 す 。
あり野 に既 に疲 労 の色 あり長陣 は乱を生ず故 に断乎 たる決意を以 て
現下解決 の要諦は蒋 下野に関 する寛容を持 して事変 を停戦 に導き
後 合 流 ) 両 政 府 の対 立 を前 提 とす るも の にし て持 久 方 略 なり 已 む
ハ、 新 政 府 を 樹 立 し て後 重 慶 を切 崩 し乃至 獲 得 せ ん とす るは ( 事
英 国との関聯妥協 に於 て (汪) と重慶政府 との関係 を調整す るに在
ニ、 又停 戦 行 為 の重 慶 結束 に及 ぼす 崩 壊 謀 略 の効 果 に も着 目 す べ
を得 ざ る場 合 の策 な り情 勢 に依 り永 久 抗 争 の事 態 を醸 す虞 あ り。
し。
二、汪と重慶 と の事前合流を策 す。
たる重慶 の大量獲得 を強調 し広く重慶 と の触接連絡 を慫慂し且既
イ、汪 に対しては新中央政府実力整備 の要 を説 き之が為既定方針
定中央政府樹 立方針 を明示す。
明 瞭 な る 解決 方式 も究 極 の場 合 は 別 と し 対内 的 行 懸 り よ り 成 る べ
解 決 方式 と なす も の なり 。
く 之 を避 く る を可 とす る の現 状 に於 て本 方式 を以 て先 づ 努 む べ き
る処 に し て 又 ﹁英 と の妥 協 に於 て蒋 を全 面 的 相 手 と す﹂ な る簡 単
対英 一戦 の決 意 と準 備 と を 欠 除 せ る場 合 対 英 妥 協 は 已 む を得 ざ
り。
第 一 解決 方式
事変 の解決を策す 。
現態勢を以て今 次戦争 目的 の達成は可能 なり今後慢然た る戦争継
るの要あり乃ち速 かなる事変 の解決を以て当面 の急務 となす 。
)
ハ、英 国をして汪及重慶 の合流 を斡旋 せしむ (次項参照)。
ロ、重慶 に対 しては機を求めて既定停戦許容条件を明示す之 が為 く るや。
難点 は蒋下野問題 の 一点なり蒋 一個 の首 級 に何 ぞ百 万 の大軍を懸
便 に対す る拘泥を去り純粋戦争目的を把 握す べし今 や局面打開 の
帰還 を急ぎ ある現実 の事 態に推移 しあり須らく ﹁現中央政府 を相
﹁国民政府を相手とせず﹂ の政略的政府声 明は国 民政府 の南京
要す れば人を派す ることあり。 三、英国を我 に同調誘致し某 程度 の対英妥協 に於 て彼をして汪、蒋 間 の斡旋竝汪重慶合流 に奔走 せしむ。
ロ、下野問題 の性質は之が実現 を以 て国内的輿論指 導竝事変処理
手 とす る事変解決 に期待を掛 けず﹂ の御前会 議 の本然 に還 るべし。
爾後 のため之を便宜とす るも のなるに止まり公然且強 要 の形式を
イ、天津問題 の大乗的解決を策 し権益 に対す る我合理性 と寛容 と ロ、在支英権益 に対す る我態度 を明示し次 で同調 の場合 には更 に
の範例たらしめ次 で事変処理 一般問題 に誘導す。 事変処理に関す る我態度を明示し既存権益 の復活竝新権益 の附与
として下野 の事態を結果として認識し得 れば可なり事前下野 を公
取 る の要 なく内面的且自発的に導く べし 一時 的 にても可なり我方
然過度 に強要す るの要なし若 し更 に蒋 にし て反共を実行 し其立場
を認め且我に対立す る場合 に於 ける我強硬決意 を暗示し以て援蒋 乃至事変持久 の不利 にし て事変解決 の有利な るの帰結 に自覚到達
ハ、蒋下野問題 の取扱程度に依 りては当時 の情勢 に依 り要す れば
を自証す るに於 ては 一層 の寛容 を持す べし。
此 の際広 く極東及欧洲 の問題 に関 し英国側 の希望 に応 じ政治協
せしむ。 定 を取扱ふ ことあり。
は国内反動分子 の検束 を準備し所要 に応じ実行す。
内奏 の後最高要路者 の断行 に依 るか或 は大詔渙発を奏 請す 此 の際
五、停戦問題 に関し重慶応じ汪之 に応ぜざ る場合 は汪を排除す。
ハ、英国 の重慶 に対す る斡旋内容 は左 の要目 とし成るべく極秘裡
イ、停戦 の実行は蒋 を相手として直接停戦条件 の折衝を行 ふもの
の裏面工作 とす。 汪、重慶合流 の勧告
とす。
整 の相手 は何等 かの形 に於 て新 中央政府 たるの態様 となすべきも
す るに於 ては情況 に依 り彼 の排除 を要す ること あり此 の際国交調
ロ、重慶 は真 に停戦 を希望し汪若し停戦 の実行 に関し折衝を阻止
とあり。
を日支調停停戦誘導 の功績 に帰納す るの形式 に於 て之を取扱 ふこ
此 の際情況 に依り汪 を仲介せしめ若く は過去 に於け る彼 の努力
停戦条件 の伝達竝之 が容認 の斡旋 停戦 のため直接会談 の慫慂
イ 、 ﹁蒋政 権 相 手 と せず ﹂ ﹁ 蒋 下野 ﹂ は方 便 にし て本 質 に非 ず 方
四、 蒋 の下 野 問 題 に関 し て は可 及 的寛 容 を持 す 。
なし 。
蒋自主的下野 の慫慂誘導 (欠項 参照 ニ、英 国 と重 慶 と の既 存 関 係 に関 し て は之 を黙 認 し干 与す る こと )
重慶 を主体とす る既成政権 の合流型式とな るべし。此 の場合 に於 ける蒋 の取扱程度は再 吟味 を要す ることあ るべし本項実行 に方り ては強力な る国論転換を指導す。 六、新中央政府 の樹立は 一大決意 を以 て之を処理し且内政干渉を避 イ、新中央政府 の樹立決定 は事前合流 か事後合流 か或 は両政府 対
く。 立永久抗争 か の予見 と之 に応ずる の対内外決意 とを確立し 一大決 ロ、今 や国民政府相手 にせず の自 ら の声 明に束縛 せら る軽率 なる
心を以て之 を行 ふ是今事変 の運命 を決す べき最大 の決心なり。 新中央政府樹立乃至態度決定は百年 の悔 を遺 すものなり。 ハ、新中央政府樹立 のため汪及重慶政府 の合流形式は内政問題と し て支那側 に委 し干渉 を避く。 七、重慶停戦意志無 き時 は先づ事後合流を指 導す る企図 を以て新 中 央政府を樹立す。 イ、情勢新中央政府樹立後汪重慶 の合流 を策 するの ( 事後合流 ) 已むを得ざる場合 には其合流施策 は強硬施 策を強 化す るの外概ね 前述す る所 に準拠 すべきも詳細 は追 て定 む。 ロ、此 の際 は 一応事後合流 か永久 対立 かの予断を以て処 理す るも のとし重慶 の動き と国際情勢就 中欧洲情勢とを十分考慮 するもの とす特 に躁急 を戒む而し て其時機 は概 ね明年初頭頃と概定す。 対英 関係 を考慮 し概 ね対英施策 に準拠 し誘導す。
八、米 国 の仲介斡旋提議 あり たる場合 は之 に応ず。
三三
第 一 方
針
七部 の内第弐号
年 内 事変 処 理 に 関す る最高 指 導
(昭 、 一四 、 七 、 一二
第 二課 )
︹ 参謀本部︺
本 方 策 指 導 のた め大 持 久 方 略 を 以 て表 と なし 解 決 方略 を以 て裏 と
べし。
なす 、 解決 方略 は最 高 極 少 の範 囲 に於 て極 秘 裡 に之 を 取扱 ふ も のと
内外 に亘り ﹁十年戦争﹂ の決意下 に強 硬徹底 の諸施策を促進 する と共 に現下情勢即日独伊協定 、日英交渉 、支那中央政権樹立、対米
す。
三、 日英交渉 は表面局地問題として之を現地側 の会談 に委し内面極
の支〓 たらしむ。
其効果 を今秋 の対支 措置 に発揮 せしめ之 を以て各般 に亘 る外交施策
るを納得 せしむ協定締結 と共 に之 が支那事変処 理上の運用を先議 し
を支那事変 に運用す ることが協定運用上自主先制 を把握す る所以な
之 が為特 に要路 に対し本協定 の対支那事変価値 を認識 せしめ且之
促進 を図り遅くも八月初頭迄 には之が完結 を期す。
二、 日独伊協 定問題 は天津租界問題 に関す る現下 の雰囲気に乗 じて
に対 しても指 針を与 へて企画 せしめ所要 の事項 は逐次実行に移す。
一、十年戦争 方略 に関 しては従来 の研究 を完成す ると共 に実行機関
第三 各 別 要 領
借款等 の諸問題を統 合指導 し年内事変解決 に努力す。 之が為陸軍は 一致団結世論 の外 に立ち進 んで全責任 を負ひ断乎 た 一般 要 領
る決意 下に諸施策を講ず るものとす。 第二
日独伊協定促進 、対米借款促進、大持 久方略大綱 の決定。
七月、日英現地問題解決 一般問題端緒捕 捉
成否決定、大持久方略具体的企画。
八月、国民党大会、日独伊協定締結、日英 一般問題促進、対米借款 九月、中央政治会議、対重慶屈伏 工作、日独伊細 目協定、対支経済 措置、大持久方略 の逐 次実施。 方略 の逐次実施。
秘裏 に対日転向 を誘導す。
十月、停戦指導、新中央政府 樹立、要す れば対英強硬措置、大持久 以上 の施策 は各項 の進捗度に依 り逐次遷延し年末に亘 ることある
由
一、日独伊協定 と日英交渉 とは相互 に促進 の作用 あり併進すべし而
理
し て独伊 と結 び事変処理就中対英 の支〓を形成するは其本 に培 ふも
之 が為特 に英国 の其権 益乃至事変 に対す る真意を究明把握 すると 共 に我 の之 に対す る基本観念を示唆 乃至開示 し権益 の操縦 に依り機
二、汪工作 と英 の対重慶 工作 とは矛盾 せず汪 には武力財力欠除 せり
のなり之 に依 り対英自主操作容 易となる。
を捉 ヘて事変処理 に関し積極 的に我に同調 するの端緒を開かしむ 。
之 が補 填は重慶 の獲得 に在り汪 の指導 は之 を目的となさしむ而 して
我 に同 調 の端緒 を捕捉 せば逐 次之を誘導発展 せしめ て極秘裡 に之 を対重慶 屈伏 工作 に迄誘致し支那新 中央政権 工作 に対し妨害措置 を
重慶 の鍵 は英之 を握 る英 の行 ふ重慶屈伏 工作 は汪 の目的を補強す る
は甚だ不可 なり。
の運命 を決す べき今事変 の解決を汪 の 一臂 に依存し て控 手無為 なる
り我解決 目的 に合す る如く操 縦せらる此際自主的 に施策す べし国家
三、即英 は重慶依存 の権益操作と日独伊綜合圧力と の統合運用 に依
も のにして英自体亦其権益維持 の目的 に合致するも のなり。
封ず るのみならず同調補強の策 に出 でしむ之 が成果 は九月を以て目 本工作 の促進 に資す る為在支権益 に対す る強硬施策を準備し所要
途 となす。 に応じ之を発動す。 本項 のため準拠す べき権益 の取扱 は ﹁第 三国 の活動及権益に対す る措置要領﹂ に拠 る。 四、支那中央政権 の樹立工作 は其実質 に於 て之を重慶を包 括する停 戦指導たらしめ政権樹立 と共 に之 が武力及財力 の基礎確立を期す。 第三国対重慶 工作 の成果は新中央 政権樹立前 に具現せしむべく両 工作促進 の度 に鑑 み停戦指導及政権樹立 の時機及関係を規正す之 が 為適時上述 の真意 を新政権日支関係 者主脳部 に秘密諒解せしむ。 情勢に依 り新政権樹立後対支対英強硬施策併用下 に重慶包括 工作 を行ふ ことあり。 以上 の措置 を容易ならしむるため爾今重慶武力及財力 の切崩及獲 得 に関する謀略 を 一段強化促進 す。 五、対米借款 の問題は方策を尽して速 に之 が成立を計 り事変処理及 国力建設 に資 し且 日米提携 の契機 たらしむ特 に事変 解決成 らざ る場 合 に於 ては之 を以 て対支経済戦を指導す。 六、以上各項目 の具体的事項 に関しては夫 〓別 に定むる所 に拠 る。
三四
30部 の内 第 27 号
包括乃至屈伏 工作 を行 ふことあり
省 部 主 任者 )
以上 の措置 を容易ならしむる為
る如く努 む情勢 に依 り新政権樹立後 対支 対英強硬施策併用下に重慶
対重慶 包括乃至屈伏 工作 の成果は新中央政権樹立前 に具現せしむ
期す。
戦指導たらしめ政権樹立 と共 に努め て之が武力及財力 の基礎確立を
二、支那中央政権 の樹立 工作は其実質 に於 て之 を重慶を包 括する停
の対支措置 に発揮 せしむ
協定締結と共 に之 が支那事変処理上 の運用 を先議 し其効果を今秋
自主先制を把握 する所 以なるを納得せしむ。
(昭 一四 、 八 、 一
事変 処 理 に 関す る最 高 指 導
今秋 季 を中 心 とす る
事変 一般指導 のため には長期戦方略を以 て表 となし解決方略を以
針
て裏となす 。本方策は最高極少 の範囲 に於 て極 秘裡 に之 を取扱 ふも のとす。 第一 方
速 に日独伊協定を完結 し之 を支〓とし て国際情勢 を利導し つつ強 力なる支那新中央政府樹立を中 心とし て諸般 の施策 を統合指導し以 て事 変 の解決 に努力す 此 の間事態 の推移如何 に拘らず益 〓国民 の志気 を昂揚す ると共 に 之 が為陸軍は 一致団結世論 の外 に立 ち進 んで全責任 を負 ひ断乎 た
長期戦遂行 に関す る措置 を強化促進す
三、事変処理上国 際情勢 の利導 は日独伊協 定を支〓 とす る対英施策
爾今重慶武力及財 力 の切崩獲得 に関す る謀 略施策 を 一段強化す
一、天津租界問 題は既定方針 に則り速 に之 を解決す ると共 に日独伊
共 に我 の之 に対す る基本観念を示唆乃至開 示し之 に依 る権益 の操 縦
之が為先づ英国 の其権益乃至事変 に対する真意 を究明把握すると
を以 て其重点となし天津問題解決後と雖も引続 き対日転向 を誘導す
協定問題 の促進を図り遅くも八月中に完結 を期 し之 を以 て事変解決
領
乃至外交指導 の支〓 たらしむ之が為特 に要路 に対し本協定 の対支那
の端緒を開 かしむ
と日独伊 協定 の圧力 とに依り事変処 理 に関し積極的 に我 に同調する
第二 要
る決意下 に諸施策を講 ずるものとす
事変価値を認識 せしめ且之を支 那事変 に適用す ることが協定運用上
我に同調 の端緒を捕 捉せば逐 次之 を誘導発展 せしめて極 秘裡 に之 を対重慶屈伏 工作 に迄誘致し支那新中央政権 工作 に対し妨害措置 を 本工作 の促進 に資す る為在支権益 に対する強硬施策 をも準備し所
封ず る のみならず同調補強 の策 に出 でしむ
本項 のため準拠す べき権益 の取扱は ﹁ 第 三国 の活動及権益 に対す
要 に応じ之を発動す る措置要領﹂ に拠 る 四、対米施策 に関 して通商航海条約破棄に関聯す る現情勢 を利導し 五、長期戦遂行 の方略 に関 しては従来 の研究を完 成し所要 の準備 を
局面 を転換し て終局 に於 て我事変処理 に同 調寄与せしむる如く努む
六、以上各項 目 の具体的事項 に関 しては夫 々別 に定むる所 に拠 る
促進す
三五
参拾部 の内第六号
現 下国 内 対 策
外兵を連 ね内紛争 を事とす内外 の措置機 を失し内 に威信無く外侮 相踵 いで到 る今 や辺幅修飾 の時 期に非ず今 にして其然る所 以 の根本 世論 一般 に末梢焦躁 に過ぐ之を鎮静 に導 きて過早 の蠢 動を避 け静
を是正する無 くんば禍は蕭墻 の裡 に起 らん 観以て今次問題 の実相 を究明し大勇猛 心を以 て断乎以下各項 を措置 一、戦時国家指導機構 の確立
すべきも のなり 事変処理を中 心とす る挺身殉国 の指導機構 を確立 し〓 に人心 の 一 り 而し て今 や其弊此 に到れるも のなり
新と挙国 の 一致とを図 る戦時態勢 に最も欠除 せるは最高指導機構 な 之 が為陸軍は断乎進 んで事変処理 の全責任 を負 ひ挺身殉国 の先頭 に起 つ イ、戦時国務 の寡頭運用 事変 の処 理を寡頭 を以 て敏活ならしむる如く組織を運用し成 し 得れば戦時内閣制度を設定 す 挺は殉国 の器を備 ふべし特 に総理 のため には挺は殉 国、事変処
(昭 一四、 八、 二 四
参 謀 本部 )
理方針 の合致勇断果決を以 て絶 対不可欠 の資質となす
救 国 の大義 に基き万難を排 し之 が設定 に関す る努力 を倍〓 し具
ロ、総理権限 の強化特 に総動員指導 権 の設定 現す
陸軍省部間、統帥部と政府間 、特 に陸海軍間 の 一体的機構 を強
ハ、大本営機構 の強化 化し以て真 の戦時態勢をと る
部内 一致結束戦時国家指導 の実力的推進力となる
ニ、陸軍 の挺身
日本精神 の透徹 と人物 の尊重登用 及養成 とを中心とし て制度 を始
二、心と人と の尊重
他力依存 の風 を矯め自力本位以て自存自給 の態勢を確立 すると共
め各般 の施策 に亘 り急速再吟味是 正す 三、国防態勢 の確立
に 一般 国防力特 に対 ﹁ソ﹂戦 備を強化促進 し事変処理 に邁進す
イ、帝国自給 圏竝自給方策 の確 立
ハ、対 ﹁ソ﹂戦備 の応急強化
ロ、新情勢に応ず る自主的国防態勢 の強化 ニ、不足資源 の繰 上輸 入実施 考
一、新内閣に対する要望別紙 の如し
備 二、対外処 理に関 しては新情勢 に対応 する為慎重 なる研究を行 ふ
新内 閣に対す る要望
紙
と共 に表 面静観的態度 を持し特 に焦躁 の態度 を戒む 別
一、政戦両略 の協調 を容易 にし且事変処理を活〓ならしめ得 る如き 内閣 の機構 を設定し若くは運用 をなす こと 二、総 理の権能を強化し て内外 の施策実施を敏活ならしめ特 に総動 員指導権を確立す ること 三、事変処理 の既定方針 を堅持す ること 四、新情勢 に応ず る の国防態勢就中対 ﹁ソ﹂戦備 を強化す べき こと
三六
参拾部 の内第弐拾六号
︹ 参謀本部︺
第 二 課)
満 ﹁ソ﹂蒙 の国境劃定は係争 地帯 の吟味及該地域即時 相互 不可侵
﹁ソ﹂邦 の鉱物及燃料資 源供与を包含す る経済協定を附 帯せしむ
( 一四 、 八 、 二 八
戦 争 指 導 上 対外 方 策 に関 す る根 本 的 再検 討 案
独 ﹁ソ﹂不侵略条約締結 の現情勢下に於 て帝国 の採り得る対外方 策は聯 ﹁ソ﹂討英、聯英討 ﹁ソ﹂及 一切協 調 の三案 となす
を以 て先決となす甘粛以西地区 の赤化 工作 は 一応黙認 の形式 をとり 二、 討英 の方式
該地域以東 に対する工作を封止約 定す
聯 ﹁ソ﹂討英は国内革新 を前提 とし困難なり又聯英討 ﹁ソ﹂は北 方解決 の基本態勢な るも現下急転 回は相当 の困難 性あり 一切協調主
試験済 なり
本案 は対英 一戦 の決意 を前提 とし国内的 に成立 の困難性大 なり是
定 めんとす るも のにして事変処理上 に於 ける対英各個撃破なり
結局 日 ﹁ソ﹂ の直接抗争 を緩和乃至制限 の形式 に於 て先 づ中原 を
る抵抗 は依然残存す
るものなり 日 ﹁ソ﹂ の妥協成 るも重慶 政府 の新政権乃至 日本 に対す
本案 の成果は中原 を範域 とす る新支那 (新政権) の建設 を強行す
三、本案 の実行
をし て我事変処理 に追随 せしむ
一戦決意下 に支那及南洋 に亘 る英国利 権 の強圧 との関聯 に於 て英国
独伊と の提携を強化 し其欧洲 に於け る企図を暢達 せしめ つつ対英
義は当 面無難 の方式なるも無策 に近く且之が永続 には事変と の関聯 従 て此 の際帝国 の採るべき方策 は差当り 一切協調主義 に依り て事
に於 て 一切排撃自主孤立 の決意 を必要となす 変 に対する列国 の干渉を緩 和制限 しつつ最高指導 上機 を見 て聯英討 ﹁ソ﹂ の態勢 に移行し事変 を解決 し北伐 の準備 を完整す るを以 て国 内情 勢並国力上妥当可能 の策案 となす 特 に成案無 き強硬論を排 す 第 一案 聯 ﹁ソ﹂討英 本案 は ﹁ソ﹂邦 の対支 工作 を西北支那 の範囲 に制限 し独伊と の提 一、聯 ﹁ソ﹂ の方式
携を強化し つつ対英強行方策下 に事変を処理せんとす るものなり 武 力的及思想的相互不侵 略 とし 満 蒙 支 の範 域 に亘 る も のとし
第 二案
聯英討 ﹁ソ﹂
本案 の継続中大戦勃発 せば北方処理は延期 となる 本案 は中南 支に於 ける英国と の妥協 に於 て事変 を急速処理し速 に
準備 せんとするも のなり
独 ﹁ソ﹂英米等 に対し 一切協調 を以 て方針となし独伊 に対す る精
一、協 調 の方式
北伐 の態勢を完整 するに在 り
の成果は概 ね北支 の範域 に抑制 す
二案となる
本案 の実行 は戦果期待 の抑制 を以て前提 とす べく決意 に依 り左 の
二、本案 の実行
神提携 ﹁ソ﹂ に対す る国境妥協 英米に対す る物質的協調を行 ひ事変
中南支 に於ける英国 の既存権益及事変間約定 に成 る新権益をも容
一、聯英 の方式 認 し事変 の収拾 に関 し英国 をし て重慶と汪精衛若 くは日本と の間に 二、討 ﹁ソ﹂ の方式
斡旋 せしむ
決意 を必要 とす此際対重慶 対 ﹁ソ﹂対英 の問題は主 として汪精衛
の某程度 の妥協を前提 とし事変 の急速解決 を期待し得るも対内的
イ 、 ﹁ソ﹂邦 に対し西北 又英国 に対 し西南を許容する場合重慶と
依 り速 に北伐態勢 を完整 し機 を見 て対 ﹁ソ﹂決戦 を指導 せんとする
に委 すべきものなり
西北支那 に於ける ﹁ソ﹂邦 の跳梁に対処 し つつ事変 の 一応 収拾 に ものなり
領 地域 の自主建設を指導 するも のとし之 が為南北朝 対立少くも十
ロ 、対列国 一切協調 に依 りて我れに対す る圧迫を制 限し つゝ既占 結局西北戦線 は対
本案 の成果は西北支那 を除く地域 に於 ける日英協調 に依る事変解
三、本案 の実行 決 にして某程度に於 ける重慶と の妥協 を意味す
に目前受入 れられ易きも長期協調 の指導は本態勢下 に於 て不可能
年戦争 の決意を必要となす本案 は北伐南伐共 に延期 となる対内的
一切協 調
来 のため最強度 の決意 を必要 となす
あり究極 に於 て自主孤立 の決 心を前提 とすべく従て対内的 には将
に属 すべく欧洲 の安定 と共 に列国共同干渉 の事態 を誘致す るの嫌
﹁ソ﹂決戦迄継続す るものにし て事変処 理上 に於 ける対 ﹁ソ﹂各個 撃破なり 本案は対重慶妥協 の決意 を前提 とし国策的大転向を必要とし之 が 本案 の継続中大戦勃発 せば南方及東方補給路を解放 し つつ極東 に
急速な る指導 は対内的 に相当 の困難性あり
第 三案
関する限り日 ﹁ソ﹂両国局限戦争 の指導を可能 なりとなす 本案 は極東 に於け る帝国 の地理的地位 を利用 し列国 と の関係は之 を可及的協調主義に導 き事変成果 に対する期待 を抑制 し次期北伐を
三七
事変処理根本原則
参拾部 の内第弐号
事 変処 理最 高 指導 方 針
新 中央 政 府 樹 立 を 中 心と す る
(昭 一四 、 一〇 、 三 〇
省部 関 係 課)
二、右停戦及合流不成立 の場合 に在り ても爾後 に於ける持久戦指導
停戦条 件 に関 しては戦争指導方針 に拠る
一致点を構成捕捉 して対重慶停戦及汪、重慶 の合流を指 導す
を容易ならしむる如く部分的停戦及合流を誘致 し以 て新政府 のため
一、正道を行ふ こと 二、寛容を持す ること
一 期
概 ね年内を目途 とし対重慶 の停戦及汪、重慶合流を新 中央政府樹
第
六、以上解決処 理のため左 の如く逐次努力施策す
之 を規律す
五、新中央政府 の樹立は全局に亘 る戦争指導上 の見地より自主的 に
遺憾 なからしむ
四、解決 に関する努力中と雖大持久戦移行 のための準備 に関 しては
施策 を以 て其重点 となす
せしむ べく更に我事変処理に同調 せしむ るの態勢 に誘導す特 に対英
下 に於け る列国 の相互牽制を利導 し英 ﹁ソ﹂等 の対重慶支援 を制限
三、新情勢 に対処 し事変処理を中 心とし て国際環境を調整し特 に現
可及的武力及財力 の基礎確立を図 る
三、俗 に依て化す ること
旨
事変処理最高指導方針
新中央政府樹立を中心とする 第一 要
新国際情勢 に善処し汪工作 を強化推進 しつつ内外 の施策を統合集 中 し支那新中央政府樹立 の前後 を機 とし速 に事変 一応 の解決 に努力 す其成らざるに方り ては断乎大持久戦 に移行す 右指導は身 を挺し特に責任 と決意 を以 て之を処 理す るも のとす 第二 要 領 一、強力なる新中央政府 を樹立し以て事変を解決 に導く ことを以 て 之 が為特に汪 工作を強化推進し つつ対重慶 工作 を併進せしめ之が
根本となし万般 の措置を之 に統合す
第
二 期
立前具現す ることに努 む (解決第 一方式) 情勢第 一期成果を期待 し得ざ るに至 らば適時新中央政府を樹立 し 明年中所要 の期間を目途 とし引続き対重慶停戦及汪、重慶 の合流 を 此 の間要す れば対支対英等強硬施策 を併用す
施策す ( 解決第 二方式 ) 七、解決 に関す る努力奏効 せざ る時は新 旧両政府 の対立 に処し世界
)
情勢 の変転 に備 へ国内態勢を整頓し十分の決意と準備 とを以 て逐 次 三 期 大持久戦 の指導 に移行す 第 ( 大 持久戦方式 大持 久戦方略 に関し ては別 に定むる所 に拠 る
三八
日支 事 変 速 決 に 関 す る 作 戦 上 の意 見
告げ蘇国 に和平 の表現 あり欧洲 の紛乱逐日漸 く拡大 の域に向 ふ乃ち
以 てして此二大 眼目を達成し得 べきや今や満蘇国境 の紛争 一段落を
の重点 なりと解 するも国軍 が依然従来 の方針施策 を継続するのみを
敵軍抗戦企図 の破摧、事変 の急速解決は大本営 の示せる対支処理
勢な るを以て無為無策 は彼 の術中 に陥 れるも のと謂 ふべく抗戦企図
而して敵軍 は其抗日戦略 を游撃、特務戦とし其主力 を後方 に保存 し自ら求 めて大規模 の反抗 を企 つることなく長期抗戦 に出づ べき情
亦茲 に存す
敵正規軍にして之 が芟除撃滅 の為積極進攻を急務とす る所以 のも の
蓋し之が原動力は占拠地域外周を囲繞 し游撃匪軍の支援後拠を為す
正は容易に之 を望み難く事変 の解決に寄与する所亦遠し と謂 ふべし
軍は政略、戦略 、謀略 を渾然統合 し専心 一挙蒋政権打倒促進 に邁進
日支事変速決 に関する作戦上 の意 見
せんが為三省深思根本的 に施策 の検討を要す るの時機 に逢着しあり
の破摧 の道職とし て独り急追進攻作戦 に由 るの外無 し
介石を中 心とし黄〓軍官学校系 の青年層将校を主 体とす る中央直系
にもあらず幾多地方雑軍 を混ず る抗 日二百万全敵 軍にもあらず唯蒋
更 に敵軍抗 日勢力 の中枢 は支那四億民衆 にあらず政府要人 の意志
と謂 ふべし の樹立強化、宣伝謀略 の行使第 三国援蒋 の妨害隔絶等 に依 り之が促
軍 の抗日意志 にし て ( 共産党 の敵本主義的抗日熱は暫 く措く)此 の
抑 〓敵軍抗戦企図 の破摧衰亡 は至難中 の難事 にし て素 より新政権 進 に絶大 の努力 を払 ふべしと雖 も戦略進攻 を伴 はざ る叙上 の施策は
尚従来 中央直系軍に関 し 一般 に認識観察 を異 にし 一部 には之 を軽
軍隊 の存在す る限り急速 なる和平解決 は木 に縁りて魚 を求む るが如 し
各方面に兵力 を分散し内占拠地域 の治安 を速 に粛 正せんとするも
其 の過程極 めて緩漫なるを推知 し得べし 彼 の限定せられたる範 域と限定 せる敵匪軍 なる好条件 を以 てするも
視す るの傾 なしと せざるも之 を実戦 の経過 に徴するに戦 力比較的優
尚 五ケ年 の歳月 を要したる満洲国建設 の実例 に鑑み日支両軍対峙 の 状態継続する限り如何 に焦慮 し又如何 に兵力を増加するも治安 の粛
後継陳誠 の輩之を統率 せんか概ね 一糸乱 れざ る統制下 に依然抗 日勢
す)を以 てするも到底前者 に比儔 し難 く更 に仮令蒋介石没落 するも
秀 にし て今尚至大 の実力を有し地方全雑軍 の結束 (実現不可能 に属
守﹂等凡有既定 の方針 に拘泥す ることなく (過般 の〓湘会戦 に於 て
義﹂﹁軍備充実 に併行する兵団交代 に依 る長期持久 の既定 計 画 の墨
之 を要す るに ﹁地上進攻作戦 を 一切実施せず﹂﹁治安 粛 正第 一主
は直 に長沙 を攻略 し之を保持す る こと易 々たりしも のなり) 一大英
若 し第百 六師団 の帰還を 一時的 に延期す るの指示ありたりと せば軍
斯 く観 じ来れば敵軍抗戦企図を破摧衰亡せしめ神速 に事変を処理
力 の源泉 たるべし 解決す るには純作戦 上の見 地より せば蒋 直系軍主力 に痛撃を与ふる
而 して敵軍八十万特 に蒋介石股肱 の中堅軍主力を周 辺に擁する軍
断 以 て進攻作戦 を決行す るを緊要 とす
んとする の趨勢 に於 て 一刻 の早きを可 とす と雖亦汪精衛 の新中央政
中原 及宜昌方向 に指向す べく其時機 は敵中央軍 の四川雲南 に蟄伏 せ
の戦 力は在支皇軍 の三分 の 一にも満 たざ る現状を正観 し総軍 を挙げ
ことに帰す軍は主 として右観点 に立脚し襄東〓湘会戦 に於 て湯恩伯 、
次 に謀略施策 の見 地より之 を観察する に第十 一軍方面 に於ける対
府樹 立し帝国並伊独之を承認し且日蘇 、日米、日英 の国交調整も大
關麟徴軍 の撃滅を企 図し概 ね其目的を達 したるも尚中央直系軍 の主
象 は李宗仁 の廣西軍 と張自忠馮治安軍等 にして此等敵軍将帥は既に
約 成立 の暁即ち明春 の侯とし政 、戦謀略歩調 を揃 へ総 力を挙げ て決
て重点 の作為 に徹底し謀略工作 を之 に統合 し速 に新進攻作戦 を湖南
戦意喪失 せるも中央軍 の厳重な る監視 下 に在 ると皇国 の事変継続、
力 は湖南平原及宜昌 方面 に在り
進攻作戦能 力を懐疑 し直 に帰順 的行動 に出 づる能 はざ るは幾多 の証
行 するを当 を得 たるも のと思惟 す
現下戦力保持 に汲 々とし退避作戦 を事 とす る支那軍と雖 も 一挙大
迹 に依り て明なり若 し宜昌附近 の中央 直系軍 を撃破し去らん か此等 謀略対象敵軍をして四川陜西 の山中 に遁 入す る の絶望的苦境 に陥ち 入 るか帰順 的行動 に出づ るかの岐 路 に佇 立せしめ謀略 工作を解決す
は彼 の〓湘会戦 に於 て先づ汨水 に次 で瀏陽河 の線に陣容 を再建し後
方 兵団を増援 せしに見 るも明にして我軍 にし て武漢攻略戦当時 の兵
距離 の後退 を実行す るは軍隊 の志気並 対内外政策上実行 し能 はざ る
支那派遣軍 の編成 は 一時敵軍を震憾せしめ〓湘会戦 の発動を以て
力 と決意 とを以 て 一挙大距離進攻作戦 を遂行し敵軍撃滅 に努むる に
るの転機 たらしめ得 べし 我総司令官就任直後 に於 ける無言 の大声 明なりと警愕 し長沙放棄を
は敵 百万軍 を養 ふ豊沃 の地之が喪失 は蒋軍 の生存 に甚大な る打 撃な
の撃破徹底的 なる能 はずして地域 の獲得 に終れりとす るも湖南平原
る のみならず中、南支軍 の策応協同 に依り第 三戦 区を枯渇せしめ得
於 ては中央軍痛撃 の目的を達成 し得 べし然 れども飜 て仮 に敵中堅軍
揚 せんこと に努 めあり由是観是今後 の進 攻作戦 に方り ては 一度 要地
決心 せしめしに拘 らず我軍 の之 を攻略せず して原態勢 に復帰するや
を攻略せば必ず之 を確保す るを要し且作戦 に際 しては総司令 官自ら
べく更 に豊富貴重 なる地下 埋蔵資源 の開発 に依 り皇国自給自足 の難
敵 は奪回反撃を呼号 し其作戦軍師 に恩賞を附与 し以 て其 の志気を昂
前線 に出馬し敵 に与 ふる震駭性 を弥が上にも拡大せしむるを要 す
問題を解決す るに貢献する所大 なりと謂 ふべく又宜昌方面 の作戦 に 依り北中支敵軍 の統 一戦線を分断 するの戦略上並農産資源獲得 の経 済上 の副 目的 の達成亦看過すべからざ るものあり加 之両者共 に航空 の基地を西方 に推進し奥地 に遁竄 する敵軍を屈伏 に導くべき航空進 攻作戦を容易 且有利 ならしめ或 は敵軍内訌 を激化 せしめ雑軍離反 の を緩 めざ る皇国決意 の反映 は敵軍 に精神的圧力 を与 へ之が崩壊急展
転機 を醸成し得 る のみならず事変 解決 の為 には飽く迄武力行使 の手 に絶大 の効果を齎 すも のと謂 ふべし 叙上 は岡村 の 一に事変処理を急速に解決 せんが為 の作戦 上 の所懐 にして敢 て之を具申する所以 のも の 一片耿 々の衷情 に出 づるものな るを諒 とせられん ことを希 ふ 昭和十四年十 一月十四日
︹寧次︺ 岡 村 中 将 ︹第十 一軍司令官︺
三 九
針
事 変 解 決 ニ関 ス ル極 秘 指 導
(一五、 一、 一 総軍参謀部)
ヲ問 ハス事 変 解 決 ノ タ メ ノ正式 条 件 ト シ テ取 扱 ヒ得 ル モノ ナ リト ス
事 変 継続 中 及 大 持 久 戦 転 移 ノ タ メ ニ ハ冒 頭 ニ於 ケ ル事 変 留 保 ト将 来
第 一 方
概 昭 和 十 五年 秋 季 頃 迄 ヲ目途 ト シ特 ニ事 変 解 決 ニ努 力 ス ル モノ ト
留 保 ト ヲ活 用 シ時 期 的若 ク ハ内 容 的 ニ謀 略扱 ト ナ ス コト アリ従 ツ テ
三、 青 島 会 談 及 中 央 政治 会 議 ノ指 導 ハ中央 政 府 樹 立 大 綱 ヲ主 体 ト ス
過 早 且広 範 囲 ノ周 知 ヲ戒 ム
ル内 政 問 題 ヲ取扱 ハシメ既 定 協 議 事項 ニ準拠 シ テ意 見 ノ 一致 ヲ図 リ
シ汪 工 作 ヲ強 化 促 進 シ ツ ツ対 重慶 工作 ヲ併 進 シ適 時 対 重慶 停 戦 ノ機
対 重慶 工作 ハ汪 工作 ト ノ調和 ニ於 テ逐 次 活 発 ニ之 ヲ指 導 シ右 汪 、
日支 間 ノ問 題 ニ関 シテ ハ汪 一任 ト ナ ル如 ク情 勢 ヲ誘 致 セシ ム特 ニ三
ヲ捕 捉 ス ルト共 ニ汪 、 重慶 ノ合 流 ヲ指 導 ス
重慶 両 工作 ハ新 中 央 政府 樹 立 ノ前 後 ヲ通 シ継続 シテ之 ニ努 力 ス ル モ
要
領
ケ ル指 導 ノ タ メ特 ニ彼 等 ノ対重 慶 観 念 乃 至 施 策 ニ付着 目 看 取 ス ル モ
治 会議 ニ臨 マシ ム ル如 ク指 導 ス ル ヲ以 テ其 ノ要 諦 ト ナ シ且爾 後 ニ於
巨 頭 会 議 ニ於 テ ハ可 及的 高 度 ナ ル意 見 ノ 一致 ニ導 キ 三者 提 携 シ テ政
ノ ト シ其 ノ解 決 一致 点 ノ把 握 ハ成 ル ヘク早 期 ナ ルヲ可 ト ス 樹 立 前 ノ努 力 ハ概 三月 頃 迄 ト シ樹 立 後 ノ努力 ハ爾 後 概 半 年 ト 予定
第二
ス右 努 力 ニシ テ奏 効 セサ ル ト キ ハ大 持 久戦 遂行 ノ態 勢 ニ転移 ス
四 、政 権 ノ樹 立 ハ当 時 ノ情 勢 ニ応 ス ヘキ モ其 ノ準 備 完 了 ト共 ニ実 力
ノト ス
一、 汪 工作 ノ促 進 ハ故 意 ニ其 緩急 ヲ律 ス ル コト ナ ク工作 自 体 自 然 ノ
相 応 ノ程 度 ニ於 テ之 カ取 扱 及態 様 ヲ定 ム、 此 ノ際 特 ニ人 心 一新 ノ施
其 ノ 一 汪 工作 ノ指 導
進度 ニ応 セ シ ム之 カ樹 立 亦 其 ノ実 力相 応 ノ取 扱 ト ナ ス従 ツ テ該 政 権
合 流 ノ途 ヲ閉 塞 ス ルノ弊 ニ陥 ラサ ル コト ナ リ ト ス
樹 立 ニ当 リ特 ニ着 意 ス ヘキ ハ対内 外措 置 ヲ通 シ爾後 ニ於 ケ ル重 慶
策 ヲ講 ス ル モノト ス
ハ大 持 久 戦 遂 行 ノタ メ次 テ正 式 政 府 タ リ得 ルノ発 展 性 ヲ保 有 セ シ ム
ノ樹 立 ハ不 取 敢 謀 略 政 権 ト シテ ノ底 意 ニ於 テ之 ヲ律 シ且 事 変 解 決 又
二、 旧 臘 成 立 セ ル日支 調 整 協 議 事 項 ハ現 下 ノ段 階 ニ於 テ相 手 ノ如何
五、 新 政府 ノ承認 ハ重 慶 ノ合 流 ニ依 ル事 変 解 決 ノ際 カ或 ハ両 政 府 対
四 、前 項 ニ策 応 シ汪 側 ノ安 定 ニ伴 ヒ梅 機 関 ノ行 フ ヘキ対 汪 施 策 左 ノ
者 ニ示 ス コト ア リ
重慶 獲 得 ノ タ メ ノ日 本側 ノ協 力 ニ対 シ テ ハ諒 解感 謝 ス ヘキ コト
ナ ル コト
強 力政 府 樹 立 乃 至 事変 収拾 ノ タ メ ニ ハ重慶 政府 実 力 獲 得 ノ必要
イ 、 汪側 ニ対 シ諒 解 セ シ ム ヘキ事 項
立 ノ大 持 久 戦 決意 ノ際 ト シ (後 者 ノ場 合 本 年 末 期 ト予 想 ス) 之 ヲ自
対重 慶 工作
如シ
其 ノ二
主 的 ニ行 ヒ内 外 ノ附 帯情 勢 ニ牽 制 セ ラ ル ル コト ナ シ
一、 対重 慶 工 作 ノ推 進 ハ当 初 秘 密 裡 ニ汪 工作 ト ノ調 和 ニ於 テ之 ヲ行 フ ヘキ モ其 ノ発展 ニ伴 ヒ好 機 ヲ捕 捉 シ得 ハ特 ニ大 胆 率 直 ノ処 置 ヲ モ
停 戦 行為 ハ重慶 獲 得 ノ前 提条 件 ニ シテ 且 日本 ト 重慶 ト ノ直 接 問題
ロ、 汪側 ニ対 シ糾 明 ス ヘキ事 項
ナ リ此 ノ間 停 戦 交 渉 ハ必然 ニ存 在 ス ヘキ コト
本 工作 ノ進 路 ハ日 本側 直 接 行 フ モノ、 汪側 ヲ介 スル モノ、 汪側 自
敢行 ス ヘキ モノト ス
ラ行 フ モノ、 第 三 国 ヲ介 入 スル モノ等 ア ル モ現 情 勢 ニ於 テ ハ対 汪 工
事 前合 流 及 事 後 合流 ノ難易 ニ関 スル判 断 ノ真意 重 慶 獲 得 ノ タ メ
作 ノ波 紋 ヲ捕 捉 シ ツ ツ極 秘 裡 ニ日 本 側 先 ツ直 接 之 ヲ行 ヒ逐 次 汪側 ヲ
日 本 側 ト シテ策 応 採 用 ス ヘキ策 案 汪 一任 乃 至 事 後合 流 ヲ固 守 ス ル
モ活 動 セ シ ム ル ヲ可 ト ス ル モノ ナ リ第 三 国 ノ介 入 ハ已 ム ヲ得 サ ル場 合 ノ外 当 分 之 ヲ避 ク ヘシ
場 合 ニ於 ケ ル ノ成 功 確 信度 及 其 ノ責 任 感
ス ル対 重慶 提 案 一矢 ヲ放 ツ コト ニ努 ム
五 、 新 中央 政 府 樹 立 前 成 シ得 レ ハ所 要 ノ措 置 ヲ講 シ停 戦 並 合 流 ニ関
二 、取 扱 条 件 ハ汪側 ト ノ既 定 協 議 事 項 ニ準 拠 シ主 ト シ テ新 中央 政府 樹 立大 綱 及 日支 新 関 係調 整 要 綱 ヲ取 扱 フ モノ ト ス
ニ策 応 ス ルノ形 式 若 ク ハ併 進 ノ方 式 ヲ採 リ情 勢 之 ヲ要 スレ ハ第 三 国
六 、新 中央 政 府 樹 立 後 ニ於 ケ ル合 流 指 導 ハ汪 側 ヲ主 体 ト シ 日本 側 之
停 戦 ニ伴 フ条件 ハ中央 既 定 ノ方 針 ニ拠 ル 三 、先 ツ対 重 慶 接 触 ヲ確 保 シ之 カ連 絡網 及 工作 機 関 ノ強 化 ヲ図 リ大
ヘキ モノ ト ス
方寸 ニ在 リ
綜 合 指 導
事 変 ノ解 決 ハ支 那 側 ニ依 存 ス ヘキ モノ ニ非 ス シテ我 自 主 的 指 導 ノ
一、 一 般 原 則
其 ノ三
右 指 導 ニ於 テ出 師 目 的 乃 至戦 果 ヲ逸 セ サ ル コト ニ就 キ特 ニ注意 ス
ヲ利 用 ス ル コト ア リ
物 会 談 ニ誘 致 ス ルト 共 ニ不規 無 統 制 ノ各 系 統 ヲ極 力 整 理 ス 当 面 工作 ノ主 眼 ハ大物 責 任 者 ノ会 談実 現 ニ在 リ本 会 談 ニ於 テ施 策 ス ヘキ コト 左 ノ如 シ イ、 汪 ト ノ合流 慫 慂 ( 中 央 政 治 会議 参 加 可 ナ リ中 央 政 府参 加 可 ナ リ)
ハ、 日支 新 関 係 調 整要 綱 ノ内 示
ロ、停 戦 許 容 条 件 乃至 新 中 央 政 府 樹 立 方針 ノ内 示
右 施 策 事 項 ハ要 ス レ ハ其 一部 ヲ大 物出 馬前 会 談 内 容 ト シテ其 ノ使
新 中 央 政 府 樹 立 工作 ハ単 ナ ル汪 政 権 ノ擁 護 ニ非 ス シテ 事変 解 決 ノ
力 及 軍 備 ノ拡 充 ニ寄 与 シ以 テ行 動 ノ自 由 ヲ確 保 シ世 界情 勢 ノ再 転 ニ
九 、第 三国 関 係 ハ当 分 之 カ調 整 ヲ以 テ本 旨 ト ナ シ事 変 処 理 ノ 一般 方
備フ
汪 及 重 慶 間 ハ調 整 乃至 整 理 ヲ要 ス
対 象 タ ル ヘキ実力 政 府 ノ現 出 ニ在 リ
停 戦 ハ合流 ニ先 ︹ 立︺ ツ
長 江 問題 ハ 一応 明 快 ナ ル開放 ヲ行 ヒ現 地治 安 ニ及 ボ ス影 響 ト第 三
特 ニ当 分 紛 争 ノ激 発 ヲ避 ケ事 変 干 与 ノ 口実 ヲ封 ス ル モノ ト ス
針 ヲ寄 与 セ シ ム
合 流 ハ新 中央 政 府 ヲ基 点 ト シ事前 合流 及 事 後 合 流 ノ別 アリ 二、 両 工作 ノ併 進 ニ依 リ可 及 的 早 期 ニ 一致 点 把 握 ニ努 ム
十 、事 変 ノ解 決 処 理 乃 至 大持 久 戦 転 移 共 ニ決 断 ヲ伴 フ強 力指 導 ヲ必
国 ノ我事 変 処 理 ニ対 ス ル態 度 ト ヲ糾 明 シ今 後 ノ方 策 ヲ決 定 ス
三 、 事 前 合流 不成 立 ノ場 合 ハ事後 合流 ノ余 地 ヲ存 シ ツ ツ政府 ヲ樹 立
要 ト シ内 外 ノ事 態 ニ鑑 ミ速 ニ総 軍 中 心 ノ態 勢 確 立 ヲ以 テ喫 緊 ノ要 事
事 前 合流 ヲ最 モ可 ト ス
シ之 カ具 現 ヲ期 ス
トナ ス
承認 ) ノ時 機 迄 之 ヲ保留 ス ヘキ モノ ト ス
専 任 事 務 大 使 派 遣 ノ如 キ ハ事 変 解 決 若 ク ハ大 持 久 戦 決 意 (即 正 式
ハ梅 機 関 ヲ中 心 ト ス ル (要 ス ル ニ従 ヒ之 ヲ増 強 ス) ノ機 構 ヲ整 頓 シ
故 ニ事 変 解 決 迄 ハ各 省 ノ乱 立 ヲ禁 シ現 地 ハ総 軍 ヲ中 心 ト シ汪 工作
平 時 的業 務 ノ併 立 ヲ許 ス ハ事 変 解 決 ノ場 合 ノ ミナ リ ト ス
四 、 両 工 作両 立 ノ不 可 能 ナ ル ニ於 テ ハ大 局 ノ見 地 ニ立 チ適 時 一大 断 案 ヲ以 テ事 変 ノ方 向 ヲ決 定 ス 五 、 大 持 久戦 指 導 ノ已 ム無 キ ニ至 ラ ハ断 乎 タ ル決 意 ト 十 分 ナ ル準 備
大 持 久戦 遂 行 ノ タ メ ノ研 究 乃至 準 備 事 項 竝 之 カ転移 実行 ノ方 式 ニ
ト ヲ以 テ之 ニ移 行 ス
関 シ テ ハ別 ニ定 ムル所 ニ依 ル 六 、 両 工作 ノ合 流 問 題 ハ内 政 ト シテ支 那 側 ニ委 シ之 カ干 渉 ヲ避 ク 七 、蒋 下野 ノ問 題 ハ目 的 ニ非 ス シテ 方便 ナ リ其 ノ取扱 ハ極 秘 最 高 指
彼 ノ反共 乃至 飜 意 等 ノ実 証 ア ル ニ於 テ ハ罪 一等 ヲ減 ス寛 容 ハ王 者
導 ト シ テ自 発的 誘 致 ニ待 チ之 カ事 前 公然 ノ提 案 ヲ避 ク
ノ徳 ナ リ寛 容 ナ ラザ レ ハ乱 世 ヲ治 メ難 ク天 下 ヲ致 シ難 シ 八 、事 変 一応 ノ解 決 ヲ見 ル場 合 ニ於 テ ハ対 ﹁ソ﹂ 関聯 調整 ニ於 テ西 北 地 区 ニ於 ケ ル残 存 戦 線 ノ局 限 乃至 緩 和 ヲ以 テ解 決処 理 ノ要 諦 ト ナ シ又支 那内 部 ニ続 発 ス ヘキ 国 内紛 乱 ニ処 シ之 カ干 与 ノ限 度 ヲ制 限 シ 戦 果 把 握 ノ限 界 ニ於 テ自主 的 ニ兵 力 ヲ整 理 シ之 カ消 耗 ヲ節 減 シ テ国
四〇
殿
総参 四第四八号
板垣征四郎)
現 下 事 変 処 理 関 係 事 項 ノ指 導 準 拠 ニ関 ス ル件 (昭和十 五年二月九日 支那派遣軍総参謀長
近衛 声明 ハ戦 争 目的 其 ノ モノ ナ レ
示 ス ル コト (近衛 声明 ヲ基 調 ト スル コト ニ於 テ内 外 ニ疑 惑 ア リ戦 争 目 的 ヲ動揺 シテ戦 争 ノ終 局 ナ シ ハナ リ)
現 下 内外 一般 ノ情 勢 ニ鑑 ミ 此 ノ際 日支 双 方並 第 三国 ニ対 シ機 会 有 ル毎 ニ左記 諸 件 ノ徹 底 ヲ計 ルヲ要 スル モ ノト認 メ別 紙 ノ如 ク青 島 会
五 、 戦 時 状 態 ト平 時 状 態 ト ノ混 〓 錯 覚 ヲ戒 ム ル コト ( 戦 時 ヲ以 テ平
第 三国 亦 概 ネ 然 リ此 ノ点 特 ニ強 調 辨 別 ヲ要 ス レ ハナリ)
時 ヲ律 シ平 時 ヲ以 テ戦 時 ヲ律 セ ント スル モノ日 支 双方 共 ニ相 当 アリ
談 ニ於 テ談 話 ヲ発 表 セリ
記
此 種 関係 事 項 指 導 ノ為 メ参 考 迄 送 付 ス 左
一、東 亜新 秩 序 ノ内 容 ヲ宣 明 ス ル コト (内 外 一般 ニ東 亜 新 秩 序 ノ内
二、 日満 支 三国 関 係 ノ調 整 ハ東 亜 再 建 ノ基 礎段 階 ナ ル ヲ明 示 ス ル コ
容 ニ疑念 ヲ抱 キ ツ ツ ア ル嫌 ア レ ハナ リ)
ト ( 今 事 変 ヲ以 テ東 亜 一切 ノ問 題 ヲ処 理 セ ント スル モノ或 ハ︹日︺支 ノ問 題 ヲ以 テ東 亜 問 題 ノ全 部 ト ナ スモ ノ等 議 論 錯 綜 シ ア レ ハナ リ) 三 、 日支 共 通 ノ前 進 目 標 ト シテ両 民 族 本来 ノ中 心 思 想 タ ル道 義 ノ観 念 ヲ宣 揚 明 示 ス ヘキ コト ( 欧 米 漁 夫 ノ利 ヲ窺 フア リ東 洋 亦 欧米 ノ亜 流 ヲ掬 ンテ其 本 然 ヲ忘 レ ント ス ﹁先 ツ東 洋 ニ還 レ﹂ 本 事 変 ノ本 質 ハ 東 洋文 化 ノ ﹁ルネ ッサ ン ス﹂ ナ レ ハナ リ) 四 、 日満 支 新 関 係 ノ調整 ハ厳 ト シ テ近衛 声 明 ヲ基 調 ト ナ ス ヘキ ヲ宣
支 那 側 の和 平 条 件 と 之 に 対 処 す べ き 日 本 の
六 、東 亜 諸 民族 が国 際 間 に受 け つ つあ る不 平 等 待遇 に関 し て は支 那
四 一
と 日 本 は 共 同 し て国 際 会 議 に於 て国 際 正義 及 平 等 の為 に闘 ふ べ き こ
( 昭和十五年三月五日 上海 小川愛次郎)
一、和 平 条 件
と
態 度
二、支那側 の真意
に至 つた か と謂 ふ こと は大 い に考 慮 す べ き問 題 であ る、之 に 対 し大
宣 伝 し続 け て来 た国 民 政 府 が 、何 故 に突 如 此 の和 平 条 件 を 公表 す る
事 変 以来 、飽 く迄 抗 戦 し て最 後 の勝 利 を得 る迄 は和 平 を謂 はず と
三、日本 の取 るべき態度 一、和 平 条 件
に重 慶 部 内 に和 平 熱 が広 ま り つ つあ る かを物 語 る証 左 と し て注 目 さ
朝 紙 は ﹁到 底実 現 不可 能 な全 く 夢 物 語 り の如 き も の であ るが 、如 何
重慶大公報は二月二十五日突如和平条件左記 六箇条を公表した。 之 は蒋政権 の意を受 けたものなること謂 ふ迄 もない。
大 毎 紙 は ﹁重慶 側 が真 に凡 ゆ る意味 に於 て行 詰 り を 来 し 、 心 から
れ る﹂ と し
一、支那領土主権 の完整 =満洲及租借地旅順大連 の返還
和 平 を希 望 す る に至 つた挙 句 、 先 づ 瀬 踏 み と し て、 と ても 日 本 の受
二、日清戦争以来 の不平等条約 の廃止 一切 の在支投資、例 へば満鉄、撫順炭礦 、鞍山鉄鉱等 は支那 の法律
三、 日本 の対支投資 は他 の列強と同様 の権利 を享有すべく、日本 の
け 取 れ ぬ 一石 を投 じ た も の と の観 側 を 下 す べ き だ﹂ とし
汪 派 の機 関紙 中 華 日報 は ﹁汪 先 生 の和 平 運動 に対 し 支 那 民 心 を離
に依 て改組 せられ、支那政府は之 に対し適法 なる保護監督を加ふべ
に対 し ては 和 平 必ず し も反 対 に非 ず と 見 せ 、米 国 に対 し ては 和平 絶
反 せ しむ る為 の 一種 の牽 制 策 で、 又 同 時 に英 米 の意 を迎 へる=英 国
四、支那 は日本と通商条約 を結 び、在支日本人は支那 の法律 を遵守 し支那 の法廷 の管轄 下に置 かるべき こと
対 不可 能 と見 せ =為 のヂ ェスチ ュア ー に過 ぎ な い﹂ と
き こと、
五、朝鮮及臺湾問題 の解決 は、民族自決 の原 則に依 るべき こと、
大 な る過 誤 を 犯す も の で、 当分 和 平 は絶 望 に陥 る外 な く 、両 国 の
であ る 。 と謂 ふ の は、 去 る十 四 日重 慶 より 或 重要 任 務 を帯 び て香 港
一部 極 少 数 の消 息 通 間 には大 いに思 ひ当 る節 あ りと さ れ て居 る の
らう と考 へて居 るも のが あ る か も知 れな いが 、 共産 党 に非 ざ る限
が あ る。 日本 人中 に は或 は、 日米 戦 争 は 重慶 側 の望 む と ころ であ
両 国 の戦 争 は 此 の儘 進 むと 遂 には 日 本 対英 米 の戦 争 にな る恐 れ
為 誠 に悲 し む べ き こと だ。
に飛来 し た蒋 介 石 の懐 刀 と し て隠 れ もな き 大 公報 主 筆 張 熾 章 氏 が日
り 、 そ ん な考 へを し て 居 る者 は 重慶 に は 一人 も な い。加 之 、 我 々
二、 支 那 側 の真 意
謂 つて居 る が実情 は決 し て そ んな 簡単 な も の で はな い。
本 人某 氏 に洩 し た る と ころ に拠 れ ば
は 日 本解 の海 軍力 を 以 て全 東亜 民族 の守 り で あ ると 考 へて いる 。夫 れ が 、 日米 戦 争 の為 損 傷 を受 け る のは 共同 の損 失 であ る、 と さ へ
両 国 は 一日も 早 く 和 平 に入 ら な け れば な ら ぬ ので あ る が、 日本 が 武 力 を 以 て支 那 に屈 服 を 迫 る と謂 ふ考 を捨 てな い限 り 、之 は絶
と 謂 ふ の であ る。 之 に依 ると 、 突 如 和 平条 件 を公 表 した 重 慶 の腹
考 へて 居 る。
も 読 め るし 、 亦 此 の指 値 に何 程 の掛 値 があ る か と謂 ふ こと も 、 略 想
和 平条 件 に就 て は、 曾 て蒋委 員 長 か ら 、自 分 の聞 いた と ころ で
対 に望 め な い。
は ﹁日本 が満 洲 の表 面 上 の宗 主 権 丈 認 め て 呉 れ る な ら、 事 実 上 の
る重 大 視 し て、 日 本 軍部 内 に於 け る擁 立 派 と 延期 派 の猛 烈 な 争 闘 に
像 が著 く の であ る 。即 ち 重慶 が ﹁汪 政 権 の成 立 ︱ ︱承 認 ︱ ︱ ﹂ を 頗
乗 じ て、 汪 政 権 の成 立 ︱︱ 承 認 ︱ ︱ を 妨 害 し 乍 ら 、其 の間 に和 平 に
開 発 も 内 面 指導 も 日本 の自 由 に任 せ て差 支 な い。 若 夫 れ が出 来 れ
入 らう と し て、 急遽 、手 を差 伸 べ て来 た も のと見 る の が最 も 正 鵠 を
ば 支 那 は 日 本 と軍 事 経 済 の全 面 的 同 盟 関 係 に這 入 つて宜 し い﹂ と
や自 分 には 分 ら な い。
やは 有 形 の資 財 の多 寡 より も 、寧 ろ国 民 の気 分 であ る。 と ころ が支
又 両国 の耐 久 力 の比 較 か ら 見 て も大 差 は な い。 困 難 に耐 へ得 る や否
も ので は なく 、 和 平 を 切望 し て居 る こと は 日本 も 支 那 も変 り が なく 、
日本 で は重 慶 の和 平熱 が俄 に擡 頭 し て来 た 様 に考 へる が、 そ んな
得 て居 る と謂 ふべ き で あ る。
謂 ふ の であ つた 。併 し今 日如 何 に考 へて居 る や又将 来 如 何 に変 る
猶 日本 に望 む と ころ は、 我 等 の民族 的 要 望 を 尊 重 さ れ た い こと だ 。若 日本 が朝 鮮 と臺 湾 に許 す に相 当 範 囲 の自 治 を 以 てす る なら
又、 日本 が曾 て国 民 党 政権 を相 手 に せず と 声 明 し た のは甚 だ遺
ば 他 民族 は挙 げ て 日本 を信頼 す る に至 る であ ら う 。
憾 であ つた。 が併 し 、 現 に、戦 争 を続 け て居 る こと 自 体 が既 に相
では 国 民 が 無名 の戦 だ と考 へてる 点 で、 此 の角 力 は 気 合 の上 で既 に
那 側 には ﹁抗 戦 即 ち 救 国 ﹂ と謂 ふ 名分 が立 派 に立 つ て居 る が 、 日本
今 度 の和 平条 件 の公 表 を以 て支 那 が屁 古垂 れ た結 果 だ等 と 考 へる
日 本 が負 け て居 る。
手 に し て居 る こと だし 、 且 戦 争 終決 の場 合 に は矢 張 り 相 手 に せざ
の軽 い意 味 に取 つて居 た の であ る が 、若 今 度 汪 政 権 が出 来 て、夫
る を得 な いの だ か ら、 必 要 の起 る迄 は 相手 に しな い のだ と 謂 ふ位
れ を 日 本 が 承認 す る と謂 ふ こと にな れ ば、 日本 は前 の非 認 以 上 の
両国 関 係 の今 後 を 支 配 す る国 際 情 勢 に対 す る認 識 が不 充 分 な 為 であ
の極 大 重 要 点 な る こと を 日本 程 痛 切 に考 へて居 な いな らば 、 そ れは
る か ら 、啓 蒙 の貴 任 は 日本 が取 ら ぬば な ら ぬ。 此 の国 際 情 勢 に対 す
る の で あ る から 、結 局 此 の三点 は解 決 困 難 では な い。 若 支 那 側 が四
那 が 、今 度 は先 方 から 此 の値 な ら売 らう と切 り出 し た ので あ る。 然
のは 、 と ん で もな い見 当違 ひ だ。 兎 に角 、 独 逸 を通 し て提 示 し た 日
ら ば支 那 の下 し た此 の 一石 は 常 に 此 の事 変 に於 け る劃 期 的 重大 事 で
る 充 分 な る認 識 と謂 ふ こと は頗 る重 要 な こと で、 見様 に よ り て は事
本 の和 平 条 件 を 二度 共 弾 ね つけ て、 今 日迄 売 ら ぬと頑 張 つて居 た支
あ る と謂 つて も過 言 では あ る ま い。 然 らば 日本 は 如 何 に之 に対 処 す
ざ る を得 なく な る の で、即 ち 、提 携 さ へ可 能 な ら 、他 の殆 ど凡 ゆ る
と謂 ふ点 に両 国 民 が 一度 想 到 す れ ば 、心 の底 から提 携 の必要 を感 ぜ
べ か ら ざ る絶 大 な力 で、 同 一の鋳 型 の中 に叩 き 込 ま れ つ つあ る のだ 、
変 処 理 の核 心 とも 謂 ひ得 る ので あ る。 現 に日 支 両 国 が 、如 何 とも す
﹁日 本 は支 那 の差 伸 べ た手 を 確 か り握 る べ き であ る ﹂ 且 ﹁此 の機
問 題 は皆 犠 牲 にし ても 差 支 な い ので あ る。
三、 日本 の取 る べ き態 度 は
︹マ マ︺
べ き か と謂 ふ こと が自 ら 問 題 にな る。
会 を逸 し て は な ら な い﹂ と 謂 ふ こと であ る。 そ こで先 方 の条 件 で あ
も見 るべ き は 只四 の 一点 で、 之 に比 較 す る と他 の三点 は 問 題 にな ら
起 つ、 と 謂 ふ 四 に帰 す る。 而 し て、 此 の内 最 も重 要 な る、 且中 心 と
受 入 れ 、 上記 の如 き考 へを 以 て 、 左記 二箇 条 を提 示 し 、厳 粛 な る態
を 問 ふ必要 は な い。 日本 は 、須 く大 国 の襟 度 を 示 し 、 正面 よ り之 を
絶 対 にな ら な い。 支 那 が如 何 な る考 へで和 平 条 項 六箇 条 を示 し た か
そ ん な 目先 の小問 題 を如 何 に巧 に処 理し た と ころ で、事 変 処 理 には
鉄 道 一本 を遣 る と か取 ると か 、某 地点 に駐 兵 す る と か し な いと か、
る が、之 を詳 細 に検 討 す る と、 要 点 は一 満 洲 還 附 二 不 平 等 条約 の撤
ぬ程 軽 易 な も ので あ る。 何 者 、 四 が本 当 に実 現 す れば 夫 れだ け で聖
廃 三 朝 鮮 臺湾 問 題 四 国 際 正 義 と平 等 争 取 の為 に 日支 両 国 は 共同 し て
戦 の目 的 は 立 派 に完 遂 さ れ る から で あ る。 他 の三点 の内 三 は 今 更 余
点 と も皆 同 様 な重 要 さを持 つと謂 ふ の かも 知 れ な い。 支 那 側 の重 大
で、 東 亜 民 族 大 行進 の第 一歩 を 踏 出 す と謂 ふ、 極 め て重 大 な る意
国 が相 提 携 し て、東 亜 復 興 の為 に、世 界 政策 に乗 出 す と いふ こと
支 那 側 公 表 の第 六条 を具 体 化 す る と謂 ふ こと は、 即 ち 、 日支 両
第 二、 第 六条 の原 則 に従 ひ具 体 的協 議 を進 め る こと 。
第 一、和 平条 件 の趣 旨 を全 面 的 に応 諾 し て和 平 交渉 に入 る こと。
度 を 以 て支 那 に臨 む べき であ る 。
ん で許 さん と し て ゐ る と ころ だし 。 問 題 と な る は一 で あ る が、 之 と
計 な 話 だと 一言 の下 に弾 ね付 け得 ら れ る であ ら う し二 は 日本 から 進
ても 支 那 が飽 く迄 争 ふ と は思 は れな い。
要 望 で あ る日 本 の帝 国主 義 的 考 方 を清 算 さ れた いと謂 ふ点 から 見 る
に倣 つて、 治 外法 権 居 留 地 、 其 の他 不平 等 条 約 の撤 廃 等 、手 近 の
義 を有 す る の であ る 。最 初 に検 討 さ れ る のは、 列 国 を し て 、 日本
と ころ が 、 之 は 日 本側 の見 方 であ る が、 支 那側 に謂 は せ ると 、 四
と一 も二 も 三 も 皆 同 様 で あ る し、 又 、 支 那 の民族 的 要 望 を尊 重 され
小問 題 に過 ぎ な いで あ らう が、 次 第 に発 展 し て、 支 那 が英 佛 に対
た いと謂 ふ点 から 見 ても矢 張 り同 様 な結 果 と な る 。乍 併 、此 の支 那 側 の二大 要 望 を 十 分満 足 さ せ る に足 る方 法 は日 本側 に いく ら でも あ
日本 が之 を援 助 す るは勿 論 、進 ん で は、 日 支 両国 は協 力 し て、 フ
し て、香 港 、 シ ンガ ポ ー ル、印 度 支 那 等 の還附 を要 求 す る場 合 に 、
イ リ ッピ ンを含 む 南 洋 諸 民族 、外 蒙 及 バ イ カ ル以東 にあ る シベ リ
ア フ ガ ニ ス タ ン等所謂近東諸民族
の独立応援 にも及ぶと謂 ふ必然
ヤ諸 民族 の民 族 自 決主 義 に依 る自 主 独 立 を 応 援 し 、遂 に は、 印 度 、
れ る の であ る。 而 し て、 之 は夢 物 語 で も何 でも な く 、両 国 が真 に
性 を有 す る の で あ る。 如 此 に し て初 め て、 亜 細亜 人 の亜 細 亜 が生
提 携 さ へす れば 、 恐 ら く 十 年 を出 でず し て実 現 す る であ ら ふ。 之 に対 し て、支 那 は必 ず 喜 ん で、応 諾 す る に相 違 な い。 此 の際 日 本 は此 の活 機 を捉 へて、 国 内 の近 視 眼者 を抑 へ、 支 那 を導 き 、興 亜
諺 に ﹁針 の穴 を潜 る程 の智 慧 は あ る が、 目 の前 の富 士 山 が見 え
の大 道 に就 かね ば なら ぬ。
な い﹂ と 謂 ふ こと が あ る が、 今 、 日本 が、 目 前 に横 たは る大 活 機 を捉 へ得 ず に、 みす みす 駄 目 と分 つ て居 る 、江 政 権 の承 認 な ど と
以 上 (二 六〇 〇 、三 、 五 、 小 川)
謂 ふ 、 一寸 取 り 返 へし の付 か な い大 過 誤 を 重 ね る と あり ては、 洵 に残念 至 極 であ る。
四二
第一 要
旨
新 中 央政 府 指 導 方針
新中央政府は先 づ重慶 を包括 しで行 ふ事変解決 の方略 に即し て之
(昭 一五 、 五 、 五
総 軍 参 謀 部)
定極少 の人員を以て極秘裡 に行はしめ支那側 の対重慶施策は新中央
又対重慶 工作は大持久戦準備乃至決意 の印象 を常 に先方 に与 へつ
政府 に統合 せしむ つ之 を行 ふも のとす
を育成活用し之が成果 と共 に正式承認すべく概 ね今秋季 を基準とす
三、重慶を包括する事変 の解決指導 は概 ね停戦︱合流︱和議 の順序
取扱 は我 が事変処理 の方略と該政府現実 の実力とに依 りて律 せらる
て重慶 の獲得 と民心 の収纜 とに傾倒努力 せしむるに在 り而し て之が
のとす
の外具体的事項は内 政問題 とし て支那側 に委 し之 が干与 を避くるも
重慶 との直接問題なる ことを自覚 せしめ又合流問題 は気運醸成施策
之 が為停戦と和議 と の分別を明 かならしむると共 に停戦は日本と
に於 てなすを本旨 となす
る時期迄 に其 の成功 を見ざ る時 は之を対立政府 たるの現実 に於て正 領
式承認 し大持久戦 方略 の 一環 に於 て指導す 第二 要
べきものとす
四、民心収纜 のためには民生の復帰安定 に関する施策 を促進 せしめ
一、事変 一決 に関 する施策間、新中央政府指導 の要諦 は該政府をし
二、重慶獲得 のため には過早に新 旧両政府対立 の観念 乃至事態 を誘
理乃至新中央政府 に対する魅力 を強化宣示するも のとす特 に近来散
戦争遂行 に支障無き範囲 に於 て我亦之 に策応支援す べく我 が事変処
発す る大持久戦構想 の不規早期 の実施 を戒む新中央政府 の育成 に方
致激 化すべき日支 双方 の措置を抑制 し重慶と の合流合 作並重慶 を包
り ては該政府自体 の過大躁急 の施策を戒 め現実 に於 ける其 の実力具
括す る新政府 正式承認 の自由を確保し つつ新中央政府をして我 が方 略 に準拠し進 んで積極的合流施策を行 はしめ更 に我 に対しても誠意
備 に伴 ひ之 に相応す るの範域に於 て逐次模範地域を設定拡大す るに
の献 策をなすに至 らしむ る如く指導するものとす 之 が為対重慶 工作 の直接指導は新中央政府 と日本側間に於 ける特
努めしめ大持久戦指導 の段階 に入りたる場合 之を対重慶対抗政府と し ての現実 に於 て正式承認 し戦争方略 の 一環 たらしむるの用意 に於 て之 を指導す 五、新中央政府 の正式承認 の取扱 いは重慶包括 の事変解決政府たる 対重慶 工作上承認問題 は夏季 に於 て 一応謀略的 に燃焼せしむべき
場合 と新旧政府対立の 一方政府 たる場合 とあり も之 が決定は対重慶 工作 の進展と大持久戦指導決意と の関聯 に於 て 概 ね今秋季を基準 として決 せらるべきものとす 六、新中央政府指導実施 に方り ては特 に現実は今尚戦時戦場 たるの 観念を反覆啓蒙し て戦時 を無視 するの単純和平施策 を戒 め我亦自ら 戦時戦 場たるの現実を凝視 し和平的寛和 の限度 を堅持す るも のとす 又新中央政府 が究極 に於 て我よりも重慶 に近く大和民族 よりも漢民 族 に近きに鑑 み政戦略上 に於け る日本駆逐 を目途 とす る重慶 の通謀 を厳戒防止す るも のとす 大持久戦方略に伴 ふ指導 に関し ては追 て定む
四三
第 一、要
旨
現 下事 変 処 理方 針
(昭 一五 、 五、 八
総 軍 参謀 部 )
場合 に備 へ将来 の武力作戦、思想戦及経済戦 に関し研究準備を完成
府を正式承認 し大持久戦指導 の新 態勢 に移行す
三、事変 一決 の目途無き に至らば概 ね年内 に於 て 一大決意下 に新政
す
を強行継続し此 の間併 せて大持久戦 の指 導をも研究準備し年内 に於
総軍中心 の機能 を強化 し概 ね秋季迄を目途とす る事変 一決 の努力 て 一大決意下 に事変 終結乃至事変将来 の方向を決定す
之 が為国内機構及国家総動員態勢 の 一新強化 を期待するものとし
現地機構は 一切を挙 げて総軍 の隷 下に属 し所要 の事項 に関 し軍政的
領
処理を行ひ新政府 は之 を大持久戦 方略 の 一環 に於 て指 導す
第 二、要
一、事変解決 に関す る現下諸施策 を統合推進し て尚当分重慶を包括
のため引続 き使用 せらるるものとす
夏季 の候 に増加 せられたる兵力は、大持久戦初期 の戦 略態勢整頓
する事変即決 に関す る努力 を強化継続す 之 が為特 に総軍を中心とする現地 一元的処理を強化施策す 二、前項事変即決 に関する努力 に引続き 一般目標を秋季 の候 に取り 作戦的 圧力 をも加 へ新政府 正式承認問題 を枢軸となし政戦略大規模 の計 画的統合施策 に依り重慶 を包括す る事変 一決に関 する最後的努 力を行 ふ 之 が為概 ね八、九月 の交 に至 る迄 に亘 り所要 の増兵並に欧洲戦争 の影嚮 を我 に利導す るの外交手段 をも期待す るも のとし現地 は新政 府を我方策 に即応す る如く指導 すると共 に各般 に亘り不用意 に両政 府対立 の大持 久戦 に陥入する の処置 を防止し且次期大持 久戦移行 の
方
四四
針
領
省 部 決 定)
諸般 の努力 を傾注して対重慶直接停戦和平工作 を更 に促進す
ロ 新 中央政府 をし て重慶政権を吸収 せしむ る為 の具体的施策を
本工作 は成 るべく速 に之を 一元化 する如く整理す
検討を加 ふ
之が為特 に停戦許容条件 及和平条件 に関し大局的見地より更 に
イ
取 るべき施策 の重点は左 の如 く其細部 は別 に定む
対支謀略 工作当面 の目標は重慶政権 の屈伏又は崩壊 に在 り之 が為
対重慶工作 に努力 を集中 せしむ
に即応する如く極力其成育発展 を策 し特 に其謀略的機能 を発揮し て
三、新中央政府 に対し ては昭和 十五年末迄を目途 とする帝国 の企図
む
収縮 態勢 への転換竝長期武力戦指導 の為 の方策に関 しては別 に定
東地区は之 を保持す
に其能勢 を概成す、此 の場合 に於 ても治安地域 の外少くも漢 口、廣
態勢 の収縮 を決意し成 るべく速 に之 に転移し遅くも昭和十六年秋迄
昭和十五年末 に至 るも重慶政権屈伏 せざるに於 ては軍は自主的 に
(昭和 十 五 年 五 月 十 八 日
昭 和 十 五 、 六年 を 目 標 と す る 対 支 処 理 方 策
帝国は政 、戦、謀略 を更 に統合強化 し全力 を尽し て速に重慶政権 の屈伏を期す 右時機は遅くも昭和十 五年末を目途 とす此 の間速 に特 に国内長期 継 戦態勢 の徹底的強化 を図 る 昭和十五年末 に至 るも重慶政権屈伏 せざるに於 ては情勢 の如何 を 要
問 はず長期解決 方策 への転移を敢行し情勢各般 の推移 に対応 せしむ 一、国内長期継戦態勢 の強化 に関 しては直 に之 が実行 に着 手し遅く 其具体的方策 に関 しては別 に定む
も昭和十五年末 迄に其根幹を完整す 陸軍 々備 の充実 は既定計画 の遂行を期 す を保持し政略及謀 略 の遂行を積極的に支援す るを主眼とし治安地域
二、昭和十五年 末迄 に於ける対支武力戦指導 に関し ては概 ね現態勢
を加 へて其戦意 を挫折 し敵 の継戦 企図 を破摧す
就中其要域 の治安 を確保す ると共に蝟集す る敵 に対し ては適時反撃
強化す ハ 為 し得 れば第 三国を対重慶橋渡 し工作 に利用す ることに努 む ニ 国共 の分離を促進 せしむ 昭和十五年 末に至 るも重慶政権屈伏せざるに於 ては新中央政府を 更 に育成強化し其政略 の重点 を民心 の把 握 に置 き善政 の施行就中治 此 の場合情勢 の推 移に伴 ひ特 に北支 に対す る帝国 の指導力 を強化
安確保 竝経済建設 に指向せしむ
昭和十六年 に於け る謀略工作に関 しては別 に定む
する ことあるを予期す 四、対支処 理に関聯す る外交は重慶 政権 を国際的 に孤立せしめ新中 央政府 に同 調せしむる如く各般 の施策を綜 合集中 せしむ 現下 に於 け る対外施策 に関し ては別 に定む ︹ 五五三頁︺ 五、以上 の外は昭和十三年秋季以降対支処理方策 (昭和十三年十二 備
考
月六日省部決定) に準拠す 本方策 の取扱 に関す る件 一、本方策 は関係者 のみの取扱 とし厳 に機密 を保持す 二、部内 に於 て業務上其内容 の 一部を開 示す るを要す る場合 に於 て 一般部外 に対しては飽迄 も現態勢を強化 する如く応対するも のと
も特 に慎重を期し必要 の最小限度 に止むるも のとす す
四五
今後 に於 け る対重 慶 工作処 理 要領
(︱五、 九 、 二 八
総 軍 参謀 部)
桐工作従来 の情報成果を以 て満足 し之 を以 て中止する場合
三、桐 工作 の停頓 に伴 ひ之 に類似 の日本側直接 工作を 一斉 に静観 の
ニ
に静観 の態度を持し準備 の完了 と共 に新中央 政府 を正式承認し大持
態勢 に規正し我方 より の積極施策を停 止し重慶 が桐工作 の結果 を真
一、事変解決 に関する対重慶正式提案を取扱 ふ外対重慶工作は 一般 久戦 の方略 に即し重慶圧縮 の態勢 を強化するも のとし爾後大勢 の推
し
面目 且積極的に取扱 ひ出づ るも のの外我として当分取上ぐる ことな
大持久戦 に於ける対重慶 工作 は新中央 政府 を通ず るものを以て主
移 に伴 ひ之 に応ず るの程度 に於 て対重慶獲得 乃至崩壊 工作を施策す
此 の際特 に不規焦燥を戒むるも のとし重慶 の出方を取上 ぐる場合
確認下 に之 を促進す る場合 に在 りても桐 工作的条件内容 の応酬論議
四、桐工作 に関 しても亦前項 の趣旨 に準拠すべく重慶 の誠意及熱意
には先づ該路線 の実相究明を以 て先決 となす
二 、桐 工作 は 今 日迄 に於 け る重 慶 真意 の把 握 と其 謀 略 価 値 と を 以 て
を排 すべく桐条件諒解下 に於 ける大物進出 の実現を以 て之 が出発点
領
収 穫 とな し 爾 後 の発 展 を期 待 し 或 は特 に施 策 を強 化 す る こと な く情
第二 要
流 となし爾他 のも のは之 に策応す るの配置 に在 らしむ
報 路 線 と し て残存 す る の程 度 に止 め支 那 側 に対 し ては 一応残 置 の形
となす
桐 工作 の結果を事務 当局 に移し正式路線 に乗出 す場合
現下世界情勢を利 導し独逸 をして仲介斡旋せしむ ( 意見具申 済)
イ
案 を 一応正式 に取扱 ふ其 方法 には左の各種 あり
関する対内的結束 のため新中央 政府 の正式承認前対重慶事変解決提
五、桐工作 の綜合成果を利用する最後的試 みとし又大持久戦決意 に
︹ママ︺
をとる 特 に当 分 の間 桐 工作 に依 り 日本 側 の真 意 を 把 握 し た る 重慶 が其 結
ロ
桐 工作 の結果を第 三国 に移 し之を利用若 くは逆用す る場合
イ 依然桐 工作 の継続乃至強化 に努む る場合
果 を 如何 な る方 向 に導 く や に関 し監 視 す 其 方 向 に左 の各 種 あり
ハ
ロ
現下 に於 ける南京及重慶 の下部連絡工作発 生の情勢 を利導し
南京 政府 をして対重慶和平提案 を取扱 はしむ ( 前案 取扱 はれざ る 新中央 政府正式承認前 の挨拶 として日本側直接提案 す ( 実行
場合 之に依 る)
を確立す るは今次事変 究極 不動 の戦争目的 たり
事変処理 は爾今大持久戦争 の指導 に転移 し三年乱を治 め六年民を
治 め十年国 を治むるを以 て 一般 の方略 となし北支並中南支京漢及粤
ハ
防上経済上 日満 との 一環 に於 ける新 支那 を育成建設し且奥地敵対政
漢線 以東所要 の疆域 を敵地と遮断確 保して敵性 を 一掃 し此に特 に国 権及其領域 の圧縮解消を図る
方法困難あり又再 び相手 にせず の勢 に陥 り易き弊あり) 六、新 中央政府 の正式承認は条約準備完了 と共 に遅滞なく之 を断行 大持 久戦 に在りては早急 に対重慶直接 工作 の進展を求むる ことな
域 の富強と敵 対領域衰滅 との素 地配置 に在 らしむ るも のとす其 の規
の自 活並日満及占拠地域を 一環とする自給 生存 を確保し且新支那領
二、新 支那建設 は三国就中我国防 上 の施設 乃至要域を包 括し現 地軍
情 況之を許 す限 り適時奥地敵対政権 の蹂躙壊滅 を企 図す
く戦争方略 に基く我 が決意 と施策と に依 り時間的推移 に伴ひ重慶 を
模及指導段階 は我国力建設及国際情勢 に依 り規正 せらる
し大持久戦 の指 導に移行す
圧縮す ることを以て主 となし全般 の大勢動 きて初め て工作を推 進す
其 の誠意 と実力 との具備 に伴ひ逐 次領域 を之 に委譲す るも のとす
政府をし て漸 次統治 の主体 たらしむるを以て本旨 となす
占拠 地域 の統治 は道 に依り俗 に随 ひ徳 を以て治む るを根本 とし新
然らざ る場合積 極的 に施策す ることなし 七、大持久戦 に於ける対重慶 工作は新中央政府 を通ず るも のを以て 主流 となし我戦争方略 に即応し対重慶崩壊 乃至獲得 工作 を強化 せし む
正 しからざ るも のは久 しからず 寛容ならざれば大 を成 さず 軍は皇
本大持久戦指導 に方りては特 に強力 一元 の現地指導確
とに職由す
三、由来漢 土進 入他 民族 の滅亡は本国不和 の反映 と進入軍 の文弱化
せしむ るも のとし之 が我方 の指導は 一段強化す特 に正式承認 に方り
立 と武徳武威 の堅持 とを緊要となす
之 が為新政府は実力強化 を策す ると共 に我が戦争方略 に 一致協力 新政府亦大持久戦遂行 の決意 に立 たしむ ること必要 なり
道宣布 の使 命 に徹 して道義 を実践すると共に漢 人の習俗を重んじ且
八、現 地に於 ける錯雑不規 の各種対重慶 工作路線 は吟味検討 の上事
山東、江蘇 三省 を徹底粛清す新政府委譲試験 地域 は概 ね淮河以南江
帯 ( 第 一次)となし所要 の配置 をとり概ね昭和十六年秋頃迄 に河北 、
四、概 ね新旧黄河より淮南沿線を経 て杭州に亘 る地域 を以 て遮断 地
一般 要 領
変処理上 の方針 に添はざるもの特 に有害作用を呈せるも のに在り て
一般 方 針
第二
広く彼等を用 ひ其 の長 を採 り其 の功を成 さしむべきものとす
の統 一下 に部署す
は之 を整理 し残置 せしむるも のに付 ては以上 の方針 に基 き悉く総軍
第 一
爾 後 総 軍 の関 知 せざ る も のは 一切禁 止 す るも のとす
一、東亜再建 の基礎として日満支 三国間 に道義 に基く善隣結合関係
蘇 ( 上海地区 を除く)安徽、浙江三省占拠地域 となす ( 第 一期)
を衰滅 せしむ るものとす
九、爾後 は建設 せら れたる新支那 の実質的圧力 に依り奥 地敵対領域
し得 れば進攻等 を交代担当せしむ
備 を促進し置くも のとす
若し本作戦 を第 二期 に引続き実施 する こ
に対 ﹁ソ﹂米関係等之を許すに至 らば適時之 を実行すべく所要 の準
一〇、奥 地政権 に対す る蹂躙作戦 は情勢就中使用兵力並国際関係特
五、 昭和十六年秋中支遮断 地帯を京漢線西側 地区 (第二次) に推 進 右遮断地帯は永久施設を以 て編成
し概 ね十七年秋 に至 るの間更 に前項 三省 の治安並建設を堅実化する と共 に安徽及河南両省も粛清す す ( 第 二期) 前項 より特 に本期 に至る間 国際転機 に備 ふる為特 に我 が 一般国防
一一、本方略 遂行 の途中 に於 て我国が新 に第 三国 と交戦状態 に入り
たる場合並 に支那新政府 が挫折したる場合等 に於 ては時期的変 更遷
とを得ば甚だ有利 なりとす
延乃至規模 の縮少となるべく粤漢線 の占領 亦全般 の情勢 に依り自主
並自給 の施策 に努 むると共 に新政府 の実力強化 を策するものとし本 六、 昭和十八、九年 の間粤漢沿線を占領 して其 の西側地区に永久遮
期委譲地域は遮断 地帯以東 の中支 となす 断地帯 (第三次) を設定し且南支鉱 物資源 並輸出物資獲得 を図 ると
的に前後す ることあるべきも其 の具体的事項 に関 しては当時 の情況
︹ 註︺ 桐工作とは、所謂 ﹁ 宋子良﹂を通ずる重慶直接和平工作のことをい う。
に依 り本方略 を改訂処理するものとす
共 に中支江南及南 支東部 を孤立 せしむ (第三期) 右前進 の時期は江北地区 に於け る治安 恢復 の状況兵力転用可能 の 程度並其 の他国際情勢等 を考慮 して之を決定するものとす 七、昭和十九年乃至 二十 一年 の間 を以 て治民 の期となし遮断地帯保 持 の態勢 に於 て北支及江北 に於 ける国防及経済 上の諸建設を促 進す ると共 に新政府 をし て粤漢線 以東 の江南及南支 の帰服 工作を以 て其 本期 に於 ける施策は我が国防圏 の確立占拠 地域民力 の涵養及新政
の政治 目標 となし之 に努力を傾注 せしむ (第四期) 府実力 の確立 を以 て重点となす 八、昭和 二十 二年乃至二十五年 の間 を以 て治国 の期となし 一応北支 並京漢線 及粤漢線 以東 の中南支 を其疆域 とす る善政新支那 の建設を 此 の間特 に武力及財力 に亘り新政府 の実力強化を策す るものとし
概成す ( 第 五期) 所要 の独立能力 を具備す るに至 らしめ逐 次治安警備乃至討伐更 に為
四六
総 軍 参 謀部 )
参 謀 総 長 と の懇 談 資 料 ( 事 変 処 理 関係)
( 一五 、 一〇 、 二 六
割 保 持 す る こと の困 難 性 に鑑 み る時 益 〓然 り とな す
第 三案 は外交処理 に関し近く適確 に確算あ る場合 のみに 一応考定
今 や事変処 理は我国是 に基く東亜建設就中日満支関係 の根本原理、 漢 民族 の本質、我国力及国際情勢等 を究明 の上戦争究極 の目的 と之
的貫 徹 のための方策は第 一案 となし戦線を持久し先 づ合理的範域を
せらるる程度 のものなり単 なる現戦線保持を基準とす る策案 は此 の
包括 して新支那 の基礎を建 設し次で進攻 に依 るか或 は奥地圧伏 の範
場合 に於 てのみ暫定的 に考慮 せらる従 て事変 一決 の目途薄き今日目
之 が為当部 に於 ては目下 従来 の事変処理方針 を貫徹す る為 の大持
が終極 の形態 とを再吟味して事変将来 の方向を確定す べき重要転機
久戦 方略 を検討し つつあり蓋 し奥 地直接進攻を速急 に実施す ること
域 を収 めて新支那を建 設し遂 に事変 の最終解決を図 るものとす故 に
に在 るものと思惟す
を得ず 又第 三国 の策応 (外交的若 くは武力的) に期待す るは自ら限
第 一案 は新国家 の建設方略 を以 て之 が骨幹となす
此 の外南北就中南 方処 理期間中支那 に於 ては消極持久を指導し爾
界 あるを以 て茲 に目的貫徹 のための自主的策案 は大持久戦 の指導を 以下之 が若干 の要項 に関 し懇談致し度 し
主体 となす べければなり
度北 に備 へ就中随 時南方 に所要 の処置を講ず るの余裕 を保持せらる
第 一案 と雖之 が指導中某程
大持久戦 方略 に依 る新支那建設
べきこと に関し当部と雖考慮外 に置きあるも のに非ず
りたる後決定採用せらるべきものとす
後引続き積極施策 に出 でらるる場合あ るべきも此の案 は其決心定 ま
第 一案
戦線 の大整 理に依 る要点 の自主的永久占領
二、大持久戦指導 上新国家建設 の領域 には左 の各案 あり
一、 事 変 解 決 方 策 には 左 の三案 あり
第 二案
現戦線 の暫定的保持 に依 る急速 なる外交処理
第二案
北支並京漢線以東 の江北
第 一案 北支若く は新旧黄河以北
第三案
第 二案は分割占領抗争反覆 の思想 にし て従来 の事変処理方針 の変 更なり可及的之を避 くべきものとす又漢 民族 の相当分量を永 久に分
第三案
北支並京漢及粤漢線 以東 の中南支 第 一案
奥地進攻蹂躪
粤漢沿線遮断領有
江南及南支 沿岸封鎖
三、最小範域建設後 の事変解決方策 には左 の各案 あり
略延 いては事変処 理根本方針 の変更を余儀なくせらるるに至 るべし
第 二案
領域考定 のため具備す べき要件 左 の如 し イ 、 日 満 支 三国 就 中 我 国 防 上 の施設 乃 至要 域 の包 括
第三案
第 一案 は対 立 形 態 に し て事 変 の終 局 を 考 定 し 得ざ る も のな り
ロ、 現 地 軍 の自 活
第 二案 は前項研究 の如く奥地圧伏 の完成形態にして大持久戦 の指
ハ、 日 満 及占 拠 地域 を 一環 と す る自 給 生存 の確 保 ニ、 新 支 那領 域 の富 強 と敵 対 領 域 の弱 滅 と の基 礎 配 置
戦 を実施す るも のなり 相当大 なる兵力を要すべきも若 し情勢之を
第 三案 は特種 の編成装備 と訓練 とを以 て後 方を軽減 せる特種 の作
導 は本段階 に前進する ことを基本 の目標となすべきものなり
第 一案は寧ろ支那 の 一部を保持する に止まり分割占領 の勢 を成 し 且中支揚子江流 域を放棄す るを以 て新支那 の基礎範域 となす に足 ら 第 二案は現地衣糧資源 に就 き我は 四を占め て ( 若干 の食糧資源 に
ず
以て之 が研究準備 は促進し置 くべき ものなりと思考す 本案実行 せ
らるる場合 には第 二案を実行す るの要 なきも のとす
許 すに於 ては最 も単的強力に事変 の終局を把握し得べきものなるを
四 、占 拠 方 式 は地 域 的 にも時 期的 に も 一律 に規 定 す べ か らざ る も の
関 しては四以上 のも のあり)敵 に六を委し軽 工業関係必需製品 に就 委す るの態勢 に在 るも のにし て之を戦略上並政略上 の見地 よりも併
あ る も今 後 の根 本 方 針 定 ま る に伴 ひ主 旨 とす る所 は 自 ら決 定 せら る
きては我大部を占め特産 品輸出能力 に就 ては我三を占 めて敵 に七を せ考 へ之を以 て最少限領域 となす但未 だ奥地圧縮 の態勢は十分なら
従 つて持久 のためには第 二案 を以 て基礎範域 となし第三案を以 て
す)作戦地域及遮断地帯等 は別 とし他は可及的漢 人自治 を本旨と
族 の特性 に鑑 みる時は ( 古来俗 に随 ひ徳 を以 て化するを根本とな
漢人自治 と軍政統治と の思想 あるも従来 の方針 を遵用 し且漢民
イ 、統 治 に関 し ては
可 能 な る範 囲 に実 行 せ ら れざ る べ からず
ず 第 三案 は現地衣糧資源 に就 き我は六 を占 め (六以 上 のも のも あ り)特産品輸出能 力は約半部 を占む るも のにして ( 特 に南支非鉄 金
完成範域となす而して之 が可能性 に関し ては現在支兵力と其 の補給
属 を掌握す)奥地遮断 と相俟ち茲 に重慶圧伏 の態勢 を確立し得べし
量 とを基幹 となし之が運用 と努力と に依り後 方兵力 の撚出 推進を以
ロ、 形 式 に関 し ては
遮断地帯式
す べきも のなりとす
果 は近く報告す ることを得 べし若し結果不可能 なるに於 ては時期的
区劃式
て逐次数年毎 に躍進し所期 の目的を達成すべく鋭意検討中なり其結 按配若く は兵力増強に依 り目的達成を堅持するか或は新国家建設 方
直接占拠式 の思想 あるも内部擾 乱を主要 なる戦法と なしある敵 に対し大持久 ためには特 に彼我を分断 する遮断地帯即国境 の設定 を緊要となす
戦 を指導 し彼を圧伏する新 国家 の態勢を形成せんとす る本企図 の 区劃式 は次等案 にし て遮断 を小区劃 に行はんとするものにし て 又地域 と兵力量と の関係 に依 り遮断地帯後方 にも併用 し兵力 の節
本 となし地方に於 ては各軍司令部 のみに於 て政戦略 一致機構 とな
す べく所要 の措置 を要す るものなり イ、政府 の性格 を目するに
五、新政府 の指導
事変処理上我 に協力せしむ るの配置 に在らしむる案 と之を放置 し解消す るも差支なしとする思想とあ るも
直接占拠式 は以上両案 成立せざ る揚合已むを得ず採用す べきも
旨 とせざ るべからず 新政府には従来対重慶工作 と民 心の収攬と の
理方針 を変更 せず 且上述検討 せる結果 に依れば育成強化を以 て本
協力形態 に育成強化 の主義 と ﹁ロボ ツト﹂主義 と存す るも事変処
新国家建設を基本 の方略 とす る以上当然前者 を採用す べく其 の
本案 は占領主義 に堕し且大地域 を領有 し得ざ るの害 あり但爾他 の
約 並漢人自治区域及匪賊 帰住地帯 の設定等 にも利用 せらる
案 の場合 に於 ても部分的要点には併用 せらる
ロ、育成 の形式 に
新 任務を負担す べきも のなりとす
任務 を与 へ来りた るが爾後我事変処理 への協 力と新国家建設と の
を得べし之 に伴 ひ戦闘序列等相当の範囲 に亘り改変 を要す ること
以上各形式 は目下全面的に検討 の過程 に在り後日報告す る こと ともなるべし
建 設完成後之を附与す る案 とあるも
逐 次自治範域を設定す る案 と
初 期を別 とし後者を以 て終始す ることは煩 と労に堪 へず況 んや
ハ、部署 に関 しては 封建式
異民族 の大疆域 に於 て新国家 を建設す る所以 に非ず発奮 の初動を
軍事、政務併行式
理並治安進捗 の段階 に即し政府 現実 の実力 に相応して規正 せられ
与 ふる為 にも前者 を必要となし况 んや大建設 に於 ては宜 しく彼 の
逐次委譲範 囲を拡大し以 て遂 には新政府をし て名実共 に統治 の主
との思想あ るも封建式 は部署簡便なるも占領主義 に堕する の嫌 あ
軍事、政務 の併行式 は動 もす れば局地対立 の弊 あるも大本 の政
るのみならず 軍隊 が漢人 との雑居混同 に陥り特 に武威武徳 を堅持
新国
労を用ふるの策 に出づ べきなり之 が地域及時期に関 しては事変処
戦 一致政令 の透 徹特に中央及地方 の調整容易なる の利 あり
とす
体 となり自力克 く建設作業 を遂行し得 るに至らしむべきものなり
す るに害あり此 の点大持久戦 には注意 を要する所 なり
なす べし之 が為 には総軍 及大使館内 に於ける此種指導機構を強化
以上既定方針 の貫徹 を眼目 とす る今後事変処理 の根 本問題 に触れ
家建設 を方針となし漢 人 の治 め難きを対象とする場合本案を主と し現 地政務機構を総軍 に帰納 一元化し て現地政戦両略 を挙げ て 一
而 し て之 が現 地
た る所 な る が現 情 勢 に処 し目 的 達 成 のた め に は上 述 の如 き 方 向 に於 て大 持 久戦 を指 導 す る を要 す る も のと 思 惟 し あ り に於 け る可 能 性 乃 至 所要 国 力 及 戦 力 等 に関 し て は現 在 尚 検 討 中 に属 し 其 結 果 に於 て若 し 本大 持 久 戦 方 略 を採 用 し 得 ざ る も の とな ると き
へら れ ざ る べ から ず 此 の際 他力 本 願 の漫 然 た る 現 状維 持 は犠 牲 を 累
は 茲 に改 め て事 変 処 理 の根 本 に溯 り其 目 的 及 方 法等 に関 し変 更 を 加
今 や究 極 の根 本 を究 めず し て 目前 の是 非 を 論ず る の時 に非 ず 而 し
加 す る の外意 義 無 きも のと す
て大 持 久 戦 への決 意 も亦 戦 争 目 的 の転 換 も何 れも 一大 決 断 の伴 ふ所 にし て国 家 百年 の大 計 の岐 るる所 な り須 らく 中 央 現 地 一体 と なり て
而 し て之 が決定 に依 り 始 め て現在 横 行 し あ る多岐 混乱 の衆 論 を統
検 討 処 理 す べく誠 に重 大 事 に属 す
一し衆 心 を帰 一せ し む る こ とを 得 ん 茲 に研 究 の過 程 に拘 らず 之 を懇 談 の資 と な し た る所 以 を諒 と せら
︹註︺ 参謀総長 ハ杉山元大将 。
れ度
四七
方針 に就 て
( 昭和十五年十 一 月 大本営陸軍部 大本営海軍部)
﹁支 那 事 変 処 理 要 綱 ﹂ に 関 す る 所 要 事 項 の 説 明 に就 て
体 制 の強 化 竝綜 合 戦 力 の拡 充 、 外 に在 り て は 日独 伊 三 国同 盟 の活 用
に依 る戦 時 外交 態 勢 の確 立 、 日蘇 国交 の調 整 等 を意 味 す る も のと す 。 第 三 項 に関 し
き 事 項 な る も帝 国 施 策 の枢 軸 を為 す べき 重 要 因 子 た る の外 方 針 第 一
支那事変 の目的 に鑑 み飽 く迄重慶政権 の抗戦意志 を衰滅せしめ之
第 一項 に関 し が屈伏 を策す るは事極めて重要 なるを以 て特 に明記 せるも のなり而 して抗 日勢力 の反省 を促 し東亜 の新秩序を建設 して速 に東亜永遠 の
項 にも関 聯 す べ き事 項 な るを 以 て特 に之 を明 記 せる も のなり 。
国は自主的 に長期大持久戦 の態勢を整 へ世界情勢 の変 転に応ず ると
大東亜新秩序建 設の為 には支那事変 の急速解決と否とに関 らず帝
の建 設 に来 り参ず る に於 ては敢 て之 を拒 否す る も の に あら ざ る旨 を
来 の指 導 政 策 を 一擲 し 其 人 的構 成 を改 替 し て更 生 の実 を挙 げ 新 秩序
政 府 の声 明 あ り次 で昭 和 十 三年 十 一月 三 日 に於 て国 民 政 府 と 雖 も従
り 昭 和十 三年 一月 十 六 日 に於 て ﹁国 民 政 府 を 対 手 と せず ﹂ と の帝国
本項 は新 中 央 政 府 承 認 に至 る迄 の重 慶 屈伏 工作 を掲 記 せ るも のな
第 一項 に関 し
要 領 に就 て
本 件 は第 二項 中 ﹁内 外 の態勢 を積 極 的 に改 善 し﹂ に包 含 せら る べ
平和 を確保し以 て世界平和 の確立 に寄 与するは即ち帝国不動 の方針 にして帝国は新中 央政府承認後 に於 ても依然重慶側 に対する矛 を収 めず其屈伏を期すべき ことは依然何等 の変化 なきも のなり。
共 に進ん で帝 国 の必要 とす る国防 力を恢復増強 せざるべからざ るは
声 明 し今 日 と雖 も 重 慶 政権 に し て自 ら 屈 伏 し汪 政 権 と の合 作 を 企図
第 二項 に関 し
勿論 にして事変長期化 の傾向濃 厚なる現時 の情勢 に於 て特 に其緊急 本項 は右 の趣旨 を明示す るも のにして ﹁内外 の態勢 を積極的 に改
こと を示 せ るも のな り 、然 れ ど も徒 に時 日 を遷 延す る は内 外 の情 勢
す る に於 て は帝 国 は寛 容 以 て之 と戦 を 息 め和 平 を講 ず る の用意 あ る
な るを認 めらる。 善し﹂とは内 に在 りては長期武力戦態勢 を整頓するは勿論国内戦時
限度 と し急 速 な る事変 終 結 を希 求 せ るも のとす 。
之 を許 さざ る を以 て右 屈 伏 息 戦 工作 は新 中央 政 府 承 認 の時 期 を 以 て
四 に就 て
導援 助するも のとす。
促進 せしめ帝国政府 は其事変処理方針 に背馳 せざ る如 く側面的 に指
新中央政府 との条約締結及承認 の時期 に関し ては動もすれば過度
一 に就 て 従来 行 は れ た る重慶 と の和 平 工作 の中 には動 もす れば 統 制 を紊 り
に軍慶和平 工作 の成功 に期待し て却て重慶政権 の遷延策 に引摺 られ
り即ち事務的処理 を自然 の経過 に委 したる場合 を基準とし遅くも昭
て遅延する ことなきやを顧慮し自主 的に之 に基準 を与 へたるも のな
和十五年末迄 と限定 し茲 に新中央 政府承認 の決意 を明確 にせり。
て重慶 側 を し て帝 国 の国 力 を軽 視 し て抗 戦意 識 を昂 揚 せし め 一方南 京政 府 さ へも帝 国 の信 を疑 は しむ る等 の事 も あ りし に鑑 み此 際 之 を
而 も帝 国 の真 意 を伝 へざ る の みな ら ず 誤 伝 を なす も の さ へあ り て却
の万般 の手 段 を竭 す こと緊 要 な る を以 て帝 国政 府 一筋 に於 て実 施 し
統制 し て帝 国 政 府 に於 て直 接 重 慶 側 に施 策 し て其 息 戦 和 平 を 促 す 為
於け る施策 を掲記 せるも のなり。
本項は昭和 十五年末 に至 るも重慶政権 の屈伏和平を見ざる場合 に
第二項 に関 し
る和 平 工作 は直 に清算 せら る べき も のと す 。
関係 各 機 関 之 に協 力す る こ と と せり 之 が為 従来 軍 民 に依 り 行 は れ た
透 に基き確乎 不抜 の意志発動を明確にせるものにし て併 せて過度 に
本項 中 ﹁ 情勢 の如何 に拘らず ﹂と記述 せるは将来 の情勢必至 の見
対重慶 和平 工作 に執着し却 て事変処 理に有害な る結果を来 さん こと
尚 本 和 平 工作 の実 施 に方 り ては 特 に帝 国 の真 意 を明 か にし 帝 国 の 信 義 を恪 持 す べき着 意 の必 要 な る こと は 勿論 な り。
而 して縦 ひ長期戦態勢 に転移するも帝国 の支那事変 目的は変更す
示せるも のなり。
を戒め長期戦転移 の時機 を自主的 に決定 すべき を原則とする ことを
二 に就 て 対 重 慶 和 平 工 作 に於 け る和 平条 件 は 本 日提 案 せら れ た る日支 新 条 約 に準 拠 す べき は当 然 な るも 独 逸 仲 介 等 の事 実 にも 鑑 み 曩 に政 府 工 作 上 の基 準 と し て決 定 せら れた る基 礎条 件 を採 用 し 現 段 階 に於 け る
尚長期戦転移後重慶側 が遂に屈伏 する場合 に於 ては之 を新中央政
べきにあらず して政戦両略 の統合 に依 り飽く迄重慶側 の屈伏 を期す
府 に合流 せしむ るを本則とするも之 が取扱及条件、新中央政府 の指
べきなり。
帝 国 政 府 の行 ふ和 平 交渉 は 日支 間 の直 接 交 渉 に依 る を 本則 とす る
導等 に関 しては帝国内外 の情勢 、支那 の情況等を考慮 し決す べきも
工作 実 施 上 の標 準 た ら しむ る を適 当 と認 め之 を別 紙 と せ り 。
は当 然 な る も 重慶 に対 す る 効 果 を大 な ら しむ る為 には 一般 の情 勢 上
三 に就 て
独 逸 の仲 介 を利 用 し且 対蘇 国 交調 整 に依 る間 接 的 対 支 圧 力 を利 用 す
一 に就 て
のなり。
支 那 側 の実 施 す る汪 蒋合 作 は新 中 央 政 府 樹 立 の方針 に も鑑 み之 を
るを 有 利 とす る を以 て之 を特 に記 述 せ り。
み 成 る ベ く現 在 の対 支武 力 圧 力 を保 持 す る に努 め特 に政 略 と の統
防資源 の開発 を主とし帝国綜 合国力 を強化する の趣旨 に基き実施 せ
支 那に於 ける経済建設 に関しては日満支相互聯関 の計画 に於 て国
三に就 て
合 調整 と相 俟 ち て長 期消 耗 に依 る重 慶 側 の屈伏 を図 り他 面 帝 国 国
らるべきものとす
イ 、長 期 戦 態 勢 に於 け る武 力 戦 指 導 の要 領 は支 那 事 変 の目 的 に鑑
防 力 の弾 撥 性 を 恢 復 増強 し て将 来 の変 局 に備 ふる に在 り之 が 為 占
四 に就 て
長期戦態勢 を確立す る為 に国内体制 の改善は積極的 に実施 せざる
拠 地域 に所 要 の取 捨 を加 へ又派 遣 部 隊 の兵 力 編成 に所 要 の改 変 を 加 ふ る の要 あ るも のとす 。
前 項 趣 旨 に依 り 北 支 方面 に於 て は概 ね蒙 疆 、 山西 、 河 北 竝 に山
地派遣機関 の組織、権限機能及其相互関係竝 に陸海軍及各機関間 の
機構若くは機能 の統制強化を期する為外務省興亜院其他各官庁 の現
べからず 又本項末文 は帝国 の支那 に於け る政治、外交 、経済、指導
東 省 の要 域 、中 支 方 面 に於 て は武 漢 附 近 の要 域 竝 に同 地 より 下 流
のとす。
関係調整等 に関し検討を加 へ長期戦態勢 に応ぜしめるを意味す るも
ロ 、長 期 戦 に於 て確 保 す べ き地 域
揚 子 江流 域 の要 点 竝 に南 京 、上 海 、 杭 州 の三 角 地帯 附 近 、 南 支 方
ハ 、本 項 中 ﹁一般 情 勢大 な る変 化 な き 限 り﹂ と 示 し情 勢 に大 な る
す。
は勿論内外 に及 ぼす反響極めて重大 なるも のあり て恰 も我 が敗戦感
内容 一旦外部 に漏 る ゝに於 ては動 もす れば流言と誤解 とを招き現地
本要綱中特 に支那 に於け る長期武力戦態勢 の転移 に関 しては其 の
尚大本営側 とし て 一言希望を申述 ぶ。
も のに し て其 概 略 の範 囲 は現 占 拠 地 域 と 著 し き変 化 は なき も のと
面 に於 て は廣 東 附 近 、海 南 島 及 其 他 沿 岸 の要 点 を確 保 せん と す る
変 化 あ り た る場 合 の支那 に於 け る武 力戦 態 勢 に関 し ては 更 に検 討
支那事変処理要綱 に関する質疑応答資料
極秘 参拾部の内第 〇号
︹一字 不 明︺
に於 ても機密保持 に関し遺 憾なきを期 せられ度 。
なきにしも あらず統 帥部 に於 ては此点 に特 に留意 しあるを以 て政府
なるが如 き好餌を重慶側 には勿論支那民衆及第三国に与 ふるの危懼
決 定 す べき こと を 明 か に せり 。 二 に就 て 新 中 央 政 府 に対 し ては之 を以 て支 那事 変 の解 決 政 府 たら し む る 如 く重 慶 と の対 立 関 係 に於 て帝 国 の施 策 に協 力 し 日支 一体 と な り 重慶 屈 伏 の実 を 挙 ぐ べ く指 導 す べき も のと す而 し て帝 国 と し ては新 中 央
べき も該 政 府 を し て徒 に其 職 分 を逸 せ し め或 は過 度 に重慶 と の合 作
政 府 の育 成 強 化 に努 め其 実 力 具 備 を 図 ら し む る為 無 用 の干渉 を避 く
に焦 慮 せし む る が如 き は共 に指導 上最 も戒 む べき 所 にし て其 施 策 に 方 り ては 飽 く迄 も帝 国 の綜 合 戦力 強 化 に資 せし む べき も のとす 。
昭和十五年十 一月 大 本営 陸 軍 部 大 本営 海 軍 部 総兵力 二百万、二百 六十数箇 師を擁 しあるも其 の装備 は逐次
敵軍 一般 の情勢 如何
の眼を免 れて行 ひあ るに過ぎず密輸等 に依り搬 入せられたる軍需品
船舶 は香港、上海租界等 を中継港 とする小型船 に依 る密輸を我監視
仏領 印度支那より の輸送 路は我監視団 の入国 及我軍隊 の進駐 に依
は蓄積 竝に運輸中 のも のを我航空部隊 の為発見爆撃 せられつつあり。
り殆ど完全に遮断 せられ ﹁ビ ルマルート﹂は再開直後 其主要鉄橋を
問
我航 空部隊 に依 り爆破 せられ之が修理 には相当 の日子を要す る状況
答 乃至 三千) を充足しあるも火砲其 の他 の重兵器 の装備は極めて劣悪
低下 しあり即小銃 、軽 重機関銃等は概ね其 の定数 ( 小銃 一箇師 二千
なり。
答
問
蒋 の独裁力 に依り表面上は国共合作体制 を採り挙国 一致抗戦
重慶側 の抗戦体制特 に抗戦意識如何
響 は今後漸次表面化す るも のと考 へあり
右 の如く敵 の対外交通路は概 ね遮断 せられありて之 が深刻 なる影
にして火砲 は重要正面に於 て若干門を有する状態 なり、弾薬も漸次 欠乏しあるものの如く蒋 は数次 に亙り之が節用 を訓示し あり又航空 兵力は第 一戦機各種合計約 四十練習機等若干四川 、雲南方面 に残存 する のみ
に邁進し奥 地の開発、第三国特 に英米 の援蒋強化、真面目なる戦闘
教育 訓練 に関し ては大 いに努力し其 の成果亦見 るべき ものあ るも
の回避等 に依 り国力 の温存培養 に努 め長期戦体制 の整 備 に努 力し最
ト﹂ の再開対米借款 の成立等 に依 り再 び抗戦 の前途 に光明を見出し
時和平気運 の擡頭 を見、相当 の動揺 を認めら れたるも ﹁ビ ルマルー
重慶側要人中 には ﹁ビ ルマルート﹂ の遮断、仏印進 駐等 に依 り 一
り漸次困窮 に陥り あり
後 の勝利を夢 みあるも主 とし て財 政経済上 の破綻、国共相剋等 に依
打続 く敗戦 に伴 ひ素質漸 次低下 し某師 の如きは 一日二十 五粁 の行軍 給養 方面 に於 ては糧食 の不足欠乏を訴 へありて糧秣 の強制徴発等
を数 日実施し たるのみにて半数 の落伍者 を出 したる状態なり 行はれんとし重慶側とし て軍隊 の匪化、軍民 の離反 を憂 ひ苦慮しあ 然 れども敵軍は今尚蒋 の強靭な る統制力に依 り掌握 せられありて
和平気運下 火となれる感 あり
るも のの如し 近く之が崩壊 を予期するは過望 なりと謂 ふべく蒋 にし て 一度反攻を
全支沿岸は今春に於 ける封鎖強化以来概 ね封鎖 せられ支 那側
海上封鎖及輸送路遮断航空作戦 の成果如何
国共関係如何
答 国共関係は抗 戦建 国 の目標 に向 ひ不即不離 の態勢 を以て推移 し最近に於 ては両者特 に其 の首脳部 は極力協調 せんと努 めあるも其
問
慶側は相当大 なる混乱状態 に陥 るべしと判断 せら る
蒋 が若対日和平等 を決意 せんとする場合 に於 ては其 の統制紊 れ重
指令 せんか其 の督戦 と相俟 ち相当見るべき威 力を発揮 し得べしと判 に重きを置 く所謂特務戦 は局部 に於 て相当 の成果 を発揮す ることあ
断 せらる、特 に最近主要抗戦方式とし て採 用しある謀略部隊 の活動
問
るべしと予想 せら る 答
の裏面 の暗闘、末稍部 の相剋 は依然深刻化し つつあるものの如し 然 れども共産党 の実力は未 だ不充分 にし て重慶政権にして抗戦 を
一般 の民衆 に対す る影響は単 なる承認 のみにては大なる影響な か
るべし、新政府 の直接 民衆 に関係 ある政策 の実行に依 り民心 の把握
問 新中央政府は如何な る程度 に事変処理 に協力し得 るや
に努 むること肝要なるべし 答
継続する限り共産党 は露骨 に反 重慶態度 に出つ ること無 かるべし蒋 は極力共産党 の制圧 に努め甚 しきに至 りては 一時日本軍 に対す る作
蒋政権 の財政経済情勢と其 の見透 し如何
等に依 りて我戦力培養 に資し又対重慶 工作 を行 ふ等我施策宜 しきを
関と相俟 て治安 の確保安定 に協力し、物資獲得を担任せしむること
地域 の民心を収攬 し該地域 に政治力を滲透 せしめ其保有 する治安機
我新中央政府指導 の要領に基 き之 を育成す ることに依 り占拠
戦を休 止するも対共部署を強化 せんとして 一部 の兵力を移動 せるこ
重慶側は目下抗戦資金 の枯渇と奥 地悪性 ﹁イ ンフレ﹂ の顕著
とあり 問
に加 へら るる厳重なる封鎖 と間断なき我果敢 なる爆撃とは到底奥 地
る支那特有な る半封建的奥地経済 の基礎に於 て而 かも対外補給路線
め つつあるも単 なる 一時的刺戟に止まるべし元来低級 にし て脆弱 な
国同盟成立を契機 として第三国 の援 助に依 る抗戦力 の再建 復活 に努
頼 し本要綱 の示す指導理念 に基 き其指導者をし て帝国 と 一体た るの
も新中央政府をし て帝国現在 の対蒋圧力 の背景下 に在 りて帝国 に信
らず従 つて其実力は殆 んど新 中央政府たる の実力を具有 しあらざる
未だ新中央政府 の母胎とも云 ふべき我軍 の占拠要域に滲透する に至
の新関係調整 に関す る協議等 に忙殺 せられありしを以て其政治力は
答 新中央政府は創建日尚浅く政府自体 の機構 の整備 、竝帝国と
問 新中 央政府育政強化 に関する見透 し如何
得ば我事変処 理の 一翼 とし て某程度 の効果 を発揮し得るものと認む
答
なる徴候とに依 りて漸 く深刻なる経済 的破綻 を暴露 しあり、従来弱
経済建設 を意 の如くならしめざるべく、敢 て軍事的抗戦を継続 せん
自覚 を以 て 一意占拠 要域 に対する政治力 の滲透 に邁進 せしむ るに於
音 を吐きし ことなかりし蒋自身 も之 が窮乏 の現実 を米英 に泣訴 し三
とせば第 三国 の実質 的援助 の強化を見ざる限り結 局経済的破局を来
ては逐次実力を培養 強化し遂 には帝国 の大東亜新秩序建設 の 一翼を
現在地方行政 を指導しあるは殆 んど特務機関等 の軍側機関 の
是治安其他 の現地 の実相上已むを得ざ る過渡的便法なり
も のなりと言 ふも過言 にあらず
答
問 省 以下地方行政 に対す る日本側指導 の実相如何
悟 せざるべからず
も分担 し得 るに至るべしと思考 せら るるも其前途 は尚遼遠なるを覚
すべく漸次游撃的抗戦 を持続 し得 るに過ぎざる状態 に陥 るも のと判 新中央政府 の承認 が重慶竝 に 一般支那民衆 に及 ぼす影響 に関
断 せら る 問
新中央政府 の承認 は日本 の断 乎たる態度 を明示す るも のなる
する見透 し如何 答
を以て重慶側 の動揺分子に多少 の影響を与 ふることあるべしと雖既 に予期 せられし所なるを以 て寧ろ承認 よりも其後 に於 ける独伊 の承 認 等 の影響 が更 に大なるものあるべしと考察 せらる
新中央政府 の承認等 を機 とし日支 の地方行政指導機構 を調整整備
租界 ( 香港 を含む)は重慶政権 の留守司令 部的役割 をなすと
租界 の敵性如何
す るの要 あるを認むるも現実 の事態 は速急急激 なる変化を来 たし得 ざ るを遺憾とす 問
左 に主 として経済的見地 より観たる天津、上海両租界竝 に香港 の 津
敵性 に関し概述 す 天
英米は北支 に於け る金融機関 の本拠 を天津租界 に置 き輪出入為
イ
替 の操作を行 ひ牢固 たる勢 力を有 し飽迄法幣を支持しありし が聯
銀券 の強化 と我方 の適切なる施策 とに伴 ひ逐次英米系勢力 の後退
答 共 に我占領地域 に対す る治安攪乱 の策動上 一拠点をなし且列強援蒋
海
本来 の特権 の恩恵下に於 ける行動にして時 として意識的対日悪意 に
対する我 が経済戦的各種 の施策 に同調せざ る点 に在り本敵性 は租界
金融通貨 工作物資 の流出 入の規正等 の経済 対策 を阻害し竝 に重慶 に
敵地所要綿糸 、綿布 の七割を供給 せりと称 せら る将来軍票 工作乃
物資 を奥地に移 入し重慶政権 の抗戦力 を培養し あり上海 は昨年度
券 を攻撃しあり又援蒋物資特 に上海附 近に生産 せらる る支那国内
欧米銀行は帝国 の対支経済 工作を妨 害し法幣 を通 じて軍票 、華興
重慶政権系諸銀行 と密接 なる連繋下に米国花旗、英国香上等 の
上
を見 つつあり
の触角をなしあり而 して我占領 地域 に対する治安攪乱 の策動拠点と し ての敵性 は意識的直接的而 も最 も悪質なる ことは周知 の如くなる
ロ
基 かざ る場合もあり得 べしと雖帝国 の事変遂行 に及ぼす支障 は甚大
るべし
至新政府 の通貨 工作等 に対し上海 の敵性は益 々妨害を加 ふるに至
も更に大 なる敵性は租界が我方 の対支諸施策特 に占領地域 に対す る
なある現在及び将来 に於 ては益 々然 るものあ るは勿論 なり
港
なるものあり特 に政治、経済的部面 が事変処理上 の重要性 を加 へつ 以上 の如き形而下 の敵性 に比し更 に根本的なる敵性 は形而上 の敵
香港 の援蒋的地位 は軍需品 の対支輸出と土産品 の輸 入とに依る
ハ 香
軍需品 の対支輸出 は目下直接未占領海関 よりも仏印、廣州湾 、
蒋 政権 の外貨獲得に貢献 しある点 に在り
かしめ国際情勢 の好転特に英米 の世界再制覇 の暁 には必然的 に列強
澳門等 の中立国を手先中継港 とし て搬出 せらるるもの多く香港 は
ても租界 に対し 一指をも染め得ざ る事実は重慶側 をして侮日観を抱
性なり即 ち帝国 が百万 の大軍を擁 し圧倒的大勝を博 しある現在に於
の対日重圧強化し有利 なる事変 の終末 を招徠 し得 るも のと確信 し長
依然 として之 が重要中継基地 たるの地位を有 す
る方針 を堅持する限り抜本塞源的に租界 の敵性 を処 理せざ るに於 て
せり
支那土産品は香港 を経 て輸出せられ巨額 の蒋側外貨獲得 に貢献 しあり昨年度 は其 の額 一億 二千万香港弗 ( 約 四億 二千万元)に達
従 つて帝国 にし て日独伊枢軸 の線に沿ひ日支事変を処 理せんとす
期抗戦 を継続する に至 らしむ る主因をなしあり
は事変解決は甚 しく困難 なるも のと思考 せら る
尚香港 は法幣安定資金 の運用 と華僑送金竝支那金銀 の移動を其 長期持久戦に方 り作戦上現在 の事変処 理の方法と本要綱 に依
の手に収め蒋政権 の金融経済的施策 に貢献 しあり 問 るも のと具体的に如何 なる差異ありや
ず
一般民衆も我軍の撤退を顧慮 し不即不離 の状態 に在 りて未だ完全
に民心を把握しあらざ る為時 々交通線等に対し共産匪等 の出撃を見
本要綱 に示す地域 に於 て日本軍 が厳 存して治安 の骨幹 となり加 ふ
たり
るに新中央政府 の政治力 が民衆内 に滲透 せば逐次治安状態は良好に
本要綱 の方策 に於 ても勉 めて従来 の対支圧迫を続行 し為し得
向 ふものと思考 す
答 より見 るときは現在 の処理 の要領 と著しき変化なきが如 しと雖長期
本要綱 の長期持久戦に於 ては対支消耗 を如何 なる程度 に減少 し得 るや
問
れば 一日も速 に事変 の解決を希望す るは論ず る迄もなし故 に用兵上 持久戦 に方り ては我 は支那国内 の要域を確保す ると共に対支補給 線 を断 ち且勉め て消耗 を少 からしむ る反面敵 の長期衰耗 を促進せしめ
数字を以て適確 に答 ふる こと能 はず と雖 一般情勢就中作戦治
安 の実情 に即応 しつつ漸 を逐 ひ努めて兵力 を節約し人的物的消耗 を
答
減少す る如く努む ると共 に為 し得 る限り現地自活 の方策を講じ且支
以て我 は戦 に依りて戦力を養 ひ敵 は戦 に依 りて漸衰することを基 礎 此間国際変局に処す べき国防力 の弾撥性 を確保すること に着意 す
とするものにして作戦指導 の内容上相当 の差異を生ず るに至るべし
依 りて得べきものを転用して武力 の建設的方面を飛躍向上せしめて
ては万般 の努力 を傾注せしめんとするものなり而 して此等 の節約 に
那側 をし て我戦力培養 に協力 せしむる等苟も対支消耗 の減少 に関 し
長期大持久戦 に関する見透し如何
べきは勿論なり 問
長期大持久戦 の方策 に於 ては目下研究中 に属 し鼓 に具体策 を
数万、蒙疆 に八
新中央政府 の保持 する武力如何 又此 の武力は日本軍 の 一翼と
答 主 として三角地帯、中支及北支 の北部は各
なり得 るや
問
国防力 の弾撥性 を確保すること が長期持久戦 の要諦 なり
答
説明す ること能 はざ るも現態勢 より長期大持久戦 への転移は依然敵 に対す る圧迫 、封鎖 の効果を収め つな漸 を追 て敵 を屈伏 せしめんと するものなるを以て我作戦兵力と占領地域 とを過度急激 に変更 して 作戦及政策 の継続 一貫性を破 り占領地域 の民心を動揺 せしむるが如 占拠地区内 の治安 の実相如何
練等十分ならず之が整備改善 の為 には今後尚相当 の努 力と時 日とを
千、其他武漢方面及南支那方面 に若干 の武装団体 あるも未 だ素質訓
問
要す
き ことは之を避 くるを必要 とす るも のと考 へあり 重要都市及主要交通線 の沿線 地区の治安は概 ね良好 にして新
得る状態 に在るも真 に日本軍 の 一翼とし て 一定地域を担任し て治安
現在に於 ては我が指導 と監視との下 に治安 の維持 に某程度貢献し
答
政府側 の威令行 はれあるも我軍 の威力 が常時及ばざ る地区即 ち主要 交通路より遠隔 しある方面 に於 ては共産匪、土匪等 の活動未 だ絶え
の確 保 に任 じ 又 は占 拠 地域 外 の作戦 に協 力 す るに到 る迄 に は尚 相 当 の指 導 を要 す べ し将 来 支那 側 財 政 力 の強 化 に伴 ひ努 め て支 那 側 の武 力 を育 成 強 化 す る と共 に敵 軍 武 力 を 切崩 改 廃 し て可 及 的速 に自 力 を
問
対支交戦権発動 に関し て研究中な るも利害相伴 ひ之を軽 々に
対支交戦権発動 に関する見解如何
態 には須 らく米 に追随す るのみ の態度を持しあるが如し 答
決定し得ざ るも のと考 へあり尚新中央政府承認後 に於 て交戦権 を発
英 米援 蒋 実 情 (租界 を除 く )如 何
答
問
現在満兵備は現情勢 に応ず る対蘇警戒 のみの見地よりす るも
対蘇国交 が調整出来 れば満洲 より兵力 の転用可能 なりや
動するは法的 には不可能 なり
問 一、米
以 て警 備 を 担 当 し得 る に至 ら しむ る の要 あり
答
対支 援 助 を画 策 し あ る も の の如 く 其 具 体的 内 容 は 不 明 な るも 宋 子文
重慶 に於 け る蒋 、﹁ジ ョン ソ ン﹂ 大 使 と の会 見 に於 て米 国 は 積 極 的
シ コ﹂、 蘭 印 に於 け る我 行動 に対 す る妨 害 態 度 等 枚挙 に遑 な し 最 近
京 政 府 否 認 の声 明、 日米 通商 条 約 の廃 棄 、対 日禁 輸 の 強 化 、﹁メ キ
不可能 ならざるべし
他方面 に使用 し直ち に原 態勢 に復帰せしむるが如 きことは必ず しも
き限り在満兵力 の転用は不可能なり但極め て短期間 一部 の少兵力 を
に関係する点もあり就中彼 の極東兵力 の激減等著しき態勢 の変化な
十分と言 ひ難し仮令日蘇某程度 の国交調整実現す るも其 の内容如何
国
数 次 に亘 る ﹁ク レ ヂ ット﹂ の設 定 、多 数 軍 需資 材 の供給 等 の外 南
の活 動 中 な る五 千 万 又 は七 千 五百 万 弗 の借 款 交 渉 (二千 五 百 万 弗 は 既 に成 立 ) 成 立 促進 か或 は英 、米 、 支 三 国 を 以 てす る太 平 洋 防 備 計 画 の実 現 に関 す る意 見 具 申 な らず や と見 ら れ あり 然 れど も米 当 局 の 心境 は未 だ積 極 対支 援 助 には傾 き あら ざ る が如 く 借 款 に関 す る件 は 兎 も角 共 同 防 備 問題 に関 し ては気 乗 り薄 な る も の の如 し但 米 国 が 逐
二、英
国
次其 対支 援 助 を強 化拡 大 す る こと疑 ふ余 地 な き も のと判 断 す
数 次 に亘 る借 款 の供 与 奥 地 開発 の共 同 援 助団 匪 賠償 金 の戦 用 資 材 買 入 への流 用 を 許可 せ る の外緬 甸 公 路 の再開 に より て撥 蒋 物 資 の輸 送 に努 力 し あ り し が最 近 は英 国 の援 蒋 熱逐 次冷 化 し特 に軍 事資 材 の 対支 供 給 減 少 す る に至 りし を 以 て重 慶 は 印度 より 之 れ が補 給 を得 ん
之 を要 す る に英政 府 の援 蒋 態度 は曩 日 の如 く積 極的 ならず 極 東 事
と し戴 天 仇 を現 地 に派 遣 し 活躍 せし め あ り
四八
次
押 し つけ 陝 甘方 面 への移動 に放 任 し自 ら は敗 残 の中 央 軍 を収 容 し
蒋 介 石 は 日本 軍 の急追 を避 く る為雑 軍 は成 る べ く之 を 共産 軍 に
1、 蒋 介 石 の落 ち 行 く 先
一、 漢 口陥 落 後 に於 け る蒋 介 石 の態 度想 定
漢 口陥落を契機とする北支建設要領
漢 口陥 落 を 契 機 と す る 北 支 建 設 要 領
漢 口陥落 を契機とする北支建設要領 目 一、 漢 口陥 落 後 に於 け る蒋 介 石 の態度 想 定
貴 陽 に退 守 す べ し。
1 、 蒋介 石 の落 ち 行 く先 2 、 法 幣 の将 来
四川 は 地 元雑 軍 の動 向 必ず しも 蒋介 石 に良 からず 、 且 日本空 軍
3 、 国 共関 係 の検 討
基 地 と余 り に接 近 しあ り て後 難 恐 し 、廣 東 は海岸 に近 く 日 本軍 の
4、 蒋政 権 の将 来
二、占領区域内 に於ける 一般 民心 の動向
攻 略 を誘 導 す る 恐 あり 且 英 国 も亦 好 まざ る所 な り 。
其 の道 順 た る湖 南 は灰 色 の何鍵 を罷 め 腹 臣張 自 忠を し て守 ら し め
然 る に貴陽 は 早 く より 呉 鼎昌 を し て準 備 せ しめ た る 地方 にし て
なり。
六、経済 問題 の検 討
あ る点 よ り見 て蒋介 石 は 一応 貴陽 に落 ち 付 く べ しと 予想 せら る。
安 住 の地 に非ず 、雲 南 は 余 り に偏
︹ 一字 不 明 ︺
廣西 は李宗仁白崇禧既往 の動向 に鑑 み敗残 の蒋介石 にとりては
三、北支政権大観 四、民心把握 の五方針
七、通貨問題 の検討
2 、 法幣 の将 来
五、治安第 一主義 の実践要綱
八、新支那統治体系
︹心 ︺
九、新 民会 の使命
蒋 介石 既 往 のや り方 よ り推 測 せ ば敗 北 地域 に於 け る中央 中 国 交
せ ら るべ し 、従 て法幣 の価 値 は黄 河 の決 潰 と同 様 暴 挙 を恨 み つつ
通 農 業等 発 券 銀 行 は 恐 らく 其 の法 幣 を置 去 り の儘 暗 に廃 業 を黙 図
の不安 を持 つ こと亦 歴然 た る も のあ り殊 に目 前 は衣 食 住 の脅 威 を感
し あ る こと勿 論 な るが 、 さり と て日本 に対 し て も現 状 の不満 と将 来
青年智識階級 にあり ては永年注入せら れたる抗 日精神浸透 しあり
じ戦 争 を恨 み あり 。
就中学生乃至青年官吏 層は今尚南方の農村 に逃避 し抗 日工作 に従 ひ
然 し て 一方 残 余 の海 外 資 金 ( 約 二億 八 千 万 と称 せら る) を準 備
一途 低 下 せ ら るべ し 。
金 と す る新 紙 幣 を 発行 し て其 の財 的 基 礎 を 作 る べし 現 に香 港 に て
にす るも抗 日意識 は俄 に解消 せらるべしとは思はれず北方乃至都市
北方 に帰るを快 とせざ る実情 なり之は勿論南北 により其 の濃度 を異
にある学生青年官吏等比較的穏健分子 と雖国家 の将来 に希望を失 ひ 且自己将来 の針路 に迷ひ痛く煩悶 の態見受けらる現状 を放任すれば
は 既 に新紙 幣 印刷 せ ら れ あり と の こと なり 、本 処 置 は勿 論 英 国 と
対日感情悪化 の傾向を辿 らんとする空気濃厚なり現北京政権全体を
秘 密 に接触 を保 ち て行 は る べし 。
雲 貴 を中 心 とす る蒋 地方 政 権 が英 仏 の後 援 を得 て抗 日宣 伝 を持
見ても此 の動向 なき に非ず。
︹マ マ ︺
︹雲 南 、貴 州 ︺
続 す る こと勿 論 なる が此 の間 陜甘 を根 拠 とす る共 産 系 軍 のゲ リ ラ
3 、 国 共関 係 の検討
戦 を 以 て 日本 軍 を 牽 制 せ しむ べ く 従 て蒋 介 石 と し ては表 面 は蘇 聯
万 ︹ 全 ︺ を期 し難 き 過 度 期 に あり ては不 可 免 の
な る べし 。
︹二字不明︺
之は戦 争と謂 ふ非常事 態による物心大破壊 の跡 日本人亦其 の言動 三 、北 京 政 権大 観
の内容 を陜 甘 軍 を通 し て行 ふ こと と な るも 実質 的 には蒋 の中 央 軍 と 毛 沢 東 の共産 軍 と は各 自 己 を 守 ら ん為 に他 を利 用 す る二 元的 存
北 京 政 権 は其 の成 立 事 情 に も よ る こと な る が地 方自 治 団 に根 底 を
在 た る に至 る べ し。 4 、 蒋 地 方 政権 の将 来
︹等 ︺
有 せざ る為 一種 の官 僚 群 が行 政 系 体 を作 り之 を 布衍 し あ る に過 ぎざ
る如 き感 あ り従 て其 の掲 ぐ る政 治 綱領 の如 きも 今 日 は画 餅 に均 し 、
( 主 に蒋 財 団 ) の再 建 を見 る迄 は雲貴 を中 心 と
︹一字 不 明 ︺
し て其 の勢 力 恢 復 を 計 り 日本 軍 の正 面 に は両廣 、 四川 、陝 甘 等 の
し て積 極 性 な く曠 日彌 久 の結 果 は不知 不覚 の中 共産 軍 の温 床 地 帯 を
之 は 日本側 の政 治 指 導宜 し き を得 ざ る こと にも 基因 す る が当 局 者概
蒋 介 石 は中 央
る べし 。
緩 和 地 帯 を作 り自 ら は有 力 な る抗 日 発源 体 とし長 期 厳 存 す る に至
以上を綜合 するに当分 の間 日本及新支那 は複雑 にして有力 なる外
り冀 東 一帯 の地 又 八路 軍 に攪 乱 され あ る等 の事 象 は何 れも 此 の結果
に外 ならず 皇 軍 の戦 局 前 進 す る に従 ひ背 後 の 一般 治安 日 に低 下 の状
醸 成 し つ つあ る実 情 にあ り昨 今 北 京郊 外 に鹿 鐘 麟 の麾 下 跳 梁 す る あ
況 に あり 其 の中 に ても 建 設 に従 ひあ る は新 民 会 、建 設 局、 中 聯 等 な
患 を持 つこととなり此 の間思想政治経済国防外交等各般 の切瑳琢磨 二、占領地域内 に於け る 一般民心動 向
る が之 等 の日常 工作 も 亦 大 に影 響 を 受 け進 展 困 難 に て中聯 紙 幣 の流
時代を現出す べし。 九〇%を占 むる農民層は大体国民党 政治乃至支那軍隊 に対し怨嗟
之 を大 観 す る に現 北京 政権 は極 め て弱 体性 に し て当 局 者 亦 消 極 的
方 針 の具 体 案 を 日 本側 と 研究 を重 ね つ つあ り し が最 近 日本 より 土肥
の後 の進 展 状 況 を 尋 ね た る に彼 は ﹁慚 愧 に堪 へぬ﹂ と前 提 し ﹁右 五
而 し て去 る八 月 二十 二 日王 克 敏 氏 に再会 の際 談 偶 此 の事 に及 び其
な り例 へば 之 を 河 北 省 当 局 に聞 く も ﹁匪 軍来 れ ば 日軍 の討 伐 を 俟 つ
通 にも悪 影 響 を 及 ぼ し つ つあ り。
あ る のみ﹂ と弁 解 し 又 治 安 部当 局 に聞 く も ﹁ 部 下 なく 手 足 な く施 す
筆 者 は ﹁日本 側 に在 り て も研 究 し ては 居 る が夫 れ は支 那 と 協 力 し て
し中 途 停 滞 し て未 だ少 し も実 現 の運 に至 らず ﹂ と答 へたり 。 依 り て
面 日本 側 の鼻 息 を窺 ふ に汲 々と し 一面 売 国奴 的 悪名 を負 はざ ら ん為
東 洋 平 和 の招来 を期 す 範 囲 を出 てな い ので あ つて従 て現 地 当 局 の確
原 中 将 一行 の渡 支 あ り と聞 き何 か根 本 方 針 の提 案 あ ら ん こ とを 期 待
の警 戒 心 に気 を と ら れ あ り て少 し も能 動 的 な ら ざ る官 僚 的 集 団 な り
は貴 案 五 方 針 の具 体化 の外 に出 てな い こと と思 は れ る、 さ れ ば 現 地
信 あ る具 体 案 あ ら ば夫 れ を尊 重 す る こと 当然 に て治 安 工作 に至 つて
に策 な し﹂ と称 す る のみ結 局政 治 理 想 を 綱領 に掲 ぐ れ とも 内 実 は 一
あ り て劃 期 的 新 政 府 樹 立 を敢 行 せ る勇 気 と之 に伴 ふ中 外 に及 ぼせ る
当 局 者 と し ては確 信 案 を持 つこ とは 最 も肝 要 の こと と 考 へら る﹂ と
若 夫 れ其 の功 を 賞 す べ き も の あ り とせ ば そ の当初 反 日 の雰 囲 気 下 に
間 接 的 宣 伝 価 値等 な り之 を要 す る に今 後 は政 見 理想 を持 ち 且 之 を実
提 言 せり 、 政府 樹 立 の中 心人 物 にし て尚 且其 の積 極 性 を 欠 け る こと
の弱 体性 に基 く こと勿 論 也 。
︹マ マ︺
ん斯 か る人 士 は之 を 過去 の官 僚 群 中 に求 む る も発 見 困 難 な るが其 の
現 せ んと す る気魄 あ る人 士 ( 重 に青 年 層 ) に よ り再 建 設 を 必要 と せ
概 ね 斯 く の如 し 、況 ん他 の輩 に於 てお や 、但 し之 は 日 本側 政 治 指 導
五 、 治 安第 一主 義 の実 践 要 綱
標 準 を示 せば 建 設 局 長殷 同 氏 の如 き 中 聯 総裁 汪 時 〓 氏 の如 き或 は前 冀 東 長 官 池 宗 墨 氏 の如 き時 局 を 正 解 し 且能 動 的 人 物 を以 てせ ば面 目 を 一新 す る に至 る べ し但 し其 の根 本 的 のも のは統 治 権 の所在 を 明 に
1 、民 食 を足 ら し む 。
新 支 那建 設 の 一般 的 要 領 と し ては 左 の諸 項 を 挙 ぐ る こと を得 べし 。
1 、 雑 軍 の処 理
6 、 日満 支 計 画 経 済 の指 導 。
5 、新 支 那 建 設 精 神 を 昂揚 す 。
4 、共 同 防 共 の実 を 挙 げ し む 。
3 、民 の富 力 を増 進 せし む 。
2 、 民力 を養 はし む 。
す る こと な り 。 四 、 民 心 把 握 の五方 針 左 記 は去 る 六月 中 旬 王 克 敏 氏 が爾今 日本 側 と協 力 し て其 の実 現 に
2 、 農村 の建 設
7 、東 亜 復 興 運 動 の達 成 。
努 力 せ ん と称 し筆 者 に示 せ る民 心 把握 に関 す る彼 の抱 負 な り。
3 、 智識 階 級 の指 導
然 れ ど も漢 口陥 落 を 目前 に控 へた る現 時 にあ り て は応 急 対 策 と し
て治 安 第 一主 義 に即 せ ざ る 可 か らず 其 の要領 大 約 左 の如 し 。
4 、国 民党 治 下 にあ る 有 力 人士 の招 致 5 、南 方 実 業 家 乃 至 金 融 家等 経 済 人 の誘 導
4 、帰 順 兵 は 一日 六十 銭 ( 市 価 に依 る) の労 働 者 と し て月 額 十 八
河 川 の改 修 等 大 い に土 木 工事 を起 し 併 せ て復 興 気 分 を振 起 す 。
3 、建 設 局 は各 省 農村 の復 興 建 設 に力 を 注 ぎ道 路 ク リ ー ク の建 設 、
之 を採 用 す 。
編 入す 、 尚 当 該 郷 土出 身 者 にし て穏 健 分 子 あ らば 農 村 自衛 団等 に
2 、帰 順 兵 は 一応 新 民 会 の教 化 工作 を経 て直 に建 設 局 の工程 隊 に
工作 に重 点 を置 く 。
1 、 各 省 に保安 隊 を作 り 、 保安 隊 は専 ら敗 残 兵 乃至 地 方匪 の帰 順
帰 順 工作 は 日本 軍 の協 力 に依 り 治安 部 を し て支 那 人 に行 は し む。
日 本 軍 は作 戦 態 勢 に就 く を要 す 。
6 、結
日満 支提 携 計 画 経 済 文 化 提携 等 を談 ず る こと を 得 べ し 。
而 し て農 民 は安 居 楽 業 に就 く こと を得 べく 之 より始 め て共 同 防 赤
イ ンテ リ の国 民 党 政 治 批 判 も亦 自 発 的 に行 は るべ し
長 老 連 の新 支 那 建 設 運 動 乃至 救 国 運 動 も勇 躍 し て動 く べし 。
8 、此 の事 実 此 の体 勢 を 天下 に示 せば
此 の土 台 の上 に働 く様 にす る。
一人月 十 八円 と し て十 万 人 百 八十 万 円 と な る之 に指 導 監 督 費 を
当 分 の間 建 設局 を拡 大 強 化 し 、 全 支復 興建 設 の工 作 をし て 一般 政
言
円 を給 せ ば兵 た るよ り は良 民 た る こと を 喜 ぶ に至 る べし 。
治 関 係 よ り超 越 さ せ建 設 戦 争 の実 果 を挙 ぐ る こと に努 力 す べ し。
防 に必 須 不 可 欠 の資 源例 へば鉄 、 コー ク ス原 料 、羊 毛 、棉 花 の開 発
国 防 に必 要 な る経 済施 設 例 へば 鉄 道 交 通 通信 重要 産 業 港 湾 等 又 国
六 、 経 済 問 題 の検 討
合 す る も 月額 二百 万 円年 額 二千 四百 万 円 あ れ ば 十万 人 の帰 順 者 を 正 業 に就 かしむ ことを得 、 七千 二百 万 円 を投 じ雑 軍 三十 万 人 を正 業 に収容 せ ば北 支 の治安 は 一段 と見 直 す に至 る べ し。 満 洲其 の他各 地 に於 け る労 働 力 補 給 も之 によ り極 め て容 易 に考
し 不 取敢 本 年 は緊 急処 置 に よ り民 食 あら し め 明年 は農 村 耕 地 の復
ば 旱災 に悩 ま さ れあ る実 状 也 さ れば 今 日よ り直 に農 村 建 設 に着 手
て資 本 の安 全 を期 す る こと な る に依 り 遂 には進 ん で投 資 せ し め彼 等
を与 へれ ば 新 法律 の下 に 日支 合 弁 事 業 を 営 む は 却 て土 着 資 本 家 と し
業 を奪 ふ が如 き感 を抱 か し む る は其 の当 を得 ず 、蓋 し企 業 上 の安 心
け る質 屋 の如 き種 類 のも の迄 も 日本 人 の企 業 下 に置 か ん と し徒 に民
を行 ふも 可 な り 、然 れ ど も運 送 界 に於 け る粮 桟 の如 き庶 民 金 融 に於
興 によ り 民力 あら し め 明後 年 頃 は民 其 の富 力 を増 す に至 る べき順
を 安 心 せ し む る こと を得 ん 、然 る に日 本 人 が 勝 手 に軍 の威 を藉 り 石
竝 配 給 に関 す る企 業等 は之 を 日支 両 国 政 府 監督 の下 に強 力 な る統 制
序 を 以 て計 画 実 施 す る に非 ざ れば 経 済 工作 も文 化 工作 も空 論 に終
鹸 、 ペ ン キ、 麦 粉 工場 等 々、現 在 動 き あ るも のを手 当 り次 第 合 弁 若
慮 せ ら る べ し。
り画 餅 に均 し から ん。
く は買 収 を 強 要 す る 如 き現 状 は却 て要 統 制産 業 ま で も逃 す 結 果 を 招
5 、農 村 施 設 は近 年放 任 せ ら れ あり し 為 河 底 上床 し水 災 に非 ざ れ
の正業 化 に置 く 。
来 す る に至 るべ し 豈 慎 まざ る可 け ん や。 〓
6 、従 て応 急 対 策 は其 の重 点 を農 村 復 興 建 設 に置 き主 眼 は帰 順 兵
7 、宣 伝 は 此 の線 に沿 う て進 め新 民 会 の農村 組 織 、農 事 合 作 社 も
を齎 ら さざ ら ん こと 肝要 な り 。
移 行 を思 は せ徒 に農 民 の不 安 を駆 り遂 に ﹁蒔 か ぬ種 は 生 え ぬ﹂ 現 象
本位 の議 論 を闘 は し 或 は 偏狭 な る為 替 論 に拘泥 し急 激 な る農 産 物 の
更 に又明 年 の播 種 を 思 ふ と き今 日机 上 に於 て日 本商 工省 や農 林省
異 にす茲 に漢 口陥 落 後 の情 勢 を想 見 せば 中 支 、 南支 、 北支 、蒙 疆 の
複 雑 にし て既 に蒙 疆 聯 委 の強 化 日 に進 み南 北 両 政府 又 各其 の立 場 を
を遂 げ ん とす る形 勢 な り し も戦 局 の推 移 に依 る支 那 の内情 は極 め て
を扮 装す る中 央 政 府 を 組 織 し 之 と 日支 修 交 条 約 を結 び時 局 の 一段 落
四 地域 を し て 一応 夫 々地 方 色豊 な る高 度 自 治 政 権 を 樹立 せ し め其 の
上 に て時 機 を見 て所 謂 分 治 合作 に依 る中 央 聯 合 政府 を組 織 す る の適
之 を要 す る に、 取 る こと を考 へる より は 先 づ 安 心 を与 へ逃 が さざ
定 、 日支 文 化 協 定 等 を 訂約 し て其 の宗 主 権 を確 保 し 、主 に 日支 間 高
る こと を考 へる こと 必要 な り。
等 政 策 の実 践 を 主 眼 と し て運用 せ ら る べき も のとす 、 従 て中 央 聯 合
当 な る を思 は し む 而 し て中 央 聯 合 政 府 は 日支 軍事 協 定 、 日支 経 済協
目 下 中 聯 は自 ら営 業 を為 さざ る も開 店 僅 か 六箇 月 に し て対 英 米為
政 府 が地 方 政 権 よ り 委譲 を受 け統 制 す べき事 項 は宗 主 権 に関 す る問
七 、通 貨 問 題 の検 討
替 資 金 時 価 三 千 万 円 対 日為 替 資 金 約 四千 万 円 、紙 幣 発 行 高 六 千 五 百
題 、 国 防 、 外 交 、 重 要交 通 通信 機 関 、 重 要産 業 、金 融 、 海 外 貿 易権
及 其 の他 必 要 限度 の建 設 工作 等 とす 。
万 円 (七月 末 ) と 謂 ふ成 績 な り、 而 し て発 行 予想 は年 内 に二億 円 明
只 国 家 銀 行 と し て考 へる場 合 蒋 介 石法 幣 断 末 魔 の際 に於 け る金 融
年 四月 迄 に三 億 五 千 万 円 に至 ら しむ べき 公算 を有 す 。
委 員 会 を 以 て之 に充 つ。
而 し て其 の人的 要 素 は各 地方 政 権 の代表 者 及 資 望 家 若 干 よ り な る
は漢 口陥落 直 後 よ り表 は れ る新 事 態 な れ ば 日本 に在 り ても今 日 よ り
対 策 に は中央 政府 は相 当 の犠 牲 を 払 ふ こと を覚 悟 せざ る べか らず 之
其 の協 力 に付 考究 の要 あ り と思 ふ、 現 に四行 ( 大 陸 、 鹽 業 、金 城 、
勿 論 の こと蒋 介 石 法 幣 克 服 、 軈 て貿 易 局 の運 用 、 産 業 計 画 に基 く特
要 あ り 斯 く て中 聯 の前 途 は 日本 側 の理解 協 力 さ へあれ ば 雑券 整 理 は
安 部 の敗 残 兵 帰順 工作 と同 様 敗 残 法 幣収 容 の準 備 を充 分 整 へ置 く必
別 し て整 理 し蒋 介 石 法 幣 崩 壊 に備 へつ つあ り、 中 聯 側 に在 り て も治
主 義 の弊 に流 れ 以夷 制 夷 の顰 に趨 る如 き は之 を絶 対 に戒 めざ る べ か
明 の機 に際 し 苟 も共 同 防 赤 、 東 亜 大同 を提 唱 す る に当 り て再 び事 大
旺 盛 なる が故 に 以夷 制 夷 の術 策 を弄 ぶ習 性 を有 す 、 方 今東 亜 復 興 黎
義 にし て四 隣 の強 圧 に遇 へば 直 に夫 れ に迎 合 し 易 く而 も 一面 同 化 力
検 討 を 要 す るも其 の必要 性 は絶 対 な り と信 ず 、 由 来漢 民族 は事 大 主
在 の新 民会 が其 の使 命 を果 す に充 分 であ り や否 やと謂 ふ こと は更 に
新 民 会 は 新 支那 建 設 に邁 進 す べき在 住 諸 民 族 の民 間 団 体 な り 、現
九 、 新 民会 の使 命
殊 会 社 の金 融 統 制 等 新 支 那 建 設 の最 重 要 部門 を受 持 つ こと と な る べ
中 南 ) の如 き は既 に蒋 政 権 関 係 のも のと 民 間株 主 関 係 のも のと を 区
し。
に支 那 大 衆 を し て 日本 大 衆 と接 触 を計 り自 主 独 往 の日 本精 神 と相 結
ら ず 、 之 には 日支 両 国 政 府 間 に確 乎 た る修 交 条 約 を締 結 す る と同 時
従 前 は南 京 維 新 政 府 を北 京 臨時 政府 に合 流 せし め 一元 的 近代 国 家
八 、新 支那 統 治 体 系
び以 て東 方精 神 に生 く る生 活態 様 に改 善 せ しむ る こと 必要 な り、 従 て新 民 会 は 今 次 の事 変 が日 満 支 の提 携 を 以 て東 亜 安定 勢 力 を確 立 す る建 前 な る に鑑 み今 後 は 大 に其 の陣 容 を強 化 し 内容 を浄 化 し、 支 那 社 会 の所有 各 層 に働 き 農村 、都 市 、経 済 、 官 公吏 各機 構 に分 会 組 織 を進 め 以 て新 支 那 建 設 の使 命 大成 に死 力 を尽 す べ き も のな り と考 へ ら る、 政府 又之 を白 眼 視 す べ き に非 ず 、 政 府 と新 民会 と は新 支 那 建 設 、 日満 支 提 携 、 共 同 防赤 、東 洋 復 興 等 の目 的達 成 の為 必 要 不 可 欠 な る異 体同 心 の存 在な り 、然 る に現 に新 民 学院 の卒 業 生 が政 府 に入 り ても 敬遠 さ れ或 は新 入学 生 の応 募 を校 長 会議 に て拒 否 す る等 は 現
て不愉 快 極 ま る感 を抱 か しむ 。
政府 は 消極 的 排 日 の傾 向 を有 す る の暗 影 を 印象 付 けら れ聞 く 人 を し
︹ 註︺ 筆者 不明な るも表紙に ﹁ 小山貞知﹂と の書入れあり同人 の作 と推定 さる。
書類 の件送付
華 中 鉄 道 株式 会 社 設 立要 綱 案
殿
設立す。
んが為速 かに維新政府 の特殊会社 たる華中鉄道株式会社 ( 仮称) を
共 に其 の自主的鉄道 政策 を確立 し以 て中支鉄道 の合理的運営 を期 せ
四九
殿
支 那 方 面 艦 隊特 務 部 長 )
海 軍省 軍務 局長 殿
(昭和 十 三年 十 一月 十 六 日
軍 令部 第 三部長
領
鉄道事業 (既存国有鉄道 の運営を含 む)
華中鉄道株式会社 (仮称 )
自動車運輸事 業
中支那 に於 ける左記事業 の経営 一
一、名 称
二
二、目 的
第二 要
支那方面艦隊参謀長 但現地連絡会議決定 のもの 南京武官 設
同種事業 に対する投資竝 に前各号 に附帯す る事業
綱
事業 目論 見書
政府 の認可を受 けたる其 の他 の事 業
立 要
写送付先 北支、青島、漢 口、廣東 、厦門、各特務部長
華中鉄道株式会社
三
本 資本 総額
三、資
五千万円
統合せしむ る如く措置す るも のとす。
二、主要路線 に依る自動車運輸事業及其 の附属物件 は本会社 に
をして之 が経営 に当らしむるものとす其 の方法 に付 ては別に定む。
註 一、既存国有鉄道 (江南鉄道 を含む)及其 の附帯事業は本会社
四 昭和 一 三、 一 一、 一三 連 絡 会 議 決 定
収 支計 算 書
針
華中鉄道株式会社設立要綱 第一 方
中支那 に於ける経済復興 に資し併 せて国防上 の要求を充足す ると
内
訳 府
一千五百万円
新 政 一千 万 円
維 他
二千五百万円 ( 内現物出資 七百 六十四万円)
の
中支那振 興会社
三
二
社長、副社長 の選任及解任
合併竝 に解散 の決義
鉄道借款 に対しては将来債権者と維新政府 との間 に借款整 理協定
八、借款 の処 理
の成立す ることあるべき を予期し本会社 より維新政府 に対し別途研
其 註 一、現物出資株 は全額払込、現金出資株は第 一回四分 の 一払込
考
其 の際出征者及其 の家族在支邦人等 に対し特別 の考慮 を払 ふも の
が本会社 の株主たり得 る の途 を拓くも のとす。
ず発起設立 に依り成 立せしむるも将来適当なる時期 に於 て 一般国民
二、本会社 は之を急 速に成立 せしむ る必要 上株式 公募 の方法 に依ら
ざ る如 く措置す るも のとす。
鉄道 の建設及経営 竝 に主要路線 に依 る自動車運輸事業 の経営 を認め
一、維新政府 は本会社以外 に中支那 に於ける 一般運輸 を目的 とする
備
究 の上定めら るべき金額 を納付す る如く措置す るものとす。
二、維 新政府及其 の他 の出資 が其 の割当額 に充たざ るとき は不
とす。 足額 は中支那振 興会社 に於 て代位し又は引受く。 四、国籍及本店 の所在 地 維新政府 の特殊法 人とし本店を上海 に置く。 員
社長 一人、副 社長 一人、取締役三人以上、監査役 二人以下 とし其
五、役
典
の任期 は社長、副 社長は四年、取締役は三年、監査役は 二年 とす。 六、特
租税其 の他 一切 の公課 (内国消費税 を除く) の免除
対し事情 の許す限り特別 の考慮 を払 ふも のとす。
三、本会 社 の従業員 の採用 に付 ては出征者 及其 の家族在支邦人等 に
とす。
事業経営上必要 とす る物件又は権利 の収用、使 用若は同種事
維新政府は本会社 に対し左の特典を附 与す。 一
三
専用電 信電 話 の施設
事業 に属する物件竝 に権利 に対す る徴収免除
二、本会社 と振興会社と の関係
のとす。
付 ては右規定 の趣 旨 に則 り別途関係庁間 に於 て研究 の上決定す るも
命令 に基 き国防上必要 とす る事項 を本会社をし て実施 せしむ る件 に
中支 那振興会社法第 二十 三条 に依 る日本政府 の振興会社 に対す る
一、本会社 に対する日本政府 の国防上 の要求
諒解 事 項 ( 其 の 一)
二
四
払込株金額 の 三倍迄 の社債募集
業 の買収等 に関 し必要 なる 一切 の権利
五 七、政府 の監督
定款 中重要 なる事項 の変更
左記 は維新 政府 の認可事項とす 一
の為替状勢及物資需給関係等 に依 りては当初 の資金物資計画を変更
本会 社 の社長 及副社長 の選任及解任 に付 ては振興会社総裁 の
一
称 人 格
海 的 鉄道事業
鉄道 の運営、但し当分 の間 は左記鉄道 とす。
上海︱閘 口間鉄道
上海︱砲臺湾間鉄道
上海︱南京間鉄道
に於 て之 を為 し資金必要 の都度之 を現地 に送金す る様措置するもの
蘇州︱嘉興間鉄道
イ
一
本会社は中支那 に於 ける左記事業 の経営 を為すを以 て目的 とす
四、目
上
三、本店 の所在 地
維新政府 の特殊法 人たる株式会社
二、法
華中鉄道株式会社 ( 華文 にては華中鉄道股〓有限公司)
一、名
事業目論見書
す るの要あるべし。
本会社 の定款 の変更、利益金 の処 分、事 業計画其 の他事業上
承認 を得 しむる如く措置す るものとす。 二 の重要事項 は予 め振興会社 の承認を得 しむる如 く措置す るも のと す。 三、本会社と他 の交通機関 との関係 本会社と中支那に於 ける他 の交通機関と の間 に生ず る重要 なる関 のとす。
聯事項 に付 ては相互 に緊密 なる連絡を保持 せしむる如く措置す るも 諒 解 事項 ( 其 の二) 華中鉄道株式会社設立要綱実施 に当りては資金物資 の関係 に付左 記 に依 るも のとす。 記
とす。
一、本邦 に住所 を有す る者 (法人を含 む) の引受株式 の払込 は本邦
二、本事業遂行 に要す る諸物資は能 ふ限 り之 を本邦 に於 て調達す る
自動車運輸事業
南京、浦 口間航送施設 に依 る運営
南京︱孫家埠間鉄道
同種事業 に対する投資 竝に前各号 に附帯 する事業
ロ
も のとす。
二
三、本邦 より既 に積出済 の貨物 の代金 の決済 は之 を本邦 に於 て為す
三
鉄道 の建 設
四、外 国資本 ( 支那資本を含 む) の買収 は極 力之 を避 け現物出資 の
も のとす。 方法 に依 る こと、已むを得ず 買収 の要 あるとき は契約締結前 に日本
ハ
政府 と協議す るものとす。
金
政府 の認可を受 けたる其 の他 の事 業 五、資 本
四
五、起業費運転資金 の送金及設備用機械類 の無為替輸出 に関 し今後
一千五百万円 七 百 六十 四万 円
内現 物 出 資 (
)
本会社 の資本総額は五千万円とし之を百万株 に分ち 一株 の金額 を 五十円とす。 中華民国維新政府出資 二千五百万円
出 資者は左 の通 とす。 中支那振興会社出資 一千 万 円
員
其 の他出資 六 、役 本 会 社 に社 長 、副 社 長 各 一人 、 取締 役 三人 以 上 、監 査役 二人 以 下 を置 く も の とし 其 の任期 は社 長 、 副 社長 は 四年 、 取 締 役 は 三年 、監 査 役 は 二年 とす 。 七 、本 会 社 の営 業 年 度 は十 一月 一日 よ り 翌年 十 月 三十 一日迄 とす 。
道
① 復 旧 工事
鉄
八、事 業 計 画 一
鉄道施設 の戦火 に因り破壊 せられたる箇所 を修理 し大体三年 度内 に事変前 の状態 に復せしむ。 ② 輪転材料 の整備
︹マ マ︺
撤収 又は破壊 された る輪転材料を補充す 。 ③ 南京浦 口間航送施設 南京浦 口間航送施設 を復 旧す。 ④ 建 設改良 工事 上海新都市計画 に伴 ひ真茹江湾鎮間 の短絡線 の外停車場、操 動
車
車場及臨 港線等 の新増設を為す。 二 自
四、七 一 五
一、七六〇
七、一 八八
五、〇三 五
一、三 二〇
六、八四七
四、七三五
四、〇〇〇
二六、〇三〇
一 四、四八五
第 一年度 第 二年 度 第 三年度 復旧事業費
九二〇
一一、九九 五
年度別
車輛購入費
計
自 動車費
計
一、三 六四
一、 三六四
一 七、六三〇
〇
一、〇二〇
一、〇二〇
一五、九八三
二、〇〇〇
一 三、九八五
五八三
五八 三
一 三 、四〇二
五〇〇
四九 、九八二
二、九六七
二、九六七
四七、〇 一 五
二、五〇〇
南京浦 口間 施設復旧費
新線建設費
項 目別
事業費年度割 (単位千円) 別
道
動 車
計
揚 子江 以南 に於ける主要 路線約 二、〇〇〇粁を整備経営す。 三 種
鉄
自
一七、〇〇三
計
第 二年度
第 三年度
︱
一 〇、五九〇
四七、三二〇
一 八、五〇〇
一 〇、五九〇
一 八、二三〇
計
一八、九九四
合
第 一年度
一 五、〇〇〇
一 〇、五九〇
︱
三、五〇〇
一 五、 〇〇〇
︱
二一、七三〇
︱
一 八、二三〇
︱
四 資金調達方法 ( 単 位千円)
第 一回 払 込
金
立 費
計
入
第 二 回払 込 借
九 、創
三万円以内とす
五 〇 日 支 新 関 係 調 整 方 針 ( 昭和十三年十 一月三十日 御前会議決定)
日満支三国 は東亜 に於 ける新秩序建設 の理想 の下 に相互に善隣と して結合し東洋平和 の枢軸 たることを共同 の目標 と為す之が為基礎
一、 支 那 は満 洲 帝 国 を承 認 し 日本 及 満 洲 は支 那 の領 土及 主 権 を尊 重
手 段 を講 ず る こと
二、北支及蒙彊 に於け る国防上竝経済上 (特 に資源 の開発利用)日
経済提携原則 の設定。
一、互恵を基調 とす る日満支 一般提携就中善隣友好、防共共同防衛、
す。
に好 誼 を 破壊 す るが 如 き措 置 及原 因 を撤 廃 し 且将 来 に亙 り之 を禁 絶
二、 日満 支 三国 は 政治 、 外 交 、教 育 、 宣 伝 、交 易 等 諸般 に亙 り相 互
し 日満 支 三国 は新 国交 を修 復 す
和 を確保 し善 隣 友 好 の実 を 挙 ぐ る為 各 般 に亙 り互 助連 環 友 好促 進 の
たるべき事項 左 の如し。
支強度結合地帯 の設定
き 一切 の措置 を第 三 国 と の関 係 に於 て執 ら ざ る も のと す
三、 日満 支 三国 は相 互提 携 を基 調 とす る外 交 を行 ひ之 に反 す るが如
四 、 日満 支 三国 は文 化 の融 合 、創 造及 発 展 に協 力 す
蒙疆地方は前項 の外特に防共 の為軍事上竝政治上特殊地位 の設定 三、揚子江下流 地域 に於ける経済上日支強度結合地帯 の設定
七 、 日満 支 善 隣関 係 の具 現 に伴 ひ 日本 は漸 次 租 界 、治 外 法 権等 の返
度 結 合 地 帯 其 の他 特 定 の地域 に在 り ては所 要 の機 関 に顧 問 を配 置 す
六 、 日本 は新 中央 政 府 に少 数 の顧 問 を派 遣 し 新建 設 に協 力 す特 に強
上海 、 青島 、厦 門 は各 々既 定 方 針 に基 く特 別 行政 区 域 とす
蒙 疆 は高 度 の防 共 自 治 区域 とす
五 、新 支 那 の政 治 形 態 は分 治 合 作 主義 に則 り施 策 す
四、南支沿岸特定島嶼 に於ける特殊地位 の設定 之 が具体的事項 に関し ては別紙要項 に準拠す。 別 紙 日支新関係調整要項 第 一 善隣友好 の原則 に関する事項 日満支 三国は相互 に本然 の特質 を尊重し渾然相提携 して東洋 の平
還を考慮す 第 二 共同防衛 の原則 に関 する事項 日満支三国は協同し て防共 に当 ると共に共通 の治安安寧 の維持 に
第三
経済提携 の原則 に関 する事項
日満支三国 は互助連環及共同防衛 の実 を挙ぐ るため産業経済等に
一、日満支三国 は資源 の開発、関税、交易、航 空、交通、通信、気
関 し長短相補有無相通 の趣旨 に基き共同互恵を旨とす る こと
の協定 を締結す
象 、測量等 に関 し前記主旨竝に以下各項 の要旨を具現する如く所要
関し協力す ること 一、日満支三国は各 々其 の領域内 に於ける共産分子及組織を芟除す
二、資源 の開発利用 に関しては北支蒙疆 に於 て日満 の不足資源就中
ると共 に防共 に関する情報宣伝等 に関し提携協力す 二、日支協同し て防共 を実行す 三、別 に日支防共軍事同盟 を締結す
資 源 の開発 に関 し経済的結合 の見地より必要 なる便 益を供与す
結合 の見地より之 に特別 の便益 を供与し其 の他 の地域 に於 ても特定
埋蔵資源を求 むるを以 て施策 の重点とし支那は共同防衛竝 に経済的
四、第 二項以外 の日本軍隊は全般竝 に局地 の情勢 に即応 し成 るべく
之が為 日本は所要 の軍隊を北支及蒙疆 の要 地に駐屯す
早急 に之 を撤収す
日本 の所要原料資 源 の培養を図る
農業 に関し ては之が改良を援助し支那民生 の安定 に資すると共 に
三 、 一般産業 に就 ては努めて支那側 の事業 を尊重し日本 は之 に必要 なる援助を与 ふ
安 の確立す る迄之を駐屯せしむ 共 通 の治安安寧維持 のため揚子江沿岸特定 の地点及南 支沿岸特定
四、支那 の財政経済政策 の確立 に関 し日本は所要 の援助をなす
但し保障 の為北支及南京、上海 、杭州三角地帯 に於けるものは治
の島嶼及之 に関聯す る地点 に若干 の艦船部隊を駐屯す尚揚 子江及支
一般通商 を振興すると共 に日満支就中北支間 の物資需給 を便宜 且合 理的ならしむ
五、交易 に関し ては妥当 なる関税竝 に海関制度 を採用し日満支間 の
六、支那に於け る交通、通信、気象竝 に測量 の発達 に関し ては日本
那沿岸 に於 ける艦船 の航泊 は自由とす 務 を負 ふ
は所要 の援助乃至協力を与ふ
五、支那は前項治安協力 のため の日本 の駐兵 に対し財政的協力 の義 六、 日本は概 ね駐兵地域に存在する鉄道、航空、通信竝 に主要港湾
七、日支協力 に依り新 上海を建設す
及揚子江下流 に於け る通信は日支交通協力 の重点とす
日支間及支那沿岸 に於ける主要海運、揚子江 に於ける水運竝 に北支
全支 に於ける航空 の発達、北支 に於 ける鉄道 ( 隴海 線 を含 む)、
水路 に対し軍事 上の要求権及監督権を保留す の配置竝 に軍事施設 は当分治安及国防 上必要 の最少限とす
七、支那は警察隊及軍隊 を改善整 理す ると共に之 が日本軍駐屯地域 日本は支 那 の軍隊警察隊建設 に関 し顧問 の派遣 、武器 の供給等 に 依 り協力す
附 一、支那は事変勃発以来支那 に於 て日本国臣民 の蒙 りた る権利利益 の損害を補償す の為自然 に制限 せらるるは当然なるも右強化は主 として国防及国家
二、第三国 の支那 に於 ける経済活動 乃至権益が日満支経済提携強化
三国 の活動乃至権益を不当 に排除制限 せんとするも のに非ず
存立 の必要 に立脚せる範囲 のも のたるべく右目的 の範囲を超 えて第
一至急 ︹多 田
次
極秘 長
駿中将︺
五 一
宛
臺電九七七号
汪 兆 銘 ニ関 ス ル電 報
︹ 昭和十三年︺
十 二月 八 日 二三 、 五〇 発 九 月 四 、 二〇 着
臺湾軍参謀 長
在 短 期 ナ レバ彼 ガ 重慶 ヲ去 ツテ カ ラ或 ハ長 引 ク様 ナ レバ 口実 ヲ設
ロ、 周佛 海 ハ五 日既 ニ昆 明 ニ先発 準 備 ヲ整 ヘテ汪 兆銘 ノ来 ル ヲ待
ケ テ成 ル可 ク早 ク重慶 ヲ出 発 スル考 ヘナ リ ト
ハ、事 情 右 ノ通 リ ニツ キ十 二日 ニ予 定 セ ラ レア ル近 衛 ノ談 話 発 表
チ ア ル ニ付 キ之 カ善 処 ニ目 下最 善 ノ努 力 ヲ払 ヒ ツ ヽアリ
ハ高 宗 武 ヨリ汪 ノ昆 明着 ノ確 報致 ス迄 方法 ヲ設 ケ之 ヲ延期 セラ レ
高 宗 武 ト シ テ ハ予 定 ノ齟 齬 ハ何 ト シ テ モ申 訳 ナ キ次 第 ナ ル モ此
度シ
ノ段 重 ネ テ御 願 ス
二 、西 ハ右 ニ於 テ小 サ キ蹉跌 ニ動 揺 ス ル コト ナク成 功 ニ向 ヒ益 〓努
香港電第 五八二号
力 セ ヨト激励 シ且申 出 ノ件 ハ早 速東 京 ニ伝 へ貴 意 ニ副 フ様 尽 力 ス ヘ
︹マ マ)
太田少佐第十号
ト然 ル ヘキト認 ム
事 ノ前 ニ更 ニ隠 忍 ヲ加 ヘラ レ曲 ケ テ彼 等 ノ言 分 ヲ聞 キ届 ケ ラ レ ル コ
且 本 工作 ノ成功 ヲ確 信 スル モノ ナ ルガ故 ニ日本 側 ト シテ ハ此 ノ際 大
三 、 小官 西 ヨリ会 見 ノ模 様 ヲ詳 シ ク聞 キ彼 等 ノ真剣 ナ ル態 度 ヲ利 用
シト答 へ置 キ タ リ
近衛声明 ハ汪兆銘 ガ昆明到着 ノ確報 アル迄暫 ク之ヲ延期 セラレ度 ︹義 顯 ︺
一、 今 八 日十 時 周 隆庠 、 西ヲ 訪 ヅ レ左 記高 宗 武 ノ意 向 ヲ伝 フ
其理由 イ、 昨 七 日深 更 汪 兆銘 ヨリ高 宗 武 宛電 報 来 ル 曰 ク 蒋介 石 ガ突 然 当方 面 ニ来 タ為 メ六 日出 発 ノ予 定 ヲ変 更 ス ルノ 已 ム ナキ ニ至 レリ然 シ其 前途 悲 観 スル ニ及 バズ 汪 兆銘 ハ蒋 介 石 ノ滞
至急
次
極秘
長
二
宛
太 田電 第 十 二号
イ
十 二 月 十 日午 前 一時 発 十 一日午 前 五時 四 〇 分着 臺湾 軍参謀 長
蒋 介 石 ノ重 慶 入 リ ハ他 ノ用 務 ニシテ 工作 ガ暴 露 シ タ ル モノ ニ
一、 十 日十 時 高 宗 武 ヨリ 左記 汪 兆銘 ヨリノ来 電 ヲ伝 へ来 ル
ロ
約 七日 日 延 ベ シテ 、既 定 ノ行 動 ニ移 リ得 ル見 込 ミ
汪 ノ境 地 ト 計 画 ト ハ全 然 変 化 ナキ ヲ 以 テ御 安 心 セ ラ レ度
アラ ズ
ハ
ハ困 ル﹂ ト申 入 レタ リ
二 、次 デ 高 宗 武 ハ ﹁蒋 ヲ作 戦 的 ニ重慶 ヨリ追 出 シ テ貰 ヒ度 但 シ爆 撃
支 那 側 ノ都 合 ニテ度 々遅 延 ノ儀申 訳 ナ シ
三 、手 厚 キ御 配 慮 ヲ謝 ス
四 、 必要 ノ件 土 肥 原 ニ伝 ヘラ レ度 ( 終 リ)
五二
由
四、北支開発 の単 一目的 を有 せざ る対支海運国策会社 に北支港湾 を
湾独立経営 の必要を認 めず。
埠頭地区とは当然之 を分離す べきも のに付 (羅津港 の例)之 が為港
( 昭和十四年 一 月十日 大本営陸軍部)
作 戦 及国 防 資 源 開 発 よ り 見 た る 北 支 港 湾 の 帰 属 に 関す る意見
作戦及国防資源関発 の見地 に於 て北支港湾は之を北支交通会社を 理
して運営 せしむるを要す。 一、支 那事変間は勿論将来戦 に於 て北支港湾 は国防資源 の呑吐港 と
るを以 て不可なり。
経営 せしむる案 は動 もすれば其開発 に吻合 せざ る経営 に陥 るの虞 あ
冊
交通会社が港 湾の経営 を為す場合 一般利害関係
第 一 交通会社内 に於 ける水運部 の機構竝人事 に
者 の利益を尊 重するため特 に講ず べき措置要領 就て
陥 ることを避 けんが為交通会社内 に於 ける水運部門をして鉄道部門
交通会社が港湾 を経営す る場合 に於 て其 の運営 が鉄道偏 重の弊 に
別
して の使命 を達成せしむるの外北支 に対す る作戦及補給輸送 の基地 とし て其機能 を発揮 せしむ るを要す。 之 が為 には作戦及国防上必要とす る能力 、施設並使用等 に関 し陸 上交通 と密接 なる連絡 を保有し之と 一体的活動を為さしむること必 通会社 をし て運営せしむ るを至当とす。
須 の要件 にして北支港湾 は奥地資源開発を主 なる使命とする北支交 而 して此 の場合組織及運営 に於 て別冊 の如き措置 を講 ぜば海 上交
と対等ならしむる目的 を以 て当該会社 の機構竝人事 を左 の如く考慮
通 の便 は十分之を保有す ることを得 。 二、独立せる港湾会社 を設 立するは結節点を生じ船車連絡上 の不便
す るも のとす。 水運部機構
を来 し前項 の趣旨 に合致 せざるを以 て同意する能 はず。
一
三、海軍根拠 地設定 の為特 定港湾 を以 て独立会社 を設定 せんとす る 案 は海軍根拠 地とし て必要 なる区域 と経済開発的使命 を達成すべき
重役会↓水運部長
各埠頭事務所 水運課
初代水運部長は海運業者若くは港湾倉庫業者等民間水運関係
築港課 二 水運部長は交通会社 理事 とす。 三 業者中 より適当なる者 を選任す。 は ( 要す れば逓信省推薦 にかかる)甲種船長免状
︹三 字 不 明 ︺
出 入港船舶 の撃留所取極 め及本船着離 の監督 を為す所謂 ボー
ト ・キヤ
四
其 の他 の人事 に付 ても概 ね上記方針 を以 て決定す。
を具有す る者より採用 す。 五 第二 港湾業務運営 に就 て 港湾業務運営 上特 に海運業者 の利益 を尊重す る為左記 の如く考慮 定期船 に対する特別扱
す るも のとす。 一
定期船 に対しては其 の繋 船所を最 も便益 なる岸壁 に 一定 し之 に
日本船舶に対す る港頭諸掛は外国船舶 に対するものよ りも低廉
日本船舶 に対す る特別扱
附帯す る陸 上施設 を優先的 に提供 す。 二
のに対 しては交通会社 は其 の理由 を説明する義務を負ふ、但 し軍機
港湾協議委員会 の構成其 の他 の詳細 に就 ては別紙港湾協議委員会
其 の他 不得已理由ある場合 は此 の限 に非ず。 案参照 のこと。
港湾協議委員会 (以下委員会 と略称す)は天津 ( 塘沽を含
港湾協議委員会案 第 一條
各委員会 は当該港湾 の名称 を冠称す。
む)青島、連 雲、新港 に夫 々設置す。 第 二條
委員会 は当該港湾利害関係者 の連絡協 調を図 るを目的とし
交通会社 に対し港湾施設、運営 、其 の他 に関 し必要 なる意見を述
第 三條
べ又交通会社 よりの諮問 に応ず。 は臨時会を開 く。
第 四條 委 員会 は毎月 一回乃至 二回例会を開き臨時必要ある場合 に
第五條 委員会 は必要ある場合事務部 を設く。
当該埠頭事務所長同副長 二名乃至 三名
一名乃至 二名
交通 会社
第六條 委員会 の機構左 の如 し。
一名乃至 二名
一名 小運送代表
一名
二名乃至 三名
通関業者代表
一名
海運会社代表
海事検定代表
二名乃至三名
労工会社代表
パイ ロツト代表
其 の割合若 くは方法等 に就 ては別途海運業者と協議決定す。
ならしむ
害関係者と の協調機関とす交 通会社 は右委員会より要望 せられたる
地元商 工関係者代表
天津、青島 、連雲、新港 に夫 々港湾協議委員会を設 け 一般港湾利
第 三 港湾利害関係者との協調 に就て
事項は成るべく尊重実行するも のとす、其 の要望 にして容 れ難きも
海
陸
省
官
軍
軍
一名
一名
一名
一名
二 、港 湾 の修 築 及 之 が経 営機 構 等 に関 す る興亜 院 の考 へ方
而 し て港 湾 の修 築 竝 に其 の経 営 機 構 等 に関 す る興 亜 院 の考 へ方 概
北 支 港 湾 の建 設 増 強 竝 に其 の運 営 如 何 は北 支 の資 源 開 発 竝 に其 の
ね 左記 の如 し、 即 ち
対 日供 給 確 保 の見 地 に於 て、或 は 又軍 事 上 の見 地 に於 て、 影響 す る
事
一名
所 甚 大 な る も のあ るを 思 へば其 の重 要 性 は寧 ろ 日本 側 の立場 に於 て 、
信 関 一名
の港 湾 た る以 上 之 に支 那 側 の管 理権 の及 ぶは固 よ り当 然 の所 にし て 、
導 力 を確 実 に把 握 す る こと絶 対必 要 な り と す 、然 れ共 少 く と も 支 那
力 の重点 と し て、 重 視 す る と共 に修 築 運 営 に関 し我 方 とし て之 が指
よ り大 な る も のあ り と言 ふ 可く 、 従 つ て我方 に於 て之 を日 支交 通協
局
領
湾
逓 税 港
委 員 会幹 事 は委 員 中 よ り互 選 す 。
其 の他 必 要 な る者 あ る時 は委 員 会 の決 議 によ り之 を加 入 せし む 第 七條
委 員会 所 要 の経 費 は交 通会 社 之 を負 担 す。
幹 事 は委 員会 開 催 其 の他 の事 務 を処 理 し兼 ね て事 務 部 を統 括 す 第 八條
又港 湾修 築 が支 那 側 と し ても利 す る所 尠 少 な ら ざ る等 の諸 点 に鑑 み 、
之 が 修築 又 は運 営 の機 構 は支那 側 の積 極 的協 力 を要 請 し得 る の形 式
本件 ニ関 スル関聯資料左 ニ附記 ス。 ︺
北 支港 湾 経 営 問 題 に就 て ︹ ﹁ 興亜院濱田中佐所見﹂ トノ註記アリ、
︹ 註
た る を適 当 とす 可 く 、 尚 対 第 三国 関 係 等 をも 考 慮 し遺 憾 なき を 期 す
借 款 形 式 を採 る こと の可 否
如 上 の見 地 に於 て、経 営 機構 を考 慮 す る時
る の要 あり 。
昭和十 五年 二月ト推定 サ ル。 ︺
北 支 主 要 港湾 の経 営 主 体 に関 す る問 題 は第 三 委員 会 時 代 以 来 足掛
一、 港 湾 経 営問 題 に関 す る経緯 竝 に現 状
け 三年 に亘 る未 解 決 の事 項 にし て問 題 の焦 点 は主 と し て海 陸 軍 主張
運営 の実 質 を我 方 に把 握 せ ん とす る は 日支 国 交調 整 の全 般 に照 し
之 に対す る金 利 其 の他 の負担 を支 那 側 に のみ 与 へて、 然 かも 之 が
修 築 所 要 資 金 を日 本 よ り の借 款 に仰 がし め て修 築 を為 さし め 、
現 地 海 軍 各 機関 に 対 し多 大 の迷 惑 を懸 け ある は遺 憾 に堪 えざ る所 な
妥 当 な らず 、 即 ち 借 款 形 式 は之 を避 く るを 適 当 とす 。
一
り然 る に昨 年 末 興 亜 院 華 北連 絡 部 より 北 支 港 湾 会社 案 の稟 議 あ り 、
の根 本 的 対 立 に在 り、 而 し て本 問 題 未 解 決 な る が為 に艦 隊 を 始 め 、
但 し 右 は 現 地 に於 て海 陸 軍 と も意 見 一致 し た る案 に は非 ず 、 連 絡 部
日 支 の合 弁 出 資 に依 る支 那 の特 殊 法 に基 く 港 湾会 社 ( 連 雲 港 に付
依 て、 日支 双方 の負 担 に於 て修 築 竝 に運 営 を為 す の建 前 の下 に、
日支 合 弁 港 湾 会 社 案
の 一試案 にし て、 現 地 に於 て は到 底 解 決 困 難 な る実 情 明 かな り 。
二
を求 め 、愈 々最 後 的 決 定 を 見 る可 く 非 常 の熱意 を以 て之 が審 議 を為
ては別 に考 慮 の要 あり ) を 設 立 し之 を し て港 湾 の修 築 運 営 に当 ら
右 試案 の提 出 を契 機 と し 、興 亜 院 に於 ては 目下 現 地 関 係 官 の上京
し あ る現状 なり 。
他倉 庫 、碼 頭 業 者 を加 へ、支 那 側 は 政 府大 部 分 を出 資 し 之 に交 通
会 社 の資 本 は 其 の過 半 を 日本 側 に於 て出 資 す る こと と し 、 日本 ︹ 北支那開発会社︺ 側 の内 大 部 は 開 発 会 社 を し て投 資 せ し め 、之 に 一部 東 亜海 運 其 の
し む る と共 に港 務 一般 竝 に徴 税 、検 疫 等 支 那 政 府 の港 湾 行政 及税 関 に関 す る事 務 の可 及的 大 部 を委託 せ しむ る を適 当 と 認 め 成案 を
青島港
新 津 港 (仮 称 、 従来 所 謂 塘 沽 新 港 と呼 ば れ居 り た るも の)
る経緯 に鑑 み其 の出資 は前 記 範 囲 に於 て夫 々等 額 とす る を適 当 と
尚 差 当 り 経 営 機 関 を設 定 せ んと す るは
急 ぎ あ り。 三 イ
連 雲 港 (所 謂 北 支 の港 湾 には 非 ざ る こと と な り政 治 関 係 等
而 し て交 通 会 社 と東 亜 海運 と は従 来 所謂 問 題 の中 心 を為 し来 れ
ロ
会 社等 の参 加 を予 定 す 。
ハ
支 那 政 府 の監 督
思 料 し あ り、
会 社 が政 府 の認 可 を要 す る事 項 は他 の特殊 会 社 殊 に中 華航 空 会
社 の例 に做 ひ、 総 裁 以 下 業務 分 掌 理 事 の選任 、解 任 、 定 款 中 重要
五
な る変 更 、予 算 、 決算 等 数項 に止 め 、 特 に監 督 機 関 の設 置 等 は差
す)
複 雑 な るも のあ るも 、我 方 とし ては 此 の 際 一括 処 理 せ ん と
一大港 湾 会 社 案 は考 へ在 らず 、而 し て何 れ も 之 を開 港 場 たら し め
青 島 及連 雲 に就 て
の三港 にし て、 各 別 個 の機関 とす るも のに し て之 等 を綜 合 し た る
青 島 港 に就 ては 現 在 市政 府 に港 務 局 あ り 、 日人 官 吏 を 入 れ あ
ん と す る腹 案 なり 、 尚
①
六
当 り考 慮 し あら ず 。
①
所 謂 天津 港 の港 域 は 塘沽 附 近 の 一部 碼 頭 を除 き 、新 津 港 湾 会
社 より除 外 し、 従 来 の経 営者 を認 め 又 今後 の碼頭 倉 庫 等 の建 設 に
る所之 を活 用 す る こと と し て港 湾 会 社 への政府 事 務 の委 託事 項 を
港 湾会 社 への委 託 事 項 を 可 及的 多 から し む る を適 当 とす るや は航
少 から し む る を適 当 と す 可 き や 、或 は、 又 港務 局 自 体 を縮 小 し、
業 聯 合協 会 と の関 聯 も あ り 、特 に海 軍 自 体 と し て研 究 を要 す る と
関 し ては 夫 々専 門 的 利 用 を為 さ んと す る業 者 に利 用 せし め んと す 。
海 河 工程 局 は実 質 的 には 日 支 双方 の指 導 下 に入 ら しめ 、 為 し 得
共 に 一方 青 島 に於 て委 託 事項 を少 から し む る時 は支 那 側 と し て は
(註 )
れ ば将 来 之 を解 消 し て其 の業務 を新 津 港 湾 会 社 に引 継 がし む る様
新 津港 に 対 し ても 、 其 の程度 に最 少 限 度 に止 め ん とす 可 き を 以 て
処 理 上 最 も考 慮 を要 す る所 な る が、 其 の地 位 を経 済 的 、 地 理 的方
芝 罘 、秦 皇 島 等 は差 当 り現 状 の儘 とし 、将 来 情 勢 の推 移 に応
②
指 導 し た き希 望 なり 。
じ て適 当 な る決 定 を 為 さん と す 。
②
慎 重 研究 決 定 の要 あ るも のと思 料 し あり 。
の研 究 を要 す べし 。
面 に重 点 を置 き て考 慮 し 目下 一案 と し ては 近 く設 立 さ る べき中 興
連 雲 は行 政 区 域 と し て は中 央 政 府 に属 す る こと と な るを 以 て、
(附 記 ) 右 ① ② に付 ては (但秦 皇 島 を除 く) 海 軍 と し ても 尚 多 少
資 本 構 成
四
炭 礦 会 社 又 は其 の出炭 を 取扱 ふ可 き 華 北石 炭 販 売 会 社 を し て之 に
尚 借 款 の形 式 を避 け た るは 、 修築 は支 那 政 府 の借 款 に於 て之 を
に於 て を や
行 ひ之 が運 営 の委 託 を受 く る の みな れ ば交 通 会 社 に於 て十 分 可 能
当 ら し め ん とす る案 あ る も 、更 に之 に海 運 会 社 、 交 通 会 社等 を参 加 せし む る案 も あ り 、本 格 的 の決 定 を 見 る迄 には 尚 相 当 の紆 余 曲
な り と の主 張 を 生ず べ く 、 予 め 之 を封 ぜ ん とす る 底 意 に も依 る も
開 発 会 社 の使 命 と交 通 会 社 の事 業 分野
れば
新 中 央 政 権 側 と の協 定 に依 る鉄道 処 理問 題
今 次 汪 側 と の間 に成 立 した る 日支新 関係 調 整 に関 す る協 定 に依
③
のなり 。
折 あ る も のと 思 料 す 。 三 、 交 通会 社 と 客 観 情勢 の変 化 従 来交 通 会 社 は 満 鉄 のイデ オ ロギ ーを受 け、 鉄 道 の他 、炭 礦 港 湾
①
等 一貫 経 営 の熱 望 あ る所 ︹ 以下二行欠文︺
鉄 道 は国 有 国 営 に し て北 支 の鉄 道 も 早晩 全 部 返 還 を要 し 、 只 だ、
ね ら る る こと と な り あり 。
京 山 、 京 包 、 膠濟 の三線 の み が 二十年 を限 り交 通 会 社 の経 営 に委
交通 会 社 を し て満 洲 に於 け る満 鉄 の如 き使 命 を 遂 行 せ ん とす る の着 意 は確 に 一案 な る も 、此 の思 想 は事 変 処 理段 階 の頭初 に於 て、
従 つて従 来 一部 に あ り し ﹁交 通 会 社 にさ へ附 属 せし め置 け ば安
北 支那 開 発 株 式 会 社 を設 立 し た る際 、 已 に清 算 さ れ た る も のと 云 はざ る可 からず 。
に せ よ、 寧 ろ 之 を交 通 会 社 より 切 離 し て夫 々 の会 社 又 は 業 者 の所
泰 なり ﹂ と の考 へ方 は清 算 を要 す る事 態 と な り、 港 湾 にせ よ 碼頭
有 又 は経 営 と 為 し置 く を安 全 にし て且 永 く我 方 に確 保 し得 る 所 以
即 ち 北 支 の産 業経 済 開 発 の統 合 調整 の使 命 は開発 会 社 に賦 与 さ
な り と の考 へ方 と なり 、 着 意 に 一大 変 化 を招 来 せ るを 看 取 し得 る
れ た る所 にし て鉄 道 は鉄 道 、 港 湾 は港 湾 、 炭 礦 は炭 礦 と夫 々別 個 の会 社 を 設 立 し其 の親 会 社 と し て開 発 会 社 が此等 事 業 の統 合 調 整
交 通会 社 の資 金 状 態 より 見 た る港 湾 経営 問題
を為 す べ き も の とす 。 ②
も 隴 海線 と共 に返 還 を 余 儀 な く さ る る事 態 近 かる可 き を悟 らば 自
即 ち連 雲 の如 き、 目 下 交 通会 社 は 必死 の暗 躍 を 続 け あ る が如 き
に至 れ るは 、港 湾 問 題 全 般 の解決 上大 に喜 ぶ べき 現 象 な り と す。
ら 其 の態 度 も変 化 し 来 るべ き を 予想 す る に難 からず 。
華 北交 通会 社 は現 に経 営赤 字 に し て毎 月開 発会 社 よ り 一千 万 円 乃 至 一千 五、 六 百 万 円 の融 資 を仰 ぎ あ る 現状 に し て、 又 其 の未払
④
せ し む る こと の適 否 は自 ら 明 かな る べく 、 况 ん や北 支 に於 け る鉄
採 算 困難 にし て相 当 の補 助 金 を期 待 せ ざ る可 から ざ る事業 を担 当
陸 軍 側 が従 来 の主 張 竝 に交 通 会 社 に対 す る関 係 等 よ り海 陸 何 れに
急 速 港 湾 問 題 解 決 の気 分 濃 厚 と なれ るも のあ る と共 に北 支 の現 地
尚 興亜 院 に勤 務 す る陸 軍側 出 身 者 に於 ても 従来 の経 緯 を清 算 し
港 湾 問 題 に対 す る 陸 軍側 の態 度 管 見
て、港 湾 建 設 の如 く多 額 の資 金 を要 し 、然 かも 、永 く 固定 し 且 つ
込 株 金 は今 後 は 主 と し て鉄 道 の建 設 改良 等 に充 当 予 定 のも のに し
道 自 体 の改良 新 設 等 に専 念 努 力 を要 す る こと急 な る も のあ る現 状
今 後 多 大 の困 難 は 予 想 し得 ら る るも 、客 観 情 勢 等 の変 化 せ る 此 の
る可 し と推 知 し 得 ら る る実 情 に在 る こと等 併 せ考 慮 す る時 は 、尚
反 対 を唱 へ乍 ら も 、 中央 に於 て決 定 せ ば 、結 局 之 に同 意 す る に至
も偏 せざ る中 間 機 構 を 以 て経 営 せ し め ん と す る連 絡 部 案 に、 表 面
五、港 湾会社 は各施設 の建 設、保守 に任ず るの外主 として右各業者
及海運会社 に依 る 一貫的作業を容 易ならしむ。
四、港 湾区域内 の鉄道運営及船舶運営 の作業 に付ては夫 々交通会 社
を加入せしむ。
て之を経営 せしむ、両会社は港湾会社 の子会社とし関係業者 の資本
七、支那中央及地方政府 に関す る港湾施設 は当分 の間本会社 に使用
右 の外倉庫業者、支 那政府及地方関係者 の資本 を加入せしむ。
公平 に之 を定む。
六、港湾会社 の資本、役員 の構成 は開発会社 の統合調整を容易 なら しむると共 に交通会社及海運会社等 の協 力 一致 の実 を揚 ぐるが如く
の連絡 調整 を為す。
際 急 速 本 問 題 の解 決 を策 す るを 有 利 な り と思 料 す 。 之 を要 す る に海 軍 と し て は従 来 の主 張 を堅 持 し 、 中 央 現 地 一致 協 力 の下 に本 問題 の可 及 的 速 かな る解 決 を期 す る次 第 な り。
(一三、 一二、二) 案)
北支 に於ける港湾施設 の建設経営 に関す る件
極秘 ( 試
案
一、北支 に於 ける港湾施設 の建設、保守及経営は諸港を通 じ単 一の
乙
せしむ 、其 の恒久的措置 に付 ては別 に定 む。
港湾会社をし て之 に当 らしむ。
三、委、幹 一、北支 に於ける港湾施設 の建設、保守及経営は諸港を通 じ単 一の
案
港湾会社をし て之 に当らしむ。
二、港湾会社は形式上支那法人とするも我方 の実権下に置くが如く
甲
二、港湾会社は形式上支那法人とするも我方 の実権下に置 くが如く
政監督は体面上必要 なる最少限度 に止む。
港湾 に関 する支那政府 の行政 及港湾会社 に対する支那政府 の行
く。
① 港湾会 社は北支開発会社を通じ日本政府 の統 一的指導下 に置
措置す。
① 港湾会 社は北支開発会社を通 じ日本政府 の統 一的指導下 に置
措置す。 く。 港湾 に関 する支那政府 の行政及港湾会社に対する支那政府 の行 政監督は体面 上必要 なる最小限度 に止む。
② 港湾会 社は日支合弁とするも出来得 る限り日本側 の資本を多
港湾会社 は日支合弁とするも出来得 る限り日本側 の資本を多
②
からしむる如 く措置す。
三、港湾会社は港湾 区域内 の倉庫及艀業 を直営す。
からしむ。 三、港湾区域内 の倉庫業及艀 業は夫 々単 一の倉庫会 社及艀会社をし
海運会社 に依る 一貫的作業を容易ならしめ港湾会 社は主 として両者
港湾区域内 の鉄道運営及船舶運営 の作業 に付ては夫 〓交通会社及 平に之を定む。
らしむると共 に交通会社及海運会社等 の協力 一致 の実 を揚ぐ る様公
四、各港湾会社 の資本 、役員 の構成 は開発会社 の統合調整 を容 易な
右 の外倉庫 業者、支那政府 及地方関係者 の資本を加 入せしむ。
の連絡調整を為 すが如く措置す。
五、支那中央 及地方政府 に属する港湾施設 は当分 の間本会社 に使用
四、港湾会社 の資本 、役員 の構成は開発会社 の統合 調整 を容易なら しむると共 に交通会社及海運会社等 の協力 一致 の実を揚 ぐる様公平
案
案
一、北支 に於 ける港湾 は河北方面 (天津 、塘沽其 の他)及山東 方面
丁
移転 し開発会社を通じ港湾会社 に出資す。
右港湾施設中必要 なるも のは将来事変賠償物件として日本政府 に
せしむ。
右 の外倉庫業者、支那政府及地方関係者 の資本を加入せしむ。
に之 を定む。 五、支那中央及地方政府 に属 する港湾施設 は当分 の間本会社に使用 丙
せしむ。其 の恒久的措置 に付ては二の方針 を基礎 とし将来之を定 む。
( 青島 、芝罘竝 に連雲港 を含む) に分ち夫 々単 一の港湾会社をして
二、各港湾会社 は所属港湾 の沿革竝実状 に応じ日本法人又は支那法
之 が建設、保守及経営に当 らしむ。
一、北支に於 ける港湾施設 の建設 、保守及経営 は各港別 に夫 々単 一 の港湾会社をして之 に当らしむ。
置 く。
① 各港湾会社 は北支開発会社 を通じ 日本政府 の統 一的指導下に
人とし何 れ の場合 に於ても我方 の実権下 に置くが如く措置す。
二、各港湾会社 は各港 の沿革其 の他 の実状 に応 じ日本法人又は支那 法人 とし何れ の場合 に於 ても我方 の実権下 に置 くが如く措置す。 ① 各港湾会社 は北支開発会社を通じ日本政府 の統 一的指導下に 置 く。
行政監督 は体面上必要な る最少限度 に止む。
港 湾に関す る支那政府 の行政及各港湾会社に対す る支那政府 の
行政監督 は体面上必要 なる最少限度に止む。
②
港湾 に関する支那政府 の行政及各港湾会社 に対す る支那政府 の ② 各港湾会社 は日支合弁とす るも出来得 る限り日本側 の資本を
多 からしむ。
海運会社 に依る 一貫的作業を容易 ならしめ港湾会社 は主 とし て両
港湾区域内 の鉄道運営及船舶運営 の作業 に付 ては夫 々交通会社及
三、各港湾会社は港湾区域内 の倉庫 及艀業 を直営す。
各港湾会社 は日支合弁 とす るも出来得る限り日本側 の資本を
多 からしむ。 港湾 区域内 の鉄道運営及船舶運営 の作業 に付 ては夫 々交通会社及
者 の連絡調整作業 を為す が如く措置す。
三、各港湾会社は港湾区域内 の倉庫及艀業 を直営す。
の連絡調整作業を為すが如 く措置す。
海運会社に依 る 一貫 的作業 を容易 ならしめ港湾会社は主 として両者
平に之 を定む。
らしむると共 に交通会社及海運会社等 の協力 一致 の実 を揚ぐ る様公
四、各港湾会社 の資 本、役員 の構成は開発会社 の統合調整を容 易な 三、資本構 成
当と認む
支那政府 の港湾行政及税関 に関す る事務 の大部を委託 せしむ るを適
内大部は開発会社 をして投資せしめ之 に 一部東亜海運其 の他倉庫碼
会社 の資 本は其 の過半 を日本側 に於 て出資す ることとし日本側 の
頭業者等を加 へ支那側 は政府大部 分を出資し之 に交通会社等 の参加
右 の外倉庫業者、支那政府及 地方関係者 の資本 を加入 せしむ。 五、支那中央及地方政府 に属する港湾施設は当分 の間本会社 に使用
理
由
を求む
せしむ。 右港湾施設中必要なるも のは将来事変賠償物件 として日本政府 に 移転 し開発会社を通じ港 湾会社 に出資す。
港湾経 営に関 し開発会社 の使命 と交通会社 の事業 分野
んとす る着意あり 一応尤 なる如きも此 の思想 は事変処理段階 の頭
従来交通会社 をして満洲 に於 ける満鉄 の如き使命 を遂行 せしめ
一 一、北支港湾 の建設増強竝 に其 の運営 は北支 の資源開発及其 の対日
はざ るべ からず
初 に於 て北支那開 発会社設立したる際既 に清算 されたるも のと云
︹註 ︺
供給確保竝 に軍事上 の見地 に於 て其 の重要性は支那側 より寧 ろ日本
北支港湾経営問題 に関する意見
側 の立場 に於 てより大な るも のありと云ふべく従て之 が修築、運営
の会社を設立し其 の親会社とし て開発会社 が此等事 業 の統合調整
れたる所 にして鉄道 は鉄道、港 湾は港湾、炭鉱は炭鉱 と夫 々別個
即ち北支 の産業経済開発 の統合調整 の使命 は開発会社に賦与 さ
特 に海軍 としては海上交通と密接不可分 の関係を有す る港湾 に対
を為すべきも のとす
に関 し我方 として之 が指導力を把握す る こと絶対必要 なり し作戦 上充分 の指導監督権を保有 するの要あ る次第にして重大 なる
華北交通株式会社 の資金状態より見 たる港湾経営問題
華北交通会社 は現に経営赤字 にして毎月開発会社より 一千万円
二
関心を有す 然 れ共少 く共支那 の港湾たる以上之 に支那側 の管 理権 の及 ぶは固 より当然 なるを以 て其 の修築、運営 の機構 は支那側も充 分責任 と面
の如く多額 の資 金を要 し然も永 く固定す る如 き事業を担当 せしむ
は今後主とし て鉄道 の建設改良 に充当 予定 のも のにして港湾建設
ること の適 否は自 ら明 なるべく況や北支 に於け る鉄道自体 の改良
乃至 一千五百万円の融資 を仰ぎ居 る状況 にし て又其 の未払込株金
如 上 の見 地に基 き日支双方 の負担 に於 て修築竝に運営 を為す の建
新設等 に専念努 力を要す ること急なるものある現状 に於 てをや
目を持 ち得以 て積極的協 力を期待 し得 る如き形式たるを適当 とす
前 にて日支 の合併出資 に依 る支 那特殊法人た る港湾会社 を設立 し以
二、日支合弁港湾会社案を適当とす
て港湾 の修築 、運営 に当らしむると共 に港務 一般竝に徴税、検疫等
三
鉄 道 、 海 運 何 れ に も偏 せざ る機 構 た る を要す 港湾 経 営 の根 本要 件 は海 陸 交 通 の疎 通 を充 分発 揮 す る こと に あ
り 而 し て之 を 達 成 す る には両 者 交 通 上 の要 望 を充 分 採 入 れ之 が調
従 て之 が構 成 内 容 と し ては鉄 道 、 海 運 其 の他倉 庫 、碼 頭 、 業者
和 実 現 を期 し 得 る如 き 機 構 た ら ざ る べ からず
等 関 係 の向 を適 当 に参 加 せ し む る を適 当 と す
那開発会社)総裁 ニ申 入 レタ ルモノ﹂トノ註 記アリ。
︹ 註︺ ﹁本件 ハ十 五 ・四 ・一一軍務 一課長谷 本大佐同道賀 屋 ( 興宣 ・北支
日華 海 運株 式 会社 ( 仮 称 )設 立 に 伴 ふ 中 支
北南米、濠洲、阿弗利加航路船等 の上海 に寄港する為必要 なる業
五三
務 は本会社 の総支店に於 て此等各船舶会社 の代理店となり之 を実
( 昭一四、一、一五 連絡会議決定)
日華海運株式会社 (仮称)設立 に
方 面 航 運暫 定措 置 要 領
伴 ふ中支方面航運暫定措置要領
4、南京、蕪湖、漢 口の各港 には支店 を鎮江、安慶、九江其他必
施す るも のとす。
要 なる港 には出 張所を設置 し之 に必要 且充分 なる人員を配置 して
針
中支方面航運 は日支海運 の中枢的重要性 を有し特に長 江航運 の強
円滑 なる業務 の遂行を図 らしむ。
第一 方
化は対外的 に 一刻 も忽 せにするを得 ざる現況 に鑑み現 地当局 は本会
( 註) 前各号 に依り各船舶会社 の支店出 張所等 に於け る整 理人員
二、碼頭倉庫等 の諸施設 に関す る処理
が転職 に関 し処理す。
は極力少数 ならしめ若 し之 を生じたる場合 には現地当局に於 て之
社 の設立と共に重点 を長江航運 の充実 に置 き積極的に之 を指導援助 領
し以 て速に充 分なる航運機能 の発揮 に努 めしむ。 第二 要
1、上海 に本会社 の中支那総支店を設置 し副社長 又は筆頭常務取
一、中支に於 ける会社 の運営機構
営会社 の各 支店出張所等 より所要 の適任者を選抜充当 するものと
の定期船会 社 のみならず三井、山下、大同、川崎等 の不定期船経
2、前項 総支店 の構成 に方り ては現在 上海 に在 る郵 、商、 日清等
上海 に於 ける陸海軍管 理 の碼頭、倉庫等 の状 況別表 の如し。 (註) イ、前項陸海軍管 理の碼頭、倉庫等は将来本格的会社設立
軍に於 て管理使用中 のも のは情況 の許す限り本会社 に使用せしむ。
の諸施設 は悉く本会社 に現物出資 せしむ るは勿論 旧招商局其他陸海
現在 上海及長江筋各港 に在 る郵、商、日清等所有 の碼頭、倉庫等
す。
の場合 に於 て日本政府若くは維新政府 に於 て現物出資又は譲 渡す
締役を常駐 せしめ以 て中支全般 に於 ける業務を統轄 せしむ。
3、前項 各船舶会社 の支店出張所等は原則とし て之 を解消 し欧洲、
別
表
管理区分
陸
軍
海
軍
摘
}大部 は目下日清 汽船 に使用 せしめあり
上海 に於 け る陸 海 軍 管 理 碼 頭倉 庫 等 調 査 表 会社 に対す る使 用許可順序予定
位
置
称 1
名 浦東側楊樹浦対岸
局 華
桟
商
招
1
軍事上支障 なき時 に限り 一部 を使 用せしむ
右
﹁ブ ー厶﹂啓開後速 に復旧使用 せしむ
右
2
仝
碼
1
側
上
江
海
頭
中 国 綿 業 公 司 碼頭 〓
上 海 側 南 市 区
仝
仝
橋
3
桟
右
道
淞
鉄
橋
〓 紹 碼 頭 其 他 桟
呉
淞
呉
当 分 民 間 使 用 の見 込 な し
要
当分民間使用 の見込なし 米国 ﹁ハント﹂商会 との関係解決を俟て速 に本会 社に使用 せし む るを要す
上
仝
上 海 側 南 市 東 岸
桟
上 海 側 楊 樹 浦 1
招商局金利源碼頭 中 桟
浦 東 側 ﹁ブ ー ム﹂ 上流
口
局 北
桟
虹
商 局 西
側
招 商 局
1
海
招 商
浦 東 側 ﹁ブ ー ム﹂附 近
当分 民間使用 の見込なし
}目下軍事上支障なき限り日清汽船 に使用せしめあり
右
招
上 海 側 楊 樹 浦 分
署
関
鴻興公司爛泥渡碼頭 海
合 せざるものとす。
ロ、三井各石炭桟橋、菱 華倉庫桟橋等 は其性質 上 一応本会社 に統
る等適当 なる措置を講ず るも のとす。
7、上海内河汽船株式会社 に対し投 資しある日清汽船大同海運 の
措置 を講ず るも のとす。
那船舶を維新政府籍 に還元せしむる ことに関 し速 に有効適 切なる
との関係は本格 的会社設立 の場合 に於 て考慮す るも のとす。
持株 は之 を本会社に肩替 りせしむ るも のとす之 が為中支振 興会社
8、現地当局は速に上海港 に於け る曳 船会社及揚子江筋各 江に於
1、日清汽船会社は実質 上之 を解消せしむるものとす。
三、別に考慮 すべき重要 諸件 2、本会社 に加入せざ る大連汽船会社 に対しては中央及現地当局
け る苦力 の統制機関 の設立を図 るも のとし此場合本会社に対し所
( 註) 上海港 に於ける邦人曳船会社としては現在上海運輸株式会
要 の投資を要求するものとす。
社を有するも速 に之 が強化 の必要 あるを以 て之を主 体とす る本会
3、本会社 は陸 海軍解傭 の漁船発動機船等にして現地 に残留 の希 望 を有す るものを成るべく多く傭入し之 が利 用に努 めしむ るも の
社 の子会 社を設立す るも のとす。
相協力 して本会社 の機能 発揮上必要な る措置 を講ず るも のとす。
とす但将来此等 の船舶 を以てす る長江内及附 近内河水路 の小運送
一四、四、 一
序 に即応する如く調整す る為本会社 の設立 と併行し左記要領 に依り
支那に於 ける本邦航権を確立す ると共 に在支航 運事業 を東亜新秩
諒 解事 項
日華海 運会社設立要綱諒解事項追加 の件
を為 すべき会社 の設立等 に関 しては速 に別途考究す るものとす。 ( 註) 右小運送会社 の設立 に方り ては本会社 の子会社 たらしむる 如 く措置す るも のとす 。 4、本会社設立と共 に日本内地各造船所に於 て長江適性船舶及所 要 の〓船並跳船 を急速 に新造 し本年末迄に上海︱漢 口間少くも 一 船宛 日発 の程度 に至 らしむ。
を設定し克 く之 が連環的 一翼 たらしむ る如く諸般 の措置 を講ず るも
す)を速 に設立す ると共 に之が業務 に付 ては本会社と緊密 なる関係
維新政府 の特殊法人 たる日支合弁 の航業会 社 (以下 単 に同 社 と称
ば 一部 の変更を要求す るものとす。
之 が為現地当 局は本会社 に対す る既定 の造船計画 に関し要 すれ 5、現地陸海軍当 局は情況之 を許す限り拿捕使用中 の支那船舶を
のとす。 記
本会社 に貸 与し且軍需品 は成 るべく本会社 に托送す る等便宜 を附
一
与す るも のとす。
及地方的航運事業竝 に其 の附帯事業 とし本会社の事業 に対す る培
同社 の事業 は差当り揚子江 を中心 とす る各種水陸施設 の経営
も のとす。
養的勢力 たらしむ るも のとす。
6、本会社は支那民間船舶会社 の復興及之 との提携利用 に努むる 之 が為中央及現 地当局 は維新政府と連絡 し第 三国 に転籍 せ る支
二
に関係す る諸施 設を出資 せしめ て速 に日華海運株式会社 ( 仮称) を
内地 に於け る海 運会社 をして其 の経営する主要支那関係航路 竝に之
招 商 局所 属 又 は 支 那 人所 有 の船 舶 及漢 口 ( 漢 口 を含 む ) よ り
下 流 に在 る各 種 水 陸 施 設 に し て可 能 な るも のは之 を同 社 の経 営 に
由 書
展 の根基 を確立し且我対支 工作 の遂行及国防 の充実 に遺憾な からし むる為強力 なる対支海運国策会社 を設立す るは刻下喫緊 の要事なり
支那 に於 ける本邦竝に諸外国海運 の現勢 に鑑 み、速 に本邦海運伸
理
むるも のとす。
右 の本格的海連 国策会社 の設立 に当りては本会社を之 に統合 せし
設立す るものとす。
( 註)
移 管 す るも のと す 。
右船舶及各種水陸施設 にして軍事 上会社経営 に移管 し得ざ る
本邦側 よりは本会社及中支那振興株式会社其 の他より所要 の
経 営 に移管 せ しむ る如 く 措置 す る も の とす 。
も のは適当 の時期迄現状 の儘 とし今後 の情況 に応 じ逐次同社 の 三
と認 めらるる処右会社 の設立 は諸般 の事由 に因り相当 日子を要すべ
現金又は船舶 を同社 に出資するものとす。
き実情 に在 り而 て現下 の情勢 に於 て新船 の充実 、海陸施設 の整備等
同社と本会社及中支那振 興株式会社 との諸般 の関係 に付 ては
日支両国当事者間 に所要 の取極 を行 ふものとす。
四
我対支海運経営上施設すべき事項 は極 めて多種多岐 に亘 るのみなら
同社 に対する軍事 上 の要求及監督 に関 しては別 に定 むる所 に
五
子江竝に沿岸水域占拠中 の好機 に於 て急速実現を企図するの要あ る
ず何 れも他 の対支諸施策 の進捗 に伴 ひ緊急処理を要 し特 に我軍 の揚
招商局所属財産 に関す る借款処 理に関 しては別 に定む るも の
依 るも のとす。 六
も のにして若し之を現状に放置す るに於 ては到底前記 重要使命を達
成すべき態勢 を整 ふること至難 なりと認めら るるを以て茲 に暫定的
本会社 の経 営に移管 せら るる招商 局所属財産 が帝国臣民 の損
七
措置 として内地 に於け る海運会社 の主要 なる日支間航 路、支那沿岸
とす。 害補償等 の目的 として処理す る如く決定 せられた る場合は之に適
航 路及揚子 江航路竝 に之 に附随 する諸施設 を統合し て速 に新海運会
是 れ本案 を提出す る所以なり。
社を設立 し以て現下 の急需 に応 ぜしめんとす。
合 する措置を講ず るも のとす。 一 三、 一 二、 一六
対支海運強化 に関す る暫定的措置 の件 閣 議 決 定 本邦海運 の対支経営 を統制強化し且其 の対外的競争力を増強し以 て対支経済 工作 の遂行及国防 の充実に遺憾 なきを期す ると共 に速 に ことを目標とし差当り現下 の急需に応 ぜしむ る為暫定的措置として
支 那に於 ける本邦航権 を確立す る為本格 的海運国策会社を設立する
五四
滬機密第 七五号
臨 時 海 軍 特 務 部 長)
中 支 那 水 路 事 業 に 関 す る 協 定 調 印 の件 報 告 (昭 和 十 四年 二 月十 四 日
二、 日本側は軍事上 の必要 に基き右両機関に対し所要 の要求若 くは
支那 に於け る陸地測 量及水路事業 を実施す。
殿
支那方面艦隊司令長官
措置をなし、又は自 ら必要 なる陸地測量及水路事業を実施するもの
首題 に関し二月七日附滬機密第七 一号を以て報告致置候処二月十 一日 日本側現地当局と維新政府当局と の間 に別紙第 一、第二 の通調
中華民国 二十 八年 二月十 一日
昭 和 十 四 年 二 月 十 一日
四、 細 目 に関 し ては 別 に協 定 す 。
於 け る陸 地 測 量 及水 路 事 業 を行 は し め ざ る も の とす 。
三 、 新 政府 は 第 三国 又 は維 新 政府 の認 可 せざ るも のを し て中 支 那 に
とす。
務
局 長
印を了し候
軍
(別紙第 一、第 二添) 軍 省
本件 写送付先 海 軍令部第 一、第 二、第三部長 第 四、 第 五 艦 隊 参 謀 長
印
印
印
秋
印
印
志
吉
三 浦 義
道
邦
鴻
田 熊
援
村 直
梁
原
事
任
野
長
陸軍特務機関本部長
総 領
長
印
海 軍 特 務 部 長
部
院
杰
長
路
部
洪
第 一根 拠 地 隊 司 令 官
政
江
水
靖
長
各 特 務 部 長 (首席部員)
行
部
海 綏
通
本書は同 一のも の六通 を調製し陸軍特務機関本部、海 軍特務部、
交
上
別紙 第 一
陸 地測量
中 支那水 路事業 の統制確 立に関す る件 一、維新政府 は陸地測量及水路機関 を設置 し日本側 の協 力 の下 に中
在上海総領事館 、行政院、綏靖部及交通部夫 々 一通を永久保管す。
昭和十 四年二月十九日
極秘
臨時海軍特務部長
海軍省軍務局長 殿 陸地測量 中支那水 路事業暫定処理要 綱中了解事項 に関する件照会
中支那水路事業 に関する細 目協定
二月七日附滬機密第 七 一号 を以 て支那方面艦隊 司令長官宛報告 済
別紙第二
及観測水路図誌 の刊行、航路標識 の設置及管理竝に航路 の浚渫等 の 右水路機関 は日本海軍 が現 に実施中 の水路事業を逐次継承す。
一、維 新政府 は中支那 に於 ける水路 の測量 ( 航空 写真測量 を含む) 水路事業を掌 る為速 に上海 に水路機関を設く。
一
了解事項第二項末尾 に ﹁但 し港湾 の浚渫 に関 しては陸軍側と
みの首題 (昭和 一四、二、 五最高連絡会 議決定) に関し陸軍側 より
協議するも のとす﹂ との字句挿 入
二、維新政府水路機関 の育成指導 の為日本海 軍は顧問其 の他 の人員 の派遣又は船艇器材 の貸与等所要 の援助を為すも のとす。
二
とし二 に就 ては左記 の通夫 々中央当局に照会 の上決定する ことに保
み当部とし ては実害 なしと認め別紙要綱中 朱記 の如く訂正する こと
直
援
邦
印
道 印
連 絡会議 にて決定 を見 たるも のなるも中支派遣軍 としては本件全支
海軍部 に移管 するものとす﹂ の条 文に関 し陸軍側 に於 ては 一旦最高
了解事項第 三項後段 ﹁将来支那側 中央陸海軍成立せば夫 々之 を陸
記
及細目協定 は既報 の通 二月十 一日原案 通調印済 に有之候
追 て日本側 現地当局と維新政府 当局 と の首題事業 に関 する基本
本件艦隊司令 部とは了解済 に有 之
の再修正方申入れ有之候条審議 の結果一は陸軍側 の切な る希望 を汲
陸海軍部 に移管 するものとす﹂ の改訂
日本海 軍現地当局と協議するものとす。
竝 に水路事業 の 一部を委託する ことを得。 陸 地測量事 四、維 新政府 は本事業 に関す る法規 の制定竝に ﹁中支那水 路 業 の統制確立 に関す る件﹂取極 め第 三項 の認可を与ふる場合 は予め
留致置候条何分 の御 回示 を得度
了解事項 第三項 の ﹁将来支那側中央陸海軍成立 せば夫 々之 を
三、維新 政府 は水路機関建設 の過程 に於 ては日本海 軍に人員 の養成
五、維新 政府水路機関は予め作業計画を日本海軍 現地水路機関 に協
野
村
議し其 の実施 に当り ては右機関 と密接な る連繋 を保 つものとす。 昭 和 十 四年 二 月 十 一日
海軍特務部長
任
中華民国 二十八年二月十 一日
綏 靖 部 長
本書 は同 一のもの二通を調製 し海軍特務部 及綏靖部各 一通を永 久 保管す。
に亘る事項 なるを以 て権限外 にして且将来支那陸軍は全 部之 を中央
付 ﹁適当な る機関 に移管 せしむ るも のとす﹂ との修正意見を申出 て
陸軍 に統 一するや又は地方 の兵権 を存続 せしむ るや等 未決定 なるに
誌 の刊行 、航路標識 の管理及浚渫等 を云ふ。
水路事業 とは水路 の測量 ( 航空 写真測量 を含む)及観測、水路図
一、中支那 に於 ける陸地測量及水路事 業は日本側 の協力指導 の下 に
領
支那側をし て実施 せしめ第 三国及維新政府 の認可せざ るも のをして
第二 要
之 に対し現地海 軍としては本件既 に中央 及関係各部 に報告済 みな
たり るのみならず海軍としては既 に 一元的 に支那海 軍を建設す ることに
行 はしめざ るも のとす。
の要 ある こと其 の他現 に建設中 の水巡隊 の編制 に当り ても之等 の諸
二、維新政府 に陸地測量 局及水路局 を設立し陸地測量 及水路事業を
なる要求 を為 し、又は措置を講ず るものとす。
を実施 し且支那側陸地測量機関 又は水路機関 に対し軍事統制上必要
但 し日本側 は軍事上 の必要 に基 き随時所要 の陸地測量及水路事業
方針決定 せられある次第もあり且支那海軍は満洲とは異 り第 三国 に
点 を関連考慮 の要あり、創 設に際 し将来 の目途 を明確 ならしめ置く
対する国防 上 の見地 よりも之を帝国海軍 の補助兵力として育 成指導
必要 ある等 の主張を以て了解事項第三項 に関し尠 くも海軍 に関す る
第 三国側 の干与より脱 し実質的 に之を把握し得 る如 く措置 を講ず 。
水路 の浚渫等は機構 の改正竝 に配員等 に依り日支協力 し漸 を逐うて
但 し水路事業中従来海関等 に於 て施 行し来りし航路標識 の管理及
掌 理せしむ るも のとす。
添)
し将来正式協定 の基礎 たらしむ。
三、本件 に関し維新政府 と現地日本側当局と の間に別紙 の如く協定
本要 綱 に於 て陸 地測量事業とは陸 地 の測量 (航空写真測量
一、陸地測量局は南京 に水路局 は上海 に之を設 く。
二、右両機関 の育成指導 に関し ては陸地測量局は日本陸軍、水路局
日本陸海軍当局は密接 なる連絡 を保持し右両機関 をして作業 の重
は日本海軍之 に当 る。
三、陸 地測量局及水路局は差当 り綏靖部 に隷属せしめ将来支那側中
複 を避 け、事業 の円滑なる発達 を為 さしむ る如く指導す るも のとす。
を含む)地図 の刊 行及測量原点測量基準点等 の設置竝 に管理等を、 央陸海軍成立 せば夫 々之を陸海軍部 に移管す るも のとす。
註
水路事業 の統制 竝に之 が確立を期するも のとす。
了解事 項
支 那 方面 艦 隊 参謀 長
終
限り無修正 のこと に致度旨要求 せるも審議 の結 果結局本件 は中央 の 紙
指 示を受 くること とし其迄 保留す ること に 一致せり ( 別 写送 付先
昭 和 一四 、 二 、 五
軍令部第 一、第 二、第三部長 南 京海 軍 特 務 部 部員 陸地測量 中支那水 路 事業暫定処 理要綱 第一 方 針
最高連 絡会議決定 )
日本側現地当局 は維新政府と相協力し中支那 に於け る陸地測量及
(
地測量事業 の統制 確立に関する件 中支那陸 水 路 一、 維 新 政府 は陸 地測 量 及 水 路機 関 を設 置 し日 本 側 の協 力 の下 に中
二 、 日本 側 は 軍事 上 の必 要 に基 き 右 両機 関 に対 し 所 要 の要 求 若 くは
支 那 に於 け る陸 地測 量 及 水 路 事 業 を 実施 す 。
とす。
措 置 を なし 、 又 は自 ら必 要 な る陸 地 測量 及水 路 事 業 を 実 施 す る も の
三 、維 新 政 府 は第 三 国 又 は維 新 政 府 の認 可 せざ るも のを し て中 支 那 に於 け る陸 地測 量 及 水路 事 業 を行 はし め ざ る も の とす 。 四、 細 目 に関 し ては 別 に協 定 す 。
五五
昭和十四年 三月十八日 連絡委員会 影
岡 佐
事 幹 事
幹
日本は駐兵間概 ね駐兵地域 に於 ける鉄道 に対し軍事上必要なる
﹁第四、鉄道 に関す る軍事 上の要求及監督権 に関 する事項
こと
交通会社設立基本要綱 (興亜 院提案)第 四項は之を左 の通改むる
鉄 道 に 関 す る 軍 事 上 の要 求 及 監 督 権 に 関 す る 件
同 殿
のとす﹂
要求権 及監督権を有する如 く別紙第 一、第二 の通措置 せらるるも
興亜院連絡委員会鈴木幹事長
交 通会社設立基本要綱 (興亜院提案 )中 ﹁鉄
陸軍最高指 揮官之 に当 る)す。
て会社 に命令す ると共 に之を通じ其 の実施を監督 ( 現地監督は日本
一、北 支鉄道 に関し ては陸軍 大臣 に於 て北支那開発株式会社を通 じ
北支鉄道 に関す る措置
別紙第 一
道 に関 する軍事上 の要求及監督権 に関 する事 項 ﹂に関す る陸海 軍間申合 せの件
添)
首題 の件 に関 し別紙 の通陸海軍間 に於 て申合 せたるに付き可然御 紙
取計相成度 ( 別
( 終)
最高指揮官 に於 て直接会社 に対し命令監督し得。
但し重要軍 事行動終了に至 る迄 は緊急を要する場合 には日本陸軍
二、日本陸軍最高指揮官は直接会社 に対し作戦警備上必要 なる要求
交 通会社設立基本要綱 ( 興亜院提案)中 ﹁鉄道 に関する軍事上の要求及監督権 に
を為し且之に伴 ふ監督 をなし得 。
関す る事 項﹂に関す る陸海軍申合 せ 昭和 一四、三、 一八決定
三、前各号 に依る場合 に於 ては会社経営上 に大なる支障 を来 さしめ
を通 じ て之 を行 ふも のとす 。
実 施 に当 り て は作 戦 警備 上 緊 急 を要 す る場 合 を 除 き原 則 とし て陸 軍
(終)
(昭和 一四 、 三 、 一七 決 裁 済 )
( 終)
三、 鉄 道 以 外 の事 項 に関 し必 要 を生 じ た る場 合 に於 て は別 に協 定 す 。
ざる如く考慮す。
別紙第二
◎協 定 に関 す る海 軍 の腹 案
一、 北 支 鉄 道 に関 し ては海 軍 とし て別 に深 き 関 係 を有 せざ るを 以 て
中支鉄道に関 する措置 一、中支鉄道 に関 しては陸軍大臣又は海軍大臣 に於て中 支那振興株
二、 鉄 道 以 外 北 支 水 運 、自 動 車 業 等 に関 し 要 求 監督 権 を必 要 と す る
陸 軍 に 一任 の形 を執 る。 ( 申 合 事 項 別 紙 第 一)
三、 以 上 に基 き 北 支 那交 通 会 社 には 別 に海 軍 よ り監 督 将 校 を 入 れず 。
式会社 を通 じて会 社 に命令す ると共に之 を通じ其 の実施 を監督 ( 現
四、 北 支 港 湾 が将来 不幸 にし て北 支 交 通会 社 に帰 属 す る如 き事 態 発
並 頭 とす る こと)
の軍 事要 求 、 監督 権 を改 め て要 求 す 。 ( 申 合 事 項 別 紙 第 一を 陸 海 軍
場 合 は別 に協 定 す る こと とす 。 (諒 解 事 項 第 三 )
但 し重要軍事行動終了 に至 る迄は緊急 を要す る場合 には日本陸軍 最高指揮官又は日本海軍最高指揮官に於 て直接会社に対し命令監督
生 し た る場 合 に於 ては交 通 会 社 に対 し海 軍 大臣 (海 軍最 高 指 揮官 )
地監督 は日本陸軍最高指揮官又は日本海軍最高指揮官 之 に当 る)す。
一、 日本陸軍最高指揮官又 は日本海 軍最高指揮官は直接会社 に対し
し得。
一、前各号 に依る場合 に於 ては会 社経営上 に大な る支障 を来 さしめ
右 要 求 貫 徹 せざ る 限 り港 湾 帰 属 問 題 に反 対 す 。
作戦警備上必要なる要求 をなし且之に伴 ふ監督をなし得 。 ざ る如く考慮 す。
五、 中 支 鉄 道 に関 し ては海 陸 並 頭 に て要 求 監督 権 を行 使 す 。
頭 に協 定 文 の調 印 に当 るも のと す 。 (中 支 水路 測量 協 定 と 同 様 な り )
(終)
六 、 右 に依 る取極 事 項 の実 施 の場 合 海 軍 の必要 と す る軍 事 上 の要求
従 て支 那 維 新 政府 と の取 極 に際 し て は艦 隊長 官 と軍 司 令官 と は 並
北支那交通株式会社及華中鉄道株式会社 に対す る軍
右 に依 り海 軍 と し て は別 に鉄 道 に対 す る監督 将 校 を 入 れ ず 。 ( 諒
但 し作 戦 警 備 上 緊 急 を要 す る場 合 を除 く 。
之 が実 現 を期 す。
は陸 軍 監 督 将 校 を し て実 行 せし め 、 軍事 上 の監 督 は陸 軍 に委 嘱 し て
事 上 の要求権及監督権に関す る陸海軍間諒解事項 (昭和 一四、三、 一八決定) 一、北支鉄道 に関し海軍 の希望事項 ある場合は従来 の例 に依り之を 処理す。 二、中支鉄道 に対する軍事上 の要求権及監督権 に関す る取極事項 の
解事項第 二) 七、中支鉄道会社 に対す る自動車業務等 を含む 一般政策的指導監督 は艦 隊長官軍司令官 の対支那側 との協定 の際之 に基 き行使す ること 但 し海軍 とし ては将来自動車 の発達 せる場合 を考慮 し之等 に対す
とす。( 協定調印を並頭 に行 ふ点 なり) る要求監督 は本協定外とし別に協定す ること と せ り。(諒解事項第 三) に協定す ることとし中支鉄道 に関し ては 一般政策的指導 の範 囲に属
八、之を要す るに北支鉄道 は陸軍 に 一任、但 し水運等 に関し ては別 す るも のは海陸並頭 とし実行上鉄道 に関 する業務事項 のみは陸 軍に 事務 を委任する次第 なり。 諒解事項 第二 の ﹁取極事項 の実施に当 りては⋮⋮﹂は右 の趣旨 を に依り海陸 大臣、海陸最高指揮官 並頭 なり、取極めたる事項 の実施
慎重織り込 みある次第 にし て協 定を取極 むる迄 は基本要綱別紙第二 に至りて始 めて陸軍 に委任す、而 も其 の委任は鉄道 のみなり。
針 口
八五、○〇〇 、〇〇〇円 (別表参照) 株式は全額払込とす。
現物出資約
五 六 東 亜 海 運 株 式 会 社 設 立 要 綱 ( 閣議決定)
第一 方
昭和十三年十 二月十六日閣議決定 の趣旨 に基 き対支海運強化に関
三 現金出資は関係各 社 の現物出資額 の割合 に応 じ之 を
す。
二 資本総額は出資財産 の評価 を侯ち て確定 するものと
(註 ) 一 本 会 社 は 発 起 設 立 に依 る も のと す 。
東 亜海 運 株 式 会 社
綱
称
日本 法 人 と し本 店 を東 京 に置 く。
第二 要
す る暫定的措置 とし て東亜海 運株式会社を設立す。 一、 名 籍
本会社に社長 一名、副社長、取締役及監査役若干名を置く ものと
員
割宛 つるものとす。
業 五 、 役
二、 国
日支間、支那沿岸、支 那内河蚊 に支那比律賓聞、支那南洋間
三、事
イ
す。
中南支主要港並に天津港、塘沽港 に於 ける砥頭倉庫業 ( 天津
等 支那外国間 に於 ける海運業 口
本会 社 の役員 の選任、定款 の変更 、事業計画其 の他事業上 の重要
七、政府 の監督
部に対し低利融通 の途を講 ずるものとす。
に本会 社が航路 の拡充蚊 に海陸施設 の整備 の為必要 とする資金 の 一
本会社 の経営す る主要航 路に対しては航路補助金を支給す ると共
六、政府 の助成
本
前各号 に附 帯する事業虹 に関係事業 に対す る投資
港及塘沽港 に於 ては内地船舶会社 の出資 したる砺頭倉庫 に限 る) ハ
訳 一五 、 ○ ○〇 、○ ○ ○ 円
資 本 総 額 約 一○ ○ 、 ○ ○○ 、○ ○ ○ 円
四 、 資
内
イ
現金出資約
日 本 郵 右
右
船
体 の決 定 に応 じ 調 整 せ ら る る も のと す 。
のに付 ては 差 当 り 本 会 社 に於 て経 営 す るも将 来 之 が本 格 的 経 営主
三 、本 会 社 に出 資 せ ら る る海 陸 施 設 にし て北 支主 要 港 湾 に在 る も
ては 別途 処 理 せ ら る る所 に依 る も のとす 。
二 、天 津 下流 ( 塘 沽 沖 錨 地 を含 む) に於 け る艀 運航 の経 営 に関 し
揚子江航路
支那沿岸航路
基隆 香 港 線
基 隆廣 東 線
基 隆厦 門 線
高 雄天 津 線
高 雄 上海 線
大 連 芝 罘線
大連青島線
仁川山東線
西鮮天津線
同
日 清
同
同
同
同
大 阪
同
同
同
阿
岡
川
川 三
波
崎 汽
崎 汽
崎 汽 井 物
右
右
右
右
右
右
船
船
船 産
事 項 に付 ては 予 め政 府 の承 認 を 受 け し む る も のと す 。
同
別
表
一、出資予定航路
商
右
船
大
汽
汽
田 汽
阪 商
船
船
船
船
もの。
四、上海内河汽船株 式会社 の株式 にして内 地船舶会社 の所有 に係 る
に専用す る小蒸汽船等を除 く)
三、第 一号 の各会社 の所有 に係 る支那 に於 ける海陸施設 (対外航路
二、前号各航路 に附随する土地、建物
右
汽 船
原
下
川 崎
船
子 江 、珠 江 及西 江 に於 ける も のとす 。
一、本 会 社 の経 営 す べき 支 那 内 河航 路 は差 当 り 白 河 ( 天津迄)揚
考
長 崎 上海 線 同
備
横浜上海線
右
山
郵
商 船
社 の所有 に係 るものと雖も差当 り之を本会社 に出資 せしめざるも
考)
近 海
郵 船
のとす。
未占領 地域内 に於 ける土地、建物及海陸施設は前記内地船舶会 近 海
大
商 船
阪
( 備
阪神 天 津 線
阪神 上海 線 同
共 同
阪神 青島 線
京浜青島線 神戸天津線 京浜天津線
阪
大
記
備 出 資会 社 と の間 に契約 を締 結 し主 管 庁 の承認 を受 け しむ るも のと
付 外 国船 と の対 抗 上 特 に有 利 な ら しむ る方 針 の下 に本 会 社 と 当該 設
港 に当 り適 当 な る碼 頭 及之 に附 随 す る倉 庫 の使 用 並 に之 が使 用料 に
一、 上海 に於 け る碼 頭 、倉 庫 の出 資 に関 し て は 対外 航 路 船 の上海 寄
管し得 ざるものは適当 の時 期迄現状 の儘とす。
するものとす但し右船舶 及各種水陸施設 にして軍 事上会社経 営に移
流に在 る各種水陸施設にし て可能 なるも のは之 を同社 の経営 に移管
二 招 商局所属 又は支那人所有 の船舶及漢口 ( 漢 口を含む)より下
勢力たらしむるも のとす。
地方的航運事業竝 に其 の附 帯事業 とし本会社 の事業 に対す る培養的
同社 の事業 は差当り揚 子江を中 心とす る各種水陸施設 の経営及
す。
一
二 、 本邦 に於 て拿 捕 又 は抑 留 し た る支 那 側 船舶 竝 に占 拠 し た る支 那
金又は船舶 を同社 に出資す るも のとす。
三
諒 解 事 項 ( 其 の 一)
側海 陸 施 設 は支 障 な き も のに限 り特 定条 件 の下 に本 会 社 を し て使 用
す るも のとす 。
を し て国 策 的 見 地 に於 て 円滑 且 可 及 的低 廉 に運 送 せし む る如 く措 置
三 、支 那 に於 け る産 業 開 発 計 画 の実 施 に伴 ふ物 資 は主 と し て本 会 社
六
るも のとす。
五
関係 に付 ては 日支両国当事者間 に所要 の取極 を行 ふも のとす。
四
本邦側 よりは本会社及中支那振興株式会社其 の他 より所要 の現
せ し む る如 く 措置 す る も の とす 。
四、 本 会 社 の監 督 に当 り ては 関係 庁 間 緊 密 に連繋 を保 持 す るも のと
す。
同社 に対す る本会社及中支那振興株式会社 の統制其 の他諸般 の
す。
七 同社 の経営 に移管せらるる招商局所属財産 が帝国臣民 の損害 補
記
一、本事業遂行 に要する諸物資 は能 ふ限り之を本邦 に於 て調達 する
す。
本要綱 の実施 に当りては資金、物資 の関係に付左記 に依 るも のと
諒解事項 ( 其 の三)
措置を講ず るものとす。
償等 の目的 として処理する如 く決定 せられたる場合 は之 に適合 する
招商局所属財産 に関す る借款処 理に関し ては別に定む るも のと
同社 に対する軍 事上 の要求及監督 に関 しては別 に定 むる所 に依
五、 北 支主 要 港 湾 の本 格 的経 営 主 体 に関 し ては 別途 研 究 審 議 せ ら る
諒 解 事 項 ( 其 の二)
べき も のとす 。
支 那 に於 け る本 邦航 権 を確 立す る と共 に在 支 航 運 事 業 を東亜 新 秩 序 に即 応 す る如 く 調 整 す る為 本 会 社 の設 立 と併 行 し左 記 要 領 に依 り 維 新政 府 の特 殊 法 人 た る 日支 合 弁 の航 業 会 社 (以 下 単 に 同 社 と 称 す ) を速 に設 立 す ると 共 に之 が業 務 に付 て は本 会 社 と 緊 密 な る関 係
のと す 。
を 設定 し克 く 之 が連 環 的 一翼 たら し む る如 く諸 般 の措 置 を 講ず る も
も のとす 。 二 、船 舶 の建 造 及 海 陸 施 設 の整 備 の為 必 要 と す る物 資 は能 ふ限 り優 先 的 に之 を配 当 す るも のとす 。 三 、 外国 資 本 (支 那 資本 を含 む ) の買 収 の要 あ ると き は 契約 締 結 前 に 日本 政 府 の承 認 を受 け しむ る如 く措 置 す る も のと す 。
五七
支那方面艦隊機密第 一四三号
支 那 方 面 艦 隊参 謀 長
二、上海砲臺湾間鉄道
一、上 海 南 京 間 鉄 道
軍司令官は其 の管 理に属す る左記鉄道 を維新政府 に帰属せ
上海海軍特別陸戦隊司令官 殿
三、上 海 閘 口間 鉄 道
しむ
第 一條
府 と称す) は左 の通協定す
長官 ( 以下艦隊司令長官 と称す)及中華民国維新政府 (以下維新政
昭和十四年 五月 七日上海 旗艦出雲
中 支 鉄 道 の処 理 及 軍 事 上 に 関 す る 協 定 の件 申進 殿 殿
一部 長 殿
海 軍 省 軍 務 局 長 軍 令 部 第 上 海 在 勤 海 軍 武官
上 海 駐 在主 計 科 士 官 殿
四、蘇 州 嘉 興 間 鉄 道
南 京 在 勤 海 軍 武 官 殿
第 一根 拠 地 隊 司 令 官 殿
五、南京孫家埠間鉄道
維新政府は別紙華 中鉄道股〓有限公司設立基本要綱及華中
軍司令官又は艦隊 司令長官 は軍事 上 の必要 に基 き駐兵間華 る措置 を為す ことを得
中鉄道股〓有限公司 に対し直接所要 の要求監督を為し又 は適当な
第 三條
同公司をし て前条鉄道 の経営 に当らしむ
鉄道股〓有限公司設立要 綱 に基 き華中鉄道股〓有 限公司を設立し
第 二條
六、揚子江輪渡施設 ( 南京︱浦 口間)
華 中 連 絡 部 長 官 殿
終
首題 の件別紙 の通中支那派遣軍司令官 、支那方面艦隊司令長官及 添)
中華民国維新政府 間に協定相成候条了知相成度 (別 紙
中支鉄道 の処 理及軍事上に関す る協定 大 日本帝国軍が中支那 に於 て管 理す る鉄道 の処理及軍事使用 に関 し中支那派遣 軍司令官 (以下軍司令官 と称す)、支 那方面 艦 隊 司令
第四條 本協定 は華中鉄道 股〓有限公司創立 の日より効力を生ず 本協 定は日支両国文を以て作成 し軍司令官、艦 隊司令長官及維新
三
本協定 に関し日本文正文 と支那文正文と の間 に解釈 を異 にした
政府 は日本文正文支那文 正文各 一通を保有す るときは日本文正文に依 る 乙
山
田
大 日本 帝国 中 支 那 派 遣軍司令官 及 川古 志 郎
昭和十 四年四月三十日即ち中華民国二十八年 四月三十日
梁
志
大日本帝国支那方面艦 隊司令長官 鴻
中 華 民国 維 新 政府 行 政 院 長
五八
初 対面 の挨拶 の後
板 垣陸 相 、 汪会 談 要 領
(昭和 十 四年 六月 十 一日)
て も 共産 党 に接 近 し 居 る は 三分 の 一に過 ぎ ず 、 他 の三 分 の 二 は反 共
のみ な らず 却 て和 平 を言 ふも の排 斥 せら る る実 状 な り 。中 央 軍 にし
至同十時半
汪
自午前 八時
語 あ り し は今 日迄 最 も 印象 深 かり し 点 な り 。第 二 は か か る事 変 の勃
の立場 を取 り 心 中 和 平 を希 望 し居 るも の な る が前 述 の如 き理 由 に て
地位 に陥 る ベし と 危 惧 し居 る に在 り。 従 つて反 共 の声 を挙 げ 得 ざ る
発 に関 し蒋 介 石 の責 任 を問 ふ と 云 ふ点 な り 。責 任 の問 題 と な れば 自
理 が解 消 す れば 忽 ち 反 共 に 一致 す ベし 。 自 分 は 武 漢 に於 ても 重 慶 に
反 蒋 反 共 を 叫 ぶ こと能 は ざ る状 態 に あり 。 従 而 彼 等 の対 日危 倶 の心
︹ハノイ︺
分 に も関 係 あり 喜 ん で責 任 を負 担 す べし 。 反 共 に至 つて は自 分 は 最
過 日河 内 滞 在 中 貴 大臣 よ り自 分 に宛 てら れ た る書 信 中 に反 共 の
も 重視 す る所 にし て独 り支 那 の みな らず 東 洋 の問 題 な り。 蒋 も 曾 つ
図 ら し め た り 。 此 の頃 よ り蒋 は蘇 聯 と の合 作 を目 論 見 た るも のと 看
に陳 立 夫 を蘇 聯 に遣 は し ﹁リ トヴ ィノ フ﹂ と会 見 せし め 蘇 支 聯絡 を
後 は終 始 共産 党 に反 対 し今 次 の共 産 党 と の合 作 に至 つて は特 に反 対
時 代 に政 府 部 内 に居 り た る を以 て其 の当 時 の責 任 は之 を負 ふも 其 の
に支 配 せら れ た る に依 る 。自 分 は民 国 十 三 年 よ り 十 五年 に至 る容 共
を決 意 した るも 遂 に動 く を得 ざ る に至 れ るは 斯 く の如 き国 内 の空 気
共 に は異 論 な く 龍 雲 の如 き も十 中 八 九 迄 自 分 と 共 に旗 挙 げす る こと
做 す べく 次 で西 安 事 変 に至 り 蘇支 合 作 は決 定 的 と なり し も のな り 。
於 て も或 は参 政 会 中 の国 民党 以 外 の者 とも 話 し 合 ひ た る が何 れも 反
現 在 英 仏米 各 国 は何 れ も日 本 の東 洋 に於 け る擡 頭 を忌 み 支 那 の抗 戦
せ る所 な り 。而 か も 重慶 政 府 の態 度 前 述 の如 き 状 況 な る を以 て遂 に
ては反 共 の態 度 を持 し 数年 に亘 る共 匪討 伐 を実 行 し た る が民 国 二 十
を援 助 し 居 る も支 那 を援 助 し て抗 日戦 を実 行 せ しめ つ つあ る は依 然
意 を 決 し て重慶 を離 れ反 共 工作 の実 行 に移 り た る 次第 な り。
四年 に至 り 一方 自 分 を し て独 逸 と の間 の関 係 を密 接 なら し む ると 共
と し て蘇 聯 が中 心 な る事 明 白 な る事 実 な り。 斯 く の如 く蒋 が共 産 党
板
貴下 の脱出前後 の状況其後 の事情 に付 ては影佐大佐 より詳細 に
︹ 禎昭︺
と 握 手 し蘇 聯 と合 作 し て抗 戦 を継 続 し つ つあ る に拘 らず 一般 国 民 が
報告 に接し承知 し居 れり。今日支那 の国民が排 日的心理に支配 され
︹ 板垣︺
蒋 を擁 護 し つ つ あ る所 以 は偏 に支 那 が日 本 に圧迫 せ ら れ印 度 の如 き
て努 力 し来 れ るも のな り 。之 れ が実 現 せ ざ り し は誤 解 に基 く 所 多 か
と 云 ふ ベし 。 日 本 の国 民 も当 局 も 数 十 年来 常 に 日支 親 善 を目 標 と し
居 る は事 実 な り 。右 は 日本 の真 意 が諒 解 せ ら れ居 らざ る に依 る も の
の主 義 は決 し て共 産 主 義 に非ず 自 分 は第 一段 に此 の孫 文 の国 民 党 の
文 の素 志 も 日本 を兄 とし 支 那 を弟 と し て合 作 す る にあ り た り。 孫 文
民 党 を 先 づ 共産 党 の上 に立 たし め ざ る べ か らず と決意 し居 れ り。 孫
一歩 と し て は国 民 党 の主義 精 神 を 生 か し て現 在共 産党 の下 に あ る国
勢 力 とし ては 依然 国 民 党 が之 に当 るべ き も の な り と信ず 。尚 防 共 の
主 義 政 策 を 明 か に し第 二段 に国 民 党 が 公開 的 に 日本 の希 望 す る反 共
為 め 国 防 を 如 何 にす べき や の問 題 に付 て は 日本 側 より 篤 と御 指 教 を
る べ し、 然 り とせ ば 誤 解す る方 も せら るる 方 も責 任 あ る ベし 。 唯 〓
に て今 次 の事 変 の如 き も之 を聖 戦 と信 じ 日 支親 善 を阻 害 す る共 産 党
仰 ぎ 度 し。 国 内 に於 け る弁 法 と し ては 先 づ有 力 な る統 一政府 を作 り
に明 言 す る を得 るは 日 本 は断 じ て支 那 を 印 度 の如 くす る気 持 なく 東
及之 と結 合 せ る蒋 介 石 の抗 日軍 隊 を撃 滅 し 一般 国 民 を敵 とす る観 念
共 産 党 勢 力 を駆 逐 す る に努 む ベ き も のと信 ず 。
り。 吾 人 は 固 よ り国 民 党 以 外 の各 党 派 と聯 合 し て進 む 訳 な る も中 心
は毫 も なし 。 現 に現 地 の日本 軍 隊 が戦 線 に於 ては勇 敢 に敵 と戦 ひ つ
板
救 国 の要 望 を受 納 せ ん とす 。 そ れ には支 那 の統 一と力 量 と が 必要 な
つ善 良 な る民 衆 に対 し て は愛 撫 の念 を以 て接 し つ つあ る を見 ても 明
り 。 唯 〓 に注 意 す ベき は 今 次 事変 に際 し軍 事 の進 展 に伴 ひ北 支 、蒙
洋民 族 解 放 の為 外 来 の勢 力 の侵 入 を防 ぎ 以 て東 洋永 遠 の平 和 を確 保
か な る ベし 。 殊 に反 共 に至 つて は独 り 支 那 国内 の共 産 党 の問 題 のみ
疆 、 中 支等 に新 政 権 成 立 し 是 等 の地 方 に は多 数 の日 本 人 も居 住 し種
せ ん とす る に あり 。 其 の第 一歩 と し て日 支 提携 を 図 ら ん とす るも の
なら ず 満 洲 国 及 支 那 の北境 に迫 る蘇 聯 の脅 威 に 対す る問 題 あ り 。 日
種 の関 係 を生 じ居 る事 実 な り 。 此 の事 実 に対 し ては 相 当 尊重 せざ る
有 力 な る 中央 政 府 を樹 立 す る こと は吾 人 の固 より希 望 す る所 な
し徹 底 的 に排 除 す る の準 備 を なし 居 れり 、 日本 は反 共 の為 め には斯
本 は今 や全 国 を 挙 げ て国 内 は勿 論 此 の満 洲 の北 辺 に対 す る脅 威 に対
は決 し て胡 魔 化 し に あ らず 、 従 つ て支那 の統 一と強 化 を こそ希 望 す
んと す るも のな る ベ し と為 す も の多 し 。之 に対 し自 分 は 日本 の防 共
往 にし て之 を 曲 解 し 日本 は共 同 防 共 の名 を 以 て支 那 を自 由 に支 配 せ
汪
方法 を講 ず る必 要 あ り 此 の点 も充 分研 究 せら れ た し 。
るを 以 て種 々の誤 解 あ り 、今 後 か か る誤 解 を解 く 為 め適 当 な る手 段
視 す る も の あ り。殊 に民 生主 義 は共 産 主 義 なり と 云 ふ が如 き文 句 あ
にお 尋 ね し た き は三 民 主義 の問 題 な り。 日本 に ては 三 民主 義 を危 険
府 の立場 を強 くす るも のな り 、 此 の点 は充 分 考慮 せ ら れ たし 。 尚 次
中央 政府 を弱 化 す る所 以 に非 ず し て却 つて 日支 の結合 に依 る中 央 政
べ か らず 、斯 くし て各 地 方 毎 に 日支 の結 合 を強 化 す る こと は決 し て
れ決 し て支 那 を 分化 し弱 化 せ んと す る も のに非 ず 、 支 那 が強 く な り
汪
か る重 大 な る 決 心 と準 備 を な し居 る次第 な り。
て こそ 真 に共 同防 共 の目 的 を 達 し 得 べけ れ ば な り と説 明 し つ つあ り。
日 本 が 支 那 に 対 し共 同 防 共 を 要 求 す る に対 し支 那 国 民 一般 は往
自 分 は 前 に述 べ た る通 り民 国 十 五年 以来 絶 対 に共 産 党 を 容 れざ る 立
の方 に引 き つけ 之 れ を 国 民党 に同 化 せ んと 計 り し為 め か か る文 句 も
孫 文 の民 生 主 義 の講義 は当 時 の状 勢 上 各 潮流 各 思 想 を全 部 自 分
場 を 取 る も の に て今 後 反 共 工作 に邁 進 せ ん とす るも のな る が其 の第
め居 る事 明 かな り 。 固 よ り今 後 三 民 主 義 の闡 明 に付 ては 大 に努 力 す
所 以 を説 き結 局 ﹁マル ク ス﹂ 主 義 を 捨 て て国 民党 の主義 に入 れ と勧
あ る訳 に て全 体 を よく味 読 す れば 民 生 主義 は 全然 共 産 主 義 と異 な る
惜 し む ら く は態 度 消 極 的 な る為 進 ん で吾 々に協 力 す る に至 らず 。 居
は 蒋 の容 共政 策 に慊 ら ず し て極 め て時 局 を悲 観 し た る結 果 な り。 唯
に対 す る討 伐 を主 張 せ る程 の人物 に て今 回 の事 件 後 西康 に赴 き た る
共 産 軍 を討 伐 す ベ き こ とを 強 く主 張 し蒋 帰 来 後 も 依 然 と し て共 産 軍
及 軍 隊 を多 数 獲 得 す る必 要 あ り と思 は る る が之 に 対 し て は貴 下 に於
板
況 にあ り 、容 易 に我 方 に参 加 し 難 き も のと思 惟 せ ら る るも 一面 よ り
係 又 は蒋 の監 視 の下 に在 る為 重 慶 を 脱出 す る こと極 め て困 難 な る状
和 平 に賛 成 な る こと申 す 迄 も な し 。 唯 之等 大 部分 の要 人 は交 通 の関
至 れり 。 其 の他 重慶 政府 側 の欧 米 派 と 称 せ ら る る要 人 は何 れも 反 共
然 蘇 聯 と の提 携 の危 険 な る を知 り 其 の後 は 益 々反 共 の立 場 を取 る に
モ ロフ﹂ と共 に新 疆 に赴 き初 め て蘇 聯 に詐 は ら れ た る こ と を覚 り 翻
蘇 聯 に赴 き ﹁リ トヴ ィノ フ﹂ と会 見 し た る こと あ る が其 の後 ﹁ボ ゴ
接 支 那 と蘇 聯 と提 携 す る可 能 性 あ るも のと 信 じ蒋 よ り派 遣 せら れ て
も陳 立 夫 は 一時 国 内 の共産 党 は既 に其 の勢 力 消滅 し た り と誤 認 し 直
れ る ことす ら あり 。 陳 立 夫兄 弟 は現 在 は猛 烈 な る反 共論 者 なり 、 尤
正 も和 平 希 望 者 にし て嘗 て唐 紹 儀 在 世 当 時 和 平 の為 唐 の出 馬 を申 送
る考 なり 。 尚 中 央 政 府 樹 立 工作 に関 し詳 細 な る こと は 日 を改 め て お話 し致 し 度 し。
20 部 の内第 10 号
板 垣 陸 相 、 汪第 二次会 談 要領 自午 前 八 時 昭和十 四年六月十五 日至 同十 一時半
ても 相 当 の成 算 あ る も のと察 せ ら る る処 、 之 に付御 話 を 承 るを 得 ば
言 へば 斯 かる反 共和 平 の分 子 が多数 重慶 に残 留 す る こと は 今後 或 る
支 那 に新 に強 固 な る中央 政 府 を成 立 せし む る に は重 慶 側 の要 人
幸 な り。
機 会 に蒋 の勢 力 を分 散 し 一挙 に重慶 政府 を崩 壊 せ しむ る為 却 て其 の
先 づ要 人 の側 に付 て言 へば 蒋 介 石 は現在 の処 絶 望 な り と 見 ざ る
を 共産 系 、黄 埔 系 、 地 方 軍 系 の三種 に分 つ ことを 得 ベし 。其 の中 共
汪
当 方 に引 着 け る工作 を施 せば 或 は 此 方 に靡 く やも 知 れず 。其 の他 孫
産 軍 は中 央 よ り毎 月 八 十 万 元宛 の補 給 を受 け其 の他 駐屯 地 よ り租 税
か るベ し と思 は る。 次 に軍 隊 の方面 な る が現 在 の重 慶 側 の軍隊 は之
科 、 宋 子 文 の如 き蘇 聯 に接 近 し 居 る 分 子 に し て到 底 引着 け得 難 き者
を徴 収 し頻 り に宜 伝 組 織 に努 め つ つあ り。 之 は今 到 底 我方 に獲 得 す
必 要 を感 ず る こと も あ る べく 強 ひ て危 険 を冒 し て出 て来 る必要 も な
あ り。 固 よ り 之等 は少 数 にし て要 人連 の大 部 分 は 心 中和 平 を希 望 し
る に由 な し而 し て此 の共 産 軍 が将 来 陜 西 、 甘 粛 方 面 に移 り た る場 合
べ か らず 。 尤 も同 人 は 其 の時 の環 境 に従 て動 く性 質 を有 し 之 迄親 日
居 る こと は事 実 な り、 其 の主 な る者 を挙 ぐ れば 戴 天仇 の如 き は極 め
に は恐 らく 蒋 と衝 突 す る可能 性 あり 。 元 来 蒋 介 石 の所謂 容 共 政 策 と
と親 蘇 と の 二途 を懸 け て来 りし も のな るを 以 て 一方 の途 を 全 然塞 ぎ
て徹 底 せ る反 共 の立 場 を 取 り彼 の西 安 事 変 の際 の如 き も武 力 を以 て
す る愛 国 心 は 之 を善 用 し て新 支 那 建 設 の基 礎 と なす ベき も のと考 へ
那 軍 隊 に付 深 く考 慮 す べ き は彼 等 の民族 意 識 の問 題 なり 。彼 等 の有
重 に監 視 せ ら れ居 り敢 て行 動 を取 る こと極 め て困 難 な り。 以 上 の支
地 方 軍 に至 つ ては蒋 介 石 の分 散 政 策 に依 り 其 の内 容 知 悉 し難 く 又厳
か我 方 に来 る に於 ては黄 埔 系 の之 に従 ふ者 尠 か らず と予 想 せら る。
心服 し居 る点 に於 ては何 應 欽 の方 寧 ろ 陳 誠 に優 るも のあ り、 若 し 何
閲 歴 声 望 足 ら ざ る為 黄埔 系 必ず し も 全 部 心 服 し居 る に非 ず 、 彼 等 が
り率 ゐ ら れ つつあ り 陳 は蒋 の信 任 厚 く 其 の権 力 極 め て大 な る が彼 の
れ る は軈 て反 共 の旗 を翻 す こと と な る ベし 。 現 在 黄埔 系 は陳 誠 に依
の旗 を 挙げ 得 ず 、 若 し日 支 両 国 の合 作 可 能 な る こと彼 等 に 諒 解 せら
る べ し 。黄 埔 系 軍 隊 は大 部 分 共産 党 に反 対 な る が抗 日 の為 敢 て反 共
て相 対立 す る も の にし て状 況 に依 り て は直 に両 者 の衝 突 を見 る に至
反 共聯 蘇 と言 ひ得 ベし 。 即 ち蒋 と共 産 党 と は何 れも蘇 聯 を背 景 とし
撃 し自 ら直 接 蘇 聯 と提 携 せ ん と す る も の に て此 の点 よ り 云 へば蒋 は
は 共産 党 と連 絡 し て蘇 聯 ど 合作 す る も の に非 ず し て寧 ろ 共産 党 を排
党 の何れにも属 せず との意味 にて第 三党 と称し たる訳なるが、陳銘
汪
板
望足 らざ る為李宗仁 、白崇禧、閻錫山等 は心中 不満 の念を抱 き居 れ
権力 の保持 の為共産党 と連絡し居 るも のなり。然 れども其 の閲歴声
る為蒋 に信頼せられ現在 は殆ど軍権を掌握する程 の権力を有し其 の
討伐 に当り て経験 あり軍 人の間 に於 ては比較 的廉潔 にして精力家な
北伐 に従 ひ漸次昇進して師長 になり満洲事変後 は江西 にて共産軍 の
せる際招 かれて砲兵独立営長 として黄埔 に至れるも のなるが其 の後
汪 陳 は浙江人 にして蒋 と同郷 の関係 あり蒋 が黄埔軍官学校 を開設
りや。
板
世 に所謂第 三党 とは孫科等を謂ふ訳なりや。
り。
第三党 なる名称 は 一九 二七年 に起 りたる名称 にて国民党 、共産
の序 にて御参考迄 に申添 ふる次第 なり。
与 へ其 の希望 を残 し置く こと最 も賢 明なる策 なりと信ず。軍隊 の話
の為 に計 れば宜しく此 の意 識を善 用し即ち支那 に民族生存 の機会を
の如く之 を利用す ることも亦面白からざ るを信ずるも のなり。日本
ン﹂ と し て居 る こ と は明 かな り 。自 分 は此 の支 那 の民 族意 識 に対 し
る 為彼 等 が其 の階 級 闘 争 を 捨 て て抗 日民 族 戦 線 の統 一を ﹁ス ロー ガ
懸 け ら れ蘇 聯 の如 き は民 族 意 識 を 利 用 し て其 の勢 力 を 拡 張 せ ん とす
憚 な く言 へば 日本 の如 き は民 族意 識 を消 滅 せ しめ んと す るや の疑 を
之 を 消 滅 す る に努 め た るも のあ り 、或 は之 を利 用 す るも のあ り 、忌
んと 欲 す る が為 な り。 近 年 支 那 に於 け る 民族 意 識 の昂 揚 に連 れ或 は
る処其 の中 一、二当 方の気付き たる点 に付申述 ぶることと致し度 し。
板 貴下 の起案せられたる時局収拾 に関す る具体的〓法 を拝見した
国家主義 を標榜 せる所謂 右傾団体 とも 云ふべきも のなり。
社会党は国家社会主義を標榜せる学者等 の集り にして国家青年党は
現在国共両党 以外 の党とし ては国家社会党 と国家青年党 あり。国家
福等 の編州独 立事変後は四分五裂 となり今 日に於 ては所謂第 三党な る組織なく強 ひて言 へば共産党 の外廓団体と見れば差支 なかるべし。
陳誠 と蒋介石竝 に共産 党 の関係 は如何様 にして成 立せるものな
の軍 隊 の民族 意 識 に合 致 せし め速 に彼 等 を し て和 平 の途 に就 かしめ
ら る。 そ れ で自 分 が国 旗 問 題 、 政 府 の名 称 問 題 等 を喧 し く言 ふは此
之 を 圧迫 し消 滅 せし め ん と 図 る こと の誤 れ るを指 摘 す る と共 に蘇 聯
府 の樹 立 を 政 府 の南 京 帰 還 と 云 ふ こと に決 定 を見 る場 合 は之 に ても
称 す る様 決 定 を見 る に於 ては我 方 と し て も敢 て異議 な し。 又 中 央 政
き も の にし て同会 議 に於 て首都 を南 京 と し政 府 の名称 を国 民 政 府 と
第 一は中 央 政府 の名 称 首 都等 は中 央 政 治 会 議 に於 て決 定 せら る べ
を妨 ぐ る こと な き や を憂 ふ る次 第 な り 。
期 に亙 り 国 旗 を使 用 せ しめ ず と 云 ふ こと に な れば 軍 隊 の精 神的 統 一
国 旗 なき は軍 隊 の士 気 に関 係 し 面 白 から ざ る影 響 を与 ふ る惧 あ り長
ば 兵 営 の如 き に於 ては国 旗 を用 ふ るも差 支 な か る ベし 。 元来 軍隊 に
し て採 用 す るに決 し た る場 合国 旗 党 旗 等 も其 の上 部 に反 共 和 平 と印
第 二 は国 旗 の問 題 な る が中央 政 治会 議 に於 て青 天白 日旗 を国 旗 と
府 機 関 或 は 一般 民衆 に国 旗 を用 ひ し む る こと に付 てす ら 軍側 と し て
心 理 より す るも 当 然 に し て実 は日 本 軍 占拠 地帯 に於 て軍 隊 以 外 の政
撃 隊 な るも の跋 扈 し 軍隊 の敵 愾 心 は 此 の旗 に依 り生 ず る こと は 軍隊
軍 と の間 に今 尚 戦争 を継 続 し居 れ り 。其 の占 拠 地帯 に於 ても 所 謂游
軍 の立 場 よ り言 へば 現 に日 本 軍 は青 天白 日旗 を掲 ぐ る 支 那抗 日
し た る三 角 の大 型 の黄 色 布 片 を附 す る こと とし 、 軍隊 は黄 色 地 に反
は相 当 の困 難 あ り 。 之 が為 誤 解 発 生 せ ざ る様 厳 重取 締 をな す等 の方
板
共 和 平 と 大 書 せ る旗 を用 ひ混淆 紛 争 を避 く る為 其 の他 の国 旗 等 を使
法 を取 ら ざ るべ か ら ざ る 次第 に て況 や俄 か に支 那 の軍 隊 に国 旗 を掲
異 議 なき 次第 な り。
用 せざ る こと 然 る ベ し と の意 見 を有 し居 れ り此 の点 は如 何 に考 へら
揚 せ しむ る こと は 極 め て危 険 な る こと 申 迄 も な し、 其 の点 は 前 戦 に
閣 下 の言 は る るは軍 に於 て国 旗 と黄 色 旗 と両 方 を用 ふ る と の意
る る や。 汪
誤 解 発 生 の惧 あ り と 思惟 し居 る訳 に て此 の点 は政 府 に於 ても 亦 軍 に
於 て も後 方 に於 ても尠 く と も軍 隊 に関 す る限 り国 旗 を用 ふ る こと は
軍 隊 に於 ては 黄 色旗 の み用 ふ る方 宜 し か る べし と の意 見 な り。
な り や或 は単 に黄 色旗 の み用 ふべ し と の意 なり や 。 板
御 話 は能 く 諒 承 せ り 。要 す る に誤 解 発 生 を避 け混 淆 を 避 く る こ
於 て も十 分 研 究 せ る結 果 な る こと を 御 含 み あ り度 し。
と を目 的 と す るも のな る を以 て技 術 的 に何等 か妙 案 も あ る ベけ れ ば
汪
(此 の時 影 佐 大 佐 発言 し前 回 吾 々支 那側 と の協 議 の際 は支 那 側 軍 隊 は主 動 的 に国 旗 を用 ひず し て黄 色旗 を 用 ふ る話 合 と な り居 れ り と 述 ぶ)
中 央 政 治 会 議 迄 に研 究 し て具 体 的 に決 定 す る ことと 致 度 し そ れ に て
黄 色 旗 のみ を 用 ふ る と せば即 ち軍 隊 に は国 旗 を使 用 せざ る こと
汪
今 後 引 続 き 研 究 せ ら る る こと は 差 支 な し 、唯 前 述 の通 り 政 府 に
差 支 なき や 。 板
軍 隊 に於 て黄 色旗 を用 ひし む る は現 に前 線 に於 て は青 天 白 日旗
板
て此 の点 諒 承 せ ら れ度 し。
於 て も軍 に於 ても 研究 の結 果 只 今 の如 き案 を考 へた るも のな る を 以
と な り如 何 にも国 家 の軍 隊 と し て面 白 か らざ る体裁 と な る ベし 。
を掲 ぐ る 抗 日 軍 と の間 に戦 争継 続中 な る を以 て今急 に国 旗 を用 ふ る
︹ 線︺
前 戦 に於 て は或 は其 の必要 あ る べ き も前 戦 を離 れ た る処 、 例 へ
名 称 を廃 止 す る こと を意 味 し其 の内 容 及 事 実 を も取 消 す と 云 ふ意 味
次 に既 成 政 府 の名義 取 消 しと あ るは臨 時維 新 両 政 府 の政 府 と 云 ふ
時 は混 淆 し て種 々 の誤 解 を惹起 す惧 あ り、 斯 か る間 違 ひ の な き様 国
汪
旗 を使用 せ ざ る方 然 る ベし と の意 味 な り。
鞏 固 な る中 央 政 府 の必要 な る ことは 云 ふ に及 ばず 又 日支 の合 作
に付 て中央 政 府 が其 の原 則 を 保持 し て進 む こと は 勿論 希 望 す る所 な
板
り 、 唯 地 方 に対 し其 の特 殊 の事情 に応 ず る権 限 例 へば 北 支 に政 務 委
に非 ず と 諒 解 す る処 右 に て差 支 な き や。 結 局 権 限 の問題 な り や。
ふ に あ り。
汪
汪
権 限 の問 題 も去 る こと な がら も つと 具 体的 に言 へば 政 治 形 体 と
応 じ 日 支 の関 係 を益 々密 接 な ら し め ん とす るも の にし て、之 を具 体
会 を 設 け た る例 あり 、 然 れど も 右 は中 央 の権 力 不 十 分 な る為 の暫 定
板
的 に言 へば 、北 支 は 日支 両 国 の国 防 上 及経 済上 特 殊 の結 合 地帯 と 云
的 処 置 と し て設 け た る機 関 なり 。 今言 は る る政 務 委 員会 は 此 の政 治
な る関 係 の下 に発 展 せ し む る が如 く 措置 す る こと適 当 な るべ し と 云
ふ べく 蒙 疆 は 国防 上特 に蘇 聯 に対 す る防 衛 の為 防 共 区 域 をな し 又揚
分 会 の如 き意 味 のも の な り や。 若 し臨 時 、維 新 両 政 府 の名称 のみ を
員 会 の如 き も のを設 け之 に自 治 の権 限 を 与 へ地方 的 に も日 支 の密 接
子江 下 流 地 域 は経 済 上 日支 の聯 携 最 も 密 接 な る べ き地 帯 なり 。 之等
でも言 ふ ベき か、 政 治 形 体 は 支那 の状 勢 に照 し主 義 と し て分 治 合 作
各 地方 の特 徴 に応 じ 又 日支 の関 係 の緊 密 な る に照 し従 来 臨 時 維 新 両
のも のと な り 又事 実 中 央 と 地方 とは常 に権 限 争 ひ を起 し容 易 に時 局
廃 し て其 の実 体 を其 の儘 存 置 す ると 云 ふ な らば 中 央 政 府 は有 名 無 実
主義 に則 る を適 当 と思 惟 す るも のな る が右 は各 地 方 の特 殊 の状 況 に
政府 と 日本 と の間 に発 生 せ る関 係 は之 を 何 等 か の組 織 に依 り 保 持 す
を収 拾 し 難 かる べ し 、若 し両 政 府 の実 体 を残 す 必要 あり と せ ば中 央
国 民政 府 に於 て は 一九 二五 、 六年 頃 北 京 、 廣 東 の両 地 に政 治 分
る 必要 あ り。 更 に南 支 沿 岸 には南 方 に対 す る国 防 上 の必要 より 主 と し て海 軍 の問 題 な る が両 国 の国 防 上特 殊 の関 係 を 考慮 せざ る べ から
政 府 の組 織 を延 期 し 国 民党 は別 個 に 一の地盤 を 以 て 一政 権 を 形 成 し
にし て中 央 政 府 が臨 時 、維 新 両 政 府 の聯 合 委 員 会 を 以 て組織 す る場
汪
抗 す る能 力 な か る べく 今 日 斯 る新 た な る案 を 提 出 せ ら れ た る意 味 何
盤 を 擁 し て 工作 を 進 む ると 云 ふ が如 き方 法 に ては到 底 重慶 政 府 に対
る ベ し と述 べら れ た る が中 央 政 府 の組 織 を 延 期 し国 民 党 が他 に 一地
こと時 局 収 拾 の為 必 要 な り と言 は れた る に今 日之 を延 期 す る こと然
( 影 佐 大 佐 発 言 、 此 の前 協 議 し た る時 は 貴下 は速 に中 央 政 府 を 作 る
て他 日 に備 へ時機 の到 る を待 ち て中 央 政 府 の組 織 に進 む より 外 な し。
ず。 以 上 の如 く各 地 方 の特 殊 事情 に依 り両 国 関 係 を 密接 な ら しむ る為
合 に於 て又 国 民党 の 一部 分 と両 政 府 と合 体 し て中 央 政 府 を作 る場 合
処 にあ り や と質 問 す )
既 成 政 府 の内 容 及 事 実 を尊 重 す る こと を希 望 す る訳 な り 。
に於 ても 何 れ にし て も此 の権 限 を確 定 せ ざ る べ から ず 。 然 らず し て
汪
趣 旨 は 了 解 せ り 。結 局 中 央 政 府 と 地方 と の権 限 問 題 に落 着 く訳
地方 に大 な る権 限 を 与 ふ れ ば中 央 政府 は成 立 たざ る べく 又 日 支提 携
考 へた る が 為 な り。
困 難 な り と の話 に依 り 然 ら ば 政 府 の組 織 を延 期 す る以 外 に途 なし と
中央 政 府 の組 織 を 急 がざ る 方可 な り と言 ひた る は 両政 府 の取 消
合 作 は寧 ろ 中 央 政 府 が之 に当 る こと こそ 重要 な る べ し。 要 す る に中 央 政 府 と 地方 と の権 限 を 如何 にす べ き や が問題 な り と 考 ふ。
( 影佐大佐
時 局収 拾 の為 なら ば 矢 張 り中 央 政 府 の組 織 を急 ぐ方 可
な る べ し、 結 局 問題 は中 央 と地 方 と の権 限 を研 究 す れ ば宜 し き に非 ず や と述 ぶ)
結 構 な り。
次 に中 央 政 府 の樹 立 に付 て は其 の構 成 及 樹 立 の時 期 等 各 種 の事 情
し。 板
汪
次 に は外 交 の問 題 な る が中 央 政 府 樹 立 宣 言 前 国 民政 府 が外 国 に
然 り 、当 然 密 接 に連 絡 し て行 く べし 。
よ り 日本 側 と も密 接 に連 絡 の上 決 定 せら る るを適 当 と思 惟 す る も斯
板
る含 み に て差 支 なき や。
板
対 し て締 結 せ る条 約 、協 定等 は 日支 の新 関 係 及 新 中央 政 府 の指 導 方
政 務 委 員 会 の権 限大 に過 ぐ る時 は 必ず 中央 と衝 突 し て政務 に支
のも のと な さし む る意 味 に非 ず 、 当 然 中 央 政府 の下 に就 き 相 当 の権
汪
限 を 与 ふ れば 足 り る べ き も のな り 。 更 に前述 の事 実 の尊 重 と は維 新
針 に照 ら し十 分 検 討 し た る 上其 の適 当 な らざ るも のに 対 し て は適 宜
勿 論 地 方 政 府 を し て中 央 政 府 と 拮 抗 せ しむ る が如 き 大 な る権 限
政府 、臨 時 政 府 は 戦 局 の発 展 に伴 ひ発 生 し て 日本 側 と の間 に既 に種
之 を 廃 止 又 は修 正 せら る べき も のと了 解 し て可 な り や 。 固 よ り第 三
障 を来 す べし 。
て事 実 と 云 ふ は斯 る既成 事 実 を指 す も のな り 、 此 の事 実 は其 の性 質
種 の既 成事 実 を作 り 地方 経 済 開 発 に関 す る機関 等 も実 現 し居 る訳 に
のも のを 一応 承 認 す る立 前 を取 る こと と した るは 之等 条 約 、協 定 を
汪
一方 的 に改 廃 し て国 際 上 の紛糾 を 生 じ て は面 白 からず と 考 へた る結
従 前国 民政 府 の締 結 せ る条 約 、協 定 に対 し 中 央 政 府 樹 立宜 言 前
に依 り或 は中 央 に帰 属す る も の も あ るべ く或 は其 の儘 地 方 を し て当
国 の正 当 な る権 益 を濫 り に排 撃 せ よ と の趣 旨 には 非ず 。
ら し む る も のも あ る べし 、 何 れ にす る も 此 の種 日本 と の間 に発 生 せ る既 成 事 実 を尊 重 す べし と 云 ふ に あり 飽 く迄 両 政 府 の組 織 を其 の儘
板
る 所 にて大 臣 の言 は る る点 に賛 成 な り。
に対 し適 当 な る方 法 に て之 を廃 止 又 は修 正す る こと は勿 論考 慮 し居
果 に し て 日支 の新 関 係 及 新 中央 政 府 の指 導 方 針 に反 す るが如 き も の
大 な る自 治 の権 限 を与 ふ る こと は 差 支 な し 、唯 中 支 に於 ては現 在 の
華 北 は其 の特 殊 事 情 に基 き 政 務 委員 会 の如 き を 設 け 之 に比 較 的
残す と 云 ふ意 味 には非 ず 。
維 新 政 府 を如 何 な る形 式 と なす や 一大問 題 にし て例 へば 仮 に経 済 委
る様 日本 側 に於 て斡 旋 し て差 支 な し。 尚 又国 民 党 全 国代 表 大 会 の開
政 区域 内 に於 て 工作 す る 必要 生 ず れば 申 出 に依 り 其 の工作 の可 能 な
汪
員 会 の如 き も のを作 ると せば 吾 人 は 既 に国 民政 府 時 代 全 国経 済 委 員
れば 対 外 的 には何 処 に交渉 し て宜 し き や迷 ふ場 合起 る べ く内 部 的 に
雑 を来 せ る経 験 あ り、 要 す る に中 央 と地 方 と の権 限 を は つき り せざ
為 右 は近 衛 声 明 と 一致 せず と て各 方 面 に誤 解 し居 る向 も あ る由 な る
汪
催 の地点 は南 京 を 避 く る こと然 る ベし と思 惟 せ ら る る処 如 何 。
次 に中 央 政 府 樹 立迄 の工作 に関 し て今 後 臨 時 、維 新 両政 府 の行
会 と鉄 道 、 交 通 、実 業 、財 政 各部 と常 に其 の権 限 を争 ひ非 常 な る混
は常 に権 限争 ひ に て衝 突 す べ し 。只 今 の御 話 に て大臣 の言 は れた る
が同 通 電 中 に は特 に ﹁協 定 地点 を除 く 外 ﹂ と あ り 、別 に其 の後 の具
異 議 なし 。 ︹ 以下 一行不明︺
趣 旨 は十 分 了解 し た るを 以 て右 趣 旨 に基 き 更 に具 体案 を研 究 致 し 度
決し て近衛声 明と矛盾 し居 らざ る次第 なるを以 て斯 る誤解なき様了
体的〓法中 には其 の撤退 の時期と方法 に付詳細 なる意見を掲げ居 り、
一、国 軍 の作 戦 は統 帥 の大 権 に属 し、 政 治的 理由 の為 に左 右 せ ら る
変 に よ り著 しく 増 強 せ り
来 の国 際 情 勢 の変 転 に資 せ ん と し て邁 進 し あ る も の にし て国 力 は事
承知せり。離国前 に若 し機会あらば更 に懇談致し度きも其 の機
︹ 註︺ 渡辺とは高宗武 のこと。汪兆銘工作は渡 辺工作 といわれていた。汪 は竹内とされていた。
紊 り に 云為 す るを 許 さ れ ざ る も の に属 す
る も のに あ らず と 思 惟 す
解 を願ひ度し。 板
︹註 ︺
会 なくば具体的問題 に関 しては影佐大佐を介 して御伝 へする ことと 致す べし。 五 相応 酬 要 領 ( 渡 辺 と会 見 の際 の参 考 ) 一、 近 衛声 明 の趣 旨 は帝 国 事 変 処 理 の根 本方 針 にし て現 在 及将 来 と 雖 微 動 だ も す る も のに あ らず 一、 汪 精衛 及其 同 志 が東 亜 再 建 設 の為 敢然 と し て其 所 信 に邁 進 し あ る に対 し敬 意 を表 す 帝 国 は汪 精 衛 を絶 対 に支 持 し東 亜 新 秩序 の建 設 に努 力 せ ん とす る も の なり 一、 帝 国 は抗 日政 権 に対 し ては 最 後迄 之 を膺 懲 す 、 蒋 介 石 を除 外 し 共 産 勢 力 を 一掃 し て改 組 せ る国 民 政府 が新 中 央 政 権 の傘 下 に 入 る こ
一、 支 那 の既 設 諸 政 権 に対 し て は其 今 日迄 の功 績 と 武 士道 的 精 神 と
と は 之 を拒 む も の に あら ず
よ り し て之 が将 来 を保 障 す る こと は 必要 なり と 考 へあ り 一、 日本 が呉 佩 孚 其 他 と 連 絡 し あ る は之 等 の力 の側 面 的援 助 に より て ﹁汪 ﹂ の 工作 の進 展 に資 せ ん と す る も の にし て他意 あ る も の にあ らず 、 然 し、 ﹁汪 ﹂ の工 作 が 余 り に緩 慢 な る場 合 には 一般 の情 勢 が 却 て ﹁呉﹂ 其 他 に有 利 と な る こと なき を保 し 難 き を 以 て 工作 は急 ぐ
一、 日本 は支 那 及 英 米 等 が考 へる様 に財 政 的 にも 戦 力的 に も困 り あ
を要 す べ し
らず 、 否 、 寧 ろ此 機 会 を 利 用 し国 民 一致 協 力 し て新 軍備 を充 実 し将
五九
第一 要
旨
省 部 決 定)
と共 に之 が実行 に方りては其 の目的限度を明確 にし之 を指導す。
す以上の為特 に政戦 略施策 の 一致 を必要 となし所要 の準備を整 ふる
の予想 乃至現実 に立たしむるを要す るも のとし機 を捉 へて之を施策
右 目的達成 のため には第 三国 をし て此等利権 一切 の喪失か復活か
運用 す。
ひ第 三国 の操縦 に資 するものとし対日転向乃至事変解決等 の機略に
(昭和 十 四年 六 月 十 五 日
事 変 処 理 上 第 三 国 の活 動 及 権 益 に 対 す る 措
置要領
一、支那 に於ける第 三国 の活動及権益 の処理 に関しては第 三国 をし て援蒋態度を放棄 し我事変 処理に順応同調 せしむるを以て方針 とな 之 が為政戦両略指導 の見地より之を措置 し特 に其 の重要 なるも の
四、租界 に関 しては戦争遂行上 (治安 の維持、軍隊 の生存及戦争自
す。 に関 しては第三国操縦 のため事変処 理大局 の立場より運 用す るも の
五、長 江、珠江等内河に於 ける航権及商権に関 しては戦争遂行上所
じ又真 に已む を得ざ る場合軍事占領をも行ふ ことあり。
給 の確保等) の見地より要す れば封鎖、直接手 入等所要 の措置を講
とし局地末節 の係争 は之を避く。 二、事変間戦争及作戦遂行上第三国 の活動及権益を制 限するの必要
領
ある事項 に関しては其 の目的竝範 囲程度 を明確 にし之 を行 ふ而し て
要 の期間現封鎖を継続 する の外要す れば更に封鎖程度 の強化乃至封
第二 要
戦争行為 に伴 ふ特異 の要求 に関し ては要す れば其 の 一時的措置 たる
が強化を要 するものとし其 の実行 及対策 を準備し情勢 に鑑 み所要 に
動 及権益 の復活を認むべく又事変解決 に方り ては我国防及我国家存
六、第 三国 の対日転向具 現せば戦争遂行上支障無 き限 り逐次其 の活
ふるものとす。
鎖範囲 の拡大 をも行 ふことあり特 に之 が解放は大局 の政略手段 に用
応じ逐 次実施す。
立上已むを得ざ るも のの外 一応概 ね之 が旧状復活を認 め以て事変処
右拘束は事変 の長期なる に伴ひ殊 に該権益 が敵を利 するに従 ひ之
ことを明 かにし第 三国をし て承服せしむ。
三、租 界長 江等重要なる問題 に関 しては之 を大局 の政略手段 に取扱
事変中措置 せられたる我既成事実竝事変解決 に伴 ひ日支新関係 に
理 を容易ならしむる ことを方針 となす。 依 り具現 せら るべき事実等 と第 三国既存権益と の関係 を調整する に 方 りては 一般 に今次戦争 の目的竝限度 に即し且事変処 理の難易等を も考慮 して措置す るも のとし北支 に在り ては帝国 の優位 を中支 に在 りては自他併存を又南支 に在 りては第三国を拘束せざ るの趣旨 に則 り施策す。 事変中設定 せら れたる第三国新権益、第三国 へ譲渡 の形式 を取り たる偽装権益、事変 のため毀損 せられた る第三国権益等 に対し ては 七、我 に対す る列国 の共同動作 を避く る如く施策すると共 に政略運
事 の性質 に鑑 み本措置要領 に準拠 して処置す。 用 に資す るため我 と同調するも のに対 しては優先便宜 を許容 し既存 置を考慮 す。
権 益を認 むるのみならず新権益 の附与等之 が善導 のため広範囲 の措 八、現地に於け る具体的措置は禍根 を究明し目標を確認限定し て施 一般に局 疆的各種懸案事項に就 ては着 々解決処置するを以 て本旨
策すべく末 節に係争す ることなし。 となす。 九、本問題 に関す る措置は其 の性質 に応じ成 るべく支那側を内面指 導し表面之をして第 三国 に当たらしむ るものとす。
六〇
第 三艦隊機密第 一二三号
第 三艦 隊 参謀 長)
華 中鉄 道 株 式会 社 監 督 規程 に 関 す る件 申 進 (昭和 十 四年 六 月 十 五 日
会社と称す) に対する軍事上必要 なる鉄道監督に関し規定す るも
陸軍又は海軍は重要軍事行動終了に至 る迄緊急 を要す る場
軍事上 の必要 に基き鉄道会社 は左記事項 に関し ては維新政 記 二、役員 の選任及解任
一、定款中重要なる事項 の変更
左
府 又は振興会社 に対する認 可申請前陸軍 と協 議するも のとす
第六條
第五條 前 二条 に依 る鉄道会社 の損 失 の補償 に付 ては別 に之 を定む
求 を為し且之 に伴 ふ監督 を為す
第 四條 陸 軍又は海軍 は直接鉄道会社に対し作戦警備上必要 なる要
す
合 には直接鉄道会 社に対し軍事上必要 なる事項 を命 じ且之を監督
第 三條
直接鉄道会社 に対し其 の実施 を監督す
社 (以下振興会社と称す)を通 じて鉄道会社 に命令 する事項 に付
陸軍 又は海軍は陸 軍大臣 又は海軍大臣 の中支那振興株式会
上海南京在勤武官、漢 口海 軍特 務 部 長
( 終)
第二條
海軍 省軍務局長、軍令部第 一、二、部長 殿
のとす
上海特陸司令官、上海 駐 在 主計 科 士 官 第 一根拠地隊司令官、第十 一戦 隊司令官 第 二聯合航空隊 司令官、華中連絡部次長
添)
首題 の件別紙 の通陸軍最高指揮官 、海軍最高指揮官間 に協定相成 候 (別 紙
昭和十四年 五月 一日 (中 支方面陸海軍協定)
本規程 は日本陸軍最高指揮官 (以下陸軍 と称す)及日本海
華中鉄道株式会社監督規程
(別 紙)
第 一條
軍最高指揮官 ( 以下海軍と称す) の華中鉄道株式会社 (以下鉄 道
四、鉄 道会社 の目的 たる事業 に関聯 ある重要 なる事業 の経営
三、合併竝 に解散 の決議
華中鉄道株式会社 に対す る軍事上 の要求及監督実
に当 りては作戦警備上緊急を要す る場合を除き原則 とし て陸軍最高
一、蘂中鉄道株式会社 に対し海 軍最高指揮官 は軍事上 の要求 を為す
(一四、五、 二二、決定)
施 上の陸軍最高指揮官海 軍最高指揮官間諒 解事項
軍事上 の必要 に基き鉄道会社 は左記事項 に関しては予め陸
軍 の承認を受くるも のとす
第七條 記
一、陸軍最高指揮官は左記事項 は速 に其 の内容 の通報を受 け之 が実
指揮官 を通じ て之を行 ふも のとす
左 一、鉄道 の建設、重要なる改良及復旧等重要なる事業 の計画
記
一、華中鉄道株式会社監督 規程第六條第七條及第九條 の事項は陸 軍
上緊急を要 する場合 に為したる命令 又は要求事項
海軍大臣又は海軍最高指揮官 の華中鉄道株式会社 に対し作戦警備
左
施 を監督す
二、広範囲 に亘 る列車又は自動車 の時刻改正 三、著 しき又は重要な る定員 の変更 四、其 の他前各号 に準ず る重要な る事項 軍事上 の必要 に基き鉄道会社は左記事項 を陸軍及海 軍に報
告す るも のとす
第 八條 記
重要 なる事業 の計画 に付 ては其 の都度陸軍最高指揮官 より海軍最高
最 高指揮官之 を管掌するも のとす但し第六條 の事項竝鉄道 の建設等
左 一、重要な る職制 の制定及改廃
指揮官 に事前 に協議す るも のとす
二、重要 なる規 定 の制定及改廃 三、鉄道及自動軍 の営業開始 又は廃止 四、附 帯事業 の創設 又は廃止 五、停車場 、機関庫、 工場等 の開設 又は閉止 六、鉄道 又は自動車 の重大事故 七、鉄道車輛及自動軍 の新造 又は変更 八、其 の他前各号 に準ず る重要 なる事項 陸軍は軍事 上必要 ありと認むるときは鉄道会社 の業務 を検
閲 し又 は前條以外 の業務 上の報告を命ず る ことあるべし
第九條
軍事機密 第 四号
昭和十三年十 一月 二十八日 五 相 会 議 決 定 十 一月三十日御前会議決定
︹註︺
(昭和 十 四年 七 月 二 七 日
︹参謀本部 ︺
第 二課 )
二、北支及蒙 疆に於 ける国防上竝経済 上 ( 特 に資源 の開発利用)日
経済提携原則 の設定
六 一 日 支 新 関 係 調 整 方 針 の分 析
日支 新 関 係 調 整 方針
蒙疆地方は前項 の外特 に防共 の為軍事上竝政治上特殊 地位 の設定
支強度結合 地帯 の設定
三、揚子江下流地域 に於け る経 済上日支強度結合地帯 の設定
日 満 支 三国 は東 亜 に於 け る新 秩 序 建 設 の理想 の下 に相 互 に善 隣 と し て結 合 し東 洋 平 和 の枢軸 た る こと を 共 同 の目 標 と為 す 之 が為 基 礎
調 整
要
項
本
原
容
則
本 条 約 外 扱
基本
性質
公
公 秘 扱
全
範 囲 全 支 蒙北 三中南 彊支 角 支支
之 が具体的事項 に関し ては別紙要項 に準拠す
た る べ き事 項 左 の如 し 。
関 係
内
四、南支沿岸特定島嶼 に於ける特殊 地位 の設定
紙 新
一、互 恵 を基 調 とす る日満 支 一般提 携就 中 善 隣 友 好 、防 共共 同 防 衛 、
別 日 支
第 一 善隣友好 の原則 に関す る事項 日満支三国は相互に本然 の特質を尊 重し渾然 相提携し て東洋 の平和を確 保し善隣友好 の実を挙ぐ る為各般に亘り互 助連環友好促進 の手段 を講 ず 基 る こと
協
調
非 好 誼 禁 絶
満 洲 国 承 認 支那領土主権尊重
一般
一般
一般
公 内 容 秘
公
公
全
全
全
二、日満 支三国 は政治 、外交、教育、宣伝 、交 易等諸般 に亘り相 互に好 誼を破壊するが如 き措置及原因 を撤廃し且将来 に亘り之 を禁絶 す
満支三国は新国交を修復す
交
全
一、支那は満 洲帝国を承認 し日本及満洲は支那 の領土及主権 を尊 重し日
三、日満支三国 は相 互提携 を基調 とする外 交を行 ひ之に反 するが如 き 一 外 切 の措 置を第 三国 との関係 に於 て執らざ るも のとす
公
公 内 容 秘
一般
導
一般
力 指
導
協
面
指
蒙 、
蒙 、 北 、 三 、
内
面
秘 内
化
政 治 形 態関係
青 、 上 、厦 、
公
中 央 蒙 、北 、 三、
一般
公 内 容 秘
全 北、中、南、
導
一般
秘
範 囲 全 支 蒙 北 三中 南 疆 支角 支 支
指
一般
公 秘 扱
全
面
問
性質
公
顧
還 附属協定若 は諒解
基 本
全
返
則
一般 公 軍事 内 容 秘
益
原
力
内
権
本
協
本 条 約 外 扱
基
共
容
防
内
文
四、日満 支三国 は文化 の融合、創造及発展 に協力 す 五、新 支那 の政治形態 は分治合作主義に則 り施策 す 蒙疆 は高度 の防共自治区域とす 上海 、青島、厦門は各 々既定方針に基く特別行政区域とす
合 地帯其 の他特定地域 に在 りては所要 の機関 に顧問を配置す
六 、日本 は新中央政府 に少数 の顧問 を派遣し新建設 に協力す特 に強度結
考慮す
七、日満支善隣関係 の具現に伴 ひ日本 は漸次租界、治外法権 等 の返還を
第 二 共同防衛 の原則に関す る事項
日満支 三国は協 同して防 共に当 ると共 に共通 の治安安寧 の維持 に関 し協 力する こと 一、日満支三国は各 々其領域内 に於ける共産 分子及組織 を芟除す ると共 に防 共 に関する情報宜伝等 に関し提携協力す
二、 日支 協 同 し て防 共 を実 行 す
之 が為 日本は所要 の軍隊 を北支及蒙疆 の要地 に駐屯す 三、別に日支防共軍事同盟 を締結す
之 を撤 収す
四、第 二項以外の日本軍隊は金般 竝局地 の情勢 に即応し成るべく早期 に
但保障 の為 北支及南京、上海、杭州三角 地帯 に於 けるも のは治安 の確 立 する迄之 を駐屯 せしむ 共 通の治安安寧維持 のため揚子江沿岸特定 の地点及南支沿岸特定 の島 嶼及之 に関聯す る地点 に若干 の艦船部隊 を駐屯す尚揚子江及支那沿岸 に於け る艦船 の航泊は自由 とす 五、支那は前項治安協 力のための日本 の駐兵 に対し財 政的協力 の義務 を 負ふ 六、日本は概ね駐兵地域 に存在する鉄道、航空、通信竝主要港湾水路 に 対し軍事上 の要求権及監督権を保留す
置竝軍事施 設は当分治安及国防上必要 の最 少限 とす
七、支 那は警察 隊及軍隊 を改善整理すると共に之 が日本軍駐屯地域 の配
日本は支 那の軍隊警察隊建設に関 し顧問 の派遣、武器 の供給等 に依 り 協力す
第 三 経済提携 の原則に関 する事項
日満支三国は互助連環及共同防衛 の実を挙ぐるため産業経済等 に関し長 短相補有無相通 の趣旨 に基 き共同互恵を旨とする こと
防
防 共
共 駐
実 屯
行
軍事
一般 軍 事
秘
公 内 容 秘
公 内 容 秘
全 蒙 、北 、
蒙 、北 、
全 蒙 、北 、
蒙 、 北 、 中 、 南
軍 事
公
盟
定 軍 事
同
協
蒙 、 北 、 三 、
事
属
公
軍
附
軍 事
収
定
撤
協
力
属
兵
附
公 南支沿岸 駐屯内容 秘
蒙 、北 、 三、
駐 兵 費 協 力
基 本
性質
公
公 秘 扱
公 内 容 秘
全
範 囲 全 支 蒙 北 三中 南 疆 支角 支 支
(全 )中 央 蒙、北、
中 、南 、
軍事
秘
蒙 、北 、三 、 中
屯 揚子江関係 及沿岸 航 泊は附属協 定
軍 事
秘
(全 ) 蒙 、 北 、 三 、
駐
定
軍事
秘
安
交通 に対す る軍事要求
改善整理は 軍事 内面指導
治
理 限
軍 事
本 条 約 外 扱
協
整 制
力
容
則
属
備 装
協
原
附
軍 武
政
本
) ) 、南 ( (
軍
内
基
一、 日満支 三国は資源 の開発、関税 、交易 、航空 、交通 、通信、気象、 測量等 に関し前記主旨竝以下各項 の要旨 を具現す る如 く所要 の協定を 締結す 二、資源 の開発利用に関しては北支蒙疆 に於 て日満 の不足資源就中埋蔵 資源を求む るを以 て施策 の重点 とし支那 は共同防衛竝経済的結合 の見 地より之 に特別 の便益を供与し其他 の地域 に於 ても特定資源 の開発に 関し経済的結合 の見地より必要 なる便益 を供与す
援 助を与ふ
三、 一般 産業 に就 ては努 めて支那側 の事業を尊重し日本は之に必要 なる
の所要原料資源 の培養 を図 る
農業 に関 しては之 が改良 を援助し支那民生の安定 に資 すると共 に日本
源 支
援
開 重
助
助
発 点
﹁努めて尊 重﹂ は 我方針
﹁不 足 資 源﹂及 ﹁施策 の重点﹂は 我方針
一般
一般
一般
一般
公
公
全
公 蒙 、 北 、中 、南 (一部 秘 )
公 一部 秘
蒙 、 北 、中、南
(
) (
全 蒙 、北 、 三
資 北
業
援
経 済 協定事項
産
業
(全 )中央 公 ) (一部 秘 ) 蒙 、 北 、 中
) ( 農
一般
興 合
財 経 政策援助
四、支那 の財政経済政策 の独立に関し日本 は所要 の援助 をなす
振 結
全 公 (一部 秘 ) 蒙 、 北
易 支
一般
交 北
一般
公 全 (一部 秘 ) 蒙 、北 、中
三
全
交 通 援 助協力
一般
公 (一部 秘 )
公
交 通 協 力重点
一般
二、第三国 の支那 に於け る経 済活動 乃至権益 が日満支経済提携強化
の損害を補償 す。
上 海 建設協 力
三、交易 に関 しては妥当な る関税竝海関制度 を採用 し日満支間 の 一般通 商 を振興す ると共 に日満支就中北支間 の物資需給 を便宜合理的ならし む
の援助乃至協力を与 ふ
六、支那 に於け る交通、通信、気象竝測量 の発達 に関し ては日本は所要
全支 に於 ける航空 の発達、北支に於け る鉄道 ( 〓海線 を含 む)、日支 間及支那沿岸 に於け る主要海運、揚子江 に於け る水運竝北支及揚子江 下流 に於け る通信は日支交通協力 の重点とす 七、日支協力 に依り新 上海 を建設す
附 一、支那 は事変勃発以来支那 に於 て日本国臣民 の蒙 りたる権利利益
の為 自 然 に制 限 せら る る は当 然 な る も右 強 化 は主 と し て国 防 及 国 家
三国 の活 動 乃 至 権 益 を 不当 に排 除制 限 せ ん とす るも のに非 ず 。
存 立 の必 要 に立 脚 せ る範 囲 のも のた る べ く右 目的 の範 囲 を超 え て第
ための作業 とも考 へられる。
︹ 註︺ 本文書 には ﹁十五 ・五 ・五﹂ の日付書込あり。日華基本条約交渉 の
六二
如 何 に し て和 平 を 実 現 す る か ( 昭和十四年 八月九 日夕廣東 に於 ける汪精衛放送訳文案 )
い のか と 云 ふ点 であ る 、抑 も戦 争 の際 に 一個 の人 間 とし て住 み得 る
に於 て予 の問 は んと す る所 は自 分 は何 故被 占 領 地域 に赴 ては いけ な
処 は要 す る に前 線 か後 方 か被 占 領 地 域 か 又 は外 国 か の何 れ か に過 ぎ
同 胞 諸 君 、 予 は今 廣 東 に於 て ﹁ラジ オ﹂ を 通 じ て諸 君 と相 対 し て
に在 り 而 か も今 や身 体 ま で諸 君 と同 じ 場 所 に居 る ので あ る から 心 中
居 る仮 令親 し く諸 君 を見 る こと が出 来 なく と も 精 神 は夙 に諸 君 と 共
な い、尤 も中 国 人 と し て は此 の外 にま だ行 く 処 が二 つあ る 、 一は上
る 、斯 か る場 所 に居 る か ら と て自 分 は何 等 其 の人 を 卑 し む と 云 ふ気
海 、天 津 の如 き 租 界 で あ り 一は 河 内 、香 港 の如 き外 国 の殖 民 地 で あ
言 ふべ か らざ る感 激 と興 奮 と を覚 ゆ る も の であ る。 予 は 曩 に 七月 九 日 ﹁予 の中 日関 係 に対 す る根 本観 念 と前 進 目 標 ﹂
あ る、 若 し 其 の人 の目的 と言 論 行 動 と が 一刻 も前 線 後 方 及被 占 領 地
持 は な い、 結 局 は其 の人 の目 的 と 其 の人 の言 論 行 動 と が問題 な の で
と 題 す る放 送 を試 みた るが 当時 放 送 の地 点 を 明 か に し な か つた 為抗 日 空論 家 達 は予 が被 占領 地域 に在 り て自 由 を 失 つて居 る に違 ひ無 い
な ら其 の努 力 は多 と す べき であ る、若 し其 の人 が外 国 帝国 主 義 勢 力
域 の民 衆 を 忘 る る こと なく 断 え ず 之 が解 放 と救 済 を念 願 と し て居 る
と 言 つた も の であ る、 予 は 茲 に諸 君 に告 げ る 、自 分 は昨 年 十 二 月 二 十 九 日和 平 に対 す る建議 を 発表 せ る後 一歩 も 河内 を離 れず 偏 に〓 介
の庇 護 の下 に涼 し い顔 をし て居 るな ら自 分 は固 より斯 かる輩 を卑 し
石 が国 家 民 族 の為 に予 の建 議 を受 け 容 れ ら れ む こと を希 望 し た ので あ つた 、然 る に待 つ こと数 個 月 、 此 の希 望 も全 く徒 労 な るを暁 つた
む も の であ る。
走 す る に当 つて其 の行 先 を 一々藍 衣 社 に通 知 す る義 務 も無 い から自
げ な いと す れ ば和 平 を言 ふ こと は 何等 差 支 な い では な いか 、 け れど
要 は な い、 若 し 又和 平 の望 があ り 和 平 の条 件 が国 家 の独 立自 由 に妨
若 し和 平 の望 が な いな らば 皆 一緒 に死 ぬ ま で で あ る から 何 も言 ふ必
前 線 及 後 方 に於 け る民 衆 は如 何 なる気 持 を抱 い て居 るで あ らう か、
ので あ る、 然 れど も 国家 民族 を救 ふ こと は 一日 も忽 にす べ か ら ざ る
然其 の行 動 は秘 密 と な る で あ らう 、 是 れ は 其 の当 時 に限 つた こと で
を 以 て茲 に始 め て和 平 の為 に奔 走 す る こと を開 始 し た の であ る 、奔
は な い、今 後 も 必要 に応 じ て は秘 密 の行 動 を 取 る か も知 れな い、茲
に自 由 に引 廻 さ れ て只 死 ぬ のを待 つば かり であ る、吾 々は此 の実情
と言 はれ る ので此 等 の民衆 は 口 を篏 し て言 ふ こと能 はず 〓 介 石 の為
も〓 介 石 及 共産 党 の圧迫 の下 に於 て は ﹁和 平 を 説 ぐ者 は漢 好 ﹂ な り
て か ら 日本 軍 は 這 入 つて来 て之 れ が為 に駐 屯出 来 な い と 云 ふ こと は
焼 け る と も 日本 軍 は這 入 つて来 ら れ な い こと は な い、 又焼 け て了 つ
然 ら ば問 ふ此 等 の犠 牲 に依 つて如 何 な る代償 が得 ら れ た か、 市 街 が
な い、考 へても 見 よ 、斯 く の如 き放 火 に依 つて人 民 を殺 し人 民 の生
︹ママ︺
に想 到 す る と き所 有 方 法 を 講 じ て 此等 前 線 及 後 方 に於 け る民 衆 を救
か 、廣 東 市 を焼 いた 丈 け な ら仕 方 も な い が武 漢 も逃 げ る時 に は同 じ
命 を託 す ると ころ の財 産 を焼 失 せ しめ た外 に如 何 な る利 益 が あ つた
を実 行 す る に忍 びず 其 の為 に徹 底 的 に焼 け な か つた が長 沙 こそは と
様 な命 令 を出 し て全 部焼 き払 ふ 心算 で あ つた 、命 令 を受 け た者 が之
被 占 領 地域 に於 け る民 衆 も其 の気 持 は前 線 及 後 方 の民衆 と同 じ で
は ねば な ら ぬ と思 ふ。
あ らう 、 気 持 ば か り でな く身 体 も繋 い で居 る の であ る か ら所 謂 生 き
緒 に死 ぬと 云 ふ な ら何 も 言 ふ こと は な い、 若 し 和 平 の望 あ り和 平 の
了 つた、 将 来 は 重 慶 も成 都 もす べ て同 じ 運 命 を辿 る で あら う 、 而 か
言 ふ ので未 だ占 領 も せ ら れざ る に 一物 も 残 さず 徹 底 的 に焼 き払 つ て
る時 は共 に生 き死 ぬ時 は 共 に死 ぬ訳 で あ る、 若 し 和 平 の望 なく 皆 一
条 件 が国 家 の独 立自 由 に妨 げ無 いな らば 当 然 和 平 を 叫 び 且 つ熱 烈 に
廣 東 の状 況 は如 何 、昨 年 十 月 迄 民衆 は当 局 から 日 本 の軍隊 は断 じ
已 ま な い であ ら う 、若 し果 し て和 平 の望 がな いな ら斯 く し て全 部 死
火 を 以 てす れば 結 局 全国 を挙 げ て瓦 礫 と化 し 灰燼 の巷 と為 さず ん ぱ
も斯 く の如 く 放 火 を 擅 にし て尚 足 らず 游 撃隊 の此処 彼 処 に於 け る放
て来 る こと は な いと の気 休 め の文 句 を聴 か さ れ て居 た 、 十月 初 旬 に
和 平 実 現 の方 法 を追 求 す べ き も の であ る こと 言 ふ迄 も な い。
至 つても 尚 斯 く言 は れ て居 た ので あ る 、愈 々日 本 軍 が来 る と な ると
で死 絶 の路 を辿 ら し む る 必要 が あ らう か、斯 か る叫 は前 線 及 後 方 の
の条 件 が国 家 の独 立 と自 由 に妨 げ 無 いな ら何 故 民 衆 を駆 つ て飽 く ま
民衆 は 口 を篏 せら れ て発 す る こと が出 来 な いが被 占 領 地 域 に於 け る
滅 す る こ とも 亦 已 む を得 ま い、 然 しな がら若 し和 平 の希 望 あり 和 平
も其 の逃 げ る際 に は更 に火 を放 つて民 家 商 店 を焼 き払 つた の で あ る、
民衆 は既 に斯 か る叫 を揚 げ て居 る の だ、 自 分 は何 の為 に被 占 領 地 域
当 局 は軍 隊 を 連 れ て先 に逃 げ出 し 民衆 を置 き 去 り にし て顧 みず し か
も の であ つた 、 し か も生 き 残 り焼 け残 つたも の に対 し て当 局 は何 故
に足 を踏 み入 れ た か と 云 へば此 の悲 痛 な る叫 声 に誘 は れた から であ
廣 東 の民 衆 が前線 後 方 に於 て身 に受 け た苦 痛 は斯 く の如 く惨 憺 た る
死 な な か つた か何 故 焼 け な か つた か と言 は ぬ許 り に断 えず 土 匪 を使
る 、予 は此 の叫声 と前 線 及 後 方 の 口を篏 せら れ て発 し得 な い叫 声 と
第 二 に予 の問 は ん とす る は何 故 自 分 が被 占 領 地域 に入 れ ば 直 ち に
を 一緒 に結 び つけ てや ら ね ば なら ぬと 思 ふ。
惨 なも の であ る 、当 局 は 何 故斯 く の如 き こと を 為 す ので あら う か、
自 由 を失 ふと断 ず る の か と 云 ふ点 であ る 、現 在 日本 が少 し も 予 の自
嗾 し て游 撃 の名義 を用 ゐ放 火掠 奪 の工作 を続 け て居 る ので あ る、 廣
そ れ は〓 介 石 が命 令 す る から で あ る、 〓 介 石 は 何 故斯 く の如 き こと
由 を奪 ふ様 な こと を し て居 な い こと は言 ふ迄 も な い が自 分 が既 に決
東 の民 衆 が被 占領 地 域 に於 て身 に受 け つつあ る苦 痛 は斯 く の如 く悲
を為 す の であ ちう か、 そ れ は共 産 党 の信 条 を 奉 じ て居 る から であ る 、
同胞 の自 由 に換 へん こと を覚 悟 し て居 る の であ る 。
否 自 分 は何 時 でも 我 が 生命 を以 て同 胞 の生命 に換 へ我 が自 由 を 以 て
らず ﹂ の理 窟 位 知 ら ぬ筈 は な い、 予 は 死 す と も予 の自 由 を 失 はず 、
心 し て此 の地 を踏 む 以 上 ﹁三軍 も師 を 奪 ふ べ し匹 夫 も志 を 奪 ふ べ か
由 財 産 の安 全 を 保護 し第 二歩 とし て和 平賛 成 者 聯 合 し て公 開的 に蒋
産 党 の 一切 の陰謀 と罪 悪 を粛 清 し 地 方 の治 安 を維 持 し 人 民 の生 命 自
し第 一歩 と し て公開 的 に和 平 に賛 成 し自 己 の力 の及 ぶ範 囲 に於 て共
る こと を 認 識 し て蒋 介 石 の欺 騙 宣 伝 を粉 砕 し蒋 介 石 の圧迫 か ら脱 出
を要 求 す る こと であ る 、斯 く す れば 和 平 の実 現 は短 期 間 内 に必ず 全
国 に行 き亘 る であ ら う 、和 平 の実 現 に依 り て独 立 と自 由 を 得 独 立 と
介 石 に対 し国 家 民族 を 重 ん じ て是 れ以 上和 平 の妨 害 を為 さざ る こと
自 由 を得 て共 同 生存 共 同発 達 の基 礎 は 定 ま り中 国 の復 興 も 東亜 の復
以 上 を 以 て予 の問 は ん と欲 す る所 を 説 き 了 つた が然 ら ば 如 何 にし
複 雑 な る が如 く し て実 は 極 め て簡 単 で あ る、 即 ち蒋 介 石 が彼 自 身 よ
て和平 を実 現 す べき や 、 今〓 に夫 れ を語 る であ ら う 、是 れ は極 め て
り も国 家 民族 を重 し と な し孫 文先 生 の大 亜 細 亜主 義 の遺 教 を奉 じ 日
興 も 必ず 是 れ より始 ま る で あ らう 。
或 は斯 う 云 ふ疑 問 を提 出 す る人 があ る か も知 れ な い、 即 ち仮 り に
本 の和 平 に関 す る声 明 を接受 さ へす れば 全 国 の停 戦 は立 ど ころ に実
率 者 が和 平 賛 成 の表 示 を な し反 共 の表 示 を為 せば 日本 軍 は決 し て之
重 に 且 つ明 白 に回答 し よう 、 若 し前 線 及 後 方 の行 政 当 局 及 軍隊 の統
吾 々が斯 か る表 示 を し た場 合 に 日本 軍 が依 然 攻 撃 し来 る に於 ては和
現 し継 で和 平 の談 判 は開 始 せ ら れ る の で あ る、 和 平 の談 判 に於 て善
然 し な が ら蒋 介 石 は彼 一個 人 の利 益 を顧 る こと 国 家 民族 の利 益 を
を 攻撃 す る こと は無 い、何 と な れば 日本 政府 は曩 に既 に中 国 に同 憂
隣 友 好 、共 同 防 共 、 経 済 合 作等 各 種 の問 題 を 協 議 し 其 の原 則 に基 い
顧 るよ り遙 か に大 で あ つて寧 ろ 国家 民族 の利 益 を 第 三 ﹁イ ンタ ー ナ
具 眼 の士 あ り出 で て時 局 を収 拾 し以 て中 国 の復 興 を図 り進 ん で東 亜
し め極 め て大 な る損 害 を受 く る に至 る に非 ず や と、 之 に対 し 予 は鄭
シ ヨナ ル﹂ の指 揮 下 に あ る共 産 党 に献 上 し て西 安 事 変 に助 けら れ た
復 興 の責 任 を分 担 せ む こと を望 む と の声 明 を出 し て居 る の であ るか
平 は水 泡 に帰 す る のみ な らず 、 徒 に士 気 を阻 喪 せ し め人 心 を離 散 せ
彼 一個 人 の報 酬 に代 へよう と し て居 る の で あ る、 故 に明 々白 々に和
ら 日 本 軍 は決 し て吾 々和 平反 共 の地方 と 軍 隊 に向 つて攻 撃 す る こと
て具 体 的条 件 を適 当 に折 衝 し て定 む る なら ば 全 国 国 民 の渇 望 す る撤
平 の望 あ るに拘 らず 且 つ此 の和 平 が 明 々白 々に国 家 の独 立 と自 由 に
は無 い筈 である、現 に自分は廣東 に於 て安藤南支最高指揮官と会見
兵 問 題 も 必ず 解 決 出 来 る の であ る 、何 と極 め て簡 単 な事 で はな い か。
妨 げ 無 い のに拘 らず 彼 は敢 然 と し て 一切 を顧 ず 反 対 を続 け斯 く し て
前 線 及 後 方 に於 て行 政 当 局 及 軍 隊 を 率 ひ て居 る者 が和 平 の望 あ る こ
る や決 し てむ づ かし いも ので はな く 実 際 は極 め て簡 単 であ る、即 ち
然 し な がら 此 の 一大 障 害 を除 く には 〓 に方 法 が あ る、 其 の方 法 た
るも のと確信す るに至 つた、即ち日本軍は啻 に此等 の軍隊 に対し て
支最高指揮官 は必ず極め て友好的 に以下数項 の実 現方を考慮 せられ
し果し て廣東方面 の中国軍隊 が和 平反共 の表示を為 すならば安藤南
し和平実現 の方法 に関 し互 に誠意 を披瀝し て語りたる結果自分は若
︹利 吉 ︺
和 平 の実 現 に 一大障 害 を与 へて居 る ので あ る 。
と を暁 り 且 つ此 の和 平 が国 家 の独 立 と 自由 に何 等 妨 げ な いも ので あ
官 の同 意 を得 て先 づ廣 東 に於 て局 部 的 停 戦 を実 行 し得 るも の であ る
と が 予 の和 平 の主 張 に賛 成 す る なら ば 自 分 は 必ず 安 藤 南 支 最 高指 揮
国 に移 譲 す る こと 是 れ で あ る、 故 に若 し 廣東 方 面 の行 政 当 局 と 軍隊
せ る地域 に於 け る治安 警 備 及 行 政 経 済 を 日 本 軍 の手 よ り逐 次 之 を 中
り 何 人 と難 も和 平 の実 現 を 阻 む こと の出 来 な い こと は 予 の信 じ て疑
件 が国 家 の独立 と自 由 に害 な き 限 り 且 つ夫 れ が復 興 の基 礎 と な る限
す る に違 ひ な いと想 ふ、 し か し な が ら夫 れ は無 効 であ る 、和 平 の条
行 政 当 局 及 軍隊 の統 率 者 を 強 制 し て連 名 の通 電 を 発 せ し め 予 を攻 撃
同 胞 諸 君 、自 分 が此 の放 送 を し た後 蒋 介 石 は必ず 各 前線 及後 方 の
こ と が出 来 る ので あ る。
こと を今 日敢 て〓 に公約 し て憚 ら ぬも ので あ る 、斯 く し て将 来 此 の
は ざ る所 であ る。
立 ど ころ に攻 撃 を 停 止 す る の み ならず 更 に進 ん で 日本 軍 の既 に占 拠
方式 を以 て漸 次 之 を全 国 に及 ぼす な ら ば 全国 の和 平 は完 全 に恢復 す る で あ らう 、 特 に廣東 市 の市 民 に対 し て敢 て告 ぐ吾 々は斯 く し て最 短 期間 に必 ず 廣 東 市 を廣 東 市 民 の手 に 還 し廣 東 市 をし て昨 年 十月 以
こと を。
前 よ り も遙 か に秩 序 あ り 一層 幸 福 な る楽 土 た ら しむ る こと が出 来 る
同 胞 諸 君 、諸 君 は予 の放 送 を 聴 か れ て予 の所 謂 和 平 は実 現す べし
て空 想 では な く早 晩 証 明 せ ら る べ き事 実 であ る こと を 了解 せ ら れ た
而 し て和 平 の条 件 は国 家 の独 立 と自 由 に妨 げ な いと 云 ふ こと が決 し
同 胞 諸 君 、諸 君 は被 占 領 地域 の民衆 で はな い か、 諸 君 は是 れま で
で あら う 。
を忍 ん で来 た の で あ る、 蒋介 石 が諸 君 を見 捨 てた後 は更 に諸 君 に種
前 線 に於 て の又後 方 に於 て の責 任 を負 ひ許 多 の苦痛 と許 多 の犠 牲 と
種 の悪 名 を加 へ諸 君 が 生 き 残 り焼 け残 つた のを 憎 ん で飽 く 迄 も 焼 き 尽 し飽 く迄 死 の途 に立 た し め ん と し て居 る ので あ る 、蒋 介 石 は 日 本 を 以 て敵 と せず 中 華 民国 を 以 て敵 とな し 中華 民国 の民 衆 を敵 と し て 居 る ので あ る、 今 日 蒋介 石 こそ は実 に和 平 に 対 す る唯 一の妨 害 者 で あ る 、諸 君 は此 の妨害 者 を除 く こと に依 つて 必然 的 に種 々 の悪 名 を 洗 ひ去 り新 た に中 国復 興 の柱 石 と な り進 ん で東 亜 復 興 の柱 石 と な る
目 釈
六三
次
合 の実現 を図る。
日満 財 政 経 済 研 究 会)
位 を承認 し且 つ揚 子江下流地域 に於ける日支経済 の強力緊密 なる結
二、支那政府は北支 の国防上並経済上 の特性 に鑑 み日本 の特殊的地
︵昭 和 一四 、 一〇 、 一〇
日支 経 済 提 携 に 関 す る 協 定 要 綱 案
日支経済提携 に関す る協定要綱案 註
三、支那政府は日満両国人 の支那内地 に於 ける居住旅行及営業 の自
整す
一般 に既成事実 に関 しては日支両国政府 は本協定 に基きて之 を調
一、第 三国 の既得権益 と本協定 の関聯条項
四、支那政府は産業法規 の適正なる改 訂を行 ひ日満両国と の経済提
由 を確認し生命財産 の安全を保障す
二、九国条約と本協定 の関聯
経済協議会 に関す る規 定 附録 三、海関総税務 司の地位
則
のため経済協議会 を設置し所要 の計 画立案若くは指 導統制 を行 ふ経
五、 日満 支三国 は主 とし て北支及揚 子江下流地域 に於 ける経済建設
携 を便ならしむ ( 註 二)
四、支那海関における外国人 の勢力
一、 総
日支 経 済 提 携 に関 す る協 定 要 綱 案 ( 註 一)
業
一、既存 のものを除き北支に於 ける特定埋蔵 資源を目的とす る鉱業
二、産
に日満支 三国経済 の相剋 摩擦 を調整し其融和協調を図 るも のとす
又全支経済 に関 しても経 済協議 会は所要 の立案諮問 に応ず ると共
一、 日満 支 三 国 は 互 助連 環 及共 同 防 衛 の見 地 よ り資 源 の開 発 、 関税 、 済協議会 の組織権限 は別 に之を定 む。 交 易 、 航 空 、 交 通 、 通信 、気 象 観 測 、 測 量等 に関 し資 本 、 技 術 及労 力 等 の長 短 相補 有 無 相 通 を計 り 三 国経 済 の自 給 性 を高 め 其結 合 を計 る こと を 当 面 の目標 とし て〓 に平等 互 恵 の立 場 に於 て経 済提 携 を約 す
権 の出願 は日支合〓支那法人特殊会社 (仮称華 北鉱 業 開 発株 式 会 前記特殊会社 の取得せる鉱業権 に対す る租鉱 権 の設定 は経済協議
社) に限る ( 註三) 会 の指定せる特殊会社 の他之を為す ことを得ず
三、財 政 金 融
一、支那政府 の財政的基礎 の確立 に関し日本 は所要 の援助を与ふ
二、将来支那に於 ける新幣制 を樹立するに当 りては経済協議会に諮
三、新幣制 の樹立 に関し 日本 は所要 の援助を与 ふ
問 するを要す
四、支那政府は中国聯合準備銀行券及華興商業銀行券 につき各種 の
其他 の地域 に於 ても特定埋蔵資源 の開発利用 につき所要 に応じ日 支合議 の上前各項 の規定を準用 することを得
現行措置 を暫定的 に容認す
むるため現行関税率並関税制度 の根本的改正 を行 ふ。(註七)
一、支那政府は日満支特 に北支間 の物資需給 を便宜且合理的ならし
四、交 易 関 税
二、北支に於 いて本協定 に関係 ある経済建設は経 済協議会 の立案 に 三、北支に於 ける特定重要産業 は第三国 の既得権益に属す るも のを
二、支那政府は海関高級職員並海関員 に日本人 を増員す。(註八)
基き三国提携協力 して之を実行す 除き経済協議会之 を統制し必要 ある場合 に於 ては特に其指定 せる特
の上新 に開港場として指定す
三、連雲港 (江蘇省)、安慶 ( 安徽省)其他適当 なる港湾を日支合議
殊会社をして之 を経営 せしむ ( 註 四) 其他 の地域 にありても特 に必要 ある場合 に於 ては日支合議 の上前 項 に準 ずる ことを得 (註五)
水運及揚子江下流 地域 に於 ける通信事業を経済協議会 の指定 せる特
一、支那政府は全支 の航空 、北支 に於 ける鉄道及通信、揚子江幹 線
五、交 通 通 信
ものは可及的速 に原所有者 の経営管理 に復帰 せしむるを本旨 とし所
四、事変後日本 の軍管理 に属したる企業 にし て前記特殊会社以外 の 要 の事業に関 しては新経済建設 の方針 に即応す る如く之 を調整す
殊会社 に委託経営 せしむ
旧 に要したる金額 は日支特別委員会 の査定を俟ちて善後措置を講ず
三、第 一号に規定 せる事業 の新線建設は経済協議会 の立案計画に従
二、国営 の交 通通信事業 には所要 の日本人技師 を招聘す
項 の規定を準用す ること を得
其他 の地域 の交通通信事業 に関し ても所要 に応じ日支合議 の上前
五、前条 の場合 に於 て軍管理後 生産設備増設 に要したる金額は該企
るも のとす
業 に対する日本側 の出資と看做 し事変 により蒙 りたる破損 の修理復
六、農 業及牧畜業特 に北支 に於 ける重要食用及工業用農畜産品 の改
四、鮮満北中支就中揚子江以北間 の鉄道 につき てはそ の連絡 運輸 の
ふものとし其他 に関 しては所要 に応じ之 に諮問す るも のとす
其 の特に指定 せるものにつき日本は優先的買 収 の為便宜を享 有す
完全 を期するため運賃、ダ イヤ編成、建設補修資材等 の統制 に関 し
良増産 に関し日本 は所要 の資本的技術的援助を与ふ (註六)
釈
註 一、蒙 疆 地方 に於 て は北 中 支 に比 し政 治 的 地 域 的 特殊 性 著 し き こ
註
五、 日支間及支那沿岸 に於 ける主要海運並揚子江に於 ける水運 に関
と 、 近代 産 業 の発 達 低 度 な る こと 、第 三国 の既 得 権 益極 め て寡 き こ
三国 は提携協力す しては航路 、配船 、運賃 の協定、港湾施 設 の共同利用等 につき三国
と 、政 治 経 済 に於 け る 日本 の指 導性 高 度 な る こ と等 の諸 事情 存 す る
本協 定 よ り蒙 疆 地 方 を除 外 せり
に よ り 、本 協 定 と 別 箇 に経 済協 定 を締 結 す るを 妥 当 と す る を以 て、
註 二 、 現行 産 業 法 規 に於 ては排 外 的 傾 向 特 に外 国投 資 の制 限 に関 す
他
一、北支及揚 子江下流地域 に於 ける港湾、運河及公路 の改修新造計
る条 項 の包 含 せら る るも の多 数 あ り。 そ の顕 著 な る事 例 とし て鉱業
六、其
は提携協 力す
画、都 市計画並治水事業計画中其主 要なるものに関し ては経 済協議
法
会 の立案計 画に従 ひ其他 の地域 に関しては所要 に応じ之 に諮問 する
業
中 華 民 国領 域 内 の鉱 物 は国 有 と し 本法 に依 り 鉱 業 権 を 取得
鉱
法 (民国 二十 一年 修 正 ) の当 該 条 項 を掲 記 す れ ば 左 の如 し
第 五条
第 二条 に列 挙 し た る鉱 物 にし て第 九条 に定 む る国営 鉱 物 及
す る に非 れば試 掘 、採 掘 を為 す こと を 得 ず
第 一条
も のとす 二、前 条 の事業計画、特 に白河及黄河 の治水 、北支 の主要港 湾及公 路 の建 設等 に対し日本 は所要 の資本的技術的援助 を与 ふ 三、揚 子江下流地域 を強度 の日支経 済結合 地帯 たらしむ るため新上 海建設其他 に関し日支両国 は提携協力す
は本 法 に依 り て鉱 業 権 を取 得 す る こと を 得但 し所 在 地 の縣市 政 府
第 十 条 に定 む る 国家 保 留 区 域 に属 す るも のを除 く 外 中 華 民 国 人民
は優 先 権 を 有す
四、支那 に於け る気象観測及測量 の発達 に関し日本は所要 の援助協 七、特殊会 社の合〓形態
力 を与 へ支那 は気象及測量 の利用 に関 し日本 に特別 の便益 を与 ふ
株 式 会 社 な る場 合 に限 り 外 国 人 の株主 た る こと を許 す こと を得 但
前 項 の中 華 民 国 人民 の経 営 に係 る鉱 業 が会 社 組 織 な ると き は其
し 左 記 の制 限 を受 く るも のと す
一、本協定 に於ける特殊会社 はす べて日 (満)支合〓 の支那法人た るを要す
二、 会 社 の取締 役 の過 半 数 は 中 華 民国 人 民 た る べし
二、前記特殊会社は第 三国資本 の参加を妨げざ るも概 ね左記 の事項
三 、 会社 の取 締 役 会 長 及 支 配 人 等 の職 は中 華 民 国 人 民 を 以 てす べ
一、 会 社 の総株 数 の過 半 数 は 中 華 民 国 人 民 の所 有 た るべ し
イ、資本金 の過半数 は日本 (満洲)側若 くは支那側 に於 て占むる
し
に従 ふ
ロ、理事 の過半数及理事長は日本 ( 満洲)側若くは支那側 に於 て
第九条 鉄鉱 、石油鉱及 び冶金用 に適する有煙炭 は国営 とし国家自
を要す 占むるを要 す ( 註九)
ら試 掘採 掘 を行 ふ国 家 自 ら 試 掘採 掘 を為 す 必 要 な き と き は之 を 賃 貸 し て試掘 採 掘 を為 さし む る こと を得 但 し賃 借 人 は中 華 民国 人 民 に限 る 天 然 瓦斯 に し て ﹁ヘリ ウ ム瓦斯 ﹂ を含 む とき は政府 は其 天 然 瓦 斯 に対 し て ﹁ヘリ ウ ム﹂ を 採 取 す る権 利 を保 留 す る こと を得 鉄 、 石油 、銅 等 の鉱 産 物 は政府 優 先買 収 権 を有 す
ね 左 の如 し
鉄 鉱 、 マ ン ガ ン鉱 、 タ ン グ ス テ ン鉱 、 ア ン チ モ ニ ー 鉱 、 金 鉱 、
螢 石 、石 炭 、 礬 土頁 岩 、菱 苦 土 岩 、
︹四字 不明︺
白 金 鉱 、 ニ ッケ ル鉱、 鉛 鉱 、亜 鉛 鉱 、 銅 鉱 、錫 鉱 、水 鉛 鉱 、 水 銀 鉱 、硫 化 鉄鉱 、
油 母頁 岩 、 耐 火粘 土 、黒 鉛 、硝 石 、 滑 石 、 石綿 、雲 母 、石 灰 、
華 北鉱 業 開 発 会 社 は 左 の事 業 を行 ふ
石油
イ 、鉱 業 権 の取 得 ( 採 掘 は主 と し て経 済 協 議 会 の指 定 せ る特 殊
B
会 社 之 を行 ふ)
前 項 の鉱 産 物 の外 国 輸 出 数 量 及 期 限 は其 契 約 を中 央 主 管機 関 に
必要 の場 合 には制 限 を加 ふ る こと を得
提 出 し て其 許 可 を経 る に非 れば無 効 とす 許 可 を経 た る場 合 と雖 も
ロ、 租鉱 権 の設 定
ハ、 鉱山 及 精 錬 事 業 への投 資 並 金融
前条 各 鉱 物 及 び左 記 各 鉱 物 は農 鉱 部 が保 留 の必要 あ り と認
め た る場 合 区 域 を劃 定 し て国 家 の保留 区域 と し試 掘 採 掘 を禁 止 す
第十条
ニ、 其他 前 各 項 に附 帯 す る事 業
アンチモニー
タ ング ス テ ン
八
五
二
燐
ウ ラ ニウ ム
マ ン ガ
六
三
ラ ヂ ウ
ア ル ミ ニウ ム
ハ、 石 炭 液 化 業
ニ、 塩 業
ホ、 発 送 電 事 業
ヘ、
右 は 更 に経 済 協 議 会 専 門 委 員 会 の決 定 に俟 ち て地 域 的 に劃 定 す
の採 掘 業 等
イ 、 炭 礦 、鉄 鉱 、 金 鉱 、 マ ンガ ン鉱 、 タ ング ステ ン鉱 、 礬 土 頁 岩
し
註 四、 北 支 に於 け る重 要 統 制 産 業 と し て特 定 す べ きも の当 面 左 の如
る こと を得
ム
鉱 業権 にし て左 記 事 由 の 一あ り た る と き は直 ち に之 を
ム
四
一
カ リ ウ
ン
七 第 四十 一条
略
ロ、 製 鉄業
べき も のと す
国 家 が国 営 鉱 物 の試 掘 又 は採 掘 を行 ふ と きは 会 社組 織 と
支 統 制 産 業 に準 じ て措 置 す る を便 宜 とす
註 五 、 中 南 支 に於 け る左 記 産 業 に関 し ては 平等 合 〓 の形 式 に於 て北
定 す べき も のとす
右 は 更 に経 済 協 議 会 専 門 委 員 会 の決 定 に俟 ち て経 営 規 模 別 に確
瓦 斯 水 道業 等
鉱 業 権 を 外 国 人 に移 転 し 又 は抵 当 に供 し た る と き
取消 す 一 二 第 五十 条
し個 人 の出 資 を許 可 す る こ とを得 但 し外 国 人 の出 資 す る場合 に於
其 鉱 業権 を確 保 す べき 埋 蔵 資源 と し て特 定 す べき も の概
小 鉱業 は 外国 資 本 を 入 る ゝ こと を得 ず
て は尚 ほ第 五 条 第 二項 の規 定 を適 用 す 第 六十 一条 註 三、 A
六 河 溝 (河南 省 )、 淮 南 ・大 通 ・烈 山 (安 徽 省 )の炭 礦 業 、大 冶
ロ、北支特定 重要産業 の統制 指導
ハ、特定交通通信事業 の新線建設 に関す る立案計画並其 の実行 の
鉱 採 掘 業 、浙 江省 の螢 石 、 江 西省 の マ ンガ ン鉱 、湖 南 ・廣 東 省 の
ニ、特定交通通信事業受託経営会 社 の指定及其 の業 務監督
(霊 郷 及 鄂城 を含 む 、 湖 北 省 )、 太平 ・銅 陵 ・繁 昌 ( 安 徽 省 )の鉄
ア ン チ モ ニー鉱 、江 西 ・湖 南 ・廣 東 省 の タ ング ステ ン鉱 等 の採 掘
ホ、北支及揚 子江下流地域 に於ける港湾、運河、公路 の改修新造
計画、都市計 画及治水事業計 画中主要 なるも のの立案並其 の実行
業等
棉花、羊 毛
註六、当面左 のものを指定す
噸税其他雑税 の改正を含 む。尚 、関税制度並関税法規等 は日満支三
チ、日満支 三国経済 の融和協調 を図 る
ト、財政政策 の確立並新幣制樹立 に関す る諮問 に応ず
画を為し若 くは諮問 に応じ又は統制 を行 ふ
ヘ、前各項 に関 し前記所定 以外 の地域 に於 ても所要 に応 じ立案計
の指導
国相 照合 して可及的に整 理統合 を計 るを旨とす
註七、関税 の改正 には輸入税 の他 、輸出税、転口税 、各種附加税、
註 八、支那政府 に於て海 関総税務司 に支那人を任用 せんとす るに当
諮問 に応 じ又は之に建議す
リ、其他 三国経済 の聯繋融合 に関す る重要事項 につき三国政府 の
北支 に於 ける重要統制産業中国防上緊要 なる産 業及 一般
りては日本 は之を援助協力す 註九、A
三、支那政府各部 の所管事項中前掲記載事項 に係 るも のは経 済協議 織
産業 の基礎たるべき産業並特定重要 交通企業 にあり ては日本側優
B 組
会 に移管 せるも のとす
公共公益的事業 にあり ては支那側優位 を占む
位 を占む るも のとす但し華北鉱業開発会社 は日支折半出資 とす
四、経済協議会 は日満支各国政府 の任命 せる委員若干名より成 り日
中南 支に於 ける重要統制企 業中前号第 一項 に属するも のは日
B
記)
イ、本協定 に於け る対支経済指導 の方針は所謂合同指導主義 に基き
( 附
六、北京支部 の組織規定は別に之 を定む
門委員会 を置く
五、経済協議会事務局 に企画部 、統制部 の二部を置 き所要 に応じ専
委員長は支那側委員 より互選し副委員長 は日満側 より互選す
満両国側委員と支那側委員を同数とす
経済協議会 に関する規定
支折半 出資 とし其他は前号第二項 に同 じ
限
一、経済協議会 を南京 に置 き支部 を北京 に置く A 権
二、経済協議会は日支経済協定 に基き左 の如き権限 を有す イ、本協定 に関係 ある北支 の経済建設及揚 子江下流地域 の日支経 済結合地帯設定 の立案並其 の実行 の指 導
そ の組 織 的 表 現 は 経 済協 議 会 な り、 即 ち 対象 の事 業 的 地 域 的 重要 性 に即 応 し て統 制 の緩 厳自 ら異 る と ころ あ るも而 も我 が生 産 力 拡 充計 画遂 行 上 重 要 な る産 業 に関 す る限 り に於 ては北 中 支 産 業 を 一 元的 に
右 の条項 は特 に英国 の現法幣支持 の方針 と衝突す。
せんとす る条項 ( 財政金融 二、三)
右は支那市場 に於 て日本品 と競争的立場 に立 つ諸国、特 に軽 工
ロ、現行関税率 の根本的改正 (交易関税 一)
業品 に於 ける英独、重 工業品 に於ける米国 (英独 の重工業品は日
我 が 生産 力 拡 充 計 画 の 一翼 たら し め 、 且 つ形 態 上 日支 の合議 協 同 に
本品を圧倒的 に凌駕 し、寧ろ競 争関係 を超越す る程度なり) の利 害 と衝突す
よ る支 那 経 済 開発 の体 を な し、 彼 の面 子 を害 ふ こと なく 而 も 我 に協
尚 、従 来 屡 々政 府 顧 問 、経 営 顧 問等 によ る個 人的 統 制 指 導 形態 採
力 せ しむ る こと を主 眼 と せ り
右は総税務司制 の存在と関聯して、対支債権国 たる欧米諸国 に
ハ、現行関税制度 の根本的改正 ( 交易関税 一)
るものなるを以て、欧米特 に英国 の対支貿易 、金融政策上 の利 益
便宜多き現行制度 を日満両国 の現制 と照合 して整理統合 せんとす
み て之 を排 し 、専 ら 公 明 且 つ有 力 な る合 議 的組 織 体 に よる統 制指 導
用 せ ら れた るも 、所 期 の目的 達 成 上遺 憾 の点 尠 から ざ り し 実情 に鑑
形 態 を採 用 す る こと と せ り
実 の主たるも のを掲記 せるも のなり。
次表は英米独仏 四国 の既得権益中、本協定 の条項と の関聯ある事
は免 れざ るべし。
接間接 に或 は制肘 を受 け或 は対外競争 力を減殺 せら るゝが如き影響
の接触面を有す るは当然 にし て、 この点 より第 三国 の事業活動が直
他的優先的 地位 の確保 を目指 せるを以て、第 三国 の既得権益 に多 大
なす とは いへ、地域的事業的 に日満支 三国 の共同統制 の実施乃至排
二、前述 の如く本協定 は第 三国 の既得 権益 を尊 重す るを以 て原則と
に影響す ると ころ僅少 ならざ るべし
ロ、北 支 開 発 及 中 支 振 興 の両会 社 は特 殊 会社 に 対す る資 金 ル ート と
録
し て当 分 存 置 す る も 、統 制 機 能 は経 済協 議 会 に移 管 す るも のと す
附 附録 一
第 三国 の既 得 権 益 と本 協 定 の関 聯 条項 一、本 協 定 の立 場 は 、 一般 に第 三 国 の既得 権 益 に属 す るも のを原 則 と し て尊 重 し 、 敢 て不当 に制 限 せん と す る も のに非 ざ るを 以 て、本 協 定 の実 施 によ り 、 直接 既 得 権 益 と摩 擦 を惹 起 す る も のと 見 ら る べ き も の殆 ど 無 く 、僅 に 次 の諸 点 に お い て若 干 の相 剋 を招 く可 能 性 存 す る のみ イ 、聯 銀 券 ・華 興 券 に つき現 行 措 置 を 暫定 的 に承 認 せし め ん と す る条 項 (財 政 金 融 四)、新 幣 制 を 日 本 のイ ニ シア チヴ の 下 に 樹 立
第
開
益
国
権
三
礦
礦
硬
事変前既得権益
炭
炭
A 〓
溝
炭
国
英
英
別
所
河
河
在
北
地
摘
(不
詳)
英 国経営 資 本金 一五四万磅
要
日支合〓 (日支折半)門頭溝炭 田 ( 揚家〓炭礦)は之と 接壌 す
日本向開平炭 は開平炭販売会社扱 英 支合〓 資 本金 一五〇万元 支那側 五 一% 英国側四九% 年 産三五万噸
英支合〓 、英支折半 資 本金 二〇○ 万磅 年産 五︱ 七、五百万噸
北
南 支
河 南
口
英 英 ・仏 漢
資 本金五〇〇千両、発電容量 一、〇七五 資 本金 三七千元、発電容量 一二〇 発電 容量 二、〇〇〇 資 本金二六〇千元 、発電容量二六〇
K W 英 支合 〓 資 本 金 一五 〇 千 元、 発 電 溶量 六 五 、 一九 二 九年 以降 四十 年 間 の
発電容量 一八三、五〇〇
K W
頭
作
英
浪
英 英
K W
門
焦
司 司 処 司
南 支 諸 鉱 山 利 権 公 公 気 公
海
K W
上海市内 資本金 一〇 〇百万法、発電容量 二三、三二〇
営権
払込資本八、〇 五 一千元、 一九三〇年 以降四十年間 の専
資 本 金 一、 二一八 千 元
年製造能 力二五七億数千万立方呎
払 込資 本 高 四、 一五 四 千 元 、
専営権 資本金二五〇 千元
K W
漢 口 電 燈 禮 昌 電 燈 英 工 部 局 電 北 平 電 気 鼓 天 北 山
佛 租 界 電 燈 公 司
嶼 津 京 關 上
津 海 英
海 米
英 英
天 上
海 海
上海大 英 自 来 火 行 公 司
山 海 關 電 燈 公 司 上 海 電 力 公 司
仏
上 上 米
海
海
英
上
上
上 海 自 来 水 公 司
仏
英
K W
上海 華洋 得 力風 公 司
上海佛 商 電 車 電 燈 公 司
中国公共汽車公司
K W
協
定
上
関
産業三ノ第 一項
同
上
産 業三ノ第 二項
同
同
上
産業三ノ第 二項
産業三ノ第 一項 同 上
聯
条
同 上 産業三ノ第 二項、其他三
上 第 一項
産 業 三 ノ第 二項 、 其 他 三
同
他
三
同 上 交通通信 一、其他三
其
産業三ノ第二項 、其他三
項
英 ・丁
英 上 上
海 海
南支航 路
揚子江航路 揚子江航路
英 ・丁
英 英
港 南支航 路 不定期 船 南 支航 路
大 東 電 信 会 社 大 北 電 信 会 社
英 ・米
香 東 海 港
司
米
上
上 上 上
海
海 海 海
揚子江航路 揚子江航路 米 支合〓 資本金 一千 万元、支那側五五%
米国側 四五%
呉淞︱福 州線、福州︱ 香港線海底電信 呉淞︱長 崎線、呉淞︱厦門線、厦門︱ 香港線海底電信 揚子江及北︱ 中︱南 支航路 揚子江及北︱中︱ 南支航路
英 広 上 香
海 海 海
英 英
上 上 上
英
公
独
業
印 度 支 那 航 業 亜 細 亜 火 油 公 司
米
航
業 行
米
那
行
祥 泰 木 行 公 司 省 港 澳 輪 船 公 司
支
洋 行
徳 記 利 士 輪 船 公 司
廣 賚 孚 洋 空
司
航 洋
美 江 航
公
東 賜
捷 中 国
空
〃
詳
英
四 、七 〇 九 千 磅
二、三五六千磅
一九 三 七、 七 、 一現 在 以下 同 じ 独
五 八 八 、四 八 〇 磅
独逸契約高 一〇、〇〇〇千元 借款未払残高二、七八四千磅 〃 六、〇九八千磅 ( 各国四分 の 一宛 )
借款未払残高四、三 三四、八八七法 (仏白折半 )
不
借款未払残高四六〇 千磅
疆 (欧洲線) の内 一線 を選択
由 欧 洲線 )、 上 海 ︱ 北 京 ︱庫 倫 (同 上 )、 上海 ︱ 漢 口︱ 新
契 約上 の特 許航空路 は上海︱北京︱哈爾賓 (シベリア経
の 一
営 独支合〓 資 本金 三百 万元、支那側持株三分の二、独逸側持株 三分
上海 ︱ 成都 、南 京 ︱ 北 平 、 上 海︱ 廣東 、 重慶 ︱ 昆 明 線 経
航
支
北︱ 中支 北
北︱ 中支 北 ︱中支 中 支 中 支
)
海 支
上 北
欧 亜
英 英 ・独
英
英 ・米 ・ 仏 ・独
(
道 道
仏
鉄 鉄
道
寧 浦
道
北 津 鉄
白 鉄
・
太
道 道
道
成
鉄 鉄
鉄
正
滬 廣
漢
同 平
京 湖
・ ・
白 独
仏 仏
上 上 上
交 通 通 信 一、 三 、 五 、共 他 三
交通通信 一 同 上
同 同 同
交通通信三、五 同 上
交通 通 信 一、 三 、 五
交 通 通 信 一、 三 、 五 、 其 他 三
上
交 通 通 信 一、 三 、 五 、 其 他 三
上
交 通通 信 一、 三
同
同
同
同
上
上
上
交 通 通 信 一、 第 一項 、 三
同
交 通 通 信 一ノ 第 一項 、 三
上
交通 通 信 一ノ 第 二 項 、 三 、其 他 三
同
清
孟
鉄
英
英 英 英
道
道
鉄
道 道
信
支 支
楓 鉄 杭 甬 鉄
支
浦
中 南
滬 滬 道 道
仏 ・白
南
支 支 支 支 支
鉄 鉄 道 道 道 仏
中 中 中 中 中
〓 九 鉄 鉄 鉄
英
米
英 ・米 ・仏 ・独
英
英 ・独
浙 廣 漢 欽 渝 道 道
米
南
支
〃
〃
〃
〃
二 〇 七 千磅
一、 一〇 〇 千 磅
二六三千磅
一〇 一千磅
(不 詳)
詳)
〃
〃
三 四、 五〇 〇 千 法
二、 三 三 五 千 米 弗
借 款未払残高 一、 二三四千磅
(不
廣東省鉄道建設借款残高 二、七〇〇千磅
不 詳 (昭十三、六香港情報) 鉄道建設材料 一億 二千万法 の貸付 (昭十三、四) 重慶︱南寧︱ 龍州︱鎮南關鉄道敷設 に対す る技術的財政 的援助 (昭十三、六)
(昭和 十 二 、 十 一、 二 十 三締 結 )
つき 、 四 十年 間 の独 占 採 掘 権
ウ オ ル フラ ム、 マ ンガ ン、 ア ン チ モ ニー以 外 の全 鉱 石 に
事変 後 の権 益 (左記 のも の以 外 尚 数 多 あ る べ き も の と想 像 せら る ゝも 詳 かな ら ず )
南 支 中︱南 支 中 支
粤 株 成 鉄 諸 鉄
東
越 省
〓 廣 B
廣 西省 鉱 山 採 掘 権
支 支 支
交通通信 一ノ第 二項、三
交 通 通 信 一ノ第 二項 、 三
同上及其他三 同 上
同 同
上 上 上
上 上
交 通 通 信 一、第 二項 、 三
同上及其他三
同 同 同
上
産業 三の第 二項
同
上
交 通 通信 一の第 二 項 、 三
同
ハ、揚 子江下流地域 に於ける日支経済結合地帯 の設定
南 南 南
ニ、特定重要農産物 に対す る日本 の優先的買収 の便宜
仏 仏 仏
三 、然 れ ど も第 三 国 が 将来 支 那 に於 て新 に権 利 利 益 を設 定 取 得 せん
雲 南鉱 山 開 発 利 権 南 寧 鉄 道 雲 南 鉄 道
と す る場 合 に あり ては 、 本協 定 の存 在 は第 三 国 に対 し相 当 の障 礙 た
ホ、特定交通通信事業 における特殊会社 の受託経営
ヘ、特定交通通信事業における新線建設計画 の経済協議会 による
る べき は言 ふま でも な し 。 そ の主 要 な る事 項 を 掲記 す れば 次 の如 し 。
ロ、北 支 に於 け る重要 産業 の経 済 協 議 会 によ る統 制 ( 特 に、 租 鉱
イ 、北 支 に於 け る鉱 業 権 の華 北 鉱 業 開 発 会 社 に よ る 独占
ト、主要土木事業 における経済協議会 の立案及実行 の指導
立案及実行 の指導
四、もとより我方は実行 の諸段階 において第三国 と の相剋摩擦を避
権 の設 定 、統 制 産 業 の経営 等 特殊 会 社 に よ る独 占 、特 殊 会 社 に於 け る第 三国 資 本 の制 限 )等
く る に万全 の努 力 を 払 ふ べ き も の にし て、機 械 的 に無 用 な る排 他的
これ に従 属 す べ き も のな るは 当 然 の こと なり と す 。 茲 に本 協 定 に於
るも のに非 ず 。 かく の如 き 門戸 開放 又 は機 会 均等 は支 那自 体 の国 防
い て 日支 両 国 が緊 密 な る経 済 提 携 を締 結 せ る は 日支 両 国 が 相 互 の国
的 経 済 的要 求 を も制 扼 し それ に優 先 し得 べ き も の に非ず し て 、寧 ろ
家 存 立 上 の根 本 的要 請 に基 く も のな るを 以 て、欧 米 列 強 が独 り自 国
政 策 を採 ら ん とす るも の に非 ず 。然 れど も 本協 定 に お け る我 方 の要
と の協 調 成 らざ る に於 ても所 信 貫 徹 のた め 既 定 方針 の堅 持 を 譲 ら ざ
求 は東亜 新 秩 序 建 設 のた め 不可 欠 の最 小 限要 求 な る を以 て、 第 三 国
る こと敢 て贅 言 を要 せざ ると ころ なり 。
の利 益 の ため に支 那 の犠 牲 に於 いて或 は 勢 力範 囲 を設 定 し 或 は 独 占
的 利 権 を 獲 得 し来 れ る ︱︱ 又 現 在 事 変 下 に お い て 獲 得 し つ つ あ る
も と より 我 国 は 支那 に お け る列 国 の経 済 活 動 に 対 し 、 日支 両 国 の
︱ ︱ 行 動 と は全 然 本質 的 に範 疇 を異 にす るも のな り。
国 防 上必 要 な る範 囲 を越 え て 不当 に制 限 抑 圧 を加 へん とす る も の に
九 国 条約 と本 協 定 と の関 聯
附録 二
一、北 支 に おけ る 日本 の特 殊 的 地位 の承 認 ( 総 則 二)、 埋 蔵 資 源 の
非 ず 、 且 つ九 国 条 約 の関 す る限 り に於 いては 何 ら の違 反 な き も の と
非 る は勿 論 にし て、然 る 限 り に於 い て支 那 の門 戸 は欧 米 流 見 解 の如
主 張 せ ざ る を得 ず 。 然 れど も欧 米列 強 にし て本 協 定 の締 結 を 以 て九
開 発利 用 に対 す る締 約 国 の優 先 的 地位 ( 産 業 一)、 重要 統 制 産 業 特
均 等 主義 に背 馳 す ると ころ あ る も の の如 し 。
国 条 約 違 反 なり と す る に於 いて は、 最 早 該 条 約 は 日支 両 国 に とり て
殊 会 社 、 特 定交 通 通信 事 業 受 託経 営特 殊 会 社 の規 定 (産業 三 、交 通
二 、 然 れ ど も惟 ふ に、 元来 九 国 条 約 は 、第 一次世 界 大 戦 後 の相 対的
は 一の桎梏 た る に他 な ら ざ る を 以 て、 日支 両 国 は共 に該 条 約 の撤 廃
く開 放 せ ら れ、 機 会 は 均 等 に与 へら れ つつ あり 。
安 定 期 に於 い て支 那 に捲 土 重 来 を は か ら ん と せ る欧 米 列 強 が 日本 の
乃 至 締約 国 よ り の脱 退 を 宣 せ ざ るを得 ざ る べく 、 ま た撤 廃 乃至 脱 退
三 、 かく し てわ れわ れ は 、本 協 定 は九 国 条 約 を 以 て律 す べ き範 疇 に
大 陸 政策 の発 展 を 抑 止 し 、支 那 に於 け る勢 力 均 衡 関 係 を 一応 安定 せ
によ り て いさ さ かも 不 利 を蒙 る こと な し。 我 方 にと り て は飽 く ま で
一応 九国 条 約第 一条 、 第 三条 等 の規 定 に牴 触 し 、 門 戸 開放 又 は機 会
し め ん た め に成 立 せし め た る条 約 な り 。 即 ち多 年 支 那 を半植 民 地状
支 那 と の提 携 に於 け る東 亜新 秩 序建 設 への邁 進 あ る のみ 。
通信 一) 等 の諸 条項 は、 欧 米 流 の在来 の見 解 に従 ふ限 り に於 て は、
態 に繋 縛 し来 れ る 欧米 列 強 が旧 秩 序 を維 持 し、 以 つ てそ の支 配 的 地
さ れば そ の門 戸 開放 と い ひ機 会 均等 と称 す る は均 等 の分前 を以 て
支 那 国 以 外 の締 約 国 は 左 の通 約 定 す
三 、支 那 の領 土 を通 じ て 一切 の国 民 の商 業 及 工業 に 対す る機 会 均
一、支 那 の主 権 の独 立 並其 の領 土 的 及 行 政 的 保全 を 尊重 す る こと
第 一条
四 、参 考 と し て九 国 条 約 の抜 萃 を附 載 す れば 次 の如 し 。
位 の永続 化 を企 図 せる条 約 に他 ならず 。
の にし て 、毫 も 支 那自 体 の政 治 的 経 済 的 発展 を促 進 助 長 せ ん とす る
支 那 に利 権 を求 め ん とす る植 民 地 所 有 者的 立 場 よ り唱 導 し来 れ る も
立 場 にお いて ﹁主 権 の独立 ﹂、﹁領 土 的 行 政的 保 全 ﹂ を 尊 重 せ ん と せ
等 主義 を有効 に樹立維持する為各 尽力す ること
設 せら れた るも のな り 。
機 会均等 の主義を 一層有効 に適用す るの目的 を以て支那国以外 の
開 港 場 五 十 支 里内 に お け る常 関 の管 理 、噸 税 の徴 収 、 海 事 行 政 、築
り、 単 に関 税 徴 収事 務 に留 まら ず 、 人事 の移 動 配 置 に関 す る絶 対権 、
国 人 の占 む ると ころ に し て、 現 在 に於 け る そ の権 限 は 頗 る広汎 に亙
而 し て 一八 五 九年 以後 今 日ま で五 代 にわ た る総 税 務 司 は す べ て英
締約 国は左 を要求せざるべく又各自国民 の左を要求す ることを支
一切 の国民 の商業 及工業 に対し支那 に於 ける門戸開放又は
持 せざるべきことを約 す
二、 支 那海 関 の外 国 人 管 理 制 度 は も と よ り基 本 法 に準 拠 せる も のに
支 那 政 府 の財 政顧 問 た る地 位 を 把 握 せ る も のなり 。
第三条
イ、支那 の何れか の特定 地域 に於 て商業上又は経済上 の発農 に関 し自 己の利益 の為 一般的優越権利 を設定するに至 るべきことある
業 を其 の種類 の如何 を問 はず支那国政府若くは地方官憲と共同経
ロ、支那 に於 て適 法なる商業若く は工業を営 む の権利 又は公共企
﹁総 税 務 司 の地位 に関 す る宣 言 ﹂ を 発表 し て、 英 国 の地 位 を確 認 す
は 一八 九 八年 二月 十 日及 び十 三 日 の両度 に わ た り て、清 国 政 府 は
非ず し て、英 国流 の習 慣 法 的 存 在 な る が 、総 税 務 司 の地 位 に つき て
港 事 務 、税 務 学校 の経 営 、 内 外 債 の償 還事 務 等 に及 び更 に事 実 上 は
べき取極
営す るの権利を他国 の国 民より奪 ふが如き独占権 又は優先権或 は
にし て条約 の規定 を遵守 せざ るのみか徴税 にあたり公然賄賂を収受
等 な るも のな り や 、或 は英 国 人 の総 税 務 司 た る地 位 自 体 の無 条 件 的
と ﹂ を 約 定 せし め た り。 右 の ﹁現 状 ﹂ と は前 記 ﹁宣 言 ﹂ の趣 旨 と同
にお い て英 国 は ﹁償 還 期 限 中 は 海 関 制度 の現 状 に変 更 を 加 へざ る こ
而 し て、 そ の直 後 、 一八 九 八 年 三 月 一日 に成 立 せ る英 独 続借 款 契 約
る こと勿 論 な る べ し。
総 税 務 司 と し て英 国 人 を 必 ず 雇 入 れ ざ る べ から ざ る拘 束 を受 けざ
英 国 のそ れ よ り も 一層 盛 大 と な るが如 き こと あら ば清 国 は其 際 は
然 れ ど も若 将 来 に於 て或 る他 国 の通商 が種 〓 の清 国 港湾 に於 て
衙 門 は清 国 と英 国 と の通 商 は 総 て の他 国 のそ れ に勝 る こと を認
む 、 而 し て衙門 が屡 〓同 意 許 容 し た る如 く過 去 に於 け ると同 様 に
る端 緒 を な せ り 。 二月 十 三 日 の宣 言 にお け る要 項 左 の如 し 。
用 を無効 に帰せしむるものと認めらるる如 き独占権 又は優先権 ( 第 二項略)
将 来 に於 ても亦 英 国 人 は 総 税 務 司 と し て雇 入 れら る べ し 。
そ の範囲、期間又は地理的限界 の関係上機会均等主義 の実際的適
支那国は本条約 の当事国 たると否 とを問はず 一切の外国 の政府 及 国民 よりの経済上 の権利及特権 に関する出願 を処 理す るに付本条 の 前記規定 に記載する主義 に遵由す べき ことを約す 附録 三 海関総税務司 の地位
する等海関行政 の紊乱甚 しかりし事情あり、海関収入 が外債担保と
保 障 即 ち 貿 易 額 の如 何 に関 せず 永 続 す るも のなり や、 の点 に つき て
一、支那 の海 関における外国人管理制度 は、支那 の官吏 が貪官汚吏
なれ る以上斯 の如 き事態は欧米列強 の忍ぶべからざりし に基き て創
然れ ども 一般 の解 釈 に お い て は前 記 ﹁宣言 ﹂ の趣 旨 を再 確 認 せる
は尚 疑 問 の余 地 な し と せず 。
も のと為 せり 。 因 に、右 英 独 続 借 款 の償 還 年 限 は 四十 五 ケ年 間 な る
を意 図 せる に他 な らず 。
支 那海 関 にお け る外 国 人 の勢 力
附録 四
一、 支 那 海 関 にお け る外 国 人 管 理 制 度 の牢 乎 た る はそ の職員 数 の上
を 以 て 一九 四三 年 三 月満 期 な る も、 起 債 高 一六 、〇 〇 〇 千 磅 な る に 対 し 、 一九 三七 年 七 月 一日現 在 に お い て、 な ほ 四 、三 〇 八千 磅 の未
し、 総 税 務 司 を始 め税 務 司 Commi ss i oner副 税 務 司D epu t y Com
に明 瞭 に反 映 せ る と ころ に し て、 支 那 の海 関 に は数 百 の各 国 人勤 務
そ の後 一九 二 一︱ 二 二年 の ワ シ ント ン会 議極 東 問 題 委 員 会 、 一九
払 残 高 あ り。
mi ss i one r 幇〓
米
日
英
国
本
国
人
人
人
人
人
七五
一二九
二二六
二〇四
六 二 五人
Ti de
二二 年 の軍 備 制 限 会 議 第 六 回総 会 等 に お い て、 支 那全 権 は ﹁中 国 政
ろ なり 。
wai t er 其 他各 局 長 、課 長 等 重 要 職 員 の大半 は外 国 人 の占 む る と こ
As si st ant 総 巡 Ti desu rveyor 鈴 子 手
る﹂旨 を陳 述 し つ つあ る 。 か く し て支 那 海 関 にお け る総 税 務 司 の地
那 の国 権 回収 運 動 の 一目標 と し て 、或 は海 関 吏 に三十 年 の停 年 制 を
逸
人
一九 二六 年 の外 国 人海 関 吏 は次 の如 し 。
府 が 関 税自 主 権 を 恢 復 す る と も外 国 人 税 務 司 任 用 の制 度 は変 更 せざ
位 は牢 乎 た る も のな り 。
設 け た る、 或 は事 実 上 外 国 人 不採 用 方 針 を 強要 せ る等 は そ の 一例 な
国
三 、海 関行 政 権 に おけ る か く の如 く 確 乎 た る外 国 の地位 は、 近 来 支
り 。然 れ ど も未 だ条 約 によ り て之 を 回収 せざ る のみ か 、前 述 の如 く
独
国
五六
仏
七 一
伊
人
ひた る状 態 なり 。
国
国
人
一九九
四 四 二人
七名 中
一九 三 一年 六月 一日現 在 、 支 那 以 外 の二十 三 ケ国海 関 吏 総 計 九 四
露
支 那 は 一方 に お い て現 行関 税 制度 の維 持 に関 す る意 思 表 示 を屡 〓行
わ れ わ れ は斯 く の如 く 不合 理 な る半 植 民 地 的 制 度 の撤 廃 に関 し、 支 那 に援 助 を与 ふ るを 惜 し まず 。 支 那 政 府 が総 税 務司 の地位 に支 那
英
人 を 任 用 せ ん とす る に於 いて は この要 求 を 支 持 し協 力 を 図ら ん とす 。 而 し て 本協 定 にお い て海 関 の高 級 職 員 並 に海 関員 に日本 人 を増 員 せ
人
日 現在 の海 関 員 に つき 日 英 支 其他 の国 籍 別 に分
本
類 表 示 せ ば 左表 の如 く にし て、 日 本 人海 関 員 の著 し き増 員 を見 る に
一九 三九 年 九 月
日
る に出 づ る と ころ な れ ど 、他 は 日支 協 力 し 、 日支 両国 人 の手 に より
ん と す る要 求 を掲 げ た る は 、 一は貿 易 の円 滑 な る伸 張 を図 ら ん とす
て海 関 制度 の運 用 を 確 立 し 、将 来 欧 米 人 の管 理 制度 を改 廃 せ ん こと
海
関 班
国
別
職
( Indoor)
員
数
B (Chief A ssistants:A)
(
一
〇 二
〃
〃
〃
B)
B)
B)
英
英
し得 べし 。
A
(Fi rst A ssi stant s:A )
(
B)
表
人 〇 七
〃
B
(
一 覧
日 本
至 れ るも 、仔 細 に観 る とき 日 本 人海 関 吏 は概 ね 外班 の下 級 者 にし て、
那
そ の実 勢 力 は未 だ必 ず し も 実数 の大 な る に伴 は ざ る も のあ るを 察 知
支 内
(Inspector General) (Com m i ssi oners)
超 等 幇 〓
A
(Second Ass istants:A )
司
〃
B
(
務
税 (Deputy Com m i ssioners)
総 税 務 司
副 税 務 司
頭 等 幇 〓
A
(Thi rd A s si stant s:A )
B)
(Seni or Chief Assistant s:A )
〃
B
〃
上級 超 等 幇 〓 A
二 等 幇 〓
A
(Fourt h A ssi st ants:A )
(
六 〇 〇 〇
〃
B
〃
B)
三 等 幇 〓
A
〃
〃
(
二
人
〇 〇 三〇 四八
〇 〇 〇 二
四 等 幇 〓 B
(Outdoor)
(Chi ef T i desurveyors)
班
〃
計
巡
外
(U nclassed A ssi stant s)
日 本
習
見
超 等 総
国
人
其他国 人
那
人
合
四四 三五 三
一
計
(昭 和 十 四年 九 月 現 在 調)
支
〇 六
〇
一二
一一
一
一九
七
〇 〇
一
〇
四 一
三 二六
三六 四七 三二
二九 二〇 二三 五
二〇
五
二一
人
〇
一六
計
四 三三
三八二
那
四 三 二四六
四四
一六
合
二八
二七
〇 〇 〇 〇
三 九 〇
一一
二 三 七 四 七 〇
〇 〇 〇
〇 三四
三二 二九
支
二 〇 〇
〇 五四
其 他国人
〇 〇 〇
人
四
国
一〇
(Tides urveyor s:A ) (
A
(A ssist ant Tidesur veyors:A )
頭 等 総 巡 B
(Boat Of fi cers.A )
(
B)
A B
〃
〃
A
B)
二 等 総 巡 〃
〃
三 等 総 巡 (
(
〃
B)
(A ssi stant Boat O f fcers:A )
B)
B
B
〃
〃
〃
三 等 総 巡 補 A
(A pprai sers: A )
(Chief A pprai sers)
(
超 等 験 估 A
(A ssi st ant A ppr aisers:A )
B)
B A
〃
〃
二 等 験 估
三 等 験 估 (
B)
B
〃
〃
(Chi ef Exam iners:A )
〃
一〇
〇 三
一
五
六
五 七
二
七
一
一
八
三 二 四
〇 二
二二
八
四 六 三五
三二
一九
三九 三九
一九
三六 二八 〇
一八
一〇
一四
五
二
一
〇
二四
一五
二七 二五
一〇
一 一
一
一〇
二 〇
五
三
二 五
一
〇 五 三
一 一
三 二
一五
二 二 〇 二
七 〇
〇 〇
三 二
一五
一
二 三
一四
一一
一
九
一二
八 六
四 七 二 四
四 二
B)
(Seni or Chief Exam i ners:A )
(
(
A
(Exam iners:A )
B
B
〃
上 級 超 等 験貨 A
頭 等 験 貨
A
七二 九七
六
B)
〃
五 一
〇
〃
二 等 験 貨
九〇
B)
四七 五二
四六
一八 五
一
五 一
五
(
〇
一八 三
一九 五
二五四
一 一
B
〇
〃
〃
B)
(A ssi st ants Ex a m iner s:A ) 〃
(
〇
二五四
二七〇
〇 〇
一
A
(First Class Tidewai ters)
一六 八
二七〇
一
七五
二三六 八六
一二 五
二五
一 一
一〇
一
一九 五
二 〇
B
(Second Cl ass Tidew aiters)
〇 〇 〇 〇 〇
〃
〃
(T h ird Cl ass T i dew aiters)
〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇
三 等 験 貨
〃
(Fourth C l ass Tidewait ers)
〇 〇
〇 〇
頭 等
〃
(Senior Tidew ait ers)
二 等
〃
超 等 鈴 子 手
三 等
六 一
〇 〇 〇 六八
四 等
(Probat ionar y Ti dewaiters)
一 一四
(Supernum erary Fi rst Cl ass T idew ai ters) (Uncl assed Tidew ai ters)
〃
(Dist rict T i dew ai ters)
" 〃
試 補
〃
臨 時 超 等 見 習
〇 六五
地 方
〇 八
三、〇八 一
一二
一二
役
一、 四 九〇
二、 四 六 三
〇
他
二 八八
一、 七 三 六
一二
巡
一二九
一二 二
(L ocal W at chers)
其 〇 三七四
一八 三
〇 二
四 二二
計
計
総
六四
其 一、概
況
︹第 十 一軍 ︺
呂集 団司 令 部 )
一二
五
一五
政府籌備処職員たる人材 を獲得す ることも困難 なり第 一次及第 二次
等 に関 し意見 を挿むも の無 く威令未 だ周縁 の地域 に及ばず従 つて縣
(昭和 十 四 年 十月 三十 日
呂 集 団 作 戦 地 域 内 民 心 一般 の動 向
昭和十 四年 七月戦場 の後方地域全般中縣政施行 の拠 点たる十五縣
概 ね本年 末に至 り県政府 に移行し得る縣政府籌備処
縣政準備 区域中各縣政府機構 の整備状況概 ね左の如 し 同治安維持会
が漸次之 が行政施行区域を拡張強化し新三市十七縣及 一特別 区に夫
城 に第 一次縣政府籌備処を設置し治安 の恢復 と民衆 の復 帰を図 りし 々市政府籌備処第 二次縣政府 籌備処 を設置す るの気 運を醸成す るに
概ね来年始 めに至 り縣政府 に移 行し得 る治安維持会
も逐 次整備 せら るゝに至り 各縣保安隊警察局状況
保安隊編成 を完了せる縣政府籌備処
五
軍なくしては生命財産 の保証 なき実性 なるを以て各縣保安隊警察局
軍 の駐留 区域 に於 ては勿論周辺の地域 も日本軍に依 りて生存し日本
諸工作 は皇軍威力 の背景支援 なくしては之を実施 し得ざ る状況 と且
管内高度 の治安復興工作に依 り戦後 に比し隔世 の感 あるも政務 の
二、治安 に関 する 一般動向
る見込なり
但し南昌 市政府籌備処は概ね来年始 めに至り市政府 に移行 し得
至 れり 然れ共各縣 の状況を綜合するに敗残匪団各 所に点在 し衣糧 の欠乏 少 からず各 地住民相互間 の交易亦困難 にし て民生 に余力無く未だ施 政を論ず る余裕 なし社会 の中堅層 たるべき青年指導者 は概 ね流離四 散し 一部 は尽く都会に逃避 せるものゝ如く恒 心なき民衆只管軍に追 随 しあり 其 二、政治的動向 一、内政 に関する 一般動向 各縣 に於ける皇 軍駐留 地域 は住民続 々復帰 しありと雖上層階級 の 逃避 に伴 ひ縣政府籌備処職員 の能力低下 を招来した る為、為政者 に 信倚す るの念なく皇軍 に頼り只管貪汚官吏 の登庸を懼 れ統治 の形式
同未編成 のも の
同編成中 のも の 七
三
二、 〇 〇 〇 円内 外
三 、 〇 〇 〇 円内 外
四 、 〇 〇 〇 円内 外
一縣
六縣
二縣
一四 縣
六
に付 き研 究 中 な るも 救 済 の範 囲 を出 でず
其 他産 業 及 各 般 建 設 事 業 に関 し て は農 村 及 民 業振 興 の具 体 的 方策
五 四、 〇 〇 〇 円 内 外
警察局編成を完 了せる縣政府籌備処 九
計
同編成中 のも の 同未編成 のも の
言
結
戸 口調査 と保甲制度 とは自衛手段とし て民衆 の希求すると ころな
以 上略 述 せ る が如 く 武 漢 を囲 繞 す る 一般 民 衆 の大 多 数 は既 に蒋 軍
の反 撃 を信 ず る も のな く 倖 に今 次 事 変 の渦 中 よ り脱 離 し て生 命 を全
るも各地住民復帰と警察制度確立 なき為未だ徹底 せず曩 に縣政府籌
う し た る も のは均 しく 生 存 の保 証 は 日本 軍 に依 らざ る可 ら ざ るを逐
備処設置 と共 に各 縣保甲、戸 口編査暫行規定を制定実施せしめ つゝ あり
なら む こと を希 求 す る の みな り
次 信ず る に至 れ る が如 く 、 只管 安 居 楽 業 を願 ひ支 那側 為 政 者 の良質
三、経済的 一般動向 各縣内都会地外 に在り ては経済的交流全く絶 え悉く自活 の道を講
﹁現在 武 漢 人 民 は党 治 の摧 残 を経 る こと十 二周年 共 産 及 反 共 産 数
左 に 一支 那要 人 の言 を摘 録 し参 考 とす
ず る範囲 を出 でず 軍 の生活に必要 なる物資 の生産取得並物資流動機 構 の確立等共 に将来 の事 に属す従 つて民生回復 に必要 なる合作社 の
て生 を得 ず 死 を求 め て死 を得 ざ る の苦 境 に陥 れ り政 治 を論 ず る の余
次 の争戦 に加 ふ る に水 災 の後 を享 け て今 次 事 変 と な り衆 皆 生 を求 め
普及 を希求 し居 れり目下管内合作社 の設立されたるもの九県、他は 準備 中にして皆生活必需 品 の購買 を目的 とす
裕 あ ら ん や唯 一の希 望 は能 撫 の人有 る を求 む る のみ皇 軍 入 城 既 に 一
地方に於 ける物資は軍需 品、宣撫物資 (主として食糧品) の流動 す る範囲 を出 でざ るを以て軍票 の流通 による他 の通貨 に対す る抑制
其 三、 民 心 の動 向
代 表 意見 な り と思 惟 す
吾 人 の希 ふ と ころは 形 式 に非 ず し て安 居 楽 業 ある のみ﹂ と 一部 の
週 年 尚 戦 争 の下 に在 り て敢 て奢望 す る と ころ なし
各縣税務機構も未だ整備 の域 に達 せず課税種 目も最少限度 に止め
も未 だ 一般民生 に悪影響 あるを認 めず あるを以 て悉く徴税 に応ず る状況 にあり
一縣
拠 せ る地 点 にし て現 在 撤 退 せ る 区域 に於 て最 も 甚 し く游 撃 隊 は 最 近
る も のは党 軍 側 の游 撃 工 作 が極 め て活 溌 とな り 来 り従 来 日本 軍 の占
一般 的 に民 衆 は尚 未 だ 安 定 の域 に達 せず そ の原因 と し て挙 げ ら る
四縣
各縣税収月額調
課 税に依 る各縣収入月額 左 の如 し
五、〇〇〇円内外
四〇、〇〇〇円内外
に於 ては活動 区域内 の民衆 を強迫 して彼等を強制的に立退 かしめ日
に飛来空陸呼応し漢 口奪 回を謀 るべし
二
蘇聯機五千機 は今 回重慶 に空輸せられたり漢 口には今後 盛ん
本軍 を糧食難に陥 らしめんとす る外公路附近 に出没し公路 を破壊す 三
陥 らしめんとなし つゝあり尚軍需資源 を日本側 に供給 する ことを禁
るも無智 なる民衆 は これに惑 され相当動揺しあり又最近奥地より游
と虚称 の謡言は盛 んに流布 せら れ大多数 の民衆 は遽 かに之を信ぜざ
日本軍は近く武漢 を放棄す べし
ると同時 に電柱 をも伐採 して交通通信 を妨害し日本軍 を連絡困難 に ず ると共 に価額 の釣上げ をなし て敵 地内 への流入を極 力謀 り居 り各
口より游撃隊 の活躍状況は伝 へら るゝと共に日本軍 の警備 の手薄な
る ことが伝 へられ如上 の如 き謡言 は更 に拡大 せられ伝 へられ つゝあ
撃隊 に追 はれて当地に避難 し来 れるも の多数 に上 り これ等避難民 の
り要す るに民衆 の動揺は相当甚 しきも のあり 一般的 には新政権樹立
地には宣伝隊侵入し日本側 を利す るが如 き行動 を為すも のは総 て利 加 し居 れる為民心は極度 に萎縮し奥地より の物資 の漢 口への流 入は
待望 の空気 は濃厚なり然 れども果 して新政権 が これ等 の不安を救ひ
敵行為 とし て之を漢 奸 の名目 にて暗殺するが如 き行為は最近頓 に増
敵懸念 より極度 に限定せられ余 りに不自由なる為奥地民衆 の必需品
最 近激減す るの状態 を呈し居 れり同時 に当地 よりの物資 の搬出 は利
得 るや否 やには相当不安 を抱 けることは免れ得 ざる所 なり
最近新堤 に於て日本棉花会社 の棉花買付支那人夫婦 は党政府
最 近発生しあ る民心 の動 向に影響を及ぼせる事件 を挙ぐれば左 の
の買入亦困難となり民衆 は今 や極度 に生活 の脅威 を感じ つつあり 一 般的日本側警備隊 の増派 を要望 して止まざる状況 なり
一
如し
側 のテ ロ団 に襲撃せられ男 は即死し女は重傷 を負 ひたり其原因は
和平空気 は如上 の如き生活難並生命財産 の不安 より漸次濃 厚とな 全を要望す る和平欲求 にしてこの空気 は非常 に普遍的 に増昂 し つゝ
いふ罪名 を被せられたるものゝ如く最近党政府方面 は新棉 の日本
棉花 を日本人 のために買付 けることは利敵行為 にし て漢奸なりと
れるが和平 と云ふよりも寧 ろ厭戦 より来 る和平要望乃至は自 己 の安 あり汪 の和平通電 に対す る影響 は都会 地に於 ては相当多大なれども
側 へは殆んど入手する こと不可能 なる状況 を呈し居 れり
衆 を圧迫し党政府側 への流入を謀り居 れり従 つて新棉は最近日本
側 への流入を防 ぐため価格 を昂騰せしめ又テ ロ行為を以 て極 力民
郷村 地方 に於 ては未 だ之 を聞知 せざるも の多く 一般的 には直接汪 の 和平 通電 の影響薄 し此点尚 一層宣伝を浸潤 せしむ べきなり
二
民衆 の最も恐る ゝ所 は結局日本軍が撤退 し再 び蒋介石 が君臨す る ことにし て若し蒋 が再 び来りなば現在 の政権 に幾分たりとも好意を
作 をなさんと策 し つゝあり各方面に脅迫状を手交し つゝあり
藍衣社員 の活躍、漢 口及漢陽方面 に多数 のも の侵 入し暗殺 工
表す るも のは必ず報復 せら るべし寧ろ消極的な れば将来蒋 が来 ると
日本軍 の岳州撤退
又敵 は宣伝に相当 の力を用ひ つゝありて
も何等 の心配なしといふ懸念 が非常に深 く潜在しあり 一
︹ 註︺
二、軍事 上 の実権把握
現 地 交 渉 成 立 案 の成 果 に 就 て
1、防共駐屯権確保
六五
現地交渉成立案 に依り日本側 の獲得すべき具体的 なる権利 利益 の
(昭 和 一五 、 一、 四
大 要に就 ては別紙 に掲 げたる如く にし て其 の軽重多寡 に関 しては多
2、治安駐屯権確保
支
︹陸 軍 省 ︺
軍務課)
2、国防上必要 なる特定資源 の開発利用 に関す る企業権 (北支 に
1、航 空 に関 する支配的地位確保
甲、全
三、経済上 の権利利益 の獲得
4、軍事顧問及教官 に依る支那軍内面指導権 の確保
主要港湾 及水路 に対す る日本 の軍事上 の要求に応ず る旨 の確約
3、駐屯 地域及之 に関聯す る地域 に存在する鉄道、航空 、通信、
二 其 の他 の駐屯
一 厦門並 に海南 島及附近諸島嶼等 に於 ける艦船部隊 の駐屯
少 の異議 あらむも新中央 政府 が満洲国 を承認 し日満支三国 が軍事 、 外交、経済 及文化等各般 に亘り提携協力し以 て東亜新秩序建 設 の第 一歩を踏 み出す基礎を確定せる大局上 の収穫は甚大 なるも のと言 は ざ るべからず 別 紙 現地交渉成立案 に依り日本側 の獲得 せる重要 権利利益 に就 て 1、蒙疆 の包 括的実権把握
一、地域的実権 把握
3、日支間及支那沿岸 の主要海運 に関す る参加権確保
4、関税及通関 手続 に関す る親日政策実行 の確約
於 ては日本優位 、其 の他 の地域に於 ては日支平等)
5、日本人た る財政経済技術顧問 を中央政府 に招聘 せしむ ること
2、北支 の国防 上及重要経済上 の実権把握 4、海南島及附 近諸島嶼 に於ける軍事上 の実権及資源開発権 の確
3、上海特別市及厦門特別市 の支配 保
に依 る我 政 策 遂 行 方法 の確 保 疆
経 済 の全 部 面 に関 す る指 導 権 及 参 与 権獲 得
乙 、蒙
支
1 、鉄 道 に関 す る実 権 把 握
丙 、北
2 、通 信 ( 有 線 電 信 を除 く )に関 す る 日支 共 同 経 営 権 (日本 優 位 ) の獲 得 3 、特 定 資源 就 中 国 防 上 必 要 な る埋蔵 資 源 の開 発 利 用権 の確 保 4、 国 防 上 必要 な る特 定 事 業 に関 す る合 〓 事 業 参 与 権 (日 本 優 位 ) の確 保
丁、 揚 子 江下 流 地帯
5 、 北 支 政務 委 員 会 の経 済 行 政 に関 す る内 面 指 導権 確 保
1、 日 支経 済 協 議 会 の設 置 に依 り貿 易 、 金 融 、産 業 及 交 通 等 に関 す る日 支協 議 権 の確 保
こと に依 る指 導 権 確 保
2 、 上海 特 別 市 の新 都 市 建設 に技 術 顧 問 及技 術 員 を招 聘 せ し む る
1 、満 洲 帝 国 の承 認 確 約
四、 政治 、外 交 及 文 化 上 の権利 利 益 確 保
2 、外 交 、 教 育 、 宣伝 及文 化 等 の協 力 確保 3 、軍 事 以 外 の防 共協 力 の確 約 ︹ 註︺ 現地交渉成立案とは昭和十 四年十 二月三十日汪兆銘側 との間 に妥結 せる ﹁日支新関係調整要項 ﹂を指す。
六六
派 遣 軍将 兵 に告 ぐ
一、 事 変 発 生 の根 本 原 因
支那派遣軍総司令部
(昭和 十 五年 四月 二 十九 日
於南 京 )
も のであ つた と は謂 へ反 面 亦誠 に慨 し い事 で あ つた 。
国 家 への躍 進 過程 と し て以 上 の経 過 を辿 つた事 は 真 に已 む を得 ざ る
爾 来 我 が国 力 の飛躍 は著 し いも の があ る 、明 治 維 新 当時 に於 ては
1 、東 洋 に対 す る自覚 の欠 如 世 界 に先 行 す る道 義 文 化 の伝 統 を 共 有 し、 二千年 来 の友 好 関 係 を
日露 戦争 に於 ては 独 力能 く 露 国 の極 東 侵 略 を 挫 き 、満 洲 事変 に於 て
唯 只管 自 国 の擁 護 を全 う す るだ け の実 力 し か持 た な か つた も の が、
は正 を履 ん で恐 れず 敢然 と し て国 際聯 盟 を脱 退 し 、更 に今 次事 変 に
継続 し て来 た 日支 両 民 族 が近世 に於 て兎 角非 友 誼 的 対立 抗 争 状 態 を
於 て は東 亜 再 建 の理 想 の下 に新 秩 序建 設 の大 旆 を 掲げ て蹶起 す る に
現 出 し た根 本 原 因 は、 主 とし て共 に東 洋 人 た る の自 覚 を忘 却 し個 人 主 義 的欧 米 物 質 文 化 に眩 惑 し た 事 に帰 す るも ので あ る。即 ち 近世 に
ふ国 民 的 自覚 に基 く も の であ る。 即 ち 我等 は今 や正 に東 洋 民 族 の先
至 つた所 以 は偏 に御 稜 威 の下 先 輩 忠烈 の貽 績 に よる国 力 の充 実 に伴
覚 と し て東 洋 への自 覚 、 東亜 の再 建 と謂 ふ歴 史 的 大転 機 に直 面 し て
が国 の発展 を阻 止 せ ん と し て兄 弟墻 に せめ ぐ の端 を なし 、自 ら其 の 植 民 地 た る 地位 に沈 淪 す る に至 つた事 と、 又 一方 日清 戦 争 に勝 つた
居 る の で あ る。
於 ける支 那 の為 政 者 が事 毎 に欧 米 諸国 に依 存 し 、其 の力 を利 用 し我
我 が国 民 が戦 勝 国 の地位 に於 て支 那 に臨 み支 那 人 を軽 侮 し 、 欧米 人
英 国 が東 洋侵 略 を開 始 し た のは今 を距 る約 二百 年 前 の印度 経 略 に
2 、欧 米 諸 国 の侵 略 的 策 動
に対 し ては先 進 民 族 と し て之 に阿 諛 し其 の前 には屈 す べ から ざ る膝
が期 せず し て今 日 の事 態 に立 至 つた 所 以 で あ る。従 つて両 国 民 が共
足 らず 更 に支 那 に歩 を進 め百 年前 の阿 片 戦争 に依 つて香 港 を取 り上
端 を 発 し て居 る 。 人 口 三億 五 千 万 の印 度 を其 の植 民 地 と し て尚 飽 き
を も屈 す る も のあ り 、肇 国 の大 理 想 を忘 れ侮 支 拝欧 の弊 に陥 つた事
に東 洋 への自 覚 に於 て日支 関 係 の根 本 的是 正 を 図 る事 が今 次 事変 の
海 、 天津 の租 界 を獲 得 し、 逐 次 揚 子江 を制 し来 つた の であ る が我 が
目的 で あ る。 蓋 し科 学 的文 化 の上 では遺 憾 な がら後 進 国 であ つた我 が国 が近代
国 の蹶 起 と支那 民族 の覚 醒 に よ つて其 の露 骨 な る侵略 方式 を変 更 し
最 近重 慶 内 部 や 山 西、 河 北 両省 等 に於 て国 共 の衝突 を伝 へら れ て
て今 次 の事 変 に臨 んだ ので あ る。
金 融 上 の実 権 を掌 握 し 、政 治 、 経 済 上殆 ど独 占 的 地位 を占 め我 が国
が対 立状 態 に あ る現 状 よ り見 て当 然 の傾 向 で あ る。
居 る のは欧 洲 事 態 の反映 と も見 ら れ る ので あ つ て、英 ソ両 国 の関 係
支 那 を援 け て其 の統 一に或 程 度 の助 力 を 与 へ、 之 が代 償 と し て財 政 、
の進 出 発 展 に対 し ては 対立 の勢 を 示 し抗 日政 策 を 採 ら し め た事 が今
阿 片 戦 争 の本 質 は印度 人 の作 つた 阿片 を安 く 買 上 げ て之 を支 那 人
今 日 の如 き 未 曾 有 の大 戦 状 態 に進 展 し た のであ る。
と な り 我 が国 と の間 に時 局 を収 拾 せ ん とす る反 省 の余 裕 なく 、 遂 に
つた が 、欧 米 ソ聯 の示嗾 煽 動 を 受 け た抗 日政 権 は自 己 の犠 牲 に盲 目
蘆溝 橋 事 件 の直 後 我 が国 は終 始 不 拡大 方 針 を 堅 持 し て来 た の であ
に高 く売 り つけ、 其 の利 益 は英 本 国商 人 が独 占 し 其 の結 果 とし て支
次 の事 変 に至 つた の であ る 。
那 人 を廃 人 化 し来 つた も のであ る。新 し い支 那 の自覚 し た青 年 によ
権益 の
︹二字 不 明︺
過半 が上海を中心として我 が占拠 地域内 にある為利害 を打算した結
英国 が最近日本 に妥協的態度を示して来 た事は、在支
脱 却 せん と し た排 外 運動 の第 一目 標 が英 国 に向 け ら れ た のは 理 の当
果 と欧 洲 の情 勢 切迫 に よ る当 然 の
つて起 され た辛 亥 革 命 の進 展 に伴 ひ 、列 強 搾 取 の植 民地 的 地 位 から
然 で あ つた が爾 来 彼 は其 の高 圧 的 政策 を巧 み に偽 装転 換 し て支 那 の
の疲 弊 は赤 化 促進 の好 条 件 であ る か ら徹 底 抗 日 を呼 号 し、 重 慶 政 権
は我 が占拠 地 域 と対 蹠 の西 北 支 那 に あ り、 且 又 日支抗 争 に よ る両 国
張 を 図 り 、支 那 の民族 運 動 に便 乗 し て極 東 に於 け る強 国 た る日本 の
ー ヂ ンを派 遣 し 辛 亥革 命 の帷 幄 に参 画 さ せ て巧 み に共 産 党 の勢 力拡
那 の疲 弊 によ る赤 化 の促 進 と を策 し つ つあ る事 は誰 しも 判 断 し 得 る
の を待 ち ソ聯 は 日支 の抗 戦 継続 に よ つて 日本 の対 ソ戦 力 の消 耗 と 支
し て居 る。英 、米 、仏 は 何 と か し て重 慶 を助 け て日本 の腰 の挫 け る
現 在 重 慶 には英 、米 、 仏 、 ソ聯 等 の大 使 が集 合 し て何 事 かを 画 策
1 、抗 日政 権 の迷 妄 打 破
二 、交 戦 の対 象 は何 か
を脅 迫 し て抗 戦 継続 の盲 動 を な し あ る所 以 であ る。
向 で あ る。 反之 共 産 党 の根 拠
︹二字 不 明 ︺
て今 次 の事変 に至 つた ので あ る。
民 族 運 動 を援 助 し 其 の鋒 先 を排 日 に転 向 せし め 日本 の進 出 を 阻 止 し
一方 ソ聯 は帝 政 露 西亜 の崩 壊 と 満洲 事 変 の結 果 と に よ り、 支 那特 に満 洲 に扶 殖 せ る既 得権 益 を喪 失 し た為 、外 蒙 及 新疆 省 方 面 より支
大 陸 進出 を妨 害 せ ん と試 み た ので あ る。 英 国 が主 とし て浙 江 財 閥 を
那 の侵 略 と東 洋 の赤 化 と を企 図 し 其 の第 一着 手 と し て ガ ロン、 ボ ロ
基 礎 とす る国 民 党 内 に勢 力 を占 め て其 の既 得権 益 を擁 護 せん と す る
つあ る抗 日 政権 及其 の軍 、 匪 で あ つて決 し て支 那 の良 民 では な い。
所 であ る。 即 ち我 が交 戦 の対象 は英 、米 、 仏 、 ソ聯 の煽 動 に躍 り つ
従 つ て此等 抗 日政 権 及 其 の抗 戦 力 の主 体 た る軍 、匪 は本 事 変 の目的
のに 対抗 し ソ聯 は共 産 党 を 操縦 し主 とし て農 民層 に其 の新 興勢 力 を
の力 を異 にし 其 の本 質 を 異 にし て居 る から 対立 抗 争 す る のは当 然 の
に鑑 み徹 底 的 に膺 懲 し 之 が飜 意 反 省 を見 る迄 は 五年 でも 十年 で も戦
扶 殖 せ ん とし て居 る事 は 明 瞭 な事 実 で あ る。従 つて国 共 両党 は背 後
様 で あ る が、抗 日 と いふ共 通 の目 標 の為 に犬 猿 同 行 、国 共 合 作 を 以
争 は 継 続 し なけ れ ば な ら な い が、 刀 折 れ矢 尽 き て我 に降 り或 は其 の
第 七 十 二帝 国 議 会 開 院式 に賜 は つた御勅 語 に於 て ﹁帝 国 と中 華 民
り 帰 国 の際 の御 下 問
1、 事 変 発 生当 時 の御 勅 語 と本 庄 将 軍 満 洲 よ
心 か ら之 を綏 撫 し 、弱 き を扶 け 強 暴 を挫 く べき 我 が伝 統 の武 士 道 を
誤 り を覚 つて帰 順 し て来 たも のは 之 を寛 容 す べ く 、 又無 辜 の良 民 は
此 の聖 戦 に於 て遺憾 な く発 揮 す る事 が派 遣 軍 将 兵 に課 せ ら れた 大使
るは 、是 れ朕 か夙 夜 軫念 措 かざ る所 な り。 中 華 民 国 深 く帝 国 の真 意
国 と の提 携 協 力 に依 り 、東 亜 の安 定 を 確保 し 、以 て共 栄 の実 を挙 ぐ
み とす 。 今 や朕 の軍 人 は百 難 を排 し て 、其 の忠 勇 を 致 し つ つあ り 。
を解 せず 濫 り に事 を構 へ、 遂 に今 次 の事 変 を 見 る に至 る。 朕 之 を憾
是 れ 一に中 華 民 国 の反 省 を 促 し 、速 に東 洋 平 和 を確 立 せん と す る に
2、 欧 米 諸 国 の対 日敵 性 の本質
命 で あ る。
英 、米 、 仏 等 の諸 国 が重 慶 政 権 を援 助 し て居 る根 本 目 的 は前 述 の
で あ る。 満 洲事 変 一段 落 を劃 し て内 地 に帰 還 し た本 庄 将 軍 が
外 ならず ﹂ と 明 示 し給 へるを拝 察 し奉 れば 聖 戦 の真 義 儼 と し て炳 か
陛 下 に拝 謁 を賜 は つた際 第 一の御 下 問 は ﹁三 千万 の民 衆 は満 洲 国 の
ち彼 等 は支 那 乃至 東 洋 を永 久 に植 民地 の状 態 に置 き、 本 国 人 の利 益 を基 礎 と し搾 取 の対 象 と し て之 を維 持 す る事 を念 願 す る も ので あり 、
成 立 を喜 ん で居 る か﹂ と の意 味 の御 言 葉 で あ り、 次 に ﹁北 満 の水 害
外 、 日本 の援 助 に よ る支 那 の独 立解 放 を恐 れて居 る から であ る 。即
又 ソ聯 の企 図す る所 は抗戦 継 続 に よ る日 支 両国 国 力 の消耗 であ つて
尚 彼 等 の我 を危 惧 す る理由 とし て極 東 よ り の閉 出 し放 逐 を受 け る
天皇
共 に道 義 に反 し打 算 に立脚 す る も の であ る 。
あ つた と洩 れ承 は つ て居 る。 優 渥 にし て御 仁 徳 無 辺 な る此 の御勅 語
対 策 は出 来 て居 る か、第 一線 の将 兵 は 元気 か﹂ と の意 味 の御 言 葉 で
と 此 の御 言 葉 とを 拝 し つゝ今 尚 我 が国 民 の中 に非道 義 的 権 益 的収 穫
で あ る。 支 那 の独 立 完 成 と 日 支 の善 隣 結 合 と は何 等 第 三 国 の
の錯
を 聖戦 の結 果 と し て期 待 し居 るも のが あ る事 は 誠 に恐 懼 に堪 へな い
︹一字 不 明 ︺
と謂 ふ幻 影恐 怖 感 を 挙 げ る事 が出 来 る。是 は東 亜 再 建 と東 亜 閉 鎖 と
排 除 を意 味 す るも ので はな い。 彼 等 の正当 善 意 の協 力 は寧 ろ望 む所
現 で あり 、抗 日支 那 の反 省 を促 し其 の建 設 に協 力 す るも の であ れば
八紘 を 掩 ひ て宇 と為 む こと 、亦 可 ならず や﹂ と は神 武 天皇 御 即 位 の
を養 ひた ま ひ し 心 を弘 めむ 。然 し て後 に六合 を兼 ね て以 て都 を開 き 、
﹁上 は則 ち乾 霊 の国 を 授 け た ま ひし 徳 に答 へ、下 は則 ち皇 孫 の正
2 、 八紘 一宇 の真 義 と東 洋 道義 の再 建
次 第 で あ る。
こそ ︹ 我 ︺等 は堂 々天 地 に愧 ぢず 千 万 人 と 雖 も我 往 かん と の信念 を
大 詔 であ り 、道 義 を根 本 と な し 正義 に則 り 正道 を履 み四海 同 胞 、 万
聖 戦 の真義 が御 詔 勅 に炳 か な る如 く東 洋 の平和 で あり 、 道義 の顕
であ り 、是 れ万邦 協 和 の本 領 な の であ る。
以 て邁 進 し つ つあ る の であ る 。打 算 に立脚 し た列 国 の向背 は 一時 の
邦 協 和 の実 を挙 げ る事 は我 が建 国 の大 精 神 で あ る。 東亜 の再 建 と は
此 の大 詔 を奉 体 し、 此 の建 国 精 神 を東 亜 に於 て実 践 す る に外 な らず 、
現 象 であ つて吾 人 が正 道 を履 ん で終 始 渝 る事 無 け れば 天 下 に敵 なく
三 、大 御 心 を拝 察 せ よ
道 義 は 必ず 其 の光 り を放 つで あ らう 。
下 の大御 心 は太 陽 の御 光 り の如 く で あら せ ら れ る から 内外 に光 被 し
るも ので あ る。広 く貴賤 、貧 富 、強 弱 を問 はず 慈 し み給 ふ
天皇陛
東 洋 への自 覚 に於 て正 し き を養 ふ事 即 ち 東洋 道 義 の再建 を根 本 と す
好 誼 を厚 く し、 隣 邦 相戒 め て唯物 赤 化 の侵 襲 を防 ぎ、 平 等互 恵 の経
であ つて相 互 に国 家 民族 の本領 特 質 を尊 重 し て相提 携 し 互 助親 睦 の
を 以 て 一致 の根 源 と な し、 国 共 及経 済 の協 力 を 以 て重 し と なす も の
共 同防 共 、 経 済 提 携 の三原 則 が提 唱 せら れ てゐ る 、即 ち 三国 は道 義
日満 支 三国 関 係 の調整 結 合 に関 し て は既 に国策 とし て善隣 友 好 、
済 を 以 て長 短 相 補 ひ有無 相 通ず る の実 を挙 げ 、 以 て東 洋 本来 の道 義
久 遠 に遍 照 し て窮 り なく 、 其 の光 り正 しき が 故 に強 く 正 し き が故 に
欧 米 諸 国 の支 那 、 印度 、阿 弗 利加 等 に対 し て採 り つゝあ る資本 主
文 化 を保 全 発 展 せ し む べき であ り 、此 の関 係 は東 亜 再 建 の基 礎 であ
久 しき を 得 る所 以 であ る。
義 的 侵 略 や、 ソ聯 の企 図 す る階 級 闘争 に よ る世 界革 命 は他 国 又 は他
り 、模 範 で あら ね ば なら ぬ。
東 洋 侵略 を遠 慮 させ て居 た の であ る が、 日清 戦争 の結 果 眠 れ る獅 子
支 那 が眠 れ る獅 子 と し て尚 獅 子 の威 力 を有 し て居 た時 には列 国 の
化 を望 む か
2 、 日本 は 支那 の統 一強 化 を望 む か、細 分弱
民 族 を 犠 牲 と し て自国 民 の み の繁 栄 を図 るも ので あ つて、 天 地 に愧 ぢざ る大 道 で な い。 従 つて能 く 久 し き に亙 る事 が出 来 な い であ らう 。
一宇 の真 義 に徹 し以 上 の如 き混 乱 か ら東 洋 を救 ふ為 自 ら先 づ 道義 を
義 的性 格 を有 す る世 界 政策 の齎 し た 当然 の混 乱 であ る。 我 等 は八紘
の弱 体 を世 界 に暴 露 し た為 に欧米 諸国 の侵 略 を 見 た事 は 歴史 の明 示
現下 世 界 を 挙 げ て動 乱 の渦 中 に投 ぜ ら れ つゝあ る のは此 の如 き非 道
実 践 し其 の結 果 とし て の日満 支 三 国 の結 合 に より東 洋 永 久 平 和 の基
す る所 で あ る。
而 し て東亜 再 建 即 ち東 亜 新 秩 序建 設 の為 には 先 づ其 の基 礎 であ る
実 現 に如 何 な る協 力 を も惜 し まざ る大 決 心 を 固 め た時 に始 め て 日支
日 本 が支 那 の内 部 に火 の如 く起 り つ ゝあ る支 那統 一の民 族 的要 求
ん と す る欧 米 諸 国 の模倣 で あ つ て断 じ て聖 戦 の目 的 で はな い。
様 な考 へを持 つ者 が絶無 で はな か つた が、 此 の考 へは支 那 を侵 略 せ
威 であ る。 従 来 動 も す れば 支 那 を細 分 弱 化 し て之 を操 縦 せん とす る
支 那 の独 立 を 脅 威 せ ら れ る事 は東 洋 の平 和擾 乱 で あり 日本 へ の脅
礎 を確 立 し 以 て大 御 心 に対 へ奉 ら ね ば なら ぬ。
1、事 変 解 決 の根本 観 念
四 、事 変 は 如何 に解 決 す べ き か
八紘 一宇 の理想 は万邦 協 和 の建 設 であ り、 東 洋平 和 は万 邦協 和 へ
日満 支 三国 の間 を道 義 的基 礎 の上 に物 心両 面 に亙 り調 整 結 合 せ ねば
善 隣 の結 合 は得 ら れ る も の であ る 。万 一日本 人 にし て支 那 人 を瞞 し
の第 一歩 であ る 。東 洋 を 救 つた後 には 世界 を救 は ねば なら な い。
な ら ぬ。 是 が今 次 事変 の直 接 目 的 で あ り、 日露 戦 争 、 満 洲 事 変及 今
て不 当 の所 得 を 望 み 、或 は外 国 に倣 つて支 那 を 日本 の植 民 地 の如 く
的 に は、 日満 支 三国 の安 定 確 立 に関 す る努 力 であ り、 積極 的 には東
に愧 ぢざ る信 念 を持 つ事 は出 来 な い。
考 へる者 が あ つた な ら道 義 日本 の本 質 に反 す るも ので あり 、到 底 天
次事 変 は之 が歴 史 的 努 力 の過 程 であ る 。即 ち 今 次事 変 の本質 は消 極
亜 再 建 への発 足 であ る 。
欧 米 諸 国 の唯物 的非 道 義 的 政 策 によ る 旧秩 序 ( 資本主義的支配又
で あ る から 総 て の施 策 亦 言 行 一致 の誠意 を 以 て臨 まね ば な ら な い。
侵 略 の暴 力 に対 し て は共 同 防 衛 に任 じ 、相 倚 り相 扶 け 互 恵 の経 済 を
義 的 結 合 の上 に東 亜 聯 盟 を結 成 し 、善 隣 友 好 の関 係 を維 持 し、 東 亜
事 が出 来 な いで あら う 。 即 ち東 洋永 久 平 和 の基 礎 は 日満 支 三国 の道
三 国 が真 に結 合 す れば 恐 ら く世 界 の何 れ の国 と 雖 も 一指 を も染 め る
三 国 が 個 々に分 裂 抗 争 す れば こそ欧 米 に侵 略 搾 取 の機 会 を与 へるが 、
は階 級 闘 争 的 革命 ) の清 算 是 正 を 目 的 と し て起 つた聖 戦 の真 義 を 、
以 て有 無 相 通 じ 三国 国 力 の充 実 発 展 を図 る事 に よ つ て のみ実 現 せら
聖 戦 の真 義 は道 義 によ る新 秩 序 の建 設 にあ る事 は炳 乎 た る 大 方針
し な け れば 大 御 心 に副 ひ奉 る所 以 では な い。
進 ん で治外 法 権 や附 属 地 行 政権 を還 付 し て、満 洲 国 の健 全 な る発 展
力 し各 々其 の天分 を遂 げ て興 隆 し 以 て東 洋 の道 義 文 化 を 再建 発 展 せ
す る所 は 東 亜 の各 国 家 民 族 が夫 々安 住 の処 を得 、近 隣 親 睦 、互 助協
核 と し、 之 を 全東 亜 に発 展 せし め んと す る も ので あ つて、其 の庶 幾
東 亜 新 秩 序 即 ち東 亜 再 建 は以 上 の如 き 日満 支 三国 の善 隣結 合 を中
万 邦 其 の福 祉 を倶 に す る の世 界 平 和 に貢献 し得 る の であ る 。
れ、 延 い ては東 洋 に於 け る他 の諸 民 族 の自 主 正 常 の発 展 を も助 成 し 、
何 等 の未 練 と懸 値 な し に現 実 に於 て示 す事 を我 等 の念 願 とし 理 想 と
3 、満 洲 建 国 の根 本 精神 を想 起 せ よ 日清 、 日露 戦 役 、 満 洲事 変 に よ る幾 万 の尊 い犠 牲 を以 て産 ま れた
強 化 に善 隣 と し て の道 を 尽 し た のは内 外 斉 し く 知 る所 で あら う 。 爾
満 洲 帝国 は民 族 協 和 の新 原 理 に よ る道 義 国 家 であ る 。先 般 日本 より
後 の満 洲国 は隆 々た る発 展 を 示 し世 界 動 乱 の禍 中 に於 て も 三千 万 の
日本 内 地 に於 て今 尚 聖 戦 の真 義 に徹 せず 、 西 洋 模倣 の侵 略 思 想 に
1、 真 個 の 日本 人 た れ
五 、派 遣 軍 将 兵 は如 何 に行 動 す べ き か
で其 の進出 を 迎 へる も の で あ る。
あ り 、 又 欧 米 諸国 に し て之 に偕 行協 力 せ ん とす る に於 ては勿 論 喜 ん
外 の諸 国 が 之 に加 入す る事 は固 よ り当 然 の発 展 とし て期待 す る所 で
す るも の であ つて 、先 づ 日満 支 三 国 を 以 て之 が基 礎 と な す も 三国 以
の上 に東 亜 の安定 と発 展 と を確 保 し 、世 界 平 和 の再 建 に貢献 せ ん と
発 展 を 予 期 す る も ので あ る。 東 亜 聯盟 の真 義 は右 の様 に道 義 的 基 礎
東 亜 新 秩 序 に於 け る国 家 相 互 間 の関 係 は究 極 に於 て聯 盟結 成 への
主 独 立 と 国 防 及経 済 等 の相 互 協 力 関係 と を律 す る事 であ る 。
し め んと す る に在 り 、其 の要 点 は 道義 的 基 礎 の上 に各 国 家 民族 の自
満 洲 国 が 以前 の様 な張 軍 閥 の搾 取 下 に在 つた な ら ば 恐 らく は今 頃
民 衆 のみ は戦 禍 を受 け る事 な く其 の居 に安 ん じ 其 の業 に楽 ん で居 る。
は ソ聯 の 一属 領 と な つて 三 千万 の良 民 は 塗 炭 の苦 し み を嘗 め 、 或 は 第 二 の日露 戦 争 が満 洲 の野 に展 開 され て居 た か も知 れ な い。 4 、東 亜 新 秩 序 と東 亜 聯 盟 の結 成 東 洋 諸 国 が桃 源 の甘夢 か ら醒 め た時 には 欧 米 諸国 の爪 牙 が既 に其 の心 臓部 に喰 込 ん で居 た の であ る。 支 那 が百 年 前 に覚 醒 し て居 た なら ば 支 那 の独 力 で欧 米 諸 国 の侵略 を防 止 し、 阿 片 戦 争 も 日露 戦 争 も或 は 今 次 の事 変 も免 れ得 た であ ら
う。 元来 日支両民族 は歴史的 に二千年 の交誼を有 し つゝも西洋諸国と の接触 以前 に於 ては国を挙 げての干戈を交 へた事例 がな い。日満 支
依 り権 益 的 代償 を求 め る観 念 を 清 算 し 切 れな い者 のあ る事 は遺 憾 で
る の戦果 を 全 うす る事 は出来 な い。
が あ つて は如 何 に宣 伝 宣 撫 す る と も支 那 人 の信 頼 を受 け る ど ころ か
十 万 の英 霊 は 地 下 で我 等 の行 状 を 見守 つて居 る、 司 令部 や本 部 は
其 の恨 を買 ふ のみ で あ る。 従 つ て仮 令 抜 群 の武 功 を 樹 て ゝも聖 戦 た
率 先 し て自 粛自 戒 常 に第 一線 将 兵 の上 に想 ひ を致 し 、第 一線 将 兵 は
あ る 。陛 下 の万歳 を遺 言 とし て東 洋 平 和 の人 柱 とな つた十 万 の骨 の
の結 果 と し て の東 洋 の平 和 で あ る。 求 め ざ る 心 に よ つて の み永 遠 の
戦 死 し た 英 霊 に想 ひ を致 し て其 の身 を 正 し く律 す る事 が生 残 つた者
上 に築 か れ るも のは皇 道 の宣 布 であ り 、東 洋 道 義 の確 立 であ り 、其
ら れ 、道 に よ つて得 た も のは道 に悸 ら ざ る 限 り喪 は れ な い。
長 期 戦 勝 の素 因 は志 気 の振 張 に在 る、聖 戦 の目 的 を貫 徹 す る ま で
の当 然 の道 であ る。
平 和 が求 めら れ る ので あ る。 力 を以 て求 め た も の は力 を以 て奪 回 せ
前 に謹 述 した 御 勅語 の中 に ﹁中 華 民 国 深 く帝 国 の真 意 を解 せず ﹂
は 五年 でも 十 年 でも戦 は なけ れば な ら な い。征 戦 久 しき に弥 る も軍
と 宣 は せ ら れ て居 る のを拝 誦 し て恐 懼 に堪 へな い事 は 、事 変 前 に於 て我 々日本 人 が真 の日本 人 と し て大 御 心を 奉 体 し之 を支 那 人 に伝 へ、
一歩 進 ん で支 那 民 族 の本 質 を 正視 し 、其 の長 所 を 見出 し之 を尊 重 し
る も ので あ る が 、戦 後 に期待 す る 日支 両 民 族 永 久 結 合 の為 に は更 に
政 権 を膺 懲 し 、虐 げ ら れ た る良 民 を救 はん と す る精 神 に立 脚 し て居
あ る。聖 戦 の出 発 点 は欧 米 諸 国 の策 動 に利 用 せら れ て盲 動 す る抗 日
﹁弱 き が故 に助 け る﹂ と い ふ気 持 ( 愛 ) は 日 本 人 の伝 統 的 性 格 で
3、 敬 、信 、愛 を以 て両 民 族 を永 久 に結 合 せ よ
し な け れば な ら ぬ。
紀 の弛 緩 を来 さ な い為 には特 に上 級 者 の自 粛 自戒 率 先 垂 範 を先 決 と
事 変解 決 の根 本 条件 は 一億 の日本 人 が速 か に欧米 的 思想 よ り覚 醒
支 那 人 を し て大 御 心を 理 解 せ し め る の努 力 に欠 け て居 た 点 であ る。
し 、 真 の日 本人 に立 還 り て日本 の真 の姿 を確 認 し 、 国 を 挙 げ て肇 国 の大 理 想 実 現 に身 命 を捧 げ る決 意 を固 め る事 を 第 一と す べ き で あ る。 東 洋 を 東 洋 へ還 す前 に先 づ 日 本 人 は 日本 人 に還 ら な け れ ば な ら ぬ 。 2、 皇 軍 た る の本 質 に徹 し身 を 以 て道 義 を 実 践せよ
信 を其 の腹 中 に置 く の雅 量 を 必要 と す る も の であ る。 我 を騙 す か も
皇 軍 の特 質 は道 義 の軍 と し て皇 道 を宣 布 す る事 を其 の使 命 とす る
知 れ な いと用 心 し て か ゝれ ば 対 手 も亦 何 時 迄 も解 け な い気 持 を抱 く
陛 下 の軍隊 は行 住 坐 臥 唯 々大 御 心 を奉 体
に あ る。
陛 下 の軍 人 、
し 身 を 以 て実践 し なけ れ ば な ら ぬ 。聖 戦 遂 行 の第 一線 に立 てる派 遣
係 にあ つた支 那 であ り、 兵 匪 の暴掠 や 天災 地変 に脅 かさ れ ても誰 人
の古 き歴 史 と欧 米 に先 覚 せ る文 化 を持 ち、 我 が国 と 二千年 の友 好 関
にも訴 へる能 はず 、 又最 近 に於 ては欧 米 諸 国 の資 本 主義 的侵 略 に搾
事 は 、個 人 の交 際 に於 ても 国 家 の関 係 に於 て も同 様 であ る 。 四 千年
て聖 戦 の意 義 は な い。 掠 奪 暴 行 し た り 、支 那 人 から 理 由 な き 饒 別饗
取 せ ら れ な が ら も根 強 く 生 存 し 、 孜 々営 々と し て大 地 と 共 に生 き て
軍 将 兵 が其 の行 状 に於 て天 地 に愧 づ る様 な事 があ つ ては 大 御 心 を冒
宴 を受 け た り 、洋 車 に乗 つ て金 を払 は な か つた り 、或 は討 伐 に籍 口
〓 し 奉 り 、支 那 人 に反 つ て永 久 の恨 み を残 す事 と な る 。 人 心 を逸 し
し て敵 性 な き 民家 を焚 き 、 又 は 良 民 を殺 傷 し 、 財物 を掠 め る様 な事
居 る支 那 人 を見 て、 其 の靱 強 と其 の忍 苦 と 其 の素 朴 と に美 点 を 認 め 、
な い心 構 へを 以 て足 下 を浄 め る事 に努 力 し な け れば な ら ぬ。
邦 人 の反 省 自 覚 を促 し 、十 万 の英 霊 を冒〓 す る様 な結 果 を来 さ し め
く様 な結 果 を 見 た ら 地下 で何 と訴 へるだ ら う 。英 霊 を慰 め る の途 は
十 万 の英 霊 は 不良 邦 人 が懐 を肥 やす為 に日支 両 民 族 再 び抗争 に導
一度 や 二度 の背 負 投 げ も喜 ん で受 け るだ け の腹 で進 めば 必ず や両 民
日 本 を 信頼 せ よ、 日本 人 と提 携 せ よ と如 何 に叫 ん で も支 那 人 が心
単 に礼 拝 供 花 のみ で は足 り な い。 其 の骨 の上 に築 かれ る 日支永 久 の
族 の精 神 的結 合 に到 達 し得 る であ らう 。
から 日 本 を信 頼 し 日本 人 を 信 用 す る に至 ら な い限 り 一方 的 で あ る。
結 合 を実 現 させ る事 に全 力 を 尽す 事 が生 残 つた将 兵 一同 の義 務 であ
り、 又 英 霊 に対 す る最 善 の供 養 で あ る。
我 等 は 支 那 人 に呼 び かけ る前 に先 づ己 を真 の日 本 人 と し て正 しく す る事 が先 決 条件 で あ る。
5 、 支 那 人 の伝 統 と習 俗 を 尊 重 せ よ
支 那 には 支 那 の伝 統 が あ り 、支 那 人 には 支 那 人特 有 の習 俗 が あ る。
る。 日本 人 は 真 の日 本 人 た る と共 に支 那 人 が真 の支 那 人 た る事 を尊
之 を尊 重 し 之 を 理解 し て其 の面 子 を尚 ぶ事 は絶 対 不可 欠 の要件 で あ
しめよ
4、 英 霊 を 冒〓 す べ き不 良 邦 人 を 戒 飭遷 善 せ
軍 に跟 随 し 同胞 の先 駆 とし て大陸 に進 出 した 邦 人 中 には或 は宣 撫
日本 人 の法 則 を 支 那 に強 ひ た り、 日本 人 が支 那 の内 政 に干渉 し た
重 せ ねば な ら ぬ、友 好 に は寛 容 と同 情 と が 必要 で あ る。
に、 或 は 看護 に献 身 犠 牲 的 活 動 を な し職 に殉 じ た も の、 又現 に活 動
ら ざ る現 状 で あ る。 法 に触 れた も の の多 い事 は 勿 論 触 れ な い も のと
り 日支 合 作 を唱 へな がら も支 那 人 を傀 儡 視 し た り 、又 は其 の習 俗 を
をな し つ ゝあ る も のも 尠 し と は し な い が、 日本 人 の面汚 し も亦 尠 か
雖 も 道 徳 的 に指 弾 せら れ るも の ゝ甚 だ多 い現 状 は遺 憾 な が ら之 を認
無視 し て は如 何 な る創意 妙 案 と雖 も実 績 を 挙 げ得 る も の では な い。
接 し な け れば な ら な い。
宜 し く支 那 自 体 の事 は 支那 人 に委 せ信 を 其 の腹 中 に置 く 雅 量 を 以 て
め ざ るを 得 な い。 上 海 、南 京 、天 津 、 北 京 等 の夜 の状 況 を 一巡 す れ ば如 何 な る状 態 にあ る かを判 断 す る事 が出 来 よ う。 遊 興 の影 には 不 正 が あ り勝 ち で
我 方 に不利 と な る行 為 を敢 へてす る者 、 就 中 外 人 に対 し て 名義 貸 し
を 知 り つ つも営 利 の為 敢 へて之 を為 し、 或 は外 支 人 の手 先 と な り て
権益 の如 き は 我 が 大 軍 駐屯 の前 に は無 力 無 抵抗 の存 在 であ る 。此 の
我 が武 士 道 の本 領 であ る 。今 や我 が占 拠 地域 内 に関 す る限 り第 三国
べ き は我 が国 民 的 信念 で あ る と同 時 に、 無 力 の弱 者 を庇 護 す る事 も
破 邪 顕 正 は 皇 軍 の使 命 で あ る。 皇 道 宣 布 の為 に は国 を挙 げ て起 つ
6 、 正 当 な る第 三 国 人 に対 し て は寛 容 であ れ
を な し 不 当 の利 益 をな す も の、或 は個 人 の利 益 の みを 図 り て全 般 的
あり 、 支 那 人 を瞞 し脅 し て不 正 に利 得 を貪 り、 或 は敵側 を利 す る事
の成 果 を収 め る事 が出 来 な い のみ な らず 、 日支 両 民 族 を永 久 抗 戦 に
統 制 指 導 を拒 否 す る が如 き者 が あ る状 態 で は、 何 時 迄経 つて も聖 戦
て利 敵 行 為 なき 限 り 、 支那 の良 民 と同 様寛 容 を 以 て之 を遇 し無 用 の
裡 に あ つて遠 く 故 国 を 離 れ て生 存 す る第 三 国人 に 対し ては 正当 に し
導 く も ので あ る。 派 遣 軍 将 兵 は先 づ身 を以 て自粛 の範 を示 し、 不 良
は如 何 な る物 質 を 以 ても 購 ひ得 な い賜 で あ る。 帰 還 後物 質 万 能 の世
欧 洲 に於 ては昨 秋 以来 第 二 の大 戦 状 態 を呈 し 、 東 洋 に対す る列 国
危惧 を去 ら しむ べき であ る 。東 亜 再 建 は 万 邦協 和 への段 階 で あ る か
の干 渉 は其 の為 に稍 〓緩 和 の状態 にあ る が、 利 害 打算 を信 条 とす る
ら 不当 利 敵 の も のは之 を排 す る も正 当 不 偏 のも のは斥 け る べ き では
等 の危 惧 に対 し ては我 が要 求 の限 度 を吟味 し て之 を明 示 し、 我 が公
欧 洲 各 国 が打 算 の取 れな い戦 争 を永 続 す る も のと 期待 し て は なら な
は生 き 残 つた も の の英 霊 に対 す る義 務 で あ る。
明 な る真 意 を諒 解 せ し む る様 に教 へ且 導 く べ き で あ る。 過 去 に過 て
い。何 時 平 和 ( 固 よ り武 装 平 和 で あ る が) 状 態 にな る か も予 測 出 来
相 に敗 退 す る事 な く皇 国 民 の精 神 的 中核 と な つて郷 党 を指 導 す る事
る が故 に現 在 に ても咎 め、 本 国 非 道 の故 を 以 て罪 なき 個 人 に報 復 す
な い。 此 の秋 に於 て彼 等 が欧 洲 に得 ら れ な か つた も のを東 洋 に求 め 、
な い。戦 時 の要 求 存在 す る の故 を 以 て平 時 も永 久 に然 ら ん とす る彼
の真 意 を曲 解 し東亜 の擾 乱 を図 るも のあ ら ば堂 々国 家 の決 意 に於 て
る事 は皇 軍 将 兵 の為 す べ き所 では な い。若 し夫 れ彼 等 の本 国 が聖 戦
又第 三 国 が連 袂 し て対 日干 渉 を試 る事 も当 然 予 期 し な け れば なら ぬ。
大 元 帥 陛 下 の信
倚 に対 へ奉 る事 が十 万 の英 霊 に対 す る何 よ り の供 養 で あ る。
れる事 を 予期 し 、挺 進 難 に赴 く の準 備 を整 へ以 て
第 二 、第 三 の国 難 内 外 両 方面 よ り神 国 日本 への試 練 と し て加 へら
破 邪 顕 正 一刀 両断 の施 策 を な す も の であ る。 六 、 交代 帰 還 将 兵 に告 ぐ 聖 戦 久 し き に亘 る に従 ひ内 地 に交 代 帰 還 す る将 兵 の言 動 が日 本 の 国 内 に与 へる影 響 の如 何 に強 いも の があ る か を深 く 省 る必 要 が あ る。 征 戦 三年 有 ゆ る困 苦 に堪 へ弾 雨 を 冒 し て得 た精 神 的 収 穫 は 帰 国 と 共 に消 滅 し 、物 質 万能 の世 相 に捲 込 ま れ る事 が あ つ ては な ら ぬ 。戦 争 に来 な か つた も のが楽 を し て金 を 蓄 め 、或 は高 い地 位 にあ り つい て居 る等 の矛盾 せ る現 実 を 捉 へて帰 還将 兵 に呼 び掛 け る国 体 破壊 の 左翼 運 動 が 潜 行 し て居 る事 も 警 戒 す べ き で あ る。 戦 友 を 失 ひ 、部 下 を殺 し 、 上官 を亡 く し た者 の考 へな け れば なら な い事 は 地 下 の英 霊
陛 下 の万 歳 を遺 言 と
が何 を 望 み何 を期 待 し て居 る か の 一事 で あ る。皇 国 日本 の姿 を益 々 高 く 世 界 に顕 現 し、 東 洋平 和 の御 詔 勅 を奉 じ
し て骨 を 曝 し た の であ る 。若 し此 の英 霊 を 冒〓 す る様 な国 内 の醜 状 、 国 民 の無 自覚 あ らば 敢然 と し て起 ち皇 運 を扶 翼 し奉 り聖 戦 の目 的 貫 徹 に向 つて国 内 を導 く の覚 悟 を必 要 とす る のは言 を俟 た な い所 で あ る。 生命 を弾 雨 の危 険 に曝 し 、幾 度 か死 線 を越 え て得 た精 神 的 収 穫
六七
原 浦
井 上 野 島 幡 越
顧
問 顧 顧 顧 顧 顧 顧
問 問 問 問 問 問
官 官 官 官 官 官
顧 問 官
顧 問 官 顧 問 官 顧 問 官
井
官
荒 木 顧 問 官 菅 松 潮
林 深 二 真 大 小 竹
松
高 辻 書 記 官
山本外務省東亜局長 松 本外務省条約局長 太 田外務 書記 官 西村 外務 書記 官 松平 外務 書記 官 小川 外務 書記 官 相田大蔵省 理財局長 櫛 田大蔵 書記 官 武藤陸 軍省軍務局長 河 村 陸 軍 大 佐 石 井 陸 軍 中 佐 岡 海 軍省 軍務 局 長 石 川 海 軍 大 佐 藤 井 海 軍 中 佐 堀 江 書 記 官 長 諸 橋 書 記 官
者 金 子 顧 問 官 田 中 顧 問 官 三 土 顧 問 官 国 務大 臣 近 衛 内 閣 総 理 大臣 東 條 陸 軍 大臣 及 川 海 軍 大臣 河 田 大 蔵 大臣 説 明 員 村瀬 法 制 局長 官 森 山 法 制 局 参事 官 宮内 法制局参事官 柳川興亜院総務長官 鈴木興亜院政務部長 武内 興亜院調査官 橋本 興亜院事務官
席
大 橋 外 務 次官
闕
日華 基 本 条 約 に 関 す る 枢 密 院 第 一回 審 査 委 員 会 記 録
日本国中華民国間基本関係 に関す る条約締結及関係公文交換 の件 外 一件第 一回審査委員会
官
昭和十五年十 一月二十 日 (水曜 日)宮中東 三の間本院控室 に於 て
長 長 官 官 官 官 官 官 問
開会
顧
出 席 者 原 議 審査委員長 鈴 木 副 議 審 査委員 河 合 顧 問 石 井 顧 問 有 馬 顧 問 窪 田 顧 問 石塚 顧 問 清 水 顧 問
奈 良 顧 問 官
南
( 午前十時十分開会) 鈴木委員長 開会 を宣す本案 の二件 を議題 に供し政府当局 の説明 を 求む 近衛内閣総理大臣 より本案 二件 の成案 を得 るに至りた る経過 に付
附属議定書第 四条 の日本国臣民 の蒙りた る損害補 償及中華民
千) は寧 ろ育成増強せらるる ことを希望す る旨 四
国難 民の救済 の内容如何と の質問 に対し ては河田大蔵大臣 より附
も戦費 の賠償 を求む るも のに非ざ る旨及支那難民 の救済 は固 より
属協定第 四条第 一項は帝国臣 民 の権利利益 の損害を補償 せしむ る
陸軍大臣より今後 に於 ける支那事変処 理方針 に付説明あり
て之 に依 り国庫 に負担を来すも のには非ざ る旨
国 民政府之 を行 ひ帝国政府は之 に便宜 を供与 せんとするも のにし
説明 あり外務大臣病気闕席 に由り外務次官 より補足的説明を為す 次 で松本条約局長本案 二件 の内容 に付概要 の説明を為す 河合顧問官 より種 々質問 あり即ち に至 りた る迄相 当 の期 間 を費 し た る理由 如何 と の質 問 に関 し ては
所となるべき惧 あることを指摘 したるに対し東條陸軍大臣より昭和
は蒋介石 をして帝国 の情勢を不利 に判断 せしめ て却 つて彼 の乗ず る
石井顧問官 は重慶政権 に対する帝国政府 の方針を問 ひ対重慶 工作
夫 々答弁 あり
鈴木興亜院政務部長 より本案 の成立 に相当期間 の経過 を要したる
十三年 一月十 六日の政府声明より同年十 一月三 日の声 明に至 る経過
政府 が特命全権大使 を南京 に特派したるより茲 に成案を得る
は新政府 の実体を究 め重慶政権 の全面的屈伏 を慮 りたる為めなる
を述 べ最 近 の御前会議 に於 て議決 せられたる事変処理要綱に基 き対
一
旨
有馬顧問官 より新政権承認後汪蒋合作成 るとす るも汪は従来 の出
重慶 工作 を進 むべき旨之 が効果 に付ては種 々の観察あらんも三国同
所進退 に節操 を欠 き支那人 の間 に信用乏 しく蒋 は英雄的存在 として
盟条約等 の効果 を利用し茲 に途なきに非ざ る旨 の答弁あり
条約第七条 に治外法権 の撤廃租界 の還付 に規定 あるも其 の具
約局長 より今回 の条約締結 の最大 の意義 は新政府 の承認 に在 り従
今 に信用 を博 しつつあるに鑑 み再 び蒋 の天下と なり竟 に帝国 の聖戦
二
つて条約 には斯 かる見地 に於 て必要 なる基本的条項 のみを掲 ぐる
体的方法 に付何等 の取極 なき理由如何 と の質問 に対し ては松 本条
こととし治外法権 の撤廃、租界 の還付等 に付 ての前後措置 に関す
対し東條陸軍大臣 より帝国政府 は新政権 を育成強化せんとす るもの
目的 を達成す るに至らざ るを惧 る旨 を述 べ当局 の所見を求 めたるに
三
にして蒋 が従来 の考 を棄 て其 の実体 を変 へ帝国 の企図する東亜 に新
る具体的取極 の如 きは之 を将来 の協定 に俟 つべき旨 の質問に対しては東条陸軍大臣 より本案 の条約は特殊 の事態 に於
秩序 を建設す るの理想 に来り投ず るに由 り汪蒋合作が成るも のなる
新政府 の保有す る兵力 に付何等 の制限的規定なき理由如何 と
には基本的条項 のみを掲 げ其 の他 に付 ては別箇 に之 を協定す べく
憩 (正午 ︱午後 一時半)
け る取極 にして今後 に於 ける事態 の変化 は明瞭ならざ るを以 て茲
休
旨 を述 ぶ
当面 の事態 に付 て考 ふれば新政 府 の保 有 す る兵 力 (現在八万八
窪 田顧問官より本案 の条約及 び関係公文中蒙疆及華北 に関する取 極 は直 に此 の両者を羈束す るものな るか等 に付質問 あり鈴木興亜院 政務部長及松本条約局長 より交換公文 (甲)第 二 の二に規定せら る
︹マ マ︺
精衛 が主席代 理 の任 ある旨二 に付 ては東條陸 軍大臣 より重慶政府 に
南顧問官より外務 次官 を通 じて闕席中 の松 岡外務大臣 に対し質問
対す る和平交渉 は常 に汪蒋合作を建前とす る旨夫 々答弁 あり
重慶政府 が遂 に新政府 に合作 し来らず とせば茲 に支那 は二分せられ
奈良顧問官 より本条約 の締結 に依り齎 さるべき効果 を問 ひ併せ て
事項 を提出し明日 の委 員会 に於 て之 が答弁を求む
政務委員会成立 の当初 よりする日本側 との関係 に照し条約 の履行 に
新政府承認後 に於ては重慶政府は之を叛乱 政府と目す べく之 に対し
る所 にして新中央政権成 立に至 れる経過及蒙古聯合自治政府及華北
の駐屯 を考慮 に入 るべき旨等 の答弁 あり
規定 したるも のとは異 なる旨及現実 の事態 とし て対立関係 の存在 を
り本条約は日華関係 の基本原則を定めた るも のにして戦果 の取得を
討伐 を永続す るに付 ては疑 ある旨を述べた るに対し東條陸軍大臣 よ
付何等懸念 なかるべき旨 特に東條陸軍大臣より此点 に付 ては日本軍 石塚顧問官 より種 々質問 あり即ち 未 だ実力 を具有 せざ るも帝国は鋭意之 を育成し漸 次其 の政治力 を
り諸般 の施策を講ず べき旨 を答 ふ
否定 し得ざ るも帝国 は新政府 を中華民国政府とし て認 め此 の見地よ
事変処理 の今後 の見透 しに付 ては東條陸軍大臣 より新政府 は
各方面 に滲透 せしむ べく重慶政権 は飽く迄 も之が屈服 を図 るべき
荒木顧問官は条約第四条 の規定 に基く日本軍隊 の駐屯 に要す る経
一
旨 条約中 の防共原則 に対する政府 の見解如何と の質問 に付 ては
近衛内閣総 理大臣 より今次事変 が聖戦 たるの意義は防 共に於 て最
駐屯 に必要 なる諸般 の便宜を供与 せること を約 せしめ間接 に相当 の
となきも附属秘密協定第二条第 二項 に依り中華民国をして日本軍 の
費 の分担 に付質問し河 田大蔵 大臣 より直接 に経費 を分担 せしむ るこ
二
も明確なるべく日 ﹁ソ﹂関係 の如何に拘 らず防共は飽く迄之 を堅 新政府 承認後 に於 ける興亜院 の地位如何 との質問 に付ては東
持すべき決意 を有す る旨 三
平 の形式 に付質 問あり一 に付 ては柳川興亜院 総務長官 より新政府 は
清水顧問官より一新政府 に於け る汪精衛 の地位二重慶政府と の和
つあ る旨夫 々答弁 あり
点 に於け る興亜院 の関係 は在支諸機関 の整 理と共 に目下考慮 し つ
たる税収入 の増加 を図 るべき旨二 に付 ては東條陸軍大臣より我 が封
後 に於 ては新政府 の政治力 の滲透 に伴 ひ民 心の把握 に努 め基礎財源
九月迄 の経過 は歳出予定額 に達せず 三千万元 の余力を存 したる旨今
年度 に於 て 一億 四千余万元なり歳出 は 一億 七千余万元を計 上す本年
下流地帯に於 ける税収 入 (殊 に海関税統税塩税) に依存 し其総額本
り一 に付ては鈴木興亜院政務部長 より新政府 の財源は殆 んど揚子江
菅原顧問官 より一新政府 の財政力二蒋政権 の経済力等 に付質問 あ
負担を負 はしむ る旨 の答弁あり
国 民政府還都 の形式を以て之 を組織 し林森を主席 とし特別 の規 定を
條陸軍大臣 より新政府承認後は 日華間 に外交関係 を生ず べく此 の
設 けて其 の不在中代理を置 く ことを得 るも のと定 め行政院長た る汪
鎖強化及援蒋 ﹁ルート﹂ の閉鎖は蒋をして愈 々窮乏 に追 ひ込み物資 の不足及需給 の不円滑 は重慶 をし て経済的危機 に瀕 せし めつつあり 但 だ食料 は自給 自足 に大 なる困難なし財政 は重慶側 の発表する所 に 依 れば事変勃 発前 に於 ては歳 入十 二億元 に止まりしが 一九三八年 三 ︹関 カ ︺
十八億元 となり内軍事費 は二十五億元なり之 が財源 とし て税収 入は 闕税、塩税、統税 の三種 を主 とす るも何れも主要地点を我軍 に占拠 せられて従前 に比し著減 し増税又は新税創設 は之 に多額を期し難 く 華僑送金 は年 一億 元程度 にして国内金銀 の蒐集 は最早実績挙がらず 結 局公債発行 に俟ち其 の発行額 は事変勃発以来 三十 二億元 に達 する も消化率 は五〇%内外 に過ぎず対外借款は比較的効果 を挙げ つつあ るも税収入 の減 を掩 ふに足らざ る旨夫 々説 明あり 終 に石井顧問官 より外務次官を通じて闕席中 の松岡外務大臣 に対 右終 て鈴木委員長 は本 日の会議は之迄とし次 回の委員会は明日午
し質問事項を提出 し明日の委員会 に於 て之 が答弁 を求む
( 午 後四時十五分閉会)
前十時 より之 を開く旨 を述 べ閉会を宣 す
目
六八
次
北 支 那 方 面軍 司令 部)
一、華北政務委員会 に対す る指導
るも のにし て其現況を述 ぶれば左 の如し
(昭和 一六 、 一、 一三
北 支 政務 並 経 済 の現 況
第 一、 政 務 指 導一 般 の状 況
政府承認 に伴 ひ北支 の責務愈 〓重且大となりしを認識 せしめ帝国 の
主 とし て興亜院 華北連絡部 が内面指導 に当り三国同盟締結 及国民
綜合戦力強化 に必要 なる諸施策 に協力せしむるを主眼 とし主 として
一、 華 北 政 務 委 員会 に 対す る指 導
三、 新 民 会 の指 導
二、省以下地方 の政務指導
我占拠地域内 への政治力 の滲透 に努力せしむる如 く指導しあり。
二、食 糧対策
一、金融通貨 及物価対策
第 二、経済指導 一般 の状況
の治安建設工作に積極的 に協力せしめ つつあり。
に非ず んば東 亜 の共栄圏は確立し得ざる ことを銘記 せしめ以て皇軍
以 なるを了解せしめ 一般 の民心 を益 〓十全に掌握 し日本と提携 する
とが新事態 に即応す る最良 の方策 にし て是れ軈 て国民政府強化 の所
のにあらず し て寧 ろ北支 の特殊性 を再認識し明朗北支 を具現する こ
而し て国民政府 承認は従来 に於 ける軍 の施策 に何等変更を来 すも
四、民国三十年度華北政務委員会予算
三、重軽工業資源 対策 に就 て
二、省以下地方 の政務指導
五 、 労 工 に関 す る事 項
四、物動資金計画 に就 て
範地区 工作を中心として之 が進展 を企図しあり。
特殊性 とに即応し治安 竝建設諸施策を迅速 に具 現す るを方針 とし模
地方政務指導は支 那側各機関 の積極的活動を促進し各地 の実情 と
五、会社及商業機構指導状況 第 一、政務指導 一般 の状況 目下実施し ある政務指導 は昭和十 五年度第二期粛正建設計画 に拠
二 歳 訳
出
中央 より補填
帰徳、十 二月邯鄲)及強化 と共 に支那側指 導態勢整備漸く成り実質 内
道県連絡員及其 の輔佐員 も逐次充実し特務機関 の新設 (昨年十 月 的に支那側地方機関を内面指導し着 々軍 の施 策を具現し つつあり。
特別工作費 新 民 会 費 を含 む
政
署
費
模範 地区工作 の成果は未 だ必しも当初 の期待に到達し あらず と雖 各
費
総
諸施策概 ね実行 の緒 に就 き他 地区 に比し治安 の実績 、行政 の滲透漸
司 法
費 中央政府 への納付額
予 備
各省市補助 ( 司法補助を含む) 三
蒙疆政府 への送付額
五 、 〇 〇 〇 、〇 〇 〇
二一 四 、 〇 〇 〇 、〇 〇 〇
五〇 、 八 六 〇 、〇 〇 〇
五 六 〇 、〇 〇 〇
一三三 、 七 九 〇 、〇 〇 〇
一八 、 八 一〇 、〇 〇 〇
中央及蒙疆 に移譲 の分は歳 入、歳出双方 より控除 しあり。
従 つて右額 を加 ふる時 は歳 入、歳出共 二五九、九八〇、〇〇〇 と
昨年度北支 よりの入満労働者数 は百四十万人 に達し蒙 疆亦十万人
な る。 五、労工に関す る事項
を要求 しあり飜 つて北支自体 に於 ても諸産業 の開発並軍事行動 に要
する労働力 とを考 ふる時不足を感ず るの状態 にあり特 に炭業労働者
余 (40% を控 除 )
三 二、 八 〇 〇 、 〇〇 〇
三 七、 二〇 〇 、 〇〇 〇
と共 に満蒙側 と協議 の結果華北労 工協会 の設立 を決定し其条例 は華
二一 四、 〇 〇 〇 、 〇 〇 〇 円
九 、 九 八 〇 、〇 〇 〇 関余 の40% ( 三九 、 九 八 〇 、〇 〇 〇 塩税 の30% 六 、 〇 〇〇 、〇 〇 〇
く顕著 となり つつあ るは事実 なり。
入
註
三、新 民会 の指導 新 民会 は其 の団結漸く成 り軍 の 一翼とし て今後 の活動 に期待し得 る態勢 に移行し つつありて本年度 工作 に関し方面軍 とし ても既 に要 求する所 を指示 し劃期的進展 を企図しあり。 尚客年十二月九日より開催 せる第 一回全体聯合協議会 を契機とし 反共工作 を中心 とし て全面的会運動 を展開 せしむべく又目下最も考 慮しあ るは人的素質 の不十分なる ことにし て就中華人に於 て然 るを 四、民国三十年度華北政務委員会予算 は治安第 一主義 に則 り鋭意健
以 て優 秀なる華人職員 を獲得すべく努力し あり。
一 歳
全財政を基調 とす る如く立案 し昨年末次 の如く決定 せり。
余 (30% を控 除 )
入
故 に現在 地方 の実情 に応じ募集禁 止区域 を定め着 々之 を調節す る
関
に於 て然 り。
塩
北政務委員会を通過 せり。
共 に国防資源 の開発取得に徹底す るにあり。
現下北支経済施策 の根 本方針 は占拠地域 の民心 の安定 に資す ると
第 二、経 済指導 一般 の状況 二〇 、 〇 〇 〇 、 〇〇 〇
一〇 〇 、 〇 〇 〇 、 〇〇 〇
一〇 、 〇 〇 〇 、〇 〇 〇
九 、 〇 〇 〇 、〇 〇 〇
税
訳
)
統
内
)
(
禁 烟 税 収
過年度関余繰 入れ
雑
相俟 つて民生 の安定 を策 し以 て治安 の確 立を期 しあると共 に日満綜
即ち依然低 物価政策を維持し生活必需 品 の生産力拡充竝 に確保 と
基因する輸 入減等 により逐次膨脹し昨年末 七億円を突破せり。
には五億 七千余 万円に下り稍 〓愁眉 を開 きしも前述 調整料問題 に
急速なる膨脹 を継続 せる聯銀券発行高 も七月以来逐 次減少 し八月
内民衆 に悪影響 を及 ぼし来れる為目下之 が救済措置 に関 し満洲側
而 して叙 上通貨緊縮政策は 一方対満輸出苦力 に圧迫 を加 へ又管
央 銀行券 及蒙疆銀行券 の流通禁 止 の措置 を執 りあり。
又円系各 通貨 の流 入滞留 の状況 に鑑 み本年 一月 二日より満洲中
合国防力強化 に必要 なる重要資源特 に石炭 の開発 取得 に邁進し つつ あり。 而 して又 日獨伊三国同盟締結 に伴 ひ英米 の経済 圧迫 を考慮し て北
と折衝中なり。
支 に於 ける軍需充足及民生確保 に必要な る物資 の緊急輸入を図りあ 一、金融通貨及物価対策
り。 一昨年末以来 の北支物価 の急騰 に鑑み極力通貨 の緊縮を図る
③ 北支 に於 ける開発関係諸会 社並其他商社 の金融 は極度 に梗塞 し其経営 上支障 を及 ぼすも のあり例 へば華北交通会 社、目下解消
①
と共 に物資 の輸 移入及出 廻を促進し、中央、地方 を通 じ低物価 の
の負債 の支 払に困難 を来し相共 に経営 の困難 に陥りあり。
準備中 の株式会社興中公司、華 北電業株式会社 の如 き何 れも多額
又現地としては今後極力地場資本 の動員 に着手し実業銀行 の設
維持 に勉め来りたる為諸物価 は昨年六、七月頃 を頂上 とし逐次下 の例 を破 り騰勢を抑制 したり、之 が原因は通貨 緊縮政策 の奏功 に
④ 客年十二月十 九日南京 に国民政府 の国家銀行たる中央儲備銀
立庶民金融機関 の普及、彩票 の発行等逐 次計画を進め つつあり。
降 し昨年八月以降概ね安定 し来 り、特 に食糧 品価格 に於 ては毎年 依 ると雖 一面輸入外粉 の逐次到着、地場内出 廻 の促進 、各機関 の
通貨は政府 の財 政収支上 に於け る使 用通貨 とし現在北支に儼存す
行設立す ること に決定 せられ本年 一月六日開業したるも差当 り新
価格操作成功等 に依るも のにして目下旧正月期に差迫 り極力物価 然 しながら昨年八月実施 せられたる日満支輸出入物資価格調整
高騰 を抑制 し以 て民生 の安定 を期 し つつあり。
の中心 とし て活動を継続す るものなり。
る中国聯合準備銀行及蒙疆銀行 には何等 の影響 なく依然北支金融 二、食 糧 対 策
措置 は北支 に経済不安を与 へ内 地調整料 の留保及留保料率 の決定 入 の不円滑等 に伴 ひ物価更 に高騰を継続す るに於 ては聯銀券価値
遅 延と相俟 つて再 び物価高騰 の気構 へを見 せ つつあり、将来輸出
現在北支 に於け る食糧 対策 は今冬期を目標 とし之 が需給 の調整、 食糧価格 の維持 に勉めあり。
① 現在北支管内各種食糧品収穫高予想は前 年度 に比し平均約 二
通貨 に関しては従来実施し来りた る為替管理 の強化、為替輸
割増 の見込 にし て現在小麦及雑穀出廻状況は良好 なり。
②
維 持 の為 には特別 の処置 を執らざるを得ざ る こと と考慮しあり。
の銀行受 入停 止、国際収支 の均衡保持 等を強行 し来りた る為 一時
入 の許可制度 、渡航者 の制限及旅行者兌換限度 の抑制、円系 通貨
︹ 省略 ︺
本年度 管内需給及輸 入状態附 表 の如 し。
其 の他各種 の手段 を講 じ増産 に努 めありて其出炭能力は概ね日
類は現地及北京 に於 て加修を急ぎ つつあり目下専ら苦力 の増加
昨年 八月井〓炭鉱被害後速 に之 が復旧 に着手し現在其 の機械
イ 井〓炭鉱復 旧の状況と之が応急 対策
現在小麦 に関し ては各商社 の組合組織より成る小麦協会 を設立
② 買付及配給機構 し各 地軍管理製粉 工場と協力 し原麦 の買付及配給を規 正しあり。
態 に復す るは概ね三月頃と推定 しあり。
額 一五〇〇屯 (正豊 を含 まず) に達しあり之が完全 に復旧し旧 ロ
又雑穀 は昨年初頭食糧窮迫時 の緊急処置 として軍補給機関 に於 て民需雑穀 の買付配給 に任じありしも、軍 の任務及組織能 力上速
対
日
年度計画
三 二 八 万屯
四七四万屯
三三万屯
五〇万屯
実
年 度計画
一九 九 万屯
満
績
の約 七〇%) にして輸移出状況は次の如 し。
昨年十 二月末迄 に於ける生産量 は約 一三〇〇万瓲 ( 年度計画
石炭 の出炭量並輸移出実績
かに民需 は民間配給機構 に転移せしむべく民間 の雑穀配給機構及 貯蔵設備 に就き之が実現 を督励しあり。 ③ 監督指導機関
対
績
一三 九 万屯
実
績
実
支 年 度計画
(
食糧配給 の民生上 の重要性 に鑑 み昨年初頭 組織 せる中央、地方 各物資対策委員会は其後極 めて熱心 に民食 の配給統制 に任 じ其実 績 を挙げ つつあり。
中
)
ハ
昭和 十 六年 度 に於 ては其 重要 性 に鑑 み更 に増 産 を企 図 し あ り
て之 が需 給 に関 し て は左 の如 き計 画 ( 案 ) に依 り 目 下 夫 々折 衝 中
用
九七〇
二 一、 四 二 〇
二 三 、 四 六〇 (千 瓲 )
り而 して現地生産 工業 の促進 は地場資本 の動員 、民生 の安定 に資す
内 軍
供 給 額
総 生産額
極力之 が要 請 に応 へん ことを努力し之が実績 も概 ね予定を充足しあ
局に処 し緊要 なる施策 と信 じ之 が実現 に努め つつあり。 以下各資源中主要な る事項 に就き述 ぶれば次 の如 し。 炭
重 工業資源
① 石
一
訳
なり 。
努 力 し あ り。
而 し て対 日、 満 供 給 は其 の重 要 性 に鑑 み必 ず 之 を 充足 す る如 く
対
69%
)
(
(
以上 の状況 なるを以 て尚出 廻配給及外粉輸入等 に就き楽観 を許 さ ざ るも のあるも今冬 に於ける食糧 対策 は概 ね需給を確保し得 るもの と信ず。 三、重軽工業資源 対策 に就 て
66%
)
る こと大な ると共 に北支 の自立性を向上するも のなるを以 て現在時
北支重軽工業 の開発及 日満、中支に対する原材料 の供給 に関して
69%
② 鉄
鉄 道 用 二 、 二 二〇
而 して現在米国 の石油類 の全般的禁輸を見込み昨年 十月中旬頃よ
り特殊 の買付機構を設置し之が緊急輸入 に勉む ると共に国内消費
棉
軽工業資源
規 整 に勉 めありて之 が買付は目下 の所概 ね予定 の如く進捗 しあり。 二
五 、 八 五〇
六〇〇 ①
日
二 、 一 一〇
対
輸移 出用 対 満 五 、 六〇 〇
け る生産 は約 一七〇万担 と推定せられ之 の出廻予想は約 一三〇万
廻最盛期なり本棉花年 度 (自昭和十五年九月至昭和十六年八月)に於
北支軽 工業資源中重点的施策を指向 しあるは棉花 にして目下出
花
需
対中支 六〇 五
担なり而 し て時局 の要請 は北支棉に依存す る処大な るを以て明棉
民 軍 管 工場 二八
七九七
焚
尚現在 北支紡績 工場 (除山西省)据付錘数 は約 一一三万錘 にし
産施策及買付機構 の強化 と相俟 つて三〇〇万担 の出廻りを目標 と し夫 々計画中なり。
花年度 ( 自昭和十六年九月至昭和十七年八月)に於 ては本年より の増
用
船 治 安軍 用 鉱
順調 に進捗 しありて龍烟鉄鉱 の外利國鉱山も昨年九月以降輸出を
て現在 の施設経営 を以 てしては平均 一錘 当り 一年原棉所要 二、四
鉄鉱採掘 の本年度生産目標四〇万屯、対日供給三〇万屯 は概ね
に八万屯 に過ぎざ りしも満洲国壺蘆島 を利用し之が搬出 に勉めし
担 と推定せられ現 地紡績割当七五万担 を以てしては約三割弱 の原
見 るに至 れり然 れども上半期 に於 ては配船尠 なく対日輸出 は僅 か
料 にして目下紡績 は約 六割以内を操業 せしめ之 が不足原料補填 の 石
結 果目下 の処順調 に輸出 を実施 しありて十 二月末迄 に二五万屯を ③ 重
30 % の も の 65 % の も の
せ考慮 せら れざる限り操業困難 を伴 ふべし。
将来内地遊休紡績施設 の支那進出 の企あるも原料棉 の確 保と合
錘 の紡績 工場あり約 五割 の操業状態なり。
り つゝあり目下操業 は約 四割 の状況なり此 の外 に山西省 に約 七万
為上海経由外棉輸 入に拠 ること ゝせるも此 の外棉輸入も困難 とな
輸出 せり。
石 礦
重 石 の開 発 は治 安 並 資 金 の関 係 上急 速 な る進 展 を 見 る に至 らざ
礦 精
り し も逐 次 に之 が増 加 を見 昨 年 末 迄 に左 の如 く 輸 出 せ り。 ( 前年 ) 一六 〇屯 一 一五屯
油
度輸出量四 二瓲)
北支 に於ける現在 の邦商 の石油類手持量 は揮発油約 四千竏重油
軍取得量 は線麻 一五〇万斤青麻 一七〇万斤を目標 とし目下順 調に
本年度出廻推定数量線麻 三〇〇万斤青麻 三〇〇万斤 にし て本年
麻
④ 石
一、 四〇〇屯に対比す る時 は概ね揮発油 二月重油四月分に相当す。
約 六千屯 にして北支平均各月需要たる揮発油 二、五〇〇竏、重油
②
)
(
(
進捗しあり。 今後印度麻 の輸 入難を伝 へ北支 地場麻袋用麻 の需用増大す る虞 れ大なり。 ③ 羊 毛及毛皮革 羊 毛本年 出廻推定 は洗上換算約 四五〇万瓩 に対し軍取得見込三 五〇万瓩 の見込 みにして毛皮革 の軍取得も順調 に進捗し つつあり。
り清算業務 を開始する見込 なり。
華北市場助成会社 (旧名東亜交易助成会社)
華北市場助成会社は昨年十 一月 一日之 が設立総会 を遂げ目下之
二
本会社は華人有 力者 の社長就任 を見 たる為華人側 の株式払 込応
が子会社た る市場 の設置要領 に就き審議 中なり。
農村合 作社 との関係 を考慮し速 に北京、天津、石家荘、濟南 、唐
而して之 が子会社 たる各地市場設置 に当 りては既存統制物資及
募極め て多 く会社将来 の為発展性 を期待 せられあり。
足上軽 工業資源 の重要性 は益 〓其強度を加 へつつある現況 にし て
山等 に逐 次 に之 が設置 を促進せん ことを期 しあり。
要之逼迫 せる国際情勢 と共 に日満華経済 ﹁ブ ロック﹂ の自給 自 低物価政策 を考慮 し つゝも昨年十月以降各資源調〓価格 の大幅引
ととし農 地開発株式会社設立要綱 を定 めたり。
合体 して農 地改良 を積極化する為強力 なる国策会社を設置す るこ
従来 の中 日実業株式会社 の状況及東拓等 との関係を顧慮 し之 を
三 農 地開 発株式会社
せら るる処 大なるために価格 の点 より其出廻促進と増 産奨励 を先
上 を断行 せるは北支現在 の経済段階 にありて価格上 の操作に影響 づ期待 せる結果なり。 四、物動資金計画に就 て 千三百万円 の基礎 にて成立せ るも其実績 は約 六〇% に過ぎず来年度
の実績 を考慮 して其経営主体を吸収す ることとして同意 せるも の
とす るものにし て之 が組織 に当り ては従来 の中 日実業 の土地改良
本件 は北支農業自給率 向上 を目標とし之 が積 極的活動 を促 さん
に於 ては鋼材 二〇万屯資金三億 五千万 円を要求しあるも其実現は困
にし て東拓其他 の商社 の資本的参加は出 来得る限り之 を抑制 せる
本年度物動資 金計画 は対北支供給鋼材 一七万 一千屯、資金 二億 五
難なるも のと判断 せら るゝ実情 なり。
特 に同社は華人生活に密接なる関係を有 するを以て華人 の企業
ものなり。
石炭販売会社及鉱業所 の設立
五、会社 及商業機構指導状況 石炭製鉄等 の軍管 理事業 の本格的経営化を促進す る為石炭販売
一
炭鉱及鉄鉱業務は昨年十 二月 一日六炭鉱 二製鉄鉱業所に移管 せし
サル﹂ に対抗力殆どなきを以 て之 が改組 に関し審 議中 なり。
且弱体性 を暴露 し当初 の目的 たる英米 ﹁トラスト﹂及 ﹁ユニバー
華北葉煙草会社 は其人的構 成及経営状態 に於 て内部的紛争多 く
四 華 北葉煙草会社 の状況
参加 に対し特 に考慮 を加 へあり。
め其販売業務は同日附 を以 て石炭 販売会社 に移譲せしめたり興中
会社 の設立と共に興中公司 の会社事業 竝に業務 を 一斉 に分離 し其
公司は目下之 が引継中 にして今後 は清算準備に着 手し四月 一日 よ
尚 英 米 ﹁ト ラ スト ﹂﹁ユニバ ー サ ル﹂ に 対 し て は 従 来 圧 迫 方 針 を持 し来 り た るも 、 同 社 は既 に自 己 の立 場 を 自 認 し 局 面打 開 を焦 慮 し あ る を以 つ て出 来得 べ く んば 満 洲 葉 煙 草 の例 に做 ひ其 の収 買
り。
部 を華 北 葉 煙 草 に合 流 せ し め真 に大 同 団 結 を 完 成 し た く希 望 し あ
北支輸 入組合 は昨年末以来逐 次結成 し つつありしも昨年 八月東
五 輸 入組合 の設立及活動状況 京貿易会議 の結果急速 に之 が設立を促進 し目下京津四二組合 、青 島三四組合 、合計 七十 六組合 の結成を完了し、殆ど全品種 に及 び 目下之が聯合会 の設立 に努めあり。 然れ共新貿易機構 の徹底尚充分ならざ るも のあると内地留保料 しあり。
率 の決定遅 延の為輸入実績停頓 しある為之 が促進に関 し極力努力
六九
( 東 京 参 謀 長 会 議 ニ際 シ)
北 支 那方 面 軍状 況報 告
北支那方面軍司令部)
施 策 ノ有 機 的 一元 化 ニ関 シ テ ハ軍 及 軍 ノ指 導 下 ニ在 ル諸 機関
ニ於 テ日 華 合作 ニヨル模 範 地域 ヲ顕 現 シ 一ハ以 テ国 際 転 機 ニ応 ス ル
且 急 速達 成 ヲ必要 ト ス ル ニ至 リ シヲ銘 肝 シ速 カ ニ全 支 ニ先 タ チ北 支
タ リ然 レ共 其 ノ軍事 的勢 力 ノ衰 頽 ニ拘 ラ ス党 ノ 地下 的 活 動 ハ尚 活
根 拠 地 区 ノ掃 蕩 作戦 ト ニ依 リ其 ノ戦 力 ニ相 当 大 ナ ル打 撃 ヲ与 へ得
②
ル ヲ以 テ之 ニ対 シ テ ハ特 ニ其 ノ指 導 運 営 ニ留 意 シ ツツ ア リ
元 的 ナ ラサ ル モノ ニ在 リテ ハ施 策 ノ有 機 的 一元 的 ナ ラ サ ル モノ ア
ハ各種 ノ施 策 概 ネ所 望 ノ如 ク運 営 セ ラ レ ツ ツ アリ然 レ共 機 構 ノ 一
①
要 施 策 ト シ テ努 力 シ来 レリ
積 極 的 活 動 ノ誘 導 ト新 民会 ノ刷 新 強 化 重要 国 防 資 源 ノ開 発 促進 ヲ重
安 第 一主義 ヲ基 調 ト ス ル治 安 諸 工作 ノ迅 速 ナ ル具 現 行 政機 関 ノ自 発
切 ノ施 策 ヲ共産 軍 ノ剿 滅 ニ集中 シ積 極 果 敢 ナ ル粛 正討 伐 ノ実 施 、 治
昭 和 十 五年 度 粛 正 建 設 ニ於 テ ハ特 ニ施 策 ノ有 機的 一元 化 ヲ図 リ 一
二、 昭和 十 五年 度 粛 正 建 設 ノ成 果 ニ就 テ
左 ニ主 ト シ テ先 般 ノ御 視 察 後 ノ状 況 ニ関 シ報 告 スル所 ア ラ ント ス
ノ有 機 的 一元 的 運 営 ニ努 メ以 テ粛 正建 設 ニ 一段 ノ飛 躍 ヲ期 セ ント ス
(昭和 十 六年 一月 二 十 七 日
天 皇 陛 下 ニ於 カ セラ レ テ ハ曩 ニ侍 従 武 官 ヲ差 遣 ハサ レ親 シ ク方 面 軍 ノ状 況 ヲ視 察 セ シメ給 ヒタ ル ハ将 兵 一同 ノ恐 懼 感 激 ニ堪 ヘサ ル所 ナリ 又 先般 ハ陸 軍 大 臣 閣 下 竝参 謀 総 長 閣 下 ノ視 察 ヲ賜 ハリ深 ク感 激 シ ア ル所 ナ リ 一、全 般 ニ就 テ 北 支 ノ治 安恢 復 及建 設 工作 ハ漸 次堅 実 ナ ル向 上 ノ途 ヲ進 ミツ ツ ア リ然 レ共 其 ノ進 度 ハ未 タ胸 裏 ニ庶 幾 ス ル所 望 ノ域 ニ達 シア ラ サ ル ヲ 自 認 シ焦 慮 シ ア ル所 ナ リ軍 ハ深 ク其 ノ原 因 ヲ省 察 シ速 カ ニ之 カ改 善 是 正 ヲ図 リ 以 テ迅 速 ナ ル成 果 ノ向 上 ヲ期 シツ ツ ア リ
国 家 態 勢 整 備 ニ寄 与 シ 一ハ以 テ新中 央 政 府 ノ育 成 発達 ヲ促 進 ス ル如
溌 ニ シテ其 ノ潜 行 地 域 ハ拡 大 ノ傾 向 ヲ辿 リ ツ ツア ルヲ以 テ軍 ハ其
特 ニ戦 争 遂 行 竝 ニ事 変 処 理上 方 面 軍 ノ負 担 ス ヘキ任 務 ハ愈 〓加 重
ク治 安 恢 復 竝建 設 ノ進 度 ヲ迅 速 ナラ シメ ンカ為 益 〓現 施 策 ヲ強 化 拡
共 産 軍 ノ剿 滅 ニ就 テ ハ各 兵 団 ノ寧 日 ナ キ粛 正 討 伐作 戦 ト其 ノ
充 シ特 ニ徹 底 セ ル討 伐 作 戦 ノ実 行 ト之 ト併 行 スル政 治経 済 等 ノ施 策
シ 一挙 之 カ撃 滅 ヲ期 シ得 ル如 ク全 般 ノ作 戦 ト併 セ策 案 攻究 中 ナ リ
頃 総 反攻 ヲ企 図 スル コト ア ル ヘク之 ニ対 シテ ハ軍 ハ此 ノ戦 機 ヲ捕 捉
共産 軍 ハ咋 年 春 季 以 来 ノ拡 軍 ニ依 リ テ 一時 戦 力 ヲ増 強 シ タ リ シカ
友 三軍 ノ内 部抗 争 ハ深 刻 化 シ ツ ツ ア ル モノ ト認 メ ラ ル
ニシ テ依 然 消極 的持 久 ヲ継 続 スル モ ノト判 断 セラ ル于 學 忠 軍 、 旧石
地 方 雑 軍 ニ至 リ テ ハ戦 意 戦 力 共 ニ萎 縮 シ地 盤 保 持 ニ汲 々タ ル状 況
ノ組 織 ト 活動 ノ根 拠 ト ヲ探 究 シ軍事 竝 政 治 ノ統 合 施 策 ニ依 リ愈 〓
各 兵 団 ノ積 極 果 敢 ナ ル討 伐 作 戦 ハ所期 ノ如 ク実 施 セ ラ レ概 ネ
迅 速 ナ ル之 カ剿 滅 ニ努 メ ント ス ③
治 安 工作 中 重 点 ヲ指 向 セ ル模 範 地 区 ノ施 策 ハ概 ネ予 期 ノ成 果
予期 ノ成 果 ヲ収 メ ツ ツ アリ ④
昨 年 八 月所 謂 百 団 大 戦 後 ヨリ本 年 初 頭 ニ至 ル間 我軍 ノ連 続 徹 底 セ ル
ヲ収 メ ツ ツ ア リ 治 安 建 設 ニ対 スル支 那側 行政 機 関 ノ自 発 積極 的 活動 ハ所 期 ス
⑤
ノ大 部 ヲ蕩 尽 シ タ ル ヲ以 テ当 分 ノ間 百 団 大 戦 ノ如 キ広 地域 ニ亘 リ比
較 的 大 ナ ル兵 力 ノ統 制 ア ル組 織 的活 動 ハ困 難 ニシテ 従来 ノ遊 撃 戦 法
粛 正 討伐 作 戦 ニ依 リ其 ノ根拠 施 設 ノ大 部 ヲ覆 滅 セラ レ其 ノ戦 闘 資材
ニ依 ル モ ノト判 断 セ ラ ル然 レ共 其 ノ根 拠 施 設 竝 軍 ノ再 建 等 ハ之 ヲ予
ル所 ト 相隔 ル ル コト遠 キ モノ ア ル モ漸 次軍 ノ指 導 ス ル方 向 ニ向 ヒ
新 民 会 ハ其 ノ態勢 ノ整 備 ヲ概 ネ完 成 シ愈 〓具 体 的 施 策 実行 ノ段
ツツアリ
階 ニ入 レ リ軍 ハ之 ヲ真 ノ支 那 側 民衆 組 織 ト シテ ノ態 様 ヲ整 備 シ活
期 セサ ル ヲ得 ス之 ニ対 シ テ ハ其 ノ剿 滅 ノ機 ヲ逸 セサ ル如 ク注 意 シ ア
尚 軍 事的 勢 力 ノ衰 頽 ニ拘 ラ ス党 ノ地下 活 動 ハ益 〓強 化進 展 セラ レ
リ
動 ヲ促 進 ス ル如 ク鋭 意 努 力 中 ナ リ
其 ノ地 域 ハ拡 大 ノ傾 向 ヲ辿 リ ツ ツ ア ル ヲ以 テ之 カ対 策 ハ至 急 且徹 底
帝 国 生 産力 拡 充 ニ寄 与 ス ヘキ重 要 資 源 ノ開発 ニ関 シ テ ハ特 ニ
重要 資 源 地 区 ノ治 安 ノ促 進 ニ留 意 シ開 発 ノ確 保 ヲ期 シツ ツ ア リ昨
⑥
年 八 月井 徑 炭 坑 ノ破 壊 ニ依 リ石炭 ノ産 出 ニ障 碍 ヲ蒙 リ タ ル ハ遺 憾
強 行 スル ヲ必 要 ト 認 メ ア ル次 第 ナ リ
全 面 的反 攻 ヲ実 施 シ得 ル段 階 ニ達 シア ラ サ ル モノト 判 断 セラ ル然 レ
応 其 ノ旧戦 力 ヲ回復 セラ レ タ ル カ如 キ モ現 在 ニ於 テ ハ未 タ積 極 的 ニ
施 策 カ我軍 ノ軍 、 政 ノ施 策 ニ拘 ラ ス依 然 其 ノ勢 力 範 囲 ヲ拡 大 シ ツ ツ
工 作 、 目的 ノ為 ニ ハ手 段 ヲ選 ハサ ル残 忍 性 等 ト ニ依 ル巧 妙 ナ ル潜 行
力 ハ其 ノ党 、 軍 、 政 一体 化 セ ル組 織 、 人 心 ノ機微 ニ投 スル巧 妙 ナ ル
ヲ中央 軍 及 雑 軍 ニ比 ス レ ハ其 ノ難 易 著 シ キ差 ア ル モノ ニシ テ共 産勢
之 ヲ要 ス ル ニ共 産 党 ノ剿 滅 ニ対 シテ ハ必 勝 ノ信 念 ヲ有 スト雖 モ之
ラ包蔵 シツ ツ依 然 合 作 ヲ継続 ス ル モノ ト判 断 セ ラ ル
ナ ル モ国 共 両 者 ノ対 日 戦 争指 導 ノ根 本 方針 ニ変 化 ナ キ限 リ対 立感 情
国共 相 剋 ニ就 テ ハ宣 伝 、謀 畧 等 ニ依 リ之 カ助 成 ニ努 メ ツ ツア ル所
ニ堪 ヘサ ル所 ナ ル モ開 〓炭 坑 、中 興 炭 坑 ノ採 掘 量 増 加等 ノ指 導 ニ 依 リ帝 国 物 動 計 画 ノ実 行 ニ ハ支障 ナ カ ラ シ ムル如 ク勉 メツ ツ ア リ 三、 敵 情 ニ就 テ 昨 年末 ヨリ本 年 初 頭 ニ亘 ル間 ニ於 テ ハ敵 情 ニ特 別 ノ変 化 ヲ認 メ ス
共 十 二 月開 始 セ ル第 四期 整 訓 ノ終 了 ト湯 恩 伯 軍 ノ河南 省移 駐 傅 作 義
山 西 省南 部 ニ在 ル衛 立 煌 麾 下 ノ中央 系 諸 軍 ハ昨 年 十 月 末頃 ヲ 以 テ 一
軍 ノ戦 力 回 復等 ニ鑑 ミ内 外 一般 情勢 ノ変 化 ニ依 リ テ ハ本年 三 、 四月
ヘキ ヲ虞 ル ル モ ノナ リ
ア ルノ現 況 ニ鑑 ミ尋常 ノ措 置 ニ委 ス ルト キ ハ長 ク北 支 治安 ノ癌 タ ル
副 ヒ且愈 〓緊 迫 シ行 ク国 際情 勢 ニ即 応 スル所 以 ナ ルヲ思 ヒ益 〓任 務
之 カ為 民 心 ノ悦 服 ヲ究 極 ノ目 標 ト シ特 ニ支 那側 機 関 ノ積 極 的 活動
達 成 ニ邁進 スル次 第 ナ リ
促 進 ト地 場 資 本 ノ誘導 ト ニ重 点 ヲ置 キ施 策 シツ ツ ア リ然 レ共 特命 全
乃 チ軍 ハ対 共産 党 施 策 ヲ実 情 ニ即 シテ更 ニ 一層 強 化 ス ルト共 ニ彼 等 ニ優 ル 熱 ト 気魄 ト ヲ以 テ愈 〓果 敢 且執 拗 ニ作 戦 及 政 治 工作 ノ実 行
権 大 使 ノ駐 箚 ニ伴 フ対支 政 務 機 構 ノ調 整 ニ関 シテ ハ重 大 ナ ル意義 ア
六 、 軍容 ノ整 理刷 新 ニ就 テ
既 ニ意 見 ヲ開陳 セ ル如 シ
的 尠 カ ラ シ ム ル如 ク機 構 ノ細 部 及 内容 ヲ整 備 ス ヘキ コト ニ関 シテ ハ
ル モノ ト信 シ既 ニ決 定 セラ レ タ ル大 綱 ノ範 囲内 ニ於 テ ハ弊 害 ヲ可 及
ヲ期 スル モノナ リ 四、 作 戦 警 備 ニ就 テ 討 伐 粛 正作 戦 ハ分 散 配 置 ニ在 ル兵 団 ノ所 在 ニ実施 ス ル作 戦 ト方 面 軍 又 ハ軍 ニ於 テ統 一実 施 ス ル作 戦 ト ニ依 リ殆 ト 寧 日 ナ キ状 況 ナ ルカ 昨 年 末 ヨリ現在 ニ至 ル間 主 ナ ル作 戦 ハ駐 蒙 軍 ノ 黄 河 南 岸 ﹁オ ルド
ア リ将 校 以 下 古 年 次者 ノ整 理 竝 長 期 服務 者 ノ交 代 モ順 調 ニ実施 セラ
軍 容 ノ整 理 刷 新 ハ着 々具 現 実 行 セ ラ レ逐 次 永 駐 ノ態 勢 ヲ整 ヘツ ツ
第 百 十 師 団 ノ阜 平 地区 ニ対 ス ル討 伐 等 ニシ テ尚 一月 下旬 騎 兵 第 四 旅
スル新 年 次補 充 兵 ヲ以 テ概 ネ整 備 シ得 ヘキ予 定 ナ リ
レ特 種 部 隊等 ノ 一部 ラ除 ク外 本 年 中 ニ ハ兵 ニ於 テ ハ現 役 兵 及之 ニ準
ス﹂ 附 近 作 戦 、第 一軍 ノ山 西 西 方作 戦 、第 十 二軍 ノ魯 南 地 区 ノ作 戦 、
スル討 伐 ヲ実施 ス ル筈 ニシ テ此 ノ作 戦 ハ間 接 的 ニ第 十 一軍 ノ行 フ信
団 ヲ主 ト ス ル第 三十 五師 団 長 隷 下部 隊 ヲ 以 テ渦 河 南 方 何柱 國 軍 ニ対
分 散 配置 小部 隊 ハ克 ク分 散 配置 ノ特 質 ヲ発揮 シ積 極 果 敢 討 伐 ニ努
野 砲 聯 隊 ノ山 砲 改 編 、歩 兵聯 隊 ノ独 立性 竝戦 力 ノ強 化 、 騎 兵 聯 隊 ノ
セ ス、或 ハ負 担 シ ア ル任 務 ニ適 セサ ル モノ等 アリ即 チ師 団 ニ於 ケ ル
然 レ共編 制 装 備 ニ於 テ ハ或 ハ支 那軍 竝 現 地 ノ地勢 等 ノ特 性 ニ即 応
力 シ ツツ ア リ唯 分 散 配置 高 度 ニ過 キ積 極 性 ニ欠 ク ル モノ ニ対 シテ治
改 編 ノ如 キ又 独 立 混 成旅 団 ノ編 制 ヲ作 戦 及警 備 両 任 務 ニ適 ス ル如 ク
陽 作 戦 ニ協 応 シ得 ヘシ ト判 断 シ此 ノ着 意 ノ下 ニ指 導 シア リ
安 ノ実情 ニ即 シ攻 撃 威力 ヲ具 備 スル如 ク其 ノ 配置 、 兵 力 等 ニ必要 ノ
師 団 並 ニ改 編 シ更 ニ又各 兵 団 ニ近 接戦 闘 器材 ヲ増 加 シ後 方 部 隊等 ノ
尚永 久駐 屯 制 ニ照 応 ス ヘキ生 活等 ニ関 スル施 策 ノ確 立 、将 校 以 下
ニ之 カ具 現 ヲ希 望 スル モノ ナ リ
自 衛 力 ヲ強 化 ス ル等 ハ戦 力 ノ充 実 発揮 竝部 隊 ノ運 用 等 ノ必要 上速 カ
研討 修 正 ヲ加 へ粛 正討 伐 ノ成 果 ノ向 上 ヲ期 シツ ツ ア リ 対北 方 作 戦 準備 ハ計 画 、 準 備 共 ニ未 タ十 分 ナ ラ サ ル モノ尠 シト セ サ ルヲ以 テ必要 ノ点 検 、 補 修 、増 強 ヲ加 へ情 勢 ニ応 ス ル準 備 ノ完成 ヲ期 ス尚 不用 意 ノ紛 争 ノ防 止 ニ ハ万 全 ノ注 意 ヲ払 ヒツ ツ ア リ
リ編 制 ニ応 スル各 兵 団 ノ装備 兵 器 ハ概 ネ 良 好 ニ整 備 セ ラ レ ア リ 一部
資質 ノ刷 新 改 善 等 ニ関 シ テ モ速 カ ニ之 カ具 現 実 行 ヲ庶 幾 スル次 第 ナ
日華 条約 ノ締 結 、 日満 支 ノ国 交 調 整 ノ影響 ハ特 種 ナ ル モノ ヲ認 メ
欠数 兵 器 ニ ハ代 用 又 ハ鹵 獲 兵 器 ヲ充 当 シ作戦 及 教 育 ニ支 障 ナ キ現 況
五 、政 務 及治 安 建 設 ニ就 テ
ス、 軍 ト シ テ ハ愈 〓北支 ノ粛 正 建 設 ヲ促 進 ス ル コト カ条 約 ノ趣 旨 ニ
ニ在 り 七 、軍 隊 ノ教 育 訓 練 ニ就 テ 昭和 十 六 年 度初 年 兵 ハ殆 ト全 兵 団 現 地 ニ於 テ教 育 実施 中 ニシ テ兵
ノ不 十 分 、教 育 資 材 ノ不 足 等 ヲ克 服 シ良 好 ノ成 果 ヲ収 メ得 ヘキ ヲ確
団 長 以 下 ノ精 励 ト昨 年 度 ニ於 ケ ル経 験 ト相 俟 チ教 官 以 下 ノ教 育 能 力
信 シ アリ 方 面 軍 下 士官 候 補 者 隊 ハ先 般 軍令 ニ依 ル編 成 ト セ ラ レ本 月 末 ヲ以 テ編 制 ヲ完 結 スル予 定 ニシ テ之 ニ依 リ下 士 候 補 者 教育 ニ 一段 ノ進 歩 ヲ期 シア ル モ教 官 、 助 教 ノ資質 不十 分 ナ ル ハ著 シク成 果 ヲ減 少 ス ル
尚 幹 部 候 補 生 隊 ノ新 設 等 ニ依 リ逐 次 教 育 機構 ノ整 備 セラ ル ル ハ方
ヲ遺 憾 ト シ ア リ
面軍 ノ立 場 ヨリ ハ勿 論 軍 ノ大 局 ニ稽 へ欣 快 ニ堪 ヘサ ル所 ニシテ 十分
下 士 官 ノ教 育 ハ特 別 ノ モノ ノ外 各 兵 団 ニ於 テ実 施 セ シ メツ ツ ア ル
ノ準 備 ヲ整 へ本 教 育 ノ万全 ヲ期 セ ント ス
モ下 士 官 候 補 者隊 ノ陣 容 ノ整 備 ニ伴 ヒ同 隊 ニ於 テ召 集 教 育等 ヲ実 施 スル如 ク考 究 中 ナ リ 将 校 教 育 ニ於 テ ハ砲 兵 及 工兵 訓 練 隊 ニ於 ケ ル教 育 ヲ拡 充徹 底 セシ
尚 戦 局 ノ持 久 ト高 度 分 散 配 置 ノ現 状 ニ鑑 ミ志 気 ノ昂揚 、軍 紀 ノ振
ム ル ト共 ニ歩 兵将 校 ニ対 ス ル訓 練 モ之 ヲ実 施 ス ヘク研 究 中 ナ リ
作 ニ ハ特 ニ留 意 シ之 カ為 上 級 者 ノ垂範 、精 神 教 育 ノ徹底 、不 断 ノ監
アリ 言
督 指 導 、特 ニ信 賞 必罰 ノ励 行 等 ニ留意 シ無 形 戦 力 ノ昂揚 ニ努 メ ツ ツ
八、結
之 ヲ要 ス ル ニ北 支 ノ粛 正建 設 ハ其 ノ進 度 ヲ急 速 ニ促 進 ス ルノ要 愈
乃 チ軍 ハ益 〓団結 ヲ鞏 固 ニシ軍 紀 ヲ振 作 シ志 気 ヲ昂揚 シ以 テ方 面
愈 緊 切 ナ ル ヲ覚 ユ
軍 ニ負 荷 セ ラ レタ ル安 定 確 保 ノ重 責 ヲ完 ウ セ ン コト ヲ期 ス
七〇
北支 那 方 面軍 多 田 司令 官報 告
(昭和 十 六年 四 月 十 日)
轄 師 団 地 区 ニ在 リ テ ハ冀 中 、冀 南 作 戦 、 晉 察 冀 辺 区 作 戦 、何 柱 國 軍
戦 、 第 十 五 軍撃 滅 作 戦 、 第 十 二 軍 方面 ニ在 リ テ ハ魯東 魯南 作 戦 、 直
ニ在 リテ ハ数 次 ノ晉 南 作 戦 、山 西 西 北 作 戦 、 山 西 西方 作 戦 、 陵 川 作
昭 和 十 五年 度 粛 正 建 設 ハ前 年 ニ引 続 キ所 謂特 殊 地域 ト シテ ノ堅 実
第 一 昭 和十 五年 度 粛 正 建 設 ノ成 果
ナ ル北 支 ノ建 設 ヲ図 リ以 テ速 カ ニ全 支 ノ模 範 地域 タ ラ シ メ安 定確 保
ニ対 スル作 戦等 ト ス
ヲ共 産 軍 ノ剿 滅 ニ指 向 シ高 度 分 散 配置 ヲ継 続 シ テ果 敢 ナ ル討 伐 ヲ行
第 十 五軍 モ亦 最 近 ニ於 ケ ル我 作 戦 ニ依 リ相当 大 ナ ル打 撃 ヲ受 ケ タ ル
第 九 十 三 軍 ハ積極 的戦 意 ナ キ灰 色 軍隊 ト 化 シツ ツ ア リ第 二十 七 軍及
央 系 諸 軍 ハ十 五年 十 月末 頃 一応 其 ノ戦 力 ヲ回復 シタ ル カ如 キ モ其 ノ
現 在 ニ於 ケ ル敵 軍 ノ状 態 ヲ見 ル ニ山 西 南 部 ニ在 ル衛 立 煌 麾 下 ノ中
ノ重 任 ニ応 ヘン コト ヲ期 シタ リ
フト共 ニ治 安 建 設 諸 工作 ハ特 ニ模 範 地 区 ニ集 中 セリ 又支 那 側 行 政機
之 カ為治 安第 一主 義 ヲ基 調 ト ス ル諸 施 策 ノ有 機 的 一元 化 ヲ図 リ之
関 ノ自 発 的 活 動 ヲ誘 導 スル ト共 ニ民衆 組 織 ノ拡 充 ヲ図 リ特 ニ新 民 会
モノ ト判 断 セ ラ ル
積 極 性 ヲ喪 失 セリ
セ ル資 材 ノ大部 燼 滅 セラ レ軍 事 的 ニ至 大 ナ ル打 撃 ヲ受 ケ著 シ ク其 ノ
戦 ニ因 リ其 ノ根 拠 施 設 ノ大 部 ヲ覆 滅 セ ラ レ過 去 三年 ニ亘 リ営 々蓄 積
山 西省 西 北部 及 晉 冀 察 辺 区 ノ共産 軍 ハ我 軍 ノ連続 セ ル粛 正討 伐 作
戦 意 戦 力共 ニ萎 縮 シ地 盤 保 持 ニ汲 々タ リ
共産 軍 ニ圧迫 蚕 食 セ ラ ル ル状態 ニシ テ其 ノ他 ノ地 方雑 軍 ニ至 リ テ ハ
山 東 省 ニ在 ル于 學 忠 軍 ハ依 然 戦 力 十 分 ナ ラサ ルノ ミ ナ ラ ス却 ツ テ
ヲ刷 新 シ テ其 ノ指 導 ヲ強 化 セ リ 別 ニ我 国 生 産 力 拡 充 ニ寄 与 ス ヘキ重要 資 源 開 発 取 得 ノ促進 ヲ企 図 セリ 此 等 諸 施 策 ハ各 種 ノ障 碍 ヲ克 服 シテ概 ネ所 期 ノ目 的 ヲ達 成 スル ヲ
昭和 十 五年 度 ニ実施 シタ ル作 戦 中 主 ナ ル モノ ハ駐 蒙 軍 方面 ニ在 リ
討 伐 粛 正 作 戦 及 治安 ニ就 テ
得 タ リ以 下 其 ノ主 要 ナ ル モノ ニ就 テ説 述 ス 一
テ ハ〓 源 作 戦 、 五 原作 戦 、黄 河 南 岸 ﹁オ ルド ス﹂ 作 戦 、 第 一軍 方 面
前 記 諸 作 戦 ノ外各 兵 団 ハ各 〓其 ノ作戦 地域 内 ニ於 テ分 散 配置 ノ特 性 ヲ発 揮 シ テ積 極果 敢 ニ殆 ント寧 日 ナ キ討 伐 ヲ実 施 シ建 設 工作 ノ成
( 県 威 令 滲 透 率 五 三 % ) ニ比 シ十 五年 末 三 九 八県 ( 安 徽 省 北部 十県
行 政 滲 透 ノ成 果 ヲ財 政収 入 ニ ヨリ テ観 ル ニ中 央 税 収 人 総 額 ハ民国
増加 ) 中 三 四 四県 八 六 % ( 県 威 令 滲 透 率 六 一% ) ニ向 上 セリ
二十 八年 度 一億 九 千 万 円 ニ比 シ 二十 九 年 度 二億 八千 万 円 ニ増 加 シ而
果 ト相 俟 テ其 ノ治安 ハ逐 次 堅 実 ニ良 好 ト ナ リ ツ ツ ア ル ノミ ナ ラ ス作 戦 討 伐 ノ方 法 手 段 ニ於 テ モ創 意 工 夫 ヲ凝 ラ シ研 究 進 歩 ノ跡 見 ル ヘキ
モ尚 民 力 ニ余 裕 ア リ本 年度 ハ 一、 二月 ノ実 績 ニ於 テ昨 年 度 、 同期 間 ノ 一倍 半 ヲ示 シ アリ
地方 財 政 モ亦 逐 次 堅 実 ト ナ リ華 北 政 務委 員会 ヨリ スル補 助金 ハ昨
然 レト モ共 産 軍第 十 八集 団 ノ兵 力 ハ二十 五万 ト推 定 セ ラ レ別 ニ少
モノ ア リ
ク モ五 十 万 ヲ下 ラ サ ル共 産 系 地 方自 衛 団 体 存 ス素 ヨリ其 ノ装 備 、 兵
ノ支 障 ヲ生 セ サ ル情 況 ニア リ
年 度 ニ比 シ本 年 度 ハ概 ネ 六割 ニ査 定 シテ 既 ニ実 行 ニ移 リ ア ル モ何 等
模 範 地 区 ニ於 ケ ルエ作 ハ他 地 域 ニ比 シ格 段 ノ進 歩 ヲ遂 ケ タ ル モ未
員 ノ素 質 等 ニ鑑 ミ ル ニ戦 力 ハ著 シク微 少 ニシ テ我 ト ノ交 戦 ヲ極 力 回
タ其 ノ形 態組 織 ヲ整 フル ニ至 リタ ル ニ過 キ ス之 カ本 格 的 活動 ハ将 来
避 シ ア リト 雖其 ノ徹 底 セ ル監 察組 織 酷 烈 ナ ル規 律 ト 其 ノ背 後 ニ伴 フ
ル障碍 ヲ為 シ ア リ又 近 来 、蒙 疆 地区 ニ共産 党勢 力 増 大 ノ徴 ア ル ハ軽
軍 政 民 一体 ノ政 治活 動 ヲ基 礎 ト ス ル敵 性 ハ我 治 安 確 立 ノ為 ニ重 大 ナ
ニ待 タ サ ル ヘカ ラ サ ル現 状 ナ リ
経済 方面 ノ施 策 ニ関 シテ ハ民生 ノ安 定 、 重 要 国 防資 源 ノ取 得 ニ重
視 ヲ許 サ サ ル モノ ア リ
点 ヲ置 キ各 方 面 協 力 シ努 力 セ ル結 果 昭和 十 五 年初 期 ニ於 ケ ル聯 銀 券
政 務 関 係 事 項 ニ就 テ 昭和 十 五年 三 月 新 中央 政 府 成 立 ニ伴 ヒ臨 時 政 府 解 消 シ テ華 北 政務
不 安 、食 糧 不 足 モ下 半 期 ニ至 リ テ其 ノ危 機 ヲ脱 シ施 策 ハ概 ネ軌 道 ニ
二
委 員 会 設 置 セ ラ レ次 テ 王克 敏 委 員 長 退 キ 王揖 唐 之 ニ代 ル ヤ従来 ノ諸
乗 リ順 調 ニ進 ミ ツ ツ ア リ
右 ノ外 重 要 資 源 対 日 供給 ノ実 績 左 ノ如 シ
本 年度 ノ対 日供 給 ハ五 八○ 万噸 ノ予 定 ナ リ
鉄 用 ﹁コー ク ス﹂炭 ノ九〇 % ノ需 要 ヲ充 シ アリ
供 給 十 四年度 三 三〇 万 噸 、 十 五年 度 四五 〇 万 噸 ノ実 績 ニシ テ日 本製
四 〇〇 万 噸 ニ比 シ十 五 年 度 一、 八○ ○ 万 噸 ノ実績 ヲ示 シ此 ノ中 対 日
而 シテ北 支 那 重 要 資 源 ノ 大宗 タ ル石 炭 ノ採 掘 ハ昭和 十 四年 度 一、
懸 案 逐 次 解 決 ス ル ニ至 リ タ ル モ政 務委 員会 以下 支 那 側 諸 機 関 ノ自 発 的 活 動 ハ未 タ所 望 ノ域 ニ達 セ ス方 面 軍 ハ興 亜 院 ト密 ニ連 絡 シ支 那 側
目 下 各 省 県 警 備隊 ハ総 人 数 八 万 三 千 ニ又警 察 力 総 人 員 五 万 八千 ニ
機 関 ヲ シ テ積 極 的 ニ治 安 ニ協 力 セ シ ム ル如 ク特 ニ指 導 シ タリ
達 シ皇 軍 ノ治 安粛 正 ニ協 力 ス ルト 共 ニ主 要 都 市 ハ支 那 側 自力 ヲ以 テ 警 備 シ得 ルノ域 ニ近 ツ キ ツ ツ ア ル ハ喜 フ ヘキ現 象 ト ス 地 方 行 政 ノ滲 透 亦 逐 次 進 捗 シ十 五年 七月 河 北 、 山 東 両省 ノ新 道 区 劃 制 ヲ実施 シテ道 尹 ノ督 察 ヲ励 行 セシ メ軍 ノ実施 ス ル不断 ノ粛 正 討 伐 ト相 俟 ツ テ県 政 恢 復 ハ昭 和 十 四年 末 三八 八 県 中 三 一二県 、 八 ○ %
昭 和 十 四 年 度
昭 和 十 五 年 度 計 三〇〇
実
一三 四
一〇 〇
%
績
% 三〇〇 四 二八
画
五 一
三 一八
績 四二
九二
実
八二 七四六
画
鉄鉱石 千噸 八 一四 八 一五
計
花 千担
六五
棉
四五四
中
六九 八
調 査
塩 千噸
又建 設 ノ動 脈 タ ル ヘキ交 通能 力 ノ増 進 ニ ハ特 ニ意 ヲ用 ヒタ ル結 果 左 ノ実 績 ヲ挙 ケ タ リ
一、 二 四〇 万噸
五 、 九 三 〇粁
一、 七 六 五万 噸
昭和十五年度末
力
五 、 四 七 五粁
昭和十四年度末
道
能
鉄 路
港 湾
道
八 、 〇〇 〇 粁
一、 九 七〇 粁
一二、 〇 〇 〇粁
三〇 、 〇 〇 〇粁
二、 四 七 五粁
八 、 六〇 〇 粁
路
車
応急治 安道 路 ( 蒙疆 ヲ除 ク)
幹 線
動
道
自
四、 〇 〇 〇粁 殆 ント利 用 セラ レ ス
四 、 三 〇 〇粁
運
二 、 九〇 〇 粁
水
空
内 航
就 中 警 備 諸自 動 車道 路 ノ増 設 、 石 徳 線 ノ新 設 、京 漢 津 浦 両 線 間内
水 運 ノ啓 開 ハ治 安 ノ確 保 ニ寄 与 セル ハ特 筆 ス ヘキ事 項 ナ リ ト ス
第 二、 昭和 十 六 年 度粛 正建 設
昭 和 十 六年 度 ニ於 テ ハ従 来 ノ治 安第 一主 義 ヲ 以 テ依 然 諸 施 策指 導
ノ方 針 ト シ 一層 粛 正 ヲ徹 底 シ速 カ ニ治 安 ヲ 恢復 シ テ民 生 ヲ安 定 シ重
ル合 作模 範 地帯 ヲ具 現 セ ント ス
要 国 防資 源 ノ開 発 取 得 ヲ促 進 シ軍 ノ自 活 力 ヲ向 上 シ以 テ日 華 緊密 ナ
之 カ為 之 等 施 策 ノ実 行 具 現 ニ当 リ テ ハ時 間 的 地 域 的 ニ モ重 点 ニ集
今 次兵 力 ヲ増 加 セラ レ タ ル好 期 ヲ利 用 シ軍 ハ晉 南 地 区 ニ在 ル中央
作戦 ニ就 テ
十 六年 度 粛 正 建 設 上 主要 ナ ル着 意 事 項 左 ノ如 シ
中 シ日華 軍 官 民 ノ総 力 ヲ統 合 発揮 ス ル コト ヲ重 視 ス
一
軍 ニ対 シ努 メテ大 ナ ル兵 力 ヲ以 テ作戦 シ黄 河 以北 ニ於 ケ ル其 ノ勢 力
ハ ント ス
ノ 一掃 ヲ企 図 シ ア ル ノ外 主 ト シテ 共産 軍 根 拠 地 ニ対 スル覆 滅 戦 ヲ行
右 ノ外各 兵団 ハ其 ノ作 戦 地 境 内 ニ於 ケ ル粛 正討 伐 ヲ活 溌 ニ行 フ コ
増 加 セ ラ レタ ル兵 力 ハ将 来 主 ト シ テ北 部 北 支 ノ地域 ニ配 置 ス ル如
ト従 前 ノ如 シ
剿 共 ニ就 テ
ク企 図 シ ア リ 二
剿 共 ハ粛 正 ノ主 目 標 ト ス
共産 党 、軍 ノ実 相 ハ漸 ク之 ヲ把 握 シ得 タ ルヲ以 テ今 ヤ確 信 ア ル施
策 ヲ展 開 シテ速 カ ニ之 カ剿 滅 ヲ期 ス ヘキ時 機 ニ逢 着 セ リ
而 シテ剿 共 ハ単 ナ ル武 力 ニ依 ル討 伐 ノ ミ ヲ以 テ シ テ ハ其 ノ効 果 ヲ
期待 シ得 ス、 熱 烈 執 拗 ナ ル努 力 ト軍 、 政 、 民 ノ総 力 ヲ有 機 的 ニ綜 合
担 ヲ軽 減 シ軍 ノ肩 代 リ タラ シ ム ル為 重 要 ナ ル モ ノト認 メ之 カ指 導 ニ
右 企 図 ハ治 安 軍 ノ実 力其 ノ他 警 備 能 力 ノ発達 ヲ促 進 シ 日本 軍 ノ負
既 ニ移 駐 ニ着 手 中 ナリ
テ軍 ハ従来 ノ経 験 ト研 究 ト ニ基 キ共 産 党 、 軍 ノ長 所 ヲ封 シ其 ノ弱 点
発揮 シテ敵 ノ組 織 力 卜民衆 獲 得 力 ト ヲ破 摧 封 殺 ス ルヲ肝 要 ト ス而 シ
取 扱 ニ遺 憾 ナ キ ヲ期 シ以 テ 真 ニ政 府 ノ綏 靖 軍 隊 ト シテ貢 献 シ得 ル ニ
方 リ極 力 治 安 軍 ト他 ノ機 関 ト ノ摩 擦 ヲ防 遏 ス ル ニ努 ムル ト共 ニ之 カ
支 那側 行 政 機 関 ノ指 導 ニ就 テ
ヲ衝 ク ヘキ具 体的 施 策 ニ某 程度 ノ自 信 ヲ得 タ リ 三
ツツアリ
至 ラ シム ル如 ク注 意 シ アリ 又治 安 軍 当 局 ハ異 常 ノ熱 意 ヲ以 テ努 力 シ
五
支 那側 行 政 機 関 ニ対 シ テ ハ治 安 第 一主 義 ヲ基 調 ト ス ル軍 ノ諸 施 策 ニ対 シ 一意 積 極 的 ニ協 力 セ シ ム ル コト ヲ主 眼 ト シ其 ノ政 治 力 ヲ滲 透
ル ヘカ ラ ス故 ニ郷村 ハ徒 ラ ニ上 部 ヨリ ノ行政 ノ滲 透 ヲ待 ツ コト ナ ク
政 治 力 ノ滲 透 ヲ謀 ル コト前 述 ノ如 キ モ其 ノ実 現 ハ尚 将 来 ニ期 セサ
郷 村 自 治 自 衛 ノ促 進 ニ就 テ
セ シ ム ル如 ク指 導 セ ント ス 右 ハ従来 ヨリ特 ニ注意 シテ指 導 シタ ル所 ナ ル モ動 〓 モ スレ ハ支 那
自 力 ヲ以 テ建 設 ニ努 メ シメ特 ニ堅 実 ナ ル郷村 自 衛 ヲ促 進 セ ント ス
蓋 シ治 安 ヲ急速 ニ恢 復 セン ト セ ハ郷村 民衆 ヲ獲 得 ス ルト共 ニ之 ヲ
側行 政 機 関 ノ活 動 ヲ軽 視 シ之 ヲ無 力 化 シ テ顧 ミサ ル モノ無 キ ニ非 ス
領 導 シ テ共 産 勢力 ノ苗 床 ト ナ ラ ス進 ンテ之 ヲ駆 逐 セ シ ム ル コト極 メ
斯 ノ如 キ ハ我 カ基 本 国策 ニ副 ハサ ルノ ミ ナ ラ ス之 ヲ哺 育 シ進 ン テ治
ニ支 那 側 行 政 機 関 ヲ育成 シテ実 力 ヲ附 与 シ且彼 等 自 カ ラ責 任 ヲ自覚
タ ル ニ鑑 ミ之 ヲ施 策 ノ中 心 ト シテ 自治 ノ機 運 ヲ自 発 的 ニ盛 リ上 ラ シ
安確 保 ヲ彼 等 ノ責 任 タ ラサ ル所 以 ニ非 サ ル ヲ以 テ本 年 度 ニ於 テ ハ特
ム ル ハ治 安 確 立 ノ第 一歩 タ リ而 シ テ自 治 ノ為 ニ ハ自 衛 組織 ヲ 必要 ト
テ必 要 ナ レ ハナ リ而 モ郷 村 自 治 自 衛 ハ支 那在 来 ノ民 族 的 政治 ノ特 性
之 カ為 此 等 機 関 ニ対 シテ ハ実 権 ト責 任 ト ヲ与 ヘ無 用 ノ干 渉 ヲ避 ケ
ス ル ヲ以 テ益 〓之 ヲ強 化 シ且 従 来 ノ方 針 ヲ改 メ逐 次 自衛 団 ノ武 装 化
シ積 極 的 活 動 ヲ促 進 ス ル コト ニ努 力 シ ア リ
常 ニ大 所 高 所 ヨリ之 ヲ指 導 シ殊 ニ其 ノ長 官 ニ対 シテ ハ無 用 ノ制 肘 ヲ
ヲ図 リ之 ニ依 リ郷 村 自 ラ ヲ シテ 共産 匪 ヲ駆 逐 シ治 安 ノ恢 復 ニ寄 与 シ
新 民会 ニ就 テ
新 民会 ヲ シテ益 〓剿 共 工作 ニ重点 ヲ指 向 セ シ ム
六
安 居 楽 業 ノ基 礎 タ ラ シ メ自 治 ノ促 進 ヲ期 セン ト ス
戒 メ其 ノ達 成 ス ヘキ目標 ヲ明 示 シ之 カ実 行 方法 ノ細 部 ニ就 テ ハ 一任
先 般 来 支 那 側 ニ於 テ防 共 諸 機 関 ヲ自 発 的 ニ編 成 セ ル カ如 キ或 ハ最
ス ル等 ノ手 段 ニ依 リ其 ノ活 動 ヲ促 進 ス ル コト ニ意 ヲ用 ヒア リ
近治 安 強 化 運 動 ヲ北 支全 域 ニ亘 リ積 極 的 ニ開 始 シ タ ル カ如 キ本 施 策 カ漸 ク萠 芽 セ ル ヲ思 ハシ ム
北 支 建 設 ノ主 敵 タ ル共産 党 ノ潜 行 勢 力 ニ対抗 セ シ ム ル為 ニ ハ新 民
会 ノ内 容 ヲ充 実 シ組 織 的 闘争 力 ヲ養 成 シ逐 次 県城 内 工作 ヨリ郷 村 工
治 安 軍 ニ就 テ 治 安 軍 ハ十 六年 度 ニ於 テ其 ノ主 力 ヲ 以 テ逐 次 冀 東 道 ニ集 結 シ殆 ン
作 ニ進 出 シ共 産 勢 力 ニ対 シ攻 勢 ヲ執 ラ シ ム ル コト 必要 ナ リ之 カ為 新
四
ト 日本 軍 ニ依 拠 ス ル コト ナ ク同 地域 ノ治 安 確 保 ニ任 セ シ ム ル考 ニテ
民会 自 体 ノ下部 組 織 ヲ強 化 スルト共 ニ郷 村 自 治 自 衛 組織 ヲ拡 充 促 進 セシ メ新 民 会 地 方 分会 ヲ シ テ其 ノ中核 タ ラ シメ其 ノ闘争 力 ト組 織 力
尚 北 支 ニ於 ケ ル中 国青 年 党 、 労 工 下部 組 織 、愛 路 組 織 等 竝其 ノ 工
ト ヲ以 テ共産 勢 力 ヲ駆 逐 セシ メ ント ス
作 ヲ シ テ新 民 会 ト摩 擦 ヲ惹 起 セ シ メ ス逐 次之 ヲ統 合 スル如 ク指 導 ス
リ
ルト共 ニ成 ル ヘク多 クノ優 良 ナ ル華 人 ヲ参 加 セ シ ム ル如 ク努 カ シア
経 済 建 設 ニ就 テ
第 三、 軍 隊 ノ教 育 訓練
戦 局 ノ持 久 ト高 度 分 散 配 置 ノ現 況 ニ鑑 ミ特 ニ軍 紀 ノ振 作 、志 気 ノ
昂揚 訓練 ノ向 上 ニ留 意 シ アリ 之 カ為 上 級 者 ノ率 先 垂範 ニ依 ル精 神 教
育 ノ徹 底 、 不断 ノ監 督 指 導 特 ニ信 賞 必罰 ノ実 行 、 幹 部 教 育 ノ励 行 ト
本 年 度初 年 兵 教 育 ハ兵 団 長 以 下 ノ精 励 恪 勤 ト既 往 ニ於 ケ ル経 験 ノ
ヲ以 テ戦 力 ノ充実 ニ努 メ ツ ツ アリ
活 用 ト ニ依 リ環 境 其 ノ他 ノ不 利 ヲ克 服 シ鋭 意 之 ヲ実 施 シ良 好 ナ ル成
方 面 軍 第 二年 度 下 士 官 候 補 者 ノ各 教育 部 隊 ハ 一月 三十 一日 夫 〓編
果 ヲ収 メ ツツ アリ
成 ヲ完 結 シ 一意 教 育 ノ成 果 ノ発 揮 ヲ期 シ目 下順 調 ノ進 度 ニ在 リ教 官
七
助 教 ノ資質 未 タ十 分 ナ ラ スシ テ著 シ ク成 果 ヲ減 少 シア リ タ ル モ目下
国防 資 源 ノ開 発 取 得 ニ徹 底 シ又 支 那 ニ於 ケ ル経 済建 設 ニ即 応 セ シ ム ル為 ニ ハ占 拠 地 域 ニ於 ケ ル民生 ノ向 上 、 民 心 ノ安定 ヲ喫 緊 ノ要 事
下 士 官 教 育 ハ特 別 ノ モノ ノ外 各 兵 団 ニ於 テ実 施 セ シ メ逐 次 成果 ヲ
着 々教 育 ヲ実 施 シ之 カ向 上 ヲ計 リ ツ ツ アリ
挙 ケ ツ ツ アリ 尚 下士 官 候 補 者 教 育 部 隊 ノ整 備 充 実 ニ伴 ヒ同 隊 ニ於 テ
ト ス離 反 セ ル民心 ノ上 ニ営 マレタ ル各 種 建 設 工作 又 ハ民生 ノ確 保 ナ
ハ明 ナ ル ヲ以 テ軍 ニ於 テ ハ経 済建 設 ハ特 ニ民 生 ノ安定 ヲ図 リ ツ ツ重
集 合 教 育 ヲ実 施 ス ル如 ク考 究 中 ナ リ
キ国 防 資源 ノ開 発 取 得 ハ共 ニ其 ノ効 果 得 テ望 ム ヘカラ サ ル モノ ア ル
要 国防 資 源 ノ開 発 取 得 ニ遺 憾 ナ カ ラ シ メ且 軍 自 活 力 ヲ向 上 ス ル如 ク
幹 部 候 補 生隊 ノ新 設 ニ係 ル準 備 ハ着 々進 メ ツ ツ ア リ
究中 ナ リ
将 来 歩 兵将 校 ニ対 シテ モ訓 練 隊 ヲ編 成 シ之 カ教 育 ヲ実 施 ス ヘク研
ニシ テ其 ノ成 果良 好 ナ リ
将 校 教育 ハ砲 工兵 将 校 ニ対 シ夫 〓砲 兵 及 工兵 訓 練 隊 ニ於 テ実 施 中
両 者 ノ調和 按 配 ニ周 到 ナ ル考慮 ヲ加 ヘツ ツ生 産 ノ増加 、 物 資 ノ流 動 ニ重 点 ヲ指 向 シテ施 策 セ ント ス而 シ テ其 ノ地 域 的 重点 ハ依 然 模 範 地 区 ニシテ之 カ指 導 ニ方 リ テ ハ華 人 ノ起 用 、 地 場 資 本 ノ誘 導 ニ努 メ近 時 漸 ク之 レカ登 場 ヲ見 ント ス ルノ傾 向 ニ在 ル ハ寔 ニ悦 フ ヘキ現 象 ナ
経 済封 鎖 ノ強 化 ニ就 テ
リ ト信 ス
万 般 ノ事 項 ニ 亘リ 旧慣 ヲ打 破 シ創 意 ヲ凝 ラ シ其 ノ能 力 ヲ増 大 ス ヘ
八
キ所 謂 軍 能 率 化 ニ就 テ ハ軍 ハ従 前 ヨリ 重 視 シ常 ニ指 導 シ来 リ タ ル所
第 四 、軍 能 率 化 及 健 兵 対 策
ハ更 ニ高 次 ナ ル統 制 的 施 策 ヲ必要 ト ス ル モノ ア ル ヲ以 テ近 ク方 面 軍
互 ノ連 繋 等 完 全 ナ ラ ス効 果 未 タ十 分 ナ ラ ス封 鎖 ノ実行 ヲ期 セ ン ト セ
ナ ル モ其 ノ実績 尚 十 分 ナ リ ト認 メ難 キ モ ノア ルヲ遺 憾 ト ス即 チ戦 時
所在 ノ敵 地 、 匪 地 区 ニ対 シ経 済 封 鎖 ヲ実 施 シ ア ル モ其 ノ企 画 、 相
ニ於 テ準拠 ス ヘキ要 綱 ヲ指 示 ス ヘク研 究 中 ナ リ
考 ハ固 定 シ事 務 ハ複 雑 ニシテ旧 態 依 然 タ ル モ ノ アリ之 レカ是 正 ニ関
戦 地 タ ル ノ実 情 ニ即 セ ス シテ動 〓 モス レ ハ平時 的 慣 習 旧 慣 ニ堕 シ思
励 行 シ以 テ 軍 ノ戦 力 、 機 動 力 ノ保持 増 進 、軍 事 費 ノ節 減 竝追 送 軍 需
ヲ利 導 培養 シテ軍 現 地 自 活 ヲ 一段 ト拡 充 スル ト共 ニ 一層 消費 節 約 ヲ
ニ現 地 ニ於 ケ ル民 生 ノ向 上 ト調 和 セ シメ ツ ツ現 地 ノ 人的 、物 的 資 源
第 六 、結
ノ節 用 ニ勉 メ ン コト ヲ期 シ アリ
シテ ハ更 ニ力 ヲ致 シ其 ノ具 体的 実 行 ノ徹 底 ヲ図 ラ ント ス 軍 ノ能 率 向 上 ノ重 点 ハ治 安第 一主 義 実 行 ノ為 ノ障碍 除 去 ニ在 リ テ
言
﹁思考 ノ掘 下 ケ﹂ ﹁深 ク考 ヘル﹂ ﹁考 へ直 ホ ス﹂等 ノ 心構 ノ刷 正 ヲ基
軍 ノ衛 生 状 態 ハ昭 和 十 四 年度 ニ比 シ十 五 年 度 ハ戦 病 竝内 地還 送 ニ
ヲ期 シ ア ル際 方面 軍 ニ新 ニ兵 力 ヲ増 加 セ ラ レ愈 〓其 ノ責 任 ノ重 大 ナ
等 建 設 諸 施 策 ノ有 機 的 一元 運 営 ヲ強 化 シ以 テ粛 正 建 設 ニ一段 ノ飛 躍
重 大 ヲ加 ヘタ ルヲ痛 感 シ特 ニ作 戦 、討 伐 ト之 ト併 行 ス ル政治 、経 済
之 ヲ要 ス ル ニ内 外 ノ情 勢 ノ急 迫 ニ伴 ヒ北支 那 安 定 確 保 ノ任 務 愈 〓
於 テ各 約 三割 ヲ激 減 セ リ然 レト モ兵 ノ体 位 ノ現 況 ニ鑑 ミ其 ノ体 力 、
ル ヲ覚 ユ
礎 ト シ其 ノ成 果 ヲ迅 速 ニ達 セ ント ス
気 力 ヲ向上 スル為 一層 健 兵 ニ関 ス ル隊 長 以 下 幹 部 ノ識 能 、関 心 ヲ向
乃 チ方 面 軍 ハ益 〓上下 一体 ト ナ リ鉄 石 ノ団 結 ヲ以 テ軍 紀 ヲ振 作 シ
上 シ之 カ実 施 ニ方 リ テ ハ熱 意親 切特 ニ骨 肉 ノ至 情 ヲ以 テ セ シメ軍 隊 ノ実 状 ニ即 シ或 ハ保 育 第 一ニ堕 シテ健 兵 養 成 ノ主 旨 ヲ失 ヒ或 ハ作 戦
駿
テ任 務 ノ速 カナ ル達 成 ニ邁 進 セ ン コト ヲ期 ス
田
志 気 ヲ昂 揚 シテ 一層 心的 活 動 ニ力 ヲ致 シ物 的威 力 ヲ十 全 ニ発 揮 シ以
多
軍 タ ル任 務 上 ノ絶 対 要 求 ニ支障 ヲ生 セシ メ サ ル如 ク施 策 ヲ指 導 シ ア
北支那方面軍司令官
昭和 十 六 年 四 月十 日
リ 第 五、 軍 ノ現 地 自 活 方 面 軍 ハ現 地 ニ於 テ調 達 シ得 ル軍 需 ノ品 質 、 価 格 、迫 送 量 、 令 達 予算 等 ノ関 係 ヲ顧 慮 シ主 ト シテ 衣糧 関 係 諸 品 、 一部 ノ兵 器 、 医療 、 建築 関係 諸 品 ノ現 地 調 達 竝 兵 器材 料 一部 ノ現 地 修 理等 ヲ実 施 シ又所 在 ノ運 搬力 ヲ利 用 シ以 テ軍 ノ戦 力 、機 動 力 ノ保 持 増 進 ニ勉 メ 且間 接 的経 費 ニ ハ事 情 ノ許 ス限 リ支那 側 予算 ヲ以 テ処 理 ス ル如 ク考 慮 シ ツ ツ アリ之 等 軍 ノ現 地 自 活 ハ治安 ノ安 定 、 民 生 ノ向 上 、経 済 、 産 業 開 発 ノ進 展 竝食 糧 、 金 融 、 通 貨 諸施 策 ノ具 体 化 ニ伴 ヒ逐 年 向上 進 歩 ノ
本 年 度 ニ於 テ ハ方 面 軍 ハ日満 支 ヲ通 スル軍需 ノ実情 竝軍 需 諸 産 業
道程 ニ在 リ
ニ調 和 セシ メ更 ニ我 国 ノ ヨリ大 ナ ル非 常 時 局 ニ対処 ス ルノ考 慮 ノ下
十 五部 内 の第 二号
ず之 を利用して己 の功 と為し以 て中国 人民の信用を博 するに努 むべ
日 米 交 渉 に 関 す る 件 汪主席発近衛総理大臣宛書翰 ( 訳文)
く中国人民も之に惑 はされ重慶側 の成功 を祝 し昨年締結ぜ る条約 の
七 一
謹啓初秋之候御起居益 々御健勝之段遙 に奉慶賀候陳者九月三十 日
右 の二点は決 して区 々たる個 人 の得失 に非ず貴我両国前途 の利害
影佐少将と面晤 の際二十 六日附貴翰を接到 且米国側 に内示せる日支
禍福 の繋 る所 なるを以 て此 の危険 に対しては是非 とも防止 の途 を講
不当なりしを詰 る こと必定 にし て兆銘 の提唱 せる和平反共建 国運動
抑も 日支和平基礎条件 に付 ては米国は恐らく修正 を提議し来 るべ
ず る必要ありと愚考す る次第 に有之候就 ては何卒閣下 に於 かれては
和平基礎条件 の御 通報 を賜 り再三拝読御 好意之程 千万恭く存候就 て
く 一方閣下 に於 かれても右米国提出 の修 正案 に対しては必ず や之 に
も亦之が為甚しき不利 を蒙 ることとなるべき点 に有之候
相当 の検討 を加 へ始 めて双方同意 するに至 るも のと存ぜらるる処此
米国側 に対し内部的意見交換 の途中 に於 ては如何な る形式たるとを
は謹 て愚見 を述 べ御参考 に供 すべく候
の間是非 とも注意 を要す る所は左の二点 に有之候
締結 せる条約 に対 し修正を加ふる ことと致度而し て其 の修正せる条
るときは先 づ其 の容認 せんとする部分 に付敝政府と御打 合相成客年
ると共に 一旦閣下 が米国 の修正案中若干 を容認す るに決定せられた
国 の修 正案 にして大袈裟 に且公開的 に提出 せら るるか或 は閣下 の検
問はず 其 の内容 を公表す ることを禁止す る旨堅く約束を取付けらる
討 を経其 の同意 に依り最後 の決定 を見 るに至らば米国 は必ず之 に依
約 の公表 は米国 の修正案 の決定前 とし出来得 れば 一週間乃至 三日前
其 の 一は中国人民 が従来米国 の宣伝 に迷 はされ事変後 は 一層親米
り 一層中国人民 の傾倒 を受 け且其 の従来 の態度 の正しかりし ことを
の親善関係 は始め て鞏固 にして動揺 の虞 なき を期し得 べく候右 は兆
なれば最 も宜 しく最大限度譲歩す るも同時と致度斯くすれば日支間
仇日 の態度 を抱く実情 にあ ること閣下御承知 の通なるが万 一今 回米
如実 に証明す ることとなり閣下 の東亜新秩序建 設 の理想 が必ず不利
銘誠意 を竭 して閣下 に進言する所 に有之候
を蒙る こととなるべき点 に有之候 其 の二は若し米国が其 の修正案を重慶 側 に通報 すれば重慶側は必
元 来 客 年 締 結 せ る条約 は閣 下 の声 明 に基 く と ころ の睦 隣 友 好 、 共
ざ る も のな る を除 き 其 の他 の部 分 に至 り ては 大 体 全面 和 平 尚 未 だ実
同 防 共 、 経 済 提 携 の三 大原 則 が 日支 親 善 の基礎 と し て動 かす べ から
現 せざ る為 周 到 な る顧 慮 を払 ふ の已 む を 得 ざ る に出 で た るも の に有 之 若 し全 面 和 平 一旦 実 現 す る に至 らば 此 の部 分 に修 正 を加 へ両 国 の 関 係 を更 に 一段 と 良 好 な る方向 に導 く こと は敝 国 側 に於 て衷 心 祈望 す る所 な る の みな らず 貴 国 に於 て も引 て以 て愉 快 と せ ら る る所 な る べ く同 時 に米 国 の斡 旋 も 重慶 側 の和 平 参 加 も 之 に依 り満 足 す る に至 る べ し是 れ実 に忠 恕 の道 に合 す る所 以 にし て想 ふに閣 下 に於 か れ て
以上 申 述 べ た る意 見 は曩 に本 多 大 使 に披 瀝 し置 き た る所 な る が偶
も喜 ん で御 採 択 有 之 も のと拝 察 致 候
偶 日高 公 使 帰 朝 の便 を借 り 本書 を託 送 致 候 に付 御高 覧 賜 り度 願 上 候
敬具
兆
銘
閣 下 の 一身 は東 亜 の安危 の繋 が る と ころ 此 の機 会 に深 甚 な る敬意 ︹ 昭和十六年︺
汪
を表 し併 せ て御 健 康 と偉 業 の御 成 功 と を祝 福 致 候 十月五 日
近衛総 理大臣閣下
三
対 ソ国 防 と 満 洲 国
一
無題 ( 対
針 と す るを要 す 。
石原関東軍参謀副長)
二、 大 陸 兵備 は在 満 鮮 兵 力 を 以 て第 一期 作 戦 を遂 行 し得 る を根 本 方
(昭和十 三年 三月
﹁ソ ﹂ 国 防 建 策 )為参謀次長
一、国軍集中掩護 の為関東軍 は最小限度次 の態勢 にあるを要す。
関東軍 ( 朝 鮮 軍 を含 む ) を 第 一期 作 戦 遂 行 の全 責 任 を負 担 す べ く
軍 の編 制 配 置 等 凡 て を基 礎 と せざ る べ から ず 。
1 、 平 戦 両 編 制 の差 を最 小 限度 に止む る こと 。
位 置 は 平時 訓 練 の便 を も 重 視す る を要 す 。
2 、 予 定 兵 力配 置 を更 に北 方 に変 更 す 。 ( 要 図 参照 ) 但 師 団 等 の
例 へば 哈市 の如 き は適 当 な らず 。之 を漠 河 に移 す が如 き 之 な り。
万 止 む な き事 情 の時 は野 営 地 を速 に準 備 す る を要 す 。
三 、 今 次 参謀 本 部 の立 案 に よ る満 洲 十 二師 団 、朝 鮮 三師 団 計 十 五 師
団 を 以 てし ては沿 海 州 方 面 又 は黒 龍 州 方 面 何 れ か 一方 に攻 勢 を と り 得べし。
するは余 りに消極的なり。作戦目的を沿海州敵主力 の撃滅 と特別極
四、第 一期作戦 を前項 の如く東 方又は北方 の 一方面 への攻勢に限定
し得 る に至 る迄 は近 衛 師 団 以 外 の内 地 六師 団 を満 洲 に駐 屯 せ しむ べ
六 、第 一会 戦 に要 す る弾 薬 資 材 等 は 之 を国 境 近く 集 積 す 。 先 づ東 寧
2 、右 資材 の迅 速 な る整 備 、 並 東 寧 及黒 河附 近 への前 進 。
1 、所 要 人 物 を中 央 部 よ り 臨 時 配属 し速 に所 要 資 材 の決 定 。
五 、東 寧 、黒 河 両 地 区突 破 の為 あ ら ゆ る研 究 と準 備 を な す を要 す 。
東 洋 の盟 主 た ら んと す るも のあ る に至 り て は真 に驚 く の外 な し。
失 す る こと な く兵 備 の拡 張 を決 行 せざ る べ からず 。 此国 力 な く し て
蘇 国 が更 に極 東 兵備 を増 加 す る に於 て は我 亦断 乎 之 に対 抗 、 機 を
きなり。
るを要す。
東軍 と後貝加爾軍管区と の中断 の二となし此両目的を同時 に達成す 之 が為満鮮兵力 を極東蘇 軍 (イ ルクーツク以 東)と 少く も同 等 (国防方針 決定 の時 は少くも八割を主義と せり)たらしむることを 方針とす べし。即ち目下 の敵 に対し満洲 に十八師団を配置 せざ るべ 支那問題 を根本的 に解決して同 地に予定 せる六師団を満洲 に転用
からず。
方 面 に十 五 師 団分 、黒 河 方 面 十 師 団 分 と し重 要 な るも のは 、 此際 地 下 格 納 とす るを要 す 。 糧 秣 の為 間島 、牡 丹 江 、 三 江 、 黒 河 諸省 並 黒 龍 江 省 北 部 の開発 を 急 速 にし 以 て現 地 物資 の増 加 を計 る。 羅 子 溝 及 三姓 オイ ル セー ルを 速 に開 発 す。 七 、集 積 地 より の輸送 は自 動 車 によ るを 本則 と し極 力 支 那 馬 車 の数 を制 限 す 。 八 、北 満 の鉄 道 を急速 に改 善 す る為
北満特産、及密山炭 の大量輸出
1、羅津 の繁栄 新潟︱羅津政策 の強行
2、大小興安嶺地帯資源調査 に全能率発揮
九、重工業 の発展 により戦争資材製産力 の増進特に
1、デ ーセル自動車 の大量製産
2、少く も爆弾製産 の主力 を大陸 に躍進 1、北方面飛行場 の準備
十、航空作戦 の為
2、全作戦飛行場 に飛行場整備隊 (通信、気象、防空、工作等) の常置 、爆弾、油 の地下格納 3、通信 、気象
4、我全飛行隊 を全飛行場 を活用 して練成
5 、北部東朝鮮 に有力なる海軍飛行隊 の設置
十 一、支那事変費 を活用し倉庫 、飛行場、通信、要塞 の為大予算 の 令達 1、各部 の廃止縮少
十二、関東軍司令部 の簡易化
其業務 を中間軍司令 部に移す
2、教育、補給等 に対する中央指導力 の強化
3、満洲国内面指導 の縮少撤退 十三、航空司令官 の職権大拡張
目
二
次
戦 争史 大 観 ︹ 新 京︺
昭和 四年 七月 長 春 に於 け る講 話 要 領
昭和 十 三 年 五 月
(石
原
莞
爾)
新 京 に於 て訂 正
之 を実現す るの至難 なる事 は数千年歴史 の証 明す る所 なり。
なる原因 となるべく其 の時期 は既 に切迫し つつあるを思 はしむ。
戦争術 の徹底せ る進歩 は絶対平和を余儀なからしむるに最も有力 三
論
二、戦争指導要領 の変化
一、緒 三、会戦指揮方針 の変化
つつあるに対し戦闘法及軍 の編制等は整然 たる進歩 をなす。
即ち戦闘法等 が最後 の発達 を遂 げ戦争指導等 が戦 争本来 の目的 に
戦争 の指導、会戦指揮等 は其 の有す る二傾 向 の間 を交互 に動き
四、戦闘方法 の進歩
最もよく合 する傾向 に徹 底する時 は人類争闘力 の最 大限を発揮す る
五、戦 争参加兵力 の増加と国軍の編制 六、将 来戦争 の予想
時 にし て軈 て是 れ絶対平和 の第 一歩 たるべし。
戦争本来 の目的 は武力を以 て徹底的に敵 を圧倒す るにあり。然
二、戦争指導要領 の変 化
七、現在 に於 ける我 が国防 附、近 世戦争 の進化景況 一覧表
前者 を殲滅戦争 ( 決戦的戦争)とせば後者 は消耗戦争 ( 持久的戦争)
れども種種 の事情 により武力 は自ら凡 てを解決 し得ざ ること多し。
一
と称 すべし。
論
一 戦争 の進化 は人類 一般 文化 の発達と歩調 を 一にす。即ち 一般文
二
一、 緒
化 の進歩 を研究 して戦争発達 の状態 を推断し得べきと共 に戦争進化
るに従ひ財政外交等は其 の地位を高 む。即ち前者 に在 りては戦略 は
殲滅戦争 に在 りては武力第 一にし て外交財 政等 は第 二義的価値
の大勢を知 るときは人類文化発達 の方向 を判 定する為有力 なる根拠
を有するに過ぎざ るも消耗戦争 に於 ては武力 の絶対的位置 を低下す
戦争 の絶滅 は人類共通 の理想 なり然 れども道義 的立場 のみより
を得 べし。 二
争 は 恐ら く 其 の作 戦 目標 を敵 国 民 とな す べく敵 国 の中 心 に 一挙 致命
再 び殲 滅 戦 争 の時 代 を招 来 す べき を 暗 示 し つ つあり 。 而 し て将 来 戦
三 、 会 戦指 揮 方 針 の変 化
的 打 繋 を加 ふ る こと によ り真 に殲 滅 戦 争 の徹 底 を来 す べし 。
政 略 を超越 す る も後 者 に在 り ては逐 次政 略 の地 位 を 高 め 遂 に将 帥 は
消 耗 戦 争 は長 期 に亘 る を通 常 と し武 力価 値 の如 何 によ り戦 争 の
政 治 の方 針 によ り共 の作 戦 を指 導 す る に至 る。 三
一
会 戦 指 揮 の要 領 は 最初 よ り会 戦 指 導 の方針 を確 立 し其 の方 針 の
小戦 を主 とす る か或 は機 動 を主 とす る か等各 種 の場 合 を生ず 。 而 し
状 態 は種 種 変 化 を 生ず 。 即 ち 武 力 行使 に於 て も会 戦 を主 と す る か、
下 に 一挙 に迅 速 に決 戦 を行 ふ と 、最 初 は先 づ 成 る可 く敵 に損 害 を 与
し
の靱 強性 如 何 に よ る。
二
而 し て両 者 何 れ によ る べ き や は将 帥 及 軍隊 の特 性 と当 時 の武力
へ つ つ我 が兵 力 を 愛 惜 し機 を見 て決 戦 を 行 ふと の二種 に分 つを得 べ
て消 耗 戦 争 とな る主 な る原 因 次 の如 し 。 1 、 軍隊 の価 値 低 き こと 十 七 、 八 世紀 の傭 兵 、 近時 支 那 の軍 閥 戦 争 等
奈 翁 の露 国役 、 日露 戦 争等
2、 軍 隊 の運動 力 に比 し戦 場 の広 き こと
欧 洲 大 戦 、 日本 戦 国 時 代等
近 き 独逸 と 、 ロー マ族 に近 き仏 国 が欧 洲 大 戦 初 期 に行 へる会 戦指 導
者 に便 な り 。是 主 とし て両 国国 民性 の然 ら し む る所 ギ リ シ ヤ民 族 に
ギ リ シヤ の フ ァラ ン ク スは前 者 に便 にし て ロー マの レギ ヨンは後
両戦 争 の消 長 を観 察 す る に原始 時 代 は国 民 皆 兵 にし て殲 滅 戦 争
3 、 攻撃 威 力当 時 の防 禦 線 を 突 破 し得 ざ る こと
四
に より し と は雖 も独 逸 民 族 よ り前 者 の達 人 た る フリ ー ド リ ヒ大 王 を
方 針 と対 比 し比 処 に面 白 き 対 照 を 与 ふ。 又其 の使 用 せ る武 力 の性質
生 じ ラ テ ン民族 よ り後 者 の名 手 た る ナ ポ レ オ ンを 生 じ た る は必 ず し
に新 用 兵 術 生 れ し が重 金 思 想 は 傭 兵 を生 み其 の結 果 消耗 戦 争 の時 代
も 偶 然 と のみ称 し難 き か。
行 は れた り 。 用 兵術 亦 暗 黒 時 代 と な れ る中 古 を経 て ルネ サ ン スと共
と な れり フ リー ド リ ヒ大 王 は 此 の時代 用兵 術 発 展 の頂 点 を な す。 大
三
隊 戦 術 は兵 力 の梯 次 的 配 置 によ り戦 闘 力 の靱 強 性 を増 加 し且 側 面 の
横 隊 戦 術 に於 て は前 者 を 有 利 と す る に対 し ナポ レオ ン時 代 の縦
て戦 術 的 に大変 化 を来 し ナ ポ レ オ ン によ り殲 滅 戦 略 の運 用 開始 せ ら
王 歿 後 三 年 にし て起 れ る仏 国 革 命 は傭 兵 よ り国 民 皆 兵 に変 化 せ し め
強 度 を増 せ る為 自 然 後 者 を有 利 と す る こと多 し。
爾 後 火 器 の発 達 に よ り正 面 堅固 の度 を増 す に従 ひ戦 闘 正 面 の拡 大
れ モルト ケ 、 シ ュリ ー フ ェン等 によ り益 益 其 の発 展 を 見 た る も防 禦
を来 し逐 次 横隊 戦 術 に近 似 す る に至 れ り 。欧 洲 大 戦初 期 に於 け る独
威 力 の増 加 は南 亜 戦 争 、 日露 戦 争 に於 て既 に此 の戦 略 活 用 の困難 な る を 示 し遂 に欧 洲 大 戦 に於 て再 び 消耗 戦 争 に陥 り タ ンク 、毒 瓦 斯 等
軍 の仏 国侵 入方 法 は ロイ テ ン会 戦 指 導 原 理 と 相 通ず る も のも あ る 。
欧 洲 大戦 に於 て敵 翼 包 囲 不 可能 と な る や強 固 な る 正 面突 破 の為深
の使 用 に よ り各 交 戦 国 は 極 力 此 の苦 境 よ り脱 出 せん と努 力 せ るも 目
長 期 戦 争 は現 今 戦 争 の常態 な り と 一般 に信 ぜ ら れ あ る も歴 史 は
的 を達 せず し て戦 争 を終 れ り。 五
き縦 長 を以 て攻 撃 を行 ひ会 戦 指 揮 は 又 も や第 二線 決 戦 を主 とす る に 至れり。 四 、 戦 闘 方 法 の進 歩 上古 の密 集 戦 術 は ﹁点 ﹂ の戦 法 に て単 位 は大 隊 な り。 横隊 戦 術
戦 史 の研 究 に熱 心 な り し 独逸 軍 に於 て然 り人 智 の幼 稚 な る を痛 感
会 戦 に て仏 第 五軍 を 逸 す る 一大原 因 をな せ る こと な り。
六 、将 来 戦 争 の予 想
せず ん は あ らず 。
最 近 の欧 洲戦 争 は欧 洲 諸 民 族 の決勝 戦 な り ﹁世 界 大 戦 ﹂ と称 す
一
一 は実 線 の戦 法 に て単 位 は 中隊 、散 兵 戦 術 は 点線 の戦 法 に て単位 は 小
を中 心 とす るも のに し て真 の世 界 大 戦 人類 最 後 の大 戦 争 な るべ し。
欧 洲 大 戦後 西洋 文 明 の中 心 は 米 国 に移 る 次 で来 る べき 戦争 は 日米
る は当 らず 。
性 を 表す 一例 な り若 し 散 兵戦 闘 を小 隊長 に委 す べ か らず と せ ば 其
以 てす る殲 滅 戦争 に し て次 に示 す 諸 項 よ り 見 て 人類 争 闘 力 の最 大 限
二
将 来 の戦 術 は体 の戦 法 に て単 位 は個 人 な る べし。 五 、戦 争 参 加 兵 力 の増 加 と国 軍 の編 制 職 業 者 よ り な る傭 兵 時 代 は 兵 力大 な る能 はず 。 国 民皆 兵 の徹 底 三
1 、東 洋 諸 民 族 の団結 成 る こと
然 らば 此 の戦争 の起 る時 機 如 何
力 を最 大 限 に発揚 し而 も全 国 民 の全 力 を 用 ふ
3 、全 国 民 戦争 に参 加 し 且戦 闘 員 は 個 人 を単 位 とす 即 ち 各 人 の能
2 、吾 人 は 体 以 上 のも のを理 解 す る能 はず 。
1 、真 に徹 底 せ る殲 滅 戦 争 な り。
を用 ふ るも の にし て人類 最 後 の大 戦 争 な るべ し 。
前 述 せ る戦争 の発 達 に よ り見 ると き は来 る べ き戦 争 は飛 行機 を
の民 族 は既 に此 の戦 法 時 代 に於 け る落 伍 者 と 云 はざ る べ からず 。
実 際 に於 け る戦 闘 法 の進 歩 は右 の如 く 単 一な らざ り しも 此 の大
戦 闘 群戦 術 は面 の戦 法 に て単位 は分 隊 と す 。
日露 戦 後 射 撃 指 揮 を 中隊 長 に 回収 せ る は苦 労 性 な る 日本 人 の特
隊 を 自然 とす 。
二
三
勢 に従 ひし こと は否 定 す べ からず 。
一
に より 逐 次兵 力 を増 加 し 欧 洲 大戦 に は全 健 康 男 子 之 に加 は る に至 れ
将 来 は 更 に義 務 よ り義 勇 に進 み 全国 民戦 争 に直 接 参 加す る に至
2 、米 国 が完 全 に西洋 の中 心 た る位 置 を占 む る こと
り。 二
3 、 飛行 機 が無 着 陸 に て世 界 を 一周 し得 る こと
あ ら ざ る こと を思 は し む 。
右 三条 件 は殆 ん ど 同速 度 を 以 て進 み あ る が如 く 決 し て遠 き将 来 に
る べし 。 国 軍 の編 制 は兵 力 の増 加 に従 ひ逐 次 拡 大 せ り特 に注 目 に値 す る
は ナ ポ レオ ン の 一八 一二年 役 に於 て実 質 に於 て三 軍 を 有 し乍 ら依 然
三
七、 現 在 に於 け る我 が国 防 一
天皇 を中 心 と仰 ぐ東 洋 諸 民族 協 同 団 結 の基 礎 と し て先 づ 日満 支
の独 軍 既 に思 想的 に は方 面 軍 を 必要 と し あ りし も遂 に此 処 に着 意 す
協 同 の完成 を現 時 の国 策 と す 。
一軍 とし て の指 揮 法 を と り非 常 な る 不便 を なめ た りし が 欧洲 大 戦 前
る能 はず し て第 一、 第 二、 第 三軍 を第 二軍 司 令 官 に指 揮 せ し め国 境
二
国 防 と は国 策 の防 衛 な り即 ち 我 が現 在 の国 防 は持 久 戦 争 を 予期
1 、蘇 国 の陸 上 武 力 と 米国 の海 上武 力 に対 し 東亜 を守 り得 る武 力
し て次 の力 を要 求 す 。
戦
争
進 化
景
況
一 覧 表
2 、目 下 の協 同 体 た る 日満 両 国 を範 囲 と し 自 給自 足 をな し 得 る経
近 世
済力
満洲国 の東亜防衛上 に於け る責務真 に重大なり特 に蘇国 の侵攻
に対し ては在大陸 の日本軍と共 に断乎之を撃破し得 る自信 なかるべ
三 からず。
三
現 在に 於 け る我 が国 防
( ﹁我 が﹂ は目 下 に於 て は 日満 両 国 を指 す)
策
国 防 と は 国策 の防 衛 な り 。 第 一、 国
人類 最 後 の大 闘 諍 た る べ き太 平 洋 を 申 心 と す る世 界 大 戦 の勃 発 遠 か ら ざ る べ き こと を 予期 し次 の 二項 を 国 策 の中 核 と す 。 東 亜 聯 盟 の結 成
囲
甲 、東 亜 聯 盟 の結 成
世 界 最 優 秀 な る航 空 機 の製 作
一、 範
先 づ 日 、満 、支 、 即 ち 我 が力 を以 て確 実 に擁 護 し得 るを 限度 とす (日 、鮮 の関 係 、 満 洲 国 独 立 の理 由 、 蒙 古 )
王 道 (西 洋 と の比較 )
二 、団 結 原 理
三、 団 結 条 件 1 、 理 想 の 一致 (一徳 一心 ) 2 、国 防 、経 済 の共 通
(昭和 十 三年 五月
石原 莞 爾 )
乙 、 満 洲 国 の政 治 に就 て
(支 那 事 変 の解 決 は右 原 則 の線 に沿 ふ て行 は る るを要 す )
3、政治 ( 狭 義 の政 治 、 広 義 の行政 ) の独 立
標 1 、 日 、支 提 携 の楔
一、 目
東 亜 聯 盟 の精 神 的核 心 2 、対 蘇 国 防 の根 拠 二 、重 要 事 項
﹁三 千 万 民衆 は喜 ん で居 るか﹂
1、民族協和
﹁土 地 を奪 ふ は よ ろし く な い
日本 人 は満 人 を 十 分働 か せ よ﹂ 2 、資 源 の開 発
イ 、満 洲 色豊 か な る行 政
3 、民 心 の安 定 、把 握
官 吏 の自 給 自 足
ロ、 開 発 以 外 は急 ぐ な ︹ 職?︺ 先 づ 食 慾 を 次 で食 を与 へよ
空
逐 次 国 民皆 兵 に ロ、 防
ニ、 日満 自 給 自足 経 済 への役 割
ハ、 治 安 の維 持 、 防 諜
ホ、 大 陸 作 戦 の給 養 補 給 の担 任
4、 昭 和 維 新 の先駆 と し て イ、 教 育 革 新 の徹 底
防
政 府 と協 和 会 と の任 務 の範 囲 を明 か にす
ロ、 官 治 の制 限 と自 治 の範 囲 拡 大
ハ、 簡 明 な る行政 5 、 ﹁政 治 の独 立 ﹂完 成 第 二、 国
1 、蘇 聯 の陸 上 武 力
一、東 亜 聯 盟 の結 成 を 防 害 し得 る外 力
2 、米 、 英 の海 上 武 力
1 、右 二力 に対 し東 亜 を守 り得 る武 力
二 、現 在 に於 け る我 が国 防 は持 久 戦 争 を予 期 し て次 の力 を要 求 す
2 、目 下 の協 同 体 た る日満 を範 囲 と し自 給 自 足 を な し得 る経 済 力
1 、満 洲 国 の位 置
三、対 蘇 国 防
ロ、極 東 蘇 領 に対 す る我 圧 力 は蒙 古 、 新 疆 を防 衛 す
イ 、蘇 聯 東 亜 侵 攻 の最 重要 路
2 、蘇 聯 の極 東 兵 力 (バ イ カ ル湖 以 東 ) と 少 く も同 等 の兵 力 を 満 鮮 に保 有 せざ る べ から ず 3 、満 軍 の過 去 、現 在 及将 来
イ、 国 軍意 識 の高 揚
4 、満 洲 国 政 治 の担 任
四
戦 争計 画要 綱
第 一、戦 争 目 的 速 に最 小限度 の具体的講和条件 を確定し、以 て戦争 の目的を明か ならしむ。 第 二、戦争指導方針 先づ作戦範囲 を成 る可く制限 し国力 の急速な る増進 に主力を傾注 し以 て戦争持久 の態勢を確立す。 武力 の積極的使用は之 により迅速適確 に敵を屈伏 せしめ講和に導
(昭和 十 三年 六月 三 日
石 原 少将 )
三、兵器製造並に軍需品輸入を極 力節約す。
四、成 る可く多く の兵力、作戦資材 を北満 に配置す。 2、政 府 事 項
五、満洲国 の建国精神 に基く理想 的建設 を断行す。
一、現行 の内閣制度 を廃し て国務院 を設 け、前陳 の大目標 に向 つて
志 を同くす る少数国務大臣を以 て国政 の籌劃運行 に当らしめ、適切
二、国防産業生産力 の急速 なる拡充 を図 る為、之が強力なる実施機
各省 には別に長官を置き て、そ の事務 を管掌 せしむ。
果敢な る国内 の諸革新 を断行す。
関とし て、軍需省 を置き て綜合的統制 に当らしむ ると共に、貿易省
き得 る見込十分 なる場合 に於て始 めて集中的 に果敢断行す。 1、統帥部事項
を設け て貿易及為替 の適切な る国家管 理を行 ひ生産力拡充資材 の獲
第三、戦争指 導要領
得を容易ならしむ。
期待す。
卓抜果断な る人物 による簡明 にして弾力性 ある機関 の実効的運用 に
四、右何 れ の場合 にも努めて機構 の尨大化、制度 の繁雑化 を避け、
三、企画院 は之 を改組し て国務院直属 の国策諮問機関たらしむ。
一、帰順支那軍 の活用を図 り成 る可く速 に少くも山西、河南 の軍事 此等 地方 の行政 に関し ては自治 を認め華人自 ら華人を治むる の原
を之 に 一任す。
天津方面軍司令部は右 の方針 に基き其陣容 の根本的改革を行 ふ。
則を採 るものとす。 二、日本軍主力を徐州附 近に集結す。
注
五
意
田
謙
吉
関 東 軍 司令 部 調 製 )
二、建国精神 の真義
べき決意を内外 に闡明した るも のに外ならず
放棄し喜 んで平等 の境地 に立ち堂 々仁愛 を以 て他民族 を指導啓蒙す
治 外法権撤廃 の真精神は即ち在満大和民族 が進んで特恵的条件を
的欺瞞 政策 は我 の断じ て採らざる所 なり
を故意 に低文化、無気力 に導き逐 次絶滅 せしめんとす るが如 き権謀
彼 の各種民族を操縦離間し其相剋 によりて反噬 の力 を奪 ひ或は之
むべき天与 の使命を有す
鞭 打ち、 マツ ロハサルを マツ ロハセ以 て道義世界 の完成 に偕行せし
つ外 に寛仁以 て他民族を指導誘掖 し、其足らざ るを補 ひ努めざ るを
実 に我大和民族は内 に優秀 なる資質と卓越 せる実力 とを包蔵し つ
皇道 を基調 とす る独立国家 として之 を育成す るに存す
満 洲国経営 の根本理念は権益主義即ち強権 に依 る搾取思想を排し
世界史的発展過程 に於ける第 一段階 に外ならず
満洲建国 は八紘 一宇 の理想 を顕現す べき使命 を有す る大和民族 の
独り 皇道 に依 る我帝国 の世界政策 にのみ燦然 たる光明を認む
(昭和 十 一年 九 月十 八 日
満 洲 国 の根 本 理 念 と 協 和 会 の本 質
植
板 垣 征 四 郎
皇帝 に関す る事項 は機密 の儀と承知相成度
本精神を部外者 に伝 ふる場合は其人と其処 とに応じ特 に慎重 の用 語 を以 てし就中 昭和十 一年 九月十 八日 関 東 軍 参謀 長
満 洲 国 の根 本 理念 並協 和 会 の本 質 に関 し 茲 に永 久 に之 を闡 明 す 昭和十 一年 九月十 一日 関 東 軍 司 令官
一、満洲建国 の世界史的意義 階級闘争を手段 とす る蘇聯 の世界政策 と資本主義を基調とす る英 米 の世界政策とは共 に其内在的矛盾 に依り幻滅 の 一途 を辿 るの時 、
満洲国建 国精神 とは究極 する所 、日満 一徳 一心、民族協和、王道 楽土、道義世界 の実現を理想とす る 天皇 の大御心に外 ならず 三、天皇 と軍司令官と皇帝 と の関係 満洲国 は叙上 の建国精神並建国 の歴史 に鑑 み恰も天皇 を大中 心と 天皇 の大御心に基き帝位 に即きたるもの
す る皇道聯邦内 の 一独立国家なり 満洲国皇帝 は天意 即ち にし て皇道聯邦 の中 心た る 天皇 に仕 へ 天皇 の大御 心を以 て心と す る ことを存位 の条件となすも のなり、永久 に 天皇 の下 に於 て満洲国民 の中心となり建国 の理想を顕現す る為設 けら れたる機関なり (其状宛も月 が太陽 の光 に依り て光輝を発す る
軍司令官 が 天皇 の大御心を奉体し永久 に満洲国指 導 の重任 を負
ふべき こと正 に前述 の如し、然 れども政治 、経済等 の細部に亘り自 ら之 を指導す るが如 きは好 みて之を行ふも のに非ず、将来軍司令官
の心 を以 て心とする強力 且公正な るも のを発見 したる場合 に於 ては
軍司令官は其大綱 を把握し政治、経済、思想、教化 の直接指 導は之
然らば如何なるも のに之 を期待すべきや、真 の協和会員よりなる
を通 じて行 はしむ るを理想 とす
を問 はず民族 の如何 を論 ぜず建国精神を体得 し皇道宣布 に身命 を惜
政府並協和会 の各主 脳者即ち是な り、真 の協和会員とは軍、官 、民 まざ るもの是なり
簡抜訓練し其精鋭分子を政府、民間 の要路に配置 し得 れば軍司令官
従 つて各民族を通じ真 の協和会員たり得 べき資質 を有す るも のを
天皇 の大御心を以て心 とせざ るに至るが如き場合 に於 ては天意 に
は安 んじて軍事 に専念 し つつ沈黙 の威信を以 て満洲国指導 の実績を
に似 たり)従 つて万 一皇帝 にし て建 国 の理想 に反し より即時其地位を失 ふべきも のな ると共 に他面民意 によ る禅譲放伐
を思想的 に、教化的 に、政治的 に実践するも のは協和会なり政府 は
建国精神 を政治上 に発動顕現 せしむ るも のは満洲国政府 にし て之
関東軍司令官なり
建国精神具現 の核心は 天皇 の大御心を奉じ満 洲国指導 に任ずる
五、軍司令官 と協和会 と政府と の関係
収 め得 べし 天皇 に在り皇 帝は皇
満洲国 が日本と不可分 の独立国なる真義 上述 の如し、従 つて満洲
も亦許 されざ るも のとす 国 の宗主権 は実質 上皇道聯邦 の中心たる日本
道聯邦内 に於ける 一独立国家 の主 権者たるべく、関東 軍司令官 は 日満両国 の間固 より条約其他 の関 係により律 せらるる所 あるも満
る協和会精神 の体得者即ち真 の協 和会員 たるべきものなり
建国精神 の上 に築 かれたる政治機関 にし て其官吏 は正 に最高熱烈な
天皇 の御名代として皇帝 の師傅たり後見者 たるべきも のなり 天皇 の大御 心を奉 じたる軍 司令官 の内面的指
従 つて協 和会は政府 の従属機関 に非ず 、又対立機関 に非ず 、所謂
洲国 の育成は本質上
﹁求む ることなき絶 対愛﹂を以 て政府を抱擁す べき精神的母体 なり
導 に依 るべきものにし て、日本政府 の国務大臣が輔弼上 の責任を以 て之を指導す るが如きは独 立国家 として育成すべき理想 に反す るも
六、満洲国政治 の特質
のなり 四、満洲国内面指導 に関す る軍司令官 の任務遂行
に於 て思想 的、 教 化 的 、 政治 的実 践 を生 命 と し 建国 の天 業 に参 与 し
るも のな り 、即 ち 其 発 達 の過 程 に鑑 み協 和 会 の重 大 な る 一使 命 は 各
克 く 大和 民族 を中 核 と す る各 種 民族 合 作 の独 立 国家 建 設 に貢 献 し た
一、満洲国 に於 ては議会政治を否 定す 議会中心政治 は民主政治なり、満 洲国 は 天皇 の大御心に依 る道
民 族 間 に道 を同 う し 義 を倶 にす る者 を獲 得 し 、 扶植 し 、拡 大 し以 て
義世界創 建 の第 一歩的顕現な り、従 つて民主的 、唯物的、西 洋的政 治 に堕し易き虞大 なる議会政治 は満洲国 の本質上之 を採用すべきも
真 の民族 協 和 を実 現 す る に存 す
野 に局 限 せ ら れ満 洲 国 育 成 の全 面 に及 ば ず 、 従 つて真 の協 和 会 員 が
に期 待 し得 る も の に非ず 、蓋 し官 吏 は其 触 る る所自 ら官 治 行 政 の分
而 し て満 洲国 に於 け る独創 的 王道 政 治 の完 成 は単 に官 吏 の み の力
のに非ず 階級専制 的 ﹁ソヴ ェート﹂政治又は武権専制的中国政治等は共 に
政 府 に入 り官 吏 と し て統 治 の任 に当 る と共 に又 真 の協 和 会 員 が野 に
二、満洲国 に於 ては専制政治 の弊を排 す
を生命とし指導原 理とし、之 を熱烈 に実践す る真 の協和会員 を民衆
意 を 政治 上 に反 映 せし む ると 共 に民 生 の内 部 に滲 透 し民 衆 生 活 を 向
在 り て 民衆 を指 導 し被 統 治 の立 場 に於 て民 情 を未 発 に察 し正 し き 民
道義国家 の運営 に即 せざ るものなり、満 洲 に関す る限 りは建国精神 の指導者として民族協和王道楽土を実現せしむべき独創的王道政治
に此 に存 し直 接 政 治 す るを目 的 と せず 、 政 治 を 生 む を理 想 とす 、従
上 せ し め真 の王 道 楽 土 を 実現 せざ る べ からず 、協 和 会 の期 す る所 正
を採用す
つ て協 和 会 は政 権 獲 得 を 目標 と し て党 利 党 略 に趨 る が如 き 現 存政 党
三、王道政治とは何 ぞ 王道政治は哲 人政治 なり、支那旧来 の王道思 想に非ず し て
せ ざ る所 にし て又 満 洲 国 に関 す る限 り協 和 会 を 以 て唯 一永 久 の思 想
成 せ ん とす る建 国 団 体 な り 、即 ち結 合 す るも 私 せず 、 実 践 す るも偏
義 務 に非 ず 、国 民 自 体 より湧 発 す る精 神 によ り偕 に自 己 の国 家 を完
協 和会 は其 主 張 す る所 権利 に非 ず 、 其 実 践 す る所 法 に縛 ら れ た る
とは 断 じ て其 軌 を 一にす べ か らず
天皇 の大御心を顕現す べき意義を有す、支 那に於 ては堯舜以来 王 道政治論 のみありて王道政治存 せず、是 れ真 の哲人なき に依る 現下関東軍司令官 が満洲国 に於け る王道政治 の中心 たる真義は軍 而 して此 の公人的哲 人を中核 とし思想的、教 化的、政治的実践を
司令官 が 天皇 の大御心 を以 て心とすべき公人的哲人な ればなり 以 て満洲建国 の理想を実現す べき哲人的組織 体たるべきも のは実 に
的 、 教 化的 、政 治 的 実 践 組織 体 と なす 所 以 な り
国 外 に退 去 せし む べく 、 又政 府 にし て之 に反 す る も の は 一日 も其 存
ん、 若 し 夫 れ官 吏 にし て此 の理念 に反 す るも のあ る時 は宜 し く満 洲
職 を満 洲国 に奉 ず るも の誰 か建 国 理 想 の実 現 を冀 はざ るも のあ ら
協和会な り 協和会 は旧東北軍権 の暴政 に対す る三千万民衆 の反 撥 に胚 胎 し
在 を 許 す べ か らず 、 真 の協 和 会 員 が政 府 に入 り 又 は野 に在 り て政 治
七、協和会設立 の歴史並其意 義 ( 勃興 せる)満 洲青年聯盟及雄峯会となり次で国家 の機関たる自治
︹註 ︺
指導部等 の建国運動 となりて皇軍 の討匪に随伴 し軍司令官 の指導下
経 済 を指 導 し国 民 を 訓練 し建 国精 神 を以 て全 国 民 を動 員 す る時 王 道
八 、協 和 会 の将 来性
満 洲 国 は完 成 せ ら る べ し
満 洲 建 国 は 八紘 一宇 の理想 に基 き た る第 一段 階 な る こと前 述 の如 し、 従 つ て協 和会 の祈 念 す る所 は 其 第 一次 に於 て満 洲 国 の完 成 に あ り、 第 二、第 三 次 に於 て逐 次 支 那 に 、印 度 に、濠 洲 に 、西 比利 亜 に
実 に協 和 会 終 局 の大 使 命 は皇 国 の道 義 的 世 界 政 策 に随 伴 し之 に寄
同 様 の王 道 国家 を完 成 す る こと是 な り
天 皇 の大 御 心 を奉 ず る万 国協 和 会 本部 を東 京 に置 き 支部 を全 世 界
与 貢 献 す る に存 す
に分 派 拡 充 し皇 道 を 八紘 に光 被 せ し む る時 道 義 によ る 世界 の再 建 は
︹ 註︺ この箇所 は行間 にペ ン字 で書 かれている。
完 成 せ ら る べし
於第七十議 会説明資料
満 洲帝 国 協和 会 に就 て
(昭 和
一二、一、 九
軍 務 局)
申 し たな ら ば 、所 謂 欧 洲 大戦 後 に於 き ま し て我 日本 が国 際聯 盟 に於
六
満 洲 帝 国協 和 会 に付 き極 め て率 直 に申 上 げ ます 。
エット聯 邦 が巧 に各 種 の民 族 を統 制 し て居 る行 き方 に対 し て、 更 に
て提 唱 し た 民族 自 決 の提 案 に 対す る主 張 が洗 錬 せら れ 、或 は、 ソビ
やう に、 日満 の 一徳 一心 の関 係 を持 し て満 洲 国 は 、民 族 協 和 を 図 り、
と は何 で あ る かと申 せば 先 般 、 満 洲皇 帝 陛 下 が御発 詔 にな り ま し た
他 に海 外 経 略 上 重大 な る指 針 を 与 へるも の であ る、 従 つ て建 国精 神
だ と 、謂 へると 思 ふ の で あり ま し て、 是 は単 に武 力 的 乃 至物 質 的 の
一段 の皇 道 宣 布 、 日本 の肇 国 以来 伝 統 的 の道 義 性 を加 味 し た遣 り方
御 承 知 のやう に満 洲 事 変直 前 の我 国 識 者 の声 とし ては 、満 蒙 は我
を基 調 と し て満 洲 問 題 の解決 と 云 ふ こと を 考 へら れ た。
国 防 上 の第 一線 で あ り、 又所 謂 帝 国 の生 命 線 であ る と力説 せ ら れ之
偶 々九 月 十 八 日 の事 件 突 発 に依 り所 謂 関 東 軍 の自 衛 権 の発 動 を皮 切 り にし て、満 洲問 題 の根 本 的解 決 が急 速 度 に回転 し た。
之 に依 つて王 道 楽 土 を建 設 し 、 道 義 に立 脚 し た 道徳 的 な国 家 を建 設
当 時 の態 度 は 、要 す る に、 支 那本 土 と宗 主 権 を絶 つて茲 に共存 共 栄 の国 を捏 ち 上 げ な け れば 本 当 に満 洲 三千 万 民衆 は救 はれ な い。 我
就 中 、 民族 協 和 に依 る 王道 楽 土 の建 設 と 云 ふ こと は実 に前 古 未曾
し て行 く と 云 ふ こと で あ りま す 。
有 の重 大 な る政 策 であ る 。此 点 は協 和会 の将 来 に取 つ て 一つ の重要
日 本国 と し ても 国 防 上 の要 求 は 固 よ り 、所 謂 生 命線 と し て の確保 も
蘇 軍 のみな ら ず 支 那 軍 に対 し ても情 勢 の有 利 な場 合 に於 ても 、敢
困 難 で あ ると 云 ふ所 の非 常 に強 い決 意 で あ つた。
へて占 領 の手 段 を取 ら な か つた所 以 のも のは、 単 に国際 的 の事 を 考
な るポ イ ント とな る の であ る。
いと思 ふ ので あ り ます 。
と か、 日 満 関係 と 云 ふも のに 付 て、 新 し い観 方 をし な け れば なら な
此 意 味 に於 て満 洲 国 を 眺 め ま した 時 に、爰 に自 から 満洲 国 の建 設
慮 し た のみ で はな く 、寧 ろ満 洲 に於 て其在 住 諸 民 族 の協 和 を図 り 此
と の根 本 的信 条 に発 し た のに外 なら な い ので あ りま す 。
処 に共存 共栄 の独 立 国 と し て育 て上 げ る こと が最 も 賢 明 の方 策 な り
此 満 洲 を 民族 協 和 を 以 て道 義 的 に救 つ て行 くと 云 ふ こと は端 的 に
与 へるも ので、 徒 ら な る優 越 感 、 皮相 な る独 尊 振 り は断 じ て許容 さ
各 民 族 の特 質 を充 分 延 ば し て協 和 し得 る所 に実 に 重大 な る示唆 を
て如 何 に之 を 纏 め て行 く かと 云 ふ 民族 協 和 の問 題 は実 に重 大 な る問
扨 てか やう な関 係 に於 て考 へれ ば、 各 種 の民族 と 云 ふ も の に対 し
法 権 撤 廃 の条約 を結 びま し た時 にも 、建 国 の理 想 であ る 、民 族 協和
な り、 先 達 と し て此 処 に凡 ゆ る建 設 事 業 を や つ て居 る ので過 般 治 外
迄 官 憲 に対 し ては 、非 常 に畏怖 、 恐怖 し て居 り 支 那 には言 葉 の上 の
と に重 大 な る考 察 を加 へな け れば な ら ぬ と思 ふ。 現 に満 漢 人 は 今 日
め る 為 に は、 武 力 、官 憲 の力 のみに 依 て之 を 治 め得 べ き かと 云 ふ こ
万 人 其他 に漢 人 、満 人、 蒙 古 人 と 云 ふ者 が居 り ま す が、 之 を能 く治
今 日満 洲 に於 て日本 人 は 内 地 人 が 五、 六 十 万 人 、朝 鮮 人 が百 二十
題 であ り ます 。
即 ち 日本 人 も 、朝 鮮 人 も 、 土着 の満 漢 蒙 人 と同 じ く 、 官吏 で も、 公
王 道 政 治 と 云 ふも のは あ る が実 際 の王道 政 治 と 云 ふも のは今 日迄 の
今 日私 共 の満 洲 国 に対 す る立 場 は 民 族協 和 就 中 大和 民族 が中核 と
る べき では な い。
吏 でも、 其 他各 種 の業 務 並 に職 務 に平 等 に就 き得 る やう な形 態 に捏
状 態 に於 てな か つた と 云 ふ の が実 状 であ りま す 。 是 等 に対 し て如 何
にす るか 、 一旦緩 急 あ り ま し た場 合 に満 洲内 部 に於 け る治安 が維 持
れ、 あ の治 外 法 権撤 廃 条 約 の第 一条 には ﹁日本 臣民 ハ公 私 各種ノ 業 務 並 ニ職 務 ニ従 事 ス ル コト ヲ得 ﹂ と 云 ふ条 文 を 入 れ ら れた 次第 で、
に建 国 精 神 に目 覚 めた血 と な り肉 とな るも のを作 ら う 。 そ れ に は先
出 来 る か、 之等 の所 を 狙 つて茲 に何 か軍 、官 、民 が 一体 と な つて真
ち 上 げ て、 一つ此 際判 つき り さ し て置 く 方 が良 いと 云 ふ風 に考 へら
満 洲 国 に於 て日 本 人 は事 実 問 題 とし て は満 洲 国 に於 け る重 要構 成 要
づ 民 族 協 和 だ と い ふ の で所謂 日本 人 、 朝 鮮 人 、或 は其 他 の満 漢蒙 人
素 とし て、条 約 的 に も 、 凡ゆ る方面 に於 て大 体満 漢 人 と同 格 を 以 て、 自 由 な る経 済 活 動 が出 来 、又 政 治 的 の行 動 が出 来 る やう にな つた の
洲 の重 大 な る構 成 要素 と な つ て朝野 各 般 に亙 つて自 分 の識 見技 能 を
国 の軍 憲 、若 く は外交 、行 政 各 官憲 の保 護 を 受 け る ことな く 自 ら満
ます が、実 際 問 題 と し て 日本 人 は之 か らは満 洲 の中 に溶 け 込 み、 帝
分 な 、 国 務総 理 と か、総 務 庁 長 と か、 民 間主 脳 者 等 が如 何 に し て民
事 を為 す の であ る か、第 一は協 和 会 の首 脳部 即 ち建 国 精 神 の体得 充
協 和 会 の重要 性 があ る ので あ り ます 。 協 和会 は 、然 ら ば ど う 云 ふ仕
に拠 らざ る秩序 の整 頓 が出 来 る こと は極 め て好 ま し い こと で爰 に亦
ゝ本 当 の生 命 が流 れ てお り 、道 義 立 国 の国是 よ りす るも 、 法 令 のみ
の本 質 であ り ます 。 其意 味 に於 て観 察 した時 に 、協 和 会 と 云 ふも の
を結 び着 け る所 の或 何物 か ゞ要 る 、其 仕 事 を す る の が即 ち 此協 和 会
以 て其 使命 を開 拓 し 延 て以 て満 洲 の建 国 、 日 満 の関 係 を鞏 固 に基 礎
族 国 家 と し て保 つて行 く か 、 日満 の関 係 を如 何 に律 し て行 く か と 云
従 つ て日満 の関 係 は 、勿 論 条 約 其 他 に依 つ て律 せ ら る ゝ所 は あ り
で あり ま す。
で あ ると 思 ふ の であ り ます 。
き も の であ る。
ふ やう な こと を考 察 検討 す る。 之 れは 一種 の機 務 と でも 名付 け る べ
付 け て行 く と 云 ふやう な気 持 を 以 てや つて行 く と 云 ふ こと が第 一義
従 つ て、民 族協 和 の中 核 と し て真 に大 和 民族 が対 処 し て行 く為 に は、 亦尠 から ぬ努 力 を要 しま す 。
軍 た る と を問 はず 、建 国 の為 め の集 団 と し て、 手 を携 へて行 く と 云
第 二 は所 謂 真 の建 国 精 神 に目 覚 め た 人 々が民 た ると 、官 た る と、
謂 民 族協 和 を具 現 す る に適 は し い機 関 にな つて ゐ る の であ り まし て、
迫 す る と 云 ふ やう な こと で はな く 、誠 に融 々和 楽 の裡 に協 議 し、 所
此 協和 会 の協 議 会 と 云 ふも のは、 官憲 が権 力 を濫 用 し て民 意 を 圧
又 此協 議 会 を通 じ ま し て官 吏 の意嚮 即 ち上 意 下 達 も出 来 る訳 であ
す。
過 去 四年 の実 績 に鑑 みま し て、 満 洲 政 府 自体 が非 常 に喜 ん で居 りま
ふ こと で あ りま す 。 協 和 会 の会 員 が、 十 万或 は三 十 万 と 真 に出 来 た な ら 、 一旦緩 急 あ
りま す 。協 和 会 と 云ふ も のは官 、 民 、 軍 を問 はず 何 人 も会 員 とし て
る場 合 に於 ても 、 ど れ程 の力 にな る かと 云 ふ こと が考 へら る ゝ の で あ り ます 。 此 協 和 会 と 云 ふも のを 通 じ ま し て十 分 に同志 的 の交 りを
協 和 会 に依 つ て直 接満 洲国 の政 治 が動 く と い ふ の では あ り ま せん 。
入 会 し得 る の であ つ て、協 和 会 自 体 が直 接 政 治 をす る政治 機 関 と か、
全 く 満洲 国 独 特 の組織 と運 営 で更 に今 後 幾 多 の試 錬 を経 て洗 錬 さ れ
固 く し て 一つ の大 き な塊 り にし て行 き た い、 之 を協 和会 の会 員 獲 得
第 三 の問 題 は斯 う 云 ふ粒 撰 り の会員 獲 得 の他 に、 一般 に満 洲 国 の
運 動 と言 つて居 る。
建 国 の精 神 で あ ると か、其 他 の事 を 理 解 さ せ ると 云 ふ協 和 運 動 があ
て参 り ます 此協 和 会 の運 動 と 云 ふも のは所 謂 ナ チ ス、或 は フ ァ ッシ
従 つて協 和 会 と 云 ふ も のは 満 洲 国 の民 族 協 和 の政 治 理想 を 生 む も
裁 は あ つて も、 単 一専 制 はな く 、 充分 民意 を反 映 す る 。
ョと 云 ふ やう な も のと は自 ら 異 な る も ので あり ま す 。機 構 によ る独
る。 尚 此外 に協 和 会 の問 題 とし て協 和会 員 自 ら が満 洲 国 の統 治 に服 し 、 行 政命 令 を遵 奉 し 、自 ら が良 好 な る模 範 を示 す と 共 に、其 命 令 を 通 じ て自 分 の実 生 活 や見 聞 から 民情 を 予察 し之 を 夫 々協 和 会 の中央 地
り ま せ ぬ。 其 辺 がど う も世 間 に誤 解 さ れ て伝 へら れ る のでは な いか
の では あ りま す が、直 接 政 治 其 のも のを目 的 と し て居 るも の では あ
又其 長 を取 つ て採 用 し て貰 ふと 云 ふ やう な作 用 があ る 、之 を協 和
一の母体 と も見 るべ き です が決 し て対 立 す べき も ので はな い ので あ
と 考 へら れま す 。 即 ち建 国 精 神 の上 よ り見 れば 協和 会 は全 く 政府 の
方 の中 枢 部 と か、或 は順 序 よく 官庁 に進 言 す る。
会 に於 て は所 謂 民意 暢 達 と 云 ふ風 に言 つて居 る。 其 民意 暢 達 の具 現
る かと申 し ます と 、満 洲 は申 す 迄 もな く 日満 一徳 一心 の関係 に あ る
扨 て関 東 軍 と か 、満 洲 政 府 と 云 ふ やう な も のは どう 云 ふ作 用 をす
ふや うな も のが恰 好 のも のであ る 。
のは 百害 あ つ て寧 ろ 一利 はな く そ れ を予 防 す る上 か ら も協 和会 と 云
殊 に今 日 の事 態 に於 て政 権 争 奪 をす る 一種 の政党 と 云 ふや う な も
り ま す。
の 一つの方 法 と し て は、 全 国 の省 、縣 と 云 ふも の に所 謂 協 議 会 と 云 ふ も の が あ る。 即 ち専 制 政 治 の弊 に陥 ら ぬ必 要 が あ り ます の で特 に 之 等 の利 用 を 巧 な ら し め 、官 民 が会 合 を し て悠 々和楽 の裡 に協 議 を
例 へば 、 省 へ上 げ る も のは 省 へ提 出 し、 縣 で消 化 す る も の は縣 で
し 、其 処 に樹 てら れ た案 件 等 に付 て審 議 をす る。
と 云 ふ も の が其 処 で消 化 さ れ て居 る ので あ りま す 。
消 化 す る。 詰 り 各 地方 毎 に特 色 のあ る所 のも のが あ つて政 治 の実際
皇 帝 を中 心 と し て組 織 さ れて を りま す け れ ど も、 所 謂 日本 の皇 道 宣
は満 洲 政 府 は飽 く 迄 独 立満 洲 政 府 であ り 、軍 事 機 関 は飽 く迄 軍 事機
国 政 府 と か軍 と か 云ふ も のと自 から 衝 突 し て来 る。 政 治機 関 とし て
関 で あ る。
布 の原 動 力 と し て 、 日本 側 に於 て顕 現 補 導 し ます の は軍 司令 官 でな け れ ば具 合 が悪 いと 云 ふ こと は官 民 斉 し く認 め て居 り、事 実 問 題 と
軍 司令 官 は皇 威 を発 揮 致 す指 導 の中 心 であ る が、 併 し決 し て之 が
あ り其 会 員 は自 浄 自 戒 、真 に活 模 範 を 示 し て こそ、 政 府 の精 神 的 母
に協 和 会 は道 義 を基 礎 と す る民 族 協 和 の具現 に於 て第 一義 的 存 在 で
協 和 会 は協 和 運 動 に於 け る色 々な る方策 で あ る訳 であ り ます 。殊
軍 司令 官 が表 に立 つて満 洲 国 の独立 性 を侵 す や う な ことが あ つて は、
体 と もな り得 る の で、之 に依 つて野 望 を制 し法 制 万 能 の社会 を救 ふ
し て此点 に兎 角 の論 をす る人 は な い の であ り ます 。
是 は断 じ て間 違 であ り ます 。 満 洲 国 は畏 く も 日 本天 皇 陛 下 と 一徳 一
こと も出 来 る次第 であ り ま す 。
し て干渉 し過 ぎ ると 云 ふやう な こと も多 少 あ つた の であ り ます が大
き も ので も あり ま せ ぬ。
に代 る と か何 と か 云 ふ こと は 全然 な いも の で、 そ んな 事 が出 来 る べ
問 題 を捉 へる時 に常 に妙 味 のあ る所 で あり ま し て、 日本 に於 て議 会
協 和 会 の本質 と い ふも のは 民族 と い ふ こと で満 洲 に於 け る特 殊 の
心 の関 係 に於 て天 命 を享 受 し給 ふ皇 帝陛 下 を 中 心 と し て儼 乎 た る独
体 に於 て満洲 国 の方 面 に非 常 に活 動 を促 し つ ゝあ る。軍 は暗 黙 の威
立 国 であ る、知 らず識 らず の間 に満 洲政 府 な り 群 小機 関 の仕 事 に対
力 を保 持 し て成 る べく な ら ば 、政 治 経 済 に は余 り直 接 的 に手 を出 さ
殊 に満 洲 に於 け る複 合 民 族 の協 和 に成 功 し ま し た な らば 、 軈 が て
に其 目 的 を 理解 せら れ て、 苦 心 の存 す る所 を 諒 と せ ら れ た い次 第 で
東 亜 の安定 、延 て世界 の民 族 問 題 の解 決 に寄 与 す る こと重 大 で、真
ぬ方 が宜 い。 斯 う 云 ふ風 に考 へて居 る 。
あ りま す 。
思 想 教 化 方 面 、民 族 協 和 の具 現 は、 寧 ろ宜 しく そ れ に適 は し いも のに其 事 を譲 り 、其 者 を 以 て活動 さ せ る。 そ こに政 府 、協 和 会 と云 ふも の のそ れぞ れ の分 野 があ る 訳 であ り ま す。 殊 に四 隣 の関 係 上 特 に第 三 イ ンタ ーと か、 中 国 国 民 党 と か其 他 の思想 的 攪 乱 の多 い情 態 に於 て特 に恰適 な組 織 活 動 を 要 す る の で あ り ます 。 従 つ て理想 から す れ ば建 国 精 神 の体 得 者 、 総 てが協 和 会 員 と な る こと であ り ます 。所 が之 が往 々逆 に伝 は り ﹁協 和 会員 に非 ず ん ば満 洲 国 民 に非 ず 。 協 和 会 員 に非 ず ん ば満 洲 か ら 退 去 せ よ。﹂ 斯 う 云 ふ やう な こと を言 ひ触 ら す 向 が ある が協 和 会 員 た らず んば 一 歩 も満 洲 に入 るべ か らず 。 退 去せ い と 云ふ やう な こと に なる と満 洲
要
七
旨
関東軍司令部)
たるの地歩 を維持 し皇軍 の存在 は実質 上満洲国建国完成上 の骨幹
頼竝其有す る機能 は満洲国 に対し依然 として指導者とし て最適者
(昭和 十 二年 四 月 二十 二日
満 洲 国 の内 面 指 導 に 付 て
満洲国 の指 導は帝国 の対満政策遂行 の基本国策竝統帥 上の要望 に
を形成 しあり。
満洲現下 の主た る構成分子 たる満、漢 、蒙各族 は其習性上動 も
実際上 の必要 に基 く理由
則り条約協 定等を基礎 とし全権大使 若くは軍司令官 を通ず る公式若
二
の行 ふ内面指 導とに明別し得べく、前者 に於 ては全権大使 と軍司令
くは秘密 の指 導と、建国 の経緯竝実際上 の必要 に基 く関東軍司令官
す れば比隣 の策謀と相侯 ち離間中傷を事とし易 く之 が指導 に当 る も のは常 に強力な る威力 を把持し其内部的策動 を監視し恩 威竝施
官と の兼任 に依 り国務と統帥と の調和を図 り其運用 の全 きを期し、
し適時適切な る措置を講 じ得 るも のたらざるべからず殊 に現下治
途 の指導 を以 て之等を国防治安上 の要求に帰 一せし め、始め て満
安 の情況 と隣邦 の情勢 は政治、外交、軍事、経済等各般 に亘り 一
後者 に於 ては帝国 の対満基本国策 に照応 し関東軍司令官満洲国 の育 明
成 に任じあり。 説
蹶起したる在満邦人 が関東軍指導 の下 に勇躍建 国 の事業 に参加し
一 建 国 の経緯 に基く理由 満洲国は当初関東軍 の恩威に共鳴帰服した る満洲人竝之 に協力
指導 を必要 としあり。
の政治意識民度文化 の程度 に鑑 みるも強力なる武力 の背景 に依 る
関東軍司令官をし て指導 せしむ ること絶対に必要 なり又満漢蒙 人
意 を徹底 せしめ得 べく、即現下焦眉 の急務たる国防国家 の建 設上
一、内面指 導を関東軍司令官が行 ふ理由
所謂民族協 和 の国家を結成したるも のにし て満 洲国 の首脳部 は関
三
洲現下 の情勢 に適合せる国務 の円滑な る進行と日満共同防衛 の趣
東 軍を産 の親 とし事実上 の支柱 として信頼し進 で其指導 に服 しあ
制度上 の理由 り皇 帝又歴代関東軍司令官 を師傅 とし其輔導 を受 け、軍 の威武信
国家として其健全な る発達 を促 しあるも のにし て実 に前古類例な
を顕 現すべき 一段階 にし て、之 が為満洲国は帝国 と不可分 の独立
他は以て民族問題 を解決 し延て東亜 の安定を策 し八紘 一字 の理想
す るも のありと雖国防上 の要求 を主体 とし運営す ること妥当且効
二
為全権大使 は関東軍司令官之を兼任する こととなしあり。
せら るるを制度 上 の立前とし、国務 と統帥と の調和 に便 せしむる
弼 の責 に任ず)若 くは統帥系統 より関東軍司令官 を通 じ発動顕現
き創造 なり。従 て満洲国 の育成指導方式 は保護国的色彩若くは属
任事項 とし て之 を確諏 せられあり。尤 も、此場合満鉄等 が委託経
果的 にし て日満議定書附属 の秘密交換公文 としても軍司令官 の担 、
抑満 洲国建国 の意 義たる、 一は以 て帝国国防 上の要求を充足 し、
領的取扱 を避 け飽迄其独立 の面目 を尊重し内面的 に行 ひ国家理想
営す る件に関 しては主管大臣 の認可事項 なるも其官制上 の監督 作
鉄道水路航空等 の管 理権 の行使 の如 きは其或部分は国務 に属
の達 成を容易 ならしむるを以て基本と せざ る可らず。従 て内面指 導は国務輔弼若くは統帥輔翼 の範域を離 れたる事実上 の必要 に基
用 は其内容 に及ばざ る如く指示せられたり。
輔弼若くは統帥輔翼 の帝国制度上 の責任 に於 て実行す るときは総
のあるも、勿論条約協定 の締結 に関す る限り外務大臣等関係大臣
官﹂な る名称は内容 上国務系統 に置き換 へられたりと解釈す るも
之等 に関し枢府及外務省等 の 一部 には条約協 定公文上 ﹁軍司令
任 に当らしめあり。
洲 の内面指導 と密接 不離 の作用あ るを以 て之 亦軍司令官をし て其
動 にあらず満 洲国育成上 の必要よりす る日本側 の指導権 にし て満
又日本人官吏 の人事推薦権 の如 きは所謂憲法 上の任命大権 の発 、
く行為にして、実際上最適 の地位 に在 る関東軍司令官之 に任ず る も毫 も憲法上 の制度を紊 さざ るのみならず 却 つて満洲国建国 の根 従 て関東軍司令官 の内面指導 の事実 を認め、陸軍中央出先密 に
本義 に透徹す るも のと謂 はざる可 らず。 連絡し て要す れば国務と の調和 を図 れば可なり。
督政府となさざる限 り悉く之等 を条約上 に根拠を求 め、自ら、細
制大権上 の軍司令官 にして条約協定 の明文に従ひ軍司令官として
若し夫れ政治、外交、軍事 、経済等万般 に亘 る内面拍導 を国務
部 に介 入拘束す るに至 る虞 ある のみならず、其是非 を議会 に於 て 論議し責任 の帰趨上遂 に満 洲国 の独立性を著しく減殺 し其健全な
の責任を有す。 三
之 に反 し帝制時 に於 て取扱 はせる交換公文 に基 く外交協議権、
の輔弼行為 たるも協 定公文上の ﹁軍司令官﹂は飽迄統帥大権、編
る発達を妨 げ我対満国策 の根本精神 に背馳す るに至 るべし。
若 くは条約上満洲電信電話会社 の監督権或は治外法権撤廃第 一次
二、条約協定等 を基礎とする指導 一
の作用とし て外務大臣又は内閣総理大臣が夫 々全権大使 を通じ権
条約上 の協 議事項等 の如 きは其協定 の性質 に基 き秘密若くは公式
以上説 明す る内面指 導 の外我対満政策 の遂行は公式若くは秘
密 の条約協定等 を基礎とし、公然若くは秘密 に行ふ方式 あり。之
限行使を行 ひ之 に伴 ふ責 任を有す而 して之等条約協定 は満洲国助
等は其運用に方 り事 の性質 と内容 とに応じ主として外務大臣 より 全権大使を通 じ (日本国内問題 としては主管に従ひ各国務大臣輔
日満経済共同委員会 の如 きは国際会議とし て両国各 々自国委員
成 の根本義 に照し飽迄表面上対等関係 を有せしめあり。 を監督 し日本側 にありて条約 上の運営は外務 大臣之 を主管し内容 の内容 に応じ責任を分担 しあり而し て之等 は全権大使を通じ発動
的 には閣議諒解 に基き対満事務局調整 に任 じ各主管大臣は夫 々事 す るも関東軍司令官 の行 ふ内面指導を毫末 も否定す るも のにあら なり。
ず寧ろ之 と表裏 一体 の作用 をなし て其運用 の円滑 を期し得 るも の 四 統帥事項等 にして守勢軍事協定等 に率由し満軍を指揮指導す べきも のは陸軍中央部 の方針指示に基 き関東軍司令官に於 て適正 な る指導 をなしあるも国防治安 に関す る軍司令官 の内面指導 を否 定するも のにあらず之亦内面指導 と相俟ち表裏 一体 の作用 をなし 言
て円滑 なる運用を期しあり。 三、結
之 を要す るに軍司令官 の行 ふ内面指導は全く建国 の経緯と実際上 の必要 とに基く事実行為 にして指導適任者は軍司令官 を措 いて他な く其指導 の緩厳程度は 一は当時 の客観的情勢に従 ひ取捨すべく就中 満洲国 の健全なる発達 に伴 ふ日満共同防衛 上 の鞏化 に従 ひ逐 次其大 綱 に留め究極暗黙的威力 のみを以 て足る に至 るを理想とすべく条約 協定上 の指 導と表裏 一体 の作用を以て其運 用の適正を期し得 るも の なり特 に条約協定 の公式正文は独立国家 としての体面を尊重し対等 関係を以 て律 しあるもの多く秘密協 定 の運用 に於 ても所謂内面指導 を伴はざれば其効果 を期待し難く之が為関東軍司令官 が全権大使 を 兼任し之等 の調和 を図 るの要絶 対に必要な る所 以なり。
而 して帝国国内制度上 の問題としては条約協定上 の示す範囲 に於
て夫 々関係当局 に責任行為を伴 ふに過 ぎざ るなり。
八
無題 ( 満 洲国 に 対 す る政 治 干 与撤 廃 要 綱)
(昭和 十 三年 六 月
得 る企劃 統制機関 の整備
2、特種会 社を確実 に掌握指導し以て五ケ年計画 の遂行を担任し
石原少将)
新指導勢力 の見 るべきも のなきも政治 の推進力と称 せら るる軍部亦
3、新教育制度 の方針 を強行拡大し官吏 は満洲国内 に於 て補充す
合作社棉花会社等農務関係事項
世に示す べき具体案なく軍部横暴 の声天下に満 つ今後 の革新は 一に
る主義を確立す。
自由主義政党其指 導力 を失 ひ皇国累卵 の危殆 に瀕 せる時我関東軍
国民 一致の奮闘 に待 つべく軍 は其本然 の任務 に復帰す べき時 来れり
4、官治と自治 の範囲 を具体的 に決 定す。
警務問題 ( 特 に日系警官問題)
と信ず 世に先 んじ て兵を進 めし関東軍は此際世 に先 んじて鉾を収む
は止 むなく満洲建 国 の第 一線 に立 てり今日自由主義政党 に代 るべき
べきなり即ち成 るべく速 に軍 の満洲国政治 に関する干与 を撤回する
大す。
官治 の範囲は必要 止むなきも のに制限し協和会 の活動範 囲を拡
5 、行政機構を極力単純化し且地方官 の裁 量範囲 を拡大す。
為め左の要領 により逐次第 四課業務 の縮少を計 る予の信ず る所 によ 一、国策決定機関 の整備
はざ るべからず。
此改革 の為給与制度 の根本的改変 を行 ひ日系官吏 の大整理を行
れば三年以内 に第四課を廃 止し得 るに至 るべし。 協和会 々長 の下 に中央委員 を組織し其訓練、活 用により逐 次国策 決定 の能力 を獲得 せしむ。 二、重要問題 につき満洲国側と の間 に根 本的諒解 を図 り其諒 解成り 1、緊急 を要す る事項
し部面 より逐次干与を撤 収す。
土地問題
九
に統制 せら るべきも のとす。
石 原 少 将)
其根本 たる国策決定 の為 めの企劃機関たる此機関 を中心とし有機的
(昭和 十 三年 六 月
関 東 軍 司 令 官 の満 洲 国 内 面 指 導 撤 回 に 就 て
甲、国策決定機構 の整備
四、右国策 決定諸機関 の成立を約 一ケ年 と予定 し関東軍は内面指導
一、協和会会長 の下 に協和会 及政府首脳者竝民間に於 ける協和会員 の先達即ち協和会 の中枢者 を以て中 央委員会 ( 仮称) を組織し国策
五 ケ年計画成功 の為 めには統制経済 の運用 を尤 も合理的ならしめ
一、速 に統制経済指導機関 の再組織を必要 とす。
着意 すべき事項
乙、満洲国 の政治を建国 の理想 に遇進 せしむ る為
決定機関た る機能 を十分発揮し得 るに至 るべき ことを予期す。
の範囲 を整 理し つつ逐次此機関を通じて之 を行 ふ、三年以内 に国策
山 口重次氏 ﹁協和会指導要綱案﹂ には中央 本部委員会をし て此
の決定 に当らしむ。 任務 に当らしむ ることとなしあるも中央本部委員会 は協和会 の会 策決定機関とし別 に此機関 を設く るを可とするにあらず やと の研 究 に到達せり。
ざ るべからず在来幾多 の努力を払 ひたるも未 だ特殊会社を統制指導
︹ママ︺ を推挙す数年後少壮有為 の国務総理就
す るに堪ゆ る実質的機関 なく軍 の断片的干捗 は危険性甚大なり此際
二、会長は差し当り
任を機とし再び会長 を兼任す。
山 口氏 ︹ 協和会指導要綱案﹂ の盟邦国家団結 の条件た る ﹁ 行政 の
二、民心安 定 の為満洲色豊 かな る行政を行 ふを要す。
遅くも 一年 以内 に該機関 の成立を期す。
導を撤収するを要す。
全力を傾注し て速 に信頼す べき機 関を成立 せしめ軍は先づ経済的指
三、会長 の下 に企劃機関 を設く。 建国大学に大同学院 を合併 して事務官養成機関 となし大同学院 は 協和会 に帰属 せしめ目下建国大学研究院 の為招聘 せる若干教授 を収 容し逐 次教授 ( 東亜大同 の同志的学者)講師 ( 天才的学者を広 く世 の為 め の企劃機関、協 和会中央本部 の会策決定 の為め の企劃機関 は
界 に求 む)及研究生 を集め企 劃機関 の中核 たらしむ政府 の政策決定
独 立 ﹂ を完 か らし む る方針 の下 に行 政 官 吏自 給 自 足 の方 策 を確 立 し
就 かしむ。
3、国民学校 を卒業 せるも のは協和会 の力 により全部勤労生活 に
イ、農業科 は生徒 の約半数 の労力 に応ず る田畑を附属 し之 に農
に改造す。
4、国民高等学校 は成 るべく速 に真 に勤労主義教育 に適す るもの
学校 に入校 せしむ。
爾後若干年 の成績 により主 として協和会 の推薦に基 き国民高等
て徒 に内 地 模 倣 の弊 風 を 一掃 し行 政 を満 洲 の情 勢 に適応 す る も のた ら し む る こと は民 心安 定 の根 本 にし て又関 東 軍 が内 面指 導 を撤 回 し 得 る に至 る 一大 条件 な り。 将 来 日系 官 吏 は勿 論 建 国 大 学 学 生 等 は在 満 日本 人 特 に青 少年 義 勇
る為 め に も尤 も肝要 な り。
軍中 よ り募 集 す るを本 則 とす るを 要 す 満 洲 国新 学 制 の主 義 を強 行 す
村的 なる寄宿舎及職員官舎を建 つ生徒 は交互 に半数 は耕作等 に
ロ、工業科 は通常特種会社等 の工場 に附設し生徒 の約半数 の勤
優秀 なる篤農家 を選定す。
職員 は少数 の学科を担当す る者以外主とし て其 地方 に於 ける
従事す るものとす。
新 学 制 の強 行
労 に要す る設備 を有 せしむ教育 は主 として其 工場 の技術者 を以
行 政 機 構 の簡 明化
官 治 の制 限 、自 治 の拡 大
新 学 制 の強 行
三 、更 に進 ん で昭 利維 新 の先 駆 た る為 次 の三件 を重 視 す るを要 す 。
一
今 日 日本 に於 け る 不安 の最 大 原 因 は学 校 の無 計 画 な る 濫 造 によ り
ハ、商業科亦右 に準ず。
て之 に充 つ。
5、高等国民学校 を卒業せば 一部 は建国大学、師導 大学、陸軍中
驚 く べ き大 量 な る失業 智 識 級 の汎 濫 なり而 も無 批 判 な る学 校尊 重観
央訓練所等 に入校す べく主 力は再 び其職業 に つき下級指導者 とな
念 骨 髄 に徹 せ る日満 人共 に新 学 制 の重 大意 義 を解 せる も の甚 だ鮮 少 な り国 民 学 校 にま で日本 教 師 の多 量 輸 入 を計 る が如 き唯 驚 愕 の外 な
学 校 教 育 は国 家 が 必要 と す る指 導 者養 成 を目 的 と す 。
1 、 教 育 、 修 養 は全 国 民 の全 生涯 を 通 じ て行 は るべ き も のに し て
ら街頭 に進出し て社会教育に参加 す。
に応 じて有為 なる各方面 の指導者 を集 め政治的訓練 を行 ひ時 に自
6、大同学院 は協和会 に属し前述 せる研究調査企劃 を行 ふ外必要
は池本氏案 による)
大学 の制度 は前項 の主旨を更 に徹底 せるも のと す。( 農業大学
高級指導者 の候補者た るべき教育 を受く。
る。爾後特 に適任 なる優秀者は農業、 工業等 の大学 に入校 せしめ
し。 各 種 の方 法 を以 て内 外 に対 し 宣 伝 を行 ひ新 制 度 の主旨 を 更 に拡 大 強 行 す る こ と尤 も緊 要 なり 新 学 制 は 正 し く満 洲 国 の試 み た る革 新 的
2 、 国 民 学 校 は父 兄 の生 活 よ り 飛 び離 れ た る如 き 設備 を厳 禁 す 、
制 度 の殆 ど 唯 一のも の と称 す べし 。
特 に農 村 に於 て然 り。
7 、以 上 諸 学 校 の学 生 生徒 は 凡 て官 費 とす 。 8 、 日本 人 の組 合 学 校 は当 然 日僑 の為 め の学 校 に し て満 洲 国 人 た ら ん とす る は満 洲 国 の学 校 に修 学 す る に至 る べし 。
ロ、 民
生
部
内務行政全般 を担任す る為産業部経済部及治安部業務 の 一部 を収容す。
即ち統制経済方面は国務院自 ら全国特殊会社 を指導し て之 に当
り内務行政は各省長 に広範囲 の独断権を与 へ各地方 に適す る行政
又 日本 留 学 生 は 自 然技 術関 係 に限 定 せら る べし 。 9 、国 家 は力 を 尽 し て各 方面 の学 徳 優 れ た る人 物 を優 遇 し所 在 塾
に徹底 せしむ、省 の数 は若干増加す。
省長縣長 には文功章 を援く る権を与ふ。
て特任を以 て遇 する ことあるべし。
らしむ省長は主義 として特任官 とし縣長亦特 に優秀者 には時 とし
4、地方長 官即 ち省長縣長 を尊重し適任者 を長年月其位置 に留 ま
賞勲局は宮内府 に入る。
3、軍政部は宮内府 と共 に皇帝 に直属す。
人材 を求む る為簡任官 にても足 る。
各部大臣は行政長官 にして副署を行はず 、要す れば少壮有為 の
を開 か し む国 民 は其 好 む 所 に 従 ひ師 を求 め 終 生 修 養 を続 け以 て有
官 治 の制 限 、 自 治 の拡 大
為 の国 民 た る こ と に努 力 す べ き も の とす 。 二
日本 に於 け る失 業 智 職 階 級 の汎 濫 は官 僚 政 治 の範 囲 を 必然 的 に拡 大 し つ つあ り。 満 洲国 に於 て官 治 は主 義 と し て国 家 権 力 を必 要 と す る治 安 、 裁 判 、 徴 税 及統 制 経 済 の範 囲 と し 其 他 は成 る べく 協 和 会 によ る自 治 に委 す べ く 官 治 、自 治 の範 囲 明 な ら ざ る も のは特 に大 な る予算 を伴 ふ も の
省 には十分なる企劃機関 を整 へ地方 の事情 に通 ぜる相当数 の日
( 学 校 、各 種 試 験 所 等 ) に限 り 政 府之 に当 る而 し て政府 と協 和 会 と
系官吏を置くも可 なり日本人 の少き縣 には日系官吏を置かざるを
副縣長省次長等長官 を ﹁ロボ ット﹂化す る恐 ある位置は成 るべ
雖 も省長縣長たるをも妨 げず。
本則とす但し日本 人 の多 き地方は勿論其他特 に適任者は日本人 と
の業 務 関係 は具 体 的 に明 確 な ら し む る を要 す 。
行 政機 構 の簡 明 化
協 和 会 の指 導 要 領 は概 ね山 口氏案 に準 拠 す 。 三
1 、 国務 院 の統 制 力 を強 化 す る為 め総 務 庁 の政 策企 劃能 力 を強 化
く之 を廃止す。
す。
改革 を調査立案し約 一ケ年準備 の下に適切 なる宣伝と相俟 て之 を
く之 が為右機構改革 の研究 と併行し て人事行政及給与制度 の根本
6、以上 の如き行政機構 の改革 は相当数 日系官吏 の失職を来す べ
2 、 外務 局 、内 務 局 を廃 止 し 外 交部 、司 法 部 に属 す る以外 の業 務
部
5 、蒙古 は総督制とす るを可とす べし。 済
は 次 の二 部 に統 合 す 。 イ 、経
特殊 会社を指導 し五年計画実行 の全責任 を負担す る為産業部 の 一部 及交通部 を併合す。
失 業 者 は創 業 時 代 の功 労 者 とし て十 分 な る手 当 を 給 す 。
断 行 ぜざ る べ からず 。
丙 、 日本 の責 務 関 東 軍 の内 面指 導 を撤 回す る為 め 更 に日本 とし ては 速 に満 鉄 を満
に共 通 な る国 防特 に経 済 を公 正 妥 当 に決 定 す べ き協議 機 関 を東 京 に
洲 国 法 人 とし 関東 州 を満 洲 国 に譲 与 す る英 断 に出 づ ると 共 に日満 間
設置 す る を必 要 と す 。 此 機 関 は 盟 邦国 家 、中 央 統 制 機 関 の母 体 た る べし 。
一〇
石 原 少 将)
一、協和会会長 の下 に協和会 の中枢者 ( 協和会中央本部、政府首脳
甲、国 策決定機構 の整備
応 して日本帝国政府 の当然 に果すべき責務 に言及 せり (丙)。
(昭和 十 三年 八月
関 東 軍 司 令 官 の満 洲 国 内 面 指 導 撤 回 に 就 て
自 由主 義 政 党 其 指 導 力 を 失 ひ皇 国 累 卵 の危 殆 に頻 せ る時 、 我 関 東 軍 は 止 む な く満 洲 建 国 の第 一線 に立 て り。 今 日未 だ自 由 主 義 政 党 に 代 る べき新 指 導 勢 力 の見 るべ き も の な き も、 政 治 の推 進 力 と称 せら
者 、民間 に於け る協和会 員 の先達)を以て中央委員会 (仮称) を組
じ て兵 を進 め し関 東 軍 は此 際 世 に先 ん じ て鉾 を収 む べき な り。 即 ち
途 な く 軍 部 は其 本 然 の任 務 に復 帰 す べ き時 来 れ りと 信ず 。世 に先 ん
究 に到達 せり。
決定機関 とし、別 にこの機関 を設く るを可とするにあらず やとの研
務 に当らしむ ることとなしあるも、中央本部委員会 は協和会 の会策
山口重次氏 ﹁協和会指 導要綱案﹂ には中央本部委員会をし て此任
織 し、国策 の決定 に当らしむ。
軍 は 周到 な る計 画 の下 に成 る べく 速 に満 洲 国 の内 面 指 導 を撤 回し 、
今 後 の革 新 は 一に国 民 一致 の努 力 に よ る新 指 導 勢 力 の結 成 以外 に
る る軍部 亦 世 に示 す べき 具 体案 な く、 軍 部横 暴 の声 天 下 に満 つ。
満 洲 国 の独 立 を完 成 す る を要 す 。
とし、国務総理 は再び協 和会会長 を兼任す。
二、会長 は本庄大将を推 薦す。数年後少壮有為 の国務総理就任を機
三、会長 の下 に企劃機関を設く。
之 が為 特 に左記 事 項 に重 点 を 置 き 、満 洲 国 側 と の間 に根 本 的 諒 解
る所 によ れ ば概 ね 一年 を以 て大 局 を整 理 し、 三年 以 内 に第 四課 を廃
を 図 り、其 諒 解 成 り し部 面 よ り逐 次第 四課 業 務 を縮 少 す 。予 の信 ず
以 下 先 づ 国策 を企 劃 し決 定 す る機構 の整 理 を 説 明 し ( 甲 )、 次 い
て協和大学 の名称 に依 る)を設立し、盟邦国家 の同志的学者を教授
院なる名称 を用 ふること最も適 当と思惟す るも、今 は、混淆を恐れ
に合併して事務官養成機関となし、別 に新たなる意義 を以 て大同学
即 ち会長 を学長 とす る協和 大学 ( 現存 の大同学院 は之を建国大学
で か かる機 構 な き現 在 、 建 国 の理 想 に鑑 み、 国 政 処 理 の任 に在 る者
止 し 得 る に至 る ぺ し。
の当 に着意 す べ き 眼前 緊 急 の要 目 を列 記 し (乙)、 最 後 に 以 上 に 対
とし 、 之 に少壮 有 為 の研 究 生 を 配 し 、以 て企 劃機 関 の中 核 を構 成 せ しむ 。 目 下 建 国 大学 研 究 院 の為 招聘 せ る若 干 教 授 は 当 然右 教 授 団 の中 心 た る べく 、 別 に天 才 的 学 者 を広 く 世 界 に求 め て講 師 と な し 、其 創 意 と批 判 とを 活 用 す。
現 に民 心 不安 の原 因 た る左記 諸問 題 に就 き ては 特 に迅 速果 敢 な る
指 導 を 撤 回 し得 る に至 る 一大条 件 な り。
土地問題
処 置 を必要 と す 。
合作社、棉花会社等農務関係事項
将来 日系官吏は勿論建国大学学生等は在満 日本人特 に青少年義勇
警務問題 ( 特 に日系警官問題)
の為 の企 劃 機 関 は何 れ も其 根 本 国 策 決 定 の為 の企 劃 機 関 た る協 和 大
するため にも最も肝要 なり。
軍中 より募集するを本則 となす を要す。満洲国新学制 の主義を強行
政 府 の政 策 決定 の為 の企 劃 機 関 、 及 び協 和 会 中 央本 部 の会 策 決 定
学 (大同 学 院 ) を中 心 と し て、 有 機 的 に統 制 せら る べき も のと す。
新学制 の強行 官治 の制限、自治 の拡 大 行政機構 の簡明化 新学制 の強行
て益 々露骨 なる利己排他 の戦術 に必死 たらしむ ると共 に、就職を修
画なる濫造 による驚くべき大量 なる失業智識群 の氾濫 は、学生をし
今 日日本 に於け る社会 不安 の最大原因 とも云ふべき、学校 の無計
一
三、更 に進 んで昭和維新 の先駆 たる為次 の三件 を重視す るを要 す。
四 、右 国 策 決 定 諸 機 関 の成 立 を約 一ケ年 と 予定 し、 関 東 軍 は 内 面指 導 の範囲 を整 理 し つ、逐 次 此機 関 を通 じ て之 を行 ふ。 三年 以 内 に国 策 決 定機 関 た る機 能 を 十 分 発揮 し得 る に至 る べ き こと を予 期 す 。 乙 、 政 治 の指 導 一、 速 に統 制 経 済 指 導機 関 の再 組 織 を必 要 と す。 五 ケ年 計 画成 功 の為 には統 制 経 済 の運 用 を最 も合 理 的 な ら し め ざ
す る に堪 ふ る実 質 的 機 関 な く 、軍 の断 片 的干 渉 は危 険 性 甚 大 な り 。
学最後 の目的 とし つつも尚且 つその最大部分は就職 し難 き現実は、
る べ からず 。在 来 幾 多 の努 力 を払 ひ た るも未 だ特 殊 会 社 を 統 制 指導
此 際 全 力 を傾 注 し て速 に信 頼 す べ き機 関 を成 立 せ し め 、軍 は先 づ経
弟を上級学校 に入学せしめ、到処 に社会 の現状と痛 ましき相剋を重
べからず とす る観念は尚深く全国 民の脳裡 に残存し、争 つてその子
対する最 大 の警鐘 たらず んはあらず。而 も人生 に於 て学校 を経ざ る
自由主義発達期以来国民 の骨髄 に徹 せる無批判なる学校尊重観念 に
済 指 導 を 撤 収す る を要 す 。 遅 く も 一年 以内 に該 機 関 の成 立 を期 す 。
山 口氏 ﹁ 協 和 会 指 導 要 綱 案 ﹂ の盟邦 国 家 団 結 の条 件 た る ﹁政 治 の
ね つゝあり。 これ断じ て各 種 機 構 の新設、拡大を以て救済 し得 る 一
二、 民 心 安 定 の為 満 洲 国 色 豊 かな る行 政 を行 ふ を要 す 。
し て徒 に内 地 を模 倣 す る の弊 風 を 一掃 し 、行 政 を満 洲 の情 勢 に適 応
時的現象 に非ず。時代 の推 移は逆 に学校 の本質と機能 とに対す る 一
独 立﹂ を 全 から し む る方 針 の下 に、行 政 官 吏 自 給自 足 の方 策 を確 立
す る も のた ら し む る こと は 、 民 心 安定 の根 本 にし て 又関 東 軍 が内 面
惟 ふ に修養 と 研鑚 と は全 生 涯 のあ ら ゆ る機 会 ( 家 庭 、学 校 、社 会 )
般 的 観 念 の根 本的 転 換 を要 求 し つ ゝあ る も の と云 ふ べし 。
に於 て不 断 に行 は る べ きも の にし て、国 民 の大 部 分 は 小学 校 教 育 に
1、 国 民 学 校 は 父 兄 の生 活 より 飛 び 離 れ た る如 き設備 を厳 禁 す 。
強 力 な る も の に発 展 し 得 る や否 やは 実 に本 案 の死 命 を制 す 。
を与 へら る る も のな り 。 即 ち学 校 の数 は甚 し く減 少 し 、社 会 そ のも
道 場 にし て、 そ の志 の求 む る所 に応 じ 、修 養 と 研 究 と の 一切 の機 会
国 民 高 等学 校 に 入校 せし む 。
就 かし む 。爾 後 若 干 年 の成 績 によ り主 とし て協 和 会 の推 薦 に基 き
2、 国 民学 校 を卒 業 せ るも のは協 和 会 の力 に より 全部 勤 労 生 活 に
国 民 学 校 は協 和会 を し て経 営 せし む 。
特 に農 村 に於 て然 り 。
の が学 校 化 す る なり 。 而 し て国 家 の経 営 す る学校 は 公正 な る社 会 推
於 て社 会 常識 の基 礎 を修 了 す るを 以 て足 り、 以 後 は 社会 自 体 が即 ち
薦 に基 いて獲 得 せ る優 秀 素質 者 に対 し 、 そ の職業 訓 練 と平 行 し て徹
農業 的 な る寄 宿 舎 及 職 員官 舎 を建 つ。 生 徒 は交 互 に半 数 は耕 作
イ 、農 業 科 は生 徒 の約 半 数 の労 力 に応 ず る田畑 を附 属 し 、之 に
3 、 国 民高 等 学 校 は真 に勤 労 主義 教 育 に適 す るも のに改 造 す 。
も自 ら犠 牲 を 甘 受 す る各 方面 各 層 の挺 身 的指 導者 を養 成 す るを そ の
底 せ る秀 才 教 育 を施 し 、 以 て国 家 が必 要 と す る真 に実 力 あり 而 も 最
最 大目 的 と す べ し 。
職 員 は少 数 の学 科 を担 当 す る者 以 外 主 と し て其 地 方 に於 る優
等 に従事 す るも の とす 。
現 在 の如 く 学 校 が社 会 と全 く 遊 離 し 、 そ の優 劣 は就 職 率 を 以 て判 断 さ る る のみ な らず 、学 生 の 一度 学 校 を去 る や精 神 頓 に退 嬰 し て 、
ロ、 工業 科 は 通 常 特殊 会 社 等 の 工場 に附 設 し、 生 徒 の約 半数 の
勤 労 に要 す る設備 を有 せ しむ 。 教員 は主 とし て其 工場 の技 術 者
秀 な る篤 農 家 を 選 定 す 。
如 き事 実 と 、 か ゝる事 実 を毫 も 怪 ま ざ る 一代 人 心 の傾 向 と は 、実 に
就 職 者 は地 位 を 守 つて安 逸 を貪 り、 職 な き者 は志 気 全 く 沈 滞 す る が
皇 国 最 大 の不幸 に し て、 かく の如 き 不合 理極 ま れ る今 日 の教 育制 度
ハ、 商 業 科 亦 右 に準 ず 。
を 以 て之 に充 つ。
4、 高 等 国 民 学 校 を卒 業 せば 一部 は建 国 大 学 、 師 導 大学 、陸 軍 中
に対 す る根 本的 改 革 の着 手 な く し て は 、 昭和 維 新 の曙 光断 じ て望 む
新 学制 は 正 し く満 洲 国 の試 み た る革 新 制 度 の殆 ど 唯 一のも の と称
な る。 爾 後特 に適 任 な る優 秀 者 は農 業 、 工業 等 の大 学 に 入校 せし
央 訓 練 所 等 に入 校 す べ く、 主 力 は再 び其 職 業 に つき 下級 指 導 者 と
べ から ざ る な り。
す べ し 。而 も学 校 尊 重 観 念 肝 に銘 ぜ る 日満 人 共 に新 学 制 の重 大 意 義 を 解 せ る者 甚 だ鮮 少 なり 。 各種 の方 法 を以 て宣 伝 を 行 ひ 、新 制 度 の
は池 本 氏 案 によ る)
大 学 の制度 は前 項 の主 旨 を更 に徹 底 せ る も のと す 。 ( 農 業 大学
め、 高 級 指 導者 の候 補 者 た るべ き教 育 を受 く 。
形 式 に於 て革 新 的 な る新 学 制 を更 に徹 底 せし め た るも のに し て、 公
5 、 学 術 の蘊 奥 を究 む る の目 的 を 以 て、 各 大 学 に附 属 し 又 は独 立
主 旨 を更 に拡 大 強 行 す る こと絶 対 に 必要 なり 。 以 下述 ぶ る所 、 そ の
正健 全 な る指 導 的 国 民 組 織 体 の存 在 を前 提 と す 。協 和会 が、 か か る
二
し て別 に研究 調 査 機 関 を設 く 。
協和会 の指導要領 は概 ね山 口氏案 に準拠 す。
有 為 な る各 方 面 の指 導 者 を集 め 政治 的 訓 練 を 行 ふ 。 又協 和 会 会 務
2、外務局、内務局 を廃止 し、外務部、司法部 に属す る以外 の業
1、国務院 の統 制力 を強化す る為総務庁 の政策企劃能力を強化す。
行政機構 の簡 明化
職 員 の最高 訓 練 に任 ず る外 、自 ら街 頭 に進 出 し て社 会 教 育 に参 加
6 、協 和 大学 ( 大 同 学 院 ) は 前 述 せ る国 策 の立案 に任ず る と共 に、 三
す。
部
特殊会社を指導 し、五年計画実 行 の全責任 を負担す る為産業
イ、経 済
務 は次 の二部 に統合す。
7 、 青 少年 義 勇 軍 は協 和 会 に於 て其 の指 導 に任 じ 、逐 次各 民族 の
部 の 一部及交 通部 を併合す。
青 年 を 収容 し満 洲 国 青 年 訓練 の中核 た らし む 。高 級 諸学 校 入学 者 は 此 訓練 を経 由 す べ し 。
ロ、民
内務行政全般 を担任する為産業部、経済部及治安部業務 の各
生 部
8 、 以 上 諸学 校 の学 生 生 徒 は 凡 て官 費 とす 。 9 、 日本 人 の組 合 学 校 は 当然 日僑 の為 の学 校 に し て 、満 洲 国 人 た
一部を収容 す。
統制経済方面 は国務院自ら全国特殊会社 を指導し て之 に当り、 に徹底 せしむ。
内務行政は各省長 に広範囲 の独断権 を与 へ、各地方 に適 す る行政
又 日本 留 学 生 は自 然 技 術関 係 に限 定 せら るべ し。
ら ん とす る者 は満 洲 国 の学 校 に修 学 す る に至 る べ し。
10 、国 家 は力 を 尽 し て各 方 面 の学 徳 優 れ た る人 物 を優 遇 し 、 所 在
3、軍政部 は宮内府と共 に皇帝 に直属す。
人材 を求 むる為簡任官 にても足 る。
省 の数 は若干増加す。 各部大臣 は行政長官 にし て副署 を行 はず。要すれば少壮有為 の
に塾 を開 かし む 。 国 民 は其 好 む 所 に従 ひ師 を求 め終 生 修 養 を続 け 、
官 治 の制 限 、自 治 の拡 大
以 て有 為 の国 民 た る こと に努 力 す べ き も のとす 。
日本 に於 け る失 業智 識 階 級 の氾 濫 は官 僚 政 治 の範 囲 を必 然 的 に拡 大 し つゝあ り 。
4、地方長官即ち省長縣長 を尊 重し、適任者を長年 月其位置 に留
賞勲局 は宮内府 に入 る。 まらしむ。
満 洲 国 に於 て官 治 は主 義 とし て国家 権 力 を必 要 と す る治安 、裁 判 、 徴 税 及 統 制経 済 の範 囲 と し 、 其 他 は成 る可 く 協 和 会 によ る自 治 に委
省長縣長 には褒章 を授く る権 を与 ふ。
特任 を以 て遇す ることあるべし。
省長 は主義として特任官 とし、縣長亦特 に優秀者 には時 とし て
す べ く 、官 治 自 治 の範 囲 明 かな ら ざ る も のは特 に大 な る予算 を伴 ふ も の (多額 の経 費 を要 す る学 校 、 各種 試 験 所 等 ) に限 り 政府 之 に当 る 。而 し て政 府 と 協 和会 と の業 務 関 係 は具 体 的 に明確 な ら し む る を 要す。
省 に は十 分 な る企 劃 機 関 を整 へ、 地 方 の事 情 に通 ぜ る相 当 数 の 日系 官 吏 を置 く も 可 な り 。 日本 人 の少 なき 縣 には 日系 官 吏 を 置 か ざ るを本 則 とす 。 但 し 日 本 人 の多 き地 方 は 勿 論 、其 他 特 に適 任 者 は 日本 人 と 雖 も省 長 縣 長 たる を 妨げ ず 。 省 次長 、副 縣 長 等 、 長官 を ﹁ロボ ット﹂ 化 す る恐 れ あ る位 置 は 成 るべ く之 を廃 止す 。 5 、 蒙 古 は 総督 制 とす る を可 と す べ し。 6 、 以 上 の如 き行 政 機 構 の改革 は相 当 数 日系 官吏 の失 職 を来 す べ く 、 之 が為 右機 構 改 革 の研 究 と併 行 し て人 事 行 政及 給 与制 度 の根 本 改 革 を 調 査 立案 し、 約 一ケ年 準備 の下 に適 切 な る宣 伝 と相 俟 つ
失 職者 は創 業 時 代 の功 労 者 と し て十 分 な る手 当 を給 す。
て之 を断 行 せ ざ る べ から ず 。
丙 、 日本 の責 務 関 東 軍 の内 面指 導 を撤 回す るた め 、更 に 日本 とし ては速 に満 鉄 を 満 洲 国 法 人 と し 、関 東 州 を 満洲 国 に譲 与 す る英 断 に出 づ ると 共 に、 日 満 間 に共 通 な る経 済 を公 正妥 当 に決 定 す べ き協 議 機 関 を東 京 に設
此 機 関 は盟 邦国 家 中 央 統 制機 関 の母 体 た るべ し 。
置 す るを 必 要 と す。
を庶幾す ること。
(昭和 十 三年 八月 五 日
一一 満洲 国 政策 遂 行 に 関 す る要望
現下満洲国内外 の情勢 は支那事変 の拡大進展 に伴 ひ益 々日満 不可
関東軍司令部)
と緩和性 とを附与 し協和会施策と相待 ち社会連帯 の権能 、自治的発
二、法令制定 上満洲色豊 なる改善を加 ふると共 に其適用に付弾力性
達 の助成を図り法令 の簡潔な る運用を行 ひ得 しむること。
六、 日本人官吏 の重大 なる地位 に鑑 み特 に自粛自戒 を促し其配置 を
付明朗濶達 の襟度 を持 して建国 に邁進 せしむる こと。
五、各民族固有 の良習 、特性 は充分之を尊重 し特 に鮮蒙人 の指導 に
四、建国神廟 の創建 に付国家目的達成 の為機宜 の方策 を講ず ること。
集中 し満洲色豊 なる政務 の運営 を庶幾する為
満洲建国 の精神 たる日満 一徳 一心、民族協和 の理念 に国策を徹底
第 二 、 民族 協 和 の達 成 に就 て
と膚接す る部分 の調整等 に付格別なる工夫を廻す こと。
三、行政 の浸透 に関し官吏 の自粛自戒 を促し特 に民意暢達 民衆生活
分関係を鞏化し其国力を増進 し国防国家を完成 して長期持久 に対処 し之を克服 し得 ると共 に民心を安定し民族協 和 の具現 を 一層徹底 し 政府当局固 より建国以降上下 を挙げ て粉骨砕身 し客年治外法権撤
聊 かの罅隙 なきを期す るの要 切実 なるも のあり。 廃 の偉業 を完成し産業開発五ケ年計画を樹立し て其第 一年度を概ね 順調 に経 過せるのみならず 日満物資動員計画 の積極的協力を調整す
第 一、 現 下満 洲国 施 政 の特質 と 政 務 一般 の改 善 に
る等治績大 に見 るべきも のありと雖も現下 の事 態に鑑 み特 に嚮後 の 施政運用上更改 を要す べしと思惟す る諸件 に付要望す。 就 て
せしむる為政務 の運営行政 の浸透 に就 き 一層之 を的確ならしむる為
を期 すると共 に真 に適材適所主義 の確立を図 る こと。
適 切ならしめ老朽若朽 を陶汰し建国精神 の牴触者無 からしめん こと
現下満洲国施政 の特質 に鑑 み満洲国政治を建 国の理想具現 に邁進 一、国家政務 の統制と行 政各部 の統制指導と の按配調整、中央地方
特 種会社 の陣容 に於 て亦然 り。
各庁間 の権限調整特 に地方諸機関 の権限拡大、行政機構 の簡明化、 事務管理様式 の刷新等 に抜本的 工夫 を加 へ之を改革 し以て能率増進
七、教育制度改革 の趣旨 に鑑 み其趣旨 の拡大遂行 に邁進す ると共に
第五、経済建設に就 て
経 済建設 に関し ては産業開発 五ケ年計画 の遂行 を中心とし て之 が
一四、国防国家 の完成、生産力拡充等 の要請将又行政機構 の改革等
促 進を期す べく数次 に亘 る軍 の要望 に即応せしむる の外
日本人教育 に関し ても真 に官民各界満洲現地より適材 を獲得し得る に遺憾 なき措置 を講ずると共 に教育行政移譲 に関す る準備を整 ふる
活安 定 の向 上を期す る為
る給与制度 の調整 に付徹底せ る措置 を講ず ること。
一六、満 洲国 の環 境に即応せ る生活様式 の合理的改善及之と併行せ
ず ること。
一五、金融機構 の改革 に関し国内及国際情勢 に鑑み万全 の措置を講
を予察し財政計画 の根本的確立を期す ること。
こと。 第三、国民生活 の安定 に就 て
八、民意暢達 の方策 に関 し協和会 の運営 に依 るの外官吏自体 に於 て
現下民心 の安定 一日も忽諸 にす べからざるも のあるに鑑み国民生
も充分措置 を講 じ法権撤 廃に伴 ふ過渡的機構は速に満洲国国情 に合 す る如く改廃す ること。 九、土地問題 の解決特 に未利用 地開発等 に関し抜本的刷新 を加 ふる 一〇 、庶 民金融機関、農事合作社 の諸施設 に関しては単 に形式整頓
こと。 に堕 する ことなく内容充実を第 一義 となし各種啓蒙運動 と相俟ち漸 進 的整備 を期す る こと。 第 四、 国 防 国 家 と し て の建 設 に就 て
現下非常時局 に鑑 み国防国家建 設 の為 一一、予算 、施設等 に於 て更 に努 力を傾注す るのみならず官 民協和 奉公 に対する自覚 を倍加し法令 の運用 に方 りては充分理解納得 せし 一二、国家構成 の特種性 に鑑み各 民族 をして充分協 和邁進 せしむ る
め恐怖萎縮心を艾 除す る の措置 を講ず る こと。
一三、日満 軍と の連絡協調 に関し ては特 に密接な る連繋 を保持す る
如く活用 の途を講ず る こと。 と共 に各 々其責任を以て対処し得 るの確信 を与 ふること。
一二
付て
( 参
考)
要望 事 項 説明書
第 一 現下満洲国施設 の特質 と政務 一般 の改善 に
(昭和 十 三年 八月 五 日
関 東 軍 司 令 部)
向上し民力を涵養し以 て民心安定 の方策 に万遺憾 なきを期す るの要
凡そ政策 の遂行は適地適 応主義 に基き運営宜 しきを得 て始め て光
あるに鑑 み必要な る改革 を断行す ること得策なりと思惟す。
整備 等に関し其趣旨 を説 明す。
む るは実 に容易 の業 にあらず以下行政機構 の調整及其運用、法令 の
客観的事態 に照応し政務 の運営其宜しきを得之 を深く広く浸透 せし
展を要請せらるるの特質 を有す 、従 つて恰 も水 と油 との如き之等 の
殊会社 の綜合的監督等 に工夫を重 ね努め て機構 を簡略 にし人員 を削
業部門 の経済部門 への吸収、各部権能と特殊会 社機能 と の調節竝特
移民、地籍整 理、干拓等 に関す る部門 の統合整 理竝産業部、重軽工
方団体 の 一元的指 導監督 竝之に伴 ふ内務局 の改廃或 は農畜産部門、
の統 制指導 との按配を適 切ならしめ、中央及地方 の権限調整就中地
即ち中央 に在り ては総務庁 の国務及政策 の統 制と行政各部 の行政
彩を放 つは蓋 し贅言 の要 なし、之 が為統制と劃 一とを峻別し、統轄
現 下満洲国 に於 ける政務万般 の事態は其建国 の経緯と時局 必須 の
一、中央行政機構 に関しては昨年 一応画期的改革断行せられ之 に伴
要求 に率由 し軍事、政治 、行政、経済、産 業其他百般 に亘り所謂近
ふ地方行政機構 の 一部調整 を見 たる次第 にして今 日再び之を調整す
減して能率 の増進を図り又地方 に於 ては各機構 の権能 を 一層強化拡
と拘束とを混同 せず、簡明確 切、其権能を明にして各 々其職責 に向
るは聊 か朝令暮改 の憾 なしとせざ るも現下 の急迫 せる時局は、 一面
充し街村 の育成協和会機構 の整備 を助成し其按 配を適 切ならしめ省
ひ邁進 せしむ ること極め て肝要 なり。
産業就中重 工業部門 の 一層急速飛躍的なる計画的開発と国防上焦眉
縣 の区劃 の如きも其目的達 成に適す る如く考慮 を払ふ の要 あるべし
代的高等行政 を以 て律すべき部門 と、極め て素朴 なる行政を以 て漸
の要請 を充足せしむる の要切実な るも のあると共 に、他面動 もす れ
特に中央 地方 を通じ事務管理 の様式 に抜本的刷 新を加 へ所謂文書警
進的 に啓蒙向上を期す べき部門 とに大別し得べく而 かも両者併行発
ば忘却等閑視 せられ易き原住民就中商 工農民階層 の生活 を 一層啓蒙
満 洲建国 の精神 たる民族協和 の理念 は単 に満洲国国策 の枢軸た る
のみならず実 に盟邦 日本帝国 の八紘 一宇 の皇謨に胚胎 する東亜復興
察文書政治 に堕 せざ ると共 に行政 の浸透 に遺憾なきを期する の要 あ り。
一、日満 不可分民族協和 は満洲国家建設 の確乎不動 の国是 にして又
惹 ては世界 政策 への 一大道標なり。
日本帝国 対満政策遂行上 の根本信条 なり此理念に立脚 する満洲国 の
一、法令整備 に関 しては既 に昨年軍 の意 のある所を要望せられある 治外法権撤廃 の為緊急整備 せる諸法令 に関す る改正 に付再検討を促
に 一面断 じて 一部満人懐柔等 の謀略的施策 を以 て律 すべきものに非
庶政は勿論 日本人中心 の権力的行使 に陥 るべきも のにあらざ ると共
所な るも此際現下 の客観的事態と近き将来 への進歩発達とを庶幾 し 進し文化 の移行 と民族分布 の実情に即応 して法令 の適用 に弾力性 と
高度 の立法 の適用 は厳 に之を戒め、街村機能 の発達、協和会 の施策
為其理念 を帰 一し各民族 の信仰 となり真 に満洲国永遠 の生命 たるべ
従 て目下 研究 せられつつある建国神廟 に関し ても国家目的達成 の
ず。
緩和性とを附 与す る如く 一段 の留意を加 へ殊 に政治意識低き在住 民
と相俟ち社 会連帯 の機能 を助成し簡潔 なる法令 の運用を行 ひ得しむ
き中心を茲 に求む ることを目標 とし之 が実現を期 する為適 切なる方
衆 の慣行及直接其 民生 に関係多き部門 に於 ては其実情 に即応せざる
るの要あるべし。
寧発展とを遂げ しむ ることに留意す る こと極めて必要 にして就中蒙
を尊重し之 に漸進的指導と特 別 の保護 を加 へ其生活 の安定向上と康
一、民族協和 の具現 に関しては各民族固有 の良習俗 竝歴史 は十分之
策を講ず るを要す べし。
之を知らざ る結果 とな り 一顧 の価値なかるべし、殊 に政治意識低 き
百 の善 政も能 く浸透徹底せざ るときは政府 の行はんとす る所 、民
一、行政 の浸透 と自己批判
在住民 に対する施政 の要諦は其文化度 に適従 せる行政 の浸透 に在 り
み興安各省 の特殊行政、錦熱蒙旗 の旗縣複合制度等 に深甚 の再省慮
古 民族 の指導 に関し ては国防 上 の要請、蒙民生活、蒙漢関係等 に鑑
と共に深 き同情 を以 て之を抱擁 し努 めて明朗豁達 の襟度 を持し て建
と の関係 をも考慮 し其政治的意嚮 よりす る民族自決運動 を防止す る
又鮮人指導 に関 しては民族協和 の理念 に立脚し所謂内鮮 一体政策
ず るの要 あるべし。
を加 へ特 に内蒙古 の動向及之 に与ふる影響を究めて機宜 の方策を講
官吏は能 く大局 を洞察し自ら其施政に対し批判省察を加 へ自粛自戒 右 に関し ては協和会 の機構 の発達に俟 つべきもの多きも尚審計制
専制独善 に陥る ことを避 けざ るべからず 。 度 の徹底的運用 、行政監察官 の活動 の促進特 に警察官吏 の素質 及給 の別なく官民融和 の実 を挙げしむ ること必要 なり、殊 に施 政 に方 り
国 に精進 せしむ ること必要なり。
与 の改善、税務吏員 の規律向上等を徹底 化し国家生活 と個人生活と
て其施設整備に関 しては更 に根本的検討 を加 ふるの要 あるべし。
地方機関特 に縣以下等 に於 て直接原住民 に接 触する行政産業部門
徴税竝警察機関 の適否及其能否 は民衆 生活 に甚大な る影響 あ るを以 第 二 民族協和 の達 成に付 て
に於 ては原則として努 めて優秀なる原住民 を主 とし て之 に充当 し権 あり。
側 に留保 せられた る教育行政 の移譲 に具 ふるの準備 を完成す るの要
各界 に満洲現地より の適 材獲得 に遣憾なぎを期 すると共 に随時日本
国民生活 の安定 に付 て
力 を背景とし て異種民族間 に無 用 の摩擦 なからしむ の着意 を要す べ 第三
し。
建 国以降驚異的治安回復 の迅速 なると庶政 の振張とは大局 に於 て
一、民族協和 の具現は日本人自体 の反省 を第 一義とし官民共 に其負 荷 の重大な るを認識すると共 に 一層挙措進退 に自省 を加 へ識徳自 ら
ざ るも現下 の事態上民心 の安 定は 一日も忽諸 にすべからざ るものあ
著 しく国民生活 の向上安定を招徠 せるは固 より之を認むるに吝なら り。
他民族 の悦服し来 る所 あらしめざるべからず、治外法権撤廃等 の事 とするもの或 は醜聞、無責任 の譏あ るも の多 発の傾向を看取 せら る
態 に伴 ひ動 もすれば下級 日系官吏等にして据傲 の態度を以 て臨 まん
之を改廃 して各民族 を通 じ民意 暢達 に遺憾 なきを期する こと必要 な
るが如きは過渡的 手段 として已むを得 ざりしものな るも成べく速 に
徴税に関 し単 に日本内地人本位に例 へば所得税諮問機関を設置す
を暢託すべき方策 に関 しては 一段 の工夫 を望 む次第なり。
而し て特 に直接 国民生活 に関聯する徴税 、民力涵養 に対する民意
意 を聴き施 政 の浸透 に付洞察す る所 なかるべからず。
諦 にして満洲国独自 の協和会等機構存す るも官吏は常住坐臥常 に民
一、民意 の暢達 を図 り民 をし て怨 咀す る所な からしむるは政治 の要
曩 に文官令 の制定を見て官吏 の嚮 ふべき所 、明とな りたりと雖要
るは極め て遺憾 とする所 にし て就中警 察官 に於 て然 りとす。 は其素質 の優劣 と能力 の如何 とに在り宜しく此際中央地方 に亘り給 与を改善す ると共 に質 の向上就中道義的方面特 に執務、責任観念、 素行 、涜職等 の監察を峻厳 にして徹底的刷新を行 ふと共 に所謂日満 比率に根本的修正 を加 へ其配置 を適切ならしめ冗員 を整理し真 に適 特殊会社 の陣容 に於 ても此際再検討 を加 へ情実 を廃し老朽若朽 を
の理想 に背馳す べく治外法権撤廃 の善後措置 とし て設置せられたる
り、勿論之等 を多数決制的制度 に求 むるは民族協和全体主義 の建国
材適所主義 の確立 を期す るの要 あるべし。
べし。
あるべし。
市街諮議会 の如 きも之 を協和会機能 に吸収 せしむ る等速 に調整 の要
陶汰し派閥的割拠 を戒むる等劃期的刷新 の実 を挙げしむ るの要ある 一、民族協和 の要諦は究極人 の養成 に在 り教育制度 の改革を見たる
一、土地問題 は国 民生活 の安定と国策 遂行上 の要求 とを彼此考慮 し
今日能 く其根本方針 に率由 し内容を充実強化するは最 も希望す べき ことなりと雖其施設は努 めて実情 に適応し現下 の要求 を充足 せしむ
速 に妥当適 切なる解決 を求めざ るべからず。
土地を唯 一の財産 とし之 に無限 の執着 を有 しあるは環境上洵に已む
蓋し満 洲建国前原住民 が易代変転常 なき軍閥統治者桎梏 下に於 て
る為過渡 的措置 を講ずる着意 を必要 とす又日本人教育 に於 ても積極 的留意 を払 ひ日本 に於け る行 き詰 れる教育を満洲国独自 の見地 に於 て改革刷新 し大陸進出 の抱負 に燃 ゆる有為 の青年を指導啓発し官民
を得ざ るものありて仮令之 を妥当適正なる価格 を以 て買収すと雖土
を危険視忌避視す ることなく之を善用活用し以 て国家全体 を挙げ て
道愛護委員会等 に所要 の調整改廃 を行 ふ外各部隊特務機関 の行政干
国防目的 に邁進 せしめ得 る如くす るを要す べし。
与を厳 に戒 め又内面指導 に関しても極 めて大綱を把握す るに止む る
地 を貨幣 に代 へらるる ことそれ自体 に既に納得 し得ざ る点 ある のみ
遂行 に障害な からしめざ る様 一層積極的手段 を講ず るの要 あり。
等 必要 の措置 を講じ以 て協 和会 工作 の進展 と政府当局 の自発的積極
一、国防国家 の建設 に方り ては日本軍 との連絡協 調を更 に緊密なら しむる の要 あり。
一、直接国民生活に膚接す べき金融合作社 、農事合作社、当舗等 の
従 つて移民 の土地整備問題 に関し ては如 上の諸点 に深き省察 を加
庶民金融機関 の整備 、保護、度量衡制度若 は農事助長指導 に関 す る
的活動 を期待 しある所な るも 一方政府当局 に於 ても現下 の時局と建
ならず定着民 が其墳墓 の地 を喪 ふは情に於 て忍 びざ るも のあるべし。
方策は時局必需 の要求 を除 き施設機構 の形式整頓 に堕す ることなく
国 の真義 に鑑 み軍側 の真精神 を理解 し進 んで軍側 と連絡協調を密 に し真 に軍民 一体共同防衛 の本義 を発揚し些 かの罅隙 なからん事を期
既 に周知 の如 く日本軍とし ては治安維持会、警務統制委員会、鉄
真 に其内容充実 を主眼 とし て各種啓蒙 運動 と相俟ち 一歩 一歩其基礎
へ未墾地買収主義 の確立 、干拓其他 に国家 的施策 を講 じ移民国策 の
を鞏固 にし漸 を逐 ふて其拡充を図り庶 民をして其恵沢を渇仰し真 に
然 れども軍と の連 絡は既 に指示 せられあ る如く其職域 に応じ系統
するを要す べし。
を重じ所謂短絡を戒め防衛 、治安、警務、防 諜等 に関し ても各 々其
第 四 国防国家として の建設 に付 て
善政を謳歌 せしむる如く嚮導する の要 あるものと認めらる。 一、速 に国防国家とし ての建 設を完成 せんが為 には予算施設等各般
軍側 と密接な る関係 を保持す べき は勿論なりと雖之 に籍 口し若 は
当然 の職域 に於 て措置 する こと必要なり。
整 へ官 民朝野 を挙げ て協和奉公に対す る自覚 を倍 加せしめ以て各民
軍 に依頼す るの余り無責任 に陥 り若 は不知 不識 の間 に行政干渉 を誘
の点 に更 に 一段 の努力 を要す るのみならず特 に国民総動員 の態勢 を 族 の綜合的総力量を組織的統 一的 に国防国家建設 に集中指向 せしむ
発 せざ る様特 に留意 を要す べし。
経済建設 に関 しては産業開発五年計画 の遂行 を中心とし て之 が促
第 五 経済建設 に付 て
るを要す べし。 又之等 に関す る諸法令 の運 用に方 りては民度竝智識低 き原住民 に は其 必要最少限度 に於ける心得 を納得 せしむ る為適 切なる方策 を講 要 なるべし。
す)更 に二、三必要 と思惟す る事項 に付附言す る。
正 に関す る会 同 の際開示 せら れあり (軍 の要望事項参考として添附
進 を期すべく之 が遂行 に対す る軍 の要望に関 しては過般五年計画修
一、国防上 の要請逐 次倍加す るに従 ひ機密保持警防等 に関し 一段 の
一、国防 国家 の完成、生産力拡充等 の要請 に即応し大局的見地 より
じ、恐怖萎縮心 を艾除し有時 の日之 が運用 に支障 なきを期す る事必
留意 を払 ふと共 に民族複合 の国家構成 の特殊性 に鑑 み徒 に原住民族
満洲国財政計 画 の根本的確立を期する こと極 めて肝要なり、之 が為
民族的習性 に応じ例 へば航空彩券 の発行等 各種 の手段を講ず る等 一
︹マ マ︺
生産的支出 の財源 は赤字公債政策 の合 理的運用 に依 るの要 あるは勿
の実態は尚其機能拡充 を要す るも の尠 しとせず仮令 ば中央銀行 の統
満洲 に於ける金融機構 は其形態 に於 て概 ね整備 し来 れるも金融界
不統 一とを是 正するを急務 とす べし。
ト﹂を確立し以 て特殊会社等 の各個 の商談 に依 る資金調達 の困難と
又日円資金 の導入に就 ては日満間 に更に 一層確乎 たる資金 ﹁ルー
段 の工夫を要すべし。
論 なるも所謂健全財政確立 の為 には恒久的財源 の確 保を必要とし特 而し て之 が体系 は企図する中央及地方 の行政機構 の調整其施政 と
に租税体系 に更 に再検討を加 へ合 理的是正 を講ず るの要 あり。
尚今後益 々日満経済関係 の緊密化 に伴 ひ日満間関税 の撤廃 に関す
の関聯 を適 切ならしむ るの要 あるべし。
今次事変 の長期化 に伴ひ国際収支 の現況は第三国払を極力抑制す
策 を講ず ること必要なるべし。
政策 を実行し以 て畸形的殖民 地的生活状態を根本 的に是正す るの方
と併行 して官吏 及特殊 会社従業員等 の給与 の調整 に付 一層徹底せ る
一、満洲国 の環境 に即応せる生活標準竝生活様式 の合理的改善及之
必要 なりと認めあり。
つき万全 を期す ると共 に緩急に応 じ逐次之 が実現を期する の用意を
な るに鑑 み之 が審議 を慎重ならしめ急激な る衝動を与 へざる ことに
而し て金融機構 の改革 に就 ては之 が金融市場 に及 ぼす影響 の重大
る整備を促進す るが如 き之なり。
通 を図 るが如 き又中 小商 工業金融及農業金融 の整備就中僻地に於 け
る根本方針 を確立し以 て日満 不可分関係を 一層鞏化す るを要すべし。 制力を強化す ると共 に興業銀行と の業 務を調整 し以て金融市場 の疏 るを必要 とし 日満支経済圏内 に於け る物資 の自給自足を要請する こ と益 々緊迫せ るに鑑み今後 の予算編成 に方りては単 に計数 的予算 に 依 るの外物 の予算 の編制 をも併せ て考慮 し以て予算 の施行 に適応 せ しむ ると共 に国内配給組織と物資物価 の調整 に対し適切なる国家的 手段を講ずる ことに関 し更 に 一段 の工夫留意 を必要とすべし。 又満洲国貿易収 入の大宗たる農産物 の海外市場獲得 に対 しては更 に積極的国家手段 を講ず るの要 あるべし。 一、金融政策 に関 しては現下 の国内国際情勢 に鑑み生産力拡充 に伴 ふ資金 の調達 と対第三国関係国際決済 の調整を中心とし時局打開 の 方策 に付万金 を期す るを要す べく之 が為先づ以 て日満 を 一体 とし支 那をも考慮 せる国際収支調整 の根本対策樹立を促進す ると共 に満洲 国側 ( 関東州を含む) の為替計画 に確乎たる見透 を つけ以 て産業開 次 に所謂金円ブ ロック内 に於ける資 金 の調達 に就 ては先づ国内 土
発 に要す る外国資材 の輸 入に遺漏なきを期する要 あるべし。 着資本 の吸収に つき金融機関 の動員 を行 ひ零細資本 の集中 の為能 く
一三
協 和 会 東京事務所に 於 け る 石 原 少 将 座 談 要 領
(昭和 拾 参 年 五月 拾 弐 日)
に つい て我 々は どう い ふ戦争 か と い ふと 、 日支 戦 争 が始 ま る と若干
そ れ を 一々言 う て居 ると 時間 が足 りな いか ら略 す る が、支 那 の戦争
師 団 を動 員 し て パ ッと や ると屈 伏 す ると 、簡 単 に考 へて居 つた のが
私 の眼 から 見 ると 、 日本 程 軍 事学 の研 究 され て居 な い国 は な い。
日本 国 民 の常識 のやう でし た が 、 こ れは 近世 殊 に満 洲 事変 以後 の支
と ころ が長 期 戦 争 だ と か、 末 次 内相 は即 戦 即 決 な ど と い ふ が、長 期 戦 争 と か短 期 戦 争 と か い ふ文 字 の意 味 を は つき り〓 へて居 な い ので
那 の真 面 目 な建 設 に対 し て自 惚 れ或 は国 民 の目 を蔽 ふ て居 た為 め で
やれ 、漢 口を や れ と い ふ が、 大 体 に於 い て政治 家 が さう いふ作 戦 上
はな い か と思 ふ。 そ こで簡 単 に話 し度 いと 思 ふ のは 、戦 争 の本質 か
の事 を往 々い ふ のは 、其 の国 が統 制 力 を失 つ て居 る時 で、戦 がう ま
ら 云 へば武 力 で敵 を参 つた と いは せ る こと が戦争 の根 本 の本質 です 。
伏 せ し め る と ころ の行為 で あ りま す か ら、 戦 争 そ のも のの手 段 であ
く 行 か な い こと です。 此 の間 中 野君 に会 つた か ら さう い つた が、 政
か参 つた と いひ ま せ ん。 私 に言 は せ れば 、 よ く世 間 で は ソ ラ廣 東 を
る勝 ち を占 め る武 力 、 及 び そ れ以 外 の力 が ど れだ け か と い ふ こと が 、
治 家 が大 元 帥 陛 下 のな さ る こと に口出 し す る や う に な つた ら 、其 の
あ り ます 。 不 幸 に し て私 達 の心 配 が適 中 し ま し て、 支 那 人 は な かな
戦 争 の本 質 に根 本 的 影響 が あ るわ け です 。 大 体 戦 争 には決 戦 戦争 と
と ころ が そう い ふ風 に いけ な い事情 が いろ いろ起 き て来 る訳 です。
持 久戦 争 、短 期 戦争 と長 期 戦 争 、 殲滅 戦 争 と消 耗戦 争 と、 二 つ に傾
結 局戦 争 は武 力 だけ では なく 、 武 力 及 び そ れ以 外 の力 を以 て敵 を屈
向 が分 れ る。 武 力 の勝 ち が絶 対 的 であ れば こ れが決 戦 戦 争 です 。武
知 れ な い が、 崩壊 し な い方 が絶 対的 で あら う と思 ふ。 仮 り に蒋 介 石
い。漢 口 を取 つた とし ても 、 私 は 、蒋 介 石 政権 は或 は崩 壊 す る かも
が倒 れ た とし て支 那 四億 の人 間 は屈 伏 す る か 、私 は こ れは だ んじ て
国 は本 当 では な いと い つたが 、 矢張 り多 く の人 の御 希 望 であ る らし
が 、武 力 だけ では敵 を屈 伏 せし む る こと の出 来 な い傾 向 の戦 争 を持
屈 伏 し な いと 見 て居 り ます 。 か へ つて蒋 介 石 政権 で も潰 れ てし ま つ
力 で参 つたと 簡 単 に いは せ る こと が出 来 ま す 。 これ が決 戦 戦 争 です
ま す が、 持 久戦 争 に な る のは決 戦 戦 争 が出 来 な い か ら さう な る ので、
久 戦 争 と我 々は 云 つて居 るわ け です 。 そ こ で誰 も決 戦 戦 争 を希 望 し
卍 巴 と な つて、 支 那 の中 は ガ タ〓
始 ま つて居 る今 日は 先 づ少 く と も絶 対的 に大 勝 利 を得 な け れば な り
と 思 ふ。 戦 ふ べき では な いと 思 ふが 、然 し 戦 争 は始 ま つて居 ま す 。
私 は 、私 の理 想 から いけ ば、 東 洋 で日支 両 民 族 が 今戦 ふ 必要 はな い
す 。掛 声 だけ です 。掛 声 だけ で騒 いで居 る の が今 日 の状 況 です 。 で、
ちな いと 私 は考 へて居 り ます 。 言 ひ 換 へる と、 此 の日支 戦 争 は最初
ま せ ん。 絶 対 的 に勝 つ体 制 と は 何 か、 戦 争 が何 年長 く つづ い ても大
し て簡 単 に屈伏 な ん て思 ひも よ
から 私 達 が 云 つて居 るやう に、 これ は持 久 戦 争 であ り ます 。 去 年 の
丈 夫 な 、国 民 の政 治経 済 思 想 上 の体 制 を確 立 す る こと で あ りま す 。
たち 、 共産 党 国 民 党 の こん がら か つた利 権 あ さり 、或 は軍 閥 な ど が
から これ か ら持 久 戦争 だ な ん て こと は 、 日本 の賢 明 な る政 治 家諸 君
七 月 から持 久 戦 争 の決 心 で やら な け れ ば なら ん のに 、南 京 を取 つた
徹 底 的 に支 那 を屈伏 す る と か、 強 い こと を仰 し や る方 が あり ま す
映 り ます 。 先 申 し ま し た通 り 、持 久 戦 争 は武 力 だ け では解 決 出 来 な
人 が あ り ます が、 そ ん な人 間 がウ ロウ ロし て居 る や う に私 の目 に は
せ ん 、少 し滑 稽 と 思 ひ ます 。 阿 片中 毒 者 ︱ 又 は夢睡 病者 と か い ふ病
私 は 三 ケ月 ぶ り で東京 に来 ま し た が 、東 東 の傾 向 は ど う も変 です。
が、 そ れ が為 め には私 は申 し ま す 、数 十個 師 団 の兵 を数 十 ケ年 支 那
い ので あ りま す か ら、 両 勢 力 の円満 な る協 調 でな け れば な りま せ ん。
満 洲 も絶 対 に い い こと は あり ま せ ん が 、東 京 は い い悪 い で は あり ま
にも つ て行 つて、全 部 押 へてグ ッと や る ん です 。無 理 が通 れば 道 理
政 治 を や る人 は 此 の持 久 戦 争 に於 て は何 年 た つ ても 日本 の国 民 の生
が、戦 争 の本 質 に対 す る研 究 が足 り な い と い ふ こと を、 明 瞭 に証 明
引 つ込 む と い ふ こと が あ る が、 そ こま で行 け ば始 め て支 那 は屈伏 し
活 、 必要 最 少 限 度 の軍 備 ︱ 必 要 最 少 限度 の軍 備 は 一寸 い け ま せん が 、
し て居 る廃 と私 は思 ひ ます 。
に賛 成 だ らう と思 ひま す。 結 局 本 当 に徹 底 的 に支那 を屈 伏 せし む る
ま す 。 こ こに大 使 閣下 が居 ら れ ま す か ら聞 け ば わ か る が、 私 の意 見
これ は絶 対 に徹 底 的 では あ りま せ ん 。駈 引 で向 ふは参 つた と言 つた
す 。純 統 帥 ︱ 即 ち 軍 人 と し ては 自分 の与 へら れた る範 囲内 に於 て、
神 状態 に も つ て来 な け れば なら な い、 これ が政 治 家 の仕事 で あ りま
ら 挙国 一致 、 あ ら ゆ る も の を犠 牲 に し て戦 を迎 へると いふ だ け の精
必要 な る軍 需 品 の保障 を なし 、 国 民 生活 を保 障 し 、何 年 か か つ ても
だ け です 。 そ れ で日本 が長 く 支 那 と い ふ四 億 の民衆 を自 分 の思 ふ通
成 るべく 立 派 な 武 勲 を立 て る、 そ し て敵 を屈 伏 せ し む る 上 に非 常 に
には 、 そ れ だけ の決 心 を持 たな いで中 途 半 端 にチ ョコチ ョ コと や る
り や れ る と思 つた ら 、 これ は大違 ひ で あ りま す 。 そ れ で斯 う いふ こ
重 大 な役 割 を し な け れば な ら ぬ。此 の二 つ が両 々相 俟 つて、 それ が
の上 に国 民 を し て心 か ら此 の戦 争 の目的 を諒 解 し て、真 に心 の底 か
と を ︱︱ ま だ大 き な声 で い つ ては い け な い事 と思 ひ ます が、 私 は事
私 に言 は せれ ば 、 つま り 日本 の国体 の命 ず ると ころ 、天 皇 の直 接御
補 給 す る体 制 を整 へる のが政 治 家 の根 本 の仕 事 であ り ま す 。而 も 其
件 が始 つた時 、 これ は戦 を 止 め る方 が い いと い つた。 や るな ら ば国
なん て こと は、 相 当 考 へも のであ り ま す。 仮 り に今漢 口 を や つた 、
家 の全 力 を挙 げ て、持 久 戦 争 の準 備 を万 端 滞 り なく し てや るべ き も
指 導 の下 に、精 神 力 が 一糸乱 れず 行 か なけ れ ば な ら ぬ。 本 当 か嘘 か
或 は廣 東 も 一緒 にや つた、 や つ てそ し て向 ふ が参 つた と い つ ても 、
のだと 思 つた 。然 し ど ち ら も や りま せ ん。 ズ ルズ ル何 か や つて居 ま
私 は知 り ま せ ん が、 新 聞 で見 る と御 前 会 議 は 、大 本営 と政 府 が話合
あ りま す 。 そ んな こと が起 る と結 局 作戦 上 まづ い こと が方 々に起 つ
と だ んだ ん戦 線 は、 作 戦 上最 も合 理 的 でな い所 の拡 張 を す る恐 れ が
陛 下 の御 前 で互 ひ に闘 ひ のめ し て、 そ こ で聖 断 によ つて戦 争 の根
尽 力 し て貰 ひ た い。統 帥 上 のこと は議論 す る余 地 のな い こと です か
は 、 本 当 に国 民 の中 堅 と な ら れ て国 民 の気持 を合 致 し て行 く やう に
のと 私 は思 ふ の であ り ま す。 皆 さ ん協 和会 の方 々にお願 ひす る こと
て来 る、 一寸 まづ い こと が起 る と そ れ が又非 常 な不 安 を国 民 に与 へ
ひ をし てお いて、 天 子 様 の御前 で決 め る だけ のや う です 。 私 は どう
本 方針 を決 め て指 導 し て行 く と ころ に、 日本 の世 界 に稀 な る、 類 を
ら 、 兵 隊 に任 せ るよ り 外 は あ りま せん 。 お任 せな さ い、 そ し て自 分
る、 こん な神 経 過 敏 な 国 民 は、 本 当 の持 久戦 争 に た へる力 は な いも
見 る こと の出 来 な いも のが あり 、 斯う い ふ困 難 な る戦 争 を指 導 す る
等 はど ん な に戦 況 悲 観 でも絶 対 に心 配 し な い で、 何 年 た つて も戦 争
も新 聞 を 見 てさう 想 像 さ れ る の であ りま す 。 若 し も さう で あ るな ら
と ころ の国 体 の霊 力 が あ る の であ り ます 。 ど う も 天皇 機 関 説 を排 撃
を 持 久 し得 る と ころ の体 制 を整 へる、 これ が国 民 の義 務 であら う と
ば立 派 な 天 皇 機関 説 です 。 本 当 に
し て居 る連 中 が 、天 皇 機 関 説 を 実 行す る のに最 も 勇 敢 な る も の であ
思 ひま す。 理由 を 挙 げ る ま でも あり ま せ ん が、 欧 洲戦 争 の始 つた 時
る やう に拝 見 し て居 ます 。 持 久 戦 争 は今 い つた やう に、 両 方 が相 協 調 し て行 か な け れば な ら
英 国 は、 そ ら ガ リポ リ を取 れ︱ こ れは無 理 な こと は 百 も 承知 で ある
の に、作 戦 を や るも のに成 る べく 武動 を立 て て貰 ひ た いと い つ て居
ニベ ー ルが悪 いと か、何 だ かん だと 作戦 に注 文 し た 。所 が ク レ マン
戦 争 の長 び く 一つ の原 因 にな つ た。 仏蘭 西 もジ ョ ッフ ルが悪 いと か
が、 輿 論 政治 の英 国 は統 帥 部 が邪 魔 を さ れ て あ の苦 戦 を や り、 終 に
ぬ。政 治 家 連 中 は何 を や つて居 ま す か、 私 の い つた こと を や つて居
る。統 帥 と い ふ こと は 国 民 に お任 せ にな つて居 りま せ ん 。政 治 は国
フ ォ ッシ ュ君 に 一切 任 し た 、 そ れ が何 方 に勝 負 が つく か わ か らな い
ソ ーと いふ偉 大 な る政 治家 が出 て来 て、戦 のこ と は自 分 の信 頼 す る
ま す か、 自 分 で本 当 に持 久 戦 争 の体制 を取 り得 な い で、 そ れ を補 ふ
の であ り ます 。 石 原 が参 謀 本 部 の第 一部 長 だ つた から 石原 の作 戦 だ
にあ りま す 。公 卿 さん が為 朝 の い つた こと に対 し て作 戦 上 の説 教 を
時︱ 千 九 百 十 八年 であ つた 。 フラ ンスが あ んな に戦 へた 原因 が こ こ
民 め 多 く の議 論 によ つて決 定 さ れ るが 、統 帥 は誰 も補 弼 の責 はな い
と か、参 謀 次長 の作 戦 だ と か い ふ こと は あ り ま せん 。 これ は全 部 聖
し た保 元 の乱 、私 は あ の時 と 昭和 の状 態 は非 常 に似 た 所 があ る の で
断 によ つて決 定 し て居 る のです 。 そ れ に向 つて作 戦 が何 だ か ん だと い ふ。私 は率 直 に いえ ば 、政 治 家 が ホ ラ南 京 を取 れ、 ホラ漢 口 を取
はな いか と 、 一寸 そ んな 風 に思 ふ こと があ り ます 。
所 謂 愛 国 主 義 者 と か右 翼 団 体 と か 、 さう いふ お方 々 が希 望 す る通 り
最 後 に、 私達 の使 命 にか へる のです が、 先刻 申 した 通 り 、本 当 に
れな ど と いふ こと は、 政 治家 の無 能 を ご ま か し て行 く と ころ の、 こ
支 那 を本 当 に屈伏 せ しむ る のは孫 の代 です 。百 万 の軍 隊 を使 つて孫
れは モ ル ヒネ注 射 であ り ま す。 カ ン フ ル注 射 で あり ま す 。 そし て結
て居 りま す 。 ﹁沢 山 な戦 です か ら、 さう いふ風 に カ ン フ ル注射 で行 く
局 不 自然 な る昂 奮 を国 民 に与 へる。 であ る か ら絶 え ず 気 勢 が浮 動 し
な さ い、 仏 蘭 西 や英 国 は 独 逸 を あ れだ け ベ ルサ イ ユ条 約 で縛 つた か
端 な武 力 で参 つた と言 は せ るに し ても 、 欧 洲戦 争 の経 験 を見 て御 覧
の代 ま でか か る つも り でな け れば な ら ぬ、 さう でな か つた ら中 途 半
い と思 ふ。 此 の点 は ま だ我 々は充 分 の発 言 権 を持 つて居 ると 思 ひ ま
れ な事 を や つた ら 、今 の独 逸 と英 国 の関 係 を繰 返 し て行 く に過 ぎ な
る だけ の体 制 を と り、 国 民 の気 持 を充 分諒 解 せ し め て、 そ し て成 る
す 。 そ れ で皆 さ ん は本 当 にガ ッチ リ や つ て下 さ い。持 久 戦 争 にた へ
ら 、当 分 は 高 枕 で居 ら れ ると思 つたら 、 十 年 か 二十 年 の中 に 此 の通 り です 。 私 は東 洋 民族 と し て非 常 に愉 快 に思 ふ のは、 満 洲事 変 以来
かけ て居 る と い ふ こと は喜 ぶ べき で、 こ れ を私達 は百 パ ー セ ント利
を し かけ て居 る のは 日本 だ が︱ 、 兎 に角 お隣 り の者 が本 当 に覚 醒 し
た ら これ に よ つ て支 那 四億 の民 は 目 を さ ます 、然 し此 の頃 は居 睡 り
程 さう です と い つ て居 た 。私 は今 度 の事 変 を悲 し む が、 観 方 によ つ
あ んな にや つた か ら支 那 は ピ ー ンと し た で はな いか と い つた ら 、 成
い、 支 那 は板 垣 さ ん に最 高 勲 章 を下 さ い、北 支 で板 垣 さ ん が絶 え ず
に お目 にか か つた時 い つた 。蒋 介 石 さ ん に私 が言 つた と い つて下 さ
億 の民 は ピ ー ンと しま し た 。私 は事 変 前 です が或 る支 那側 の思 想 家
る為 め だ から 我 慢 し ろ、 我 々が本 当 に仲 よく し て本 家 の仲 よく な る
し て や つて、 ﹁ 今 は本 家 同 士 喧 嘩 し て居 る が これ は本 当 に 仲 よ く な
ら 、随 分 ひど いと は思 ふ が我 慢 し て居 る。 此 の場 合 向 ふ の気 持 を察
な ど は旗 行 列 を し て居 る。 然 し満 洲 人 は や さし い人間 な も の です か
本 つけ ろ、 提 灯 行列 だ旗 行 列 だ﹂ と いふ の で、変 な顔 を し て小 学 生
喧 嘩 し て居 る、 と ころ が亭 主 が ﹁南 京 を取 つた から 目出 た い女 房 一
は ど う か と い ふと 日 本 人 と支 那 人 の夫婦 養 子 の国 です 、今 本 家 同 士
戦争 に対す る覚 悟 であ り ます 。 ど う も 日本 人 は 面 白 い奴 です。 満 洲
理 想 主義 満 洲 の再 建 に努 力 す る、 これ が私 達 満 洲 に居 るも の の此 の
国 の精 神 を 、 もう 一ぺん 七年 前 に還 す 、本 当 の協 和 精 神 を完 成 し て
我 々満 洲 に居 るも のは どう か。 歪 曲 さ れ つ つあ ると ころ の満 洲 建
べく 早 く 合 理 的 な媾 和 を や り得 る思 想 準備 を整 へて貰 ひた い 。
用 し よ う で は あり ま せ ん か。 単 に 力 を以 て支 那 人 を押 へ我 々 の思 ふ
殊 に今 度 の事変 以来 、 死 にか け て居 た と ころ の我 々 の兄弟 で あ る四
の戦 争 は、 我 々国 民 とし ては 何年 か か つ ても大 丈 夫 な 体 制 を と つて
通 り に し よう な ん で考 へたら 、 これ は絶 対 に問 題 にな り ま せ ん 。今
ふ の が、 私 は満 洲 の行 き 方 でな け れば な ら ぬと思 ふ の であ りま す。
基 礎 に しよ う では な い か﹂ と 云 つて着 物 の 一枚 で も買 つて や ると い
北 京 か ら支 那 人 の抗 日 を継 続 し て居 つた教 授 が や つ て来 ま し た。 そ
あ ん ま り自 慢 し てボ ロを出 す かも 知 れ ま せ ん が、 満 洲 の建 国大 学 に
す 。其 の間 の関 係 が非 常 に影 響 し た の では な い かと 思 ふ の です が︱
北 支 那 な ど は満 洲 以 上 に無 理 があ る の では な い か と私 は 見 て居 りま
まく 行 つ て居 り ま せん 。う ま く行 つ て居 り ま せ ん が不 思 議 な も ので、
然 し 現 在 のと ころ どう も遺 憾 な が ら満 洲 は お恥 し い次 第 です が 、う
敵 を負 かす と 共 に、我 々は 戦 の後 を どう す るか です 。殊 に協 和 会 と し て は其 処 に重 大使 命 があ る。私 は此 の戦争 を転 機 と し て、九 月 幾 日 か の議 会 開院 式 の御 勅 語 にあ る やう に、中 華 民 国 の反 省 を促 し て 東 亜 の平 和 を速 か に確 立 す る にあ る の です 。 我 が本 庄将 軍 の云 つて る通 り、求 め る所 は領 土 でな い、 権 益 で な い、 本 当 の提 携 だ、 ど ん な犠 牲 を払 つても 此 の根 本 思 想 に色 気 を出 し ては いか ん、 十 万 人 殺 し た か ら何 処 か か つば ら はな け れ ば なら んと いふ やう な 、 し み つた
れ は私 の考 へで は、 今 の満 洲 国 は必ず し も東 亜 聯 邦 の基礎 とす る、
か つた が、 傷兵 院 総 裁 にな つて親 任 官 待遇 だ さう だ が、 これ は内 務
め て平 凡 です が 、然 し今 の日本 を見 ると 、今 日本 主 閣 下 にお目 にか
行 つて実 現 し よう と い ふ のが、 大 体 の山 口君 の書 物 の着想 です 。極 ︹ 傷兵保護院︺
の方 式 は 理想 と し ては 宜 し い、 さう い ふ気 持 か ら来 た と 思 ひ ます 。
東 洋 平 和 の基 礎 とな る満 洲 ら しく は な いけ れ ども 、 兎 に角 満 洲 建 設
と いふ 本 を作 つた。 其 の本 を出 し て研 究資 料 にし よ う と思 ひ、 山 本
和 主義 の実 行 に従 事 し て居 る山 口と い ふ人 が 、︹協 和 会 指 導 要 綱 ﹂
会 の 一ば ん多 難 な 時 に事 務局 次 長 の席 に居 り、 今 牡 丹 江 に行 つ て協
で、今 ま で明 る み では 議 論 は あ りま せ ん。 此 の前 い つた通 り、協 和
は れ、意 見 も いろ いろ ご ざ い ます が、蔭 で グヅ グヅ い つて居 る だけ
次 に協 和 会 の問 題 です が 、協 和 会 に つい て は議 論 が頻 々とし て行
算 す る こと 、 そ れ に対 す る組 織 、 これ が 昭和 御 維 新 の最 も重 大 な こ
が悪 い、法 律 を学 ん で官 吏 にな つ て飯 を食 つて行 く と いふ考 へを清
ため に三 千 万 の民 心 を 失 つて居 る。 これ は何 と い つ ても 日本 の教育
な ど官吏 の古 手 が飯 を 食 ひ に行 く た め に 、僅 か 一万 の者 が飯 を食 ふ
し て居 る こと が満 洲 北 支 の全 部 に民 心 を失 つて居 る根 本 です 。 満 洲
ま でも な く 此 の前 も申 し ま し た が、 イ ンテ リ失 業 の スト ック が充満
何 と かし て官吏 の古 手 の収容 場 所 を 造 ら う とす る。 日 本 は申 上 げ る
此 の気持 で満 洲 を育 て て行 け ば 、私 は側 面 か ら 日支 事 変 を解 決 す る
さ んに お願 ひ し た から 必ず 出 る と思 つ て居 ます 。 そ れ は学 問 のな い
と だと思 ふ が、 そ れ が実 現し な いと満 洲 は絶 対 に いか な い。 根 本 は
い さう です 。私 も官 吏 の 一人 で止 め ると あ り つけ る かも知 れ な い が、
山 口君 の書 いた も の です し、 今 ま で マルク ス主 義 者 の思 想 的 訓 練 の
にダ ンピ ング に来 るな ら ま だ い いが、 日本 人 は剣 着 鉄 砲 に警 衛 さ れ
此 のイ ンテ リ スト ック が殆 ん ど 無 尽蔵 に 日本 にあ る こと です 。 満 洲
省 の役 人 の古手 を収 容 す る場 所 で、東 北振 興 株 式 会 社 と余 り変 ら な
洗 礼 を受 け て居 る我 々、 そ れ から 最 近 は ナ チ スや フ ァ ッシ ョの影響
と ころ の非常 な い い力 にな る ので はな いか と 、斯 う 信 じ て居 りま す 。
を 受 け て居 る 日本 人 か ら見 ると 、山 口君 の書 いた も のは何 だ か温 ま
山本 さ ん に お願 ひ す る外 はな いと思 つ て、兎 に角 山 本 さん の大 厦 高
て百 円 です む も のを 三百 円と く る、 さう い ふ人 間 が た つた 一万 人位
楼 に参 向 し てお願 ひ し よう と思 つたん です 。外 で は出 来 な いか ら山
湯 に入 つた やう に つま ら な いと 思 ふ だ らう 、 け れ ど も少 く と も其 の
な ら ぬ かと いふ こと の基 礎 を 簡単 に書 い て居 り ます 。 此 の考 へは今
本 さ ん の改 造社 か ら出 し て いた だ き、 ﹁改 造 ﹂ に辛 辣 な 批 評 を 出 し
では あ る が山 口君 は提 唱 し て居 り ます 。 私 は も う天 下 見 渡 す かぎ り
の北 京 から 大学 教 授 を満 洲 に来 て貰 ふ基 礎 の原動 力 にな つ て居 り ま
てい た だく と いふ こと に よ つて 、協 和 会 の本 当 の行 き 方 が世 に明 ら
居 るた め に三 千 万 の民 心 を失 つ て居 る、 さう いふ こ と を極 め て平 凡
す 。 其 の次 は 、政 府 万 能 官僚 万能 の行 政機 構 を、協 和 会 が政 治 の根
か にな り 、満 洲 とし ては 新 し い時 代 、 非常 に力 強 い劃 期 的 な時 代 に
中 に は今 御 紹 介 す る 二 つの こと があ り ます 。 一つは兎 に角 東 洋 を ど
本 方 針 を決 め る、 そし て最少 限 度 の キチ ンと杓 子 定規 で行 かな け れ
な ると思 ひ ます 。 又 観 方 に よ つ ては 改造 社 の文 章 報国 の 一つ にも な
う い ふ風 にし て行 く か 、東 洋 聯 邦 は どう い ふ風 に し て行 かな け れば
の こと は協 和 会 が会 の機 構 を総 動 員 し て 、 そ の気持 に国 民 を導 い て
ば な ら な い と ころ のも のは 、政 府 が其 の方針 で実 行 す る、 そ れ以 外
つて いた だ け る こと にな る ので はな い かと 思 つ て、 お願 ひ に行 かう と思 つた が、 若 い者 が 此 の爺 い つて は いけ な いと足 を引 つぱ るも の です から行 けな か つた が 、今 日は幸 ひ山 本 さ ん が お い で にな りま し
こ れ で私 の話 は終 り ます 。
た から 、 此 の場 でお願 ひ し てお く次 第 です 。
一四
( 昭和十三年五月十日 満洲国留日学生会館に於て)
陸軍 士官 学 校満 洲 国生 徒 に対 す る石 原少 将 講 演概 要 筆 記
て英 国 は清 朝 を援 け 、 ゴ ルド ン将 軍等 が現 は れ て賊 と戦 つた ので あ
向 で あ る。 阿片 を禁 ぜ ら れ ると 英 国 の損 害 とな る から、 戦 半 ば に し
(文責在筆者)
東 洋 人 は あら ゆ る意 味 に於 て西 洋人 に劣 るも ので はな い、今 日 の
る。 若 し維 新 の際 に日本 が支 那 の真似 をし て以 夷 制夷 の策 に頼 つた
様 な 状況 にな つた のは最 近 二三 百年 の事 であ る 。英 人 は そ の世 界 政 策 に基 い て先 づ 印度 に来 て、 仏 人 と争 つ て此 を奪 ひ、 勢 に乗 じ て極
な らば 、 日本 は分 割 され てしま つた で あ らう 。 私 は 以夷 征 夷 と 云 ふ
本 でも な か つた訳 では な い。 英 国 は官 軍 を援 け 、 仏 人 ロセ ス等 は幕
で あ るか ら だ。 然 し これ に は限 度 があ る。 外 国 の援 助 と 云ふ事 は 日
こと を決 し て悪 く は 云は な い。 そ れ は ど この国 でも外 交 の根 本 方針
東 に来 た の であ る。
の被 害 者 は支 那 であ つた、 英 国程 漢 民 族 に対 し て残 酷 だ つた も のは
先 づ支 那 に来 て印度 に産 す る阿片 を売 付 け て此 を搾 取 し た。 第 一
世界 にな い。 阿片 戦 争 は此 に対 す る漢 民 族 の反 撥 であ るが、 偶 々明
国 を 売 つて ま で、 外国 の力 を 借 り やう と はし な か つた の であ る。
府 を援 け て争 つた が、 日本 側 で限 度 を知 つて ゐた 。
つた の で あ る。 阿片 戦 争 によ る警 報 は和 蘭 を通 じ て日 本 に伝 へられ 、
治維 新 に該 当 す る長 髪 賊 の乱 、 即 ち太 平 天 国 の乱 が之 に こん が ら が
私 は今 文那 が ソヴ ェート や英 国 と 結 ぶ事 を悪 く 云 はう と思 は な い。
比 較 せよ と 云 ふ が、 現在 の日本 は 決 し て十 分 良 い国 で はな い。 明治
我国 は そ れ に備 へた。 かく てそ の直 後 米 仏英 が相 踵 い で日本 に来 た
以 来 西 洋 の文 化 を 盛 に取 入 れた が未 だ十 分 には 消 化 さ れ て ゐな い。
ふ。 諸 君 は 日支 の場 合 を よ く比 較 し て研 究 せら れ た い。 私 は 日支 を
日本 は支 那 を追 越 し、 兄 貴 株 と成 上 つた 。 そ の点 我 々は 支那 に感謝
昭 和 の維新 に依 り て飛 躍す べき に拘 らず 、 十 分 に な つて ゐな い。 日
し かし 百年 前 の経 験 に依 り 、其 は 十 分注 意 し て か かる べ き事 だ と思
す べ き であ る。 此場 合 阿 片 戦争 に対 す る日支 の態 度 は反 省 を要 す る
本 の悪 い処 を挙 げ れ ば、 いく ら も あ る。 し かし 諸君 は 日本 の悪 い処
が 、 日本 は支 那 の経 験 に鑑 み 、幸 に支 那 の如 き惨 害 を 免 れ る を得 た 。
も のがあ る。其 は外 国 に対 す る関 係 であ る。 長 髪 賊 の乱 に当 り英 国
此危 機 に処 す る 方策 の相 違 に依 り 、文 化 的 に は支 那 の弟 子 で あ つた
は初 め賊 を 助 け た ので あ るが 、阿 片 を禁 ず る の は長髪 賊 の必 然 的 傾
今 から 三十 五 六年 前 、 日露 戦争 の前 であ る が 、私 は そ の頃 仙 台 幼
の政 策 は 正 し い も のと は 云 得 な い。 西 洋 人 の 云 ふ程 悪辣 な も の では
か つた 。彼 等 と伍 し て発 展 しな け れ ば な らな か つた 。 そ の頃 の日 本
ば な ら な く な つた 。 し か も 当時 の 日本 は西 洋 を 恐 れ な け れば な ら な
つた 。 日本 人 は始 め に支 那 を救 け よ う とし た が今 度 は搾 取 し な け れ
年 学 校 に居 た。 私 は当 時 から 支 那問 題 の研 究者 で あ つた 。 日本 は明
を 云ふ よ りも 、 まず 日本 の良 い処 を見 て欲 し いと思 ふ。
治 の御維 新 に よ つ て これ だけ 立 派 にな つたけ れ ど支 那 はだ め だ。 何
二十 一ケ 条 の如 き、 悪 い には悪 い とは 云 へ、西 洋 諸 国 の間 に立 つて
唯 一の独 立 国 と し て立 つ て行 かう とす る日本 とし ては 、 支那 に利 権
な いと は 云 へ、確 か によ いも の では な か つた。 欧 洲 大戦 当 時 の例 の
いは ば同 志 であ つた。 多 田 さん も板 垣 さん も み な同 志 であ つた。 孫
を求 めざ る を得 な か つた 。 支 那 と し ても 英 米 を や つ つけ る こと が出
卒 支 那 が革 命 を成 就 し、 日本 と同 様 に発 達 し 、手 を携 へてゆ き度 い
文 以 下 日本 で は兄 弟 の如 く 待 遇 さ れ て ゐた の であ つた。 だ から 日清
た ので あ る。 こ のゆ き方 は私 は 日本 人 の見 地 を離 れ て も已 む を得 な
来 ず 成 り上 り 者 の日本 を苛 め た 。 日本 と し ては どう し よう も な か つ
と希 つた 。近 衛 公 の先 代 霞 山 公 や頭 山 満 な ど も 皆志 を同 じ く す る、
戦 争 で日本 は支 那 を叩 い た が、 支 那 は敗 れ ても 日本 に悪 意 を懐 かな
か つたと 思 ふ。 こ の点 支 那 の人 も同 情 的 に見 て 呉 れ て よ い の であ る。
か つた 。 支那 から は滔 々と し て留 学 生 が や つ て来 た 。
し か し暴 は依 然 と し て暴 で あ る。 し か る に 一旦 大戦 が終 り平 和 条約
日露戦 争 では 、 日本 は 日英 同 盟 が あ つたと は 云 へ、武 力 的 に は独
締結 の時 にな ると 、支 那 は得意 の外交 乎 段 を 以 て欧 米 と結 び、 日本
相提 携 し て行 かう と 云 ふ気 持 は 忘 れ ら れ、 兄弟 喧 嘩 に な り、 終始 が
力 で辛 う じ て ロシ アを 破 る こ と が出来 た。 こ れは東 亜諸 民 族 を覚 醒
た 々 々を繰 返 し 、 遂 に 日本 を満 洲 から閉 出 さう と し て 、 昭和 六 年 の
を こ つぴ どく や つ つけ た。 こ れも 無 理 もな い。 かう し て 三十 年 前 の
所 がそ の頃 より 日本 は育 つて来 た 。 そ の頃 ま で欧 米 諸 国 は日 本 を
せし め た 、実 に世 界史 的大 事 件 であ つた。 支 那 四億 の大 衆 は 勿論 安
子供 扱 ひに し て ゐ た の であ る が、 日 本 が筋 骨 逞 し き 大 人 とな り 一本
満 洲事 変 を惹 起 す に至 つた。 此 事 変 と 云 ふも のは 、実 に已 む を 得ざ
南 、 フ ィリ ッピ ン等 日 本 に 心 から な る好 意 を寄 せる に至 つた。
立 ち にな る に及 び、欧 米 の日本 を 見 る眼 は変 つ て来 た 。今 度 は 日本
る必 然的 結 果 であ る。
満 洲 は 元 々蒙 、満 、鮮 人 の土 地 であ つて最 近 ま で支 那 の土 地 では
が黄 色 人種 の代 表 と な つ て白 人 種 から睨 ま れ る こと に な つた。 そ れ は子 供 と し て可 愛 がら れ た時 代 がす ぎ て今 度 は 白 人 を向 ふ にま は さ ねば な ら ぬ情 況 と な つた 。所 が西 洋 人 を向 ふ に廻 し 、 支那 をも 恃 ま
変 を契機 と し て満 洲 が 独 立 し た事 は、来 る べき も のが来 る処 ま で来
支 那 の植 民地 であ つた が 、現 実 的 に は支 那 と異 つて ゐ る。 満 洲事
な か つた 。
た も の であ ると 私 は 思 ふ 。
ず 、 独力 で東 洋 の為 に群 が る西 洋 諸国 と戦 ふ には 、経 済 的 にも 一本 立 にな ら な け れば な ら な い。 日清 、 日露 の両 役 を経 て 、 日本 資 本主
私 は自 ら 先覚 者 を以 て任ず る のも気 恥 し い事 であ るが 、同 志 も満
義 経 済 は飛 躍 的 発達 を遂 げ た が 、 そ の為 には 市 場 が 必要 にな る。為 に否 でも応 でも 支 那 を市 場 とし て獲 得 搾 取 し な け れ ば な ら ぬ事 に な
う な つた。 そう し な け れ ば 日 本 は西 洋 人 に張 合 つ て行 け な か つた か
支 那 に侵 略 し た事 を あ や ま れ 、西 洋 人 の圧 迫 を 恐 れ て や む を得 ず か
し て は土 下 座 をし て支 那 に あ や ま れ と 云 つた 。 三 十年 こ の方 日本 が
洲 を そう 云 ふ処 と し て認識 し て欲 し い。 だ から 満 洲事 変 後 の我 々と
か く満 洲事 変 を契 機 とし て日 支 の関 係 に は大 きな 変 化 が生 じ た事 は、
は現 実 と し て は遺 憾 乍 ら 勿 論 そ こま で は進 ん で居 な い。 し か し と に
す る者 は 一人 もな い状 態 であ る 。満 洲 事 変 を契 機 と す る新 し い建 設
族協 和 で あ る 、民 族 協 和 でな け れ ば いけ な い と 云 ふ事 にな り 、反 対
断 じ て争 ふ べ から ざ る事 実 であ る。
満 人 に し て 日系 人 に対 し て反 感 を抱 く事 あ る を已 む を 得ず とす る
ら だ 。今 満 洲 が独 立 し た に就 いて は、 此 を 日支 共 同 の独 立国 と し て
も 、目 先 の事 に目 が眩 ん で大 き な東 亜 の動 き を見 遁 す 者 は 、決 し て
支那 人 も心 を平 にし て見 て貰 ひ た い。 そし て、 こ の建 国 に協 力 し て 戴 き た い。 今 や幸 にし て我 々は西 洋 を恐 れ る必 要 がな く な つた 。我
新建 設 のリ ー ダ ー と はな れな い。
も 、其 は東 亜 に於 け る日 支 の如 き も の で、 一つ の ヨー ロ ッパ の中 の
ヨー ロ ッパ、 東 亜 であ る。 ヒ ット ラ ー と か ム ッソリ ー ニと か 云 つ て
今 日 の世 界 は 四 つの世 界 に分 れ て ゐ る 。即 ち ア メリ カ 、 ロシ ア、
ふ こと は時 代 おく れ とな つた 。
静 か に今 日 の世 界 の大 勢 を 見 ると個 々 の国 家 が 一単 位 と な つて争
々は支 那本 土 に於 け る政 治 的 権益 は金 部 返 却 す る。白 人種 が 云 ふ こ と を き かな か つた ら 武 力 でと り上 げ ても 真 の中 国 の独 立 を完 成 し よ う 。 日本 の 三十 年来 の暴 力 行使 を あ やま る が い い。 と 私 は主 張 し た。
あ る 日本 人 の全 部 が、 さ う 急速 に思 想 を転 換 す る事 は 不可 能 で あ つ
も ので あ る。 次 の時 代 には 世界 は 一つ とな る であ らう 、私 の戦 争 の
此考 に つい て は日 本 の 一部 分 に は共 鳴 者 が あ るが 八 千 万 も九 千 万 も
て、 三十 年 来 の侵 略主 義 的 な気 持 は今 日と 雖 も 未 だ全 く清 算 さ れ る
研 究 で は諸 君 が生 き て ゐる間 に お そら く 東 洋 人 が指 導 者 とな る 一の
に至 つて ゐな い。 そ し て悲 し む べ き今 日 の大 事 件 と な つた。 そう 云 ふ気 持 が 今 回 の事 変 の発 生 にも 手 伝 つ て ゐる が 、し かし 満
地位 に立 つ者 であ る。 ス タ ーリ ンは よく や つ て ゐる が 、 G ・P ・U
世 界 にな る。 それ に優 位 を占 め得 る者 は協 同 し て大 な る力 を 占 め る
な ど使 つて余 り厳 重 にや つて ゐ る から 、 硬 す ぎ る、 ま る で瀬 戸 物 の
洲 事 変 の時 と は 日 本 人 の気 持 は非 常 に変 化 し て い る。御 詔 勅 に もあ
のも の であ り 、 又 、吾 等 尊敬 す る本 庄 大 将 も亦 日 本 の中 国 に望 む も
ト ロツ キ イ は人 類 の為 に色 々得 難 い経 験 をし て呉 れ た のであ る が、
様 な感 じ で、 落 ち れば ガ チ ャ ンと壊 れ さう な 気 がす る。 レ ー ニンや
る通 り、 今 次 事 変 は中 国 人 の反 省 を促 し 、 東 亜 の平和 を求 め る ため
のは権 益 擁 護 に非ず 領 土的 野 心 に非 ず 、 両 国 の提 携 で あ る と 云 は れ
ば か り し て勢 力 を 消 耗 し 、 大事 を なす 事 が出 事 な い。
才 的 な も の や、 え ら い国 が多 い が 、偉 いも の が多 過ぎ て お互 に喧 嘩
ヨー ロ ッパ には ド イ ツや 、悪 辣 極 ま る、 え ら い英 国 や、 仏 伊 の天
大体 に於 て失 敗 であ る。
て ゐ る。 し かし 戦 を や つて 見 る と仲 々 さう は 行 か な い 。 だ が西 洋 人 の考 へて ゐ る様 な 利 権 獲得 の問 題 で はな い。 或 は 利権 を 云 ひ 、賠 償
くな り つつあ る。満 洲 事変 の時 民 族 協 和 と 云 ふ事 は 、 日本 の侵 略 主
を 云 ひ駐 兵 権 な ど と 云 つ て ゐる け れ ど観 念 と し ては か か る思 想 はな
義 のカ ム フラ ージ ュだ と老 へら れ て ゐた 。 し か し 今 や満 洲 は絶 対 民
ア メ リ カ (南 北 ) は 野蛮 人 の集 り だ が将 来 が あ る。 東 洋 に就 て 云 ふと 、 今度 の日支 事 変 が ど う な る か が東 洋 の運 命 を き め る も の であ る と 云 へる。 朝 から 晩 ま で喧 嘩 し て力 強 きも のが弱
建 国 大 学 に 今度 北 京 から 二名 の教 授 が参 加 し、 満 洲 の道義 的 建 設
に協 力 し て呉 れ る こと にな つた。 此 は 日満 支 不可 分 で行 く と 云 ふ事
満 洲 国 の治 安 も大 い に よく な つた 。東 邊 道 は張 學 良 時 代 よ り は遙
が支 那 人 にも判 つた ので 、理 論 的 には大 な る 飛躍 で あ る。
一千 名 の匪 賊 の無 条 件 武 装 解 除 の如 き は 、昔 は考 へら れな か つた事
か に良 い。 最 近満 洲 国 軍 の二十 六 旅 に よ る綏 賓 線 の方 正 で行 は れ た
き も のを抑 へる の では だ め だ。 王 道 と は さ う 云 ふ こと では な い。力 を 以 て弱 い者 を 抑 へつけ る のでは な く 、徳 を 以 て結 び つく も の で皇
の国 とし て の遣 方 は や は り昔 の やり 方 と同 様 で力 を も つてし 、自 国
来 年 から は 日本 軍 の師 団 は治 安 維持 をす つか り満 軍 に委 せ る事 に な
め た 事 に依 る ので あ り、 満 軍 が 一本 立 に な らう と し て ゐ る姿 であ る。
こ の治安 回復 は満 軍 が漸 く 建 国 の意義 を 理解 し、 積 極 的 に動 き始
であ る。今 は 三江 省 のみ で あ る が 一二年 の内 に 必ず 解 決 出来 る 。
道 と同 じ であ る。 西 洋 は力 を以 てし 、東 洋 は道 徳 を以 てす る 。 ヒ ッ ト ラ ー は非 常 な 哲 人 で、道 徳 的 には 最 も 正 し く 、身 を持 す る こと 謹
に有 利 な るも のと のみ 結 ぶ政 策 であ る。 日 支 の関 係 は今 は か う し て
厳 で世 界 の歴 史 上 の君 主中 で も稀 な 人 と思 は れ る が、 し かし ド イ ツ
争 つて ゐ る が、 や が て 心 から の提 携 が出 来 、長 短 相 補 ひ助 け合 つて
つ てし ま ふ で あら う 。 又 若 干 年後 には治 安 部 は再 びも と の軍 政 部 に
な つ て日本 軍 と共 同 し て国 防 の第 一線 に立 つ よう にな る であ らう 。
り 、 明 後年 か ら は独 立 守 備 隊 も 治 安 に は不 要 にな つ て鉄 道 地域 に 入
の闘 争 に最 後 の勝利 を得 る事 が出 来 る ので あ る。 悲 し む べ き今 日 の
諸 君 の帰 る頃 に は満 洲 国 軍 の師 団 が国 境 附 近 に 一二出 来 ると思 ふ。
行 け る やう にな る と 思 ふ 。道 義 に結 ぶ こと に よ つて東 洋 は 西 洋 人 と
事件 の現 実 に眩 惑 さ れず に此 血 み ど ろ の今 日 は や が て本 当 の王道 的
一本 立 とな つ た のは 、 断 じ て建 国 精 神 の理 解 が根 本 であ る。 本 年 六
月 一日 から 精 軍 指 導 部 が 置 かれ 、各 軍 管 区 より 若 い優 れ た将 校 を集
諸 君 の貴任 は重 大 で あ る。 かく し て満 軍 が 日本 軍 の指 導 から離 れ、
め て建 国 建 軍 の精 神 を徹 底 さ せ る こと にな つた 。兵 の素 質 の改 善 と
地 から し て満 洲 は絶 対 に重 要 な 地位 に あ る。 満 洲 は 昔 は蒙 古 人 、満 人 それ か ら朝 鮮 人 の土 地 であ り 、最 近 に支
結 合 に飛 躍 出 来 る と思 ふ。 我 々は断 じ て や ら な け れば な ら ぬ 。 此 見
に東 洋 を防 い だ の であ る。 か く て満 洲 は 日 支 の共 同植 民 地 であ り 、
那 人 が入 つた 。 日本 は満 洲 を 西洋 の手 から 護 る事 に よ り 、自 分 と 共
の教 の下 に建 国 の精 神 を体 得 せ よ。 諸 君 が国 に帰 ら れ た ら 二 つ の方
相 俟 つて軍 の組 織 を改 良 す る 。諸 君 は私 の絶 対 に信 頼 す る成 田大 尉
面 より 不 当 な 圧迫 を受 け る で あら う 。 一は 日系 軍 官 で あ り 一は満 軍
又諸 民 族 の共 同 の財 産 であ る 。満 洲 に於 て諸 民 族 は合 理 的 に協 同 し な け れば な ら ぬ。 こ の事 に よ つて東 亜 を真 に 平和 に出 来 る。 此 見 地
運 命 を 開 拓 し な け れば な ら ぬ。 今 日 の如 き大 き な 転 換 期 に起 き て来
き ま と ふ。両 方 よ り本 当 に信 頼 さ れ る諸 君 の力 と精 神 で諸 君自 ら の
の古 き 幹 部 であ る 。 し か し男 が大 き な こと を なす 時 は必 ず 困 難 は つ
満 洲 は現 実 には未 だ 十分 では な い、良 く な い處 もあ る が、着 々と
から し て満 洲 の責 任 は 非常 に 重大 であ る。
し て進 歩 し てゐ る 。
の勝 利 を作 れ、 緒 君 の場 合 の本 当 の勝 利 と は 諸君 の力 で真 の満 洲国
る あ は れむ べき 人 間 の迷 妄 を大 きく の み こん で 五年 十 年 の後 の本 当
軍 を建 設 す る こと で あ る 。
東 亜 聯 盟
(昭 和 二 十 一年
石 原 手 記)
人多 か りし も 彼等 は 日支 両 国 の和 解 な く し て は安 じ て建 国 に協 力
一五
一、東 亜 聯 盟 は満 洲建 国 に端 を 発 せ り。 若 し 建 国 前 後 に於 け る我 等
し難 しと せ るは 当 然 な り 。
依 て 日鮮 支 各 民 族 の同 志 が研 究協 議 の結 果 民族 協 和 の理 想 を押
が 心境 の開 陳 を 許 さ る ゝな らば 次 の如 し。
し進 め て道 義 によ る東 亜 聯 盟 を結 成 す べ し と の結 論 に達 せ り 。 こ
1 、満 洲 事 変前 満 洲 に於 ける 日支 の紛 争 は 日 に切迫 し 日本 が政 治 的 軍 事 的 に全 面 的 退却 をな す 以外 平 和 的 解 決 の道 な し と判 断 せら
の権 益 を返 還 す べき も のと せ り。 即 ち 日本 は 治外 法 権 の撤 廃 、 租
れ が ため 支 那 が満 洲建 国 を認 む るな ら ば 日本 は支 那 に対 す る凡 て
界 の返 還 等 は 勿 論 支 那 よ り完 全 に撤 兵 し 支 那 の完 全 な る独 立 に協
日本 の退 却後 蘇聯 の南 下 に対 し支 那 が独 力 防 衛 の力 な き は明 白
れ たり 。
に し て日 本 の退却 は更 に新 し き東 亜 の不安 を招 来 せ ん 。
力 せ んと す るも のな り 。
①、満 洲 に於 け る既 得 のあ ら ゆ る権 益 を満 洲 国 に譲 与 し
国同 志 の努 力 に より 時 に改 善 の希 望 を与 へた る こと あ り し も遂 に大
め ら れ満 洲 国 は 右 方 針 と 全 く反 対 の日 本 独 占 の方 向 に急 変 し 以 後 建
二 、満 洲 事 変 勃 発 後 一年 な らず し て関 東 軍 の責 任者 は全 部 転 出 せ し
に声 明 せら れ た り 。
東 亜 聯 盟 の思 想 は満 洲 国協 和 会 に採 用 せ ら れ 昭和 八年 三 月 正 式
2 、満 洲 事 変 を契 機 と し て実 力 を 以 て満 洲 を支 那 よ り 分離 す る行 動 は重 大 な る暴 挙 な る は明 な る も反 面 これ に より 前項 の不安 を 一 掃 す ると 共 に満 洲 国 の建 設 に際 し 日本 が深 き反 省 の下 に本 来 の態
②、各 民 族 は満 洲 国 に於 て全 く平 等 の待 遇 を受 け 民族 協 和 の実
世界 に向 ひ衷 心 よ り自 己 の不 明 を陳 謝 し 、 謹 で全責 任 を負 は んと 欲
勢 を挽 回す る能 はず し て今 次世 界 大 戦 の導 火 線 と な れ り。 我 等 は 全
度 を 一変 し 、
を挙 げ るに於 ては却 て遠 からず 支 那 の理 解 を得 て多 年 に亙 る お
す る も のな り。
互 の不信 を 一掃 し得 べき を信 ぜ り。 3、 民族 協 和 の理想 は在 満支 那 人中 に も強 き共 鳴 を 以 て迎 へた る
三、満洲国内情勢 の変化 により協和会 は積極的 に東亜聯盟 の運動 を 展開す る能 はざりしも協和会東京事務所 は日本内地 に東亜聯盟 の宣 伝 に努力し特 に支那事変勃発後 は全力を之 に傾注せり。 此運動 が漸く世人の注目 を引く に至 るや、昭和十三年十二月憲兵
支 部 内 の統 制 は中 堅 会 員 の会 議 によ り 、未 だ支 部長 な き 支部 多 数
運 動 は指 導 原 理 に基 き各 支 部 の自 主 的 活動 に委 せり 。
を占 め た り。 本 部 の運 動 方 針 は 各 支 部 代表 者 の会 議 によ り て決 定 し、
九 、政 府 特 に軍 の圧迫 強化 す る に従 ひ東 亜聯 盟 同 志 会 は益 〓国 民大
顧 問 は会 の運 営 に つ いて進 で干 与 す る職務 に あらず 。
会 長 を得 る に至 ら ざ り き 。
部 を拘引半 ケ年 に亘り之 を留置 せり。
に展 開 し つゝあ り し が 、 昭和 十 七年 酵 素 によ る肥 料 生 産 及 食 品 加 工
衆 に 日支 和 解 の大道 を宣 伝 す る の要 を痛 感 し て逐 次 運 動 は農 村 方面
は不当 にも満洲国大使館内 にありし協 和会事務所を臨検し所員 の大 四、かく て日本内地 に於 ける協和会 の東亜聯盟運動 が全く停屯せる
酵 素 の培 養 は 未 だ 科学 的 にあ ら ず 直 感 によ らざ るを 得 ざ る結 果 、
に至 れ り 。
の技 術 を と り入 る ゝに及 び会 員 数 増 加 の傾 向漸 く目 醒 し き も のあ る
結果 昭和十 四年秋東亜聯 盟協会誕生し東亜聯盟 の方針 に基き支那事 変 の全面的解決を計 るべきを主張 せり。 協会 の創立者は代議士木村武雄 なり。 五、支那事変解決 の遅延 に伴 ひ国民 の東 亜聯盟 に対す る関心高まり、
九年 頃 よ り顕 著 な る効 果 を収 め会 員 数 は 急速 に増 加 せ り。
昭和 十五年末 には相当多 数 の代議士 が聯盟指導 の下 に支那現地視察
十 、敗 戦 後 、失 心 状 態 に陥 れ る国 民 を激 励 し増 産 に全 力 を 注 ぎ つ つ
る も優 秀 な る技 術 者 の養 成 と厳 格 な る酵 素 元種 の管 理 に よ り昭 和 十
六年 一月十 四日閣議声 明 により暗 々裡 に東亜聯盟解散 の意を示せり。
あ り し際 昭和 二十 一年 一月 四日 解 散 命令 を発 せ ら る。
技 術 は慎 重 な る訓練 と 十 分 な る監 督 を必 要 と し普 及 に相 当 の困難 あ
六、東亜聯盟 は右 の圧迫 に屈 せざ りしが政府 は進 で解散 を命ず る勇
会 員 は其 理由 を 理 解 す る能 はず 、 政 府 に質 問 せ るも 要 領 を得 ず 止
を行 はんとす るや東條陸相は甚 しく狼狽して之 を妨害 し遂 に昭和十
気 なく遂 に興亜同盟 なる官製団体 を設立し東亜聯盟協会をそ の中 に 吸収せんと試 みたり。
む な く直 接 占 領 軍 の司令 部 に陳 情 せる も解 散 理 由 の指 示 を受 く る能 はず 。
東亜聯盟 は其試 みにも服 せざ りしが遂 に名称 を東亜聯盟同志 会と 改 め之 に先ち て責 任者は木村武雄 に代り て和 田勁就任 せり。 七、昭和十六年三月予備役 に入 りし石原は会員 の要請 を斥く る能 は に出講し其所信 を述べたり。
ず 、遂 に同志会顧問を受諾 し要求 に応じて各 地 の講演会、講習会等
の組織は貧弱 にし て指導原理 の発表以外 に運動 を統制す る能力なく
八、同志会 は会外より全 く資金的援助を仰 がざ る団体な るため本部
関参満 六七九号
康 徳 五 年 度 満 洲 国 予 算 編 成 ニ関 ス ル 要 望 ノ
五 、 日本 帝 国 ノ企 劃 ス ル所 ニ照 応 シ特 ニ満 洲 ノ特 殊 性 ヲ加 味 シ国家
序 ヲ按 配 シ其 実 行 ニ遺 憾 ナ カ ラ シ ム ル コト
一六
満 洲 帝国 国 務 院 総 務長 官 星 野 直 樹 殿
総 動員 及軍 需 工業 動 員 ノ積 極 的 遂 行 ニ ヨリ時 局 ニ対処 セ シ ム ル ノ外
( 昭和拾弐年九月拾八日 関東軍参謀長 東條英機)
首 題 ノ件 ニ関 シ特 ニ日満 共 同 防 衛 ノ見 地 ニ於 テ左 記 ノ通 リ要 望 セ
件 通牒
ラ レタ ル ニ付 予 算 編 成 上然 ル ヘク指 導 セ ラ レ特 ニ継 続 的 計 画 、財 政
将来 戦 準備 ヲ顧 慮 シ更 ニ之 カ完 成 ニ努 ム ル コト
六 、 日本 帝 国 ニ対 シ必要 ナ ル時 局 必 要 物 資 ノ供 給 其 他 日満 一体 ノ見
ノ弾 力 保 持 及 重 点 形 成 ニ関 シ配 慮 相 成度 依 命 通 牒 ス
七 、 以 上各 項 ニ伴 ヒ康徳 五年 度 以 降 国 防 分担 金 制 ハ当 分 停 止 シ物 納
地 ニ基 ク金 融 財 政 上 ノ企 劃 ヲ考 慮 スル コト
払等 ニ拠 ル ヘキ方策 ノ調 整 具 現 ニ関 シ研究 ス ル コト
記
一、 現 下 ノ時 局 ニ鑑 ミ 日満 共 同 防衛 上緊 急 ナ ル諸 施設 ニ要 ス ル経 費
左
追 テ細 部 ニ関 シテ ハ別 ニ主 務 者 ヨリ連 絡 セ シ ム ル ニ付 承知 相 成 度
ハ可 及 的 支出 ノ途 ヲ講 スル コト 二、 協 和 会 ノ助成 農 村 及 一般 庶 民 ノ福 利 増 進 其 他 人 心安 定 ニ関 スル
三、 軍 警 ヲ整 備 シ其 質 ノ改 善 ト相 俟 チ治 安 維 持 力 ヲ鞏 化 スル ト共 ニ
方 策 ヲ徹 底 化 ス ル コト
司 法 機 関特 ニ軍 司 法 機 関 ラ充実 シ法 権 撤 廃 後 ノ善 後 措 置 ヲ全 ウ シ又 満 洲 国 四圍 ノ情 勢 ニ鑑 ミ特 ニ防 諜 組 織 ヲ完 成 ス ル ニ遺 憾 ナ カ ラ シ ム ル コト 四 、産 業 五年 計 画 ノ遂 行 ニ ハ日本 内 地 ノ投 資 梗 塞 其 他 ノ困 難 ヲ排 除 シ其 促 進 ヲ期 スル如 ク経 費 及 資 金 ヲ投 下 シ特 ニ現 時 局 ニ鑑 ミ緩 急 順
一七
満 洲 国産 業 開 発 五年 計 画第 二年 度 以降 修 正
会 議 席 上 に 於 け る 関 東 軍 参 謀 長 口演 要 旨
討す るに能く過去 の実績 を反省し て 一層計 画の実現性を確保す ると
関 東 軍 司令 部 )
本 日茲 に満 洲国産業発展史上 に 一新紀元 を劃すべき産 業開発 五年
(昭 和 一三 、 五 、 一四
計画 の積極的修 正に関す る会議開催 せら れ各位と共に第 一年度 の実
て軍 は全幅 の同意 を表す る所なると共に会同 の諸機 関 の戮力協心 に
共 に現下非常時局 の要請 に即応しありて其方策企図 に対し大綱 に於
せられんことを望 む 昭和十三年 五月十 四日
関東軍参謀長
東
條
英 機
以て其達成 に邁進し、真 に日満共同防衛 の完成、国運 の進展 に寄与
し政府 の企図す る所 と軍 の要望とを咀嚼し不屈不撓熱烈なる意気 を
会同 の各位宜しく本計画 の目的 に鑑み日満 一体 の根本原則に立脚
し軍 の要望す る所を開陳せんとす
政府既に其方策 に嶄新 の工夫を重 ねありと雖更 に若干 の要目に関
のみならず絶大 なる創意工夫を必要 とす べし
労力、技 術其他生産諸力 の総動員 を必要とし前途幾多 の困難を伴 ふ
より其具現を待望 して已まず然れ共本計画 の実行に当 りては、資本、
績を聴取し更 に今後 の嚮 ふべき方途 を審 にし得たるは本職 の極 め て 欣快 とする所 なり 惟 ふに現下 の国際情 勢就中東亜 の事態は日支事変 の進展 に伴ひ彼 の長期抵抗 に対処し て速 に之 を潰滅せしむるのみならず新支那建設 の為其 の援助を要す るものあるの外、特 に北 辺の防衛 に 一日 の偸安 を許 さざ るも のあり、真 に未曾有 の国歩艱難 に直面 せるも のと謂 は ざ る可 からす然 れ共 一面 に於 て之を見 れば実 に国家興隆、飛躍発展 に際し受 くべき必然 の試錬 にして之 れを克服し禍 を転じて福 となし 始めて東 亜永遠 の平和 の礎石たらしむ るべく其成否 は 一に懸 りて日 満 共同防衛力 の徹底的充実 に存 す 曩 に満洲国政府竝在 満各機関 は協力 一致産 業開発 五年計画を樹立 し日本帝国 の助力に依 りて其第 一年度を終 り今 日満洲国政府に於 て 先づ其第 二年度 以降計画 に対し積極 的修正 を加 へ更 に生産力 の 一大 飛躍拡大を画策 せらる、共修正方策 竝内容 の説明 に付仔細 に之を検
一八
満 洲 国 産 業 開 発 五 年 計 画 第 二年 度 以 降
関 東 軍 司 令 部)
画 たらしむ ると共に、知 りて其実行 に移るや拙速耐忍を第 一義とし
到 なる検討 を加 へ之を 一層企業技術的 に可能 ならしむ べき具体的計
其籌画 に参ず るや胸襟 を披 き蘊蓄を傾け本計 画 の大綱 に基き更 に周
く小異 を棄 てて大同に就 き在満諸機関挙げ て之 に参画し、虚心坦懐 、
整備 し広く衆智 を聚め て其万全 を期 せんとす るの企図 あり各位宜し
す幸 に満洲国政府爰 に見る所 ありて新 に本計画遂行 上独特 の機構を
は資本導 入其他 に於 て幾多 の創意 工夫 と有機的連絡及綜合 を必要と
のなりと雖、更 に之を具体化す るに際 しては企業 、技術、労務若く
(昭和 一三、 五 、 一四
修 正 計 画 の遂 行 に 対 す る 関 東 軍 要 望
一、計画遂行上 の協力 一致 に就 て 抑 々産 業開発 五年計画 は 一は以て有事 の際 日満国防上必要 なる資 源 の開発国力 の増進 に寄与すべき こと勿論なりと雖 も他は以て満洲 国結成上産業開発 を通じ秩序 と協同 の再組織 の完成 を庶幾 し国民生 活 の安定 、民族協和 の顕現を促進す べきも のなり従 て在満諸機関 は 万難を排 し先づ以 て其努力を傾倒帰 一し、今次政府 の企図 せる修正 計画 の遂行 に関し協力 一致、緊密 なる聯鎖を以て其具現 に邁進す る と共 に軍、官民 ︹協和力行﹂各 々重大な る使命 を自覚 し挙国協同 の
遂行を的確ならしむるは義務 と責任 の所在 を明らかならしむ るに如
各 々全力を尽し て其負荷 を貫徹する所 なかるべからず、蓋し政策 の
くは関係機関又 は 一部企業家本位 のも のに陥 り、広く国民大衆 の奮
く はなし、殊に満 洲に於 ける特殊会社 の如 きは其成立 の使命 に鑑 み
実 を収 むる如くならしむるを要す特 に此種計 画は動 もす れば政府若 起、労務者自体 の自覚 を促す点 に於 て等閑視 され易き所な るを以て
政府 の分身 者とも見得 べき本質 を有 するも のなるを以 て能 く国策 を
るも のと謂 ふべく同慶 に堪 へざるも往 々にして之等 は自家 の見に捉
今次本計 画に対す る科学者技術者 の本格的参与 は正 に 一進展を劃 せ
其機能 、能率 を最大限 に発揮 せしむる こと極 めて大な るも のあり又
明確にし て其責任 を明ならしむ ると共に其経営 の手腕力量 に信頼 し
特 に協 和会 の行 ふ工作等 と相俟 ち挙国産業建設、国防強化、労務奉 公 の信条 を以て精進 せしむ る如く指導 あらんことを望 む。 二、計画遂行 の有機的綜合 化と責任分野 に就 て 今 回の修正 は固 より既 に第 一年度 の実績経験 に基 き具に研究 を重 ね日本側当局とも 一応連絡 し確乎 たる基礎 の上 に立案 せられたるも
はれ独善 に陥 り、時 として排他的弊害を醸 し易く惹 て斯業 の進歩 発
て計画遂行 に遺憾なき を期せざるべからず、而し て斯 く の如き計画
法令 の運 用、産業、経済諸法令 の改廃、調整等各般に検討 を加 へ以
に労 工協会其他国内労務機関 の整備と活動 とを促進 し其対策に万遺
ば所要 の法令を整備 し 一方各機関及各事業会 社 の徳義心 に俟 つと共
較量 し緩急順序、配 分を適正 にし て極度 の経済的活用を図り要 すれ
り又建築建設労働者 は現下各般 に於ける建 築作業 の作業力 の按排 を
を図 るべきこと勿論 なるも 一面労働者特に熟練 工 の 一部生産分野 に 於 ける偏在を矯正し之 が衡平 なる配分に付適 正に之 を律す るの要あ
得 る為 には相当 の日子を要 するを以 て各種機関を動員 して之 が養成
考慮 を要望 して已まず 蓋し多能 なる熟練工及優秀なる専門労働者を
明に明確 なる所な るも熟練 工 の養成及之 が按排 に於て特 に深甚な る
本計画遂行上技術労力 の取得及配分 の適正 の重大なるは政府 の説
四、技術労力 の取得及配分 に就 て
鋭くし て其指導 を適切ならしめざ る可 からず。
新事態 の発展 によりて新なる方策 の捻出を要すべく常 に洞察 を深く
の遂行 及飛躍的発展は計画 の進展 に伴 ひ自ら新事 態を展開 し、更 に
展 を妨 げし例尠 からざ るに鑑 み能く協和融合進 で自 己の学殖技能 を 提 示し科学協和技術協和 の実効を挙ぐるを要 す。 第 一年度 の実績に徴 するに之等 に関し遺憾 の点尠 からず計画 の実 しく政府各部局各機 関 に於 ける計画遂行上 の責務及各実行機関 の義
行 に迫力 を欠き若くは徒 に旧套 を逐 ひて創意 工夫 の跡尠 き感あり宜 務 と責任 とに関する関係 を明確ならしむ るの方途 を講じ要すれば法 制的根拠 の確 立 につき考究す るの要あるべし而 して義務と責任 の所 在 を明示す ると共に各責任者 の義務履行 の確否 を検 し計画遂行 の実 績 を適確適切 に監察 するは又極め て有効なる方策 にして其機構 竝運 用 に関し ては特 に企業 の経営及技術労務将 又特性等 の多角的監察 に 依 り斯業 の進歩 発展培養 に寄与貢献し本計画遂行上 の綜合化を庶幾 し得 るも のたらざ るべからず。 三、指導奨励 方策 の徹底化 に就 て 凡そ本計画 の如 き大事業 の円滑な る遂行 は前述計画自 体 の有機的 綜合と責任分野 の適正 に相俟 つも の多しと雖 も国策 を自覚 せしめて
ると共 に其弊 を事前 に剪 除し例 へば営利的部門と国策的部門と に応
行 には亦非常 の指導奨励を要す之が為企業 の特性を充分発揮 せしむ
巨額 の建 築資材 を要求 しあ るのみならず 日本国 に於ける事態亦極め
らず、現下在満兵備 の増強、各地都市計画其他 の遂行は各 地に於 て
生産力拡充 の為 には莫大な る建設用其他 の資材 を必要 とするに拘
民間業者を振起邁進 せしむ る為 には政府 の行 ふ指導奨励助長 の方策
ず る助成 の方法 に付再検討 を加 へ若く は危 険なる事業遂行 に対す る
て払底梗塞 の状態 に在 るは周知 の如 し軍事必須 の要求に対しては現
五、物資材料 の配給調整 に就 て
補償制度 を確立し又資源 の開発、技術 の発揮等生産力 を最高度 に発
下 の事 態 に鑑 み固 より優先的配当を建前 とす べきも生産力拡充 の広
憾 なからしむ るを要す 。
展 せしむ る為 の奨 励 の方策 を講 じ更 に特殊会社機構 と政府機関と の
義国防的見地より之 に対す る建 設資材 と直接軍備と の間 に自ら適度
に於 て亦徹底 的処断 を講ず るの概なかるべからず蓋し異常 の計画遂
調整、科学調査機関 の活用 に依 る根底ある寄 与、国家総動員法其他
の調和 を必要とするを以て能 く緩急 に応じ軍需、民需 の配分調整 竝
べく之等 に関 しては特 に計画遂行上深甚な る配慮 を望 みて已まず。
産業開発計 画遂行上特 に留意 すべきは産業特 に企業、生産物件 の
七、産業 開発計画遂行上 の大陸 に於 ける適性 に就 て
更に生産維持 の為 の物資即原材料 の供給確保 に就 ては 一段 の注意
需要安定に遺憾なきを期せざ るべからず。 を必要 とす る所 にし て仮令生産設備 の完成を見るも原材料 の確保供
自動車工業 の発達 、将 又金属及化学工業等 の発展 に於 て其使途 に徴
即ち深く日満共同防衛 の完成 に思を致す ときは飛行機 工業 の確立、
大陸 に於け る適性附与之なり。
し単 に低廉豊富なる製造材料 の生産 のみならず、実 に其適 性を附 与
給円滑ならざ るに於 ては生産 の目的 を達し難く各 生産設備 の進行と 原材料 の供給確保とは有機的 、併進的 に施 行せられ生産機構 の綜合
地適応主義 の原則に基 き処理す る所なかる可 からず。
し得 て始め て優位 を矜 り得 べく克 く気象 地形其他 の特質 を考察 し適
的発展 に欠く る所なきを要 す。 尚此際海陸交通機関 の本計 画遂行 に対す る協 力は 一層甚大な るも のあり て特 に鉄道は建設、修 理及軍隊軍需 の輸送等 に加 へ更 に重大
当業者 の深甚なる省慮 を促す所あ るべし。
右 に関し ては軍 に於 ても本計画 の遂行 に併行し更 に日本側当局及 八、農政部門 の計画 に就 て
な る負荷 を加 ふるも のにし て満鉄当局 に於 ては配車 運行運賃其他 に 関し全 面的再検討を加 へ軍事輸送 の完成生産 力 の増大 工業立地 の将
の慣行 に重圧 を加 へ農政指導上省察 を要 すべきも のあ りしは今次政
重し、作付面積 の割当 、作物転換 の強制等 に依 りて農民 に対し従来
然 るに第 一年度 の実績 に徴し、既定計画を検す るに物 の取得 に偏
要なし。
把握 に依 る農民勤労 の振作 は農業生産 の第 一義 たるは敢 へて贅言 の
の自然力と農民 の勤労 心、役畜 の改良等 とに庶幾すべく従 て民心 の
抑 々農政部門は鉱 工業部門と異り其生産力は繋 りて地力、気象等
来を予見 し運輸及輸送力 の強化 に適切な る方策を講 ぜられんことを 要望す。 六、物価騰貴 の抑制 に就 て 生産力 の拡充、特 に軍需 工業的生産 の促進は建設 の為巨額 の資材 の需要 に依り勢 ひ物価騰貴を招来す べき は自然 の帰趨 にして之 が為 啻 に建設を遅延 に導く のみならず其及 ぼす社会的影響極 めて甚大な 物価対策 の根本義 は物価要 因としての物資関係及通貨 関係 の不均
るも のありて適当な る物価統制を行 ふこと絶対 に必要 なり。 衡調整 に在 り物資 の需給調節 の為 には地下埋蔵資源 の急速開発等 に 約廃物再用等 に依 る消極的手段 の重要 なるを閑却すべき に非ず、 又
を保証 する奨励法を講じ若 くは鉱 工業部門と の按排 を適切 にす る等、
防 上緊急 の要請を充足 せしむる如く考慮を加 へ要す れば 一定 の所得
的期間的計画 とし て 一定 の生産目標 を樹立するを第 一義 とし 一部国
従 て農畜産部門 に在 りては民生安定 の恒久的農業政策中 の第 一期
府 の方策 にも明な る所 なり。
消費節約 の楯 の半面 は勤倹貯蓄なるを思 ひ、大規模な る国民貯蓄運
より供給 の円滑 を図 るを第 一義とするも尚国民的自制 に依る消費節
動 を起し消費 の節約 と併 せて生産資本 の蓄積 に資す ること緊要 なる
一〇 、 重 要 産 業 施 設 の警 防 に就 て
長 期 国 力 戦 に伴 ひ当 然 に経 済 謀 略 に対 す る警 戒 を怠 る可 からず 、
ざ るな り。
満 洲国 開 発 発 展 の為 の各種 移 民及 び之 等 に関 聯 す る土 地収 得 地 籍 整
こと多 きは 周 知 の所 にし て敵 国 が手 段 を 尽 し て経 済 施 設 の破 壊 攪 乱
世界 大 戦 の事 例 に徴 す る も戦 争 の勝 敗 が 内 国 経 済 の崩 壊 に基 因 す る
適 宜 の措 置 を講 じ て其 非協 和 的 心 理 の発 生 を 防 止 す る と共 に増 産 計
理等 の問 題 の始 未 は 其農 政 に関 係 す る所 複 雑 な ると 共 に民 心 に影 響
画 の遂 行 を 一層 強 化 せ し む る を肝 要 とす 、 殊 に日満 共同 防 衛 の完 成
す る所 微 妙 な るも のあ るを 以 て機 構 の調 整 、 運 用 の方式 に更 に劃 期
特 に軍 需 工場 施 設 に 対 し て然 り、 関 係 機 関 は特 に注 意 を倍 〓 し 防
を企 図 す る こと あ る は 常時 覚 悟 し あら ざ る可 か らず 。
を 一朝 にし て鳥 有 に帰 し若 く は敵 国 に乗 ぜ し む る が如 き こと あ ら ば
諜 、 防 火 、 警 備 等 に対 し 万全 を期 す べく 非 常 時 局 に於 て多 年 の建 設
九 、開 発 の効 果 に対 す る期待 に就 て
的 対策 を確 立 せ ん こと を望 む 。
本 計 画 の遂 行 は 現 下 の事 態 に鑑 み 日満 国 内 資 金 、 労力 等 を以 てす
国 家 に対 し 重 大 な る責 任 あ る こと を 自覚 せ ら れ ん こと を望 む 。
る の外 一部 外 資 の導 入 、 工作 機 械 の購 入 等 各 般 に於 て困難 を伴 ひ障 害 に逢 着 す べし と 雖 満 洲 、更 に 日満 を 一体 と し て の支那 特 に北 支 を 考 慮 す る経 済 圏 の確 立 に思 を致 す と きは 資 源 労 力 共 に豊 富 にし て所 謂 ﹁持 たざ る国 ﹂ の範 域 を脱 却 し て ﹁持 て る国 ﹂ に飛 躍 せ る も の と 見 る を得 べく 苦 心 の裡 亦希 望 と光 明 と を認 め 得 るは 同慶 に堪 えざ る
果 し て然 ら ば 今 や 日 満 両 国 一体 の産 業 経 済 は 財 政 金融 、為 替 、 貿
所 な り。
易 其他 各 般 の関 係 に於 て ﹁ 持 たざ る国 ﹂ よ り ﹁持 てる国 ﹂ への進 歩
日満 一体 企 業 の安 全 を 庶幾 し得 る満 洲 開 発 に重 点 を指 向 せ ら る べ き
発 展 の道 程 に あ るも のと謂 ふ べく 、先 づ 資 源 豊 富 にし て治 安 確 立 し
従 て此 ﹁持 て る国 ﹂ への飛 躍 の産 業 開 発 は各 般 の角度 に於 て財 政
も のた る は既 に内 外 識 者 の能 く認 む る所 な り。
経 済政 策 上劃 期 的 修 正 を 要 す るや贅 言 の要 なく 今 日 満 洲国 政 府 が 日
之等 に関 し て は更 に満 洲 国 政府 及 在 満 各 機 関 協 力 一致 一層 の啓 蒙
本 側 に要 望 す べ き諸 件 亦 其 根 底 を爰 に置 か る べき も のと 思惟 す 。
に努 め 真 に新 事 態 に照 応 す べき事 態 に導 入 せ ん こと を 庶 幾 し て 已 ま
方
一九
針
(昭 和 一 三、 一 一、 一 三
日満 技 術 員 ( 技 術 工 を 含 む)需 給 調 整 に 関 す る件
陸軍省)
日本 及満洲 (関東 州を含 む) との比率は概ね二対 一の割合
二、日本に於 ける既有技術員 の満 洲国 への移動 に付積極 的且合 理的
とす。
註
不足 の実情に鑑 み満洲国内 に於け る技術員養成 の計画を最大限度 に
一、満洲 に於ける生産力拡充計画遂行 の現況 と之 に必要なる技術員 拡充す ると共 に日本 よりの配給移動に徹底的 の方途を講じ以 て日満
1、鉱 工関係各級技術員を合 理的に抽出し満洲に移動 せしむ。此
の措置を講ず 。
一体 の生産 力拡充計画 の遂行 に支障無 からしめんとす。
高 級 の職務を担当 せしめ可及的最大 の能率を発揮せしむるやう考
の場合満 洲に於 ては右技 術員 の日本 に於 て担当せる職 務より 一段 慮 するも のとす。
領
一、日本に於 ける鉱 工関係学校卒業者 の配給 に付 ては当分 の間左 の
要 原則 に依る。
2、日本 に於 ける平和産 業関係技術員 にし て転業可能 なる者 を短
尚 其他適宜 の措置を講 じ不足技術員補填充足に努 むるも のとす。
期輔 導し最大限度 に満 洲国に移動 せしむ。
1、日本 に於け る直接軍需に関 する工業要員 に付 ては軍需 の要請 に支障無 き限度 に之を制限し成 るべく生産力拡充 の為 の要員 と別
3、前 二号の措置を計画的に実行す る為日満両国共技能者 登録制
途 に之を保留す。 直 接軍需 の範囲 の決定 に付ては別途措置する所 に依 る。
を可及的速 に実施す ると共に補 助、指導等 に付農業 移民に準 じ積
三、日本 の学校施設 に対し適宜 考慮を加 へ満洲国所要 技術員養成委
極 的 の方途 を講ず るも のとす 。 託 の措置を講ず
2、前号直接軍需要員数 を控除 せる学校卒業 生数 の日満間 の配分 の不完備な る現況と日本 に於 ける人的基礎充実 の実情 とを勘案し
は満 洲に於け る産業開発五ケ年計画遂行 の経 過及斯業 の人的構成 満 洲重点主義 に依 る。
四、日本国内 に満洲側 の需要 を充足する為 の技術 工養成施設を更 に 拡充す。 五、日本国内 に於け る各工場 に満洲側需要を充足 する為 の技術工養 成委託 の措置 を講ず。 二号 の日満配給 比率 の外とし配給 統制より除外す。
六、前 記三、四、五号 に依り特に満洲側 に於 て措置せる技術員 は第
日満技 術員 ( 技術 工を含む)需給調整 に関す る昭和十四
昭 和 一三 、 一 一、 一三
年度 ( 康 徳六年度)学校卒業生取得 に付 ての了解事項
昭和十四年度 ( 康 徳六年度)学校卒業 生 の満洲 (関東州を含 む)
一、 要 領 一の2 に付 て
への配分 は各級を通じ概ね総計 二千 五百名とす。 速急 に適宜 の措置を講じ差 当り前号学校卒業者 の不足分五百名 の
二、要領 二の各号 に付 て
るも のとす。
補充 を考慮す ると共 に更に必要 なる人員特 に基幹要員 の取得 に努 む
二〇
第一 方
針
甲 方
乙 方
面
面
面
関東 軍司 令 部 )
興安北省特 に海拉爾 地区 丙 方
及弾力整備、積卸能 率 の向上、防空対策、水災対策 に関 し徹底的
鉄道 に関し ては既定方針 に従 ひ其建設を促進 すると共 に保守 措置を講ず。
一
二、交 通通信航空諸機能 の整備刷新
前 記各 方面 に於ける緩急要度 に関 しては別途之を定む。
三江省特 に佳木斯市及富錦 、寶清、饒河 の各縣
三
ロ
イ 間鳥省特 に琿春県
ニ
ロ 黒 河省特 に黒河市及〓琿 、呼瑪、孫呉、遜河、奇克各縣
イ 牡丹江省特 に牡丹江市及虎林、密山、東寧、穆稜 の各縣
一
重点地区概 ね左 の如し
に於 て之を概成し爾後其 の完成 を期す るも のとす。
り第 一期計画とし て概 ね康徳 八年末 (昭和十六年末)迄 に主要方面
(昭 和 一三 、 一二 、 一〇
国境 方 面 に於 け る国 防 的 建設 に関 す る要 望
事項
現下の事態 に鑑 み日満共同防衛 の見 地に基 き対蘇諸準備 の 一班と し て北満開発 の 一重要部門 たる国境方面 に於 ける国防的建 設に関し 在満兵備 の増強産業開発 五ケ年計画 の遂行 に照応し つつ日満綜合力
領
の積極的強力発揮 を基調 とし て其 の施策 の集中徹底化を図るを以 て 根本 方針とす。 第二 要
国境方面 に於ける国防的建設 に対する諸施策 に関 しては概ね左記 要領 に準拠し中央 に於 て其 の方策を確立 し爾後各地 に於 て適 地適応 主義 の原則 に従ひ之を具体化す ると共に中央 地方密 に協力し之 が遂 行 に期す るも のとす。 一、 一元的重点形成 国境建設 に関 し ては在満 日本軍隊 の増強対蘇作戦諸準備其他軍 事 民 一途各 々日満共同防衛 の本義 を自覚し積極的 に建 設事業 に協力邁
の諸要請を勘案 し在満諸機関 の積極的協力 に依 り原則として軍、官 進 せしむ る如く諸施策を 一元的 に帰 一指導す ると共に重点主義 に則
二
道路 に関し ては特に自動車道 の整備 に劃 期的措置 を講じ単 に
入植 地に付 ては局地的 に軍 の駐屯地、防禦営造物 の関係其他諜報
検討 を加 ふ。
警戒監視等 を考慮し各現地 につき其実情 に適応する様確定す るも の
国境接壌地帯 の環状線又は鉄道終末 より連絡線 のみならず対空防 衛 上 の見地 に於 て鉄道併行幹線等 の路線増強特 に水災 対策湿潤地
国境地帯 に於け る物資 不足 の現況 と軍補給 の関係 上現地調 辧
額 の激増 竝其 の多元的調達等 とに基く軍需、民需 の統制按配 は焦
一
五、物資調達及集積
とす。
右 に伴 ひ自動車 の車種選定及数量増加、 サービ スステーシ ョン
帯 通過施設及凍結及雨季対策其他保守等 に関し考究 す。 修理施設保守材原料整備給油及部晶補 ( 給 の潤沢 ステ ーション防衛竝宿泊設備)運転手 の素質向上及運転監察
眉 の急務 に属す。
之 が為検討す べき要目左 の如 し。
車馬 の整備 に関 しては後記す る所に依 る。
等 に関す る刷新向上を図 る。
イ
応急現 地調辧寄与対策と恒 久的対策 とに区別し之 が方策 を樹
増産計画 の促進
三
通信 に関 しては軍用通信整備 と相俟ち幹線 のケ ーブ ル化竝 に
各種 有無線通信系 の応急的利用策等 に関 し刷新鞏化す之が為速 に 通信 の 一元的統制 を図 ると共 に従業員 の拡充及素質 の向上を期す。
立 す。
ハ
軍需 の計画的調辧実施
物資労力配給機関 の活動拡充
一般 住民 の補給対策
品目数量 の爾前決定
平時 衣食住 の為 のみならず 非常時 対策 をも考慮し薪炭供給及 保税倉 庫の設定 馬産 及運搬材料 成 の方途 を講ず
イ 特 に馬産 を奨励 し国境 に近く相 当 の保有 を為し得る如 き助
二
ヘ
食 糧品貯蔵施設 、貯蔵量決定
ホ
ニ
要領 の決 定
軍側需要 の調整 と各機関 の統制確立竝軍需民需 の連繋措置
ロ
軍用 及国営飛行場 の整備を行ひ特 に耐水飛行場、飛行場勤務
四 国境水路 の整備 を図 る。
施 設 に関 し強化す ると共 に 一般航空路 の応急整備を図る。 五 三、照明給水 の整備 軍 の駐屯 に伴 ふ軍民 の生活 に便 せしむるに止ま らず 防衛竝に作戦 の独立性 の保持竝 に彼此切替 へ等 に関 し施設し又給水施設 の整備 に
諸準 備 の完成 に資 せしむ る為 一般 的配電統制 の外地区的発電及配電
民
関し貯 水池水道 又は地下井水 の供給に関 し機宜 の方途を講ず。 四、移
国境建設 一般方針 に準拠し日本移民竝に善良な る鮮人移民及原住 民は之 を国境接帯 に於 ても定着せしめ 一は以て銃後 の培養力たらし むると共に他 は以 て各種 の施策 に活用し得 しむ。 之 が為在来 の無住地帯国境地方住 民 の処 理に関す る方策に つき再
運搬材料 の某程度 の現地準備 の為 の培養
之 に伴 ふ獣医、蹄鉄 工の獣疫防止 ロ 六、建設資材労力 の配分
之等 は協和会工作を中核 として其脈絡 を保持 し軍官 に於て夫 々必 要 なる指導 を加 ふ。
み之 に即応 し得 るが如き機構 を整頓し 日本軍 に於 ては其軍 の要請 を
防衛 諸準備竝 に作戦準備 に照応 せしむ る為将又其行政 の特質 に鑑
十、機 構 整 備
関聯す る建設材料 の取得配 分労力 の供給、賃銀規整等 に関し 一元的
合 理的 に充分反映し得しむると共 に満洲側諸機構は平時 より所謂文
軍用諸建築鉄道道路 の建 設其他 の建設、保守等 の諸施策 の遂行に 措置 を講ず。
防衛委員会等 の設定
省機構 の充実
構 に改組 し 一部縣行政区域を変更 す。
各縣特 に国境接壌方面 に於 ては特に防衛竝 に作戦準備本位 の機
三 縣機構 の充実
様考慮し尚 一部省区劃 の変更を考慮す。
る限 り其独立性 を強化し特 に国境建設を積極的 に遂行し得しむ る
業開発等に関 し各 々の特質を発揮し得 るが如 き機構 を整 へ為し得
各省は夫 々其国境 に於け る特性に即応 し国境諸整備移民防衛産
二
右 に伴 ひ治安情報連絡会は 一切之を解 消す 。
所在地要すれば国境県公署所在地 に之を設く。
需民需 の需給調整 の統制連絡調整を図 るを主眼とし省 公署 (軍)
統制竝 に連絡調整 を行 ふ の外必要 に応じ作戦 準備関聯事項竝 に軍
防衛委員会は原則として平戦両時 に於け る防衛に関 する諸般 の
一
算 なからしむ、之 が為特 に調査刷新す べき要件左 の如 し。
治機構 に依 る軍政的運営 を庶幾 し以て軍官民 一致 の実 を揚ぐ るに遺
直接 又は間接軍需 に寄与せしむ る為兵器工業 、 セメ ント工業、石
七、軍需 工業 の作興及産業政策 の検討 炭工業 、木材業等を作興する の外尚必要な る国防産業 の振興を策し 尚林業流木措置其他 の産業政策 に再検討 を加 へ国境建設 の寄与に便 せしむ。 又特殊目的を以 て産業開発 に関し機宜 の措置 を考慮す。 主要都市及主要施設 に於 て特 に其神経系統 の防空保護 に関し重点
八、防空諸施設 の徹底 化
又非常 に際 し老幼婦女安居地帯 の設定 に つき考究す。
主義 を以 て其防空施設 を整備し且其連絡手段 の刷新を図 る。
国境方面 に於 ける緊迫性 に鑑み銃後詰機関 は既定方針 に則 り之 を
九、銃後諸機関 の 一元的統合 一元的指 導強化す即ち 青少年団組織 (青年訓練 )
四
協和義勇奉公隊整 備 軍人後援会
地方保安局 に参与制を設け所要 の人的充実 を行 ふと共に其指導
地方保安局 の刷新充実
赤十字事業統合、病院施 設 の強化 国防婦人会
を適正化し国境警察隊 の刷新整備と相俟ち保安局業務 に関し満洲 国 一般警察、鉄道特殊警察其他満側 一般 関係官 署 の外満鉄、電 々 に対す る統制力を強化し尚 日本軍軍事警察機関 と の関係を調節す。 十 一、協和会機構 の整備機能増進 満 側政府諸機関 の整備充実に照応 し協和会 の国境建設 に対す る施 策を徹底化す。 十二、人 事 刷 新 国境 建設 に関 し各級機関とも劃期的人事 の刷 新を行 ひ清新溌剌 に し て熱意 ある人材 の配置を徹底 化すると共に少くも第 一期計画実行 費
間原則とし て其異動 を避く るも のとす。 十三、経
針
領
関 東 軍 司令 部 )
て之 を礎石とし て相互 に善 隣として結合し東洋平和 の枢軸た ること
日満不可分関係 の鞏化 に関し如実 に実践 の上に闡明し之 が具体的顕
満洲国は建国 の精神 に基く民族協 和 の達成、国際信義 の履行就中
要
諸 整 備 の完 成 に後 顧 の憂 な く集 中 し得 せ しむ るを 基礎 とす 。
(昭 和 一 三、 一 二 、 一三
二 一 日支新 関 係 調整 に伴 ふ満 支 新 関係 調 整 方策
一 方
日満支三国 は東亜 に於 ける新秩序建設 の理想 の下 に満洲国は内 民
を共同 の目標 と為し根本方針 とす べきも満支新 関係調整上特 に左 の
現 に拠 り支那大衆 を啓蒙し以 て日満 支三国相互 に本然 の特質 を尊重
一、 善 隣 友 好 の原 則
諸項 に付鮮明ならしむ。
一、支那をし て満洲帝国 を承認せしめ満 洲は支那 の領土及主権 を尊
し渾然相提 携し て善隣友好 の実を挙げ東洋 の平和 を確保す。
族協和 の鞏化国防力 の増強 を図り外 日満不可分関係 を益 々緊密化し
一、 一徳 一心竝 日満共同防衛は満洲国国策 の中核たる の認識 を益 々
二、満支間 の外交 は日満外交を枢軸 として中央的又は地方的処 理を
重し日支新国交修復 に伴 ひ満支国交 を調整す。
確乎 たらしめ つつ互恵を基調とす る満支 一般提携就中善隣友好共同 二、満支間 に於 て存する民族的、地理的、経済的 、特殊不可離 の関
適正 にして満支相互提携を図り特 に対第 三国方策 に於 ては附記対第
防共経済提携 の原則 を設定す。 係 に関 しては夫 々各地方に於 ける特性 に従ひ自主的又 は相互的条件
三、満 洲国建国 の精神たる 一徳 一心民族協和 の達 成を堅持し つつ日
三国 基本方策 に準拠し支那 の対外方策 を援助す。
特 に蒙疆方面 及北支方面とは、治安及経済交通上緊密 なる連繋 の
の原則 の下に機宜 の措置を講ず。 措置 を講ず。
四、満洲国 は主とし て蒙疆政権及北支政権 に人的援助を与 へ其新建
満支 三国 の文化 の融合、創造及発展 に協力す。 設 に協力す。
三、満支新関係調整 は日支新 関係調整 の段階 に照応し つつ具体化し 特 に満洲 に於け る施策 の重点 は先づ以 て民心 の融合安定 に努め対蘇
五、国境劃定及司法、行 政、警察共助等 に関し所要 の措置 を講 じ必
六、航空、陸上交 通通信竝 に沿岸航路内水航路 に関し ては特 に密接
五、交易 に関し ては関税 を調整 し満支 一般通商を振興す。
記 対第 三国基本的方策
す る事項其他民族的地理的経済的特殊不可離 の関係 にある友好接壌
と雛 も之等は建国 の由来 と経緯と に鑑 み日満 共同防衛 の盟約 に関聯
外国人 の満洲 に於 ける経済活動 に対し て便宜 を与ふべき旨宣明せり
照 して当然継承すべきも のは之 を継承し誠意 を以て之 が履行を約し
遵守 し又中華民国 の各国 に対し て有す る義務中国際法及国際慣例に
満洲国 に於 ては建国以来 一方 且自主的立揚 に於て国際聞 の慣例を
附
じ要す れば所要 の地方的協定 を行 ふ。
七、満洲 に於け る労働力 の不足充足 に関し緊密なる連繋 の措置を講
な る連繋を図 る。
要な る協定を行ふ。 二、共同防共 の原則 日満支三国 は共同し て防 共に当 ると共 に共通 の治安安寧 の維持 に 関 し協力す。 一、 日満支 三国 は夫 々其領域内 に於 ける共産分子及組織を芟除す る と共 に防共 に関す る情報宣伝等 に関 し提携協力す。 二、防共実行上、治安安 寧を維持 する必要あ る揚合は当分 の間満洲 国 は武装力 を以 て蒙疆北支等 の接壌地方 に出動せしめ得 る様措置す、 之 が為地方的協定を締結す。 三、経済提携 の原則
隣邦 の諸国畏 に与 ふる自主的若くは相互的条 件を以 てす る待遇将又
日満支三国 は互助連環 及共同防共 の実を挙ぐ る為、産業経済等 に 一、満支間 の経済提携 と日満間共同防衛 に関聯する経済 不可分事項
関 し長短相補有無相通 の趣旨 に基 き共同互恵を旨 とす。
防共枢軸 を結成す べき友邦 との間 に於け る相互 の特殊便宜乃至承認
国 と非承認国と の間 に存 する自然的差別待遇 或は通商貿易上諸友邦
とは自 ら差異ある ことを明 にす。 但接壌地方 の特殊 不可離 の提携 に関し ては別 に地方的満支協定を
二、 日満支 三国産業経済 の提携 に関し ては所要 の協定 を締結す。
と の間 に取極めあ る相互的特恵条件等と の間 に自 ら 一般諸国民に無
に処す るに原則として敢 へて隔壁を設けず差 別を置 かざるも固より
調整す。
之 れ自主且相互互恵 の基礎 に於 て措置 す ぺき所 にし て徒 に列国 に平
とせざ る所なり、即ち建国 以来恒 に国際間 の敦睦親交 を庶幾し列国
等 の権利を附 与す るものにあらず 、況 んや九国条約国際聯盟規約或
差別 に均霜 せしめ得ざるものあるは之 を国際慣例に見 るも敢 へて異
を与 ふ。
力充実を阻害せざる限度 に於 て便益を供与し或 は支那側事業 に援助
は所謂門戸 開放 の原則等 の如く荷くも満 洲国 の自主独立を脅威 し正
三、資源 の開発利用 に関 しては北支蒙疆 に於 ては満洲国 とし ては其
四、蒙疆及北支 の経済開発 に関し満洲国は可能 の限 り所要 の援助を
不足資源を求むるを施策 の重点 とし満洲国 の健全 なる発達特 に国防
与 ふ。
は勿論なり、然れ共満洲国 は建国精神 と其公正 なる外交方策 に鑑 み
常 なる発展を阻害する類 の協定約定宣言等には何等拘束せられざる 前述趣旨 を了解す るに於 ては広く交通を求め又満洲 に投資し商業 を 国法 に照し其 の経済活動 に能 ふ限り の便宜 を与 ふるも のとす。
創 興し資源 を開拓する ことを願 ふも のあらば何国何国人に論 なく其
二二
昭和 十 四年 ( 康 徳 六 年 )日満 間 資 金 及 物 資
等 諸 計 画 樹立 に関 す る関 係 庁問 諒 解 事 項
(昭 一四 、 一、 二 〇
決定 )
画 に関する満 洲側協力寄与方 に対する関係庁覚書﹂に照応す る昭和
諸計画樹 立に際 しては昭和十三年 七月十 一日附 ﹁日本側時局物動計
現下非常時局 に鑑 み昭和十四年 ( 康徳六年)日満間為替及物資等
表 (二) の如くな る処 同年度 日満収支計画 の樹立 に当 りては日本側
三、昭和十 四年 (康徳六年)満洲側 日貨 公社債発行計画 の標準 は別
ふも のとす。
軍間接軍需 の為前記満 洲側期待額表所掲 の外鋼材 五万屯 の供給 を行
本側 に繰越供給し又日本 は昭和十 四年 ( 康徳 六年) に於 て在満 日本
和十 三年 (康徳五年) に於 ける満伊協定分概 ね三、三〇〇千円は日
十三年十月十四日対満事務局事務官会議決定 ﹁非常時局対処 の為物
旨
資 の需給竝 に第三国関係為替 に関す る日満間協力 の件﹂ の趣旨 を益
は之 が円満 なる実現 に付て極 力援助 を為すも のとし満洲側は調達 の
要
々鞏化す ることを主眼 とし 日満間 の特殊事情をも老慮 に加 へ概 ね左
時期方法及調達資金 の運用等 に関 し日本 の通貨 及金融政策 に順応 す る如 く措置す るも のとす。
記要領 を以 て速 に具体的計画 の樹 立を図 るものとす。 記
記
附
一、昭和十四年度 日本側 (之 に相応する満洲側)物動計画樹立 に当
計画第三年度 以降 の実施 に当り ては夫 々其 の実情 を究め日満両国を
りては重要物 資に関す る満洲現地側期待額 は別表 (一) の如くなる
打 つて 一丸とする原料製品 一貫 の自 給自足経済 の急速確 立を目標と
日本 に於 ける生産力拡充 四年計 画竝に満洲 に於ける産業開発五年
し て両国 の資源賦存状況及開発 の能 率乃至速度 を勘案し両計画 とも
処右 に関しては相互 に協力之 が実 現 に努む ることとし尚在満部隊 の 二、昭和十四年 ( 康徳 六年) に於 て満洲国は日本 に対し概ね三五、
現地調達 に付考慮す るものとす。
真 に日満 一体 の綜合的見地 より適宜調整 を行 ひ時局緊急 の要請 に対
︹五 ? ︺
五、○○○千円は之 を在満 日本軍間接軍需 に充当す ることとす尚昭
○○○千円を下らざ る額 の為替資金を負担 するも のとす右 の内約 三
目 千
単 瓲
位
供
四五五
他
九五 八
其
満
二
軍 需 の 為
対
処 し て其 の急 速 な る効 率 増 進 に努 む る も のと す 。 別 表 (一)
種 (統制 品種) 〃
普通鋼鋼材
材 〃
鋼 品 〃
〃
鋼 製 銑
銑
殊
半 通
燐
特
普
低
給
五五〇
計
一〇
八
〃
六
一四
二
一四
二、三〇〇
四
︱、 四 三 二
六
竏
八六八
二
〃
〃
油 〃
瓲
〃
銅
鉛
石
炭
気
千
油
油
械 ム瓲
揮
機 ゴ
重
生
黍
〃
千
蜀
梁
〃
対
一〇
九八
七五〇
四八
二
五五
軍需現地取得
×
× 一一
一 一
日
他
供
給
三
五五
一
五〇
計
五〇
︱
其
六〇〇
一二〇
一七〇
九八
三、 七 五 〇
六 四八
三、〇〇〇
一二 〇
×
×
一六六
二五〇
一六 〇
一五 〇
二五〇
一 一〇
一 一〇
合
料
混
高
玉
発
電
飼
備考
一、対日溌注 の車輛、機械類 、通信機等の素材類は別途 乏す。 二、 ×印揮発油 の機械油 の供給額 の確保等 に関し ては軍 用石油 (貯蔵用を含 む) として之 に相当する原油輸入為替を日本側 よ り供給す る事 により適宜措置す るも のとす。
一
別表 (二)
総
満
政
鉄
拓
府
三 二〇 、 〇 〇 〇
一八〇 、 〇 〇 〇
七三 、 〇 〇 〇
二 五〇 、 〇 〇 〇
日貨公社債発行計画 額 八二三、〇〇〇千円 (内 新 規 六三三、〇〇〇千円
満
重要物資 日満相互関係概数
其 の 他
﹁附 ﹂
一 一七〇、〇〇万円
一〇〇 、〇〇〇万円 (三六%)
)
( 機械類 等は製品 としての価額)
八四〇、〇〇〇万円
( 在満 日本軍 全需要 の六四%)
軍 の現 地取得 四八〇、〇〇万円 六五〇、〇〇万円
需
準軍需以下
対日期待額 ( 当初計画)
輸出 ( 対 日) 計
対日供給額
一、物動関係全物資 に関す るも の
二
軍
軍 の現地取得
対日供 給 三四、〇〇万円
二、為替関係重要 一〇四物資 に関す るも の 一
二
備
輸 出 (対 日 )
三〇 〇 、 〇 〇 万 円
二 六 六、 〇 〇 万 円 億
計
(
)差引
一億 三千万円
機械類等は素材 に換算 したる価額故 に実際 の金円価額 は数倍 となるべし
億 一七 〇 、 〇 〇 万 円
対満供給 ( 企副院 の案 による予想)
考
他 に雑 貨 等 あ るも 日本 よ り の対 満 供 給 大 な る見 込
)
二三
満 洲 国産 業 開 発 五年 計 画第 二年 度実 績 報 告 並
(関東 軍 司令 部 )
第 三年 度実 施 方 策協 議 会席 上軍 司令 官 致 詞 於 日満 軍 人 会 館 )
夫を凝 し特 に各部門 の有機的聯繋と重点形成とに徹 し以 て日満生産
碍 とを加重す べきを覚悟 し、仔細 に過去 の経験 を検討し更 に創意 工
(昭和 十 四年 四月 八 日
本 日 茲 に満 洲 産 業 開 発関 係 諸 機 関 の会 同 に当 り親 しく 各 位 の壮 容
以下今後に於 ける計画遂行上本職 の希望 する要目に関 し披瀝 する
之が綜 合的完遂 に邁進 せられん ことを切望 して已まず。
力拡充計画 の合 理的吻合を図 り協和力行各 々分担 の責任 を明徴 にし
に接 し 計 画第 二年 度 の実 績 を 聴 取 し併 せ て本 年 度 実施 方 策 を承 知 し 本 職 の所 懐 を述 ぶ る の機 会 を 得 た るは欣 快 とす る所 な り 。 今 や 日本 帝 国 は東 亜 新 秩 序 建 設 の大旆 を騎 し 一は 以 て東 方道 義 の 新 機 軸 を創 造 し 他 は 以 て世 界 平 和 への礎石 を創 建 す べく 邁 進 し つ つ
一、重要諸国策遂行 の綜合的重点形成に就 て
抑 〓生産力 の拡充は現下喫緊 の国策な るも満洲 に於け る四囲 の情
所あらんとす。
勢 は対蘇戦準備 に伴 ふ軍備 の充実、国境地区 の国防的建設、若くは
あ る に際 し満 洲 国 が克 く 日満 一体 、 共 同防 衛 の真 義 に徹 し 日本 側 の
内 、民 心 の安 定 、産 業 の開 発 に専 念 し以 て今 次聖 戦 の目 的 完 遂 に協
開拓政策 の積極的遂行等重要国策 を累加 せしめ之 が実現 の為莫大な
国家 総 動 員 態 勢 の強化 に呼 応 し外 、 国 防 的建 設 工作 の充 実 に努 め 、
に各 位 の労 を多 とす る所 な り 。
力 し大 な る支 援 を 与 へ つ つあ るは 寔 に慶賀 に堪 えざ る次 第 にし て特
る人的 、物的資源を要請せられありて生産力拡充 に充当す べき人員、
資材 は著しく圧縮を加 へざ る可 からざ る現況 に鑑 み此等諸政策 の遂
惟 ふ に嚮 後 の時 局 を処 理 し東 亜 永 遠 の安 定 を期 せ ん が為 満 洲 国 の 負 荷 す る使 命 益 々重 且大 を加 へ就 中 産 業 開 発 の成 否 は 日満 綜 合 国 力
行 に方 りては能く綜合的大局的見 地より彼此緩急を較量 し重点 の形
利用とを図り以て限 りある人的物的資源 の効率的運営 に十全 の留意
成 に徹底 す ると共 に適材を適所 に活用し広 く物資 の愛惜 節約 と有効
の増進 に寄 与 す る こと 甚 大 な る も のあ りと 謂 は ざ る可 か らず 。
し 如 く建 設上 幾 多 の障 害 に遭 遇 せ し に拘 ら ず 夫 〓相 当 の成 果 を挙 げ
を払は れん ことを望 む特 に企劃委員会 の運用に当 りては 一層産業経
満 洲国 産 業 開 発 五 年 計 画第 二年 度 の実 績 は既 に各 位 の報 告 せ ら れ
得 た り と雖 、 本 年度 以 降 の計 画遂 行 に当 つては 更 に 一層 の困難 と障
講 じ特 に衆智 と経験と の糾合 に努 め、又中央各機関 の諸施策 と地方
済 行政 上の措置 と企業 の経営 、技術 の利用 に密接なる融合 の方途 を
三、各輸送力 の綜合的整備 に就 て
きを要す。
確 にし荷 も計画実行遅滞 の責任を相互に他 に転嫁す るが如き こと無
然 るに現 下満 洲に於 ける輸送力 は軍需 の増大其他 の各種要因 に依
は之 に伴ふ輸送力 の整備 を必須 の要件とす。
計画遂行 に必要 なる人員、資材を動員 し建設 を進捗 せしむる為に
各 機関 と の関係 は 一層 の連繋 を図 り真 に官民 一致重要国策 に邁進 す る所 なかるべからず。 二、特殊会社 の機能発揮 に就 て
り右要件を充足し難 き状態 に在 りて之が対策 の確立 は当面 の急務と
満洲 に於ける経済運営 の根幹 的機 構たる特殊会社 の機能活用は直 に以 て産業開 発 の成否 に影響す る所甚大な るは敢 て多言を要せざる
す る所なり。
而 して輸送力整 備 の施策 は単 に鉄道車輛 の増加 に止まらず 水運、
所なり。
的利用 を図 り真 に現事態 に即応 せしむ る輸送力 の綜合的整備をなす
港湾設備、自動車運 輪、小運送施設等各種運輸手段 の計画的、能率
然 るに従来 の状態 を通観す るに其主脳部 にし て徒 らに経営資金 の 調達折衝 にのみ奔走 せる結果本来 の事業遂行を閑却 し若 くは経営 の
之 が為例 へば遠距離輸送と近距離輸送 との調整各種輸送系統 の規
に在 り。
能率発揮 に欠如せるも のあるを看取 せら るゝも理事者 は努め て産業 開発計画上 の担当責任 の遂行 に専念 し資材、技術等 の取得に関 して
整、通関其他輸送附帯事業 の協調等各般 に亘 る綜合的輸送力 の増強
は現下 の事態 に鑑 み責任主脳者を定 め政府 と積極的 に協 力して目的 達成 の方途 を講 じ政府亦 一層会社 の資材 、技術 に対す る要請 を充足
を期 せざ る可 からず 。
諸政策 の樹立 に当 りても輸送量 の消化 に対し常 に之 に適応 せる輸
するに努力 し以 て各社 の全 的機能発揮 に努む るの要あり。
送力 の計画 を併行的 に考慮する の要 あるべし。
又満 洲重 工業開発会社は其計画遂行上 に占む る重要地位に鑑 み更 に 一層設立本来 の使命た る重工業 の有機的綜合経営 に努 力し傘 下関
四、低物価政策 の確立 に就 て
だ其効果充分 ならざ るものあるを以て更 に 一段物価 の動向を洞察 し
政府固より時局 に伴 ふ物価対策 に付鋭意手段 を尽 されありと雖未
民心 の安定 に影響す る所 大なり。
今後 諸計画 の遂行 に大な る支障 を来す のみならず国民生活 を脅威し
現 下に於 ける通貨 の膨脹と物資 の不足 に基く異常なる物価昂騰は
係諸会 社と の人的 又は財的連絡調整 に有効 なる方途を講じ以 て庶幾 する目的 に邁進せられん ことを望む。 而 し て生産力拡充計画 の遂行は生産各部門間 に互助連環 の関係 を
的を達 し難 き関係 にあるを以て担 当各会社 は須 らく各 々其責 任分野
堕 する ことなく有機的、併進的に伸展 せしむるに非ざ れば所期 の目
重要物資 の配給組織 を整備す ると共に適 正なる公定価格 の形成 を図
有 するを以て各企業 をし て徒 に資金獲得 、技術労務引抜等 の競合 に
を自覚 し常 に自己担当部門 の進度 と因果 とを究め て事業 の推移 を明
り之 が励行を徹底する等低物価政策 の抜本的方策 の樹立に つき断乎 たる処置を講ぜられん ことを望む。 近時事変 の長期 化に伴 ひ動もす れば国 民生活 に緊張を欠き 一部人
五、綱紀粛正と人事刷新 に就 て 士 の間に所謂軍需景気 に陶酔し社会的弊風 を醸 し或は背任的行為 を 敢 てす る者等多発 の傾向 に在 るは遺憾とする所 にし て今 にし て之 を しく官民 一途綱紀 の粛正 に努 め信賞必罰 を厳 にし人材を簡抜して適
芟除す るにあらず んは将来 に於 て禍根 を残す こと甚大なるを惧 る宜
に清新〓刺た る気風 を横溢 せしめ又他面物資的待遇を努 めて個 人の
所 に其能力を発揮 せしむ ると共 に老朽 、若朽 を陶汰し て常に人事界
に意 を用 ひられん ことを望 む。
勤怠、能否 に適応 せしむ る等計画遂行 の原動力た る人事 の刷新 に特
長期国力戦 の進展 に伴 ふ敵対国 の経済的謀略 は尚 一層執拗 となる
六、総動員施設 の秘密保持 に就 て べく特 に軍需品工場其他総動員上重要施設 に対し ては外部 の謀略行 為頻発す るの傾向あるに稽 へ関係工場等 に於 ては 一層防諜、防火、 警備 を厳 にし以て国防的施設を敵 に窺偸 せら れ又は貴 重なる施設を ( 終)
烏有 に帰す るが如き失態 なからん ことに万全を期せざ るべからず。
編者略歴 1924 年栃木県 に生 れる.京 都 大学文学部卒業.筑 波大学名誉教授.編 著書 『日本外交年 表 竝主要文 書上下』(外 務省)『 日中戦争』(中 公新書)『 日 中外交史− 北伐 の時代』(塙書房)『 日本 と中国 −大正 時 代』(原 書房 )ほ か.
臼井勝美 〈うす い
・か つ み 〉
・ま さお〉 1908 年新潟県 に生れ る. 1973 年死去.陸 軍大学校卒業.元 防衛庁編纂官.編 著害 『太平 洋戦争 への道』(共 著,朝 日新聞社)『敗戦 の記 録』(原書 房)ほ か.
稲 葉正夫 〈い な ば
現代史資料
日中戦争
9 2
臼井勝美 稲葉正夫 解説
1964 年 9月 30 日 1996
年 8月 31
日
第 1刷発行 第 7刷発行
発行者 小熊勇次 発行所 株式会社 みすず書房 〒1 13 東京都文京区本郷 5丁 目 32 -21 電話 3814 −01 31 (営業) 3815 −9 181 (編集) 本文印刷所 精興社 扉 ・口 絵 ・函 印刷所
票 田印刷
製本所 鈴木製本所
〓 Misuzu Shobo 1964 Printed in Japan 落丁 ・乱丁本はお取替 えい たし ます